千雨からロマンス   作:IronWorks

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第2話

――0――

 

 

 

 教壇に立つネギ先生が、チョークを片手に教科書を開く。

 昨日は、結局授業が出来なかった――私は覚えていないが、綾瀬がそう言っていた――から、今日こそはと意気込んでいるのだろう。

 

「じゃあ、一時間目を始めます。テキストの七十六ページを開いてください」

 

 先生としては、生徒には授業に集中して貰いたいのだと思う。

 その気持ちはよくわかるが、私にはどうにも難しい。

 

 手元のシャープペンシルで、ノートに授業の内容を書き殴る。

 私はどうも物覚えが悪いのだ。マッサージ以外のことになると、集中力が全く発揮されない。

 

 そんな、物覚えが悪い、なんて理由で授業に集中できない訳ではない。

 集中できないのとしないのは違っていて、私の場合は“集中するのが難しい”のだ。

 それも、仕方がないことだと思う。

 

『ぼく風池(ふうち)~。凝ってるよー』

『天柱(てんちゅう)だよ! すっごいよ!』

 

 あー、先生眼精疲労なのかぁ。

 緊張性頭痛も罹っている、かな? 勉強もほどほどにしろよ。

 

『膈兪(かくゆ)です……た、助けて』

『三陰交(さんいんこう)だよっ! こりこりだよっ』

『やぁ! 僕、鳩尾(きゅうび)! 限界なんだ!』

 

 先生、寝不足かよ。

 不眠症は身体に良くねぇぞ、ったく。

 

 

 

 

 

 ……と、このように。

 ツボーズ達が先生の不調を訴えに私のところへ集まってくるのだ。

 

 これで授業に集中しろ?

 ……バカも休み休み言えってんだ。

 

 あの肩を、腰を、腕を、胸を。

 あの身体を――私のモノにするまでは、集中できる日なんて来ない。

 待っていろよ、ネギ・スプリングフィールド先生。

 

「くっくっくっ」

「ち、千雨さん?どうしたのですか?」

 

 アンタの身も心も全て――私の手中に収めて(マッサージ的な意味で)やるぜ!

 

「それでは、次の問題を……えー、長谷川さ――」

「くっはははははっ!」

「――ひぃっ!?」

 

 うん?

 誰か、何か言ったか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千雨からロマンス 第二話 ~惚れ薬でロマンス~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――1――

 

 

 

 授業が終わって、急に暇になる。

 綾瀬は早乙女や宮崎とどこかへ行ってしまったので、私は他に凝っている人間がいないか探していた。

 

 このクラスの人間は、割と凝っている人間が多い。

 運動をする人間が多い、というよりはちょこちょこと動き回る人間が多いからだろう。

 こんな活発な中学生は、世界を探しても麻帆良学園だけだと思う。

 

 もしかしたら、先日偶然知ってしまった“魔法”という要素が、アイツらの元気に関わっているのかも知れない。そうでなければ、あんなにアグレッシブな理由がわからない。

 

「麻帆良で育っても、私はこんなに“普通”だってのに」

 

 思わずそう呟いてしまうのも、まぁ仕方のないことだと思う。

 私は特技がマッサージなだけの普通の中学生だが、他のヤツらはそうではない。

 空を飛んだりするのは、あからさまにおかしい。

 

「しっかし、違うもんだな」

 

 魔法なんてものがある。

 そう気がついてから、私の認識は大きく変わった。

 ツボーズに質問すると、魔法疲れというヤツでへばっている教師が、何人かいるのだ。

 

「あれ?長谷川さん?」

「んあ……宮崎か?」

 

 一人で噴水付近を歩いていると、偶然宮崎に遭遇した。

 心なしか、顔が赤い。

 

「おい、大丈夫か?」

「はっ、はいっ」

 

 声をどもらせて、宮崎は答えた。

 胸を押さえて俯く姿は、心配だ。

 綾瀬繋がりで、図書館探検部の連中は割とマッサージをする仲だし。

 

「ちょっと手、貸してみろ」

「え、は、はい」

 

 戸惑う宮崎の手を取り、探る。

 宮崎と同じく赤い顔のツボーズが、私を呼んでいるのだ。

 

