千雨からロマンス   作:IronWorks

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第0話

 

 

 

――0――

 

 

 

 ――私の……“長谷川千雨”の切っ掛けは、近所のお婆ちゃんだった。

 

 

 

 私は、小さい頃から“嘘つき”と呼ばれていた。

 

 人が空を飛んでいた。

 杖から光を放つ人がいた。

 ロボットが人間に混じって生活している。

 

 そんな見たままのことを周囲に言ったことで、私は“嘘つき”になった。

 誰も彼もが“千雨ちゃんは嘘つきだ”と怒りを、時には怯えを滲ませて私に言う。

 

 そんな日々を繰り返していると、いつしか私は、笑うことを止めていた。

 笑われることが怖くて、怒られることが怖くて、自分を隠して覆った。

 分厚い眼鏡を、視力の矯正のためではなく、仮面の代わりに使ったのだ。

 

 ――そんな私にも、転機が訪れた。

 

 私の話を疑わず、のほほんと聞いてくれた近所のお婆ちゃん。

 お婆ちゃんがいたから私は救われて、歪みきることなく、人生に絶望せずに済んだ。

 私が十にも満たない年で世界を見限らずに済んだのは、間違いなく彼女のおかげだった。

 

 ――そんなお婆ちゃんに、何か出来ることはないか。

 

 私はいつも、漠然とだがそう思っていた。

 大好きなお婆ちゃんに、何かをしてあげたい。

 優しいお婆ちゃんに、笑顔を与えたい。

 

 ――私に出来ることを、してあげたい。

 

 そう考えて、私は迷ったあげく、お婆ちゃんの背中側に回って。

 それから、拙いながらも一生懸命、お婆ちゃんの肩を叩いた。

 

 幼い少女の力だ。

 力も入らなかったし、どこが凝っているのかもよくわからなかい。

 それでも私は、ただただ一生懸命お婆ちゃんの肩を叩いて揉んだ。

 

 そうしたら、お婆ちゃんは私に笑ってくれたんだ。

 

『ありがとうね、とっても気持ちよかったよ。千雨ちゃん』

 

 お婆ちゃんは私に、本当に嬉しそうに笑いかけてくれた。

 

 その笑顔が嬉しくて。

 その笑顔が尊くて。

 その笑顔が――綺麗で。

 

 そう、私はその時、思ったんだ。

 こんな私でも、誰かを満足させられる。

 

 ――誰かを、笑顔にさせられる。

 

 そう、思ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス プロローグ ~親指からロマンス~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 あれから何年経っただろうか。

 私は中等部の二年生になり、“勉強”の毎日を送っている。

 といっても、学業ではない。自分で言うのもアレだが、私は一般教養は苦手だ。

 

 ――それでは、何の“勉強”をしているのか?

 

 通学のために、電車に乗る。

 人間ですし詰め状態の満員電車は、私をどうしようもなく“疼”かせる。

 それを暑苦しさと、ハードカバーの本に熱中することで忘れさせた。

 

 ――そうでもしないと、見境無く“襲って”しまいそうになるのだ。

 

 この日は特に、私を“疼”かせる対象が多かった。

 なんというストレス社会だ。世間はしがない女子学生の身体を、この私を“疼”かせるほどに酷使させているというのか。

 

 私はそんな風に、大げさに息を吐いた。

 そんな些細なことに気にする“世間”ではないのは、私が一番よく知っている。

 だから、一人でオーバーリアクションなどという恥ずかしい真似が出来るのだ。

 

 ――ここだよー。

 ――こっちだよー。

 ――ほら、ここが一番すごい!

