Fate/Grand Order 正義の味方の物語 (なんでさ)
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prologue
目覚め


初めまして。なんでさといいます。今回初の投稿なので、拙い部分がありますでしょうが、お読み頂き少しでも楽しんでいただけたら幸いです。


--それは地獄だった。

 

 おそらく、大きな火事が起きたのだろう。

 荒れ狂う炎が悉くを焼き尽くし、黒煙が空へ昇っていく。

 地にはかつて人だったモノが無数に転がっている。

 瓦礫に潰されたモノ。炎に焼かれたモノ。原型を留めているモノは殆ど無い。

 あらゆる生者の存在を赦さぬ世界が広がっていた。

 その中を、一人の少年が歩いている。

 耳を塞ぎ、目に涙を浮かべながら一心不乱に前へ進んでいる。

 

ーー助けて、という声が聞こえた。

 

 歩く。

 もう助からないと分かっているから。

 

ーーこの子だけでも、という女の声が聞こえた。

 

 前へ進む。

 腕に抱いているモノが、もはや人の体を成していないと分かっているから。

 助けを呼ぶ声を。縋り付く腕を。何もかもを振り払って。前へ進む。

 もう誰も助からないのなら、今も歩ける自分はせめて彼らの代わりに生き残らなければと。

 朽ち果てる無念を吐き出す死者<カレラ>を置いて、ひたすらに前へ。

 当然だろう。このような地獄の中、幼い少年に何が出来るというのか。

 彼にはなんの非も無い。

 その行いを否定することが出来るはずはない。

 少しでも長く生きようとする彼は間違いではない。

 

ーーそれでも確かに。この時、■■■■は罪を背負った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇に沈んでいた意識が徐々に浮上する。

 背中には固い感触。

 

・・・・・どうなっている?

 

 状況を確認しようとするも、うまく体が動かせない。

 体は重く、まるで全身に鉛でも付けられたかのようだ。

 意識もはっきりとせず、目を開けるのも億劫に成る。

 このまま眠ってしまおうか、なんて考えが頭を過ぎった時、

 

--フォウ・・・・・?キュウ・・・・・キュウ? フォーウ!

 

 不思議な鳴き声が聞こえた。

 

・・・・・何だ、今のは・・・・・?

 

 今までに聞いたことのない音だ。

 何かの動物だろうか、と考えていると、頬を生暖かいものが撫ぜる感覚が走った。

 その感触から察するに、鳴き声の主に舐められたのか。兎に角、自分の目で確かめて見ないことには始まらない。

 重い瞼に喝を入れゆっくりと持ち上げる。

 目の中に光が入ってくる。鳴き声の主を探そうと視線を彷徨わせる。

 その先に、白い動物ーーおそらく鳴き声の主でろううーーと右目を前髪で隠した少女がいた。

 

「ーーーーーー」

 

 予想外の存在に面食らってしまう。

 頭の中で思い描いていた予測と乖離した光景に、言葉が出てこない。

 自分が、ひどく間抜けな顔を晒しているのが分かる。

 

「ーーーーーー」

 

 どうやら、向こうも同じのようで、キョトンとした顔をしている。

 すみれ色の瞳を瞬かせ、こちらをマジマジと見下ろしている。

 そうして10秒ほど見つめあった後、先に復活した彼女の方から話しかけてきた。

 

「ーーあの。朝でも夜でもありませんから起きてください先輩」

 

 確かに寝転がっているがその切り出し方はどうなのか・・・・・いや、可笑しいのはこちらか。

 よく考えるまでもなく地面に寝転がっている方が変だ。彼女の発言も間違いではない。

 彼女が手を差し伸べてくれたので、すまない、と一言断ってからその手を掴み立ち上がる。

 身体を起こしながら、改めて辺りを見回す。

 金属質の壁と天井。通路の感じから何らかの施設に思える。

 

・・・・・見覚えはない、か。

 

「ここは、どこだ・・・・・?」

 

 知らない場所に、つい言葉が漏れる。

 その呟きを自身への問いかけだと考えたのか。

 目の前の少女は律儀に答えてくれた。

 

「はい。それは簡単な質問です。ここは正面ゲートから中央管制室に向かう通路です。より大雑把に言うと、カルデア正面ゲート前です」

 

ーーカルデア

 

 やはり知らない名だ。

 俺がその名前を頭の中で反芻している時、

 

「フォウ!」

「うおっ」

 

 さっきの動物が飛びかかってきた。

 全身が白い体毛に覆われ、犬とも猫とも、りすとも判別がつかないその姿は持ちうる知識の中には存在しない。

 その鳴き声と同じでやはり、見たことのない生き物だ。

 

「何なんだ・・・・・こいつは?」

「そのリスっぽい方はフォウ。カルデア内を自由に散歩する特権生物です。私はその方に導かれお休み中の先輩を発見したんです」

 

 少女からなんとも的外れな解説を受けている間、フォウと呼ばれた白い動物は俺の頭へ登り、その小さな四肢で髪の毛を揉みくちゃにする。

 何が楽しいのか、時折鳴き声を上げては軽快なステップを踏む。

 動物好きな人間が見ればなんとも羨ましい光景だろう。頭部に感じるであろう肉球の感触を想像しただけで悶えるかもしれない。

 しかしながら、そんなものより頭皮に直に感じる爪の感触の方が強く、ハッキリ言って痛い。

 頭頂が禿げ上がった挙句、血塗れになる前にできれば離れて欲しい。

 そんな願いが通じたのか、はたまた満足したのか、謎の珍生物は軽快に頭から飛び降りて何処かへと去っていった。

 

「・・・・・またどこかに行ってしまいました。あの様に、特に法則性もなくカルデア内を散歩しています」

「不思議な生き物だな」

「はい。わたし以外にはあまり近づかないのですが、先輩は気に入られた様です」

 

 珍らしいものでも見たかのように、少女はこちらを見上げる。

 その情報を果たして喜んでいいのかいまいち分からないが、嫌われるよりはマシだろう、と納得する。

 

「ところで、少しお聞きしたいのですが・・・・・何故、通路でお休みになっていたのでしょうか?硬い床でないと眠れない性質なのですか?」

 

 自分の中であの動物についての折り合いをつけたところで、少女は当然の疑問を投げかけてきた。

 しかし、本音を言えばそれはこちらが聞きたい。そもそも、何でこんな所にいるのかも分からないのだ。

 

・・・・・昨日は確か・・・・・?

 

 妙なところで、引っ掛かりを覚える。

 昨日は何をしていたか思い出せない--いや、前提が違う。

 何も・・・・・思い出せ・・・・・ない・・・・・?

 

「・・・・・えっと」

 

 名前。

 自分の名前はーーーー駄目だ、思い出せない。

 考えれば考えるほど、頭の中に靄がかかったようになる。

 

「先輩?どうかしましたか・・・・・?」

 

 ずっと考え込んでいたためか、目の前の少女が訪ねてきた。

 どう答えるべきか思案していると、

 

「ああ、ここにいたのかマシュ。だめだぞ、断りもなしに移動するのはよくないとーーおっと、どうやら先客がいたようだね」

 

 誰かがやってきた。

 ただ、この混乱する頭では、それを確認する余裕もない。

 誰かと誰かの話し声が、ひどく粗雑なノイズに聞こえる。

 

「それにしても見ない顔だね。マシュ、彼は?」

「そう言えば、まだ自己紹介をしていませんでした。改めまして、私はマシュ=キリエライト。こちらはーー」

「レフ=ライノール。ここで働かせてもらっている技師の一人だ。君の名は?」

「・・・・・ない」

「うん?」

「分からないんだ・・・・・」

「なに・・・・・?」

 

 男・・・・・レフが訝しげに聞き返す。

 

「自分の名前、自分が誰なのか、何一つ思い出せない」

「なっ・・・・・!」

 

 予想もしなかった答えに、少女はは声を上げ、男も驚きに動きを鈍らせる。

 

「・・・・・それは、本当なのか?」

 

 かけられた問いに対し、首を縦に振って答えた。

 

「レフ教授、これは一体・・・・・」

 

 困惑した表情で少女がレフに尋ねる。

 

「・・・・・おそらく、彼は入館時に霊子ダイブを用いたシミュレートを行い、その時にエラーないしバグが発生し彼の記憶視野に影響を及ぼしたんだろう」

 

 彼らが何やら話しているが、混乱した頭ではうまく理解できない。

 分かるのは、今の俺には自分を構成する大事な要素がかけ落ちているという事実だけでーー

 

「あの、本当に何も覚えていないんですかーー?」

 

 言われて、もう一度記憶に検索をかける。

 自身が何者なのか、必死に記憶を漁ろうとする。

 それでも、やはり霞みがかったように何も浮かんでこない。

 それでもなんとか手がかりを見つけ出そうとしてーー僅かにノイズが走った。

 

「・・・・・っ!?」

 

 脳に鋭い痛みが走り、過去を思い出そうとする行為そのものを拒絶しているように感じt。

 ただ、その一瞬。ノイズの中に浮かんだモノがあった。

 一つは、燃え盛る地獄の如き風景と一人の男。

 一つは、月光が差し込む土蔵の中、こちらを見下ろす一人の少女。

 最後にーー

 

「衛、宮・・・・・」

「えみや・・・・・?誰かの名前でしょうか?」

 

 疑問を呈する少女に、答えを示す術はない。

 本当にただ浮かんできただけで、さっきの映像とその名前が何を意味するのか、何もわからない。

 

 --しかしーー

 

 --あれこそが自身の全ての様な気がしてーー

 

「先輩・・・・・?」

「ーーいや、大丈夫だ。さっきの質問だけど、多分あれが俺の名前なんだと思う」

 

 応じる言葉に、澱みはない。

 ひどく曖昧な記憶で、何一つ判然としなかった言葉の羅列でしかなかったーーなのに、確信があった。

 理由はわからない。後押しする理論など、一つもありはしない。

 それでもーーその名ほど、自身を表すのに相応しいものはないと断言できた。

 

「その名が誰のものかはわからないが、今は唯一の手掛かりだ。取り敢えず、マシュは彼を医務室へ連れていってくれ。私は所長にこの事を伝えてくる」

「わかりました。先輩、私に付いてきてください」

「ああ、わかった」

 

 男の指示に従って扇動する少女に、大人しく着いて行く。

 これからどうなるかはわからない。しかし、今は何より医者にかかる事が最優先だろう。

 垣間見えた三つの記憶を思い返しながら、少女に習って歩を進めた。

 

 

 




書いていて思ったのですが、他の作品を書いてる皆さん凄いですね。かなり難しいです。よくあんなにうまく纏めるな、と感心しました。もう少しうまくできる様に精進します。


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記憶

気がつけばお気に入り数が21になっていました。マジですか・・・・・
最初に見た時は驚きの余り間抜けな声が出ました。
初投稿な上に碌に物語をかいたこともなかったので、一人でもお気に入りに設定して頂いたことが正直信じられませんでした。
皆さん、ありがとうございます。これからも拙作で楽しんで頂ければ幸いです。
それでは二話目始まります。


 カルデアの医療部門トップのロマ二・アーキマン・・・・・通称Dr.ロマンは困っていた。

 その原因はマシュ・キリエライトが連れてきた一人の少年だ。

 所長に待機を命じられ、特に仕事も無く暇だったため、隠し持っていたお菓子を持って空き部屋でサボろうと医務室を出ようとした時、二人がやって来た。

 なんでも、通路で倒れていて気が付いたら記憶喪失だったしく、それを発見したマシュが連れてきたのだとか。

 しかし、そのこと自体は問題ではない。

 サボろうとしていたとはいえ、病人がいるのならすぐに対処する。どこか抜けている彼だが、自身の職務を放棄する様な人物ではない。

 ならば何が問題かといえば、それは検査結果だ。

 彼女から事情を聴き、すぐさま検査を行ったが、しかし、件の少年から異常は見受けられなかった。

 ここカルデアには、その役割からあらゆる分野の最高の人材と設備が存在する。

 それは医療部門にも言えることで、患者に異常があったならすぐに発見することができる。

 だというのに、少年からは何の異常も発見できなかった。

 念の為に、記憶喪失のフリをしている可能性も考慮して幾つかのテストを行ったが、その様子も見られない。

 症状は出ているのに、その原因が現代医学では発見できない。

 となれば、少年が記憶を失った原因は別の所にあるということになる。

 彼にはその原因に心当たりがある。

 記憶喪失の原因が想像するものと同じだった場合、かなり面倒なことになる。

 しかし、自分は医師として患者を助けるだけだと、彼は喝を入れる。

 そうして彼は件の少年と再び向き合うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「色々と聞いたけど、念の為に今までの経緯をもう一度聞いていいかな?」

「はい、わかりました」

 

 マシュという少女に連れられて暫く、俺はロマニ・アーキマンと名乗った医療スタッフの検査を受けていた。

 脳の写真を撮ったり、瞳孔の動きを確認されたり、はたまたここに至る事情を聴かれたり。

 そうやって何通りかの処置を経て、今度はまた事情を説明することを求められる。

 この検査が始まってから二度目となるが、もう一度同じ説明を繰り返す。

 とはいっても、答えられることは殆どない。

 言えるのはいつの間にかここの通路で眠っていて、それを発見したマシュと話している間に自分が記憶喪失だと気付き。

 そこに現れたレフ教授という人物の助言でこの医務室にやってきた、ということだけだ。

 それを聞いた彼は数秒程難しい顔をして、幾つか質問していいか、と尋ねた。

 

「はい、大丈夫です」

「ありがとう。それじゃ・・・・・記憶がないって言ったけど、それは君の身の回りのことだけ?それとも、社会や生活に関することも?」

「自分の身の回りのことだけです。その他の社会や生活に関することは覚えています」

「じゃあ、その社会のことで中心となっているのはどの国かな?」

「そうですね・・・・・日本のものが多いです」

「ふむ、日本か・・・・・。確かに君の容姿はアジア圏特有のものだ。身体検査の結果を見ても、日本人のそれに近い」

 

 そう、俺の中にある社会の知識は日本が中心なのだ。

 自分に関する記憶の大部分は靄がかっているが、自分がどういった人種で、そこに属するものの在り方がどんなものかは鮮明に思い返せた。

 

「ちなみに聞くけど、日本のどこが一番印象深いというのはあるかい?」

「いえ、特にそういうのは・・・・・・・」

「そうか・・・・・・・」

 

 そう言って彼はまた難しい顔をして考え込んだ。

 暫くして、考えがまとまったのか、ようやく口を開いた。

 

「今の所、全生活史健忘の可能性が高いね。これは今の君みたいに、自分のことはわからないけど社会などに関する知識は残ってる状態だ。よく、映画やドラマなんかで使われるのはこれでね。主な原因は心因性で、稀に、頭部強打などの外的要因で発症することがある。この症状は徐々に記憶が戻ってくる場合が多い」

 

 その説明を聞けば、自身の症状はそう重いものでもないように聞こえる。

 しかし、彼の表情は決して明るいものではなく、凝り固まった表情筋は未だに変わらない。

 

「君には身体面にも精神面にも異常は無かった。勿論、記憶を失ったが故の影響も、君が嘘を吐いている可能性も考えた」

 

 それは、医学に関しては素人の自分にも分かる考えだった。

 心的な要因で記憶を失ったなら、何かしら心に引っかかるものがあるはずだ。

 体にも心にも問題が無ければ、記憶喪失というそもそもの前提を疑うのも当然だろう。

 

「けど、どっちも違った。君の心に痕跡が残っていることも、嘘を吐いている様子もなかったーー正直に言って、現代の医学でこれ以上できることはない」

「そう・・・・・ですか・・・・・」

 

 その答えに、落胆の色を隠しきれない。

 彼の言葉が正しければ自分はなぜ記憶を失っているかもわからず、最悪の場合、記憶が戻らないかもしれないのだ。

 自分がどこの誰かもわからないが、かつての記憶を取り戻せないことは、ひどく心を掻き乱すような感覚を覚えた。

 しかし彼は、そんな俺の内心には気付かず、言葉を付け加えた

 

「安心してくれ、何も、他に手がないわけじゃない」

「・・・・・え?」

 

 先ほどとは矛盾する言葉に、しばし思考がこんがらがる。

 手がないわけじゃない?

 でも、これ以上出来ることはないって・・・・・

 

「確かに、現代医学では出来ることはない。でも、それ以外の方法があるんだ」

 

 それ以外の方法。

 果たして、この相当に設備の整った医療施設で解決できない肉体の問題を、どうやって解決するというのか。

 

「唐突なんだけど、君は’’魔術’’って知ってるかい?」

「・・・・・え?」

 

 いったいどんな提案がされるのか。

 固唾を呑んで答えを待っていた耳に、ひどく場違いな単語が入り込んだ。

 いま、彼はなんといったのか。

 

・・・・・魔術?いや、それ自体は知っているけど・・・・・

 

「空を飛んだり、火を出したりする、あの魔術ですか?」

「うん、それで合っているよ。まぁ実際の所、漫画やアニメみたいに夢のあるものではないんだけどーーとにかく、さっき言った別の方法というのが、その魔術なんだ」

「・・・・・はあ?」

 

 今度こそ耳を疑った。

 現代医学で解明できない身体の問題を、魔術なんて曖昧かつ眉唾なお伽噺で解決しようというのか。

 

・・・・・あたま大丈夫か、この人。

 

 余りにも不可解な解決策だったため、ついそんなことを考えてしまった。

 彼はそんな俺の気持ちを察したのか、再び苦笑して、

 

「信じられないのも無理はないけどね。でも確かに存在するんだよ。実際、このカルデアにいる者の多くは魔術師かそれに関係する人物だ。そして、そんなカルデアで倒れていた君も僕らと同じというわけだ」

 

 その言葉を聞いて、本日何度目になるかもわからない驚愕を抱く。

 魔術師なんてものの実在。その事実すら信じ難いというのに、自分もその魔術師なのだと彼は言う。

 

「・・・・・それ、本気で言ってます?」

「勿論、本気さ。こんな時に冗談なんて言わないよ。実際、君が着ていた外套もかなりのマジックアイテムだしね」

 

 余計にタチが悪い、という言葉を寸前で呑み込む。

 いきなり、君は魔術師だ、なんて言われても信じられる人はいないだろう。

 しかし、いつまでも混乱していては話が進まないので、なんとか気持ちを落ち着かせる。

 

「・・・・・仮に魔術なんてものがあるとして、それがさっきの話とどう繋がるんですか?」

「うん、そこなんだけどね。さっき僕は君が記憶を失った原因がわからないと言った。それはあくまで医学の観点で見た場合で、魔術の観点から見れば話は変わってくるんだーー率直に言おう。君が記憶を失ったのは事故ではなく人為的に引き起こされたものだ」

「なっ--!?」

 

 今日一番の驚愕が俺を襲う。

 

・・・・・・俺が記憶を失った原因は人為的なもの?

 

 誰が、何のために?

 いや、そんなことよりもーー

 

「俺の記憶は戻るんですか・・・・・?」

 

 震える声で、疑問を投げかけた。

 そう。重要なのはそこだ。

 誰がこんなことをしたのか知らないが、今は些細なことだ。

 問題は、記憶を取り戻せるか否かということだ。

 

「戻るか戻らないかといえば、戻ると思う」

「そうですか・・・・・」

 

 その言葉に、強張った体がほぐされる。

 俺としては、二度と記憶が戻らないことも考えていたから、安心した。

 でも、もう一つ気になることがある。

 

「記憶はどれくらいで戻りますか・・・・・?」

「それを話す前に、君が何をされたのか説明しておくよ。まず、君は記憶を奪われたんじゃなく封印されたんだ。時限性のものだったらしくて、一定の時間が経てば封印が解けるものだったようだ。でも、何故かは分からないけど、施された術式が滅茶苦茶になってる。この分だとすぐに戻るかもしれない」

 

 その言葉に安堵する。

 記憶は戻るとしても、それが数年、数十年後なんていう可能性も考えていた。

 けど彼が言うには記憶が戻るのは、そう遠いものでもない様だ。

 

「あの、色々とありがとうございます・・・・・えっと、ロマニさん」

「そう畏らなくていいよ。僕のことは気軽にDr.ロマンと呼んでくれ。ここのみんなもそう呼ぶからね。まぁなんでそう呼ばれてるのかは知らないんだけど」

 

 それは・・・・・まぁ彼を見ていればわかる。

 所謂ゆるふわ系というやつで、そこにいるだけで場が和む様な雰囲気を持っている。

 その浮ついた気配が夢見がちにも見えて、そこを彼の名前と結びつけたんだろう。

 

「それじゃ、改めまして。ありがとうございますDr.ロマン。お陰で助かりました」

「気にしなくていいよ。これも仕事だからねーーさて、取り敢えず診察は終わりだけど、何か聞きたいことはあるかい?」

「えっと・・・・・そうですね」

 

 色々と聞きたいことはある。

 ここの事や、魔術の事

 でも、そんな事よりも、まず聞くべきことがある。

 俺を見つけてくれた、あのマシュという少女のことだ。

 彼女は俺をここに連れてきた後、暫く付き添ってくれていたのだが、途中で用事があると言って、どこかへ行ってしまったのだ。

 世話になった感謝の一言も告げられていないのだから、その内にお礼をしなければ。

 

「そういえば、さっきの娘はどこに行ったんですか?」

「マシュのことかい?彼女なら今日行われるファーストミッションに参加するため、中央管制室に行ったよ」

「ファーストミッション? それって一体・・・・・」

「そうだね・・・・・一応、ここのことを含めて事情を話しておかないとね」

 

 耳慣れない単語に、僅かに身構えてしまう。

 その言葉の響きは、とても穏やかなものに聞こえなかったからだ。

 だから、その意味を余さず記憶しようと彼の言葉に耳を澄ましーー今まさに彼が話し出そうとしたとき、照明が消えた。

 

「明かりが消えた?ここで停電が起きるなんて、何か--」

 

 次ぐ言葉は耳に届かず。

 

ーー巨大な爆発音が世界を震わせた。

 




記憶喪失云々のところはちょっと捏造が入ってます。
やっぱり最後の締めとつなぎが難しいです。皆さんどうやってるんでしょうか。


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緊急事態

こんにちは。こんばんは。初めまして。なんでさです。しばらく更新できず申し訳ありません。
少々忙しく、執筆が遅れてしまいました。次回はなんとか、早く上げれるように精進します。
話は変わりますが、現在の士郎はおなじみのユニクロではなく、赤原礼装を纏っています。
何故、アレを着ているかは追々説明されます。
それでは3話目、どうぞ。



 光のない世界で、連鎖的に爆発音が鳴り響き、同時に地震の如く世界が揺れている。

 サイレンのけたたましい音と点滅する赤い光が、異常な空気をより際立たせる。

 

「くそっ、一体なんだっていうんだ!」

 

 突然の出来事に対応しきれず、椅子から投げ出された俺は起き上がりながら悪態を吐く。

 

「エミヤくん、怪我はないか」

「はい、なんとか。ドクターの方こそ大丈夫ですか」

「こっちも問題ない。でもいったい何が・・・・・」

 

 そんな彼の気持ちに答えるが如く、アナウンスが流れ出した。

 

『緊急事態発生。緊急事態発生。中央発電所、及び中央管制室で火災が発生しました。中央区画の隔壁は90秒後に閉鎖されます。職員は速やかに第二ゲートから避難してください。繰り返します。中央発電所及びーーー』

 

「中央管制室で火災だって!? あそこには所長たちが・・・・・って、衛宮君!?」

 

 アナウンスの内容を理解した瞬間、俺は走り出していた。

 ドクター・ロマンが何か言っていたが、今は気にしている余裕はない。

 中央管制室にはファーストミッションとやらの為に、多くの人が集まっている。

 そんな場所で爆発が起きたらどうなるかなんて、考えるまでもない。

 一刻も早く、助けに行かなければ。

 

 ・・・・・あそこには、マシュもいるんだ。

 

 記憶を失い、倒れていた俺を見つけて手助けしてくれた少女。

 助けてもらったのに、まだ碌にお礼もできていない。

 

・・・・・絶対に助ける。

 

 意気込み、速度を上げる。

 一人でも多くの人を救うために。

 しかし、ここで一つの問題が発生する。単純な話、俺は中央管制室への道を知らないのだ。

 当然といえば当然のこと。

 普段であれば誰かに聞くなりいくらでも回避できることで--この緊急時では致命的な問題となる。

 そもそも、自分の記憶さえ定かでない人物が、他人を助けようとすること自体間違いだ。

 場合によっては、自分が行くことで怪我人を一人増やすだけかもしれない。

 故に、ここは大人しく救助を待つか、アナウンスに従って速やかに退避するのが正しい判断だろう。

 

「ーーふざけろ」

 

 一瞬、頭に浮かんだ思考を打ち払う。

 正しい判断。

 本来取るべき行動。

 そんなことは誰に言われずとも理解している。自分が何をすべきか、そんなことは分かりきっていて--それを認められるほど、■■■■は利口ではない。

 自分が躊躇し、その結果助けられる筈の命を取り零すなど、絶対に許せない。

 

--もう二度と、あんなことには。

 

 今は彼女らを助けることだけを考えろ。それ以外のことは、全部後回しだ。

 問題は中央管制室への道だが--

 

「フォウ!」

 

 そんな時、走る俺の前に、一匹の白い動物が躍り出る。

 眼前を走るその姿は、まるで俺を案内しているかのようで。

 

「ーー頼む、中央管制室へ連れていってくれ!」

 

「フォウ!」

 

 返答は即座に、より速度を高める。

 

 

 

 

 

「ここか!」

 

 たどり着いた先、紅蓮の炎があたり一面を覆っていた。

 その中で、爆発の発生地であろう箇所がある。

 しかし、それは決して自然に起きたような痕ではなく--

 

「まさか、人為的に引き起こされたっていうのか!?いや、それよりも今は--」

 

 生存者を探さなくては。

 燃え盛る炎に遮られながら、なんとか進んでいく。

 

「くっ--!」

 

 なんて熱気だ。

 肌が焼けつくように熱い。火に触れてもいないというのに、燃えてしまいそうな錯覚。

 まるで蒸し焼きにでもされてるようだ。

 この様子だと、直接爆発に巻き込まれた人たちはかなりの重症だろう。

 急がなければ最悪の事態になりかねない。

 一刻も早く救助しなくてはいけない。

 

「誰か、誰かいませんかっ!」

 

 有らん限りの声で、呼びかける。

 少しでも反応があれば。そんな、淡い願いを抱いてのことだ。

 

ーーわかっているのだ。本当は。

 

 生存者など、一人もいないということを。

 この管制室を覆い尽くす炎。これだけ火が回っているのなら、原因となる爆発の規模は相当なものだっただろう。

 ならば、それに直接巻き込まれた人達がどれほどの衝撃を受けたか、想像に難くない。

 生存は絶望的で、原型を留めているかも怪しくて--それでも、諦めるわけにはいかない。

 現実は非情で、結果など分かりいっている。

 それでもこの足を止めないのは、受け入れていないから。

 もしかしたら奇跡的に生きている人がいるかもしれない。いま助け出せれば、救える人がいるかもしれない。

 しかし、自分が諦めてしまっては助けられない。

 掬えるモノも掬えない。

 だから、諦めない。諦めなければ、きっと叶えられるモノがあると、奇跡が起こると信じて。

 

--■■■■が■■■■に救われたように。

 

「何をしているんだ、エミヤ君・・・・・!」

「っ・・・・・!?」

 

 後ろからの声に驚き振り返る。

 そこにいたのは、

 

「ドクター・ロマン・・・・・!?」

 

 どうしてここに。その思考は一瞬で消え去った。

 何てことはない。彼はこの施設の職員で、医師だ。そして、異常事態が起き、人がいる場所で火災が発生した。

 ならば、彼が行動しない道理は無い。

 なんにせよ助かる。今は少しでも人手が必要なのだ。

 

「ドクターも手伝ってくれ!俺はこっちを探すから、あんたはそっちを」

 

 問答をしている余裕はない。

 用件だけ言って、すぐさま救助に戻る。

 

「ーーいや、残念だけどここまでだよ」

 

 しかし、彼はそれに待ったをかける。

 静止する言葉にいかなる感情が宿っていたか、それを判別する事ができないほど、どこまでも平坦な声だった。

 

「それは・・・・どういうことですか」

「言葉通りの意味だよ。生存者はいない。無事なのはカルデアスだけだ。これ以上できることはない」

 

 告げる言葉に澱みは無く、見え透いた事実をハッキリと口にする。

 

ーー生存者はいない。

 

 その事実に、今更ながら胸をえぐられる。

 判っていた。理解していた。

 確定された事象。覆せない現実。

 それでも諦めきれず、結局見つけられなかった。

 それを認められず、彼に助けを求めた。

 しかし、帰ってきたのは止めの言葉だった。

 

「・・・・・それでも、俺は」

 

 まだ諦めきれない俺の耳に、アナウンスの声が入ってきた。

 

『動力部の停止を確認。発電量が不足しています。予備電力への切り替えに異常 が あります。 職員は 手動で 切り替えてください。隔壁閉鎖まで あと 50秒 中央区画に残っている職員は速やかに第二ゲートからーーー』

 

「・・・・・僕は地下の発電所に行く。カルデアの灯を消すわけにはいかないからね。君は急いで来た道を戻るんだ。まだギリギリで間に合う」

 

 言うが早いか、ロマニ・アーキマンは走り出していた。

 無論、彼とて救助を行いたいが、それ以上に優先すべきことがある。

 現在、彼の頭を占めているのは三つの事柄だ。

 

 一つは、地下発電所の様子。

 一つは、如何にして、この事態を乗り切るか。

 最後に、誰がこの事態を引き起こしたのか。

 

 まず第一として、地下発電所を調べる必要がある。

 地下発電所は、カルデアにおけるほとんどの電力を賄っている。もしあそこがやられていては、カルデアは終わりだ。

 同時に、事態の沈静化を図る必要がある。カルデアにある各部門のトップ達は、自分を除いて、今日のミッションに駆り出されており、その殆どが中央管制室に集まっていた。

 現在、各部門は指揮者不在の状態なのだ。無論、緊急時における臨時の人事は制定ああれている。しかし、飽くまで臨時は臨時。この事態にどこまで対応できるか。

 場合によっては、自分が全体の指揮を執ることになるかもしれない。

 そして最も重要なのは、事件の犯人だ。

 厳重な警備とチェックのあるこのカルデアで爆弾を仕掛け、あまつさえ誰にも気付かせない。

 恐らく、念入りに計画されたのだろう。問題は、外部の人間によるものか。それとも内部か。

 犯行の鮮やかさと正確性から、後者と取る。外部犯であったなら、犯行に無駄がなさすぎる。これだけ正確かつ確実に爆発を引き起こすとなれば、自身が直接現場を見ておく必要がある。仮に外部の人間が実行していたとしても、カルデアの内部情報や日程などを伝える内通者が存在するはずだ。早急に、犯人を見つけ出す必要がある。

 でなければ、誰が敵かもわからない状態で、事件を解決しなくてはならなくなる。

 

・・・・・いったい、誰が。いや、それ以前に・・・・・

 

 何の為に。それが気になった。

 特定の個人を狙ったものなら、爆弾など態々使う必要はない。

 それこそ毒物などを飲ませるだけで事足りる。

 仮に、あの場にいた全員を狙ったものだとしても、理由がない。

 あの場には重要な立場にいるものも、そうでないものもいた。地位や名声などという言葉とは無縁の人間もいた。

 その全てを同時に葬り去ることに、何の意味があるのか。何の因果も関係性もなく、分野もバラバラな人間を消し去るメリットが存在しない。

 となれば、ここに対する反抗勢力によるものかと考えたが、それも違うだろう。

 人理継続保障機関フィニス・カルデアと名付けられたこの研究所は本来、一個人や団体に運営できるものではない。それは、その研究内容や規模からもわかる。

 何より、“何処にも所属しない”雪山の一部を改造して建設するなど、あり得ないことだ。

 これだけのものを建設・運営するとなると、巨大なバックアップが必要となる。それも、国家レベルのものだ。

 だというのに、カルデアは存在し運営されている。

 それが何を意味するかなど、言うまでもない。

 このカルデアを承認し援助する組織の名は国際連合。俗に言う国連だ。

 世界中の主要国家の殆どが加盟する国連。それが承認し援助するほどの重要性を、カルデアが持っていることになる。

 その根幹たる研究内容。それが、人理の継続--即ち、人類の存続だ。

 このカルデアは、人類の決定的な絶滅を防ぐという理念の下、活動している。

 本来なら、信じてもらうことすら不可能な話。それを認めさせるのに、膨大な時間と準備がかかった。

 その過程で多くの反抗勢力を”説得”して、最終的には国連の承認を得るにまで至った。

 その時点で、反対するものはいなくなったと言っていい。何せ世界によって、その存在を許されたのだ、反対出来るものなどいるわけがない。仮にいたとしても、事を起こすのが遅すぎる。

 本気で潰す気なら、カルデアが設立された直後を狙うべきだろう。

 これらの理由から、反抗勢力による犯行でもない。そもそも以前反対していた勢力の全てが、現在のカルデアを支援しているのだ。その可能性は考えるまでもない。

 ここまで考えて、始めに戻った。

 

ーー何の為に。

 

 先に述べた通り、カルデアは人類の存続を担っている。そのカルデアを潰すということは人類を滅ぼすも同義だ。

 まともな人間でなくとも、こんなことはしない。

 どんな悪人も、人類が滅んでしまっては元も子もない。

 

・・・・・袋小路だな。

 

 答えの出ない疑問に頭を振る。解決のしようがない問題を、今は脇に置いておく。

 現在における最優先事項は地下発電所だ。

 他のことは、後から考えればいい。

 思考の海から抜け出した彼は、自身の役目を果たすために、より速度を高めた。

 

ーーしかし。だからこそ、気付かない。

 

 自分が一つのミスを犯したことを。

 ロマニ・アーキマンが走り出した後も、救助を続ける少年がいたことを。

 彼は最後まで気付かなかった。

 

 

 

 

「ふざけるな・・・・・ッ!」

 

 今の自分に出来ることなどないと。そんなことは分かっている。

 所詮、自分は無力で、己すらもままならない存在だ。

 誰かを助けることなどできないと、理解している。

 

・・・・・それが、どうした。

 

 自分に出来ることはない。誰かを助けることは出来ない。

 たとえそうだとしても。

 

「見捨てられるわけがないだろ・・・・・ッ!!」

 

 己を鼓舞するように叫び、救助を再開する。

 そう。その事実を認められるのは、我慢できる人間だけだ。

 ■■■■はそれを我慢できるほど、できた人間ではない。

 故に、自分は全力で誰かを救うだけだ。

 意気込み、視界を巡らせ。

 

--何かが動いた。

 

 それを理解した瞬間、走り出していた。

 この炎の中。絶対的な絶望の中。確かに、生きている人がいる。

 ならば助けない道理はない。

 

「・・・・・・・・・・、あ。せん、ぱい・・・・・・・・・・?」

 

 向かった先。

 そこで蹲る人物を、見間違えるはずがない。

 下半身を瓦礫に潰され、虚ろな目を向けてきたのは、俺を手助けしてくれた少女ーーマシュだった。

 

「待ってろ、今助ける・・・・・ッ!」

 

 言うと同時に、瓦礫を動かそうとする。

 しかし、人を押しつぶすほどの重量だ。そう簡単に動きはしない。

 

「くそッ・・・・・!」

「・・・・・・・いい、です・・・・・助かりません、から。それより、はやく--」

 

--逃げてください。

 

 死にかけながらも、こちらを気遣う彼女の言葉。

 怒りが込み上げてくる。

 自分を助けようともせず、碌に知りもしない男の生存を願う少女の願いに、胸が掻き毟られる。

 

「馬鹿なことを言うな!そんな怪我で何考えてんだ、俺のことより今は自分のことだけ考えてろっ!!」

 

 口にしながらも、手は決して休めない。

 少しづつだが、瓦礫が動き始めた。

 これなら、なんとかなるかもしれない。

 そう考えて、必死に身体を動かす中で視界に入った何か。

 

--星が、紅く燃えていた。

 

「--ぁ」

『観測スタッフに警告。カルデアスの状態が変化しました。シバによる近未来観測データの書き換えをします。近未来百年までの地球において人類の痕跡は 発見 できません。人類の生存は 確認 できません。人類の未来は 保証 できません』

 

 その言葉が何を意味するのかは解らない。

 しかし、それにどうしようもないほどの怖気を覚えた。

 

「カルデアスが・・・・・真っ赤に、なっちゃいました・・・・・いえ、そんな、ことより----」

 

『中央区画隔壁 封鎖します。館内洗浄開始まで あと 180秒です』

 

「・・・・・隔壁、しまっちゃい、ました ・・・・・もう、外に、は--」

 

 言葉は最後まで続かない。

 続けるまでもないと思ったのか。

 或いは、続けるほどの体力も残っていないのか。

 どちらにせよ、同じこと。隔壁は閉鎖され、彼らは二度と外に出られない。

 

「クソ・・・・・すまない、マシュ。間に合わなかった・・・・・」

 

 あの、カルデアスとかいうのに気を取られ過ぎた。

 あれに意識を向けなければ、間に合ったかもしれない。

 

--なんて間抜け。

 

 唯一残っていた奇跡を、他でもない、自分が摘んでしまった。

 その事実に、頭が沸騰しそうになるが、それをなんとか鎮める。

 

・・・・・冷静になれ。

 

 ここで憤っていても仕方ない。

 いま考えるべきは、どうやって脱出するかだ。

 しかし隔壁は閉鎖されてしまった。もはや逃げ道はない。

 

・・・・・だから、なんだ。

 

 確かに希望なんてないのかもしれない。

 助かる道などないのかもしれない。

 しかし。例えそうだとしても。

 諦めてしまっては、本当に終わってしまう。

 そうだ。諦めない限りは、まだ終わらない。

 道を探せ。無ければ自分で創れ。

 

「心配するな。なんとかする」

「・・・・・せ、ん、ぱい・・・・・」

 

 俺を呼ぶ声に力はない。寧ろ、さっきより弱くなっている。

 時間は無い。急がなくては、脱出以前にマシュが保たない。

 視線を巡らせる。

 これだけの施設なら、緊急時用の脱出口があるかもしれない。

 

・・・・・ダクトのようなものもあるが、通れるか。

 

 いや。仮に通れたとして、下半身が動かず上半身も弱ったマシュでは移動できない。

 また、火災によって生じた煙が、絶え間なく流れている。入ったが最後、息ができない、なんてこともあり得る。

 これは、最終手段だ。

 一先ずは、他の出口を探すことに専念する。

 マシュの上の瓦礫を退け、彼女を背負う。

 

「ちょっとだけ、我慢してくれ」

「・・・・・は、い・・・・・」

 

 弱り切った声で返事を寄越してくる彼女に、律儀なヤツだな、と苦笑する。

 壁伝いに移動しながら、少しの手がかりも見逃さないように、意識を集中する。

 だからだろうか。

 再びアナウンスが流れたことに、気付かなかったのは。

 

『システム レイシフト 最終段階に移行します。 座標 西暦2004年 1月 30日 日本 冬木』

『ラプラスによる転移保護 成立。特異点への因子追加枠 確保。アンサモンプログラム セット。マスターは最終調整に入ってください』

 

『・・・・・警告 コフィン内マスターのバイタル 基準値に達していません。レイシフト 定員に 達していません。該当マスター検索・・・・・発見しました。適正番号、及び該当データ検索・・・・・・・・・・該当なし。データを再設定。新規情報を更新。適正番号48番を新規マスターとして承認。アンサモンプログラム スタート。霊子変換を開始します』

 

「・・・・・・・・せん、ぱい・・・・・手を、握って、もらえ、ますか?」

「・・・・・ああ、お安い御用だ」

 

 バランスなんかを考えると、するべきではないのだが、この程度で彼女の気が済むのなら、安いものだ。

 

『レイシフト開始まで あと3』

 

「--ッ!?」

 

 そこにきて、アナウンスにやっと気付いた。

 

『2』

 

 気づかなかった己の不甲斐なさを恨みながら、その声に意識を向ける。

 

『1』

 

 しかし、その意味を理解するより早く--

 

『全行程 完了。ファーストオーダー 実証を 開始します』

 

 --俺の意識は、闇に呑まれていた。

 




今のところ関係ありませんが、本編か番外で殺人貴とか姫君とか二十七祖とか出したいな〜と思うこの頃。
出したとして、原作に出てないキャラもいるからから少々オリジナルっぽくなってしまいそうなので悩みどころです。
皆さん、如何でしょうか?


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炎上汚染都市 冬木
廻りだす歯車


筆が乗ったので、早めに完成できました。このペースを維持していきたいです。
話は変わりますが、fgoにクレオパトラと黒騎士ブラドが出るとか。まさか、ここで入れてくるかと驚きました。ブラドさん狙いでいきたいが、7章に出てくるであろうエンキドゥのためにとっておきたい。悩みどころです。


 全身が浮遊しているかのような感覚。

 意識が覚醒する兆し。

 

「・・・・・さっきから、こんなのばかりだな」

 

 ぼやきながら、肺に溜まった空気を吐き出す。

 背中に感じる感触は、最初に目覚めた通路のように平坦なものではない。

 どちらかといえば、アスファルトのようなゴツゴツしたものだ。

 

「・・・・・いったい、何が起きたんだ?」

 

 体を起こしながら呟く。

 あの時、マシュを背負いながら脱出口を探していた俺は、突然不思議な感覚に包まれたと思ったら、次の瞬間には気を失っていた。

 爆発が起きたわけでもなければ、火や煙に意識を持っていかれたのでもない。

 夢か、或いは気付かぬ間に死んでしまったのかと思ったが、感覚はちゃんとあるし足だって付いている。

 本当に、何があったのか。

 疑問は尽きないーーただ、一つだけわかることがある。

 

・・・・・さっきので感覚が麻痺したか、それとも--

 

 異様なほど冷静な自分に、呆れてしまう。

 何せ、俺の目の前には、さっきよりも更に酷い絶望が鎮座しているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 紅い世界。

 あらゆる命が消え失せた大地。

 ぱちぱち、と音を立てる炎が、全てを焼き尽くしていく。

 生の営みが行われていたであろう建物は、悉く崩れ去り、無残な瓦礫となり成り果てている。

 何もかもが死んだ世界。

 正真正銘の地獄が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 地獄の中を歩く。

 何が起きたのか。ここは何処なのか。それらの疑問をひとまず無視する。

 先ずやるべきこと。それは、マシュの捜索だ。

 俺が目覚めた時、彼女は傍にいなかった。決して離さぬと誓った手も握られてはいなかった。

 彼女もここにいるのか。それとも元の場所にいるのか。

 どちらかは分からないが、一先ず前者と考えて行動する。

 彼女は、素人目に見ても死に体だ。長時間放置すれば、命はない。

 一刻も早く見つけ出す必要がある。もたついている暇は無い。だというのに--

 

「・・・・・・・・・・くそ」

 

 不快感がこみ上げてくる。

 頭が割れるように痛む。

 一瞬でも気を抜けば、せり上がってくるものを抑えられそうにない。

 なにより--

 

--ノイズが走る。

 

 ザザザザ ザザザザ

 

 燃える街並み。

 

 ザザザザ ザザザザ

 

 崩れ落ちる建物。

 

 ザザザザ ザザザザ

 

 死に絶える人々。

 

 ザザザザ ザザザザ

 

 見上げた先、黒い太陽が--

 

「・・・・・・・・・・っ!」

 

 脳髄が白熱する錯覚。

 走り続けるノイズ。

 散り散りに映る映像。

 それは紛れも無く、■■■■の原初の風景。

 

「一体、何だっていうんだ・・・・・・・・・・」

 

 知っている/知らない筈の記憶に戸惑う。

 俺はこんなものを体験したことはない・・・・・はずだ。

 ならば、昔見た映画か何かの映像かーーそこまで考えて、今の自分に記憶がないことを思い出した。

 まったくもって笑ってしまう。記憶が無いのに昔などと、よくも考えたものだ。

 大方ここの空気に当てられたのだろうと、当たりを付ける。

 本調子でない頭で考えていた、その時--

 

--何かが動いた。

 

 視界の端。確かに、動くものを捉えた。

 それに気づいた瞬間、すぐに足を向ける。

 全身を襲う不快感は力づくで捩伏せる。

 生存者か。或いは、彼女か。

 どちらにせよ、急いで確認する必要がある。

 

・・・・・待っていろ。

 

 限界の速度をさらに上げる。

 手遅れにならぬように。

 

 

 

 

 しかし、実際の所。

 彼を待ち構えていたのは生存者でもなく、ましてやマシュ・キリエライトでもない。

 向かった先で、彼は世界の裏側を見ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さっき動いたものの姿を探し求めて、走ること2分。

 目的の場所にたどり着くも、彼が望んだ人の姿はない。だが--

 

「----!」

 

 息を呑む。

 驚愕の言葉が溢れなかったのは、ただの偶然だ。

 今日一日、色々なことがあった。それでも、眼前の存在は異常に過ぎた。

 向かった先、待ち受けていたのは、武器を持った無数の骸骨の化け物だった。

 

・・・・・なんだ、あれは。

 

 目も鼻も無く、無数の牙が付いた、何かの動物の顎のような頭。

 筋肉らしきものも無く、どのように動いているのか謎だ。

 そもそも、生きているのかどうかもわからない。

 大凡、通常の生物とはかけ離れた異形の姿だ。

 余りにも日常離れした存在に思考が停止する。

 それがまずかった。

 

--殺気。

 

 ゾクリと、総身が粟立つ。

 迫る骸。振るわれる刃。

 

--回避をっ・・・・・!

 

 体を動かす。

 しかし、一足遅い。

 ガラ空きの胴体に向かって、剣が振り抜かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガン、という金属特有の音。

 鉄と鉄がぶつかり合った、無骨な響き。

 

--何故、そのような音が鳴るのか。

 

 本来、人体を切断した時に、金属音など生じる筈はない。

 ならば、何故--

 

--視線の先に、答えを見る。

 

 先程まで、何もなかった彼の手の中。

 そこに握られた、二振りの無骨な短剣が必殺の一撃を斬り払っていた。

 

 

 

 

 

--イメージは撃鉄。

 

「こ、れは--」

 

 彼は、その一部始終を見ていた。

 あの一瞬。この身が切り裂かれそうになった瞬間。

 無意識の内に体が動き、どこからともなく現れた剣で迎撃していた。

 

「------」

 

 手の中の剣を握りしめる。

 ずっしりと重い二振りの短剣は、一見、鉈のようにも見え、その構造から中華刀を彷彿とさせる

 一方は、亀甲紋様がある漆黒の剣。もう一方は、穢れのない白亜の剣。両方共、鍔の中央に太極図が描かれている

 何故、こんなものが存在するのかは解らない。

 しかし。同時に、一つの納得を得る。

 この剣があるのは、当たり前のことなのだ。

 人間が生きるために呼吸をするのと同じこと。

 これがあって、俺が成立し。これがあっての、俺なのだ。

 何故なら、この体は--

 

「ーーーー」

 

 剣を構える。

 先程、剣を弾かれた化け物は、まるで驚きを得ていなかった。

 驚くほどのことではなかったのか。それとも驚くという機能自体が存在しないのか。

 どちらかは知らないが、気にかけている暇はない。

 今は、降りかかる火の粉を払うことだけを考える。

 再び、剣が振るわれる。

 

「ふっ--!」

 

 迫る凶刃を、白の剣で弾き返す。

 衝撃で、骸が体勢を崩す。

 その隙は見逃せない。

 がら空きの胴体を、黒の剣で薙ぐ。

 異形の体は、あっさりと切り裂かれた。

 

--いける。

 

 この骸骨、見た目こそ凶悪だが、戦闘力は大したことはない。

 武器を扱う腕も並程度。力や速度も、俺の身体能力で、十分対応可能。

 

「っ・・・・・、はぁ--ッ!」

 

 続く槍の一撃を、体を反らすことで回避。

 槍が引き戻される前に、骸骨の頭上から剣を振り落とし斬り裂く。

 直後、後ろから別の骸骨が大剣を横薙ぎに振り払ってきた。

 迎撃は不可能と判断。

 勢いを殺さず、前方に倒れる。

 標的を失った大剣は、虚空を斬り裂くに終わる。

 前に倒れた俺は、大地に手をつける。そのまま倒立の要領で足を蹴り上げ、敵の武器を蹴り飛ばす。

 勢いの付いた蹴りを巨大な武器に受けたことにより、骸骨は耐えきれず、後ろに倒れ込む。

 それを、敵が起き上がる前に体勢を戻し、その頭を踏み砕く。

 

--この調子なら。

 

 予想以上の手応えに、余裕が出てくる。

 

--それが命取りだった。

 

「・・・・・ッ!?」

 

 地中より、突如として槍が現れた。

 軌道は直進。狙いは--

 

・・・・・頭か!

 

「くっ・・・・・!」

 

 直前で気付いたおかげで間一髪、回避に成功する。しかし--

 

・・・・・拙いーーっ!

 

 いきなりの行動だったため、体勢が崩れてしまった。

 これ以上は続かない。

 そして、そのような隙を、敵が見逃すはずはない。

 

「っ・・・・・!」

 

 新たに現れた大剣持ちが、長大な刃を振り下ろしてくる。

 

「こん、のっ・・・・・!」

 

 不完全な体勢のまま、さらに無理を通す。

 迫る刃。それを、眼前で交差した双剣で防ぐ。

 

「づっ・・・・・!」

 

 大質量の一撃を受けた体は、体勢が崩れていたこともあり、あっさりと吹き飛ばされる。

 

「がっ・・・・・!?」

 

 勢いを殺せぬまま、後ろの瓦礫に背中から激突する。

 

・・・・・まずい!

 

 現状が、自身の死に繋がることを理解する。

 故に、一刻も早く体勢を立て直す必要がある。

 しかし、背中を強打したことにより、一瞬、呼吸が止まり、体もすぐに動かない。

 このままでは、次ぐ一撃を防ぐことは出来ない。

 

・・・・・動か、ないと。

 

 それでも、なんとか移動しようと、痛む身体に鞭を入れる。

 

--だが、遅い。

 

 前方。剣を持った骸骨の更に後ろ。別の骸骨が、矢を番えている。

 限界まで引き絞られた弦から、必殺の一撃が放たれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガン、という音。

 再び防がれる死の一撃。

 しかし、それを成したのは陰陽の双剣ではない。

 死を受け入れるしかなかった少年の眼前。

 黒い軽鎧を纏い、巨大な盾を持った少女。

 

「ご無事ですか、先輩っ!」

 

 マシュ・キリエライト。

 少年を見つけ、彼が探していた少女が、そこにいた。




お気に入り登録数が100を超えました。気づいた時は驚きました。まさか、これ程の人に、気に入って頂けるとは夢にも思いませんでした。
皆様方、これからも拙作をよろしくお願いします。


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合流

今回、マシュが難しかった。
いや、もうちょい簡単だと思ってたんですよ。士郎に比べりゃ楽だろうって。
改めて、キャラクターの再現の難しさを思い知りました。
もし、これは違うって思う方がいましたら、遠慮なくお申し付けください。修正できるよう善処いたしますので。何卒ご容赦を。
それでは、5話目どうぞ。


 無数の情報の渦。

 記憶という名の海に潜る。

 

--何も見えない。

 

 映り出すものはなく、暗い世界が広がっている。

 

--まだ、足りない。

 

 記憶を探る程度では届かない。

 更に奥深く潜らなければ。

 

--そうして、俺は自己に埋没する。

 

 溢れ出る言霊。

 映し出される映像ーー知っていたはずの世界。

 

 正義の味方 ■■バ■ ■金の別■ ■て遠き■■郷

 ■杯■争 ■霊 遠■■ ■桐■ イ■■■フィ■ルフォ■ア■■■ベルン■■りの■■家

 投■ 固■結■ 魔■■会 時■塔 ■堂教■ 封■指■ 執■■ ■行者 魔■■殺し

 殺■貴 ■■鬼 ■■二十■祖 ■■の姫君 ■血の■■姫

 ■■使い 第■■法 並■■界

 ■ラ■ ガ■ア 守■■ ア■■マ■

 

 抑■■の介入が遅すぎる。

 

・・・・・遅い、とはどういうことだ。

 

 ぷつん、という音。

 意識が浮上する。

 

・・・・・ここまでか。

 

 再び、暗闇に包まれる。

 あの情報が何を意味するのか。思考しようとする頭に霞がかかる。

 思い出そうとしても、何者かの意思が妨害する。

 これ以上は無駄だろう。

 

・・・・・経験が残っているだけマシか。

 

 先の戦闘の際。

 自身の動きは、素人のものではなかった。

 寧ろ戦い慣れていたと言っていい。

 振るう剣も正確で、敵の行動もすぐに対応できた。

 

--何故、そのような技術があるのか。

 

 武道に精通していたのか。戦場にでもいたのか。

 推測するも、答えが出ることはない。

 

・・・・・誰なんだろうな、お前は。

 

 そんな、何度目かわからない自問自答をしていた時。

 

「マスター、あと少しで指定ポイントに到着します」

 

 傍らの彼女が、話しかけてきた。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、分かった」

「ここまでの移動で疲れたりしてませんか? 足が腫れたりは?」

「いや、大丈夫だ。体は頑丈みたいだし。心配してくれてありがとな」

「いえ。マスターの健康管理もサーヴァントの役目ですから」

 

 そこまで行くと、本当に使用人<サーヴァント>な気がするが・・・・・・ここは気にしないでおこう。

 それにしても--

 

「未だに信じられないな。マシュがあんなに強くなるなんて」

 

 言って、さっきの事を思い返す。

 あの時。殺されそうだった俺を助けた後、骸骨の化け物を一蹴したのが彼女だった。

 最初はかなり混乱したが、彼女と通信をしてきたドクター・ロマンの説明で事態を理解したのだった。

 その後、彼の指示で霊脈というものがある場所を目指し今に至る。

 個人的には、あっさり話の内容を理解した自分に驚いた。彼らから聞いた話は、荒唐無稽なものだった。

 普通は信じられない話。それを疑うことなく受け入れられたのは、直前に、同じく異常な存在を見たおかげか。

 

「確か、デミ・サーヴァントだったか」

「はい。ちゃんと、覚えられているようで何よりです」

 

--デミ・サーヴァント

 

 英霊という、霊長類最高峰の存在を人間に融合させ、擬似的な英霊とする存在。

 カルデアでは、長らくこの研究が行われていたらしいが、悉く失敗していたとか。

 しかし、今回の騒動でマシュの中にいた英霊から、この事態の解決を条件に力を譲渡されたらしい。そのおかげで、彼女は一命を取りとめたのだ。

 そして、そんな彼女を使役する存在。それが、マスターというものであり、自分はそれに選ばれたらしい。

 原因は不明だが、あの爆発の際、俺と彼女の間に魔術的な繋がりができたとのことだ。しかし--

 

「いまいち、実感がわかないな」

 

 事態を理解はしたが、驚きがないわけではない。

 これだけの異常事態。すぐに対応できる方が稀だろう。

 その上、マスターなんてものになったのだから、尚更だ。

 

「そこは時間の問題ですね。徐々に慣れていくしかありません。ご安心を。先輩の身は、私が必ずお守りします」

「守ってくれるのは嬉しいけど、無理はするなよ。怖ければ逃げてくれていいからな」

 

 強大な力を手に入れた彼女だが、それは肉体だけの話で、精神はそのままだ。

 彼女とて、戦闘や敵に恐怖を抱いてるはずだ。

 実際に、戦闘の際に彼女の瞳が揺れていたのを、俺は見逃さなかった。

 

「先輩、サーヴァントはマスターの使い魔で、謂わば道具のようなもの。ですので、そのような気遣いは無用かと」

 

 その言葉に怒りを覚えた。

 

「なに言ってるんだ。マシュはデミ・サーヴァントって以前に一人の人間で、可愛い女の子だ。そんな自分を蔑ろにするようなこと言うもんじゃない」

 

 つい語気を強めてしまった。

 けど、今の言葉は絶対に認められない。

 魔術の世界では、彼女の言ったような考えが当たり前なのかもしれない。だが俺はそんなの知らないし、そんな考えに賛同する気はない。

 彼女は飽くまで、マシュ・キリエライトという一人の少女なのだから。

 で、その彼女はというと--

 

「か、可愛い・・・・・!?」

 

 なにやら、目を白黒していた。

 

「どうかしたか?」

 

 呼びかけるも反応はない。

 

「おーい」

 

 再び声をかけるも、結果は変わらず。

 ここまで無反応だと、逆に心配になってくる。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 そう言って彼女の肩に触れると、彼女の体が、ビクッ、と跳ねた。

 

・・・・・触っただけでその反応は、流石に傷つくぞ。

 

 しかし。もしかしたら体調を崩しているのかもしれない。

 

「どうした、体調でも悪いのか?」

 

 これまでの経緯を考えれば、体調不良の一つや二つ起こっても可笑しくはないだろう。

 

「だ、大丈夫です、問題ありません!」

「そ、そうか」

 

 ものすごい気迫で、健康をアピールしてくる彼女につい気圧される。

 とはいえ、本当に体に異常があったら問題なので、通信が繋がるようになったらドクターに検査だけはしてもらおう。

 

「ーーまぁ、何かあったらすぐに言ってくれ。俺でよければ力になるから」

「は、はい。わかりました」

 

 ようやく落ち着きを取り戻したのか、出会った時と変わらない彼女だ。

 その様子を見て、大丈夫だな、と判断した。

 

「それじゃ、改めて進むとするか」

 

 言って、歩を進める。

 目指す地点まで、あと僅かだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある場所。

 霊脈というものが集まっている地点の一つ。

 

「--ぁ」

 

 彼女--オルガマリー・アニムスフィアは、そう漏らす精一杯だった。

 何も理解できなかった。何も理解したくなかった。

 若い身空で、身に余る地位と重責を死んだ父から受け継いだ彼女は、多くの苦しみを味わってきた。得られなかった才能。周囲への劣等感。それらに押し潰されそうな毎日をなんとか耐え抜き、責務を果たしてきた。

 そして、今日この日。遂に、彼女の悲願たる実験の実行にこぎつけた。

 

--これで、やっと認められる。これで、みんな褒めてくれる。

 

 そのために、頑張ってきた。それだけのために、耐えてきた。

 様々な出来事に追い詰められた彼女はいつしか、周囲に異様な劣等感を抱くようになった。

 それは常に彼女を苦しめており、そこから脱することを願い続けてきた。

 自分の無力さ。周囲への劣等感。誰も見てくれない苦しさ。

 その全てから解放される。今までの苦労がやっと報われる。これで、胸を張ることができる。

 

--その思いの全てが、崩れ去った。

 

 順調だったはずの実験は。しかし、突然の爆発によって、失敗することになる。

 気が付けば、予定されていた特異点におり、周りには誰もいなかった。

 そして、その代わりとでも言わんばかりに、無数の化け物が彼女の近くにいた。

 

「--ぁ」

 

 化け物の一体が、動いた。

 その手には、凶悪な刃が握られている。

 

「Gi--GAAAAAAAAAA!」

「ひっ・・・・!?」

 

 化け物の形容しがたい叫びに、思わず後ずさる。

 しかし、背後には瓦礫があり、これ以上の後退はできない。

 

「ぃや--いやぁーーーーーーっ!!!!」

 

 何度目かの叫び声が響く。

 彼女が悲鳴を上げたのは、これが初めてではない。

 化け物の姿を見たときも、それらがこちらに向かってきたときも、彼女は悲鳴を上げている。

 しかし、それを聞き、助けにやってくる者はいない。何故なら、この特異点に現れたのは二人の人物を除いて、"彼女だけ"なのだから。

 

「ぁ、ああ・・・・・」

 

 彼女の口から言葉にならぬ声が漏れ出す。

 もはや、まともに言葉を発する余裕も無い。

 恐怖に塗れた精神は、とっくに限界を迎えていた。

 一歩、一歩、化け物が近づいてきているのに、恐怖に竦んだ体は少しも動かない。

 

--ここに、死は決定された。

 

 体の動かない彼女に、目前の死から逃れる術はない。

 生還するには、他者の助けが必要だ。

 しかし、ここには彼女以外の人間はいない。

 彼女を助けることのできる人間は存在しない。

 故に、彼女は逃れようのない死を甘受するだけだ。

 仮令、彼女を助けられる人間がいるとすれば、それは--

 

--正義の味方だけだろう。

 

「----------え?」

 

 今まさに、彼女目掛けて剣を振り下ろそうとしていた化け物が、赤い閃光に貫かれた。

 そして--

 

「ーー待ってろ、いま助ける」

 

 聞こえるはずのない声が聞こえ、その直後。

 涙で滲んで、殆ど何も見えない視界の中。

 

--赤い背中が、映り込んでいた。




メンテ明けすぐにガチャへ逝ったら、黒騎士ブラドが。久しぶりに、狙いが当たったのでかなり興奮しました。ただ、贅沢を言えば、ドスケベマシュ欲しかったorz。皆さんも狙いのものを引けるよう祈ります。


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邂逅

最近、というより最初の方からですが、全然サブタイトルが思いつかない。これにかなり時間を取られる。別に無くてもいいんですが、やったからにはちゃんと最後までつけたい。あと文才が欲しい。切実に・・・・・
それでは、6話目どうぞ。


--地獄の中を赤い影が駆ける。

 

 化け物共と襲われる女性の姿を視界に収めた瞬間、傍らの少女の制止も聞かず走り出した。

 走り難い瓦礫の上を一切速度を落とすことなく走り続ける。

 

「-----っ」

 

 現状に歯噛みする。

 走り続ける足は既に最高速度。十数秒もあれば辿り着けるだろう。だが--

 

・・・・・間に合わないっ--!

 

 対象との距離がありすぎる。

 彼が十数秒で辿り着くなら、化け物は一秒と経たずに刃を振り下ろせる。

 どれだけ急いでも、敵の方が早い。

 一瞬の内、何の抵抗も無く彼女の体は切り裂かれるだろう。

 

--ならば、どうする。

 

 今からでは間に合わない。

 どうやっても届かない。

 

--ならば、間に合う物を。届く物を用意すればいい。

 

 走りながら、自己へ埋没する。

 灰色の画面に走るノイズ。散り散りに映る映像。

 その隙間、脳裏に浮かぶ赤い騎士。その手には。

 

--イメージは撃鉄。

 

 あの骸を穿つモノを生み出す。

 難しい筈はない。不可能なことでもない。

 もとよりこの身は、ただそれだけに特化した--

 

「投影<トレース>・・・・・開始<オン>ッーー!」

 

 紡がれる言霊。

 脈動する左腕。全身を見えないラインが通っていく錯覚。

 直後、光が集い、形を得ていく。

 

ーー顕現。

 

 右の矢を左の弓に番える。

 対象との距離は直線でおよそ300m。障害物は無し。

 

ー-中る。

 

 イメージは問題ない。

 これより放つ矢は、確実にあの骸を穿つ。

 限界まで引き絞られた弦から閃光が放たれる。

 同時、残心もせず再び走り出す。

 放たれた矢を確認する必要はない。

 中ると想像できた矢が中らぬ道理は無い。

 故に、今すべきは、一刻も早く彼女の下に辿り着くことだけだ。そして--

 

「ーー待ってろ。いま助ける」

 

 矢は寸分違わず骸を穿ち、俺は何とか間に合った。

 後ろの彼女は限界だったのか、俺が辿り着いた瞬間に気絶してしまった。

 骸共は、突然現れた俺を脅威と認識したのか、彼女に向けられていた殺意の矛先を俺に変える。

 

・・・・・これでいい。

 

 敵の注意を彼女から逸らすことができた。

 後は、こいつらを倒すだけだが--

 

「やぁあああああッ!」

 

 後方より現れた黒の影が、先頭にいた骸共を吹き飛ばす。

 良いタイミングだ、とひとりごちる。

 それが誰かなど確認するまでもないだろう。

 マシュ・キリエライト。

 俺と契約したデミ・サーヴァントたる少女が、身の丈を超える大楯を振るった。

 

「お怪我はありませんか、先輩・・・・・!?」

 

 俺がいきなり行動したためだろう。かなり焦って来たようだ。

 その証拠に、後ろの女性のことも気付いていない。

 

「ああ、俺は問題ない。それよりも、後ろの彼女が心配だ」

「後ろって・・・・・・・・なっ!?」

 

 そこで、漸く女性に気付いた彼女が驚愕の声を上げる。

 気持ちは分からなくはないが、今は敵に集中してもらわないと。

 

「彼女のことは一旦後回しだ。先ずはこいつらを蹴散らすぞ」

「っ!・・・・・了解です、マスター。指示をお願いします」

 

 かなり動揺していたが、すぐに気持ちを切り替えてくれた。

 少々あの反応が気になるが、それは後だ。

 気絶した女性は一見無傷だが、詳しく診てみないと分からない。

 早急に確認する必要がある。

 

「俺が斬り込む。マシュは彼女の護衛と俺が取りこぼしたやつを倒してくれ」

「はい。了解しまし・・・・・って、せ、先輩!?」

 

 言って、即座に走り出す

 マシュは俺の指示に困惑しているようだ。恐らく、逆のものを予想していたんだろう。

 しかし、それはできない。

 強力な力を持っているとはいえ、戦闘に不慣れな彼女が三十近い敵を相手にするのは危険だ。あの大盾も集団戦には向かない。

 それなら、盾持ちの本分である防衛戦に徹する方が効率的だ。

 俺なら集団戦も恐らく行えるし、双剣という性質上、対多戦闘も問題ない。

 それに、女の子を先頭に向かわせ自分は後ろで見ているなど絶対にできない。よって、敵陣へは俺が突っ込み、後ろは彼女に任せる。

 どういうことですかぁー!? という声が後ろから聞こえてくるが、気にしている暇はない。

 後で怒られるだろうなぁ、なんて考えながらも、刃を振るっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

--何故こうなったかといえば、色々と理由はあるだろう。

 

 自身の性格。自らの適性の無さ。過去の事件。

 考えられる要因は幾つもある。

 ただ、それがいつからといえば。

 自身に誇りを持っていた彼女が、周囲への劣等感によって雁字搦めになってしまったのが、いつからだったかといえばーーそれは所長の座を受け継いだ頃からかもしれない。

 故に、契機はあの時。

 尊敬していた、胸を穿たれて父が死んでいる様を見たあの時なのだろう--

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・う、ん」

 

 意識が覚醒し、ゆっくりと瞼を開く。

 視界にはナイロンでできた天井。おそらくテントの中だろう。

 

「ここは・・・・・・・・・・」

 

 このような場所に自分がいることに困惑する。

 ついさっきまで、管制室でファーストミッションの指揮を執っていたはずだ。

 

「どうなってるのよ・・・・・」

 

 何がどうなっているのか。全く分からない。

 とにかく、外に出て状況を確認すべきだろう。

 テントの出入り口を開き、外に出る。

 外の光景は、一言で言えば地獄のような風景だった。

 燃え盛る炎。瓦礫だらけの街。

 そこは予定されていた特異点、冬木市だった。

 そこまで把握して、何が起きたのか思い出す。

 

「-----っ!」

 

 群がる化け物。振り下ろされる刃。迫り来る死。

 自分の死は確定されていて--

 

「・・・・・わたし、何で--」

 

 生きているのか。

 そう言う前に--

 

「良かった。目が覚めたみたいだな」

「え・・・・・・・?」

 

 背後からの声に驚き振り向く。

 そこにいたのは、赤い外套を纏った一人の少年。

 赤銅色の髪と力強い琥珀色の瞳。

 身長こそ高くないものの、引き締まった体から、かなり鍛えていることが窺える。

 赤い外套からは、高い魔力と神秘を感じられ、それが一級の魔術礼装だということが分かる。

 しかし、何より驚いたのは彼の声。

 あの時、死の一瞬に聞こえた、あの声だった。

 

「どうだ。何かおかしなところは無いか?」

 

 聞かれた内容が一瞬分からず--直ぐに何のことか思い至った。

 

「ええ。少々の気怠さがあるだけで、特に問題はありません」

「そうか、それなら良かった」

 

 安心したように笑った彼は、こちらに水筒を渡してくる。

 それを受け取り、一気に飲み干す。

 正直に言って、かなり喉が渇いていたから助かる。

 本当は、得体の知れぬ相手から渡されたものを飲むなど危険しかないのだが、彼のことを見ていると、大丈夫だろう、と根拠の無い確信を持ってしまう。

 

「・・・・・ふぅ。ありがとう。喉が乾いていたから、助かったわ」

「お礼はいいよ。俺が用意した物じゃないしな」

 

 そうなの? と疑問を溢しそうになったが、もっと大事なことがあるので押し留める。

 単純な話、彼が誰なのかを確認する必要がある。

 恐らく、カルデアの人間ではないだろう。

 これほど特徴的な人物なら、忘れるはずがない。

 彼の様子からして、敵ではないと思うが・・・・・

 

「・・・・・それで、貴方が何処の誰なのか教えて頂ける?」

 

 彼は一瞬だけ、きょとんとした後、何故か苦笑を浮かべた。

 

「ああ、そうだったな。すまない、すっかり忘れていた。でも、その前にもう一人のところへ行こう。色々あってさ。一緒に説明したほうが早いだろうし」

 

 こっちだ、と言って、私に手招きする。

 彼の言う、もう一人というのが気になるが、今はついて行くしかない。そして--

 

「どうだ、変わったことはないか」

「はい。今の所、敵襲もありません」

 

 そうか、と返す彼に、話を聞く余裕は無い。

 というより、頭が追いつかない。

 何故。どうして。

 疑問ばかりが止めどなく湧いてくる。

 だが、落ち着いて問わねばならない。

 視線の先にいる少女。

 その人物を、彼女が間違えるはずがない。

 

「これは一体どういうことなの--マシュ!」

 

 叫びを上げ問い掛ける。

 その先にいるのは、マシュ・キリエライト。

 カルデアの職員にして、彼女が最も恐れる人物だった。

 

 

 

 

 

 

 暗い洞窟の最奥。とある儀式の心臓部たる場所。そこにある二つの人影。

 

「・・・・・では我々も動くのかね、■■■■」

「いいえ、その必要はありません。私達はこのまま、これを守ります。もし彼らがここに来て、これからの戦いに耐え得ると判断できたなら、その時は彼らに託しましょう。それまでは--」

「ふむ・・・・・了解した。では今まで通り、私は門番に徹しよう」」

 

 そこで話は終わりなのか、片方は踵を返し、元いた場所へ戻っていく。

 もう一方はその場に佇み、物思いに沈む。

 脳裏に浮かぶのは、一人の男。

 彼女がずっと見守ってきた、嘗ての少年の面影を残す青年。

 

「・・・・・・・■■■」

 

 巨大な杯の前。少女は一人、その名を呟いた。




ハロイベが楽しすぎる。分かっていたことだが、トリスタンが一々笑わせてくる。本編でこれだったら、シリアスくんは仕事ができなかっただろう。無事ドスケベマシュも手に入ったので、後はイベントをこなすだけ。
小説の方もサクサク進めていきたいです・・・・・


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状況把握

お待ちいただいている方々、お待たせしました。良い感じに筆が乗らず、執筆が停滞していました。申し訳ないです。今回は少々長めとなっているので、それで一つお許しを。
それでは7話目どうぞ。


『・・・・・以上が、今までの経緯です』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

ロマニ・アーキマンの説明に、オルガマリー・アニムスフィアは頭を痛めていた。

彼の話はこうだ。

ファーストミッション直前に爆発が発生し、職員の大半が死亡。コフィン内で待機していた47人のマスター適正者達も全員が危篤状態となるが、ロマニ・アーキマンの判断で凍結保存し延命に成功。

コフィンは出力不足で安全装置が起動、レイシフトは中断される。しかし、中央管制室にいながらもコフィンに入っていなかった三名が特異点にレイシフト。

一人は、カルデア所長、オルガマリー・アニムスフィア。

一人は、英霊と融合しデミ・サーヴァントと化したマシュ・キリエライト。

そして、記憶喪失者にしてマシュのマスターとなった少年。仮名として、エミヤと名乗る。

マシュとエミヤは特異点で合流。後にカルデアと通信を行いロマニの指示で霊脈を目指す。

その際に襲われていたオルガマリーを発見し救助。その地点がちょうど霊脈の真上だったため、気絶した彼女の介抱のためにもベースキャンプを設営し今に至る。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「所長・・・・・?」

現状に考えを巡らせるため黙り込んだ彼女に声を掛けてきた男に、なんでもない、と返しまた思考に耽る。

 

・・・・・まったく、本当に。

 

 どういうことよ、と心中でため息を吐く。

 

 

 

Dr.ロマンから齎された情報の多くは理解できた。

爆発は人為的なものらしいが、反抗勢力がいたということで説明できる。

マシュのデミ・サーヴァント化も問題ない。元々、彼女は"そのために生み出された"のだから。

無論、何故今になって成功したのかは疑問だが、有り得ない話ではない。

一連の事態に対し、一応の納得はできる。

しかし、どうしても見逃せないことがある。

 

・・・・・エミヤって、誰よ・・・・・?

 

知らない。そんな人間はカルデアにはいなかったはずだ。

目が覚めた直後は、カルデアにいない見知らぬ人間という存在をすんなり受け入れていたが、こうして頭がハッキリしている今では疑問しか湧いてこない。

彼は誰なのか。何故マシュと契約できたのか。そして何より--何故カルデアにいたのか。

最初の二つに関しては、さほど重要ではない。

彼が誰かなど本人にも分からないのだから調べようがないし、どこの誰でも敵対しないのであれば問題ない。マシュとの契約もたまたま適性があった、ということで納得できる。

しかし、彼がカルデアにいたという事実だけは見過ごせない。

言うまでもなく、カルデアには厳重な警備とセキュリティが敷かれている。

まずカルデアに訪れようとしても、標高6,000mの雪山が行く手を防ぎ、辿り着くのは容易ではない。

 入館時には事前の氏名登録はもちろんのこと、塩基配列や霊器属性の確認、指紋認証、声帯認証、遺伝子認証、魔術回路の測定まで行う徹底ぶりだ。

 入館後も魔術と科学の両方の警戒網が張られている。

 さらに言えば、カルデアのほとんどの場所はカルデアスを観測するための装置である"近未来観測レンズ・シバ"による監視が行われいる。仮に外部の人間が侵入しようものならすぐに発見できる。

--そんな場所に、職員でもない人間がいた。

 

それがどれだけ異常な事態なのか言うまでもないだろう。

そんなことはあるはずがないし、あってはならない。

故に、少年が何故カルデア内にいたのか謎だ。

--尤も、まったく可能性がないわけではない。

少年が得体の知れぬ"誰か"ではなく、"今日カルデアに来る予定だったマスター適正者"であったというのなら説明は付く。名も知れぬ部外者が侵入した、よりも、今日訪れる予定だった人物という考えの方が現実的だろう。

少年が発見された際に近くにいたレフ・ライノールも同様の結論に至った。

記憶喪失に関しては、少年が入館時に霊子ダイブを用いたシミュレートを行い、その際に何らかの問題が発生し彼の記憶に異常をきたしたのだろうと予想された。

オルガマリーもロマニから話を聞いた際、その予想に納得し、なるほど流石はレフだ、と感心したものだ。

--だが、この予想は完全に外れることになる。

 

なるほど、確かにそれならば、おおよそのことに説明がつく。

少年がカルデアにいたこと。記憶を失ったこと。マシュと契約を結べたこと。

これらの疑問に対し、明確な解を見出すことができる。

しかし--それは飽くまで、先の前提が成り立てばの話だ。

事件後、ロマニはレイシフトしたエミヤとマシュの反応を観測し通信を行った際、彼らのサポートのためにも一度彼らのデータを確認する必要があると思い、データベースを閲覧したのだ。

--しかし、そこに少年のデータは存在しなかった。

 

いや、これには語弊がある。

データは確かに存在した。しかし、そのデータが登録されたのは、事件から数分後。二人がレイシフトする直前であり、それ以前のデータは一切存在していなかったのだ。

これが意味するところは、少年がカルデアの正規マスター適正者ではないということだ。

よって、レフの予想は可能性から外れる。

ここにきて最初の疑問に立ち戻ることになる。

何故、少年がカルデアにいたのか。

予想は外れ、手掛かりも無い今では、分かるわけがない。

唯一手がかりらしきものといえば、少年が覚えていたエミヤという名前だけだ。

しかし、それだけでは情報が少なすぎる。おまけにその名前が本人のものなのか他人のものなのかも不明。ここまで謎だと、手掛かりなど有って無いようなものだ。

 

・・・・・八方塞がりね。

答えの出ない問題に、さらに頭が痛くなるが、取り敢えずこの問題は捨て置く。

今はもっと重大な事態に直面しているのだ。いつまでも一つのことにかまけていられない。

まずはカルデア所長としての責務を果たすべきだ。

その考えを実行するため、彼女は口を開くのだった。

 

 

 

 

 

 

記憶喪失者である少年--エミヤは、周囲を警戒しながらその様子を見ていた。

オルガマリー・アニムスフィアが目覚めてから約十分。マシュの姿を見た途端に興奮気味に叫び出した彼女をなんとか落ち着かせ、通信でドクター・ロマンから状況説明をしてもらった。

それを聞いた彼女は、恐らく考えを纏めるためだろう、暫くの間黙り込んでいた。そして漸く考えが纏まったのか、彼女が口を開いた。

 

「・・・・・色々と疑問はありますが、おおむねの事態は把握しました。まずはロマニ・アーキマン。専門外の分野でありながら、よくぞ的確な指示を行ってくれました。私がそこにいても、同様の行動を取っていたでしょう」

『なっ・・・・・!?』

「・・・・・ちょっと待ちなさい、その驚きは一体なんなの?」

『いや、だって、あの所長が素直に人のことを褒めるなんて、何か不吉なことが起きるんじゃないかと思って・・・・・』

「どういう意味よ・・・・・!?」

 

緊張感の欠片も無いやり取りである。

・・・・・結構、真面目な話だったんだけどなぁ。

 

傍らの少女に視線を向けると、彼女も曖昧な表情で沈黙していた。

あの感じだと、いつものことなんだろう。

溜息を吐き、オルガマリーさんって苦労人なんだな、なんて埒外のことを考えながら、周囲の警戒は怠らない。

正直に言って、オルガマリーさんの声がかなり大きいので、それに釣られて骸骨共がやってくるかもしれない。

 正面から来てくれればいいが、後方や側面から襲われたら戦いにくい。

オルガマリーさんを助けたときは彼女を背に戦えたからいいものの、今度も同じとは限らない。或いは、彼女を真っ先に襲ってくる可能性もあるのだ。

それに、さっき以上の物量でこられたら、さすがに対応しきれない。

そして、問題はそれだけじゃない。

・・・・・あの違和感は一体・・・・・?

 

戦い始めてからずっと感じている違和感。

最初の方こそ気にならなかったが、戦いに慣れだした頃から浮き彫りになってきた差異。

・・・・・頭でイメージする動きと実際の動きが合わない。

 

想定する動きに肉体が追いついていないのだ。

特に顕著なのが間合いだ。明らかに踏み込みが足りない。

敵の一歩手前で剣を振ってしまって、その隙に斬られそうになったのは一度や二度じゃない。

まるで、"体が縮んだ"かのような錯覚。

なんとかその場は切り抜けたが、早めに修正しないと次に屍を晒すのはこちらになるだろう。

そんなことを考えている間に話は終わったのか、オルガマリーさんがこちらに歩み寄ってきた。

 

「もう話は済んだのか?」

「ええ、お陰様でね。そちらも異常はないみたいね」

「ああ、今の所はな。さっきに比べれば静かなもんだよ」

「そう・・・・・ところで、貴方に言っておきたいことがあるのだけれど、構わないかしら?」

 

--言いたいこと。

そこに、どのような意味が込められているのか。

現状、俺の立場は非常に危ういものだ。

記憶喪失者。正体不明の男。デミ・サーヴァントと契約したマスター。

今の肩書きを考えただけでも怪しすぎる。

カルデアの所長である彼女が俺に疑念を抱くのも当然だろう。

場合によっては拘束。最悪、問答無用で排除される可能性もある。

本来なら自らの出自を明かし、和解の意を示すなりするのだが、残念なことに記憶の無い俺ではそれができない。

できれば穏便に済ませたいが--

「そんなに身構えなくてもいいわよ。単にお礼を言いたいだけだから」

「お礼・・・・・?」

 

予想外の言葉に面食らうが、はて? 何かお礼を言われるようなことをしただろうか。

 

「コホン。Mr.エミヤ、この度は我々とは無関係でありながら、職員の救助活動をはじめとする様々なご協力頂いたこと、カルデアを代表してお礼申し上げます。本当にありがとうございました」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

先ほどとは違う、丁寧な口調。おそらく、カルデア所長としての対応だろう。発せられた彼女の言葉にそういうことか、と納得する。だが--

 

「・・・・・気持ちは嬉しいけど、その言葉は受け取れない。結局俺は--」

 

--誰も助けられなかった。

確かに彼は、見ず知らずのカルデアの人間を助けるために奔走したのだろう。

少しでも多くの人を救うために力を尽くしたのだろう--だが、それは飽くまで過程の話だ。

確かに彼は奔走した。尽力した。しかし結果として。彼は誰も救えていない。

管制室にいた人間は姿を見ることすらできなかった。唯一の例外である少女も、彼には助けることはできなかった。

 最終的に彼女は一命を取り留めたが、それは彼以外の存在による力だ。

 そして目の前にいる彼女は直接助けられたものの、それは自分じゃなくてもできたことだ。

 或いは彼が存在せずマシュ・キリエライトだけだったなら、オルガマリー・アニムスフィアが襲われる前に彼女の下に辿り着いたかもしれない。

救ってみせると宣いながら何もできなかった。むしろ足手纏いだったかもしれないのだ。

故にこそ、目の前の彼女の言葉を受け取るわけにいかず--

 

「あなた、馬鹿じゃないの」

 

何故か、罵倒の言葉が聞こえた。

 

「え・・・・・・・・・・?」

「何を考えてるかは知らないけど、私たちを助けたのはあなたよ。無闇に自分を卑下するのはやめておきなさい」

 

確かに彼はほとんどの人間を救えなかったし、彼以外ならもっと上手くできたかもしれない。

しかし同時に、彼が彼女たちを助けたのは変わりようのない事実だ。そして、自分以外ならと考えることに意味はない。

 現実として、あの事態に動いたのは彼だけで、ありもしないもしもを考えたところで、何が変わるわけでもない。

 

「過去を振り向くなとは言わないけど、後ろばかり見ていも何も始まらないわよ。私たちは結局、前に進むことしかできないんだから」

 

その言葉に、どれほどの意思が込められているのか。

少年が彼女と出会って、まだ一時間と経っていない。当然、少年が彼女のことを理解するには短過ぎる時間であり、発せられた言葉の真意を掴むことはできない。

しかし、その言葉に乗せられた重みはだけは感じられ--

 

「凄いな、オルガマリーさんは」

 そう、ありのままの想いを伝えた。

しかし、彼女はそんな賞賛を否定するかのような言葉を紡ぐ。

 

「別に大したことないわ。それに、私からすれば、見ず知らずの人間を助けるために。何の躊躇もなく危険に飛び込むあなたの方が凄いわよ」

 

後に続く、色々な意味でね、という言葉には少々の含みがあるのだが、少年はそれに気づいた様子もなく、

 

「俺の方こそ大したことはないよ。結局は俺がそうしたかっただけだからな」

 

さっきと変わらず、自身を卑下しているのだった。

 

・・・・・どうしようもないわね、これは。

 

恐らく、これが彼にとっての当たり前なのだろう。ここまでくると、是正のしようがない。というより、そこまでする義理は無いし、これは本人の問題だ。他人がとやかく言うのは不躾というものだろう。

 

・・・・・さっきより、前向きになっただけマシか。

 

先ほどまでの暗さではないので問題ないだろう、と判断する。

 

『所長がここまで他人のことを気にかけるなんてーー遂に心の雪解けの季節がやってきましたか?』

「なんであなたが聞いてるのよ!」

 

突然現れた画面のドクター・ロマン対し、顔を赤くしながら、うがー!、と吠える。

笑うロマン。叫ぶオルガマリー。

再び始まったやり取りは、先ほどの焼き直しである。

少年はそんな彼らを見て苦笑しながら、さっき告げられた言葉を思い返す。

 

・・・・・前に進むことしかできない、か。

 

その通りだ、と彼は思う。

過去は変えられない。仮定の話に意味は無い。

彼らが今を生きる人間だというのなら、その思いは過去や可能性ではなく未来にこそ向けられるべきだ。

 

「IFの話は、考えないようにしてたんだけどな・・・・・」

 

どれだけ可能性を考えても現実は変わらないし、考えるたびに虚しくなるだけだ。

だからこそ、もしも、という想いは振り払ってきたのだが--

 

「--まったく、何を考えているのやら」

 

今の自分に記憶はない。

ならば、自身が今まで何を思い、何を成してきたのかなど、分かるはずもない。

だというのに、あんなことを考えたのは--

 

--ノイズ。

 

ズキリ、という痛みが、頭の中に響く。

 

・・・・・よっぽど、俺に思い出させたくないようだな。

 

記憶を探ろうとする頭に、まるで蓋をするかの如く痛みが走る。

 過去を考える度にこうなのだから、たまったもんじゃない。記憶を封印した人間は、何を思ってこんなことをしたのか。

 ドクター・ロマンは悪意は感じられないと言っていたが、それはそれで余計に訳が分からない。

 悪意の反対は善意。ならば記憶を封じた人間は、コレを良かれと思ってやったということだ。だが、記憶の全てを封じることによるメリットとは一体なんなのか。

・・・・・ほんと、何があったのやら。

 

もう何度目かもわからない思考。

答えの出ない自問自答に溜息が出る。

ドクター・ロマンは時間が経てば戻ると言っていたから、戻るまで待つしかないんだが--

 

「先輩、少しいいですか」

「・・・・・ん?」

 

隣からの声に振り向くと、マシュがこちらを見上げていた。

 

「どうした、何かあったか」

「はい。先輩に少しお聞きしたいことがあって」

「俺に聞きたいこと?」

一体なんだろうか、と一瞬思ったが、一つだけ思い当たる節がある。

 

「先ほどの戦闘で、先輩は弓と剣を使っていましたが、あれはどこから持ち出したのですか」

 

ごくごく、自然な問いかけ。

何も持っていなかった俺があんな物を使っていれば不思議に思うのも当然だろう。

「私も気になるわね、ソレ」

「・・・・・所長?」

 

いつの間にあのやり取りを終えていたのか、オルガマリーさんが話に割って入ってきた。

その顔は、彼女が少々厳しい性格だということを考えても、非常に険しいものだった。

 

「私もさっきの戦闘の映像を見たわ。最初はサーヴァントを退がらせて敵に突っ込むあなたの姿を見て正気を疑ったけど、その後のことには卒倒しかけたわ。一体、どこからあんな"モノ"を持ち出したの?」

 

それは問いかけというよりも尋問に近かった。発せられる言葉からは一切の虚飾は許さぬ、という意思がありありと感じ取れる。

しかし俺には彼女が何故それほどまでに緊迫しているのか分からない。

俺としても確かに不思議なことだと思うが、それにしたって尋常じゃない。

どこからともなく武器を持ち出すということが、それほど重大なことなのか。

「・・・・・どこからって聞かれると俺も分からないんだが。ただ、頭の中にイメージが浮かぶんだ」

「イメージ・・・・・・?」

「多分、設計図なのかな。それが頭の中に浮かんで、次の瞬間、手の中に生み出されてるんだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

俺の言葉を吟味しているのだろう、彼女は口を閉ざし考え込んでいる。

しかし自分で説明しておいてなんだが、アレは生み出したというより、"引き抜いた"、という風に感じるのは何故だろうか。

 

「・・・・・・わかりました、ひとまずこの問題は不問に付します。今はこれからの方針について話しましょう」

 

暫くして考えを纏めた彼女はアレのことは捨て置き、別の問題に意識を向けたようだ。

 

「所長、方針とは具体的にはどのような」

「私たち三人で特異点Fの調査を行います」

 

 退避や救助待ちの選択を考えていたためか、マシュはオルガマリーの言葉に、少なからず驚きを得ているようだ。

 実際、この場所の調査はファースト・オーダーとやらで、今よりもっと大規模な人員で行われる予定だった。

 それを、今この場にいる三人だけで完遂しようというのは、どうにも無理があるように思える。

 

「私たち三人だけで、ですか?」

「ええ。と言っても、現場のスタッフ数も練度も不十分なので、調査はこの異常事態の原因の発見に限定します。解析・排除はカルデア帰還後、改めて第二陣を編成してから行います」

 

 彼女も、その無謀さは重々承知しているようで、この場で全てを解決するつもりはないらしい。

 あくまで俺たちがやるのは、本命を成功させる前の下準備、ということのようだ。

 

「ーーあなたも、それで構わないかしら?」

 

 自身の考えを明らかにしたところで、今度は俺に水を向けてきた。

 構わないか、と問われれば問題ない。

 だが、それを実行に移す前にーー

 

「幾つか質問していいか・・・・・?」

「ええ、いいわよ」

「それじゃ一つ目の質問だけど、オルガマリーさんは自衛手段を持ってるのか? この先もあの骸骨共はいるだろうし、敵の数が多すぎると守りきれる自信がない。もし戦う術が無いのなら、大人しく救援を待つべきだと思うんだが・・・・・・」

「その点に関しては問題ないわ。さっきはいきなりのことで混乱してただけで、本当ならあんな下級の使い魔もどきにやられたりしないわよ」

 

自信に満ちた声で告げる彼女だが、俺からすればその突然にどれだけ対応できるかこそが重要だ。

 如何に強い力を持っていようと、常に冷静さを保ち正確に行使出来ないのであれば意味が無い。

とはいえ、本来は後方指揮官が主な仕事であろう彼女に、そこまで要求するのは酷なことだろう。

 どの道、前に出るのは俺たちなのだし、自衛の手段があるということで納得しよう。

 

「じゃあ二つ目だ。調査は原因の発見だけに限定するって言っていたが、本当にそれだけでいいのか? 」

「ええ、それだけでいいーーというよりも、それしかできないというのが現状ね。カルデアの設備も人員も大きく損なわれて向こうからの支援は期待できない。だから現場での行動は必要最低限で良いわ」

「それならいっそのこと、ここで救助を待っている方がいいんじゃないか? もちろん事前の調査があった方が後続が円滑に行動できるだろうけど、さっきオルガマリーさんも言ったように、今の俺たちは戦力不足だ。大した成果もあげられずに死ぬ可能性だってある」

「あなたの言うことも分かるけど、そういう訳にもいかないのよ。資金集めや新しい部隊の編成にもかなりの時間が掛かる。その間、魔術協会の連中が黙っているはずがない。最悪、カルデアを接収されるかもしれない。最低限、連中を引き止められるだけの成果が欲しいのよ

 

どうやら魔術師の業界でも色々あるようだが、一つ気になる単語があった。

 

「魔術協会ってなんだ?」

「ああ、そういえばあなたは知らないわよね。魔術協会っていうのは、言ってみれば魔術を管理する組織よ。魔術の研究や一般人に魔術が漏洩するのを防ぐことを主な活動としているわ」

「なるほど、そういうものか」

 

やはりどこの世界にもそういう組織はあるのか、と妙な納得をしてしまう。

 同時に、彼女がこのまま調査を続行する意味を理解した。

 要は利権絡みの話なのだろう。俺にとっては大して関係ないので、気にする必要も無い。

 

「他に質問はあるかしら?」

「いや。大体のことはわかったし、大丈夫だ」

「そう。それなら私からも一ついいかしら?」

「ん? 別に構わないけど・・・・・・」

 

他に俺にするような質問があるのだろうか。

 

「さっき、ここで救助を待つことを言っていたけど、それはあなたにも言えることよ。本当に私たちについてきても良いの? 本来あなたが来る必要はないし、実際、あなたには関係のないことでしょう?」

 

問い掛けられて、初めて認識する。

考えてみれば当然のこと。

本来なら関わりのない、たまたま巻き込まれただけの存在。

そんな人物がわざわざ命を賭した調査をする必要は無い。

このままおとなしく救助を待っていればいいだけだ。だが--

 

「ああ、構わない」

 

即答だった。

一切の迷い無く。一切の躊躇無く。

彼は命を賭すと答えた。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

その答えを、オルガマリーは理解できなかった。

何故、踏み込む必要の無い危険に飛び込むのか。何故、賭ける必要の無い命を賭すのか。

本来なら関係のない、ついて来る必要のない存在。

そんな彼が、自分たちを手助けする理由が分からない。

だからこそ。彼女は、その心を問うた。

 

「・・・・・・何故、と聞いても構わないかしら?」

 

--その問いを、彼女は投げ掛けるべきではない。

 

彼女が現状を理解できてない訳がない。

彼女の目的には、一人でも多くの戦力が必要なのだ。

だからこそ、自らの意思で危険な調査に協力するという彼は非常に有難い存在だ。

普通なら、彼の気が変わらぬようにすべきなのだ。

何故か、と。どうして、と。

そのような問いを投げ掛けるべきではない。

問い掛けた結果、彼の気が変わってしまったら、調査の成功率が著しく低下する。

カルデア所長として、そのような事態は絶対に避けるべきなのだ。

それでもその問いを投げ掛けたのは--巻き込みたくないという、彼女の想い故だろう。

その想いに対し、

 

「こんなことをする奴がいて、マシュやオルガマリーさんがそれを止めようとしてる。それを放っておくことなんてできない。こんなことを起こした誰かを俺は許せないし、二人にも傷ついて欲しくない」

 

目の前に誰かを傷つける存在がいる。目の前に悪意を撒き散らす存在がいる。

それだけで自分が戦うのには十分だ、と彼は告げる。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

オルガマリーが少年の全てを理解したとは言い難い。

それでも--この瞬間、彼女は少年の異常性、その一端を垣間見た。

「・・・・・・分かりました。私からの質問も終わりです」

 

告げて、線を引く。

これ以上踏み込めば、"また甘さ"が出てしまう。

彼は事態を解決するための道具だと考えなければいけない。それが、カルデア所長としての最善の行動と、己に言い聞かせ、自らに課せられた責務を、今一度思い返し、自身を切り替える。

 

「それじゃ、調査を始めるわよ」

 

宣言し、道無き道を進む。

後ろの二人もそれに倣い付いてくる。

--ここに、特異点Fの調査が開始される。




本当なら、今回でシャドウサーヴァント戦まで持って行くつもりだったのですが、変な方向に筆が進んでしまったので断念しました。これでも結構削った方で、最初は一万以上だったので、どこを落とすかでかなり時間を食いました。もう少し上手く纏められるようにしたいと思います。


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深まる疑念

約一ヶ月ぶりの更新・・・・・・。大変遅くなりました。
ええ、言い訳はしません。
EXTELLAにどハマりしてました。即効でメインストリーを終えてしまい、セイバーを出した後はひたすら無双してました。他にもギルとか呂布とかカルナとかランサーとか。1ステージで絶対に千越えしてました。
それが終わればクリスマスイベが始まり、サンタと共に靴下集めへ。イシュタ凛は出ませんでしたが・・・・・・。
待ってくださっている方々には申し訳ありませんでした。
お詫びにはなりませんが、今回は二話連続で投稿させていただきます。
またしばらく忙しくなるため、更新できない日が続くと思いますがどうかご了承下さい。
それでは8話目どうぞ。




 

「これで最後か」

 

冬木市・冬木大橋前。

自身に向かってきた骸骨を斬り伏せて、エミヤは一息ついた。

・・・・・・やはり違和感があるな。

考えるのは自らの体。

乖離する動作とイメージ。

思考と肉体は密接に繋がっている。反射などを除いて、思考に伴って肉体は動き、肉体があるからこそ思考を実行できるのだ。

長年行われた行動ならば、その結びつきは何より強固なものとなる。

エミヤが持つ戦闘技能は長期間行われたものであることは疑いようが無い。 それこそ、体に染み付いているほどだ。

ならばこそ、二つの間に違いが生まれるはずが無い。

生まれるというのなら、それは二つの内どちらかが急激に変化した時だけだ。

しかし、思考と肉体が噛み合わなくなるほどの変化など、そうそう起こるものでは無い。

実事、エミヤの体も特に欠損がある訳ではなく、健康体そのものだ。

加えて、彼が感じる差異は肉体の損傷で生まれるようなものでは無い。

文字通り、体が縮みでもしなければこのようなことは起こらないだろう。

・・・・・・ある程度、修正できただけマシか。

 

これから先、骸骨以上の敵が現れる可能性もあるから、ある意味で骸骨の存在は有り難い。

尤も、能力は低いので完全に修正する前に倒しきってしまうのが悩みどころだが。

 

「そっちも終わったみたいね」

「ええ。なんとか無事に」

後ろからの声に振り向きながら答える。

声の主はオルガマリーさん。傍らにはマシュを連れている。

「マシュもお疲れ様」

「はい。先輩もお疲れ様です」

 

オルガマリーさんと同じようにマシュとも言葉を交わす。

見た所、負傷した様子も無いので、向こうも無事に終わったようだ。

 

「それで所長。これからどうするのですか?」

 それぞれの無事を確認し終えたところで、そう問いかけたのはマシュだ。

それに対し、ああ、とオルガマリーは頷き、

 

「この橋を渡った向こう側に、幾つか確認したい所があるからそこに行くわ」

 

確認したい所、という言葉に衛宮が疑問符を浮かべる。

この異常事態は彼らにとって突然の出来事だ。

当然、解決の手掛かりなどあろうはずがない。

にも拘らず、彼女は心当たりがある、と言ったのだ。

何故、と疑問に思うのは至極自然な事だろう。

 

「確かにここに来たことはないけど、情報が無い訳じゃない。そもそも、ここはレイシフト予定地よ。事前のリサーチである程度の情報を揃えているのは当然じゃない」

 

それだけ聞けば概ね理解できるが、まだ引っ掛かりを感じる。

仮に事前の情報があったとしても、現在の状況が通常よりかけ離れていることに変わりない。

それでも心当たりがあるというのなら、ナニかがあるはずだ。

通常時と異常時のどちらにも共通する要因<ファクター>が。

そんな俺の考えを肯定するかの如く、彼女は最後の欠片<ピース>を口にする。

 

「これから行くところは、かつて行われた聖杯戦争の関係地よ」

 

 

 

 

--それを、俺は。

 

 

 

 

--いつかどこかで、聞いたことがある気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『調査の方は如何ですか』

「どうもこうも、一切手掛かり無しよ」

 

はぁ、と溜息をつく声に力は無い。

橋を渡り、調査を開始して、かれこれ二時間程。

期待を裏切り、これといった成果は上げられなかった。

今は、先ほど調査を終えた教会跡地の近くにあった少し開けた場所で休息を取っている。

 

『それは、残念でしたね・・・・・・』

「残念でしたね、じゃないわよっ! あなた仮にも医療部門のトップでしょっ!? もっと気の利いた言葉ぐらい言えないのっ!? そんなんでカウンセリングなんてできるのっ!?」

「いや。そう言われましても・・・・・・」

 

ここぞとばかりに放たれる文句の数々。

機関銃の如き勢いは留まることを知らない。

恐らく、この異常事態が起きてからずっと溜め込んでいたのだろう。

いつも以上に、よく口が回る。

このままだと、休憩が終わるまで話し続けるだろう。

ロマニにとって職員のストレスを和らげることも仕事の一つであるが、流石にそれは御免被るので、早々に話題を切り替える。

 

「ちょっと、聞いてるのっ!?」

『もちろん聞いてますよ。でも、そんなことより、他に話があったんじゃないですか?」

「む・・・・・・」

 

溜め込んだ不平不満をぶつけていたオルガマリーの声が途切れる。

今回の通信を行なったのはDr.ロマンではなく、オルガマリーの方からだ。

Drロマンの言葉で我に帰ったのか、不承不承といった風に気分を切り替える。

 

「・・・・・そうね。確かに、今はこんなことしてる場合じゃなかったわ。二人にも休憩中に周囲の警戒に行ってもらってるんだから、さっさと終わらせましょう」

 

コホン、と一つ間を入れてから、オルガマリーは本題に入り出した。

 

「率直に聞くけどーーあなた、"アレ"をどう思う?」

『どうと言われましても・・・・・・』

 

彼女の言う、"アレ"、というのが誰に関する事なのか、何の事なのか言うまでもないだろう。

正体不明の記憶の無い少年。

その彼が使う異能。

 

『多分、所長と同じ考えだと思いますけど--十中八九、“投影魔術”でしょうね』

 

半ば予想できていた答えに、そうよね、と力なく呟く。

投影魔術、或いはグラデーションエアと呼ばれるそれは、魔術師が行使する神秘の一つだ。

 自己のイメージに沿ってオリジナルの鏡像を魔力で複製するというものだ。

一見、便利そうなものだが、実際はそうでもない。

まず第一に、魔力というのは時間が経てば霧散してしまう。数分もすれば完全に消え去るだろう。

第二に、複製された幻想で在るが故に、世界によって修正されてしまう。矛盾を嫌う世界は本来存在し得ないモノを消去するのだ。

第三に、人間のイメージは穴だらけで完全なイメージをすることは不可能ということだ。投影魔術がイメージに沿って生み出される以上、不完全なイメージでは不完全な複製になる。

当然、実用に耐えうるはずもなく、外見だけのハリボテを生み出すのが精々だ。

これらの理由から儀式などの際、道具などを用意できなかった時にその場だけの代用品を用意するために使われるのが本来の投影魔術だ。

--しかし、件の少年は、その常識を真っ向から否定した。

 

構成された魔力は霧散せず。

世界が修正すること能わず。

生み出された剣は虚飾に非ず。

彼が生み出した投影物は確かな存在として世界に在る。

通常ではあり得ない事象であり--二人が真に驚きを得たのはそこではない。

 

確かに、彼の投影魔術は異常だ。

この世のどこを探しても、彼と同じことができる人間はいないだろう。

だがそれだけ。

投影物を半永久的に残せるとしても、さしたる価値は無い。

少々珍しく便利なだけ。

好奇の視線を向けられたとしても、喉から手が出るほど欲っされるものではない。

 

--故にこそ、問題なのは、投影されたモノだ。

 

彼らは、エミヤが投影したモノを知らない。

だが、それがどういう存在かは見ただけで理解した。

 

「"宝具"を投影するなんて、一体どういう了見よ・・・・・・」

 

--宝具。

かつて神話や伝説に存在した英雄・偉人達が、死後に人々の信仰によって英霊という精霊の領域まで押し上げられた存在。

その彼らが持つ唯一無二の切り札にして半身。

生前の彼らの象徴が形を得た"物質化された奇跡"。

人々の幻想によって象られる故、貴い幻想<ノウブル・ファンタズム>とも呼ばれる。

英霊と同様に、その存在は高き処にあり、人を遥かに超える力を内包する。

その存在は、おおよそ人間に測れる所には無い。

直視すれば魂を惹き込まれ。

解析すれば脳髄は焼け。

投影すれば回路が焼け落ちる。

文字通り、存在する次元が違うのだ。

なればこそ、ソレをただの人間が生み出せるはずがなく--それすらも、少年は覆した。

 

『このことは彼には?』

「彼には秘密にしておくわ。記憶が戻ってるなら未だしも、今の状態でこれ以上混乱するようなことは知らせるべきじゃない。いえ、彼だけじゃない。この事は他の誰にも伝えてはいけない」

 

そう答える彼女の顔は、いつになく険しい。

 

『それが一番良いでしょうね。宝具の投影なんて知れたら無事では済まない。魔術師の実験台にされるか、最悪、"封印指定"を受けることになるでしょうね』

「その通りよ。だからこそ、このことは私たちだけの内に仕舞っておくのよ」

『もちろんです。この会話は他のスタッフも聞いていませんし、記録も止めています』

「それなら良いわ。でも、油断はしないでちょうだい。いつ誰が聞いてるかわからないし、そこには事件の黒幕もいるかもしれないんだから」

『承知しています。最新の注意を払っているので安心してください』

 

その言葉でひとまずの安心を得る。

かなり間抜けな彼だが、その能力はオルガマリーも認めている。

彼が問題ないと言うのならきっと大丈夫だろう。

 

『いや。それにしても--』

「・・・・・どうしたのよ?」

 

話が終わった後に彼が独り言のように呟いたので不思議に思い聞き返してみた。

Dr.ロマンはそれに対し、いえね、と感慨深げに前置き、

 

『やっぱり、所長が丸くなったなーと思いまして』

「蒸し返してんじゃないわよっ!」

 

魔力を込めた拳を叩き込む。

パリン、と割れる通信画面。

砕けた映像に映るバラバラになったDr.ロマンの顔は現実でないが、いつか実現しそうである。

「まったく・・・・・・あの間抜け医師はっ!」

「どうしたんですかオルガマリーさん・・・・・・?」

「っ・・・・・・!?」

 

突然の声に振り向くとエミヤとマシュが目を丸くして立っていた。

 

「ど、どうしたのよ二人とも?」

「どうしたって、周りを調べ終わったので報告に来たんですけど・・・・・・」

 

・・・・・そういえば、そろそろ帰ってくる頃合いだったわね。

 

頭に血が昇ってすっかり失念していた。

まずい。非常にマズイ。

何がマズイって言うと、アレを見られたとなると、私の所長としての威厳とかイメージとか色々なものが崩壊する。それが他人にバレた日なんか、もう表に顔を出せない自信がある。

それだけは絶対に避けなくては。

故に、私がすべき最善の行動は--

 

「あなたたちは何も見ていない。いいわね?」

--加速的速やかに事実を隠蔽することであった。

 

「え? いや、あの・・・・・・」

「いいわね?」

「・・・・・・はい」

「よろしい」

 

--よし。

これで口止めは為された。

厄介ごとを未然に防げた事に安堵する。

--しかし、彼女は一つ忘れていた。

 

--通信画面が無くなったとしても、記録は再開され観測は続けられていることを。

 

--先ほどの醜態だけでなく、今の恫喝の場面もしっかり記録されていることを。

--彼女は終ぞ気付かなかったのである。

 

 

 

 




ここ最近、文字数が安定しない日々が続いております。
基本的には三〜四千ほどですが前話では確か八千ほど。
次話に関しては一万三千越え。
分ければいい話なんですが、それだと区切りが悪いしちょうど一話として纏まらないんですよ。
ページ分けとかできたらいいんですけどね・・・・・・。


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影舞う夜

前言通り連続投稿です。
少々、というか大分、纏まりが無いのはお見逃しください。
それでは9話目どうぞ。


近代的な発展を遂げ、高層ビル群が建ち並んでいた冬木市東部、新都。

 かつて様々な商店や流行りの品々で溢れ、老若男女問わずに様々な人で賑わった光景は、既に見る影もない。

ビルは崩れ落ち、今や燃え盛る炎と大気を舞う煤で覆われた、無残な姿となっている。

 

「とんだ無駄足だったわね・・・・・・」

 

げんなり、といった様子でそう溢したのはオルガマリーさんだ。

現在の町の状態と、かつてこの街で行われた儀式に関連性があるのでは、と考えた彼女はその関係地へと赴くことを決断した。

しかし別段不審なものは存在せず、こうして冬木大橋へと戻っている。

今まで溜まっていた鬱憤と自身の選択ミスによって彼女の苛立ちは最高潮に達している。

それはもう、突けば破裂しそうなほどに。

 

「気を落とさないでください所長。ここは無関係な箇所を潰せたと前向きに考えましょう」

「・・・・・・気持ちは嬉しいけど、一言余計よ」

「あ。す、すみません」

 

それで肩を落としたのはマシュだ。

気落ちするオルガマリーさんをマシュなりに励まそうとしたのだが、人付き合いが上手い方ではない彼女では、負のオーラ全開のオルガマリーさんを立ち直らせることはできなかったようだ。

あえなく撃沈したマシュはその空気に当てられたのか、落ち込み始める。

「そんなに気を落とすなよ、マシュ。多分、今は誰が声をかけても同じだよ」

気落ちするマシュを見て、思わず励ます。

今のオルガマリーさんを突くのはマズイ、ということを本能で理解したため静観していたのだが、流石に自分以外の二人が落ち込んでいては居心地が悪いし、かなり落ち込んでいるマシュを放っておくのは個人的にもマスターとしても見過ごせなかった。

 

「・・・・・・先輩。でも、わたしは・・・・・・」

「でもじゃない。そりゃ確かに力及ばずだったけど、マシュなりにオルガマリーさんを励まそうとしたんだろう? ならそれが間違いなはずがない。きっとオルガマリーさんもそこはわかってる」

「そう、なんでしょうか?」

「ああ、そうだよ。だから、そんなに落ち込むな」

「・・・・・・はい。ありがとうございます、先輩」

 

・・・・・・とりあえず、元気になったみたいだな。

 

こういうことは苦手だろうから、成功するか心配だったが、なんとか上手くいったようだ。

良かった良かった、なんて頷いていると、ふと凄まじい悪寒を背に感じた。

で、後ろを振り返ってみると--

 

「ちょっと、そこの二人。主従の仲を深めるのはいいけど、もうちょっと控えめになさい。うっかり呪いでも飛ばしそうになるわ」

 

--般若がいた。

 

いやまぁ、オルガマリーさんなのだが、その顔はとてもイヤなものであった。

それは一言で言えば、とても"イイ笑顔"だ。

こんな時でもなければ写真にでも納めたいぐらいだ。

でも俺は絶対にしない。何故ならすごく怖いから。

ついでに言うと、彼女は手をピストルの形を模しており、指先になんか黒い球状の魔力が集まってたりする。

 

「ど、どうしたんですか、オルガマリーさん、てか、な、なんですかソレは・・・・・?」

流石に、呪いという言葉と指先に出現したあからさまに危険な雰囲気の黒球に、反応せざるを得ない。

というより、さっきから体が震えて止まらない。

 何故だかあの黒い球体にとてつもなく嫌な予感を感じる。アレを見た日には碌なことにならないと魂が訴えてくる。

そんな様子に気付いているのかいないのか、オルガマリーさんはさっきと変わらぬ表情でソレが何なのかを教えてくれた。

 

「これはね、ガンドっていう呪いの一種よ」

「ガンド? それって北欧の地味な呪いじゃ・・・・・・」

「ええ、確かに。でも、フィンの一撃というのもあってね。それなら人間の体を壊すくらい訳ないのよ?」

「死にますよっ!?」

--とんでもねぇ代物であった。

オルガマリーさんは相変わらず、フフフ、なんて不気味に笑いながらアレを向けている。

撃つ気か。ソレを撃つ気かなのか。

ただでさえ頭がヤられているのに、この上、更に体もどうになりそうなモノをぶち込むつもりなのか。

 

「安心なさい。私のはそこまで物騒じゃないから」

「そ、そうなんですか・・・・・?」

「ええーー精々、軽く肉が削げて二、三日の間、高熱と幻覚で苦しむくらいだから」

「充分物騒ですよ・・・・・!?」

 

どっちみち危険なことに変わりは無い。

まずい。体が更に震えてきた。

何なんだ。一体アレに何があるっているんだ。

 

・・・・・・とにかく、アレを消してもらわないと。

 

だがどうする?

目からはとうに光が消え、いまにも破裂しそうな風船さながらの彼女をどうやって宥める?

下手な選択をすれば、即DEAD ENDだ。

慎重に行動しなくては。

何かいい案はないかと--オルガマリーさんの威圧から逃れる意味合いもあって--周囲へ視線を巡らし、そこで一筋の希望を見つける。

 

・・・・・・マシュならなんとかできるのでは?

 

そんな期待を込めて彼女へと視線を向ける。

果たしてこちらの意図を察してくれたのか、彼女はオルガマリーさんへと歩み寄っていって、

 

「所長、先輩を恫喝するのはその辺りで。それに、先輩が倒れてしまっては今後の行動に支障が出てしまいます」

「・・・・・・あなたがそう言うのなら止めるとするわ。彼の怯えた顔で多少はも気も晴れたし」

 

てっきり爆発するのかと思ったが、思いの外、あっさりと気を沈めてくれた。

目には光が戻り、あの物騒な黒球も消えている。

代わりと言ってはなんだが、彼女の顔は先ほどとはまた別の笑顔になっている。

こう、嗜虐的というか、チェシャ猫笑いとでも言うべきか。

とにかくイヤな表情だ。

まぁ、とりあえず死に目を見るというようなことは起きないのでよしとする。

どうやら、選択としては間違ってなかったようだ--ようなのだが、マシュに声をかけられた時のオルガマリーさんの顔が翳りを帯びていたように見えたのは気のせいだろうか。

 

「所長の怒りも治まったようなので、これからどうするか指示願えますか? とりあえず、橋の近くまで戻ってきましたが・・・・・・」

「正直に言うと、それらしい案は無いのだけれどね。こっちには何もなかったのだから、今度はあっちを探すべきでしょうね。と言っても、今度は正真正銘手掛かり無しだから手当たり次第確認するしか無いわね」

「なるほど。虱潰しという訳ですね」

「そういうこと。でも、ずっと探索するわけにもいかないから、ひとまずさっきの霊脈地へ向かいます。今度はちゃんとした拠点として使えるようにしましょう」

 

オルガマリーさんがこれからの方針をすらすらと答えていく。

この状況でよくもそこまで頭が回るものだと感心してしまう。

・・・・・・ほんと、落ち着いていれば頼りになる人だな。

 

彼女が若年ながらもカルデアなんて所の所長をやれていることに納得する。

彼女がいれば、これからの行動に支障は出ないだろう。

とにかく、今は俺も話し合いに参加すべきだろう。

その考えを実行すべく、彼女たちの方に歩み寄ろうとして。

ーーぞくり、と背筋に冷たいモノが走った。

 

「っ・・・・・・!?」

 

全身が栗立ち、総毛立つ感覚。

背中を流れる汗が倍になり、その性質が冷たいものへと変わっていく。

この感覚を俺は知っている。

ここに来てから、幾度となく感じてきた。

最初に感じたのは、初めてあの骸骨を見た時。

こちらを認識した奴らは全て同じモノを放ってきて--

 

「っ・・・・・・!」

 

周囲に視線を巡らす。

何処かにコレを--殺気を放ってる張本人がいる。

それも骸骨どものような生易しいものではない。

まるで鋭利な刃物の如く研ぎ澄まされたモノだ。

・・・・・・いったいどこに・・・・・・。

 

放たれる殺気は感じ取れるのに、その出所が分からない。

 瓦礫の散乱するこの廃墟の中では、視界は遮られる。

周囲の炎が発する熱もこちらの感覚を鈍らせている。

・・・・・・これは、かなりまずいな。

 

敵はこちらを認識しているのに、こっちはその姿すら掴めていない。

これでは格好の獲物だ。

更に悪いことに、オルガマリーさんとマシュはコレに気付いていない。話に集中しているのか、この手の感覚に鈍いのか。

どちらにせよ、狙われやすいのは彼女達だ。

早急に発見しなくては。

意識を敵の発見だけに集中させる。

両の瞳は更に遠くを見渡し。

 

--白銀が、放たれた。

 

「っ・・・・・・!?」

 

突然の出来事に一瞬反応が遅れた。

飛来するソレは視認すら難しい速度でこちらへと向かってくる。

俺は放たれた閃光に備えようとして--向かう先が俺ではないと気づく。

「しまーー」

 

見誤った己を叱責する暇も無い。

全力で腕を伸ばす。

 

・・・・・・間に合えっ!

 

伸ばす先。

迫りくる存在に気付かず話し続けるオルガマリーさんがいて--

 

「----え?」

 

直後、白銀が彼女の視界を覆う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、何が・・・・・・?」

 

突然、自身へと飛来してきたナニカに腰を抜かした彼女はそう言うのがやっとだった。

自身に何が起きたのか。

頭が追いつかない。

ただ、一つだけ分かるのは--あの瞬間、死んでいたかもしれないということだけ。

今更ながらに、その事実に恐怖する。

体が思うように動かず、喉が震えて声が出ない。

ここにきてから二度目の感覚。

初めて感じたのはあの骸骨に襲われた時。

あの時も彼女は死を受け入れるしかなかった。

それでも、彼女が生きているのは--

 

「大丈夫ですか、オルガマリーさん・・・・・・!?」

二刀を構える姿に衰えは無く。

襲い来る死と同じように。

赤い背中は、変わらず彼女を救い出した。

 

 

 

 

 

・・・・・・なんとか間に合ったか。

 

咄嗟に黒剣を生み出し、その刃に飛来したモノを搦めることで、なんとか防げた。

恐らく、素手では間に合わなかっただろう。

飛来したモノの正体は鎖の付いた白銀の短剣。

見ようによっては杭にも見えるだろう。

 

「ち、ちょっと、何よ、それ・・・・・・っ!?」

 

ようやく現状を理解したのか、オルガマリーさんが見て声を上げる。

視線を逸らすとマシュも気付いたようで、戦闘態勢を整えている。

「退がっていて下さい。今までと違って、オルガマリーさんを守る余裕は無い。マシュも、オルガマリーさんのことを頼む」

 

二人に告げてに告げて、再び敵を見据える。

マシュはやはり納得いかない様子だが、構っている暇は無い。

遥か彼方。

常人には視認できないほどの場所にソレはいた。

まるで影のような存在。

暗い靄がかかり、その全容は把握できない。かろうじて人型ということと地に届く長髪ということが分かる。

ソレが発する気配は、今までの骸骨とは比べ物にならないほど強大だ。

絡まった鎖にかけられる力も凄まじく、一瞬でも気を抜けば一気に持っていかれる。

現状、相対するのは危険だと瞬時に理解する。

だが、だからこそ逃せない。

 

・・・・・この異常の張本人か、その近くにいる者か。

 

 敵がどういった存在かは依然として不明なままだ。

 しかし、これまでの骸とは一線を画すこの影が、尋常な存在であるはずがない。

 街をこんな風にしたナニかと関係があると考えるのが自然だろう。

 

・・・・・・何としてもここで捕らえる。

 

 ここでヤツの正体なりを暴くことが出来れば、この地における調査の最大の収穫となるだろう。

 あるいは、異変を解決する糸口を見つけられるかもしれない。

故に、必ず捕らえてみせる、心を固める。

 敵の怪力に負けぬように全身に込める力を更に強める。

ギリギリ、という金属の擦れ合う音が響く。

その時。

 

「っ・・・・・・!?」

 

今まで拮抗していたはずが、一気に引き込まれる。

その力は今までの比では無い。

 

・・・・・・あれですら全力じゃなかった・・・・・・っ!?

 

その事実に驚く間も無く。

 

--身体はは、宙を飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩・・・・・・っ!?」

 

マシュ・キリエライトは目の前で起きたあまりの出来事に声を上げることしかできなかった。

少し前まで拮抗していた両者の力比べは、彼女のマスターが宙へ引き上げられたことによって終わりを告げた。

それは如何程の怪力か。

上から引き上げるならまだしも、同じ地に立ちながら上空へと引き上げ、そのまま自身の元へ引き寄せるなど常軌を逸している。

恐らくはデミ・サーヴァントと化したマシュでも難しいだろう。

ならばこそ、そんなことができる存在は一つしかおらず--

 

「今すぐ追いなさい、マシュっ!」

「所長・・・・・・っ!?」

 

どうすべきかと悩んでいたところへオルガマリーの言葉が届く。

 

「今ここで彼を失うわけにはいかないわ! それに、ここにきて初めての手掛かりらしき存在よ。絶対に捕まえなさいっ!」

「っ・・・・・・ですがっ!」

 

オルガマリーの判断は現状で最善の選択だ。

貴重な戦力でありマシュのマスターでもある少年をみすみす死なせるわけにはいかない。

調査という観点からもあの敵は絶対に確保すべきだろう。

そんなことはマシュも分かっている。

彼女の指示が最も現状に適していると理解している。

それでも彼女の指示に従うことを躊躇ったのは--

 

「こんなところに所長一人を置いていけませんっ!」

確かに、オルガマリーの判断はカルデア所長として正しい。

だが、戦える人間がエミヤとマシュの二人だけであり、両方共がオルガマリーの側から離れては、彼女を守れる人物がいない。

もし、今ここで大量の骸骨が現れればどうなるか。

考えるまでもなく、オルガマリーは無残に殺されるだろう。

多少の自衛能力を有していても、彼女の本分は飽くまで研究者であり、戦いは専門外だ。

現状の指揮官でありカルデア所長の彼女を失うのは痛手以外の何物でもない。

故にこそ、マシュは彼女の指示に肯首できないでいる。だが--

 

「じゃあどうするっていうの!? このまま彼を見殺しにするつもり!? もし彼が死ねば戦力が減るだけじゃない、デミ・サーヴァントとしてのあなたの力も失われるのよっ!?」

「そう、ですが・・・・・・っ」

 

デミ・サーヴァントという性質上、活動するのにマスターからの魔力供給は必要無い。

その肉体がサーヴァントのものでも、大元になるのはマシュ自身の身体だ。。

活動のための魔力は彼女自身で賄う事は出来る。

だが、これが現界ということになると話は別だ。

擬似的な存在であり肉体は生きた人間の物だとしても、その在り方は飽くまでサーヴァント。

マスターを失ったサーヴァントが現界を保てないように、依り代たる衛宮が命を落とせばその力も失われる。

そうなれば、この調査における最大戦力を失うことになる。

それは調査の失敗を意味する。

カルデアからの支援がほとんど行えない今、オルガマリーだけで調査の続行は不可能だ。

「そうなったら何もかもお終いよっ! だったら、多少危険な賭けでもやるしか--」

『聞こえますか、所長・・・・・・!?』

「ロマニ・・・・・・!?」

 

今、最後の一押しを伝えようとしてところで、Dr.ロマンから突然の通信が入った。

 

「何の用かは知らないけど、今はそっちに構っている暇はないのっ! 後にしなさいっ!」

『駄目です! いま聞いてください! そっちに"サーヴァントに似た反応"が向かってます!』

「そんなことは分かってるわよ! だから彼が離れていってるんでしょう!? しっかりモニターしなさい!」

「違います、そっちの方じゃなくて--マシュ、上だ・・・・・・っ!」

「っ・・・・・・!?」

 

ロマニの言葉と上空から感じた膨大な魔力に反応し、即座に盾を掲げる。

その直後--

 

「くぅ・・・・・ッ!」

 

降り注ぐ紫電の雨。

デミ・サーヴァントであるマシュを以ってしても膝を屈しそうになるほどの強力な攻撃。

『遅かったか・・・・・・っ!』

「今度は何よ・・・・・・!?」

 

悲鳴にも等しい、声を上げつつ上空を見上げるオルガマリー。

その先には--

 

「あれって、まさか--」

 

暗い靄のかかった影のような存在。

ソレは蝶の翅のようなものを広げており、そこに無数の魔力が集っている。

発する気配は今までの骸骨とは比べ物にならず--

 

「魔術師<キャスター>のサーヴァント・・・・・・っ!?」

 

叫びに応える者はおらず。

光線じみた魔力弾が嵐となって、再び彼女たちを襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空へと上げられ、敵の元へと強引に引き寄せられたエミヤは、宙を舞いながらも敵を見据えていた。

・・・・・・あれで刺し殺すつもりか。

 

見据える先、敵はこちらの短剣と繋がったもう一つの短剣を構えている。

このままでは敵の思惑通り、串刺しにされて終わりだ。

なんとか脱出しなくてはいけないのだが、猛烈な勢いで引かれている現状ではそれも難しい。

もしここで手を離せば支えを失い、遠心力で吹き飛び、そこらの瓦礫に激突するか、地面に墜落してお陀仏だ。

そもそも、この状態では力を抜くことすらできない。

つまりは完全な詰みだ。

 

--尤も、手がないわけでは無い。

 

俺が持つこの力の性質ならば現状から脱出するとともに、反撃を行うことも可能だろう。

故に、重要なのはタイミングだ。

俺と奴が重なる点で行わなければいけない。

少しでもズレれば、奴が手を下すまでもなく俺は死ぬだろう。

 

・・・・・・焦るな、今は待て。

 

逸る心臓を抑えながら、自身に言い聞かせる。

 

--敵がさっきよりもはっきり見え出した。

 

まだ早い。

--敵が腰を沈め出す。

 

まだ早い。

 

--弛んでいた鎖が直線になった。

 

・・・・・・今だっ・・・・・・!

