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(0) 瑠魅香の事でひとしきり泣いたあと、百合香はどうにか気持ちを落ち着け、やるべきことを整理することにした。
(0) まず、目下の直接的な課題は、城側に悟られる前に氷巌城第2層へと上がる事である。
(0)「水路の奥にいる化け物を倒したあと、バスター何とかっていう、この層最後の氷騎士を倒す」
(0) 何気に連戦だな、と百合香は考えた。そもそも、その化け物がどのくらい強いのかもわからない。倒せる前提で考えたとしても、そのあとに最強と思われる氷騎士が控えているのだ。
(0) だが、今回は今までと状況が違う。サーベラスとマグショットという、頼もしすぎる味方がいるのだ。瑠魅香の魔法は今は頼れないが、戦力だけでいえば鬼に金棒である。
(0)「…いけるよね」
(0) 急ごしらえのホットサンドを作りながら、百合香は呟く。
(0) ただ、強さという問題を考えたとき、どうしてもあの水晶騎士カンデラの実力が脳裏にチラついた。
(0)「圧倒的な強さだった…確かに、私は大技を放って消耗してはいたけれど」
(0) それを差し引いたとしても、恐るべき実力なのは間違いない。気絶したあとの話を聞くと、瑠魅香のフルパワーの魔法を喰らったあと、マグショットとサーベラスの猛攻を受けてなお、ごく軽いダメージのまま逃走できたらしい。耐久力も生半可ではないようだ。
(0) サーベラスによれば、カンデラ級の水晶騎士と呼ばれる最上級幹部が、少なくとも他にあと5体いる。その一人が、ビードロの師である錬金術師、ヌルなんとかという氷魔だという事である。
(0)「…バスター何とかっていう奴は、カンデラと比べてどれくらいの実力なのか」
(0) ホットサンドプレートを開きながら、百合香は呟く。焼けたパンと、チーズとハムの香りが癒しの間に漂った。チーズは普段スーパーで買うものより上質である。
(0) 考えても仕方ない。バスケの試合だって、要するに時間が来れば試合は始まるのだ。やってやる、と百合香はホットサンドに噛み付いた。
(0)「瑠魅香、早く起きないと、活躍する場面なくなっちゃうぞ」
(0) 瑠魅香が苦手なブラックコーヒーを飲みながら、百合香は苦笑いして呟いた。
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(0) その頃、氷魔皇帝側近ヒムロデの執務室に水晶騎士の一角、ヌルダが嫌嫌ながら連れて来られていた。
(0)「何用でしょうなヒムロデ様。ワシは忙しくての。手短に願いたい」
(0) 立ったままそう言ってのけるヌルダの後頭部に、カンデラが力任せに鉄拳を喰らわせた。
(0)「あいた!!」
(0)「無礼者!!ヒムロデ様に向かってなんという態度だ!!」
(0)「なんじゃとう!」
(0) すると、ヒムロデは床をカツンと踏み鳴らした。
(0)「よい、カンデラ。今さらこやつの礼儀作法を問い詰めても、時間を無駄にするだけだ。ヌルダよ、単刀直入に訊く。”フォース・ディストリビューター”の研究はどこまで進んでいる」
(0)「なんじゃ。何かと思えばその程度の事か」
(0)「ほう。ずいぶんと余裕綽々だな。では、もう完成の目途が立っていると期待してよいのかな」
(0) だいぶ意地の悪い調子で、ヒムロデは訊ねた。ヌルダは悪びれる事無く答える。
(0)「完成の目途など立っておらん。が、理論は完成した」
(0)「つまり、いつでも敷設に取り掛かれるという事か」
(0)「理論は、と言うたじゃろう」
(0) ヌルダは、もはや階級など存在しないかのような態度で、ヒムロデの執務室をうろつきながら言った。
(0)「今、それを実証するための装置を試験的に製作しておるところじゃ。遊び惚けておるなどと言われるのは心外じゃな」
(0)「実証するための装置?」
(0)「さよう。今回、氷巌城を建造させるためにこの土地を選定したのは、幸運じゃった」
(0) ヌルダは、城の周囲に広がる山地を見ながら言った。
