私たちの話   作:Гарри

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11「卑怯者」

 私は長い間、戦争に行った。砲を撃ち、航空機を飛ばし、敵を殺し、敵に殺されないように努力し続けて、どういう訳かそれに成功した。そして戦争が終わって故郷に帰ると、私を待っていたのは想像もしていなかったほどの大歓迎だった。これは皮肉ではない。わざわざ隣町からやってきた人もいるぐらいだった。誰もが私の肩を力強く叩いて、「お帰り」とか、「よく無事で戻ったね」とか、友愛の気持ちがこもった温かな言葉を口にした。私以外の地元出身の艦娘たちにも、考えうる限り最高のおもてなしと呼べる厚意が向けられた。その気風は今でも変わっていない。

 

 たとえば私が、隣町の更に隣町にでも出かけるとする。喫茶店に入り、そこにいた地元の客と話をする。私が言う。「昔、私は艦娘でした」客と喫茶店の店長は言うだろう。「ありがとう、戦争に行ってくれて」そして、飲んでいたコーヒーを無料にしてくれるだろう。ケーキの一つもおまけにつけてくれるかもしれない。

 

 多分、私は幸運だったのだ。世界中で深海棲艦に対してのシンパシーが犯罪と見なされなくなって以来、艦娘に対して批判的な主張を掲げるグループが大手を振って活動できるようになり、日本でもごくごく一部ではそういう思想に染まってしまった地域もあると聞いている。その土地出身の艦娘に比べれば、あるいは艦娘として戦争に行ったということそのものに無関心な土地出身の者たちと比べれば、私は恵まれているのだと思う。少なくとも誰も私に唾を吐きかけたりしてこないし、大量殺人者呼ばわりされることも、単純に無視されることもないからだ。昔艦娘だったお陰で、小説家としての収入以外に年金だってつく。五年前までは税制上の優遇措置だって存在した。昔話がしたくなれば、在郷艦娘会の集まりに行くことができる。人々は私を尊敬してくれる。昔、己の身を戦争の中に投げ入れたから。

 

 彼らは私のことを英雄だと言う。勲章がなくても、通りに私の名前がつけられることがなくても、ドキュメンタリー番組への出演依頼が来なくても、名もなき英雄の一人ぐらいにはなれるらしい。あの頃家庭に息子しかいなかった家の父親が、あの頃自分の娘を戦争に送り出した母親が、妹を失った兄姉が、姉を失った弟妹が、艦娘になれないことを苦にして自殺した子供らの親たちが、艦娘にならないことを選んだ子供らの親たちが、誰もが私のことを褒め称える。社会が危機に陥った時、世界の平和が脅かされていた時、燃え盛る死の炎の中に進んで我が身を投じた、勇気ある人物。行くのを拒むこともできたのに、それをよしとすることができなかった正義感の持ち主。私がかつて戦争に行ったということを知っているだけなのに、みんな私のことを私自身よりもよく理解しているみたいな口ぶりだ。

 

 そういう善き隣人たちに混じりけのない敬意や好意を示される度に、私はパラオにいた頃の出来事を思い出す。当時の私たちは大規模作戦に参加しており、一つの島の周辺海域を巡って深海棲艦と激烈な争いを繰り広げていた。その島が手に入れば前進基地を設置して補給拠点とし、そこを足がかりにして人類の勢力圏を大幅に拡大できる見込みだったからである。深海棲艦たちは日本海軍上層部以上にそのことをよく理解していて、文字通り決死の抵抗を見せていた。パラオ泊地の艦娘は日夜戦闘に投入され、時には島を確保しようとする我々とそれを阻止しようとする深海棲艦の間で、陸上での肉弾戦すら繰り広げられたほどだ。私の艦隊も何度も苦しい状況に追い詰められたが、古鷹の長い経験に基づいた的確な指揮と、正規空母としては異色なほど夜戦に慣れのあるグラーフの活躍、それから長門や那智の砲戦力と、響の巧みな雷撃で難局を切り抜け続けていた。

 

 そして何度目の出撃か忘れた頃にようやく、私たちの艦隊と他泊地所属の艦隊とで構成された即席連合艦隊、計十二人の艦娘たちは、付近から深海棲艦を一掃して目標であるその島を確保したのだった。私たちはみんな死にそうなほど疲れていたが、それでも任務を達成することができたという気持ちで胸が満たされていた。終わった、やっと終わった! さあ、交代を待って基地に戻ろう! 島に上陸して木々に覆われた周囲を望める高地に陣取り、そこに腰を下ろすと、私を含む空母艦娘は警戒の為に航空機を上空に送った。すると、私の艦載機が接近してくる敵の艦隊を見つけた。その一隊には鬼級・姫級などの能力が高い深海棲艦も属しており、遠くから砲撃して脅かした程度では、逃げ帰ってくれるように思えなかった。なので、私たちは死力を振り絞って彼女たちを迎え撃たなければならなかった。