 

予想地点に到達して即座に剣を破棄。

 この手に生み出されたものは全て、俺自身の意志でいつでも消すことができる。

獲物を失った鎖は一足早く敵の元へと向かっていく。

--敵の気配が、驚愕に揺れる。

 

影は予想もしない事態に思考を一瞬停止させる。

そこを衝く。

理想的な点で成功させた俺は新たに白剣を持ち弾丸の如き速度で奴の元へと飛翔する。

奴に引き込まれた勢い、だけではない。

剣を破棄する直前、全力で腕を引き寄せ勢いをつけ、更には重力の恩恵をも利用した突貫。

直撃すれば何者をも打ち倒す。

「ぉおおおおおおおおッ!」

 

雄叫びを上げ、剣を振りかぶる。

敵の力量はこちらを遥かに超えている。

故にこそ、この一撃で決める。

圧倒的な衝撃を伴って、必殺の一撃が振り下ろされる。

 

 

 

 

「や、ろ・・・・・っ!!」

 

悪態を吐きながら前を見据える。

睨みつける先、さっきと変わらぬ姿で影が佇んでいた。

必殺だった。必滅だった。

この一刀で終わらせると。

故にこその必死だった。

「あの距離で、躱すかよ・・・・・・っ!」

 

あの一秒にも満たない瞬間。

こちらの行動に対し反応が遅れたにも拘らず、敵はその驚異的な速度で容易く回避したのだ。

 

・・・・・・まずいな・・・・・・。

 

現状に歯噛みする。

俺が奴に対し勝利できると判断したのは、あの一撃が決まることを前提としていた。

直撃ならば即死。そうでなくても深手を負わせることができる。

本来なら捕縛したいのだが、この敵が相手ではそれは不可能に等しい。

故にこそ確実に仕留めるための一撃だったのだ。

 

・・・・・・まさか、素で躱すとはな。

 

常識はずれにも程があるだろう。

何の技術も策も無く、ただ人間離れした身体能力だけで対応するなど。

どういう体をしていればあんな挙動ができるというのか。

 

・・・・・・なんにせよ、手を打たないと。

 

現状、あの敵との戦闘は自殺行為だ。 かといって、逃亡も得策ではない。

俺と奴との速度差は明らかだ。

離れようとしても簡単に距離を詰められる。

仮に速度差がなくても、奴の投擲なら容易くこちらの頭蓋を砕いてくる。

どちらにせよ、背を向けるのは命取りだ。

ならばどうすべきか。

 

・・・・・・考えるまでもないか。

僅かばかりの逡巡も無く、その結論に至る己に苦笑する。

そうだ、迷う余地など無い。

俺が死のうが逃げようが、壁の無くなった奴はすぐに彼女達の元へ向かう。

ならばこそ俺に、■■■■■に逃げ道など無い。

故に、今ここでこの敵を打倒するのみ。

固められた決意を表すように、両手に二刀一対の刃が現れる。

「--来い」

 

自身より遥かに高い身体能力を有する敵を相手に自ら踏み込む愚は犯さない。

現状で俺が奴に勝利できるのは攻勢に出た敵の隙を衝いたカウンターのみ。

幸いなことに双剣とはその手の戦いに滅法強い。

だからこそ、あとは俺次第だ。

影もまた、こちらの敵意に反応して刃を構える。

距離はおよそ10m。奴ならば5秒とかからず詰められる距離だ。

鼓動が早まる。

数瞬後に襲い来る存在に恐怖が無いといえば嘘だ。

しかし、彼女達を守るためにも、この戦いは退けない。

そうして--

 

「っ・・・・・・!」

 

こちらの予想通り一息で距離を詰めた敵は、速度を殺すことなくその刃を突き出してきた。

 

「く・・・・・・ッ!」

 

黒剣を用いてかろうじて受け流す。

それに安堵する間も無くもう一方の刃が突き出される。

先と同じように白剣で受け流す。

「つぅ・・・・・・ッ!」

 

衝撃に声を漏らす。

敵の一撃はこちらの予想通り--否。予想以上の威力で襲い来る。

受け流しているにも拘らずビリビリという痺れが指先どころか全身に広がっていく。

しかし、それに気を割いている暇は無い。

敵は受け流された端から次々に刺突を繰り返してくる。

一瞬でも気を抜けば即座に蜂の巣だ。

無視し難い痛みを無理矢理叩き出す。

「ぅおおおおおお!」

 

上下左右。縦横無尽に襲いくる刃を全力で受け流す。

真正面からでは勝機は無い。

その時が来るまでひたすらに耐える。

そうして、三十合を超えた辺りから違和感を抱く。

 

・・・・・・全く同じ、パターン・・・・・・?

 

繰り出される乱撃は不規則なようで一定の規則性がある。

事実、今まで後手に回っていた俺が先回りして防御することが可能になった。

 

・・・・・・だったら・・・・・・!

 

敵の攻撃が一定の動きであるというのなら、それを上回って一撃を入れる--!!

そうして訪れた瞬間。

横薙ぎに振るわれる強力無比な一撃。

しかし、その行動<ミライ>は既に見えている。

 

「勢ッ--!!」

「っ・・・・・・!?」

黒の刃が敵の頬を掠めた。

敵が驚愕に表情を歪める気配が伝わる。

当然だろう。今まで防ぐだけで手一杯だった相手がいきなり反撃を繰り出してきたのだから。

しかし。

その驚愕<スキ>すら命取りだ。

 

「はぁッ--!!」

「っ・・・・・・!」

 

今度は白の刃が敵の長髪の内、数本を斬り裂いた。

敵には最早、さっきのような勢いは無い。

選択する行動の悉くが初動で封じられるのだ。

段々と追い詰められた敵は遂に決定的な隙を晒した。

 

「終わりだッ!!」

回避も防御もできない敵に向け、渾身の一撃を繰り出す。

必殺を志して放たれた刃は寸分違わず敵の頭を捉え--

 

「なっ・・・・・!?」

 

されど、その一撃は、敵の命を奪うには至らなかった。

彼はその一部始終を見ていた。

回避も防御も間に合わなかったあの状態から、敵は迷わずに後方の瓦礫へ鎖を放ち、ワイヤーアクションさながらの動きで回避したのだ。

 

「相変わらず、常識外れだなっ!」

 

悪態を吐くも、それ以上の余裕は無い。

行動を読まれてると理解した敵はその身体能力と鎖を以って三次元的な戦闘へと切り替えた。

その速度はいままでの比では無い。

周囲の建物の瓦礫を蹴り、鎖の反動を以って迫る敵はそれだけで必殺の威力を誇る。

一撃でも受ければそこで終わり。掠っても瀕死だろう。

咄嗟に瓦礫の山に身を隠す。

町の惨状に負の感情しか懐かなかったが、この時ばかりは感謝する。

どこも似たような状態だから目眩しにもなる。

暫くは持ち堪えられる。

だが、それもいつまで続くか。

 

「っ・・・・・・!?」

 

それに気づいたのはただの偶然だ。

影の突撃から身を隠すために瓦礫に隠れていた時、ちょうどマシュ達の方角を向いていた。

そこで見えたのは大盾を振るいオルガマリーさんを守るマシュと、上空より無数の光線を放つ影だった。

 

・・・・・・もう一体いたのか・・・・・・っ!?

 

充分あり得る話だ。

これだけの異常事態、たった一体が起こしたとは考えづらい。

ならば、あの影と同等の存在が複数いてもおかしくはなかった。

しかし、それに気づくこともなく、迂闊にも彼女達から離れてしまった。

その結果がこれだ。

俺は敵に翻弄され、彼女達も苦戦を強いられている。

--なんて、間抜け。

 

初めにその可能性へと思い至らなかった自分を罵倒しながら思考を巡らせる。

マシュ達が相対する影は見た所、典型的な遠距離型。

上空から一歩も動かず光線を浴びせかけている。

高さで言えば、マシュなら充分に届く距離だが、反撃を加える前に撃ち落とされている。

素人目に見ても相性が悪い。

あれとの相対は空いた距離を一瞬で詰める速度か飛行能力か、もしくは同等の遠距離攻撃が必要だ。

彼女はそのどちらにも当てはまらない。

このままでは遠からず敗北するだろう。

彼女では、あの影には届かない。

 

--ならば、俺が用意すればいい。

 

思考を即座に実行へ。

己の最も深い場所へ埋没する。

 

・・・・・・これだ。

 

目当ての物はすぐに見つかった。

今の俺では完全な物は用意できないが、あの"二体"を屠ることは可能だ。

 

・・・・・・手段は用意できた。あとは方法だ。

 

チャンスは一度きり。

さっきのようにいかなる回避も防御も許してはいけない。

そのために、今一度確認する必要がある。

一度だけ深呼吸をして、影が跳ね回る中心へと躍り出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

「躱しなさい、マシュッ!」

「っ・・・・・・!」

 

オルガマリーの指示に反応し回避行動に移るマシュ。

その直後、膨大な魔力の砲撃が大地を焼いた。

圧倒的な光線は一切尽きることなくマシュを襲っている。

初めは敵の高度まで跳んで反撃を試みたが、何度も撃墜され、遂には反撃に出る体力も気力も無くなった。

・・・・・・どう、すれば・・・・・・。

 

最早、盾を持つ力すら抜けてきた。

足も震えを帯びている。

繰り返し上空へと跳び、その度に叩き落とされているのだ。

それも、一度や二度ではない。

いかにデミ・サーヴァントで肉体の疲労に強い耐性を持っているとはいえ、消耗しない方がおかしい。

むしろ、未だに動き続けていることが異常なのだ。

実際、マシュも既に自身の限界を見ている。

それは後ろで見守っているオルガマリーにもわかることだ。

マシュ・キリエライトは誰が見ても力尽きている。

しかし、それでも、なお倒れないのは--

 

・・・・・・頼むって、守ってくれって言われた・・・・・・っ!

 

記憶喪失の少年。

出会ってまだ一日も経っていない彼。

自分自身すら定かではないのに、燃える世界の中、それでも手を握りわたしを助けようとしてくれた人。

ここに来てからも、何度も支えてくれた少年。

ーーその彼が、頼ってくれた。

 

不完全で、臆病で、全然役に立てないわたしを頼ってくれた。

だったら、それに応えないと。

頼られたのなら、任されたのなら、やり遂げないと。

 

・・・・・・負けられない・・・・・・っ!

彼女の頭にあるのはそれだけだ。

向けられた信頼に応えるために。

助けられた恩に報いるために。

その思いが今の彼女を動かしている。

「ぅああああああああああああッ!」

 

再び放たれた光線を、やはり、限界を超えて防ぎきる。

その姿は脆い雪花のようでありながら、決して倒れることのない不屈の楯であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ--ぁ--は--!」

 

荒く息を吐き、何とか呼吸を整えようと努める。

必殺の一手を確実に成功させるために自らの身を犠牲にして、最後の確認へと赴いた。

当然、その代償は大きい。

その存在自体が必殺と化した影が飛び跳ねる空間の中心へと飛び込んだのだ。

その場にいるだけで体が吹き飛ばされそうになり、掠りでもすれば剣で斬り裂かれたように肌が裂ける。

身傷のない箇所の方が珍しく、既にボロ雑巾の様な有り様を晒している。

 

・・・・・・だが、やっと見えた・・・・・・っ!

 

 致死の空間へ踏み込んだのは勝利のため。この身を危険に晒し続けたのは必殺の一手を確実なものとするため。

死地のど真ん中に飛び込んだ甲斐があった。

後は、その時が来るのを待つのみ。

ーー5。

敵の軌道がこちらの予測へと向かっていく。

影が弾ける度に無数の礫が舞う。

その様はさながら黒い砲弾だ。

ーー修正、プラス5秒。

 

さっきより溜めが長い。

この一撃で決めるつもりか、更に勢いが増す。

もはや視認することすら難しい。

故にこそ、重要なのはタイミングだ。

早くても遅くても駄目だ。 僅かでもズレればそこが死に際となる。

後の事は問題ない。

俺ならば、確実に成功させられる。

この一瞬にこそ、衛宮の真価が問われる。

ーー4。

 

意識をその一瞬だけのために集中させる。

 

ーー2。

緊張で心臓が割れそうだ。。

 

ーー1。

 

空の両手に再び陰陽の剣を呼び起こす。

・・・・・・ここだ・・・・・・ッ!

 

影の軌道が完全な直線となる。

砲弾すら超え、流星と化した影は軌跡すら燃やし尽くして全てを打ち砕く。

破滅の突貫を前に逃げることはせず、真正面から挑む。

 

「うぉおおおおおおおおッ!」

 

叫びを上げて刃を振るう。

迫り来る流星を受け流すことに全力を注ぐ。

黒星と白刃が交差する。

わずか一秒にも満たない時間。だが--

 

「っっ----!」

 

その交差で、両足の内、片方が潰れた。

本来なら大地をも割る一撃だ。

受け流すことに全霊を費やそうと、その衝撃だけで即死に至る。

この身がただの人間である以上、その摂理は覆らない。

 

--故にこそ、さらなる一手を打っている。

 

「・・・・・・っ!?」

 

影が驚愕に息を呑む。

この突貫、影は少年を砕くつもりは無かった。

少年はこちらの攻撃を全て受け流している。であれば、正面に立った少年の行動も決まりきっている。

影はそれを織り込んだ上で、突撃を仕掛けたのだ。

剣を通して衝撃を伝える。

直接、打ち砕くまでもない。交差するだけで赤の少年は絶命する。

しかし、少年の持つ剣が予想より遥かに脆かったことで、その想定は崩れ去る。

或いは、影の思惑すら想定の内だったのか、敢えて脆弱に生み出された剣は、砕けたことにより伝導部とはならず衝撃を殆ど散らした。

影の想定外の現象により、ここに摂理は覆る

 

「ーーーー」

 

影が少年の元を過ぎ去る。

音速にも等しい速度で打ち出された影は、少年が振るった剣により、上空へと飛翔していく。

「・・・・・・・・・・・・」

 

宙を飛びながらも影は態勢を整える。

少年が取った行動は驚嘆に値するものだ。

 

ーーだが、それだけ。

 

これだけ離れてしまえば少年に追撃の手立ては無い。

それどころか、体の一部を損傷した彼はその場から動くことも至難だろう。

後は適当な所で鎖を大地へと放ち、勢いを止め、再び少年の元へと跳べばいい。

この影ならば容易く行える。

故にこそ、影は己が鎖を構え--

 

--何故か、空中でその動きが止まった。

 

「っ・・・・・・!?」

 

今度こそ影の思考が停止する。

何も無いはずのこの空間で壁となる存在が在る。

その事実に馬鹿な、という思いが溢れる。

一体何が、と後ろを振り向こうとして。

彼方より、圧倒的な魔力が放たれた。

 

 

 

 

 

 

・・・・・終わりではないッ!

 

折れた足、粒子となった剣を気にも止めず、エミヤは最後の行動へと移る。

 

「投影開始<トレース・オン>--!」

 

左手に黒の洋弓を生み出す。

これより番えるはただの矢に非ず。

あの影供をただ一撃の元に撃ち抜く、必殺の剣を用意する。

「投影重装<トレース・フラクタル>」

 

イメージが現実と化していく。

 光が粒子となって集い、形を成していく。

幻想はここに現実なり、確かな実体を帯びはじめる。

 

「づっ----!」

 

体が軋みを上げる。

これより生み出す剣は、今までの物とは格が違う。

通常ならまだしも、記憶の無い現状では完璧な創造はおろか、生み出すことすら不可能だ。

故にこそ、本来存在する工程を全て踏み倒し、その剣の記録を無理矢理に引き剥がす。

かつてそのようにしたという記録だけを元に、剣を生み出す。

 

「----ぅぶっ」

 

びちゃ、と地面に血が落ちる。

あまりの暴挙に肉体が拒絶反応を起こす。

生存本能に従い今すぐソレをやめろと騒ぎ立てる。

その全てを力づくで捩じ伏せる。

 

ーー かくして、剣はこの世に現れた。

 

螺旋状に捻れた刀身を持つ剣は、圧倒的な存在感を放っている。

だが、それのなんと不出来なことか。

創造理念は無く、基本骨子も曖昧。かつて培った年月はすっかり抜け落ちている。

これでは本来の半分の能力も発揮しないだろう。

ーーだが、それで充分。

 

不完全な状態ですら、この剣は必殺たり得る。

黒弓に剣を番える。

視線の先には上空でぶつかった二つの影。

どちらも予想外の事態に、完全に動きを止めている。

イメージは問題無い。

動きもしない的を、外しはしない。

「--征け」

 

螺旋剣が放たれる。

打ち出された矢は一瞬で音の壁を破り。

 

--二つの影を貫いた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ--はっ--ぁ--?」

 

マシュ・キリエライトは荒い息を吐きながら疑問の声を零していた。

つい一秒ほど前まで間断なく降り注いでいた光線が止んだのだ。

何が起きたのか、と視線を空へと向け状況を確認する。

 

「----」

 

一瞬、何が起きたのか分からなかった。

空に舞うのは恐ろしい敵ではなく、敵が纏っていた靄のような塵だけ。

影の姿は消え去っていた。

「マシュ・・・・・・っ!」

「ぁ----所、長」

 

駆け寄ってくる彼女に弱々しい声を漏らすが、それで糸が切れたように体が倒れる。

体力も気力も無くなった体を無理矢理動かしていたが、今度こそ限界が訪れた。

支えのない体は地面に吸い込まれるように倒れていき、

 

「まったく、無茶し過ぎよ。でも、サーヴァントを相手によく持ち堪えたわ」

直前でオルガマリーが抱きとめた。

 

「所長。お怪我は、ありま、せんか・・・・・・?」

「それはこっちのセリフよ。何回死にかけたのよ。見てるこっちが倒れそうだったわ。盾持ちとはいえ、アレを相手によくも無傷で済んだわね」

 

あんまりといえばあんまりな言葉だが、これがオルガマリーなりの優しさだと知るマシュは苦笑しているだけで何も言わない。

というよりも、疲労で喋ることも億劫だ。

流石に気絶するのはよろしくないので何とか意識を保っているが、今は少しでも動きたくないというのが本音だ。

だが、そうも言ってられないだろう。

 

「所長。早く、先輩のところへ、向かいましょう」

最初に現れた敵も彼女が相対した影と同じ存在だ。

如何に彼が戦い慣れてるとはいえ、ただの人間がアレと戦うのは自殺行為に等しい。

一刻も早く救援に向かうべきだ。

だが。

 

「この状態で何を言ってるんだか。今のあなたが行っても何もできないわよ」

「ですがーー」

「安心なさい。向こうも終わってるから。常識外れなことに勝ったのは彼よ」

 

・・・・・え・・・・・?

今、彼女は何といったのか。

彼が、勝った?

相性差があるとはいえ、デミ・サーヴァントである自分ですら防戦に徹するのがやっとだった影と同等の存在に、ただの人間が勝利した・・・・・?

 

「それに倒したのは向こうだけじゃないしね」

「あの、それはどういう・・・・・・」

「あら、気づいてなかったの? キャスターも彼に倒されたのよ」

「・・・・・・・・・・・・」

 

今度こそ言葉を失う。

 戦っていた自分がまるで気付かない一瞬の内に、ことが終わっていた。

あの影は撤退したのではなく、彼に倒されていたのだ。

 

・・・・・・あれ? でもそれって・・・・・・。

 

そこで、一つの疑問が生まれる。

彼がこちらにいた影を倒したというのなら、その彼がここにいなくては辻褄が合わない。

仮にあの弓矢を用いたとしても、あの程度で先ほどの影を撃退できるとは思えない。

 

「それは本人に聞くのが一番早いわね。私も何かが飛んできたってことしかわからないから」

 

それはまさしく稲妻のような一撃だった。

あの時。

マシュに魔力砲の雨を降らせていた敵の動きが止まったと思ったら、何故かもう一体の影がぶつかっていて、次の瞬間には飛んできたナニカに撃ち抜かれたのだ。

 

・・・・・宝具、それも高い破壊力を持った高ランクのモノ、でしょうね。

 

 そうとしか考えられないほど、過ぎ去っていったナニかは常軌を逸していた。

 容易く音を超えて、空間すら抉り取りながら突き進んでいったあの存在が、ただの魔術や概念武装であるはずがない。

 彼が常用する黒白の双剣よりなお、高位の宝具だと考えるのが、最も妥当だった。

 

「・・・・・とにかく、彼を迎えに行くのが先ね。ほら、しっかり掴まってなさい」

そう言ってオルガマリーはマシュに肩を貸した。

「・・・・・・すみ、ません」

「今回のあなたの働きに比べれば、これぐらい報酬にもならないわよ」

 

・・・・・それに、かなり軽いし。

 

しばらく食事も喉を通らなかったため体重はかなり減ったが、彼女には僅かに負けるだろう。

尤も、軽くとも人を担ぐのはかなりの力が必要なので強化の魔術を使っている。

これなら彼の所まですぐに辿り着けるだろう。

後はさっきの事とか色々と聞かないと。

そんなことを考えつつ、オルガマリーはマシュを連れて少年の元へ急ぐのだった。

 

 

 

 

 

ぐらりと、体が揺れた。

今ので、本当に力を使い尽くした。

体のいたるところが斬り裂け、無事な所の方が珍しい。

片脚も折れてしまっていて立っていることすら困難だ。。

脳は電流でも流され焼け焦げたかのよう。

意識を保っていることが奇跡だろう。

それでも、彼女たちの無事な姿を確認するまでは倒れる訳にはいかない。

・・・・・・急がないと。

 

今にも地に伏せそうな体に鞭打ち、彼女たちの元へ向かおうとする。

 折れた足を引き摺り、みっともなく亀より遅い速度で歩みを進める。

 

「っ・・・・・・!」

 

がくりと、膝が揺れる。

心の方が倒れずとも、肉体が付いてこない。

 血を流し過ぎたのか、極度の疲労故か。

判然としない原因、だんだんと意識が遠のいていく意識、思考に反して体は沈んでいきーー

 

ーー頭上を何かが通り過ぎた。

 

「ーーーーえ?」

 

一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 しかし、呆っとする頭で振り向いた先で、直ぐに何が起きたのか理解する。

見覚えのない、しかし何処か覚えのある黒い影が、左手を掲げていた。

・・・・・・見誤った・・・・・・。

 

あの二体を倒して完全に油断していた。

おかげで"三体目"がいることに気づかなかった。

先ほどの攻撃も、掛け値無しの不意打ちだった。

余力を使い果たし、存在にも気付かなかった俺では回避できなかった一撃だ。

たまさか倒れ込んでいなければ、そこで終わっていただろう。

その幸運に喜んでいる余裕は無い。

影は外れたと見るや、二度目の投擲を行ってきた。

 

「っ・・・・・・!」

 

それを地面を無理やり転がることで回避する。

無数の瓦礫が更に体を傷つけるが死ぬよりはマシだ。

そのまま起き上がり、瓦礫に身を隠そうとしてーー

 

「あーーーーえ?」

 

ーー地面へと倒れこんだ。

 

体が全く動かない。

 みっともなく地面にうずくまって、身じろぎするのがやっとだ。

だが、さっきまでの消耗から来るものではない。

まるで、麻痺したかのよう。

 

「なんーーで?」

 

その疑問は、右腕の新しい傷を見てすぐに氷解する。

・・・・・・毒、か・・・・・・。

 

先の二撃目を躱しきれず腕をかすったのだが、それがまずかったようだ。

体の状態、痛みに冴える思考から判断して神経毒だろうか。

「ちく・・・・・・しょう」

 

痺れる舌先から、意図せず声が漏れる。

死ぬ訳にはいかぬというのに、どうすることもできない自分が恨めしい。

何より、俺を殺した影が彼女たちを襲う未来が恐ろしい。

もう一体の影との戦いで疲弊しているであろう二人に、この敵の相手は荷が勝ちすぎている。

間も無く二人も殺されてしまうだろう。

・・・・・・たわけ。

 

弱気になる自分に喝を入れる。

どれほど絶望的でも諦めはしないと、そうほざいたのは自分だろう。

ならば最後まで貫き通せ。

指先だけでも動くのなら、僅かでも前へ進め。

脳が働くなら、少しでも思考しろ。

 その命が尽きるまで、限界まで足掻き尽くせ。

そうだ。

たとえどれほど希望が無くとも。

守るべき誰かがいる限り、■■■■■が諦めていい道理は無いのだ。

 

「------」

されど、影はそんな想いなぞ一蹴して、少年に死を齎す。

 

 

 

 

 

 

「そいつはちと無粋ってもんだぜ、アサシンよ」

「----っ!?」

 

遠のく意識の中。

 誰かの声が聞こえる。

閉じていく視界の中、最後に見えたのは怖気がするほどの赫に貫かれた影と。

 

--赫をになう、群青の騎士だった。




読んでいて思った方もいるかもしれませんが、オルガマリーが微妙に愉快になっていくというか、なんか凛みたくなってしまう。
二人とも全然違うのに何故だろう。
違和感を感じた方がいらっしゃいましたらお申し付け下さい。
可能な限りご希望に添えるようにいたします。


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気が付けば早いもので、新しい年がやってきました。皆様はいかがお過ごしでしょう? 私はリアルの方もこなしながらfgoアニメに見入ったりHF公開を心待ちにしてたりApoアニメ化に歓喜したりバレンタインの十連一発でXオルタがニ騎来たことに狂喜乱舞したりと、概ね良い生活でした。唯一の心残りは、拙作の更新速度が過去最低だったことですかね。ほんと待ってくれている方々には申し訳ないです
大筋は割と早い段階で完成していたんですが、場面の描写や転換、キャラの会話などに思いの外手こずってしまい、今日までだらだら引きずってしまいました。暫くはリアルも落ち着いたものになると思うので、次はもう少し早く投稿できると思います。ですので何卒ご容赦を。
それでは、10話目どうぞ


 それは、いつの記憶だったか。

 

「子供の頃、僕は正義の味方になりたかった」

 

「なんだよ、それ。"なりたかったって"。諦めたのかよ?」

 

「うん。残念ながらね。ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ」

 

「なんだ。それならしょうがないな」

 

「うん。本当に、しょうがない・・・・・・」

 

「なら、俺が代わりになってやるよ」

 

「爺さんは大人だからもう無理だけど、俺なら大丈夫だろ」

 

「任せろって。爺さんの夢は----」

 

 

 

 果たして。

 

 

 

 その言葉を告げたのは、果たして、誰だっただろうか--。

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・ん」

 

 微睡んでいた意識が覚醒する。

 動きを緩めていた脳が回転し始める。

 

・・・・・・ここは・・・・・・・・・・・・。

 

 眼に映るのは黒煙の立ち込める空、ではない。

 古い日本家屋のような木造の天井だ。

 俺自身も何故か布団に寝かされている。

 

「なんでこんな所に・・・・・・」

 

 体を起こしながら疑問が溢れる。気を失う前のことはよく憶えている。

 打ち倒した二体の影と、不意打ちを仕掛けてきたもう一体の影。

 そして、それを貫いた赫と担い手たる青。

 

「あれ・・・・・・?」

 

 そこまで考えて、違和感に気づく。

 

「傷が、治ってる・・・・・・」

 

 影との戦いでボロ雑巾のようになった体が元に戻っている。

 それだけではない。

 体を蝕んでいた毒も消え去っている。

 

・・・・・いったいだれが・・・・・。

 

 胸の内で新たな疑問が生まれたその時、

 

「目が覚めたみたいね」

 

 後ろから聞こえた、聞き覚えのある声。

 さっきとは逆だな、なんて的外れなことを考えながら、声の主に振り向く。

 

「おはようございます、オルガマリーさん」

「ええ、おはよう。体の調子はどう? 」

「少し気怠さを感じるけど、どこも問題は無いです」

「それなら良かった。治療してるところは見ていたから分かっていたけど、一応ね」

 

・・・・・・ん?

 

 彼女の言葉に少しばかりの違和感を抱く。

 彼女の言は、まるで彼女以外の人物が治療したかのように聞こえる。

 

「これ、オルガマリーさんがやったんじゃ無いんですか?」

「いいえ、違うわ。治癒に特化した魔術師ならともかく、あれほどの傷を完全に直すことは私にはできないわ」

 

 こちらに近づきながら、そっちは専門外だしね、と続けるオルガマリーさん。

 彼女でもないとすれば、あとはマシュしかいないのだが、彼女に治療の心得があるとは聞いていない。

 

「おう。目が覚めたみたいだな、坊主」

「っ・・・・・・!?」

 

 再び背後から聞こえた声。

 しかし、今回のそれは彼にとって聞き覚えのないものだ。

 

「あんたはーー」

 

 振り向いた先には二人の人物。

 一人は彼のサーヴァントであるマシュ。

 そして、その傍に立つのは、あの影を貫いた群青の騎士だった。

 

「良かった、意識が戻られたんですね、先輩・・・・・・!」

 

 そう、心から安堵したように言い、駆け寄ってくるマシュ。

 その姿を見て、こちらもまた心からの安堵が溢れる。

 本当ならお互いの無事を喜び合いたいところだが、それは後回しにする。

 現在最も優先すべきは状況の把握だ。

 

「すまない、マシュ。色々とあるだろうけど、あれからどうなったのか教えてくれないか?」

「あ・・・・・・すみません。そちらを先に説明するべきでした。えっと、どこから話しましょうか・・・・・」

「それは私から話すからあなたは休んでなさい。さっきのダメージ、まだ残ってるんでしょう?」

 

 状況を説明しようとしたマシュを遮って、オルガマリーさんが代わりを申し出てきた。

 

「まず彼のことだけど、敵ではないから安心しなさい」

 

 騎士の姿を見てからずっと気を張っていたのを気取られたのか。

 彼女はそんなことを言った。

 俺としては何が何やら分からないので無防備な姿を晒したくはないのだが、彼女が言うのならひとまずは安全なのだろう。

 

「それじゃ始めるわよ。二度は言わないからしっかり聞きなさい」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 戦いを終えた後。

 オルガマリーとマシュが辿り着いた先で見た光景は、彼女達の予想とは異なるものだった。

 

「ん? もう着いたか。意外に早かったな」

 

 まるで、友人か何かのような調子で声をかける男。

 傷つき倒れ伏す少年の側、禍々しい魔力を放つ紅槍を持った青い騎士が立っていた。

 

「・・・・・・っ!?」

 

 その姿を見咎めた瞬間、マシュは動かぬ体に鞭を入れ眼前の脅威を退けようとした。だが--

 

・・・・・迂闊に動いたら先輩が・・・・・っ!

 

 この状況。

 もし男がその気になれば少年など容易く殺せるだろう。

 有り体に言って、少年は人質に取られているのだ。

 

「そう怖い顔しなさんな。折角の美人が台無しになるぞ」

 

 先ほどと変わらぬ軽い雰囲気で話しかけてくるが、こっちは気が気でない。

 安易な行動は少年の命を危ぶめる。

 いや、それ以前に、目の前にいるこの男はーー

 

「悪いけど、仲間を人質に取るような輩と軽々しく口をきく気は無いわ」

 

 動けないマシュの代わりに、オルガマリーが毅然とした態度で男に返す。

 相手は少年をすぐに殺さずに人質とした。

 それはつまり、男にとって必要な何かが自分達にはあるということ。

 そうでなければ、わざわざ少年を生かしている理由が無い。

 上手くいけば無傷でこの場を切り抜けられる。

 そして、それは自身に掛かっている。

 それを理解するからこそ、オルガマリーは今にも逃げ出しそうな衝動を抑えつけて相対する。

 自らを奮い立たせ、さあ、どう出る、と相手の言葉を待ち、

 

「あん・・・・・・?」

 

 何故か、男は怪訝そうな声を上げた。

 

「いや、なんでそうなーーあー、いや。そうか、そりゃそう見えるわな」

 

 男は疑問を上げたと思えば、今度は一人で勝手に納得しだす。

 正直に言って、訳がわからない。

 

「・・・・・ちょっと。何を納得したのか知らないけど、さっさとそっちの要求を言いなさいよ」

「いや、要求といえば要求なんだがなーーあんたら誤解してんぞ」

「誤解・・・・・・?」

「俺は別にあんた達と敵対するつもりはないし、坊主を人質に取ってるわけでもない」

 

 そう言った男は、その直後に手に持つ槍を消した。

 

「ほら。見ての通り、何もしねぇよ」

 

 自身が敵では無いというアピールなのか、空になった手をひらひらと振っている。

 敵では無い、という言葉が真実であれば好都合だが、まだ信用するべきではない。

 これだけでは、まだ足りない。

 

「武器を仕舞ったくらいで信用できると思う?そもそも、その気になればすぐに取り出せるんでしょう。油断して近づいた瞬間に串刺しっていうこともありうる」

 

 それに、と続けるオルガマリー。

 

「何より、あなたの足元で傷だらけで倒れている彼が動かぬ証拠だと思うけど?」

 

 男を信用できない決定的な事実。

 少年が無事に返されない限り、男の言を鵜呑みにすることはできない。

 

「まぁ、道理だわな」

 

 そう言った男は徐にしゃがみこんで少年へと手を伸ばした。

 少年に危害を加えるつもりかと思ったが、そういう訳でも無い。

 

「・・・・・何をしてるのよ」

「いやなに。あんたらの警戒を解くためのちょっとしたサービスって奴だ」

 

 言うが早いか、男の指が空中でナニカを刻み込んだ。

 ソレが淡い光となり少年を包み込んで--

 

「なっ----!?」

 

 オルガマリーから驚愕の声が漏れる。

 原因は少年の体。

 先ほどまで深く刻まれていた傷。

 それが一瞬で消え去っていたのだ。

 いったい何が起きたのか。

 優秀な魔術師である彼女は、瞬時に理解した。

 ルーンと呼ばれる、文字を刻むことによって効果を発揮する魔術。

 それを用いて少年の傷を治癒したのだ。

 それだけであれば驚くことは無い、既知のものだ。彼女自身ルーンを使用でき、何度か他のルーン魔術の使い手にも会ったことがある。

 

ーーその全てが、男の足元にも及ばない。

 

 発揮する効果。

 内包する神秘。

 あらゆる全てが彼女の知るものを凌駕している。

 故にこそ、彼女は理解する。

 アレは、未知のものであると。

 

・・・・・古代ーーいえ、それすら新しい。もっと旧い、恐らくは神代のもの。

 

 まだ物理法則が存在せず、神秘が日常であった頃。

 世界がまだ神々によって治められていた時代。

 彼の時代における魔術とは、現代のソレと比べて文字通り次元が違う。

 魔術自体の格は疎か、魔力の収集すら現代の人間には再現不可能なのだ。

 男の用いた魔術は、まさしく神代のそれに相当する。

 

「体表の傷と折れた脚。それからさっき受けた毒の方も治しておいたぜ。体力の方は暫く寝てりゃ戻るだろうよ」

「ちょっと待って。色々と突っ込みたいことはあるけど、毒ってなんのこと・・・・・?」

「アサシンだよ。この坊主がキャスターとライダーを倒して気が抜けてるとこを狙いやがった。流石に陰に潜むのは達者で、俺も直前まで気づかなかった。おかげでこっちの考えが台無しにされるとこだった」

 

 まぁでも、と男は間を入れ、

 

「あんたらが来てくれたおかげで、その心配も無くなった。まぁ、ちょっとばかし問題があったがーーもうそれも無いだろ?」

 

 男は最初と変わらぬ、気軽な態度でそう言った。

 

「・・・・そうね。あなたに対する疑問が完全になくなった訳じゃ無いけど、敵ではないということは分かりましたーーそれで、敵でないのならあなたの目的は何なの?」

「なに。難しいことじゃない。ただ、あんたらと手を組みたい。要は共闘だな」

「共闘・・・・・?」

「ああ。少しばかり面倒なことになっているんだがーーその前に、この坊主を休ませんとな」

 

 そう言った男は、少年を肩に担いだ。

 

「あんたらは、どっかに拠点でもあるか?」

「一応、橋の向こう側にあるけど・・・・・・」

「そんじゃ、そこに向かうとするか」

「ち、ちょっと待ちなさいよ!?」

 

 少年を担ぎ、今にも走り出しそうな男を、オルガマリーがなんとか呼び止める。

 

「んだよ。いきなりでけぇ声出して」

「あなたね・・・・・・まだこっちは、あなたの要求を呑むのかも決めてないのよ? そう簡単に拠点に連れて行ける訳ないでしょ」

「じゃあどうすんだよ。坊主をいつまでもこのままにしとくわけにもいかねぇだろ」

 

 その通りだ。

 男の言葉に間違いは無い。

 少年を休ませ、早急にこの異常事態の原因を解明しなくてはいけない。

 目の前の男は、それらを解消するための鍵となるだろう。 或いは。男の持つ情報次第では、その全てを同時に解決できるかもしれない。

 オルガマリーも、それが最善だと理解している。

 しかしそれは同時に、全てが終わる可能性も孕んでいる。

 先ほどの男の言葉に間違いは無い、というのは、男が真実を話していることが前提だ。

 仮に男が敵で、嘘を吐いていたらどうだろうか。

 議論の余地もなく、彼女たちは全滅する。

 研究が本分のオルガマリーにも、そのことは理解できる。

 正確な数値でこそ測れないが、目の前の男は少なくとも、全快のマシュとエミヤが二人ががりで挑んでも倒すのは困難だろう。

 故にこそ、そのような人物を迂闊に自分達の拠点に案内するわけにはいかない。

 

「所長」

 

 短く一言。

 今まで沈黙を保っていたマシュが声を上げた。

 

「・・・・・・何かしら? 見ての通り忙しいのだけれど」

 

 今は目の前の問題に対処するので精一杯だ。 少しばかりの余裕も無い。

 マシュのことを気にかけてることも出来ない。

 そんなことは彼女も理解しているはずだ。

 それでも言葉を投げかけてきたのはーー

 

「はい。そのことで、一つ提案があります」

 

 

 

 ◆

 

 

 

「それでマシュが探索途中で見つけたこの家に俺を連れてきたのか」

「そういうこと。理解が早くて助かるわ」

 

 話を聞き終えた衛宮は、事態を一通り理解する。

 彼らが今いるのは、冬木市西側の深山町にある日本家屋だ。

 マシュが探索中に見つけたそれはかなりの大きさで、謂わゆる武家屋敷というものだ。

 屋敷はその大きさ故か、この火災の中にあってもほとんど原型を留めている。

 屋敷の中もあまり荒れておらず、到着後すぐに使用できた。

 唯一サークル設置可能な霊脈が通っていないのが欠点だが、仮の拠点としては申し分ない。

 休息と交渉の二つを行う必要があった彼女達にとって、この屋敷が残っていたのはまさに僥倖だったと言えるだろう。

 

「それで、この異常の原因は分かったんですか?」

 

 事態を把握した衛宮は、次の疑問を溢した。

 オルガマリーの話でここまでの経緯は理解できた。しかし、彼女は肝心の男の持つ情報は話さなかった。

 事態を把握した今、最も重要なのは男の持つ情報だ。

 その情報は衛宮もできるだけ早く把握しなくてはならない。

 

「そのことなんだけど、まだ私達も詳しいことは聞いてないのよ」

 

 質問してきた衛宮に答えたオルガマリーから出てきたのはそんな言葉だった。

 

「彼があなたが目覚めてから話すって言ってね。その方が手間が省けるからって」

 

 この答えで、衛宮はオルガマリーが何故男の情報を伝えなかったのか理解した。

 彼女自身知らないことを伝えられるはずもない。だがーー

 

・・・・・普通なら悪手だな、それは。

 

 どうあれ得体の知れぬ相手に気を抜いていいものではない。

 そもそも男の言葉が真実かもわからぬ以上、まず第一にことの真贋を図るべきだ。

 とはいえ、過ぎたことをとやかく言っても仕方ない。

 何も起こらず、彼女達が無事だったことを素直に喜ぶべきだろう。

 

「オルガマリーさん。まだ話を聞いていないなら、早く聞いた方が良い」

「心配せしなくても、最初からそのつもりよ」

 

 衛宮の催促に答えると、オルガマリーは男のほうに向き直った。

 

「さて、それじゃ改めてあなたの知ってることを話してーー」

 

 くぅ〜

 

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

 

ーー何やら、可笑しな音がなった。

 

 いやまぁ、なんの音かは分かるし、音の出所も顔を赤くしてるオルガマリーを見れば一目瞭然だろう。

 三人ともが意識していなかった事だが、ここまで相当量の移動及び戦闘を行なっており、その上水以外何も口にしていない。

 腹の虫が鳴くのも無理はない

 とはいえ、他人の前で腹を鳴らすなど、彼女にとって羞恥以外のなにものでもないだろう。

 衛宮は、あえて気にしない風を装う。

 というより、下手に突いてまたあのガンドとかいうのを向けられるのは御免被る、というのが本心だが。

 

「何か、食べられるものを探してきますね」

 

 彼は 一言だけ残して隣の居間に移り、台所に入る。

 冷蔵庫の中身によっては簡単な料理ぐらい作れるだろう、と考えてのことだ。

 

「電気とガスは・・・・・通ってるな。食材はちょっと少ないけど、簡単な物ならできるか」

 

 ライフラインに関しては、町の状態からして通っていないことも考えたが、今回は運が良かったようだ。

 

「少し時間がかかるから、つなぎがいるな・・・・・お」

 

 野菜室を開くとちょうど良いことに林檎が二つ入っている。

 人数はマシュとオルガマリーとあの男の三人。

 一つは丸々全部使って、もう一つは半分程度切り分ける事にする。

 

「それじゃ、早速始めるとするか」

 

 オルガマリーが空腹で倒れる、なんてことが起きないように、彼は手早く作業に移った。

 

 

 

 

 

 

 

 彼が隣の部屋に移ってから約一分。

 何かゴソゴソしていた彼が、切り分けた林檎を持ってきた。

 皿の上に皮付きと皮無しがそれぞれ半分ほど乗せられた光景は、空腹の身にはかなり効く。

 他人の前でお腹を鳴らすという大失態を犯した羞恥で頭が一杯だったが、これの前ではもうどうでもよくなった。

 とにかく今はこの空腹をおさめたい。

 彼の方はというと、そんな私の姿に苦笑しながら林檎を渡すと、そのまま隣の部屋に戻っていった。

 何をするのかと聞くと、料理をしてくる、なんて言い出した。

 最初は料理なんてできるのか、そもそも記憶が無いのに何故できるのかと思ったが、その疑問はすぐに無くなった。

 何せ林檎を食べ終え、興味を惹かれた私とマシュが行った先で見たのは、凄まじいほど手際よく調理をする彼の姿だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、こんな事まで出来るなんてね・・・・・・」

 

 調理を始めてから暫く。

 カウンター越しにマシュと一緒にこちらを見ていたオルガマリーさんはそんなことを言った。

 なんでも、俺がどんな風に料理をするのか気になるらしい。

 まぁ男が料理をするなんて、普通に考えればあり得ないのだろう。

 別に男が料理をするのが可笑しいとは思わないが、少数派なのは否めない。

 さらに言えば、俺の記憶が無いという事も一因だろう。

 斯く言う俺も、何故こんなことができるのか分かっていない。

 記憶は無いはずのに、台所に立つとレシピが思い浮かび、身体が勝手に調理しだすのだ。

 

「料理のことはよく分からないけど、あなたちょっと手際が良すぎない?」

「私も同感です、所長。先輩の料理スキルには目を見張るものがあります。これは三つ星レストランのシェフ並と言っても過言ではありません」

「俺も何でこんな事が出来るのか疑問ですよ。あとマシュ、流石にそれは言い過ぎた」

 

 オルガマリーさんとマシュの言葉に苦笑しながら答える。

 自分でもおかしな話だとは思うが、出来てしまうのだから仕方ない。

 流石に三つ星レストランのシェフと同等とまでは思わないが。

 

「いえ、それもあるけど、そうじゃなくて」

「? 何か他にあるんですか?」

 

 はて? 料理の腕以外に何か気になる事があるのだろうか。

 

「あなた、何でそんなに他人の家のキッチンを使いこなせているのよ」

「えーー?」

 

ーー思考が、停止する

 

「調味料も調理器具も、何で淀みなく取り出せるのよ。前もって確認してたにしても、迷いがなさすぎるわ」

 

 彼女の言葉で、初めて気付く。

 そうだ。

 俺はこの家を知らないはずだ。

 どこに何が置いてあるかなど分かるはずもないし、そもそも確認などしていない。

 だというのに、まるで長年使ってきたかのように扱えていたのは何故か。

 それに、台所だけじゃない。

 最初にこの部屋に移った時、何故俺はこの部屋が居間で台所があると知っていたのか?

 

「まさかとは思うけど、"ここがあなたの家"、だなんて言うんじゃないでしょうね」

「ーーそれこそ、本当にまさかですよ」

 

 オルガマリーさんの疑問に、首を横に振って答える。

 記憶喪失の人間が、たまたま異常事態に巻き込まれて、そこにたまたま自分の家があるなんて、そんな偶然があるわけがない。

 

「ほら、もうすぐてきますから座っててください。それからマシュ、これフォウの分だから持って行ってくれ」

 

 最後の仕上げに掛かりながらオルガマリーさんとマシュに告げる。

 彼女はまだ納得していないようで、こちらを睨んでいたが、渋々引き下がってくれた。

 

・・・・・ありがたいな。

 

 本来ならこちらのことなど考慮せずに、根掘り葉掘り問いただしたいだろう。

 それを抑えて、彼女は俺のことを優先してくれた。

 本人は色々理由を付けるだろうけど、それが本当は彼女の優しさなのだということは、この短い付き合いの中でも十分に感じ取れた。

 

・・・・・ほんと、感謝しないとな。

 

 出来るならすぐにでも彼女の疑問を解消してあげたいが、残念ながらそれは出来ない。

 だからせめて、俺の作った料理で満足してもらうとしよう。

 胸の中で湧く微かな懐かしさを気にしないようにしながら、俺はそんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

「あの工程を見てたから半ば予想できてたけど、ほんとに美味しいわね・・・・・・」

 

 オルガマリーさんが嬉しいことを言ってくれるが、何故か渋面だ。

 舌に合わなかったかとも思ったが、料理を口に運ぶ手は止まらないので、そういう訳でもないらしい。

 何か気になることでもあるのか、時々何かをつぶやいてはこちらを睨んでくるのだ。

 その度に敵意とも羨望とも分からない感情が向けられるので、困惑する他ない。

 いったい俺にどうしろというのだ、彼女は。

 言葉こそないものの、とても幸せそうに食べてくれるマシュが唯一の救いだ。

 

「それにしても、よくこんなの思いつくわね。確かみかん、だったかしら? それの果汁をフレンチトーストに使うなんて」

「アイデア自体はそんなに珍しいものじゃないですけどね。卵液にみかんの果汁を加えるだけですから、手間もあまりかかりませんし」

 

 ちょっとした説明をしながら、俺もフレンチトーストを口に運ぶ。

 

・・・・・うん。我ながら上出来だ。

 

 蜜柑の酸味が甘みを程よく中和し、くどさを抑えている。

 焼き具合もちょうど良く、外はカリカリ、中はとろりとした食感になっている。

 自分で作っておいてなんだが、これは本当に一流レストラン並みかもしれない。

 少なくとも、そこらの喫茶店などには負ける気がしない。

 そんな自画自賛をしていると、

 

「こいつは美味いな。スイーツっていうのか?甘いもんは特に好きでもないが、なかなか侮れん」

 

 騎士の男がそんなことを言った。

 

「・・・・・・・・・・・・」

「ん? 俺の顔になんかついてるか?」

「・・・・・いや、なんでもない。気にせず食べてくれ」

 

 男は首を傾げながら、変な奴だな、なんて言って再びナイフとフォークを動かす。

 

・・・・・違和感が凄まじいな。

 

 できるだけ男の方を見ないようにしながら、そんなことを考える。

 だって仕方ない。

 全身を青一色で染める騎士甲冑を纏った筋骨隆々の男が、器用にナイフとフォークを使ってフレンチトーストを食べていれば誰だって違和感を抱く。

 

・・・・・まあ、俺も人のことは言えないけど。

 

 フォークを置き、自身を見下ろす。

 青の男に勝るとも劣らぬ、血のように赤い外套。

 その下には黒のライトアーマーを纏っている。

 どこからどう見ても怪しい。

 今が非常事態下になく、ここが町の只中であれば即刻通報されていることだろう。

 ただのコスプレか何かであればよかったのだが、ドクター・ロマン曰く最上位のマジックアイテムだというのだから洒落にならない。

 そしてそんな格好で食事を取っているのだから、俺も大概である。

 

・・・・・考えても始まらないな。

 

 再び生まれそうになった思考の渦を強制的に打ち消す。

 今すべきことはできるだけ手短に休息を取り、現状を打破すること。

 それ以外のことは度外視しろ。

 オルガマリーさんもマシュも、もう直ぐ食べ終わる。

 俺がいつまでも時間をかけていては話にならない。

 そんなことを思いながら、俺はさっきよりも早くフォークを動かしていく。

 

 

 

 

 

「ーーふぅ。美味しかったわ。確か、この国では食後にごちそうさまって言うんだったかしら?」

「そうです、所長。なんでも使われた食材とそれらを作った人、それから調理者に対してのお礼の意味合いがあるようです。あ。先輩、私もごちそうさまでした」

「はい、お粗末様でした。二人とも喜んでくれて何よりだ。本当なら紅茶かコーヒーでもいれたかったんだけど、生憎とそっちの方はないみたいだから、緑茶で我慢してくれ」

「こんな時にこれだけの食事が取れたんだから、そこまで高望みしないわよ。それに--」

 

 オルガマリーはそこで一旦言葉を区切り、

 

「それに、今はあなたから話を聞くのが先よ、"ランサー"」

 

 強い声と眼差しで、男に言葉を投げかけた。

 

「そんなに睨まなくても、話してやるよ」

 

 そう言った男は、僅かばかり姿勢を整え、語り始めた。

 

「さて。まずは簡単な自己紹介でもしておくか。オレはこの聖杯戦争に召喚された槍兵<ランサー>のサーヴァントだ」

「・・・・・やっぱり、この街では聖杯戦争が行われていたのね」

「ああ。あらゆる願いを叶える万能の願望器、聖杯を奪い合う七人の魔術師<マスター>と七騎の英霊<サーヴァント>による争い。そいつがここでは行われていた」

 

ーー聖杯戦争。

 

 最高位の聖遺物、聖杯を実現させるための、魔術師達による大儀式。

 参加者となる者は聖杯そのものから選ばれ、その資格たる刻印を刻まれる。

 魔術師の総数は七人。与えられるサーヴァントも七騎。

 

 そして、集った英霊に与えられるは、七つの筺<クラス>。

 

 剣の英霊<セイバー>

 

 弓の英霊<アーチャー>

 

 槍の英霊<ランサー>

 

 騎兵の英霊<ライダー>

 

 魔術師の英霊<キャスター>

 

 暗殺者の英霊<アサシン>

 

 狂戦士の英霊<バーサーカー>

 

 彼らは各々の願いを叶えるために、召喚に応じ現世に現界する。

 

「俺も戦って、マスターに勝利を捧げるために槍を振るっていたわけだが--俺たちの聖杯戦争は、いつの間にか違うモノにすり替わっていた」

「すり替わっていた・・・・・?」

「街は一夜で炎に覆われ、人間は誰一人いなくなり、残ったのはサーヴァントだけだった」

「何で、そんなことが・・・・・・」

「俺も理由はわからん。いや。俺だけじゃない。この戦いに集まった連中は殆どが原因を探り始めた」

 

 だが。

 

「そんな中で真っ先に聖杯戦争を再開したのがセイバーのやつだ。奴さん、水を得た魚みてえに暴れ出してよ。他の連中からすれば不意打ちもいいところだったろうよ。セイバーの手でライダー、キャスター、アサシン、バーサーカーが倒された」

「たった一人のサーヴァントに四騎ものサーヴァントが・・・・・・」

「ああ。んで、セイバーに倒されたやつはあんたらが戦った三人よろしく、真っ黒い泥に汚染された。連中はボウフラみてえに湧いてきやがった怪物どもと一緒に何かを探し出し始めや」

「探し物、ですか?」

「面倒なことに、その探し物には俺も含まれているらしい。俺を仕留めん限り、聖杯戦争は終わらないからな」

「待ってください。今の説明だと、まだアーチャーが残っているのでは」

 

 ランサーの言葉に、マシュが疑問を溢す。

 先ほど、セイバーに倒されたのはランサー、アーチャー以外のサーヴァントだとランサーは言った。

 ならば、彼らが倒さなくてはならないのは、ランサーとアーチャーの二人のはずだ。

 至極真っ当な疑問に、ランサーの顔が忌々しげに歪む。

 

「問題はそこなんだよ。前にアーチャーの野郎はセイバーを倒しに行ったんだが、何をトチ狂ったか、あいつセイバーにつきやがった」

「それは、どういう・・・・・・」

「どうもこうも、そのままの意味だよ。あいつらの間に何があったか知らねえが、セイバーがアーチャーを倒すことはなく、アーチャーもまともなままセイバーに味方してんだよ」

 

 面倒くさいことこの上ない、と呟くランサーの声には隠し切れぬ苛立ちが隠れている。

 そんなランサーを見ながら、オルガマリーは一つの納得を得る。

 

「なるほど。だから共闘なのね」

「そういうことだ。俺は聖杯戦争を終わらせるためにセイバーとアーチャーを倒したい。あんたらの目的は大方この事態の解決ってところだろう? なら、手を組んだ方が何かと便利ってもんだ」

「それは私たちにとっても都合がいいけど。でも、一つだけ疑問があるわ」

 

 疑問。

 オルガマリーはランサーの話に対し一つだけ引っかかりを覚えた。

 

「あなたは、セイバーとアーチャーを倒したいって言ったけど、あなたなら私たちがいなくてもできるんじゃない?」

「ほぅ。随分と高評価だな。何だ、俺に惚れでもしたか?」

「馬鹿なこと言ってないで。大体そんなつもりないでしょう。私は飽くまで客観的な事実を述べたまでよ。あなたほどの英雄なら、大抵の敵は倒せるでしょう?」

「・・・・・・真名は教えてないはずだが」

「そんなの、あなたの持つ槍とあのルーンを見れば、すぐに見当がつくわよ」

「普通はそれだけで気づかんだろう・・・・・・まぁそれはいいか。確かにあんたの言う通り、俺とサシで闘れるやつなんざそうそう見つかりゃしねぇだろうよ」

 

 それは一つの事実だ。

 槍兵の名に恥じぬ技巧、現代では決して再現できないほどの神秘を内包するルーン魔術。

 何より、世界全てを侵食せんと言わんばかりの禍々しい魔力を放つ紅の魔槍。

 それら全てを備える人物はたった一人しかおらず--ならばこそ、彼の者が勝てぬ存在などありはしない。

 それだけの力を、その英雄は有しているのだ。

 

「だったら、なんであなたは--」

「サシでなら、つっただろ。俺は前にも一度、連中と闘り合ったんだよ。そん時にアーチャーをあと一歩まで追い込んだんだが、あと一押しってところでセイバーのやつが割り込んで来やがった」

「・・・・・セイバーとアーチャーの二人を相手にしてよく生きてたわね」

「確かにアイツらを同時にを相手にするのは骨が折れるが、この身は如何なる戦いでも倒れることのなかった一人の英雄だたとえどれほど不利な状況であろうと敗けるつもりは無い。だが--」

「敗けは無くとも、勝ちも無いと、そういうことね」

「そういうことだ。だからあんたらは、俺がセイバーと戦ってる間にアーチャーを抑えててくれりゃいい。セイバーだけなら、確実にその心臓を貫ける。それが終わればそっちに行ってやるよ」

 

 その絶対的な確信のもとに放たれた彼の言葉を、オルガマリーは疑うことは無かった。

 彼女の中では、ランサーとの共闘は最早確定事項になっている。

 故に、彼女がこの場ですることは残り一つだけだ。

 

「マシュ、あなたはどう思う」

「私も彼との共闘には賛成です。敵についての情報、サーヴァントとしての経験、多様なルーン。どれを取っても味方として心強い方です」

「そう・・・・・なら、あなたはどうかしら?」

「・・・・・・・・・・・・」

「ちょっと、聞いてるの?」

「・・・・・ん? ああ、ちゃんと聞いてますよ。俺も共闘には賛成です。ただでさえ戦力がたりないんですから、手を組みたいというのなら、喜んで手を組めばいい」

「そう、わかったわ。それにしても、さっきはどうしたのよ? あんな風に黙り込んで」

「彼の話で少し気になることがあって、ちょっと考え込んでました。すみません、心配かけて」

「べ、別に私は心配なんか。ただこれから敵の元に向かうっていう時にぼーっとされてると困るから。それだけのことよ」

 

 そんなのオルガマリーの様子に衛宮は苦笑する。

 それが彼女の不器用な優しさだということは、彼にもすでにわかっている。

 尤もそれと同じように、下手に突っ込むと面倒なことになるということも分かっているので、何かを言うことは無い。

 今は彼女の気持ちを黙って受け取り、話を進めることに専念する。

 

「それで、どうするんですか? この事態の原因は分かりましたし、今なら戦力も充実してますけど」

「勿論、動くわよ。ここまで来たんだから、今更調査だけで終わらせないわよ。ここでこの特異点を修正すれば、不測の事態にあっても事件を解決できるという実力を示せる。戻った後の協会との交渉も多少やりやすくなるはずよ」

 

 衛宮からすれば、あまり関係の無い話ではあるが、オルガマリーにとっては今回の目的の一つがそれだ。

 故に、彼女は何が何でもこの事態の解決させるだろう。

 

「ランサー。セイバーとアーチャー、それからまだ倒されていなバーサーカーはどこにいるのかしら? バーサーカーはともかく、他の二騎聞いた感じだと同じ場所にいるように聞こえたけど」

「ああ、バーサーカーは郊外の森にずっと居座ってるよ。あれはこっちから近づかん限り問題無い。セイバーとアーチャーはずっと一カ所に留まってやがる」

「その一カ所っていうのは?」

「冬木の聖杯戦争の心臓部。円蔵山の地下空洞ーーそこで守ってやがるのさ。汚染された、大聖杯を」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 交渉を終えた彼らは二十分後に出発するとして、各々が最後の休息を取っている。

 そんな中、じっとしていられなくなったのか、それとも胸の中でくすぶり続ける違和感を解消するためか、衛宮屋敷の中を歩き回っていた。

 そんな時、一つの部屋から微かな光が漏れていることに気づいた。

 

「誰かいるのか・・・・・・?」

 

 さすがに何も無い部屋から光が漏れていれば気になるというもの。

 衛宮もその例に漏れず、そっと中を覗き込むと、

 

「あれ、オルガマリーさん?」

「え・・・・・?ああ、あなたね」

 

 そこには、何かの作業をしているオルガマリーがいた。

 光の出処は彼女を中心に床に描かれた魔法陣。

 彼女の手と周辺には、幾つかの大きめの石が置かれている。

 

「オルガマリーさん、こんなところで何をしてるんです?」

「ちょっとした仕込みよ。これから敵の拠点に乗り込むっていうのに、なんの装備も無いっていうのは流石に心許ないもの」

「なるほど、そういうことですか」

 

 オルガマリーの言うことはもっともだ。

 いくらランサーという強力な戦力があるとしても、この先で何が起きるのかわからない。

 今のうちに出来る限りの備えをしておくに越したことはないだろう。

 

「そういうことなら、俺はいない方がいいですね。お邪魔してすみません」

「ああ、ちょっと待ちなさい。ちょうどあなたに用があるのよ」

「俺に、ですか?」

「ええ。これをあなたに渡そうと思ってね」

 

 そう言ってオルガマリーは、先ほど床に置かれていた石の幾つかを、衛宮に手渡した。

 

「これは、石ですか・・・・・?」

「魔術の一種で、簡単に言えば石の中に魔力を貯蔵したものよ。それを摂取すればそこに込められた分の魔力を蓄えられるってわけ」

「魔力を?」

「ええ。あなたは自覚してないでしょうけど、ここまでの戦いでかなりの魔力を消費してるはずよ。本来なら、もっと時間をかけて魔力を貯めるものなんだけど、今は時間がないから。でも、あなたの魔力量を考えればそれでも十分補充可能よ」

「そうなんですか・・・・・・すみません、態々こんなことしてもらって」

「さっきも言ったでしょ。あなたは貴重な戦力なんだから、これくらいは必要経費よ」

 

 冷たく、突き放すかのような言葉だが、頬が僅かに赤くなってるのは、衛宮の気のせいではないだろう。

 

「それで、これをどうすればいいんですか?」

「簡単よ。飲み込めばいいのよ」

「これを飲み込むんですか?」

「多少抵抗があるかもしれないけど、飲んだ後は魔力になって吸収されるから身体を壊すことはないから安心なさい」

「・・・・・・いえ、少しだけ驚きましたけど、オルガマリーさんが渡してくるんだから、何も心配してませんよ」

 

 そう言った衛宮は、掌の上で転がしていた数個の石を、戸惑うことなく飲み込んだ。

 

「えっと・・・・・これでいいんですか?」

「ええ、それで問題ないわ。後は勝手に魔力が補充されるから」

 

 オルガマリーの言葉通り、衛宮は自身の体に何かが少しずつ満たされていく感覚を得ている。

 

「それにしても、魔術って本能に便利ですね」

 

 その効力からか、衛宮はそんなことを言った。

 それは彼の素直な感想だ。

 未だどれだけの種類の魔術があるのかは知らないが、少なくとも、自身が受けてきたものは正しく万能と言っていいものだ。

 刻まれた傷を一瞬で癒すことも、消費されたエネルギーを瞬時に補充することも、現行の科学では到底不可能なことだ。

 

「実際はそんなに便利なものじゃないわよ。何も無いところから何かを生み出すことはできないし、代価以上の結果を生み出すことも不可能」

 

 しかし、その奇跡を行使するはずのオルガマリーの口から出たのは否定の言葉だった。

 その言葉に少しばかり意表をつかれた衛宮は問い返すことしかできない。

 

「そうなんですか?」

「ええ。魔術の基本原則は等価交換。今の魔術だって、まず魔力を貯めておく石を用意して、そこからさらにためておく私の魔力と、それを留めておく術式があって初めて完成するのよ。おまけにこの石っていうのも、できるだけ純度の高い宝石とかじゃないと、あまり上手くいかないのよ」

 

 だから今回の場合は、 衛宮が保有する魔力の絶対値が低かかったため、不出来なものでも効果が得られたのだと、オルガマリーは言う。

 

「ついでに言うと、この魔術も私の専門じゃない。前に会ったある魔術師と色々あってね。その時に手ほどきを受けたのよ」

「へぇ。やっぱり魔術師の世界でもそういうやりとりはあるんですね」

 

 彼の中では、魔術というのは閉鎖的なイメージであったため、彼女の言葉に少なからず衝撃を受けた。

 

「まさか。そんなこと普通では絶対にありえないわよ。魔術というものは一子相伝なの。それぞれの家系にそれぞれの魔術形態が広がっている。共通してるのは基本的なものだけ。そこからは各家系が独自に発展させていくのよ」

 

 しかし、オルガマリーが発したのはまたもや否定の言葉だった。

 だが、エミヤはそこに疑問を感じた。

 彼女の言葉通りなら、何故彼女は別の家の魔術師から魔術の手ほどきなど受けたのか。

 

「言ったでしょ。基本的なものは共通だって。彼女から教わったのは確かに彼女の得意分野だけど、それ自体は彼女の一族が独自に生み出したものじゃないのよ」

 

 転換という部類に入るそれは、魔力のような形の無いものを、別の何かに定着させ、保存するというものだ。

 時間は掛かるが、完成さえすれば利便性が高く、応用の効く範囲も広い。

 しかし、それだけに極めるのは困難で、オルガマリーはそのコツを教えてもらったのだという。

 

「とにかく、これであなたの魔力も回復できたし、もう行っていいわよ。出発すればあなたにはまた動いてもらうんだから、今の内にしっかり休んでおきなさい」

「俺が動くのはいいんですけど、じっとしているとなんだか落ち着かなくて」

「気持ちはわからないでも無いけど、休める時に休まないと後々辛いわよ。まあ無理にとは言わないけど。それなら、マシュの様子でも見てきたら?」

「マシュをですか?」

 

 今その名前が出てくるとは思わなかったのか、衛宮は不思議そうに聞き返した。

 その表情に何を思ったのか、オルガマリーは呆れた顔で言葉を続ける。

 

「あの子もいきなりの出来事で色々と戸惑ってるに決まってるでしょう、あなたは仮にもマスターなんだから、ちゃんとケアしてあげなさい。これからはあの子にも頑張ってもらわないといけないんだし」

 

 なるほど、それは確かに道理だ。

 そもそも、記憶もないまま平然とこの異変に向き合っている衛宮が異常なだけで、ここまでの戦いは常人なら直面しただけで気を違える様なものばかりだった。

 これまで戦いというものを知らなかったマシュが、いつまでも平常なままでいるわけがない。

 その心には、知らず恐怖と苦しみが蓄積しているだろう。

 

「でも、俺が行って大丈夫ですか? 彼女だってゆっくりしたいだろうし、俺が行っても邪魔なだけだと思うんですけど・・・・・」

「それはないわよ。だってあの子、随分とあなたのことを慕っているみたいだから」

「俺が、ですか?」

「ええ。あなたも予想してるとは思うけど、マシュは人付き合いがあまり上手いとは言えなくてね。それも関係してか、あの子はあんまり自分の感情を表に出すことがないの。それが喜びであれ悲しみであれ、うまく表現できないのよ」

 

 それは、衛宮にとって本当に意外な事実だった。

 確かに彼も、マシュが人付き合いを苦手としている節があると感じている。

 だがマシュに出会ってからというもの、衛宮は彼女の多くの顔を見てきたのだ。

 驚きに目を丸くする顔を見た。

 襲い来る恐怖に瞳を揺らす顔を見た。

 他者を気遣い心配する顔を見た。

 自らの失敗に落胆する顔を見た。

 絶望に挫けそうになりそれでも諦めなかった顔を見た。

 他者の無事に心から安堵する顔を見た。

 口にした料理に目を輝かせる顔を見た。

 起伏の差はあれど、彼女は実に多く感情を見せてきた。

 だからこそ、それを一番近くで見てきた衛宮には、オルガマリーの言葉が信じられなかった。

 

「だからあなたは特別なのよ。私はもちろん、ロマニにだってあんな顔は見せたことないでしょうね。あなたのどこがそんなに気に入ったのか知らないけど、信頼されてるんだから、あなたもそれに答えてあげなさい」

「・・・・・わかりました。それじゃマシュのところに行ってきます」

 

 そう言ったエミヤはオルガマリーに背を向け、

 ここまで言われては、衛宮も彼女の提案に頷かざるを得ない。

 そもそも、マシュが心労を溜め込んでいるかもしれないと気づいた時点で、彼はマシュの元を訪れるつもりだった。

 そして、彼はドアノブに手をかけたところで振り返り、

 

「でも、オルガマリーさんも無理はしないでください。あなただってこんなことが起きて、大分疲れてるはずです」

「・・・・・私のことは別に構わないわよ。あなたたちと違って、私は指示を出しているだけなんだから。ほら、さっさと行ってきなさい」

 

 オルガマリーの言葉を聞き遂げ、彼は今度こそ部屋を離れた。

 

「・・・・・まったく。自分のことは全然気にかけないくせに、他人のことになるとやけにうるさいんだから」

 

 残ったオルガマリーは、一人ごちる。

 記憶もないのに、どこまでも他者を気にかけるお人好しな少年に、呆れ混じりにため息を吐く。

 しかし、そこに含まれるのは決して、それだけではなく--

 

「・・・・・・まあ、嫌いではないけどね」

 

 浮かぶ笑顔は僅かに。

 彼女は、再び作業を進める。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 衛宮がオルガマリーと別れてから暫く屋敷を歩き回っていたところ、彼は中庭に建つ土蔵の扉が開いているのを見つけた。

 

「こんなところでどうしたんだ、マシュ」

「あ、先輩」

 

 案の定、土蔵の中にはマシュがいたので話しかける。

 そこでマシュもエミヤに気づき、彼に振り向く。

 

「もう休んでなくていいのか?」

「はい。もう十分に体は休められました。それに、じっとしているとなんだか落ち着かなくて」

「奇遇だな、俺も同じだよ。じっと休んでいるだけってのは性に合わなくてさ」

 

 当たり障りのない言葉を選んで、彼女の調子を伺う。

 見たところ特に問題はなく、肉体的には快調に思える。

 散策に出ている理由が全く同じだったのには、少しばかり面食らったが。

 

「先輩も同じ理由だったnですか?」

「ああ。そのせいで、さっきオルガマリーさんに怒られたよ。休める時にしっかりと休んでおけってな」

「それは--確かに、所長らしいですね」

 

 先ほどのオルガマリーさんとのやりとりを簡単に伝えると、マシュはいかにも納得した様に頷きを入れた。

 俺なんかよりよっぽど付き合いがあるのだから当然だが、上手く言い表せないが、今の言葉には、他のものよりも温かみを感じた。

 オルガマリーさんの方もマシュに対して、何処かよそよそしい態度をたまに見せるが、それでいて彼女への気遣いは忘れない。

 関係だけ見ればただの上司と部下でしかないのだが、存外二人の仲は近しいものなのかもしれない。

 

「俺もそう思うよ。まだ会ってから少ししか経ってないけど、彼女が良い人だってことはわかる」

「いえ。所長はどちらかというと悪人ですよ。気に入らないスタッフは平気で首を切ります」

「あー・・・・・・確かにそんな雰囲気も無くわないな」

「はい。・・・・・あ、でも、どうでなんしょう。性格が悪い人を悪人と言って良いのでしょうか?」

「まあ、そこは個人の判断によるんじゃないかな」

 

 そこでお互いに交わす言葉が尽きたのか、会話が途切れる。

 なんとはなしに土蔵の中を眺める。

 外のことなど、一切関係ないかのように静まりかえった場所。

 ところどころに埃がたまり、置かれている物も古ぼけている。

 それだけだ。

 それ以外には何も無い。無い、はずなのに。

 

・・・・・足りない。

 

 感じる違和感。

 何が足りないのか。どこが足りないのか。

 明確な答えがあるわけではない。

 ただ漠然と、しかし確実に--

 

「先輩、少しお話があるのですが、よろしいでしょうか?」

 

 その言葉で、我に帰る。

 声を掛けた張本人は、しばらく返事のしないエミヤを不思議そうに見つめている。

 

「・・・・・ああ、悪い。いいぞ、なんでも話してくれ」

「わたしは先輩の指示のもと、これまでサーヴァントとして十分な試運転を行いました。先ほどの影との戦闘を経て、さらなる経験を積みました。ですが・・・・・」

 

 マシュはそこで一度口を止めた。

 その先を伝えることを臆したのか、きつく結んだ唇が微かに震えている。

 

「・・・・・ですが、私は未だに宝具が使えません。それを武装として振るえても、その真価を引き出せないのです」

 

 そう告げた彼女の顔は悲痛に歪んでおり、伏せられた瞳からは隠し切れない自責がありありと浮かんでいた。

 

 

 

 過去・現在・未来。

 どの時代においても、英雄や偉人といった存在を語るのに、本人だけでは成立しえない。

 戦場で常に共に在った武具、或いは戦友。時代を進めた新たな開発、或いは発見。

 それぞれ異なるものの、必ずその者を象徴する何かが存在する。

 それらは英霊たちにとっての必殺--即ち宝具という形で現界する。

 宝具とはただの強力な道具ではない。

 それ自体が各英霊の象徴であり、半身なのだ。

 その宝具を扱えなというのなら、それは間違いなくサーヴァントとして欠陥だろう。

 

・・・・・私が、しっかりしていれば・・・・・。

 

 思い返すのは、目の前の少年が襲われた瞬間。

 少年に励まされ、名も知らぬ英霊に生かされた少女は、せめて与えられた力で報いようと決意し--結局、離れていく少年を目にしながら手を伸ばすことができなかった。

 残された彼女にできたことは、少年からの命令<オーダー>をただ頑なに守り通すことだけ。

 だが、サーヴァントとして致命的な欠陥を抱く彼女には、それを全うすることすら覚束ない。

 死の淵に立たされた彼女を救ったのは、またしても赤の少年だった。

 その事実が、少女の心をさらに責め立てる。

 

・・・・・何もできなかった・・・・・。

 

 生かされたのは何の為か。与えられた力は何を成す為だったか。

 考えるまでもない。

 生き残ったのは"彼"との約束を守る為に。 宿った力は少年を守る為に。

 そんなこと、初めから理解している。

 理解した上で、果たせなかった。

 それは彼女にとって、容認できる事実ではなく--どうすることも出来ない現実だった。

 いくら思い悩み自らを責めようと、これ以上の進展は現段階では望めないと、彼女は理解している。

 だから、少年には正直に伝えようと思ったのだ。

 言ってしまえば、少年に失望されるだろうとは思う。

 しかし出会って間もない自分を支えてくれた少年に隠し事はしたくないと、そう思ったのた。

 

 

 

 

 目の前の少女の告白を聞き、今の自分がひどく冷静でないことを、頭のどこかで理解している

 彼女が自分を責める必要は無い。そこには自分が当て嵌められるべきだと。

 ここに来てからというもの、俺が何度勝手な行動をしたか。

 その度にフォローしてくれたのは彼女ではなかったか。

 先の影との戦いも、彼女たちから離れなければ、ああも窮地に立たされることはなかっただろう。

 本来なら、彼女たちの協力者でありマシュのマスターである俺は、何より慎重に動くべきなのだ。

 それなのに一人で先走り、二人を危険にさらした。それは到底許されるべきではなく、謝罪すら意味をなさない。

 本当なら、罵倒されて然るべきなのだ。

 だというのに少女は責めるどころか、まるで自分が悪いとでもいうかのように、その顔を俯かせる。

 

「・・・・・・・・っ」

 

 頭が沸騰しかける。

 守ると誓った彼女たちを危険にさらした挙句、目の前の少女に筋違いの自責をさせる自分を殴りつけたくなる。

 その衝動を、固く拳を握り締めることで、何とか抑え込む。

 そうだ。

 そんなことに意味は無い。自傷によって解決することは何も無い。

 今すべきは、彼女が背負う必要のない重荷を少しでも取り除くことだろう。

 

「そんなこと、マシュが悪いわけじゃないだろ。英霊との契約だって突然なことだったんだ、不具合が起きたって不思議じゃない」

「ですが、わたしはーー」

「それに、マスターはサーヴァントのステータスを見ることができるんだろ?でも俺にはそれが出来ない。もし俺が優秀な魔術師だったなら、きっと真名も宝具もわかったはずだ。だからマシュが宝具を使えないっていうのなら、それは俺の責任だ」

「そ、そんな!? これは私が未熟なだけで、決して先輩が悪いわけではありません!!」

 

 さっきまでの意気銷沈ぶりが嘘のようなマシュの勢いに、思わずたじろぐ。

 この少女は、自分のことは責めても、あまり他人を罵倒することがないのだろう。

 しかし、これは俺にとっても退けぬことだ。

 

「そう思ってくれるのは有り難いけど、俺がへっぽこなのは事実だから。オルガマリーさんにも同じことを言われたしな」

 

 オルガマリー曰く、俺には"真っ当な"魔術師としての才能は無いらしい。

 もしかしたら、ちょっとした才能があるかもしれないと期待して、見事に空振りだったことに落ち込んだのは、彼だけの秘密だったりする。

 

「だからマシュが宝具のことで気負うことはない」

「・・・・・ですが、先程の戦いでもわたしは敵を倒せませんでした」

 

 俺が自身に責があると言い張るのと同じように、マシュもなかなか引き下がらない。

 そんな彼女に、強情だな、なんて溢しながら最後の言葉を重ねる。

 

「ーーなあマシュ、俺が影と戦い始める前になんて言ったか覚えてるか?」

「もちろん覚えていますが・・・・・あ」

 

 覚えていると言いかけたマシュが、小さく声を上げる。

 彼女も俺が言わんとすることを気付いたのだろう。

 

「覚えててくれたみたいだな。そう、俺はマシュにオルガマリーさんを頼むって言ったんだ。マシュはそれをしっかり果たしてくれただろ?」

 

 そうなのだ。

 俺は彼女に、飽くまでオルガマリーさんの護衛だけを頼んだ。

 それ以外のことなど、指示していないしするつもりもなかった。

 そしてマシュは、その命令<オーダー>を見事に果たしてみせた。

 たとえ敵を打倒できず、宝具を扱えずとも、最後までマスターからの指示を守り抜いた彼女に、ただ一つの間違いも無く。

 俺からすれば、誰であれ誇れる自慢のサーヴァントなのだ。

 

「だから、この話はここで終わりだ。宝具のこともこれから使えるようにしていけばいい。もちろん俺も全力で支えるから」

 

 そう告げる俺はいま、柔らかな表情を浮かべられているだろうか。

 鏡も無いので確認することはできない。

 ただ、マシュは少しだけ肩の荷が降りたように、気を緩め。

 

「ありがとうございます、先輩。でも今度こそは--」

 

 戦い抜いてみせると、強く決意を告げた。

 

「・・・・もうすぐ時間だな、そろそろオルガマリーさんの所に行こうか」

「わかりました、先輩」

 

 きっと、もう心配はない。

 彼女が全てに納得できたわけではないだろうけど、それでも今の状況を受け入れ、多少なりとも自分を認めてやることは出来たはずだ。

 彼女の心の好転に安心を得て、揃って歩き出す。

 共に戦い抜くと、新たに決意を固めた彼女と並んで土蔵から出ていき--

 

--瞬間、光が視界を覆った。

 

 夜の暗闇に包まれた土蔵の中。

 見上げた先には、金砂のごとき髪を月の光に濡らす少女がいて--

 

「先輩、どうかされましたか・・・・・?」

「ーーいや、なんでもない」

 

 できるだけ、平静を装って答える。

 写り込んだ景色を、今は必要ないと判断し、何より抱き続ければと思いながら、頭の片隅に追いやった。

 

「--■■■■」

 

 その名を呟いたことに、少年が気づくことはなかった。




今回の話で何が難しかったかって、最後の方の士郎とマシュの遣り取りが難敵でした。本当は単に士郎に土蔵に行かせてフラッシュバックさせたかっただけだったんですが、いつの間にかあんな感じになってました。特にマシュの心理描写が難しく、冬木のマテとかアニメ見たりと、一番時間がかかりました。それでもこれがベストだったのかどうか不安が残ります。もし違和感を感じるという方は、感想などで伝えていただけると有り難いです。
あと、これは暫く本編に関係ないんですが、士郎の武装案の一つが公式で先に出てしまいました。具体的には言えませんが、塩ステーキのサーヴァントの宝具的なものとだけ言っておきます。一応オリジナル要素で通したかったのですが、残念です。


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理想の果て

どうも、なんでさです。
今回は割とゆっくりしていたので早めに仕上げました。
というよりは興が乗ったと言うべきでしょうか。
だってやっとCCCコラボが始まるんですから、是非もないネ。
ついでに言えば、この話が特にやりたかったものでもあるので、気合が入りました。
自分なりの全力全開で仕上げましたので、お楽しみいただければ幸いです。
それでは、11話目どうぞ。


 休息を終え屋敷を離れた衛宮達は、目的地たる円蔵山の林道を歩いていた。

 

「ねえランサー。本当にこの先に大聖杯なんて物が存在するの?」

 

 その最中、オルガマリーはふとそんなことを聞いた。

 

「何だ、今になって俺が信用できなくなったか?」

「いえ、今更あなたが嘘をついているとは思っていないわ。それでも、やっぱりにわかに信じ難いのよ」

 

 無理もない。

 このような何処にでもある街に、"魔法"にも匹敵する魔術品があると言われれば、疑いたくもなるだろう。

 

「気持ちはわからんでもないが、事実は事実だ。あれこれ考えても、どうしようもねーだろ」

「それはそうだけどーーえ・・・・・?」

 

 更に言い募ろうとするオルガマリー、しかしその言葉が続くことはない。

 視線の先、今まで話していたランサーの手に、あの赤い槍が握られておりーー

 

「動くなよ、お嬢ちゃん」

 

 一閃。

 紅は視認させる間もなく彼女に迫りーーオルガマリーの側面より迫る大木を両断した。

 

「あ・・・・・え?」

 

 事態を理解できぬオルガマリーが惚けた声を出す。

 

「オルガマリーさんっ!」

 

 後ろにいた衛宮とマシュも、走り寄ってくる。

 それで漸く理解したのか、動きを再開させる。

 

「何で、こんなものが・・・・・」

「アーチャーのやつだ。地下空洞に向かう連中を仕留めるために仕掛けたんだろうよ」

 

 オルガマリーの呟きに答えたランサーは呆れとも苛立ちとも取れぬ表情を浮かべている。

 

「全部潰したはずなんだが、また作りやがったのか」

 

 ご苦労なこった、と呟いたランサーは徐ろにしゃがみ込み、手のひらほどの石を拾い上げた。

 

「ランサー、何をする気なんだ?」

「この先もいちいち罠に対処するのも面倒だろう? だからあらかじめ場所を調べておくんだよ」

 

 衛宮の問いにそう答えたランサーは、その手に持つ石に"何か"を刻み込んだ。

 瞬間、石はまるで命を得たかのように、林道を滑りはじめた。

 

「これは・・・・・」

「探索のルーン、そいつの応用だ」

「これがルーン・・・・・」

「本来なら人を探したりするもんだが・・・・・まあそれはいいか。ほれ、三人ともついてきな」

 

 そう言った後に先頭に立って歩き出すランサー。

 衛宮達も今は言うことを聞くべきと判断し、その背についていく。

 そうして、どれほど歩いただろうか。

 一行は一切罠にかからず、巨大な洞窟の入り口に立っていた。

 

「ここが地下空洞の入り口だ。大聖杯はこの奥に安置されてる。中はちぃとばかり入り組んでる、はぐれないようにな」

 

 そして、彼らは踏み込んでいく。

 洞窟内部はランサーの言う通り入り組んでおり、ちょっとした迷路だ。

 先導者がいなければ少しばかり迷うことになるだろう。

 

「ここは天然の洞窟・・・・・のように見えますが、これも冬木の街に元からあったものなのでしょうか?」

「でしょうね。これは半分天然、半分人口よ。おそらくは魔術師が長い年月をかけて広げた地下工房」

「察しがいいな。あんたの言う通り、ここは大聖杯を隠し効率よく動かすための場所だ。この奥にある大聖杯という魔法陣を起点に、この街を聖杯を降ろすのに適した土地に変えていく。こいつを考えたやつは魔術師の中でもとびきりぶっ飛んだやつなんだろうよ」

 

 ランサーの声は呆れを含んだものだが、同時に惜しみない賞賛の念が込められている。

 

「そうでしょうね。こんなもの普通は思いつかないし、思い付いたとしても実行しない。というより不可能よ。一つの一族が一丸になっても実現できる規模じゃないわ」

 

 オルガマリーもランサーの言葉に同意する。

 彼らの言う通り、この儀式は本来なら実現不可能なものだ。

 大聖杯という術式を築き上げ、聖杯戦争というシステムを構築し、それを守る土地を用意する。

 それら全てを揃えるのは、たかだか魔術師の一族では到底叶えられる話ではない。

 

ーーならば、何故。この儀式は成立しているのか。

 

「だからこそ、三つの一族が結託したのだ。一つが器を、一つがシステムを、一つが土地を。たとえ一家では不可能でも、三家も集まればありえない話ではない」

 

 唐突に、声が響く。

 衛宮達が弾けるように、声の方向を見る。

 洞窟の奥へと続く道。 そこに一人の男が立っている。

 浅黒い肌に、色の抜け落ちたかのような白髪。

 その瞳もまるで鋼のよう。

 鍛えられた肉体は、衛宮の身に着けているボディアーマーと瓜二つのもので守られている。

 

「弓兵<アーチャー>のサーヴァント・・・・・!」

 

 オルガマリーの叫びに反応し、マシュと衛宮が戦闘態勢を整える。

 だが、男の方は興味が無いのか取るに足りないと断じたのか、さしたる反応を見せない。

 その中で、旧知の仲であるかのようにランサーが男に声を掛ける。

 

「よう、アーチャー。相変わらずセイバーを守ってるようだな」

「また君か、ランサー。君も存外しつこいな。つい先日追い返されたばかりだろう」

「しつこさに関しちゃテメーにだけは言われたくねーな。あんな罠<モノ>まで用意して、相変わらずマメなことだな」

「なに、君に破壊された後、門番やら偵察やらをしている合間に作ったもので、褒められた出来ではないよ。尤も、作動したのは初めの一つだけで、他は全て躱されてしまったがね」

「ふん。そうまでして、一体何からセイバーを守ってるか知らんが、ここらで決着つけようや。永遠に進まないゲームなんざ退屈だろう? どうあれ駒を進ませんとな」

「その口ぶりでは事のあらましは理解済みか。にもかかわらず自分の欲求に熱中する・・・・・相も変わらず戦狂いだな」

 

 二人のやり取りは、とても敵同士に見えるようなものでは無い。

 交わされる軽口も、見知った仲であるかのよう。

 

ーーだが、それは表面上の話。

 

 互いに、一瞬でも隙を見せれば首を取るという意識が窺える。

 ランサーの後ろで話を聞いているだけのはずのオルガマリーとマシュは、二人が放つ殺気だけで押しつぶされそうになっている。

 もしどちらかと正面から相対すれば、とてもまともではいられないだろう。

 

ーーだがその中で。

 

 ただ一人、他の何も気にせず息を荒げる人物がいる。

 言うまでもなく衛宮だ。

 アーチャーと呼ばれる男を視認した瞬間、彼の様子が変化した。

 それをオルガマリーとマシュも認識しているが、アーチャーに気を向けているため思うように動けない。

 

「おま、えはーー」

 

 張り詰めた空気の中、少年が苦しみながら声を上げた。

 男は思うところがあったのか、そんな姿の少年に呆れながら顔を向けーー

 

「この"オレ"を見てもまだ何も思い出せんとはな。よほど暗示が効いているのか、それともお前が彼女の予想以上に強情だったのか」

「いったい、なにを、言ってーー」

「ーー瑣末なことだよ。大した意味は無い」

 

 それに。

 

「どうあれ、貴様のすることには変わりはあるまい。なあーー」

 

ーー正義の味方、と。侮蔑と憧憬と共に少年を呼んだ。

 

 それは、驚くほど衛宮の中に浸透していく。

 たった一つの言霊で、謎の不快感も迷いも吹っ切れた。

 

「ちょっと待ちなさい。あなた、彼のことを知っているの?」

 

 二人の会話を理解できず、端から聞いているだけだったオルガマリーが疑問を漏らす。

 それは当たり前のことだった。

 アーチャーの衛宮に対する態度は他人のそれでは無い。

 並べられる言葉の羅列。言霊に込められた感情。

 その全てが、確信と共に放たれる。

 相手を深く理解していなければ不可能なことだ。

 

・・・・・さっきの様子からして、ほぼ間違いないはず。

 

 苦しむ衛宮の姿を見て、確信はさらに強まる。

 それは記憶が戻る兆し。

 封じられた記憶と封じた術式が鬩ぎ合うが故の現象。

 あと少し。

 ほんの僅かで少年は元に戻る。

 故に、この場でこの男から情報を聞き出さねば。

 その思いは、しかし弓兵に届くことはなかった。

 

「さてな。これ以上私から語るべきことは無いよ」

 

 出会った時と変わらぬ、皮肉げな声。

 それに、やはりそううまくはいかないかと歯噛みし。

 

「これ以上知りたいのなら、彼女に直接聞くことだな」

 

 その言葉に疑問を覚える。

 アーチャーは確かに彼女と言った。

 それはつまり、この先に待ち受ける人物のことでーー

 

「・・・・・なんのつもりだ、アーチャー?」

「私もどうかと思うが、彼女直々のご指名でね。そこの三人は通すように言われている」

 

 そう言った男は道を開け、ランサーの後ろにいる衛宮達を見やる。

 先ほどまで男が放っていた殺気は、今は鳴りを潜めている。

 おそらく、ろくに身動き取れずにいたオルガマリーとマシュが動けるようにするためだろう。

 

「・・・・・どうしますか、所長?」

「どうって、そんなの決まってるでしょ。今はこっちが有利なんだから、わざわざその利を捨てる必要は無いわ。ここは一気にあの男を倒してーー」

「ーー駄目だ。ここはランサーに任せる」

 

 マシュの問いかけに、即座に返答したオルガマリー。

 だが、衛宮はそれに待ったをかける。

 

「ちょ、なにを言ってるのよっ!?多少強引でもここは強行突破すべきでしょう!?」

「それは無理だ。ここで俺たちが一斉に掛かったら、あいつは真っ先に俺たちを殺す」

 

 それは、予想ではなく確信。

 衛宮は、この見たことも無い男が何を考え何をするのかが手に取るように分かる。

 澄み渡った思考は、自然と最善の一手を選択する。

 

「ほう。腑抜けている割にはよく分かっているな」

 

 一層皮肉げな言葉に、衛宮は何故か感じる苛立ちを抑えながら、ランサーを見る。

 

「いいんだよな、ランサー」

「・・・・・ま、構わねえか。俺もこいつとはケリをつけときたかったしな」

「そうか・・・・・それじゃ俺たちは進ませてもらう」

「おう。お前らが手こずるようなら、直ぐにこいつを倒して追いついてやるから、安心して行ってこい」

「そいつは心強い。ならこちらも、精々奮闘するよ」

 

 そう言うが早いか、衛宮は洞窟の奥へと進む。

 オルガマリーとマシュも戸惑いながらも、ついて行く。

 あとに残ったのは、二騎のサーヴァントのみ。

 

「んじゃ、始めるとしようか、アーチャー?」

 

 言葉と同時。

 ランサーが紅の長槍を構える。

 

「相も変わらず短気なことだ。君は急がば回れという諺を知っているかね?」

「あん?何だそりゃ」

「焦りは身を滅ぼすということだ。逸るのも結構だが、足元をすくわれても知らんぞ?」

「ーーは、ご忠告どうも」

 

 アーチャーの言葉をどう受け取ったのか。

 ランサーがにやりと笑みを見せた。

 その表情には、友好的な性質は欠片も見出せず。

 

「だが生憎と、寄り道ばかりの人生だったんでな。こちとら急がずにはーー」

 

 ますます深まる体勢。

 その貌に獰猛なまでの笑みを貼り付けーー

 

「ーーいられねぇんだよッ!!」

 

 開戦の狼煙はランサーの咆哮によって。

 両者はともに弾け飛び。

 

ーー蒼と黒が、衝突する。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 視界が開ける。

 閉塞的な道が途絶え、広大な空洞へとたどり着いた。

 

「これが大聖杯・・・・・超抜級の魔術炉心じゃない・・・・・なんで極東の島国にこんなものがあるのよ・・・・・」

『資料によると、制作はアインツベルンという錬金術の大家だそうです。魔術協会に属さない、人造人間<ホムンクルス>だけで構成された一族のようですが、あのアーチャーの話によると、他にもあと二つの一族が関わってるようですが』

 

 オルガマリーさんとドクター・ロマンが言葉を交わすが、それも直ぐに止まった。

 空洞の奥。

 大聖杯が安置されている崖の上で、漆黒の騎士が、こちらを俯瞰している。

 

「・・・・・なんて魔力量・・・・・あれがセイバーのサーヴァント・・・・・」

『こちらでも確認した。何か変質してるようだけど、あれは間違いくセイバーのサーヴァントだ』

 

 こちらのやり取りに騎士は動じない。

 ただ無表情にこちらを見下している。

 そのときーー

 

「ーーーーーーーー」

 

 ほんの一瞬。

 不動の騎士の唇が何かを呟き、同時にーー

 

・・・・・俺を、見たのか・・・・・?

 

 気のせいではない。

 あの騎士は間違いなく俺を見ている。

 なんで俺なのか。

 それは分からない、ただ、どうしてもその瞳から目を反らすことができなかった。

 けれど、そんな状況は唐突に終わりを告げる。

 崖から跳躍した騎士が俺たちと同じ視線に立ち、その手に握る漆黒の西洋剣を向ける。

 放たれる殺気は、その黒い姿には似つかぬほどに澄んだものだ。

 言葉は無く、ただ、来いと。その瞳が語っている。

 

「先輩・・・・・」

「ーー行くぞ、マシュ。これが最後だ」

「はい。必ず勝ちましょう、マスター!」

 

 互いの獲物を構えて騎士へと突貫する。

 対する騎士は受けの構え。

 自ら踏み込まず、こちらを迎撃する。

 

「はぁーー!」

 

 気迫を上げ、黒の陽剣を振るう。

 黒の騎士は迫る一刀を、漆黒の剣で当然のように弾き返した。

 

「っ・・・・・!」

 

 なんて膂力。

 先刻相対した影が子供に思えるほどの力。

 まさか、ただの一合で崩されるとは。

 

「ーーーー」

 

 騎士は無言のまま、決定的な隙を晒したこちらを斬り裂こうとする。

 衝撃で次手に繋げることのできない自分では、決して防げない一撃。

 それを前に焦ることは無い。

 俺は決して、一人で戦っているわけではないのだ。

 

「させませんッ・・・・・!」

 

 俺と騎士の間に割り込んだマシュが、真正面から迎撃する。

 デミ・サーヴァントたる彼女は、騎士の剣圧に一切押されること無く互角に張り合っている。

 その隙に体勢を整え、騎士の側面へ回りこむ。

 そのまま無防備な体に、刃を振り下ろし。

 

「ーーーーっ!」

 

 想像以上の速度を以ってマシュを弾き飛ばした敵に迎撃された。

 今度は真正面から受け止めず、受け流す。

 攻撃を受け流された敵は無防備だ。

 そこへ左手に持った陰剣で斬りかかる。

 しかし騎士の首を狙った一撃は、敵が上体を反らしたことで回避された。

 だがそれでいい。

 俺が騎士と打ち合っている間に復帰したマシュが、騎士へと大盾を振るう。

 あの速度と質量では躱せまい。

 

「なっ・・・・・!?」

 

 そんな俺たちの思考は、騎士がバク宙の要領で跳んだことにより容易く打ち砕かれた。

 

「・・・・・っ!?躱せ、マシュ・・・・・っ!」

 

 自分の中で鳴らされた警鐘に従い、全力で叫ぶ。

 だかマシュが反応するよりなお早く、騎士から魔力が放出された。

 指向性を持って放たれたそれは、空中で騎士にひねりを加えーー

 

「ーーーーッ!!」

 

 回転の勢いと重力の恩恵も加えた騎士は鉄槌の如き一撃を、マシュへと叩き込んだ。

 

「あぅーーーーっ!」

「マシュ・・・・・!?」

 

 苦悶の声を上げながら吹き飛ばされたマシュの元に駆けつけようとしてーーそれすら黒の騎士は許さなかった。

 

「づーーーーっ!」

 

 一瞬で踏み込んで騎士に斬り上げられ、防ぎはしたものの、宙へと飛ばされる。

 そのまま、ちょうどマシュの横あたりの地面に叩きつけられた。

 

「が・・・・・っ!?」

 

 肺から空気が溢れる。

 同時に衝撃によって揺さぶられたことにより、僅かに視界がふらつく。

 マシュも、ダメージからか先ほどの活力は減衰している。

 そんな俺たちを前に、騎士はやはり無表情だ。

 

「くそ・・・・・っ!」

 

 悪態を吐き、再び攻めかかるも、騎士は当然のように返してくる。

 剣と盾、線と面、上下左右。

 二人同時に、威力も角度も性質も何もかも違う攻勢を仕掛ける。

 何度も倒したと確信しーー結果は騎士の生存であり、さらに苛烈な反撃だった。

 

「しまっ・・・・・」

 

 再び隙を晒した俺に、騎士の刃が迫る。

 マシュは間に合わない。

 これは止められない。

 容易く予想される未来に体が僅かに硬直し。

 

「退がりなさいッ!」

 

 後方からの声と同時に、目前に魔力で構成された壁が展開される。

 騎士の剣は当然のように壁を一瞬で叩き割った。

 だが、その一瞬でこちらも後方へと跳ぶ。

 

「助かりました、オルガマリーさん」

「お礼はいいわよ。そんなことより、どうなの?」

 

 オルガマリーさんの問いに、僅かに思考する。

 正直に言えば、かなりまずい。

 速度も重さも、何もかも差がありすぎる。

 こちらが一撃を加えれば、向こうは簡単に二撃を与えてくる。

 マシュの消耗も激しい。

 俺と違いサーヴァントである彼女は、あの騎士とも打ち合えるが、それが仇になったようだ。

 更に悪いことに、こちらが全力なのに対し、向こうはまだ半分ほどの力も出していない。

 こちらを圧倒できるのに、攻め込んで来ないのがいい証拠だ。

 

「・・・・・」

 

 何が最善手か思考する。

 この騎士を相手に、有用な手はないか。

 そう考えながら脳裏に浮かぶのは、撤退の二文字。

 現状、この騎士を倒せる確率はゼロに等しい。

 このまま戦い続ければ、こちらが潰れるのが先だろう。

 オルガマリーさんをの方を見ると、彼女も同じことを考えてるようだ。

 こちらの目的は飽くまで調査。

 街が焼け落ちた原因さえ分かれば、目的はほぼ達していると言っていい。

 今回は敵勢力及びその能力も測れたのだ、成果は十二分だ。

 あとはこの情報をカルデアに持ち帰り、態勢を整えた上で、この事態を収束させる。

 この惨状を放置するのは心苦しいが、ここで全滅しては元も子もない。

 ならばこそ、自分たちがすることは決まっていてーー

 

「ーー■■■」

「ーーーーっ!?」

 

 突然に。

 相対してから初めて、騎士が言葉を発した。

 それが、誰かの名前なのだと理解してーー

 

「この私を前にして、余所見をする余裕があるのですか」

「ーーーー」

 

 思考が、停止する。

 一言。

 決して長くはない、僅かな言葉を聞いただけ。

 たったそれだけのことで、■■■■という存在の全てが揺さぶられた。

 

ーー余所見をする余裕があるのか。

 

 その答えを、この身は確かに理解している。

 他の誰かならいざ知らず、■■■■だけはそれを間違えることはない。

 彼女を前にして逃げる暇など、一分たりともありはしない。

 

・・・・・ならば。取るべき行動など決まっている

 

「確かに、そいつは悪かった」

 

 意図せず、口角が釣り上がる。

 彼女の言葉を受けて、撓んだ精神が再び鍛えあげられ、思考は少女を打倒する術を導き出す。

 撃鉄を叩き下ろし、陰陽の双剣を握り締める。

 断崖の前で、抑えきれない熱が溢れ出す。

 

「今度こそだ」

 

 誓いを口にする。

 かつて抱いた理想。

 今も追い続ける星。それをーー

 

「今度こそ、乗り越えさせてもらう・・・・・ッ!!」

 

ーー少年の言葉に、少女が微笑んだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「ーーーー」

「ーーーー」

 

 少女と、少年が構える。

 並の人間ではそこにいるだけで卒倒しかねない緊張感を孕ませながら、両者が睨み合う。

 そうしてーー

 

「ーーーーっ!!」

「ーーーーッ!!」

 

 示し合わせたかのように、両者が弾け飛んだ。

 20mの距離を一足で詰めた少女はその剣を、同じく踏み込んだ少年に横薙ぎに振るう。

 鉄塊すら破砕する一撃を、少年は己が身を屈めることで回避した。

 

「おぉーーッ!!」

 

 裂帛の気合いを上げ、衛宮は無防備な少女の胴へと陽剣を振るう。

 横薙ぎに振るわれた少女の剣は、下方からの攻撃に対応できない。

 斬り上げられた陰剣は確かに少女の胴を捉え、

 

「ーーーーっ!」

「ーーーーッ!」

 

 間に合わないはずの剣で防がれる。

 斬り上げに対し側面より叩きつけられた衛宮は衝撃に体を流される。

 無論、そのような隙を少女が見逃すはずはない。

 一息の間も無く、疾風の如き突きが放たれる。

 だが、衛宮も既に次の行動に移している。

 流される体を、左足を軸に転身。

 突きを回避すると同時に、勢いそのままに敵の後頭部を狙う。

 それを、少女は振り向きざまに放った一振りで、容易く防いだ。

 

「は、はは、はははは・・・・・!」

 

 少年が笑いを上げる。

 堪えきれないとばかりに口角を釣り上げる。

 

「ーーーーッ!」

「ーーーーッ!」

 

 少女が振るう剣。

 重さも速度も決して並べぬ領域。

 一瞬でも見誤れば、死に直結する攻防。

 

ーーその全てが、少年には見えている。

 

 太刀筋、足運び、重心の移動、選びうる戦術から少女の精神まで。

 思考は数十手先の展開まで予測し、本来成り立たないはずの剣戟を成立させている。

 

・・・・・これだ。これだけを求めてきたーーッ!

 

 ずっと。ずっと追いかけてきた。

 ただの一度も忘れることなく、胸に抱き続けた輝き。

 

「ーーーーッ!」

 

 情報が渦巻く。

 失っていたはずの記憶が、次々に色を取り戻す。

 

『初めに言っておくとね、僕は魔法使いなのだ』

 

『ーー問おう。貴方が、私のマスターか』

 

 流転する世界。映りゆく風景。

 過去から未来へ向けて、かけられたフィルムを写す映写機の様に、無数の情報がとめどなく流れていく。

 今では遠い記憶となってしまったモノ達。

 多くのモノを失って、多くのモノを得てきた。

 その過程で何を想い続けてきたか、思い返すまでもない。

 ここまでの道行き、こうなるまでの選択ーーその全てが、彼女へと至るために。

 

・・・・・そうだ、それだけでいい、他にはなにもーー

 

 要らない。

 そう思いかけて、すぐさま否定する。

 忘れるな。

 今この場で戦うのは、街を救い背後の二人を守るためだ。

 たとえ敵が彼女であろうとーー彼女だからこそ、忘れてはいけない理想<モノ>がある。

 だからーー

 

「■■■■ーーーーーーーー!!!!」

 

 瞬間、確かに彼は、その名を呼んだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 その変化に誰よりも早く気づいたのは、マシュだった。

 

・・・・・先輩ーー?

 

 ほんの一瞬で、隣に立つ少年の気配が変わった。

 

 湧き上がる気迫から鋭い目つきまで、何もかもが一線を画している。

 本質は変わらぬというのに、それを覆う外殻がまるで違っていた。

 

・・・・・いったいどんな意味が・・・・・。

 

 自身には理解の及ばぬ話だった。

 少年と少女の間に交わされる言葉は、彼女の知らない出来事だ。

 彼女が見たことも、関わることもなかった何処かでのお話。

 今この場で、マシュがそれを知る術はない。

 だがそれで、少年の何かが変わったのは疑いようがなかった。

 その何かに想いを馳せようとしてーー少年と少女が再び剣を構えた。

 それを見た彼女も意識を切り替え自身の盾を構えてーーそれだけだった。

 

「・・・・・っ」

 

 体が震える。

 空間を満たす少年と騎士の殺気が余りにも濃密で、呼吸すらままならない。

 だがそれだけだったなら、まだよかったかもしれない。

 構えた先ええ、彼女は世界の最奥を見る。

 

「・・・・・っ!?」

 

 衝撃に全身が轢き潰される錯覚。

 空気どころか、世界そのものが激震する。

 大気が鳴き、大地が陥没する。

 その現象が、ただ一人の少女が踏み込んだ結果に過ぎないと、誰が信じよう。

 

・・・・・これ、は・・・・・!?

 

 先ほどとは文字通り次元の違う力。

 突進する騎士は、それだけでまるで流星のよう。

 振るわれる剣は雷光にして爆撃。

 空間ごと斬り裂く刃は、あらゆるものを断絶する必滅の一撃。

 嵐のように振るわれるそれは、離れているにも拘らず、全身がバラバラに斬り裂かれそう。

 あり得ない。

 こんなもの現代にあってはならない。そんなものサーヴァントではない。

 事ここに至り、彼女は自分達の敵がどういう存在かを、初めて理解した。

 

ーー英霊である。

 

 過去に存在した英雄達が、その死後に世界に認められた果てに与えられる称号。

 才能だけでは至れず

 努力を重ねても届かず。

 己が人生を全力で生き抜き、己が運命する踏破した者だけが、ようやく手をかける領域である。

 それぞれが人類史の代表たる存在。

 中でもこの騎士はその頂点の一人。

 混迷する国を統治するために生まれ、王を選定する岩の剣を引き抜きし者。

 誉れ高き騎士の王。

 欧州に謳われる伝説が一『アーサー王伝説』のアーサー王その人である。

 ブリテンを守るために円卓の騎士を従え、蛮族の侵略を押し返した彼女は、サーヴァントとしても一級の英霊である。

 だが、ただのサーヴァントであれば、マシュにも戦えたかもしれない。

 

ーーしかし、それは違う。

 

 剣のサーヴァント・セイバー。

 そんなものは所詮、便宜上与えられた仮称に過ぎない。

 今の彼女は、そんな脆弱な存在ではない。

 大聖杯から供給される魔力は底を知れず。彼女を縛り付けていた使命も遠い彼方。

 在るのは騎士としての誇りと矜持。

 かつて戦場を駆け抜けた、伝説の騎士王アルトリア・ペンドラゴンの全てがここに在る。

 故に、今の彼女を止めるものは存在しない。

 現行の人類に、神秘の時代に生きた英雄を止める術は無い。

 騎士が人類史の代表とも言える存在なら、相対する者もまた同じ境地に至らねばならないのが道理だ。

 

ーーならば、騎士と互角に戦っている少年はなんだというのか。

 

「何をしてるの、マシュ!? 早く貴女も援護しなさい!」

 

 オルガマリーがマシュの背へと叫ぶ。

 だがそれは。

 

「駄目です、展開が早すぎてわたしでは追いきれませんっ!」

 

 叫び返す言葉は真実だ。

 デミ・サーヴァントでしかないマシュでは、英雄の領域には手が届かない。

 サーヴァントとは所詮、本来なら人の手に英霊を御するために限界まで縮小したものでしかない。

 その上、サーヴァントの力を与えられただけの彼女では、少年と少女の戦いに、何一つとして付いていけない。

 割り込んだところで二人の斬撃の嵐に斬り刻まれるか、却って少年の命を危ぶめるだけだろう。

 

・・・・・ああ、でも。

 

 だが、冷静な思考とは別のところで、一つの感情が生まれる。

 自分では役には立てないと、確かに理解している。

 けれど、そんなこととは関係なく、自身の心とこの霊器<カラダ>が同じ思いを懐く。

 

ーー邪魔をしてはいけない、と。

 

 繰り返される攻防。

 互いの命を摘み取る、殺し合いという忌むべき行為。

 本来なら、嫌悪すべきはずのもの。

 だがそれをーー綺麗だと思ってしまう。

 ひたすらに刃を交え、ただ互いだけにぬ向き合う二人を、美しいと感じている。

 だから、これは二人だけの世界。

 余人が決して立ち入る事のできない、彼らだけの物語だ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 剣戟が響き渡る。

 すでに数百を超える攻防を繰り広げた二人は、なおも加速していく。

 少女の剣は、容易く少年の刃を砕き、少年もまたその度に新たな剣を生み出す。

 異なる展開で、同じ流れを何度も繰り返している。

 だが、ここでついに一つの動きを見せる。

 

「はぁッーー!」

「ーーーーっ!」

 

 少女から放たれる強力無比な一撃。

 一際高い剣戟音が鳴り響き、受け止めた少年が吹き飛ばされる。

 

・・・・・ここだッーー!

 

 少年はいま無防備だ。

 剣圧に圧され、体勢の崩れた彼に、少女を止める術は無い。

 勝利の確信とともに少女が踏み込む。

 少年はそれに対し、双剣を投げつける。

 ただの投擲であれ、彼が放ったそれは戦車の主砲にすら匹敵する。

 たとえ重厚な鎧であっても、容易く断ち斬るだけの威力を有している

 

・・・・・そんなものではッーー!

 

 僅かの間に、当然のように薙ぎ払う。

 弾かれた二刀は少女の後方へと吹き飛んでいく。

 如何に協力とはいえ、苦し紛れに放たれた刃は、足止めにもなりはしない。

 少女の脚を止めることすらできない一瞬。

 

ーーだが、一瞬。それだけあれば、少年が動くには十分過ぎるーーッ!

 

 少女は見た。

 飛び込む先、少年が漆黒の槍を振り上げていることを。

 

「っーー!? 罠かーーっ!」

 

 後方へ退がるタイミング、真実追い詰められたかのような表情。

 緻密に巡らされた策に感嘆の念を覚える間もない。

 忘れてはならなかった。

 少年の戦いとは、相手が勝利を確信したその瞬間にこそ、勝機を見出すものだということをーーッ!

 

「串刺<カズィクル>ーー」

 

 発動まで0.1秒。

 制動をかけ全力で停止する。

 そのまま己が直感に従いーー

 

「城塞<ベィ>ーーッ!!」

 

ーー真名が解放される。

 

 大地より無数の杭が現出する。

 ワラキア公国のヴラド三世の異名と同じ名を冠した宝具。

 かつて二万のオスマントルコ兵を串刺に並べ、侵略者を撤退させた悪魔の如き戦術。

 その伝承が再現される。

 展開される杭は無数。

 放たれれば決して逃れ得ない原野。

 それをーー少女は宙へと舞うことで回避した。

 

・・・・・危なかった。

 

 彼女は、あの槍を知らなかった。

 それがどのようなもので、どう扱われるかなど知りもしなかった。

 だが彼女の未来予測じみた直感は、自身に迫る危機に対し選び得る最高の対処をする。

 大地を埋め尽くす粛清の杭も、空中にまでは及ばない。

 結果として、彼女の行動は最善のものだった。

 そう、最善。

 

ーー故に。

 

 その必ず選ぶであろう最善の行動を、少年が読み間違えるはずもなくーー

 

「ーー工程完了<ロールアウト>。全投影待機<バレットクリア>」

「ーーーーっ!?」

 

 少女の周囲に、無数の剣が展開される。

 球状に配置されたその数は、優に五十を超える。

 その全てが、一つの概念を内包している。

 少女の中に宿る竜の因子を滅するものーー即ち、竜殺し。

 一つでも受ければ死へと至るそれらが、剣の檻と化して少女を狙っている。

 

「ーー停止解凍<フリーズアウト>、全投影連続層写<ソードバレルフルオープン>ッーー!!」

 

 赤の号令一閃。

 全ての剣が、少女を串刺にせんと放たれる。

 迫り来る刃。

 翼を持たない人間には避けることすら叶わない。

 宙で身動きできぬまま、少女は刺し貫かれる他ない。

 

ーーされど。それを踏み越えてこその、剣の英霊・・・・・!

 

「ぉおーーーーッ!」

 

 瞬間、少女から膨大な魔力が噴出する。

 それはロケットのように少女を押し出し、擬似的に少女を飛行させる。

 吹き飛んだ少女は、迫る剣群の一部だけに穴を開け脱出した。標的を失った剣は虚空を斬り裂くに終わる。

 それを背に、少女がさらに加速する。

 向かう先には少年。

 彼女は回避すると同時に、さらなる攻勢へと転じている。

 既に、少年では防ぎようのない威力に到達している。

 その様はさながら小型の黒い隕石だ。

 膨大な魔力を纏った彼女は己が剣を振りかぶり、そしてーー

 

「ーー投影装填<トリガー・オフ>」

「ーーーーっ!」

 

 少年の右手に、巨大な斧剣が生まれる。

 少年の身の丈を優に超えるそれは、とある戦争にて一人の英雄が、雪の少女を守るために振るったものだ。

 それを握るということは、彼の者の武技を再現することに他ならずーー

 

・・・・・初めからこれをーーっ!

 

 視認した瞬間、真意を知る。

 先の槍も剣も、ただの布石に過ぎなかった。

 杭を回避し、剣群を突破し、その上でこうなることを予測していたのだ。

 

ーーあらゆる要素が、戦いの終わりを示唆している。

 

 展開の全てを予想し己が敗北に合わせ必殺を用意した少年と。

 必殺を志したが故の加速が仇となった少女。

 このまま方向転換できず、少女は少年の持つ斧剣へと飛び込む。

 少女が自身の宝具を解放せぬ限り、あの神速は超えられない。

 そしてこの状況。

 そのような余裕は少女にありはしない。

 

・・・・・だが、たとえそうであろうとーーッ!

 

 少女が加速に加速を重ねる。

 その先に自身の敗北が待ち受けていると理解しながら突貫する。

 当然だ。

 どのような窮地にあれ、最期まで立ち向かってきたのが彼女だ。

 そうでなければ、こんな場所に彼女は立ってはいない。

 それは、少年も理解していることだった。

 どれだけの布石を揃えようと、彼女は必ず向かってくると。

 故にこそ、自身もまた全力で迎え撃つのみーーッ!

 

「是、射殺す百頭<ナインライブズ・ブレイドワークス>」

 

 強大な水蛇<ヒュドラ>の九つ首を一瞬で斬り飛ばした神速の九連撃。

 ギリシャ神話に謳われる大英雄の御業が漆黒の剣と衝突しーー

 

「なーー!?」

「ーーーー!」

 

 予想に反し、斧剣はあっさりと砕かれた。

 驚きは少年のもの。

 必殺の筈の一手が、容易く破られた事実に思考が追いつかない。

 だが、その刹那。思考が停止した、僅かな瞬間。

 それを彼女の前で晒すことは致命的であり。

 

「ーーーーッ!」

 

 振り払った勢いを利用し、宙で少女の体が回転。

 

「おぉーーッ!」

 

 高速の蹴りが、無防備な少年へと打ち込まれた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 視界が明滅する。

 壁際まで飛ばされたおかげで、全身打撲したかのようだ。

 

・・・・・まだ、まともな方か・・・・・。

 

 立ち上がりながら、思い直す。

 先ほどの一撃。

 本来なら、上半身が消し飛んでいたはずだ。

 それを抑えられたのは、斧剣によって威力が相殺されていたためだろう。

 お陰で全箇所への強化が間に合った。

 彼女の方もあれで限界だったようで追撃は無い。

 

・・・・・しかし、なぜ破壊された・・・・・?

 

 あの斧剣の強度なら、彼女の一撃にも耐えられるはずだった。

 一度の迎撃と八つの攻撃。

 初撃を受け止められた彼女に、残りを回避する手立ては無い。

 それでこの戦いは終わるはずだったのだがーー

 

・・・・・思考と記憶の差異、か・・・・・。

 

 現状、それが最も確率が高い。

 おおよその記憶は取り戻したが、やはり完全修復には至らないようだ。

 彼女との戦いで戦闘技法は取り戻したが、設計図には穴が空いているのかもしれない。

 不完全な剣製で、本来の戦い方など望むべくもない。

 なまじ記憶が戻ったが故の弊害だった。

 

・・・・・追い詰められたな。

 

 手を握り、開く。

 彼女の蹴りを腕を交差して塞いだが、かなりのダメージだ。折れてはいないようだが、罅が入っていることは間違いない。

 剣は持てるが、振るえるのは精々三度か四度が限界だろう。

 あちらと交差すれば、回数は更に減る。

 

・・・・・問題無い。それだけあれば十分だ。

 

 この程度の予想外は想定内だ。

 あそこから不利になることも、可能性の一つだったのだ。

 故に、まだもう一つの手が残っている。

 いける。

 その一手を以って、今度こそ終わらせられる。

 

・・・・・しかし、俺も大概だな。

 

 勝利への道筋を立てながら苦笑する。

 彼女を超えることは、常に夢見ていた。

 何度も何度も何度も、数え切れないほど彼女との戦いをイメージした。

 そこには彼女を打倒できるだけの幾つかの攻略法がありーー結局、行き着いたのは"これ"だった。

 未熟だとは思わない。

 だって、仕方がない。

 ずっと追い続けてきたのだ。

 何年経とうと、どこに行こうと、いつも目指してきた。

 だからもし、彼女を超えるというのなら、それは自ら生み出した必殺で成し遂げたい。

 

「ーーーー」

 

 空の両手に双剣を用意し、脳内にも残りの設計図を待機させる。

 こちらの決意を感じたのか、少女も己が剣を構え、こちらを待ち受けている。

 

「ーーーーいくぞ」

 

 告げると同時に、万感の想いを込めて、双剣を投擲する。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 迫る双剣を見て、少女は僅かに落胆した。

 

・・・・・やはり、"それ"なのですね。

 

 半ば予想はできていた。

 自身を超えるために、必ず使ってくると。

 当たり前だ。

 "ソレ"は、そのために生み出されたのだから。

 贋作でしかなかった彼が、彼女を超えるために創造した、数少ない真作。

 これまでの戦いにおいても、多くを救ってきた必殺。

 

ーー鶴翼三連。

 

 干将・莫耶という双剣が待つ互いが引き合う性質と、彼の特異な魔術を組合わせた奥の手。

 第一撃にて投擲した双剣を弾かせ、続く第二撃と最初の双剣を引き合わせることによる奇襲。

 それらを布石にし、術者自身と二対の刃による剣の包囲網。

 完成すれば何人たりとも逃れることはかなわない。

 だが、それは決して、彼女に届くことはない。

 何故なら、彼女は既にそれを知っているから。

 夢の中で彼の道行きを見ていた彼女は、当然のように彼が生み出したモノを知っている。

 

・・・・・残念です・・・・・。

 

 思い、弾く。

 本来なら、彼女は負けていたのかもしれない。

 初見であれば、確実に敵を仕留めるであろう技。

 だが知られてしまえば、対応は容易い。

 そして、それを知っている以上は全力で迎え撃つのが、彼女の礼節だ。

 故にこそ、彼女の勝利が揺らぐはずもなくーー

 

ーー後方より、思いがけない奇襲が迫ってきた。

 

「ーーーーっ!?」

 

 一瞬、思考が停止する。

 突然の現象に、剣を振るう腕が鈍る。

 

「くっ・・・・・!」

 

 苦悶の声を上げ、なんとか弾く。

 ソレを見ながら彼女の胸に一つの言葉が溢れるーー有り得ない、と。

 その驚愕は、後方からの奇襲に対するものではない。

 むしろそれは自然だ。

 彼が生み出した"ソレ"は、元よりそういうものだ。

 彼女は後方からの奇襲が来ると、初めから承知していた知っていた。

 故に、問題はタイミング。

 先の双剣が弾かれてこの瞬間まで、彼女の想定よりあまりに早すぎた。

 

・・・・・このタイミングで攻撃が来るはずはーーいや、まさか。

 

 思い至った瞬間、視界を巡らす。

 そこでーー

 

・・・・・やはり無いーーっ!

 

 先の攻防で彼女に弾かれ、地面に突き刺さっていた二振り。

 陰陽の双剣が、その場から無くなっている。

 それはつまり、先の奇襲がそれを用いたものということでありーー

 

・・・・・ならば、次の手は第二撃ではなく・・・・・っ!

 

 少女が事態を理解し、視線を巡らせる。

 既に全ての布石が整っているのなら、これより来たるは最後の一手。

 そうして、担い手たる少年を探して見上げた先ーー鶴翼が、空を舞っていた。

 

ーー唯名、 別天ニ納メ<セイメイ、リキュウニトドキ>

 

 少年の手にする剣は、先ほどまでの陰陽剣とは隔絶したものだ。

 黒と白の刀身は数倍ほどの長さに変化し、その外見も鳥の翼を想起させる。

 

ーー干将莫耶、オーバーエッジ

 

 正に鶴翼という名に相応しいソレが、少女へと振り翳されており、

 

「うぉおおおおおーーーーッ!!!」

 

ーー両雄、共ニ命ヲ別ツ<ワレラ、トモニテンヲイダカズ>

 

 少年の咆哮と共に、振り下ろされる。

 予想外の奇襲で動きを制限された彼女は、その場から退避することは出来ない。

 そして少女の周りを二対の双剣が囲み、退路を断つ。

 それを見た少女が侮っていた自身を叱責しーーそれとは裏腹に笑みを見せる。

 

・・・・・やはり、貴方は変わらない。

 

 どんな時も変わらず、如何なる境地においても諦めず。

 自身の命すら担保にして、目の前の理不尽に抗う。

 その在り方を、美しいと思った。

 不完全で、歪で、誰にも理解されない。

 それでも信じたモノを守り通してきた彼の姿を、何より愛おしいと感じた。

 少年が少女を追い続けてきたように、少女もまた少年の姿を尊いものだと思ってきた。

 

・・・・・ならばこそ、全力で応えましょうーー!

 

 少女が剣を構えると同時に、彼女から風が吹き荒れる。

 突風と呼ぶべくも無いソレは、攻撃のためのものでは無い。

 吹き上がった風は、四方より襲いかかる四刀へと向かう。

 風により軌道をずらされた剣は、少女の鎧を掠っていくだけに終わる。

 これで憂いは無くなった。

 あとはーー

 

「はぁああああッーー!!」

「おぉおおおおッーー!!」

 

 少年を迎え撃つのみッーー!

