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(0) 久路人と雫が吸血鬼に襲撃を受ける日よりも数日前、ヴェルズが結界の綻びを見つけて、今後の計画を練っていた頃。
(0) 日本のある場所で、二つの家による密談が交わされようとしていた。
(0)
(0) そのある場所とは、霊峰富士。
(0) そこは、日本の中でも有数の霊地である。
(0) 大地の奥底を流れる、自然の霊力の奔流である霊脈が地上に顔を出すポイントであり、この忘却界に覆われた現代の現世にあっても、天然の結界が構築されていた。霊能者以外は知覚できず、入ることはできない。そして、霊脈に流れる霊力は世界各地にある霊能者が存在する土地、穴が空いた土地にある霊力が集まったものとされ、本来ならば瘴気も含まれているのだが、忘却界に包まれた現世を長い時間をかけて巡ることで浄化され、人間に害を与えることはない。結界の中は清浄な空気が保たれており、穴や妖怪が現れることもない。
(0) 忘却界が張られた後、人間の意思が絡むことなく張られた強力な結界という存在は霊能者たちにとって争いのタネであった。しかし、学会が台頭してきたことにより霊能者どうしの諍いも抑制されるようになったために、時代が進むにつれて霊能者たちにとって共有の財産として扱われるようになった。
(0) 霊地から溢れる霊力の取り分は持ち回りで各家が受け取ることになり、内部で産出される特殊な霊草や鉱物なども同様だが、それ以上に富士の霊地は霊能者の思惑が混ざらない中立の土地として、複数の霊能者の一族が集まる場となったのだ。
(0) そして今もまた霊地に建てられた雅な屋敷の中で、日本における有数の名家の内二つである月宮家と霧間家の会談が行われていた。
(0)
(0)「なんとも、急なお話ですね。驚きましたよ。まさか月宮の方から霧間と手を組みたいなどという話が来るとは」
(0)
(0) 軽い挨拶を終え、口火を切ったのは霧間の方からだった。
(0) 長い黒髪を首の後ろで一つに結わえた凛々しく美しい少女、霧間八雲はそう切り出した。
(0)
(0)「ほっほっほ・・・こちらも驚いたと言えば驚いたがの。月宮家当主からの申し出に、当主どころか前当主でもない霧間の息女が受けに来るとは。お主が外に出るとなってはさすがに身を案じられたのではないかの?」
(0)
(0) それに答えるのは、見るからに仕立ての良い着物に身を包んだ一人の老人だ。
(0) だが、着ている物こそ上等であるが、その主は矮躯であった。着ているというよりも、包まれていると言った方がいいかもしれない。頭は禿げ上がり、腕や足からも肉が落ちて、骨と皮ばかりの姿。若かりし頃は美丈夫だったのかもしれないが、今の骸骨のような有様を見て、過去を想像するのは難しいだろう。
(0) しかし、その眼だけはギラギラと異様な光を放っており、見るものに威圧感と未だ燃え盛る野心を感じさせる。
(0) そんな老人の名は、月宮久雷といった。もう二百年の間、月宮家の当主を務める人外じみた雰囲気の男であった。その背後には、次期当主と目される月宮健真という男が控えていたが、まるで人形のような表情であり、会話に加わる様子はない。
(0)
(0)「・・・心配は無用です。霧間は日本でも指折りの名家にして、東日本の霊能者たちをまとめる立場。日々の業務も相当なものです。今頃は父と母を補佐にして、各地のもめ事の処理をしていることでしょう。これでも私も霧間本家の娘として研鑽を積んできた身です。兄も、私のことを気にするよりも目の前の仕事をこなすことを優先するでしょうから」
(0)「そうかそうか。それは何よりじゃな。ずいぶんと信頼されているようで、結構なことじゃ」
(0)「・・・・・」
(0)
(0) 口調こそ丁寧であるが、両者の間にある空気は刃物を持って構えているかのようだった。
(0) 八雲としては、ある『報酬』が掲げられた突然の申し出に対する不信感から。久雷としては、前当主ではなくその娘が来たことによる、失望感からのものであった。だが、自分の嫌味にもさして動じた様子もなく、こちらの意図を汲んだ返答をしたことで、久雷としても幾分か評価を上げたようだ。その顔にはニヤニヤとした笑みが貼りついている。『報酬』の内容からして霧間家の事情のことなどとっくに把握しているであろう久雷に兄である朧と絡められ、八雲の秀麗な眉には若干の皺が寄っていたが。
(0)
(0)「前置きはこのくらいでいいでしょう。早く本題に入りませんか?」
(0)「クククッ!!そうじゃの。時間は貴重じゃからな。若人をからかうのも、ほどほどにせんとな」
(0)「・・・・」
(0)
(0) 八雲の皺が、さらに深くなったが、久雷はただ愉快そうに笑うばかりであった。
(0) しかし、不意にその表情から感情が消えると、じっと幽鬼のような顔で八雲を見つめる。
(0) 八雲は背中に氷柱が入り込んだかのような感覚を覚えた。
(0)
(0)「書状にてあらかじめ伝えたが、改めて告げよう。月宮久路人を手に入れるため、儂と組め。見返りは・・」
(0)「月宮久路人の持つ、『天』属性に関する情報。そして、あの吸血鬼、リリス・ロズレットの殺害・・」
(0)「そうじゃ」
(0)
(0) 突然霧間の地に届けられた、月宮一族からの書状。
(0) 月宮一族は霧間と同じく古くから日本にある名家であるが、強力な霊能者を集めるために手段を択ばないところがあり、霧間としては縁を結ぼうとは思わない相手であった。だが、そんな霧間が月宮からの申し出を見逃せなかったのは、その報酬があったからだ。
(0)
(0)「月宮久路人の持つ神の力は強大じゃ。じゃが、それ故にその力を扱えておらん。3年前の葛城山で起きた異変で漏れた力も、ずいぶんと荒々しいものじゃったからな」
(0)「・・・ええ。あの時感じた力の大きさは今でも覚えていますよ」
(0)
(0) 月宮久路人が葛城山で起こした力の暴走。
(0) あの事件では霧間リリスと霧間朧が迅速に動いたために痕跡などはほぼ残らなかったので詳細は分からないが、葛城の地にいた零細の霊能者の一族が取りつぶされたことから、かの一族が久路人に目がくらんで奸計を巡らした結果だと推測されている。真相は葛城山に封印されていた九尾、ならびに九尾を目覚めさせた死霊術師が原因であるのだが、重要なのはそこではなく、あの時に日本全土から観測された雷の柱だ。
