私たちの話   作:Гарри

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10「妙高型重巡:那智」

 那智は面白い経歴の持ち主だった。彼女の生まれは千葉で、育ったのは兵庫、訓練を受けたのは長崎の佐世保、その後書類のミスで二ヶ月だけ択捉島の単冠湾泊地に送られ、最後にパラオ泊地にやってきた。日本を縦断した末に、国外に出て行った訳だ。その経験から、彼女はかなり顔が広かった。ひっきりなしに手紙を受け取っていたし、それと同じぐらい頻繁に返事を出していた。昨日は千葉の親戚に、今日は兵庫の古馴染みに、明日は佐世保で訓練を共にした同期に、明後日は単冠湾で知り合った先任艦娘に、といった具合だった。彼女は筆まめで、しかも彼女の書く字はお手本のように綺麗だった。何でも中高生の頃、習字をやっていたのだとかで、パラオで私たちを指揮した提督は執務室に那智の手による『パラオ泊地』掛け軸を飾っていたほどだ。

 

 ところで日本人という人々には不思議なところがあって、字が綺麗だと人間性についても保証されているような気分になってしまうのだが、那智はその反例として取り上げるに相応しい人物だろう。彼女は長門と同じか、それ以上に問題児だったからだ。私よりも七つ上だったにも関わらず、である。私の七つ上ということは、つまり長門にとってみれば八つ年上だったことになる。長門がやっと人間らしく言語を操り始めた時分には、那智は既に小学校を卒業するかしないかという年頃だったのだ。そんな年の離れた女二人が、親友同士としてパラオ泊地に悪名を轟かせることになるとは、一体何処の誰が予想できただろうか。しかし事実としてそれはそうなったのである。

 

 那智は二十二歳で海軍に入隊した。これは当時としては極めて一般的でないことだった。普通は十五歳ですぐ入隊するか、遅くとも響のように十八歳で高校を出てから入隊するものであり、艦娘適性のある女性にとって大学に進学するということは入隊しないという意思表示とほとんどイコールで結ばれた行為だったからだ。このことについて尋ねた時、那智はあっけらかんと言ったものである。

 

「戦争が終わった後、大卒の方が就職に有利だろう? いつまでも海軍にいるという訳にはいかないし……」

 

 それを聞いて、中卒だった私と長門は彼女が取らぬ狸の皮算用をしていると言って笑い飛ばした。「それで、戦争はいつ終わるって?」と長門はにやにやしながら訊いた。那智は気分を害したりすることなく言い返した。「知らんよ、だが祭日だろうな」彼女がそう考える理由を知りたくて、私は口を挟んだ。「どうして祭日なの?」「そりゃ、その日が終戦記念日になるからさ」私はその言葉を聞いて二回笑った。最初は彼女の言葉を理解した時。そして二回目は、彼女の言ったことが実現した時だ。

 

 彼女はその所業から、周りにいい加減な奴だと思われていた。けれど実際は、プロの軍人として自分の体を知り尽くしており、己の肉体をどう動かせば求める結果が得られるか、完全に把握していた。私はパラオ時代の、こんなことを覚えている。日本海軍の正規空母艦娘の多くは弓を使って艦載機を発艦するのだが、その為の訓練には弓道が取り入れられていて、私も訓練所時代からずっと自己鍛錬の一環として弓道に取り組んでいた。日本海軍の鎮守府、基地、泊地などには必ず弓道場が設置され、弓を使う空母艦娘たちはそこで訓練したものである。ある日私がいつものように訓練していると、弓道場に那智が入ってきた。腰にナイフを下げて、だ。

 

 言っておくと、ナイフというものが艦娘の正式な装備に含まれたことはない。天龍型の刀や薙刀、叢雲の槍など近接武器を正式に供与されている艦娘はいるが、彼女たちすら実際にその装備を使って敵と交戦することは滅多にない。艦娘の戦闘の基本は砲戦であって、砲で撃ち合っている時に刃物は役に立たないからだ。だが那智は「備えよ常に」という確固たる考えの持ち主であり、パラオにいた頃から必ず出撃にはナイフを持っていったし、本土に転属した後はそこの明石に頼んでわざわざ特注のナイフを何本も作らせていた。一時期など、出撃時でなくともナイフをぶら下げてその辺をうろついていたので、新入りの艦娘たちを無闇に怖がらせる結果になったりしたことさえある。艦娘「那智」は決して目つきのいい方ではないというのも、その傾向に拍車をかけたことだろう。