 

 激突する三刀。

 衝撃の余波だけで、大地が斬り裂かれーー

 

「ーーーーっ!」

 

 鶴翼が、一瞬で砕け散った。

 粒子となり消えていく剣。

 少年が着地する。

 

「ーーーー」

 

 少年の繰り出した必殺は、確かに掛け値なしの切り札だった。

 彼が放った連撃に、少女は確かにその動きを鈍らせた。

 だが、彼女が少年の必殺を知っていた事実は覆らない。

 もとより初見殺しであることに重きを置いた必殺であるが故に、たとえ少女の意表を衝いたとしても、その後の対応は明確なままだ。

 故に、この交差において少年が勝利する可能性は、初めからどこにもなかった。

 

「ーーーー」

 

 見上げる形となった少年の視線が、少女の瞳と交差する。

 刹那、少年は少女の勝利の笑みを見て。

 刹那、少女は少年の瞳を見てーー"まだ終わってない"ことに気づいた。

 

「ーーーー、ぁ」

 

 小さく漏れる声。

 少女の表情が凍りつく。

 ここに至って始めて少年の意図を察知し、剣を振る。

 

ーーだが遅い。

 

 致命的に出遅れた彼女に、少年を止める事はかなわず。

 無防備な少女の胸へと、歪な短剣が突き刺さる。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

ーーそれは、判りきった結末だった。

 

 宝具による行動の限定。

 さらには剣の檻を用いた誘導。

 これ以上無い状態で放った攻撃を凌いだ彼女を超えるには、これしか無いと選んだ必殺。

 元より初見殺しという性質を持つソレに、更に彼女の意識外の攻撃も加え磐石なものとした。

 

ーーそれすらも、彼女は打ち崩して見せた。

 

 分かっていたことだ。

 彼女なら、必ず突破してくるだろうと。

 どれだけの月日が経とうと、所詮、自分程度では彼女の輝きには太刀打ちできない。

 彼女と戦う以上、"自身の勝利"はないのだと

 そんなことは、ずっとずっと前から分かっていた。

 

ーー故に、この手には最後の一手が用意されている。

 

 生み出すは歪な短剣。

 あらゆる契約を破却する、裏切りと否定の対魔術宝具。

 ソレを、無防備な彼女へと突き刺した。

 

・・・・・これで、大丈夫だ。

 

 ■■■■■■■から解放された彼女なら、きっと力を貸してくれる。

 汚染された大聖杯の破壊など、彼女の力を以ってすれば容易い。

 

・・・・・そろそろ、限界か。

 

 薄れゆく意識の中、自身から噴出する血を見て、冷静に分析する。

 これは当然の代償。

 膠着した状態から無理に決着をつけに行ったのだ。

 当然、向こうも黙っていない。

 俺が無茶を通したのなら、彼女も同じことをするに決まっている。

 

ーー故に、それは、判りきった結末だった。

 

 びちゃり、と音を立てて倒れ込む。

 彼女の剣で肩口から胸まで斬り裂かれたことによる出血。

 流れ出た自分の血に染まりながら、俺の意識は闇に沈んでいった。




というわけで11話・理想の果てでした。
これで冬木編も残り1・2話になりました。
後は次編への繋ぎのようなものなので、ゲームとあまり変わりなく、文字数も減ると思います。
今はこの先の展開と、何より殺人貴を出すかで迷ってたりします。
もし彼のことや、他にも意見がございましたら感想にまでご寄せください。


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始まる世界

今回も早めに終わったので投稿します。
どうも最近調子がいいみたいで、サクサク進みます。
ただ、今日からCCCコラボが始まるので、また更新が遅くなりそうです。今回はどれだけピックアップを引けるか。前回のぐだぐだ本能寺及び明治維新は欠片も当たりませんでした。サーヴァントならともかく限定礼装の星3すらきませんでしたからね。無課金ですがどちらも三回は十連したんですけどね。今回はせめて限定礼装だけでもくることを願います。
それでは、12話目どうぞ。


 地下空洞最深部へとつながる通路で行われている戦いは、唐突に終わりを告げた。

 

「ーーーー」

 

 一瞬前までランサーと打ち合っていたアーチャーが突然距離を取り、その瞳を洞窟の奥へと向けだのだ。

 だが言うまでもなく、それはランサーという英霊の前では自殺行為に等しい。

 高速の戦闘下、僅かな合間すら命取りだというのに剣を下ろし、あまつさえ視線を切るなど以っての外だ。

 しかし、だからこそ。

 それをアーチャーがするということは、これ以上の戦いは不要ということでありーー

 

「なんだよアーチャー。まさかここで幕ってわけじゃねーだろうな?」

「・・・・・いや、その通りだよ。どうやら、向こうが終わったらしい」

 

 そう言われてランサーも洞窟の奥へと意識を向ける。

 先ほどまでそこに感じられた戦いの気配が、確かに消えている。

 

「・・・・・なるほど。だが、相変わらずムカつく野郎だな、テメェはよ」

「いったい、何のことかね?」

「惚けんじゃねぇよ。俺とやり合いながら向こうに気を配るなんて、たいした余裕だな」

 

 そう告げるランサーの声は苛立たしげだ。

 自身と立ち合いながら他所に意識を傾けていたアーチャーに、手を抜いていたのかと、怒りを抱いたからだ。

 それに対しアーチャーは、ああ、と呟き。

 

「それは誤解というものだ。君を相手に他に気を割いている余裕など無い。気づいたのは単に私も大聖杯と繋がってるからだよ」

 

 当然と言えば当然。

 アーチャーがセイバーの側に付いた以上、大聖杯と契約状態に入るのは自然な流れだ。

 

「そうでもなければ、ここまで拮抗させることはできんよ。流石に素のステータスに差がありすぎるからな」

 

 そう皮肉げに告げるアーチャーは、言外にそれが無ければ負けはしないとでも言いたそうだ。

 それに気づいてか。

 ランサーは、フン、と鼻を鳴らし、

 

「そうかよ。それで、どうすんだ。このまま続けるか、それともーー」

「遠慮しておく。ステータスの差を埋めたとは言え、やはり君との戦いは肝を冷やすからな。それに・・・・・今回はまだやるべきことがある」

 

 そう言ったアーチャーの手には、いつの間にか歪な短剣が握られている。

 ランサーはそれが何なのか一目で理解したようだ。

 

「・・・・・魔女殿の宝具か」

「ああ。契約の破棄という点において、これ以上のものは無いからな」

 

 そのままアーチャーは、その短剣を自身の胸へと突き刺しーー

 

「破戒すべき全ての符<ルールブレイカー>」

 

 真名を解放する。

 同時、アーチャーを襲う喪失感。

 ソレを以って、歪んだ聖杯戦争が終わりを告げた。

 

「どうやら、本当に終わりみたいだな」

 

 アーチャーの契約が破棄とされると同時に、ランサーの体が粒子となって消えていく。

 それはつまり、この戦いが終わったという確かな証明だ。

 だがーー

 

「ん? おい、何で消えてねぇんだよ」

「あの泥と触れていたからな。若干受肉した状態に近いのだろう」

 

 ランサーの疑問に答えるのもそこそこに、アーチャーは洞窟の奥へと足を向ける。

 

「ちょ!? まだ何かする気かテメェは!?」

「別にあの三人に手出しはせんよ。言っただろう、まだやることがあると」

「待て、テメェ何を知ってやがる!?」

「君も縁が合えばそのうち呼ばれるだろうーーグランドオーダー。聖杯を巡る戦いにな」

 

 本当に時間がないのだろう、アーチャーは意味深な言葉を紡ぐだけだ。

 そしてそう答えたが最後、今度こそ洞窟の奥へと向かって行った。

 

「くそっ。一体何だってんだ・・・・・あーあ、たまにはまともな召喚は無いもんかね」

 

 一騎残されたランサーは、最後に気怠げに不満を溢しながら、英霊の座へと還っていった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「先輩っ・・・・・!」

 

 マシュが、倒れ伏したエミヤの元へと走り寄る。

 強張る肉体を強引に動かし、一心不乱に駆け付ける。

 

「先輩、しっかりしてくださいっ・・・・・!!」

 

 うつ伏せの少年の体を仰向けにさせ、容体を診る。

 

「っ・・・・・!」

 

 酷いものだ。

 全身には戦いの中でついた無数の切り傷と打撲痕。

 肩口から斬り裂かれた傷跡は肺にまで及んでいる。

 更に、異常なことに傷口から無数の剣が覗いている。

 体は両断こそされていないものの、このままでは長くは保たない。

 肉体の損傷か、出血多量か。

 どちらにせよ、少年が死ぬことに変わり無い。

 

「っ・・・・・!」

 

 マシュの瞳から、雫が零れる。

 目の前で誰かが死ぬ恐怖。

 それに何もできなかったことの無力さが、少女の心を埋め尽くす。

 

・・・・・あの時、無理にでも割り込んでいれば・・・・・っ。

 

 何もできなかったのかもしれない。

 ただ殺されて終わり。

 そこに存在したかどうかもわからず消えーーそれでも、何かが変わったかもしれない。

 だがそんなことは無意味なIFだ。

 どれほど過去に思いを馳せようと意味は無い。

 あの局面で動かなかったのはマシュだし、それを承知で戦ったのも少年だ。

 仮令、マシュがエミヤを庇ったとしても、正義の味方の彼が彼女の死を容認するはずも無い。

 結局のところ、この結果は当然の帰結だ。

 

「何をしているの、マシュ!? 早く離れなさい!」

 

 耳をつんざくようなオルガマリーの悲鳴。

 それを聞いて、マシュは今の自分が何の前にいるのかを思い出した。

 

「ーーーーぁ」

 

 それだけしか言えない。

 僅かに血を滴らせる漆黒の西洋剣。

 それと同じ色に身を染めた騎士。

 今しがた少年を斬った騎士がそこにいる。

 

「ーーーー」

 

 体が動かない。

 目前で起きた出来事と、その張本人を前に僅かな動きもできない。

 思考がうまく働かず、何の言葉も出てこない。

 ただ一つだけ、純然たる事実として分かるのは、自分も少年と同じように、あの剣に斬り裂かれるということだけでありーー

 

「ーー全く。貴方はいつも無茶をし過ぎる」

 

ーー何故か。とても穏やかな声が響いた。

 

「え・・・・・?」

 

 それに惚けた声を出すマシュ。

 あまりにもその場に似つかわしくない声を聞いて、一瞬だけ目の前の現実を忘れてしまう。

 

「少し、いいですか?」

 

 先と変わらぬ、とても穏やかな声色で少女がマシュへと問いかけた。

 

「ぁ、はぃ・・・・・」

 

 そのとても優しげな雰囲気に触れてか、マシュはあっさりと少女の言葉に頷いてしまった。

 そのまま、少女が少年の頭を自身の膝へと載せる。

 纏っていた鎧はいつの間にか消えており、黒いドレスに似た服装になっている。

 そこまで来て、我に返ったマシュが、思わず声を発する。

 

「あ、あの。いったい何を・・・・・」

「大丈夫です。傷の治療をするだけなので安心して下さい」

 

 問いかけるマシュに、やはり穏やかに返す少女。

 それを見て、マシュも言葉にできない信頼感を抱いてしまう。

 それ以前に。

 傷を治すという言葉に、少年が助かるかもしれないという事実に、頷く以外の選択肢は存在しなかった。

 それに対し一言、ありがとう、とだけ伝えた彼女は少年の髪を撫ではじめる。

 特に特別な行動は起こしていない。

 少女は少年に所謂、膝枕をしているだけだ。

 だが、それは次の瞬間に起きた。

 

「・・・・・!?」

 

 マシュの目の前で、少年の傷口が僅かに発光し、閉じていく。

 その、異様なまでの回復速度に言葉も出ない。

 あのランサーのルーンだって、これほどまでの効力は無かった。

 それと同時に少女から深い闇のような黒が抜けていく。

 済んだ青いドレスに金砂の如き美しい髪。

 これこそが、本来の姿と言わんばかりの清廉さ。

 

「ーー良かった。やっぱり、貴方はまだ、私の鞘でいてくれているのですね」

 

 その、心の底から喜ぶ声に。

 意味がわからずとも、二人の間にどれほど深い絆があるのか分かってしまう。

 きっと、自分ではーー他の誰であっても、彼らの間に永遠に立ち入れない。

 互いにとって最も大切なモノは、他でもないお互いそのものなのだと、否応無しに理解させられる。

 その事実をどう感じているのか、彼女すら理解できず、ただ目の前で起きる不思議な現象問いかけることしかできない。

「あの・・・・・どうなっているんですか・・・・・?」

「・・・・・そうですね。これは加護<マジナイ>のようなものです」

「まじない・・・・・?」

 

 疑問符を浮かべるも、少女は笑っているだけで、それ以上の言葉は無い。

 

「それにしても、今回ばかりは貴方の見誤りです」

 

 少しだけ怒ったような声。

 それは少年のミスに対する指摘と無謀に対する怒り。

 そして、そんなことをしてしまう少年の身を案じてのもの。

 

「おそらく、私の方が上手くやるだろうと考えてのことでしょうがーー今回だけは勝手が違うのです。この戦いは英霊<ワタシタチ>では解決できない。人間<アナタタチ>でないと、根本的な解決はできないのです」

 

 一つの決意を灯した声。

 こうする他ないと。自分にはできないことを少年に託すように。

 

「今までずっと戦ってきた貴方に、また辛い思いをさせてしまうことになる。恨んでくれても構いませんーーそれでも、貴方にしか託せない」

 

 そう告げる彼女は本当に辛そうで、自分が少年に重荷を背負わせてしまったことを、何よりも責めている。

 

「・・・・・すみません、貴女の名前を教えていただけますか?」

 

 突然、少女がマシュへと声をかけた。

 いきなりのことで、焦ってしまったが、なんとか答える。

 

「あ。わ、わたしは、マシュ・キリエライトですっ」

「ではマシュ。一つ、私の頼みごとを受けてくれませんか?」

「頼みごと、ですか・・・・・?」

「はい。彼のことをどうか守ってほしい。知っての通り無茶をする人です。貴女に支えて欲しい」

「それは・・・・・でも、私では・・・・・」

 

 言葉に詰まる。

 少年の危機に何もできなかった彼女は、その頼みに素直に頷くことはできない。

 自分ごときでは、そんなことはできないと。

 

「いいえ、それば違います」

 

 はっきりと聞こえた、明確な否定。

 諭すように、信頼するように少女は告げる。

 

「・・・・・え?」

「確かに、貴女はまだ弱い。単なる力で言えば、私はおろか彼にも及ばないでしょう。ですがーー」

 

そこで言葉を区切った少女は、少しだけマシュのそばに置かれた盾を見てーー

 

「ですが、貴女の中の英霊は、貴女だからこそ力を託したのです。貴女になら、任せられると。だから、これは貴女だけにしかできないことだ」

「私だけにしかできないこと・・・・・」

「大丈夫です。貴女が自分を見失わない限り、その盾は貴女に絶対の守護を約束してくれます」

 

 その確信に満ちた言葉。

 マシュの中にいた英霊を知り、その力の真価を理解している。

 それは、融合した本人でさえ知らない英霊の正体を知っているということだ。

 一体自身は誰のお陰で助かったのか、マシュがそれを聞こうとしてーー

 

「まさか君たちがここまでやるとはね。計画の想定外にして、私の許容の範囲外だ」

 

 拍手と共に聞こえてくる言葉。

 それは先ほど騎士が立っていた崖の上から聞こえてくる。

 その声が誰のものか、マシュとオルガマリーはよく理解している。

 忘れるはずがない。聞き間違えるはずがない。

 毎日のように聞いて、共に歩んできた者の声だ。

 

「記憶も封じられ、迷い込んだだけの哀れな漂流者と思い見逃した私の失態だよ。まさか、神代の英雄とここまで戦えるとは。流石の私も見抜けなかった」

 

 見知った姿の男。

 そこにいるのは間違いなく、マシュ達の仲間のレフ・ライノールだった。

 

「レフ教授!? 」

『レフーー!? レフ教授だって!? 彼がそこにいるのか!?』

 

 マシュの言葉に反応し、カルデアでモニターを続けていたロマンが通信を行う。

 あの爆発で死んだと思っていたため、当然の反応だろう。

 おまけに特異点にいるとなれば殊更だ。

 だがそんな彼らの驚きなど、まるで構いなしに話し続けるレフ。

 

「うん? そこにいるのはロマニ君か? そうか、君も生き残ってしまったのか。すぐに管制室に来て欲しいと言ったのに、全くーー」

 

 まるでやれやれとでも言いたげな彼はやはり変わらぬ姿でーー

 

「どいつもこいつも統率の取れていないクズばかりで吐き気が止まらないな。人間というのはどうしてこう、定められた運命からズレたがるんだい?」

 

 どこまでも、かけ離れた気配を放っていた。

 

「ーーーー! あれは、あれは違う、普通じゃない・・・・・っ!」

 

 デミ・サーヴァントと化したマシュは、その異常性をすぐに感じ取った。

 それは到底人間の放っていいようなものではない。

 いや、そもそも真っ当な生命にも該当しない。

 通常の生命とは違う、ナニカ別の系統に属するものだ。

 

・・・・・なんとか二人を連れて離れないとっ。

 

 傷が癒されたとはいえ気を失っている少年とオルガマリーではどうなるか分からない。

 ここは一刻も早く逃げなくてはならずーー

 

「ああーー生きていたのねレフっ!」

 

 ただ一人、オルガマリーだけには、そんな理屈など何一つとして意味をなさなかった。

 

「ーーっ!? 待ってください、所長っ!」

 

 一人、その異質さに気づかずにレフの元へと走り去るオルガマリー。

 いけない、と感じたマシュが連れ戻そうとしてーー隣の少女によって阻まれた。

 

「・・・・・っ!? なんで止めるんですかっ!? このままだと所長がーー」

「駄目です。この距離ではもう間に合わない。アレに近づき過ぎるのは危険です」

「っーー! ですが、それでは所長が・・・・・」

 

 二人がそんなやり取りをしている間に、オルガマリーは既に崖の下へと辿り着いている。

 

「やあオルガ。元気そうで何よりだ。君もなかなかに大変だったようだね」

「ええ、ええ、そうなのレフ! 管制室は爆発するし、この街は廃墟そのものだし、カルデアには帰れないし。予想外のことばかりで頭がどうにかなりそうだった! でもいいの、あなたがいればなんとかなわよね?」

 

 期待に満ちた言葉。

 まるで子供が親が友人に縋るかのようなオルガマリーの姿からは、普段の毅然とした態度とはかけ離れている。

 それが。彼女がレフ・ライノールという男にどれだけ依存しているかが分かる。

 

「ああ。もちろんだとも。本当に予想外のことばかりで頭にくる」

「レフ・・・・・?」

 

 僅かな違和感。

 彼女の記憶から離れるだす。

 

「その中でも一番予想外なのは君だよ、オルガ。爆弾は君の足元に設置したのに、まさか生きてるなんて」

「ーーーー、え? ・・・・・レ、レフ? あの、それ、どういう、意味?」

「いや、生きている、というのは違うな。君の肉体はとっくに死んでいる。今の君はオルガマリー・アニムスフィアという人間の残留思念に過ぎない」

「何を、言って・・・・・私が死んだ・・・・・?」

 

ーーそんなことはあり得ない。

ーー私は今ここにいる。

ーー自ら話し、動き、思考している。

ーーそれなら・・・・・残留思念?

 

 その言葉で、視界が反転する。

 

・・・・・イタイ、イタイ、イタイ

 

 下半身が動かない。

 いや、そもそも感覚が無い。

 

ーータスケテ、タスケテ、タスケテ。

 

 肌が熱い。

 チリチリと焦げ付いてるみたい。

 息が苦しくて、空気を求めても、まともな酸素が入ってこない。

 

ーーシニタクナイ、シニタクナイ、シニタクナイ。

 

 何も見えない。誰も映らない。

 ゆらゆらゆらゆら、赤が揺れてるだけ。

 その中に。

 ぱらぱらぱらぱら、小さな粒が降ってきてーー

 

ーーそこで、視界ごと潰れてしまった。

 

「ーーーーっっっ!?」

 

 動悸が激しくなる。

 全身から汗が噴き出し、震えが止まらない。

 喉の奥から吐瀉物がせり上がってきて、吐き気を抑えられない。

 

「あ、あ・・・・・いや、そんなこと」

 

 必死に否定する。

 私はここで生きている。

 私は世界に存在している。

 オルガマリー・アニムスフィアはまだ死んでいないーー!

 

「その顔からするとどうやら思い出したようだけど、それでもなお目を逸らすとはーーそんなことだからこうなったんだよ、アニムスフィアの末裔よ」

 

 告げる言葉にはもはや愉悦もない。

 ただ、冷めた声で結末を告げる。

 

「このまま放っておけば君は消滅するが、それでは芸がない。最後に君が生涯を捧げたカルデアの様子を見せてあげよう」

 

 その言葉を合図に、空間が切り取られる。

 切り取った紙と紙を繋ぎあわせるかのように、異なる空間が繋がる。

 その先はカルデアの風景であり、中心に鎮座するのは、"真っ赤に燃え盛る"カルデアスだった。

 

「うそ・・・・・カルデアスが、赤く・・・・・」

「言っておくが、虚像などではない。間違いなく本物のカルデアスだ。つまりーーあれは人類史の消滅、その証明なのだよ」

「そんな、そんなこと・・・・・え? 体が宙に・・・・・何かに引っ張られてーー」

 

 浮かぶ。

 オルガマリーの体が、引き込まれていく。

 その先にあるのはーー燃えるカルデアス。

 

「私からの慈悲だ。最後は、君の宝物とやらに触れて死ぬといい」

 

 それが何を意味するのか、オルガマリーは自身の状況からすぐに理解した。

 

「ちょっと、待って、私の宝物って、カルデアス、のこと? 嘘でしょ!? だってカルデアスなのよ!? そんなのに触れたらーー」

 

 オルガマリーの顔が恐怖に引き攣る。

 カルデアスとは、高度な情報体だ。

 そもそもからして、存在する次元が異なる。

 そんなものに触れればどうなるかなどーー

 

「ああ。ブラックホールと何も変わらない。或いは太陽か。どちらにせよ、人間が触れれば分子レベルで分解される地獄の具現だ。遠慮無く生きたまま無限の死を味わいたまえ」

「ぁーーいやーーいやっ! 誰か、誰か助けて! わた、わたし、こんなところで死にたくない」

 

 オルガマリーの悲鳴が響く。

 自らの終わりから逃れようと、喉が裂けんばかりに叫ぶ。

 だが、それに応えるものは、誰一人としていない。

 彼女が最も信頼していた人物は、今まさに彼女の命を絶とうとしている。

 盾の少女も、動きを封じられている。

 そして、ただ一人彼女を救った少年は、何が起きているかもわからず、深い眠りについている。

 

「認められてない、まだ誰からも認められていないっ! 誰もわたしを褒めてくれていないっ!」

 

 思いが吐露される。

 他の誰にも明かさなかった、彼女の想いが溢れる。

 だが虚しいかな、その願いが叶うことは無い。

 彼女という人間が消える以上、それに意味は無い。

 流れ出た想いは、ただただ世界に溶け出していく。

 そこにあったかどうかも分からずに、無為と化す。

 

「やだ、やめて・・・・・いやいやいやいやいや・・・・・!だってまだ何もしていない!」

 

 今度こそ、終幕が訪れる。

 救い上げる手は無く、力も無い彼女は、死を受け入れる他無くーー

 

「生まれてからずっと、ただの一度も、誰にも認めてもらえなかったのにーー!!」

 

 最後の絶叫を遺して、オルガマリー・アニムスフィアは消え去った。

 

「そんな、所長・・・・・」

 

 あまりの出来事に。マシュが言葉を失う。

 遺された叫びに、胸が締め付けられる。

 隣にいる少女も、少なく無い憤りを感じているようだ。

 だが、それを行った男はさしたる反応も見せず、ただ淡々と言葉を漏らした。

 

「終わってみればあっけないものだな。こんなことならもっと早くに彼女だけを殺しておくべきだったか。そうすれば今までの手間も無かったろうに」

「レフ教授ーーいえ、レフ・ライノール。貴方という人はーー!」

「私には敵わないと理解していながら、まだそれだけの怒りを保てるか・・・・・随分と変わったものだ。それはそこの彼のおかげかな?」

 

 飽くまで変わらぬ態度で振る舞うレフに、マシュはまともに言葉を交わすつもりは無い。

 ただ、抑えきれぬ怒りとともに、彼が何者なのか問いただすだけだ。

 

「そんなことより、貴方はいったい何者なんですか・・・・・!?」

「ほう。流石はデミ・サーヴァント。私が根本的に違う生き物だと感じ取っているようだ」

 

 男は感心したように頷いてみせた。

 そのまま大袈裟に左腕を広げ、高らかに宣言する。

 

「では、改めて自己紹介しよう。私の名はレフ・ライノール・フラウロス。貴様たち人類の処理に遣わされた2015年担当者だ」

 

 人類の処理。

 それが意味するところは即ちーー

 

「君も聞こえているな、ドクター・ロマニ? 共に魔導を研究した学友として、最後の忠告だ」

 

 レフは、ここにはいないロマに向けて言葉を発する。

 

「カルデアは用済みになった。この時点で、お前たち人類は滅びている」

『レフ教授。いや、レフ・ライノール。それはどういう意味ですか。2017年が見えないことに関係があると?』

「関係ではない。もう終わっているという事実だ。前提からして違う。お前たちは未来が観測できなくなり、未来が"消失"したとほざいていたが、それがお前たちの勘違いだ」

 

 男が凄惨な笑みを浮かべる。

 嘲りと共に彼らの何もかもを嗤う。

 

「カルデアスが真紅に染まった時点で人類史は焼却されたのだよ。もはや結末は確定された。貴様たちの時代はもう存在しない。カルデアはカルデアスの磁場に守られているが、外はこの冬木と同じ末路を迎えているだろう」

『・・・・・なるほど。外部との連絡が取れないのは通信機器の故障ではなく、そもそも受け取る相手が消え去っていたのですね』

「ふん、やはり貴様は賢しいな。真っ先に殺しておけなかったのが悔やまれるよ」

 

 レフが憎々しげに呟く。

 しかし、それも一瞬。

 すぐに、その顔に嘲りの色を浮かべた。

 

「だがそれも虚しい抵抗だ。カルデア内の時間が2016年を過ぎれば、そこもこの宇宙から消滅する。どうあれ、この結末は変わらん。所詮貴様らは羽虫のような存在だ。大したものも遺さずに潰されて終わる存在ーーだが」

 

 そこで。

 余裕を崩さなかったレフが、僅かに怒りを見せた。

 

「お前だけは別だ、漂流者<イレギュラー>。サーヴァントならともかく、現代において神代の英雄と同等の力を有するなどと。問題は無いが、面倒ではある。これ以上手間を増やすのも億劫だ、ここで始末しておこう」

 

 言い終わると同時。

 ど、と。

 膨大な魔力が、レフより発せられた。

 その総量たるや、先ほどのセイバーにも勝るとも劣らぬものだ。

 それだけで、マシュの取るべき行動は決定した。

 セイバーと衛宮の戦いについていけなかった彼女では、同等の魔力を有するレフに勝利できる道理は無い。

 エミヤを連れての撤退こそが理想だが、それを見逃すほど甘くはないだろう。

 故に、彼女が取り得る最善手は衛宮を犠牲にして逃げることだ。

 どちらにせよ全員死ぬのなら、少しでも多くが生き延びる選択をすべきだ。

 それならばまだ大丈夫だ。

 エミヤという少年を犠牲にして生き延びられる。

 マシュ・キリエライトという人間はまだ存在できる。

 

 だと言うのにーー

 

「マシュ。何故、そこに立つのかね?」

「・・・・・先輩は殺させません」

 

 少女が立ち塞がる。

 揺れる心を奮い。

 凝固する筋肉に喝を入れ。

 その手に盾を握り、少年を守るために前に出る。

 

「あまり無理はしない方がいい。君では私には敵わないと、理解できているのだろう?」

「・・・・・関係ありません。私がここで死ぬ<オワル>のだとしても、先輩だけは守り抜きます」

 

 そう、関係ない。

 たとえ敵がどれほど強大であろうと、マシュ・キリエライトの選択する行動に変わりはない。

 

ーー今度こそ守ると、決めたのだから。

 

「理解できんな。マスターだから、などとというような陳腐な理由でもないだろうに。その男が君にとってそれほど大切だと? まだ出会って一日も経っていない他人のために命を賭けると?」

「ーー確かに。私は先輩のことを殆ど知りませんし、私があの人にどんな感情を抱いているのかも分かりません。今の私はきっと、間違っているのかもしれません」

 

 しかし。だからこそーー

 

「あの時、先輩に助けてもらった。その事実だけは、決して間違いじゃありません」

 

 言ってみれば、それだけの話。

 彼女がここに立つのは、少年に守られたが故に。

 救われた命で、今度は自分が報いるためだ。

 それはきっと、とても曖昧なもので。

 彼女が覚悟とか、信念とかを理解するのは、まだ先の話。

 けれど、これが最初。

 今までただの一度も自身で選択するということがなかった彼女が初めて抱いた、誰かを守りたいという感情<ネガイ>だった。

 

「ーーーー」

 

 それを見て、レフ・ライノールは微かに目を見開いた。

 まだ彼がカルデアにいた時。

 マシュやロマニ、オルガマリーと共に一人の人間として生きていた頃のこと。

 マシュ・キリエライトという少女は、無色であった。

 いや。あれは色を溜め込んでいたというべきか。

 何か思うことがあっても、それを示す方法が分からないから、結局何も感じていないのと変わらない。

 桜の木に似ているかもしれない。

 厳しい冬を越え春を迎えた桜は、味気の無い蕾に樹皮の中に溜め込んだ色を付けて花開く。

 余人が見て、表向きには色がなくても、その内には確かに宿すモノがある。

 そして、マシュ・キリエライトはこの瞬間にその時を迎えたのだ。

 それを促したのがあの少年だったというのは、些か皮肉が効きすぎているというものだろう。

 

「・・・・・なるほど。それが君の得た|色彩<セカイ>ということか」

 

 理解すると共に、更に魔力を解放する。

 感傷はここまで。

 彼女がどのような選択をしようと、自身の行動を変えないのは彼も変わらない。

 彼は自分の意思で選択したーー人類の敵になると。

 ならばこそ、今更止まるはずもなく。

 

「ならば、そのセカイを抱いて散るがいい」

 

 決別を込めて、魔力を撃ち込んだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 光が迫る。

 あらゆるものを呑み込んでしまいそうな、赤黒い魔力。

 街の一角ぐらい簡単に吹き飛ばし得る力が、ちっぽけな人間にすぎない自分に迫る。

 

「ーーーーっ」

 

 それを改めて前にして、恐怖が無いと言えば嘘だ。

 きっと自分はここで死ぬ。

 あの騎士の攻撃にも耐えたこの盾でも、アレは防げない。

 盾を砕かれ、そのまま何もかも掻き消されてしまう。

 マシュ・キリエライトという人間は何一つとして遺さずに在なくなる。

 

・・・・・違う、そうじゃない。

 

 守れるか否か。

 そんな話じゃない。

 そんなことは、何一つとして関係ない。

 

・・・・・絶対に守るんだ!

 

 私の後ろには、絶対に守らなくてはいけない人がいる。

 何度も私を守ってくれた人がいる。

 私では届かない。

 あの赤い背中には追いつけない。

 あの人のように、誰かを守ることなんてできないやしない。

 それでもーー

 

・・・・・借り物でもいい、偽物でもいい、だから、今だけでも・・・・・っ!

 

「守るための力をーーッ!!!」

 

 手を伸ばす。

 自身では、未だ到達できない境地へと至るために。

 その先で、見惚れるほどに美しい白亜の城が見えてーー

 

 

 

 

 

「その威勢は結構だが、そう上手くいかないのが世界というものだ」

「え・・・・・?」

 

 唐突に響いた声の後。

 黒い背中が私と赤黒い魔力の間に割り込んできて。

 

「熾天覆う七つの円環<ロー・アイアス>ッーー!!」

 

 七つの巨大な花弁が、魔力の波濤を受け止めた。

 

「アーチャーさん・・・・・!?」

 

 驚愕に目を見開く。

 なぜ彼がここに。

 なんで私たちを助けてるれるのか。

 そんな疑問ばかり浮かんできてーー最も気になったのは別の所だった。

 

・・・・・先輩に、似てる・・・・・。

 

 共通する部分など殆どない。

 背格好や肌の色、声色まで。

 何もかも両者は違っている。

 それなのに、そこまでもかけ離れているのに、誰かを守るその背中が、どうしようもなくあの少年と被る。

 

「なんで、貴方は・・・・・」

「私としても本意ではない。本当ならその男はこの手で殺してやりたいところだ。だが、今回ばかりは我を通すわけにはいかんからなーーそれと、できれば黙っていてくれ。流石に厳しいからな」

 

 その言葉と共に、花弁の一つに罅が入った。

 それを皮切りに、他の花弁も次々と傷ついていく。

 花弁を掲げる左腕は、既に腕としての体を殆ど成していない。

 血が噴き出し、肉は避け、その奥にある骨が砕けていく。

 数秒先には消えてしまいそうな状況。

 それでも。

 

「生憎と、諦めが悪くてな。この程度で折れはせんッ!」

 

 それでも。

 私には、あの背中が敗北する姿が見えなかった。

 

ーーそうして。

 

 最後の花弁が砕け散り。

 膨大な魔力の波濤は、その勢いを完全に堰き止められた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 突如として乱入してきたアーチャー。

 レフの一撃を防ぎ一息ついた彼に、セイバーが声をかける。

 

「やはり来てくれましたか、アーチャー」

「まぁな。私としてはさっさと退場しても良かったんだが、何やら面倒な予感がしてね。君のような直感はないが、この手の予感は外れた試しがない」

 

 そう言ってアーチャーはレフへと目を向ける。

 そこには明らかな苛立ちと怒りが現れている。

 

「・・・・・こうも思惑通りにいかないと、いっそ笑えてくるな・・・・・それで。一応聴いておくが何のつもりだ、アーチャー?」

「さて、その問いに意味はあるかね? どうあれこの局面で彼らを守ったのだ。他に意味などないだろう。 何のつもりなどと、そんな判りきったことを聞くのは賢明とは言えんな」

「ふん。その形でよく吠える。ランサーとの戦いを終え、左腕も碌に使えずに、それでも勝てるつもりか?」

「必要とあればそうするが、今回は別に負けても構わん。要はあの二人を逃がせればいいのだからな。それに、私一人ならともかく、彼女も相手であればそうそう抜けはせんよ」

 

 そう言ったアーチャーの隣にセイバーが立つ。

 大聖杯との契約は切れたが、放たれる剣気は些かの衰えも無い。

 ただ一つだけ、その手に握る剣が違っている。

 彼女が携えるのは漆黒の西洋剣ではなく、黒い刀身を持つ細身の剣。

 其の名は絶世の名剣<デュランダル>。

 先のエミヤとの戦闘で、彼が投影しそのまま大地に突き刺さっていたもの。

 聖騎士<パラディン>、ローランが担い、所有者の魔力が尽きようと切れ味を落とさない煌輝の剣だ。

 

「そういうことだから、早々に元いた場所に戻りたまえ。安心しろ、あの程度私と彼女で十分に抑えられる」

 

 アーチャーがマシュへと告げる。

 視線はレフから決して離さず、ただ声だけを投げかける。

 

「・・・・・ですが、それではお二人が」

 

 マシュはすぐには頷けない。

 当然のことか。

 自分達のために、二人の人物が命を捨てると言っているのだ。

 戦いとはほぼ無縁に過ごしてきた彼女が簡単に割り切れることではない。

 

「なに、気にすることはない。所詮、私たちはサーヴァント。戦いが終われば消える存在だ。ここで倒れようが倒れまいが最後は座へと戻るのだ、君が気に病む必要は無い」

「その通りです、マシュ。貴女達には生きてもらわないといけない。それに、貴女は彼を守るのでしょう?」

 

 アーチャーとセイバーが言葉を重ねる。

 行け、と。

 決して倒れないように。

 決して振り返らないように。

 果たせぬ責務を託して、マシュ達を送りだす。

 

「ーーーー」

 

 それで、マシュの心もようやく固まった。

 二人の想いを無駄にしないためにも、必ずカルデアへと帰還するのだと。

 そして衛宮を担ぎ、そのまま洞窟の外へと向かおうとして、

 

「・・・・・あの、セイバーさん、アーチャーさん」

 

 ただ一つだけ、彼らへと告げる。

 

「ありがとうございます」

「ーーーー」

「ーーーー」

 

 その言葉に、二人とも驚いたような顔をした。

 まるで予想外と言わんばかりにキョトン、としている。

 

「・・・・・助けたとはいえ、敵対していた人間に礼を言うとは、君も大概だな」

「なるほど。"彼"が任せるはずですね・・・・・どうかお気になさらず。彼のことをよろしくお願いします」

 

 それぞれ異なる反応を見せた彼らはーーしかし、その顔に笑みを浮かべていた。

 どうしてそんな反応を見せたのか、マシュには終ぞ分からなかったが、それだけで彼らに任せても大丈夫だと理解できた。

 

「ーーーー」

 

 だから進む。

 今度こそ振り返らずに。

 託された想いを抱いて。

 カルデアへと戻るために。

 

「ドクター、今すぐレイシフトを実行してください!」

『もうやってるとも!けどそこが崩壊し始めてるから、それに邪魔されて上手くいかない! 少しだけそっちの崩壊の方が早いかもだ。その時は諦めてそっちで何とかしてほしい! ほら、宇宙空間でも数十秒なら生身でも平気らしいし!』

「すみません、黙って下さいドクター! 怒りで冷静さを失いそうです!」

『とにかく意識だけは強く持ってくれ! 意味消失さえしなければサルベージはーー』

 

 崩壊する空間の中。

 そんなやり取りをしながら割れる世界から逃れていったマシュが最後に見たのはーー

 

ーー醜悪な巨大な肉柱と、それを圧倒しつくす二人の騎士だった。

 

 

 

 




これで冬木も残り1話となりました。
それが終われば1話ほど幕間を挟み、そこからオルレアン編ですね。
そこでやっとマシュを活躍されられる・・・・・かな?
どちらにしろ序盤は士郎が動くんですが、そろそろマシュにも頑張ってもらわないとね。今から彼らとジャンヌやすまないさんを絡ませるのが楽しみです。


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帰還

メルトリリスこなかったorz
今回は課金もしたので60連+単発10回+呼符7枚と過去最大の投入だったんですが、どうやら縁が合わなかったようです。くそう、エミヤと並べたかったなー!
まあ、パッションリップは宝具2まで重ねられたので、まだマシでした。メルトは来年あたりにくるかもしれない復刻に期待しましょう。皆さんも課金は程々にしておきましょうね。
それでは13話目どうぞ


紅く、何もない荒野。

そこにある一つの影。

紅い外套を纏う男。

傷つき、今にも倒れそうな姿で、尚もその瞳は強い光を宿している。

もはや立て直す力など残っていないはずなのに、それでも四肢に力を込める。

 

--まだ倒れぬ、と。

 

それに呼応してか、唐突に、彼の内側から無数の剣が飛び出る。

確かに彼が生み出したそれは、彼の中から発しているにも拘らず、彼の肉体を傷つけていく。

常人ならとても正気を保っていられない状況で、彼は事もあろうに、笑みを浮かべた。

 

・・・・・助かる。殆ど限界だったからな。

 

地獄の責め苦に等しいその痛みも、彼にとっては福音だ。

飛び出た剣は、倒れこもうとする体を無理矢理に支え。

全身を襲う痛みは、沈み行く意識を覚醒させてくれる。

あまりにも痛々しいその姿に、男は僅かばかりの悲嘆も見せない。

まるで似合いの姿だと言わんばかりに、全身を剣に侵されたまま、彼は歩き出そうとする。

決して倒れぬように。

届かぬ星に手を伸ばすように。

 

「そんな姿にまでなって進もうとするなんて、あんたも相変わらずね」

「ツ----!?」

 

正面から、唐突に聞こえた女の声。

余りにも懐かしく、もう二度と出会うことはないであろうと思っていたもの。

それは随分と前。

男が師と仰ぎ、袂を分かったはずの、かつての戦友の声だった。

 

 

 

 

 

 

「遠坂--?」

「久しぶり、衛宮くん。また随分と無茶をしてるみたいね」

 

その凜とした声も仕草も、本当にあの頃のままで、あれから長い時間が経ったということを忘れそうになる。

いや、何も変わらない、というのは違うか。

確かに本質は変わらないが、雰囲気というか、色気というか、とにかくそういったものが随分と違っている。

あの頃でも十分に魅力的な女性ではあったが、さらに成熟した魅力を醸し出している。

「・・・・・ああ、久しぶりだな。随分と魅力的になった」

「あら。それじゃあまるで、昔は魅力的じゃなかったって言ってるように聞こえるけど?」

「いや、失敬。決してそういう意味で言ったわけじゃない。あの頃でも君は十分魅力的だったよ」

お互い笑いながら軽口を叩く。

本当に。

こんなやり取りをしたのも、いつ以来だったか。

本当ならこのまま昔話にでも花を咲かせたいが、そんなことをしている暇はないのだろう。

彼女がわざわざ俺を訪ねてくるということは、何か理由があるはずだ。

 

「それで。どうしたんだ、こんな場所まで。遠坂が訪ねてくるくらいだ、よっぽどのことなんだろ?」

 

彼女が来た理由を思案しながら、問いかける。

 

「簡単なことよ--士郎、私はあんたを止めに来たのよ」

「----え?」

 

思いがけない答えに惚けた声を上げてしまった。

俺を止める。

言葉の意味は理解できた。

だが、何のためにそんなことを。

彼女にはわざわざそんなことをする理由など無いはず--いや、ある。一つだけ絶対的な理由が存在する。

 

「・・・・・つまり、俺を殺しに来たのか」

 

止めるとは、つまりそういうことなのだろう。

何故、そうするのか。

そんなことは分かりきっている。

あれから、どれほどの時間が経ったのかはもう分からない。

だが、彼女にとって■のことは今でも忘れられないことなのだろう。

そして、それは自分も同じだ。

■のことは、一日たりとも忘れたことはない。

 

「そういうことなら、仕方ないな」

 

動きを止める。

彼女が俺の命を絶ちやすように。

本当はまだ止まる気は無かったが、彼女が望むのなら俺はそれを受け入れなくてはならない。

彼女にはそうする資格があるし、俺はそのツケを払う義務がある。

"あいつに"追いつけなかったのは残念だけど、ここで彼女が殺しに来てくれて良かったと思う。

もう少し遅ければ、彼女の手で終わらせることができなかったかもしれない。

昔から運は無かったが、今回ばかりは例外だったようだ。

だから、そのまま彼女に任せようとして--

 

「何を馬鹿なこと言ってるのよ。私がそんなことするわけ無いでしょうが」

 

静かに、しかし強烈なコークスクリューブローを撃ち込まれた。

 

・・・・・結構辛いんだけどな。

 

怪我人にも容赦の無い行動に、そんなところも変わらずか、なんて関係の無いことを考えてしまう。

いや、それよりも。

 

「そんなことって、俺を殺しに来たんじゃ無いのか・・・・・?」

「だからそう言ってるでしょ。大体、なんで私があんたを殺すのよ?」

 

心底不思議そうな顔をする彼女に面食らってしまう。

だって、それはきっと、彼女にとって決して消えない傷で。

その張本人の俺は憎むべき存在だと、ずっと思っていたのだ。

それがこうも否定されては、どう反応すべきか分からない。

 

「なんでって・・・・・だって、俺は■を・・・・・」

「ああ、そういうこと。--馬鹿ね、それはあんたが気にすることじゃ無いわよ。アレは私のせいなんだから」

 

何故、という疑問にあっさりと答える彼女。

俺は悪く無い、と。

全ての責任は自分にあるのだ、と。

だが、それは。

 

「それは、違う。だって、■と一緒にいて、■が苦しんでたのに気づかなかったのは俺で--■を殺したのも、俺だ・・・・・」

 

そうだ。

その罪は俺が背負うべきものだ。

そばにいながら何もできなかった俺が、永劫抱いていくべきモノだ。

だから、彼女が自分を責める必要は無い、のに。

 

「それを言うなら、私はあの子の姉よ。そばにこそいなかったけど、あんたよりずっと前からあの子を見ていた--そう、見ているだけだった。何も知らず、何もしなかったのは私の方よ。だから、これは私の罪。あんたにだって譲る気は無いわよ」

 

断言する。

彼女は飽くまで、俺がその罪を背負うことを赦さない。

それでも、やっぱり納得できない。

 

「でも、それは--え?」

 

頑なな彼女に更に言い募ろうとして、言葉を失う。

彼女は両腕を広げていて--何をしようとしているのか理解して、剣鱗をなんとか抑え込む。

そして、一瞬後。

頭に感じる感触。

ふわりと、優しく頭を抱かれた。

 

「--遠、坂--?」

「もういいのよ、そんなにまでなって進まなくても。もう休みなさい」

 

 

髪を撫でられる。

もうずっと感じていなかった誰かの温もりに、駄目だと分かっていても涙を流しそうになる。

そんなもの、俺には許されていないのに、今まで揺らいだことは無かったのに。

どうしても、彼女を振り払えない。

だからせめて、言葉だけは、砕けないようにする

 

「それは、駄目だ。俺は■を殺した。理想を通すために、彼女を切り捨てた。もしここで止まってしまえば、彼女の死を無意味<ナカッタコト>にしてしまう」

 

そうだ、それはできない。

俺は彼女を殺した。

より多くを救うために、彼女を犠牲にした・・・・・いや、彼女だけじゃない。

俺が歩んできた道程には多くの骸が転がっている。その全てが、俺が救えなかった者達だ。

彼らの死をを、今更無為にすることは、できない。

だというのに--

 

「だからこそよ。あなたはもう十分に責務を果たしてきた。これ以上あなたが傷つく必要は無いわよ。大体、あの子がそんなこと望むわけ無いでしょう。■■■だって、士郎にこんな事させるために、代わりを引き受けたんじゃない」

 

畳み掛けられる。

彼女の言葉は厳しく、同時に非情なまでに優しかった。

彼女は、俺がどう考えているのかなんてわかっているはずなのに。

それでも彼女は、俺を許そうとする。

衛宮士郎は十分に責務を全うしたと。もう歩みを止めて、平穏に浸って良いのだと。

・・・・・そんな彼女だからこそ、理解しているはずだ。

 

衛宮士郎は、その平穏を許容できる人間ではないのだと。

だからこそ、変わらない。

これまでも、そしてこれからも。

衛宮士郎は、人々を救うための剣であり続けるだけであり--

 

「それに--もうあなたは、とっくに"彼女"に追いついているわよ」

 

そんな、無視出来ない言葉を聞いた。

 

「俺が、あいつに--?」

 

そんなこと、考えてもみなかった。

自分はずっとずっと半人前で、とても彼女に追いつけていないと思っていた。

それは今も変わらず、だからこそ、信じられない。

 

「ホント、そういうところは鈍いんだから。前ばっかり見てないで、たまには振り返ってみなさい。この前だって、誰一人として犠牲は出てないんだから」

「----」

 

知らなかった。

俺は正義の味方を目指していても、その後どうなったはあまり見ていなかった。

事件が終われば、すぐにその場を立ち去った。

俺のようなものがいつまでもいては、周りに迷惑が掛かるから。

極力他人を巻き込まないようにもしてたから、余計に気づかなかった。

 

「分かった? あなたは既に正義の味方になっていたのよ。だから--もう、自分を許してあげなさい」

 

穏やかに告げられる。

彼女に言われても、それでもまだ止まるつもりはなかったのに。

・・・・・なんか、意識が・・・・・。

 

閉じていく視界。

抑えきれない睡魔に襲われる。

彼女の温もりに包まれながら、久しくなかった深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

自身の腕の中で眠る衛宮士郎を見ながら、遠坂凛は僅かに息を吐いた。

 

「やっと効いたか。流石はマルティーンの聖骸布。対した対魔力だわ」

 

彼女がしたのは、簡単な暗示。

催眠とも言える。

衛宮士郎の対魔力は低いため、すぐにでも効くのだが、彼が纏う魔術礼装は外界からの干渉を遮断するため、なかなかに上手くいかない。

尤も、"魔法使い"となった彼女は、魔術師としても最高位の使い手だ。

礼装の守護を上回ることなど造作も無い。

 

「・・・・・うん。ちゃんと寝ててるわね。それじゃ、始めるとしますか」

 

そう言った彼女は言霊を紡いでいく。

施す術式は、記憶の封印。

彼の思い出、彼の経験、彼の理想。

その全てを封じ込み、まっさらな状態にまで戻す。

なぜ、彼女がそんなことをするのか。

それは、彼女の元から彼が立ち去ったところから始まる。

 

『・・・・・本当に行くのね、士郎』

『ああ。ここにいても、俺の目的は果たせない』

 

きっと、そうなるってことは、分かっていたんだろう。

あそこでは、彼の理想は立ち止まる。

そんなことは、彼を弟子として連れて来た時から分かっていた。

だからそれは、初めから決まりきっていた形だった。

 

『そう。それなら止めないわ。けど今日限りあなたには遠坂の弟子を辞めてもらうから』

『分かってる。遠坂に迷惑を掛けるわけにはいかないからな』

『分かってるのならいいわ。後はあなたの好きにしなさい』

『ああ。それと・・・・・ありがとう。止めないでくれて』

 

別れ際、告げられた感謝の言葉。

今となっても、あの選択が正しかったのかは分からない。

結果として彼は永い時間、正義の味方を続けて、こんなところまで辿り着いてしまった。

その過程で彼がどれだけ傷つき、慟哭したのかは想像に難くない。

あそこで無理にでも止めていれば、きっとこんなにも苦しむことはなかったのかもしれない。

けれど。

あの時の私はこうなることを予想しながら、彼を止めることはなかった。

彼の在り方には苦言の一つでも言ってやりたかったが、それでも、その理想を正しいものだと感じたし、何より"彼女"を追い続ける彼のことを止めることなんてできなかった。

 

「ま、それでも納得できなかったんだけど」

 

だからこそ、この道を彼女は選んだ。

いつか彼がその理想を果たした時、彼が忘れてしまったもう一つの理想へと送り出すために。

 

「よし。これで記憶の方はオッケー。後は肉体か」

 

そう言った彼女は、一つの短刀を取り出した。

刀身が無色の宝石でできているそれは、実際は剣ではなく杖だ。

ソレを士郎の前に翳した彼女は再び呪文をかける。

果たして、その効果はすぐに表れた。

鍛え抜かれた彼の体は、彼が高校生だった頃にまで戻っている。

色素の抜け落ちた白髪も赤銅色に戻り、浅黒い肌も日本人特有の黄色へと変化している。

目を閉じているために見ることはできないが、瞼の下の瞳も元の琥珀色になっているだろう。

ただ、元の魂が影響しているのか、彼女が知っているあの頃よりも逞しい体になっている。

 

「うん。やっぱりあなたはこっちの方が素敵よ」

 

言いながら、彼を支える。

肉体の巻き戻りに際し、彼の内側から生えていた剣も消えたため、支えを失ったのだ。

そのままゆっくりと地面に寝かせる。

 

「これで準備は完了。それじゃ最後の仕上げをしましょうか」

 

最後に心を固めて、彼女は宝石剣を振るう。

振るわれたその箇所には異様な穴が開いており、覗く先もよくわからない空間になっている。

彼女が行わんとするのは、彼の平行世界への移動。

無数に分岐する世界へのシフトだ。

だが、今回送るのは魂と精神だけ。

肉体は置いていく。

魔術において肉体と精神と魂は同一視されている。

強固な精神性を有していようと、どれほど膨大な魂を内包しようと、肉体<イレモノ>が無ければ待っているのは死だけだ。

肉体だけを残すというのなら、それは彼を殺すことになる。

だが、今回に限りそれが必要なのだ。

加えて言えば、肉体<イレモノ>は送った先に存在する。

彼と別れた後も研究を続け、遂には第二魔法を体得した彼女は多くの"世界"を回った。

目的は一つ。

衛宮士郎の理想が実現する世界を探すためだ。

 

「苦労したわね。ある程度絞れてはいたけど、やっぱり少数なのよね」

 

遠坂凛が考えた、衛宮士郎が置き去りにしてきたもう一つの理想。

それは、家族だった。

衛宮士郎という人間が生まれるには、必ずあの大火災を経験しなくてはいけない。

そこで彼は何もかも失い、同時に新たな日常<セカイ>を手に入れる。

だがそこで得るものが、世界によって変わるのだ。

そうして見つけた。

彼女の考えうる限り最高の世界。

死別した義父が存命し、会うことも叶わなかった義母がいて、殺しあったはずの姉が愛らしい妹として隣に立つ世界。

そこからの行動は早かった。

それとほぼ同一の世界へと彼を送るために、さらに回り続けた。

あの火災において、ほとんどの世界で■■士郎は存命する。

それでは駄目だ。

彼を幸せにするためには、大抵のことは容認するが、他の世界の彼を殺す気までは起きない。

だから肉体だけが生き残り、自我が完全に消えた彼がいる世界を探した。

それならば、問題は無い。

肉体を再利用するだけで、元の彼を塗りつぶす心配も無い。

そうして、どれほど彷徨ったか。

彼女は目的通りの世界を探し出した。

後はその世界の彼の肉体にこちらの彼の魂を融合させれば終わり。

かつてそうだったように、養父となる男に拾われて、そのまま彼らの家族の一員となる。

そのためには今までの記憶は邪魔になる。

だから彼女は、彼の記憶を封印したのだ。

 

「とはいえ、ずっとそのままじゃ駄目よね」

 

いつまでも過去を閉じ込めたままでは駄目だ。

自分にはそこまで彼を封じる資格はない。

そもそもそんな偽りを続けていても、それは本当に彼の幸せだと言えない。

だから、封印は時限式にした。

期間は約10年。

彼が聖杯戦争に巻き込まれた年までだ。

そこで記憶を取り戻した彼が家族とあり続けるのか、再び正義の味方をを目指すのか、それとも全く新しい道を見つけるのか。

そこからの選択は彼に任せる。

でも、できるなら、彼には家族と一緒にいて欲しいと思う。

 

「"あなた"は、私を恨むかしらね」

 

ここにはいない、遠い地で眠る"彼女"に向ける。

恐らく遠坂凛が何もしなければ、きっと彼は、あの理想郷に辿り着いていたのだろう。

そこには当然"彼女"もいるはずだ

それはきっと、彼がずっと望んでいたことで、同じように"彼女"が望んでいたことでもある。

だから本当は、何もしないことこそが救いだったのかもしれない。

それでも、どうしても彼にもう一つの道を見せたかった。

 

「ごめんなさい。ずっと待っていたのに、また長引かせてしまう」

 

届くはずのない謝罪が漏れる。

意味はないと分かっていても、言わずにはいられなかった。

 

「心の贅肉、落とし損ねたかな」

 

今までのことを振り返りながら、そんなことを思う。

でもよくよく考えれば、自分には関わりのない人間のためにずっと動いてきたのだ。

その時点で、心の贅肉で埋もれていたのかもしれない。

 

「ま、仕方ないわよね」

 

言って納得させる。

たとえ無駄な行為でも、これには確かな意味があると信じて。

 

--どうか、気にしないでください。

 

「----」

 

不意に、風が吹いた。

こんな荒野には似つかわしくない、どこまでも透き通るような清涼な風。

それが、あまりにも“彼女”に似ていて。

だからだろうか。微笑んだ“彼女”の声が聞こえた気がした。

 

「--ホント、二人揃って変わらないんだから」

 

つい呟いてしまう。

今のはただの風の音だったのかもしれない。

彼女の罪悪感が生み出した暗示。

けど、どうしてかは分からないが、彼女にはそれが本当に彼女の声だと感じてしまう。

 

「・・・・・そろそろ、か。さよなら、士郎。あなたのこと好きだったわよ」

 

ご、と。

膨大な魔力が吹き荒れる。

ただの穴を"道"として安定させる。

そこへ、彼を載せようとして--

 

--肉体ごと、持っていかれる。

 

「----っ!? ちょ、なによ、これ、なんで、いきなり--っ!」

 

彼女が安定させた道。

その横側から、ナニかが強引に介入してくる。

その力は凄まじく、魔法使いの彼女をしても飲み込まれそうになる。

今はなんとか拮抗させているが、早く手を打たないと保たない。

 

・・・・・なんで、こんなことがっ・・・・・!

 

引き込まれる彼を抑えつけ、混乱する頭で思考すら。

誰がこんなことをするのか、全く見当もつかない。

現状、彼女のいる世界において、彼女以上に平行世界の運営をできる存在はいない。

彼女の師である人物も、今は衰えており、彼女以上の力は無い。

故に、彼女以上の人物は存在せず--それ以外であれば、一つだけ可能なモノが存在する。

 

・・・・・まさか、なんで"アレ"が出張ってくるのよ・・・・・っ!

 

一つの仮定を立てる。

あり得ないと考えながら、同時にそれ以外にはないと確信する。

だが、その考えに至ってしまったために、僅かに力が抜けてしまった。

 

--均衡が破れる。

 

「ぁ----」

 

小さく漏れる声。

遠ざかっていく彼の姿。

なんとかしなくてはいけないと分かっていても、もはや決定的なまでに遅く--

 

「士郎----っ!」

 

彼女の叫びだけを残し、穴ごと彼は消えていった。

 

 

 

 

 

「--ここは」

 

深い眠りから、ゆっくりと覚醒する。

視界には見覚えのある真っ白な天井。

清潔感に溢れ、汚れを寄せ付けないこの部屋は、カルデアにあった医務室か。

そこで自分の胸を見て、彼女につけられた傷が無いことに気がついた。

 

「・・・・・まさか、また生き残るとはな」

 

自身の悪運の強さについ、ぼやいてしまう。

おそらくあの街での異常を解決し、このカルデアに帰還した後に治療を受けたのだろう。

自分としては死んだと思っていたために、まさかここに帰還するとは夢にも思わなかったが。

 

「いやいや、目覚めて開口一番にそれはどうかと思うよ。せっかく生き残ったんだから、ここは手放しに喜ぶべきだろう?」

「----!?」

 

溢れた呟きに、予想外の返事が返ってくる。

驚いて右を向けば、一人の女性がいた。

 

「----は?」

 

その姿を認めた瞬間、間抜けな声を上げてしまった。

いつからそこにいたのか、とか。

誰なのか、とか。

そんな疑問が全部吹っ飛んでいく。

だって、目の前にいる人物の顔は、間違いなくあのモナ・リザと同じだったのだから。

 

「おはよう、こんにちは、エミヤくん。意識ははっきりしているようだね」

「え、いや、あの」

「ん? まだ思考能力が戻ってないのか。それとも、眼が醒めたら目の前に絶世の美女がいて驚いたってところかな? もしそうなら、気持ちはわかる。でも慣れて」

 

すごい。

何がすごいって、こっちの混乱に気づいているにも関わらず、なおも自身の話を途切れさせないところが。

今まで変人奇人の類にはかなり縁があったが、彼女はその中でも最上位だろう。

 

「・・・・・すまない、突然のことで混乱してしまった。それで、貴女は--?」

「おお、なかなかの復帰速度。うん、頭の切り替えが早いのはいいことだ。それでは改めて自己紹介。私はダ・ヴィンチちゃん。カルデアの協力者だ。というか、召喚英霊第三号、みたいな?」

混乱する頭を収めて、なんとか返した問いに、またしても爆弾を落としてくれた彼女。

 

・・・・・モナ・リザではなく、ダ・ヴィンチ・・・・・いや、それ以前に召喚英霊第三号、だと・・・・・?

 

ますますわけが分からない。

名前の方もきになるが、召喚英霊第三号とは。

字面から、ある程度のことは考えられるが。

そこまで考えて、彼女の放つ気配がサーヴァントと同じものだと気付いた。

 

「つまり貴女は、カルデアに召喚された三番目のサーヴァントで、真名はレオナルド・ダ・ヴィンチ、という認識で構わないか?」

「ああ、それで間違いない。いや、それにしても冷静だね。もう少し驚くと思ったんだけど」

「十分に驚いてる。単に話が進まないから押さえ込んでいるだけだ。それで、私に何の用が?」

「そうそう。忘れるところだった。寝起きで悪いんだけど、今すぐ管制室に行ってきたまえ。そこで君を待っている人がいるから」

「--? 私は特に誰かを待たせている覚えはないが」

 

そもそも、知り合いなど殆どいないのだから、約束のしようがない。

思い当たる人物といえば、色々と聞いてくるだろうオルガマリー・アニムスフィアか、ロマニ・アーキマンだが、特に何かを約束したことはない。

そんな俺に彼?彼女?は心底呆れた顔をしている。

 

--ナニイッテルノキミ

 

と、考えているのが丸わかりだ。

こちらとしてはそんな顔をされる心当たりがないので、困惑する他ない。

 

「確かに、色々と聞きたいこともあるし、あの後どうなったのかとか教える必要もある。けど、それよりももっと大事な娘がいるだろ?」

「いや、そう言われても本当に・・・・・あ」

 

心当たりがない、そう言おうとして、一人だけ思い当たる人物がいた。

 

「ようやく気付いたか。カルデアに帰還してからずっと君のそばにいたんだよ? 君が無事に目を覚ますまで離れないって言ったあの娘を説得するのにどれだけ苦労したか」

「そうだったのか・・・・・それなら、早く行くべきだな」

 

寝かされていたベッドから起き上がる。

まだ多少の倦怠感が残るが、十分に回復したと言っていい。

それを確認して、ドアへと向かう。

 

「ああ、それとその口調だけど、彼女の前ではあんまり使わないほうがいいよ。私は大丈夫だけど、あの娘は怯えてしまうかもしれないからね」

 

部屋を出る直前、そんなことを言われた。

 

「・・・・・ああ、わかった、気をつけるよ」

 

後ろを振り返らずに、そう答える。

侮れんな、と考えながら、今度こそ管制室へ向かう。

 

 

 

 

 

「ロマニー。聞こえてる?」

「聞こえているけど、何か用かい? 知っての通り今は忙しいから手短に頼むよ」

 

中央管制室。

そこで僅かに生き残ったカルデアのスタッフと共に、復旧作業を執り行っていたロマニ・アーキマンの元に、とある人物から連絡が届いた。

 

--レオナルド・ダヴィンチ。

フランス、ルネサンス期を代表する芸術家。

史上最高と呼び名の高い画家であると共に、様々な分野にも精通する万能人。

現在はカルデアに協力するキャスターのサーヴァントとして限界している。

世界的に見ても非常に高名な人物だが、実際のところは美を探求するあまり、現界時に彼にとっての究極の美であるモナ・リザそのものに自身の肉体を再設計した正真正銘の変人である。

 

「ああ。帰還から約12時間。ようやくお目覚めだよ」

 

伝えられた内容に、僅かにため息を吐く。

件の少年、エミヤ。

マシュ・キリエライトのマスターにして、正体不明の人物。

彼が冬木の大空洞で見せた劇的な変化は、現在、カルデアを指揮する立場にあるロマニに危機感を持たせるには十分だった。

 

「そうか、起きたか・・・・・それで。彼の様子は?」

「ぱっと見た感じ体には異常無し。動作や言語などの障害も見えない。魔力の方はまだ回復してないみたいだけど、時間が経てばすぐに戻るだろう」

「身体的な問題は無し、か・・・・・それじゃあ、記憶の方はどうだい?」

「十中八九、戻ってるだろうね。目を覚ましてからの言動や態度が前と比べて随分変わっている。彼にかかっていたっていう術式も完全に消えているようだし、まず間違いない」

 

通信相手の所見に、やっぱりか、と息を吐く。

判りきっていたことだが、改めて言葉にされると憂鬱になる。

ただでさえ復旧作業で手一杯の彼にとって、少年との話し合いもしなければならないというのは負担が大きすぎるというものだろう。

 

「分かった。君はそのまま彼を見ておいてくれ。僕もこっちの作業がある程度区切りがついたらそっちに行くから」

 

向こうに新しく指示を出してから、さて、何から話すべきか、などと彼は思案する。

唯一のマスター適正者。

その人物に、これから言葉にできぬほどの重荷を背負わせようとしていることに胸を痛め、

 

「それなんだけど。もうそっちに行ってるよ、彼」

 

通信先の彼は、あっけらかんとそんなことを言った。

 

「は・・・・・? って、えぇぇぇぇえっ!? なにやってるの!? 最初に目を覚ましたらそこにいさせてって、ぼく言ったよね!? なんでこっちに来させてるの!?」

「あれ、そうだったっけ? いやごめんごめん、すっかり忘れていたよ」

 

ハハハ、なんて笑い声が聞こえてきそうな調子でいう天才<バカ>一人。

モニターを見ると、確かに件の少年が管制室への通路を歩いている。

その声と映像に、つい頭を抱えてしまうDr.ロマン。

まだ少年の素性も知れておらず、復旧作業ももう暫くかかる。

その状態で正体不明の人物を自由にさせておくというのは、褒められた行為ではない。

彼が頭を抱えたくなるのも分かるというものである。

隣にいた現在の補佐役をしてくれている女性スタッフが同情の視線を向けながら胃薬を渡してくるのを、感謝とともに断り、再び通信相手へと意識を向ける。

いま彼と会話している人物が与えられた指示を忘れるような人物ではないことは、カルデアにいる誰もが知っている。そして現在優先すべきが何かも分かっているはずだ。

その上で、こんなことをするのは一体どういう了見かと問い質そうとして、

 

「まぁ、それは流石に冗談。本当はあの娘のとこに行かせただけだよ」

「----」

 

先ほどのふざけた態度とは一転、柔らかな声色でその意図を告げた。

 

「--そうか。うん。確かに、それが"正しい順番"だ」

 

そういう彼の視線の先には、一人の少女。

一時間ほど前にこの管制室の下に来てから、なにやら一箇所に留まっているマシュ。

その顔は何かを考えているようにも見え--数時間前にダ・ヴィンチちゃんから聞いた、彼がマシュと交わした"話"のことだろうと辺りをつける。

 

「まぁ、ロマニのいうことも分かるけど、今は二人を優先してあげなよ。彼女の気持ち、分かってるんだろ?」

「・・・・・ああ。僕も少しばかり気を張りすぎていたよ」

 

駄目だな、と軽い自己嫌悪に陥っていると、視界の下の方に特徴的は赤銅色の髪が映った。

どうやら、件の少年が来たらしい。

それを見て、スタッフ達に一区切りついたら、休憩を取るように指示する。

全員ここまでぶっ通しで作業を続けてきたのだ、そろそろ休まないと体を壊してしまう。

下の二人が話し終わるのと交渉が終わるまで、多めに見積もって30分といったところか。

それだけあれば、彼らも多少は休めるだろう。

その間に、少年への現状の説明。そして彼のことを聞くとしよう。

そう考えながら、ロマニは二人の少年少女の元に向かう。

 

 

 

 

 

 

--私はいったい、彼に何を言うべきなのだろうか。

 

休息を終え、見えない答えを探しながら、管制室を見回す。

この施設を焼き尽くし、多くの命を吸った炎は、生き残ったスタッフの尽力で鎮火している。

この管制室にいたスタッフ達の亡骸も既に片付けられている。

見渡す世界に赤色は無く、死の残滓も感じられない。

それは、本当に何も無かったようで--爆発の名残である無数の瓦礫と、なにより中央に鎮座する真っ赤なカルデアスが、否応無しに現実を突きつける。

 

・・・・・本当なら、私もあそこに残るはずだった。

 

道を塞ぎ、全身を焦がす炎。

降り注いだ瓦礫は下半身を完膚無きまでにすり潰した。

幸運だったのは、痛みは最初だけで、途中からは感覚すら無くなったことだった。

そうでなければきっと、下半身を襲う激痛だけで命を落としていたかもしれない。

けれど、結局は同じこと。

本来味わうはずだった苦しみが減っただけで、辿る結末は変わることはない。

 

『待ってろ、いま助ける・・・・・ッ!』

 

その中で。

ただ一人、手を差し伸べてくれた人がいた。

記憶は無くて。

自分なんてどこにもなくて。

本当は不安で一杯なのに、その行為に意味は無いと理解しているはずなのに。

それでも、この手を握ってくれた人がいた。

だから、この力を託された時に誓ったのだ。

今度は私が彼を守ろうと。

あの時、何も残せないままに死んでいくはずだった私が生き残ったのは、そうするためだと思ったから。

けれど、彼の心も体も、私の及びもつかない程に強くて。

結局、私は最後まで守られる側だった。

 

『・・・・・ごめんなさい』

 

カルデアに帰還し、医務室で彼の検査を終えて眠らせたあと。

薄暗い部屋の中、傷が治っているにも拘らず眠り続ける彼の手を握りながら口にした言葉。

それは彼と出会ってからのいろいろなことに対する言葉だった。

力になれなかったこと。

傷つけてしまったこと。

そして--彼の隣に立とうとしなかったこと。

『私を前にして、背を向ける余裕があるのですか』

 

『今度こそ、乗り越えさせてもらう・・・・・ッ!!』

 

今でも忘れられない。

あの時、あそこにいたのは私の手を握ってくれた先輩で--同時に、私の知らない彼だった。

そこにいるのに心だけが離れていくようで、言葉にできない恐怖に囚われた。

あの戦いで私にできることは殆ど無かった

だから手出ししなかったし、するべきではないと思った。

でも、それは建前で。

本当は、彼の隣に行って、私の知らない彼を実感するのが怖かったから。

私は、私の身勝手で彼を傷つけてしまった。

だから、謝り続けた。

それがどれだけずるいことで、的外れな独りよがりなのだと理解していても、それ以外に言える言葉がなかった。

 

『まだここにいたのか。いい加減に君も休んで来なさい』

 

ダ・ヴィンチちゃんが来たのはそんな時だった。

聞くところによると、何時間も休みなしに彼のそばにいた私を見かねたDr.ロマンが説得するように指示を受けたらしい。

なんとも彼らしい、と思った。

本当なら動ける人間は全て復旧作業に動員すべきだが、彼は飽くまで個人を優先した。

その在り方は好ましく思うし、こんな中で休ませようとする気遣いはとてもありがたい。

通常なら一も二もなく首を縦に振っていたことだろう。

 

『大丈夫ですから。ここで先輩が目覚めるのを待っています』

 

けれど、口から出たのは正反対の言葉だった。

 

『・・・・・まあ、そう言うと思っていたけどね』

 

彼女はそれを予想していたのか、私の答えに驚くことはなかった。

ただ、どこか呆れたようにため息を吐いて、言葉を重ねていく。

 

『そんな状態でどこが大丈夫なものか。ただでさえあんなことを経験したんだ、もう起きているのも辛いはずだ。そんな姿を起きた彼に見られてみろ余計に心配をかけるぞ』

 

彼女の言葉は実に論理だっていて、加えて私の無視できないことも交えたものだった。

そのまま10分ほど彼女の小言を聞かされて、さすがに根を上げた。

仕方なく--本当に仕方なく、握っていた彼の手を離した。

出口まで行き、最後にもう一度だけ彼の顔を見て、

 

『ああ。言い忘れていたけど、彼に伝えるのは謝罪以外にしたほうがいいよ』

 

今まさに通路へ出ようとしたところで、そんなことを言われた。

え、と呟きながら振り向いた先、彼女はこちらに背を向けたままで、

 

『君が言うべきことはそれじゃないし、彼が一番喜ぶだろう言葉は対極のものだ』

 

対極と、彼女は言った。

私にはそれが分からない。

契約で繋がっているとはいえ、彼との付き合いは浅い。

いったい彼が何を望むのか。

元より他人の機微に疎い私では、それを察することは難しいように感じる。

けれど、それ以上彼女は何も言わなかった。

あとは自分で考えることだ、と。

仕方なく医務室を後にする。

 

自室についてからも彼女の言葉を反芻させていた。

ずっと彼のことが頭にあったためあまり気は休まらなかったけど、考え事をしていたおかげで気を紛らわすことはできた。

そうやって考えているうちに、いつの間にか眠っていた。

 

それから目を覚ましたのが一時間ほど前のこと。

ダ・ヴィンチちゃんに通信を繋げて彼の様子を聞いても、未だ眠り続けているようだった。

医務室に向かおうとしたが、彼女に止められてしまった。

それでは、とDr.ロマンに作業の指示を仰いだが、そちらもまだゆっくりしていなさいと諭されてしまった。

そうなってくると何もすることがないので、なんとなしに管制室に行ってみた。

そうして今に至る。

 

--私はいったい、彼に何を言うべきなのだろうか。

 

あの爆発の時、自身を押し潰した瓦礫の前で自問を繰り返す。

彼の隣に立つことも、守ることもできなかった自分に何が言えるのだろう--

 

「----?」

 

ふと、背後に人の気配を感じた。

おかしな話だった。

殆どの人間がそれぞれの作業を行っているカルデアで、一通り作業を終えたこの場所で人の気配を感じるはずがないのだ。

だからこそ、そこに立ち得るのはたった一人だけで--

 

「----」

 

振り返った先で言葉を失った。

背後にいたのが予想通りの人物、即ちあの少年だったからというのもある。

でも、それ以上に目を惹かれたのが、その顔だった。

誰かが無事であった安堵、それを成せた喜び。

まるで、救われたのは私ではなく、彼の方だと錯覚させるようで。

助けられたはずの私が羨ましいと思ってしまうほどに、幸せそうだった。

蟠りが取り除かれ、何かが胸にすとんと落ちた。

くすり、と笑みが漏れる。

ずっと悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思えてしまうほど答えは簡単だった。

少年は何を願い、どんなことで心が満たされるのか。

そんなことは、彼の顔を一目瞭然だ。

だから伝えよう、私の気持ちを。

それは彼の望む言葉であり。

同時に、私が伝えたい想いでもあるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

エミヤが医務室を後にして数分。

彼は中央管制室に辿り着いていた。

通路もそうだったが、僅かな痕跡を残すだけで爆発の名残は無い。

ただ、その中で唯一異色ともいえる存在が、中央に鎮座している。

真っ赤に燃え盛る星。

それがどのようなもので、何を意味しているのか。

一切の知識を持たない彼は、アレのことも聞かないとな、と考え管制室を見渡す。

果たして、目当ての人物はすぐに見つかった。

管制室に残る幾つかの瓦礫。

その一つの前に、マシュ・キリエライトは佇んでいた。

彼女の姿はレイシフト先で纏っていたボディースーツ染みた黒い軽鎧ではなく、彼らが出会ったときにも来ていた私服姿だった。

それを見て、エミヤは彼女が無事であったことを実感した。

ふ、と息を吐く。

確かに、自分は彼女達を守れたのだと、そのことが何より嬉しい。

その吐息か、それとも彼の気配に気付いてか、マシュが彼の方へと振り向いた。

その顔は驚いたような表情で--何か、閃いたようでもあった。

エミヤはそれを不思議に思いながらも、彼女へと近づき声をかける。

 

「おはよう、マシュ。久しぶり、っていうのも変だけど、元気そうで良かった」

「はい、おはようございます。先輩もお元気そうで何よりです」

 

お互いに気分を高揚させながら、双方の無事を祝う。

あの戦いは、誰が死んでもおかしくないものだった。

帰還できる確率は、極めて低かった。

その中で生き残れたのは、奇跡であったと言えるだろう。

二人の声が弾むのも自然というものだ。

 

「あの、先輩? 私、どうしても先輩に伝えたいことがあるんです」

 

一通り会話を続けた後、僅かに気分を落ち着かせて、マシュがそんなことを言った。

その切り出しは、どこかあの町の土蔵で交わされた会話に似ていた。

あの時の彼女は自らの無力さを嘆き、自責から主へと謝罪した。

しかし今、エミヤの前に立つ彼女からは悲壮の色は見えず、それが以前との違いを如実に表していた。

 

「ああ。俺でよければいくらでも」

 

だからエミヤも、あの時と変わらず聞き遂げようとし、しかし柔和な表情を浮かべた。

マシュは彼の言葉にどこか安心したような表情を浮かべて--一言ずつ愛おしむように言葉を紡ぐ。

 

「わたし、お礼が言いたいんです。守ってくれたこと、支えてくれたこと--あの時、手を握ってくれたこと」

 

あの炎の中で、決して助けられないと理解しながら、それでも諦めず、少しでも私が苦しまないようにと笑いかけてくれた。

それが何より嬉しかった。

なにを残す事もないこの身に起きたささやかな--けれども、途方もない奇跡。

 

「--ありがとうございます、先輩」

 

浮かべる笑みは、咲き誇る花のように。

 

--少女は心からの感謝を告げた。




今回でやっと冬木編は終わりです。
長かったような短かったような。まだ序章が終わっただけですが、書いていてとても楽しかったです。序章でこれなんだから、これからいろんな英霊に絡ましたりスタッフに絡ませたりマシュをヒロイン化させたりしていくのだと考えると、今からやばいですね。CCCコラボの余韻もあって結構モチベが上がってるので、このままオルレアンまで突っ走りたい。今年は型月が盛りだくさんなので、それらを楽しみながら精進していきたいと思います。


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戦う者達 前編

帰ってきたイバラギン(某猫型ロボット並感)
CCCコラボも終わり、イシュタ凛ピックアップも終了し皆さんのカルデアはどんな風景でしょう。
新たな仲間をお迎えしたか、はたまた空になったカードの前でどこぞの正義の味方みたいにバカ野郎と叫んでいるのか。
どちらかはわかりませんが、ここは気持ちを切り替え、新たなイベントに打ち込みましょう。
そう、遂に復刻しましたよ、あのイベントが。
蘇る悪夢。
常軌を逸した体力と、凶悪に過ぎるヤクザキック。
玉藻、オリオン、孔明のいない方は大変苦労したことでしょう。
しかし、人理修復を経て我々はさらなる力を手に入れた。
今こそ報復の時。
ともに歩んできた仲間とともにこのイベントを(茨木童子で)遊びながらやり遂げましょう!

・・・・・はい、バカなことしてすみません。
やっとイ茨木童子で遊べると思うと、つい楽しくって。
皆さんも、イバラギンイジメとガチャはほどほどにしましょう。間違っても、某グランドガーチャーみたいに初日完走したり、ガチャにのめり込んだりしないように。
でないとイバラギンが(暴力的な意味と人気的な意味で)泣いてしまいますからネ!

それでは14話目、お楽しみください。




魔術世界には人理という言葉がある。

これは不安定で限りある人類をより長く、より確かに、より強く繁栄させるための理だ。

広大な海を渡るための航海図。

この航海図を、さらに鮮明にしようとした人物がいる。

 

--マリスビリー・アニムスフィア。

 

魔術師たちの総本山である時計塔の各学部を統括する学長にして、十二の君主<ロード>達。

彼はその一角である天体科の先代君主だ。

その彼、或いは彼の一族が長らく研究・提唱してきたのが、人理の継続である。

本来、不確定な未来を確実なものとする試み。

そして、そのための研究施設が人理保障継続機関フィニス・カルデア。

地球には魂があるとの定義に基づき、その魂を複写することにより過去・未来の地球の様子を写す極小の疑似天体、地球環境モデル・カルデアス。

人間には観測できないカルデアスを可視化する専用望遠鏡、近未来観測レンズ・シバ。

カルデアスで起きた事象を観測する観測機、事象記録電脳魔・ラプラス。

観測状況や記録情報を管制するスパコン、霊子演算装置・トリスメギストス。

これらによりカルデアは文明の光を観測し、その輝きある限り人類は存続を約束されている。

人類はカルデアによって、100年先までの安全を保障されていた--はずだった。

とある時期を境にカルデアから文明の光が消失。

兆候も見せず、原因も分からず、突然に人類の痕跡が観測できなくなった。

その後、2004年のとある地域に異常が発生。

本来存在しないはずの過去--即ち、特異点が確認された。

前所長からその任を受け継いだオルガマリー・アニムスフィアはこれを特異点と認定し、レイシフトによる原因の調査及び破壊を提唱した。

 

「そもそもレイシフトというのは、人間を疑似霊子化--つまり魂をデータ化させて、異なる時間軸、異なる位相に送り込む試みです。並行世界移動とタイムトラベルを混ぜ合わせたものとも言えますね。マスター達はラプラスを用いてカルデアスに入り込み、特異点へと介入します。--ここまでは問題ありませんか?」

 

カルデアにある資料室で二人の人物が対面している。

一人はカルデアの一般スタッフに支給される制服を纏った金色の美しい長髪の女性。

彼女の前には大量の文字や図が書き込まれた紙があり、その手にはそれらを記しただろうボールペンが握られている。

もう一方はマスター専用の白い制服に身を包んだ赤銅色の髪をした少年。

彼の前には様々な資料が広げられており、それらを確認しつつ正面の女性の話を聞いている。

 

「・・・・・一つ疑問があるんですけど、さっき、特異点は過去であると同時にifの世界でもあるって言いましたよね? それはつまり、その世界そのものがあやふやだということ。そこにマスターという異物を介入させれば、彼らの存在もあやふやなものになってしまうのでは?」

「いい質問ですね。貴方の言うように、特異点とは現実であり、無数の可能性が入り乱れたもしもの世界でもあります。ふとしたことで本来とは異なる可能性のマスターを映すことも有り得ます。そうなっては彼らはこちらへと帰還できなくなる。ですので、彼らがレイシフト先で"意味消失"をしないように、カルデアでは常に彼らを観測し、その存在を証明しています。僅かでも"ブレ"を発見すれば、すぐさまこれを修正する。そして、この作業を行うに際し用いられるのが、ラプラス及びトリスメギストスです」

 

一通りの解説を終えた女性スタッフに質問を投げかける少年--衛宮士郎。

彼もカルデアの技術に知識があるわけではなく、こうして正規スタッフに説明を受けているのだが、その情報を整理し自分なりの考えを組み合わせ、その正否を確認する。

彼らはこのようなやり取りを、かれこれ1時間ほど続けている。

 

「すみません。ここの案内をしてもらった上に、こんなことまで付き合ってもらって」

「気にしないでください。私もちょうど暇だったので。それに色々話せて楽しかったですから」

 

きっかけはふとしたことだ。

現状に際し、士郎がカルデアの正式なマスターとして登録され、カルデア内の把握のために探索をしていたところ、二人は出会った。

彼のカルデアスタッフへの紹介は、一部を除き簡単に済まされたため、大半のスタッフは彼の顔と名前を知っている程度だ。

士郎の方も顔合わせをしたぐらいで、スタッフ各人の名前を知っているわけではない。

そんなわけで、この女性スタッフが互いを知るいい機会だと、探索に付き合い始めたのだ。

一通りの探索が終わった後、休憩室で会話をしている時にこの施設の話となった。

未だカルデアの知識の少ない彼は資料室で情報収集に向かうことにした。

ここで彼女とは別れようとした士郎だが、ここまで来たら最後まで付き合う、と言い出し、遂にはカルデアの説明までしだしてくれたのだ。

ちなみに今は休憩時間のようで、仕事に支障はないらしい。

 

「でも、よかったんですか? せっかくの休憩時間を俺なんかに付き合って」

「大丈夫ですよ。こう見えてそれなりに体力はありますから。それに、あんまりじっとしているのって好きじゃなくて。こうやって誰かと話してる方が気が休まるんですよ」

 

士郎が申し訳なさそうに言うが、当の本人は全く気にしていないようで、むしろ、たまたま士郎と出会ったことを喜んでいる節さえある。

士郎も本人がそう言うのでこれ以上は気にしないことにした。

 

「あら? 管制室から通信が」

 

そんな時、女性スタッフの横にモニターが表示される。

通信相手は、どうやら同僚の男性スタッフのようで、人手が足りないからきて欲しい、との旨であった。

 

「分かりました、すぐに向かいます。・・・・・ごめんなさい、ちょっと応援頼まれちゃって、行かないといけないの」

「いえ、お気になさらず。もともと付き合わせたのはこっちですし、仕事があるのならそちらを優先させてください。・・・・・本当は手伝いたいんですけど、アレを使うのはちょっと無理なので」

「ありがとうございます。その気持ちだけで十分ですよ」

 

立ち上がった彼女はペンなどの荷物をまとめて、資料室から出て行った。

 

「俺もそろそろ出るか」

 

士郎も広げられた資料を戻していく。

まだ完全な理解には及ばないが、おおよその概要は把握した。

一度に詰め込みすぎる必要はない。

残りはまた後日でもいいだろう。

そこまで考えて、

 

「あ。そういえば、名前とか聞いてなかったな、結局」

 

この施設の話なんかですっかり忘れていた。

もともとそれが目的だったはずだが、こうも完璧に忘れるとは。

これはあかいあくまのうっかりでも移ったか、などという本人が聞けば大激怒間違いなしのことを考えながら、幾つかの資料を借りて自室<マイルーム>に向かう。

カルデアのマスターとなった士郎に与えられた自室は、他のマスター候補に与えられていたものと同規模のものであり、それなりの広さだった。

この部屋なら、小物を置いたりなどある程度の融通は利くのだが、彼がここに来たのは突発的かつ偶発的であり、そもそも、あまりものを持たない性格のため、その広さも相まって非常に殺風景な様子となっている。

自室に戻ってきた彼は、備え付けられたデスクに、借りてきた資料と職員から貰い受けた筆記用具、そしてノートを広げた。

ここで得た情報を整理するためだ。

普通なら、わざわざ自室に戻らずとも資料室ですればいいのだが、彼の状態を考慮するに、できるだけ人目に触れるのは避けるたかったのだ。

 

「彼女の手助けもあって、早めにカルデアのことを知れたのは僥倖だったな」

 

まだ名前も聞いてない女性スタッフに再び感謝しながら、集めた情報を整理していく。

 

「この施設の目的は単純にして明快。創設者たるマリスビリー・アニムスフィアもこれらの情報から察するに平均的な魔術師だな。尤も、魔術師にしては一般人に近しい部分もあるが。その辺りは娘にも引き継がれていたということか」

 

一人の人物--オルガマリー・アニムスフィアのことを考えて、僅かに思考が鈍る。

冬木において、彼が救うことのできなかった人間。

彼は彼女が死ぬのを止めるどころか、その現場を見ることすらなかった。

その原因は他でもない、士郎自身だ。

セイバーとの戦いに熱中した結果、彼は防げるかもしれなかった悲劇を見過ごすした。

冬木の戦いで、彼が気絶などしていなかったら。

大空洞から、二人だけでも離れさせていれば。

防げなかった悲劇に、いくつもの"もしも"を考えてしまう。

 

・・・・・いかんな。"肉体に引っ張られている"のか、それとも精神まで若返ったか。

 

頭を振るい、気を取り直す。

確かに彼女の死は悲劇だった。

だが、そのようなモノは世界中の何処にでも溢れている。

その一つ一つを嘆いている暇はない。

重ねあげられる悲劇の全てに胸を痛めていてはいられない。

彼がすべきは、彼女の意志を継ぎ、いかに多くを救い、同じ悲劇を繰り返させないか。

"たかが"知り合いだからという理由で、気を割くようなことは断じてありえない。

 

・・・・・とにかく、現状の問題はあの男だな。

 

レフ・ライノール。

カルデアの技術顧問にしてオルガマリー・アニムスフィア殺害の張本人。

彼のことは、正体やその目的まで一切不明だ。

マシュの話では、人間の気配ではなかったということだが。

 

・・・・・いや。そもそも、あの男は何がしたかったのだ・・・・・?

 

レフ・ライノールは、先に言った通り、カルデアの技術顧問だ。

その彼が残した成果の一つが、近未来観測レンズ・シバだ。

これのおかげでカルデアはカルデアスの観測を可能とした。

彼の開発が無ければカルデアはその目的を果たせなかったし反抗もできなかった。

結果として、彼は敵に塩を送る形となった。

 

「カルデアを残しておく理由があるのかとも考えられるが、あの映像を見るにそれはない。ならば、単に戯れただけなのかといえば、それも当て嵌まらんだろう」

 

 

レフはカルデアスが燃えた時点でカルデアは不要と言い、彼の目的に移すまでの時間を面倒だったと言っていた。

ならば、カルデアには目的も無ければ遊びもない、ということだ。

では何故、あんなものを開発したのか。

 

・・・・・考えられるのは、どこかで入れ替わった、ということぐらいか。

 

ありえない話ではない。

シバを開発したレフ・ライノールと、オルガマリーを殺したレフ・ライノールが別人であったなら、一連の流れも理解できる。

無論、このカルデアの警備システムを考えれば容易なことではないが、世界には肉体どころか魂まで再現するような人形師がいることを彼は知っている。

そうでなくとも、存在の偽装は決して不可能なことではないのだ。

マシュの言うように彼が人間の枠にすら収まらないのなら、その可能性はさらに広がる。

 

「・・・・・これ以上はただの憶測になるな。アレのことはひとまず後回しだ」

 

正確な情報がない以上、真実には辿り着かない。

一度思考を切り替え、別件に意識を向ける。

 

「焼却された人類史に、七つの特異点、か・・・・・」

 

レフ・ライノールの宣言した通り、人類は滅亡した。

過去から未来に至るまで、人類は悉くが焼き尽くされた。

この時代も例外ではなく、カルデアから外に出れば、あの冬木と同じ光景が広がっている。

カルデアだけはカルデアスの磁場で守られているが、それも時間が経てば終わりだ。

それまでにこの事態を解決しなければ、人類は絶滅することとなる。

これを覆すために必要なのが、七つの特異点の破壊だ。

 

「これらの特異点が冬木と同規模、或いはそれ以上の危険度とすれば、やはり戦力が足りんな」

 

カルデアが保有する戦力とそれらの能力を書き込みながら思案する。

現在、カルデアで戦えるのは士郎を除いて二人。

そのうち、彼が自由に扱える"駒は"一人だけだ。

もう一人は扱うどころか詳細すら分からない。

加えて、本人の立ち振る舞いを考えるに、特異点に自ら出向くことは少ないと見ていい。

つまり、これからのミッションで現地に迎えるのは彼とマシュだけということになる。

カルデアからのバックアップがあるとはいえ、彼らはたった二人だけで特異点を破壊しなくてはならない。

 

「人員の増強が望めぬ以上、他の角度から戦力を増やすほかないか」

 

先ほど見て回った施設の中で、利用できそうなものをリストアップしていく。

それと同時に必要なのが--

 

「彼女を--マシュを鍛えておくべきか・・・・・」

 

マシュ・キリエライトは、お世辞にも戦いに向いているとは言えない。

彼女の力からその在り方まで。

本来の彼女は守られる側の人間だ。

それは冬木の戦いで十分に感じ取れた。

だが、これから始まる戦いでその穴を残したままでは、それは小さくない隙となる。

どうあれ貴重な戦力だ、修復はできずとも補修はしておくべきだろう。

 

・・・・・ああ、本当に・・・・・。

 

なんて無力、と拳を握り締める。

守りたい、守るべきはずの少女を戦いの矢面に立たせる。

それは彼が何より嫌悪すべきことで--それ以上に、彼がすべき選択だ。

彼は自分の弱さをよく知っている。

これからの戦いは、自分一人では戦い抜けないと確信している。

ならば、他の所から戦力を持ってくるのは当たり前の思考で。

他の助けが望めぬ以上、使える戦力を使わないというのはありえない。

巻き込みたくないと、そのような"甘え"を、誰よりも彼自身が許せない。

自らの痛みを軽くするために、救えるはずの命を取りこぼすことなど、そのような愚行は犯せない。

この滅びを他の誰も止められないというのなら。

戦える者がいないというのなら。

自分がやるしかない。

何故なら、この身は--

 

「・・・・・今の俺に、ソレを名乗る資格があるのかな・・・・・」

 

僅かに、息を漏らす。

今の彼は自分すら定かではない。

それは記憶を取り戻した今でも変わらず、彼には分からないことだらけだ。

何故、肉体が若返っているのか。何故、こんな場所にいるのか。

それ以上に、何故・・・・・

 

・・・・・何故、俺は存在していられる・・・・・。

 

それが最大の疑問だった。

ここが彼のいた世界とは似て非なる場所--平行世界である、と彼は考えている。

ならばこそ、衛宮士郎という人間はこの世界にとって異物だ。

それは、人体に入り込んだウィルスのようなもの。

存在そのものが輪を乱し、それ故に予め備わった防御機構に除去される。

ここでの防御機構とは、修正力だ。

矛盾を嫌う世界は、本来存在する筈のない異物を許さない。

世界がそれを認識した時で、異物の排除へと向かう。

彼の宝石翁のように、どの世界からも外れ何処にでもいられるならともかく、ただの人間に過ぎない彼では、世界の目からは逃げられない。

その筈なのだが--

 

 

「カルデアスによる特殊な磁場が世界の目を誤魔化しているのか、それともこの世界の人間との契約で繋ぎとめられているのか・・・・・駄目だな、どれも憶測の域を出ない」

頭を振り思考を打ち切る。

答えの出ない問題をいつまでも考えている暇はない。

やることは山ほどあるのだから。

 

「ん? 俺に通信? これは・・・・・マシュか」

 

まだ使い慣れていないモニターを操作しながら、何とか通信を開く。

 

「どうしたんだ、マシュ。俺に何か用か?」

『はい、実はお願いしたいことがあって・・・・・あ。もしかして、お勉強の途中でしたか。お、お邪魔をしてすみません! また後でかけ直すので--』

「いや、ちょうど終わらせたところだから、気にしなくていいぞ。それより、お願いっていうのは?」

『え、あ、そう、そのことなんですが--』

 

果たして、それを聞いて、何を思ったのだろうか。

怒りだったか。嘆きだったか。或いは別の何かか。

 

「・・・・・話は分かった。十分後に食堂に来てくれ。そこでもう一度話そう」

 

冷めきった心は定かではなく。

一つだけ確かなのは、この身に迷いなど許されていないことだ。

これからの戦いに向け、自分はできるだけの手は打っておかなくてはならない。

 

--"限界"は、そう遠くない未来なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「すみません、遅くなりました」

 

カルデアの中央管制室。

そこに先ほど士郎と別れた女性スタッフが到着していた。

スタッフ達と共に作業を行っていたロマニ・アーキマンが彼女に声をかける。

 

「ああ、来てくれたか。休憩中にすまないね」

「いえ。それで、私は何を?」

 

突然の呼び出しにもこうして適応するあたり、彼女の優秀さが伺える。

ロマンが与える指示にも瞬時に理解し、滞りなく行動していく。

 

「それにしても、何だか楽しそうだね。何かあったのかい?」

「え・・・・・? ああ、さっき士郎くんと会って色々とお話ししていたので、そのせいでしょうか」

「・・・・・そうか。彼はどんな様子だった?」

「? どうと言われても、気のいい好青年といった感じでしたけど・・・・・」

「そうか、ありがとう。邪魔をして悪かったね、気にせず作業を続けてくれ」

 

はあ、と言って作業に戻る女性スタッフ。

その姿を見送ってから、つい昨日のことを思い出す。

衛宮士郎が目覚めから会議室の一つで行われた事情聴取。

そこでは様々な質問が行われた。

 

『改めて自己紹介しておこう。"私"の名は衛宮士郎だ。衛宮とでも士郎とでも好きに呼んでくれ』

 

まず最初に驚いたのが初めとは正反対ともとれる口調だったのは致し方ないだろう。

柔和だった面影は鳴りを潜め、飽くまで高圧的に彼は話し合いに臨んだ。

事前にダ・ヴィンチちゃんから聞いていなければ、それだけで狼狽していただろう。

 

『・・・・・こちらも返しておくべきだね。僕はロマニ・アーキマン。このカルデアの医療部門のトップを務めているけど、今はカルデアの代表代理だ』

 

だからこそ、こちらもそれに合わせる。

相手が強硬な姿勢を通すなら、同じように対応する。

対する少年は眉一つ動かさず、そうか、とだけ言ってこちらに質問を促す。

 

『まず聞きたいのは、君が冬木で見せたあの力のことだ。こちらとしては、あれを投影魔術と考えているが、それだけだとあれは成り立たない。君も理解してると思うけど、宝具の投影なんて本来は不可能だ』

 

聞き出すのはある程度の予測を終えているもの。

本来は他に優先度の高いものがあるのだが、先に処理が早く済むものを聞いておきたいのだ。

 

『確かに、そちらの言うようにアレは投影魔術だ。宝具の投影に関しては私の魔術回路が異常に頑丈なのと魔術属性が特異なためだな』

 

そちらでも確認できているのだろう、と視線だけで聞いてくる。

士郎の考える通り、彼のその特異性の秘密はダ・ヴィンチちゃんによって解明されていた。

通常の神経と同化したことにより、常軌を逸する耐久力を誇る魔術回路。

火・地・水・風・空の五大元素にも虚数・無の架空元素にも当てはまらない剣の属性。

どれか一つだけでも封印指定を受けかねない特異性。

これらが合わさって、あの特殊な投影魔術が結実したのだろう。

尤も、まだ秘密はあるのだろうが、それを詮索するつもりはないし、士郎もそう簡単にカードを切るつもりはない。

だから、この話はそこで終わり。

問題は次だった。

宝具の投影という規格外の魔術を行使し、英霊とも真っ向から立ち向かえるその戦闘技術。

どれも魔術師には不要なものだ。

その余分を有する彼は、何故そんなものを手に入れ、何を目的とするのか。

それを聞かなければ、彼を信用することはできない。

故に、次ぐロマニの質問は当然のように『君は何者なのか』ということであり--

 

『すまないが、今はまだ話せる状態ではない』

 

士郎のその一言であっさりと終わった。

ロマニもここまで露骨に黙秘をされるとは思っていなかった。

当然、それで引き下がれるはずもなく、なんとか食い下がろうとしたのだが、本人もまだ現状を把握しきれておらず、カルデアに現れるまでの前後の記憶も欠落しているという。

言ってみれば、彼は誰が敵で誰が味方かもわからない状況にいるのだ。

そんな状況でおいそれと自分の情報を話たくはないということだ。

それでも納得しがたいものはあるが、それ以上の追求はできなかった。

 

 

 

 

「ドクター、顔色が良くないようですが、何かありましたか?」

 

自身を案ずる女性の声に、回想から復帰する。

 

「いや。少し、昨日のことを思い出していてね」

「昨日というと、彼のことですか?」

「ああ。あれは心臓に良くない。経験が無いわけじゃないけど、やっぱり得意じゃない」

 

頰を掻きながら苦笑する。

そんなロマニに、隣の人物もどこか難しい顔を作った。

 

「確かに、彼の豹変ぶりには瞠目せざるをえませんでした。正直、多重人格なのではないかと疑ったほどです」

 

 

女性スタッフの言葉に、流石にそれは言い過ぎじゃないかなと考えたが、口調だけならともかく気配まで変わり切った彼は、なるほど、多重人格というのもあながち的外れではないのかもしれない。

 

「まあ、本質的なところは変わってないようで安心したよ」

「ええ。それは私も同意できます。彼との付き合いは長いものではありませんが、きっとアレこそが彼の根本なのでしょう」

 

スタッフもロマニの言葉に同意する。

彼らがソレに触れたのは、士郎の正体を聞き出そうとした後のことだった。

 

 

 

 

『・・・・・一つだけ、聞かせて欲しい。君があの街で僕らに協力した理由、それは今でも変わらないかい?』

 

士郎は自身の正体を話さない。

それの心情も選択も、ロマニには理解できていた。

しかし、どうしても、それだけは聞かねばならなかった。

冬木において、犠牲になる誰かを救いたいと言った彼の言葉。

それが記憶を失ったが故の疑似的な人格から出たものなのか。

それとも彼という人間が持つ本心からの願いだったのか。

その結果如何で、これからの運命が決定するのだ。

 

『・・・・・・・・・・』

 

その質問に、士郎がわずかに沈黙した。

それに応えるべきか否か。

その判断のために、塾考する。

やがて、彼は一つだけ息を吐き--

 

『ああ。あの言葉に偽りは無い。アレは、俺の心からの想いだ』

 

真剣な目で、自らの本心を語った。

 

『・・・・・うん。それを聞いて安心したよ。これなら君に話せそうだ』

 

張り詰めていた緊張を解き、肩の力を抜く。

こういうのは柄じゃないよね、と考えながら外に控えている人物に合図を送る。

入ってきたのはロマニを補佐し、現カルデア副代表代理を任されている人物だった。

 

『Dr.ロマン、いったい何を・・・・・?』

 

士郎も外の人物の気配には気づいていたので、突然入室してきたことに驚きは無い。

だが、その意図がわからず、わずかに困惑しながらロマニに問う。

 

『君に見てもらいたいものがある。それを見て、これからの選択をして欲しい』

『ドクター、準備が完了しました』

『ありがとう、はじめてくれ』

 

ロマニの指示で会議室に設置されているモニターに映像が映る。

 

『これは・・・・・』

 

士郎は、それ以上言葉を発することができなかった。

そこに映されたのは、冬木の大空洞。

士郎が気絶した後の映像だ。

そこにあったのは、勝利の歓喜でも生還への安堵でもなく--ただひたすらな絶望だった。

絶叫と共に消えていった女がいた。

人間を嘲笑いながら世界の滅亡を告げる男がいた。

絶対的な死の前に自らを奮い立たせる少女がいた。

その少女を身を挺して送り出した者がいた。

映し出されたのは、確かに彼がいた戦場であり--そこには、彼の知らない嘆きがあった。

 

『彼が--レフ・ライノールが聖杯と呼ばれる謎の水晶体と消えた後、カルデアスで映した過去に七つの特異点が観測された』

 

映像が切り替わり、新たに映し出されたのはあの真っ赤に燃え盛る星<カルデアス>だった。

 

『カルデアスは、謂わば地球のコピーだ。過去から未来にまでおける星の様子を映す。カルデアスに光が灯る限り人類は未来を約束されている。そのカルデアスが燃えたということは--』

『あの男の言う通り、人類史は焼却された。そういうことか』

 

士郎の言葉にロマニは無言で頷いた。

事実として、外部への通信は繋がらず、外に行ったスタッフも帰ってこない。

外はあの冬木と同じような世界が広がっているのだろう。

だが、士郎は一つの疑問を抱く。

人類史の焼却、その事実は理解できた。

しかし、本当に七つの特異点だけで人類史を狂わせることができるのか。

少なくとも彼がレイシフトした冬木の特異点程度では世界にさしたる影響を与えられない。

 

『その通りだよ。今回、冬木が問題視されたのは同時期にカルデアスから文明の光が消失したからだ。あの状況では関連があると疑わざるをえなかった。本来ならあの規模の特異点は少々の誤差程度の存在だからね』

 

日本の地方都市一つが消えた程度では人類史に影響は与えられない。

地球という広大な海に対し、あの街など一滴の飛沫程度の存在だ。

大元たる流れに何か起きること自体がありえない。

 

--故に、求められるのはさらに巨大な逆流。

 

『新たに現れた七つの特異点、これらはその規模も異常だが、それ以上に出現した場所が問題だった。これらは人類史の土台。現代に至るまで必ず踏襲しなくてはならない基盤<ターニングポイント>だ』

 

"この戦争が終わらなかったら"

"この航海が成功しなかったら"

"この発明が間違っていたら"

"この国が独立できなかったら"

 

そういった、現在の人類を決定付けた究極の選択点。

これを崩されれば、確かに人類史は崩壊するだろう。

 

『なるほど。それならば合点がいく。歴史にいかな修正力があろうと、柱となる地点を崩されては話にならない。それが七つともなれば、人類の滅亡は確実だろう。犯人は相当の切れ者らしい』

『ああ、それは間違いない。これは他の誰にもなし得ない偉業だ・・・・・到底容認できることではないけどね 』

 

そうだな、と士郎も同意する。

どうあれ、人類の滅亡など受け入れられるはずもない。

 

『この犯人の行動は完璧だ。僕達はその予兆に気づくこともなく人類は焼却された。あの七つの特異点ができた時点で未来は決定している。人類に未来はやってこない』

 

だが。

 

『それは通常の時間軸にいる人間の場合だ。このカルデアが通常の時間軸から離れたことにより、僕達だけはまだ滅亡の未来には達していない。僕達だけがこの間違った歴史を修正できる』

 

それは犯人すらも予想していなかった例外だった。

本来なら一切の反攻を許さないはずの計画に残された、ただ一つの穴。

完璧だった計画の、唯一の計算外。

 

『七つの特異点にレイシフトし、これを破壊する。それだけが人類を救うただ一つの手立てだ』

 

容易いことではない。

カルデアが本来有していた正規のマスターは全員凍結。

所持するサーヴァントはマシュだけだ。

特異点では何が起こるかもわからず、カルデアのバックアップも大したことはできない。

分の悪い賭けだ。

彼らに残された機会<チャンス>は、蜘蛛の糸に等しい。

 

『この状況で、このことを話すのは強制に等しいと分かっている』

 

その重荷をただ一人の人間に背負わせることがどれだけ無謀なことか、ロマニ・アーキマンは理解している。

それでも、彼はそう言うしかない。

卑怯者の謗りを受けようと、未来を取り戻すにはこうするしかないのだ。

故に、彼は言葉を重ねようとして。

 

『もういいですよ。皆まで言わなくても分かりましたから』

 

それは、目の前の少年に遮られた。

ロマニ・アーキマンが背負おうとしている重荷を取り除くために。

彼には先程の冷徹さはなく。

ただ、その瞳に一つの信念を宿しており--

 

『世界を救うため、全霊を以って戦う』

 

自らの口で、そう宣言した。

 

『・・・・・・・・・・』

『・・・・・・・・・・』

 

しばらく、二人は言葉を失った。

彼らは、自分たちがどれほどのことを言ったのか承知している。

世界のために一人の少年を犠牲にすることを覚悟してきた。

どんな罵詈雑言を浴びされても、甘んじて受け入れようと、

そんな二人にとっては、少年の言葉こそが異常だった。

彼らは、自分たちが少年に何を背負わせようとしているのか理解している。

故に、自らその重みを背負うと言った少年は、彼らの理解の外にいた。

この戦いに身を投じるということは、星の重みを背負うのと同義だ。

それは、到底人の身に耐えられるものではない。

恐らくは、死よりも重いだろう重責。

そのことを、この少年は理解しているのか。

 

『・・・・・・・・・・』

 

当然だ。問われるまでもない。

この少年は自分が何をしようとしているのかを理解している。

理解しているが故に、ロマニ・アーキマンの言葉を遮ったのだ。

彼は無知故に無謀を犯したのではない。

単に彼は、耐えられぬはずの重みに耐えられる人間だったというだけだ。

 

『・・・・・ありがとう。君のその言葉で僕たちの運命は決定した』

 

だから、ロマニ・アーキマンにできることは、彼を全力で支えること。

一つの大きな選択をした彼に見合うように、自身の身を削ってでも彼を最後まで導く。

それだけが、彼が出来る唯一の助けだ。

 

『カルデア所長代理、ロマニ・アーキマンから全局員に通達する。これよりカルデアはマスター適正者48番、衛宮士郎を人類最後のマスターに据え、前所長オルガマリー・アニムスフィアの予定した通り、人理継続の尊命を全うする』

 

放たれたロマニの言葉は、通信機を通じてカルデアにいる全ての人々に伝わっていく。

そこで彼らが抱いたのは如何なる感情か。

始まる戦いへの闘志か。

人類を救える可能性への歓喜か。

まだ見ぬ敵への恐れか。

自らが参戦することへの迷いか。

 

『目的は人類史の保護、および奪還。探索対象は各年代と、原因と思われる聖遺物・聖杯』

何であろうと変わりはない。

彼らは自分たちがやるしかないのだと理解していて--それ以上に、彼らもロマニと同じ決意を宿している。

『これは挑戦であると同時に、過去に弓を引く冒涜だ。我々は人類を救うために人類史に立ち向かうのだから』

 

それだけが、生き残るための。

未来へと進むための道である。

--その果てに、たとえどのような結末が待っていようとも。

 

『以上の決意をもって、作戦名はファースト・オーダーから改める。これはカルデア最後にして原初の使命。人理守護指定・G.O<グランド・オーダー>。魔術世界における最高位の使命を以って、我々は未来を取り戻す!』

 

 

 

「いやー。あの時のドクターはカッコ良かったですね。正直、ただのゆるふわだとだと思ってたんで、見直しましたよ」

「いや、あれは一つのケジメというか、何というか・・・・・って何気にひどいな君!?」

 

何時からこちらの会話に気づいていたのか、一人の男性スタッフが混ざってきた。

それはロマニへの賞賛かと思えば、その実まったくの逆である。

 

「確かに見違えましたよねー、あんな風に堂々とできるなんて・・・・・いつもは臆病者なのに」

「君も聞いてたのか!? そして何で最後に悪口が付くの!?」

 

先ほど士郎に付き合っていたスタッフも聞いていたようである。

そしてやっぱり最後は台無しに。

見ると他のスタッフも頷いており、どうやら彼らのやり取りは筒抜けだったらしい。

 

「何でみんなして聞いてるのかなー!? まだ作業とか残ってるよね!? ちゃんと真面目にやろうよ! それからみんなして最後のところに頷かないでよ!?」

「心配せずとも仕事はしてますよ。でもシバを見てたらここの出来事も映るんで、自然と何を話してるのかわかっちゃうんですよ。あと、ドクターがチキンなのは周知の事実ですから」

「ぐはぁ--!」

 

会心の一撃、ロマニに19000のダメージ。

ロマニは息絶えた。

いやいやいやいや。

 

「ドクター、遊ぶのはその辺にして真面目にして下さい。まだ仕事が残っています」

「何で僕なの!? そこは他のみんなでしょ!?」

 

遂には隣の彼女まで弄りだした。

本人は冷静を装っているが、微妙に口の端がゆがんでいる。

楽しんでるのは明らかだ。

スタッフは全員で笑ってるし、補佐役もそっちに移る始末。

一人の味方もいない状況は、まさに四面楚歌である。

 

「僕一応所長代理なのに、扱い酷くない? もうちょっと敬ったりしてくれてもバチは当たらないと思うんだけど?」

「そんなの決まっています--ドクター、器じゃないんですよ」

「なんでさーーーーー!!」

 

管制室に笑い声が響く。

バカなことをしながら彼らの手は止まらず。

失われた未来を取り戻すために、彼らは自らの使命を果たしていく。

 

 

 

 

ちなみに。

ロマニの叫びに、どこかの少年がくしゃみをしたのは、本当に余談だろう。




ここ最近思うのですが、士郎とマシュのカップリングってどう思われてるんでしょうか。
たまにオルゴールver色彩とか最終決戦ver色彩とか聞いてると、やっぱりぐだじゃないと認められない人とかもいるんじゃね?って。まあ、人それぞれ好みがあるので当たり前なのですが。
しかし、一つ思い出してほしい。
最初、マシュはstay nightのキャラクターであり、士郎のヒロインの一人だったと。これはつまり、士郎こそが正統なマシュの相手ということではないでしょうか!? ほら、士剣ならぬ士盾っていい響きじゃないですか。能力的にもうまく噛み合ってますし。個人的に一位士剣、二位士桜。そして三位が士盾なんですよ。いや、三位はただの妄想なんですが。そんなこんなもあり、一時マシュをどう扱うか悩んでいましたが、その答えに辿り着いて迷いは吹っ切れました。このssにぐだはいなかった。マシュがヒロインやっても是非もないよネ。
まあ、その場合、マシュは士郎の理想に勝利し、その後にはセイバーも上回らなければいけないのですが。
頑張れ、負けるなマシュ。


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戦う者達 後編

約7ヶ月ぶりの更新・・・・・。遅い、あまりに遅すぎる。最低更新速度ぶっちぎりだよ。
違うんです。決してエタってたわけじゃ無いんです。ちょっとトラブルが起きまして、8割ぐらい出来てた最新話のデータがいきなりぶっ飛んで、バックアップも取れていないという惨事が起きまして。そのタイミングで第二部だったりapoイベだったり帝都イベだったりと、色々やってきて。大晦日に突然発表された衛宮さん家の今日のご飯もチェックしなきゃだし、と。そんなこんなしてる内に、「あ、そういえばここの部分補足したいなー」とか「もうちょっとカルデアの描写したいなー」とか色々浮かび出しまして。データが消えたのをいいことに急遽予定変更。オルレアン無視して幕間の続きやっちゃった。それが、こんなに長引いて、 本当に申し訳ない。オルレアンまだーとお待ちいただいてる方は、もう少しだけ待ってください(必死
今度こそ、今度こそは早くに更新しますんで!

それでは、遅ればせながら『戦う者達』どうぞお楽しみください。


カルデアが有するキャスターのサーヴァント、レオナルド・ダ・ヴィンチは自身の工房でコーヒーの準備をしていた。

いくつかの仕事を終え暫くは問題ないとのことで、久し振りに自身の研究に没頭するつもりであった。

コーヒーはその供として淹れはじめたのだが--どうやら、彼女が一息つけるのはまだ先のようだ。

 

「砂糖とミルクは入れるかい?」

「あ、はい。--それでは、ミルクをお願いします」

「りょーかい。少し待っててね」

 

工房にいるのダ・ヴィンチだけではなかった。

部屋の主が自作したらしいアンティーク調のイスに腰掛ける少女

かつてはマスター候補であり、現在はデミ・サーヴァントとなったマシュ・キリエライトだ。

彼女はどこか緊張の面差しでコーヒーの準備をするダ・ヴィンチを見やる。

 

「お待たせ。どうぞ」

「あ、ありがとうございます。いただきます」

 

まだ湯気の立つカップを受け取り、そっと口をつける。

コーヒー特有の香ばしい香りが鼻腔を通り抜ける。

正直に言えば、マシュはコーヒーという飲み物があまり得意ではない。

香りだけならば好ましいものがあるが、味がどうしても好きになれなかった。こうしてミルクなりシロップなりを加えれば飲めるのだが、ブラックとなるとあまり多くは飲めない。

今は亡きオルガマリーが仕事の合間に嗜んでいるのを見ては、何が良いのだろうか、と困惑していた。

とはいえ、好意で出された物を残すわけにもいかない。

幸いにして、存外多めに入れられたミルクのお陰で苦もなく飲み干せた。

 

「お味の方は如何かな?」

そんなことを知ってか知らずか。

ダ・ヴィンチは感想を求めてきた。

 

「えっと。美味しい、と思います」

若干動揺しながら、感想を述べる。

本当は美味しいとは感じてはいないのだが、それを直接口にするのは憚られた。

それに、この飲料が自分にあっていないだけで、分かる人が飲めば美味しいのだろう、とも考えていた。

対してダ・ヴィンチはマシュの返しにからかうような笑みを見せ、

 

「いや、失礼。少し意地悪だったね。君がどう感じているのかなんて、顔を見てれば分かるよ」

 

少しも悪びれもせず、あっけらかんとのたまった。

見透かされたとわかった少女は、慌てて自分の顔に手を当てる。

 

「あの、そんなに分かりやすかったですか・・・・・?」

「少なくとも、ある程度人付き合いの出来る人間なら間違いなく気づくぐらいには、ね」

「・・・・・・・・・・」

思わず顔が赤くなる。

人に自分の考えを読まれたという羞恥に加え、無用の気遣いまで気取られたとあっては、とても相手を正視できない。

そんなマシュをからかってダ・ヴィンチは満足したのか、ごめんごめん、と笑う。

 

「私としてはちょっとしたイタズラのつもりだったんだけど、存外効きすぎたみたいだね。どうか許してほしい」

「い、いえ。もう大丈夫ですので、お気になさらず」

今度こそちゃんとしたダ・ヴィンチの謝罪に、マシュがようやく落ち着きを取り戻した。

尤も、まだ多少の気恥ずかしさはあるのだが。

 

「うん。それなら良かった。どうも、ここに来てから緊張しっぱなしだったから少し解してあげようと思ってね。ガチガチに固まったままじゃ、話すことも話せないからね」

 

片目を瞑りながら、笑みを浮かべるダヴィンチ。

しかし、その奥ではマシュへと問いを投げかけていた。

今回、この工房にマシュが訪れたのは、ダ・ヴィンチに呼ばれてのことではない。

この場所へはマシュが彼女に相談を持ちかけるべく訪れたのだ。

 

「君が私を訪ねてくるなんて、そうそうない事だ。私としても快く君の悩みを聞いてあげたい。多分内容は--件の少年、衛宮士郎について、だろ?」

「・・・・・その通りです」

 

マシュはまだ一度も、ここへ訪れた理由を言っていない。

にもかかわらず、彼女はマシュが抱える不安の種を見事に見抜いてきた。

これに関しては、先ほどのように顔を出すようなこともなかったが--自他共に認める天才、レオナルド・ダ・ヴィンチにかかればこの程度の読心は容易い事のようだ。

 

「彼とのことで何を悩んでいるのか。おおよその察しはつくけど、一応、君の言葉で聞かせてもらいたい。君は、何を悩んでいるんだい」

 

その心情をある程度理解して、その上で敢えて問いを投げかける。

問われたマシュは一瞬の逡巡を見せて、わずかに瞑目してからやがてゆっくりと話し始めた。

 

「わたしにも上手く言葉にはできないのですが--ただ、分からないんです。彼とどう付き合えば良いのか」

 

微かに俯きながら、マシュはその胸の内を吐露した。

付き合い方が分からない。

悩みとしてはありきたりで--これから共に戦っていく者として何より優先すべき問題だろう。

マスターとサーヴァント。

双方の信頼が不可欠な関係において、相手を理解する事は絶対条件だ。

けれど、その理解を深めるための近づき方--付き合い方が掴めない、とマシュは言う。

 

「彼との付き合いは決して長いものではありませんし、当然、完全な理解には到底及びません。けど、彼の人となりはそれとなくわかった気がしています。でも--」

 

どうしても、心に引っかかるものがある。

思い出すのは、冬木の戦い。

大聖杯を前に、漆黒に彩られた騎士を見た彼は、わたしの知らないカオをしていて--

 

「--つまり君は、どちらが本当の彼か分からない、と。そう言いたいんだね?」

「・・・・・はい」

 

衛宮士郎が向ける他者への優しさ。それは間違いなく真実だ。

普段から無愛想な顔をしているくせに、困っている人を見れば手助けせずにはいられない。

そんな彼の人となりは、既にほとんどのスタッフにとって既知のものだ。

しかし、冬木で見せた姿が偽りだとも断言できない。

一体どちらが真実なのか。

マシュにはその判断がどうしてもつかなかった。

 

「ダ・ヴィンチちゃんは、どちらが本当の彼だと思いますか?」

 

どこか縋るように、マシュはダ・ヴィンチを見つめる。

果たしてその瞳に何を思ったか、ダ・ヴィンチはわずかに目を閉じ、

 

「--それは、少し難しいね」

「難しい、ですか・・・・・?」

 

困ったような言葉に、マシュは驚きを隠せなかった。

 

--レオナルド・ダ・ヴィンチ。

 

ルネサンス期にその名を馳せ、芸術だけでなく数多の分野に精通する万能の人。

今なお多くの人々に認められる大天才。

その彼女が、分からないと。

たかが一人の少年のことが把握できないと、そう言うのか。

 

「確かに、君が抱える疑問を言葉にするのは簡単だ。これは単に二面性の話。どんな人間も持ち得る別側面だ。君の言う優しさも厳しさも、きっと、彼を構成する要素でしかない」

 

人の心とは複雑なもの。どんな人間にも別側面がある。

誰よりも優しく、人を信じていたからこそ--信用を裏切られた人間が他者を拒絶するような、そんな事例がいくつもある。

それは人として生きていく上で、否応無しに理解するであろう性質。

だから、どちらが真実であるか、という問いは無意味なのだ。

双方があって、彼という人間が存在するのだから。

しかし。

ならば何故、マシュはその性を失念していたのか--

 

「問題はね、マシュ。君がまだ幼すぎる事なんだ。言ってみれば君は、生まれたての赤ん坊だ。産まれてから人に触れたことも、人に触れられたことも、極端に少ない」

「それは・・・・・」

 

ダ・ヴィンチの言葉に、マシュの表情が曇る。

幼すぎる、と彼女は言う。

マシュ・キリエライトには経験が足りず、人間というものを真に理解していないと。

おかしな話だ。

マシュの年齢は最低でも十代後半に達している。

良くも悪くも物事をある程度理解できる年齢だ。

当然、人間の美徳も醜悪さも理解していて然るべき時間を重ねている。

人の身から外れた者や衛宮士郎のような特例でもなければ、外見年齢と経験が噛み合わぬことなどありえない--逆を言えば、マシュ・キリエライトはその特例に当てはまるということであり--

 

「ああ、勘違いはしないでくれ。別に君を攻めてるわけじゃない。これは、誰が悪いという話ではないからね。強いて言うなら、“君を産んだ者達”のせいではあるんだが--」

「いいえ。それは違います。そもそも、彼らがいなければ私はここに存在していません。ダ・ヴィンチちゃんの言っていることは、間違っています」

 

ダ・ヴィンチが言いかけた言葉、それをマシュは全力で遮った。

この大人しい少女にしては珍しく、強く意思のこもった否定だった。

確かに、彼女にとっても他者を貶める発言は容認し難いものがあるが、その“程度で”相手の言を拒絶するようなマシュではない。

まずは相手の真意を探り、発言の意図を理解しようと言葉を重ねるだろう。

しかし今回ばかりは違った。

微かとはいえ、ダ・ヴィンチの言わんとしたことに半ば本気で怒りを覚えすらしたのだ。

そこにどれほどの激情があったのか、普段の彼女を知る者であれば語るまでもないだろう。

少なくとも、彼女にとって先の発言が絶対に容認できぬものであったのは確かだろう。

 

--その意味が明かされるのは、まだ先の事だ。

 

「無論、承知しているとも。誰も悪くない、分かってるさ。だから強いて言えばと--分かった分かった、私が悪かったよ。だからそんな顔をしないでくれ。君を傷つけたりしたら、私がロマンにどやされる」

 

なおも言葉を重ねようとしたダ・ヴィンチだったが、マシュの貌を見た瞬間、両手を上げて降参の意を示した。

基本的にふざけたような性格をしている彼女がこうも容易く引き下がるのは、これまた先のマシュ同様に珍しい--尤も、現在のマシュを見ればほとんどの人間は同じ行動を取るだろうが。

 

「こほん。話を戻すけど、要は時間が足りていないんだよ、何にしてもね。これは今日明日で解決できる事じゃない」

「そう、ですか・・・・・」

 

色々と論理立てては見たが、結局はそれが結論なのだ。

他者との関係を深めるにあたり、それ相応の時間が求められるのはごく自然な事。

どのように近づき、何のために共にあろうとするのか。

それを探ることもまた、人付き合いというものである。

 

「ただ、せっかく頼ってくれた君に何の助言も伝えない、というのは気が引けるの。ここはひとつ、ちょっとしたアドバイスをしよう」

 

如何な天才とはいえ、出会って間もない二人の距離を縮めることも、相互理解させることもできない。

それはやはり、マシュ・キリエライトという一人の人間がこれから時間をかけて見出していかなければならないことだ。

だから、彼女にできることは一つだけ。

先行きの見えない道に躊躇する少女の背中を押してやることだけだ。

 

「これから彼と話す時、遠慮はしないことだね」

 

本当に相手を理解したいのなら。

相手の心に少しでも近づきたいと願うのなら--それは、決して欠かすことのできない一歩だ。

 

 

 

 

 

 

「遠慮をしない、ですか・・・・・?」

「付け加えれば、手加減もしないこと。君は君の願うままに彼と言葉をかわせばいい」

「・・・・・ですが、それは」

 

ダ・ヴィンチちゃんの助言に、わたしは思わず顔をしかめる。

彼女の言わんとすることは、なんとなく分かる。

記憶が戻ってからの先輩は必要以上に他者との関わりを持とうとしない。

カルデアに対する信頼が低いのかそれとも他の理由があるのか。

理由は解らない。

けれど、事実として彼がわたしたちと距離を置こうとしていることだけは窺えた。

 

・・・・・本音を言えば、わたしはそれが嫌だった。

誰とも近づかないように立ち回る彼は、気付いたら陽炎のように消えてしまいそうで。

それをどうにかするためにも、ダ・ヴィンチちゃんに助言を求めた。

・・・・・けど、だからと言って。

 

ダ・ヴィンチちゃんの言う通り何の遠慮もせず、先輩の意思を無視して、ずけずけと彼の心に踏み込んでしまうのは、間違っているのではないか。

 

「気持ちは分からなくは無いけどね。でもはっきり言わせてもらうと、この問題に対して君の懸念は間違いなく邪魔なものだ」

「・・・・・邪魔と言われましても」

 

困ってしまう。

相手が望まないなら過度には交流を持たない。それは、普通のことではないのか。

少なくとも、私はそのように学んできた。

 

「それは間違いじゃないし、君の相手を慮った上で適切な距離を測るというスタンスは人間性という観点で言えば美徳だ。しかし、君がいま直面する問題を考えれば、それは障害でしかない」

「そう、なんでしょうか・・・・・」

 

分からない。

こんな経験は今まで一度も無かった。

相手の意思を無視してでも通したい願望など抱いたこともない。それを実現したいと考えてこともなかった。

どっちつかずだ。

先輩に迷惑をかけたくないと考えているのに、どうしようもなく我儘な思いがある。

どうすることが正解なのか、まるで分からない。

 

--けれど、同時に。

 

ダ・ヴィンチちゃんの言葉は確かに間違っていない。

わたしは、相手を傷つけたくなくて、相手の意思を尊重すべきだと考えたけれど。

もし本当に、彼を知りたいのなら。誰とも触れ合おうとしない彼に少しでも寄り添いたいのなら--それと同じくらい踏み込まないといけない。

もしかしたら、彼には迷惑かもしれないけど。

わたしはそれでも、この想いを諦めたくない。それなら--

 

「--分かりました。上手くいくかは分かりませんが、出来る限り善処します」

 

結局、何が正しいのかはわからない。

何もかも未熟な私にはいつだってわからないことだらけだ。

けれど、今はそれでいい。

未熟者は未熟者なりに、今できる最善を尽くす。

それがいつか、目指した場所に手を届かせると信じて。

 

「ふむ。どうやら踏ん切りがついたようだね」

「はい。お時間を取らせてすみませんでした」

「なに。これも仕事のうちだ。また困ったことがあればいつでも来てくれ」

「その時は、是非お願いします」

 

相談に乗ってもらった上にまた彼女を頼るのは少々負い目を感じたが、この問題はどうあっても私個人の力では解決できないので、ここは素直に好意に甘えておく。

その代わりと言っては何だが彼女の実験や研究などは出来る限り手伝おう、と心に決める。大した返礼にはならないけど、わたしに出来ることといえばそれぐらいだから。

 

「それでは、失礼します」

「ああ。幸運を祈っているよ」

 

最後に励ましを受けて、ダ・ヴィンチちゃんの工房を去る。

向かう先は食堂。

以前から考えていた“案”を実行する。

通信を開き、つい先日新しく追加された先輩の連絡先に繋げる。

 

「先輩、今お時間よろしいでしょうか?」

 

 

これが少しでも彼と近づくための一歩になると信じて。

まだ不安はあるけれど、この願いを果たすためにも、少しずつ前進していこう。

 

 

 

 

 

 

 

「どういうつもりだい、レオナルド」

「ははは。いきなりやってきたと思ったら随分な言い草じゃないか、このお客さん。知り合いじゃなきゃ即締め出してたね」

 

ダ・ヴィンチは辟易した様子で二人目の来訪者に応対した。

彼女の目の前にいるのは医療部門のトップにして現カルデアの指揮代理--即ちロマ二・アーキマンだった。

彼は何の前触れもなくダ・ヴィンチの工房に現れた。

まだマシュが立ち去ってから五分と経っておらず、その上何の脈絡も無しに非難の声をかけられたとあっては、彼女も不愉快というものだろう。

 

「大体、お前まだ仕事があるんじゃなかったのか」

「そうだよ。だから早く戻らなきゃいけない」

 

溜息交じりに話すロマニにダ・ヴィンチは訝しげな目を向けた。

彼女の言うように、彼は多忙にすぎる身だ。

本来の医師としての仕事に加え、カルデアスの観測、復旧作業の指示、各セクションの再編成及び統括、その他諸々の作業を一手に引き受けている。

そのためほとんどの時間、彼は管制室に詰めっきりになるか、機材のメンテナンスに尽力している。

当然、こんな風にダ・ヴィンチの工房を訪れる暇など無く--だからこそダ・ヴィンチは彼の行動に疑問を抱かざるをえなかった。

 

「それで。ホントに何の用事? この忙しい時にわざわざ訪ねてくるぐらいだ。それなりに重要な話なんだろ」

 

実際、確認するまでもないだろう。

このタイミングでの来訪というのもあるが、何より彼がダ・ヴィンチのことをレオナルドと呼ぶ時は、決まって真剣な話をする時なのだ。

 

「要件は一つ。マシュと士郎君のことだよ」

「はぁ?」

 

重々しく吐き出された言葉に、ダ・ヴィンチ訳がわからないとばかりに声をあげる。

カルデアの施設なりシステムなりに何らかの以上でも発生したのかと思いきや、出てきたのは全く関係のない二人の人物だ。疑問に思うのは当然だろう。

確かに、両者共に気にかけるべき事柄はある。

それは例えば、衛宮士郎の素性であったり、デミ・サーヴァント化したマシュの身体機能の変化であったり。

だがそれらは、現状は必要ないものとして先延ばしにしていたり、或いはすでに解決しているものばかりだ。

間違っても、山積みになった他の問題を放り出してわざわざ話すことではない。

そんなことは彼とて理解している。

だからこそ余計に分からない。

質問内容がではなく、それを投げかけたロマ二の意図が全く掴めないのだ。

疑念の目を向けられた当の本人は、険しい顔つきを崩さずに話を続ける。

 

「さっきマシュの相談に乗ってたろ」

「おいちょっと待て。なんでお前がそのことを知って・・・・・ああ、シバを使ったのか。覗き見とはイイ趣味してるじゃないか」

「そのことについては悪いと思ってる。けど、マシュが何やら深刻な顔をして君の工房に行くものだから、心配になってね」

「ふーん。心配、ね。--まぁその事はいいや。確かにお前の言う通り私はお悩み相談やっていたさ。けど、別にまずい事は言ってないし、変なことを教え込んでもない。それで一体何が問題なんだよ」

 

問題はないはずだ。

今回、ダ・ヴィンチは本当に心の底からの善意でマシュからの相談を受けた。

彼女の悩みも真摯に受け止め、出来うる限りの答えを返した。

ここでロマニに非難される謂れはないし、そもそも二人の様子を見ていたのなら、何ら問題はないと把握しているはずだ。

彼女には何の落ち度もなかった--だからもし、本当に問題があったとすれば。

それは相談に乗ったことではなく、受けた悩みの内容の方だろう。

 

「何で、士郎君との付き合い方に関してアドバイスなんてしたんだ」

 

ロマニの指摘は、余人からすれば理解しがたいものだろう。

彼を知る者からしても、この発言は彼の普段のイメージと合致しないはずだ。

自分の知己である少女が知り合った人物との親睦を深めるため、何か良い方法はないかと尋ねてくれば、おおよその人間は親身になって応えてくれるはずだ。

ロマニを知る者は、彼が意図的に他者に厳しく接しコミュニケーションを妨げるような行動を取る訳がないと考えている。

しかし、一人だけ。

ダ・ヴィンチだけは、彼が何を言わんとしているのか、正しく理解した。

 

「つまり、マシュが彼と仲良くなるのには反対だと?」

「・・・・・君も分かっているだろ、レオナルド。彼は--異常だよ」

 

予感があった。

決して拭うことのできない違和感があった。

ロマニもダ・ヴィンチも、衛宮士郎について決して多くを知るわけではない。

彼の生い立ち、彼の人生、彼の思想。何もかもが未知のままだ。

本来なら、衛宮士郎がいかなる人間か判断することなどできず--それでもなお、ロマニが衛宮士郎を異常と断ずるのは。

 

--思い起こすは、冬木の戦い。

 

