戦国†恋姫~不死の刃鳴~   作:我楽娯兵

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改編の刻

 久しく見ない幻夢を見た。

 鹿野道場の軒先で、俺はただなにをするわけでもなく晴天の空を眺めていた。

 水色で、雲の一つも見当たらない。道内で響く木刀の打音、雀が雛に蚯蚓を与える姿も見えた。

 それは尊い平和であった。数週間先に控える「重要な日」。

 道流を継ぎ、刈流兵法宗家一人娘を娶ことを決める日。この日和はそれすら忘却させる。

 昼日の陽光が全身の強張りを溶かしていく。瞼を閉じ、透けた血管の色ですら温かく感じられた。

 

「いい、日和だな赤音」

 

「あ、いがらすさん」

 

 隣に腰を落ち着ける人が居た。

 その人は俺の兄弟子であり、この刈流兵法鹿野道場の師範代である。

 そして道場にとっても重要な、跡取りという仕合相手だ。

 俺は彼を尊敬していた。彼の抜き打ちは誰よりも早い、彼の太刀筋は誰よりも正確だ。

 真面目であり、言動態度も充分だ。根暗なのが玉に瑕だが。それを除けば俺は彼に敵わない。

 俺が目指した目標、憧憬。

 彼と木刀を交える度に、彼と言葉を交わす度に、彼と同じ戴天に居ると想うたびに、憧れは情念に姿を変え始めた。

 ――彼を俺のモノとしたい。

 だが、それは否定されてしまう情欲。胸臆に宿った恥部であった。

 どうしようもない。嗚呼、このまま時が停まればいいのに。

 幾度も思い、現実の非情さと、人間に付与された感情という機能を呪った。

 幻夢は矢の如く流れる。あの情景が蘇る。

 俺は彼と対峙していた。木刀での打ち合いではあったが、木刀も業ある者が持てば鈍角の刀だ。

 命の遣り取り――彼と俺が、体も、感情も、すべてを飛び越えて一つに成れていた時であった。

 息は僅かに荒い、精神を切り詰め、彼と戦い、勝ちたいと思う気が燃料となり己を動かしていた。

 なのに、なのに!!!

 

 

 ――お許しください、赤音さま! どうか――――

 

 

 もし俺が仕合で使った木刀を持って帰らなかったなら。

 もし俺がその夜、心象に浸り折れた木刀の柄を眺めなかったら。

 もし彼女が嘘言ってくれていたなら。 

 きっとそれは起こらなかった。起こることなど決してなかった。

 喉が潰れ血を吐こうと、肺が破れ窒息しようと。吠え続ける。

 

 嗚呼、お前は――俺の、伊烏の仕合を穢したのか。

 

 その日初めて無垢な白刃が血を吸った。

 帯刀を許され、手入れも欠かさず、寝る間も、風呂も、厠でさえも共に居る事に決めた相棒が穢れを吸った。

 彼女を斬った時、感じたのは怒りでも、悲しみでもない、安堵であった。

 これでよかった。

 これでよかったのだ。

 最初からこうすれば。

 彼の想いは、

 悲しみは、

 怒りは、

 精魂のすべては俺に向いたのだ。

 

 

「........屑.......が........」

 

 

 俺は彼を物に変えたその瞬間まで、彼は俺を想った。

 目的は果たせた。

 彼と戦い、勝った。

 そして胸臆に宿った恥部も告げる事無く断ち切れた。

 彼の魂魄は帝都の光に溶け込み。俺の四年間の情念は霧散した。

 刀だった俺。想いという刃を失った刀は刀ではない。薄っぺらな鉄の棒だ。

 最後の間、相棒と見下ろした帝都はしっかりと記憶に留まっていた。

 相棒を一輪より預かりうけたとき、その時は、己が二人となった時。

 

「本当ですか! やったー!」

 

「“かぜ”という子だ。大切に使ってくれ」

 

 若き女鍛冶師が一振りの刀を差し出した。

 赤音という魂の憑代。

 剣路を共にした相棒は望みを叶えてくれる。

 俺と同じ、穢れを多く啜った相棒。

 幼少を想起させる帝都の街を見下ろしながら俺は、己を絶った。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

 夢が薄らぎ、お役御免となった世界が見えた。

 気だるい気持ちが湧き上がるが、重い瞼を抉じ開けた。

 見慣れぬ部屋。木張りの天井がそこにある。

 そこには蛍光灯も何もない、石馬が目指した「真の日本」、東京府でも電気を引かぬ家はない。

 珍しげなその天井、それ以前の疑問にぶち当たった。

 赤音は腹を切って、頸を切ったはずだ。

 横になって寝ていたが体を起こす、節々が痛み軋みを上げる。

 長らく体を稼動させてないせいだ。

 衣服が着物なんて差異はどうでもよかった、腹に彫り上げた十字を、喉に刻んだ一文字を。

 腹を広げ見たものは、傷一つないすべらかな腹部があった。

 縫合のあとも何もない。あるのは臍と微かに割れた腹筋だけ。

 思わず眩暈がした、首筋に手を当てるが腫れてもない。

 まるで斬った事すらないような赤子の肌のようであった。

 ここはどこだ、俺はどうなった、伊烏は、三十鈴の遺体は。

 蒲団を抜け出し、部屋の襖を乱暴に開け放った。

 そこに広がっていたのは――雀鳴く庭園があった。

 

