2018年4月、原作の設定から一輝の魔力制御の内容を少し改訂させて戴きました。
アナウンスが流れ、黒乃たちは一輝が無事に会場へ到着したことを知った。
その事実に黒乃と寧音は得意げに口元を歪め、後方に座る赤座を肩口に見やる。一方、赤座は今にも舌打ちせんばかりに眦を吊り上げ、黒乃たちに向けて鼻を鳴らした。
(死に損ないがッ、往生際の悪い……!)
心底、赤座には一輝のことが理解できない。
一輝を散々虐め抜いてきた赤座にはわかっている。既に一輝は虫の息のはずだ。
だというのに
それでも一輝は諦めなかったというのか。
だとすれば彼は赤座が知る人間の中でも最高の大馬鹿だ。身の程どころか、常識すらも知らないのだろうか。
(……まぁ、ノコノコ出てきたところでトドメは《雷切》がキッチリと刺してくれるでしょうからねぇ。焦る必要はありません)
大きく息を吐き、赤座は再び余裕の笑みを浮かべる。
元々これは嫌がらせの一環でしかない。本命は《雷切》なのだ。この苛立ちは彼女によって晴らしてもらうとしよう。
『えーご来場の皆様方、長らくお待たせ致しました! これより七星剣武祭代表選抜戦を開始します!』
実況の少女の声が響き渡る。
それに呼応し、会場全体が一斉に歓声に包まれた。あらゆる席から刀華の名前と二つ名を応援する声が轟き、それに混じり一輝への歓声も叫ばれている。
まずリングに姿を現したのは刀華だった。
全身から静かに闘気を滲ませる彼女は、まるで刃のように鋭い視線を前方のゲートへと向けている。当然ながら眼鏡はかけておらず、その佇まいには油断も隙もありはしない。
一輝が査問会で心身共に痛めつけられていたことは彼女も知っているはずだというのに、彼女は微塵も戦闘態勢を崩してはいなかった。それどころかこれまで以上に殺気を練り上げ、見る者に息を呑ませるほどの凄みを感じさせている。
「はぁ〜、流石はとーかさね。黒坊がどんな状況なのかは聞いているだろうに、毛ほどの油断すらもしちゃいない」
「当然だ。例え相手が死に体だろうと東堂は気を緩める騎士ではない。むしろ背水の陣を警戒し、普段以上にコンディションを整えてきているはずだ」
「ひょっひょっひょ、凄いじゃろ? あれ、ワシの弟子なんじゃよ」
「知っとるわ!」
南郷たちが燥ぐ一方、実況のアナウンスは進み続ける。
刀華の紹介を一通り終えると、やがて焦らすかのように悠然と一輝の名前を呼んだ。一斉にゲートへと会場中の視線が集まり、そしてゆっくりと一輝がその姿を現す。
その姿は非常に痛ましいものだった。
顔は蒼白に染まり、歩き方からは疲労感が滲み出ている。額からは闘う前だというのに汗が零れ落ち、どう言い表しても半死半生の状態だ。
しかし誰一人として、一輝が弱々しいという印象を抱くことはなかった。
その姿がゲートから現れた瞬間、刀華が充満させる殺気を押し戻すほどの闘気が出現したのだ。
空気すらも押し退けていると錯覚するほどのその闘気。それは首元を物理的に抑え付けられたかと客席の人々が感じるほどだった。
一輝の入場と同時に、刹那の間とはいえ一斉に会場は沈黙の底に沈められる。その一歩を進める度に、まるで巨人が地面を踏み鳴らしているのかと錯覚するほどの威圧感が会場に響いている。
「……ほう、あれが黒鉄の。なんと澄んだ闘気じゃ。あの若さでこれほどの領域に至るか」
「おいおいおい、何だか少し見ない間に随分と逞しい面ァするようになったじゃないか」
感心したように一輝を見下ろす南郷。
その成長ぶりに、獲物を見つけた獣のような苛烈な笑みを浮かべる寧音。
そしてその変容に、祝すらも穏やかな笑顔を浮かべつつ目を細めて一輝へと視線を注いでいた。
「黒鉄、お前は本当に……」
黒乃は誇らしさから来る笑みを抑えることができない。
これが半死半生の病人の姿だというのか。いや、体調が悪いことは異様な汗と滲み出る疲労感から間違いない。だというのに一輝のこの凄まじい闘気は何だ。
考えるまでもない。
これは一輝の覚悟だ。万全とは口が裂けても言えない状況に陥りながらも決して逃げず、誇り高く騎士として闘おうという信念の顕れだ。
