私たちの話   作:Гарри

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 長門、那智、グラーフ・ツェッペリン、響、時雨、古鷹、瑞鶴、香取、天龍、明石、夕張、日向、伊勢、吹雪秘書艦、妙高、足柄、羽黒、川内、伊五八、伊八、不知火、隼鷹、北上、利根、摩耶、鈴谷、名取、そしてそれ以外の私が出会った全ての艦娘に。


01「長い前書き:私」

 まずは、この本で取り上げる全ての人々に感謝を捧げたい。特に、長門、古鷹、響、グラーフ・ツェッペリン、那智、時雨に。この本が世に出たのは、実にあなたたちのお陰である。つまり印税についても大半はあなたたちのものであり、私の取り分は本来七分の一ほどしかないところを、致し方ない事情あるいは純粋な好意によって全額受け取ることができ、それによって私は自分の子供を私立の学校に通わせてやることができている。全く感謝の念に堪えない。

 

 それから、特にというほどではないが、かつて肩を並べて戦ったある一人の艦娘と、かつて私のいた海でこれから生きていく一人の艦娘にも感謝しておく。前者の艦娘については、今何処で何をしているのか知らないし、別段知りたいとも感じないが、きっと健康で過ごしていることと思う。結構なことである。後者については私はよくよく知っているので、ここでは深く触れないことにするが、彼女は気にするまい。

 

 さて、一通りの感謝が終わったところで、前書きらしいことを書くことにしよう。まずは私の話や、この本についての話から始めるのが、礼儀にも道理にも(かな)うのではないかと思うので、そうする。

 

 試しに軍歴などから述べてみよう。私はおおよそ十年ばかり、艦娘「加賀」として戦った。退役したのは暫定的終戦宣言が行われた年だから、もう二十年ほども前(やれやれ!)のことである。加賀という艦娘がどんな役割を負っていたか知らない人の為にここで述べておくと、私こと加賀は正規空母という区分に入れられる艦娘であり、主な役割は妖精が搭乗する小型の航空機によって、「制空権を確保する」か、「敵である深海棲艦を爆撃・雷撃する」ことであった。「加賀」の艤装は他の正規空母艦娘と比べても多数の航空機を運用できる為、戦争中は攻めと守り、両方の要として重用された。

 

 戦争中に軍にいたほとんどの艦娘たちがそうであったように、私は十五歳で国によって義務付けられた検査を受け、加賀としての艦娘適性があることが確認され、当時よくされていた表現をそのまま使えば、「義務の呼び声に従って」志願した。戦後に生まれた人には分からないかもしれないが、適性があると分かった時の私は本当に心の底からほっとした。覚えている限り、私の近所で起こった二件の自殺は、年若い少女たちによる、適性がなく艦娘になれないことを苦にしてのものだった。今の常識で彼女たちの絶望を理解しようとするのは無理だろうから、そういう時代だったのだと思ってくれればそれでいい。何故なら、こういう悲劇は、私の住んでいた辺りだけでなく、日本国内の何処ででも起こっていたことだったからである。

 

 周囲の期待通り軍に志願した私は、訓練所に送られた。私が十五歳の頃、日本国内には訓練所が全国に七ヶ所あって、私の送られた訓練所は出身である中国地方、呉鎮守府近くに位置していた。駆逐艦娘時雨と初めて会ったのはこの訓練所でのことである。運命的な出会いとは言えなかったし、決して初回から意気投合した訳でもなかったが、私たちは結局、互いに一番長い付き合いになった。

 

 訓練所で私がどんなことをしたか、そして軍によって何をされたか、必要以上に詳しく書くつもりはない。そういうことを知りたければ、私の本以外にも沢山の本が出ているし、その内の何冊かは非常に正確で、戦争当時を知る私としてはよくもまあ出版できたものだと感心するほどである。だから、注意深く書評を探ってそれを見つけ出し、読んだらいい。ただ言っておくと、私の人格形成において最も重要なタイミングだったのだろう十五歳という時期に、あの場所にいたという事実は、私の人生に対して大きな影響を与えたに違いないと確信している。

 

 長いとも短いとも言えない訓練期間が終わった後、私と時雨は同じパラオ泊地に配属された。教官から宣言を受けた時、強い失望を感じたことをはっきりと覚えている。大多数の艦娘たち同様に私も国内勤務希望で、じめじめして蒸し暑そうな東南アジアのひなびた小島になど、好き好んで行きたいとは思っていなかったからだ。とはいえ下った配属命令には逆らえず、その後十八歳になるまでそこで過ごした。古鷹、那智、長門、グラーフ、響と会ったのはこの間になる。

 