「おい、......嘘だろ」

 

 帝都ではない別の都である。

 塀の向こうにはビルは見えず、緑々しい山中が覗いていた。

 素足であったが庭園に赤音は下りていた。

 足で感じる地面の感触、肌で触る空気の清らかさ。一つ一つの感覚が鈍ったのか、帝都に居たときよりも別のモノに感じられた。

 やかましく走っていた車の音すら聞えず、ここは帝都より離れた場所であると実感させた。

 庭園にある池を覗き込んだ。

 苔は石に生えているが透明な水だ。赤音は片手で掬い口に含んだ。

 飲めなくはない、飲まないほうがいいが飲料水にはなる。

 そして何より驚いたのは、この水は水道より引かれていないということだ。

 口に感じる金属味、薬品味、それら一切がない。天然の湧き水を引いている事がわかった。

 

「そこの水は飲む水には適さんぞ」

 

「ッ!!」

 

 背後より発せられる声に身が硬直してしまう。

 剣気、殺意はまるで感じられない。しかし己が置かれた場所を鑑みても敵でないとは言えない。

 反射的に腕が刀に伸びる。が、左腰にあるはずの刀は不在である。

 

「そう、戒めるな。この館にお前を害するものは一人も居ない」

 

 その言葉を聴き、声の主は婦女である事が分かった。

 しかしながら婦女でも刀を握る時代、警戒の一つはすべきでだ。

 其の上、ここは帝都ではない。銃砲火器類所持絶対禁止法の効力は帝都限定的、背後よりズドンなんてこともありえる。

 これが意味するもの、即ち、詰みだ。

 肩の力を抜き、立ち上がる。

 背後の敵か味方か、どちらも分からないもの、振り返りを見据える。

 

「その両足で立てるという事は、壮健であるということだな」

 

 見惚れてしまう少女がいた。

 小柄な背丈、長い艶やかな黒髪、花葉の瞳があった。

 着飾った西洋チックな和服を着て、その上に赤音が着ていた朱の小袖を羽織っている。

 自信に満ちた貌は少女の歳には不必要な力がある。

 中身は兎も角、外面は万人が美を感じよう。

 

「その小袖は俺のだ」

 

「ん、ああそうだな。ほれ」

 

 着ていた小袖を脱ぎ、投げて渡される。

 受け取り、擦り切れが無いかを確認した。

 この小袖は赤音には少々大きすぎる、裾を踏まぬよう歩きに工夫がいる。

 彼女は赤音と同等、もしくは下ぐらいの背丈だ、裾を擦られてはたまったものではない。

 

「裾など踏まぬ、私を誰だと思っている」

 

「誰なんだよ。あんた」

 

「なんだしらんのか?」

 

 知っていて当然のような口ぶりで少女は言った。

 生憎、謳う偶像(アイドル)や芸能事には疎い。

 ある程度名の知れた者でなければ、ぽっと出の新人は判らない。

 少女はふっと笑う。自信ありげに名を乗った。

 

「聞いて驚け! 私は織田三郎久遠信長。織田当主にして夢は日ノ本の統一なり!」

 

「......医者に罹ったほういいじゃねえかあんた」

 

 織田信長と名乗った少女。

 織田三郎信長としっかり調べて名乗るあたり、かなりの入れ込みようがわかる。

 しかし久遠とは何だ?

 

「い、金創医に罹れとは何事か! 私は体のどこも患っておらぬぞ!」

 

「頭をやっちまってるっていってんだ! 本名名乗りやがれ本名を!」

 

「私は織田久遠だ! 織田久遠の何者でもない!」

 

 まるで埒が明かない。もうこの際、名など聞くまい。

 しかしだ。

 

「俺の刀はどこだ」

 

 こればかりは取り返さねばならない。

 半身を失ったまま、生きることなどできぬ。

 

「お前の刀か? えらく刃毀れしておったのでな。砥師に渡しておる」

 

「おい! 何かってに――」

 

「武士の魂を他の手に渡すのを不安に思うのは判らんでもない。安心せい。腕は確かだ」

 

「その間、丸腰で過ごせってのか!」

 

「不満か?」

 

「当たり前だ」

 

「しかたない。上がれ、そこに居られては何も出来ん」

 

 そういい赤音を座敷へと手招く。

 “かぜ”をこのまま捨て置く事もできない。

 今は従う事しか赤音に選択肢はなかった。

 座敷に上がる。

 俺が寝ていた一室、床板に置かれていた一振りを渡してくる。

 