(0)「この土地は、フォース・ディストリビューターの理論を実証するのに、比較的よい条件がある。したがって、試作機が完成しだい、ワシは外に出て試験を行う予定じゃ」
(0)「それは、いつになる」
(0)「そうじゃの。今の進捗から見て、10日…いや、試験の終了まで含めると、14日程度は見てもらうか」
(0)「なるほど、わかった。もしその試験が成功したら、その後はどうなる」
(0)「むろん、本番のフォース・ディストリビューターの建造に取り掛かる。じゃが、これには時間がかかるぞ」
(0)「かまわん。皇帝陛下もそのように仰っている。時間よりも、確実性を重視せよとのお達しだ。エネルギーが尽きる前に完成すれば、それでよい」
(0)「エネルギーが尽きる前に、の。それはワシとてわかっておる」
(0) 話は終わったと言わんばかりに、ヌルダは勝手に執務室を出ようとしたが、ヒムロデは呼び止めた。
(0)「もうひとつ訊きたい事がある」
(0)「なんじゃ」
(0)「人間を、生きたまま氷魔に変える事というのは、お前の錬金術で可能か」
(0)「ふむ?」
(0) 何か興味深げに、ヌルダは振り返ってヒムロデを見た。
(0)「どういう意味かの」
(0)「言ったままの意味だ。可能か、不可能か訊ねている。わからぬのなら、それでよい」
(0)「現段階では、不可能じゃ。生きている人体は、そもそも氷魔の器にならん。それはお主もわかっていよう」
(0) その答えにヒムロデは、小さくため息をついてから言った。
(0)「それを実現できる可能性が、今後出てくる可能性はあるか」
(0)「何とも言えん。じゃが、可能性を追求するのが学問じゃ」
(0)「なるほど」
(0)「ふむ、それはワシもいくらか興味がある。何なら研究を進めてもよいが」
(0)「まず、陛下より命じられた事を進めよ。私が今言った事は単なる戯れ言だ」
(0) そう言うヒムロデに、ヌルダは肩を上下させて笑った。
(0)「お主もわからぬ奴よの」
(0)「もうよい。研究室に戻って、作業を続けよ」
(0)「ほっ、ならばそうさせてもらうかの。失礼するぞ」
(0) 傍若無人そのものの様子で、ヌルダは執務室を後にした。その後を、慌てるようにカンデラが追う。
(0)「ま、待てヌルダ!ヒムロデ様、ご無礼を。失礼いたします」
(0) 礼もそこそこに、カンデラも執務室を出る。残されたヒムロデは、自らの手のひらをじっと見つめた。
(0)「生きた人間は氷魔にはなれぬ、か」
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(0) ずかずかと通路を歩くヌルダに、追いすがったカンデラが言う。
(0)「相変わらずの態度ではあったが、俺は生きた心地がせんかったぞ。しかし、例の…フォース・ディストリビューターとは一体何なのだ」
(0)「武官のお主に説明してもわかるまい。そうじゃの、試験の現場に立ち会わせてやってもよいが」
(0)「なに?…まあ、侵入者の件が片付いた今、俺もしばらくヒマになるやも知れんがな」
(0)「例の、人間の小娘か」
(0) いかにも興味ありげにヌルダは言った。
(0)「実はワシも興味があった。研究に没頭しておったせいで、それを知った時にはすでに死んでいた」
(0)「一体どれだけ閉じこもっておったのだ」
(0) カンデラが呆れたように言う。
(0)「カンデラよ。普通の人間が、氷巌城の中をうろつくなど、普通の事だと思うか」
(0)「む?」
(0)「普通の人間がこの氷巌城に入れば…まあ現実には入る前に氷の像になるが、仮に入ったとすれば、1秒の十分の一も経たずに、凍結して死ぬであろう。それなのに、あの死んだ侵入者の娘は、自由に暴れ回って、幹部さえも倒してみせたそうだな」
(0)「う…うむ」
(0) カンデラは、すでに知っている情報を繰り返す必要もないので、ただそう相槌を打った。ヌルダは続ける。
(0)「氷巌城の歴史において、直接ここまで乗り込んできた人間は、そうそう多くはない。その大半は、古代の魔術に長けた人間だった。氷巌城の冷気から身を護る魔具などを身に着けて乗り込んできた。だが、最後にはそれも効力を失って、氷の骸と成り果てた」