「……南郷先生、凄いでしょう? あれが私の生徒ですよ」
つい、そんな軽口を囀ってみる。
しかし例え冗句であろうと、その事実が黒乃には誇らしくて堪らなかった。
背後で愕然とする赤座などもはや目にも入らない。
「な……何だあれ」
「上手く言えないけど……何というか圧倒される感じ……」
「怖いとかじゃなくて単純に凄いっていうか……」
会場が騒めく。
今までにない一輝のその雰囲気に一同は困惑する。しかしその困惑は徐々に熱気へと転じ、先程の刀華への声援に負けないほどの一輝への応援が会場に轟いていった。
ほぼ刀華一色と言っても過言ではなかった会場の声援が、遂に互角まで並んだ。
一輝のその洗練された闘気に触発され、日夜騒がれるスキャンダルの悪評がこの僅かな時間の間に洗い流されたのだ。それはたった
「大した小僧じゃ。大抵の騎士は強敵との闘いに臨む際、敵と己が死ぬことの覚悟を抱いているものじゃが……あの小僧はそれだけではない。討ち死にすることの覚悟と同時に“生き残る覚悟”も持ち合わせておる」
闘って死ぬ、その覚悟を決めることは実は案外難しいことではない。死の淵に追い詰められた時、意外にも多くの者がそこで死ぬことをストンと納得してしまうものなのだ。
しかし一輝は違う。どれだけ絶望的な状況でありながらも、そこから生還することを全く諦めていない。
ここで命を捨ててでも勝つ。そのためならば死んでも惜しくはない。――それでも生きることを諦めない。
この二つの覚悟を同時に持ち続けることが、実は闘いで最も難しいことなのだ。
命を惜しまず、されど死なず。
命を懸けるが華と嘯く輩では到底たどり着けない、真の戦人だけが至る境地。生と死を矛盾することなく望むその覚悟。
こうなった者は強い。南郷の経験上、これが敵に回れば理屈を超えて手強い。こちらが予想もできない狂気の沙汰を平気で仕出かし、常識を嘲笑うかのように勝利を掻っ攫っていく。
「だ、だから何だと言うのですかッ! 《雷切》が有利であることに変わりはないんだ!」
不安を振り払うかのように赤座が喚く。
確かにその言葉は正しい。いくら一輝の気力が充実していようと体調面から来るハンディキャップは覆らないのだ。思いだけで勝利を得ることはできない。結局最後にものを言うのは強さ。ならばここで《雷切》が敗ける道理はない。
「黒乃くんはこの試合をどう見る?」
「客観的に見るのなら、確かに赤座委員長の言うように黒鉄が明らかに不利です。しかし黒鉄も《雷切》の対処の仕方は理解しているはず。そこを狙って持久戦に持ち込めば、あるいは……」
超電磁抜刀術《雷切》――刀華の二つ名とまでなったその伐刀絶技は、鞘を
しかしどれほどの加速力と運動エネルギーを持ち合わせていようと所詮は抜刀術。刀が鞘に収まっていなければこの伐刀絶技は使用できない。そこに勝機がある。
「とーかに《雷切》を空撃ちさせて、その隙に斬り伏せようって寸法か」
「黒鉄には
「なるほど、黒乃くんはそう見るか。……ならば祝、お主はどうじゃ?」
南郷の視線が、赤座の隣で静かに微笑む祝へと向けられる。
そして祝は一瞬の間を置くこともなく即答した。
「死中に活あり――開幕速攻の一撃必殺です」
「元とはいえ流石は我が弟子。ワシも同じ見立てじゃよ」
ニヤリと南郷が笑った。
もちろん祝のこの答えは原作知識を知るが故のカンニングだ。原作において一輝は、ここで《一刀羅刹》という超短期決戦用魔術を用いて刀華を打倒している。《一刀修羅》で引き出せる力を一撃で使い切るというその乾坤一擲の魔術を用いこの勝負を制したのだ。
しかし原作知識だけでなく、疲労困憊の一輝に持久戦など愚策でしかないという冷静な分析も祝にはあった。
またここでその愚策を取れば、刀華は遠慮なく遠距離から電撃を雨霰と叩き込んで勝利することだろうということも容易に予測できた。
故に一輝が取れる手段は開幕速攻。
例え不利であろうと一撃必殺という土俵に刀華を引き摺り込み、その一撃の交叉で決着をつける以外に勝機はない。
