――0――
――王子様なんかいない。
――お姫様になんかなれない。
――脇役がどんなに勇気を振り絞ったって。
――物語のメインスポットは、ウチに微笑んでくれやしない。
――でも、あの日、“魔法使い”に出逢って、ウチの中の何かが変わった。
「あの、亜子さん?」
掛けられた声に、ハッと意識を戻す。
麻帆良学園中等部三年A組。その自分の席で、どうやら夢見心地になっていたみたいだ。うぅ、は、恥ずかしい。
「す、すいません、ぼんやりしていました。ネギ先生」
「そうですか。体調が悪いのでしたら、いつでもおっしゃって下さいね」
「は、はいぃ。大丈夫です!」
勢いよく背筋を伸ばしたら、ガタン、と机を揺らしてしまった。そうしたら、クラスメートの忍び笑いが耳に届いてきて、余計に恥ずかしくなる。きっと、休み時間になったらからかわれるんやろなぁ。
でも、ウチが気になるのは、クラスメートからの言葉なんかじゃない。肩越しに、気がつかれないように振り向いて、斜め後ろの席を覗き込む。その視線が、ウチに向いていない――あるいは、向いている――ことを、確認する為に。
「ぁ」
真剣に黒板を見つめる、怜悧な双眸。整った顔立ちも、その鋭い雰囲気と合わされば、美人と言うよりは格好良い。あかん、ウチ、ナニ言っているんやろ。煩悩だらけの頭で、彼女を――“千雨さん”をみたいだなんて、そんな風に思っちゃいかんのに。
「はぁ」
思わず、ため息。
だって、仕方がないやんか。なんて自分に言い訳をして、もう一度盗み見る。ウチは、どうしてしまったんだろう。女の子同士なのに、とか、そんなものはいつの間にか気にならなくなっていた。
「はぁ」
「亜子さん? やっぱり保健室に行きましょう」
「ひゃいっ! だ、大丈夫――」
「千雨さんに連れて行って貰って、疲れを取って貰った方が」
「――じゃないです急に目眩が」
勢いよく立ち上がって――それから、足を覚束なくさせる。女は度胸。どんな時でも、一歩踏み出して見せるもの。だって、背中を押してくれる魔法使いに、恋をしてしまったのだから。
「確かに疲れが溜まっているな。大丈夫か? 和泉」
音もなく近づいて、私を抱き留める白い手。間近にまで来た鋭い瞳に、本当に目眩がしてくる。頬に熱が集まって、顔が赤くなるのを自覚して――
「どれ、熱は……あるな」
――こつんと額を合わせられて、今度こそ、意識が遠のいた。
閑話3 和泉亜子の受難? ~展望編~
――1――
「好きです! ウチと、付き合って下さい!!」
――ああ、これは夢だ。
夕焼けの中、誰よりも好きだった人が、頭を下げたウチに首を振る。優しげな顔は困ったように、けれど真剣味を帯びていて、その瞳が自分に向けられてはいないということを悟った。
「気持ちは嬉しい、けど、他に好きな人がいるんだ」
優しい声。けれど、そんな声、聞きたくなんか無かった。
サッカー部のマネージャーは、一人や二人じゃない。その中でも、高等部に妖精かと見紛うくらい綺麗な先輩が居る。私の好き“だった”先輩も、例に漏れず、物語のヒロインみたいな彼女が好きなのだと言った。
無理に笑顔を作って。
こぼれる涙を見られないように、走り去って。
走って、走って、走って、走って――寮の直ぐ側で、膝を付いた。
「う、ぁ、ああぁ、あああああぁっ」
涙が止まらない。ウチは所詮、ただの脇役。ヒーローがヒロインへの思いを自覚する為に必要な、ギミック。特別な力なんか無くて、ただ醜い傷を持つだけの、惨めな女の子。
――ウチは確か、そんな風に思っていた。けど。
「和泉か? 大丈夫か?」
「は、うぇ、ぁ――は、せがわ、さん……?」
泣き崩れるウチに、そっと差し出されるハンカチ。テルテルボーズに腕が映えたみたいな奇妙なマスコットキャラクタが描かれた、白いハンカチ。ウチは呆然とそれを受け取ると、涙を拭いた。
「――疲れが溜まっているな。今、時間はあるか?」
