私たちの話   作:Гарри

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02「長門型戦艦:長門」

 長門は私が十六歳の時にパラオにやってきた。私より一つ若く、それにしては奇妙なほどの明るさで元気一杯の……まあ、言葉を取り繕わずに言えば子供だった。彼女はみんなとすぐに仲良くなった。そういう才能があったのだろう。しかし私だけは孤高の砦を高く築いて遠ざけた、と言うと嘘になる。ああ、だから、つまり、認めよう。私も彼女のことが気に入っていた。この長門はそういう人間性というものを、確かに持っていたに違いないのだ。

 

 私にとって初めての旗艦であり、誰からも慕われるタイプだった重巡古鷹とは異なり、長門は誰とでも対等かつ気安い付き合いのできる艦娘だった。男には子供らしい悪戯っぽさが受け、女には凛々しさが受けたのではないだろうか。ただ、悪戯で済まされないようなこともやったというのも否定できないのだが。控えめに言っても、彼女は頭の大事なネジを何本か母親の腹の中に置き忘れて生まれてきたとしか考えられなかった。仲間内では、「愉快なやつ」というのが彼女に対する総評だった。

 

 ある十一月のことだ。次の日にでも私と長門とで出かけようという話になった。ところがパラオの十一月というのは、東京の十一月とは全く違う。乾季の始まりに当たり、日本の夏のように気温が高いのだ。そんな中を歩いて出かけるのはお断りしたかったし、かといってタクシーを呼べばそれだけ無駄な出費になる。当時の艦娘の給料は、そのリスクの割に高いとは言えないものだったから、これは大問題だった。すると長門が、自分がどうにかすると言い出した。「足のことは任せておけ」と彼女は自分の胸をどんと叩いて言った。「計画があるんだ。私が考えておいた」

 

 翌日、基地を出て指示された通りの合流地点で待っていると、遠くからエンジン音が聞こえてきた。それが近づくにつれて、私は心の中に長門の顔をはっきりと思い浮かべ始めた。果たしてそれは彼女だった。青い車体のポルシェに乗って、サングラスを掛け、呆然としている私の前に車を止めると窓を開けて言った。

 

「どうだ、胸が熱くなるだろう?」

 

 私は彼女の手際のよさに、すっかり感心した。もし別の鎮守府か何処かに転属することになったら、こういう旗艦の下で戦いたいと思った(ちなみにこれは実現した)。助手席に滑り込んでシートベルトを締めると、長門は滑らかに車を発進させた。当初の予定では買い物に行く筈だったが、十キロも走ると、別段欲しいものがある訳でもないのにショッピングをするより、このまま車を走らせ続ける方が楽しいんじゃないか、ということになった。それに屋根は太陽からの熱を遮り、車内はクーラーで涼しいばかり、そんな天国から外に出るなんて考えられなかったのだ。

 

 長門は生き生きとして車を走らせ続けた。山道を行き、海の見える崖路を走った。私たちはクーラーを止めて窓を開け、カーステレオで音楽を流し、二人でその歌に合わせて歌った。間奏からのAメロ出だしのタイミングを間違った長門が、はにかみの笑い声を上げた。私も少し笑った。太陽の光が開け放たれた窓から差し込んでいた。嗅ぎ慣れた潮の香りを感じながら、まるで戦争なんかとは一切無関係の、民間人であるかのように無邪気な気持ちのままでいた。

 

 二十年経ってから思い出してみると、いかにも青春映画のワンシーンのようだ。そうは思わないだろうか? 車、音楽、若者たち、笑い声、太陽、海、潮の香り……しかし、現実と映画は違う。私たちは運悪くバイクに乗った現地の警察官に見つかってしまったのだ。車を止めるように命じられ、長門が路肩に寄せて停車すると、バイクから下りてきた警察官が開きっぱなしだった運転席側の窓を覗き込んできた。その警察官というのがまあ、私たちより一つか二つ、多くとも三つしか変わらないだろう青年だった。彼は言った。

 

「免許証を」

 

 長門はそれを渡した。若き警察官はそれをじっと見つめてから彼女に返し、「話がある。一旦、車から降りなさい」と命じた。長門は信じられないものを見る目で彼を見つめ返すと、とんでもない返事をした。「この暑い日に『話があるから車から降りろ』だって? 冗談じゃない、お前が車に乗ったらどうだ!」そして長門の返事の突拍子のなさから、その意味を理解できないでいる哀れな若き警察官の胸元を掴み、後部座席に引きずり込むと、ドライブを再開した。

 

 当然ながら警察官はこの不法行為に対して警告したし、無視されると腰の拳銃を抜きもした。大戦艦は気にしなかった。その頃はまだ、深海棲艦や艦娘に対して十分に有効な通常兵器や小火器というものが存在しなかったからだ。私たちはドアを固くロックし、警察官を後ろに乗せたまま、ドライブの続きに取り掛かった。

