戦国†恋姫~不死の刃鳴~   作:我楽娯兵

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運珍改め、我楽娯兵という名前に改名いたしました。以後よろしくお願いいたします。


魔剣再眼

 口元に紅を塗りたくり、口いっぱいにご馳走を頬張る。

 腕も紅と同じ色になるが濯ぐ気にはならない。一刻も早くこれを食べなければならない。

 仲間に取られるよりも先に、ご馳走を平らげよう。獣のように貪り食う。

 腕の爪を器用に使い、刺し切り、食べやすい大きさにする。人の口には入らない大きさではあったが難なく口に入る。

 なんて旨い生肉だ、猪や鹿でもない。

 それは肉の味は知らな過ぎた。この様な旨い者は食べた事はない。腕が更に伸び、腹が裂けてしまうのではないかと思うほど押し込む。しかし、飢えは衰えるどころか増していく。

 腹が減った、誰か、肉を、肉を肉、肉、肉肉肉肉肉肉肉。

 何故だ、人間はこの飢えを知らぬ。恨めしい、嫉ましい、憎い、辱い。

 同じに、同じになればこの飢えを知り、共に飢えを共有できる。

 する気が無いのなら、餌となれ。

 夜町に一際大きな咀嚼が鳴り響いた。骨を齧り、睾丸を噛み砕き、足を引き裂く。腸の中に詰まった汚物でさえ旨い。留まらない食欲に突き動かされ下半身を食べきってしまった。

 どうしよう。また飢えてしまう。この上半身を食べてしまえば耐え難き飢えに苛まれる。

 

「Gaaa....」

 

 それは唐突に匂った。

 なんと芳しい匂いか――ほどよく脂が付いた肉の匂いだ。

 口より溢れ出る唾液。匂いに釣られ、それを辿った。歩いていたが、次第に歩幅は広がり最後には走っていた。

 荷車を刎ね倒し、生垣を飛び越え、屋根を駆けその匂いの元を見つけた。

 心が奪われる。

 なんと。

 なんと美しい餌か。

 朱い小袖が映える娘のような青年。衿より覗くうなじは淫靡な輝きを有し、淫猥な色香を漂わしている。

 微かに残っていた理性が、真の意味で「消失」した。

 最後に残ったのは、理性を失った何かであった。

 

 

 

 

 眠りと着いた町に剣鬼が走る。

 清洲の町を、急ぐ剣鬼は半時ほど前、織田の屋敷を抜け出していた。

 笑みを浮かべながら、赤衣を身に纏う剣鬼の疾走は加速する。

 軒先を過ぎる度に、風の流れを感じる度に、赤音の居た時代と違うことを実感させられる。

 町の就寝。一個の意思生命として機能する町は細胞ひとと同じように休息を必要としている。

 心臓のように絶えず動き続ける東京府と違う。人の意識を模る清洲の町。

 新鮮な感覚だ。すべてのモノが眠りへとつき、あるのは寝息と、夜行の獣の吐息のみ。

 足を進める歩調は音楽を刻むように、テンポよく進んだ。半身が戻るのだ、誰しもが嬉しくはなろう。己の手足、己の臓腑、己の性器、己の魂――あらゆる物に形容できる。武田赤音という憑代。

 一輪光秋“かぜ”――半身の名前であり、己の名前。

 刀の自分が融合を求める。

 応じよう――お前は俺だ、俺はお前だ。愛する者の一切を無残に斬り捨てる悪鬼だ。

 疾駆は更に速さを増し、夜中の黒暗に赤は溶ける。

 風の口笛を耳に感じ、赤音はかなりの速さで走っていることが分かった。

 このまま地を蹴れば、俺は飛翔できる――そう確信できた。まるで、奴の業のように。

 だが、そのような事はありえない。あの業は赤音の剣ではない――伊烏義阿の魔剣だ。

 疾風となった剣鬼は、疾走の最中も熟考していた。恋焦がれた復讐鬼、同じ剣鬼。

 伊烏に赤音は焦がされ続ける。宿命であるかのように。

 宿命であるのならそれは喜ばしい事だ。運命の赤い糸ならぬ、運命の復讐剣だ。

 しかしながらその復讐剣はすでにこの世を去った。――いや、生まれもいない。

 親も、その親も、更にその親も、生まれた痕跡すらない。

 過去――戦国大乱の世。赤音が降り立った歪みの世界。

 日本という明確な国が確立していない島。剣鬼の宿りは誰か知る。

 

