落第騎士の英雄譚  兇刃の抱く野望   作:てんびん座

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今のは《クサナギ》ではない

 ――さて。唐突ではあるが、『敗北フラグ』という存在を諸君はご存知だろうか。

 

 例えばバトル系の創作物などを鑑賞していた際、まだ闘っている最中なのに「このキャラ敗けそう」と感じたことはないだろうか? スポーツ系で「絶対にこの新技はすぐに攻略されるな」と思ったことは? 戦記系で「この作戦失敗しそう」と考えてしまったことは?

 そう感じた直前、それらのキャラクターはこんなことをしていなかっただろうか。

 

 例えば必殺技や能力や秘策を相手より先に出して、更には勝ち誇って説明までする。

 急に辛い過去の回想や将来の夢が描写される。

 闘いの最中に「やったか!?」と言って油断したり、決着のついていない争い事に「勝った!」と言い放ったり確信したり。

 

 それこそが創作物の界隈で言われる所謂お約束――敗北フラグなのだ。

 たった今挙げた三つの敗北フラグはその中でも突出した、いわば「これをやったらほぼ敗北確定」と断言できる代表的なものとすることができるだろう。

 

 では、この敗北フラグをなぞると物語はどうなってしまうのか。

 

 

 その結果は、()()()()()()()()()()()()()雄弁に語っていた。

 

 

 結論から述べると、アリスの企てはものの見事に失敗した。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 外の景色が、まるで川の流れのように後方へと過ぎ去っていく。

 時速100キロ近くを出して走行するバスは、私たちを乗せたまま破軍学園へ向けて荒々しい運転で突入していった。

 

 あの後、選手団は空中分解することもなく原作通りに総員で突撃する選択をしたと東堂さんに聞かされている。どうやら黒鉄が皆を纏めてこの作戦に同意させたらしい。

 流石は主人公。カリスマ性が私とは違う。

 私でもその気になれば某北の大国風に「撤退したら殺す」と脅し立てて集団を纏めることはできるが、黒鉄のようにリーダーシップを執るのは無理だろうね。

 

 そんなことを考えている間にバスは破軍学園の正門をぶち破り、正面広場へとその大きな車体をドリフトさせながら停車した。そして慣性を殺し切ることを待たず、黒鉄たちは窓やドアから外へと飛び出していった。

 私? 普通に歩いてドアから出たよ。《既危感》があるからそもそも攻撃があればわかるし、それ以前に襲い掛かってくる気配もなかったし。

 

 そしてバスから出た私たちを出迎えたのは、変わり果てた破軍学園の姿だった。

 建物は残さず吹き飛ばされており、地面には所々に陥没した跡が残っている。さらに目を引くのは学園に残っていたであろう生徒や教師たちが倒れている姿で、見渡す限り意識を保っている人は一人としていない。

 

「徹底的ですね~」

 

 一応、血の臭いはしないので死人はいなさそうだ。いや、もちろん血を一滴も零さずに死体を作る方法なんていくらでもあるけど。でもその辺に転がっている人全員にそんな殺し方をしたと考えるより、《幻想形態》で気絶させたと考えるのが自然だ。

 

 というか、私としてはそんなことよりも建物の方が興味深い。

 

 ぱっと見だから断言はできないけど、校舎や訓練場の破壊痕が特徴的なんだよね。一階部分が少し残っている以外はその全てが消し飛ばされて瓦礫くらいしか残っていないという。

 しかもほぼ全ての建物は残っている部分が同じ高さしかなく、破壊のされ方も大威力の攻撃で外側から吹っ飛ばされているように見えた。

 立ち昇る黒煙はどうやらその後で起こったもののようで、火災で建物が崩壊したようにはどうにも見えない。

 

 それはまるで、大威力の一撃で全てを纏めて薙ぎ払われたみたいな……

 

