織田館の庭に張られた陣幕。
漂う空気は固く強張り、命のやり取りが始まることを肌で感じさせた。
白幕には織田の家紋が刺繍され、土壇場の様相が浮き上がる。
寛永御前試合のように西軍東軍に別れ死合うことはない。ただ一人を五人で嬲るのだ。
理不尽不条理ではあるが、赤音には文句の一つもありはしなかった。
死すればそれまで、死なねば己はまだ斬れる。それだけの意味しかない。
――正気でなにができよう。
大業を成すには気を違えるほど、死を覚悟する心が前でなければ何事も成せぬ。
狂気に関しては事欠かない赤音にとって、命の重みはどんなものより変動しやすく、価値の薄いもの。しかし唯一譲れぬものもある。それが仕合において斃れる事。
理由は己でも分からない、ただ誰かの兇刃に斃れる事が堪えられないのだ。
貪欲に勝ちに飢えた剣鬼に、五人の
赤音は薄ら笑いを浮けべ足を進める。陣幕を越え五人の生贄を捉える。
五人の娘たち。個々の手には刀や槍が握られてる。
「赤音よ。こやつらが主と仕合たいと申しておる」
久遠は各々の名を順に言っていく。
「紹介しよう。右より黒母衣衆筆頭、佐々和奏成政。中ほどに居るのが赤母衣衆筆頭、前田犬子利家。左手に眠そうにしているのが滝川雛一益だ。壬月と麦穂はすでに見知っておるな、省かせてもらうぞ」
新顔である三人は、一人を除き闘気を滾らせ、鋭い視線を赤音に向けてくる。
最初の一人目が威勢よく名乗りをあげる。
「佐々内蔵助和奏成政! 尋常にお手合わせ願いまする!」
若々しい覇気を放つ娘が一歩前に出る。
「どこの馬の骨とも知れぬ
キーキーと高い声で叫ばれ、耳が馬鹿になりそうだ。
片耳を押さえがてら耳穴を小指で掃除したのが、佐々には癪に障ったらしい。
眼力を強めた佐々は仕合の申し出が、個人的な因縁に変わり始める。
「何だその態度!! その刀は飾りか、言い返した見たらどうだ!!」
「女の声は高いから耳痛てぇだよ。死合んだろ早く始めろよ、後が閊えてんだよ」
「――ッ......余裕だな。後で泣きべそをかくても知らないぞ!!」
「はいはいはい。そうだな、そうですね。......わかっんねえ奴だな」
「何かいったか!」
「あーいやいやなんでもないよ。きれーな空だなーって思ってただけだよ。こういう日和には頸をボールに球蹴りでもと、狂人な訳じゃなくてねそんな気分になるなって、えーといいからさっさと始めろよ」
残り四人も居るのにいちいち相手にしていられなかった。
赤音の語彙豊富な悪癖と態度が佐々の気性を逆撫でする。
肩は上下に振るえ、氷山の下に眠る灼熱の激情が遂に炸裂した。
「もう許さないぞ!
「はっはいぃぃ!」
得物を持つものを佐々は呼びつける。
僅かな時間、久遠は耳打ちする。
「なぜ主は適当な返しが出来ん、火に油を注いでおる」
「あ? なに禁句だった。普通に返しただけだぞ」
「無自覚か、云っても無駄だな。殺されぬよう励めよ」
激励か判断の付かぬ事を久遠は残し、その場を離れる。
この仕合において御前様は久遠。仕合の巻き添えなど笑うに笑えない。
監督役である柴田は声を上げる。
「両者、位置につけい!」
溜め息にも似た息を吐き、赤音は佐々と対峙する。
佐々が持っていたのは――槍であった。
驚くことはなかった。鞘に収まり中天を指し示す穂先、ただ奇怪なのは穂の大きさであった。
直槍の穂は平均して一尺、三十センチ程度。佐々の握る槍の穂は大身槍に近かった。
それだけならば別段驚かない。それを扱いきる筋力と膂力に警戒し、間合いを計りながら責めるだけだ。
だが赤音が警戒したのは佐々ではない。警戒したのは、その槍の不可解なほど
「謝るなら今のうちぞ!」
「謝ったてやめねぇだろ。早く始めろ」
鯉口を切り“かぜ”を抜く。
謝る気も、やめる気も端からない。黙って斬り捨てるだけ。
柴田の声で始まった。
「では尋常に始め!」
佐々は鞘に包まれた槍を振るい、鞘を飛ばす。
その槍の奇妙な正体が赤音の前に現れた。
(舐めてんのか)
それは槍であり、銃であった。
刺又のように裂かれた刃に挟まれる様に、銃身が覗く。
赤音は理解する、鞘の奇妙な盛り上がり、必要以上に護られた手元。
銃を内蔵するのに必要な
「国友一貫斎の作、天下無双の絡操り鉄砲槍だ! 打刀でこの槍に勝てると思うなよ!」
何も云わなかった、何も云う気はなかった。
