――0――
雇われ傭兵である以上、一度請け負った仕事は完遂する。
それがどんなに汚く、どんなに残酷なモノであっても変わらない。
そう、とわかった上で了承したのであれば、最後までやりきること。それが私のような傭兵のプライドでもあり、私たちのような人間たちの、不変のルール。
そう、そうなのだけれど。
「龍宮は……いや、なんでもない」
「……そ、そうか」
今、この瞬間ほど仕事を請け負ったことを後悔したことはない。
気軽な任務であった。クラスメートの監視と、場合によっては情報の収集。それが私の、超鈴音から請け負った仕事だった。
だが、蓋を開けてみればどうだろう。私の監視対象は、長谷川千雨という少女は、私の経験や矜持を軽く乗り越えて私の精神を疲労させる。
「うーん、やっぱり……なぁ、龍宮」
「……なんだ?」
「その、ポーズの練習とか、してるか?」
「は?」
「いや、ツボーズが、こう“おれの瞳が疼くッ!!”……って」
「し、知らないよ。なんのことだ?」
「そうか……いや、呼び止めて悪かったな」
ああ、恨むよ超。
私の魔眼でも捉えきれない謎の能力を行使して、私の秘密を暴きにかかる。
そんな彼女を常に視界に入れておかなければならない苦痛。そんな苦痛を、中学一年生から三年契約で結んでしまったことが、これほど過酷な仕事になるとは誰が想像できようか。
「ああ、胃薬が欲しい……」
もしくは誰か、代わってくれ……。
閑話4 龍宮真名の受難 ~諦観編~
――1――
思い返せば、最初は一言の呼び声から始まった。
「龍宮。眼精疲労か?」
「長谷川か」
ここで、素直に“そうだ”とでも答えておけば良かったのかも知れない。
だが現実は非情。超から仕事を請け負っていた私は、情報を収集するために掘り下げてしまった。
「どうしてそう思う?」
……と。
もしここで掘り下げず、情報の収集を監視のみで止めようとしていれば、精神を削られることもなかったことだろう。
だが、これは最早過去の話。過ぎ去ったモノに、仮定は意味を成さない。
「ツボーズが……その、なんだ、“目が疼く”って言うから、さ」
「壺?」
「ええと、その、あれだ。龍宮の承泣(しょうきゅう)のツボーズがポーズを取りながら、叫ぶからさ」
意味がわからなかった。
だが、長谷川の目は真剣そのもの。ふざけている様子なんか欠片もなく、むしろ憐れみすら入り交じったような、そんな目だ。
「……私には壺ズ? とやらがなんて言っているのかわからない。試しに復唱してみてくれないか?」
「ツボーズ、だ。マッサージ師なら誰でも見える。……だが、いいのか? その、復唱して……」
マッサージ師なら誰でも見える?
私の魔眼で見えないだけで、そんな特殊な精霊? が存在するのか?
半信半疑だが、それでの解き明かすには続きを聞くより他に道はない。
「構わないよ」
「そうか、わかった……」
長谷川はそう言うと、意を決したように一歩下がる。
そして片手を上に、片手を顔に当てて、指の間から私を見た。
「行くぞ」
「あ、ああ」
深呼吸。
ポーズは維持。
朝方の教室、人の集まり始めた空間、何事かと私を見る刹那。
そして、憐れみの目で私を見る、綾瀬。
「――我は黄昏の使者。深き深淵と紅き真紅の狭間で闇を請う異端の徒。我が血を分かつ悪と聖者の血の連鎖が、我が魔眼を蝕み我が魂をアビスへと導く。そう! 我こそが漆黒にして黒。暗黒にして黒! アルカナの導きに魂を捧げ、六道に殉ずる異端者! そう、我が名はツボーズ! 偽りの名を背負い、悪を導く先導者なり! さぁ、我が声を聞け! 我が魔眼に従え! ふふっ――今日もまた、私の魔眼が疼く――な」
しん、と静まりかえる教室。
続いて、私のよりも早く復活したクラスメートたちの、声。
「龍宮さんって中二病だったんだ」
「中二病かぁ、業が深い」
「カルマだね、カルマ。カルマナ」
「ハルナ、親父ギャグですか? ダメですよ、ツボーズの言うことを信用しては」
冷静に。
冷静にならなければ……って、いや、待て。
アルカナ? アルカナと言ったか? 何故旧姓を知っている!?
