私たちの話   作:Гарри

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06「暁型駆逐艦:響」

 私の親しい友人の一人でもあるこの響は、日本海軍に志願した艦娘の後ろ暗い一面をもろに(・・・)反映した人物である。それはつまり、彼女は志願したというよりも志願せざるを得なかったということであり、私のように生まれ育った地域の風土がそうするように仕向けたという類の話より、もっと救いのない話だった。そしてその話は、当時の日本にはそれなりによくあったことだったのである。

 

 彼女には自分のことを深く愛してくれる二人の両親と、年の離れた姉が一人いた。響も彼と彼女たちのことを深く愛した。両親が事故で亡くなると、響はひどく悲しんだ。それから彼女は、姉のことを前にもまして愛するようになった。たった一人血を分けた姉妹だったからね、と後になって響は私に言った。姉が十八歳の時に、子供のいない父方の叔父夫婦に妹を預け、自分は艦娘になって呆気なく戦死してしまうと、今度は実子代わりに可愛がってくれたこの義理の両親を愛するようになった。叔父の方は響の実父の弟だった訳だから、懐きやすかったのかもしれない。

 

 でも叔父夫婦に娘が生まれて自分が用済み(・・・)になった後、響は一旦、愛するということをやめてしまった。彼女は自分の愛が裏切られて無駄になるのをもう望まなかったのだ。でも何にも頼らず、誰かをちっとも愛さずに生きていくのは余りにも寂しかった。そこで響は、神様を愛することにした。神様は自分の愛を裏切ったりしないし、心も平和になる。誰かに疎まれることもないし、神様は永遠に死ぬこともない。賢い考えだ。

 

 十八歳まで居場所のない家に留まった後、高校を卒業した響は姉の後を追うようにして艦娘に志願した。彼女は舞鶴の艦娘訓練所に送られ、上から六番目の成績で訓練を終えた。その成績なら、横須賀でも呉でも行けただろう。だが他の艦娘たちが国内勤務を望むのと対照的に、響は国外勤務を望んだ。そうして、パラオにやってきたのだった。私が十六歳の時だったので、タイミングとしては長門と同時期になる。

 

 パラオ泊地に着任した当初の響は、その雪のように白い肌と淡い水色の髪が他者に与える、冷たげな印象そのものの人格の持ち主だった。いつも物静かで、思索を好むと言えば聞こえはいいが、仲間の輪に交わることなく一人で宗教書を読んでいた。食堂での食事の時も、決して他の艦隊員たちが集まっているところには近づかなかった。要するに、孤立していたのだ。同期の長門は「人にはそれぞれ性格というものがある」と言って気にしなかったし、古鷹は優しさが裏目に出て、響の拒絶を無視することができなかった。加えて時雨は「僕の艦隊員じゃないし」という態度で、私はと言えば事情も知らない癖に響の孤独に勝手なシンパシーを覚えていたので、無理に輪に引き込もうとも思えないでいた。

 

 ところが那智はそんなことを一向に気にしなかった。響を追いかけ、彼女に話しかけ、彼女と行動を共にして、うんざりした少女がとうとう白旗を上げて降参するまで、何かとまとわりついたのだ。私は今でもはっきりと、初めて響が食事時の艦隊員の集いに姿を見せた際のことを思い出すことができる。「今日はスペシャルゲストがある」と那智が言うと、その背中に隠れていた響が頬を赤く染めながら現れた……というのは嘘だ。彼女は一目で不機嫌だと分かる目つきで、歯を強く噛みしめ過ぎてか、口元がかすかに歪んでいた。それから響は艦隊員と食事を取るようになったが、食事中に私たちが話しかけても、三回に一度返事があればいい方だった。

 

 そんな風だったので、那智は一計を案じた。酒を飲ませたのだ。訓練所で別の響が飲酒にハマっているのを見たことがあった那智は、同じ響ならもしかしたら、という気持ちで試したらしい。それが大成功だった。飲酒は神の御心に沿う行いではない、と主張する響に飲ませるまでには苦労したが、飲み始めてみれば彼女は誰よりも飲兵衛だったのである。十八年ちょっとの間彼女が貯め続けたストレスの全てを吐き出さんとするかのように、彼女は大いに飲み、日本語とロシア語でまくし立てた。私たちは意味の通らない部分は無視し、意味の通る部分には相槌を打った。