レイシフトを始めて用いた初の実践、ファースト・オーダー。

彼の舞台に、彼は巻き込まれる形で登壇した。

本来、被害者たる彼があの事態に対し何らかのアクションを取る必要はない。当事者であったとはいえ、彼にとっては関係のない事柄なのだから。

安全な場所を確保して、ただ救助を待っていればよかった。

マシュのようなデミ・サーヴァントでも、オルガマリーのような魔術師でもない。

彼女らには立場があった。知識があった。力があった。

彼に戦う必要は無い。解決の手立ては無い。才能なんてものは欠片も無い。

それどころか、記憶<ジブン>すら無い。

そんな彼が戦うべき理由が、どこにあるのか。

本来、彼がすべきは失われた記憶を取り戻し、あの地獄から生還することだった。それ以外の事象は、度外視すれば良かったのだ。

それなのに--

 

--こんなことをする奴がいて、マシュやオルガマリーさんがそれを止めようとしている。それを放っておくことなんてできない。

 

「僕にこんなことを言う資格がないって事はわかってる。それでも、彼をマシュに関わらせる事は--できない」

 

それがロマニの結論だった。

衛宮士郎との繋がりは、いつかきっと、マシュ・キリエライトに不幸をもたらし、二度と取り返しのつかない結末を招くだろう、と。

 

「----」

 

冬木の戦いをモニターしていたスタッフは、その特異性に気付いてはいないだろう。

そもそも、あの時はそんなことを思いつく余裕もなかった。

だが、あの緊急事態において、ロマニとダ・ヴィンチだけは気付いていた。

失った記憶も自らの安全も度外視し、ただ人々を救うためだけに行動しようとする彼が、まともであるはずがないと。

それが彼らの共通認識。

ある意味正反対とも言える両者の考えは、奇しくも同じ結論に達していた--だが。

 

・・・・・なるほど。こいつはそっちを選んだのか。

 

一つだけ両者の間で食い違う部分があった。

ロマニは衛宮士郎は異常であるが故に、マシュを深く関わらせてはいけないと考えたが。

彼とはどこまでも相反するダ・ヴィンチは。

 

「悪いけど、私はその意見には反対だな」

「・・・・・と、いうと?」

「言葉通りの意味だよ。あの子が自分の意思で決めたことなら、彼女の好きにさせればいいさ。私たちが口を挟む必要もないだろ」

「それは・・・・・」

 

なにもかもマシュ本人に委ねる。

いかなる選択、出会いを経ようと、それは彼女だけのモノであり余人が立ち入って良い道理はない。

ましてや、彼女の持つ関係を一方的に断ち切る権利などあるはずがない。

ロマニ・アーキマンの言は単なる横暴だ、とダ・ヴィンチは断じる。

否定のしようがない正論だ。

ロマニの言葉がどんな感情から出たものであろうと、マシュ個人の判断を彼が縛り付ける事は許されない。

それは彼も理解しているのか。ダ・ヴィンチの言を受け、ロマニは押し黙ったままだ。

彼とて、不本意ではある。

これまで滅多に感情を見せずその起伏も少なかったマシュが、自分から進んで誰かに関わろうとしているのだ。

彼の主治医としても、ロマニ・アーキマンという一人の人間としても応援したい。

だが、その結果マシュが傷付いてしまうのは見過ごせない。

だからこそロマニは葛藤する。

マシュが初めて興味を持った、衛宮士郎という異常にどう向き合えば良いのか。

 

--もしも。

 

もしも、彼女のマスターが衛宮士郎とは全く違う、それでいて魔術師ですらない“普通”の誰かだったなら。

そんな、無意味なIFを考えてしまう。

 

「そう悲観的になるなよ。案外上手くいって、お前の杞憂に終わるかもしれないだろ?」

 

難しい顔で思案し続けるロマニを見かねたのか、或いは本気でそう思っているのか、ダ・ヴィンチはそんなことを宣った。

今しがた別のことで悩んでいた頭が、今度は別の意味で痛くなってきた。

ロマニは、ため息を一つ付き、

 

「楽観的すぎる。そんな都合の良い結末になる訳ないだろ」

 

実に彼女らしい、そして彼女らしからぬ無責任な言葉だ。

万能の天才たる彼女であれば、概ねの出来事は上手く回るのだろう。

ある程度の地位や名声なら、彼女ほどの人物であれば容易に築けるのだろう。

だが、先述したように彼女は“天才”だ。

己と他者との差異を彼女は過たず理解しており、世の道理というものを弁えている。

だからこそ、発言者たる彼女が一番理解しているはずだ。

何もかも上手くいく。それが、決して叶うことのない夢物語なのだと--

 

「ふふん。相変わらずこういう所は発想が貧相だな」

 

故に、そんな当然を当たり前のように受け入れきっている凡才<ロマニ>を、天才<ダ・ヴィンチ>はごく自然に笑い飛ばした。

 

「え・・・・・?」

「お前は何もかも都合良くいかないって言うけどさ、そんな保障がいったいどこにある」

 

未来は不確定だ。当人の選択、周囲の環境次第でいくらでも変化する。

より良い結果に行き着くこともあれば、最悪の終末を迎える可能性だってある。

過不足なく、満遍のない人生を過ごすこともあるだろう。

何もかも都合良くいかないというのなら、それこそ、都合の良い幻想だ。

多くの人は先行きの見えない道を怯えながら、それでも手探りで進んでいく。

より良い未来にたどり着こうと、必死に生きている。

未来は悲惨だと、決して変えることはできないと、そんな風に断言できる人間は存在しない。

仮令、そんなことができる人間がいるとすれば、それは--

 

「可能性の話、だろ。言い出したらキリがない。それに。そんな最良の未来を手に入れるのがどれだけ困難なのか、わかりきっているだろ」

 

未来は不確定だ。当人の選択、周囲の環境次第でいくらでも変化する。

しかし、だからこそ。

可能性というものが無限の存在であるが故に、用意されている道筋も無数だ。

その中で、自身が望む未来だけを取捨選択することは、実質不可能だ。

ならば、その道筋を少しでも限定するために、不安要素を排そうとする彼の考えは間違いではない。

 

「まったく。やっぱりお前とは話が合わないな」

「当たり前だろ。君は誰もが認める天才で、僕はただの凡人だ。見ているものなんて、それこそ天と地の差がある」

 

結局、彼らはどこまで行っても相容ることはない

持って生まれた才も。目指してきたモノも。見ている世界も。

彼らの間には決して埋めようのない溝がある。

それはどうやっても解決できないもので--それを承知で、彼らは同じ場所に立っている。

 

「分かった。僕も暫くは様子を見るよ。まだ、士郎君の全てを把握したわけじゃないしね」

 

ダ・ヴィンチから視線を切り一つ息を吐いた彼は、先ほどまでの言をひとまず取り下げた。

 

「おや。さっきまであんなに反対していたのに。どういう風の吹き回しだい?」

「僕としても不本意ではあるからね。彼らが上手く付き合ってくれるのなら、それに越したことはない」

 

険の取れた、穏やかな表情で彼は言った。

考えが変わったわけではない。

衛宮士郎の異常性は良くも悪くもマシュ・キリエライトに大きな影響を及ぼす。

それが良い方向に向かうことはないだろう。

けれど、今だけは。

何も起こらず彼らが笑いあえるささやかな未来、そんなささやかな幸いを夢見ることは自由だろう。

 

--たとえそれが、儚い幻想なのだとしても、今くらいは。

 

「そろそろ行くよ。貴重な時間を潰してしまって悪かったね」

「あんまり悪いと思ってなさそうな謝罪をどうも有難う。別に気にする必要はないよ。今からでも十分に楽しめる」

「・・・・・まあ、時間さえ守ってくれれば好きにしてくれて構わないか」

 

きっと碌な物を作らないんだろうなぁ、と一種の確信を得ながら、しかし今は放置しても問題ないだろうと判断し、ロマニは若干現実逃避気味にダ・ヴィンチの工房を後にした。

 

「やれやれ。こういう所も鈍いんだよなぁ、あいつ。あんなのを見せておいて、この私が気づかないとでも思ったのか」

 

今度こそ誰もいなくなった自身の工房で、淹れなおしたコーヒーを啜りながら、ダ・ヴィンチは苦笑した。

初めから違和感があったのだ。

衛宮士郎がいくら異常に映ったとはいえ、行動が早すぎるし過剰だった。

重要な事柄に関しては慎重を期する彼らしからぬ態度に、ダ・ヴィンチは疑問を抱いていた。

それが何なのか初めは分からなかったが、彼が見せたさっきの表情で、おおよそ理解できた。

 

「言い出しっぺは・・・・・まあ、間違いなく“彼”の方か。ロマニのやつも半々だったみたいだし、決めたのは本人だろう。・・・・・ほんと、どっちも不器用なんだから」

 

あからさまな溜息をついて、ここにはいない“二人”の人物に呆れを表す。

色々な意味で忙しくなりそうだ、と胸の内で独りごち、先ほどの発言通りダ・ヴィンチは自身の研究に没頭していった。

 

 

 

 

 

「------」

 

抑えきれない緊張を抱えながら、見慣れた通路を歩く。

わたしは自身のマスターである衛宮士郎に一つの()()を持ちかけた。

聞き届けてもらえるとは、思っていなかった。

これは彼にとってただ迷惑なモノだ。聞き遂げる義務も、引き受ける責任もない。

だから、目覚めてからも多忙な彼は、当然のように断ると予測していた。

それでも彼に話したのは単純に諦めきれなかったから。

何もしないよりはよっぽど良いだろうと考えての行動だった。

それが幸いしたのか、結果は予想を裏切り彼はわたしの言葉に頷いてくれた・・・・・いや、正確には詳しい話を聞くと言ったのだ。

一度、二人で話をしてそれから決めよう、と。

ただ返答をする際に、彼の声色が僅かに沈んだのが気になった。

それが五分ほど前の話。

わたしは件の話をするために食堂へと向かっている。

指定された時間は通信を終えてから十分後だが、

 

「五分前行動は基本中の基本、ですよね」

 

少し早いかもしれないが、自分から話を持ちかけた以上、まさか遅れるわけにもいかない。

だから決して間違った行動ではないだろう、と心の中で頷く。

ついでだから、彼が来る前に話のお伴として厨房にお茶を用意してもらおう。

そんな他愛のないことを考えていると、目的地の食堂に着いた。

厨房の奥ではスタッフの方々がまだ終わりきっていない食器洗いなどをしている。

そう忙しそうには見えないが、お仕事中に声をかけるのも迷惑だろうと思い、そのまま適当な席へと座ろうとする。

 

「・・・・・あれ?」

 

そこで、微かな違和感を覚えた。

厨房の奥、ほとんどのスタッフが後片付けをする中、一人だけコンロの前に立ち異なる作業を行う人物が一人。

白い制服に、似合わぬはずのエプロンを見事に着こなす後ろ姿はここ最近お馴染みになりだした人物で--って。

 

「何してるんですか先輩!?」

「ん?」

 

声をかけられたことで初めてこちらに気づいたのか。

振り向きつつ不思議そうな顔をするのは、たった今わたしが考えていた、件の少年であった。

 

「もう来たのか、マシュ。まだ約束の時間より早いぞ」

「あ。いえ。話を持ちかけたわたしが遅れてはいけないと思って。先輩こそ、かなりお早いご到着だと思うのですが・・・・・」

「少し長い話になりそうだったからさ、先にお茶でも淹れようかと思って」

 

厨房越しに話す彼の後ろには、なるほど、確かに湯が沸かされていて近くにはポットや紅茶の茶葉が用意されている。

流石、カルデアに来て一日足らずで食堂の総料理長に抜擢されたマスター。

下準備に抜かりがない--いや、感心している場合ではなくて。

 

「すみません。お時間を割いて頂いた上に、お茶の用意までしてもらって」

「ん。まあ、用事があるといえばあるけど、マシュの話を聞くぐらいの時間はあるから気にしないでくれ。お茶も俺が勝手に用意しただけだしな」

 

答えながらも、彼は着々と準備を進めていく。

その手際は、料理などに疎いわたしでもわかるほど洗練されたモノだった。

 

「これで完成っと。うん、上出来だ」

「あら。もう終わったの?」

 

そんな時、完成した紅茶の出来に満足する彼に声をかける女性が一人。

 

「すみません、オルコットさん。仕事を抜けたうえに片付けの最中に邪魔しちゃって」

 

彼が頭を下げた女性--エマ・オルコットは食堂で働く料理人<シェフ>であり、現在彼が務める総料理長を数日前まで任されていた人物だ。

なんでも、マリスビリー前所長が旅先で訪れたレストランで偶然出会ったらしく、そのままスカウトされたとか。

彼が来るまで厨房を取り仕切っていただけのことはあって、料理の腕前も確かなようだ。

 

「いいわよ、別に気にしなくても。大体は片付いてもう直ぐ終わるところだったから。それに士郎君の技術も盗み見れるしね」

「盗み見るって・・・・・そういうのは本人を目の前にしていうことじゃないですよ。というより、俺なんかを見習わなくても、オルコットさんもかなりの腕前じゃないですか」

「甘いわよ、士郎君。料理は死ぬまで勉強。新しいモノ、自分以上の存在があるのなら積極的に学ぶのが私の流儀よ」

「・・・・・参ったな。そんなに気合を入れられたんじゃ、こっちも下手のモノは作れないですね」

 

力強く宣言するエマさんと苦笑する先輩。

まるで熱心な学生に質問攻めされる教師のようだ。

カルデアに在籍して日の浅い彼が他のスタッフに馴染めているのは大変喜ばしい。

ただ、少し意外でもある。

彼女が衛宮士郎を少なからず慕っているという事実に、驚きを禁じ得ない。

今でこそ良好な関係を築いているが、先輩が食堂に入ると言われた時、誰よりも早く、そして強く反対したのは彼女らしいからだ。

彼女が何に対して反発したのかは分からないが、少なくとも先輩への恨みつらみがあってもいいはずだ。

だが、彼女はそんな素振りを見せるどころか真逆とも言える対応を見せている。

いったい如何なる心境なのか、一度聞いてみたいものだ。

そんなことを考えている間に話が終わったのか、先輩がお盆に紅茶とお茶請けであろうクッキーを乗せて厨房から出てきた。

 

「悪い、待たせちまった」

「い、いえ。お願いしたのこちらですので。どうかお気になさらないでください」

「それこそ気にしなくてもいいんだけどな。まあとりあえずこれでも飲んでくれ・・・・・あと、お茶請けが差し入れの余りなのは目を瞑ってくれると助かる」

「はい。それではいただきます」

 

自分自身、ここに来るまで緊張だったり不安だったりで少々の心労を感じていたので、彼の言葉に素直に従った。

カップに注がれた紅茶を一口含む。

 

「美味しい・・・・・」

 

意図せずして言葉が漏れてしまった。

口にした途端に鼻を抜ける心地いい香りと爽やかな甘みが気分を落ち着かせてくれる。

次いでクッキーにも手を伸ばす。

こちらも信じられないくらいに美味しくて、紅茶との組み合わせも抜群だった。

 

「なんだか緊張してるみたいだったから気分が落ち着くやつを選んでみたんだけど、どうやら正解だったな」

「はい、少し気分が楽になりました」

「そう言ってくれるとこっちも入れた甲斐があるよ。あ、お代わりが欲しかったら言ってくれ」

「それでは、もう一杯だけお願いします」

「あいよ」

 

カップを受け取った彼はポットから紅茶を注ぐ。

この工程にも私が分からないだけで凄まじい技巧が凝らされているのだろう、と飲み干した紅茶の出来からそんな事を考える。

 

「それにしても、紅茶にはリラックス効果もあるのですね」

 

差し出されたカップを見て、ふと、そんなことを言った。

 

「紅茶に限らずお茶にはいろいろな効能があるんだ。さっき出したのはリラックス効果が高いものだったけど、他にも血行促進や新陳代謝の調整、他にも健康にいいものもあったりするな」

「飲むだけで健康になれるとは・・・・・お茶というものは凄いんですね」

「まあ、流石に何でもかんでもできるってわけじゃないけどな」

 

そんな益体も無い会話を数分ほど続ける。

わたしとしては、このまま話し続けていたい感情があった。

冬木から帰還してからは互いに休む間も無く、ゆっくり話せる時間などなかった。

今回はその多忙の中から強引にねじ込んだ空き時間なのだ。

だからこの機に彼とはいろいろな話をしたい、少しでも多く彼の事を知りたい、そんな考えが頭を過る。

しかし、忘れてはいけない、今回の本題はまた別のところにあるのだと。

時間も差し迫っている、そろそろ本題に映らなくてはいけない。

そんなわたしの思考が伝わったのか、相手の方から切り出してくれた。

 

「・・・・・さて。落ち着いたみたいだし早速本題に入るけど--さっきの話、あれは本気か?」

「はい。可能であれば是非お願いしたいのです」

「鍛錬、か・・・・・」

 

先輩が呟いた言葉--それこそ、わたしが彼に持ちかけた提案だ。

これから先、困難を極めるであろう戦いを前にいまのわたしでは力不足だと感じた。

宿した英霊の真名も分からず、宝具を発動することすらできない。

そんな欠陥サーヴァントが、何かの役に立つはずがない。目の前の彼を守ることすらままならない。

あの時と同じ。守られて、傷つく彼を見ていることしかできない。

それは駄目だ、それだけは絶対に避けなくてはならない。

けれど、わたしにはそれを覆す方法がない。

どうやっても、自らの脆弱性を克服することができない。それなら--

 

「他のナニカで補うしかない、と。考え自体は間違ってないんだが--可笑しな話ではあるな」「・・・・・すみません」

 

俯きながら彼の言葉に同意する。

自分自身、酷い矛盾だと思う。

守る力を手に入れるために庇護対象に修練を求めるなど、本末転倒にもほどがある。

いや、そもそも護衛者が護衛対象より弱いという時点で破綻している。

 

「一つ聞いていいか」

 

後ろ向きな思考は、目の前にいる彼によって遮られた。

完全に思考に没頭していたと気づき慌てて視線を戻す。

 

「はい。なんでしょうか」

「マシュはさ、何で戦おうと思ったんだ」

「何故、ですか・・・・・?」

 

それは、考えてもみない問いだった。

何故、戦うのか。

この先の道行きには、多くの困難が待ち受けていると知っていて。

ひょっとしたら、死んでしまうかもしれなくて。

それでも、戦いに身を投じるに足る理由。

それがあるのかといえば、勿論ある。

わたし達が戦わなければ人類の未来が取り戻せない以上、戦うという選択は当然のもので。

それ以前に、今のわたしはサーヴァント。

マスターが戦いに赴くというのなら、それに着いて行かない道理はない。

 

・・・・・けど、先輩が言っているのはそういうことじゃなくて。

 

使命でもなく。責務でもなく。助けられた恩義でもない。

わたしだけの理由。

他の誰でもない、マシュ・キリエライトの心を、彼は聞いているのだ。

 

「・・・・・」

 

だからこそ、答えに窮する。

彼の問いとは即ち、わたしの疑問でもあるからだ。

確かに、わたしは人類のためというだけでなく、彼と共に戦いたいと思っている。

けれど、それがなんでなのか、わたし自身にも解らないのだ。

自身すら自覚できない事を、言語化することは不可能だ。

わたしは確かな後押しもないままこの戦いに臨んでいる。

・・・・・それでも。

それでも、何故戦うのかと問われれば、それは--

 

「わたしにもよく解っていないんです。何で戦おうとするのか、わたしはまだ理解できていない」

「・・・・・・・・・・」

「--けど、だからこそ。わたしは、この想いの源泉を知りたいと思うんです」

 

結局、それが答えなんだろう。

あらゆる歴史が焼却され、多くの想いが無に帰し。

人類の未来が失われてなお、わたしが戦う理由はそれだけなのだ。

 

--知りたい。

 

今までだって、知りたいものは山ほどあった。

空の色や、土の香り、人々が行き交う街の様子。

知らないことだらけのわたしには常に知りたい、という欲求があった。

暇さえあればカルデアにいる色んな方の話を聞き、何度も資料室に足を運んだ。

何かを知りたいという想いはわたしにとって身近なもので、それこそ、今までの人生の半分はそこに集約されると言っても過言ではない。

けれど、彼に抱いた“ソレ”は、今までのものとはナニカが違った。

わたしにとって何かを知るということは、夢を見るようなものだ。

まだ見ぬ世界への憧憬、決して手の届かない場所に少しでも近づくための足掻き。

だからこそ、それらを叶えれらることは、きっとあり得ないだろうと考えている。

だって、もし自身が望む通りに実現できることなら、夢とは言わない。叶えられる、叶えるための努力ができるというのなら、それは願いと言うべきだ。

だから、これはどうあっても実現しない夢物語なのだと一つの諦観を抱いていて--彼の事だけは、決して諦められなかった。

何故、彼だけは諦めきれなかったのか。何が、彼と他のものを分けたのか。

到底、それらの正体を明確にする事はまだできないけれど。

この疑問を、疑問のまま終わらせたくなかった--

 

 

 

 

 

 

告げられた決意を、衛宮士郎は真っ向から受け止める。

 

「--知りたい、か」

「はい」

 

その言葉は、決して強いものとは言えなかった。

込められた想いも、叶えようとする熱意も、間違いなく本物だ。

先に言ったように、彼女はソレを貪欲なまでに求めている。

しかし、士郎は見抜いていた。

絶対に譲れないと告げられた言葉。

そこに混ざる、マシュ・キリエライトの迷いに、彼は気付いていた。

ダ・ヴィンチに相談を持ちかけ、士郎と話して、それでもなお彼女は考えている--本当にいいのか、と。

人類の未来がかかった戦いに、そんな不謹慎な感情を抱いたまま参戦していいのか。

自らの自己満足に、他人を巻き込んでいいのか。

それらの不安と不信は、常に彼女につきまとっている。

生き残った彼らは、その肩に余りに重いものを乗せている。

人理修復。星の行く末を決める戦い。

途方もない、されど揺るぎようのない夢物語<ゲンジツ>。

カルデアに残された人々が挑むべきは即ち、そういうものだ。

彼らは一切合切をかなぐり捨て、如何なる犠牲も容認しこの戦いに勝利しなくてはならない。

そこに私欲を挟む余地など存在しなければ、そのような“余分”を持てるほどの余暇を、彼らは持ち合わせていないのだから。

 

だというのに、彼女は求めている。望んでしまっている。

知りたい、などと。

焼却されてしまった人々がもはや思うことすらできなくなった願いのために戦うなど、果たして許される事なのか。

その思考があるからこそ、彼女の言葉には揺らぎがある。

 

・・・・・いや、逆か。

 

切望しながら迷いを抱いたのではなく。

どうしようもない迷いを抑え、それを求める。

本来なら、それを口に出すことすら、彼女には耐え難い苦悩があったはずだ。

この状況、断崖に立つかのようなこの現状で、我欲を通すことがいかに許されざる悪徳か、彼女は正しく認識している。

それでも、彼女は求めたのだ。

人理の重みに比べれば余りにもちっぽけで矮小な、自己満足。

たとえ、想うことすら憚られるような願望であったとしても、それだけは--

 

「最初に言っておくと、俺には才能がない。純粋な打ち合いで競うなら、マシュに宿る英霊以下だ。だから、教えられる事なんてほとんど無い。それでも、構わないか?」

「はい。それでも、お願いします」

「--分かった。ドクターには俺の方から話しておく。準備とスケジュールが決まり次第、マシュに連絡するよ」

「ッ----!」

 

ぱぁあ、と一気に顔を明るくさせ椅子から勢いよく立ち上がるマシュ。

 

「ありがとうございます、先輩!」

 

深々とお礼をした後、行きたい場所があると言って、すぐさま食堂を飛び出していった。

二、三会話をしていくものかと思われたが、よほど興奮していたのだろう。

置き去りにされた士郎が、しばし呆然と口を開けていた。

とはいえ、それもほんのわずかな時間。

一度了承した以上、要望にはしっかりと答えなくてはならないし、それを理由に他の事を御座なりにする気もない。

加えて、いつ作戦が開始されるか分からないこの状況で、どれだけの時間が取れるかも分からない。

再起動した脳内で、これからのスケジュールや訓練内容を調整して行き、

 

「--若いって、いいわねぇ」

「・・・・・唐突に出てきての第一声がそれですか、オルコットさん」

 

背後霊のごとく現れた副料理長殿に、思考の中断を余儀なくされた。

後ろに立つ彼女は、どこか遠い目でマシュが立ち去った後を見つめており、その視線の先に若かりし頃の姿でも見ている老人のようだった。

 

・・・・・っていうか、貴女も十分若いですよね? オルコットさん。

 

「気分の話。昔ならともかく、今はあんな風に全力全開ってわけにはいかないわよ」

「ついさっき料理は死ぬまで勉強、なんて言ってた人の言葉とは思えないですね」

「さて、なんのことだったかしら? 学び甲斐のある新人が現れたおかげで、他の事を頭に留めておく余裕は無いのよねー 」

 

都合の悪いことは忘れさせてもらった、とでも言わんばかりの白々さだ。まったくもって質が悪い。

こちらはまだ記憶の欠損があるっていうのに、そのふざけ方はいかがなものか。

もっとも、さして気にしているわけでもないので、苦笑しながら流しておこう。

 

「ところで、俺に何か用ですか?」

「そうそう、忘れるところだった。私たちもひと段落して今から休憩に入るんだけど、あなたはどうする? もし暇なら色々と聞きたいんだけど・・・・・」

「すみません。今日はまだやりたいことがあるので」

「それは残念。でもまあ、仕方ないか。じゃあ、また今度時間があればお話ししましょ」

「ええ、その時はまた」

 

じゃあねー、と手を振りながら去っていくエマ。

士郎自身、出来るだけお願いや頼みは聞いてあげたいが、今は優先すべきことがある。

 

「やり方は・・・・・これで合ってるか」

 

右手をたどたどしく振るい、通信を開く。

先日登録したばかりの連絡先一覧を開き、目当ての人物へと繋げる。

数秒で通信は繋がり、ふわりとした栗色の髪が画面に映り込む。

 

『士郎君? 君から連絡をするなんて珍しい、というか初めてだね。もうそれには慣れたかい?』

「ああ。なんとか連絡をできるぐらいにはな。ところで、ドクターは今時間あるか?」

『今から休憩に入るところだから大丈夫だけど、何かあったのかい?』

 

なんとなしに紡がれた言葉に、少しばかり驚く。

世界が焼却されて以来、彼が休む姿を士郎はほとんど見た事がない。

周りのスタッフが何度か注意しても、一向に休息を取ろうとしない。

士郎もそんな様子を知っており、何人かのスタッフに少しでも疲労の取れる食事を提供してくれ、と懇願されたのだ。

だから、珍しく休みを取ろうとする彼に一体どんな心境の変化だ、と聞こうとして--ロマニ背後にいる、般若の如き表情を浮かべる副司令官殿を見て何となく察した。

 

・・・・・遂に、雷が落ちたか。

 

彼のワーカーホリックぶりは目に余るものがあった。遅かれ早かれ、こうなることは決まっていたのだろう。

お陰で彼と話す事ができるので、心の中で彼女に感謝を告げておく。

 

「相談というか、少し話したい事があるんだ」

『分かった。どこで話そうか』

「そう深刻な話でもないから、落ち着いて話せるならどこでもいいよ」

『それなら管制室近くにある休憩室に来てくれ。そこで先に待ってるから』

「了解。五分ぐらいでそっちに行くよ」

『うん、それじゃあまた後で』

 

通信が切れるのを確認し、この場を片す。

指定場所は管制室近くの休憩室。食堂(ここ)からそう時間はかからない。

しっかりと後片付けをするぐらいの時間はある。

こればかりは性分だな、と頷きながら士郎は作業をこなしていった。

 

 

 

 

 

 

「武器庫に入れないか、だって?」

「ああ。出来れば今日中にでも入りたいんだけど、駄目か?」

 

休憩所の一室で、唐突な士郎の要望にドクター・ロマンは首を傾げた。

たまたま近くにいたスタッフが聞こえてきた物騒な言葉に飲んでいたドリンクを吹き出し、共に談笑していたスタッフの制服に吹きかけるという惨状が繰り広げられていたが、まあ気にする必要はないだろう。

 

「一応聞きたいんだけど何で武器庫なんかに・・・・・というか何で知ってるの?」

「いや、普通に地図に載ってたから。それに、何故っていうなら魔術師の研究機関に何であんなものがあるんだよ」

 

本来、魔術師と科学は正反対に位置する。

一部の例外を除き、殆どの魔術師は現行科学の産物を唾棄すべきものとし、頼ることもなければ、認めることもない。

双方は共に対立し、その関係は決して交わらない水と油。或いは手の届かぬ鏡面存在。

魔術師は過去に、科学は未来向かって疾走する、とはある女魔術師の言葉だ。

同じ場所を目指しながらも、二つの道はあまりに隔絶しており、それらが交差することは決してない。

それが、真っ当な魔術師と科学の関係。

だが、

 

「はじめは礼装なりの保管庫かと思ってたけど、まさか本当に武器庫だったとは。魔術師の工房で自動小銃やらが保管されてるとは夢にも思わなかった」

 

まさに驚天動地、青天の霹靂だ。

このことを知ったときの衝撃たるや、彼の騎士王がジャンクフードをモッキュモッキュと頬張っていることと同義、と言えばお分かりだろうか。

 

「どう考えても魔術師には必要ないものだろう。アニムスフィアみたいな家柄なら尚更だ」

 

魔術協会、その総本山たる時計塔を束ねる十二の君主<ロード>。

そのロード達も一枚岩ではなく、主に三つの派閥に分かれる。

即ち、貴族主義派閥・民主主義派閥・中立派閥の三派閥であり、アニムスフィアは貴族主義に属している。

彼らは何よりも血統を重んじ、いかに才能があろうと歴史浅き者は歯牙にも掛けない。

いかにも魔術師らしい魔術師であり、そんな彼らが科学を用いるなど自らを貶す行為に他ならない。

もしそんな事実が露見しようものなら、ロードの面汚しという誹りは免れないだろう。

ロマニもその考えに頷く。

本来、アレは魔術師が持っていいものではない、と。だが、

 

カルデア(ここ)は例外だよ。創立したのは先代所長のマリスビリーだけど、その承認は国連によるものだからね。色々と条件があって、あそこもその一つさ」

 

カルデアは魔術師所有の研究所であると同時に、国連所属の特務機関でもある。

その立場上、様々な分野において一定の基準がある。

武器庫もその一つで、特殊にすぎるこの研究所は規模こそ小さくとも軍事施設並みの装備が整っている。

 

「国連承認といっても、設立当初はいろんな方面に目の上のたんこぶ扱いされてね。何度か諜報員だったり工作員だったりが送り込まれるなんて事もあったんだ」

「それはまた、難儀な話だな」

 

なんとも物騒なことを軽く言ってのけるものである。

とても笑って流せるものではないだろう。

とはいえ、武器庫があった理由はこれで分かった。

小さくない疑問も解消できたし、そろそろ話を戻すとしよう。

 

「話が逸れたけど、武器庫に入りたい理由は戦力強化の為だ。これから先、冬木以上の戦いが待ち受けているとすれば、それ相応の武力がいる。いくらか武器を持っていければ、何かの足しにはなるだろう」

「--話は分かったけど、あれが本当に必要なのかい? 君なら自前の剣を使った方が早いんじゃないか?」

「そこは魔力量の問題だな。確かに俺は剣に近いものなら大抵は用意できる。実際、そっちが本領ではある。けど、俺の生成できる魔力量はお世辞にも多いとはいえない。極力、魔力を用いず効率よく戦う手段が欲しいんだ」

 

その点でいえば、銃というのは実に優秀な武器だ。

弾さえ大量に用意すれば様々な局面に対応できる。

弾丸や銃本体に少しばかり()()すれば、魔獣や霊体にも通用する。

流石にサーヴァント相手では分が悪いが、冬木で見かけた骸骨兵のような下級の使い魔程度なら容易く屠れる。

 

「けど、持ち運びはどうする? レイシフトではあまり多くの物を持ち運べないよ」

「その辺りはダ・ヴィンチちゃんに頼んである。まだ詳しくは聞いてないけど、明日までにはなんとかしてくれるそうだ」

「なるほど、それなら問題ないかな。分かった。武器庫への入室と火器の取り扱いを許可するよ。詳しいことは責任者と決めてくれ」

 

ロマニはそう言ってから後ろを振り返り、休憩中だった一人のスタッフを呼び出した。

「ちらちら話は聞こえてましたから大体察しはつきますけど、一応聞いておきます。いったい何の用ですか? ドクター。」

「多分考えてる通りだよ。君には士郎君の手伝いをして欲しいんだ、ランディ」

 

ランディと呼ばれた男性スタッフ。

見てみると、その人物は先ほど話し相手吹き出した飲み物をにぶち撒けられるいう惨状を被った張本人だった。

彼の奥、先ほど座っていただろうベンチにはシミのついた制服が置かれている。

どうやら、被害はそれなりの規模のようだ。

 

「士郎君、紹介するよ。彼はランディ。武器庫の管理をやってもらってる」

「ランディ・スミスだ。こうやって話すのは初めてだな」

「改めまして衛宮士郎です。前に自己紹介した時は軽い顔合わせだけでしたからね」

 

差し出された手を握りながら言葉を返す。

年の頃は二十代前半、名前と肌の白さからしてアメリカ人だろうか。

逞しい腕をしており、銃整備だけでなく、本人も銃器の扱いに慣れているように感じる。

 

「それじゃあランディ、彼の案内は頼んだよ」

「はいはい、任されました・・・・・と言いたいとこですけど、まだあそこに人は入れられませんよ。先の爆発で標的にはされなかったみたいですけど、何と言っても繊細な場所だ。完全に安全だって確認できるまで、俺以外を入れる気はありませんよ」

「ああ・・・・・確かにまだ危ないもんね」

 

レフ・ライノールによって仕掛けられた爆弾の影響は設置箇所だけでなく館内の各所に及んだ。

直接的な被害に留まらず、爆発による衝撃もまた問題であった。

武器庫もその被害を被った一つであり、火薬等の危険物が大量に保管されているため、迂闊な行動はできないのだ。

 

「となると、武器の持ち出しは無理かぁ」

「いえ、それだけなら俺が入れば済むんで構いませんよ。人を入れないのは念のためであって、概ね整備はしてますから」

「あれ、そうなの?」

「火がおさまってすぐに確認しましたからね。ひどい散らかりようでしたけど、幸運にも火薬に引火するような事にはなってなかったです」

「そっか。じゃあ、あとは君に任せるよ。士郎君もそれでいいかい?」

「ああ。俺もそれで構わない」

「それじゃあ、また後で」

 

士郎が頷くのを確認して、ロマニは仕事へ戻っていった。

残された二人はそのまま武器庫へ向かう--のではなく、そのまま休憩室でいくつか確認をするようだ。

 

「さて。銃が欲しいってことだけど、どんなものをご所望なんだ?」

「用途に分けて三挺ほど。弾倉量の多い機関銃、単発式で高火力なもの、それから大型の狙撃銃を用意してもらいたい」

「具体的には?」

「一つ目はできるだけ取り回しのいい・・・・・そう、例えばキャリコM950みたいな大容量マシンピストルみたいなのが好ましい。二つ目は大口径のリボルバータイプを。最後は対物クラスがあればいい」

「それはまた、なんとも・・・・・」

 

淀みなく答える士郎に若干引き攣った笑みを浮かべるランディ。

要求が思いの外明確で物騒な内容であったためだ。

取り回しの良さを重視ししつつ高い継戦能力を求めてくる辺り、かなり腕に覚えがあるとランディは判断した。おまけに、どう考えても装甲車なんかを想定しているとしか思えない対物狙撃銃。

とても齢十八ほどの少年が扱う代物ではないだろう。

 

・・・・・まあしかし、それが必要なほど切迫した状況ってことだよなぁ。

 

あらゆる生命が焼却され、物言わぬ星と化した地球。

このカルデアだけが通常の時間軸から抜け出し、滅びの炎を免れている。

それ以外、かつてあった世界は特異点Fのような光景が広がっている。

世界の滅亡。

 

・・・・・やっぱり、実感わかないよなぁ。

 

顔に出すことはなく、内心で軽い溜息を吐く。

状況を楽観視しているわけではない。事実を理解していたいわけではない。

カルデアにいる者なら、少なからずその覚悟をしてきた。

だが、しかし。その覚悟を持っていてなお、世界の滅びは遠い出来事なのだ、と。今更のように理解する。

言葉では理解していても、その未来を確かに訪れるであろう現実として信じることはできなかったのだ。

そしてそれはランディだけに留まらず。

生存するスタッフの中に、どれほどそのことを信じられる人間がいるか。

少なくとも、彼はまだそんな人物に出会ったことがない。

例外があるとすれば、目の前の人物とマシュの実際に体感した人間、それからドクターとダ・ヴィンチちゃんくらいのものだろう。

或いは、魔術師であれば何かしら感じ取るものがあったのだろうが、生憎と彼は魔術回路など持ち合わせていないし、魔術なんてものはこれっぽっちも理解できない。

彼は単なる技師<エンジニア>であり、それ以外の事は不得手もいい所だ。

何かできるとすれば多少は銃の扱いに慣れていることだが、それもサーヴァントなどという化け物では通用しないし、そもそもレイシフト適性はない。

 

・・・・・結局、俺に出来ることなんざこいつらのサポートぐらいか。

 

なんとなしに、目の前の少年を見据える。

自分とそう変わらない年の少年に世界の命運がかかっていると考えると、複雑な気分になる。

確かに目の前の彼は魔術師でありサーヴァントなんて連中と同等に戦えるだけの化け物だが、子供であることには変わりない。

大人として、彼らに頼らざるを得ないこの状況が、ひどく情けなく感じた。

 

「あの、どうかしたんですか?」

 

気がつくと、心配そうな目で己を見やる少年の姿が目に移った。

どうにも、深く考え込み過ぎたようだ。

いらぬ気遣いをさせぬように、とランディは努めて平静を保って意識を戻した。

 

「・・・・・いや。なんでもない。--それで銃のことだが、リボルバーと対物ライフルはすぐにでも用意できる。けど、一つ目に関しちゃ、うちの武器庫には保管されてねえな」

「まあ、流石にありませんか」

 

キャレコM950は、お世辞にも優秀な武器とは言えない。

取り回しはいいものの50、100発もの弾丸を込める多連装弾倉は重量を増加させ、銃自体が独特な機構を有しており弾詰まり(ジャム)が起こりやすいなど、信頼性に難があった。

当然、軍の装備として用いることなどできず、それ以上に扱いやすく優秀な武器は山ほどある。

ハンドガン並みの取り回しの良さと大容量弾倉を両立させる銃は多くないが、そもそも個人が携帯する範囲の銃器に大袈裟な弾倉量は必要ない。

コレクターか趣味人か。保有するのはその二者ぐらいだろう。

士郎の要求は、とてもではないが叶えられるものではなかった。

 

「ただまあ、キャリコは無理だが、似たような銃なら用意できるかもしれねぇ」

「え?」

 

だから、なんて事のないように放たれた言葉に、士郎は意表を突かれた。

 

「確かに、ここの保管庫にはそんなピーキーな銃はない。けど、似た物を作る事ならできる」

「作るって、簡単に言いますね」

 

実銃の作成など、容易く行えるものではない。

製造の為の設備や工房はもとより、設計図や素材も必要となってくる。

素材ならば保管庫のものを分解・流用できるのだろうが、設備や設計図はどうするのか。

 

「それなら問題ねえよ。元々、整備のためにそれなりの設備は整ってる。設計図も問題ない。ほら、ここって娯楽が少ないだろ? レクリエーションルームはあるが、ずっと同じじゃ飽きるしな。暇潰しに趣味全開で描いたもんが部屋に眠ってるんだ」

 

確かに、それならば可能だろう。

今日いきなり始めるのではなく、以前から備えがあったというなら、彼の発言にも頷ける。

元々、銃の整備を行っていたのだから、技術に関しても問題あるまい。

 

「けど、よくそんなことができますね」

 

いかに銃の扱いに長けて、構造を把握していようと、それが製造技術と=で結ばれるとは限らない。

例えそれがコストも汎用性も度外視した、趣味全開の産物だろうと、実際に使用できるものとして提供できるだけの物を設計するのは容易ではないはずだ。

 

「どこでそんな技術を?」

「あー、なんだ。家柄っつうか、親父が銃工<ガンスミス>なんだよ。子供の頃から仕事を見ていたら影響されてな。いつの間にか、そっち方面の知識も付けちまった。子は親を見て育つとは、よく言ったもんだよ」

「親子二代で銃を扱う仕事をしているってことですか」

「まあ、そういうことだ。・・・・・そんなことより、どうなんだ。そっちさえ良ければ俺が用意しといてやるぞ」

 

話を切り決断を急くランディは、どこか不機嫌なようだった。

もっとも、それは士郎に向けられたものではなく、別のどこかに向けられているようで。

まるで、思い出したくない過去を想起したかのようだった。

それを感じ取ってか。士郎もそれ以上は深入りせず、話を本題にもどした。

 

 

「分かりました。そっちはスミスさんにお願いします」

「おう、任された。・・・・・それと、どうにも堅苦しいな、お前さん。俺のことはランディって呼んでくれ。敬語もなしだ」

 

士郎の言葉に応じた後、ランディは唐突にそんなことを言ってきた。

士郎としては意表を突かれたもので、困惑の表情を浮かべた。

 

「なんでいきなりそんなことを。それに俺の方が年下なんですから、そう気安くは・・・・・」

「年下っつってもたいして変わらないだろ。俺としてはそんなふうに堅苦しくされるより、気楽に付き合える方がいい。まあ、お前が嫌なら無理強いはしないけど」

「・・・・・いや、そういうことなら構わない。俺もこっちの方がやりやすいから」

 

力を抜き表情を柔らかくする。

彼がそれを望むのなら、わざわざ無碍にすることもない。

それに士郎自身、彼の申し出はありがたかった。

本来の衛宮士郎という人間は、無愛想ではあっても堅物ではない。性に合わない事を続けることを苦とは思わないが、違和感があるのも確かだ。

だから、友人のように振る舞おうとするランディの言葉は、願ってもない好意だった。

 

「そうか。なら、改めてよろしく、士郎」

「ああ、こちらこそよろしく頼むよ、ランディ」

 

これで二度目の握手、されど個人の結びつきはより強固のものになった。

ランディはこれからの仕事を、先にも増して全力で仕上げようとするだろう。

彼は未だに世界の滅びを信じきれないし、できることもそう多くはない。結局は、事態が収束するか、それとも滅びが確定するかを待つしかない。

けれど、だからこそ決意する。前に出て戦う彼らを、全霊で支えようと。

守られるしかない弱者なら、せめて彼らを支える脚だけは崩すまい、と。

それがランディ・スミスという人間が誓った想い。

人類を守るためではなく、この場で結んだ友誼を確かなものとするために、彼は彼の戦いを始める。

 

--これより二日後、第一の特異点へのレイシフトが敢行される。

 

ほんの僅かな時間では、士郎も、マシュも、ロマニも、ランディも。

カルデアの誰であっても、充分な準備など望むべくもない。

それでも、彼らは全力で戦い続けた。

それは確かに救いへの道を作り。やがて、最後の戦いに至らせるだろう。

 




そろそろ色んな人に愛想尽かされてそう、と怯える今日この頃(ガクガクブルブル
ほんと、あまりにも遅すぎて1部完結する頃には閲覧数一桁になってそう。というか、1部完結までどれだけ時間がかかるのか。
未来視なんてできないんでどうなるか全く分かりませんが、何はともあれオルレアン完結させます。

ちなみに、更新までにうちのカルデアに色々といらっしゃいました。
以下、召喚した方達。

三蔵ちゃん
ガウェイン(円卓の借金取りとも
アヴィ先生(ゴーレム万能すぎやしませんかねぇ
アナスタシア(この皇女様、マイルーム性能高すぎ。てか、異聞の彼女はお姉ちゃんムーブしてたけど、こっちは妹ムーブしてる
ジーク君(本編から時間が経ってか、めっちゃ可愛い
ケイローンP(ついこの間成人したとは思えない渋イケボ
アキレウス(やったねアタランテさん、念願の韋駄天馬鹿が来たよ!
ラーマ(沢城さん、ご出産おめでとうございます。御身体を大切に育児に励んでください
水着清姫(一年越しに、しかも呼符で。キヨヒー可愛いよキヨヒー
坂本龍馬(加瀬さんと堀江さんのベストマッチっぷりよ。二人とも可愛すぎ。


7ヶ月も空けばそれなりの方がいらっしゃるもんですね。
ただ、帝都ピックアップは掠りもしなかったよ。
50連で結構引いたのに以蔵さんすら来なかった。てか、星3ぐらい恒常にしてよ。えげつない商法取りやがって!
とりあえず、魔神さんも以蔵さんも来年の復刻を待て、しかして希望せよ(某巌窟王風






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邪竜百年戦争 オルレアン
百年戦争の地で


お待たせしました。
今回からやっとオルレアン編突入です。
それに伴い、章分けを始めました。
各章にせっかくタイトルがあるんですから、やっぱり書きませんとね。
今回は導入部なので短めですが、色々とカルデアの様子とかを考えながら読んで頂ければ嬉しいです。
それでは15話目、お楽しみください。


その女にとって、ソレこそが全てだった。

肺腑を焼く熱も木霊する怨嗟の声も、湧き上がる衝動を絶やさぬ為の糧に過ぎない。

--お前が成すべきはソレだ。ソレだ。ソレだ。ソレだけだ。

 

燃えている。

何もかもが燃えている。

女が歩いた場所。女が駆け抜けた場所。

そして--女自身さえも燃えていた。

その焔だけが女の記憶。

平穏など最初から存在しない。

安寧などとうの昔に捨て去った。

他の在り方を知らず、他の望みを持たず。

故にこそ、"ソレ"だけが女を構成する要素に他ならず--

--もし神がおわしめすならば、私には必ずや天罰が下るでしょう。

 

 

 

 

 

 

レフ・ライノールが人類史の焼却を宣言してから--通常の時間軸で--四日経った。

この四日間はカルデアに残った人々にとって、まさに嵐のようなものであった。

カルデアのスタッフ達の仕事は、爆発による破損箇所の補修やシステムの復旧作業に加え、各部門の可能な限りの再結成、各種設備の修理など。

本来なら数十から百数人で月を跨いで行う作業を、たったの二十人近くの人員で行ったのだ。

どう考えても過重労働だ。

もし日本で裁判でも起こそうものなら、一切の弁明もなく敗北するであろうオーバーワークぶりである。

その理不尽な仕事量に苦痛を感じながらも一切の不満もなくこなしてみせるのは、現状だけでなく、彼らのその性格故であろう。

とはいえ、彼らに着々と疲労と心労がたまっている事実に変わりはない。

それらを解決するのは、いくつかある娯楽施設や医療部門の人間なのだが、その二つともが万全ではない。

娯楽施設は先の爆発で使用できず、設備の重要性からしてー復旧はまだまだ先である。

医療部門もDr.ロマンを含めた男性スタッフ一人と女性スタッフ二人の合計三人だけで、とても全員のケアが間に合うはずもなく、彼らの心身も当然のように擦り減っているのが現状である。

傍目に見ればいつ崩壊してもおかしくないこの状況。

これを曲がりなりにも支えているのは、医療部門の尽力に加え、もう一つ理由があった。

 

「8番の日替わり朝食と15番のモーニングセット、完成しました! 配膳お願いします! それからフレンチトーストがもう直ぐ焼きあがるので準備をお願いします!」

 

朝七時、カルデアの食堂に少年の声が響く。

その手は忙しなく動いており、もう分身でもしているのではないかと疑ってしまうほどの速度である。

その少年が誰かと言えば、当然のごとく衛宮士郎である。

で、その彼が何をしているかといえば--

 

「士郎君! 3番でコーンのスープセットと21番が日替わり朝食だ!」

「了解、直ぐに取り掛かります! それから5番と7番も出来たのでそちらもお願いします!」

「任された!」

 

このように、料理をしている。

本来ならとても似合わなさそうなエプロンを見事に着こなし、機械のごとき正確さで次々と料理を完成させていく。

それも末端の地位ではなく、レストランであればシェフの位置付けである。

何故このような状況になっているのか--という説明はさして必要ないだろう。

正義の味方を目指し、料理にも人一倍こだわりを見せる彼が、スタッフ達の状況に動かないというのはありえないだろう。

カルデアの探索を終えたその日の夕食までに食堂を預かるスタッフを説得し、その日の内に調理場に立つこととなった。

スタッフ達からの評価も高く、調理技術も元々の担当ですら唸るほどに洗練されており、士郎が調理場を牛耳るのは自明の理であった。

彼が調理場に立ってからというもの、食事の質は大幅に向上し、スタッフ達の心にも潤いを与えることとなった。

というか、あまりの美味しさに一部のスタッフ達が暴走しかけたぐらいだ。

やれ、これは俺のだ、とか。やれ、こっちの順番が先だ、とか。

これを抑えるのに多大な労力が割かれたのは言うまでもないだろう。

その材料に使われたのが、気分を落ち着かせるように工夫をされた衛宮印の食事だったのも言うに及ばず。

そんなこともあって、朝昼夕の食事は決まった時間に提供されることとなり、効率を上げるのとスタッフ達の諍いが起きないように番号札を用意したのだ。

結果として、これといったトラブルは起きなかった。

スタッフも反省したらしく、いまでは喧嘩あとの仲良しさんである。

ただ、一つだけ問題があるとすれば--

 

「士郎君! コンロの調子が悪いわ! このままだと調理の効率が落ちてしまう!」

「こちらで対処しますので他の調理をお願いします! 今の配膳が終わったらあっちにも応援を頼むので、それまで持ち堪えてください!」

「了解よ!」

 

ご覧の通り、スタッフのほぼ全員が同時に押し寄せてくるので、調理場はまさに戦場である。

トラブルを抑えるための時間指定の措置が、まさかの形で首を締めることになった。

調理場に立つ人間は三人、配膳係が二人の合計五人で他のスタッフ全員の食事を同時に提供するのは無謀に過ぎるだろう。

加えて、レフ・ライノールによる工作がこんな場所にも影響しているのか、何度かコンロなどの機械に不具合が起きるのだ。

さっさと修理をしたいのだが、先ほども言ったように修復箇所など腐るほどあるため、応急整備だけにとどめられているのが現状だ。

この状態をなんとかこなせているのは、士郎の調理速度と的確な指示、何より仕事後に士郎が作る通常より少し豪勢な賄いのお陰だろう。

これさえあればいくらでも戦える、というのは、調理担当の一人である女性の言だ。

とかく、食堂は士郎が取り仕切っており--それは、カルデアが遂行するグランド・オーダーの第一回目が行われる今日であろうと変わることはない。

 

「ふぅ。 なんとか乗り切ったか」

 

全てのスタッフが食事を終え食堂から出たのを確認して、一息つきながら時計を確認する。

時刻は7時50分。

作戦開始時間である10時まではまだ余裕がある。

食事を摂った後、休憩するなり準備をするなり、それなりの時間はあるだろう。

 

「皆さんお疲れ様でした。ある程度後片付けが終わったら席に着いてください」

 

その言葉で何人かがガッツポーズを取ったのはご愛嬌だろう。

このまま士郎が自分を含めた五人分の料理を作るのだが、今日はもう一人分だけ多い。

 

「マシュも、この忙しさの中、手伝ってくれてありがとな。初めてのことで疲れただろう、ゆっくり座って待っててくれ」

 

彼の先には、いつものパーカーを脱ぎ、代わりにウェイター用のエプロンを纏ったマシュがテーブルを拭いていた。

 

「いえ。手伝いたいと言い出したのは私の方なので。それに、今は体力もあるのでなんともありません。むしろ、初心者の私がいて、お邪魔ではなかったでしょうか?」

「そんなことはないぞ。初めてにしては結構いい動きだったし、こんな状況で手伝ってくれるならこっちは感謝しかないよ」

「そうですか。それなら良かったです」

 

そうこう話しているうちにも人数分の料理は完成していた。

下拵えはその日に使われたものを流用しているので、さほど時間はかからない。

そこに一手間を加えれば、通常よりちょっと上質な賄いの完成だ。

それを何人かが手伝いながら食卓に並べる。

 

「皆さん、今日もありがとうございました。ささやかですけど、楽しんでいただければ幸いです。--それでは頂きます」

 

士郎の音頭と共に全員で手を合わせる。

ちなみに、この日本式の食事の挨拶をするのは、士郎とここにいるスタッフぐらいのものだ。

何故こうなったかといえば、料理長である士郎に合わせようとの話が彼らの間で出たためである。

「うん、美味い! こんなに美味いと他の連中に申し訳ないぐらいだ!」

「でもあの嵐を毎日受けているんだから、これぐらいのご褒美があっても良いわよ」

 

それぞれ談笑しながら食事を楽しむ。

それも、いつも以上に。

その理由は一つ。

これから死地へと赴く少年と少女が少しでも気を楽に行けるようにと、彼らなりの心遣いだ。

そんな風にできるだけ楽しんで食事を味わった彼らだが、楽しい時間はすぐに終わってしまうのが世の常だ。

程なくして、皿の上は空になった。

それを見てから、士郎が皆に声をかける。

 

「皆さん、今日から暫く俺が抜けるのでさらに大変になると思いますが、どうか頑張ってください。俺たちも全力で戦ってきます。--それでは、ご馳走様でした」

 

始まりと同じように、全員で手を合わせる。

それぞれ席を立ち、流れていった時間を惜しみながら各々の使命へと向かう。

 

 

 

 

つい数日前から着るようになった白い制服を脱ぎ、自身の象徴とも言える外套を纏う。

それから、とある布袋を手に取る。

これはダ・ヴィンチちゃん特製の袋で、彼女--以前男性として接した際に女性だ、と念押しされた--が言うには内部の空間をいじっているようで、懐に収まるサイズでありながら、多くのものを持ち運べるとのことだ。

第二魔法の応用とまではいかないが、かなりの量が収納可能らしい。

 

「----」

ふと。

いつかの日常を思い出した。

場所は遠坂の家だったか。

あの時も似たような箱があった気がする。

確か、第二魔法を応用した宝箱、だったか?

細かいところまでは思い出せないが、面倒ごとであったことは違いない。

 

「若返った影響か。まさか、こんな形で昔のことを思い出せるなんてな」

 

随分と懐かしい、と微かに蘇った記憶に困惑と歓喜が合わさる。

今の状態は決して、彼にとって都合のいいものではない。

肉体の急激な変化は、彼の戦闘能力に悪影響を及ぼしている。

身長が縮んだことによるリーチの縮小や純粋な筋力の減少だけでなく、重心の位置から筋肉の動かし方、さらには体のバランスまで。

若返ったことによる不利益は決して見逃せるものではなかった。

それでも、こんな風に昔のことを思い返せるのが嬉しい誤算であることは間違いなく--

 

「はっ、何を馬鹿なことを。今さら、郷愁に浸れるような生き方はしてないだろうに」

頭に浮かんだ情景を自嘲とともに振り払う。

より多くを救う為にと、数えきれぬ程のモノを切り捨ててきた自分が、擦り減ったはずの記憶の一片を思い出すなど、皮肉にもほどがあるだろう。

 

「・・・・・今は、そんなことを考えている時ではなかったな」

 

横道に逸れた意識を戻し、用意した"ブツ"をアタッシュケースごと袋に仕舞っていく。

これがどれだけ役に立つかはわからないが、可能な限りの備えはしておくべきだろう。

 

「じきに作戦開始時間だな。そろそろ出るか」

もう一度、抜かりがないかを確認してから部屋を出る。

特徴的なデザインの通路は、ずいぶん整備されている。

破損箇所もおおよそ修理されており、瓦礫なども撤去されている。

通行や作業がやりやすいようにと、Dr.ロマンの配慮だ。

その通路を歩き、管制室へ向かう。

もうこの道もある程度馴染んできたので、ほどなくして管制室へ到着した。

既にDr.ロマンをはじめ、スタッフも揃っており、先に来ていたらしいマシュもその装いをサーヴァントとしてのものへと変じさせている。

どうやら、ここに来たのは俺が最後らしい。

 

「わるい、ドクター。遅れたみたいだ」

 

少々準備に時間をかけ過ぎたようで、自身のミスを謝罪する。

 

「いや、時間ぴったりだよ。僕らは単に他にやることがあったから先に来ていたんだよ」

「ああ、そういうことか」

 

Dr.ロマンの言葉に納得する。

部屋を出た時間からして、遅れることはないだろうと思っていたのだ。

とはいえ、時間ぴったりというのは頂けない。

こういうのは5分前には到着しておくべきなのだ。

そう考えると、やはり自分は遅れたことになる。

もう少し考えて行動すべきだろう。

 

「さて。みんな揃ったところで、改めて作戦の確認をしようか」

 

Dr.ロマンが、全員を見渡してから言葉を発した。

 

「君たちにやってもらいたいことは二つ。一つが特異点の調査及び修正。その時代におけるターニングポイントに。現在に至るまでの決定的な事変だね。君たち二人その時代に飛び、これを調査・解明し、修正しなくてはならない。さもなければ、人類に未来は訪れない」

 

未来が訪れない。

Dr.ロマンのその言葉で、管制室の空気が僅かに固まった。

ここに集まった全員が、今更ながらにして、その事実の重みを再認識したからだ。

自分たちの方に、人類の未来がかかっている。

その重責は如何程のものか。

多くの戦いを経てきた自分ですら、体を強張らせてしまう。

たとえそれが、若返ったが故の弊害だとしても、その重みに変わりはない。

「・・・・・マシュ、大丈夫か?」

 

こそり、と隣の少女に問いかける。

彼女もまた、始まる戦いに慄いているようで、平静を保っているものの、引き攣った顔を隠しきれていない。

「は、はい。わたしは、大丈夫です」

 

とても大丈夫には思えない。

これでは、今も話を続けているDr.ロマンの声も届いていないだろう。

その様子を、無様だ、と嗤うことはしない。

むしろ、それが当たり前の反応だ。

まだ自分自身の覚悟も信念も定めていない彼女は、普通の少女だ。。

いかに力を得ようと、その事実だけは変えようがない。

本来なら彼女は守られる側の人間で--そんな彼女にすら頼らねばならないのが現状だ。

だからこそ、俺がやるべきことは決まっている。

 

「大丈夫だよ、マシュ。まだ完全でないにしろ、お前はその力をよく使えている。この数日間は決して無駄なんかじゃない」

「・・・・・いえ。私なんか、まだまだです」

 

囁く言葉は、彼女を奮い立たせるために。

身を案じてなどと、そんな人道的なものとは言わない。

これは所詮、彼女を有用な駒として扱うための整備に過ぎないのだと、猛り出そうとする心を捻じ伏せる。

自分もまた、世界を救うための道具なのだと切り捨てる。

 

「俺だけじゃこの戦いは勝てない。だから頼む。お前の力を貸してくれ」

「・・・・・分かりました。力不足なわたしですが、全力でお守りします」

 

その言葉で、マシュは不安を留めた。

頼む、と。

その一言だけで、彼女は揺れる心を繫ぎ止めた。

先日、彼女が持ちかけてきた"提案"を、結局俺は受け入れた。

遅かれ早かれソレが必要になると思っていたし、好都合だと思った。

その時に聞いた、覚悟も信念もない彼女が、唯一譲れぬと示した願い。

ソレを、俺は、どう思ったのだろうか。

 

--ズキリ。

 

ブレた心で、仕舞い込んだはずのナニカが漏れ出しそうになった。

ソレをなんとか閉じ込めて、Dr.ロマンの話へと意識を戻す。

 

「以上が僕たちの目的だ。何か質問はあるかい?」

「いや、大丈夫だ。レイシフト先はフランス、目的は特異点の調査と修正及び原因と思われる聖杯の確保」

「うん、その通りだよ。それじゃ、しっかりと分かっているようだし、作戦を始め--」

「ちょっと待った! 私の紹介を忘れてるぞ!」

 

一通りの確認を終え、Dr.ロマンが今まさに作戦の開始を告げようとした時、管制室に叫びが響いた。

その発生源を見やると予想通りの人物がいて、ロマンは、そういえばいたなー、とでも言いたげな顔をしている。

うん、その気持ちはなんとなく分かる。

 

「おいこのお調子者。私を差し置いて作戦開始とは、どういうつもりだ」

「どうって言っても、もう自己紹介は済ませてるだろ? だから別にいいかなって・・・・・」

「全然よくないですぅー! 主に私の気分がよくないですぅー!」

 

ロマンは目の前の人物の言い分に、子供の駄々じゃないんだから、と漏らすが、多分そっちの方がまだマシだと思うのは俺だけだろうか。

 

「分かった分かった。それじゃ、早く済ませちゃって」

「むぅ。なんだか釈然としないが、まぁいいか」

 

幾つか言葉を交わして、ロマンが折れたのか、投げやり気味に答える。

こちらとしてもその気持ちは分かるし、早く済ませて欲しいものだ。

 

「それじゃ、改めて自己紹介といこう。私はレオナルド・ダ・ヴィンチ。ルネサンス期に誉れの高い、万能の発明家さ! これからはおもに物資支援の提供、開発、英霊契約の更新等で君たちをバックアップするから」

 

それだけを言って、ダ・ヴィンチちゃんは去っていった。

まさに嵐のような行動だった。

 

「・・・・・本当に自己紹介だけして立ち去ったな、カレ。話の腰は折られたが本題に戻ろう」

どこかげんなりした様子で、Dr.ロマンが話を戻した。

 

「休む暇もなくて申し訳ないけど、ボクらには時間がない。さっそくレイシフトの準備をするが、いいかい?」

 

気を引き締めたDr.ロマンが、改めて覚悟を問う。

こちらも一つ息を吐き、その言葉に答える。

 

「もちろん。今すぐにでも」

「私も、問題ありません」

 

俺に続き、マシュもしっかりと答える。

そんな俺たちに、Dr.ロマンは頷いた。

 

「今回は士郎くん用の霊子筐体<コフィン>も用意してある。レイシフトは安全、かつ迅速に行えるはずだ」

 

Dr.ロマンが真剣な眼差しで告げてくる。

前回は偶然に偶然が重なってレイシフトが成功したが、今回は正式な手段で入り込むので、失敗を恐れる必要はない。

彼の言葉もあるので、その安全性は確実だろう。

 

「君達が特異点に飛んだ後、カルデアは通信しかできない。何度も言うように、向こうに着いたらまずはサークルの設置を行うこと。それから、その時代に対応してからやるべきことをやること、いいね?」

「了解、ドクター」

 

再度の念押しに頷いてから、コフィンに入る。

コフィンの中は必要最低限のスペースしかないが、存外に窮屈には感じられなかった。

しばらくして、無機質な機械の中にアナウンスが流れる。

 

「アンサモンプログラム スタート。霊子変換を開始 します。レイシフト開始まで あと3、2、1・・・・・」

 

冬木へと飛ぶ前にも聞いた内容で、アナウンスが耳に届く。

それを聞きながら、目を瞑り訪れる瞬間を待つ。

 

「全行程 完了<クリア>。グランドオーダー 実証を 開始 します」

 

そうして、最後のアナウンスが流れて--

 

--あの時と同じように、俺の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

士郎とマシュが視界を取り戻した時、辺りは一面の草原だった。

「ドクターの言う通り、問題は無いな。マシュ、そっちは問題ないか?」

「はい。心身ともに異常はありません。前回のように先輩と離れることもありませんでした」

 

お互いの無事を確認しあう。

双方ともに欠落は無く、目立った不調はないようだ。

「フォーウ! フォーウ、フォーウ!」

「うおっ」

「え・・・・・?」

 

突然の鳴き声に士郎が仰け反り、マシュが惚けた声を上げた。

いったいどこに潜んでいたのか、謎の白いモフモフ生物こと、フォウがマシュのそばにいた。

 

「フォウさん!? また付いてきてしまったのですか!?」

「フォーウ・・・・・ンキュ、キャーウ・・・・・」

 

マシュの言葉に、何か意味ありげな鳴き声を上げるフォウ。

そばで見ている士郎は、訝しげな眼で、どこか人間臭い不思議生物を見つめる。

今まで様々な地を巡ってきた士郎だが、フォウのような生き物は見たことがなかった。

通常の動物界は当然、幻想種の類にも、あのような生物は見受けられなかった。

尤も、幻想種という存在自体が通常の生命の枠組みから外れており、現代においては人前に現れることすら稀なため、単に士郎が知らないだけということも考えられる。

そう考えれば、わざわざその正体を考える必要性は皆無と言っていい--いいのだが。

 

・・・・・どこかで見た気がするんだよな。

 

衛宮士郎の知識に、フォウのような生物のは存在しない。

だが、何故かは分からないが、その姿だけは、僅かに引っかかるものがあるのだ。

それはとても朧げで、少なくとも真っ当に直視したことはないだろう。

人間は意識して見ない限り、視界の隅に映ったものをハッキリと記憶することはできない。

たとえば、映画のシーンなどを思い返した時、主要な登場人物は思い出せても背後の景色やエキストラまでは覚えていないということは多々あるだろう。

しかし、とりわけ印象の強かった場面などでは、そういった雑然とした視界情報も微かに思い出せることがある。

士郎の得た感覚はそれに近い。

何か、とても大事なことがあって、そのほんの刹那に見たのかもしれない。

士郎もそう考えるからこそ思い出そうのしているだが、こういう場合、何かしらの切っ掛けがないと思い出すのは難しく、喉に引っかかった魚の小骨のごとく微妙な違和感を拭えないのだ。

 

・・・・・まあ、特に危険があるわけでもないし、後回しでもいいだろう。

 

しばらく記憶を漁ったところで、そう結論付けた士郎は早々に思考を中断し、マシュに声をかける。

 

「どうやって付いて来たかとかはひとまず置いて、フォウは大丈夫なのか?」

「あ、はい。見たところ異常はありません。わたしたちのどちらかに固定されているので、わたし達が帰還すれば自動的に帰還できます」

「そうか。じゃあこっちで何かない限り、問題は無いんだな」

 

不思議な生物ではあるが、士郎にとっても今は同じカルデアに住まう仲間のようなものだ。

自分達についてきたことによる危険が無いと分かり、少しだけ安心する。

 

「ドクター、こちらは衛宮士郎。通信に問題はないか?」

『ああ、大丈夫だ。感度は良好とは言えないけど、キミ達を確認することはできる』

 

士郎は一度カルデアとの通信を開き、向こうとの連絡がしっかりと通っていることを確認する。

特異点の理論上での理解は得たが、実際にその場に立った時、すべて想定通りとは限らない。

比較的安全な場所でも通信ができない可能性もある。

なるべく余裕がある段階で確認をしておくべきだ、という士郎の思考は正しい。

ひとまず通信は問題なく繋がると分かったので、今度は自分達のいる時代を確認する。

 

「マシュ、ここの年代は分かるか?」

「はい、少しお待ちください・・・・・時間軸の座標を確認しました。1431年です」

「1431年ってことは、百年戦争の真っ只中。それも、ちょうど休戦協定が結ばれた辺りだな」

 

19世紀初期のフランスで用いられるようになった百年戦争という言葉は、主に1337年に始まったフランスとイングランドによる百年以上続いた戦争を示す。

世界的にも有名な百年戦争だが、終始戦闘が続いたわけではない。

いかな大国であろうと、人員も物資も有限だ。

百年以上の長きに渡って、常に戦い続けることはできない。

必ず、どこかに間を挟まなくてはならない。

それが国家間で結ばれる休戦協定であり、その時期の一つが彼らのいる1431年に該当する。

加えて、戦場でもそのような傾向が見られ、捕虜などを身代金によって解放するなどは日常茶飯事だったようだ。

「もう一つ言えば、救国の聖女と名高いジャンヌ・ダルクが処刑されたのもこの年でしたね」

「ああ。そういえば彼女が死んだのもこの年だったな。となると、この特異点の原因は百年戦争に関することか、或いは彼女の死にまつわることかもしれないな」

 

マシュの言葉に士郎が頷き、一つの予測を立てる。

可能性としては非常に高いだろう。

百年戦争の趨勢の変化。ジャンヌ・ダルクの生死。

そのどちらも、人類史に多大な影響を及ぼしうる。

「いや。下手な先入観は持たないほうがいいな。とにかく、霊地<レイポイント>を探そう。そこでこれからの方針を決め--」

 

決めよう、そう言いかけた士郎の口が不自然に途切れる。

まるで、突然予想もしない出来事に直面して、閉口せざるをえないといった感じだ。

 

「どうかしましたか、先輩?」

 

不思議に思ったマシュが士郎に声をかける。

声をかけられた当人は一切の反応を示さない。

冬木やDr.ロマンとの交渉でも見せた、険しい表情のまま一点だけを見つめている。

 

・・・・・上に、何か・・・・・?

 

マシュも士郎が見ている先と同じ--つまり、空を見上げる。

そこには、彼女が見てみたかった青空があり--

 

--絶対に存在するはずのない、巨大な"光輪"が浮かんでいた。

 

『二人ともどうしたんだい? そろって空を見上げて』

 

その光景を確認していないロマンの軽い声が、どこか場違いに響いた。

 

「ドクター、映像を送ります。あれは、何ですか?」

 

マシュが通信機を操作し、カルデアに映像を送る。

 

『どれどれ・・・・・これは--』

 

ソレを確認して、ロマンの声も硬くなる。

 

『光の輪・・・・・いや、衛星軌道上に展開した何らかの魔術式? 何にせよとんでもない大きさだ。下手をすると北米大陸と同サイズか・・・・・?』

 

それは如何なる者による魔術か。

家屋一つを吹き飛ばすものですら大魔術と称される現代において、一つの大陸に匹敵する現象を生みだすなどあり得るのか。

少なくとも、現代の魔術においてそれほどの規模の魔術は存在しない。

『ともあれ、そんな現状が1431年に起きたという記録はない。間違いなく未来消失の理由の一端だろう。アレに関してはこちらで解析しておくから、キミ達は現地の調査に専念してくれ』

 

そう言って、Dr.ロマンは通信を終了した。

彼の言う通り、士郎達のやるべきことは山ほどある。

召喚サークルの設置、周囲の探索、現地の人間との接触。

一つずつこなしていくしかないが、あまり悠長に構えてはいられない。

すぐにでも行動を起こすべきだろう。

 

「ドクターの言う通りだ、俺たちも調査に移ろう」

「了解です、先輩。まずはレイポイントの捜索ですね」

 

マシュは、先ほど士郎が言いかけた言葉を思い返す。

この広大なフランスを調べるのに拠点の一つも無ければ、話にならない。

特異点の調査に当たって、士郎の考えは理にかなっていると言っていい。

「そのつもりだったんだけど、やっぱりそれは後回しだ」

 

だが、その言葉は士郎自身が覆した。

 

「え? 後回し、ですか? わたしとしては非常に論理的な判断だと思うのですが、何か問題が?」

「いや、そういうわけじゃないんだ。単にこの辺りにはそれらしい場所につながる霊脈<レイポイント>が無いみたいだから。それに--」

 

一度言葉を区切った士郎は視線をマシュから離し、草原の向こうへと目を向けた。

マシュの視界には何も映らない。

だが異常なまでの視力を有する士郎は、 一つの光景を確かに捉えていた。

 

「この世界に来て初めての人間だ。早いうちに情報収集をしておきたい」

「わたしには何も見えないのですが、先輩には見えるんですか?」

「ああ。恐らくはこの時代のフランス軍の斥候部隊だろう」

 

三つのフルール・ド・リスが描かれた盾。

あの紋章はこの時代のフランス王国の象徴だ。

まず間違いなく、現フランス軍兵士だろう。

 

「見たところ、砦から出たところのようだな・・・・・ここからなら砦に戻る前に接触できるか」

 

士郎が、自分たちと相手の速度を考えながらフランス兵との距離を目算で測る。

彼らが自分達をどう捉えるのか不明である以上、相手の陣地に乗り込むのはうまくない。

反応を確かめるにも、交渉を行うにも今が絶好の機会だ。

 

「では、第一目標は」

「彼らとの接触および現状把握だな。なるべく急いで行くぞ」

「了解です、マスター」

 

二人の主従が草原を駆ける。

全ては世界を救うために。

彼らは、真なる一歩を踏み出した。




今更なのですが、各時代の兵士たちの装備ってどんな感じなんでしょうかね。
初期の一般兵はみんな同じ格好なので、各時代の装備の特徴とかわかりづらい。
今はその辺りぼかしてありますが、そのうち色々と調べないといけませんね。
元帥ジルの周りは、オーソドックスにフルプレートの騎士にしようかなーとは思っています。
あとカルデアスタッフの名前とかまだ決まってない(泣
大まかな設定とか性格は考えてあるんですが、各国の名前つけるのマジで難しい。
誰か案をくれー!!


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蹂躙する竜の群れ 前編

約一ヶ月ぶりの更新。皆様お久しぶりです。
いやー、ついにapoアニメが始まりましたねー。
ジーク君と赤のセイバーの戦闘が予想以上にすごくて興奮しましたね。魔力放出とかの描写も細かくて、鳥肌もんですよ。あと竜牙兵とホムンクルスルズがぬるぬる動いていて幸せ。トゥールっぽいホムンクルスも映ってましたね。獲物は槍っぽかったけど。二話も二話でモーさんがかっこかわいくて、最高かよ。そして、明日はついにカルナさんの動く姿が見られますよ!もう、ずっと待ち望んでいた事が叶いました。HFの上映日も決まったし、プリズマ士郎、じゃなくて劇場版プリヤの新PVも出て、今年はまさしくFate尽くしですね。この調子で月姫リメイクと月姫2も出て欲しいです。
fgoも復刻水着イベが始まって、去年爆死した方は再びチャンスが回ってきましたよ。おまけに円卓ピックアップとか、俺たち(財布)を殺す気かよ。皆さんも、課金は程々に。私は弓王一点狙いですので。今年こそ、今年こそは彼女に投影魔術を装備させるんだッ・・・!
ということで、16話目お楽しみください。


「怪しいやつらめ。貴様ら一体何者だ!」

 

腰に据えられたロングソードを抜き放ち、その切っ先を自分達へと向けるフランス兵達。

その声と表情には、明らかな警戒心と敵意が浮かんでいる。

 

「・・・・・はぁ」

 

この状況につい溜息を吐く。

できるだけ避けたかった事態なだけに、出鼻を挫かれた感じだ。

何でこんなことになったのかと、現実逃避気味に回想する。

 

 

 

フランス兵達を発見してすぐに走り出した俺たちは、予想通り五分とかからず彼らの近くまで到着した。

無論、俺たちの速度は通常のそれを遥かに越えているため、下手に警戒させないためにも、ある程度の距離を詰めたところで歩行に切り替えた。

そして、さも偶然出会ったかのように演出したのだ。

ここまではうまくいっていた。

問題はここからだ。

双方がはっきりと視認できる距離まで近づいた時、さて、どうやって声をかけたものかと思案していたのだが。

 

「ヘイ、エクスキューズミー。こんにちは。わたしたちは旅のものですが--」

「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」

「?」

「フォウ?」

沈黙が漂った。

彼女は俺が言葉を発する前に、彼らに英語で話しかけた。

もう一度言おう、英語でだ。

それはもう見事なまでの発音で、ネイティヴスピーカーもかくやというものだった。

 

・・・・・いや。ほんと、なんでさ・・・・・。

 

つい心の中で口癖をつぶやいてしまったのは許してほしい。

当たり前だが、彼らはフランス人なのだ。

当然、公用語となるのも当時のフランス語となる。

そこにいきなり異国の言語を話す人物が現れたらどうなるか。

 

「ヒ・・・・・! 敵襲! 敵襲ー!」

 

このように敵に間違われる。

まだ斬りかかってはこないものの、すでに警戒心マックスだ。

『ヤッホー、手が空いたから様子を観に・・・・・って、何でまわりを武装集団に取り囲まれてるんだい!?』

「・・・・・すみません、わたしの失敗です。挨拶はフランス語でするべきでした」

「・・・・・いや。俺も先に言っておくべきだった。すまん」

二人揃って反省するが、今更後悔しても遅い。

彼らはすでに抜剣し、敵意を向けている。

正直、ここから話し合いに持っていくのは厳しい。

なんとか、彼らの警戒心を解かなくては。

 

「ドクター。何かアイデアを。こういう時のためのフランスジョークとか知らないんですか?」

「待て。それは多分逆効果だ」

 

マシュがDr.ロマンに助けを求めるが、今ここで姿の見えない声が聞こえたら、それこそ本当にアウトだ。

 

『そんなの知るもんか、ぼっちだからね!でもちょっと待って、考えさせて・・・・・! 小粋な冗談を思いつけばいいんだろう? その帽子ドイツんだ、みたいな!』

 

だが悲しいかな、制止の声は間に合わず、ドクターのあまりにも場違いな駄洒落が草原に響き渡った。

それから約三秒ほど時間がフリーズ。

俺たちは呆れ、フランス兵は純粋な驚愕だろうか。

 

「どこからともなく軽薄な声がする・・・・・! 全員、気をつけろ! こいつら怪しすぎるぞ!」

 

だがそれもすぐに解け、彼らはより一層の警戒心を向けてきた。

 

「・・・・・すみません、またしてもわたしの失敗です。ドクターに期待したのが間違いでした」

「・・・・・いや、まあ、うん。これはしょうがない、気にするな」

 

 

 

そんなこんなで、現在に至る。

 

「先輩、どうしましょう。このままでは戦闘回避は困難ですが--」

「それは最終手段だ。殺す気がないにしろ、手を出せば後々厄介になる。--ひとまず、俺が話をするよ」

 

そう言ってマシュを退がらせ、一歩前に進む。

フランス兵は変わらず剣を向けてくるが、構わずに話しかける。

 

「あなた方を驚かせてしまってすみません。ですが、俺たちは決してあなた達に危害を加えるつもりはない。どうかその剣を収めてください」

「そんな言葉だけで信じられると思うか! 貴様らが敵でない証拠などどこにもないだろう!」

 

ぐうの音も出ない正論だ。

彼らの言う通り、そんな証拠など欠片もない。

だがこの状況は予想できていたこと、むしろこの展開を望んでいた。

彼らとの邂逅がああなってしまった以上、彼らとの真っ当な交渉は不可能だ。

故に、この場での最優先事項は彼らと少しでも言葉を交わすこと。

最悪なのは、問答無用で攻撃されることだが、それもなんとか避けることができた。

ここからの選択はこちら次第だ。

「もちろん、そう簡単に信じてもらえるとは思いませんし、こちらには信頼に値する証拠もありません。ですから--俺たちが危険かどうか、あなた達が判断して下さい」

「・・・・・どういうことだ--?」

 

こちらの意図を掴めないためだろう、困惑の表情で問いを投げ返してくる。

そして、その問いこそが、俺の求めていた瞬間だった。

 

「--投降します。あなた達の拠点に連行して下さい」

その場の誰もが驚愕する中、俺は両手を上げて、そう告げた。

 

 

 

 

 

『先輩、本当に大丈夫なんでしょうか・・・・・』

 

士郎達がフランス兵に降ってから五分ほど経った頃、両手を拘束されたマシュが、同じく拘束されている士郎に話しかけた。

当然、フランス兵に聞かれぬように念話を通じて、だ。

マシュは、この状況に持ち込んだ士郎の意図を未だに図れていない。

実際、十人に聞けば十人が首を捻るだろう。

捕えられた以上、当然自由はないし殺される可能性もある。

普通に考えれば、拘束されるメリットは無い。

『心配せずとも、この後のことは考えているよ』

 

だがこの状況を作った張本人の士郎は特に危機感を見せず、大丈夫だと答えた。

『・・・・・具体的にはどのような考えがあるのですか?』

 

再度マシュが問いかける。

サーヴァントとしてマスターを守るためにも、主の考えはできるだけ把握しておくに越したことはない。

 

『・・・・・そうだな、順を追って話していこうか』

 

そう言って、士郎はその作戦を話し始めた。

 

『まず、この作戦が危険かどうかってことだけど、ほぼ間違いなく危険はない。彼らとこちらの立ち回りによるけど、二人揃って死ぬなんてことはないと思う』

『死ぬことはない、ですか?」

 

マシュが同時に疑問が溢す。

この状態が彼の死に繋がらないと、彼はどうして断言できるのか。

普通に考えれば、傷の一つや二つは負いそうなのだが。

無論、士郎やデミ・サーヴァントであるマシュの力を以てすれば、ただの人間に負ける道理はない。脱出はおろか彼らを壊滅することも難しくはない。

だが、士郎が言うのはそういうことではないらしい。

 

『ですが、彼らにとって私たちは明らかに不審者です。少なくとも、穏便な対応は望めないと思うのですが・・・・・』

『そうだな。確かに、今のところ俺たちは招かれざる客だ。友好的な会話はまず望めない。でも、逆に考えれば、それだけなんだ』

『それだけ・・・・・?』

『ああ。確かに俺たちは不審者だ。だが彼らの敵ではない。敵だと判断できない以上、簡単に拷問や処刑なんてことはできない。そんなことをして後々の政治に付け入る隙を作りたくはないだろうからな』

『なるほど、そういうことなんですね』

 

危険がないといった士郎の言葉を、マシュはようやく理解した。

敵国の兵士であればなんの躊躇もないが、なんの関係もない一般人を害したとなれば、他国や市民からの非難は免れない。

現在のフランスがが休戦状態にある以上、いらぬ諍いは産みたくないはずだ。

 

『しかし、危険がないと分かっていたとしても、わざわざこんなことをする必要があったのでしょうか?』

『もちろん。重要なのはここからだ。彼らが出てきたのは砦からだ。ということは、当然そこを取り仕切る人間がいる。砦を任せられるぐらいだから、それなりなの地位にいるはずだ。地位が高ければ、それに比例して得られる情報も多い。うまく立ち回れば、この時代の詳しい情報を得られるかもしれない。その人物を通してこちらの人間とパイプをつなげれば最上だが。まあ、そちらはおまけだな。情報さえ手に入れられれば取り敢えず目標達成だ』

『・・・・・・・・・・』

 

マシュは、うまく言葉が思いつかなかった

士郎が彼女の想像以上のことを考えていたこともある。

だがそれ以上に、その考えを彼らと接触した直後に思いついた思考能力にこそ驚いた。

いや。もしかすれば彼らと接触する以前、それこそレイシフト前から、こちらでの行動の一つとして考えていたのかもしれない。

そのことに驚愕すると同時に、疑問を抱いた。

このさして年も変わらない少年は、どうしてこんな思考ができるまでに至ったのか。

彼女の中で、そんな考えができるだろう人物はほんの僅かだ。

その中で士郎に近い条件に一致するのは、今は亡きオルガマリー・アニムスフィアだ。

彼女も若輩の身でありながら、カルデアの所長として様々な状況に対応していた。

だが、彼女と士郎とでは根本的な前提が違うのだ。

オルガマリーは天体科<アニムスフィア>のロードの娘だ。

生まれた時から魔術の世界に身を沈め、いつかはロードとして生きることが決定していた。

故に、幼い頃から様々なことを学び、その過程で魔術師たちの闘争に身を投じたことも少なくはない。

彼女はそのような人生を送ってきた。

本人の心は兎も角、一人のロードとして無数の能力を求められるのは自然の流れだった。

だが、衛宮士郎は違うのだ。

彼はロードのような生まれでもなければ、人を率いる立場にある人間ではない。

その在り方がいかに特異といえど、彼にあるのはどこまでも普通な凡人の器だ。

そんな人間が、先のような能力を持つ必要などどこにもないはずなのに。

 

・・・・・ああ、でも。

 

それは、彼のことを何も知らないからなのだと、マシュは思った。

衛宮士郎は、自身の過去を明かさない。

それは、カルデアに対する信用がまだ低いからだったり、彼自身が自己を完全に把握していないからだったり、或いはそれ以上に重要なことがあるのかもしれない。

この作戦に、彼の過去を明かす必要性がない、というのも原因の一つだろう。

どうあれ、マスターとして動ける人間は今の所士郎ただ一人。

彼の過去に何があろうとカルデアは士郎に頼るしかなく、士郎も人類を救うためにあらゆる手段を選択する。

そこに士郎の過去という"無駄"な情報を与えて余計な不和や混乱を招くのは得策とは言えない。

一つのことに専念するために、余分な情報は省く。

そう思うからこそ士郎は士郎は自身のことを多くは語らないし、カルデアの人間も踏み入った詮索はしない。

その判断は疑いの余地もなく正しい。

マシュもそのことを重々承知している。

それでも。

それでも、マシュが衛宮士郎のことを知りたいと思ったということは--

 

「もうすぐ砦に着く。貴様らの判断は隊長殿に任せるが、妙な真似はするなよ」

 

フランス兵の警戒を含んだ声が、士郎の過去へと想いを馳せていたマシュの耳朶を叩いた。

正面に意識を向けると、彼の言う通り、彼らの拠点たる砦がその姿を見せていた。

・・・・・あれ? 何か、違和感が・・・・・。

おかしいと、漠然と感じた。

砦。

外敵からの攻撃を防ぐための要塞。

或いは、疲弊した兵士たちを守る盾。

堅牢な城壁は容易に破ること敵わず、押し寄せる敵兵を悉く押し返す。

だが、それらは目の前にある砦にも当てはまるのか。

「・・・・・酷いな」

ぽつりと、士郎が呟いた。

人一倍視力の高い彼は、その異変にいち早く気づいた。

「これ、は・・・・・」

 

さらに距離が近づき、マシュにもその全容が把握できた。

それは、一言で言うのならば、廃墟だった。

城のいたるところが鋭い何かに抉られたように傷ついており、外壁は形が残っているだけで、とてもその役目を果たせそうにない。

兵士たちが出入りする扉は無残にも吹き飛ばされ、そこから覗く城内も荒れ果てていた。

 

「帰還したぞ!誰か動けるやつは、隊長殿に不審な二人組を捕えたと伝えてくれ!」

 

かつて重厚な門があった場所を潜り抜け、フランス兵が城にいる人間に呼びかけた。

だが、その声に応える者はいない。

いや、それ以前に、城内にいるほとんどの兵士は負傷しているか、もしくは答える気力すらない人間ばかりだった。

 

「くそっ、報告に行けるやつすらいないのか」

 

フランス兵の一人が、この惨状に悪態を吐いた。

声はひどく苛立っていた。

だがその苛立ちは、どちらかといえば彼らに向けられたものではなく、別のナニかへと向けられているように感じられた。

 

「お前たちは先に休んでいろ。この二人は俺が連れて行く」

「ですが--」

「二度は言わん。--どのみち歩くことすらままならんだろう」

 

斥候部隊のリーダー格の男が、他の兵士に解散を告げた。

はじめはついて来ようとしたのだが、男の威圧感に圧されたのか、それともついていっても邪魔になるのかと判断したのか、方々に散っていった。

その姿を確認して、目の前の人物は再び歩き始めた。

彼の足取りは、先ほどより重いものになっていた。

おそらくは極度の疲労からくるものだろう。

きっとこの人物も、さっきまでいた彼らや城内にいる他の兵士たちと同様、とっくの昔に限界を迎えているのだ。

それでもなお、疲弊した様子をおくびにも見せなかったのは、彼が他の兵士と比べて、さらに強靭な肉体と精神を有していたためか。

動きが鈍くなったというのも、

傍目から見ればほとんど変わりがないように映る。

彼を見ていたのが士郎とマシュでもなければ、気づきもしない些細な変化だ。

「止まれ」

 

不意に、男から声があがった。

目的の場所に到着したのかと思われたが、とてもそうは見えない。

捕らえた者を収監する牢屋か、彼らの責任者に引きあわせるなら、城内の執務室のような場所に連れて行くはずだ。

だが、目の前にあるのは牢獄や城内の一室でもなく、何故かは分からないが武器庫だった。

「・・・・・えっと」

 

マシュが困惑して兵士の背中を見見やってしまった。

だって困る。彼の話ではこの砦の責任者に合わせると聞いていたのに、いきなり武器庫に連れてこられても、どうしたらいいのかわからない。

だが男はそんなマシュの様子を無視して、二、三度ドアをノックした後、中に入っていった。

 

「 」

「 」

 

しばらく話し声が聞こえたが、密室であるためうまく聞き取れなかった。

やがて話が済んだのか、扉が開いた。

「すまない、待たせた。私が、臨時でこの砦を預かっている者だ」

 

そう言って出てきたのは、白髪交じりの快活な雰囲気の初老の男性だった。

汗と鉄と油の香りを纏ったその姿は、とても砦を指揮するような人物には見えない。

どちらかというと、自ら戦線に赴き敵と戦う姿の方がしっくりくる。

実際に彼の体つきも戦士のそれだ。

身長は180cmほど。薄い布でてきた服の下には、鍛え抜かれがっしりとした体躯が見れる。

 

「こんな場所で立ち話をするわけにもいかんだろう。ひとまず中で話を聞こう」

 

士郎とマシュの拘束を解いた後、彼はその体と同じ立派な腕を軽く広げてそう提案してきた。

それから彼は、後から出てきた先ほどの兵士にも休むように伝え、砦の内部を目指して歩き出した。

この一連の流れを見ていた士郎とマシュは呆然としていた。

二人からすれば、手荒な真似はされないだろう程度の考えで、最低でも牢屋に繋がれることは覚悟していたのだ。

それが蓋を開けてみれば、友好的とまではいかぬまでも、話し合いの席を設けるというのだから、驚かない方がおかしい。

さっきの兵士だって、彼の対応に対し不服そうであった。

 

「えっと・・・・・先輩、どうしましょう?」

「どうって言っても、ついていくしかないだろ」

 

前の方で、来ないのか、なんて聞いてくる彼にため息を吐きながら、二人も後を追いかける。

そうして連れてこられたのが、城内にある部屋の一つ。

他のそれとは違い、扉からして幾つかの装飾が施されている。

「さあ、入ってくれ」

 

扉を開けてそう言う彼に従い、二人も部屋の中に入る。

室内はなかなかに広く、品のいい調度品も幾つか配置されている。

この部屋だけを見れば、この砦を取り仕切る者はかなりセンスがいいのか、よほど高い地位に位置する人物だと考えただろう。

実際いるのは、この部屋に一切馴染まない筋肉質の男だというのだからおかしな話だ。

 

「ほら、いつまでも立ってないで、適当に座ってくれ」

 

男はそう言いながら、執務机に添えられた椅子に腰掛ける。

やはり、二つはミスマッチだ。

 

「あの。なぜ私たちに、このような対応をなさるのでしょうか?」

 

耐えきれなくなったのか、マシュが椅子にも座らず問いを投げかけた。

だって、この状況はおかしい。

ただでさえ怪しい二人組が、突然降伏してそちらの砦に連れて行けと言い、ここに来たのだ。

こんな稚拙な拘束だけでなく、牢屋につなげておくのが自然だろう。

少なくとも、本当にこちらが危険な存在ではない、と思っているわけがない。

何かしら思惑があるのではないか、と二人は思考し--

 

「なぜと言われても、君たちは旅人なのだろう? それを私の部下が無礼を犯したのだ。彼らを率いる者として、詫びを入れなくてはなるまい」

--まさかの答えに、言葉を失う。

まさか。そのまさかだったのだ。

この老兵士は、本当に士郎達を信じて、この場で対面しているのだ。

ありえない話だ。

長年の知人ならいざ知らず、出で立ちからして怪しい見知らぬ人間を何の疑いもなく招き入れるなど。

もし士郎達が、この砦に対して敵対的な人間であったなら、彼は無防備な姿を敵前にさらけ出していることになる。

この老兵は、その危険性を理解しているのか。

 

「わけが分からないという顔をしてるな。まあ、その気持ちはわからんでもないが、別に無条件で君らを信用したわけじゃないぞ? こちらとしても聞きたいことがある。それに、これでもそれなりの時間を生きてきたからな、人を見る目には自信がある。君たちも何か目的があるのだろうが、少なくとも邪な考えは見えん」

さも自信ありげに、男はのたまった。

ここに他の人間がいれば、彼のことを、なんと愚かな人間がいたものかと、罵倒するだろう。

士郎自身、同様の結論に至った。

得体の知れぬ相手を自らの勘だけで判断する。指揮者として褒められた行為ではない。

だが--戦士としてならば、それは必要な資質だ。

絶対が存在しない戦場で、定石通りに進まないことなど腐るほどある。

故に、培った経験と直感で危機を脱する。

この人物の判断は、戦う者のソレに近い。

「・・・・・あなたの考えはわかりました。その上で、改めて話をしたい」

 

真剣な瞳で、士郎が言葉を紡ぐ。

この人物に嘘の類は必要ない、言葉を交わすのならば自分たちも真正面から向き合うことこそが、何より重要なのだと悟ったからだ。

 

「もちろん。君たちの話をしかと聞き遂げよう。さあ、まずは座ってくれ」

今度は躊躇うことなく、男の言葉に従って椅子に腰掛ける。

それに満足し、老兵は改めて言葉を発した。

 

「さて。まずは自己紹介といこう。これから話をするというのに、相手の名前を知らないままというのはいかんからな。私の名はアロワ。さっきも言ったように、臨時でこの砦を取り仕切っている」

「衛宮士郎です。こっちは--」

「マシュ・キリエライトといいます。宜しくお願いします」

「マシュ・キリエライトに、エミヤシロウか。そちらのお嬢さんはともかく、君は随分と変わった響きの名前なのだな」

「俺は、ここから離れた島国の出ですので、こちらの人にはあまり馴染まないのでしょう」

「そうか。そんなに遠いところから来たのか」

 

互いに名前を交換し、それぞれの顔を見やる。

「ふむ、それほど離れた場所からこの国にやってくるのは、相当苦労しただろう。--何のために、やってきたのかな?」

少しばかり、空気が張り詰める。

穏やかな会話はここまで。ここからは本題に入る、という意思表示のために、アロワは自己を切り替えた。

士郎の隣に座るマシュがわずかに体を強張らせるが、士郎は一切の動揺を見せず口を開いた。

 

「我々が旅をしてきたというのは、そちらも理解してもらえてると思います。俺たちは、"とあるモノ"を探しています」

「その、"とあるモノ"とは?」

「残念ですが、それは話せません。名前を知られると色々厄介でして」

 

敢えて聖杯という名前は出さない。

別段、彼個人に魔術の存在が露呈しようともなんら問題はないのだが、聖杯という名前はこの時代の人間からすれば笑い話で済まないだろう。

信心深い人間ならなおさらだ。

下手に混乱の種を蒔く必要もない。

 

「・・・・・分かった。気にならないと言えば嘘になるが、そちらがそう言うのなら追求はしない。--だが、ソレを求める理由は教えてくれるのだろう?」

「もちろんそのつもりです。でもその前に、いくつか確認しておきたいことがあります」

「どんなことかな?」

「このフランスの現状です。そう、例えば、存在しないはずのモノが現れたり、突然災害が起きたり。それに、戦争が今どうなっているかも。俺たちの情報が正しければ、シャルル七世とフィリップ三世の間で休戦協定が結ばれたはずです。にも拘らず城も兵士も傷ついている。なんでこんな状況に?」

「・・・・・そうか。君たちは"アレ"を知っているのだな」

「"アレ"?」

士郎がアロワの沈痛な声に疑問をこぼした。

「・・・・・そうだな。順を追って話をしよう」

 

一度、大きく息を吐き、彼は話し始めた。

 

「始まりは二週間ほど前だ。その時は君たちの言うように停戦協定が結ばれた後で、多少の小競り合いはあったものの、大量の死者が出るほどの戦いはなかった。みんな気が抜けていたんだ。こんな戦争だからな、つかの間とはいえ戦争が中断されたのは、傷ついた兵士たちの休息になった。その時の私は、部下と共にシャルル七世の下で働いていた。私たちも他の兵士と変わらず、日頃の戦いの傷を癒していた。--油断、してたんだ」

 

ぎゅ、と当時を思い出して悔しさにアロワが拳を握りしめる。

協定が結ばれ、戦いは収束へと向かっていた。

この時だけは、兵士たちも気を休めることができた。

仲間と酒を飲み交わし、ある者は家族や恋人の元に帰る。

しばらくは平和だと。今はやがて来る未来の戦いに向けて後悔を残さないように生きる。

ほとんどの人間がその状況に緩み--そんな時に、脅威は訪れた。

 

「現れたのは、ドラゴンだった。やつらは一緒に現れた訳のわからない連中と一緒に俺たちを襲ってきた。兵士だろうと子供だろうと関係ない。あいつらは目に付いたものを片っ端から襲い、喰らい尽くして行ったんだ」

 

ドラゴン。

様々な神話や物語に姿を表すソレは、恐怖の象徴であり、人間の敵対者だ。

通常の生命とは隔絶した強靭な肉体は、ただの一足で城壁を砕く。

鋭利な爪は強固な鎧を容易く切り裂き、吐き出される火炎は街を焼き尽くす。

あらゆる生命体の頂点に位置する存在、最強の幻想種と名高い生物こそが竜だ。

 

『先輩。これはもしかすると--』

『十中八九、聖杯による現象だろう。でなければ14世紀のフランスに、竜種が存在するはずがない』

 

多くの記録に残されている竜種だが、神秘の時代が終わり、西暦を迎えてからは一切その姿を見せなくなった。

亡骸は時たま見つかることはあるのだが、魔術世界では肉体を残して魂だけで世界の裏側に移動したというのが通説だ。

現代で竜種を呼び出すというのなら、それこそ冠位<グランド>の階位に据えられてもおかしくはないだろう。

竜種の召喚とは、それだけ特別なことなのだ。

神代の魔術師でも、竜を使役することはあっても呼び出す者は多くはない。

それが実現するということは、聖杯を用いて竜を呼び出した誰かがいるはずだ。

 

「話はわかりましたが、それだけじゃないはずです。本当は、他に問題があるんじゃないんですか?」

「・・・・・そうだ。ドラゴンやあの骨共だけなら、私たちにもまだ戦えたさ。少なくとも、無様に主を殺されるなんてことはなかったはずだ。--本当に厄介だったのは、あいつらを率いていた存在だった」

 

アロワがの肩が微かに震える。

その目で見てその体で体験した事実に、怒りと恐れがない交ぜになって現れる。

 

「そいつらは、ドラゴンや骨の兵士みたいに化け物じみた姿をしてはいなかった。むしろ私たちと同じ人間の形をしていた。来ている服の特異さに目を瞑れば、そこらにいる人間となんら変わりない。--だが、そんな奴らこそが、何よりも恐ろしかった」

 

思い返すのは、彼が主を守れなかった戦場。

仲間の兵士や騎士と共にドラゴンたちと戦い、僅かとはいえ拮抗した状態へと持ち込むことを可能とした彼らは--しかし、その先に真なる脅威を目の当たりにした。

 

『ほう。ただの人間でありながら、こうも持ちこたえるとは』

 

ドラゴン達を退がらせ、純粋な感心を口にしながら現れたのは一人の男だった。

夜の闇に溶けそうな黒色の貴族服を纏い、反面その貌は見た者がぞっとするほどに蒼白で、絹のごとき白髪は無造作に伸ばされている。

外見や表情だけを見れば、穏やかな人物に見えたかもしれない。

だが、アロワはソレの脅威に一目で気づいた。

 

--アレは駄目だ。

--アレには勝てない。

 

彼がそう思考したのに、彼自身の経験や知識は関係ない。

また、男が怒号を飛ばしたわけでも、ましてや凶悪な武器を手にしているわけでもない。

されど、男の冷徹な瞳と纏われる威圧感が、この男を前にして自分達ではどうすることもできない無力な存在なのだと結論せざるをえなかった。

その存在こそサーヴァントと呼ばれる過去の英傑の現し身だということは、この時の彼らには知る由もなかった。

『お前がこいつらを連れてきたのかッ!!』

兵士の幾人かが叫びと共に男に斬りかかる。

馬鹿な、というアロワの思考は、この事態を全く想定していなかった。

アレの危険性は明らか、たとえこの場にいる戦士が一斉に襲いかかったとしても傷一つ付けられない。

他の人間ならいざ知らず、彼が鍛えた部下がその程度の判断をできないはずがない。

だが、彼は一つ忘れている。

ここは戦場なのだ。

男の危険性に気づいたのは、彼が指揮者として誰よりも冷静に戦場を俯瞰していたためであり、他の兵士にはそれは当て嵌まらない。

平時であれば止まったであろう事も、戦いの熱に浮かされて昂った精神はいかなる危険も度外視する。

故に、彼らは迸る感情に身を任せて己が刃を振り下ろし--

 

『恐れを知らぬ兵よ。その心意気は買うが、熱に犯されたままでは無様をさらすことになるぞ?』

場違いなほど冷めきった声が、大地より現れた杭と共に、兵士達を串刺しにした。

それは本当に一瞬のことで、精強な兵士達が抵抗の一つどころか知覚する事もなく、無残な死体を晒した。

『おい、何だよ、アレは・・・・・』

 

兵士の一人が、あまりにも現実離れした光景に呟いた。

それに答えるものはいない。

誰もが、その現象に思考を止めていた。

誰一人として、動くことができなかった。

共に戦ってきた仲間が苦しみ悶えながら死んだ事も、それをした張本人が何をしたのかも、ひとつたりとも理解できない。

恐怖すらなく、ただただ呆然とするほかなく。

男がその腕を掲げるのを、彼らはどこか他人事のように見つめて--

『余も心苦しくはあるが、これもマスターからの命令だ。--では、串刺しである」

 

 

 

 

「そうして、訳のわからないまま私達は壊滅させられた。まともに戦う事もできず、部下のほとんどを殺されて仕えるべき主すら見捨てて--逃げ出すのがやっとだった」

 

彼の声には、初めて出会った時ほどの力はない。

拳を握りしめ、奥歯を噛み締め、自らの無力さに肩を震わせる。

無論、彼とてあそこで戦うことが最善だったとは思っていない。

どう見ても敗北は必至だった。

あのまま戦っていれば誰一人として生き残れなかったし、逃げおおせたことも奇跡に等しい。

指揮者として誰よりも冷静に判断し、撤退を選んだ彼の選択は最善のもので--それでも、他に出来るがあったかもしれないと、その後悔に苛まれている。

 

「それから数日経って、私と部下達が遠く離れたこの城に逃げ込んだ頃には、シャルル七世とフィリップ三世が殺された話はフランス中に広まっていた。だが、信じられるか? それをやったのはドラゴンでもあの男でもなく--ほかでもない、聖女ジャンヌによる仕業だったって」

「何だって・・・・・?」

 

さしもの士郎も、驚きを抑えられなかった。

オルレアンの乙女、救国の聖女と名高きジャンヌ・ダルク。

神の声を聞き祖国を救うために戦場へと赴き、奇跡的な快進撃を成し遂げた。

だが戦いの果てに捕らえられた彼女は様々な思惑と共に魔女として貶められ、火刑に処されることとなる。

多くの人間から蔑まれ罵られ、怨嗟の声をその身に受けながら業火の中へと消えていった。

あまりにも苛烈で悲劇的な彼女の生涯は後世にまで伝わり、多くの人々の涙を誘った。

多くを救うために戦いを選び、魔女と罵倒されてもなお、その信仰を曲げることのなかった聖女。

その彼女が、自ら守らんとした祖国を滅ぼそうなど、誰も思いもしないだろう。

 

「私たちだって、初めは信じられなかったさ。あの人は少し前に火刑に処されて死んだんだから。仮に生きていたとしても、あの、誰よりも強く心優しい聖女様が、このフランスを滅ぼそうとするなんてあるはずがない。・・・・・だが、かろうじて生き延びたやつの中に、あの人と同じ戦場に立ったことのある兵士が何人かいてな。そいつらが、間違いなくアレはジャンヌ・ダルクだったというんだ。だから私達はこう考えるしかなかった。"ジャンヌ・ダルクは復活した、自身を殺したこのフランスに復讐するために悪魔と契約し、竜の魔女として地獄から戻ってきたのだ"、と」

 

ふぅー、と。

話を終えたアロワが、長い息をついた。

きっと、今の話をしただけでひどい疲れを覚えたのだろう。

彼の心中は荒れ狂う海のごとく揺れているはずだ。

こんなことはありえないと、これは悪い夢なのだと、こんな状況になってもそう思いたい。

だが、状況と彼の立場はそんな小さな逃避さえ許さない。

彼に許されたことはこの城の兵士達を守り、この状況から抜け出す糸口を何とか見つけ出すことだ。

 

「・・・・・なるほど。だから俺達を招き入れたんですね」

「否定はせんよ。私が何かしらのきっかけを探していたのは間違いないからな。だが、完全にそれが目的だったわけじゃない。私は飽くまで君達が信用できると考えたから、君たちとの話し合いに応じた。そこは信じてほしい」

「大丈夫ですよ、あなたがそういう人だってことは分かりましたから。--だから、俺達もあなたの意志に応えたい」

 

一度柔和な表情を浮かべた士郎は、すぐに気持ちを引き締め自分達の目的を明かした。

 

「俺達の目的はさっき言ったとあるモノを回収することです。それは膨大な力を蓄えていて、今回の騒動の原因も、それにあると考えられます。アロワさん達が遭遇した槍を持つ男も、そこから現れたの力の一端です。対抗できるのも今のところは俺とマシュの二人だけです」

「あんな化け物を生み出し、それすらも力の一部でしかないと、君はそう言うのか?」

「はい。このまま放っておけば--世界を滅ぼす代物です」

 

士郎の言葉を継ぎ、マシュが端的に答える。

ソレは何もかもを台無しにする存在だと。

 

「・・・・・世界、ときたか。フランスではなく、全てが滅びると」

 

自身の予想を超えた話にアロワは目を伏せ--しかし笑うことはしなかった。

それは、滅びの象徴たる存在を事前に見ていたおかげだ。

かつて、フランス屈指の精鋭であった彼の部隊が手も足も出ず壊滅させられた。

その光景を直接目にしたからこそ、彼は士郎たちの言葉を否定しることはなかった。

そうでなければ、世界の滅びなどという眉唾な話を信じることは不可能だ。

士郎たちの話を一笑に付しただろう。

一つだけ言っておくと、アロワという人物は決して愚かではない。

むしろ、士郎が出会ってきた人間の中でも上位に位置するほど優秀な人物である。

戦士として鍛え上げられた力量と、指揮者としての頭脳、それらを裏打ちする確かな経験。

彼であれば多少の騒動など大した問題にもならないだろう。

だが、しかし。

そんな彼ですら、世界の滅亡というのは遠い存在なのだ。

故に、士郎たちにとってこれは幸運であった。

他でもない、自らサーヴァントを見たアロワだからこそ己が為すべきことを違わなかった。

胸中に渦巻く動揺や葛藤を押し殺し、硬く決意を固める。

 

「君たちの目的は理解した。このままでは、何もかもが滅びるということも。そして、それを防ぐ手立てと力を君達が有していることも分かった。だがその上で、君達は我々に何を望む? 無様に敗北し戦う余力さえない我々に何を求める?」

「お願いしたいのは三つです。まず何より優先してもらいたいのは、フランス各地への警告です。この国で何かが起きているということは、おそらくほとんどの人が察していると思います。けど、それがどれだけの脅威であるかは実際に遭遇した少数しか知らないはずです。だから、少しでも被害を抑えるために、せめて警戒を呼びかけてください」

「なるほど。そういうことなら全力を尽くそう。情けなく逃げ出した身だが、それで少しでも助かる人間がいるのなら、仲間達の死も無駄ではなかった。それで、他の二つは?」

「俺たちがこの国で行動するにあたって、現状のより詳細な情報と軍上層部へのパイプを繋げて欲しいんです」

「ふむ。今この砦にある各地の情報ならすぐにでも渡せるが、君達が行動を始めた時はどうする?」

「その場合は自分達の足で現地の人から話を聞きます。仮に緊急性の高い情報があっても、こちらで連絡手段を用意しますので、それを使って伝えてください」

「分かった。こちらもできる限りのことを調べよう。だが、パイプというのは?」

「俺達にはこの国での身分を証明する者がありません。行動中、他のフランス軍に捕らえられる可能性もあると思います。その度に時間を取られていては手遅れになる可能性がある。最低限で構いません、俺達という存在がこのフランスで行動している軍にことを知らせてください」

「分かった。近いうちに上に文を送ろう。だが、それが受理され君達が信用されるには時間がかかるだろう。幸いにして、死んだ前のこの砦を取り仕切っていた者はそれなりの地位にいたようだ。その名義で書状を書こう。その内バレるだろうが、正式に軍が受理するまでの時間稼ぎだ」

「ありがとうございます。これが通れば、こちらも円滑に動けます」

「なに。所詮は惨敗兵だ、こんなことで役立てるのならいくらだって協力するさ。それに、そうやって負けたことが役立つというのだから、より一層だよ」

「・・・・・すみません。あなた達に嫌なことを思い出させてしまう」

 

士郎が、アロワに頭を下げる。

彼は自分達の敗北を価値あるものだったと言う。

だが、各地へと警戒を呼びかけてもらうというとこは、彼らの敗北した記憶をその度に抉り出すことだ。

仲間の死を目にし何もできずに逃げ出すことになったかつての戦場を、繰り返し蘇らせる。

それは何より耐え難い苦痛のはずだ。

士郎の言葉はそのまま、その痛みをまた味わえと言っているのと同義なのだ。

だから、士郎は謝らなくてはいけない。

たとえそれで救われる人間がいるのだとしても、それで彼らが苦しむのは、本当は間違っていると思うから。

 

「頭を上げてくれ。それは君達が気にすることじゃないし、私達が負けたのは確かなんだから。--実際、何もかも終わっていたんだ。力だけではなく、心まで。もう何もできないと。私を含めて全ての兵士達が諦めていた」

 

それは比喩でもなんでもなく、確固とした事実だった。

負傷兵を除いて、彼らの肉体にさしたる問題はない。

芯は通り、心臓は脈打ち、思考に翳りはない。

ただ、その心だけが欠け落ちていた。

何かをする気が起きない、喋ることも億劫。

本当は生きていることすら面倒で--それでも死にたくないと思うから最低限の生活を営む。

先の斥候だって特に意味があるわけではない。

単に殺されるのが嫌だから、それを事前に避けようとしただけのことだ。

決して、反攻や現状の打破を求めてのことではない。

だがらこそ、彼らは"生きてはいない"。

どうにもならない現実に敗れ緩慢と日々を消費するだけの彼らは、あらゆる意味を喪失していた。だが--

 

「今は、違う。君達に協力できれば、私たちにもまだ何かできるかもしれない」

 

依然として、この戦いでは無力であることは変わりなく。

フランスを蹂躙する脅威を、己が力で払うこともできない。

それでも、それでも。

仮令直接何もできなくても、この手で救えるものがあるのなら。

生まれ落ちた祖国を、愛した者を守れるというのなら--この軀はまだ動く。

芯は通り、心臓は脈打ち、思考に翳りはない。

そして何より、心から望む未来があり、それを掴むことができる。

それさえあれば、十分だ。

「改めて頼みたい。--どうか、手を貸してくれ。私達は大した力もなくて、ほとんどできる事なんてない。それでも、この国を守るためにその力を貸して欲しい」

 

アロワが、深く頭を下げた。

高身長の男が頭をさげるその光景は、端から見れば情けないものに見えたかもしれない。

だが少なくとも、その場にいた士郎達だけは、その背に宿る願いと信念を確かに感じていた。

だがらこそ、その背に答える言葉はただ一つしかなく--

 

「もちろんです。世界を--より多くの人々を守るために、この身は剣となり盾となります」

「わたしも、微力ですが全力でこのフランスを守ります」

 

力強く決して揺るがぬ硬さをもって、士郎達は宣言した。

 

 

 

 

 

 

「すまない。情けないところを見せてしまった」

「いえ、気にしないでください」

 

士郎達の決意を聞いて感極まったのか、アロワが少しの間涙を見せた。

すぐに治まったのだが、本人は祖父と孫ほどの年の差がある少年少女の前で涙を見せたことが恥ずかしかったのか、ほんの少し頬を赤くしている。

彼の今までの事を考えれば、それもやむなしかもしれない。

彼にとって士郎達は、暗い闇の中に差し込んだ一条の希望だ。

その出会い自体僥倖であれば、自身の予想を超えて二人はこのフランスを救おうとしている。

なんとかできるかもしれないと、その思い故に涙が流れてしまったというとは、仕方がないというものだろう。

尤も、本人がそれをどう思うかはまた別問題だが。

 

「よし、もう大丈夫だ。時間を取ってしまって申し訳ない。早速これからのことについて話そう」「本当に大丈夫ですか? まだお辛いのならわたしたちは退出しますが・・・・・」

「ははは。マシュ君は優しいな。だが、私も一人の兵士だ。いつまでも暗い気持ちを引きずってはおれんよ」

 

気遣うマシュに、快活に笑うアロワ。

兵士としての彼はともかく、本質的には好々爺なのだろう。

 

「分かりました。それじゃ、まずは各地への伝達と、ここにある情報を見せてください」

「ああ。少し待ってくれ、いま部下達に--」

「隊長殿っ--!!」

 

ばん、と。

勢いよく扉を開き、顔を見せたのはさっきまで士郎達を連れていた兵士だ。

その表情は焦燥に駆られており、さきほどの寡黙さがまるで嘘のように消えていた。

「なんだ、いったい何があった?」

「この砦に、あの骸骨どもが向かっています!」

 

部屋に、緊張が走った。

アロワが、恐れていた事態が現実になってしまった。

 

「こんな負傷兵ばかりの砦にまで来るのかっ・・・・・! それで、敵の数は?」

「は。それが、物見によればおおよそ百体ほどのようです・・・・・」

「百体だとっ!?」

 

アロワが驚愕に目を見開く。

実際のところ、あの骸骨が百体ほどいてもさして問題ではない。

その奇怪な見た目に惑わされるが、あれ自体の力は一般の兵士と同等かそれ以下だ。

よほど数に差があるか練度が低くないと、まず負ける事はない。

だが、今この時に限ってその数は致命的だった。

何故なら、この砦にまともに戦えるものはほとんどいない。

アロワが連れてきた兵士で動けるのは、先ほどの斥候部隊と城で待機していた四人だけ。他は全員負傷しており、まともに戦う事はできない。元からこの砦にいる兵士も、ほとんどが口減しのために軍に入れられた元農民ばかりだ。そもそもの練度はもとより、フランスの現状を知り、もはや生きる気力さえ失っていた。

 

「今は待機していたクロード達四人が出ていますが、どうやっても防ぎきれません」

 

無謀にもほどがある。

百の敵兵に立った四人で立ち向かうなど、蛮勇すら越えてただの自殺志願者だ。

だが、そうでもしなければならないのもまた事実だ。

 

「ご決断を。このまま戦っても勝ち目はありません。我々が時間を稼ぎますので、負傷兵達を連れてお逃げください」

「馬鹿を言うな! 部下を見捨てて逃げる指揮官がどこにいる!」

「ですが、それ以外に助かる方法はありません。こうやって議論している間にも敵はここ近づいています。どうせ全滅するなら、あなただけでも--」

「待ってください」

 

二人の議論に、士郎の言葉が割り込んだ。

 

「貴様、なんのつもりだ。隊長のお考えに従って手を出さずにいるが、無駄に騒ぐことは許さんぞ。・・・・・いや、まて。まさかお前があいつらを--」

「そこまでだ、エディ。彼らは敵でもなければ、アレを連れてきたわけでもない」

「ですが、隊長--」

「私を信じろ。彼らは我々の味方だ」

「・・・・・あなたがそう言うのでしたら、私は何も言いません。ですが、この状況で下手に口を挟まれても困ります。割って入ってきたのなら、それなりの考えがあってのことなんだろうな?」

「無論。今ここを襲っている骸骨とは、以前にも戦ったことがあります。百体程度なら俺たちで確実に仕留めてみます」

「・・・・・何を言うかと思えば。あの数をたった二人だけで、それも子供のお前達が倒すだと? 馬鹿も休み休み言え。そんなことが出来るわけもない」

「アロワさん、構いませんね・・・・・?」

 

兵士--エディと呼ばれた男の言葉を無視して、士郎はアロワに確認を取る。

 

「すまない。負傷兵達を移動させるまででいい、時間を稼いでくれ」

「隊長--っ!?」

 

アロワの言葉に驚いたエディが叫びを上げた。

士郎達とアロワのやり取りを知らない彼からすれば、自然な反応だろう。

どこの馬の骨とも知れぬ輩にこの砦にいるすべての人間の命を預けると言っているのと一緒だから無理もない。

だが、説明している暇はない。

今は一刻も早く、打って出なくてはならない。

 

「マシュ、いけるな?」

「はい。戦闘準備は万全です。いつでもいけます」

 

立ち上がったマシュが、その手に大盾を具現化する。

この光景には流石の二人も驚いたが、アロワは何も言わず、頼むと、その瞳が告げていた。

 

「よし。行くぞ、マシュ!」

「了解です、マスター!」

 

士郎の掛け声を最後に、二人はこの特異点で初となる戦いへと赴く。




投稿するときふと思ったのですが、今回無茶苦茶長い!
実は最初は前後半に分けてなくて、一本の話だったんですよ。でも、その場合ものすごく長くなって。文字数2万6千以上って、どんだけだよ。今までも1万5千ぐらいが限度だったのに。流石にこれは読者の皆さんが読み辛いかなって事で、分割した次第です。色々とフランス兵に設定つけていこうとしたらこうなっていた(汗) 終盤の方とか結構ヤバい人みたいになってますからね。うん、まあ、楽しいからいいか(適当) そのうち彼らにも活躍してもらいたい。頑張ろう。


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蹂躙する竜の群れ 後編

「うぉおおおおおッ!!」

 

一人の兵士の咆哮とともに、二体の骸骨兵がその頭を砕かれた。

ここ、ヴォークルールの砦へ向かう敵兵を確認してから数分、先に出撃した四人の兵士達は既に敵先遣隊との交戦に入っていた。

「この化け物どもが。潰しても潰しても湧いてきやがる!」

 

ロングソードで敵を串刺しにしながら悪態を吐く。

彼の眼の前には、骨、骨、骨、骨の大軍だ。

大した力こそ無いものの、数の暴力というのは単純にして最大の脅威だ。

一体ではさしたる影響はなくとも、二十、三十と集まれば形を持った白色の壁になる。

一度呑み込まれてしまえば、生還は叶わない。

 

「おいお前ら、何が何でも止めろ! 隊長殿が脱出するまで、一体たりとも通すな!」

 

分隊を指揮する兵士--クロードの声に、応!、と帰ってくる。

・・・・・このぶんなら、まだ保つか。

士気は充分。

疲労こそあるものの、その辺りは気合でなんとかなる。

少なくとも、隊長達が脱出するまでの時間は稼げるだろう。

そう考えていた彼の視界に、一つの光景が映り込んだ。

 

「っ・・・・・!」

 

迫り来る無数の白。

相対したものを悉く吞み込み、斬り刻む大波。

物見からおおよその数は聞いていたものの、こうして同じ大地に立って見ると、その圧は比べ物にならない。

あの大軍からすれば、自分達は波に攫われる砂のようなものだろうか。

 

「くそっ、 なにを弱気な!」

 

頭を振り、嫌なイメージを振り払う。

ただでさえ数で負けているというのに、気持でも負けてどうする。

緩んだ精神を叱責する。

ここで倒れるわけにはいかないと、四肢に力を込める。

だが、その僅かな思考の間を、敵は見逃さなかった。

 

「クロード、右だ!」

「・・・・・!?」

 

その手に握る剣を頭蓋めがけて振り下ろす骸骨兵。

瞬時に肉体を翻し、頭上で刃を構える。

 

「ぐ、お・・・・・っ!」

 

防御は簡単に崩された。

速度を重視して込める力が足りなかった。

辛うじて刃は逸らしたが、これ以上は続かない。

剣を持った骨の後ろから、槍を構えた別の骨が突撃してくる。

・・・・・ここまでかよ・・・・・っ!

