猫ラーメンというのがあるらしい。
真偽のほどは定かではないが、何でもその屋台では猫で出汁を取っているという。
そして、その味は無類だと評判になる程。
しかし、インターネットで検索しても出てこない、実際に食べた人も聞いたことがない、と都市伝説の一つではないかと言われている。
その噂を聞いた俺は、いつからか猫ラーメンとも言われている屋台を探しにふらふらと夜の街へ抜け出し散策するのが日課となっていた。
そんな冬のある日。
というより地元の祭りの当日、俺は今日も猫ラーメンを探して町をふらついていた。
それというのも、愛しき妹の小町の
「今日は友達とお祭りに行ってくるから晩御飯は自分でなんとかしてね。でもお兄ちゃんも雪ノ下さん達とお祭りに行くのかな。じゃあお土産はいらないから、お話聞かせてね。今の小町的にポイント高い」
と言う発言で最初に晩飯をどうにかするしかなくなったからだった。
ちなみに彼女たちからは、勿論声もかかっていない。そもそもあの一件以降、殆ど顔も合わせていない。
そんな状況で部屋にあるのは、奉仕部の二人と仲が拗れる前に何故かモジモジしながらもってきてくれた、由比ヶ浜産のクッキーと常時置いてあるマッ缶のみである。
祭りの日に一人寂しく部屋でクッキーをかじるかラーメンを啜るかで迷ったが、食欲には勝てなかったよ。
くっ殺
そんなこんなで今日こそはと噂のあった高架下へ向かうと、ぽつりと佇む屋台を見つけた。
これが猫ラーメンなのかと期待する気持ちを抑え席に座る。
先客がいたが気にせずにラーメンを注文すると隣から、比企谷ぁ比企谷ぁと何やら声が聞こえてきた。
ちらりとの覗き見るとぐでんぐでんに酔っぱらった平塚先生の姿があった。
「うわっ、出た」
「お前はそうやっていつも私を妖怪扱いして楽しいのかぁ」
「そういうつもりじゃないんですが、タイミングというかなんというか。というよりどうしたんですか祭り当日だってのに、こんなに酔っぱらって」
「合コンで、合コンで……うわああああ」
脳内の選択肢で、俺でよければ話を聞きますよ。と、そっとしておこうの二通りが出てきた。これは、もしや絆の力で敵を倒すアトラス的なあれか。とも思ったが、圧倒的コミュニティ不足である。なんなら最初の影にやられてしまうまである。
即座にそっとしておこうを選んだ俺だが、意に反さずに平塚先生は絡んでくる。
その内容は多岐にわたり、女性という生き物はから始まり、彼女の小学校時代の甘い初恋にまで及んだ。
噂通り絶品であった猫ラーメンを食べ終わった後もずっとしゃべり続ける彼女を抑え、屋台を出るころには何時ものように説教へと変わっていった。
「比企谷、お前はもう少し自分というものを大事にすることは出来ないのか」
「俺は自分が一番大事だと思っていますけど」
「いいや、違うな。いつも奉仕部に依頼される問題は君が傷つくことによって解消されていた。まあ、それは生徒会長になった雪ノ下にも言えることだが」
それは仕方ないじゃないか、コミュニケーション能力の圧倒的不足や状況を鑑みて最善を取っているだけなのだから。
「そんな君が、自分の事を一番大事に思っていると言ったところで、説得力は無いな」
「……前向きに検討しておきます」
「君が傷つくと悲しむ者がいることを忘れるなよ。私だってその一人だ」
からからと笑いながら言う彼女を見て、本当に何故この人にいい男性が現れないか不思議でしょうがないと場違いな感想をもった。
「先生が奉仕部へと連れてきてくれなかったら、もっと違う人生があったのかもしれませんね」
「それは無理だ。君が道を踏み外そうとしてもいくらでも私は日の当たる道に戻してやる。全力を尽くしてな」
公衆灰皿に吸い殻を入れながら彼女は言う。
その言葉がやけにむず痒く感じ、何かを言わなくてはいけないという気持ちになる。
「良く、自分探しって言って旅に出る人がいるじゃないですか?」
「そういうやつもいるとは思うが、それがどうかしたか」
「旅したからって自分がどこにあるか、何てわからないと思うんですよね。別にルーブルで恭しく展示されてる訳でもないし、月の裏側にあるわけでもない。だからといって、そこら辺の道端に落ちてるものでもないし、行き付けのコンビニなんかでも売られていないと思うんですよ。……で、旅から帰って自分の部屋を見たら転がってたりする」
