「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者!」 (ルシエド)
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一章 紅魔の里の問題児たち
1-1-1 むきむき、四歳にて出会う


 地雷っぽいタグを大量に付けておくことで、あらかじめ読む前に読者さんの期待ハードルを下げておき、作品に対する評価を操作するというこうどなじょうほうせんぎじゅつ


 曰く、頭のおかしい魔法使いが集まる里。

 曰く、世界最高の魔道士の一族が(たむろ)する里。

 曰く、魔王軍でさえも子供扱いする反則集団が生まれる里。

 曰く、本気になれば人間世界くらいは七日で征服できる里。

 その里の実情を知る者達の中でさえ、評価が安定しない里があった。

 

 その名も紅魔の里。人類最強の魔道士一族、紅魔族が住まう里である。

 

「ねえ、私を連れていきたい所ってどこなの?」

 

 その里で族長を務める男と、その娘が里を歩いている。幼い娘は父に手を引かれ、小さな疑問を口にしていた。

 少女の名は、ゆんゆんといった。

 

「お前の友達になってくれるかもしれない子の所さ」

 

「!?」

 

 ゆんゆんには友達が居ない。地球的に言えば、保育園や幼稚園で他の子供と一切絡まず一人遊びをしている、可哀想を通り越して心配になるタイプの子だった。

 彼女は魂レベルでぼっちである。この性質は、友達が出来てもそう簡単には変わらないだろう。

 友達ができればぼっちじゃなくなるだろ、と言われそうだが、彼女は友達ができようともぼっち気質である。デイダラボッチ級のぼっちだ。ぼっち売りの少女である。

 

 そんなだから、父のその言葉に過剰に期待してしまった。

 

「―――!?」

 

 そして、目的地となる家の扉を開き、そこから出て来た人物の姿を見て、ゆんゆんは危うく腰を抜かしそうになる。

 

「あ、あわわ……」

 

 その男はあまりにも巨大だった。

 大きく、分厚く、重く、そして大雑把過ぎた。

 それはまさに肉塊だった。

 

 ゆんゆんの父が名乗りを上げると、その男は即座にそれに応じた紅魔族流の名乗りを上げる。

 

「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉の持ち主!」

 

「ゆんゆん、お前の一つ歳下だよ」

「歳下!?」

 

 身長199cmッ! 体重210kgッ! 四歳ッ! 成長期ッ!

 

「はじめまして」

 

「あ、はじめまして。ゆんゆんです」

 

 黒い髪と赤い目は、まごうことなく紅魔族の一人である証。

 名乗りも十分。むきむきは族長から及第点を頂いていた。

 が、ゆんゆんは――里の外の世界基準で――普通の少女のような名乗りをしてしまい、族長は困った顔をしてゆんゆんの背中を肘で小突く。

 

 この名乗りは、紅魔族のスタンダードだ。

 里の外の普通の人達の感性を基準にすれば、あまりにも痛々しく恥ずかしい名乗り。

 されど、紅魔族のヘンテコな感性を基準にすれば、最高にカッコイイ名乗りとなる。

 ゆんゆんの不幸は、里の外の人達と同じ、ごく普通の感性を持ってこの里に生まれてしまったことだった。

 

 ゆんゆんは大層恥ずかしい思いをして、紅魔族流の名乗りを上げる。

 

「わ、我が名はゆんゆん! 紅魔族の長の娘にして、やがて族長となる者!」

 

 名乗ったら名乗ったで顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 ごく普通の少女の感性。これでは里で友達ができないのも仕方ない。

 このまま周囲の感性に馴染めず、周囲と根本的な相互理解が行えず、友達ができないまま十数年里で熟成されてしまえば、とんでもないぼっちが完成してしまいそうであった。

 アンデッドの王がリッチーなら、ぼっちの王はボッチーになるのだろうか。

 

「ではゆんゆん、上手くやるのだぞ。

 なにかあったらすぐに私に連絡するようにな!」

 

「待ってマイファーザー!

 もしかして私、この人のお目付け役みたいな感じなの!?」

 

「友達の居ない娘への気遣いもあるぞ」

 

「嫌な公私混同をしないでぇ!」

 

 どうやらこの族長。ぼっちの娘の友達問題と、このマッスルモンスターのお目付け役が必要という問題を一気に解決しようとしていたようだ。

 むきむきとゆんゆん、その両方に信頼できる友達を作ってやろうという気遣いも感じられるが、問題の解決法が大雑把すぎる。

 だが問題は、族長の行動だけではなかった。

 

「ご、ごめんなさい……図体だけでかくて、友達になりたくないような奴でごめんなさい……」

 

「!? あ、ううん、そうじゃなくて! こ、こちらこそごめんなさい!」

 

 どうやらこのむきむきというラオウ風ショタは、ゆんゆん並みに内気でナイーブな性格をしていたらしい。

 ゆんゆんの態度を見て、自分のせいで不快な思いをさせてしまったのだと思ってしまったようだ。とても申し訳なさそうな顔をしている。

 そんな彼にゆんゆんは必死に弁明し、族長は昼寝のために無言で自宅へ帰った。

 

 ゆんゆん五歳。むきむき四歳。

 これが、ゆんゆんの未来を決定する運命の出会いであった。

 

 

 

 

 

 むきむきとゆんゆんがぐだぐだと友達になったその翌日のこと。

 むきむきは他の大人がしている仕事を、自分にできることの範囲で手伝っていた。

 

「よい、しょっと」

 

 むきむきの両親は、既に魔王軍との戦いで死去している。

 なのだが、むきむきは誰の家にも引き取られなかった。彼が両親の家から離れるのを嫌がり、自分一人でも生きていけることを、働くことで証明したからである。

 そのため、彼はそんじょそこらの大人より立派な一人暮らしの光景を家の中に作りつつも、四歳一人暮らしというギャグみたいな毎日を過ごしていた。

 里の一部では、「ニートやってるうちの息子よりずっと立派だわ」と言われていたりする。

 日本には昔小学生が大人顔負けの能力を持って働くアニメが大人気だった時期があったが、それとこれはまあ特に関係ない。

 

「畑手伝い終わり、工芸品搬入終わり、次は……」

 

 一見した限りでは大人が一人暮らしをしているように見えるので、子供が働いている印象がなく、周囲の良心が痛みにくい、というのもある。

 だが、むきむきの意志を強引に押し切り無理矢理にでも自分の家に引き取ろう、と考える者が居ないのには、別の理由もあった。

 

「おい、才無しだぜ」

「バカ、聞こえたらどうすんだよ。かわいそうだろ」

「魔法使えない紅魔族なんて、本当に居るんだね」

 

「……」

 

 むきむきは、()()()使()()()()紅魔族だった。

 紅魔族は例外なく生まれつき高い魔法資質を持ち、その全てが魔法使いの最上級職アークウィザードとなる。

 そして成人する頃には、その全員が上級魔法を操る最高位の魔法使いとなるのだ。

 

 だが、むきむきは紅魔族の歴史の中で初めての、ただ一人の、何故か魔法の才能が皆無であるという紅魔族であった。

 この世界において、魔法はスキルポイントというものを振って、システマチックに習得するものである。

 才能がなければ、『魔法が使えない』という事実が『習得できない』という形でハッキリと突きつけられてしまう。

 そのため、"紅魔の里そのものから"この少年は浮いていた。

 

 この里には、魔法が使えない者のための学校は存在しない。

 魔法を修める者のための学校で一般常識を教えはするが、そうでない者のための学校はない。

 魔法使いでない紅魔族のために用意された居場所も無い。

 子供達がむきむきを見てひそひそと話し、ある子供は同情の視線を向け、ある子供は珍獣でも見るような目で彼を見て、ある子供は身内の輪の中に居る部外者のようにむきむきを見て、ある悪ガキはむきむきに突っかかっていく。

 

「おい、魔法使えない奴は脇にどいてろよ」

 

「……うん、ごめんね」

 

 大人は総じてむきむきを気遣いつつもどう扱えばいいのか戸惑っている者が多かったが、子供は総じてむきむきを見下している者が多かった。その程度に、各々差はあったが。

 見下してはいるが、悪意があるわけでも敵意があるわけでもない。憎しみもない。だから子供達は攻撃を仕掛けているわけでもない。

 子供達はただ、魔法を使えるのが当たり前の(せかい)の中で、魔法を使えないという異物(むきむき)に対し、子供らしい反応を返しているだけだった。

 それが結果として、むきむきの心を傷付けていたとしても。

 彼らは子供だ。その心の痛みには気付けない。

 

「これからはちゃんと、見かけたら道を譲るから」

 

「……けっ」

 

 どこか卑屈なむきむきに苛立ちを覚えた様子の子供が、どこかへと去って行く。

 突っかかってきた子供に見せたむきむきの愛想笑いは、子供には見抜けず、大人ならば痛々しいと感じる、そういう笑みであった。

 ちょっとだけ泣きそうな雰囲気で、はぁ、とむきむきは溜め息を吐く。

 そうしていたら、パコーン、と何かを叩く音が聞こえた。

 

「?」

 

 思わずむきむきが振り返ると、先程むきむきに絡んで来ていた子供が、尻もちをついていた。

 その前には幼い少女が立っている。

 どうやらその少女が、その辺に落ちていた木の棒で頭をぶっ叩き、叩かれた子供が尻餅をついたという状況のようだ。

 少女は子供に何かを言い、子供は悔しそうに何かを言いながら駆け去っていく。

 

 少女は木の棒を杖のように振り回し、むきむきの前にやって来る。

 

「君は……?」

 

 少女は少しぼやっとした顔で、それっぽく大人を真似た、子供らしいようなそうでないような名乗りを上げた。

 

「我が名はめぐみん。紅魔族随一の職人の娘。やがて、紅魔族最強の魔法の使い手となる者!」

 

 名乗られたならば、返さねばならない。

 

「我が名はむきむき! 紅魔族随一の筋肉を持つ者!」

 

 二人の身長差は、90cm以上。だが、その実めぐみんの方が年上であった。

 

「もうちょっと胸を張ってもいいと思いますよ、あなたは。

 あんなのはちんぴら? とかいうのと変わりません。ぶっとばせばいいんです」

 

「ぶ、ぶっ飛ばすのはちょっと……」

 

 肉体はともかく、精神的にはめぐみんの方が強そうだ。どこか豪快さを感じるめぐみんとは対照的に、むきむきの話し方からは繊細さが感じられる。

 

「……君は、僕が嫌いじゃないの?」

 

 その質問は、どこまでも的外れなものだった。

 むきむきを本気で嫌っている者など、里には一人も居ない。

 里の大人のむきむきへの対応、里の子供のむきむきへの反応はそれぞれ違うが、そのどちらも根本にあるのは"異物に対する感情"である。

 彼は『違う』と思われているだけで、『嫌い』とは思われてはいない。

 

 だが、その事実が何の救いになろうか。

 むきむきは嫌われたくないのではなく、好かれたいのだ。

 彼もまた、幼い子供であるのだから。

 

 ゆえに、むきむきの思い違いに気付いているわけでもなく、彼を救おうとしてここに来たわけでもなく、思うままに行動し思うままに言葉を紡ぐめぐみんの言葉は、むきむきの胸を強く打つ。

 

「大きくて、強くて派手で、豪快。そういうのが私は大好きですからね」

 

「―――」

 

「他の人が変だと思っても、私はかっこいいと思います!」

 

 むきむきの大きな体と筋肉を手の平で叩き、めぐみんはからっと笑う。

 自分が嫌いで仕方がなかった子供が、生まれて初めて他人から素直な言葉で肯定された、その瞬間だった。

 この日この時聞いた言葉を、彼は生涯忘れない。

 

 めぐみん五歳。むきむき四歳。

 これが、むきむきの未来を決定する運命の出会いとなった。

 

 

 

 

 

 紅魔の里の魔道具屋の店主、ひょいざぶろー。その妻ゆいゆい。

 めぐみんはこの二人の間に生まれた一人娘である。

 同い年の子供達の中では一番最初に言葉を話し、幼少期から高い魔力を内包しており。この里でも皆から期待されている子供であった。

 

「私の家、最近ちょっと壊れてしまったので、外で遊んでないといけないのです」

 

「そうなんだ。僕に、何かお手伝いできることはあるかな?」

 

「存分に私を楽しませてください」

 

「ええ……」

 

 怖いもの知らずな子供特有の無茶振り。

 生涯二人目の友達、暴君めぐみんの要求に応えるべく、むきむきは色々と悩み……最終的に、彼女を肩に乗せて走り回ることを決めた。

 

「おお、速い!」

 

 めぐみんを肩に乗せ、彼は疾走する。その速度たるや、紅魔の里の周辺に出現するサラマンダーの走行速度を知っているめぐみんが「サラマンダーよりずっとはやい!」と思わず声を上げてしまったほどだった。

 

「これは楽しい! 今日からむきむきは私の子分にしてあげますよ!」

 

「え? あ、ありがとう」

 

 何故か子分にされてしまったが、まあいいやとむきむきは特に気にしない。彼も結構これを楽しんでいるようだ。

 

「もっと速く!」

 

「はい!」

 

「もーっと速く!」

 

「はい!」

 

「もっともっともっと速くっ!」

 

「はいっ!」

 

 めぐみんが煽るたび、むきむきは加速する。

 煽れば煽るほど加速していく。この調子で加速していけば、おそらく今の速度の十倍の速度だって出せるだろう。

 むきむきはテンション次第で力を増すタイプであった。

 

「あはは、はやーい―――げっふぁっ!?」

 

 だが、調子に乗ったやつが必ず痛い目を見るのがこの世界である。

 調子に乗ってむきむきを加速させていっためぐみんは、ある地点で自分だけ木の枝に顔面をぶつけてしまった。それはもう豪快に、だ。

 めぐみんは女の子が出してはいけないような声を出し、むきむきの肩から落ちていく。

 

「め、めぐみーん!?」

 

 鼻を思いっきり枝にぶつけためぐみんは鼻血をだらだらと垂らし、女の子がしてはいけないような顔になってしまっていた、

 怪我は特に鼻がえぐい。えぐみんになってしまっていた。

 

「あ、あわわ、ど、どうすれば……」

 

「……とりあえず、手当してくれそうな人のとこまで連れてってください……」

 

 めぐみんの体が軽かったこと、特に固定されずに肩に乗っていたこと、そのおかげで肩の上からめぐみんが吹っ飛ばされる形で衝撃が逃げてくれたこと。

 幸運が重なり、めぐみんはぐろみんにならずえぐみんになるだけにとどまり、慌てるむきむきに指示を出す余裕があった。

 そんなこんなで、彼らは里の回復担当の家に行き、高価な回復ポーションであっという間にえぐみんをめぐみんに戻したわけだが……

 

「で、何があったんだ?」

 

 当然、大人から事情を聞かれるわけで。

 むきむきはビクビクしていたが、めぐみんの治療中に思い悩んで覚悟を決めて、恐れから何度も言うのを躊躇いながらも、「自分のせいだ」と口にしようとしていた。

 それで里での立場が更に悪くなることは分かっていても、彼は誠実にしか生きられない。

 

「実は……」

 

「実はですね、魔王軍の下っ端が来ていたのですよ」

 

(!)

 

 なのだが、彼が自分のせいだと言い出す前に、めぐみんが大法螺を吹き始めていた。

 

「なんだって!?」

「魔王軍の下っ端……」

「そうか、だからむきむきがめぐみんを運んで来たのか……」

 

「奴は私の顔にパンチ一発くれた後、むきむきに追い返されて逃げて行ったのですよ」

 

「クソ、なんてことだ!」

「子供を狙うなんて魔王軍許さねえ! もう容赦しねえぞ!」

「次に視界に入ったら問答無用で地面のシミにしてやる!」

 

 魔王軍が一体何をしたというのか。

 千の魔王軍選抜部隊が相手でも、50人居れば殲滅できるのが紅魔族である。

 次に来た魔王軍はおそらく、大根おろしのようになるかトマトケチャップのようになるかの二択だろう。

 哀れなり魔王軍。

 

「ありがとう、うちの娘を助けてくれて」

 

「え、あ、いや、あの」

 

 むきむきは嘘が苦手だ。頭の回転も速くない。

 そんな彼がめぐみんの父に礼を言われ、返答に困って戸惑ってしまうが、めぐみんがその手を引いて部屋の外に出て行こうとする。

 

「私達、走ったせいで喉が渇いたのでちょっと水飲んできますね」

 

「ああ、行ってらっしゃい」

 

「そうだ、許さねえ! 魔王軍討つべし! シルビア絶対許さねえ!」

「こういうシチュは一回やりたかったんだ! シルビア絶対許さねえ!」

「俺も俺も! 魔王軍討つべし! シルビア絶対許さねえ!」

「ひょいざぶろーさんとこの娘さんはよく分かってるな! シルビア絶対許さねえ!」

 

 その場のノリで適当な魔王軍幹部にターゲッティングしている紅魔族の大人達の脇を抜け、子供二人は外に逃げ出していく。

 

「これが知性派のやり口です。泣き虫のむきむきも早く覚えるのですよ」

 

「な、泣いてないし……でも、頑張る」

 

 "一生付いて行こう"と、むきむきはめぐみんの背中を尊敬の目で見るのであった。

 

 

 




 原作で五歳前後で賢者級のパズルを解き明かし、流暢な敬語を使い、女神に願いを聞かれて『世界征服』と真っ先に答えためぐみんの知性は凄いもんです。紅魔族の知性発達速度いとはやし

 この三人が小学生相当の年齢になると、めぐみんとゆんゆんが遅生まれの小学二年生相当、むきむきが早生まれの小学一年生相当といった感じになります。そういう感じの年齢差です


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1-2-1 むきむき、五歳にして修行回

 少年漫画にありがちな修行回。今回は退屈な修行回です。序盤に修行回があるのは特撮の王道

「めぐみんの身長どのくらいだろう? 140~150cm?」
 と考えていたら、
「072.1+072.1=144.2。身長144.2cm設定にして『ダブルオナニー』とかいうあだ名を付けても二次創作なら許される……?」
 と思ったのですが、高貴な作品イメージと上品な作者イメージが損なわれる可能性があるため、本編に書くのはやめました。


 紅魔族は人類最強クラスの戦力であり、人類でも最大クラスにふざけた魔法使い集団である。

 魔王城に睨みを効かせながら、王都がいざという時の備えとしてそこにあり、日々襲ってきた魔王軍をボコボコにし、里に備え付けの望遠鏡にて魔王の娘の部屋の着替えを覗いている。

 皆が黒髪赤眼、規格外の魔法資質、変な精神性を持つ。

 それが紅魔族だ。

 

「めぐみん、そろそろ帰った方がいいんじゃ……」

 

「今日は両親ともに帰ってくるの遅いんです。もっと暇を潰さないと」

 

 体育座りをする男、むきむき。

 身長205cmッ! 体重230kgッ! 五歳ッ! 成長期ッ!

 対するめぐみんの身長体重はお察しである。

 村の外れの"邪神の封印地"とも言われる観光名所もどきにあった、パズルのようなものでめぐみんは遊び、むきむきは退屈そうにそれを見守っていた。

 

 ここは『邪神の墓』と呼ばれる場所だ。

 子供が近付くことは許されない、本物の邪神が封印された地である。

 かつて「『邪神が封印された地の一族』ってかっこよくね?」と言い出した標準的な紅魔族の手によって、よその土地に封印された邪神を勝手に無断でここに移動させ、再封印したという逸話がある。頭おかしい。

 じゃあなんで子供の二人がここに居るかと言えば、暇潰しだ。……暇潰しである。

 

 パズルがあった! これで遊ぼう! むきむき運んで下さい! と言ったのがめぐみん。

 わかったよ、と『精神的に弱っていたところでめぐみんにいい言葉をかけられクラっとやられてしまった哀れな主人公』であるところの、むきむきがそれに忠実に従う。

 ストッパーが居ない。これでは止まるはずがない。

 そしてめぐみんが暇潰しに弄っていたパズルは、お約束だが邪神の封印を維持するためのものだったわけで。

 

「あっ、なんか飛んで来て口に入っ……」

 

「あ、なんか出て来ますね」

 

「!?」

 

 パチンとパズルの何かが噛み合った時に、何かが飛んで来てむきむきの口に入り、直後に封印解除の閃光がむきむきを驚かせ、石っぽい何かを飲み込ませてしまった。

 

「うわっなんか飲んじゃっぬわぐっ!?」

 

「むきむきー!?」

 

 泣きっ面に蜂。封印解除で出て来た邪神っぽい獣がむきむきに体当りし、むきむきは変なものを飲み込まされた挙句、腹に体当たりを食らって吹き飛ばされてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 十五分後。

 

「『エクスプロージョン』」

 

 獣の連撃で沈められたむきむきの横で、獣と一緒にどこからともなく現れた美女が、めぐみんを庇いながら獣に魔法を放っていた。

 むきむきがやられる直前に、獣を遠くに投げ飛ばしていたのが功を奏していた。

 でなければ、この場の全員がその魔法に巻き込まれていただろう。

 

「凄い……!」

 

 そう言えるほどに。

 めぐみんが感嘆の声を思わず漏らしてしまうほどに。

 凶暴な獣が一撃で沈んでしまうほどに。

 その魔法は、壮絶だった。

 めぐみんという一人の少女の魂に、一つの魔法の存在が刻まれた瞬間であった。

 

「大丈夫、お嬢さん?」

 

「あ、はい。でも、むきむきが負けるなんて……!

 むきむきは破壊力AスピードA射程距離C持続力A精密動作性A成長性A!

 脳の針を正確に抜き、弾丸を掴むほど精密な動きと分析をするというのに……!」

 

「あのねお嬢さん、お友達に勝手にそれっぽい設定を付けるのはどうかと思うの」

 

「2/3くらいは真実なんですけどね」

 

 美女は倒れているむきむきと、魔法の直撃で虫の息になっている獣を交互に見る。

 

「と、いうか十分でしょう……?

 魂からして、この筋肉君相当幼い子でしょうし。

 『これ』にキン肉ドライバー決めた時点で、私はこの子が勝つんじゃないかと思ったわよ」

 

 キン肉ドライバー? と首を傾げるめぐみんに、女性は女神のような微笑みを見せる。

 女神は世界の外も見通せると神話に語られることもあるが、この女性には女神と同じ視点があったとしてもおかしくないと思わせる、そんな美貌があった。

 赤い髪は神聖さを感じさせ、目はネコ科の動物を思わせる。ただなんとなく、纏う雰囲気から、"これで角が生えていれば邪神にも見える"といった印象を受ける。

 

「……信じられないけど、お嬢さんが封印を解いてくれたみたいね。

 なら、お礼をしないと。何か叶えて欲しいお願いはあるかしら?」

 

「あ、それなら……」

 

 世界征服、とめぐみんは願った。美女は顔を引きつらせて謝り断った。

 巨乳にして欲しい、とめぐみんは願った。美女は困った顔をして謝り断った。

 魔王になりたい、とめぐみんは願った。美女は頭を抱えて謝り断った。

 おなかが減ったのでおやつ下さい、とめぐみんは願った。

 もっと大きな願いにした方がいいわよ、と美女はちょっと空を見上げていた。

 

 美女はめぐみんに相応のものを与えたいようだ。

 が、運命を変えるような、極端に凄いことができるわけでもないらしい。

 

「お嬢さん、予想以上に大物な感じがするわね……」

 

「んーと、んーと、じゃあ、さっき使っていた魔法のことを教えてください」

 

「『爆裂魔法』のことかしら?」

 

 爆裂魔法、とめぐみんは口の中でその魔法の名前を繰り返し呼ぶ。

 彼女が使った魔法の名は、爆裂魔法。

 限りなく不滅に近い大悪魔も、地上に堕ちた神も、実体の無い霊体も、魔法であり自然である精霊にさえ、等しくダメージを与え消し去る極大魔法だ。

 その馬鹿げた消費魔力から知る者も多くはなく、知る者でさえ『ネタ魔法』としか呼ばない、最悪に燃費が悪い人類最強の攻撃手段であり、人類では使うことさえ難しい魔法である。

 

 神の類や最上位アンデッドのリッチーでさえ、二発撃つことはできないという時点で規格外が過ぎる。

 だがめぐみんは、既にこの魔法に魅了されていた。

 

「習得はオススメしないけどね。スキルポイントが溜まれば、すぐにでも習得できるわ」

 

 この世界の魔法は、教える者が教わる者に魔法を教え、教わった者がレベルアップやアイテムで獲得するスキルポイントを消費し、初めて習得できる。

 爆裂魔法ほどのものともなれば、普通は年単位の努力が必要だ。

 だが、めぐみんは喜んでその道を進もうとしていた。

 

「また、会えますか?」

 

 めぐみんが美女に問う。

 美女は微笑み、何も応えず、邪神らしき獣を撫でて消し去っていく。

 めぐみんの言葉に何も応えぬまま、美女はどこかへと歩き去っていった。

 

「爆裂……爆裂魔法……!」

 

 めぐみんは感極まった様子で、先程見た爆裂魔法の光景と、それを放った女性の姿を瞼の裏で繰り返す。

 一方その頃、幸運値が低いむきむきは当たりどころが悪かったらしく死にかけていた。

 

「今の人、胸も爆裂だった……!

 今の人みたいな大魔導師になれれば、貧乳の家系の私だって、きっと……!」

 

「あっ、死ぬ……なんか僕ここで死にそう……」

 

「運命を覆せるかもしれない!」

 

「……しぬ……しんじゃう……」

 

 めぐみんがほどほどなタイミングで目を覚ましたので、一命は取り留めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 邪神に負けたむきむきは、とても悔しい気持ちで、とても情けない気持ちであった。

 女の子一人くらいなら守れる、と無自覚に思っていた自分の思い上がりを恥じたのだ。

 

「弱い自分が不甲斐ない。だから鍛えようと思う」

 

 彼も既に五歳。

 大英雄野原しんのすけと同い年である。

 ならばもう、世界を救ってもおかしくない年齢であると言えるだろう。

 "子供だから"というフレーズに、彼は甘えてなんていられないようだ。

 

「えええ……むきむき、これ以上鍛えるつもりなの……?」

 

 相談相手のゆんゆんは、盛大にドン引いていた。

 ゆんゆんも既に六歳。日本であれば小学一年生程度の少女であったが、紅魔族の特性でその知性は年齢不相応に育っている。

 "何故鍛えようと思ったのか"を聞いても部分的にしか話さないむきむきの様子から、なにやらやましいことがあったのだということも察している。

 

 だがそんなことよりも、目下の問題は、この筋肉オバケが更に自分を鍛えようとしていることにあった。

 

「身長も筋肉もこれ以上大きくなったら、本当にモンスターになっちゃうよ?」

 

「望むところだよ」

 

「望まないでお願いだから! 私の人間の友達またゼロになっちゃうから!」

 

 今のゆんゆんの友達はむきむきと観葉植物のミドリちゃん(ゆんゆん命名)しか居ない。

 むきむきがモンスター枠になってしまえば、ゆんゆんの友達はモンスターと植物だけになってしまう。字面が大惨事だ。

 なんとしてでも止めなければ、とゆんゆんは強固に意志を固める。

 

「あ、えっとさ、それでね、その……

 僕はそういうの詳しくないから、ほら、うん。

 ……ゆんゆんしか頼れる友達が居ないから、手伝って―――」

 

「任せて!」

 

 強固に固めた意志は、一瞬で吹っ飛んだ。

 

 

 

 

 

 ゆんゆんほどチョロいロリもそう居まい。

 チョロリゆんゆんは、それっぽい本をかき集めて、にわか知識でプロ気取りのドヤ顔を浮かべ、むきむきトレーニング作戦を決行するのであった。

 

「ゆんゆん、これは?」

 

「MAKIWARAって言うんだって。これをパンチして、拳を鍛えるんだとか!」

 

 ゆんゆんは2mほどの太さの木に、せっせせっせと布を巻いて、それっぽいトレーニング器具を作っていた。

 これは地球という世界において、琉球空手が形を変えて現在の空手になっていく中洗練されていった鍛練の道具が、この世界に変な形で伝えられたものである。

 木はしなる。そのため、厚みを調整した木の杭を殴ると、弾力のある人の体を効率よく破壊する拳を身に付けられるのだ。

 これに滑り止めの布や縄などを巻き、殴りやすいようにして初めてこれは完成する。

 

 そのため、ゆんゆんが作ったこれは再現性で言えばクソ以下である。

 彼女なりに頑張ったとはいえ、頑丈すぎるのだ。これではまるでしならない。

 えいやえいやとゆんゆんが殴ってみているが、太さ2mの木は全く揺らがず、拳を痛めたゆんゆんが泣き始めてしまったのがその証拠だ。

 

「いたい……いたいよぅ……むきむき、これ失敗かも……」

 

「と、とりあえず使うだけ使ってみるから……」

 

 涙目のゆんゆんを慰め、彼女への義理から拳を構えるむきむき。

 

「じゃあ軽く、っと」

 

 そしてかるーく拳を当てて、むきむきの拳は直径2mの木をへし折った。

 

「えっ」

 

 殴られた木が吹っ飛んでいき、遠くで里を偵察していた魔王軍の斥候が一人、人知れずプチッと潰れる。

 ゆんゆんの口はポカンと開いたまま塞がらない。まるで(こい)のようだ。

 鯉する乙女は強いと言うが、明らかに鯉する乙女より眼の前のキン肉マンの方が強い。

 今殴られたのが木ではなくモンスターであったなら、即座に挽き肉(ミート)くんになっていただろう。

 

「ご、ごめんねゆんゆん! こ、この程度で壊れちゃうなんて、思ってなかったから……」

 

 しかもこれで全力ではないと彼は言う。

 これでもまだ鍛えないとダメだと、彼は言う。

 ゆんゆんは、梅干しを食った時のような顔をしていた。

 

 

 

 

 

 その日から、厳しい特訓が始まった。

 

「行くよー!」

 

 ある日は、崖の上から大岩をいくつも転がした。

 むきむきが積み上げたそれをゆんゆんが軽く押して転がし、崖下に居るむきむきが拳の連打を放って、その全てを粉砕する。

 

「ゆんゆん、もう一回!」

 

「これ岩を回避する特訓じゃなかったっけ!?」

 

 ある日は、紅魔族が保管していた魔道技術王国ノイズの遺産、G()-P()という四輪の機械兵器を使用した。

 これは紅魔族にしか使えず、紅魔族が大気中に散乱した魔力を燃料とし、乗員の紅魔族の意志を反映して走る乗用兵器。そのため里とその周囲でしか使えない産廃だ。

 馬車でいいじゃん、と里の中でも評価は低い。

 ゆんゆんはこれでむきむきを追い立て、むきむきの走力を強化するという危険なプランを実行していた。

 

「ゆんゆん! もっとスピードを上げて!」

 

 だが、時速60kmを超えてもむきむきに追いつけていなかった。

 

「こっちに乗ってる私の方が速すぎて怖くなってきたんですけど!」

 

 その翌日には、目隠しをしたむきむきにゆんゆんが石を投げるという特訓を開始した。

 怪我するかもしれないし危ないよね、と思いそろっとゆんゆんが投げた小石を、むきむきはさらっと回避する。

 肌で空気の動きを感じ、耳で小石の位置を感じ取り、かわしたのだろう。

 

「もっと当てる気で! ゆんゆん、優しすぎるよ!」

 

「かわせるだなんて普通思わないじゃない! 当たるって思うじゃない!」

 

 ゆんゆんが遠慮を無くすと流石に当たり始めたが、それでも1/3くらいはかわせるようになり、その翌日。

 体だけで鍛えてもダメだということで、ゆんゆんによるむきむきへの勉強指導も行われていた。

 

「むきむきって頭悪いの?」

 

「……頭、悪いです……」

 

 日本的に言えば、むきむきの偏差値は人類相対偏差値で55。紅魔族の人類相対偏差値はデフォルトで全員75である。

 彼が悪すぎるのではなく、周囲が良すぎるのだが、この里でしか生きたことがない子供にそれは分からない。

 ゆんゆん視点彼は頭の悪い友人で、むきむきはこういうところでも地味に疎外感を感じるのだ。

 

「あ、申し訳無さそうな顔しなくてもいいよ。ちゃんと付き合うから」

 

「ゆんゆん……」

 

 初めての友人だからとはいえ、よく付き合ってくれるものだ。

 彼女の面倒見がいいのもあるが、本質的に言えば彼女が交友関係に飢えているからである。

 魂レベルのぼっち。闇のビッチと対をなす光のぼっち。

 彼女のぼっち気質卒業はまだ遠い。

 

「でも、こんなに自分を鍛える必要あるの? 今のままで十分じゃない?」

 

 鉛筆を手の中で回しながら、ゆんゆんはむきむきに聞いてみた。

 

「話に聞く魔王軍幹部級と、もし戦う時が来たら……

 その時になってから泣き言を言っても、遅いと思うんだよ」

 

「……魔王軍の幹部」

 

「里にも来るしね、幹部」

 

 紅魔の里は、魔王軍が最重要攻略拠点に選んでいるほどの激戦区である。

 魔王軍の幹部でも攻略できない紅魔の里が凄いのか。紅魔族の反撃を食らっても倒されない魔王軍の幹部が凄いのか。一つだけ言えることは、この両者はどちらも規格外に強いということだ。

 "魔王軍の幹部は一人で街を一つ消すことができる"とある貴族が言ったらしいが、この評価に誇張は一切含まれていない。

 

 むきむきの筋力は確かに規格外だ。

 世界のバグと言っていいレベルにある。

 が、そんな彼でも、紅魔族というデタラメな一族の中においては、未だ埋もれる程度の戦力でしかないのだ。

 天候さえ玩具にする大人の紅魔族にはまだ及ばない。

 彼はもっと、成長する必要がある。

 今はまだ彼の『強くなろう』という気持ちは、念のため程度のものでしかなかったが。

 

「備えておけば後悔はしない……と、思う。そんな気がする」

 

「そこは言い切ろうよ、むきむき」

 

 呆れたように笑うゆんゆんに、頬を掻くむきむき。

 そこで、扉を豪快に開き、一人の少女が現れた。

 

「その意気やよし! 流石はむきむき、我が右腕に恥じない日々を送っているようですね」

 

「何者!?」

 

「ぬるい鍛練をしているようですね、族長の娘さん」

 

 むきむきの表情が、誰の目にも分かりやすく明るくなる。

 

「我が名はめぐみん!

 紅魔族随一の魔道具職人の一人娘にして、やがては紅魔族最強の魔道士となる者……!」

 

「あ、はじめまして、ゆんゆんです」

 

「ぺっ」

 

「唾吐かれた!?」

 

「噂に聞く通りの人物のようですね。

 風変わりな挨拶でしかできない、紅魔族随一の変わり者……」

 

「風変わり!? 紅魔族随一の変わり者!?」

 

 里の外の常識を持って生まれたゆんゆんは、同年代からの評価が一番酷かった。ある意味むきむきの同類である。

 

「あなただって家が随一の魔道具屋とか言ってるけど!

 魔道具作りのセンスが無いから全く売れず、年中貧乏だって聞いてるわよ!」

 

「い、言ってはならないことを!」

 

「里の外に売りに行ける魔道具屋で貧乏って、この里じゃ普通ありえないわよ!」

 

「もっとうちの両親に言ってやってくださいよ、それを!」

 

 だが、めぐみんがこの里のスタンダードというと、実はそうでもない。

 めぐみんの家はこの里でもぶっちぎりの貧乏家庭である。

 そこにクールでドライな一面もあり、ゆんゆんと違って孤独をあまり苦にしないめぐみんの気質が加わると、もう酷いことになる。

 めぐみんもまた、付き合いのある友人がほぼ居ない少女であった。

 

 なんてことはない。むきむき、めぐみん、ゆんゆん、この三人は里の子供のぼっち'sなのだ。

 むきむきは家族さえ居ないが、友人数だけを見れば三人とも大差がない。

 奇特な友人との出会いがなければ、未だに全員孤高のぼっちを極めていたかもしれない。

 

「ま、まあいいです。

 ここからは私に任せて貰いましょう。

 あなたの鍛練は出来損ないだ、犬も食べられませんよ」

 

「な、なにおぅ!」

 

「一週間後にまた来てください。最高のむきむきをお見せしましょう」

 

 ゆんゆんが提唱した、至高のトレーニングメニュー。それを凌駕する究極のトレーニングメニューを見せるべく、めぐみんはむきむきを連れて去っていった。

 そして、一週間後。

 

「さあ、見せてもらいましょうかめぐみん……あれだけ大口を叩いた結果を!」

 

 指定された場所にて、ゆんゆんはめぐみんを待っていた。

 朝に来いと言われたので、早朝から彼女はずっとここで待っている。

 

「……」

 

 日が昇り、朝になり。

 

「……」

 

 更に昇り、昼になり。

 

「……来ない」

 

 それでもめぐみんは来なかった。

 

「……えっ? え?」

 

 いつまで経っても、めぐみんは来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆん、怒りのめぐみん宅突撃。

 やろうぶっ殺してやる、と言わんばかりの勢いであった。

 道中一回転んだが、怒りが痛みを凌駕していた。

 

「ちょっとどういうこと!?」

 

 そうして、怒りのままに突撃したゆんゆんは。

 

 あくびしながら家の魔道具店舗の店番をしている、めぐみんを発見した。

 

「……何やってるの?」

 

「……注文受け付けのための店番です。親に朝、押し付けられました」

 

「……ああ、そういう……」

 

「……朝むきむき拾って、そのまま行こうと思っていたんですが……」

 

 つまりゆんゆんの下に向かいたくても向かえなかったということなのだろう。

 よりにもよって今日。不運なことだ。

 

「"一週間後にまた来てください"とか格好付けてこれって、恥ずかしくないの?」

 

「あぐぁ!」

 

 ゆんゆんが発した過去のめぐみんの言葉が、そのままめぐみんに突き刺さる。

 

「でも、ごめんね。変に疑っちゃって。

 私てっきり、めぐみんが忘れてるか、私を騙したものだと……」

 

「まあそれも正解ですよ。昨日むきむきに言われなければ私もすっかり忘れてましたし」

 

「おい」

 

 どうやら、ゆんゆんが特に理由もなく放置される未来もあった様子。

 

「こんちわー。あれ、いつまでも来ないと思ったらこんな所に」

 

「むきむきじゃないですか。お疲れ様です」

 

 そうこうしてると、魔道具の材料になる鉱石やモンスター素材を抱えたむきむきがやって来て、店の中に運び入れていく。

 これが稀代の天災魔道具職人ひょいざぶろのーの手にかかれば、誰も買おうとしないのに値段だけ高いゴミと化すというのだから、不思議なものだ。

 

「むきむき、かくかくしかじかってわけなんです」

 

「なるほど。そういえばかくかくさんとしかじかさん、最近里に帰ってきてないね」

 

「本当にこの里の人名は、本当に、本当に……!」

 

 むきむきが出した人名にゆんゆんが苦しみ悶えている。

 親にゆんゆんと名付けられた過去からは、一生逃げられないのだ。ああ無情。

 

「つまりめぐみんが店番やってると、約束が果たせないと」

 

「ええと、そういうことになるのかな?」

 

「ですね。なので代わりの店番人柱を一人さらってきましょう」

 

「いやダメだよ、かわいそうだよ。

 朝外出したっていうめぐみんのお父さんが帰って来てくれれば、そこで説得して―――」

 

 噂をすれば影が立つ、とは言うが。

 

「ほう、威勢のいいことを言うもんじゃないか」

 

 こうまで堂々と"途中から話を盗み聞きしていたが、かっこよく登場するタイミングを待ってたんだぜ"ムーブをされると、ツッコむ気も失せるというものだ。

 偶然今来たと言い訳できない場所、人一人しか隠れられない隅っこの物陰から現れたひょいざぶろーを見て、子供達は盛大にもにょる。

 

「ひょいざぶろーさん……」

 

「我が名はひょいざぶろー。紅魔族随一の魔道具職人」

 

「……紅魔族随一に売れないの間違いじゃないの」

 

「ゆんゆん、小声でも隣に居る私には聞こえてますからね」

 

 名乗りを上げたひょいざぶろーに導かれ、子供達は店の裏手の空き地に向かう。

 

「話は聞かせて貰ったぜ。めぐみんを連れていきたいそうだな」

 

「はい、そうです。できれば店番の任を少しだけ解いて……」

 

「上等だ。娘が欲しいというのなら……この俺を倒していけ!」

 

「えっ」

 

 杖を構えるひょいざぶろー。

 戸惑うむきむき。

 なんだろうか、この、『この台詞を言いたかったから強引にこの展開にしました』感は。

 

「え、なんでしょうかこれ。まさか『娘さんを下さい』シチュのつもりなんですか?」

 

「絶対この台詞言いたかっただけで、この展開がやりたかっただけよこれー!?」

 

 超斜め上の予想外な展開で、ゆんゆんとめぐみんによる修行(遊び)によって鍛え上げられたむきむきが試される戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 紅魔族の魔法は極めて強い。

 紅魔族の中級魔法は里の外では上級魔法に見間違えられるほどの威力があり、上級魔法に至っては魔王軍の対魔法部隊でさえ一瞬で灰にする。

 そのため、ひょいざぶろーは手加減のつもりで中級魔法を撃った。

 

「『ファイアーボール』!」

 

 だが、その余裕ぶった考えは一瞬にして打ち崩されることになる。

 

「『ファイアーボール』!」

 

 むきむきの握力によって大気成分が圧縮され、大気に含まれる酸素・炭素・窒素・水素が超反応を起こし、なんやかんやで生成された可燃物が、握力によって発生した爆縮熱で発火。

 むきむきの投げたそれは火球となり、ひょいざぶろーの火球と相殺された。

 

「なんと!?」

 

 『筋肉があれば大抵のことは出来る』という命題を証明した、最先端科学YU-DE理論に沿った非魔法的・科学的な攻撃である。

 魔法的アプローチがダメなら科学的アプローチを行う。

 知能が高い紅魔族らしい、合理的思考の攻撃だ。

 『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』という言葉を、彼はこれ以上ないほどに体現していた。

 

「『ライトニング』!」

 

 ひょいざぶろーが、射程に優れる優秀な雷の中級魔法を放ち。

 

「『ライトニング』!」

 

 ―――むきむきの筋肉から放たれた雷が、それを迎撃する。

 

 『筋電位』だ。

 人間の筋肉は、電気によって動いている。

 同時に、心電図という形で日々利用されているように、筋肉もまた動く際に電気を発する。

 電気ウナギの発電法と同じだ。むきむきは筋肉から電気を生み出しているのである。

 

 現在の地球において、電気とはすなわち文明の象徴。

 すなわち今のむきむきは、科学と文明をその身で体現していると言っても過言ではない。

 これにはテスラもエジソンもニッコリ。

 

「……正しい意味で改造人間みたいなやつめ」

 

 紅魔族はかつて魔道技術大国ノイズで作られた改造人間である!

 彼らを改造したノイズは、世界制覇を企む魔王と戦う国である!

 紅魔族は人間の自由と平和のため、魔王軍と戦うのだ!

 ……みたいなノリが、かつて魔道技術大国ノイズにはあった。

 ただ、こんなのが生まれてくるだなんて、設計者は考えもしていなかっただろう。

 

「見てると知能指数が下がりそうになるんですよね、むきむきの技は……」

 

「だよね……」

 

 筋肉の電気を発生させながら突撃してくるむきむきに、ひょいざぶろーは中級の風魔法である風の刃を放つ。

 

「『ブレード・オブ・ウィンド』!」

 

 対しむきむきは足を止め、魔法名を叫びながら手刀を振るい、風の刃だか真空の刃だかよく分からないものを飛ばし、それを相殺した。

 

「『ブレード・オブ・ウィンド』!」

 

 夏場に何も道具を持っていない人間が見せる風物詩が二つある。

 古事記によればその二つは、『シャツをつまんでパタパタやるやつ』と『手をうちわ代わりにして扇ぐやつ』の二つであるという。

 だが手をうちわにしたところで、大した風は来ない。

 ゆえに人は、下敷きで扇いだり、より効率よく風を送れる何かを机の中に探し求めてきた。

 

 むきむきの今の一撃は、そういった『人の研鑽と試行錯誤』の先にある。

 言うなれば、人の技術進化を象徴する一撃であった。

 今の彼ならば、手刀から放つ風でスカートをめくることも、スカートだけを切断してずり下ろすことも、あの子のスカートの中でポケモンを捕まえることも可能。

 それだけのパワーと精密性を、彼は身に付けていた。

 

 防戦に回りがちになってきたむきむきだが、そこでめぐみんのアドバイスが飛ぶ。

 

「むきむき! 私との特訓を思い出して下さい!」

 

「! わかった!」

 

 どうやら、とうとうめぐみんとの特訓の成果を見せる時が来たようだ。

 

「汝、その諷意なる封印の中で安息を得るだろう、永遠に儚く!」

 

 斜め上の形で。

 

「何故詠唱!?」

 

「決まってるでしょう、ゆんゆん。その方が……かっこいいからです!」

 

 ここで先に仕掛けたのはむきむきのはずなのに、無駄で意味の無い詠唱をした分、むきむきの方が少し遅れてしまう。

 

「『ファイアーボール』!」

 

「『ウインドカーテン』!」

 

 夏場に扇ぐ時のように、指を揃えた平手を振るって、むきむきは風の壁を形成。ひょいざぶろーの火球を防いだ。

 

「『ライトニング』!」

 

「天の風琴が奏で落ちる、その旋律、凄惨にして蒼古なる雷! 『ライトニング』!」

 

 今度の技の始動は同時。当然、詠唱の分むきむきが遅れる。

 むきむきは気持ち悪いくらいに舌を速く回して、遅れた分を取り戻す。

 オタクが普段話せないようなことを一般人に話すチャンスを得た時の早口喋り、その数倍の気持ち悪さと速度を実現した詠唱であった。

 顔の前、ギリギリの場所でむきむきの雷がひょいざぶろーの雷を受け止める。

 

「ふっ……これが私の指導を受けたむきむきです。

 詠唱することであの魔法もどきをなんとなく魔法っぽくしたのですよ!」

 

「ねえ、これ詠唱に時間かかってる分弱体化してない?」

 

「いえ、気持ち強くなってますよ。多分」

 

「その『気持ち』って『ちょっと』って意味じゃなくて『精神的には』って意味でしょ!?」

 

 めぐみんの特訓とは、むきむきが使える魔法もどきのオリジナル詠唱を考えさせ、技の前にそれを詠唱させるというものであった。

 めぐみんもむきむきの詠唱センスに最初は期待していなかったが、今では惚れ惚れと詠唱に聞き入っている。

 

「そう……むきむきには、創作詠唱のセンスという才能があったのです!」

 

「それ開花させる必要あったの?」

 

「何を言いますか! 詠唱は大事ですよ大事!」

 

「大根の葉っぱみたいなもんじゃないの!」

 

「おい、大根の葉っぱを要らないものだと思う理由を聞こうじゃないか」

 

 ゆんゆんの修行で地力を付け、自己流で魔法もどきを生み出し、めぐみんとの特訓がそれに詠唱を付けた。

 明らかにめぐみんだけ余計なことをしているが、気にしてはならない。

 ひょいざぶろーもどうやら、中級魔法では無意味と判断したようだ。

 

「加減はするが、本気でかわせよ……『ライト・オブ・セイバー』!」

 

「汝、久遠の絆断たんと欲すれば、言の葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう!」

 

 男が放つは、最優の上級魔法の一つに挙げられる、光の斬撃を飛ばす魔法。

 迎え撃つむきむきは、右手の手刀を左脇に構える。

 そして、左下から右上に切り上げるように、手刀を振るった。

 

 手刀の周囲の大気がプラズマ化し、少年の手刀が光り輝く。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 プラズマを纏ったむきむきの手刀が、ひょいざぶろーの光の斬撃を両断する。

 両断された光は、手刀の光に負けて霧散したようだ。

 筋肉があればなんでも許されると思うなよ、みたいな顔をするゆんゆんであった。

 

「……相殺とまでは行かないが、上級魔法も凌いだか」

 

「これが特訓の成果です。

 魔法使いと認められないのは分かってます。

 本当の意味で皆に仲間と認められないのは分かっています。

 それでも僕は、皆と同じになりたかった。……魔法の、才能がなくても」

 

 やってることは豪快だが、動機は驚くほどに繊細だ。

 "皆と同じになりたい"という願い。"皆と違う自分が嫌だ"という切望。"皆と同じことができれば"という祈り。

 それが、彼の筋肉を魔法の模倣に走らせた。

 

「ふっ、魔法が使えない身で必死に習得した技……

 言うなれば『マッスルマジック』。才無き男の意地、見せてもらったぞ」

 

(勝手に名前付けてる……しかも紅魔族特有の謎ネーミング……)

(勝手に名前付けてる……でも流石お父さん、格好いいネーミングだ)

 

「あ、すみません、名前とかは別に要らないです」

 

「!?」

「!?」

(よかった、やっぱりむきむきはまだ割と普通の人だった……!)

 

 ゆんゆんが生まれや教育に一切感化されない、非紅魔族的なイレギュラーの中のイレギュラー的な感性を持っているように。

 むきむきもまた、里の外の者が持つ感性を持っていたようだ。

 彼の場合は、めぐみんとゆんゆんの中間くらいの感性を持っている程度の話だが。

 

「畜生! 同じ才能無い同士だと思ったのに!

 "魔道具作りの才能ないですね"と言われる俺の気持ちを分かってくれると思ったのに!

 もう知らん! 娘もやらんからな! 帰れ!」

 

「か、完全に本題を見失ってる……!

 いや技の名前が要らないだけですよ。

 そういう風に共感してくださるのは……その……嬉しいです」

 

「!」

 

 ひょいざぶろーに魔道具店を経営する才能は無い。アクセルの街のウィズという女性並みに無い。むきむきの魔法の才能並みに無い。

 そのせいか、こっそり共感を持っていたようだ。

 むきむきが照れくさそうな顔で頬を掻くと、ひょいざぶろーは何やら上機嫌に少年の肩を叩き、何やら話しかけながら、店の中に引き込んでいく。

 

「どうしようめぐみん、むきむきがひょいざぶろーさんに捕まっちゃったけど」

 

「今の内に逃げましょう。そして羽を伸ばしましょう。

 午前中ずっと店番やってて疲れましたし。代わりの店番も見つかりましたし」

 

「!?」

 

 どこぞへと遊びに行こうとするめぐみん。その髪と服を、ゆんゆんが引っ掴む。

 

「最低! 最低! めぐみんを店番から助けようとしたむきむきを生贄にするなんて!」

 

「髪っ! 髪引っ張らないで下さい! ほんの冗談ですよ!

 ちょっと息抜きしたらお土産買って戻りますから! ゆんゆんのお小遣いで!」

 

「そっか、それならよか……え、待って! 最後になんて言ったの!?」

 

 ちなみに、里の中で派手に魔法をぶっ放して、周りに気付かれないわけがないわけで。

 

 四人全員、この後滅茶苦茶族長に叱られた。

 

 

 




 彼女の名はめぐみん。昔は魔王を倒して新たな魔王になる気満々だった少女。原作現在では柿の皮を捨てず再利用する方法を熱く語っている少女―――


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1-3-1 むきむき、六歳だがロクなことがない

「アクセルのあたりじゃ私を六位だと言っている男もいるが、とんでもない! 私は一位なんだよ」

ダクネス「めぐみん、私は去年何位だった?」
めぐみん「一位です」
ダクネス「今年は何位だ?」
めぐみん「(アニメ効果もあるし多分)一位です」
ダクネス「よしんば、私が六位だったとしたら?」
めぐみん「世界……一位です」
ダクネス「よし!」


 めぐみんとゆんゆんの学校通いが始まった。

 魔法が使えないむきむきは通えないため、必然的に三人が交流を深める時間も減っていく。

 むきむきが労働に励む時間は、以前のものに戻ったようだ。

 

 この学校は、魔法使いを育てる学校だ。

 魔法を習得した時点で卒業となるため、全員が上級魔法職のアークウィザードになることができる紅魔族は、ここでまず上級魔法を覚えてから卒業していく。

 下級生であれば知識を詰め込み、上級生になれば成績優秀者から順に魔法を習得する助けとなるスキルアップポーションを用い、立派な魔法使いとして育成されていく。

 上級生であれば紅魔族の大人が周辺の森の強いモンスターを一掃した後、残った弱いモンスターを教師が手足を氷漬けにして生徒にトドメを刺させる、という形で経験値を稼がせる。酷い。

 これが紅魔族である。

 

 この学校通いに加え、めぐみん宅にはもう一つ変化があった。

 めぐみんの両親であるひょいざぶろーとゆいゆいの間に、もう少しで第二子が誕生するらしい。

 つまり、めぐみんはお姉ちゃんになるというわけだ。

 弟か妹が出来ると聞いてからのめぐみんの張り切りようはめざましく、かつ微笑ましく、姉としての振る舞いを本で勉強し始めるほどであった。

 ゆんゆん曰く、"姉になると分かってから急速に面倒見の良さが芽生えた"とのこと。

 

 一方その頃、むきむきは。

 

「学校、頑張ってね」

 

 寂しいな、とも本音を言うこともなく。

 僕も一緒に学校行きたかったな、と言うこともなく。

 どこか寂しそうな顔で、むきむきはいつでも二人を応援していた。

 ゆんゆんもめぐみんも、それぞれ違う方面で鈍い少女である。だが、ゆんゆんは生まれ持ったぼっち属性から、目ざとく何かを感じ取っていた。

 

(魔法を使う才能が無いことを悩んでるのかな?)

 

 当たらずとも遠からず。

 "その問題を解決すれば大体どうにかなる"という意味では大正解。

 そんなわけで、ゆんゆんのややズレた奮闘が始まった。

 

「と、いうわけで。原因を考えてみればいいと思うのよ」

 

「はぁ。つまりは、ゆんゆんの思いつきというわけですか」

 

「ゆんゆん……そこまで考えてくれてるなんて……! ありがとう!」

 

「と、とと、友達だもの!」

 

「どもらず『友達』と言うこともできないのですかあなたは? まあ学校でも友達居な……」

 

「めぐみん、それ以上口を開くようならその口を縫い合わせるわよ」

 

 ゆんゆんが話し合いの場所として用意したのは学校の図書室。

 目的として用意したのは、『むきむきの抱えている問題の解消』。

 資料として用意したのは、この図書室の本である。

 

 紅魔族の歴史上、むきむきのような存在が生まれた前例はない。

 ならば、そこには理由があるはずだとゆんゆんは考えた。

 突然変異にしても、むきむきはあまりにもかけ離れすぎている。

 黒髪の民族に突如金髪が生まれることはない、ということだ。

 

「更に今回は、数年前に里の大人がむきむきについて話し合った内容。

 その内容のメモ。その内容に対する考察。

 そういうのを里の大人から聞いてきたの!

 これで私達の考えが変な方向に行くことはないと思うわ。凄いでしょ?」

 

「ほう、ゆんゆんにしては手際が良いですね。

 いや良すぎる。ゆんゆんが里の大人に一人で聞けるわけがないですし」

 

「族長さん経由じゃないかな、めぐみん」

 

「……ああ、なるほど。

 ゆんゆんが一人で考えていたのを族長が発見。

 族長が気を利かせて当時の話の内容を収集。

 ゆんゆんに渡した、という流れですね。

 基本話しかけられるのを待っているだけなのがゆんゆんですし」

 

「わあああああああ!!」

 

 ゆんゆんがめぐみんに掴みかかろうとし、めぐみんがむきむきの影に隠れ、結果的にむきむきがめぐみんを守る壁となる。

 

「ぐっ……お、抑えて私……! 話を、先に、進めましょ」

 

 大人達曰く、むきむきは生まれた直後から急速に大きくなっていったらしい。

 太く長く成長して伸びていく骨格。毎日鍛えているわけでもないのに付いていく太く密度の高い筋肉。それらを万全に動かす神経系統、内臓器官、高性能な血液と細胞、強靭強力な肺と心臓。

 そんな彼は、早くから里の話し合いの対象になっていたようだ。

 

 当時の話し合いの記録によれば、原因と考えられたのは

・紅魔族の魔力吸収体質

・0に近い魔法適性

 の二つであるらしい。

 

 紅魔族は改造人間の末裔だ。そのため、性能を引き上げるためとんでもない体の仕組みを持っている。

 その一つに、"寝ている時に急速に魔力を吸収する"というものがあった。

 

 紅魔族は膨大な魔力を持つ。

 魔力を使い果たしても、一度寝れば魔力はほぼ全回復する。

 彼らは寝ている間に、周囲から急速に魔力を吸収するようになっているのだ。

 ……それこそ、魔力の自然放出が下手な子供だと、吸収し過ぎで「ボンッ」と自爆してしまうことがあるくらいに。

 昔この世界を旅していた転生者の一人はそれを聞き、紅魔族に「お前ら中国製品だったの?」とか言ったとかなんとか。

 

 このため、紅魔族は子供の内は『紅魔族ローブ』というものを身に付けて寝なければならない。

 でなければ翌朝には北斗の拳の秘孔を突かれたモヒカンのようになってしまう。

 大人達は、ここにむきむきの特異な体の原因を見た。

 

―――つまり、むきむきは魔力容量が非常に低いんじゃないか?

 

 魔法の才能がないということは、魔力が少ないということ。

 魔力が少ないということは、体内に留めておける魔力の量が少ないということ。

 体内の魔力容量が少ないということは、すぐ「ボンッ」となるということだ。

 幼い頃の紅魔族ローブを付けていない時、多少ウトウトした時でさえ、彼の体は自爆の危険に晒されていたのかもしれない。

 そこで大人達は仮説を立てた。

 

―――むきむきの体格と筋肉は、その状況に適応したものなんじゃないか?

―――つまり、あの筋肉は魔力タンクで放熱板なんだ。

―――体内の魔力が許容量を超えると、超過分を筋肉が溜め込む。

―――筋肉が体内の魔力を吸い上げて、体外に放散する。

―――そうすればボンッとなることもない。

―――あの肉体は、命の危機に対して肉体が起こした、防衛的急成長なんじゃないか?

 

 紅魔族の改造された体が、命の危機に対応して進化したのではないか、と。

 

―――まあ所詮仮説だ。証拠はないし、むきむきの体を調べた結果立てた推測でしかないな。

 

 そうは言うものの、妄想好きで厨二設定好きな紅魔族のダメ大人達は、この厨二感あふれる設定が事実であると確信していた。その方がかっこいいからだ。

 

「―――っていう話になったらしいの」

 

「いかにも紅魔族らしい、頭のいいバカ感がありますね」

 

「めぐみん、バカとは言っちゃいけないと僕思うんだ」

 

 地味にこの中で一番里の大人に敬意を払っているむきむきが、めぐみんを珍しくたしなめる。

 

「ですが分かりましたよ。真実とやらがね」

 

「え? めぐみん、仮説じゃなくて事実が分かったの?」

 

 ふふふ、とめぐみんが不敵に笑う。

 

「いずれ最強の魔王として君臨するやもしれぬ私の部下となるべく生まれてきた。

 あるいは、我が前世である破壊神の最強の部下が転生したものか。

 くくくっ、血が滾りますね……既に私は最強の右腕を得ていたというわけですか……」

 

 紅魔族節全開のめぐみん。

 友人に平然と厨二設定を盛っていくめぐみんを、ゆんゆんは冷めた目で見ていた。

 

「めぐみんの前世がアリで、むきむきはそれを踏み潰しちゃったのかもね。

 だから今生ではこんな罰ゲーム食らってるのかも。

 だからめぐみんは同年代よりちっちゃくて、むきむきはめぐみんより大き―――」

 

「なんてことを言うんですか!? はっ倒しますよ!」

 

 めぐみん母の「うちは代々色々小さい家系だから諦めなさい」という言葉がめぐみんの脳裏に蘇る。苦痛と絶望の言葉であり、親からの揺るぎない保証である。

 小さいねー、なんて言われたならば戦争だ。

 

「その手の爪全部剥がすっ!」

 

「待ってめぐみん普通に怖い!」

 

 あわやバトル開始か、と想われたその時。

 止めようとしたむきむきに先んじて、めぐみんとゆんゆんの間に割って入る人影があった。

 

「どうどう、なぐみん、ゆんゆんをなぐなぐするのはやめたまえ」

 

「誰がなぐみんですか! って、あれ?」

 

「あるえ? あ、そっか。あるえは本の虫だったっけ」

 

 割って入った少女に、めぐみんとゆんゆんは見覚えがあるようだ。

 なのだが、むきむきには見覚えがない。

 少女は二人が落ち着いたのを確認してから、ポーズを取ってむきむきに語りかけた。

 

「私はあるえ。紅魔族指折りの小説好きにして、いずれは上級魔法を操る者」

 

「これはご丁寧に。我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者です」

 

「君が噂に聞く彼か。……え、本当に私の一つ歳下?」

 

 身長211cmッ! 体重250kgッ! 六歳ッ! 成長期ッ!

 

「よし決めた。君の呼び名はジャイアンだ」

 

「今『ジャイアント』から凄い安直にあだ名を決めたね?」

 

「冗談だよ。むきむき君」

 

「真顔で冗談言うタイプの人には初めて会ったなぁ……」

 

 オシャレ眼帯。同年代と比べても早く成長している体。中性的な喋り方。真顔でのジョーク。この少女も、大概キャラが濃い。

 

「あるえじゃないですか。むきむき、あるえは私達のクラスメイトですよ」

 

「クラスメイト……いつもめぐみんとゆんゆんがお世話になっております」

 

「お世話はしてないよ。からかうことはあるけど」

 

「え!?」

 

「今君にしているみたいなことさ。分かるだろう?」

 

「……はい、すごくよく分かりました」

 

 むきむきの顔が少し赤くなり、あるえがくすくすと笑う。

 冗談を平然と口にできるタイプのあるえは、むきむきの天敵になり得る少女のようだ。

 

「からかったお詫びに、一つ助言をしてみよう。か細い希望だけれども」

 

 そうしてあるえは、唇の前に人差し指を立て、ゆんゆんやむきむきが気付いていなかった、めぐみんが気付いていたが口にしていなかった可能性を、口にした。

 

「今の話を聞いた分には、レベル上げでどうにかなる可能性はあるんじゃないかな。

 レベルを上げれば知力と魔力が上がる。ウィザードにはなれるかもしれないよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 里の外の森。

 里に近く、何かがあればすぐ里の大人が駆けつけて来れる距離にある森だ。

 学校の子供が先生に引率されレベル上げをしていたり、残念な美女がかっこいい木刀でかっこいいポーズを取る練習をしていたり、ストーカーニートがその美女の後をつけていたりする光景が見られる場所でもある。

 

 むきむき、めぐみん、ゆんゆん、そして付き添いで来てくれたゆんゆんの母の四人が、この森にやって来ていた。

 めぐみんは、無知なむきむきに一つ一つ知識を教えている様子。

 

「全ての生き物には、『魂の記憶』があるとされています」

 

「魂の記憶……」

 

「これが俗に言う『経験値』であり、敵を倒すことで我々が取得するものです」

 

 めぐみんとむきむきは並んで歩いている。

 太い木の根が地面から飛び出ている所があり、むきむきはめぐみんに手を差し出し、めぐみんはその手を取って、跳ねるように木の根を飛び越えた。

 

「経験値は肉体にも残ります。

 経験値が残りやすい動物の肉を食べれば、経験値を得ることができる。

 生きのいい野菜の炒め物を食べれば、経験値を得ることができる。

 最上級の生物であれば、その血はスキルアップポーションになる。

 倒して、食らう。そうすることで我々はレベルを上げることができるわけです」

 

 少し離れた場所でゆんゆんが転びそうになり、むきむきが手の平をブンと振るうと、発生した突風が倒れかけたゆんゆんの体を押し戻す。どうやら転倒は防がれたようだ。

 めぐみんが親指を立て、むきむきもそれに合わせて親指を立て、何が起こったのか把握できず混乱しているゆんゆんもとりあえず親指を立てる。

 

「とりあえず物は試しです。

 スキル取得にはカードが必要ですが、後回しにしましょう。

 今日はとりあえず、慣らしのレベル上げ体験というやつです」

 

「レベルを上げたら本当にどうにかなるのかな?」

 

「あるえの言う通り、可能性はあるでしょうね。

 レベルが上がると、知力や魔力も上がります。

 沢山レベルを上げればもしかしたら、程度の話ですが」

 

 むきむきとゆんゆんは素直に希望を信じているが、ややリアリストのきらいがあるめぐみんは、これが無駄な作業であると理解していた。

 

 この世界において、"普通は見えないもの"を可視化する技術は非常に高い。

 ギルドに行き、冒険者になろうとする人間が調査用の水晶に触れれば、一瞬でその人間の能力や資質が可視化されるだけでなく、前科等までもが読み取られるという。

 この世界は魔法等のスキルを習得する方法がスキルポイント制であり、スキルを覚えるための職業選択はステータスの数値基準で決められるという、かなりシステマチックな世界だ。

 が、資質が無い者はスキルの習得が困難・不可能であるようになっており、当然ながら"ステータスが足りないから"の一言でなりたいジョブを得られない者も居る。

 

 で、あるからして。この世界において、事前の資質調査は非常に重要だ。

 ましてやここは、魔法に関しては世界一と言っていい紅魔の里。

 そこで『魔法の資質が一切無い』と断言されたのだ。

 むきむきが魔法を使える可能性は、彼が望む形でこの里に迎え入れられる可能性は、極めて0に近いと言っていい。

 

(無駄だと思っているというのに……何故私は、こんな無駄なことに付き合ってるんだか)

 

 無駄だと思っているくせに、言わない。

 時間の無駄だと知っているくせに、うきうきして動き回っているむきむきとゆんゆんを時折からかうだけで、二人から期待と希望を奪うことはしない。

 何故言わないのか、めぐみんは自分でもよく分かっていなかった。

 

(私らしくもない)

 

 言うべきことはズバズバ言うのが自分だろうに、と思うも、目を赤く輝かせているむきむきを見ていると、どうにも現実で希望を打ち砕く気が失せてしまう。

 ふと視線を横に泳がせると、そこには「全部分かってますよ」という感じの顔で、めぐみんを微笑ましそうに見守っているゆんゆん母が居た。

 めぐみんは恥ずかしそうに、親から貰った大きめの魔女帽子を深く被って目元を隠す。

 

「めぐみん、足元よく見ないと転ぶよ?」

 

「転びませんよ。ゆんゆんじゃあるまいし」

 

「!?」

 

 それから数分後。

 ゆんゆん母に引率された子供三人は、森の中で二匹の熊を発見した。

 

「あら、一撃熊……まだ残ってたのね。この前森の一撃熊は絶滅させたと思ったのに」

 

「ゆんゆん、ゆんゆん、あなたのお母さんが物騒なこと言ってますよ」

「聞こえない聞こえない」

「一撃熊……? 僕はあんまりモンスターのこと知らないんだよね」

 

 一撃熊。

 紅魔の里の外ではその攻撃力の高さから一撃熊の名に納得され、討伐報酬300万エリス(日本円にして300万円)というかなり高い賞金がかけられている強敵だ。

 紅魔の里の一部では、大人が魔法を撃つと必ず一撃で死ぬために一撃熊の名に納得され、子供にとっては危険だが強い紅魔族にとってはそうではない経験値カモとして知られている。

 

「子供にはまだ危険だから、あなた達は……」

 

「むきむき、GO!」

「行ってきます!」

 

「ちょっ!?」

 

 ゆんゆん母が子供達を下がらせようとしたその時には既に、めぐみんがむきむきを突撃させていた。そして、1ハクオロ(ハクオロさんが女性といいムードになってから1ラウンド終了するくらい)の時間が過ぎる。具体的にはクリック五回分くらい。

 

「はい、仕留めてきました!」

 

「瞬殺ぅ……!」

 

 出会い頭のワンパンで熊の頭部が粉砕され、吹っ飛んで行った頭蓋骨が木に刺さる。

 残った熊はむきむきのローキックで両足が根本から千切れ飛び、手刀二連で両腕が肩口から切り飛ばされていた。

 むきむきはトドメは刺さず、なおも暴れる一撃熊の腹部を何度も踏んで大人しくさせ、両手足喪失と内臓破裂で動かなくなった熊のうなじを掴んで友達の前にまで持っていく。

 

「え、なんで持って返って来たんですか?」

 

「ゆんゆんとめぐみんにも経験値あげないと、って思って。

 ……ほら、その、皆でおそろいのレベルがいいなーって思ったんだけど、駄目かな?」

 

 むきむきは照れた様子で微笑んで、そんなことを言う。

 女性陣三人はドン引きであった。それが善意であると分かっていても、ドン引きであった。

 日本で例えるならば、"友人がネットでエロ小説を書いているのを知らず、喘ぎ声パートを書いている友人を偶然見てしまった時"くらいにドン引きしていた。

 

「さ、トドメを!」

 

「……」

 

 むきむきは基本的に心優しい。

 が、そこまで頭がよろしくない。俗に言うところの『脳筋』のフシがある。

 その上天然だ。脳筋で天然という合わせ技とはこれまた酷い。

 

 子供は基本的に大人の行動を見て学び、大人の真似をするものだ。

 むきむきも例外ではない。紅魔族の大人が魔法でモンスターの手足を凍らせ、弱い仲間にトドメを刺させる光景を何度も見てきた。その結果が、これである。

 脳筋、天然、暴力、環境。

 結果生まれたのは、手足をもいだモンスターを笑顔で、花束のように女の子に渡す男の子。

 こわい。

 

「正直、ちょっと引きます。気持ちは嬉しいですが」

 

「ごめんねむきむき。これはめぐみんが正しいよ」

 

「ええ!?」

 

 二人に控え目にたしなめられるむきむき。むきむきはゆんゆん母に目で助けを求めるが、ゆんゆん母はむきむきが真似をした大人の一人であるのに、しれっと言う。

 

「今日からばきばき君に改名する?」

 

 むきむきは泣いた。

 盛大に泣いた。

 心から泣いた。

 

 ゆんゆん母も後に二人の執拗な口撃に泣かされました。

 

 

 




 なぐみんちゃんとばきばき君。これは血の雨が降りますね……


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1-4-1 七歳むきむき、馬謖の如く山を登る

 個人的な考えですが、紅魔族ネーミング基準だと『むきむき』って女の子っぽい名前な気がします。女性が「ゆんゆん」「めぐみん」で男が「ぶっころりー」「ひょいざぶろー」ですからね
 紅魔族において『むきむき』は「カオル」とか「レン」とか「小野妹子」とか「カミーユ」みたいな響きの名前なんだと思われます


 どうやら、紅魔の里の外で唯一魔王軍と戦える国・ベルゼルグが滅びそうになっているらしい。

 なんでも、魔王軍の主戦力が王都の最終防衛ラインを突破したとか。

 王族が飛び出して魔王軍幹部を除くリーダー格の半分を斬首戦術で仕留めたため、なんとか国は滅びなかったらしいが、とにかく大変なことになっているらしい。

 

 そこで、族長がいくらか大人達を連れて一泊二日の魔王軍退治に行くということになった。

 仕事が休みの大人、農繁期が過ぎた農家の大人、ちょうど予約の仕事が終わった靴屋の親父、里の外に買い物に行きたいお姉さん、暇を持て余しているニートなど。

 (忙しい人間を除外したという意味で)選び抜かれた戦士達が族長の下に集う。

 かくして、彼らはテレポートで王都へと旅立った。

 

 そうなると困ったのがゆんゆんである。

 族長とその妻が王都に行ってしまえば、流石にゆんゆんの面倒を見る人物が必要になる。

 そこで「ゆんゆんが友達の家に泊まらせてもらえればいいんだけど」という母の言葉に、「私友達沢山居るから大丈夫だよ」と見栄を張ったのが不味かった。

 沢山(三人以上居るとは言ってない)。

 沢山(貧乏家と孤児の家しかない)。

 選択肢は無いに等しく、ゆんゆんはめぐみんの家にお世話になる運びとなった。

 

 鍋の前に座るひょいざぶろーと、生まれたばかりのめぐみんの妹・こめっこを抱えているゆいゆいが、緊張した面持ちのゆんゆんを迎え入れていた。

 

「族長の娘さんがうちに泊まりに来るとはな」

 

「自分の家だと思ってゆっくりしていっていいのよ?」

 

「は、はいっ!」

 

 そうして、ゆんゆんは知りたくなかった現状を知った。

 

「こんばんわ、ひょいざぶろーさん、ゆいゆいさん。あ、これ食材です」

 

「ようこそむきむき! 今日も才能を見る目がない里の連中のこととか語り合おう!」

「ようこそむきむき君! 今日も沢山食材持って来てくれてありがとうね!」

 

 山盛りになった食材を抱えたむきむきが、めぐみん宅を訪問し、ゆんゆんも居る晩御飯の席に招かれていたのだ。

 むきむきは七歳相応のほわっとした笑顔を浮かべ、歓迎されたことを喜び、いそいそと慣れた様子で席につく。

 ゆんゆんにも、なんとなくそんな予感はあったのだ。

 彼女がここに来た時から席が四人分用意されていて、ゆんゆんのために一つ席を追加した時点で変な予感はあったのだ。

 

 目が死んでいるゆんゆんが、もぐもぐ鍋を食うもぐみんと化しためぐみんに話しかける。

 

「……なんでむきむきが居るの?」

 

「うちが貧乏なのは知ってますよね?」

 

「うん、知ってる。だから少し高いお土産持たされたんだけど……」

 

 一回泊めさせてもらう分と、一回晩御飯を食べさせてもらう分。その代金というほど露骨なものではないが、ゆんゆんも割と高いお土産を買ってきていた。

 だが今のゆんゆんの目は死んでいる。どのくらい死んでいるかと言えば、高い高いお土産を渡す気が失せてしまうくらい、目が他界他界していると言っていいだろう。

 

「つまり仕事に穴は空けられないわけです。

 私にも学校があります。両親は仕事をしないといけません。

 なので、赤ん坊のこめっこの面倒を見てくれそうな人が必要でして」

 

「うんうん、それで?」

 

「むきむきがそれ引き受けてくれまして。

 家で面倒見てくれたり、こめっこ背負って畑耕してたり、こめっこにご飯あげてくれたり」

 

「ほうほう、それで?」

 

「その流れで『礼も受け取らずに帰るつもりですか?』と私が引き止めるようになりまして。

 とりあえず簡単なご飯なら私でも作れるわけですし。

 それでむきむきがうちで晩御飯食べていくようになりまして。

 そうしたらむきむきが申し訳なさそうに食材持ってくるようになりまして、両親が喜んで」

 

「……うん?」

 

「次第に両親がむきむきを家に招くようになりまして。

 むきむきが毎回持って来てくれる食材のお陰でうちの台所事情と懐事情が劇的に改善しまして」

 

「ちょっと待って」

 

「次第に私やこめっこが空気になるレベルで両親がむきむきを……」

 

「ちょっとぉ!」

 

 むきむきは面倒臭い子だ。一人で生きていける能力があり、紅魔族らしく早熟な知性があって、早くに亡くした家族に未練が有り、大人が差し伸べた手を取らず、寂しがり屋である。

 このむきむきの面倒臭い感じが、この貧乏家庭の特性と見事マッチしてしまったようだ。

 

 むきむきは食材を持ってくる。めぐみん家の財政事情がちょっとだけ改善する。

 むきむきは家族の暖かみを疑似体験できる。『新しい家族』を受け入れられないくせに寂しがり屋なむきむきが、心救われる。

 誰も損をしてない。誰もが得をしているだけだ。

 

「前からむきむきは昼笑って夜泣いてる感じがありましたからね。

 私の腹は満たされる。むきむきの心も満たされる。言うことなしです」

 

「いいの!? これ本当にいい関係なの!?」

 

 なのに、ゆんゆんは違和感が拭えない。

 なんだろうか、この。

 Win-Winなのに、体よく利用されている感が拭えないのは。

 巻き上げられているのが食材費だけで、大人の手伝いで生活費を得ているむきむきの財布が大して痛んでいないのが、唯一の救いか。

 

(いけない……この関係は……なんかいけないっ……!)

 

 友情も優しさもあるが図太さと図々しさでそれを脇に置いておけるもぐみん。

 めぐみんに対し、彼氏にフラれて落ち込んでいたところにイケメンに慰められコロッといってしまったヒロインのような好意の抱き方をしてしまっているむきむき。

 "放っておいたら大惨事になる気しかしない"と、ゆんゆんは戦慄する。

 

(私がしっかりしなくちゃ! あの二人より、私の方がしっかりしてるんだから!)

 

 ばっちり上手くやらないと、とゆんゆんは自分に言い聞かせていた。

 

 

 

 

 

 そして翌日。ゆんゆんは早くもぼっちり下手を打っていた。

 

「はぁー、弟が病気になっちゃったー!

 どうしよう、あたしの友達のどどんこにゆんゆん!

 このままじゃ、うちの弟の病気のせいでにっちもさっちもいかなくなってしまう!」

 

「大変! これ私のお小遣いだけど受け取って、ふにふら!」

 

「わ、わわっ、じゃあ私のお小遣いも持って行って、ふにふらさん!」

 

「「……」」

 

「え、二人共どうしたの?」

 

「いや、その」

「ねえ……」

 

「え? え?」

 

「い、今はいいよ、ゆんゆん。気持ちだけ受け取っておくから」

 

「そ、そうだよ! 私の分だけで今は大丈夫なはずだよ、多分!」

 

 彼女はふにふら。ゆんゆんとめぐみんの同級生で、紅魔族随一の弟想いの少女。

 彼女はどどんこ。同じく彼女らの同級生で、紅魔族屈指の無個性の少女だ。

 この実写版デビルマン級の演技による小芝居を見れば分かるように、哀れな境遇役をふにふらがやり、どどんこがサクラをやることで、金目的で友達付き合いをしているゆんゆんから金を巻き上げようとしている少女達だ。

 が、どうやら予想以上にいい子で、予想以上にチョロく、予想以上にさっと金を渡してきたゆんゆんに、良心がないでもない二人は腰が引けてしまったようだ。

 

 ちなみにゆんゆんから金を巻き上げようとしていたのも本当で、弟の病気にお金が必要で困っているというのも本当で、ゆんゆんのあまりのチョロさにちょっと気が引けたのも事実である。

 明日以降ならゆんゆんから金を巻き上げることもできるかもしれないが、腰が引けてしまった今日はどうやっても金を巻き上げる気になれない様子。

 世の中にはカツアゲは出来ても人を殴ることはできない不良が山ほど居ると言うが、彼女らはそれを数段マイルドにしたタイプのようだ。

 

「そう? でも、困ったら遠慮なく言ってね!

 あ、でも、友達の間でこういうお金のやり取りって大丈夫なのかな……

 むきむきも人助けはいいことだ、とも言ってたけど、お金はトラブルの元になる、とも……」

 

「いやいや、助かるから、くれるならくれるだけ嬉し―――」

 

「へー、ふーん、ほー」

 

 哀れゆんゆんは将来的に壺を買わされるような大人になるルートに進んでしまうのか、と思われたその時。呆れたような、バカにしたような、そんな少女の声が響いた。

 

「いやあ、ゆんゆんはいい友達が作れてるみたいですね」

 

「? この声、めぐみん? あんたには関係……」

 

 そして、振り返ったふにふらとどどんこは目を疑う。

 

 その日、二人は思い出した。

 奴らに支配されていた恐怖を。

 鳥籠の中に囚われていた屈辱を。

 

「ヒエッ」

「ヒエッ」

 

 そこには2mを超えるあまりにも大きな巨人が立っていて、その右肩にめぐみんが乗っていた。

 

「なにそれ、巨人!?」

 

「私の弟分ですよ」

 

「弟分……? 身長めぐみんの倍近くありそうじゃない……?」

 

「これでも一つ歳下ですよ」

 

「!?」

 

 めぐみんを優しく地面に降ろし、むきむきはポーズを取って名を名乗る。

 

「我が名はむきむき。ゆんゆんとめぐみんの友たる者……どうぞよろしく」

 

「こ、これはご丁寧に。我が名はふにふら――」

「わ、我が名はどどんこ――」

 

 自己紹介、以下省略。

 二人はすっかりむきむきの巨体に圧倒されてしまっていた。何せ、この年頃の少女の身長であれば、首が痛いくらいに見上げなければ近くでは顔さえ見えないのだ。

 その身長比と戦闘力比は、実にゴジラ(100m)とマグロ食ってるやつ(60m)に匹敵する。

 

「あ、そうださっきの話! むきむき、めぐみん、聞いて!」

 

「さっきの話? ……あっ」

「お金の話の前? ……あっ」

 

 ゆんゆんの発言に、ふにふらとどどんこが何かを察する。

 筋肉色の覇気に気圧されて二人の反応が遅れたのが、ここで変な展開に繋がってしまった。

 

「むきむき、私達をあの山まで運んで! 薬草を探しに行かないと!」

 

「承知!」

 

「え、なんで私まで巻き込まれてるんです? あ、ちょ、待っ」

 

 ゆんゆんとめぐみんを抱えたむきむきが疾走する。

 その速さたるや、族長宅で三人分の上着を回収して里を出るのに一分もかからないほどの速さであった。

 

「あっ」

 

 あっ、と言う間もなく。三人は山へと向かって走っていってしまった。

 

「さっきの話、って……」

 

「……弟の病気を一発で治せる薬草が、あの山に生えてるって話だよね……」

 

 紅魔の里の北には、霊峰ドラゴンズピーク。

 北西には、魔王城の魔王の娘の部屋が覗ける展望台バニルミルドがある。

 "全てを見通す"と言われるその展望台の南西には、希少な薬草が生える山々があった。

 

 そこまで険しい山でもなく、氷雪系統の精霊が好む土地であるため年中雪が降り、ある程度の寒さが年中持続し水もあるため希少な薬草が生息している山だ。

 凶暴なモンスターも生息しておらず、何もできない子供だけで入れば危険な場所だが、魔法が使える大人であれば近所の庭感覚で行ける場所でもあった。

 魔法薬に加工する時に逃げ出すことで有名なマンドラゴラの根等も、ここで一定量ながら確保できるという。

 

 つまり二人は、ここにある希少な薬草を回収すればふにふらの弟の病気が治るのに、という話をゆんゆんとしていたわけだ。

 二人からすれば、族長の娘であるゆんゆんがこの話題を耳にして、族長の娘として族長や他の大人にそれとなく話してくれることを期待していたのである。

 そうすれば、自分達が何か頼むより効果的に、善意で動いてくれる大人が取って来てくれる可能性が高いと思ったからだ。

 

 なのに、予想は大外れ。

 子供三人だけで山に突撃して行ってしまった。

 

「どうしよう!?」

 

「大人にちゃんと話すしかないでしょ! お金巻き上げとかそこら辺は伏せて!」

 

「でも山に行かせる原因になったってことで怒られるかもよ!?」

 

「仕方ないでしょ! あいつらが雪山で遭難するよりはマシよ!」

 

 この二人は善良と言うには程遠く、いい子と言うには善性が足りず、子供特有の出来心で動いてしまうところがあるが……それでも、悪人ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 厚着した三人が、はらはらと雪が降る雪山を進んでいく。

 歩いているのはむきむきだけだ。めぐみんは彼の右肩、ゆんゆんは彼の左肩に乗っている。

 めぐみんはやる気なさげに雪景色を眺めていて、ゆんゆんは地図を片手に道案内をしているようだ。

 

「なんというか、むきむきって体温高いですよね。

 その上めっちゃ体が大きいからなんか普通にあったかいんですが」

 

「むきむき、歩きづらくない?」

 

「膝と足首の間くらいまで、雪の中に足が沈んでるかな」

 

「それ普通に歩けないんじゃない!? あ、三人分の体重だから余計に沈み込んでる……?」

 

「いや大丈夫大丈夫。水の上よりは走りやすいと思う」

 

「そっか、水よりは雪の方が硬いもんね……ん?」

 

 むきむきが周囲を見渡せば、こんな雪の中でも悠然と立っている大木や、雪の合間に生えている草、雪をどけている岩の周囲に生えている苔、雪の上を走り回る小動物が見える。

 どんな世界であっても、命は力強い。

 この世界の命は、他の世界の命と比べてなお力強い。

 こんな白銀の世界の中でも、立派に命の連鎖が構築されているようだ。

 

「ゆんゆん、僕詳しくないんだけど、その草ってのはどんなのなの?」

 

「この山の山腹のどこかに、『なんJ』という草が生えてるらしいの」

 

「なんJ? 変な名前ですね」

 

「昔、里に来た旅行者さんと里の大人が一緒にこの山に採取しに来たらしいわ。

 その時"草生えてる"という里の大人の人の言葉に対して、その旅行者がこの草の名前を……」

 

「呼んだ、と。なんだか里の内のネーミングとも、外のネーミングとも違う気がしますが」

 

 雪山とか草生えるわ。

 

「そろそろ休憩しましょうか、むきむき」

 

「ん、ごめんね、寒かった?」

 

「いえ、私達は体動かしてませんが、むきむきは動き詰めですし。

 気付けない疲労を抜くためと、後はそろそろお昼ごはんの時間ですから」

 

「それめぐみんがお腹減ったってだけじゃないの……?」

 

 むきむきは即落ち二コマ並のスピードでかまくらを作成。そうして僅かな時間で完成されたかまくらの中に、その辺から拾ってきた木の枝を入れ、火を入れる。

 

「我焦がれ、誘うは焦熱への儀式、其に奉げるは炎帝の抱擁―――ファイアーボール!」

 

 圧縮された熱が一発目で水分を飛ばし、二発目で火をつける。

 

「おー寒い寒い。今日もうちで鍋の予定でしたが、まあこっちで食べてもいいでしょう」

 

「……めぐみんまさか、むきむきが背負ってた荷物って……」

 

 どうやらむきむきが背負っていたリュックサックの中に、めぐみんとむきむきのお昼になる食材と鍋が入っていたようだ。

 万が一に備えめぐみんの両親の分まで入っていたようで、ゆんゆんが食べる分も問題ない。

 かくして、ファンタジー異世界でかまくらを作り鍋を食べる改造人間達という構図が出来た。

 

「ほぁ~、生き返るぅ……」

 

「ちょ、めぐみん、口とは裏腹に食べるの早い!」

 

「のろまは死ぬ。それが鍋の世界の掟です」

 

「じゃあそういう異世界にでも行ってなさいよ!」

 

「はいゆんゆん。肉取っておいたよ」

 

「あ、ありがとうむきむき。でも、めぐみんに皿の肉を取られた時は怒っていいのよ……?」

 

 もぐみんは鍋だけではなく、むきむきの皿やゆんゆんの皿からも食べたいものを奪っていく暴君である。

 むきむきが鍋奉行として定期的に具と汁を補充し、時折外に出てウサギや美味い野草を追加してくれていなければ、ゆんゆんは空腹でこの後の捜索をしなければならなかっただろう。

 何もしていないくせに飯はよく食う、そのくせ居るとなんとなくトラブルと打開策がセットで見つかる気がしてくるのが、とてもめぐみんらしい。

 

「モンスターにも会ってないし、順調ね」

 

「そりゃそうですよ。

 ここで危険なモンスターと言ったら、冬将軍系しか居ません。

 それも冬に雪精を狩りでもしなければ、出て来ることはないでしょう」

 

「あれは元締めの大精霊だから、どこにでも現れるもんね……」

 

「冬将軍……?」

 

「むきむきは知らないんですか?

 雪精と呼ばれるモンスターを狩ると現れる、極めて強力な大精霊ですよ。

 精霊は決まった形を持たない、人の思念の影響を受ける存在です。そうですね……

 魔力の塊が人のイメージした形で独自の意志を持って動いている、と考えればいいですよ」

 

「ふむふむ」

 

「そのせいで、とんでもなく強いんだって。

 紅魔族の魔法もほとんど効かないらしいわよ?

 素で強くて魔法防御力も高いから、紅魔族の天敵みたいなモンスターなのよ。

 里の外の人達も中々倒せないから、攻撃的なモンスターでもないのに懸賞金が二億もあるの」

 

「二億エリス!」

 

 二億エリス(日本円にしてうまい棒二千万本分)の懸賞金に、むきむきは驚く。

 こちらから何もしなければ何もしてこないのが冬将軍だが、それでも二億という懸賞金がかけられているということは、とてつもなく強いということなのだろう。

 

「二億……」

 

「めぐみん、なんで二億の部分だけ繰り返したの? 今その目は何を見てるの?」

 

「めぐみん、二億欲しい?」

「ええ、欲しいですね」

 

「待って! お金に目を眩ませて崖に向かって突っ走って行かないでめぐみん!」

 

「……」

 

「何も言わないのは一番不安になるからやめてー!」

 

 ゆんゆんは、めぐみんにいつ爆裂するか分からない爆弾のような印象も持っている。

 

「まあ、冗談はさておき」

 

(本当に冗談だったのかな……)

 

「紅魔族は望めば修行の一環で里の外に旅に出るじゃないですか。

 危険なことなんて多かれ少なかれ、そこで体験すると思うんです」

 

「……それは、そうだけど」

 

「めぐみんは魔法を覚えたらすぐに外に行く気なのかな?」

 

「ええ、勿論。その時はむきむきも一緒に来ますか?」

 

「え、僕?」

 

「どうせ紅魔族は皆、最終的にこの里に戻って来るんです。

 ここだけで一生を終えるなんて嫌じゃないですか。

 どうせなら修行も兼ねて外に出て、魔王を倒して伝説になっておきたいものです」

 

「めぐみん……ホント豪快だよね」

「え、今めぐみんとんでもないこと言わなかった? 私の幻聴?」

 

「ええ、豪快な方が好きですからね、私は」

 

 ふんす、と鼻を鳴らすめぐみんを、むきむきは嬉しそうに見つめている。

 

「大きくて、強くて派手で、豪快な方が好き……だっけ?」

 

 自分が好ましく思う基準を一切揺らがさないめぐみんに、彼は好意を持っていた。

 

「あれ、むきむきにそれ教えた覚えはあるんですけど、どこで教えましたっけ……」

 

「どっかじゃない?」

 

 うんうんと悩むめぐみん。

 めぐみんは自分が好きなものの傾向をいつむきむきに教えたか、それを思い出せずにいる。

 その言葉は、彼女にとっても何でもない言葉だったからだろう。

 たとえそれが、彼の人生そのものを変えた言葉だったとしても。

 彼の未来を変えた肯定だったとしても。

 彼女にとっては、なんでもない台詞の一つでしかない。

 

(……)

 

 具材が無くなった鍋に米を放り込み、めぐみんが雑炊を作り始める。

 鍋の残り汁に米ではなく麺を入れる異端者が、里で生きていくことはできない。

 案外家庭的なところを見せるめぐみんから雑炊入りの器を受け取り、彼はそれを見つめた。

 

(一炊之夢)

 

 この世界にはよその世界が持ち込んだ言葉や物が多くあり、その中でもかっこよさげなものは紅魔の里で語り継がれたりもする。

 その中に、『一炊之夢』という小話があった。

 盧生という者が"夢が叶う枕"を借り、出世して金も権力も思いのままという理想的な人生の夢を見るが、一つの人生を終えて起きると、寝る前に作られていた粥がまだできていなかった、という話だ。

 

 『一炊之夢』とは、「繁栄しようとも人生とは短く儚いものである」という意味の言葉。

 結局の所、人生は短いのだ。

 短い人生の中で、何かを選んでいかなければならない。

 それこそが条理に反しない命の在り方であり、それに反し――アンデッドの王リッチーになる、等――て生きようとすれば、必ずどこかでツケを支払うことになる。

 

(めぐみんはもう、自分の人生をどう生きていくかを決めてる)

 

 爆裂魔法を覚える。あの日に会った美人のお姉さんに会う。里の外で伝説になる。魔王を倒す。あわよくば自分が次の魔王になる。

 めぐみんは将来したいことを見定めていて、一本筋が揺らいでいない。

 ゆんゆんも過程がしっかりとイメージできていないものの、将来的に族長になり親の後を継ぐという最終目的だけは、一度も揺らいだことはない。

 

 むきむきだけだ。

 この中で、"将来何がしたいか"も、"将来何になりたいか"も、はっきりしていないのは。

 

「どうです? 味は」

 

 それでも、彼女がくれた言葉も、彼女がくれた雑炊も、暖かかったから。

 

「うん、美味し――」

 

 不安なんておくびにも出さずに、彼は微笑んで。

 

 二人の少女を庇うように動き、飛んで来た斬撃を右腕で弾いた。

 

「!?」

 

 かまくらの上半分が吹き飛んで、かまくらから少し離れたところにあった大木が両断される。

 一瞬にしてかまくらの上半分が消えたお陰で、下手人の姿はすぐ見えた。

 雪を固めて作ったかのような、白一色の体色。

 (かみしも)(はかま)。ここに地球の日本出身の人間が居たならば、"奉行みたいな服してるな"と言っていたことだろう。

 

 白いモンスターは、白銀の背景に溶け込まない存在感を撒き散らしながら、敵意をもって彼と彼女らに相対している。

 

「まさか、このモンスターは……!」

 

「知っているのかめぐみん!」

 

「古代書物『リン・ミンメイ書房』の本で読んだことがあります!

 冬将軍のワンランク下に位置する大精霊!

 各地方に存在し、自分だけの鍋ルールを持つ大精霊!

 そのルールに抵触した鍋の食べ方をする者を、問答無用で殺す殺戮マシーン……!」

 

 そのモンスターは、"食い終わった鍋の残り汁に麺ではなく米を入れる者"を問答無用で殺す、そんな行動法則を持つ者だった。

 

 

 

「―――『鍋奉行』です」

 

 

 

 鍋奉行が刀を振る。むきむきが前に出て、手刀を振り下ろす。

 一瞬の内に、剣から斬撃が飛ぶ・手刀が飛んだ斬撃を両断する・両断された斬撃が近場の金属質の岩を切り分ける、という三つの行動結果が発生していた。

 

「逃げよう!」

 

「ですね!」

「う、うん!」

 

 むきむきが二人を両脇に抱え、走り出す。

 鍋奉行はからあげにレモンをかける者、及び鍋は雑炊派の者を皆殺しにするという目的の下、更なる斬撃を飛ばしてきた。

 少年は雪上で飛び上がり、猛然と空中で高速回転。回し蹴りで斬撃を粉砕する。

 

「ま、待ってむきむき! 酔う! これ酔う!」

 

「しまった私ゆんゆんやむきむきより沢山食べおぼろろろろろろ」

 

「ご、ごめん!」

 

 食い過ぎ→ジェットコースターのコンボで派手に嘔吐しためぐみんの口を、むきむきはお気に入りの服の袖で拭いてやりつつ、前に進む。

 

「! むきむき、見つけた!

 よりにもよってこの最悪なタイミングだけどー! 例の薬草! あそこっー!」

 

「! っく、本当に、幸か不幸か……!」

 

 むきむきは二人を雪の上に優しく降ろし、振り返る。

 体重が軽い二人の足はさほど深くまで沈み込まないが、鍋奉行に向けて踏み込んだむきむきの足は、深く雪に沈み込んでいた。

 少年は叫ぶ。

 

「―――ここは僕に任せて早く行け!」

 

 紅魔族にとっては、プロポーズよりも興奮する、その台詞を。

 

「無茶しないでねむきむき! 草取って来たら一緒に逃げましょ!」

 

「ふわあああああああ! ずるい! その台詞を一人で言うのはずるいですよ!

 ゆんゆん、ゆんゆん、聞きましたか! 今の台詞を! 一度は言いたい台詞ですよ!」

 

「いいから早く行くわよ!」

 

「なんですかあのかっこよさ! ああ、私もあれやりたい! やらせて下さい!」

 

「いいから早く!」

 

「むきむきっー! 今のは百点です! かっこよかったですよー!」

 

「早くって言ってんでしょうがあああああああ!」

 

 めぐみんが大声を上げるが、ゆんゆんと違って紅魔族っぽいことが言えるものの、めぐみんほどそういう台詞に自己陶酔できないむきむきは苦笑する。

 背後から「めぐみん、この草!?」「その草は草加雅人とか名前が付いてる毒草ですね」「新発見したものに自分の名前付ける研究者にでも名付けられた草なの!? 人名!?」という声が聞こえてくるあたりからも、すぐ終わる気配はない。

 

「お前は僕がここで止める」

 

 ならば、ここで鍋奉行を止めなければ。

 人類の自由と平和――平和に鍋雑炊を食う自由――を守るため、改造人間むきむきは戦うのだ!

 実際はめぐみんとゆんゆんしか守る気がないが、それは脇に置いておいて。

 

 ダン、とむきむきが力強く地面を踏み叩く。

 すると、柔らかな山頂の新雪が振動で崩れ、雪崩が発生した。

 更にむきむきは掌を振るい、衝撃波で雪崩の向きをコントロールし、二人の少女を巻き込まずかつ鍋奉行だけを巻き込む雪崩を作り上げる。

 

「あっ、やばっ、めぐみんから言われてた技の前の詠唱忘れてた……

 汝、美の祝福賜わらば、我その至宝、紫苑の鎖に繋ぎ止めん―――フリーズガスト!」

 

 技の後に詠唱するという因果逆転。雪崩は必中攻撃なのでこれも多分ゲイボルクなのだろう。ゲイボルクっぽい雪崩が鍋奉行に迫る。

 

「あの二人に危害は加えさせないっ!」

 

 身長218cm.

 体重265kg。

 七歳。

 むきむきが生涯初めて、男の顔をした瞬間であった。

 

 

 




めぐみんはゆんゆんを「あの子」、むきむきを「あの子」って言います
ゆんゆんはめぐみんを「あの子」、むきむきを「あの人」って言います
むきむきはめぐみんを「あの人」、ゆんゆんを「あの子」って言います
なんだか勘の良い登場人物はこれだけで関係性見抜きそうな感じです


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1-5-1 八歳児むきむき、恋愛のなんたるかを考える

 アクアとダクネスでフュージョン! アグネス! アグネスがめぐみんを違法ロリ認定! カズマさんに前科付与! という流れも中々綺麗だと思うんですが、短編向けですよねえ
 アクアとダクネスがポタラ合体! akuaにMが加わってAKUMAに! 「お前の胸のどこがめぐまれてんの?」と暴言を吐いたカズマさんにめぐみんの策略が前科を付与させる!
 ……これも短編向けだあ……


「だ……大惨事だ……」

 

 ふにふらとどどんこのお陰で早急に里の大人達に事態が通達されたが、里の大人達が皆忙しかったのと、結局救助に行くことになった紅魔族ニート軍団が出立寸前にぐずったため、救助はちょっとだけ遅れてしまった。

 ニートは足腰が弱いため、山登りという過程で更にちょっと時間がかかってしまう。

 

 結果、むきむき達は鍋食ってまったりと進んでいたというのに、救助に出されたニート達が現場に到着したのは、鍋奉行とむきむきの戦闘開始から数分が経った後だった。

 

「あれ鍋奉行? うっわ、結構削れてるな……両方共」

 

 血で真っ赤に染まった雪景色。

 地面に転がされている鍋奉行。

 そして鍋奉行を逆エビ固めで固めているむきむきと、むきむきが奪ったらしい鍋奉行の刀を握っているゆんゆんと、何やら草を持っているめぐみん。

 どうやらニートどもは、そこそこいいタイミングで到着したようだ。

 

「よし、よし、魔法はもう来ないな……めぐみん、ゆんゆん、絶対近付いちゃ駄目だよ!」

 

「むきむき! 血が! 血が! 力むと血が吹き出してる!」

「頑張ってください! そのまま腰をへし折るんです!

 って、あ、里のニートども! 来たんならさっさと援護して下さい!」

 

 ここまでの戦闘の経緯に、特筆すべきところはない。

 むきむきが鍋奉行に切られながら殴りまくり、その内奉行の刀を奪って放り投げ、そこからは魔法VS格闘合戦に移り、血を血で洗う戦いに移行したというだけの話だ。

 魔力と体力をゴリゴリ(ラ)削られ、ゴリ(ラ)押しで弱らされた鍋奉行は、「これ以上余計なことさせるか!」とむきむきの固め技を食らってしまう。

 

 この世界のスキルは、『手』を起点にするものが多い。

 そのため、逆エビ固めはそこそこ効果的だ。不死王の手やドレインタッチ等、手で触れることで凶悪な効果を発揮するリッチー等にも積極的に使っていってもらいたい。

 相手に魔力が残っていれば、最悪魔法を食らってしまうかもしれないが。

 

「え、援護行くぞ!」

「おー!」

「俺めぐみんちゃんのご近所さんだからあの子の保護に行くわ」

「サボってんじゃねえぞぶっころりー!」

 

 かくして。

 体力と魔力をゴリゴリに削られた鍋奉行は魔法で捕縛され、死ぬまで上級魔法を叩き込まれ、地形が変わるくらいの火力で消し飛ばされました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以前邪神っぽい獣と戦った時より、格段にむきむきの実力は増している。だが、腕力があっても火力がないというのが目立ってきた。

 今回は魔力防御が高く物理無効能力も持たない敵だったからいいものの、この世界は一部の存在が反則じみている。筋肉と筋肉魔法だけで勝てない相手も居るだろう。

 彼の弱点を補うには優秀な魔法使いが必要であり、彼の能力は優秀な魔法使いの穴を埋めるのに最適だ。

 

 その結論に至ったのは、日々攻めてくる魔王軍を暇潰しに消し飛ばしているニート軍団も、同様であったようだ。

 

「君やるなあ。対魔王軍遊撃部隊(レッドアイ・デッドスレイヤー)に入らない?」

 

「れっどあ……え?」

 

「自警団だよ自警団。俺達がやってるやつだ」

 

「ああ自警団。まだ職が見つかっていない人達が、日々腕を磨き里を守っているという……」

 

「違うわよむきむき。働きたくない、家から出たくもない。

 そんな人達が魔王軍を倒すって名目で里の中ブラブラしてるだけの集まりよ」

「そうですね。クソニートのお遊びクラブみたいなものです」

 

「ゆんゆんとめぐみんの痛烈な真実指摘が胸に痛い……!」

「違う、俺は自分にふさわしい職が見つかってないだけなんだ!」

「むしろ僕にふさわしい職がないんだ!」

「私が無職にならなければならないこの世界が悪い!」

 

「黙ってて下さいクソニートども。

 むきむきをそっちの道に招くようなら、炒め物した後のフライパン顔に押し付けますよ」

 

 特定条件下で人を襲いまくる上強いため、鍋奉行の懸賞金は一億エリス。

 地球で言えば2016年日本人平均年収の約22.6244343891倍に相当する。

 とりあえず五千万は里にかっこいい銅像を建てるために使われることが決まり、残りは戦ったむきむきと自警団の山分けということになった。

 

「このバカどもが! 子供だけで勝手に山に行くなどと!

 今日のお前らはアクシズ教徒どもよりバカだ! 分かっているのか!」

 

「え……!?」

「嘘……でしょ……!?」

「アクシズ教徒……以下……!?」

 

 当然、子供達は親や大人達からこっぴどくお叱りがあった。

 親が居ないむきむきは"親の代わりに"と族長が叱り、むきむきは申し訳なさそうにしながらも、親代わりに誰かが叱ってくれることがちょっとだけ嬉しかったりした。

 ふにふらの弟も無事助かり、血濡れで帰って来たむきむきと薬草を持って帰って来たゆんゆんを見て、ふにふらとどどんこも何かしら思う所があったらしい。

 人間関係が、そこかしこで少しづつ変動しているようだ。

 

 そんなこんなで結構な月日が経った、ある日のこと。

 

「むきむき、相談がある」

 

「なんでしょうか、ぶっころりーさん」

 

「女の子にモテるには、どうしたらいいんだ?」

 

「え……? あ、あの、その前に聞いていいですか?

 ……なんで僕に聞いて有意義な答えが返ってくると思ったんですか?」

 

「君が俺より、ずっと女の子と仲良くしてる子だからだ!」

 

「……」

 

 身長223cmッ! 体重273kgッ! その圧倒的巨体は、頼りがいを感じさせる。

 だが八歳ッ! 八歳に恋愛相談をするニート。これで何が解決するのだろうか。

 

 彼の名はぶっころりーといい、めぐみんのご近所の靴屋のせがれである。めぐみんからすれば、近所のお兄さんといったところだろうか。

 あの雪山に助けに来てくれた一人であり、その頃からむきむきと交流を持ち始めた青年だ。

 皆が忙しい時もニートなため忙しさとは無縁であり、山に行った子供を助けに行ったり、めぐみんの妹で現在二歳のこめっこの面倒を見たりもしている。

 

 そんな人物なので、むきむきも邪険にできないわけで。

 "癖が強いが根が善良"という紅魔族にありがちな性格のため、こういう面倒臭い案件を斜め上な感じで持ってきたりする。

 恋愛相談なんてどうすればいいんだ、とむきむきは生真面目に悩み始めた。

 

(めぐみんに相談?)

 

 ダメだ、あの人が恋愛に没頭する姿が想像できない、と少年は思いつきを投げ捨てる。

 

(ゆんゆんに相談?)

 

 ダメだ、あの子は恋人作りの前に友達作りが……と少年は思いつきを投げ捨てる。

 

(大人に相談?)

 

 ダメだ、ぶっころりーさんが自分に相談してきたのは大人に自分の恥を見せたくなくて、子供に知られる分にはいいと思っているからだ、と少年は思いつきを投げ捨てる。

 

(じゃあどうし……あ)

 

 そうして、名案を思いついた。

 

「ちょっと移動しましょうか。僕も今内職終わりましたし、どうせ暇ですよね?」

 

「……悪意がなくてもニートに"どうせ暇でしょう"は傷付くからやめてくれ……」

 

 

 

 

 

 むきむきが助力を頼んだのは、眼帯の少女であった。

 

「我が名はあるえ。紅魔族随一の本好きにして、いずれは作家となる者……」

 

 ある意味めぐみんやゆんゆんより厄介な手合いではあるが、一部分野ではかの二人より頼りになりそうな少女、あるえ。

 むきむきが彼女を頼ったのには理由があった。

 

「あるえは、作家を目指してるくらい本好きだったよね」

 

「ああ。ふむ……恋愛に関する相談を何故私に持ってきたのかわからなかったが……

 つまり、そういうことかな?

 この前恋愛小説を試しに書いてみたと私が言ったことを、覚えていたからか」

 

「うん。そういうこと」

 

 恋愛経験が無いなら恋愛小説を沢山読んでそうな人を頼ろう、という思考。

 『フィクションと現実は別』という認識が根付いていない、むきむきの年相応な一面が見られた一幕だった。

 

「そういうことなら協力しよう。面白いことがあったら小説にできそうだ」

 

「ありがとう、あるえ!」

 

「いや小説にするのはやめてくれよ……俺が恥ずか死ぬ」

 

 あるえは知り合いを小説のネタにすることも躊躇わない気性であった。

 

「恋愛に関しては、私も出所不明の古文書から学んだクチだ。

 この手の定番はまず相手の事前調査さ。

 そして会話で好感度を稼ぐ。イベントで関係を進め、最後には

 『この樹の下で結ばれた二人は永遠に引き裂かれない』

 という伝説を持つ樹の下で告白し、物語は終わる……そんな感じでいいと思うな」

 

「里にそんな樹あった?」

 

「無ければ作ればいいじゃないか。

 むきむき、君の出番だ。

 適当にどっかから大きい木を引っこ抜いて植えればいい。

 里の皆はそういうのが好きだから、勝手に伝説を作ってくれるよ」

 

「なるほど。恋愛は難しいんだね」

 

(この二人を頼るべきだったのか……?