二刻(よじかん)はこれで我慢せよ。何せお前は刀を雑に扱いすぎておる。研ぎにも幾日も掛かっておるわ」

 

 確かに“かぜ”は長い間、酷使し続けた。

 言い訳をするならいい砥師との巡り合わせが悪いせいだ。

 

「ところで、だ」

 

 久遠という少女の目は輝いた。

 その眼は探求者の、というよりは子供の好奇心に似た目である。

 

「お前が居ていた南蛮着はどこで手に入れた。あれほどの良い生地、仕立て、早々お目にかかれない」

 

 珍妙な事を聞いてくる。服などどこでも手に入ろうものを。

 質問という嵐は続く。

 

「その小袖もそうだ。そのように色鮮やかな赤は見たことない、柄も牡丹にさまざまなものがある、機織も苦労しただろう、誰だどこより手に入れた」

 

「いや、ちょっとまて――」

 

 怒涛の質問攻めの意味が一つのわからない。

 第一に、この娘の言うものは街に出ればいくらでも手に入る。シャツとて大量生産品を着ている赤音にとってこれほど馬鹿げた質問はない。元禄小袖形式の小袖は多少値が張るが金を出せば手に入る。

 

「それにこれだ、この板はなにに使うのだ。開いたり閉じたりするが?」

 

 彼女は袖より携帯電話を取り出した。

 掛ける相手はすでに世を去った、なることの無い「折りたたみ式の携帯電話」だ。

 ついに赤音の疑問、というよりは違和感が噴出した。

 

「携帯電話だろ。持ってねえのかあんた現代人なら知ってんだろ」

 

「けーたいでんわ? なんだそれは?」

 

「はぁ!?」

 

 おしかしい。

 おかしすぎる。

 この娘はあまりにも、あまりにも。

 ――無知すぎる。

 知っていて当たり前のことを知らない。

 情報溢れるこの現代でここまで物を知らない人間は居ない。

 思わず頭を抱えてしまう。

 

「おい、どうした?」

 

「あんたが物を知らなさ知らなさ過ぎるんだよ。人か? 人なのか? 擬似科学(サイエンス・フィクション)の怨念的亡霊が俺を異空間に幽閉したとか言い出すなよ」

 

「お前の言っている意味が汲み取れん」

 

 取りあえず、今が何時か、ここがどこかを赤音は知りたかった。

 部屋を見回すが、七曜表(カレンダー)なし、時計すらない。

 

「おい、今はいつだ、何月だ」

 

「今か? 今は五月、桶狭間の戦よりお前はちょうど一週間寝ておる」

 

「は?」

 

 桶狭間の戦――名古屋、永禄3年5月19日、室町時代に起きた戦だ。

 いやいやそれ以前にだ。この娘はこの様な虚妄をよくも平然と言ってのけるものだ。

 

「いい加減にしねえと叩き切るぞ? 本当はいつだ。ここはどこだ」

 

不明(わけわからず)な奴だ。時は五月、週は四つほど跨いだ」

 

「ッ、いい加減に――」

 

「場は尾張清洲。我が治める城下町でここは我の屋敷だ」

 

 その眼には嘘偽りの色は一切と言っていい、映っていない。

 その回答に身震いが起こった。

 もしだ。もしこの娘が嘘偽りを一つも言っていないのだとしたら。

 俺自身今どこにいる(、、、、、、、、、)

 足が震えそうになる。少女への鈍痛のような怒りは、突如にして心の均等を失わせる地獄の声に聞えた。

 赤音はとうとうその部屋を飛び出した。

 襖を突き破るように、激しく開け玄関を探す。

 部屋を跨ぐたびに時計、テレビ、電気を使う家具を探すが見当たらない。

 どこ行こうとありはしない。

 部屋を越すたびに、襖を開けるたびに赤音の不安は募る。

 

「? あなた、ちょっと。きゃあッ!」

 

 すれ違い蝶の髪飾りをしたの娘にぶつかるが相手にしていられない。

 普段では起こりはしない息切れが起こる。過呼吸気味に息を吐き、空気を肺に取り込む。

 玄関が見え、なんてでかい館だ。心で愚痴り走り外に出た。

 皮履きと草鞋が共に並んでいる、が履いているいる時が惜しかった。裸足で飛び出した。

 門扉を荒々しく開け。――ついに理解する。

 草鞋を履き、質素な着物。

 刀を挿す男児は髷を結い、建物は日本家屋のみ。

 車も、路面電車も、電灯も、アスファルトも、現代のモノが何一つ存在しない。

 赤音はこの現象をテレビドラマで見たことがあった。

 シケた芸を見せられ唾を吐き掛けたかったが、内容(ストーリー)は印象的であった。

 そうそれは、現代人が過去に飛ぶと言う、時間旅行(タイムスリップ)的内容であった。

 

「シャレんなってねえよ!!」

 

 赤音は叫び声を上げていた。




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