私たちの話   作:Гарри

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04「古鷹型重巡:古鷹」

 古鷹は私が会ったことのある二人の伝説的な艦娘の内の一人である。だがもう一人の方とは違ってあの頃艦娘だった人々にしか知られていないので、彼女の何が凄かったのかということについてここで改めてお伝えしよう。彼女は、なんと海軍の最先任艦娘だったのである。これは凄いことだった!

 

 考えてみて欲しい。あなたが艦娘だとする。あなたは重巡洋艦の艤装を身に付けて、海を駆ける。休暇その他を除くと、一年の内の三百日は、少なくとも一日に一回海に出る。多い時は補給に引き返してから再出撃で夜戦に突入だ。年に一度は大規模作戦や深海棲艦の大攻勢がある。それをあなたは全部戦い、事故も起こさず、病気もせず、心を病むこともなく生き延びて、一年、二年、三年、五年、十年、十五年、二十年と続けていって、自分の同期や先輩が全員死に絶えるか退役するかして、やっと「最先任艦娘」の称号と徽章、特別手当が貰える。その称号や給料の増額に大した意味が見出せないかもしれないが、そのことについては私も同意見である。けれどとにかく、それが単純に凄いことだったというのは真実そのものだった。

 

 私が彼女と会ったのはパラオ泊地に着任してすぐのことで、艦隊旗艦を務めていた彼女は新入りの私の面倒を何くれとなく見てくれた。艦娘としての常識や戦場での立ち振る舞いを含めて、私の艦娘としての根幹を作ったのは訓練教官よりも古鷹だと言える。行いだけでなく性格もいい人で、本当に誰からも好かれる、というのを地で行く好人物だった。私の知っている艦娘で、彼女よりも素直で真っ直ぐな、完成された人格の持ち主はいない。彼女には言い訳のできない欠点がなかった。ただそれでも十五歳で軍に入った彼女は、自分に教養がないということを気にしていたが、それだって彼女本人以外の誰一人として全然問題にしなかった。たとえ古鷹が近現代文学専門の読書家で、古典文学を読んだことがろくになかろうとも、その落ち着いた知性と豊かな感性が、たちまち消えてなくなる訳ではなかったからである。

 

 彼女には勇気もあったし、機転も備えていた。こんなエピソードがある。パラオが深海棲艦の攻撃で長い間包囲下に置かれ、食料が配給制になった(膠着期にはままあったことだ)時のこと、私と彼女は連れ立って街に出かけた。料金は高いが、こっそりと肉や卵の類を食べさせてくれるという店があって、前回の出撃で死にかけた私と古鷹は何があっても今日そこで昼食を取るぞ、という覚悟を決めていたのだ。小ざっぱりしたその店に行き、先払いで殊勲手当(MVP)一回分の代金を支払い、料理を待っていると騒ぎが起こった。見ると、柄の悪い男が店員に「料理に虫が入っていた」と絡んでいた。私が口を開くよりも先に古鷹は席を立ち、店員と男の傍に寄っていって、尋ねるようなトーンで声を上げた。

 

「えっと、それって苦情ですか? それとも感謝?」

 

 このとぼけた言葉は、一瞬でその場の人々を一人残らず古鷹の味方にしてしまった。そして男は艦娘相手に騒ぎを起こせる筈もなく、素直に引き下がった。お陰で私たちは、先に払った代金の半分を店からの感謝の気持ちとして返して貰うことさえできたのである。

 

 他にもこんなことがあった。彼女はみんなに好かれていたから、しょっちゅう色々な贈り物を受け取っていた。それはちっちゃな鉢植えからもっと値の張る装飾品の類まで多岐に及んだが、古鷹本人が最も喜んだのは煙草だった。どうも長い間生きていると、そういうものが欲しくなるらしい。古鷹が喫煙という己の悪癖について言っていたことを覚えている。「健康な体でいるってのは、とても気持ちがいいものですよ。それこそ痛いくらいにね。だからこうして仕返ししてるんです」私にはどうしても彼女の理屈が理解できなかった。今でも分からない。だがそれはそれとして、古鷹は煙草を貰うと無邪気に喜んだものだった──費やす金額は一月に付き何円まで、と決めていたが、だからこそ贈り物として無償で手に入ると、嬉しかったんだろうと思う。

 

