――0――
滝が流れるような、激しい水の音で目が覚める。
思考は白くぼんやりとしていて、自分がどうしてこうしているのか、すぐに思い出すことが出来なかった。
それでも目を開ければ、わかるはずだ。
そう思って、僕はゆっくりと目を開く。
「ここは――」
周りに眠る、制服姿の明日菜さん達。
その様子に、僕は何故こうして砂浜で寝ていたのか、思い出した。
「そうだ、僕たち、英単語のトラップを間違えて、ゴーレムに落とされちゃったんだ……」
思い返しながら起き上がると、同時に明日菜さん達も身を起こした。
そして、眼前に広がる風景に、思わず言葉を失った。
巨大な木々の枝から溢れ出すような、光。
澄んだ水と滝の中に配置された、無数の本棚。
まるで、幻想の世界に迷い込んだような、不思議な場所だった。
「すごい」
思わず零れたのは、そんな言葉だった。
その風景に、僕は確かに魅せられていたんだ。
その――――地下図書室の、風景に。
千雨からロマンス 第四話 ~図書館島で、遭難パニック(後編)~
――1――
「地底なのに温かい光に満ちて、数々の貴重品に溢れた幻の図書館……」
夕映さんが、身体を震わせて感動を顕わにしている。
確かにこの場所はすごくて、僕もその光景に、少しだけ呑まれた。
「……ただし、この図書館を見たものは生きては帰れないという」
「ならなんで夕映が知っているアルか?」
古菲さんが、もっともなことを言った。
そうだよね、一瞬はらはらしちゃったけど……。
とにかく今は、この光景を見ることよりもここから出ることを考えないと。
……って、魔法は封印しているんだった。うぅ。
明日菜さんも肩を怪我しているみたいだし、みんなも不安そうだ。
それもこれも、引率である僕の責任だ。
みんなの担任である僕が、勇気づけないと!
「み、皆さん! 元気を出してくださいっ、根拠はないけど、きっとすぐ帰れますよっ! 諦めないで、期末に向けて勉強しておきましょうっ!」
僕がそう声を投げかけると、みんなはポカンとして固まった。
そしてすぐに、笑いだした。あ、あれ?
「アハハ、この状況で勉強アルかー!?」
「何かネギ君、楽観的で頼りになるトコあるわー」
良かった、みんな元気になってくれたみたいだ。
まずは食料を探して、それから勉強だ。
頑張って勉強して、みんなでテストで良い点を取るんだっ。
「あの、ネギ先生」
「あ、どうしました?夕映さん」
みんな元気が出て、さぁ食料を探しに行こうという段階になって、夕映さんが僕の肩を叩いた。なんだろう?
「千雨さんがどこにいるか、わかりませんか?」
「え?――あれ?」
確かに千雨さんの姿がなかった。
みんなもその事実に驚いた顔になり、周囲を見回す。
「ネ、ネギ、あれ……」
「どうしました?明日菜さ――――っえ?」
明日菜さんが指を指した先。
そこには、水に浮かんで動かない、千雨さんの姿がありました。
「千雨ちゃんが土左衛門になってるぅっっっ?!」
「ち、千雨さんっ! 今助けに行くです」
「お、落ち着くでござる、夕映殿! ここは拙者が!」
あわわわわ。
千雨さんは、水に浮いたままぴくりとも動かない。
そんな千雨さんを見て夕映さんが錯乱し、楓さんが慌てて助けに行った。
うぅ、大丈夫かな? 千雨さん。
あれ? 今なんで、少しだけ胸が痛んだんだろう?