「......?」

 

 ふいの視線が赤音を突いた。

 気を佩びた視線は、赤音の一点に注がれている。

 眼は口ほどに物を言うが、視線は熱のように空気を伝う。この視線は慣れ親しんだもの。

 驚きと害意が含まれたもの。疾走は止まり、あたりを見回した、何もいない、何もいやしない。

 夜目となった眼は、眠りへと落ちた体内まちを見回した。茶屋、住居、鍛冶屋、金物屋、一発屋。人の色が染み付いた建物から、ただ一点のみ悪意が溢れていた。

 

「ッ!」

 

 にわかにそれは飛来した。

 血の飛沫散らし、赤い驟雨が土を湿らせた。

 反射的にその場から飛び退く。それは慌しい着地音と共に現れた。

 夜陰の衣で偉躯は覆い隠され、感じ取れるのは僅かな感覚器官だけ。唸り声、糞尿と死にたての死体の香り。吐息の一つが鼻を潰し、硬い骨同士がぶつかる音が耳を狂わす。

 暮夜の薄暗がりにうっすらと見える輪郭は人の影とはかけ離れている。

 獣とも人とも思えない、それは月明に曝され、醜悪な形姿を赤音の前に現した。

 鬼がいた。

 血色の悪い灰色の肌で、爪とも手鉤とも分からぬ腕が伸びていた。

 裂けた口から生える野性生物を思わせる牙、その隙間より溢れ出る悪臭漂う唾液の滝。

 視線は睨みで人を殺すように、明確な害意を孕む。そのあり方が、その存在が人を喰らう妖。

 現に鬼は食い残しを食みながら、赤音を見ていた。

 食い残し、残飯、人の破片――下半身のない腸を垂らした遺体。

 驚愕の顔が赤音を見ており、鬼はその顔を噛み潰す。

 ぎょろりと目玉が運動する。黒目のない混濁した目玉は捉えている位置すら確認できない。

 しかしながらその瞳には決定的に人を餌と見る色がある。誰しもが一目で分かろう。

 これは人の意思より生れ落ちる鬼ではない。真正の「魔」より産まれる鬼が目の前にいる。

 

「Gaaaaaaaaaaaaa!!」

 

 鬼の叫びは暗黒に染まる町に確と響く。

 肌が、眼が、腕が、脳が、意識が、細胞が――赤音を形作るすべてが震えた。

 敵だ、赤音の体は瞬時に脳から反射神経に体運動を明け渡していた。

 咥えていた食い残しを吐き棄てた鬼は、新たな餌、赤音に向かい驀進する。

 猪突猛進――走り突っ込んでくる。

 ただその初速は人の脚力とは全くの別物。

 眼を見開き、赤音の即応能力が無ければ、一介の武士ならば熨され、鬼の突撃のまま民家の塀にへばり付く染みとなっていただろう。

 赤音は見事に避けて見せた。背筋に伝う、一筋の冷たさに身を震わせながら。

 鬼は腕を振り上げる。赤音がすでに腕の斜線上にいないことも知らずに、振り上げた鋭利な爪を振り下ろす。

 避けるまで背にしていた塀が、厚紙のように裂かれてる。

 塀の素材は木製であったが、それとて馬鹿には出来ぬ材料である。木は脆い、繊維に沿えば。

 縦に伸びる繊維に沿えば難なく切れよう、だが横に、斜めにとなれば抵抗は数段階飛躍する。

 鋭利な日本刀であろうとも、何回も木材を切れば諸刃になる。

 切断器具の素材で金属と肉体形成物を比べるのは馬鹿な話ではあるが、鬼はその膂力のみで、板を枷ねた塀を両断して見せた。

 力任せの棒振りで木材両断。もしあの木材が赤音であったのなら。ぞっとしない。

 鞘を握り、鯉口を切る。月明かりに照らされた白刃は青白く輝き、鬼の目を刺激する。

 刀を担ぎ上げる。

 指の構え――薩摩示現流の「蜻蛉の構え」と同じ線上の理論で構築された構え。

 上段より振り下ろす行為に特化した構えで、ただ振り下ろすという行為を、敵の防御を無効化するだけの速度と威力を持たす至極の一閃に昇華させる。薄く、長く息を吐き赤音は鬼の姿を見据える。