 で、ある現地人の男が封を切ってもいない一カートンの煙草から半分を古鷹に渡した。私はそれを横で黙って見ていたが、古鷹は私にも一箱やって欲しいとその男に言った。男は気前よくもう一箱を私に持たせた。彼が行ってしまってから、古鷹はにっこり笑うと、私の手の中から煙草の箱を取って自分の懐にしまい込んだ。このように、彼女は賢く、優しく、また罪のない悪ふざけへの理解を有していたのだ。

 

 私に小説の書き方を教えてくれたのも彼女だった。パラオは言わずもがな僻地である。娯楽がない訳ではないが、それでも退屈から逃れるのには心底苦労する土地だった。私たちは本当に多くのことをやった。読書に始まり、娯楽室でカードをしたり、写真を撮ったり、歌を歌ったり、グラーフに嘘を教えたり、楽器を演奏したり、裁縫をしたり、絵を描いたり……そして私は、文章を書いた。

 

 きっかけは基地の隣にあった艦娘寮の古鷹の部屋に遊びに行った時、彼女の書きかけた小説の原稿用紙の束を見つけたことだ。何作も何作も、途中で書くのをやめたものばかり。飽きずに続けられそうな趣味として、“創作”という終わりのない行為はうってつけのように思われた。絵を描くのと違って特別な技術や才能をそれほど必要とすることがなかったのも、私の興味に拍車をかけた。古鷹は最初こそ渋っていたが、やがて私が辟易するほどに熱心に教えてくれるようになった。何だかんだ言って、同じ趣味の友達を増やしたかったのだろう。

 

 戦争の最中でも、こつこつやっていけば作品を書き上げることは不可能ではなかった。その作品の内容やタイトルはもう記憶にないが、古鷹が私の作家としての第一歩をどれだけ喜んでくれたかということは覚えている。彼女は感情表現が豊かな艦娘だった。私とは対照的だったが、古鷹に言わせれば、私のその奥ゆかしさが「いい」そうだった。今日は素敵な日だと彼女は言ってくれた。それだけで私は何よりも満たされた気持ちになったものだ。

 

 ところで、彼女も艦娘であり、人間だった。だから失敗談についても一つは言っておかなければならないだろう。私がすぐに思い出せるのは、彼女の悪い癖のことだ。それは艦娘「古鷹」としてのではなく、彼女が長い生活の中で独自に身につけたものだった。出撃して被弾する度に、そのことを大袈裟に嘆くのである。撃たれるのがつらい年になってきた、とか。次の誕生日を迎えられる気がしない、とか。そんなことを本当に毎回聞かされるので、ある出撃の時、とうとうグラーフ・ツェッペリンが我慢できなくなって言い返した。

 

「いつも撃たれるのがつらい年齢だとか何とか言うが、私は何歳でも撃たれたくはないな。せっかくだから教えてくれ、日本の艦娘には『ああ神様(マイン・ゴット)、今は撃たれるのにぴったりです!』という年齢があるのか?」

 

 それ以降古鷹は二度と年のことを言わなくなり、彼女以外のみんなちょっとだけ幸せになった。

 

 彼女と作家の話をしよう。古鷹は中学生の時、図書委員会の構成員にして文芸部の一員でもあった。彼女が精力的に活動する人物であったことは、ほぼ確実だと考えている。それは古鷹のところにちょくちょく届いていた荷物からしても明白だった。それらは大半が、古鷹に対する手書きの献辞が書かれている本だった。彼女は艦娘になる前から一人の愛書家として文壇の様々な作家たちにファンレターを送っており、その習慣を艦娘になってからも続けていたのだ。

 

 彼女自身が少し自嘲的に語った言葉を引用すれば、「ただの小娘」だった古鷹に好意的な返事を寄越してくれる作家は少なかったが、彼女の立場が変わるにつれてその対応も変わっていった。まず艦娘になってからは、作家たちがちらほらと返事を寄越すようになった。お国の為に戦う艦娘さんに励ましのお便りを、というのは私たちを含む戦中世代の人間なら誰でも小中学校で体験したことだが、彼らは励ましと言うよりは自らの体面をよくする為に答えたのだろうと思う。最初は古鷹の手紙に作家が応じる形を取っていたが、古鷹が最先任艦娘に近づくに従って、逆転が始まり、やがて献辞付きの本が届くようになった。

