BGM “Starships” by Nicki Minaj
「あ、アリスだ」
森の中をふよふよと飛んでいる途中に、目の前のそんなやつに気づいてからすぐに、小さなスイートポイズン、メディスン・メランコリーはやっぱり気づかなかったふりをしようと思い直した。
彼女は鈴蘭の毒で動く妖怪化した人形であり、経験的に生物を毒で操る術を学んだりしている。筋肉は信用できないが、自分の経験は信用できた。筋肉なんてものは、毒の引き起こす化学反応で簡単に操る事ができてしまうのだ。
その経験が、あいつはやり過ごした方が賢明であると囁いたのだ。そしてできれば、声もかけなかった方がいいとも付け足した。先発ニドキングにでくわしたようなもので、何をしてくるのかわからない不気味さがあった。いっその事向こうが気づかなければとも思っていたのだが、それはしかし、あえなく。
「あら、メディじゃない」
と声をかけられた事で潰えてしまった。
森の中、小川のふちに腰掛けて、得物を握り締めていたアリスである。
ご丁寧にも、竿を持っていない方の手でこいこいと手招きまでされて、そこで「誰が呼ばれてるのかしら」という顔をしながら素知らぬふりでその場を去れるほど、メディの肝は太くなかった。
仕方なくふよふよと、アリスのところへ飛んでいくと、そいつの人形が手早く地面にシートを敷いた。それをわざわざ魔法で操っているわけなのだが、器用というかなんというか、人形の地位向上を掲げているメディはどんな対応をしてみせればいいのかが、未だにわからない。
「なに、してるの」
「見てわからない?」
水面に視線を戻して、さらりとアリスがいった。
一言でいってしまえばそれは、釣りだった。
あの七色の魔法使いアリス・マーガトロイドが、分厚いシートにお尻を乗っけて渓流釣りに勤しんでいた。
どういうつもりなのだろうか。アリスの奇行には多々接してきたはずの(多くは不可抗力だが)メディにも、状況と彼女のイメージとがあまりに不釣合いで、思わず「なんで?」と訊ね返した。
「どうして、こんなところで釣りなんかしてるのって聞きたいのよ」
そう言い足してから、ならば他の場所ならいいのかという疑問がちらりと頭をよぎったりもした。実にメランコリックな問いである。
「知りたい? そんなに知りたい?」
「じゃあいいわ」
メディの言葉は実に素っ気無い。元々そこまで興味が湧く相手でもなかった事だしと、立ち上がりかけたメディに「まあ聞いていきなさいよ」と半ば強引にアリスが上から被せた。
「あれは、そう――ひかえめ最速めざぱムウマをねばってねばって四徹に突入した時にね、ふと思いついたの」
ついと顎を持ち上げて、遠くを見つめるアリスの横顔には、メディの理解を超えた何かがあった。メランコリックだとか、いびつに捻じ曲がった狂気のようなそれは、あえて言葉にするなら。
「廃人……」
「釣りをしようってふと、思いついたの」
小さく笑うアリスはあどけない少女のようだった。いつもの、二次作品ではよくある感じの、作り過ぎちゃったからとかいってお菓子を振舞うような時とまったく同じ笑顔だった。
まあ、どうでもいっか、とメディは思いなおした。――どうせアリスのやる事だし。
「それで、いつまでそうやってるの」
「それがねえ。なんかやめ時を見失っちゃって」
魚籠の中にはうっすら霜のおりた魚がそこそこ入っていた。保存に便利な、冷凍の魔法といったところだろうか。基本的には何でも器用にこなしてしまうアリスだ。問題は頭のネジが数本外れ、しかも素材がところてんか何かでできているという点なのだが、今は極々普通に釣果を得ているようだった。
「けっこう、釣れてるじゃない」
「ホントはもっとあったんだけどね。通りすがった秋の神様だとかに全部あげちゃって」
「ふうん。……ん?」
声が途切れた。
川の上流から、でっかいゴミみたく、河童が流されてきたからだ。
それはまるでたちの悪い冗談みたいだった。
仰向けのまま、身動ぎ一つせず、首だけをずっとこちらに固定して睨みつけてくる。流れのままにぷかぷかと浮き沈みしていた。
声もなくうろたえるメディを尻目に、我らが魔法使いは、眉すら動かさなかった。
手近の石を掴んで河童目掛け投げ始めたのだ。竿を水に垂らしたまま、能面のようにただただ石を投げ込んで、その度に重たい水しぶきの音が上がった。
お互いに睨み合ったままだった。もちろん石は河童に当たっているのだが――妙にスナップの効いた投擲はむしろ外す方が少ないようだ――河童もアリスもひたすらに無言だった。片手の届くところに石がなくなると、次は人形に運ばせたりしていて、河童が下流へゆっくり消えていくとようやくアリスも「なによあの×××ッ」と怒りに震えた声を上げた。
「どうしたのさ」
「あのねメディ」
したり顔して大きく頷いてみせる。
「私は最初アーティフルサクリファイス漁をしてたのよ。よくあるでしょ? ドカンってやるヤツ。だのに、あの河童連中が、川を荒らすなだとかわけのわからない事を言い出してきてね。呆れちゃうわ、川で釣りもしちゃいけないってのかしら!」
