自動書記の、自動書記による、禁書目録のための。 作:ふらみか
*第一一章*
ゆっくりと。それこそ、歩くより遅い速度で。けれど、確実に。
一度暗闇に沈みきった意識が、じわじわと浮かび上がって五感に行き亘り。
「……、ん…………」
重かった瞼は、なんとか動いてくれた。
ようやく夏の陽射しが強く刺激をしてくる。
「ま、眩しい……」
起き上がろうとして、身体が上手く動かないことに気付いた。
とりあえず、どうしてこうなったかを思い出す。
……神裂に蹴られたんだっけな、俺。
なんでだ?
……ほんと、なんでだ?
急に襲ってきて、理由を聞いたらインデックス絡みだってことが分かって、問いただしたけど結局何も分からないままで……。いや、一つ分かる。神裂が俺を襲った理由は、俺に知られたらまずいってことだ。
一体なんだ、俺に知られたらまずいことってのは。
インデックス関係……俺の記憶に関することか? いや、でも神裂は俺が記憶喪失ってのを知らないはずだし……。噂は出てるだろうけど。なんだったらステイルとか、それこそインデックスから聞いているかもしれないし。
そこに俺が知っちゃまずいことなんてないはずだ。そもそもインデックスには、このことを話している。
なんなんだ、俺が知ってはいけないことってのは。
俺は右手に力を込めた。少しだけ動いた。まだ力は入らない。
……よし、とりあえず考えるのは後だ。
今は俺がどういう状況にあるか、だ。
首を動かしてみる。少し痛みがあったが、動いた。
見慣れた室内だ。小萌先生のアパートか、ここ。
インデックスは……いないか。さっきから静かだもんな。
俺は布団に入ってるのか。少し動きがマシな右手だけでも布団から出せないだろうか。
「いッ、……ってて」
どうやら、上手く体が動かせないだけみたいだ。
右手を閉じたり開いたりしていると、少し感覚が戻ってきた。
よし、これで起き上がれるだろうか。
そう思ったのも束の間。
「起きましたか、上条当麻」
俺を呼ぶ声が聞こえた。方向からして玄関の方か。鈍い身体をなんとか動かし、とりあえず上体だけを起こした。玄関の方を見ると、そこには。
そこには……ッ!
「神裂ッ!」
「先刻の数々の無礼や非礼、重ねて詫びます。ですが、今は時間がありません。どうか、私の言葉の通りに動いて下さると助かります」
「何でこんなことを――」
「どうか、お願いします、上条当麻。あの子を……インデックスを、救わなければなりません」
――え? 今、なんだって? インデックスを救う? それはどういう意味でなんだ……?
「……インデックスは今どこにいる?」
「あの子は今、我ら天草式の人間が連れ出しています」
「救うっていうのは、一体どういう意味なんだ?」
「……全てをお話ししなければいけませんね」
神裂は一度会釈すると、部屋に上がり、俺の横に正座する。
「まずはやはり、」
神裂は子守唄を唄うように話してくれた。
日付的にいえば、夏休みの始まる数日前から“それ”は忍び寄って来ていた。『自動書記』はそう判断した。
このままでは“それ”がインデックスを精神的に苦しめ、後々悪影響を残してしまう。『自動書記』はそう判断した。
夏休みの始まり……つまり七月二〇日から七月二八日の間に“それ”は存在感を強める。『自動書記』はそう判断した。
最悪の事態を回避する最善の策は、七月二九日まで俺と禁書目録の距離を置く。『自動書記』は、そう導いた。
そして。
“それ”とは。
「『自動書記』が判断した、あの子の精神的苦痛の原因は……」
「……、」
「貴方、です」
きっとこれは、「俺ってんなバカなー! あっははははは! んなわけないだろ? 他になんかあんだろーほれ言ってみろーい!」なんて反応をするべきなんだろうけど。
俺は、納得してしまった。
俺にとっての、インデックスにとっての、七月二〇日から七月二八日の間が何なのか。
あいつに精神的苦痛を与えてしまう理由は何なのか。
「そうか。記憶を失う前の俺、か」
ここまで俺は、静かに神裂の話しを聞いていた。パニックになってないところを見ると、案外受け止められているようだ。
ショックはショックなんだろうけど。
でも、俺があの日記憶を失ったこと。今までそれを黙っていたこと。
この事を、インデックスが受け入れられない可能性を、俺は考えていなきゃいけなかったんだ。
ベツレヘムの星で霊装越しにインデックスと話して、例えその場で許されたとしても。俺が学園都市に帰ってきたとしても。その後に、また色々と首を突っ込んでいいと言われたとしても。きちんと帰ってくればそれでいいと言われたとしても。
その可能性を、もっと考えていなきゃいけなかったんだ。
「やはり、そうだったのですね」
「……神裂は、知らなかったか?」
「いえ……噂は聞いていました。ですが、その……やはり信じられませんよ。貴方があの子を救ったという記憶が……今まで誰もできなかった、地獄の連鎖から彼女を救ったという記憶が、ない、というのは……」
「アイツを救ったのは俺じゃないよ」
そう言った途端、神裂は何か言おうとして俺に迫ったが、それよりも早く俺は言葉を続ける。
「アイツを救ったのはさ、やっぱり俺じゃない。じゃなきゃ、アイツが苦痛を感じるなんてないと思うよ」
「それは……違い、ますよ」
神裂の否定は弱々しかった。
「俺はインデックスとどうやって出会ったのかとか、どうして救わなきゃいけなかったのかとか、どうやって救ったのかとかさ」
夏なのに、背筋に鳥肌が浮いている。俺自身、怖がっているのかもしれない。ベツレヘムの星の時も怖かった。それと同じくらい、今も怖いのかもしれない。
それでも俺は言葉を続ける。あの時がそうであったように。
「知らないんだ。忘れたとかそういう話じゃなくてさ。最初から、そこの記憶はないんだ」
「……、」
「前の俺はあの日、この俺と入れ替わったようなもんなんだよ。バトンタッチしたみたいにさ」
俺は右手を見つめる。異能の力ならなんでも打ち消せる右手。作りだされた幻想を壊す右手。
だけどそこには、現実を壊す力はない。
俺が記憶を失ったという現実は、決して壊れない。
「お言葉ですが、」
「……ん?」
「貴方は貴方です。一年間、貴方と接してきて、私はそう思いました。記憶のあるなしで、『貴方』は揺らぐものではありません」
「……知ってるよ」
「上条当麻はこの一年間、間違いなく上条当麻でした」
こういう言葉も、右手は壊せない。だから、神裂は言葉を続けられる。
「きっと、明日も、明後日も。次の一年も、その次の一年も。例え、再び記憶を失ったとしても。貴方が記憶を失くしたとしても、私達が覚えています。ずっと、ずっと、ずっと、持ち続けます。私達が出会う前の分の記憶は、それぞれの方が持っているはずです。絶対に、途切れたりしていないはずです。貴方はそういう人ですから」