 

 私は今でもその中の何冊かを、そこに書いてあった献辞を思い出すことができる。ある推理小説家が送ってきた最新作の最初のページには、「私のインスピレーションの母に」と書いてあった。別のジュブナイル作家からの本には「尽きせぬ勇気の源たるあなたへ」。恋愛小説家からの献辞はこう始まっていた。「あなたの燃え上がる魂に、七つの海を越えて口づけを贈ります!」古鷹は彼ら一人一人についてよく知っており、まるで経験豊かな小学校の教師が、手は掛かるが可愛い子供たちについて語るかのように、細かく細かくこの作家たちの素晴らしいところを話すことができた。たとえばさっきの推理小説家の考えるトリックが見事なこと。ジュブナイル作家の描く、胸がどきどきとするような緊迫感に満ちた冒険。恋愛小説家が形作る、まるで読んでいる自分が主人公になって登場人物と恋に落ちているかのように思わせられる、切ない純愛のストーリー。

 

 彼女は作家の長所を見抜く力に長けていた。どれだけひどい三文文士の作品からでも、優れた点を見つけることができた。だから彼女が、彼女の愛する作家たちについて語る口ぶりだけを理由とせずして、あらゆる作家にとって母親と見なされたのも無理はない話だろう。古鷹は優しかった。作品について語る時、彼女はいつでも長所を話題にした。作家について語る時、愉快な話だけを口にした。不愉快な話をしたことは一度もない。天才的トリックが売りの推理小説家は、ストーリーがいつも盗作だったこと。ジュブナイル作家の登場人物のキャラクター性が、毎回変わり映えしないこと。純愛作品で名を馳せた恋愛小説家が現実では異性との関係にだらしなく、何人もの恋人をとっかえひっかえにしていたこと。それらは全部、後になってから知ったことだ。

 

 それでも古鷹は、愛書家として彼ら作家たちを愛していた。彼女の部屋は作家連中からの本が一杯に詰まった本棚で埋め尽くされていた。古鷹がその本棚に手を伸ばすことは滅多になく、埃が積もっているのに気づいて掃除する時ぐらいだった。彼女は本当に読みたい好きな本を何冊かベッドに持ち込み、寝る時には数少ない本棚以外の家具であるサイドテーブルの上に、きちんと大きさごとに分けて平積みした。彼女は固くそのルールを守っていた。例外は一冊だけ、ただの一冊だけだ。それは私が書いた処女作を印刷して、手で()じたものだった。彼女は必ず、それを平積みした本の塔の一番上に重ねたのだ。私は彼女の部屋に遊びに行ってそれを見る度に、気恥ずかしい思いになった。

 

 本と言えば、ある時、彼女は私に一冊の本を貸してくれたことがあった。本を愛し、傷や汚れを恐れる余りどんな本でも決して他人に貸すことがなかった古鷹にしては、奇妙な振る舞いだった。私がそれを受け取ったのが何故か、さっぱり説明がつかない。どういう話になって部屋に持ち帰ったのかすら、覚えていないのだ。とにかく彼女はそれを貸してくれた。きちんと印刷され、固い紙の上に深い緑色のカバーが掛けられた、タイトルのない本だった。自分から貸してくれと頼んだ筈はないから、あっちから貸してくれたのだろう。

 

 二十年が過ぎて、私は、それが古鷹が書き上げることのできた唯一の作品なのではないかと考えている。それはまだ私の手元にある。こうしてこの文章を書いている時にも、私の右手の近くにその本は置いてある。深い緑色のカバーに覆われて、借り受けたあの日からずっと、一度たりとも読まれることなく、そこに秘められた物語も知られないまま。私はまだその本を持っている。古鷹と過ごしたあの日々から、随分と長い時間が経った。それでもまだ、私はその本を返したくてたまらない。そして、私の作品をどう思うか聞いてみたい。最初のページに古鷹への献辞を書いて、贈ってやりたい。私は彼女のことが好きだった。悪戯っぽい笑顔、きらめく瞳、きびきび動く姿、ひるがえるスカート、白い指先、波打つ髪。大好きだった。

 

 でも結局、彼女はある真夏日に轟沈してしまった。今も気になるのは、どうして彼女が私だけにあの本を貸したのかということ……。


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