私たちの話   作:Гарри

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16「とりとめのない話」

 「私たちの話」を書く少し前のことだが、下の娘が通っている小学校で話をしてくれないかと担任教師から頼まれた。テーマはもちろん、戦争についてだ。報酬も出るということで受けたのだが、正直、私としては教師の意図が掴めない依頼だった。私が参加したのが人間同士の戦争だったなら簡単だった。戦争はとにかく悲惨だ、よくないことだ、避けなければいけない、と教えれば済むことだからだ。ところが私たちが潜り抜けてきた戦争は、人類史上初の種族間戦争だった。それも相互に憎悪と無理解が蔓延しており、「殺さないと殺される」という状況での戦争だ。こうなると、問題が出てくる。「とにかく悲惨」はいいとしても、「よくないことだ」と「避けなければいけない」が言えなくなるのである。

 

 かといって教師にせよ保護者たちにせよ、「戦争はいいことだ」「どんどんやりなさい」なんてことを自分の大事な子供たちに吹き込んで欲しくはなかっただろう。私としてもそんな言葉は口にしたくなかった。そこで私は、自分の経歴と戦争そのものについて軽く説明をした後で、実際に戦場に赴いて戦い、生き残った元艦娘である私に対して子供たちが質問する、という形式を取ろうと考えた。これなら古鷹の頭がどんな風に飛び散ったかについて自分から話さなくて済むし、母親たちから子供がうなされるようになったと苦情を受ける心配もしなくていいと思ったのだ。

 

 ところが約束の日に学校に出向いてみると、私と学校側で意識の差があったことが判明した。私は教室で子供たちに話をするだけだと考えていたのだが、向こうは私に子供たちだけではなく大人も参加できる講演会を開いて貰いたいと思っていたのである。しかし私は動揺をおくびにも出さず、きちんと自分の仕事をやり遂げることにした。私は自分の経歴を話し、深海棲艦との戦争がどのように始まり、どのように状況が推移し、どのように終わったかをなるべく簡単に説明した。それから、子供たちだけではなく大人たちの為にも、彼ら彼女らも聞いて楽しめる話を幾つかした。その時は注意深く、子供が聞いても夜トイレに行けなくなることがないような軽い話を選んだ。

 

 たとえば足柄の話だ。本土の基地に移ってからの戦友だった足柄は誇り高く勇猛果敢な艦娘で、砲戦力において戦艦である長門に一目置かれる数少ない重巡の一人だったのだが、そういった荒っぽいイメージとは裏腹に、繊細な趣味を一つ持っていた。それは時計だった。

 

 誰でも知っての通り、時計というものにはピンからキリまであって、かつその値段にはおよそ天井というものがない。そもそも種類からして一つではないのだ。腕時計もあれば、懐中時計もあり、柱時計や壁掛け時計、置時計だってある。機構だって様々で、砂時計や水時計といった変り種は趣味人でなくとも惹かれるものが時にある。流石にそういった変種や大型の時計は足柄の守備範囲外だったようだが、最初の二つ、特に腕時計について足柄は本当に惜しげもなく給金をつぎ込み、蒐集(しゅうしゅう)に励んだ。何かの用事で彼女の部屋に行くことがあると、私や他の艦隊員たちはみんな、絶え間なく時を刻む無数の針の音が聞こえる気になったものだ。

 

 そんな彼女が時計で失敗を犯したことが一度だけあった。大規模作戦前々日のブリーフィングで艦娘、提督共に全員がぴりぴりしていた時のことだ。提督は、というか彼女の命令を受けた吹雪秘書艦は、以前に行った筈の作戦説明をもう一度最初からしている最中だった。これは私たちのもの覚えが悪すぎて一度では十分に説明を覚えられなかったからではなく、私たちと共同して任務に当たる別の提督の隷下にある艦隊に対して、改めて連絡しなければいけなかったからだった。作戦室の後ろの方に座っていた足柄は、前にも聞いた説明をまた聞かされて退屈になり、舟をこぎ始めた。

 

