戦争はありきたりな二時間映画ではない。はっきり言って、敵と撃ち合い、戦っている時間というのは戦争のごく僅かな部分でしかない。残りの大半は索敵しながら海上を航行するだけの退屈な時間や、それよりももっと暇な待機時間、そして睡眠時間が占めている。それでも戦争が持つイメージとして戦闘場面が真っ先に思い描かれるのは、そこには強い感情が渦巻いているからだ。
想像してみて欲しい。あなたは海の上にいる。周りには五人の戦友たち。前方には幾つかの敵影。自分を彼女たちの砲弾から遮るものは何もない。空には味方の航空機と敵の航空機が入り乱れて飛んでいる。足元の波打つ海の下には、あなたとあなたの艦隊を待ち構えていた敵の潜水艦が潜んでいるかもしれない。彼女たちはあなたを殺そうとする。あなたは撃たれる。敵の放った弾があなたの脇を掠めていく。近くに落ちた敵弾が跳ね上げた海水があなたに降りかかる。破片が飛び散り、あなたの腕や足に突き刺さる。あなたは痛みを感じる。あなたは生きている。そしてあなたは悟る。これより痛快なことはない!
こういった激情に
でも、前書きでも言った通り、私があの戦争の頃を思い出そうとする時に不意に胸に浮かぶのは、そういう類のもの以外の記憶ばかりだ。何か、胸がきゅっと締めつけられるような日常の風景や、奇妙に印象に残っている特段の意味を持たない出来事。
たとえば私は、任務の最中に日が暮れてきたので近くの小島に上陸して夜を明かした時のことを覚えている。夜間飛行可能な敵航空機に見つからないように十分に林の奥へと分け入った後で、私たちは見張りを残して横になった。木々の合間から見えたあの雲一つない夜空。鳥の鳴き声。負傷した腕から入った雑菌が原因で感染症を起こして入院中だった響に代わって、臨時に私たちの艦隊員になっていた時雨が、寝転がったまま懐から携帯口糧の余りを取り出して夜の暗闇に投げ込むと、犬の吠える声がした。彼女は悲しそうな顔で「置いて行かれたんだろうねえ」と呟いた。「ひどい話だよ。処分もせずに放って行くなんてさ」
私は那智が基地の食堂で全然知らない何処か別の基地から来た金剛に絡んでいる姿を、今でも鮮明に思い出すことができる。二人はすっかり意気投合しているようでけらけらと笑っていた。金剛はワックスがけされた新車みたいに輝きそうなほど無傷だったが、那智は顔に切り傷ができていたし、髪の毛はしっとりと濡れていた。肩には包帯をきつく巻いていて、服なんか布切れを体に巻きつけたのと変わらない具合だった。失血で顔はげっそりとして、目だけをらんらんと輝かせて。彼女は十八時間の海上任務から帰還したばかりだったのだ。運悪く帰投直前にドックが満杯になったので、空くまでの時間を食堂で潰していたのだった。砲撃の音で耳が遠くなっていた那智が、彼女自身気づいていない様子の大声で言った。
「
「当然ネ!
