文化祭当日。
心地よい秋晴れの中、体育館でいつになく歯切れの悪い実行委員長の言葉により文化祭が始まった。
どこもかしこも呼び込みの声が響き、どの廊下も確かな熱量を持って人を迎えている。極彩色にあしらわれた壁からは我がクラスこそが一番面白いという矜持を感じられ、道行く人々に求めよ、然れば与えられん。の精神でその扉を広くして待ち構えている。
どこから仕入れたのか、馬の被り物をした男や、豚の被り物をした豚、今会いに行けるアイドルグループのような格好をした男が自分のクラスの宣伝をしながら廊下を闊歩している。
誰得だよ。
文化祭当日での俺の主な業務は、問題がないかを巡回しながらあとで販売する用の写真を撮ることと、常にインカムをつけて他の実行委員から受ける問題を調べる事だった。
気紛れに写真を撮りながら独りで練り歩く。
勿論、文化祭実行委員という腕章を着けているので、変質者には見られないはず。多分。
二時間ほど見回ったときにインカムから連絡が入った。
「比企谷君。聞こえているかしら」
インカム越しの彼女の声は、耳元で囁かれているようで、人通りの多い廊下でこの声が聴こえているのが俺だけだということに何故か背徳感をおぼえた。
「ああ、聞こえてるぞ」
「何処かで、占いをしているところがあるらしいのだけれど、そんな申請無かったわよね」
「俺が知ってる限りでは無かったな」
「もし見かけたら、辞めるように言って私に連絡を頂戴」
「はいよ」
「じゃあ、また何かあったら」
「おう」
文化祭は必ずと言っていいほど羽目を外しすぎる輩がいる。
きっとその占い師モドキもそうなのであろう。占うとか言って、乙女たちの手を合法的に握れるだなんて、なんてうらやまーーけしからんことだ。
見かけたら少しの間交換してもらうとしよう。
のべつまくなしに写真を撮りまくり、篠山紀信かはたまたパーか、とにもかくにも怪しげな風体を連想させること請け合いな行動をとりながら廊下を歩き、まだ見ぬエセ占い師に思いを馳せていたらインカムから連絡が入った。
「ヒキタニ君、聞こえるか」
インカム越しのこいつの声は囁かれているようで、人通りの多い廊下でこの声が聴こえているのが俺だけだということに気持ち悪さをおぼえた。
いや、人通りが少なかったとしたら余計に気持ち悪い。
「んだよ」
「どこかで、こたつが移動しながら生徒達を引きずり込み、鍋を振る舞って構内を彷徨いているって噂を聞いたんだが、そんな模擬店の申請無かったよな」
「書類のやり過ぎか、少し休んどけよ。じゃあな」
「いや、本当らしいんだよ。韋駄天コタツなんて言われてるらしい」
「はいはい。見かけたら辞めるように言っておくから、早く休めよ」
「おい、待てっ――」
耳からインカムを外して、何事もなかったかのように廊下を放浪する。俺の分の書類を然り気無く混ぜすぎたお陰で幻覚まで見るようになってしまったのか。
大体、コタツに鍋って季節外れもいいところだ。
この残暑厳しいなかでそんなことを考えるやつの気が知れない。
○
自分のクラスの出し物も見に行かずふらふらとしていたら由比ヶ浜と遭遇した。
ばったりと会うなり後ろ手に隠していたクッキーを渡して来た。クッキーをずっと持ち歩いていたのだろうか。
よもや俺に惚れているのかもしれないのではないのかと、自意識を悶々と膨らませ眠れない夜を過ごしたものだが、騙されてはいけない。
これは、ただの御礼であり、その延長線上で由比ヶ浜が俺に親近感を抱くことはあるかもしれないが、恋心に発展するのは全くあり得ないことで、新薬の実験台にしていると言った方が可能性はある。
そうでなければ、この薬の味がするクッキーを渡してくるはずがない。だから、冷静たれ。比企谷八幡。
「お前は、俺をモルモットかなにかと勘違いしてるのか」
「ちがうし、何でそうなるの」
「このクッキー、薬の味がする」
「おかしいな。なにがいけなかったんだろう」
彼女は首を捻り、ぶつぶつと呟いている。
その単語のなかにドクターペッパーや、ローズマリーといったものが含まれていたが、そんなものはニートの探偵か厨二病の大学生にでも食わせておけばいい。
まだ、桃を入れていた時の方がよかった。
「頼むから今度からは味見をしてから持ってきてくれ」
「う、うん。ごめんね」
俺としては至極全うな切実たる願いであったが、しゅんとした顔をして彼女は俯く。
犬耳でもあればきっと垂れ下がっているまである。