 

 翌日になると元通りになっていたが、酒を飲ませるとまた彼女の舌のすべりはよくなった。そういうことを何回か続けていたある日、響は今までで最も落ち着いた表情で呟いた。「もうやめようかな、意地を張るのは」彼女がそう言ったことに、みんな気づかなかったふりをした。それを知ってか知らずか、彼女は重ねて言った。「君たちを拒み続けるのに、ちょっと疲れてしまったよ」これには黙っていられなかった。私はぴしゃりと言い返した。「そういう言い方、卑怯だと思うわ」響は面白そうな顔をして、こう言い返した。「私は、そうは思わないな」私は彼女の言葉に続きがあることを予感して、黙ったままでいた。響は初めて唇を小さく動かし、彼女の感情を表現した──それが不器用な彼女なりの微笑みだと分かったのは、かなり後だったが。それからまた、呟くように喋った。

 

「でも、うん……今回はそうかもしれないね。私が、そうしたいんだ」

 

 それっきり、その日の響はもう何も特別なことを言わなかった。私たちも無理やりに引き出そうとはしなかった。けれど私はあの時、確かに私たちは彼女の心の凍りついた部分に触れて、そしてそれを幾ばくかなりとでも溶かすことに成功したのだと信じている。その日以来、響は段々と喋るようになった。酒を飲ませる必要もなくなった。自分から飲むようになったからだ。彼女はウォッカを好み、大抵の場合は一息で飲んだ。飲み終わると、間髪入れずにテーブルを指先でとんとんと叩いた。それは「もう一杯注いでくれ」の合図だった。

 

 徐々に打ち解けるにつれて、響はその魅力的な内面を、人を寄せつけまいとする凍てついた壁を取り払うと現れた、柔らかくて傷つきやすい黄金(きん)でできた心臓を少しずつ私たちに見せてくれるようになった。やがてそれは私たちだけに向けられるものではなくなり、そうすると響はたちまち愛されるようになった。彼女が私たち以外の連中にも素直な心とそこに込められた温かな優しさを見せるようになったことは、やや私たちの嫉妬を煽りはしたが、それも喜ばしいことと言えば喜ばしいことに違いなかった。響が誰かに褒められているのを見たり、彼女のいい噂が流れるのを時々耳にすると、私たちは不思議とまるで自分が褒められたかのように感じて、うきうきした気持ちになったものだ。

 

 それだけに、私たちは響に「悪い虫」が付かないよういつも気を配っていた。特に打ち解けてすぐの彼女は加減というものを知らなかったので、誰も彼も信じてしまうところがあったのである。私だけでも、何処の馬の骨とも知らない男が彼女を口説くのを何度邪魔したか覚えていないほどだ。私たちは彼らに嫌われただろうが、せっかく愛することを思い出した響をこれ以上誰かに傷つけさせるつもりはなかった。響の問題を解決することについて初めはやる気のなかった長門や時雨も含めて、その頃には私たちはみんな、彼女のことが好きになっていたのだ。

 

 が、パラオ泊地から本土の基地に転属する頃には響にも相応の警戒心と鋭い直感が備わっていたので、それ以降は彼女が口説かれる姿を見るのも一つの楽しみになった。信じられないようなことだと思われるかもしれないが、理屈では説明できないほど、響は大勢の男性(と少数の女性)を(とりこ)にした。きっと、この響にだけ備わった一種の特別な美しさか何かがあって、それが誘蛾灯のような役割を果たしていたのだろう。私の知っているある艦娘など、響と顔を合わせる度に一つか二つは口説き文句を言わないと気が済まない性分だったらしく、中には近くで聞いていただけの私の耳にまだこびりついているようなものもある。例えば、こういうものだ。

 

「響、目を閉じてくれるかい?」

「いいよ」

「何が見える?」

「何も。真っ暗だ」

「それが君のいない僕の人生だよ」

 

 全くひどい。書いている内にこんなのも思い出した。

 

「キスしていいかい」

Нет(ダメ).」

「そうか、なら仕方ないな。ところで、僕が今言ったことを覚えてる? 覚えてるなら繰り返してみて」

「キスしていいかい」

「君がそう言うなら……痛っ!」

 