戦争には多くの側面があって、時にはファミリー向けの
古鷹とグラーフ・ツェッペリンはよく将来の話をしていた。そこには構想というものがあり、確固たる未来へのヴィジョンが存在した。そこには何の罠もなかった。足元に潜水艦がいるかもしれない、なんて心配もいらなかった。島影に隠れた敵もいなかった。はっきりとした問題と、はっきりとした解決策と、限りない希望があった。私たちはしばしば二人の話に、息をすることを忘れそうになるほど熱中して耳を傾けた。二人が協力して描いている未来を横から覗き見ることで、私たちもその希望のおこぼれに預かりたかったのだった。私たちにも未来というものがあると、根拠もなく信じられるように。
二人の無根拠な展望を盗み聞きしていた頃から時間が経ち、悪夢のような事実として、私は四十を過ぎた。夫が一人と、子供が二人いる。戦争は終わった。もう二十年ほども前に。全ては過去に、想い出になった。私は毎日、あの日々のことを思い出す。そして忘れてゆく。実際のところ、私は多くのことを忘れてしまった。今となっては、覚えていることなど僅かなものだ。私は戦争について書く。覚えていることを書き、そうすることによって心を過去に送ろうとする。そうすればもしかしたら、忘れてしまったことも思い出せるのかもしれないと期待している。
私は繰り返し同じ戦争について書く。思い出せる全てのことを書いてしまおうとする。大抵は失敗する。それでもたまに、私は埋もれてしまった古い記憶を思い出すことができる。思い出したくない記憶を掘り起こしてしまうこともある。古鷹が私の声に振り向いて笑う。一拍遅れて轟音が響く。那智が怒鳴る。グラーフが私を突き飛ばして前に出ようとする。頭を殴られたように、古鷹の首が傾ぐ。それから彼女は、弾の飛んできた方に猛然と駆け出していく。
だが、もちろんそういう記憶だけが私の中に眠っている訳ではない。基地内の運動場の隅に植えられた木々の間にハンモックを吊るして、思うがままに怠惰を楽しんでいたことがある。そこに響が歩いてやってくると、彼女は暫し私の様子を眺めてから、断りも言わずにハンモックの中に体を滑り込ませてきた。私も追い払ったりはしなかった。風が強い日で、少し肌寒かったからだ。彼女を片手で胸の中に抱き、もう片方の手をハンモックの外へだらりと垂らして、私たちは二人で無言の時間を過ごした。
すると時雨が現れた。彼女は私と響の様子を見て、自分が何をするべきか決めた。そして素早くハンモックに飛び乗り──紐を結びつけていた枝がぼきりと折れて──私たちはみんな仲良く土の上に転がった。その場にいる彼女以外の誰が口を開くよりも早く、時雨が言った。「君たちには失望したよ」私たちはすぐにハンモックをセットし直してまた寝転がったが、その前に時雨を木に縛りつけておくことを忘れなかった。
パラオ泊地の炊事係の計算ミスと需品科のミスが重なって食料が不足し始めた時、私と長門、それからグラーフは提督から特別の命令と外出許可を得て、調達に向かった。徴発はなるべく避けるようにと言われていたが、それは言外に「必要ならそうしろ」という意味を含んだ指示でもあった。私たちはまだ飢えていなかったので理性が勝ったが、これが空腹で三日過ごした後ならどうなっていたかは分からない。私たちは命令書と外出・外泊許可証の他に、購入用の資金や軍票、手に入れた食料を入れる為の大きなバッグを一人に一つ持たされていた。市街地まで来ると、長門が言った。「三方に別れよう。大型艦娘三人は威圧的すぎる」グラーフは長門の冷静な判断に感心して理ありとした。私も賛同したが、付き合いの深さから「これは何かあるな」と勘付いた。そこで長門の提案通りに資金などを三等分し、別れるふりをして彼女を尾行した。
果たして長門は市街地からどんどん出て行き、とうとう山の中に入ってしまった。そして持っていたバッグを下ろすと、中から弓を取り出した。それも、私の弓だった。そして矢は練習用の、通常の矢じりが付いたものだった。長門は弓で猟をして、資金や軍票をちょろまかそうとしていたのである。私は勝手に人の弓と矢を持ち出した彼女の背中に石をぶつけてやってから、そのアイデアに乗ることにした。すると「なるほどな」と声がして、私の背中目掛けて石が飛んできた。グラーフは私がすんなり長門の提案を認めたことを怪しんで、私を尾行していたのだ。資金と軍票はあえなくグラーフに全部没収されてしまい、彼女が買いつけをして私たちが無許可狩猟をするという分担になった。結局この食糧問題は、最後に時雨が陸軍の輸送トラックから食糧を山ほどくすねてくることで片付いた……。