 

何もできない無念さに唇を噛む。

許された刹那に、せめて大恩あるあの人だけは生き残って欲しいと願い--

--目の前で、骸の頭がが砕け散った。

 

「な、ぁ--っ!?」

 

突然の事態におかしな声を上げる。

だが事態は止まらない。

槍持ちが停止した直後、後ろにいた剣持ちもその胴体が撃ち抜かれた。

理解が追いつかない。

突然骨が吹き飛んだことがあり得ないのなら、それを一瞬で成した何者かの力量は理解の外にある。

 

「怪我はありませんか?」

 

クロードに目の前から声がかかってきた。

それで初めて、その場に人がいたのだと気がついた。

血のように紅い外套を纏った少年。

ただの一瞬で二体の骸骨を屠った者こそが、目の前の少年だった。

 

「あ、あんたは・・・・・?」

「あなた達の隊長と協力関係にある者です。それより、また襲われる前に早く立ってください」

少年--衛宮士郎が、手を差し伸べる。

クロードはその手を取りながら、混乱する頭をなんとか整理しようとする。

少年の正体、力量、目的、この人物の登場による戦場の変化。

乱雑に複数の突然が起こり、思考がうまく纏まらない。

そもそも、自分達の隊長と協力関係にあるとはどういうことなのか。

いくつもの疑問が頭の中を駆け巡る。

クロードは混乱する考え、安定しない精神で問いかけようとし--その直前に、口に出す言葉を変える。

 

「危ない・・・・・っ!」

 

士郎がクロードを助けたすぐ後には、すでに新たな骸が差し迫っている。

同時に襲い来る五体の骨。

凶器はとうに振り上げられ、落ちる先には士郎の体がある。

だが、士郎は振り向かない。襲い来る危機を背に、僅かな焦燥も見せることはない。

余人が見れば正気を疑うだろう。

状況についていけないのならまだしも、彼は骸骨共を圧倒できる存在だ。

にもかかわらず、一切の対応をしないのなら、やはり理解ができない。

彼が骸骨共を優に超える力量を有していようと、彼の肉体強度は人間の域を出ない。

直撃を受ければ、それは確実に致命となる。

それでもなお、動きを見せないのら--それは、そもそも動く必要がないからだ。

「やぁ--ッ!」

 

骸骨達の直上より墜ちる黒色の大塊。

伴う気迫に似つかない幼さを残す声と共に、さらに相応しくない轟音が戦場を揺るがした。

音が消え去った頃には、襲ってきた骨達は衝撃でせり上がった大地の上で一つの例外もなく粉微塵に粉砕されていた。

だがその結果よりも目を引くのは、やはりそれを成した存在だろう。

発せられた声と同じように幼さを残しながらも、横を通り過ぎた者がつい、振り向いてしまいそうになる可憐な少女。

その少女の身の丈を優に越える、十字を象ったと思しき巨大な黒色の盾。

無数の骸骨兵よりよほど常識を超越した存在が、迫る大軍を前に立ち塞がった。

 

「どうだ、マシュ。いけるか?」

「はい。問題ありません、マスター」

背後で迸った衝撃を意にも介さず、振り返った士郎はマシュへと問いかけた。

返答は肯定。

デミ・サーヴァントたる彼女は、無数の敵を前に些かの躊躇も見せない。

 

「頼もしいな。けど、無理はするなよ。どうしても駄目なら、退がってくれても構わない」

「いいえ。マスターだけを残して、一人逃げることはできません。あなたが戦うのなら、私も一緒にいきます」

「そうか・・・・・なら俺も、その信頼に恥じないように戦おう」

 

なんとも律儀で頑固な答えに、士郎が苦笑する。

マシュが戦いや敵を恐れているのは、とうに知れていることだ。

しかし、それを差し置いてこの場に立つのは、偏に士郎を守るためだ。

それは単に、マスターだから、という理由ではない。

もっと別の、何か願いのようなものだ。

なぜ、士郎を守りたいと思うのか。その理由は定かではない。彼女自身、未だに答えを見つけていないのだから、士郎にその真意がわかるはずもない。

だが、竦む心を精一杯に奮い立たせてこの身を守ろうとする想い、それに応えなければ嘘だ。

「片付いた先遣隊を除けば、本隊は七、八十といったところか・・・・・正面から行っても問題はないけど、何体か抜けるな」

しばし思考した士郎は数秒ほどで考えを纏め、いまだ状況についていけない背後のクロードに声を掛けた。

 

「あなたはクロードさん、でしたよね? 少し頼みたいことがあるんですけど、構いませんか?」

「た、たのみたいことって、いったい・・・・・」

「敵の数は膨大です。早めに終わらせるためにも、あなた達にも協力してもらいたいんです」

 

士郎の考えはシンプルだ。

敵陣の中央に穴を開け、浮き足立ったところを左右から切り崩す。

いかに多数とはいえ、群体として瓦解した敵を制するのは容易だ。

 

「だが、どうやってあいつの隊列を崩すんだ? 悪いが、俺たちにはできないぞ」

「それは、彼女--マシュがやってくれます。彼女はあの程度の骸に遅れは取りませんから安心してください」

「そうは言ってもだな・・・・・」

 

クロードはこの局面で思い悩む。

単純に作戦の成否も不安の種だが、士郎達を信用してもいいものか、と考えているのだ。

見ず知らずの人間にいきなり、自分達の協力者だと言われれば、疑るのも無理からぬことだ。

しかし、現状はそのような思考を許すほど穏やかなものではない。

 

「あなたの懸念はもっともです。けど、ここで協力しないと敵は必ず砦に押し入ります。そうなれば負傷兵達はおろか、アロワさんも危険に晒されます」

 

敵の姿はもはや目と鼻の先。

接敵まで二十秒とかからない。

クロードは、今すぐに決断しなくてはならない。

 

「・・・・・分かった。あんた達を信じよう」

「ありがとうございます。それじゃ、そちらは左翼を。俺が右から攻め込みます」

 

短く言葉を交わした士郎は、マシュへと顔を向けた。

 

「マシュ。敵中央への強行突破だが、いけるな?」

「はい、マスター」

 

マシュの返答は変わらない。

燻る恐怖を彼方へと置き去りにし、敵陣へと突撃の構えを取っている。

迫る骸骨兵の勢いは止まらず、衝突まであと十秒ほどだ。

 

「五秒後に動くぞ。出鼻を挫く」

 

言葉を発するとともに、カウントを刻む。

 

--残り三。

 

緊張に、誰かが喉を鳴らした。

 

--残り一。

クロード達が、固めた決意を示すように構える。

 

--残り零。

 

「行きます--ッ!」

 

宣言すると同時に、マシュが駆け出した。

デミ・サーヴァントの走力を存分に生かした彼女は、踏み込むと同時に音速の壁を超えて突貫する。

30m程の距離を瞬く間に詰めたマシュは、その手に握る大盾を横薙ぎに振るった。

意表を突かれた骸共に対応する暇はなく、一瞬で十体以上の骸骨が木っ端の如く吹き飛んだ。

その結果を横目に確認しながら、敵陣の只中で盾の少女がなおも突き進む。

骸骨兵は味方が吹き飛ばされたことも気にせず、マシュを追い始めた。

ただの人間であれば、この時点で逃げ出したかもしれない。

だが、彼らは通常の生命に非ず。

魔術、或いは聖杯の膨大な魔力により生み出された、意思なき自動人形である。

目に映るもの全てを殲滅せよという、刻み込まれた単純な命令<コマンド>をこなすだけの兵士。

敵方との戦力差など考慮しなければ、そもそもそのような機能は持ち合わせていない。

だが、その単純にして不変の在り方が致命となった。

最大の脅威を目にした骸達は、それこそを第一の標的とみなす。

他の存在を無視し、骸達の行動はマシュを仕留めることに固定される。

だが、サーヴァント相手では性能に差がありすぎるため、その姿を視認することもできない。

骸骨達は捉えられない標的に右往左往するだけだ。

しかし、戦場においてその停滞は格好の的となる。

 

「疾--ッ!」

 

突如として、惑う骸骨達の頭が複数砕け散った。

その正体は言うに及ばず、赤い外套を纏った衛宮士郎である。

当初の作戦通りマシュによって作られた混乱に乗じて、右翼より攻めかかったのだ。

新たに出現した敵にいまだ気づかないままの骸骨兵を、立て続けに潰していく。

そして骸骨兵が気づいた頃には、すでに士郎の手によって十数体の骸が倒されていた。

目を見張るのはその戦闘法だ。

彼は剣や槍といった武器を持つのではなく、己が拳だけでこの大軍と戦っている。

もし骸骨達に知性があれば驚愕に全身を震わせただろう。

或いは馬鹿なヤツだ、と嘲笑ったか。

何れにせよ、何十と群がる敵を前に徒手で挑むなど愚者の誹りを免れることはできず--そんな常識を超えて駆け抜ける赤の影こそが現実だ。

四方より襲いくる刃を、その腹を叩くことでいなし、時に繰り出される刺突を誘導し同士討ちさせる。

振るわれる白刃に一切の恐れを見せず、頭蓋を砕き、胴を吹き飛ばし、肘を撃ち抜く。

輝くような流麗さはないものの、機械の如き精密さで次々と敵を屠っていく。

 

・・・・・予想以上に早いな。

 

骸骨の群れを打ち倒しながら、士郎の胸は驚きで染まっていた。

鷹の目とも称される士郎の眼は戦場の只中にありながら、上空より俯瞰するかのように全体の動きを把握していた。

マシュの戦果は言うに及ばず。

すでにクロード達も攻勢に出ており、疲労が蓄積されているとは思えない見事な動きと連携で骸を倒していく。

驚くべきは、その練度の高さ。

ほとんどの兵士が農民の出であったこの時代のフランス軍において、多勢に対しあれほどうまく立ち回れる兵士はほんの一握りだろう。

予想外の戦力によって、戦況はますます士郎達へと傾く。

瞬く間に数を減らしていく骸骨兵は、既に三割近くまで減少していた。

一分もすれば敵は全滅するだろう。

趨勢は決したも同然、油断さえしなければ敗北はありえない。

 

「----っ!?」

そう考える士郎だったが、視界の端にありえざる存在を捉えた。

ソレは、この戦場より離れた上空からこの場所を目指して飛行していた。

深緑の甲殻に身を覆い、腕と一体化したような二枚一対の翼を羽ばたかせる。

口内に鋭い牙を備えた頭部は爬虫類を連想させる。

その姿は、数多の伝説に姿をあらわす生物の一つに相違なく--

 

「マシュ、ここを頼む!」

「え!? マ、マスター、いったいどこへ!?」

 

一言だけ残して砦へと駆け出す士郎。

唐突な行動に虚を突かれたマシュだが、士郎はそれに応じることなく砦へとひた走る。

「なんでいきなり・・・・・」

『マシュ! 君達に大型の生物が向かっている、かなりの速度だ!』

「ドクター、今はかまっている暇は--大型の生物・・・・・?」

 

Dr.ロマンからの通信。

マシュがその内容を理解する前に--巨大な風切り音が彼女の耳に届いた。

 

 

 

 

 

 

「俄かに信じがたい話だったが、まさか本当に竜種が存在するとはな」

 

ヴォークルール砦の最も高所に位置する場所に登り、飛翔する脅威を見据える。

「ワイバーン。亜種とはいえ竜種であることには変わりない。たったの数日で、フランス軍のほとんどを壊滅させたのも頷ける。アロワさん達はよくも渡り合ったものだ」

 

視線を下に移せば、どうやらマシュ達も気づいたようだ。

だが、僅かだが骸骨兵も残存している。

あれらを仕留め切らねばワイバーン達に気を割くことはできない。

同時に、彼らが骸骨兵を仕留め切るより、ワイバーンの牙が届く方が早い。

デミ・サーヴァントであるマシュならば対応は可能だろうが、ただの人間でしかないクロード達には些か荷が重すぎる。

ならばこそ、アレを止めるのは自分しかいない。

「同調、開始<トレース・オン>」

 

慣れ親しんだ言霊を紡ぎ、砦から拝借してきた弓矢に強化の魔術を施す。

ただの弓矢はたちまち強度を増し、なんとかワイバーンを撃ち落とせる性能へと押しあがった。

「----」

 

弓を構え標的に狙いを定める。

視界に映るワイバーンは十五体。

この場に到達する前に狙撃する。

 

「ふッ--!」

 

一息のうちに四射放つ。

音速とはいかずとも、高速で撃ち出された矢は寸分違わず敵を穿った。

・・・・・残り、十二体。

 

大地へと墜ちた三体を一瞥し、新たに矢を番える。

ワイバーン達は今ので脅威を認識したのか本能からか、回避行動らしきものを取っている。

だが、それは無駄なことだ。

士郎が弓兵の構えを取った以上、彼の矢から逃れうる存在など然う然う居ない。

まして、理性なき獣ごとき、仕留められぬはずがない。

士郎はワイバーン達の動きなど気にも留ず、矢を射る

弓を構え、矢を掴み、番え、射るという一連の動作を澱みなく息つく間もなく完了させる。

秒間約五射。

機関銃のごとき勢いで放たれた矢は、ワイバーン達の急所を悉く貫き失墜させる。

ほとんどのワイバーンが死に絶え、残った数体も至る所に矢が刺さり虫の息だ。

ワイバーンが全滅する以上、この場における脅威は取り除かれる。

残った敵は雑兵以下の骸骨兵が僅かに残るだけ。

それは下にいるマシュ達で事足りる。

間も無く、こちらの勝利は確定される。

 

--そう、ワイバーンが全滅していれば、の話だが。

 

「----っ!?」

 

士郎の聴覚が複数の音を捉えた。

音の正体は羽ばたき。

翼を有する生命のみが放つ音。

それはとても鳥類などの規模ではなく、もっと大きな音だ。

そして、その羽ばたきの音源は--

 

「上か--っ!」

 

己が聴力に従い天上を見上げる。

その先で新たな敵を視認しようとして。

 

「・・・・・・・・・・っ!」

それは叶わなかった。

なんてことはない、今が日中で太陽を覆い隠す雲がないなら、それは自然極まりないことだ。

新たに現れたワイバーン達は太陽を背に急降下している。

つまり、それを見上げる士郎は太陽の光に当てられ一時視界を奪われたということだ。

とはいえ、それも僅かな時間だ。

すぐさま眼球に強化を施し視界を確保する。

だが--その刹那があれば、彼らが襲いかかるには十分すぎる。

 

「----っ!」

悪態を吐く間もない。

上空より降下してきたワイバーン達は秒とかからず士郎を素通りし、最も狙いやすい兵士へと襲いかからんとする。

一瞬遅れて士郎が矢を射る。

狙いは問題ない。

放たれた矢は間違いなくワイバーンを仕留める。

されど、僅かに届かない。

降下してきたワイバーンは七体。

対して、士郎が一秒間に放てる矢は、借り受けた弓矢の性能を考慮して五射が限界だ。

二発足りない。

次弾を構える頃には、ワイバーンはその牙を突き立てている。

「させません--ッ!」

停止の意思とともに、マシュが一体のワイバーンを仕留める。

強力無比な一撃は、ただの一振りでワイバーンを絶命させた。

だが、それでももう一頭。

一頭残れば、兵士の一人や二人は道連れにできる。

「■■■■■■■■--!」

 

竜の咆哮が戦場に響いた。

知性などないだろうに、ワイバーンはその爬虫類染みた瞳を残忍な歓びに染め、未だ状況を計れずに呆然とする兵士に牙を剥いた。

「逃げろ--っ!!」

士郎が叫ぶが、もう遅い。

ワイバーンは大口を開けて兵士を喰い殺さんとし--

 

--肉を断つ歪な音が、戦場に染み渡った。

 

 

 

 

血液が噴出し、肉が飛び散る。

ぐちゃり、という音を聞けば、一つの生命が死<オワリ>に向かうのだと容易に想像できる。

今回もそれは同じことだ。

音源たる存在は、今まさに地に還らんとしている。

そうして。

どすん、という音とともに--ワイバーンがその巨体を横たわらせた。

 

「まったく、間一髪だったな。ほら、立てるか?」

「ぁ。たい、ちょう」

 

その手に握る剣に付着した血を振り払い、倒れ込んだ兵士に手を差し伸べるのはこの砦の臨時指揮官であるアロワだ。

差し伸べられた兵士は状況が理解できていないのか生死の境を一度に経験したからか、答える声は震えを帯びていた。

「すごい・・・・・」

 

彼らのやり取りを見ながら、マシュは無意識の内に感嘆の声を上げていた。

それは、一瞬の出来事であった、

士郎の狙撃を掻い潜り、急降下してきたワイバーン、それを砦から飛び出てきたアロワが阻止したのだ。

字面だけならば随分と容易く思えるだろう。

だが、実際には口で言えるほど簡単なことではない。

速度も重量も違う標的、それも他人を狙う存在を横から一分の誤りもなく、ただの一振りで阻止するなど、並みの技量ではない。

おまけにワイバーンの甲殻が硬く、それに覆われていない面を狙って斬り裂く必要があるのだが、それすらも成し遂げて見せた。

到底人間業とは思えない。

だが、実際に彼はただの人間だ。

魔術師のように身体強化をできるわけでもなければ、サーヴァントのような超常の存在ではない。

膂力も速度も人間の域を出ず、とても急降下してきたワイバーンに合わせられるはずがない。

だが、事実として、彼はその不可能をやってのけた。

愚直に磨き上げられた生え抜きの技術。

マシュにとっては、まだ見ぬ一つの境地だった。

 

「なるほど。これが理由か」

士郎は構えていた矢を下ろし、呟くと同時に理解した。

アロワ達が初めてワイバーンと戦った時、真っ当な意味で互角であったとは考えていなかった。

おそらく、防戦に徹してなんとか戦線を維持していたのだろう、と。

違った。

一閃で高速移動する竜の首を斬り裂く技量、危機に対する迅速かつ正確な判断、命を張ってでも彼を守ろうとする部下たちの信望。

彼らは真実、ワイバーン達と互角だったのだ。

亀のように甲羅に収まり身を守るのではなく、前に出て果敢に攻め立てる。

或いはサーヴァントさえ出てこなければ--彼らは勝利を収めたのかもしれない。

「この時代のフランス軍も侮れないな」

一つ感嘆の言葉を漏らして砦から降りる。

20m近くの高所から跳躍する光景は一般人からすれば自殺行為だが、今更この程度で驚く人間はここにはいない。

危なげなく着地し、アロワ達に駆け寄る。

 

「すみません。俺が見誤ったばっかりに、あなたの部下を危険にさらしてしまった」

「いや。君達がいなければ、最初の骸骨共にも負けていた。それに。多分だけど、私が出ずとも君は止められただろう?」

「彼が無傷では済みません。あの状況で一歩遅れていたのは確かですから」

 

士郎が自身のミスを謝るのだが、アロワは一向に受け取らない。

士郎としては、戦いを任されたのに彼の部下を危険に晒したことが許せないのだが、アロワは結果的に助かったのだからそらで構わないと言う。

士郎もそれで引くわけもなく、襲われた本人に謝罪した。

だが、その人物も生きているから構わないと言い、おまけに士郎達のおかげで戦いが楽になったと感謝してくる。

士郎も本人にそう言われては納得するしかなく、渋々引き下がった。

その後、マシュやクロード達もこちらに集まりそれぞれの無事を確認し合った。

 

「うちの部下が幾つか擦り傷を負ったぐらいで、全員無事みたいだな」

「はい。私と先輩は問題ありません」

「はは。こんな子供達が傷一つ受けずにいるのに、うちの部下は情けないな。どれ。明日から鍛え直してやろう」

「いや。この二人と一緒にしないでください。見た目こそ子供ですけど、実力はそれに合ってませんよ。いったい誰なんですか?隊長の協力者とは言ってましたが」

「そのあたりの説明も今からする。ひとまず砦に戻るぞ。それから、これからの話もだ」

 

アロワが部下を見回しながら告げる。

彼の胸中は、反撃の意思で燃え上がっている。

この状況を大きな危機もなく乗り切った。

協力者となった二人はドラゴンを木っ端のごとく蹴ちらす力を有している。

この事実はいよいよもって、彼に確信を抱かせた。

即ち、この二人はアレに対抗しうる存在であると。

それが分かれば、今までの苦難も乗り越えられる。

かつて逃げることしかできず何もかも諦めていた男は、しかして新たな希望を見出した。

翳りはなく、勝利への気概だけが彼の心を埋めている。

そして、彼の部下もその変化に首を傾げながらも、久しく感じなかった胸の内から湧き上がる熱を認識していた。

これより始まるは陰鬱とした過去への懺悔ではなく、掴みたい未来を手に入れるための戦いである。

道は定まり、目的は示された。

出会った光は間違いなく信用でき、もはや迷う必要などない。

彼らは未来だけを見据えて前へ進む。

 

--だから、気づかなかった。

 

これまで過去ばかりが糸を引いていた分、今度は前だけを見ていたから。

その小さな動きに気づかなかった。

ぴちゃり、という何かが滴る音が鳴った。

兵士の一人がそれに気付き振り返り--全身が凍りついた。

ぽたぽたと溢れる赤い液体。

その源たる存在は今にも死に絶えそうなのに、人間と隔絶したその瞳に睨まれればあらゆる行動を停止せざるを得ない。

 

「■■■■■■■!」

 

咆哮。

今度こそ全員が振り返り、そして驚愕。

ありえない、おかしい、こんな事あってはならない。

否定と否認が湧き上がる。

だって、断ち切ったのだ。

一切の加減なく、一分も過たず。

確実に、徹底的に、完膚なきまでにその首を切り裂いた。

ならば、目の前の光景は何だ?

殺したはずのドラゴンが立ち上がり、あまつさえこちらに突進してくるのは。

首を斬られたなら、死するのが通常の生命ではないか。

そう、普通であれば死んでいる。

人間はもとより、獅子や闘牛のような強靭な動物も、首を裂かれては絶命する。

だから、アロワが取った行動は疑いようもなく正解で--一つだけ理解が足りなかった。

通常の生命なら首を絶たれては死ぬ。

では、ワイバーンは通常の生命だろうか?

否だ。

仮にも竜種、その生命力は通常の生命の域をはるかに超越している。

なんの神秘も概念も纏わず業物でもない剣に斬りつけられた程度で死ぬほど、ワイバーンは脆弱な存在ではない。

アロワの唯一の誤りは、ワイバーンを通常の生物と同じように捉えた事だ。

故に、この先の結末もまた、わかりきった事だ。

部下は動けず、士郎とマシュも間に合わず、剣を鞘に収めたアロワは迫る死を止める術がない。

竜種をただの動物と同列に扱った不遜な人間に、ワイバーンの牙が罰として突き立てられる--

 

 

 

 

唐突に、剥き出しにされた牙がその肉体ごと吹き飛ばされた。

誰もがその光景に驚き--ワイバーンがいた場所に立つ一人の少女は、さらに理解の外にあった。

後に残された、一人の少女。

三つ編みにされた長い髪は、春の陽光を思わせる暖かさと金の生糸のごとき輝きを湛えていた。

紫水晶<アメジスト>の瞳は息を呑むほど美しく、それ以上の清らかさを内包している。

そして、そんな彼女が纏うのは白銀の甲冑。

その手に握られる先ほどワイバーンを吹き飛ばしたであろう旗は、神秘を知らぬアロワ達ですら感じ取れるほどの神聖さだった。

幻想的でひどく現実味のない美しさだ、と士郎は思った。

隣にいるマシュの様な儚さ故の美しさでもなく、咲き誇る大輪のごとき華々しさなど欠片も無い。

ただあまりにも神秘的なその姿は、まるでこの世のものではないかのようで、一時我を忘れさせる。

だが、そんな士郎の意識は、絞り出されたかのようなアロワの声で引き戻された。

 

「--そんな。何故、何故ここにいるのだ、聖女ジャンヌよ--っ!!」



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救世の契約

大分遅くなりました、やっとこさ更新です。
単純に忙しかったのと、他の事やってたのが原因です。
ちょっとしたネタ補充のつもりだったんですが、ずるずる引きずって作業が進まねぇ・・・・・
エタることはないと思いますが、さすがに更新速度が遅すぎる。
勢いをつけるためにも、せめて10月中には次を出したい、頑張ろう。
あ。ネタといえば、皆さんはプリヤマテ手に入れたでしょうか? 作者は都合つかなくて、第二週までいけなかったんですが、三段目の初日、朝一番に行かせて頂きました。
で。そのマテリアルなんですが、とある女性が可愛過ぎた。
一応名前などは伏せますが。なんだよあのドヤ顔ダブルピース、こっちを悶死させる気か・・・・・!
きのこの発言にも頷けるというもの。
そのうち彼女主体のSSとか出る事を祈って、毎日チェックしている日々の作者でございます。
それでは17話目、どうぞ。


--フランス東部・ヴォークルール砦。

 

ワイバーン達の襲撃を退けた士郎達は、一人の人物と相対していた。。

白銀の甲冑を纏い、陽光の如き金髪を微風になびかせる少女。

真偽は分からぬが、アロワからジャンヌと呼ばれた。

士郎は自身のサーヴァントたるマシュとアロワ達ヴォークルール砦の兵士を背にしながら、眼前の存在を油断なく見据えている。

・・・・・やはり、サーヴァントか。

彼は少女が如何なる存在かを結論付けた。

カルデアからの確認を取るまでもない。

幾分微弱であるものの、纏う気配も手にする聖旗の神秘も人間のそれを遥かに超えている。

不意打ちとはいえ、ワイバーンを容易く吹き飛ばした膂力もその証明だ。

だが、何より重要なのは彼女が何者かということだ。

アロワは、少女のことを『ジャンヌ』と呼んだ。

つまりはジャンヌ・ダルクのことだろう。

この地がフランスであり百年戦争の最中だという事を考えれば、彼女が召喚されていてもおかしくはない。

何故サーヴァントがいるのかという事も、ある程度の予測を終えている。

しかし、ジャンヌ・ダルクがアロワを救ったという事実だけは見過ごせない。

アロワの話によれば、このフランスを襲う竜達の首魁こそがジャンヌ・ダルクだという。

そして、今しがたアロワを守ったのもまた、ジャンヌ・ダルクだ。

矛盾している。

フランスを滅ぼそうとするジャンヌ・ダルクとアロワを守ったジャンヌ・ダルクとでは、決定的に噛み合わない。

そのために、士郎は動けない。

明確な敵対行為を示したならばまだしも、彼女はこちらに味方した。

その事が、彼女が敵か否かという境界を決めかねさせている。

・・・・・今この場で仕掛けるのは上策ではないな。

 

相手の目的が判明しない今、下手に行動するのはうまくない。

何かしらの下心があるのか。

或いは、単に襲われていた人を助けただけか。

仮に敵だったとしても、この場で戦えば背後にいるアロワ達にも被害が及ぶ可能性がある。

どちらにせよ、無闇に争うべきではない。

故に、この場で選び得る最善の行動は対話。

真実も虚実も、相手と交わす言葉で判断するほかない。

 

「率直に尋ねよう。君は、何者だ」

 

何かあればいつでも動けるように構えながら、士郎は言葉を発した。

僅かに警戒を込めた声に、少女は淀みなく己の正体を告げた。

 

「私はルーラーのサーヴァント、真名をジャンヌ・ダルクといいます。そういうあなたは魔術師、ですね?」

「今は魔術師であると同時にマスターも務めているがね。しかし、ルーラーか・・・・・」

 

--裁定者<ルーラー>。

 

セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシン、バーサーカー。

これら七つのクラスのどれにも該当しない、エクストラクラス。

彼らはマスターに召喚されるのではなく、聖杯そのものによって呼び出される。

その役割は、聖杯戦争の調停者にして裁定者。

戦いに参画する七組が違反を起こさぬよう、または違反者に罰則を与えるために存在する。

その役割故に、彼らはサーヴァントに対して絶対的な強権を有するという。

 

彼らが召喚される条件は二つ。

一つは、その聖杯戦争が非常に特殊な形式で、結末が未知数であり、人の手には及ばぬ異常がある場合。

もう一つは、聖杯戦争の結果、世界に歪みが出ると論理的に証明された場合だ。

これら二つの内、一方を満たした場合にルーラーは召喚される。

今回は聖杯戦争は起きてはいないが、人類滅亡という異常事態にルーラーが召喚される可能性も十分に考えられる。問題は--

 

「私は、彼らからこのフランスを襲っている者達の首魁はジャンヌ・ダルク、つまり君だと聞いている。実際に、戦場で君を見たという人間も複数人いるという。だが、ここにいる君は彼を助けた。何故だ? 敵対する存在を救う道理など無いだろう。彼を助けた結果、君に益があるわけでもない。--君は、何が目的だ?」

「・・・・・それも含めて詳しく話す必要があります。--ですが、彼らの前でですべきことでもないでしょう。ここから少し離れたところに森がありますので、私と一緒に来てください」

少女は敵意など微塵も感じさせない柔らかな声で提案してきた。

士郎はわずかに逡巡する。

彼女の言う通り、アロワ達にサーヴァントなどの詳しい話をする必要はない。

もし明かしたとしても、現状では"まだ早い"。

彼女の目的を知ることも急務である。

加えてここから離れれば、仮に戦闘になった時もアロワ達も巻き込まなくて済む。

指定場所も森というのであれば、長柄の得物を扱う彼女には不利だ。

提示された条件は、八割方こちらに有利だ。

おそらく、こちらがそう考えることを分かった上で示した条件なのだろう。

つまり、彼女はこちらに対し敵意はなく、何かしらの協力を求めているということ。

敵方の戦力を考えれば、少しでも味方は多い方がいい。

故に、ここは素直に彼女の提案に乗ることが正解であり--しかし、気を抜ける訳でもない。

これらの想定は、彼女が一人であればという前提のもとに成り立つ。

仮令彼女に協力者がいて、彼らがこちらに害を及ぼすつもりであれば。

セイバーやランサーのようなサーヴァントならば、ある程度は気配で察せられる。

だが、それがアサシンだったなら目も当てられない。

暗殺に特化したサーヴァントに対し、視界の悪い森で戦うなど自ら蜘蛛の巣に飛び込むようなものだだ。

慎重に動くのであれば、ここは敢えて機会を見逃すという手もある。

 

・・・・・だが、その場合は大きなロスが生まれる。

 

士郎達には時間がない。

 

--一年。

 

この間に七つの時代を修復し元凶の元へ辿り付かなくてはならない。

慎重になりすぎた結果、何もかも手遅れになるなど冗談にもなりはしない。

ならばこそ、衛宮士郎がすべき選択は。

 

「分かった、君についていこう。こちらとしても色々と確認したいことがある」

 

少女の提案に賛同の意を示す。

多少の危険は看過する。

ここで尻込みしていても始まらない。ならば、リスクを承知で行動しなくては。

 

「ありがとうございます。では早速-- 」

「いや、その前に彼らと話がしたい。私は、君がここに来る以前に彼らと協力関係を結んでいる。 その手前、勝手な行動はできんのだよ」

 

依然として、彼らが有益な存在であることには変わりない。

労せずしてアロワとの協力関係を取り付けた士郎だが、ここで魔女と謳われるジャンヌ・ダルクと何の断りもなしに行動しては、あらぬ疑いをかけられる可能性がある。

おそらく、アロワは信じるだろうが、如何せん他の兵士からの信用はゼロに等しい。

下手な行動は、無用な不和を生みかねない。

そのため、彼らとは幾つか話をしておくべきだ。

だが、少女は士郎の言葉に心底不思議そうな顔をしていた。

 

「彼らと協力関係を、ですか?」

「何か、可笑しなことがあるかね?」

「可笑しいも何も、魔術師の闘争に一般人を巻き込むとは、どういうつもりですか」

「なに・・・・・?」

 

どこか非難めいた視線を向ける少女に、士郎もまた彼女の言葉に訝しんだ。

魔術師の闘争、と少女は言った。

しかし、それこそ可笑しい。

確かにこの戦いに魔術師は大きく関わっているが、それは本質ではない。

彼らが勝利すべき戦い--人理焼却とは全人類共通の危機であり、全ての人間が立ち向かうべきものである。決して、魔術師間のみで行われるような"些細"な争いではない。

ならば、彼女は別の意味で先の言葉を発したのか。

 

・・・・・違う、そうじゃない。()()()()()()()()()()

 

一つの仮定を思いつく。

ありえない話ではない。

この異常事態において、彼らサーヴァントがどこまで知らされているかは不明なのだ。

仮に、彼らが現状に対する情報を与えられず、"聖杯戦争に参加しているつもり"なら。

 

「一つ聞きたいのだが、君は現状をどう捉えている?」

「・・・・・私も、よく分からないのですが。聖杯戦争の最中ではないのですか?」

「やはりか・・・・・」

 

これで確定した。

サーヴァント--少なくとも彼女は現状を正しく認識していない。

場合によっては、現状の説明をいちいちしなくてはならないようだ。

どうやって説明するかな、と考えながら士郎は少女へと言葉を返す。

 

「どうやら、我々と君との間に認識の齟齬があるようだ」

「認識の齟齬・・・・・? それは、どんな--」

「忘れたのか? ここで話すことではないと言ったのは君だぞ」

「あ。そう、でした。すみません」

士郎の指摘に少女が顔を赤くする。

その表情は、とても魔女と呼ばれる存在とは結びつかない。かといって、彼女の本来の称号である聖女のそれとも違う。

羞恥に頬を染める顔は、どこにでもいるごく普通の少女のようだ。

「ともかく、そこで少し待っていてくれ。彼らと話をつけてくる」

歴史に名高き聖女の意外な一面に驚きながら士郎はアロワ達に歩み寄る。

 

「シロウ君。彼女は--」

「状態に関しては確証を持てませんが、少なくともここで争う気は無いようです。さっきアロワさんを助けたのも、単純な善意のように思えます」

「そう、か・・・・・」

 

どこか呆然としたように、アロワは呟いた。

・・・・・動揺と、それに戸惑いか。

 

無理もない、と士郎は思った。

聖女であるジャンヌ・ダルクが魔女として蘇ったという事実だけで彼にとっては信じ難い出来事だったのだ。その上にその魔女が現れたと思いきや、自身を救い出した。一連の出来事はとっくに彼のキャパシティを超えている。

「俺達はしばらくここを離れます。彼女の目的が知れない以上、少しでも情報を引き出したい。上手くいけば、幾らか事態を進展させられるかもしれません」

「だが、それでは君達に危険が--」

「危険は百も承知です。けど事態は一刻を争う。多少強引にでも進めない限り前には進めません。それよりも俺達が離れた後、奴らがまた襲ってくるかもしれない。万が一に備えて警戒は怠らないでください」

「・・・・・分かった。君達もくれぐれも気をつけてくれ」

 

無言で頷き、マシュを伴って少女に近づく。

 

「もう、よろしいのですか・・・・・?」

「ああ。待たせてすまなかった。早速移動するとしよう」

「分かりました。では、私の後についてきてください」

こちらです、と言って少女が駈け出す。

その後を数歩遅れて士郎達が追従する。

--願わくば、この邂逅の先に、少しでも多くの人を守れるように。

 

 

 

 

 

 

 

「行ったか・・・・・」

 

視界から消え去った三人を思い浮かべながらアロワはポツリと、呟いた。

一連の出来事はひどく現実感が希薄で、まるで白昼夢でも見ていたかのように感じる。

少年達との出会いは彼の願望が見せた夢で、目覚めたら今までと同じ絶望が待っているのではないか、と。

けれど、この身体に残る感触が。

幻ではないと、伝えている。

 

「隊長。彼らをこのまま行かせて良いのですか?」

 

部下の声に、我に帰る。

振り向けば、どこか戸惑いを残す表情を浮かべたクロードがアロワの言葉を待っている。

 

「流石に見ず知らずの人間を信じることはできんか? クロード」

「いえ。確かに、俺たちは彼らのことを知りません。けど、同じ戦場に立って、守られた命がある。たった数分のこととはいえ、それだけで彼らを信じるには十分です」

 

その、清々しいまでの在り方に、アロワは思わず苦笑する。

かつてアロワが指揮していた部隊、その中においてクロードが率いる分隊は何より己が直感を信じる人間が多かった。

打算や駆け引きなど二の次に、自ら感じたままをこそ最大の判断材料とする。

気に入らない人間はとことん気に入らないし、気が合えば初対面でも一晩中飲み明かすような男たちだ。

その彼らが、共に戦い恩のある人間を疑るなど、あり得ない話だった。

「ああ。お前はそういうやつだったな。なら、何が気になるんだ?」

「それは・・・・・」

 

改めて問いかけられて、クロードが言葉に詰まる。

その反応を見て、アロワはクロードが言わんとするところを理解した。

 

「なるほど。つまりお前は、彼らを"彼女"と一緒に行かせて良かったのか、と言いたいんだな?」

「・・・・・はい。あの人があなたを助けたのは事実ですが、それでも未だに信じられません」

 

クロードの言葉に他の兵士達も同意するように首を振る。

当然の反応、だろう。

アロワ自身が受け入れられぬ現実を、彼らもまた同じように信じられない。

そも、生きているはずのない死者が存在するいう時点で、彼らには理解の及ばぬ領域だ。

そんな彼女と士郎達を共に行動させるのは、あまりにも危険ではないか。

 

「その気持ちは分かるがな。私もできれば引き止めたかったさ」

「ならば、何故・・・・・」

「--なんで、だろうな」

 

実のところ、アロワにも自分の行動が解せないのだ。

契約書などを介して正式な契約を結んだわけではないが、彼らは互いに協力することを同意している。

同意した以上、双方に及ぶ危険はできるだけ避けなくてはならない。

もし士郎達を失ってしまえばその時こそ、アロワ達は反撃の手段を失う。

さらに付け加えて言えばアロワは士郎達を信用はしていても、信頼はしていない。

彼個人が士郎達をどう認識していても、部隊として士郎達が危険な存在であることには変わりない。

善良であることと危険な人物であることは、決して矛盾しないのだから。

仮に、この先彼らが敵になれば。

その様なリスクを避けるためにも、常に行動を共にする方が遥かに確実だ。

 

--それならば何故、私は、彼らを行かせたのだろう。

 

「ともかく。手を結んだ以上は彼らを信じるしかない。それに--どの道、私達にはもう後がない。どんなに危険でも可能性があるのなら、それに賭けるしかない。それによく言うだろ? 空腹の時に不味いものなんてない(Bon repas doit commencer par la faim)って」

「・・・・・毒入りでないことを、願いますね」

「その時はその時だ。我々はまだ、主に見放されていない、と願うしかあるまい」

 

気の強い彼らしからぬ弱気な声に、アロワは彼の背を軽く叩いた。

 

「ほら。早く戻るぞ、お前達。あの少年達の事やこれからの事を話さねばならんからな」

 

部下達を引き連れ、アロワが歩み出す。

それは悲愁に満ちたものではなく。

大地を踏みしめる脚には、これまでにない力が込められている。

これより始まるは怯懦に埋もれる日々ではなく、彼らの未来を取り戻すための戦いである。

既に引き返すことはできず、残された道はただ頑なに貫き通すことのみ。

自らが愛したモノを守れるように。

--彼らもまた、彼らの戦いを始める。

 

 

 

 

 

 

現代のフランスにジュラ(Jura)という県がある。

ジュラという名称は、ラテン語で森を意味するユリア(juria)に由来しており、その名の通り多くの森林が残されている。

そしてその自然の豊かさは遥かな過去から続くものであり、それは士郎達のいる14世紀のフランスにも同じことが言える。

さて。そのジュラなのだが、この時代においては町どころか人っ子一人いない、純然たる森である。

付近に存在する村は少なく、時たま薬草などを採取しに来る者以外、誰も訪れることはない。

この森自体がそれなりの広さであり、獣の類が住処としていることも人が訪れない要因の一つだろう。

このように人の気配の感じられぬ場所ではあるが、この日ばかりは様子が違った。

木々の間に点在する無数の白と巨大な老緑(おいみどり)

深い森の中に、複数のスケルトンとワイバーンが佇んでいた。

彼らはフランス東部に位置する砦や街の殲滅が失敗に終わった時、その任を継ぐ後続部隊だ。

この森は、そんな彼らの待機地点。

視界が悪く近づく者も少ないため、襲われる側は至近距離になるまで気付かない。

部隊を隠すには理想的なのだ、この場所は。

そして、今まさに彼らはヴォークルールの砦へと向かおうとしている。

彼らが歩を進める度にカタカタと不気味な音が鳴り。

グルル、というワイバーンの獰猛な唸り声が木霊する。

間も無く目的地へ到着する彼らは与えられた命令のもと、存分に蹂躙の限りを尽くすだろう。

 

--ただ、一つ。

 

彼らにとっても、彼らを使役する者にとっても予想外だったのは。

 

--彼らをたやすく殲滅するような存在が、この森に向かっていたことだろう。

 

 

 

 

 

 

「此処ならば落ち着いて話せそうですね」

生い茂る草木の只中、辺りを見回しながら少女が士郎達に向けて言葉を放つ。

彼らが話し合いの場として選んだのは、ヴォークルールの砦を南方に降った場所にある森だ。

誰も寄り付かず人里からも距離がある、というのは理想的だった。

士郎達がこれからの行動を決めるためにも、少女との対話は早急に行う必要があった。

だが、此処で予想外のことがあった。

 

『・・・・・わずかですが、魔性の者たちがいるようです』

森に辿り着き、しばらく歩いたあと。

真っ直ぐに森の奥を見つめ、憂いを見せながらも確信に満ちた声で少女は言った。

この言葉に誰よりも驚き、否定の意を示したのは、カルデアにいるD.rロマンだった。

 

『そんな馬鹿な!? こっちにはまだ何の反応も写っていないぞ!』

『声だけが聞こえる・・・・・これは魔術の類ですか?』

 

突然の姿の見えない声に、少女がわずかに動揺を見せる。

その反応を見てD.rロマンは、ああ、と声を漏らし、それから自身の正体を簡潔に伝えた。

 

『申し訳ない、紹介がまだでした。はじめまして、聖女ジャンヌ・ダルク。僕の名はロマニ・アーキマン。彼らの支援者と思ってください』

『なるほど、支援者ですか。道理で姿が見えないはずです。ということは、これは遠見か、それとも姿隠しの魔術ですか?』

『近いのは遠見の魔術ですが、厳密には違います・・・・・って、そんな事を言ってる場合じゃなかった! 貴女が先ほど言ったことは本当ですか? こちらでは何も確認されていないのですが』

士郎達、特異点に赴く実働隊のサポートへの一つとして、敵性存在を発見するレーダーがある。

範囲こそ限定されているものの、対象となる士郎達の周囲のサーチは万全であり、この森の中に敵が潜んでいるのであれば確実に発見できる筈なのだ。

現状、それらしき反応は見られず森は静かなままだ。

しかし、少女はそんなロマニの考えをバッサリと切り捨てた。

 

『貴方達がどのような手段を講じているかはわかりませんが、此処には確実に敵が存在します。数は多くないですが、それでも疲弊した砦や無力な村を全滅させるには十分でしょう』

 

己が聖旗を構え油断なく森の中を見据える。

その行動が嘘やハッタリの類に見えなかったため、D.rロマンは尚のこと困惑した。

現代の最新科学と魔術を組み合わせたレーダーよりも、この少女の感知能力の方が上なのか、と。

一つだけ言っておけば、カルデアの技術力は決して低いわけではない。

むしろ現代においては最先端の技術を有している。

その上で、索敵で少女が上回ったのには理由がある。

ジャンヌ・ダルクは聖女としてあまりにも有名であり、今なお多くの人々の信仰を集めている。

これにより、ジャンヌ・ダルクという英霊は高い聖性を獲得している。

そのため、彼女は『魔』に対し非常に鋭敏な感覚を有しているのだ。

そして、カルデア側で敵の存在を把握できなかった、その理由は。

『ドクター。彼女の言葉に間違いはない。さっきから唸り声や異様に軽い足音が聞こえてくるから、まず間違いない』

『そんな。士郎君にまで先を越されるなんて。まさか、レーダーに不具合でもあるのか・・・・・?』

『いや。多分そっちにミスはない。いま敵を視認したけど、どれも隠匿の類の魔術がかけられている。特殊なスキルなんかがないと見逃すな、アレは』

『そうか! 道理で何も映らないわけだ。機械の故障じゃなくてこちらの目を誤魔化していたなんて! これはダヴィンチちゃんと相談して対策を練らないと・・・・・っと。それは後回しだな。すまない、士郎君。レーダーの改良は後々済ませるから、いまは目の前の敵に専念してくれ』

『了解だ、ドクター。--というわけで、アレを倒さないといけないわけだが、君も力を貸してくれるかね?』

『勿論です。貴方達と一緒に戦ったことはありませんが、いまは背中を預けます』

『それは結構。--では、早々に片付けるとしよう』

 

これより先の事は、別段語らずとも構わないだろう。

士郎達は容易く敵を蹴散らし、ワイバーン達は無惨に地へ還った。

時間にして一分ほどの出来事であった。

 

 

 

「周囲に簡易的な結界を張った。獣や下級の魔獣程度なら暫くは遠ざけられるだろう」

 

術式を組み込んだ剣を投影し、それらを円状に地面に打ち込む。魔力を通すことで発動する簡易の認識阻害と物理障壁を兼ね合わせたものだ。

魔術の才は必要なく、投影を破棄すれば痕跡も残らない。

魔力消費も僅かなことから重宝している一品だ。

そうして場が落ち着き、頃合いを見計らって少女が口を開いた。

 

「遅くなってしまいましたが、ひとまず貴方達のお名前を教えていただけますか?」

 

朱に染まった森の中、少女がこちらの名を問う。

その声はやはり透き通っていて、どこまでも透明な清流を思わせる。

「了解しました。私の個体名はマシュ・キリエライト。そしてこちらが--」

「衛宮士郎だ。衛宮、士郎、好きに呼んでくれ」

「それでは、マシュにシロウ、と。私のことはジャンヌとお呼びください」

「わかりました。よろしくお願いします、ジャンヌさん」

 

マシュは少女の願った通り、彼女のことをジャンヌと呼んだ。

見ればマシュの顔はどこか綻んでいて、その様から彼女が少女を信用できると判断しているのだとわかる。

マシュは時々、異様なまでの純粋さを感じさせる。

一切の穢れなき白、それ故に異色が混じれば容易に見分けがつく。

彼女はその純粋さ故の感受性で、他者の性質を判断しているのかもしれない。

 

「それで。結局君は何者なんだ?」

 

マシュとは違い、飽くまで高圧的な態度を崩さず問いかける。

対する少女は、こちらの態度に臆することなく--しかし、かけられた問いに困惑を見せた。

 

「何者、と言われましても。それは、先ほど申し上げたはずですが--」

 

先刻、確かに彼女は己が正体を告げた。

 

--サーヴァント・ルーラー、真名をジャンヌ・ダルク。

 

この情報は、彼女という存在を示す最も有効なコードだ。

しかし。それは飽くまで彼女個人の範疇にしかない。

故に、最も重視すべきことは--

 

「では、言い方を変えよう。君は--()()()()()()()()()?」

「----」

 

再度の問いに、少女の身体が一瞬強張った。

この特異点において、何より気にかけるべきはサーヴァントの真名ではなく、()()()()()()()()()()

即ち--人理の修復者か、人理の焼却者か。

その一点こそが、この戦いでの立ち位置を決めるものであり。

彼女が真実こちらとの対話を望むのなら、それを明かすことがはじめの一歩だ。

 

「・・・・・・・・・・」

 

目前の少女は暫し沈黙した。

問い自体は、特に難しいものじゃない。

これは飽くまで確認作業であり、彼女の対応を問いかけるモノだ。

彼女の狙いが何であれ、ここでの沈黙は不利に働く。

彼女がそのことを理解できていないはずがなく、故に言い澱むはずがない。

だが、それでも答えられないというのなら。

 

「その様子だと、何か問題があるようだな」

「・・・・・そうですね。まずはそこから話しておくべきでしょう」

 

少女はわずかに目を伏せ、一拍の間を空けて語り始めた。

 

「数時間前のことです。私はルーラーとしてこのフランスに召喚されました。裁定者として限界した以上、私の役目は聖杯戦争を司ることです。ですが、本来付与される知識は大部分存在せず、サーヴァントとしての能力もほとんど機能していません。そして何より異常なのはこの国の現状です。事態を調べようにも、この国の人間にとって私は竜の魔女。迂闊に動くことはできませんでした」「しかし、ただじっとしていることもできず、何かできることはないか探していたところで、偶然私達を見つけた。大方そんなところかね?」

「ええ、その通りです。幸いにして貴方達はあのワイバーン達と敵対する勢力。加えてサーヴァントを連れているとなれば、何か知っているかもしれないと思ったのです」

「ふむ・・・・・」

 

彼女の言に怪しいところはない。

少なくとも、嘘をついている様子はない。

不完全な召喚もこの異常事態では十分にあり得るものであり、それからの行動も生前の彼女を思えばまさに、ジャンヌ・ダルクに相応しいものだ。

 

『マシュ。お前はどう思う』

相手に聞かれないように、マシュに念話で問いかける。

 

『わたしは・・・・・信用してもいいと思います。彼女が話した内容におかしな点は見られません。それに・・・・・わたしには、彼女が悪い人だとは思えません』

『そうか・・・・・』

 

--悪い人には思えない。

 

確たる根拠も無く、後押しする理論も無い。

ただ感じたままの所感で、信用するにはやや弱い。

だが。

人間の勘というものも馬鹿にはできない。

事実、俺自身もそれを実感したことは何度もある。。

何より、その勘の最たるものを俺は知っている。

思い浮かべるのは、遠い昔。

自らの歩みを決定付けた戦いをともに駆け抜けた、一人の少女。

彼女が有する直感と呼ばれるそれは、擬似的な未来予測にも匹敵する。

マシュの感性はそれとは別のものだが、彼女の外界に対する感性は随分と鋭敏だ。

マシュが悪意を感じないというのなら、それは他の誰かのものより強い意味を持ってくる。

・・・・・これだけ揃えば、問題ないか。

 

判断材料は十分。

信用するかはともかく、ここまでくれば協力関係を結ぶことは可能だ。

「そちらの事情は分かった。そして、君の言う通り私達はいくつかの情報を有している。だがその前にこちらのことを、延いてはこの事態の発端について話そう」

「この事態の、発端・・・・・?」

「ああ。あらゆる時代を焼き尽くす--人理の焼却」

 

端的に、かつ明確に事の始まりを伝える。

眼前の少女は、話が進むにつれ秀美な顔を険しくさせる。

全てを話し終えた頃、彼女の表情は困惑と憤怒、嘆きが混ざり合った複雑なものになっていた。

「・・・・・なるほど、よくわかりました。まさか、世界そのものが焼却されているとは」

 

伝えられた情報を咀嚼し、ゆっくりと言葉を吐いた。

自身の予想を超えた事態に、頭に処理が追いつかないのか。

ふぅ、と漏れ出た吐息は翳りを含んだものだった。

 

「この話を聞いた上で、君はこれからどうする」

「・・・・・正直なところ、よくわからないというのが本音です。無論、この事態を解決するために私も行動します。ですが--」

 

少女の言葉に、初めて迷いが混じる。

人類史の滅びを聞かされてもなお、戦いを選択する彼女が隠しきれない動揺を見せる。

 

「今の私はサーヴァントとして不完全なだけではなく、自分でさえ“私”を信用できないでいる」

「オルレアンで大虐殺を行なったというもう一人のジャンヌ・ダルク、竜の魔女のことですね?」

「はい。私には彼女が何のためにこんなことをしているのか、全く理解できないのです。私にはシャルル七世やフィリップ三世を殺しこの国を滅亡させる必要などありません」

 

心底不思議そうに、彼女は竜の魔女の行いを否定した。

 

サーヴァントにはいくつかの姿がある。

多くの人間がそうであるように、英雄にも内に宿す様々な面がある。

最も分かりやすいものは、サーヴァントクラスだろう。

生前、多くの業を修めた英雄は、それに比例して該当するクラスも増加する。

しかし、それとはまた違った変化を有する英霊も存在する。

生前の彼らが選びえた選択、何かが違えば至っていたかもしれない未来。

そういった可能性I()F()が極稀にサーヴァントという形を以って顕れる。

かつて何より人々の幸福を願った名君が、圧政すら是とする冷酷無比な暴君として限界するように。

だから、ジャンヌ・ダルクが何らかの理由を以ってかつての故郷を焼き尽くすということは、十分にあり得るのだ。

だが、目の前の少女の反応はその可能性が本当にあるのか疑わせるものだった。

それは、決して心の奥底にある一面を隠したものでもなく、自らの醜悪さから目を逸らしたものでもない。

アレは、一つの在り方しか知らぬ者の瞳だ。

平穏な日々を捨て去、未来の栄光も思い浮かべず。

脇目も振らず、ただ一つの目的だけを目指した。

進めた歩みは一直線。ただ一つの曲がり角も脇道もない、けれど何より険しい旅路。

ジャンヌ・ダルクという英霊には、真実異なる姿が存在しない。

しかし。

それならば余計のこと、竜の魔女の謎が深まる。

目的も不明。特質も不明。出自すら見えてこない。

何もかもが謎で--だからこそ少女は迷っている。

 

「私は、彼女に問いかけなくてはなりません。ですが、思うのです。実際に目の当たりにした時、果たして私は己が役目を全うできるのか、と」

 

それが彼女の不安。

不完全な召喚、イレギュラーな事態。

そして--有り得ざる“自分”。

それらが彼女に自らの正しさを疑わせている。

だが--

 

「それでは、ジャンヌさんはどうするのですか?」

「--変わりません。オルレアンへ向かい、都市を奪還する。障害であり人々を襲う竜を操るジャンヌ・ダルクを排除する。主からの啓示はなく明確な手段も見えず、自分自身ですら不鮮明なまま。それでも、私が為すべきことは何も変わりません」

 

--たとえ、ただ一人であっても戦う、と。

 

先ほどまでの迷いは何処に行ったのか。

鋼の如き精神を以って決意を固め使命を示した彼女は、一切の弱さを見せない。

そこにあったのはただ一つの在り方を貫き通した英雄、救国の聖女と謳われたジャンヌ・ダルクの姿だった。

 

「なんというか、歴史書通りの方ですね、マスター」

「まったくだ。何処かの天才とは大違いだな」

 

生前の行動からして、ジャンヌ・ダルクの勇猛さや強硬さは判りきっている。

かつて年若い少女でありながら神の啓示を受けたという理由だけで戦場に立ち、死する時まで自身の信仰を貫いた人間だ。

だから、この結論は当然の帰結だ。

だが、こうしてその光景を目にすると、やはり重みが違う。

或いはこの愚直さこそが生前、多くの人間を惹きつけたのか--きっと、そうなのだろう。

だって、こうして彼女の前に立っている俺とマシュが、それを何より体感している。

それは彼女が持つ強さ故か、彼女の人柄が為せる業か、

任務や使命など関係なく--彼女の力になりたいと、思ってしまっている。

 

「マスター。それにドクター。今後の方針ですが、彼女に協力する、というのはどうでしょうか?」

『だね。今は彼女に協力するのが最善だ。それに、救国の聖女と肩を並べて戦うなんて滅多にない名誉だからね!』

 

マシュの提案にロマンが嬉々として答える。

人類史に燦然と輝く英雄、その一人であるジャンヌ・ダルクとの共闘は、たとえその場におらずとも胸踊るのだろう。

「私に、協力していただけるのですか・・・・・?」

 

そんなロマンとは正反対に、どこか驚いた反応を見せたのはそのジャンヌ当人だった。

 

「こちらの目的と君の目的は同じ場所に集約し、選択する手段もほぼ同様のものだ。であれば、協力するというのは当然の帰結だと思うが」

「確かにそれは一理あります。ですが、今のフランスにおいて私は竜の魔女と同義。現地の人間と協力しようとする貴方達にとって、私という存在は邪魔になります。それならいっそ--」

「あの砦を取り仕切る人物は優秀な指揮官だ。いくつかの証明が為されれば、何が有用か判断するだろう。それに----」

 

さらに言い募ろうとして、口を閉じた。

一度、目頭を押さえ込む。

・・・・・これ以上は、時間の無駄だ。

 

どれほど論理的な回答を返そうと、彼女は俺達と共に戦うことを避けようとする。

それは、俺達が彼女と共にいることで被るかもしれない被害を取り除くためだ。

他者を傷つけたくないという感情であるため、正しい論理は用をなさい。

言葉を重ねても変えられないというのなら、やはりこれ以上の議論は意味が無い。

そして、もう一つだけ思う。

 

--何かが違う、と。

 

論理立てて、順序を整えて、飽くまで取引として臨む。

それはきっと、間違っている。

彼女は、自分の意思をはっきりと伝えてくれた。初めて出会った、見ず知らずの人間に、自身が抱える不安を明かしてくれた。

それなら。俺もちゃんと自分の想いを伝えなければ--不公平だ。

「--いや。悪い。確かに色々と理由もあるけどさ。それとは別に、君の--“ジャンヌ”の力になりたいって思う。だからさ、もしジャンヌが良かったら、一緒に戦わせてくれないか」

 

真っ直ぐにジャンヌを見つめ、正直な想いを告げる。

果たして彼女は、紫水晶(アメジスト)の瞳をパチクリと瞬かせ--次の瞬間にはクスクスと笑い出した。

 

「な、なんだよ。何か変なところでもあったか・・・・・?」

「ふふ。すみません、そういうわけじゃないんです。ただ、貴方の雰囲気がさっきとあまりにも違ったので、ついおかしくなって。アレは態とだったんですか?」

「いや。まあ、俺なりの処世術というか、なんというか。似合ってないのは分かってるから、できれば気にしないでもらえると助かる」

 

彼女の感想は分からないでもない。

初対面の人間からすれば、多重人格か何かみたいに映るだろう。

この姿であれば特に。

 

「貴方にはそちらの方が似合ってますよ」

「わたしも、あの顔よりも笑っている方が素敵だと思います」

「マシュにまで言われるとは・・・・・」

 

二人揃って、笑いながら温かい目で見てくる二人。

正直に言って、女子二人--とびきりの美少女といっても差し支えない--にこうまで見つめられるのは、俺の精神的に宜しくない。

元の姿ならともかく、今の俺は肉体に引っ張られて精神も幾分若返りの影響を受けている。

つまり、この手の状況に対する免疫も下がっているわけで。

俺としては、一刻も早く話題を変えたいと思うのである。

 

「と、とにかく。俺達はジャンヌと協力したいんだけど、どうかな・・・・・?」

「そう、ですね・・・・・私としてはとても有り難い申し出なのですが、本当にいいのでしょうか? 先ほども言ったように今の私はサーヴァントとして不完全でこの国の人々全てに恐れられ蔑めれています。この先、きっと貴方達の足を引っ張ってしまう。それでも--」

「ああ。それでもいい。たとえ、それで死ぬことになったとしても、絶対に後悔なんてしない」

「はい。どんなことがあっても、わたしたちはジャンヌさんの味方です」

 

言葉を遮り、マシュと共に力強く断言する。

あらゆる不条理をその身に受けても、決して立ち止まらないであろう彼女。

ならばせめて、その孤独な道行を緩和できるなら--それはきっと、間違いではないだろう。

 

「--告白すると。私、とても不安だったんです。異常なこと、分からないことばかりで、大した力も出せない。そんな状態で一人で戦うのはとても不安でした。何より、私が失敗してしまった時の事を考えるのが恐ろしかった。--ええ、ですから。貴方達の言葉がとても嬉しいのです」

 

それは、主に捧げる祈りのように。

一つずつ、全ての言葉に想いを込めて。

 

「ありがとうございます。私は--貴方達に出会えて、本当に良かった・・・・・!」

 

輝くような笑顔。

まるで、教会のステンドグラスから差し込む華々しくも美しい光のよう。

見ていた俺達が、一瞬思考を止め見惚れてしまうほどに、その笑顔は綺麗だった。

 

「改めて言わせて頂きます。このフランスを、そして世界を救うために共に戦いましょう」

「ああ。よろしく頼む、ジャンヌ」

「ええ。よろしくお願いします、シロウ」

 

笑みを浮かべて、互いの手を握る。

金属製の白銀の手甲に包まれた手。

けれど、金属特有の冷たさとは裏腹に握る掌に彼女の心を示すような、微かな温かみを感じた気がした。

 

 

 

 

--こうして、契約は結ばれた。

 

人々を、世界を遍く救済するために。

少年少女達は、共に戦う事を誓った。

--だが、まだ足りない。足りないのだ。

 

この地での戦いは始まりに過ぎず、ただのスタートラインでしかない。

彼らが挑まんとするのは、世界を滅ぼす意志。

あらゆる生命を焼却した獣の妄念。

全てを滅ぼす存在が人類史の絶望だというのなら、相対する者にも同等の希望が求められる。

英雄だけでは届かない。怪物では敵わない。人間は手出しできない。

だからこそ、勝利に必要なのは、“星”だ。

世界の全てを結集し、最後の玉座へと道をつけ、その果てにこそ人類の未来は取り戻される。

この程度で躓いているようでは、人理の修復は叶わないのだ。

--異なる世界の英雄、そしてただ一人、我が王を救った少年よ。君だけが、人類を救い得る。英霊ではなく怪物でもなく、正義の味方たる君が、この世界における人理の守護者だ。

 

遠い遠い、世界の裏側。

見目麗しい妖精の舞う、常春の国。

男は一人、最果ての塔にて世界を視続ける。

 

--さあ、彼らの物語を始めよう。

 




最後に出てきた男、いったい何ーリンなんだ(棒
妖精郷にある塔に自ら閉じこもり、妖精達に日がな王の話を語り聞かせる男、いったい何ーリンなんだ・・・・!
うん。隠してすらないね。
というわけで世界有数のキングメーカーにして冠位資格者、最果ての塔にて引きこもり中のグランドクソ野郎、ただいま士郎達の旅を絶賛鑑賞中。第1章にしてまさかの大フライングである。
基本的にやる事がないから、妖精達に王の話マシンガントークしてるか、現世を見るかのどちらかですが、士郎が来たためこれ幸いとばかりに食い入る様に見入っております。
常に王の話聞かされてた妖精達からすれば、気が休まったことでしょう。
だってあいつどこぞの聖剣みたく絶対うざいもん。そんでもって妖精達もさぞ歪みきった顔に違いない(確信)
(そういえば、labyrinthで本物の妖精は絵本に出てくるみたいな姿ではないって言ってたけど、妖精郷にいる妖精はどうなんだろうか。素朴な疑問です)
マーリンはこっから先は5章までしか出番ないので、メタ的に言えば舞台裏でまた語り出すんだろうなぁ(遠い目)
とまぁ、冗談はさておき。
ここでちょっとネタバレすると、ぶっちゃけこのマーリンの出番は5章のあれとカルデアへの魔力提供くらいです。じゃあ7章どうなんのってことですが、それは後々の楽しみということで、まだまだ先ですが、それまで付き合っていただければ。
頑張って、最新話10月中には出したいと思うので、これからも何卒よろしくお願いします。
質問や指摘などあれば、感想欄にて絶賛受付中でございます。というより、作者のモチベが上がるので、書き込んでくれたら嬉しいです。
それれではまた、次の話で。


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勝利に向けて

10月中には更新すると言ったな。あれは嘘だ。
・・・・・すみません、冗談です。
10月が思いの外忙しく、想定よりも進まなかったんです。(実は某バトルロワイヤルシューターにもハマってたなんて言えない)
気がつけば年末で1.5部も完結し、今年も新たなサンタさんが。大晦日には再度のfgoとひむてん(こっちの方が楽しみ)がアニメ化。来年も型月尽くしで幸せ。けれど筆は進まない。
頑張ってもう一話ぐらい更新したかったのですが、恐らくはこれが今年最後の投稿となります。お待ち頂いてる方々には、本当に申し訳ない。こんな亀更新ですが、どうかこれからもお付き合いいただきたいです。
物語に大きな進展はありませんが、18話目もどうぞお楽しみください。


現在、時刻は午後五時頃。

日が傾き、夕日が辺りを染める時間である。

改めてジャンヌと仲間になった俺達は、このジュラの森でとある作業を行っている。

ズバリ、夕食の準備である。

人間誰しも、しっかりと食事を摂らなければ完璧なコンディションを維持できないものだ。

食事や睡眠をとらずとも行動はできるが、やっぱりあるに越したことはない。

ただ一人、ジャンヌだけは正規のサーヴァントなので食事は必要ないのだが。

そこはそれ、美味い食事というものは少なからず士気を上昇させる。

また、微小ながらも魔力の回復に繋がるので全くの無駄というわけではない。

 

「先輩。焚き火に使う薪は、これぐらいでいいですか?」

「ん。そうだな、熾火(おきび)にする分はそれぐらいでいいかな。あとは火の回りをよくする細かな枝が二、三十あれば十分だ」

「了解です、先輩。・・・・・あの、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「ん? どうした、何か気になることでも?」

「えっと、先輩は今何をしているのかな、と」

俺の手元に視線を向けながら、興味深げに聞いてくる。

ああ、そういうことか。

 

「今は血抜きの最中だよ。店で売られている肉はちゃんと処理されてるけど、こいつは今獲ったばかりだからな。しっかり下処理しておかないと嫌な臭みが残ってあまり美味しくないんだ」

 

質問に答えながら、手元にある獲物を見やる。

そこにあるのは、先ほど狩った猪だ。

カルデアから支給されている食料もあるにはあるが、あまり数も多くないし余れば戻った時に使えるので、出来る限り食料は現地調達にしている。

丁度いいことに、この森には猪をはじめとする獣や食せる山菜が多数存在していたので、主食を除くほとんどの食材を調達できた。

特に山菜類の収穫はすごかった。

フランスの春頃に顔を出し始める高級食材のモリーユをはじめとするきのこ類、この時期にしか手に入らず緑色のつくしのようなアスパラソバージュという野菜など。

まさに山菜の宝庫と言えるだろう。

「なるほど、血抜きですね。私も知識としては知っていますがこうして実際に見るのは初めてです」

「そりゃ動物の血抜きを見たことのある人間なんてそういないよ。というより、あんまり見たがらないと思うぞ。普通、動物の死骸を好んで見る人間はいないからな。マシュも、さっきは驚いてたろ?」

「それは・・・・・はい。なにぶん初めての経験でしたので。申し訳ありません・・・・・」

「なんでマシュが謝るんだ。それが普通の反応だよ」

さっきまで生きていた生命から多量の血が流れる光景など、あまり気分のいいものではない。

ましてやマシュのような人間なら尚更だ。

 

「いえ。わたしも今まで何かを食べて生きてきたのに、こうやって脅えたりするのは失礼かと思ったんです」

「そっか・・・・・」

 

やっぱり、この子は純粋だ。

普通ならあの光景を見て思うのは嫌悪の類だけだが、彼女はその感情を抱いた自らを恥じた。

誰もが目を逸らし、意識したくない事をしっかりと受け止める。

それが出来る人間は、そうそういないだろう。

 

「それなら、せめて美味しく頂かないとな。俺達には謝ることもできないし、こうしないと生きていけない。ならせめて、奪った命を有意義なものにするべきだ」

「・・・・・そうですね。こうした経験をして自分達が多くのモノの上に生きているのだと、初めて実感できた気がします。日本の食事の挨拶も、きっとそういう意味なんですね」

 

噛み締めるように、彼女は想いを馳せた。

命の重みと尊さ、それを胸に抱くように。

 

「・・・・・さて。こっちももうすぐ終わるから、マシュも薪を集めてきてくれるか?」

「あ、はい!細かな枝を二、三十本ぐらいですね。すぐに集めてきます」

 

集めてきた木材を置き、小走りで再び森の中に戻っていくマシュ。

さっきのことは別にして、こういった経験をしたことがないのか、心なしか楽しそうだ。

 

「・・・・・・・・・・」

 

マシュ・キリエライトという少女が一体どのような過去を経てきたのか。

それは俺の知るところではない。

無論、カルデアなんて施設にいたのだ、少なくとも一般的に言う()()の生活を送ってこなかったことだけは分かる。

それ以外の詳しいことは分からないし、簡単に聞いていいことでもない。

もしそれを知るというのなら、それは彼女が自ら話してくれる時だけだ。

そんな事を考えながら、ふと、思った。

--いつか、俺のことを話す時も来るのだろうか。

 

 

「シロウ。汲んできた水はここに置いておきましょうか?」

「っ!・・・・・と、ジャンヌか。悪い、ぼうっとしてた。ああ、そこに置いといてくれると助かる」

「分かりました」

頭を振り、余分な思考を頭の隅に追いやる。

そうだ、今はそんなことを考えても仕方ないし、深い考え事をしながら刃物を扱っていては怪我をする恐れがある。まったく。一体どうしたというのだ、俺は。

 

「どうかしましたか?」

「いや。なんでもないよ。ちょっと考え事をしてただけだから」

「そうですか。でも、何か悩みがあるのなら一人で抱え込まず相談して下さい。・・・・・私には、それくらいしかお役に立てませんが、きっと気を紛らわせるぐらいは出来ると思いますので」

「いや。ジャンヌが役に立たないってのはないだろ。さっきだってあんな簡単にワイバーンを吹き飛ばして、今だってこうして手伝ってくれてるじゃないか」

 

はじめこそ得体が知れなかったため警戒していたが、ジャンヌがあの場にいなければアロワさんを守れなかった。この森で見つけた敵も、真っ先に気づいたのは彼女だった。

 

「出会ってから既に二回も助けられてるんだ。間違っても役立たずなんて言えないよ」

「それなら、いいのですが・・・・・」

「そうだよ。ほら、こっちも調理に入っていくからジャンヌは休んでいてくれ」

 

半ば強引に話を切り上げる。

俺が感じた彼女の性格を考慮すると、長く悩ませるのはよろしくない。

自責は重ねれば重なるほど抜け出るのが難しい。

おまけに、今回のは完全に的外れなものなのだ。そんな事、とっとと終わらせるが吉である。

 

「ただいま戻りました、先輩」

 

そんなところで、薪を集め終えたマシュが戻ってきた。

 

「お疲れ様、マシュ。こっちもちょうど始めようとしていたところだ」

 

そう言いながら懐からダ・ヴィンチ印のアイテムである布袋を取り出し、中から目当てのものを探し当てる。

一つは、中位ほどのクーラーボックス。中には調味料の類やいくつかの食料を入れてある。

もう一つは調理器具を入れた箱だ。その気になれば投影でいつでも作れるのだが、物があり持ち運びにさしたる手間がないのならわざわざ無駄な魔力は消費したくない。

 

「さてと。それじゃ、始めますか」

 

裾を捲り上げ、作業に入る。

今回作るのは猪肉ときのこの生姜焼き、猪汁、やまにんじんのおひたし、それからアスパラソバージュの天ぷら。主食はカルデアから持ってきたパンだ。

どちらかと言えば和食よりなメニューだが、存外パンにも合う。

まずは汲んできた水をろ過する。

見たところ綺麗な水で一応解析をかけたが、人体に有害なものはなく細かなゴミを取り除くだけで十分だ。その水を使って採集した食材を洗い、包丁で手早く丁寧に切り分ける。

終わったら早速調理にかかる。

先ずは猪汁からだ。

とは言っても、今回は味噌は使わない。使える材料や食べる人間のことも考えて今回はコンソメを使って洋風にしようと思う。

沸騰した湯に厚めに切った猪肉を投入、塩で下味を付け柔らかくなるまで煮込む。

その間にかき揚げとおひたしを作っておく。

かき揚げは切り分けたやまにんじんとユキワリというきのこを天ぷら粉で混ぜ合わせ、180°の油で2分ほど揚げる。

おひたしに使う分のやまにんじんだけは切り分けずそのまま茎の方から30秒間茹で、茹で終わったら水にさらしてアクを抜き、食べやすい大きさにカットする。あとは食べる時に醤油をかければ完成だ。

「あとは猪汁に生姜焼き、と」

 

ここまでは滞りなく済んだが、この二つに関しては完全に新たな試みである。

生姜焼きは、猪肉自体豚肉に近いためさほど苦労しないだろうけど、問題は猪汁の方だ。

ポピュラーなのは猪汁だが、猪肉や猪で出汁をとったスープというのも稀にある。

ただ、具材として猪肉を使うようなスープというのはなかなかお目にかからない。

味噌であればうまく調和できる猪のクセも、コンソメでは悪目立ちしてしまうかもしれない。

そう考えながら森を散策していた時に、とある果実を見つけた。

クレマンティンという、主に12〜1月にかけて収穫されるコルシカ原産の柑橘類で見た目も味も日本のみかんに似ている。

本来ならこの森みたいな暗い場所で栽培されるものでもなく時期も外れているんだが、何故か小振りなみかんの木が数本立っていて、その根元にこれまた小振りな果実が数個ほど転がっていた。

誰かが栽培していたのは確実だ。木の周りにもちゃんと害獣除けがあったし人の手が加えられた痕跡も見られた。

転がっていた果実も大きさからして食用には向かないと栽培主が判断して放置したんだろう。

それにしても、こんな場所で食物を育てる人物とは一体何者なのか、甚だ疑問である。

 

「ま、こっちはそのおかげで問題をクリアできたわけなんだが」

 

心の中で見知らぬ栽培主に感謝する。

先ほど鍋に投入した猪肉には、そのクレマンティンの果汁を漬け込んである。

これで柑橘類特有の爽やかな香りが猪肉の厭な匂いを緩和してくれる。あとは他の野菜や調味料と合わせて煮込めば完成だ。

そして、最後は生姜焼き。

生姜焼きで一番大事なのは仕込みだ。

生姜のすりおろし方や調味料との配合など。ここを疎かにしては美味い生姜焼きは作れない。

 

というわけで。

早速、生姜(カルデアから持参)をすりおろしていくわけだが、何やら視線を感じる。

ふ、と顔を上げてみればマシュが俺を見つめていた。

・・・・・すごいな、瞬きすらしてないぞ、あれ。

 

何か気になることがあるのか、穴が開かんばかりの凝視は少し--いや、かなり怖い。

こっちにはそんな風に見つめられる覚えが無いので首をかしげるしかない。

と。そこで気付いた。彼女の視線は俺の手元、より正確には俺が掴んでいる生姜に向けられていることを。

 

・・・・・あー。つまり、そういうことか?

 

向けられる視線、爛々とした瞳に乗る好奇の感情、彼女は料理の経験無し、となれば彼女が思っているのは--

 

「やってみるか?」

「え?」

「だからこれ。やりたそうに見えたんだけど、違ったか?」

「い、いえ! 違わないというかその通りなのですが・・・・・えっと。いいん、ですか?」

 

おそるおそる、といった様子でこちらを伺うマシュ。

そんな彼女の様子を見て、その上目遣いは反則だろ・・・・・などと下らないことを考えながら手にする生姜とおろし器を差し出す。

 

「どうぞ。力を入れすぎて怪我しないようにな」

「ッ・・・・・・・・・・!」

 

ぱぁあ、と一気に顔を明るくして、喜びを表すかのように立ち上がる。

 

「ありがとうございます! 不肖マシュ・キリエライト、見事ミッションを達成してみせます!」

 

まさにやる気一杯といった様子は背後にドドーン、という効果音でも付きそうだ。

その気概のまま、しかし慎重に二つを受け取り、生姜をすりおろしていく。

時たま、おお、という感嘆の声を上げたりむむむ、なんて唸りながら苦戦したり。

色んな表情を見せるマシュの姿は正直言って微笑ましい。

ついくすり、と笑いが漏れそうなほど。

本当に笑ってしまってはあらぬ誤解を生みそうなので、決して表には出さないが。

「先輩先輩。どうでしょうか。こんな感じで合ってますか?」

「うん、悪くない。力も入れ過ぎてないしいい具合だ。けど、生姜をする時は上下じゃなくて、円を描く様にすりおろすんだ。そうするとより滑らかに仕上がるからな」

「なるほど、円を描く様に、ですね。早速やってみます」

 

マシュは疑問があるとその度に質問してきて、それをすぐに吸収してさらに上手くなっていく。

まるでスポンジみたいに何でも吸収していくから、俺もなんだか楽しくなってくる。

 

「お二人とも、仲がよろしいのですね」

 

ふと、正面に座るジャンヌが、そんなことを言い出した。

 

「どうしたんだ、いきなり?」

「いえ。さっきまで貴方達の雰囲気が固いように感じたので、つい」

「そりゃ、あんまり気を抜ける状況じゃなかったからな。けどそんなに仲良さそうに見えたか?」「ええ。特にマシュの表情が。あまり積極的な性格ではないようですが、貴方と話している時はとても明るい顔を見せていると思います。きっと、シロウを心から信頼しているのでしょう」

「・・・・・ジャンヌ、そういうのは本人の前で言わないほうがいいと思うぞ」

「大丈夫ですよ、今は集中していて周りの音が聞こえてないみたいですから」

「そういう問題じゃないんだが・・・・・」

 

・・・・・というかそれを聞いてる俺も小恥ずかしいんだけど、そこは考慮しないのか。

 

見かけによらず大胆というかお茶目というか。

いやまあ、ある意味史実通りなんだろうけど。

 

「できました! 生姜のすりおろし、完成です!」

 

聖女の新たな一面に嘆息していると、マシュが声高らかにミッション完了の宣言をした。

完成品を掲げ感無量といった彼女は見ていて微笑ましい。

問題の生姜もうまく繊維が切れていて、生姜焼きに適したものだ。

 

「上出来だよ、マシュ。これなら美味い生姜焼きが作れる」

「先輩の的確なアドバイスのおかげです。私一人ではこうはいきませんでした」

 

そう言って苦笑しながら謙遜する。

まあ、初めての経験だったからそう思うのも仕方ない。

けどな。それは過小評価だぞ。

 

「そんなことはない。確かにいくつかアドバイスはしたけど、それで上手くいくかどうかはその人次第だ。話を聞いても思った通りいかないことだってある。それに、生姜をすりおろすのって想像以上に難しいぞ」

 

生姜は繊維質がしっかりしてるから、ある程度手先の器用さが求められる。素人が上手くすりおろせず指を切ったりする、というのはよくある話だ。

その点、マシュは無茶をせず解らないことがあれば経験者に聞いて慎重にやっていた。

料理が上手くいかない人間は、そういった確実性に欠けるか刃物の扱いがそもそも向いてなくて上手く動けない人間が多い。

「その辺りも含めて上手いんだ。マシュは手先も器用だし、練習すれば一人でも料理できるようになると思う」

「それは流石に言い過ぎだと思うのですが・・・・・けど、そうなれたら嬉しいです。あの。もしそうなったら、また教えてくれますか」

「ああ、もちろんだ。俺でよければいくらでも教えるぞ」

 

マシュの言葉に快諾する。

もう随分と長い間、誰かに料理を教えていない。

うまく伝えられるかは心配だが--可愛い後輩の頼みだ、なんとかしてみせよう。

 

「じゃあマシュも、俺が料理してるところしっかり見ておいてくれ。本格的な特訓前の予習だ」

「分かりました。決して一欠片も見逃しません」

「そんなにやる気一杯なら俺も負けるわけにはいかないな」

 

力強く宣言するマシュを見て、俺も気合いを入れる

残りの行程は然程多くないが、観察するぶんには十分な技術がある。

恥ずかしいところを見せないよう、全力で仕上げるとしよう。

 

 

 

 

 

 

--唐突だが、衛宮士郎は料理人である。

 

いやまあ、実際の所は違うのだが。

彼の調理スキルは本職の料理人と言っても過言ではないほどに洗練されている。

特異点Fのとある屋敷で彼が振る舞った料理は、短い時間と簡単な材料でありながら正真正銘の貴族であるオルガマリー・アースミレイト・アニムスフィアの舌を唸らせたほどである。

また、以前の世界では旅の途中で出会ったホテルシェフや老舗料理屋店主などと連絡先や意見の交換なんかをやっていたりする。

ここまでくると料理の修行でもしてたのかと本格的に疑いたくなるが、本人の目的は飽くまで別のものである。

さて。

そんな士郎が作った料理を、まだ食文化が未発達であった時代の人間が食べるとどうなるか。

 

 

 

 

「これが、本当にあの猪肉なのですか・・・・・!?」

 

ジャンヌの全身に、衝撃走る。

それはもう生前に主の声を聞いた時ほどか、というくらいの驚きである。

原因は彼女が手に持つパン料理。

一口齧られたパンの断面からは絡められたタレが食欲をそそる肉と彩りを加える野菜が挟まれている。

当然の如く、先ほど士郎が作ったものだ。

見慣れぬ調味料の類はあったもののジャンヌは士郎が料理をしているとわかっていたし、生前まだ故郷にいた時に猪の肉を食べた事もある。

豪勢な食事でこそなかったが、かつて食した美味はこうして英霊になった後でも覚えている。

だからこそ、それがどのようなものかある程度の予測はできていた。

しかし、それにもかかわらず、その料理は未知であった。

 

「------」

 

無言のまま、もう一口。

感じられる味は変わらず、

 

「っ----!」

否、噛み締める度にさらなる旨味を以ってジャンヌを震わせる。

柔らかな肉は臭みがなく、肉汁と未知のソースは確りとした味にもかかわらずくどさが微塵も感じられない。シャキシャキとしたきのこの食感も残っており食べていて全く飽きが来ない。

その他の料理も素晴らしく、それぞれ個性を発揮している。それでいて全体の調和は取れており、味に違和感が生じない。

これだけの美味を、ジャンヌは知らない。

彼女が若くして亡くなったから、というわけではない。

仮に彼女がその生を全うしていたとしても、当時のフランスで士郎が作ったもの以上の料理は食せなかったはずだ。

それは現代の調理技術や調味料の発展を考えれば当然のことではあるが、15世紀に生きたジャンヌにとっては料理という概念そのものを覆された気分だ。

数百年単位のジェネレーションギャップである。

「どうかな。一応、食べやすいように工夫したつもりなんだけど」

 

呆然としたジャンヌを見て心配になったのか、士郎が控えめに様子を伺う。

ジャンヌも無用な心配をかけてはいけないと、なんとか声を絞り出す。

 

「ええ、はい。とても美味しいです。これほど美味しい料理を私は今まで食べたことがありません」

「そう言ってくれると俺も作った甲斐がある。それなりに料理の心得はあるけど、初対面の人の好みまではわからないから舌に合うか心配だったんだ」

 

士郎としては食べる人間にできるだけ馴染んだ味を作りたいというのが心情だ。

どれだけ美味い食事であろうと当人に合わない、馴染まない、そもそも好みではないものを作っては全くの無駄である。

 

「確かに初めて食べる味ではありました。でも、本当に美味しいんです。これならいくらでも食べられますよ」

「そうなんです。先輩の作ったお料理は大変美味で、食べる手が止まらないんです」

「そんなに大したものじゃないと思うんだけどな。けど、二人とも気に入ってくれてるのなら俺も嬉しいよ。まだ余ってるからいくらでもお代わりしてくれ」

「それでは早速お願いしてもいいでしょうか?」

「あ。わたしもお願いします」

 

ジャンヌに便乗するようにマシュも皿を差し出してきた。

元来、彼女の食は細い方らしいのだが、こうしてお代わりを要求してくるという事は、俺の料理を存外気に入ってくれてるのだろう。作り手としては嬉しい限りだ。

 

「了解。すぐに用意するよ」

そう言うと同時、フライパンから生姜焼きを皿に移す。

さっきはパンに挟んだから今度はそのままで。

 

「はい、どうぞ。まだ熱いから気をつけてな」

「それほど熱いものは苦手ではないので平気ですよ」

「わたしもこの体になってからは大抵の刺激に強くなったので大丈夫です」

 

くすり、と笑いをこぼし皿を受け取る。

マシュはパンに挟む具材を天ぷらに変えて食べている。

ジャンヌの方は今度は、パンを猪汁に浸して食べるようだ。

どうやらそちらも気に入ったのか、頰を押さえながら恍惚の表情を浮かべている。

「こちらの揚げ物も大変美味しいです。・・・・・それにしても、先輩はどこでこれだけのお料理スキルを獲得したのでしょうか?」

「いきなりの質問だな」

「それ、私も気になってました。時代が変わったとはいえ、シロウの技術はとても卓越したものでした。正直、女性としては何かに負けた気分です」

 

二人揃って興味津々といった様子で士郎に迫る。

いかにサーヴァントといえど二人とも女性であり、マシュに至っては本質は飽くまで人間。

この手の話題にはそれ相応に関心があるのだ。

 

「どこでって言われてもな。昔からそういう習慣があったってだけで、特別な事はしてないよ」

「習慣、ですか?」

「ああ。俺のオヤジは家事の類がてんで駄目でさ。仕方ないから代わりに俺がやってたんだ」

 

士郎自身、こうして口にしている今でももう少しまともに出来なかったのかと呆れてしまうほどの不器用さであった。

なにせほとんど無い荷物を片すのに何故か散らかすような人物だ、手際の悪さは語るまでもないだろう。

 

「・・・・・あの、それではお母様はどうなのでしょうか?」

 

士郎の言葉を聞き、マシュが控えめにそんな当たり前の質問を投げかけた。

一般家庭において母親が主体となって家事を行う、という事は多くの国に共通するだろう。

マシュ・キリエライトという少女には“全く関係の無い”慣例だとしても、事実としてそれが大多数なのだと彼女は知っている。

無論、例外はある。

父親の役割が家事であるという家庭はごまんと存在するし、両親が離れて暮らしているのであれば、自然と役割は偏る。

では、衛宮士郎の家庭はどうであったのか。

これは彼の言葉に対する疑問であると同時に、ほとんど知らない彼の過去がほんの少しでも知れたら、というマシュのささやかな好奇心でもある。

だからこそ彼女は、次ぐ士郎の言葉に自身の行動を--後悔した。

 

「いや、母親はいないよ。ついでに言うと本来の父親もいない」

「え--?」

「随分前に火事があってさ。元の家族はその時に、な。さっき言ったオヤジっていうのは俺を引き取ってくれた養父のことなんだ」

 

一瞬、彼が何を言っているのか、理解〈ワカラ〉なかった。

言葉の意味が伝わらなかった訳ではない。

彼が話した内容が、マシュにとって余りにも遠い世界のものだったから馴染まなかっただけ。

 

「すみ、ません。不躾な質問をしてしまいました・・・・・」

 

全身から血の気が引くのを感じながら、なんとか言葉を絞り出した。

マシュには人にとって家族というものの比重がどれだけの割合を占めるのか、根本的に理解できない。

故に、家族を失ったという事実を士郎がどのように感じているのか、それはマシュの想像に任せるしかない。

けれど、失いたくないモノを失うという恐怖は、彼女にも僅かながらに覚えがあった。

未だ記憶に新しい、冬木の地での戦い。

彼の地にて彼女が失ったもの、失いかけたもの。

その時に得た感情は、彼女の人生において最も恐ろしかった出来事で--ならばこそ、士郎がそれ以上の痛みを抱えている事は想像に難くない。

であれば、先ほどの言葉が士郎の“傷”をどれだけ抉ったか、それもまた同様に想像できた。

 

「・・・・・いや。俺の方こそ、変な事を話しちまった」

 

マシュの反応を見て、士郎も今のは失言だったと気づいた。

あんな話を聞けばマシュがどんな反応をするかなど、初めから分かりきっている。

他愛のない会話の最中で彼女を傷つけるというのは、愚行としか言いようがない。

士郎は、この話をするべきではなかった・・・・・いや。実際にするつもりは無かった。士郎は初め、適当に濁して流すつもりだったのだ。話の内容に関わらず、自身の過去に関しては極力話さない様にしていた。

にも拘らず、何故あんな事を口走ったのか、士郎自身にも分からなかった。

 

・・・・・気が抜け過ぎだぞ、俺。

 

心中で自身を叱責する。

一度固めた心算を場の空気や流れで容易く変容させるなど、精進が足りていない証拠だ。

肉体が若返った反動、ではない。

あまりにも突飛な現状に自分自身、気付かない内に少なくない負荷を受けていたのだろう。

ままならないものだな、と士郎が心の中で溜息を漏らしながら、つい、と視線を上に上げる。

眼に映るのは自身の無神経な発言により沈み込んだ食事風景が。

自身の問題に考えを巡らす前に、彼はまずこの場の空気を変えなくてはならなかった。

 

・・・・・本当に、ままならないな。

 

この憂鬱な場を一新すべく、士郎は八方手を尽くすのであった。

 

 

 

 

「さて。それじゃあ早速、作戦会議を始めるぞ」

 

食事も終わり(ついでに雰囲気もなんとか立て直し)、小さくなった焚き火に新しく薪を加えた頃、士郎がその手にいくつかの紙を収めながら、マシュとジャンヌに向けて語りかける。

二人とも居住まいを正し、次ぐ士郎の言葉に耳を傾ける。

 

「まずは現状の再確認だ。異常が発生したのは二週間前。突然、サーヴァントと無数のワイバーンが出現し、この国を蹂躙していった。首魁は流の魔女--もう一人のジャンヌ・ダルクだ。彼女らはオルレアンを占拠し、そこを拠点にフランス中を今も襲っている」

 

確認されている敵はワイバーンや骸骨兵に留まらず、幽鬼のような槍の使い手、錫杖を振るう女怪、レイピアを用いる美麗な剣士、そして竜の魔女と彼女が騎乗する巨大なドラゴン。

 

「ここまでは、俺とマシュがアロワさんから収集したフランスの大まかな現状だ。けど、それ以外にも詳しい情報が欲しかった」

 

そう言って、手に持つ紙を広げる。

そこにはフランス語で書かれた文書。

「さっき、俺が使い魔に命じてアロワさんに伝書を送った。内容はこれからあちらとは別行動をとる事。そして現状確認されている--特にオルレアン占拠以降に起きた大小様々な異常の情報を送ってもらう事。他にもいくつかの“頼みごと”をした」

 

ジャンヌを仲間と認め共に行動すると決めた以上、現地の人間と彼女を直接引きあわせるのは、まだ“早い”。

故にその旨を伝え必要な情報を得るためにどうすればいいかと考えた結果、使い魔による情報交換という結論に落ち着いた。

尤も、使い魔とはいえ、それは彼本来のものではない。

士郎の使い魔は彼が自身の血と鋼で構成した、鋼の鳥なのだ。

どう見ても通常の生命には見えない。まだ魔術の話はしていないため、そちらを使うわけにはいかなかった。

よって、代替案として森の中にいた鳥に魅了〈チャーム〉の魔術をかけ使い魔の代わりとした。

「それで内容だが、こちらの読み通り気になる情報がいくつか。その中でも目を引くのが、ワイバーンを撃退した存在がいるっていうものだ」

「それは、フランス軍以外で、という事ですか?」

「ああ。俺はこれをサーヴァント、それも竜の魔女とは異なる勢力によるものだと考えている。ここにジャンヌがいる以上、他のサーヴァントが現界していてもおかしくはない筈だ」

 

未だ仕組みは謎だが、何らかの力によって“はぐれ”のサーヴァントが召喚されている。

その事実は戦力の低い士郎達にとって、一筋の光明だった。

 

「ワイバーンを退けた存在は、確認されているだけで三人いる。彼らはそれぞれ異なる街を護っているみたいだ」

「その街というのはどこなのですか?」

「ここから南に下った場所にあるリヨン、西のラ・シャリテ、それから南西にあるティエールという街だ」

「その三箇所なら私も訪れたことがあります。サーヴァントの脚力を考慮すればそう遠い場所でもありません。今からでも迎えます」

ジャンヌが自身の記憶と照らし合わせ、距離を図る。

その表情からは、微かな焦りが伺える。

この事態を直ぐさま解決できないことは、彼女も理解している。しかしだからこそ、出来る事は迅速に行いたいのだ。

しかし、まだ確認できていないことがある。

 

「気持ちはわかけど、少し落ち着いてくれ。まだ確認したいことがあるんだ」

「あ、と。すみません、少し逸り過ぎたようです・・・・・」

「いや、気にしないでくれ。俺達も気持ちは同じだから。これが済んだら、二人とも直ぐに行動してもらう」

「はい、分かりました」

 

自身を鎮めたジャンヌが頷き、続きを促す。

それを確認し、改めて士郎が言葉を放つ。

 

「聞きたいのはルーラーというクラスの特性だ。何故、このクラスが裁定者として据えられているのか、それが知りたい」

 

問われたのは、少しばかり意外なものだった。

ジャンヌも冠するルーラーの特権、発揮できないそれを聞いて何をするのか。

 

「・・・・・ルーラーには、他のサーヴァントとは一線を画すスキルが三つ付与されます。その内の二つがルーラーを裁定者たらしめている所以です」

「その二つっていうのは?」

「真名看破、そして神明決裁です」

 

--真名看破、神明決裁。

 

それぞれルーラークラスにのみ与えられるスキル。

真名看破はその名の通り、相対したサーヴァントの真名を読み取るスキル。

神明決裁は、各サーヴァントに二度まで令呪の行使を可能とするものだ。

令呪とは、聖杯戦争に参加するサーヴァントに対する絶対命令権。

通常はサーヴァントを使役するマスターに三画ずつ付与される。だが、裁定者たるルーラーはサーヴァントでありながらすべてのサーヴァントに行使可能な二画の令呪を宿している。

聖杯戦争において仮に誰かが違反を起こしたとしても、すぐにその行動を縛ることができる。

必要とあれば、自害を命じることも不可能ではない。

 

「他にも、半径十キロ圏内に存在するサーヴァントの知覚、聖水を用いた索敵網の構築など、その任を遂行するために様々な能力が付与されます」

「そうか・・・・・なら、もう一つ質問だ。仮に、竜の魔女が本当にジャンヌ・ダルクだった場合、彼女のクラスは何になる」

「えっと、断言はできませんが、恐らくはルーラ--待ってください、それってつまり」

 

再度投げかけられた問い、その意味を理解したジャンヌが驚愕に声を上げる。

敵がジャンヌと同じ裁定者のクラスである、それは即ち--

 

「相手も、その“特権”を有している可能性が高い」

「・・・・・!」

 

それは、考えてもみないことだった。

竜の魔女の正体と行動にばかり目が行き、その能力についてなどまるで考慮していなかった。

「ドクター。仮に龍の魔女がルーラーだったとして、その特権はどの範囲まで行使できると思う?」

『・・・・・飽くまでカルデアにあるデーダに基づいた仮説だけど。ルーラーというクラスが聖杯戦争の裁定者であるのなら、その特権が及ぶのも聖杯戦争の中だけのはずだよ』

「ジャンヌ、ドクターの意見をどう思う?」

「私も彼と同意見です--ですが、サーヴァントの知覚に関しては、もしかしたら健在かもしれません」

「ということは、最低でもこちらの位置は特定される可能性があるということか」

 

士郎たちのいる場所と竜の魔女が拠点とするオルレアンの間にはかなりの距離がある。

今すぐに発見されるというわけではないが、少なくとも現状でサーヴァントが接近するのは得策ではない。

 

・・・・・難しいところだな。

 

士郎たちには戦力が足りず、直ぐにでも他のサーヴァントと接触する必要がある。

しかし、下手にオルレアンに近づけば、今度は準備が整わないまま竜の魔女と交戦することになる。

仮に近づかなくとも、竜の魔女は敵の首魁であるにもかかわらず、自ら率先してこのフランスを焼き尽くしている。

道中、偶然出くわす可能性も否定できない。

故に必要なのは速度と効率。

より素早く戦力を結集させ、竜の魔女を討ち、聖杯を確保する。

衛宮士郎は、その最短ルートを寸分違わず選ばなくてはならない。

思考を巡らせ、あらゆる可能性を想定する。

そうして、辿り着いた答え、それは、

 

「マシュ、ジャンヌ。これから二手に分かれて各サーヴァントに接触する」

 

別れることによる、捜索の効率化だった。

 

「・・・・・分かりました。私もそれが最善だと思います」

 

ジャンヌが士郎の考えに賛同を示す。

生前、いくつかの戦争を経験した彼女は、この状況下における最良の策が士郎のそれであると認識している。

士郎達とジャンヌが別れることによって、フランス救済へ一歩でも早くたどり着くのなら、それこそが正しい選択だ。

 

「ですが、それでは敵と遭遇した時、ジャンヌさんがあまりにも危険では」

 

しかし、その正答に異を唱える少女が一人。

マシュは、ジャンヌと行動を分けた時に起きうるリスクを危惧している。

敵と偶発的に接触してしまった時、生存の可能性が著しく低下する。

士郎とマシュは、問題ない。

ツーマンセルという特性上、多人数の敵との交戦は可能だ。

彼らの実力も高い。士郎は言わずもがな、マシュも士郎が()()()()()を呑んだことで、受け継いだサーヴァントの力をさらに使いこなせるようになった。

仮に敵サーヴァントと遭遇しても、いくらでも対処できる。

だが、ジャンヌにはそれができない。

単独行動というだけでなく、現在の彼女はサーヴァントとして不完全であり、そもそもが戦士ではない。

ルーラークラス故に高いステータスを有しているが、彼女自身の戦闘スキルは決して高いものではない。

通常のクラスであれば良くて二流、悪くて三流のサーヴァントだ。

そんな彼女を一人で行動させるのは得策ではない。

 

『僕もその案には反対だ。敵サーヴァントにはセイバーとランサークラスがいるかもしれないんだろう? 直接戦闘になった時、彼女だけでは危険過ぎる』

 

カルデアにいるロマンも司令官として、士郎の提案に苦言を呈す。

現状で戦力が足りていないことは確かだが、その為にさらに戦力を失う可能性は避けるべきだと彼は考える。

現状、一行の意見は二つに分かれている。

早さを執るか、安全を執るか。

どちらにも旨味があり、同じぐらい毒がある。

どちらを選択して行動するか。

この場での多数決が同数ならば、ロマン以外のオペレーターなどの意見も問うか、或いは議論を重ねるか。

いずれにせよ、容易く答えは出ないだろ。

その場にいる誰もがそう考えていた。

 

--ただ一人を、除いて。

「いや。どちらでもない。一人で行動するのは、俺だ」

 

夜の森に、淡々とした言葉が響いた。

驚きに誰もが目を向ける中、士郎は新たに語り始めており、

 

「俺がラ・シャリテに向かっている間、二人はこの森の霊脈〈レイライン〉を辿って霊地〈レイポイント〉を確保。その後、リヨンに向かってくれ」

 

只々静かに、決定した方針をつらつらと述べていく。

それが余りにも無謀な話だったから、士郎の言葉を聞いていたマシュは思わず声を上げていた。

 

「ま、待ってください! それでは一人で行動する事のリスクは変わっていません! それに先輩を一人にするなんて--」

『マシュの言う通りだ。マスターだけで行動する事は、カルデアの司令としても容認できない』

 

マシュの言葉をドクター・ロマンが引き継ぐ。

それは単純に士郎個人を心配しているだけでなく、唯一活動できるマスターを失うことを危惧してのことだった。

現状、冷凍保存中のマスターが回復する見立てはない。

ここで士郎が死ぬのは、そのまま人理焼却の完遂を意味する。

故に、ドクター・ロマンはカルデアの司令として、その方針を容認する事はできなかった。

「シロウ。先程、私に焦るなと言ったのはあなたです。なのに、そのあなたがそのような無謀な行動に出てどうするのですか」

 

ジャンヌが諭すように、士郎に言葉をかける。

そう、ジャンヌやマシュのようなサーヴァントならともかく、魔術師であるマスターが単身、サーヴァントの捜索に赴くなど無謀極まる。

仮にサーヴァントの一騎とでも遭遇してしまえば、そのマスターの命運は決まったも同然だ。

魔術師に、サーヴァントに対抗する術はない--通常であれば、だが。

 

「君達の憂いも分かるが今は一刻の猶予もない。それにこの場で最も戦闘に適しているのは私だ。仮にサーヴァントと相対しても、そう易々と殺されたりはせんよ」

「・・・・・確かに、魔術師でありながらあなたの力には目を見張るものがあります。ですが、それを加味したとしてもサーヴァントと戦うなど、無謀を通り越して死にに行くようなものです」

「ふむ。まあ、君の前で見せたのはその程度だから、信じられないのは無理もないが・・・・・では証人に証言してもらうとしよう。マシュ、ドクター・ロマン」

 

ジャンヌの反論に僅かに考える素振りを見せた士郎は、マシュとドクター・ロマンへと声を発し、

 

「私にはサーヴァントと交戦しても御し得るだけの力がある、これに間違いがあるかね?」

「それ、は・・・・・っ」

『・・・・・』

士郎の問いにマシュが言葉を詰まらせ、ドクター・ロマンは無言を通した。

その反応で、士郎の言葉に間違いは無いと裏付けるには十分であり、

 

「ご覧の通りだ。私であれば敵サーヴァントと遭遇しても何ら問題は無い」

「・・・・・いえ。仮にそうだったとしても、マスターであるあなたが一人で行動する意味は--」

「意味はあるとも。決定打に欠きサーヴァントとしての能力を十全に発揮できぬ君を一人で行動させるわけにはいかない。詳細は省くが私にはその手の手札がある。加えて姿隠しの道具もだ。敵から隠れるのであれば、知覚される可能性があるサーヴァントといるのは、寧ろ危険と言っていい。単独であれば、やりようはいくらでもある」

 

士郎が貯蔵する、無数の武具宝具。その中には身を隠すのに最適なものも存在する。

単に逃亡するだけなら、士郎は確実に逃げ切るだろう。

 

「それはつまり、サーヴァントである私や彼女がいては邪魔だと。そういう事ですか」

「そうまでは言わんよ。ただ、先ほども言ったように残された時間は少ない。より効率の高い手段があるのであればそちらを選びたい、というのは当然の思考だろう?」

 

何か間違っているか、と三人に視線で語りかける。

ああ、確かに間違っていない、間違いなはずがない。

士郎の言葉はどこまでも正確で最良だ。

守りにのみ特化したジャンヌとマシュでは、単独の行動に向かない。

そもそも、ジャンヌはフランスのほとんどの人間に竜の魔女として認識されている。

そんな彼女が単独で動くことなど出来るはずもない。

対して士郎は、話術に長け高い戦闘能力を有しあらゆる状況に対応できる術を有している。

しばらくすればアロワからの証明書も手に入る。

この場で士郎以上に単独行動に適している人物は存在しない。

故に、彼の言葉に異を唱えられる者は誰一人として存在せず、

 

・・・・・でも、仮にそうだったとしても・・・・・っ!

 

しかし、マシュだけは、どうしても納得できなかった。

 

今度こそ戦い抜くと、守ってみせると決めたのだ。

なのに、士郎の側から離れてしまう、これでは何もできない。

〈〈また〉〉士郎を守れないかもしれない。

そんな恐怖がマシュの全身を、蛇の如く這いずり回る。

彼の言葉を認めてはならない。彼の意見に頷いてはならない。

この危惧を杞憂で終わらせるためにも、ここで何としてでも彼を止める。

その想いを実現すべくマシュは口を開こうとして、

 

『--確かに。士郎君の言う通り、それが現状での最善手だ』

「ドクター!?」

予想もしない場所から、士郎への思わぬ援護があった。

 

「・・・・・意外だな。貴方は最後まで止めると思っていたんだが」

『そうしたいのは山々だけどね。けど、君はどうあっても行くんだろ? なら、これ以上は時間の無駄だよ。幸い、カルデアから君のことはモニターできるからバックアップは可能だ』

 

飽くまで冷静に語るロマン。

普段のゆるふわな雰囲気から忘れがちだが、これが彼だ。

隣にいる人間が思わず和んでしまいそうな空気を漂わせながら、必要とあればどれだけ冷徹な判断でも下せる。

数日前、カルデアが爆破された時、爆発の中心部である管制室にいた多くのスタッフを、もはや助からぬものと早々に見切って、最も優先すべき作業へと向かった。

自身の感情と使命を秤にかけ、その上で必要な選択を行う。

彼はその立場だけでカルデア司令を任されたのではなく、真実相応しいと認められた上で現在の役目を担っているのだ・・・・・ただ。

本音を言えば、彼もこのような手段は取りたくないのだ。

どれだけ士郎の言葉が正しくとも、それが危険な選択であることには変わりない。

マシュや士郎が驚いたように、本来ならば彼は士郎の無茶を止める存在だ。

しかし、それがカルデアにとって、延いては人類にとって悪手であることも理解している。

そして何よりも--これが士郎との契約だからだ。

士郎が人理を取り戻すと誓ったあの日、ロマ二・アーキマンはその道程を全力で支えると誓約した。

故に、彼は自身の感情を殺し、全霊を以って士郎を後押しする。

『マシュ。君もそれでいいかい?』

「・・・・・」

 

最後の確認としてロマンがマシュへと目を移す。

しかし、マシュは答えるどころか、その可憐な顔を俯かせている。

当然だ、彼女は納得していない。その頭では何とか士郎を止められないとずっと考えている。

それなのに味方だと思っていたロマニまで士郎の肩を持ったとなればこうもなろう。

しかし、ずっと黙りこくっているわけにもいかない。

このままでは話が進まず、言葉を口にしなければ何もできなしない。

けれどいい言葉が、案が思い浮かばない。

士郎のそばにいるための一手が、どうしても考えつかない。

いっそ熱でも出てしまいそうなほど、彼女は頭を回転させ--

「--マシュ」

 

自身を呼ぶその声に、一気に頭が冷えていった。

「先輩・・・・・?」

「みんなの心配も分かってる。本当は、一緒に行動した方が良いのかもしれない。けど--嫌なんだ。俺が手を伸ばさなかったせいで誰かが傷つくのは。俺は一人でも多くの人々を守りたい。だから--」

 

頼む、と。

そう、マシュに向けて語りかける士郎は、どこまでも真っ直ぐな瞳で--

 

・・・・・ああ、なんて綺麗な眼。

 

何故、自分が彼を守りたかったのかを、再び認識させられた。

そうだ。

マシュ・キリエライトは、このあり方に救われた。マシュ・キリエライトは、このあり方の根源を知りたいと思った。

それこそが、衛宮士郎とマシュ・キリエライトの始まり。

ならばこそ、それを阻むことなど--出来るはずがなかった。

 

「--分かりました。先輩の指示に従います・・・・・ですが、一つだけお願いします。もし危なくなったら、わたしを呼んでください。その令呪を、使ってください」

 

何かを堪えるように、士郎の右手の甲へと視線を向けながらマシュが告げる。

デミ・サーヴァントたるマシュとの契約の折に現れた紋様。

盾を象ったと思しきそれはサーヴァントに対する命令権。即ち--令呪。

冬木における聖杯戦争のデータからカルデアが独自に研究・開発したそれは、本来のモノと少し趣が違う。

冬木の聖杯戦争における令呪とは、絶対遵守の言霊。

サーヴァントに自害すら行わせる強制力は、まさに絶対命令権。

対してカルデアの令呪は、それほどの強制力を有していない。

彼の地にて生み出されたモノに比べれば、出来ることは限られている。

しかし、それが膨大な魔力を湛えた大魔術であることには変わりない。

サーヴァントのブーストだけでなく、一瞬であれば魔法に等しき奇跡すら実現できるだろう。

僅かな距離であれば、空間転移も行使可能だ。

しかし、それだけの奇跡は、易々と行えるものではない。

マスターに付与される令呪は三画。特異点で使い切ってしまえば、それで終わり。

カルデアに戻ったとしても、簡単に再付与出来るものではない。一画再構築するのに、一ヶ月以上の時を要する。

その令呪を、彼女は使えと言う。

敵を倒すのではなく、ただ彼女を呼ぶ為だけにその奇跡を行使してくれと願う。

 

「--出来るだけ、善処はする」

「約束は、できないのですね・・・・・」

 

士郎はマシュの切なる願いに、確約はしなかった。

それは、半ば予想出来たことだ。

決死である。

何が起きようとも、何を失おうとも、必ず世界を救うと決めたのだ。

その事だけに、彼の専心は向けられている。

故に、あらゆる可能性を考慮して使命を成さんとする彼が、切り札を簡単に切るはずがない。

先ほどの言葉ですら、可能な限り譲歩したのだろう。

使用する可能性がある、というだけで彼に言える限界なのだ。

「構いません。先輩が令呪を使わないのでしたら、わたしが自ら駆けつけます。この力は--そのために託されたんですから」

「マシュ・・・・・」

 

強く意思が込められた声。

かつての彼女からは考えられないほど、はっきりとした彼女の言葉。

衛宮士郎が人理の修復を己が使命と定めたように、マシュ・キリエライトは少年を守護<マモル>と誓った。

士郎が求めようと求めまいと関係ない。

この道を往くと--彼女は決めたのだから。

 

『話は纏まったみたいだね。それじゃあ、士郎君はラ・シャリテへ。マシュとジャンヌはリヨンへ。みんな、くれぐれも気を付けてくれ』

そう締めくくったロマンにが三人が頷き、

 

「それでは、先に向かいます。シロウ。ご武運を」

「先輩。どうか、ご無事で」

ジャンヌとマシュがそれぞれ言葉を残し、己が役目を果たすために深い森の中を駆けて行った。

 

 

 

 

 

 

走り去って行く二人の少女

その背中を最後まで見送る。

そうして、彼女らの姿が見えなくなったところで背後を振り返り、

 

「・・・・・悪い、ドクター。無茶を言っちまって」

 

未だ残るモニターに向かって言葉を掛けた。

 

『君の無茶を支えるのも、僕の役目だからね。ただし、決して無理はしないでくれ。人類を救えるのは、君しかいないんだからね』

「分かってる。何があっても生き延びるさ」

 

まったく難儀なものだな、と心の中で嘆息しながら、答えを返す。

これまで多くの事を経験してきたこの身にも、今回のような戦いは初めてであった。

それは、世界の滅びに対して、ではない。

規模の差はあれ、世界が滅亡するような戦いに身を投じるのはこれが初めてではない。

自らの人生を決める契機となった故郷での戦いも、何かを間違えていれば世界は滅んでいた。

故に、俺が最大と足枷とするのは、この戦いにおける自身の必要性であった。

衛宮士郎の死亡。それ即ち人類の敗北であるという絶対条件。

それが、余りにも邪魔な制約であった。

“正義の味方”たるこの身が、他者を救うために自身の命をかけることができない。

或いは、他者を犠牲にして自身が生き残らなくてはならない。

その事実を、どうしても容認することができず--それ以上に人類を救わなくてはいけないと、当然のように理解している。

・・・・・嗚呼。本当に、難儀だな。

 

分かっていたはずの事に、今更ながらに息を漏らす。

もう一人、自分と同じ役目をこなせる人間がいればいいのに、と。

そう思わずには、居られなかった

 

「ドクター。“例”のマスターはどうなっているんだ?」

「以前話した通り、まだ眠ったままだよ。“あの子”だけは比較的に傷が浅かったけど、他のマスター達と同じで、いつ目醒めさせられるかは依然として分からない」

「そうか・・・・・」

 

ロマンの言葉に、僅かに落胆する。

レイシフトを行う二日前、彼から爆発による傷が浅いマスターが一人いることを聞いていた。

なんでも一般人の中から選出されたマスター適正者で、爆破された当日にカルデアへと到着したらしい。

そのマスターが目覚めれば変わりを任せられるのだが・・・・・現実はそう簡単に思い通りにならないということは、嫌という程身にしみている。

結局、現状を認める他ないのだと諦める。

 

「分かった。もし目覚めたら、その時は伝えてくれ」

『ああ。その時は直ぐに連絡するよ・・・・・ところで。君はまだ行かないのかい?』

ふと。この場に残り続ける俺に疑問を抱いたのか、ロマンがモニターの向こうで首を傾げる。

それに、ああ、と頷き、

 

「まだここの片付けが残ってるからな」

『ああ・・・・・なるほど』

 

納得したのかしてないのか、よく分からない返事を聞き流し、急いでこの場を片していく。

さあ急ごう。残された時間は--多くないのだから。

 

 

 

 

 

 

そこは“工房”であった。

魔術師が己が業を研鑚せし間。自己を守る防衛空間。

されど、そこにはそのような高尚な目的はなかった。あるのはただ、己が欲望を満たすためだけの場所。

薬品故か、或いは別の要素によるものか、異様な臭気に包まれた部屋に、その雰囲気に何ら違和感のない、不気味なローブを纏い背を丸めた長身の男がいた。

 

「ジル。アナタ、しくじったそうね」

「・・・・・申し訳ありません、聖処女よ。どうやらあの者の話していた異邦からの魔術師が到着したようでして--」

「言い訳は結構です。かつて元帥を名乗った者ならば、自らの失態はそれ以上の成果で覆さず何とするのです」

その異質な部屋に全身を黒い甲冑に包んだ一人の女が訪れた。

部屋の異常性すら呑み込んでしまいそうな黒い熱情を湛えた女は、侮蔑を込めた声色で男を叱咤したが、暗がりの部屋では女がどのような表情であるかまでは分からなかった。

 

「畏まりました。直ちに部隊を送り込みまする」

「そうすることね。余りにもグズだと、殺しますから。--ああ。それと、そろそろ“次”のサーヴァントを排除しに行きますから、そのつもりでいてください」

「なんと。もう行動なさるのですか? いささか急ぎすぎでは?」

「当然でしょう。私は一刻も早くこの国を焼き尽くす。なら、目障りな存在は早々に消し去るものでしょう?」

 

何が楽しいのか、女は口の端を大きく曲げ笑った。

対する男も、感心したように、女へと賛辞を送った。

 

「流石は我が聖処女。貴女の行いには何の間違いもありません。どうか存分にその力を振るいください」

「無論です。私はそのために、ここにいるのですから」

 

最後にそう言い残して、女は男の部屋を去っていく。

残虐な笑みを張り付かせたその顔は救国の聖女--即ち、ジャンヌ・ダルクそのものであった。




お読み頂いた方はお気付きでしょうが、もう一人マスターが増える可能性が浮上しました。まだ可能性の段階で決して確定したわけではありませんが、カルデアに士郎を見据える新たな視点が現れるかもしれません。
ということで、もし仮に彼/彼女を登場させた場合、どちらがいいかアンケートを取りたいと思います。もしご希望があったり、遅筆の作者にお付き合いいただける方がおりましたら、是非とも活動報告欄までにご意見をお寄せください。
それでは皆様、良い年末を。


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竜の魔女の名の下に

皆さんお待たせしました。ようやっとオルレアン編投稿です。
投稿までに色々とイベントが来ましたね。サヴァフェスにAZO復刻にネロ祭ならぬギル祭にと、大忙しです。
特に面白かったのはやっぱりサヴァフェスですかね。もう始まりからしてぶっ飛んでました。まさかね、ハワイとホノルルを合体させた挙句、そこでコ◯ケやるとは思わないじゃないですか。ストーリーとしてはぶっちぎりに馬鹿(天才)な濃密さでした。同人誌も本当に読んでみたいものばかり。個人的には『拉麺好き好きアナスタシアさん』とか「悪役令嬢は悪女をぶち抜きたい!」とか読んでみたいです。それとは別枠に、キアラ本はあれで全年齢版というから信じられない。
AZOも交換ショップでケイネス先生が楽しそうにしてたのが地味に嬉しかったり。
ギル祭はもうすぐ終わりますが、次は(見た目において)ぶっちぎりに頭の悪いビルドクライマーが復刻。あれを超えるものが果たして来るのか、復刻ともども楽しみです。
拙作も、この勢いが消えないうちに進めていきたいです。

それでは19話目、どうぞお楽しみください。


 第一特異点へのレイシフト実行から1日が経過した。

 カルデアの管制室では常に士郎達を観測し続け、彼らの意味消失を防いでいる。

 

「・・・・・ドクター、本当に良かったんですか・・・・・? 」

 

 そんな、僅かな気の緩みが命取りとなる最中、一人のオペレーターが堪えきれないとばかりに抗議の声を挙げた。

 

「今は作戦中だよ。ほんの小さなミスが彼らの消滅に繋がるんだ。目の前の仕事に集中してくれ」

「それは、分かってます。けど、“アレ”は--」

「マスターである士郎くん本人の要請だ。僕らが口出すことじゃないよ」

 

 事務的に、淡々とロマニは答えを返す。

 その分かりきっていた結果に、予測できた返答に声を上げた当人はやはり、納得できないと顔を歪める。

 彼女の言葉が指し示すものとは、レイシフト実行までに士郎が用意した人理修復を成し遂げる為の一手であり。

 その実態を知るのは、要求した当人と管制室に詰める人間だけだ。

 使用すれば戦況を覆しうる可能性を秘めている。だが、それを使えば衛宮士郎は--

 

「--直に士郎君がラ・シャリテに到着する。話はここまでにしよう」

 

 その言葉につられて視線を向けた先、士郎が今まさにラ・シャリテへ足を踏みいれようとしていた。

 

 

 ◆

 

 

「存外、活気付いてるんだな」

 

 フランス中央部、ジュラの森より東方に位置するラ・シャリテ。

 全身をマントで覆い、市井の様子を伺う姿があった。

 名を衛宮士郎。仲間と別れ単独行動をする人類最後のマスターだ。彼は極力目立たぬようにしながら、街の様子をくまなく観察する。

 

「アロワさんからフランス全土が襲われていると聞いていたが、この様子では微塵も感じられないな」

 

 彼の言う通り、市場には活気があり行き交う人々も生きる気力に満ち溢れている。

 広場では多くの人々が集い、子供が辺りを走り回っている。路地の裏に目を移せば柄の悪そうな悪漢や、昼間から酔い潰れる者など。

 どこにでもある、真っ当な都市の形だ。とてもではないが、未知の脅威に脅かされているとは思えない。

 

「やはり、噂は真実だと考えるべきか」

 

 アロワから聞き及んだ惨状が嘘だとは考えづらい。

 敵がフランス全土を標的とするのなら、この街だけを見逃す道理はない。となれば、襲われなかったのではなく、襲撃者を撃退したと考えるのが自然だ。

 問題はそれがこの街が保有する自衛能力か、はたまた別のナニカによるものなのか、だ。

 死亡したシャルル7世に使えていた騎士団が苦戦を強いられたワイバーンを、一都市に過ぎないラ・シャリテで凌ぎ切れるとは思えない。

 よって、考えられるのは後者。フランス軍ではない別のナニカ--即ち、サーヴァントによる守護と考えるのが妥当だろう。

 

「そこのにいちゃん。ここいらじゃ見ない顔だな」

 

 そこまで考えた士郎に、見知らぬ声がかけられた。振り向いた先には、露天商を営んでいるらしき男がこちらを見据えている。

 異様な風体の男に興味を示したのか、それとも単純に商品を売りつけるためか。

 どちらにせよ、街の詳しい状況を知りたい士郎にとっては好都合だった。

 

「ええ。遠方より旅をしてきて、ついさっきこの街についたところです」

「旅人か。道理で珍しい形をしてるわけだ。この辺りには何か探し物が?」

「まあ、そんなところです」

 

 適当に話を合わせる。

 実際、ここには噂のサーヴァントを探しにきたのだから嘘にはならない。

 

「そうかそうか。いやしかし、この街に来るなんて、あんた運がいいな」

「というと?」

「あんたも聞いたことがあるだろう。復活した聖女の噂を」

「確か、処刑された聖女が竜の魔女として蘇り、フランス中を襲っているという、あの?」

「そう、それだ。あんたも耳にした通り、今この国は得体の知れない化け物どもに襲われてる。実際、ここも襲われたことがあるんだ」

「たまに見かける崩れた家なんかはその時に?」

「ああ。あの時は酷かった。あの化け物ども、手当たり次第襲ってきやがるんだ。かく言う俺も喰われそうになったんだが--」

 

 最初、怒りとも恐怖とも取れぬ表情を浮かべた男はしかし、一度言葉を区切りその顔にニヤリとした笑みを見せた。

 

「だが、俺達は神に見放されなかった。あの連中を倒せる“騎士様”が現れたんだよ」

 

 男はその時の様子を思い出したのか、嬉々として語る。

 

「あれは爽快だった。それまで俺達を喰おうとしてた化け物どもが、たった一人に蹴散らされていくんだからな。今じゃここの噂を聞いて、他所の街から避難して来るやつもいるぐらいだ」

 

 その言葉を聞いて、道理で人が多いわけだ、と納得する。

 いくら活気があるとはいえ、そう大きい街でもない。住んでいる人間も街の規模に見合った人数の筈だ。

 だが、別の街から移ってきたというのなら、この様子にも頷ける。

 もっとも、大量の移住者がやって来ると都市の循環が滞るのが常だが、今は街の至る箇所が破壊されていたり防備を固めたりで人出は足りないぐらいだろう。

 多くの人が移り住んでいるならその課題はクリアできるし、移住者も職をすぐに得られる。

 非常事態下ではあるが、都市システムは滞りなく運営されているようだ。

 そして、その立役者はやはり、件の騎士。

 

・・・・・頃合いか。

 

 相手がこちらに対して不信感を抱いている様子はない。

 本題に入るなら、この辺りだろう。

 

「その騎士というのは、今どこに?」

「なんだ。あの人に会いたくなったのか」

「今の話を聞いて、気にならない人間はいませんよ」

 

 果たして、男が騎士の居場所を知っているかは不明だが、なんらかの情報は得られるだろうという期待はあった。

 

「知ってるには知ってるんだが。・・・・・生憎、今は会えないぞ」

 

 だが、帰ってきた答えは予想外のものだった。

 

・・・・・会わないではなく、()()()()・・・・・?

 

 それは一体、どういう事なのか。

 何らかのトラブルを抱えているのか、それとも既にこの街を離れてしまったのか。

 ともかく、話の続きを聞くしかない。

 

「今朝早くに出かけていったんだ。行き先はリヨンらしい」

「リヨンに?」

 

 返答に対し、士郎は驚きを隠せなかった。

 リヨンといえば、マシュとジャンヌがもう一騎のサーヴァントに接触するために向かった街だ。

 

 ・・・・・偶然、とは言い難いか。

 

 サーヴァントが、別のサーヴァントがいる街に向かったというのだ。目的は限られてくる。

 現状を省みるに、狙いは士郎達と同じと見るべきだろう。

 

「何時ごろ帰って来るか分かりますか?」

「あー。出た時間を考えたら、あと一、二時間ぐらいか」

「一、二時間・・・・・」

 

 時間としては誤差の範囲だ。

 その程度ならここで待機した方が効率的だろう、と士郎は判断した。

 

「色々と教えてもらってありがとうございました」

「なに。別に礼を言われるようなことじゃないさ。・・・・・それよりも、旅をしてるっていうなら色々と入り用だろ? ウチで買い溜めていかないか?」

 

 士郎としては、礼を言ってこの場を離れるつもりだったのだが、男の方はこれで終わらせる気はないらしい。

 もともとこっちが本題なのだろう。声をかけてきたのはやはり、商売のためだったようだ。

 

「・・・・・それじゃあ、これとこれ、あとそれもください」

 

 士郎もここまで話を聞いて何も買わないでは筋が通らないと思っていたため、すんなりと男の提案を受け入れた。

 幸いにして、男の取り扱う商品は食料品。

 ジュラの森で色々と手に入れたが、その内容は偏ったもの。ここでバランスを取るのも悪くはない。

 ただ、一つだけ問題があるとすれば、士郎はこの時代の通貨など持ち合わせていないことだ。

 無論、代金は投影で用意できるため窃盗、なんて事にはならない。贋作とはいえ、通貨程度ならその中身は本物と寸分違わぬ精度を保てる。

 とはいうものの偽金であることには変わりなく、それを渡す士郎の胸中は穏やかではなかった

 

「それじゃ、俺はこれで」

 

 胸に燻る罪悪感を(後で絶対に返礼すると誓い)なんとか押し殺し、その場を立ち去る。

 そのまま人気の無い路地裏に入り、周囲に誰もいないことを確かめた彼は、

 

「トレース・オン」

 

 その一言を以って、自己を変革させる。

 紡がれた言霊が染み渡り、この一時のみ彼の周囲を世界より隔絶させる。

 人払いの結界。

 

「ドクター、聞こえるか」

『ああ。ちゃんと聞こえてるよ』

 

 結界が効果を発揮しているのを確認した後、虚空へと呼びかける

 誰も答えぬ筈の問いかけは、確かな声を以って返答がなされた。

 そして、間を置かずして士郎の眼の前に立体映像<ヴィジョン>が展開される。

 

・・・・・やっぱり、まだ慣れないな。

 

 何日か経過したとはいえ、こんな風にいきなり映像が写しだされる光景は、士郎には馴染みの浅い事柄だった。

 もっとも、最初の頃は間抜けな声を上げたり臨戦態勢を取ったりと、あまりにも酷い状況だったので、マシになったといえばマシになったのだろう。

 

『それで、調査の方はどうだった』

 

 そんな士郎の考えなど露知らず、ロマニは早速本題へと入った。

 

「街の人間に話を聞いたが、やっぱりサーヴァントの噂は真実みたいだ」

『それは僥倖だ。それで、もう接触できたのかい?』

「いや。どうやら、今朝早くにリヨンに向かったそうで、今はここにはいない」

「リヨンに? それって--」

「十中八九、俺達と同じだろうな」

 

 経緯を考慮すれば、この街の護りを放棄したとは考えられない。

 竜の魔女と戦うサーヴァント同士、有事に備えて共同戦線を張るために交渉に向かった、と考えるべきだ。

 

『それじゃあ、これから士郎君はどうする?』

「暫くはこの街で待機だな。例のサーヴァントがリヨンに向かった以上、交渉はマシュ達に任せるしかない」

『やっぱりそうなるかな。となると、マシュ達の報告待ちになるけど--待った。今、彼女達から連絡があったみたい」

 

 そう言って、ロマニはモニターから姿を消した。

 何度か他のスタッフらしきやり取りをした後、マシュ達との会話を始めたように聞こえる。

 そうして一分ほど経った頃、再びモニターに姿を現した。

 

『どうやら、彼女達は無事にリヨンのサーヴァントと接触できたみたいだ。ラ・シャリテのサーヴァントも一緒にいるらしい』

「それは重畳。それで、向こうはなんて言ってるんだ」

『サーヴァント両名とも協力することは吝かではないって。ただ・・・・・』

「何か問題が?」

『問題ってわけじゃないけど。どうやら彼らは、協力する前に君に会いたいって言っているらしい』

「・・・・・なるほど。つまり、共に戦う者が仕えるに値するか。その是非を問いたい、と?」

『簡単に言えば、そうなるね』

 

 道理だな、と提示された条件に納得する。

 彼らはサーヴァントであり、かつて数多の偉業を打ち立てた英霊の写し身だ。

 仕える者は清廉である方が好ましいだろう。相手が魔術師ともなれば直接確かめたくもなる。

 

「わかった。俺はどうすればいい?」

『今、そこにいたサーヴァントが戻っているから、接触次第話をしてくれ。もしその人物が君を認めてくれたなら、リヨンのサーヴァントも全面的に協力してくれるそうだ』

「・・・・・責任重大だな」

 

 おそらく、サーヴァントは士郎の人間性を以って判断するのだろうが、果たしてお眼鏡に叶うか。

 士郎はお世辞にも高潔な人間とは呼べず、誰彼構わず好かれるような人格を持ち合わせていない。

 気難しい性格のサーヴァントであれば、話は難航するだろう。

 

・・・・・どこぞの金ピカみたいな奴だけは勘弁願いたいな・・・・・。

 

 そんな、切実な願いを胸中で呟き、

 

「なんだ・・・・・?」

 

 そこでふと、違和感に気づいた。

 街の様子が慌ただしい。

 訪れた当初から賑わってはいたが、これは別種のものだ。

 そう、これではまるで、敵襲を受けているような--

 

『士郎君、今すぐそこを離れてくれ!』

「っ・・・・・! ドクター、何があった?」

 

 先程とは打って変わった様子で、ロマニが士郎へと退避を促す。

 その表情から、彼がいかに切迫しているか如実に示している。

 彼が、ここまで焦りを見せる事柄とは即ち、

 

『大量のエネミー反応がそこに向かってる。地上と空を合わせて、総数三百以上。とても捌き切れる数じゃない、今すぐ避難してくれ!』

 

 悲痛な叫びが響いた直後--巨大な影が、士郎の頭上を横切った。

 

 

 ◆

 

 

「現れますでしょうか? 例のサーヴァント」

 

 ラ・シャリテから少し離れた小高い丘。

 街を見下ろせる位置に、二人の男女が陣取っていた。

 片や特殊な形状の槍を携えた、幽鬼の如き貴族服の男。

 片や顔の半分を金属製の仮面で隠し、全身にも茨を模したと思しき金属を施したドレス姿の女。

 常軌を逸した気配を放つ二人は、無数の化け物に襲われる街を他所に言葉を交わす。

 

「出て来るとも。無辜の民が惨殺される様を見過ごす事などできまいよ。アレはそういう英霊だ」

 

 確信を伴った言葉。

 それが意外だったのか、女は驚いた様子を見せた。

 

「随分と詳しいのですね。もしかして、ご友人かしら?」

「なに。以前、異なる地で共に戦ったことがあるというだけだ。今ここにある我が身とは、何ら関係の無い奇縁だよ」

 

 もともとあまり興味はなかったのか。

 女は男の答えに、そうですか、とだけ返して街に視線を下ろす。

 街では既に化け物達が住民に襲いかかっており、その刃を次々と突き立てている。

 未だサーヴァントが姿を見せる気配はないが、男の言を信じるならば直に出て来るだろう。

 その時こそ、その者の終わりだ、と女は笑みを見せ、

 

「--言っておきますが、くれぐれも手心など加えませぬよう。取り逃せば面倒ですから」

 

 思い出したように、男へ忠告を投げかけた。

 見知った相手と敵対した時、意図せぬ内に手を抜いてしまうというのは人間の心理として真っ当なものだ。

 故に、間違っても男が誤りなど起こさぬよう、女は釘を刺して--

 

「それは浅慮というものだぞ、“血の伯爵夫人”。我が異名、よもや忘れたとは言うまい」

 

 男の凄惨な笑みが、それより先を女に言わせなかった。

 全身を刺し貫く殺気。同じ陣営に属しながら、次の瞬間には血塗れにされているかのような錯覚。

 悪寒は止まず、否応無しに女の認識は改められた。

 

--知己であれ手を抜くな? 見誤っている。この男にその様な温情はない。

 

--取り逃せば厄介? 馬鹿な。そんな無様な醜態を晒すわけがない。

 

 投げかけた諫言のどれもが的を外している。

 何故なら、彼は--

 

「--そうでしたわね。貴方こそは串刺し公<カズィクル・ベイ>。彼のオスマン帝国を震撼せしめた、苛烈なるワラキアの王」

 

 告げられた言葉が、男の全てを物語っている。

 古今東西、カズィクル・ベイの異名を取るのはこの男のみであり。

 故に、その名は--

 

「どうやらあちらも動いたようだな」

 

 男の翳した腕に従い、二頭の黒竜が空より舞い降りた。

 騎馬ならぬ、騎竜ということか。

 街で起こる戦闘の空気を確かに感じ取った男は、その身を翻し竜の背に跨る。

 経験など皆無であろう竜の騎乗を易々とこなし、その顔に笑みを貼り付け。

 

「ゆくぞ。この槍を以って、抗う悉くを串刺そう」

 

--男の号令の下、黒竜がラ・シャリテへと羽ばたく。

 

 

 ◆

 

 

「っ・・・・・遅かったか!」

 

 路地裏から出て初めて視界に映り込んだ光景は、逃げ惑う人々と、その人達を襲う無数の骸骨。空からはワイバーンが手当たり次第に人間を喰らっていく。

 僅かに抗おうとする者もいるが、物量差と強力な竜種を前に手も足も出ない。

 

--地獄絵図。

 

 そう呼ぶに相応しい惨状が、眼前に繰り広げられている。

 

「ドクター、マシュ達に連絡して街の人の保護に向かわせてくれ! 俺がリヨンに向かうように誘導する!」

『今、二人に向かうように連絡した。だから君も--』

「い、いやぁ----ッ!!」

「っ・・・・・!」

 

 一際、大きな悲鳴が上がった。

 その方向を見れば幼い少女とその母親らしき女性が倒れている。

 恐らくは、地面に散乱する物で挫いたのだろうが、そのような格好の獲物を骸骨どもが見逃すはずもなく、既に二人の周りにワラワラと群がっている。

 数秒と経たず、彼女達は無残にも切り刻まれるだろう。

 

「これ以上、やらせるかよッ・・・・・!」

 

 僅かな逡巡もなく駆け出す。

 初速から一気にトップスピードへギアを叩き上げ、同時に懐から武器を抜き放つ。

 黒い銃身が露わになりずしりとした重量感が腕全体に伝わったる。

 

・・・・・敵数七、障害物なし、射撃時の反動は・・・・・!