 まだめぐみんかゆんゆんを頼った方がよかったのでは……?)

 

 ときメモ的に言えば、異性を攻略するより爆弾で吹っ飛ばす方が基本大好きな紅魔族に、まともな恋愛アドバイスを求めてはならない。

 

「まずは事前調査、か……

 じゃあぶっころりーさん、そけっとさんと話しに行きましょうか。

 好きなもの嫌いなものくらいは把握しておきましょう」

 

「え、むきむきはそけっとと仲良いのか?」

 

「? ろくに話したこともないですよ?

 だから今日話して仲良くなって。好きなものとか聞こうかと。

 趣味嗜好とか話の切っ掛けを見つければ、ぶっころりーさんも次以降話しやすいと思いますし」

 

「……ああ、そういえば君、ゆんゆんと違って境遇に起因するぼっちだったっけ……」

 

 攻略対象Aと仲のいい人に好きなものや趣味が何かを聞いてもらう、ではなく。

 攻略対象Aとささっと仲良くなって聞きたい内容を聞く、という基本思考。

 

「僕に異物感覚えてる人も多いと思うんです。

 なので、最初の会話でその辺も探れたらな、って。

 そけっとさんがその手の人なら、以後僕の助力は期待しないでください」

「ま、妥当だね。そうなったらむきむきはそこのニートより役に立たなくなる」

 

「俺一人でそけっとの心を射止めろっていうのか!」

 

「私が思うに、恋愛とは基本そういうものだと思うのだけれど」

 

「……」

 

 あるえの痛烈な一言に、ぶっころりーが顔を覆う。

 

「……仕方ないじゃないか……恋愛経験なんて、無いんだから……」

 

「それにしては高いハードルを選んだね。あのそけっとだろう?」

 

 そけっとは紅魔の里随一の占い師である。

 そも、この世界において占い師という職業はとても重要なものだ。

 地球と違い、この世界の占いは未来予測のそれに近い。

 程度の差はあるが、占いはほぼ事実に近いことを言い当てている。

 

 そけっとは『全てを見通す悪魔』の力の片鱗を借りているとも言われる占い師であり、里の外から彼女目的で来る者が時折居るほどの、極めて優秀な占い師だ。

 その上、魔法の腕も確かな魔法使いであり、「木刀かっこいい」という理由で我流のへなちょこ近接戦闘術を鍛えていたりもする。

 そして、なにより。

 能力以上に、里一番の美人ということで有名だった。

 

 陳腐な言い回しになるが、『才色兼備』と表現するのが、一番的確だろう。

 

「控え目に言うけど、ゴキブリが蝶に恋するようなものじゃないかな」

 

「あるえさん! 俺はニートで心が弱いので! もう少し手心を加えて下さい!」

 

 対するぶっころりーは靴屋のせがれでこれといった長所が見当たらないニート。

 戦闘力だけは高いが、そもそも紅魔族はほぼ全員がでたらめに強いため、相対的に見れば特筆して強いというわけでもない。

 恋愛的勝利へと続く栄光のロードがどこにも見当たらないのだ。

 

「言い過ぎだよ、あるえ。ぶっころりーさんは優しい人だよ」

 

「むきむき……! ありがとう……!」

 

「『優しい』って別に異性に好かれる要素ではないよ、むきむき。

 優しいだけでモテない人の方が多数派だ。

 里の外ではそういうのを『いい人止まり』と言うらしいね」

 

「「 !? 」」

 

「好いた理由を聞かれて、"優しいから好きになった"と言うものあるけれど。

 あれは"辛い時に優しくしてもらった"という意味か……

 あるいは、"それ以外に長所が思いつかない"とかだからね」

 

「恋愛本読んだだけの子供の台詞なのに、何故か胸に刺さる……!」

 

 優しいだけで好かれるなら苦労はしない。

 かと思えば、特に理由もなくクズに惚れてしまうこともあるわけで。

 決定的なイベントで好きになったり、日々グダグダしている内に好きになったり。

 友情に近い恋愛もあれば、信頼に近い恋愛もある。

 恋愛とは複雑怪奇なり。

 

「ああ、ぶっころりーさんが悶えてる……とりあえず置いていこう」

 

「むきむき、もう放っておいていいんじゃないかい?

 これに付き合う義理も、付き合って得るものもないだろう?」

 

「でも放っておいたらかわいそうだよ。知ってる人だし、困ってるなら助けてあげたい」

 

「……ふむ」

 

 あるえは趣味で付けている眼帯を指でなぞり、むきむきを見て、見透かしたようなことを言う。

 

「ゆんゆんが他人からの押しに弱い子なら、君は自分の中の良心や善意に弱いのかもね」

 

 

 

 

 

 ぶっころりーを置いてそけっと宅に向かうむきむきとあるえ。

 目的はそけっとのことを調べ、ぶっころりーが彼女を攻略する助けとなること。

 なのだが、あるえは「面白そうだから私は基本君に任せるよ」と言って小説のメモを取る態勢に入り、速攻で役立たずと化した。

 なので、むきむきが一人でそけっとと話すことになったのだが……

 

「一人で暮らしていて何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってね?」

 

「こちらこそ。力仕事で困ったことがあったら任せて下さい」

 

 そけっとは、彼の予想以上の女性だった。

 むきむきに対する偏見もなく、容姿端麗で話が上手い。

 聞き上手で話し上手、話していて楽しいため初対面でも会話が苦にならない。

 言葉に自然と感情を乗せることや、会話の中で自然と細かな仕草を見せるのが上手く、それら一つ一つが他者から好感を持たれるものであるため、無自覚に話した相手の好感を得られるタイプのようだ。

 

 ぶっころりーは自分やゆんゆんと比較してむきむきにコミュ力があると言っていたが、そけっとはむきむきと比較してもなお高いコミュ力がある。

 流石は占い師といったところか。

 強いて欠点を挙げるなら、性格が基本的に標準的な紅魔族であることくらいだ。

 むきむきがそけっとのことを知るための話の流れに持って行けば、ごく自然にそこから話を広げ、むきむきがそけっとのことを一つ知るたびに、むきむきは自分のことを一つ語らされていた。

 

(……うーん、凄く異性にモテそうな人だ……)

 

 どうしたものか。

 そけっとと話し終えた後、あるえを連れてむきむきは帰還。

 この絶対不可能任務(ミッション・インポッシブル)を達成するため、作戦会議を行う。

 

 そして数日後、とりあえず二人をくっつける第一手が発案された。

 

「プレゼントから行く、というのはどうでしょうか?」

 

「プレゼント?」

 

「成程、堅実だ。私もそれに賛成しておこうかな」

 

 シンプル・イズ・ベスト。

 プレゼントでそけっとの気を引こう作戦である。

 

「むきむき、贈るとして何を贈るつもりか聞いてもいいかな?」

 

「消え物がいいんじゃないかなあ」

 

「ああ、形が残るのは重いからね。無駄にならない日用品辺りが無難かな?」

 

「食べ物か、洗剤か、お香か……れいれいさんのとこのシャンプーとか」

 

「いいセンスだ。あれは香りと容器のデザインが女性に人気だったはず」

 

「あるえだったら何を貰えたら嬉しい?」

 

「ん? 私だったら、そうだね……」

 

 形が残るものは想い出の品になるが、スペースを取ってしまったり、重く受け止められてしまう場合がある。

 例えばペンダントなどをプレゼントしても、使い所がないので机の引き出しにしまわれて死蔵されてしまうのがオチだ。プレゼントは、相手が喜ぶものを贈らなければならない。

 付き合いがない人の好感度だけを稼ぐなら消耗品、それもあって困らない物にするのが無難。

 紅魔族特有の早熟な知能でそういうことを話し合っていた二人であったが、ぶっころりーはニートらしくその斜め奥を行く。

 斜め上ではない。斜め奥だ。

 

「いや、宝石を贈ろう」

 

「「は?」」

 

「ジャブは要らない。ストレートで行く!」

 

「「……」」

 

「他の男がやらないようなことをして、そけっとの心を掴むんだ!」

 

 どこかの世界のどこかの匿名掲示板で、「良い子の諸君! よく頭のおかしいライターやクリエイター気取りのバカが『誰もやらなかった事に挑戦する』とほざくが(ry」と腕を組みながら言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔の里の周辺は強力なモンスターの群生地である。

 先日のむきむき達のように安全な山に行くこともできるが、あえて危険な場所に行き希少な素材を集めに行くこともできる。

 例えば。宝石を好んで食べ、体の表面により純度の高い宝石を生成する巨大トカゲのモンスター『ジュエルリザード』が生息している場所……彼らが居るこの場所などが、そうである。

 

「ぶっころりーさん」

 

「ん? なんだい?」

 

「ジュエルリザードって紅魔族一人で十分狩れますよね? なんで僕を連れて来たんですか?」

 

「上級魔法ぶつけたら、宝石ごと吹っ飛ばしちゃうじゃないか」

 

「……あー」

 

「というわけで、俺が動きを止めるから、その隙に頼むよ」

 

 むきむきが連れて来られたのはいいとして、何故かこの場にはあるえも居た。

 

「なんで付いて来たの? あるえ」

 

「気にしないで欲しい。小説のネタにしたいだけだから」

 

「わぁ、貪欲だぁ」

 

 この辺りはジュエルリザードを恐れ他のモンスターが近寄らないため、ジュエルリザードにだけ気付いていれば野良モンスターに襲われることはないとはいえ、随分肝が座っている。

 この子は将来、大物になるだろう。

 むきむきはあるえを庇うように歩き、ぶっころりーは先頭を歩いて、目当てのジュエルリザードを発見するやいなや、捕縛の魔法をぶっ放す。

 

「よし、見つけた……ストーンバインド!」

 

 放たれたのは、土の上級捕縛魔法。

 魔力の量と制御力によって、全身を包む岩の檻にも、手足を捕らえる岩の枷にもなる。

 土の枷にも、鉄岩の檻にもなる。そんな魔法だ。

 

 オオトカゲは四肢だけを鉄より硬い岩に絡め取られ、その場から動けなくなってしまう。

 

「今だ、むきむき!」

 

(ぶっころりーさん、戦ってる時はこんなにかっこいいのになあ)

 

 体長5m、尾も含めれば10m以上の大トカゲも、こうなってしまえば形無しだ。

 近寄ってくるむきむきにも、大トカゲは威嚇することしかできていない。

 

「ごめんね。でも殺さないだけ有情と思って。……ホントにごめんね」

 

 そう言って、むきむきはジュエルリザードの背中に手を伸ばし、その体表にくっついている宝石を掴んで、ぶちっと取った。

 トカゲの悲鳴が響く。

 もう一つ取る。

 トカゲの悲鳴が響く。

 もう一つ取る。

 トカゲの咆哮が響く。

 もう一つ取る。

 トカゲの嗚咽が漏れる。

 死なない程度に、むきむきはぶちっぶちっとトカゲの体表の宝石を引きちぎっていく。

 

「うわぁ」

 

 ちょっと引きながらも、あるえは手帳にメモを取る。

 『残酷な敵組織の幹部』をどう描写すればいいのかの参考資料をゲットする、あるえであった。

 

 

 

 

 

 大きなカゴ一杯に宝石を積み込んで、むきむき達は里に帰還する。

 ジュエルリザードは泣いていた。人間で言えば突然やって来た強盗が自分の髪の毛を一本残らず引き抜いていったようなものだ。そりゃ泣きたくもなるだろう。

 だが、自然の世界は弱肉強食。弱者はハゲにされても文句は言えないのだ。

 

 ジュエルリザードから身ぐるみ()いで、チーム()()きと化した一行は、そけっと宅に到着し。

 

「あ、ジュエルリザード狩りお疲れ様。むきむき君達」

 

「「「 !? 」」」

 

 そけっとの第一声に、初っ端から出鼻を挫かれた。

 

「そ、そけっと、何故それを……?」

 

「あの場所、私のお気に入りの修行場からよく見えるのよ」

 

「なんと……」

 

 どうやら立地が悪かったらしい。

 嫌がる人の全身のかさぶたを片っ端から剥がしていくようなあの光景を、そけっとはばっちり見ていたようだ。

 それでドン引きしていないのは、流石成人した大人の紅魔族といったところか。

 

(どうしようあるえ)

 

(プレゼント作戦は失敗だ。もうバレバレじゃないか。

 そけっとはまだ引いてないけど、これを渡したらどうなると思う?

 『このプレゼントは流石に正気を疑う』

 とか言われるよ。素材集めならともかく、女性へのプレゼントとしてはちょっと……)

 

 むきむきとあるえがこっそり作戦会議を開くが、この状況を打開する方法など見つかるわけもない。ぶっころりーの顔も真っ青だ。

 

「あ、あのだね、そけっと……」

 

「言う必要はないわ、ぶっころりー。

 我が名はそけっと。全てを見通す里随一の占い師……

 やがては世界一の占い師となる者……

 我が目は大悪魔バニルより多くの事象を見通している……」

 

「なん……だと……!?」

 

 全てを見通すように、そけっとの目が赤く輝く。

 

「この宝石でどんな魔道具を作るかの相談、でしょう?」

 

「……えっ」

 

「任せて。私、この手の知識は豊富だから!」

 

 その目は節穴だったようだ。

 

(あるえ、セーフ?)

 

(セーフのようだよむきむき)

 

 そけっとは未来を見る能力を持っているが、欠点もある。

 自分が関わる未来ははっきりと見えないのだ。

 そのため、自分に関わる事柄に対しては節穴である。

 自分に向けられる好意にも鈍感だ。

 つまり、能力が高く美人だがちょっとアホな一面があるのだ。

 

 大悪魔バニルとやらに関わる女性は皆こんなんなのかもしれない。

 

「じゃあぶっころりー、ちょっとお話しましょうか」

 

「あ、ああ!」

 

 何やら話し始めたそけっととぶっころりーを置いて、むきむきとあるえはこっそり家を抜け出していく。

 

「置いてってよかったのかな」

 

「子供に頼りきりの恋愛なんて長続きしないと、私は思うけどね」

 

 幸か不幸か、接点は出来た。宝石が尽きるまで、あの二人の関係は続く。

 ぶっころりーとそけっとの関係は、名前だけは知ってる知り合いという関係から、一歩進むことだろう。

 良い形に進むか、悪い形に進むかは、まだ分からないが。

 

「あ」

 

 ちょっとだけ貰ってきた宝石をポケットにしまいながら歩いていると、むきむきとあるえは文房具店でめぐみんとゆんゆんを発見する。

 

「ごめん、僕ちょっと話してくる」

 

「ああ、好きにするといい」

 

 むきむきが二人の下に行くと、三人揃って表情が――いい意味で――変わったのが、遠目にもよく見えた。

 あるえはその辺りの切り株に腰を落ち着ける。

 

 今日取ったメモを眺めていると「はい、プレゼント。日頃のお礼」「これ……高純度のマナタイト鉱石じゃない! どうしたのこれ!?」「売っても買っても高いやつですよね、これ」と声が聞こえてくる。

 あるえが顔を上げると、「ありがとう、むきむき」「これ売ったら今月のうちの生活費は安泰ですね。感謝します」「ちょっとめぐみん!?」と荒れてきた会話風景が見える。

 手帳を閉じて眺めていると、「友達のプレゼント即転売って何考えてるの!?」「貰ったものをどうしようが私の勝手です」「ゆんゆん、僕は気にしないから……」「むきむき、目を覚まして!」と愉快な会話が繰り広げられている。

 

 転売ヤーめぐみん。

 プレゼント片手に転売に走り出しためぐみんをゆんゆんが追いかけ走り出したところで、あるえはこらえきれずに笑ってしまった。

 本当に楽しそうに生きてるね、なんて思いながら。

 

「あるえ、お待たせ。ごめんね、待たせて」

 

「いや、おかげで面白いものが見れ……うん?」

 

 文房具屋から出て来たむきむきは、右手に小包を持っていた。

 

「それは?」

 

「今日は手伝ってくれてありがとう。あるえは

 『付き合う義理も、付き合って得るものもない』

 って僕に言ってたけど、それは僕もあるえに思ってたことだったから」

 

 小説のネタに出来る、と本人は言っていたが、こんな面倒臭いことに最後まで付き合ってくれたのは、ひとえにあるえの善意によるものだ。

 

「義理も得もなく付き合ってくれたあるえに、ありがとうを伝えたかったんだ」

 

 その善意に、むきむきは贈り物で応える。

 彼は、誰かの善意に贈り物で応えるということを覚えた。

 

―――あるえだったら何を貰えたら嬉しい?

 

 ああ、そうか、とあるえは納得する。

 あの時の質問は、同じ女性としての視点が欲しいという意図で発せられた質問ではなく。

 最後の最後に、どんな礼をすればいいのか探る質問であったのだ。

 

―――ん? 私だったら、そうだね……新しいペンが欲しいかな

 

 彼が彼女に渡した小包を空ければ、そこには『新しいペン』が入っていた。

 

「要らなかった?」

 

「いや」

 

 この筋肉が無くて魔法の才能があったなら、自分達の世代の潤滑油役になれてたかもしれない、だなんて思って、あるえは苦笑する。

 そして、作家志望の自分の想像力の豊かさに苦笑し、やがて苦笑を微笑みに変える。

 

「ありがとう。()()からの贈り物だ。大事にするよ」

 

 貰って嬉しかったペンの代わりに、あるえはむきむきが貰って嬉しく思う言葉を投げかけた。

 

「……友人」

 

「ああ。少なくとも私はそう思っている」

 

 むきむき視点であるえは『友達のクラスメイト』。

 あるえはそれを察していた。

 だが、むきむきはあるえと友達になりたいとも思っている。

 あるえはそれも察していた。

 友達になりたい気持ちはあっても、自分が紅魔族の出来損ない、皆の仲間外れであるという意識が邪魔をしてしまう。

 あるえは、それさえなんとなく察していた。

 

「同じことで悩み。

 一緒に悩みを解決するため動き。

 共に一つの決着を迎える。

 これが友達でなくてなんと言うのかな?」

 

 むきむきにとって値千金のその言葉は、子供の所持金で買えるペンのお返しとしては、不相応過ぎるくらいに価値のある言葉だった。

 あるえからすれば、物のお返しに優しい言葉で満足してしまう彼は、ゆんゆん以上に危なっかしい部分が垣間見える少年だった。

 

「我が名はあるえ。紅魔族随一の本好きにして、むきむきの友である者」

 

 まあでも、友人にする分にはいいやつだと、あるえは思う。

 

「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉の持ち主にして、あるえの友である者」

 

 今日はいい日だと、少年は思う。

 

 優しい友達がまた、一人増えたから。

 

 

 




 あるえにとってのむきむきは、信長を女体化させてヒロインとして出す現代の創作者にとっての信長のようなもの。実在の人物で、玩具にもしていますが、好感もあるよ的な感じです


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1-6-1 むきむき、九歳なりに未来に想いを馳せる

 爆焔の学校って少女の魔女しか出てないのでまさしくリトルウィッチアカデミアって感じなんですが、ゆんゆんからすればリトルボッチアカデミアですよねHAHAHA


 その日、(それがし)は、生まれて初めて――死して初めて――神を見た。

 

「ようこそ死後の世界へ。

 あなたはつい先ほど、不幸にも亡くなりました。

 短い人生でしたが、あなたの生は終わってしまったのです」

 

 美しい女神であったが、興味はなかった。

 話の半分ほどは聞き流していたように思う。

 

「私の名はアクア。

 日本において、若くして死んだ人間を導く女神よ。

 ……さて。少しあなたを贔屓してあげたいところですが……

 それは置いておいて、自暴自棄に死んだあなたには、三つの選択肢があります」

 

 その女神の目に憐れみが浮かべられていたのが、どこか不思議だった。

 

「天国に行くか。

 全てを忘れて生まれ変わるか。

 肉体と記憶はそのままに、ここではない別の世界に生まれ変わるか」

 

 (それがし)が天国に行くなどと、何の冗談か。

 全てを忘れるなど、できようものか。

 "ここでないどこかに行きたい"とは、ずっと願っていたことだ。

 

「それで、特典を―――」

 

 異世界に送る、と言われた。

 最高の力、最強の武器、最優のお供、なんでもやると言われた。

 別に、そんなものは要らなかった。

 

「要らぬ。早く送れ」

 

「ほわーい?」

 

 送られた先で、見つけたドラゴンに挑みかかり、咀嚼されている今だから思う。

 (それがし)と同じように、()()()()()()()()()()という思いでこの世界に転生した『転生者』とやらは、他に居るのだろうか。

 前の人生、前の世界、前の自分が嫌いだったから、こうやって別の世界で今の自分のまま"したい何か"をしたいと思う者は、多いのだろうか。

 分からない。

 こうして走馬灯の中で考えているが、興味もない。

 

 肉の体が死んでいく。

 この世界ではどうやら、妄念を捨てられなかった死者は亡者となって世界に残るらしい。

 転生者の亡者など、犬も食わない下等な塵だろう。そうして、どれほど彷徨ったことか。

 どうにかして誰かに消して貰えないか、考え始めたその時――

 

「あれ?」

 

 ――(それがし)は、黒髪赤眼の巨人と出会った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆんゆんは奮起した。

 必ずや、あのめぐみんに勝たなければならぬ。

 

「よし! 頑張ろう! ……でも何から頑張ればいいんだろう?」

 

 ゆんゆんは族長の娘である。

 血統と本人の資質により、生まれつき高い才能を持って生まれてきた。

 が、学校で一番になれたことはない。

 正真正銘本物の天才である、めぐみんが上に居たからだ。

 そのせいで彼女は万年二番手。家柄だけの子か、と時折言われることもあった。

 

「……修行! 修行をしよう!」

 

 ゆんゆんにとって、めぐみんはいつか倒すべき相手。

 いつか越えなければならない高い壁。

 そして、まだ一度も勝てたことがない憧れの人だった。

 

(むきむきなら、手伝ってくれるかな? 修行)

 

 ゆんゆんはめぐみんの上を行く自分になりたがっている。

 そうすることで、将来族長になったとしても恥じない自分になろうとしている。

 けれども、"めぐみんを超えてしまったらどうしよう"という気持ちも持っていた。

 めぐみんを超えたい。でもめぐみんには自分より凄い、憧れの人で居て欲しい。そんな二つの気持ちが、ゆんゆんの中で両立しているのだ。

 

 けれども、ゆんゆんは鍛錬や勉強で手を抜いたことはない。

 いつだって本気でめぐみんを超えようとしている。そのための努力を続けている。

 それはひとえに、一人の友人の影響があった。

 

(そうと決まれば、むきむきにお手伝いを頼みに行こう!)

 

 ゆんゆんには貴重な異性の友人が居る。

 と、いうか。彼女は性根がぼっちなので、ゆんゆんをまっとうに友人と呼んでくれる人間は一人しか居なかった。それがむきむきである。

 めぐみんはゆんゆんが「友達だよね?」と言っても「え? 違いますよ」と返してくるが、むきむきはゆんゆんが特に何か言わなくても「友達だよ」と言ってくれる。

 めぐみんは追いかけても捕まえられず、むきむきは放って置いても懐いてくる。

 例えるならばむきむきは忠犬。めぐみんは野良猫なのだ。

 

(めぐみんに勝って一番になれば、他の人も、むきむきも、私をちょっとは見直すはず!)

 

 そういう意味では、彼は最高でなくとも最良の友人だった。

 ただ、不満もある。むきむきは誰がどう見ても、心の中でゆんゆんよりめぐみんを上に置いていたのである。

 これはゆんゆんとしては許せぬ事態であった。

 そこでまで、めぐみんに負けるのは嫌だったのだ。

 

 それに何より、『○○の一番の友達』という称号も、彼女は欲しがっていた。

 "めぐみんに勝ちたい。学校の成績でも、魔法使いとしても、彼の心の中の順位でも、一人の人間としても"。そう思い、ゆんゆんは不断の努力を続ける。

 それは、星に手を伸ばしながら、星が手の届かない高みにあることを願うような……夢見がちな少女が抱いた、綺羅びやかな夢だった。

 

「待ってなさいめぐみん! 修行を終えた私が、今度こそ勝ってみせるから!」

 

 誰よりも憧れる友を超えるために、誰よりも気軽に頼れる友の家に向かって、彼女は走った。

 

 

 

 

 

 めぐみんとゆんゆんの年齢は、ようやく二桁になっていた。

 年の離れた妹・こめっこも三歳になったが、ゆりかごに放り込んで誰かが様子を見ていればいい時期はもう終わり、その辺を危なっかしく走り回る年頃になっていた。

 むきむきの人道的支援(食料)によって金銭面が多少マシになったのもあって、めぐみんの両親が家に居る時間も増え、むきむきとぶっころりー&そけっとが仲良くなった流れで、ぶっころりーとそけっとがこめっこの面倒を見てくれるパターンも増えてきた。

 

 と、なると、めぐみんがこめっこの面倒を見なければいけない時間も減ってくる。

 めぐみんの自由時間復活の巻。それは、彼女の暇潰しに他者が巻き込まれるペースが増大することを意味していた。

 

「暇ですねえ」

 

 とりあえず、最近空の走り方を練習してるらしい友人の家に遊びに行こうか、と決める。

 

(またモールス信号の習得でもやってみますか。まあ、むきむきは、頭の出来が……)

 

 私が頑張って頭良くしてあげないと、とめぐみんは謎の使命感を胸に抱いている。

 

「むきむき、居ますか?

 ぶっころりーのことなんですが、あれどうする気ですか?

 あなたが後押ししたせいで、あのニート完全にそけっとのストーカーに……」

 

 そうして、むきむき宅の扉を開けためぐみんは。

 

「ひぎゃーっ!」

 

「お、落ち着いて、ゆんゆん」

 

「どこ!? どこに居るの!? もしかして私の背後!?」

 

「落ち着」

 

「むきむきにしか見えないって何!? 先祖の因縁で恨まれてる怨霊とかそういうの!?」

 

「お」

 

「わあああああああああああっ!!」

 

 発狂するゆんゆんと、おろおろするむきむきを発見した。

 

(暇を潰して欲しいとは思ったけれども、困惑させて欲しいとは思ってない!)

 

 十分後。

 めぐみんはなんとかゆんゆんを落ち着かせ、二人から事情を聞くことに成功していた。

 

「転生者の幽霊~?」

 

「「 はい 」」

 

「転生してるのになんで幽霊なんですか。

 転生してないじゃないですか。死んでるじゃないですか」

 

「その辺聞いてもこの幽霊さん無口で、僕じゃ何も聞き出せないんだよ……」

 

 彼曰く、自分にしか見えない幽霊がここに居るらしい。

 

「むきむきが後ろ向きながら私の書いた図形の形を答えたの!

 めぐみん、何か居る! ここ何か居る! オバケとか絶対居るっ!」

 

死に損ない(アンデッド)にもなっていない亡霊でしょうか。プリースト呼びます?」

 

「里の外から? うーん、現状無害なのに呼んでもなあ……」

 

 ゆんゆんほど取り乱しては居ないものの、めぐみんの視線も先程から上下左右に忙しなく動き回っている。

 ゆんゆんが滅茶苦茶に取り乱しているために、かえって冷静になったのかもしれない。

 とはいえ、二人共幽霊沙汰が平気というわけではなさそうだ。

 

「なんで僕だけ見えるんだろう? あなたは分かりますか? 亡霊サイドとして。

 ……お願いですから何か答えて下さいよ。無視は寂しいじゃないですか」

 

「ここだけ見ると危ないハーブか何かをキメてる人みたいですよね、むきむき」

「ちょっとめぐみん! むきむきは誰も居ない場所に話しかけてるだけじゃない!」

 

「……」

 

 むきむき、ちょっと傷付いた様子。

 

「むきむきはプリースト適性が高いのかもしれませんね。

 それこそ、職業に対応したカードを作らなくても、幽霊が見えるくらいに」

 

「プリースト適性……」

 

 この世界においては、冒険者カード――冒険者以外が使うカードの一部は、同じ機能ながら別の名で呼ばれる――というカードによって技能を運用する。

 この世界においては、技能は"運用するもの"である。

 システマチックな継承と指導、習得と使用、数値化された熟練度合が存在するからだ。

 

 その管理と運用をするために用いる道具が、冒険者カードである。

 これを用いて、人は様々な職業に就くことが可能だ。

 例えば、めぐみんならば上級職のアークウィザードに就くことができる。

 天才でも想像力と創造力がないとクリエイターにはなれない。

 頭が悪くても霊感があったり信仰心があったりすると、魔力値次第でプリースト適性があったりする……といった感じだ。

 

 そういえば、と、めぐみんはむきむきのステータスを見たことがないことを思い出す。

 

「いい機会ですし、カード作ってみますか?

 作るだけならタダですし、意外な才能が見つかるかもしれませんよ」

 

 むきむきは学校に行っていないために例外であったが、この里では伝統的に、学校で冒険者カードを作るという慣例があった。

 

 

 

 

 

 この世界にはポイントカードもある。遊戯王カードもある。どんなファンタジー異世界だよとよく言われる所以だ。

 だが、遊戯王世界における遊戯王カードと同じくらい、この世界で重要な役目を果たしているのが冒険者カードである。

 カードは銃より強し。

 神もカードがあればなんとかできる。

 魔王は基本カードの助力を得て倒す。

 それはこの世界でも共通する法則であった。

 

 めぐみんはむきむきとゆんゆんを引き連れ、休日の学校の職員室に向かう。

 そこでは、休日の受付を担当している教師がお茶を飲んでいた。

 

「おはようございます、先生」

 

「あら、めぐみんにゆんゆんに……だ、誰?」

 

 身長230cmッ! 体重289kgッ! 九歳ッ! 地獄の成長痛有ッ!

 高町なのは、木之本桜、ちびまる子ちゃんの主人公、磯野ワカメ、アルミリア・ボードウィン、ニナチャーン等と同い年のショタだ。

 さあ、萌えるがいい。

 

「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者、めぐみんとゆんゆんの友達……」

 

「む。我が名はれこれこ。紅魔族随一の道徳教師。やがて校長の座を奪い取る者……」

 

 初対面らしく物腰丁寧な自己紹介を行う二人。

 

「先生、実はこの子のカードを作って欲しいのですよ」

 

「あら、そうなの? そっか、彼が例の……

 じゃあカードを持ってないのも仕方ないわね。

 少しだけ待ってなさい。ラメ入りのかっこいいやつをあげるから」

 

「僕は普通のでいいです」

 

「なんて謙虚なんでしょう! 蓄光塗料とメッキも付けてあげるわ!」

 

「普通のでいいです!」

 

 何故紅魔族は、パワポで意味なく文字をぐいんぐいん動かしたり、ワードのチラシ作りが全体的に虹色になってしまうような、派手さだけを求める異端のセンスを追い求めてしまうのか。

 

 カードの作成は一瞬だ。施設さえあれば手間もかからない。

 紅魔族の中には、まだ学校にも行っていないような幼い子供のカードを作っておく親や、それで才能をチェックしておく親も居るという。

 

「はい、カード完成、っと」

 

「早い!」

 

「私とめぐみんの時もこんなものだったよね?」

「まあ時間がかかるものでもないですし」

 

「……あら? 出来たのはいいけど、このカード……」

 

 首を傾げた教師の手の中、新造されたカードを見て、むきむき達も首を傾げた。

 

「文字がぐっちゃぐちゃですね」

「ぐちゃぐちゃだね」

「うん、ぐちゃぐちゃだ」

 

 本来、カードには職業やステータス、保有スキルや取得可能スキルなどが記されている。

 が、そのどれもがぐちゃぐちゃだった。

 

「うちのこめっこの落書きみたいになってますね」

 

「カードがバグってる人、私初めて見たなぁ」

 

「私も長い教師人生で初めてよ、こんなのは。もしかしてアクシズ教徒だったりする?」

 

「原因を僕の頭のおかしさに求めないでください」

 

 カードが筋肉を拒んだとでも言うのだろうか。

 

「器用度・加藤鷹並みだって」

 

「いや誰です?」

「誰?」

「誰なのよ……」

 

 他の人には読めない文字も、むきむきには読めるらしい。

 持ち主だからだろうか、とめぐみんは真面目に推測を組み立てる。

 

「幸運・うんこだって」

 

「ダジャレ!? 適当言ってるんじゃないですよね!?」

 

 が、すぐに真面目に考えるのをやめた。

 そもそも数字で表されるステータスになんで文字があるんだ、という話である。

 

『むきむき』

 

「! 幽霊さん?」

 

 幽霊が突然口を開き、むきむきの発言にゆんゆんとめぐみんがビクッとする。

 

『魔力・知力が平均値。幸運が最低値。他は軒並み高い』

 

「読めるんですか?」

 

 むきむきが聞くが、幽霊は答えない。

 この言うことだけ言って会話をしようともしない姿勢からは、紅魔族産ニート以上に何かをこじらせた感じがプンプンする。

 

「幽霊さんが魔力・知力が平均値。幸運が最低値。他は軒並み高いって」

 

 幽霊を怖がり縋り付いてくるゆんゆんを引き剥がそうとしながら、めぐみんはその明晰な頭脳で今の事象の分析をした。

 

「持ち主にしか読めない文字。

 それを読める幽霊。

 ここまで付いて来ている幽霊。

 ……これ完璧に、むきむきが取り憑かれてるやつですよね」

 

「亡霊に取り憑かれると頭がおかしくなるって噂が……あわわっ……!」

 

「大丈夫です、むきむきを信じましょう。きっと

 『くけけ、パンツのステーキはご飯が進むぜ……!』

 くらいの頭のおかしさで踏み留まってくれるはずです」

 

「めぐみんめぐみん、冗談でも僕は傷付くよ」

 

 特に意味もないパンツソムリエの称号がむきむきを襲う。

 

「教師として言うけれど、本当に紅魔族らしくないステータスね。

 本当にそういうステータスだとしたら、ウィザードにはなれないわ。

 紅魔族は本来、アークウィザードになって上級魔法を取って一人前とされるけど……」

 

「……そんな気は、してました」

 

「むきむき……」

「……」

 

 先日、あるえの一言から始まったむきむきの経験値稼ぎは、今も継続されていた。

 その結果であるステータスの上昇は、ちゃんと彼のカードに反映されている。

 一緒に行っていためぐみんとゆんゆんのレベルが上がるほどに、彼は経験値を稼いでいた。

 その分、ステータスも上がっていた。

 だがそれでも、ウィザードになるには素質とステータスが足りていなかった。

 

(しょうがないか)

 

 なりたいものがあってもなれず。欲しいものがあっても手に入らず。求めても決して届かない。

 

(そろそろ、ちゃんと諦めないといけないのかな)

 

 二人とおそろいがよかったなあ、と。

 やっぱり魔法が欲しかったなあ、と。

 友達と同じになりたかったなあ、と。

 少年は断ち切れない未練を一つ一つ思い返し、一つ一つ断ち切っていく。

 

 めぐみんやゆんゆんに筋力を褒められることもあるが、彼は特別な力が欲しかったのではない。『皆と同じ』が欲しかったのだ。

 それは子供らしい願いであり、同時に叶わぬ願いでもあった。

 彼に魔法の才能は、最初から微塵も無かったのだから。

 

「……」

 

 改めて突き付けられた現実に、むきむきが天井を仰ぎ見る。

 

 それを見て、ゆんゆんはどう言葉をかけてやればいいのか分からず黙り、めぐみんは心赴くままに声を張り上げた。

 

「我が名はめぐみん! やがて紅魔族最強の魔法使いとなり、最強の戦士を従える者!」

 

 体は小さく、性格は雑把で、容姿は可愛らしく。

 なのに何故か、その言葉はむきむきの内側でやたらとかっこよく響く。 

 

「やはりというかどうやら私、当代一の天才だったことが判明しまして」

 

「めぐみんが?」

 

「ええ。学校随一……いえ、素質で言えば里随一であると太鼓判を押されているわ」

 

「悔しいけど本当よ、むきむき。

 めぐみんは勉強でもずっと学年主席で、魔力量でもトップだもの」

 

 ゆんゆんがちょっと悔しそうに、めぐみんの言葉を保証する。

 

「なので最強の魔法使いとなることは決まってるんです。

 ですが、あいにくまだ一緒に魔王を倒してくれる最強の前衛のあてがない」

 

 普段から"魔王を倒して自分が新たな魔王になった暁には"系の妄想をしているめぐみんから、何かを諦めた目をしている少年へ、手が伸ばされる。

 

「どうでしょうか? 私に必要とされる、というのは。

 あなたが今胸に秘めている願いの代わりにはなりませんか?」

 

 優しい言葉だった。

 根本の部分でとても情に厚い、彼女らしい言葉だった。

 何かを諦めた少年に、新たな何かを見せる言葉だった。

 

「……うん。僕には、勿体ないくらいだ。代わりにしちゃうには、過大なくらいだ」

 

「よろしい」

 

 "行き先が見つからないなら付いて来い"と手を差し伸べためぐみんは、むきむきよりよっぽど男前に見える。

 そのくせ、浮かべる微笑みは可愛らしい。

 彼女がそんなだから、救われる人間も居る。

 

「め、めぐみん、私は……?」

 

 そんな空気に、ゆんゆんが踏み込んだ。

 ここは会話が終わるまで黙って見ておくべき空気じゃないか、とめぐみんの鋭い目がゆんゆんを睨む。

 先生は微妙に空気を読まないゆんゆんに笑いをこらえている様子。

 

 どうやらゆんゆん、放置と蚊帳の外に耐えられなくなったらしい。

 筋金入りのさびしんぼだ。

 めぐみんはそんなゆんゆんを、ガン無視する。

 

「ならば、我らで伝説を打ち立てましょう!

 最強の魔法使い、めぐみん!

 最強の戦士、むきむき!

 荷物持ち、ゆんゆん!

 そして里の外で集めた仲間達!

 魔王を倒した者として、伝説を歴史書に刻むのです!

 多くの勇者達の上に、めぐみんとむきむきの名を刻んでやりましょう!」

 

「おー!」

 

「待ってめぐみん! 私の扱いが酷い! 私何か気に触ることした!?」

 

「ぺっ」

 

「うわあああああああん!」

 

 ゆんゆんの問いに、めぐみんは唾を吐き捨てて返答とし、それがまたいつもの喧嘩を勃発させていた。

 学校内で大喧嘩して先生に迷惑をかけたため、二人は先生の提案で、むきむきのお手玉にされるという罰を受けたとかなんとか。

 

「ちょ、ちょ、ちょ、待ったぁ!」

「ごめんなさい! ごめんなさい! もうしません!」

 

「提案しといてなんだけど、子供二人お手玉できるって凄いわね。冗談だったのに」

 

「え、冗談?」

 

 将来何をするのかも決めていなかった少年は、この日、未来に友と共に里の外へ冒険に出かけるという目的を得た。

 

 それは、他人に与えられたものでしかなく、自分の内側で一から創り出したものでもなんでもなかったが、彼にとっては生まれて初めて得た―――『いつかの未来にしたいこと』だった。

 

 

 




 ゆんゆんはあまりにもさびしんぼすぎて、近いような遠い未来で
「友達価格でこの最高品質のマナタイト売ってあげる」
 とか言われて買わされ、買った箱をウキウキして開けたら
「これ、マナタイトのパチもんで有名なクボタイトじゃない……」
 とかなって落ち込むタイプだと思います


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1-7-1 むきむき十歳。魔王軍と戦うの巻

 外見がか弱く小柄な美少女だとちょっとしたことでも同情してもらえる。外見が極めて強靭なタフガイだと中身が子供でもそんなに甘く見てもらえることはない。世は無常である


 この世界ほど友情・努力・勝利があてにならない世界もない。

 かといって、努力が無駄になることもない。

 人は裏切るが、筋肉は裏切らない。

 というわけで、むきむきは肉体鍛練を習慣として定着させ、日々繰り返していた。

 

「1001、1002、1003、1004、1005、1006……」

 

 指一本で逆立ちし、腕立て伏せの要領で上下に動く。

 その上下運動の速さたるや、エロ漫画世界の過剰に動くアナルバイブのようだ。

 アナルバイブのようなムーブでトレーニングを続けるむきむきだが、この形式の鍛練では必要な筋肉は付かない。

 物を殴る筋肉は、物を殴る動作でのみ身に付くものだ。

 これは単に、必要な筋肉をほぐすストレッチである。

 

『次、走り込み』

 

「押忍!」

 

 何が効率のいいトレーニングなのか。

 何が効率のいいトレーニングではないのか。

 それを教えてくれる者を得られたのは、むきむきにとって望外の幸運であったと言えるだろう。

 

『もっと速く。最初は刻むように、後半は蹴り込むように、全体的に足で"漕ぐ"イメージで』

 

「押忍!」

 

 ベン・ジョンソンのように、あるいは便所に走る若人のように、少年は走り込む。

 幽霊は無口であったが、事あるごとに指導してくれる人物であった。

 

 紅魔族に格闘技や近接戦闘職の人間は居ない。ほぼ全員がもやしだ。

 近接戦闘における(むきむきを除いた)紅魔族など、雨の日の大佐。クロスベル警察。右代宮戦人。アンドリュー・フォーク。ドルベ。そんなものだ。

 

 だがこの幽霊、どうやら近接格闘技術に覚えがあるらしい。

 地球のトレーニングにも詳しいようだ。

 むきむきの自己流鍛練にも時々口を出してくれるため、この魔法使いしか居ない里で、少年は奇跡的に武術の師を得ることができたのである。

 

『殴る時に親指を拳の内側に握り込むな』

 

「押忍!」

 

 ないものねだりはもうやめだ。

 魔法は使えない。自分が『里の普通』を手に入れることはない。

 そう自分に言い聞かせ、今あるものを鍛え続ける。

 彼が自分を鍛えているのは、近い将来里の外に出て行く時に備えているからだ。

 それに幽霊が協力してくれているために、幽霊と少年は一見打ち解けたかのようにも見えるが、実はそうでもない。

 

「そういえば、幽霊さんは生前何をしてらした方なんですか?」

 

 呼びかけるが、返答は返ってこない。

 

(……無視は悲しいです)

 

 会話が成立しない。この幽霊、普段は極めて無口だった。

 無駄口を叩かないというか、必要なことしか口にしないのだ。

 話し方や一人称もかなり古風で、浮世離れした印象も受ける。

 

「……今日の修行も終わりましたし、帰りましょうか」

 

 返答なし。むきむきは泣きたい気分である。

 

「ちょっとそこの、独り言で話してる痛々しいキン肉マン、ちょっといいかな」

 

「!?」

 

 そこで、泣きっ面に蜂が来た。

 横合いから声がかけられたということは、今の幽霊への言葉――他人から見れば丸っきり独り言――を聞かれていたということだ。

 いつからそこに居たのか、そこには赤い衣服に赤い仮面の男が立っていた。

 上から下まで真っ赤っ赤。

 顔は見えないが、声から察するに背が高い男性だろうか。

 むきむきに備わっている標準的な感性が「クソダサ」と言い、紅魔族的な感性が「かっこいい」と言い、間を取って「ちょっと変な人」という印象が心に残る。

 

 その男は服装が真っ赤っ赤だったが、今は聞かれていた羞恥心で顔を逸らしているむきむきの顔の方が、ずっと真っ赤であった。

 

「ど、どうも……」

 

「大麻でもキメてるのかな?

 見たところ紅魔族のようだけど、紅魔族はいつから大麻族になったんだい?」

 

「なってません!」

 

「まあそれはどうでもいいか。私は紅魔の里に行きたいんだが……」

 

「はいはいはい! 案内します! はい!」

 

 紅魔の里には観光名所もある。時々、旅行者や冒険者も訪れる。

 赤い服の人がその手の者であると判断し、むきむきは話を切り上げ、先のことを誤魔化すように、その人を里にまで案内していった。

 

 

 

 

 

 紅魔の里は今日も平和だった。

 地球的に言えばおやつ時の昼三時を回った頃、むきむきは赤い人を連れて里に到着し、そこで何やら勝負をしているめぐみんとゆんゆんに発見された。

 

「あ、おかえりなさい、むきむき。

 今日は売り込みでうちの親が居ませんから、私とむきむきとこめっこで食べ放題ですよ!」

 

「あれ、今日出張の日だっけ? しまった、忘れてた……」

 

「おかえりむきむき。あのね、お父さんが頼みたいことがあるんだって」

 

「族長さんが? また力仕事かな」

 

 紅魔族の慣例に沿えば、この二人もあと一年でアークウィザードとなり、魔法を覚えるための授業と修行が始まる。

 この楽しい時間も、あと二年は続かないだろう。

 旅立ちの時は、少しづつ近付いている。

 

「あ、そうだ! 聞いてよむきむき!

 めぐみんてば、もう酷いのよ!

 お昼の度に私と勝負して、私からお弁当を巻き上げようと企んでるの!」

 

「え、そうなの?」

 

「巻き上げるとは失敬な。

 私は尋常な勝負にて弁当を対価として頂いているだけです。

 負けず嫌いっ子に付き合ってあげてる慈悲深い私は、大天使と呼ばれてもいいくらいですよ」

 

「って、言ってるけど」

 

「……族長の娘の私としては、負けっぱなしじゃダメだから、その……」

 

「じゃあめぐみん大天使?」

「この慈悲深さにひれ伏してもいいんですよ」

 

「でもこれだけは言わせて!

 めぐみんは天使じゃなくて、天使のラッパで来るイナゴよ!」

 

「イナゴ!?」

 

 食用旺盛、遠慮なし。イナゴとは言い得て妙だった。

 

「というか、言ってくれればめぐみんの昼のお弁当くらい用意してあげるのに」

 

「むきむきからは晩御飯の食材を貰っています。

 なのでゆんゆんからはお昼御飯を貰わなければ、不公平ではないですか。

 私は二人を公平に、平等に扱っているんですよ。分かりますか、ゆんゆん?」

 

「え? そう言われてみると……いや、おかしい!

 堂々と言うから一瞬納得しかけちゃったけど、全部おかしい!」

 

 里の入り口で三人がいつものやり取りをしていると、里の奥から「いい加減働け!」「嫌だ!」というやり取りで家を叩き出されたニートが、子供に食事と寝床をたかりにやって来た。

 

「我が名はぶっころりー。家を叩き出され、むきむきに晩御飯を恵んで貰おうとしていた者……

 むきむき、その人は? むきむきが連れて来たのを見るに、里の外からの旅行者さんかな」

 

「あ、はい、この人は……」

 

 ぶっころりーに話を振られ、むきむきが赤い人を案内しようとし――

 

 

 

「ああ、私か? 私は魔王軍幹部・セレスディナ様の一の部下だよ」

 

 

 

 ――その言葉に。むきむきは二人の少女を抱えて瞬時に跳躍し、ぶっころりーは喉が張り裂けんばかりに叫んだ。

 

「敵襲っー!」

 

 ぶっころりーの声に応じて、里の者が鐘を鳴らす。

 家屋、工房、農地、その他諸々の場所から紅魔族が続々と集まり、数十人の紅魔族が十秒足らずで集結していた。

 バカみたいな日常を過ごしているくせに、いざ戦いとなれば馬鹿みたいに有能になる。

 それが、紅魔族であった。

 

「……里の子供にわざわざ案内させるなんて、今日は随分回りくどいじゃないか、魔王軍。

 一人で来るのも珍しい。

 魔王軍幹部でも、一人でこの里を襲撃するなんていう無謀は犯さないんだけど」

 

「確かに私は一人だな。だが、一匹じゃあない」

 

 赤い男が指を鳴らすと、突然モンスター達が現れる。

 送り出し(テレポート)に対する引き寄せ(アポート)、召喚魔法だろうか。

 突如現れたモンスターに、紅魔族は油断なく魔法の照準を合わせる。

 

「! なんだ、このモンスター……!?」

 

 だが、そのモンスター達はなんとも奇妙なモンスターだった。

 体のどこかが歪んでいる。体のどこかが変色している。

 ベースになったモンスターがなんなのかは分かるが、あまりにも原型を留めていないため、別種のモンスターと言われたら信じてしまいそうなほどに変わり果てていた。

 明らかに、人為的に何かを弄られたモンスター達だ。

 

「戦いになっても構わないが、私は戦いに来たわけじゃない」

 

「何?」

 

「見に来たんだ。占いで示された、よく分からない何かの正体を」

 

 赤い男はそう言って、赤い仮面を外した。

 

 人とちゃんと話す時は仮面を外すという真摯なスタイルに、一部の紅魔族は少しばかり好感を覚えるが、それもすぐに嫌悪に変わった。

 

「うっ……」

 

 

 

 何故ならば。仮面の下の顔が、あまりにもブサイクだったからだ。

 

 

 

「お前……そんな顔で、よく生きていられるな……」

 

「よく言われる。オークやアンデッドにもな」

 

 その言葉に、紅魔族の男の内何人か涙をこぼした。

 傷があるわけでもない。

 変なペイントがしてあるわけでもない。

 眉毛を剃りすぎたわけでもなく、髭を変に伸ばしているわけでもない。

 その男は、ただ単純にブサイクだった。

 顔面が作画崩壊していた。

 

 そんな中、めぐみんがぼそっと呟く。

 

「『顔面デストロイヤー』……」

 

 その顔はまさしくブサイクの中のブサイク。

 この天と地の間で並ぶ者が存在しないほどのブサイク。

 妲己になぞらえて、傾国のブサイクとでも言うべき作りの顔。

 おそらくはこの世で最もブサイクである、ブサイクのアルテミット・ワン。

 一言でまとめるのであれば、顔面デストロイヤーとしか言えない存在だった。

 

「が、顔面デストロイヤー……!」

「そうだ、顔面デストロイヤーだ……」

「この顔を言葉にするのなら、顔面デストロイヤー以外にありえない……!」

 

 あまりにも酷い紅魔族の物言いに、彼はこう言った。

 

「よく言われる」

 

 その言葉が、その場の全員の涙を誘った。

 

「紅魔の里に妙なものを見たと、魔王軍(うち)の占い師が言うものでね」

 

 デストロイした顔面で、赤い男は自分がここに来た目的を告げる。

 

「明確に危険な光が見えたならいい。

 手が空いている幹部を向かわせればいい話だ。

 けれども、これだけ小さい話だとそうもいかない。

 幹部直属の人間が行って様子を見てくる程度の案件になるのさ」

 

 男の目は黒かった。その黒色が徐々に解けて無数の色となり、男の目が虹色に変わる。

 その目に見られた紅魔族は、誰もが不快感を覚えた。

 自分の中の奥深くまで見られているという実感。

 自分の内側をまさぐられている不快感。

 自分も知らない自分を知られているという嫌悪感。

 虹色の目は、何もかもを見通すような色合いをしていた。

 

 その目が、むきむきに向けられ、そこで止まる。

 

「私の勘だが、お前のことだったのかな? 筋肉の少年」

 

「―――」

 

 どうやらこの赤い男の目的は、紅魔族に生まれた変異種であるむきむきのようだった。

 

 紅魔族はおおらかだ。日々適当に、享楽的に、刹那的に生きている。

 そんな紅魔族でも、『異物』として見られている人物が、魔王軍を里に引き入れる原因となり、里まで魔王軍を案内してきたとなれば……複雑な感情を込めて、むきむきを見る者も居る。

 

「……ごめんなさい」

 

 大半の紅魔族がそれを気にしていなかったとしても、数人からの視線が感じられてしまえば、自責の念に囚われたむきむきの口からは謝罪の言葉が漏れる。

 今にも泣きそうで、むきむきをよく知るものであれば、涙をこらえているのがひと目で分かる。

 そんな少年を見て、二人の大人が前に出た。

 

 前に出たのは、そけっととぶっころりーの二人。

 ぶっころりーはむきむきの斜め前に出て、彼を魔王軍から守るように立つ。

 そけっとはむきむきの斜め後ろに立ち、彼を里の者の視線から守るように動く。

 

「我が名はぶっころりー。紅魔族随一の靴屋のせがれにして、この子の敵を倒す者」

「我が名はそけっと。紅魔族随一の占い師にして、この子を敵から守る者」

 

「ぶっころりーさん、そけっとさん……」

 

「大丈夫。お姉さんに任せなさい」

「たまにいいとこ見せないと、俺みたいなのは尊敬してもらえないしね」

 

 軽口を叩く二人の紅魔族に、赤い男も戦意を滾らせて名乗る。

 覇気に溢れるその顔は、吐き気がするほどブサイクだった。

 

「お前達の流儀に則って私も名乗ろう。

 我が名はDTレッド。かつての名前はもう捨てた。

 魔王軍幹部セレスディナ様直属部隊、DT戦隊のリーダーだ」

 

 レッドは全てを見通すかのような虹の目で、紅魔族の一人一人を見回し、叫ぶ。

 

「お前達一人一人の情報は全て集めてきた。

 魔法耐性を極めて高くしたモンスターも揃えてきた。

 さて、お手並み拝見と行こう! 噂の紅魔族の強さとやらを!」

 

 レッドは臆することもなく、人類最高峰の魔法使い集団にモンスターをけしかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔族の対応は速い。

 詠唱は神速で、魔法の発動は一瞬。

 一言一言をしっかりと発音しているはずなのに、何を言っているのかまるで聞き取れない速度での詠唱から、一瞬で魔法が放たれた。

 

「パラライズ!」

「アンクルスネア!」

「フリーズ・バインド!」

 

 だが、麻痺の魔法はモンスターの魔法抵抗力に弾かれ、魔力の縄による足取りはレジストで消滅し、氷の捕縛魔法はモンスターを拘束できずに溶解する。

 常人とは比べ物にならない魔法威力を誇る紅魔族の魔法さえ弾くとは、常識外れと言っていいレベルの魔法抵抗力だ。

 が、大人達はそこから敵の魔法抵抗度合を測り、別のアプローチを図る。

 

「トルネード!」

「アース・シェイカー!」

「ボトムレス・スワンプ!」

 

 竜巻による足止めはレジストされ何の効果も得られなかったが、シェイクされた地面はモンスターを巻き込んで土に埋め、地面を沼に変える魔法がモンスターの侵攻を止める。

 

「モンスターに直接魔法はかけるな!

 地面を沼にしたりして、間接的に動きを止めろ!

 四人一組で行動、攻撃魔法は三人一組で一箇所を狙っていけ!」

 

 ゆんゆんの父である族長が、叫び仲間に指示を出す。

 紅魔族の大人達は平然と里の施設を遮蔽物として利用し、迫り来るモンスター達にゲリラ戦を仕掛け始めた。

 

「「「 『ライト・オブ・セイバー』! 」」」

 

 上級魔法でも屈指の威力を誇る、光の刃の魔法が放たれる。

 放ったのは三人同時。狙うは一箇所。

 三つの斬撃が『*』の形に交差して、極めて高い魔法抵抗力を持つモンスターの硬い甲殻に命中し、その甲殻にヒビを入れていた。

 

「おお、めっちゃ硬いなこいつ」

「魔法抵抗力なら幹部級か、部位によってはそれ以上だな」

「こいつは倒すのが相当手間かも……」

 

 でたらめな大火力に耐えるこのモンスターの規格外ぶりに驚けばいいのか、そのモンスターでさえ時間をかければ倒せそうな紅魔族に驚けばいいのか。

 常識がどっかに飛んで行ってしまいそうな光景だった。

 

 モンスターは光の刃を飛ばしてきた三人に襲いかかるが、攻撃に参加していなかった四人目が三人を掴み、転移魔法を発動させる。

 

「『テレポート』!」

 

 転移終了と同時に、三人は今度は光の刃ではなく、それぞれが得意とする雷の魔法を、ヒビの入った部分を狙って発射した。

 

「『ライトニング』!」

「『カースド・ライトニング』!」

「『ライトニング・ストライク』!」

 

 ヒビの間から僅かに電撃が入り、モンスターが僅かに苦しみの声を漏らしていた。

 

 紅魔族の戦闘スタイルは、言うなれば戦艦+空母+戦闘機だ。

 足を止めて大火力で殲滅する。

 仕留めきれなければ、テレポートで飛び回り火力を叩き込み続ける。

 攻撃魔法だけでなく、動きを止める麻痺や泥沼の魔法も織り交ぜる。

 高い魔法抵抗力をもぶち抜く彼らの魔法は、まるでミサイルである。

 

 対し、レッドが連れてきたモンスター軍は、言うなれば分厚い鉄板を何重にも貼り付けた戦車の軍団だった。

 とにかく魔法に強く、とにかく頑強。

 虎、熊、猪、大蛇と、モンスターの見かけからしてもう強い。

 魔法を受けつつ距離を詰め、紅魔族に攻撃魔法とテレポートをガンガン使わせ、最終的に魔力を使い切らせて圧殺するという目的で編成された部隊のようだ。

 

 その狙い通り、紅魔族は思ったようにダメージを与えられず、いつものように敵の数を減らすことができていない様子。

 めぐみんやゆんゆんと一緒に後方に下げられ、戦えない子供達と一緒に戦いを見守っていたむきむきは、それを見て表情を曇らせていた。

 

(……皆、いつもより苦戦してる)

 

 この世界に生息している魔法抵抗力が高い種族よりも、遥かに高い魔法抵抗力が見て取れる。

 レッドが連れて来たモンスター達は、魔法抵抗力だけ見れば大精霊クラスのものがあった。

 

(勝てる……かどうか、微妙な気が……)

 

 むきむきは、"もしかしたら皆が負けてしまうかもしれない"と思った。

 実際、この状況ではどちらが勝つとは判別し難い。

 ただでさえ流れが読みづらい戦場な上、むきむきは集団戦闘の経験などないからだ。

 この少年の判断が正しいという保証も、間違っているという保証もない。

 

 ただ、むきむきの脳裏には、嫌な未来予想図が生まれ始めていた。

 自分を狙ってやって来た魔王軍が、自分の案内で里に辿り着き、最終的に紅魔の里を滅ぼしてしまうという、未来予想図だ。

 

(僕がやらないと。あいつをここまで連れて来たのは、僕なんだから)

 

 彼の心には、自責の念があった。

 魔王軍はこの里の場所を知っている。彼が案内しなくても、DTレッドはこの里に来訪していただろう。

 そも、攻めて来る魔王軍が悪いだけで、善意から道案内をした子供が悪いわけもない。

 

 だが、少年の心には自責の念があり、その気持ちに突き動かされるように、DTレッドというリーダー格に戦いを挑もうとしていた。

 頭を潰せば、戦いは終わる。

 魔法対策に特化した者なら、自分の物理攻撃で倒せるはず、という甘い考えもあった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに、少年は気付きもしない。

 

『行くな』

 

「!? ゆ、幽霊さん、突然喋るのびっくりするんで勘弁してください」

 

『大人に任せておけ』

 

「そういうわけにもいきません……行ってきます!」

 

 戦場の中心から離れていくレッドを見て、幽霊の忠告も聞かず、少年は自責の念に駆られるまま走り出す。

 その動きだけを見れば自然な動きで主戦場を離れていく――戦場全体を見れば、不自然な動きで離れていく――レッドを、少年は追いかけて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔の里から見て西に位置する、小さな山や大きな山と隣接する草原。

 そこに、DTレッドは移動していた。

 大きな山は連峰の端に連なり、小さな山は椀をひっくり返したような形状になっている。

 その向こうに到達される前に、むきむきは彼に追いついた。

 

「待て! 追いついたぞ、魔王軍!」

 

「……まったく。子供を操るのは本当に簡単だ。

 思慮が足りない。経験が足りない。悪辣さが足りない。笑えてくるな」

 

「……?」

 

 あまりにも予想通りすぎる動きでここに来たむきむきを見て、DTレッドは苦笑する。

 

「ウォルバク様が子供を利用したがらない理由も。

 セレスディナ様が子供を躊躇わず利用する理由も、よく分かる」

 

 そうして、レッドはまたどこからともなくモンスターを呼び寄せた。

 体長20mを超える二足歩行のドラゴン。

 体長3mの蟷螂(カマキリ)

 鋼鉄の体躯を持つ大猪。

 赤と黒色で出来た人より大きな雀蜂(スズメバチ)

 挽き肉(ミンチ)を人型に練り上げたような、奇妙な肉塊。

 そのどれもが、先程紅魔族を苦戦させていたあのおかしなモンスターに似通った雰囲気と、似通った改造痕を持っていた。

 

「あ……」

 

「私が思うに、この世界で女神エリスが信仰されているのには理由がある。

 いや、エリスとアクア以外の女神への信仰が残らなかった理由と言うべきかな?

 この世界の命は酷く軽い。

 この世界の住人は、いくら備えても幸運が無ければ死んでしまうことを知っている。

 運がなければ、選ばれし勇者も、最高の魔法使いも、あっさり殺されることを知っている」

 

 罠だ。そう気付いた時には、もう遅く。

 

「私が見たところ、お前の幸運は、笑えないくらいに低いようだな」

 

 少年のステータスとスキルを虹色の目で覗きながら、デストロイした顔面で、男は笑った。

 

 モンスター達が、一斉に襲いかかる。

 先頭を走るは、もっとも突撃力があるであろう大猪。

 金属質になった体で、猪はむきむきに突っ込んで行った。

 

「らぁっ!」

 

 むきむきが、その鼻っ面を蹴り飛ばす。

 イノシシは吹っ飛び、途中にあった大岩にぶつかり、それを粉砕してなお吹っ飛び続ける。

 やがて地面に落ち、転がり……されど、ダメージはなく。

 イノシシは平然と立ち上がり、またむきむきに向かって駆けてきた。

 

「!?」

 

 少年に驚く間も与えずに、カマキリが彼に襲い掛かってくる。

 振り下ろされるは、左腕の鎌。

 むきむきはそれを左腕で受け、鋭い金属音のような音が鳴り響いた。

 

 少年が左腕を左に押しやり、カマキリの左腕の鎌ごと敵の体を動かせば、カマキリの左側面が無防備に晒される。

 むきむきはそこに、全力の右拳を叩きつけた。

 が、カマキリの左脇腹を、彼の右拳が破壊することはできない。

 

(硬い……!)

 

 物理防御力が高すぎる。

 そう判断したむきむきは、こめかみを狙って針を突き出してきたスズメバチの攻撃をしゃがんで回避し、後ろに跳んで距離を取った。

 

「魔法抵抗力をゼロにして、物理防御力に回す。

 肉体の強度を上昇させ、物理防御力で魔法に耐える。

 そうすれば、物理攻撃にも魔法攻撃にも耐えられるモンスターが出来る……

 そういうのを最近思いついてな。この五体はその理論で生まれた第一シリーズってやつさ」

 

 肉の魔獣が接近してきて、少年は迎撃に蹴りを叩き込むが、まるで効果が無い。

 ドラゴンの吐く炎を、腕を振って発生させた風でかき消したタイミングで、むきむきはレッドの背後に忍び寄る一撃熊の姿を見た。

 

「お、一撃熊か。私の方は幸運に恵まれているようだ」

 

 チャンスになるか、と少年が思えたのも一瞬だけ。

 レッドは一撃熊の胸に触れ、その体に何か波動らしきものを流し込む。

 一撃熊は絶叫し、その姿を変え、ほんの一瞬で他のモンスターと同じ、改造されたような姿のモンスターと化していた。

 

 レッドに忠実に従う、むきむきの命を狙うモンスターとして新生していた。

 

「―――!」

 

「そら、もう一匹追加だ」

 

 ()()()()

 DTレッドという明らかな役職名だけを名乗ったこの男は、やることなすことおかしかった。

 明らかに、"この世界に存在する法則の外側の力"を行使している。

 

「あなたは、何者なんだ?」

 

「ん?」

 

「モンスターを捕縛して、強制的に従わせて、強化改造するなんて聞いたことがない」

 

「それはそうだろう。普通はこんな力なんてありえない。

 女神エリスがいつ回収しに来るか、俺としても戦々恐々ものさ」

 

「……? なんで、そこで女神エリスの名前が?」

 

「女神本人に聞いてみたらどうだ?」

 

 レッドは知っている。むきむきは知らない。

 この世界でモンスターに殺された者が、女神エリスに会えるということを。

 

「お前を女神に会わせる方法なら、私でもよく知っている」

 

 そうしてレッドは、六体の強化体モンスター達をむきむきに再度けしかけた。

 

『随分と粘るな』

 

 幽霊が、苦戦するむきむきに語りかける。

 むきむきは筋肉で生み出した炎を連続してぶつけるも、物理防御力が異常に上昇しているモンスター達には通用しない。

 

『罪悪感で戦う者は、すぐ諦める。

 もういいやと、すぐに死を受け入れる。

 自責の念でここに来たくせに、随分と粘るものだ』

 

 幽霊の言葉が虚しく響く。

 少年は苦悶の声しか出せていない。

 モンスター達によるリンチを、むきむきは必死に凌ぐ。

 普段ほんわかとした雰囲気をしていて、時折物悲しい雰囲気を見せるむきむきらしくもない、必死に生きようと足掻く狂乱に近い戦い振りだった。

 

『理由があるのか? 生きたい理由が。奴を倒したい理由が』

 

 鉄のイノシシに跳ね飛ばされ、空中で巨大ドラゴンの尾に叩き落とされ、むきむきは地面に叩きつけられる。

 骨に、ヒビが入った音がした。

 

 少年はフラフラと立ち上がり、ようやく幽霊の問いかけに答える時間と余裕を手に入れる。

 

「里の外に出て、めぐみんと一緒に色んなものを見たい。

 里の皆に、いつかでいいから、ちゃんと仲間だと認めてもらいたい。

 だから、死にたくないし、この里を、僕の故郷を、守りたいんだ」

 

 今ここで敵を倒せれば、皆を助けられるかもしれない。大切なあの子を守れるかもしれない。

 ここで負ければ、皆も負けてしまうかもしれない。大切なあの子も死んでしまうかもしれない。

 ここで死にたくない。未来にしたいことがあるから。だから、生きていきたい。

 "しにたくない。したい。だから、いきたい"。

 そう思えるのは、彼に大切なものをくれた、大切な友達が居てくれたから。

 

 あの日、里を一人で歩いていた彼に、希望の言葉をくれた子が居た。

 何かを諦めた彼に、外の世界を冒険するという未来の希望をくれた子が居た。

 その子は里の皆に仲間として認められたいと願う少年に、「無理だ」とは一度も言わなかった。

 ただ、その在り方を尊重してくれていた。

 

「やりたいことがある。認めてもらいたい人達が居る。だから………負けたく、ないんだ!」

 

 迫る魔獣達。

 以前の彼と同一人物とは思えない勇敢さを見せ、踏み出すむきむき。

 それを見て、幽霊は深く溜め息を吐いた。

 

(それがし)の声に合わせろ』

 

「え? ……! はいっ!」

 

 蜂と熊の攻撃が迫る。

 

『恐れるな、前に出て、地面に向けて飛び込み転がれ』

 

 少年は地面スレスレに飛び込み、転がるようにして回避行動。

 突き出された針と、振るわれたクマの豪腕を回避する。

 次に来たのは、蜂と熊の後に続いていた肉塊とカマキリ。

 

『右を殴れ。左を投げろ。そして、戻って来た右も投げろ』

 

 右に見える肉塊の方が、二歩分早く接近している。

 ゆえに、肉塊を殴り飛ばして距離を離し、カマキリとタイマンの状況を作って投げ飛ばし、最接近してきた肉塊も再度投げ飛ばす。

 そうやって、幽霊の指示でむきむきは一対六の状況を絶対に作らないよう動き、一対一を超高速でローテーションするという脅威の戦闘を展開し始めた。

 

 殴り、投げ、蹴り、吹き飛ばし、跳んで、防いで、殴り、弾く。

 むきむきの攻撃は極めて頑丈なモンスターの外皮に防がれ、ほとんどダメージを通せていない。

 これはただの悪足掻きだ。

 諦めの悪い子供の食らいつき。

 執念と呼ぶには粘度が足らず、妄執と呼ぶには醜さが足りない。

 大人にしがみついて我儘を言う子供の癇癪のような、未熟な感情の爆発でしかない。

 

『友でもいい。家族でもいい。女でもいい。

 守りたいと想った者の姿を思い浮かべろ。

 思い浮かべて、声に従え。想いながら某に合わせて手足を振るえ』

 

 だが、幽霊の助言のたびに、確実に、明確に―――彼は強くなっていった。

 

『お前は、それで強くなる手合いだ』

 

「どぉりゃあっ!」

 

 20m超えのドラゴンの尾を掴んだ少年が力任せにドラゴンを投げ飛ばし、ここでようやくレッドが小さな驚きを見せる。

 モンスター達が一方的に圧倒しているにもかかわらず、少年はまだ負けていなかった。

 勝ち目はない。勝機もない。幽霊は勝利に至る道筋が無いがために、それを一切少年に示すことはない。だが、彼はひたすらに"負けないための方法"を少年に提示し続けた。

 

 無口で無親切ではあるが、この幽霊こそが、この少年の唯一の師であった。

 

『貴様一人では到底勝てん。だが、時間稼ぎになろう。

 ならば無為にはなるまい。それが人生というものだ』

 

 諦めないのなら、繋がるものもある。

 

 

 

 

 

 二人は走る。ただ走る。

 里を出て、木々の合間を抜け、モンスターに見つからないように身を屈め、必死に走る。

 手にはカード。家から勝手に持ち出して来たものだ。

 息を切らせて、小さな体でただ走る。

 

 そうして、二人の少女は、その平原に辿り着いた。

 

「!」

 

 その驚愕は、誰のものであっただろうか。

 

「めぐみん、ゆんゆん!?」

 

 むきむきが驚き、声を上げる。

 血まみれ、傷だらけのむきむきを見て、二人の目が一瞬にして鋭くなった。

 感情が高まると目が赤い輝きを増す紅魔族の特性が、二人の目を同じくらい真っ赤に染める。

 

「よく頑張りましたね、むきむき!」

「待ってて、今助けるから!」

 

 二人は手にしたカードを、胸の前に構えた。

 

「! 冒険者カード!?」

 

 紅魔族は学校でカードを作る。

 小さな子供でも、冒険者カードは作れる。

 紅魔族は、一人を除きその全てが12歳時にアークウィザードとなる。

 めぐみんとゆんゆんは、むきむきのレベリングに付き合い多くの経験値を得ている。

 

 全て、今日までの日常の光景の中にあった事実だ。

 

「「 『アークウィザード』! 」」

 

 二人が叫び、冒険者カードの職業欄に『アークウィザード』の文字が刻まれる。

 

 二人はそのまま、カード下部のスキル習得欄に指を沿え――

 

「爆裂魔法!」

「上級魔法!」

 

 ――指先の光で切り裂くように、記された魔法の名を擦り上げた。

 

「「 習得っ!! 」」

 

 この世界の魔法習得は、システマチックである。

 使えない者は一生使えず、覚える時は一瞬だ。

 ゆえに、DTレッドが事前調査で戦力として数えていなかった二人が、一瞬にして脅威になるということが起こり得た。

 

「『ライトニング・ストライク』!」

 

 ゆんゆんが小さな杖を振り、モンスター達の頭上から大きな雷が拡散しながら落ちる。

 雷は肉塊や20mドラゴンを魔法効果で痺れさせたが、決定打には至らない。

 カマキリ、蜂、熊、猪にいたっては、僅かに怯ませただけで弾かれてしまっていた。

 強固な体表と物理防御力が、雷の破壊効果を弾いてしまっている。

 

「ゆんゆん! こいつら硬いだけで、魔法抵抗力は無い!」

 

「わ、分かったわ! よーし! 『エナジー・イグニッション』!!」

 

 狙うは大雀蜂。

 ゆんゆんが放ったのは、『相手を体内発火させる』というえげつない上級魔法であった。

 魔法抵抗力がなければ防げない、確殺の一撃。

 それが、蜂の魔獣を一瞬にして焼死体へと変えていた。

 

「総員、あのアークウィザードからやれ」

 

 DTレッドはそれを見て、即座に第一目標をゆんゆんに変更、モンスターに指示を出し直した。

 レッドは後ろに下がっているため、少女二人がどんなスキルを取ったのか見ることも聞くこともできなかったのだろう。

 今このタイミングで、魔法攻撃ができる紅魔族が参戦するのは、レッドにとってあまりよろしくない展開だった。

 

 モンスターがゆんゆんに群がろうとし、その攻勢をむきむきが体を張って止めようとする。

 

「そうはさせない!」

 

 肉塊を左足で蹴り、猪の突進を右膝で止め、カマキリの刃を右手で掴み取り、左腕で熊を殴った直後、ドラゴンの炎を全身で遮る。

 炎は熱かったが、根性で耐えた。

 

「『フリーズガスト』!」

 

 モンスターの妨害は失敗し、ゆんゆんはまたしても魔法を放つ。

 放たれたのは冷気の魔法。冷気はドラゴンの炎を消してむきむきを救い、巨大なドラゴンの両足を凍結させ、その動きを封じることに成功していた。

 

 一方向から全員で攻めても、むきむきが間に入れば攻めきれない。

 DTレッドは素早く的確な判断を下し、ゆんゆんを包囲するように魔獣達を動かす。

 杖を持ったゆんゆんと、拳を握ったむきむきは、背中合わせに構えた。

 

「……私が、こういうのにちょっと憧れてたって言ったら、笑う?」

 

「笑わないよ。だって、僕もそうだから」

 

「―――ありがとっ!」

 

 四方から、熊、肉塊、カマキリ、猪が迫る。

 むきむきはゆんゆんを横抱きに抱え、高く跳躍した。

 モンスター達は同士討ちを防ぐためぶつかる前に急制動をかけ、一瞬動きが止まってしまい、そこにゆんゆんの雷が飛ぶ。

 

「『ライトニング・ストライク』!」

 

 最初に撃ったような複数体を巻き込む雷撃ではない。

 収束し、圧縮し、一筋の雷光と化したその魔法は、先の攻防で電撃が有効であるという事を露呈させてしまった肉塊に命中。

 肉塊は体内を黒焦げにされ、息絶えていた。

 

 魔法の使い方が、明らかに上達している。

 ゆんゆんもまた、紅魔族だ。

 扱えば扱うほどに、使えば使うほどに、魔法の扱いは上手くなっていく。

 

「……参ったな。物理特化と見て、メタを張ったまでは良かったが……

 私の魔王軍の肩書きも泣いてるかもな、この醜態じゃ。

 この早さでの援軍も予想外。子供の魔法習得も予想外。

 しかも、予想以上にあの少年、その場のノリで発揮する強さが変わる手合いのようだ」

 

 ゆんゆんを後方に置き、むきむきはここで敵の足止めをするため、なんと『地面』を投げた。

 地面がめくられ、地面ごとモンスター達が投げ飛ばされる。

 動けないドラゴンまでもが、土の濁流に飲み込まれていた。

 

「絶望の深淵に揺蕩う冥王の玉鉾。現世の導を照らすは赤誠の涓滴……『アースシェイカー』!」

 

「技撃った後に詠唱言ってどうするの、むきむき……」

 

「ごめん、ちょっと詠唱が間に合わなかったから」

 

 地球の合気道という武術には、天地投げという技がある。

 これはつまり、合気道の使い手には天や地を投げ飛ばせる人間が居たということの証明に他ならない。人間は、その気になれば天も地も投げられるのだ。

 地球世界の日本に天と地を投げられる人間が居るのなら、ファンタジー世界の人間にそれができない道理はない。

 

 むきむきはまだ未熟なため、天は投げられないが、地を投げることはできた。

 彼にはまだ、成長の余地がある。

 

(筋肉が魔力の影響を受けている。

 ……いや、魔力と筋肉が親和している?

 精神の状態が、そのまま肉体の性能に直結している)

 

 DTレッドの虹色の眼が、上級魔法の他にも魔法を習得していたゆんゆんを時折見ながら、彼女を守るむきむきを凝視する。

 

(本名むきむき。種族紅魔族。

 身長245cm。体重320kg。年齢10歳。……10歳? スキル無し。

 本名ゆんゆん。種族紅魔族。年齢11歳。取得魔法は―――)

 

 二人のステータス、スキル、魔法の一覧が、見透かされていく。

 

(魔力は人の意志に従い動くもの。

 そうか、成程。

 あの筋肉は意志に感応し、魔法のようにその性能を変化させているのか)

 

 紅魔族の目は、気持ちが高ぶると赤く輝く。

 本来ならばそれは、その者の内の激情を計る基準にしかならないもの。

 だがむきむきに限っては、赤眼の輝きの強さこそが、"今どれだけの力が発揮されているのか"のバロメーターとなっていた。

 

(あの筋肉が既に、『感情に応じてスペックを増す』魔法のようなもの)

 

 赤い眼が強く輝けば輝くほどに、彼は強くなっていく。

 

「『カースド・クリスタルプリズン』!」

 

 ゆんゆんの魔法が熊を凍らせ、凍結で非常に脆くなったそれをむきむきが回し蹴りで蹴り砕く。

 ドラゴンが振ってきた尾と、カマキリが振ってきた鎌をかわして、むきむきはゆんゆんに突撃していく猪の後を追った。

 100mの距離が、一瞬にして詰まる。

 少年は恐ろしい速度で接近し、背後から抱きしめるようにしてその突進を停止させた。

 

 日本の薩摩示現流には、『雲耀』という概念がある。

 『示現流聞書喫緊録』(1781年著)には「時刻分秒絲忽毫釐」と書かれており、一日を十二時、一時を八刻二十八分、一刻を百三十五息、一息を一呼吸とする。

 それを更に短く切り分け、一呼吸八秒、一秒十絲、一絲十忽、一忽十毫、一毫十釐とする。

 その釐の十倍の速さが『雲耀』。

 秒数にして0.0001秒の世界。これを、薩摩の剣士は稲妻に例えた。

 この雲耀の間に動くことが奥義である、と薩摩示現流では伝えられている。

 

 つまりこの教えは、当時の薩摩の剣士達が皆、雷の速度で戦っていたことを意味している。

 地球世界の日本人が稲妻の速さで動けるのであれば、ファンタジー世界の住人であるむきむきがその速さで動けない道理があろうか? いや、ない。

 されど、少年はまだ未熟者だ。

 雲耀の域にはまだ達していない。彼にはまだ、成長の余地がある。

 

「ふんっ!」

 

 抱きしめるようにして止めた猪を、むきむきが頭上に放り投げる。

 

「『エナジー・イグニッション』!」

 

 そこに、ゆんゆんの魔法が炸裂した。

 が、どうやらこの猪、内側も頑丈だったらしい。

 ゆんゆんの魔法を受け、地面に激突してもなお、猪は死んで居なかった。

 

「天の風琴が奏で流れ落ちる、その旋律、凄惨にして蒼古なる雷―――『ライトニング』!」

 

 だが、ここまで弱っていれば十分だ。

 むきむきは猪の口の中に拳を突っ込み、筋電位からの放電で猪の体内に電撃をぶち込む。

 それでようやく、猪は絶命してくれた。

 

 ゆんゆんが親指を立て、むきむきも親指を立てて返す。

 

(……本当に凄いな、上級魔法。

 今日まで戦ったこともなかったはずのゆんゆんが。

 あれ一つで、魔王軍のモンスターを完全に圧倒してる……)

 

 レベルもおそらくは一桁だろうに。恐るべきはゆんゆんの才能と種族特性、それと噛み合う上級魔法といったところか。

 むきむきが多少合わせるだけで、面白いように敵が落ちていく。

 少年と少女の戦闘スタイルは、笑えるほどに噛み合っていた。

 

 残りモンスターも二体。

 巨大なドラゴンは地面を揺らしながらゆったりと接近を初め、3mのカマキリは一気にゆんゆんとの距離を詰めてくる。

 

「わ、わわっ」

 

 ゆんゆんはカマキリに怯え、数歩後退。

 そこで、ゆんゆんの背が、むきむきの腹にぶつかった。

 

「大丈夫。ゆんゆんなら出来るって、僕はよく知ってる。

 とっても頼れる、僕の生まれて初めての友達なんだから」

 

 ゆんゆんの体の後退と、心の後退が止まる。

 少女の眼が、赤色を増した。

 

「キシャアッ!」

 

 カマキリが初めて威嚇の叫び声を出し、ゆんゆんに鎌を振り下ろす。

 少女は少年に背中をくっつけたまま、友を信じて何もせず、友は信頼に応え鎌を受け止める。

 少年が鎌を受け止め、少女はたおやかな指で手刀を作り、それをカマキリへと叩きつけた。

 

「『ライト・オブ・セイバー』ッ!」

 

 叩きつけられた手刀から、万物を切り裂く光の刃が放たれる。

 本人の技量次第で森羅万象全てを切り裂ける魔法。

 されど、未熟者が使おうとも竜の鱗を切り裂く魔法。

 強固なカマキリの外皮が切り裂かれ、その下の肉が露出する。

 

「我、久遠の絆断たんと欲すれば、言葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう―――」

 

 ゆんゆんがむきむきの膝を踏み台にして跳び、肩を踏み台にして跳び、少女が少年の背後に移動した。

 詠唱する少年の手刀が、ゆんゆんの消えた後の空間を通過する。

 

「―――『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 触れた大気をプラズマ化させるほどの手刀が、ゆんゆんの魔法が当たった場所に寸分違わず突き刺さり、その命を刈り取った。

 

 残るモンスターは、あと一体。

 

「死した我が手足達よ。

 今一度蘇れ。竜の肉、竜の力と混じり合え。

 灰は灰に、塵は塵に、屍肉は血肉に、死は生に」

 

 されど、ここで観察に徹していたDTレッドが行動を起こした。

 耳慣れない――死体をアンデッドに、人をリッチーに変える魔法の詠唱に似た――詠唱を口にして、レッドは死んでいった魔獣の死体を集結させる。

 屍肉がドラゴンに纏わりつき、その全身に融合を始めた。

 

「な、なんなのあの魔王軍!

 モンスターを操って!

 死んだモンスターを融合させて!

 そんなことができるスキルなんて、聞いたことないわよ!?」

 

「だから僕もよく分からなくて困ってる!」

 

 いかな化学反応が起こったのか、ドラゴンはその体を前後左右上下に二倍化。

 体積体重を八倍化させ、40m超えの巨大なドラゴンへと姿を変えた。

 

「で、でかい……!?」

 

「む、むきむきも巨大化しないと! まだ成長期だし!」

 

「落ち着いてゆんゆん! 僕は成長期だけどこんなにおっきくはならないよ!」

 

 これではむきむきの筋肉を使った攻撃も、ゆんゆんの上級魔法も通じまい。

 大きいということは、ただそれだけで圧倒的な強さであった。

 

「合成魔獣。お前達が倒したモンスターの融合体だ。

 全ステータス、及びスキルが合計されている。その上――」

 

「待ってましたよ。一番の大物が出て来る、このタイミングを」

 

「――ん?」

 

 意気揚々と超弩級巨大ドラゴンの説明をしようとするレッド。

 が。

 その説明を、嬉々とした少女の声が横から遮った。

 

 最高にかっこよく決められるタイミングを狙い、そのタイミングまでこっそりと隠れていためぐみんが、大きな岩の上でかっこよくポーズを決めていた。

 

「私の魔法第一号が最高に輝く……この瞬間をっ!

 黒より黒く闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆を望みたもう!

 覚醒の時来たれり、無謬の境界に落ちし理! 無形の歪みとなりて現出せよ!」

 

 それは、例えるならば"超強い武闘家と超強い魔法使いを鋼鉄の要塞で蹂躙しようとしたら敵が核兵器を撃ってきました"といった感じの、インフレーション極まりない大蹂躙。

 

「我が名はめぐみん! 刮目せよ、これが我が爆焔―――『エクスプロージョン』ッ!」

 

 発射した少女の足元にクレーターが出来、発射の際の衝撃だけで地面がめくれ、草木は地から引き抜かれ、周囲に暴風が吹き荒れる。

 発射と同時、射線上の大気は灼けた。

 着弾と同時、発射された魔法は竜を巻き込み『爆裂』する。

 空間が砕ける。砕けた空間が燃え尽きる。

 大気が焼失する。残った空気も爆発により爆心地から追い出され、真空状態になった爆心地に向けて、数秒かけて周囲から一気に空気が戻る。

 その過程で、大木すら引き抜かれるような暴風が発生する。

 地面があまりの高熱に溶岩のごとく融解し、冷えた部分は透明なガラス質に固まっている。

 あまりにも大きな熱が規格外の上昇気流を発生させ、空の雲さえもかき混ぜる。

 大怪獣と言っていい大きさの竜が、一瞬にして消え失せる。

 

 その一瞬の過程において、爆心地の中では常に、目も眩むような爆焔が燃え盛っていた。

 

 "美しい"と表現すべき破壊の焔。

 まるで、世界の一部を切り取って、代わりに神話の一幕を貼り付けたかのような光景。

 あまりにも現実離れした、鮮烈で、猛烈で、激烈な風景がそこにある。

 いや、違う。

 鮮烈でも猛烈でも激烈でもない。

 これこそが、『爆裂』だ。

 

「これが、私の爆裂魔法……最っっっ高の気分ですねっ!」

 

 一番の大物を一撃で仕留め、最高の笑顔を浮かべて、めぐみんはその場にぶっ倒れた。

 

「……」

 

 せめて合成魔獣の説明くらいさせてくれよ、という言葉を、レッドはぐっと飲み込んだ。

 

「流石めぐみん! 一番美味しいところを持って行った!」

 

「……ここは『ハイエナみたいなことしやがって』と怒るとこじゃない?」

 

「めぐみんがかっこいいからよくない?」

 

「……」

 

 ダメだこの人、と思いつつも。自分もかっこいいと思ってしまったために、むきむきの言葉を否定できないゆんゆんであった。

 手勢を全て潰されたレッドは、ブサイク過ぎるというだけで討伐対象になってしまいそうなデストロイした顔で、溜め息を吐く。

 

「次世代の紅魔族か。全く、侵略に時間をかけすぎるとすぐこうなる……」

 

 紅魔族の新しい才能と世代交代。

 魔王軍からすれば、これほど嬉しくないニュースもない。

 吐かれた溜め息は、当然のものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔力を使い果たしてぶっ倒れためぐみんが、ゆんゆんの手を借り木に寄りかかる。

 あれほどの魔法、本来ならば人に撃てるものではない。神でさえ二発は撃てないだろう。

 めぐみんの規格外な魔力量が使用を可能としたのだろうが、それでも消耗は激しく、立っていることさえ難しそうな消耗具合だ。

 

 めぐみんをゆんゆんに任せ、むきむきは近寄って来たDTレッドと相対する。

 

「今の爆焔。ブルー辺りは好みそうだな……さて」

 

 この赤い男がモンスターより弱ければいいのだが、そんな淡い期待ができようはずもない。

 むきむきはリンチのダメージがじわじわと効いてきていて、体力も消耗している。めぐみんはもう動けない。ゆんゆんも上級魔法の撃ち過ぎで、残り魔力が心もとない状態だった。

 

「見事、と褒めてやりたいところだが。

 残念ながら、見逃してやれる理由がなくなってしまったな」

 

 すっ、とレッドが踏み込んで来る。

 突き出された手刀はむきむきの技とは比べ物にならないくらいにへなちょこで、どう見ても近接格闘タイプの職業が放ったものではない。

 むきむきは、その手刀を余裕で掴み取ろうとした。

 

『そいつの手に触れるな!』

 

(え?)

 

 だが、ここで、二人の少女が来てからはむきむきに自由に戦わせてくれていた、言い換えるならば彼の自主性に任せてくれていた幽霊が、第六感から警告の叫びを上げる。

 だが、その警告は一瞬遅かった。

 むきむきが手刀を掴み取り、レッドのスキルが発動する。

 

「『不死王の手』」

 

「う……あっ!?」

 

 ビリッ、とむきむきの全身に電気が走ったような痺れが満ちる。

 状態異常・麻痺が少年の体に付与されたのだ。

 続いて二発目の手刀が少年の体に当たり、少年の()()()()()()()()()

 レベル一つ分筋力値を始めとするステータスも減少し、レッドは三発目の手刀を放とうとするが、そこでゆんゆんが雷を発射した。

 

 レッドは回避のために後ろに跳んで距離を取り、動けなくなったむきむきを、現在唯一動けるゆんゆんが体を張って庇いに動く。

 

「私のレベルドレインが成功するとは。本当に魔法抵抗力は低いんだな」

 

「手で触れてドレイン……まさか、リッチー!?」

 

「いいや、私はリッチーではない。

 このスキルは魔王軍幹部のリッチーのものだがな」

 

 アンデッドの王、リッチーは様々な理由から恐れられる、この世界の最強種の一角だ。

 その恐れられる理由の一つに、『手で触れられたら終わる』というものがある。

 対象の魔力と体力を吸い取るスキル、『ドレインタッチ』。

 手や武器での攻撃の際、毒、麻痺、昏睡、魔法封じ、レベルダウン等の状態異常を引き起こす『不死王の手』。

 この二つのスキルだけで、リッチーは最上級クラスのモンスターでさえ一方的に蹂躙することが可能である、というのが専門家による戦力分析だ。

 

 一度触れられ、むきむきは麻痺し無力化させられた。二度目にはレベルを下げられた。

 敵に回すのであれば、これほど恐ろしいスキルもない。

 

「今のお前なら私でも殺せる。

 すぐに私にもお前は殺せなくなる。

 なら、ここで仕留めておくべきか。

 勇者や勇者の仲間はレベル1の時に首を刈っておくに限る」

 

 めぐみんやゆんゆんには目もくれず、レッドはむきむきだけを見ている。

 その虹色の目は何かを見通していて、少女二人には殺されないという確信に満ちていた。

 分かりづらかっただけだった。

 後ろに控えていたために、この男の実力が目に見えていなかった。それだけだった。

 だが、こうして対峙してみればよく分かる。

 

 めぐみんはあの合成魔獣ではなく、この男にこそ、爆裂魔法を撃つべきだったのだ。

 

 この男の方が、あの魔獣よりもずっと強かったのだから。

 

「う、うごご……しびび……ゆ、ゆんゆん、下がって……!」

 

「! むきむき!?」

 

「おお、立ったか。そんなに甘いスキルでもないんだがな、不死王の手は」

 

 むきむきは根性で立つ。

 が、生まれたばかりの子鹿のように足は震え、上半身はふらつき、目には涙が浮かんでいた。

 

「全身が、ずっと正座した後の……足の……百倍くらい……あばばぃ……!」

 

「な、泣いてる……! むきむきが泣いてるっ……!」

 

「だからそんなに甘いスキルじゃないと言ったろうに」

 

 ゆんゆんはむきむきを庇い、この戦闘中も必死に呼吸でかき集めていた大気中の魔力、体内に残っていた魔力を絞り出し、眼前にある余裕ぶった最上級のブサイク顔に最後の魔法を叩き込む。

 

「『ライト・オブ・セイバー』ッ!」

 

「『マジックキャンセラ』」

 

 だが、その魔法も途中でキャンセルされてしまった。

 

「魔法を消す魔法!?」

 

「あのなあ……言ったろう? 魔王軍幹部の一の部下と。それでどうにかなると思ったのか?」

 

 レッドが手の平の背でゆんゆんを殴り飛ばし、脇にどかす。

 その際に発動した状態異常は『魔法封じ』。これで、最後の戦力も潰されてしまった。

 むきむきは麻痺で倒れ、けれどもまた立ち上がろうとする。

 魔力切れで立てないはずだっためぐみんも、大きな杖を松葉杖代わりにして、杖に縋り付くようにして歩き、仲間の下に合流する。

 

「ぐ、ぐぐぐ……むきむき……

 女の子がこんなに頑張ってるのに、立てないとか、恥ずかしくないんですか……!」

 

「っ、かっこ悪いとこを見せたくないのに見せちゃってるのが、現在進行系で恥ずかしい……!」

 

「……根性だけは認めよう。生存は認めないがな。お前達二人は、少々危険だ」

 

 爆裂魔法。

 異常筋肉。

 それが、魔王軍に二人の生存を認めさせない。

 少年少女共に頑張ってはいるが、その頑張りが状況を逆転させることはない。

 

 DTレッドが懐からナイフを取り出し、憎まれ口を叩きながらも友人を庇おうとするめぐみんの首筋に向けて、振り上げて――

 

「『ライトニング』!」

 

 ――その避雷針(ナイフ)に雷が命中し、ナイフを男の手の中から弾いた。

 

「ぜぇ……ぜぇ……かっこつけるのがしんどい……

 ……ああ、めんどくさいからやめ……る、わけにもいかないか……!」

 

「ぶ……ぶっころりーさん!?」

 

 根性でまた立ち上がったむきむきが振り返れば、そこにはかっこいいぶっころりー……は、おらず。ここまで走ってくるだけで全ての体力を使い果たしたらしい、息も絶え絶えで情けない姿のニートが立っていた。

 顔は真っ青。服は汗でべっちょり。足は震え、息が切れすぎて呼吸もおぼつかない様子。

 登場はかっこよかったのに、姿と状態が馬鹿みたいにかっこ悪かった。

 

「『ブレード・オブ・ウインド』!」

 

 ナイフを手の中から弾かれたレッドは、斜め後方に跳躍。

 自分に向かって飛んで来た風の刃を、余裕をもって回避した。

 

「まだあなたは、年上に甘えていてもいい歳頃だと思うわ」

 

「そけっとさん!」

 

「里のモンスターも、そろそろ全部片付きそうよ! 安心して!」

 

 こっちはちゃんとかっこいい。

 ニートの男と、修行が趣味の女だと、どうやら後者の方が体力あるようだ。

 だが、中級魔法を使っているところから見るに、二人共魔力は万全ではないらしい。

 里のモンスターを頑張って減らし、その足でここに来てくれたからだろう。

 その辺りを察したのか、レッドは敵援軍を確認してもまだ方針を変えていない。

 

「紅魔族の成人が二人、か」

 

「いや、四人だ」

 

 その方針を変えられるだけの援軍が、また二人この場にやってくる。

 

「うちの娘の友達だ。ワシと妻には、その子を守る義務がある」

「ええ。我が家に用意したその子の席を、永遠の空席にはしたくないわ。寂しいもの」

 

「……四人か」

 

「お父さんに、お母さん!?」

 

 めぐみんの父ひょいざぶろー、めぐみんの母ゆいゆい、参戦。

 魔力の消耗も無い、万全の状態の紅魔族が二人。その戦力のほどは推して知るべし。

 売り込みから帰って来た二人の背中には、大量の魔道具が背負われていた。

 

「ひょいざぶろーさん! 売れましたか魔道具!」

 

「売れなかった! すまない、また晩御飯に来てくれ!」

 

「はい!」

 

「……この二人はぁ……!」

 

 商売では負けても魔王軍には負けない。それが男、ひょいざぶろー。

 何故ゆいゆいはこんな男と結婚したのか? 駄目な所がある男が好きだからである。

 子供(めぐみん)にこの性質が受け継がれていたならば、とても酷いことになるだろう。

 

 ぶっころりーは死にそうなくらいに息が切れていたが、他三人の大人も息が切れている。

 どうやらここまで全力で走って来てくれたようだ。

 その理由は、おそらく二つ。

 一つは、「このタイミングで子供の危機に駆けつけることができれば最高にかっこいいんじゃね?」という紅魔族の典型的な思考回路。

 そしてもう一つが、「あの図体だけデカい子供を助けてやろう」という、彼ら彼女らの義の心。

 子供の未来を断とうとする悪が居るように、子供の未来を守ろうとするお人好しな大人も居る。

 それが条理というものだ。

 

 時々残念なところを見せるお姉さんも。普段はニートやってる情けない青年も。才能がないくせに魔道具職人をやっている父親も。ダメな男が好きな母親も。

 今は、命をかけて子供(むきむき)を守ろうとし、その背中に子供(むきむき)の尊敬の視線を受けている。

 

 普段子供にたかったりするくせに、こういう時にはちゃんとかっこよく決めてくるのが、紅魔族のずるいところだ。

 

「……潮時だな。今日のところは、私の負けか」

 

 流石に人類最高クラスの資質持ちであるアークウィザード四人が相手では分が悪い。

 むきむきも時間経過で復帰するだろう。

 これ以上の戦闘は危険なだけでほぼ無意味であると判断し、余分に粘ることなく、レッドはテレポートの魔法が込められた巻物(スクロール)を広げた。

 

「そうだ、最後に一つ」

 

 レッドは軽い口調で、正気を疑われるようなことを言い出す。

 

「少年。女神に会ったことはあるか?」

 

 その問いは、少年に投げかけられたものでありながら、返答の内容に一切の期待も興味もない、ただの確認作業のような問いかけだった。

 

「……会ったことなんてないよ。

 さっきから何度か口に出しているけれど、まるで女神と知り合いみたいに言うんだね」

 

「知らないならいい。

 先程の会話の反応から、お前が何も知らないことは分かっている。

 知らなかったら知らなかったで、別にどうでもいいことだ。……また会おう」

 

 そう言い、男はテレポートで姿を消した。

 最後の最後に、ゲームのキャラの強さを表現するような言い回しをするならば、ぶっ壊れ(顔)とも産廃(顔)とも言える顔に笑みを浮かべ、その場の全員に吐き気を催していった。

 

「……あー、もうだめ」

 

 ばたっ、と倒れるむきむき・めぐみん・ゆんゆん。

 

「子供達が倒れてしまったな」

 

「あなたはめぐみんをお願いします。長の娘さんは私が。むきむきはぶっころりー、お願いね」

 

「えっ」

 

「頑張って、ぶっころりー!」

 

「そけっとまで!? 手伝ってくれよぉ!」

 

 身長245cmッ! 体重320kgッ!

 

「まさか氷でソリを作って人を引っ張って運ぶ日が来ようとは……」

 

「すみません、ぶっころりーさん、そけっとさん、ご迷惑をおかけします……」

 

「いいよいいよ」

「いいのいいの」

 

 めぐみんは父の背中に、ゆんゆんはゆいゆい――名前がややこしい――の背中に背負われ、むきむきはぶっころりーとそけっとが引く氷のソリで運ばれていく。

 里の方のモンスターも、どうやら殲滅されたようだ。

 

 帰り道、ぼそっとぶっころりーが呟く。

 

「……しかし、あれだな。○○戦隊ってネーミング……かっこいいな……」

 

 翌日から、『紅魔族戦隊レッドアイズ』のメンバー募集が里で始まり、「電気戦隊メガアカインジャー」「特命戦隊コーマスターズ」「孤独手裏剣戦隊ユンユンジャー」等の名前候補達は秘密裏に闇に葬られた。

 

 

 




 DTレッドはDT戦隊では比較的凡庸な設定と性格な人です。グリーンとピンクの設定が一番酷く、性格はピンクが一番酷いですかね。全部設定が明らかになって初めて妥当に評価される人ですが


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1-8-1 十一歳。始めて出会った悪魔が彼であったことは、幸であったか不幸であったか

 セグウェイとめぐみんってなんとなく似てる気がするんです。めぐみんとセグウェイの立場入れ替わり二次をお待ちしております


 幸田露伴1912年著『努力論』、曰く。

 努力は一である。併し之を察すれば、おのづからにして二種あるを觀る。

 一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。

 間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。

 直接の努力は當面の努力で、盡心竭力の時のそれである。

 ……と、されている。

 

 要は「その時に至るまでの努力」と「その時頑張る努力」の二種類があるという話だが、この本は最終的に「努力とは幸せになるためにあるもんでしょ」みたいな方向に行く。

 この物語における主要人物の努力とは何か。

 めぐみんやゆんゆんならば勉強と魔法の鍛錬、むきむきであれば肉体の鍛錬だろう。

 努力の不足は、実力の不足。

 勝たなければならない相手がいるならば、この両方の努力を積まなければならない。

 

 魔法を習得しためぐみんとゆんゆんはいつでも学校を卒業することができ、里から旅立つことができる状態であったが……

 

「一年。一年だけ、里に留まりましょう」

 

 実力不足を理由に、二人共学校に留まった。

 めぐみんは割と向こう見ずなところがあり、目指すものがあれば大抵の危険性は踏破して突っ込んで行こうとする。

 何もなければ、さっさと里の外に出る計画を立て始めていただろう。

 あの、不死王の手を持つ魔王軍の赤色の男さえ居なければ。

 

「あの男に狙われたなら、流石に今のままだとあっさりやられてしまう気がします」

 

 めぐみんの意見に、むきむきも賛同していた。ゆんゆんは別に里の外に出てもよかったのだが、彼女は彼女で力不足を感じていたため、里に留まることを選んだ様子。

 

 あの男は、魔王軍の将来の脅威として、めぐみんとむきむきをターゲッティングしていた。

 今里の外に出れば、喜々としてその命を狩るだろう。

 里の中で殺そうとしても、他の紅魔族が邪魔になるからだ。

 かといって、里から一生出ないなんていうチキン戦法をめぐみんが選ぶわけもない。

 そこで、強くなる時間、知識を溜め込む時間、敵の警戒が緩むまで間を置くための時間を用意する……というのがむきむき達と里の大人の話し合いの結果選ばれた特例の処置であった。

 

「私とゆんゆんは、必要な知識の詰め込みと、レベル上げに魔法技術の向上」

 

「むきむきは……何か頑張って!」

 

「紅魔族って身体鍛錬への応援がホント適当だなあ、って僕思うよ、ゆんゆん」

 

 強いモンスターの動きを魔法で止め、弱い者にトドメを刺させレベルを上げる紅魔族特有のレベリング法。これを、『養殖』という。

 紅魔族は養殖をすることで、やろうと思えば五歳くらいで上級魔法を操れるアークウィザードを量産できるし、里とその周囲だけで子供達を一級の魔法使いに育てられる。

 だが、そうはしない。

 この里では基本的に12歳になるまでは子供をアークウィザードにすることもない。

 何故か?

 レベルだけ上げた魔法使いがひどく()()ことを、彼らは知っているからだ。

 

 学校でしっかり知識という下地を敷き詰める。

 必要に応じて里の外に出し、里の外で経験を積ませ、一人前にする。

 里の中だけで育て、養殖だけで育てようとすれば……ありあまるポイントで深く考えず爆裂(ネタ)魔法を覚えてしまうめぐみんもどきや、社会経験が足らず発泡スチロールみたいな性格になってしまうゆんゆんもどきが大量に発生してしまうことだろう。

 そうなれば、魔王軍の目の敵にされているこの里は滅びてしまう。

 

 レベルだけ急速に上げた魔法使いは脆い。強くても脆くては意味が無い。

 必要なのは、魔王軍でも滅ぼせないようなしぶとさと、魔王軍をも蹴散らす強さである。

 ゆえに里の大人達は、一年里で必要な努力を積むというむきむき達の選択に好意的であった。

 

「そういえば今日はゆんゆんオシャレだね。着てるそれ、なんて言うの?」

 

「濡れ衣」

 

「……えっ?」

 

「……私は悪くありませんよ。ええ、悪くありませんとも」

 

「悪くないわけないでしょ! 里一番の天才が、爆裂魔法なんていうネタ魔法覚えちゃって!」

 

 爆裂魔法の火力は、人類最強の攻撃手段とさえ言われるもの。

 が、習得は困難、スキルポイントの消費は莫大、魔力消費も産廃レベルに膨大、攻撃範囲が広すぎるため敵が接近すると自分も巻き込んでしまう、と欠点ばかりがつらつら並ぶ。

 カードゲームで言えば、ライフポイント8000ルールのゲームで、クソみたいな条件を満たさないと使えず相手に800000ダメージを与える魔法カードのようなものだ。

 

 燃費最悪、密閉空間や街近く等でも使えない、使い所を見つけにくい過剰火力。

 当然、ネタ魔法扱いである。

 学年主席のめぐみんがこんなものを覚えたと知られたら、下手したら将来性を見込まれて免除されていた学費――奨学金もどき――の返金を求められ、長年からかわれることになるだろう。

 ホモビデオに出ただけで永遠に動画サイトでフリー素材として扱われる人間のような、悲惨な未来が待っている可能性すらある。

 

 そこで、健気に頑張ってくれたのがゆんゆんだった。

 

「『族長の血に流れる隠された神秘の力が覚醒した』

 『覚醒した力の爆発があの爆焔を生み出した』

 とかいうかっこいいカバーストーリーを自分から語ったのはゆんゆんじゃないですか」

 

「カバーストーリー考えたのはむきむきで!

 それを語らないといけなかったのは、めぐみんのせいなんだけど!

 あああ……! 私、私、なんて常識外れなことを……めぐみーんっ!!」

 

「僕的には、皆綺麗に納得してくれたなあと感心しちゃったよ」

 

「あだだ、あだだっ、アイアンクローはやめてくださいゆんゆん!