「……気が散るな」

 

 耳に響くのは、きっと麻帆良では私にしか聞こえない“声”だ。

 これは、私が電波で残念な人間だということではない。

 ここでは私しかいないようだが、世界を探せばきっと沢山いるだろう。

 

 耳に響く声から気を逸らすために、周囲を見る。

 そこでは、二人の少女が見つめ合っていた。

 制服から察するに、ウルスラの女生徒だろう。

 

 仕方ないので、この二人を観察することにした。

 ……断じて、ちょっと“百合”っぽい二人に興味がある訳ではない。

 

「うに?」

「うににー」

「うにににに」

 

 二人が交す会話に、思わず耳を疑った。

 頬を染めながらする会話は、普通、もっと、こう、華やかなものだろう。

 

 いくら変人奇人の麻帆良といっても節度はわきまえている。

 そう思っていたのは、どうやら私だけだったようだ。

 

「うにー」

「うにゃん」

「うにゃにゃー」

「うにー」

 

 金髪の小柄な少女が、クール系の少女の頬に手を添えている。

 そこだけ見ればラヴシーンだ。それは認めよう。

 だが、何故ずっと二人は未知の言葉で会話をしているのだろう。

 

 二人がぴたりと会話をやめて、見つめ合う。

 見れば見るほど頭が痛くなるのは解っているが、見ずにはいられなかった。

 

 二人は無言のまま、互いの指を絡め合う。

 そしてその手がゆっくりと離れて……すぅっと、真剣な表情になった。

 

 胸が高鳴り、唾液を嚥下する。

 二人の人差し指がまっすぐと互いを指して――その指先を合わせた。

 

「ETかよ」

 

 努めて、小声でツッコミを入れる。

 感情が表に出づらく、日常生活に於いても私は“無表情”だ。

 だが、だからといって無感動に生きている訳ではない。

 

 顔には出なくても、激情は抱くのだ。

 

「落ち着け、落ち着くんだ長谷川千雨」

 

 私はそんなことを呟きながら、自分の右手首から数センチ下を、指で押す。

 さらに、鞄から孫の手に似た器具を取り出して、それを肩胛骨の近くに押し当てた。

 

「ふぅ、危なかった」

 

 たったそれだけで、嘘のように落ち着きを取り戻した。

 これでも私は、見習いとはいえ“専門家”の勉強をしている。これぐらいは、たやすい。

 

 だが、落ち着いていられるのも今の内だ。

 学校に到着すれば、否応なしに激情を抱かせられる。

 

 ――そんなわかりきった未来が憂鬱で、楽しみで。

 

 私は小さく小さく、息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 ――突然だが、私のクラスの“長谷川千雨”は、美人である。

 

 私の隣の席には、いつも分厚い本を読む千雨さんの姿がある。

 私は図書館探検部の一員として、彼女に本を貸したりしている。

 だから彼女のことは、頻繁に“見て”いた。

 

 茶色がかった赤髪に、切れ長で鋭利な目。

 分厚い眼鏡の下からでも解るその顔は、怜悧で美しい。

 同性なのに美しいと見惚れてしまうほど、彼女は綺麗なのです。

 

「綾瀬、疲れているのか?」

 

 千雨さんがそう言って、その整った顔立ちで私を覗き込む。

 その目の奥に潜む“貪欲”さに、私はつい頬を赤らめてしまった。

 これは仕方のないことなのです。だって彼女は、“あんなにも上手”で――。

 

「――やせ、綾瀬」

「ぁ――す、すいません。確かに疲れているようで……い、いえっ、これは」

 

 迂闊!

 まさか私が自ら、彼女の懐に飛び込むような真似をしてしまうとは!