 

「Gaaaa......」

 

 小さな唸り声。

 果たして思考薄き妖に、人間を斬るための剣術が通用するのか。

 

 

 ――然り。

 

 

 それが人型であるのなら、頭があるのなら、命を有しているのなら。斬れぬモノは無い、一刀にてすべてを奪い去ろう。曖昧で視線の先も定まらぬ鬼。先行したのは鬼。

 この鬼に正常な判断はあるのか、赤音は賭けに出た。

 身を屈め、腹を隠すように赤音の懐に飛び込む。右腕がうねり大鎌のうような削ぎ落しが胴を狙う。

 右足を強く踏み込み、指の構えより一閃が放たれる。赤音はまず、鬼の右腕より振るわれる削ぎを切り落とす。

 本来ならば「袈裟(左肩より右脇までの線上)」を狙う所だが、体格の差、屈み姿勢である鬼に狙うのは危険に思えた。何より鬼の武器は刀ではない、両腕に付く手鉤だ。

 手鉤の二振りを怪力で振り回されれば、赤音でも凌ぎきる自信は無かった。安全策を取る。

 右手鉤と刀が接触、刃鳴の音は聞えず、鳴ったのは樹木を叩く音であった。それもそのはず爪は繊維状のタンパク質であり木材と似ている点はある。

 しかしタンパク質で構成されている爪は本来、狩りなどに使われていたもの、鋭利に研ぎ澄まされ、斬るというよりは抉り取ると表現したほうが良いだろう。人とは逆行している存在である鬼には必需品。振り下ろした刀は微かに鬼の爪を刀は削ぎ取った。刀の切り落としにより急激に右手鉤の軌道は変わり、地面に深々と刺さる。

 風の咆哮――左手鉤が横薙ぎに振るわれる音であった。

 

(――来た)

 

 赤音の予想は的中した。

 先程の一刀――この一撃は鬼に正常な思考能力が無い事を前程に振り下ろしていた。

 剣術を知らぬ者でも、指の構えを見れば誰しもが分かろう。それは振り下ろしに特化した構えであると。無謀にも突っ込む輩が居れども、突っ込み方というものはある。

 大抵の者は、頭上に刀を掲げ叫びを上げ死地に踏み入ろう。刀一本とは限らぬが、知らぬ輩ならば切り上げ、横薙ぎの発想には無いだろう。

 しかし、この鬼は横薙ぎをした。

 一見して剣術に知識を有しているように思えるが、これはただ単に餌を目掛けて飛んできた犬の思考に近しい。犬の武器は牙しかない。噛み付くことしか出来ない。

 これと同じで、胴を切れ取れば人は死ぬ程度に見ていたのだろう。

 このように単純な思考と行動ならば、二の太刀の予想は容易だ。

 最も運動効率のいい方法で、相手を殺傷する――同じように横に凪ぐ切りが来る。

 馬鹿な生物。

 赤音は心象で嘲る。

 先を狙い、切り返す。右足を軸に左足を踏みこむ。

 刃は逆転し、地から天に向けらえる。白色の一線が鬼の左肘ほどに刃は斬りこまれる。

 腕が宙を掻きながら飛んでいく。

 切り上げた状態から体を反転させ、鬼の背後に回りこむ。

 赤音は思わず顔を顰めた。切り口より噴火のように溢れ出る血が、まるで出ない。

 出るのはどろりとした凝固した赤黒い血塊。鼻を刺す表現の出来ぬ悪臭。

 刃を通して感触も、肉を切り骨を断つというよりは、僅かに水を吸わせ硬い絞った脱脂綿を斬っているようである。この感触は覚えがある――死す直前、もしくは死した者を切った、死体の感触だ。

 

(こいつ――死んでいるのか?)