 右手の手首より、拳二つ分ほど下を押す。

 ここは郄門(げきもん)というツボで、動悸を鎮める効果がある。

 

「どうだ?これでもダメなら、念のため背中の心兪(しんゆ)も……」

「ぁ――いえ、もう大丈夫です」

 

 まだ顔は赤いが、落ち着いたようだ。

 何故混乱していたかなんて知らないが、良くなったのなら、それでいい。

 

「あの、長谷川さん」

「うん?どうした、宮崎」

 

 宮崎は小さく口を開くと、眼を細めて笑った。

 一々可愛らしいヤツだと思う。ツボーズも、積極的になると犬みたいなのだ。

 

「ありがとうございますっ」

 

 そう言って、宮崎は頭を下げた。

 私はその言葉に、嬉しくなる。だってそうだろう?

 

 ――私のマッサージで、笑顔になってくれたんだから。

 

「いや――良くなったみたいで、良かった。私も、嬉しい」

「――――ぁ」

 

 宮崎は、私の言葉を聞いたきり、身体を固まらせた。

 私は、何か変なことを言ったのだろうか?

 ……ううん、わからん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――2――

 

 

 

 ネギ先生に顔を見られて、私は恥ずかしくなってしまった。

 夕映もハルナも、急に髪を掻き上げるから、驚いてしまったのだ。

 

 そうやって、逃げ出して、お膳立てまでしてくれたのに結局上手く話すことが出来なかったということが、苦しかった。

 

 だから、胸を押さえて俯いていたんだ。

 弱い自分――もう一歩を踏み出せない自分に、整理をつけるために。

 

 そんな時に会ったのが、長谷川さんだった。

 夕映と結構仲が良くて、私やハルナにもマッサージをしてくれる女の子。

 普段は何処か大人っぽいのに、マッサージが関わると少しだけ子供っぽくなる。

 そんな、不思議な人だ。

 

 私の手を取ってマッサージをしてくれる長谷川さんの横顔は、凛々しい。

 ハルナがそんな長谷川さんを見ながら息を荒くしてペンを動かすのは、もう日常だ。

 

 そう、マッサージをしている時の長谷川さんはすごく格好良くて。

 

「いや――良くなったみたいで、良かった。私も、嬉しい」

 

 ――――そして時折、すごく綺麗だ。

 

「宮崎?」

「ぇ――ぁう」

 

 だから、そんな綺麗な笑顔を見せられた後で近づかれると、正直、困る。

 普段はまったく笑わなくて、たまに突然笑い出す時は能面のような表情で、少し怖い。

 なのに、こんな時、長谷川さんは本当に綺麗な顔で、笑うのだ。

 

「だ、だだだ、大丈夫っ」

 

 首をかしげる長谷川さんは、きっとすごく鈍い人だ。

 私は背中を見せて走りながら、自分の右手を、左手で押す。

 

「ここを、押すと、心が鎮まる」

 

 そんな長谷川さんに、私はほんの少し、勇気を貰った。

 長谷川さんの指と笑顔が、私の背中を押してくれた。

 

「よしっ」

 

 足を止めて、意気込み一つ。

 長谷川さんは以前、私のことを“すごく積極的(なツボーズ)だ”と言っていた。

 どうしてそう思ったのか解らないが、長谷川さんが真剣な顔でそう言えば、本当にそうなんだって、自然に思える。

 

 頭の後ろで、髪を纏める。

 動悸はいつでも抑えられて、背中は既に押されている。

 だったら、やることは一つだ。

 

「ネギせんせー」

 

 ――会いたい人に、会いに行こう。

 

 

 

 結局今日は、逢えなかったけど……うぅ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――3――

 

 

 

 結局逃げてしまった宮崎の後を追うこともなく、私は教室に戻るために廊下を歩いていた。

 宮崎はなんだかんだで落ち着いたみたいだし、なにより嬉しい言葉を貰えた。

 

 マッサージも出来て、笑顔も貰えて、私としては満足だった。

 

「これで、先生(の背中)が手に入れば、なぁ」

 

 と、声に出してみる。

 だがそれで何かが変わる訳ではないと解っているので、これ以上愚痴をこぼしたりはしない。

 

 うだうだと悩むくらいだったら、行動すればいい。

 前を見なければ、先生(の背中)は手に入らないのだ。

 