(0)
(0)「例えどこぞの家が月宮久路人の身柄を抑えたところで、それだけでは何の意味もない。宝の持ち腐れじゃ。しかし、その点我ら月宮は神の力を長きにわたって追い求めてきた一族。かの者が持つ天属性の霊力についても知っておる」
(0)
(0) 現在、久路人の身柄を、正確には彼の持つ神の力を狙う者は多い。
(0) しかし、彼らの内誰かが仮に久路人をその手に置くことができたとしても、その目的は叶わないだろう。逆に並大抵の結界を破壊してしまう久路人の力によって妖怪の群れに襲われるのが関の山だ。
(0)
(0)「今の彼をとどめておけるのは、貴方たち月宮に我々霧間と火向。後は、鬼城くらいでしょう。しかし・・」
(0)「ああ。火向は本家の娘がどこの馬の骨とも知れん下男に連れ去られ失踪。鬼城は、学会の七賢七位、鬼城躁間が支配する家。手を結べるものか」
(0)「でしょうね」
(0)
(0) 日本有数の霊能者の家は、月宮、霧間、火向の三家だ。
(0) そのうち、火向は霧間と同じく人外と戦ことを生業とする家だが、『人々を守るため』という信念を持つ霧間とは異なり、傭兵のように雇われた上でのものだ。月宮とは別の意味で手段を択ばないところがあり、人外化に関する研究をしていたという噂もある。今は本家の娘が火向の家に仕えていた従者に連れ去られたと騒ぎになっており、手を組むどころではない。
(0) 鬼城はそこまで有名な家ではなかったが、現当主である鬼城躁間が空間操作と式神の天才的な術者であり、学会の七賢に収まったことで悪い意味で名を知られるようになった。七賢の中でも鬼城躁間は「魔王」を頂点とする、常世に群れなすデーモンの軍団、通称「魔王軍」の参謀を務めており、日本の霊能者からはこれ以上ない異端者として見られている。そして、力関係的にもそんな異端の七賢に逆らえるわけもなく、今の鬼城は学会の勢力に数えられているというわけだ。
(0)
(0)「そこで、手を組めるのは霧間だけというわけじゃ。お主らも月宮久路人を狙っておるのじゃろう?振られたようじゃがな」
(0)「・・・ずいぶんと耳の早いことで」
(0)「クククッ。何、今の現世では霊能者の存在は公に知られてはおらんが、我らは古くから金稼ぎは得意じゃったからな。色々と便利な世の中になったものじゃ」
(0)「・・・・・」
(0)
(0) 八雲の視線がゴミを見る目に変わる。
(0) おそらく、目の前の老人は月宮久路人の住む街から出るありとあらゆる情報を、異能を知らない人間も使って精査しているのだろう。霧間に送り返された郵便物の中身を知るくらいはわけないということか。
(0)
(0)「しかし、手を組むとは言っても、何をするというのですか?まさか、あの街の結界に特攻をかませというのではないでしょうね?」
(0)
(0) 月宮のやり口は気に入らないが、言っていることは事実でもある。霧間としては先祖代々守り継いできた霧間谷に土足で踏み入ってきた吸血鬼に罰を下し、一族の希望である霧間朧を取り返さねば気が済まない。
(0) しかし、相手は学会の七賢五位と、それに洗脳された七賢級の侍だ。その盤面をひっくり返すには、それこそ神の力を手に入れるしかない。そして、その神の力を宿す月宮久路人は、七賢三位が張った結界の中にいる。真正面から挑んだところで何もできずに返り討ちにあうだけだろう。
(0) これまで保留にされていたという縁談の話を蒸し返して接触を図ったが、それも断られてしまい、正直手詰まりといったところだった。
(0)
(0)「それこそまさかじゃな。そんな無駄なことをさせるはずがなかろう。先ほど言ったではないか、便利な時代になったものじゃとな」
(0)「・・・・・」
(0)
(0) 月宮久雷は、その顔を醜悪に歪めて嗤った。
(0) 八雲の汚らわしい汚物を見る眼に動じた様子はない。むしろ、面白がっているようにすら見える。
(0)
(0)「あの街に張られた結界は強固じゃ。破壊は我らではまず不可能。外部からの霊能者の侵入を阻む効果があり、我らはあの街に入ることはできん。しかし、霊能者でなければ関係はない」
(0)
(0) 今の白流市を覆う結界は、久路人の持つ力を抑え込むこと、外部からの霊能者の侵入を阻止すること、万一侵入された場合には、強力な弱体化の呪いをかける効果が盛り込まれている。だが、それはあくまで霊能者に関係があるものにのみ作用するのであって、一般人には何の意味もない。
(0)
(0)「京のヤツも普通の人間を使うことへの対策として術具の設置などはしてあったが、それでも霊能者を相手にするほど強力な殺傷力のあるものは置いておらなんだ」
(0)
(0) 月宮久雷は、今まで裏世界の住人などにも金をばら撒いて人を集め、白流市に送り込んでいた。しかし、人間と人外の共生を謳う学会の幹部でもある京からすれば、いくら怪しいからと言って非霊能者をおいそれと殺すわけにもいかない。結果として、久雷はがいくつもの伝手を介して足取りがバレないように送り込んだその手の者たちは断片的であるが情報を持ち帰ることができていた。機械技術の発展によって昔よりも情報を集める手段が多角化し、その一つ一つに対して付近の住民にバレないように対策の術具を設置するのが難しかったということもあるが。
(0)
(0)「近いうちにあの街の警察を懐柔して、月宮久路人を拘束させる。そして、街の外の連れ出す。情報によれば、月宮久路人は真面目で律儀な人柄で、争いは好まないとのことじゃからな。外に出すところまではうまくいくじゃろう。おぬしらに協力を願いたいのは、その先じゃ」
(0)「・・・・彼に憑いているという護衛の蛇。さらには、月宮京と『神機』月宮メアをどうにかしろ、ということですか?」
(0)「ほっほっほ!!察しがよいの!!」
(0)「馬鹿にしているのですか?霧間は七賢の一人をどうにかしようとあがいている最中なのです!!ここでもう一人の七賢に、その従者まで敵に回せるとでも?」
(0)
(0) そこで、八雲は席を立った。