――この時、なんて返事をしたのか覚えていない。けれど、夢の中のウチは、ゆるゆると頷いていた。ただ、呆然と。
「そうか」
――それがよく考えて応えた訳ではなかったから、千雨さんの行動にひどく驚いたのを覚えている。
「きゃっ、はは、長谷川さん?!」
「どうした?」
腰が抜けて立ち上がれなかったウチを、横抱きに抱える。お姫様だっこというヤツだが、実際にされると恥ずかしい。けれど、抗議をしようにも、見上げた先にあるのは本当にウチを気遣ってくれている横顔で。
それきり何も言えなくて黙り込んだウチを、彼女は自分の部屋まで運んでくれた。うぅ、誰にもすれ違わなくて良かったぁ……。
「ザジは……今日もいないか。ちょうど良い」
「え、えと?」
「横になっていてくれ」
「う、うん」
――戸惑いながら千雨さんのベッドに寝転がる自分を見下ろす。それから、ぐるりと部屋を見回した。
――人体のツボポスター。マッサージ関連の本、漫画、DVD。それから、各種マッサージ器具。女の子らしいものと言えば、千雨さん特製の“ツボーズ編みぐるみ”だろうか。それにしたって、表情が妙に爽やかで、暑苦しい。
「マッサージは、初めてか?」
「え、ぁ、うん、うん? マッサージ?」
「そうか。それなら――優しくする」
「へっ?」
いつの間に戻って来たのか。彼女はウチの横に腰掛けると、うつ伏せになったウチの背中に手を置いた。傷のある、場所に。
「綺麗だ」
「へっ?! そ、そんなはず――ある訳、ないやんか」
体育の時、プールの時。傷について言ってくるひとは、一人も居なかった。けれどみんな知ってはいるのだろうに、どうしてそんな事が言えるのか。ウチの背中は、身体は、綺麗なんかじゃないのに。
途端に満ちる憤りと、褒めてくれたのに、という自己嫌悪。それで結局なにもいう事が出来なくなって、口を噤む。
ウチはどうしてこんなに、“汚い”んだろう。なんて。
「良く伸びている。背筋を大事にしてるな」
「え――ええっと?」
「綺麗だ。自分の身体を良く気遣ってる」
「ぁ」
けれど彼女は、そんなウチの葛藤を、あっさり飛び越えた。背筋を伸ばしているのは、その方が良く声が出るから。腰を曲げないのは、服がめくれ上がって傷が見えてしまうのを恐れているから。
そんな、何でもないことなのに。どうして彼女は、あんなにも優しい声で褒めてくれるのだろう。
「さぁ、今から疲れを取ってやる。覚悟をしろ――ツボーズ」
「んっ」
「腰の痛みには腎兪! 志室! 足には解谿! 殷門! そして承扶――おまえだァッ!」
「やぁっ、な、なにこれ、ひんっ、ちょ、ちょぉ、待っ」
「身柱、魄戸……三・焦・兪ッ! ――――秘技、千雨スペシャルッ!!」
「こ、こんなの――初めて……………………ッッッ!!!」
――夢の中のウチがあっさり意識を手放すと、同時に、見下ろすウチの目の前も真っ暗になる。流石に、見ていなかった光景は見られないようだ。
――だから、マッサージを終えたあとの千雨さんの顔を見る事が出来なくて、それがちょっぴり寂しかった。
――2――
「ぁ」
蛍光灯の光が、薄く開けた瞼の端から飛び込んでくる。眩しさに目をしばたたかせると、急激に意識が浮上した。
妙にすっきりしていて、身体が軽い。その原因を探ろうと身体を起こして、直ぐに、思い出す。
「長谷川、さん」
「ん? 起きたか。和泉」
ベッド脇に椅子を持ってきて、『大マッサージ辞典』とか銘打たれた本を読む彼女の姿。ずっとちょっと怖いと思っていた怜悧な双眸は、何故だか、柔らかく弓なりに細められていた。
「あの、ウチ」
「マッサージを終えて、寝ていたんだ。体調はどうだ?」
「え、ぁ――すごく、ええ感じや」
「そうか。良かった」
心の底から、快復を喜んでくれているってわかる、声。格好良くて、他の人にないような特技があって、それでいて優しい。まるで――
「ヒーロー、みたい」