 

 弾丸の威力と軌道を想定、並列して庇護対象に及びうる影響を確認。

 

・・・・・問題ない。この銃の性能であれば、想定通りに事を為せる。

 

 確信を持って標準を標的へと定め、銃爪を引き絞り、

 

「----散れ」

 

 銃口から発火炎<マズルフラッシュ>が漏れ出し、断続した発砲音が鳴り響く。

 頭部を狙って横薙ぎに放った弾丸は一本の線として骸骨を薙ぎ払い、連中を過たず穿った。

 

「怪我はありませんか--ッ!」

 

 敵の完全停止を確認し、女性と少女へ近づきと声をかける。

 対する彼女は恐怖で声が出ないのか、口をパクパクさせるだけで肝心の音が出てこない。

 それでも、首を縦に振りなんとか自身の無事を伝えてきた。

 少女の方も精神面を考慮しなければ目立った外傷はない。

 

「掴まって。他の人のところまで連れて行きます」

 

 まだ上手く立ち上がれない女性を支え、女の子を抱き上げ投影した布で自分に結びつける。

 そのまま街の外縁部を目指す。

 

「いったい、どれだけ入り込んだんだよっ」

 

 その間にも無数の骸骨やワイバーンが人々に襲いかかる

 人々はこの状況でどこに逃げればいいのかわからず、右往左往する者も珍しくない。

 

・・・・・誘導しようにも、俺一人じゃ全体を収められない・・・・・っ!

 

 そうしてる間にも敵が背後から迫っていて、それらの迎撃を余儀なくされる。

 二人を支えた状態では激しい動きもできず、当然動きも停滞する。

 

・・・・・どうにかして、リヨンに向かうよう伝播しないと。

 

 全てはそこだ。

 この混乱を沈静化させるには、人々を共通の目的で統一しなければならない。

 それも狂乱のままではなく、確かな理性を持った行動でなくては。

 果たして、それができるか--

 

「リヨンだ、全員リヨンに迎え! 俺たちの騎士様はリヨンにいるぞぉ!」

 

 唐突に、怒声が人々の間に響く。

 驚いて振り向くと、そこで声を張り上げるのは先ほどの露天商だった。

 

「なんであの人が・・・・・いや、そうか!」

 

 彼は件のサーヴァントがリヨンに向かったことを知っていた。

 それに加えて、一度目の襲撃を生き延びている。

 この二つの要素が、彼の冷静さを保ち最適な判断を下している。

 そして、彼だけではない。

 他にも骸骨と戦いながら声を張り上げる人々がいる。

 その瞳に決して負けぬと意思を乗せ、惑う人々を先導する。

 そして、騎士という言葉に希望を見出し、少しずつ人々が冷静さを取り戻していく。

 

「おい、そこのにいちゃん! あんたも無事だったか」

 

 これならば、あるいは。そう思っていた矢先に露天商の男がこちらに気付き声をかけてきた。

 なんとかして二人を他の人に預けたかったこちらとしては願っても無いことだ。

 本当にタイミングのいい人だ。

 

「俺は大丈夫です。それよりこの二人を外に連れて行ってください。彼女、どうやら足を挫いたみたいなんです」

「ちょっと待て。そりゃ構わねえが、あんたはどうする気だ?」

「俺は--」

 

 振り向き、迫っていた四体の骸骨を撃ち抜く。

 骸骨がその体を粉々にし、白粉を地に落とす。

 

「--俺は、こいつらを食い止めます」

 

 男に背を向け、銃を構える。

 混乱が収まりつつあるとはいえ、必ずどこかに遅れが生じる。

 そうなれば、連中は容易く人々に追い付くだろう。

 だからこそ俺が敵を引き付け、街の人が逃げ出すのに十分な時間を稼ぐ。

 

「・・・・・分かった。二人は俺が責任を持って連れてってやる」

 

 彼は、それ以上何かを言うことはなかった。

 本当は聞きたいことなどいくらでもあるだろうに、それを無視して頼みを聞いてくれた。

 

・・・・・ありがたい。

 

 この街で最初に出会ったのが彼で良かった。

 彼のお陰で、こうして動くことができる。

 自分自身、運は無い方だと思っているが、人との巡り合わせだけはこの上ないほど恵まれている。

 

「ご無事で--っ!」

 

 声に振り返れば、女性が男の肩に掴まりながら、こちらを心配そうな目で見つめていた。

 少女も声こそないものの、不安そうにしている。

 

「----」

 

 だからこそ、彼女達に笑みを見せる。

 大丈夫だ、と。

 彼女達が立ち止まらずにいられるように。

 それを見てどう思ったか、一度だけ頭を下げて三人は今度こそリヨンに向かった。

 

「--さて」

 

 避難する人々を背に、無数の敵に向き直る。

 既に前方には無数の骸骨とワイバーンが集っており、こちらを排除すべき対象として殺意をみなぎらせている。

 

「傀儡や獣に明確な意思があるとは思えん。おそらく、指示を出している者がいるな」

 

 散発的に襲うのではなく戦力を集中させた上で蹂躙する。

 とても自我なき人形の所業とは思えない。

 思えば、ヴォークルールの時もそうだった。

 統制された兵士の如き行軍。隊列を組みこちらを襲ってきた。

 駒は駒でも、頭がいればそれなりの動きはするということか。

 

「構わん。なんであれ、人々を殺戮せんというのなら--来い。貴様らの牙、その悉くを打ち砕こう!」

「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️------ッ!!!!」

 

 

 開戦の合図などなく。

 無数の怪物が一斉に咆哮し迫り来る。

 

「同調開始<トレース・オン>」

 

 弾丸をばら撒くと同時に魔力を流す。

 もともと特殊な加工がなされた銃弾がさらに威力を上げ、一体の敵を穿つに留まらず貫通して後方の骸骨を砕いていく。

 その間にも弾丸は放たれ、骸骨の数を着実に減らしていく。

 

--その銃に、明確な名称はない。

 

 武器庫管理人、ランディ・スミスが士郎の要望に応えるべく製作したソレは、異色極まる代物だった。

 米国の銃器メイカー、コルト・ファイヤーアームズによって製造されたM4カービンをベースとし、弾倉には100連装サドル型ドラムマガジンを採用。これにより高い継戦能力という要望はクリアした。

 だが、問題は銃本体にあった。

 士郎が求めたのは取り回しのいいマシンピストルの様な銃。M4は所謂アサルトライフルに分類される銃器だが、士郎の望みとは合致しない。

 だが驚いた事に、ランディはM4のストックを取り外し銃身を切り詰め極端に短くする事で、強引にマシンピストル並みの全長に縮小したのだった。

 さらにはランディのアイディアにより銃口下部にナイフを取り付け、近距離戦にも対応可能となった。

 結果、生まれたのがこの銃。

 アサルトライフルでありながら拳銃並みのハンドリングを実現した、士郎専用の突撃銃である。

 

・・・・・排出率問題無し、残弾40、再装填<リロード>に要する時間はおよそ二秒。

 

 現状、戦況はこちらに有利。

 何者かの命令があるとはいえ、アレらの骸骨兵では細かな行動はできない。

 強大な敵が在るとすれば、そちらに向かうしかないし、指揮官もそう入力している筈だ。

 こちらの目的は市民の退避完了、連中がこちらに向き続ける以上、勝利条件は満たしているも同然だ。

 問題があるとすれば、それは、

 

「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️------ッ!!!!」

 

 咆哮に反応し、咄嗟にその場を飛び退く。

 一瞬遅れて、さっきまでいた場所にワイバーンが降り立つ。

 凄まじきはその脚部。

 煉瓦の地面をただ踏みつけただけで砕く脚力。

 一撃を受ければそこで終わりだ。おまけに、

 

「----チ」

 

 舌打ち、屈んだ直後、頭上を複数の火球が通り過ぎる。

 標的を外した火球が、背後の瓦礫を吹き飛ばし爆ぜる気配を背に感じる。

 

・・・・・これだ。近距離だけでなく遠距離攻撃も備えてる。

 

 攻撃自体は直線的かつ単調なため、回避するのはさして難しくはない。

 だが一度に複数、それも他の敵を捌きながらとなると、些か苦しいものがある。

 火球の威力も無視できない。それ自体が高熱の塊だ、擦れば身を焼かれるのは明白だ。

 骸骨に比べ数が少ないのが唯一の救いだが・・・・・

 

「やはり抜けんか」

 

 最も厄介なのは、その堅牢な甲殻だろう。

 魔力強化を施した5.56mm弾を受け付けないのは、さすがの竜種といったところか。

 もっとも、これはこちらにも問題がある。

 M4に独自カスタムを施したこの突撃銃だが、本来ある銃身を無理やり切り詰めたため、弾丸に十分な加速と回転を加えられていない。

 その結果、弾丸は真っ直ぐ飛ばず横方向に回転しながら放出されるため、威力が原型のそれより落ちている。

 ワイバーンの外殻を貫通するには、さらに強力な攻撃でなければならない。

 

「となれば、こちらか」

 

 空いた左手に、新たな銃を握りこむ。

 独特なフォルムと白銀の銃身に刻印されたRAGING BULL (猛牛)の一字。

 トーラス・レイジングブル model 500。

 ブラジルはトーラスによって開発された大型リボルバー、その最大モデル。

 使用弾薬は.500S&W。マグナム弾としては最大級の弾丸だ。

 その高い破壊力に伴い反動が大きく扱いの難しい代物だが、魔術使いである俺にはその制約は無視できるものだ。

 そして、これらにもまたM4と同様の魔術加工が施してある。

 如何な竜種といえど受ければ無傷では済まない。

 

「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️------ッ!!!!」

 

 そんな思考など気にも留めず、ワイバーンが再び突撃してくる。

 正面からの低空飛行による突貫。

 こちらの攻撃は驚異に値しない、と考えたのか。

 回避することを初めから捨てきった大質量の暴力だ。

 しかし、その浅慮さこそ命取りだ。

 

「----穿て」

 

 どん、と轟音が銃口より吐き出される。

 眼球より侵入した弾丸は脳髄を蹂躙し、過たずワイバーンの命を奪った。

 

「◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️------ッ!!!!」

 

 再度の咆哮。

 死した味方など意に介さず、さらに敵が押し寄せる。

 時に火炎、時に爪牙、時に白色の波となって。

 骸骨兵とワイバーン、様々な威力と性質を持った攻撃が絶え間なく続く。

 その全てを躱し、受け流し、反撃に繋げていく。

 そんな攻防をどれほど続けたか。

 敵はその数を大幅に減らし、襲撃時の三分の一にまでなっていた。

 

・・・・・大体、十分ぐらいか。

 

 太陽の傾き具合から、経過時間に当たりをつける。

 既に住民はこの街を抜け出したらしく、俺と目の前の連中以外には他の気配を感じられない。

 時間を考えれば、マシュ達が先頭集団に合流してもおかしくない頃合いだが--

 

「なんだ?」

 

 それは、唐突に起こった。

 さっきまであれほど苛烈に攻め立てていた敵が、その動きを止めたのだ。よもや魔力切れというわけでもないだろう。

 あり得ざる現象に、こちらも思わず動きを止める。

 いったい何故、この局面で止まったのか。

 その答えは、すぐに目の前で披露された。

 

「退いていく・・・・・?」

 

 撤退した。

 生きる全てを侵さんとする異形の軍勢が、一斉に街を離れていった。

 連中の判断ではない。間違い無く、あれらを操る指揮官によるものだろう。

 これ以上は無駄と判断したのか、或いは別所でさらに戦力が必要となったのか。

 その是非を判断する術を持たない身では、ただ事実を受け止めるしかない。

 

「消耗を抑えられる、っていう意味なら好都合だけどな」

 

 戦闘時間、約二十分。相対した敵戦力、三百以上。

 消費した弾薬は決して少なくはない。空間を歪めた特殊な袋に包んでいるとはいえ、その総量にも限度がある。

 物資は使えば使うだけ数は減っていき、補充にもいくつかの制限がある。

 住民を逃がしきった俺からすればあれ以上は無駄な戦いだったため、退いてくれたのは嬉しい誤算だ。

 

「とにかく、俺もマシュ達に合流しなきゃな」

 

 街の人たちの安否も気になる。

 敵は全て惹きつけたと思うが、取り零しが無かったとは言い切れない。

 彼女達であれば間に合うとは思うが、あの混乱であれば負傷者も少なくないだろう。

 全員をリヨンにまで連れて行くには、人では一人でも多い方がいい。

 まずはドクターに連絡を取って、状況を把握しよう。

 

『士郎くん、また終わってない!』

「ドクター?」

 

 今まさに通信を開こうとした直前、先じて相手から連絡が送られてきた。

 その表情は先ほどより切迫していて--

 

「戦場での気の緩みは死に繋がる--その程度は心得ていそうなものだがな」

「っ----!?」

 

 ドクターの発言から、まだ敵がいるのかと思案した瞬間。

 足元から迫る無数の魔力に気づき、回避に全神経を傾ける。

 

「ぐっ--!?」

 

 だが僅かに遅く、躱しきれなかった魔力の一筋が、腰部を傷つける。

 聖骸布が斬り裂かれ、血が滴り落ちるのを感じる。

 

「アレは----」

 

 だが、そんなことはどうでもいい。

 問題は、自分を襲ったモノの正体。

 

--それは、杭だった。

 

 大地より突き出た幾本もの切っ先。古くは、犯罪者を罰する手法の一つとして、多くの人々に恐れられた。

 しかしその杭は決して、真っ当な常識の範疇に収まるものではない。

 恐るべきことに、それらの杭は一本一本が神秘を纏っている。

 個別に見れば大したものではないが、総合すれば一級の魔術礼装であるマグダラの聖骸布すら凌駕している。

 単なる概念武装ではない。これはただの魔術師に生み出せる代物ではない。

 これほどの神秘を纏った現象、その本質を俺は知っている。

 人々の幻想を骨子として組み上げられた武装。

 それは科学ではなく、技術ではなく、“概念”という在り方。即ち--

 

「余の“宝具”を凌ぐか。流石に、あの軍勢を退けただけはある」

 

 戦場に、男の声が響く。

 感心し、こちらを讃えるような言葉。

 ともすれば穏やかとも取れるそれは--されど、明瞭な“王”の風格を湛えている。

 

・・・・・一人--いや、もう一人いるか。

 

 体勢を整え、声の方向に視線を向ければ、一組の男女がこちらへと向かっている

 両者共に尋常ならざる気配を漂わせており、付け加えれば、男の方はアロワさんの部隊を壊滅させた者の特徴に合致している。

 先の攻撃を男が放った物だとすれば、彼らの正体は明白。

 かつて在りし英雄が昇華された存在。

 世界の守護者たる英霊の写し身--サーヴァント。

 

「背を向け疲弊した者に槍を向けるのがそちらの流儀かね? 誇りある英雄の振る舞いとは、到底思えんな」

 

 いま一度敵に向き直り、意識を変革させる。

 これより刃を交えるのは、先ほどまでの雑兵とは比較にならない強敵。

 初撃を躱せたのは、攻撃した本人が手を抜いていたからに他ならない。

 僅かでも隙を見せれば、その瞬間にこの身は串刺されている。

 故に、この戦いの第一歩は相手に付け入る余分を見せないことにある

 

「--ク。我らが何者かを知ってなお挑発を投げかける気概があるとは。--或いは、理解するが故か」

「----」

 

 しかし、敵はこちらの思考を過たず見抜いてきた。

 一言、言葉を受けただけ。たったそれだけのことで、胸中を暴かれたようだ。

 先の挑発もまるで気にも留めていない。あの程度はそよ風も同然ということか。

 

・・・・・流石に、一筋縄ではいかないか。

 

 相対するのは二騎のサーヴァント。

 疲弊した現状では、勝利するのは厳しい難敵だ。

 特に男の方が問題だ。

 先の攻撃を彼の宝具と仮定するならば、その真名は間違いなく“あの英雄”。

 

・・・・・どうする。

 

 双方の優劣は明らか。

 数の差に加えて、あちらは万全の状態だ。

 叶うものならば、撤退したいところだが・・・・・

 

・・・・・果たして、逃してくれるか。

 

 引き離してしまえば、姿隠しの宝具で逃げ切れる。

 しかし、それを許すほど彼らも甘くはないだろう。

 なんとか隙を作り出せば可能だが--

 

「そう気を張るな。この状況は我らとしても予想外のものなのだ。なにせこちらは“ライダー”を討ちに来たというのに、蓋を開けてみれば魔術師が単騎でこちらの軍勢を相手取っている。余の方も困惑するというものだろう」

 

 今の所、相手は敵意を見せていない。

 男は変わらず鋭くも穏やかに語りかけてくる。

 女の方は興味なさげに一歩引いている。

 撤退する機会があるとすれば、おそらくはここだけだろう。

 故に俺は、なんとか絶対の間隙を生み出す必要がある。

 そのためにも、まずは相手の言葉に応じる。

 

「生憎と、君達の探すサーヴァントはこの街にはいない。今朝早くに、この街を出て行ったそうだ」

「ほう。それは初耳だ。なるほど、それでは“ライダー”が出て来るはずもない。初めから居ないのだから当然ではあるが・・・・・まったく、これでは無駄骨もいいところだ」

 

 やれやれ、といった風体で男が嘆息する。

 目当ての人物はおらず、全く別の存在に軍の三分の一も削られたとあれば、無理からぬことか。

 そのまま退いてくれれば良かったのだが、彼らはこの場に残るという選択をした。

 あまつさえ、俺を試すように攻撃を仕掛け、今はこうして言葉を交わしている。

 相手の目的がまるで見えてこない。

 

「・・・・・何故、俺に興味を」

「--はて。余は単に、我が軍勢を退けた者を仕留めに来ただけだが?」

「その割には敵意が薄いように感じるが? 完全な奇襲に成功しておきながら手加減したのがいい証拠だろう」

「--フ。いや失礼。そちらががあまりにも身構えるのでな、つい遊びたくなった」

 

 どこまで本気かもわからない事をのたまう。

 こちらの反応を楽しんでいる、というのも事実だろうが、俺が言葉を違えればその瞬間に戦闘に入ると予測できるだけの気配は感じられる。

 

「さて。余が何故、お前に興味を持ったかだったか。簡単なことだ。何の得にもならない人助けに奔走する魔術師が、いったいどんな人間なのか知りたくなったのだよ」

 

 こともなげに告げられた真意は、あまりにも拍子抜けするものだった。

 いや、魔術師が人助けをするというのが如何にあり得ざる例外かは語るまでもないことだが。

 わざわざ、そんなことを確かめに--?

 

「無論、それだけではないよ。お前には一つ、聞きたいことがある。しかし、その前に個人的な興味を満たしたいと思ったのだが、どうかね?

 

 俺の人間性はおまけ。

 この接触は、あくまでもう一方を確かめるため、ということか。

 だが、望む答えを得られねば、彼はこちらを敵とみなすだろう。

 できれば穏便に済ませたい身としては、質問などいくらでも答える。

 

「別に理由などない。ただ、目の前で死んでいく命を見過ごせなかった。それだけのことだ」

「--なるほど。ただ救うために、か」

 

 答えを受けた男は数瞬、神妙な顔を見せこちらの眼を見据えてきた。

 だが、それも僅かなこと。

 すぐに元の笑みを浮かべていた。

 

「お前の人柄はよく分かった。よもやただの善意で他者を救う魔術師がいて、それがサーヴァントを欠いた街に現れるとはな。まったく--これだから運命とは悪戯好きだ」

「--本命はそちらではないのだろう。さっさと要件を言ったらどうだ」

 

 くつくつ、と笑う男の真意は分からないが、言葉を繋ぐ。

 次の問いがこの場に残った真の目的とするならば、その回答を得れば彼らはここを離れるだろう。

 こちらへの戦意がないのなら、戦いに発展することもないはずだ。

 故に、速やかに問いに答えマシュ達に合流する必要がある。

 だから俺は、男に先を促し--

 

「いや。そちらはもういい。もう望む答えは得たのでね」

「なに・・・・・?」

 

 予想に反して、男は最も重要であろう問いを取り下げた。

 

・・・・・なんだ・・・・・?

 

 理解できない。

 何故、急に予定を変更した。

 彼らにとって、それは重要な目的のはずだ。

 その証拠に先ほどまで黙り込んでいた女が驚いた表情を見せている。

 男の選択が予定外のものであることは明らかだ。

 

・・・・・嫌な予感がする。

 

 いきなり変わった男の態度に不穏なものを感じる。

 じとりとした嫌な汗が浮かび、粘ついた悪寒が全身に絡みつく

 このままではいけない、と。

 今すぐここを離れて、マシュ達と合流しろと、体のどこかで警鐘がなっている。

 だが、そんな俺を嘲笑うかのように、男は言葉を重ねていく。

 

「お前には“ライダー”の行方を聞きたかったのだが、そちらの反応と近くにリヨンがあることを踏まえれば、答えは自ずと出てくる」

「っ----!」

 

 男の言葉に、苦虫を噛み潰したような心持ちになる。

 初めから、予測はしていた。

 この場に残り、わざわざ面倒な問答を持ちかけた理由は、彼らの目的を考えれば容易に思い至った。

 だからこそサーヴァントに関して聞かれた時も話を濁し、彼らとリヨンを結ぶ直線上に立った。

 

・・・・・まさか、それが仇になるとはっ・・・・・!

 

 考えるべきだった。

 相手は一度言葉を交えただけで、こちらの思考を見抜いてきた男だ。

 どれだけ自然な風体を装っても、欠片でも違和があれば見逃すはずがない。

 目標の位置を知った彼らは、俺を無視してリヨンに向かうだろう。そして二人共をこの場に釘付けにすることはできず、彼らが離れてしまえばリヨンにいるサーヴァントが勝利することを祈るしかない。

 救いようのない失態、己の不甲斐なさに歯噛みするしか他なく--

 

・・・・・違う。それだけじゃない。

 

 いまだ、違和感が残ることに疑問を感じた。

 敵の狙いは分かった。

 彼らが目標の位置を知ったことも理解できた。

 だが、それならば何故--何故、まだこの場に留まっているのか。

 ここでの目的は既に達成したのではないか。

 もはや、俺は用済みではないのか。

 当初の狙いを捨ててまで、この場所にいる意味が、まだあるというのか。

 焦りを抑え、思考を巡らせる。

 竜の魔女。サーヴァント。ワイバーンの群れ。避難した人々。奴らの目的は。

 

 異形の軍勢はあらゆるフランスの人々を襲っている。

 

「っ--!? まさかラ・シャリテの人々を・・・・・!」

「マスターからの命令でな。フランスに生きる者すべてを殺戮せねばならん。この街の住人だけを見逃す道理はあるまいよ。--いずれ、別働隊が彼らを喰らい尽くす」

「貴様--ッ!」

 

 最悪の展開だ。

 なんの護りもない人間がワイバーンに襲われればどうなるかなど、火を見るより明らかだ。

 遅れてマシュ達も到達しているのだろうが、あの数の住人を守りきるのは至難の業だ。

 一刻も早く駆けつけ加勢する必要がある。だが--

 

「無論。“貴様”をむざむざ逃す義理も、我々にはない」

「っ・・・・・!?」

 

 男が腕を振り翳し、それに伴い先の攻撃と同様の魔力が背後で隆起する。

 男から目を逸らせば、その瞬間に刺し貫かれていると分かりきっているため振り返ることはできない。

 だが、確認するまでもなく、背後にはあの杭が展開されているのだろう--俺の退路を、断つために。

 

「名乗りをあげるとしよう。余は竜の魔女に仕えしサーヴァントが一騎。バーサーク・ランサー」

 

 俺に、或いはフランスという国に告げるように。

 威厳に満ちた声で、男が名乗りをあげる。

 

「さあ、侵略の時だ! 人々を守らんとする魔術師よ。その矮小な力を以って見事、我が“杭”より逃れて見せるがいい!」

 

 開戦の合図は高らかに。

 男が踏み込むと同時、無数の“杭”が顕れた。

 

 

 ◆

 

 

 初撃は男--ランサーによる槍の袈裟斬り。

 対する士郎は、攻撃の対処法として回避を選択。斬撃を正面から受けることはせず、バックステップでその場を退避する。

 その工程で、ランサーへの銃撃も忘れない。決して高密度の神秘を纏うわけではないが、魔力が通っている以上、サーヴァントにも十分に通用する。

 急所に当たれば、如何なランサーといえど致命は免れない--もっとも、当たれば、の話だが。

 

「----壁よ」

 

 主の命を受け、無数の“杭”が銃弾を遮る壁となって顕れる。

 衝突した弾丸は“杭”と相打つ形で砕け散っていく。

 

「--なるほど。小物にしては悪くない威力だ。この程度では拮抗すると」

 

 ランサーは壁となる杭を目前に展開し、放たれる攻撃を冷静に分析する。

 士郎が主武装とする武器、それはランサーが生きた時代には存在しなかったものだが、記録として情報は知っている。

 銃と呼ばれる、火薬を用いて鉛の弾を吐き出す武器。かつてあった大砲のような武器を個人が携帯できる規模まで縮小したもの、それが彼の銃に対する認識だ。

 だが、目前の魔術師が扱う物は通常の物ではない。魔力が通り、自身の杭を破壊された事実から、サーヴァントにとっても脅威足り得ると判断した。

 

「しかし、どうであろうな」

「ッ----!?」

 

 ランサーの呟きに呼応するが如く、新たな杭が士郎の進行方向に生み出される。

 遠・中距離の得物が不得手とするのは、言うまでもなく近距離戦だ。

 絶え間無く銃撃を続ける士郎に、突然顕れた杭の群れを銃で対処することはできない。

 もはや回避できない距離、無数の杭は波濤となって士郎を串刺さんと襲いかかる。

 

「----ほう」

 

 ザン、という音が鳴り、次いで展開された杭がバラバラと崩れ落ちる。

 ランサーはその結末を齎した存在を見やる。

 そこにあったのは、銀色の刃。銃工下部に取り付けられた魔力強化済みのナイフだ。

 

「予め魔力を通し、自身の魔力を浪費せず、その上で遠近ともに一つの武器で両立させるか。--実に効率のいい、対魔の兵装だ」

 

 驚きはランサーのもの。

 いかに実力を備えているとはいえ、所詮は魔術師だ。一合保てば大金星。

 それがランサーが下した士郎の戦力評価。

 だが、その予測を覆して敵は今なお、冷静にこちらへの戦意を滾らせている。

 英霊を相手取って生存する姿とその武具は、称賛を送るに相応しい奮闘であり、

 

「--侮られたものだ。英霊<われわれ>はその程度で降せる存在かね?」

「ッ----!?」

 

 士郎が驚愕に目を見開く。

 杭と拮抗していた銃弾が、ここに来て一方的に砕かれてしまった。

 その強度、先の杭とは一線を画している。

 それだけではない。今まで一方向でしか現出しなかった杭が、士郎を包囲する形で一斉に迫って来るのだ。

 

「くっ----!」

 

 咄嗟の判断で士郎は、空への退避を選択。

 杭が地中より顕れるというなら、その脅威は空にまでは及ばないはず。

 上空への退避により、その攻撃は不発に終わる。

 

--そのはずだった。

 

「なっ--!?」

 

 宙に舞う士郎が見たのは、自身に迫る無数の“杭”。

 地表どころか地上10mまで伸長し、己が敵に喰らい付かんとする切っ先だ。

 当初の予測は外れ、回避の儘ならぬ状態で無防備な姿を晒すこととなった。

 

「生憎、我が宝具は宙にも及ぶ」

「っ----!」

 

 身動きの取れない空中で、銃剣を振るい杭を払い除ける。たとえ破壊できずとも、その狙いをそらすことは可能だ。

 さらに激突の衝撃を利用し大地に向けて加速を行う。

 杭が空にまで届くと分かった以上、長く留まるのは危険だ。

 新たに襲い来る追撃を紙一重で凌ぎ、なんとか大地に降り立つ。

 

「あの状態でよくも動くものだ。--だが、いつまで耐えられるかな?」

 

 ランサーの言う通り、地に足をつけたところで大勢に変わりはない。

 杭の総数は未知数であり、その勢いが衰えることはない。

 凌げば凌ぐほど、杭の質も量も上がっていく。

 戦いは、ランサーが一方的に攻める形となった。

 攻撃が許されたのは、最初の一手のみ。際限なく現出する杭の対処で士郎は手一杯だ。

 対してランサーはまだ余力を残している。限界はまだまだ先だ。

 ランサーが攻め、士郎が防ぐ。これはその繰り返しだ。

 苛烈極まるランサーの攻めに、士郎は反撃に移れない。

 この時点で、どうしようもなく士郎の敗北は決まっている。

 しかし--

 

・・・・・妙だな・・・・・。

 

 ランサーは違和感に気づいた。

 この戦い、既に勝敗は見えている。

 敵が凌ぐ度に杭の展開数、展開速度は上がっている。

 現段階でギリギリの対処をする魔術師に、次の攻勢は耐えられない。

 がん。

 耐えられない、はずだというのに。

 がん。がん。がん。

 防いでいる。対処はギリギリで、余裕なんてものは欠片もない。

 防げないはずの杭を、幾度も乗り切る。

 

「・・・・・・・・・・」

 

 ランサーは杭の規模を二段飛ばしで上げた。

 士郎の周囲をびっしりと埋め尽くすソレは、もはや剣山の如し様相だ。

 今の戦い方では、絶対に耐えられない。

 そんなランサーの思考は、迫る杭の悉くを払う士郎の姿に真っ向から否定される。

 

・・・・・何故、防げる・・・・・?

 

 加減をしているわけではない。

 戦場に立った彼に、そのような余分はない。

 冷静に正確無比に敵の能力を分析し、確実に勝利できるだけの杭を展開している。

 だというのに、ランサーは未だ、己が敵を串刺せずにいる。

 いったい、何故。

 その疑問が、一瞬の隙を生んだ。

 

「はぁ--!!」

「っ----!?」

 

 無数の杭、その群れの僅かな間隙を縫って、士郎がランサーに肉薄する。

 自身を切り裂かんとする刃を、ランサーはギリギリのところで槍を手元に戻し防いだ。

 追撃を防ぐため、ランサーはその場を後退する。

 士郎からの追撃はない。

 腕をだらりと下げたまま、不動。

 あれだけの攻防を経ておきながら、息一つ荒げていない。

 

「・・・・・・・・・・」

 

 事ここに至りランサーの違和感は確信に変わった。

 偶然などではない。

 目の前の敵は確かに己が宝具を凌いだ。

 己を遥かに上回る格上を相手にして、“霊長最強”の存在であるサーヴァントと相対して、事もあろうにこの魔術師は対等の戦いを繰り広げている。

 

「所詮は魔術師風情と思ったのだがな--なるほど。どうやら侮りが過ぎたようだ」

 

 小さく息を漏らすランサー。

 愚かしい、と。敵の力量を見誤った己を嘆くように。

 しかし、それも無理からぬことだろう。

 サーヴァントである彼に対し、目の前に立つ少年は魔術師であり、ただの人間でしかない。

 魔性の血を引く訳でも、人外に成り果てるでもない。

 そのような存在を敵と認識することなど、サーヴァントにとってはあり得ざることだろう。

 両者の間には明確な強弱があり、実力の差は覆しようがない。

 それは絶対的な事実であり、双方が理解していることだ。

 これが他のサーヴァントであれば健闘する敵を讃えながら、次の瞬間には加減したままその命を刈り取っていただろう。

 彼らにとって現代の魔術師など、路傍の石に等しいのだから。

 

「--度し難い。こうまで醜く腐り果てたか」

 

 だがランサーは、それを由とはしなかった。

 敵対者には憤怒の刃を以って徹底的に殺し尽くし、恐怖に陥れた。

 敵にかける情けも慈悲もない。ただ無情にその身を血に濡らしてきた。

 そんな悪魔<ドラクル>の如き殺戮者が、いまさら、手加減を?

 あり得ない。そんな怠惰、あってはならない。

 そんな余分を本来、ランサーという英霊は持ち合わせていない。

 初めから彼に備わったものでないとすれば、それは--

 

「あの魔女めに付与された特性故か。或いは--余がこちら”側に居るからか」

 

 周囲を軋ませるような怒りが込められた、ランサーの皮肉げな笑い声。

 その真意が、士郎には分からない。

 相対してからほんの数分では、目の前のサーヴァントの全てを悟ることはできない。

 

「--謝罪しよう。少し、手を抜いていた」

 

 一つだけわかるのは、並々ならぬ闘志を灯したランサーの瞳であり--

 

「故に、その肢体--今度こそ串刺そう」

 

 宣誓は穏やかに。凍てつく殺意を伴って告げられた。

 先とは一線を画すランサーの気配--それが何を意味するかなど、分かりきっている。

 ランサーは今度こそ士郎を敵と見定め、全霊を以って殺しにかかる。

 もはや士郎に、撤退の二文字は消え去った。

 サーヴァント中、最速のクラスに収まるランサーが全力で殺しに来るというのなら、背を見せ逃げることは不可能だ。

 選べる策は、徹底抗戦のみ。

 衛宮士郎が生還するには、正面から目の前のサーヴァントを打ち破るほかない。

 故に、両者の戦いは、これより真の始まりを告げる。

 ランサーはその宝具を全力で解放し、士郎もまた自身の本来の戦い--“剣製”を以ってそれを凌駕する。

 まだ見ぬ敵の本領を、己が全てを投じ犯し尽くす。

 再び激闘が始まろうとする中、違いに一秒先の衝突に備えて--

 

「ねえ、ランサー。サーヴァントも相手にせず、魔術師一人にいつまで時間をかける気ですか?」

 

 

--女の声が、戦場を停止させた。

 

 

 ◆

 

 

 その声は空から降り注がれた。

 互いに気勢を削がれ、声の主を見やる。

 白色の短髪に燻んだ金の瞳、黒の甲冑に身を包んだ女は、天上より戦場の全てを見下していた。

 汚らわしい、と。この世の全てを蔑むように。

 あるいは、彼女そのものが憎悪で形成されているかのような、熱を湛えた声だった。

 その顔を、俺は知っている。このフランスに生きる多くの人間が、彼女という存在を記憶している。

 オルレアンの乙女。救国の英雄。

 誰よりも荒廃する祖国を憂い多くを守りながら、誰からも救われなかった非業の聖女。

 黒色のジャンヌ・ダルクこそが、今まさに嘲笑を投げかけた者の正体だった。

 

・・・・・なるほど。これが竜の魔女か。

 

 現れた黒いジャンヌを見て再度、その異名に得心した。

 ジャンヌと変わらぬ容姿も、身に纏う気配も地獄から蘇った魔女と呼ぶに相応しいものだろう。

 だが、俺が真に注目したのは、それらの要素ではない。

 初めから疑問があったのだ。彼女が何故、竜の魔女と呼ばれているのか。

 彼女は確かに、竜種たるワイバーンを操っているのだろう。

 だが、ワイバーンは少なくともこの時代の人間でも抵抗できる存在であり、真実脅威となったのはサーヴァント達だ。シャルル7世に仕えていたアロワもそのように語った。

 ならばこそ、彼女が真に従えているのはそちらの方だと言っていい。

 ワイバーンへの指示は他のサーヴァントも可能としているなら、彼女とワイバーンを結びつける要因は弱い。

 にもかかわらず、人々は彼女を竜の魔女と呼称した--その真意を、黒いジャンヌの足元に見る。

 街に影を落とす巨体。世界を闇で包み込んでしまいそうな夜の帳の如き翼。

 ただ一息で膨大な魔力を生成するその生命はまさしくドラゴンの名に相応しく--彼女が従えるあの巨竜こそ、竜の魔女と呼ばれる所以だ。

 

「まったく。いつまで経っても戦果を上げないから様子を見に来てみれば、そんなちっぽけな虫ケラを相手にはしゃいで。やはりあなたたちは遊びが過ぎるようですね」

「さて。その指摘は的を得ているが、そのように仕向けたのはマスターの意向ではなかったかね?」

「勘違いしているようですが、私はあなたの怪物としての側面を付与させただけで、獲物を前に舌舐めずりするような獣に作ったわけではありません。慢心や油断があるのなら、それは初めからあなたが持つもの。責任の所在する測れないようでは串刺し公の程度もたかがしれていますね」

「--よく回る舌だ。マスターでなければ貴様を何より先に殺していたところだぞ」

 

 言葉を交わす黒いジャンヌとランサーの様子は、マスターとサーヴァントの関係にありながら険悪だ。

 黒いジャンヌはランサーへの敬意など一切無く、ランサーも主への殺気をまるで隠そうとしない。

 そのように契約を結んだから、形だけは守っている。

 ほんの少し何かが食い違えば、それだけで簡単に破綻することだろう。

 

『うわぁ。味方同士で笑いながら殺意を向けるとか、どれだけギスギスした職場なんだ、あっちは。僕なら一日で胃が壊れそうだよ・・・・・』

「同感だな」

 

 殺伐としているどころではない。

 魔術師だって身内には基本的に甘いというのに。

 彼らは言葉を交わすこの瞬間も相手を殺す隙を伺い、実際に実行に移す一歩手前だ。

 まさに一触即発の状態がそれ以上悪化しないのは、ひとえにそれぞれに果たすべき目的があるからだろう。

 サーヴァントである以上、何らかの願いを持って現界しているはずだ。

 少なくともそれが成就するまでは互いに利用し尽くすべきだと、残った理性が断崖の手前で衝動を抑えている。

 きっと、ギリギリのところで同士討ちには発展しない。

 そうなってくれればと願っていた身としては、落胆せざるを得ない。

 

・・・・・ともかく、この状況を何とか切り抜かないと。

 

 今のところ、俺が置かれた状況は限りなく“詰み”に等しい。

 俺をただの魔術師と侮ることをやめ、街全体を射程に収めているであろうランサー。

 この街をただ一息で消し飛ばし、空を行く事を可能とする巨竜を使役する黒いジャンヌ。

 ランサーの背後で沈黙を保っていた女サーヴァントも、この状況では重い腰を上げるしか無いだろう。

 地上を上空も塞がれ、退路は今度こそ完全に途絶えた。

・・・・・とはいえ、方法が全く無いわけではない。

 古今東西、無数の時代の宝具・概念礼装を行使可能な俺であれば、微かながらに活路を開くことは出来るかもしれない。

 例えば、対軍級の宝具を放ち、敵がその対処は気を向ける間に姿隠しなりの宝具で身を潜めることも可能だ。

 だが、それもリスクが無い訳ではない。

 ランサーの宝具は、広範囲を同時攻撃可能な対軍宝具に類似するものであることは察しがつく。

 だが、それが果たして攻撃にのみ効果を発揮するのか、それとも他の特殊な効果があるのか。それらの詳細が知れるまで、迂闊な行動はできない。

 仮に攻撃範囲内に存在する者を感知するような能力があれば、その時こそ衛宮士郎はあの杭に穿たれているだろう。

 また、対軍宝具を真名解放する以上、魔力の大幅な消費は免れない。敵に追撃された時、まともな抵抗は出来そうもない。

 分の悪い賭けだ。リスクとリターンの収支がまるで合ってない。

 

・・・・・どうする・・・・・。

 

 選べる方法は少なく、どれも多大な危険を伴う。

 確実に生還できると言えるだけの手札が、今の俺には無い。

 無論、正面から全ての敵を打倒することも不可能に等しい。

 ・・・・・そこまで考えて、右手に宿った令呪に視線を落とす。

 マスターが有するサーヴァントへの命令権。

 これを用いマシュをこの場へ強制転移させる。

 彼女の位置をこの街とリヨンの中間付近と考えて、その距離なら俺の魔力を上乗せすれば不可能では無い。

 二人であれば、この状況から生還できる可能性も格段に上がる。

 或いは、敵の首魁を討ち取ることも視野に入ってくる。しかし--

 

「ドクター。あのジャンヌ・ダルクは聖杯を持っているか?」

『・・・・・いや。彼女からはその反応は感知できない』

「やっぱりか・・・・・」

 

 僅かに期待を抱いていたけど、そう思い通りにはならないようだ。

 先ほどの彼女の言動からして己の絶対性を信じて疑わないように感じたが、存外に用心深いようだ。

 戦いの場にわざわざ自身の心臓とも言える存在を持ち込む愚は犯さないということか。

 

「となると、やっぱり単独での突破しかないか」

 

 もともと、この遭遇は不慮のものだ。

 貴重な令呪を消費してまで無理に戦いを仕掛ける必要はない。

 そもそも、ラ・シャリテの人々の救助に向かっている彼女を呼び出せば、街の人々が更なる被害を被ることになる。

 それだけは、絶対に避けなくてはならない。

 故に、この場で俺が取れる方法に変わりはない。

 目の前の強大な敵達から追撃の意思を奪い、その上でマシュ達に合流する。それがこの場での絶対条件だ。

 いざとなれば、予め用意していた切り札、を・・・・・?

 

「----」

 

 視線。

 冷えた思考が、それまで気付かなかった異変を捉えさせる。

 出会ってからずっと罵り合っていた黒いジャンヌとランサーが、今はその口を閉ざしている。

 正しくは、黒いジャンヌが()()()()()()()()ランサーが渋々、停戦したようだった。

 その金の瞳は他のナニにでもなく、ただ俺にのみ注がれていた。

 

「--馬鹿みたいに真っ直ぐな眼。この状況でまだ勝利を諦めていない。そのくせ自分の命を全く省みてない。--吐き気がするわ。まるでどこかの聖女サマみたい」

 

 その声には。その瞳には。決して一言では表せない、饒舌に尽くしがたい感情が込められていた。

 俺に対する侮蔑のようにも思えるし、別の誰かに向けられた憎悪かもしれない。

 矮小な魔術師への嘲りとも取れるし、決して届かない領域への劣等感にも感じられた。

 分からない。

 彼女が何故、俺に向かってそんな意思を叩きつけてくるのか、皆目見当もつかない。

 分かるのは精々、そこに宿るものが決して友好的なものではなく--ドス黒いまでの殺意に染まりきっていることだろう。

 故に、その結論も必然。

 

「気が変わりました。ランサー、“アサシン”。この男はここで殺します。あなたたち二人も加勢しなさい」

「・・・・・マスターの命令でしたら仕方ないですわね。まるで気乗りしないけれど、せめて道化のように演じてもらいましょう」

「余は初めからそのつもりではあるが。・・・・・ふむ。あの少年に何か気になることでも?」

「--別に。ただ気に食わないだけ。他の連中と同じよ」

「フ、なるほど。では、そういうことにしておこう--さて、魔術師よ。聞いての通りだ。これより先は我ら全員が相手となる。先程は見事な健闘であったが、此度も同じように凌ぎきれるかな?」

 

 ランサーの試すような、期待するような言葉に俺が返せる言葉はない。

 いまだ彼らを突破するだけの確固とした道程は組み上がっていない。

 このまま戦えば、敗北は必至だ。けれど--

 

・・・・・諦めるわけには、いかない。

 

 ここで俺が死ねば、本当に全てが台無しになる。

 今までの歴史も、礎となった人々の想いも、多くの日常も。

 たとえここが、俺が生きていた世界ではなかったとしても。

 ここに生きる人々を無為に奪わせることは、させるわけにはいかない。

 

「--こちらのセリフだよ、ランサー。君の杭もそこの巨竜も、我が無限の剣が打ち砕こう」

 

 思考をフルスロットルに回転させ、活路を構築していく。

 絶体絶命の修羅場なぞ、数え切れないほどくぐっている。

 衛宮士郎の戦いとは、常に死と隣り合わせ。

 自身よりはるかに強大な敵と戦うなんて、日常茶飯事だ。

 

--この程度の死地、覆せずして何が正義の味方。

 

 決意を固く。

 全霊を以って、この局面に抗おう。

 

 

 ◆

 

 

 特異点における様々な情報。

 それらを観測・分析する管制室に駆け巡るそれらは現在、そのほとんどが戦闘に関するもので占められている。

 

「マスターエミヤ、敵性サーヴァントとの戦闘を再開! 撤退を諦め、巨竜達の足止めを行うようです!」

「マシュたちは!? まだ援護に行けないのか!」

「駄目です! 民間人の保護に手一杯で、応答不可!」

「保護が完了次第、すぐに繋いでくれ! いくら士郎くんでも、あれだけの敵を一人で相手にするのは無理だ!」

 

 互いに本領を発揮していなかったとはいえ、ランサー一騎に苦戦していた士郎に、傍に控えていたアサシンや巨竜を率いた黒いジャンヌ・ダルクに対応するのは不可能に等しい。

 戦うにしろ逃げるにしろ、他の誰かの手が必要だ。

 

・・・・・けど、たとえマシュ達が加わったとしても--

 

 難しいか、と表情にはおくびも出さず内心で不安を零した。

 一見して、敵の力は明らかだ。

 戦闘慣れし、攻防一体の杭を宝具とするランサー。神話に語られる幻想種とすら思われる竜を使役する黒いジャンヌ。アサシンも未だ宝具を見せていない。

 対するカルデアが現地に保有する戦力は衛宮士郎を除いて、マシュもジャンヌも共に完全な力を発揮できているとは言えない。

 彼女たちがこのまま援護に駆けつけたところで、果たして事態を覆せるか。

 

「どうする、ロマニ? このままだと遅かれ早かれ人類の滅亡が確定するけど?」

「分かってる。けど今のところ、僕らに切れるカードは無い。士郎くんが自力で切り抜けることを祈るしかないよ」

 

 壊滅寸前からたったの四日で主要機関を復旧させ、新たなマスターのバックアップ態勢を整え、可能な限り物資を揃えた。

 自分たちにできることはレイシフト実行までに全て済ませている。今更、カルデアから行える支援などあるはずもない。

 

「じゃあ、どうするんだ? これ以上手はないっていうなら本当に終わりだけど」

「・・・・・確かに、()()()()やれることは無い。けど、それなら他の方法を模索する」

 

 カルデアに策は無い。打てる手は全て出し尽くした。

 それでも、まだ出来ることはある。

 支援とは、何も直接的な介入を行うだけではない。

 現場では知り得ぬ情報、前線の者が持ち得ない視点から事態を俯瞰することも、後方支援の一つだ。

 

「そう言うと思って、使えそうなデータは纏めといた」

「・・・・・君には敵わないな」

 

 ロマニ・アーキマンという人間をよく理解しているからこそ、ダ・ヴィンチの行動は誰よりも迅速で正確に彼の思考に沿っていた。

 管制室に飛び交う様々な情報。

 玉石混淆のそれらから最適解をいち早く探り当て、新たな打開策を講ずる。

 現場を見守る誰もが驚愕し、焦燥する中、彼女はどこまでも冷静だった。

 或いは、窮地においても崩れない自我こそ、彼女が天才たる所以なのかもしれない。

 

「確かに。これならなんとかなる。けど・・・・・」

 

 提示されたデータを繋ぎ合わせ、一つの形に落とし込んだ結果、ある解答が完成した。

 それは確かに最善の策と言えるもので、今も戦い続けるマスターを生還させ、サーヴァントによる彼や一般人の追撃を封じることも可能だ。

 第三者の協力を取り付けなければならないが、この期に及んで拒むこともないだろう。

 故に、問題となるのは一つ。当事者である士郎の負担が大きすぎることだ。

 状況が整うまでは現状維持--つまり、士郎が三騎のサーヴァントを一人で相手取るのは避けようがない。

 

「一応聞いておくけど、他に案は?」

「そんなの、あるに決まってるだろ。わざわざ聞くことか?」

「だから、一応って言っただろ」

 

 あっけらかんと返される返答と知っていたと言わんばかりの応答。

 あまりにも当然のよう告げられた言葉は一つの真実だ。

 あくまで士郎の生還が困難であるのは、彼の背後にラ・シャリテやリヨンの人々がいることをも前提としている。

 それらを“切り捨てれば”いくらでも方法はある。

 

「けど、そういうのに意味は無い。そもそも、他人を見捨てて逃げ出せるような“まとも”な人間なら、はじめからあいつらを相手にしてないだろ」

「まあ、そうなるよね・・・・・」

 

 何が衛宮士郎をそうさせるのかは分からない。

 だが、彼が自分より他者の命に重きを置いているのは、既に知れていることだ。

 今更、他者を担保に生き延びろと言って聞き分けるはずもない。

 

「その場合、連中と街を守っていたサーヴァントがぶつかって期待していた戦力が失われる可能性もあるから、どのみち他は論外なんだけど」

 

 そうでなくとも無辜の民を見捨てた魔術師にサーヴァントが協力してくれるかは不明だ。

 後の事を考えれば、人々を守ることはマイナスではない。

 

「まあ、彼はそんな打算は考えてないだろうけど--」

「ドクター!マシュ達がワイバーンを撃退、市民の保護を完了しました!」

 

 新たに入った情報に、管制室が僅かに沸く。

 マシュ達の勝利によって、ようやく士郎へ援護が送れるようになった。

 これで後は、士郎に作戦の概要伝えられれば作戦を開始出来る。

 それまでどうか無事であってくれ、と祈りながらロマニは新たな指示を出した。

 

 

 ◆

 

 

 守る、という思考は最初の交差で捨てた。

 放たれる業火、街を埋め尽くす杭の津波、間隙を縫って襲いくる魔弾、その全てに対応するためには足を止めて亀になっているだけでは足りない。

 止まることなく走り続け、攻撃を行い、敵の連携を崩す。

 決して攻めの手を緩めないことが、最も有効な手段だと判断した。

 焼き尽くさんと追いすがる火炎を、行く手を阻む杭を盾にし、急所を狙った無数の魔弾を竜の咆哮に打ち消させる。

 一つ受ければそれだけで死に直結する波濤を紙一重で躱しきる。

 

・・・・・いけるか。

 

 望みはある。

 敵の攻撃と連携は、完璧ではない。

 理由は定かでは無いが、あの巨竜は本来の性能を出し切れていない。街一つ蒸発させる業火は、家屋一つを全焼させる程度の出力に留まっている。

 女サーヴァントの放つ攻撃も単調な魔力弾でしかない。

 唯一厄介なのはランサーが繰る杭だが、他の二人がタイミングも合わせずに無駄撃ちするから、結果的に味方同士で相殺させることも多々ある。

 ランサーがこちらの動きを読み、回避先を予測して杭を配置しても、連携を得意としない味方が悉く無駄にする。

 当初から感じていた予感が確信に変わる。

 単純な戦闘力はともかく、戦慣れしているのはランサーのみだ。

 多対一の戦闘において味方との連携不足は致命的だ。

 多数で少数を囲む以上、相互の立ち位置や行動を正確に把握しなければならない。無闇矢鱈に乱発しては同士討ちを誘発する恐れがある。

 さらにその性質上、数の上で優位に立っているという油断と慢心が否応無しに生まれる。相手が格下となればなおのことだろう。

 それらの隙を上手く突ければ、勝ちの目も見えてくるのだが--

 

・・・・・やはり、一筋縄ではいかんか。

 

 当初に比べ同士討ち一歩手前の相殺が減少している。

 おそらく、幾許の攻防で味方の癖を把握したランサーが調整を図ったのだろう。

 初めから連携を諦め、彼が他の二人に合わせることで欠落を埋めてきた。

 そう遠くない内に、こちらが反撃するだけの隙を無くしてしまうだろう。

 それまでにせめて一騎、敵を行動不能にしたい。

 それが出来なければ、今度こそ俺の敗北だ。衛宮士郎は敵の刃に貫かれ、無様に死体を晒す。

 それを防ぐには--

 

「っ--! 通信・・・・・!?」

 

 信じられないことに、このタイミングでカルデアから通信が送られてきた。

 こちらの状況はモニターしているだろうに、一体どういう了見だ。

 

「ぬぅっ--!」

 

 その一瞬の内に、五発の魔力弾が目の前に迫っていた。

 ギリギリで干将・莫耶を滑り込ませ、直撃だけはなんとか防ぐ。

 しかし衝撃までは殺しきれず体勢を崩された。

 想定していた行動を破棄、次ぐ一手を再構築する。

 息つく間すら無い現状で通信を開いている暇など微塵もない。

 

・・・・・けど・・・・・。

 

 敵の対処に専念する傍ら、その意味を思考する。

 彼らが何の考えも無しに通信を寄越したとは考えづらい。

 これが危険を承知した上での事というのなら。

 

・・・・・なんとか、身を隠さないと。

 

 一瞬でいい。

 連中の視界を塞ぎ、その間に通信を行う。

 おそらく、話していられる時間は一分にも満たないだろうが、それでなんとか要件を聞き取るしかない。

 その思考を実現するために、すぐさま行動する。

 

「装填完了<トリガー・オフ>。凍結解除<フリーズ・アウト>ッ!!」

 

 待機させていた設計図より新たに剣弾を展開。数にして15本。

 三つの敵にそれぞれ5本ずつ放つこれらは、宝具に及ばずともサーヴァントを屠るには十分な神秘と威力を誇る。故に--

 

「見くびったな、魔術師・・・・・!」

 

 当然のように、ランサーの杭に阻まれる。

 直線にしか進まない単調な攻撃は容易く絡め取られ、その勢いを減じた。

 初見の攻撃にも僅かな戸惑いもなく対処してきた。

 流石は三騎士の一角。その対応、まさに歴戦の戦士と呼ぶに相応しく--故にこそ、その行動は想定内。

 

「壊れた幻想<ブロークン・ファンタズム>」

「っ--!?」

 

 笑みを浮かべていたはずのランサーの表情が、その結果に驚愕へと変じる。

 彼の杭によって確かに動きを止められた無数の剣は、されど周囲を巻き込みながら爆炎を撒き散らした。

 投じた武器をすぐさま爆破させるとは流石に予想しなかったのか、巨竜に守られた黒いジャンヌを除き、ランサーも女サーヴァントもそれぞれに傷を負った。さらに--

 

「っ・・・・・! 目眩しか・・・・・!」

 

 剣や杭だけでなく、瓦礫など諸共に起こった爆発は、爆破による黒煙と巻き上げられた粉塵によってランサー達から確かに視界を奪っていた。否、視界だけでは無い。

 ぶつかり合い、砕け散った二つは、それぞれが内包する膨大な神秘と魔力を周囲に散布させた。

 魔力の感知も索敵法方の一つとして数えられるサーヴァントにとって、それは一種の撹乱機能<ジャミング>となり、こちらの魔力を見失わせることに成功した。

 

・・・・・これで連中の眼は封じた。あとは--

 

 敵から少し離れ物陰に移動し、一本の大剣を投影し待機させる。

 ランサーの宝具に索敵能力があった場合、地に足を付けているよりは、空中にいる方が感知される可能性は少ないだろう、と考えてのことだ。

 幅広の刀身に上がり、寄越される通信に応答する。

 

『ようやく繋がった!もしもし、士郎くん! 聞こえてるかい!』

 

 画面が開いた瞬間、切羽詰ったドクターの顔が映り込んできた。

 まあ、この状況では是非もないが、こちらも時間がないのさっさと落ち着いて本題に入って欲しい。

 

「聞こえてるよ、ドクター。こっちの状況は知ってるだろ。用があるなら、手短に頼む」

『う、すまない。少し取り乱した。それじゃあ要点だけ伝えるから、聞き漏らさないようによく聞いてくれ。実は--』

 

 話の内容はやはり、この状況を挽回するための策だった。

 上手くいけば、敵を振り切りながらも連中を退却させることも可能だ。

 

「--了解した。タイミングはそちらに任せる。一分前に合図を」

 

 簡潔に返答し、自身もまた準備に入る。

 提示された作戦で最も重要となるのは位置だ。

 俺に注意を引きつけた上で、敵を一箇所に集め可能な限り回避も防御もできない状態に誘導する。

 真っ当に戦えばまず不可能だが、立ち回り次第でどうとでもなる。

 しかし、厄介なのはやはり--

 

「とうに立ち去ったものと思っていたが、存外に自信家のようだな、魔術師よ」

「・・・・・っ!」

 

 前方に転がり込み、地中からの攻撃を躱す。

 だが攻勢は止まず飛び込んだ先に包み込む形で四方より杭が飛び出す。

 離脱は不可能と判断し迎撃する。

 両手の陰陽剣を手中で回転させその場で一転。

 干将・莫耶に個の神秘と強度で劣る杭は粉砕機に投げ込まれたように粉微塵と化した。

 だが、一瞬遅れて二発の魔力弾が迫っている。振り切った双剣では間に合わない。

 

「ふ--ッ!」

 

 故に、脚部と聖骸布に強化を施し一発の魔力弾を蹴り飛ばす。

 飛ばされた方向にはもう一発。敵の攻撃は外部からの進路変更によって相殺される。

 そのまま、予想もしていなかった一連の動作に戸惑うアサシンを狙いを定め--

 

「見事な立ち回りだ。だが、足を止めれば瞬く間に串刺しだぞ?」

 

 その穴を埋めるべく、杭が襲い来る。

 敵への攻撃を中断し、再び回避に移る。

 

・・・・・やはり、彼が最大の脅威だな。

 

 ランサーの攻撃には一切の溜めも間もない。

 彼が指揮を執り意思を伝達させる。

 たったそれだけの事で無数の杭が敵対者に突き立てられる刃として、凶刃を防ぐ盾として顕現する。

 まともに反撃することもできない。そんな事をしている内に杭は地中から顕れる。

 彼を倒すには純粋な力技で彼を凌駕するか、彼の射程外から強力無比な一撃を叩き込む他ない。

 

「うろちょろうろちょろと鬱陶しいっ。いい加減、目障りよ--ッ!!」

 

 苛立つ声は上空から。

 黒いジャンヌの指示を受け巨竜が息<ブレス>を吐き出してきた。

 街の一角を焼き払うほどの広範囲に広がる業火を、杭に追われる途中で躱せるはずがない。

 故に判断は一瞬。

 手にする双剣を炎に向けて投擲。二対の刃はクルクルと回転しながら炎に飲み込まれ、

 

「壊れた幻想<ブロークン・ファンタズム>--ッ!!」

 

 その只中で内包する神秘と魔力をまき散らした。

 炎は内側で起こった爆発によって押し広げられ、周囲に拡散する。

 

「ぐっ--!」

 

 とはいえ完全に相殺できたわけではない。

 散らしきれなかった炎が表皮をチリチリと焼き付け、爆風に全身が煽られる。

 

「が、ぁ--!?」

 

 鋭い痛みが走る。次いで吐血。

 飛ばされた体は止まったものの、方向が悪かったようだ。

 瓦礫に打ち付けられた背中は切り傷と打撲痕に塗れている。

 おまけに、受け身も取れないままぶつかった事もあって衝撃がモロに伝わってきた。

 解析するまでもなく、伝達部となった内蔵のいくつかは損傷しているだろう。

 全身の至る所が悲鳴を上げ、これ以上は危険だと警告音<アラート>を鳴らす。

 

「っ--!」

 

 その全てを力づくで捩じ伏せる。

 痛みはまるで引かないが、そんな事を気にしている余裕なんてない。

 敵はこちらの都合などお構いなしなのだ。コンマ一秒の硬直さえ命取りになる。

 生還し街の人々を守るためにも、この程度で止まってなどいられない。

 ・・・・・それでも、限界は着実に近づいている。

 今受けた傷はもとより、これまでに蓄積された無数のダメージ。

 どれも致命傷には至らずとも、長く放置したことで出血量が多い。

 魔力消費も馬鹿にならない。肉体への強化魔術、宝具に準ずる刀剣類の多数投影、このまま戦い続ければガス欠に陥るのが目に見えている。

 

・・・・・あと二分。それが限度か。

 

 果たして、それまでに間に合うか。そうでなければいよいよ切り札を切るべきか。

 痛みで鈍る思考を無理矢理に回転させていき--

 

プププ プププ プププ

 

 規則的な電子音は胸元より。

 ペンダントの形を取った通信機から発せられたそれは、カルデアからの合図であり。

 竜の魔女への反撃の狼煙であった。

 

 

 ◆

 

 

「あの男、いつまでも虫みたいに隠れ回ってっ・・・・・! それならそれらしく、さっさと叩き潰されなさいよ--ッ!」

 

 彼女--黒いジャンヌ・ダルクは酷くイラついていた。

 サーヴァント三騎と伝説の邪竜が総出で掛かっているにもかかわらず、たかが魔術師一匹を仕留められないことが不甲斐なければ。

 この戦力差を前に未だ戦い続ける男の瞳が、何より癇に障った。

 

--何故、あの男は生きている?

 

--何故、あの男は諦めない?

 

 疑問は湯水の如く溢れ出てくる。

 そのくせまるで答えは浮かばず、ただ言い知れぬ怒りが募っていくばかりだ。

 

「どうしたマスター。何も無いと言う割には、あの魔術師に随分と執心なようだが?」

 

 不意にかけられた言葉はランサーから。

 見失った敵を探すために杭を操る彼は視線を彼女に向けることはなく、それでも作業に没頭するままその問いを発した。

 

「・・・・・くどいですよ、ランサー。私はあの男に対して、なんら思うところはありません。串刺し公は同じ問いを繰り返すほど愚かなのですか?それでよくも政が成り立ったものですね」

「いや。耳が痛い言葉だ。生前の余の政策は確かに苦渋のそれであったが・・・・・だが、愚者というならそちらも負けてはいまい」

「・・・・・それは、どういう意味ですか」

「簡単なことだ。出された答えに対し変わらぬ問いを垂れ流す者が愚鈍だとすれば、自らの疑問から目を逸らす者も同じ痴れ者と呼べるだろうよ」

「・・・・・・・・・・」

 

 その指摘に、黒いジャンヌは押し黙った。

 普段の彼女であればランサーの言を鼻で笑い飛ばしとことだろう。

 だが、今回は勝手が違った。

 紡ごうとした反論の言葉は声にならないまま喉の奥に消えていき、その代価と言わんばかりに偽りの心臓が早鐘を打つ。

 ランサーの言葉に強制力があるわけでもないのに、否定の言葉がまるで出てこない。

 

「--無駄話が過ぎたようだ。あやつが動いたぞ」

 

 その声にはっとすれば、ランサーの示した先に確かにあの魔術師がいる。

 その目はやはり、異様なまでに真っ直ぐで--

 

「逸るな。下手に動けばそれだけ相手に付け入る隙を与えるぞ」

「っ・・・・・。言われずとも分かっています」

「今にも飛びかかって焼き殺しそうな貌をしているが・・・・・まあいい。それよりも油断はするな。どうやらあの男、我々に一矢報いる気だぞ」

「ふん。あっちから来るならむしろ好都合よ。今度こそ骨の髄まで焼き尽くしてやるわ」

「意気込みは結構だが、今までの様子を見るにそう上手くはいかんだろう」

 

 猛る黒いジャンヌとは裏腹に、ランサーはどこまでも冷静だ。

 彼は自身より劣る疲弊した魔術師一人に、油断も慢心も無い。

 このまま長引けばいずれは自分達が奪われるのだと、自らの敵に対するある種の信頼を抱いていた。

 故に、彼が望むのは短期決戦。

 これ以上、敵に何らかの準備をする間も無く殺し尽くす。

 それがこの場における最適解だと理解するが故に。

 

「散々理屈をこねた割には結局、変わらないじゃない」

「同じにするな。ただ脇目も振らずに駆けることと、道を探り最短距離を選ぶのでは勝手が違う」

「・・・・・それは私を猪みたいな突進馬鹿とでも言いたいのかしら」

「いや? 別にお前を侮辱したわけではない。場合によってはあらゆる障害をねじ伏せて突き進む事も必要だろうさ。ついでに言えば猪というのは存外慎重だぞ」

 

 最後に軽口を付け加えながら、ランサーは語る。

 これは単にどちらが優れている、という話ではない。

 どちらにも理があり、それを分けるのはあくまで現状に適するか否かだ。

 そして、ランサーはただ力任せの暴力ではあの魔術師は斃せないと断じた。

 少なくとも彼らが“本当の全力”を出せなければ、半端な強引さは身を危ぶめる。

 

「それで、実際にはどうするのです? 私の攻撃では、どうあっても彼を仕留められそうにないのですけど」

 

 それまで口を噤んでいたアサシンだが、いい加減に面倒だと声を上げた。

 もともと標的でもない相手にいつまでも労力を割くのは、彼女にとっては不本意極まりないのだろう。

 

「余の宝具でやつを誘導する。アサシンは動きが止まったところを狙え。マスターは連携を崩さぬ程度に空から蹂躙しろ」

「それは今までと何が違うのです?」

「基本的な動きは変わらん。ただし、今度は空に誘導する。あやつは器用な事に剣を足場にする事で宙でも動くが、地上に比べて機動力は落ちる。余とアサシンで動きを封じ、そこをマスターが仕留めろ」

 

 力押し、というのはあながち間違いではない。

 敵との戦力比で大幅に上回る以上、それを活かさないのは愚策だ。

 膨大な火力と物量で圧倒し、選びうる手段を削る。追い詰められた敵は自ずと彼の術中に嵌っていく。

 サーヴァント三騎と竜種の一斉攻勢は、必勝の策となるだろう。

 

「いちいち御託が長いのよ。私は先に仕掛けるわよ」

 

 言うが早いか、巨竜は主の命に従い再び空を舞い敵対者へと獄炎を飛ばす。

 

「まったく。我がマスターながら気の短い」

 

 ある程度予測はしていたのか、己がマスターの行動にアサシンを伴ってすぐさま追従する。

 その移動方は先ほどとは一線を画していた。

 彼らは自ら動くことはなく、されど伸張する杭に乗り高速移動を行う。

 

「--征け」

 

 それと同時に、ランサーは杭に指示を伝達。彼の宝具が主の意思を受けて彼の敵に迫る。

 正面より噴出する杭に、対象は後退を余儀なくされる。

 ・・・・・だが、その後退はランサーの意図によるもの。

 後方にのみ退路を用意し、壁際まで追い詰める。最後に残される逃げ道は空にしかない。

 

・・・・・そのことに、気づいているか。

 

 ランサーの攻勢には後方へ誘導しようとする意図があからさまに見て取れる。

 だがそれを理解できたとしても、無数の杭から逃れる事は至難だ。

 どうあれ彼の思惑に乗らねばならない。

 

・・・・・ならばこそ、あれが動くのは最後の一瞬。

 

 こちらの狙いに気づいているという前提のもと、ランサーは油断なく敵を見据える。

 既に誘導は八割が完了。苛烈にすぎる竜のブレスが、敵の動きを大幅に制限していることが大きい。

 

「アサシン、準備はいいな」

「ええ。狙いは外さないわ」

 

 ランサーの確認に即座に返答が返される。

 それに頷き、ランサーが仕上げに入る。

 壁際まで追い込まれ、狙い通り空に退避した敵を杭がどこまでも追い縋る。

 それと同時に、ランサーたちが乗る杭も空めがけて上昇する。

 既に彼のマスターは準備を終えている。

 巨竜の口腔部に集った魔力はこれまでの比ではない。文字通り必殺の一撃を以って片をつけるつもりだ。

 

「凍結解除<フリーズアウト>」

 

 だがそのまま焼かれることを由とするほど、彼らの敵は物分かりのいい人間ではない。

 周囲に現れるは三十近い刀剣。

 先ほど放たれた十五の剣弾と同等--否、それを上回る魔力を内包した刃が巨竜を包囲し--

 

「--全投影連続層写<ソードバレルフルオープン>ッ--!!」

 

 赤の号令の下、剣群が一斉に投じられる。

 狙いは黒いジャンヌ・ダルク。

 差し迫るそれらは距離を縮めるごとに密度を上げ、刃を敷き詰めた棺桶を連想させる。

 黒いジャンヌは防げない。

 巨竜に咆哮の準備をさせた彼女には、もはや竜による守護はない。

 そして、彼女自身に全ての剣を捌くだけの余裕も技巧もない。

 絶対の自信を以って用意された一撃は、されど見透かされていたが故に自らの首を晒すこととなった。

 そう。全ては、赤の魔術師の想定内。この結末は初めから確定していた。

 

「--ああ。貴様ならそう来ると、理解っていたぞ」

 

 されど、起死回生の一手は赤の魔術師だけの手中にあらず。

 地中より噴き出た無数の杭が天へ登り、さらには枝分かれし樹状となって空を覆う。

 蜘蛛の巣を彷彿させるそれは無数の剣群と衝突し、互いに砕け散っていく。

 バラバラになった刃は敵を貫くことも爆発による攻撃もできない。

 その采配、決して瞬時に間に合わせられるものではなく--故にこそ、ランサーもまたこの最後を予見していた。

 これで勝負は決まった。

 逆転の一手を覆された赤の魔術師にここから脱する方法は無く、十二分に溜められた巨竜の咆哮を止める手立てはない。

 完全な詰み。

 故にランサーは、その顔に勝利の笑みを浮かべ--

 

--赤の魔術師も、“同じ笑み”を浮かべていることに気づいた。

 

「・・・・・っ!?」

 

 ランサーが息を呑む。

 余りにも状況にそぐわない魔術師の表情が、彼の思考を一瞬停止させる。

 ありえない。敵は完全に詰みのはず。これ以上できることなどない。

 だというのに、何故そんな表情ができるのか。

 わからない。敵の意図がまるで理解できない。ただ--

 

・・・・・危険だ・・・・・ッ!!

 

 一つだけ直感していた。吸血鬼<バケモノ>としての性が告げている。

 絶体絶命。生還など叶わぬ窮地においてなお諦めず。

 あまつさえ笑みを浮かべることのできる人間こそが、自分たちのような存在にとって最大の天敵なのだと理解している。

 かつて己がそうであったが故に。死後、恐ろしき怪物に変生させられたが故に。

 彼は、ニンゲンという生命の強さを知っている。

 

「撃て、マスター-ッ!!」

 

 その笑みが何を意味するのか、ランサーには分からない。

 だがそれが決してはったりの類ではなく、自分達を打倒する可能性を残しているが故だと判断した。

 既に竜は咆哮の準備を終えている。あとは、彼の主である黒いジャンヌが指示を下せばそれで終わる。

 故に、敵から一切の猶予を奪うべく杭を向かわせると同時、ランサーは己がマスターに怒号を上げ、

 

『全員、その魔力を防御に回したほうが身のためだぞ』

 

 頭に直接響く声にその動きを停止させる。

 ここにはいない誰かが発した念話、その意味を理解する前に。

 

--彼方より、膨大な魔力が放たれた。

 

 

 ◆

 

 

 その光景を、衛宮士郎は“空”から見ていた。

 黒いジャンヌ・ダルクと、彼女が従える巨竜、サーヴァント。

 それらを街ごと貫いたのは黄昏の魔力光。

 最低でもAランクに到達する、対軍宝具級の一撃だった。

 

「なんとか上手くいったか」

 

 ドクター・ロマンから提示された、或いはダ・ヴィンチが立案したであろう作戦は、随分と無茶苦茶なモノだった。

 内容はマスターである士郎を囮とし、彼に敵の意識が集中している間に街の外から宝具を叩き込む。

 なんとも突飛な内容だ。

 士郎を生還させるための作戦であるというのに、その士郎を囮にしては本末転倒だ。

 無論、士郎への負担は尋常ではなく、タイミングを合わせる前に彼が潰れる可能性の方が高かった。

 作戦の決め手である宝具も、視認すら難しい距離から放ったのでは威力が減衰し決め手に欠ける恐れがあった。

 結果として、その不安は杞憂となり、例の宝具は英雄の象徴に相応しい働きをしてくれた。

 しかしながら、これが多大な危険を伴うものであったのは確かだ。

 それも分の悪い賭けどころではなく、九分九厘失敗するであろう確率だったと言える。

 ギャンブルであればいくつか負けを重ねても挽回の余地があるが、あの場における敗北は士郎の死だ。次なんてあるわけがない。

 生き残れたのは単に運が良かっただけだろう、士郎は先の戦闘をそのように判断した。

 もしも、あの巨竜が万全の状態であったならば。もしも、ランサー以外に戦慣れしたサーヴァントがいれば。もしも、宝具の発動までに退避が完了しなければ。

 仮定を数えだしたらキリがなく、そのどれか一つでも違っていれば、衛宮士郎はここにはいなかっただろう。

 いくつもの偶然と幸運が積み重なった果てがこの結末だ。

 

「助かったよ、“ライダー”。君が来てくれなかったら、危うく骨まで消し炭だった」

「どういたしまして。ボクのほうこそありがとう。君のおかげで町のみんなを助けることができた」

 

 ライダーと呼ばれ返答したのは、薄桃色の長髪を後ろに纏めた可憐な騎士だった。

 外見は愛らしい少女に見紛うが、一人称と身体構造から判断するに、少年騎士と呼称する方が適切だろう。

 先の一瞬。極大の魔力が街を焼き払う直前、空へ逃げ込んだ士郎を己が騎馬を駆って救い出したのがこのライダーだ。

 彼こそが、ラ・シャリテのサーヴァントであり、撤退する士郎の迎え<ポーター>になってくれたのだ

 

「それにしても。セイバーの宝具、やっぱりすごいなー。ボクだったら絶対死んでるね!」

 

 遠ざかる街を見やりながら、ライダーは感心の声を上げる。

 釣られて士郎も同じ方向を向く。

 ラ・シャリテ--の名残を残す廃墟--には先ほどまで死闘を繰り広げた黒いジャンヌをはじめとした強敵が佇んでおり、その誰もが満身創痍だ。

 特に酷いのはあの巨竜。

 もとより黒い甲殻は炭化しさらに黒ずみ、その両翼は所々欠けている。

 全身の至る所に魔力の紫電が走り、攻撃が終わったにもかかわらず、今も巨竜を苦しめ続けている。

 あの様子では暫くまともに動くことすらかなわないだろう。

 

「凄まじいな。直前でブレスと杭で威力を減衰されたっていうのに、それでも致命傷を与えるんだから」

「なんたって伝説のバルム--っと。危なかった。うっかり真名バラしちゃうところだった」

 

 どうやらライダーは先の一撃の主を知っているらしく、その威力を賛称した士郎の言に気分を良くしたようだ。

 もっとも、それで宝具の真名を暴露されたら、そのサーヴァントも迷惑千万というものだろう。

 

・・・・・いやまあ、今のでだいたい絞れたけど。

 

 彼の言いかけた言葉と、あれだけの威力を誇り特に竜種へ絶大なダメージを負わせる宝具と来れば答えは自ずと見えてくる。

 とはいえ、だ。

 宝具の真名というのは存外に奇天烈なもので、宝具の真名がそのままサーヴァントの真名に繋がるとは限らない。

 例えば、破戒すべき全ての符<ルールブレイカー>。

 その名称と英語が用いられることから、英語圏における秩序を乱した者の宝具にも思えるが、実態はギリシャ神話にて語られるコルキスの女王が有する対魔術宝具だ。

 連想どころか、そもそも言語圏すら違う。

 唯一それらしいのが名称と効果の結びつきだが、それもあまり魔術的とは言えず、やはり想起するのは難しい。

 そう考えると、先ほどライダーが言いかけた真名も士郎の予想とは全く関係のないものかもしれないのだ。

 無闇矢鱈に憶測を重ねねるべきではないだろう。

 それに、これから当人と会うことになっているのだから、答えはすぐに知れる。

 

「ともかく、まずはリヨンに向かおう。連中の増援が来ないとも限らない」

「そうだね。君の仲間も心配してたし、早く帰ろっか」

 

 士郎の提案を快諾したライダーは、自身の宝具たる騎馬に速度を上げさせる。

 鷲の上半身と馬の下半身を持ち『あり得ざるもの』の意を冠する彼の幻獣は主の意思に従い、一層その翼に力を込める。

 高速で風を切りながら両者は一路、リヨンへと向かった。




今回は色々とやらかした感がありますが、一番やべーのは士郎の新装備ですかね。分かる人には分かる、どう考えてもまともに使えそうもない浪漫武器。自分はこいつで『歩く平和』とやりあったことがあります(笑
そのほか現地の様子が本編と異なっていますが、オリジナル要素としてお楽しみいただければ幸いです。
それから、投稿までに召喚した方達をご紹介します。
以下、新規サーヴァント。

バーサーカー・アタランテ(カリュドーンの毛皮には豊胸効果でも付いているのか・・・・・?)

ワルキューレ(再臨ごとに人物が変わる上に、宝具で他の姉妹も登場とか、製作陣を殺す気か。あと、彼女達って武内さんの・・・・・)

スカサハ=スカディ(スカサハが可愛いとかいうパワーワードが生まれちまったぜ・・・・・)

シグルド(津田さんを起用したことに拍手喝采を送りたい。社長のイメージが強いだけに、マイルームで優しげな声出されたらとろけてまう)

水着ジャンヌ(イベントで最もネタが詰まっいるであろうサーヴァント。姉なるものにファミパンにアクア団に。ちなみに再臨は二臨固定です)

水着ジャンヌ・オルタ(オリジナルと違った意味で色々とあったサーヴァント。某型月サイトではサヴァフェス人気投票一位を獲得。凄まじく厨二のかほりがする。刀の下りはいつか士郎と語らせたい)

水着牛若丸(もともとあったワンコ属性がマシマシに。PU1ではジャンヌ以上に欲しかったので、来てくれて嬉しい)

水着BB(乗っ取られてるのか混ざってるのか乗っ取ったのかよく分からないが、強化は優しく、されど霊衣で素材を搾り取るあたり、やっぱりBBちゃんはBBちゃんなのであった)

鈴鹿御前(英霊旅装が可愛かったJK狐(耳と尻尾は自作です)孔明PUすり抜け召喚。しかも呼符。何故だか呼符が強い作者でございます。星5を今まで計四騎ほど呼符で召喚)

セイバー・ディルムッド(ようやくディルbotの人が浄化されたと思ったら、引けてなくてやっぱり呪い垂れ流してた)

以蔵さん(帝都PUで逃したんでマジありがてぇ)

近年稀に見る大勝利でした。それもこれも三周年記念石のおかげ。
皆さんのカルデアでは、いかがでしたでしょうか。良い結果であることを願います。



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咆哮は止まず、されど意思は潰えず

皆さまお久しぶりです。何でさです。約一年と半年ぶりの更新となります。
・・・・・いや、本当に申し訳ないです。2018年の4月中には更新するつもりだったのが、上手く執筆が進まず、気がつけば新年どころか元号すら変わってしまいました。もうなんか、一話更新する度に更新速度が大きく落ちてきて、情けない限りです。自分、詰まるときは大抵地の文とかで上手く繋げられれず四苦八苦するんですが、そもそも大して才能も経験もないんだから軽く纏めてさっさと次に進めばいいんですかね・・・・・。
とはいえ、最新話もなんとか完成して漸く投稿できます。昨今のコロナ騒動で外出自粛を強いられている中、拙作が無聊の慰めとなれば幸いです。


「--何か、言い分はありますか?」

「・・・・・」

 

 静かな、しかし強制力すら伴った重圧を<プレッシャー>を放つ声が室内に響く。

 声の主たる少女--ジャンヌ・ダルクはその顔に笑みを浮かべながら、一人の少年を見下ろす。

 人類最後のマスターにして錬鉄の魔術師こと衛宮士郎である。

 彼は全身に冷や汗を流し、一言も発することなくジャンヌの言葉に耳を傾けている。

 その背後ではマシュがオロオロとその様子を見守っている。

 

・・・・・どうしてこうなった・・・・・?

 

 事の始まりは、つい二十分ほど前だ。

 竜の魔女たちとの戦闘を終えリヨンに到着した士郎は、リヨンのサーヴァントが借り受けているという宿屋の一室に向かった。なんでも、マシュたちはそこで待機しているとか。

 ちなみに、ライダーはラ・シャリテの人達の様子を見て来ると言って、この時点で別行動になった。

 

--で、だ。

 

 向かった一室でマシュたちと合流を果たした。

 果たしたまではよかったのだが--

 

「--シロウ。帰還して早々ですが、そこに直りなさい」

 

 入室した瞬間、自身のオワリを悟った。

 背中に氷でも詰め込まれたみたいに強烈な悪寒が走り、目に見えるくらい全身が震え上がる。

 知っている感覚だった。何度も経験した恐怖だった。

 この世界に来る前、まだ遠坂や桜といた頃、彼女たちを怒らせてしまった時に感じたモノ。

 待ち受けていたジャンヌが発するのはそれと同質のモノだ。

 長年の経験が告げている。ここで選択を誤れば、待っているのは死<DEAD END>だと・・・・・!

 

・・・・・下手な行動をとればそこで詰みだ。まずは慎重に彼女の意思に従おう。

 

 足取りはゆっくりと、薄氷を踏むかのような繊細さでジャンヌの前に座る。

 無論、正座だ。胡座なんてかこうものなら、どんな未来が待ち受けているかわからない。

 

「まずは一言、労いの言葉を告げておきます。よくたった()()()竜の魔女たちを退けました」

 

 字面こそこちらへの賞賛に映るが、実際は俺への余りある怒りが滲み出ている。

 特に、一人という言葉をやたらと強調しているあたり、迂闊に触れてはならない事柄のようだ。

 

・・・・・落ち着いて、当たり障りのない言葉を選べば問題ない。

 

 座らせた後、相手を労わるだけの理性を彼女はまだ残している。一度爆発したが最後、問答無用でガンドを乱射するあかいあくまとは違うのだ。

 冷静に返答すれば大事には至らない。その冷静さすら危ういのだが、なんとか努めなければならない。

 

「あ、ああ。少し危なかったけど、ライダーたちのおかげでなんとかなったよ」

「--それはつまり、死にかけたということですね」

「・・・・・まあ、噛み砕いて言えばそうだな」

「ではシロウ。貴方は先日、人類史の敗北条件はなんと言いましたか?」

「それは、俺が死ぬこと、だけど・・・・・」

 

 言いかけて、今更ながらに思い出す。思い出してしまった。つい忘れていたが、俺って死んじゃいけないんだった。

 えーと、つまり。

 

・・・・・もしかして、選択肢ミスった?

 

「覚えているのでしたら話が早い。昨夜の話し合いで私、言いましたよね? 一人で行動するのは危険だと。それに、敵と遭遇した時は全力で逃げるって、言ってましたよね? それなのに--」

「待った! そりゃ俺だって逃げようとしたさ。けど、そこまで余裕がなかったというか多勢に無勢だったというか--」

「だから、一人で行動するなという話でしょう? 少なくともマシュを連れていれば、こうはならなかった。違いますか?」

「・・・・・おっしゃるとおりです」

 

 にこり、と笑みを浮かべるジャンヌに震えるしかない。

 無論、ジャンヌみたいな美少女の微笑みに恐怖を感じる要素など本来なら皆無だ。

 俺だって平時であれば見惚れていたことだろう。だが、それは無理だ。不可能というものである。

 だって彼女の背後には、竜の魔女もびっくりな真っ黒い魔力<オーラ>が立ち上っているのだから。

 

・・・・・一応、聖職者のはずなんだけど。

 

 神に仕える身でその黒さは如何なものか。

 だいたいなんだ、黒色の魔力って。聖杯の泥か。この世全ての悪か。

 あまりの重圧に耐えきれず現実逃避気味にそんなことを考える。

 だが現実は非情なもので、目の前の少女は既に鎧を纏い、手にする聖旗に光を集わせていて--って。

 

「待て待て待て待て! そんなものをここでぶっ放す気か!? 下手しなくとも部屋が吹き飛ぶぞ!」

「大丈夫。私とて加減の仕方は心得ています。--きっちりと、貴方にだけ当てますから」

 

 そういう問題ではないと、声を大にして言いたい。

 だが、もはや聞く耳持たぬと魔力を滾らせるジャンヌにはいかなる言葉も意味を成さない。暖簾に腕押し、馬の耳に念仏である。

 というか、こっちはまだ先の戦闘で受けた傷が癒えていないのだが。

 死ぬ。あんなの喰らったら間違いなく死んでしまう。確信できる。

 だって、さっきから手招きしているトラとブルマが見えているんだもの--!

 

「では--覚悟はよろしいですね」

「できてない! そんな覚悟できてない!分かった、俺が悪かった、謝るから--」

「問答無用」

 

 振り下ろされる威光。

 神罰の如き輝きに対し、どうやら俺には抵抗する術が無いらしい。

 もはや万策尽きたと、一秒先の激痛に歯を食いしばり、

 

「すまないが、そこまでにしてくれないか、聖女よ」

 

 光が弾ける直前、玄関から紡がれた男の声が静止をかけた。

 意表を突かれ二人揃って声の方を見やる。

 褐色の肌に灰色の長髪、端正な顔立ちをした190cmはあろう長身の男だ。胸元が大きく開いた鎧を纏い、身の丈近くもある大剣を背負っている。

 尋常の存在ではない。議論の余地もなく、サーヴァントだろう。

 そう考えている内に男は歩を進め、二人の間に割って入ってきた。

 

「この部屋はここの主人の厚意で借り受けた場所だ。それを無下にする様な真似はやめてもらいたい。それに、彼も傷ついている。これ以上の負荷をかけるのは危険だろう」

「・・・・・そうですね。私も少し度が過ぎたようです。すみませんでした、セイバー」

「いや。分かってくれたのであればそれで構わない」

 

 男の冷静な言葉で我に返ったらしく、ジャンヌは収束させた魔力を霧散させ武装を解除した。

 それを見て胸をなで下ろす。

 仮にジャンヌが止まらず、あの魔力を叩き込まれていたら。

 その時は間違いなく、妙に既視感のある道場に送られていたことだろう。

 

「助かったよ。えっと、セイバー、でいいのか?」

「ああ。召喚の招きに従い参上した、サーヴァント・セイバーだ。今は縁あってこの街を守護している」

 

 その容姿に相応しく、いかにも騎士然とした男はそう名乗った。

 剣の英霊<セイバー>。

 サーヴァントに与えられる七クラス中、最優と称されるのがこのクラスだ。

 剣使い・剣にまつわる逸話を有するのはもとより、選ばれるには一定以上のステータスを保有している必要がある。

 以前の世界においては、過去五回繰り返された聖杯戦争で唯一度の例外もなく、セイバークラスは最後の一騎まで残っている。

 目の前の彼もそうしたサーヴァント達に負けず劣らず、並の英霊を凌駕した大英雄なのだと、一目で理解できた。

 

「それなら、改めてお礼を言っておかないと。ラ・シャリテに宝具を撃ったのはアンタだろ? お陰でなんとか逃げおおせることができた」

 

 彼が背に背負う大剣。

 それに秘められた神秘が、竜の魔女達を撃ち抜いた魔力と同質であることは一目見た時点で気づいていた。

 ならばその担い手である彼は、まさに命の恩人だ。礼など、それこそ言葉では言い尽くせないだけの恩義がある。

 

「いや。俺はそちらの策に乗っただけだ。感謝なら、仲間達に告げるといい」

 

 けれど、彼はそれを受け取ろうとはしなかった。

 恐らくは、高潔な人物なのだろう。騎士として、英雄としてあの程度の事は当然の義務であり、そこに返礼を求める意思はない、と。

 まさに英雄と呼ぶに相応しい在り方。それは、かつての“剣”を想起させて--

 

「--そうか。なら、ここからは未来<これから>について話そう」

 

 感謝は必要ないと、彼がそう言うのなら、さらに言葉を重ねる事はしない。

 思考を切り替え、今はただ遍く世界を救うために行動しよう。

 

「今回は済し崩し的に協力してもらったが、私はまだそちらの条件を満たしていない。実際に契約するのはライダーの判断次第、ということで構わないか?」

「ああ。彼の人を見る目は本物だ。彼が貴方達を助けると言えば、俺も全力で協力しよう」

 

 不測の事態こそあったが、状況はドクター・ロマンから伝えられた時と何ら変わらない。

 士郎は自らの在り方を包み隠さず示し、彼らはその是非を判断する。全てはそこからだ。

 

「もっとも、答えはもう決まっているだろうが」

「え・・・・・?」

 

 セイバーのつぶやきは、おかしなものだ。

 士郎はまだ、例のライダーとほとんど会話していない。助けられた時に二言三言、話しただけだ。

 それも別段、お互いに特別なことを言ったわけではない。

 何らかのスキルや宝具、或いは魔術を使用したならともかく、たったそれだけの事で他者の性質を推し量ったとも考えづらい。

 ならば、彼の発言はいったい--

 

「たっだいまー!」

 

 そんな思考を一息で吹き飛ばすような、溌剌とした声が通る。

 なんとも場違いな、それでいてそんな事は関係ないと言わんばかりの明朗さだった。

 士郎にとっても、聞き覚えのある声だ。

 ラ・シャリテからの撤退の際、空から現れ士郎を救った人物、ライダー。

 勢いよく扉を開いて入ってきた彼は、勢いそのままにセイバーに話しかける。

 ラ・シャリテの人々の様子や、街の状況、或いは今日の天気。その内容は玉石混交、重要な情報もあり益体のない話題もある。

 ただ思いついたまま、気分のままに彼は言葉を連ねている。

 

「・・・・・ライダー。あまり騒いでは他の宿泊客に迷惑がかかる」

「ごめんごめん。次からは気をつけるよ」

 

 少し度が過ぎると、セイバーから竦められる。

 しかし、彼は出会った時と同じように気楽なまま言葉を返す。

 諫言を流しているわけではなく、気負うことのない彼の性質がそのように捉えさせているのだ。

 セイバーも彼の性格を既に把握しているのか、それ以上に咎めることはなかった。

 

「それよりも、彼らのことはもう決まったのか?」

「へ? 決まったって、なにが?」

 

 気分を切り替え本題へと移るセイバーだが、ライダーはその意図をまるで理解できていないようだった。

 彼らが、提示した条件を何の相談もなしに決めるはずもない。間違いなくライダーもこの話は了解しているはずだ。

 にもかかわらず、彼の表情はまさに寝耳に水といった様子だ。

 

・・・・・忘れてるわけじゃない、よな・・・・・?

 

 竜の魔女を打倒すべく、その一歩ともなる重要な契機を忘却するなんて、そんな馬鹿なことがあるのか。

 そもそも彼は、その契約のためにラ・シャリテに向かっていたわけで。

 何日も前の会話ならともかく、ほんの数時間ほど前の出来事を忘れるなんてありえないだろう。というか、そうであって欲しい。

 

「彼らとの契約について、見極めるという話だっただろう」

「ああ! そういえばそんな話だったね。いやー、すっかり忘れてたよ」

 

 そんな士郎の切願も虚しく、やはりライダーは何もかも忘れていたのだった。

 言われて気づく分にはいいのだが、こうも綺麗さっぱり忘れているといっそ清々しい。

 

「・・・・・本当に大丈夫なんでしょうか、先輩」

「・・・・・まあ、思い出してくれたみたいだし大丈夫だろう・・・・・多分」

 

 大いに不安ではあるが、彼の力の一端を既に士郎は見ている。

 対軍宝具が迫る中、巻き込まれる一瞬の間隙を縫って対象を救出した手際は見事と言うほかなく。

 味方に殺されるかもしれないという恐怖を微塵も感じさせない様は、彼もまた偉大な英雄なのだと理解するには十分だった。

 士郎たちがライダーを拒む理由はなく、後は彼が頷けばそれで万事解決だ。

 とはいえ、こればかりは判断を待つしかない。

 

「それで。どうするんだ?」

 

 セイバーが再度の問いを発する。

 ライダーが話の内容を理解した以上、もはや後戻りはできない。彼の気分次第で全てが決まる。

 言葉一つでも違えれば人理が崩壊する、それぐらいの気概で望まねばならない状況だ。

 故に士郎は、如何なる問いかけにも答えられるように、考えうる限りの状況を想定し--

 

「そんなの決まってるだろ。--味方だ。誰が何と言おうと、ボクは彼らの味方だ」

 

 そんな士郎の緊張など御構い無しに、僅かな逡巡も見せずその力を奮うとライダーは断言した。

 

「え・・・・・?」

 

 思いもよらぬ即答に、背後で様子を見守っていたマシュが間の抜けた声を漏らす。

 ジャンヌもまた驚いた様子を見せており、顔には出さないけどその気持ちは士郎も同じ、三人が三人ともライダーの答えに戸惑いを隠せない。

 唯一の例外はライダーの隣に佇んでいるセイバーで、彼だけはこの状況を予見していたように見える。

 

「あの、ライダーさん、本当に、いいのですか? もう少しお考えになったほうがいいのでは・・・・・」

 

 あまりの即決ぶりに、マシュが思わず熟考を促す。

 戦力の増強は必要だが、それでもなんの考えもなしに決めていいモノではない、彼女の考えはそんなところだろう。

 それに対しライダーは少し不満げな表情で言葉を返した。

 

「失礼な。確かにボクは()()()()()してるけど、だからって馬鹿なわけじゃないさ」

 

 気になる言葉があったが、全くもって彼の言う通り、初対面の人物に対しいささか礼に欠ける発言ではあった。

 とはいえ、今みたいに何の理由も話さず全幅の信頼を寄せられても、それはそれで対応に困るというものだ。

 

「こちらの浅慮は謝罪する。しかし、君が何を以って私達に協力してくれるのか、その根拠を明かしてくれないか?」

 

 これは、あくまで交渉だ。

 士郎たちが彼らにとって信頼するに値する人間か、それを見極めるための場。

 それは同時に、士郎側が二騎のサーヴァントの性質を把握するための場でもある。

 ただ状況の解決のために一時的な協力関係を結ぶだけならそれでも構わないが、マスターとサーヴァントの関係はそれほど簡単なものでもない。

 彼らが何を信じるのか。何を守るためにその生涯をかけたのか。

 お互いがお互いの在り方や信念を理解し尊重せねばならず、それを放置したままただ共闘するのでは、いずれ空中分解を起こしかねない。

 マスターが、そしてサーヴァントが互いを裏切り悲惨な結末に至る、そんな事態は絶対に避けなくてはならない。

 故に、この場で彼らの真意を理解することは、士郎にとって絶対に欠かせない必須事項だ。

 それを受けてライダーは、そういうことか、と一つの納得を得て--

 

「だってキミたちは、街のみんなを守るために命がけで戦ってくれただろ。留守にしていたボクの代わりにみんなを救ってくれた。なら、ボクはキミたちの味方だ」

 

 まるで気負うことなく、その胸の内を告げたのだった。

 

「そんなことでいいのか・・・・・?」

「もちろん! そもそも、僕には難しい理由は必要ないしね!」

 

 気軽に言ってのけるライダーに、問いかけた士郎自身が誰よりも困惑していた。

 当然だ。士郎にとって、あの場で人々を守る事は当然の行為だった。

 力を持った人間が、出来ることをやっただけだ。仮に他の誰かが同じだけの力を有していれば、その人物も同様の行動に出ただろう。

 何を誇るでもない、他者に賞賛されるものでもない。

 その程度のことで歴史に名だたる英雄のお眼鏡に適うとは到底、考えられなかった。

 しかし、それはあくまで士郎の所感であり--ライダー、そしてセイバーにとっては決して無視すべき事ではなかった。

 

「確かに、力を持つ者が力を持たない者を救うのは一つの道理だろう。だが同時に、危機的状況において自らの身を最優先に守ることも人として当然の行動だ。敵が強大であればなおさらだ」

 

 セイバーの言い分で考えれば、大抵の人間は自己の保存を優先するだろう。

 本来、誰かを助けるという事は、自己に余裕を持てるからこそ為せる行為だ。後にも先にも、自身のリスクが低いことを前提としている。

 それは決して非難されるものでもなく、人として真っ当な思考だろう。誰だって、我が身が可愛いものだ。

 故にこそ、士郎がとった行動は、少なくとも彼らの目には好意的に映った。

 

「それでも、俺がやったのは普通のことだよ」

 

 無論、全ての人間がそういった思考になるかと言われれば、答えは否だろう。

 善良な、一般的な人間ほど困っている誰かを手助けしたくなるのが人情だ。

 特に珍しくもない、普通の事。

 それ故に。士郎は当然の事をしただけなのに、と困惑し--

 

「ああ普通の事だ。--そんな普通の事を当たり前のようにできた貴方だからこそ、我らの剣を預けたい」

 

 士郎の疑問に、ほんの少し微笑みながらセイバーは返答した。

 彼は言う。

 普通の事を当たり前に選択する。助けを求める人間に救いの手を差し伸べる。

 一見、矛盾に見えるこの事柄を成立させることが、何より難しいのだと。

 

「----」

 

 僅かに、士郎が口を噤む。

 一点の曇りもない二騎のサーヴァントの言葉は、士郎の心を揺さぶるには十分すぎる威力を有していた。

 目を見開き驚愕の表情を浮かべる彼は、まるで忘却したナニカを目の当たりにしたかのようで--

 

「無論、そちらが我々を必要としてくれていれば、の話だが・・・・・」

 

 士郎の沈黙を彼の不満によるものかと思ったのか、セイバーは少し遅れてそう付け加えた。

 それでようやく自分の状態を自覚したのか、士郎は慌てて取り繕った。

 

「いや、それはこっちから頼みたいことだ。セイバー達さえ良ければ力を貸して欲しい」

「そうか。いや、よもや余計な事をしているのかと心配だったが、杞憂でよかった」

 

 セイバーはそう言うが、余計な世話であるはずがない。

 士郎が一矢報いることすら困難を極めた巨竜と三騎のサーヴァントを、ただ一撃で瀕死に追い込むだけの力を彼は有している。

 それが不要であると、言えるわけがない。

 それはセイバーも察せそうなものだが、それを抑えての発言とすれば、存外にこのサーヴァントは謙虚な性格であるようだった。

 様々な英霊達の中で、最初に出会ったのがこの人当たりのいい二騎のサーヴァントであったことは僥倖と言えるだろう。

 そんなことを考えながら、背後の二人に振り返る。

 マシュは首肯し、ジャンヌはその視線を以って返答とし、二人の英雄との共闘に賛同を示した。

 それを最終確認として、士郎は正面を見据える。

 

「ライダー、セイバー、改めて頼む--俺たちに、力を貸してくれ」

 

 飾ることのない士郎の言葉に、果たして二騎のサーヴァントは、僅かな逡巡もなく返答した。

 

「無論だ。この身は全霊を以って貴方の剣となろう」

「さっきも言ったけど、ボクはキミたちを助けるって決めてるから、安心して泥舟に乗ったつもりでいてくれ!」

 

 変わらず騎士然としたセイバー。まるで頼りない言葉でその胸を張るライダー。

 両者は正反対の態度で、しかして同じ意思を告げたのだった。

 

「--ありがとう。ふたりとも、これからよろしく頼む」

 

 二騎の信頼を受けて自然、士郎は感謝を告げていた。まるで飾り気のない、あまりに朴訥な言葉だった。

 伝説の英雄にかけるべき言葉としては似つかわしいものではない。

 されど、それが好ましい、と言うように、彼らはその顔を綻ばせた。

 

 

 

 

 マシュ・キリエライトは二騎のサーヴァントとの契約成立を見届け、ほ、と息を漏らした。

 何しろこの契約の是非は、フランス特異点を修復する大きな分岐だ。仮に彼らが彼女のマスターを拒絶したならば、それだけで作戦の成功率は大きく低下しただろう。

 しかしそんな事態が訪れることはなく、二騎のサーヴァントは信頼を以ってこの契約に応えた。

 彼女が安堵の息を漏らすのも当然と言えた。

 後は少しずつ聖杯確保への道を切り拓いていくだけ。きっと、作戦は成功するだろう。

 そんな楽観を彼女は抱いていて--

 

「マシュ、顔色が優れないようですが、何かありましたか」

「え・・・・・?」

 

 すぐ隣にいるジャンヌからかけられた言葉に、少女は間の抜けた声を上げていた。

 突然、話しかけられたから、ではない。自分が怪訝に思われるほどの表情をしている、という事実に驚きを隠せなかったからだ。

 

「そんなに、可笑しな顔をしていましたか・・・・・?」

「可笑しい、というよりは、何か思いつめているように見えましたが・・・・・気付いていなかったのですか?」

 

 問われて、自身の頬を撫ぜる。

 なるほど確かに、自分の表情筋は平時のそれではなく、それが良い表情でないことは明白だった。

 

「・・・・・無自覚でした」

 

 そう、無自覚だ。

 彼女はその事実を指摘されるまで、なんの変化も不調も感じていなかったのだ。それどころか、新たな協力者を得て、少なからず喜びを感じていた。

 だというのに、今しがた彼らの間で行われたやりとりが、どうしてこんなにも胸を掻き乱すのか。

 

「--大丈夫です。何の問題もありませんから」

「それなら、いいのですが・・・・・」

 

 努めて平静に、ジャンヌの心配を杞憂だと告げる。

 事実として、マシュに身体的な異常は存在しない。

 これは飽くまで心の話であり、それ以上に、彼女にはこの違和感の出所が分からない。そして正体の掴めない悩みを他者に相談するという思考をこの少女は持ち合わせていなかった。

 

「二人とも、どうかしたのか?」

 

 声に反応し、視線を向ける。

 マシュ達の様子を気にかけた士郎が、いつも通りの仏頂面で振り返っていた。

 

「いえ、少しジャンヌさんとお話ししていただけですか」

 

 マシュの返答に隣にいたジャンヌが何か言いたげだったが、実際に口に出すことはなかった。

 士郎も多少その様子を訝しんだが、特段気にすることではないと判断した。

 

「それより、何かご用でしょうか?」

「ああ。今からカルデアとの通信も交えてセイバー達とこれからの話をしようと思ってな。話してるところを邪魔して悪いけど、二人とも参加してくれるか」

 

 そう言って視線を向けた先では既にカルデアとの通信が開かれており、ドクター・ロマンが二騎のサーヴァントに事前の紹介をしているようだった。・・・・・なにやら項垂れている表情のドクターと無邪気そのものといった笑顔を浮かべるライダーが気になるが。

 

「分かりました。ジャンヌさん、わたしたちも行きましょう」

「・・・・・ええ」

 

 平時と変わない態度のマシュに、少なからず違和感を感じるジャンヌ。

 されど、それを深く追求しているような時間は彼女にはなく。

 

--竜の咆哮は、未だ鳴り止まないのだから。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 士郎と二騎のサーヴァントが協力を約束した直後、彼らは部屋の卓を囲みそれぞれに向き合っていた。

 

「早速、これからついて話し合いたいんだけど・・・・・いいか、ドクター?」

『こっちも準備はできてる。始めてくれ、士郎くん』

 

 ドクター・ロマンからの確認を取った士郎が一度全員を見回した後、問題ないと判断し話し始める。

 

「それじゃ始めさせてもらう。先ずは先刻対峙した竜の魔女とその戦力の確認をしたい。ドクター、データを」

『了解だ。--いま画面に映っているのがさっき士郎くんが戦った竜の魔女達だ』

 

 空中に投影されるのは竜の魔女とその一行のさまざまなデータ。

 彼女らの容姿、武装、宝具、観測された魔力値。衛宮士郎が相対してからカルデアで分析を続けることで得られた情報だ。

 

「これが、もう一人のジャンヌ・ダルク(わたし)・・・・・」

 

 データ上に記録された竜の魔女を見たジャンヌは複雑な表情を浮かべる。

 自身と同じ顔、同じ肉体を持つ別人が自身とは正反対の振る舞いをしている、それを見た彼女は如何なる心境か。

 少なくとも心中穏やかでないことは確かだろう。

 

『君が竜の魔女を見るのはこれが初めてになるけど。どうだろう、何か感じることはあるかい』

「--いえ、直接言葉を交わした訳でもありませんから。やはり、実際に会ってみるまではなんとも言えません」

『確かに、それもそうだね・・・・・』

 

 ロマンがなんらかの情報を期待してジャンヌに問いかけるが、彼女にも分かる事は無かったようだ。

 所詮、映像上の記録でしかないため無理からぬことだろう。

 

「黒いジャンヌは勿論だけど、まずあのランサーを倒さないとこっちが不利になる」

 

 そう言って士郎はランサーのデータを拡大させる。

 

「純粋な戦闘力もそうだが、一番厄介なのは彼の戦闘スタイルだ」

 

 先の戦闘において士郎が最も苦心したのはこのランサーだ。

 攻防一体の杭の宝具、明らかに戦慣れした戦術、近距離戦においても一定の戦闘技術を有している。

 しかし、これら一つ一つであればそれほど脅威ではない。ランサーが真に難敵と言えるのはそれらが一体となった結果だ。

 

「彼との戦いは個人を相手にしているというより、一つの軍勢を相手取っているようだった」

 

 膨大な物量が優れた指揮者によって正確に繰られ、相手を陥れるべく敵を誘導させる動きを見せるなど、攻防一体という一言で済ませられないほどの柔軟さを発揮していた。

 

「ホントめちゃくちゃな動きするよね、彼の宝具。前にバーサーカーを捕まえた時も凄かったし」

 

 ライダーが士郎の意見に賛同するかのように、ランサーの宝具を評する。その隣にいたセイバーも同じ意見だというように頷きを見せる。

 しかし、そこに混ざるおかしな言葉を耳聡く聞き取ったマシュは彼に疑問を投げかけた。

 

「あの、ライダーさん。“前”というのはいつのことなのでしょうか? それにいま、バーサーカーって・・・・・」

「あれ、言ってなかったっけ? 実はボクとそこのセイバーは前に召喚された時にこのランサーと会ってるんだ」

「ちょっと待った。まさか前回の召喚の記録が残ってるのか・・・・・?」

 

 なんでもない事のように言い放つライダーに対し、士郎は信じられないとでも言うような表情を浮かべる。

 サーヴァントとは英霊の座に存在する英霊をダウンサイジングした写し身でしかない。

 彼らが保有する記憶は生前に経験したものしかなく、仮にこことは違うどこかの並行世界で彼らが召喚されていたとしても、そこでの記憶は座に還ればただの“記録”になり再び別の場所で召喚されればその記録を保持していることすらない。

 彼らにとって、召喚時の経験や記憶とは実感のない一つの物語のようなものなのだ。人類が存続する限り永劫存在し続ける彼らがふと微睡んだ時に見る泡沫の夢。

 だからこそ、ライダーの発言は異常というほかないのだ。

 

「確かに、特殊な事例はあるのかもしれないけど・・・・・」

「その時の召喚は俺たちにとっても特殊なものだったんだ。その分、座に還元された影響も大きかった」

 

 困惑する士郎に、ライダーに変わってセイバーが答えた。

 サーヴァントの記憶は座に還ればただの記録になる。それは一つの真実だ。

 座に存在する英霊本体が経験した事象でない以上、それは彼らにとって単なる情報でしかない。

 

--だが、もしも。

 

 もしも仮に、その時の経験がサーヴァントのみならず英霊そのものに大きな衝撃を与えるものであったなら?

 一つの音楽や絵画が多くの人々の人生を変えられるように--唯一つの物語が未来永劫存在し続ける事もあるのだろう。

 

『特異点というのは一種の異空間。通常の時間軸からは逸脱した、何処にも属さない世界だ。ある意味で英霊の座に近しいと言ってもいい。ここでなら普通は起こりえない英霊の記録や記憶の持ち込みが可能なのかもしれない』

「どちらにせよこれはまたとない幸運だ。もし本当に覚えているなら、あのランサーの真名を教えてくれないか」

 

 サーヴァントやそのマスターは余程の例外でない限り、その真名を隠し通そうとし、また相手のソレを探る。

 それは真名の判明が対サーヴァント戦において大きな強みとなるからだ。

 真名が判れば過去の歴史から能力や宝具の解明だけでなく、彼らの弱点や死因も判明する。

 そうなれば真名を知られたサーヴァントは不利な戦いを強いられる。初めから手の内を知られるというのだから彼らにとっては致命的だ。

 本来なら予測と敵宝具の発動を待つことでしか真名の開示には至らないが、彼らがすでに知っていると言うのなら話は早い。

 

「こちらの記録に間違いがないのであれば、彼のランサーはワラキア公--ヴラド三世だ」

 

 セイバーより告げられた真名に士郎は、やはりか、と納得を得る。

 件のサーヴァントには当初より目を引く特徴があった。それらを総合的に判断して、最も近しい英霊は一人しかいないだろうと予測していた。

 そして今、セイバーの言葉によってその予想は断定へと変わった。

 

『しかし、ルーマニアが誇る護国の英雄とは。これまたなかなかの大物が召喚されているようだね』

 

 ワラキア公国の公王、ヴラド三世。

 前ワラキア公にして父であるヴラド二世の次男として生まれた彼は、貴族諸侯の権力が強力であったかつてにおいて、恐怖政治をもってこれを統治し中央集権を推し進めた人物。

 ワラキア公国の流れを汲むルーマニアで彼の名を知らぬ者はいない。何故ならば、ダ・ヴィンチの言う通り彼はルーマニアにおいては故国を侵略者の手から護る為に戦った護国の英雄だからだ。

 殊更、1462年に起きた侵略国家オスマントルコとの戦いは、彼の名を後世に大きく残す一因となった。

 とあるトルコ人の遊牧民部族長が率いた軍事集団が起源とされるオスマントルコだが、その出自に違わず強力な武力で諸外国を次々と侵略していった。その勢いはとどまることを知らず、1460年にはギリシャ全土を領地としていた。

 この時、オスマントルコを治めていたのはメフメト二世。三重城壁によって当時最も堅牢な守りを誇ったコンスタンティノープル--後のイスタンブール--を陥落せしめた人物だ。

 その勇猛さ、豪傑さは幾たびの侵略を繰り返したオスマントルコにおいて尚、“征服者”と呼ばれ恐れられた。

 その後、彼はワラキア公国に侵攻の手を伸ばし、十五万の軍勢を以ってこれを攻めた。

 対するワラキア軍はたったの一万。実に十五倍の戦力差である。

 

--結果は火を見るより明らか。

 

 恐らく、当時の人々は誰もがそう思っただろう。

 オスマントルコは判り切った結末に楽観し、ワラキア軍は覆し難い戦力差に絶望しただろう。

 

-ーただ、ヴラド三世だけが、それを由とはしなかった。

 

 圧倒的な物量に対し、彼は徹底したゲリラ戦法と焦土作戦を仕掛け、オスマントルコ側の戦力・物資を削っていった。

 敵が近い村があれば住民や家畜を避難させた上で火を放ち、井戸があれば毒を投じ、手薄になった補給基地があれば徹底的に破壊し尽くし、森があればこれを焼いて禿山にし現地での食料調達を封じる。大軍勢による火力戦を主な戦術としていたオスマントルコにとって物資の損失は大きな打撃だった。

 しかしこの程度はまだ序の口に過ぎず、苛烈極まるヴラド三世の戦術・戦略は時に非道なものでもあった。

 彼は自国領内からペストや結核、梅毒といった当時においては不治の病を患った者を掻き集め、これを敵陣に夜間突撃させた。人間が持つ病への根源的な恐怖はトルコ軍の士気を大きく下げ、ペストに至っては実際にトルコ軍内で感染し広まった。

 ヴラド三世の策はオスマントルコを確かに疲弊させたのだ。

 

--それでも彼らの戦力は強大であった。

 

 この戦いはオスマントルコにとっては異教徒を殲滅する聖戦という側面を持っていた事も、彼らの闘志を保つ要因だったはずだ。或いは、単なる勢力争いであればこの時点でワラキア側は勝利を収めていたかもしれない。

 軍全体の士気はどん底とも言えるものだったが、メフメト二世は進軍を命じ続けた。

 実際のところ、この時点でワラキア南部の主要都市はほぼ全てが陥落させられており、残すは首都のみであった。

 ここまで漕ぎ着ければ鉄壁のコンスタンティノープルを落とした彼らには造作もないことだっただろう。

 

--相手がヴラド三世でなければ。

 

 首都に到着したメフメト二世らは、程なくしてその門が開け放たれている事に気付いた。

 予想に反した無血開城に彼らは歓声をあげた筈だ。

 そうして彼らは喜び勇んで入場し--決して忘れることのできない地獄を見た。

 

--大地に居並ぶ無数の杭。串刺された二万のトルコ軍捕虜が、その屍を晒していた。

 

 当時これを見てしまった人間の中に、平静を保てた者はいなかっただろう。

 数えることも馬鹿馬鹿しい無数の串刺し死体は視界に収めた者の精神を恐怖で染め上げ、周囲に満ちた腐臭はそれだけで吐き気を催す。

 死体から聞こえるはずのない絶叫さえ、幻聴として彼らの脳髄に響いたかもしれない。

 当時の誰もが考えなかっただろう。首都に辿り着いたことこそが彼の策略であったと。

 

『上げてから叩き落とすっていうのは心身ともに最も応えることの一つだ。疲弊したオスマントルコの精神を折るには十分な策だっただろうさ』

 

 まさに天国から地獄への急転直下。

 強大な戦力を前にヴラド三世が取った戦略は敵軍の戦意喪失だった。

 その余りの惨状は、どんな敵にも恐れを抱かなかったメフメト二世でさえ戦慄させた。

 二万人の人間をただ見せしめにするために串刺しにするという思考、それを実行に移す悪魔<ドラクル>の如き所業をただただ恐れたのだ。

 この一件で直接ワラキア公国を攻略することは不可能と判断したメフメト二世は全軍を引き上げさせ、自身の領地へと撤退した。

 

『最終的にはワラキア公国もオスマントルコに支配されるが、それは政治的な奸計によるもので、メフメト二世自身はこれっきりワラキアに足を踏み入れることはなかった』

 

 その後の彼は裏切りによる領主からの追い落とし、謂れのない罪による12年間もの幽閉、民衆からの人心の喪失など、およそ護国の英雄とは思えぬほどの仕打ちを受け零落していった。

 そして1476年、様々な苦難を乗り越え再び公位に着いたヴラド三世だったが、現在のヴカレストで起きたオスマントルコとの戦いで戦死する。

 生涯において10万人以上の人間を串刺し刑に処した彼の冷酷さは死後も人々の心に恐怖を刻みつけ、その存在は一つの名と共に現在に至るまで残り続けている。

 

--即ち、串刺し公<カズィクル・ベイ>

 

『でも、それだけならば彼の存在は世界中に広まることはなかった。小国の英雄として故国の人々が胸にとどめる程度だっただろう』

 

 ヴラド三世はあくまで現実に根ざした英雄であり、神話や伝説の登場人物(キャラクター)ではない。

 存在強度という点においては実在の不確かな英雄を遥かに凌ぐが、向けられる信仰においてはその限りではない。

 人間の世界において、個人が成す偉業は時代を経るごとに重みを失くしていく。

 ヴラド三世が生きたのは中世のヨーロッパで個人の名も現代に比べればまだ残りやすい時代ではあったが、如何せん彼の所業は規模が小さかった。

 当然ながら、世界にその名を轟かせるほどの衝撃はない。

 

「では何故、彼の存在は世界中に認知されるようになったのですか?」

『ああ、君は召喚に不備があったからその辺りの知識が備わっていないんだね』

 

 ヴラド三世という英雄が抱える矛盾に対し、疑問の声をあげたのはジャンヌ。

 詳細は不明だが、彼女の召喚は完璧ではなかった。ルーラーとしての特権の欠如、聖杯からの予備知識の不受など。

 そのため、彼女は多くの英霊についての知識を有していないのだ。

 

「ジャンヌさん、それについてはわたしがご説明します」

 

 ダ・ヴィンチに変わって、マシュが説明役を買って出た。

 

「彼が現在に至るまで多くの人々に知られているのは、ある一人の小説家が原因なんです」

 

 ブラム・ストーカー。本名エイブラハム・ストーカーは19世紀に生きたアイルランド人の小説家である。

 学生の頃から演劇などに強い関心を抱き、新聞や雑誌に劇評を投稿し、時には小説を執筆するほどの教養を有していた。

 殊更、怪奇物語は彼が最も好む所の一つだった。

 彼は43歳の頃、とある図書館で『ワラキア公国とモルダヴィア公国の物語』という一つの歴史書を手に取り、その中で一人の人物を知った。

 ワラキア公、ヴラド三世である。

 以前より、トランシルヴァニア地方に伝わる吸血鬼伝説に強い関心を抱いていた彼は、ヴラド公の串刺し系の伝承より着想を得て新たな小説を執筆した。

 そうして生まれたのが一つの怪物。闇夜を統べ、美女の血を啜り、太陽光や神に由来する品を忌避する新たな吸血鬼<ヴァンパイア>。

 後世に生み出された多くの怪物の源流となったモノ--それこそがドラキュラ伯爵である。

 

「ブラム・ストーカーは小説の執筆にあたり、モデルとしたトランシルヴァニアの生活や文化、民族伝承まで事細かに調べました。それが現地に実在した吸血鬼伝説と相まって物語にリアリティを与え、人々に強い恐怖を覚えさせたようです」

 

 その後、この物語は演劇や映画など様々な媒体で人々に伝わり、多くの国に広まった。

 ドラキュラ伯爵の名は物語が広がるごとにその強度を増し、遂には吸血鬼という概念そのもの表すほどの印象を植え付けた。

 

『しかしブラム・ストーカーが成功した一方で、モデルとなったヴラド公は自身とは全く関係ないおぞましい怪物の側面を付与されてしまった。恐らく、サーヴァントである彼にも吸血鬼に関する何らかの能力が備わっているだろうね』

 

 英霊とは、人々の信仰によって成立する。ここでの信仰とは額面通りの意味でなく、知名度という意味も持っている。

 そのため事実とは異なる事柄でも、人々がそれを強く広く信じていれば英雄の一側面として英霊の座に登録されうるのだ。

 

「・・・・・なるほど。つまり彼自身の名声は大きく変わらず、生前の行いが全く関係のない事柄に結び付けられた結果、彼の存在は怪物として世界中に広まったということですか」

「端的に言えば、そういうことになります」

「・・・・・それは、辛いことですね」

 

 生前のヴラド公が行なった多くの戦いも政治も、全ては自らの国を領主として護り安定させるためのものだった。どれ程の畏怖、恐怖を向けられようと、そこにあるのはただ祖国への愛であったはずだ。

 だというのに、彼は自身の全くあずかり知らぬところで脚色され怪物に貶められている。それはきっと、到底許容できるものではないだろう。

 かつて誰かの為にあった行動を全く違う形で貶される、ジャンヌにはそれが少し悲しくあった。

 

「ランサーに対して思うところがあるのはわかるけど、どうあれ今は人類史の敵で無視出来ない障害だ。彼と戦えば加減や雑念んを抱えている暇はないぞ」

「・・・・・無論、分かっています。もし彼と相対したとしても、私は決して手を抜いたりしませんよ、シロウ」

「なら話を戻そう。ランサー--ヴラド三世に関する情報は現時点でこれが全てだ。まだ彼が使用していないスキルや宝具に関しては、実際にこの目で見ない事には判断のしようがない。彼と一緒にいたアサシンのサーヴァントも手の内をほとんど晒していないのがイタイな」

 

 さほど長い時間ではなかったにしろ、人類唯一の生命線とも言える士郎の命を担保にした戦闘にしては、得られた情報は決して多いとはいえない。

 

「ですが、敵性サーヴァントが全力を出していなかったからこそ先輩が生還できたと考えれば、これは非常に幸運な事ではないでしょうか」

『マシュの言う通りだ。僅かとはいえ、誰の犠牲もなく敵の情報を得られたのは大きい』

「・・・・・ああ。確かに、今は判る範囲の事に意識を向けなきゃな」

 

 ドクター・ロマンとマシュの言葉を聞き、士郎は後ろ向きな思考を早々に放棄した。

 自身が生還できたことに代わりはなく、その上で得るものは確かにあった。反省を次に活かす事はあっても、己の情けなさを嘆いている暇など微塵もないだから。

 

「ランサー、アサシンは置いておくとして、やはり目下最大の障害はあの巨竜でしょうか」

『ホント、凄まじいの一言に尽きるね。仮にサーヴァントのステータスに当てはめるなら軒並みAランク以上の能力値を叩き出してると思うよ。特に魔力量に関しては流石の竜種だ。実質無限なんじゃない、コレ』

 

 ロマンの背後から顔を見せるダ・ヴィンチが感心半分呆れ半分といった様子で、巨竜の力を評する。

 サーヴァントの基礎ステータスは筋力・耐久・俊敏・魔力・幸運・宝具の六つから構成されており、Bランク以上の能力を複数有していれば高水準と言える。

 それを踏まえれば先の竜がいかに強大かは語るまでもない。

 加えて竜種はその生命そのものが魔力の塊だ。

 彼らは呼吸をするだけで膨大な魔力を生成できる。生存していればそれだけで魔力が尽きることはないのだから、ダ・ヴィンチの無限という言葉もあながち間違いではない。

 

「正直、まともに戦って勝てる相手じゃない。魔力もそうだけど、甲殻の硬度が明らかに異常だった。最低でもAランク以上の攻撃でないと傷を与えられる気がしない」

 

 実際に対決し、その力を経験した士郎が補足する。

 彼が先の戦闘においてこの竜に与えたダメージはほぼ皆無と言っていい。なにせ斬撃にしろ魔力の暴発にしろ、その甲殻に触れた瞬間弾かれたのだ。

 一見、無敵にも思える竜の甲殻だが--その一方で、一つだけ致命傷を与えた存在がある。

 

「あの竜にまともなダメージを与えたのはセイバーの宝具だけだ。だから確認させてほしい。セイバーの宝具の能力を」

 

 難しく問いかける気はない。

 この場において衛宮士郎が求めるものはただ一つ。

 

「--その宝具は、竜殺しの剣じゃないか」

 

 士郎の言葉は字面では疑問形だが、実際には確信に近い。

 目の当たりにした巨竜へのダメージ。ラ・シャリテからの撤退時にライダーが言いかけて真名。さらに解析こそ意図的に止めたものの鞘越しでも感じる膨大な魔力。

 これらの情報から判断して、セイバーの宝具が竜殺しに類するものである事は容易に推察できた。

 最後に必要なのは、保有者からの肯定だった。

 

「--貴方の言う通りだ。俺の宝具には竜殺しの概念が宿っている」

 

 セイバーからの返答は力強く、士郎が期待した通りのものだった。

 

・・・・・魔力・身体共に万全とは程遠い。けど--

 

 与えられた情報<カード>を元に衛宮士郎は思考する。己が選択し得る最良の一手を。

 竜殺しのセイバー、串刺し公ヴラド三世、竜の魔女、黒い巨竜、戦闘による疲弊、直撃した宝具。

 

「一つ、提案がある」

 

 そうして結論する。

 この戦いを有利なものとし--或いは、決着をつけるための方法、それは、

 

『士郎君、すまないが会議は中断してくれ!』

「ドクター?」

 

 出かかった言葉は、切迫したロマンの声に遮られた。

 その様子は、少し前に士郎がラ・シャリテで聞いたものと同じで--

 

『無数のワイバーン及びスケルトンの侵攻を感知した。すぐに迎撃の準備を整えるんだ!』

 

 齎された凶報により、室内には一瞬にして緊張が走り、

 

「・・・・・先手を、打たれたか」

 

 ただ一人、衛宮士郎だけが苦虫を噛み潰したように、その顔を歪めた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ラ・シャリテの街は崩壊し、そのほとんどが瓦礫と化していた。

 生者の痕跡は一切が消え去り、侵略者への怨念を紡ぐが如く黒煙が空へと立ち上る。

 もはやかつての面影など欠片も残らず、ただただ死の残滓のみが燻る世界。

 その中に一つの集団があった。

 かつての街にも現在の廃墟にも馴染めぬ、しかし恐らくは何よりも相応しい者達であった。

 

「あの男・・・・・っ!」

 

 黒いジャンヌが払拭しようのない憤懣に、その拳を瓦礫に打ち付ける。ただの瓦礫がサーヴァントの膂力を正面から受け切れるはずもなく、盛大な音を立てて崩壊する。

 サーヴァント三騎と邪竜。たかが魔術師一人を殺すには過剰に過ぎる戦力を投じながら、みすみす相手を取り逃がしたのだ。

 どうしよもうなく、言い訳のしようもなく、完膚なきまでの敗北だった。

 ただでさえ腹立たしい相手に煮え湯を飲まされた。それがどれだけ彼女の怒りに拍車をかけたか、語るまでもないだろう。

 当然、瓦礫を吹き飛ばした程度で彼女の気が鎮まるわけもなく、その激情のままに手当たり次第八つ当たりをしてやろうと腕を振りかぶり--

 

「これはまた手酷くやられた様だな、マスター」

 

 怒り心頭の黒いジャンヌとはまるで正反対の落ち着き払った男の声に、彼女は明確に怒りの矛先を定めた。

 

「・・・・・ええ、真名も明かさないどこぞのサーヴァントがチンタラしてるからこっちは無用な被害を被ったわ」

「それはすまない。何しろこちらは君の竜程の速度はないのでな。猪突猛進なマスターに追いつくのは容易ではないのだよ」

 

 現れたのは黒いライトアーマーを纏った褐色の男

 黒いジャンヌはその男に対する不平不満を隠そうともせず、存分に毒を吐く。

 対して男は涼しい顔を崩さず皮肉すら返していく始末。

 ランサーも彼女に対して殺意を向ける程の嫌悪を抱いていたが、それとはまた別の慇懃無礼さだった。唯一、共通する事があるとすれば双方ともにマスターへの忠誠など微塵も持ち合わせていないという事だろう。

 

「それで、あの“二騎のサーヴァント”は仕留めたのですか」

「いや、上手く逃げられたよ。あちらもそれなりのアシを持っていたようでね、割り当てられたワイバーンでは追い付けなかった」

「--呆れた。サーヴァントの役割もロクに果たせない癖に、口だけは達者のようね」

「サーヴァントとしての役目は最低限こなしているつもりだがね。少なくとも、私が警告しなければ先の一撃で消し飛んでいたぞ、君は」

 