 しかし私が考察できたのもそこまでだった。

 殺伐としていた空気の気配が俄かに変わる。それに気付いたのか、東堂さんや黒鉄、それからステラさんが一斉に同じ方向へと首を巡らせていた。

 そこにいたのは、仮面で素顔を隠した道化師(ピエロ)だった。

 

「おや? おやおやおや? これは破軍学園代表選手団の皆様ではあァ~りませんかァ!」

 

 とうっ、と間抜けな掛け声とともに道化師が私たちの方へと飛び込んできた。そして軽やかに着地してみせると優雅に腰を折って一礼してみせる。

 戦場にはあまりに似つかわしくないその風貌に、ステラさんたちは度肝を抜かれたように瞠目していた。

 

 彼のことは原作知識がちょっと薄れている私も良く憶えている。

 彼の名前は平賀玲泉。暁学園の一員にして、数少ない()()()()()()()()()()()人間の一人だ。

 というのも、どうも彼は人間ではないらしい。どこか超遠距離から埒外の傀儡師が操っている人形……らしい。らしいというのは、私の知る原作知識ではその裏にいる人物が出る前までしかないからなんだけど。

 10巻に行くか行かないかくらいで原作知識は打ち止めだから、その後でちゃんと元の傀儡師が描写されたのかわからないんだよねぇ。

 まぁ、とりあえずカンクロウとカラスの関係のようなものと納得しておく。カンクロウもカラスを人間に化けさせていたりしたもんね。こういう時に二次元の知識は便利。

 

 話が逸れたが、その後はまさに怒涛の展開だった。

 平賀さんが姿を現したのを皮切りに、他の暁学園の生徒たちも続々と集まってくる。その姿はまさに私の原作知識にある通りで、とりあえず私のせいで向こうの戦力が減っていないようで安心した。原作崩壊して増える分には大歓迎だけど、もしも減っていたらその分だけ闘えなくなっちゃう。

 

 おっ、ちゃんと王馬くんもいる!

 彼も成長しているようで、さっきから視線に乗せてわかりやすいくらい私に向かって殺気を放っているのに周りの人はそれに気付いた様子もない。どうやら殺気に指向性を持たせるという器用な真似をしているらしい。

 ……あれ? でもこれって“アリスさん対策”で作られた人形だったような……ってことはこの殺気は偽物なんだろうか? でも再現度は本物と遜色ないみたいなことを原作で言っていたような、言っていなかったような……。

 

「……ああ、なるほど」

 

 いや、違う。1/1スケール王馬くん人形の再現度が高すぎて騙された。

 これ、視線こそ人形から来ているけど殺気は別方向から来ている。そっちは全く視線を感じない上に、殺気の方も上手に出所を散らしているせいで最初は全然わからなかった。

 はぁ~、本当に器用なことするねぇ。

 

 私が一人で感心していると、黒鉄も王馬くんが暁学園の中にいることに気付いたらしく驚いている。

 まぁ、黒鉄似のイケメンで高身長で和装でロン毛という派手な出で立ちの学生騎士なんてたぶん王馬くん以外いないもんね。そりゃ気付くよね。

 

「貴方は……!」

「…………」

 

 王馬くん人形は安定のスルー。うん、マジで再現度高いわこの人形。

 というか冷静に考えたら黒鉄からしたら衝撃の事実だよ。すんごく久々に会った兄貴が自分の母校を破壊して回るテロリスト集団に加わっていたっていうんだから。別に兄弟仲もそんなに悪くなかったらしいし、まさに驚天動地ってところだと思うよ。

 

「どういうことなんですか、兄さん。貴方もこの暁学園とかいう集団の――」

「囀るな、愚物が。俺はとうに黒鉄と縁を切った身。貴様らに語る言葉などない」

 

 あっ、声もそっくり。でも前よりちょっと低いかな?

 ようやく口を開いた王馬くん人形だけど、口調とか言葉選びまで本当に王馬くんそっくりだ。

 そんな彼は不意に私から視線を外すと、今度はステラさんへとその鋭い眼光を向けた。でも殺気は私に向いたままなので、たぶん王馬くん側も私が気付いたことに気付いたっぽい?