「正気か!? 《雷切》は文字通り雷すら斬れるという神速の抜刀術だぞ! どう考えても黒鉄が先に斬り伏せられて終わりだ」
「相打ち覚悟で挑めば割と何とかなるのでは? 持久戦にしても開幕速攻にしても、どちらも勝機が薄いのならばハイリスクハイリターンを手に取る方が上策だと思います。――少なくとも私ならばそうする」
シレッと言い放つ祝だが、歴戦の騎士である黒乃はそれに黙らざるを得ない。
祝の言葉に間違いはないためだ。
一輝が取れる手段はあまりにも少ない。ならば祝が言うように、ここは命を賭け金にしてでも勝利を得ようとするべき場面だ。
理解はできるが納得はできない。そんな苦渋の決断に揺れる黒乃に、祝は安心させるかのように緊張感をまるで感じさせない声音で語った。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、先生。敗けても所詮は死ぬだけです」
「……簡単に言ってくれる」
渋い顔をしているが、黒乃も一流の騎士だ。
決闘の最中で命を落とす覚悟を持つことはもちろん理解できる。当然ながら死中に活を見出すその理論や精神がわからないはずもない。
しかし大切な生徒が命懸けの決断を下したとして、それを何の躊躇もなく受け入れられるのかと言われれば当然ながら否だ。
「死ぬなよ、黒鉄」
この試合は間違いなく、一輝にとって人生をかけた大一番。
未来を左右する運命の戦場だ。命を懸ける場としては充分すぎる一世一代の鉄火場だ。
しかし、それでも。
黒乃は心から願ってしまう。
彼の若い命が、たとえ泥に塗れて倒れ伏すことになったとしても――こんな汚い大人たちの都合で潰えてしまうことがないようにと。
◆ ◆ ◆
「試合の前に、まず私は貴方に謝らなければいけません」
リングの中央で向かい合うなり、刀華は一輝へと言い放つ。
何のことなのかと一輝は首を傾げた。
「この試合、満身創痍の黒鉄くんと闘うことになると私は知っていました。だからこんな
謝罪の言葉と同時に、刀華は深く頭を下げた。
その意外な行動に客席はどよめくが、一輝としては「そんなことか」と拍子抜けさせられた。
「気にする必要はありませんよ。こんな明らかに仕組まれた試合ならば誰だって――」
「いえ、それだけじゃないんです」
一輝の言葉を遮り、刀華が頭を上げる。
その表情は先程の申し訳なさに溢れたものとは一変していた。そこにあったのは、普段の彼女が見せぬ戦闘狂としての凄烈な笑み。
全身から紫電を放ち、その手の中に霊装《鳴神》を顕現させた彼女は高らかに謳いあげる。
「公平じゃない試合だということがわかっているというのに……私は貴方と闘えることが嬉しくて仕方がないッ! 貴方を斬り伏せ、さらなる高みへと昇れることに心が躍ってしまうんです!」
平時の彼女が見せることのないその表情。
しかし一輝は恐れ戦く様子など微塵も見せず、まるで凪のように静かな面持ちで《陰鉄》を抜き放った。
「それは僕も同じですよ。音に聞く《雷切》と全力で闘えるのなら身に余る光栄です。そしてこの剣に思いを託してくれた人たちのためにも、僕は誰に恥じることもない全力でそれに応えます」
思いを託してくれた人たち――その言葉が口から放たれた瞬間、一輝の脳裏に先程の校門の光景が浮かび上がる。
一輝を待ち続けてくれた人たちの顔が鮮明に思い出せる。中には名前を知らない生徒もいた。しかしその名がわからなかろうと、彼らの一人一人の声援が一輝に力をくれる。《陰鉄》を研ぎ澄まし、嘗てないほどの活力が湧いてくる。
その全てを言葉に載せて、一輝は《陰鉄》の切っ先を刀華へと向けた。
「僕の
ただ勝利を。
その一念が込められた宣言に、刀華も同じく勝利への渇望を込めて言い放った。
「望むところッ!」
まさに選抜戦最後の闘いが始まろうとしていた。
実況のアナウンスも、歓声も、もはや二人の耳には入らない。見据えるのは目の前の敵だけ。ただ闘志だけを見の内に充満させる。
そして……
『さあ、それでは選抜戦最終戦を開始いたします! 皆さん、どうかご唱和ください!