大事な生徒が怪我をしたから……とは、少しだけ違う感覚に、僕は戸惑うことしかできなかった。
――2――
瞼を照らす光に、目を開ける。
ツボーズを求めて飛び込んだ先は、どこだったのか。
とにかく、気を失っていたようだ。
「め、目が覚めましたか?! 千雨さん」
「綾瀬、か? ……あれ? 私はどうなったんだ?」
「そこでおぼれていたのですよ」
綾瀬の指した先。
そこは、澄んだ水に本棚が浸かっている場所だった。
本は濡れ……ないんだろうなぁ。“魔法”的に。
なんでも私は、おぼれているところを助けられたらしい。
別に水を飲んでいる様子もなく、ただ気を失っているだけだったようなので、綾瀬たちは試験勉強をしながら休憩時間に様子を見てくれていたという。
「そう、か……すまないな、綾瀬。心配かけた」
「いえ、無事ならそれで、良かったのです」
綾瀬はよほど心配してくれていたのだろう。
やや涙ぐんでいて……私の良心をちくちくと刺した。
いや、ツボーズが気になって自分から飛び込んだなんて、言えないな。これは……。
「よし、私も勉強に参加するよ」
「もう、大丈夫……みたいですね」
立ち上がって、指先を使って綾瀬の涙を拭う。
もう泣く必要はないと、想いを込めて。
「ち、千雨さん……」
「どうした?綾瀬」
すると、綾瀬は頬を赤くして胸を押さえた。
うーん、胸が痛いのだろうか?
だったら、膻中(だんちゅう)、神封(しんふう)、缺盆(けつぼん)当たりが効くな。
まずは肩に手を置いて、マッサージをしやすい体勢になって貰うか。
「あっ……」
「……いや、か?」
「い、いえ」
そう言うと、綾瀬は目を閉じた。
別に閉じる必要はないんだが、どうしたんだろうか?
あぁ、看病に無理をして、眠いのか?
……だったらなおさら、真剣にマッサージをしてやらねぇと、な。
「ふ、二人とも……いったい、何を?」
「なっ!? ま、まき絵さん!? いつからそこにっ」
「いや、みんなすぐそこにいるけど……」
見ると、他のみんなも私たちを見ていた。
いや、少し違うな。見ている、というよりは“凝視”している。
みんなもマッサージをして貰いたいのだろうか?
いや、勉強をサボっているから、咎めてんのか……。
なんだか、視線に熱が篭もっているし。
「なにって、マッサージだが?」
「そうですよ! マッサー……え?」
何故綾瀬が驚く。
どう見てもマッサージだっただろうが。
「みなさーん、休憩終わりですよー」
「すいません、ネギ先生。今行きます!」
妙な空気になったので、さっさと綾瀬の手を引いて移動する。
それに、佐々木も慌ててついてきた。
「うぅ、私はアホです」
何を落ち込んでいるんだろう?綾瀬は。
――3――
木箱で作った急造の机と、何故か置いてあった全教科のテキスト。
それらを手に、私たちはネギ先生の授業を受けています。
心躍る幻の図書館。
地底図書室ですることがテスト勉強というのも、なんだかもったいない気がします。
ですが、テスト勉強をしない訳にもいかないので、仕方ありません。
ここは素直に、勉強です。
……それにしても、全教科教えられるとは、ネギ先生はとことんハイスペックですね。
教科書を見ながら、視線を隣に移します。
そこには、ぼんやりとノートを取る千雨さんの姿がありました。
怜悧な横顔は凛々しく、なんというか、カッコイイです。
って、私は何を考えているですかっ!