 先刻、放たれた黄昏の斬撃。それはまさに必殺と呼べるものであった。

 威力はもとより、黒いジャンヌ達が一人の魔術師に意識を集中し無防備になっていた瞬間を狙った、そのタイミングこそが絶妙であった。

 その直前に警告を飛ばした人間こそがこの男であり、仮に男からの念話が届いていなければ黄昏の斬撃は過たず彼女らの仮初めの命を消滅させていたことだろう。

 

「敵対者を打ち倒すことばかりがサーヴァントの能ではない。マスターの守護もまた、我々の仕事だろう」

 

 故に自身に非はない、と言外に彼は言う。

 敵方の戦力を見誤り、挙句に窮地に立たされたのはそちらの責任であり、こちらはその尻拭いをしているのだと。

 

「馬鹿も休み休み言いなさい、両方こなしてこその英霊でしょう。どちらか一方しかこなせない時点で不合格です」

 

 そんな男に対して黒いジャンヌは冷たく言い放つ。

 彼女が彼らサーヴァントを召喚したのはフランスという国を、ひいては人類を滅ぼすための尖兵としてであり、ただの自衛手段であればそこらのワイバーンだけで事足りる。

 戦闘に遅れた上に主人の危機に対して行うことが警告だけなど論外である。

 そんな黒いジャンヌの言葉に男は、ふむ、と一つ頷きを入れて、

 

「我がマスターは存外に完璧主義なのだな」

「ホンットに話を聞かないわねアンタは・・・・・!』

 

 反省どころかまるでズレた事を口走る従者に思わず叫ぶ。

 あまりの声量にそこらの瓦礫の上で休息していたランサーとアサシンが、煩い傷に響く、とでも言いたげな視線を投げかけるがそんなことは知ったことではないと無視(スルー)

 てかアンタたちマスターに対して図々しすぎない? もっと敬意とか持てないわけ?などと、怒りのあまり無関係かつ今更なことに疑問が上がってしまう彼女。

 

--コイツと話してると調子狂うわ、ホント

 

 目の前のサーヴァントを召喚してからというもの、事あるごとに揶揄われている気がする。

 ランサーのように突っかかって来るのではなく、常に皮肉った言葉とニヒルな笑みで翻弄されるのだ。

 とりあえずこのまま弄られるのは癪なので、一度冷静になろうと頭を振り、少しばかり気分が落ち着いたところで--

 

「・・・・・いや、そもそも。私の護衛はアンタの役割でしょう“アサシン”」

 

 アサシン、と呼びかけたのは先ほど受けた傷を回復させている女アサシンの方向ではなく、黒いジャンヌの背後であった。

 それと同時に、彼女が視線を向けた先に青白い光子が集い、やがて一つの形を得ていく。

 そうして現出したのは、一人の男。

 その身に纏った品の良い陣羽織と背に帯びた長大な刀が目を惹く美丈夫だった。

 

「私に何か御用かな、マスター殿?」

「ええ、用ならあるわ。何故、護衛役を任されていながらその役目を果たさなかったのと聞いてるのよ。納得できる理由があるんでしょうね」

 

 現れた男に、彼女は殺意と呼べるほどの怒りを込めた視線を叩きつける。

 仮に視線だけで生物を殺せるなら、今の彼女に殺せない存在はいないだろう。

 

 しかしそんな彼女の怒気などどこ吹く風、といった様子の男は飄々とした態度を崩さない。

 

「マスター殿の怒りは御尤もだがな。所詮は一介の農民に過ぎぬ分際、剣や槍であればこの身を盾とするのも吝かではないが、あの様な強大な剣光は私の手には余る。いやはや、門番か農作業であれば多少の覚えはあるのだが、護衛などという職は終ぞ経験しなかったのでな」

 

 成る程これは勝手が違う、と一人納得する男は、自身が主人を守らなかった理由を不向きという理由のみで済ませた。

 その上、己に適した役目を与えろと、言外に伝えてくる。その慇懃無礼さはどこかもう一人の男に通ずるものがある。

 無論、そのような態度の従者を黒いジャンヌが許容するはずもなく、先よりまして怒りをあらわにする--と思われたが、

 

「・・・・・ああ、もういいわ。叫ぶだけこっちが疲れる』

 

 心底疲れた、といった声色で彼女はその場に座り込んだ。敵の一撃を防ぎきれずに負った傷と度重なる従者の無礼さにもはや怒る気力すら無くしたようだ。

 その姿はとてもフランスを恐怖に貶める魔女とは思えぬほど憔悴しきっている。

 

「マスターもようやく落ち着いたところで、これからの話に移りいのだが、問題ないかね?」

「ええ、どうぞ、好きにして」

 

 もはや喋ることすら億劫、といった様子で項垂れる黒いジャンヌ。

 そんな黒い彼女を尻目に男は話し出す。

 

「では始めさせてもらおう。まずはマスター、君とそこの竜は直ちにオルレアンへ帰還したまえ」

 

 まず最初に出たのは黒いジャンヌとその竜への迅速な帰還を提案するものだった。

 それに反応したのは、先程沈黙したはずの彼女。

 

「・・・・・アンタ、私はともかく、“彼”が動けると思ってんの? その眼は飾りなわけ?」

 

 一見して巨竜の状態は瀕死だ。

 黄昏の斬撃は他のナニよりもこの竜に対して如実な効果を発揮していた。

 攻撃を受けてから既にそれなりの時間が経過しているにもかかわらず、未だに魔力が巨竜の肉体を焼いており、飛行どころか歩くことすら困難を極める。

 無理に移動させれば、それこそ寿命を縮めるというもの。とても許容できることではない。

 

「マスター、それは本気で言っているのか?」

「は? どういう意味よ」

 

 現状を鑑みたごく自然な思考は、されど呆れすら混じって男に問い返される。

 巨竜の移動は困難。そもそも移動の必要性は皆無なのだから、無理に動かそうとする意図が、彼女にはまるで理解できない。

 

「あの魔術師とその仲間が再び攻めてくると、そう言っているのだ」

「なんですって・・・・・?」

 

 返答は目の前の男からではなく、ランサーより発せられた。

 ある程度ダメージを回復させていた彼は既に立ち上がっており、彼の言葉に呆けた様子の黒いジャンヌを見下ろしていた。

 

「我々にとってその邪竜が最大の戦力であると同時に、奴らにとっては最大の障壁だ。そんなモノが瀕死の重体である時にむざむざ見逃すはずもなかろう」

「察しが良くて助かるよ、ランサー。彼の言う通り、あの小僧が他のサーヴァントを引き連れて再び攻め込んでくる可能性は高い。戦いが長引けば長引くほど連中は不利になるからな。可能な限り早急に決着を付けたいというのが向こうの本音だろう」

 

 故に、さっさと戻れ、と男は言う。傷付き死に体そのものの邪竜など単なるマトでしかない。

 ここで退かねばフランス全土を滅ぼし尽くすという彼女の目的は大幅に遠ざかるのだから。

 

「・・・・・分かったわよ、ここは大人しく帰還します。でも、最低限回復するのにある程度の時間は必要よ」

 

 巨竜の負った傷はとても無視できるものではない。移動するにも、僅かでも傷を傷を癒す必要がある。

 本来、この竜ほどの力であれば多少の傷であればものの数秒で完治できるのかもしれない。或いは致命的な重傷ですら時間を置けばある程度回復できるのかもしれない。

 だが、あの黄昏の斬撃だけは例外だ。あれはこの竜にとって、正に天敵と呼べるものであり、それを受けた竜には僅かばかりの余力もない。

 ラ・シャリテからオルレアンへの帰還にすら、幾らかの時間を置き体力を回復した上で死力を尽くさねばならないのが現状。男やランサーの言う通り、あの魔術師に再び攻め込まれれば今度こそこの竜は死を迎えるだろう。

 詰まる所、いま彼女らに最も必要なのは時間ということだ。

 

「なに、その辺りはこちらで引き受けるさ。そのための策も用意してあることだしな」

 

 それを男も理解しているのか、黒いジャンヌの懸念に男は問題ないと言いきった。

 竜がその傷を癒す間、彼女らを守り、オルレアンへ帰還するだけの時間を稼ぐことができると。

 そんな男に驚いた様子を見せたのは他でもない黒いジャンヌだった。

 

「・・・・・意外ね。少しはサーヴァントらしい事ができるようになったじゃない」

 

 はっきり言ってしまえば、彼女は男に対して何かを期待しているわけではなかった。

 それは彼の能力に依るものではなく、そのスタンスにあった。

 彼女と男、或いは彼女と契約するサーヴァント全騎に言えることだが、彼女らの関係はおよそ真っ当な主従と呼べるものではない。

 ランサーの様に己の願いのために彼女に付き従っている者もいれば、アサシンのように主従という契約に固執しない者もいる。マスターへの忠誠を持たないのは何も彼らに限った話ではなく、“彼女に召喚されたサーヴァント”全てに共通する事柄なのだ。

 だからこそ、マスターへの忠義を持たず、その守護も重視していない男が、この局面で自ら殿につくと言ったことに彼女は驚きを隠せなかった。

 

「私もいつまでも役立たずの誹りを受けたくはないのでね。サーヴァントとしての仕事は熟すよ」

 

 相も変わらず嫌味たらしい言葉。普段なら腹立たしいだけの言い回しが、今は頼もしく思える。

 男が初めてサーヴァントらしい行動を取ろうとしているからか、その声にいつにない力を感じられたからか。

 理由は分からないが、少なくとも彼女は男に任せてもいいと思えたのだ。

 

「そう。なら後は任せるわ。--せいぜい期待に応えなさい、“アーチャー”」

 

 故に彼女は告げる。

 従者らしくない男が初めて見せたサーヴァントらしさに、自身もまた初めて抱いた信頼を。

 

「--ああ。承知した、我がマスター」

 

 返答は確かな自信とともに。

 黒いジャンヌが殿を任せた男--アーチャーは不敵に笑った。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「全員、武器を持って持ち場につけ! 連中は待ってくれないぞ!」

「市民と負傷者は誰であれ区別せず退避させろ。少しでも動ける奴には非難を手伝ってもらえ」

 

 街のいたるところから、無数の怒声、悲鳴が鳴り響く。

 現在、リヨンは未だ嘗てない危機に見舞われていた

 事の発端は数分前。異形の軍勢に備えて急遽建造された見張り小屋で街の周辺を監視していた物見からの報告によるものだった。

 その人物は自らに課せられた役目通り、ワイバーンをはじめとした軍勢がリヨンに接近しつつあることを発見した。

 それ自体はさして異常ではない。これまでにも怪物の侵攻は行われてきたし、現在のフランスにおいてそれは日常的な出来事だ。

 無数のワイバーンをものともしない騎士を擁し、彼を中心とした防衛隊をリヨンという街は築き上げた。

 騎士も、兵士も、果ては戦闘経験のない農民すら加わったその部隊は戦い続けた。

 既に異形の軍勢を打ち斃すこと五度。少なくない死線をくぐり抜けてきた彼らが、ただの侵攻で取り乱す事はない。

 しかし、だからこそ。

 今回の侵攻は--何度も街を護ってきた彼らですら己が目を疑わずにはいられなかった。

 

「300、400--信じられん、まだ増えるのか」

 

 草原の上空、果てしない蒼空を覆う無数の緑色。それが何であるか、いまさら問うまでもない。

 空の向こう側に見える、数えるのも馬鹿馬鹿しい数の竜の群れこそ、リヨンに接近する存在の正体である。

 

「そりゃ、今までだって連中が攻め込んでくる事はあったが、せいぜい100かそこらだぞ」

 

 街の防衛に従事する一人の若い男が呟く。

 彼の言う通り、これまで行われたリヨンへの侵攻は小規模なものだった。敵の構成も大半はスケルトンであり、ワイバーンは十数体。

 されど、今回は今までとまるで違う。

 少し目を凝らせば白いもやのようなものも見えて--それが遠方ゆえにボヤけて見る骸骨の軍勢だと彼らが気づくのに、そう時間はかからなかった。

 その光景を見て、誰も彼もが顔を青ざめる。今度こそ終わりだと。

 あの、世界全てを喰らい尽くさんとする大群の前ではいかなる剣も矢も意味を成さない。

 これまで彼らを護り続けてくれた偉大な騎士であっても、全ての敵を撃ち落とす事はできない。

 残る物はあるだろう、彼の騎士は、戦いの後でもきっと健在だろう。

 だけど、たとえそうであったとしても--リヨンは滅びを迎える。

 もはや、趨勢は変わらない。どれだけ彼らが死力を尽くそうと、戦力差は覆らない。

 ここで大波に飲み込まれる飛沫の如く消えていくのが、この街の人間の結末となる。

 

「--それは、絶対に違うはずだ」

 

 けれど、一人の男の声が、その失意を否定した。

 彼らは視線だけを力のないまま声の方に向ける

 瞳に映るのは、大剣を背に負い、銀の長髪をたなびかせる一人の男。これまで幾度も彼らを守り、励ましてきた騎士--剣の英霊、セイバー。

 彼の騎士はこの場においても、今までと変わりなく、人々を守らんと最前線に馳せ参じた。

 

「貴方たちは、決してこんな場所で諦める人間ではなかったはずだ」

 

 彼は言う。

 ここで死を待つ事が、リヨンの人々の終着ではないと。

 

「でも、あの数は・・・・・」

 

 消沈した--否、色の抜け落ちた声で、誰かが騎士の言葉を否定する。

 だって、もうどうしようもない。

 大嵐や大洪水が形を持ったかのような軍勢など止めようがない。人間に自然の災害を制する力が無い以上、滅亡は避けることのできない確定事項だ。

 仮に何らかの抵抗をしたところで、彼らの死がより悲惨なものに彩られるだけ。

 ・・・・・だから、このまま。

 何もせず、何も考えず、あの災害が通り過ぎるのを傍観した方が、ずっと楽で--

 

「ならば何故、貴方たちは今日まで戦ってきたんだ」

「--え?」

 

 それは余りにも単純で--だからこそ考えるまでもない、分かりきった問いかけだった。

 ただ死にたくないのであれば、彼らは戦場になど出る必要はない。生き延びたければ、どこか遠い場所に逃げればよかった。

 けれど、彼らはそれをよしとせず、今日まで戦い続けてきた。

 それは果たして、何のためだったか。

 

「貴方たちには、どうしても護りたいモノがあったからこそ、その手に剣を執ると決めたはずだ」

 

 俯いていた人々の顔が持ち上げられる。その心にあるのはそれぞれ全く別のモノだ。

 ある者は両親を思い出し。

 ある者は恋人の顔を思い浮かべ。

 ある者は子の未来に想いを馳せた。

 誰一人として共通している者はおらず--その意思だけは、同一だった。

 そう。彼らは死にたくないわけでも、生き延びたかったわけでもない。

 彼らはただ、自らの愛した者の未来が失われることをこそ恐れたのだ。

 

「諦める必要はない。絶望する必要はない。貴方たちは決して、あのような獣風情に敗けはしない」

 

 だからこそ、騎士は断言する。

 幾度も共に戦い、人々の願いを見続けたからこそ、彼は告げる--貴方たちの願いが奪われる事はないと。

 その通りだ、と誰かが立ち上がる。

 自分達は愛するものを守るために、自らの意思で戦う事を選んだ。最初から敗北はあり得ず、その願いを最後まで貫き通すだけの事。

 そうだ。彼らは決して悲観する必要はなかった。

 何故ならば、彼らが誰より信頼する騎士が、彼らは敗けはしないと言ってくれたのだから。

 守りたいものを守れるというのなら--たとえその果てに自身が死を迎えるのだとしても、何一つとして恐れることなどない。

 

「この剣にかけて誓おう。この身は最後まで貴方達と共に戦い抜き、必ずや街の人々を守り抜くと!」

 

 宣誓は高らかに響き渡り、今度こそ前線に駆けて行く。

 その背を追って人々も咆哮と共に自らの戦場に向かう。己の信念をその手に握る刃に変えて。

 戦いはまだ始まっておらず、絶望的な状況である事は何一つとして変わっていない。

 

--されど、希望は潰えず。滅びに抗う人々の戦い、その戦端が開かれる。

 

 

 

 ◆

 

 

 

『観測が完了した。敵性エネミーはワイバーンとスケルトンの二種。総数は1000体以上だ』

「たいした数だけ。これだけの戦力を揃えているあたり、向こうも必死なんだろう」

 

 リヨン西壁。その頂上で衛宮士郎は己が愛弓を構え、街に接近しつつある異形の軍勢を見据えていた。

 先程、カルデアから送られた襲撃の報せを受け、士郎を始め全サーヴァントは街の防衛に向かった。

 既にセイバー、ライダーはそれぞれの持ち場に向かい、マシュやジャンヌも前線へと赴いた。

 対して士郎は今まで自ら戦いの矢面に立っていたにもかかわらず、今回に限っては後方に下がった

 彼の性格を考えれば、それは実に"らしくない"対応だが--

 

「流石に、今回ばかりは意地を張っていられないからな。少しでも手を誤れば戦線はすぐに崩壊する」

 

 敵戦力の膨大さは一見して明らかだ。

 千を超える無数の異形、それも半数以上はワイバーン。

 たとえ亜種とはいえ歴とした竜。ただの人間が戦うには困難を極める。

 それ故にこの位置--自らの能力を十全に活かせる高所に陣取った。

 

『一応、最後にもう一度確認しておくけど、本当にこれでいいんだね?』

「悪い、ドクター。こればかりは譲れないんだ」

『・・・・・うんまぁ、君のそういった所も込みでサポートするのがこっちの役目なんだけど』

 

 真剣な様子で放たれたロマンの問いは、どこまでも本気な士郎の答えによって相殺された。

 この場所で街の防衛を再び行う。

 衛宮士郎の在り方、二騎のサーヴァントとの契約を鑑みれば、これは自然な状況だ。

 けど、今回に限って、ロマンは再考を促さずにはいられなかった。

 それは今から五分ほど前。

 室内の誰もが襲撃に身を硬くする中、衛宮士郎は別の感情を浮かべていた。

 

『マスター、先手を打たれた、とはどういうことでしょうか』

 

 その苦渋に満ちた表情をとても無視できなかったのか、マシュは士郎の呟きを拾い、そんな事を問いかけた。

 問われた本人はまだ表情を和らげる事はできず、それでも律儀に質問に答えた。

 

『あの黒い巨竜はセイバーの宝具で致命傷を受けていた。戦闘や飛行はおろか、歩行すらできないほどに』

『はい。それはわたしも先ほどドクターから聞きました。件の竜は瀕死の重傷だと』

 

 そもそもマスターとサーヴァントは契約<パス>で繋がっているため、大まかな感情の機微は互いに伝達される。

 視覚をはじめとした五感の共有は意図的に行う必要があるが、それ以外の感覚的な情報は存外簡単に分かるのだ。

 無論、本人がそれを由としないのであれば、その情報は認識しない事もできるが、緊急時においては例外だろう。

 そのため、マシュは巨竜がどれほどのダメージを受けたか、士郎の驚愕を通して間接的に理解していた。

 つまり、件の竜は一歩も動けず傷の修復すら不可能だろう、と。

 

『だからこそ、俺たちにとっては最大の好機だった。今すぐラ・シャリテに戻れば、敵の首魁ごと一番の障害を排除出来たんだ』

『っ! 確かに、巨竜だけでなく他のサーヴァント達も重傷でした。もう一度戦えば、こちらが断然有利な状況です』

 

 傷を負った三騎のサーヴァント及び巨竜と、消耗はあれどほぼ万全な状態の士郎たち。

 双方が戦った場合どちらが優勢かなど、考えるまでもない。

 だからこそ士郎は、その考えを提案しようとして--敵の襲撃は、正にその瞬間に訪れた。

 

『きっと、向こうもこちらの思考を読んでの行動なはずだ。そうでないとこのタイミングでの襲撃は不自然過ぎる』

 

 自分たちのマスターが危機的状況にある中、それを無視してたかだか街一つを襲うようなサーヴァントはいないだろう。

 士郎は現状をその様に判断し、それは的を得た思考だった。

 リヨンへの襲撃はただの時間稼ぎ、黒いジャンヌのサーヴァントが全力で殿についた結果だ。

 

『どうする、士郎くん。君の言う通りなら、これはまたとないチャンスだ』

 

 ロマンはあくまで冷静に、士郎の判断を問うた。

 それが、二騎のサーヴァントの前で行うにはどれほど高いリスクを持っているかを理解しながら。

 

『なにを馬鹿なことを言ってるんだ!そんなの駄目に決まってるだろ!』

 

 ロマンの言に真っ先に食いついたのはライダーだった。

 自らの英雄としての在り方を誇り、人々の平穏を願う彼にしてみれば、街の住民を切り捨てて敵を討ち取るなど到底容認できない方法だ。

 理性より本能、論理より自らの感情を優先する彼は、決してリヨンから離れる事はない。

 少し前に自らがラ・シャリテを離れた事が原因で、街を壊滅させてしまったためにその自責と使命感は大きい。

 だが、たとえ彼に論理的思考の余地がないのだとしても、この場においてはそれを押して考える必要がある。

 もし仮に、ここで竜の魔女とその配下を倒すことができたのなら。それは実質、この特異点での戦いに勝利するということでもある。

 魔女は斃れ、巨竜は生き絶え、主人を失ったサーヴァントは消滅する。

 最後に残るのは、所有者のいない聖杯のみ。

 疑う余地もない、完膚なきまでの決着である。

 ライダーが人々の生存を願うというのなら、これこそが最善と言えるのではないか。

 加えて、ここは特異点。

 正常ではない時間軸で起きたあり得ざる出来事であるがゆえに、特異点が修復されれば全ての出来事は"無かった"事になる、というのがロマンの言である。

 それを信じるのであればどれだけの被害--極端な話、全ての人間が死亡しようと、それは特異点の修復と共に元通りになる、ということだ。

 ならば、ここは真っ先に竜の魔女を仕留める事が最も有効な行動ではないか。

 

『セイバー、君はどう思う』

 

 ロマンがここまでの思考をライダーに語る事はない。仮に伝えたところでそれがどうした、と返されるのがオチである。

 それが確信できる程度には、ライダーという英霊の性質は把握している。

 故に、この場で問うべきはセイバーの考えだ。

 最悪、士郎たちと彼さえいれば竜の魔女と巨竜は殺せるのだ。

 ライダーが街の放棄を認めないというのなら、それは捨て置けばいい。

 或いは、彼に敵の目を引いてもらって、その隙により容易く竜の魔女に迫るという手もある。

 

『・・・・・俺は彼に剣を預けた身だ。どうするかは彼に任せる』

 

 そうして告げられたセイバーの言葉は、理想通りのものだった。

 先ほど、彼はすでに士郎を信頼し、共に戦うと誓った。

 正式な契約こそ行われていないが、彼はサーヴァントとして士郎をマスターと認めているのだろう。

 ならばこそ、彼は士郎の意思を尊重する。たとえそれが自らの意思に背くものだったとしても。

 

『あまり時間はかけられない。君の判断を聞かせてくれ、士郎くん』

 

 かくして、全ては衛宮士郎に委ねられる。

 追撃か、防衛か。

 その答えは聞くまでもない、とロマンは考えている。

 結果は追撃。衛宮士郎はリヨンを切り捨て、竜の魔女を討ち取り、この特異点を修復する。

 衛宮士郎という人間はとても優しく、お人好しで、誰一人傷ついて欲しくなくて--だからこそ、誰よりも冷酷に冷徹に行動する。

 理想を目指し、現実を理解するが故に、"次善"の手を取る

 それがロマニ・アーキマンという人間が知る、衛宮士郎の在り方だ。

 その根拠は彼がこれまでに見てきた士郎の立ち振る舞いや、彼らが二人だけで行った"話し合い"の結果だが、それは余人の知るところではない。

 いま重視すべきは、その決まりきった解答を士郎が言葉にする事であり、

 

「--ここでリヨンの人々を守る。竜の魔女の討伐は、今は後回しだ」

「え?・・・・・えぇええええええ!?」

 

 けれど、出てきたのは正反対の言葉で、ドクター・ロマンの予想は木っ端微塵に砕かれた。

 通信機越しに響く叫びは、そのまま彼の驚愕度合いを示している。

 何故なら、その選択は愚策に過ぎる。

 特異点が修復されればあらゆる出来事は無かった事になり、現状以上の竜の魔女打倒の好機は二度と訪れない。

 ならばこそ、街の防衛がどれほど無益な行動か、彼には分かっているはずなのだ。

 

『セイバーは宝具で正面から迎撃、マシュとジャンヌも前線で敵を抑えてくれ。ライダーは空から撹乱及び全体の支援を頼む』

 

 しかし、そんなロマンの驚愕など気にも留めず、士郎は的確に指示を出す。

 追撃の機会は失われ、敵の規模は膨大だというのに、彼からは一切の焦りというものを感じられなかった。

 

『さすがボクらのマスター!君なら絶対に皆を守るって信じてたよ!』

 

 言うが早いか、ライダーは一足先に部屋を飛び出す。

 その後に続いて士郎たちも戦いへと赴き、そうして現在に至る。

 

『士郎くん。しつこいようだけど、特異点は修復されれば無かった事になる。そこでの防衛はあまり意味がない。それでもやるのかい?』

 

 ロマンが士郎にこの話をするのは二回目だ。

 一度目はカルデアで、特異点等の基礎的な知識を伝えた時、そして今回は無意味かつ危険な行動を諌めるため。

 無論、カルデアに残ったレイシフト適正者が衛宮士郎ただ一人である以上、特異点での行動は基本的に彼の意思を尊重しなくてはならない。

 だがそれにも限度はある。こんな絶好の機会を逃すというのは、カルデア臨時代表を務めるロマンには見過ごせない。

 何とか説得して、この行動の無意味さを改めて貰う必要があるのだ。

 

「違うよ、ドクター。これは決して無意味なことなんかじゃない」

 

 ある意味必死とも言えるロマンとは対照的に、士郎は冷静に返答する。

 告げられたのは拒否ではなく否定。

 カルデアの特異点に対する認識そのものを否と断じる。

 

「死んだ人間、起きた出来事は戻らない。ここがまともな空間じゃないとしても世界の一部なのは確かだ」

 

 仮に独立し逸脱しただけの世界なら、人類史に影響を与える事はない。それはもはや異なる道程を歩む別世界と言っていい。

 ここは正常から外れ狂い果てた時代。過去確かに存在した地であるからこそ特異点は特異点たりうる。故に--

 

「世界は"修正"はしても"修復"はしない。特異点が消えた後、ここで失われたモノは別のナニカで補填されるだけで、元通りにはならない」

 

 異常を正したからといって、全てが元通りになるほど世界は融通の利くものではない。

 損失は損失のまま、他のもので穴埋めされるだけだ。

 

「仮に何もかもが元通りになるんだとしても、その時に感じる苦痛や恐怖は本物だ。俺はそれが、どうしても見過ごせない」

『・・・・・・・・・・』

 

 士郎が告げた考えに、ロマンが応じることはなかった。何も言えることはないのか、それとも何も言う気がないのか。

 どちらにせよこの場での無言は士郎の行動を容認するのと同義だ。

 

「それに、今から追撃しても向こうは既に相当の戦力を集めてる。あれを突破して竜の魔女たちを倒すのは相当困難になる」

 

 あれだけの軍勢を用意しておいて、まさか雑兵だけだとは考えづらい。最低でも一騎--より現実的に考えれば三騎以上のサーヴァントが来ている筈だ。

 強引に攻勢に出る代償が、こちらの全滅となっては元も子もない。

 この場は大人しく相手の出方に合わせるのが得策だろう。

 

『・・・・・分かった。これ以上は何も言わない。確かにチャンスを逃すのは痛いけど、それ以上に君の生存が最優先事項だ。最終的に特異点を修復して無事に帰還してくれればそれでいい』

「ああ、必ず成功させる。けど今は--目の前の敵を退けることが先決だ」

 

 弓に矢<ツルギ>を番え、魔力を充填する。

 竜の群れを狙うは幾つもの細い刃が巻き付きながら外側に反り出し螺旋を描いた黒塗りの剣。

 英文学最古の叙事詩において、竜殺しにして巨人殺しとされる英雄ベオウルフが所持した魔剣。

 担い手が健在である限り標的を追い続ける緋の猟犬。

 

「--暴虐の徒を喰らい尽くせ、赤原猟犬<フルンディング>」

 

 真名の解放を合図とし、主の魔力を糧として猟犬が疾走する。

 それは瞬きの間も無く音の壁を突き破り--竜の軍勢、その第一陣を消しとばした。

 矢<ツルギ>は標的に到達してなお止まらず、敵陣を縦横無尽に駆け回りながら次々と竜を屠っていく。

 本来、一度放たれた矢がその標的を変える事はない。どれほどの技量、如何な性能の弓であろうとその摂理は覆らない。

 されど、この赤き猟犬はその摂理を正面から喰い破る。

 猟犬が狙うは、担い手が敵と定めたモノ。故に、敵対者が存在する限りその数がどれほど多かろうと、力尽きるまで疾走は止まらない。

 

「壊れた幻想<ブロークン・ファンタズム>」

 

 言霊が紡がれ、猟犬は残った魔力を己ごと周囲に撒き散らす。

 宝具という規格外の武装を自壊させる事で内包する魔力を叩きつけるこの戦法は、こと対軍戦闘においては非常に有効だ。

 ここまでの一連の流れで赤原猟犬は実に83体の敵を絶命させた。

 これだけの戦果、通常なら敵の戦力を大幅に減少させるものであり--今回に限っては僅かな痛手にもならない。

 敵の数は膨大であり、千を超えてなお増加し続ける軍勢は被った損失を容易く塗り潰す。

 

「残り1km、連中なら数十秒とかからず詰められる距離だが--」

 

 第一射目の赤原猟犬は速度を重視してもので、魔力充填にかけられた時間はおよそ15秒。

 このままのペースで撃ち続けたとしても、敵を全滅させるには至らない。その前に、竜の牙が街に突き立てられる。

 故に、この場で衛宮士郎に求められるのは更に強力かつ広範囲の殲滅を可能とする宝具だが--

 

「--まあ、とくに心配する必要はないか」

 

 視線の先、遠方の竜の群れを赤原猟犬と同等--否、それ以上の火力を以って薙ぎ払う黄昏の残光。

 無数の竜が消し飛び、群の一角が丸ごと消滅する。

 それが誰による一撃かなど、考えるまでもない。リヨンの守護者、竜殺しの騎士。

 セイバーはその異名に相応しい戦果を叩き出した。

 

「こうして直に見るのは初めてだけど、やっぱり凄まじいな」

 

 セイバーの一撃によって撃ち落とされた竜の数は実に200以上。

 決して全力ではなかったとはいえ、壊れた幻想まで用いた赤原猟犬が倒した数をただの一振りで上回った威力は流石の一言に尽きる。

 士郎は心底、セイバーが敵でなかったことに安堵した。

 仮にあんなものが自分に撃ち込まれてはただでは済まない。

 

「シロウ殿、我々の配置は完了しました。連中を射程に収め次第、いつでも撃てます」

「分かりました。俺はこのまま竜の数を減らすので、撃ち漏らしたやつを中心に狙ってください」

 

 セイバーの力に感嘆の声を漏らす士郎に、若い男の声がかけられる。

 今回の戦いにおいて、戦場に出たのはなにも士郎やサーヴァントたちだけではない。

 兼ねてから結成されていた防衛隊もまた、それぞれが戦うことを選んだ。彼もまたその一人だ。

 こうして壁上に登り、ラ・シャリテの人々を守り、二人の騎士が認めたという少年と共に空の敵と戦おうとする。

 壁上には計十門の大砲が設置されている。既に発射準備は整っており、各砲台に就く人は砲撃の時を今か今かと待っている。

 眼下にはその手に剣や槍を構えた兵士がいて、彼らも侵略者である骸の軍勢を迎え撃たんとする。

 

「・・・・・あの数の敵を凌ぎきれるのでしょうか」

 

 そんな中、男は今さらになって不安を口にする。

 士郎の赤原猟犬、セイバーの黄昏の斬光。

 その二つの成果を認識してなお彼は不安でならない。本当に勝てるのか、自分の家族を守れるのか、と。

 街が保有する戦力は以前よりさらに増強された。

 竜殺しの騎士に加え、ラ・シャリテのライダーや士郎たち三人も加わって、守りに徹するのなら余程のことではリヨンは堕ちない。

 だが、それでも、今回の数には絶望しかねない。

 騎士の言葉に励まされ自身を奮い立たせてみたが、こうして高所から敵を視認するとその決意が揺れそうになる。

 それは、彼以外の兵士も例外ではない。

 一言も発さずただ砲撃の時を待っているのは、そうでもしないと一目散に逃げ出してしまいそうだから。

 不幸な事に、壁の上で砲撃を任された人員は士郎に声をかけた一人を除き、全員がただの一般人で戦に駆り出された事もない者ばかりだった。

 今までだって彼らにしてみれば恐怖に震えながら必死の思いでの戦いだったのに、今回はその十倍以上だ。

 せめて空だけであれば彼らも幾分気が休まっただろうが、地上の戦力も同じくらい膨大なのだ。

 むしろ、懸命に敵を睨み持ち場を離れないでいられることの方が奇跡だろう。

 

「問題ない、なんて簡単には言えません。--それでも、俺は何があってもこの街を守り通します」

「シロウ殿・・・・・」

 

 士郎は人々の苦悩を痛いほどに分かっていた。

 きっと、心の中は不安と恐怖でいっぱいで。何もかも諦めてしまいたくて。

 それでも譲れないモノのためになけなしの勇気を振り絞ってこの場に立っている。

 いつだってそうだ。

 衛宮士郎の周りには常にそんな人々がいて、懸命に戦っている--だからこそ、その想いに応えるために全霊で戦うのだ。

 

「それに、彼女たちもいてくれてますから」

 

 そう言って視線を向ける先は広大な草原。

 緑色の絨毯を蹂躙する白色の骸の前に立ちはだかる二人の少女だった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 二つの影が、骸の軍勢を真っ向から迎え撃つ。

 片や白銀の鎧装束に身を包み手にする聖旗を槍の如く繰り出し。

 片や黒の軽鎧を纏い身の丈を超える大盾を振るう。

 どちらも可憐な少女そのものだが、その力は双方共に有象無象の骸に遅れを取るものではない。

 

「マシュさん、あまり無理はなさらず。敵の数は多い、ここで私たちが尽き果てれば防衛線は維持できなくなります」

「わかりました。マシュ・キリエライト、余力を残しつつ敵性エネミーを討伐します」

 

 衛宮士郎が後方支援、セイバーが街正面に就いたように、マシュとジャンヌは最前線にて地上の敵を迎え撃った。

 空の敵に意識の大半を注がなければならない士郎やセイバーと違い、彼女たちには遠距離攻撃手段がない。

 そのため、二人は敢えて無数の骸達と衝突する事で街に到達させないようにした。

 

「常に互いの距離を意識して、決して分断されないように心がけて下さい。これだけの数、囲まれると厄介です」

「はい!」

 

 人数差において圧倒的不利でありながら、ジャンヌは欠片も焦りを見せない。

 どこまでも冷静に敵を捌き、戦いそのものに不慣れであろうもう一人の少女に助言を投げかける。

 マシュもまた懸命に戦っている。

 デミ・サーヴァントと化して幾度かの戦闘を経験した彼女は、しかして今回のような大軍勢を相手取る事は初めてであった。

 戦闘開始から五分。誰よりも早く近く敵を迎え撃った彼女たちが倒した敵の数はとうに百を超えている。

 しかし、そんな事をまるで感じさせないような物量が、彼女の精神を圧迫する。

 士郎やジャンヌに出会う前の彼女であれば、恐らくはとっくの昔に諦めているであろう状況だ。

 だが幸か不幸か、士郎に出会ってからこれまでの経験によるものか、彼女は現状に絶望を感じてはいなかった。

 既に、一番恐ろしい出来事は体験している。

 かつての黒く蒼い騎士との戦いや、自身のマスターが死に瀕した時を思えば、この程度はまだ耐えられる。

 今なお戦闘を恐れながら。不慣れながら。

 何があっても倒れないように、と自身を奮い立たせる。

 

「やぁ--ッ!!」

 

 振るう心を声に乗せ、骸達を粉砕する、

 その様はさながら、黒い旋風のようだ。

 デミとはいえマシュは確かにサーヴァントである。

 彼女の力は、知能もなく技巧も信念もない骸の人形風情が抵抗できるものではない。

 

「はっ!」

 

 無論のこと、それは傍らの少女にも言える事だ。

 ジャンヌもまたサーヴァントとしては完全とはいえないが、たかが雑兵に遅れをとる事はない。

 無論、これだけの数をたった一人で全て相手にするのは如何な彼女とて不可能だが、今回は幸運な事に多くの仲間がいる。

 彼女だけでは決して勝てない戦いでも、側にいる誰かがその背を支えてくれる。

 表情にこそ出さないが、こうして戦っているこの時にも彼女の心は安堵と歓喜に満ちている。

 

 ・・・・・本当は、一人きりでも戦い抜くつもりでしたが。

 

 勝機は少なく、敗北の未来の方が圧倒的に高い確率の戦いだった。

 味方は誰一人としておらず、孤独なまま、主の啓示もないまま強大な敵に挑む。

 別に、それ自体は構わなかった。

 生前も、その死後も。彼女は自らの信念を決して曲げずに戦ってきた。

 多くの人間が彼女を糾弾し、その身を炎で焼かれた時ですら、彼女は自らの信仰に殉じた。

 だから、今回もかつてと同じように在るだけだと思っていて--思いもよらない出会いが彼女に手を差し伸べた。

 それは救いではなく、共に在ろうとする意志で、きっと何より彼女が安心できるものだった。

 その歩みは決して一人のものではなく、たとえ自分が失敗しても後を継いでくれる者がいる。

 一人きりでも使命を果たすと誓っていた彼女だが、それでも同じ志を持った誰かが隣にいてくれるという事実が彼女を勇気付けた。

 本当はこの想いを言葉にしてもっと伝えたいのだが、そんな暇はないし、きっと彼らも望まない。

 故に、彼女がすべき事は変わらない。

 

 --街を守り抜く。

 

 衛宮士郎がリヨンの人間に宣言したように、ジャンヌもまた同じ意思を心に宿す。

 この場に彼女たちが在る限り、骸が街を堕とす事は叶わない。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「存外に早かったな。もう少し迷うものかと思ったが・・・・・」

 

 竜の魔女から殿を命じられ、竜の群れを指揮する男--黒いアーチャーは意外そうな声で敵の対応を評する。

 6:4の割合で追撃に傾く、と彼は予測していたのだが、実際は彼らは街の守護を選択した。

 予定であれば追撃に向かって来たところを包囲して一網打尽にするというのが当初の予定だったが、それも失敗に終わった。

 

「キミの話だと、彼らは二手に分かれてでも攻勢に出るようだったけど、どうやら当てが外れたようだね」

「全くもって君の言う通りだ。返す言葉もないよ、"セイバー"」

 

 戦局を見据えるアーチャーに声をかける者が一人。

 金の髪を揺らし美しくも中性的な容姿を持つその人物は、アーチャーの失態を言外に指摘する。

 指摘された当人も特に異論は無いのか、反論する事もなかった。

 

「潔いね。失敗を素直に受け止る姿勢には好感を持てるよ」

「事実だからな。特に取り繕うつもりも無し、言い訳したところでどうにもならん」

「確かにそれは道理だ--それで、そんな君はこの状況でどうするんだい?

「暫くは静観だろう。思惑が外れたとはいえ我々の目的は時間稼ぎだ。連中が街を離れないと言うのなら好都合だ」

 

 そもそも彼らがこの場にいる理由は、自分たちの主が無事に撤退するまで敵の足止めを行うためだ。

 アーチャー、セイバーがそれぞれ預けられているワイバーン400頭、更にオルレアンや他の地から掻き集めたのが800頭ほど、合わせておよそ1600頭ほどの竜の軍勢が揃う。

 加えてスケルトンの軍勢が1000体。本来数で圧倒するためのスケルトンがワイバーンに比べ少数なのは地上で行動するが故に移動速度が低いためだ。

 スケルトンの総数が少しばかり心許ないことを除けば、足止めには十分な数が揃った。

 

「それなりの数なのは認めるけれど、複数のサーヴァントを長時間拘束するには不十分じゃないかい?」

 

 セイバーの言葉通り、先述の話は相手が真っ当な存在であればの話だ。

 ただの人間であれば過剰にすぎる戦力でも、かつて数多の偉業を成し伝説となった英霊相手では些か分が悪い。

 加えて、その内の一騎は竜殺しに特化した対軍宝具を有している。ワイバーンだけではどうあっても敵わない。

 

「もっともな意見だが今回はそれで十分だ。下手に相手の対応を上回って街に被害を出せば、あの小僧が防衛を諦めて攻勢に出かねんからな」

「私としてはあの少年がそういった手合いには見えないんだが・・・・・まあ、用心に越した事はない」

「とはいえ、このままではこちらの手持ちが先に尽きるのも事実」

 

 既に敵セイバーの宝具が三度発動し、撃ち落とされたワイバーンは500にも及ぶ。

 そもそも本気で攻め落とす気はないためワイバーンには回避行動を優先させているが、それでも躱しきれないものがある。

 

「頃合いだ、こちらも動くとしよう。いい加減、君らも焦れてきたところだろう」

「・・・・・不本意ながら、ね。目の前で見せ付けられると、どうにも抑えが効かなくなる。それで、私は向こうのセイバーを相手にすればいいのかな?」

「いや。如何な君とて、真っ向からアレと斬り合うのは骨だろう。あの英雄は正真正銘の大英雄だからな。全霊で挑むにはまだ早い。君は後陣に陣取っている敵マスターを相手にしてくれ」

「了解した」

「盾の娘と本来の聖女は君に任せるよ、"ライダー"」

「・・・・・・・・・・」

 

 アーチャーとセイバーのやり取りを聴きながら一歩身を引く一人の女性。

 ライダーと呼ばれた彼女はアーチャーの言葉には応じず、彼に一睨みくれてやると、そのまま戦場へと向かった。

 

「彼女も随分と強情なものだ。マスターが付与した狂化は彼の串刺し公すら歪ませるというのに、ギリギリのところで押しとどめている」

「まったくもって感服するよ。流石は"祈りだけで竜を鎮めた聖女"だ」

 

 批判的な対応を受けたにもかかわらずアーチャーはまるで気にも留めない。むしろ、感心すら伴ってライダーを見送る。

 

「さて。私もそろそろ行ってくるよ。マスターが煩いだろうから殺しはしないけど、腕の一本は貰ってこよう」

 

 ライダーに続いて、セイバーが飛び出す。

 直前に見えたその表情は優美で穏やかに感じられたが、その瞳はどこか濁っていた。

 本来清いはずの湖に、汚泥を混ぜ合わせたような、そんなアンバランスさを内包していたと言っていい。

 その瞳が如実に語っている--楽しみだ、と。

 これから始まる闘争、互いの命を奪い合う殺し合い、という行為に高揚していたのだ。

 

「やはり我慢の限界だったか。予想通り・・・・・ではあるが、セイバーもアレで冷静だからな。羽目を外しすぎる、なんて事はないだろう」

 

 去り際にセイバーが告げたように、人類最後のマスターは竜の魔女たるジャンヌ・ダルクが仕留めるべき相手だ。

 復讐者たる彼女が自らに傷をつけた相手を見逃すはずがない。

 故に、彼女の旗下である彼らサーヴァントが主の獲物を横取りするようなことなど、あってはならない。

 

「もしそんな心配をすべきだとしたら、それはお前の手によるものだろう、"バーサーカー"」

 

 呼びかけに応えるように、一人の男が現れる。

 それを一言で表現するならば野人、とでも言うべきか。

 無造作に振り乱された金髪。屈強な肉体の殆どが露わになっており、身を隠すものは僅かに腰巻だけだ。

 

「果たしてマスターでもない私の指示が届いているか甚だ疑問だが・・・・・まあいい。お前の相手はあの剣士だ。強大な海魔すら素手で引き裂いてみせたその剛力、存分に奮え」

「----」

 

 アーチャーが言い終わると同時、バーサーカーが疾走する。

 その行く先は指示通り、竜殺しのセイバーのもとのようだ。

 

「ひとまず成功、か。アレを制御できるのか少々疑問だったが、杞憂に終わったな」

 

 サーヴァントのクラス中、バーサーカーほどコントロールが困難なものはない。

 常人が正常と捉える事柄はバーサーカークラスには適応されない。彼らは彼らだけの理で動くか、そもそも思考する能力を失っているのが常だ。

 故に、アーチャーにとってバーサーカーの投入は一種の賭けだった。

 制御出来ればそのまま活用し、失敗すれば適当に誘導して敵陣にぶつける。

 後者であれば彼らも相応の被害を被る可能性があったと言うわけだ。

 

「こちらの首尾は上々。後は連中次第だが・・・・・」

 

 鷹の如き瞳が映すは、カルデアのマスター。

 ワイバーンを撃ち落とし続ける少年を、彼はまるで何かを見定めるように睨み。

 

「--貴様が何者か。ここで見極めるとしよう、衛宮士郎」

 

 そう、怨敵の名を口にした。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「これで四射目。このままいけば町に被害が出る事はないだろうが・・・・・」

 

 赤原猟犬による爆撃、セイバーの宝具。

 この二つによってワイバーンの群れは目に見えてその数を減じている。群れを保った上で街に接近できる集団は存在しない。

 幸運にも二つの脅威を免れた個体がいたとしても、その先に待っているのは壁上に設置された砲台による各個撃破だ。

 地上の戦況もまた同様である。

 マシュとジャンヌによってすり減らされた軍勢は街の人間にも対処可能となり、残存戦力でリヨンを陥落させる事は不可能だろう。

 故に、敵がこの状況を看過するはずがなく--

 

「っ・・・・・!?」

 

 反応は一秒と満たぬ間に。

 上体を僅かに仰け反らせるのとほぼ同時、銀閃がそれまで首があった空間を穿った。

 

「--驚いた。戯れたとはいえ、手傷はあたえるつもりだったんだけど」

 

 いつの間に現れたのか。

 壁上には見知らぬ騎士が佇んでいた。

 羽帽子を被り上品な騎士服を纏ったその人物は、実に愉しそうな眼で士郎を見据える。

 感じる魔力、気配共にこの人物がサーヴァントである事は間違いない。

 

「シロウ殿!?」

「俺は大丈夫です。そちらはワイバーンに集中してください--アレは俺が相手をします」

 

 空の手に愛剣を握り、驚愕と危惧で動揺する兵士に僅かな逡巡もなく指示を出す。

 もとより命令などする立場にないが、この場においては余分な思考に意識を割く余裕はない。

 

「加えて対応も迅速。成る程、あのランサーが手こずったという話もあながち嘘じゃないみたいだ」

「・・・・・アンタは、何者だ」

「わざわざ口にするまでもないだろう? 竜の魔女に使えるサーヴァントの一騎、バーサーク・セイバーだ」

 

 答える必要がないと言いながら、律儀にその存在を明かす騎士。

 昨夜、アロワより齎された情報の中でその存在が確認された人物。リヨンの竜殺しと同じ、剣士<セイバー>

 ラ・シャリテのランサー・ヴラド三世に続く、三騎士の一角だ。

 

「よもや七クラス中最優のサーヴァントが一介の魔術師相手に不意打ちか。暗殺者<アサシン>の真似事をするにはその剣は少々不向きではないかね」

「さて、それはどうだろう。確かに私はセイバーのクラスに収まっているけど、そもそもサーヴァントは座に在る本体の一側面を切り落とした存在だ。ならば、生前の私が暗殺者を兼ねていても不思議はないだろう?」

 

 セイバーの言は間違ってはいない。

 人の手には余る英霊を制御するために特定の方向性に限定するものが筐<クラス>なら、宝具やスキルに残らずとも純粋な技巧として何かしらの名残が残っている可能性は十分に考えられる。

 先ほどの発言は裏を返せばこちらへの戒め、或いは挑発とも取れる。

 

「ご忠告痛み入る。しかし、仮にも敵である私に助言とは、ずいぶん余裕があると見える」

「ふふ。侮っているかどうかこれから君の目で判断してくれ」

 

 曖昧な言葉で、どちらか判断しずらい笑みを返すセイバー。

 だが、言葉や仕草がどうあれ、侮っているはずがない。そうでなければ、このサーヴァントがわざわざ俺の前に出向くはずがない。

 会話の流れから、ラ・シャリテでの戦闘の様子は伝わっていると見受けられる。

 ならば、油断や慢心で剣を鈍らせる、などというのは希望的観測に過ぎる。

 

・・・・・拙いな。

 

 サーヴァントを目の前にしている以上、ワイバーンの狙撃は中断せざるを得ない。

 それは、他の戦場でも同じだ。

 セイバーが現れてすぐ、マシュから敵性サーヴァントとの交戦開始が伝えられた。

 恐らく、こちらのセイバーのもとにも刺客が差し向けられているだろう。

 唯一救いなのは、空を駆るライダーだけは、いまだに誰の標的にもなっていない事だ。

 現状、彼がいれば最低限の防衛は果たせる。

 

・・・・・問題は、どうやってこの騎士を退けるかだが。

 

 当然、援護は期待できないし、残存魔力もそう多くはない。

 愛用する干将莫耶を除けば宝具の投影は三度が限界。真名の解放は一度出来れば御の字だろう。

 さらに言えば、戦闘の規模も極力抑えなければ、同じく壁上で戦う兵士達を巻き込んでしまう。

 つまり、衛宮士郎は純粋な剣技のみで、最優の英霊を打倒しなければならないということだ。

 

「安心するといい。私の仕事はマスターが撤退する為の時間稼ぎ、この場で君を足止めする事だ。他の人間には興味は無いし、君の命は奪らないように言われている」

 

 追い詰められた思考に助け舟を出したのは、意外にも敵のサーヴァントだった。

 

「・・・・・どういうつもりだ」

「言葉のままだよ。私達のマスターは相当に執念深い。恥をかかせた君を自分の手で葬らない限りは腹の虫が収まらないだろうからね」

「それで大将首を見逃すと? 私もずいぶん甘く見られたものだな」

 

 強がりを言ってみせるが、実際の所これは好都合だ。

 自身の死が人類史の敗北という条件がある以上、リスクは可能な限り避けなくてはならない。

 もっとも、だからといって気を抜く事は微塵もできないが。

 

「お互い、言うべき事は言い終えたし、そろそろ始めるとしよう」

 

 話は終わりだ、と言うようにその手に握った細身のサーベルをセイバーが構える。

 それを見て、張り詰めていた意識をより鋭く研ぎ澄ます。

 これから来る敵の行動に対応できるよう、脳内であらゆる予測を立て--

 

「ッ--!」

「っ・・・・・!」

 

 思考する間もなく、セイバーの刃が閃く。

 袈裟、薙ぎ、切り上げ、刺突。

 一息の間に行われた攻撃は全てこちらの急所を狙ったもの。一手でも受け損なえば即死の連撃だ。

 

「----っ」

 

 しかし、応じる事はできる。

 敵の一撃はどれも重く、鋭く、疾い。

 だが、決して対処できないほどのものではない。

 強化を施した視覚は敵が振るう剣の軌跡を確かに捉えており、疲弊した肉体は迫る凶刃になんとか食いついている。

 先ほど宣言した通り、セイバーには俺を殺そうとする意思がない。

 

「く・・・・・!」

 

 だが、そこまで。

 斬撃を防ぐ事はできても、そこから反撃に出ることができない。

 その名に恥じずセイバーの剣技は洗練されている。刺突を要とし、流れる様に繰り出される剣閃はいっそ美的ですらある。

 凡夫でしかない衛宮士郎が真っ当に打ち合って打倒出来るものではない。

 

・・・・・命拾い、したな。

 

 竜の魔女が復讐者<アヴェンジャー>に類似する性質であったことが幸いした。

 彼女が直接下した命令か或いは気を利かせただけか。どちらかはわからないが、そのお陰で衛宮士郎は今も生き永らえている。

 仮に竜の魔女が面目などまるで気にしない、目的の達成のみを追求する様な人物であったなら。

 少なくとも、こうして余分な考察をする暇は無かっただろう。

 

「これで五十二合目。これだけ打ち込んでもまだ痛手を負わせることができない・・・・・まったく、本当に大したものだよ、君は」

 

 自身の攻撃を防ぎ続けられている膠着を嫌ってか、セイバーは仕切り直し、とばかりに後退した。

 

「お褒めに預かり光栄だが、所詮は凡夫の剣。君のような一流の剣士を相手にするには少しばかり力不足だ」

 

 セイバーと言葉を交わしながら呼吸を整える。

 両者の間はおよそ5m。この程度の距離は目の前の騎士にとって存在しないも同然だろう。

 だが同時に、仮に敵が何の前触れもなく踏み込んだとしても、現在の衛宮士郎がギリギリで対応できる間合いでもある。

 

「よく言うよ。たかだか魔術師が振るうその凡夫の剣が英霊の剣を悉く防いでいるんじゃないか」

「それは君が手を抜いているからだろう」

「それでも、だ。少なくとも、そこらの剣士が相手なら70人以上の首を落としている」

 

 両者が打ち合った回数は五十二合。しかしこの騎士は、それ以上の人間を殺せると言う。

 それも当然か。

 ただの人間が英霊を相手にして真っ当な戦いに持ち込めるはずがない。それはもはや戦闘ではなく、一方的な蹂躙劇。

 刃の一振り、一突きが何人もの人間を絶命させる兵器なのだから。

 

「それに。私が加減をしていると言うのなら、それは君も同じだろう」

「・・・・・心外だな。私はこれでも必死なのだが」

 

 セイバーはそう言うが、それはありえない。

 剣の英霊相手に半端な心持ちで挑めるわけがない。もしそんな愚行を犯せば、無様な醜態を晒した人間の死体が出来上がるだけだ。

 だからこその本気。今こうしている時も、敵が隙を見せればその瞬間にその首を落とそうとしている。

 

「ああ。確かに君は本気を出だ。セイバーの間合いで戦い、敵わないと言いながら虎視眈々と私を討ち取る機会を伺っている--けれど、例えそうであったとしても、君は全力を出していない」

「・・・・・・・・・・」

 

 紡がれた言葉は予測でも、直感でもなく断定--信じ難い事に、それは衛宮士郎が手負いであるという事実以上に、何らかの策を隠し持っていると暴き立てる言葉だった。

 戦闘を開始してから経過した時間はほんの数分。

 五分にも満たない僅かな時間の中、この騎士はこちらの内情を把握したと、そう言うのか。

 

「言っただろう。見た目通りの騎士ではないと。生前の私にとって、腹の探り合いというのは日常茶飯事だったんだ」

 

 暗殺者という表現はあながち的外れではない。

 この英雄の生前とは、輝かしいものばかりではなく、誰もが目を逸らしたくなるような暗がりに身を沈めるものでもあったのだ。

 無論、赤の他人でしかない衛宮士郎がその事実を知る事はない。

 しかし、だからこそ彼は理解できない。

 

「・・・・・何故、敵である私にそんな情報を与える」

 

 数分前に発したものと同種の問いを投げかける。

 セイバーが衛宮士郎に忠告紛いの言葉を漏らしたのはこれで二度目。

 いかにこの場で殺す気が無くとも、両者は対立する敵同士。自身の能力や正体が漏れるかもしれない危険をわざわざ冒す必要はない。

 騎士の発言を鑑みれば少なくとも、慢心や戯心で口を滑らせるような人物でない事は確かだ。

 

「何故か、と言われれば--それは困るからだ」

「なに--?」

 

--その瞳を。

 

 衛宮士郎は、はじめて直視した。

 

「あんた--」

 

 濁っていた。淀んでいた。沈んでいた。

 死んだような眼をしながら、それでもナニカを求めて彷徨っている。

 

「私たち竜の魔女に招び出されたサーヴァントはただ一騎の例外もなく狂化されているんだ」

 

 ずっと疑問ではあった。

 ラ・シャリテで遭遇したランサーもこの騎士もクラス名にバーサーク、という一字を加えていた。

 その意味を、ようやく理解する。

 

 --狂い果てる<バーサーク>

 

 言葉のままだったのだ。

 彼らはそれぞれのクラスを持ちながら、狂戦士<バーサーカー>の性質を付与されている。

 

「狂化されたサーヴァントがどうなるか。君もマスターなら判るだろうだろう?」

 

 考えるまでもない。

 狂化とは文字通り英霊を狂わせるモノ。

 何を以って狂っているとするか、それは平時から逸脱しているか否かで別れる。

 初めから狂った者はいない。どれほど常識からかけ離れて誕生しようと、生まれ持った性質であるならそれは当人にとっては正常だ。

 それ故の狂化。生前、狂気に囚われた経験のある英霊を対象に、その理性を奪い暴走させる。

 

「だから、困るんだ。君にはもっと頑張ってもらわないといけない。そうでないと--」

「っ・・・・・!?」

 

 再び振るわれる剣。

 同じ人物から放たれたそれは--

 

「私は、眼に映る全てを殺戮してしまう!」

 

 されど、今まで以上の膂力を以って衛宮士郎を押しつぶさんとする。

 狂乱の叫びは、喜悦と懇願に満ちていて。

 

「だからどうか、この昂りを晴らさせてくれてくれ!!」

 

--解き放たれた狂気のもと、白百合の騎士が舞い乱れる。

 

 

 

 ◆

 

 

 

--リヨン西部草原地帯。

 

 数分前、夥しいまでの数で大地を埋め尽くしていた骸だが、その姿は以前ほどの威容を保っていない。

 街の正面から侵攻したその軍勢はその大部分が分断され、散り散りになっている。

 それを成したのは盾の乙女と救国の聖女か。

 それは間違いではない。

 二人の少女が排除した敵の数は優に400は超えており、骸による街への被害は最小限に留められている。

 しかし現状は、英雄が異形を退けた、というような分かりやすいものではない。

 

「よく防ぐものね。"彼"の腕は軽いものでははないでしょうに」

「はっ--は--!」

 

 その声はマシュ・キリエライトのものでも、ジャンヌ・ダルクのものでもなかった。

 青みがかった黒の長髪を揺らす女性。

 十字架を象った長大な杖を携えたその人物こそ、フランスを滅ぼす竜の魔女の尖兵が一騎--バーサーク・ライダー。

 骸の軍勢を屠る二人の少女の前に現れた彼女は、その役目通りに戦いを仕掛けた。

 

「けれどそれも時間の問題でしょう。貴方たちの力では、どうやっても"彼"を打ち倒せない」

 

 そして、ライダー以上にその目を引くのは、彼女の背後に存在する巨大な影。

 体長10mにも及ぶ、六本の足をもながら二本の足で大地に立つ、亀の如き甲羅を背負う竜。

 ライダーに付き従うそれはワイバーンの様な亜竜ではなく--正真正銘、人々の恐怖の象徴たる竜<ドラゴン>である。

 

「マシュ、まだ戦えますか?」

「無論です。まだ、倒れるわけにはいきません!」

 

 数的有利もあってマシュは当初、ライダーとの戦闘は自分達が有利であると考えていた。

 二対一を承知で挑んできた相手の思考を訝しんだ。

 だが蓋を開けてみれば苦戦を強いられているのはマシュたちであった。

 

『■■■■■■----ッ!!!』

「っ・・・・・!」

 

 亀竜の咆哮が響き渡ると同時、巨大なナニかが空間を薙ぎ払う。

 それに一歩遅れる形でマシュが踏み込み、盾を掲げる。

 

「ぅ--く--!」

 

 次いで衝撃。

 構えられた大盾は巨大なナニか--亀竜の腕を受け止めていた。

 自身の全身より遥かに大きな竜の腕を相手に、マシュはその華奢な体で拮抗している。

 だが、拮抗していると言ってもそれはギリギリで、辛うじて張り合えていると言う方が正しい。

 膂力の差は明白だ。

 マシュがいかにサーヴァントとはいえ、相手は竜。英雄<ニンゲン>と竜<バケモノ>の力比べでは、そもそも勝ち目がない。

 本来なら勝負にすらならないが--曲がりなりにも渡り合えているのは彼女が盾の英霊<シールダー>であるが故か。

 

『■■■■■----ッ!』

 

 しかし、竜にはそんな少女の奮闘は関係ない。

 受け止められたなら相手が根を上げるまで押し込む。

 竜種という存在が人々にとって恐怖の象徴であり、挑み掛かる勇者の身も心も粉砕し尽くすものなら、現状はまさに亀竜の本領発揮だ。

 その儚くも強固な盾を少女の想いごと圧し潰す。

 

--されど、この戦いは英雄と竜の一騎打ちではない。

 

「マシュ、そのまま抑えて--!!」

 

 黒の盾の影から、もう一人の少女が跳躍する。

 本来、味方を鼓舞する為の聖旗を、ジャンヌは槍のように振り上げ竜の顔面めがけて飛び込んだ。

 

『----ッ!』

 

 迫る驚異を亀竜が視認する。

 このままではまずい、と叫びをあげ--それ以上動く事はできない。

 さしもの亀竜にも、サーヴァントを相手にしながら別の敵を迎え撃つような対応力はない。

 故に、ジャンヌはその絶対の隙を逃すまいとし。

 

「っ----!?」

 

--瞬間、少女が光に包まれる。

 

 何の前触れも予兆もなく、ジャンヌの肉体で爆ぜる魔力。

 亀竜に意識を集中させていた彼女に抗う事はできず、その衝撃のままに吹き飛ばされる。

 

「ジャンヌさんっ・・・・・!」

「私は大丈夫です!それより彼から目を離さないで!」

 

 マシュは亀竜の剛腕を流すことで後退し、落下したジャンヌのもとに駆け付ける。

 ジャンヌはルーラー故の高ステータスのおかげか、大きな傷を負ってはいなかったが--

 

「やはり駄目です。彼女がいる限り、わたし達ではあの竜を退ける事はできませんっ!」

 

 ライダーとの交戦以降、今のような光景が何度も繰り返されている。

 マシュがどんなに竜と拮抗しようと。ジャンヌがどれほど疾く竜を狙おうと。亀竜が隙を晒したとしても、傍のライダーがそれをすぐに埋めてしまう。

 そうして逆に隙を見せた自分達に再び竜の腕が落とされる。

 

・・・・・然もありなん。

 

 強大なる超越者。英雄に匹敵する、或いはそれ以上の存在。

 幾多の神話や伝承においてその存在が記される竜種--それだけが相手であったのなら、マシュ達がこれほど苦戦する事はない。

 竜<バケモノ>は英雄<ニンゲン>の天敵だが、これを逆転させるのもまた英雄が英雄たる所以である。

 多くの物語において竜は英雄に討たれる定めにある。ならば亀竜との戦いにおいて、英雄たるマシュ達が敗ける事はない。

 

--だが違う。

 

 英雄による悪しき竜の討伐。この戦いは決してそのような物語ではない。

 打倒すべきはあくまで”ライダー"なのだ。

 英雄と同等以上の力を誇る存在--それを己が力として自在に扱う"英雄"こそが、彼女達の真の敵である。

 

「確かに、彼女を倒すには私達ではどうあっても手が足りない」

「せめて、先輩やセイバーさん、ライダーさんが居てくれれば話は別なのですが・・・・・」

 

 マシュもジャンヌも守りにおいては鉄壁を誇るが、攻勢においてはその限りではない。

 防御力の高さが攻撃力の高さに通じる事はあるが、これはそのような数値上の理論ではなく、在り方の問題。

 他者の守護に重きを置く彼女達にとって、それ以外の事柄は不得手と言える。

 護り手<ディフェンダー>がその真価を発揮するには、頼りになる前衛<アタッカー>が必要なのだ。

 

「竜の一撃が骸ごと蹴散らしてくれているのが、唯一の救いですね」

 

 亀竜が振るう腕は、豪快の一言に尽きる。

 少女達を圧壊せんとするそれは、味方であるはずのスケルトンすら巻き込んで叩き込まれる。

 盾と腕の激突は途方も無い衝撃を発生させ、骸達は骸骨故の軽量さで吹き飛ばされる。

 マシュ達が削った400体のスケルトンに対し、ライダーと亀竜はその暴風のごとき破壊を以って500近い数を木っ端微塵にした。

 それがどのような意図で行われたのかは定かではない。

 スケルトンは戦力として何の足しにもならないため同士討ちを考慮しなかったのか。マシュ達との戦いにおいて邪魔だったから諸共に破壊したのか。

 一つ確かな事は、地上からの侵攻による街の陥落は完全に御破算となったという事だ。

 

「ですが、やはりこのまま膠着状況が続くのも拙い。ライダーがどうやって攻撃しているのか。せめてその仕組みもわからないままでは、私達は余りにも無防備過ぎる」

 

 ライダーが発しているであろう魔力は、およそ前兆というものがまるで無い。気付いた時には攻撃されていて、無様に吹き飛ばされる。

 防御も回避も許さない、不可避の閃光。

 亀竜とライダーの連携を崩し、竜の守りを突破した上で、正体不明の攻撃を加えるライダーを討ち取る・・・・・とてもではないが、不可能と言わざるを得ない。

 無論、このまま耐え忍ぶという事も、また出来ない。

 サーヴァントとしての実力はライダーが圧倒的に優れている。

 宿した英霊の真名も分からず、宝具を扱えないマシュ。サーヴァントとしての能力の殆どを失っているジャンヌ。

 どちらが勝っているかなど、考えるまでもない。

 このまま戦い続ければ、そう遠くない内に二人が先に潰れる。

 

『二人とも、聞こえるかい? 先程、ライダーの解析が完了した』

「ダ・ヴィンチちゃん!?」

 

 窮地へ追いやられたマシュ達へ通信をよこしてきたのは、カルデア所属サーヴァントにして技術顧問のレオナルド・ダ・ヴィンチ。

 平時においてはその突拍子も無い立ち振る舞いで周囲を振り回す彼女だが、この場においてはその性質の鳴りを潜めている。

 

「それで、どのような解析結果だったのですか」

『うん、結論から言うと、ライダーのあの魔術は彼女の杖を起点として発生している』

「杖、ですか・・・・・?」

 

 ダ・ヴィンチの言葉に従い、マシュは改めて敵の得物を視る。

 全長で言えば自身が振るう盾にも匹敵する、大きな杖。十字架をモチーフとしたであろうそれは英霊の所有する武具として確かに相応しいだろう。

 だが、今しがた聞いたように、魔術を行使出来るような代物には到底思えない。

 

『だからアレはあくまで起点だ。彼女の魔術行使、その本質は--』

「--祈り、ですか?」

「おっと、ジャンヌ君に台詞を取られてしまったね。--その通り。あれは彼女の祈りを一切の過程無く、魔術という形に変えて放っているものだ」

「そうですか・・・・・」

 

 腑に落ちない様子のマシュと違い、ジャンヌは納得を得ていた。

 

「ジャンヌさんは予想していたのですか?」

「あの魔力が祈りによるもの--それも、私が信仰する主と同じ神へ向けられたものだという事は、なんとなくですが予感していました」

 

 マシュが想像していた以上に、ジャンヌがライダーから感じ取っていたものは多かった。

 殊更、その祈りの向かう先まで予見していたことに、彼女は驚きを隠せない。

 

『そこまで直感しているなら、あのライダーの真名、君にはもう分かっているんじゃないか?』

 

 カルデアでは既に、解析から得られた情報を元に敵ライダーの真名を絞り込んでいる。

 だから、ダ・ヴィンチの問いかけは予想ではなく確信。

 客観的な情報からカルデアが敵の正体に当たりを付ける事が出来たのなら、より根源的な部分でライダーの性質に気づいたジャンヌが同じ解答に辿り着かないわけがない、という断言。

 

「・・・・・初めから、記録に該当する要素は見られました。十字を象った杖。亀のような外見の竜。それらを兼ね備えた上で主への祈りを力に変えられるほど信仰篤い人物となれば思い当たるのはただ一人--聖女マルタ。それが彼女の真名でしょう」

 

 聖女マルタ。

 新約聖書にその名が記される女性。世界最大宗教において"神の子"と称される者と出会い、それをきっかけに生涯を信仰に生きた人物。

 殊更、タラスコンにおける竜退治は、彼女の名をより確かなものとする。

 

--曰く、聖女マルタは祈りだけで竜を鎮めたという。

 

「では、彼女の宝具らしきあの竜がタラスク・・・・・」

 

 旧約聖書に記される天地創造において神が五日目に産み出した海の魔物、レヴィアタン、或いはリヴァイアサンの仔。

 それが亀竜タラスク。レーヌ川に潜み、多くの人間を喰らった恐るべき怪物である。

 

「自ら名を明かしたわけではないというのに、目の前で真名を暴かれるのは、存外に不愉快ね--ですが、ええ。私の真名はマルタ。かつて主の教えを広め竜を鎮めた女の現し身にして、今は憎悪に狂う竜の魔女の使いっ走りです」

 

 自らの正体をつまびらかにされた彼女は、改めて己が真名を明かす。

 

「やはり、そうでしたか。ですが何故--何故、貴女ほどの英霊が竜の魔女などに加担しているのですか!」

 

 告げられた名を聞き、しかしてジャンヌは一切の油断も喜びも見せない。むしろ、その名を知ったからこそ彼女は問わずにはいられない。

 マルタは聖女としてその名を残した女性だ。その行いも、生涯も、在り方も高潔であり、彼女の魂の美しさは彼女と同じ神を信ずる者の多くが尊敬の念を抱くものだ。

 そんな彼女が、このような非道な虐殺を容認していると言う事実は、ジャンヌにとっては認めがたいものだった。

 

「・・・・・確かにこんな事、私の望むものではありません。けれど、今の私はサーヴァント。所詮はマスターがいなければ現界する事もできない、かつての影法師。おまけに狂化を付与されたとあっては、決して彼女に抗う事はできない。同じサーヴァントなら分かっていると思うのけど--それとも、貴女は少し違うのかしら」

「それ、は・・・・・」

「--ああ、なるほど。貴女も彼女と同じく、欠落を抱えているのね」

「っ・・・・・!」

 

 世界の滅び。かつての故郷で行われる虐殺。そして、復讐に狂う私竜の魔女

 この地において、サーヴァントとして召喚された彼女の役目は決まりきっている。

 世界を救うこと。より多くの命を守ること。竜の魔女などという"存在しない"誤りを正すこと。

 他の誰が望まずとも、他のナニかが指示せずとも、それだけは変わらない。ジャンヌ・ダルクはどうあっても戦いを選ぶ。

 

--果たして、本当に?

 

 彼女は理不尽な死を許さない。それは間違いではないだろう。

 だが、彼女は本当に、戦い抜くことができるのか。

 昨日、彼女は共に戦うと決心した士郎達に告げた。

 一人で戦うのは不安だった、仲間ができて心強い、と。

 この言葉の意味するところとは即ち、勝算が上がったことへの喜びだ。

 サーヴァントとして不完全な彼女は、自らが失敗することによる被害を危惧していた。それが士郎たちが仲間になった事で幾らか解消された。

 彼女の安堵は、ただそれだけの事。ジャンヌは、自身の心をそのように考えた。

 けれど、或いは、彼女の考えとは裏腹に

 勝利への不安ではなく、サーヴァントとしての不完全性でもなく--ただ自分に寄り添ってくれる誰かがいることに、安堵した事はなかったか。

 

「--呆れた。そんな様で、貴女は本当にこのフランスを救えるつもりなの?」

 

 投げかけられる問いかけは、今のジャンヌにとって毒そのものだ。

 少女が今まで封殺してきたナニか。それが致命的なまでに自分を歪ませると心の何処かで分かっているから、彼女は見て見ぬ振りをしてきた。

 だというのに、ライダーの言葉はその欠陥を暴き立てる。

 眼前に突きつけられたそれを無視する事はできず、正体不明の違和感と少女は否応なしに相対しなくてはならない。

 

「答えを出せないと言うのならこれ以上話すべき事もない。何もできないまま、この国の滅亡を眺めていなさい--ッ!」

『■■■■■■■■--------ッ!!!!』

 

 ライダーの意思に応え、竜の咆哮が轟く。

 タラスクはその巨体を以って、再び少女達を押し潰そうとする。

 

「させません--ッ!!」

 

 即座に反応したマシュが、竜の吶喊を受け止める。全身を貫く大衝撃に呻きをげながら、それでも少女は倒れない。

 その姿を見て、ジャンヌもまた己の役割を思い出す。

 彼女の悩みも欠落も、この戦いには関係のない事だ。どうあれ彼女が今すべきは、目の前の敵を退ける事。

 得体の知れない不安の対処など、この場で考えることではないのだから。

 

--かくして、二人の未完成な英雄と堕ちた聖女の戦いが再開される。

 

 それぞれ果たすべき役目があり、互いに譲れぬものがある。

 片や、世界を救うため。片や、ナニかの到来を待ち続けるため。

 どちらか一方を斃し、己が願いを貫くために--戦いは激しさを増していく

 

 

 

 

 




一年以上も時間をかけておきながら内容自体はあまり進んでいないのが何とも言えません。前話のように一人だけの戦いなら良いのですが、同じシーンで複数人描写しようとするとどうしても二話ほど跨いでしまいます。リヨンはオルレアン編全体で考えればまだまだ序盤なので、あんまり激しく盛り上げられないので余計に難しく感じます。次話もいつ投稿できるかわかりませんが、どうか長い目で見守って頂ければと。

以下、恒例と化してきた弊カルデア新規召喚サーヴァントの紹介です。

クー・フーリン・オルタ(実装当初から幾年、ようやくお迎えできた黒化アルスターの大英雄。これで後はアーチャーのオルタを召喚すれば、SN勢の三騎士が通常・オルタ共に勢揃いします)

『両儀式』(とある雪の日にただ一人の男の前に現れた泡沫のごとき女性。一歩間違えればビースト化やら世界滅亡やらが起きる可能性があるが、いつかの誰かのように、ありふれた人間だったためその心配は今のところない模様)

紅閻魔(現状、調理技術においてはカルデアに召喚されたサーヴァントの中で頂点におわすであろう小さな女将さん。遂にアーチャー/エミヤもお株を奪われたか、と思いきや総合力や台所での統括力では上回っていそうな上に、女将には板長と呼ばれて一目置かれてる辺り、流石の一言です)

ナポレオン(実は第二部実装組ではトップクラスに好きなサーヴァント。人々に斯く在れと望まれた、故に斯く在る、という英霊という存在そのものを体現したような彼がとにかく格好良くて、北欧で見せた活躍とヒトへの信頼が胸を穿ちました)

項羽(山ちゃんこと山寺宏一さんという神域のお声をお持ちの超大物声優さんが、ついにTYPE-MOON作品に出演という事で、当時は心底驚きました。演じる英雄も中国きっての大英雄が一人。異聞帯の姿で召喚されているが、実際中身は汎人類史側の模様。個人的には汎人類史での姿も見たいです。無論、順当に考えればストーリーで使われた姿で実装されるのは当然ですが、それでもせっかくですから再臨や霊衣でお披露目してくれてもいいと思うのです)

ナイチンゲール(婦長の愛称でお馴染み更迭の看護婦にしてクリミアの天使。生前の逸話が過激過ぎてバーサーカー化に一切の疑問や違和感を感じさせないのがすごいところ。弊カルデアではフランちゃんと共にQパで活躍してくれており、彼女のスキルで本来スタンが入る磔刑の雷樹を連発できるのです。もともとフランの宝具レベルが4と結構高めなので、スカスカシステムによって最終フェーズでは平均14、5万のダメージを叩き出してくれます)

老李書文(若い方と同じく、何故かクラスが入れ替わっている老師。閻魔亭で唐突に按摩師やりだした挙句、ぐっちゃんパイセンを悶絶させてたのは余りにも面白過ぎた)

"山の翁"(セイバー/アルトリアさんがFateの顔なら、TYPE-MOONの顔である中田譲治さんvoiceサーヴァント。ゲームにおけるティアマト戦ではこれでもかと言うぐらい格好良い 姿を見せてくれましたが、アニメでは微妙と言うか、想像していたものとは別物でした。ネガ・ジェネシス内の描写は冠位も失って本来動けない筈の領域での戦闘な上に、概ね設定通りの描写でしたからまだ許容できるんですけど、11のラフムとの戦いでなら、もっと剣戟の極致みたいな戦いを見せてくれても良かったと思う。やはり、TYPE-MOON作品の戦闘シーンにおいて、UFOは頭一つ飛び出ているのでしょうか)

水着武蔵(何をどうやったら聖杯うどんなんていうぶっ飛んだ発想にたどり着くのか、これでセイバーさんまで聖杯ご飯とかやらかしたら目も当てられませんよ)

水着槍アルトリア(プレイ4年目にしてようやくお迎えできた水着の騎士王。自分、水着の騎士王とは滅法相性が悪く、アーチャーのセイバーや、ライダーのセイバーオルタの召喚にことごとく失敗しておりまして、ベガスも武蔵ちゃんや復刻マーリンに目移りしてしまったため彼女に回せる石が減り、自力での召喚は出来ませんでした。ですが、5000円程課金して最後の10連でおいでくださいました。年々新しいセイバーさんの系譜が実装されるため、その度に士郎に引き合わせたい欲が強くなってしかたありません。自分、ランサーアルトリアが準ぐだラブ勢っぽい描写されてるのが心底気に食わない面倒くさい輩なので、余計にその想いが強まります。たとえどんな姿で、別のクラスで、神霊寄りになっていようと、アルトリア・ペンドラゴンにとって最高のパートナーは創造神から魂の双子とまで称される衛宮士郎だけなのです!!!!!)

アーサー(本家セイバーさんを召喚する前に何故か召喚できた、プロト騎士王。彼がいるせいでいずれあのお姉ちゃんが現れるのではないか、と不安になります。同じ根源接続者や快楽天ビーストなどの前例があるから余計に心配です)

紫式部(泰山解説とか言うおっそろしい呪術を悪気なく行使しちゃう妖艶ながら可愛い歌人。彼女にあんな悪趣味なもんを教えた安倍晴明はキャス狐の言う通り、本当に性悪イケメンかもしれない)

セイバー/騎士王アルトリア・ペンドラゴン(遂に!! 2020年1月12日に!!ようやくお迎え出来ました!!!
もうほんと嬉しくて、速攻霊基再臨レベルマにし、あるだけ金フォウぶち込んでパーフェクトセイバーにしようと意気込みましたが、素材不足でスキルマは出来ず、カリスマのスキルランクが未だ低いまま。おのれ、英雄の証め・・・・・。コロナ騒動のせいで風王結界の簡易霊衣の実装も長引いて残念です。けど召喚できたのでこっちのもんです!)

オデュッセウス(キルケー敗北拳の原因となった天然ジゴロ。イベントやマイルームボイスを聞いてわかったのですが、彼はあれだ、士郎とか志貴とかと同じタイプで、無自覚に女性を落としていく男だ。そのくせ惚れた相手には一筋なあたり、本当に士郎たちと一緒なんですよね)

ロード・エルメロイ二世/諸葛亮孔明(玉藻、スカディに続く三人目の人権サーヴァント。二世のキャラ自体が好きな上に、サポート最高位の性能なおかげでパーティ編成の幅が大幅に広まりました)

今回は星5だけを載せましたが、実際には9騎ほどの新規星4サーヴァントも召喚しています。流石にその全てを乗せると長すぎるので今回は割愛です









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勝利は遠く

皆さまお久しぶりです、なんでさです。
今回もかなりの間を置いての投稿と相成りました。いつもながら他の事で全く執筆に手付かずでございました。
fgoの方も近頃イベントはモチベが上がらず去年のハロウィンから、クリスマスとぐだぐだとバレンタイン以外はほぼ手付かずでした。たまにはガッツリ五次組絡めたイベントとかやって欲しいもんです。snネタはなんぼ擦ってもええと個人的には思います。そんな滅茶苦茶どうでもいい心境でしたので、今回ちょっとsnネタが打ち込まれてるので、その辺りどうかご了承ください。




 士郎が街の防衛を決意した直後、竜殺しのセイバーはすぐさま自身の配置についた。

 彼が防衛を任された地点は街の正面。街と外を繋ぐ橋の前であり、異形の軍勢が街へ侵攻するための最短経路だ。

 この位置に陣取ったセイバーの役目は二つ。

 一つは地上から迫る骸の迎撃。もう一つは、無数のワイバーンを撃墜する事だ。

 敵軍はその数も然る事ながら、何より厄介なのは大半の敵が手の届かない空にいる事。

 スケルトンの様に地上からの侵攻であれば街の人間にも多少の対処はできる。しかし、飛行するワイバーンではそもそも刃を届かせることができない。

 無論、それらに対応するために街を囲む壁上には大砲が設置されている。だが、1000を超える物量の前にはたかだか十門程度の大砲は何の意味もなさない。

 故に、彼は陸空の両方を射程に収めることができるこの場所を任された。

 

「--堕ちろ」

 

 無数の老緑に侵された空が、黄昏色に塗りつぶされる。

 放たれる剣光に捉えられたワイバーン達は、その黄昏の魔力に触れたが最後、肉片すら残らず蒸発していく。

 ワイバーン達は指揮者たるサーヴァントの指示によって、一斉撃破を避けるために密集する事なくまばらになって街へと進行している。

 しかし、セイバーの宝具が発する斬撃は直線ではなく広く半円状に広がる。故に、ワイバーンたちが如何に回避を試みようと、セイバーの宝具から逃れることはできない。

 

・・・・・空の敵は俺の宝具で十分対処が可能、か。

 

 セイバーが宝具を発動した回数は既に四度目。撃墜したワイバーンの数は1600体の内、約700体。

 実に全体の約四割の敵を撃ち落としたことになる。加えて、士郎が撃墜した分も考慮すれば、既に半数以上のワイバーンを撃破している。

 このまま現状を維持できれば、竜の軍勢はそう遠くない内に全滅するだろう。

 

・・・・・後は地上からの侵攻だが。

 

 少し前、士郎、そしてマシュとジャンヌがそれぞれ敵サーヴァントとの交戦を開始したとの情報がセイバーに伝えられた。

 可能であれば援護へ駆けつけたい思いに駆られるが、彼は持ち場を離れられない。その選択をしたが最後、セイバーという最大の護りを欠いたリヨンは瞬く間に蹂躙される。

 仮令、人類最後となるマスターの士郎の命が脅かされるような状態にでもならない限り、彼がこの場を動く事は叶わない。

 幸いにして、士郎にはサーヴァントと戦って生き延びるだけの力がある。マシュとジャンヌも、それぞれ欠けるモノがあるとはいえ歴としたサーヴァントだ。そうそう敗北することはない。

 

・・・・・問題は、雑兵の進行を如何にして阻むかだな。

 

 空の敵はセイバーと士郎が、地上の敵はマシュとジャンヌがそれぞれ請け負っていた。これにより異形の軍勢はその大部分が討ち取られ、未だ町へ被害は及んでいない。

 だが、各人の前にサーヴァントという異形達を上回る脅威が現れた以上、それらを迎撃しなくてはならない。

 仮に一騎でも突破されれば、その時点でリヨンは陥落する。

 

・・・・・今の所、骸の大多数はあちらで仕留めてくれているようだが。

 

 マシュ達の奮戦によってリヨンへ向けて進軍するスケルトンはその数を大きく減らしている。

 よしんば、彼女達の防衛線を運良く突破し街の周辺に辿り着いたとしても、たかだか数体程度では崩せないリヨンの防衛隊が骸共を待ち受けている。

 しかし、この状態もいつまで維持できるか。

 マシュ達がサーヴァントと戦い続ける限り、スケルトンの進軍を妨げるものは存在しない。

 敵が群れをなして襲ってくれば、その時点でリヨンの防衛隊は壊滅するだろう。

 無論、そのような結末を容認するセイバーではない。たとえ敵軍がそのまま街に近づこうと、セイバーはその悉くを打ち砕くつもりでいる。

 この英雄にはそれだけの力が力があるのだ。

 

・・・・・或いは、彼はこの事態を見越した上で、俺をここに配置したのか。

 

 七クラス中、最優と称されるセイバーのクラスは伊達でも酔狂でもない。

 このクラスに据えられるには、輝かしいまでの逸話と圧倒的なスペック、そして剣の英霊の名に相応しい宝具を有していなければならない。

 真っ当な召喚が行われているのであれば、まず間違いなく一流の英霊が喚びだされる。

 それはこのセイバーにも言えることだ。

 本来なら現在マシュ達が任されている戦場--戦いの最前線こそがこの騎士には相応しい。

 

 にもかかわらず、士郎はセイバーを守りの要とした。

 この英霊であればワイバーンの撃墜もスケルトンの一掃も、最前線でも同時にこなして見せるだろうというのに。

 少なくとも、士郎はセイバーにはそれだけの力量があると考えている。そのことを考慮すれば、やはりセイバーを最前線に配置するべきだ。

 しかし、逆に言えば。

 本来取るべき戦法を取らず、敢えて非効率な選択をしたと言うことは。

 

・・・・・初めから、このような戦況に至ると予測していたのか。

 

 如何なセイバーとて、サーヴァントを前にして他の事に意識を割けるほどの余裕を持てはしない。その点において、セイバーとマシュ達の間に大きな差はない。

 仮に前線にセイバーを配置した場合、彼が敵サーヴァントと交戦すれば敵軍の進行を阻めないだけでなく、自陣において最強の切り札を孤立させることになる。

 だが街の周辺であれば、士郎やライダーからの援護を受けられる。

 殊更、この英雄にとっては己が"背中"を安心して任せられる状況というのは、何よりも得難いものだ。

 

・・・・・それら全てを織り込み済みで戦いに臨んだと言うのであれば、凄まじい戦略眼だ。

 

 五度目となる真名解放を行いながら、セイバーは出会って間もない少年に対する評価を改める。

 先刻、ラ・シャリテで起きた戦いを生き残った時点で、士郎が確かな実力を有していることを理解していたが、さらに戦略性・戦術性にも確かな信が置けると判断した。

 

・・・・・いずれにせよ、俺のするべきことは変わらない。

 

 自身の宝具による戦果を確認しながら、セイバーは思考を中断する。

 既にワイバーンの群れは七割削れている。スケルトンも、未だ前線で停滞している。

 このままでいけば、異形の軍勢が街に到達することはありえず--そのような油断こそが、戦場においては何よりも命取りになると、セイバーは知っている。

 絶対有利な戦況、敗北などあり得ない盤石な体勢、そういった時にこそ、一層気を引きしめなければならないのだ。

 故に、セイバーは一切の油断も見せず、今一度己が宝具を構え直し、

 

「っ----!」

 

--瞬間、直上へと剣を振り抜いた。

 

 その行動に、明確な意図というものはなかった。

 再度の宝具解放に備えていたセイバーに、およそ余分な思考というものは存在しなかった。

 ただ、そうしなければならないという、焦りにも似た直感に従っただけであり--それが、彼の命を救った。

 

「----」

 

 振るった自身の宝具から伝わったのは、確かな手応え。周囲に響いたのは、硬質な金属音。

 それらの現象は、セイバーが間違いなくナニカを斬った事の証左であった。

 そうして、眼前に降り立った一人の男。

 直前にセイバーが斬り弾き、彼を討ち取らんとした者が佇んでいる。

 

「ーーサーヴァントか」

 

 セイバーの呟き。

 それこそが、襲撃者たる男の正体。

 竜の魔女の喚び声に応じ、フランスを滅ぼさんとする尖兵の一騎であった。

 

・・・・・名乗りをあげるどころか、言葉の一つも返さないか。

 

 現れた男は俯いたまま、微動だにしない。

 敵が取った行動は、最初の上空からの強襲のみ。おそらく、ワイバーンから飛び降りて行ったであろうその一撃が、唯一のアクションだ。

 セイバーは油断なく構えながら、敵サーヴァントを観察する。

 その身には纏う衣類の類はほとんどなく、申し訳程度に腰巻を身につけているだけだ。

 それ故に、鍛え抜かれた肉体は殆どが露わとなり、その強靭さを物語っている。

 空から現れたことと、肉体の所々が焼けていることから、ワイバーンの背から飛び降り、宝具の真名解放を搔い潜ってきたと思われる。

 だが、それら以上に気にかかることは、男が武具の類を持っていないことだった。

 

・・・・・あの時、俺は確かに金属らしきものの手応えを感じた。

 

 先刻、自身の直感に従って振るった剣は、襲撃者の肉を断つことはなかった。

 その代わりとばかりに感じた感触はどこまでも硬質なもので、だからこそセイバーは己が一撃が防がれたのだと考えたのだ。

 だというのに、目の前の男は武器どころか防具の一つも身につけていない。

 

・・・・・敵を前にして、わざわざ得物を霊体化させているわけもないだろうが・・・・・。

 

 セイバーと男の間にある距離は、たったの3mほどしかない。

 一流の戦士であれば音すら置き去りにする英霊にとって、3mというのは一秒とかからず一歩の踏み込みで詰められる間合いだ。

 この程度の距離しかない状況で未だ無手であり続けることは無謀と言うほかない。

 セイバーであれば敵が得物を取り出す前に、それよりなお速くその霊核を切り捨てることができる。

 敵もセイバーと同じくサーヴァントの身であれば、そんなことは当然のように理解していて然るべきだが--

 

・・・・・どうあれ、動かないのであれば好都合だ。

 

 男の思惑は不明だが、この状況はセイバーにとって好機と言える。

 未だリヨンは危機に瀕しており、セイバーは可能な限り多くの怪物達を屠らねばならない。

 敵が油断しているというのなら、早々に討ち取って本来の役割に戻ろう。

 そう、直前の思考を現実ものとすべく、全身に力を込めて--

 

「■■■■■■■■------ッ!!!!」

「っ--!」

 

 大気を震わす咆哮に、その出鼻をくじかれた。

 唯の一度も声を発することのなかった男があげた叫び。

 それが余りにも唐突だったから一瞬、セイバーがその身を硬直させる。

 時間にしてゼロコンマ数秒という、隙にもならない瞬きほどの間隙。

 

 --されど、男が駆け出すには、十分過ぎる時間だった。

 

「■■■■■■■■■■------ッッッッ!!!!!」

「----っ!?」

 

 生前多くの戦場を渡ったことで研ぎ澄まされた直感によって、男の迎撃に成功したセイバーが。

 唐突に現れた襲撃者にも決して動揺を見せなかった彼が。

 敵サーヴァントの吶喊を目の当たりにし、今度こそ息を飲んだ。

 

・・・・・拳、だと!?

 

 これが尋常な相手--剣や槍を手にして襲ってきたと言うのなら、セイバーは何ら驚くこともなかっただろう。

 だが目の前の男は違う。

 無手だった。素手だった。徒手空拳だった。

 およそ武器と呼べるモノを持たず、その身を鎧う防具さえ存在しない。

 そんな状態で自ら踏み込むなど、もはや無謀を通り越して自殺行為でしかない。

 

--剣と拳。

 

 どちらがより速く相手を間合いに収めることができるかなど、議論するまでもない。

 セイバーは大柄であり手にする剣も自身の身の丈ほどに長大だ。敵が自ら踏み込んでいることも相まって、一歩踏み出すまでもなくで彼の刃は敵を捉える。

 対する男は、その腕の全長がそのまま彼のリーチに繋がる。

 男がセイバーに拳を打ち込むには、間合いにおいて絶対的有利にある彼の懐にまで潜り込まなくてはならない。

 セイバーのクラスに据えられるほどの英霊の剣技を掻い潜った上でだ。

 それはもはや不可能に等しい。

 男は何一つ成し得ることなく、セイバーに討ち取られる。その、はずなのに--

 

「----馬鹿な」

 

 驚愕は、言葉となって漏れ出る。

 セイバーの剣は確かに男の拳を捉えた。

 予測通りの軌跡を描いた拳は、正確無比な剣閃によって男の霊核ごと斬り捨てられる。

 ただ。唯一、想定外であったのは。

 

--その拳が、セイバーの剣を通さなかったことだ。

 

「■■■■■■■■■■-------ッッッ!!!!」

 

 男は、己が拳が敵に届かなかった事が腹立たしかったのか。

 セイバーの迎撃も驚愕も、知ったものかと吠え立て。

 拳を防がれたと見るや、更なる攻撃を重ねる。

 

「■■■■■■■■■■■■■-------ッ!!!!!」

 

 殴る、殴る、殴る、殴る。

 無造作に繰り出される拳の連撃は、重機関銃なぞ遥かに凌駕する重さと速度を誇る。

 ただの人間は元より、サーヴァントであっても、男の拳撃をまともに受けて立っていられる者はいまい。

 

「おぉ--ッ!!」

「■■■■■■------ッ!!!?」

 

 しかし、悉くを粉砕し擦り潰す殴打の嵐は、未だセイバーを壊せないでいた。

 打ち付けられる拳、息つく間もなく浴びせられる殴打の全てを、セイバーは的確に防いでいる。

 己が剣で斬れなかった事による動揺など、とうに無くなっている。

 宝具にまで至った剣を通さない肉体は確かに驚嘆に値するが、そんなものはサーヴァントなどという規格外の存在を相手にしていれば幾らでも見られる。

 特定の条件下になければダメージを受けない、受けたダメージを極限まで減少させる、一定のランク以下の攻撃を無効化する。

 そんな、理不尽と断じるほかない超常の力を、宝具やスキルという形で当然のように保有するのがサーヴァントというものだ。

 殊更、無敵と見紛う肉体というのは、このセイバーにとっては"身近"なものだった。

 故に驚愕からの復帰は早く、立ち入るもの全てを圧し潰す致死の空間にあってなお、セイバーがその場から退く事はない。

 

「■■■■■■■■■------ッ!!!!」

 

 その事実が癪に触ったのか、男はその腕を大きく振りかぶる。

 自身の圧倒的なその膂力に物を言わせて、無理矢理セイバーを打ち砕かんとするがために。

 

「はぁッ--!!!」

「■■■■■■■■------ッ!!!?」

 

 だが、そんな大振りをセイバーが見逃す道理はない。

 男が拳を振り抜くより早く、その隙だらけの胴体を力任せに薙ぎ払った。

 攻めることしか頭になかったであろう男は、セイバーの横薙ぎの一閃を防ぐことも躱すことも出来ず吹き飛ばされる。

 

 ・・・・・やはり、この程度では抜けんか。

 

 男から目は逸らさず、改めてその肉体の頑強さを認識する。

 先の一撃、セイバーにとって決して全力ではなかった。

 大味な攻撃であったとはいえ、そもそも相手は音を容易く置き去りにするような存在だ。予備動作など一瞬で終えすぐさま攻撃に移ることができる。

 その隙と呼ぶべくもない刹那の間に捻じ込んだ一撃は、全力というには程遠い。

 だが、例えそうであったとしても、その一撃が致命のものであることには変わりない。少なくとも、二度目の激突時以上の力が込められていたことは確かだ。

 セイバークラスに据えられるだけの膂力と剣技。宝具たる彼の剣。

 これらが合わさった一閃を受けて、それでもなお男は健在だ。致命傷には至らず、受けた傷など精々切り傷程度のもの。

 全く通用していないというわけではないが、決定打になり得ないことも確か。

 

「■■■■■■■■-------ッ!!!!」

 

 その証明だと告げるが如く。

 先程吹き飛ばされたはずの男は何事もなかったかのように、再びセイバーに襲いかかる。

 咆哮をあげながら只管に駆ける姿は獣を連想させる。

 

・・・・・この男、やはり・・・・・。

 

 男の拳を受け止めながら、邂逅当初からセイバーが男に抱いていた疑念が確信に変わる。

 出会った直前は余りに原始的に過ぎる出で立ちに困惑し、声無く佇む様子を怪訝に思い、特攻じみた突撃には意表を突かれた。

 理性を感じさせず、思考するという機能そのものが欠落したかのようなその在り様はひどく歪だ。

 ただ闘争本能の赴くまま、破壊衝動に突き動かされるまま、他の全てを滅ぼし尽くすまで止まらぬ破壊の権化。

 その在り方が如何なるモノか、セイバーは知っている。

 

「--狂戦士<バーサーカー>」

 

 英霊が納められる七つのクラスが一つ。狂えるサーヴァント--狂戦士<バーサーカー>。

 生前、狂気に堕ちた逸話を持つ、或いは狂気的な所業をなした英霊がこのクラスに据えられる。

 その特性は英霊の狂化。

 ステータスを大幅に向上させ、その代価として理性を奪い狂気に染める。

 この狂化は竜の魔女に召喚されたサーヴァントにはただ一人の例外もなく付与されているものだが、この男はそれらともまた異なる。

 バーサークと化したセイバーやランサーは飽くまで、本来のクラスにバーサーカーとしての性質を無理矢理、後付けされただけに過ぎない。

 故に、彼らには思考するだけの理性も残されていた。

 

 だが、正しくバーサーカーであるのならば、その様なものは存在しない。

 狂戦士に、思考という機能は不要であり。

 狂戦士に、理性という余暇は必要なく。

 己が命を薪と焚べ、燃え尽きるまで戦い続けるモノ--それこそがバーサーカーという存在であり、セイバーを強襲した男の正体だった。

 

・・・・・これまで、か。

 

 三度、敵を突き飛ばし、セイバーは改めて男--バーサーカーに向き直る。

 構えは正眼。正面からの相対においては無類の強さを誇り。それ故に、正面から向き合い続けぬ限り容易に隙を晒す姿勢。

 セイバーがその構えを取ったという事実が意味する所は、もはや語るまでも無い。

 

--小細工無用、一対一の真っ向勝負。

 

 事ここに到り、セイバーはバーサーカーの打倒にのみ専念する事を決意する。

 彼の頭の中には既に、バーサーカーをあしらってワイバーンの迎撃に戻る、などという当初の思惑は既に存在しない。

 目の前のサーヴァントは、その様な半端な対処で降せるほど容易な相手ではないと理解するが故に。

 己が全霊を以って相手の全てを凌駕する。

 それこそが、この場でセイバーが選び得る最適解だ。

 

--無論、その代償は大きい。

 

 セイバーがバーサーカーとの一騎打ち臨むということは、リヨン防衛の要が欠ける事を意味する。

 ワイバーンの迎撃はもとより、前線の二人がスケルトンを防ぎきれなかった時の保険としての役割も彼は担っている。これらが機能しないとなれば、街の防衛力は大きく低下する。

 セイバーも、そんな事は当然のように理解しており--それでも、バーサーカーを止めねばならないと判断した。

 正面からバーサーカーを相手にしたからこそ。

 直にその力を目にしたセイバーだからこそ、分かる事がある。

 

--この男を放置しては危険だと。

 

 宝具すら受け止める頑強な肉体。そこから繰り出される殴打の嵐。目に見えない巨大な壁を錯覚させるほどの圧迫感。

 仮にこの男がリヨンの門前に辿り着けば、如何なる防備も策も意味を成さない。

 固く閉ざされた門は、無造作に振るわれる拳すら防げないだろう。

 高く築かれた壁は、極限まで圧縮された鋼鉄が如き拳撃の前ではその役割を果たすことすらできないだろう。

 脅威から逃れようとする住人達は、たった一歩の踏み込みでその距離を無いものにされるだろう。

 スケルトンであれば、少数なら単独で撃破できる程度の脅威でしかない。ワイバーンですら、数人で協力すれば凌ぐ程度はできる。

 

 だが、バーサーカーにはいかなる抵抗も反抗も通じない。

 神秘を纏わず何の魔力的措置も施されていない武器では、バーサーカーに傷一つ付けることもできない。そもそも人々がバーサーカーを認識している頃には、彼らは皆バーサーカーに殴殺されている。

 正真正銘の滅び。人の形をした災害が、リヨンという街を蹂躙し尽くす。

 

・・・・・それだけは、避けねば。

 

 バーサーカーというクラスを考慮すれば、その襲撃は執拗なまでに続くだろう。それこそ、街を抜けてどこまでも追撃していく。

 理性の無さは、そういった非効率な行動を選択させる。

 だが、セイバーがこの場でバーサーカーを抑え続ける限り、男が町の住人に危害を加える事は敵わない。

 そう考えるからこそ、サーカーとの戦いを選んだ。

 たとえそれが、自身の役割を放棄する事だとしても。故に--

 

「そちらは、任せるしかない・・・・・!」

 

 戦いの最中。

 刹那の間に向けた視線の先。

 

--空を征く桃髪の騎士が、愛馬とともに竜の群れへと向かっていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「危なくなったら来てくれって言ったけど・・・・・」

 

 ライダーは己が愛馬を駆って上空に待機していた。

 このポジションは、空という遮るものが何一つ無い領域を自由に行き来できるライダーだからこそ任された。

 誰かが危機に陥れば、街に被害が及びそうになれば、彼が誰よりも早く対処できる。

 そのため、彼はこうして空から戦場全体を俯瞰している。

 

「流石に、一度に皆を助けに行くのは無理かなぁ」

 

 尤も、ほぼ同じタイミングで全員の元に敵サーヴァントが現れたため、どこを支援すべきかも決められず右往左往しているのだが。

 

「士郎は大丈夫って言ってるみたいだし、あっちも二人だからなんとかなりそうかな」

 

 既にカルデアからの通信で士郎に支援は不要の旨が伝えられている。不要と言うのだから、さほど危険ではないのだろう、とライダーは思う。

 マシュ達は二人いるので、こちらも大して問題ないだろう。

 

「そうなると、あとはセイバーのところか」

 

 視線を落とした先では、セイバーが敵のバーサーカーと交戦している。

 セイバーの剣閃は一刀一刀が敵対者を死に至らしめる、まさに必殺の刃だ。

 だが、対峙する男は、あろうことか何の防具も纏わない肉体で必殺の筈の剣撃を弾いている。

 宝具を以ってしても断ち斬れない肉体が異常であれば、剣の英霊とまともに打ち合う狂戦士の力量は何よりも驚異的だ。

 しかし、そんな気圧されてしまいそうな、常軌を逸した敵の猛攻を受け続けながら、セイバーは後退すらしない。

 不動という言葉そのものを体現するかのように、敵がその動きを停止するまで剣を振るう。

 バーサーカーが突破するか、セイバーが守りきるか。

 戦いの行く末は今もって見えてこず--そんなことよりも、ライダーには気になる事があった。

 

「・・・・・アレって、どう見ても"アイツ"だよね」

 

 セイバーと戦う男に、ライダーは見覚えがある。

 否、見覚えどころではない。

 バーサーカーとして喚び出されたこの英霊を構成する多くの事柄を、ライダーは知っている。

 何という真名で、どの様な性格で、如何なる選択を為してきたか。

 それら一人の英雄の一生の一部を、彼は"生前"に触れている。

 ライダーとバーサーカーの関係を言葉で表せば様々な言葉が当て嵌まるが--一つ確かな事は、かつての彼らは戦友と呼んで何ら差し支えない関係であったという事だ。

 

 だからこそ彼は思い悩む。

 それは、彼が何故このような所業を、という意味ではない。このバーサーカーの生前を知るものからすれば、現状は全くあり得ないものでもないのだ。

 そもそも、バーサーカークラスに据えられるような生前の所業なり逸話なりがあるのだから、狂乱のままに暴れ回っても何ら不思議はない。

 ライダーは男を止めねばならないと思いはしても、その有様に関しては何の疑問も感じていないのだ。

 故に、彼が逡巡する理由はバーサーカーについてではなく--彼自身の行動について。

 

「正直、今すぐにでもぶん殴ってやりたいところなんだけど・・・・・」

 

 自らバーサーカーの元に向かうか否か、という迷いがライダーをその場に縛る。

 生前の彼を知るものであれば、恐らくは誰もが意外な顔をしただろう。

 この英霊は、良くも悪くも感情に従って生きている。

 そのため、何をするにしても何を考えるにしても、自身にとって気分が良いか、という一点のみが判断基準となる。

 自身が由とするのであればいかなる行為も喜んでするが、逆に否とするのであれば決して容認せず、最悪の場合は自害してでも拒絶する。

 そしてライダーは善性の英雄だ。

 かつての戦友が非道な行いをしようとしているのであれば、真っ先に止めようとする。その結果、戦友と戦うことになるとか、敗北して座に還される可能性だとかは考えない。

 そんなライダーだからこそ、彼が未だこの場に留まり続けることは異常だと言える。

 しかし、未だ動きを見せないその真意を知れば--それは実に彼らしい、と誰もが笑うだろう

 

「--でも、うん。キミがアイツを止めるなら、あのトカゲ達を倒してみんなを守るのがボクの役目だ」

 

 およそ十秒ほどの時間をかけて、ライダーは己が行動を決定した。

 セイバーと士郎はサーヴァントを相手取り、ワイバーンの侵攻を妨げるものは存在しない。

 彼らの中で、地対空攻撃を行える両者の手が塞がれている以上、その役割がライダーに回ってくるのは自然な事だ。

 誰かがワイバーン達を迎撃しない限り、リヨンに待っているのは破滅しかない。

 

--だが、それ以上に。

 

 ライダーがかつての戦友の暴挙を放置し、飽くまで自らワイバーンを相手にすると決めるのは、自らの能力を考慮した戦術的な思考故ではない。

 彼がこの選択をするに至った根源は、もっと別のところにある。

 

ーー思い出すのは、ラ・シャリテの戦い。

 

 記憶に新しいーーまだ1時間と経っていない、彼が護っていた筈の場所での出来事。

 本来なら彼はあの街にいるはずだった。召喚されてからしばらく、今日まで護り続けた街。

 それが今日に限って、彼はその場所にいなかった。

 彼が街に留まりだして以降、各地から毎日のように訪れる避難民。そんな人達から時たま口にするある話。

 曰く、リヨンにはこのラ・シャリテとは別に、竜殺しの騎士がいるらしい、と。

 そんな噂をライダーはたまたま耳にした。

 

ーー聞いて、しまった。

 

 彼自身、現状が良くないものであることは分かっていた。

 このままでは遠からず、限界が訪れると。

 だから、彼は当然のように噂の騎士ーー十中八九サーヴァントであろう存在と接触しようとした。

 会って具体的にどうしようなどと複雑なことは考えていなかったが、この危機において1人より2人という程度のことは考えていた。

 彼はライダーのクラスであるため、長距離の高速移動はお手のものであったし、実際に目的の人物と出会うことはできた。

 そのサーヴァントがかつてとある戦いで一時同じ陣営にいた騎士であることに望外の歓びを感じ、今度こそ最後まで共に戦おうと意気込みーー

 

ーーそうしている間に、ラ・シャリテは呑み込まれた。

 

 訪れたのは目も覆いたくなるような惨状。

 騎士を欠いた街の住人たちでは決して抗えないような惨憺たる世界だった。

 建物は崩れ去り、少し前まで賑わっていた広場は直前まで広げられていた露天の品々が散乱していた。

 そして何よりライダーの心を揺さぶったのは、竜の軍勢から逃れリヨンにまで辿り着いた人の言葉だった。

 

『・・・・・どうして、助けに来てくれなかったんですか』

 

 避難してきた人達の安否を確認するために住人たちの前に現れたライダーに、1人の女性が告げた言葉だ。

 小さく、けれど喉の奥から搾り出すかのような、自身の内側に溜まりに溜まった無数の膿をうち捨てるような声。

 ライダーにとっては見知った顔だった。ラ・シャリテがまだ健在だった頃は、出会えば談笑する程度には仲が良かった。

 女性は結婚しており夫との間には一人息子がいた。

 まだ20代半ばといったところで、家族との人生はまだまだ始まったばかりであり、これからいろんなことを経験して家族の絆を育んでいくはずだった。

 

ーーそれが、奪われた。

 

 何の前触れもなく、何の意味もなく。

 夫は、彼女と子供を逃すために骸共に立ち向かい、その身を無数の凶刃に切り刻まれたーー倒れ伏し苦悶の声を上げ、それでも執拗に刃を振り下ろされる姿を肩越しに見た。

 息子は、逃げ惑う最中、空から降ってきた竜に食い殺されたーー巨大な脚と爪で体を押さえつけられ、涙を流し悲鳴を上げながら生きたまま喰われる様を、近くにいた人に引っ張られながら目に焼き付けてしまった。

 楽しかった、嬉しかった、幸福だった。夫と喧嘩することもあったし、ままならない育児に息子を叱りつけたこともあった。それでも他の何物にも変え難い幸いが確かにあったのに。

 

『どうして、助けに来てくれなかったんですかーーっ!!』

 

 告げる言葉は全く同じ、ただそこにこもる力だけが強まっていた。

 震える自分の体を掻き抱き、俯いて視線は地面に向けられたままーーそれでも明確に向けられた、何故、と責め問う意志。

 ライダーはその疑問に応え、報えるだけの答えを持っていなかった。

 そもそもの話、ライダーには街の住人を守らなければならない義務はない。たまたまラ・シャリテに訪れ、流れでその街に止まっていたに過ぎない。

 故に、彼がそれまでの行動を放棄してしまおうと誰かにそれを責められる謂れも、ましてや生き残った住人に糾弾される咎など欠片も無くーー

 

『ーーすまない』

 

 けれど、その受け止める必要のない悲嘆を、彼は正面から受け止めた。

 責められる謂れはない、糾弾される咎などないーーそれは側から見ているだけの、第三者の見方でしかない。

 彼がラ・シャリテに留まると決めた時。彼は広場に赴き、人々の前で宣言したのだーー必ず、街を護り抜くと。

 他の誰に求められたでも、必要に駆られたのでもなく。

 自らの意思で、己が真名と英雄としての誇りに賭けて誓いを立てたのだ。

 

ーーその誓いを、彼は果たせなかった。

 

 多くの人がライダーを頼り、彼はその想いを受け止めた。

 ならばこそ、ライダーは果たせなかったその誓いを、今度こそ果たさねばならない。

 生き残った人々を守る。誰一人欠けさせず、何一つ喪わせず。

 敵サーヴァントを斃すとか竜の魔女を滅ぼすだとか、そういったことは後回しに、今は背後の人々のためにこの力を振るう。

 かつての戦友をぶん殴るのは、しばらくはお預けだ。

 

「さぁ、気合い入れていくよ!」

 

 己が愛馬に指示を下し、ライダーがワイバーンの群れへと向かっていく。

 ワイバーンの数は未だ多く、如何なライダーとて、苦戦は免れないように思える。

 しかしその表情に恐れはなく、かといって気負う様でもない。彼の言葉通り、ただやる気に満ちている。

 もしワイバーン達に試行する機能があればその蛮勇とも言うべき行動を、馬鹿な奴だ、と嘲笑ったか。

 或いは、状況を鑑みることもできない愚か者、と憐れんだか。

 いずれにせよ、この物量差はたかが一騎の騎兵と騎馬程度で覆せるはずもなくーーそんな諦観を真っ向から打ち壊すのが英霊である。

 

「こいつらにどれだけ効くかはわかんないけど、いっちょ派手にやっちゃおう!」

 

 群れの正面に陣取ったライダーは、腰に括り付けられた小さな角笛をおもむろに手にした。

 黒一色で染められているそれは一見ただの楽器にしか見えずーー構えた瞬間、彼を囲うほどに巨大なホルンの如き形状へと変じた。

 ライダーの意志によって形を変えたその角笛の正体が宝具だと、ワイバーンが気づくはずもなく。

 

「恐慌呼び起こせし魔笛<ラ・ブラック・ルナ>ッ!!」

 

 真名は解放され、ここにその真価を発揮する。

 放たれた魔音は、尋常ならざる衝撃を伴って。

 耳にしたもの全てを混迷へと叩き落とす音色が、ワイバーンの群れへと叩きつけられた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「・・・・・っ!?ライダーの宝具か!」

 

 遥か上空で響いた爆音は、地上にもわずかながらに届いた。

 視線を向けた先、標的となったであろうワイバーンたちは苦悶し、あまつさえ我を失ったようにのたうち回っている。

 おそらく、あの姿こそがライダーの宝具の真名解放による効果なのだろう。

 だが、いまそれは重要ではない。

 真に憂慮すべきはワイバーンの相手をしているのがライダーであるという点でありーー

 

「敵を前にして、他のことに気を取られるのかいーー!?」

「・・・・・っ!?」

 

 荒々しく叩きつけられる刃に、思考を中断せざるを得なくなる。

 視線をずらしたわずか2秒と満た無いその合間に敵ーーバーサーク・セイバーはそれこそが綻びだというように乱れ突きを放ってきた。

 その剣閃は、初邂逅のそれと大きく変わっていた。

 それまで見せていたスタイルは維持しつつも、そこには当初あった流麗さや華やかさは欠片も感じられない。

 力強く、息つく間も無く振るわれる剣は、機関銃の掃射を彷彿とさせる無遠慮さがある。

 敵対者の様子を窺ったり、その行動に合わせる、何ていう意図がまるっきり抜け落ちている。

 ただ突き、払い、叩きつける。

 そんな単純というには余りに激しい乱舞が、自身を襲っている。

 

・・・・・これが、不正な狂化の結果か・・・・・っ!

 

 セイバークラスに据えられるほどのサーヴァントからの攻撃は、受け止めただけで骨ごと軋ませるような重みだ。

 鍛え上げ、磨き抜いた技巧によって敵対者を穿つのではなく、純粋なステータスーーごく単純な膂力差で押し潰そうとする。

 およそ、真っ当な剣士の戦いではない。まさしく、狂戦士の如き暴れぶりだ。

 もとより最優のクラスのセイバーに狂化をかけるなど、正気の沙汰ではない。

 

・・・・・まともに受け止めてるな、大ぶりなものは躱し、避けきれないものは受け流せーーっ!!

 

 戦場は街を覆う壁上から移り、街の内部に移り変わっている。

 敵の圧力に押され落下したが、辺りには当然のように家屋が立ち並んでいる。幸いにして住民は既に街の中心部や地下へと避難を終えている。

 士郎が回避を選択したとて、敵の刃が誰かを傷つけることはない。

 

「あははははははーー!!たいしたものだよ、君はーーっ!!!」

 

 狂乱の声を耳にしながら、こちらもまた刃を振るう。

 心臓めがけて高速で突き出された刺突を左の干将で下から斬り上げる。

 直後、斬り弾かれた刃が脳天を狙って当然の様に振り下ろされる。

 それを後方に半歩退くことで躱し、敵が姿勢を整える前に踏み込む。

 

「シッーー!!」

 

 右の莫耶を横薙ぎに振るう。

 狙うは心臓部。敵の胴体ごと、その霊核を両断する。

 

「・・・・・っ!」

 

 しかし、刃が仮初の肉体を捉える直前、敵がその身をさらに屈み込んだ。

 標的を失った刃は空を切り、不恰好な様を無防備に敵に晒す。

 視界に映る敵は、既に剣を構え直している。

 限界まで抑え込まれたバネのように、一秒先の穿通に備えていてーー

 

「凍結解除<フリーズ・アウト>ーーッ!!>

「・・・・・っ!?」

 

 実現する前に、待機させていた設計図から剣弾を展開、射出する。

 投影したのは一本の無名の剣。それを敵の横合いから撃ち込む。

 斬れ味より重さ、速度より衝撃を重視したそれは、ぶち当たった敵を派手に吹き飛ばす。

 

「投影開始<トレース・オン>ッ!!」

 

 すぐさま使い慣れた黒弓を投影し、剣を番える。

 あの程度の不意打ちで仕留められるなどと微塵も考えていない。現に、射出した剣弾は直前に滑り込んだサーベルによって防がれている。

 だが、隙を作ることはできた。地を転がり、体勢を崩した今なら確実に中る。

 必殺を志して、鉉から手を離す。

 放った矢の数は四本。その全てが刀剣を改造したものだ。

 脳天、喉笛、心臓、鳩尾。それら四点を穿つ。

 狙いは過たず。敵が体勢を整えるより、こちらのとどめのほうが速い。

 放った矢は目にした通りの軌跡を描いて、狙いへと吸い込まれていきーー

 

「な・・・・・っ!?」

 

 驚愕に、意図せず声が漏れる。

 確実に敵を葬るはずだっ四本は、横合いから突如現れたナニかに撃ち落とされた。

 壁を突き破って飛来したのは四つの物体。

 

・・・・・いったい何が。

 

 目の前で起こった現象の正体を明らかにすべく、視界を巡らす。

 砕け散り、今まさに魔力に還る、その刹那ーー

 

・・・・・同じ、矢・・・・・!?