「それで、君はどうしたい ?」
自分でも言いたいことが混乱してきた時に、優しい声色でまるで教師のように彼女は語りかける。
いや、そういえば彼女は教師だったな。
「君のいう通り、自分自身なんて結局そんなもんだったりするさ。旅は病気と同じだよ。無くなって初めて日常の有り難みを感じることのできる手段なのだからな」
そう、人は自分の力でそうそう変われるものではない。
だから、ここに連れてきてくれた彼女に感謝と少しの恨みを持つのだ。
言い回しが回り口説くなったが、今はこれが精一杯。
「君の言いたい事は大体分かった」
彼女は二箱目の煙草を取りだし、火をつける。
「まあ、春は短し旅せよ青年。桜は速く枯れてしまうぞ」
彼女の吐く煙が空へと吸い込まれていく。
「……どうして、そこまでして俺のことを気に掛けるんですか」
そういうと彼女は笑いながら小指を立てた。
「私達は運命の糸で結ばれているんだ。それに……」
一呼吸おいて、満面の笑みで答える
「私なりの愛だよ。愛」
この破壊力は不味い。生徒と先生のアバンチュールに走りそうまである。
が、相手は酒臭い、相手は酔っぱらい、相手はアラサー、相手は教師
よし、なんとか大丈夫。
「……すまん。酔ってるみたいだ」
「知ってます。それにそんな重い物要らないですよ。先生」
「ぐはっ」
がくりと崩れた後、彼女はコンビニでお酒を買いヤケ酒だとばかりに飲み干す。
そのまま、2人でぶらぶらと歩いているが、心なしか先生がくっついて来るように感じる。
「というか近いですよ先生」
「だって寂しいんだもの。それに夜風が冷たいの」
「この、さびしがりやさん」
「きゃ」
と、こんな会話をしても彼女に惹かれないぐらいに回復した俺は、いい気分になった先生と共に祭りの雰囲気を感じる公園を横切る。
そこで、占いという何とも怪しげな看板を掲げた露店を見つけた。
「比企谷、ちょっと寄ってみよう」
酔っぱらった彼女に怖いものはなく、イチャイチャとするカップルにフシャーと威嚇しながら白い布を掛けた台を前にしている人のところへと向う。
何やら妖気をまとわせ、無駄に説得力がありそうな場所だった。
フードで顔を見ることは出来ないが、こんな妖気を無料で垂れ流している人物の占いが当たらないわけない。
きっとフードは俺の欲する薔薇色のスクールライフへの道を客観的に指し示してくれるに違いない。と妖気に吸い込まれるように足を踏み出した。
「あなたはどうやら真面目で才能もおありのようです」
フードの慧眼に脱帽した。
「しかし、このままではあなたは伴侶に巡り合えず、結果、イニシャルがY・ZかS・Tの男性と将来過ごすことになりましょう。ぐ腐腐」
笑いかたが特徴的なその占い師はよりにもよって、野郎のみで歩んでいくという訳のわからない未来を予言した。
「そんなことってあんまりじゃないですか」
「その未来を変えたぐば、好機を逃さないことです」
「好機?」
「キーホルダーと首輪です。それが好機の印、好機がやってきたら逃さない事。その好機がやってきたら、漫然と同じことをしていては駄目です。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらんなさい」
キーホルダーと首輪に心当たりを求めようとするが、あと一歩のところで思い出せないもどかしさを感じる。
しかし、隣で聞いていた彼女によってその考えは隅へと追いやられた。
「私は、私の、私の好機の印とやらはいったい何なのだ」
「先程逃したようですね。もうありませんよ、独りです」
「ぐはっ」
本日二度目の崩れ落ちは、それはそれは見事なorzを描いていた。
「良いですか、キーホルダーと首輪です。好機はそこにございます。努々お忘れなきよう」
野口さんを召喚しその場を去ると、隣から何やら声がする。
「ふふっ、ははっ、フゥァーハハハッ。いいじゃないか独身だって……合コンに失敗したっていいじゃないか!!」
白衣をバサァとしながら高笑いをする彼女は、紛れもなき狂気のマッドサイエンティストのそれだ。
「ええじゃないか、ええじゃないか」
ええじゃないか、ええじゃないかと壊れかけのRadioのように叫びながら彼女は祭りの人混みまで行脚していく。
さっきまで俺に諭していた大人は何処へ行ってしまったのか。
成る程、独身な訳だ。
「何、阿呆なこと言ってるんですか先生」
