私たちの話   作:Гарри

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19「那智が以前使っていた儀礼用ロングブーツがどうしてあんなに上等だったかについての真実」

 話嫌いの艦娘というのは少ない。口下手な者はいるし、そうでなくとも、人に話して楽しませることのできるエピソードをどれだけ多く持っているかとなると、これはもう運だとか経験の長さに左右される問題になってくるが、しかし雑談や冗談話が嫌いだとはっきり言うような艦娘は、かなりの少数派である。それというのも、既に何度か書いたことではあるが、艦娘たちが過ごす時間というのはそのほとんどが暇なものであるからだ。

 

 私たちは暇という大敵と戦う為にあらゆる手段を講じた──テレビゲーム、テーブルゲーム、読書、映画鑑賞、音楽鑑賞や演奏。古鷹や私は本を読むのみならず執筆にも手を出していた。那智や長門は人をからかって遊ぶことに傾倒していた。グラーフに響も、なにがしかの独自の暇潰しを持っていたことだろう。でも、私たちが退屈と戦う為に使った手段で何が最も多用されたかと言えば、それは間違いなく戦友同士の打ち解けた会話という、古来から続く伝統的な儀式であった。

 

 時雨はこれの名手で、三度続けて同じ話をして三度相手を笑わせることができる、稀有な人物だったことを覚えている。しかもその三度というのが、毎回違う笑いどころなのだから、私などにはとても真似のできない話術だった。彼女は現地住民たちの間で起きた滑稽な出来事にも通じており、時に艦娘のみならず現地民たちを彼ら自身の失敗で笑わせまでもしたものである。そういう滅多にない才能を彼女が持っていたのもあって、私が古鷹や響たち、自分の艦隊員と一緒にいて下らない世間話や思い出話で盛り上がっている時、時雨がふらっと現れると、私たちは決まって彼女に物語をせがんだ。彼女がまず語り、それから私たちがそれに応じて別の話をし、最後にまた時雨が一笑いさせる。それがお定まりのコースだった。

 

 こういった場には不文律とも言える種々のしきたりがあって、語り手の話がどんなに奇想天外なストーリーを持っていても、信憑性に疑問を呈するのは基本的に無礼で無粋、恥知らずな行為とされた。もちろん例外もあって、相槌代わりに驚きの声を上げるのはむしろ親切として推奨される。また、語り手の技量が劣っているが為に不自然な話の繋ぎ方をしてしまった場合、それを批判するのにちょっとした感動詞(「えー?」)等を用いる程度なら咎められることはなかった。同じ者が続けて語り手になろうとするのは「話したがり」として戒められ、いつも聞くばかりで話そうとしない者は、周りの承認を得ない限り(一例として、その艦娘が駆逐艦「山風」なら、本人が余程希望するのでもなければ、語り手を免れることができた)「聞き上手」と揶揄されるのを甘んじて受けなければならなかった。語り手は特に何らかの効果を求めてのことでないなら、聞き手の一人を注視することは不作法とされ、常にその場にいる全ての聞き手に対し、まさに語り掛けるように話すことを期待された。ルールは他にも色々とある。中にはパラオ泊地でしか通用しないルールもあったから、他所の基地や鎮守府から来た連中とこの手の話をする際には、何事も大目に見るというのが決まり事だった。

 

 今でも誰かと話をすると、その規律を守ろうとしている自分や、話し相手がルール違反を犯していることに対して、小さな不満を覚えている自分に気づかされることがある。まあ、延々とだらだらぺちゃくちゃやり続けて、一言だって相手に喋らせないような人間と話していれば、誰だって不満を感じるとは思うが。

 

 ところで、優れた物語はいつまでも語り継がれることがままある。誰かがかつて先任から聞いた話が、そのまた先任から聞いた話だ、ということも珍しくはなかった。選ばれて記憶され続けてきただけあって、そういった話は誰にも通用する普遍的な面白さを持っていたように思う。従って、古話を多く知る者はそれだけ深い尊敬を受けた。特に古鷹は最古参、海軍最先任艦娘ともあって沢山のストーリーを継承していたから、彼女が口を開けば、どんな内容であれ誰もが黙ってそれを聞いた。そして、そこにはそれだけの価値があったのだ。

 

 そのことをよく分かっていたある艦娘は、古鷹に給料数か月分と録音機器を渡して、知っている限り全ての話を吹き込んで欲しいと頼んだほどである。語られるものの中に存在する、無名にして数限りない艦娘の息遣いがどうとかこうとか言って……古鷹は喜んでそれを受けたが、彼女が戦死するまでに全部を吹き込み終えられたかは、疑わしいものだ。彼女の部屋に残されていた録音機器には十数時間分のデータが入っていたが、私は彼女がある時、休憩を挟みつつとはいえ二十四時間に渡って話芸を見せてくれたことがあるのを覚えている。それは長門との「知っている話を合わせたら二十四時間を超えるか否か」という賭けによって行われたものだった。賭けはもちろん長門が負けた。