「……ガチンコ漁?」
それは幻想入りした禁忌の漁法である。魚であれ獣であれ、たっぷりと太った親を獲りこそすれど、その子を獲り過ぎないようにするのは、猟師たるもの当然の事である。古来より人は、自然とのそうした無言の約束事、暗黙の了解というものを確り弁えてきた。短期的な目で見れば、なるほど効率的な獲り方ではあるだろう。しかしいずれはそうした物事のツケは回りまわって自身を締め付けにやってくるのである。例えば他に焼畑農法などと呼ばれるものがある。
この漁法は簡単に説明すれば水中の卵までも駄目にしてしまうらしい。しかし本当に、石でそこまでの効果が生まれるのだろうか。そこで疑念にかられたアリスは、アーティフルサクリファイス漁などという暴挙にうって出たのであった。だから、これはどちらかというとドカと呼ばれるものに近い。
失礼しちゃうわとアリスはぷんすか怒った。バカにしてるわとアリスは声高に叫んだ。カァーッと叫んで、ぺっと吐き捨てるふりをした。
「そりゃあダメでしょ。当たり前じゃない……」
「私は都会派なのよ!」
「知らないよ」
どちらかというとそれは、科学の毒で川を汚したり、スラム街で人の命がコイン何個かで扱われるような感じでの、都会派のようだった。
……その時である。
目の前の川面がざぶりと割れた。
水の中からぬらりと姿を現したのは、先ほどもまみえた一人の河童。
「そこまでだッ」
「あ、あんたらは!」
河童は頬を伝う水滴を拭おうともせず、後ろ手で担いだリュックから帽子を引っ張り出すと粋な仕草でそれを被った。右目を真っ赤に腫らした、河城にとりだった。
「目ぇ痛くないの?」
「うん、正直すんごく痛い」
見ていて心配になったメディの言葉に、こくりと頷く。もちろんアリスの投石のせいである。
「――さて。やっぱりまだ反省していないようね」
「えいっえいっ」
それを見るなり、短気な我らが人形遣いは再度の暴挙を敢行した。投げつける石も心なし先程より大きい。
「やめろ。痛い痛いッて!」
「このヤロ! このヤロ!」
見る間に二人はぽかすかと、罵り合い殴り合い始めた。互いに互いの目へ指でも突っ込みかねない勢いであった。
「いいパンチしてるぜッ! この野郎ッ!」
「ファイトクラブ……上海紅茶館だ!!」
始めこそ「メディ、今のパンチ見たかしらッ」などと後ろを振り返ったりして、若干の余裕を見せていたアリスである。
ところが、河童の後続たちがわらわら川から上がってくると途端旗色は悪くなり、背にしていた水面からにゅっと伸びてきた幾本もの腕に足首を掴まれ、「私が最強だぁぁ―――ッッ」と引き摺り込まれかけた。
しかしどこまでも不敵な笑みで、アリスは懐から取り出した人形を肩越しに放る――もはや、魔法使いの頭のネジの緩み具合にドン引きした河童たちの、只中へ。
ゆっくりと弧を描いて落ちる人形をメディスンは見送り、そして慌てた顔の河童たちを見て、「はっ」とその可能性に思い至った。
咄嗟に背を向けしゃがみこむ。
次いで後ろから――
轟音。
数多の河童が宙を舞う。飛び交う悲鳴。背負った袋やポケットから零れ落ちるキュウリ。
河童もこんなに空を飛べるんだ!
しかし近くにアリス本人がいるためなのか、ズズンと腹に響く衝撃はいくらかの河童を蹴散らしはしたが、いくらかは慌てながらも水中へ退避できた連中もいて、結果としてそれは、河城にとりの怒りをますます煽る事になったようだった。
「いい加減にしろ魔法使いぃ!!」
「“聖なるものを犬にやるな”……」
やれやれね……困ったもんだわ、とでも言いたげな様子でアリスは肩をすくめた。いきり立つ河童にくるりと背を向けると、何をトチ狂ったのかメディの方へと走りよってきて、あろう事か彼女をピザ屋と間違えた。メディはその頬をひったたこうと腕を伸ばしたが、届かない。
「メディ! 今こそ神綺様直伝の伝統的戦闘法を使う時よ!」
ぐいっと手を掴まれたかと思うと、半ば引っ張り上げられるようにして宙に浮かぶ。
「ちょ、ちょっと、いやさ、なんなの!」
「ヤロウ! 連中、逃げる気だよ!!」
ええー……? とげんなりしつつ振り返れば、やはりというかなんというか、彼女の事をアリスの同胞友人一味その他として認識しているようだった。
「ちょっと――アリス! 他人を巻き込むな! あるいは、私を巻き込むな!」
「事ここに至ってはそんな悠長な事いってるバアイじゃないわよメディ」
「キー!」
言い争う二人を慕う犬か何かのように、色とりどりの弾幕が森の空目掛け次々と放たれて、何度も際どく掠めるそれらをなんとかグレイズしながらメディたちは西の方へと逃げていった。形振り構わぬ逃走の中で、愛とロマンスも、もちろん友情も芽生えたりはせず、ただただ「理不尽だ」という思いだけが募った。
その二人が大声で喧嘩するのを追う河童たちと共に、七色の乱痴気騒ぎは今しばらく続くのだった。