 

 交戦はまず敵の先制攻撃から始まった。彼女らは私たちが島に隠れていると考えたのか、でなければ知っていたのだろう、かなり時間を掛けて砲爆撃を加えたのだ。これは正しい判断だった。私たちは陸軍の兵隊がするように蛸壺(たこつぼ)を掘って隠れる時間も道具も持っていなかったので、倒木や砲弾の落ちた後にできるクレーターを利用して、敵弾から身を守った。被害は少なかったが、響が砲弾の破片で右の上腕と左足の付け根をやられた。彼女は降り続ける鉄の雨の中、切らしてしまった希釈修復材の代わりに普通の包帯を使って、伏せたまま自分で止血処理を施した。痛かったろうに、彼女は「ここが土の上で助かったよ」と物事の明るい面に目を向けた。私たちはみんなその楽観主義を尊敬した。

 

 砲爆撃の後、深海棲艦たちはゆっくりと近づいてきた。それは警戒しての鈍さではなく、どちらかと言えば「もう敵は全滅しているだろう」という慢心に基づくようなものに思えた。しかしさにあらず、私たちの急造連合艦隊は疲労困憊の上に響が負傷で海に出られなくなりはしたが、戦闘の準備はできていた。私たちは敵を引きつけた。必中の距離まで待って、連合艦隊は砲撃を開始した。集中攻撃を受けて、一際目立つ巨大な艤装をまとっていた姫級深海棲艦が沈んだ。私やグラーフは戦闘機を空に送り、艦戦妖精たちには制空権を取られないことを主目的とした消極的な戦術を実行するように命じた。

 

 敵は最初の一撃にこそ不意を突かれて被害を出したが、立ち直りは迅速だった。別艦隊の旗艦を務める摩耶がしきりに乱暴な言葉を喚きながら対空射撃を繰り返していたのを覚えている。「クソが」と彼女は罵った。「こちとら二回目の改装済ませた直後だってのによ!」深海棲艦たちは地形を利用してできるだけこちらの射線上に入らないようにしながら、上陸を始めた。艦隊の総指揮を取っていた私たちの艦隊の古鷹が、摩耶に負けない大声で命令を下した。「突撃!」そして彼女は駆け出していった。私たちはそれを唖然として見た。私たちは海軍だ。陸軍じゃない。

 

 でも、古鷹は行ってしまった。追いかけなければ、彼女があっさり殺されてしまうのは目に見えていた。だから私たちも、高地の上から下へ、深海棲艦たちの上陸地点へと走り出した。敵もそれを黙って見てはいなかった。彼女らはこちらの動きに気づくと猛烈な射撃を浴びせかけてきたが、普段縦に移動する目標に対して射撃する経験を積んでいなかった彼女たちの砲撃は、ほとんどが私たちの後方に着弾した。思い出してみると私たちの行動は、まるで第二次大戦時代の焼き直しのようだった。陸海の違いは忘れるとして……。

 

 我々自身さえ予想していなかったこちらの突撃と、その迎撃の失敗が深海棲艦たちの命運を分けた。私たちは勢いに乗って、慌てた彼女たちを海に追い落とし、距離を取って仕切り直そうとする背中に砲爆撃を浴びせて撤退させた。連合艦隊は負傷した響を入れて十人に減っていたが、持ちこたえたことは持ちこたえた。けれどそれが古鷹の大胆な行動のお陰であり、二度目は通用しないということも認識されていた。我々は泊地に交代の連中を急がせるよう連絡し、また高地に引きこもったが、同じ高地でも身を隠す場所を変えることだけは徹底した。

 

 陽が傾き始めても、交代は来なかった。私たちはぴりぴりし始めた。何かの拍子に響の血が顔に飛んだ飛ばないで長門と別艦隊の木曾が喧嘩を始めそうになり、摩耶と私が仲裁に入って、何とか事なきを得た。しかし、血の問題は重大だった。駆逐艦娘である響は体が小さい分、失血の許容量が私や長門などと比べると遥かに少なかったからだ。その上、傷を負ったのが太い血管の近くだった。彼女の顔は、夕日の赤い光の下でも分かるくらいの土気色になり始めていた。完全な止血ができなければ、いずれ失血死するのは不可避のことと思われた。

 