 

 このように、多くの引き出しを持っているのは古鷹で、話術そのものが達者なのは時雨だが、しかし私の艦隊には、二人にすらない才能を持っている艦娘がいた。那智である。彼女は古鷹や時雨、それ以外の艦娘たちも活用していた、即興で話の内容に嘘を付け加えるというテクニックを使わなかった。彼女は写実主義的な語り手だったのだ。彼女の話は大抵、それが何年の何月の何日、どんな頃合いの何処で始まったことか、という説明から始まる傾向にあった。そうまで詳細に語らないにしても、そこには嘘の存在する余地がなかった。推測や憶測はあっても、虚偽はなかったのである。

 

 もっと言えば、彼女にわざわざ嘘を付け足す必要はなかったのだ。嘘は必要に駆られて使われることもあったが、大体はリスクを現実に冒さずに話をもっと面白くしたり、聞き手を笑わせたり、感心させたりする為だった。だが那智はそれを、ありのままで成し遂げることができる人物だ。それなのに、どうして手管を要するだろう? 彼女に必要なのは、曰く“ル那智ック”なアイデアと、営倉行きのチケット、ささやかな称賛を受け取る覚悟だけだった。目的や動機は違うものの、似たようなことをやった時雨が営倉を通り越して真っすぐ刑務所行きになったところを見ると、あれで那智は一線を見極めることに優れていたのかもしれない。

 

 数ある那智の実話(やらかし)の中でも艦娘受けがいいのは、やはりと言うべきか、陸軍絡みのものだろう。多数の一般軍人(彼ら)と少数の陸軍艦娘(彼女ら)には悪いが、当時から海軍と陸軍が親友のように仲良しであった訳ではない以上、話の性質は概ねいつも、艦娘が陸軍をやり込める、というような物語になる。大ぼら吹きの艦娘の舌先に掛かれば、喧嘩で数人の陸軍兵士を相手取っただけの出来事が、いつの間にか機甲大隊と撃ち合ったことになっていることもしばしばであったが、那智の語りはそういう紋切り型のものとは異なった。

 

 たとえば、ある大規模作戦の数日前のこと──那智ならどの作戦か明言するだろうが、彼女の身の安全の為にここでは伏せる──彼女は金を用立てなければいけなかった。別に借金をしていたとかではなく、彼女の欲しがっていたものが手に入りそうで、その為には貯蓄だけでは足りなかったのだ。そこで那智は身の回りにあるいらないものを売り払った。前線では常時物資が不足しており、その影響でほとんど全てのものに値段が付く。それこそ煙草一箱、マッチ一本に至るまでだ。そうやってもまだ、十分な金額にはならなかった。彼女は二つの選択肢の間に挟まれた。他の艦娘に溜め込んだ高速修復材を売るか、民間人相手に“体を売る”*1かだ。

 

 でもどちらを選んでも、高速修復材を使ってしまう。那智は艦娘の命綱でもあるそれを、金と引き換えにしたくはなかった。そこで、彼女は第三の選択をした。官品の横流しである。当然だが違法であり、それだけに入ってくる額と、発覚した時に周りに掛かる迷惑は桁違いであった。那智は部屋のクローゼットから支給された儀礼用の制服一式を出すと、専用長靴(ちょうか)を適当な布袋に詰め込み、外出許可を取って市街地へ出かけた。帰ってきた時、彼女はパラオ泊地で一番幸せな艦娘だったろう。が、それも、その日の夜の連絡事項で、「作戦前日に閲兵式*2を行う為、礼装を準備しておくように」との通達があって、台無しにされてしまった。

 

 翌日、出撃から帰ってくると、那智は早速長靴を店へ買い戻しに行った。でも告げられたのは、既に買い手がついてここにはない、という無慈悲な答えだった。買った者を教えろと言っても、顧客の情報を教えることはできない、新しいのでも作って履け、と返されればそれまでである。那智は追い込まれた。そして、追い込まれた時こそ、艦娘の真価が発揮される時だった。

 

 艦娘が出撃に際して着る制服は、それぞれ艦型ごとに異なることが多い。睦月型駆逐艦は黒や濃紺、白のセーラー服。川内型軽巡洋艦は柿色に白のセーラー服。金剛型戦艦は肩を出した巫女服のような衣装を着ている。那智の属する妙高型重巡洋艦は、紫色のジャケットにタイトスカートと白タイツだった。靴型の脚部艤装は、通常であれば脛の半ばほどまでの鼠色半長靴(ブーツ)。改二であれば、白のロングブーツ型となる。

 

 ただ、礼装は艦種ごとに、ほぼ全員が同じデザインだった。上衣も下衣も、黒い革製長靴も。そこに活路があった。那智は自室に戻ると、工廠に出掛けて、自分用の装備品からナイフだけを持ち帰った。彼女は決して、周囲に焦りを感じさせなかった。何をすればいいか分かっていて、その為の手段も、能力も彼女は備えていたので、焦る理由がなかったのだろう。