――LET's GO AHEAD!!』
試合開始。
その情報を知覚した瞬間、一輝は全ての力を解放していた。魔力、体力、気力――その全てを解き放ち、全能力を一刀に込める。
一輝の唯一にして最強の魔術。
その名は――
「《一刀修羅》ァッッ!!!!」
裂帛の雄叫び。
逆巻く魔力の燐光。
爆発する剣気。
その全てを纏い、一輝は閃光となった。
あまりにも一輝らしくない、分析を放棄した力押しの戦法。奇しくも南郷と祝の予想通り、一輝は開幕速攻に全てを賭けてきた。
しかしその選択を多くの人間は無謀と取る。
体力や戦術の問題から勝負を仕掛けるしかなかった一輝に対し、刀華はその勝負を受ける必要などない。退いて攻撃を躱すなり、遠距離戦を仕掛けるなりといくらでも手札はある。
だからこそ無謀。そこに勝機などない――かに思われた。
「――ッ」
しかし大半の予想に反し、刀華は一歩も退く様子を見せない。
それどころか抜刀の構えを取り、一輝を迎撃しようとするではないか。
戦術的に考えればあり得ない行動。しかし刀華は迷うことなくその行動を取った――まさに一輝の予想通りに。
一輝はこの勝負、刀華が間違いなく受けるということを確信していた。
《雷切》は刀華が誇る最強にして無敵の伐刀絶技。
ならばその技が支配する接近戦の領域へと敵が挑んできたというのに逃げるのは、彼女の誇りが許さない。自分の剣に絶対の自信があるからこそ彼女は退くわけにはいかない。
ここで勝負に乗らないということは、即ち彼女の誇りを自ら傷つけることになるのだから。
最強不敗を誇るからこその不退転。逃げ道を選ぶことは彼女の信念と誇りが許さない。いや、むしろ刀華の戦意は一輝の思惑を超え、そこで逃げ出して勝利したところでその勝利に価値などないと考えてすらいた。
――この間合いの“最強”は私だ! 私の領域なんだッ!
交錯する刀華の瞳はそう語っていた。
迎撃以外の戦術など微塵も選択する気がないことは一目瞭然。
あるいはこれは、一輝が己の挑戦者としての立場すらも利用した小賢しい駆け引きに刀華が引っかかった末の愚かなミスと考えることもできるだろう。
だが刀華からすればこの勝負を受けることに何ら支障はない。その小癪な策ごと、この《雷切》で斬り伏せてやろうという圧倒的な覚悟と自信が刀華にはあった。
(ならば後は死と生の狭間に“活”を見出すのみッ)
一輝は最初からこの策を用いることを決めていた。
それは勝機を見出すためだけではない。自分の剣が《雷切》に勝るということを証明したいという、まるで子供の我が儘のような理由だった。
彼女の最強の武器を打倒してこそ本物の勝利なのだ。
(《雷切》を正面から打倒し、尚且つ勝利するための方法はこれしかない。……いや、これ以外の勝利を僕は望まないッ!)
死中に活を見出し、それでも勝利と生存を諦めない一輝の策。
だが、この策ではまだ足りない。
この一刀で全てを決める。
ならば残る全ての力を引き出す。
しかし全てを費やし、ようやく一輝は《雷切》と互角でしかない。
(互角じゃ駄目だッ! 僕は“勝つ”んだ! 生きて、勝って、皆の思いを背負って、……そしてステラとの約束を果たす!)
思い出せ。
力が足りないのなら、速さが足りないのなら全てからそれを導き出せ。
過去の経験と記憶から最適にして最強の自分を編み上げろ。この一刀に、自分がこれまで積み上げてきた全ての力を込めろ。
刀華との接触まで残り0.5秒。
ならば刹那の間に遡れ。自分が進んできた道は間違いなどではなかった。ならばその道の中に必ず勝利のためのヒントは隠されているはず。
まるで流星のように一輝の視界を過去の記憶が掠め飛んでいく。あらゆる闘い、あらゆる日常、あらゆる過去の感情が一輝の後方へと流れていく。その全てを費やし、一輝の剣はさらに加速する。
だが、まだだ。
まだ《雷切》を超えられない。
神速の抜刀術を上回るには程遠い。
何か、何かあるはずだ。
思い出せ。
思い出せ。
(思い出せッ――!)