 

 弓道場に入ってきた彼女は邪魔にならないよう私の後ろに腰を下ろすと、大人しく訓練を見ていた。でも私がそろそろ訓練を終えよう、と考えて弓を片付けようとすると、那智は自分も弓を引いてみたいと言い出した。反対する理由はなかった。その時には運よく他の空母もいなかったし、訓練をやめた後で何かしなければいけない用事があるのでもなかったからだ。どうせ本気で弓道をやってみたいのでもないだろう、と考えた私は、基礎の基礎だけ教えて射掛けさせてみた。そうすると驚いたことに、那智は初めてとは思えないほどよく()てた。「すごいわ」と私が褒めると、彼女は私の射を見ていて、それを真似したのだと言った。「お手本がよかったんだな」それとあなたのセンスもね、と私は本当のところを付け加えておいた。

 

 パラオ泊地から本土に転属した後、右腕を失って艦隊を去った那智は艦娘の訓練教官になった。そこで彼女は、一人の有望な教え子に目をつけて鍛え上げた。後で聞いたことだが、初めて見た時は(あお)(ちろ)いもやしっ子が、と思えてちっとも気に入らなかったらしい。だがそのもやしっ子は予想を裏切って那智のしごきによく耐え、彼女自身が太鼓判を押すほどのよい艦娘へと育った。後には復帰した那智の旗艦を務めたのだから、教官としてはさぞ鼻高々だったことだろう。しかし私が残念なのは、彼女はその艦娘や他の教え子たちの前では、パラオ泊地時代などに彼女がやった様々な悪行のことを決して口にしなかった、ということだ。まるで私たちと共に過ごしたあの日々を、ないがしろにしているようではないか?

 

 と、いう訳で、この章に入る前にも既に幾つか暴露させて貰ったが、それに加えてもう一つ二つ、特にどうしようもない話を晒してしまうことにしよう。どちらも臭くて、品がなくて、情けない話だ。

 

 やや記憶が定かではないが、このエピソードに登場する人物から推察して、これは本土基地に移ってからのことだったように思う。那智はいつものようにろくでもないことをやり、罰則を食らった。これについても何をやったのかよく覚えていないけれど、因縁のある演習相手の艤装に“仕込み”をしたとか、男子トイレに放送室の音響機器とリンクさせた無線マイクを仕掛けて基地中に誰かの排尿音声をライブ中継したとか、「やってみたらどうなるか確かめてみる」為だけに零式水上観測機に肉抜きその他の非公式な改造を施す実験を行ったりしたとか、多分そんな類のことだろう。とにかく那智はお遊びの代償に一ヶ月もの長きに渡って続く罰を受けなければならなかった。それは基地に設置された仮設トイレの糞尿処理だった。私が知る限り一番汚くて、きつい仕事だ。

 

 この時基地にあった仮設トイレの仕組みは簡単なもので、薄い組み立て式の壁に覆われた個室の中に粗末な作りの便座があって、その下には半分に切ったドラム缶が置いてあるだけのものだった。缶の中身が溜まると誰かがそれをトイレの下から引っ張り出して、燃料を入れてから軽くかき回し、火のついた古新聞を投げ込んで、中身がからからになるまで更にかき回し続けなければいけなかった。それから指定の場所に中身入りのドラム缶を運び、もう一人の運のない誰かに後の処理を任せて、新しく空っぽの清らかなドラム缶を運んでセットして、やっとトイレ一つ分の処理が終わるのだった。そしてその仮設トイレというのが、一つ二つではなかったのである。

 

 これは大変な作業だった。焼く前の中身入りドラム缶は重いし、臭いは鼻の奥までこびりつくし、煤で手といい顔といい黒ずむし、おまけに出撃は罰則のことなどお構いなしに行われるのだ。私も那智の前に一度だけ経験があったが、毎日自分を呪ったものである。しかしその時は誤爆で友軍に被害を与えかけた(幸い、ギリギリのところで無傷だった)かどでの罰だったので、まだ自分に「仕方ない」と言い聞かせることもできた。だが那智にはできなかった。

 