(0) 久雷に背を向け、部屋の出口に向かう。
(0)
(0)「申し訳ありませんが、このお話は断らせていただきます。捨て駒が欲しいのなら、他を当たってください」
(0)「これこれ、そう逸るでない。勝算はあるわい・・・・それとも、お主らはここで話を断って、一生をかの吸血鬼に支配されたままをよしとするのかの?」
(0)「・・・・・・」
(0)
(0) ギリッと歯を食いしばりながらも、八雲は振り向いた。
(0) 霧間リリスのことを出されて冷静さを保つのは、まだ高校生の彼女にはまだ難しかったようだ。
(0) まだ話を聞く気はあるのだろうと判断したのか、久雷は続ける。
(0)
(0)「何、お主らが実際に戦うことになるのは蛇の護衛くらいじゃろうよ。それでも、神格持ちに迫る大物ではあるが、機会は今を置いてない。今、京は日本各地を回っておる最中じゃからの。月宮久路人を連れ出してから追いつくのには時間がかかる。まあ、人形だけなら早く来れるかもしれんが、戦闘となれば長時間は持たぬ。その間に敵になるのは蛇だけじゃ。街中を通れば、月宮久路人本人は暴れられんじゃろう。そして、お主らが蛇の相手をしている内に、儂が神の力を奪い取る」
(0)「神の力を、奪い取る?」
(0)「そうじゃ。我ら月宮一族はごく微弱なれど皆神の力を宿す。神の力に適性があるのじゃ。詳しい方法までは秘中の秘故に言えんが、神の力を手に入れる算段は整っておる。そして、神の力を手に入れた暁には、京も、霧間の吸血鬼も倒してやろう。これを、儂の名の元に契約で誓おう」
(0)「・・・・・・」
(0)
(0) 八雲はいぶかしげな表情を崩さない。この老人が正直にすべてを話すつもりなどないことが明らかだからだ。しかし、霊能者がその名にかけて契約を宣言することの重さもまた知っている。
(0)
(0)「・・・・本当に、契約を交わすおつもりなのですか?」
(0)「無論じゃ。儂は古狸と称されることもあるが、契約で嘘を吐くような真似はせん。というよりも、できん。それは、霊能者たるお主にもよくわかっておるじゃろう?」
(0)「・・・・・・」
(0)
(0) 八雲はしばしの間考え込んだ。
(0) この話を受けることのメリットとデメリット。騙されるリスクに、失敗した場合の損害などだ。
(0)
(0)「・・・・霧間にとって、いささかリスクの大きい話ではありますね。お話の確実性もそうですが、先ほども申し上げたように、現状で七賢、学会と敵対するような真似は避けたい」
(0)
(0) いかに契約を結ぶとはいえ、やはり久雷の話だけで信用できるはずもない。先の発言が正しければ、久雷がしくじった段階ですべてご破算なのだ。もしも失敗すれば、今度こそ霧間はあの吸血鬼によって族滅されるだろう。
(0)
(0)「・・・・ふむ。ならば、霧間は此度、被害者ということにすればよい」
(0)「というと?」
(0)「お主ら霧間は、月宮に弱みを握られて傀儡となっていたということじゃ。これならば、お主らは脅されて従っていただけの被害者となろう。金を借りて、その担保としてという話でもよい。無論、これも契約に組み込もう」
(0)「・・・わかりました」
(0)
(0) 再び少しの間考え込んだ八雲は、そこで久雷の提案に乗ることを決めた。
(0) 成功すればあの忌々しい吸血鬼に天誅を下すことができる。失敗しても、自分たちは被害者で、月宮もそう供述するように契約で縛る。それならばローリスクハイリターンだ。神格に近い大蛇と戦うことにはなるが、そこについては霧間として覚悟はできている。
(0)
(0)「その提案を飲みましょう」
(0)「ほっほっほ!!話の分かる者でよかったぞ!!では、契約の準備もしよう。白流市のすぐ近くに、結界を張った区画も用意してある。後で地図も渡そうぞ!!」
(0)
(0) 久雷は上機嫌そうに笑った。
(0) その眼の輝きはさらに強くなり、眼にすべての生気を吸い取られたようで、ずいぶんと不気味だった。
(0)
(0)
(0)---------
(0)
(0) この後、霧間を代表として霧間八雲は月宮久雷と契約を結んだ。
(0) その内容は以下の通りだ。
(0)
(0)
(0)・霧間は月宮と共同戦線を張り、月宮久雷が神の力を手に入れるのに成功する、もしくは失敗するまでその護衛を行う。
(0)
(0)・月宮久雷と霧間八雲は、月宮久路人とその使い魔、月宮京、月宮メアについて情報を共有し、虚偽の報告並びに独断行動はしない。
(0)
(0)・月宮久雷は神の力を手にした場合、霧間リリスを討ち滅ぼす。また、学会や月宮京、月宮メアが霧間に襲撃をかけてきた場合にはこれを迎撃する。
(0)
(0)・月宮家は霧間リリス以外の霧間家の者に危害を加えない。
(0)
(0)・月宮家は、計画が成功しても失敗しても、対外的には霧間家を脅して従わせたと喧伝する。
(0)
(0)
(0) 月宮家にとってずいぶんと不利な条件が多いように思えるが、月宮久雷にとってはどうでもいいことであった。
(0) 富士の地からの帰路。月宮健真の運転する車の中で、久雷は呆れたように呟いた。その手には、手慰みというかのようにスマホのメモリーカードをカチカチと出し入れしている。
(0)
(0)「ずいぶんと霧間も臆病なモノじゃ。あの吸血鬼に踏み荒らされたときに牙を抜かれたのじゃろうな」
(0)
(0) 契約を結んだ相手であるが、心底見下したかのような声音だった。
(0)
(0)「まあよい。神の力さえ手に入るのならば、その程度は些事。一族の悲願を叶えることこそが肝要じゃ。そうじゃろう?健真?」
(0)
(0) カチンと音がして弄んでいたメモリカードを嵌め込むと、久雷は自身の孫にそう問いかけた。
(0)
(0)「・・・・はい。その通りです」
(0)「うむ!!お主は昔はずいぶんとやんちゃをしておったが、近ごろは貫禄が出てきたではないか!!儂が神の力を手にした後も、お主には今まで以上に働いてもらうぞ?」
(0)「・・・・はい」
(0)
(0) まるで人形のような返事であったが、久雷がそれを気にすることはない。
(0) 彼にとっては自身と神の力以外はすべてがどうでもよいものだ。
(0)