これではまるで、私が同性愛者みたいではないですか。
ハルナが言うところの“百合”というヤツですね。まったく、非常識な。
第一、今時“百合”なんて流行らな……流行っているかも知れませんが、フィクションと現実とでは話が別ですっ。
いえ、世間に認められつつあるからフィクションが流行るという考えも……いえ、冷静になるです。どうも、今日の私はおかしいのですよ。
いつ出られるかも解らないというのに、脳みそがピンク色ではこの先やっていけません。
そうです、いつ出られるか解らないのです。
ということは、それまで千雨さんと一緒に生活……。
「それでは夕映さん、この問題をお願いします」
「えぁっ、は、はいっ」
うぅ……このもやもやを晴らすためにも、今は勉強に専念するです。
この地底図書室は、食料、教材、ベンチなど、割と何でも揃っています。
私は本棚から持ってきた貴重な本を見ながら、ジュースを飲んでいました。
もう、ここに住んでも良いと思えるくらい快適です。
私の横では、木乃香さんも同じように本を読んでいます。
休憩時間に楽しめるだけ楽しんでおかないと、今度はいつ楽しめるかも解らないのですから。
「すっかり寛いでるみたいだな。綾瀬、近衛」
「あっ、千雨さん」
「千雨ちゃん、どうしたん?」
千雨さんは私たちに声をかけると、そのまま砂浜に座ります。
制服が濡れてしまったためか、大きめの布を身体に巻いています。
「マッサージ関連の本が見つからなくてな。空いた時間も惜しいから、鍛錬だ」
マッサージ師で鍛錬、とは……。
相変わらず意味のわからないことを言いますね。
私の勉強不足でしょうか? こんなことでは千雨さんに……。
いえ、なんでもない、なんでもないのです。
「よっ、と」
千雨さんは身体を伏せると、そのまま腕立て伏せを始めました。
テンポ良く何度も繰り返してしています。
千雨さんは、以外と力強いですしね。
「って、千雨ちゃん?」
そんな千雨さんを見ていた木乃香さんが、何かに気がついて声を上げます。
「どうした?」
「なんで、親指だけで腕立て伏せしとるん?」
「親指……ほ、本当です。なんですか?それ」
よく見ると、千雨さんは親指で腕立て伏せをしていました。
親指立て伏せでしょうか……不可思議です。
「マッサージ師たるもの、親指を鍛えないでどうする。マッサージ師は誰でもやってるぞ」
偏見です。
絶対偏見なのですが、マッサージ師の生態を知らないのでツッコミができません。
「そうなんや~……マッサージ師って、すごいんやね」
木乃香さんは信じないでください。
どう考えてもおかしいです。
最近慣れてきたせいでツッコミができませんでしたが、久しぶりに驚きました。
マッサージ師がそんなマッチョな集団なハズがないです。
あんまマッサージ師とは、どれだけ狭き門なのですか。
「うん? どうした、綾瀬?」
私の視線に気がついて、千雨さんは親指立て伏せを止めることなく私に声をかけます。
じっと見ているのは失礼でしたね。改めた方が良いです。
「あぁ……乗りたいのか?」
「どうしてそうなるですか……というか、乗っても大丈夫なのですか?」
「もちろんだ」
人間一人乗せて、親指立て伏せ……。
マッサージ師がみんな千雨さんレベルの変人だったら、私はどうすればいいのでしょう。
迂闊に整体にも行けないじゃないですか。怖いですよ。
「へぇ。千雨ちゃん、すごいなぁ~。あ、だったらウチ、乗ってみてもええ?」
「いいぞ、近衛」
木乃香さんが、目を輝かせて千雨さんに乗りました。
千雨さんは、自分の上で正座する木乃香さんをまったく気にすることなく、親指立て伏せを続けます。
麻帆良四天王みたいな武闘派の方々ではないのにも関わらず、このパワー。
ちょっと、木乃香さんがうらやましいかも……です。
「あ、あの、やはり私も――――」
「――――きゃーっ」
勇気を振り絞り、私もお願いしようとしたのですが、甲高い叫び声によって遮られてしまいました。
く、悔しくなんか、ないですよ?
「今のは……佐々木か?」
「行ってみましょう! 千雨さん、木乃香さん!」
「う、うんっ」
私たちは立ち上がると、声のする方に急ぎます。
厄介ごとなのでしょうが……どうにも、ほっとしたような気がするのです。
――4――
佐々木の叫び声を聞きつけて走った先。
そこでは、あの時のゴーレムが裸の佐々木を掴んでいた。
私が飛び込んだ後に、自分も降りてきたんだろう。
……いったい、何考えてんだ?