 

 もちろん、すごい大騒ぎになった。いざ基地に戻ろうという段になって私が「このまま帰るのって、マズいんじゃないかしら?」と言ったせいで、長門が警官を道路に追い出してしまったのも悪く作用した。警官は私たちが何をするか分からずに腰の無線を使えないでいたのだが、置き去りにされて頭のおかしい艦娘二人の目を気にしないでよくなると、即座に警察本部に連絡したのである。とはいえ、その時点で彼を懐柔する方法は間違いなく存在しなかったので、何をしたって物事は悪い方にしか転がらなかったと思う。警察本部は前代未聞のこの珍事に呆れるやら途方に暮れるやら、何はともあれ形だけでも抗議しておけということになり、そのまま当然の流れで基地にも伝わった。

 

 運がよかったのは、日本でもパラオでもお役人というのは仕事が遅かったという点である。お陰で私たちが提督に呼び出されたのは、長門に基地の近くで車から降ろされ、ばらばらに帰ってから何時間か後のことだった。頭の上で白と黒が一進一退の領地争いを繰り広げている年頃の提督は、私たちを呼びつけると、男らしい威厳を持った声で開口一番に言った。「二人とも今日は外出許可を取っていたな?」「はい、提督」年長者ということで、私が代表して答えた。提督は鋭い視線を長門に送りながら、言葉を続けた。

 

「警察から連絡があった。艦娘二人に若い警察官が車で拉致されたそうだ。何でも一人は頭の横で髪を結んでいて……もう一人は詳細な長さこそ分からんが、ロングヘアーらしい」

「了解しました。ただちに瑞鶴と翔鶴を呼んで来ます。長門、手伝いをお願いできる?」

 

 私の冗談で場が和むということこそ起こらなかったが、警察が、ひいては海軍が掴んでいる情報は余りにも少なすぎた。第一、私と長門は別々に基地を出て、別々に戻って来ていたのだ。私たちがやった全てのことについての証拠は、あくまであの若い警察官の言葉しか存在しなかった。市街地を走らなかったので監視カメラに捉えられるということもなかったし、自動速度違反取締装置、いわゆるオービスはそもそも設置されていなかった。という訳で、私たちは徹底的に白を切り通し、疑わしきは罰せずの原則に従って無罪を勝ち取ったのである。何日かして、提督から「この疑惑については不問に処す」と告げられた夜、私と長門は法に対する小さくて無意味な反逆の成功に祝杯を挙げた。

 

 そしてその次の日、長門は無許可外出の上に車で警察署前に乗り付けると、クラクションで煽りに煽った挙句にパトカーに突っ込まれて捕まった。私は提督の指示で彼女を迎えに留置場に行き、少しだけ語気を強くして尋ねた。「何でまた、あんなことをしたのよ?」すると彼女は、明らかに警棒で何発か殴られた傷の残る顔で、にやっと笑って答えたのだ。

 

「面白そうだったからかな。まあ、そう怒らないでくれ」

 

 この件についてのコメントは差し控えておこう。でも一つ付け加えておくと、長門が何かとんでもないことをやってしまうのは、常に娯楽の為という訳ではなかった。時には義憤に駆られて、という事件もあったのである。それは大体、こういう筋だった。まず、パラオ泊地の総司令官が日夜文字通りに身を削って戦う艦娘たちにボーナス休暇を与えようと決めた。

 

 けれど、皆に与えることは現実的ではない。そこで彼は泊地に所属する提督一人につき艦娘二人まで、当時のパラオで一番上等なホテルでの三日間の完全休暇をプレゼントすることにした。方法は公正を期する為にくじ引きで行われ、私たちの間では長門と彼女の親友である那智が当たりを引いた。二人は朝から大喜びで出かけて行き──その日の夕方には帰ってきた。提督は渋い顔をした。総司令の顔を潰すことになりかねないからだ。しかしもしかしたら、と提督は一縷(いちる)の希望に縋った。何か、思いもよらなかったような理由(・・・・・・・・・・・・・・)があって、渋々戻ってきたのかもしれない。

 

 そこで私が二人の事情聴取を行うことになった。長門の部屋に那智を呼び、三人で軽い雑談をしてリラックスすると、私が呼び水を与えるまでもなく彼女たちは話し始めた。「全く、あのホテルの連中は人を馬鹿にしているとしか思えんな」と那智が真面目くさったしかめっ面で言うと、長門は「今回のことはいい経験になっただろうよ、ビッグセブンを侮るとこういう結果になる、というな」と笑った。それから詳しく何をしたのか教えてくれた。

 