 

 真夜中、那智は行動を開始した。要ると思った道具を持って部屋からそっと抜け出すと、夜間の巡視や警邏を掻い潜り、泊地の周囲を取り巻く壁まで越えてしまった。バレれば脱走と見なされる行為である。まして大規模作戦前となれば、敵前逃亡に問われる危険性もあった。それでも彼女はあえてやり、成功して、その足で陸軍の基地に向かった。

 

 パラオの現地民は概して日本に好意的だったが、全員が熱狂的な支持者だった訳ではない。時には夜陰に乗じて忍び込み、物資を盗もうとするような輩もいた。窃盗などは可愛らしい方で、放火事件もあった筈である。なので海軍泊地にせよ陸軍基地にせよ、己と戦友の命の為に、警備はしっかりと行われていた。彼らは居眠りなど絶対にせず、衛兵は検問所にて、夜の暗がりを千里先まで見通すような目つきでにらんでいた。それで那智は門を通らずに、外周を覆うフェンスを抜けた。警備兵はいたが、見つからないよう、捕まらないよう逃げ隠れするのは、那智の大得意とするところだった。彼女は首尾よく車両倉庫に潜り込み、その中に保管されていた、陸軍基地司令用の高級大型セダン車を見つけ出した。

 

 恐らくだが当初の予定では、そこで用を済ませて、徒歩で立ち去るつもりだったのではないだろうか? 明らかにその方が安全だったと思うし、私の知る那智は安全性と危険性の天秤を正しく見計ることができる人物だ。多分、本当にそうだったのだろう。つまり、その天秤を正しく見計らってしまった結果、行けると感じ取ってしまったんだと思う。

 

 倉庫の、その区画には、基地司令用の車の鍵も一緒に保管されていた。車にはガソリンが満タンに入っていた。那智は民間人時代に車の免許を取っていた。基地司令の車はAT車だった。やったら最高に楽しいぞ、と彼女は思った*3。那智は司令の車に乗り込むと、すぐさまエンジンをスタートさせた。警備兵は最初聞き間違いか、でなければ馬鹿な同僚が火遊びをしていると考えたのかもしれない。結局、彼らが真実に気づいたのは那智がアクセルを踏み込み、車両保管庫の大扉をぶち破って外に出た時だった。

 

 陸軍の兵士たちは仰天した。だが彼らも訓練された軍人だ。銃を構え、安全装置を解除し、引き金に指を掛けるところまではスムーズだった。そこでこう思った、と私は推測する。()()()()()()()? 司令の専用車に乗っているのが誰か、明確に見られた者はいなかったろう。夜で暗かったし、車は止まっていたのではなかったから、責められる話ではない。上位者の許可もなしに撃って、乗っている誰かに当たって、それがマズい相手だったら?

 

 実際がどうであれ、銃を撃つ者がいなかったことは、那智を調子に乗らせた。彼女は来る時に避けざるを得なかった検問所を、中から食い破ることにした。衛兵は英雄的だったと彼女は後で語ったものだ。彼らは、高速で迫ってくるトン単位の重さを持った乗り物に対して、持ち場を放棄することを拒んだ。衛兵詰め所に備えられた可動式ライトを使い、那智に向かって強い光を浴びせたのだ。

 

 元より人を轢き殺すつもりなど毛頭なかったドライバーは、光を避けるようにして車を走らせ、車止めのバーを破壊し、衛兵詰め所の横を通り過ぎた。追手の軽装甲車がその後を追ったが、撒かれてしまった。彼らが夜を通しての捜索でとうとう陸軍基地司令専用車を発見した時、そこに残されていたのは、粉砕されたガラスとハンドル、それにシャーシの一部だけだったそうだ。後は何もかも、陸軍に先んじて車を見つけていた現地民たちが、持ち去ってしまっていたのだった。

 

 それで陸軍は初め、この事件を日本軍に不満を持った、不逞の現地住民によるものだと決めつけた。彼らには手が出せないほどの高級車から素材を剥ぎ、売り飛ばして小銭を稼ぐのが目的だったのだと。だが実際は違ったし、陸軍も最後にはそれに気づいた。事件から暫くの後、闇市で不相応に上等な素材を売っている露天商を尋問して、どうにか聞き出したことによれば、現地民たちには地面に残していったものの他に、一つだけ車から持ち出せなかった品があったのだ。

 

 黒い革製シートである。

*1
この“体を売る”は、修復材を活用して体の一部(髪の毛や手首から先など)を安全に切り離し、売りつけることを指す。あくまで冗談であり、それを実際に行ったという艦娘には私も会ったことがない。

*2
艦娘が主戦力になってからの海軍用語では、「観艦式」は海上での観閲式(対象は艦娘もしくは通常艦艇、あるいはその双方)、「閲兵式」は陸上での観閲式(対象は艦娘か海軍陸戦隊)を指す。

*3
本人談。


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