いや、いやいや、もっとあるだろう。悪と聖者の血? 悪魔のことか? いやいやいや、超すら知らない情報を? こんな教室のど真ん中で?
クールに、クールになるんだ、龍宮真名。
プロの傭兵はへこたれない。それを証明しなければ!
「――と、こう言うから眼精疲労かと思っていた」
「なんでだ!?」
ぐっ、ペースが乱れる。
思わずつっこんでしまった。何故だ! なんでそうなった?!
「いや、承泣の言うことだから、さ」
「その承泣とは、なんのことだ?」
「目の下にある眼精疲労のツボーズだ」
「ツボーズ、またツボーズか……」
わからない。
こいつはいったい何を言っているんだ?
「で? さっきのはツボーズとやらが言った、と?」
「ああ。だからそう言っているだろう? どうしたんだ?」
こっちの台詞だ!
叫び出したいところをぐっと堪える。
「そ、そうか。それで私は、どうすればいい?」
「ああ、そうだった。マッサージをするよ」
「そうすれば変なことを叫び出しはしない、と?」
「そうだな。ツボーズは、負担が減ると大人しくなるからな」
「そうか、じゃあ、お願いするよ」
この一連の流れを、早く終わらせてしまいたい。
私の願いが通じたのか、長谷川はにこやかに私を誘導する。
「ふははははっ! さぁ、行くぞ承泣! おまえもだ清明! 逃がしはしないぞ!」
判断を間違えたかも知れない。
そう後悔する暇も無く、私は高笑いをあげる長谷川に身体を預け、やがて意識が遠のいていった……。
――2――
それからというもの。
私は極力、長谷川に近づくことはせずに監視を始めた。
これ以上秘密を暴露されるわけにはいかない……という以上に、中二病扱いされて痛いキャラクター認定されるのが嫌だったからだ。
傭兵としての矜持にも関わる。痛い仕事は構わないが、イタい仕事は御免被る。
と、遠目で監視していると、幾つか気がついたことがあった。
その一つは、視線。
長谷川が目を向けるのは、疲れが溜まっていそうな連中ばかり。最たるところが綾瀬、早乙女、宮崎の図書系三人組。
だが、それだけではなく訝しげな、あるいは不思議そうな顔で眺める連中もいた。
非常に不本意なことに、そのひとりは私だ。
他は、ザジ、エヴァンジェリン、楓、美空、刹那。所謂裏の人間か、裏に片足を突っ込んでいそうな人間ばかりだ。
ということは、彼女たちの秘密もツボーズ? とかいう謎の精霊に告げられているのかも知れない。確証はないが。
もし、この情報を超に渡せば、今度は超が長谷川の手によって秘密を暴かれかねない。傭兵の矜持としてクライアントに被害を向けるわけにはいかないので、詳細がわかり安全が確保できるまでは黙っておいた方が良いだろう。
それは置いておくとして。
この視線の数々の意味するところ。
あの一件以来、長谷川に目を付けられた私。
ピースを当てはめていくと、私から視線を逸らし、安全圏で監視を続ける方程式が思い浮かぶ。
だから。
放課後、人がまばらになった教室で、私は長谷川に声をかけた。
「長谷川。少し良いか?」
「瓉竹か? いいぞ。来い」
「いや、違う。落ち着け」
「落ち着くのはおまえだ、龍宮。迎香が動揺しているぞ」
「げいこ、う? なんだそれは?」
長谷川は私の問いに何を勘違いしたのか、すっと立ち上がる。
同時に、ナニカを察した教室に残る一部のクラスメートたちが、そっと目をそらす。
「――観たのならば識っていよう。我が魔眼の理を。真理を告げ、遡るは愛。失われた遺産≪レプリカ≫。深淵に沈みし大いなる結晶≪アーティファクト≫。只、只管、足掻き望むのは失われし愛の序曲≪プレリュード≫。さぁ、共に過去へと導かん。それこそが、否、それだけが我が聖と悪に殉じ生誕せし――」
「ままままて、違う、そうじゃない。ちょっと黙っていてくれないか?!」
過去に遡る愛?!