『不細工な
一輝の中で描かれる勝利。
その最後の
(…………はは。何だ、そうじゃないか)
その過去は、一輝にとって決して良い思い出ではなかった。
素晴らしい闘いをした。凄まじい経験を積めた。その言葉で彩り、そればかりに目を向けていつしか忘れていた無念。拭い難い敗北の記憶。
自分を修羅道へと誘い、道を踏み外す手前まで引き摺られた目が眩むほどの闇。
決別したと思っていた。もうあそこへと迷い込むことはないと、そう勝手に思い込んでいた。
だが、それもまた自分だ。
祝の姿を借りて偽ることなど許されない。
あれも一輝の心の一部なのだ。
それを否定することなどできはしない。
(そうだ、僕自身が誓ったことじゃないか。『全てを背負ったまま進み続ける』って)
ならばその弱さすらも背負ってみせろ。
弱さ故に強さへと逃げるのではない。己の弱さすらも強さへ変えろ。恐怖も、不安も、絶望も、それすらも道を進む糧に変えろ。
それらも余すことなく“黒鉄一輝”なのだから。
変化は一瞬、されど明瞭。
《雷切》の間合いに踏み込む瞬間、一輝の激変を強者たちは逃すことなく知覚していた。
刀華の殺気を押し戻すほどに力強かった闘気が収縮する。立ち込める魔力光は弱まり、放たれる威圧感は一瞬で刀華の殺気に呑まれて消える。
その変化に、多くの者は一輝が力尽きて失速したのかと錯覚した。
否だ。
弱まったのではない。
無駄に放出していた全ての力を一刀に圧縮したことで、一輝の存在がまるで萎んだかのように思わされたのだ。
一輝は教えられていた。意図すらせずに己を惑わした祝から、新たな強さへのヒントを既に与えられていた。
『身体中から余分な魔力が溢れ出しているじゃないですか。魔力にロスがありすぎて美しくありません。そんなことだから
そうだ。
体内から溢れ出る魔力の燐光。
それは扱いきれず体外へと漏れ出てしまった余分な魔力。
武術を鍛えることで魔術に対抗してきた万夫不当の武術家である一輝の、伐刀者としての致命的な欠陥の一つ。
即ち、『魔力制御』の技術。
一輝には伐刀者としての才能がない。
それは伐刀者を構成する最大の要素である総魔力量が少なく、さらに『身体能力倍加』という貧弱な能力しか持たないため。
だから一輝は他の伐刀者たちと違い魔術による自身の強化を早々に諦め、武術の鍛錬に多くの時間と意識を費やしてきた。もちろん魔力制御の能力は伐刀者にとって必須の能力であり、同時に《一刀修羅》を制御する重要なピースであることから鍛錬を怠ったことはない。
しかし燃料となる魔力の量が絶対的に不足している以上、彼には《一刀修羅》に特化した“究極の一分間”のための制御技術を身に付ける以外に選択肢はなかったのだ。
祝と出会うまでは。
溢れ出る魔力をより鋭く、より精密に制御することで《一刀修羅》の出力を引き上げる。
祝から自身の短所を指摘された一輝は武術の修行の傍ら、この発想を諦めなかった。基礎から魔力の運用を見直し、一人で一年間、黙々とこの修行を練り直し続けた。
しかし結果は身を結ばず。
伐刀者としての才能の限界か、経験不足のためか、あるいは訓練の方法が悪いためか。結局一輝が成功した《一刀修羅》の出力の強化は微々たるものでしかなかった。溢れ出る全力の魔力を抑え続けるなど一輝には数秒が限界だ。
――だが、ここに至ってそれは最早問題ではない。
今の一輝には数秒すら必要なかった。
必要なのは一秒、一瞬、一刀。
《雷切》を超えるのに二ノ太刀は要らず。
繰り出されるは一輝の最速の一刀――第七秘剣《雷光》。
その一刀を繰り出す刹那の時間さえあればいい。その間だけ制御ができていれば充分なのだから。
そして一輝は最強の刹那へと、極限の一瞬へと手を伸ばした。
漏れ出る魔力を意思の下に操る。
その全てを体内に押し留め、能力によって身体能力が爆発的に跳ね上がる。
もはや《一刀修羅》の比ではない。その強化倍率は天と地の差だ。
余すことなく一刀に全てを凝縮することで、一輝は真実“閃光”となった。
だが、その代償は大きい。
無理矢理に体内へと押し込められた魔力が内側から皮膚を裂く。
血管が千切れ、全身から血が噴き出す。
人間の限界を超えた速さと膂力によって筋肉が断たれ、骨は歪み、内臓が変形する。
身体強化だけで人知を超える激痛が一輝を襲う。
一挙手一投足が地獄の苦しみを齎す。
自分が生きているのか、それとも死んでいるのかさえ一輝には最早わからない。
それでも――
(生きて……勝って……約束を……!!)