 分かってますよ、感謝はちゃんとしてますよ! 貸し一つにしといてください!」

 

「ちゃんと返しなさいよ!? これめぐみんが思ってる以上に大きな貸しだからね!」

 

 今や里では「ゆんゆんの眠っていた力が―――」「族長の血に秘められた―――」「イヤボーン―――」「精神的には変人だが血は争えない―――」といった感じの話題で持ちきりだ。

 彼らは好意的にゆんゆんのことを語っているが、ゆんゆんからすれば自分の書いた中二病ノートを里中で朗読されているようなものである。

 もはや拷問だ。

 

 そんなわけで、ゆんゆんは里の皆から逃げるように、めぐみんとむきむきと一緒に外に出て、里の入り口から見える平原に移動した。

 

「行きますよむきむき!」

 

「どんとこい! へーい!」

 

 そしてすぐ、"なにやってるんだこいつら"という顔になる。

 むきむきは何やら妙なキューブを口に入れ、めぐみんは何故かむきむきに杖を構え。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 むきむきに向かって、何の遠慮もなく爆裂魔法をぶっ放していた。

 

「……もうすっかり、この光景と爆音も里のお馴染みになっちゃったね……」

 

 閃光、轟音、そして爆焔。

 全てを消し飛ばす爆裂が、『地区』という単位で風景を吹き飛ばし、されどむきむきはそれに筋肉の鎧で耐えきって見せる。

 爆心地には、全てが吹き飛んだ更地と、体の所々が焼け焦げたむきむきの姿があった。

 

「流石の筋肉ですね……」

 

「そっちこそ、流石の爆裂だよ……」

 

 倒れかけためぐみんの体をむきむきが支え、優しく抱える。

 なんという防御力か。

 とはいえ、流石に素の防御力で爆裂魔法に耐えられるわけがない。

 むきむきが耐えられたのは、先程口にしたキューブの効力のおかげだ。

 

「そのキューブ、産廃ですが遊びに使う分は面白いですね」

 

「魔法抵抗力を大幅に下げて、物理防御力を大幅に上げるものだからね。

 今の僕、多分レベル1の即死魔法でも麻痺魔法でも何でも効くよ」

 

 魔王軍・DTレッドの配下のモンスターの話を聞き、魔道具職人ひょいざぶろーが何やら思い出して、物置から引っ張り出してきたのがこのキューブである。

 ひょいざぶろーが『魔法使いの補助アイテムとして』作ったこのキューブを口にしたモンスターは、魔法抵抗力が劇的に低下する。

 その代わり、防御力が劇的に上昇してしまい、大抵の攻撃魔法が効かなくなってしまう。

 

 むきむきはめぐみん宅の家計の足しにすべく、ひょいざぶろーからこれを購入し、めぐみんと爆裂魔法で遊ぶのに使っていた。

 元から防御力が高いむきむきは、このキューブの効果時間内であれば、爆裂魔法にも耐えることができる。

 実戦に出られないレベルで魔法抵抗力が無くなるため、実戦では使えないのだけが問題だ。

 

「モンスターにしか効かない魔道具なのに、何故僕に効くのかなぁ」

 

「その内むきむきのスキル欄に『魔獣化』とか生えてきそうですね。やだ、かっこいい……」

 

「紅魔族仲間外れの後は、人間から仲間外れかー……」

 

「大丈夫ですよ。今では私達が仲間じゃないですか!」

 

「めぐみん……!」

 

 ボクシングでミットを殴るくらいの気持ちで、爆裂魔法を友達に撃つ奴。

 ドMでもないのに、ミットでパンチを受けるくらいの気持ちで喜んで爆裂魔法の的になる奴。

 この二人の仲間扱いでいいんだろうか。

 ゆんゆんは今の自分の人生に疑問を持ったが、他にまともな友達もいなかったので、すぐに考えるのをやめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在むきむき11歳。めぐみんゆんゆん12歳。

 そして、めぐみんの妹こめっこが5歳。

 この年頃になると、こめっこもめぐみん並みの行動力とバイタリティを獲得していた。

 

「どこに遊びに行ったんだ、こめっこちゃん」

 

 誰にも行き先を言わないまま、遊びに行ったこめっこ。これ以上見つからないようであれば、里の大人に話を通さなければならない。

 里の外に出てしまったなら、急いで探しに行かなければならないからだ。

 何せこの世界、危険な所は本当に危険なのである。

 

 ジャイアントトード、というカエルが居る。

 モンスター界では食物連鎖の下層に位置し、レベル1の冒険者がレベル上げのために狩る雑魚であり、毎年家畜の牛や街の子供をパクパクする巨大カエルだ。

 そう、このカエル、子供を食うのである。

 最下層のモンスターのくせに、このカエルに子供が食われない年が滅多に無いほどに。

 

 こめっこに戦闘スキルはない。当然戦えもしない。

 子供から目を離せば明日にはカエルのウンコになってたりするのがこの世界だ。

 こめっこをモンスターのウンコにするわけにはいかない。

 人間ウンコ製造機であるカエルよりはるかに強いモンスターが徘徊しているこの里の外。そこにこめっこが出ていないことを願って、むきむきは里の中を走り回っていた。

 

「邪神の墓……そういえば、昔めぐみんに連れられてここに……いやまさか……」

 

 そしてついには、子供が立ち入りを禁じられている、邪神の墓にまで足を踏み入れた。

 

 かくして、彼は生まれて初めて()()()()()()()()()()()()()()()()()、普通の人間では何十年研鑽を積んでも敵わないような、強大な悪魔と出会う。

 

「あ、姉ちゃんの兄ちゃんだ」

 

「あ?」

 

 邪神の墓には、こめっこと、その隣に立つ悪魔が居た。

 

 大きな角。むきむきと大差ない大きさの黒色の体躯。

 筋骨隆々としたその肉体には角だけでなく、禍々しい爪、鋭利な牙、大きな翼も生えていた。

 何より、その魔力。

 普通の紅魔族よりも魔力感知能力が低いむきむきでさえ、顔を合わせればその魔力が感知できてしまうほどの、強大で邪悪な魔力。

 間違いない。この悪魔は、数ある悪魔の中でも特に強力な、上級悪魔だ。

 

「―――悪魔!」

 

「チッ、紅魔族の大人か! つかデカッ!」

 

「成人はまだだぞ悪魔! 間違えるな! 僕はまだ未熟者の11歳だよ!」

 

「なにそれこわい」

 

 互いの距離は20m。

 むきむきは8mの距離を一瞬で移動し、悪魔も同じ時間で12mの距離を一瞬で移動する。

 悪魔の左拳と、少年の右拳が、二人の間の空間を押し潰しながら衝突した。

 炸裂した空気が衝撃波となり、二人の足元にあった小石のいくつかを砂へと変える。

 

(今の手応え……こいつ、やっぱり上級悪魔!)

 

(この力……なんだ、こいつの筋力値!? もう通常の人間の上限値超えてんじゃねえのか)

 

 悪魔は"魔法的な"存在である。

 そのため、特殊な能力と魔法が極めて強力であるが、上位の悪魔は身体能力も極めて高い。

 悪魔は自分を人間の上位種であると位置付けている。

 人間を見下す者、単純に種族差を事実として認識している者、人と共存の道を歩む者、人間を糧と見て害しない者。悪魔によって認識の程度は様々だが、この認識は揺らがない。

 だが、その認識における『普通の人間の筋力』を、少年の腕力は大幅に上回っていた。

 

(こめっこちゃんは巻き込めない。

 かといって、巻き込まないよう囮になって逃げようとしても……

 この悪魔が付いて来ないで、こめっこちゃんをさらって逃げるかもしれない)

 

(このガキンチョは巻き込めねえ。

 かといって、巻き込まないようここから離れようとしても……

 この紅魔族が付いて来ないで、あのガキンチョを連れて仲間の下に逃げるのがオチだ)

 

 二人の動きが止まる。

 むきむき視点、この悪魔はこめっこに害を為しかねない危険な悪魔である。その身体能力も高いが、悪魔の本領は人を凌駕する強力な魔法にあった。

 悪魔視点、紅魔族は悪魔にも匹敵する広範囲を吹き飛ばす魔法の使い手だ。下手に動いて魔法合戦が始まってもたまらない。

 それゆえに、戦いは膠着状態に陥っていた。

 

(めぐみんとゆんゆんとぶっころりーさんもこめっこちゃんを探してる。

 でもめぐみんは爆裂魔法使った後でグロッキーだし。

 ゆんゆんは紅魔族特有の考え方をトレースするのが苦手だし。

 ぶっころりーさんはまたそけっとさんのストーキングをしてる可能性が……

 どうしよう、助けも期待できない。大声上げてみようか? うーん……どしよ……)

 

(ウォルバク様の封印を解くまでは、目立てねえっていうのに……

 口封じしなきゃ終わる上、こんな目立つやつを口封じしたら面倒臭えことに……!)

 

 どうしたらいいのか、と二人の思考がシンクロする。

 その膠着状態を解除したのは、こめっこであった。

 

「ホーストホースト、姉ちゃんの兄ちゃんは話が分かる人だよ」

 

「姉ちゃんの兄ちゃん? なんだこの筋肉、オカマなのか?」

 

「!?」

 

「違うよ。姉ちゃんのものだからだよ」

 

「ああん? よく分かんねえな……」

 

 悪魔をホーストと呼び、悪魔のふとももをぺしぺし叩き、悪魔とむきむきの戦いを止める。

 こめっこと親しそうに話すホーストと、ホーストに気安く接するこめっこを見ると、むきむきの内に自分が何かを勘違いしてたんじゃないか、という思考が生まれる。

 

「……悪魔。その子を襲ってたわけじゃないんだな?」

 

「ああ、そうだ。信じるか信じないかはお前の勝手だがな」

 

 紅魔族は大昔に造り出された改造人間である。

 その誕生意義は、悪魔を従える魔王を倒すこと。

 ゆんゆんなど紅魔族の大半はそれを認識しており、むきむきもまた、その使命を認識している。

 

 それが、普段温和な彼を攻撃的にさせていた。それだけだったのだ。

 悪魔に害意がないことを確認して、むきむきはその表情をふにゃっと崩し、深く息を吐きながら心底安心したような声を漏らす。

 

「……ふぅ、よかった」

 

 その様子に、ホーストという悪魔は毒気を抜かれた気分になった。

 戦士というより、子供と表現した方が的確そうな雰囲気がある。

 むきむきを見ていたホーストはそこでふと、何かに気付いたようだ。

 

「ん? お前……」

 

 そして、手の平を返した。

 

「やめだやめ。仲良くしようぜ」

 

「え?」

 

 いくらこの世界の人間の大半が手の平をドリルのように回転させる者達だとしても、この変貌はいくらなんでも怪しすぎる。

 

「……悪魔は倒さないといけない。害意が無くても、見逃すわけには……」

 

「お前ら紅魔族に手を出す気はねえよ、面倒臭え。

 この封印解いたらお前らなんかに目もくれず、さっさと帰るってんだよ」

 

「あなたを消せばそれで済む話だ」

 

「あ? やんのか? てめえレベルいくつだオラ」

 

 "てめえどこ中だオラ"的な悪魔、ホースト。

 

「むきむき、ホーストは私の舎弟だからケンカしないで」

 

「……しょうがないなあ。でも気を付けるんだよ? こめっこちゃん」

 

「舎弟!? おい待てやコラ! 俺はお前の舎弟になった覚えなんてねえぞ!?」

 

 彼女の名はこめっこ。紅魔族随一の魔性の妹である。

 

 

 

 

 

 事情を聞くと、どうやらこの悪魔の主にあたる邪神がここに封じられているようだ。

 こめっこはその封印で遊んでいるだけのようだが、どうやらこめっこの手を借りなければ、この封印のパズル部分が解除できないらしい。

 めぐみんとこめっこは、幼いながらも非常に高い知性を持った姉妹だ。

 伊達に姉が里一番の天才だなどと呼ばれていない。

 この姉妹は、アホだが頭はいいのだ。

 

 悪魔はどうやら、こっそりこの封印を解除して身内を助け、そのままおさらばしたいらしい。

 けれども封印はこめっこの手を借りなければならず、こめっこは放置してると封印の解除に専念してくれず、物で釣ったりしてなんとか封印を解除させているとのこと。

 それから数日後。

 

「おいこめっこ、お望みの果物持って来てやったぞ。ほらよ」

 

「わたし、りんごが食べたかったのに」

 

「これでいいだろ! 桃だぞ桃!」

 

「ももとりんごの区別がつかないと世の中生きていけないよ、ホースト」

 

「お前……! 俺が行く前は『果物が欲しい』としか言ってなかったくせに……!」

 

 要するにこの悪魔、魔性の妹のパシリであった。

 「でもありがとう」とだけ言って果物を貪り始め、封印そっちのけで食らい続け、腹一杯になったら横になって寝るこめっこ。

 そんなこめっこを必死に起こそうとするホースト。

 体育座りでそれを見張っている――見つめているだけ――むきむき。

 ホーストは攻撃されない限り紅魔の里に手を出さないという約束をし、むきむきはこめっこの交渉もあってホーストのことを口外しないと約束させられ、奇妙な日々は今日も続いている。

 

「これでよかったのかな」

 

『貴様の人生を決めるのは貴様だ』

 

 そんな彼が悩みと疑問を呟けば、自問自答のようなそれに幽霊の返答が返って来る。

 

「……うーん」

 

『好きにしろ。どうせ後悔はする』

 

「え? そこは『後悔しないように選択しろ』じゃないの?」

 

『人は成功しようが失敗しようが、後悔はする。

 人は強欲で、より高い場所、より富んだ場所を求めるからだ。

 後悔は忘れることもできるが、大抵の人間は行動の結果後悔する。

 成功しても失敗しても、人は"あの時ああしていれば"と考える。

 凡俗はそうして、自分から行動することを恐れるようになるものだ』

 

「……怖い話をするね」

 

『なら最初から「どうせ後悔する」と考えればいい。

 その上で行動し、「やっぱり後悔した」と後悔を軽く扱えばいい。

 後悔など最初から想定し、全てが終わった後に捨てればいいのだ。

 人生など後悔して当然。後悔など後に引きずるものではない。

 「どうせ後悔する」という考えと、「恐れず行動し続ける」という選択を、常に併用せよ』

 

「うん、やってみる」

 

 後悔を前提とした人生の生き方。後悔があっても幸せになる生き方。後悔を理由に足を止めない生き方。後悔で人生を台無しにしない生き方。

 とても難しい生き方をすることを、幽霊はむきむきに望んでいる。

 虚空に向けて何やら話しているむきむきを見て、ホーストは可哀想な子を見る目でむきむきを見ていた。

 

「なんだあれ」

 

「姉ちゃんの兄ちゃんは幽霊が見えるんだよ。幽霊のお友達なんだって」

 

「幽霊? 幽霊……確かに何か居るな。うっすらとしてて、微妙にこの世界に馴染めてない魂」

 

 悪魔の目は強い光でも潰れない。常世ではなく魔界の生き物が持つその目は、人の目には見えないものを捉えることがある。

 封印解除においてできることがないホーストもまた、手持ち無沙汰になって座り始める。何故かむきむきの横に。何故か体育座りで。

 

「悪魔も、他人を大切に想うことがあるんだね。

 それが嘘だったなら、そうじゃないのかもしれないけど」

 

 むきむきは意識して刺々しい口調を作り、探るようにホーストに話しかける。

 彼は人が良い。それはこの世界では死に至ることもある欠点に成り得る。

 仲間を助けようとしているホーストに、人間の敵対種であるホーストに、"仲間を助けようとしているのだからいい悪魔なのかもしれない"と思い始めているのがその証拠だ。

 彼よりもまだめぐみんの方が、割り切れる分戦士には向いているだろう。

 

「おいおい、敬愛し忠誠を誓った相手の助けになろうとするのは、変なことじゃねえだろ?」

 

「……」

 

「お前らがどんなイメージ持ってるのか知らねえが、気ぃ張るなよ。

 悪魔は元々契約の生き物だ。嘘や約束破りは好まねえ。

 まあ例外の下等な悪魔や、悪感情目的で嘘を言う悪魔も居るが……俺様が嘘言って何になる?」

 

「え、そうなの?」

 

「は? お前紅魔族のくせに悪魔のことも知らねえのか?」

 

 その上、知識も足りない。

 ホーストはむきむきのことをじっと見る。紅魔族のように赤く、けれども紅魔族の目よりも闇色が混じった赤い目が、少年の本質を見極めようとしているかのように動く。

 悪魔の考えていることは分からない。

 

「まあいい。暇潰しだ。お前が俺に敬意を持つよう、少しくらいは教授してやるよ」

 

 ホーストからの提案を受けてもなお、むきむきには悪魔の考えていることが分からなかった。

 

 

 

 

 

 それから数日後。

 ホーストは意外と博識だった。

 

「悪魔は麻痺や、特定のものを対象にした魔法が基本は効かねえ。

 悪魔はこの世界の何かを仮初の肉体として使っているだけだからだ」

 

 悪魔が悪魔のことを知っているのは当然だが、ホーストは悪魔のこともその故郷である魔界のことも知らないむきむきにさえ、分かりやすく説明している。

 ()()()()()()()()()()説明しているのだ。

 人間のことを知り、人間の世界を知り、地頭が良くなければ、できないことだろう。

 

「例えばそうだな……お前が言ってたリッチーの持つスキル、不死王の手。

 こいつは触れた相手に、毒、麻痺、昏睡、魔法封じ、弱体化……

 色々状態異常を引き起こすスキルだが、悪魔に使えば大体スカる。効かねえからな」

 

「成程。勉強になります」

 

「お前急に敬語使い始めたな……

 『指定範囲の生物に影響を及ぼす魔法』も効かねえ。

 『物質を破壊する魔法』も魔力で体を編んでたなら効かねえ。

 一番効果的なのは浄化魔法か爆裂魔法で消し飛ばしちまうことだな」

 

「うちの里、浄化魔法とか使える人居ませんよ」

 

「おいおい、いいのか? そんなこと教えちまって」

 

「これだけ弱点教えて貰ってるんです。お相子ですよ」

 

 むきむきが言っていることが本当であるという保証もない。

 ホーストが言っていることが本当であるという保証もない。

 別口で調べれば裏は取れるが、それだけだ。

 二人は本質的に敵対陣営である。

 

 こめっこという存在だけが、この二人を繋げていた。

 

 嘘をつかないという信用だけが、ホーストのことを口外しないという約束だけが、その約束は破られないだろうという確信だけが、この時間を確立させている。

 信用がなければ、ここでの会話には何の価値も意味もない。

 相手の言葉を信じなければこの時間は無為へと変わる。

 これは、信用が殺意に変わるまでの、ほんの短い間にだけ価値を持つ繋がりだった。

 

「プリーストの魔法が悪魔には効果的だ。

 だが悪魔もそれは知ってるから抵抗や対策をする。

 なら爆発系魔法で対抗できない威力を叩きつけるのが手っ取り早いってわけだ。

 半端な威力をいくらぶつけようが、悪魔は死なねえからな」

 

「地道に削っていってもダメなんですか」

 

「半端な削りじゃダメだな。超強力な一撃を叩き込まなきゃ、残機も減らねえ」

 

「残機……悪魔族が持つ、死という結果を覆す予備の魂のストック、でしたか」

 

「そうだな。さっき言った方法でも、俺達の残機は一つしか減らねえ。

 だから紅魔族は、多人数で上級魔法を連続して叩き込むって聞いてたんだが……」

 

「……」

 

「お前はそういうのは習わなかったのか?」

 

「……僕は、落ちこぼれだから。魔法も使えないんだ」

 

 細かな理由は分からない。だが、ホーストは何故かむきむきを敵であるとも、敵になるものであるとも見ていないようだった。

 ホーストがむきむきを見る目は、こめっこを見るものに近いようで、とても遠いものであるようにも見える。

 

「魔法が使えない? なら巻物(スクロール)でも使えばいいだろ」

 

「スクロール?」

 

「……まあ、紅魔族が使うわけもねえか。

 巻物にあらかじめ魔法を刻んでおいて、別の誰かに使わせる魔道具だ。

 攻撃魔法はもちろんのこと、行き先に制限があるっていうテレポートの欠点だって解消できる」

 

 そう言われると、ピンと来るものがあった。

 

「あ、そういえば魔王軍のDTレッドが使ってるのを見たことが……」

 

「お前らは使う側じゃなくて売る側だ。いっぺん考慮してみろよ」

 

 魔法を込めるだけで作れる上、紅魔族が平然と使っている魔法を込めればそれだけで爆売れ間違い無しのスクロール。そんなものを、ひょいざぶろーが扱っているわけもない。

 とりあえず、普通の魔道具職人の家に行ってみる必要がありそうだった。

 

 

 

 

 

 また数日後。

 

「あるえ、なんで居るの……?」

 

「いやあ、むきむきは小説のネタになるからね。弄れるフリー素材、みたいな」

 

「褒められてる感じがしない」

 

 映画界におけるナチスやサメ並みに、あるえのフリー素材と化した少年、むきむき。

 

「それにしても上級悪魔。それも魔王軍との戦い以外で会おうとは……」

 

「まーた目撃者が増えやがった。口外しやがったら承知しねえぞ」

 

「私は口が堅い。そこは安心していいよ。魔法もまだ覚えてない」

 

「そうなのか? 確かにアークウィザードだが、魔法発動媒体は見当たらねえな……」

 

 こりゃもう隠しきれなくなるのも時間の問題だな、とホーストは頭を掻く。

 そもそも、里の中にこっそり侵入して邪神の墓の封印を解除しようというのが、スニーキングミッションとしてはキツい部類に入るのだ。

 ホースト一人では封印が解除できないというのだから、なおさらに。

 

「ちなみにあるえの口が堅いっていうのは真っ赤な嘘だよ。僕知ってる」

 

「!?」

 

「あるえは友人に迷惑がかからないなら、そっちの方が面白そうだと思った瞬間すぐ喋るよ」

「褒めないでくれ。私だって照れる時もある」

 

「おい待てお前! 喋るなよ! 絶対に里のやつにこのこと喋るなよ!」

 

「ああ、今日はちょっと暑いなあ。私まいってしまいそうだ」

 

「扇げばいいんだな扇げば! 畜生! これだから紅魔族は!」

 

「むきむきも扇ぐんだよ」

 

「死ね!」

 

 ホーストはこめっこと出会った。むきむきと出会った。あるえと出会った。

 そんな今だからこそ彼は思える。むきむきが一番御しやすかった、と。

 紅魔族がだいたい標準装備している扱いにくさ、図太さ、図々しさが、目を覆いたくなるくらいに酷い。

 上級悪魔なのにあるえとむきむきを扇がされているこの現状が、魔王軍最重要攻略目標・紅魔の里の厄介さを、如実に証明していた。

 

(ぶっ殺してやりたいが……ここで口封じに動いたとして、状況は好転しねえ)

 

 どこに行くか分からない年齢一桁の子供ならともかく、この年齢の少女を口封じに消せば、絶対に目立つ。『事故』ではなく『事件』の可能性を考慮されてしまう。

 紅魔族はアホだが頭はいい。

 頭がいいからバカなことをしても魔王軍に裏をかかれない、それが紅魔族だ。

 ホーストが下手を打てば、一瞬で追い詰められる。

 そもそも紅魔族と正面からやりあって勝てるなら、ホーストはこんな風にコソコソしていない。

 

(それに)

 

 あるえを口封じに殺そうか、そう考えた瞬間のホーストの挙動さえ、少年は見逃さない。

 ホーストが妙な挙動をした瞬間に、むきむきが一瞬だけ目に浮かべた戦意が、"無事ではすまない"とホーストの迂闊な行動を抑制している。

 

(まだ封印が解けてもいないってのに、里の中でこいつと派手にやりあってもな……)

 

 事を荒立てたくないのは、悪魔の方なのだ。

 状況が、悪魔の方が基本的に譲歩するという構図を作っている。

 

(つかこいつらは、邪神の封印を解くってのに、なんでこんなに落ち着いてやがるんだ……?)

 

 邪神ウォルバクの復活が目的であることを、ホーストは隠していない。

 封印が解ければどうなるか。『もしも』を考えればいくらでも悪い方向に考えることができる。

 にもかかわらず、むきむきもあるえもそこを気にしている様子は見られない。

 ホーストは邪神の復活を許容するあるえとむきむきに、不審なものを感じていた。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで数日後。

 

「こめっことホーストの禁断の愛を書いた恋愛小説が完成した。

 むきむき、読んで感想を聞かせてくれないか? 忌憚ない意見が聞きたい」

 

「おいむきむき、こいつ何言ってんの(戦慄)」

 

「ミスターホースト、これがあるえの平常運転……

 ……ってええ!? ほ、ホーストの体の周りに目に見える形で漏れた戦慄が!?」

 

 こめっこを肩車していたむきむき。

 とりあえず少女を脇に置き、特に何も考えずあるえの小説を口に出して読み始める。

 

「二人は禁断の愛に、身を焼かれるような苦しみを味わう。

 愛しい人の手に触れられた場所が妙に熱い。そして、互いの吐息が唇に当たり……」

 

「やめろ! 実在の人物を使って創作すんな!

 捏造恋愛とかサブイボが出るわ! てめえは悪魔か!」

 

「あなたがそれ言いますか、悪魔のくせに」

 

「やめないか! 人の書いた小説を人前で音読するとか! 君は悪魔か!」

 

「……」

 

 ホーストとあるえが一斉にむきむきを悪魔呼ばわりし、むきむきは盛大に傷付くのであった。

 あるえは顔を赤くしていて、ホーストの声からは迫真の戦慄が感じられたが、傷付きやすい彼に口撃するのはギャラドスに十万ボルトをぶち込むようなもの。

 むきむきは(まぶた)をぱしぱし動かし、涙が目の端に溜まるのを防ぎ、泣きそうな目を誤魔化すのであった。

 

 そんな少年の頭を、こめっこが撫でる。

 

「よしよし」

 

「……」

 

 むきむきは幼い子供がぬいぐるみを抱きしめるように、彼女を優しく、ギュッと抱きしめた。

 ぐすっ、という音が聞こえてくる。

 こめっこは彼の頭を抱えるように抱きしめ、なおも頭を撫で続ける。

 

(魔性の妹……)

(魔性の妹……)

 

 恐るべきロリであった。今この瞬間だけは、むきむきにとっての女神であった。女神ロリス。

 

 

 

 

 

 数日後。

 

「ふーん、ふふふーん、ふふー、ふーん」

 

 封印を弄っているこめっこの手元を、あるえが覗いている。

 むきむきとホーストはいつものように並んで座り、体育座りでそれを眺めていた。

 あと少し。今日中にも封印は解ける。この時間も終わりを告げる。

 

「もう終わるってよ」

 

「ああ」

 

「敬語無くなったじゃねえか、むきむき」

 

「何故そうなったのか、ホーストは分かってるでしょ」

 

「まあな」

 

 仮初の距離感が消え、悪魔と少年の心の距離が離れたことを、二人共感じていた。

 今日までの日々に、互いに色んなことを話した。

 互いのことをよく知った。

 だが、それは決断を鈍らせるほどの情には至らない。

 

「できた!」

 

「何故親子丼で邪神の最後の封印が解けるんだ……? まあいい、小説のネタにしよう」

 

 そうして、最後の封印が親子丼で解除される。

 何故か親子丼で。

 まあこの世界ではよくあることだ。

 パチン、と小さな音がして、ホーストが感慨深い様子で立ち上がる。

 

「ようやくだ。ようやく……悲願が果たされる」

 

 ホーストが手をかざし、魔力の波動が邪神の墓へと浸透する。

 "本来ならば時間差で飛び出てくるはずの"邪神が、悪魔達が、ホーストの魔力によって一緒くたになって引きずり出される。

 それは、『黒』だった。

 風景も、空も、視界も、全てを埋め尽くす黒黒とした悪魔の群れ。

 

 邪神の墓の封印から解放された悪魔達は、封印解除直後で状況も飲み込めぬまま、あまりにも多い仲間達のせいで自分達も何も見えていない状態だったが、次第に周囲に拡散していく。

 

「うわっ!?」

 

 思わず、声が裏返るむきむき。

 ここに一枚の風景画があるとする。

 それをボールペンの先で叩き、点を打っていくとする。

 ただそれだけを繰り返し、風景を黒く染めていくとする。

 今ここにある光景はまさしくそれだ。

 

 悪魔の数が多すぎて、遠くにあるものが悪魔以外何も見えやしない。

 

「悪いな、こめっこ、むきむき、あるえ。俺は悪魔なんだ」

 

 ホーストは悪そうに笑う。全て計画通りだ、とでも言わんばかりに。

 

「約束通り俺は里には手を出さねえ。

 ウォルバク様も連れ帰る。あの方も手は出さねえだろう。

 まあ、この数の悪魔に紅魔族が先に手を出しちまったなら、その後のことまでは知らん」

 

 お前らが大人しくしてれば、大人しくしてる内は手を出させねえようあいつらに話通しておいてやるよ、とホーストは言い、彼らに最後の義理を見せる。

 ホーストからすれば、この後に繰り広げられる悪魔と紅魔族の戦いは不可避のものであるように見えるのだろう。

 だが、違う。

 ホーストの目論見は大筋では間違ってはいないが、見逃しているものがあった。

 ゆえに、流れはホーストが予想したものにはならない。

 

「じゃあ僕も、あなたと同じ言い回しで答えさせてもらう。

 ごめんねホースト。僕もあるえも、紅魔族なんだ。あなたが悪魔であるのと同じように」

 

「あん?」

 

「紅魔族は、悪魔を倒す者だ。僕は、認められなくても、その一員でありたいと思ってる」

 

 むきむきがポケットから取り出した瓶の蓋を開ける。

 すると、そこから不規則な魔力が大量に吹き出した。

 どうやら魔力を散布する魔道具のようだ。

 その効果によるものなのか、大量に発生した悪魔達が皆、互いの魔力を見失ってしまう。

 

 結果。全ての悪魔が邪神ウォルバクの魔力を見失い、どこに行けばいいのか、どこを目指せばいいのか分からないまま、中空を彷徨い始めた。

 

「これは……」

 

 地面を踏む小さな音がして、ホーストはそちらに目を向ける。

 そこには小さな動物風呂敷に包まれ暴れている様子の小さな動物と、その動物を風呂敷に包みつつ肘打ちで大人しくさせているこめっこと、こめっこを抱きかかえるあるえが居た。

 

「何故彼も私も、大して慌ててなかったか分かるかい?

 紅魔の里の大人が集まれば、邪神の一柱くらいは余裕で倒せるからさ」

 

 こめっこは風呂敷に包んだ何かとの格闘に夢中になっていて、周囲の会話に何も気付いていないようだ。

 将来大物になりそうな子供を抱えたまま、あるえはホーストにネタばらしを続ける。

 

「封印が維持されてたのは、単に

 『邪神が封印されてる里ってかっこよくない?』

 という理由で封印が継続されていたからだ。脅威だったからではない」

 

「……ああ、なるほどな。そこで俺が来たわけだ」

 

 この里の人間にとって、邪神の封印など観光名所のオブジェ程度のものでしかない。

 だがそれも、紅魔族が万全な状態で復活したものを迎え撃てたなら、の話だ。

 

「紅魔族の事情なんて考慮せず、いつ邪神を復活させるか分からないのが俺だ。

 魔王軍の大規模侵攻中に復活されたら困る。

 魔王軍のせいで里の大人の大半が潰れてる時に復活されても困る。

 だから、処理できる余裕がある内に処理させちまおうって腹か。

 バレたら白い目で見られるかもしれないってのに、里への忠誠心が高いもんだな」

 

 むきむきは自分が里を出る前に、邪神とホーストという不安材料を片付けようとした。

 こめっこにも嫌われたくない。里の人にも嫌われたくない。かといって最悪のタイミングで邪神が復活し、里の皆が酷いことになるのはもっと嫌。そんな思考が、彼にこの選択を取らせた。

 そういう風に考えてしまう彼の情けない部分を、あるえは友人として許容し、彼の選択と行動に助力した。

 

「仲間外れなやつほど、そのコミュニティに献身的になりたがるもんだ」

 

「……」

 

「分かんだろ? 悪魔の俺様に言われなくたってよぉ」

 

 嫌われないための選択。里というコミュニティへの献身。

 彼のその選択は勇気ゆえに選ばれたものではない。

 ただ、尽くすことで好かれようとする哀れな子供には、それ以外の選択肢がなかっただけだ。

 

「知り合いに優秀な占い師さんが居たから、その人に頼んでおいたんだよ。

 『この日、邪神とその下僕が復活するかもしれない』

 っていう嘘の占い結果を、大人達の方に伝えてほしいって。だから準備は万端だ」

 

「俺様を見張ってたおかげで、復活の日付はばっちり読めてたってわけだ」

 

「紅魔の里は、余裕を持って邪神の下僕を殲滅する。邪神も倒す」

 

「なるほどなぁ。……で? お前がここで俺と対峙する理由はあんのか?」

 

 あるえは小動物入り風呂敷を抱えたこめっこを抱え、この場からこっそり離脱する。

 その目が"どうやって勝ったか後で語り聞かせて欲しいな"と言っていたが、むきむきは意図してその視線を無視した。

 

 ホーストの目が言っている。

 逃げてもいいぞ、と。

 逃げるなら見逃してやるぞ、と。

 俺様と戦う役目を他の大人に任せてもいいんだぞ、と。

 挑発的な彼の目が、そう言っている。

 

「言ってみろよチキン野郎。お前がここで、俺から逃げない理由ってやつを」

 

「前に話してた時に言ってたよね? ホーストは、魔王軍だって」

 

「おう。そして邪神ウォルバク様も、魔王軍幹部の一人だ」

 

「それも聞いたよ。

 ホーストは、その人を助けるという約束……契約があるから、その人を助けるんだって。

 僕も同じだ。僕も約束がある。だから、魔王軍の悪魔であるあなたは見逃せない」

 

―――魔王を倒した者として、伝説を歴史書に刻むのです!

 

「僕には、いつか友達と一緒に魔王を倒すっていう、約束があるから」

 

 魔王を倒すだの、魔王を倒して新しい魔王になるだの、最強の魔法使いになるだの、そんな夢物語を当然のように語っている友人がいる。

 その友人の夢こそが、未来の希望になってくれている。

 ならば、逃げられるものか。

 一人の男として、一人の友として、逃げるわけにはいかない。

 

「おう、最後の授業だ。覚えておけよ、むきむき」

 

 ホーストは牙を剥き、爪を軋らせ、口角を上げる。

 広げられた翼が羽ばたき、魔力の波動がただそれだけで周囲の木々を激しく揺らした。

 

「悪魔はな……約束と契約を必死に守ろうとする人間は、基本的に嫌いじゃないんだぜッ!」

 

 互いの距離は20m。

 むきむきは10mの距離を一瞬で移動し、ホーストも同じ時間で10mの距離を一瞬で移動する。

 ホーストの左拳と、少年の右拳が、二人の間の空間を押し潰しながら衝突した。

 炸裂した空気が衝撃波となり、二人の足元にあった地面の表面を巻き上げる。

 

 本気の殺意と、本気の殺し合いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホーストとむきむきには、明確な相性差がある。

 むきむきは飛べず、ホーストは飛べる。

 むきむきは飛び道具に乏しく、ホーストは上級魔法の使い手だ。

 離れられれば、即座に終わる。

 

 それゆえに、ホーストは拳撃の直後にすぐさま飛翔し、むきむきはそのホーストに鎖を投げつけて、自分の右腕と悪魔の左腕を太く長い鎖で強固に繋げた。

 

「! ミスリルの鎖か!」

 

「ミスリルは霊体さえも捕らえられる……だった、よね?」

 

「ハッ、俺様の授業をちゃんと聞いていたようでなによりだ!」

 

「翼もある、魔法もある、そんな悪魔に無策で挑むわけないじゃないか!」

 

 鎖はそこそこの長さがあったが、遠距離戦を維持することは不可能な長さであった。

 むきむきが鎖を引き、引きずり降ろされたホーストが爪を構える。

 突き出された人の拳と悪魔の爪は互いの命を獲りに行き、互いの回避行動の結果、互いの頬をかすりながら空振った。

 悪魔の裂けた皮膚から血は出ず、少年の裂傷からは血が吹き出していく。

 

「くっ」

 

 距離12m。

 詠唱を用いず悪魔が魔法を使うために要する一瞬の時間、その一瞬の時間に現状のむきむきが移動できるのは10mが限界だ。すなわち、この距離は詰めきれないということ。

 悪魔の魔法発動はあまりにも速い。少年はホーストの魔法発動を許してしまう。

 

「『インフェルノ』!」

 

「汝、その諷意なる以下省略! 『ウインドカーテン』!」

 

 迫りくる業火。

 腕力で暴風を起こして炎を逸らし、自分も横に跳んで炎をかわすむきむき。

 なのだが、意味の無い詠唱をした挙句その詠唱を放り投げて腕力ゴリ押しで来たむきむきを、ホーストは"なんかよくわからんもの"を見る目で見ていた。

 

「今のが詠唱破棄だよ」

 

「破棄してもいいってことはゴミ同然なんじゃねえのか、その詠唱」

 

「友達がくれたものだから、大切にしたくて……」

 

「紅魔族はバカしか居ねえのか!」

 

 鎖を千切るため鎖に攻撃を加えようとするホーストに石を投げて妨害しつつ、むきむきは再度めぐみんとの特訓で身に付けた詠唱を開始。

 

「我が手に携えしは悠久の眠りを呼び覚ます天帝の大剣。古の契約に従い我が命に答えよ」

 

 むきむきほどになれば、小さな小石でも重い車を引っくり返すだけの威力が出る。

 小石をかわしたホーストに向け、むきむきは中距離から手刀を振り下ろした。

 

「『ブレード・オブ・ウインド』!」

 

「『インフェルノ』」

 

 手刀から飛んだ風の刃と、ホーストが放った炎の塊が衝突し、炎の塊は切れ目を入れられながらもむきむきに向け直進する。

 

「絶望の深淵に揺蕩う冥王の玉鉾。現世の導を照らすは赤誠の涓滴! 『アースシェイカー』!」

 

 その攻撃を、むきむきは逆に利用した。

 地面を掴み上げ、直径20mほどの土塊となって持ち上げられたそれを、火に向けて投げ付けたのである。土は一気に加熱され、火と土は混ざり溶岩のようになってホーストへと衝突する。

 並大抵のモンスターであれば、死体も残らないような熱と衝撃であった。

 

「おいおい、それでどうにかなるとでも思ったのか?」

 

 にも、かかわらず。

 ホーストは自身の上級魔法を含む火と土の混合攻撃を、平然と乗り越えてきた。

 

「……魔王軍幹部級の力を持つ、上級悪魔……」

 

「お前、里の外に出るんだろう?

 里の外に出て魔王軍とやりあうつもりの嬢ちゃんを守るんだろう?

 ならいつか、俺や俺より強い奴が居る魔王軍とも殺し合うって分かってんのか?」

 

 遠い昔から現代までずっと、上級悪魔と戦った多くの人間達が胸に抱いた感情と同じものが、今のむきむきの胸の内にある。

 

 『()()は、どうやったら倒せるんだ?』

 

「山をも崩す爆裂魔法がある。

 爆裂魔法で無力化できても殺せない幹部が居る。

 爆裂魔法一発じゃ倒せないやつが居る。

 そもそも、爆裂魔法で殺し切れるか怪しい大悪魔も幹部に居る。

 分かるか? 俺を倒したいなら、最低でも山一つは投げられなきゃダメだってことだ」

 

 紅魔族の大人達が集団で囲み、集中火力で滅することを良しとする強敵。

 今のむきむきであれば、見上げるしかない高みに存在する強敵。

 彼がめぐみんに付いて行くことを選ぶのであれば、遅かれ早かれ戦わなければならない強敵。

 

「もっと根性見せてみろ。

 悪魔にも生み出せない感情の爆発が、弱っちい人間の長所だろうが!」

 

 これが上級悪魔。

 人類最高の魔導資質を持つ紅魔族が上級魔法を操ってさえ、滅ぼせるとは断言できない規格外。

 この世ならざる場所、魔界より来訪した恐るべき高位生命体。

 

「ぐっ……!」

 

 悪魔の凶悪な魔法が地面に着弾するも、むきむきは恐れず鎖を引っ張る。

 あえて敵魔法に敵を巻き込み、ダメージを与える腹づもりであった。

 魔法を突き抜けてきたホーストに高速で放たれた拳が三連打。短い音を響かせる。

 負けじとホーストも魔法を連射し、それを幽霊に教わった技と筋力でむきむきが的確に処理、三連射された魔法は三連続で長い爆音を響かせた。

 お返しとばかりに、またしてもむきむきが三連続で蹴りを当てる。

 

 悪魔の赤い瞳が輝く。

 少年の赤い瞳が輝きを増す。

 

 無数の悪魔が舞い降りた紅魔の里の片隅で、少年と悪魔は再三激突。耳が痛くなるような轟音を響かせた。

 

 

 

 

 

 むきむきとホーストの戦いの音が、紅魔の里にも響き渡る。

 だが、その音でさえもはや目立って響いてはいない。

 紅魔の里はそこかしこで戦闘が繰り広げられており、非戦闘員を守る紅魔族と殲滅に動く紅魔族に分かれてはいたものの、その両方で激しい戦闘が繰り広げられていたからだ。

 ちなみに現在怪我人0、死人0である。……恐るべし、紅魔族。

 

「『ライト・オブ・セイバー』ッ!」

 

 ゆんゆんが振るった光の刃が、小さな孤から大きな弧へと変わるようにして、六体の中級悪魔を両断する。

 

「よし! 皆、こっちよ!」

 

「私が力を見せるまでもありません。

 我が下僕のゆんゆんが悪魔を蹴散らします。安心して下さいね」

 

「なーんでめぐみんは私の功績をさも当然のように自分の功績にしてるのかなっ!」

 

 彼女らは今、学校の下級生――魔法も使えずアークウィザードでもない――を引き連れ、幼い彼らを安全な場所に移動させようとしていた。

 いつの間にかあるえとこめっこも合流している。

 彼女らもまた子供だが、戦闘力で言えば既に上級悪魔に迫るものを備えていた。

 

「流石ゆんゆんさん! 学年二位で族長の娘!」

「家柄だけが取り柄とか噂もあったけど、もう魔法も覚えてるんだぁ」

「かっこいいー」

「なんでそんなできる感じなのに学校に友達居ないんですか?」

 

「げほぁっ」

 

「ああ、ゆんゆんさんが血を吐いた!」

「あかんかったんや! 昼は大体一人で食べてることを言及したらあかんかったんや!」

「謝れ!」

「ゆんゆんさんに謝れ!」

「ご、ごめんなさい」

 

「い、いいのよ……」

 

 いい人そうで、能力があって、可愛くて、族長の娘で、優しい。なのに友達が居ない。ゆんゆんのそんな奇々怪々っぷりは子供達の目に妖怪のように映っているようだ。妖怪ボッチ。

 こういう時にリーダーシップを発揮するのはめぐみんの方が向いているようで、子供達は特に何もしていないめぐみんにもしっかり尊敬の目を向けている。

 おかげでゆんゆんは苦手な集団の調整をしなくてもよくなり、里の戦い全体を見回す余裕が出来ていた。

 

(うん、いい感じ。これなら急がず時間をかければ、ちゃんと全滅させられるかも……)

 

 戦局の推移は、先日のDTレッド襲撃時より紅魔族に優勢なようだ。

 紅魔族と魔王軍の戦闘は魔力と頭数というリソースを互いに削るものになりがちだが、紅魔族は魔力を温存しながらきっちり敵悪魔の数を減らしている。ゆんゆんもそうだ。

 この戦いは集団戦だが、悪魔には指揮を執る者が居らず、紅魔族には族長が居る。

 時間が経つにつれてその差が出てきたのかもしれない。

 

「あるえおねーちゃん、この音は何?」

 

「こめっこ、これはむきむきが頑張ってる音だよ」

 

「泣き虫なんだからほどほどにしておけばいいのにー」

 

 遠くから聞こえてくるむきむきの戦闘音。

 こめっこはそれが彼の戦闘音であると気付かず、あるえはそれが彼の戦闘音であることだけを理解し、ゆんゆんとめぐみんはそれ以上のものを察する。

 

「あれ? めぐみん、これもしかしてむきむきがピンチ?」

 

「え?」

 

「そうみたいですね。また何かやったんでしょうか」

 

「……ゆんゆん、めぐみん、それはひょっとすると心通じ合う愛の力とかそういう」

 

「「 ちがわい 」」

 

 頬を染めるあるえの言葉に、めぐみんとゆんゆんは"悟空×ベジータのホモ同人を見てしまったドラゴンボール大好き小学生"みたいな表情で応える。

 

「あの子はいつも一生懸命ですが、あの子の頑張りに最初に気付くのは、いつも私達ですから」

 

 溜め息を吐いて、めぐみんは指でこめかみを叩き始める。

 

「でもどうしよう。こっちの悪魔、まずどうにかしてからじゃないと……!」

 

「ゆんゆん。やってしまいなさい」

 

「偉そうねめぐみん! 本当に!」

 

「学年一位が二位より偉いのは当然じゃないですか。

 さあ、力を温存している今は役立たずな私を存分に守ってやって下さい」

 

「きぃぃぃっ!!」

 

 普通のRPGなら『たたかう』『まほう』『とくぎ』『ぼうぎょ』『にげる』等のコマンドが並ぶのが普通だが、めぐみんには『ばくれつ』『にげる』のコマンドしかない。

 一度しか撃てない、撃てば倒れる。

 言うなれば女ばくだんいわ。それがめぐみんだ。

 今日もめぐみんは普通に役立たずであったため、群れなす悪魔に一人でカチコミをかけなければならないゆんゆん。本日も彼女の気苦労は絶えなかった。

 

 

 

 

 

 飛んで来た魔力の塊を、むきむきは拳圧込みで上空に三発殴り飛ばし、残りは全て殴り潰す。

 空気を握り締め、圧縮した空気を爆弾のように投げれば、それらはホーストを牽制する三連続の長い爆発となった。

 牽制で移動先を限定されたホーストに拳が三連続で命中したが、ガードされたせいで音だけが派手な攻撃に終わり、ろくにダメージが通っていなかった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

『いいぞ。今は息を整えていていい』

 

 鎖がじゃらりと垂れて、幽霊がむきむきに息を整えさせる。

 未熟で、低レベルで、経験も足りていないむきむきが上級悪魔と戦えている理由。

 その一つが、この幽霊だった。

 足りない経験をこの幽霊が補ってくれている。

 足りない技も今日までの日々の鍛錬で多少なりと補ってくれていた。

 助言で隙も埋めてくれるため、むきむきはホースト相手でも中々いい勝負ができている。

 

 ホーストはむきむきの健闘に感心した様子を見せ、悪魔らしく激しい戦闘に呼吸している様子さえ見せないまま、息を整えているむきむきに語りかける。

 

「なあ、むきむき」

 

「?」

 

「お前、魔王軍に来ないか?」

 

「―――」

 

 それは、悪魔の誘惑だった。

 

「悪魔ってのは魂も見てるもんだ。

 契約でそいつを持っていくわけだからな。

 ……お前、魔王軍でもやっていけるぜ? 来るなら歓迎してやるよ」

 

 ホーストは最初から、むきむきが魔王軍に来るかもしれないと思っていた。

 彼のむきむきに対する態度は、そういう考えから来ていたものでもあった。

 他にも様々な理由はあったが、理由の一つは間違いなくそれだった。

 

「多分お前は、人類の敵になったらなったでやっていけるやつだぜ」

 

「興味ない。そっちには、()()()()()から」

 

 人に執着し、コミュニティに執着する。

 倫理と種族への帰属意識ではなく、個人を受け入れてくれる居場所を重視する。

 ホーストはむきむきにそう言わなかったが、魔王軍幹部の()()()()()は人間として生まれ、アンデッドになるなど様々な道筋を経て幹部となった者達だ。

 その者達を見てきたホーストは、この少年の中に何かを見たらしい。

 例えば、の話だが。大切な人を人間に殺されれば、そのまま魔王軍に所属し、人類の抹殺に向けて動き出してしまうような、危うい何かを。

 

「DT戦隊とかいう部隊も今じゃあるしな。受け皿はあると思うんだが」

 

「DT戦隊……なんでそこでその名前が?」

 

「仲間になったら教えてやるよ」

 

 そう言い笑うホーストの様子は、頼れる兄貴のようで。

 根本的な部分で『むきむきが仲間になるかならないか』『むきむきが生きるか死ぬか』に執着していない雰囲気は、まるで悪魔のようで。

 

「まあ、考えといてくれや。……もしもこの戦いを、生き残れたらなぁ!」

 

 火の上級魔法が悪魔より放たれ、少年が斜め後ろ、横、と連続で跳んで必死にかわす。

 

 ホーストに"絶対にこの少年を殺す"という意志はない。

 だが"死んでもいい"という思考はある。

 自分が本気で戦って死ぬならそれまで、死ななければいつか来いよと粉をかける。

 悪魔らしい、タガの外れた倫理観だった。

 

(勝てるんだろうか。この強大な悪魔に。こんな、僕が)

 

 ホーストと繋いだ右腕の鎖が、妙に重く感じられる。

 先のことを考えれば、この強さの敵に勝てるようにならなければならないというのに、まるで届いている気がしない。

 勝てるのか。勝てるんだろうか。勝てないかもしれない。そんな思考が、ぐるぐる回る。

 実際、いい勝負は出来ているのだが、むきむきは弱気になり始めていた。

 

 精神的に強いなら、むきむきは普段からもっと胸を張って生きられている。

 

『情けない愚物が』

 

「……おっしゃるとおりです。すみません」

 

『莫迦者が。謝るな』

 

 必要なのは倒せないという意識の変革。倒せるという確信の獲得。倒す過程への信仰の構築。

 

『しからば、(それがし)が言葉を与えてしんぜよう。

 殴れるのなら、壊せるはずだ。

 壊れぬものなどない。触れられるのなら尚更よ』

 

「……殴れるなら、壊せる」

 

『しからば後は、貴様の心の問題だ。壊せるのなら、倒せるはずだ』

 

 "勝つその瞬間まで自分を信じられる理由"の創出。

 

『神を殴れるこの世界なら、神とて殴れば殺せるだろう』

 

 幽霊が生者に触れられない手を、むきむきの右手に添える。

 ひんやりとした感触、幽霊に触れられたことによる生理的反応が、反射的に右手と右手の指を動かして、少年に右拳を握らせる。

 握らされた拳を、少年は更に強く握って、心に湧いた弱気をそこで握り潰した。

 

『拳を握れ。目の前に敵が居るのなら、余計なことは殴り殺してから考えろ』

 

 殴れば倒せる。殴り殺してから考えろ。幽霊の理屈はシンプルだが、それゆえに力強い。

 むきむきは拳を握り、顔を上げ、そこで空へと放たれる光の刃を目にした。

 

(……あれは。あれは……ゆんゆんの、光剣。空に打ち上げられた、応援と合図)

 

 敵ではなく、空に向けて放たれたライト・オブ・セイバー。

 そこに込められているのは、少女から少年に向けた"頑張って"というメッセージ。

 幽霊の助言で拳を握ったむきむきは、この応援にてようやく、自分の中に湧き上がっていた弱気を振り払うだけの勇気を得た。

 踏み込む足に、力が入る。

 構える右腕に、心が籠る。

 満ちた弱気に、魂が勝つ。

 ゆんゆんの魔法が、勇気をくれた。

 

「我、久遠の絆断たんと欲すれば、言葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう―――」

 

 むきむきは踏み込み、右腕を引く。

 鎖ごとホーストが引っ張られ、二人の距離が一気に縮まる。

 少年が振るうは右の手刀。すなわち、プラズマを纏う筋肉任せの光の必殺。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

「―――!」

 

 ホーストはその攻撃を防ぐでもなく。かわすでもなく。

 『反撃』という最適解を叩き出した。

 容易には防げない手刀により、ホーストは右腕を肩口から切り飛ばされる。

 否。

 ()()()()()()()のだ。

 急所だけは絶対に切らせず、片腕だけを犠牲にし、ホーストは全力の左拳を叩き込む。

 カウンターで吹っ飛ばされたむきむきは二連続で切り込むことができず、ホーストは切られた腕を魔力任せに再生し、健全な腕をさらりと生やした。

 

 悪魔にもダメージがないわけではない。が、敵の必殺攻撃を代わりが利く腕一本という損失に抑え、敵の追撃を防ぎ、一発いいのを叩き込んだ。

 ホーストの選択は、間違いなく最適解だったと言えよう。

 

「ぐぅっ……!」

 

「へっ、危ねえ危ねえ。だが首はやれねえな」

 

「我、久遠の絆断たんと欲すれば、言葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう!」

 

「何度やろうが―――」

 

 二度目の詠唱。同じ詠唱。踏み込んで来るむきむきと、振り上げられた左の手刀を見て、ホーストはまた先の必殺が来ると読んでいたのだが――

 

「!?」

 

 ――手刀は振り下ろされず、懐に入り、そこから巻物(スクロール)を引き出していた。

 

 里中探しても一枚しかストックが無かった、"スクロールの作製技術がない者でも上級魔法を込められる白紙のスクロール"。

 そこにゆんゆんが光の魔法を込め、むきむきはそれを懐に入れていた。

 魔法が使えない出来損ないの紅魔族でも、それを起動させるくらいはできる。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 "この距離ならまだ拳は届かない"という認識が、ホーストの反応を一瞬遅らせた。

 ホーストは飛び上がって回避しようとするが、一手遅い。

 放たれた友情の斬撃が、ホーストの両足を切り飛ばし、バランスを崩させる。

 切り取られた足は瞬時にまた魔力によって再生されたが、一瞬の遅れと隙は如何ともし難く、ホーストの腹に強烈なアッパーが突き刺さっていた。

 

 まるでロケットのように、ホーストは空へと殴り飛ばされる。

 

「うごっ! っ、だが、こんなもんじゃ俺様を殺るには……」

 

「モールス信号、っていうのがあるんだ。ご先祖様が残した面白いものの一つにさ」

 

「?」

 

「短い音三回、長い音三回、短い音三回。こっそり、戦いの中で鳴らせないものかと苦心してた」

 

 幽霊とむきむきが初めて出会った日、ゆんゆんが幽霊話に泣きそうになっていた日、めぐみんはむきむきとモールス信号を習得しようとしていた。

 何故か? かっこいいからだ。

 あの日より前の日も、あの日より後の日も、モールス信号の習得――という名の紅魔族風遊び――は続いていた。途中からは、ゆんゆんも巻き込んで。

 

 だから、むきむきは戦闘音をそれに寄せて戦っていた。

 ゆえに、めぐみんとゆんゆんは、戦いの音を聞いて状況を把握できていた。

 短い音三回、長い音三回、短い音三回。

 モールス信号において、これは『SOS』を意味している。

 

 そして、強い友情で結線された彼らであれば、そのSOSに完璧な形で応えられる。

 

 むきむきはホーストを上に殴り飛ばしたと同時に、自分も跳躍していた。

 そしてミスリルの鎖を使い、空中でホーストの大きな翼を縛り上げ、背後からホーストを羽交い締めにして、空中で回避行動を取れないようにする。

 事前にむきむきが計画していた通りになった。鎖はホーストの魔法と飛行を封じるため、そして最後に翼を縛るために用意したものだ。

 むきむきが、最後の最後にホーストを押さえ付けるために。

 

 今、超遠距離から爆裂魔法の照準を合わせているめぐみんを、この戦いの最後を飾るフィニッシャーにするために。

 

「上級悪魔を倒すには、爆裂魔法……だった、よね」

 

「馬鹿野郎! お前まさか相打ち狙いで―――!?」

 

 むきむきはとことん、ホーストが気まぐれで教えた内容を信じ、それを踏襲した。

 ホーストは、むきむきが話した内容を話半分程度にしか信じていなかった。

 今日は奇しくも、それが正反対の形で作用した形になる。

 無論、上級悪魔が消える威力の魔法だ。むきむきがそれに耐えられるはずもない。

 

 だから少年は、遊びに使っていた『あのキューブ』の最後の一個を、ここで飲み込んだ。

 

(―――今、こいつ、何を飲み込んで―――)

 

 ホーストを羽交い締めにしているむきむきの体が、一瞬で頑強なものへと変わる。

 それで、悪魔は察したようだ。

 愉快そうに、悪魔は笑う。

 

「―――へっ、やるじゃねえか」

 

「ありがとうございました、先生」

 

 そして、むきむきが世界最強だと心の底から信じている爆焔が、放たれる。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 目指すものがあるのなら、それを一人で目指す必要はない。

 

 それもまた、むきむきが友から教わったものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人並み以下の魔法抵抗力を投げ捨て、極端に物理防御力を上げて敵を掴み、自分諸共爆裂魔法を当てる。

 上級悪魔を一撃で倒す手段を持たない彼には、これが最良の策であるように思えた。

 だから、命がけで実行した。

 空から落ちて、むきむきは少し火傷した体で着地する。

 

 同時に、彼の前にも、何かが落ちて来た。

 

「おー、いてて」

 

 落ちてきたそれは、軽い口調で焼けた体を撫でている。

 

「めぐみんの爆裂魔法は最高で最強。それを疑ったことは、一度も無いけど……」

 

 体のところどころが欠け。

 体の大部分が焼け。

 体にあった急所のいくつかが吹き飛んでいて。

 

 それでも、上級悪魔ホーストは、死んではいなかった。

 

「……嘘つき。爆裂魔法撃ち込んでも、倒せないじゃないか」

 

「そこらの上級悪魔なら倒せるぜ。嘘は言ってねえ。

 だが、ホースト様を倒すにはちと火力不足だったな」

 

 悪魔の体が、魔力によって再生されていく。

 

 爆裂魔法は、人類最強の攻撃手段だ。

 人類でも最高峰の才能を持つ人間でも、習得できる人間は一握り。

 これ以上の破壊力を持つ魔法など存在しない、神でも自前の魔力で二発と撃てない究極魔法。

 なのに、倒せない。

 

 こんなもの、どうすれば滅ぼせるというのだろうか。

 

「惜しい、惜しい。だが褒めてやるよ。

 もしもここに最上級のアークプリーストの一人でも居たなら……

 俺様の『残機』、一つくらいは削れてたかもしれねえぞ? ま、紅魔族に居るわけねえか」

 

「……そりゃ、居ないよ」

 

 上級悪魔なんてものは、国一番のアークプリーストでさえ手を焼くというのに。幹部級の悪魔に痛恨の一撃を叩き込めるだけのアークプリーストなど、連れて来るだけで困難だ。

 まだ空から降って来るのを待った方がいい、というレベルである。

 めぐみんという人類最高火力も用いたというのに、その上に更に何かを積めと、この恐るべき悪魔は言っている。

 

「ま、俺もこれ以上戦うのはキツいからな。

 ウォルバク様と後で合流できることを祈って、ここは退却しておくぜ」

 

「……」

 

「ここから紅魔族に時間をかけて削られたら、流石の俺様でも地獄に叩き返されそうだ」

 

 むきむきは、紅魔族の戦闘スタイルの正しさを実感する。

 超高火力のアークウィザードを集め、一点集中で繰り返し上級魔法を叩き込む。

 そんな風に攻めでもしなければ、上級悪魔は殺し切れないのだろう。

 

 上級悪魔の中でも特に強いホーストを相手取ってここまで戦えたなら十分快挙だが、結局の所彼はホーストを仕留められず、退却するホーストを見逃すしかない。

 

「また会おうや。……後な、あのちびっ子に言っておけ。召喚できるならしてみろ、ってな」

 

「次は勝つよ。僕と、めぐみんと、ゆんゆんで」

 

「おう、やってみろ。力が足りなければ仲間を揃えるのがお前ら人間だろう? へへっ」

 

 めぐみんが、未来にしたいこと、未来になりたいものをくれたなら。

 ホーストは、『未来に勝ちたいと思える敵』をくれた。

 それもまた、明日を目指す心の動力源になってくれる。

 

「そういや、空でやりあった後、まさかここに落ちるとはな。

 お前ら紅魔族は、ここを名前も忘れられた傀儡と復讐の女神が封じられていた地と呼んでたか」

 

「そうだよ」

 

 二人が落ちた場所は、邪神の墓に近い位置にあった危険な場所、『女神が封じられていた地』。

 過去形だ。

 八年前にこの封印は戦闘の余波で破壊され、女神は封印より解き放たれた。

 以来、ここは破壊された封印の跡だけが残された地となった。

 

「八年前に、僕の父さんと母さんが、魔王軍に殺された場所だ」

 

 ここは、ある二人の紅魔族が未来を奪われた場所。

 

「傀儡と復讐の邪神『レジーナ』はそれで復活したってわけだ。

 そりゃあ、こんなとこで紅魔族が戦闘すれば封印も吹っ飛ぶわな」

 

「何か言いたいことがあるの? ホースト」

 

「じゃあ、言うが」

 

 ホーストは空へと舞い上がり、少年を指差して、愉快そうに一つの事実を告げる。

 

「魔王軍の幹部に、お前の両親を殺した奴が居る、つったらどうする?」

 

「―――!」

 

 その言葉に、むきむきは目の色を変えた。

 

「どろっとした悪感情だな。そういう感情を好んで食べる悪魔も多いぜ」

 

「待って! その幹部の名前は……」

 

「くくっ、魔王軍に来たら教えてやるよ。それで決闘でもすりゃいいさ。

 幹部の穴を埋めるってんなら、魔王との殺し合いを認めるかもしれねえしな」

 

 爆裂魔法の規格外の威力は、既にミスリル製の鎖さえも破壊している。

 空を飛ぶホーストを引き留めようとするむきむきだが、言葉でホーストは止まらない。

 

「じゃあな。次に会う時を楽しみに待ってるぜ」

 

 手を伸ばす少年に背を向けて、ホーストはどこかへと去って行った。

 

「二人の仇……」

 

 少年は、両親のことはほとんど覚えていない。

 けれども、全て覚えていないわけでもない。

 物心ついてから始まり、両親が死んでしまった日に終わった記憶。家族との想い出。

 彼の中にも悲しみと憎しみは有る。けれどもそれは、少しだけ捻じ曲がったものがあって。

 

 友達と過ごす日々が楽しくて、楽しすぎて、忘れていた感情があった。

 

「……魔王軍」

 

 少年はホーストの言葉をきっかけに、忘れかけていた魔王軍への感情を、蘇らせていた。

 

 

 




 爆裂魔法ってドラグスレイヴですよね、ポジションが
 中級悪魔の強さの下限を4とすると、ホーストは33くらいのイメージです。強さ比は33:4くらい?
 以下、WEB版未読者の方には見ても意味がないスペースです↓



 セレナ様が魔王軍幹部入りしたタイミングはいつになるのか。書籍版だと本編開始一年前にめぐみんの爆裂魔法がレジーナの封印を吹っ飛ばしたことになっています。
 なので書籍版での登場は女神解放から二~三年経った時点でのことになると思われます。
 魔王幹部に補充システムがあるのであれば、書籍版ではこれから先追加幹部としてセレナ様が出る展開になるかもしれません。
 書籍版だと幹部は現在五人撃破、ウィズを除いて残り二席、でセレナ様・魔王の娘・占い師と残ってるので追加幹部枠だとすっきりしますしね。
 補充システムが無ければ除外されるのは魔王の娘辺りでしょうか。

 とはいえ、ウィズが結構近年に追加された幹部なので、魔王城の結界が近年までなかったor幹部の補充制度があるのは間違いなさそうなのですが。
 魔王城の結界はデストロイヤー避けでもあるので、結界が近年までなかったというのも考えにくいんですよね。
 とはいえ、レジーナ様は封印された状態でも加護を渡せるんだ、という設定になってここまでの考察全部無駄って可能性もありますし、所詮はこの作品の独自考察です。

 この作品だとレジーナの封印が早い時期に色々あって吹っ飛んだことになっているので、セレナ様周りの戦力が高まってる感じです。


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1-9-1 身長265cmッ! 体重355kgッ! 12歳ッ! 鉄みたいな筋密度骨密度ッ!

一章最終戦。シリアスモード


 大切な人間を奪われ、悲しみと憎しみを得る事柄には二つの種類が存在する。

 『喪失』そのものに強い感情を抱く場合。

 そして、『喪失後』に強い感情を得る場合だ。

 

 前者は言うなれば、「大切な人を殺した者を許さない」気持ち。

 大切な人の死に悲しみ、殺した人間を憎む、ごく普通の感情だ。

 後者はこの前者とはまた違う。

 言うなればそれは、「大切な人の死で生まれた環境の変動」から生まれる気持ちである。

 

 大切な人の死で孤独になり、その寂しさから生まれる悲しみ。

 家族を失い、静かになった家の中で、自然と湧き上がる憎しみ。

 里の仲間外れにされて辛い時、その辛さの原因を殺人者に求めてしまう憤り。

 大切な人の喪失そのものではなく、大切な人が失われた後に発生した環境の変化から生まれる、悲しみと憎しみ。

 むきむきにある感情はこちらであった。

 

 少年はもう、親の顔も親の声も覚えていない。

 以前はもう少し覚えていたような気もするが、幼い頃の朧気な記憶は、年月の経過によって櫛の歯が欠けるように消えていってしまった。

 覚えているのは、親が握ってくれた手の暖かさと、抱きしめてくれた時に感じた暖かさのみ。

 "親がくれた愛の暖かさ"以外、彼は親のことを何も覚えていなかった。

 

 親が魔王軍に殺された後、彼はずっと一人で家に暮らしていた。

 覚えていた手の暖かさが、抱きしめられた時の暖かさが、少年に新しい家族と家庭を受け入れさせなかった。

 死んだ家族を捨て、新しい家族を得ることを許さなかった。

 親も居ない伽藍堂の家への執着を、捨てさせなかった。

 めぐみんの家で擬似的に家族の温かみを感じることでさえ、彼にとっては精一杯の妥協だった。

 

 大半の人間は、『お前のせいだ』と言える対象を探したがるものだ。

 諸悪の根源のせいにしたがるものだ。

 むきむきの内には今の環境――孤独、無才、異物、蔑視――に対する人間らしい負の感情が渦巻いており、『魔王軍』『親の仇』という、「そいつのせい」にしやすい分かりやすい的があった。

 事実、親が生きていれば家族という近しい味方が存在し、親に肯定されることで多少は強い心を得て、苦しみも悲しみも今よりは少なかっただろうと思われるので、魔王軍のせいであるというのも粗方間違ってはいないのだが。

 

 人生を気楽に生きたいのなら、怨みなど持たないのが一番だ。

 適当に生きている人間の方が、生真面目な復讐者よりよっぽど幸福に生きている。

 むきむきは死んでしまった家族のことなんて綺麗さっぱり忘れてしまうか、さっさと想い出にしてしまうかして、新しい家族とのんびり幸せにでもなっていればよかったのだ。

 

 ただ、そうなれなかったから、そうすることができなかったから、『紅魔族の仲間外れ』は余計な悲しみや憎しみを背負うことになってしまった。

 今日まで、友達がそれを忘れさせてくれていた。

 楽しい日々が、受け入れてくれる少数の紅魔族が、負の感情のことを忘れさせてくれていた。

 

 今、少年は分岐点の前に立っている。

 

 おそらくは、ホーストが目論んだ通りに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホーストの襲撃後、紅魔の里には『筋肉は爆発だ』というワードが大流行していた。

 

「あれ本当なんかね」

「むきむきの筋肉が爆発して上級悪魔を吹っ飛ばしたってやつか」

「マジらしいですよ」

「あの爆発はやつの筋肉の爆発であったか」

「むきむきダイナマイト……何故か脳裏に不思議なワードが……」

「だが待って欲しい。その上級悪魔がリア充だった可能性は?」

 

 めぐみんの爆裂魔法習得は周囲にバレたらややこしいことになるため、爆裂魔法使用時にはカバーストーリーが必要になる。今回用意されたカバーストーリーは、"むきむきの筋肉が大爆発を起こした"というものであった。

 雑。

 雑である。

 ガバガバにもほどがあるカバーストーリーだった。

 ゆんゆんは絶対に上手く行かない、と猛反対していたが、このカバーストーリーは彼女の予想に反し里の大半に受け入れられることとなる。

 

「筋肉は爆発するものだったのか……」

 

 普段から筋肉で炎・雷・風・光と多様な魔法もどきを使っているのがむきむきだ。

 「今度は爆発か」程度の反応に終わるのは、ある意味必然であった。

 ……とはいえ、普通の感性があれば、嘘であることくらいは気付きそうなものだが。

 

「紅魔族って控え目に言ってバカなんじゃないの?」

 

「おおっと、強気な台詞ですねゆんゆん。

 里一番の変わり者なゆんゆんには、一般的な感性が分からないのでしょうか。

 もっと常識を学びましょう。いつまで世間知らずでいるつもりですか?」

 

「バカにバカって言われてる気分なんだけど!」

 

 三人の年齢が12歳で揃った時期のある日のこと。

 DTレッドの戦いから時間も経ち、三人の技量・知識・レベルも十分な域に達した今、彼らが里を出ない理由は無いと思われた。

 なのだが、またしてもトラブルが発生したようだ。

 

「できれば、めぐみんがボロを出す前に里を出たいところだよね」

 

「おい、私がボロを出す前提で話すのはやめてもらおうか」

 

「でもしょうがないじゃない。今、里の外は危険なんだから」

 

 里の外からの情報によると、今、魔王軍の賞金首がこちらに向かっているらしい。

 そのため、むきむき達はここで余計な足止めを食ってしまっていた、

 

 この里であれば、魔王軍の幹部であってもぶっ殺すことはできる。

 だが、むきむき達三人であればそうもいかない。

 能力はあっても経験等が足らないため、賞金首になるような名の知れた魔王軍と鉢合わせてしまえば、総合力で負けてしまう可能性があるのだ。

 そのため、里から迂闊に出ることができなくなっていた。

 

 むきむき達視点――RPG的に言えば――、最後のダンジョンに大量に居る中ボスの一体が、最初の町の周辺をうろうろしているようなものだろうか。

 

「どんな強敵であろうと、私の爆裂魔法で一発ですよ。さっさと旅立ちましょう」

 

「でもめぐみん、この前上級悪魔を一発で倒せなかったじゃない」

 

「はぁ!? あの時は私の調子が悪かっただけですしー!

 私の爆裂魔法は最強です! 次は見事一発で仕留めてみせますよ!」

 

「やだもうこの負けず嫌い……」

 

「ま、まあ、僕ら全員のレベル合わせても30行かないし……

 レベル上げれば魔法やパンチの威力も上がるから、まずはレベル上げだね」

 

 紅魔の里から見れば、南西にアルカンレティア、南南西に観光の街ドリス、西北西に遠く離れた場所に魔王城、南南西のはるか彼方にはこの国の王都が存在している。

 大きな街道は王都→ドリス→アルカンレティア→紅魔の里の順路に一本有るが、今里に接近している賞金首は、ドリスから紅魔の里まで道のない地域を一直線に進んで来ている、とのこと。

 

「そういえば、面白い話を耳にしました。

 その賞金首を、最近頭角を表し始めた勇者が追っているそうですよ」

 

「勇者?」

 

 勇者、という言葉に、むきむきがちょっと反応する。

 

「魔剣の勇者と呼ばれている人らしいです」

 

「え、なにそれかっこいい」

 

「かっこいいですよねえ。紅魔族センスにビンビン来ます」

 

「私そういうのほんっっっとうに分からないよ……」

 

 勇者。

 ()()()()()()と定義される、選ばれし強者の称号。

 この世界には何度も魔王が現れており、そのたびにどこからともなく強大な力を持った勇者が現れ、魔王を倒すという伝説があった。

 勇者は、知識人が把握している範囲では皆黒髪黒眼。

 この世界には存在しない命名法則による名前を持ち、それぞれが世界法則の外側にある強大な力を持っていたという。

 

「まあ面倒臭いのは勇者に丸投げしてもいいかもしれません」

 

「最初くらいは安全に行きたいもんね。僕らの旅は」

 

「旅の無事は人には分からず神頼み、とも言うらしいけどね。

 ああ、想像するだけで私なんだか不安と期待で胸いっぱい……」

 

 戦う力を持たないこの世界の人々の大半は、安全な街の外に出る前には必ず、旅の無事を願って幸運の女神エリスに祈りを捧げるという。

 この世界において、旅にはいつでも大なり小なり命の危険が伴うからだ。

 

「神、か」

 

 そんな人々が祈りを捧げる神も、この世界では多くはない。

 

「邪神ウォルバク。

 女神レジーナ。

 ホーストはあの時、この二つの神様の名前を言っていた。でも……」

 

「私達が調べても、レジーナの名前は見つかりませんでした。

 邪神ウォルバクの方は少しであっても見つかったというのに」

 

「名前さえ忘れ去られていた、傀儡と復讐の女神……」

 

 普通、神が封印されるなんてことはめったにない。

 ならば、封印されたことには理由があるはずだ。

 レジーナの封印はむきむきの両親の最後の戦いで、既に消し飛んでいる。

 むきむきは封印から開放された邪神ウォルバクを紅魔の里が倒してしまうことを期待していたが、結局邪神は姿を見せず、どこぞへと姿を消してしまった。

 この二つの神は、何故封印されたのかさえよく分かってはいない。

 

「そもそもの話、女神は二柱だけっていうのが常識よ」

 

「女神エリスと、女神アクア。幸運の女神と水の女神だね」

 

 神が居ない世界なら、自然崇拝や超常現象の恐れから、無限に神と信仰を生み出していくのが人というものだ。

 だが、この世界は違う。

 この世界で架空の神を信仰する宗教が増えるということはない。

 この世界には、現実に神が存在するからだ。

 

 ゆえに加護を与えてくれる実在の神だけが信仰され、そうでない神は"架空のものでしかない"と信仰さえされない。

 そう考えれば、女神に対する封印というものはえげつないのかもしれない。

 加護を下界に与えられなくなった神は、長命の悪魔ならともかく、短命の人間からはあっという間に忘れられ、信仰という力の源を刈り取られてしまうということなのだから。

 

 炎の神も、土の神も、風の神も、創造神も信仰されてはいないのだ。だって、この世界には()()()のだから。

 神々という群体は存在するが、この世界に恩恵をもたらす女神はエリスとアクアのみ。

 宗教も、エリス教とアクシズ教のみ。

 それが、この世界独特の宗教体系を構築していた。

 

「アクアとエリス。紅魔の里の聖遺物が示した二柱だけの女神……」

 

「むきむきが言ってるのは、あれのこと?

 古代文字で『アクエリアス』と書かれたあの、謎の容れ物」

 

「うん。製法不明、材質不明。

 スキルをもってしても再現できなかったという謎の容れ物……」

 

「ご先祖様が、大昔に遺したあれのことですね。

 未だに誰が作ったのか、何のために作ったのかも分からないという」

 

 大昔、「アクエリアスのペットボトルっすよ」と言い、紅魔族に謎の容れ物をお礼に渡し、去って行った異世界からの旅人が居た。

 そんな聖遺物の由来が忘れ去られた数百年後の現代。

 この容れ物は……

 

「この容れ物はアクエリアスというらしいぞ」

「数百年前に保存加工された紅魔族の聖遺物だぞ」

「アクア……エリス……アクエリアス……そういうことか!」

「やはり大昔から神はこの二柱だけと認識されていたんだな!」

「この容れ物の名前こそがその証拠!」

「アクア様とエリス様って合体機能付いてるのかもしれん」

「やっぱりアクエリアスがNo.1!」

 

 ……といった感じに、この世界の歴史研究者達の間で、特定の学説を補強する有力な証拠となってしまっていた。

 アクエリアスがこの世界の覇権宗教だった理由付けにされてしまったのである。

 

 アクエリアス、異世界にてポカリスエットに大勝利。

 レ(モン)ジーナにもおそらく大勝利。

 やはり飲み物業界において、アクエリアスこそが真の王者だったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔王軍の賞金首は道なき道を真っ直ぐに里に向かって駆けて来て、勇者は街道を通ってこちらに向かっている。

 一番近いアルカレンティアからでも、紅魔の里へは徒歩で二日かかってしまう。

 勇者が来るのはかなり後になるだろう。

 その日は、その賞金首が里付近を通過すると予想されていた日の前日だった。

 

 めぐみんは走るむきむきの肩に乗り、里の外へ妹・こめっこを探しに飛び出していた。

 

「あの子は本当にもう! 少しは落ち着きってものがないんですか!」

 

「めぐみんみたいだよね」

 

「危なっかしい上に、すぐ感情のままに何も考えず行動して……」

 

「めぐみんみたいだよね」

 

「行っちゃいけない場所にも平気で行こうとして」

 

「めぐみんみたいだよね」

 

「むきむき、喧嘩売ってるんですか?」

 

 こめっこは、ホーストと特に仲が良かった。

 互いに対し親しみが有り、そこには確かな仲間意識があった。

 最後に殺し合うことができたむきむきと比べれば、ずっとまっとうな絆を育んでいたと言えるだろう。

 

 あの日、邪神の封印の解放が成ってから、ホーストは里には来なくなった。

 当然、こめっこがホーストに会うこともなくなる。

 それからの日々が、子供心に何かを溜め込ませてしまったのかもしれない。

 

 よりにもよってこのタイミングで、こめっこは"ホースト探しの冒険"と題して里の外に出て行ってしまったのだ。

 

「こめっこー!」

 

「こめっこちゃーん!」

 

 賞金首がこの辺りを通り過ぎる日は明日であるため、こめっこも外にこっそり出られた。

 が、今日来ない保証などどこにもない。

 里に言伝を残し、二人は一も二もなく里の外に飛び出していた。

 

「どこで道草食ってるんですか、あの子は……!」

 

「この前みたいに毒のある野草食べてお腹壊してないといいんだけど」

 

「そういう意味で言ったんじゃありません!

 いや、確かにあの子はお腹が減ると道の草食べるんですけど!」

 

「うち来れば普通の御飯くらい出すんだけどなあ」

 

 探して、探して、探して。

 一時間ほど走り回って、二人はようやくこめっこを見つけた。

 

「見つけましたよこめっこ! さあお帰りの時間です!」

 

「や! ホーストのてがかりを見つけるまでは帰らないよ!」

 

「聞き分けがない子ですね! この強情っぷり、誰に似たんだか……」

 

「めぐみんみたいだよね」

 

「こめっこ! あなたは悪魔にたぶらかされてるだけです!」

 

「姉ちゃんだってダメな男にたぶらかされそうな顔してるくせにー!」

 

「どんな顔ですか!? くっ、手強い……!

 この一度気に入ったものにとことんこだわるところ、誰に似たんだか……」

 

「めぐみんみたいだよね」

 

「むきむき! 茶々入れないでください!」

 

 めぐみんも大概大物だが、こめっこも大概大物だ。

 どちらもノリにノッてる時は激しく無敵感がある。

 

「こうなったら力づくで連れていきましょう。

 数日は家から出られないようにしておいたほうがよさそうですね……」

 

「ひぼーりょくふふくじゅーをうったえます」

 

「どこでそんな言葉を覚えてるんですかあなたは」

 

「姉ちゃんが強行手段に出るなら、わたしは最終手段に出ます」

 

「ほほう? あなたみたいなちみっ子に何ができると言うんですか?」

 

(めぐみんも十分ちみっ子なんだけどね)

 

「姉ちゃんの秘密を言いふらします」

 

「我が名はめぐみん。紅魔族随一の天才にして、何恥じることなき魔法使い……

 どんなことを暴露されようが、この明鏡止水の心に、さざなみ一つ立たぬと知るがいい!」

 

「姉ちゃんの一昨日の朝ごはん!」

 

「ちょっ、こめっこ待っ」

 

「姉ちゃんはお腹が減りすぎて、ミミズを掘り出して生きたまま食べてました!」

 

「え………………あ、うん。めぐみんは悪くないよ。悪いのは貧乏だよ」

 

「やめてください! 私だって心抉られる時はあるんですよ!」

 

 もっと食材を持って行く頻度を上げよう。

 むきむきは、心の底からそう思っていた。

 

「こめっこちゃん、帰ろう。……ホーストは、その……」

 

「姉ちゃんの兄ちゃんと、ホースト。

 二人の喧嘩は、わたしじゃないと仲直りさせられないと思う」

 

「……」

 

 仲直りする日など、来るのだろうか。

 直る仲など、あっただろうか。

 むきむきはそんな日が来ないと思っているし、こめっこは来ると思っていた。

 

「こめっこちゃんは大物になりそうだね」

 

「我が名はこめっこ! 将来の大物にして、紅魔族随一の魔性の妹!」

 

「私の妹ですからね。そりゃもう、私ほどではないでしょうが大物になるでしょう」

 

「おかーさんがうちの家系は代々ひんにゅ」

 

「こめっこ。それは嘘です。真っ赤な嘘です。

 ですから頭の中でこう唱えるのです。『そんな事実は存在しない』と」

 

「そんざいしないー!」

 

 話している内にいつの間にか、こめっこは楽しそうに笑ってめぐみんと手を繋いでいて、すっかり帰る姿勢になっていた。

 めぐみんも、そんな妹を慈愛の目で見守っている。

 

 こめっこがホーストという友人と、もう一度会いたいと思った気持ち。それも本気のものだっただろう。

 だが、こめっこにとって一番大切な人は、誰よりも大好きなこのお姉ちゃんなのだ。

 親よりも大好きなお姉ちゃんが迎えに来た時点で、多少は駄々を捏ねることはあっても、最終的に姉と一緒に帰ることだけは、決まりきっていた。

 

「さ、むきむき。さっさと帰りましょう」

 

「……風」

 

「え?」

 

 何かが来る。

 その時、そう感じていたのは、この場ではむきむきだけだった。

 

 空気が変わる。

 むきむきが何かを感じ、雰囲気を変じさせたことで、その場に漂う雰囲気が一気に剣呑なものへと変わり果てていた。

 むきむきが手を繋いでいる姉妹を庇い、油断なく周囲に視線を走らせる。

 

 緊張で、めぐみんが唾を飲み込んだ、その瞬間。

 むきむきの視界の死角、姉妹の背後の闇から、黒鎧の怪物が姿を表した。

 

「―――」

 

 息を一つ吐く余裕さえもない刹那。

 黒鎧の騎士が振るった西洋剣を、むきむきの親指と人差し指がつまみ止めた。

 だが、この西洋剣は囮。

 黒騎士は右手で剣を振りながら、同時に左手で短剣を投げていた。

 剣を防がせ、むきむきの目を投剣で潰そうとする巧みな連撃。

 少年はそれを、顔を動かし歯で噛んで受け止める。

 噛み砕かれた短剣を見て、黒騎士はようやく口を開いた。

 

「いい感覚をしている。視覚に頼らない鍛練の証だ」

 

「ゆんゆんって子との特訓の成果だよ」

 

 ぺっ、と噛み砕いたナイフの破片を吐き出す。

 吐き出した破片が地に落ちるまでの一秒で、黒騎士は跳んで距離を取り、めぐみんは襲撃者の正体を見抜いていた。

 その黒騎士には、"頭がなかった"から。

 

「デュラハン……魔王軍!?」

 

「いかにも。我が名はイスカリア。

 魔王軍幹部、ベルディアの弟。

 かのものの敵を打ち払う露払いである」

 

 黒騎士のそばに、黒い馬がどこからともなくやって来る。

 デュラハンのイスカリアを名乗ったその男の頭は、馬の頭の上にあり、馬の体と一体化していた。

 少年は、そのデュラハンを凄まじい形相で睨んでいる。

 

 話に聞いただけ。

 当時の戦いに参加していた大人達に聞いただけ。

 だが、伝聞であっても、彼はちゃんと知っていた。

 家族の仇が、『魔王軍のデュラハン』であるということを。 

 

「……むきむき?」

 

「……」

 

 めぐみんが、どこか不安そうにむきむきの名を呼ぶ。

 ただそれだけで、黒い感情に呑み込まれそうになっていた彼の心が、いくらか落ち着いていた。

 

「……一つ、聞かせて欲しい。

 九年くらい前。この里で、僕の両親を殺したのは、あなたか?」

 

 予想外な少年の言葉に、イスカリアはきょとんとし、一瞬後に呵々大笑した。

 

「ふははははっ! そうかそうか!

 君は、兄者から聞いていたあの紅魔族二人の子か!」

 

「―――」

 

「レッドが言っていた通りだ。

 紅魔族も世代交代の時期なのだな。

 君の感覚は正しい。だが当たらずとも遠からずだ。

 尋常な果し合いで君の両親に死の宣告を打ち込んだのは、我が兄である」

 

「兄……ベルディア」

 

 ようやく知ることができた仇の名前を、少年は口の中で繰り返す。

 

 12年と少しの人生。忘れられない寂しさがあった。消えない悲しみがあった。消したくても消せない憎しみがあった。友達が居て初めて耐えられた辛さがあった。

 それをぶつけられる相手が、ぶつけていい相手が、ぶつけるべき相手が、目の前に居る。

 親の仇の、その弟。

 

 仇の家族ですら好意的には見れなくなるという人間的思考。

 魔王軍であったホーストに対する感情と見比べれば、今のむきむきがどれだけ俗で理不尽な感情を抱いているか分かるというものだ。

 その感情は正当ではなく、また異常でもない。

 どこまでも、普通の子供が持つものでしかなかった。

 

「親の敵討ちの類、大変結構。

 私はそういう義の戦いを良しとする。

 ただし、手加減は期待しないことだ」

 

「そんなもの、いるもんか!」

 

 黒い感情に突き動かされるまま、むきむきは拳を振り上げ突っ込んだ。

 

 この世界は恐ろしく、魔王軍もまた恐ろしいという意識を、どこかに置き忘れたままに。

 

「『デス』」

 

 イスカリアが少年を指差したのと、めぐみんが全力で走った勢いのまま少年に体当たりしたのは、ほぼ同時だった。

 指差したイスカリアが、魔法の名を呟く。

 発射と命中がほぼ同時に行われる死の魔法が放たれ、めぐみんの不意打ち体当たりで姿勢を崩したむきむきには当たらず、その後ろを飛んでいた蝶に当たる。

 

 呪いを受けた蝶が『即死』して、少年の背筋に冷たいものが走った。

 

「迂闊に突っ込まないで下さい! 死んでましたよ!?」

 

「い、今のは……!」

 

「あれは前衛職の騎士が死んで成ったデュラハンじゃありません!

 後衛職の騎士が死んで成ったデュラハンです! 『ダークプリースト』ですよ!」

 

 アンデッドは、人が()()()()()ものが多い。

 そして、高位のアンデッドであれば、生前のジョブの能力がそのまま反映されることも多い。

 生前、凄まじく強い魔法使いだった女性がリッチーになったとする。

 そのリッチーは、生前の強力な魔術をそのまま使えるだろう。

 生前、凄まじく強い騎士だった男性がデュラハンになったとする。

 そのデュラハンは、昇華された極めて高い剣の技量を持っているだろう。

 デュラハンとは(ジョブ)ではなく、種族(カテゴリ)なのだ。

 

 このデュラハン、イスカリアもその例に漏れない。

 鎧と剣で一見近接特化の騎士にも見えるがその実、手に持つ剣は魔法発動補助媒体でしかなく、本領はダークプリーストとしての魔法。

 すなわち、『即死スキル』であった。

 

(と、いうか。

 いかにも正々堂々とした騎士ですよ、みたいな話し方をして……

 普通、戦いが始まったと同時に即死の魔法なんて撃って来ますか……!?)

 

 前置きもなく、前触れもなく、容赦もなく、飛んで来た即死の魔法。

 当たれば死んでいた。

 魔法抵抗力が低いむきむきであれば、死は避けられなかっただろう。

 いかにも「これから戦いますよ」といった雰囲気を作っておいて、勝つためにそれが最善であれば容赦なく実行する性格が垣間見える、初見殺しの一撃必殺。

 このデュラハン、相当に人相手に戦い慣れているようだ。

 

「魔法なら、対魔法の魔道具か魔法抵抗で防げばいいだけです! むきむ―――」

 

「『君は、二週間後に死ぬだろう』」

 

 それが違うスキルだとしても、二度も不覚を取りはしない。

 むきむきはめぐみんを抱え、イスカリアの指が示した直線の上から飛び退いた。

 またしても発射と命中がほぼ同時に行われる死の攻撃が放たれ、彼らの背後に居た小鳥が死の運命を付与される。

 

「魔法じゃなくて種族固有スキル……死の宣告か!」

 

 『デス』は死の魔法。その場で死ぬ。

 高い魔法抵抗力があれば、防げる可能性はある即死の魔法。

 『死の宣告』は死の呪い。指定した日に必ず死ぬ。

 デスを防げる魔法抵抗力があったとしても、こちらのスキルは防げない。

 状態異常耐性を極限まで上げた聖騎士(クルセイダー)でも、まず間違いなく抵抗失敗するであろう、凶悪な成功率を持つ即死スキルであった。

 

 イスカリアの指先が、むきむき達ではなくこめっこを指差す。

 

「『君は、二週間後に死ぬだろう』」

 

「―――!」

 

 その一瞬のみ、むきむきの動きは音速を超えた。

 「君は」の部分でこめっこの前まで移動し、「二週間」の部分で発生した衝撃波をかき消し、「後に」の部分でこめっこを抱え、「死ぬだろう」と言われた瞬間に横に跳ぶ。

 そうして、彼はなんとか死の呪いを回避した。

 

 指差し、一言口にするだけで死の運命を確定させる。

 それのなんと恐ろしいことか。

 

「『君は、二週間後に死ぬだろう』」

 

 しかも、連射できるときた。

 

「ぐっ……!」

 

 むきむきはこめっこを抱えたまま更に跳ぶ。

 だが、移動速度と移動距離があまりにも足りていない。

 一瞬だけとはいえ凄まじい速度を出してしまったことで、その速度に慣れていなかった体が悲鳴を上げているようだ。

 

 回避で姿勢を崩したむきむきに、次の一撃が回避できない状態に陥ったむきむきに、無情な最後の一手が向けられる。

 

「『君は、二週間後に死ぬだろう』」

 

(もうダメか……!?)

 

 せめてこの子だけでも、という一心で、むきむきはこめっこを抱きしめ庇う。

 けれども死の恐怖は抑えきれず、抱きしめる手先は震えていた。

 そんな彼だったから。

 彼の手の中に、守るべき妹が居たから。

 

 絶対に自分だけは死にたくないと思っているくせに、めぐみんは一歩を踏み出してしまった。

 

「っ」

 

「めぐみん!?」

 

 むきむきを庇っためぐみんに、死の宣告が命中する。

 黒い呪いが少女の命にへばりつき、めぐみんはその場に膝をついてしまった。

 

「おや、そちらに当たったか。……まあいい。

 死の宣告の効果は知っているな? 二週間後に、そこの少女は死ぬ。

 我ら兄弟の死の技は、生者のみならず死者さえも二度目の死に至らしめる」

 

「お前っ!」

 

「呪いを解きたいのであれば、私を倒してみるかね?

 それを望むのであれば、私から君へ決闘を申し込もう」

 

 違和感。

 即死の呪いを使った、"死んでもいい"という思考から生まれる攻撃。

 かと思えば、攻撃の手を緩めての決闘の申し込み。

 行動に一本筋が通っているようで、その一本筋がどこに伸びているのかまるで分からない。

 

「あなたは、何を考えている」

 

「私は『君を試せ』と命じられただけだ。殺してもいい、と条件付きでね。

 君が私に殺されるようならそれも良し。

 それだけの男だったというだけだ。

 私が君に殺されるようならそれも良し。

 私の死は貴重な情報となり仲間に伝わるだろう。

 どちらも死なず、ほどよく情報を集められたならそれも良し。

 私はそれを持ち帰り、仲間達に伝えるだけだ。難しい理由ではないだろう?」

 

 人間一人生きようが死のうがどうでもいい、という思考。

 死の呪いがむきむきに当たろうが、めぐみんに当たろうが、それを理由にむきむきが本気を出すのであればよし、という思考。

 その結果相手を殺してしまおうが、自分が死んでしまおうが、それもよしという思考。

 

 手の平の上で毒蟲を突いて遊ぶようなその思考回路は、生きた屍(アンデッド)の上位種・デュラハンという種族に相応のものだった。

 

「時間と場所を指定しよう。

 時は月が天頂に至った時。

 場所はここだ。

 助っ人は呼ばないように。

 尋常な決闘でなくなった時点で、私は逃げの一手を打たせてもらう」

 

 イスカリアはめぐみんを庇っているむきむきに、これみよがしにテレポートの巻物(スクロール)を見せつけ、鎧の胸の部分を鎧の硬い指先でなぞる。

 

「魔王様の加護を受けたこの鎧は、敵の魔法に特に高い耐性を持つ。

 上級魔法を操る紅魔族が足止めに動いても、逃げる私を止めることは叶わない」

 

「……」

 

「ただし、君が私に尋常な一対一の戦いを挑むのであれば……

 私はその心意気に応え、一切の罠を仕掛けず、正々堂々と応えると誓おう」

 

 むきむきはめぐみんを庇うのをやめ、恐ろしい眼でイスカリアを睨みつけ踏み込み、ノータイムで攻撃を叩き込んだ。

 足が壊れてもいい、というレベルの踏み込み。

 腕が壊れてもいい、というレベルの手刀。

 自壊前提の攻撃を、イスカリアは直感的に回避し、運良く回避に成功。鎧の装飾に付いていたトゲトゲの幾つかを、手刀に切り飛ばされる。

 

「む」

 

「そんな決闘なんてしなくても、ここであなたを殺せば、めぐみんは助かるよね」

 

「あいにく、私はアンデッド。君と昼間に死ぬまでやり合う気はない」

 

 今は昼間だ。日光に弱いアンデッドのイスカリアの能力も、いくらか低下している。

 激怒しながらもどこか冷静な思考を持っていたむきむきは、今がチャンスであることを見抜き、ここでこの騎士を殺そうとしていた。

 だが、イスカリアが何か魔法を発動すると、イスカリアの姿が徐々に消え始める。

 

(! 霞になって、消えていく……)

 

「デュラハンは処刑された騎士が、怨みと未練で不死者となった者。

 騎士が処刑されるような出来事だ。

 ならば当然、一族郎党諸共に斬首されるが当然である。

 私と兄者もそうだった。

 一族郎党まとめて斬首され、その怨みで我ら兄弟はデュラハンとなり、人に怨みを持った」

 

 デュラハンの兄弟。同じ時、同じ場所で斬首された二人の騎士。

 

「私は兄者と比べれば劣等も劣等。

 強い怨みでアンデッドと化した騎士がデュラハンである。

 兄者ほどの怨みを持てなかった私は、兄者には到底及ばない。

 百の平行世界があれば、私はその内九十九でアンデッドにさえなれなかっただろう」

 

 リッチーはアンデッドの王ではあるが、人を恨んでいなくてもなれる。

 対しデュラハンは、大前提として人に対する大きな怨念を持っている。

 

「それでも、小童に負けるとは思わん。挑むなら、死を覚悟して挑んで来るがいい」

 

 DTレッド以上に、ホースト以上に、躊躇いなく人を殺せる者の声色を響かせながら、イスカリアは消えて行った。

 

「うっ……」

 

 そして、めぐみんもばたりと倒れる。

 

「めぐみん? ……めぐみん!」

 

「姉ちゃん!」

 

 友と妹に抱き起こされためぐみんの顔は紅潮し、額には大粒の汗が浮いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歩くことはおろか喋ることさえ辛そうなめぐみんを抱え、こめっこも抱え、むきむきは超特急で里に帰った。

 大人に事情を伝え、里に警戒態勢を取らせると共に、里の医者役をしている紅魔族の下に大至急でめぐみんを運ぶ。

 今のめぐみんは、まるで悪質な熱病にかかっているかのようだ。

 医者とむきむきの二人に見守られる中、赤い顔でめぐみんは苦しそうにうなされている。

 

 あの時の呪いが原因であることは、まず間違いなかった。

 

「先生! めぐみんに何があったんですか!?」

 

「『指差しの呪い』に類するスキルを、同時にいくつか発動させたのかもしれない」

 

 例えばアーチャーの場合、遠くを見る千里眼スキルと遠くを撃つ狙撃スキルはセットで運用される。

 ウィザードの場合、発動した魔法スキルと高速詠唱のスキルは常に同時に発動されている。

 スキルの併用は基本中の基本だ。

 基本だが、そのためにいくらでも悪用の余地がある。

 

「スキルの複数発動……じゃあ、この病みたいなのは……」

 

「あくまで予想だが、確実に殺すためかもしれない。

 死の宣告を成功させても、対象はピンピンしたままだ。

 対象が宣告の解除のために動き回るかもしれない。

 戦闘中だったら、そのまま対象が術者を倒してしまうかもしれない。

 宣告が効果を発動するまで、対象の動きを止める、ということだ」

 

「……」

 

「とにかく、この熱病の呪いは死の宣告よりは脆い。

 魔道具で解呪、できなければ最低でも緩和させてみよう」

 

「よろしくお願いします!」

 

 この世界には、タンスの近くを歩くとタンスに足の小指をぶつけるようになる呪いなど、しょうもない呪いが多い。

 逆に言えばそれは、この世界に存在する呪いの総数が非常に多いということだ。

 こうした、対象の体力を削る病に似た呪いも存在する。

 

 熱に浮かされるめぐみんの額に、濡れたタオルを乗せる。

 その時、むきむきの手の小指が彼女の額に触れる。

 触れた額は、体温が高いむきむきでも熱く感じるほどに、熱かった。

 

「……っ」

 

 その熱さが、罪悪感を駆り立てる。

 庇われた。守られた。救われた。

 初めて出会った、あの日と同じように。

 なのに、嬉しくもなんともない。

 

(強くなった気になっても、何も変わってないじゃないか)

 

 守りたい女の子が居て、その女の子に守られて。

 

 心の中が、情けない気持ちでいっぱいになって。

 

「めぐみん!」

「こめっこから聞いた医務室はここで合って……めぐみん! むきむき!」

 

 部屋に駆け込んできためぐみんの両親を、顔を上げたむきむきが見る。

 こめっこから話を聞いて来たひょいざぶろーも、ゆいゆいも、その顔には親として娘を心配する感情が浮かべられていて。

 めぐみんを見た瞬間、二人の目には、憤りや悲しみ等が混ざり合った感情が見て取れた。

 むきむきは二人に事情を説明する。

 悲痛な表情と声色で、俯きながら二人に話す。

 二人と目を合わせるのが怖くて、申し訳なくて、少年は顔も上げられない。

 

 お前のせいで娘がこんなになってしまったんだと、罵倒されることさえ覚悟していた。

 なのに。

 

「……あなたは無事だったのね。よかった」

「ああ、本当によかった」

 

「―――」

 

 二人は、むきむきの無事を、心底喜んでくれていた。

 彼が無事だと知って、そこに心底安堵した表情を見せてくれていた。

 

 二人にとっては、何気ない言葉だったかもしれない。

 けれどむきむきにとっては、その言葉こそが嬉しくて、苦しかった。

 家族のように心配してくれたことが嬉しくて、この二人の本当の家族を守れなかったことが苦しくて。とても嬉しいのに、とても苦しい。

 

(今ここで、自分の頭を殴り潰して死んでしまいたい。

 でも、死ぬわけにはいかない。

 めぐみんのために、こめっこちゃんのために、この人達のために)

 

 彼には、自分に笑顔をくれた大切な人達のために、倒さなければならない敵がいる。

 

「……むきむ、き……」

 

「! めぐみん、どうかした!?」

 

 そして、あのデュラハンをぶっ倒したいと思っているのは、むきむきだけではなかった。

 めぐみんは苦しそうにしながらも体を起こし、駆け寄って来たむきむきの手を汗ばんだ手で引っ掴み、熱で赤くなった顔で息を切らして助言を渡す。

 

「いい、ですか? 奴は……ダークプリーストのデュラハンです。

 ……その、ため……剣技は、大したことが、ないはずです。

 焦ら、ず、死の魔法と……呪いに気を付け……接近、できれば、封殺できま……す」

 

「……めぐみん」

 

「あなたは、強いと。私は……信じてます」

 

 そして、またばたりと倒れる。

 体の内側から弾けてしまいそうな熱と苦痛があるだろうに。

 そんな苦痛を抱えてなお、彼女は友のために強がってみせた。

 強がって、頑張って、なんとか最後の助言をくれた。

 普段は友人をからかったり玩具にしたりすることも多いのに、こういう窮地では自分を顧みず他人を想ったりもする。

 

 その優しさに、少年の心が奮い立つ。

 

「ありがとう。行ってくるね」

 

 むきむきは最後にめぐみんの首筋と顔の汗を拭き、冷水に漬けて絞った濡れタオルを彼女の額に置いていく。

 立ち上がったむきむきを見て父母が頷き、彼もまた頷き返した。

 むきむきは部屋を出て、そこでこめっこの手を引くゆんゆんと鉢合わせする。

 

「あ、むきむき!

 お父さんとお母さんが、アルカンレティアに連絡取ってくれたんだって!

 手の空いてるアークプリーストの人が、明日にも来てくれるかもしれないんだって!」

 

「……そっか。もしかしたら、それで何とかなる可能性もあるかもね」

 

「……? 嬉しくないの? これで全部解決でしょ?」

 

 アークプリーストは、上級職の回復職だ。

 神の力を借りるそのジョブは、毒も傷も呪いも諸共に消し去るという。

 されど、その力も万能ではない。

 

「確かに、普通の呪いは解除できる。

 アークプリーストもその専門家だ。

 でも……それでめぐみんが助かるかは、分からない」

 

「なんで!?」

 

「父さんと母さんは、国で一番レベルが高いアークプリーストでも、解呪できなかったから」

 

「―――」

 

「僕も、伝聞で聞いただけなんだけどね。

 ベルディアの死の宣告は、どうにもならなかったんだ」

 

 その昔、ウィズという名の人類指折りの強さをもつアークウィザードが居た。

 彼女が所属していたパーティは、魔王軍にとっても脅威であった。

 そのパーティは、ある日魔王軍幹部のベルディアと対決。

 全滅こそしなかったものの、全員が死の宣告を受けてしまう。

 国で最もレベルが高いアークプリーストでさえ、その死の宣告は解呪できなかったという。

 

 八年前。

 紅魔族に、二人の優秀な魔法使いが居た。

 二人は山側から里に侵入してきた幹部ベルディアと対決。

 女神の封印を吹き飛ばすほどの激闘を繰り広げ、なんとか手傷を与えてベルディアを撃退したものの、死の宣告を受ける。

 そして、一人息子を残してそのまま死去したという話だ。

 

 かけられた呪いを解呪できるかどうかは、解呪しようとする者の力量と、呪いをかけた者の力量で決まる。

 そのため、事実上解呪不可能な者が存在する。ベルディアの呪いがそれだ。

 敵は、そのベルディアの身内を自称している。

 年中忙しい高レベルアークプリーストを一人や二人連れて来たところで、解呪できるかは分からない。

 

「……じゃあ、大本を倒すしかないじゃない!」

 

「そうだね。助けたいのなら……倒すしかない」

 

 死の宣告はいわゆる『指差しの呪い』だ。

 呪いであれば、解く方法は三種類ある。

 呪いを魔法や道具で解呪するか。

 術者と交渉し、呪いを解いてもらうか。

 呪いが完全に発動する前に、術者を殺すことだ。

 何度か殴ってから交渉するにしろ、呪いの発動前に殺すにしろ、とにもかくにもあのデュラハンを倒す必要がある。

 

「幸い、あいつは一対一の決闘を望んでる。

 あいつも僕がこう考えてることは織り込み済みだと思うけど……

 誘いに乗って、なんとか僕一人でなんとかしてみるよ」

 

「……こういうこと言うの、里の皆みたいな感じで嫌だけど。

 里の皆で囲んで、魔法で一気に倒しちゃった方が安全じゃない?」

 

「あいつ、魔法対策もきっちりしてた。

 それにテレポートのスクロールも持ってた。

 多分、囲んでも倒す前に逃げられるだけだよ。そうなったら本当に終わりだ」

 

「……っ」

 

「皆が動くべき時があるとしたら。それは僕が負けた後だ」

 

 タイマンで勝てればそれでよし。

 彼が負けたなら、魔法が効きにくい上にテレポートで逃げる敵に、一縷の望みをかけて皆で攻撃を仕掛けなければならない。

 とはいえ、それもか細い望みだ。

 むきむきが負ければ、その時点で事実上、めぐみんとむきむきの死が確定する。

 

 勝つ以外に道はない。

 

「……」

 

 ゆんゆんは複雑そうな顔をしている。

 ここで彼の背を押すことは彼の命を軽んじること。

 ここで彼を引き止めることはめぐみんの命を軽んじること。

 だから、他人思いなのに対人関係で踏み込むことを恐れがちなゆんゆんは、何も言えない。

 

 口を開いたのは、そんなゆんゆんではなく、その隣のこめっこだった。

 

「……姉ちゃん、わたしのせいで死んじゃうの?」

 

 こめっこがホーストを探しに行かなければ、めぐみんは今の状態に陥らなかったかもしれない。

 賢いこめっこはその可能性にも気付いていたようだ。

 その目の端には、小さな涙の粒が浮かんでいる。

 

 少年はその手を取り、膝を折って、自分の半分の身長もないこめっこと視線を合わせた。

 

「君のせいじゃないよ。

 お姉ちゃんが死ななくちゃならないくらい悪いことなんて、君はしてない」

 

 危ない場所に行った子供も悪いかもしれない。

 だが、誰のせいであるかと言えば、悪いやつのせい以外の何物でもないと、少年は思う。

 彼にこめっこを責める気などあるものか、

 あるのは自責の念と、イスカリアへの敵意のみ。

 

「だから、絶対に死なせない」

 

 殺されていい理由なんて無い。ゆえに、死なせない。

 

「でも、お姉ちゃんが起きたらちゃんとごめんなさいは言おうね。

 めぐみんは、こめっこちゃんのことを本当に心配してたんだから」

 

「……うん」

 

「めぐみんが辛い時に側に居られない僕の代わりに、お姉ちゃんの側に居てあげて」

 

「しょうち!」

 

 この世界は、ふざけた世界だ。

 とんでもなく笑えるようなことから、とんでもなく笑えないようなことまで、何でもかんでもごっちゃになって飛び出してくる。

 まるでコイントスのようだ。

 指で弾かれた空中のコインのように、愉快な表面と残酷な裏面が見え隠れしている。

 そのくせ、最後にどちらの面が見えるかは、コインが落ちてみるまで分からない。

 

「ゆんゆん。めぐみんをお願い」

 

「お願いされても、私にできることなんてあんまりないよ?」

 

「僕が安心できる。だから、お願い」

 

 表か裏か。どちらが出るかも分からない戦いに、彼は赴く。

 

 その背中に、ゆんゆんが不安そうに問いかけた。

 

「戦いたいって気持ちがあるのは……

 お父さんとお母さんのことがあるから?

 それとも、めぐみんを助けたいから?」

 

 その問いに答えようと、むきむきは思考を巡らせ自分の心と向き合うが、いくら考えても明確な答えは出てこない。

 

「……わかんないよ」

 

 ベルディアと魔王軍に対する、負の気持ちの方が強いのか。

 めぐみんを助けたいという気持ちの方が強いのか。

 自分のことなのに、それが分からないでいる。

 混ざり合う負の感情と正の感情をより分け、どちらが大きいかを見比べようとするには、彼は幼な過ぎた。未熟すぎた。

 

「とりあえず、殴ってから考えることにする」

 

 それでも、戦わなければならない。

 

 復讐のために戦うか、助けるために戦うか、まだ決断できていなかったとしても、少年は戦わなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イスカリアに勝つには、心が乱れていてはいけない。

 心落ち着けなければ、初戦の二の舞いになるだけだ。

 だが心を落ち着かせれば落ち着かせるほどに、あのデュラハンと戦わなければならないという現実が、少年の身を竦ませる。

 

 敵が強いから、というだけではない。

 敵が、『死』そのものであるからだ。

 

(気を付けないと、気を付けないと。

 指差されて魔法を撃たれたらすぐに死ぬ。

 指差されて呪いをかけられたら苦しみながら二週間後に死ぬ。

 もしも、もしも、判断か回避が一瞬遅れたら、ただそれだけで―――)

 

 剣よりも、魔法よりも、毒よりも厄介な、死を直接ぶつける恐るべき技。

 指差されるだけで死が約束されるなど、なんと恐ろしいことか。

 包丁も刺さらないその筋肉も、剥き出しの死までは防げない。

 

 死が怖くない者など居ない。

 人は、生き返れるという保証を与えられたとしても、死を恐れるものだ。

 恐怖で心が折れかけて、けれどもそれに気付いた少年は自ら活を入れる。

 

(! ダメだダメだ、弱気になっちゃダメだ!

 死がなんだ。死が怖いくらいなんだ。

 それも怖いけど、めぐみんが死んでしまうのはもっと怖いじゃないか……!)