 古鷹が深い海の底へと去り、グラーフが日本を後にして、時雨が重い懲役刑を食らい込んだ後、私と長門、それから那智は、とある理由から国内に引き抜かれることとなった。しかしもちろん私たちは、よき友人であり、仲間を失った悲しみを共に分かちあった響を、一人僻地に残していくことに耐えられるほど人間味を失っていなかった。幸いにも成人一人とティーンエイジャー二人による本気の駄々によってこの小さな戦友も一緒に本土へ帰れる運びとなったが、お陰で響はその後何年も何年もその際のことで「あの時、君たちは……」と彼女の戦友をからかったものである。実のところ、時々今でも言われる。

 

 異動先の基地では、艦娘という最も新しい兵器の、または歩兵の形態を可能な限り活かす為の戦術研究に従事した。このことの多くについては軍機である為、ここには書けない。また、機密指定が解除される頃には私は墓の下だろう。控えめに言って死ぬほど(・・・・)エキサイティングな日々だったので、そのことについて語る機会が存在しないのは非常に残念だ。

 

 本土の基地に異動した私たちの話に戻ろう。どういう訳か、響は栄えある第一艦隊に配属され、私と長門、那智は第二艦隊に組み込まれた。もしかしたら、十八歳にもなって駄々をこねる正規空母やその仲間たちを第一艦隊に入れるのは嫌だと提督は思ったのかもしれない。このことで私と響の友情が揺らぐことはなかった──と言いたいが、嘘を言っても彼女にはお見通しだから、正直になることにしよう。私と響は、それから暫くの間、今まで通りには行かなかった。

 

 でも私はあの頃十八歳で、人生で最もうぬぼれやすい時期だったのだ、という言い訳をするぐらいは彼女だって許してくれるだろう。私よりほんのちょっと年上である以上、それぐらいの寛容さを見せてくれたっていい筈だ。ダメなら話をちゃんと付けましょう。電話でも手紙でもメールでもしてちょうだい。

 

 個人的には、最悪の時期はこの頃だと考えている。響との間にわだかまりができ、第二艦隊に入れられ、しかも運悪く何回目かの戦闘で先任の艦娘二人が轟沈したのだ。補充として訓練所を出たばかりの川内と同期の妙高が入ってくれてからは少しよくなったかと思いきや、翌年には長門と那智が二人とも轟沈寸前の負傷をし、右腕を失った那智は隊を去った(嬉しいことに彼女はその数年後に戻ってきた)。挙句の果てに、その直後に行われた大規模作戦で第二艦隊の旗艦さえもが轟沈したのだ。

 

 そして言うまでもなく、被害を受けたのは第二艦隊だけではなく、第一艦隊にも一人の轟沈が出た。つまり三人の欠員が出た訳である。これを満たす為の補充員は、しかし足柄と羽黒の二人しか送られて来なかった。結果として、重巡であり経験豊富、冷静にして有能な妙高が第一艦隊と第二艦隊を必要に応じて掛け持ちすることになり、彼女にのしかかる重責と労苦は二年後、私が二十一歳の時、第一艦隊にいた空母艦娘が退役するに当たって補充されたとある重巡と、軽空母隼鷹が配属されるまで続いたのだが、ここから終戦までのことは私が軍からの依頼を受けて書いた唯一の作品である、『船乗りは帰ってきた』で詳しく書いているので省く。ぜひ買って読んで欲しい。

 

*   *   *

 

 退役して自分にとっての戦争が終わった後、私にはまだ元気な親もいたし、数年に渡ってこつこつと積み上げてきた貯蓄というものもあって、急いで新しい職や人生を探す必要がなかった。そのお陰で、思うがままにゆっくりできた。それは艦娘にとって、想像の中でのみ叶えることのできる真の贅沢だった。問題は、その時の私はもう艦娘ではなかったということだ。十年ぶりの故郷では海上哨戒もなく、索敵殲滅任務もなく、夜間当直も存在しなかった。私は段々と平和に飽き始めた。明日の夜もまたベッドに戻れるか、と夜ごと夜ごとに不安に思う日々を恋しくなど感じはしなかったが、それはそれとして、平和というのはどうも私にとって大変なものだぞ、と考えるようになったのである。

 

 この本で取り上げた人々以外にも、私の知り合いには大勢の艦娘がいる。その中の幾らかは幸せになり、また幾らかは私のようにほどほどの生活を送っているが、ある僅かな人々は戦時よりも不幸な日々を送っている。私は、終戦時の私にとって人生の全ての期間において続いていた戦争が終わったことを、緩やかながらに受け入れていくことができたが、彼女たちにはそれができなかったのだ。残念ながら自分のことを精神的に強靭であると信じられるほど厚顔ではないので、私ができたことを彼女たちができなかった理由は、何か別のところにあるのだろうと思う。

 

 そして、私が苦労しながらでも戦争の終わりを消化していくことができたのは、自分に文章を書くという趣味があったからだと私は信じている。私の生活を支えてくれている熱心な読者の方々ならお分かりだとは思うが、私の作品(『船乗りは帰ってきた』『一年間の休暇』『ドーン! お前は沈んだ!』など)は全て戦争について書いた、あるいは戦争期を描いたものだ。覚えている限り、世に出た作品以外も大半がそうだと思う。恐らく私は、文章に自分の体験を、記憶を、あるいは感情を投影することによって客観視し、受け入れていったのだ。