薄れゆく意識の中、魂の咆哮が肉体の崩壊を阻む。
那由他の彼方に存在する勝利へと、死と生の狭間を駆け抜ける。
「――ぉ」
一輝の背中を押す声援が聞こえる。
自分を待つ人たちの笑顔が見える。
そしてその中に、自分が愛する少女がいる。
「――ぉお」
死ねない。そして敗けられない。
命を捨てる覚悟なら既に済ませた。敗北の苦痛にも慣れている。
だが、この命と剣はもう自分だけのものではないのだ。全てを背負うと、そう決めたのだから。
そして何より、ステラと約束した。――共に騎士の高みへ行こうと。
「ぉぉぉおおおおおおあああああああッッッ!!!!」
一輝の踏み込みがリングを砕く。
一瞬で音速を超えた《陰鉄》が衝撃波の暴風を撒き散らす。
そして両者の間に広がる空間は刹那と間を置かずゼロになり――
爆音を轟かせ、一輝と刀華が交錯する。
閃光となって刀華の脇を駆け抜けた一輝は、次の瞬間に足を縺れさせて地面を転がった。
しかしそれだけではその速度を殺しきることができず、その身体は何度も地面を跳ね続ける。そしてリングの縁を越えて客席との間に設けられた段差の壁へ強かに身体を打ち付けたことで、一輝はようやく全ての運動エネルギーを大地に逃がし終えた。
そして残った光景に、観客たちは勝利の女神がどちらに微笑んだのかを悟る。
立っていたのは――刀華。
《鳴神》を振り切った姿勢のまま、彼女はリングの上に立っている。一輝は伏したまま動かず、手足を投げ出したまま動く様子はない。
勝負あった。この闘いを制したのは《雷切》だ。
その事実に赤座が嗤う。珠雫が目に涙を浮かべながら、それでも一輝から目を逸らすまいと拳を握り締める。ステラが悔しさに歯を食い縛り、それでも一輝の雄姿を讃えようと立ち上がる。
そして――刀華の胴から鮮血が噴き出した。
「――見事」
そこに刻まれているのは真横に走る一筋の赤い痕。まるで斬られたことをようやく身体が理解したと言わんばかりに、刀華は膝から血溜まりの中へと崩れ落ちていった。
そして刀華がリングに横たわると同時に、《陰鉄》を杖のように支えにしながら一輝が立ち上がる。足を引き摺り、血の足跡を残しながらリングへと戻ってくる。
骨は砕け、肉は裂け、血管は至るところが破裂していた。ここまで人間は壊れることができるのかと驚かされるほどに全身はズタズタで満身創痍。
――しかし、それでも最後にリング上で立っていたのは一輝だった。
勝利。
その事実が静かに会場へ響き渡る。
誰一人として言葉を発しない。誰もがその勝利に言葉を失っていた。
そんな中、一輝は無言でその血塗れの拳を天壌へと掲げる。その拳だけが、勝利は自分のものだということを雄弁に語っていた。
◆ ◆ ◆
「……ば、馬鹿なァ! そんな馬鹿な話があるかァ!」
鳴り止まぬ喝采。惜しみなく贈られる称賛。
それを耳にしてようやく現実を理解した赤座は怒声を張り上げて立ち上がった。これが夢ではないのかとすら疑った。
しかしいくら待てども夢は覚めず、一輝の勝利に会場の熱気が燃え上がっていく一方だ。
どう考えてもおかしい。一輝は死に体だったではないか。どこにあれほどの力を残していたというのだ。
思考が堂々巡りする中、しかし赤座は頭を振ってその思考を断ち切った。今重要なのはそんなことではない。自分が考えるべきことは、如何にしてこの決闘の結果を覆すかだ。
「認めんッ! こんな結末など認めんぞォ!」
醜く喚き立てた赤座は、脂肪に塗れたその身体を懸命に揺らしながら客席を走り抜けていく。
その滑稽な様を嗤いながら、黒乃は赤座の背中を見送った。
「放っといていいのかい、くーちゃん。さっきまであいつへの殺意を抑え込んでいたじゃないか。もう存分に仕返しができるんじゃねぇの?」
「あの赤狸がいくら騒ごうと、もう結果は変わらんさ。それに黒鉄の闘いぶりを観ていたらどうでも良くなったよ。この気分をあのクソ野郎の悲鳴で台無しにしたくはない。それよりも……見たか、寧音」
「そりゃもちろん。全く……自分の生徒ながら末恐ろしい男だよ、黒坊は」