(0)「うむ」
(0)「だが、ごく一部、そのような魔具、あるいは護符などを身に着ける事無く、皇帝の間まで到達できた者もおる」
(0)「なに?」
(0) カンデラは驚いて訊ねた。
(0)「きさまはそれを知っているのか。そんな奴がいたのか」
(0)「ほっ、お主より歳は食っておるからの」
(0)「いったい、どんな奴だったのだ」
(0)「女の剣士じゃ」
(0) その一言に、カンデラはいくらかの衝撃を受けたようだった。
(0)「女の…剣士だと?」
(0)「そうじゃ。黄金の剣を携えた、な」
(0)「なっ…!」
(0) カンデラの驚きはさらに強くなった。
(0)「それは、まるであの、死んだ侵入者ではないか!」
(0)「そうじゃ」
(0)「それは、いつの時代の話だ!?そ、その…女の剣士は、どうなったのだ」
(0) いよいよ関心を抑えられなくなったカンデラは、矢継ぎ早にヌルダを問い詰める。ヌルダは立ち止まって言った。
(0)「死んだ。皇帝の剣に、腹を貫かれてな」
(0)「皇帝と相まみえたのか?いつの時代だ」
(0)「人間の尺度で言えば、1万2450年くらい前じゃったかな。いまの人類文明の、前の文明が滅びた時じゃな。人類が記憶喪失に陥った時代じゃ」
(0)「どういう事だ」
(0) カンデラは、いまだ驚きを隠せない様子で考え込んでいた。
(0)「当然の疑問じゃな。あまりにも、酷似しておる。今回の侵入者も」
(0)「その女剣士とは、何者だったのだ」
(0)「わからん。結局は死んでしまったからの。ただ、その剣士だけではない。もう1人、女神官も共に乗り込んできたと聞く。強力な魔術を用いていたそうじゃ」
(0)「なに!?」
(0) カンデラはそれを聞いて、一人の魔女を思い出していた。倒したはずの百合香が、一瞬で黒髪の魔女に変貌したのだ。
(0)「きさま、それを見ていたのか?」
(0)「ワシは現場にはおらなんだ。当たり前じゃ、その時代のワシは、その剣士に討ち取られたのじゃからの」
(0) そう言って、ヌルダは自らの頭のネジを指差す。
(0)「これが何かわかるか。ワシはその時、その剣士にバラバラにされたのじゃ。その後しばらく転生する事はなかったが、今回こうして久しぶりに、氷巌城とともに具現化した。割れた身体のあちこちを繫ぎ止めての」
(0)「そっ…その剣士というのは、今回の侵入者に似ているのか?」
(0) 食い入るようにカンデラは訊ねる。
(0)「ワシは広報官がバラまいた小さな写真でしか見ておらぬが、まあ似ておるといえば似ておるな。金髪に金の鎧、金の剣」
(0)「似ておる、どころではなかろう!」
(0)「ほっ、ほっ」
(0) ヌルダは笑う。
(0)「ワシにはわからんよ。どのみち、もう死んでしまったのじゃろう。まあ、生身でこの氷巌城を歩き回れたというのは、確かに興味はあるがの」
(0)「…その時代の文献などは残っているか」
(0)「文献じゃと?まあ、図書館に行けば何がしかの記録はあるかも知れん。しかし、この城は生まれ変わるたびに、どこかが、あるいは大半が改変されるからの。出来事の記録とて、どこかがおかしくなっていても不思議はない」
(0)「お…俺の役目はとりあえず終わった。失礼するぞ」
(0) カンデラはどこに向かうのか、慌ててその場を足早に立ち去ってしまった。
(0)「なんじゃ、あいつもわけのわからぬ若造よの」
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(0) 廊下を歩きながら、カンデラは自問した。
(0)「(…おれは何を考えておるのだ)」
(0) それは、あり得ない事を考えている自分自身への問いだった。
(0)「(…それを調べたからと言って、何がどうなると言うのだ)」
(0) カンデラの胸の内には、なぜか言い知れぬ不安が増大しつつあった。
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(0) あの娘はそもそも何者だったのか。
(0) あの黄金の剣は何だったのか。