「うん?――あれは……先生、か?」

 

 そうして歩いていると、先生らしき人影を見つけた。

 らしき、と形容したのは、はっきりと先生であるという確証が持てなかったからだ。

 

「なんで、他人のツボーズまで背負ってんだ?」

 

 そう、パッと見た限りでも、普段の倍。

 沢山のツボーズにまとわりつかれて、巨大なテルテルボーズみたいになっていた。

 はっきり言って、不気味だ。

 

「おーい、せんせ、い?」

 

 胸が、高鳴る。

 急に激しくなった動悸に、私は困惑から首をかしげた。

 

「は、長谷川さん?!」

 

 ネギ先生が、私を見て戸惑いの声を上げる。

 どうしてだか、その声が――――愛おしい。

 

「先生」

 

 ツボーズが、邪魔だ。

 先生の顔が見えなければ、先生を“愉しく”マッサージできない。

 だから、私は先生から生えているツボーズを掴んで、引きちぎる。

 

『う、うわぁっ』

『た、助けてぇ!』

 

 いや、おまえら別に死ぬ訳じゃないだろう?

 だったら、私のために離れてくれても良いじゃないか。

 

 ツボーズを身体から引きはがして、その先にあるネギ先生の顔を見る。

 溢れ出るツボーズ達のせいで、実は一度も見たことの無かった、先生の顔。

 

 赤と黒のコントラストの髪に、赤茶色の目。

 幼いながらも整った顔立ちは、困惑の色で固められていた。

 その仕草、表情、ツボ……全てが、欲しい。

 

 だから、見せてください、先生。

 先生の色んな身体(ツボ)が、私は見たいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――4――

 

 

 

 明日菜さんに惚れ薬を渡そうとしたら、なぜだか逆に僕が飲まされてしまった。

 そのせいでクラスのみんなに追いかけられることになって、僕は走っていた。

 

 なんとかクラスのみんなから逃げたその先には、僕のクラスの長谷川さんがいた。

 すごく綺麗で、少し……いや、結構怖い人だ。色んな意味で。

 

「おーい、せんせ、い?」

「は、長谷川さん?!」

 

 思わず声を上げてしまった僕に、長谷川さんは近づく。

 他のみんなと違って俯いているため、その表情は伺えない。

 ただ、妙な迫力があって、僕は身動きできなくなっていた。

 

「先生」

 

 長谷川さんは一言そう呟くと、僕の方に手を伸ばして……虚空を掴んだ。

 そしてそのまま、何かをちぎる、ちぎる、ちぎる。

 

 えぇっ、何が見えてるの?!

 こ、怖くて聞けないよ……うぅ。

 

 そして、何かをちぎり終わった長谷川さんは、腰を落として僕に視線を合わせた。

 その時ようやく、長谷川さんの、顔が見えた。

 

「やっと逢えましたね。先生」

「ぁ」

 

 短い間だけど、凛々しい長谷川さんや綺麗な長谷川さんは見てきた。

 でも、こんな……はにかんだような顔で、可愛らしく笑う長谷川さんは、始めて見た。

 

 緩んだ頬と、潤んだ目。

 その表情に浮かぶ、優しくて暖かい色。

 いつも誰かに安らぎを与えていたという親指が、僕の頬をなぞった。

 

 ――その瞳は、すごく綺麗で。

 

「リラックスしてください、先生」

「は、せがわ、さん」

「千雨、でいいですよ」

 

 長谷川さん――千雨さんが、僕の身体に手を滑らせる。

 頬から下って、肩に乗せられ、二の腕を這う白魚のような手。

 

「大丈夫です。先生は初めてでしょうから不安もあるかも知れませんが――」

 

 千雨さんはそう言うと、僕の耳元に顔を寄せた。

 

「――【私に全てを任せてください】」

「ぇ……あっ」

 

 脳を揺さぶり、心を掴み取るような声。

 その声に僕は、思わず腰を抜かす。

 

 心を惑わす不可思議な音色。

 これではまるで――――“ローレライ”のようだ。

 

「さぁ、始めましょうか――」

 

 千雨さんの手が、僕に伸びる。

 その手を僕は、払うことが出来ない。

 物理的に動けないということもあるが、それ以上に、僕は心のどこかでこの手を享受していた。

 