この娘は、この女は――仕合を愚弄している。
湧き上がったのは仕合に向かう謙虚の心ではない、表現しがたい怒りであった。
(試合を穢したその愚かさ、その体をもって知れ)
赤音にとって銃火器と立ち会うのはこれで二回目。
一度目は近距離での立会いであった為、幸運が味方し切り倒せた。
しかし今回は間合い、距離が開きすぎている。
目測にして二間(二メートル程度)、間違いなく“かぜ”は届くことはない。
だが、相手の得物は銃、そして槍。
銃撃を掻い潜ったとしても、槍の刺突が赤音の体を穿つであろう。
何よりも銃を掻い潜ることが困難を極める。いかにして眼に見えぬ高速の弾丸を避ける。
右に避ければ、右に槍を振られ撃たれる。左に同じ。上下もだ。
“かぜ”担ぎ指の構えとったときあることに気づく。佐々の槍の構えに。
佐々は槍の刃元、銃の中心部近くに手を持っていっていた。
ふいに思う。
――あれは短筒か。
佐々は絡操り鉄砲槍を火銃のように柄尻を地面に突き刺した構えをしている。それ即ち上下は対応できても、左右の対応は遅延を発生させる事を意味していた。左右に動かすならば、円運動により体は振られ狙いが定まりにくい。ついで眼を引いたのは銃身の数にある。
15世紀頃の銃火器に擱いて発射機構の形式はマッチロック式かサーペンタインロック式。雷管の始まりであるパーカッションキャップの採用した
マッチロック式、サーペンタインロック式は連発が出来ない。
この二つを踏まえ、銃槍には欠点があった。
ならば次は発射時の対処だ。
引き金を引き、弾が出る。その威力は絶大であり射程も広範囲。その中で発射までの遅延は数が限られる。
一つは射手の判断、躊躇いなどにより引き金を引く行為に遅延が発生する。
二つ目は構造的なもの、複雑に絡み合う歯車を規則正しく稼動させる事こそが銃に求められる絶対条件、弾詰まりほど怖いものはなかろう。
以上挙げたものが現代銃に求められる発射遅延の短縮方だ。そう、現代銃の発射遅延の短縮なのだ。過去のマッチロック式やサーペンタインロック式にもう一つ存在する。
――点火薬と発射薬の存在だ。
現代の弾薬は雷管、発射薬、弾頭が一体化した物が主流である。
変わって火縄銃は火皿に点火薬を置き、それが発火し発射薬が燃えるのだ。
火薬の違いもある。黒色火薬と無煙火薬の威力は倍以上、火薬の威力は速度に直結する。
遅いとは云えぬが、現代銃に比べ確実に遅い。
勝機は那由他の確率――しかし無ではない。
赤音は動いた。
「っ!」
佐々の狼狽。驚いて当然だ。赤音の構え――半身の構え。
体の陰に“かぜ”を隠し、刀の長さを晦ませた。
半身の構えに佐々は気付く。
――弾が当たらぬ。
絡操り鉄砲槍の命中精度はお世辞といえどいいとは言えない。
銃身の長い銃ならばその命中精度は上がるが、この絡操り鉄砲槍のその長さは収納しきれない。
佐々自身それはよく分かっている。分かっているが銃に、勝てるとは思えぬ構えなのだ。
左右に動かれれば円運動により体の動きが過大となることは、佐々も知っている。それ故、左右に逃げた場合、銃撃の構えより即時、突きを放つ機構となっている。引き金を掛ける左手、右手側には管槍として機能させる管がある。左右に避けた場合、それを追って射撃する気は佐々はない。左手を押し込むだけで槍の刺突が撃てる。長中短距離ともに対処可能なのだ。
しかし、赤音の構えは次行動を予想させなかった。
半身にした体、しかしながら顔は佐々の瞳を見ている。前進は半身の態勢では充分な速度が得られず、銃火の餌食になろう。なるが――
「――――」
佐々は気付く。背筋が凍る、赤音が半身した意味を知り。
(一発で獲らなければ、獲られる――)
半身にすらした赤音の体は、心臓と頭の二箇所あった弱点を一箇所に限定していた。
最も着弾面積の多い心臓、胴体部は薄い板と化している。当たったとしても刀を扱いきるだけの筋肉や骨が弾道を逸らしてしまう。ならば当てる部位は頭部。
しかし頭部を狙いには難儀した。佐々の背丈により絡操り鉄砲槍が上がりきらないのだ。頭部を狙おうとするならば、絡操り鉄砲槍を担ぐ必要がある、だが担ぐ暇はあるなら相手は切り込んでくるだろう。担げば死、困難な姿勢で頭部を狙うしかない。
槍を突き出せる姿勢で可能な限り持ち上げる。背に冷たい汗が伝い落ちる。