好戦的な笑みを浮かべる寧音は、しかし眼下で起こった信じがたい現象に知らず知らずの内に冷や汗を浮かべている。
いや、寧音だけではない。
黒乃や南郷ですらも黒鉄が成し遂げた奇跡に何かを感じずにはいられないだろう。
「
一輝と刀華の交錯。
刹那の交わりにおいて、一輝はさらに加速した。《雷切》の間合いに入ろうかという瞬間、その速度は寧音たちの認識できる限界を超え、まさに気が付いた時には決着がついていたのだ。
そして勝利した一輝には、《雷切》によって刻まれたはずの刀傷がない。
ということはである。一輝の《雷光》は刀華の《雷切》の速度を完全に上回り、その抜刀を終える前には既に刀華の身に刃を叩き込んでいたということに他ならない。
神速の抜刀術を、一輝は文字通り真正面から打ち破ってみせたのだ。
「一分間で使い尽くす《一刀修羅》の力を一撃で使い尽くすなんてねぇ。随分と無茶をするもんだ」
「それだけじゃない。最後の瞬間、黒鉄が放つ魔力を感じ取ることができなくなった。恐らくはあの一瞬のみ、黒鉄は《一刀修羅》の使用中に漏れていた魔力すらも身体強化へと回したのだろう」
「実際には普通の伐刀者が魔術を使った時くらいのロスになっただけなんだろうけどねぇ。普段の漏れが大きいだけにその落差も大きい。結果的にウチらが魔力を感じられなくなったと錯覚するほどに」
無駄に使っていた魔力を、余すことなく、一瞬で使い尽くす。
言葉にすれば簡単だが、実際に目で見てみればこれほど恐ろしい魔術があるだろうか。しかもコンディションが最悪の状態でこれほどの速度と力だ。一輝の体調が万全だったならばさらに一刀は鋭くなるだろう。
総合的な能力は間違いなく刀華が上だ。
しかし一瞬、一刀ならばどうだ。それは眼下のリングに立つ少年が物語っている。
「もう修羅道がどうだとか、そんな次元の話じゃない。人間の領分を超えちまってるよ。あれはもう
「いいや。それは違うぞ、寧音」
寧音の言葉を遮る南郷。
彼には寧音たちとは違う、さらにその先の光景が見えていたのだ。
「あの小僧が羅刹じゃと? 冗談ではない。あれがそんなものであるはずがない」
――あれはどこまでも“人”だった。
最後の瞬間まで一輝は決して生存を諦めなかった。刀華の《雷切》に恐怖し、その力の差に絶望し、それでも勝利と生存を諦めることはなかった。
その覚悟と信念があの一瞬で彼を成長させ、その一刀を刀華へと届かせたのだ。
己の欲に任せた剣ではない。目を見ればわかる。他者の思いを背負い、そのために全ての力を使い切ることができる剣を振るう騎士をどうして羅刹などと呼ぶことができようか。
「あの男め。息子も孫も詰まらぬ奴ばかり遺して逝ってしまったと思っておったが……ようやく見所のある者が出てきおったわい」
正しく“人”の極地。
個人の力の極地である修羅では到底辿り着くことができない――祝がどれだけ強かろうと手にすることができない、他者の思いを糧として己の成長を成す誇りの一刀。
あるいは今年の七星剣武祭で、一輝は祝の最大の敵となるかもしれないと南郷は予測していた。
あの少年が手にした誇りある剣ならば、祝の兇刃に対抗し得るかもしれないと密かな希望を抱いていた。
(恐らく、祝はそんなことなど思いもしておらんのじゃろうがのお)
一輝の突然の成長。
それを祝は理解することすらできていないだろう。ただ冷静に現象と戦力を記憶に蓄積するだけだ。
全ては一輝と対峙した時、大鎌に恥じぬ闘いをするためだけに。
無論、それも強さであることに違いはない。いや、人の温もりをものともせずに突き進む魂の在り方こそが祝の強さなのだ。故に祝にはわからない。一輝が刃に込めた思いも、それに多くの人々が込めた思いも。
(それではあの小僧に足元を掬われるやもしれんぞ、祝)
理解しろと無理は言わない。
しかしそういう強さも存在するのだと、それだけを南郷は伝えたかった。修羅道だけが強さではないのだと祝に教えたかった。
だが――
「……祝?」
赤座がいた席の隣に座っていたはずの祝。