(0)「くくく、ああ!!もう少しで手に入る!!いや、手に戻るのだな!!あの懐かしき神の力が!!!」
(0)
(0) それまでの骸のように冷たく静かな雰囲気を突然かなぐり捨てて、月宮久雷は恍惚とした笑みを浮かべる。二百年の時を生きてきた老獪な男に宿る妄執の発露であった。
(0)
(0)「今でも鮮明に覚えておる・・・神の勅命を受け、この世に収まりきらないほどの力が流れ込んでくる感覚を!!そして、それを振るう心地よさを!!」
(0)
(0) 過去、月宮一族の中には神の命を受け、この世の仕組みに大きな損害を与えうると判断された異分子を排除するために身を投じた者たちがいる。この世の摂理に反して今もとどまり続ける醜悪な死霊術師に、この世界の構造を変えることすら可能とする『陣』を乱発した九尾の狐。そういった脅威は、忘却界が張られた後にも現れた。むしろ、人類との融和に反抗するために現世に取り残された大妖怪たちが殺気立っていた時代があったのだ。月宮久雷は神の力を借りてそんな時代を生き抜いた。しかし、時が過ぎて現世は平穏と呼べるようになったにもかかわらず、老人は神の力を忘れられないでいた。かつて手にした力をもう一度取り戻すために、その生涯を捧げてきた。そして、寄る年波に勝てずに肉体が朽ち果てようとしていたその時に、運命の如く見つけたのだ。本物の現人神を。
(0)
(0)「久遥 、いや、今は京だったの・・・神の力を追い求めてきた年月と重み、そして叡智は儂の方が遥かに上。お前は儂より先に生身の肉体を捨てて神の力を己のものにしたようだが、儂はさらに強大な力を手にしてみせる!!このような残りカスなどとは違う、本物の力を!!お前も知らぬ、否、下らん情に囚われたお前にはできない手を使ってでもな!!!」
(0)
(0) 老人の体に、かすかに白い輝きを帯びた雷が纏わりつく。
(0) それは、葛城山で久路人が見せた光によく似ていた。月宮久雷という男は老いさらばえといえど、神から見ればほんの残滓に過ぎないといえど、この世界を覗く者に至る道しるべに手が届きかけているのだ。霊能者の中でも、相当な高位にいることは間違いない。
(0) だが、その眼はある一点しか見つめていない。だから、気が付かない。
(0)
(0)「・・・・・」
(0)
(0) 自分の孫の中身はとっくに壊れており、代わりに得体のしれないナニカが巣くっていることになど。
(0)
(0)
(0)---------
(0)
(0) プルルルル・・・と、雫の耳元で携帯の呼び出し音が鳴る。1コール、2コール、3コールと続き・・・
(0)
(0)『もしもし?霧間リリスですけど、どちら様かしら。この番号をあまり知らない人に教えた覚えはないのだけれど』
(0)
(0) 教えを乞いたい相手に繋がるとともに、鈴が転がるような声が聞こえてくる。朝から何度か時間を空けて電話をかけたのに繋がらなかったのは、やはり吸血鬼だからだろうか。いや、今はもうすぐ昼に差し掛かる頃だから、吸血鬼云々はあまり関係ないかもしれないと雫は思った。
(0)
(0)「突然の連絡失礼する。妾は三年前に葛城山でお前、いや、あなたたちに助けてもらった、水無月雫という者だ」
(0)『葛城山?・・・ああ!!あの時の臭い子!!』
(0)「・・・・・」
(0)
(0) 聞きたいこともあるし、かつて危ないところを救ってもらった恩もある。雫としては珍しいことに、そこそこに気を遣って丁寧な物言いをしたのだが、リリスの口から真っ先に飛び出してきたのは体臭のことだった。客観的に見てもかなり失礼だが、まったく悪びれた様子がない。
(0) 雫の額に青筋が浮かんだが、相手はこれから教えを乞う相手であると強く念じ、聞かなかったことにした。
(0)
(0)『どうしたのよ?いきなり電話をかけてくるなんて。アンタたちは今、京の家にいるんでしょう?京でもどうにかできないようなことでもあったの?』
(0)「・・・まあ、そんなところだ。妾は知りたいことがあるのだが、なんでもあなたが専門家と聞いてな。時間はあるか?」
(0)『ん~・・・さっきまで朧に鬼○の刃の水の呼吸を真似させてたところだけど、拾壱の型まで終わったからいいわよ。アタシも見た目だけなら波紋疾走使えるようになったしね』
(0)「・・・吸血鬼とその眷属が使っていい技なのか?」
(0)
(0) 前者はともかく、後者は完全にアウトな気がする。雫も久路人と漫画やアニメの技の再現はよくやるのでやろうと思う気持ちはわかるが。ちなみに雫が真似したのは氷使いの敵の技である。
(0) だがまあ、雫としても中々面白そうな話題ではあるものの、そちらにかまけている場合ではない。
(0)
(0)『それで、なんだっけ?アタシが専門のお話?』
(0)
(0) 幸い、向こうの方から軌道修正をしてくれた。
(0)
(0)「ああ。血の盟約について、詳しいことを聞きたい。その術を妾が使えるか、使われた者はどうなるかなどをな」
(0)『ふーん・・・まあ、それなら確かにアタシの得意分野ね。血の盟約を完成させたのはアタシだし』
(0)「おお!!やはりそうなのか!!」
(0)
(0) 吸血鬼の中でしか使われない秘術であるが、吸血鬼の皇族によって体系化されたという話は雫も聞いたことがあった。雫の知る吸血鬼の皇族がリリスしかいないのもあるが、雫としてもリリスが大いに関係しているとは思っていたのだ。
(0)
(0)「ならば、是非とも教えて欲しい!妾にも使うことはできるか?」
(0)『その前に聞かせなさいな。アンタはどうして血の盟約を使いたいの?それを言わないなら教えないわ』
(0)「む・・・そうだな。それを話すのが筋か」
(0)
(0) そして、雫は語った。朝にメアに諭されて気づいた自分の願いを支えに、己のやったことを含めて、すべてを語る。
(0)
(0) 自分が月宮久路人という青年を愛していること。
(0) ともに永遠を生きて欲しいこと。
(0) けれども拒絶されることを恐れ、気付かれないように人外化を進めてしまったこと
(0)
(0)『・・・・・』
(0)
(0) 電話越しで表情はわからず、喋ることもなかったが、このときのリリスは機嫌が悪そうだったと、後に朧は語る。
(0) だが、続く話を聞いて段々と態度を軟化させていった。