 

 散乱する矢の残骸。その全てが同じ材質、同じ構造、同じ年月によって構成されている。

 どれひとつとして異なるものはなくーー故に、それは本来ならあり得ないことだ。

 

「-ーーーまさか」

 

 貫かれた壁の穴から、彼方を見やる。

 遥か遠方、目に見えるのは、どこまでも見知った顔でーー

 

「いったい、どういうつもりだい」

 

 前方から聞こえた声に、我を取り戻す。

 目を逸らしたくなるような事実は、ひとまず忘却する。

 いつまでも呆けていては、たちまち命を落とす。

 

「・・・・・?」

 

 しかし、2秒、3秒と経っても未だに攻撃は来ない。

 何のつもりかと訝しむが、向こうはこちらなど眼中にないように何事かを言っている。

 

「撤退って、まだ早すぎるだろう!?こっちはこれからだって言うのにーーいや。確かに、少々のめり込み過ぎていたか」

 

 独り言のように、ここにはいない誰かと話す。

 あの黒いジャンヌか、はたまた別のサーヴァントか。その相手が誰かは分からないが、言葉を重ねる内、先ほどまでの狂気が鳴りを潜めていく。

 こちらに向き直り、向けられるその眼にあの泥のような濁りは見えなかった。

 

「残念だけど、どうやらここまでのようだ」

 

 サーベルを鞘に収め、小さく肩をすくめる騎士。

 その仕草に、本当に戦う意志はないのだと感じとるーーもっとも、それで警戒を緩めはしないが。

 

「さて。確か奸計の類は君の得意とするところではなかったか?」

「そう言ったのは私だけどね。でも安心するといい。今回は本当にこれ以上やる気はないよ。元々、私達の役目は“準備”が整うまでの足止めだからね」

 

 告げる言葉に澱みはなく、その表情はどこまでも穏やかだ。

 逆に言えば、その無防備さはこちらが踏み込むには十分すぎる。

 だが、それはできない。

 その選択をしたが最後、衛宮士郎は"ヤツ"に射抜かれ絶命する。

 

「それじゃこれでお別れだーーいずれ、また会おう」

 

 一方的に宣言して、空けられた穴から飛び出していく。

 

「----」

 

 その無防備な背中を射抜くべきか一瞬思案するが、先の考えと同じように、どうせ迎撃されるのがオチだろう、と結論する。

 今は、ひとまず状況確認が先だ。

 穴の前から移動し、通信を行う。

 

「ドクター、状況を」

『ああ、スケルトンの軍勢はほぼ壊滅、ワイバーン達も残り四割といったところでね。向こうもどうやらこれ以上は無駄と考えたらしい。サーヴァントを含めた全エネミーの撤退を確認している』

「街への被害は」

「それも問題ない。唯一それらしいのは君の近くにある穴だけで、死傷者はこちらでは観測していない」

「ーーそうか」

 

 ドクターからの報告を聞き、長く息を吐く。

 複数回の真名解放や敵サーヴァントとの戦い。少々苦しいものがあったが、これで少しは落ち着ける。

 

「ひとまずは安全、か。マシュ達には先にあの部屋に戻って休むように伝えてくれ」

『分かった、伝えておくよ』

 

 最後に伝達を頼み、通信を切る。

 先の住民の保護から今回の防衛まで、キツイ戦いが続いた。それに今回は敵サーヴァントとの交戦もあった。

 今は少しでも休ませてやった方が良い。

 殊更、マシュにとって本物のサーヴァントとの戦いは今回が殆ど初めてと言っていい。肉体的にも精神的にも、相当疲弊しているだろう。

 

「しかし、さっきの言葉ーーどういう意味だ」

 

 敵が撤退していく直前、漏らした言葉。

 

ーー私達の役目は準備が整うまでの足止めだからね

 

 準備、とあのセイバーは言った。準備というからには、何かしらの仕掛けがあると見るのが自然だ。

 考えられるのは、やはり竜の魔女に関する何かか。

 そもそも、連中がこの街を襲ってきた理由の大部分が、竜の魔女とあの巨竜が撤退する時間を稼ぐため、というのがこちらの予想だ。

 その考え自体は間違ってはいないだろう。問題は、具体的な手法。

 

・・・・・ラ・シャリテの戦いから1時間以上は経過しているが。

 

 通常ならこれだけの時間を稼げれば、撤退戦としては十分以上だろう。

 しかし竜の魔女はともかく、あの巨竜に関しては話が変わってくる。

 奴が治癒し、連中の安全圏まで撤退するには時間が足りない。無論、こっちもこれ以上の戦闘が出来るほどの余裕はない。

 それで十分だというのなら、あちらの目的は果たせたといえるだろう。

 

・・・・・そうなると、なおのこと準備の意味がわからなくなる。

 

 単純な殿というだけでなく、それ以外の目的。

 腹芸の得意なあのセイバーが、こちらの動揺を誘うために虚言を弄しのかとも考えられるが。

 

「探りは入れておくべきか」

 

 自己に埋没、魔術を行使する。

 ただのブラフであればそれでいい。わずかばかりの魔力が無駄になるだけだ。

 だが、もしあれが真実であるのならーー

 

「杞憂で終わればいいんだけどな」

 

 つい正直な願望が溢れる。

 とはいえ、自分の事はよく理解している。

 こういう時、楽観的な考えほど的外れなものでーー胸をよぎる嫌な予感ほど、よく当たるのだと。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「マシュ、気分が優れませんか?」

「・・・・・え?」

 

 とある宿屋のとある一室。

 つい1時間ほど前に会議を行った部屋で、マシュ・キリエライトは休息を摂っていた。

 そんな彼女に話しかけた声の主ーージャンヌ・ダルクは、眉尻を下げどこか心配げな様子だった。

 

「先ほどから顔色が良くありません。もしや、先ほどの戦闘で傷を負ったのですか」

 

 そう言われて、彼女は至って冷静に自身を鑑みる。

 デミ・サーヴァントと化した肉体に大きな損傷はなく、体内にも特筆すべき不調もない。

 未だに自身に宿った英霊の正体もその象徴たる宝具も判明しないが、それを除けば大した問題はない。ただーー

 

「お気遣いありがとうございます、ジャンヌさん。ですがわたしの身体機能に不備ありません。ただ、ひどく疲れを感じてはいます」

「そういうことでしたか。ですが無理もありません。あのライダーは強大な敵でしたし、私が不甲斐ないばかりに貴方ばかりに負担をかけてしまいましたから」

「そんな、わたしはそれほど大したことはーー」

「いえ。戦場において前線で味方を護る役割というのは、容易く為せるものではなりません。貴女のような盾兵は常に敵の攻撃を受けることになりますから、私よりよほど疲弊しているでしょう」

 

 ジャンヌはどこか申し訳なさそうに告げる。

 実際のところ、彼女の消耗が激しいのは事実だ。

 慣れない集団戦、敵サーヴァントとの交戦。さらに時間を遡れば、住民の護送という、片時も気を抜けない戦いまで。

 この1時間ほどの間に、まるで経験のない事柄をこなさねばならなかった。

 特に、彼女はあの亀竜の豪腕を真正面から受け止め続けたのだ。それも一度や二度ではなく、戦闘開始から行われた殆どの攻撃をだ。

 それで疲れを感じないなど、あり得るわけがない。

 

「・・・・・聖女殿の言う通りだ。特に、君はあの竜と真っ向から打ち合った。生前、俺も竜と戦った経験があるから解るが、竜というものは敵対者の心を徹底的に砕き喰らうモノだ。そんな存在を相手にして街も仲間も護りきった君は賞賛を受けて然るべきだろう」

 

 同じく、部屋で待機するセイバーがジャンヌに賛同する。

 彼の宝具が竜殺しの剣である以上、当然の事ながら彼は竜との交戦経験があるようだ。

 その時の経験を思い出してか、寡黙な彼にしては珍しく、マシュに対する言葉は饒舌だった。

 

『そうそう。マシュは凄いことをやったんだから、もっと胸を張っていいんだよ』

「ダ・ヴィンチちゃん!?」

 

 セイバーの言葉に、マシュがまた謙遜しようとした瞬間、何の前触れもなくカルデアからの通信が開いた。

 姿を見せた人類史上最高峰の大天才は、まるで出来の良い生徒にするかのようにその成果を誉める。

 

『ラ・シャリテからここまで、キツい戦いが続いたけど、その全部で君は大きな役割を果たしてくれた。大した経験もないまま、それでも任務をやり遂げてくれた。間違いなく君は一番の功労者の一人だよ』

 

 あ、もちろんサーヴァント諸君にも感謝してるよ、と取って付けた様にダ・ヴィンチは宣う。

 その何とも言えないお気楽な様子に、ジャンヌは苦笑する。

 セイバーの方は無表情を貫いているが、特に不快感や呆れた様子を見せていないのが救いか。

 

「えっと、その・・・・・」

 

 そして肝心のシュ本人は、浴びせられる賞賛になんとも恥ずかしいやら面映いやらで顔を赤くしていた。

 こういう時、何と言うべきか分からず、自らの主に助けを求めようとしてーー

 

「・・・・・あれ?そういえば先輩はどちらに?」

 

 今更といえば今更なのだが、彼女のマスターである衛宮士郎はこの部屋にはいない。

 マシュ達が彼から先に戻るように指示を受けてから、かれこれ30分は経とうとしている。

 もうとっくに合流していてもおかしくない筈なのだが、未だその気配はない。ちなみにと言ってはなんだが、ライダーもまだ戻ってはいない。

 いったいどういう事なのだろうか、その答えを知っているであろうダ・ヴィンチに視線を向ければ、彼女は先ほどと変わらず微笑んでいてーー

 

『ああー・・・・・彼ね。まあ、気になるよねー』

 

 訂正。メチャクチャ引き攣った笑みを浮かべていた。

 

「あの、ダ・ヴィンチちゃん・・・・・?」

『いやさぁ、こっちもある程度は判ってたつもりだけどさ。それにしたってちょっと可笑しいっていうかーーやっぱバカなんじゃないの』

「ば、ばか・・・・・?』

 

 いったい誰に向けての罵倒なのだろうか。

 愚痴を漏らすかのようなダ・ヴィンチの顔にはこれでもかという程、色濃い呆れの色が浮かんでいる。

 他のサーヴァント達は勿論のこと、マシュですら彼女のこのような顔を見るのは初めてだった。

 

「あの、ダ・ヴィンチちゃん、いったいどうしたんですか?」

『どうしたもこうしたもないんだけど・・・・・まぁ、実際に見てみれば分かるよ、彼が何をしてるのかもーー私がなんでこんな顔になってるのかも』

「???」

 

 

 

 

 

 

 

「何とか上手くいった、てところかな」

 

 ロマニ・アーキマンは衛宮士郎との通信を終え、司令としての仕事に戻っていた。

 戦いが始まってからというもの、ずっとハラハラしっぱなしだったが、彼としてもようやく人心地つく。

 

「しかし、やっぱり意外だったかな」

「彼の行動が、かい?」

 

 一人呟いた言葉は、隣の同僚によって耳聡く拾われていた。

 ダ・ヴィンチは整った顔に僅かに呆れを乗せながら、湯気の立つマグカップを差し出した。

 

「まあね。ほんの少しとはいえ、彼と話をした身としては、あの判断は少し予想外だった」

 

 返事を返しつつ、コーヒーを受け取って一口啜る。

 ほう、と息を吐く。

 程よい苦味に疲れた心身が温まる。

 

「私としては、いかにもらしい行動だったと思うんだけどーーいったい、どういう話をしたんだ」

「それについては他言無用っていう約束でね。おいそれとは話せない。どうしても気になるなら本人に聞いてみるしかないよ」

「無理無理、そんなの聞き出せっこないって。だいたい、私はまだ彼に信用されてないんだから。適当にお茶を濁されて終わるのがオチだよ」

 

 大袈裟に手を振る彼女はあからさまに落胆の色を見せて溜息を吐く。

 これは一部の者しか知らない事だが、フランスへのレイシフトを行う2日程前、ロマニは士郎と二人だけで話をしていた。

 詳細の伏せられたその会合は、その事実すらほとんどの職員には知らされていない徹底ぶりだ。

 こうして話をしている今も、二人の話し声が聞こえる距離には事情を知らないスタッフはおらず、唯一例外なのはロマニの補佐兼副司令の女性スタッフだけだ。

 それというのも、偏に士郎がカルデアという組織を信用していないからだ。

 もともと士郎自身、組織というものとは相性が悪く、魔術協会との関係も最悪という他なかった。殊更、アニムスフィアの様な貴族主義の魔術師というのは不倶戴天の敵と言って差し支えない。

 そんな連中が創設した組織に対して、その理念を知り共闘せざるを得ない現状であっても、自身の全てを曝け出せるほど士郎は楽観的ではなかった。

 

「だったら、なおのこと僕から聞き出すべきじゃない。これでもし僕が秘密を漏らしたり他の誰かがあの会談の内容について知ってしまったら、その時こそ僕らの関係は修復不可能なものになる」

 

 欠片も信用ならない、敵地のど真ん中の様な場所で、それでも士郎がたった一人にでも自身について多少なりとも打ち明けたのはこの状況を打破するのに一人では限界があると理解していたから。

 その上で、数日の間に最も信用できると判断した人物ーーつまりロマニに、自身の素性を初めある程度の情報を開示したのだ。

 そうでもなければ、士郎がカルデア唯一のマスターとしてレイシフトを行うことなどできなかった。

 多くの職員にとって衛宮士郎という人物は、いまなお全く正体の知れない侵入者と変わらないからだ。

 レイシフト実行までの数日で、多少なりともスタッフ各員が士郎と接触しているとはいえ、どうあっても形式上の立場というのは覆し難い。

 それを、ロマニただ一人だけとはいえ、士郎の素性について把握いるということで、彼の立場を保証している。

 それは同時に、この一種の契約が衛宮士郎からの信用の証となっている事を示している。

 

「分かってはいるんだけどさ。流石にアレを見たら思わず聞きたくもなるって」

「まあ、気持ちはわかるんだけどね」

 

 モニターを見れば、外に出たらマシュ達と今しがた話題の中心となっていた士郎が合流しているところだった。

 映像を通して見るマシュの表情はなんとも呆けた様子で、自分も全く同じ気持ちだったよ、と心の中で全力で首を縦に振る。

 

「できれば、もうちょっとだけ打ち解けてくれるようになるといいんだけどな」

 

 これからの長い戦いを思えば、今のままでは良くない結果になるのは目に見えている。

 できれば早い内にお互いの信用を勝ち取ってもらいたいところだが、そう上手くは行かないだろう。

 はぁ、とひとつため息を吐き、ロマニは自身の仕事を続けた。

 

 

 

 

 

「マシュ?それにジャンヌ達もか」

 

 外に出て数分、お目当ての人物をマシュ達は見つけた。

 対して、まさか自分を探していたとは露知らぬ士郎は、如何にも不思議そうな表情で彼女達に振り向いた

 

「どうしたんだよ。部屋で休んでるんじゃなかったのか」

「・・・・・あ、はい。確かにそうだったんですけど」

「何か俺に用か?答えられる範囲でならなんでも答えるぞ」

「はあ。えっと、それでは質問させていただくのですがーー」

 

 うん?と疑問符を浮かべて問いを待つ士郎。

 それに対してマシュは意を決したかのように口を開きーー

 

「先輩は、何をなさっているんでしょうか」

「・・・・・何って言われてもな」

 

 質問<クエスチョン>は実にシンプルで、士郎の現在の行動を問うものだった。

 どんな意図を持って、何を目的として、どの様に行っているのか。

 それさえ答えれば終わる質問であり、或いは一眼見ればおおよその見当がついてしまうものだーー寧ろ、解ってしまうからこその疑問だったか。

 

「見ての通り、炊き出しだが?」

 

 問いに対する返答<アンサー>も実にシンプルだった。

 明瞭に、これ以上ないほどわかりやすいく帰ってきた言葉。

 だからこそ、マシュ達は頭を抱えずにはいられなかった。

 

「シロウ。私達が言っているのはどうしてそういう事をしているのか、という意味なのですが」

「そりゃ人手が足りないからだよ。ほら、ラ・シャリテの人がこっちまで避難出来たのははいいけど、着の身着のままで逃げてきたもんだから大した金銭の持ち合わせもないし、食糧だって持ってるわけないだろ?でも、さっきの避難でみんな疲弊してるのは確かだからさ。街の人が何人か集まって、少しずつ物資を出し合って配給みたいなことやってるんだよ」

 

 自分はその手伝いってわけだ、なんて最後に付け加えた士郎は、マシュ達の質問の意図をまるで理解していない。

 いつのまにか開いていた通信の向こうでは、ダ・ヴィンチがホラね、なんて言いたそうにため息をついている。

 彼の言わんとすること、彼がやっていること、それ自体は理解できるし大いに賛同できるものだ。

 しかし何事も状況次第であり、それを考えて行動するのが人間というものだ。

 TPOの概念は実行してこそのものである。

 

「いえ、ですからそうではなくっ、貴方も先程の戦いがあったのですから、今は少しでも休むべきだと言っているんですっ!」

 

 今度は相手に理解を促すようなものではなく、これでもかというぐらいハッキリと明言する。

 ジャンヌの言葉を受けて、士郎の方も多少なりとも自覚はあるのか、なんとも気まずそうに視線を背ける。

 

「あー、いや・・・・・なんていうか、俺はそれ程疲れてはないっていうか、これぐらいのことなら何度も経験があるしさ」

「サーヴァントを相手にしておいてよくもそんなことが言えますね。しかも貴方、ラ・シャリテを離れた後も碌に休んでないでしょう。それで何がどう問題ないって言うんですか!」

 

 というか、これぐらいってなんなんですか、こんなことが何度もあったと!?などと興奮気味にいうジャンヌに、士郎は何も言えない。

 実際のところ、疲れがないといえば嘘になるが、この程度ならまだまだ余力がある方だし、戦闘ならまだしも日常的な行動に支障が出ないのは確かなのだが。

 

 ・・・・・それを言ったところで、さらに怒らせるだけなんだよなぁ。

 

 真面目というか、委員長属性というか、どうにもそういった属性の持ち主らしい彼女は一度こうなると止まるまで時間がかかるだろう。

 いや、というか絶対そうなる。変なところでかつての最愛のパートナーと似通っている彼女だ。この手の状況での行動も実にデジャブを感じる。

 本人の気が治るまで待つか、途中でプチッといってしまうか。

 彼女の様な女性が説教を始めると場合によっては数時間はかかる事もあるので出来れば早めに切り上げてもらいたいのだが、かといって下手に刺激するとつい1時間ほど前のように体に教え込まれそうなので、そちらも勘弁願いたい。

 今は俺が何を言っても止まらないだろうし、どれだけ正論を振り翳しても、それとこれとは別です、と一蹴されてしまうのが目に見えている。

 さて、どうやってこの聖女様をお鎮め致そうか、などと士郎が考えているとーー

 

「ねー、しろーう。これってどうしたらいいー?」

「ライダー、貴方もですか・・・・・」

 

 後ろからひょこっと顔を出したのは、何やら食糧が入っていると思しき大きめ目の袋を両手で抱えたライダーだ。

 その様子からして、彼も士郎と同じく手伝いをしているのだろう。

 

「ああ、後はこっちでやっておくから、そこに置いといてくれ」

「りょーかーい」

 

 どすん、と結構な音を立てて、袋が地面に下ろされる。

 それをがさごそと漁りながら、さて次にするのは、と作業に戻ろうとするカルデアが誇るブラウニー。

 

「ーーて、何を当たり前のように再開してるんですか!?」

 

 ごくごく自然な流れで食料を取り出す士郎に、ジャンヌはまるで押さえることなく声を荒げる。

 正直に言ってかなり怖い。

 そばで聞いているだけのセイバーすら顔を引き攣らせ、ライダーはうひゃー、なんて言って如何にも他人事、マシュに至ってはほんの少しとはいえ怯えてしまっている。

 対して、ジャンヌの怒声にビクッと身を震わせる士郎は内心、誤魔化せなかったか、などと本人が聞いたら激怒間違いなしな事を考えているのでこっちも大概である。

 とはいえ、気炎を上げて言葉を連ねる今のジャンヌにはどんな言い訳をした所で、聞く耳は持たないだろう。

 馬の耳に念仏は入らないし、糠に釘を打ったところで鎚ごと埋まるだけである。

 

「待った、待ってくれ!ジャンヌの言い分はもっともだ。そこは分かってる。俺の行動は確かに勝手に過ぎた。けどな、このまま問答を続けてると炊き出しを待ってる人達に迷惑がかかるからさ、今は多めに見てくれないか?頼む、この通り!」

 

 顔の前で手を合わせ、ジャンヌに頼み込む士郎。

 彼はこれまでの経験上、彼女のようなタイプには下手に言い訳するよりも、こうして第三者をダシに交渉するのが一番効果的だと身に染みて理解していた。

 どうにも、無実の一般市民を人質に取って身代金を要求する悪役かのような手口で、どうにも心苦しいのだが、背に腹は変えられない。

 実際、この説教を受けている間、作業が滞っているのは事実である。

 なので、ここはどうにかお怒りを収めていただきたい士郎。

 

「・・・・・むぅ」

 

 そして目論見通りといえば聞こえは悪いが、ともかく先ほどまで怒髪天をつくかの様な荒れ具合を見せていたジャンヌは、その怒気を急速に低下させた。

 

「確かに、ここで騒いでは他の方に迷惑になりますので、ひとまずこの辺りでやめておきます。シロウ達も、程々のところで戻ってきてください」

「ああ、わかってる。出来るだけ早くに終わるように努力する」

「分かっているのなら良いですーーそれと、話の続きはまた後ほど行いますので、そのつもりで」

「・・・・・・・・あい」

 

 最後にサラッと死刑宣告を下して、ジャンヌはその場を後にする。

 宣告を受けた士郎も、相当に堪えたようだが、半ば覚悟はしていたので取り乱しはしなかった。

 

「マシュ達も先に戻ってていいぞ。俺もライダーもキリのいいところで戻るからさ」

 

 立ち去るジャンヌを見送った後、未だ呆然とした様子で立ち尽くすマシュに声をかける。

 ハッと、我に帰った彼女は、なんとか平静を取り戻して士郎に向き直る。

 

「い、いえ!先輩お手伝いをなさっているのに、自分だけ休むわけにはいきません!わたしも何かさせてください!」

「いやいや、そんなの気にしなくていいって。俺が好きでやってることだし、ライダーもラ・シャリテの人達が心配で手伝ってるからさ」

「で、ですがーー」

 

 彼女は基本、他者を苦しめたり苦労をかけさせたりする行動というのは好まない少女だ。

 それが本人の希望とはいえ、自身のマスターが疲弊した身体に鞭打って人々のために働いている間、自分だけ休むというのは受け入れ難いものがあった。

 

「それに、ちょっと前にドクターからきいたんだけど、本物のドラゴンと戦ったんだろ?本当ならこっちが支援してやるべきだったのに、俺が不甲斐ないばっかりにマシュには苦労かけちまったしさ。これ以上は負担をかけられないよ」

「そ、そんなことはありません・・・・・っ!」

 

 申し訳なさそうにする士郎に、その言葉は看過できない、とマシュの言葉に力が入る。

 確かに当初の予定では、士郎が後方から狙撃を行う事でマシュや他のサーヴァントを支援するということだった。

 しかし、元々ワイバーンの殲滅も同時にこなしていた彼は、他よりも熟すべきタスクが多い立場にあった。その上サーヴァントの襲撃に遭ったとなれば、初めの作戦に拘泥できるはずもない。

 もしそんなことで責任を感じているのなら、スケルトンの軍勢を削れなかったマシュとジャンヌにも非があることになる。それこそ、あの亀竜が骸どもの侵攻を優先して戦っていれば、街には少なからず被害が出ていたはずだ。

 

「ーーん。まあ、流石にサーヴァントを相手にしたまま皆の援護ができるって考える程、俺も自惚れちゃいないよ。ただ、それとは別にしてやっぱりマシュには休んでてもらいたい。今回は初のサーヴァント戦でもあったし、マシュが気づかないところでかなり疲れてるはずだからさ」

「俺も彼の意見には賛成だ。君が戦いに不慣れというのなら、その疲労は知らぬ内に様々な箇所に蓄積していく。気持ちは理解出来るがここは彼の言う通りにしたほうがいいだろう」

 

 思わぬ援護射撃が飛んできた。

 それまで成り行きを見守っていたセイバーが、士郎に同意するように休息を促す。

 士郎と同じく歴戦の戦士たるセイバーの言葉は、その重厚な雰囲気と相まって重みが感じられた。

 流石にこうまで言われればマシュとしても頷かないわけにはいかないーー頷かないわけにはいかないのだが、それでもまだ納得しきってはいなかった。

 

「ジャンヌにも言ったけど、絶対に無理はしないし、すぐ戻るからさ。マシュは先に戻って休んでてくれ。なーー?」

 

 士郎の、どこか懇願するような視線を受けて、マシュもとうとう耐えきれなくなった。

 まだ残っていたい気持ちは無くならないが、これ以上粘っても逆に士郎を疲れさせるだけだ、と自分を無理やり納得させる。

 

「・・・・・分かりました。お手伝いが終わったら、先輩もしっかり休んで下さいね」

「ああ、約束する。俺だって、休める内はしっかり休むよ」

 

 マシュのお願いを聞き、士郎は確かに約束を結ぶ。

 そういえば、マシュとはこんな約束を何度もしてるな、なんて内心苦笑しながら。

 

「それではお先に失礼します、先輩ーー先輩・・・・・?」

 

 最後に、しっかりと挨拶だけはしていこうと士郎に会釈しようとして、そこでふとマシュは違和感に気付いた。

 今しがた困ったような笑みを浮かべていた目の前の少年ーーその表情が、まるで戦闘の只中にあるかのように険しいものになっている。

 

「・・・・・あの」

「ーーいや、何でもない。俺達もすぐ後を追うよ」

「そう・・・・・ですか」

 

 思わず声を掛けたが、その時点で彼の表情は普段の無愛想なものに戻っていた。

 流石になんでもないようには見えなかったのだが、何も言わない以上、ここで追求しても仕方ないのだろう。

 マシュは自身の疑問を抑え込んで、その場を去る。

 

「----」

 

 最後に、彼女はもう一度振り返って士郎を見やった。

 彼はやはり、先ほどと同じように忙しなく作業を続けていてーー何も告げない士郎の姿に、どこか孤独感じみたものを感じながら今度こそ振り返らずに部屋へ戻っていった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「ご苦労だった、セイバー。君たちのおかげで()()()は万全だよ」

 

 小高い丘の上で、たった今リヨンから帰還したセイバーを黒いアーチャーが出迎えた。

 その表情は常に硬いものだが、掛けられた言葉は本の少しだけ柔らかに感じられた

 

「私は私の仕事をしたまでだよ。それより、キミこそ迷惑をかけたね」

「いやなに、そこも含めて後方支援の役割だろう。それこそ、君に礼を言われる事じゃない」

「では、そういうことにしておこう」

 

 互いに軽い挨拶を交わす。

 ごく普通に会話をするその姿を他者が見れば、直前まで街一つを攻め堕とそうとしていた者と同一人物だとは到底思えないだろう。

 

「それで、どうだった。少しは気は晴れたかね?」

 

 アーチャーはその日の調子を尋ねるようなノリで、セイバーの様子を問う。

 セイバーはそのような事を聞かれるとは思っていなかったのか、一瞬虚を突かれたような表情をしたが、直ぐ様気を取り直した。

 

「うん。こういう言い方はしたくないけど、存外に楽しめたよ。()()()()()()()()

「それは結構。君も苦労するな」

「お互い様だろう・・・・・と言いたいところだけど、そちらは少し違うんだったね」

「まあ、な。これに関しては性分みたいなものだよ。どの道、マスターの命には逆らえん」

「サーヴァントであればマスターに振り回されるのは誰も同じさ。もっとマシな召喚をされたかったとは思うけど、喚び出された私達に逆らう権利はないしね」

 

 やれやれ、と首を振るセイバー、その姿には隠しきれない現状への不満が見て取れる。

 竜の魔女に対する各サーヴァントのスタンスはそれぞれ異なるが、このセイバーに関しては彼女に使役されている現状に対して嫌悪を抱いている類だ。

 それ故か己を律し、内に燻る狂気を抑え縛り付けることが、今回の現界における彼女の常となっていた。

 

「ライダーとバーサーカーはもう戻ったのかい?」

「ああ。二人とも既にそれぞれの持ち場に向かったよ。君と違って、ライダーなどは相も変わらず挨拶の一つもなかったがね」

「それは仕方ないだろう。彼女に関しては私達よりなお、こちらにいるべき英霊ではないんだから。本来ならあちらにいるべき人物だろう」

「そういう意味で言えば君も似たようなものだと思うがーーそれにしても、こうしてまともに会話できる相手が君とあの侍だけというのは、中々に問題ではないかね」

「ライダーは口を利かない、ランサーは王、バーサーカーは話せない、あっちのアサシンは怪物より、キャスターはあの魔女の信奉者ーーなるほど、確かに深刻だねこれは」

 

 アーチャーが何気なく放った言葉について思い返してみたセイバーだったが、存外に笑えない状況に思わず頭を抑える。

 これが真っ当な職場であれば崩壊確定秒読み段階、といった所か。

 そもそも彼らのマスターが、その様な余暇を認めていないのが致命的だった。

 

「まあ、その辺りはサーヴァントの宿命か。では我らがマスターの願いに従って、我々も仕事に戻るとしよう」

「またお小言を言われても敵わないからね、雑談はここまでにしよう」

 

 言って、共に本拠地への帰路へ着く。

 その最中、アーチャーは肩越しにリヨンへ振り返る。

 断定には至らなかった。しかし、捨て置けるほど外れてもいない。

 

「ーーーー」

 

 思考はほんの僅かな間。

 ここまでは単なる前哨戦。検分の機会は今後いくらであるだろう。

 今はその時が訪れるまで、課せられた仕事を熟すとしよう。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 それぞれがやるべき事を終え、宿に戻った士郎達は暫しの休息を終え、再び集まっていた。

 その間、住民の手助けを終えた士郎が中断されていたジャンヌの説教を受けたり、士郎が用意した夕食を摂ったりしていた。

 既に辺りは暗く、部屋を照らすのはランプの光だけだ。

 その中で、この面子では二度目となる会議が始まろうとしていた。

 

「防音の結界は張り終えた。そろそろ話を始めるとしよう」

 

 この小さな空間に境界線が敷かれ、内と外は隔てられた。

 照明技術の未発達なこの時代においては、夜の時間というのは現代に比べてひどく静かだ。

 既に眠りに就いている人も多く、また要らぬ知識を漏らさないためにも必要な措置だ。

 

『まず全員に共有したいのは今回新たに姿を見せた敵サーヴァント達だ』

 

 空間に投影されるモニターには、三騎のサーヴァントが映し出されている。

 フェンシングに酷似した剣術を扱うセイバー。

 騎乗物では最高クラスのドラゴンを使役するライダー。

 野生に生きるかのように頑強な肉体を武器とするバーサーカー。

 

「ここには映っていないけど、もう一騎アーチャークラスのサーヴァントもあの場にいた」

 

 カルデアと士郎から情報が提示された計四騎のサーヴァント。

 彼らの力を直に受けた全員が、その異様を改めて思い返す。

 

『ラ・シャリテでも強大な敵とぶつかったけど、今回判明したサーヴァント達も負けず劣らず厄介な敵だと思う』

 

 そう告げたロマニは、現段階で判明している各サーヴァントの詳細を表示させる。

 これらの情報を見て各々が異なった反応を見せる。

 

「いずれのサーヴァントも非常に強大な存在だと感じますが、この中ではやはりあのライダーが最大の障害でしょうか」

 

 部屋の中で真っ先に声を上げたのはマシュだ。

 彼女は正面からあのドラゴンと相対した事もあって、その時の圧迫感と恐怖が強く残っている

 

「聖女マルタ。そしてローヌ川の怪物タラスクか。確かに火力という点で言えば彼女らは随一だろう。あの巨竜を除けば、現状確認している中で殲滅力であの竜を上回るサーヴァントはいない」

 

 士郎も提示された情報をもとに、客観的な見方で分析する。

 その巨体から繰り出される一撃は重く、無造作に振るわれただけの腕が家屋を容易く倒壊させるだけの威力を有している。

 こちらのセイバーを除いて、まともに戦って勝利できる存在ではないのは明らかだ。

 

「とはいえ、本当に警戒すべきなのはやはりあのライダーだ。祈りによって形成される一切の過程のない魔術行使。それがただ杖を向けられただけで襲ってくる。あれはもはや発動どうこうではなく、対象に結果を直接発生させていると言っていい」

「ええ。そのため回避も防御も出来ません。私も何度か標的にされたので言えますが、正面からの相対においてあれほど厄介な攻撃はないでしょう」

 

 この中では唯一、ライダーの攻撃を受けているジャンヌが士郎の言葉を補強する。

 聖女マルタが手にする十字架は、彼女の祈りを魔術へと変換する。

 しかし、それは通常の魔術師が確かな論理と道筋によって行使するものとは違い、過程というものが存在しない。

 そのため、物理的な干渉を伴う多くの魔術が構築、飛翔、着弾というプロセスを踏むのに対し、彼女の祈りは敵対者そのものに魔術を発生させる。

 あの十字架が自身を指し示した時点で、攻撃は成り立っているのだ。

 

「ジャンヌ、実際に受けてみて威力はどれほどのものだった」

「私はもともと、ルーラークラス故の高ステータスと対魔力があります。今は不完全な召喚のため本来のステータスには達していませんが、彼女の魔術であればおそらくダメージを負うことはないかと」

「となると純粋な出力は分からないままか。そこを把握できれば、或いは無理矢理に押し込むことも視野に入れられたんだが」

 

 現状、ライダーの魔術によるダメージがどれ程のものなのか、正確に把握できていない。

 先の戦闘で見せたものが最大火力かどうかも疑わしい。

 現段階の情報だけでは、今後、彼女を相手取る際の有効な戦術を構築出来ない

 

「そういった戦術であれば、私が請け負いますが・・・・・」

「いや、確かにジャンヌなら彼女の魔術は無視できるかもしれないけど、それ以前に彼女と戦うのは俺かマシュのどちらかが理想的だ」

「シロウたちだけ、ですか?それはどうしてーー』

『それは多分洗礼詠唱を警戒しているからだろう』

 

 ジャンヌの疑問に答えたのは、モニターの先にいるダ・ヴィンチだ。

 現代において彼の主の教えは、世界で最も広く定められた魔術基盤だった。

 この基盤に刻まれ、第八秘蹟会を除く、代行者をはじめとして全ての教会所属者が唯一会得の許される魔術。

 教会の人間が秘蹟と分類する聖言は、霊体に対しては高い効果を発揮する。殊更、アンデッドや死霊のような教会の教義に反するもの、自らの肉体を持たないものには絶大な威力を誇る。

 

「確かに洗礼詠唱は霊体に対する特攻ですが、聖なるモノやサーヴァントに対しては効果は薄いはずです」

「それは分かってる。ただ、相手が聖女マルタともなればどうなるか分からない。何せ彼女は、教会が神とする主の教えを直接受けている人物だ。もしかしたらこちらが想像している以上の秘蹟を有しているかもしれない。勿論、これはあくまでただの可能性だからそれほど重視しなくてもいい。ただ、万が一を考えて優先順位は決めておきたい」

「・・・・・俺に依存はない。あなたが決めたのならその方針に従おう」

「ボクも特に文句はないよ」

 

 それまで会議を見守っていたセイバーとライダーは、士郎の提案を受け入れた。

 もともと士郎に対して恭順の姿勢を示しているセイバーは勿論、ライダーも深い考えがあるわけではないので否定に足る材料を有していなかった。

 

「・・・・・分かりました。その場合にはシロウ達を中心に立ち回ります」

 

 それぞれの反応を見て、ジャンヌも少なからず納得した。

 もっとも、士郎達に完全に任せるわけではなく、自らも援護するつもりでいるあたり、実に彼女らしい。

 

『マルタに関する対応はこれでまとまったとして、残るは三騎か』

「それなんだが、セイバーは現段階でここにある情報以上に注目すべき点はないし、アーチャーに関しては観測すらできてない。だから、今考えるべきはバーサーカーだけだ」

 

 士郎が言った通り、カルデアが現状把握している敵セイバーの情報は表示されているものが全てだ。

 また、現在判明している範囲では特筆すべき特殊性は見受けられない。

 無論のことアーチャーに関してはそう容易く教えられるものではなく、カルデアも含めて、この場の誰に対しても徹底的に秘匿せざるを得なかった。

 

「では、俺が知り得る限りのことを改めて伝えよう」

「ーー待ったセイバー。アイツの事はボクが話すよ」

「む・・・・・」

 

 セイバーとアーチャーの話を士郎が流したことで、バーサーカーについての議論へ移る。

 当然、バーサーカーと直接戦ったセイバーに、お鉢が回ることになるのだが、これをライダーが遮った。

 誰も彼がそんな事をするとは予想しておらず、自然と視線が集まる。

 

「もしかして、あのバーサーカーも以前の召喚時に出会ったことのあるサーヴァントなのでしょうか?」

 

 ライダーはセイバーと同じく、以前の召喚でヴラド三世と遭遇している。

 それと同じように、また別の召喚でバーサーカーと対峙した記録があるのか、とマシュは考えた。

 

「ううん。そういうんじゃないんだ」」

 

 しかし、ライダーは彼女の言葉を否定した。

 マシュの考えは間違ってはいない。

 英霊にとって、時間や世界線の縛りとは生前に手放した権利だ。

 英霊の座に刻まれた彼らは、常世のあらゆる原理から外れた存在。時間も、世界も超えてあらゆる地へと召喚される。

 その中で、一度出会ったことのある誰かと異なる地で再開する可能性は、決してゼロではない。

 

ーーだからこそ、マシュは失念していた。

 

 時間に流されず、世界という枠にも収まらず。

 どこまでも遠い、自分達とは全く異なる超常の存在。

 そんな|英霊()()()もまた、かつては同じ人間だったのだと。

 

「アイツはーーあのバーサーカーは、生前からのボクの友人なんだ」

「え・・・・・!?」

 

 それは、ひどく衝撃的な事実だった。

 英霊という存在、その定義を正しく把握して、彼女は順当な解を導き出した。

 彼女は、自身と彼らの間に存在する明確な差異を正しく認識していてーーそれ故に、その在り方を理解できなかった。

 彼らは特別だったから人間を超越したのではない。

 

ーー誰よりも英雄<ニンゲン>らしく生きたからこそ、英霊となったのだ。

 

「それで、アイツのことなんだけどーーそれを話す前に。士郎、改めてボクの名を名乗るよ」

 

 これまで意識すらしてこなかった事実に打ちのめされるマシュには気付かず、ライダーは士郎へと視線を向けた。

 その眼差しに普段の楽天的な様子は見出せず、ただ正面から士郎と向き合おうとする意思が載せられている。

 

「・・・・・いいのか?サーヴァントにとって、真名の開示は時に致命になるものだろう」

「問題ないさ。それに、色々と忙しなくって忘れちゃってたけど、もともとは最初にあった時に名乗るつもりだったし」

 

 バレたところで困るような話もないしね、とライダーは笑う。

 しかし、例えそうだったとしても、そのリスクは変わらない。

 仮にライダーの言う通り、彼の生前において弱点となるような逸話がないのだとしても、正体が知れればそれに合わせた戦いをする事は可能だ。

 それぞれが得意とする戦法や決め手、ある事柄に対するスタンスや対応。

 そういった情報が露見するということは、それはそのまま、その英霊の生き方を知られることを意味する。

 サーヴァントのクラス名とは、敵に明かすことのできない真名を隠す為のベールでもあるのだ。

 

「ーー分かった。訊かせてもらう」

 

 ライダーの言葉をどう捉えたかは定かではない。

 しかし士郎もまた、真っ直ぐにライダーを見据える。

 真名がサーヴァントにとっての急所と言えるものなら、それを明かすのは彼らの命運を預けられるという事である。

 互いの名を交わし、同じ目的の為に共に戦う。それはある種の契約だ。

 マスターとサーヴァントのような魔術的な繋がりではなく、強制力のある縛りでもないが。

 だからこそ、託される者にかかる責任は何より重い。受け取る側は、託されるに足る在り方を貫かねばならない。

 故に、士郎も覚悟を決める。

 己が全てを託すと言うライダー、その信用に少しでも報いられるように。

 

「教えてくれ、ライダー。アンタの真名を」

 

 問いかける声はどこまでも一途で、この一時のみ、士郎はライダーだけを意識に収めた。

 

「ボクの真名はアストルフォーーシャルルマーニュ十二勇士が一、アストルフォだ」

 

 改めてよろしく、と。

 これまでのライダーには見られないほど真面目に、しかし底抜けの明るさは損なわれず。

 彼ーーアストルフォは、どこまでも彼らしくその名を明かした。

 

ーー英霊アストルフォ

 

 中世フランスの叙事詩に登場する騎士。

 後にヨーロッパの父と呼ばれるカール大帝ーー即ち、シャルルマーニュに仕えた十二人の聖騎士<パラディンの>の一人である。

『恋するオルランド』『狂えるオルランド』などをはじめとした物語にその姿が記され、その中で多くの冒険を乗り越えた英雄だ。

 その中でも、アストルフォとは月にその理性を封じられた、理性を失った騎士とされている。

 

『なるほど。君がアストルフォなら、あのバーサーカーの正体も自ずと見えてくる』

 

 一方で、カルデアから事の行く末を俯瞰するダ・ヴィンチは現実的なものを見据えていた。

 現段階でカルデアが得ているバーサーカーの情報は主に三つ。

 一つ、まともな衣服を纏わない原始的な格好をしていること。

 一つ、非常に高ランクの狂化を受けていること。

 一つ、セイバーの宝具すら強靭な肉体を有していること。

 これら三つの要素に加え、アストルフォが友人と呼ぶ人物は、たった一人だ。

 

『『恋するオルランド』『狂えるオルランド』の主人公にしてアストルフォと同じパラディンの一人オルランド。即ちーー』

「そう。あのバーサーカーの正体はローラン。ボクら十二勇士の中でも最高の騎士、ローランだ」

 

 そうして告げられた真名に、口にした当人以外、部屋の中にいる誰もがそれぞれ反応を見せた。

 衛宮士郎は、ダ・ヴィンチと同じく半ば予想していたとはいえ、それでもその圧倒的な知名度を誇る英雄に難しい顔をし。

 マシュは、一つの叙事詩における頂点たる騎士に思わず息を呑み。

 セイバーは、驚きこそないものの、少し前に打ち合った敵の力量に納得した。

 

「アストルフォの言う事が本当なら、かなり厄介な敵だな」

 

 士郎は、硬い声でそう言う。

 ローランとは、アストルフォの言う通り、シャルルマーニュ十二勇士の中でも最強ともされるパラディンだ。

 十二勇士達の王たるシャルルマーニュの甥とされ、如何なる攻撃にも傷つけられることのない肉体を有する彼は武勇に優れ、その手には絶世の名剣と謳われ決して折れることのないデュランダルを携える。

 彼について記された叙事詩は『ローランの歌を』はじめいくつかあるが、それらを閲覧すれば彼がどれほど強大な英雄かは誰しも理解できるだろう。

 何より頭を悩ませるのは、原点において彼は外的な要因によって死を迎えてはいないということだ。

 彼の死因はほとんど自滅のようなもの。他者によって命を奪われたなどという記載は、どこにも見当たらない。

 サーヴァントとの相対という点において、これほど難儀する英雄はそういまい。

 

「しかもバーサーカーで喚び出されてるってことは『狂えるオルランド』での姿だろう?」

 

『狂えるオルランド』におけるローランは、とある女性への恋心とその失恋をきっかけに、まるで理性のない獣のように姿に陥ってしまう。

 その際の彼は非常に粗野で狂気的。抜きん出た怪力は人間どころか、強力なマジックアイテムを用いても倒せなかった海魔を素手で捩じ伏せている。

 おまけにその肉体は金剛石と同強度と言われるほどに頑強だ。

 そんな怪物と称するほかない剛腕の騎士が、バーサーカーとして見境なく人々に襲いかかり暴れ狂う。

 控えめに言っても、悪夢という他ない。

 

「ボクもサーヴァントとしてのアイツについて詳しく知ってるわけじゃないからその辺りはなんとも言えないけど、少なくともデュランダルまで持ってきてる感じはしなかったな」

「それが本当なら不幸中の幸いだけどーーだとしても、まともに相手をするべき相手じゃないことには変わりない」

「あ、それについてはボクも同感。ほんと、あんなの相手にしてたら命が幾つあっても足りないから」

 

 重苦しい士郎とは対照的に、あっけらかんとアストルフォは言い放つ。

 彼らの考えは正しい。

 物語上、ローランには弱点らしき弱点が記されておらず、唯一それらしいのは彼の足裏には無敵性が確認されていないことだけだ。

 通常、サーヴァントを相手取るならその死因や弱点を利用して戦略を練るものだが、彼が相手ではそれが成り立たない。

 それはつまり、一つの伝説における最強の英雄を、真っ向から打ち破らねばならない事を意味する。

 

「アストルフォ、他に何か気づいたことはある?」

「うーん。ほんのちょっとしか見てないし、あんまり覚えてないんだよね」

「・・・・・そうか」

 

 或いは、ローランの戦友たる彼であれば何かしら感じ取るものがあるかと期待したが、そう都合良くはいかないらしい。

 

『今はこれ以上考えても仕方ない。あのバーサーカーのことはこっちでも調べておくから、今日はここまでにしておこう』

「・・・・・俺としては、まだ聴きたいことが山ほどあるんだがな」

 

 モニターの先から、ロマニは会議の中断を提案する。

 しかし、士郎はこれで終わる気は毛頭ない

 確かに、カルデア側が収集した情報からローランに対抗する有効な策を見出すことは難しい。だがそれ以外にやれる事はいくらでもある。

 彼の正体を知るものがこの場にいないのなら話は別だが、こちらにはアストルフォという生前の仲間がいる。

 彼が知る限りの生前のローランについて知れれば、そこから何らかの対抗策が見つかる可能性は十分にある。

 

『勿論、士郎君の言い分はわかるよ。それが必要なことだってことも』

「だったらーー」

『でも、君達がレイシフトしてからここまで、一度も睡眠をとっていない。これ以上は代理司令としても医療部門のトップとしても許容できない』

「むぅ・・・・・」

 

 士郎は反論しようとしたが、ロマニからの提言を聞き押し黙った。

 要するに、ドクター・ロマンからの“ドクターストップ”という事だ。

 実際、ロマニの言い分は理にかなっている。

 疲弊した体で有意義な話し合いを続けられるはずもなく、また現状唯一活動可能なマスターである士郎を不用意に酷使したくない、というカルデア側の思惑もある。

 士郎もロマニの言葉には同感であった。もっとも、それは士郎を除外しての話だが。

 そもそも、カルデアに来るまでの彼なら、数日どころか数週間や1ヶ月近く眠らないことなどザラにあった。今更、この程度の消耗に根を上げるほど柔ではないし、その程度の人間だったならとっくの昔に力尽きている。

 しかし、マシュは違う。

 彼女はつい先日まで、戦いとは無縁の少女だったのだ。それがいきなり訳の分からない力を与えられ、戦場に向かうことを余儀なくされた。

 碌な経験もなく、量だけは膨大な知識と少しの戦闘訓練をつめこまれ、怪物どもと戦わされている。

 そんな彼女をこれ以上痛めつけるのは憚られた。

 

・・・・・他でもない、彼女の力を求めた俺が言えた義理ではないがな。

 

 全くもって今更ではあるのだが。

 マシュを戦力の一つとして利用すると決めたのは、他でもない士郎自身だ。

 人理焼却という人知の及ばない滅びを前に全ては道具でしかない。衛宮士郎も、マシュ・キリエライトも、カルデアの職員も、他のサーヴァントも。この滅亡を覆す為の駒でしかない。

 故に、士郎がマシュを慮るというのは、酷く筋違いというものだ。

 

「・・・・・分かった、続きは明日に持ち越そう」

 

 しばし思案し、士郎はロマニの提案を受け入れた。

 全てが道具なのだとしても、道具には道具なりの使い方というものがある。

 この世の全ては有限であり摩耗していくものだ。休みなく酷使し続ければ、限界はより早くに訪れる。

 道具には、それに適した整備<メンテナンス>が必要なのだ。

 その様に自身を納得させ、胸中の蟠りに踏ん切りをつけた。

 

『よし。それじゃみんな、今日はゆっくり休んで明日に備えてくれ』

 

 各々の反応を確認し、ロマニは今度こそ解散を宣言した。

 

「・・・・・?」

 

 その中で。

 ただ一人、ジャンヌだけが、士郎がモニターに目配せしたのを見ていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 夜も深まり、リヨンの街は死んだ様に静まり返っていた。

 現在、時刻は11時頃。

 竜の魔女という災害に脅かされているという状況もあって、この非常時においては夜の街を徘徊する悪党も、酒に溺れる飲んだくれも表には見えない。

 しかしその静けさとは対照的に、街の至る所には灯りが見える。それは、ラ・シャリテから避難してきた人々が身を寄せる寝床に焚かれた火や蝋燭の光だ。

 寝床と言っても、殆どは最低限眠る為の毛布があるだけで、テントなどまともに身を休められる設備は少数だった。

 それというのも、一度に多くの住民が逃げてきたため、全員を収容できるだけの家屋もスペースも用意できなかったのだ。

 無論、可能な限りの人数は建物の中に入れるようにはしている。

 宿の空き部屋やリヨン市民の住居など。非常時ともあって、住民も避難民の受け入れには寛容だった。

 それでも収まりきれずに溢れた人達が、街道に身を寄せ合っているのが現状だ。

 毛布やテントなどがリヨン側から提供され、ひとまず一夜を過ごせるようになったのはせめてもの救いだろう。

 

「ーーーー」

 

 そんな、明るくも静まり返っているという、ひどくチグハグな夜に、一人の少年がある宿屋から姿を見せた。

 紅い外套を纏う彼は、空を見上げ静かに佇んでいる。

 月の光を浴びる彼は、空に浮かぶ星々を見つめるーーその先に、どこか遠くのモノを見据えるように。

 

「こんな夜更けに散歩ですか、シロウ」

「・・・・・ジャンヌか」

 

 星と月、そして街に点在する光に照らされる街の中、その光を受けて少女が少年に声をかけた。

 然して驚いた様子もなく名を呼ばれた彼ーー士郎も声の主であるジャンヌに意識を向けた。

 

「もう夜も遅い。明日に備えて眠るべきではありませんか」

「それはお互い様だろう。ジャンヌこそこんな時間に出かける用でもあるのか?」

「私は、少し気になる事があったのでそれを確かめに」

「”気になる事“、ね・・・・・」

 

 どうにも迂遠な言い回しに、士郎は敢えて気付かないフリをした。

 流せるものなら、このまま流したいという思いがあったからだ。

 

「・・・・・そういえば、さ。一つ、ジャンヌに頼みたいことがあるんだけど、聞いてくれるか?」

「え・・・・・?は、はい。私で良ければお聞きしますが・・・・・」

 

 唐突な士郎の申し出に、ジャンヌは少々戸惑った。

 このタイミングで彼がそんな事を言ってくるとは思わず、出鼻を挫かれた気分だ。

 

「ん。別にそんなに難しい事じゃないから」

「はぁ・・・・それで、私はどうすれば?」

「なんていうか、俺への呼び方を変えてほしいんだ」

「よ、呼び方・・・・・?」

 

 次いで出されたお願いにまたしても調子を崩される。

 わざわざ断りを入れてまで頼んできたのだから、何か重大な話かと考えていたが、蓋を開けてみればなんとも締まらないモノだった。

 

「それは構いませんが、具体的にどう呼べばいいんですか?」

「呼び名自体はそのままでいいんだ。ただ、発音というか、正しいイントネーションをに変えてほしくてな」

「イントネーション、ですか」

 

 少し照れくさそうに笑う士郎に、ジャンヌはやはり彼が何を考えているのかよく分からなかった。

 しかし彼の頼みを受けると言った手前無碍にはできず、そもそもこの程度の願いなら畏まらずとも彼女はいくらでも受けて良かった。

 

「え、と、それでは。シロー、シろお、しろう、しろウ、ではなく、士郎ーーこれで合っていますか・・・・・?」

「大丈夫、ちゃんと合ってる」

「ああ、そうですか。それは良かった」

 

 何度か発音を繰り返し、幾度目かで正しい発音を掴む。

 目の前で人の名前を間違ったイントネーションで連呼するという、少々気恥ずかしい体験ではあったが、その甲斐はあったようだ。

 しかし、成功はしたものの、未だにその意図は分からない。

 

「もしかして、さっきまでの呼び方は不快だったでしょうか・・・・・?」

 

 少しだけ眉尻を下げて問う彼女は、悲しそうでも、申し訳なさそうでもあった。

 彼女が考えつく中で、一番当てはまりそうな理由はそれしかなかった。

 対して士郎は、ジャンヌの言葉が意外だったのか。数瞬、意表を突かれた表情を浮かべた。

 

「いや、別にあの呼ばれ方が嫌だった訳じゃないんだーーむしろ、あっちの方が好きだったぐらいだよ」

 

 彼は苦笑しながら、ジャンヌの予想を否定した。

 

「では、どうしてあんなことを?」

 

 当然、彼女の疑問はここに戻る。

 先ほどの発音が不快だったのであれば話は分かるが、その逆に好ましく思っているなら訂正する必要はないのではないか。

 そんなジャンヌの疑問は当然のもので、それを理解しているのか、士郎はどこか気恥ずかしそうに笑う。

 

「なんていうかさ、俺のつまらない拘りなんだ。本当にそれだけのことで、ただの我侭だよ」

 

 そう言う彼は、ジャンヌを見ていながら、その瞳に彼女を映してはいなかった。

 その様がまるでもう会えない誰かに想いを馳せているように見えて、彼女は堪えきれず問いかけてしまった。

 

「大切な、ヒトだったんですか・・・・・?」

「ーーああ。俺にとっては何より大切な、一番のパートナーだよ」

 

 決して長くはない、簡素な言葉。

 飾ることのないそれは、だからこそ込められた想いの強さを如実に示していた。

 

「・・・・・すみません。不躾な事を聞いてしまいました」

「別にジャンヌが謝ることないだろ。もともと、こっちが変な空気にしちまったんだし、気に病む必要はないよ」

 

 ジャンヌにとっては、士郎の触れてはならない秘部に触れてしまった気持ちだったが、対する彼は穏やかだった。

 自身への呼び方を変えたのは、確かに特別な思い入れ故であり、かつて耳にした声を克明なままにしていたかったからだ。

 それでも、これはとっくの昔に終わった話だ。

 かつての別離に後悔はなく、未練もない。今になって思い返して、愛しさや懐かしさが湧くことはあっても、悲嘆に暮れるようなことはない。

 他の誰かならいざ知らず、彼と、そして今は遠い彼女にとっては、あの別離は決して悲劇ではなかった。

 あの黄金の別離には、全てがあったのだから。

 

「・・・・・それより、ジャンヌは俺に用があったんだろ。こっちの頼みを聞いてもらったし、お返し、って言うのも変だけど応えられる範囲で応えるよ」

 

 気を落とすジャンヌの姿を見ていられなかったのか、士郎は無理矢理気味に話題を変えた。

 舵を切った先は自分で遠ざけた話だったが、今はこの雰囲気を放置する方が彼には辛かった。

 

「・・・・・分かりました。ではお聞きしますが、士郎はこんな時間に何を?」

 

 士郎の気遣いに甘える訳でもないが、ひとまず気持ちを切り替えて、当初の予定を実行する。

 

「何を、と言われてもな。その質問がどういった意図で聞かれているのか、いまいち把握しかねるが」

「・・・・・なら聞き方を変えます。あなたはこれからどこに向かい、何をしようとしているのですか」

 

 この期に及んでまだはぐらかそうとする士郎に、ジャンヌは今度こそ明確に問いをぶつけた。

 他に解釈のしようもない、明瞭な質問だった。

 

「ーーーー」

 

 数瞬、士郎が押し黙る。

 こうまで聞かれても、できれば教えたくないという意志が、明らかに見えていた。

 どう言い逃れしたものか考えを巡らせーーやがて諦めたように、息を吐いた。

 

「ーー分かった。降参だよ。正直に話すから、そんな目で見ないでくれ」

 

 自身の負けを認め、大袈裟に両手を挙げてみせる。

 その様子に、今回は嘘はないと判断し、ジャンヌは肩の力を抜いた。

 

「それでは、教えてください。あなたが何をしようとしているのか」

「その前に、一つ約束してほしい」

「・・・・・今度は何ですか」

 

 話すと言ったはなから条件を加える士郎に、指物ジャンヌも僅かに怒りを感じる。

 とはいえ、そこでごねてもまた時間を喰うだけなので、さっさと続きを促した。

 

「簡単なことだ。これから話すことをマシュに伝えないで欲しい」

「どういう事ですか。マシュはあなたの正式なサーヴァントでしょう。そんな彼女に教えられないような事をーーまた自分一人で危険な事をするつもりですか」

「・・・・・」

 

 帰ってきたのは沈黙。

 それはつまり、ジャンヌの言うことは正しいと、認めているということだ。

 全くもって度し難いというか、彼は本当に自分がこの世界に残った最後の生命線だということがわかっているのだろうか、ジャンヌには甚だ疑問だった。

 

「ひとまず、話を聞かせてください。そうでないとこちらも判断出来ませんから」

「・・・・・きっかけは、敵セイバーのある一言だ」

 

 このままでは埒が開かないので、今は保留ということにした。

 どんな内容かはまだ分からないが、酷いものであれば止めるなり報告するなりすればいい。

 そんなジャンヌの意図を察しているのか、士郎は諦めて話し始めた。

 

「あのセイバーは、自分達の役目をは準備が整うまでの時間稼ぎだ、と言った」

「準備・・・・・・」

「ああ。そういう言い回しをするのだから、ナニかあるのは間違いない」

 

 士郎は、その言葉がどうしても無視できなかった。

 下手を打てば、それだけこちらが不利になる。

 怪しい動きや違和感は、可能な限り調べておきたかった。

 

「それで、あの戦いの後で使い魔を飛ばした。ひとまず、巨竜の様子を窺おうとね」

「それで、どうだったんですか」

「竜の方には然して変化はなかったーーただ、ラ・シャリテそのものに問題があった」

「ラ・シャリテに?」

 

 現在、あの街は士郎と竜の魔女達による戦いの余波、そしてセイバーの宝具によって壊滅状態にある。

 そこに特筆すべき何かがあるというのか。

 

「俺とアストルフォが去った時点であの街は焼け野原になっていて、残っているのは廃墟だけだった」

「ええ。そう聞きました」

「だが、使い魔を通して視たラ・シャリテには、異質な城が聳え立っていた」

「城、ですって・・・・・!?」

 

 それは、俄には信じ難い話だった。

 ラ・シャリテの戦いから士郎が使い魔を通して偵察するまで、精々2時間程度しか経っていない。

 その短時間で城を建設するなど、どのような方法を用いれば実現できるのか。

 日本には一夜上という話もあるが、それらも実際はただの見せかけやら錯覚の類で、実際には比較的速くに築城を完了しただけだ。

 

「聖杯か、宝具か、はたまたキャスタークラスの魔術か。いずれにせよ、そういうモノが存在している事実には変わりない」

「それが本当の事だとして、士郎はこれからどうするつもりですか」

「ひとまず、自分の目で実際に見てみようと思ってる。俺達の間に魔術的なパスは通ってないから共有はできないけど、はっきり言ってマトモな城じゃないんだ」

 

 士郎は、今なお使い魔を通して見える光景に、不快感を抑えきれないでいる。

 それをここで言語化することも、監視を中断することもないが、可能な限り視界に収めない方がいいという結結論は変わらなかった。

 

「確かにそれは放置すべきではないかもしれませんが、あなた一人で、それもわざわざ今から行く必要はないでしょう」

 

 ジャンヌの考えはもっともだろう。

 件の城とやらがどれほど悍ましいものかは彼女には判別しようがないが、それでもこれから士郎がしようとしている事を見過ごす理由にはならない。

 そんなものは、十分に体を休めた後に、複数人で行けば済む話だ。

 

「いや、それじゃあ遅い」

 

 しかし、そんなジャンヌの考えを、士郎はあっさりと切り捨てた。

 

「な、何故ですかっ!?今から偵察に行くのも、明日調査に向かうも変わりはない、むしろ後で複数人で行く方が確実でしょう!」

「ああ、これが他の場所にできていたならな」

 

 食ってかかるジャンヌに対し、士郎はあくまで冷静だった。

 彼は周囲に誰もいない事を確認し、空間にフランスの簡易マップを投影した。

 

「見ての通り、ラ・シャリテはこのリヨンから最も近い、オルレアンとの中間地点だ。俺たちがここを拠点にオルレアンまで攻め込むなら、どうしてもラ・シャリテに近付く必要がある。ここまではいいか?」

「・・・・・ええ、問題ありません」

 

 士郎の言葉を吟味し、それが間違っていないことをジャンヌは確認する。

 それを見て士郎は話を続ける。

 

「そうなってくると、ここに城がある限りオルレアンへの侵攻は必然的に止められる。まさか筐だけ造って中身はない、なんてあり得ないだろうし」

「あの巨竜が致命傷を負っている現状、少しでも速くオルレアンに攻め込む必要がある、という事ですか。言いたいことは分からないでもないですが・・・・・」

 

 それにしては、少し違和感がある。

 純粋に速度を求めるなら、ラ・シャリテの攻略に拘らずとも、迂回していけばいい。

 その分時間はかかるだろうが、敵の陣地に踏み込んでそこを突破するのと際して変わらないはずだ。

 

「そう簡単な話でもないんだ。連中、どうもあの城とその周囲にワイバーンを集めているらしい。それこそ、いつでもどこかの街を襲撃できる程度にはな」

「ーーまさか」

「簡単にいうと、あの城は前線基地であり、防衛拠点なんだ。あの位置からならリヨンを始めとした街々を狙える。加えて、ワイバーンの何割かは哨戒させてるみたいで、かなりの範囲をカバーしてる」

 

 故に、時間がない。

 このまま放置すれば魔女の軍勢はより効率的に侵攻を進め、時間が経てば経つほどオルレアンの防衛線は厚くなる。

 彼らは可能な限り迅速に、ラ・ソャリテを攻略する必要がある。いまこのタイミングが、唯一の機会だ。

 相手が未だ態勢を整えきらず、夜間故に視認が難しいこの時間こそ、敵城視察にはうってつけなのだ。

 

「・・・・・理由は分かりました。ですが、それならあなたでなくともいいし、ましてやマシュに何も伝えないで行く理由にはなりません」

「いや、未だに隠密行動に一番適しているのは俺だし、今のマシュにこれ以上負担をかけたくないーーそれに、今回は一人で行くわけじゃない」

「え・・・・・?」

 

 ジャンヌは、士郎がまた一人で無茶をするつもりだと考えていた。だからこんな時間に一人で抜け出しているのだと。

 だから、士郎が少なからず同行者を連れて行こうとしている事実は、彼女にとっては思わぬ結論だった。

 

「お待たせ、士郎」

 

 士郎の選択に衝撃を受けていた彼女は、直前まで気付けなかった。

 宿の入り口から彼らに近づく人物が一人。その陽気な声を聞き間違えるはずもない。

 

「士郎の言っていた同行者はあなたのことだったんですか、アストルフォ」

「あれ?ルーラー・・・・・じゃなくて、ジャンヌじゃん。君も士郎に呼ばれたの」

「いえ、私は別件で士郎に話があったので・・・・・」

「ふーん。そうなんだ」

 

 アストルフォも予想していなかったジャンヌの姿に疑問を浮かべるも、直ぐに興味を失くして士郎へ向き直る。

 

「休んでる所を悪いな、アストルフォ」

「なんのなんの。ボクはサーヴァントだし、これぐらいなんて事ないさ。それより急いでるんでしょ?なら早く行こう」

「ああ、そうしようーーそういう訳だから、行っても構わないか?」

 

 士郎はアストルフォと言葉を交わした後、改めてジャンヌに問いかける。

 

「その前に。アストルフォを連れて、あなたはどの程度まで行くつもりですか」

「向こう次第といった所だが、可能なら内部に潜入するつもりだ。あの城がどう言った性質なのか、内側にどれだけの戦力が集まっているのか確認したい」

「それはーー」

「無論、危険となれば直ぐにアストルフォに援護してもらう。その為の準備もしてある」

 

 そう言って士郎は、ジャンヌの前に手を掲げた。

 そこには、二つの銀色に輝くブレスレットが握られていた。

 

「それは・・・・・?」

「魔術加工を施したものだ。身につけた者に外部からの攻撃が加わった場合にもう一方が砕ける。それまでは二つの間に繋がりがあるから、互いの位置も把握できる」

 

 詰まるところ、これは保険だ。

 士郎が敵地で危機に陥った時、アストルフォが彼の愛馬を駆って救援に向かう。

 仮に士郎が城のどこかに閉じ込められるような事になってもーーそれこそ、位相のズレた異空間に隔離されたとしても、アストルフォの宝具なら駆け付けることができる。

 もっとも、士郎が彼を今回の同行者に選んだ理由の大部分は、その機動力と突破力を勝ってのものだが。

 

「・・・・・分かりました。そこまで手を回しているのなら、ラ・シャリテのような無謀な行動とは考えません。ですが何度も言うように無理だけはしないで下さい。今更言うまでもないでしょうが、あなたの生存が最優先ですから」

「重々承知しているよ。俺に与えられた役割も、課せられた義務もーー煩わしい程にな」

 

 その言葉を信じて良いものか、ジャンヌは大いに迷った。

 これまでの士郎の行動を鑑みれば、まるで保証にもなっていない。

 しかし、ここで手をこまねいていては何も変わらないのも事実だった。

 

「それでは。お二人ともーーどうかお気を付けて」

 

 結局、今は士郎を信じる他なかった。

 彼女とて、彼が現実も理解できない楽天家とは考えていない。

 必要な事を、違えてはならない事を正しく認識しているものと理解している。

 故に、これ以上詰め寄る事はせず、二人を見送ることを決めた。

 

「ああ、ありがとう。そっちも、俺達が離れている間、街の人達を頼むーー行ってくれ、アストルフォ」

「よし来た!トばすから、しっかり掴まってて!」

 

 その背に二人の乗せて、アストルフォの騎馬が翼はためかせる。

 たった一度の羽ばたきで大空へとその身を躍らせ、力強く夜の闇を切り裂いて行く。

 

 

ーー遠ざかる背を見送って、少女は彼らの無事を祈った。

 

 

 

 

 




今回の話で、stay nightを、より具体的に言えばHeaven‘s Feelをプレイした事がある方はまず間違いなく気付くようなネタをぶち込ませてもらいました。何であんなそのまんまやってるのかというと、映画HFであのシーンが省かれたからです。勿論HFは桜の物語であるとは重々承知しているのですが、それでも士剣好き的にはあのシーンは外して欲しくなかったものでしたので、その鬱憤晴らしみたいな感じです。
自分、友人知人に型月ファンがいない上SNSなんかもしてないので、こういう気持ちを語らう場所が全くのゼロなので、こんな形で発散してしまう面倒臭い性質しております。


話は変わりますが、ここ最近はfgoとのクロス物をはじめ士郎のが主役の作品めっきり見なくなり、更新が止まったり作品が消えてたりして、自分が言えたことではないですが残念で堪りません。なんだかんだ人の作品読んでる時が一番楽しい人間なので。
ここはやはりufoさんにSNリメイクとHAアニメ化をしてもらって、再び士郎の人気に火を付けてもらうしかないですね。その流れでラスエピ映像化もして欲しい、と思うのは欲張りですかね。


ラスエピといえばTM展15周年記念図録が販売されておりましたが、その巻末にフロムロストベルトを執筆していらっしゃる中谷さん作漫画版ラスエピ、カーテンコールが掲載されているので、気になる方、士剣が好きな方は業腹ではありますが転売ヤーに頼ってでも入手されることをお勧めします。いや、ほんとに素晴らしいんです。奈須さんが完璧な漫画化と称するほど完成度の高い作品となっております。ちょっとネタバレになるんですが、作中で士剣に互いの幼い頃の2人が語りかけてくるシーンあるんですが、その言葉とか正体を察した時自分は思わず口元押さえました。完全なダイマになってますが、是非とも読んで欲しいと思います。

だいぶ長話ではありましたが、以下、いつもの新規召喚サーヴァント紹介です。今回は個人的に印象の強いメンバーとなっております。
どうでもいいって思われるお方はそのままスルーしていただけると助かります。

ラクシュミー・バーイー(当時fgoに舞い降りた新たなる社長産セイバー顔褐色セイバーさん。やっぱりあの人は定期的にセイバー描かないといけない病を患っている様です。個人的には、あのありきたりなドジっ子属性が不幸の女神が宿ったからという設定が結構面白くて好きです)

水着紫式部(夏の装いで浮かれてだいぶエンジョイしてて可愛かったお方。イベントでラフいエミヤと仲良さそうだったのがとても微笑ましかった)

水着巴御前(正直に言って、だいぶ股間に従ってお迎えしました。もともと可愛らしくて好きな英霊でしたが、水着姿が大変魅力的かつ相当にちんぷんかんぷんな事やらかしてて大好きです。当時の星5であるキアラとアビーはお迎えしていたのですが、彼女を召喚するために追い課金してしまったほどです)

衛宮士郎/千子村正(昨年1月1日、めでたい元旦の日に、ついに我らが士郎をお迎えすることができました!!!!しかも、呼符での召喚に成功し、さらに福袋での課金の余りで2人目も召喚に成功し、宝具2にまで一気にできました!!ほんと、嬉しすぎて嬉しすぎて元旦の真夜中から素っ頓狂な声を上げてしまいました。おまけにちゃんとセイバーのこと気にしてたり、村正ではあるものの性格は老年期まで生きたと仮想した士郎のモノと聞いて、本当に実質士郎じゃんと、もう大興奮でした。おまけに全体セイバークラスでは最高峰の火力で使っていても楽しい一騎です)

メリュジーヌ(妖精國で登場し、なんか1人だけかなり世界観違ってるような最強種。告白してしまうとかなり大好きな娘です。可愛い銀髪ロリっ娘でロボでドラゴンで特殊仕様宝具って、どんだけ属性を詰め込めば気が済むのか。彼女を喚ぶために自分は諭吉を4人溶かしました。なかなか来てくれなかったとはいえ、ここまで大規模な課金はこれが生まれて初めてでした。その間に必然のようにパーさんが宝具マに。彼も全体アーツの最適解みたいな性能してて大いに助かりました)

卑弥呼(個人的に参加を驚いた超大御所声優さんの2人目、田村ゆかりさんサーヴァント。田村ゆかりさんはTMとの接点がないようで、実は関わっていたりします。HFで登場した紅州宴歳館泰山のちびっ子店主魃さん、実はゲームの方では田村ゆかりさんが声優をなさっています。他にもプリヤがリリなのコラボもしているので、接点自体は意外とあったりします。ただ、実際にサーヴァントとして参加するというのはやはりインパクトが大きいです。性能もバスクリバフが半端なく強く、キャラ自体も士郎やリリカルな魔法少女や全ての人と手を繋ぐ少女が好きな自分にはブッ刺さりました)

カイニス(彼自体に惹かれるものはありませんでしたが、キリシュタリアとのマスターとサーヴァントの関係や絆は非常に良かった。オリュンポスの最後で自身をキリシュタリアが頼りにしたただ一騎のサーヴァントだと叫んだ彼には思わず込み上げるものがありました)

フェイカー/へファイスティオン(レディライネス復刻でまさかの実装となった征服王の影武者。彼女自身の特殊性もあってか、以前のマスターであるドクター・ハートレスとの記憶がガッツリ残っており、事件簿での彼らの関係性やその最期が大好きだった自分としましてはかなり嬉しかったです。fgoやってると麻痺してきますが、やはりマスターとサーヴァントは1人と一騎がベストだと思うのです。彼らもまた古き良きマスターとサーヴァントの関係を見せてくれました)

バゼット・フラガ・マクレミッツ/マナナン・マクリール(以前から予想はされていましたが今年のバレンタインに、去年のカレンに続き2人目のホロウキャラ、封印指定執行者、ダメットさんの愛称でお馴染みの彼女が遂に技擬似鯖化。宝具もこれまでにないカウンター型と使用感も楽しく、また彼女がカルデアでランサーに再会できたことが本当に喜ばしい。これからも四騎士の変則型ではお世話になると思います)



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その剣、何を守る為か

皆様お待たせしました、なんでさです。
今回の更新は本当に久しぶりのーー約4年ぶりのーー月単位での更新と相成りました。
前々から一つの山場というか、ヴラド三世という英霊を攻略する上で不可欠な話として考えていたもので、今回は比較的スムーズに完成しました。
久しぶりにまともにプレイしたトラオムが面白かった、というのも要因の一つかもしれません。あくまでイベント限定とはいえ、最近fgoに対する熱が冷めてきていたので、その分一層に楽しめました(厳密にはイベントではないですけど
久しぶりに開催された聖杯戦線も新たなルール・要素が追加され、よりやり甲斐があります。この熱が冷めないうちに更新できて我が事ながら、安心しています。
なんとか一部の完成までには持っていきたいと思っているので、最低でもこのペースを維持していきたいと思う所存です。


 月のよく見える夜だった。

 雲はほとんど無く、月と星々の輝きは余すことなく大地に溶け込んでいる。

 思えば、あの夜もこんな風に、縁側で月を見上げていた。

 

『わたし、キリツグを恨んでるわ』

 

 ぽつり、と。

 決して大きな声ではなく、呟く様なさりげなさで、隣に座る少女はそんなことを言った。

 言葉に反して、声に込められた感情には、激しさより物悲しさを感じた。

 

『・・・・・ごめん、イリヤ』

 

 謝罪の言葉は間を置かず、けれど重苦しく吐き出された。

 そうする義務が俺にはあったし、それは自らが果たさないといけない責任だと思った。

 かつての戦いから数年が経ち、魔術師として経験を積む内に、それまでは知りもしなかった事実を目の当たりにした。

 そんな中で、俺達の関係も彼女自身から聞いた。俺を拾ってから死ぬまでの切嗣がどんな状態だったかも理解していた。

 だから、彼女から唯一の肉親を横取りした俺には、彼女に対して贖うべき罪がある。

 

『ううん。シロウは悪くないよ。それに、もう前みたいに憎んでないから』

『そう、なのか・・・・・?』

 

 たった一人、アインツベルンに置き去りにされた彼女が何のためにあの戦いに参加し、この街に現れたのか。

 それは偏に切嗣に復讐するためだ。自身を裏切り、捨てた男に報いを受けさせるため。

 けれど、怨敵であるその男は既にこの世を去り、後に残ったのはそんな事情を何一つ知らない衛宮士郎だけだ。

 その事実を知った時、彼女の胸中に渦巻いた感情はどんなものだったのか。命を救われ、彼の息子として生きられた俺にそれを推し量る資格はない。

 出会った当初の俺に対する異常なまでの執着と殺意から、好感情でなかったことは確かだが

 こうして並んで月を見上げているのは、多くの偶然と彼女の奥底に残る切嗣への愛情故だろう。

 

『でもね。わたしを置いて行ったことより、もっと許せないことがある』

 

 そう言って、イリヤは俺の頬に触れた。

 その手つきは優しく、壊れ物にでも触れるように柔らかで。その仕草が斑になった肌を嘆いているように思えた。

 

『こんな姿なっても立ち止まらない、そんな風にシロウの人生を呪って死んだ事が、どうしても許せない』

 

 怒りを口にするイリヤはやはり、悲しげに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 闇に染まった夜空を一頭の騎馬が駆ける。

 鳶色の羽毛を強風に揺らし、その二翼を羽撃かせ、二人の人物を乗せている。

 その背に跨るは騎手たるライダー・アストルフォと、衛宮士郎。

 風防も無く、直に風の抵抗を受ける馬上でありながら、両者は微塵も揺らがない。

 

「もうすぐ連中の防空圏だ。高度を下げて、見つからないようにしてくれ」

「了解、振り落とされないでね」

 

 士郎の願いを受けて、アストルフォは徐々に高度を落とす。

 二人がリヨンを発ち5分が経過していた。

 アストルフォの騎馬はライダークラスの宝具に相応しい速度を持って、ラ・シャリテまでの距離を縮めた。

 士郎は既に変貌したかつての街をはっきりと捉え、アストルフォもその異貌を視界に収めた。

 

「うわ、なにアレ。なんか、めちゃくちゃ気持ち悪いんだけど」

「同感だな。まともな感性のーーいやそもそも、人間が建てたモノかも怪しい」

 

 その全貌を初めて目にしたアストルフォは、その第一印象を隠すこともなく漏らした。

 既に使い魔を通して知っていた士郎としても、抱く感想は変わらず、直に目にしたことでより一層嫌悪感を増した。

 

「なんていうか、にゅるにゅるしてるっていいうか、粘ついてるっていうか・・・・・」

 

 その城は、およそ人の技術によって建造されたとは見えず、その意匠はどこか異界から齎されたかの様な錯覚を覚える。

 アストルフォが漏らした様に、至る所は粘質であり、正体の解らない液体に塗れた城壁は妖しくてかっている。

 その周囲にはワイバーンが集まっており、警戒網としての役割を与えられているらしい。

 警戒網はラ・シャリテ跡地を起点に広がっており、当初の情報通り広域を監視下に置いている。

 

「ねえ、本当にあれに入るの?ボクとしてはあんまりお勧めしないなぁ」

「生憎、そうも言ってられないからなーー直に1キロ圏内だ。俺は降りるから、アストルフォは霊体化して待機していてくれ」

「わかった。士郎も無理しないでね」

「了解した」

 

 そう言うが早いか、身体を宙に踊らせ、重力に従って落下する。

 とす、と高度に反して軽い音を立てて、彼は危なげなく着地した。

 彼の装いは平時と打って変わって、全身を緑色に染めている

 既にワイバーンの警戒網に入っており、そのまま進めば発見されるのは目に見えている。

 故にいつもの戦闘服の上から羽織れるように、迷彩として草原に紛れる装束を用意した。

 

「ーーーー」

 

 姿勢を低く保ちながら、草原を疾走する。

 速度は最高速度までは引き上げず、中程度に抑える。

 急ぐ必要はあるが、焦って監視に見つかるのも避けなくてはならない。

 城までの道のりを慎重に、油断なく、ただただ走り続ける。

 そうして幾許か走った頃、小高い丘にたどり着いた。

 

「ーーーー」

 

 先ほどとは違い少しばかり空に近づいたが、いまだにワイバーンが気付いた様子はない。

 既に異城は目と鼻先ほどの距離であり、その気になればいつでも進入可能だ。

 

・・・・・さて、どう行くか。

 

 使い魔での監視は、感知される事を厭ってあくまで遠巻きに眺める程度だった。

 そのため、実際の進入経路などは今この場で思案する事になる。

 

「城壁を越えるのは難しくないが・・・・・」

 

 外構にはご丁寧に堀まで用意されているが、飛び越えるのは難しくない。

 壁上にも見張りらしい見張りはなく、この様子であれば壁を越えての侵入が最も単純かつスマートだろう。

 正門からでは自ら姿を現すようなものであり、かといってワイバーンが哨戒している以上、上空からの降下などは論外だ。

 まさか壁に穴を開けることもできず、かといってハリウッドさながらに地中を掘り進めるなんていうのは時間がかかりすぎる。

 そうなると必然、古来からの定石<セオリー>に従って壁を登っての侵入が唯一の経路となる。

 

「内にどこまで気を遣っているか、連中の備え次第だな」

 

 こうして分かりやすく拠点を設けたのだから、侵入者対策はあって然るべきだろう。

 外敵が入り込んだ時点で何らかの反応が起きるタイプか。

 或いは敵意を感じ取って初めて機能する類か。

 いずれにせよ、入ってみない事には判別できない。

 

「これも、さっさと脱ぎ捨てておくか」

 

 そう言って、ここまで身につけてきた迷彩に触れる。

 流石に今この場で脱ぎ捨てることはできないが、城の周囲に到達してしまえば、却って目立ちすぎるのも確かだ。

 いい加減、煩わしく感じていたのも事実なため、早々に丘を滑り降りる事にしよう。

 士郎はそのように思考を固め、再び疾走体勢に移りーー

 

「このような夜更けに何をしているものかと思えば、それは間者の真似事か?」

 

ーー闇夜に響いた声が、稼働しかけた足を縛り付けた。

 

 弾かれたように、声の方向へと体を向ける。

 両手には既に使い慣れた夫婦剣が握られており、いつでも戦闘へと移行ができる。

 コンマ2秒程度の時間で一連の動作を終えた士郎はしかし、振り向いた先に見た男に、僅かに身を硬直させた。

 

「おま、えはーー」

 

 音を立てず、風も揺らさず、一切の気配を気取らせずに接近したその誰か。

 出立ちは軽く、古い和装をサラリと流す長髪の美丈夫ーーその姿を、衛宮士郎が見間違えるはずもなかった。

 

「ーーアサシン」

 

 かつて己の運命を決定づけた故郷での戦争。その中に喚び出されていた、七騎の内の一騎。

 柳洞寺の山門を護り、侵入者を悉く退けた門番。

 暗殺者<アサシン>のサーヴァントーー佐々木小次郎が、かつてと同じ様に柳の如く佇んでいた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「久方振り、というのも我らが言うには妙なものだが、ともかく思わぬ再会だな、セイバーのマスターよ」

「・・・・・俺を憶えているのか」

「サーヴァントの記憶はその場限りのもの・・・・・というのが通例と聞くが、存外に融通が効くようでなーーしかし、このように奇怪な世界で再び巡り合おうとは、お互い因果よな」

 

 くつくつと、アサシンは笑う。

 この数奇な縁を、心底面白そうに。

 

・・・・・落ち着け、今は目の前の敵に集中しろ。

 

 アサシンが第五次の記憶を有している事も、この異質な英霊が現界している事実も全て後回しだ。

 そのような些末な事に意識を割いて気を緩めば、その瞬間に衛宮士郎の首と胴は泣き別れになる。

 リヨンでは敵のセイバーと刃を交えたが、この男の技巧はそんなものが児戯に思えるほどの高みにある。

 かつての戦いでは彼の騎士王ですら、剣技においては凌駕されたのだから。

 

「ふむ。形は些か変わっている程度だが、中身は随分様変わりしている。なんとも面妖な有様だな」

 

 アサシンはこちらの警戒に刃を構えるでもなく、興味深そうにこちらを値踏みする。

 だがそれも束の間、一度視線を切って再び言葉を紡ぎ出す。

 

「そう構えるな。私がここに寄越されたのは、何もお前を仕留めさせるためではない」

「・・・・・ならば、何が目的だ」

 

 告げられた言葉を鵜呑みにするのは迂闊極まりないが、アサシンの言うことが事実ならば初手で長刀が振るわれなかった事には納得がいく。

 彼がいかに正規のアサシンでないとはいえ、そのクラスに恥じないだけの力量は有している。

 であるなら、未だこの首が繋がっていることが何よりの証左だろう。

 

「こちらのランサーの頼みでな。覚えのある賊が一人紛れ込んだから連れてこいとのことだ」

「ーーーー」

 

 明かされた動機に、肝が冷えるのを感じる。

 アサシンの言う事が事実ならば、あのランサーはこちらがラ・シャリテに接近していた事をとうに把握していた。

 ワイバーンに感知された覚えはない。かと言って、結界の類も存在しない。

 どの時点で補足されたのか、どの様にして見つけられたのか、それすらも分からない。

 今の今まで、俺はランサーの気まぐれ故に見逃されていただけだった。

 

「もし、俺が断ればどうなる」

「その時は致し方ない、互いの立ち位置に沿ってこの刃を交えるだけよーーしかし、私としてはあまり勧めんがな」

「戦いを望むお前が、そう言うのか」

「私はあくまで尋常な立ち会いを望んでいる。だが、ここで戦うとなればそうはいかん。ここら一帯は余さずランサーの領地と化している。故に、何処に居ようと杭が湧いてくる。いま事を構えるのなら、どうあってもランサーが横槍を入れてくるだろうよ」

 

 アサシンの言う事は、まず間違いなく事実だろう。

 セイバーやアストルフォは以前の召喚で、ヴラド三世の宝具を見ている。

 詳しい原理までは把握してなかったが、彼らが言うには広範囲に無数の杭を展開出来たらしい。

 その様は変質する前のラ・シャリテ戦いでも確認している。

 ならばヤツの言うように、今この瞬間にも俺を串刺せるのだろう。

 

・・・・・ここは誘いに乗った方が賢明か。

 

 ここでアサシンに連れられて行けば、敵地に真っ向から挑みかかることになる。

 あの場所にどれほどの戦力と仕掛けが施されているかは定かではないが、蛇の口に自ら飛び込むようなものだ。

 だが、今この場で争っても生存率が上がるわけではない。

 ここでアサシンとランサーを同時に相手取るか、それとも敵の胃の中で好機を待つか。

 いずれにせよ、少しでも生存時間を引き伸ばす選択をしなければならない。

 

「ーーいいだろう。その申し出を受けよう」

「賢明な判断だ。では、着いてきてもらおう」

 

 そう言って、丘を下るアサシン。

 それに五歩遅れる形で後をついていく。

 いつランサーの気が変わって、刃が向けられるか分からない。

 アサシンの間合いを考えれば、多少大袈裟なくらい離れた方がいい。

 

「いやしかし、お主もよくよく面倒事に巻き込まれるものだな。かつての戦いに加え、今度は人理とやらの奪還と来たか」

「・・・・・」

 

 アサシンはこちらの警戒など意にも介さず、古い馴染にでも語り掛ける様に言葉を紡ぐ。

 こちらが返答などするはずもないと分かっているだろうに、それでも声を上げたのはおそらくただの戯れなのだろう。

 この男は、そういった気質を有していた。

 

「もっとも、そのどちらともで喚び出されている私が言えた義理ではないか。ふむ、どうせならこの数奇な巡りを祝って一献交えるのも悪くないか」

「・・・・・お前は敵と飲む気か」

 

 余りにも馬鹿げたことを宣うため、思わず言葉を返してしまった。

 いや、英霊達の中にはそういう事を平然とやってのける者もいるのだろうが、それでも中々に着いていけない感性だ。

 

「それも一興であろう。もとよりあの小娘の目的になど興味はないのでな。まあ、アレ自体に些か思うところはあるが、死力を尽くしてやるほど入れ込んでもおらん」

 

 小娘というのは、おそらく竜の魔女の事だろう。

 仮にも英霊、仮にも自身のマスターをこうも扱き下ろすとは、目の前の男が本当にサーヴァントなのか疑わしくなってくる。

 かつてキャスターに使役されていた時も、彼女を女狐などと揶揄していた。

 マスターへの忠誠心なぞ端から持ち合わせていない、その上サーヴァントとしての仕事にも、然したるやる気を見せない。

 この男ほど、扱いが面倒なサーヴァントはそういまい。

 

「さて、いよいよ入城だが、覚悟は済ませてあるか?」

 

 アサシンの軽口に付き合う内、城の門前へと辿り着いた。

 遠目に見た時など比べ物にならないほど、強烈な異質さを放っている。

 未だ踏み入ってすらいないというのに、ただ目前にしているだけで、神経が逆立つ錯覚を覚える。

 

「ーー問題ない。さっさと入ろう」

 

 全身を包む忌避感を捩じ伏せアサシンに先を急がせる。

 ここで足踏みしていても変わらない。

 この城の調査のためにも、早急に立ち去るためにも、速やかに先に進むべきだ。

 

「では行くとしよう」

 

 こちらの心構えを確認して、アサシンは再び歩を進める。

 その背に倣って、場内へと一歩踏み込み、

 

・・・・・っ!

 

 立ち入った瞬間、強烈な違和感を覚える。

 今まで、城そのものが有する異常性に紛れていたが、こうして中に入ればハッキリと感じ取れる。

 この感覚は間違いなく結界のそれだ。

 これが存在するというのは厄介なことだが、それ以前にこの異質さはもっと重大だ。

 

・・・・・内側に結界があるんじゃなく、この城そのものが結界として機能しているのか。

 

 当初、外部から結界の類を確認できなかったため、その内部にのみ張られているのかと誤認した。

 だが現実はそんな単純なものではない。

 この城自体が、周辺ごと書き換える“異界”そのものだ。

 外界から独立した、完全なる別領域。

 この場に限り、既存の法則はその意義を失う。

 

「悪趣味なものだろう。ここに居座っているだけで、悪酔いでもしたかのようになる。実はお前の迎えに出向いたのも、体良く外の空気を吸うためでな」

 

 変わらず話し続けるアサシンに、今度こそ構っている暇はない。

 この城が結界そのものであるのなら、今はまさに絶好の機会だ。

 ランサーの意志でこの城に連れてこられている以上、結界が俺を外敵と認識することはない。

 いったい何をトリガーに結界が作動するのか、その条件は分からないが、今のうちに可能な限り情報を収集しなくては。

 

・・・・・同調開始<トレース・オン>

 

 自らの一部とも言える言霊をキーとし、自己を変革する。

 撃鉄を叩き上げ、回路に魔力を通す。

 流し込む燃料は最低限に。この異界を解析する。

 

・・・・・っ

 

 本来、衛宮士郎にとって刀剣以外の解析は門外漢だ。

 この身に許されたのは、ただ一つの魔術。

 普段扱う魔術は、あくまでその唯一から零れ落ちた副産物に過ぎない。

 故に、剣製に関わらない事柄への干渉ではその精度が落ちる。同じ様に、負担と消耗も大きくなる。

 

・・・・・それにしたって、これはキツい、なっ・・・・・

 

 無秩序に。無遠慮に。微塵の容赦なく。

 自ら走らせた魔術にもかかわらず、入り込む情報は望んで飛び込んでくるかのように、脳髄に染み渡る。

 痛みや苦しみを与えず、心身を麻痺させる甘い毒のように、思考を犯していく。

 自身を侵食するこの感覚は、果たして何というんだったか。そう、これはーー

 

ーー深淵。

 

 こんなモノは知らない。

 多くの人と出会った。多くの敵と戦ってきた。兵士。傭兵。魔術師。魔獣。吸血鬼。英霊。

 人間も、人外も、分け隔てなく出会い、必要とあれば躊躇なく殺し合った。

 感謝されたことはあった。憎しみを向けられることは常だった。奇異の目で見られることは珍しくなかった。

 およそ、人間が持ちうる感情の全てをこの身に受けてきた。

 だが、いまこの身を浸すこの錯覚は、そのどれにも当て嵌まらない。

 

ーーこの世の、モノではない。

 

 これは、触れてはならないモノだ。これは、知るべきではないモノだ。

 人間は、人間が知る世界でしか生きられない。自分達が築き上げた規範にしか適合しない。

 深海の生き物が、地上では活動できないように。完成された理論が、他の理論の上では機能しないように。

 だというのに、この異界はそのフィルターを溶かそうとする。

 遥かな果てから、光を通さぬほど溟く、底を想起させぬほど深く。

 遠く、遠く、遠く。

 招くように、誘うように、呼びかけるように、声なき声が語りかけるーー淵源から、ナニかが覗いていて、

 

・・・・・つか、まえた・・・・・!

 

 どこまでも落ちていく錯覚を振り払い、手にした情報に内心で笑い上げる。

 この異界がどこから来たのか、どんなモノに象られたのか、そんな事に興味はない。

 こちらへ呼びかける声も、沈むような感覚も、何の障害にもならない。

 故に、この身に彼方からの声は意味を成さずーーその出どころこそが、何より求めた情報だった。

 

・・・・・同調終了<トレース・オフ>

 

 必要な情報は手に入った。この異界の特性、内部構造、外敵に対する防衛機構、結界の根源。

 求めるものを全て辿り終えた以上、知るべきことはない。

 アレがどこから来たのか見当もつかないが、それが人々を脅かさない限り、排除する気もなければその正体も知ったことではない。

 今は目の前の滅びに抗うために全てを注ぎ込む。未知への好奇心など、それこそ余分だ。

 

「・・・・・」

 

 廊下を歩く二人分の足音が、いやに耳につく。

 城内は異様なほど静かだ。

 穏やかな静寂とは言い難い、内に居る人間の精神を圧迫する様な静けさ。足音に伴って鳴る僅かに粘性の水音がそれを増長させる。

 時折、愉快げに語りかけるアサシンの声がなければ、ここが幽世であるかのように錯覚しそうになる。

 

・・・・・そう考えれば、つくづく似合わない奴だな、こいつは。

 

 この異界の中にあって、アサシンはその飄々とした態度を崩さない。

 何もかも飲み込んでしまいそうな空気を受け、その全てを柳の様に流す様は、かつての記憶にある姿そのままだ。

 それ故に、風流と雅を好むこの男がこの場所にいるのは、ひどくちぐはぐない印象を受ける。

 自身の記憶の中で、山門前に待ち構えるあの姿が、最も強く焼き付いた光景だからかもしれない。

 

「私はここまでだ。あとは、そちらで話をつけるといい」

 

 幾本の廊下を渡り、何度か階段を登った頃、アサシンはある扉の前で立ち止まった。

 ここに来るまで幾度か目にしたものと比べ、二回りも大きいこの扉がどういうものか、説明されずとも理解する。

 

「ではな、セイバーのーーいや、カルデアのマスターよ。次まみえた時は存分に死合おうぞ」」

 

 先までの饒舌ぶりはどこへ行ったのか。言い終えたアサシンはもう語ることはないとばかりに、こちらに背を向け来た道を戻っていく。

 事が終わるまでいるものだと考えていたため、彼が立ち去った事に少しばかり驚く。

 しかし、空気を吸うためなどと言って、俺の出迎えなどに現れた様なやつだ、いつまでもこの場に留まるはずもない。

 アサシンのクラスであるヤツが姿を隠すことになるのは歓迎できないが、アレの性格からして暗殺など選択にすら入っていないだろう。

 無論、万が一を考慮し、一応の警戒はしておくべきだろう。

 

「ーーーー」

 

 僅かに逸る鼓動を抑え、扉に手をかける。

 重厚な見た目のそれは、見た目に違わない感触を伝える。

 触れた手を濡らす液体に構わず押し込む。 

 そうして完全に開ききった扉の先には広大な空間。そしてーー

 

「よく来たな、剣の魔術師よ」

 

 部屋の奥、玉座に腰掛け、こちらを見据えるランサーーーヴラド三世は鷹揚に俺を迎え入れた。

 

 

 

 

 

 

「マスター・エミヤとの通信、依然として繋がりませんっ!」

「同じく、座標も観測不能です」

 

 士郎がラ・シャリテの城に侵入してすぐ、彼とのあらゆる接続が途切れた。

 管制室との交信機能やバイタルチェック、位置情報まで。

 カルデアがレイシフト先で活動するマスターを支援する為に必要なほとんどの情報が、今ではぱったりと途絶えている。

 いや、より正確に言えば妨害されている。

 カルデアからのアプローチは士郎に届いてはいるのだ。だがそれは、水中に打ち込んだかの様に乱れてしまっている。同様に、士郎が発するデータはカルデアからでは観測が難しくなっている。

 

「彼自身の存在証明は確立されている。各自冷静に反応があるまで観測を続けてくれ」

「了解です!」

 

 ロマニは一切の動揺を見せず管制室を取り仕切る。

 その顔には不安の色は無い。管制室にいるほとんどの人間が、そう感じるだろう。

 しかし、

 

「リーダーの真似事はまだ慣れないか?」

「・・・・・どうかな。必要な動きは出来ていると思ってるけど」

 

 からかい半分に様子を伺うダ・ヴィンチに、自信なさげにロマニは返す。

 至って平静、冷静沈着。そんな風に見えるのは、彼がその様に演じているからだ。

 カルデア所長代理。現地のマスターを指揮する作戦指揮官。傷病者の心身を支える最後の防壁。

 ロマニの肩にかかる責任は重く、彼は弱みをおくびにも出してはならない。

 彼が内心の恐れを見せてしまえば、スタッフは自らの力を十全に発揮できなくなり、作戦は少しずつ淀んでいく。

 

「今のところ、どう見てる?」

「あの城に入った以上、彼の信号を拾えなくなるのは予測通りだ。問題は、なんで向こうから招き入れたかだ」

「サーヴァントなら興味本位でこういう事をしてもおかしくはないけどね」

「本当にそれで片付けられそうなのが、頭の痛いところだよ・・・・・」

 

 考えるだけ無駄無駄、と笑う同僚に、そして彼女の言葉が存外的を得ている事に、ロマニは辟易を禁じ得ない

 現状は最悪ではなくとも彼らにとっては悪い方向に流れている事に変わりはなく、決して弛緩していい状況ではない。

 もっとも、それが彼女なりに彼を気遣って口にしているジョークだということは知っている。

 同時に、眼前の危機が分からぬ程ダ・ヴィンチは愚かではないし、その点においてロマニは彼女に全幅の信頼を置いている。

 故に彼女がこうして冗談を言えている間は、それほど逼迫してはいないということだろう。

 

「ま、暫くは何も無いさ。そうでなきゃ、アサシンのクラスが居ながらわざわざ城に引き入れたりはしないだろ」

 

 衛宮士郎の殺害が目的であったのなら、はじめからあの丘で仕掛けていればいい。

 カルデアが把握するヴラド三世の宝具の力とアサシン、この戦力であれば魔術師一人に当てるには十分だ。

 よしんば結界の影響下にあるであろう城内で戦おうとしたのだとしても、放っておけば自ずと現れるのだから、ああして迎えに来る必要もない。

 故に殺意は無い、とダ・ヴィンチは判断する。

 

「敵が、何らかの干渉をして士郎君から情報を抜き取ろうとしてるとかは?」

「それこそ“真逆”だろ。連中がこっちを“敵”として見てるなら話は別だけど、それならもっと本気で潰しにくる。リヨンで彼を徹底的に狙わなかった時点で侮ってるのは確定だ」

「敵は士郎君達を敵としては見ていない、だから問題はないってことか」

 

 ダ・ヴィンチの論を聞き、一応の納得を得る。

 しかし、それを聞いてもまだ不安は消えない。

 ダ・ヴィンチの言葉は確実に断定できるほどの確証が無く、どこまでいっても推察の域を出ない。悪く言えば希望的観測であり、実際にそうなるとは限らないのだ。

 ロマニの懸念は当然とも言える。

 とはいえ。

 

「どの道、こっちで出来ることなんて今は何も無い。大人しく吉報を待つほかないさ」

「・・・・・その通りだけど」

 

 その通りではあるのだが、そんな道理で納得できるのなら苦労はしない。

 この“万能の人”にそんな事を言っても笑い飛ばされるだけだから何も言い返さないが。

 

「マスターらしく後方支援に徹してくれれば、こっちも気を揉まずに済むだけどなぁ」

「前にも同じこと言ってなかったか?」

「それどころか、これから先ずっと言い続けると思うよ・・・・・」

 

 士郎の無鉄砲さなど既に百も承知だが、たとえそれを織り込み済みだったとしてもサポートする側は気が気じゃない。

 それはロマニだけではなく、他のスタッフも同様だ。

 カルデアに召集された以上、誰も彼もが相応に荒事に対する心構えと覚悟は備えているがそんな彼らをしても、士郎の在り方は苛烈であり鉄のように頑迷だった。

 レイシフト先で戦い、傷つく士郎を見て女性スタッフが悲鳴をあげるなど珍しくない。

 彼の場合、無謀としか言いようがないその行動は緻密な計算と予測のもとに冷静に行われているため、余計始末に負えない。

 

「彼のそういう性質も含めてサポートするのが、お前の役目なんだろ」

「・・・・・分かってると思うけど、君の仕事でもあるんだぞ」

「だから色々手を回しただろ。拡張保存袋は私の作品だし、彼が使用する“弾丸”だって私と彼、それからランディでの合作だ」

 

 言われるまでもない、と不満を見せるダ・ヴィンチだが、実際仕事は果たしているのでロマニも文句はない。

 何度も言うようだが、彼女は課せられた仕事はきっちり熟す。

 ロマニに釘を刺されずとも、必要と判断した行動は惜しみ無くやっている。

 ただ、それ以上にその飄々とした態度が、彼に不必要な気疲れさせているのだ。

 

「ま、今回は彼も保険を用意してることだし、多少は肩の力を抜いてもいいんじゃないか?」

 

 ラ・シャリテに発生した城に侵入すると決めた際、彼はライダーを運び人として同行させ、さらには緊急時のバックアップ要員としての役割を与えた。

 いざとなれば数時間前にそうしたように、また士郎を救出し撤退するだろう。

 それもあって、ダ・ヴィンチは存外に楽観してる。

 

「確かに、これまでよりはずっと安全か」

 

 敵地の只中にいる以上、安全など最も程遠い状況だが、それでもなお現状は“マシ”な方だと言える。

 通信は繋がらず当人の状況すら測れないが、それでもサーヴァント三騎を相手にするよりもーー“英雄”と相対するよりも、よほど楽な状況なのだ。

 

・・・・・いざとなれば、切り札もある。

 

 士郎が生存しライダーがその危機を感じ取れば、その時点で使うことになるだろう。

 そうなれば、最低でもあの城から生還することは可能になる。

 唯一懸念すべき点は、それによる代償だがーー

 

・・・・・できれば、そんな事がない様に願いたいな。

 

 全ては、士郎の側で動きが起きてから。

 それまではダ・ヴィンチが言ったように、ただ待つことしかできない。

 ロマニは士郎の無事を祈りながら、いずれ来る覚悟の時を先送りにした。

 

 

 

 

 

 

 その振る舞いは城主そのもの。

 この城が彼に連なるものでないことは明白だが、そんな事実を一時忘れさせるほど、その姿は威風を漂わせている。

 

「お招きに預かり光栄だーーと言いたいところだが、客を迎え入れるにはこの城は少々悪趣味ではないかね?」

 

 意識を戦闘用に切り替え、脳内には数組の設計図を待機させる。

 いつ何がきっかけで戦いに発展するかわからない。

 警戒は常に維持しておく。

 

「確かに品性には欠けるが、城塞としての役割は充分に果たしている。それに、我らのようなモノが相対するには相応しい場所であろう」

 

 こちらの内心を理解した上でか、ランサーは瞳に愉悦の色を浮かべる。

 加えて、どこで手に入れたのか、その手にはワインで満たしたグラスを乗せている。

 それを微かに揺らしながら、こちらを観察している。

 

「・・・・・それで、いったい何の用があって“私”を呼び出したんだ。侵入者と分かっていたのならば、いつでも攻撃できただろう」

「そう急くな。客人としてわざわざ出向かせたのだ。もてなしの一つもなければ、余の器量が疑われる」

 

 立ち上がったランサーは新たに注いだワインを手にこちらへと歩み寄ってくる。

 

・・・・・何をしようとしているのか、予想は付くが。

 

 歩く姿には欠片の敵意も見られず、警戒で身体に力を入れる様子はない。

 至って平然と、自然体のまま近づいてくる。

 友好的とは言えないが、歓迎の意思を感じさせる。

 

「まずは一杯、いかがかな?」

 

 差し出されるグラスを受け取るべきか。

 普通に考えれば、敵地で敵が手ずから渡すようなモノを飲食すべきではない、というのが真っ当な判断だろう。

 だが、目の前にいるのは英霊であり、生前は一国の王であった人物だ。

 その歓待を跳ね除けるというのなら、相応の道理と覚悟が求められる。

 下手な言い分を口にした暁には、もてなしは刃へと変わり、敵意と共にこの身を貫こうとするだろう。

 

・・・・・毒の類は混じっていないが・・・・・

 

 解析を得意とする手前、飲食物に混入する異物は、それが物理的であれ魔術的であれ容易に気づける。

 だが、一定の動作そのものがトリガーとなるような事象を見分けることは難しい。俺には、そこまでの応用性はない。

 もし俺の感知できないところに仕掛けが施されているのなら、どうあっても後手に回る事になる。

 

「飲めぬわけではないだろう。それとも毒味が必要かね?」

「・・・・・いや、その必要はない。有り難く頂戴しよう」

 

 幾らかの状況を仮定したが、結局のところその杯を受け取った。

 色々と不利な筋は考えられるが、前提としてランサーは客人へのもてなしとして、この一杯を差し出してきた。

 王たる彼が客であると明言した以上、自らその言葉を覆すことは彼の王としての在り方を貶める。

 それ以上に、王たる者が一度口にした言葉を違えることは、その誇りが許さないだろう。

 

「ーー若いな」

 

 口に含んだ赤い液体は、口当たりが軽く実にシンプルなものだ。

 熟成させたワインであるのなら、その色は濃く濁りを帯び、飲み頃となれば複雑な味わいとなる。

 そういったある種のふくよかさが、この一杯にはない。

 おそらくは相当に新しいもの、それこそ出来てそのまま売り出されたものか。

 

「この時代にはまだ碌な熟成技術もないようでな。市場に出回るのは浅いものばかりだ」

 

 酒類の熟成技術の起こりは、16世紀の末頃と聞いている。

 輸出するはずだったブランデーを積み忘れて持ち帰り、しばらくそれに気づかなかったのがきっかけらしい。

 幾らかの時間が経ってその中身を確認した際、中のブランデーが茶色がかり木の香りを纏っていることに気付いた。

 当時はブランデーを含めた蒸留酒というのは無色透明だったようで、色付いたり他の香りを纏うようなことはなかった。

 これが、酒を熟成する意義が判明した瞬間。

 それから後に、ワインを樽で熟成させる技術へと繋がっていったそうだ。

 

「とはいえ、これでも質の良いものを選んだのだ。若飲み用、という訳ではないだろうが、若さ故の味わいがある」

 

 それはそうだろう。

 まともな醸造技術も無いこの時代で、早くに飲まれるワインはどれも厚みが足りず、物によっては妙な味が付いている物もある。

 時間を置いた物はただ単に古くなった物で、酸味が強くなっているだけだ。

 しかし、ランサーが手にするこのワインは、そのどれにも当てはまらない。

 真っ赤な液体はルビーのように透き通って、渋味が少なくフルーティな味わいは爽やかだ。

 この時代では、まずお目にかかれない様な代物だろう。

 

「・・・・・しかし、英霊ともあろう者が無辜の民から略奪とはな」

「戦利品というやつだよ。戦いの果てに得た、正当な報酬だ。加えて、この酒の元の持ち主は欲の皮の張った小賢しい悪党だ。そんな者から奪い取ったとて、誰も文句は言うまい」

 

 ランサーの言い分から、なんとなしに理解する。

 どこの国、いつの時代だろうと、悪事を働き私腹を肥やす輩というのは一定数存在する。 

 国の上役や商会の長、この時代であれば司教なども含まれるだろう。

 日々を平穏に暮らす人々には見えない影で、彼らも気付かないうちに搾取していく。

 ああ、俺だってそんな連中は許せない。けれど、だからといって更なる搾取と死が当然の報いであっていいはずがない。

 

「一方的な虐殺の間違いだろうーーそれより、いい加減本題に入ったらどうだ」

 

 ここでランサーや竜の魔女の行いを糾弾したところで意味はない。

 いま必要なのは義憤ではない。ランサーの目的を問う事だ。

 ここに来るまでに考えられることは既に思考し尽くしている。

 今は、こちらの思考では測りきれない思惑を把握する事が最優先だ。

 俺次第で、それが後にこちらの勝率を上げる要因に変える事も出来る。

 

「そうまで言われては、これ以上の雑談は野暮か」

 

 ランサーは揺れる赤から視線を俺に移す。

 

「では問おう、剣の魔術師よ。お前は何の為に戦うーー?」

 

 ランサーの気配が立ち替わる。

 穏やかな雰囲気は露と消えた。

 誤魔化しは許されない、虚飾は剥ぎ取られる。偽ればその時点で、ここでの会合は致命的なまでに終結する。

 そう直感できるほど、今のランサーは絶対的だった。

 

「それは、あの時の問いとどう違う」

「アレはあくまでその場限りの理由だろう。余が訊いているのは、お前が戦いに身を投じるに至った動機だ」

 

 成る程。確かに、俺という人間を知らなければ、それは自然は考えだろう。

 ランサーが一介の魔術師如きに何を見出したのかは知らないが、彼は俺という人間に少なくない興味を抱いている。

 故に、俺が何を求めて剣を執るのか、その根源を見極めようとしている。

 けれど、違うのだ、それは。

 衛宮士郎にとっての戦う理由は、それほど大層なものを求めてのモノじゃない。

 

「悪いが、ラ・シャリテで語った言葉に嘘はない。私が戦う理由は、アレが全てだ」

 

 理不尽な死に晒される人々を守る。ささやかで大切な思い出が、冷たくなって色褪せてしまわないように。

 結局、衛宮士郎が戦う理由とは、そういったところにあるのだ。

 ■■士郎の全てを奪っていった、かつての厄災。人間が人間としてあるための要因を、悉く取り零してしまった地獄。

 その中で、かつての俺は強く願ったのだ。

 

ーーこの地獄を覆したいと。

 

 かつて自身が望みながら、決して果たせなかった願い。炎の中で、助けを求めながら朽ちて行った同胞達をこそ、俺は救いたかった。

 これまでに出会ってきた人の中には、それをサバイバーズギルトのような、ある種の病だと指摘する人も居たけれど、それは見当違いだ。

 これは罪悪感なんて高尚なモノじゃない。ただ、自分自身があの出来事を許せなくて、認められなくて抱いた願望でしかない。

 “IF”の話に意味はなくて、過去を変えるなんて事は今でも認められないけど。それでも、もしたった一人でも誰かを助けられたのなら。そう考えたことは一度や二度じゃない。

 だからこそ、かつての願いを果たす為に俺は戦っている。あの時置き去りにしてしまった皆に、少しでも胸を張れる様に。

 それこそが、かつて■■士郎であったモノの全てであり、衛宮士郎の生きる意義だ。

 

「ーー分かっていよう、魔術師。この場で偽りを述べることが、何を意味するか」

 

 言葉は静かだった。

 苛烈さはない。灼けつくような熱さはない。押し潰されそうな威容はない。身震いする様な串刺す杭の如き鋭さがある。

 ランサーは、今の言葉に納得していない。

 俺が戦う理由は、衛宮士郎の行動原理には、まだ他に何かあるのだと、そう確信している。

 ハッキリと言って、それは勘違いでしかない。

 無論、真っ当な人間の感性で考えれば、ただ救う為に戦う人間などまずいない。

 それが打算であれ純真であれ、自らに還るモノがあって当然なのだ。

 これは単に、俺という人間に関しては、そういった勘定が当てはまらないというだけの話だ。

 

 とはいえ、ここで何も言わなければランサーは間違いなく俺を殺そうとするだろう。

 つい先ほど客人として扱うと明言した事など捨て去って、王を謀ろうとする不敬者を処する。

 当然ながら、俺はこの場に情報収集の為に訪れている。

 偵察の途中で殺されてやるつもりなど欠片も無いし、“今のままで“ランサーと戦える程の余力は無い。

 だから、もう一つだけ、ランサーに言えることはある。

 元々隠し立てするものでもなく、決して先の話と矛盾するものではない。

 

「生憎、嘘じゃない。私にとっての原動力は今言った通りだーーだが、確かに目指すものはある」

「ーーーー」

 

 ランサーは無言

 心臓を浸す極寒の殺意は消えていない。ピタリ、と突き付けられた杭の鋭さが明確にイメージできる。

 その虚像は、ランサーがこれから告げる答えに納得しなければ、容易く実体となって現実を犯す。

 その事実に竦む様な無様を晒す事はない。

 ランサーから視線は逸らさず、その眼光に臆さず、己が理想を告げる。

 

「ーー俺は正義の味方になる。それがどれだけ破綻した理想だとしても、俺は全てを救う為に戦う」

「ーーーー」

 

 静かに、絶対の王者として言葉を待っていたランサーは、求めた筈の答えに声を失っている。

 先の沈黙が罪人の主張を促す厳格な裁決であったのなら、いまは予期せぬ事実に判決を崩され絶句している。

 彼がそうなるのも無理からぬ事だろう。俺自身、似通った反応は飽きるほど見てきた。

 それは今時、幼児向けの番組でさえお題目に据えないような、荒唐無稽な話だ。

 衛宮士郎が掲げる理想とは、いまだ人類の誰もが足跡を刻み込んでいない未踏の境地。

 いかなる英雄も偉人も完全に実現できない、正真正銘、御伽噺の中の夢物語。

 

「・・・・・正気か貴様。自分が何を言っているか分かっているのか?」

 

 全てを救う正義の味方。

 それは側から見ればなんとも綺麗な夢だろう。

 助けを求める人を一人残らず救って、悪人ですら命を奪わない。

 その在り方は万人が抱く、普遍的な理想像でありーーだからこそ愚者の戯言だと誰もが切り捨てる妄言だ。

 人間には全てを手に入れるなんて事は出来はしない。

 あらゆる状況で、無関係の人も、共に戦う味方も、刃を向けるはずの敵すらも救える者は、人類史上のどこにもいやしない。

 そんなモノを何の利益もなく本気で目指す人間は、生き物として致命的に壊れている。

 

「理解している。この夢がどれほど不可能な事で、俺がどれだけ破綻しているかーーそんな事ははじめから分かっているんだよ、ランサー」

 

 こんな生き方をする俺を、化け物と言って多くの人が忌避したーー当然の反応で、これ以上ない程に的を得ている。

 歩みを止めて幸福になっていいのだと、数少ない友人達は手を差し伸べてくれたーーその申し出は本当に嬉しくて、だからこそ受け取るわけには行かなかった。

 捨て去ってしまえば楽になれるのにいつまでも抱えているのは、それが無ければ衛宮士郎は生きていられないからだ。

 

ーーわたし、キリツグを恨んでるわ

 

 いつだったか、雪の精の様な義理の姉は、切嗣が託したこの夢を呪いだと言っていた。

 それを言い得て妙だ、と他人事の様に感じたのを憶えている。

 客観的に見れば、実現するはずもない理想にその一生を縛られ、いずれ訪れる滅びに向かって疾走する様な生き方は、確かに呪的だろう。

 けれど、呪いは<ノロイ>は同時に呪い<マジナイ>でもある。

 

 かつて災害の記憶に苛まれていた衛宮士郎は、生きている事すら本当に困難で、ほんの少しのきっかけで呆気なくあの地獄に引き摺り込まれそうだった。

 巻き上がる炎の幻影に怯え、誰も救えなかった己の無力を悔やみ、■■士郎に帰れる事を夢見て何度も以前の家に足を運んだ。

 そんな生き方を続ける事でしか心を保てなかった衛宮士郎に、正義の味方という理想がはじめて生きる意味を持たせてくれた。

 正義の味方という指標を得た事で、誰かを助ける明確な形を手に入れた。

 この夢は確かに俺を死地へと赴かせるけど、それが無ければ俺という人間は生きられなかった。

 

「・・・・・なるほど。確かにお前は嘘などついていなかった。お前にとって、目的と手段は全く逆のものだったのだな」

 

 そう。衛宮士郎にとって、戦うための原動力とは、はじめにランサーに語っていたモノと違わない。

 謂れのない不幸を払うために剣を手にして。その願いを通す為に正義の味方を張り続ける。

 自身の信じるモノの為に死地へ赴き、他人の幸福でしか笑うことの出来ない、どうしようもない破綻者。それが衛宮士郎だ。

 

「愚かな生き方だ。何一つ残さず骸を晒すーーお前の末路は、その様なものになる」

「かもしれない。けど、俺には他の生き方なんて選べない」

 

 判りきった話だ。

 衛宮士郎が生き方を変え、これまで貫いてきた理想を捨てればどうなるか。

 それは裏切りだ。

 衛宮士郎を生かしたモノ、衛宮士郎を生かすモノ全てに背を向ける事だ。

 そんな真似は何があろうと認めれない。

 あの日、ただ一人生き残った人間として、これまで多くのモノを切り捨てた者として、彼らの死を嘘<ナカッタコト>にする事は許されない。

 

「それにな、ランサー。これは責任であると同時に誓いでもある」

 

 なにより、遠い昔に誓った言葉がある。

 呪いに侵され未来の無い身体で、自身の願いを託した男。

 無謀な夢を追う俺を案じながら、その道行きを認め、守ろうとしてくれた少女。

 彼らの想いは今なお消えず、禊となって衛宮士郎を支えている。

 義父の理想を叶え、遠き理想郷にいる彼女に追いつく為に。

 それさえあれば、たとえどれほど惨たらしい死を迎えても、世界中から呪われて地獄に堕ちようとも。

 その思い出さえあれば、衛宮士郎はいつまでも戦える。

 

「・・・・・そうか。どうやら無粋な発言だった様だ」

 

 ランサーは瞳を閉じて物思いに耽っている様だ。

 今の話を聴き、いったい何を感じたのか。それ以前に、何故こんな真似をしたのか。

 沈黙するランサーからその真意を推し量ることは出来ず、話されることもないだろう。

 おそらくただの興味止まりでしかないだろう。俺も、わざわざ理由を問いただそうとは思わない。

 

「お前と言う人間の在り方、確かに聞き遂げた。実に興味深い話だった」

 

 瞳を開けたランサーの眼には、それまでの苛烈さが見えなかった。

 

「さて。こちらの用件はこれで終わりだ。望むのであればここを立ち去るといい」

 

 結局、ランサーは先の問いをする為だけに俺を呼び寄せたのか。

 玉座へ向かう彼は無防備に背を晒している。このまま事を構える様子も無ければ、捕らえて情報を引き出そうという気配も見えない。

 真実、これ以上の用は無いと見える。

 こちらが害意を持たない限り、彼から手を出す事は絶対にあり得ない。

 この城を去り、草原を横断しようと、あの杭が襲ってくることはない。

 であればこれまでの疲労を考えても早々にリヨンへ帰還すべきだーーその、筈なのだが、

 

「待て、ランサー。俺はそちらの問いに答えた。なら、その返礼としてこっちの質問にも答えてくれないか」

 

 口をついて出た言葉は、まるで予定していないものだった。

 これ以上の詮索は過分、当初の目的を考えれば、この異城の在り方を知れただけで成果としては充分だ。

 下手に話を続けて、ランサーの地雷でも踏めばその時点で撤退の前提は崩れる。

 しかもよりによって、これから問うその中身は、どこまでもヴラド三世という英霊のパーソナルに迫るものだ。

 

「一方的な侵略と理不尽な蹂躙、それは生前の貴方が最も憎む行為ーーそうじゃないのか、ヴラド三世」

 

 この問いかけは悪手と言うほかない。

 自身の疑問を解消し満足したランサーは、宣言通りに俺を最後まで客として扱おうとしている。

 だからこそ、結界が作動しない様にアサシンに招かせ、酒など振る舞ったのだ。

 だがその意向を無碍にし、迂闊にもランサーの内側に踏み込もうとするのなら、無数の杭が浅慮の代償としてこの身を穿ち貫く。

 

「何の為に、貴方は戦う」

 

 その可能性を正しく理解し認識していながら、それでも俺はランサーを問いただした。

 それは奇しくも、自らが受けた問いと全く同質のものだった。

 この行為は自分の意志でありながら、自分の意向じゃない。

 これが外部からの干渉であったのならまだ良かった。他者からの介入という致命的な危機ではあっても、その要因は明確だ。

 しかし、いま俺が抱えているのは、そんな単純な外因じゃない。

 俺は俺の判断に基づいて、すべきだと思った問いかけをした。

 理由が明白な外部からの介入より、原因の分からない自己の奇行の方がよっぽど恐ろしい。これが、肉体が若返ったことへの影響、精神と魂と肉体のズレが齎す弊害だというのか。

 それすら、判別がつかない。

 

「ーー敢えて、余に問うか」

 

 どれだけ過去の自分を呪っても、状況は好転しない。

 背を向けていたはずのランサーはこちらを睨め付け、あの凍える様な悪寒が再来する。

 そこにあるのは、まさしく王者の風格。かつて“征服者”にすら、悪魔と恐れられたカズィ・クルベイとしての顔を覗かせている。

 

「答えろ、ヴラド三世。貴方の英雄としての誇りが、まだ残っているのなら」

 

 絶対零度の如き殺意を受けて、しかし“その程度”で怖気付くほど真っ当ではない。

 未だに理性は即時の撤退を推奨しているが、この心は決してその選択をよしとはしない。

 彼が戦う理由を知って何になるというのか。もし何かを問うのなら、それは敵の戦力や今後の行動など、利のある情報を選ぶべきだ。

 この問いに意味はなく、ただ悪戯にリスクを増やすだけの行為。

 だというのに、この答えを聞くまでは決して退かない、とこの体は動いてくれそうになかった。

 

「ーーーーーーーー」

 

 長く、沈黙が空間を満たす。

 ランサーは無言でこちらを威圧し。

 俺は彼から目を逸らさず、まなじりを強く絞り言葉を待つ。

 

「ーーーー余が戦う理由、か」

 

 沈黙を破ったのはランサー。

 呟きというより、自身に向けるように小さな声で、止まった時間を再始動させた。

 その一瞬、彼の王としての姿がほんの僅かに揺らいだように感じた。

 

「真名を把握している以上、余の後世での扱いは知っていよう」

 

 知っている。

 祖国の守護の為にその一生を捧げた彼の在り方を、物語<フィクション>として世に広げた存在。

 闇夜と共に現れ、生者の生き血を啜る化け物<モンスター>。

 とある作家が完成させた夜の支配者。

 

ーードラキュラ伯爵ーー

 

 彼の小説家によって産み出され、以後は世界中の人々に恐怖を刻みつけた異形の存在こそ、ヴラド三世の戦いの応報だった。

 

「余は、余の一生に後悔も未練も無い。彼の帝国に敗れたのは自らの落ち度であり、勝てはせずとも確かに守れたモノもあったーーその果てに為した所業も余の成果であり咎だ」

 

 それは、自らの一生を誇った一人の人間が告げる矜持だった。

 栄光も罪禍も全ては己が生きた結果だと受け入れ、その結末に執着は無いのだと。

 祖国であるワラキア公国をより良いものにしようと行動し、その過程で彼が果たした所業は多岐に渡る。

 国の澱みを取り除く為に腐敗した貴族を粛清の名の下に処刑した。それによって国は安定し彼の治世は強固なものとなったが、同時に貴族からは恐怖の念を向けられ、彼らからの求心力は決して高いものではなかった。

 侵略者によって荒廃していく国を憂い、何もかもを利用して戦いに臨んだ。最後には万の虜囚を串刺しとして並べ、その惨憺たる光景を以って侵略者を退けた。結果として、人を人とも思わぬその所業は敵だけでなく、自国の兵士や領民すら彼を化け物の様だと思わせた。

 幾つもの偉業を成し遂げて、数えきれない程の犠牲を強いてきた。その果てに得たものは、人々からの裏切りと公王からの失墜であり、彼の最後は民からの悼みもない戦場での死だった。

 彼の最期は何一つ残らない、無惨なものだった。

 けれど彼の奮闘があったからこそ生き残った人がいて、公国が無くなりルーマニアと名を変えても、彼の偉大さを現代を生きる多くの人々が知っている。

 決して順風満帆な人生だったとは言い難いけれど、確かに後に続くものを残せたのだと、彼は彼の人生に満足してその一生に幕を閉じた。

 

「ーーそれを、“あの男”は弄んだ」

 

 横溢する怒りは、圧力すら伴ってこちらの熱を奪い取っていく。

 錯覚ではない、圧縮されて極限の赫怒は、たとえ対象として向けられていなくても、それだけで背を流れる汗の量が倍になる。

 もはや絶対零度すら生温い。限界まで収束した憤怒はとうに熱という概念すら過ぎ去って、完全なる無温に至る。

 

「余が為した所業も、余に与えられた屈辱も、余の無念も全て余のものだ、全て祖国のためにあったものだッ!断じて、ドラキュラなどという化け物の材料にされるためではないッーー!!!」

 

 憎悪だ。他者を憎み、その者を決して認めないという絶対の意志が、ヴラド三世という形を得て蠢動している。

 唯一つの感情によって稼働し、朽ちるまでその憎しみを撒き散らす。

 ただ一つ許さないという、単一にして純粋な意志が今の彼を形作っている。

 

「故に、余はあの怪物を否定する。あの男が後世に広め、我が生を踏み躙って得た栄華の全てを、人類史から“消し去る“ーーそれこそが、ヴラド・ツェペシュの望み。竜の魔女に隷属する対価に聖杯に託す、余の唯一の願いだ」

 

 当たり前の願望だ、と思った。

 彼は全霊で自らの一生を駆け抜けて、愛したモノを護る為にその生を費やした。

 全てが望ましい結果に終わったわけではないだろうし、多くの人に嫌悪される行いもしたけれど、それでも彼はやり遂げて生き抜いた。

 それを穢されることは、決して容認されていいものではない。

 これがもし後世の人々の彼の所業に対する批判であったのなら、彼は粛々とその評価を受け入れだろう。

 名誉も末路も全て認め誇る彼は、その後の世界が彼をどう判断しようと、全て是とした筈だ。

 だが、ドラキュラという架空の怪物<クリーチャー>は、土着の伝説に彼の悍ましい一面のみを混ぜ込んだ、歪なフィクションだ。

 そんな醜悪な彼の人生を虚仮にした創作、認められるものではない。

 だがぐちゃぐちゃにかき混ぜられこねくり回された虚構は、余りにも世に広まりすぎたがために、ヴラド三世という英霊の一側面として世界に刻み込まれてしまった。

 それを消し去りたいと願うのは、既に死者となり現世に執着する筈もない彼が抱く唯一の例外だ。

 けれど、それはーー

 

「そのために、かつて否定しようとした者と同じ事をするのか?貴方の領民と同じように日々を平穏に過ごしていた人々を踏み躙って、その願いを叶えるのが本当に貴方の望みなのかーー?」

 

 そうだ、ヴラド三世という英雄は祖国を護るために永い間、侵略者と戦い続けた。

 一度は民に裏切られて、無実の罪で幽閉されて、王の座を追われて、それでも再び玉座に返り咲きもう一度戦いに身を投じたーーその命が尽きるまで。

 それは祖国を護る為に必要だったからの行いかもしれない。状況が違えば、彼もまた侵略者と成り得たのかもしれない。

 だがその可能性を認めた上でーー彼の半生は侵略者を否定するものだった。

 ならばこそ英霊となった彼が、かつて死ぬまで否とした在り方を自らの願いの為に容認するのは、ひどく矛盾していると言えた。

 

「自分の一生を否定したモノを否定するために、かつて否定した存在と同じモノになる。それが本当に貴方の汚名を雪ぐ事になると、本気でそう思うのかーー!」

 

 それは絶対に違う筈だ。

 彼の願いは正当なもので、少なくとも他人でしかない俺が安易に否定していいものではない。

 しかし、だからこそ。

 護国の英雄と言える彼だからこそ、決して譲ってはいけない一線がある筈だ。

 特異点となったあの燃え盛る故郷で、俺が”彼女“を打倒しようとしたように。

 彼は彼の生を誇るからこそ、その在り方を歪めるべきではない。

 

「・・・・・確かに、貴様の言う通りだろう。自身の願いの為に無辜の民を虐げる。それはかつての余が何より憎んだ生き方であり、今なお容認せぬ在り方だ」

 

 問われたランサーは、先の激昂ぶりとは打って変わって、静かに俺の言葉を認めた。

 ともすれば、自らの非を認めて考えを変えるのだと、そんな風に見えるかもしれない。

 だが、そんなことはあり得ない。

 あれ程に強烈な感情を噴出させる程の憎しみが、聖杯という頂上の“奇跡”に頼るほどの願いが、この程度の言霊で覆るはずがないのだから。

 

「ーー何故、余がバーサークと呼べるのか、理解できるか?」

「・・・・・」

 

 再度こちらに投げかけられた問いは、唐突なものだった。

 ここまで続けてきた話とは関係がないように思えるーーだが、この場でその質問を選んだ以上、何らかの意味があるのは確かだ。

 

・・・・・狂化の定義、か・・・・・。

 

 何を以って狂っているか、それも周囲との隔絶という意味ではなく、当人の在り方のみに絞った話だろう。

 それは当然、その人物の平時からどれだけ“外れて”いるかによるだろう。

 その人物に関して絶対に言わないような事、確実にやらないような事をすれば、そしてそれがいつまでも続くものならそれは確かに狂っていると言えるだろう。

 それをランサーに当て嵌めて考えれば、侵略という通常なら決して容認し得ない行動に出る現状を狂っているが故だと、そう考えられるのかもしれない。

 

・・・・・だが、それでは“足りない”。

 

 ヴラド三世という英霊の性質として、侵略を容認しないというのは確かに一つの事実だろう。

 だがそれはあくまで、個人の欲を叶える為に、という但し書きが付く。

 彼とて生前は一国の王、それが国を生かすためであれば、侵略という忌むべき行為にも手を出しただろう。

 だからこそ、本当の意味でランサーが狂っていると断言できる要因があるとすれば、それはーー

 

「・・・・・認めたというのか、吸血鬼としての自分をーー?」

 

 半ば茫然とするように、その予測を口にする。

 彼は言った、ドラキュラ伯爵を決して認めないと。その存在は奇跡に縋ってでも消し去りたい、汚点なのだと。

 だが、ならばこそ、ヴラド三世にとって最も容認できない存在こそが、彼の狂気だと言えるのではないかーー?

 

「ーーそうだ。余は、あの忌々しい化け物としての在り方を受け入れる。この姿を否定する為に、その存在そのものとなるーーそれが今生の現界における余の狂気だ」

 

 僅かに月明かりのみが照らす、何もかも取り込んでしまいそうな闇の中で、一人の男が笑う、嗤う。

 三日月のように開いた口腔に見える鋭い牙が、真っ赤なワインに濡れた舌が、一つの存在を想起させる。

 不死身の肉体を持ち、人間の生き血を糧として生者を恐怖に陥れる、闇夜の王。

 彼の小説家が創作した、一匹のモンスター。その名はーー

 

「問答はこれで終わりだ。次に余の願いを否定する時はーーその命を捨てる覚悟で挑む事だ」

 

 

 

 

 

 

 ぴちゃり、ぴちゃり、と響く音が、妙に耳に痛い。

 ランサーとの謁見を終え、帰路に着くが、心はざわついたまま、一向に収まらない。

 あの時、彼からその真意を聞いて、その果てにどうしようとしたのか。

 結局、得られたものはどうあってもランサーはこのフランスの敵なのだという、分かりきった事実の補強だけだった。

 

・・・・・お前は、こんな事が知りたくてあんな問答をしたのか・・・・・。

 

 問いかける先は、自分自身。

 よく分からない行動をした、よく分からない心。

 あれは最後まで必要の無い行動で、そんな事をしでかした自分がひどくあやふやなモノに感じる。

 それでも、この心に後悔は無い。あれは自分の意思だったと、そう一切の疑問無く思えているのだ。

 

・・・・・これは、拙いな。

 

 衛宮士郎の戦いとは常に自分自身との戦いだ。

 どこまでも凡人の器しか持ちえない俺が戦おうとするのなら、せめて心だけは強く保たねばならない。

 現実では弱いままだからこそ、想像の中では決して負けない自分をイメージし、徹底的に本来の自己を排除する。

 そうして固く、硬く、堅く、決して朽ちない鉄の様に。ただ一つの目的を果たす為に、自身を決して折れることのない一本の剣へと鍛え上げていく。

 もしその心が崩れることがあれば、衛宮士郎はその時点で力を失う。

 芯の通らない剣は、容易く砕け散ってしまう。

 そんな状態のままで叶えられるモノなど、この身にはありはしない。

 

・・・・・早く、リヨンに戻らないと。

 

 このままではいけないと、気持ちは逸る。

 揺らぐこの精神状態のまま、この城に長く留まるのは危険だ。

 一刻も早く街へ帰還し、気を落ち着かせなくてはならないーーだというのに。

 

「見ない内に随分と憔悴した顔をしているじゃないか。なぁ、衛宮士郎ーー?」

 

 褐色の肌、灰色の髪と瞳、黒いボディアーマー。

 どこまでも見慣れた、どこまでも馴染みのある顔。

 腕を組み、俺を嘲った視線を向けてくる男。

 

「・・・・・アーチャー」

 

 いずれ向き合わねばならないと思いーーしかし、いま最も出会いたくなかった男が衛宮士郎の前に立ち塞がった。

 




実はこのフランス特異点で最初の士郎の関門はヴラド公ですよーという事を示すのが今回のお話でした。
途中、士郎の見知ったサーヴァントが出てきますが、実はヴラドに比べればそんなに重要じゃなかったりします。侍は士郎と接点薄いし、紅いのは(今は黒だけど)既にUBWで士郎と全霊での対決をしちゃいましたからね。そういうのもあって、ヴラドがフランスでのある意味士郎のライバルポジとなっています。
二人の決着はもう少し先となりますが、それまでどうか気を長くしてお待ちください。

以下、新規召喚サーヴァン。

シャルル=マーニュ(以前から予想されていたとはいえ、本当に実装となった一二勇士の長にして幻想の王、月の舞台で異なる自分と対峙した英雄がまさかの参戦。アストルフォやブラダマンテ、そして一枚絵のみのローランも実装されていたこともあって、LINKプレイ済みの方は非常に嬉しい一騎ではないでしょうか。かくいう自分もその一人で、月で見せてくれた純主人公ともいうべき気持ちのいい英雄っぷりと、自らの結末を理解した上で信念を通した彼が自分は本当に大好きでした。fgoではどうやら大帝とも和解している容姿で、そちらの話が明かされる日が今から楽しみです)

ローラン(自身の主君と共に登場した、十二勇士きってのパラディン。アストルフォの幕間でチラッと姿を見せたっきり、結構な間放置されてましたが、ようやっと実装。実はローランが幕間に登場するずっと前から、オルレアンでバーサーカーとして登場させようと考えていたのでちょっと焦ったりした作者です)

クリーム・ヒルト(ジーク・フリートの妻にして、彼を殺害したハーゲン達に復讐を果たした復讐姫。声優にまさかの古賀葵さんを起用しての登場です。願望器だった頃のすまないさん奥さんということで、前々から気にはなっていたのですが、実に納得のいくキャラクターでした。彼女に関する諸々はトラオム及び彼女のマイルームボイスで各自でご確認してもらいたいですが、一言だけ言わせてもらうのなら、めっちゃくちゃ可愛いです。彼女のマイルームボイスは是非とも皆さんで聴いて欲しい)

アヴェンジャー/アンリ・マユ(元祖復讐者、人類を呪い続けるお節介悪魔、実装から6年目にしてようやくお迎え。排出率の低さはもとより、普段からフレポ回さないのもあってだいぶ長い間未召喚でした。作品が展開するにつれ色々なアヴェンジャーが実装されましたが、クラス名で呼ぶのは未だに彼だけでしょう。士郎/村正もランサーもバゼットもいる、あとはあの毒舌シスターをお迎えすれば、ホロウメンバーにしてアトゴウラに立ち会ったメンバーが揃います)



今回、ピックアップサーヴァントが全騎お呼びしたい面子でしたので、久しぶりの大勝利でございました。
ただ、一つだけ言いたいのは、新規サーヴァントの育成素材に新規素材を指定するのはやめてください運営さん。
特にシャルル、新規素材で216属はほぼ犯罪です!


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