 それでもこっちに手を出してこないってことは、お互いに考えることは一緒ってことね。以心伝心なようで手間が省ける。お礼として君は最初に殺してやろう。

 

 そんなことを考えている内に、平賀さんが朗々と暁学園とは何なのか、なぜ自分たちが破軍学園を襲撃したのかを語っていく。

 内容は概ねアリスさんがバスで説明した通りだった。そして平賀が語り終わるのを合図に、黒鉄たちが霊装を展開する。

 それと同時に、アリスさんがさも黒鉄たちを騙し討ちしますとばかりに気配を潜める。

 そして次の瞬間、両陣営が発した闘争の気によって空気が爆ぜた。

 

 

 で、戦端が開かれるまでもなくアリスさんはリタイアしたのでした。

 

 

 結果だけ言うのなら、アリスさんの裏切りは見事に暁学園側に読まれていたのだ。彼らの中に予知能力者(笑)(紫乃宮天音)という存在がいたことによって、全ては最初から無駄な足掻きでしかなかった。

 つまり味方(スパイ)に裏切らせるはずが、まさかのその味方こそが裏切り者だったという戦法を用いようとしたアリスさんは、実は裏切ることを予見されていたという更なるまさかのどんでん返しによって裏切りを封殺されてしまった。

 これによって破軍学園の奇襲は失敗。暁学園の精鋭たちvs破軍学園のアマチュア集団という敗北必須な全面戦争が始まってしまう。

 

 ……うん、知ってた。

 

 というか、正確に言うと前世で原作を途中まで読んでいた頃から知ってた。

 メタな話になってしまうが、実は原作においてアリスさんは裏切り者というキーパーソンであるにも関わらず、長々と回想や心情を描写されてしまうという読者にとって「あっ……」と言わざるを得ない失敗フラグを立ててしまっていたのだ。

 これを見た多くの読者が物語(ストーリー)の行く末を察してしまったのは想像に難くない。

 

 もちろん、私はその気になればこの事態を防ぐことができた。

 選手団の皆さんに警告するなり、裏切り者を裏切って奇襲してきた暁学園をその瞬間に一人か二人くらい仕留めることもたぶんできたのではないかと思う。

 

 しかしそれをしては大鎌の活躍の機会が減ってしまう。

 私としてはガチンコの闘いを大鎌が征するのが理想の展開なのだ。なので今回、私はアリスさんがこうして敵側の霊装によって背後からハリネズミにされる展開を泣く泣く許容したのである。

 倒れ伏すアリスさんは、紫乃宮さんの複数展開が可能な剣型霊装《アズール》が何本も背中に突き刺さっているという大変痛ましい姿だ。でもごめんね、大鎌の活躍のためにどうしても必要な犠牲だったんだよ。

 貴方のその犠牲、無駄にしないくらい全力で私頑張るから!(幻想形態なので死んでない)

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 最悪と言って差し支えない状況だとステラは歯噛みしていた。

 

 アリスの作戦通りに暁学園の面々を斬り伏せた彼女たちは、しかし成功の裏に潜む油断という隙をこれ以上ない形で突かれる形となる。

 なんとステラたちが倒したと思った暁学園は敵の能力によって作り出された偽物(デコイ)で、本物は息を潜めてこちらの作戦が空転するのを待っていたというのだ。その逆襲をこちらは見事に食らってしまい、瞬く間にアリスが負傷、そのまま敵の一人である平賀玲泉によって連れ去られてしまったのである。

 もちろん破軍学園の一同もそれを指を咥えて見ていたわけではない。既に追跡に珠雫が、そしてそれを援護するために一輝がこの場を離脱しているが……

 

(こいつら、誰一人として二人を追おうとしない!)