繰り返しになるが、世間の人々が考える戦争と違って、実際の戦争というのは退屈なものだ。私たちは長い長い時間を、持て余した暇をどうにかこうにか潰しながら過ごした。長門は赤錆の浮いたハンドグリップを持っていて、特別やることがなければ、航行中でさえ耳障りな音と共にトレーニングを続けていた。古鷹は少年と交際するようになってから、彼の写真をぼうっと見つめて過ごすことが増えた。グラーフはマイクロサイズのジョーク本を何冊か持っていたが、彼女が私たちに伝える為に読み上げるジョークはほとんど全部面白くなかった。「ほら、彼女はドイツ人だから」と響はそのことについて溜息交じりに言った。「ジョークセンスは期待できないんじゃないかな?」
私の錆びついた記憶は、こういったものが多い。つまり、明確な“出だし”や“終わり”というようなものがないものが、だ。中にはきちんと終わりのあるものも存在するのだが……しかも、私自身の想像力が記憶を純然たるフィクションにしてしまうことまである。その時いなかった誰かを付け加えてしまったり、言わなかったことを言ったことにしてしまったりとだ。たまに私は、自分が間違って覚えていたことを思い出し、その誤った記憶に基づいて書いた作品のことを考えて、罪を犯したような気持ちになる。だけれども、私は戦争について語ろうとしたのであって、自伝やノンフィクション作品を書こうとしたのではない、ということを考えると、それは厳密には罪ではないのかもしれない。問題は罪の意識というものが、それが実際に罪であるかどうかに関わらず人を襲うということだ。
時雨が私の部屋に息せき切って駆け込んでくると、満面の笑顔で言う。「ねえ加賀、いいニュースと悪いニュースがあるんだけどどっちから聞きたい?」「そうね、いいニュースから聞きたいわ」「臨時収入があったんだ。結構とんでもない額だよ。これを使って一緒に豪遊しよう」「悪いニュースは?」「実際に遊ぶまで何年か待っててくれないかなあ。実はちょっとした手違いで、刑務所に行くことになりそうなんだ」「あら、まあ……」「全くそうなんだよ。あら、まあ……なんだ」
洋上の孤島で夜営中、見張り番を終えて休憩中に響に飲まされて酔っ払った長門が、浜に流れ着いていたヲ級の死体から帽子のような艤装を剥ぎ取って、同じく響に飲まされた挙句ぐっすり眠っていたグラーフを
または、私が那智に「どうしてあなたは、時々まともじゃなくなるの?」と尋ねた時。彼女は腕を組んで考え込んだ。それから静かな態度で、私の質問に答えた。「言いたいことは、分かるとも。貴様の言う通り、まともじゃないということも、な。だが、分かってくれ。私はただ、ある日自分が喉をかき切って死んでいる姿を誰かに見られたくないだけなんだ。分かるだろう、人生を楽しみたいんだ。人生を愛してるんだよ。なのに長い間生きてきて、生きることがつまらない習慣みたいになってしまったんだな……」
あるいは本土の基地に転属した後、何かの任務で基地に来ていた、まだ提督に任じられたばかりの
「その調子だ、実によろしい」
それから、こう付け足した。
「ところで、上官は敬礼に対して答礼する義務があるのは覚えているだろうな? 五十回? ふうむ、それはいいな。どれ、私が見ていてやろう。どうした? 始めろ」
戦争から二十年が経った。私は日々老いていく。前は走ったところを歩いて済ませるようになり、長い階段を上がる途中では一休みを入れるようになった。だが過去は、その幾らかを忘れてしまっても、あの頃の記憶は……若かった私たちの思い出は色褪せることなく、かえって鮮やかによみがえる。つらかったことも楽しかったことも、悲しかったことや、当時の私自身が最悪の出来事だと考えていたようなことでさえ、今は全ての記憶が愛おしく思える。私が今になっても戦争のことばかりを書くのは、だからこそなのかもしれない。いつか、この記憶さえ失ってしまった時の為の備えとして……。