 

 逃げられない理由があることと、恐怖を乗り越えねじ伏せることは、全くの別問題である。

 むしろ今の、逃げられないけどビビっているという状態こそが最悪だ。

 

(敵は仇の弟なんだ。

 そんな奴に負ける訳にはいかない。

 魔王軍にだけは……ベルディアとその仲間にだけは、絶対に……!)

 

 落ち着かせた心を奮い立たせるために、無理矢理に復讐心を思い出させる。

 黒い気持ちで、弱い心を補おうとする。

 それでも全然足りなくて、決闘の時間よりも早く決闘の場所に着いてしまったむきむきは、とうとう神様に祈ることまで始めていた。

 

(……エリス様、都合のいい時だけ祈ってごめんなさい。

 でも、少しでいいから幸運を下さい。

 罰当たり者に罰を与えるのは、この戦いが終わってからにして下さい)

 

 祈る先は幸運の女神エリス。

 むきむきは女神アクアに悪質な宗教団体のネタ女神という印象を持っていたので、祈る先の選択に迷いはなかった。

 

(えーと、上手く行ったら一生エリス教徒に優しくすると誓います。

 エリス様に一生感謝すると誓います。

 何かしろって言われたら、何でもします。どうか幸運パワーをください)

 

 神に祈ってはみたものの、勇気も幸運も手に入れられた気がしない。

 むしろ変に他者を頼った分、心が弱くなった気すらした。

 そんな馬鹿な男の子を、無口な幽霊がなじる。

 

『情けない』

 

「うっ」

 

『神頼みに幸運頼みか。ひ弱な女子(おなご)でも今時そんなことはしまい』

 

 結局、むきむきはめぐみんを想って拳を握ることはできたものの、それ以降は死の恐怖でじわじわとへたっていくだけだった。

 本人は勇気を出そうと頑張っているのだが、それがどうにも上手く行っていない。

 

『貴様の手を見るがいい。貴様のその手の、どこが勇者の手だ』

 

 握った拳すら、小刻みに震えている。

 死が恐ろしい。けれど逃げるわけにはいかない。

 弱い心は体を震わせ、されども誰かを大切に想う心だけが、彼をこの場に留まらせている。

 

『貴様は臆病者よ。男の価値は決断で決まる。

 自分一人であれば何も決断できない貴様には、何の価値もない』

 

「……そう、だよね」

 

 少年の『価値』を否定する言葉に、少年は俯く。

 なんの反論もせずその言葉を受け止めてしまったのは、彼に実力相応の自信がないからだ。

 

「こんな僕には、何の価値も……」

 

『何を勘違いしている』

 

「え?」

 

 謙虚ゆえに自分を低く見るのではなく、愚かゆえに自分を低く見ている少年に、幽霊は必要な言葉を投げかけた。 

 

『自分一人であれば何も決断できない貴様には、何の価値もない。

 だが、貴様は一人ではなかろう。

 貴様は他者のために決断しようとしている。その震える手を、貴様は他者のために握ったのだ』

 

 臆病かもしれない。

 愚かかもしれない。

 それでも、友のために震える足でここまで来た一人の子供を、彼は評価した。

 

(それがし)は亡霊であるがゆえ、貴様に力を貸すことはできぬ。

 だが、愚かな貴様が見ていない貴様を教えることはできる』

 

 勇気とは、恐れを知らぬ者が持たぬ物。

 恐れを知る者の強さの内より湧き上がる物。

 

『思い出せ。貴様はあの少女に、強いと言われたのだぞ』

 

―――あなたは、強いと。私は……信じてます

 

『忘れるな。お前のその拳は、誰のために握られたのだ』

 

―――だから、絶対に死なせない

 

「……うん」

 

 友のために握った拳が、今一度強く握り直される。

 

「ほう。私より早く来ているとは、関心だよ、少年」

 

 月が天頂に昇る頃。

 デュラハンは、拳を握った少年の前に現れた。

 

「よくぞ来た。約束通り一人で来た君に、賞賛と死を」

 

「賞賛も死も要らないよ。欲しいのは友達の無事だけだ」

 

 闇夜の黒を、不死者の人魂のような薄い青光が侵食する。

 その光景が、どうにもおぞましい。

 闇夜の黒を、歩き出した紅魔族の赤く輝く眼が切り裂く。

 その光景が、とても勇壮に見える。

 

「君が私を倒せたならば、君はようやく兄者と対等であろう。

 兄者は君の家族を殺した。

 君も兄者の家族である私を殺したことになる。

 我は既に死んだ者ではあるものの……兄者と君は互いが互いにとっての仇となる」

 

「殺される気はあるの?」

 

「無い。だが、こう言っておけば君はより強く戦えるはずだ」

 

 ホーストの時のように、十数日も準備期間があった戦いとは違う。

 仲間はおらず、友と打ち合わせしておく時間もなく、スクロールなどを準備する余裕もなく、少年はほぼ身一つでここに居る。

 震える拳を、拳を握る理由で、強く握って、弱い心を握り潰して。

 少年は、一歩前に踏み出した。

 

「我が名はむきむき! 紅魔族随一の筋肉を持つ者にして、未来に友と魔王を倒す者!」

 

「デュラハンのイスカリア。参る!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 闇夜に人影が溶け、黒髪が混じり、赤く輝く眼だけが浮き上がる。

 イスカリアの鎧は黒く、夜の闇のせいで普通の人間にはどこを指差しているのかも分からない。

 対し、アンデッドであるイスカリアの眼に夜の闇はあってないようなもの。

 それどころか、夜になったことで昼間より全ての能力がパワーアップを果たしている。

 

 夜の世界は、完全にデュラハンの土俵の上だった。

 

「『デス』」

 

 異常に高い視力を持つ赤い眼と、月の光だけを頼りに、むきむきは死の魔法を回避する。

 魔法抵抗力が低いむきむきに。成功率が高いが死ぬまでに間が空く死の呪いを使う必要はない。

 それゆえの、死の魔法であった。

 

『次の立て直しを常に意識しろ。

 "何が何でもこの一発をかわす"とは考えるな。

 その思考は、やがて破綻する。

 "ギリギリの回避でいいから全てをかわす"という意識を持て』

 

 幽霊の助言を、少年は無言で噛みしめる。

 距離を詰めさせてくれないデュラハンに、少年はその辺で拾った小石を投げつけた。

 

「らぁっ!」

 

 ジャイロ効果と筋肉効果で凄まじい速度と威力を乗せられた小石は、時速1000kmの弾丸となってイスカリアの肩に命中する。

 

「痛っ」

 

 投石はイスカリアの肩を凹ませたが、イスカリアはなんと、そこに即死の魔法をかけた。

 

「『デス』」

 

 すると、みるみる内に肩の傷が無かったことになっていく。

 

「!? 治った!?」

 

 『アンデッドは神の理に反しているため、神の力が全て逆に働く』。

 それは、この世界の冒険者なら大半が知っている常識だ。

 回復魔法は人の傷を癒やし、アンデッドの体を崩壊させる。

 即死魔法は人を即死させ、アンデッドの即死級の傷を癒やす。

 イスカリアのデスはザキであり、同時にベホマでもあるということだ。

 

「もう一回!」

 

 むきむきはまた小石を拾って投げるが、イスカリアはそれを手にした剣で切り払う。

 

「投げ方が単調だな。修練不足だ」

 

 いくら投げた石が速く飛ぼうと、投げ方が単調では意味がない。

 四隅に投げ分ける160km/hの投げる球は打てなくても、同じ軌道で160km/hを投げてくるバッティングマシーンなら打てるのと、同じ理屈だ。

 これでは、100回投げても5回当てられるかさえ怪しい。

 

(距離が詰められないのに、これが通じないんじゃ……どうする!?)

 

 むきむきが接近できていない理由には二つある。死の魔法と、馬だ。

 

 デュラハンとは、馬に乗った首無し騎士のアンデッド。

 当然、イスカリアは騎乗した馬を走らせ距離を離そうとし、むきむきはそれに追いついて殴り殺そうとする。

 だが、この馬が笑えないくらいに速かった。

 

 この世界において、人を乗せた普通の馬の速度は約60km/h。

 アンデッドの馬ならば、当然普通の馬より速く何時間でも駆け続けられる。

 むきむきが全速力で、真っ直ぐ距離を詰めようとしても。

 

「『デス』」

 

「くっ!」

 

 死の魔法が飛んで来て、蛇行しつつ走りながら後を追わざるを得ない。

 全力で後を追おうとすれば、指差しをかわせない。

 指差しをかわすことに集中しすぎれば、今度は追いつけない。

 

 "馬に乗っている"というアドバンテージを最大限に活かしてくるデュラハンは、とてつもなくやりづらく、面倒臭い手合いであった。

 

「無茶苦茶な筋力。

 無茶苦茶な筋力から放たれる異質な攻撃。

 物理攻撃にも魔法攻撃にも耐えるタフネス。

 デタラメな近接戦闘能力。……だが、それだけだな、少年」

 

 手刀を振って風の刃を飛ばしても、馬が軽やかに跳躍して当たらない。

 

 回復と、遠距離攻撃と、高機動。

 そして、むきむきの得意な距離で絶対に戦わせない、老獪な戦いの流れの構築能力。

 ただでさえ強いくせに、敵の得意な距離を徹底して潰して即死魔法を連打してくるこの敵は、怖気がするほど恐ろしかった。

 

(拳さえ当たれば、倒せるはずなのに)

 

 むきむきは石を投げて届く範囲にしか攻撃を届かせることが出来ず。

 指で差せばいいイスカリアは、目に見える範囲全てが攻撃範囲。

 むきむきの攻撃は、当たってもすぐに回復され。

 イスカリアの攻撃は、一つでも当たれば死に至る。

 

(……拳を当てられる距離まで、近付けない!)

 

 にっちもさっちも行かない。

 息をしているのかも分からないアンデッドの馬を追う内に、とうとうむきむきの息が切れ始めたが、少年はそこで運良く希望を拾う。

 

(……折れた、剣!)

 

 それは、この世界ではよく転がっているのを見る、モンスターに食い殺された冒険者の遺品だった。

 折れた剣なら、小石より多くの力を込められる。

 刃が付いている分、金属である分、小石よりも大きなダメージを期待できる。

 軽すぎる小石より、飛距離が期待できる。

 

 むきむきは拾ってすぐに一も二もなく、剣をイスカリアに投擲した。

 

「『リフレクト』」

 

 そして知る。淡い希望は、砕かれるためにあるのだと。

 上級職のプリーストが持つ反射の魔法が、彼の投げた剣を跳ね返し、彼の左肩を切り裂いていった。

 

「ぐっ……!?」

 

「君のような『反則』は、時折この世界に現れる」

 

 単調な戦いをすれば、イスカリアは即座に彼に殴り殺されていただろう。

 だが、そうはなっていない。

 イスカリアは"上手い戦い"を徹底し、巧みにむきむきの強さを封じ込めていた。

 

「魔王の歴史とは。

 魔王軍の歴史とは。

 紐解けば、そんな『反則』と戦い倒し倒される歴史に他ならない。

 覚えておきたまえ。反則級の存在なんてものは、山ほど居るのがこの世界だ」

 

 もしも、この世界がゲームなら、これは序盤のボスがほぼ成功する即死の魔法やスキルを連発してくるようなもの。

 幾多のプレイヤーという『特別』のほとんどがそこで死んでしまうようなもの。

 そんなゲームはクソゲーだ。

 敵が反則過ぎる。ゲームのバランスが崩壊している。

 その人生(ゲーム)が一度しかないものであるからこそ、なおさらにクソゲー度合いは増していく。

 

「私が思うに……

 反則な力だけの存在よりも、小細工や姑息さで戦う人間の方がまだ厄介だ。

 幸運に恵まれたような、女神に愛されたような存在の方が、ずっと厄介だ」

 

 頭がいいわけでもない単調な力自慢の者では、イスカリアは相性が悪い。

 せめて、小細工や発想力で勝負する味方か、クズだのカスだの言われるような卑怯な手も躊躇わない味方がむきむきの隣に居れば、何か違ったかもしれない。

 けれど、そんな味方はどこにも居ない。

 

「強い力を持っただけの人間なら、いくらでも御しようはある」

 

 この世界は、終わりかけの世界だ。

 

 魔王軍に残酷に殺された魂が転生を拒み、世界の未来は絶えかけている。

 魔王軍の蹂躙は、世界で唯一魔王軍と戦える国を滅ぼしかけている。

 女神は別世界の人間に反則級の力を持たせこの世界に勇者として送り出しているが、戦局は一向に好転していない。

 勇者の力を取り込み最強の存在として培養した王族達が前線に出ても、時間経過と共に勝利は遠ざかり敗北が近付いて来る。

 

 熟練の冒険者が魔物に殺され、反則級の能力を持った転生者が魔王軍に殺され、魔王軍は最後の砦である王都に手をかけている。

 反則級の力があれば魔王軍を倒せる? そんなわけがない。

 この世界の魔王軍は、世界の法則を超越した化物のような人間の群れと戦い、それを押し切って人類に王手をかけている強者の集団なのだ。

 

「それともう一つ。私の兄は、私より強いぞ。

 弱点の神聖魔法さえ通じない。

 私よりもはるかに死の宣告に熟達している。

 君相手でも切り結べるほどに、剣の腕も凄まじい。

 ……私程度を倒せないようでは、親の仇など一生取れないと思うがね」

 

 その魔王軍において、指折りの強さを誇る幹部の血族たるこのデュラハンが、弱いわけがない。

 

 敵は、あまりにも強大だった。

 

 

 




 ベルディア(デュラハン)ってぶっちゃけアクア様抜きだとそうそう勝てないですよね。
 アクセル到着前から上級悪魔を吹き飛ばせるめぐみんの爆裂魔法。その爆裂魔法に低レベル帯で耐えるダクネス。アダマンマイマイの描写からしてカズマさんが矢を撃っても素肌に刺さらないダクネス。そんなダクネス(鎧付き)を真正面から削り倒せるベルディアの攻撃力。
 ウィズ過去編からして国一番のアークプリーストでも解除できない死の宣告。馬があるため死の宣告当て逃げも可。WEB版だと「その辺の奴ら皆まとめて二週間後に死ね」とかやってる模様。
 素のステータスも高く、極めて高い剣の技量があり、人類最強の幸運持ちなカズマさんが全魔力を込めてようやく一回だけスティールが成功するという恐ろしさ。
 ちなみにWEB版での作者さんの感想返信から考えると、スティールの成功判定は発動者の幸運と使用した魔力で対象者の幸運を上回るという数値参照が行われるっぽいので、レベル差が原因でしょうがベルディアは幸運値でもカズマさんを上回っている可能性。
 アンデッドなのにアクア様の浄化に耐える高性能耐性も有り。
 剣技関係無い遠距離型で相性がいいとはいえ、勝ったアクア様とウィズがデタラメすぎる……


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1-9-2 この素晴らしい世界に―――

一章最終話


 めぐみんは、夢の中に居た。

 呪いが高熱を発生させ、彼女の体力を奪いながら、その意識を記憶の深層にまで沈める。

 記憶のとても深い所で、めぐみんは懐かしい想い出を思い出していた。

 

 月が明るい夜だった。崩れた家の中で、幼い頃のめぐみんがうめき声を上げている。

 

「……うっ」

 

 紅魔族は、里の建築物を守りながら戦うことにあまり頓着しない。

 里が全焼しても、三日くらいで全部元通りにしたりする。

 壊すのを躊躇わないし、直すのも規格外に速いのが紅魔族だ。

 

 それが、この日は珍しく悪い方向には働いてしまった。

 魔王軍による紅魔の里の侵攻作戦の中、魔王軍が放った魔法の流れ弾が、めぐみんの家に当たってしまったのだ。

 貧乏ゆえに大した補強もされていなかった家屋は一気に崩れ、幼い頃のめぐみんはそこに生き埋めになってしまった。

 

 自力で家から脱出できそうにもない状況。

 それどころか壊れた家が崩れかかっていて、今にも押し潰されそうだった。

 魔王軍との戦いに大人は皆出払っていて、助けが来てくれそうにもない。

 

「これで、わたしも、おしまいってやつですかね」

 

 めぐみんは、賢い子供だった。

 同い年の誰よりも早く歩けるようになり、同い年の誰よりも早く言葉を喋った子供だった。

 自分の死を、どこか他人事のように語る口調は、達観しているようで、諦めて現実を受け入れているようで、隠しきれない悔しさが滲みでている。

 

 崩れ始めた天井を見上げ、小さな体を小さく震わせ、めぐみんは目を閉じる。

 

「……死にたくないなぁ……」

 

 目を閉じ、力を抜いて、床に横たわる。一分、二分、三分と経つ。

 すぐ落ちて来るはずだった家の残骸は、いつまで経っても落ちて来ない。

 不思議に思って目を開けると、そこには月を背にした巨人が立っていた。

 

 瓦礫を掴み上げる巨人。

 これが現実であることを疑ってしまうくらいに雄大な巨人。

 命の恩人の巨人は、めぐみんを見てホッとした様子で微笑む。

 

「よかった、人間だった。可愛くて動かないもんだから、人形だと思ったよ」

 

「―――」

 

 巨人は助けた彼女に微笑んで、背を向けて去っていく。

 

「さ、早くここを出て。僕は次の人を助けに行かないといけないから」

 

 巨人はめぐみんを気遣ってはいたが、気にも留めていない。

 彼は里の瓦礫や崩れた家を撤去し、その下に埋められていた人達を助け、激しい戦いで大怪我をした人達を里の奥に運んでいく。

 巨人は多くの人を助けていて、めぐみんはその途中で助けられた小さな子供の内の一人でしかなく、巨人が彼女のことを記憶に残さなかったのは当然だった。

 

 巨人は里の仲間を助けるためにひた走る。

 それは、彼にとっては里の皆に仲間として扱ってほしいという思いから来た、優しさと媚売りが入り混じった行動だったが。

 めぐみんの目には、とても立派で力強い人助けに見えた。

 

「あの髪、あの眼。同じ紅魔族のはず」

 

 後日。言えなかったお礼を言おうとして、めぐみんは彼を探した。

 月を背にしたあの巨人を探し、彼女は里の中を駆け回る。

 そうして、目当ての巨人を見つけて。

 

「おい、魔法使えない奴は脇にどいてろよ」

 

「……うん、ごめんね」

 

 彼女は深い失望を感じ、それでも何故か消えないあの夜の感情に、不思議な感慨を覚えた。

 

「これからはちゃんと、見かけたら道を譲るから」

 

「……けっ」

 

 卑屈な笑みを浮かべる巨人。あの夜に見ためぐみんの無事を喜ぶ微笑みとは大違い。

 悪ガキにどかされているその姿は、情けないを通り越して哀れですらある。

 礼を言おうという気持ちは、既に消え失せていた。

 そんなしおらしい気持ちはもうどこにも見当たらなかった。

 あったのは、この光景に苛立つ気持ちと、それが引き出したいつもの彼女らしい性情。

 

 気付けばめぐみんは、悪ガキをぶん殴って転がしていた。

 

「いてっ、何すんだよ!」

 

「反撃してこない相手をいじめるのは楽しいですか?

 後ろめたく感じてるくせに攻撃的に接して楽しいですか?

 本当は普通に話したりしたくて、不器用に気を引くのは楽しいですか?

 見下しながら、格下をいじるような接し方をするのは楽しいですか?

 好きな子にいじわるしてしまうのは同性の友情でもあると聞きますが、本当なんですね」

 

「……っ」

 

「恨まれる前にやめておいた方がいいですよ」

 

 木の棒を杖のように振り回し、めぐみんはむきむきに歩み寄る。

 

「?」

 

 こんなに子供のような顔をする人だっただろうか、と、めぐみんはあの夜に自分がかけていた色眼鏡の色の濃さを自覚した。

 

「君は……?」

 

 名を問われたなら、名乗らねばならない。

 

「我が名はめぐみん。紅魔族随一の職人の娘。やがて、紅魔族最強の魔法の使い手となる者!」

 

 彼もまた、その名乗りに返す。

 

「我が名はむきむき! 紅魔族随一の筋肉を持つ者!」

 

「もうちょっと胸を張ってもいいと思いますよ、あなたは。

 あんなのはちんぴら? とかいうのと変わりません。ぶっとばせばいいんです」

 

「ぶ、ぶっ飛ばすのはちょっと……」

 

 この少年が歳下だということは知っていた。

 そのせいかなんとなく、めぐみんはこの少年に年上のお姉さんぶっていた。

 年上のお姉さんのように振る舞えていると思っているのは、彼女だけだったが。

 

「……君は、僕が嫌いじゃないの?」

 

「大きくて、強くて派手で、豪快。そういうのが私は大好きですからね」

 

「―――」

 

「他の人が変だと思っても、私はかっこいいと思います!」

 

 めぐみん五歳。むきむき四歳。

 あの夜が、めぐみんの未来を決定した運命の出会いだった。

 

「私の家、最近ちょっと壊れてしまったので、外で遊んでないといけないのです」

 

「そうなんだ。僕に、何かお手伝いできることはあるかな?」

 

「存分に私を楽しませてください」

 

「ええ……」

 

 あの夜に、めぐみんはとても大きく、とても強いものを見た。

 その時刻まれた幻想は、今でも続いている。

 めぐみんは"あの日見た強く大きな巨人"という、ありもしない幻想を今も見つめている。

 彼の心が弱いと知った後も、その幻想は消えていない。

 

 たとえ、むきむきの弱さを誰もが理解し、彼を弱虫だとなじる日が来たとしても。

 

 めぐみんだけは友として、その強さを信じてくれる。

 

 むきむきは、あの日めぐみんがくれた肯定がなければ、今でもきっと卑屈なままで。

 めぐみんは、あの日見た強く大きな巨人の幻想を、巨人の心を知った今でも忘れずにいる。

 彼女は信じている。

 あの日見た、目に焼き付いた、力強い彼を。

 その信頼こそが、弱い彼を強くしているのだということに気付きもしないままに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イスカリアは、言葉が武器として有用であることを十分に理解していた。

 彼は準幹部級の力を持っているものの、即死技を除けば準幹部級の中でも下層クラスの強さしかない。

 そのため彼は、言葉でむきむきの思考と行動を誘導していた。

 

(最近、神々をも殺す可能性がある魔剣使いが一人増えたばかりだというのに。

 今度は凶悪なまでに肉体特化の人間か。神に愛された人類という種は、本当にしぶといものだ)

 

 空を飛ぶ飛行機を指先で追うくらいなら、子供にもできる。

 音速を超えて飛ぶ戦闘機も、指先で追うだけなら十分可能だ。

 距離さえあれば、人の体がどんなに速く動こうとも、連射可能な死の宣告で追いきれないということは、普通あり得ない。

 馬でイスカリアが逃げ、むきむきがそれを追うという構図である以上、馬の速度の分むきむきの速度は差し引かれるのだから、尚更に。

 

 デュラハンが指差してから、魔法か呪いの名を告げるまでの一瞬で、横に跳んでそれを回避するむきむき。

 死の魔法、死の宣告を見切ってかわす人間の恐ろしさは、戦っているイスカリアが一番よく分かっていた。

 

(十二分に化物だ。背筋がヒヤリとする)

 

 大抵の敵は一発で倒せるのに、今は即死の指差しを連続で撃って、詰将棋のように追い詰めていかなければならない。

 追い詰める方もかわす方も、共に手が抜けない全力の時間が続いていた。

 

『頃合いだ。接近するふりをして逃げろ』

 

 銃弾の速度で密閉空間に撃ち込まれたスーパーボールのような動きで回避を続けるむきむきに、幽霊が声をかける。

 それは、彼の勝利の可能性が存在しないことを意味していた。

 

『彼我の戦力差ははっきりした。

 今日までの貴様の戦いを見てきた(それがし)が保証しよう。

 貴様はこの化生には勝てない。生きるため、逃げろ』

 

 もはや勝敗は揺らがない。

 むきむきはいずれ精神と肉体の疲労によってつまらないミスをして、そのたった一度のミスのせいで死に至るだろう。

 しからば、後はどう負けるかしか選べない。

 逃げて負けるか。死んで負けるか。

 ならばせめて生きる方を選べと、幽霊は少年に語りかける。

 

『誰にも文句は言えないはずだ。

 人はいつでも、自分が生きるための行動を選ぶ権利がある。

 どんな人間にも、他人に"人助けのための死"を強要する権利など無い。

 逃げろ。貴様にはその権利がある。ここで逃げることは、貴様の罪にはならない』

 

 その忠告を無視して、少年はデュラハンに立ち向かい、敗北に繋がる戦いを続けた。

 

『逃げろ』

 

 無視して、戦いを続けた。

 

『逃げろ』

 

 無視して、戦いを続けた。

 

『よいのだ、逃げろ』

 

 その優しさと気遣いから来る言葉を、むきむきは無視して、戦い続けた。

 

『逃げろ! 死ぬぞ!』

 

「死なない!」

 

 無口だった幽霊が、無感情そうだった幽霊が、自分に興味も無さそうだった幽霊が、こんな大声を出すのを、少年は初めて聞いた。

 従順で純朴だった少年が、自分の忠告にこうまで強く反発するのを、幽霊は初めて見た。

 

「僕もめぐみんも、死んだりしないっ!」

 

 むきむきの速度が上がる。

 昼間の戦いで痛めた筋肉は超高速での超回復を既に終えており、昨日までのむきむきでは到底出せないようなスピードを叩き出していた。

 

(情報通り。精神の高揚と共に、身体能力が上がっていく……なんと厄介な)

 

 距離が詰まり、むきむきの拳が届く千載一遇のチャンスが訪れる。

 振るわれる拳。回避するデュラハン。騎士の脇下から、指先だけが少年に向けられる。

 

「『デス』」

 

 拳を振るった直後、むきむきは体を捻って跳ね跳び死の魔法を回避する。

 しっかりした姿勢から拳を放たなければならないむきむきと、どんな姿勢・距離からでも指差すだけで殺せるイスカリア。

 その差は、戦闘においてあらゆる場面で作用する。

 

「殴れるのなら、壊せるはずだ!」

 

 また無情に距離が離され、少年は必死に追いすがる。

 指差しを併用して距離を離しながらも、イスカリアは徐々に身体能力を増すむきむきに僅かな驚きを覚えていた。

 

「壊せるのなら、倒せるはずだ!」

 

 叫ぶ度に、少しづつ。

 立ち上がる度に、少しづつ。

 立ち向かう度に、少しづつ。

 強さが増している。赤い瞳の輝きが増している。

 

(ここがこの少年の長所であり、いとも容易く付け込める欠点)

 

 その強さでさえ、頭で戦う魔王軍上位層にとっては、手の平の上で転がせる強さでしかなかった。

 

「今、君の里には我が魔王軍の隠密部隊が入り込んでいる」

 

「!?」

 

 ぐらり、と少年の心が揺れた。

 

「これを期にあの里の何人かだけでも始末しておこうと思ってね。

 高レベルの潜伏スキルを持つ者達を何体かこの隙に放っておいたのだ」

 

「一対一の決闘だって、言ったじゃないか!」

 

「一対一の決闘は続けるさ。さあ、戦いを続けたまえ。

 放った者達には族長、病人、女子供を先に狙うよう言い含めてある」

 

 集中が乱れる。

 熱意が冷える。

 戦意が揺らぐ。

 今自分がここに居ていいのか。今すぐに戻って確認するべきじゃないのか。こうして戦っている内に取り返しのつかない事態になったらどうするのか。

 

『ハッタリだ。耳を貸すな』

 

 経験の足りない少年と違い、幽霊はそれが虚偽である可能性に気付いていた。

 そも、そんな風に里に魔王軍が侵入できるのであれば、真夜中にでも襲撃させて皆殺しにしてしまえばいい。

 そうしないのは、それができないからだと幽霊は考える。

 このタイミングでこれを言い出すという時点で怪しい。

 事実、イスカリアのこの言葉は根も葉もない嘘だった。

 

 されど、むきむきは幽霊に何を言われても、イスカリアの言葉に引き起こされた動揺と思考を、無いものとして扱うことができなかった。

 

『これは腐っても騎士だ。

 体も心も腐っているが、矜持は残っている手合いだ。耳を貸すな』

 

 少年の肉体は、それ自体が魔力と親和する魔法のようなもの。

 魔法は精神力で制御するものであり、彼の筋肉は彼の精神状態と密に連動している。

 精神の不安、集中の散漫、意識の動揺……それらは、ダイレクトに彼の力を削いでくる。

 

『耳を貸すなと……いや、もはや、無意味か』

 

 ()()()()という弱点を、敵は的確に突き、それが決定的な一打と成った。

 

(精神状態で強くなる手合いを処理するには、この手に限る)

 

 スペックが下がったむきむきが、川を前にして敵の指差しを見る。

 

「『君は、二週間後に死ぬだろう』」

 

 川の前で斜め上後方に跳躍し、むきむきはその死の宣告を回避して。

 "呪いが体に当たってから"、何故この敵が今即死の魔法ではなく、死の呪いを放ったのかを理解した。

 

「……え」

 

 イスカリアの指先は、"川の水面に映ったむきむき"を指差していた。

 

(川……水面……かが、み?)

 

「我が呪いは指差しの呪い。

 即死の魔法は指差した軌道に沿って飛ぶ魔法。

 即死の呪いは"指差した対象に呪いをかける"もの。

 魔法ではなく呪いならば、水鏡越しにも君には当たる」

 

 指差しを照準として魔法を放つ、デス。

 指差した相手を呪う、死の宣告。

 二つは魔法と呪いであるがゆえの違いを持ち、呪いであれば鏡越しでも十分効果を発揮する。

 

 かくして、二週間後の死を約束され、重度の熱病と同じ症状がむきむきの動きを止める。

 

「う、あ……」

 

「『デス』」

 

 そうして、容赦なくトドメの一撃が飛び。

 

 指差した軌道に沿って放たれた死の魔法は、発射と命中がほぼ同時に行われる弾速で飛び、そのまま綺麗に命中した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幽霊が師で、少年が弟子で。

 異世界から訪れた奇妙な転生者の幽霊は、基礎的な鍛錬法、基礎的な技術、すなわち応用が利く自分の技の基礎を少年に叩き込んでいった。

 武術とは一生涯かけて磨くもの。

 鍛練とは体が動かなくなるその時まで習慣として続けるもの。

 

 基礎だけに留めたのは、そこから自分に合わせた技を編み出すのは少年の仕事だと考えたから。

 

「ありがとうございます、幽霊さん」

 

 イスカリアとの戦いの数日前、少年は唐突にそんなことを言い出した。

 

『藪から棒だな』

 

「なんというか……ちゃんと、強くなれてる気がするんです」

 

 これは、幽霊の想い出。

 少し何かを教えてやっただけで、無条件に懐いてくる無邪気な子供に、"ありがとう"と感謝された記憶。

 

「幽霊さんのおかげです。

 ここは魔法使いしか居ない里。

 そこから出ないで僕が師を得られるなんて、思っても見ませんでした」

 

 本当に、奇跡みたいな幸運です、と少年は嬉しそうに言う。

 

 その尊敬を、幽霊は少しむず痒く感じた。

 

「まだまだ色んなこと、教えて下さいね!」

 

『よかろう。存分に鍛えてやる』

 

 結ばれた約束があった。

 

 破られた約束があった。

 

 

 

 

 

『約束破りとは、(それがし)も堕ちたものだ。

 (わらべ)の心を裏切るなど……畜生にも劣る所業だろうに』

 

 

 

 

 

 少年が目にしたのは、自分を庇って魔法を受ける幽霊の姿。

 

「幽霊、さん?」

 

―――我ら兄弟の死の技は、生者のみならず死者さえも二度目の死に至らしめる

 

 死の魔法は単体指定の即死魔法だ。

 一人を殺せば、その向こうにまでは届かない。

 

「これは……亡霊にもなっていない、この世界に馴染んでもいない魂か?」

 

 イスカリアはここでようやく、幽霊の存在に気付いたようだ。

 眼の焦点を概念的にズラし、可聴域を死に寄せて、その姿と声を捉える。

 そうしてようやく、転生者の魂という可視化しづらいものを認識した。

 

「馬鹿な、魂の基礎構造が歪んで、まっとうな転生さえできなくなるぞ」

 

『構わん。

 次の生などと考えること自体おかしいのだ、本来はな。

 命は全て短き道果(みちはて)に終わるもの。死ねばそこで全て終わりよ』

 

 死の後に復活があるとしても、死の後に来世があるとしても、それを理由に"後があるから"と今の生を適当に扱う者には、何も成すことはできない。

 

『来世があるのだとしても……

 来世のことを考えて今の人生を生きるなど、その時点で間違いである。

 来世を良くするために生きるのではない。今ここにある心に従い、生きるべきなのだ』

 

 それは今を生きる生者の理屈。

 

死に損ない(アンデッド)の貴様には、生き損ない(アンデッド)の貴様には、分かるまい』

 

「―――」

 

 動く死体であるデュラハンが、いつかどこかで忘れた摂理。

 

『死んでたまるかという想いで死を跳ね返すこと。

 果てることを恐れ、生きた屍として終わりから逃げ続けること。

 来世などというものを考え、余計な生き方をしてしまうこと。

 全て別だ。

 浮浪者の如く生きた屍として生き恥を晒している貴様のような者を、某は何より軽蔑する』

 

「亡霊が生を語るのか」

 

(それがし)も貴様も死んでいるのだ。

 死人が生者の足を引っ張るなど、それこそ醜悪極まりない』

 

 死してなお、この幽霊には信念があった。

 

「あ……幽霊さん……」

 

 そんな幽霊を、泣きそうな顔でむきむきが見つめる。

 熱病の呪いに蝕まれながらも、少年は幽霊に手を伸ばした。

 邪神ウォルバクのダークプリーストであるイスカリアの死の魔法は、幽霊の魂魄の基礎構造を破壊し、その体は既に崩壊を始めている。

 

『そんな顔をするな。莫迦者が』

 

「だって……だって……!」

 

『生きる気もなく、既に死した亡者である(それがし)

 守りたいものがあり、今を生きようとする貴様。

 どちらが残るべきかなど語るまでもない。生きよ。貴様にはその価値がある』

 

 男の価値は決断で決まると断じる幽霊は、他人のために決断することができる少年の価値を、最後の最後に肯定していく。

 

『生きて、生きて、生きて……この広い世界を、見て回るがいい』

 

 幽霊の姿が、完全にかき消える。

 

 

 

 

 

『貴様のような者でさえ、素晴らしい友と出会うことができる、この素晴らしい世界を、な』

 

 

 

 

 

 通りすがりの幽霊は、ただの一度も名を名乗らないまま、少年に言葉を残して消えて行った。

 

『心定まらぬ時は、右の拳を握れ。右の拳を見よ』

 

 耳を通してではなく、胸の奥に直接に、届けられる最期の声。

 

『そこに勇気を置いていく。拳を見るたび思い出せ』

 

 最後に胸に響いたその言葉に、少年は一筋の涙を流した。

 

「あ」

 

 感情の爆発が、心の中を空白にする。

 

「あああああああああああああっ!!」

 

 もはや思考さえも伴わない、激情に任せた行動だった。

 踏み込む足が、踏み込んだ地面を爆裂させる。

 体が空気の壁にぶつかって、それを体当たりで粉砕し、爆裂させる。

 体内で爆裂するエネルギーを、全て振り下ろす手刀に乗せる。

 

 イスカリアは超人的な反応速度でそれを剣にて受け止めたが、手刀は火花を散らしながら衝突し、その刀身を真っ二つに叩き切った。

 

「な―――」

 

 折れた剣が地に落ちるその前に、イスカリアの腹に蹴り上げが突き刺さる。

 騎士の体は馬から強制的に引き剥がされ、空中では四方八方からの拳と蹴りが待っていた。

 

「くぐぁっ!?」

 

 力任せ、筋肉任せの強烈な連打。

 空中に蹴り上げられてから、空中で体が落下を始めるまでの間に叩き込まれた攻撃、実に14発。

 最後に空中から蹴り落とされ、地面に叩きつけられた一撃も加えれば、ちょうど15撃。

 殺意に満ちた連続攻撃だった。

 

「な……あ……」

 

 地面に埋まった体を引き抜き、イスカリアは顔を上げる。

 そこには、月光を背にした巨人が立っていた。

 

 夜の闇に混じり合う、逆立った黒い髪。

 夜の黒に赤い軌跡を刻む、赤く輝く眼。

 人型モンスターの大半よりも大きそうな、人間離れしたその巨体。

 目に見えそうなほどに吹き上がる殺意。

 肉体より湧き上がる莫大な熱。

 涙を流すその双眸。

 

 その姿を見て、アンデッドは思わず呟いた。

 

「……あ……悪魔……?」

 

 それは、かつてめぐみんが月の夜に見たものの対極にあたる姿。

 ホーストが見た少年の未来の可能性。

 子供の純粋さに、優しさと残酷さの二面性があるように。

 正義という言葉に、光と闇の二面性があるように。

 この少年にも、一歩間違えれば魔王軍に堕ちる素養があった。

 

(……私が人間でなくなった日のことを思い出す。

 そうだ、これが、これこそが……自分が死ぬという予感、そのおぞましさだ)

 

 イスカリアの中に、既にこの少年の強さを計ろうという意識はない。

 ここまで来てしまえば、下手を打った瞬間に殺される。

 それゆえにか、イスカリアは最も確実な方法を選んだ。

 

「デ―――」

 

 指差し、たった二文字を口にするだけで殺せる魔法。

 むきむきは横に跳んで避けようと考える。

 だがそこで、右の拳が目に入った。

 

 幽霊の最後の言葉が脳裏に蘇り、思考に満ちていた黒い殺意が僅かに薄れる。

 ここでまた魔法の回避が始まれば、先程の繰り返しになりかねない。

 横に逃げてはいけない。人は前に進まなければならない。

 文字にすれば二文字しか無いその刹那を、彼は勇気をもって踏破する。

 

(―――前に踏み込む、勇気を)

 

 横ではなく、前に跳ぶ。

 そして、ワンモーションで拳を突き出す。

 結果、『デス』の二文字の内一文字しか口にできないままに、イスカリアは胴を殴り飛ばされていた。

 

「―――バカ、な」

 

 自身が発揮できる最大最高の力を発揮している今のむきむきに、この距離で死の魔法は通じない。 

 昨日のむきむきになら、明日のむきむきになら、通じるかもしれない。

 けれども、今のむきむきには通じない。

 

(たった二文字だ。

 たった二文字の発音で発動する、即死の魔法だ。

 なのに……なのに……それさえ、口に、できないと、いうのか……!?)

 

 頭の中を真っ白にして、真っ黒な殺意に身を任せていられればよかった。

 けれど、消えてしまった師匠のことを思い出してしまった。

 だから、熱病の呪いに浮かされた顔で、むきむきは泣き出してしまう。

 

「うっ、えぐっ、ああ」

 

 悲しかった。

 大泣きしてしまうくらいに、少年は師匠のことを慕っていた。

 手の暖かさ、抱きしめてもらった時の暖かさを覚えているだけの両親の仇さえ、取ろうとしていたのがむきむきだ。

 めぐみんも、ゆんゆんも、あるえも、こめっこも、ひょいざぶろーも、ゆいゆいも、ぶっころりーも、そけっとも、そして幽霊も。

 彼は、本当に大切に思っていた。

 

「うっ、えうっ、うぇ、ああぁ」

 

 殴り飛ばされ倒れたままのイスカリアに、彼は執拗な攻撃を加え始める。

 泣きながら、拳を叩きつけ始める。

 

「う、あ、ああっ……ああああああああっ!!」

 

 叩き潰して、叩き潰して、叩き潰して、叩き潰して、叩き潰す。

 磨り潰して、磨り潰して、磨り潰して、磨り潰して、磨り潰す。

 踏み潰して、踏み潰して、踏み潰して、踏み潰して、踏み潰す。

 

「『デス』! 『デス』! 『デス』! 『デス』!」

 

 鎧を隅々まで砕くような念入りな殺害。

 対し、イスカリアは発動タイミングによっては死の結果さえ覆す、回復魔法となった死の魔法を自分の体にかけ続ける。

 だが、回復が追いつかない。

 回復速度と破壊速度が完全に釣り合ってしまっている。

 もはや、むきむきに死の魔法をかける余裕さえなかった。

 

 ゲーム的な表現をするならば、回復のボタンを全力で連打しているのにHPが1より上に行かないようなもの。

 別のコマンドを実行しようとすれば、別の行動を取ろうとすれば、その瞬間に死ねると確信できるだけの殺意の連打。

 

「ごめんなさい……ひくっ、ごめんなさい……なさいっ……!」

 

 『もっと自分がしっかりしていれば、誰も犠牲にしなくて済んだはずなのに』。

 『もっと圧倒的に戦っていれば、誰も居なくならなかったはずなのに』。

 『もっとちゃんと殺せば、上手くいったはずなのに』。

 『こんなにも上手く行かなかったのは』。

 『こんなにも悲しいのは』。

 『自分がちゃんと殺してないからだ』。

 

 と、死と喪失のストレスが子供の思考をぐちゃぐちゃにかき回す。

 無茶苦茶な思考が、ひたすらに拳を叩きつけさせる。

 癇癪を起こした子供のように、泣きすぎてまともにものが考えられなくなっている幼い子供のように、思考がぐちゃぐちゃになる。

 

 『自分も生きて、めぐみんも助けて、幽霊さんも死なせない』。

 『三つ果たさないといけないことがあって』。

 『でも、一つはもうダメで』。

 『戦う前には、幽霊さんが消えてしまうなんて思ってもみなくて』。

 『一つ余計に仲間が殺されてしまったから』。

 『一つ余計に、この敵を殺さないといけない』。

 『そうすれば、戻って来てくれるかもしれない』。

 『戻って来て欲しい』。

 『もう一度会いたい』。

 『まだ、色んなことを教わりたい』。

 

 一つ殺せば、一つ甦るのか。

 そんなわけがない。そんなことが起こるはずがない。

 正義の味方が一つ守れば、それは命が一つ蘇るのと同義か。

 否。正義の味方が一人救っても、過程で死んだ一人は生き返らない。

 取り返しの付かないことがある。

 覆せない死というものがある。

 それは、この世界でも同じこと。

 

「く……が……」

 

 やがて、回復に使われていた死の魔法の行使も終わった。魔力が尽きたのだ。

 それでも、攻撃は終わらない。

 肉体による攻撃に、魔力切れはない。

 念入りにイスカリアを破壊する連打は一向に止まりはしない。

 

「―――、―――っ、―――ッ!」

 

 その時、またしても叩きつけた右の拳が目に入り、脳裏に言葉が蘇った。

 

―――忘れるな

―――お前の拳は、誰のために握られたのだ

 

 怒りで、悲しみで、殺意で、忘れてしまっていた想いを思い出す。

 助けたかった友達のことを思い出す。

 そこから連鎖的に、様々なことを思い出した。

 無事を喜んでくれたひょいざぶろーとゆいゆい。子供心に自分を責めていたこめっこ。心配そうに送り出してくれたゆんゆん。そして、めぐみん。

 そこから、今日までの日々の想い出が一気に頭の中を駆け巡る。

 

 『戦う理由』を思い出した頃には、頭の中の黒い感情は、綺麗さっぱり押し流されていた。

 そうして、彼は一瞬で冷静さを取り戻す。

 涙を拭い振り返れば、そこには騎士の体を置いて逃げる馬と、その馬と一体化した騎士の頭部があった。

 

「っ、まさかあの状態から気付くとは……!」

 

 初めて会った時から、イスカリアの頭部は馬と一体化していた。

 "頭と胴体が離れている"というのが、デュラハンの特徴である。

 言葉を発しているのは胴体。動いているのも胴体。

 そのため本体も胴体、とむきむきは自然に考えていた。疑問さえ持っていなかった。

 

 だが、違う。

 本体は頭の方だったのだ。

 デュラハンとはいえ、本体が胴体であるのなら、本体の九割を粉々にされても生きていられるわけがない。

 

 イスカリアが馬を降りている時は、馬は少し離れて本体の頭部に戦場全体を眺めさせる。

 そうやって本体を安全圏に置きつつ、胴体の死角を無くす。

 馬に乗っている時も、頭部は胴体の死角を見て潰している。

 

 そして、負けそうになった時は胴体を囮にして頭と馬だけで逃げる。

 なんとも奇天烈な、初見であればほぼ見抜けない逃亡法であった。

 

 だが、むきむきはそれに気付いた。

 『誰のために戦うか』を思い出せた奇跡が、イスカリアが仕込んだ最後の最後の逃亡策を見破ったのだ。

 少年は、腰だめに手刀を構える。

 

「……我、久遠の絆断たんと欲すれば、言葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう」

 

 振るうと同時に踏み込んで、すれ違うように手刀を振り切る。

 

「『ライト・オブ・セイバー』」

 

 闇夜を切り裂く光の剣が、イスカリアの頭部を両断した。

 

「……これで終わりだなどとは、思わないことだ」

 

 からん、と二つに切り分けられた兜が落ちる。

 馬も消える。

 イスカリアは消滅を前にして、最後に負け惜しみを吐いていった。

 

「君が人類である以上、魔王軍は必ず君を滅ぼすだろう。必ずだ」

 

 むきむきの最大最高の力を見てなお、イスカリアは魔王軍の勝利を疑っていない。

 

「先に地獄で待っている。いつでも来るがいい。……申し訳ありません、セレ―――」

 

 イスカリアの最後の言葉を噛み締めながら、少年は砂になっていくイスカリアを見つめる。

 体から、死の宣告と熱病の呪いも消えた。

 まごうことなく、術者が死んだ証である。

 それは同時に、めぐみんが助かったという事実の証明でもあった。

 

 むきむきは無言で、夜空の月を見上げる。

 大きな虚無感と大きな達成感が、同時に胸の中に広がっていた。

 

 仲間を殺した敵を殺すことができたとしても、殺された仲間を取り戻すことはできない。

 暴力なんて、所詮はそんなものだ。

 人を救い、導き、蘇らせると伝えられる女神のような力なんて、力自慢なだけの人間に備わるわけもない。

 

「むきむき! 大丈夫!?」

 

 心が光と闇の間で揺れているそんなむきむきの前に、ゆんゆんが現れた。

 

 彼女の中にも多大な葛藤があったことだろう。

 めぐみんのそばに居て欲しいという友人との約束を守るか、破るか。

 弱っているめぐみんの傍に居てやるか、戦う友の下に行くか。

 自分が行って敵に見つかればそれで敵が逃げてしまう可能性もあり。

 自分が行かなかった結果、むきむきもめぐみんも死んでしまうという可能性もあり。

 助けに行った結果自分が死んでしまう可能性もあった。

 

 イスカリアが出していた決闘の条件がある以上、見つかれば終わりなため、他の人を連れて行くわけにもいかない。

 ゆんゆん一人が行って、何ができるという話でもある。

 それでも彼女は、こっそり隠れながら彼を助けに行くという選択を選んでいた。

 それは間違いなく、勇気を要する選択である。

 

「この気配……あ、勝ったのね! 流石むきむき! これでめぐみんも助かるよね!」

 

 そして、その勇気こそが、今日この時この場所で、むきむきの心の救いとなってくれていた。

 

「……むきむき?」

 

 抑えていた感情が、友の姿を見たことで決壊する。

 こらえていた涙が、友の姿を見たことで流れ出す。

 一人では潰れそうになっていた心が、友の声で潰れることを免れる。

 

 むきむきは、今は誰でもよかったのかもしれない。

 安心して寄りかかれる相手だったなら、誰でもよかったのかもしれない。

 けれども、最初に来てくれたのが生まれて初めて出来た友達だったことは、間違いなく彼の幸運だった。その幸運は、女神様がくれたものだったのかもしれない。

 

 少年は、縋り付くように少女を抱きしめる。

 

「え!?」

 

 ゆんゆんは少し驚き慌て、抱きついてきた少年の様子を見て、更に大きく驚いた。

 

「うあああああああああああっ」

 

 少年は泣いた。一人で泣いていた時よりも泣いた。

 より大きな声を上げ、より多くの涙を流した。

 涙とは心から溢れた感情の雫。

 それが多ければ多いほど、その心が悲しみに満ちているという証明になる。

 

 次第に溢れる感情を流し出すのには目だけでは足りなくなり、少年の口が嗚咽と吐露という形で想いを吐き出し始めた。

 幽霊と出会った時のことから、今日まで教えてもらったこと。

 手に入れた力で、守れたものもあったこと。

 めぐみんが呪いをかけられてから、胸の奥にくすぶっていた後ろ向きな気持ち。

 本当は、イスカリアと戦うのも怖かったこと。

 戦いの中でも持っていた、足が震えてしまいそうだったくらいの死を恐れる気持ち。

 そして、既に死した幽霊との死別。

 

 感情を声にして、胸の奥で破裂しそうなくらいに膨れ上がる気持ちの全てを、友達に吐き出す。

 ゆんゆんはその全てを、黙って聞いてくれていた。

 

「ずっと、ずっと、自分のことなんて分かってて。

 情けないって分かってるのに、変われなくて。

 みんなに嫌われたくなかった。

 みんなに好かれたかった。

 僕がちゃんとみんなと同じに扱ってもらえる、居場所が欲しかったんだ」

 

 幽霊との永遠の別れは、彼が何年も前から抱え込んでいた想いも、連鎖的に吐き出させていた。

 

「嫌われると胸が苦しくて……

 誰にも好かれてないのが悲しくて…

 居場所がないのが辛くて……

 これ以上嫌な思いなんてあるわけないって……

 だからこれからは良くなるだけだって……自分にずっと言い聞かせてて……」

 

 誰にもどこにも行って欲しくなかったから、全員で生きて終われる結末を求めて、恐ろしいデュラハンにも勇気を出して挑んだのに。

 結末は、別れで締めくくられてしまった。

 

「なのに―――今が、一番苦しくて、悲しくて、辛い」

 

 子供らしく、彼らしく、むきむきは涙と共に想いを吐き出しきった。

 そんな彼を、一人の友として、ゆんゆんは受け入れる。

 

「うん、むきむきは頑張ってるよ。ちゃんと頑張ってたよ」

 

 ゆんゆんは頑張り屋で努力家だ。

 だから知っている。

 適当にやったことが失敗しても、人は泣かない。

 精一杯頑張って、一生懸命頑張って、それでも駄目だった時にこそ、人は泣くのだと。

 

「頑張ったから、泣いてるんだよ」

 

 弱虫なりに一生懸命頑張って、それでもハッピーエンドを掴めなかった少年を、ゆんゆんは優しく抱きしめた。

 ああ、なんか友達してるなあ、と思いながら。

 ああ、なんだかもう本当にむきむきはむきむきらしいな、なんて思いながら。

 でも鼻水と涙でぐちゃぐちゃになっちゃうのだけはちょっとね、なんて思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 めぐみんの病室の扉が開く。

 ベッドで上半身だけを起こし、月を見上げていためぐみんが、ゆっくりと顔をそちらに向けた。

 窓から差し込む月光が、部屋に入って来たむきむきを照らし出す。

 

「勝ちましたか?」

 

「うん、勝ったよ」

 

 むきむきが覚えていない二人が初めて出会った夜、月はむきむきの背後にあった。

 だが、今はめぐみんの背後にある。

 めぐみんは窓から差し込む月光を背にして、むきむきの表情をじっと見て、肩を竦めてやれやれと呆れたような微笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます。ま、私は勝つと思ってましたけどね」

 

 あの幽霊も、最後はむきむきの勝利を信じて逝った。

 こうして今日の戦いを見返してみれば、彼はめぐみんの信頼で戦いに挑むことができ、幽霊の信頼で戦いに勝利できたと言えるだろう。

 

「勝利を信じてくれる人が居ないと、僕は誰にも勝てないのかもなあ」

 

「なんですかそれ? ザコには負けないでしょうザコには」

 

「いや、なんとなく、そう思っただけ」

 

 二人揃って笑い合う。

 

 信頼が力に変わることを知った夜だった。

 右手に勇気が宿った夜だった。

 永遠の別れの痛みを知った夜だった。

 溜め込んでいた感情の全てを吐き出した夜だった。

 何かが終わって、何かが始まった夜だった。

 

 月の明るい、夜だった。

 

 

 




 次回から、第二章開始です

 ベルディアの天敵みたいな規格外魔法を数種撃ち、ハンスの最大の強みである毒が効かない上に触れるだけで毒を消し、即死外傷がないシルビアの与えたダメージの大半は回復余裕な上に悪魔に効く魔法も持ち、ウィズが色んな意味で勝てない女神で、おそらく世界で唯一バニルを押さえ込める人物で、ウォルバクの爆裂魔法の破壊速度より速い建築速度を持ち、デストロイヤーの結界も吹き飛ばし、幹部全員倒さなくても魔王城の結界を吹き飛ばせる、魔王の力さえ抑え込んで強制的に弱体化させられるアクア様。
 あらゆる状態異常が通じずほぼ全ての魔法・スキル・魔法効果を吹き飛ばし魔王軍の主要種族ほとんどに特攻が付く回復蘇生解毒なんでもござれなアクア様。
 あの人かカズマさんが居ないと基本的にこの世界はクソゲーと化します、はい


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二章 はじめまして、お姫様、王子様
2-1-1 旅立ちの日に


【第一章のあらすじ】
 とあるのどかな田舎町に住む少年むきむきは、魔女の血を受け継ぐ12歳の男の子。『魔女として生きることを決意した少女は、13歳の満月の夜に魔女のいない町を見つけて定住し、魔女の修行を積むべし』という古くからのしきたりに従って旅立ち、海の向こうの町コリコに辿り着いた。


 むきむき、めぐみん、ゆんゆんの三人が旅立つ日がやって来た。

 テレポートで里の外の街まで送ってもらうか、それとも歩いて街まで向かうか。彼らには二つの選択肢があり、前者が推奨されていた。

 ところが、彼らは後者を選択。

 何故か?

 片道30万エリスという、貧乏めぐみんには払えない額の金が必要だったからである。

 

 30万エリスといえば、週刊少年ジャンプ1176冊分だ。

 横に重ねると空気の厚み込みで35.28mになるという脅威のサイズ。

 イメージしてみれば、これがどれだけの大金か分かるというものだ。

 とはいえ、旅立ちは旅立ち。

 子供達三人は、それぞれが思い思いにこれからのことに思いを馳せ、どこかそわそわした様子で里の外を眺めている。

 今は朝だが、昼前には皆に見送られ、里を出ることになるだろう。

 

 三人は里を囲む柵に寄りかかり、三人並んで里の外の風景を眺めていた。

 

「めぐみん、その黒猫は何?」

 

「ちょむすけです。使い魔です」

 

「使い魔かあ。魔法使いっぽくていいね」

 

「今日は私達三人の旅立ちではなく、三人と一匹の旅立ちとなるというわけですよ」

 

 めぐみんがさらりとゆんゆんを置いていこうとしたり。

 一緒に付いて行きたい、けれど里の外に別々の道を行くライバルとして出て行きたい気持ちもある、というややこしい精神状態のゆんゆんが話をこじらせたり。

 いや戦力的に三人で固まって行こうよ、とむきむきが呆れて説得したり。

 

 色々あったが、とりあえず三人一緒に旅に出るということで話は付いた。

 紅魔の里から少し離れれば、そこはゆんゆんやむきむきでもあっさり殺されるかもしれない強力なモンスター、悪辣なモンスターのオンパレードだ。

 めぐみんも、この二人が居なければ歩いて突破など考えまい。

 

 紅魔の里から一番近い街まで歩いて二日。

 そのまま街で止まらずまっすぐ進めば、幾つかの村を越えた先に魔王城があるというのだから、この里の周辺がどれだけ危険なのか分かるというものだ。

 RPG的に言えば、魔王城の前の最後の街から行ける隠し要素の里のようなものなのだから。

 

「そういえばむきむき、よかったんですか?

 家の物を半分ほど売り払ったと聞きましたが」

 

「え、なにそれ聞いてない! というかなんでめぐみんは知ってるの!?」

 

「うちの父が魔導冷蔵庫をタダで譲って貰ったからですよ。

 そりゃもう喜んで、娘の私に自慢してましたから。年甲斐もなく」

 

 むきむきの家には、両親の遺品が多く残されている。

 その多くはむきむきが使わないものであり、魔力が低いむきむきにはそもそも使えないというものも多かった。

 むきむきはそれらを捨てることも譲ることも売ることもしていなかったが、旅立ちの前に何を思ったのか、そのほとんどを処分したのだ。

 

「ああいうのに拘りがあったから、あの家で一人で暮らすことを選んでたんじゃないんですか?」

 

「うん」

 

 家とセットで残されていた微かな両親の記憶に縋り付くように、むきむきは今までずっと、今の家に拘っていた。

 "新しい家族"というものを、それそのものを拒む勢いで、彼はあの家に執着していた。

 なのに、その家にあった物の多くを売り払ったというのに、少年の表情は穏やかなままだ。

 

「あれは多分。僕の未練だったんだ。

 『僕にも愛してくれた家族が居たんだぞ』

 っていう、自分を支えるための、意味のない未練」

 

「……」

 

「あれは家族の形見だけど、そこに家族の想い出は無い。

 捨てられなかったのは、家族の想い出が詰まってるからじゃなくて。

 多分……僕を愛してくれた人がこの世界に居たっていう、証明だったからなんだ」

 

 何かを手放すという行為を、人はたびたび過去との決別として使う。

 少年の中で、何か一つの気持ちが終わりを告げたのだろう。

 心の整理がついた、と表現するのが妥当だろうか。

 

 数日前のイスカリアとの戦いが、いい意味での彼の転換点になってくれていたようだ。

 

「なんだか、最近むきむきは落ち着きが出て来ましたね」

 

「そうかな?」

 

「そうですよ」

 

 頬杖をついて、面白そうにめぐみんが笑う。

 

「大人っぽくなったってわけじゃなさそうだけどね。

 うじうじしてたのが、ちょっと上向きで前向きになった感じかな」

 

「そうかな?」

 

「そうよ」

 

 ゆんゆんが腕を組み、半目でそんなことを言っている。

 

「僕はもう一回テントとか旅の荷物の確認してくるよ。

 何か追加で持っていきたいものある? 買ってくるけど」

 

「では何か甘い物をお願いします」

 

「……旅に必要なもの? まあいっか」

 

「むきむき! これは友情をダシにしたパシリよ! 騙されないで!」

 

「ちっ、ゆんゆんは自分がやられる分には鈍いくせに、こういう時だけ聡いんですから……」

 

 いいよ三人分買ってくるから、とむきむきはどこぞへと去って行く。

 

「なんだか、旅立ちの前が一番ドキドキするよね」

 

「ま、ゆんゆんはそうでしょうね。私ほどの者になれば……」

 

「私の今の台詞、むきむきから聞いた昨日のめぐみんの台詞なんだけど」

 

「あんのお喋り筋肉……!」

 

 してやったりといった顔のゆんゆんに、思わぬ伏兵に刺されためぐみん。今度からむきむきは余計な発言にも気を配る必要がありそうだ。

 

「まずは里から水の都アルカンレティアへ。

 そこから観光の街ドリスへ。

 最終的にベルゼルグ王都を通り、始まりの街アクセルに向かいます」

 

「最短ルートじゃないけどね。

 むきむきが一度王都を見てみたいって言うものだから」

 

「まあいいじゃないですか。

 一度見てみたかったというのは、私もあなたも同じでしょう」

 

「うーん、それを言われると辛い」

 

 ベルゼルグ王都。

 紅魔の里が存在するこの国の中心にして、この国で最も発展した大都市であり、この国でも指折りの『激戦区』である。

 ここが落ちれば、人類は事実上の敗北を喫する。

 観光的な意味でも、危機感的な意味でも、厨二病的な意味でも、一度は行っておきたい場所であった。

 

 これから先のことを楽しげに話すめぐみんとゆんゆん。

 こうして並んでいると二人がまるで姉妹のようだ。

 問題なのは、この二人が互いに対して「この子は私が居ないとダメなんだから」と思っていて、自分の方が姉ポジションだと思っていることなのだが。

 

 そうこうしてると、馬に乗った少年が一人やって来る。

 どうやら里の外からのお客様のようだ。

 この里まで運んでくれる命知らずな馬車など普通はいないので、この里に来る人間は大体強力な冒険者を含んだ徒党を組んでいる。

 それなのにここまで一人で来れたということは、その少年が普通でない実力者であるということを示していた。

 

「すみません。こちらに賞金首のデュラハンが来てると思うんですが……」

 

「もう倒しましたよ」

 

「えっ」

 

「我が右腕、筋雷魔法(サンダーミラクル)のむきむきが倒しました」

 

「さ、筋雷魔法(サンダーミラクル)……!?」

 

(めぐみんがまーたその場の思いつきで二つ名付けてる)

 

 使い込まれているが、あまり傷が付いていない鎧。

 背負われた大きな剣から感じられる、励起状態にないような奇妙な魔力。

 それらを見て、めぐみんはピンと来る。

 イスカリアは『魔剣の勇者に追われている』と、そういう話で通って来ていたことを、思い出したからだ。

 

「それで、あなたは?」

 

「ああ、ごめんよ。名乗り遅れたけど、僕はミツルギ。

 御剣(ミツルギ)響夜(キョウヤ)だ。ここまでずっと、イスカリアを追っていた者だよ」

 

 ―――随分と遅れて、魔剣の勇者はやって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 御剣響夜は転生者である。

 若くして物語のありがちな導入のような死に方をして、女神アクアを名乗るミステリアスな美女にこの世界に送り込まれてきた。

 

 女神の話の要点は、まず四つ。

・ある世界が魔王軍の手によって滅びかけていること

・魔王軍に殺された魂が、その世界に生まれ変わることを拒絶していること

・そのため、このままだとその世界に新しい命が生まれなくなること

・他の世界から命を運び入れるか、魔王軍を倒さなければ世界が滅びること

 最初に語られたのは、その世界の現状だった。

 

 次いで、ミツルギの権利と現状の説明の要点もまとめると四つ。

・ミツルギには全てを忘れ転生する権利、天国に行く権利、その世界に行く権利がある

・その世界に行くのなら、体も心もそのままで転生させてあげる

・更には強力な武器や能力など、特典を一つ神が与える

・ミツルギは生き残る力を得て、その世界の人類は即戦力を得る。Win-Win

 それを聞き、ミツルギは二つ返事で了承した。

 これにも理由が三つあった。

 

 一つは女神の美しさに――ミツルギ自身が自覚もなく――彼が一目惚れしてしまったこと。

 一つは、ミツルギが生来過剰なくらいに自分に自信を持っていて、特に何かに影響されたわけでもなく、勇者らしい思考・言動・行動を好んで取っていたこと。

 そして最後に、彼がシンプルに卑怯なやつや悪党が嫌いだったからだ。

 

 かくして、彼は使い手の技量次第で神をも殺せる自己強化の魔剣『グラム』を女神より与えられ、この世界に転生した。

 

「願わくば、あなたが魔王を倒す勇者となることを、祈っています」

 

 最後の最後、そう言って祈ってくれた女神アクアの美しい姿が、ミツルギの瞼の裏に焼き付いて離れない。

 

 少年は、女神アクアの神としての美しい一面を心に焼き付けた。

 もしもこの先、彼が女神アクアの駄目な所をいくつ知ったとしても、彼が女神アクアに幻滅することはないだろう。

 あばたもえくぼ。

 美しい一面を知ってしまったことで、ダメな一面を知ったところで、「そういうところもある」程度で流されてしまうようになってしまったからだ。

 

 転生し、女神の「魔王を倒して欲しい」という願いを胸に抱き、仲間も出来て、はじまりの街の冒険者の中でもエースと呼ばれるようになった頃。

 ミツルギは仲間も連れずに紅魔の里にやって来ていた。

 

「えーと、マツルギさんでしたっけ?」

 

「ミツルギだよ、ミツルギ」

 

 ゆんゆんに名前を間違えられ、ミツルギは苦笑する。

 名前を一文字間違えるというのは、とても大変なことだ。失礼だったり、大惨事になってしまったりする。

 例えば、悪魔というワードを一文字間違えてしまったとする。

 

 上級アクメホースト!

 見通すアクメバニル!

 アクメ使い志望こめっこ!

 つじつま合わせのアクメで破滅するかもしれない貴族!

 アクメ嫌いの女神エリス!

 

 と酷いワードが並ぶことになるだろう。最後のエリス様だけは――エリス様がエロ苦手そうな清純派イメージを持たれているため――それっぽさがあるが、それは御剣響夜(ミツルギキョウヤ)魔剣響夜(マツルギキョウヤ)と言い間違えてもあんまり違和感がないようなものだ。それっぽいだけで真実だとは限らない。

 

「イスカリアが倒された以上、この里に留まる理由もないのでは?」

 

「いや、他にも理由はあるんだよ。

 一つはここに封じられているという女神の確認。

 一つは王都で聞いたこの里の凄腕占い師の占い。

 それと最後が、僕と一緒に魔王を倒してくれる仲間集めだ」

 

 ミツルギの仲間は今は二人。

 共に女性で――ミツルギは気付いていないが――共にミツルギに惚れている。

 職業はそれぞれランサーと盗賊。

 ダンジョンアタックであれば強いが、後衛から単体への大ダメージや雑魚の一掃ができるウィザード、傷を癒せるプリースト等が居ないことが不安要素と言えば不安要素なパーティだ。

 

 彼がここに来たのは、その全てが優秀なアークウィザードということで有名な、紅魔族を仲間に加えるためでもあった。

 

「君達のような美しい女性が仲間になってくれれば、僕も嬉しい。

 どうだろう? 君達も僕のパーティに入ってみたいか?

 一緒に世界を救って欲しいんだ。自慢じゃないけど、僕も少しは名の売れた冒険者だからね」

 

「うわっ」

「うわっ」

 

「?」

 

 女慣れしている男の口説き文句というのは、なんとなく伊達男のような印象や、下心が見えない紳士的な印象など、それっぽい印象を受けるものである。

 その女の貞操観念を計る話し方であったり。後腐れなく遊べる女かどうかを探るものであったり。男慣れしてない生娘を引っ掛けるためのものであったり。女慣れしている男かどうかは、勘のいい女性であれば話している内になんとなく察したりもする。

 

 ミツルギの話し方は、明らかに女慣れした者や遊び慣れたもののそれではない。

 天然だ。天然でこういう話し方をしている。天然で褒め言葉が口説き文句になっている。

 初対面で相手の名前も知らない内から天然で口説き文句を言っている上、"相手がこの誘いを断ると微塵も思っていない"、溢れる自信。

 口説き文句ではあるが、相手のことをしっかり見た上で口にされる"その相手にしか使えない口説き文句"でもない、定型文のような口説き文句。

 そのため、絶妙な痛々しさがあった。

 

「遠慮しておきます」

「す、すみません、私もいいです。もう私達には仲間も居ますので……」

 

「そうかい?

 でもそのパーティに嫌気が差したらいつでも言ってくれ。

 僕はいつでも君達の仲間入りを、喜んで受け入れるよ」

 

 まあいつか仲間になってくれるだろう、と、疑いもしていない少年の笑み。

 二人に断られても、少年は全くこたえていなかった。

 

 ミツルギの人間性の半分くらいは、この表向き謙虚なように見えて根本的に絶対的な自信を持っている、という点で出来ている。

 ある意味むきむきの対極だ。

 その道を進めばいい、という絶対の正道があると信じている。

 自分がそこを歩いていけると信じている。

 皆に好かれる勇者らしい振る舞いがあると信じている。

 自分が他人を好いて信じているのと同じように、周囲から好かれ信じられると信じている。

 正しい努力をし、正しく積み重ね、正々堂々と戦えば、負けることはないと信じている。

 正義が勝つと信じている。

 悪者や卑怯者は最後に負けると信じている。

 自分が選ばれし者であると信じている。

 世界を救うのは自分だと信じている。

 

 ある意味彼は、むきむきに足りないものを何もかも過剰なくらいに持ち合わせている少年だった。

 

(こういう人物はあんまり好きじゃないんですよね。というかイラッとします)

 

 めぐみんがさっさとこの場から消えたいなあと思っていると、ミツルギの到着を聞きつけた紅魔族が集まり始める。

 王都で勇者認定され、『魔剣の勇者』という称号を頂いたミツルギは、その肩書きだけで一瞬にして紅魔族の人気者になっていた。

 

「あなたが勇者様?」

「すっごーい、魔剣グラムとかもうその時点でポイント高いわ!」

「ふふっ、禁断の我が力を勇者の力とする時が来たのやもしれぬ……!」

 

「ははは、気持ちは嬉しいよ。

 でもそんなに沢山は仲間に加えてあげられないからね。

 例えばだけど、"里一番の魔法使い"、みたいな人は居ないのかな?」

 

 ミツルギの言動の細かな痛々しさがダメな者も居たが、そもそも紅魔族は痛々しくてなんぼ。中二病で痛々しくてこその紅魔族。

 基本的に適当で、里の外の人間は皆変人だと思っているのが紅魔族だ。

 ミツルギの個性は、さほど問題もなく受け入れられていた。

 

 里の皆に囲まれる中、ミツルギは仲間集めという目的を果たそうとするが、数が多すぎて困っている様子。

 「仲間になってもらう」という意識を持っているくせに、「仲間になってほしい」ではなく「仲間に入れてあげる」といったニュアンスの言動をしてしまうところからも、この少年が時折言動で他人をイラッとさせていることがよく分かる。

 

「そうだ、イスカリアを倒した人に会わせてくれないか?

 奴はとてつもなく強かった。

 奴を倒したほどのアークウィザードなら、きっと魔王を倒す宿命を持っているはずだ」

 

 その一言で、ミツルギの周囲の空気が一気に変わった。

 なんだろう、とミツルギが首を傾げていると、そこで突如現れた大きな影が彼に重なる。

 噂をすれば影が差す、という言葉はこういう状況を指すのだろうか。

 

「僕をお探しですか? 勇者様」

 

 イスカリアを倒した紅魔族が現れ、ミツルギは声のした方に振り向いた。

 

「―――」

 

 その瞬間。

 ミツルギの脳裏に、かつて家族とTVで見ていた『SASUKE』の映像が蘇る。

 そう、その男は、そり立つ壁だった。

 あまりにも巨大で、人が挑んでも太刀打ちできない壁そのものだった。

 立ち塞がる壁だった。屹立する大樹だった。悠然と立つ巨人だった。

 

 2m半を遥かに超えるその長身。

 なのに『長い』ではなく『太い』と感じるその筋肉。

 見せ筋ではない、本物の格が違う筋肉。

 剣使いの上級職・ソードマスターであるミツルギも筋肉は多く付いているはずなのに、金属鎧でミツルギの体格はかなり大きく見えるようになっているはずなのに。

 ミツルギの筋力を1エミヤとするならば、その人物は1ヘラクレスをゆうに超えていた。

 

「な、あっ……」

 

 ミツルギの反応を見て、めぐみんはほくそ笑む。

 どうやらむきむきが仲間であることを明かし、ミツルギよりむきむきの方が仲間として望ましいという意志を見せ、ミツルギを悔しがらせてやる腹積もりのようだ。

 丁寧口調なだけで喧嘩っ早いめぐみんらしい。

 

 そのつもり、だったのだが。

 事態は、めぐみんが全く予想していなかった方向へと進み始めた。

 

 

 

 

 

 ミツルギは、主人公らしい少年である。

 "主人公らしさ"は、界隈によって異なるものだ。

 熱血主人公が主流の界隈も、ヤクザ主人公が主流の界隈も、ややひねくれた社会人が主流の界隈も、気取った青少年が主流の界隈もある。

 だが、ミツルギは自分を『世界を救う勇者に選ばれた者』と認識してはいるが、自分を『どこにもでも居る普通の高校生』としか認識しておらず、自分が『主人公らしい者』であるとは思っていなかった。

 

 彼は漫画が好きだった。

 漫画の主人公が好きで、主人公が世界や人を救うのが好きで、彼の言動や行動は漫画の中のヒーローを真似ているようなところがある。

 一例を挙げると、ミツルギは一時期「やれやれ」が口癖なイケメンだったりした。

 だから時折痛いのだが、それは脇に置いておこう。

 

 彼は特に、筋肉のある主人公が好きだった。

 金剛番長が好きで、キン肉マンが好きで、北斗の拳が好きだった。

 孫悟空が敵を殴り飛ばすシーンが好きで、ジョースターがDIOを倒すシーンに心躍らせ、幽遊白書で一番好きなボスは戸愚呂弟だった。

 

 彼はいわゆる、『男らしさ』にこそ憧れる少年だったのだ。

 それは、彼が中性的なイケメンであったことと無関係ではないだろう。

 生まれつき女のような顔をしていた彼だからこそ、なおさらに男らしさに憧れた。

 逆に可愛らしい女性を何人も侍らせるタイプの漫画は好きでなく、そのために『鈍感ハーレム主人公』という概念に疎く、自分がそうなっていることに気付かない。

 複数の女性に好意を寄せられていても、複数の女性と恋愛をすることに興味が無く、恋人が欲しいともさして思わないため、未だに恋人も居ない。

 ミツルギは、そういう男だった。

 

 子供の頃、ミツルギは紙の向こうで頑張っている主人公達を応援し、応援した主人公達は悪い奴らをその筋肉で圧倒し、最後には正々堂々と悪を打ち倒す姿を見せてくれていた。

 孫悟空は、筋肉で元気玉を押し切った。

 承太郎は、DIOを真正面から押し切った。

 キン肉マンは、絆と筋肉でマッスルドッキングを決めていた。

 ケンシロウは、ラオウとの至高の最終決戦に勝利していた。

 

 漫画の筋肉は、主人公の筋肉は、いつだってミツルギの期待を裏切らなかった。

 子供だった頃の自分の応援を、主人公達の筋肉は裏切らなかった。

 筋肉こそが、彼にとってのヒーローの証。

 

 その日、彼は運命(きんにく)と出会った。

 

 

 

 

 

 周りに群がっていた紅魔族を押しのけて、ミツルギはむきむきに駆け寄る。

 

「す、すみません! お名前を聞かせていただいてもよろしいでしょうか!?」

 

「むきむきです。ええと、魔剣の勇者様ですよね?」

 

「僕は御剣響夜です! ミツルギとお呼び下さい! 敬語も結構です!」

 

「へ? そ、それはちょっと」

 

「お願いします!」

 

「……え、えぇー……」

 

「どうか気安く!」

 

「……じゃ、じゃあ、妥協案で話し方だけを」

 

「それでいいです!」

 

 大剣を操るミツルギの大きく無骨な手が、むきむきの巨大な手を掴む。

 それを見ためぐみんとゆんゆんは、むきむき以上にぎょっとしていた。

 

「僕と一緒に来てください! あなたが必要だ! 他の誰でもない、あなたが!」

 

「えっ、えっ」

 

「一緒に世界を救いましょう!

 僕は貴方に出会うために、今日この場所に運命に導かれてきたんだ!」

 

 異世界に来てから、不安に思ったことも、寂しく思ったこともある。

 「自分は魔王を倒すために選ばれたんだ」という絶対的な自信に日々消し飛ばされてはいるものの、「僕に魔王を倒せるんだろうか」と思うこともある。

 そんな日々の中、現れたヒーローのスカウトチャンス。

 それも自分が好ましく思うタイプの筋肉主人公属性の男。

 ミツルギも必死になるというものだ。

 

 それにしたって、行動が痛々しいというか、ズレているというか。

 紅魔族の妙齢で変な趣味を持っている女性陣がキャーキャー騒ぎ出す。

 先程は女性に対するミツルギの痛い一面が見られたが、今は男性に対するミツルギの痛い一面が見えているのかもしれない。

 

「ぼ、僕は、めぐみんとゆんゆんとパーティを組むので……」

 

 むきむきが、助けを求めるように二人の少女を見る。

 ミツルギはそれに目敏く反応した。

 

「なら、あの二人が僕のパーティに加入すれば一緒に来てくださるんですね!」

 

「え」

 

 ダッ、とミツルギは二人の少女の下に走る。

 なんというスピードか。敬愛する女神アクアが檻に閉じ込められて見世物みたいに運ばれてるシーンでも見ない限り、これ以上のスピードで誰かに駆け寄るミツルギの姿は見られないだろう。

 

「お二方! 是非僕のパーティに入って下さい! お願いします!」

 

「さっきの勧誘より数倍熱意をもって勧誘しに来てるのが超腹立つんですが」

「さっきは本当に仲間にしたがってたのかもしれないけど。

 今の私達、完全にむきむきを釣る餌目的で勧誘されてるよね……」

 

 モテる奴が「誘えば入ってくれるだろう?」みたいな顔で勧誘してくるのと、「君達じゃなくて君達を誘えば一緒に来てくれる子が目的なんだよ」といった顔で勧誘してくるのであれば、なんとなく後者の方がイラッとする。

 少なくとも、この二人はそうだった。

 

「お願いします! お願いします! お願いします!」

 

「ハッキリ言ってやりましょうか! 嫌ですよ! 帰れ!」

 

 三人の旅立ちの日に起きた大騒動。

 

 その日から、紅魔の里でのミツルギの通称は『熱烈ホモ野郎』になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミツルギはパーティ入りを受け入れてもらえなかったことにしょんぼりし、けれどもまだ諦めていないようで、むきむきに案内を頼んで紅魔の里を見て回っていた。

 訪れたのは女神の封印知、邪神の墓、そしてそけっとの家。

 

「勇者様、首尾は?」

 

「はい、いい話が聞けましたよ。流石噂の占い師です」

 

 そけっとの家から出て来たミツルギは、少々難しい顔をして、むきむきに占ってもらった内容を告げる。

 

「魔王城には結界があり、幹部全てを倒さないとそれは解けない。

 魔王を倒すためには、幹部全てを倒さなければいけないようですね」

 

「……魔王軍、幹部」

 

 魔王軍には、八人の幹部が存在する。

 幹部はそれぞれが街一つを滅ぼせる強さであると伝えられており、一説には魔王より強い魔王軍幹部さえ存在するという。

 ミツルギが得た情報は、どうやらとても重要なものであったようだ。

 

「女神の封印も数年前に吹き飛んでいた。

 邪神の封印も開封済み。

 この辺りのことはギルドにも伝えておきますね、むきむきさん」

 

「おねがいします、勇者様。僕らその辺はそんなに詳しくないからね」

 

 ミツルギの熱意に押されて敬語を剥ぎ取られてしまったむきむきだが、歳上に敬語抜きで話すというのは何とも話しづらいらしく、とても話しにくそうにしている。

 敬語を使っているミツルギの方が、何故か話しやすそうにしていた。

 

「亜神の討伐依頼なら王都のギルドで処理されます。

 報告だけしておけば大丈夫ですよ、むきむきさん。

 あそこには魔剣の勇者である僕の同類も沢山いますし」

 

「勇者様はたくさん居るの?」

 

「そうですね。最前線で生き残って居る者の中には、と付きますが」

 

 会話が弾みそうになって来たところで、むきむきとミツルギの間に二人の少女が割って入る。

 

「ゆんゆん、ディーフェンス!」

 

「でぃ、ディーフェンス!」

 

 紅魔族の間では、ミツルギはすっかり股間のソードマスター扱いだ。

 魔剣グラム略してマラを使って何する気だこの野郎、ソードマスターなら自分のソードでマスかくだけで満足してろよ、と荒ぶるぶっころりーも遠くから警戒し見守っている。

 噂を聞きつけたそけっとも「アレがミツルギホモヤね」とぶっころりーに合流し、直接的にむきむきを守るめぐみんゆんゆんにいつでも加勢できる構えであった。

 

「むきむきにあまり近付かないでいただけますか? このホモ野郎」

 

「ホモ!? 違う、僕はノーマルだ!」

 

「はっ」

 

「男が二人居ればそうだと見るのは、女性にそういう趣味があるからだと聞くぞ!」

 

「おい、私に変な属性付けるのは許さんぞ」

 

「君だってそんなに胸が無い子なんだ!

 だったら分かるだろう!?

 『ああなりたい』『もっと大きくなりたい』って感情が!」

 

「おっ、さては私に喧嘩を売ったな? エクスプロー……」

 

「めぐみんストップストップ!」

 

 危うく熱烈ホモ野郎を爆裂ホモ野郎にしそうになっためぐみんをむきむきが止め、その手にでかい麩菓子のようなもの(名称不明)を持たせる。

 それでむきむきの意図を察せないめぐみんではない。

 "喧嘩はしないでほしい"という意志を見せたむきむきの前でまでやり合う気がないめぐみんは、むしゃむしゃ麩菓子を食べ始めた。

 

「……まあ今は、むきむきに免じて見逃してあげましょう」

 

「大きいの買ってきたね、むきむき……食べきれるかなあ」

 

「大丈夫、案外お腹は膨れないから。よいしょ」

 

 ミツルギが初対面の人ゆえにグイグイ行けないものの、内心ハラハラはしていたゆんゆんのハートも、むきむきが買ってきた麩菓子によって多少落ち着く。

 むきむきはよいしょ、とめぐみんを肩に担ぎ上げた。

 めぐみんはミツルギを見下(みお)ろし見下(みくだ)すポジションをゲットしたことでやや満足感を得て、むきむきはミツルギに殴りかかりそうだった危険人物をミツルギから離せる。

 合理的な行動だった。

 なのだが、ミツルギはこの光景にまた何か懐かしいものを感じたようだ。

 

「……ピカチュウを肩に乗せるサトシか何かか」

 

「サトシ?」

 

「いえ、何でもないです。失礼しました」

 

 実際はむきむきの方しか電気を使えない上、関係の主導権はめぐみんにあるので、これはサトシを肩に乗せている巨大ピカチュウという構図なのだが、それはそれとして。

 

「あ、そうだ。僕のPTに入っていただけないというのは分かりました。

 ですがここからアルカンレティアまで同行するのはどうでしょうか?

 この辺りは危険地帯です。僕の強さがむきむきさんの役に立つと思いますよ」

 

「いいの? それなら、お願いするよ。勇者様が味方だなんて心強い」

 

「「ちょっ」」

 

「ええ、お任せを! 僕の強さを見てくださればきっと仲間入りも考えてもらえると思います!」

 

 ミツルギの自信は根拠の無い自信ではない。根拠があるのに、なんとなく信用できない感じがする、なんとなく裏切られそうな感じがする自信だ。

 自分の強さをアピールする機会を得て、ミツルギの眼は輝いている。

 ケンシロウを味方に引き入れる機を得たハリキリボーイのような目をしていた。

 二人の少女は、うへえといった感じの目をしていたが。

 

「やめましょう、むきむき。あなたのためです」

 

「どういうこと? 安全を求めるならこの提案、受けても得しか無いと思うんだけど……」

 

「はい? むきむきの危険度は増すじゃないですか」

 

「え、前衛が増えた方が僕は安全にならない?」

 

「むきむきがバックアタック食らったらどうするんですか」

 

「? 背中を預けられる剣士さんが増えれば、不意打ちも減らない?」

 

「……」

 

 まさかこいつ、『ホモ』をそもそも知らんのか、といった感じの表情をめぐみんが浮かべる。

 とりあえず後で教えてやらなければ、とめぐみんは強く決意した。

 別にホモるギキョウヤさんはホモでもなんでもなく、恋愛対象は女性だけであるのだが、紅魔族視点これは確定事項のようだ。

 全ては誤解を招く行動が悪い。

 

「……ゆんゆん、アルカンレティアまでは二日です。夜は気を抜かないで下さいね」

 

「うん! うん!」

 

 いつか、誰かがミツルギのホモ疑惑を払拭するだろう。だがそれは今日ではないし、彼女らにでもない。MTG感。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅立ちの時だ。

 里に居る紅魔族の多くが、三人の子供の旅立ちを見送るために里の入り口に集まっている。

 数百人もぞろぞろと集まっているわけではないが、それでも何人居るのかひと目では分からないくらいに多くの人が居た。

 

「外での活躍に期待しておるぞ」

「この里はあんまり外の情報入って来ないけど、ここまで武勇伝を轟かせてね!」

「頑張れよ、天才!」

 

 めぐみんは一番多くの人に見送られていた。

 彼女は天才で学年主席、学年最速の卒業など、当然のように多くの人達に期待されている。

 貧乏な彼女に施された奨学金などは、彼女に対する周囲の期待の表れであったと言っていいだろう。……その上で、爆裂(ネタ)魔法を覚えたのが彼女なのだが。

 誰もが、めぐみんが偉大な大魔法使いになることを疑っていない。

 というか、めぐみん自身が疑っていない。

 彼女の見送りが一番多くなるのも当然だった。

 

「ゆんゆん、行かなくてもいいんだぞ? こう、ずっとうちに居てもだな」

「ああ、ゆんゆん、ハンカチは持った? お金は? 杖は? やっぱり行くのやめない?」

「族長、族長夫人、娘さんが顔を真っ赤にして俯いてます」

 

 そこからグン、と人が減ったのがゆんゆんの見送りである。

 ゆんゆんの両親と親戚、それと族長家に繋がりの深い大人達ばかりだ。

 同級生や学校の子供もそのほとんどがめぐみんの方を見送っている。

 ゆんゆんのところに真っ先に見送りに来た子供は、たったの二人。

 

「ま、元気でやれば?」

「お土産話、期待してるねー」

 

 ふにふらとどどんこだけだった。

 むきむきが見ていないところで、微々たる変化か小さな変革があったのだろうか。

 めぐみんよりも先にゆんゆんの方を見送りに来てくれるクラスメイトが居た、というだけで、ゆんゆんは嬉しさを顔いっぱいに浮かべていた。

 

「……」

 

 めぐみんには沢山の見送りが居て。

 ゆんゆんには少しの見送りが居て。

 むきむきには一人の見送りも居なかった。

 

「むきむきさん、元気出しましょう」

 

「いや、いいんだよ。これでも前よりはマシになったし……」

 

「これで……!?」

 

「なんだかんだ一緒に戦うと、紅魔族の皆は態度を軟化させてくれる気がする。多分」

 

「軟化してこれなんですか……」

 

 日本の学校的に例えるならば、むきむきはかつて"クラスで変なやつとしてハブられている少年"だったが、今では"『クラスで五人まで好きな奴を選んで投票しよう』という投票があったならそれで最下位になる少年"くらいに周囲の評価が改善されている。

 基本的に彼は異物なのだ。

 これでも改善された方なので、何か大きなきっかけがあれば里に受け入れられるかもしれない、というくらいにはなっていた。

 

「勇者様は知らないだろうけど、僕を好きな人って、あまり居ないから」

 

「……それは」

 

 だが、むきむきは知らなかった。

 全体がそうであるということと、個人がそうであることは別問題であるということを。

 

「おっと、世間知らずな子供が何か言ってるな?」

 

 クズが何人か居たところで、人類全てがクズであると証明されるわけではないように。

 人類が魔王軍に負けそうな中でも、バカやって幸せそうに生きられる人が居るように。

 集団の空気に真っ向から逆らう者は居る。

 

 その青年は、その場の空気の全部を蹴飛ばしながらやって来た。

 

「……ぶっころりーさん?」

 

「悪いな。靴屋のせがれのくせして、こんなギリギリまで時間かかっちゃってさ。

 でもまあ勘弁してくれ。俺なりに精一杯、生まれて初めて他人のために作ったんだから」

 

 そう言って、ぶっころりーは少年の前に靴を置いた。

 良い造りの革の靴だった。ぶっころりーの家でも見たことがないようなデザインの靴。今日に備えてニートのぶっころりーが汗を流し、労力と時間を費やして、懸命に作った靴だった。

 幼少期から靴作りに慣れ親しんでいた彼が、親父に頭を下げて指導して貰い、自分のセンスを元に少年のために作り上げた一品だった。

 

「『靴』……」

 

「我が名はぶっころりー。アークウィザードにして上級魔法を操る者……

 紅魔族随一の靴屋のせがれ、やがては靴屋を継ぎし者……

 会心の出来だけど、親父ほどの出来じゃないのは大目に見てくれると俺の心が助かるよ」

 

 "よい靴は生きている"という格言が、地球にはある。

 出来のいい靴は、動物に触っているような履き心地がある。

 動物の体の一部を使っているため、丁寧に仕上げれば革はちゃんと汗を吸い、革を通して靴の外に水気を発散させるため、蒸れることもない。

 この靴には、ぶっころりーの技と気遣いがありったけ込められていた。

 

「靴は体の一部。そして、同時に消耗品だ。

 その靴がすり減る頃には、里に帰って来るといい。

 俺は待ってる。君を待ってる。帰って来たら、また採寸して新しい靴を作ってあげよう」

 

「―――!」

 

 靴屋にしかできない贈り物。

 靴屋にしか言えない台詞。

 「ここが君の故郷だ」「君を待っている」というかっこいい台詞。

 むきむきは、ちょっと泣きそうだった。

 

 彼の出現を皮切りに、遅刻していた者達が続々と現れ始めた。

 

「あ、ごめんね。ちょっと遅れちゃったみたい」

 

「そけっとさん?」

 

「戻って来たら、旅のお話を聞かせてね。

 楽しかった話も、悲しかった話も、素敵な話も、残酷な話も。

 きっと、全部あなたのためになる想い出になっているはずだから。はい、どうぞ」

 

「これは……『日記』?」

 

「日々あったことを書き記しなさい。いいことも、悪いことも。

 そうすればあなたは、少しだけ自分の行動を客観的に見られるようになる。

 この日記が、あなたの想い出と心を詰め込んだあなたの宝物になってくれる。

 全部のページを埋めた時、この日記はきっと、あなたの宝箱になっているはずよ」

 

「……っ、あ、ありがとうございます!」

 

 ちょっと高そうな日記帳。茶のカバーに落ち着いた金の装飾が美しく、これを選んだそけっとのセンスと厨二病具合――かっこいいものを見つける嗅覚――がよく分かる感じであった。

 

「ふ……我ら対魔王軍遊撃部隊(レッドアイ・デッドスレイヤー)!」

「帰って来いよむきむき!」

「私達はいずれ正式に所属してくれるであろう君の帰りを待っているわ!」

「さあ、受け取るがいい! 我らの汗と涙と金と小遣いの結晶!

 なけなしの皆のマネーパワーの結集体、君専用の紅魔族ローブだ!」

 

「ありがとうございます! ……ど、どうですか? 似合いますか?」

 

「「「「 似合う似合う! 」」」」

 

 時々むきむきの手を借りてモンスター狩りに行ってたりしていた自警団(ニート)の皆も、皆で金を出し合ってむきむき用の紅魔族ローブを買って渡してくれた。

 むきむきの体格からして、オーダーメイド以外にありえないだろう。安くはなかったはずだ。

 それが分かっているようで、少年は嬉しそうにローブを付けてマントのように翻す。

 

「お、盛り上がってるな」

 

「ひょいざぶろーさん」

 

「ごめんなさいね。まずはめぐみんの所に行きたかったから」

 

「ゆいゆいさん」

 

「これどーぞ! わたしの手作りだよ!」

 

「こめっこちゃんも……」

 

 そうこうしている内に、めぐみんとゆんゆんの見送りに来た人も動き始めた。

 めぐみんの見送りに行っていた人がゆんゆんの方に行ったり、ゆんゆんの方に居た人がめぐみんに声をかけに行ったり。

 めぐみんの家族が、めぐみんの後にむきむきの見送りにも来てくれたり。

 

 こめっこから受け取った小さな筒状のペンダントのネックレスを受け取り、礼を言い、むきむきはひょいざぶろーとゆいゆいから小さな鍵を手渡される。

 

「これは?」

 

「我が家の鍵よ」

 

「―――」

 

「お前が新しい家族を拒んでいるのは知っている。

 他人の家庭に家族として迎え入れられたくないということも分かっている。

 だが、ワシらはお前のことをずっと待っている。

 我が家はお前が帰る家だ。帰って来ていい家だ。お前の居場所だ。

 家族でなくてもいい。

 辛くなったら旅の途中でも帰って来ていいぞ。いつでも、暖かく迎えてやろう」

 

「……っ、ありがとうっ、ございますっ……!」

 

 渡された鍵そのものは軽い。

 けれども渡されたものは本当に重く、本当に大きく、本当に暖かいものだった。

 こめっこが渡したものを見て、むきむきの周りに居た人達がわいわい騒ぎ始める。

 

「お、これあれか。例のお守りか。中身はまだ空っぽ?」

「よーし皆髪の毛入れろー。俺達の魔力がある髪の毛は魔術的な加護が出るからな」

「気休め程度だけどね。よーし、十本くらい入れちゃえ」

「入れろ入れろ。多い方がいいに決まってる」

「籠るがいい我が魔力……震えよ……この魔道具に我が力の加護を!」

 

 紅魔族には伝統的に、旅立つ者にお守りを持たせるという慣習がある。

 お守りの中には強い魔力を持つ紅魔族の髪の毛を入れ、旅立つ者にそれを渡すことで、その髪の毛に宿る魔力が魔術的に不幸を弾くというものだ。

 とはいえ、効果は気休め程度。

 "旅立つ者の無事を祈る"という意味合いの方が強い。

 

 むしろむきむきからすれば、色んな人が我先にと髪の毛をお守りに入れてくれているこの光景に感じる嬉しさの方が、よっぽど心に力をくれていることだろう。

 

「や」

 

「あ」

 

「我が名はあるえ。ただ単純に寝坊して、今来た者……」

 

「あるえ……!」

 

 そこで寝坊して来たねぼすけが現れ――大した理由も無いきまぐれだろうが――めぐみんやゆんゆんより先に自分に声をかけてくれたことで、むきむきは言葉にできないくらいに喜んだ。

 

「さ、行こうむきむき。

 ゆんゆんの方では族長が君を待っている。

 ふにふらやどどんこも言いたいことがあるそうだ。

 君の所にまっすぐに来なかったとしても、君を見送りたいと思っている人は居るからね」

 

「……うん!」

 

「さてさて、めぐみんに渡す眼帯はどこへやったのやら」

 

 暖かい旅立ちだった。

 少年の旅立ちは『全員』に見送ってもらえたものではなかったが、『皆』に見送ってもらえたものにはなった。

 残酷なようで、なんだかんだ優しいところもあるこの世界に。

 そして、この世界を見守る女神に。

 ミツルギは、なんとなく感謝する。

 

「むきむきさん泣いてるなあ。

 ……女神アクア様、今日も皆は幸せそうです。

 いつも僕らを見守ってくださり、ありがとうございます」

 

 彼はプリーストではなかったが。この世界の全ての人々が、その中の一人であるむきむきが、女神様にちゃんと愛されていることだけは知っていた。

 

 

 




 ミツルギは敬語の割合を増やすと痛めの言動させても多少謙虚に見えるなあ、と思いました。

 WEBルギは"ある占い師"から魔王城に入るには幹部を全部倒さないといけないと聞いているという描写があるのですが、書籍版にその描写は無し。
 書籍ルギは原作開始一年前に紅魔の里に訪問、おそらくここでそけっとの占い結果を得たのだと思われますが、WEB版では紅魔の里行き描写なし。
 両方見てるとなんとなく想像できる感じですよね。
 書籍ルギはあの二人の少女の仲間を連れて紅魔の里で仲間集めをしたようですが、紅魔族の反応が悪くなかったにもかかわらず仲間を得られなかったようなので、爆焔と同じように仲間二人の少女が妨害したんじゃないかなー思います。
 恋敵(ライバル)増やしてたまるかー、みたいなノリで。この作品では仲間が誘えなかった理由はホモ疑惑です。


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2-2-1 気高き勇者ミツルギ、溺れる肉欲 ~オークなんかに絶対負けたりしない!~

 WEBゆんは最初から上級魔法覚えていて、一人で里からアルカンレティアまで突破したという、バイタリティと実力に溢れるスーパーエース。今回は彼女が通った道筋を辿ることになるようです


 ゆんゆんは親から貰った新しい銀の短い杖を持ち。

 めぐみんはあるえから貰った眼帯を中二病特有の症状(ハイカラオシャレ)で左目に装着し。

 ミツルギはこの辺りに存在するモンスターの分布を得意げに周囲に話し。

 むきむきは石を投げてとりあえず寄ってくる雑魚モンスターの頭を片っ端から潰し。

 四人はアルカンレティアへと進む。

 

 楽しそうな旅路の光景……この光景から一時間の後。

 四人は、ドラゴンゾンビに襲撃されていた。

 

「なぁんでぇ!?」

 

 ゆんゆんを抱えてむきむきが跳び、ドラゴンゾンビが振り下ろした前足が、一秒前までゆんゆんが立っていた地面を深く陥没させた。

 

「気を付けて! ドラゴンゾンビは防御特化のクルセイダーでもあっという間に沈む強敵だ!」

 

 ミツルギが皆に警告し、ドラゴンの背後に回り込もうとするも、その巨大な尾が一振りされて地面を叩けば、ただそれだけで背後に回るのを断念せざるを得なくなる。

 

 民家よりも大きな体躯。

 ただでさえ大きな体躯は、翼を広げると倍になったようにさえ見える。

 凄まじい重量は歩く度に地面を僅かに沈め、アンデッド化したことで桁違いに増したパワーは、以前戦った20m級のドラゴンが所詮急造の改造品でしかなかったことを知らしめる。

 

 むきむきはゆんゆんを後方に置き、前に出てドラゴンの続く前足の一撃を受け止めるが、ホースト以上の腕力と、痺れるような痛みが走った自分の腕に驚愕する。

 

「重っ……!?」

 

 踏ん張っていたため、吹き飛ばされてはいない。

 それでも、むきむきが驚くだけの筋力はあった。

 

「どうやらここは、真打ち登場の風向きのようですね……! わが爆裂まほ――」

 

「引っ込んでてめぐみん!」

「大人しくしててめぐみん!」

 

「――!?」

 

 力任せに攻撃を弾くむきむきが押し切られそうになると、ミツルギが前に出る。

 剣の腹で攻撃を流しつつ、体を大きく捻って防御しているミツルギがやられそうになれば、むきむきが前に出る。

 二人の前衛が相手の攻撃を半々に受け持つことで、なんとか彼らは無傷で乗り切っていた。

 とはいえ、小さなミスがちょくちょく出るのが戦闘というもの。

 ミツルギが竜の頭突きを受け流しきれず、剣の腹で真正面から受け、吹っ飛ばされる。

 

 吹っ飛ばされたミツルギは、むきむきに空中でキャッチされた。

 

「勇者様!」

 

「大丈夫です! グラムで受ければ大抵の攻撃は通りません!」

 

 ミツルギのレベルはそこまで高くはない。レベルの高さ相応に、所有スキルも多くなくスキルレベルも高くはない。

 それでも強いのは、彼が持っている『剣』が凄まじく強力であったからだ。

 

(この剣が本当に強い。魔剣の勇者様も、ちゃんと剣を使いこなしてる)

 

 むきむきが尾を掴み、伸び切った尾をミツルギの一閃が切断する。

 この異常筋肉でも引き千切るのには時間がかかりそうなドラゴンゾンビの太く硬い尾も、この魔剣にかかれば瞬く間に一刀両断だ。

 その切れ味は上級魔法以上であるように見える。

 

 ミツルギが振るう度、魔剣がその意志に呼応して力を与えているかのように、魔剣を振るう彼の膂力や剣閃の際の移動速度は凄まじいものがある。

 剣を収めている時のミツルギが見せていた身体能力と、魔剣を抜いた後のミツルギの身体能力には、誰の目にも分かるくらいの差があった。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 前衛が動きを止め、ようやく急所を晒したドラゴンゾンビの首に、ゆんゆんが光刃の上級魔法を叩き込む。

 が。

 

「な、なんで首が半分切れてるのに死なないの!?」

 

「アンデッドだからじゃないかな!」

 

 生前から魔法に一定以上の耐性を持っていたのか、光の刃は腐りかけの首の半ばまでしか食い込まず、ドラゴンゾンビは首を半分斬られても平然と動き続けていた。

 魔法に斬られた首から、腐った体液がどばっと滴り落ちる。

 女性陣はそこにちょっと吐き気を覚えたが、男性陣はそこを仕留めるチャンスと見た。

 

「せやっ!」

 

 二人が同時に跳び、ミツルギが先んじて魔法で切れた傷口に魔剣を強く叩きつける。

 ドラゴンは身をよじって刃筋が立たないよう動いたが、刀身は深く首に食い込み。

 

「むきむきさん! 蹴りは剣に!」

 

「了解!」

 

 剣の鍔を蹴り込んだむきむきの筋力により、ようやくドラゴンの首は刎ね飛ばされた。

 

「……ふぅ。強かった」

 

「お疲れ様です」

 

 ドラゴンゾンビはその名の通りアンデッド化したドラゴンである。

 ブレスは吐かなくなるが、アンデッド化の影響でその筋力は生前の力を超えることもある。

 その腕力たるや、高価な金属鎧を着た前衛職がビスケットのように潰されるほどだ。

 大抵の前衛はクシャッとされ、その後に後衛もクシャッとされるのが一番多いパターンであり、この前衛二枚看板だからこそ凌げた敵であったと言えよう。

 自然界の頂点、ドラゴンの名は伊達ではない。

 

(ゆんゆん、前衛としては結構優秀でしたね。アフィルギとかいう人)

 

(やっぱり不安だけど居てもらった方がいいよ、めぐみん。腕は確かみたいだし)

 

(……今のにもう一回出て来られると、私達のどっちかは死にそうですしね)

 

 実力は確かだ。

 確かなのだが。

 むきむきと並んでいると際立つ凄まじい自信が、なんとなく少女二人を不安にさせる。

 

 他世界からこの世界に来る転生者が得る能力には、実は傾向がある。

 自分が嫌いな人間は『自分を変える』特典を。

 自分に足りない部分を自覚している人間は『自分に追加する能力』を。

 自分に自信がある人間は自分に何も付け足さず、『自分が使いこなすための武器』を。

 今の自分を見下し、創作のキャラを見上げる者は『創作のそれっぽい容姿や武器』を。

 人によっては『努力した分だけ強くなれる能力』など、努力する他人に憧れながらも努力できない自分を嫌い、楽しく努力できる動機になってくれる能力を求めた者も居た。

 

 あくまで傾向である。人間が多様性に富む精神を持っていることを考えれば、○○だから●●といった明確なパターン化はかなり難しく、例外が山ほど積み重なるものだ。

 

 ミツルギは、自分に自信があった。

 今の自分に満足していて、今の自分に嫌いな部分がなく、今の自分を信じていた。

 "そんな自分に使われる武器"としてグラムを選び、自分に継ぎ足せる強力な能力に目もくれなかったのは、そういうところに要因があるのだろう。

 自分に自信が無いむきむきと話している様子を見ると、なおさらそれは際立って見える。

 

「むきむき、腕の傷を見せてください」

 

「あ、めぐみん。これくらい平気……」

 

「駄目よ! ドラゴンゾンビは腐ってるから、その体は病原体だらけなのよ!