 

 それはあまりにも不気味な反応だった。

 

 《風の剣帝》黒鉄王馬。

 《凶運(バッドラック)》紫乃宮天音。

 《不転》多々良幽衣。

 《魔獣使い(ビーストテイマー)》風祭凛奈。

 《血塗れのダ・ヴィンチ》サラ・ブラッドリリー。

 

 彼らは誰一人として離脱していった《道化師》平賀玲泉の援護に回ろうとしなかった。まるでその必要はないと言わんばかりの落ち着きぶり。そこから推測できるのは、平賀があの二人を退けられるだけの実力を持っているか、あるいは……

 

(その行先にさらなる実力者がいて、迎撃が容易であるかってことね)

 

 何はともあれ、最早ステラに平賀を追うことはできない。姿を見失ったことに加え、目の前の敵がそれを許すはずもないということはステラも理解している。特にその一人、王馬の視線は先程から完全にこちらに狙いを定めていた。

 その全身から放たれる圧迫感からステラは悟る。自分がこの男を振り切り、一輝たちを追いかけるのは不可能だということを。

 敵は日本唯一のAランク伐刀者。そしてその威圧感は暁学園の面々の中でも明らかに突出していた。しかし即ちそれは、彼が暁学園の誇る最強戦力であることを意味している。であるならばそれはステラにとっても好都合だった。

 

「蒼天を穿て、煉獄の焰ッ!」

 

 紅蓮の炎熱を纏い、ステラの霊装《妃竜の罪剣》が天高く掲げられ、一呼吸の間に灼熱の大剣へと変貌していた。逆巻く炎は周囲の大気を食らい、その名の通り天壌を焼き尽くさんばかりに破壊の渦を天高く立ち昇らせる。

 

(アリスの作戦が外れてからこっちの士気はガタガタ。強引にでも主導権を捥ぎ取る必要がある!)

 

 それ故の《天壌焼き焦がす竜王の焰(カルサリティオ・サラマンドラ)》。ステラの持つ最強にして最大の伐刀絶技。

 およそ対人としては過剰すぎる威力であることはステラ自身がよく理解していたが、しかし敵は愛すべき母校を破壊し尽くした仇敵だ。容赦の必要は微塵もなく、同時に油断も欠片すらない。

 一撃だ。

 全力の初手によって王馬を斃し、最悪一撃で斃せなかったとしても応手の隙すら与えず焼き尽くす。これによって敵の最高戦力を潰し、闘いの形勢を一気にこちらに呼び込むのがステラの狙いだった。

 

「――ずっとアンタの視線を感じていたわ、オウマ・クロガネ。アタシと闘いたいんでしょう?」

 

 ならば望み通りに受けて立つ。

 雄弁に語るステラに、相対する王馬は目を細めることで応えた。黙して語らず、しかしその鋭い双眸は()()()()()()()かのように灼熱の大剣を見上げている。

 この場の全てが予感した。これから二人のAランクが激突し、それが開戦を告げる狼煙となると。

 王馬はその二つ名の通り風使い。そしてステラと同じくAランク。ステラが初手で大技を放つのならば、考えられる応手は一つしかない。

 《月輪割り断つ天龍の大爪(クサナギ)》――それは《風の剣帝》が誇る最強にして必殺の伐刀絶技。

 もちろん王馬ほどの伐刀者ならばステラの攻撃を躱すことなど容易だろうことは想像に難くない。しかし目の前で仁王立ちするこの男が、そのような軟弱な選択をすると考える者はこの場には一人としていなかった。

 必ずこの男は迎え撃つ。それも一歩も退くことなく、この灼熱の炎剣を相手取るはずだと。

 

 

 だが、後に人々は理解する。

 それは黒鉄王馬という男をあまりにも侮ったが故の発想だということを。

 

 