「千雨、さん」

「――ネギ!危ない!」

「ぺぽっ!?」

 

 あと、三センチ。

 そこまで千雨さんの手が迫り――吹き飛んだ。

 僕を助けに来てくれた――あと少し、だったのに――明日菜さんが、勢い余って千雨さんを吹き飛ばしてしまったのだ。

 

「やば、やりすぎたかも」

「あ、明日菜さん」

 

 明日菜さんは千雨さんに駆け寄ると、様子を見る。

 そして、無事だったのか安心する姿を見て、僕も安心することが出来た。

 良かった……千雨さん、無事だったんだ、と。

 

「大丈夫だった? ネギ?」

「――は、はい! ありがとうございました!」

 

 い、いけない。

 千雨さんの魔の手に落ちると大変だって、いいんちょさんから聞いていたのに。

 何が大変なのかよく解らなかったけど、うん……確かに、“大変”だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕焼けの、帰り道。

 明日菜さんと木乃香さん、それに僕で並んで帰る。

 

「もう~今日もバタバタな一日だったじゃない!」

「すいません、ご迷惑ばかり……でも、どうして助けてくれたんですか?」

 

 僕が問いかけると、明日菜さんはどこか気まずげに顔を逸らした。

 迷惑ばかりかけているのに助けに来てくれる明日菜さんは、やっぱり良い人だ。

 

「なんか、“アブナイ”感じだったから、ね」

「あ、あははは、そ、そうです、ね」

 

 自分の事ながら、危なかったと思う。

 何がと聞かれても、正直解らないけれど。

 

「もっとしっかりしなさいよ!先生」

「は、ひゃいっ」

 

 明日菜さんにお尻を叩かれて、思わず飛び上がる。

 うぅ、変な声出しちゃった……。

 

 出席簿を開いて、明日菜さんのところに一言……“すごいタックル”と書き込む。

 それから僕は、視線を千雨さんの写真へ移した。

 

 仏頂面で佇む、千雨さんの写真。

 その姿を見ていると、脳裏にあの笑顔が再生された。

 

「千雨さん、か」

 

 なぜだかは、わからない。

 でも確かに――僕の胸が、“とくん”と波打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――5――

 

 

 

 目を開けると、保健室だった。

 

「は……あれ?」

 

 何故こんなところにいるのか、わからない。

 マッサージ師として体調管理くらいは出来るのだが、身体をこわした記憶はない。

 疲労だって、自分で出来る範囲でマッサージをして溜めないようにしていた、はずだ。

 

「なんだ? ……うーん」

 

 とにかく、ベッドから起き上がる。

 手荷物は枕元に置いてあったので、それを手に取り保健室を出る。

 

「あれ? もう大丈夫なの?」

 

 その時、丁度保険医の女性が戻って――席を外していたのだろう――きた。

 保健室はマッサージのために借りることがあるので、この女性とは顔見知りだ。

 

「ええ、大丈夫です。――【ありがとうございました】」

「っっっ!?」

 

 先生の、腰が抜ける。

 そんな先生に、私は慌てて駆け寄った。

 

「んんっ……これで大丈夫か……大丈夫ですか?」

「え、えぇ……い、今のは?」

「さ、さぁ?」

 

 困惑する女性に頭を下げて、今度こそ保健室を出る。

 

 そして、夕焼けの道を歩きながら、首をかしげた。

 

「おかしいな、どうなってんだ?」

 

 生まれ持った才能か、私は意識すれば人の腰を砕くフェロモン系の“声”を出すことが出来る。

 

 変な誤解をされるから使わない方が良いと、何故か綾瀬に諭されて意図的に出さないようにしていた、私の、秘密の特技の一つ。

 

 脳天直下のフェロモンボイス――通称“ローレライ”。

 

「こんな特技より、目つきが良くなった方が人を安心させられるから、嬉しいんだが……まぁ、詮無きことか」

 

 しばらくは疑問が頭から離れなかったが、それもマッサージのこと考えていたら、すぐに薄れていった。

 

「本当に、なんだったんだ?――――うーん、まぁ、いいか」

 

 とりあえず、帰ったらマッサージの本でも読もう。

 後ろを向く暇があったら、マッサージだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――了――

 


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