(0)
(0) 最近になってお互いの主張を認められずに喧嘩になってしまったこと
(0) 雫が自分の行いを悔いていること。
(0) 正直にすべてを話して、その上で人間をやめて欲しいと頼む意思を固めていること。
(0) そのために、血の盟約について話を聞きたいというところまで、雫は語り終えた。
(0)
(0)『なるほどね・・・何も言わずに人間やめさせるなんてクソみたいな真似すると思ったけど、反省して真正面から向き合おうとするだけマシね。いいわ。その点に免じて教えてあげる』
(0)「・・・・感謝する」
(0)
(0) 雫は生まれて初めて電話に向かって頭を下げた。
(0)
(0)『けど、最初に聞いておくわ』
(0)
(0) そして、そんな雫にリリスはまず覚悟を問う。
(0)
(0)『アンタたちの経緯は分かったわ。けど血の盟約をもしやるんなら、覚悟はできてるんでしょうね?あの久路人って子が死んだら、アンタも死ぬことになるのよ』
(0)
(0) そんな問答にためらうようなら、雫はここまで拗らせるようなことはなかっただろう。
(0) その前に久路人を眷属化させようなどと考えなかっただろうから。
(0) だから、答えは決まっている。
(0)
(0)「ああ!!久路人がいない世界に価値などない!!妾はとっくに、久路人と共に死ぬ覚悟はできている!!!久路人が死ぬというのなら、妾も喜んで命など捨ててやる!!」
(0)『・・・・そう』
(0)
(0) 雫の答えを聞いて、リリスは少し間を空けた。
(0) それまでの溌溂とした雰囲気が少しの間だけ収まる。電話越しでなければ、リリスが遠い目をしているのが雫にも分かっただろう。
(0) だが、それは本当に少しの間だけで、リリスはすぐに元の調子に戻った。
(0)
(0)『なら教えてあげるわ。ありがたく思いなさい・・・・・まず血の盟約っていうのを手っ取り早く言うと、たった一人の相手以外から血を吸えなくなる代わりに、その血を極上の質に変える契約よ。人外化はその過程にすぎないわ。人間を己の眷属にするっていうのは、アタシが血の盟約を完成させる前からありふれていたもの』
(0)「そうなのか?吸血鬼に血を吸われた人間はグールとかいう低級のアンデッドになるとは聞いたことはあるが」
(0)『吸った相手をグールにするかどうかは、吸血鬼が選べるの。それに、吸血鬼の格次第ではもっと上等なアンデッドにすることもできるわ。血の盟約は、そういう吸血鬼の特性を加工した術なのよ。どんな人間からも血を吸えて、自らの力に応じた下僕に変えるっていう特性を、一人からしか吸えない代わりに、その吸血鬼専用の極上の血を持つ存在に変えるって感じにね』
(0)
(0) 電話越しに七賢五位からの講義が始まる。
(0) 学会に所属する者ならば、それこそ血の涙を流してうらやむ者もいるかもしれない。
(0)
(0)『それで、アンタがこの術を使えるかと言えば、無理ね。吸血鬼としての性質を書き換える術だからこそ、吸血鬼にしか使えないから』
(0)「なんだと!?」
(0)
(0) 雫はつい声を荒げてしまった。
(0) 雫がこれまで耳にした話では、血の盟約は体系化され、他の種族でも使えるようになったと聞いたからだ。
(0)
(0)『あ~それはデマね。アタシもことあるごとに言ってるんだけど、噂が独り歩きしちゃってるのよ・・・まあ、完全な嘘ってわけじゃないから噂が消えないんだけどね』
(0)「・・・・どういうことだ?」
(0)『アタシが体系化したのは、血の盟約だけじゃない。他の様々な種族に伝わる方法も調べて、人間を眷属にするための、あるいは単に人外化する条件をまとめたのよ。要するに、人間の眷属化を体系化、一般化・・・まあ、他の種族でも使えるようにしたの。それで一番有名なのが血の盟約だから、それが代表格になったってわけね』
(0)「つまり、血の盟約は無理だが、他の術ならば妾でも使えるということか?」
(0)『そういうことね。というか、アンタはもうその術を使ってるわよ。アタシたちみたいに種族共通で他者を眷属にする手段を持たない連中にとっては、己の一部を取り込ませるっていうのは、ほぼ唯一の眷属化の手段だもの。そのまま続けていれば、そのうちに人外化するでしょうよ・・・ただし、アンタたちの状況を聞くに』
(0)
(0) そこで、リリスは一呼吸を置いた。
(0) そして、告げる。
(0)
(0)『今のままなら、後50年はかかるでしょうけど』
(0)「な!?そんなにか!?」
(0)『無理やり知能も何もないケダモノにでも変えるって言うのなら別だけどね。でもそんなのは望んでないでしょ?』
(0)「そんな、それじゃあ・・・・」
(0)
(0) 雫の口から、絶望と驚愕に塗れた声がこぼれる。
(0) 雫としてはたまったものではない。久路人の身体は自身の霊力で摩耗しており、最近では術を使わずともじわじわとダメージを与えている節さえある。あと数十年も経てば久路人の身体は加齢によって衰え、ますます霊力による圧を受けるだろう。雫も久路人が人間をやめるまでに時間はかかると思っていたが、自分が力を取り戻すまでの期間や、久路人の霊力異常を考えると、長くても10年程度だと踏んでいた。それが、50年。普通の人間の半生に当たる期間だ。今の久路人を見るに、50年が経つまで生きているのかはかなり怪しい。
(0) それでは・・・
(0)
(0)「それじゃあ、それじゃあ私が全部話して受け入れられても何の意味もないじゃない!!!久路人が私と生きることを選んでくれても、その前に久路人が死んじゃう!!!そんなのは嫌!!久路人が私より先に死ぬなんて絶対に嫌!!嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌いやいやいやいやいやいやいやいやイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ・・・・・・」
(0)『だぁ~~~!!!!落ち着きなさいっ!!!今のままならって言ったでしょ!!!ちゃんと短期間で理性を残したまま人外にする方法はあるわよ!!!』