 その場の誰もが瞠目し、祝ですらも意外そうに眼を瞬かせた。

 味方であるはずの暁学園の面々ですら訝し気に王馬を一瞥する。

 そしてステラは唖然とするあまり、瞬間的に思考停止に陥っていた。

 なんと《天壌焼き焦がす竜王の焰》を前にして、王馬は抜き放った野太刀の霊装《龍爪》をだらりと下げたまま()()()()()()()()()。それどころか、まるで「つまらないものを見た」と言わんばかりに不快そうに鼻を鳴らし、そして一輝たちが去っていった方向を忌々し気に睨む。

 

「あのペテン師が。これほどの原石がまだこの領域とは、全く失望させてくれる。やはり奴は《紅蓮の皇女》に並び立つべき器ではない」

「あ、アンタ何を――」

「《紅蓮の皇女》、念のために、万が一を警戒し、己の未熟さを疑い一度だけ確認してやる」

 

 ステラの困惑を余所に、王馬は見るからに白けた様子で再び視線をステラへと向けた。

 そしてステラは理解する。既に王馬の視界に、自分の姿がないことに。もう先程まで自分に向けられていた闘志はなく、残っているのはまるで地を這う蟲ケラを見下ろすかのような……

 

 

 

「――これがお前の全力か?」

 

 

 

 交わる視線。

 放たれた言葉。

 そして叩き付けられる“殺気”。

 

「ひッ……」

 

 その瞬間、ステラは生まれて初めて心の底から人間を相手に竦んだ。理解できないほど強大で、意味がわからないほどに隔絶した実力に背筋が凍り付く。

 そして理解した。自分を()()()()この男の前で生存を許されていることが、ただの気紛れという名の奇跡によるものでしかないという事実を。王馬がその気になれば、その瞬間に自分は死ぬ。逃げることも抗うことも許されず、指の一本を動かす暇すらなく命を蹂躙される。

 そこに同じAランクであるという評価など何の意味も持たなかった。存在しているのは、経験したことがないほどの恐怖だけだ。

 

「あ……あっ……」

 

 あまりのプレッシャーに息すらできない。眼力だけで全身の筋肉が縮み上がり、恐怖は血流すらも凍り付かせる。

 世界最高の魔力を持つステラは、間違いなく最高の潜在能力を持つ逸材だ。才能という観点から見れば、彼女に勝る伐刀者などこの世に存在しないだろう。しかしステラはこの日、世界には自身を矮小な弱者でしかないと見做すことができる人間が存在するという真実を身を以って教えられることとなった。

 この、目の前に佇む絶対強者によって。

 

「――やはりその程度か、竦み上がることしかできんとは。《告死の兇刃(デスサイズ)》はこの程度、平然と受け流したぞ」

 

 失望と呆れ。

 それが王馬の目が語る全てだった。

 しかし彼もこのまま終わらせるつもりはないのか、その人外染みた殺気を滾らせたままにゆらりと《龍爪》を頭上へと持ち上げる。それだけでステラは、その優れた才覚と本能から自分の命運が尽きかけていることを悟った。

 

「手加減はしてやる。本物の『強さ』の意味をその魂に刻んで眠れ」

「う――ぁぁぁぁあああああああッッッ!!!」

 

 剣を振り下ろすことができたのは、死を恐れる本能からだった。

 恐怖と絶望と僅かに残された理性が、目の前の死の脅威を排除せんとステラの魔力と筋力を稼働させる。大地へと叩き付けられた劫火は、破壊の嵐となって斬線の延長上に存在する全てを蹂躙した。まさにAランクの名に相応しい、あまりにも人間離れした威力。

 

 もっとも、その破壊を向けられた王馬からすればあまりにもか弱い“火”でしかなかったが。

 

「――嗚呼」

 

 王馬の口から、溜息とも欠伸とも思える気の抜けた音が漏れる。

 そして眼前に迫る劫火を前に、思い出したかのように王馬は《龍爪》を振り下ろし……

 

 

 ひゅるり――

 

 