 それだけでも私たちの提督からたっぷりと罰を受けるのには申し分のない失態だったが、その時の足柄が着けていたのが勤務時間用の安価なデジタル時計だった。で、何とも運の悪いことに、そのアラームが絶妙なタイミングで鳴ってしまったのだ。小さな電子音だったが、それは作戦室にいる他の人々の目を足柄に集め、居眠りしていた彼女の目を覚まさせ、気を動転させて体を椅子からずり落とさせるには十二分な効果を発揮した。自分の艦娘が大規模作戦前のブリーフィングで居眠りをした挙句、「んにゃっ!」と珍妙な声を上げて尻から床に落ちた訳だから、提督にとっては赤っ恥である。その場の誰もが足柄に何らかの罰が与えられることを確信した──そして、私たちの提督がどのような人物かを知る者たちは、どんな罰が与えられるのだろうと思って震え上がった。

 

 翌日の朝、提督は足柄に命じて艦娘たちが暮らす寮の前にドラム缶を設置させた。そのドラム缶の上の方は輪切りにしてあって、丁度ふた付きのドラム缶風呂のようになっていた。それから提督は吹雪秘書艦に足柄をその中へと放り込ませた。彼女が哀れな罪人を缶の中に押し込むと、足柄の冷酷な上官は居眠りと彼女に恥をかかせた罰として今日一日その中にいるように命じ、加えて「誰かがドラム缶を蹴ったら、椅子から落ちた時のような声と共に立ち上がって現在時刻を叫び、もう一度(くだん)の奇声を上げて引っ込むように」と言いつけた。提督と秘書艦が去っていくと、後には足柄の入ったドラム缶と、彼女がどんな罰を受けるのだろうと離れたところから興味津々で眺めていた私たちが残された。

 

 誰も最初の一歩を踏み出そうとするものはいなかった。すると私は突然、自分がこれを何とかしなければいけないという義務感に駆られた。私は駆け出した。そしてドラム缶に必要なだけ接近すると、ほどほどの力で蹴飛ばした。

 

 中身がしっかり詰まっていないドラム缶を蹴った時の、あの鈍くて虚ろな音が響いた。私は蹴った足を引っ込めもしないまま、固唾を飲んで次に何が起こるのかを待ち構えた。実際には数秒のことだったろうが、次の動きが来るまでに、何分も待たなければいけなかった気がする。突然ドラム缶のふたが勢いよく持ち上がり、頭にドラム缶のふたを載せて顔を真っ赤にした足柄が「うにゃっ!」と叫んで現れ、はっと思い出したように「〇八三七(マルハチサンナナ)よ!」と声を張り上げると、「うにゃー!」というやけっぱちな喚き声と共に下がって行って姿を消した。私と何人かの艦隊員たちは提督の嗜虐的な独創性に心底感服し、その後も暇を見つけては、やり過ぎだと言われて妙高に怒られるまでドラム缶を蹴り飛ばして遊んだ……。

 

 この話は子供たちに大いに受けた。大人たちの半分も笑っていた。だが残りは「私の子供が真似をして乱暴な遊びを覚えたらどうしてくれるの」という顔をしていたので、私は慌てて別の話をしなければならなかった。平和で、皮肉が効いていて、ちょっと笑える話だ。それは小賢しい川内にまつわる話で、これにもまた、我らが提督が関わっていた。

 

 事の起こりはシンプルなものだ。川内が音楽の楽しみに目覚め(これは問題ではなかった)、自分でも演奏するようになり(これも大丈夫)、とうとう出撃時に携帯用ミュージックプレイヤーを持っていくようになった(これだ)。無論、提督の忠実な艦娘にして、艦隊についてなら大体何でも知っている吹雪秘書艦がそれに気づかない筈がなかった。

 

 提督は川内の頭にプレイヤーをテープで縛り付けた。その日から彼女は「川内型ミュージックプレイヤー」として、吹雪秘書艦か提督から「プレイ」するように言われると、何をしていようと立ち止まって、知っている歌を何でもいいから歌わなければならなかった。命令には他にも「スキップ」「ボリューム上昇/下降」「リピート」「一曲リピート」「シャッフル」などがあり、面白がった提督によって執務室を含むあちこちで歌わされたせいで、川内の声はすぐにがらがらになってしまった。お陰で、私たちは静かな夜の艦娘寮というものがいかに快適かということを知った。

 

 そんな罰が一週間も続き、とうとう川内は反撃に出ることにした。提督の「プレイ」という命令を無視したのである。川内は経験から、この提督がこういった反抗に対して即座に暴力的な反応に出ないことを見抜いていた。皮肉なり当てこすりなり、会話によって何らかの働きかけをしてくるだろうと推測していたのである。これは非常に正確な理解だった。提督は尋ねた。

 