 怪我じゃなくて病気で死んじゃったら、アークプリーストでも蘇生できないんだからね!」

 

「ゆんゆん! 耳元で叫ばれると耳が痛い!」

 

「いいからさっさと傷を見せてください。ほら、族長から貰ったスクロールを試してみましょう」

 

 めぐみんがむきむきの腕を強引に取ると、腕には引っ掻いたような傷が付いていた。

 この世界には回復魔法、治癒魔法、蘇生魔法など小分けにされた癒やしの魔法が存在する。

 めぐみんが手にした巻物は治癒魔法のスクロール。強い毒は治せないが、引っ掻き傷とそこから入った病毒くらいなら問題なく消せるだろう。

 

「族長もいいものをくれたものです。むきむきは感謝しないといけませんね」

 

「……うん。族長さんは、結構昔から気遣ってくれてたからね」

 

 これは族長がむきむきにくれた、旅立ちの餞別の一つである。

 面倒臭い子供だった彼を、族長は時々気にかけてくれていた。

 娘と引き合わせたのもその一環だろう。

 

「このスクロール、もう使えないけど取っておいていいかな?」

 

「いいんじゃないですか? 荷物にもならないでしょうし」

 

 治癒魔法の解毒効果の後、回復効果が引っかき傷を塞いでいく。

 

「よしっ」

 

「いてっ」

 

 傷が治ったのを見るやいなや傷があった場所を軽く叩き、ちょっと安心した様子の表情を見せる辺りが、とてもめぐみんらしかった。

 

「むきむきさん、このドラゴンはギルドに連絡して回収して貰いましょう。

 運搬料はかかるでしょうが、素材の分のお金が差し引きで手元に入ってくるはずです」

 

「えっ、大丈夫かな……」

 

「腐った肉を放置しておくと、他のアンデッドモンスターが集まって来たりするんですよ。

 街道のど真ん中でそれはマズいでしょう? それに骨や爪などはそのまま残ってますしね」

 

 冒険者を管理する冒険者ギルド。モンスターの死体を片付けるのも、彼らの仕事だ。

 彼らが仕事をできなければ、この道はドラゴンの死体とそれに集まるアンデッドの集団で、長期間使用不能になってしまうかもしれない。

 世の中を回しているのはこういった、誰の目にも留まらない縁の下の力持ち達なのだ。

 

 ミツルギは魔剣を使って、ドラゴンの前足から爪を一本だけ切り取る。

 

「ほほう、ドラゴンの爪ですか」

「むきむきの皮膚にさえ傷付けてたね。あれ、これ結構凄い素材なんじゃ」

 

「僕のせか……んんっ、僕の出身地には色々な動物が居まして。

 トカゲや恐竜っていうのの一部は、爪の中に骨があるんです。

 イグアナとか、イグアノドンとか。これも同じでしょう。

 骨の周りに爪を作って、武器として使える爪を作ってるんじゃないでしょうか」

 

「へー」

 

 ミツルギがドラゴンの爪の中の骨をスポスポ出したり戻したりする。

 ドラゴンの爪は外側も鋭い刃のようで、中に入っている骨もどこか短刀を思わせる形状をしている。爪と骨が、まるで鞘と剣のようだ。

 

「外国の王族はこういうのを加工して、観賞用の短刀にもしてると聞きます」

 

「「「 おぉ…… 」」」

 

 これは、里の中で本を読み漁るだけでは付かない知識だ。

 まがりなりにもミツルギは冒険者。この世界を旅し、この世界を見て回り、この世界にある楽しさや面白さを多く見てきた少年だ。

 三人が知らない面白さをミツルギは知っていて、ミツルギが知らなくて他の人が知っているような面白さも、この世界には溢れている。

 

 『里の外の世界を知る』という楽しみを、三人は存分に堪能しているようだ。

 

―――生きて、生きて、生きて……この広い世界を、見て回るがいい

―――貴様のような者でさえ、素晴らしい友と出会うことができる、この素晴らしい世界を、な

 

 少年の口元に、自然に笑みが浮かぶ。

 あの幽霊はむきむきをどう思っていたのだろうか。

 里の外にも出たことがなく、里の中のコミュニティを絶対視する少年は。

 世界の広さも、世界の楽しさも、世界の面白さも知らない少年は。

 広い世界の厳しさも、広い世界の優しさも知らない少年は。

 あの幽霊には、どう見えていたのだろうか。

 

 それは、最期の言葉から想像するしかない。

 

「私達も学校で色んなモンスターのこと調べたつもりだったけど……」

 

「案外面白いものですね。キャベツの大陸渡りと海越えも早く見てみたいものです」

 

「……僕的には、この世界の異常性を一番表してるあれは、なんというか……」

 

「外の世界の本も読んでおきたいよね、めぐみん、むきむき。

 強いモンスターの体の仕組みや弱点くらいは把握しておかないと」

 

「サキュバスのような男性特攻のモンスターが居たら、今の前衛は総崩れですしねえ」

 

 モンスターの研究とは、自分より強い生物に勝つための技術の探求である。

 『自分より強い者に勝つ技術』は、『相手の弱点を突く技術』であることも多い。

 

 例えば、少林寺拳法の金的は科学的な進化と改良を果たした一撃であると言われている。

 少林寺の金的は睾丸ではなく、睾丸の下から裏にかけての副睾丸という箇所を打つ。

 ここは痛覚神経が集中しているため凄まじい激痛が走り、睾丸も潰さないため相手の生殖機能を潰すこともなく、相手はショックで呼吸困難に陥りながらゲロを撒き散らすことになる。

 更にこのダメージは神経の構造上の問題で、脳に『内臓へのダメージ。身体機能を落とせ』という指示を出させるため、男性の体の動きを強制的に封じ込めることができる。

 

 モンスターの弱点を調べるということは、大体こういうことだ。

 モンスターの金玉がどこかを探してそこを蹴り上げる。流水が弱点であることを咄嗟に見抜いて水をぶつけるような判断能力こそが、冒険者に本質的に求められるものであると言えるだろう。

 

 ジャイアントトード相手ならば金属での斬撃が有効。

 アダマンマイマイや硬いゴーレムが相手ならば刃ではなく打撃武器が有効。

 アンデッドならばプリーストの浄化が有効。

 ……といった風に、相手の弱点を突くこともまた、冒険者の基本なのだ。

 

「……うっ」

 

「? 勇者様、どうかした?」

 

 なのだが、めぐみんの『男性特攻』という一言を聞いた途端、ミツルギが身震いしていた。

 

「い、いや、なんでも。ちょっと嫌なことを思い出しまして」

 

「そ、そうなんだ」

 

 ここに来る途中に何かあったのだろうか。

 あったとしても、里で敬語を強引に禁止されて微妙に話しづらそうにしているむきむきは、自然な流れでその話を聞き出せない。

 ストレートに聞くと今は誤魔化されそうな雰囲気も、ミツルギは醸し出している。

 

 旅路は続く。そうこうしている内に、めぐみんがバテ始めた。

 

「ちょ、ちょっと……待っ……き、キツいんですが……」

 

 戦闘込みの旅路。コンクリートなどない、ある程度にしか整地されていない土の路面。村も里もない片道二日間の道程。モンスターが存在する危険地帯なため、気も張っていないといけない。

 初めての旅路に体力は削がれ、凸凹した路面が予想以上に足を痛め、学校在籍時に体育の授業をほとんどサボっていためぐみんの華奢な体を襲う。

 

「乗る?」

 

「乗ります」

 

 かくして、めぐみんはむきむきの肩の上に移動した。

 

「やはりここが私の王座ですね」

 

「僕の肩みたいなしょっぱい王座で満足しないでよ?」

 

「ほほう。言うようになったじゃないですか」

 

 むきむきの肩幅は広い。肩パッドでも入れてるのかと思えるくらいに広い。片方にめぐみんが普通に座れるくらいに広い。

 肩にめぐみんを乗せ、めぐみんの運搬車と化したむきむき。これこそまさに肩車。

 これには流石にゆんゆんも呆れ顔。ミツルギも苦笑をせざるを得ない。

 

「めぐみん……情けなくないの……?」

 

「ま、まあ、レベルが上がるか慣れれば平気になるよ。皆そうだって聞くから」

 

 めぐみんがこうなっているのは旅慣れしていないからだ。今のレベルなら、旅慣れして体力が上がってくればほどなく丸一日歩き続けられるようになるだろう。

 本来ならば一度も旅をしたことがないような小中学生相当の少女が、むきむきやミツルギの歩幅に合わせて一日ぶっ通して歩き続けるなど、もっと早くに音を上げていなければおかしい。

 里に居た頃に上げたレベルが、いいように作用していたのかもしれない。

 

 それから二時間後。

 

「ぐ……は、はぁ、はぁ……」

 

「ゆんゆん、情けなくないんですか?」

 

「め、ぐ、み、んんんっ……!」

 

 ゆんゆんも次第にバテ始めていた。

 めぐみんと違いゆんゆんは体育の授業にもちゃんと出ていた上、めぐみんと違って体術の成績もよく、それなりに体格も体力もあった。

 とはいえ、戦闘中は後ろでじっとしているだけのめぐみんと、動き回って魔法を撃ちまくるゆんゆんとでは消耗が違う。道中の戦闘回数はとっくの昔に二桁に突入していた。

 山登りなどでは自然体で登れる人間の方が消耗は少ないというが、ゆんゆんは完全にこれの真逆であり、初めての旅立ち特有の緊張とウキウキでかなり無駄に体力を消耗してしまっていた。

 要は張り切りすぎの弊害である。

 

「乗る?」

 

「……」

 

「めぐみんはからかうかもしれないけど、僕は変なことだとは思わないよ。

 でも、強がって無理をして体を壊してしまうことは、絶対に変なことだと思う」

 

「……乗ります」

 

 ゆんゆんも少年の肩に乗り、めぐみんがここぞとばかりにゆんゆんをいじり始める。

 

「おやぁ? 私を情けないとか言ってた人の姿が見えますね?」

 

「くっ……」

 

「吐いた唾は飲めないって言葉は知ってますか?

 吐いたものを飲み込むなんて、反芻をする牛みたいですね。

 あ、そういえばあなたは胸が無駄に成長してましたっけ。

 その胸の無駄な成長は牛になるためだったんですか、ゆんゆん?」

 

「こ、ここぞとばかりに……!

 ごめんなさいむきむき! 今からあなたの上で喧嘩するかもしれない!」

 

「やめてよ」

 

 ちなみにこうしてほわっとした感じでゆんゆんがむきむきの肩に乗り続ける限り、ゆんゆんのぼっち気質を心配するむきむきの肩の荷は永遠に下りないのであった。

 めぐみんもゆんゆんも、この少年の肩を持つ友であり肩を並べる仲間であるが、この少年の肩に乗っている内は大きな関係の変化などありえない。

 

 自分の肩の上で喧嘩勝負を始めるめぐみんとゆんゆんのパンチを器用に弾いているむきむきを見て、ミツルギはぼそっと想い出を呟く。

 

「……『巨人の肩の上』」

 

「? それは?」

 

「あ、いえ、ここから遠い僕の出身地での授業で聞いた言葉を、思い出してしまいまして」

 

 ミツルギの言葉にむきむきが耳を傾け、二人の少女も互いを警戒しつつ手を止め、同様に耳を傾ける。

 

私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは(If I have seen further it is )ひとえに巨人の肩の上に乗っていたからです(by standing on ye sholders of Giants.)

 

 ミツルギはこの世界の人間ではない。

 そのためこの世界の人間には無い考え方がある。

 この世界には無い知識がある。

 

「ええっと、なんだったかな……授業で一回聞いたきりだったからな……

 人は、先人よりも後に続く者の方が多くのものが見えます。

 先人が知恵や歴史を後の時代に残してくれているからです。

 だから、後に続いた者達が"先人より自分の方が頭がいい"と言い出しました。

 先人よりも難しい問題を解いているのだから、と。

 そこである人が疑問を口にしたんです。『我々は本当に先人よりも賢いのか?』と」

 

 とても難しい数学の方程式を導き出した人間は、0の概念が無かった時代に0の概念を生み出した人間より、賢いのだろうか?

 

「先人や先人が残したものを、その人は巨人に例えました。

 そして自分達のことを、巨人の肩の上に乗る小人に例えました。

 自分達が高みに居るのは、巨人の肩の上に居るからだと。

 自分達が巨人より遠くが見えるのは、巨人のおかげなのだと。

 巨人より多くのものが見えたとしても、我々が巨人より偉大であるということではないのだと」

 

 ミツルギは、少女二人を肩に乗せる巨人を見て、忘れていた授業の一幕を思い出していた。

 

「巨人の肩に乗っていることを忘れてはならない……といった、感じの授業でした」

 

 ミツルギの話に、三人は三者三様の表情で頷く。

 

「勇者様は、色んなことを知ってるんだね」

 

「自慢じゃないですが、記憶力には自信がありますよ。クラスの成績はいつも一番でした」

 

 そこで余計な一言を言わなければかっこいい感じに終わったろうに。無自覚な自慢の一言で微妙に評価を下げてしまうところが、まさしく玉に瑕だった。

 

「巨人の肩の上に乗る、小人」

 

 四人はそれぞれが、自分を肩の上に乗せてくれたここには居ないどこかの巨人に――心の中で見上げる誰かに――思いを馳せる。

 ゆんゆんは、自分が持っている知識を無数に積み上げてくれた名も無き先人達に。

 ミツルギは、自分に魔剣と使命と次の生を与えてくれた女神に。

 めぐみんは、自分の命を助けてくれたあの日の爆裂魔法のお姉さんに。

 むきむきは、勿論かの幽霊に。

 それぞれが、巨人を見上げるように想いを馳せる。

 彼らの中には、どこかの誰かに対する揺るぎない尊敬があった。

 

「先人達の残した知識のお陰で、私達は今日も生きていける。素晴らしいことじゃないですか」

 

 旅立ちの一日目は、もう終わろうとしている。

 沈みかけの夕陽が美しく、彼らを橙色の陽光で染めていた。

 夕暮れの中、夕陽を見つめるゆんゆんが、めぐみんの言葉に応えた。

 

「うん」

 

 初めての旅の、最初の一日目が終わる。

 

「さて、そろそろ野宿の準備をしましょう。進むには危険な時間帯になります」

 

 ミツルギの提案で、初めての野営が始まった。

 

 

 

 

 

 パチン、と魔道具が音を鳴らす。

 

「イスルギさん、それはなんの魔道具なんですか?」

 

「いやだから僕の名前はミツルギだ。これはある貴族に褒美に貰った魔道具でね」

 

 テントを張っているむきむきとめぐみんを見ながら、ミツルギは手の中で転がしている魔道具をゆんゆんに見せる。

 

「ダンジョン攻略の必需品、魔物避けの結界魔道具の特製版だそうだ。

 数も少なく、値段もべらぼうに高い。

 その代わり、光や匂いといった魔物が人を感知する要素を完全に隠してくれるんだ」

 

「へぇ……」

 

 ゆんゆんは手帳にちょこっとメモを取る。

 後で買うつもりなのかもしれないが、ミツルギが貴族に貰ったと言っているように、実はこの魔道具も冒険者に買える値段ではなかったりする。

 王族はホイポイカプセルのように屋敷を手の平サイズで持ち運べる魔道具なども使っていたりするが、これも当然冒険者が買えるようなものではない。

 この世界にはそういう、有用だが高すぎるというものも多々あった。

 

「勇者様、夜の見張りは……」

 

「あ、むきむきさん、テント張りお疲れ様です。

 見張りは一人二時間半見張り、七時間半睡眠でいいんじゃないでしょうか?

 一時間後に見張りを始めれば、全員が睡眠を取り終えたところでちょうど夜明けになります」

 

「なるほど」

 

 いかにも旅慣れしている、といった感じだ。

 むきむきも感心した様子を隠していない。

 めぐみんとゆんゆんは"ミツルギだけが起きていてむきむきも自分達も寝ている"という状況に、いささか少年の貞操的な危険性を感じたが、今日一日でミツルギに対する評価は大分変わっており、「流石にそれはしないだろう」と思えるようになっていた。

 数日あれば、彼のホモ疑惑も晴れ始めるかもしれない。

 

「我焦がれ、誘うは焦熱への儀式、其に捧げるは炎帝の抱擁……『ファイアーボール』!」

 

「その詠唱に何の意味が……」

 

「紅魔族は伝統的に、意味の無いかっこいい詠唱をしないといけないんだ」

 

「むきむきさんはこう言ってるけど、そこのところどうなんだい?」

 

「誇らしき伝統です」

「悪しき伝統です……」

 

「あるんだ……」

 

 反応は二人の少女で両極端だったが、あることにはあると聞いて戦慄するミツルギ。

 魔剣と鎧を外して脇に置き、ミツルギは冒険慣れした手つきで料理を開始する。

 とりあえず、むきむきが付けた火の上に鍋を置き、畑で取れる高級サンマの肉粉を入れた袋をダシに使い、異世界人がこの世界に持ち込んだ調味料・醤油で味付けし、雑多な食材と米を一気にぶち込んだ。

 

「バカでも出来る簡単料理。雑炊です」

 

「案外ベタな晩御飯なんですね」

 

「……以前、雪山で鍋奉行という敵と出会ってね。

 その日は仲間と食べていた鍋の締めに、うどんを入れたんだけど……」

 

「あ、これ知ってる。どう足掻いてもダメなやつだ」

 

 "ミツルギが鍋で雑炊しか作らなくなった理由"を察し、むきむき達三人の目が遠くを見つめていた。

 腹が膨れたら、見張りの予行演習だ。

 そこでゆんゆんが焚き火のやり方を知らないというアクシデントもあったが、知らないことは教え合うのが旅の仲間というやつである。

 

「いやだからゆんゆん、細い木を上手く使って火を維持するんだってば」

 

「こう……こうかな? あれ? むきむきのと何か違うような」

 

「それだと空気が入らないから、熱は閉じ込めるように、空気は入れるように……」

 

「わ、器用……こうかな?」

 

「そうそう、そんな感じ。これならもう大丈夫かな」

 

「よし! ……あ、そうだ、めぐみん!

 どっちが先に火種を焚き火にまで育てられるか、勝負よ!」

 

 休日に妹を連れて山に登り、土を掘り、一から火を起こして「カブトムシの幼虫よりクワガタムシの幼虫の方が美味いですね」と焼いた幼虫を食っていた経験もあるめぐみんに、何故ゆんゆんは勝てると思ったのだろうか。

 めぐみんの圧勝で白星黒星がまた一つづつ増え、むきむきはその辺でいい感じに燃えてくれそうな木の枝を集める。

 

 その途中、ふと視線を向けた時、挙動不審に周囲をキョロキョロと見回していたミツルギと目が合った。

 

「勇者様?」

 

「あ、いや、なんでもないですよ。実は前にここを通った時、嫌なものと戦いまして……」

 

「嫌なもの?」

 

「……男の天敵。オークです」

 

 オーク、と聞いてめぐみんとゆんゆんの表情がちょっと苦々しいものになる。

 

「ああ、あれと遭遇したんですか。もしかして勝ってしまったり?」

 

「……」

 

「うわぁ。勝っちゃったんですね」

 

「え? どういうこと?」

 

「むきむき、現代においてオークは男性が絶滅してるの。

 今のオークは全てが女性。生まれてくる子も生き残るのはほぼ女性。

 性欲が強い女性のせいで、たまに生まれた男の子はすぐ性的に弄り殺される。

 だからオークの女性は他の種族の男性をさらって、無理矢理に子供を作らせるのよ」

 

「……うわぁ」

 

 無知なむきむきに、二人の少女がずいっと迫って懇切丁寧に説明していく。

 

「しかも他種族の優秀なオスを狙うため、生まれてくる子供は優秀。

 そのサイクルを繰り返してきたため、今のオークは凄まじい混血です。

 優秀な血脈を混ぜ合わせた混血(ミックス)であるがために、対策も困難。

 ステータスが高い上、どんな種族固有スキルを使ってくるかも分からない。

 遠距離から上級魔法で薙ぎ倒せる紅魔族でもなければ、敵に回せない手合いです」

 

「うわぁ、うわぁ……」

 

「こんなオークですから、うっかり一体でも倒せば終わりなんですよ。

 優秀なオスとしてオークに狙いを定められてしまいます。

 この人が恐れてるのはそれでしょうね。

 うっかりオークを倒し、強さを認められてしまって、ずっと狙われていたんでしょう」

 

 ミツルギは馬に乗って里にやって来た。

 その馬は、今は旅の荷物を運ぶために使われている。

 来た時は馬の速度のおかげで逃げられたが、今襲われたら逃げ切れないと、ミツルギは認識しているのだろう。

 

「ま、まあ、今は大丈夫じゃないかな?

 オークに気付かれない内にこの辺りを越えてしまえば、あんぜ―――」

 

 その瞬間のむきむきの言葉は。

 地球では、『フラグ』と呼ばれるものだった。

 

 人を隠すモンスター避けの結界の外から、先が輪になったロープが投げ込まれる。

 そのロープが、ミツルギが食事に際して外していた魔剣を絡め取り、結界の外までポーンと引っ張り出してしまった。

 

「あ」

「あ」

「あ」

「え?」

 

 咄嗟に、ミツルギは叫ぶ。

 

「むきむきさん、隠れるんだっ!」

 

「え?」

 

「四の五の言ってられません、早く!」

 

 その意を介しためぐみんとゆんゆんが、むきむきの手を引いてテントの中にこっそり隠れる。

 テントの外に焚き火があったお陰で、光の向きの関係上、テントの中の人影はテントの外から見えなくなっていた。

 聞き慣れない、野太い女性の声が夜の世界に響く。

 

「ふふっ、言ったでしょう?

 次に会った時は、必ずあなたとボッキーゲームをしてみせるって」

 

「お前は……僕が里に向かう途中で、襲いかかってきたオーク!」

 

「ふふっ、そうよぉ。ほら、今日はこんなに仲間を連れてきたの。合コンしましょ?」

 

「するつもりなのは強姦だろう!」

 

「何言ってるの? 射精したら和姦よ。はっきりわかんだね」

 

 現れたのは、オークであった。

 それも、凄まじい数の武装したオーク。

 その狙いがミツルギであることは明らかで、魔剣を奪われた無手のソードマスターである今のミツルギに、抵抗する手段はない。

 

「何故だ……結界は、全ての感知要因を誤魔化すはず……」

 

「決まってるでしょ。魔道具でも隠し切れない……いい男の童貞の匂いよ」

「童貞臭さといい男の気配を感じられずして何が女か。何がオークか!」

「『大切なものは目に見えない』って言うでしょう?」

 

「おいやめろ。僕だけじゃなく、僕の想い出までレイプしようとするな!」

 

 この世界のオークは、体も、心も、尊厳も、想い出もレイプする。

 肉食系女子というレベルでさえない。

 大食(オーク)系女子という独立カテゴリだ。

 

 腰振りだけを求められる腰の王子様と化したミツルギが、オークにさらわれていく。

 

「じゃあ行きましょう、私達の集落へ。

 股間の魔剣のカリをオスだけでトロ顔になるようにしてあげるわ」

 

「やめろォ!」

 

 "あなたの心を盗んでいった"の対義語は、"お前を体目的で頂いていく"である。

 オーク達が去って、あまりの衝撃に意識を飛ばしていたむきむきは、ハッとなってテントの外に飛び出した。

 

「……ゆ、勇者様!」

 

「いけませんよむきむき。

 彼はあなたを守るために身を挺して犠牲になったのです。

 その犠牲と想いを無駄にしてはいけません。

 さあ、先に進みましょう。

 主を失った彼の鎧は、そこそこの値段で売り飛ばせるはずです」

 

「めぐみーんっ!」

 

 "ミツルギを助けよう"という気持ちは、めぐみんの中には毛の先ほども存在していなかった。

 

「大丈夫ですよ。ホモ専がオーク専になるだけです」

 

「ええ!?」

「私が言うのもなんだけどそれ絶対大丈夫じゃないよね!」

 

 むきむきとゆんゆんは、どうやら救出賛成派のようだ。

 めぐみんはハァと溜め息を吐いて、むきむきの目をじっと見る。

 

「というか、むきむきを助けに行かせたくないんですよ。

 万が一があったらどうするんですか? あなたも男ですよね?

 私は一人の友人として、あなたの貞操を守る義務があると思うのですが」

 

「めぐみん……」

 

「むきむき、想像してみてください。

 私がその辺のオスの人型モンスターに、こう、エロ的にあれされる光景を」

 

「う゛っ」

 

「嫌な気持ちになったでしょう? 私の気持ちも、多少は理解できると思うのです」

 

 ちょっと卑怯な言い回しだが、めぐみんにもその自覚はある。

 オークの里など、むきむきを行かせたくない場所トップ10に入るであろう危険地帯だ。

 むきむきがしょんぼりして、ゆんゆんがふと先の流れの中であったことの中から、一つ小さなことに気付く。

 

「私はちょっと変な人だと思ってたけど……

 でも、やっぱり勇者なんだね。

 咄嗟に出た言葉が『助けて』じゃなくて『隠れろ』だったもの」

 

 沈黙が広がる。

 ゆんゆんの言葉が、むきむきとめぐみんに何かを考えさせる。

 そうして数秒後。めぐみんに止められた上で、むきむきは決断した。

 

「ん。それじゃ、助けに行こうか」

 

「……これじゃ止まらないだろうなあ、とは思ってましたよ」

 

 はぁ、と溜め息を吐くめぐみん。

 彼女が溜め息を吐く時は、彼女が好き勝手して周りにフォローされている時ではなく、彼女が周りの好き勝手をフォローする時だ。

 面倒を見られる問題児としての一面も、面倒を見る姉のような一面も、どちらもめぐみんである。どちらにせよ、心配症であるということは変わらない。

 

「ちょっとくらい危なくても、助けに行くべきだと思うんだ」

 

 むきむきの言葉に、ゆんゆんが強く頷く。

 普通の感覚があり、人情家で、オークも物ともしない力があるがゆえに、ゆんゆんがこの救出について行かないはずがない。

 

「人生なんてどうやっても後悔するらしいから。

 助けて後悔するか、助けないで後悔するかのどっちかだよ。

 それなら、助けてありがとうって言われる後悔の方がきっといい」

 

 後悔を前提とした後悔を引きずらない生き方を、それを教えてくれた師の想い出を胸に、むきむきはミツルギ救出に向け動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オークの集落。

 そこは天国であり地獄だった。

 ユートピアでありディストピアだった。

 捕らえられた異種族の男達は薬・性技・スキルによる干渉などありとあらゆる手段で生殖行為を行わされ、やがてそれに快楽以外の何も感じなくなり、正気を失ったまま死に至る。

 

 冒険者ギルド曰く、「男性はオークに捕まるくらいならその前に死を選ぶべき」とのこと。

 その言葉に恥じない地獄と天国が、ここにはあった。

 頑丈なオークの男の子が搾り取られ過ぎで殺されるのだ。

 当然ながら、まっとうな人間が耐えられるような環境ではない。

 

「ふふ。あなたには真の愛に目覚める権利を贈ってあげるわ」

 

 ミツルギは天井から吊り下がる鎖によって、両手を頭上で縛られていた。

 足をしっかり伸ばしてギリギリ踵が床に着く、そういう高さ。

 普通に立っている分には問題ないが、逃げるために動こうとすればかなり邪魔になる。

 

 ミツルギは既に気が狂いそうな気分であった。

 集落では絶え間なく男の嬌声が聞こえている。何か悲しくて男のアヘ声を聞かされなければならないのか。それが自分の未来の姿かもしれないと分かっているからこそ、ミツルギはその実かなりビビっている。

 

「ふざけるなよオークども。

 僕が汚らわしいお前らなどに屈するものか!

 体は好きにできても、心までは自由にできると思わないことだ!」

 

「威勢がいいわね。ふふっ、その威勢がいつまで続くかしら」

 

 果たして耐えることができるのだろうか。

 オークは気に入ったオスを見つけると、まず百匹子供を作ろうとするという。

 複数の女性に好かれたならば、その時点でチェックメイトと言っていい。

 

「見て彼の体つき。たまらないわぁ、まるで歩くセックスよ」

「まるで美少年動物園から飛び出して来たかのよう。存在レベルのポルノよ」

「最近はおち○ぽを舐めたくなるような男が居ないと言っていたトミノさんも満足間違いなしね」

 

 チェックメイト。

 ミツルギは、事ここに至っても揺らぐことなくハーレム主人公属性であった。

 オークの一匹がミツルギに歩み寄り、その耳を舐めた。

 オークのおぞましく太い舌が、粘度の高い唾液を纏い、ぬるぬると耳の穴の奥に侵入し始める。

 

「うわあああああああああっ!」

 

「あら、ウブねえ」

 

 それだけで、ミツルギの心が折れかけた音がした。

 

 オークの大きくゴツゴツした手が、さわさわとミツルギの尻をいやらしく撫でる。

 

「ひっ」

 

「やだ、そんないい反応されたら、お姉さん凄く興奮しちゃうわあ」

 

「くっ、殺せっ! ひと思いに殺せぇっ!」

 

「殺すわけないでしょう? ……ふふ、人間の女じゃ満足できないようにして、あ、げ、る」

 

「オークなんかに絶対負けない! 助けが来るまで……耐えきってみせる!」

 

 むきむき達が、里の外の新しい世界を知って瞳を輝かせていた日の夜のこと。

 

(ヘェルプ! 誰かヘルプミー! なんでもしますからッ!)

 

 御剣響夜は、オークの手により新しい世界の扉を開かされそうになっていた。

 

 

 




 めぐみんは「自分の活躍チャンス!」と思える程度のピンチだと不敵に笑うが、突発的な事態等で追い詰められすぎると超テンパる
 むきむきは結構頻繁におろおろするが、追い詰めすぎると何も考えず全力で目の前のことにぶつかり始めるので時々怖い
 ゆんゆんは全体的にフラットで、「こういう事態にはちょっとだけ強い」「こういう事態にはちょっとだけ弱い」で半々
 ミツルギは上記の誰よりも不意打ちに弱い

 ピンチに強いカズマさーん!


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2-2-2

 ミツルギさんの取り巻き二人が、ミツルギ相手でもない、嫌いな相手(カズマさん)でもない、恋敵になりそうな人(フリーの若い女性)でもない相手と話す時、どういう風に話してるのかは完全に妄想するしかない気がします。原作で描写される気がしないでござる


 空の月が明るくて、人工の光が無くても道先がうっすらと見える夜。

 オーク調教性騎士団の部隊長は、無言の部下達を従えて、集落の入り口にてその月を見上げていた。性騎士の目が、まっすぐに月を見据える。

 

「性癖とはなんなのだろう」

 

 真剣な顔で、哲学的な命題に思考を巡らす性騎士。

 調教性騎士団の存在意義は、他のオークの手の中から逃げ出すような強い人間を脱走後に袋叩きにし、そうして力のある人間を無理矢理に力づくで屈服させるプレイを実行することだ。

 そのついでに、集落の外からやって来る敵を撃退することだ。

 

 彼らは誇り高き性騎士にして女騎士。

 オークに強姦されそうになった人間に「くっ、殺せ!」と言わせることこそが、彼女らの使命である。

 

「確かな価値を持ち、移ろいゆくものならば……

 性癖とは人と同じであり、世界と同じではないだろうか」

 

 彼女らオークは、争いを好まない平和的な種族である。

 望むのはセックス。それだけだ。他種族が彼女らの要求を飲んでくれるのであれば、彼女らは無駄な争いをしなくても済む。

 何という悲劇か。価値観の相違こそが、彼女らを苦しめているのだ。

 

 ……と、書けば聞こえはいいが、一種族総強姦魔な彼女らに同情の余地はない。

 

「性癖と性癖のぶつかり合いはなくならない。

 性癖否定も、異常性癖の押し付けもなくならない。

 ならばそれすなわち、世界から戦争が無くならないことと理由を同じくしている」

 

 彼女らはもはや生物災害と化した性犯罪。人を飲み込むセクハラの津波。痴女の台風だ。

 それに立ち向かうには、尋常な者では到底足りない。

 

「逆レイプと性癖調教をスタンダードにすれば、世界は平和になるというのに……」

 

 世界平和に想いを馳せるその顔面に、突如拳が突き刺さった。

 

「―――!?」

 

 吹き飛ばされる部隊長。

 部隊長は地面を転がり、気絶したのか立ち上がる気配も見せない。

 部隊長の取り巻きのオーク達が、部隊長を殴り倒した男の存在に気付き、最大限に警戒しながら扇状にその男を取り囲む。

 男は漆黒と真紅のローブに、首から筒状のペンダントを吊り下げた、筋肉の塊だった。

 

「何奴!」

 

「我が名はむきむき」

 

 赤い瞳が、月の下でほんのりと輝いていた。

 

「紅魔族随一の筋肉を持つ者」

 

 オークの集落を中心とした広い活動範囲は、紅魔の里近辺と重なっている。

 言うなればお隣さんの関係だ。

 大抵のものを恐れず、優秀な異種族の血を大量に取り込み異常な進化を遂げたオーク達にも、ふと手控えてしまうような手合いは存在する。

 

「紅魔族だっー!」

 

 それが、紅魔族だった。

 

 

 

 

 

 優秀な魔法使いを女オークが逆レイプして生まれた、逆レイプの魔法を開発することに特化した魔法使いの女オークにより、ミツルギは鎖で縛られた両手を天井から吊り下げられながら、発情魔法陣の上に立たされていた。

 

(悔しい……でも感じてしまう……!)

 

 発情魔法陣がミツルギを無理矢理に発情させ、七対の乳房と殺人級の醜さの豚顔、すえた臭いの体臭に豚のように肥え太った体躯という女オークとさえ、性交可能な状態に持っていく。

 

「ふふっ、全身の甘い痺れがいつまでも取れないでしょう?」

 

(魔剣さえあれば、こんな奴らに……!)

 

 気高き勇者は、今まさに陵辱の限りを尽くされようとしていた。

 

「ふふっ、軽くしただけでこんなになるなんて、随分淫乱みたいね」

 

(耐えなければ……今は耐えるしかない……!)

 

 ミツルギと一対一で対面していたオークの手が、ミツルギのズボンのベルトに伸びる。

 

「た、助けっ……!」

 

 絶体絶命、そんな時。

 

「やっと見つけた」

 

 ズシン、とオークの巨体が倒れる。

 ミツルギはその声を聞き、強がっていた表情を一気に崩して、顔を上げた。

 倒れたオークの向こうには、人間よりもむしろオークに近く見える巨人が立っていた。

 巨人の手刀が、ミツルギを縛る鎖を綺麗に切り離す。

 その足が、発情魔法陣を踏み壊す。

 

「さ、帰りましょう」

 

「む……むきむきさん! ありがとうございます!」

 

 その時のミツルギの歓喜は、筆舌に尽くしがたいものがあった。

 なのだが、助けに来たむきむきの表情はちょっと引きつっている。

 

(勇者様めちゃんこオーク臭い)

 

 縋り付くようにして何度もお礼を言ってくるミツルギの全身が、女オークの臭い唾液にまみれていたからだ。

 かといって、見るからに精神的に弱りきっているミツルギを突き放すわけにもいかない。

 この少年は、そういう選択を取れない性格をしている。

 ミツルギが落ち着くまで、むきむきは抱擁して背中を軽くぽんぽんと叩いてやっていた。

 前に、友達にそうしてもらったように。

 

(あの時、ゆんゆんもこうして落ち着かせてくれたっけ……)

 

 あんな目にあったのだ、ミツルギのこの行動も無理もないだろう。

 ヒロインのレイプ直前に間に合い助けるのが王道的主人公のテンプレだが、男のレイプ直前に間に合い助ける主人公は王道的なのだろうか。神のみぞ知る。

 

 二人は家の外に出て、そこで待ち構えていた集落中のオークの群れに囲まれる。 

 

「ここは逃さないわよ!」

 

「ひっ」

 

 素晴らしい体格のむきむきを、そして唾液まみれで半裸のミツルギを、囲んだオーク達がいやらしい目つきで舐め回すように見る。

 ミツルギは思わず悲鳴を上げたが、なけなしのプライドと勇気で歯を食いしばった。 

 

「悪いけど、アルカンレティアに辿り着くまで、この人と僕らは仲間なんだ」

 

 そんなミツルギを庇うように立ち、むきむきは構える。

 

「押し通らせてもらう」

 

「ああっ、あの構え、あの足運びは……!」

 

「知っているのスワティナーゼ!」

 

「ええ、あれは遥か遠くの国の剣豪ミヤモ・ト・ムサシの足運び!

 ミヤモの著作・五輪書に曰く、

 『足の運び様の事、爪先を少し浮けて、踵を強く踏べし。

  足使いは、事によりて、大小遅速は有とも、常に歩むが如し』

 とあるわ!

 人間の武術は通常、踵を浮かせ足の親指の付け根の拇指球に重心を置く!

 けれどもあの足運びは、時に大胆ながらも基本は地に足付けたすり足の足運び!

 ミヤモは左右の足運びを陰陽に例えた! あの足運びこそまさにそれ!

 やだわあの子、それを知って身に付けているなんて、一体何者なの……!?」

 

「お前が何者だよ」

 

 ピロートークで男から故郷の話を聞くのはいい女の特権。

 よその世界から藪から棒にやって来る転生者でも、このオークの前では藪の中で弄ばれる肉棒と化してしまう。

 スワティナーゼというオークには少しばかり、ここではない遠い国の知識があった。

 

「構うな! ハッタリだ! 二人まとめて押し倒して勃起させてやれ!」

 

 女オーク達が一斉に飛びかかる。

 狙いは二人の少年の手足。手足を抑えて動きを封じ、このまま野外調教プレイに持ち込むつもりなのだろう。

 狼のように素早く走るオーク、兎のように跳ぶオーク、悪魔のような翼で飛ぶオーク、その他多くのオークがむきむきへと迫る。

 

「はっ!」

 

 少年はその全てを殴り飛ばし、蹴り飛ばし、投げ飛ばした。

 

「なんてパワー……セックスに持ち込めない!」

「私達の得意な距離なら、セックスの距離ならなんとかできるのに!」

「皆、諦めないで! セックスの可能性を信じるのよ!」

 

 女オーク達はそのパワーを見て怯むどころかヒートアップし、命知らずな突撃を繰り返す。

 全ては性欲のため。

 命をかけるだけの価値を、彼女らはむきむきとミツルギに見ていた。

 無謀な突撃を敢行させるだけのレイプアドバンテージが、そこにはあった。

 

「その豊満な体を存分にもてあそんであげひでぶっ」

 

「スワティナーゼー!

 くっ、たまらないわ! 高戦闘力持ちを屈服させるという性癖だけじゃなく!

 『よくもうちの仲間をこんだけやってくれたな』

 『へへっ、手間かけさせやがって』

 『おい、こっちから好きにやらせてくれ。殴られたお返しをしてやる』

 シチュが好きな性癖を満たすお膳立てまでしてくるなんて! なんて戦士なの!」

 

 なんという卵子脳か。脳に卵子が詰まっているとしか思えない。

 下半身でしかものを考えられないオークの群れは、倒しても倒してもキリがなかった。

 数が減る様子も、諦める様子も、微塵も見られない。

 しかも視線が気持ち悪いくらいに性欲濡れで、むきむきはその視線に時折ゾワッとさせられる。

 今は優勢でも、何か一つ何かがあればいつでもひっくり返る程度の優勢だった。ましてやオークの怖さは高いステータスだけでなく、どんな種族のどんなスキルが出てくるか分からない、ビックリ箱のような点にあるのだ。

 むきむきは戦いの最中、視線を走らせ周囲を見回し、この戦いを終わらせられる者を見定める。

 

(あれが親玉か)

 

 そうして見つける。

 オーク達のリーダー格を。

 頭を潰せば薄い本特有の連携の取れた性犯罪者集団も、一気に烏合の衆と化す。

 むきむきは最速で踏み込み、そのリーダー格に最速で拳を突き出した。

 

「そう簡単にやられるものですか!」

 

 種族の長らしき美(の)少(ない)女オークが、何かを構える。

 "構わない。殴る。壊す。そして倒す。"

 そういう思考で、むきむきは全力の拳でそのまま殴り抜いた。

 

 盾代わりに使われた、魔剣グラムを。

 

「あ」

 

 女神が与える神器はそうそう壊れない。だが、不変でもない。

 正当な持ち主の手の中にあれば不壊であることもあるが、今の魔剣はミツルギの手を離れていた。

 彼の手を離れた魔剣は、「これで大人の玩具を作りましょう」というオーク・スワティナーゼの提案により、ありとあらゆる溶解・融解・破壊・分解の手段を試されてしまった。

 この世界のオークは、優秀な種族の血を取り込み続けた化物の混血。

 薬品やスキル込みでの破壊行為のほどは、推して知るべし。

 そう、魔剣グラムは、既にオークにレイプされズタボロだったのだ。

 

 それで脆くなった分も、ミツルギの手の中で時間が経過すれば、さっさと直っていただろう。

 だがよりにもよって、このタイミングで剣に最大の負荷がかかってしまった。

 

 いい感じに精神的な高揚が進んだ、むきむきの腕力。

 魔剣を持っていたオークの、リーダー格の名に恥じない腕力。

 両方を受けた神の魔剣は。

 

 壁に投げつけたガラスのコップのように、粉々にぶっ壊れてしまった。

 

「ぐ……グラムぅー!? 折れたァー!?」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 魔剣が折れるほどの一撃の衝撃が、リーダー格のオークを仕留める。

 オーク達は一気に浮足立つが、代償はあまりにも大きかった。

 失われてしまったこの魔剣は、可能性の話ではあるが、神さえ殺す可能性を持っていた。

 最高の使い手によって振るわれる魔剣は、野球界におけるマー君に相当する。

 魔ー君はむきむきの手によって砕かれてしまった。

 魔ー君の凄さをなんとなく察していたむきむきの罪悪感は凄まじいことになっている。

 当然、魔ー君との付き合いが長かったミツルギのショックは、むきむきの比ではないだろう。

 

 むきむきが罪悪感でまた弱体化したのを見て、そこで騒ぎに乗じて侵入していたゆんゆんが、空高くに雷の上級魔法を奔らせた。

 

「そこまでよ!」

 

 雷に気付き、自然と上を向かされるオーク達。

 まさにその瞬間、空にて爆裂魔法が爆裂した。

 ゆんゆんがオークの視線を集め、めぐみんの爆裂魔法でインパクトを叩き込み、一気に話の主導権を握り込む。

 紅魔の里の才女達は、旅立ち初日からオーク相手に如才なく立ち回っていた。

 

「何!?」

「今の爆発は一体!?」

「オナ禁の果てに溜まりすぎた誰かの性欲が爆発したの!?」

 

「聞きなさい、オーク達!

 今の魔法をもう一発、今度は集落の中心に撃ち込む用意がこちらにはあるわ!」

 

「なんですって!」

 

「こっちには複数人の紅魔族が居る!

 死にたくなければ、私達を黙って見逃しなさい!」

 

 めぐみんの爆裂魔法は、見せ札として使っても最強だ。

 一回見せて「これをこれから撃ち込むぞ」と言うだけで、多少の要求は飲ませることができる。

 オーク達は爆裂魔法が一日一回しか撃てないことを知らない。

 今、紅魔族が何人敵に回っているのかも分からない。

 主導権はゆんゆん達にある。

 

 が、あるオークがふと、『紅魔族というのも嘘で全部ハッタリなんじゃないか』と思い、その疑問を口にした。

 

「紅魔族?」

「あの髪と目……」

「いや、紅魔族なら、あの恥ずかしい名乗りをするはずだ」

「それもそうね」

「あの名乗りをしなかったら、紅魔族の偽物と考えていいだろう」

 

「……我が名はゆんゆん、アークウィザードにして上級魔法を操る者……やがて長となる者!」

 

「紅魔族だわ! 間違いないわ!」

「アレを敵に回すのは危険よ。ここは一旦逃げるしかないわ」

「くうっ、私だってアナル専門の肛魔族を名乗ってるのに……!」

 

「くぅぅっ……!」

 

 名乗らなければ他のハッタリにまで連鎖的に疑問を持たれてしまうという状況だった。

 紅魔族であることを証明すれば、ハッタリを通せる状況だった。

 とはいえ、この名乗りは普通の感性の彼女のハートにぐさりと来る。

 ゆんゆんの羞恥心までもが、オークの辱めを受けていた。

 

「もうしない……この名乗り、一生しない……!」

 

「よしよし、ゆんゆんは頑張ったよ」

 

 むきむきと、(ツルギ)を失ったミキョウヤ君もここでゆんゆんと合流。

 両手で顔を覆っているゆんゆんをむきむきが慰め始めるが、慰めが完了する前に、オーク達が疾風のような逃亡を始めていた。

 

「うわあ……家も家具も食糧も置いて、男だけ抱えて逃げ出してる……」

 

 全てを捨て、何か一つを持って逃げられるとしたら、人は何を持って逃げるだろうか。

 財布か。スマホか。想い出の写真か。黒歴史ノートか。

 オークの場合は、お気に入りのいい男(肉バイブ)であった。

 

「……と、とりあえず」

 

「むきむきさん、僕はもう大丈夫です。一人で歩けます」

 

 ズタボロメンタルでも強がって立ち上がるミツルギを離し、むきむきは魔力切れで倒れためぐみんを優しく抱え上げる。

 

「急いでアルカンレティアに向かおう。

 あのオーク達が、何か心変わりをして戻って来ない内に」

 

 今は夜。

 だが、この流れでぐーすか寝ることを選べるほど、彼らは呑気な性格をしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからまた、十数時間後。

 彼らは野営地で荷物と馬を回収し、ほぼノンストップで目的地へ走る。

 地球で言うところの12時過ぎくらいの時間帯に、彼らはとうとう最初の街、生まれて初めて見た里の外の街に。水の都アルカンレティアに、到着していた。

 

「……ふぅ。やっと着いた」

 

 本来ならば、里からアルカンレティアまでは二日かかる。

 が、初日に途中からめぐみんやゆんゆんがむきむきの肩に乗ったことで、むきむきとミツルギの歩行ペースで進むことができたこと。

 オークの襲撃後、二人の少女を肩に乗せたむきむきとミツルギが夜通し歩き続けたこと。

 モンスター避けの魔道具を無理矢理な応用で使いながらも、オークのおぞましさから逃げるように、むきむきとミツルギが相当なハイペースで夜道を進んだこと。

 

 それらがいい意味で噛み合って、彼らを一日と少しという短い時間で、アルカンレティアにまで到達させていた。

 

「ここが、アルカンレティア……」

 

「凄い! 見てむきむき、観光名所になるくらい綺麗な水路ってあれのことだよね?

 めぐみんめぐみん、あれはきっと、本に書いてあった海の魚も生きられる塩の湖……」

 

「田舎者丸出しなゆんゆんとは他人のふりをしましょうね、むきむき」

 

「!?」

「めぐみん、もう少しお手柔らかにしてあげようよ」

 

 水の都の名に恥じず、アルカンレティアは造りからして水を魅せる形になっており、行き交う水はただそれだけで美しく、女神アクアをイメージする色合いや意匠が所々に見えた。

 

「……アクア様」

 

 それが、ミツルギにかの女神のことを思い出させて。

 

「グラム……」

 

 連鎖的に魔剣のことを思い出させて、彼の顔を俯かせる。

 

「ご、ごめんなさい……勇者様の大切な魔剣を……」

 

「いえ、謝る必要はありません。

 むきむきさんにはむしろお礼を言わないと。

 あそこで助けてもらえなかったら、僕はきっと、自前の魔剣まで……」

 

(普段言わなそうな下ネタをさらっと言う辺り、追い詰められてる感が……)

 

 ミツルギにとってかの魔剣は、女神から託された力であり願いである。

 女神が何を考えて渡したかは別として、ミツルギはあの剣で世界を救うと心に決めていた。

 ミツルギの中にあるグラムへの拘りは、あの剣が強力であること以上に、あの剣を女神アクアから貰ったという事実に起因する。

 彼はグラムを握って空を見上げ、アクアのことを想うことも多かった。

 

 そんな剣が、今ではうっかり踏まれた袋の中のポテトチップスみたいになってしまっている。

 むきむきがどさくさに紛れて破片を小さなものまで拾い、革袋に詰めてはいたものの、もはやただの鉄屑でしかない。

 むきむきが持っている故グラムが詰まった袋を見るたび、ミツルギの口からは切なげな声が漏れるのである。

 

「「キョウヤ!」」

 

 四人がアルカンレティアの門をくぐると、その向こうでミツルギを待っていた様子の二人の少女が、声をかけて来た。

 ミツルギを見た瞬間にその表情は明るくなり、少しでも早く彼と話そうと足は早足で、見るからに雰囲気が嬉しさに満ちている。

 

 少女の片方は、神槍李書文の六合大槍半ばほどの長さの槍(約160cm)を持っている。

 もう片方は、腰から短刀を吊り下げた盗賊風の出で立ちだ。

 おそらく、それぞれランサーと盗賊の冒険者なのだろう。

 

「勇者様のお仲間の方ですか?」

 

「ええ、そうよ……で、デカい!

 アルカンレティアの女神アクア像よりデカい! キョウヤ、この人は?」

 

 ランサーの少女が驚き、ミツルギにむきむき達のことを問いかけるも、ミツルギは顔を明後日の方向に逸らしたまま何も答えない。

 周囲が怪訝な視線を向け始めると、ミツルギは震えた声で話し始めた。

 

「だ、誰のことかな? 僕の名前は成歩堂龍一。御剣響夜なんて人は知らないよ」

 

「何言ってるのキョウヤ!?」

「あなたはミツルギキョウヤ! 世界を救う魔剣の勇者よ!」

 

「やめてくれ!

 僕の心に揺さぶりをかけないでくれ! 現実を突き付けないでくれ!

 もうかつての自分も、間違えられる名前も捨てるんだ! 僕は成歩堂なんだよ!」

 

「ちょっと! あんた達キョウヤに何したの!? 事と次第によっちゃ許さないわよ!?」

 

「……ええとですね、実は……」

 

 今のミツルギは、かなりいっぱいいっぱいだった。

 

 

 

 

 

 とりあえずゆっくり話せる場所に行こう、ということで近場の喫茶店へ。

 むきむきが全ての話を終え。

 冒険者カードや砕けたグラムを証拠として提示した頃。

 二人の少女は、死にそうな雰囲気でテーブルに突っ伏していた。

 

「おお、もう……」

「キョウヤは私達に合わせる顔がないとか、そういう……」

 

 ランサーの少女はクレメア、盗賊の少女はフィオと名乗った。

 クレメアは美人だが、キツそうな印象を少しだけ受ける美人であり、戦士風の服装と大きな槍が男に舐められたくないという意志を滲ませている。

 フィオは対照的に可愛い系の少女であり、フィオと比べれば気弱な印象を受ける少女だった。

 

 むきむきは二人に、深々と頭を下げる。

 

「ごめんなさい。僕が、あそこで軽率な行動を取らなければ……」

 

「……キョウヤは何か言ってた?」

 

「恨み言の一つも言われてません。それどころか、ありがとうって……」

 

「そ。それなら、私達が何か言える筋合いでもないか」

 

 悪意があったわけでもなく、申し訳なさそうに頭を下げてくる少年を、ましてやミツルギの恩人でもある男を、ミツルギの意志を無視して罵るなど、二人にできようはずもなかった。

 魔剣が砕けたことに行き場のない憤りは感じていたが、個人的な怨みや嫌悪感を抱いていない相手に、それをぶつけようとするわけもない。

 

「そんな目をしなくても大丈夫よ。私達はキョウヤを見捨てたりしない。

 第一、魔剣を持ってる人だから付いて来たわけじゃないからね。

 私達はキョウヤって個人を好ましく思ったから、ここまで付いて来たんだし」

 

「明日からは代わりの魔剣探しかあ。

 グラムの代わりになるものなんて見つかるわけないけど……

 キョウヤならきっと大丈夫! 代わりの剣でも、世界を救ってくれるはず!」

 

 冒険者らしい、男勝りな一面が見えるからっとした二人の性情を見て、むきむきは恐る恐る不安を口にする。

 

「僕が悪意をもって剣を壊したとか、そういうことは考えないんですか?」

 

「思わない。そりゃ、分かるわよ」

 

 クレメアが、むきむきが拾い集めた革袋の中のグラムの破片をつまむ。

 それは破片の中でも一番小さな、髪の毛サイズの破片であった。

 

「こんな小さな破片まで頑張って拾ってくれたんでしょ?

 だから、あなたの人となりもちょっとは分かる。

 キョウヤだって無敗じゃないし、失敗もあって、守れなかったこともあった。

 でも結果的に人を救ってるから、それでいいんじゃないかと私は思ったりしちゃうわけよ」

 

 魔剣を守れなかったことを怒るのではなく、ミツルギを助けてもらったことに感謝する。

 

「ありがと、筋肉の人。ええと……」

 

「むきむきです」

 

「な、なんて名が体を表してる名前……とにかく、ありがと。キョウヤを助けてくれて」

 

「私からも言わせて。

 ありがとう、私のキョウヤを助けてくれて。

 生きてさえいれば、どうにかなることもあるもんね」

 

「あはは、フィオったらおかしなこと言うわね。キョウヤは私のよ?」

 

「やだもう、むきむきさんの前で冗談きついわよ、クレメアったらー」

 

「先週体重が増えてたでしょ? ほらほら、虚言は痩せてからにしてよね?」

 

「私クレメアみたいにまな板じゃないからー。ちゃんとお肉が付いてるっていう証拠なのよ?」

 

「あらあら」

 

「うふふ」

 

 始まる恋の鞘当て。御剣なだけに鞘当てだ。

 むきむきは察しているようで察していない。こういう、女子二人でオラつきながら一人の男性を取り合うというシチェーションを、彼は生涯一度も見たことがなかったからだ。

 なのに不思議と、少年はこの二人の少女に小さな好感を持っていた。

 

 よく分からないが、なんとなくなのだが。

 この二人の少女の、同じ分野で競い、同じ勝利条件を持ち、互いを認め合いながら一つしかない勝利を取り合う姿が、なんとなくめぐみんとゆんゆんのそれと重なった。

 "自分がこいつをバカにするのはいいが他のやつがこいつをバカにするのは許さない"、みたいな思考が垣間見えるのが、尚更にその認識を加速させる。

 

 一方その頃。めぐみんとゆんゆんは。

 

「随分男の趣味が悪いようですね、あの二人」

 

「めぐみん、あの二人に聞こえる距離でそれ言おうとしたらはたくわよ」

 

 隣の席で喫茶店の甘い物を思うまま食らい、オークとの戦闘含む徹夜での夜間強行軍の疲れと飢えを、存分に吹き飛ばしていた。

 

「あ、これ美味しいですね。へいむきむき、あーん」

 

「へいへい、あーん」

 

 めぐみんがいちごサイズの饅頭のような菓子を掴んで、口を開いたむきむきの口に投げて全力シュート。超、エキサイティン! むきむきは器用に歯でそれをキャッチして、「おいしい」と「ありがとう」をめぐみんに返した。

 

「行儀が悪い!」

 

 当然ながらゆんゆんが二人に対して怒り、クレメアとフィオがくすくすと笑い出す。

 ちなみにミツルギはその頃、喫茶店前の公園でリストラされたオッサンと並んでベンチに座り、空を見上げていた。

 

「私達は明日、この街を出るわ。キョウヤも連れて」

 

「え、そうなんですか?」

 

「一回アクセルに戻ろうかと思うの。

 あそこのギルドに寄る用があるし、新しい剣の情報も集めないといけないしね」

 

 ミツルギもいつかは復活するだろう。だが、アクアに貰った魔剣を失ったという事実は、数日くらいは落ち込み続けてしまうほどのダメージを与えていた。

 その復帰を早めるため、とりあえず当座で使う剣と、グラムの代わりになる剣を一刻も早く用意する腹積もりのようだ。

 

「明日の朝、最後にもう一回だけお礼を言ってから街を出るわ。それじゃあね」

 

「また明日!」

 

 二人の少女はそう言って、成歩堂と名乗るのを止めたミツルギと、さっさと宿に帰って行った。

 

「……はっ、そうだ、喫茶店のお菓子早食い勝負なら、私でもめぐみんに勝てるかも……?」

 

「早食い勝負とか、ゆんゆんは本当に行儀の悪いことを言うんですね」

 

「!?」

 

「二人共、支払いしといたからさっさと行こう?」

 

(さらりと二人の分も奢って喧嘩を仲裁。

 この喫茶店を初めて三十年だが、初めて見る仲裁だ。

 ベテラン店長にしてアクシズ教徒である私の勘が言っている。

 この少年をアクシズ教に勧誘できれば、アクア様はさぞお喜びになられると……!)

 

 

 

 

 

 アクシズ教徒による勧誘を何とか振り切り、紅魔族チルドレンは何とか宿に到着した。

 めぐみんとゆんゆんは、軽く汗だけ流してベッドに飛び込む。

 旅立ち初日にもう歩けない状態になっていた上、その後一睡もせずオークとの大勝負を行い、翌日の昼まで周囲を警戒しながら危険地帯を突破してきたのだ。無理もない。

 大した疲れも見えないむきむきが変なのだ。

 

 時刻は夕方。

 むきむきはグースカ寝ている二人の少女を宿に置いていき、イスカリアの打倒で手に入れた賞金を資材屋で全て費やして、得た素材を手に街一番の鍛冶屋に向かう。

 

(僕にできる償いなんてこれくらいしかない)

 

 鍋奉行の討伐で得た金の一部を使って、鍛冶屋に頼み込み、手を貸してもらう。

 そこからの作業は、困難を極めた。

 習得欄に鍛冶スキルが現れなかったむきむきは、鍛冶屋のスキル補助を受けつつも、その筋力と体で覚えた技で鎚を振る。

 

(今、できることを。僕にできることをしよう)

 

 叩いて叩いて叩いて叩いて、購入した資材とグラムの破片を混ぜ合わせていく。

 

(取り返しのつかないことをした。

 元には戻せないことをしてしまった。

 でも、だからって、何もしないわけにはいかない。

 少しだけでも、少しづつでも、壊したものの分を埋めないと―――)

 

 そうして、不器用な生き方と凄まじく器用な腕の相乗効果により、彼の手で魔剣グラムは生まれ変わった。

 

 

 

 

 

 翌日の朝、むきむきにもう一度助けてもらった礼を言おうとしていたミツルギが見たのは、生まれ変わった真紅の魔剣の姿であった。

 

「ぐ……グラム!?」

 

 ミツルギも、その取り巻き二人も、地味目の服装で来ていたゆんゆんも、寝癖が派手に残っていためぐみんも、皆一様に驚いていた。

 

「僕なりに直してみたんだ。勇者様、多分以前の能力もそのまま残ってるよ」

 

「おお、おお……! ありがとうございます、むきむきさん!

 何度感謝の言葉を伝えればいいのか分かりません! 本当にありがとうございます!」

 

 ミツルギは嬉々としてグラムを受け取った。

 むきむきが片手で持っていたグラムを受け取ると同時、魔剣の力がミツルギの腕力を強化する。

 が。

 その強化した腕力でも、一瞬取り落としそうになってしまうくらいに、その魔剣は重かった。

 

「って重っ!?」

 

「あ、あはは……

 どうしても、破片だけでは以前の出力が出せないみたいで。

 資材屋さんで力のある鉱物を馬車数台分買って、そのサイズに圧縮しました。

 それらの鉱石で魔剣のパワーを補ってるので、その、鉱石の分だけ重く……」

 

「どんだけ筋力込めたんですか!?」

 

 それは、戦車を叩いて圧縮し、剣のサイズにまで凝縮したようなもの。

 ボース=アインシュタイン凝縮のような何か。

 この世界に存在する異世界法則・スキルの補助と、むきむきの異常な筋力が産んだ、マケン(ツコ)デラックス級の重量剣であった。

 

「そうか、それで……

 あ、むきむきさん、これむきむきさんの冒険者カードですよね?

 鍛冶屋の人が誰のものかも分からない冒険者カードが落ちていたと、ギルドに届けてました」

 

「あ、ありがとう。あはは、なんだか締まらないなぁ」

 

 むきむきはミツルギからカードを受け取り、くるりと回したそれをポケットにしまう。

 

「この魔剣に名付けるならば、そう―――魔剣『一万キログラム』」

 

「一万キログラム……!」

 

 凄まじい切れ味を持ち、重量が十トンもある魔剣。

 名前もちょっとだけ長くなり、強化形態感も備えた。

 これを使いこなすことができれば、万物を力任せに叩き切る最強の魔剣となるだろう。

 使いこなせれば、の話だが。

 

「昨日フィオと一緒に話してた時も思ったけど……うん、これは脳筋だ」

「脳筋だよね、筋肉の人。いい人なんだけど」

 

「うちのむきむきは脳筋ですけどそれはそれで美点なんですよ」

 

「めぐみん、前から思ってたけど私と比べてむきむきに甘くない……?」

 

「私とあなたはライバルじゃなかったんですか?

 ライバルに甘やかされたいんですか、あなたは」

 

「……! いや、今でも甘いくらいよ!

 もっと厳しくたってかまわないわ! ライバルとして!」

 

 一般の人の範囲を出ない程度に漫画を嗜んでいたミツルギが、ここ数日を振り返る。

 この悲惨だった数日も、今振り返れば違って見えた。数日は仲間にしたいと思える強キャラとの出会いであり、悲惨な敗北イベントであり、修行パートに入るための前振りに見えた。

 ゲーム脳とはまた違う。"世界を救う者には歩むべき正道がある"といった薄ぼんやりとした認識が頭にこびり付いている、といった感じだ。

 

 ミツルギは既に、この新生魔剣を使いこなすための修行を始める気満々でいる。

 

「ありがとうございます。

 僕もこの剣を鉄砕牙だと思って修行して、いつか軽々と振れるようになってみせます!」

 

「てっさいが……?」

 

「……んん、お気になさらず」

 

 むきむきと話していると、ついつい子供の頃晩御飯の時に親がテレビで見せてくれていたもののことなど、昔のことを思い出してしまうミツルギであった。

 もう会えない親のことなども思い出してしまうが、それも飲み込んで、前の世界の生ではなく今の世界の生を見つめる。

 

 なのだがやっぱり、ミツルギはちょっとばかりズレている少年だった。

 

「むきむきさん。今日からあなたを、師父と呼ばせて下さい」

 

「……はい?」

 

「いえ、返事はいいです。師父と呼びます!」

 

「自己完結!?」

 

「いつか僕は、あなたのそれに及ばずとも、世界を救うに足る筋肉を身に付けてみせます!」

 

 ミツルギは"この世界を救うための手段"として、『人を助けて仲間を集める』『レベルを上げて強さを身に付ける』『魔王軍を倒す』のみならず、『筋肉を付けて強くなる』というものまで加えていた。

 

「筋肉が強いということを、あなたは思い出させてくれた……!」

 

 クレメアとフィオは、そんなミツルギの姿でさえも好意的に見ている。

 あばたもえくぼ。

 ……ミツルギとこの二人がパーティを組んでいるのはこういう、『一度好きになったものに盲目的になる』という個性を持ち合わせていたために、根本的な部分で気が合ったからなのかもしれない。

 

「最後に忠告です。

 僕は女神アクア様を尊敬していますが……

 アクア様を信仰するアクシズ教徒は、剥がしそこねたシールが壁に残すあれと同じです。

 どうか、お気を付けて。それでは……またいつか、どこかでお会いしましょう」

 

 最後の最後に、最近とある転生者に「神聖なゴキブリ軍団」とまで呼ばれたアクシズ教団についての忠告を置いていき、ミツルギとその仲間達は去っていった。

 ゆんゆんが、当たり障りのない感じに呟く。

 

「なんというか、あれな人だったね。

 悪い人じゃないけど、関わりを最小限にしたいというか……

 優しいところも、勇者らしいところもあるし、慕われてもいるけど……

 相手への尊敬すら、自分の中で自己完結してる感じがあるというか……」

 

「私はああいうヤツ好きじゃないです」

 

「辛辣っ!」

 

 親しければダメなやつでも見捨てないのがめぐみんだが、同時に人の好き嫌いがはっきりしているのもめぐみんである。

 ぺっ、と唾を吐き捨てるめぐみんと、あのミツルギが仲良くなる未来が来る可能性は、相当に低いようであった。

 

「むきむきもお疲れ様です。

 最高の結果かどうかは別として、あなたは最善を尽くしたと思いますよ」

 

「そうかな?」

 

「ええ、そうですとも」

 

「魔剣も一応復活したもんね。

 あれを振れてるのって、魔剣の補正もそうだけど、ステータスが相当高そう」

 

 ミツルギは相当に重そうにしていたが、あの魔剣一万キログラムを、ゆっくり振る程度であれば問題なく振れていた。

 持ち運びにもさして苦心した様子は見られなかった。

 ステータスの基礎筋力が、元々かなり高かったのだろう。

 

 そも、安全な街に引きこもろうと考える保守的な人種と違い、世界を救おうと積極的に動いている能動的な人物は、四六時中鍛練と戦闘の中に居るようなものだ。

 それで体が鍛えられないはずがない。

 ミツルギは見るからに生真面目そうな性格をしていたため、弛まず積み上げられた戦闘の結果、筋力値も相当に鍛えられていることだろう。

 

 それでも、あの魔剣を実践レベルで使えるようになるまでは相当かかるに違いない。

 

「お話は終わりましたかな? では、こちらの入信書にサインを」

 

「え? あ、はい」

 

「ストップですむきむき」

 

 そこでさらりと、ごく自然な流れで、さも当然のように、最初からそう予定されていたかのように差し出される入信書。

 あれ? と想いつつ反射的に流されそうになるむきむきの手を引き、めぐみんが止める。

 

「だ、誰!?」

 

 ゆんゆんが叫ぶと、そこには穏やかな笑みを浮かべたオッサンが居た。

 

「敬虔なるアクシズ教徒の一人。迷える子羊を導くものです」

 

「群れからはぐれた子羊を精肉所に導く、の間違いじゃないでしょうか」

 

 否。穏やかなのは笑みだけだ。

 アクシズ教徒はこんなんばっかである。

 おっさんはオタクが今季の嫁を見るような目つきで少女二人を見て、その流れでむきむきさえもその目つきで見ていた。

 

「私としては今すぐに入信していただけなくても、私のステディになっていただければ……」

 

「またホモですか!

 どうなってんですか里の外の世界は!

 人間をホモにする魔王軍幹部でも現れたんですか!?」

 

「失敬な! 私はバイで、オークでもイケるクチなだけです!」

 

「余計に悪いですよ! 失敬も何もそれでよく他人から敬われると思いましたね!?」

 

「敬われてますとも! 何を隠そう、この私こそがアクシズ教の次期最高司祭!」

 

「え゛っ」

 

「ゼスタと申します! どうぞ末永くよろしくお願いしたい!」

 

「よろしくお願いされたくない……!」

 

 アクシズ教団次期最高司祭、アルカンレティア教団最高責任者、ゼスタ。

 おそらくは、役職名を名乗った時に「世も末だな」と思われた回数で言えば、この世界でもトップ争いができる男であった。

 

「お近づきの印に、我々でぱんつの交換などいかがですかな?」

 

「こ、この絵に描いたようなアクシズ教徒感……!」

 

 さらりと自分のパンツ一枚と未成年のパンツ三枚を交換するシャークトレードを仕掛けるゼスタ。

 そこから「正当な交換で得たこのぱんつを返してほしければ、分かりますね? はい、入信書です」という展開に持って行くつもりらしい。

 水の女神だけにシャークトレード。流石はアクシズ教徒だ。誰も水を与えていないのに24時間水を得た魚のようだと言われるだけはある。

 

(これが話に聞くアクシズ教徒……噂以上だ……!)

 

 ミツルギの見送りに街の外まで出て、そこでグダグダやっていたのが悪かったのだろうか。

 少年達は悪魔よりタチの悪い人間に捕まった後、悪魔にも見つかってしまった。

 

「っしゃ、見つけた見つけた。里から出て行った紅魔族」

 

 そこで森の木陰から現れた悪魔が声を上げるまで、その場の誰もが、その悪魔に近くまで接近されていたことに気が付いていなかった。

 

「! 悪魔!?」

 

 爬虫類のような顔に鳥のようなクチバシの悪魔。

 森の中を移動して街まで近付いてきた手腕といい、ここまで気配を気取らせなかったことといい、おそらくは潜伏系のスキルを持つ隠密行動系の悪魔だろう。

 常人よりも魔力に敏感なむきむき。そのむきむきの数倍魔力に敏感なめぐみんとゆんゆんは、この悪魔が上級悪魔であることを即座に見抜いていた。

 

(むきむき。こいつおそらく、上級悪魔クラスよ)

 

(上級悪魔。ホーストほどじゃないにしても、これは……)

 

 ゆんゆんとむきむきが目で会話し、並んで一歩前に出る。

 ここは少し街が近すぎる。爆裂魔法でも撃とうものなら、街は大騒ぎで警察沙汰になりかねない。

 めぐみんが我慢できなくなって爆裂魔法を撃ってしまう前に、むきむきとゆんゆんで勝負を決める必要があった。

 

「ククク……俺は上級悪魔モブザーコ。

 お前ら紅魔族だな?

 邪神の墓の封印が解けた日のことを聞きたいんだが――」

 

「セイクリッド・ハイネス・エクソシズム!」

 

「ギエピー!」

 

 あった、のだが。

 

 上級悪魔は、ゼスタの破魔の魔法――浄化の魔法の一種。悪魔に特に高い効果を持つ――によって、たった一発で影も形も残さず消し飛ばされていた。

 

「悪魔死すべし、慈悲はない。

 話を戻しますが、ぱんつの交換は私だけが利する行為ではないのです。実はですね……」

 

「じょ、上級悪魔が一撃で……」

 

「す、凄い……凄い強いし、凄い変態よこの人……!」

 

「女神アクアに理性があるとしたら、なんでこんな人物にこんな才能を授けたんでしょうか」

 

 ここは水の都アルカンレティア。

 世界で最もしぶとく、世界で最も厄介で、世界で一番敵に回したくないと言われる怪しい宗教団体・アクシズ教団の本拠地である。

 彼の名はゼスタ。

 そんなアクシズ教団のてっぺんに手をかけたこと自体が、その人格の説明になっているような男だった。

 

 

 




 上級悪魔の中でも多分かなり強い枠だと思われるアーネスとホースト。アーネストホーストッ!

 WEB版連載時の作者さんの言によると、ゼスタ様は元々並み居る敵を蹴散らす無双ギャグキャラだったらしいのですが、おっさんの無双だらだら書いてもどうなのよってことで端折られたのだそうです。
 準アイリス枠だと勝手に思ってます。


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2-3-1 ああっ女神さまっ……とその信仰者

 徹夜で遊びすぎた佐藤和真。疲れからか、不幸にも黒塗りのトラクターに追突してしまう。転生者の後輩を庇い全ての責任を負った三(ツルギ)に対し、トラクターの主、暴力団員谷岡に言い渡された示談の条件とは……


『我慢する必要なんてないわ。

 好きなように、思うままに生きなさい、私の信徒達よ!

 辛いことも、やりたくないことも、我慢することも、しなくていいのよ!』

 

 アクシズ教の教義は、だいたいこの一言でまとめられる。

 要は『汝の欲するところをなせ』というやつだ。

 基本的に、宗教とはその時代の人々に信じられるだけの理由があるか、その土地に適したものであるかが、普及するための条件となる。

 だが、例外もある。

 "簡単な宗教"に類するものがそれだ。

 昔、日本では「この仏教の一文だけを覚えて唱えていれば天国に行ける」という宗派が流行ったことがある。

 手軽で気軽。宗教の普及においては、そういうものも武器になるのだ。

 

 全てを許すから思うまま自由に生きろ、ただし悪魔は殺せ、というアクシズ教の教義と戒律は非常にゆるいものである。

 実在の神を崇めているのだ。ならば、もっとこの宗教が普及していてもおかしくはない。

 が、現実にはアクシズ教徒の数はエリス教徒のそれに遠く及ばない。

 

 それは何故か?

 

 アクシズ教徒のほとんどが、頭のおかしい人間で構成されているからだ、

 

「どうぞ、むきむきさん、めぐみんさん、ゆんゆんさん。

 楽にして座って下さい。こちらお茶と、茶菓子と、入信書です」

 

「入信書はいりません」

 

 彼らはアクシズ教の教会に招かれていた。

 ゼスタが名乗った肩書きは本当だったようで、境界ですれ違う人は皆彼を「ゼスタ様」と呼んでいた。

 ……のだが、どうにも敬意が見られない。

 教会のアクシズ教徒達は皆、隙あらばゼスタの席に座ろうとする、野心塗れの目をしていた。

 

「あの、ゼスタさん、手に持っているそれは……?」

 

「ブーブークッションです。

 気付かずこれの上に座ると、おならのような音が鳴ります。

 今度街の代表者会議がある時、エリス教徒司祭の席に仕掛けようと思いまして」

 

「やめましょうよ……」

 

 この世界の主流宗教はエリス教。

 アクシズ教団の世界的な認識は、どうせ滅ぼせないから関わり合いにならないのが一番、と断言されるような怪しく(よこしま)な宗教団体。

 エリス教徒は善良で、人の嫌がることを進んでやる。

 アクシズ教徒は邪で、人の嫌がることを進んでやる。

 それが原因なのかは分からないが、アクシズ教徒はエリス教徒に対し、妙に攻撃的だった。

 

「先週は街の教会の美人エリス教徒に、下の毛がボーボーだという噂を流しました。

 ですがまだてぬるい。

 我らは人類総アクシズ教徒計画を果たすため、エリス教と戦わねばならないのです!」

 

「むきむき! めぐみん! 逃げましょう!」

 

「う、うん!」

「ですね」

 

「おや、こんなところに

 『アクシズ教のおかげで自信が付き、友達が百人出来た』

 人の体験談レポートが。ああっと手が滑った、落としてしまいましたぞ」

 

「!?」

 

「アクシズ教に入って変われたという人は多いのです。

 一日15分の教義読書で一気に性格改善。

 悩みを手紙で書いて送れば、赤ペン先生が助言をくれるシステム。

 無理なく毎日継続することで、いずれは彼氏彼女も出来る……」

 

「!?!?!?!?!?!?!」

 

「見てください、このアンケートを。教団に入った10人中10人が男女問わずモテモテです」

 

「す、凄い! めぐみん、これ本物よ!」

 

「ええ、本物ですね。瞬間的に知能指数が下がるこの流れ、ゆんゆんは本物のバカです」

 

「これなら、この教団の人なら、もしかしたら私のお友達になってくれるかも……」

 

「あ、出会い目的での入信はお断りしております」

 

「!?」

 

 梯子を登ろうとしない人を無理矢理梯子に登らせ、その後梯子を外すような畜生ムーブ。本当に入信させる気があるのだろうか。

 

「我々は、無理に入信を強いるつもりはありません。

 宿と食事を提供する代わりに、優秀と聞く紅魔族の頭脳をお借りしたいのですよ」

 

(アホとバカとキチガイを足して割らない行動。

 なのに、その裏に時折深い知識があったりするから、アクシズ教徒は怖いんですよね……)

 

 アクシズ教徒の行動法則は全く読めない。バカの思考そのものだ。

 だが、それは教養が低いからでもなく、知識がないからでもなく、頭が悪いからでもない。

 頭がいい人までもが全力でふざけたことをしている、知識のある人が普段は何も考えず集団に加わっている、だからしぶとく強く面倒臭い。

 そういう意味では、アクシズ教徒は紅魔族と似通った部分があった。

 

「悪魔の件で助けてもらいましたし、僕にできることであれば」

 

「そうですか! 受けてくださいますか! ありがたい!」

 

 むきむきを止めるべきなのか。

 止めたとしても、おそらく面倒臭い感じに引っ付いてくるゼスタをどうにかしなければならないのだろうか。

 そもそも、この街を出るまではアクシズ教徒と付き合いを持たなければならないのか。

 ぐるぐると思考を回すめぐみんが、心底心配した顔で少年の脇腹を肘で小突く。

 

「いいですかむきむき。

 いざとなったら迷わず私を頼るのです。

 爆裂魔法の輝きをやつらに見せてやりますよ。

 何、アクシズ教会に爆裂魔法をぶち込んで指名手配されても、私は気にしませんから」

 

「待って、それは僕が気にする」

 

 何故この女ばくだんいわは、保身を一切考えず爆裂しようとするのか。

 

「聞いてむきむき。

 昔街がある破壊兵器に更地にされて、皆死んでしまったことがあったんだって。

 でも、アクシズ教徒だけは一人の死者も出さなかったらしいの。

 命を大事に。いい? いのちをだいじに。どうせあの人達は何があっても死なないわ」

 

「……なんだか僕だけ死にそうな気がしてきた」

 

 何故アクシズ教徒は、はぐれメタルの如き生存能力を持っているのか。

 

 むきむきは一人アクシズ教会を出て、ゼスタの頼みを果たすべく、エリス教会へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼスタはむきむきに封筒を渡し、エリス教会に行って、そこで封筒の内容を実行して欲しいと頼んでいた。

 当然ながら、封筒の中身は小学生の悪戯レベルのあれこれがつらつらと並べられている。

 むきむきであれば、開けた瞬間に封筒を投げ捨てるレベルだ。

 

 ゼスタは知るよしもなかったが、この少年には、エリス教徒に優しくする理由があった。

 

「あっ」

 

 そこでレストランから飛び出してきた活きのいいキャベツが、すっかり気を抜いていたむきむきの手の中から封筒を奪い、ムシャムシャと食べていってしまう。

 突然の植物からの奇襲であり、まさしく草不可避であった。

 

「……どうしよう」

 

 とりあえずもうエリス教会の手前であったため、エリス教会に入ってそこの人にどうすればいいのか聞いてみよう、とむきむきは考えた。

 アクシズ教徒の頼みでエリス教会に実行することであるならば、エリス教会の人間が知らないわけがないと考えたからだ。

 少年ははそもそも、ゼスタがいつものアクシズ教徒の日常ムーブを、この少年にさせようとしていただなんてことに気付いてもいない。

 

「すみませーん」

 

「はーい! あ、ちょっと待って下さいねー! 入ってていいですよー!」

 

 女性の返事が返って来て、むきむきは教会の中に足を踏み入れる。

 小さいが、綺麗な教会だった。

 細かいところにまで気を配れる者が毎日丁寧に掃除をしていなければ、こうはならない。

 教会にはエリス教を象徴する飾りやモニュメントがあり、ステンドグラスの下には女神エリスの大きな絵も飾られていた。

 

「はいはーい、お待たせし……あれ? 君……」

 

 教会の奥の扉から、銀髪の小柄な人物が現れる。

 その人物はむきむきの巨体に驚くことはなく、けれどもむきむきの顔を見て少し驚いた様子を見せ、なのにむきむきはその人物に全く見覚えがなかった。

 

「? 初対面の人ですよね?」

 

「あ、うんそうだね、初対面初対面」

 

 その人物は短い銀髪に小柄で童顔、美少年なのか美少女なのか分かりづらい外見をしていた。

 顔に大きな傷があり、そこに印象を持って行かれてしまうからか?

 ややゆったりとした長袖長ズボンの部屋着を身に付けているため、性別が分かりにくいからか?

 否。

 胸が無いからだ。胸がゼロだったからだ。エリス教なのに胸にエロスが無かったからだ。

 だから、服装次第で少年にも見えてしまう。

 

(女性……かな?)

 

 なのだが、むきむきはその辺を勘違いすることはなかったようだ。

 地球における格闘技とは人壊技。

 人が人に使う技、相手が人体であることが前提の技であり、人体の仕組みへの理解が先んじて存在する。

 幽霊が基礎を仕込んだむきむきの観察力は、その人物が少年ではなく少女であることを見抜いていた。

 

 ついでに、教会に飾られている女神エリスの絵の胸のサイズが人体構造的に不自然であることも見抜いていた。

 

「あたしはクリス。冒険者で、今日はここのお手伝いだね」

 

「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者、冒険者として故郷を旅立った者……」

 

「あはは……」

 

 紅魔族特有の挨拶に、クリスと名乗った少女は苦笑いして、けれどもバカにすることなく、その少年に微笑みかける。

 

「それで、君はここに何の用かな?」

 

 

 

 

 

 最初はニコニコ笑って話を聞いていたクリスだが、話を聞く内に表情を引きつらせ、最終的には頭を抱えて机に突っ伏していた。

 

「もう、アクシズ教徒と繋がり持つの、君は辞めた方がいいんじゃないかな……」

 

「えっ」

 

「アクシズ教徒は、その……エリス教徒がちょっと嫌いなんだよ。

 いや、嫌いというのも厳密にはちょっと違うかな?

 エリス教徒が困ったり泣いたり怒ったりするのを見ようとしてる……うーん、これも違うか」

 

「ああ、やっぱり……仲直りとか、できないんですか?」

 

「信じるものが違うなら、分かり合えないこともあるよ。人と魔王軍みたいに」

 

「む」

 

 そう言われると、むきむきには返す言葉もない。

 

「君は別にどっちの神様や教徒の味方でもないんでしょ?

 なら、どっちにも加担しないのが一番だよ。

 どっちかに加担したら、もう片方の人とは仲良くできないかもしれないからね」

 

「……なるほど、勉強になります」

 

「いいのいいの。知らないなら、聞けばいいんだよ」

 

 クリスは盗賊職の冒険者だが敬虔なエリス教徒という、少し珍しい人種であった。

 エリスに妄信的で能動的な信仰者とも、エリスへの祈りと感謝を生活習慣の中に組み込んでいる受動的な信仰者とも違う印象を受ける。

 

 長い付き合いがあれば、クリスが女神エリスに全く敬意を払っておらず、女神エリスの定めた"こう生きていこう"という教えを自然と体現していることに気付けるかもしれないが、流石にそこまではむきむきの観察力をもってしても見抜けぬことであった。

 

「あの女神エリス様の胸、何かおかしくないでしょうか」

 

「!」

 

 余計なことは、見抜いていたが。

 

「なんだか、骨格とか筋の付き方に違和感が……」

 

「き、気のせいじゃないかな!」

 

「ですけど……うーん……あ、もしかして」

 

「女神とはいえ! 女性の胸をまじまじと見て何か考えるのはどうかと思う!」

 

「! た、確かに……

 ありがとうございます、クリスさん。

 僕、そういう女性への気遣いがまだ未熟みたいでして……」

 

「いいよ、いいんだよ。

 そんなことはもう考えなくていいの。

 そうすれば、寛大な女神エリスは何もかもを許すからね」

 

 クリスはとても優しい笑顔で、むきむきを諭した。

 

「あ、そうだ。何かお手伝いできることはありますか?

 僕達はこの街に長居するつもり、ないんです。

 なので時間がかかることでなければ、お手伝いしたいんですが」

 

「へー」

 

「どうしました?」

 

「いやあ、本当に約束守ってるなんて思わなかったよ。

 口にも出してない約束だから、破ったって誰も文句言わないのに」

 

「え?」

 

「げふんげふんっ! いや、なんでもないよ!」

 

 何かを誤魔化すように、クリスは大きく咳払い。

 話の流れを変えるように、今困っていることの解決のため、むきむきに頼み事をした。

 

「それじゃ、あたしのお手伝いをしてもらおうかな?」

 

 クリス曰く。

 彼女は、この街の人間ではないそうだ。

 始まりの街アクセルを拠点とする冒険者なのだという。

 

 彼女はある冒険者PTの依頼で、あるダンジョンの入口の鍵を開けるために同行したのだが、ダンジョンの入り口を開けてすぐに、彼女を雇ったPTの全員が流行病にやられてしまったのだという。

 病気の名はインポルエンザ。

 男性しかかからないが感染力が高い上、悪化すると男性の生殖機能が失われてしまうという、恐るべき病だ。

 クリスを雇った冒険者達は、これで全滅。

 

 元々の予定は、ここでPTのテレポーターがこのダンジョンを座標登録、アクセルにテレポートで帰還し準備を整えてから攻略する予定であった。

 しかし、冒険者達は病で全員寝込み、アクセルに帰れる状態でもない。

 移動費を持ってきたわけでもないクリスは、アルカンレティアで立ち往生する羽目になってしまった。

 

 どうしたものか、とクリスは困り果ててしまう。

 本来の予定であれば、クリスは遅くても一泊二日で帰る予定であった。

 アクセルに、いつも組んでいる親友にして相棒である人物を置いて来てしまったからだ。

 なのに、すぐに帰れなくなってしまった。

 すぐに帰りたいのに、帰れない。

 しかもここはアルカンレティア。エリス教徒を名乗っているクリスには、四面楚歌の街なのである。

 

 とりあえずエリス教会を頼り、そこで教会掃除のお手伝いなどをして名案が浮かばないか思案していたところ、そこで現れたのがむきむきというわけだ。

 クリスはここで、名案を思いつく。

 

(そうだ。なら、彼に手伝ってもらってクエストを達成しよう!)

 

 ギルドで冒険者を雇うために金を払えば本末転倒だ。

 需要が高いが需要が広いわけでもない盗賊の募集を、ギルドで気長に待つわけにもいかない。

 それゆえに。

 クリスは"互いに無償で協力し合える仲間"を得られるこのタイミングを、クエスト達成で金を手に入れられるこのチャンスを、見逃しはしなかった。

 

「お願いしたいことは一つだけ。私と一緒に、簡単なクエストを受けてほしいんだ」

 

「なるほど」

 

「紅魔族の強さは、私もちゃんと知ってるから」

 

 クリスは片道の馬車代が手に入ればいい。

 そのため、受けるクエストは危険なものでなくてもよかった。

 アルカンレティアの冒険者ギルドには「レベル15以上でなければクエストが受けられない」という規定が存在する。

 それは同時に、そのレベル帯でなければどんなクエストでも達成不可能であるということを意味し、この辺りのモンスターがそれほどまでに強いということを意味しているが、チーム紅魔族であれば強さの心配は無用というものだ。

 クリスがレベル15以上であるために、その辺りの規定もクリア。

 クエストを受けることに、何の支障もない。

 

「僕らはまだクエストを受けたこともない新人なので、よろしくお願いします」

 

「うむ、お姉さんを存分に頼りなさい。

 私も新人だった頃は、型破りだけど面倒見のいい先輩に何度も助けられてたからね」

 

 むきむきとしても、先輩冒険者から色々と教わりながら、クエストの受け方と達成の仕方を学べるチャンスだ。断る理由がない。

 エリス教徒を助ける個人的な理由もある。

 クリスは報酬をゆんゆん達含めた四人で山分けすることを提案してくれており、クリスの申し出は"誰も損をしないもの"であると言っていい、良心的なものであった。

 

「あ、そういえばクリスさんは先輩冒険者でした。クリス先輩、って呼ばせて下さい」

 

「―――」

 

「あ、すみません、嫌でしたか?」

 

「ううん、嫌じゃないよ。

 なんというか……先輩って他人から呼ばれるの、初めてだったから。たはは」

 

「?」

 

 クリスは照れた様子で頬を掻く。

 

「それにしても、そんなに早く帰ろうとするなんて、その友達がよっぽど心配なんですね」

 

「うん。君が思ってる心配とは多分違う感じなんだけどね……」

 

「そうなんですか?」

 

「……ん、そうだね。大切な友達なんだ。ちゃんと幸せになってほしい」

 

 優しい顔で、優しい声で、優しい言い方で、クリスはその友達を語る。

 目の前にその友達が居ないのに、その友達にその言葉が届くわけでもないのに、そう言って何かが変わるわけでもないのに、その友達の幸せを願う言葉を口にする。

 そういう人が『とてもいい人』であることくらいは、世間知らずなむきむきでも知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エリス教会から帰還し、ゼスタが外出しているということを聞いたむきむきは、めぐみんとゆんゆんに事情説明。

 二人が理知的な判断で賛成してくれた上、「面白そう」と笑みを浮かべてくれたことで、断られなかったことにちょっとだけほっとする。

 かくして、四人のクエストが始まった。

 

 クエストの依頼内容は、アルカレンティアから見てアクセル方向に一時間ほど進んだ場所にある遺跡に住み着いた、『キモイルカ』というモンスターの駆除。

 冒険者オマ・ウェ・ウォ・ケースホゥホゥによって命名・生態が記録され、その生態が明らかになったモンスターだ。

 

 キモイルカは指先にスプレー的な器官を持ち、これで人が作ったものに落書きをする習性がある。これがかなりセンスがない上、エロに偏ったものも多い。

 要は意味もなく高架下にスプレーで落書きをするヤンキーのようなものだ。

 

 キモイルカの体内分泌物で出来た塗料は取りにくいため、人は落書きを妨害するか取ろうとするのだが、これをするとキモイルカはたいそう怒る。怒るのだ。

 「俺達の表現の自由を邪魔するんじゃねえ、社会の犬が!」と。

 表現の自由の邪魔をするならば絶対に殺す。

 そんなモンスターであった。

 

 これで困るのが、遺跡の調査をしたいと思っている研究者達だ。

 研究職の人間に戦闘力はない。

 冒険者に守られながらの調査では万一もある。

 と、いうわけで、調査の前に冒険者に駆除してほしい、というのが今回の依頼というわけだ。

 

 キモイルカの討伐適正レベルは15。レベル30オーバーの神器(まけん)持ちと共闘していた紅魔族の彼らにとっては、余裕すぎる討伐対象である。

 当然ながら、むきむき達三人の戦闘力は、先輩であるクリスのそれを大きく超えていた。

 

「あ、発見。準備はいい? 潜伏を解除するよ?」

 

 なのだが、一緒にクエストを受けたことで、彼らは『直接的な戦闘力が低めのジョブが持つ強さ』を、存分に理解させられていた。

 

 クエストの舞台となる遺跡は、大理石のような白い石材で作られた遺跡であったが、その大半は緑に覆われている。

 よほど大昔の遺跡だということなのだろう。

 鳥なども多く、何も考えず足を踏み入れれば鳥が一斉に飛び立ってしまい、すぐにキモイルカにバレかねない。

 キモイルカは群れを作り、遺跡の外周に屯し、周囲を集団で警戒していて、攻めに手間取れば逃げられてしまうため、討伐失敗になる可能性が高い。

 それだけでなく、キモイルカは遺跡の内外にいくつもの罠を仕掛けているようであった。

 

 こんな状況でこそ、クリスのジョブである『盗賊』の強みがキラリと光る。

 

「凄いなあ、潜伏。敵が全くこっちに気付いてない。

 気配、息遣いなどの小さな音、匂い……

 そういうのが全部誤魔化されてる。多分、視覚も結構誤魔化されてるよね」

 

 むきむきが感嘆の声を漏らす。

 クリスが紅魔族チルドレンに触れて潜伏のスキルを発動すると、鳥も虫も彼らを認識できなくなっていた。

 このスキルは隠れるという行動をトリガーとして発動する、五感による認識そのものへの認識を阻害するのに近い効果のスキル。鳥の群れの傍を通っても鳥が飛び立たず、キモイルカに彼らの接近を気取らせない。

 

「敵感知もエグいですよ、これ。

 これ要するに、敵の奇襲を無効にしてこちらの奇襲の成功率を上げるスキルです。

 潜伏と合わせれば、大抵の場所には侵入して暗殺ができる気がします」

 

 クリスが発動している敵感知スキルに、めぐみんが言及する。

 敵からの奇襲でPTが一気に瓦解することがなくなり、敵の奇襲を警戒して常時気を張る必要もなくなるため、PTの精神的なスタミナも温存できる。

 先んじて敵の存在に気が付けるため、常に有利な形で戦闘を開始できる。

 上手く使えば敵の配置も把握できるため、群れから一匹はぐれるのを待って、はぐれた個体を一匹ずつ狩るという戦法にも使えるだろう。

 なんでもありの冒険者家業において、このスキルが応用できる場面はあまりにも多い。

 

 このスキルのお陰で、彼らは静かにキモイルカの群れの背後を取れていた。

 生命エネルギーを見ているアンデッド系の敵には効果が無く、一部の悪魔などにも通用しないだろうが、それでもかなり強力なスキルである。

 

「罠感知と罠解除……

 なんとなく、ダンジョン攻略にこの二つが必須な理由、分かった気がする」

 

 キモイルカ達は人間の襲来を予期していたのか、結んだ草などの罠をいくつも仕掛けていた。

 が、その全てをクリスは罠感知で把握、罠解除で無力化していた。

 罠とは、頭脳を用いて戦場に仕込み、戦いを有利に進める戦場設定を行うもの。

 

 これが解除された時点で、キモイルカ達は戦力差を埋める手段を失った。

 

「それじゃ討伐、いってみよう!」

 

 そうして、クリスがお膳立てした有利な戦闘が開始される。

 

 突如背後から現れたむきむき達に、キモイルカ達は一気に浮足立った。

 なのだが立て直しは早く、キモイルカの一体が塗料で相手の目を潰すスキルを準備し、残りが一斉に少年達へと襲いかかっていく。

 

「『スキル・バインド』!」

 

 だが、発動しようとしたモンスタースキルはクリスのスキルに無効化され、襲いかかった前衛はその全員がむきむきに止められていた。

 

「むきむき、横にどいてください!」

 

 全員の状態と状況を見ていためぐみんの指示が飛び、むきむきが足止めを止めて横に飛ぶ。

 むきむきが横に跳ぶのとほぼ同時に、ゆんゆんの魔法がキモイルカ達に放たれた。

 

「『カースド・ペトリファクション』!」

 

 石化の魔法が、キモイルカ達を石化させていく。

 魔法抵抗されやすいが、抵抗判定に失敗すれば即座に全身を石化させる――大抵の者は即死する――人相手にはまず使えない魔法であった。

 

「よしっ!」

 

 レベルアップで得られたスキルポイントを、めぐみんは爆裂魔法の強化に、ゆんゆんは新しい魔法の獲得に使っている。

 めぐみんは使い所の少ないオーバーキルを更に伸ばし、ゆんゆんは魔法の多様性と有能なスキルの習得こそを重んじていた。

 そのためか、めぐみんよりもゆんゆんの方が、目に見えて強くなっているように見える。

 性格は紅魔族らしくないゆんゆんであったが、その戦闘スタイルは極めて紅魔族らしいものになってきていた。めぐみんとは、対照的に。

 

「ナイス、ゆんゆん」

 

「私もどんどん強くなってるから、いざとなったらむきむきを守ってあげるからね!」

 

「なんとなく、そうなったらその時の僕は超情けない気がするっ……!」

 

 ふんす、とゆんゆんは杖を握って得意げな表情を見せている。

 イスカリア討伐の夜から、ゆんゆんの"強くなろうとするスタンス"に小さくない変化が見られていた。その理由は、他の誰にも分からなかった。

 めぐみんがむきむきに強者の幻想を見たのとは対極的に、ゆんゆんはむきむきに弱者の慟哭を見た。

 それが、色々とモチベーションの変化に繋がっているのかもしれない。

 

(目を離したら、あっという間に僕も置いて行かれそうだ)

 

 ゆんゆん自身にその成長の自覚はあるまい。

 だがここ最近の成長率で勝負でもしてみれば、まず間違いなく彼女はめぐみんに勝てるだろう。

 ゆんゆんの成長はむきむきにも実感できるほどのもので、おそらくその成長度合いを一番把握しているのは他の誰でもなく、めぐみんだった。

 

「私より、ゆんゆんの方が頼りになりますか?」

 

「え?」

 

「いえ、失言でした。今のは忘れて下さい」

 

 小さく呟かれたその声を、むきむきは聞き逃さない。

 最近はむきむきも、この少女が時々みみっちかったり、時々年相応の少女みたいな面を見せたり、時々小さなことを気にしてしまうということを、理解し始めていた。

 帽子で目元を隠し、すたすた前に進んで行こうとするめぐみんを抱え、少年は肩の上に乗せる。

 

「わっ」

 

「頼りにしてるよ。魔王を倒す、紅魔族最強の魔法使いさん」

 

「……なーまいきになってきましたね、このこの」

 

「ま、瞼が引っ張られる!?」

 

 好きな物一本で行ける人間は、普通の人よりも数倍精神的に強い。

 "好きだ"という気持ちだけで、非効率な道さえ進んでいけるからだ。

 

 だが、それでも人は人。

 スポーツ選手が結果を出させない時期に「これでいいのか」「辞めて別の道を進むべきじゃないのか」「今の自分に価値があるのか」と思い悩むのと同じだ。

 ずっと活躍できなければ、ずっと誰の役にも立てなければ、そのこだわりが仲間を苦しめでもすれば、さしものめぐみんでも迷う。悩む。弱音が出て来る。

 

 世界線によっては、仲間のために爆裂魔法を捨て上級魔法を覚えるめぐみんですら居るだろう。

 思い悩んだ結果、大好きだったスポーツを捨て別の道を行くスポーツ選手が居るのと、同じように。

 

 めぐみんもまた、里を出てからは爆裂魔法を毎日のように撃ち、毎日のように大活躍する自分を夢見ていたのだろう。

 その未来予想と、予想以上に爆裂魔法の使い勝手が悪く戦闘で活躍できないという現実に、ちょっと彼女らしくない言葉が漏れてしまっていた。

 

 されど、その気持ちももうどこにもない。ちょっとだけ揺らいだ自信も、「頼りにしている」という一言の信頼で既に取り戻されている。

 "毎日のように大活躍する"という高望みは捨てられ、"決めるべき所で決めればいいのです"と、めぐみんは認識を改めていた。

 

 里の外に出たことで、むきむきも、ゆんゆんも、そしてめぐみんも、里の中では考えもしなかったようなことを考え始めていた。里の中で言ったことがないようなことも言い始めていた。

 ほんの少しだけ、何かが変わり始めていた。

 "自分の世界が広がる"というのは、そういうことだ。

 

「……敵感知に反応無し。よし、皆さんお疲れ様でした!」

 

「クエスト達成、ですね!」

 

「その通り!」

 

 さっくりと終わる、初めてのクエスト。

 これで依頼は達成だ。後はギルドに報告して、報酬を受け取るだけである。

 

「モンスターがもう居ないなら、軽く宝探しでもしてみましょうか」

 

「あ、待ってめぐみん! じゃあ見つけたものの価値で勝負よ!」

 

 二人は少しばかりこの遺跡に興味を持ったようだ。

 まだ冒険者らしくない手つきや動きで、冒険者らしい遺跡の宝探しという行動を取るめぐみんとゆんゆん。

 その二人からちょっと離れた所で、クリスとむきむきは周囲に目を配りながら歓談していた。

 

「いやー、今日は助かったよ。本当にありがとね」

 

「いえいえ。前にエリス様に約束したことですから」

 

「……約束、約束ね。どんな状況で、どんな約束をしたの?」

 

「え? いや、つまんない話ですよ」

 

「あはは、つまんないかどうかはあたしが決めることだよ!」

 

 とても明るく姉御肌なその少女は、とても聞き上手だった。

 何故か"相手に何かを打ち明けさせる"のが上手い。あれやこれやと話している内に、むきむきはするするとあの夜の戦いのことまで話してしまう。

 相手の後悔を自然と話させるという意味では、口を噤む者に無理なく懺悔を語らせる、教会のプリーストのようでもあった。

 

「ほら、つまらなくて、しかも暗い話だったでしょう?」

 

「んー、つまらなくはなかったけどね」

 

 クリスは少年の語りを聞きながら、"その時むきむきが何を想っていたのか"という部分を把握していく。

 そうして、話が終わったところで。

 

「……女神エリスを、恨んでない?」

 

 エリス教徒らしい言葉を、口にした。

 

「えと、言いたいことがよく分からないです、ごめんなさい」

 

「ううん、こっちこそごめんね。唐突にわけわからないこと聞いちゃって。

 でもさ、結局女神に祈ったけど、師匠さんは行っちゃったんでしょ?

 それなら……幸運をくれなかった女神のせいだって思うのが普通じゃない?」

 

「まさか。あの日責めたのは敵と、自分の無力だけです」

 

 "それに、女神様に幸運を貰っていたことは、最後に友達が教えてくれましたしね"と、むきむきは照れくさそうに苦笑した。

 

「そんなつまんない幸運で……」

 

「つまんなくなんてないです。それは、僕が決めることだ」

 

 自分の言葉を返されて、クリスが少しだけ怯む。

 

「神様に頼るのも、神様に祈るのも、神様の力を借りるのも、よくあることです。

 でも、神様は当事者じゃない。なのに神様のせいにするのは、何か違うと思うんです」

 

「……」

 

「プリーストは、女神様の力を借りています。

 今人は、女神様の力を借りて魔王軍と戦っています。

 もしも、それで負けて、人が滅んだとしても……

 女神様のせいで自分達は滅びたんだ、なんて誰も思いませんよ」

 

 世間知らずが世間を語る。

 実際は、そうなったなら神のせいにするようなクズもいるだろう。

 だがこの少年は、誰もが神を責めないと思っていた。

 この少年は物を知らず、愚かで、無知で、だからこそあんな小さな祈りと、あんな小さな幸運だけで、女神エリスに感謝していた。

 

「僕は自分の弱さのせいで何かを失った。

 だから僕は強くなりたい。それでこの話は終わりです。

 他の誰のせいでもなく、他の誰も悪くはない。僕はそう思っています」

 

 祈った者を全て救える力があったなら、天上の女神エリスはさぞかし気楽なことだろう。

 けれど、そうではなく。

 この世界では、昨日も今日もおそらく明日も、世界のどこかで人が祈りながら殺されていく。

 

 こんな世界の神様は、きっとただ優しいだけでは務まらない。

 底抜けに優しくて、天井知らずに心が強くなければならないはずだ。

 昨日に見た残酷を踏み越え、明日に死ぬかもしれない誰かの、今日の幸せを祈り続けなければならないのだから。

 救いを求めて神に祈った誰かの死を、山ほど受け入れなければならないのだから。

 

 むきむきはエリスの心を知らない。

 今生にて女神と話したこともない。

 神の心は文字通り神のみぞ知る、といったところだ。

 

「ね、ちょっと付いて来てくれる?」

 

 むきむきと話していて何を思ったのか、クリスは今日一番に優しい笑みを顔に浮かべて、むきむきを連れて遺跡の奥へと足を踏み入れた。

 

「この遺跡はね、昔神殿だったんだって。

 大昔、女神エリスを信仰していた人達が、拙い技術で造ったらしいよ」

 

「女神エリスの神殿……」

 

「でも、造った人が皆死んじゃって。

 ここを使ってた人達も皆モンスターに食べられちゃって。

 ここの存在が誰の記憶からも消えちゃって。

 そうして皆が忘れてから長い時が経って、こうなっちゃったんだってさ」

 

「へぇ……」

 

 遺跡の中は、人が調査した痕跡と、この遺跡に敬意を払って細かな掃除をしていった者達の気遣いの跡がそこかしこに見えた。

 クリスと一緒に先に進むと、遺跡の奥にて壁に掘られた女性の絵が目に入る。

 彫刻ではない。

 それは確かに『絵』であり、ゆえにこそ少年はその矛盾した絵画に目を奪われた。

 神々しさをそのまま彫り込んだかのようで、例えようもなく美しく、今にも動き出しそうな躍動感があった。

 

「エリス様の絵……壁に彫られてる?」

 

「ここは、人間が神様を置いていってしまったという証。

 大昔の人と神様の繋がりの残骸。

 人という種が滅びなくても、神様が愛した人々は百年もすれば皆滅びている、そんな摂理の跡」

 

 遠い昔、神様が愛した人達は皆死んだ。

 その人達が残したものがこの遺跡だ。

 いずれは、この時代において神様が愛した人達も皆死んでいくだろう。

 この時代の人達が残したものも、いつかの未来にこの遺跡のようになるのだろう。

 

「百年もすれば、その時代を生きていた人は皆滅びる。

 二百年も経てば、どんな英雄でも記録の中だけの存在になる。

 三百年の時が流れれば、人はかつて恐れたものもかつて敬ったものも忘れてしまう。

 でもね、人が忘れてしまっても、女神様の方はずっと覚えてたりするんじゃないかな」

 

 大昔の人の営みも。

 遥けき過去の勇者の偉業も。

 歴史に残らないような名も無き人達の死も。

 神様はきっと、その全てを覚えている。

 人は、そのほとんどを忘れている。

 

「人と神様が互いに"こう在ってくれ"って望み始めてから、何年経ったんだろうねえ」

 

 人が神様に"こう在ってくれ"と望めば、神様はずっとそれを覚えている。

 神様が人に"こう在ってくれ"と望んでも、人は世代交代でそれを忘れる。

 エリス教というものには、大昔の人が「神様の言ったことを覚えていよう」という想いで作り上げた、女神エリスの言葉の記録という意味合いもあるのだろう。

 エリス教を通してでなければ、人は女神が望んだことを思い出すことさえできない。

 

「人が女神様に望むものは、なんとなく分かりますけど……

 女神様は、人に何を望んでるんでしょう。

 清く正しく生きることとか、間違えないこととか、善行だけをすることとか、でしょうか?」

 

「そこまでガチガチに厳しい存在ではないと思うよ、あたしはね」

 

 クリスは苦笑して、むきむきより大なり小なり『女神エリスに詳しい者』として、エリス教徒の肩書きを使って少年に語る。

 

「エリス教とアクシズ教の教義を見ればちゃんと分かる。

 女神エリスも女神アクアも、望むことや言っていることは同じだよ」

 

「同じ?」

 

 何故か、彼女は断じるような口調で。

 

「『人よ、幸せに生きなさい』だよ。女神様が人に望むものなんて、そんなもんさ」

 

 エリス教の教えにも無い言い回しで、けれどもエリス教の教えのような言い回しで、クリスは神の望みを語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局遺跡で隠された宝なんてものは見つからず、ぶーたれる二人を連れてむきむきはギルドにてクエスト達成の報告をする。

 クリスはその足で、アクセル行きの臨時テレポート屋に足を運んでいた。

 見送りはむきむき、めぐみん、ゆんゆん、そして何故か付いて来たゼスタ。

 ゼスタの目的は明らかに悪戯であったが、めぐみんとゆんゆんが二人がかりで彼を押さえ込むことで、何とかそれを押し留める。

 

「何をするのですかな! 女神アクア様に誓って清廉潔白な私が一体何をしたというのか!」

 

「いつもしてるじゃないですか!

 むきむき、さっさとクリスを見送ってください!

 ゆんゆん、詠唱されないように口を塞ぐんです!」

 

「りょうか……うぎゃああああ! 口塞いだら、塞いだ私の手を舐めて来たこの人!」

 

「美味なり。もう一回舐めさせて下さると嬉しいのですが」

 

「むきむきぃー! 早く見送って早く私を助けてぇー!」

 

 地面で手をゴシゴシして半泣きなゆんゆん、舌を蛇のように動かすゼスタ、そのゼスタの服を掴むも体がちっちゃいせいで引きずられていくめぐみん。

 クリスの見送りも、相当に騒々しかった。

 

「あはは……やっぱこの街、私の天敵だよ」

 

「エリス教徒は真面目にこの街には来ない方がいいと思います」

 

 むきむきは、真顔でそう言い切った。

 

「ん、気を付けるよ。君も気を付けてね」

 

「僕が、ですか?」

 

「迷ったら周りの人に相談すること。

 でも、怖かったらとりあえずでいってみよう!

 なんとなくだけど、君はそのくらいがいい気がするからね」

 

 臨時のテレポート屋は旅のテレポーター。

 自分が街から街へ旅してテレポートする時、一緒にテレポートして欲しいという他人の願いを聞き、その代わりに金を受け取る。旅する行為そのものが、金稼ぎになるテレポーターだ。

 そのため、そこそこ安い値段で依頼することができた。

 

 クリスはむきむきの耳に忠告を一つ置き、テレポートの魔法陣の上に乗る。

 

「あたしはプリーストじゃないけど……

 一人のエリス教徒として、君に一つ言葉を贈るよ。君のこの先の冒険に――」

 

 そうして、唇にその細い人差し指を当て。

 

「――祝福を!」

 

 悪戯っぽく笑って、アクセルの街へと帰って行った。

 

「エリス教徒が生意気な。今度あったらパンツ剥いて生地をくまなく舐め回してやりましょう」

 

「そんなことしたらゼスタさんの全身の骨の総数を倍にしますよ」

 

「おおっと、むきむきさんのマジトーンの脅し頂きました。ゾクッとしますな」

 

「まったくもう」

 

「しかしボーイッシュな美少女でしたな。

 たまにはああいうエリス教徒にもセクハラしたいものです」

 

「あの、話題が段々下世話一極に寄っていってるのは気のせいなんでしょうか」

 

 手の骨をバキバキいわせているむきむきを前にしても、ゼスタはどこ吹く風だ。

 胆力があるのか。バカなのか。……あるいは、むきむきがこの程度では人を殴れないということを、司祭としての観察力で見抜いているからなのか。

 

 『関わり合いになりたくない人』と『悪い人』は全く別物なのだと、アクシズ教徒を見ているとよく分かる。

 悪人をぶっ飛ばしたいという想いは正義感に後押しされるが、アクシズ教徒をぶっ飛ばしたいという想いは理性にストップを掛けられる。そういうものだ。

 何せ、悪人はぶっ飛ばすことで状況が好転するが、アクシズ教徒をぶっ飛ばしても状況は悪化するだけだからだ。

 悪に対する最適解は倒すこと。

 アクシズ教徒に対する最適解は関わらないこと。

 そういうものなのだ。

 

「エリス教徒のお願いを一つ聞いたのです。

 ここは我々の頼みも一つ聞くのが筋でしょう、むきむき殿」

 

「凄いですね、それで筋が通ってると本気で思ってるの」

 

「筋を通さない者には天罰が下るでしょう。

 具体的には、アクシズ教徒が半ば掌握しているこの街があなた達を外に出しません」

 

「やめてください! そんな怖いことされたら、僕ら本気で怒りますよ!」

 

 ここで問題になるのが、アクシズ教徒に気に入られてしまった人が、距離を取ろうとしても取れず、ずぶずぶと彼らと関係を保ってしまうパターンも多い、ということだった。

 

「何、頼みというのも大したものではありませんよ。我々ともクエスト一つ、どうですかな?」

 

 ゼスタは押し方を弁えれば押し切れると理解していて、断られないことを確信しながらそんなことを言う。

 中年のアークプリーストは、転校生を初日に遊びに誘う子供のような笑みを浮かべていた。

 

 

 




ルシエドは敬虔なエリス教徒です


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2-3-2

 主人公の名前が○○○キ・カズマだったので、むきむきとカズマさんが居ればムキムキカズマになって仮面ライダー剣とかできますよきっと。カテゴリーA(qua)もありますから
 ヒロインははじめぐみん
 はじめぐみんのヒロインはダクネちゃん


 アクシズ教徒が世の中の役に立つ頻度は、ガリガリ君を買って当たりが出る確率以下である。

 だが、役に立たないわけでもない。

 典型的なアクシズ教徒のスタンスはゼスタを見ればお察しだが、それとは別に本当に数少ないまっとうな精神性を持つ信徒が、世の中の役に立っていたりもするからだ。

 そういった信者が社会の役に立つ行為の代名詞が、『水質改善の魔法(ピュリフィケーション)』である。

 

 女神アクアは一説によれば、触れただけであらゆる汚水を綺麗な真水に変える力を持つという。

 神学的に考えれば、これは水の女神としてのアクアの性質がそのまま現れたものであり、『人の住めない場所を人の住める場所にする』『汚水を消す現象は人を守るという神の庇護、真水を生むという現象は人に恵みを与えるという神の慈悲を表す』という風に解釈が可能だ。

 とはいえ、女神アクアがこの世界に降り立ったことはない。よって確かめるすべもない。

 これは学説ではなくただの伝承であり、本来ならば与太話の類である。

 

 それでもこれが『一説』として扱われているのは、アクシズ教徒――正確には神の力を借りるアクシズ教のプリースト――が、この力の一端を魔法という形で行使できるからだ。

 

「汚染された湖の浄化クエスト、か」

 

 ゼスタが持って来たクエストの内容は、モンスターが住み着いてしまうほどに汚染された、とある湖の浄化クエストだった。

 このクエストもクリスが持って来たクエスト同様、難易度は高くないようだ。

 クリスもゼスタもそうだったが、クエストに誘う目的の中に"利益のため利用してやろう"という意思がほとんど見られない。見られるのはせいぜい"仲良くしよう"という意思くらいのものだ。

 神や宗教に関わる人間の傾向なのだろうか?