「……それと、サンキューな。今度何かで埋め合わせするわ」
「うん。えへへ」
俺はどうにも彼女に弱いらしい。
花が開いたかのような笑みを浮かべ、しっぽでもあればぶんぶんと振り回しているまであるだろう顔を見ると、実験体になっちゃうのもいいかもしれないと思えてくる。
……ここで彼女に何か話しかけてどこか二人で出掛けてしまっても良いのではないか。
今まで真面目にとは言い切れないがキチンと実行委員としての職務を果たしてきたつもりだ。それでこのまま一人で写真を撮り続ける苦行を歩き、永久映写機として文化祭、延いてはこれからの人生を進んでいくことを良しとしてもいいのか。
違うだろ。薔薇色のスクールライフを謳歌するんだろ。
「あの……さ……」
「はーちーまーん」
いいかけたその時、豚の被り物をした豚がぬっと出てきた。
「ひっ」
「うわっ、なんだよ。お前」
「我だよ我。お主の朋友だよ」
くぐもった声であろうことか俺の友と名乗る男。
材木座義輝。
道行く10人のうち8人が熊の妖怪と間違えるような容姿を持つ男だ。
残りの2人はきっと妖怪に違いない。
中二病で暑苦しく、他人の不幸で飯が三杯食べれるというおよそ誉められる所の無い、特定外来種、犯罪係数300オーバーの執行対象の存在で、通称恋の邪魔者。
体育の授業で組んでからというもの、なにかと俺に構ってくるようになった。
中高生向けの小説家、つまりはライトノベル作家というものになろうとし、日々人の恋路の邪魔をして、気持ちの悪い妄想と特定学物質に指定されるであろう男汁的なものをたぎらせ創作活動にぶつけている。
そのおかげでこいつの書くものは、それはもう欲望だか願望だかの得たいの知れない何かを纏わせているものだから、読む人間にそこはかとない生理的嫌悪を感じさせ、有害指定図書として未来ある青少年に見せることすら憚れるすらあった。
それを毎回読ませられては、サイゼリアでその本の内容をボロカスに酷評するのがお約束になっていた。
「何故だかお主からラブコメの波動を感じたから参上仕った」
「すみません。俺、沙悟浄じゃないんで人違いじゃないでしょうか。天竺なら確か三年の出し物に似たようなのがあるからそこにいけばわかると思いますよ」
「むう、我は猪八戒ではないというのに」
「むう。じゃねーよ。どっからどうみても猪八戒のコスプレだろそれ」
「あはは、じゃあまたねヒッキー」
「お、おう」
「じゃあ、我もこれで。ぐぇっ」
若干、引きながら去っていった由比ヶ浜を見て、満足そうに去っていく材木座の首根っこを掴む。
「おい、お前本当に何しに来たんだよ」
「そんなに睨み付けてくれるな」
「おい、無駄に引っ付くな。暑苦しい」
「だって寂しいんだもの」
「この寂しがり屋さんが」
「きゃっ」
豚の妖怪に引っ付かれることに一瞬デジャブを感じるが、こんな気持ちの悪い事二度も起きてたまるか、と無理矢理材木座をひっぺがえす。
「で、何の用だ?」
「用などない。だが、決まっているであろう。幸せが有限の資源であるとするなら、我に幸せが回ってくるまで、誰にもその席に座らせなければいい。それだけの事よ」
そんな、悲しき一人フルーツバスケットだか椅子取りゲームをしている材木座は、フッ、とニヒルに笑いくるりと裾を靡かせて後ろを向いた。
その後ろ姿を見て、このホモサピエンスの面汚しめ、神様どうかこいつに天罰を、と願わずにはいられなかった。なむなむ。
「そうだ。今、一寸したことを行っている。文化祭の最後辺り暇があったら屋上に来てくれ。歓迎しよう」
「絶対にいかないから安心しろ」
「そうか、そうか。それは残念だな」
のっしのっしと去っていく材木座を見送り、それにしても、人間というのは学ばない生き物なのかそれとも俺が阿呆なだけなのかと反省をする。
材木座が現れてくれなかったら、迸る熱いパトスで思い出を裏切った挙げ句、またひとつ黒歴史を作り、校舎の屋上から空を抱いて羽ばたき、神話になるところだったかもしれないというのに。
やはり文化祭の魔力は恐ろしい。
ふう、と息を吹き出し、気合いを入れ直して業務へと戻った。
やっとこさ休みをもぎ取って夜は短し歩けよ乙女を観に行きました。
目まぐるしく変わる展開と可愛らしい映像は、まるで縁日のサイダーの様にパチパチと夜を彩ってくれ、思わずロボットダンスをしながら夜道を帰りそうになりました。
まだ観られてない方がいらしたら明日までですので、是非一度観られては如何でしょうか。