心臓が大きな音を立てている。感じ取れる、引き金を引けば奴は動き出すと。
奥歯を噛み締める。叫んだ。
「くらえーー!」
赤音はしっかりと聞いていた。その音をその金具の――軋みを。
半身にした体は、いつでも動き出せる。後残るは佐々の動きのみ。
瞳はただ一点、引き金に掛かる指を、手元を見据え瞬きの一つもしなかった。
「くらえーー!」
その叫びは銃撃の合図であった。だが今動くのは早すぎる。
引き金が引かれ、火が点火薬に落ちる。
チリチリと鳴る点火薬の燃える音――合図は鳴った。
動く。顔の向く方向ではなく、臍の捉える横方向へ倒れ込むようにした右足を踏み込む。
小袖は靡き、右に持つ“かぜ”は重く感じられた。
佐々もそれに合わせ、右へと体を動かす――がそれは赤音が狙った動きである。
赤音は右へと移動せず、右足に力を込めただけ。
銃声が鳴り響く。
瞬間、赤音は佐々の居る場所へ――跳んだ。
それは欠点しか見当たらぬ技である。元より人を殺傷する事を目的とした技ではない。
踏み込み、前へ跳び、飛翔の最中に刀を振るう。
跳ぶだけならば、他にも技はある。しかしその技は跳び方に大きな問題を抱えていた――ほぼ腹より着地するのだ。限界以上に身を倒し、限界以上に間合いを伸ばす。
――――刈流演武 蝦蟇
その名の通り、蝦蟇の飛翔を見せる。
右足を踏み込み、前方向へ跳び込む。その飛翔の際、使用者は体を限界以上に倒すのだ。
腕の長さに加え、上半身を合わせた間合いが加算される。一見、良い技にも見えるが。大きな間違いだ。
この技は飛翔の最中に刀を振る。だが飛ぶ最中、両手で刀を扱う事は人体の構造上不可能。
必然的に片手で扱う事になり、刈流の基本理念たる腕の脱力を反してしまう事が多々ある。
一部例外を除き、剣とは地面に足が接地しているからこその威力が出る。
この技は一部例外には当てはまらない。
剣の軌道と入射角を一定に保つ事、体の態勢を保持し続ける事、片腕の限られた稼動範囲で行われる技は、無謀が過ぎていた。そしてこの技の最大の欠点が、技の終了後に大幅な隙が生まれるのだ。
それもそうだ。技の終了後は大抵、使用者は地面に突っ伏しているのだから。
これが命のやり取りで意味するものは何か――死だ。
誰も実戦では使わない。ありえない。
だが今回ばかりは、この技にも勝機が味方した。
佐々の持つ絡操り鉄砲槍、これの持ち方に天啓を得た。
柄尻を地面に突き刺した態勢を取っていた、まずこの様な持ち方は論外だ。何を理由に柄尻を地面に着ける必要性がある。通常の槍ならば不必要だ。
通常の槍ならば――佐々の槍は通常ではない。
柄尻を地面に着ける理由、それは恐らく発射時の反動を殺す事にある。
佐々はあの槍を扱いきれて居ない、反動を身一つで受けきれず、大地に衝撃を逃がしているのだ。
故に、柄尻を地面に着けていると赤音は考えた。
その予想は見事に的中した。
佐々は発砲し、絡操り鉄砲槍は大きく跳ね上がり天を指した。
狙う勝機は「先の後」――攻撃を繰り出している最中、防御のしようはない。
勝機は獲った。佐々は槍を持ち直しているが、間に合わない。
佐々には身長的差が祟り、“かぜ”切先が入る位置は――袈裟。
暫く、その瞬間が長く感じられた。女を斬るのは何時ほどか、柔肌を切り裂く――筈であった。
にわかに“かぜ”の物打が跳ね上がった。
「ッ!!」
赤音は何もしていない。
ほんの僅かな間、物打が跳ね上げる外圧が加わったのだ。
不可解な怪奇が赤音を襲い、勝機が死地の道標に豹変した。
虚空を空斬りし、重力の為されるがまま地面へと叩きつけられる。
体を起こし顔を上げるがもう遅い――佐々は槍を持ち直し、穂先は赤音の顔を狙っていた。
――獲られる。
死を覚悟するが、それは訪れなかった。
「勝負あり! 勝者赤音!」
柴田の声により、すべての動きが停止した。
脈拍が唐突に跳ね上がる。死地より生還したのだ。
荒い息づかいで佐々は、赤音を睨みつけていた。
しかし赤音にはそんなことは歯牙にも掛けない。
頭の中にあったのは“かぜ”を跳ね上がった外圧であった。
理解不能なその事象は――すでに準備が整っていた。
気だるそうに、赤衣を羽織った赤音を見据え。小さな微笑を浮かべた。
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