 彼女は任務をこなし、トイレの処理をこなし、空いた時間で“平和と除臭に役立つ機械”を作るのを手伝ってくれるよう、工廠の明石を説得した。工廠のボスは一回目こそ断ったが、二回目の訪問で那智の頼みを聞き入れた。何故か? それはもちろん、那智が移動する悪臭発生源と化していたからである。彼女以外の艦娘はみんな、自分を守る為にマスクを購入しなければいけなかったほどだ。私は以前その時の那智と同じ立場だったのでむしろ愉快な気分になったが、長門などからすれば「またか」という気分だったことだろう。那智が通った後は、たとえそれから数分経っていてもすぐにそれと分かった。シャワー室に入った後は、シャンプーやボディソープの匂いと混じった上に湿気で不快感が倍増され、徹底的な換気が終わるまで誰もシャワーを浴びられなかった。

 

 そんな彼女が明石に頼んだのは、真空乾燥装置の作成だった。よく知られている事実として、水分は低気圧環境下ではより低温で沸騰する。一例を挙げると、我々の生きている地球の大気圧は一般に一〇一.三キロパスカルとされているが、これを一二.三キロパスカルほどまで減圧すれば水は摂氏にして約五十度で沸騰するようになる。当然もっと減圧すると、もっと低温で沸騰し始め、やがて凍りつき、最後には蒸発する。後に残されるのは固体部分のみだ。臭いも遥かに少なくなる。「つまり」と私に説明した時、那智は笑った。「クソのフリーズドライだな」やれやれ。もうそろそろ小説家になってから長いと言えるだろう私だが、よもやこんなセリフを書く日が来るとは思わなかった。でも彼女がそう言ったのだから仕方ない。

 

 装置が完成すると、もう那智は前ほどには悪臭に悩まされなくなった。提督が「それでは罰にならんだろうが」なんてタイプの人間ではなかったことも那智の計算通りだった。精々が装置を作動させる為の電力について嫌味を言われただけで、それはあの提督を知る者からしてみれば手放しで褒められたようなものだったのだ。すると那智の心の中で、むくむくと小学生じみた遊び心が頭をもたげ始めた。あんなに臭くてつらい罰を与えた提督は、自分に対してやりすぎだったんじゃないか? と那智は考えた。加賀みたいに仲間を吹き飛ばし掛けたのでもないのに、という訳である。

 

 そう考えるともう彼女は何かせずにいられなかった。彼女は例の“フリーズドライ”を削り出してトイレットペーパーの芯半分ぐらいの大きさにすると、パラオで鳥を射ようとした時のようにまたしても私の弓と矢を無断で持ち出した。次に矢じりを訓練用のゴム製のものに換えると、“フリーズドライ”に突き刺した。そして最後に、提督の執務室の窓を目掛けて射掛けたのである。その時執務室にいたのは提督と彼女の秘書艦、それに私の三人だった。運用している航空機を新型に更新して欲しい、という陳情の為に、私は執務室を訪れていたのだ。もうお分かりだろう。窓を割り、カーテンを押しのけて飛び込んできた“フリーズドライ”付きの矢は、航空機の更新によって具体的にどういった運用上の利点があるか、などを説明していた私の横っ面に直撃した。

 

 ありがたいことにカーテンが勢いの大半を殺していてくれたので、私は殴られた程度にしか感じなかった。それでも矢の先にくっついていたものが何かということに思い至った時、それが私の気分にもたらした決定的な荒廃は、避けられうるものではなかった。

 

 秘書艦は大いに怒った。彼女は提督の指示さえあれば那智のところに飛んで行って、体中の骨をへし折っていただろう。だが提督は私の言葉に耳を傾けた。「私にお任せください、提督」「任せた」話はそれで決まりだった。証拠は一切なかったが、私には誰の仕業か分かっていたからだ。とはいえ、自白すらなしに直感で罰する訳にはいかない。そこで私は那智を探し出すと、彼女に言った。「那智、秘書艦が探してたわ」「そうか? 何の用事だろう」「はあ、どうせまた何かやったんでしょう」「ちょっとした戦術行動をな」それだけのことを言って貰えれば、自白と見なすのには十分だった。私は那智が所定の位置に片付けていた弓矢を持ってきて、返し(・・)のない鋭い矢じりがセットされていることを確認すると、那智の後ろから右尻を射た。威力は加減したが、それでも矢はしっかり那智の尻に突き立った。

 