 それは暴風と呼ぶにはあまりに洗練され、しかし旋風と呼ぶにはあまりにも鋭すぎた。

 王馬の斬撃に合わせて放たれたその一陣の風。

 それはステラが最強と謳う《天壌焦がす竜王の焰》と交わった瞬間――紅蓮が、火の粉を残し真っ二つに裂けた。炎も、熱も、光すらも断ち切られ、僅かな拮抗すら許されず、あまりにも呆気なく勝敗は決していた。

 否、それだけで終わるはずもない。

 

「――えっ?」

 

 それが意識を闇に呑まれる寸前にステラが発することができた言葉だった。

 王馬の風は紅蓮の炎剣を断ち、僅かな威力の減衰を見せることもなくそのまま直進。その使い手たるステラの脳天から股先までを一刀の下斬り捨てた。

 やがて一拍遅れ、炎と共に引き裂かれたことにようやく気が付いた大気が爆ぜる。それは最早、颶風だった。王馬に刻まれた斬撃の跡をなぞり、颶風が気を失ったステラへと襲い掛かる。意識のないステラがそれを耐えられるはずもなく、彼女は受け身すら取ることも出来ず、校舎の残骸をいくつも砕き、貫き、そして幾度も地面を弾んだ末に――学園の敷地の外にまで吹き飛ばされてようやくその身を横たえることが許されたのだった。

 

「そんな……馬鹿な……」

 

 そう漏らしたのは一体誰だったのだろうか。

 しかし誰の言葉であれ、それが敵味方を含めたこの場の全ての人間の心情を代弁したことは間違いないだろう。

 あの《紅蓮の皇女》が、世界最高峰の魔力を身に宿した天才が、同じAランクの、それも学生騎士にこうも一方的に敗れ去った。その事実を誰もが受け入れられない。王馬が先程の言葉を違えず《幻想形態》で魔術を繰り出したために、ステラの柔肌には傷の一つすらもないが……もしも王馬がその気すら起こさなければ、彼女は今頃血の霞となってこの世を彷徨うこととなっていただろう。

 あまりにも異質なその強さ。

 それは学園の代表選手といえども学生騎士(アマチュア)でしかない彼らの戦意を砕くには充分すぎるものだった。

 

「この、怪物(バケモノ)め……!」

「嘘だろ……どうすりゃ倒せんだよ、あんな奴……」

 

 勝てる気がしない。

 まず、葉暮姉妹の姉である桔梗が霊装の槍を取り落とした。続いて妹の牡丹が膝を屈する。生徒会の面々は戦闘態勢こそ崩していないものの、既に戦意は削がれたも同然だった。

 そして大きく戦意を削がれたのは刀華も例外ではない。もしも彼女の背後に守るべき仲間たちがいなければ、今頃は彼女も膝を地に付けていただろう。しかし刀華を支える最後の柱が――その覚悟と信念がある限り彼女の意志はこの絶望的な状況でも挫けはしない。

 

 だが、刀華はショックのあまり忘れていた。

 

「す――」

 

 敵味方の誰もが王馬に畏怖する中。

 常識的に考えれば絶望の底に突き落とされても仕方のないこの状況。

 そんな場において、むしろ狂喜乱舞してしまう狂人がその傍らにいたことを。

 

 

 

「すっっっっっごぉぉぉぉぉいッッッ!!!」

 

 

 

 その言葉に畏怖はなかった。

 そこにあるのはただ“感動した”という、ありきたりでこそあるが人間の最も原始的な感情だった。

 誰もが恐れ戦くその惨状を目にし、ただ一人――疼木祝という少女だけが目を輝かせていた。拳を握り締め、興奮のあまり小さくその身を跳ねさせる。まるで幼子のように感情の抑えが効かないのか、「凄い凄いッ」と止むことなく口走り続けていた。

 

「東堂さん東堂さん東堂さんッッ! 今の見ました今の!? ステラさんのバ火力を相手に一撃ですよ一撃ッ! 一撃!! しかも瞬殺って……もう本当に王馬くん凄いッ! 凄い凄い凄いッ!」