 

「やっぱりな……ちょっとそこに寝ろ」

 

 そう言うと、千雨さんは机の上にどこからかシーツを取り出して、被せた。

 すると、騒がしく休み時間を謳歌していたクラスメート達が、しんと静かになりました。

 ……もう、折れるしかないようですね。

 

「あ、ぅ……よろしくお願いします。千雨さん」

「あぁ――――任せておけ」

 

 千雨さんは、そう言いながら笑みを受けべる。

 普段、日常生活に於いて全く笑わない千雨さんの、笑み。

 その獲物を捕らえたかのような笑みは、獰猛で……いっそ美しい。

 

 ――解っていました。私は逃げられず、そして拒めない、と。

 

 快楽に身をゆだねるのは、正しいこととはいえません。

 しかし、そうたとえここが大衆の前であろうと……この誘惑からは、逃げられません。

 

 机の上でうつ伏せになる私に、千雨さんが馬乗りになる。

 この体勢だけは、慣れることが出来ません。うぅ、未熟です。

 

「――大腸兪≪だいちょうゆ≫と腎兪≪じんゆ≫――」

 

 良く透き通る、声。

 千雨さんは、雄弁な方ではありません。

 必要なことしか口にしようとしない辺り、無口な人であると言った方がいいでしょう。

 

 しかし……この時ばかりは、違います。

 きっとこれが、千雨さんの本性なのでしょう。

 

「この二つが特効ツボだ。腎兪は一番腰の細くなっているところで大腸兪はベルトラインから背骨の出っ張り二つ分下。親指に力を入れ筋肉に食い込むように――」

 

 早口で告げられるのは、私の“ツボ”だ。

 自分の中身を暴かれるこの独特な“背徳感”に、私はすっかり支配されていた。

 

「――そして腰の筋肉をほぐすには肘を入れ込むように、押すべし!押すべしっ!」

 

 鬼気迫るとは、このことか。

 私は取れていく自身の疲れに、まどろみを覚えていく。

 

「いくぜ――秘技!千雨スペシャルッ!!」

――バキゴキガキッ!!

「あっ……あぁぁあぁっ!?」

 

 身体から力が抜けていく。

 聞こえるのは、周囲の声援。

 

「きゃーっ千雨ちゃんカッコイイ!」

「いいぞー!ちうちゃん!」

「長谷川さん、流石ですわっ!」

 

 落ちていく意識の中、私が最後に見たのは――。

 

「終わったか」

 

 ――いつものようにクールに私の背から降り立つ、千雨さんの怜悧な横顔でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

「あー、今日も終わりッと」

 

 ぐっと背を伸ばすと、背骨の辺りから心地よい音が聞こえた。

 夕日に向かって歩きながら考えるのは、今日の休み時間のことだ。

 人体のツボに立ち、どこが疲れているのか私に伝えるツボの精霊――ツボーズ。

 

 プロのマッサージ師を目指す私には、“それ”が見える。

 おかげで、通学の電車は地獄だ。

 どうにも私は、疲れた人間を見ると自制が効かなくなるらしい。

 

「はぁ……まぁいいか、綾瀬も満足そうだったし」

 

 教師が来ても寝続けた綾瀬の姿。

 その心地よさそうな笑顔を思い出すだけで、私は“元気”になれる。

 

「いいさ、どうせこんな日常が続くんだ。受け入れてやるのも一興か」

 

 私は今、笑えているか解らない。

 マッサージ中は私は笑えているらしいのだが、生憎と覚えてはいないのだ。

 

 お婆ちゃんに笑って欲しい。

 そんな小さな願いから始まった、私の“夢”。

 

 それは今も続いている。

 

「夢はでっかく、世界一ってな」

 

 笑えているかなんて解らないし、どうでもいい。

 私は自力で、誰かを幸せにする力を得た。

 そして夢に向かって全力で努力を重ねているのだ。

 

 ――顔は笑っていなくても、心は笑っている。

 

 そう確信しているから、気分は悪くない。

 

 

 

 

 

 

 

 そうやって現状に満足していた私は、この頃はまだ知らなかった。

 

 まさか私が――最高の“揉みごたえ”を持つ子供先生と出会い……。

 

 

 

 そして、世界の“裏側”に関わる重大な人物達の凝りを、片っ端からほぐすことになるなど。

 

 

 

 ――私には、知る術もなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――


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