(0)「本当!!何か方法があるの!?お願いします!!教えてください!!貞操以外なら血でもなんでもあげるから!!」
(0)『教える教える!!教えるから思いとどまれ!!!貴様の血を送り付けるのだけは止めろ!!!吾輩と朧の鼻が壊れる!!!』
(0)
(0) 壊れたスピーカーのように現実を拒絶し始めた雫にリリスが希望を与えると、雫はすぐに我に返り、受話器に向かって土下座をしながら頼み込む。
(0) 自分の身体をバラバラにして素材として扱われても構わない覚悟であったが、嗅覚が敏感なリリスにとっては雫の一部はマスタードガスに匹敵する化学兵器である。思わず素の口調が出てしまったが、結果的に情に訴えられたというよりも自身の安全を守るために詳細を教えることにしたようだった。
(0)
(0)『コホンッ!!・・・さっき、人間を眷属にする条件をまとめたって言ったわよね?この条件っていうのは、大きく分けて三つあるの。アンタが今やってる方法はそのうちの二つしか満たさないから、その分時間がかかるのよ』
(0)「・・・三つの条件?」
(0)『そう。魂、肉体、精神という、この世界の生き物を構成する三要素。この三つにおいて、それぞれパスをつなぐことよ。魂のパスは、お互いの魔力、ああ日本じゃ霊力だったかしら。まあ、魂を元にする力を馴染ませること。肉体のパスについては・・・色々方法があるけど省略するわ。血を吸ったり飲ませたりしても同じだしね』
(0)「?」
(0)
(0) 途中でなぜかリリスが口ごもったが、理由は分らなかった。
(0)
(0)『ともかく、血には霊力が溶け込んでいるし、アンタの血を飲ませるって方法と、アンタが血を吸うっていう日課で、魂と肉体のパスはほぼ繋げてるわ。アンタは妖怪だし、10年前から相手の霊力を血ごと吸ってるからアンタの方はもうすっかり馴染んでる。相手の子も、霊力に異常が出ているのは一度の入る量が多くなったからで、お互いの霊力がそれだけ多く混ざったってこと。それでも重篤な拒絶反応が出ていないようなら問題ないわ。長年かけて親和性を持ったアンタの血を介してなら、霊力の異常も完全とはいかなくてもそのうち収まるでしょうね・・・・それで、一番大事なのが最後の精神のパスよ』
(0)「精神のパス・・・・つまり」
(0)『そう。お互いがお互いの意思を尊重し、心から受け入れることよ。人間側は一点の迷いもなく人間をやめることを選び、人外側はその想いを受け入れる。元々精神っていうのは肉体と魂を繋ぐもの。それを二人の間で結びつけるのよ。純粋な同意と絆があって、初めて精神のパスが繋がって、アンタが望むような眷属化の契約は成立する。肉体や霊力の相性も大事だけど、一番重要なのが心の繋がり。心さえ繋がっていれば、他の相性が悪くてもなんとかなる。逆に言うと、どんなに相性が良くてもそこがダメならほぼ成功はしないわ。血の盟約がそれまでの吸血鬼の眷属化と一番違うのもそこよ』
(0)
(0) 種族の特性としての吸血鬼や人狼の眷属化はもちろん、心を術で操る場合でも眷属化は成功はする。しかし、本当の意味で心が繋がっていなければ上書きや眷属の簒奪が起こることもあり、眷属の格にも雲泥の差が出る。
(0)
(0)「前に、ある妖怪に混ざりかけと言われたことがあるが、それは・・・」
(0)『そうよ。後ろめたさや拒絶への恐怖を感じているせいで、アンタの中にある相手の霊力を取り込み切れてないから。アンタの霊力が一旦扱いにくくなったのもそのせいね。相手の子の霊力異常も、人間だからっていうのもあるでしょうけど、アンタを守りたいっていう願いが空回ってるのがメインみたいだし』
(0)「妾と久路人は、ずっと前からこじれていたということか・・・」
(0)
(0) リリスの言葉を聞き、雫は複雑な気分になった。
(0) メアに諭されたために久路人が自分を嫌ってはいないだろうというのは理解したが、久路人の中にも自分と同じようなしこりがあるとわかったからだ。リリスの言うことが正しいのならば、二人の想いは通じ合っていないということでもある。
(0) 自分が胸の内を話していないから当然のことではあるが。
(0)
(0)『でもまあ、目がないわけじゃないわよ。精神のパスなしで50年程度で人外化まで行けるアンタたちは正直異常だし、霊力の異常が起きてるのに身体が壊死したりとかしてないのも運がいいとかいうレベルじゃないもの。ひょっとしたら、精神のパスが繋がりかけているのかもしれないけど』
(0)
(0) 血を飲ませ始めてすぐならばともかく、しばらく経ってから霊力異常が起きているということは、霊力が馴染み始めているから。すなわち、人外化がそれなりに進んだ証。
(0) もしも精神のパスが繋がってない状態で血を飲ませ続ければ、霊力異常が起きる以前に霊力がとどまることができない。それでも飲ませ続ければ魂への負荷が大きくなりすぎて日常生活も送れなくなる。最悪死ぬ。そうなっていないということは、完全にパスが繋がっていないというわけではないということ。
(0)
(0)『同意を得ていないのならば成就にはかなりの時間がかかる。だからアタシは50年はかかるって思ったのよ・・・ともかく、アタシが言いたいのはアンタたちはお互いを大事に想ってるのは確かってことと、ちゃんと話し合いなさいってことね』
(0)「・・・あなたも、メアと同じことを言うのだな」
(0)『個人的に、アイツと一緒にされるのはすごい嫌なんだけど・・・』
(0)
(0) リリスはなにやら嫌そうな声を出しているが、もはや雫の耳には届いていなかった。
(0) 自分のやるべきことが、たった一つに定められたから。
(0)
(0)「結局は、そこなのだな」
(0)
(0) 眷属化や精神のパスを繋ぐのは大事なことだ。しかしそれ以前に、雫は久路人としっかり話し合わなければならないのだ。
(0)
(0)『覚悟は決まったかしら?改めて言うけど、アンタが使うのは血の盟約ではないけど、強力な3本のパスを結ぶ契約よ。つまり、どちらかが死ねばもう片方もただじゃすまない。二人そろって死ぬことになるわ』
(0)「無論承知の上だ。久路人が受け入れてくれるかは分からないが、それを話す覚悟は決まった・・・・本当に、ありがとうございました」
(0)