 彼らはむきむき達と親交を深めることくらいしか目的がないようにさえ見える。

 

 ゼスタの対面に座り、むきむきはとりあえず抱いた疑問を口にした。

 

「でもこんなの、アクシズ教の人達だけで問題なく片付けられるんじゃないですか?」

 

「今回の浄化作業中に、おそらくブルータルアリゲーターというモンスターが現れます」

 

「ブルータルアリゲーター?」

 

「ワニのモンスターですよ、むきむき」

 

「ありがと、めぐみん。で、それがどうかしたんですか?」

 

「紅魔族の皆様には、それらの介入を殺さずに阻止して欲しいのですよ」

 

「殺さず……?」

 

 奇妙な話だ。冒険者に、それもクエストで、モンスターを殺すなとは。

 

「ちょっと見てみましょうか、今回のクエストに参加するアクシズ教徒達を」

 

 ゼスタに連れられ、チーム紅魔族は町の入口近くに移動する。

 そこには既に、アルカンレティア屈指の信仰心を持つアクシズ教徒達が集まっていた。

 メイスやら杖やら、剣やら槍やら、様々な武器を持つ様々な職業の者たちがひしめいている。

 一番多いのはアークプリーストであったが、それ以外の職業も多かった。

 

「この辺のモンスターなら、アクシズ教徒は難なく殲滅できますな」

 

「怖っ! 僕ら要らないんじゃないですか!?」

 

「問題は討伐対象がブルータルアリゲーターだということです。

 こいつは倒すのは難しくないんですが、倒すと強烈な毒素を撒き散らします。

 なので、迂闊に倒すと水質は悪化してしまいます。

 体内に毒を持つことで捕食を免れているタイプのモンスターというわけですな」

 

「……それで、倒さずどけてほしい、と」

 

 陣形としてはブルータルアリゲーターを筋肉でどかすか魔法で足止めする紅魔族チームと、アークプリースト達の盾となる防衛ラインチームと、湖を浄化するアークプリーストチームに分かれることになるだろう。

 ブルータルアリゲーターは清浄化した水を嫌う。

 浄化が完了すれば、いずれはどこかへ行くはずだ。

 この作戦に参加する者で、役に立てない者など、めぐみんくらいのものだろう。

 

「ちっ、また爆裂魔法が使えないシチュエーションですか」

 

「どうどう」

 

「あー、世界を滅ぼす破壊神とか突如復活しませんかねー。

 全力で爆裂魔法ぶっ放してもいい頑丈な感じの的とか出てきませんかねー」

 

「こんな理由で破壊神の復活を切望する人とか他に居なそうだぁ……」

「居なそうじゃなくて居ないのよ、居たら怖いわよ……」

 

 ラストエリクサーならぬラストクラッシャーであるめぐみん。彼女の活躍の場が無いことこそが平和の証明である。

 このクエストも彼女が爆裂魔法を撃たないまま終わることを、ゆんゆんは切に願っていた。

 

「あれ?」

 

 アクシズ教徒が集合してワイワイやっているその光景の中に一人、アクシズ教徒の輪の中に入っていない人物が居る。

 その人物は、アクシズ教徒特有の雰囲気が全く感じられない女性だった。

 むきむきがその人物に気付くと、その人物がむきむきに歩み寄って語りかけてくる。

 

「初めまして。自分は王国検察官のセナと申します。

 紅魔族の方と見受けしますが……デカ……こ、こほん。

 今回このアクシズ教徒達がこのクエストを受けた経緯については、ご存知ですか?」

 

「経緯?」

 

「……どうやら、何も知らないようですね」

 

 王国検察官は何かしらの容疑をかけられた対象、それも国家レベルでの対応が必要となると想定された対象を調べ、その罪状を調べ上げる役職だ。

 それが今、ここに居る。

 アクシズ教徒の中に混じっている。

 嫌な予感しかしなかった。

 

「ここに、一人のアクシズ教徒が居ます」

 

「あたしのせいじゃないもん……」

 

 嫌な予感が倍加した。

 

「以前、ある貴族が金を出して大規模な食糧支援が行われました。

 それ自体は、民に嫌われていた悪徳貴族のご機嫌取りでしたが……

 食糧支援そのものは喜ばしいことです。

 貴族が金を出し、下請けがそれを請け負う話になりました。

 それがどこでまかり間違ってしまったのか、アクシズ教が受けてしまったのです」

 

 嫌な予感が二乗化した。

 めぐみんはもう話のオチを読みきったのか、やる気なさそうにあくびをしている。

 

「このアクシズ教徒はそれでやらかしました。金額請求が後だったのをいいことに……

 ただでさえ大規模な食料支援だったというのに、その事業の食料の桁を二つ間違えたのです」

 

「桁二つ!?」

 

「貴族の方は善良で懐が深い自分をアピールするという目的があったため泣き寝入り。

 まあ、それで責めたり賠償を求めたら元の木阿弥ですからね。

 食糧支援も当然ながら需要と消費量を完全に超過。カレーという名のゴミが大量に出ました」

 

「あたし悪くないもん……うっかりしちゃっただけで、よかれと思って……」

 

「大量のカレーは大量の廃棄リソースを必要とします。

 普通のゴミ処理施設でどうにかなるものでもありません。

 ベルゼルグ王国は、このアクシズ教徒にカレーゴミの廃棄を求めました」

 

「かねんゴミもかれーゴミも似てるじゃん、楽じゃん、って思ったんだもん……」

 

「人里離れた場所、生態系に影響を与えない所で穴を掘って捨てろと命じました。

 できなければ、他の安全な手段で廃棄せよと我々は命じたのです。

 ですが……この者はよりにもよって、その大量のカレーを、湖に捨てたのです!」

 

「よかれとおもって、よかれとおもって……」

 

「もうお分かりでしょう! 水質汚染の原因は! この阿呆なアクシズ教徒が原因なのです!」

 

「わあああああああああああっ!」

 

 泣き出すアクシズ教徒に対する、セナの視線は冷たい。

 めぐみんはやる気なさげな顔で視線すら向けず、ゆんゆんは呆れた顔で額に手を当てていて、むきむきは"女の子が泣く"というワンモーションだけでちょっとだけ同情してしまっていた。

 

「何よ何よ何よ! あたしばっかりいつもいじめて!

 あたしのカレーをウンコみたいとか、ウンコをカレーみたいとか!

 そういう風に言われるのが嫌だったから!

 あたしは何でも許してくれるアクア様を信仰するようになったのよ! アクシズ教万歳!」

 

「!?」

 

「ふざけないでよ自分に都合のいい時だけカレーをウンコ扱いしないとか!

 ウンコを水に流して何が悪いのよ! 皆流してるじゃないの!

 湖が汚れたなんてもののついでじゃない! あたしの失敗も水に流しなさいよ!

 うわあああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!!」

 

「ぎゃ、逆ギレが始まった!」

 

「反省の色が見られない!」

 

 アクシズ教徒は有能だ。

 普通、国が気付く前に湖を汚染しきるほどのカレーゴミを運搬し、湖に廃棄しきるなど不可能の荒業だ。凡人には真似出来ないだろう。

 アクシズ教徒は積極的だ。

 アクティブで、常に前を向いて爆走している。

 だが、どんなに大きな数字でも-1をかければ-の数字になるように、アクシズ教徒はどんなに有能だとしても、『アクシズ教徒だから』という理屈で最後に-の数字になる。

 

 大泣きしているこの元凶の女性こそ、アクシズ教徒の鑑と言えるだろう。

 

「いいのです、アクア様は全てをお許しになるでしょう」

 

「ぜ、ゼスタ様……!」

 

「アクア様はおっしゃられました。

 『アクシズ教徒は皆やればできる子』

 『やってできなかったなら、それは世間の方が悪い』

 悪いのは世間です。頑張った貴女が認められないなど、あってはならないのですよ」

 

「ゼスタ様ぁー!」

 

 それを慰めるゼスタは、まさしくアクシズ教団司祭の鑑。

 こうしてずぶずぶと深みに招いて、ディープなアクシズ教徒を誕生させるのだ。

 完成したアクシズ教徒はあらゆる悩みが吹っ飛び、人生が楽しくてしょうがなくなったりするので、一概に悪と言い切れないのがタチが悪い。

 

「と、いうわけです、むきむき殿!

 親睦を深めながらこのクエスト、絶対に成功させましょう!」

 

「この流れでその言葉が出て来るのは逆に凄いですね!?」

 

 元凶はアクシズ教徒だというのに、ゼスタの言葉には申し訳無さなどが全く見られない。

 事ここに至っても、むきむき達と仲良くなろうとすることが第一目標であるようにさえ見える。

 

「あ。それじゃセナさんがここに居るのは、湖の浄化が完遂されるのを見張るため?」

 

「それもありますが、厳密には違います。

 今現在、アクシズ教徒は特別指定注意団体に指定されようとしています。

 ……要約すれば、検挙されていないだけのマフィアと同じ扱いになるということです」

 

「え」

 

「このクエストに失敗したなら、その時点で申請が通るでしょう」

 

 むきむきが咄嗟に周囲のアクシズ教徒を見回すが、確かによく見ると笑顔が引き攣っている者が数人見える。

 その者達は、ここで失敗すればアクシズ教がヤバいということを分かっているのだろう。

 だが、それだけだ。その数人だけだ。

 それ以外のアクシズ教徒は、自分達の未来がかかっているというのにふんわりしている。

 「水の浄化するだけじゃん、楽勝!」とか思っているのだろう。

 緊迫感がまるでない。実にアクシズ教徒らしかった。

 

 指定暴力団のようなポジションに叩き込まれれば、アクシズ教団もこの先かなり面倒臭いことになるだろう。国からの見張りも増え、やらかそうとすれば国が止めに入ってくるのだから。

 アクシズ教徒は国を敵に回しても平然と生き残るだろう。

 けれども、新しくアクシズ教徒に入る人間は著しく減ってしまうはずだ。

 女神アクアを崇め、アクシズ教を広め、面白そうな人材を片っ端から入信させていくことを良しとするアクシズ教徒からすれば、それは最悪である。

 

 学習能力は無いが、とりあえず目の前のことには自分なりにぶつかっていくのがアクシズ教徒。

 このクエストの結末は、誰にも予想できないものになっていた。

 

「と、いうわけです、むきむき殿!

 親睦を深めながらこのクエスト、絶対に成功させましょう!」

 

「この流れでまだその台詞が言えるんですか!?」

 

 筋金入りだ。

 どんな状況でも自分らしさを失わないこの度胸。

 女神アクアの教えを体現するスタンス。

 教団の存続に全力を尽くしつつも、誰かと仲良くすることを重視する行動原理。

 楽しければいいや、な精神性。

 ゼスタは筋金入りのアクシズ教徒であった。

 

 

 

 

 

 とりあえずこれでアクシズ教徒を振り切って次の街に行けるかもしれない、と思いつつ、ゆんゆんは馬車から外の景色を眺めていた。

 出自が分からず「どっか別の世界の技術なんじゃね?」と言われる技術によって、この世界の馬車の揺れは少ない。

 とはいえ、馬の動きが速いために馬車の揺れは地球のそれとさして変わらない。

 

 めぐみんは黒猫の使い魔(ちょむすけ)を優しく撫でていて、むきむきはアクシズ教団の人間に絡まれていた。今は、セシリーと名乗った女性と話している様子。

 そしてゆんゆんは、ゼスタに絡まれていた。

 

「ほう、紅魔族の皆さんは意味のない詠唱もすると」

 

「そうなんですよ。私それが恥ずかしくて恥ずかしくて……」

 

 ゆんゆんの感性は、里の外の人間のそれに近い。

 里の中ではまともに受け入れられることもなく、常に浮いていたゆんゆんの性格も、里の外では普通の範囲内だ。

 そのせいか、ゆんゆんは里の人間よりもゼスタの方が話しやすい様子だ。

 無論、ゼスタがふざけていない時だけ、と前提が付くが。

 

「紅魔族風の厨二詠唱なら私もできますぞ、ゆんゆん殿。

 滲み出す白濁の性欲!

 不遜なる性器の器!

 起き上がり・硬化し・痺れ・感じ・眠りを妨げる淫行する鉄の王女!

 絶えず自慰するエロの人形!

 結合せよ 反抗せよ 痴に満ち 己の無力を知れ! 破道の九十! 黒乳首ッ!」

 

「ゼスタさん、いい反応するからってゆんゆんにセクハラするようなら、指折りますよ」

 

「おおっと、土下座しますので私の指を掴むその手を離してくださいますかな痛い痛いッ!」

 

 エロネタでセクハラをかましてくるゼスタの指をむきむきが掴み、インターセプト。

 

「ありがと」

 

「どういたしまして。ゆんゆん、気弱そうに見られて目を付けられてるんじゃ……」

 

「うっ」

 

 アクシズ教はおっぱい好きも、ロリ好きも居る。

 そのためか条例でアクシズ教徒が子供に近付くことを禁止している街も多い。

 めぐみんも、ゆんゆんも、むきむきも、等しくアクシズ教徒の性対象だ。

 真面目で気弱そうにも見えるゆんゆんは、ちょっと危うい。

 むきむきはゆんゆんと席を替わってやり、ゼスタの指の骨をいつでも折れるよう握り続ける。

 ゆんゆんにセクハラした時点で折る気は満々だったが、彼は生来の優しい気質でそれを抑え込んでいた。

 

 しかし、ゆんゆんの受難は続く。

 席を替わってもらった先では、王国検察官のセナと例の元凶のアクシズ教徒が騒いでいたのだ。

 

「ですから、いい加減己のしでかしたことの重さを認識して欲しいと……」

 

「反省してるもん! ねえそこの女の子!

 あたしは反省してるし、言われてるほど悪くないよね!?」

 

「え、私!? わ、私こうまぞく。こうまぞくむずかしいことよくわからない」

 

「変な声出して誤魔化そうとしてもそうはいかないわよ! あたしの味方になって!」

 

 ゆんゆんはめぐみんに目で助けを求めるが、めぐみんは窓の外に見えるイノシシのモンスターの交尾をつまんなそうに見ていた。反応なし、助けなし。ゆんゆんに逃げ場なし。

 

「湖にカレーを捨てようという発想がおかしいと、自分は言っているんです!」

 

「何よ! アクア様だったら

 『魚にいい餌を与えましたね。

  人に食べられるだけの魚に餌をやるその心優しさ、素晴らしい!』

 と言ってくれるわよ! ねえ、ゆんゆんちゃんもそう思うでしょ!」

 

「思いませんよ! そんなこと言う女神がいるわけないでしょ!

 自分のやらかしたことを崇める女神のせいにして恥ずかしくないんですか!?」

 

「わああああああああっ!」

 

 味方に引き込もうとしてくるアクシズ教徒を蹴散らして、ようやく馬車の中の安息を勝ち取ったゆんゆん。

 自分の居場所は、自分で勝ち取るべし。世の中はそういう風に出来ている。

 ちょっとづつ、ゆんゆんもたくましくなっているようであった。

 

「ロリ……」

「ロリっ子……」

「我が教団にもとうとうロリっ子が……?」

「愛でたい……」

 

「おう、私をロリっ子扱いするようならお前達は明日には死を見ることになるぞ」

 

「し、死!?」

 

「冗談ですよ、半分くらいは。なのでばくれつパンチで半殺しにしますね」

 

「気を付けろ! このロリっ子、この紅魔族の中で一番喧嘩っ早いぞ!」

 

「まーたロリっ子って言いましたね!」

 

「うわっ、いてっ!」

「しまった! ロリに興奮しすぎていじりの程度を見誤ったぞ!」

「むきむきさん呼べー! ロリ殺されるぞ!」

「ロリ殺される! ご褒美です!」

 

 ちなみにゆんゆんとは違い、アクシズ教徒はデフォルトでたくましかった。

 

 

 

 

 

 アクシズ教徒軍団と紅魔族チームという、この世界でもトップクラスに頭がおかしい集団を組み合わせたドリームチーム。

 頭のイカレ偏差値で言えば魔王軍すら上回る彼らは、かくして湖に到着した。

 

「ゼスタ様の加齢臭と湖のカレー臭のコントラストが凄まじい……」

 

「そこのアクシズ教徒、クエストの後で私の部屋に来るように」

 

 カレーと、カレーを栄養にして繁殖した微生物、それを餌にして爆発的に増えた水生生物とモンスター、この環境を好む凶暴なワニのモンスター・ブルータルアリゲーター。

 それらの生物の排泄物や分泌物、排出された毒素や魔素、腐敗を始めたカレー等の大量の有機物により、湖は相当に酷いことになっていた。

 人が湖に持つイメージより、沼に持つイメージの方が近いだろう。

 

「ゼスタ様、事を始める前に皆さんで冒険者カードを確認し、できることを確認しては?」

 

「おお、名案ですな、セシリーさん」

 

 セシリーと呼ばれた女性の提案を聞き、皆が戦闘前にカードのスキル欄と職業欄の内容を伝え合う。アクシズ教徒とは思えないくらいに多様で優秀な人物達が確認できた。

 ゆんゆんの時には特に大きな反応が出て、めぐみんは「どうせ出番はないので私はいいです」と人の輪から外れるも、むきむきと楽しそうに話している教徒達を見て、ふと思ったことをそのまま口にした。

 

「そういえば皆さん、むきむきの体格見ても驚かないんですね」

 

「ははは、先日異常個体のマンティコアってやつと戦ったんですよ」

「ゼスタ様がエリス教徒に『この名前からティアを抜けば完璧ですな』とかセクハラしだして」

「じゃあ実際に討伐して持ってきた方がいいんじゃね? みたいな話になって」

「いやああれはデカかった。むきむきさんよりデカかったな」

「あのマンティコアがゆんゆんさんの胸なら、むきむきさんのはめぐみんさんの胸だ」

「先に大きいもの見てると驚き薄れるよねえ」

「ですなあ」

「いまさら驚かないよ。外見抜きに接してみれば純朴なただの子供だし」

 

「皆さん、威力が高すぎて今回使えないと思われる私の極大威力魔法、食らいたいんですか?」

 

 アクシズ教徒の懐は広い。むきむきの巨体さえ受け入れられるほどに広い。そのせいで、めぐみんの癇に障る面倒臭い者も多々抱えている様子。

 対しむきむきは、普通に受け入れられていることに感激しているようだった。

 

「めぐみん、めぐみん。この人達、基本迷惑だけど実はいい人達かもしれない」

 

「あなたはその爆裂的なチョロさをどうにかできないんですか?」

 

 むきむきとゆんゆんはその性格上、何か歯車が一つ噛み合ってしまえば、アクシズ教徒に引き込まれてしまいそうで、めぐみんは密かに危機感を感じるのであった。

 

(実力だけあるお人好しが二人……なんというか、いかにも悪辣な手合いに負けそうな感じが)

 

 友人が悪の道に落ちるのも嫌だが、アクの道に堕ちるのはそれ以上に嫌なもんである。

 むきむきは生真面目にアクシズ教徒のために色々と考えているようで、今はセナとゼスタと一緒に湖全体を俯瞰していた。

 

「広い湖ですね。この規模の湖を浄化し切るのは流石に無茶じゃ……」

 

「検察官の端くれとして言わせていただきますが、おそらく余裕ですよ」

 

「え?」

 

 セナが嫌そうな顔でアクシズ教徒の力量を裏付けすると、ゼスタが人の良さそうな笑顔で微笑んだ。

 

「アクシズ教徒は質が売りです。信仰心でも、実力においてもです。

 一人一人が高魔力持ちな上、これだけの人数が揃っているのです。余裕ですよ。

 以前魔王軍が攻めて来た時も、アクア様の名の下に押し返してやりましたとも、はっはっは」

 

「流石紅魔の里に一番近い街の人……」

 

 そうこうしている内に準備完了。

 倒すと毒を撒き散らすカメムシみたいなワニを、むきむきが処理する段階に入る。

 ブルータルアリゲーターとアクシズ教徒のどっちの方がカメムシに近いんだろう? と意味もないことを考えてぐでっとしてるめぐみんに一言残して、むきむきは湖の周りのアクシズ教徒の群れの中に混ざっていった。

 

「筋肉は見るからに有るけど、スキル無しで大丈夫なのかい?」

 

「何度作ってもバグっちゃうんです、僕の冒険者カード。

 転職もスキル取得もできなくて……なので、基本はステータス任せの力勝負になります」

 

 先程のスキルと職業の開示の件でむきむきを心配する者も居たが、むきむきはちょっと自信なさげに大丈夫だと言って行く。

 

「大丈夫ですよ、多分おそらくきっと。大丈夫かもしれません、多分。最善を尽くします」

 

「徐々に不安になっていく感じに素の自分出していくのやめないか!」

 

 湖に足を踏み入れるむきむき。

 弱い生物は水の振動を感知して逃げ、ブルータルアリゲーターは水の振動から餌の接近に気付くやいなや、その全てがむきむきへと襲いかかる。

 結果は案の定。

 分かりきった結末が、彼らを迎え入れていた。

 

「そいっ、そいっ、そいっ」

 

「ブルータルアリゲーターが、ゴミ箱に投げ捨てられる紙くずみたいだぁ」

「表現が控え目っすね……」

「こら楽勝だわ。プリーストの皆、浄化開始! 他の人も油断せず護衛開始!」

 

 むきむきはワニの尻尾を掴んで、殺さないように遠くへポンポンと投げる。

 時々力を入れすぎて暴投して雲の上まで飛んで行ったりもしたが、ブルータルアリゲーターが見事な着水と耐久力を見せて生還、芸好きのアクシズ教徒の拍手を貰ったりもしていた。

 その間、プリースト達による水質浄化がポンポン放たれていく。

 何の役目も割り振られていないめぐみんと、プリースト達の護衛に再配置されたゆんゆんは、何をするでもなく浄化されていく湖の水を眺めていた。

 

「うわっ、凄い……『透明』って絵の具で、風景を塗り潰してるみたい……」

 

 アクシズ教徒がやらかした湖の汚染だが、これだけの量の水を浄化できるのもまた、アクシズ教徒だけだろう。

 お目付け役のセナも、露骨にホッとした表情を見せている。

 "とりあえず問題は解決され、現状維持"という結果が得られそうなので、役人の彼女からすれば望ましい流れになっているのだろう。

 

「勝ったな」

「やったぜ!」

「俺、このクエストが終わったらエリス教のシスターの胸揉むんだ」

「これだけの浄化を受ければ、この湖の水もひとたまりもあるまい」

 

「!?」

 

 重度のアクシズ教徒には、芸人魂が芽生えることがあるという。

 彼らは特に何も考えず、ごく自然に無意識に、よろしくないフラグを立て始めた。

 やがて、その言葉に呼応するかのように、湖の水が隆起し始める。

 清浄化された水が周囲に押し流され、ワニ達も水と一緒に陸に打ち上げられていく。

 

「立った……フラグが立った……!」

 

「違いますよ! 立ったのはフラグじゃなくて、湖底に居たとても大きな何かです!」

 

 湖底から何かが上がってくる。

 その際に陸に流れ出した水が、水流で人々の足を取り何人かを転ばせた。

 巻き上げられた水が空中で散乱し、周囲に大粒の雨を降らせる。

 湖の近くに居た多くの人間は、太陽さえも遮るその竜の凄まじい巨体を、呆然と見上げて見つめていた。

 

 むきむきも、本物のドラゴンのゾンビを見たことはある。

 改造品の巨大なドラゴンを見たこともある。

 だが、これはその比ではない。

 『小島』だ。

 小島がそのまま動き出したかのような、圧倒的で絶対的な巨大さがある。

 

 最悪なのは、その小島がモンスターであり、人に明確な敵意を持っているという点にあった。

 

「で……でけえッ!!」

「ドラゴン!?」

「違う、ヒュドラだ! というかこいつ、八つの首ってもしかして……!」

 

 それを見て、ゆんゆんの横に居たセナが顔を青くして叫んだ。

 

「クーロンズヒュドラ!?」

 

「知っているんですかセナさん!」

 

「冬将軍の首が二億エリス!

 魔王軍幹部の首が三億エリス!

 この賞金首の首にかけられた金は、十億エリスです! 現状討伐不可と言われる大物ですよ!」

 

「あ、死ぬやつですねこれ」

 

 竜は怒りのままに、衝動のままに、汚染して住み心地を良くした住処を浄化(あら)した不届き者達に、恐ろしい響きの咆哮を叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 九龍(クーロン)とは、この世界には無い地名のことだ。

 異世界からこの世界に持ち込まれた言葉である、と言われている。

 

 宋の幼皇帝が、ある地の八つの山を八つの頭を持つ龍に見立て、自分をそこに加えて九頭龍に見立てたという逸話が有る。

 ゆえに『九龍』。九龍(クーロン)久遠(クオン)()()に通じ、龍は風水的には幸に通ずる超自然的な生物だ。

 クーロンという言葉は永遠を意味し、同時に力と幸の象徴を名に組み込んでいる。

 もっとも、この世界にこの名前の由来などもう残されてはいないのだが。

 

 クーロンズヒュドラ。

 十年かけて大地に流れる魔力を吸い上げ、十年後に溜め込んだ魔力を使用しながら活動を始める、ヒュドラの最強種に数えられる一体である。

 ヒュドラは下級ドラゴンの一種であるが、この個体は並のドラゴンよりはよっぽど強い。

 肥沃な大地の湖の底にて、十年もかけて溜めた魔力で大暴れするからだ。

 

 かけられた賞金は十億エリス。

 日本円に換算すれば、そんじょそこらの宝くじが目じゃないくらいの金額だ。

 とはいえ、これはクーロンズヒュドラの強さだけにかけられたものではない。

 クーロンズヒュドラはある理由から倒すことができず、また、クーロンズヒュドラを倒すことで肥沃な土地が解放され、そこの土地の利権を持つ者がそこを開発できる、という裏事情が有るからだ。

 

 クーロンズヒュドラが居る内にそこの土地を買う。

 高額の賞金を動かしてクーロンズヒュドラを討伐する。

 そして討伐後に、賞金のために動かした金以上の利潤を回収する。

 要は、経済的な面でも討伐を望まれ高額賞金をかけられたモンスターであるというわけだ。

 

 逆に言えば、それだけ多方面から討伐を望まれているというのに、今日この日まで討伐されていない筋金入りの大物モンスターである、ということでもある。

 

 魔王軍幹部のような、『人類の明確な敵対者だから賞金がかけられた』枠の存在ではない。

 冬将軍のような、『特定の行動を取ると殺しに来る強者だから賞金がかけられた』枠の存在でもない。

 『活火山みたいな自然災害枠だけど、無理だと思うけど、倒せたなら賞金あげるよ』枠。

 そういう存在であった。

 

「ありえません!」

 

 セナの悲痛な声が響き、クエスト参加者達が一斉に後退を始めた。

 

「いやおかしい! 絶対におかしいですよ!

 クーロンズヒュドラはアクセルの街から半日ほど南下した山に居るはずです!

 そこで十年かけて魔力を集めて、その魔力で大暴れするモンスターです!

 本来ならば上級職の騎士団含む国軍の大軍で対応すべき超弩級大型ドラゴンなんです!」

 

「けれど実際にここに居るんだから仕方ないでしょう!」

 

「自然にここに移動したりするわけがありません!

 九年前も同じ位置で眠りについたと記録されています!

 誰かが作為的にここまで運んで来たとしか思えませんよ!」

 

「じゃあ魔王軍か誰かが何か企んでここに運んだってことでしょう!

 今気にすることではないはずです! 今はこれをどうにかしないと、大惨事ですよ!」

 

 めぐみんは気持ちと表情を一瞬で切り替え、むきむきとゆんゆんの位置を確認しつつ、爆裂魔法の射線が通る場所にまで疾走を始める。

 同時、めぐみん同様に反応が早かったゆんゆんは、得意魔法の詠唱を終えていた。

 

「『ライト・オブ・セイバー』ッ!」

 

 手刀が振られ、一撃必殺級の魔力が込められた光刃が飛ぶ。

 それは"大怪獣以外の言葉で表現できない"その巨体の首の一本に直撃し、それを切り飛ばしてみせた。全ての首を切り飛ばすつもりで放った一撃。なのに、胴体から切り離せたのは一本のみ。

 それどころか、切り離された首は一瞬にして生え変わっていた。

 

「……嘘ぉ」

 

 首とは、大抵の生物の弱点である。

 そこを潰されればほとんどの生物は死ぬ。

 なのに、クーロンズヒュドラは死ぬ気配も見せてはいなかった。

 

「だったら! 『フリーズガスト』! 『インフェルノ』! 『エナジー・イグニッション』!」

 

 詠唱に手をかけない、魔法の数で仕掛ける猛攻。

 ゆんゆんの魔法三連発は首の一本を凍らせ、首の一本を炭になるまで焼き、首の一本を内部からの発火によって焼き焦がした。

 が。

 凍った首は魔力を巡らせ解凍完了。炭になった首の内側からは新しい首が炭まみれになりながらも這い出てきて、内部を焼かれた首は軽い再生だけでそれを乗り越えていた。

 

「……駄目よこれ! 駄目なやつ! 皆、逃げてっー!」

 

 使用魔法の選択と、注ぐ魔力の量を間違えれば、首一つ潰すこともできない。

 最適な魔法運用でようやく首一本落とすことが可能で、首一本落とすくらいでは痛手にもなっていない。最悪だ。

 これでは、ゆんゆんが必死に削ってもゆんゆんの魔力の方が先に尽きるだろう。

 小島サイズの体に年単位で溜め込まれた魔力は、信じられないくらいに膨大だった。

 

 ゆんゆんの反撃の結果と張り上げた声が、湖から離れていくアクシズ教徒達の足を速める。

 

「ふはははははははっ!

 とうとう私の出番が来たようですね! 颯爽登場、真打登場!

 我が前に壁はなく、我が前に敵はなし!

 大言壮語のようなこの名乗りを、現実のものとするのが我が究極の破壊魔法!」

 

 そんな中で、ヒュドラから逃げる者達の中で、一人だけ逆の方向を向いている少女が居た。

 

「黒より黒く闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆(こんこう)を望みたもう!」

 

 少女の中には、ちょっとビビっている気持ちもあった。

 だがそれ以上に、"これを爆裂魔法で仕留められたら最高にかっこいい"という気持ちが大きく、そちらの気持ちが勝ってしまった。

 掲げられた杖を通して、人類最高峰の魔力が形を結んでいく。

 

「覚醒の時来たれり、無謬(むびゅう)の境界に落ちし理! 無形(むぎょう)の歪みとなりて現出せよ!」

 

 かくして、凄まじい威力の爆裂が放たれた。

 

「―――『エクスプロージョン』ッ!!」

 

 爆焔が、クーロンズヒュドラを飲み込んでいく。

 それはあたかも、ヒュドラより巨大な炎の竜がヒュドラを食らうかのような光景だった。

 

 島を例えに使われるほどに巨大な竜の八本の首が、全て爆焔に飲み込まれる。

 ヒュドラの登場時に周囲の地面に撒き散らされた湖の水が一瞬で蒸発し、大地に染み込んだ水が水蒸気へと変わった。

 位置が悪かったアクシズ教徒の鼓膜が破れ、即座にヒールで回復させられている。

 直撃しなかったワニ達は爆焔で吹き飛ばされて湖から遠ざけられ、細い木は折れ、さほど巨大ではない岩も地面から引っこ抜かれて転がっていく。

 

 クーロンズヒュドラの首全てを吹き飛ばし、胴体を丸焦げにして、めぐみんは全魔力を使い果たしてぶっ倒れた。

 

「す……凄ええええええ!!」

「こりゃ当初の予定クエストでは使い所ないわけだ……」

「あ、あんだけ頑丈で再生もしてたクーロンズヒュドラが、一撃で……」

 

「ふ、ふふふ……見ましたか……我が爆裂魔法の威力を……私、最強ぅ……!」

 

 今日の爆裂魔法は、格別に出来がいいものであった。

 威力、範囲、当て所、全て最高。これ以上の爆裂魔法を、めぐみんは過去に撃ったことがない。

 その直撃は、クーロンズヒュドラの首の全てを綺麗に吹き飛ばし――

 

「あ、再生した」

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

「逃げろぉー!!」

 

 ――ただそれだけの結果に終わった。

 

 首の全てが再生する。

 流石に全部の首を一気に再生させるのには時間がかかるのか、今度ばかりはやや時間をかけていたが、それでもほんの短い時間だ。

 爆裂魔法でさえ、最高の当たり所に当てても首の全てを吹き飛ばすのが限度。

 万物を壊す純粋魔力爆発でも、ヒュドラの魔力を大きく削るのが限界。

 そして、クーロンズヒュドラは首を全て失った程度では死なない。

 爆裂魔法が一日一発しか撃てないことを考えれば、この時点でクーロンズヒュドラを仕留められる可能性は、そのほとんどが絶たれたと言っていいだろう。

 

 皆がまた逃げるが、そこで一人のアクシズ教徒がヒュドラの足元の人影に気付く。

 

「お、おい、あれを見ろ!」

 

 そこには、紅魔族ローブやペンダントなど、身に付けていた大事な物を全て脱ぎ捨て、ヒュドラを体一つで押し留めているむきむきが居た。

 

「むきむきさんがクーロンズヒュドラの足を掴んで押さえつけてくれてる!」

「そうか、だからヒュドラは湖から出て来てから一歩も前に出てなかったのか!」

「なんてパワーだ! 見ろ、クーロンズヒュドラの体から煙が吹き出してる!

 あれは魔力だ! 漏れた魔力が煙みたいになってるんだ! スモーク、スモーキング!

 むきむき君のあのパワーは、噂に聞く遠国のスモウキング・ヨコヅナに匹敵している!」

 

 ヒュドラを押し留めて皆が逃げる時間を稼ぐ。

 ヒュドラの動きを止めてゆんゆんの魔法が当たるようにする。

 ヒュドラを押し付けめぐみんの爆裂が当たるようにし、爆裂の瞬間には湖に潜って回避、爆裂直後にはまた足止めを再開する。

 この戦闘において、このタイミングまでむきむきが果たしていた役目は、まさしく縁の下の力持ちであった。

 

 だが、それもここまで。

 皆が距離を十分取ったのを確認し、むきむきはヒュドラを抑えるのをやめる。

 そうして後方に下がり、助走をつけて飛び上がり、頭の一つに急降下飛び蹴りを繰り出した。

 

「バカな! あの魔法が通じなかった怪物に一人で挑むってのか!? 無茶だ!」

「いや待て! むきむき君なら! あの筋肉ならやってくれるはずだ!」

「ああそうだ、魔法が駄目なら筋肉だ! 道理には適ってる! 行けー!」

 

 そして、そのまま空中でぱくりと食われる。

 

「「「 食われたー!? 」」」

 

 蛇の習性をそのまま持っているのか、ヒュドラはむきむきを丸呑みにしたようだ。

 それを見て、ゆんゆんは首を切って助けるべきか一瞬迷い、めぐみんが真っ青な顔で狼狽える。

 

「む、むきむきぃー! ど、どうしましょうゆんゆん! むきむきが、むきむきが!」

 

「うろたえないで! もう、なんでめぐみんはこう想定外に追い詰められると弱いの?!」

 

 やべえどうしよう、と皆の心が一つになった、その十秒後。

 何故か突如苦しみだしたヒュドラの腹を手刀でかっさばき、そこから血まみれのむきむきが這い出てくるのであった。

 サウザーの如き手刀による腹の切開は、まさしく帝王切開と呼ぶべきものだった。

 

「ぷはぁっー! 息できなくて死ぬかと思った!」

 

「むしろ何故死なないのか小一時間問い詰めたい!」

 

 めぐみんがちょっとほっとして、血濡れで左手に何か大きな肉塊を持っているむきむきに、ゼスタが引き攣った笑顔で話しかける。

 

「ご無事で何より……ところでむきむき殿、手に握ってるそれはなんですかな?」

 

「クーロンズヒュドラの心臓です。

 口から入って、胃に入る前に食道を手刀で切り開いて体内に侵入。

 鼓動を頼りに心臓を見つけて、真っ二つにしてから心臓中心部分を引きちぎってきました」

 

「なんて怖い殺し方してるんですか!?」

 

「でも駄目ですね。首が駄目なら心臓、と考えたんですが……」

 

 ヒュドラは心臓を破壊されても、平然とそれを再生して動き出している。

 これではダメだ。心臓を潰しても首を潰しても魔力で再生してしまうなら、現状これだけの戦力が揃っていても打つ手がない。

 再生も許さず殺し切るだけの一撃か、爆裂魔法を何発も撃ち込むような波状攻撃が必要となるだろう。仮に爆裂魔法を二発同時に当てても、それで仕留められるか微妙なラインだ。

 

「『ストーンバインド』ッッッ!!!」

 

 ゆんゆんが今ある魔力の全部を使って、なんとかヒュドラの首の一本を地面に固定する、小山に近い岩石の枷を構築する。

 だが、これも時間稼ぎにしかならないだろう。

 最悪、ヒュドラは自分の首をトカゲの尻尾のように自切できるのだから。

 

 焦るセナが眼鏡を指で押し上げ、冷静さに欠けた表情でむきむき達に訴えかける。

 

「ここは逃げて国軍に援護を要請しましょう! 騎士団も動いてくれる……は……ず……」

 

「? なんか歯切れの悪い言い方ですね」

 

「……今、王国軍は、魔王軍との戦いで、そのほとんどが動いています……」

 

「うわぁ」

 

「と、いうか。そもそもこのクエストの発端が発端です。

 おそらく、この湖の汚染はカレーとクーロンズヒュドラの合わせ技でしょう。

 カレーの汚染をヒュドラが加速させたのだと思います。

 ヒュドラに限らず、水棲系モンスターは清浄な水を嫌います。

 おそらく目覚めた原因はアクシズ教徒の浄化魔法によるものということになるわけで……」

 

「あっ」

 

「アクシズ教徒はまたやらかしたということになり、特別指定注意団体に……」

 

「このメンツでヒュドラ倒さないと大変ってことじゃないですか!」

 

 客観的に見れば、カレーの不法投棄で湖を汚染し、ヒュドラによる汚染倍加を誘発し、浄化作業の過程でヒュドラを目覚めさせ、このタイミングで大暴れさせた問題児達。

 これはもう、国としても何らかの対応をしなければならないレベルだ。

 たとえ当人達に悪気がなかったとしても、それで無罪を主張するのは「拳銃撃ったけど人殺すつもりはなかったんだ! たまたま人が通りがかっただけで!」と言うようなもの。

 絶対に無罪は無理だ。

 アクシズ教は悪死's教に転生することになるだろう。

 女神アクアが邪神扱いされる未来が確定しつつあった。

 

 その未来を回避するには、自分のケツを自分で拭く以外にない。

 目覚めたヒュドラが被害を出す前に倒し、"アクシズ教徒がクーロンズヒュドラを倒した"という名声と威圧で、『アクシズ教徒はそっとしておくべき』と国に認識させるしかない。

 功績で免罪を勝ち取り、威圧で平和を勝ち取るのだ。

 

「まあ王国の検察官として言わせていただければ、アレを倒すのは無理ですよ」

 

「でっすよねぇー!」

 

 とはいえ、それも無理なわけで。

 けれども、諦めるわけにもいかない。

 ほどなくアクシズ教団の頂点に立つ者として、一人の男は、決して心も膝も折らなかった。

 男は、自分の首をちぎって自由になったヒュドラの八対の瞳をじっと見つめて動かない。

 

 クーロンズヒュドラが周囲の岩や大木を八本の首で引っこ抜き、前衛職でも持ち上げるのに苦労しそうな巨大なものを、巨大な首で次々と放り投げてくる。

 

「ゴッドブロー」

 

 その中で人に当たりそうなものだけを、ゼスタが静かに、拳にて叩き落としていた。

 

「むきむき殿。アクシズ教団の未来を頼みました」

 

「ゼスタさん……?」

 

「このヒュドラを倒せたならば。あなたは教団の恩人となるでしょう。

 私達を見捨ててヒュドラを放置していったら、教徒に生涯付き纏われるでしょう」

 

「頼みごとに見せかけた脅し!?」

 

「では頼みました! ここは私に任せてお逃げ下さい! うおおおおおおお!!」

 

 アークプリーストは、前衛もこなせる万能職。

 その拳には聖なる力が宿り、振るう杖には退魔の力が宿るという。

 ゼスタは左で拳を握り、右に頑強な杖を握って、たった一人で足止めに走った。

 

「な、なんて定番にかっこいい言葉を……むきむき、逃げますよ!」

 

「でも、めぐみん!」

 

「ここで残っても意味ないでしょ!?

 私達も魔力が無い! プリーストの人達も水の浄化で魔力が無い!

 悔しいし、後で絶対に後悔することだけど……それでも! ここで終わらせちゃ駄目!」

 

「ゆんゆんの言う通りです!

 ここで私達が欠ければ、明日に誰がヒュドラを倒すんですか!?」

 

「……っ」

 

「選択肢は二つ! 恥を選んでゼスタさんの願いを叶えるか、そうしないかだけです!」

 

 逃げなければならないなんてことは、分かっていた。

 逃げたくない気持ちがあった。

 結局のところ心の中には迷いがあって、ゼスタのためにゼスタの援護に行くか、ゼスタのためにここから逃げるかしか、選択肢は無くて。

 

 迷った果てにむきむきは、最後の最後に『自分よりもこの二人の判断の方がきっと正しい』『自分の判断よりこの二人の判断の方が正しくあってほしい』という気持ちから、逃げを選択する。

 

「……ごめんなさい」

 

 その選択の仕方は有り体に言って最低だった。

 だが、ゼスタの気持ちを尊重しようとする気持ちも、ゼスタに謝る気持ちも、どちらも本物で。

 明日にゼスタの死を知れば、きっと彼の心の中には消えない後悔が刻まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 が。

 アクシズ教徒は、世界の条理をぶっ飛ばし、ウザさで残酷を塗り潰す者。

 

「恥ずかしながら、今戻りました」

 

「戻って来たァー!? ゼスタさん、生きてたんですか!?」

 

「いやはや、女神アクア様のご加護です。日頃の行いがよかったからでしょうね」

 

「日頃の……行い……?」

 

「ところで今日の晩御飯のメニューを聞きたいのですが」

 

 その日の晩御飯が始まる前の時間帯に、ゼスタは割と余裕な感じで帰って来た。

 

 

 




 「綺麗に死んでおけばよかったのに……」と、セナは呟いた。


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2-3-3

 このすばで割と人気の高いキャラは貧乳の法則。めぐみん、エリス様、アイリスで人気投票も三トップです。
 カズマさんも一人選べと言われたら、三人の人格や容姿をじっくりと頭の中で吟味した果てに、おっぱいが大きい美人の女性を選ぶと思います。
 そのくらいには人気キャラです。


 大物賞金首とは、仕留められないから大物賞金首なのだ。

 基本的に低リスクで倒せる敵の討伐報酬が低く、命の危険が絡む高リスクな敵の方が討伐報酬が高くなければ、報酬や賞金といったシステムは回らない。

 

「紅魔族の頭脳でズバッとやっつけちゃって下さい。さあ、遠慮なく!」

 

「よくそこまでふざけた無茶振りができますね!」

 

 めぐみんがキレる。こんなこと言われたら誰だってキレるというものだ。

 クーロンズヒュドラは、ゼスタによるネトゲ粘着のような時間稼ぎが終わった後、湖の汚染を開始した。その内大地からの魔力吸い上げも行われるだろう。

 魔力はどの程度まで回復しようとしているのか。今の住処である湖を離れて人里に来る可能性はあるのか。その辺りでさえ推測の目処が立たないのだ。

 なのに倒さなければならないという。

 倒す策を考えてくれと言う。

 そらもう怒って当然である。

 

「爆裂魔法でも当たりが良くなければ良くて五、六本の首を持っていくのが限界です。

 ゆんゆんの上級魔法で削った方がまだ効率がいい。

 そんなゆんゆんの魔法でだって、相当な日数をかけなければ殺し切るのは無理ですよ」

 

「確かに。アレが内包している魔力は、相当なもののようでしたからな」

 

 ゼスタがあごひげをいじりながら、困ったように苦笑している。

 

「むきむきのパワーをぶつけてもそうです。

 むきむきの筋力はとんでもないですが、それでも上級魔法や爆裂魔法と比べれば……

 火力が、無いです。破壊規模が小さいんです。首か心臓を一つ潰すのが限界なんです」

 

「だね。ちょっと、僕も相性が悪い」

 

「やはり結論は、"倒す前に魔力と体力が尽きるから無理"です。

 アクシズ教団が面倒な指定を受けないためには、すぐ片付けなければいけません。

 ですがおそらくこのメンバーでは一ヶ月はかかるでしょう。無理ですよ、無理」

 

「そうですか……」

「どうすりゃいいんだか」

「アクア様、どうかお導きを……

 この窮地の打開策と、明日揉むエリス教徒の乳を貧乳にするか巨乳にするかお導きを……」

 

 学年トップの頭脳を持つ上、こだわりのある部分を除けば、ゆんゆんよりも遥かに柔軟で実戦向きの思考力を持っているのがめぐみんだ。

 普段は戦闘=爆裂という困ったちゃんな思考だが、それが通じない状況になれば、優秀な頭脳は普通の方面で回り始める。

 ゆんゆんとむきむきも考えてはいるが、こういう状況であるのなら、めぐみんが思いつけない以上他の二人も思いつけないだろう。

 自然と、周囲の期待はめぐみんに集まっていた。

 

 こういう、その場のテンションでまとめて脇に置いておけない、一発勝負でガンガン心にのしかかってくる周囲の期待という重圧が、めぐみんはどうにも苦手だ。

 自分の失敗が他人の破滅に繋がると思うと、もっと苦手に感じられてしまう。

 めぐみんは爆裂魔法で他人にかける迷惑をコラテラル・ダメージとして割り切れるだけで、自分の失態で他人が破滅することを割り切れるほど無情でもない。

 

「皆さん、何かスキルはないんですか?

 敵からの魔力の吸収と放出が可能なスキルとか……」

 

「そんなのがあったら、吸った魔力をめぐみんに放出して爆裂魔法連発させてるでしょ」

 

「そりゃそうなんですが、希望を探してみたいじゃないですか」

 

 当然ながら、この状況を一発で打開できそうなスキルを持つ者の手は上がらない。

 そんな者が居るわけもない。

 万の策を考えたわけでもないが、既に万策尽きた感覚はある。

 

 半ば諦めているめぐみんだが、その横顔を、むきむきがじっと見つめていた。

 

(そういう目で見るのは止めてほしい)

 

 相手の強さを信じる目だ。

 相手の可能性を信じる目だ。

 何が何でも信じ抜く目だ。

 少年は、少女がこの状況を爆裂させ吹っ飛ばすような何かを思いつくことを、心の底から信じている。

 

 そんな目で見られても何も思いつきませんよ、と心の中で独り言ちて、めぐみんは彼と目を合わせようともしない。

 その目で見られると、やる気が出てしまう。

 出来るわけがないのに、挑む気が湧いてきてしまう。

 時々自分がその目で彼を見ている自覚があるだけに、めぐみんはその目をやめろと言い出せなかった。

 

 帽子を目深に被り直すめぐみんをよそに、むきむきは隣のゼスタにふと思い出したことを問う。

 

「そういえばゼスタさんは、どうやって生き残ったんですか?」

 

「ゴッドブローとゴッドレクイエムで噛みつきを弾いていただけですよ。

 自分に強化魔法をかけてひたすら耐久戦です。

 モンスター寄せの魔法(フォルスファイア)で動きの誘導、隠れて結界を使って木陰に潜んで休息……

 後はそうですな。セイクリッド・クリエイト・ウォーターを顔にぶっかけたくらいでしょうか。

 とにかくスキルを回しておちょくっていた記憶があります」

 

「『おちょくる』と表現してるのが実にゼスタさんだなあって思います」

 

 その会話に、めぐみんは何か引っかかるものを感じた。

 

「……ん? スキル?」

 

 頭の中で、何か着想を得られた感覚。

 学校で習った知識。一年里に留まり蓄えた知識。

 里の大人から得た知識。里の外で得た知識。

 この世界の基本法則と、モンスターの習性。

 セナから得たクーロンズヒュドラに関する記録の内容。

 紅魔族三人の持つ能力。

 そして、アクシズ教団という能力はあるアンポンタン軍団。

 

 めぐみんの頭の中で、勝利に至る光の道が一本だけ繋がった。

 

「試してみる……価値は、ある?」

 

「何か思い付いた? めぐみん」

 

「所詮思いつきですけどね」

 

 めぐみんの献策は皆に驚きをもたらしたが、その考えは理に適っており、驚かれるだけで抵抗なく受け入れられる。

 翌日の朝に、最後のクーロンズヒュドラ討伐戦を始めることだけを決めて、その夜の作戦会議は終了した。

 

 

 

 

 

 むきむきの服の一部は、ヒュドラの体内に潜る時に牙に引っ掛けてしまうなどして、所々が破けていた。

 血の汚れ自体は、水に漬けておいてまとめてピュリフィケーションをかければいい。

 アクシズ教徒はこういう時にも有能だった。

 

「このくらいなら、簡単に直すことくらい難しくもないですよ」

 

 切れてしまった部分は、めぐみんが丁寧に縫って直していた。

 めぐみんの家は貧乏である。年中金欠だ。そのため、ボロくなった服も捨てられない。

 めぐみんも幼少期から、自分の服に空いた穴をぶきっちょに縫って塞いでいたものだ。

 そのためか、多少なら裁縫の心得があった。

 アクシズ教徒から体を隠す大きな布を貸してもらったむきむきの前で、少女は慣れた手つきの裁縫を続ける。

 

「ありがと、めぐみん」

 

「まさかタダで直してもらえるだなんて思ってませんよね?」

 

「……次の街で美味しそうなご飯屋さんがあったら、奢るよ」

 

「よろしい。いやあ、楽しみですね! 次の街は観光の街ドリスですし!」

 

 喋りながらも、その手は止まらない。

 裁縫のスキル持ちには及ばないが、それでもかなり器用な手つきだ。

 魔道具職人の娘という肩書きは伊達ではない。

 ……尤も、手先が器用なだけで、めぐみんは魔道具を作る時にすら爆裂させてしまうのだが。

 

 むきむきは彼女の手の中で動く針と糸を見て、思ったことをそのまま口に出していた。

 

「めぐみんはいいお嫁さんになりそうだよね」

 

「誰のです?」

 

「え?」

 

「誰のお嫁さんかと聞いてるんですが」

 

「特定の相手が居るの?」

 

「居ませんよそんなの。想像したこともないです。

 ただなんというか、お嫁さんになれただけで嬉しい人なんて本当に居るんですかね?」

 

「ええ? どうなんだろう……?」

 

「『誰の』が、一番重要だと思うんですが」

 

 ませていると言うべきか。大人っぽいと言うべきか。クールな一面があると言うべきか。

 むきむきと比べれば、めぐみんの方がまだまっとうな恋愛観を持っている。

 とはいえ、この二人は両方共恋愛経験など無いのだが。

 

「恋愛とか、僕もよく分からないなあ」

 

「年齢一桁で分かる子供も居ると聞きます。

 いつまで経っても分からない大人も居ると聞きます。

 そんなもんなんじゃないでしょうか。恋は衝動とも聞きますし」

 

「ああ、めぐみんにとっての爆裂魔法みたいな……」

 

「あなたもゆんゆんも、私をなんだと思ってるんですか。

 確かに私は爆裂魔法しか愛せませんが、その気になれば素敵な恋人の一人や二人……」

 

「いや、別にそこは心配してないよ」

 

 ゆんゆんであれば今でも「めぐみんが色恋沙汰とかないわー」と言うだろうが、この少年の認識は、ゆんゆんのそれとは少しだけ違っていた。

 

「めぐみんはいいお母さんになるんじゃないかな」

 

 目を閉じて、めぐみんの母のことを思い浮かべて、少年は確信を滲ませてそんなことを言う。

 歳下の少年からそんな変なことを言われて、めぐみんは露骨に溜め息を吐いた。

 

「ならあなたは、きっとダメなお父さんになることでしょう」

 

「え、なんで?」

 

「あなたは、根本的にダメな人間だからですよ、

 子育てで絶対に躓いて、子供に唾吐かれるのが目に見えます」

 

「嫌なことを断言された!」

 

「ま、そんなくだらない話は置いておいて。縫い終わりましたよ」

 

「お、ありがとう」

 

 アクシズ教徒から借りた大布のしたでもぞもぞと動き、むきむきはめぐみんが縫ってくれた服を身に付ける。

 服がこれ一着しかないということはないが、明日もヒュドラと戦うのであれば、ボロボロになる服は一着だけでいい。

 

「今大事なことは、そんなことではありません。

 奴が……クーロンズヒュドラが、正しく生きたドラゴンだということですよ」

 

「?」

 

「既に殺された後のドラゴンゾンビとは話が違います。

 奴を殺せば、私達は明日から堂々と『ドラゴンキラー』を名乗れるのです!」

 

「!」

 

「分かるでしょう! この称号のかっこよさが!」

 

 むきむきの感性は、めぐみんとゆんゆんのちょうど中間だ。

 ゆんゆんのような里の外の感性基準の人間ではない。

 彼もまた、紅魔族である。

 

「よし勝とう、明日のドラゴンキラーめぐみん」

 

「ええ勝ちましょう、未来のドラゴンキラーむきむき」

 

 ドラゴンキラーの称号に魅せられた、中学二年生の年齢間近な少年少女二人組は、脇に置いていた紅魔族ローブを身に纏い、鳴り始めた腹を癒やすべく晩餐の戦場へと赴いた。

 

 

 

 

 

 アクシズ教徒は、真面目な雰囲気を母親の腹の中に置いてきたかのような者達である、

 

「第一回! 『アクシズ紅魔チキチキ一発芸交流大会』ー!」

 

「「「 イェーイ! 」」」

 

 明日に一大決戦を挑もうというその前日の夜に、彼らはなんと一発芸大会を開催していた。

 

「はよ寝ろ!」

「考えることを紅魔族に丸投げして準備してたのがこれですか!」

 

 むきむきとめぐみんの叫びが響く。

 

「まあまあ。これは明日に備えて我らアク紅同盟の英気を養うという意味があって……」

 

「嘘です! 絶対嘘です! 何も考えてませんよねあなた達!?」

 

「ゆんゆんさん、私はもう寝ます。明日の朝起こして下さい」

「あ、セナさん逃げ……もう居ない!?」

 

 器用に立ち回って姿を消したセナとは違い、むきむき達はどうやら逃してはもらえない様子。

 

「エントリーナンバー一番! 一発芸やります! 『花鳥風月』!」

 

「おおおおおお!」

「出た、あいつの十八番!」

「ヒールとピュリフィケーションと宴会芸スキルしかできないもんなお前!」

 

 やんややんやと盛り上がりながら、アクシズ教徒達が次々と一発芸を披露していく。明日の大勝負に向けての緊張感がまるでない。

 

 ちなみに多々ある例外を除けば、レベルが1上がる時に手に入るスキルポイントは1ポイント。

 有用な片手剣スキルであれば、習得に必要なスキルポイントは1ポイント。上級魔法なら30ポイント。爆裂魔法なら50ポイントという膨大なポイントが必要となる。

 宴会芸スキルは冒険者が覚えると一つだけで5ポイント持って行かれたりもする。あまりにも無駄過ぎるポイントの浪費であった。

 

「逃してもらえなさそうですね……ちょっと二人共待ってて下さい」

 

 めぐみんが離脱し、むきむきとゆんゆんが面白い一発芸に笑ったり、身内ネタで爆笑を取っているアクシズ教徒に作り笑いと合いの手を入れたりと苦心する時間が始まる。

 めぐみんはそこまで時間を置かず、パンや食材を手に戻って来た。

 

「むきむき、火を」

 

「はいさ」

 

 筋肉式指パッチンが火を灯し、めぐみんがその火種を育て、火でパンと肉を炙り始めた。

 

「あ、その肉、ヒュドラの心臓?」

 

「そうです。毒は無いそうですが、あったらあったで解毒してもらいましょう」

 

 この世界では、毒があるが美味いという生き物を食べ、治癒スキルや状態異常耐性でそれを乗り越えるという美食スタイルも、そう珍しいものではない。

 フグの踊り食いも、旨味成分が毒であるキノコの生食も余裕だ。

 めぐみんはクーロンズヒュドラのハツという、捕獲レベルが高そうで誰も食べたことがなさそうな肉を薄く細く切り分けていく。

 食べやすくしたその肉をソースの器の中に通し、デミグラスソースとガーリックソースの中間に近いソースをたっぷりと付け、レタスと一緒にパンに挟む。

 炙られたパンも、熱々なのがひと目見るだけで分かるほどだった。

 

「どうぞ」

 

「いただきます」

 

 むきむきがそれを口に運べば、ジューシーで濃厚な味わいの肉、それ単体でも美味いパン、アクセントを付けるシャキシャキしたレタス、それらを上等に仕立てるソースのハーモニーが、彼の舌を唸らせた。

 

「すっごく美味しい!」

 

「ま、こんなもんですよ」

 

「嫁力勝負とかしたらめぐみんはゆんゆんに生涯無敗で行けそうな気がする」

 

「!?」

 

 突然の流れ弾がゆんゆんを襲う。

 女子力、嫁力、そういう分野でまでこの頭爆裂女に負けてしまうことは、ゆんゆんの中のプライドが決して許せぬことであった。

 

「そ、そんなわけないわよ!

 貧乏癖が抜けなくて、適当な時は物凄く適当なめぐみんに、負けるわけないじゃない!」

 

「はっ」

 

「鼻で笑った!? な、なによ、こんなもので!」

 

 ゆんゆんが自分の分のパンを奪い取るように受け取り、肉と野菜とパンの連携攻撃へと挑む。

 そして、あっという間に完敗した。

 料理漫画特有の"美味い料理には勝てなかったよ……"エフェクトがゆんゆんを包み込む。

 

「……美味しい……パンとお肉の炙り具合が絶妙で……」

 

「これも勝負にしておきますか? ゆんゆんの負けということで」

 

「……わ、私の心が、既に負けを認めてる……! で、でも! すぐに勝てるようになるから!」

 

 しかもこの料理、『魂の記憶』が詰まったヒュドラの心臓の一部を使っていたからか、食べるだけで多少の経験値が得られる代物であった。

 

 ゆんゆんは レベルが あがった!

 

「あ、レベル上がった。今ので!?」

 

「ほう。戦いを控えた前夜にこれとは、流れが来てる感じがしますね」

 

 ゆんゆんのステータスとスキルポイントが上昇する。

 一発芸でやんややんやと盛り上がっていたアクシズ教徒も、そのレベルアップを自分のことのように喜んでくれていた。

 

「おめでとう!」

「おめでとう!」

「おめでとう!」

 

「あはは、ありがとうございます」

 

「流れ来てるよ来てる来てる!」

「さあゆんゆんさん! 皆の注目を集めたこの流れで、一発芸を!」

「紅魔族の最高の一発芸を見せてくれ!」

 

「え?」

 

 落とすために上げるような前振りの流れ。

 

「ゆーんゆん!」

「ゆーんゆんっ!」

「ゆーんゆん! ゆーんゆん!」

 

「え、ちょっと待って、私一発芸なんて……!」

 

「ゆんゆんの! ちょっといいとこ見てみたい!」

 

「煽らないでめぐみん!」

 

「ゆんゆん、できないならできないでいいと思うんだけど……」

 

「……! いいわ、むきむきにそこまで言われちゃ黙って下がれない!

 "どうせできないだろ"みたいな認識は、次期族長の沽券に関わるわ!

 見てなさい! この流れに負けないような一発芸を何かすればいいんでしょ!」

 

(あ、ヤバい僕やらかした。ヤケクソにさせてしまった)

 

 無茶振りをされて期待されると腰が引ける。

 でも「どうせできないんだろ」と思われるとイラッと来て、「できらあ!」と言ってしまうのが若い人間の青さであり、特権である。

 ゆんゆんは半ばヤケクソ状態だった。

 

「はい注目!」

 

 君は知るだろう。

 笑われるのではなく、笑わせることができるのなら、いくら感性が違おうとも、友達なんていくらでも作れるのだということを。

 

「はい右手の親指を左手で掴みました!

 このまま左手を動かして……はい、右手の親指が消えましたー!」

 

 沈黙。

 

「……」

 

 ダダ滑り。

 

「……」

 

 無反応。

 

「……」

 

 "お前それ指を掴んだふりして、こっそり親指たたんだだけだよな?"と指摘しないであげるだけの優しさが、アクシズ教徒にもあった。

 

「解散」

「明日に備えて寝るかー」

「皆さんお疲れ様っしたー」

 

「……え」

 

 皆が就寝の準備に入る。

 自分の芸に誰もが触れず、誰もが反応せず、ごく自然に一発芸大会がお開きになっていくその光景が、その優しさが、ゆんゆんの胸を抉った。

 呆然とする少女の肩を、ゼスタが軽く叩く。

 

「未熟さは罪ではありませんよ」

 

 去り際の優しい言葉が、めぐみんより大きいゆんゆんの胸を更に抉る。

 

「ドンマイです」

 

 珍しく、めぐみんが優しい声色でゆんゆんを慰める。

 トドメの一言が、少女の胸を深く深く抉っていった。

 めぐみんの胸を0とするならば、今のゆんゆんの胸は抉られすぎてマイナスの域に達している。

 

(死にたい……死ねば……死のう……)

 

 ゆんゆんは闇のビッチ(ダークサイド)と対になる光のボッチ(ライトサイド)の存在。愛用魔法も光のライトセーバーで、ムーネ・デカイウォーカーだ。

 彼女は今、一発芸が滑ったせいでダーチ・ネーナー卿に近づき、ダークサイドに落ちようとしていた。

 

 自殺してやろっかなー、と乾いた笑いを浮かべるゆんゆんの手を、そこで少年が手に取った。

 むきむきはゆんゆんの手に触り、興味深そうにくまなく調べる。

 

「え、な、何?」

 

「あ、なくなった指が戻ってる」

 

「「 は? 」」

 

 ゆんゆんとめぐみんの声がハモる。

 

「もしかして手品? どうやったの?」

 

「……」

「……」

 

 一人だけ、先程の一発芸に対し、ゆんゆんの胸を抉る反応をしなかった者が居たヨーダ。

 不意にちらっと騙されやすそうな一面を見せた少年に、ゆんゆんは"死んでられない"と責任感に似た決意を固め、死に至る羞恥心をどこかへと蹴り飛ばすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、朝。

 クーロンズヒュドラは湖を瘴気で汚染し、住処でしっかりと休むことで、体力と魔力を回復させていた。

 その湖周りの陸地の一角で、人間達が陣形を組んでいる。

 

「浄化開始!」

 

 フォーメーションはアタッカー兼ブロッカーむきむき。

 そのアシストのアクシズ教徒達。

 その後方にチャンスセッターのゆんゆん、フィニッシャーのめぐみんが控える。

 

 戦闘に使えるスキルを持たないプリースト達が湖の水を全力で浄化し、浄化が終わるやいなや湖から全力で離れていく。

 浄化した水が水流に乗り、湖底のヒュドラの肌に振れた時、ヒュドラは昨日の不届き者達が再び来ていることに気付いた。

 湖の水が盛り上がる。

 ヒュドラが来る。

 戦いが始まる。

 セシリーという女性がむきむきに各種支援魔法をかけ、準備も万端。

 この場に揃った者達は皆、めぐみんが昨日語っていた内容を思い出していた。

 

 

 

 

 

 昨晩のこと。

 めぐみんは、モンスターが身体的特徴・種族特性・固有能力として持つものが、スキル扱いとなっている点に目をつけた。

 

「種族固有スキルってあるじゃないですか。

 不死王の手とか、死の宣告とか。

 あれは各モンスターの生態で身体的特徴でもありますが……

 同時に、冒険者(にんげん)が覚えることができるスキルの一つでもあります」

 

「そうだね。僕は見たことないけど、理論上は人でも使えるはずだ」

 

「クーロンズヒュドラは魔力を使って体を再生しています。

 そして魔力を使い切っても消滅することはない。ですね、セナさん」

 

「はい、王国軍の過去の交戦記録にそうあります」

 

「つまりあれは、体が魔力で出来ているから再生に魔力を消費しているのではなく。

 確かな実体を、魔力を消費することで再生させているということで間違い無いはずです」

 

「勿体振るわね、めぐみん。つまりどういうこと?」

 

「魔力を消費して実体を修復する。

 それは人間が回復系スキルを使うプロセスと同じ。

 あの能力は『スキル』に区分されるんじゃないかってことですよ」

 

「!」

 

 この世界に存在する能力はそのほとんどが『スキル』に区分される。

 魔法使いが一から術式を組んで魔法を作っても、それもスキルに区分されるのだ。

 リッチーの手、デュラハンの指先など、体の一部に生まれつき備わった機能でさえ、この世界においてはスキルとして定義されている。

 

 スキルの本質は、能力や技能のシステマチックな継承と、システマチックな管理だ。

 ドラゴンは魔力の塊と言われるほどに多くの魔力を持つ生物だが、魔力で体を構築している生命体とは違い、確かな実体を持っている。

 クーロンズヒュドラの再生が"魔力を消費して体を自動で再生するスキル"である可能性は、非常に高かった。

 

「でも、それがスキルだったからといって何か変わるわけじゃ……」

 

「スペルブレイクです」

 

「―――!」

 

 その一言に、ゆんゆんが何かを思い出し、アクシズ教徒は予想外の発想に驚き、むきむきは首を傾げた。

 

「スペルブレイク?」

 

「正確にはブレイクスペルというスキル。

 あるいはセイクリッド・ブレイクスペルというスキルです。

 使い手の技量次第で、全てのスキルと魔法の効果を打ち消すことができます」

 

「!」

 

「これだけアークプリーストが居るなら、使える人も居るでしょう?」

 

 めぐみんの"ヒュドラの再生はスキルであり対処が可能"という言葉に驚きつつも、アクシズ教徒達の中から何人かの手が上がる。

 

「『再生』のスキルが一時だけでも無効化されれば、討伐のハードルはぐっと低くなります」

 

 めぐみんが手に持つ大きな杖が、こつんと硬い地面を叩く。

 無限に再生する、無敗の歴史を持つ、無敵の竜。

 その最たる強みに、ようやく付け入る隙があるという可能性が発見された。

 

「残るは火力。一時だけ再生を封じたその短い時間に、決め切る火力です」

 

 後は、首を全て失っても死なないヒュドラを、爆裂魔法でも首全てを吹き飛ばすことが困難なヒュドラを、殺し切る攻撃手段のみ。

 

「それも私に考えがあります。

 皆さんは明日、足止めとスペルブレイクを頼みます。

 さすれば、我々紅魔族が最高に華麗に決めてみせましょう!」

 

 めぐみんは、それにも何か考えがあるようだ。

 フィニッシャーは紅魔族。

 最後の一撃は、爆裂。

 自分の趣味嗜好を最後に混ぜてくるのが、本当にめぐみんらしかった。

 

 

 

 

 

 むきむきが、めぐみんの指示を何度も頭の中で繰り返す。

 眼前には、八ツ首の巨大な竜が迫ってきていた。

 この敵は、むきむきだとイマイチ相性が悪い。

 されど同時に、彼以上に足止めに向いている者も存在しなかった。

 

「そぅら!」

 

 首の一本が間近に迫り、むきむきが手の平に掴んだ砂を投げつける。

 爆発的な威力を得た砂は極短射程距離の散弾となり、ヒュドラの首を叩いて弾いた。

 砂粒は一つ一つが弾丸であり、ヒュドラの強固な鱗を貫くも、その傷さえあっという間に回復してしまう。

 

(僕一人だったら何ヶ月かけても削りきれない気がするこの回復力!)

 

 クーロンズヒュドラはむきむきを警戒しているようで、今度は首の内三つを投入して噛みつきを仕掛けて来た。

 右から来た首を右腕で、左から来た首を左手で、正面から来た首を右足で受け止めるむきむき。

 だがその代価として、むきむきはその場から一歩も動けなくなってしまった。

 

「危ない、むきむき君!」

 

「あ、ちょっと! 危ないから前出ないで下さい!」

 

 そこで、一人のアクシズ教徒が少年を助けるべく駆け出した。

 昨日の一発芸大会で大いに笑いを取っていた、回復と浄化と宴会芸しかできない青年だ。

 善意からアホな行動と馬鹿馬鹿しい結果を出すのがアクシズ教徒。

 むきむきは切羽詰まった声で止めるが、アクシズ教徒は止まらない。

 

「喰らえ、我が魂……花鳥風月!」

 

「!?」

 

 開いた扇子から、宴会芸スキルによって水が吹き出し、ヒュドラの三つの頭にかかる。

 放たれた清浄な水の流れは、ヒュドラが心底嫌うものであり、ヒュドラは思わず首を引っ込めてしまう。

 沸騰しているヤカンに触れた人が手を引っ込めるのにも似た、敵の生態と反射を利用した見事なアシストであった。

 

「え、宴会芸スキルに助けられるとは……ありがとうございます!」

 

「わたしもアーク宴会芸師の端くれですから!」

 

「すみません、アーク宴会芸師ってなんですか」

 

 そんな職業はない。

 とりあえずむきむきはその教徒を抱えて跳ぶように後退し、手近な太い木を引っこ抜いて、その両端を手刀で切り揃える。

 そうして、元は大木だった円柱状の武器を手に入れた。

 

「むきむきさんが丸太を持ったぞ!」

「凄ェ! なんで片手で振れるんだ!」

「ハァ ハァ 敵はあの巨体だ、丸太を武器にするのは理に適っている」

「うわなんだここは、ヒュドラの血で滑るぞ!」

 

 ヒュドラの八本の首と、一本の丸太が幾度となく衝突する。

 ある一撃は、ヒュドラの首の骨をへし折った。

 次の一撃は、その首が再生する前に、次の首を叩き潰した。

 だが三度目の一撃は噛みつきで止められ、大木の端を噛みちぎるようにこそぎ取られてしまう。

 

「そんな! 丸太がやられた!」

 

 むきむきはこそぎ取られた部分に手刀をぶつけ、形を整える。

 そうして巨大な木杭を作り、ヒュドラの首を地面に縫い付けるように貫いた。

 

「よいしょー!」

 

 ヒュドラの動きを、一時ではあるが封じるための杭。

 めぐみんの要望通り動きを止めたむきむきは、大なり小なり胴体にダメージを与えていく段階に入る。

 ヒュドラの胴体を殴っていくむきむきの動きを見て、ゼスタは面白そうに口角を上げた。

 

「ほう」

 

 ゼスタのゴッドブローは十年単位で使ってきた技。

 スキルの補正で体が効率良く動かされ、その動きで悪魔やモンスターを屠ってきた技だ。

 以前見た時にその動きを焼き付けていたのか、今のむきむきのパンチのモーションには、ゼスタの動きを真似ていると見られる部分がいくつかあった。

 対人が想定されていた幽霊の技が、また別の大人の技を学ぶことにより、この世界に最適化された形に進化し始めている。

 

「牛歩であっても前に進み続けるのが若者の特権ですな」

 

 "自分の若い頃を思い出しますぞ"と笑って、ゼスタは支援魔法を発射する。なお、彼は子供の頃から一貫して変態だった。

 

「『パワード』! 『スピードゲイン』! 『プロテクション』! 『ブレッシング』!」

 

 筋力増加、速度増加、防御力増加に幸運増加。

 支援魔法を盛りに盛られた少年は踏み込み、敵の腹に向けて手刀を振り上げた。

 

「『ライト・オブ・セイバー』! あっやべっまた詠唱忘れた!」

 

 クーロンズヒュドラの腹が切り開かれ、内臓が見えるほどに深く斬撃痕が刻まれる。

 動きは止めた。

 ある程度の肉体的ダメージを蓄積させ、腹も切り開いた。

 二度目の強化魔法も受けた。

 

 作戦の通りに行くならば、ここで次の段階に入ることになる。

 

「ゆんゆん!」

 

 むきむきは声で、ゆんゆんに次手のバトンを投げた。

 

 

 

 

 

 声で渡されたバトンを受け取り、ゆんゆんは杖先をヒュドラに向ける。

 

「『カースド・ペトリファクション』―――ッッッ!!!」

 

 いつもより大きな声で。

 いつもより大きな気合いで。

 いつもより多い、今の自分の全魔力を込めた魔法を発動する。

 昨晩手に入ったスキルポイントまでもを注いで強化した、対象を石化させる魔法であった。

 

 先の戦いで、ゆんゆんの魔法で受けたダメージ、むきむきの攻撃で受けたダメージ、爆裂魔法で受けたダメージから、めぐみんはヒュドラの魔法抵抗力にあたりをつけていた。

 ヒュドラの抵抗力は、おそらく高くはない。

 ドレイン系のスキルやバインド系のスキルに抵抗することもできない代わりに、強靭な肉体と規格外の再生力を持つタイプ。

 魔法への防御手段が、物理防御力しかないタイプ。

 

 それを聞きゆんゆんが提案したのが、石化魔法の使用だった。

 

「これが、私の、今の全力っ……!」

 

 ヒュドラの全身が石化していく。

 石化は破壊ではない。破壊部分に作用する再生スキルも、これでは発動しないだろう。

 ゆんゆんの魔力は、中級魔法でも普通の人間の上級魔法に匹敵するほどの域にある。

 そんな彼女が全魔力を込めた石化は、小島サイズの大怪獣ですら、たった一撃で丸ごと石化させていた。

 

(ヒュドラの全身が脆い石に変わった!

 再生もまだ働いてない。ここで、爆裂魔法以上の威力を叩き込めれば……!)

 

 ここまでは、順調だった。

 

 だがヒュドラは石化しただけで、まだ死んではいなかった。

 長い時間をかけて大地から吸い上げた魔力を全身に巡らせ、ヒュドラは最大限に魔力を活性化。

 全身にかけられた魔法効果を、膨大な魔力の循環で無理矢理に無力化し、一度は石になった自分の体を戻そうとし始めていた。

 

「!」

 

 これはめぐみんが大部分を考案し、ゆんゆんやゼスタなどが補強した作戦において、全く予想されていなかった予想外の行動だった。

 このままでは、作戦が失敗する。

 そう考えたアクシズ教徒の行動は早かった。

 

「『セイクリッド・シェル』!」

 

 主に悪魔などを封印するために使われる、封印の術式。

 術者の信仰心や捧げてきた祈り、発動の触媒などが成功率に影響するこのスキルは、アクシズ教徒達の女神アクアへの愛を糧として発動する。

 クーロンズヒュドラが瘴気等で魔としての側面を増大させていたこともあり、封印術式が力任せに作用して、ヒュドラの魔力循環の邪魔をした。

 忘れてはならない。

 嫌がらせや他人の足を引っ張るという分野であれば、アクシズ教徒に対抗できるものなど、それこそ紅魔族くらいしか居ないのだ。

 

「今よ、むきむき!」

 

「了解!」

 

 石になったクーロンズヒュドラを、アクシズ教最高のアークプリーストによって筋力強化されたむきむきが、持ち上げる。

 そしてそのまま、上空へと放り投げた。

 これでヒュドラは遥か上空。爆裂魔法を撃ち込んでも、仲間を巻き込む可能性はない。

 

「めぐみん!」

「むきむき!」

 

 ヒュドラが空へと舞い上がる最中(さなか)に、めぐみんは杖を通して魔力を高めて、むきむきはヒュドラを追い越すスピードで空に跳び上がる。

 地面に立つめぐみんと、投げ上げられたヒュドラと、跳び上がったむきむきが、その瞬間に一直線に並んでいた。

 

「奉霊の時来たりて此へ集う」

「黒より黒く闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆(こんこう)を望みたもう!」

 

 人類最強の攻撃手段を、杖という名の発射台に(つが)えるめぐみん。

 むきむきは空中で回転しながら急上昇したことで、燃える魔球の原理にて全身発火。

 空気を蹴って空中で止まり、重力と空気を蹴る力で加速しながら、全身を燃やし落ちていく。

 下から上に向けられた少女の杖とは対称的に、少年は上から下へと跳んで行く。

 

「鴆の眷属、幾千が放つ漆黒の炎」

「覚醒の時来たれり、無謬(むびゅう)の境界に落ちし理! 無形(むぎょう)の歪みとなりて現出せよ!」

 

 少女は空に巨大な魔法陣を描くのではなく、大地に極大の魔法陣を刻み、大地から空へと走る爆裂魔法の道を作る。

 トドメに狙う場所は、石化の直前にむきむきが切り開いた腹の傷口。

 彼女の決め技は、爆裂魔法。

 対し、彼の決め技はファイアーボール。

 トドメのファイアーボール、それは……むきむき自身が、ファイアーボールとなることだった。

 

「ファイアーボールッ―――!!」

 

「『エクスプロージョン』ッ―――!!」

 

「司祭ゼスタの名において命じます! 皆さん、全力を!」

「「「 『ブレイクスペル』! 」」」

「「「 『セイクリッド・ブレイクスペル』! 」」」

 

 上から下へ、背中を蹴り込む少年の蹴り。

 下から上へ、腹の傷の奥に押し込むような魔法の爆炎。

 二つの力が作用して、ヒュドラは体内で叩き込まれた魔法が爆裂。

 下と上、外と内からの二重衝撃により、再生を封じられ、脆い石となっていたヒュドラは爆散。

 

 再生などできようはずもないほどに、完璧に粉砕されていった。

 

「やったぁー!」

 

 ゆんゆんが達成感のあまり飛び跳ね、ぶっ倒れためぐみんを褒めに行こうと走る。

 アクシズ教徒達も皆喜び、大きな声を上げていた。

 

「下と上からの同時攻撃。確実に倒すための合体攻撃ってわけだ」

「昔見た二つの事故を思い出したよ。

 自分から壁に激突した馬車と、正面衝突した二つの馬車。

 二つを見比べると、後者の馬車の方が派手に壊れてたんだ」

「あーあったなそんなの。痛ましい事件だったぜ」

 

 そんなことを言っているアクシズ教徒達に、セナは眼鏡をくいっと上げて、恐ろしく冷たい語調で突っ込みを入れた。

 

「その事件の捜査担当者の一人として言わせていただきますが。

 あの事故は両方共お前達アクシズ教団が捨てたバナナの皮が原因だ」

 

「……」

「……」

「……」

 

「黙り込むなぁ! あれで怪我人が出ていたら、そこの全員ブタ箱行きになっていたと思え!」

 

 逃げ出すアクシズ教徒達。

 

「あ、こら待て!」

 

 追うセナだが、追いつけるはずもない。

 

「今日くらいお説教は無しで頼みますよー!」

「討伐成功討伐成功! 今夜は飲むぞー!」

「んひぃ、私は宴会と飲み会のためだけに生きてるんだー!」

 

 今日もアクシズ教徒達は楽しそうに生きている。

 彼らは強い。戦闘力というものを抜きにしても強い。

 こんな残酷な世界で、死んでいったものが生まれ変わりを拒否するほどに酷い世界で、彼らは毎日笑っている。

 それこそが強さ。彼らが持つ、周りに迷惑をかけるくらいの図太い強さ。

 

 こんな世界で好き勝手生きているということが、他人の常識や世界の普通なんて知ったこっちゃないと蹴り飛ばしていることが、毎日笑えていることが、彼らが持つ本質的な強さを、目に見える形で表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆で揃ってアルカンレティアに帰還して、アクシズ教徒達が街一つを丸ごと巻き込むような規模の宴会の準備を始める。

 

「いや、そんなに貰えませんよゼスタさん!」

 

「このクエストの主役はあなた達でした。

 一人三億、三人合わせて九億エリス。どうぞ、持っていって下さい」

 

 祭りのような宴会準備が行われているその横で、ゼスタとむきむきは報酬の件で話し合う。

 

「ハッキリ言いますが、アクシズ教徒が大金を持っても無駄遣いするだけです」

 

「本当にハッキリ言いましたね!?」

 

「まだ尻を拭く紙の方が紙幣より有意義に使われることでしょう。

 彼らに渡す金は、多少の借金を返せる程度の額で十分です。

 この宴会の開催費用に使って、残りを参加者で山分け……それでも多いくらいでしょうな」

 

 所詮は泡銭(あぶくぜに)。理性的に金を使っていけない教徒も多いアクシズ教団では、文字通り銭が泡のように消えていってしまうと考えるべきだろう。

 

「最前線で戦っている冒険者は皆このくらい稼いでいると聞きます。

 持ち歩けないと思うのであれば、ギルドにでも預けてみては?

 最上位の魔剣や魔杖が欲しくなれば、億単位の金がかかるでしょう。

 今は使い道を思い付かなかったとしても、金はあって困るものでもありますまい」

 

「それはそうでしょうけど……」

 

「ですが無理にとは言いません。

 要らないのであれば、我らアクシズ教団の布教活動資金に……」

 

「喜んで頂きます」

 

 金銭欲ではなく、"アクシズ教徒にこんな膨大な活動資金を与えてはいけない"という思考から、むきむきは金を受け取ることを決めた。

 ゼスタはニコニコと微笑んでいて、どうにも手の平の上で転がされている印象が拭えない。

 

「あの、こんな大金貰っても僕らも使い途が無いですが……

 もしかして、僕らの助けになると思って善意でこれを……?」

 

「それもありますが、私の勘がそうするべきだと言っています。

 ここであなたを助けておけば、それがアクア様の助けになる気がしまして」

 

「は、はぁ」

 

 底が見えない。

 普段はただのセクハラ親父なのに、器の大きさが測れない。

 常に微笑みを崩さず、自分を隠しているわけでもないように見えるその在り方は、透き通っているのに底が見えない海のようだった。

 

「そういえばセシリーさんの姿が見えないですね。

 戦いの前に強化魔法をかけてもらったお礼を言いたかったんですが……」

 

 底が見えない、と思ったむきむきは、同じように底が見えないというか、素の自分を見せているように思えなかった一人の女性を思い出した。

 アクシズ教徒達が宴会の準備をしているのに、セシリーと呼ばれていたかの女性の姿は見えない。

 ゼスタはむきむきの言葉に一瞬疑問を持ったようだが、すぐにむきむきがそう言った理由を理解して、口を開いた。

 

 

 

「彼女はアクシズ教団の人間ではありませんよ?」

 

 

 

 その、異常と違和感を感じさせたかもしれない事実に。

 その言葉を発したゼスタも、聞いていたむきむきも、何の違和感も持っていなかった。

 

「そうなんですか?」

 

「ええ、彼女は我が教団の優秀なシスターと同名の方でしてな。

 他宗派の人間ながら、アクシズ教徒に敬意を持って我々に協力してくれていたのです。

 なんでも、アクシズ教に興味があり、その教えを学びたかったのだとか」

 

「他の宗教にも変な人は居るんですね……」

 

「どうやら学びたいことを学び終えたようで、既に街を出て行かれましたよ。

 ですがあの感じなら、アクシズ教徒に改宗してくださることでしょう!

 いやめでたい! おっぱいも大きかったですしな! はっはっは!」

 

「あはは……」

 

「他宗派の支援魔法は重複します。

 むきむきさんもとんでもない力が出ていたでしょう?

 支援魔法一つでは、流石にあれほどの力は出ません。

 アクア様とはまた別の神を崇め、その力を借りていたのでしょうな」

 

「成程……エリス様とか?」

 

「ご冗談を。我々がエリス教徒を一時でも仲間に迎え入れるはずないでしょう」

 

「あ、確かに」

 

「いくつかあるマイナー神でしょうな。このご時世に、珍しい」

 

 彼らが彼女に疑問を持つには、あまりにも情報が足りていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、変装の解除という名の、変身だった。

 

 全身を隠すフード付きのローブを脱ぐ。

 髪の色と質を誤魔化すための金髪のカツラを脱ぎ捨てて、本当の髪を縛っていた紐をほどいて、纏めて上げていた肩まで伸びる黒い髪を開放する。

 口の中に入れていた入れ物の型を外して、それで頬を押し膨らませふっくらとした口周りを作るのをやめ、ほっそりとした顔つきに戻す。

 肩パッドとシークレットブーツを外し、少々背の高いややガッシリとした外見作りを止め、やや身長が低い華奢な自分を取り戻す。

 

 よく見ると分かる程度に、荒れた農家の娘のような手を偽装するスキンタイプのアームカバーを外し、白魚のような細く綺麗な手を露出する。

 目の色、声の質、纏う雰囲気を変える魔法も解除する。

 嫋やかに動いた指が目の下をこすれば、泣き黒子を隠していた塗料も剥がれる。

 田舎っぽく地味で色気の無い露出少なめな女性は消えて、代わりに妖艶で女性的で露出の多い女性が現れた。

 

 絶対に同一人物であると見抜けない、そんな変装。

 変装技術に長けた者でも、魔法のせいで見抜けない。

 魔法を解除できる者でも、魔法抜きの変装だけで十分なせいで見抜けない。

 魔法、スキル、そして単純かつアナログな変装技術。

 それらを複合的に組み合わせた彼女の変装は、事実上誰にも見抜けないものだった。

 

 おそらくは、人間の文明圏で破壊工作などを行っても、変装解除後の『黒髪の女』としてしか目撃情報が残らないほどに。

 

「クーロンズヒュドラ討伐ご苦労さん。褒めてやるよ、紅魔族とアクシズ教団」

 

 セシリーと名乗っていた女性は、森の中でドッペルゲンガーという、魔王軍に所属するモンスターに跪かれていた。

 

「お疲れ様でした。セレスディナ様」

 

 セレスディナの名前のスペルをいくつか抜いて、アクシズ教団に親近感を抱かれるように組み上げ、セシリーという偽名を名乗っていたこの女性は。

 魔王軍の幹部であり、同時に()()()()()でもあった。

 

「しかし、もう少し本名から遠ざけた偽名を使ってもいいのでは?」

 

「いいんだよ、これはあたしの趣味だ。

 第一『セレスディナが使う偽名』としてなら、『セナ』の方が近いだろ」

 

「……ああ、確かに。あの検察官の参加も予想済みでしたか」

 

「AがBを疑うかどうかをCの立場から見る。

 これ以上に人が疑念を抱く瞬間を見逃さない構図もない。

 あいつらが影で動く存在に感づいたとしても、その瞬間あたしも感づいてたさ」

 

 セレスディナがやったことはシンプルだ。

 アクシズ教団に入り、色んな人物を影で動かし、クーロンズヒュドラを移動させ、アクシズ教徒のカレーの書類に0を二つ書き加え、そのまま教徒を唆して今回のクエストを誘発し、その過程で警戒対象の紅魔族とアクシズ教徒の冒険者カードを確認する。

 工作員として幹部入りした彼女には、造作もないことだった。

 

「ほらよ、アルカンレティアのアクシズ教徒の職業とステータスとスキルの一覧だ」

 

「はい、確かに」

 

「んでこっちは例の紅魔族の方の職業とステータスとスキルの一覧」

 

「こちらも確かに」

 

「性格分析は後日改めて提出する。

 性格分析があれば、この先レベルアップでどんなスキルを取るかも見当は付くだろ」

 

「筋肉と爆裂は、まあ分かるとして。

 残りの一人は次に何のスキルを取ると予想しますか?」

 

「後で書類出すからそれまで待ってろっての」

 

 この世界において、大半の人間はステータス以上のことも、所有スキル以上のことも、職業の枠を飛び出したこともできない。

 この世界は、基本的にシステマチックであるからだ。

 剣技は剣スキルのスキルレベルという形で表され。

 爆裂魔法はスキルレベルで消費魔力と威力が決定され。

 詠唱や補助スキル等で多少は変動するものの、爆裂魔法でさえシステム的な処理が行われる。

 

 そのため、冒険者は自分のカードの中身を共闘する仲間くらいにしか見せたがらない。

 冒険者カードを見られれば、"自分にできること"が全て露呈してしまうからだ。

 

「そうだ、レッドとピンクに『よくやってくれた』と伝言頼むな。

 クーロンズヒュドラの運搬なんて面倒なこと、よくやってくれた」

 

「自分からすれば、それができるという時点で驚きですよ」

 

「あの二人の能力からすれば難しいことでもない。

 だから探してるんだけどな、モンスター使役の神器……

 レッドの能力と対になる、同系統の能力を持てる道具だっつー話だから」

 

「もう少しベルゼルグ貴族に探りを入れてみましょうか?

 あちらの貴族の誰かが持っていることは、まず間違いないと思いますが」

 

「やめろやめろ、今危ない橋を渡るんじゃねえ。

 お前らドッペルゲンガーはもう三人しか居ねえんだ。

 その貴重な能力と命を、危ない橋渡って浪費しようとするな」

 

 ドッペルゲンガーは、人間の姿をそっくりそのまま模倣できるモンスターだ。

 女神でさえ、ひと目見ただけでは人と区別がつけられない。

 記憶や精神までそのままコピーできないのは難点だが、人間社会に潜り込ませるスパイとしては優秀であり、人間からすれば悪夢のような存在である。

 

「先日も一つ、前線の勇者パーティを崩壊させました。

 人間は絆を謳いながら、外見でしか仲間を見分けられない愚かな生き物です。

 バレるはずがありません。自分は上手くやってみせますよ、セレスディナ様」

 

「そうやってエリスに目をつけられて何人潰された?

 十年前は二桁は居たよな、魔王軍のドッペルゲンガー。今何人生き残ってる?」

 

「……」

 

「調子に乗るな。あの女神は、能力以上に頭が回るぞ」

 

 人間の魔王軍幹部だけが持つことができる、唯一無二の強み。

 

 それは、戦力差があろうとも人間を舐めないこと、そして人間を理解できるということだ。

 

「いいか、これは情報戦だ。

 お前らが果たすべき最も重要な指示は、あたしの手足で在り続けること。

 余計なことはするな。仕掛けるべき時は全員で連携しろ。手堅く行けば勝てる戦争なんだ」

 

「……はい。無礼をお許し下さい、セレスディナ様」

 

「分かってくれりゃいいんだ。お前らの能力の高さは、あたしがちゃんと知ってる」

 

 魔王軍幹部、セレスディナ。

 得意分野は策略と謀略。

 人間をよく理解した作戦立案と、情報操作による籠絡と調略。すなわち『戦わずして殺す』ことを得意とする、魔王軍のブレインの一人。

 

「お前らは数が少ないんだ。ドッペルゲンガーの損耗は無視できない。

 自分の身の安全を第一に考えろ。

 人類側の戦力を削ることより、潜伏を続けることに集中しておけ。どうせもう長くない」

 

「長くないとは、やはり?」

 

「ベルゼルグのことだよ。次の大侵攻で王都は落ちる」

 

 ここ数年、魔王軍と人類の戦いは、少しづつ魔王軍有利な形に傾いている。

 

「それまでは小規模に気を引く侵攻だけになる。ゆっくり休んでおけ」

 

 王族も、転生者も、女神も、それら全ての存在と強さを認識した上で。

 

 セレスディナは、魔王軍の勝利を時間の問題でしかないと認識していた。

 

 

 




 闇のビッチ(ダークサイド)(処女)のセレスディナ。セナ=セレスディナ仮説をずっと妄想してたりするのですが、とりあえずこの作品においてはセナ≠セレスディナ設定で話を回していきます


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2-4-1 先輩気取りの新人達と、後輩ポジの天才達

 アニメ二期OPのカズマさんのダンスはカズダンスとか呼ばれるんだろうなと思っていたら誰も呼ばなくて、ジェネレーションギャップを感じます


 ある者が言った。

 

「紅魔族とか全員中二病の種族じゃねえか! ふざけんな!」

 

 結局のところ中二病とは、"自分が特別であると思うこと"である。

 中二病患者とは、他人よりも"自分が自分であることに誇りを持つ者"である。

 むきむきとゆんゆんには、生まれた時からそれがなかった。

 むきむきは自分の特性に起因する魔法の才能の無さのせいで、ゆんゆんは生まれつきの性質で、それぞれ紅魔族らしい『自分は特別なんだ!』という確信を持たずに生まれて来た。

 

 自分が好きでしょうがない。かっこいい詠唱をしてる自分が好きでしょうがない。かっこよく魔法を決める自分が好きでしょうがない。だから紅魔族は、皆毎日を楽しそうに生きている。

 紅魔族は自分が自分であるというだけで、自分が特別であると確信している。

 同様に、他の人間も特別であると確信している。

 

 むきむきにはそれが無かった。

 自分が普通じゃないと思っていた。けれど自分を特別だと思うことができなかった。だから、里基準での普通になりたがっていた。

 皆の普通に、混ざりたかった。

 自分に誇りを持つことができなかった。

 根っこのところで自分を信じきれていなかった。

 似た境遇のゆんゆん、目指すべき心の持ち主であるめぐみんが近くに居たことは、彼にとって最高の幸運だったと言える。

 駄目人間でもかっこつけるぶっころりー、ちゃんと子供扱いしてくれるそけっと、家族でなくとも迎える家をくれたひょいざぶろーとゆいゆい、守るべき小さな子供であるこめっこ。

 

 生まれに恵まれたとは言えなかったが、出会いには恵まれた。

 生まれた場所は不幸だったが、生まれた場所で得た出会いは紛れもなく幸運だった。

 

 紅魔の里の外では、人は大人になるにつれ、自分が特別であるという意識を捨てていく。

 自分が自分であるというだけで自分に誇りを持つことを、辞めていく。

 "自分を信じること"を見下していく。

 

 里の外の大人は皆、自分を信じて自分に裏切られることさえ嫌うようになっていく。

 いつしか皆、自分を信じすぎないようにして、自分に期待しすぎないようにして生きていく。

 だが、紅魔族は違う。

 

 彼らはどこまでも、自分が何かの分野で随一であると叫ぶ。

 自分が何か特別であると叫ぶ。

 自分は自分に誇りを持っていると叫ぶ。

 子供の頃から、老衰で死に至るまでずっと、彼らは『厨二的で最高にかっこいい自分』を好きなままで生きていく。

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして、爆裂魔法を操る者……!」

 

 今日も今日とて紅魔族やってるめぐみんを、使い魔のちょむすけは欠伸をしつつ眺めていた。

 

「どうしたのいきなり」

 

「いえ、むきむきにちょっと聞きたいんですが、これかっこいいですよね?」

 

「最高に決まってると思うよ」

 

 なお、贔屓目込。

 

「ですよね? うーん……」

 

「いやだからどうしたの? 紅魔族かっこいい名乗りコンテストはまだ10ヶ月先だよ?」

 

「私がそれの日付けを間違えるわけないじゃないですか。

 アクシズ教の方のセシリーさんの件ですよ、頭が変な方のセシリーさん」

 

「ああ、愛想笑いじゃない方のセシリーさん?」

 

「この名乗りをしたら反応が

 『かっわいい~!』

 だったんですよ。なんですか可愛いって? 名乗りに威厳が足りないんですかね」

 

「威厳が足りないとしたら顔か身長じゃないかな」

 

「い、言ってはならないことを……!」

 

 メンタルにハムスター程度の威厳しかないくせに、外見だけは威厳がある歳下の男の子にそう言われると、なんとなくダメージが倍増する気がするものだ。

 

「そういえばセシリーさん、金の髪に(あお)の眼だったね」

 

「貴族の落し胤か何かでしょう。

 あるいはアクシズ教に入ってアクシズ狂になり勘当された娘とか」

 

 この世界において、金髪碧眼は王族か貴族の証。

 アクシズ教徒セシリーの外見に何やら邪推する二人だが、真相は闇の中だ。

 話している内に"金髪碧眼でもあんな変態が貴族なわけないか"と二人は納得し、とりあえず邪推は脇に置いておく。

 二人がそう思ってしまうくらいには、アクシズ教徒の方のセシリーは残念美人で、典型的なアクシズ教徒であるようだった。

 

「あ、ゆんゆんだ」

 

「まーたアクシズ教徒に絡まれてますね」

 

 アルカンレティアを出ようとする直前にまでアクシズ教徒に絡まれているゆんゆんに、めぐみんは深く溜め息を吐く。

 危ない人を吸引するスキルでも持っているのだろうか、とめぐみんは心中で呟いた。

 

「いいかい、胸が大きい方の紅魔族の嬢ちゃん。

 アクシズ教に入らなきゃ君みたいな子に男心は分からんよ……」

 

「えぇ……分かるのはアクシズ教徒の気持ちだけだと思うんですけど」

 

「男が女を見て思うことは二種類。

 僕に心を開いてくれないかな、と、僕に股を開いてくれないかな、だ」

 

「アクシズ教徒だけなんじゃないですかそれは!?」

 

「偉い人は言いました。開けママ、と。男なんて皆そんなもんです。

 山ほど本を売っているベストセラー作家でも、それは同じ。

 君の仲間のチェストを押し売りする筋肉、チェストセラー君でもそれは同じ」

 

「チェストセラー!?」

 

「敵にチェストチェスト言って殴りかかるのは、欲求不満の証です」

 

「そもそもむきむきはチェストとか言ったこともないんですけど!?」

 

「その気持ちを分かってあげるために、アクシズ教に入るのです。さあ……」

 

 まともな勧誘ができるアクシズ教徒など居るものか。

 

「クズという概念に足が生えて歩いてる、それもまたアクシズ教徒の一側面ですね」

 

「ああ、クズとアシでアクシズってそういう……いや、いいところもあってね?」

 

「言いたいことは分かります。でも私はここに宣言しますよ!

 女神アクアとかそれの信徒に関わるのは、ほんっとうに金輪際ごめんだと!」

 

 喧嘩っ早いめぐみんは、可及的速やかにこの街を出るため、ゆんゆんに絡んでいるアクシズ教徒を口撃すべく走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らはアルカンレティアを出て、温泉と観光の街ドリスへと向かう。

 一般人であれば、護衛付きの商隊等に同行させてもらい、馬車で素早く越える道のりだ。

 なのだが最近、馬を好んで食べるモンスターが街道周辺に住み着き、それの討伐依頼が達成されるまで馬車の行き来が制限されているらしい。

 

 馬車の移動では逆に時間がかかってしまう。

 そして、ドリスまでは冒険者の足なら一日かからない。

 むきむき達が歩いて次の街に向かおうとするのは、当然の成り行きであった。

 

「ゆんゆん、さっさとどうにかしてください!

 普段から爆裂魔法をネタネタ言って上級魔法の便利さを自慢してるでしょう!」

 

「こ、こんな時ばっかり丸投げして!

 自慢なんてしてないわよ! めぐみん自慢の最強魔法だって役立たずじゃない!」

 

「なにおぅ!」

 

 スライム。

 ドラクエの影響で日本のライトゲーマーには雑魚と認識されているが、実際のところ地球単位で見ればかなり強い扱いをされているモンスターだ。

 地球のTRPG等のジャンルでは、物理攻撃も魔法攻撃もイマイチ効きづらく、酸や毒でキャラの命と武器を両方蝕む上しぶとい、戦いたくないモンスターというイメージが強いだろう。

 

 この世界のスライムもそうだ。

 液体に近いため物理攻撃はほとんど効かず、液体と固体の特性を両立する魔力混じりの肉体は高い魔法抵抗値を誇り、人体に張り付くことで人体を消化・捕食する機能を持つ。

 いわゆる、『人を餌と見ている強モンスター』の一角だ。

 それだけでも恐ろしいが、スライムは種別ごとに特定属性の無効化や猛毒など、恐るべき個性を持ち合わせている。

 

 そんなスライムが数匹、むきむきの体に群がっていた。

 

「くっ……こいつ、めぐみん達が捕食されたら数秒で骨もなくなるよ! 気を付けて!」

 

「いや放って置いたらあなたもヤバいですからね!?」

「口塞がれたら防御力いくら高くたって窒息死するのよ!? ど、どうにかしないと!」

 

 どうやら敵感知スキル持ちが居なかったためスライム集団の奇襲をくらい、前衛が一人しか居ないためにむきむきが全部受け止める以外に方法がなかったようだ。

 そして一旦張り付かれると、むきむきを巻き込みかねない上級魔法と爆裂魔法では容易に引き剥がせなくなってしまう。

 

 むきむきもスライムからの攻撃という初めての体験に、上手いこと対応できていないようだ。

 ローションをぶっかけられてもがいているようにしか見えない。

 "適度に弱い魔法攻撃・程よく弱く汎用性のあるスキル"を誰も持っていないというこのPTの弱点が、分かりやすく露呈した形となった。

 

「む、服が溶ける!? 脱いでてよかった紅魔族ローブ!」

 

「それは魔改造グリーンスライムですね。

 昔、とある魔法使いが生涯を捧げて作り上げたと言われるスライムです。

 人の体を傷付けず、服だけを溶かすエロオヤジの妄想の具現のようなモンスター……」

 

「冷静に解説してる場合!?」

 

 このままでは、むきむきが服を溶かされR-18な恥を晒すか、肉を溶かされR-18G的に骨を晒すかの二つに一つ。

 Rはアルファベットの18番目。即ちR-18だ。R-18はアルファベット13番目の裏切りのユダこと"裏切りのM"ほどには変態的でない性癖も含んでいる。

 ショタエロもR-18。このままではむきむきの服が溶かされ、児童ポルノ大解禁となってしまうかもしれない。

 聖騎士(クルセイダー)アグネスの存在を考慮すれば、空前絶後の大ピンチであった。

 

「ぬうっ!」

 

 強固な皮膚を溶かすのには時間がかかると悟ったのかは分からないが、スライム達はむきむきの口と肛門へと這い寄り始める。

 窒息死狙いか、あるいは筋肉に守られていない内蔵から攻めることを選んだのか。

 どちらにせよ、このままではむきむきの死は免れまい。

 "スライムによる二穴攻め死"という酷い死因が、目の前まで近付いてきている。

 

「くっ、もう四の五の言ってられないわ! むきむき、我慢してね!」

 

 ゆんゆんは一か八か、むきむきを生き残らせる確信も無いまま、むきむきを傷付けてしまうという未来予想を抱えて、上級魔法の詠唱を開始する。

 むきむきを傷付けてでも、むきむきを助けるという決断であった。

 

(凍らせれば、むきむきの体温を下げすぎないように凍らせれば、なんとか……!)

 

 今日まで心強かった『ゆんゆんの魔法の威力は非常に高い』という要素が、完璧に裏目に出ていた。

 スライム責めでテンションサゲサゲな今のむきむき相手なら、程度を間違えれば普通に死ぬ。魔法の選択を間違えても普通に死ぬ。

 初めて外科手術をする医者のような気分で、ゆんゆんは魔法を構え。

 

「あーあー、見てらんないぜ」

 

 その声に、魔法の発動を止められた。

 

「え、誰?」

 

 声のした方に目をやれば、そこには四人の冒険者パーティが居た。

 いかにも盾役に向いていそうなクルセイダー。

 金髪赤眼で軽薄・軽装・軽快そうな印象を受ける剣士。

 弓を持って視線を走らせる、ニヒルな印象のアーチャー。

 ポニーテールに現代っ子風の可愛い服装の、魔法使いの女の子。

 

 魔法使いの女の子は、小さな杖を手の中で回して、スライムにエロ同人のような目に合わされている少年に向けた。

 

「冒険者初心者っぽい君達に、あたしが冒険者の心得を教えよう」

 

 よく見ると、その子のこめかみから一筋の汗が垂れている。

 それはこの冒険者達が、スライムにやられている赤の他人な彼らを見て、全力でここまで走って来てくれたということを意味していた。

 

「助ける余裕がある時は、冒険者は助け合うべし!」

 

 女の子はめぐみんやゆんゆんと比べればかなりゆっくりとした詠唱速度で、けれどもしっかりとした発音で詠唱を行う。

 発動されたのは、それなりの才能と多少のレベル上げが噛み合えばレベル十代でも使える実戦でも有用な魔法、中級魔法。

 

「中級魔法!」

 

「さっきの詠唱、上級魔法でしょ?

 使えるの凄いなーって思うけど、仲間に使うものじゃないよね」

 

 まずは風の魔法がむきむきの体表のスライムを押していく。

 手で海を叩いても海はビクともしないが、海に風が吹けば水は偏り、やがて津波となる。

 手で取ろうとしても暖簾に腕押しであったが、暴風に押されたスライムは少年の体の上を押し流され、背中側の一点に集められ、そこで氷の中級魔法にて凍結させられていた。

 

「はい、終わり」

 

 魔法使いの女の子は、凍ったスライムを叩いて砕く。

 魔法が通じにくいスライムを仕留めるために、今の二つの魔法に大量の魔力を使ってしまったのだろう。

 その子の顔には、隠し切れない疲労の色が浮かんでいた。

 

「ちょっと待ってな、動くなよ」

 

 体表の大半のスライムが凍らせられ、砕かれたものの、まだ少しばかり残っていた。

 その残りを金髪の剣士がナイフで器用に切り離し、地面に捨てて踏み潰していく。

 

「ありがとうございます! あの、お名前を……」

 

「俺か? 俺はダスト。礼はいいから、誠意は金で示してくれ」

 

「え?」

 

「後で酒でも奢れってことだよ、筋肉マン」

 

 金髪の剣士は、少年の肩を叩いて品が無い感じに笑う。

 弓を持ったアーチャーの男が苦笑しているのを見るに、この金髪はこれで平常運転のようだ。

 いかにも冒険者、といった感じの気安さと対人の距離感が見られる。

 

 めぐみんとゆんゆんがほっとしていると、冒険者達のリーダー格らしき漢が、ニッと口角を上げて話しかけてきた。

 

「俺はテイラー。このパーティのリーダーをやってる。

 そっちの今名乗った剣士がダスト。

 魔法使いがリーン。お前達を見つけたアーチャーがキースだ」

 

 クルセイダーのテイラー。

 剣士のダスト。

 ウィザードのリーン。

 アーチャーのキース。

 紅魔族の子供達が里から出て初めて"チームとして動いている"のを目にした、冒険者らしい冒険者パーティだった。

 

「スライムへの対応を見るに、初心者だよな?