 完全に陽が落ちた頃になって、やっと泊地は命令を寄越した。だがそれを受け取った古鷹はみるみる内に厳しい顔になった。私は彼女と長い付き合いと言えるほどの時間を共に過ごすことはできなかったが、後にも先にも彼女の激しい怒りの表情を見たのはこの時きりである。命令は、端的に述べるとこういうものだった。「複数の海域で目標の制圧に失敗。現在、貴艦隊は突出している状態にある。この命令を受け次第、泊地まで後退せよ」怒り狂ったのは古鷹だけではなかった。摩耶は命令を聞いて理解するや近くに転がっていた倒木を蹴りつけ、吠え声を上げた。

 

「撤退だと? ふざけやがって、クソが! 撤退してどうなるってんだ? またぞろ明日にゃ『目標周辺の深海棲艦を撃滅し、目標を制圧せよ』なんて命令が来て、もう一回このクソったれな島に行かされるんだろ!」

 

 枝を何本か踏み折ると、彼女は横倒しになった木の幹にどっかと腰を下ろし、腕組みをして口を真一文字に引き結んだ。彼女の目と態度は、「抵抗一つせず敵にこの島をお返しする気はさらさらないね」と語っていた。それも仕方のないことだろう。何しろ、彼女の艦隊員が死んだのだ。彼女の血の繋がらない二人の家族は、このクソったれな島(・・・・・・・・・)で死んでいったのだ。この島が彼女たちの墓標であるからには、摩耶にとってそれを敵に渡すなんてことは、道理の埒外にある行為だったのだと思う。それを抜きにしても摩耶の言った通り、どうせ撤退しても再び同じ目標の為に戦うことになるのは分かりきっていた。そしてそうなれば、次はもっと沢山の艦隊員が死ぬかもしれなかった。

 

「たとえ絞首刑になっても、あたしはここを動かねえからな」

 

 摩耶は自分の命について、自暴自棄だが固い覚悟を決めていた。けれど後方の連中は摩耶の弱いところを突いた。もし彼女が命令を無視し続けるなら、彼女の艦隊員についても命令不服従と反逆の責任を問うと宣言したのである。摩耶も古鷹も、自分の怒りに指揮する艦隊の構成員らを巻き込むことができるほど、自分勝手ではなかった。私たちは戦死者の体を抱え、真夜中に島を出て、泊地へ向かった。夜戦では余り役立てない私には、響を運ぶという最重要任務が割り当てられた。

 

 泊地に戻ると、帰投するや否や入渠させられた響を除いて、私たちは撤退命令を発した海軍少将のところに連れて行かれた。彼はパラオ泊地付近における大規模作戦の指揮を任されていた人物だった。軍の宣伝によれば北方海域で目覚しい戦果を上げたとかで、その指揮手腕を買われてその度の方面作戦総指揮を任されていたらしい。

 

 彼は私たちの「抗命とも取られない行動」に対して理解を示したが、どうして私たちが──というより摩耶が──そういう行動に出たかについては、完全に誤解していた。彼は私たちが彼自身そうであるように深海棲艦を殺すことを心から楽しんでおり、そのお楽しみを中断しろなんて命令には従いたくないと考えた、と思っていたのだ。私としては何故彼が、パラオ泊地の安全な司令室から深海棲艦を殺すように指示を出すことと、実際に海に出て彼女たちと撃ち合うことをイコールで結べたのか、今日に至るまで理解できないでいる。でも一つの事実として、彼はそう考えていたのだ。

 

 彼はその場にいた九人の艦娘たちを励まし、優秀さを褒め、戦闘意欲の旺盛であることを称えた。摩耶は呆然として、何も言えないようだった。少将は気分よく私たちを激励していたが、死者が摩耶の艦隊にしか出ていないことに気づいた。彼は古鷹に尋ねた。「今回の出撃で、君の艦隊はいつから交戦していた? 敵はどれほどいた?」古鷹は可能な限り正確な交戦時間を述べ、確認できた敵艦種と数などを伝えた。少将は眉を寄せて言った。「それだけ戦って片方の艦隊にしか戦死者が出ないとは奇妙なことだ。君の艦隊員は臆病者なのか?」古鷹の顔は真っ白になった。横からでも、彼女が歯を食いしばって恥辱と激情に耐えているのが分かった。少将は古鷹が答えないことに何も言わなかった。答えを求めてさえいなかったのだろう。解散の命令を受けて、私たちは入渠し、休息を取った。

 