「ぼぼ、僕の生徒をいじめたなっ!いくらゴーレムでも、許さないぞっ!」
ネギ先生が、杖を持ってゴーレムに躍り出る。
いくらゴーレムでもって、何なら許すんだよ?とは、思わなくもない。
「【ラス・テル・マ・スキル・マギステル】」
口の中で、何かを呟く。
その度に、ネギ先生のツボーズが、黒い紐を巻き付けたまま恍惚の表情を強めた。
ネギ先生が“魔法”とやらを唱えようとすると、ツボーズが変態になる……のか?
「くらえ、魔法の矢!!」
緊縛ツボーズの、悦びの表情。
ネギ先生の“魔法”が発動しないということと、このツボーズの表情。
二つのことから察するに……魔法縛りプレイなんだろう。
マッサージを受ける云々は置いておいて、疲れを何時までもとらずにいるのは、一種の“プレイ”というやつなんだろうか。大丈夫なのか? 魔法使い。
『フォフォフォッ、ここからは出られんぞ。もう堪忍するのじゃ! 迷宮を歩いて帰ると、三日はかかるしのぉ~』
気楽なゴーレムの声。
テストが受けられないなんて、冗談じゃない。
禁欲生活なんて、耐えられる自信がない。
「ん……あっ! みんな、あのゴーレムの首のところを見るです!」
「あれは、メル……なんとかの、魔法の書!」
なんでわざわざ追いかけてきておいて、魔法の書を持ってきたのか知らないが、なにやらゴーレムは驚いている。いや、わざとじゃねぇのかよ?
「本をいただきます! まき絵さん、古菲さん、楓さん!」
綾瀬の指示に従って、長瀬と古菲が動く。
麻帆良の武闘四天王と呼ばれるだけあって、常人じゃ出せない動きをしている。
「中国武術研究会部長の力、見るアルよ! ――――ハイッ!」
気合い一発。
踏み込みと同時に突き出された古菲の右拳が、ゴーレムの足に罅を入れる。
石の塊を砕く力があの細腕にあるとは思えないんだが……あれか? 爆砕○穴か?
「アイヤーッ!」
流れるような動作で飛び上がり、ゴーレムの腕を蹴る。
その衝撃で、佐々木がゴーレムの腕から解放された。
「きゃっ」
そして、空中に投げ出された佐々木を長瀬が回収した。
佐々木は強かなことに、長瀬に抱えられた体勢のまま、リボンで魔法の書を奪う。
即席なのにこのチームワークはすごいと思うが、その前に一つ。
佐々木、おまえ素っ裸だっだよな?
そのリボン、どこに持ってたんだよ……。
『ま……待つのじゃー』
ゴーレムの声を背に浴びながら、走る。
近衛の持ってきた服をついでに着ているのだが、走りながらはけっこう辛い。
『出口は見つからんと言うとるじゃろうが~っ』
焦って追いかけてくることから判断しても、出口はあるのだろう。
その判断が……私たちに、少しだけ気を抜かせてしまった。
「きゃっ」
「綾瀬っ!?」
穿こうとしたスカートを足に引っかけて、綾瀬が転んだ。
このままでは、ゴーレムに潰される。
「ちぃっ!」
「千雨ちゃん!」
近衛の声を振り切って、綾瀬に駆け寄る。
私は自分で言うのもなんだが、友達は少ない。
綾瀬は愛想の悪い私でも根気よく付き合ってくれる、大切な友達だ。
それを……あんな石像なんかに、やらせはしない!
『ここが凝ってるよー』
『こっちだよ~』
『ここもすごいよっ』
マッサージのためではなく、助けるために動く。
そんな私に呼応するように、ゴーレムのツボーズがハッキリと姿を現した。
ツボーズがいるのなら、それは私のマッサージが、効果があるということ。
それがどんな効果を呼ぶかは解らないが……土壇場で発現した自分の力を、今は信じる。
マッサージは私の“プライド”だ。
マッサージに対する自信なら、誰にも負けない!