 俺達も実質駆け出しなんだ。ちょっとそこらで話さないか?」

 

 

 

 

 話す、とは言ったものの、世間話をしようというわけではない。

 むしろ逆だ。

 彼らは無駄話ではなく、有意義な交渉をしようとしていた。

 彼らはこの街道周辺の情報交換と、万が一の時に助けてくれそうな冒険者の存在を求めていたのだ。

 

「クエスト受けて出発してから、この街道周辺に馬を食うモンスターが居るって話聞いてな」

 

 彼らは始まりの街アクセルの冒険者であり、そこから来たらしい。

 アクセルからここまでは丸一日かかる。例の馬を好むモンスターの情報は、どうやら彼らが街を出た後に伝えられたようだ。

 

「この街道にはどんなクエストを受けてきたんですか?」

 

「危険調査系さ。討伐系ではないから危険は薄いと踏んだんだが……

 商隊が行き来を制限されるようなモンスターが居るなら、話は別だろ?」

 

「なるほど。それで戦力の頭数を増やしたいと」

 

「対価はクエスト報酬の半額でどうだ?

 互いに大した儲けにはならないだろうが、頼むよ」

 

「俺は儲けの無い安全なんて要らねえと思うけどな、テイラー」

 

「だからお前はいつも死にそうになるんだろ、ダスト」

 

 頭を下げ、むきむき達に頼み込むテイラー。

 つまり先程の一幕は、やられそうになっている他の冒険者を助けようという善意と、恩を着せて一緒に全員分の安全を確保しようという打算、その両方があったようだ。

 めぐみんは表情や会話の中での言葉の選び方などから、テイラーとその仲間達の心情を読み取る。

 紅魔族の優秀な知力であれば、駆け出し冒険者の考えていることをおおまかに読むことくらいは、造作も無いことだった。

 

 リーンは善意9、打算1ほど。ほぼ善意だ。

 キースは善意3、打算7。善意もあるが、理性的な計算高さが見える。

 テイラーは善意5、打算5。仲間の危険を減らそうとするリーダーとしての責任感と、他の冒険者を助けようとする人の良さが拮抗している。

 一番目につくのがダスト。善意0、打算0で、「そもそも面倒臭いし分け前減るし助けたくなかった」という意図を隠そうともしていない。 

 赤の他人が死にかけていても「面倒臭い」でスルーできる、かなりクズめの精神性であった。

 

 全体で見れば普通の範囲で善良な者が揃っていると言える。

 むきむきの筋肉、そして紅魔族の特徴である髪と眼を見て、彼らが戦力になると判断したテイラーの判断は正しい。

 むきむき達がここでテイラーの頼みを聞く理由もなく、得もそこまでないのだが、チーム紅魔族は2/3がいい子ちゃんで構成されている。

 テイラーの頼みを断るわけもない。

 

 打算だけで助けられたなら、めぐみんは強引にこの話を蹴っていただろう。

 だが、そうではなかったわけで。

 『里の外のウィザード』にちょっと興味があったのもあり、めぐみんは彼らの善意に混じっていた多少の打算を、見逃してあげることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クエスト達成のため、足を踏み入れたとても背の高い木の森の中。

 道すがら、テイラーはそのクエストについての詳細を語る。

 

「始まりは、ここの近くの小さな村からの通報だったそうだ」

 

 彼らは街道沿いの広い森の中を、七人で固まって歩いていた。

 

「なんでも、森の中にある日突然施設が現れたらしい」

 

「突然?」

 

「テレポーターが資材を運んでこっそり組み立ててたか。

 高レベルのクリエイターが造ったか。

 多様な魔法が使えるウィザードの仕業か……

 その辺が分からないから、調査依頼がギルドに回って来たってわけだ」

 

「なるほど」

 

「施設の実在の確認だけで十万エリス。

 施設がなんであるかの調査も完遂すれば三十万エリス。

 この案件を問題なく解決したら六十万エリス、だとさ」

 

 会話しながら先頭を歩くテイラーとむきむきの後に、めぐみんとリーンが続く。

 

「先程から歩きながら草を集めていますが、それは薬草ですか?」

 

「あたし達、薬草の調達クエストも受けてるからね。

 これで装備をちょっと壊しても足は出ない……と、思う」

 

「疑問形なんですか……」

 

「この薬草はハゲを治すって噂だけど、効能が実証されてないから」

 

「え、それは実質ただの草と言うのでは」

 

「溺れてる人には藁だって草だって売れる。それが冒険者の金稼ぎの必勝法よ」

 

「ハゲ狙い撃ちとか嫌ですよそんな必勝法」

 

 冒険者がハゲに効くという草を集める。販売業者がそれを売り出す。ハゲが大金を出して買う。そうして経済が回る。所々闇が深い。

 死んだ人間は蘇れても、死んだ毛根は蘇らない。残酷な世界の法則であった。

 

「おう姉ちゃん、いいカラダしてんなへっへっへ」

 

「ひゃっ」

 

「ダスト、やめとけ。先頭歩いてるむきむき君がおもむろに手の中で小石転がしてるぞ」

 

「怖っ!」

 

 魔法使いへのバックアタックを警戒するキースとダストが、最後尾でゆんゆんにセクハラを仕掛けたりしていた。

 

「キース、ダストがセクハラしないように見張っておけよ」

「あいよ、テイラー」

 

「おいおい、この程度でアウトかよ。ガキじゃあるまいし」

 

「あの、私まだ12歳なんですが……」

 

「嘘だろ!?」

 

「僕ら三人だと相対的には僕が一番歳下ですよ、ダストさん」

 

「嘘だろ!? その筋肉で!?」

 

「紅魔族随一の魔法使いである私が一番お姉さんといった形でしょうか」

 

「それは流石に嘘だろ! 生理一回も来たことなさそうな外見じゃねえか!」

 

「ぬわぁんですってえ!?」

 

「カルシウム足りてねんじゃねえの? キレやすい、骨が伸びない、乳も……」

 

「どうやらかつてなぐみんと呼ばれた私の拳が火を噴く時が来たようですね」

 

 会話の節々からにじみ出る、ダストの圧倒的クズ力とデリカシーの無さ。

 

「はいドーン」

 

「えぐぅえっ!?」

 

「初対面の、それも協力してくれてる子達に何言ってんのよこのクズ」

 

 そんなダストのケツに、リーンのタイキックが叩き込まれる。

 

「ゴメンね。こいつ決める時は決めるけど、普段はクズなの」

 

「いい蹴り持ってますね」

 

「そう? ウィザードだけど、君みたいなマッスルにそう言われると悪い気はしないかな」

 

 お世辞にもお淑やかとは言えないが、リーンのスタンスは典型的な女冒険者のそれであり、"簡単に暴力を振るう女性"というよりは、"仲間の不始末を見逃さない良識人"という印象の方が強い。

 人懐っこさを感じさせる笑みといい、今の腰の入った蹴りといい、可愛らしさとたくましさの両方を感じさせる。

 

「いや、いい蹴りでしたよ。こう踏み込んで、こう……」

 

 むきむきは今のリーンの護身術じみた蹴りに何かしら感じるものがあったようで、彼女の動きを真似して手頃な木をへし折ろうとして、一歩踏み込んで。

 

 そのまま、そこにあった落とし穴に落ちた。

 

「こうっ―――!?」

 

「むきむきっー!?」

 

 少年の巨体が一瞬で消えるほどに広く、深い落とし穴。

 

「落とし穴!?」

 

「あいつ幸運のステータス相当低そうだな」

 

「言ってる場合か! 引き上げろ!」

 

 落とし穴は膝くらいの高さでも低レベルなら足を挫くことが可能で、そこそこの高さなら落下のダメージで殺すことも可能であり、穴の中に色々と仕込むこともできるトラップの王様だ。

 上手く使えば、小学生が休み時間にドッチボールをする時、一人だけ生き残った相手を四方向から囲み、四ヶ所でパス回しして追い詰めてから仕留める王道戦術に匹敵する。

 

「懸垂やって無ければ危なかった……」

 

 なのだが、ひっかけた相手が悪かった。

 むきむきは落とし穴の側面に指を突き刺し、指の力だけで壁にぶら下がり、跳ねるように落とし穴の外に帰還する。

 

「むきむきは懸垂やってますからね」

 

「あれこれ懸垂っていうやつだっけ」

 

「ねえ見てめぐみん、落とし穴の中……」

 

 ゆんゆんに手招きされためぐみん、及びその周囲の者達が落とし穴の底を見る。

 そして一様に、うわっと表情を嫌そうに歪めた。

 

「穴の底には鉄の槍。それにゴキブリ、ムカデ、毛虫、その他色々嫌な虫がいっぱい……」

 

「"えげつない罠"じゃなくて、露骨に"嫌な罠"だコレ」

 

 穴の底には体を傷付ける仕組みと、心を傷付ける仕組みのダブルパンチが仕掛けられていた。

 変な落ち方をすれば、槍に体を傷付けられ、その傷口を虫に食われて感染症を起こし、肉体的にも精神的にも打ちのめされてしまうだろう。

 金属鎧をカブトムシがぶち抜くことも珍しくないこの世界だが、こういう風に虫を罠に利用するのは珍しい。

 

「参ったな」

 

「どうした、キース?」

 

「おっと、それ以上前に出るなよダスト。どうやらこの森、罠だらけのようだ」

 

 アーチャーのキースが目を凝らすと、森の中に怪しいものがちらほら見える。

 森の中に突如現れた施設と、その周囲の罠。

 どうにもきな臭くなってきた。

 

「ふっ……どうやら里の外の冒険者に、我らの力を見せつける時が来たようですね」

 

「何?」

 

 あるえから貰った眼帯を付け、めぐみんが不敵に笑う。

 

「見せてやりなさい、むきむき。あなたの罠感知と罠解除を!」

「了解!」

 

「なんだと!? あの筋肉で盗賊職だっていうのか!」

 

 テイラーの驚きをよそに、むきむきが森の中に力強い一歩を踏み出した。

 

 ボン、と地面が爆発する。

 構わず少年はその辺りをくまなく歩き回り、肩が紐に引っかかって、連動して発射されたボウガンの矢が筋肉に弾かれる。

 地面をまんべんなく踏んで道を作ろうとすれば、地面からガスが噴出してきたので、地面ごと遥か彼方へ蹴っ飛ばした。

 トラバサミを筋肉で弾き、土に隠されていた鉄の棘を手で潰し、ネットで捕らえる罠は力任せに引きちぎる。

 

 そうしてむきむきが造った道を悠々と歩き、めぐみんはさも自分の手柄であるかのように振る舞って、不敵に笑う。

 

「これが『漢探知』です」

 

「技もクソもねえ!」

「スキルですらない!」

「でも漢らしい!」

 

「全ての罠は僕の足で踏み潰していけばいぬわっー!?」

 

「あ、また落とし穴に落ちた」

 

 落とし穴に驚かされることだけは、どうやらどうにもならない様子。

 むきむきが罠を全滅させた道を、残りの六人がゆっくりと進み始めた。

 

「ただ、ちょっと面倒な話になってきましたね」

 

「面倒?」

 

「こんな"知性的な罠"、ただのモンスターが張るわけないでしょう」

 

「ああ、それは私も思ってた」

 

 めぐみんがひょいと拾ったトラバサミの残骸に、ゆんゆんがちょこんと触る。

 

「国に隠れてこんなことをしているのであれば、よほど後ろめたいことをしている人間か」

 

「……魔王軍?」

 

「この段階で断定はできませんが、想定はしておくべきでしょうね」

 

 この場所は、ドリスとアルカンレティアの間にある。

 王都にも近い。魔王軍が策略の拠点として用意する場所に選んでも、何ら不自然ではない。

 魔王軍と聞くと、めぐみんとゆんゆんの中の紅魔族の血が騒ぐ。

 紅魔族は魔王軍を倒すべく作られた命。血も騒ぐというものだ。

 

「むきむきー! 傾向的にパターンも見えてきましたー!

 そろそろ近くに落とし穴があると思いますよー!」

 

「え、本当に!? ……あった! ありがとめぐみん!」

 

「むきむきー! 水筒投げるよ、水分補給して! それっ!」

 

「ゆんゆん大暴投っ!」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 筋肉少年は水分補給なども挟みつつ、目的地の施設目指して一直線に道を作っていく。

 テイラー達はその光景を見て、紅魔族というものを何やら盛大に誤解していた。

 

「紅魔族。全員が上級魔法を扱う、アークウィザードの種族……」

 

「でも実際は噂だけで、男は筋肉、女は魔法使いの種族だったとは……」

 

「男女で優秀な前衛後衛が揃うとか凄え戦闘民族だな」

 

 リーンがめぐみんとゆんゆんに話しかけたり、テイラーとキースが油断なく周囲を警戒する中。

 ダストは森の中に落ちていた好みの表紙のエロ本を発見し、河原に落ちているエロ本を拾って喜んでいた頃のことを思い出していた。

 

(お、エロ本発見)

 

 懐かしさとエロ根性で心動かされ、「へへっ」と鼻の下をこすり、ダストはそのエロ本をこっそり拾いに行く。

 

 そして、罠のチーズに誘き寄せられるネズミのように、罠にひっかかる。

 ダストはエロ本を掴んだ瞬間、その足を罠のロープに絡め取られ、逆さ吊りの形で一気に上方に引っ張り上げられてしまった。

 

「あべーっしっ!?」

 

「ちょっ、何やってんの!?」

 

「見ろ、ダストの手の中の本を! ……なんて狡猾な罠なんだ!」

 

「アホしかかからない罠を仕掛けるやつを、狡猾とは言わないと思う」

 

 むきむきが安全な道を作っていたのに、そこから外れてしまえばこうもなる。

 テイラーとキースは呆れ、むきむきは心配でおろおろし、女性陣はエロ本を強く握りしめるダストを心底軽蔑した目で見ていた。

 

「もう、本っ当に最低……!」

 

「いいかリーン。この表紙のおっぱいを見ろ。

 男は皆おっぱいに弱いんだ。胸が無いお前には分からないだろうがな」

 

「―――」

 

 リーンの瞳に殺意が宿る。

 キースはダストの気持ちが分からないでもないのか、弓に矢を(つが)えて、ダストを逆さ吊りにするロープに照準を合わせた。

 

「待ってろダスト、今ロープを切ってやる」

 

「キース、もっと下を狙って」

 

「もっと下? 足に当たっちまうぞ、リーン」

 

「もうちょっと下、そう、そこでストップ」

 

「ここを狙えと……なるほど、股間か」

 

「一生使用不能にしておいて」

 

「オーケー、承知した」

 

「承知すんなキース! おいバカやめろ!」

 

 テイラーが深く溜め息を吐く。

 何故こんな問題児をパーティに入れているのだろうか。

 短い付き合いでは分からないような因縁や、強さや、いいところがあるのかもしれない。

 むきむき達には、今のところ悪い点しか見えていなかったが。

 

「むきむき、ポケットに入れてる小石いくつかください。今が投げ当てるチャンスですよ」

 

「めぐみんってああいう人種には本当容赦も遠慮もないよね」

 

「むきむき君、あたしにもいくつかちょうだい」

 

「……あ、リーンさんもだった」

 

 ダストはバストで女性をからかう。ゆえに貧乳、殺意を抱く。そんな必然の流れ。

 ダストが最強の巨乳要塞バストロイヤーとして敬意を払うのは、それこそ始まりの街の貧乏店主くらいのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダストはしばらくリーンとめぐみんに石を投げられていたが、逆さ吊りのままぶらんぶらん左右に揺れてそれらを回避。

 やがてその勢いを利用し、槍を突くように剣を突き出してロープを切り、ロープの拘束から脱出。猫のように着地していた。

 おお、とむきむきはちょっと感心する。

 他の皆は気に留めてもいなかったが、今の動きは破れかぶれの突きのように見えて、その実かなり無駄のない力の使い方がされていた。

 

 昔は別の武器を使ってたのかも、とむきむきは推測する。

 

 この世界では、中国拳法のように槍の修練が拳法の修練に繋がり、拳法の修練が槍の修練に繋がるということがあまりない。

 片手剣修練スキルが高くても、大剣を上手く扱えるわけではない。

 大剣修練スキルが高くても、片手剣を上手く扱えるわけではない。

 これまで使ってきた種類の武器を使わないと、スキルの補整がかからない。

 武器を持ち替えただけでガクンと弱くなる、ということがありえるのだ。

 

 ステータスは流石に据え置きだが、それでもステータスによっては、職業変更で熟練者が新人並みに脆い戦士になることもあるだろう。

 見る人が見れば、ダストの動きには時折妙なものが垣間見える。

 ダストという人物は、少しよく分からない人物だった。

 

「皆、止まれ」

 

 テイラーが手で制し、よく通る声で皆の動きを止める。

 普段からリーダーとしての努めを果たしているからか、彼の声は人を率いる者特有の響きがあり、彼の仲間でない紅魔族の者達の動きも止める。

 

「あれは……」

 

「あったわね、施設。と、いうか、これはもう……」

 

「城だな。小さな城だ」

 

 背の高い木々に隠された、小さな城。

 日本の建物で例えるならば、五階建ての小学校くらいはありそうだ。

 こんなものをこっそり建築しているなど、尋常ではない。

 テイラーの心情は、かなり撤退の方に傾いていた。

 

「念の為聞いておく。

 俺は、危険性が高いようならさっさとケツまくって逃げるべきだと考える。

 だが、あれがなんなのかここで調べておくべきだとも考えている。異論はあるか?」

 

 テイラーの提案に、異論を述べる者は居ない。

 まだ城までは距離がある。城が大きいために、そこそこの距離からでも目視できたのだ。

 この距離なら、まだ作戦を練る余地がある。

 

「乗り込むならめぐみんだけは置いていってもいいんじゃない? できること少ないもの」

 

「狭い場所ではあなたも私と大差ないでしょう。

 上級魔法だって、狭い部屋や狭い廊下で使えるものでは……」

 

「いつまでも小技を覚えない私だと思った?

 前から貯めてたポイントで、こっそり新しい魔法を覚えていたのよ!」

 

「へー」

 

「どんな魔法か聞きたい? 教えてください、って頼めば、教えてあげてもいいわよ?」

 

「いや別に。私がゆんゆんに興味を持つとでも思ったんですか?」

 

「!? う、嘘よね? 本当は気になってるけど、強がってるだけよね?」

 

「爆裂魔法以外に覚える価値のある魔法なんてありませんよ」

 

「……っ……ッ……!!」

 

「どうどう」

 

 めぐみんとゆんゆんがいつものようにおっぱじめようとしてむきむきが止めたり。

 

「ゆんゆんはできる子だから大丈夫。

 ゆんゆんが頑張っても報われないなら、それはきっと世間が悪いんだよ」

 

「アクシズ教徒みたいな励まし方しないでっ!

 あなたが他人から学ぶ人だってことは知ってるけど!

 できればそれは、それだけは! 学ばないで欲しかった!」

 

 めぐみんにすげなくされてしょんぼりしたゆんゆんをむきむきが慰めたり。

 

「こういうのはどうでしょうか。まず僕が殴り込む。敵が出てきたら僕が殴る。

 敵が居なければそのまま探索、敵が居たら全滅させてから探索すれば……」

 

「バカ丸出しの作戦は作戦とは言わんぞ、このバカタレ」

 

 ゆんゆんに色々言われてしょんぼりしたむきむきが名誉挽回しようと献策して、テイラーに小突かれたり。

 

「へえ、そっちの魔法学校だと、そういう風に教えてるんだ。

 あたしの方の学校だと、前衛との連携を最優先に考えろって教わったなあ」

 

「紅魔族は上級魔法の習得が基本、ほぼ全員後衛が前提ですからね。

 私達の学校での教育内容が、後衛との連携を前提としているのも当然です」

 

「めぐみんはともかく、私とリーンさんはこう射線を通す感じで……」

 

 魔法使い達が、魔法の使用に関して認識と意識のすり合わせをしたり。

 

「よし、決まりだな。今日はまず、軽い偵察から始めよう」

 

 あーだこーだと話し合って、最後にテイラーが話をまとめた。

 

「キース、ダスト。いつもの偵察を頼む」

 

「おう」

「はいよ」

 

「っと、むきむき達には説明が必要か。

 偵察に向いてる冒険者ってのは大体盗賊だ。

 だがまあ、他の職でも偵察ができないわけでもない。だろう? キース」

 

「ああ。俺はアーチャー。

 アーチャーの十八番と言えば暗視と遠視の千里眼だ。

 背の高い木が作る暗い森の中でも、遠くまで見通せる。

 こいつで慎重に周りを見渡しながら、城の周りを見てこようってことさ」

 

「で、身軽な剣士の俺がキースの護衛ってわけだ」

 

「おお、なるほど」

 

 弓兵と剣士。重い鎧の聖騎士や、身体能力が低い魔法使いよりは足が速いに違いない。

 欲しい職業の人間を仲間に加えられるとは限らない冒険者が、今居る人間でどうにかしようとすると、こういう風にパーティごとのセオリーが出来たりするのだろう。

 

「ああ、待てテイラー。そこの筋肉マン連れてっていいか?」

 

「え?」

 

 なのだが。

 ダストがいきなりそのセオリーを外すことを言い出して、少年は突然のことに目を丸くした。

 

「どうした突然。体がデカいと多少なりと目立つぞ」

 

「わーってるよ。ただなんつーか、嫌な予感がするんだ」

 

「……あー。お前の嫌な予感はちょくちょく当たるからなあ」

 

 ダストの勘は当たる、らしい。

 テイラーの反応を見るに、それは超能力や未来予知めいたものではない。

 それこそよくある、"優秀な武人は勘がいい"といったものと、大差ないものであるようだ。

 

 むきむきはほんの少しだけ、ダストがこのパーティに必要とされている理由を見た気がした。

 

「悪いなむきむき。偵察、頼めるか?」

 

「分かりました。キースさんの指示に従っておけばいいんですよね?」

 

「そうだ。お前は素直でいいな」

 

「自然にスルーされてんな、ダスト」

「うっせ!」

 

 とりあえず偵察のメンバー三人は確定。残りはこの場で待機となる。

 

「うう、ポイント取っておいて姿を隠す魔法(ライト・オブ・リフレクション)覚えておけばよかった……」

 

「ゆんゆん、そんな落ち込まなくても」

 

「いいですかむきむき。

 盛り上がる物語のクライマックスを教えてあげます。

 爆発する城、崩れる部屋、燃え上がる廊下を走っての脱出です。……期待してますよ」

 

「めぐみん、そんな盛り上がらなくても」

 

 まだ何も始まっていないのに落ち込む少女、期待で盛り上がる少女。

 二人に見送られ、むきむきは初めての偵察ミッションを開始した。

 

 

 

 

 

 歩き始めてから数分後。

 

「止まれ。戦闘準備を」

 

 キースの指示で二人は止まり、戦闘態勢に入る。

 弓が向けられた方向をむきむきも凝視してみると、遠くの木々の合間を歩く、二体のゾンビの姿が見えた。

 

「まっすぐこっちに向かって来ますね」

 

「アンデッドは生命力を見ているからな。薄暗い場所は奴らの天下さ」

 

 エリスの偽乳をひと目で見抜くむきむきの視力を、本職の千里眼持ちのキースは軽々と凌駕している。

 その視力たるや、団長の手刀を見逃さない人さえも凌駕する。

 暗闇でラッキースケベを演出することも、夜に遠くから女性の部屋の着替えを覗くことも容易だ。

 スケベ心を持つ人間には、決して習得させてはならないスキルであった。

 

「あれは……ウェスカートロっていうゾンビだな」

 

「ウェスカートロ?」

 

「生者の肉を喰らい、体内で毒の糞に錬成。それを掴んで投げて攻撃してくるゾンビだ」

 

「とんだクソ野郎ですね……戦いたくない系の」

 

「そう言うな。力貸してくれ、後輩」

 

 キースがふざけた感じにそう言って、むきむきは一瞬キョトンとし、すぐさま力強い笑みを見せる。

 

「はい、キース先輩」

 

 ゾンビが一定の距離まで近付いた、その時。

 

「狙撃」

 

 キースの弓矢が放たれた。

 その発射と同時に、申し合わせていたかのように、むきむきとダストが同時に飛び出して行く。

 キースの一射目は、右のゾンビの足の甲を貫通し、その足を地面に縫い止めた。

 

「狙撃」

 

 むきむきの豪腕が唸り、右のゾンビの胴と頭を何かされる前に吹き飛ばす。

 直後、キースの狙撃が左のゾンビの足の甲を狙撃で縫い止めた。狙撃スキルの命中率は、器用度と幸運値に依存する。器用度が高いキースが、普段から愛用しているスキルであった。

 

「もらったぁ!」

 

 左のゾンビにダストが斬りかかる。

 ダストの斬撃はゾンビの首を切り飛ばし……ゾンビはそのまま、毒の糞まみれの手でダストに掴みかかってきた。

 

「!?」

 

 このままではダストがダスカトロになってしまう、と思われた瞬間。

 キースの第三射がゾンビの腕を射抜いて、その一瞬でむきむきが接近。ミドルキックでゾンビの胴体を粉砕し、ダストを助け出していた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ、ああ……悪い、助かった。なんだこいつ? 死ににくさが異常だったな」

 

「レベルが高い個体……ってわけでもなさそうだ。噂の改造モンスターってやつか?」

 

「気を付けて進みましょう。なんとなく、ここにこの個体が居たのも偶然じゃない気がします」

 

 先程よりも数倍気を付けるようにして、男三人は進んでいく。

 誰も口にはしていなかったが、"あと少し探索したら戻るよう提案してみよう"と、三人それぞれが同様に考えていた。

 

(アーチャー。魔法使いじゃない後衛かぁ)

 

 魔法使いじゃない後衛の仲間。

 その仲間との共闘。

 むきむきはちょっとだけ新鮮で、心強い気分になっている。

 

 今まで仲間になったこともないような者達との共闘も、知らない職業の者に背中を預けその強さを知ることも、この世界を旅する醍醐味の一つであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城のような施設の外を徘徊しているゾンビは放流されたものである。

 いくら倒されようが、施設内部の者がそれに気付くことはない。

 この施設の中で自由に動いている者は、今は二人しか居なかった。

 

「あー侵入者でも来ませんかねー」

 

「真面目にやれ」

 

「ボクは実験材料が欲しいんですよ、ブルー」

 

「知ったことか。儂はお前のマッド趣味に付き合うつもりはないぞ、ピンク」

 

 あまりにも美しすぎる、それこそ神のような美しさを持つ金髪の青年。

 杖とローブを身に着けたその男は、ブルーと呼ばれていた。

 小柄だが全体的にスタイルが良く、中学生か高校生の女子に魅力的な成人女性のパーツをくっつけたかのような蠱惑的な女性。

 眼鏡と白衣を身に着けたその女は、ピンクと言われていた。

 

「女の子の服だけ溶かすスライムを生み出した人の発言とは思えませんね」

 

「……あれは若気の至りだからセーフ」

 

「生涯をかけて開発したとか聞きましたが」

 

「いや、せいぜい三十年だ。噂には尾ひれ背ひれが付くものであろう」

 

(三十年は普通に長い……)

 

 魔改造グリーンスライムの製作者。

 この世界の一部で男の英雄、もしくは女の敵と呼ばれた魔法使いは、今でも生き続けている。

 そして、今はこの施設に腰を据えていた。

 

「ああ、侵入者が来てくれたら、堂々と住居不法侵入罪で実験材料にしてあげるのに……」

 

「実験材料刑などあるわけがなかろう、たわけが」

 

「人間の体は実験するためにあるんですよ。

 ボクも生前、ストレスのあまりアナルにブラギガス入れてましたし」

 

「人間の体を玩具にするな」

 

「違いますよ、人間の体を玩具で遊んだんです」

 

「どこが違う、このド変態が!」

 

「あんなスライム生み出した人に言われたくありませんー」

 

 魔王軍幹部セレスディナ直属の配下、その一人として。

 

 

 




 パーティ組んでてある程度の信頼はあるはずなのに、リーンを待ち伏せして思い知らせてやるぜーとかやってるダストも、それを先読みしてダストに先制で魔法をぶち込むリーンも、ノリが好きなキャラです

 WEB版でサービスショットの提供+結果的にカズマさんPTのメンバー永久ロスト一歩手前まで彼らを追い詰めたりと大活躍だったグリーンスライムさんの、書籍大活躍を期待しております


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2-4-2

 すっかり投稿した気分になってて今気付きました


 ほどなくして、むきむき達は仲間の下に帰還した。

 キースとダストがむきむきの両肩に乗っているのを見て、テイラーとリーンが少しばかりぎょっとしている。

 どうやら偵察後、むきむきのパワーと脚力にあかせて超高速で退却してきたようだ。

 

「ただいま」

 

「おう、おかえり。どうだった?」

 

「ゾンビがそこそこ居たな。ありゃ自然発生したものじゃない臭い」

 

 ダストとキースは付き合いがあるからか、リーダー役のテイラーが求めた情報をきっちり集めてきたようで、テイラーの質問によどみなく答えていく。

 むきむきが空気を読んで離れようとしたところで、軽薄に笑うダストとキースはむきむきの肩に左右から手を置き、少年の頑張りを労った。

 

「サンキュー、正直楽しかった」

 

「ああ、マジで楽しかった。俺達が木に頭ぶつけないように相当気を付けてくれてたしな」

 

「楽しませるつもりはなかったんですけど……ええと、結果オーライということで」

 

 どうやらむきむきコースターが結構楽しかったらしい。

 気のいいあんちゃん風に二人はむきむきの背を叩いて、テイラーへの説明を再開する。

 ちょっと照れたむきむきが後頭部を掻いていると、そのこめかみに大きな杖がコツンと触れる。めぐみんの杖だった。

 そちらを向けば、そこには少しホッとした様子のゆんゆんと、リーンとめぐみんが居た。

 

「城はどんな感じでしたか?」

 

「ええと……ちょっと待って」

 

 むきむきが木の枝で地面に絵を描く。

 彼の視力で見た施設の周囲の図でしかなかったが、妙に完成度が高く、大して期待していなかったリーンは少々ビックリするのであった。

 

「こんな感じ」

 

「地味に絵上手っ」

 

「器用度高いですから、むきむき。

 ……あれ? むきむき、正面入口に×印書いてるのはなんで?」

 

「ゆんゆんは直接見てないから分からないだろうけど、ここから入るのは凄く危険そうだった」

 

「ああ、確かに。泥棒が正面玄関から入れる家は無いもんね」

 

 ゆんゆんが壁を魔法で切って予想外の場所からの侵入を提案したり。

 リーンが窓から入ってこっそり調べるべきだと言ったり。

 むきむきが魔法をぶち込んで様子を見て、敵が出てきたら城の外で片付ける考えを述べたり。

 めぐみんが爆裂魔法で問答無用で吹っ飛ばせばいいと主張したり。

 "魔法使いの視点中心"で色々と話し合われていた。

 

「私の爆裂魔法で問答無用でふっ飛ばせば一発ですよね?

 まさかリーンにまで反対されるとは思いませんでした」

 

「それを真面目な話と言い出すあなたが怖いわよ。

 ある日突然現れた、と言われてたでしょ? 吹っ飛ばしても一晩で再建されるんじゃない」

 

「む」

 

「むきむきのも駄目。森中のゾンビが集まって四方八方から糞が飛んで来ると思う」

 

「!」

 

「ゆんゆんだけよ、普通なの」

 

「普通……二人より普通って言ってもらえた……!

 はじ、はじめて、私が、普通、普通って、えぐっ、私の考えた方が普通って……!」

 

「ガチ泣き!?」

 

 爆裂狂の少女、多少経験のある冒険者には及ばない程度の想定力の少年、普通の作戦を考えたと思ったらガチ泣きする少女。

 三者三様の個性に戸惑いつつ、リーンはゆんゆんを泣き止ませる。

 

「ダスト、街道に行ってくれ。

 で、誰かが通りがかったらこの手紙をギルドに渡すように頼んでくれ。

 アルカンレティアかドリス経由で、施設の実在情報はギルドに伝わるはずだ」

 

「あいよ、テイラー」

 

 そうこうしている内に、テイラーはダストを森の外に走らせていた。

 テイラーとキースも、むきむき達の方に合流する。

 

「リーン、お前……」

 

「違うわよ!? 泣かせたのあたしじゃないから!」

 

 十数分後。

 

「こんなもんか」

 

 とりあえず全員が落ち着いて話せるようになり、今日のところの方針も決定した。

 

「もう日も暮れそうな時間だ。あの施設を調べるとしても、明日の朝にした方がいいかもな」

 

「何故ですか?」

 

 テイラーの指示に、むきむきが首を傾げる。

 

「一つはアンデッドがうろついていること。

 もう一つは、これが亜型のダンジョンアタックだからだ」

 

「ダンジョンアタック……」

 

 ダンジョン探索。

 この世界においても一攫千金の手段の一つとして知られているものの一つだ。

 ダンジョンは自然の洞窟を改造したものや、人手と金をかけて作られた建物が紆余曲折を経てダンジョンとなったものに、莫大な魔力を持った者がその魔法で作ったものと多種多様。

 総じて、『人間社会に友好的でない者』が作ったものであるということが多い。

 そういう意味では、かの施設もダンジョンだろう。

 

 この世界には、ダンジョンは朝一番に挑むのがいいという鉄則がある。

 モンスターの活動時間や、ダンジョン内で取る睡眠や休憩をできる限り少なくするため、等々さまざまな理由があり、テイラーはその常道に沿って話を進めようとしていた。

 危なくなったら逃げよう、という初志をテイラーは貫徹している。

 ダンジョンを下調べする時のように、とことん調査だけに務めるつもりなのだろう。安全を確保しつつダンジョンを調べてその情報を同業者に売るのも、冒険者の小遣い稼ぎの一つ。この場合、情報を売る相手はギルドなわけなのだが。

 

「ギルドで買った地図によると、ここの近くに洞窟があるな。そこで今日は野営しよう」

 

 紅魔族の子供達からすれば初めての、冒険者らしいやり方での、野宿が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョン攻略に使われるというモンスター避けの魔道具――ミツルギが持っていたものよりはるかに安物――を洞窟の中で使用し、拠点を確保する。

 その内手紙をギルドへ届く流れに乗せたダストも帰還。

 むきむきは以前アクシズ教徒達と過ごした夜のことを思い出しながら、寝床の設置と晩飯作りの手伝いをしていた。

 

「テイラー、いい加減この結界張る魔道具買い換えようぜ」

 

「金が無いだろ、ダスト」

 

「だけどよお、先輩が捨てたお下がりいつまで使う気だよ? 最近調子悪いぞ」

 

「ここの部分をこの角度で叩けば調子悪くても動くだろ」

 

「その貧乏くせえのが嫌なんだよ! 新しいの買おうぜ新しいの!」

 

「却下」

 

「買えよおおおおおおおっ!!」

 

「あの二人、玩具買って貰いたい子供とそのお父さんみたいなことを……」

「むきむき、しっ」

 

 駆け出し冒険者は金が無い。

 皆馬小屋で寝泊まりし、時々馬糞に触りながら寝返りを打ったりする

 さっさと上に上がれない冒険者は見方によっては社会の底辺なのだ。

 大物賞金首を仕留めれば駆け出しでも大金を手にできるだろうが、そもそも初心者には仕留められないから大物賞金首なのだ。

 テイラー達は駆け出しの部類に入る。金が無いのも当然であった。

 

「おいめぐみんとかいうの、紅魔族って美人多い?」

 

「いきなり何聞いてきてるんですか名も知らぬ人」

 

「俺の名前が記憶から忘却されてる!? ダストだダスト!」

 

「私の長年の研究によれば、優秀な魔法使いほど美人で巨乳が多い傾向にありますね」

 

「ほう……その法則に則るなら、お前はあんま優秀じゃないアークウィザードなのか」

 

「はっ倒しますよ?」

 

 瓶詰めの野菜と、火を通した干し肉に干し魚、そして炒り米。

 瓶の中で暴れる野菜と、その抵抗を無価値と化す鉄のような強度の瓶が印象的な夕飯だった。

 七人は話し相手をコロコロ変えて、寝るまでの時間を交流と相互理解に消費する。

 

「多分さ、むきむきとゆんゆんは、まだ連携が未熟なだけなんだと思うんだ」

 

 そんな中、"戦い方"についての話になった時、リーンはむきむきとゆんゆんに戦いのセオリーを――冒険者初心者への指南でよく言われる内容を――諭すように伝えていた。

 

「例えば、ゆんゆんとむきむきが居るとするでしょ?

 敵がむきむきに攻撃を仕掛けようとしてるとするでしょ?

 むきむきが離れた場所に居て、むきむきもその攻撃を防げそうにないとするでしょ?

 詠唱してる時間も、狙いをつけてる時間もない。それならゆんゆんはそこでどうする?」

 

 地面に枝で図を書きながら、『もしも』を想定した例え話をするリーン。

 

「えっと、急いで詠唱をする……?」

 

「それもいいけど、それならその場に適した魔法をテキトーに撃っていいんじゃないかな」

 

「え? 発動速度優先でですか?」

 

「そう、発動速度優先で。当たらなくてもいいの。

 近くに着弾すれば、ゆんゆんの魔法がとりあえず妨害になるじゃない。

 その妨害で攻撃が止まったら、その敵はむきむきが倒してくれるでしょ?」

 

「あ」

 

「上級魔法だと巻き込みもあるかもしれないけど……

 魔法が威力の高い決め技だからといって、トドメを魔法にする必要もないわけで」

 

 リーンはその流れで幾つか状況を地面に書いて、色々と状況を想定し、"その状況に応じた冒険者らしい"選択を語っていく。

 紅魔族の戦闘セオリーと、冒険者の戦闘セオリーは相違点も多い。

 ゆんゆんも学校で教わったことを話の節々で語り、リーンがそれに感心したりもして、三人の間で知識と認識が擦り合わされていく。

 

「むきむきはさっきゆんゆんに言ったことの反対が当てはまりそうね」

 

「僕が?」

 

「自分が前に出て自分が仕留めることにあんまりこだわらなくてもいいってこと。

 むきむきが敵を止めてれば、仲間が仕留めてくれるでしょ?

 こんなにも優秀な後衛が居るんだから、攻撃役と壁役は意識的に切り替えていいんじゃない?」

 

「意識的に……」

 

「この敵なら自分も殴って攻めよう、とか。

 この敵なら攻撃はほとんどせず防御を固めよう、とか。

 その辺の判断が難しいなら、後衛の二人に判断を任せてもいいと思うし」

 

「勉強になります、リーン先輩!」

 

「や、照れるねその呼び方。私も駆け出しなのに」

 

 ここをこうしよう、あそこはああした方がいい、そこはそうして欲しい、といった気兼ねない話し合いは冒険者の日常だ。

 人と人の距離感さえ間違えなければ、そうした話し合いは互いの知識や経験によって互いを高め合うことになる。

 

「二人共、私達より凄い力があると思うんだ。それを腐らせてちゃもったいないでしょ」

 

 幼い顔立ちに照れを浮かべて、今更先輩ぶって色々教えていたことを恥ずかしがるリーン。

 駆け出しのくせに、自分より冒険者歴が短い人間に先輩面をする。

 リーンの若さと青臭さが、よく見える一幕だ。

 

「お、魔法使い談義ですか? 私も加えて下さいよ」

 

「僕ちょっとご飯のおかわり貰ってくるね」

 

 むきむきが抜けて、代わりにめぐみんが入る。

 魔法使い談義が始まって、むきむきは人の数倍物が入る腹を満たすため、更なる晩飯を食らいに動いた。

 

「よう、気分はどうだむきむき?」

「おうおう食ってるなあ、うへへ」

 

 だが、そこで面倒臭い系先輩系のムーブをするダストとキースに絡まれてしまった。

 その息を嗅いで、むきむきは露骨に嫌な顔をする。

 

「酒臭っ! お酒飲んでるんですか?」

 

「ちょっとな、ちょっと」

「泥酔したら流石にマズいからな」

 

 どんな世界でも通じる、絶対の法則。酔っぱらいは、面倒臭い。

 

「見ろよむきむき、俺が勇敢なる罠の踏破により手に入れたこのエロ本を」

 

「蛮勇の間違いでは……」

 

「いいから見ろホレホレ」

 

「わ、わっ、僕まだそういう歳じゃないので! 広げないでください!」

 

「ん?」

 

「いやほら、エッチぃのはあれなんですよ、あれ!」

 

「……はーん」

「……ほーん」

 

 ダストとキースは、始まりの街の隠された最高の風俗店を知っているような、年齢相応の性欲と冒険者らしい性欲発散法を併せ持つ男達である。

 年を取るとセクハラ親父になりかねないタイプだ。

 というか今でもセクハラはするタイプだ。

 

 むきむきはそれとは逆で、エロ談義がちょっと苦手な男子中学生タイプだ。

 必要とあらば、男の股間のちゅんちゅん丸を接着剤で固定し「包茎野郎ここに眠る」と腹に落書きできるめぐみんの方が、まだ男のするエロ話に耐性がある。

 風俗に行くような男のエロのノリに付いて行くには、まだ経験が足りていない。

 

(懐かしいな)

(なんとなく昔の自分を思い出す)

 

 キースは子供の頃の自分を思い出す。

 エロに興味が無い方が硬派でかっこいい、女に興味が無い方がかっこいい、女にうつつを抜かすのはかっこ悪い、と思っていた過去の自分を。

 なのにエロには興味津々でエロ本をチラチラ見ていた過去の自分を。

 

 ダストは子供の頃の自分を思い出す。

 子供の頃親戚の金髪のおっさんがエロ本をひらひらとチラつかせ、「お前にもいつかコレの良さが分かるぜうっへっへ」と笑っていた頃のことを。

 それを正直軽蔑したりもした頃のことを。

 

 駄目なエロあんちゃん二人組は、むきむきが照れくささや恥ずかしさから露骨に性的なものを遠ざけていながらも、エロそのものを嫌悪していないことを察していた。

 むしろちょっと興味がありそうなことに気が付いていた。

 この少年も真面目なだけで、年相応にはそういうことに興味がありそうだ。

 

「へっ、このムッツリ野郎め」

「見たけりゃ見せてやるよ(エロ本)」

 

「や、ちょ……やめ……」

 

「アクセルに来たらいいお店に連れてってやるからなぁ?」

「そんだけ体がデカけりゃ、そらもう夢の中にしか似合いの相手なんぞ居なかろうへへへ」

 

「やめっ……やめろォー!」

 

 目がぐるぐる渦巻きになりそうな困惑。

 逃げられぬ挟み撃ち。

 苦手なディープエロ談義への誘い。

 追い詰められたむきむきに、その時救いの手が差し伸べられる。

 

「やめんか」

 

「「 あでっ 」」

 

「あ……て、テイラーさん!」

 

「さっさと寝ろ。明日朝に酒が残ってるようなら、お前らはゾンビの囮にする」

 

「ヤッベ調子乗りすぎた」

「寝ろ寝ろ、俺も寝る」

 

 そそくさと寝床に入っていく二人に溜め息を吐くテイラー。

 テイラーは焚き火を挟んで、むきむきの向かい側に座る。

 

「悪かったな、うちの二人が」

 

「は、はい」

 

「気にしなくていいぞ。

 キースは酒が入っていたからああだったが……

 ダストは大抵あんな感じで、アクセルの街でも留置所にぶち込まれる問題児だ」

 

「……何故そんな人と一緒に旅を?」

 

「腐れ縁さ。どうにも俺は、あいつを嫌いになりきれないらしい」

 

 くくっ、と苦笑して、テイラーはその辺りに落ちていた葉や枝を火の中に放り込んでいく。

 

「欠点があっても嫌いになりきれない人、というのは分かりますけど……」

 

 もにょもにょしているむきむきを見て、ふと、テイラーは問うてみる。

 

「お前、冒険者をやってるのは楽しいか?」

 

「へ?」

 

「いや、なんとなくな、お前はあの二人に流されてるイメージがあってさ。

 自分で決めた選択もなく、あの二人に流されるまま……

 あの二人と一緒に居たい程度の気持ちで冒険者になったんじゃないかと思ったんだ」

 

「……」

 

「そうじゃなかったんなら謝る。悪いな、勝手に想像で決めつけて」

 

「いえ」

 

 ゆらりゆらりと揺れる火を見て、少年が呟く。

 

「そう言われると否定出来ないんですよね、僕」

 

 火の赤色が、紅魔族の赤い眼に火の輝きを灯している。

 

「めぐみんに誘われたから里の外に出たようなものですから」

 

 最初は、彼女に見せられた希望にすがるような決断だった。

 

「ただ……外の世界は、広くて、厳しくて、楽しい。

 素直にそう思えます。他の誰でもない僕が、そう感じているんです」

 

 けれども今は、それだけではないと言える。

 里の中という狭い世界で、たった一人でたった一つの希望だけを見つめるような日々は、もうどこかへ行きかけていた。

 広い世界に踏み出して、少年の世界は広がって。

 

「そうだな。知らない場所。知らない人。知らない達成感。

 危ないこともあるが……ああいうのが楽しいんだよな、冒険者は」

 

 そういう気持ちが理解できるのか、テイラーは懐かしそうに目を細めて微笑む。

 

「お前、今日一番いい笑顔してるぞ、むきむき」

 

「そうですか?」

 

「ああ。知ってるか? 冒険者は笑うんだ」

 

「笑う……」

 

「不景気で商人が俯いてるときも。

 畑でサンマが取れなくて漁師が俯いてる時も。

 農家がキャベツに骨折られて俯いてる時も。

 魔王軍の侵攻で兵士が俯いてる時も。

 俺達冒険者は、笑って毎日を過ごしてるもんなのさ」

 

 たとえ、この世界の人類がどんなに追い詰められていたとしても。

 冒険者ギルドにでも行ってみれば、そこには冒険者の笑顔がたっぷり詰まっているだろう。

 彼らは笑う。

 笑うのが日常だ。

 どんな残酷の中でも日々酒をかっくらって笑ってこその、冒険者。

 

「冒険は楽しいしな。何より、毎日笑えてねえなら冒険者になった意味がねえ」

 

「……」

 

「安定した生活がしたいなら、普通に働いて暮らしていけばいい。

 まともに働ける身体があるのに馬小屋で暮らしてる若者なんて、冒険者くらいなもんだ」

 

 テイラーは手にした水筒の水を飲み干し、空になった器を手の中で回している。

 

「……ま、『冒険者は笑うんだ』とかも、冒険者の先輩から教わったことなんだがな」

 

「先輩?」

 

「冒険者は基本冒険者の弟子とか取らねえんだよ。

 冒険者の師匠が居る冒険者なんて珍しいもんだ。

 そういうわけだから……スキルとか、経験とか、知識とか、小技とか。

 そういうのは先輩後輩の間で伝えていくもんなんだ、俺の知る冒険者ってのは」

 

 むきむきは、アルカンレティアで出会ったクリスという冒険者のことを思い出す。

 薄情な冒険者なら、テイラーが言うような継承は行わないに違いない。

 けれども、あのクリスという少女なら。初心者がギルドでうろついていたなら、何か一つや二つ大切なことを教えて世話を焼いていそうな、そんな気がした。

 

「お前も新人には仲良くしてやれよ?

 もっとも、明日生きてるかも分からないのが冒険者家業なんだがな。

 ……ぼちぼち寝ようか、明日も早い。明日に響かない程度に、早めに寝ろよ」

 

 テイラーが寝床に入る。

 女性陣も寝床に入り始めた。

 むきむきは焚き火の揺らめく炎を見つめて、思いを馳せる。

 

「冒険者は笑う、か」

 

 自分がどのくらい笑って日々を過ごせているのか、むきむきの視点からでは分からない。

 笑えていると思いたい、という言葉を、むきむきは口の中で噛み潰した。

 

「誰からの助け(教え)もなければ価値がない職業、冒険者」

 

 むきむきはカテゴリー的には冒険者だ。

 この職業は、他人からスキルを教えられて初めてスキルを習得できる。

 冒険者で居る限り他の職業よりステータスの伸びも悪い。

 むきむきは何のスキルも覚えられないが、普通の冒険者は他人の助けを借りて、他人から教えられたスキルを運用してクエストをこなしていくことになる。

 

 逆説的に言えばそれは、教えてくれる他人が居ない限り永遠に無能で在り続けるということだ。

 他人との絆や繋がりがなければ、何もできないということだ。

 人が人を助ける構図が社会から消え去れば、この職業の価値がなくなるということだ。

 この職業の価値が下がるということは、社会が追い詰められているということだ。

 何かしらの形でこの職業が価値を示す時があるということは、その社会にはまだ人のよい繋がりが残されているということだ。

 

 冒険者は最弱職。余程の者でもなければ使いこなせない。

 そして同時に、目には見えない何かを映す指標であるかのように、少年には感じられた。

 

「……女神様は何を思って、この職業を作ったんだろう」

 

 考えすぎかもしれない。

 何の意味もないのかもしれない。

 でも、もしかしたら意味があるのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、むきむきもまた寝床に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 

「よし、行くぞ」

 

 冒険者七人による、施設調査が始まった。

 

「危なくなったら僕が壁を蹴りでぶち抜いて、皆さん抱えて外に逃げますので」

 

「常時退路が確保されてるのは心強いな。打ち合わせ通り動いてくれると助かる」

 

 むきむきが二階に相当するバルコニーに、一人一人を投げ込んでいく。

 少年の投擲は完璧な力加減であり、全員がゆったりと二階の床部分に着地できていた。

 最後にむきむきがジャンプでバルコニーに移動し、プラズマ手刀で壁のレンガの継ぎ目を切り裂いて侵入経路を確保する。

 ここまでは何の問題もなく、七人は城の内部に潜入していた。

 

「魔力は何か感じられるか? リーン、紅魔族の二人」

 

「私にはあんまり」

「なんとなく、大きな魔力が有るような気が」

「気のせいかと思ってましたが、確かにとても大きな魔力があるような気がします」

 

「キース」

 

「見える範囲じゃ怪しいもんはないな。壁床にも目立つ罠の痕跡は見当たらない」

 

「よし、慎重に進むぞ」

 

 テイラーが巧みに人を動かしていく。

 指示からは新人臭さが抜けていないが、それでもリーダー役をやっているというのは伊達ではないらしく、指示と判断に迷いがない。

 少しづつ、警戒しつつ彼らは進む。

 

「何だこの部屋?」

 

 その途中、一行は不思議な部屋に通りがかった。

 入り口と、その向かい側に出口があるとても広い正方形の部屋。

 部屋の中には本棚や衣装棚等が、向きも揃えられず乱雑に立てられている。

 

「本棚と棚が乱雑に立ってるだけの部屋か? はっ、こんなん楽しょ……」

 

「むきむき、止めて下さい」

「え? うん」

 

「ぐえっ」

 

 何も考えず突っ込もうとしたダストの襟首を少年が掴み、ダストの首が締まる。

 

「おいコラ何すんだ!」

 

「なんというか、雑というか、適当に仕込んだ感が凄まじい魔法陣がありますよ」

 

「えっ」

 

 めぐみんが杖で床の上に多少魔力を振り落とすと、そこにうっすらと魔法陣が見えた。

 

「適当? どういうことだ、めぐみん」

 

「そのままの意味ですよ、テイラー。あまりにやる気がありません。

 魔法陣を隠してもいなければ、雑すぎて魔法陣の効果まで見れば分かるというレベルです」

 

「その効果とやらは」

 

「この部屋を歩くと、靴無視で強制的に足の小指を棚の角にぶつける呪いの魔法効果です」

 

「「「 うわあ 」」」

 

 そりゃ、設置者も適当に設置するというものだ。

 

「この棚の群れはそういうことか……」

 

「テイラー、俺のスキルの眼には棚の下端の角に仕込みが見える。

 壁にも回転する仕込みの痕跡が見える。

 棚の角に足の小指をぶつけると、おそらく壁が回転して敵が出てくるぞ」

 

「適当な仕込みの割にえげつないな!」

 

 まるで、部屋の設計をした人間と魔法を仕込んだ人間が別であるかのような完成度だ。

 

 部屋に踏み込むと、靴の防御力を無視して足の小指を棚の角にぶつける。

 棚の角に足の小指をぶつけてしまうと痛い上、壁から敵が出てくる。

 戦闘のために足を動かすと、また棚に足をぶつけてしまい、痛みと共に増援が現れる。

 次第に一歩も動けなくなり、しかたなく動いてもまた足の痛みで隙が出来てしまう。

 

 バカみたいな思考から生まれた、バカみたいに厄介な部屋であった。

 

「……どうしたもんか」

 

「あの、テイラーさん。僕なら大丈夫かもです」

 

「何?」

 

「この靴には、魔法がかかってるんです。

 着用者の足に合わせて、多少サイズを融通させる魔法が。

 僕は成長期なので、それでも無限に履けるというわけではないんですが……

 足だけを狙う小さな呪いくらいなら、気休めのものですが靴の魔法で弾かれるかと」

 

「そうか、紅魔族製の魔道具は全部優秀だという話を聞いたことがある。

 高かったんじゃないのか、その靴? 紅魔族の靴屋が作ったんだろう?」

 

「高くはなかったです。でも、世界で一番の靴屋さんが作ってくれた靴なんです」

 

 むきむきが六人を抱えて部屋を突破することで、なんとか問題なく部屋を突破。

 先のフロアに進むも、またしても先に進むために通らなければならない部屋を見つけてしまい、全員が揃って嫌な顔をする。

 部屋の床部分には、何故か毒の沼地が広がっていた。

 

「うわ、これは特殊なスキルがないと通れない部屋だな」

 

「何故室内に毒の沼を……?」

 

「この城の主の趣味かなんかなんでしょ」

 

 この世界の人間には、この趣向は理解できまい。

 

「どうする、テイラー?」

 

「……キース、廊下の窓から上に行けそうか?」

 

「あいよ、確認な」

 

 キースは廊下の窓から体を乗り出し、一つ上のフロアを確認する。

 

「ああ、行けそうだ。屋上みたいな所がある。ダスト、下半身支えてくれ」

 

「おう任せろ」

 

 ダストが下半身をガッチリ固定し、窓から仰向けに上半身を乗り出したキースが、一つ上の階の屋上らしき場所の端に弓でフックとロープ付きの矢を放つ。

 屋上にそれを引っ掛けたキースは器用に上の階に登り、全員が安定して登れるようにロープを固定。全員が上がるのを待った。

 

「今僕、凄く冒険者してる気がします」

 

「こんなの滅多にないわよ。ゴブリン狩って日銭稼いでる日の方が多いし」

 

 ちょっとウキウキしてるむきむきに、リーンが呆れた表情で言った。

 が。

 この城の製作者は根性が曲がっているためか、こういう空気に水を差してくる。

 

「! 伏せろ!」

 

 屋上らしきその場所には、中央に屋敷サイズの施設があり。

 彼らがそれに近付こうとした途端、床から一列に並ぶボウガンの群れが飛び出してきた。

 罠だ。屋敷サイズのあの施設に近付くものを矢ぶすまにする罠。

 その数は百に届くか届かないかという数であり、一つ一つが人を即死させる威力があった。

 

 そんな、冒険者パーティ一つを殲滅するには過剰過ぎる火力の罠を。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 ゆんゆんが、更に過剰な火力で薙ぎ払った。

 

 ボウガンの矢は一本も彼らに届くことなく、ボウガンごと光の刃に両断される。

 

「す……すげえええええええええっ!!」

 

「えへへ、私も役に立てるんですよっ!」

 

 数の暴力さえも蹂躙する圧倒的暴力。

 ダストは素直に感激の声を上げたが、テイラー達は逆に声が出ない。

 まだ未熟で隙があるだけで、紅魔族出身の彼らに内在するポテンシャルが凡人では及ばない凄まじいものであると、今の一瞬で心底思い知ったからだろう。

 とはいえ、動揺は一瞬。

 テイラーはテイラーなりに考え、仲間達に指示を出す。

 

「待て。ちょっとここを動くな」

 

「テイラー?」

 

 少し時間を置くが、警報も鳴らない。

 敵の増援も来ない。屋敷サイズの施設の中に反応も見られない。

 ゆんゆんの魔法は上級魔法らしく大きな音を立て、大規模な破壊を生み出し、今屋上の施設から見えるほどに大きな光を発生させていた。

 

「……おかしいな。今の音でも気付かれないのか?」

 

「え? ……そう言われてみれば、確かに」

 

 なのに、いまだ無反応。

 何かがおかしい。

 

「こりゃ気付かれてるけど泳がされてるのか?

 それとも無人なのか? 無人だといいんだが……皆、気持ち逃げること最優先で」

 

「わかったぜ」

 

 留守であることを祈り、侵入。

 敵を見つけたら即座に逃げよう、そう決めて進む。

 屋敷サイズの施設の正面扉を開け、いつでもむきむきが全員を抱えて森まで逃げ出せる姿勢で、恐る恐る皆が施設の内部に踏み込み。

 

「え?」

 

 『テレポートの罠』という、世にも恐ろしい罠の存在と脅威を、思い知らされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とすん、とゆんゆんは見知らぬ部屋に着地する。

 騎士団の城の内部にある訓練場のような、ひたすら広く頑丈なだけの部屋だった。

 

「知ってる? テレポートって、レベルがあれば対象の選別もできるんだよ」

 

 そこには、ゆんゆん以外に二人の人間が居た。

 

「こ、ここどこ!?」

 

「君達は適度に分断させてもらった。ボクもちょっと、君達が固まってると厄介なんでね」

 

「……! あなた達は!?」

 

「DTピンク」

「DTブルー」

 

「! 紅魔族の皆みたいなダサいネーミング……あの、DTレッドとかいう人の仲間!」

 

「……まさか紅魔族の口からそんな台詞を聞く日が来るとは」

 

 ダサいネーミングというのは否定しない。

 

「―――」

 

 ゆんゆんは高速で詠唱。

 

「『ライト・オブ・セイバー』ッ!」

 

 そして、詠唱込みでのライト・オブ・セイバーを発射。

 この思い切りの良さは流石の紅魔族といったところか。

 

「『ライト・オブ・セイバー』」

 

 だが、ブルーのライト・オブ・セイバーに相殺されてしまう。

 

「!?」

 

 詠唱は、魔法の威力と発動を安定させる効果がある。

 基本的に詠唱を行った魔法は詠唱を行わなかった魔法より強い。

 つまり、それは。

 

 この魔法使いが、ゆんゆんよりも格上の魔法使いであることを意味していた。

 

「助けは来ないよ。テレポート先はボクが考えて、助けに来れない場所に設定したから」

 

 

 

 

 

 むきむきは、合金と衝撃吸収材で何重にも囲まれた密室に放り込まれていた。

 

「な、なんだここ……! 皆はどこだ!?」

 

 元は強すぎる人間を閉じ込めて酸欠で殺すための部屋。

 とはいえむきむきのパワー相手では壁の強度が足りず、むきむきの筋力をぶつければ時間をかけることで破壊して脱出することが可能だろう。

 その頃には、仲間の半分以上は死んでいるだろうが。

 

 

 

 

 

 テイラーパーティは、広間に放り込まれ、死神と対峙する。

 

「し、初心者殺し……!?」

 

 始まりの街アクセル周辺にも出没し。

 人間をも騙すほどの高い知能を持ち。

 初心者の冒険者を好んで餌とする、狡猾で悪辣な巨虎のモンスター。

 

 その名は、初心者殺し。

 このパーティ四人では、逆立ちしても絶対に勝てない相手である。

 ピンクが用意した、この施設への侵入者を殺すシステムの一環だった。

 

「勝てるわけないよ! 逃げよう!」

 

「どこに逃げる! 逃げ切れるわけがないだろ!」

 

 ここは室内。出口がどこにあるかさえ不明。

 戦うしかないのだ。生き残るための希望が見えるまで。

 

「勝てない敵が相手でも! 勝つためじゃなく! 生きるために戦うのが、冒険者だろうが!」

 

 テイラーがビビる仲間達を鼓舞する。

 

「全員叫べ! 『死んでたまるか』!」

 

「死んでたまるか!」

 

「死んでたまるかっ!」

 

「死んでたまるかぁっ! うわーんっ!」

 

 虎の餌になるのは、時間の問題だった。

 

 

 

 

 

 一方その頃めぐみんは。

 施設最下層のゴミ集積場にすっ飛ばされていた。

 

「飛ばされる場所がおかしい!」

 

 悪臭漂うゴミ捨て場で、めぐみんは顔を派手にしかめる。

 

 見上げれば、壁にはダストシュートに捨てられたゴミをここに排出する穴。

 見渡せば、周囲にはゴミを一心不乱に食らう特殊なスライム。

 探しても、出口はどこにも見当たらない。

 

「ここは……施設のゴミ処理場、と見るべきでしょうか」

 

 2010年台の日本ではダストシュートがほぼ居ないもの扱いとなっているが、この施設においてはまだ使われているようだ。世代と年代を感じさせる。

 施設で捨てられたゴミは全てここに捨てられ、何でも食べるスライムの餌となるのだろう。

 そのせいか、ここは妙に細かい所が綺麗で、妙な所にゴミが堆積されている。

 同時に、ここは内側から外側に物を出す必要がほとんどない。

 せいぜい定期的にデカくなりすぎたスライムを処分する時くらいのものだ。

 すなわち、ここにまっとうな出口は存在しないということ。

 

 このままここに居ればめぐみんはほどなく餓死を迎え、スライムの餌となるだろう。

 

「……ま、マズい!」

 

 ここは地下の密閉空間だ。

 爆裂魔法なんてものを使ったら、まず真っ先にめぐみんの命が吹っ飛ぶ。

 かといって爆裂魔法以外に使えるスキルなんてものはない。

 この状況で助けを待っているだけで状況が好転すると思い込めるほど、めぐみんは気楽な性格をしていなかった。

 

(冷静に、冷静に……こういう時パニックになるのが私の悪い癖です!

 追撃は来ないと決め打ちして、時間をかけて心落ち着けて、打開策を……!)

 

 深呼吸、深呼吸。

 差し迫った危機こそないものの、めぐみんの方もかなりの窮地であった。

 

 

 

 

 

 空間を薙ぎ払う炎の魔法。

 それを走って跳んで奇跡的に回避して、ゆんゆんは詠唱を終えた凍結の魔法を発射する。

 

「『フリーズガスト』!」

 

「『インフェルノ』」

 

 だが、今度は無詠唱の魔法に力負けしてしまう。

 スキルレベルが高いゆんゆんの得意魔法でもなければ、相殺もできないようだ。

 ゆんゆんは冷気を密集させて炎の軌道を曲げるという器用なことをして、ブルーの魔法に力負けしつつもなんとか魔法の直撃を避ける。

 

「なんで、これだけの魔法の腕が……!? まさか、人間じゃない!?」

 

「儂は人間だ。ただし……」

 

 ブルーは絶世の美男子だ。

 その美しさは、神から貰ったとしか思えない域にある。

 究極の芸術を形にしたかのように、その美しさが永遠であるという錯覚さえ感じられた。

 

「既に齢百を超えておる。不老というやつだ」

 

「―――!?」

 

 不老。不死。

 それはこの世界の摂理と、神の理に反した存在。

 神の敵対者の証。魂の記憶を取り込むことで無限に強くなれるこの世界において、不老と不死は無限に強くなりいずれは神を超えることも可能な力だ。

 それゆえに、神の敵対者となる選択をした者が持つものでもある。

 

「儂は……我ら戦隊は、女神に選ばれた人間」

 

「人、間」

 

「女神に与えられた力に魔王様の加護を加え、人のまま人の敵対者となった者」

 

 DT戦隊は全員が人間。何かの理由があって、人間に敵対する陣営に走った者達。

 

「なんで人間が、それも女神様に選ばれるような人が!

 人類の敵である魔王軍の味方をするんですか! 人の……人の敵なんですよ!?」

 

「女神が悪いとは言わない。女神は優しいのだろう。……ただ、人は憎いのだ」

 

「ボクは単純に人に仲間意識が持てないからかな。何か違うんだよね、何か」

 

 もしも、この世界の争いが人と魔王軍という単純な対立構造であるならば、これほど分かりやすく戦いやすい戦場もないだろう。

 だが、ゆんゆんが知らないだけで、この世界には人の敵になるような人間の内患も存在し、魔王軍に魂を売った人間の幹部も存在する。

 人を助けたいと願うような魔王軍の幹部も存在する。

 白黒とハッキリした世界ではないのだ。

 

「ブルーさん、もういいですか?」

 

「ああ、紅魔族と戦って自分の今の程度も知れた。少し鍛え直すくらいでいいだろう」

 

 すっ、とブルーの手が上がる。

 

「用済みだ。さようなら、だな」

 

 すぐさま殺す必要性も感じていない、ただ作業のように殺すための動作。眼には虚無感、表情には疲労感、雰囲気には倦怠感が見えるブルーの魔法が構えられた。

 一人では覆せない、そんな窮地。

 

「よく分かんなくて、状況飲み込めなくて、頭の中ぐちゃぐちゃだけど……」

 

 それを見て、ゆんゆんは怯えるでもなく、むしろ心を奮い立たせる。

 

「あの人なら多分! 『殴り飛ばしてから考えればいいんじゃない?』とか言うと思うから!」

 

 ごちゃごちゃ考えるより、何かをすることを選んだ。

 

「我が名はゆんゆん! 紅魔族の長の娘にして、やがては里随一の魔法使いとなる者!」

 

 習得はしていたものの、今日まで一度も使ったことがなかった魔法スキルを、両親から貰った杖に乗せる。

 脳裏に浮かぶのは、自分よりずっと小さな体の、自分よりずっと偉大だと思っている魔法使いの少女の姿。魔法は精神力で制御するもの。心の支えが、魔法の完成度にも繋がっていく。

 初めての魔法とその詠唱を、信じられない速度でゆんゆんは完成させる。

 

 ブルーは反応して素早く炎の魔法を放つがもう遅い。

 詠唱はあまりに早く、魔法は既に完成を迎えた。

 

「我が名を証とし、我が魂を以て命ずる! 我が命に応え、我が下に推参せよ!」

 

「『インフェルノ』!」

 

 ぶっつけ本番で困難を乗り越えていくのが、若者の特権。

 

 

 

 

 

「『サモン』―――我が友、むきむきっ!」

 

 

 

 

 

 『召喚魔法』。

 

――――

 

「いつまでも小技を覚えない私だと思った?

 前から貯めてたポイントで、こっそり新しい魔法を覚えていたのよ!」

 

「どんな魔法か聞きたい? 教えてください、って頼めば、教えてあげてもいいわよ?」

 

――――

 

 めぐみんとの会話でゆんゆんが口にしていたものが、まさにそれだ。

 深く説明する必要さえないほどに、名前そのものが説明になる魔法。

 テレポートが登録した場所に自分や自分の周囲のものを移動するものであるならば、召喚魔法は登録したものを自分の手元や周囲に呼び込む魔法。

 ゆんゆんの登録対象は現在一つ。

 

 ピンチの時に助けに来てくれたら嬉しい、とある一人の友だった。

 

「おまたせ」

 

 少年は召喚されると同時にゆんゆんを抱え、横っ飛びに移動。

 

「……急に抱えられて横に高速移動されると、吐きそう……」

 

「あ、ご、ごめん! 急いでたもんだから!」

 

 抱えたゆんゆんの三半規管をグワングワン揺らしたものの、救出に成功した。

 

「……なんと」

 

 セレスディナは、ゆんゆんがそろそろ補助系の魔法を習得すると読み、それを一部の部下に通達しようとも考えていた。だが、電話もないこの世界での連絡手段は限られている。

 アルカンレティアから彼らが旅立って日が経っていないという幸運が、ここで彼らを助けてくれていた。

 セレスディナの予想は、ブルーの手元には届いていない。

 

「ゆんゆん、あの人達は?」

 

「とりあえず気絶させて! 話はその後で!」

 

「了解!」

 

 ゆんゆんへの信頼から、とりあえずでむきむきはブルーのハンサム顔を殴ろうとする。

 

「儂はいい人だぞ。あの子は勘違いしてるだけだぞ。だから喧嘩はやめよう」

 

「殴ってむきむき!」

 

「え? ……あ、いや、いいや。迷った時はゆんゆんを信じよう」

 

「このガキ、思考停止を!?」

 

 一瞬停止、けれどもすぐさまゆんゆんを信じて殴りに行く。

 ブルーは必死にかわしたが、空振った拳は壁に当たり、マジカルな合金製の壁にクレーターを生成する。

 

「怖っ」

 

 直後、ゆんゆんの放ったライト・オブ・セイバーが、回避したピンクとブルーが一瞬前まで居た場所を通過し、むきむきの拳以上に深く合金製の壁に斬撃痕を刻み込む。

 

「最近の紅魔族こわないですか、ブルーさん」

 

「お前も働け」

 

「やー、頑張って頑張って。ボクはニートしたいんです」

 

 むきむきとゆんゆん。

 一点突破型前衛と大火力後衛。

 この二人のコンビは、魔王軍幹部直属の者達であっても脅威になるほどのものであった。

 

「背中は任せた!」

「背中は任せて!」

 

 素直過ぎる、という弱点にさえ目を瞑れば。

 

 

 




一方その頃どこかの世界で
加虐を求めるクッコロ大魔王
クズロットだのニートだの言われるカズロット
天上の神に見守られる二人の戦いが始まろうとしていた……

・召喚魔法
 推測材料になるものだとめぐみんの台詞、アイリスの台詞にしか登場しない魔法。描写的におそらく生物や物質を(おそらくは指定対象の悪魔やモンスター等も)手元に引き寄せる魔法。テレポートが自分・他人・自分他人同時に移動するという送り出し(アスポート)寄りの特性を持っているので、この作品では引き寄せ(アポート)に相当する魔法であると解釈しております。


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2-4-3

北斗「ダクネスを満足させるほどの鞭使いのナツキ・スバルくんとかいうオリジナリティ溢れるオリ主をこのすば世界でカズマさんと共闘させれば大人気となり桶屋となろうが儲かるんです! 信じて下さい!」


 ピンクは、思ったことをそのまま口にした。

 

「君達二人って変態? それとも恋人?」

 

「え?」

 

「ボクとしてはどっちでもいいのだけれども」

 

 召喚登録は、動物や物質であるならそう変なものでもない。

 ただ、それが人間相手となれば話は別だ。

 召喚登録に同意してしまえば、自分はいつでも術者に呼び出されてしまう。

 風呂に入っている時も、一人部屋で休んでいる時も、恋人と一緒に居る時も、術者に喚ばれれば跳んで行かなければならない。

 親しい仲でも、登録はちょっと遠慮したくなるのが普通だ。

 

 召喚者にいつでも呼び出される契約を交わした悪魔を見ればよく分かる。

 召喚者が主、被召喚者が従者という関係性。

 片方がもう片方の生活に一方的に干渉する権利。

 抵抗もできない完全な主導権の移譲。

 

 見方を変えればそれは、マゾだのサドだのという関係にも見えなくはないわけで。

 

「というわけだから、変態かなーってボクは思うわけで」

 

「ち、違います! 深い意味はないですから!」

「ゆんゆんは対人の距離感がおかしいだけで普通の子だから……」

 

「なんだ、オチはそんなもんか」

 

 友人を登録しようとする方もする方だが、それを承諾する方もする方だ。

 二人揃って深く考えてなかったと知り、ピンクはつまらそうに髪を弄り始める。

 

「てっきりその年でご主人様と奴隷というアブノーマルな趣味に目覚めてるのかと」

 

「違います!」

「ゆんゆんはむしろ他人に引っ張られたいタイプなんじゃないかと」

 

「ちぇー」

 

 "他人からはそう見られる"ということを知り、ゆんゆんの顔がかあっと赤く染まる。

 人前で使うのは控えようと、ゆんゆんは決意した。

 

「『カースド・ライトニング』」

 

 そこに、ブルーの魔法が飛んで来る。

 ゆんゆんにそれをかわす手段はなかったが、瞬時に彼女を抱えて跳んだむきむきにより、雷速の魔法は誰にも当たらず壁に当たって霧散する。

 

「む」

 

(この人の職業はアークウィザード。魔法使いとしてのキャリアは、話が本当なら百年以上)

 

 ブルーに規格外の能力は無かったが、ただ単純に本人のレベルとスキルレベルが高い正統派魔法使いだった。

 ゆんゆんもまた、正統派魔法使い。

 ただしこちらは本人のレベルもスキルレベルも高くなく、ただ単純に生まれつきの才能とステータスが高かった。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 ゆんゆんがむきむきに抱えられたまま光刃を放つも、こちらは身体能力を魔法で底上げしたブルーに回避される。

 前衛職並みの速さに、少年は少しばかり驚いていた。

 

(レベルが高い。だから多分、元々のステータスもそれなりに高いんだ)

 

 レベルが高く地力が強い。

 魔法で底上げすれば魔法も回避できるステータスになる。

 強さの理由が単純明快なだけに、地味に厄介な手合いであった。

 

(むきむきの両手が空いてないと、埒が明かない)

 

 このまま、ゆんゆんを抱えてむきむきが駆け回り、彼の腕の中からゆんゆんが魔法を撃っていても、詰め切れない。

 無詠唱の上級魔法でもあの精度だったことを考えれば、迂闊にむきむきを突っ込ませるわけにもいかない。

 そこで、二人は兼ねてより打ち合わせていた新フォーメーションを披露した。

 少年が少女を肩車して、最強の土台に最強の砲台が乗せられたハイパー合体フォーメーションが起動する。 

 

「フォーメーション・ツー!」

 

「はたから見るとバカ丸出しだぞ」

 

「分かってるわよそのくらい! 恥ずかしいけど、でも効率は良いの!」

 

 ブルーが呆れた顔で、炎の上級魔法を放ち。

 

「『インフェルノ』」

 

「「 『ライト・オブ・セイバー』! 」」

 

 ゆんゆんの光の刃、むきむきの光の手刀の連続攻撃が、その魔法を両断する。

 

「バカっぽいのに結果は出すこの姿、まさしく紅魔族……流石だ」

 

「褒め言葉が嬉しくない……!」

 

 むきむきが戦車の下半分、ゆんゆんが戦車の上半分を担当するかのようなフォーメーション。

 バカらしいのに、防戦に回れば何故かそこそこ強かった。

 

(かつて、この身は女神に美しさを望んだ。

 魔王の祝福がそこに加わった。美しさは不老に変じ、美しさは永遠となった。

 魔法はいい。自分の力だけで積み上げたものを、実感できる……)

 

 ただの人間でも百年積み上げれば、新人の紅魔族にも勝る。

 そんな事実を証明する青の魔法使いは、女神に貰った虚しい外見の美しさとは無関係に研鑽したその魔法を、ひたすらに撃ち続けた。

 

 

 

 

 

 初心者殺しは初心者の死亡率を爆発的に引き上げるがために、初心者殺しと呼ばれている。

 むきむき達が派手な魔法戦を繰り広げているその裏で、テイラー達は生と死の境にてタップダンスを踊っていた。

 

「うおおおおおおおっ!?」

 

 初心者殺しの噛みつきに、テイラーは無理矢理右腕の籠手を割り込ませた。

 虎の口が分厚い金属製の籠手を噛み、テイラーは反射的に籠手を外して腕を抜く。

 腕が抜かれてから一秒の後、頑丈なはずの金属製の籠手は潰され、初心者殺しの歯に噛み砕かれていた。

 

「平然と金属鎧を噛み砕くなよ……!」

 

「どけテイラー!」

 

 ダストが脇から斬りかかるが、脂の染み付いた剛毛・強靭な皮膚・分厚く頑丈な筋肉という三重防御で、ダストの剣は筋肉の切断にも至らない。

 

「二人共一旦こっちまで下がれ!」

 

 キースが弓矢を撃って仲間を援護しようとするが、動物の脂をたっぷりと吸った剛毛は、このレベル帯のアーチャーの矢では貫けない。

 矢は刺さらず、体表を滑るように弾かれた。

 

「『ブレード・オブ・ウインド』!」

 

 間髪を容れず、リーンの中級魔法が飛ぶ。

 風の刃は"毛の上で滑る"という概念を持たないかのように突き刺さり、毛と皮を切断して虎の体から出血させた。

 だが、所詮はかすり傷。

 肉も骨も断てないのでは、致命傷には程遠い。

 

「これが人間に捕まる寸前のキャベツの気分ってやつ……?」

 

「まな板の上のキャベツってか。リーンの胸のようにまな板か」

 

「うふふ、あたしダストが噛まれても助けないって誓うわ」

 

「現実逃避はやめろお前達!」

 

 テイラーが叫んだ直後、初心者殺しがリーンに飛びかかる。

 殺しやすい後衛から狙って殺すという、初心者殺しの好む行動パターンの一つだ。

 リーンはダストの背後に隠れ、初心者殺しの爪をダストの剣が受け止める。

 受け止めたはいいものの、ダストはそこから動けなくなり、初心者殺しの爪が剣の表面をガリガリと削る。

 金属製の剣が爪に削られ、ボロボロと金属片が落ちていく。

 あと数分と保たずに剣が削り折られてしまうことは、明白だった。

 

「た……大変なことに気が付いちまった!」

 

「どうしたダスト! できればそのまま時間を稼いでくれダスト!」

 

「他人事だと思いやがって……!

 今、こいつの股間を見た! こいつオスだ! しかも性的に興奮してる!」

 

「!?」

 

「つまりこいつは異種姦好きで殺人性癖でホモの初心者殺しだ!

 人間のオスを殺すことに性的興奮を覚えるド変態なんだ! 助けてくれ!」

 

「畜生、なんでそんなのわざわざ選んで設置してんだこの施設の主は! ド変態か!」

 

 ブルーはまだまともな方だったが、ピンクの方はまごうことなくド変態だった。

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 

「私の泥臭さをナメてもらっては困ります」

 

 バイタリティあふれるめぐみんは、なんとあの出口のないゴミ処理空間から誰かに助けられるまでもなく、たった一人で脱出していた。

 

「ああ、でもこういうことが金輪際ありませんように……」

 

 どう脱出したのか?

 その答えは、異常にゴミまみれになった彼女の姿を見れば分かる。

 

 めぐみんはなんと、スライムが食べていた大量のゴミを大きなものから順にさっさと運び、高く積み上げ、ゴミの山を作ってそこから壁の高い位置にあったダストシュート排出口まで上がっていったのだ。

 そこからダストシュートを死ぬ気で這い上がり、城の外に繋がっていたそこから脱出。

 ゴミまみれになりながらも、爆裂魔法持ちを封じるあの檻から脱出せしめた。

 

 幼き頃、セミの小便にまみれながらもセミを捕まえ、カリカリになるまで火を通して腹を満たしていた記憶が彼女の脳裏に蘇る。

 めぐみんは紅魔族随一のヨゴレ耐性を持つ少女。

 モンスターの粘液まみれになることにだって、彼女は耐えられるのだ。

 

「……この姿はあんまり他の人に見せたくないですね。

 ゆんゆんに笑われたらイラッときますし。

 むきむきに『くさっ』とか言われたら、心にヒビが入りそうです」

 

 一説によれば、小中学校で使われる罵倒で一番ダメージ係数が高いものは、『くさい』であるとかなんとか。

 

「ここは城の外。私一人で施設に突入するか、それとも……」

 

 めぐみんは思案し、ダストシュートの投入口を見て、決める。

 

「……そうだ」

 

 決め、思う。

 いっぺんやってみたかった。

 爆裂魔法で城崩し。

 

「土台からぶっ壊してやりましょう、そうしましょう。ふふふ」

 

 先程まで居たゴミ処理施設は、最下層の密閉空間。

 そこに爆裂魔法を撃ち込めば、普段は塞がれてもいるダストシュートなんていう小さな穴からでは、爆風が逃げ切ることもない。

 ならば、ゴミ処理施設の上にある、この城じみた施設はどうなるか。

 

「『エクスプロージョン』ッ!!」

 

 被害想定をすることさえせず、めぐみんは衝動的に爆裂魔法をぶっ放した。

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 初心者殺しに襲われているダストを助ける方法を、テイラー達は何も見つけられずにいた。

 

「諦めろ! ダストはブレックファーストになっちまうんだ!」

 

「あばよブレックダースト! 墓は適当に立ててやるからな!」

 

「ダスト! あたし、今までずっとあんたに喧嘩腰だったけど……

 ずっと言えなかったけど……本当はあんたのこと、好きじゃなかったよ!」

 

「お前ら他人事だと思いやがって! 死んでたまるかクソ野郎!

 つか最後くらい嘘でいいから嫌いじゃなかったよとか言ってくれよ!」

 

 なんとか助けようともしているが、初心者殺しの視線と動きに牽制され、思うように動けていない。

 哀れダストは、ガストのハンバーグのようになってしまうのか。

 と、その時。

 ダストと初心者殺しの足元が、爆音と共に崩壊した。

 初心者殺しは咆哮を上げながら落下していき、ダストの足元も崩壊し、彼も一緒に落下しそうになってしまう。

 

「床が……この建物自体が、崩れる!?」

 

「ダスト急げ! こっちに走れ!」

 

「うおおおおおおおおっ!?」

 

 なのだが、彼は持ち前の生き汚さで崩れる床を一気に走破。

 テイラー達と共に、崩れる床から崩れていない床まで必死に駆け抜ける。

 彼らが安全な床まで辿り着いた頃には、五階建ての小学校クラスの大きさがあったその施設は、爆裂魔法によってその半分ほどを崩落させられていた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……な、何だったんだ今の」

 

「めぐみんかゆんゆんじゃない? あれ、とんでもない規模の魔法によるものだと思う」

 

「下……いや、違うな。

 生き埋めになる状況であんなことをするわけがない。

 だと、したら……生き埋めにならない場所で、あそこに魔法を当てられる場所……」

 

 土台を崩壊させて急造の城を崩せる場所など、限られている。

 彼らは遠くを見渡せるキースを中心に、城の上階部分から該当しそうな場所を目で探し始める。

 そうして、爆裂魔法の音でゾンビを集めてしまった上、魔法の反動で動けなくなっている、大ピンチのめぐみんを発見した。

 

「へるぷ」

 

「ダスト、降りるぞ! リーンとキースはここで援護!」

 

 テイラーの反応と指示は早かった。

 フック付きのロープを使って、ダストとキースは城の外の地面まで落ちるように移動。

 

「狙撃」

 

「『ブレード・オブ・ウインド』!」

 

 その間、アーチャーとウィザードの弓と魔法がゾンビを足止めしつつその数を減らし。

 

「オラァ!」

 

 命知らずのダストが、ゾンビに切り込んでめぐみんを守り。

 

「『ターンアンデッド』!」

 

 聖騎士(クルセイダー)のテイラーが、群がるゾンビを一掃した。

 

「ありがとうございます……お陰で、助かりました……」

 

 魔力を使い果たしてヘロヘロなめぐみんがなんとか礼を言い、城から降りてきたリーンが少し呆れて、腰に手を当て言い放つ。

 

「水臭いこと言わないでよ。今は、私達パーティでしょ?」

 

「……そう、ですね」

 

 一時とはいえ仲間同士。

 ならば、助けることにも助けられることにも遠慮は要らない。

 仲間同士で助け合うのが日常、それが冒険者だ。

 

「だから遠慮なく言うけど、臭いよめぐみん」

 

「!?」

 

 だからズケズケと言いにくいことも言い合えるのが、冒険者であるのだが。

 

 

 

 

 

 ブルーはアークウィザードとしての練度が非常に高い。

 そのため、魔法の応用が非常に上手かった。

 

「『カースド・ライトニング』」

 

 闇の雷がむきむきの足元に飛び、ゆんゆんを肩車した状態で加速してそれを回避するむきむきだが、雷は床に着弾。

 巧みな魔力制御で雷は床を伝搬し、むきむきを足から感電させる。

 

「しびびびび」

 

「わっ、むきむき!?」

 

「む? その靴、いい魔力が込められておるな。想定外だ」

 

 魔法戦はむきむきとゆんゆんの合体ロボじみた戦闘スタイルによりなんとか拮抗していたが、事あるごとにブルー優勢になりかけている。

 そのたびなんとか持ち直すが、紅魔族二人からすれば冷や汗ものだった。

 今も靴が地味に電気の伝搬を軽減してくれていなければ、危なかっただろう。

 

「『ライト・オブ・リフレクション』」

 

 ブルーが光を屈折させる魔法を使って、自分の姿を消す。

 その瞬間、ゆんゆんは魔法の詠唱を初め、むきむきは手刀を構えた。

 

「しょうらっ!」

 

 横一文字に振るわれる手刀。

 攻撃ではない、広範囲に弧を描くような広がる斬撃。

 手刀から放たれた空気の刃は、姿を隠したブルーに防御を余儀なくさせ、その居場所を露呈させる。

 そこに、ゆんゆんがノータイムで光の刃を振って放った。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 ブルーは光の屈折魔法を解除し、またしても速度を魔法でブーストした身体能力で回避する。

 だが、光の刃はブルーの服の裾を切断し、彼のこめかみに冷や汗を一粒浮かべさせていた。

 

 この"互いを理解している"ということを大前提とした継ぎ目の無い連携こそが、彼らの強み。

 戦い全体で見れば老獪なブルーが素直過ぎる子供二人を押しているのだが、こうして時々、二人はブルーを驚かせるような連携攻撃を見せてくる。

 

「ぬう、手強い」

 

「だからボク言いましたよね、ブルー。分断が最良の策だと」

 

「悪いな。儂は悪巧みは性に合わん。できる者に任せることにしているのだ」

 

 参戦する気をいまだに見せないピンクに、むきむき達の評価を改めているブルー。

 二人の魔王軍めがけて、合体状態の二人の紅魔族が一気に突っ込む。

 

「『ボトムレス・スワンプ』」

 

 ところがそこで、高いスキルレベルと魔法制御能力にあかせた、無茶苦茶な迎撃の魔法が飛んで来た。

 なんと、ブルーは天井を無理矢理に地面と定義・誤認させ、地面を沼に変える魔法を天井に使い、"天井から沼を落としてきた"のだ。

 落ちた沼は、二人に派手にぶっかけられる。

 

「うわっ、泥!? くっ、泥が顔にかかって眼が……!」

 

「しまっ、これ目眩ま―――」

 

「『ウインドブレス』」

 

 足が止まり、視界が塞がれ、床は走れないほどにぬめる。

 そこに膨大な魔力を込められた風の初級魔法が来て、踏ん張ることができないむきむきに直撃。

 むきむきだけが吹き飛ばされ、肩車されていたゆんゆんだけがその場に落ちる。

 

(しまった、分断!)

 

 ここに来てまたしても分断されてしまった。

 むきむきとゆんゆんは立ち上がるも、二人の距離は果てしなく遠い。

 ブルーはゆんゆんから見て四歩の距離で、無詠唱の魔法を放たんとしている。

 ゆんゆんも、むきむきも、一人でそれを止める手段は持たない。

 

「―――!」

 

 けれども。

 

「むきむき、私を信じて! 目の前の空間を思いっ切り殴って!」

 

 一人でないなら、持っている。

 

「『カースド』、っ、『ライトニング』!」

 

 ブルーが魔法を撃った、その瞬間、施設が大きく揺れた。

 彼はそれで姿勢を崩し、魔法の照準を誤り、ゆんゆんを狙った魔法はゆんゆんに当たらず明後日の方向へと飛んで行く。

 めぐみんの爆裂魔法が、ブルーの魔法に僅かな狂いを生み出したのだ。

 

「そぅらぁ!」

 

 そして、ゆんゆんが泥濡れの床で大きく前に一歩を踏み出し、ゆんゆんを信じたむきむきが泥で前が見えないまま拳を振って、銀の杖が翻り――

 

「―――『サモン』!」

 

 ――召喚(サモン)の魔法が、発動された。

 

「こ、れ、は……」

 

 むきむきが拳を振り上げ、それを突き出すまでの一瞬に発動された召喚魔法。

 それにより、むきむきはブルーの目の前に召喚された。

 結果、召喚と同時に放たれた拳がブルーの腹部へと炸裂。

 

 ブルーの腹には、むきむきの拳による致命傷が叩き込まれていた。

 

「……慢心、増長、油断。歳を取りすぎれば逆に増えるのが、困りものだな」

 

「そりゃそうですよ、そーれ」

 

 ブルーが致命傷を受け仰向けにバタリと倒れると、ピンクが一つのフラスコを投げ込んできた。

 投げられたと同時にむきむきは前に出て、フラスコが落下を始めた頃にゆんゆんを掴み、フラスコが床に落ちた頃には凄まじい速度で後退していた。

 床に落ちたフラスコが、薬品を撒き散らす。

 撒き散らされた薬品が気化する。

 気化したその薬品を吸い込んだブルーは、顔色を変えて壮絶に苦しみ始めた。

 

「が……がはっ!」

 

(毒!? 味方ごと!?)

 

 ゆんゆんとむきむきを遠ざけるのが目的だったとしても、もっと他に方法があるだろうに。

 ピンクはこの毒に耐性があるのか、気化した毒の中を悠々と歩いて、毒に苦しむブルーの口に別のフラスコから薬品をぶち込んだ。

 

「げほっ、ごほっ、かはっ、ごぶっ!?」

 

「はいこれ飲んで下さい、ブルーさん。

 この毒の解毒薬と、この毒に耐性が付く薬と、傷の治療薬です」

 

 常軌を逸した思考回路だ。

 仲間を助けるため、仲間諸共敵に毒を投げつける。

 毒に苦しむ仲間に、後から解毒薬を飲ませる。

 腹に致命傷を受けた仲間に毒を食らわせることに、一切の躊躇いがない。

 仲間を助けるという結果を得るために、仲間を自分で苦しめるという過程を平然と入れ、そこに罪悪感を感じてもいない。

 

 どこにでも居る存在ではなく、けれどもどの世界にも一人は居る、能力と知力が伴ってしまった外道の精神性だった。

 

「死ぬかと思ったぞ。お前はこんなんだからピンクズと言われるんだ」

 

「助けるには助けたんですからボクに感謝して下さいよ」

 

「ああ、今度ばかりは助かった。いかんな、鈍りすぎている。

 次からは絶対に接近せずに戦いを行うことを徹底しなくてはな」

 

「いや、それ以前の問題ですよ。次はせめてやる気出して戦って下さい」

 

 五分も余命が残っていなかったはずのブルーの致命傷は、既に塞がっていた。

 今飲ませた薬が、それほど高い効果を持っていたということなのだろう。

 おそらくはヒールの最上級系、セイクリッド・ハイネス・ヒールにも匹敵する回復力がある。

 

「治ってる……?」

 

「クリエイター系の職業の薬? いや、でも、あのレベルの回復は……」

 

「二人共、無事か!」

 

 その回復に二人が息を呑み、流れが悪くなったのをむきむきは肌で感じ取るが、その悪い流れを、部屋に飛び込んできたテイラー達が一変させる。

 邪魔にならないよう、運びやすいよう、大きな革袋に袋詰めにされためぐみん以外の誰もが傷だらけだが、生気に満ちていた。

 ピンクは敵増援を見て、これ以上泥沼に戦っても意味が無いと判断する。

 

「潮時です、ブルーさん」

 

「……『テレポート』」

 

 捨て台詞さえ残さずに、素早く彼らは撤退していった。

 

「勝った?」

 

「勝った……んじゃないかな」

 

「お? こいつはもしやクエスト完全達成ってやつか?

 うっしゃあ! 完全達成報酬で六十万エリスじゃねえか!」

 

 誰よりも早く、誰よりもお気楽そうに、ダストが手にできそうな大金にはしゃぐ。

 明らかにリスクに見合わない報酬だったが、依頼が達成された今となっては関係のない話だ。

 

「あいつら賞金首だな。一億エリスくらいのやつ」

 

「そうだっけ? 帰ったら確認してみよっか」

 

 キースとリーンも、少しだけ見たブルーとピンクの顔に何か感づいた様子だが、気が抜けているのが目に見えて分かる。

 そうして、テイラーは紅魔族の三人にも声をかけ。

 

「三人共お疲れ。……よかったな、ここが温泉の街ドリスに近くて」

 

「……今は心底、その幸運に感謝してます」

 

 ゴミまみれだっためぐみんと、泥まみれのむきむきとゆんゆんを見て、苦笑しながら賞賛と労いの言葉をかけていた。

 

 

 

 

 

 テイラー達はアクセルへ。

 むきむき達はドリスへ。

 始まりの街に向かう彼らと、王都に向かう紅魔族達は、ここでお別れだ。

 ふと、むきむきは別れの時になって、今のめぐみんがリーンと同じ匂いをしていることに気が付いた。

 

「……めぐみん、リーンさんと同じ匂いがしない? いや、微妙に違うような……」

 

「!」

 

「ああそりゃたっぷりとリーンが時々使ってる消臭――」

 

「ふんっ」

 

「ひでぶっ!?」

 

 余計なことを言おうとしたダストのケツにタイキックをかまし、リーンは「気にしないで」とむきむきに言って誤魔化しに入る。

 むきむきに見えないところでリーンに頭を下げているめぐみんを見て、キースがやれやれと肩を竦めていた。

 キースは拳の背で軽くむきむきのムキムキな腹を叩き、ニヒルに笑む。

 

「アクセルに来たらまずギルドに来い。

 何か困ったら受け付けで俺の名前を出して俺を呼べ。

 即日とは行かないが、相談に乗ってやるよ。お前、デカいのは体だけみたいだからな」

 

「キース先輩……」

 

「また一緒にクエスト行こうぜ」

 

 その流れに乗って、ダストまでむきむきに絡んできた。

 

「なあなあ、紅魔族の綺麗どころを紹介してくれよ」

 

「え、それはちょっと……」

 

「なあ、いいだろ?」

 

「そ、そのうちに……」

 

「おお! 話が分かるじゃねえか、むきむき!」

 

 上機嫌に離れていくダストの次は、リーン。

 

「今回は本当に助かったよ、ありがとね。……あれ、そのペンダント何?」

 

「これですか? 里の皆の髪の毛が入ってるんです。

 髪の毛には魔力が宿ります。旅の無事を祈る、おまじないってやつですね」

 

「ふーん……じゃ、あたしも一本入れとこっかな。はい、無事を祈って。どーぞ」

 

「! ありがとうございます、リーン先輩!」

 

 リーンの髪の毛が入ったペンダントを大事そうに握っているむきむきに、最後に声をかけるのはテイラー。

 

「覚えてるか? 冒険者は笑うんだ」

 

「はい」

 

「特に意図して笑う必要はない。いい仲間が居れば、自然と笑ってるもんだからな、冒険者は」

 

「……仲間」

 

 テイラーとむきむきの視線が一瞬だけチラッと横を向き、めぐみんとゆんゆんを見る。

 

「いい仲間が居れば、戦いは悔いなく終わる。それが満足感だ。

 いい仲間が居れば、大体勝った気で終わる。それが達成感だ。

 後悔して勝つことも、満足して負けて死ぬこともない……と、俺の先輩は言ってた」

 

「テイラー先輩……」

 

「ま、俺は信じてないけどな。けど、

 『こいつと一緒に負けるなら悔いはない』

 『こいつと一緒に戦えばきっと勝てる』

 と思える仲間を見つけるってのは、一番大事なことだと思う」

 

 ベテランでもなく、天才でもなく、貴族のような特別な血統もなく。

 けれども、テイラーはまごうことなく"いいリーダー"だった。

 

「難しく考える必要なんてどこにもない。お前はもう、最高の仲間を見つけてるだろ?」

 

 別れの最後にいい言葉を残して、テイラーとそのパーティは去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テイラー達と別れてからちょっと時間が経った頃。

 

「な、なによこれぇっ!?」

 

 めぐみんの冒険者カードを見て、ゆんゆんが悲鳴を上げていた。

 

「なんでめぐみんのレベルがこんなに高いの!?」

 

「城を吹っ飛ばした時に一緒にかなりのモンスターを吹き飛ばしたようでして。

 いやはや、スライムの経験値だけだと思っていたら思わぬ誤算です。

 どうやらあの施設は魔王軍によるモンスターの研究改造施設でもあったようですね」

 

「そ、そんな……」

 

「さて、二日前に始めた勝負がありましたね。

 三日後にどちらのレベルの方が高いか、という勝負が」

 

「ぐ、ぐぐぐ……」

 

「あと一日で埋められるレベル差じゃありませんねえ……ふふふ」

 

「めぐみん、僕の経験が煽りすぎるとロクなことにならないと警告を……」

 

「な、な、何よこのくらい! 見てなさい! 今日一日でレベル追い抜いてあげるから!」

 

 走り出すゆんゆん。

 ちょむすけを抱いてそれを見送るめぐみん。

 

「待ってゆんゆん、一人で先行したら危ない!」

 

 むきむきはその後を追うものの……

 

「助けてー!」

 

「早い!」

 

 焦るあまりに注意散漫になった挙句、服だけを溶かすブルー製・魔改造グリーンスライムに捕まっているゆんゆんを発見した。

 

「だから言ったのに……」

 

「い、嫌! 素っ裸は嫌ぁ! めぐみんみたいなイロモノになっちゃう!」

 

「おい、私のどこがイロモノなのか教えてもらおうか」

 

 スライムから逃げようと動くゆんゆんをげしげし蹴ってる内に、めぐみんはあの施設で見たものから、一つの推測が組み立てられることに気が付いた。

 

「あ、この辺で何度も何匹も不自然にスライムと会う理由が分かりました。

 多分あの施設で研究していたスライムが逃げたか、外に捨てられたかしたんですよ」

 

「なるほど。ゴミ処理にスライム使ってたくらいだもんね」

 

「落ち着いてないで助けてぇ!」

 

 ゆんゆんはもはや涙目を通り越してガチ泣きしそうになっている。

 

「むきむきはむっつりなそうなので、喜ぶんじゃないですか」

 

「!?」

 

 めぐみんが何気なく言った言葉に、むきむきはぎょっとした。

 あの夜のダスト達との猥談を聞かれていたことに気付き、むきむきの顔がかあっと赤くなる。

 

「う、嘘でしょむきむき? 私を見捨てないよね? 助けてくれるよね? 裸見ないよね?」

 

 ゆんゆんの不安そうな声にハッと我に返って、むきむきは顔の赤みを消せぬまま、ダスト達に教わったスライムの切除法を実践し始める。

 

「よ、喜ばないよめぐみん! ゆんゆん、今助けるから待ってて!」

 

 泣いて助けを求めるゆんゆん、それを必死に助けようとするむきむきを見ながら、めぐみんは地べたに座ってちょむすけの毛並みを撫で始める。

 

「もうスライムとは関わりたくないですね……」

 

 ちなみに、魔王軍幹部にもスライムは存在する。

 

 めぐみんのそれは、叶わぬ願いであった。

 

 

 




 ボトムレス・スワンプのルーデウスとかいうオリジナリティ溢れるオリ主をこのすば世界でカズマさんと共闘させれば大人気になり桶屋となろうが儲かります
 今度は嘘じゃないっす


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2-5-1 ドリス・イントルード

 アクシズ教徒はアクア様をひと目見ただけで本人だと理解できるキチガイ集団で居て欲しい。そんな思いからWEB版基準でアルカンレティアに統合されなかった観光地温泉街ドリスです


 成人をひと呑みにできる巨大なカエル。

 正式名称、ジャイアントトード。

 金属を嫌うという明確な弱点を持ち、人一人を殺すのに時間がかかる上、人一人を飲み込んでいる時は隙だらけになるという、パーティの人数さえ揃っていれば倒すのが容易なモンスター。

 別名、初心者冒険者のカモ。

 

 その腹を、むきむきの拳が強烈に叩いた。

 

「あれ?」

 

 だが、死なない。

 諸々の事情で少し手を抜いて殴ったとはいえ、自分の拳をものともしないカエルの打撃耐性に、少年は思わず目を細めた。

 カエルの腹に拳を埋めた筋肉の巨体を、大きめの個体のカエルがパクリと咥え、飲み込んだ。

 

「ちょっ!?」

 

 その個体を魔法で狙っていたゆんゆんが、思わず手を止めてしまう。

 だが、ほどなくカエルの腹と口がもごもごと動いて、カエルの中から気絶した子供を抱えたむきむきが飛び出してきた。

 

「はい、まず一人」

 

(ヒュドラの一件で変なこと学習してる……)

 

 ジャイアントトードの繁殖期は春と秋。

 この時期、このカエルは家畜や"近隣の村の子供"を食べるなどの被害をもたらす。

 そうして得た栄養の分だけ、卵を産むのだ。

 この近辺には通常発生しないカエルが、集団で街近くに現れ十数人の子供を捕食する現場を見てしまっては、紅魔族達も見過ごすことはできなかった。

 

「あと何人!」

 

「あと三人です!」

 

「分かりました!」

 

 打撃が効きにくく、腹の中の子供を巻き込む可能性があるため上級魔法も爆裂魔法も使いづらく、別の攻撃手段を使わないといけない。

 そんな面倒な状況から、彼らはなんとか子供達を全員助け出す。

 

「これで全員ですか?」

 

「ありがとうございます、ありがとうございます!

 通りすがりの冒険者さん達が居なかったら、どうなっていたことか……!」

 

「こめっこが里の外に一人で勝手に出た時のことを思い出しましたよ。本当ひやっとしました」

 

 流石に小さな子供達がカエルに食われるのを見逃すのは寝覚めが悪い。

 約一名粘液まみれになりながらも、結局彼らは子供を全員助けるまで奮闘してしまっていた。

 

「ええと、このカエルは……」

 

「アクセルの近辺にしか生息していないと聞くジャイアントトードですね。

 しかしなんでまた、このモンスターがこんなところに現れたんでしょうか」

 

「あくまで噂なんですけど、先週ここをアクシズ教徒の宣教師が通りまして」

 

「あ、はい、オチは分かりました」

 

 聞くところによると、違法販売業者が商売敵を潰すため、モンスターの幼体や卵を商売敵の所に送りつけようとしたらしい。

 一つ間違えれば街中で大惨事になりかねないその企みを、偶然耳にしたアクシズ教徒が正義感から粉砕し、卵と幼体が詰まった馬車を崖下に捨てて去っていったのだとか。

 そこまでならまだいい話だったのだが、崖下に捨てられた馬車の中で、カエルの卵だけが孵化。川の流れに乗って成長しながら移行していき、ドリス近辺で成体となったらしい。

 

 よかれと思って善行をしてもどこかしらでオチがついてしまうのが、実にアクシズ教徒だ。

 一番悪いのは間違いなくその違法販売業者だが、むきむき達は"またアクシズ教徒か"と思わずにはいられない。

 

「それにしても、随分と汚れていますね……」

 

 紅魔族三人は、服も体も随分汚れている。

 三人が不潔だからというわけではなく、三人が長旅をしてきたからでもなく、単純に前回の魔王軍ダンジョン攻略で各々が汚れてしまったからだ。

 

「あはは、かっこつかなくてごめんなさい」

 

「そんな、謝らないで下さい。

 粘液まみれになってまで子供を助けてくださって、ありがとうございます。

 ここの温泉には温泉に入っている間に服を綺麗にするサービスもあります。

 後でオススメの温泉と、評価が高い温泉のパンフレットをお渡ししますね」

 

 子供達を助けてくれた少年少女に、その大人は一度深々と頭を下げる。

 そして、その街へと、彼らを招いた。

 

「ようこそドリスへ。私達はあなた達を歓迎しますよ」

 

 ここは観光温泉地ドリス。

 この世界ではそこまで多くない、観光資源を売りとする街であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず真っ先に風呂に入る。三人の意見は寸分違わず一致していた。

 

「むきむき、むっつりだからといって私達の入浴シーンとか妄想しちゃいけませんよ」

 

「しないから! もうそのネタ止めて本当に!」

 

「このネタ振ると新鮮な反応が帰ってきて面白いので、つい」

 

 表通りには活気のある人通りと、観光客向けの多様な売店。

 そこかしこに温泉があり、宿に付いている温泉、レジャー施設に付いている温泉、食事処に付いている温泉など、それぞれが個性的な姿を見せていた。

 

「今日はここで一泊ということでいいですよね?」

 

「うん」

「賛成」

 

 めぐみんの提案で、彼らはカエルの件でいい宿を教えてくれた人の勧めに従い、評価の高い旅館に部屋を取ることを決めた。

 部屋を取るや否や、彼らは大衆浴場へ移動。

 

「チッ」

 

「え、なんでめぐみんは風呂の前で舌打ちを……」

 

(ここで『胸が無いからよ』とか言ったら、私の胸絶対跡が付くまで握り締められる……)

 

 男女に別れ、服を魔導洗浄機――30分ほどで自動で服を綺麗にして排出する――に放り込み、いざ風呂へ。

 むきむきは湯に浸かる前に体を洗って綺麗にし、先客が何人か浸かっている露天風呂の端に、静かに腰を降ろした。

 

「ふぃー……」

 

 温泉、それも遠くからの観光客が来るほどのものを、むきむきは初めて体験していた。

 ほにゃっ、と少年の表情がゆるむ。

 里では得られなかった不思議な感覚が、その露天風呂にはあった。

 

(気持ちいい……)

 

 一般客がその体格と筋肉に驚き、チラチラと自分の方を見ていることにも気付かないくらい、少年は温泉の良さを堪能していた。

 目を閉じ、その感覚に身を委ねる。

 このまま寝てしまいそうな心地よさに、消える水音、小鳥のさえずり、露天に流れる爽やかな風の音、そして――

 

「これみよがしに胸を揺らして! 嫌味ですかこのこのこの!」

 

 ――寝そうになっていた少年の意識を現実に引き戻す、現実の声。

 

「やめて叩かないで! めぐみんの胸が無いのはめぐみんのせいじゃない!」

 

「なにおぅ!」

 

「たとえ全ての女性が貧乳になっても、何も変わらないわよ!