しかし南郷が振り返った時、既に祝は空に舞う煙のようにその姿を消していたのだった。
◆ ◆ ◆
世界が遠い。
妙な言い回しだが、それが一輝の感じる全てだった。
五感はまともに機能しておらず、もはや痛みすらも弱々しい。本来ならば激痛が走って然るべきだというのに、もはやそれを感じる力すら一輝には残されていなかった。
気を抜けばどこからか力が抜け出てしまいそうなほど身体は疲弊しており、《陰鉄》は今にも魔力の残滓へと
(紙一重の勝利だった……)
彼方から響く喝采と歓声を耳にしながら、一輝はたった今手にした勝利を回顧する。
何かの歯車がズレていれば、血溜まりに沈んでいたのは自分の方だった。
その紙一重の差。それを一輝にくれたのが一輝の背中を押してくれた人々と――そして“約束”という新しい力をくれたステラだ。
時折、スポーツ選手などが「この勝利は皆で手に入れたものだ」とコメントしている姿をテレビ番組で観ることがある。そんなものは社交辞令であり、例え本人が心からそう言っていたとしても、それは瞞しだとどこかで思っていた。
だが、一輝はここに来てその意味を真に理解した。
この勝利は自分一人の力では絶対に手にすることができなかった。皆の声が、一輝が全力を尽くすための意志を目覚めさせてくれた。
(ありがとう……心から皆にそう伝えたい……)
ずっと辛いことばかりの人生だった。
プラスよりもマイナスが遥かに上回ってばかりの人生だった。
だが、マイナスとは即ち後退することを意味していない。
この身に降りかかり続けてきたマイナスも、自分をここまで導いてくれた大切な過程だったのだと今ならば思える。自分を惑わしてばかりだった
そう思うことができるようになったのも、自分を信じてくれた皆のおかげだ。
(弱さを捨てるんじゃない。
修羅道への誘いが、父から告げられた絶望が自分にとって大切なものが何なのかを教えてくれた。
自分が何者で、己の目指す騎士道とは何なのかを見定めることができた。
この感情を忘れずにいたい。だからその願いをこの伐刀絶技に込めようと一輝は決めた。この伐刀絶技を使う度にこの思いを再確認できるように。
ならば与えるべき名前は――
「《一刀天魔》……なんてどうかな……」
仏道修行者の信心を妨げ続ける天魔。
しかしとある徳の高い僧によれば、天魔すらも強い信心の前ではさらに深い信心へ至るための契機になってしまうという。
マイナスを否定するのではなく、そのマイナスすらも力に変える。そんな自分でありたいという願いを忘れてしまわないように、この名前をこの伐刀絶技に贈ろう。
「――イッキ!」
自分の新たな境地に名前を贈ったその時、どこからかステラの声が聞こえた。
その声が発せられたのが後ろからなのか、あるいは前からなのかも今の一輝にはわからない。しかし彼女の声を聞いた途端、全てを終えたことへの満足感に陰が差した。
最後に……本当に最後に伝えさせてほしい。
ステラへ感謝の言葉と、彼女に抱く愛が本物であるということを。
そのために一輝は、今にも絶えそうな己の意識に踏ん張りをかける。
そしてそれが実を結び、バランスを崩しそうになった一輝を駆け寄ってきたステラが抱き止めた。
涙を流すステラは、不謹慎だと理解していながらも本当に美しかった。しかし見惚れている時間はない。既に一輝の限界はすぐそこまで迫っているのだから。
その胸の内にある全ての思いを込め、一輝は口を開く。
そしてその思いをステラに伝えると――今度こそ一輝は力を使い果たし、深い眠りの底へと沈んでいくのだった。
さ~て、来週のハフリさんは!
祝です。
どうでもいいことですが、原作主人公が知らない間に原作以上の超進化をしていました。これも一種の原作ブレイクなのでしょうが、全く嬉しくない私は転生者失格なのでしょうかね? どうでもいいですけど。
さて次回は、
『バレなきゃ犯罪じゃないんですよ』
『赦すと言ったな、あれは嘘だ』
『悔いを残して死ね』
の三本です。
来週もまた見てくださいねっ!
ジャン、ケン、ポン! うふふふふっ。