 翌々日、摩耶の予想通り、再攻撃命令が下った。だがそれは古鷹や、二名の補充を受けた摩耶の艦隊に対してではなかった。私たちはその『精強さ』とやらを見込まれて少将が別の拠点に移動する際の護衛を命じられたのだ。響は感染症で入院させられていたが、残りはこの憂鬱な任務から逃げられなかった。少将は大規模作戦の最中だというのに、「艦娘の視点で海を見たい」などという大層立派な考えの下、パラオ泊地の司令官が提案した空路での移動を断ったのである。彼は自分の連れてきた少数のスタッフだけ航空機で先に移動させると、泊地司令官の説得にも耳を貸さず、操縦手を二人連れてボートに乗り込んだ。泊地司令官を黙らせた少将の最後の言葉は、「私は臆病者ではない。それに、護衛についてくれる彼女たちを信用している」だった。

 

 確かに彼は私たちを信用していたようだった。操縦手たちがどれだけ「危険ですからボートの中にいて下さい」と言っても、馬耳東風という様子だったからだ。彼は椅子を持ってきてデッキに座り、潮風を気の向くままに楽しんでいた。時々、私の航空機が一、二隻の駆逐イ級を見つけると、彼は遠くでイ級たちが爆撃される様子を双眼鏡で観察して、子供のように手を叩いて喜んだ。言葉にはしなかったが、彼はどう見てもこう言いたがっていた。「見ろ、君たちの上官は敵を恐れていないぞ、君たちの上官は戦場を恐れたりなどしないぞ」彼の態度は万事がそういう風だったのだ。

 

 だが、私とグラーフ、それから摩耶の艦隊にいた祥鳳の航空機による警戒網を一隻のイ級がかいくぐり、砲撃による奇襲を仕掛けてきた時には、彼もさぞ慌てたことだろう。何故なら砲撃はボートの至近距離に着弾し、少将は椅子から放り出されて、ボートの(へり)に片手でやっと掴まっていたからだ。イ級はすぐに沈められたが、少将をボートに引き上げる者はいなかった。操縦手は二人とも深海棲艦から砲撃を受けた経験がなかったせいでパニックに陥っていたし、私たちはというと……ただ離れて、視界の端に少将を捉えつつも、黙って別の方向を見ていたから、である。

 

 彼は今にも落ちそうだった。放っておけば、海の藻屑になるのは九分九厘確実といったところだった。だが私は、相手がこの少将だったとしても、そんな風に見殺しにするのは正しいことではないようにも思えた。私は長門に声を掛けた。彼女は言った。「やめておけ」摩耶も同じことを私に言った。私は迷っていた。少将を助けることが何を意味するか、私は理解していた。それは戦友たちを失望させることになる。何物にも代えがたい信頼を失うことになる。

 

 艦娘が戦場に立って戦えるのは、横にいる戦友が信用できるからだ。もしそれを失えば、もうその艦隊は艦隊として機能しなくなる。でも、戦友たちの失望を避ける為に、人を殺すのか? ああ、少将の判断は間違っていたかもしれない。その権限があったとしても、彼の判断は罪だったかもしれない。けれども、それを裁くことができるのは私でもなければ摩耶でも古鷹でも長門でも誰でもない。この場にその権利のある艦娘など、誰一人としていないではないか──私はそう考えもしていたのである。

 

 そのまま、更に三十秒でよかったから誰も何もしなければ、少将は魚の餌になっていただろう。しかしそこで、摩耶の艦隊にいた補充の艦娘が動いた。彼女は少将のところに駆けつけると、彼をデッキ上に押し上げた。彼は救い主をちらりとも見ずに、ボートの中に入っていくと、拠点到着まで二度と姿を見せなかった。

 

 拠点に着いて少将が何処かに行ってしまった後、補充艦娘を除いた別艦隊の四人は、少将を助けた艦娘に冷たく接した。「黙って見てりゃよかったんだ」と摩耶は彼女に向けて、吐き捨てるように言った。「卑怯者が」

 

 私は、それは違うと思う。彼女は自分で決断し、少将を助けた。摩耶たちは自分で決断して、少将を見殺しにすると決めた。どちらも卑怯者ではなかった。あの場にいた卑怯者は、どちらに加担することもできないでいた一人だけ、私だけだったのだ。それはその場だけのことではなかった。艦娘になる前も私はそうだったし、戦争が終わってからも私はそのままだった。私は、自分から戦争に行こうと決めた訳ではなかった。はっきり言えば、戦争になど行きたくなどなかった。誰が好き好んで死にに行きたがる? しかし私は艦娘になった。そして戦争に行った。それは両親や、近隣住民たちや、友人たちが自分に何を期待しているのか、知っていたからだ。彼らに失望されるのが怖かったからだ。だから私は艦娘になった。だから私は卑怯者だった。私は英雄などではなかった。私は、戦争に行ったのだ。


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