 

 そういう意味では、私が書いた、描いた戦争は極めてリアルなものになっている筈である。ただそう思わない人も大勢いるというのは確かなことらしく、私が戦争について書くと、大抵その後で何人かの読者から「あなたの書く戦争は明るすぎる」と言われる。「戦争はこんなものじゃなかった筈だ」と。批判を恐れずに事実を述べれば、そう言ってくるのは決まって男だ。そしてこれは私の推測でしかないが、彼らはまた、戦後間もなく発生した過激派組織の攻撃に際して、口々に「これは戦争だ」「戦闘地帯のようだ」と言い立てた連中でもあるだろう。口やかましく、同じ嘘を何度も何度も、騒ぎ立てた奴らだ。彼らに対して今以上に感情的になって「あなた方に戦争に関してどうこう言う資格はない」と答えることもできるが、普段の生活で十分に感情的に振舞っている分、せめてここでぐらいは大人らしく振舞ってみよう。

 

 という訳で、私はここできっぱりと言っておく。まず先に述べた、戦後最大の事件についてのことから話を始めよう。あれは戦争状態(・・・・・・・)などではなかった(・・・・・・・・)。戦争とは死の恐怖を抱いて毎晩眠ることだ。漠然とした恐怖と危険を前に、戦うにしろ従容として受け入れるにしろ、何らかの反応を余儀なくされることだ。そこから逃げられないということだ。誰かに送った手紙がある日を境に受け取り先不在で戻ってくるようになるのを、不思議に思わない日々を送ることだ。友達のアクセサリーや一房の髪の毛を空っぽの棺に入れて焼くことだ。毎秒毎秒、これが私の最後に見るものかもしれない、と考え続けるようになることだ。戦争とは、いつ終わるか知れず、永遠に続くとも思われるような理不尽な狂気と暴力の嵐の中に囚われることだ。

 

 その渦中であなたが頼りにできるのは、隣にいる友人たちと自分自身だけであり、休めるのは生死を共にしたその戦友たちといる時だけだ。警察も、消防も、病院も役には立たない。翻って、十六年前の事件ではどうだったか? 事件の発生直後から警察は精力的に活動し、消防士たちは果敢に鎮火を試み、医師や看護師たちは傷ついた人々の治療に当たった。そして事件当日からたったの一週間もしない内に、街は普段の姿を取り戻したのだ。当日でさえ、現場から離れた場所では悲劇と無関係に平和な日常が営まれていた。だから、あれはただの事件だったのだとする他にない。

 

 とは言ったものの、戦争の全てが悲惨な記憶でしかないのかと言われれば、それもやや真実とは異なる。私は多くのことを知り、多くのことを聞き、そして目にして今日まで生きてきた。その中にはどうしてもまぶたの裏から離れないものもある。ふと鼻の奥によみがえるにおい(・・・)の思い出が、遠くから聞こえてくる音の記憶が、私の中に確かにある。だが、私が私の人生の一番大切な日々を捧げたあの戦争のことを思う時、いつも最初に胸の中によみがえるのは、不思議と楽しかったことや、心安らぐものばかりなのだ。

 

 古鷹に執筆の手ほどきを受けた時に彼女が見せた優しい眼差し、そうやって見て貰いながら書いた小説が小さな賞を取った時の彼女の瞳のきらめき、私が那智の悪ふざけに怒って基地中を追いかけ回した時のあの疲労感、長門と二人でドライブに出掛けたある暑い日の太陽、生真面目で信じやすいところのあるグラーフにどれだけとんでもない嘘を信じさせられるかみんなで競ったこと、初めて酔っ払った響があんまりおかしな姿を見せたせいで、時雨がひっくり返ってのたうち回るほど笑う姿……。

 

 戦争の全てが、海の上にあった訳ではないのだ。戦いであった訳ではないのだ。あの時、あの時代、私と私の友人たちが交わし合った冗談や、まるっきり子供じみた遊びや、悪戯や、愚かな行いもまた、戦争の一部だった。私たちはその中に生きていた。私たちのやることは何もかも、その一部だったのだ。

 

 だからやはり、先ほど話題にした「事件」は事件だし、私の描く戦争はしばしば憂鬱さや死の恐怖、心的外傷後ストレス障害(PTSD)とは無縁のものになるし──私はそのことで戦争というものを都合よく捻じ曲げたつもりにもならない。

 

 前書き程度に留めるつもりが、年寄りじみた言い訳で長くなってしまった。最後に一つだけ述べて、締めくくることにしよう。この本は、もちろん戦争についての話であると同時に、私たちの個人的な話でもある。あの戦争を戦い、生きて、死んだ、まだ元気で若く、年相応に愚かだった、少女たちの……あの頃艦娘だった、私たちの話だ。


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