 夕方前までは楽しかったらしい。着替えなどの荷物を部屋に置いてからは、同じ基地の艦娘たちとも合流して、ホテルのプールで泳いだり、カフェで甘味に舌鼓を打ったり、レストランで食事したり、バーで散々飲んだりしたそうだ。さしずめ海軍の貸切状態になっていたことだろう。問題は二人が遊び疲れて部屋に帰って来た後、ニュースでも見ようと部屋に備え付けのテレビに注目した時に起こった。テレビ台とテレビとが、金具で固定してあったのだ。那智がそれを指摘すると、たちまち長門は憤った。彼女は酔いもあって、声を荒げて言った。

 

「私たちがテレビを盗むとでも思っていたのか?」

 

 それにすかさず彼女の親友がこう被せた。

 

「そしてそれを、ちんけな金具で防げるとでも思っていたというのか!」

 

 こうして二人は持てる感性と艦娘としての経験を総動員して、気づかれることなく部屋からテレビ台ごとテレビを運び出し、ホテルの駐車場に投げ捨てると、思い上がった経営者たちに貴重な教訓を与えてやったことに満足して、古巣に帰って来たのだった。つまり提督の微かな希望は、望まぬ形で叶えられたのである。それは私が戦争中に見た中でもトップレベルの平和なアイロニーだった。これ以上のものはなかったか、あったとしてもこんなに平和なものではなかった。私たちは長い間笑った……。

 

 このような幸福な笑いもあれば、不幸な笑いもあった。本土に転属してからのこと、長門と那智が連れ立って護衛任務に駆り出された後だ。二人が島嶼(とうしょ)部で護衛対象諸共(もろとも)に消息を絶ち、死んだのかもしれないと仲間内で話し始めていた頃、ぼろぼろの長門が一人っきりで帰ってきた。顔は泥やよく分からないもので汚れ、服は血染め、丁寧に揃えられて艶やかだった髪は乱れ、敵の砲弾がつむじ(・・・)をかすったのだろうが、そのせいでまるで落ち武者のような姿になっていた。

 

 彼女は護衛対象が全滅した後、那智と二人で島に逃げ込むことで深海棲艦との交戦を生き延びたが、捜索隊が遅いので助けを呼ぶ為に重傷の親友を残して単独で脱出してきたのだった。今となっては折悪くと言うべきなのだろうが、長門が出撃用の水路を逆走して工廠に現れた時、丁度その場には吹雪秘書艦以外の第一艦隊から第四艦隊まで、ほとんど全艦娘が集合していた。もちろん、二人の戦友を探す為だ。そこに長門が現れた。上述の姿で。工廠中がしんと静まった。そして長門は彼女が体験したあらゆる悲痛を感じさせる、かすれた叫び声を上げた。

 

「助けてくれ」

 

 その瞬間──ここからのことを書くのには、本当に勇気がいる──私は、私たちは、笑ったのだ。文字通りの、正確な定義に沿った上での、爆笑だった。私たちは笑った。笑い転げた。呆然とした長門の顔を見て笑い、彼女の髪を見て笑い、足にへばりついた海草類を見て笑った。あの場にいた全員がだ。私も、明石も、工廠の整備員たちも。川内はひっくり返ってじたばたと転げ回り、妙高は私の肩を掴んで倒れないようにしつつも、くの字にした体を大きく震わせていた。誰もが笑っていた。ただ一人、長門だけが例外だった。

 

 あの時、何がおかしかったのか? 私はこれまでに何度も、自分にそう問うてきた。親友を救う為に、命がけで敵中を単身突破してきた英雄の、笑われるべき箇所とは何だったのかと。時間を掛けて、私は答えにたどり着いたように思う。それもまた、アイロニーだったのだ。長門の姿、やったこと、やってきたこと、声の響き、何もかもが──長門は笑い続けている私たちの中を通り抜け、執務室へと走り出した。工廠にはそのまま、狂ったように笑う彼女の同僚たちが残された。

 

 那智が助け出された後、彼女以外では最も長門と付き合いのあった私が代表になって、謝りに行った。その時には既に長門も体の修復を済ませており、髪も傷も元の通りに治っていた。彼女は謝罪を拒むことなく、私たちは許された。「気にするな」と彼女は言った。「面白かったんだろう?」と。あなたならそんな時どうする? そう、つまり読者のあなたなら、だ。言い訳をするのだろうか? 何か自分よりも大きな力に動かされたのだ、などと。それとも私がやったように、単に口を引き結び、押し黙って、その場を去るか? 何が正解だったのか知りたいのは私もだ。けれど、経験から述べておく。

 

 黙ってその場を辞するのは、正解ではなかった。負傷からの完全な回復ができずに那智が去ってしまった後、長門はもう「愉快なやつ」ではなかった。私たちがそうしたのだ……。


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