「どうした、川内。プレイだ」

 

 川内は待ってましたとばかりに満面の笑顔で答えた。

 

「バッテリー切れです、提督!」

 

 そういう訳で、川内は車載用バッテリーをダクトテープで体にくくりつけられることになった。お陰で彼女は二度と提督に歯向かわないことを覚えたが、これはかなり高い授業料だったと川内自身が後に認めている。

 

 他にも危うく友軍誤射するところだった不知火が演習に口鉄砲で参加させられた話などをしてから、私はやっと質疑応答の時間に入ることができた。聴衆は意欲的に手を上げてきたが、その内の大半が既に何処かで答えたことがあるような新鮮味のない問いかけだった、と言っても罪にはならないだろう。子供たちからは「人を殺しましたか?」という、上の娘が六歳の時にしたのと全く同じ質問も寄せられた。大人気ない連中は責めるべきではない子供の無知さを笑ったが、私が「そのことは弁護士に話すなって言われてるの」と返すと、それはもう少し明るくて受け入れやすい笑いになった。

 

 覚えている中には、不躾な質問もあった。代表的なものとしては、「退役後、PTSDには悩まされませんでしたか?」を挙げられる。これはある男性から尋ねられたものだ。ふちの細い眼鏡を掛けた、見るからにデスクワーカータイプの彼は、戦闘経験のある退役艦娘がその手の問題に直面する割合が大きいことを信用できるデータから引用したが、私ははっきりと言い返した。「あなた、痔に悩まされてない?」彼は面食らった様子だったが、少し気を悪くした顔でその話は今関係ないことと、それは非常に繊細かつ個人的な問題だと反論した。ありがたいことに彼は自分の言葉が私への質問の答えになることに気づいてくれたので、この質問はこれで打ち切ることができた。

 

 個人的に最も考えてみて楽しかったのは、子供から寄せられた「もしまた戦争が始まったら、もう一度艦娘に志願しますか」という質問だったと思う。はっきり言って感情を顔に出すことの少ない私だが、これには口元が緩んだ。私にとって、艦娘時代の思い出の大半は長門や那智、あるいはグラーフや時雨、響たちなどと過ごした、あの不思議なほど平和で愉快な時間の中にあったからだ。またあんな時間を過ごすことができたなら、それはどれだけ幸せだろうと私は考えた。戦争に付き物の死の危険は、その際一切無視された。「志願するでしょうね」という言葉が喉元まで出掛かった。でも結局、私は「しないわ、戦争は一回で十分よ」と答えた。

 

 それは感情ではなく、理性が導いた答えだった。「今日は笑い話で散々軍隊にポジティブなイメージを与えたのだから、この上戦争にまで同じイメージを与える必要はないでしょう」と私は考えたのだ。その後も質問は続いたが、覚えていないということはそこまで私の感情を動かすものではなかったのだろう。私はそつなく講演を終え、内心で冷や汗を流しながら退場し、学校側と報酬についての話を軽くしてから下の娘と一緒に家に帰った。玄関に入る前に太陽の赤い光に目が眩んだ記憶があるので、夕方頃の筈だ。上の娘はもう帰ってきていてもよかった時間だったが、彼女はいなかった。学校帰りの寄り道のせいだな、と私は推測し、夕食の用意をしながら、帰ってきたら彼女を少したしなめようと決めた。

 

 しかし実のところ、彼女は学校帰りに寄り道をしたのではなかった。そもそも学校にさえ行っていなかったのだ。その代わりに、私の講演を聞いていたのである。「だって、学校に行くより大事なことだと思ったんだもの」と娘は夕食の席で言った。

 

「実際、学校じゃ聞けないような話が聞けたし。お母さん、艦娘時代のことあんまり話してくれないじゃない」

「私の本があるでしょう。私の部屋から持っていって読んでいいわ」

「お母さんが書いた誰かの戦争についての話じゃなくて、お母さんの体験した戦争の話を知りたいの」

 

 私は困惑した。そんな風に言われたことがなかったからだ。けれど言葉を探していると、やがて娘は溜息を一つ吐いて「でも、聞いたって意味ないのかもね。だって、もう全部終わったことだもの。そうなんでしょう?」と言った。気まずい会話を終わらせられるかもしれないと思って、私は作り笑いを浮かべ、「そうね」と答えた。「全部昔の話よ」すると娘は私を責めるように見て、「嘘つき」と言った。


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