「千雨さんっ!」
「千雨殿!」
綾瀬の声も長瀬の声も、すべて後ろから聞こえる。
倒れた綾瀬を追い越して、私はゴーレムに駆け寄り、後ろに回り込んだ。
こちらの方がずっと小柄なんだ。回り込むくらい、余裕で可能だ。
ゴーレムの身体から生える、無数のツボーズ。
その根本を……捉えるッ!
『フォッ?!』
「遅いッ!――――天柱、鳩尾、関元、膈兪、腎兪、大腸兪、百会、通天、身柱、心兪!」
押す、押す、押す。
押して、押して、押して、ツボーズを癒し尽くすッ!!
「真! ――千雨スペシャル!!」
『フォッ……フォッ――――――ッッッッッ!?!?!!』
ゴーレムの身体から、ふわりと光が舞い上がる。
それは疲れ……マッサージにより昇天した、ゴーレムの“疲労”そのものだった。
「勝っ、た?」
「……すごい」
それは誰の言葉だったか……。
ゴーレムの後ろに立っていた私には、判断することが出来なかった。
ゴーレムはゆっくりと膝から崩れ落ちて、その動きを停止させた。
「すっごーいっ! 千雨ちゃん!」
佐々木が駆け寄って、私に飛びつく。
長瀬やネギ先生も集まってきて、私を取り囲んだ。
私はそれに苦笑――できているかは、置いておく――して、未だ座り込んでいた綾瀬に駆け寄る。
「綾瀬」
「千雨さん……すみません、私のせいで危険な目に――」
言葉に詰まり俯く綾瀬を、抱き締める。
不安になったり心が揺れている人には、こうしてあげるのが一番だ。
「ぁ――」
「綾瀬が無事で、私は嬉しい。それじゃあ、ダメか?」
「そ、そんなことはありませんッ! ……ありがとうございます、千雨さん」
少しの間抱き合って、離れる。
なんだか少し、照れくさい。
「みんな、滝の裏に出口があったでござる!」
長瀬が出口を見つけてくれたので、私たちは漸く一息ついた。
「あっー!?」
「どうしたッ!」
声を上げた佐々木の方を見る。
佐々木は両手を広げて驚いていた。
「魔法の書が無くなってるっ!」
「えぇっ!?」
周囲を見ても、それらしきものはない。
魔法の書に頼るな、ということだろうか。
「きっと、成仏したゴーレムが、最後の力で書を護ったんだろうさ」
私がそう言うと、残念そうな表情ではあるが佐々木も頷いた。
確かにあの時、ゴーレムは満足そうだった。
最後の光の中、やるべき事だけ終えて昇天したのだろう。
「さぁ、帰ろう」
「そうだね~。もうへとへとだよー」
「テストには、間に合いそうです」
私たちはその後、復習代わりに非常口の問題を解きながら、螺旋階段をのんびりと上った。
そして地上直通のエレベーターに乗り込み、あとは戻ってもうひと勉強だ。
「上に戻ったら、全員マッサージしてやるよ。すっきりすれば、頭も働くだろ?」
「うんっ」
「楽しみにしているです」
「そうやね~」
とにかくあとはテストを受けて、今度こそゆっくり休めるだろ。
さっさと終わらせて、帰って寝よう……。
――5――
私たちは今……全力疾走しています。
最後のあがきに徹夜で勉強をして、その後千雨さんにマッサージを受けました。
マッサージが終わると同時に、みなさんは崩れ落ちるように眠り、ネギ先生に辿り着く前に千雨さんは寝てしまったようです。
結局全員寝てしまい、最初に覚醒したネギ先生が慌てて私たちを起こして、今こうして走っているのです。
「ま、間に合った!」
時間はぎりぎり、ですが私たちに不安はありません。
千雨さんのマッサージのおかげで、ぐっすりとノンレム睡眠で眠れたようです。
短い時間ですが深い眠りにつけたことと、マッサージによる疲労からの回復で頭が冴えています。普段よりも、脳がずっとすっきりしているように感じるのです。
「み、みなさん、頑張ってください!」
試験会場前で私たちを応援するネギ先生。
そんなネギ先生に、私たちは力強く親指を立てました。
私たちのその表情を見て、ネギ先生は笑顔で頷きます。
千雨さんからパワーを貰った今、私たちに敵はありませんっ!