(0) これからのことを改めて決めた雫は、本日何度目かになる受話器へのお辞儀をする。雫が敬語で礼を言ったのは、このときが初めてであった。
(0)
(0)『別にいいわよ。アタシとしてもあの神の力を持ってる子をしっかり抑えてくれた方がありがたいし、個人的に異種族のカップル成立は放っとけないもの。アタシの研究がそういうところで役立ってくれるなら嬉しいわ』
(0)「・・・そういえば」
(0)
(0) そこで、雫はふと疑問に思った。
(0) リリスは人外化や眷属化の研究をしていると聞いたが、その発端はやはり・・・
(0)
(0)「あなたも、自分の好きな人と永遠に生きたかったからなのか?」
(0)『・・・・違うわ。アタシが研究してたのは朧に出会う前からだったし、本当に興味本位よ。血の盟約だって、最初は朧以外の血を吸いたくないから考えたの。アタシは朧が寿命で死んだら後を追うつもりだったから』
(0)「なんと・・・」
(0)
(0) 葛城山でほんの少し会っただけだが、リリスと朧は心からお互いを信頼しているように見えた。
(0) だが、そんな二人でも最初は色々とあったらしい。
(0)
(0)『アタシの場合は朧の方から一緒に生きて欲しいって来てくれたから、アタシも応えられた。もしアタシがアンタの立場だったら、嫌われるのも怖いけど、手を出す勇気もなくて朧が先に寿命を迎えて終わってたでしょうね。そう思えば、アンタはアタシより強いわ。良くも悪くもね』
(0)
(0) 『だから、アンタならなんとかなるわ。頑張りなさい』と言って、電話は切れた。
(0)
(0)「ああ。本当にありがとう」
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(0) もう声は届かないと知っていながらも、雫はもう一度礼を言うのだった。
(0)
(0)「妾も、向き合わねばな。しかし・・・・ふわぁ」
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(0) メアとリリス。
(0) 二人の先達と話し、雫はやるべきことを決めた。
(0) だが、話し終えたて気が抜けたからか、頭の中に靄がかかったような感覚がする。昨日の寝つきは最悪であり、十分な睡眠がとれていたはずもない。
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(0)「メアは今、魔力切れでダウンしているし、京もメアがここまで来るまでの騒ぎの火消しで忙しいのだったか・・・」
(0)
(0) 朝に話したメアだが、ここにいるのはスペアのボディであり、本体は京の元にいる。スペアには多くの霊力を注いでここまで急行させたが、元々長時間の稼働は想定されていないようで、これ以上こちらにとどまる必要はないと判断したために本体に霊力を還元したらしい。今リビングで横になっているメアは意識のないただの人形である。そして、雫はリリスだけでなくメアにも義理を通すべきと思っていた。
(0)
(0)「火消しを終えたら京もこちらに来るというし、それまでに時間はあるか。大事な話をするのに、寝不足では格好がつかんしな」
(0)
(0) 「分かっているとは思いますが、我々が到着するまでに屋敷から出ないでくださいね?」とメアから言われているが、雫に外に出るつもりはない。久路人とて、昨日の今日で出かけることはないだろう。
(0) 雫としても、覚悟を決めて心を落ち着けるために少しだけ間を置きたかった。
(0)
(0)「少し寝て、起きたら・・・全部話すよ、久路人」
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(0) 部屋のベッドに横になって目を瞑ると、睡魔がすぐに襲い掛かってきた。
(0) それに抗うことなく、雫の意識は闇に落ちていった。
(0) ・・・・もしも雫が万全の状態なら、自分の話の一部が久路人に聞かれていたことに気が付いたかもしれない。そしてそれを聞いた久路人が何をしようとしているのか分かっていたのなら、眠気も吹き飛んでいただろう。それこそ久路人を殴ってでも止めたに違いない。しかし、それはもしもの話である。
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(0)---------
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(0)「護符は持てるだけ持った。これなら、白流市を出ても少しは持つはず・・・」
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(0) 僕はカバンの中に詰め込めるだけ予備の護符を詰め込む。
(0) 最近はほとんど意味がなくなっているが、これだけ持っていれば多少は神の力とやらを抑制できるはずだ。行先は隣町まで。そこに、霧間一族の張った結界があるという。元々僕の体質を考えてお見合いをそこでやろうと考えて準備していたらしいが、どこまで真実であるかは不明だ。
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(0)「・・・なんで隣町の外れに結界を張っていたかは気になるけど、今は突っ込まないでおこう」
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(0) 僕の住む白流市はおじさんの術具による結界が張られているが、その外は忘却界に覆われている。忘却界は人外や穴のみを抑制し、人間の異能を妨げるような効果はないために、忘却界の中に別の結界を張ることは可能だ。ただ、そういった行為は忘却界内に霊能者が出入りすることで綻びを出しかねないために学会にバレたのならば注意勧告は避けられない。
(0) しかし、今の僕にそこをとやかく言うつもりはない。僕はすぐにでも雫の傍を離れなければいけないのだから。
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(0)「僕は、もう雫と会わない方がいい。これ以上、雫に血をあげちゃダメだ」