「? ヒーロー? 私が、か?」
「ぁ――ええっと、うん」
思わず言ってしまって、退けなくなる。普段なら我慢出来るのに、誤魔化せるのに、気が緩んで言ってしまう。
「ウチはなんの取り柄もなくて、当て馬にしかならへん。所詮、脇役や。でも長谷川さんは、強くて綺麗で優しくて、まるで物語のヒーローみたいやなって、思って」
どんな言葉を期待して、言っているのだろう。そんなの、決まっている。否定して貰って、それでまた自己嫌悪に陥って、悲劇のヒロインを気取りたいに決まっている。
ウチはなんで、こんなに醜いんだろう。なんで、こんなに、弱いんだろう。考えるだけで悔しくて、唇を噛んだ。
「それは違うぞ、和泉」
「あ、あはは、ごめんな。ちょぉ、ネガティブ過ぎ――」
「私は、魔法使いなんだ」
「――へ?」
けれどその答えは、思いも寄らなかったもので。
「マッサージ師ってのは、誰かの背中を押す職業だ。疲れて、立ち上がれなくなったひとの背中を押す。たったそれだけの物語の魔女」
目を伏せて、ぶっきらぼうに、けれど優しく言葉を紡ぐ。その姿に、目が離せなくなっている自分に、気がつけずに……けれど、耳を傾けることを止められず。
「だから、マッサージ師にとって、相手はいつもヒーローやヒロインなんだ。自分に役目をくれる、物語の主役」
誰もが、自分の物語の主役。そんな聞き慣れた、ありきたりの言葉なんかじゃなくて。
「マッサージ師のヒロインは、疲れて立ち止まっているひと」
ウチの心の琴線に優しく触れる言葉を、彼女は、くれた。
「だから――私のヒロインは和泉なんだ」
「ぁ」
不意打ち気味に、笑みを向けられる。今まで見たことがない、優しい笑顔。ぶっきらぼうで不器用で、優しくて強くて格好良い――魔法使いの、魔法。
「ウチも、ヒロインなんや、ね」
「ああ。そうだ。誰に否定されたって関係ないよ。どうあったって、和泉は私のヒロインなんだから、さ」
「ふふっ、なんか、口説いてる見たいや。でも、その――ありがとうな、“千雨”さん」
きょとんと首を傾げ、それから頷く彼女を見て、心が揺れる。それは決して、不快なものなんかじゃなかった。
むしろ温かくて、満ち足りた、そんな心地良い感情で、胸の奥が揺れていた。
――そうしてウチは、ヒロインになった。
――けれど求めるのは、優しいだけのヒーローなんかじゃない。
――背中を押してくれた魔法使いに憧れて、本当の意味で彼女のヒロインになるって決めたんや。
――3――
「起きたか?」
「ぁ――千雨、さん」
目を覚まして、思い出す。そういえば、緊張してそのまま倒れてしまったんやった。
思いだしたら途端に恥ずかしくなって、大きく息を吐く。保健室のベッドは硬くて、けれど居心地は悪くない。身体が妙に軽いのは、千雨さんがいつものようにマッサージをしてくれたからだろう。
「いつもありがとうな、千雨さん」
「いや、良い。好きでやってることだからな」
そう言って頷く千雨さん。無表情でぶっきらぼう。けれどその怜悧な瞳の奥には優しい炎が宿っているのだということを、ウチは良く覚えている。
「あの、千雨さん」
「うん? どうした? 和泉」
「千雨さんにとってウチはまだ、その……ヒロインかな?」
「何言ってるんだ? 当たり前だろう」
「あははっ、ごめん。ありがとう」
「いや、良いよ」
きっと、千雨さんに自覚はない。自分はもう魔女――脇役――なんかじゃなくて、ヒロインに憧れられる魔法使い――ヒーロー――なんだという、自覚は。
けれど、ううん、だったらちょうど良い。ライバルは沢山いて、けれど千雨さんはそれに気がついていない。だったらいずれ、ウチがこの手で、自覚させてみせる。
「ウチ、絶対負けんよ」
千雨さんに気がつかれないように、そっと決意を口にする。負ける気は、しなかった。
だってどんなに躓いても――――ウチの魔法使いが、親指で背中を押してくれるのだから。
――了――