「煩いぞ比企谷。ええじゃないか、ええじゃないか。ほらお前もやれ」
仕事帰りのサラリーマンや祭りに来ていた学生らしき人がびくりとこちらを見るがお構い無し。
そんな彼女の叫ぶ姿を見ているとなぜだか哀しくてしょうがなくなってくる。
しかし、一応大恩ある先生、見捨てるわけにはいかない。
ならばこちらもと自棄になり、溜め息をついた後ええじゃないかと叫び出す。
「くそっ、ええじゃないか、ええじゃないか、独りぼっちでもええじゃないか、ええじゃないか」
「ええじゃないか、ええじゃないか、独身だってええじゃないか、ええじゃないか」
訳の分からない百姓一気を行う内、中々に愉快な気分になってくる。
何事かと集まってきた人に彼女は肩を組み、巻き込みながらええじゃないかと叫ぶ。
肩を組まれたサラリーマンが、万年平でもええじゃないか。と叫び出す。
祭りに来た人々が感化されたのか少しずつええじゃないかと叫ぶ人が増え、ちょっとした、ええじゃないかの大名行列のようになりながら一行は橋へと着く。
橋の向こうからは、大勢の集団が何やら気色ばんだ表情で何かを探すように彷徨っているが、橋に着き20分位たつと、何かを探していた集団をも取り込み、辺りはええじゃないかの声一色になり『ええじゃないか』他の音が聴こえなくなる『ええじゃないか』程の大合唱『ええじゃないか』になった。
なぜだか気分が晴れ『ええじゃないか』笑いながら川の方に目をやると、『ええじゃないか』泣きそうになっている由比ヶ浜と雪ノ下が『ええじゃないか』いた。
どうやら、この騒ぎに巻き込まれてしまったようだ。
声を聞くことは出来ないが、由比ヶ浜を守るようにして立つ雪ノ下は良い訳無いじゃない。と言っているように見える。
冷戦状態でも流石に何ヵ月も同じ部活をしていた仲で放っておくことも出来ず、隣にいる平塚先生に声をかける。
「ちょっと、『ええじゃないか』先生」
「『ええじゃないか』何だ」
「あそこに『ええじゃないか』下と『ええじゃないか』ヶ浜が」
「え、なんだって?」
精一杯声を張り上げるが、全く聞こえていない平塚先生をおいて、人混みのなかを掻き分けていく。
そうこうしているうちに、彼女たちは橋の隅へと追いやられ、顔は今にも泣きそうに歪み、強く押されたら落ちてしまうのではないかと思われるところにまで来ていた。
彼女達が泣きそうになっているのに、回りの阿呆共の能天気な声で楽しそうにしているのを見ていると、不思議と苛立ちが高まってきた。
「『ええじゃないか』お前ら、なにがええじゃないかだ。ええわけないだろ『ええじゃないか』どけって」
叫んで押し退けて、叫んで押し退けてやっとたどり着く。
「大丈夫かお前ら」
「ヒッキーなんでここに」
「いや、まあ、そんなことはええじゃないか」
「どうせまたあなたが阿呆なことでもしたんでしょう」
その通り。
それにしたって、さっきまで泣きそうな顔をして居たのに俺が来ただけで何時もの表情に戻るのは信用されているのか心底あきれられてるのか分からなくなる。
「やっと追い付いた。って、雪ノ下に、由比ヶ浜じゃないか。こんなところでどうした」
「先生こそ追い付いたって、ヒッキーとデートでもしてたんですか」
ぎらりと由比ヶ浜が先生を睨む。
先生は、酔っぱらった赤い顔をさらに赤くして俯いていた。
「いや、先生。否定してくださいよ」
「早く通報しなきゃ」
と携帯を取り出す雪ノ下。
少し冷静になったのか、先生は顔が赤いままだがさっきよりは顔を引き締めいう。
「偶々、猫ラーメンで会ってその帰りだ」
「そうですか。猫ラーメンに行ってたのですね?」
彼女の全てを凍らせるような視線がこちらを刺してくるが、何のこっちゃわからないこっちは所在なさげに手を頭に回すしかない。
「こんなとこで話さなくても良いだろう。取り敢えず早くここから離れるぞ」
と言ったとたんにどこからか
「いたぞ、こっちだ」
と誰かが叫び、その声に向かうかのように人が動き先ほどよりも揉みくちゃにされた。
どこの馬の骨とも知れない奴が雪ノ下にドンとぶつかり、彼女が寄り掛かっていた欄干が悲鳴を上げる。
「くそっ」
無意識のうちに雪ノ下の手を引き、場所を交換した。欄干の外に投げ出された俺が最後に見たのは三様の驚いた顔と大量の紙吹雪だった。
何か叫んではいるが、『ええじゃないか』に押し潰され聞くことは叶わなかった。