 最後は鼻に噛みつかれての悲鳴だ。二人のこういった会話を耳にすることが(はなは)だしく多かったので、私はあえてその艦娘に提案してみたことがある。「いい加減、響を口説き落とすのは諦めたらどうかしら」するとそいつは、きょとんとした顔でこう言ったのだ。

 

「口説くだって? 響を? とんでもない! 僕ら、普通の友達さ。あれは親愛表現だよ、単純に『愛してる』って伝えるよりも素敵じゃないか。そうだろう?」

 

 私は二十年経ってもこのことに関して意見を変えるつもりはない。『あれ』は、友達同士で行うやり取りの領分を越えていた。私にだって親しい友人たちぐらいいるが、これまでにそういった友達に対して「愛してるわ」なんて言ったことはない。もっと言えば、私の育った時代の日本の倫理観では、友達の唇にキスしようとはしない。それが女同士であってもだ。とすると、やはり考えられるのは……いや、よしておこう。響や彼女の普通の友達(・・・・・)がどういうつもりでああいうやり取りをしていたかなんて、外野には分からないことなのだから。

 

 正直、聞いてみたい気持ちもあるが、響はきっとはぐらかすか嘘を言って話を変えてしまうだろう。彼女は嘘を言うのが得意だ。これは那智に似たんだな、と思う。あるいは那智のせいでそうなったんだろう。いやらしさのない、後で笑えるような嘘を言うのが好きだった那智の影響を、よかれ悪しかれ響も受けたのだ。思い返してみれば、私も那智と響の二人に騙されたことがある。まだパラオにいた頃、私が最近占いに凝っているという話をすると、響が占ってくれたのだ。彼女は私の手相を見たり、誕生日を聞いたりした上で、外に出ると出会いがあるかも、みたいな当たり障りのないことを言うと、(おごそ)かにラッキーアイテムは首飾りだと告げた。運よく私は前回の外出の際にネックレスを買っていたので、早速それを身につけて、また別の日に外出許可を取り、街に出かけた。

 

 結論から言うと、那智が民間人に「艦娘とデートできるぞ」なんてことを吹き込んで、中々の大金を稼いでいた。首飾りは「デートできる艦娘」の目印だったのだ。私がネックレスを買ったということは別段秘密にしていなかったので、那智が知っていたとしてもおかしくはなかった。響はその収益の何割かを貰っていて、色欲に目がくらんでこちらに声を掛けてきた数人の若い男との食べ歩きデートを満喫して私が帰ってくると、にこにこしながら高い酒を何杯かおごってくれた。私は怒るよりもむしろ、怒られるなどとは考えもせずに私の前に姿を見せた彼女の私に対するある種の信頼に小さくない感動を覚えた。そして那智がそのとばっちりを食らったので、私はその後かなり長い間、何をするにもお金には困らなかった。ついでにスピリチュアル関連からも足を洗うことができた。

 

 響と最後に会ったのはもうかなり前のことになる。戦後に彼女の大学卒業パーティーを開いた時だったか、それとも就職祝いの時だったか。あの鈴が鳴るような可憐な声を直接聞いたのも、それが最後だろう。でも、私は自分でも意外に感じるほどよく彼女のことを思い出す。例えば友達に、私が強い酒を一息に飲んだ後、決まってテーブルを指先でとんとんと叩く癖がある、と言われた時、私は彼女の顔を思い浮かべる。あるいは、また別の友達が言う。「あなたの微笑みは、引きつりと余り大差ないわね」途端に、私の心はあの頃のパラオに舞い戻る。私は何枚かの響と私の「笑顔」が一緒に映った写真をまだ持っている。それを何も知らずに初めて見る人は、私たちが共通の悪感情を持っていると誤解することだろう。実際には、私たちは穏やかに笑っているつもりだったのだが。

 

 それと、終わりにもう一つ。言う機会もなかったので十年以上黙っていたが、そろそろ告白しておかなければいけないことがある。響が私を騙した時の適当な占いには、本当に当たったところもあったのだということを、だ。終戦後、私は一人の男性と出会い、紆余曲折の末に結婚したのだが……これが何とも驚いたことに、パラオで那智が嘘を吹き込んだ民間人の男だったのである。いやはや、まさしく出会いがあった訳だ!


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