く、くそっ! これ以上言わせるわけにはいかない!
「相談! そう、相談したいことがあるんだ!」
「なんだ、それならそうと言ってくれれば良かったんだが?」
「言わせなかったのはおまえだからな?! って、いや、違う、そうじゃない」
調子が狂う。
ペースは、もうずっと乱されたままだ。
だがここで退けば、私は中学三年間中二病の誹りを受け、度々絡まれることになるだろう。
それだけは、避けなくてはならない。
「で? どうした?」
「実は――」
そう、私は起死回生の策を諳んじる。
すると長谷川は私の話に静かに瞑目すると、やがて、はっきりとした視線で頷いた。
――3――
ある日の放課後。
私が静かに監視をしていると、長谷川がすっと立ち上がり、ある席に向かう。
「近衛、少し良いか?」
長谷川がそう話しかけるのは、学園長の孫娘、近衛木乃香だ。
近衛は突然のことに首を傾げながら、長谷川に返事をする。
「どうしたん?」
「近衛を施術したい」
「へ? え、ええっと? マッサージしたいっちゅうこと?」
長谷川はそう、近衛に告げる。
私が相談したことは単純だ。私のルームメイトである刹那が、近衛の“疲労”を気にしている。あいつは照れ屋だから自分が気にしていると知られたくない。それとなく、近衛を施術してやってくれないか?
そう、とだけ告げておいた。
「そうだ」
「なんや、ゆえにわるい気もするけど、ええよ。むしろ、一度受けてみたかったくらいや」
「そういってくれると助かる。近衛のツボーズも気になっていたんだ」
と、長谷川が言うと、気配を消してその場を眺めていた刹那がぴくりと反応した。
そう、私が狙ったことは他でもない。この状況だった。
「うちのつぼーず? はなんていっとるん?」
「ああ。ええっと“まりょくでえろうぱんぱんどす?”かな」
とたん、刹那がガタンッと椅子から転げ落ちる。
「ま?」
「いや、訛りでよく聞こえないんだ。魅力、ということだと思う」
「み?」
「み」
「なんや、てれるわぁ」
「近衛は魅力的だと思うぞ」
「もう、ゆえに怒られるで?」
「何故綾瀬?」
和やかな会話をする一方、驚愕の眼差しで長谷川を見る刹那。
その刹那が気配を出せば出すほど、相対的に私の影が薄くなる。
これからも、長谷川はこうして近衛を施術する。
刹那はそんな長谷川にやきもきをし、けれど長谷川はあくまで一般人なので近づけず、警戒心だけを向ける。
警戒心を向けるツボーズ? に長谷川が気を取られて私を意識しなくなる。なんと完璧な循環であろうか。
「“にしのじゅじゅつのおひぃさま~”……西の数珠のお日様? よくわからんな」
――ガタンッ
「数珠を買うとええんやろうか。なんや、不思議やわぁ」
――ゴドンッ
「京都弁を勉強すれば、はっきりわかるものなのか?」
――ズガンッ
「せやな~。うちが、つぼーず? の言葉をわかるようになってもええかも」
――ダスンッ
「ははっ、いいなそれ」
「せやろー」
踏鞴を踏み、転げ回る刹那。
何事かと刹那を見るクラスメート。
気がつかない近衛と、首を傾げて刹那を見る長谷川。
そして、安全圏に立つ私。
こうして、私は平穏を手に入れた。
ひとは、誰かを犠牲にして生きていくものだ。
時にはそれを受け入れ、友を犠牲にすることも必要になる。
だから、すまない、刹那。
どうか私のために、長谷川を押さえておいてくれ。
そう、胃薬片手に部屋で蹲る刹那に、私は小さく合掌した。
――了――