紫藤が姿を見せた途端に、バスの中では小室と宮本が揉め始めた。豹変した宮本に、車内にいた高城たちは気を向けている。
「どうしたんだ宮本さん? あの先生を助けるのに反対してるみたいだけど……」
「個人的に何かあるんだろう、詳しいことは知らないが……五十嵐」
「な、何だよ、急に雰囲気変えて……」
「この先、紫藤が乗ってきて何を言おうと信用するな。信じてもろくな事にはならない」
最後の忠告をして、ポケットの釘に念を込める。
「皆さん急いで! 絶対に助かりますよ!」
紫藤率いる集団が近づくが、彼らは“奴ら”に狙いを定められている。あのままでは何人たどり着けるか……だからこそ、待ち望んでいた事もうすぐだ。
考えた矢先に、最後尾を走っていた男子が転んで紫藤の足にすがりつく。
「足首をくじきました!!」
「おや、そうですか……では、これまでですね」
「え……あ、あぅああっ!!」
紫藤は生徒の顔面をためらいもなく踏みつけて男子の手を振り払った。
「今までの世界は終わってしまったのです。力無き者に、生き残る価値はありません」
今だ!!
俺は釘を五本、空に投げ放ち“奴ら”の中へ飛び込む。
「!?」
痛みと混乱による悲鳴におびき寄せられ、道を阻む奴らを潰して男子生徒に向かう途中で紫藤と目が合う。紫藤は男子生徒へ向けていた愉悦の頬を一瞬にして引きつらせ、足を速めて言葉なく口を開閉している。
俺に何か言いたげだが、“奴ら”を引き寄せる事を恐れて口にできないみたいだな……助けに入る人間がいないと思ったか?
耐え切れずに舌打ちをした紫藤の横を、俺は駆け抜けた。うずくまる男子のそばにはもう“奴ら”がたどり着いている。
「ひぃぃいいいいい! 嫌だ! 死にたくないっ!!」
狂乱した男子生徒に“奴ら”の手が伸びた。
しかしその手が触れる前に、“奴ら”の頭に風穴が開く。
「ハッ! ……大丈夫か? 噛まれていないな?」
「ひっ! ひぃいいい!
「落ち着け! 俺は生きた人間だ!」
男子生徒は錯乱している……
「うぁ、うぅ」
「連れて行くぞ」
「まっ、うわっ!?」
問答無用で男子を左肩に担ぎ上げ、バスへと身を翻す。
「誰!? 何が起こったんですか!? うぁあああ!」
「やかましい! 黙ってろ!」
先に投げておいた釘が
「早くバスを出してください!!」
「でもまだあの二人が……」
「あそこまで囲まれは間に合いません! 決断が必要なのです!! 決断できなければ貴方も、ほかの生徒も巻き込むのですよ!」
「で、でもぉ……」
紫藤が俺と男子生徒を見捨てるように鞠川先生に詰め寄っている。俺たちが生きていると、彼にとってはさぞ都合が悪いだろう。普通なら四方八方を囲まれれば絶体絶命かもしれないが……
「Gotcha!」
「こっちだ!」
「早く!」
潰す必要があるのは進行方向にいる“奴ら”のみ。
それも平野の援護射撃で数が減る。
残った“奴ら”を片手間になぎ倒し、他は道さえ開けば足で振り切ればいい。
そうして疾走した俺は、紫藤が弁舌を振るっている間に難なく小室と毒島が守るバスへ到達した。
「どうも、紫藤先生」
「や、やぁ、誰か知りませんが、無事でよかった」
白々しい言葉を吐く紫藤を尻目に男子生徒を宮本に預けてバスを降りる。
「君は本当に残るんだな?」
「もうかなりの数が集まってきている。今ならまだ……」
「ありがとう、だが残る」
毒島と小室に別れを告げ、集まってくる“奴ら”の頭を潰して意思表示をする。
「……そうか。死ぬなよ!」
「健闘と、妹さんが見つかることを祈る」
その言葉を最後に二人はバスの中へ。
扉が閉まり、バスはエンジン音を撒き散らしながら駆け出していく。
おかげで“奴ら”の気が引かれ、俺は動きやすくなる。
俺は必要な分だけ頭を潰して校舎へ向かった。
さて、彼らはこれからどうなるのか……
この後は紫藤が演説をするはずだ。そして自分の思い通りに生徒を操ろうとする。
俺がやったのはあの男子生徒を生きたままバスに放り込んだだけ。
しかしそれは、あいつにとって小さくない障害になるはずだ。
少なくともあの男子生徒が紫藤を信じるとは思えない。
彼の訴えがあれば、他の生徒にも迷いが生じる可能性は高い。
かなり高い確率でひと波乱あると俺は思う。
その顛末を想像してみると面白い。
アニメとして見ていた頃から、紫藤の事は気に入らなかった。
自分の保身と利益を考えるのが悪いとは言わないが、手段が下種だ。
まぁ、今となっては俺も紫藤とは方向性の違う下種になった自覚はあるが。
倫理や常識なんて、とっくの昔に捨ててきた。
あのバスの中でどこまで話が紛糾するか、想像して楽しませてもらおう。
そう考えながら、俺は校門を突き破るバスを見送った。
……
…………
………………
原作主人公の一行を見送った俺は急ぎ、ある場所を目指していた。
校内の事件発生からだいぶ時間が経ち、あのバスで校門も開いたことだ。
そろそろ行動に移していい頃合だろう。
到着したのは
「失礼します」
遺体に一声かけて部屋の隅に移動させ、機材の電源を入れた。
「よし、電気はまだ生きてる。音源を……」
戸棚から適当なCDを取り出して機材にかけ、スピーカーをオンにする。
放送室内にベートーベンのピアノソナタ、『月光』が鳴り響く。
同じように、校内にあるスピーカーからも曲が流れているはずだ。
確認のため軽く防音の扉を開いてみれば、しっかりと廊下から曲が聞こえる。
これでいい。これで校内の“奴ら”は引きつけられる。
この放送は校庭のスピーカーから外にも聞こえるはずだ。
音を聞きつければ校外にいる“奴ら”も集まってくるだろう。
……もう小室たちもいない事だし、呼び方を合わせる必要もないか。
じきにこの学園は、ゾンビで埋め尽くされる。