 

 言葉だけで感情を抑えきれなくなった祝は、遂に唖然とする刀華へと抱き着いてしまうほどだった。その異常な反応には敵である暁学園の生徒たちですら閉口し、むしろ王馬とは別種の薄ら寒いものを感じざるを得ない。

 だが、当の王馬はまるで動じていない。それどころか祝の奇行に呆れたように眉を顰めていた。

 

「貴様は六年経とうと全く変わらんな。その拙い語彙で“獲物”を褒めちぎる癖はまだ残っているのか」

「だって凄いものは凄いじゃないですか! あの時の少年がまさかここまで成長するなんて思っても見ませんでした! 凄すぎて“凄い”しか言えないくらい凄いです! 今になって思うと本当に――本当に六年前に殺し損ねていて良かったぁ」

 

 たった一言。

 その言葉が発せられた瞬間、抱き着かれていた刀華は自身の死を幻視した。内臓が裏返り、脳が内側から爆ぜたとすら感じた。あるいは抱擁のために回されたこの細い腕が自分を絞め殺したのかとすら思った。

 

 そう錯覚してしまうほどに溢れ返る濃密な“死”の気配。

 

 殺気ではない。闘気でもない。

 ただ概念としての“死”が刀華を覆い包む。その尋常ならざる感覚に、刀華は確かに自分の魂が黒く重い何かに押し潰されていく感覚を刻み込まれた。

 

「うッ、おえ゛え゛え゛……!」

 

 気が付けば刀華は祝を突き飛ばし、その場に吐瀉物をぶち撒けていた。

 いや、刀華だけではない。選手団の面々は一様に顔を青褪めさせてその身を震わせ、暁学園の精鋭たちですらもその地の底から滲み出るかのような不気味すぎる気配に思わず後退る。

 平然としているのは王馬だけだ。いや、それどころか彼はピクリとも動かさなかったその表情を歪め、獰猛な笑みを浮かべながら一歩を踏み出していた。

 

「殺し損ねたのはこちらとて同じこと。あの日以来、餓えと渇きで俺の魂が休まる日は一日としてなかったぞッ……」

 

 一歩、また一歩。

 王馬が歩く度に天が震えているとすら錯覚するような、尋常ではない殺気。

 

「私も心残りでしたよ? でもこんなに強くなって戻ってきてくれたのならあの日の残念な敗北にも意味がありました。凄く強い貴方を殺せば、それって大鎌がもっと凄いって証明できるってことなんですから」

 

 蹲る刀華には目もくれず。

 祝はその手に大鎌《三日月》を顕現させると、まるで手足の延長であるかのように滑らかな動作で一旋させた。

 

 その瞬間、二人の戦闘準備が整ってしまったことを周辺の全ての生物が悟った。

 

 全てを押し潰さんと天が動く。

 全てを呑み込まんと地が啼く。

 殺意と狂気が鳴動し、耐えられないとばかりに日輪が分厚い雲の衣にその身を隠す。大気すらも息を潜めたかのように沈黙し、周辺の野鳥や獣たちが一斉に身を翻してその場を後にした。

 

「――くは」

「――あは」

 

 自然と二人の顔には笑みが毀れていた。

 美男と美女が見つめ合い、その笑みを交わし合う。言葉にすれば仲睦まじい関係としか思えないその動作だが、しかし野太刀と大鎌を手にしながら向かい合うこの二人を見てそれを懸想する者はこの世に存在しないだろう。

 しかし太陽だけはその光景に油断したのかもしれない。

 笑い合う二人に向けて雲間が途切れ、一瞬の光明が――

 

 

死ねェッッッ!!

 

 

 刹那、闘いの火蓋が切られた。

 

 

 




キリが良いので今回はこの辺で。
結構強引に話を進めてしまったので反省しています。

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