 

 やにわに赤音の視界に映る鬼が、死んで間もない新鮮な死体に写り変わった。

 それは幻視であった。剣士として、切った者が、切った感触が脳で再構築され、これは死体であると伝えていた。なにを馬鹿なことを云う臓器だ。これは、この妖は動いているではないか。

 この際、すでに赤音の思考は脳の認識とは真逆に考えていた。動く死体などありえない、動く者、害生す者、即ち生を持ちえている。尚且つ、己の行先を邪魔するのであるなら。

 それは兇賊の何者でもない。

 

「Gaaaaaaa!!」

 

 痛みによる絶叫か、それとも憤怒による咆吼か、区別も付かない叫びが絞り出される。

 細胞がすでに限界を超え、喉より血を吐きながら鬼は赤音と対峙した。

 獣としての意地か、それとも愚鈍となった愚かな判断かは分からない。

 

「Gaaaaaaaaaaa!!」

 

 隻腕となった鬼は踏み込んだ。

 最後の抵抗だ。言語は通じず、互いを斃すという共通の感覚のみが両者を繋いだ。

 身を低く駆ける鬼は先程と変わらない。同じ横薙ぎがくる。

 ならば応じよう。

 赤音も同じように指の構えより振り下ろす。

 しかし先程とは狙いが違う。

 狙うは爪ではなく、小手――二の太刀にて切り上げる。

 

 ――小波

 

 心の内で剣術の名前を呟いた。

 右手鉤の根元、手首に当たる部位に刃は切り込まれた。

 手首を切り抜ける刀を、反転させる。

 

(獲った)

 

 そう、獲っている。

 

(お前は、俺にとって道端の石ころだ)

 

 そのはずであった。

 

 

 ――赤音が鬼の武器の数さえ間違えなければ。

 

 

 

「ッ!!」

 

 獣に武道を問うのがまずはじめの間違いである。

 知性というものを持ち得ない獣には、恥というものも無い。

 鬼は、その口に並ぶ鋭利な「牙」で赤音の命を刈り取りに掛かった。

 瘴気を放つ鬼の口からは、死者特有の肉の腐る匂いが漂っている。

 両腕を失った鬼は前のめりで噛み付きに掛かった。

 距離はすでに詰められ、左足を踏み込んだとても、刀に殺傷に必要な速度が付かない。

 ――噛み付かれる。

 直感的に理解できる。――避けようが無い、噛み付かれる。

 

 花

 散

 ら 

 す

 風

 の

 宿

 り

 は

 誰

 か

 し

 る

 

 清洲の町に突風が吹き荒れる。

 風は空へと吹く――赤音は思い出す。その技を、その魔剣を。

 

 

 ――我流魔剣 鍔眼返し。

 

 

 

 *  *  *

 

 

 

「今の、鬼の叫びか!!」

 

「市の方です! 誰かが襲われて居ます!」

 

 金剛罰斧を担いだ壬月と、その後を追う麦穂達の表情は焦りが窺える。

 鬼の成敗を掲げ、目撃場所に到着した二人が見たのは、食い散らかされた遺骸。

 鬼は何処ぞに霧散していた。探す手立ては、散った血痕と、微かに匂う鬼の瘴気。

 二人は町中を走り、その内にある一角が尋常ならざる剣気を放っている事を察知した。

 戦場特有の、というよりは命のやり取りの場。その空気が町を凍らせていた。

 大道りより、剣戟の音が聞える。

 鬼の叫び、肉を立つ音、血を吐く音、にじりの音。

 鬼相手に優勢を保っているようだが。――甘い。

 微塵に砕かなければ。奴らは臥さない。

 

「壬月さま。この通りの向こうです!」

 

「承知した!」

 

 町角を曲がる瞬間、突風が生じる。

 その風は季節を外れた強風であった。塵が舞い、眼が自然と閉じてしまう。

 閉じた間に、生命を断つ音があった。

 強風は途切れ、静寂が訪れる。

 瞳を見開き、警戒を強めた壬月は金剛罰斧を構えた。

 しかし襲ってくる者はおらず。

 眼に映るのは誰よりも警戒した男娼(ツバメ)であった。

 血溜まりに臥すは切り伏せられた鬼。喉元をばっさりと切られ、うなじの皮が一枚だけ繋がっていた。

 鬼を見下ろすようにして男娼(ツバメ)は立っていた。

 刀がちらりと見え、この者が切り倒したことが分かった。

 顔が僅かに傾き、後ろを見た。

 憂いを佩びた表情に、小袖の衿は開け、月明かりに照らされた白い肌が輝いていた。

 その姿は強烈な妖美があった。




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