気合いは充分。
自信も充分。
私たちは力強く、試験に臨みました。
――6――
クラス成績発表会。
待ちに待ったその日……僕たちのクラスは、最下位という結果に終わってしまった。
結局僕は何も出来なくて、それで一人で帰ろうとしていた。
「ネギ先生」
そんな僕に声をかけたのは、千雨さんだった。
千雨さんはちょうど電車から降りてきたところで、少し息が切れていた。
そういえば今日、遅刻していたみたいだ。
心なしか、少し眠そうだった。
「そういえば、最下位で……クビに」
千雨さんも、あの後僕の事情を聞いていたみたいだ。
そういえば、結局千雨さんにマッサージをして貰うこともなかった。
「ネギ先生」
千雨さんは、俯く僕に近づくと、ゆっくりと膝を折った。
僕の視線に合わせてくれているんだろう。どうしてか、すこし視点が違う気がするけど。
「それでいいんですか?先生」
「良くはっ……ありませんが、でも、だって、僕は」
何も出来なかった。
ゴーレムの相手も、テストに向かう皆さんに対しても。
何もすることが、出来なかったんだ。
僕は、上手く言葉を紡ぐことが出来なかった。
千雨さんは、そんな僕の右手をとると、手首の辺りに親指を乗せた。
適度に温かくて、柔らかい指。
白くて綺麗な指が、僕の手首を優しく押した。
「神門≪しんもん≫というツボです。……落ち着きましたか?」
「ぁ――――は、はい」
不思議だ。
さっきまで心がもやもやしてたのに、今はもう落ち着いてる。
「先生は、頑張っていると思います。先生が前を向いていたから、あんな状況下でもみんな前向きになれたんですよ」
「千雨さん……」
僕にそう諭す千雨さんの横顔は、穏やかだ。
でも、すごく……力強い。
「失敗して諦めてたら、前を向けなくなるんです」
「前を……」
「そうです。でも前を向いていたら……みんなが笑顔になるんです」
千雨さんは、僕が教師になるためにここにいると思っているんだろう。
でも、千雨さんの言葉は、僕が“立派な魔法使い”になりたいということを、見透かしているようだった。
「私は、プロのマッサージ師になることを、諦めようとは思いません」
千雨さんは、軽くマッサージをしていた手を、僕の肩に移動させた。
「どんなに辛くても、諦めたりはしません」
僕の目を覗き込む、まっすぐな瞳。
「マッサージは私の唯一のプライドだから、これだけは……」
その双眸に映るものは、きっと――――。
「……誰にも奪えない。例え相手が、抗えない逆境だとしても」
――――不屈と、希望の光だ。
「先生の夢は、諦められるものですか?諦めても良いと……認められる、ものですか?」
そう、だ。
僕の夢は、諦められるものではない。
父さんに追いつくためにも、あんな悲劇を起こさないためにも。
――みんなに笑顔を、あげるためにも。
「諦め、られません。認められませんっ」
「だったら、足掻きましょう。まずは、先生を慕う、アイツらと一緒に」
「え――?」
千雨さんが指さした先。
そこには、僕に向かって走る、明日菜さん達の姿があった。
まずは、学園長に頭を下げよう。
諦めたくはないって、最後まで頑張ろう。
それを教えてくれた、千雨さんに報いるためにも。
そうして、僕は、この学校に残ることになった。
いつもよりもずっと元気な学園長が、採点を足し忘れたのだと言ってくれた。
僕は、三学期から正式に“先生”になる。
僕に未来を示してくれた――――千雨さんのクラスの、担任の先生に……。
――了――