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(0) 思い起こすのは、ほんの少し前に雫が電話に答えた言葉。
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(0)--久路人が死ぬというのなら、妾も喜んで命など捨ててやる!!
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(0) 明らかに常人の思考ではない。
(0) これが本心から言っているのならばそこまで想ってくれて嬉しいと思うかもしれない。しかし、実際は己の血のせいで無理やり押し付けた好意による強制だ。
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(0)「もしも、僕の血で狂ったせいで雫が死ぬのなら、僕は腹を切って詫びるしかない」
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(0) 僕の血のせいで僕が一番好きな女の子が狂って死ぬ。そんなことに耐えられるほど、僕は強くない。
(0) だから、僕は少し前に届いた霧間からの見合いの申し出を手に取った。手紙では間に合わないと思って、電話を入れさせてもらった。不躾なのは承知だが、胸の中にある焦燥感で身が焼き切れそうだったのだ。
(0) その結果、『当主の判断を仰ぐので少々お待ちを』と少しの間待たされたが、先ほど折り返しがかかってきて、超ハイスピードのお見合いが成立することになった。
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(0)「・・・よし、こんなとこかな」
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(0) 急場のこととはいえ、見合いの席を用意してもらったのだから、高校を卒業するときに来た礼服に身を包み、部屋を出る。護符の詰まった鞄に、その他諸々の小物も持った。
(0) そのまま2階の階段まで歩き・・・・
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(0)「・・・・・」
(0)
(0) あとほんの少しで、雫の部屋が見えるところまで来た。
(0) そこで、僕の足がひとりでに止まった。
(0)
(0)「・・・・雫」
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(0)
(0)--多分、これが最後のチャンスだ・・・
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(0) 恐らく、この見合いに行ったら、僕はもう雫と会えないだろう。
(0) あまりにも手際が良すぎる見合いの返事に、用意されていた結界。おじさんが言っていたように、僕の神の血を手にするために、僕の身柄を押さえる準備を整えているのだろう。
(0) だが・・・
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(0)「・・・・行ってくるよ、雫」
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(0) 僕は、異様に重く感じる足を動かして、階段を下りる。気を抜けば、すぐにでも止まって、いや、戻ってしまいそうだった。それを、雫の狂った言葉を思い出して誤魔化しながら、進む。
(0)
(0)「・・・・・」
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(0) 向こうが何を企んでいようと、僕に逆らう気はない。雫やおじさんたちに危害を加えない限り、向こうの要求通りに力を差し出すつもりだった。僕の力を抑えられる結界を大規模に維持するなど早々できることではない。きっと、今の月宮家のような厳重に閉ざされた場所に軟禁でもされることになるか。力の供給源だから、殺されることはないだろうが。
(0) そんなことを考えている内に、玄関の前まで来た。
(0)
(0)「・・・・・」
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(0) 靴を履いて、振り返ろうとして、止めた。
(0) 思えば、昨日喧嘩をしていてよかったのかもしれない。おかげで、雫が狂っていることも分かったし、今日この瞬間まで雫に会うこともなかったから。
(0)
(0)「雫・・・」
(0)
(0) 今から僕がやろうとしていることは、裏切りなのだろう。
(0) 今まで街一つを結界で覆ってくれたおじさんに、護身術を教えてくれたメアさん。そして、契約の上で好意を持たされた結果とはいえ、これまで守ってくれた雫のことも。みんなを裏切ることだ。
(0) けど、これは僕にとって一番大事な約束を守る唯一の方法でもある。
(0)
(0)「僕は、この方法でお前を守るよ。僕がいなくなれば、お前が戦う必要はない。お前の心も、これ以上侵されない。僕は、約束を守る」
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(0) 振り返らないままに玄関に手をかけて、静かに告げる。
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(0)「さようなら、雫」
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(0) そうして、僕は家を出た。
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(0) 久路人は一度も振り返らなかった。
(0) 雫に会おうともしなかった。
(0) 雫の顔を見たら、急ごしらえの決意なんてすぐに吹き飛んでいたから。
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