(0) そして、事態は本当に全て終わったのか。あの黒髪の魔女はどこに行ったのか。
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(0) あるいは、単なる好奇心だったのかも知れないが、カンデラは過去の記録を調べるために、第3層の一角にある図書館へと向かったのだった。
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(0)「サーベラスとマグショットは?」
(0) ようやく体が回復し、ビードロの研究室に戻った百合香は訊ねた。オブラが答える。
(0)「えっと、それがですね。肩慣らしだか、パトロールだかで出てくるから、百合香さまをこちらにお連れして待っていろ、との事でした」
(0)「ふうん」
(0)「あの二人、絶対に反りが合わないだろうなと思ってたんですけど、あんがいウマが合うみたいですね」
(0)「それは私も思った」
(0) 百合香は笑う。どちらもマイペース同士なので、意見が衝突するのではないかと思っていたのだ。
(0)「あの二人はともかく、百合香様はもう大丈夫なんですか」
(0)「え?うん、もう大丈夫。傷も痛みも全快したから」
(0)「そうですか」
(0) オブラは、ホッとしながらも渋い顔を百合香に向ける。
(0)「百合香様。もう、あんな無茶苦茶な作戦を立てるのはおやめ下さい。ただでさえカンデラは強敵なのに、あの時百合香様は、フルパワーで技を放った直後だったんですよ。あれがなければ、マグショット様やサーベラス様が到着するまで、もう少しましな状態で持ちこたえられたかも知れないんです」
(0) 遠慮なく意見を言うオブラを、百合香は感心するように見ていた。戦闘能力こそないが、状況の判断は他の誰よりも優れている。
(0)「わかった。もう無茶はしない」
(0)「どうか、そのように願います。生きた心地がしませんでした」
(0)「ごめんごめん」
(0)「…ときに、瑠魅香様は」
(0) 聞きにくそうにオブラが言うと、百合香は簡潔に答えた。
(0)「まだ眠ってる。でも、そのうち起きてくるよ。必ず」
(0)「…そうですか」
(0) オブラは心配そうだった。
(0) その時、ドアの奥から聞き慣れた足音がして、ガラガラとドアが開いた。
(0)「サーベラス様!戻られましたか」
(0) やっと戻ってきたか、という顔でオブラが出迎えた。
(0)「おう。おっ、百合香!お前も戻ってたのか」
(0) サーベラスが百合香の前に、ドスドスと足音を立てて歩み寄る。その後を、マグショットがトコトコと歩いてきた。もう、猫が直立二足歩行するのに慣れて来た百合香だった。
(0)「もういいのか」
(0) マグショットはそれだけ訊ねる。
(0)「うん。いつでもいけるよ」
(0)「そうか」
(0)「ねえ、二人ともなんでそんなボロボロなの」
(0) 百合香は、サーベラスとマグショットを交互に見る。サーベラスは装甲のあちこちに細かい傷が見えており、マグショットはトレードマークのジャージのあちこちが綻びていた。
(0)「ん?ああ、ちょいと準備運動がな」
(0)「パトロールも兼ねてな」
(0) なんだか煮え切らない返しだな、と百合香は思った。答えにも会話にもなっていない。
(0)「その身体で、今すぐ出発ってわけにはいかないよね。氷魔は、黙っていればそれなりに回復するんでしょ?」
(0)「ああ。この程度の傷、俺ならすぐに治る。この間お前に喰らった傷だって、もう治ってるだろ」
(0) そう言って、サーベラスは百合香の剣を受け止めた肩を見せた。傷跡はあるが、確かに治っている。
(0)「だから、何てことはない」
(0)「でも、もうちょっと休んでから出発した方がいいよね」
(0) 百合香が、何か念を押すように言うので、サーベラスとマグショットは顔を見合わせた。
(0)「そうだな。もう少しだけな」
(0)「うむ。もう少しだけだ」
(0) やっぱり何か煮え切らないな、と百合香は思う。
(0) その意味は、全員で出発して間もなくわかる事になるのだった。