ドアを数回軽く叩く。
返事は無い。
名前を読んでみる。
返事は無い。
思わずティアナの自室の前で項垂れた。
ティアナが部屋に閉じこもり始めてからそろそろ一時間が過ぎるだろうか。
ことの始まりは今日、士官学校の入試結果が発表されたのが切欠だ。
丁度休みだから、何て言いつつもしっかりと休みを取っていた俺はティアナと二人でその結果を確認しに行ったわけだ。
不合格。
簡単に記せばただそれだけの事。
合格する人物がいるのだから不合格になることもある。そうわかってはいたものの実際になってみるとそんな一言で片付けられるほど簡単な事ではなかった。
俺がそれくらいだったのだからティアナが感じたものは更に辛いものだったのだろう。
俺が勝手に言い出した勝負のこともあっただろうし、最近のティアナにはどこか張り詰めているような雰囲気もあった。
あんな勝負を売らなければ、なんて自分を恨んでも見るが後の祭りだ。
結果的にティアナは部屋に鍵をかけて閉じこもってしまい、俺は何も出来ることは無い。
呼ぶ声は届いているのだろうか?
せめてティアナに声だけでも届いていれば。
そう、もう一度声をかけようとした時。
カチャリという軽い音が響きドアの鍵が開かれたのがわかった。
「あっ」
無意識に握り締めたドアノブ。まわすことは躊躇った。
入って良いのか?
そう考えてしまったら力が入らない。
ティアナの顔をみて何と声をかければいいのか、どんな顔をすればいいのか。
頭の中がぐちゃぐちゃとして気持ちが悪い。
色々と、不幸なことだけは人一倍受けてきたつもりではあるがこんなときにはその経験が役に立たない。
だから、
「入って、きてください」
その言葉に救われたような気がして、思わずドアノブをまわしていた。
※
部屋の中は薄暗く、ベッドの傍に置かれていたスタンドライトの淡い光だけがティアナをそっと照らしていた。
俯く彼女は此方に視線を向けず自身が腰を下ろしているベッドを軽く叩いた。どうやらそこに座れといいたいらしい。
指示通りに腰を下ろし気が疲れないように小さく息を吐いた。すると胸に重みがかかった。突然のことに目を見開くと俺の胸に収まっているティアナがいた。
俺をいすに見立てたように背を預けてくる彼女は小さく呟く。
「すみまっ、せん、でした」
嗚咽交じりの声に胸が痛む。
そしてこの体勢が泣き顔を見せまいとするティアナの強がりだと気付いた。
「なんで謝る?」
「っ。私の、力不足でした、から」
しゃくりあげた声を無理やり吐き出したティアナは肩を震わせる。
確かにこの姿勢では彼女の顔を見ることは出来ないが声から、その様子から彼女の顔を想像するのは容易だ。
だから、俺はティアナを……
「それは、俺に謝ることじゃないだろ」
泣かせてやる事にした。
「…………は、いっ」
吐き出す言葉は弱弱しい。抱きすくめるように、腕を前に回すとティアナはもう一度肩を震わせた。
いつものような鋭さが抜けた彼女に此方まで胸が痛む。
しかしティアナは少しずつ、ゆっくりと口を開いた。
「ごめん、なさい。ごめんなさい……私、紅助さんにっ、逃げようと、しましたっ。全部、紅助さんのせいに、しようとしました」
ポツポツと俺の腕に水滴が落ちた。それを隠すようにしてティアナは背を丸めると小さくうめき声を上げた。
「受かりたかった、よぉ……私、頑張ったのにっ、紅助さんに、褒めて欲しかったのにっ。私でも出来るだって。見て欲しかった、これからの事だっていっぱい、いっぱい考えたのに」
知ってた。
夜中にこっそりと勉強をして眠たそうにしていたこと。
試験後になっても不安で眠れず、やっぱり眠たそうにしていたことも。
涙を流すティアナを抱きしめてみて思い出したのは母だった。
この世界での母ではない。俺が生まれ直す以前の、もう一人の母だ。
俺に対してはとても甘い女性だった。だから俺が涙を流すと今と同じように抱きしめてくれた。
抱きしめられた胸の中では母の心臓の鼓動が子守唄のように聞こえて、それを聞くのが俺は好きだった。
優しくて、暖かい音。
だからだろうか、涙を流すティアナを見て、抱いて、この鼓動を聞いて落ち着いたのは。
ティアナを包み込むように抱きしめる。
彼女にも聞こえているだろうか。この音が。
俺の音が。
荒れた海のような音が静かに、落ち着いた音へと変わっていく。
自然と笑みがこぼれた。
そして、
少しだけ、
本当に少しだけ、
母さんの顔が、恋しくなった。
※
「少し、考えてみようと思います」
それからしばらくして泣き止んだティアナが落ち着いた声でそう言った。
「これから先、どうするのか、どうすべきなのか」
言葉には元の鋭さを感じさせ、彼女の凛とした声が耳に響く。
「士官学校の入学を次に回すつもりは無いです。兄さんの想いを晴らすためには学歴なんて関係ありませんし、立ち止まってはいられませんから」
「じゃあ、空か陸に?」
「はい。私は陸士学校に行こうと思っています。今はミッドから離れたくは無いですし」
駄目ですか?と振り向いて笑うティアナにほっとした。
「ティアナが考えて決めたならそれが一番だ。俺が口を出すことは無いよ」
ティアナは俺なんかよりも頭がいい。考えるのが得意だ。
だから、もう少しで彼女に俺は必要なくなるのだろう。
ティアナと多くの時間をすごして知った。彼女には俺に無いものを沢山持っている。
それが羨ましく思った。そのせいだろうか、彼女に必要とされなくなることが少し怖く、悲しい。
だけど、嬉しく思っている自分もいる。
この矛盾した気持ちは何なのだろうか。
多分その正体がわかるのは彼女が俺から離れた後なのだろう。いつもの、ように。
「紅助さん?」
不思議そうな顔をして此方を覗き込んでくるティアナに笑いかける。
「なんでもない」
「本当ですか?」
そう心配してみせるティアナの頭を撫でも一度思案する。
少しずつではあるが舞台が整いつつある。
現状の記憶ではすでに何が元の未来とずれていて何が正しいのかはわからないほどに擦り切れている。
わかるのは大体の流れのみ、だから俺に出来ることは俺が思う正しさをなぞるくらいだ。
ティアナはもう大丈夫。
彼女はもう前を向いている。
俺が想像できない遥か前を。
だから、次だ。
何をすればいいかなんてわからない。
何をすべきかなんて知らない。
ただ前だけを、
俺は次の一歩を踏み出すようだ。