 彼女は尻を押さえると飛び上がった。相当に痛かったろう。けれど「あなたの戦術行動はね、私に当たったのよ」と告げると文句は言われなかった。自分の悪ふざけで実際に傷ついた人間には復讐を実行する権利があるということを、彼女は律儀にも認めていたからである。私は矢が刺さったままの那智を連れて提督のところに行き、片付いたということを報告した。幸運にも、秘書艦は窓の修繕を業者に頼む為に執務室を出ていた。提督は那智の尻を見て鼻で笑ってから「戦闘中の負傷以外での入渠は認められん」と言い渡した。これは私もやり過ぎだと思って抗議したが、提督は意見を変えなかった。お陰で那智は、暫くの間仰向けで寝ることさえできなかったのである。

 

 付け加えておくと、彼女は化膿を防ぐ為に一日二回、傷口に軟膏を塗らなければならなかった。しかし尻の傷に手探りで塗りこむというのは現実的ではなかった。そこで彼女は、時間が来ると私を連れて医務室に入り、カーテンで仕切りを作ってからベッドに上がるとスカートをめくってタイツを下ろし、四つん這いになって尻を突き出した。そして私がそこに軟膏を塗った。それがよりによって、茶色のものだった。加えてこれがまた水っぽくて、よく染み出したのだ。なので塗ってから暫くすると、那智の黒いスカートには薄くだが染みが浮き上がった。私たちは二人とも自分のことを無様に思った。誰一人として那智の下半身に関する冗談を言わなかったことだけが救いだった。

 

 那智が教官をやめて基地に戻って来たのは、私が二十二か二十三の時だ。当時の提督の下で新規編成された艦隊の二番艦を務める為に戻ってきた彼女は、もう入渠しても生えてこなくなった右腕の代わりに、義手を身に着けていた。彼女の艦隊は旗艦を始めとした艦隊員の半数が那智の教官時代の教え子で固められており、その誰もが那智教官を恩師として慕っていたのは明らかだった。その艦隊の中で唯一那智の過去を知る響は、豹変ぶりに呆れてしばしば昔のエピソードを口にしようとしたが、那智は決して彼女にそうはさせなかったものだ。

 

 戦後、那智は退役艦娘が通う為の特設高校の教諭になった。彼女は大学で教育学部を出て高校の教師資格を取っていた上、教官経験もあってまさにうってつけだったのだ。艤装は軍預かりだったが、肉体は艦娘のままでいることにも許可が出た。彼女を慕う昔の教え子たちは、こぞって那智が赴任した特設高校の門を叩いた。その中にはかつての那智の旗艦も含まれており、またしても那智はその艦娘を教えることになったのである。私は、那智が退役してから一年か一年半ほど後に会った時、彼女が自分たちの数奇な運命に言及して笑ったことを覚えている。「あいつ、大学は教育学部に行くつもりらしい」と那智が私に言ったので、私も笑い返してこう答えた。

 

「もしかしたら、この高校の校長になる気かもしれないわね」

「じゃあそれまでに、私は教頭にでもなっておかなければな。全く、あいつは私が面倒を見た中で一番できの悪い教え子だったが、まさか退役してまで手を掛けさせられるとは」

 

 ここでこっそり言わせて貰おう。一番できの悪い、手の掛かる教え子、ですって? 一番かわいい教え子の間違いじゃないのかしら、ねえ、那智教官(・・・・)

 

 彼女は今でも同じ高校で教え続けている。この数年は手紙や葉書のやり取りばかりで直接会っていないが、元気でやっているだろうことには疑いがない。その手紙によれば、最近、歴史的・教育的見地から回顧録の執筆を求める声も一部で上がったが、取り合わなかったそうだ。「私には文才がないからな」と書いていたが、何となく私には、彼女が何冊か本を読めばそれなり以上のものを書いてしまいそうな気がしている。また、回顧録は書かないにせよ自分の経験を誰かに伝えるということには熱意を持っているようで、戦争が終わってから二、三年ほど経ってから行われた艦娘たちによる講演会に出て以来、精力的にその手の集まりに話者として参加している。私も彼女が講演を始めた頃に何回か聴衆として参加したが、堂に入った話しぶりと途中途中で笑いを挟んで疲れをほぐす手腕には、往年の経験が活かされていたように思う。久々に会って話をしたいし、次の彼女の講演会には顔を出してみるのもいいかもしれない……。


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