 めぐみんは男以下の貧乳なんだから! ずっと相対貧乳で絶対貧乳よ!」

 

「言わせておけばこの駄肉!」

 

 風呂を出たら他人のふりしようかな、と、少年は一瞬だけ思ってしまった。

 

「全く、時折こうしたマナーを知らない客が居るから困る。

 声からして子供のようだが、親は一体何をやっているのか……」

 

 めぐみん達の騒ぎを耳にして、その時一人の老人がぼそっと呟いた。

 誰かに向けて言ったわけではないだろう。老人に時折見られる、自己完結の呟きだ。

 だが、むきむきはそれに実直に反応してしまった。

 

「ごめんなさい、僕から謝らせて下さい。あれ、僕の友人なんです」

 

「お前の? それはすまないことをした。

 ワシも無粋極まりないな。お前の前でお前の友人を悪く言ったこと、許して欲しい」

 

「い、いえ、悪いのは僕達ですし……」

 

「お前がそれとなく今の女性陣に何かを言ってくれるならそれでいい。

 反省し改善するのであれば、若者の失敗など、いつか財産に変わるものでしかないのだ」

 

 それが話のきっかけになって、少年と老人はぽつぽつと色んなことを話し初めた。

 

「ここには湯治か何かに?」

 

「ウォル……ワシの部下が、温泉が好きでな。

 話を聞いている内に、こちらまで温泉に入りたくなるくらいの温泉好きなのだ」

 

「ああ、本当にそれが好きなんだって人の話は凄いですよね」

 

「お前は……冒険者だな」

 

「え、分かるんですか?」

 

「ああ、分かるとも」

 

 風呂好きの部下に影響されたという老人に、めぐみんの爆裂好きがちょっと伝染り始めているむきむきは、ちょっと共感してしまう。

 露天風呂の客が入れ替わり、入ってきた父親と子供が手を組んでお湯を水鉄砲のように撃っているのを見て、むきむきは会話の途中にそれをこっそり真似してみた。

 上手くいかない。

 

「……」

 

 それを見て、老人はぷっと吹き出した。

 骨ばった指を少年の前でゆっくりと組み、老人は少年に手を水鉄砲にするやり方を教える。

 

「こうだ」

 

「こうですか?」

 

「そう、そうだな」

 

「あ、こんな感じでしょうか」

 

「うむ。お前は中々飲み込みが早いな」

 

「お爺さんの教え方が上手いからですよ」

 

 ぱぁっ、と少年の表情がとても明るいものになる。

 

「昔、娘に風呂でこうして教えた時のことを思い出した」

 

「お爺さんの娘さん……それなら、もう立派な大人になってるんでしょうね」

 

「立派だとも、自慢の娘だ。ワシの夢を、皆の夢を果たすため……

 ワシがかつてしていたことを継ぎ、ワシを超えた能力で、皆の先頭に立っている」

 

 娘のことを語る老人の表情には、娘への愛と、娘を誇らしく思う揺るぎない気持ちが見える。

 むきむきに親の記憶はほとんどない。

 だが、その表情には見覚えがある。

 ひょいざぶろーだ。

 めぐみんのことを誇らしそうに語る時のひょいざぶろーの表情と、全く同じだったのだ。

 少なくとも、ひょいざぶろーが娘に対し持っている愛と同じものを、この老人は持っている。

 

「お爺さんは普段何をしてる方なんですか?」

 

「普段か? 問題児達の手綱を握る仕事、だな。普段は自分の城におる」

 

「城! じゃあ、とってもえらい人なんですね」

 

「偉い……まあ、偉いか。気付いたらなっていたようなものだが」

 

「ここにはお忍びで来られたんですか?」

 

「勿論。部下の誰も、こんなことを許してはくれんよ」

 

 この老人は、魔法で少し姿を変えているのかもしれない。

 気軽に温泉に来ることもできない立場なのかもしれない、とむきむきは推測した。

 老人は仕事に疲れた様子で、疲れを言葉と共に吐き出していく。

 

「仕事より使命の方が気楽だ。

 魔王より勇者の方が気楽だ。

 集団をまとめるより集団を壊す方が気楽だ。

 問題児をまとめるより、問題児で居る方が気楽だ。

 ここ十数年はそう思うようになってきた。全く、ままならんよ」

 

「そういうものなんですか」

 

 十数年。

 この老人からすれば人生の一部なのだろうが、むきむきからすれば自分の人生よりも長い、途方もなく長い時間だ。

 思い出すようにして子供の気持ちを老人が理解することはできても、子供が老人の気持ちを理解することは難しい。

 

「お前はこの街に何人で来たのだ?」

 

「僕を入れて三人ですけど、それがどうかしましたか?」

 

「大したことではない。では、さらばだ。もう会うこともないだろう」

 

 最後の質問の意図を読めず、少年は風呂を出て行く老人を見送る。

 その意図を理解したのは、少年が風呂を出て服を着る直前。

 自分の服の上に無造作に置かれた、三本のフルーツ牛乳の瓶を見た時だった。

 

「気のいいお爺ちゃんだったな」

 

 温泉街の雰囲気が妙に似合う、粋な老人だった。

 むきむきは風呂の外でめぐみん達と合流し、一連の話を自分なりに伝えて、二人にフルーツ牛乳の瓶を渡した。

 喧嘩や勝負はいつものことだが、二人もちょっと反省した様子。

 

「つい熱くなりすぎましたね。私達も反省です」

 

「うう、恥ずかしい……もう一生やらないようにしないと……」

 

 反省して、糧にして、三人揃って瓶の牛乳一気飲み。

 

「「「 ぷはぁー! 」」」

 

 粋な老人が選んだ牛乳は、風呂上がりに最高の時間を提供してくれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少年は、ドリス近辺でカエルに食われていて、紅魔族に助けられていた子供の一人だった。

 少年は親を事故でなくし、残った財産を悪者の詐欺で奪われた少年だった。

 

「返せよ!」

 

 少年は叫ぶが、悪党は笑う。

 

「お前はこの書類にサインしただろ?」

「もうお前の家も金も俺達のもんなんだよ」

「しょうがねえなあ、ほれこれやるよ。お前の家と財産と同じ価値があるもんだ」

「おいおい、それその辺で拾った木の枝だろ?」

「俺がそういう価値があるっつったらあるんだよ」

「良かったじゃないかガキンチョ。等価交換だぜ、がはは」

 

 何故警察に捕まっていないのか分からないくらいに、その悪党のやり口は杜撰で、暴力的で、犯罪であることを隠そうともしないやり口だった。

 

「絶対取り返してやる!」

 

 少年は悪党を追い、そしてカエルに食べられた。

 

「なしてっー!?」

 

 そうして、カエルに消化されそうになっていたところを、むきむきに助けられる。

 その出会いを、少年は運命であると思った。

 ドリス内を駆け回り、少年は喫茶店で紅魔族三人を発見する。

 紅魔族の子供達は、大きめのアイスを三人で三つ頼み、それぞれ互いに分け合うという中学生の放課後のようなことをしていた。

 

「お願いします! 力を貸してください!」

 

 少年は返答も聞かず、怒涛の勢いで自分の事情を語り始める。

 とにもかくにもお人好しな二人が居るこのパーティに対して、半ば強制的に同情心を抱かせるその一手は、図らずして最良の一手となっていた。

 

「ええっと、何故僕に?」

 

「その筋肉を見た時から思ったんだ! きっとなんとかしてくれるって!」

 

「初めて見た筋肉をよくそこまで信頼できますね」

「初対面の人を信じるのも不可解だけど、初対面の筋肉を信じるって何……?」

 

 アベル・ボナール曰く、『友情にも一目惚れはある』。

 ならば、筋肉に一目惚れがあったとしてもおかしくはない。

 その少年は、むきむきの筋肉をひと目見た時から、その筋肉に絶対の信頼を寄せていた。

 

「私でなくとも思い付いているとは思いますが、警察に届ければいいのでは?」

 

「ダメなんだ。あいつら、どっかの貴族と繋がってるらしくて……

 警察に届けても、何故かあいつらは捕まらないんだ。

 その貴族も黒い噂がいくつもあるのに不思議と捕まらないんだって。

 あいつらはその貴族の庇護を受けて、色んなところで人知れず悪事をしてるらしいんだ」

 

「なんとまあ、典型的な悪党ですね」

 

「俺も父さん達の遺産と家を騙し取られた。

 なんでも、金髪の特定の容姿の娘をさらって貴族に届けたりしてるとか。

 でも証拠がなくて、警察でも手が出てなくて……警察の人も言ってた。

 あいつら後ろ暗いことしかしてないから、冒険者でも雇って叩きのめした方が早いかもって」

 

「そのレベルですか。叩きのめされても警察に泣きつけないくらい手を汚しているとは」

 

 "黒い噂が絶えないのに何故か捕まらない貴族"というのも気になったが、一旦それは脇に置いておいて、とりあえずその貴族の手足として動く悪党どものことを考える紅魔族達。

 ゆんゆんは悪い人を放っておけなかった。

 むきむきは親をなくしてひとりぼっちなその少年のことが、他人事に思えなかった。

 めぐみんは「朝撃ってなければ爆裂魔法撃ち込んだのに」と考えていた。

 

「では、悪党退治と行きましょうか。むきむき、ゆんゆん」

 

「おお、珍しいねめぐみん。ドライなこと言われると思ったよ」

 

「今日の私は少々情けないところを見せてしまいましたからね。

 ここらで活躍するところを見せておかないと、リーダーとして示しがつきません」

 

「失敗した分いいことをしようっていう心がけは立派……ん?

 ちょ、ちょっと待ってめぐみん! さも当然のようにリーダー名乗らないで!」

 

 少年が手に持つ木の枝、『家と財産と等価交換だ』と言われた恨みを忘れないために持っていたその枝を、めぐみんがひょいとつまみ上げる。

 

「あ」

 

「風呂にももう入ってしまいましたし、汗をかくのはNG。

 汚れるのも勿論NG。今日は頭脳戦で合法的に仕留めてみましょうか」

 

「大丈夫、安心して。めぐみんは頭がいいんだ。ボードゲームじゃ負け無しなんだよ」

 

 むきむきはその生涯において、めぐみんがボードゲームで負けたところをただの一度も見たことがなかった。

 普段爆裂魔法をどう撃つかにしか使われていない頭脳が、爆裂魔法を既に撃ってしまった今、ようやくまともに使われようとしている。

 

「今日の私は暴力には訴えない知将。爆裂魔法も封印して事を成し遂げましょう」

 

「ちしょう? 知性少々しかありませんの略?」

 

「おっ、今日は煽りますねゆんゆん。表出ろ」

 

 少年は思う。

 

(頭いいように見えねえ。普通のバカに見える)

 

 そして十数分後、そう思った自分の目がどれだけ節穴であったかを、思い知ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街中の隠されたアジトにて、悪党達は笑っていた。

 

「よーし好調だな! 笑いが止まらんぜ!」

「金もがっぽがっぽ稼げてますよリーダー!」

「アルダープのおっさんはどうやって警察誤魔化してるんだか。知りてえもんだぜ」

「やめとけやめとけ。好奇心は身を滅ぼすぞ」

「そうだそうだ。俺達は頼まれたことやってればいいんだ」

「頼まれてないこともやるけどな、ひひっ」

 

「この絵の女に似た容姿のやつを連れてけば大金も貰えてボロい商売だぜ」

「なんなんだろうなこの女?」

「人妻か何かだろ。手に入らない女ってやつだ」

「手に入らない女に似た女を玩具にしてんのかよ、糞野郎だな」

「俺らも同じくらいクソ野郎だろ」

「ちげえねえ、けけけ」

 

「だけど最近国の動きもきな臭くねえか」

「貴族様の保護も限界ってことだろうよ」

「しゃーねえ、ほどほどに稼いで国外に逃げるか」

「だなだな」

 

 この瞬間が、彼らの人生の最高潮。彼らの物語のクライマックスだった。

 後は、落ちていくだけ。

 

「はいむきむきドーン!」

「ドーン!」

「迷いなくドア蹴破ったー!」

 

「「 !? 」」

 

 そこで、アジトのドアが蹴破られる。

 ド派手な登場と共に現れた二人はローブを翻し、高らかに名乗った。

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして、爆裂魔法を操る者……!」

 

「我が名はむきむき! 紅魔族随一の筋肉を持つ者、義によって助太刀する者……」

 

「……」

 

 ゆんゆんが羞恥心から名乗らなかったため、めぐみんはいつものように舌打ちした。

 

「バカな、なんでこのアジトの場所が!?」

 

「紅魔族は全知全能。その赤き眼は全てを見通し、その魔法は森羅万象を砕きます」

 

「全知全能……!?」

 

 厨二力全開の嘘。

 本当は、この街の治安を担う者達の一部にこっそり話を聞きに行ったら、彼らがこっそり教えてくれた、それだけの話であった。

 アジトの場所が分かっていても逮捕できていないとは、不思議な事もあるものだ。

 まるで"警察や国には捕まらない"という結果が確定していて、その辻褄を無理矢理合わせているかのよう。

 

 とはいえ、今問題なのはそこではない。

 むきむきは問答無用で、手にした大きな壺をぶん回し、その中の油をぶちまけて、その部屋全体とそこに居た悪党全てに油をぶっかけた。

 

「うわっ、なんだこれ、油!?」

 

「どうもこんにちわ。私達はここに公正で公平な商談に来ました。さあ、前に出て」

 

 油まみれで騒ぎ始める悪党をよそに、めぐみんは少年の背を押し前に一歩進ませる。

 悪党達の中には。その少年のことを――自分達がハメた子供のことを――覚えている者も、何人か居るようだ。

 

「お前、前にカモにしたガキ! ……って、お前、その手に持ってるのは……!」

 

 その少年の手の中には、あの日悪党が笑いながら押し付けた木の枝があった。

 その木の枝の先端には、むきむきが指パッチンで付けた火が灯されていた。

 もしも。

 この木の枝が、この部屋の油の上に落ちたなら。

 

「さあ商談です。この木の枝をいくらで買いますか?」

 

「これのどこが暴力に訴えない知将なのよめぐみん!」

 

「何をおっしゃる。誰も傷付かない平和的解決じゃないですか」

 

 めぐみんはしれっと言って、ふっと笑って、商品として提示した木の枝をすっと指差す。

 

「お、俺達を殺す気か!?」

 

「はい? 何を勘違いしてるんですか?

 殺すだなんて、そんな物騒な言葉は使わないでください、私怖いです……」

 

「ど、どの口で……!」

 

「言ったじゃないですか、私達は商談に来ただけだと。

 私達はこの木の枝を売りに来たんですよ。あなた達の希望小売価格で」

 

「き、希望小売価格!?」

 

「聞きましたよ。この木の枝、この子の家含む全財産と同じ価値があるらしいじゃないですか」

 

 悪党達の何人かが、過去にその子にそう言った一人の悪党に視線を集める。

 どうやら子供にそう言い笑いものにした覚えはあるようだ。

 

「ああ、なんということでしょうか。

 買ってもらえないなら仕方ありません。

 この子が売れなかった枝をどこに捨てようが、私は知ったこっちゃないです」

 

「……」

 

「待て! 買う! 買ってやるから!」

 

 手元の燃える枝と、油まみれの部屋と悪党を交互に見る少年を目にして、悪党のリーダー格が慌てて金庫を開く。

 金庫から少年の家の権利書と、少年の全財産に値する額の金と、少し上乗せした金を取り出し、男はそれをテーブルの上に置いた。

 

 少年はほっとした顔でそれを受け取ろうとするが、その動きをめぐみんは手で制した。

 

「『買ってやる』? まだ何か勘違いしてるんですか?

 『是非買わせてください、お願いします』でしょう? 燃える枝が床に落ちますよ?」

 

「ぐ、ぐぐぐ……!」

 

「ほら、頭を下げて。この子に媚を売ってください。

 私にそれを売ってください、と。さあ、さあ!」

 

「わ、私に、それを売ってください……

 是非買わせてください、お願いしますっ!」

 

 少年はちょっと引いていたが、めぐみんはここで上下関係をハッキリさせておくべきだと考えていた。

 悪党の心中にフラストレーションが溜まっているのを見抜き、めぐみんは金と権利書を確保して、言葉でぶっとい釘を刺す。

 

「ああ、そうだ。もう悪事はやめましょうね。

 この子にも金輪際関わらないように。

 でないと私達、またどこからともなく現れるかもしれません」

 

 何もかも見抜いているかのような言い草。

 眼の赤色がその色合いを変化させ、見据えられた悪党に対し、めぐみんが作るどこか常人離れした雰囲気を刻み込んでいく。

 悪魔のような赤い眼だと、一人の悪党が思った。

 

「ここに鉄の剣があります。むきむき」

 

「ん」

 

 めぐみんの指示で、むきむきが部屋に置いてあった剣を拾う。

 むきむきは手から血も流さず平然と刃を手の平で潰し、刀身を折り、刃渡りも鍔も柄も鞘も一緒くたに丸めていく。

 金属の剣を折り紙のようにくしゃっと丸めて、少年は悪党達の前に転がした。

 

「めぐみんの言いつけを破った時。これがお前達の未来の姿だ」

 

「ヒエッ」

 

 むきむきの筋力でもよかった。ゆんゆんの魔法でもよかった。

 めぐみんからすれば、別にどちらでもよかったのだ。

 上下関係をハッキリさせ、フラストレーションを溜めさせ、圧倒的な暴力を見せることで肝を冷やし、感情の反転で心を折る……その流れが作れれば、それでよかったのだから。

 

 悪党から見れば、彼らは規格外の能力を持つことで有名な紅魔族。

 突如どこからか現れて、何故かアジトの位置を知っていた不気味な者達だ。

 "理解できないもの"からの脅し。

 "よく分からない"がゆえの恐怖。

 

 ホラーゲームと同じだ。

 敵を倒せるホラーゲームは、自然と恐怖が消えていく。

 正体が分からない、よく分からないものから抵抗することもできず逃げ回るゲームは、とても恐ろしい。

 幽霊は枯れ尾花であるとされた瞬間、その恐れが消し去られる。

 

 この先どうなるかは分からない。

 だが、足を洗う者がゼロということはないだろう。

 しばらくは悪行を行おうとする度に、彼らはむきむきの巨体に感じた恐ろしさと、筋肉への恐怖を思い出すだろうから。

 

「一件落着、ですね」

 

「ありがとう、小さい方のねえちゃん!」

 

「おっと、小さい方とはどういう意味で?」

 

 得意げに胸を張るめぐみんに、思わぬ所から言葉の右ストレート。

 やり口こそ無茶苦茶だったが、結果だけ見ればいい感じに終わったので、ゆんゆんは少々複雑そうにめぐみんを労う。

 

「言いたいことは山ほどあるけど……めぐみん、お疲れ様」

 

「昔読んだ遠い国のお話、『マッチ売りの少女』を参考にしました」

 

「マッチ売りの少女に謝って! 参考にしたとか言ったことを謝って!」

 

 放火上等爆裂マッチ売りの少女と、マッチョ売りの少年。

 

 その原作レイプ具合たるや、マッチ売りの少女がマッチを投げつけてくるレベルであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 助けた少年に見送られ、朝一番でむきむき達はドリスを出立しようとしていた。

 目指すは王都。この区間であれば、ドリスから王都までは普通に馬車がある。

 

「あいつらは、楽しそうにやってたけど……

 なんかあれだね。人を屈服させるのって、気分悪くなるだけだ」

 

「そういうのを好むのは性格悪い人だけですよ。

 でも気に入らない悪党をけちょんけちょんにするのは、悪くないでしょう」

 

「あ、うん。それは俺もちょっと思ったけど」

 

 少年は先日まで、"あの悪党達をぶっ殺してやる"くらいの気持ちで居た。

 ただ、めぐみんにいいようにされ、むきむきのパワーに怯えている悪党達の姿を見て、何か思うところがあったらしい。憑き物が落ちたような顔をしていた。

 まだ礼が言い足りないのか、それともまだ話していたいのか、少年は露骨に寂しそうな表情を浮かべている。

 

「もう行っちゃうの?」

 

「ここは僕らの旅の目的地じゃない。まだ僕らも、旅の途中だから」

 

 一期一会。もう会うこともないだろうと、互いが互いに対し思っていた。

 

「あ、そうだ」

 

 少年は助けてくれたお礼にと、ポケットから取り出した赤色のブレスレットをむきむきの手に握らせる。

 

「父さんの昔の友達が、王都のギルドでお仕事してるんだって。

 困った時にはこれを持っていけば、きっとちょっとくらいはよくしてくれると思う!」

 

「いいの? なら、君が持っていた方がいいんじゃ……」

 

「王都なんて危ない所、きっと一生行かないよ」

 

 少年は苦笑して、力強く自分の胸を叩く。

 

「でも俺も頑張って筋肉付けるから! あんちゃん、俺が大人になったら腕相撲しような!」

 

「……うん、しよう。きっとしよう。約束だ」

 

「ねえちゃん達もありがとう! かっこよかったよ!」

 

「いえいえ」

「あはは、私なんて本当に何もしてないわよ」

 

「じゃあ、さよなら! お元気で!

 ……っと、そうじゃない。

 んんっ、みなさまのたびのゆくすえに、エリス様のご加護を!」

 

 少年の拙い見送りの言葉に、紅魔族の子供達の頬が緩む。

 

「あの子の両親は、敬虔なエリス教徒だったみたいですね」

 

「だね」

 

 何故エリス教徒はああで、アクシズ教徒はああなんだろう、とゆんゆんは思う。

 そして、あの少年を食べていたカエルがアクシズ教徒の行動の結果放流されたものであることを思い出し、アクシズ教徒の常識が通用しない度合いを再認識し、戦慄していた。

 アクシズ教徒、悪魔以上にエリス教徒の天敵になっている疑惑発生。

 

 

 

 

 

 むきむき達が去ってから、一時間ほど後のこと。

 

「よう、探したぞー。詐欺にあったって聞いたからおいら助けに来たんだけど」

 

「あ、グリーンのあんちゃん。こっちは片付いたよ」

 

「えーまじかー」

 

 少年は、ドリスの街で知り合いに出会っていた。

 その男は、この少年の住まいの近所に昔越してきた男だった。

 どこからともなく現れて、過去を語らずそこに住み着き、いつからか居なくなっていた男。

 それでも時々帰って来て自分の面倒を見てくれるので、少年にとっては好ましい近所のあんちゃんだった。

 

「お前おいら達が暮らしてる城に越してこないか? 親も居ないんだろ?」

 

「んー、いいや。グリーンのあんちゃん、よく知らないけどよその国に行ったんだろ?」

 

「まーね」

 

「んで、この国がヤバいから引っ越し勧めてるんでしょ?

 でも今日会った人達見てると、まだまだこの国は大丈夫な気がするんだ」

 

「数人で変わる未来じゃないんだけどなあ。ま、いっか。気が変わったら言ってくれな」

 

 その男は、数人くらいであれば、自分の裁量で生かしてやれるだろうと考えていた。

 

「早ければ来月には、王都も落ちるから」

 

 その数人以外は、どうでもいいと考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドリスを発ってから、数時間後。

 王都が見える位置で馬車を降りたむきむきは、その光景に目を奪われていた。

 

「ここが……ベルゼルグ王都」

 

 輝ける城。

 白亜の城壁。

 光に満ちた町並み。

 傷だらけの城壁門。

 大量に流れた血が染み付いた地面。

 大規模魔法によって抉られた王都周辺の土地。

 

 そこには、栄光と滅びの全てがあった。

 

「ん? 冒険者さんか」

 

「あなたは……商人さんですか?」

 

「まあな。あんたらもさっさとここは立ち去った方がいいぜ」

 

 むきむき達が王都に向かうのとすれ違うように、王都から出てきた馬車に乗る商人が話しかけてきて、軽い口調とは正反対に本気で他人の身を案じる言葉を投げかけてくる。

 

「ある奴は来週には王都が落ちるって言ってるぜ。

 別のやつは半年くらいなら保つだろうって言ってる。

 旅の人間なら気楽なもんだろ? 夜逃げの準備はしといた方がいいぜ、へっへっへ」

 

「忠告ありがとうございます」

 

「……マジな話さ。俺は一足先に外国に行くぜ、あばよ。若い冒険者さん達」

 

 商人が馬車を駆り、商売道具を詰めた荷台と共に駆け去っていく。

 外国で新しい商売を始めるつもりなのだろう。

 商人は利と害に敏感なもの。誰よりも早くに逃げ出すものだ。

 その姿が、今の王都の状況を如実に示していた。

 

「ここが、王都」

 

 むきむきは、再度王都を見上げる。

 

「魔王軍も狙う、激戦区……」

 

 王都の中心、王族が住まうその城は未だ綺麗で、とても力強くそこに立っていた。

 

 

 




 戦況はWEB版よりところどころ悪いくらい、書籍版より大分悪いくらいです


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2-6-1 ベルゼルグ・スタート

ふと、昔書いた漢拳理論は今のむきむきにこそ必要なんじゃないかと思って再掲


 冒険者カードで身分証明を行い、門をくぐり、彼らはベルゼルグ王都の中へと歩を進めた。

 ベルゼルグ王族を描いた絵画には、傷だらけの鎧を纏う無傷の金髪の美男子、というものがいくつかある。

 この王国の首都は、まさしくそれだった。

 

 街を囲む壁の外側は傷だらけで荒れ放題。

 だが、壁の内側はこの国のどの街よりも発展している。

 壁の内側にも僅かながら戦闘の痕跡が見えるものの、全体から見ればほんの一部だ。

 壁の内側を見れば、壁の外側に刻まれた傷跡が、壁の内側を守りきった勲章のようにも見えてくるから不思議なものだ。

 

 王都は多くの人で賑わい、山ほどの人が行き交っていても何ら問題が無いくらいに、広く余裕をもった街作りがされていた。

 

「意外と活気があるんですね」

 

「あ、それ私も思った」

 

「僕でもそんなに目立たないくらい、戦士風の人が多いね。

 その人相手の商売をやってる人も、そこかしこに見えるよ」

 

 この街に住まう人だけでなく、街の外から来た冒険者や商人の姿も多く見える。

 なお、むきむきの"そんなに目立たない"は錯覚だ。巨体の冒険者でもせいぜい身長2m前後なので、この少年は普通に目立っている。

 

「ですがこれは、王都の賑わい方じゃありませんよ。

 前線の街部の賑わい方です。

 王国の首都であるならば、戦う者を中心とした賑わい方はしないはずです」

 

 街を行き交う人を見て、めぐみんはそう言った。

 街を歩く冒険者や傭兵、軍人。

 その者達をターゲットにした武器屋防具屋道具屋etc。

 戦う者と、その者達を客層に想定した店が相当に目につく町並み。

 めぐみんにそう言われてから街を見直すと、確かに"王国の首都として見れば違和感がある"町並みだった。

 

「ちょっと、調べてみようか?」

 

 興味を持って、彼らは軽い調査に動くのだった。

 

 

 

 

 

 少しばかりの時間が経って、昼になる。

 彼らは購入した昼御飯を公園で摂りながら、色んな人から聞いた話の内容を話し合っていた。

 

「最前線の砦は落ちてないらしいわ。

 でも、そこの戦況もよくないんだって。

 だからその防衛ラインを抜けて、王都にまで沢山敵が来てるんだとか」

 

 王都と魔王城の間にあるという、最前線の砦。

 そこは『敵の大きな戦力を食い止める』という機能は果たしているものの、『敵を一人たりとも後ろに通さない』という機能は果たせていないようだ。

 王都の周辺を見ればよく分かる。

 

「僕が調べたところ、魔王軍は何度もここに攻め込んでる。

 そしてその度に撃退されてる。

 魔王軍の方が強いなら、王都はとっくに攻め滅ぼされてるはずじゃないかな」

 

「なるほど」

 

 むきむきは紙を取り出し、そこにペンを走らせる。

 

「つまり、こうなる」

 

紅魔族の里の戦力>王都の主戦力>魔王軍派遣部隊

 

(むきむきって無駄に字が綺麗なんですよね……)

 

「ただし、魔王軍の方が明確に弱いならこうはならない。

 王国軍か紅魔族にとっくに滅ぼされてるはず。

 でも、戦況はずっと魔王軍有利で推移してる。

 つまり魔王軍の本当に強い奴らは時々しか動いてなくて……こうなる」

 

魔王軍の主力軍>紅魔の里の戦力>王都の主戦力>魔王軍派遣部隊

 

「推測なんだけど、どうかな」

 

「うん、筋は通ってる。多分実際にそうなんじゃない?」

 

 人は魔王軍に勝てない、というわけでもなく。

 魔王軍が今すぐ小細工なしに突っ込んで100%勝てる、というほどの戦力差でもなく。

 互いが戦略戦術戦闘で全力を尽くせばじわじわ人類が追い詰められていく、くらいの塩梅。

 三国志で言えば魔王軍が魏、人類が蜀といったところか。

 

 むきむきが持っていたペンを奪い取り、めぐみんはそこに勝手に一文を書き加える。

 

「めぐみん?」

 

私達>魔王軍の主力軍>紅魔の里の戦力>王都の主戦力>魔王軍派遣部隊

 

「なにやってんの!」

 

 いきなり強さヒエラルキーの頂点に自分達の名前を書き加えためぐみんの脳天に、ゆんゆんのチョップが突き刺さった。

 

「我が爆裂魔法は紅魔にて最強……ゆえにこの図式が完成するのです」

 

「めぐみんの馬鹿度だけは最強よ! それは保証してあげる!」

 

「めぐみんのそういうガンガン上を目指すとこ、僕結構好きだよ」

 

 時と状況さえ選べれば、一軍をも爆裂魔法で一掃できるめぐみんが言うと、将来的には大言壮語でなくなる気がするのが恐ろしい。

 

「ギルドも行ってみようか。王都のギルドは、この国で一番大きいギルドなんだって」

 

 王国の中心、首都のギルドに集まる依頼ともなれば、亜神や魔龍の討伐依頼さえも入ってくるという。

 依頼の報酬金額もとんでもなく、数億程度の個人資産を持つ者なら両手の指で数え切れないほどにいるそうだ。

 言い換えれば、魔王軍に対抗する強力な冒険者の寄り合いであるとも言える。

 

 むきむき達はそこに向かい、ちょうどそのタイミングでギルドから出て来た二人の女性とばったり会った。

 

「あ」

 

「あ」

 

 その二人は、アルカンレティアで出会った、ミツルギの取り巻きの少女達だった。

 

「こんにちわ、クレメア先輩、フィオ先輩」

 

「こんにちわ!」

「数日ぶりね。あれ、前は先輩って呼ばれてたっけ?」

 

 フィオがにこやかに笑って、クレメアがちょっと首を傾げる。

 一行はギルドに入り、適当なテーブルを選んでそこに座った。

 

「勇者様はどちらに? 一緒じゃないんですか?」

 

 むきむきのその質問は当然のものだ。

 この二人の少女は、誰の目にも明らかなくらいにミツルギにお熱であった。ここにミツルギが居ないことが、ちょっと気になってしまうくらいに。

 

「……少しこじらせちゃった冒険者の説得に行ってるわ。

 なんでも、キョウヤと同じ出身地の冒険者の人なんだとか」

 

「こじらせ?」

 

「説明すると長くなるし、嫌になっちゃう話よ」

 

 クレメアは心底嫌そうな顔で、経緯を話し始めた。

 

 始まりは、ある有力なミツルギと同郷の冒険者が国に疑惑を持ったことから始まったらしい。

 この冒険者をAとする。

 

 Aは王国の真実を知る者から情報を得て、独自の調査で証拠を確保し、真実に至った。

 魔王が、実は王国の人体実験で生まれたこと。

 魔王はベルゼルグに復讐したいだけなのだということ。

 真の悪はこの王国であるということ。

 魔王は復讐を果たせばそれ以上進軍することもなく、人類が滅びることもないのだということ。

 女神もグルなのだということ。

 それらの真実を知り、その真実を裏付ける証言と証拠を得て、Aは冒険者として魔王軍と戦うことを辞めた。

 

 ……と、いうのが、『Aしか信じていない真実』とその経緯の全てである。

 

 ミツルギが調べると、Aを唆した証人とやらはいつの間にか消えていて、真実を裏付ける証拠とやらは出処も信憑性も微妙なものばかりだった。

 そのくせ、証言内容と証拠が示す真実は初めから疑ってかからないと騙されそうになるくらいにそれっぽい。

 これを誰かの陰謀であると考え、ミツルギはAの説得に動いたというわけだ。

 

 "国の悪事が全ての元凶なのだ"という、分かりやすくて古今東西好かれる、大きな組織や政府を悪者にする陰謀論。

 "もう君は魔王軍と戦わなくていい"という結論を、命がけの戦いをする冒険者に与える悪辣さ。

 "命をかける必要はない、傍観しているだけでいい"という甘い誘惑。

 "悪者にも事情があったのだ"という日本人が好みやすい『裏設定』。

 

 これが誰かの陰謀であるのなら、その黒幕は相当に人間のことを分かっているに違いない。

 

「陰謀論好きな人って居るわよね」

 

「いるいる!」

 

「どこにでもそういう人は居るもんです」

 

(それで片付けていいんだろうか?)

 

 かなり重そうな案件を、軽い言葉とノリで流してしまえる女性陣のたくましさに、むきむきはちょっと憧れる。

 この女性陣は生半可な工作ではどうこうできないに違いない。ゆんゆん以外は。

 

「容疑者とかって絞れてるんですか? クレメア先輩」

 

「あくまで噂だけど、黒髪の女プリーストが怪しいって話は聞くわね」

 

「黒髪の女プリースト……」

 

 何が嘘で何が真実か、何がデマで何がそうでないのか。そこを判別できるこの世界の警察は、容疑者の容姿の絞り込みを開始できる段階に至っているようだ。

 

「美人のよそ者だからちらっと見ただけでも覚えてる人がいるんだって」

 

「まったく、これだから男ってのは」

 

「あ、あはは……」

 

 "これだから男の人はもう"といった台詞を口にしたりする、クレメアとフィオ。女性のそういう気持ちに共感して頷いてしまうめぐみんとゆんゆん。

 テーブルに広がる空気は女子会のそれで、むきむきが絶妙に居づらい空気が形成されていた。

 めぐみんはその流れで、フィオが背負った弓矢にも言及した。

 

「そういえばフィオはいつからアーチャーに?」

 

「今日なったばかりだよ。

 キョウヤはダンジョンにもう潜らなくなっちゃったし。

 魔王軍と戦うなら、こっちの職業の方が向いてるもの」

 

 『そうするべきだ』という合理的判断か。

 『そうしなければ彼の役に立てない』という私情か。

 『そうしないと自分か仲間が死んでしまうかもしれない』という焦燥か。

 あるいは、それら全てが理由か。

 器用度と幸運を使って補助を行う盗賊から、器用度と幸運で狙撃を行うアーチャーへ、フィオは職業を変えていたようだ。

 

 彼女らもまた生きている。この世界で戦っている。"ハーレム主人公のアクセサリー"として何も考えず生きている者など、居るわけがないのだ。

 

「あ、そうそう。キョウヤ、あの剣振れるようになったわよ」

 

「もうですか!?」

 

 職業が変わっていたり。

 力が増していたり。

 冒険者は数日会っていなかっただけで、人の強さがガラッと変わっていたりすることもあるのが面白い。

 

「『振れるだけだ』って本人は言ってたけどね。

 頑張って筋力とレベル上げてたキョウヤの姿、かっこよかったわ……」

 

 クレメアは何かを思い出し、虚空を見て頬を染め、うっとりとした表情を見せる。

 だがむきむき達の視線に気付き、誤魔化すように咳払いをして話を変えてきた。

 

「こほんっ、それは置いておいて。

 この街にはこの街の冒険者のルールがあるから、早めに理解しておいた方がいいかも」

 

「ルール?」

 

「はい、これ読んでおきなさい」

 

 クレメアは席を立ち、そこから数歩の位置の棚に置いてあった小さな冊子を手に取って、むきむきに手渡した。

 冊子の表紙には『初めての方に』と手書きの文字が記されている。

 

「なんとなくできない気がするけど、一回くらいは私達で組んでクエスト行けたらいいわね」

 

「また逢う日まで、お互い無事で居ましょう。じゃあね」

 

 どこかで同郷の者の説得に奮闘しているらしいミツルギを探しに、彼を追うように、クレメアとフィオは去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから色々とあった後の夜。

 一日一爆裂の日課を果たそうと王都近くで爆裂魔法をぶっ放しためぐみんが、魔王軍かテロリストかと大騒ぎされ捕まった話は脇に置いておこう。

 めぐみんに前科を付けないために夜までむきむきとゆんゆんが駆け回ったという話も脇に置いておこう。

 夜に安宿で、くてっとベッドに倒れ込むむきむき。

 

 もう寝る時間だが、むきむきは昼間にクレメアから貰ったギルドの冊子を流し読みしていた。

 

「警報が鳴ったら、レベル帯で行動を決める。

 高レベル冒険者は街を守る壁の防衛。

 レベルが高くない者は街中に侵入した魔王軍の撃退。

 低レベルは無理に戦闘に参加せず、ギルドでギルド員の指示に従う」

 

 ぺらり、ぺらりとページをめくる。

 

「冒険者の参戦は強制ではない志願制。

 上記の内容にも例外もあるので、警報時は放送の内容に従う……決まり事が多いなぁ」

 

 今日一日で精神的に疲れてしまったためか、むきむきは難しい本を読んでいた影響で、そのまま寝てしまう。

 

「くかー……」

 

 微睡みの中に落ちていく。

 

『むきむき、むきむきよ』

 

 そしてむきむきは、平野耕太の漫画のようなデザインの泉と泉の女神の前に居た。

 

『あなたが池に落としたのはこの綺麗なめぐみんですか?』

 

「いえもっときたないのです」

 

『正直なあなたには綺麗なめぐみんを差し上げましょう』

 

「我が名はめぐみん。皆に褒められた才能を上級魔法につぎ込みし者!

 さあ、世界を救いに行きましょう!

 誰のためでもなく、今も苦しんでいる多くの罪なき人のために!」

 

「やだなにこのコレジャナイ感」

 

 夢の中のむきむきは、綺麗なめぐみんを泉に投げ捨て、泉から普通のめぐみんを引っ張り上げる。

 

「めぐみんはいつものの方が個性があっていいんだよ、女神様」

 

『あなた達には新番組・水戸紅門の追加メインメンバーをやってもらいます。

 紅門様のお供のすけすけさん、かくかくさんに続く新メンバーとなるのです』

 

「……あ、これ夢だ。しかも起きたら忘れてるやつ」

 

『そう、あなたは筋肉を信仰するプリーストとなるのです』

 

「夢の中って思考が連想ゲームみたいになる上……

 数秒前に何考えてたか覚えてられないから、しっちゃかめっちゃかになるんだよね……」

 

『あなたが信じる私でもなく。私が信じるあなたでもなく。とりあえず筋肉を信じるのです……』

 

「自分ほど信用できないものもそうそうないと思うんですが」

 

『人は太古より「自分を信じる」という命題に挑んできた生物だ。

 他の生物にそんなジレンマは存在しない。

 自らへの不信を解消し、自信を獲得するという過程は、人間にこそあるものだ。

 そしてその時代から、人と共に在って来た原初の『武器』がある。

 人が最初に手に入れ、文明の進歩と共に軽んじてきた武器がある。

 その手に纏わせた人類最初の凶器は、いつの時代も、どんな場所も、どんな人間にもあった。

 

 それが『拳』。

 

 其は万民に与えられた原初の武器にして、どんな人間にも振るうことが許される原始の武器。

 人は猿から遠ざかる度に、拳の重要性を忘れていった。

 最初に獲物を仕留めるのに使った武器は、犬を猟犬として躾けるために使った武器は、男同士で惚れた女を取り合った時に使った武器は、それだったというのに。

 

 神話においても、怪物や神を拳で殴り殺したという逸話は本当に多い。

 何故ならば、武器を用いず強敵を打ち倒すという逸話は、それだけで豪傑の証明なのだ。

 聖剣で魔王を倒した輝かしい剣の英雄の話より、素手でヒグマを殴り殺した力強い英雄の逸話の方が、きっと大抵の人にはピンとくるだろう。

 神話においては剣に選ばれる英雄も多いが、武器に拳を選ぶ英雄も多い。

 聖拳なんてものはない。ないが、拳は人を選ぶ武器ではなく、人に選ばれる武器である。

 

 拳こそが、誰の手にも備わっている原初の武器なのだ。

 

 太古の昔、男達は自分の内なる神を信仰していた。

 『強さ』という、最もシンプルで真理に近き神である。

 彼らは己の強さという神を信じていた。

 文明というものが生まれる前、あらゆる野獣をその信仰で打ち破ってきた狂信者であった。

 彼らにとって、拳は祈り。

 手を合わせるのではなく、拳を握り振るうことこそが彼らの礼拝。

 

 男と男が拳を交差する時、それすなわち宗教戦争。

 自らの神が絶対のものであると、相手の神を否定せんと拳をぶつけ合う。

 時には理解と妥協が生まれることもあろう。

 河原で殴り合い、並んで倒れた男達の間に、相手の神を認め許容する心が生まれる。

 そんな相互理解もザラだった。

 

 拳は祈り。強さは神。

 彼らは己の強さという神を絶対的に信じ、その一生を神に捧げる殉教者達。

 敬虔な信徒が人生と財産の全てを寄付するように、己の全てを強さに捧げる。

 それは太古から、今の時代にまで続く男というバカな生き物が抱えるサガだ。

 

 格闘技で食っていこうとする者に、多くの者が言う。

 将来が安定しないぞと、金も入らないぞと、怪我をしたら終わりだぞと。

 故障を抱えて引退した後に就職口がないぞと、知った口で言う。

 何を言うのか。

 確かに安定性のある人生ではなくなるだろう。その者達も純粋に心配して言っているのだろう。 だが、根本的に間違っている。

 

 彼らは好き好んでその道を選んだのだ。

 己の信じる神が最強で、唯一絶対無二であると証明するために、その祈りを振るうのだ。

 彼らは人を傷付けるために格闘技を志したのではない。

 ただ純粋に、己の内にある神を信じているからだ。

 ファンは、観客は、時にその『強さ』という神に魅せられて信徒となっていく。

 

 同じなのだ。

 弱い人間が追い詰められた時、力が欲しいと叫ぶのも、神に助けを求めるのも同じ。

 力、神、信。これらの根底にあるものは同じ。

 ゆえにこそ、信じることは強さに変わる』

 

「長い! 今息継ぎせず何分喋ってた!?」

 

『答えはあなたの心の中に』

 

 メメタァ。

 

 

 

 

 

 むきむきはつんざくような警報の音に飛び起きた。

 

「はっ、警報!」

 

 王都襲撃を知らせる警報。

 むきむきは例の冊子を持って、めぐみん達の部屋に行く。

 

『魔王軍襲撃警報、魔王軍襲撃警報! 騎士団は直ぐに出撃を!

 冒険者の皆様は、街の治安の維持の為、街の中へのモンスター侵入を警戒してください!

 高レベルの冒険者の皆様は、外壁にて防衛にご協力をお願いします!』

 

「二人共、起きてる!?」

 

 返事はない。思い切って部屋に入ってみると、一つのベッドで一つの盤面を挟み、熟睡している二人が目に入った。

 

「……また勝負してたんだ」

 

 どうやらボードゲームで夜通し対決し、途中で疲れ果てて熟睡してしまったらしい。

 こうして並んで寝ていると、本当に姉妹のようだ。

 本気でぶつかり合い、競い合い、高め合っている二人を見ると、少年はちょっとこの二人が羨ましくなってしまう。

 

 熟睡しているためにこの警報でもまだ起きていないが、二人が起きそうになっていたため、むきむきは二人の頭に防音のための布団を投げ落とす。

 

「ゆっくり寝てて」

 

 少々、彼らしくない選択だった。

 仲間を起こさず、仲間の睡眠時間を守ろうとしている。

 だがその選択も、今の彼の眠そうな顔を見れば多少は理解できる。

 殺意が感じられそうなほどに、眠そうだった。

 

「僕も寝たいから」

 

 変な起き方をしてしまったせいで、今のむきむきはちょっとばかり不機嫌なようだ。

 

 

 

 

 

 もう少しで朝だという時間帯に、襲来した魔王軍。夜警の気が緩む時間を狙ったのだろう。

 

「くそ、こんな時に……!」

「強いやつが皆前線に行って、交代の人員が来る前日だもんなあ」

「まったり言っとる場合か!」

「敵は雑魚だが、とにかく数が多いぞ!」

 

 このままでは街が制圧されることはなくとも、街に被害が出てしまう。

 王族が出れば一発だろうが、それは最終手段だろう。

 敵は知性の無いモンスターばかり。指揮官に一人だけ中級悪魔が居る程度だ。

 最前線が今凄まじい激戦状態であり、そこに多数の人員を投入しようとしている今でなければ、王都の常備戦力だけで圧倒的できる程度の敵だった。

 だが、とにかく数が多い。

 数は暴力だ。囲まれればレベル差も覆されかねない。

 

 冒険者達は街を囲む壁の外側で、千を超えるモンスターの大群を必死に減らしていた。

 

「くっ、皆気張れ!」

 

 そんな中、ある者が上を見上げた。

 つられて、その横に居た者も上を見上げる。

 それを見て、また別の者が上を見上げた。

 

「ん? なんだあれ」

 

 街中を助走で走り、家屋を踏み台にして跳び、街を囲む壁を蹴って最後の跳躍。そうして街の内から外へと文字通りに『飛んで来た』筋肉が、戦場に砂煙を巻き上げながら着地した。

 誰もが見たことがない巨体。

 誰もが見たことがない筋肉。

 それが、千のモンスターの密集地の前に立つ。

 

 

 

○○○○○

○○○○○

○○○○○   ●<二人が疲れて寝てるんですけど

○○○○○

○○○○○

 

 

○○○○○

○○○○○

○○○○○●三

○○○○○

○○○○○

 

○○○○

○○○

○○●三

○○○

○○○○

 

○○○○

●三

○○

 

 

 

 冒険者達は、後に語る。「あれはハンバーグ製造機だった」と。

 王都警備兵は後に語る。「いやあれはデミグラスソース生産機だった」と。

 そして一瞬で瓦解したモンスター部隊を見て、その部隊の指揮官は呟いた。

 「あ、これ死んだわ」と。

 魔王軍襲撃は夜明け前の最も暗い時間であり、魔王軍の全てが打倒されたその頃には、地平線から朝日が昇り始めていた。

 

「めぐみんなら魔法一発だったのに、随分時間かかっちゃったな。

 あー、やっぱり魔法がちゃんと使えるゆんゆんとか……めぐみんは、すごいや」

 

 五十人で千を超える魔王軍の対魔法部隊をあっという間に消し飛ばす紅魔族の出身だからか、少年の感性は妙なところでぶっ飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 

「おはよー」

 

「古文書に記されし太古の魔道大国ノイズの挨拶、『おっはー』を解禁する時が来ましたね」

 

「好きに解禁すればいいじゃない……あ、おはよ、むきむき」

 

 朝起きて、何事も無かったかのように二人と朝の挨拶を交わすむきむき。

 何事もなかったかのように今日も二人と過ごそうとするが、そうは問屋が卸さない。

 宿から出た途端、三人は王国の騎士団に取り囲まれてしまった。

 

「な、何事!?」

 

 騎士団が道を開け、そこから黒いドレスの女性が現れる。

 女性は両手の指に巧みな加工が為された魔道具の指輪を付けている。めぐみんとゆんゆんがひと目見るだけで、その魔道具が優秀なものなのだと分かるほどの品だった。

 この女性は、どうやら魔法使いであるらしい。

 

「初めまして。私は王国の使いでレインと申します。

 むきむき様とそのお仲間の皆様、同行をお願いできますか」

 

 さあっと顔を青くして、ゆんゆんがむきむきを庇いながら叫ぶ。

 

「待って! めぐみんならともかく、むきむきが連れて行かれるような悪いことするわけない!」

 

「ん? 私ならともかく?」

 

「安心してください。悪いことをしたから呼ばれたわけではありませんよ」

 

「あ、そうなんだ。よかった……」

 

 レインと名乗った女性は、とても申し訳なさそうに彼らを王城へと誘う。

 

「王様と王女様が、ひと目あなたの……その、筋肉を見たいそうです」

 

「珍獣扱い!?」

 

「こ、功績を認めるというのもありますから!」

 

 『珍しいゴリラが見たい』くらいのノリで発せられた王族命令で、彼らは王様のお城に呼び寄せられるのであった。

 

 

 




体が大きなゴリラ、お姫様という名の体が小さなゴリラに出会う


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2-6-2

むきむき(カード構成バスター三枚)
アイリス(カード構成バスター三枚)


 一説には、室町時代の日本は修羅の国であったという。

 平民が武士に恥をかかせた場合、その平民をその場で切らなかったために、武士の名誉を損なったとしてその武士は処罰。

 平民を切っても力ある者が力なき者を切ったとして処罰されるパターンもあったという。

 そのくせ平民が武士を煽って切られるというパターンが絶えないという修羅の時代だったとか。

 

 要約すれば、『立場のあるものは舐められてはいけない』『舐められるくらいなら殺した方がいい』ということが、往々にしてあるということだ。

 この世界において、貴族に剣を向けた者はそれだけで死罪を言い渡される。

 平民に気安く接する貴族が居ないわけではないが、特権階級とそうでない者達の間には壁があるということだ。

 

 むきむきはおどおどと、ゆんゆんはびくびくと、めぐみんは堂々と、王城を歩いて行く。

 紅魔族は特権階級ではない方で、この王城は特権階級の象徴のような場所だ。

 むきむき達の反応が正常で、むしろめぐみんの威風堂々っぷりがおかしいのである。

 

「めぐみん、よく緊張しないね。すごいや」

 

「今は緊張より、楽しみな気持ちの方が強いですから」

 

「楽しみ? ……あ」

 

 おどおどとしていたむきむきは、その一言だけで何かに気付いた。

 

「ゆんゆん、めぐみん何か持ってる!」

 

「何か? 何かって何を……あ。めぐみん! そのローブの中ちょっと見せなさい!」

 

「なっ、やめっ……やめろォー!」

 

 ゆんゆんがめぐみんのローブを剥ぎ取り、その下に隠されていた物騒な物を取り上げる。

 

「は、花火の玉……言いなさいめぐみん! これをどうしようとしてたの!」

 

「挨拶代わりですよ」

 

「ド派手ッ!」

 

 どうやら開幕一発で記録にも記憶にも残る自己紹介をやらかそうとしたらしい。

 危なく三人まとめて記録にも記憶にも残る犯罪者になるところだった。

 三人を先導するレインが指を絡ませ、苦笑する。

 指にいくつも嵌められた指輪が、小さくカチャリと音を鳴らしていた。

 

「どうやら話に聞いた通りのパーティのようですね。

 頭のおかしい紅魔族と、体がおかしい紅魔族と、地味な紅魔族の三人組……」

 

「頭のおかしい紅魔族!?」

「体がおかしい紅魔族!?」

「地味な紅魔族!?」

 

 王城勤めの人間が少し噂を集めただけでそういう評価が出るということは、この評価が彼らの評価のスタンダードになりつつあるということだろう。

 

「誰がそんな呼び名を広めているんですか! 名誉毀損で訴えますよ!」

 

(失われる名誉なんてあるんだろうか……)

 

 めぐみんがやらかしそうになったことで、むきむきは不安になってレインに問う。

 

「行きずりの冒険者がいきなり王様に会ってもいいものなんでしょうか。ほら、暗殺とか……」

 

「身分証明は既に終わっていますよ?」

 

「へ?」

 

「あなた達は昨日、爆裂魔法で問題を起こして警察のお世話になりましたよね」

 

 ゆんゆんがめぐみんをジト目で見る。

 めぐみんは顔を逸らして口笛を吹いた。

 

「その時、そのブレスレットを調査官に見られたはずです。

 そしてそのブレスレットを入手した由来の話をした。

 ギルド長がその調書を取る場面を見ていたんですよ」

 

「あ。あの少年が言っていた親の友人で王都のギルドで働いている人って、もしかして」

 

「はい、王都のギルド長その人です。

 その少年の亡くなられた父親は、元王都のギルド長。

 私には面識がありませんが……

 氷の魔女ウィズ等の有名な冒険者を何人も世に送り出した、敏腕ギルド長だったそうです」

 

 元ギルド長の息子を偶然助けたおかげで、元ギルド長に世話になっていた現ギルド長に身分を保証して貰えた。

 その結果、めぐみんはテロリスト扱いされず釈放され、こういう流れでもギルド長の後見が活きてくる。

 

(まさか、その人が王都のギルド長さんだったとは……)

 

 『情けは人のためならず』とは言うが、自分の行動が回り回ってどこに繋がるかは、本当に分からないものだ。

 

「この扉の奥に、王様と王女様がいらっしゃいます」

 

 謁見の間の前の扉に、やがて四人は到達する。

 

「どうか失礼のないように。

 ……といっても、王宮の礼儀作法を知らないのでは難しいですよね。

 多少の失敗は私がフォローします。どうか、気を楽に」

 

 貴族らしからぬ一般人の心情への理解。どうやらこのレインという女性、考え方や常識の基準が一般の人寄りらしい。

 もしかしたら、貴族の生まれではないのかもしれない。

 そう考えると、この女性が迎えに来た理由にむきむきも合点がいった。

 

「では、行きましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 多くの人に囲まれた謁見となると、少年は考えていた。

 だがその予想に反し、謁見の間には数人しか居なかった。

 王族と顔を合わせる経験なんてない自分達に対する気遣いだろうか、とむきむきは考える。

 

 王族がそんなに不用心でいいんだろうか、と一瞬考えるも、むきむきはそれが自分の思い違いであるとすぐに気付かされる。

 耳をすませば、常人よりも優れた彼の聴覚が、謁見の間の隣の部屋でかちゃかちゃと音を鳴らす金属鎧の音を聞きつける。

 そこに兵が控えているという証明だ。無警戒というわけではないらしい。

 そして、それ以上に、王族の脇に控える白いスーツの美女の姿が、"王族の警護とはどういうものなのか"をむきむきに知らしめていた。

 

(佇まいに隙がない)

 

 先程のレインという女性と、この白スーツの女性。二人が揃っていれば、それだけで王族の護衛には十分なのではないかと思えるほどだ。

 そう思うえるほどに、その女性には佇まいから感じられる強さがあった。

 冒険者を緊張させないという王族側の気遣いはあるが、それで警護がおろそかになるなどという手抜かりは、どうやらないらしい。

 

 レインが彼らを連れて来たことを、王に報告する。

 王がそれをねぎらい、白スーツの女性が長ったらしい口上を述べ始める。

 あんまりにも難しい言い回しを多用するものだから、むきむきは全部を正確に理解できない。

 "王様にこうして褒められることはめったに無いんだから喜べよ"だとか、"本来はこういうことないんだから思い上がるなよ"だとか、"騎士団を代表してその健闘に感謝します"だとか、そんなことを言われたことくらいしか、彼は聞き取れていない様子。

 

「街の防衛、大儀であった」

 

 王様にねぎらわれ、頭を下げる。

 礼儀作法なんてものは知らないむきむきだ。ビクビクしながらそれっぽい動きをするしかなく、失礼を大目に見てくれる王様や貴族の人には、感謝しかなかった。

 

(……絵本の中からそのまま出て来たみたいな、王様と王女様だ)

 

 王様も王女様も、とても『らしい』容姿をしていた。

 王らしく、威厳がある。

 王女らしく、可愛らしい。

 王族の周囲の人間が『王族らしさ』を意識して外見を整えていたとしても、素材がよくなければここまで理想的に仕上げることはできないだろう。

 

 王様はむきむきの肉体をじっと見る。

 筋肉は通常、単一の筋肉だけが縮みすぎると肉離れや脱臼などを引き起こしてしまうため、その筋肉の反対側の筋肉も鍛えなければならない。

 いわゆる"足のハムストリングス"だ。

 ごく一般的な人は、走るために使う筋肉とその反対側の筋肉の力の発揮量が2:1であると言われている。だがこのバランスのままでスポーツ選手の筋力を身に付けると、いとも容易く肉離れや股関節の脱臼が起こってしまうのだ。

 なので、一流のスポーツ選手はこの"反対側の筋肉"を鍛える。

 プロの大会を見れば、選手の足の裏側が異常に発達しているのが見て取れるだろう。

 すなわち。"理想的な肉体"というのは、見る人が見れば分かるのだ。

 王様はむきむきの全身の、無駄なく鍛え上げられた雄々しく美しい筋肉を見ていた。

 

 そして「ほぅ」と一言だけ呟き、目を細める。

 なんだそのほぅは、どういう意味があるんだ、どういう意図でのほぅなんだ、と脇から見ているめぐみんの方がハラハラしていた。

 

「むきむきよ、聞かせてくれ。なにをすれば、その歳でそこまで素晴らしい肉体を得られる?」

 

 王に聞かれ、一瞬ビクッとして、噛まないように必死に気を付けながら、ゆっくりとむきむきは話し出す。

 

「よく食べ、よく遊び、よく学べば体が大きくなると、里では教えられていました」

 

「ほう。もっともだな」

 

 ここでめぐみんが口を開けていたなら、『それは人が虎になる方法を聞くようなものです。虎は生まれた時から虎なんですよ』と王に言い放っていただろう。

 なろうと思っても、この巨体にはなれない。

 

「うむ、いい言葉だ。

 当たり前のことだが、いい教えだ。

 その巨体からそんな普通のことが聞けるとは思わなかった。のう、アイリス」

 

「はい、お父様」

 

 アイリス、と呼ばれた王女が返答を返す。

 鈴の鳴るような声で、決められた文面を読み上げるような台詞。

 その少女が何を考えているのか、まるで読み取れない。

 

「旅の目的を聞かせてもらおう」

 

 王は続けざまに問う。今度は三人それぞれに問う言葉だった。

 

「私は、里の長にふさわしい人間となるために」

「僕は、旅立った二人の友を守るために。それと、世界を見て回るために」

「私は最強の魔法使いとなり魔王を倒すために。……それと、人を探しています」

 

「人を?」

 

「名も知らぬ、とても美しい人でした。私の爆裂魔法は、その人から教わったものです」

 

 めぐみんの旅の目的を聞き、王がレインに視線をやる。

 

「レイン」

 

「爆裂魔法の使い手など、そうはいません。

 私の知る限りでは、冒険者を引退したある魔法使いだけです」

 

「その者とは」

 

「かつて冒険者の中でも最高の魔法使いの一人に数えられたアークウィザード。ウィズ」

 

「所在を確認しておくのだ。彼らと必ず引き合わせるように」

 

「承知いたしました」

 

「……! ありがとうございます!」

 

 思わぬ所から、望外の情報が得られた。

 色んなことが連鎖して、旅の中でした行動の結果が繋がって、いい結果が次々生まれる。

 これには流石のめぐみんも、思わず声が上ずってしまう。

 

「聞けば、お前達は娘と歳が近いと聞く。

 娘は冒険者のする話が好きでな?

 その歳で旅をしていること、まこと感心する。

 お前達の年頃だからこそ、感じられるものもあろう」

 

 王は、自然とカリスマを感じさせる穏やかな笑みを浮かべ、娘の頭に軽く手を置く。

 

「しばしこの王城に滞在し、この子の話し相手になってやってはくれないか?」

 

 めぐみんの探し人を探してくれるという餌を置かれた上、断れない王の願いを突き付けられては、彼らに選択肢などないに等しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王女アイリスは冒険者の話を聞くのが好きだ。

 だが、王族が下々の者と直接言葉を交わすことをよしとしない者も多い。

 王様と違い、彼女は側仕えの者を通して冒険者と話すのが常だ。

 だが、今日は違う。

 王様の気まぐれか、それとも王にも何か思う所があったのか。今日の王女様は、従者を間に挟まずに冒険者達と相対させられていた。

 

「……」

 

「……」

 

 チーム紅魔族は、王族にどう話しかけていいのか分からない。

 アイリスは、いつも受け身で冒険者と話しているため自分から話を切り出していけない。

 今この部屋には、紅魔族三人とアイリス、それとレインのみ。

 レインは両者の間に入ることも考えたが、"その前に"と、扉を開けて部屋の外に出る。

 そこには、鍵穴から必死に部屋の中を覗こうとするクレアの姿があった。

 

「いい加減どこかへ行ってください、クレア様」

 

「断る」

 

「クレア様……」

 

 貴族らしい凛とした姿。何の変哲もない白スーツでここまで高貴な存在感を発せられると、レインは黒いドレスを着ても地味な自分と見比べて、ちょっと情けない気持ちになってしまう。

 

「たとえお前でもアイリス様の警護を安心して任せられるものか!

 姫様を任せなければならないのなら、嫁入りさえ憤懣遣る方無いぞ私は!」

 

「落ち着いてください、クレア様!」

 

 この女性が人前では立派な貴族で、雰囲気だけが高貴で貴族らしく、素の自分を出すととんでもない問題人物だと知っているから、なおさらに。

 

「城の一部で噂が出てるんですよ。

 シンフォニア家のクレアはクソレズロリコンで脇が毛深く乳輪がデカいって」

 

「誰がそんな根も葉もない噂を!」

 

「私も信じてはいません。ですがここでアピールが必要なんです」

 

「アピール?」

 

「クレア様は四六時中アイリス様にひっついていると見られています。

 風呂の時間も寝る時も離れようとしないクソレズという評価が定着しかけています。

 ここで冒険者との語り合いを使い、アイリス様から距離を置いて

 『クレア様が気を使われている』

 『ここで距離を置けるのであれば、ただ単に親愛の情が深かっただけなのだな』

 という噂を流して、今の噂を払拭するんです。

 そうすれば、印象の逆転で最初に流れていた噂がデマだったという印象も付いて……」

 

「私は堂々と毎晩風呂でアイリス様の肢体を念入りに洗ってあげられるというわけだな!」

 

「……あの、先の話、根も葉もない噂なのでは……」

 

「根も葉もない噂だとも!」

 

 護衛兼教育係として付けられているレインと同様に、クレアもまた護衛兼教育係としてアイリスに付けられている、大貴族シンフォニア家の長女だ。

 シンフォニア家といえば、この国でも指折りの大貴族。

 王家の懐刀ダスティネス家など家格で並んでいる家を挙げることはできるが、この家より明確に家格が上の家を挙げることは極めて困難だろう。

 家格の高さは勿論のこと、王族の近衛兼教育係に付けられているということは、クレア自身も優秀であるということだ。

 王族からも信頼される血統、能力、人格を持つ女性。

 

 だが、その裏側はド変態だった。

 

「お願いしますから、大人しくしていてください」

 

「仕方ない。少しの間我慢をしよう」

 

 クソレズペドフィリア、略してクレアを何とか説得し、レインは深く溜め息を吐く。

 

(この巡り合わせがアイリス様にとって、よいものとなってくれればいいけれど)

 

 レインは護衛の一人であり、アイリスの教育係の一人であると同時に、アイリスの幸多き未来を願って見守る大人の一人。

 彼女の役目は、王女に知識を与え、心の中に新たな扉を開かせることだ。

 偏った性知識を与えかねない、新たな性の扉を開かせかねないクソレズとは似て非なる。

 いや、似てない。ただ非なるだけか。

 

(アイリス様は優しくていい子。でも、度が過ぎてる。

 辛さも悲しみも抱え込み過ぎて、それを表に出そうとしない……)

 

 レインはこれを気に、アイリスがもっと見聞と心を広げてくれれば、と思っていた。

 もっと未来に希望を持ってくれれば、と思っていた。

 たとえ、王族が一人で外を出歩くのが危険なくらいに、魔王軍が優勢だったとしても。

 たとえ、未来を自分で選べない王族という身の上だったとしても。

 レインは、アイリスの幸せだけを、切に願っていた。

 

「失礼します。ただいま戻り……」

 

 そして、彼女は部屋に戻り――

 

「はい、僕の親指が消えました」

 

「す、すごい! どうやったんですか!?」

 

「ずるいわよ酷いわよ何それありなの!?

 私はアクシズ教徒にダダ滑りだったのに、パクったむきむきが大受けって!」

 

 ――シリアスな思考をぶっ飛ばす、一発芸で盛り上がる子供達の姿を見た。

 

(馴染んでる!)

 

 何やってんだ紅魔族、よくやった紅魔族、その二つの気持ちが同時にレインの胸の奥に湧いてくる。

 

「また勝負でもしますか? 王女様と言えど、勝ちはありませんよ」

 

「次は負けません!」

 

 アイリスと対峙しためぐみんが、紙に『井』の字のような線を四本引いている。

 

「これは紅魔族の伝統的な遊び。

 互いに交互に○と×を書き、三つ並べたら勝利となります。

 はい、先行頂きました! 真ん中に○! さあ後攻は×をどうぞ!」

 

「×を三つ並べたら勝ちですね、分かり……ん?

 ず、ずるいです! これもうどうやっても勝てないじゃないですか!」

 

「はて、なんのことやら」

 

 めぐみんとアイリスの会話を見ると、レインにもなんとなくどうしてこうなったのかが読めた。

 不敬罪を少し恐れている様子も見受けられるが、めぐみんが一番アイリスに対し気安く接しているのだ。

 

 実年齢を相対的に見れば、めぐみんとゆんゆんが同い年。むきむきがその一つ下で、アイリスがむきむきの一つ下。

 外見年齢を相対的に見ると、めぐみんとアイリスが同い年、ゆんゆんがそこから少し歳上、むきむきはその更に歳上に見える。

 

 めぐみんとアイリスが気安そうなのは、絵面を見るととても自然な光景に見えた。

 

「ちょっと目を離した隙に、随分仲良くなりましたね」

 

 レインはひとまず、アイリスへの敬意と距離感が一番残っている様子のゆんゆんに話しかけてみた。

 

「めぐみん、王女様でも気後れしない子ですから、

 あ、でも、めぐみんにしては遠慮がある? ようにも見えます。

 むきむきはむきむきで、めぐみんの後に続いていく人ですし……」

 

「ああ、そうなんですか」

 

 子供達の間に広がる空気は、一見楽しそうだがよく見るとどこかぎこちない。

 それは当人達もよく分かっていることだろう。

 互いに歩み寄りながら、見えない正解を手探るように、子供達は言葉を選ぶ。話題を探す。話す内容を模索する。

 

「実は、私もお父様も、あなた達のことは聞いていたんです」

 

「聞いていた? 僕らのことを? 誰からですか?」

 

「魔剣の勇者様です」

 

「ぶっ」

 

 その内、話題が予想外の方向に跳び、めぐみんが飲んでいた飲み物をちょっと吹き出す。

 あんなのが王族にも認められている勇者なのかと、めぐみんは戦慄する。

 

「尊敬する師父であると、そうおっしゃっていました。

 それと、旅の間に一緒に戦った時のことをいくつか……」

 

「勇者様、元気でやってるみたいでよかったです」

 

「私から言わせてもらえば、あのホ……あの男の話は結構盛ってると思いますよ」

 

「そうでしょうか? でも、お強いことは間違いないんだと想います」

 

 図らずして、ミツルギフィルターが盛りに盛った話が、千の魔王軍討伐というインパクトで裏付けされてしまったようだ。

 あのイケメンは、一度好感を持った人間を過大評価した上、ダダ甘に甘やかして持ち上げる悪癖がある。

 

「ミツルギ殿は言いました。

 彼は既に最高の友を得ている、と。

 だからお話したいと思ってたんです。私には、最高の友達なんて居ないから」

 

 アイリスには『社交辞令のような友人』しか居ない。

 

「本当の友達の関係というものが、どういうものか見てみたくて。

 だから、今日は本当にいい日です。ずっと見たかったものが見れました」

 

 型破りなめぐみんでさえ、多少の気後れがあるのだ。

 平民ではアイリスに話しかけることもできず、貴族の子は身分の差を認識しているためアイリスに一線を引いて接している。

 アイリスの友人を名乗る者は居るだろう。

 けれど、それが友情であるとアイリスは断言することができない。

 その友情には、必ず臣下の礼が含まれていたからだ。

 

「冒険に出たいと思っても、一歩も出られない。

 街に一人で出てみたいと思っても、一歩も出られない。

 寂しいと思うこともあります。……でも、王族の勤めですから。

 普段皆よりも恵まれた生活をしているのですから、仕方ないことですよね」

 

 見たかったものを見て心が動いてしまったのか、王女の口からぽろっと本音がこぼれて落ちる。

 

 王族に無礼を働けば死罪になりかねないと知り、初っ端から気安くフレンドリーに接せる者など居ない。普通はそんな行動不可能だ。

 彼女を王女だと知った上で一気に心の距離を詰められるのなら、その人間は百年に一人レベルのバカか勇者かのどちらかだろう。

 現に、むきむきは何も言えないでいた。何もできないでいた。

 言いたい言葉があって、したい行動があった。

 けれど、口を噤んで体を抑えつけていた。

 

 魔王軍が王都にまで攻め込んでいる国の、気楽な外出さえ許されていないお姫様。

 『環境に寂しさを押し付けられる苦しさ』に共感し、放っておけないと思っているくせに、彼は何もせずにいた。

 

(……僕は)

 

 話の顛末次第では、無礼だと言われ仲間に迷惑がかかるかもしれない。

 そう思えば、体は動かなくなってしまう。

 何もできなくなってしまう。

 友達に迷惑をかけたくないという想いも、間違いなく本物だった。

 

 少年の視線がふらりと動き、その視線がゆんゆんの視線とぶつかる。

 何故かゆんゆんは、むきむきのことをじっと見ていた。

 

「大丈夫、私は何があっても味方だよ」

 

 彼の心中を察しているかのように、渡される後押しの言葉。

 少年の視線が横に動き、その視線がめぐみんの視線とぶつかる。

 

「好きにすればいいと思います。

 たまにはあなたが私達に迷惑をかけるのもいいんじゃないですか?」

 

 彼の心中を察しているかのように、渡される後押しの言葉。

 眼帯をさすって格好つけるめぐみんは、地獄の底まで付いて来てくれそうだと思えるほどに、頼りがいがあった。

 

―――迷ったら周りの人に相談すること。

―――でも、怖かったらとりあえずでいってみよう!

―――なんとなくだけど、君はそのくらいがいい気がするからね

 

 最後に、なんとなく、クリスがアルカンレティアで残していった言葉を思い出す。

 彼女の『いってみよう』には不思議な響きがあって、なんとなく勇気を貰えた気がする。

 勇気。

 そう、勇気だ。

 少年に必要だったのは、ここでぶつける勇気だけだった。

 

 臆病者で、受動的で、根本的にダメな子でも、『四人分の勇気』があれば、動き出せる。

 

「アイリス様」

 

「なんでしょうか?」

 

「ごめんなさい、失礼します!」

 

「きゃっ!?」

 

 むきむきはアイリスを肩に乗せ、窓から飛び出すという蛮行に出た。

 

「!? ま、待ちなさい!」

 

「まあまあ落ち着いてレインさん」

「こうなったらもうヤケクソで、行くとこまで行きましょうレインさん」

 

「ちょ、ちょっと!」

 

 めぐみんとゆんゆんがそれを止めようとしたレインにしがみつき、むきむきとアイリスは誰にも邪魔されずに城の外へ飛び出していく。

 子供特有の未来想定の甘さ。

 どうにかなるだろうという楽観視。

 誰かの苦しみを消してあげたいという純粋さ。

 少しでも笑顔にしてあげられたら、という純朴さ。

 良くも悪くも『子供』は大人がしないようなことをする。大人にはできないことができる。

 

「降ろしてください! きっとよくないことになります!

 よかれと思ってやったことでも、これじゃあなたが……」

 

「そうしたら……うん、頑張って、三人でここから逃げようかな」

 

 王城から城壁へ。城壁から家屋の屋上へ。家屋の屋上から別の家屋の屋上へ。

 少女を肩に乗せたまま、巨人は街の上を跳んで行く。

 

「なんだあれは!」

「鳥か!? 魔王軍か!?」

「いや、筋肉だ!」

「皆空を見て! 筋肉(ラピュタ)は本当にあったんだ!」

 

 町の人が上を見上げて何かを言うことはあったが、むきむきの跳躍スピードのせいで誰もがすぐに見失ってしまう。

 

「王女様は僕に抱えられたまま。

 だからアイリス様は一歩も外に出てない、とかじゃダメでしょうか?」

 

「頓知じゃないですか!」

 

 街を見渡してちょっと楽しそうな表情を浮かべてしまうアイリスだが、すぐに表情を改め、厳しい声色を意識して作る。

 アイリスがそうしている時は、むきむきの雰囲気とアイリスが取り繕った厳しい雰囲気も相まって、クラスで喧嘩している小学生の男子と女子のような雰囲気があった。

 

「僕がめぐみんと初めて会った時の話、聞いてください」

 

 むきむきがこんな型破りなことを、一から考えたのだろうか。

 いや、違う。

 

「めぐみんが僕を助けてくれたあの日に。

 めぐみんを肩に乗せて走ったあの日に」

 

 これは、"想い出の再現"だ。

 

「きっとあの時、僕の世界は広がったんです」

 

 彼らは街を囲む壁にまで到達し、むきむきはめぐみんと初めて会った日のことを語りながら、城壁の上を走り始める。

 

「……」

 

 壁の外の大自然の景色、壁の内側の絢爛な街の景色を眺めながら、アイリスは彼の話に耳を傾けた。むきむとめぐみんが友達になった日のことに、思いを馳せていく。

 見たことのない景色も、初めて聞く話も。アイリスの心に、何かを染み渡らせていく。

 

「友達と一緒に走り回って、世界が広がった日……

 ああ、だからこうしているんですね。

 その時に感じた気持ちを、もう一度ここに持って来ようとしたのですか」

 

「うん」

 

 愚かと言うべきか、未熟と言うべきか。

 自分の世界が広がった日の出来事を、そっくりそのまま再現してどうなるというのか。

 不器用にも程がある。

 人生経験をちゃんと積んだ大人なら、もうちょっとマシなやり方を選んでいただろう。

 

 けれども、その拙いやり方を、アイリスは不快に思わなかった。

 不器用なりにアイリスのことを本気で想い、自分なりに何をどうしたらいいのかを必死に考え、全力でぶつかってきたこの少年の選択を、アイリスは悪く思ってはいなかった。

 

 友と出会い。

 友と一緒に駆け回り。

 旅に出て、見たこともない景色を見て……そんな日々を過ごせたなら、きっと幸せなんだろうと、アイリスは思う。

 

 彼の肩の上で彼と共に街や城壁を駆け回り、見たこともない城壁の上からの景色を眺めている今のアイリスは、その気持ちを少しばかり理解できるようになっていた。

 羨む目で、アイリスは彼を見る。

 

 城壁から一気に駆け戻り、むきむきとアイリスを見てぎょっとする王城の警備の脇を抜け、彼らは王城の最も高い場所――王城尖塔部分――のてっぺんにまで登る。

 

「わぁ……」

 

 今日彼の肩の上で見た風景は、そのどれもがアイリスの記憶に残るもの。

 だが、ここから見える風景は、そのどれにも勝るものだった。

 王都で一番高い場所。彼女が毎日過ごしている城の一部でありながら、一生来る機会がなかったであろう場所。

 そこから見渡す世界の風景は、とても美しかった。

 

「普通の友達は、要らない?」

 

「……え」

 

 先程、アイリスはミツルギの話をした。

 その中で、アイリスがむきむきに対して持っている印象も明かされた。

 『最高の友を持つ者』を見る目で、彼女は彼を見ている。

 アイリスは、自分はそれを得られないだろうと諦めている。

 そこに少年は待ったをかけた。

 最高でなければ、友に価値はないのか? と。

 

「最高の友達にはなれないかもしれないけど、きっと普通の友達にはなれると思う」

 

 アイリスの最高にはなれないかもしれない。特別にもなれないかもしれない。けれど、普通の友達にはなれる。少年はそう考えていた。

 

 普通でいい。

 普通でいいのだ。

 『特別』ではなく、『普通』こそが欲しかった。

 それは、この二人に共通する気持ち。

 

 普通の体に生まれたかった。

 普通に魔法を使いたかった。

 普通に里の一員として認められたかった。

 普通に皆と一緒に学校に行きたかった。

 普通の紅魔族になりたかった。

 

 けれど、少年はそうはなれなくて。

 いつかは、今の自分を好きにならないといけない。

 

 普通に街を歩きたかった。

 普通でもいいから冒険がしてみたかった。

 普通の友達が欲しかった。

 普通で平和な日常を王都で過ごしたかった。

 普通の女の子として恋をしてみたいと思ったこともあった。

 

 けれど、少女のそれは叶わぬ願いで。

 奇跡でも起こらなければ、いつかどこかで何かを諦めなければならない。

 

「普通の友達でも、僕みたいに変な体の奴は嫌なら、めぐみんとか……」

 

「いいえ。そんなことはありません」

 

 ゆんゆんが初めて友達となり、めぐみんが世界を広げたむきむきが、少女の本音を引き出した。

 運命のように、紅魔族の二人の少女の行動の結果が、回り回って少女に笑顔を浮かべさせる。

 善意とは、繋がるもの。

 

「ありがとうございます。私の……普通の友達に、なろうとしてくれて」

 

 少女の問題も、少年の問題も、何一つとして解決してはいないけれども。

 日々を今より楽しくすることは、きっと難しいことではない。

 

「アイリスと呼んでください。あ、でも、呼ぶ時と場所は考えて下さいね?」

 

 それを途中からこっそり影で見ていためぐみん達が、ほっと息を吐いた。

 レインと少女達は一区切りついたのを見て、ぞれぞれ反対の方向へと歩を進める。

 少女達は私達も仲間だもんげ! と混ざるために、彼らの下に。

 そしてレインは、今の流れを見て騒ぎ出したであろうクソレズシンフォニア、略してクレアの暴走を止めるべく走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の行動は、結構な問題になった。

 クソレズウーマンさん、略してクズマさんことクレアが猛烈に処罰を要求したが、彼女の行動が「いやそこまで責めなくても……」という空気を逆に作り出してしまい、意図せずして最高のアシストが成功する。

 なお、クレアは後日これを『むきむき無罪獲得のための演技』と誤解され、アイリスにたいそう喜ばれたという。

 

 ここに王やアイリス、レインなどの擁護も加わって、後日渡される予定だった褒賞金がなくなる、ということで話がついた。

 レイン曰く、『信じられないくらい甘い沙汰』『二度目はない』とのこと。

 理詰めで説教するタイプのレインの説教は一切の反論を許さないもので、むきむきはちょっと涙目になっていた。

 それからまた、少しの時間が流れる。

 

「……」

 

 紅魔族達は、めぐみんの探し人がどこに居るかという調査結果を聞くために、まだ王城に滞在していた。

 今、彼らは王城内部の蔵書室に居る。

 三人はそれぞれ別の本を読み、別々の知識を吸収しているようだ。

 

(ベルゼルグ王族は婚姻で勇者の血を取り込んできた一族。

 魔王討伐という過程で選別される勇者。

 伴侶選定という過程で選別される貴族。

 その両方の血のみを取り込むため、総じて凄まじく強い。

 英才教育、洗練された訓練、経験値とスキルポイントを得られる食事。

 多様で効率的な教育に、高い才能、最上位の血統が加わる。

 ベルゼルグ王族は人類の最強種の一角と言えよう。

 国外ではドラゴリラ、ゴリラゴンと呼ばれることもある(要出典)、なるほど……)

 

 むきむきは王族に関する本を読んでいる様子。

 

「むきむき、ゆんゆん、ちょっとこっちに来て下さい」

 

「? わかった」

「どうしたのよめぐみん。それ、ずいぶん古い本ね」

 

 めぐみんが二人に開いてみせたのは、とても古そうな本だった。

 本の素材が悪かったなら、この時代には形も残っていなかったと推測できるレベルの古本。

 

「見て欲しいのはここです」

 

「どれどれ……」

 

「国一番のアークウィザード、キール……()()()()()()の肖像」

 

「! これ、ブルーだ!」

 

 めぐみんが開いた本のページに描かれた。一人の男の顔の肖像。

 その顔が、先日戦ったDTブルーの顔と全く同じだったために、むきむきとゆんゆんは思わず息を呑む。

 

「あの人、本当に不老だったのね……」

 

「キール、っていうのは?」

 

「その昔、貴族の令嬢をさらって国を敵に回したという魔法使いですよ。

 国最高のアークウィザードの名は伊達ではなく、国の追撃を振り切って逃亡。

 その凄まじい魔力と魔術の腕をもってダンジョンを作り上げ、そこに篭ったと言われています」

 

 恋した貴族の令嬢を求め、最後にはさらって行った悪い魔法使い。

 それが、アークウィザード・キールの一般評だ。

 キールの物語は"恋をしてしまった悪人の悲恋"と見る人も居れば、"邪道に堕ちた魔法使い"として反面教師にする人も居る。

 その一番弟子ともなれば、令嬢誘拐に手を貸した可能性も高い。

 

「人類の敵対者になったのはこの時なんじゃないでしょうか?」

 

「この悪い魔法使いキールの仲間だったってこと?」

 

「じゃあやっぱり悪い人なのよね……」

 

「キールの味方だったなら、そうなんでしょうね」

 

 キールのダンジョンは、始まりの街アクセルから半日ほどの距離にある。

 半ばダンジョン初心者の練習場と化しているそこに、今でも人に見つかっていない物があるとは考えにくい。

 そう認識した上で、少年は一度そのダンジョンに向かってみたいと思っていた。

 

「失礼します。アイリス様がいらっしゃいましたよ」

 

 蔵書室の扉がノックされ、レインに先導されたアイリスがやって来る。

 

「ご一緒してもよろしいですか?」

 

「ええ、いいですよ。アイリスも私達の魔王軍撃滅会議に混ぜてあげましょう」

 

「魔王軍撃滅会議!?」

「待って私聞いてない!」

 

 年相応の少女らしい交流、という観点から見れば、アイリスと一番仲がいいのは間違いなくめぐみんだった。

 めぐみんは元よりアイリスと距離が近く、ゆんゆんが未だに身分の差を微妙に引きずっていることもあって、めぐみんは今現在アイリスの一番親しい女友達となっていた。

 ならば、むきむきはどういうポジションに居るのだろうか?

 

 めぐみんとアイリスの会話が一段落つき、アイリスとむきむきの目が合った。

 アイリスはとことこと彼に歩み寄り、彼が使っていたテーブルの反対側で立ち止まり、花のような笑顔を見せた。

 

「お兄様から昔聞いたことがあります。

 腕相撲、というもので友と友情を深めたことがあると」

 

「したいの?」

 

「はい!」

 

 すっ、と少年がテーブルに腕を出す。

 すっ、と少女もテーブルに腕を出す。

 紅魔族の特徴である黒い髪と、王族の特徴である金の髪が揺れる。

 はたから見れば、筋肉ムキムキマッチョマンの巨人が身長差1m以上ある小さな少女を、腕相撲でいじめているかのような光景。

 だが、違う。

 これは、例えるならば、ゴジラとキングギドラの衝突だ。

 

「待っ―――」

 

 レインの止める声も虚しく、二人は腕相撲を始めてしまった。

 

「―――!」

 

 両者の腕に力が入る。

 瞬間、両者の手と手の間で空気が弾けた。

 二人の力は完全に拮抗し、あまりのパワーにテーブルが軋んだ。

 

「ッ!」

 

 アイリスがちょっと力を出し、押し込まれる。

 むきむきもちょっと力を出し、逆に押し込む。

 それをアイリスが押し返して……というループ。

 高速で押し合い押し返し合う攻防により、彼らの周囲には自然と風の流れが生まれ、レインのスカートがめくれ上がる。

 

「きゃっ!?」

 

「アイリス、本気出してないよね?」

 

「そちらこそ。紳士ですよね、むきむきさん」

 

 互いが互いに対し『自分の全力を出してしまえば友達の腕を折ってしまうんじゃないか』という心配を持ったまま、探るようにして徐々に込める力を増やし、互いに全力を出していく。

 そのたび、レインのスカートがめくれ上がる。

 

「な、なんの嫌がらせですか!」

 

「アイリスはまだ全力を出していない。

 むきむきも女の子相手に全力は出しきれず、感情も昂ぶっていない。

 なのに、なのに、この圧倒的筋力が生み出す破壊の嵐―――!」

 

「解説はいいんですよめぐみんさん!」

 

 筋肉少女帯、ではなく、筋肉対少女。

 外見からは想像もつかないアイリスの筋力は、むきむきといい勝負ができる領域にあった。

 王族が皆高レベルで、むきむきがまだ低レベルを抜けたばかりであることを加味しても、ゴリが過ぎる。

 アイアムゴリラプリンセス、略してアイリスとでも言うつもりなのか。

 加熱する勝負は、ついに危険な領域へと突入する……

 

「アイリス、これ友情深まってるの!?」

 

「ふ、深まってる気がします! たぶん!」

 

「そ、そう言われると、僕もそんな気がしてきた!」

 

「めぐみん、今こそツッコミが必要よ」

「ゆんゆんが行けばいいじゃないですか。胸とツッコミがあなたの売りでしょう」

「そんなの売りにしたことないわよ!」

 

 常識的に考えれば、腕相撲はむきむきのように腕が長い方が不利。

 常識的に考えれば、腕の太さに十倍近い差があるためアイリスに勝ち目はない。

 だがこの腕相撲は既に常識の範囲内に無い。

 ゆえに、決着も常識の外側にあった。

 

 盛大な破壊音と友に、頑丈に作られていたテーブルが粉砕される。

 二人の腕相撲の舞台として使われるのに、このテーブルでは耐えられなかったのだ。

 全力を出す前にテーブルが破壊されてしまい、二人は拍子抜けした顔をしていたが、やがて笑い合う。

 

「ふふっ、やっぱりその筋肉は凄いですね」

 

「アイリスだって、そんな細い腕ですごいよ」

 

「外でやって下さい外で!」

 

 そして、レインに城の中庭に叩き出された。

 

 

 

 

 

 50mの距離に線を引いての、かけっこ勝負。

 

「よーい、ドン!」

 

 この二人にかかれば、二秒前後で駆け抜けられる距離だ。

 

「よし、僕の勝ち!」

 

「も、もう一回! 次は全力で行きます!」

 

 50mも2秒前後。

 にもかかわらず、二人がちょっとムキになってくると、タイムは更に縮んで行く。

 

 この二人は本気の本気で走れば、リザードランナーの巡航速度を上回る速度で走り回れる。

 この世界の乗馬の速度が時速60km。馬車の速度が時速20~30km。

 リザードランナーの速度をそのまま活かせる、王族専用の竜車が丸一日継続させる巡航速度がその3~4倍の速度で、おおまかに時速100km。

 駆け出しが処理するモンスターでさえこのレベルなのだから、魔王軍幹部のようなガチ枠、むきむきやアイリスといったバグ枠がそれより速いのは、さほどおかしいことでもない。

 走行速度がそれなら、戦闘速度は更に速いことだろう。

 

「スキルを使っていないとはいえ、私がかけっこで勝てないなんて……何か秘訣が?」

 

「秘訣? 秘訣……うーん……さっき僕はストレッチしてたよね」

 

「してましたね」

 

「ここに、ほら、ええと、ストレッチパワーが溜まったんだよ」

 

「ストレッチパワー!?」

 

 アイリスが驚き、むきむきが冗談だと言って、笑い合う。

 そしてまた何かを始める。二人の様子は、ドッチボールやサッカーで遊ぶことを覚えたばかりの小学生のようだった。

 体を動かして楽しく競い合えることを、心底喜んでいる。

 

「子供ですねぇ、本当に」

 

 そんな二人を、中庭の草の上に座っているめぐみんが、呆れた顔で見守っていた。

 膝の上には使い魔のちょむすけ。肩にはウトウトとしているゆんゆんが寄りかかっている。

 むきむき達がずっとあの様子で競っているものだから、見守っている内に眠たくなってしまったらしい。

 めぐみんも今はゆんゆんを寄りかからせてはいるが、彼女が起きそうな素振りを見せたなら、その瞬間に彼女を蹴っ飛ばすだろう。

 

 「何事!?」と言うゆんゆんを前にして、「私はあなたの枕じゃないですよ? そういうのやめてください」と言うのだろう。

 そして「ちょっとくらいは寄りかからせてくれたっていいじゃない!」と言うゆんゆんを、鼻で笑うのだ。

 めぐみんは、そういう少女だった。

 

「砲丸投げ! 勝負だよ、アイリス!」

 

「ああ! 中庭の向こうの壁に埋まってしまいました!」

 

 むきむきに"今までにない形での理解者"が現れたことを嬉しく思う、そんな少女だった。

 

「めぐみんさん」

 

「レインさんですか。このねぼすけを起こさないようにお願いします」

 

「ふふ……プリンどうです?」

 

「いただきます。でも突然プリンを差し出されるとかちょっと困惑します」

 

「騎士団の方で買いすぎて、処理に困ってるそうで……うちにまだいっぱいあるんです」

 

「ああ、そういう」

 

 突然現れて屋外でプリンを渡してきたかと思えば、無難なところに着地する。

 なんか普通だなこの人、とめぐみんはたいそう失礼なことを考えていた。

 レインはむきむきとアイリスが遊んでいる光景を見て、眩しい物を見たかのように目を細める。

 

「あれを見ていて、クレア様の子供の頃の話を思い出しました」

 

「クレア様……というと、時々二階から物凄い顔でこちらを睨んでいるあの貴族ですか」

 

「はい。貴族というのは、生まれつきの強者であることが多いです。

 クレア様も、幼少期から鍛練に励んでいたのもあって、腕力もとてもお強かったそうで」

 

「ほう」

 

「……普通の子供と遊んでいて、ただのじゃれ合いのつもりが、怪我をさせてしまったそうです」

 

「……」

 

「貴族には貴族の、王族には王族の悩みがあるんでしょうね」

 

「かもしれませんね。私には無縁な話ですが」

 

 特別だからこそ、普通に憧れる気持ちを持ったむきむきとアイリス。

 里一番の天才という特別から、普通になど憧れることもないまま、誰も選ばないような爆裂魔法という更なる特別を求めためぐみん。

 めぐみんには二人の憧れや悩みは、本当の意味では理解できないに違いない。

 そして同時に、『だからこそ』、むきむきやアイリスはめぐみんに対し好感を持つのだ。

 

「そういえばめぐみん様。国からのクエストを受ける気はありますか?」

 

「国からのクエスト?」

 

「はい。まだめぐみん様の探し人を見つけるには時間がかかりそうです。

 クエストの内容はエルロードに親書を渡しに行く私の護衛。

 エルロードまでは片道十日と長くはありますが、行って返ってくるだけです」

 

「ただの旅行ですね」

 

「い、一応国使ですよ!? なんでそんなに物怖じしないんですか!?」

 

 アイリス相手にも率先して気軽に絡んで行くめぐみん、恐るべし。

 

「王様の発令したクエストを達成した、というのは大きいですよ。

 何をするにしても、今後の活動は楽になると思います。どうでしょうか?」

 

「そうですね。むきむきと相談して決めることにします」

 

「あの、ゆんゆんさんにも相談してあげてくださいね」

 

 鉄球でキャッチボールを始めた二人を意識的に視界に入れないようにして、レインはめぐみんがクエストを受けることに乗り気な様子を確認し、ほっと息を吐く。

 

(これで、少しは国の諜報部が情報を固める時間が取れる。

 でも、確証が取れてもめぐみんさんに伝えるべきなのか……だって……)

 

 レインは優秀だ。優秀だが、感性は普通の人だ。そんな彼女は、どうすればいいのか分からない問題に、普通の反応――問題の先送り――しかできない。

 

(……めぐみんさんの探し人の特徴。

 それと合致する爆裂魔法の使い手が、魔王軍に居るだなんて……)

 

 何を決断すればいいのか分からないのが現状なだけに、なおさらに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王国から依頼されたクエストを、彼らは冒険者らしく受諾した。

 クエストの内容は、隣国エルロードに親書を届けに行くレインの護衛。

 片道十日の道のりとなるが、元より彼らの旅は急ぐものではない。目的地さえない、探し人と魔王討伐というゴールだけがある旅だ。

 特に断る理由もない。

 だが、アイリスはとても寂しそうな顔をしていた。

 

「……」

 

 彼らを王城の人間が送り出しに来てくれた時も、その真ん中に佇みながら、アイリスは寂しそうに視線を下に向けていた。

 彼らはまだ、旅の途中。

 王城には一度立ち寄ったに過ぎない。

 ここは彼らの居場所ではなく、ただひとときの腰掛けなのだ。

 

「アイリス様、別れの言葉を」

 

「……」

 

「アイリス様?」

 

 クレアが声をかけても、アイリスは別れの言葉を告げようとしない。

 ここで別れの言葉を言ってしまえば、もう会えないような気がしていた。

 それは寂しさが生んだ錯覚。けれども、アイリスにとっては確信に近い思い込みだった。

 彼らが今日ここを旅立ってしまえば、後はクエストの帰りに一度立ち寄る以外に、王城に留まる理由はなくなってしまう。

 それが、とても寂しかった。

 

「アイリス様……」

 

 レインはその心中を察したのか、彼女まで悲しそうな顔をしてしまっている。

 

「アイリス、様……いや、もういっか。アイリス」

 

「むきむきさん」

 

 王女を呼び捨てにしたむきむきに、クレアを始めとした王城の者達が殺気立つ。

 少年はそれを無視して、格好付けた。

 格好付けて、その場で名乗った。

 

「我が名はむきむき、紅魔族随一の筋肉の持ち主にして、再会を誓う者!」

 

 その名乗りが、めぐみんにとても素敵な笑みを浮かべさせる。彼女の胸を熱くさせる。

 

「我が名はめぐみん、紅魔族随一の魔法の使い手にして、再会を誓う者!」

 

 その名乗りが誰のためのものか、何のためのものか、分からないゆんゆんではない。

 顔を赤くして、彼女も頑張って友の後に続いていく。

 

「わ、我が名はゆんゆん、紅魔族五指に入る魔法の使い手にして、再会を誓う者!」

 

 それは、『紅魔族にしかできない』、アイリスへ残す贈り物だった。

 

「……!」

 

 アイリスもまた、不慣れな様子で格好付ける。

 

「我が名はアイリス! ベルゼルグ随一の王女にして、再会を誓う者っ!」

 

 今まで出したことがないくらい大きな声で、今までしたことがないような笑顔で、彼らに別れの言葉を告げる王女様。

 

「アイリス様!? 貴様らぁ! アイリス様に何を教えたこの狼藉者共がっ!」

 

「逃げろー!」

 

「待ってください私関係ない!」

 

 逃げ出す紅魔族達と、巻き込まれた形で逃げ出す涙目のレイン。

 笑顔のアイリスと、紅魔族達を追うクレア達。

 逃亡者達は馬車に乗り込み、一目散にエルロードに向かって逃げていく。

 

 彼らは王城の皆に追われ、笑いながら王都を後にした。

 

 

 




けものフレンズ(小さなゴリラと大きなゴリラ)

 むきむきとアイリスの年齢のせいで、絡みが一緒にコロコロ読んでる小学生のノリになってしまうこの感じ!
 前に考察で出した原作WEBで出た数字から出したリザードランナーの推定速度、ようやく本編で使えました。


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2-7-1 エルロード・ビフォア・アポカリプス

二章は2-7やって2-8で終わりです


 レインとクレアは、アイリスの護衛であり、側仕えであり、教育係だ。

 王族の教育係は、世界が違おうとも古今東西その王族にとって『親』に匹敵する存在である。競争率の高さは言うまでもなく、選ばれた者が平凡でないことも同様である。

 また、強大な戦闘力と権力を持ち合わせるのがベルゼルグ王族であるため、その教育係には偏りの無い思想と、広く公平な視点を王族に与える人並み外れた知識量が求められた。

 クソ強いレズのアーマーレスナイト、略してクレアの教育担当は武力。

 ゆえに、知識量を必要とされたのはレインの方だった。

 

「私から何かを学びたい、ですか?」

 

「はい。その……馬車の中だと、僕ら暇ですし」

 

 今、馬車の中には紅魔族三人とレインのみ。

 レインは御者席で馬車の手綱を握り、むきむきはその横で彫刻刀と適当な木のブロックを持って、御者席で器用に木彫りの人形をいくつも彫っている。

 一方馬車の中では、ゆんゆんが彼の掘った人形を膝の上で弄びながらお菓子を口にしていて、めぐみんがそのお菓子をこっそり掠め取りつつ、馬車の外の景色を楽しんでいる。

 そんな中、少年はレインに教えを請うていた。

 アイリスからレインの博識さを聞いていたからだ。

 

「ふむ……そうですね」

 

 レインは手綱に手を添えつつも、腕を組んで考え込み始めた。

 この世界の馬の知性は、地球よりも多少賢い程度だ。

 調教師の訓練と日々の経験で、街道を『自分が走るべき場所』と認識し、『そこを外れればモンスターに襲われる』と認識している程度の知性は備えている。

 馬の様子さえ見ていれば、そうそう事故はない。

 

「あ、それなら、以前アイリス様にした授業に少し補足を付けてお話しましょうか」

 

「お願いします!」

 

 向上心のある子供が嫌いな教育職の人間は、そう居ない。

 レインは穏やかな微笑みを浮かべる。

 社交界に着ていっても問題のない黒いドレスを纏っているのに、微笑む彼女に受ける印象は『優しそうだけど地味』の一言であり、なんとなくしょうもない感じがしてしまう。

 いい先生にはなれても、絢爛な女性にはなれない。レインはそういう女性であった。

 レインは懐から500エリス硬貨を取り出し、むきむきが製作途中の木彫りの熊を指差した。

 

「むきむきさん、その木彫りの熊が出来上がったら、私に買わせていただけませんか?」

 

「え、ただであげますよ?」

 

「いえ、買わせてください。これも授業の内ですので」

 

「分かりました。ちょっと待ってください」

 

 むきむきがささっと熊を完成させ、レインの手元の500エリス硬貨と交換する。

 

「最初、私の手元に500エリス硬貨がありました。

 この馬車の富の総量は500エリスだった、と言い換えることもできます」

 

「そうですね」

 

「ですが私がその木彫りの熊を500エリスで買いました。

 この木彫りの熊には500エリスの資産価値が付きました

 馬車の中に500エリスのものが新しく生まれた、とも言えますね。

 この熊とその硬貨で、この馬車の中にある富は、合計1000エリスになったことになります」

 

「はい、分かります」

 

 熊が作られた分、500エリスの富が増加した。

 

「ゆんゆんさん、そこのお菓子を一つ、この木彫りの熊と交換していただけませんか?」

 

「はい、どうぞ」

 

 レインはまだ話の前置きをしている段階であったが、聡明なゆんゆんはもう話の全容を察しているようだ。

 ゆんゆんがお菓子をレインに渡し、レインがゆんゆんに木彫りの熊を代わりに渡す。

 

「500エリスの木彫りの熊と交換しました。

 これで、このお菓子には500エリスの価値が付いたことになります。

 馬車の中にある価値が、合計で1500エリスになりましたね」

 

「……なるほど」

 

「文明の基本はこういうことなんです。本当は、時間経過で価値がなくなったりもするのですが」

 

 『交換』があり、『交換のために生み出されるもの』があり、『交換のために価値を付与されるもの』がある。

 人と金と物が流れて、『流通』ができる。

 流通が、世界を作る。

 

「交換をすればするほどに、価値と富は増えていくのです。

 増えた富は物を溢れさせ、村を街に、街を都市に、都市を国にします」

 

 お金を持った人が、金を払って建築家に家を作ってもらう。

 建築家は金で野菜を買い、農家はそこで売るためにどしどし野菜を作る。

 農家は野菜を売った金で肉を買い、畜産家は肉を売るため家畜をどんどん増やす。

 人が増え、物が増え、価値が増え、その最終型として国が完成する。

 ベルゼルグもそうだった。

 

「善意もそうです。自分から渡し、返してもらうことで増えるのです」

 

「人間の関係にも適用できると?」

 

「はい。善意は人を繋げます。

 そうすることで、小さな寄り合いは集団となります。

 集団が膨らめば、それは組織となります。

 組織が膨らむことで、それは国となるのです。

 古今東西、善き繋がりの先にこそ、国の成り立ちはあるのです」

 

 ものの流通。心の流通。その先にこそ、国の成立はある。

 『交換と流通による拡大と成立』。

 レインが修めている学問は、それを文明の基本と定義するもののようだ。

 

「無論、怨恨も増えるものです。そこも忘れてはなりません。

 善意と繋がりの拡大の先が国家なら、怨恨の先は戦争と言えるでしょう」

 

「戦争……魔王軍ですか?」

 

「はい。今となっては、憎しみで継続されている戦争ではありませんけどね。

 ある意味で伝統、習慣となり……自然災害への抵抗のようになっています。

 『憎いから行われる戦争』ではありません。

 既に『生き残るために抗わなければならない戦争』となっています」

 

「そう、ですね」

 

「ただ魔王軍は相当こっちを恨んでいるかもしれませんが。

 邪神の性癖は神クラスの変態、邪神は整形ブサイク、豊胸手術済みetc……

 魔王は世界一のアブノーマル趣味、魔王はホモ、魔王は粗チンetc……

 アクシズ教徒が四六時中そういう根拠もない悪評を、ガンガン流してますので」

 

「アクシズ教徒本当にどうにかした方がいいんじゃないですか」

 

 人間と魔王軍の関係もまた、0から始まったはずだ。

 どこかでその間の悪意が1に、1が100に、100はいつしか無尽蔵のものとなった。

 そして、今ではただの生存競争。

 草食動物を食い殺そうとする肉食動物と、肉食動物を反撃で蹴り殺そうとする草食動物の戦いにどこか近いかもしれない。

 魔王軍に家族を殺された人間や、人間に身内を殺された魔王軍、アクシズ教徒に散々に名誉に泥をかけられた者達も多いだろうが、この戦争は怨恨よりも生存競争の側面の方が強いだろう。

 

「これがアイリス様に、私が普段教えていることですね」

 

「勉強になりました! ありがとうございます!」

 

「いえいえ、こんな拙い授業で喜んでもらえて恐縮ですよ」

 

 むきむきはまた一つ賢くなった。

 

「要は為政者の心得です。

 感情に流されず、いい流れは残して悪い流れは止める。

 嫌なことをされてもぐっとこらえて、嫌な報復の連鎖の流れを残さない。

 いい流れは止めないよう、流通は常に流し続ける。

 ……あ、そうですね、ではこれから行くエルロードの話でもしましょうか」

 

「今の話で得た知識を使って、ですか?」

 

「はい、そうです。

 今度は適度に質問を挟んでいきます。

 今の話をちゃんと聞いていれば答えられるはずですから、頑張ってくださいね?」

 

「はい!」

 

 話をしている内に授業内容の応用、エルロードの説明、口頭での簡易テストで知識の定着率を確認、などなど教師らしいことを自然に始めるレイン。

 職業病、というやつだろうか。

 

「ベルゼルグは金の工面が苦手で、武力が強い。

 エルロードは資金繰りが上手くて、軍事力が貧弱。

 二つの国は切っても切れない関係にあります。

 エルロードは架空の金と実の金を操り、0から莫大な富を産む賭博国家です」

 

「そんなことができるんですか?」

 

「はい。最初に賭博と胴元の関係から説明しましょう。

 カジノでは基本的に、賭け事が行われれば行われるほど胴元が儲かります。

 つまり金の流れが活発であればあるほど国が最終的に儲かる仕組みになっており――」

 

 むきむきとレインのそんな会話を、めぐみんはぼーっとしながら聞いていた。

 

「――カジノコインなどは特に『あの国の中でしか流通できない資産』です。

 その国でしか流通できない貨幣ということは、その国だけがその価値を保証し――」

 

(知らないことを知るのって、そんなに楽しいことですかね)

 

 少女はむきむきが授業を聞いている顔を見る。

 初めて見る景色を目にした時も、彼はこういう顔をしていた。

 知らないことを知り、自分の世界を広げ、"この世界が素晴らしい"という言葉を信じて、この世界のことを知っていく表情。

 悪くない顔だった。

 

(……いや、楽しいことなのかもしれませんね)

 

 めぐみんは馬車の中で横になり、柔らかい座席に体を横たえ昼寝を始める。

 

 気を張っていても仕方ない。この旅の先は、まだ長いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走り鷹鳶(たかとび)、というモンスターが居る。

 名前はギャグで、人から見れば大変危険という、この世界の標準的なモンスターの一つだ。

 

 獲物を見つけると、高速で接近してきて跳躍体当たり。

 繁殖期にはメスの気を引くため、"チキンレース"と呼ばれる硬い物に全力で突っ込んで行き、ギリギリで飛び越えることで勇気を示す求愛行動をするという。

 勇気を雄としての優秀さの証明として示す行動。生物にはよくあることだ。

 とはいえ、繁殖期には間合いを測り間違えて衝突してきたり、それ以外の時には捕食攻撃行動としてぶつかってくるのは、ただの人間には恐ろしい脅威だろう。

 

 自動車並かそれ以上の速度で、数十数百kgという重量の、モンスター相応の頑丈さを持つものがぶつかってくるのだ。そりゃ怖い。

 普通は、今が繁殖期で岩などを優先して狙っているため、比較的安全なモンスターなのだが……

 

「なんか来たっー!?」

 

 彼らの馬車は、派手に狙われていた。

 

「走り鷹鳶は本能で硬い物を察知し、それを狙います! つまり……」

 

「むきむきの筋肉の硬さに反応してるんですね、分かります」

 

「分からないわよー!」

 

 走る馬車と、その後を猛追する走り鷹鳶。

 "この辺り数kmの範囲で最も硬い物"として、むきむきは鷹鳶に狙いを定められていた。

 

「筋肉って硬くなったり柔らかくなったりするけど、硬さ基準で判定されるんだね」

 

「そんなこと言ってる場合!?」

 

 まだ距離は遠いが、ほどなくして追いつかれるだろう。

 走り鷹鳶はポケモンで言うドードリオだ。飛べない代わりに走るのがすこぶる速い。

 このままでは車で言うところの"カマを掘られ"てしまう。ケツを掘られないためには、あの鷹鳶をどうにかしなければならない。

 

「むきむき、あれはあなたを飛び越えようとします。

 そのタイミングで片っ端から全部上に殴り飛ばせますか?」

 

「できるよ。その次は任せた」

 

「任されました。レインさん、馬車の減速と停止をお願いします」

 

「どうす……いえ、冒険者なりの考えがあるんですね。分かりました!」

 

「ゆんゆん! 私の体を支えてください!

 減速で相当揺れますよ! 詠唱も一応しておいてください!」

 

「うん!」

 

 むきむきが飛び降り、馬車は急激に減速した。

 走り鷹鳶はチキンレースの性質上、むきむきを飛び越えようとする。

 

「そぉい!」

 

 そこに、むきむきのアッパーが連続して繰り出された。

 その動きたるや、拳の残像によって腕が十数本にも見えるほど。

 その速さたるや、同年代と友達になろうとする時のゆんゆんの早口を圧倒的に凌駕するほど。

 凄まじい速度と威力で放たれた拳により、むきむきを飛び越えようとした走り鷹鳶が次々と空へ打ち上げられていく。

 

「めぐみんはいドーン!」

 

「『エクスプロージョン』ッ!」

 

 そして空中でひとまとめにされたそれを、めぐみんがド派手に吹っ飛ばした。

 空に太陽がもう一つ生まれたのかと錯覚してしまうほどの爆焔に、これを初めて目にするレインは目を奪われる。

 

「そ、空が吹き飛んだ……」

 

 それが、ある日のこと。

 そしてその翌日。

 

「なんか来たっー!?」

 

 翌日には、リザードランナーの襲来があった。

 これまた繁殖期に面倒になるモンスターであり、メスへの求愛行動として"他種族の速いモンスターを追い越しその数を競う"という行動を行う。

 峠の走り屋(死語)のようなモンスターだ。

 しかもその過程で蹴りを叩き込んでいくため、馬車であれば壊れ、冒険者であれば骨が折れ、一般人であれば死亡という事例が多発する。

 これまた放置しておけないモンスターであった。

 

「むきむき、ダッシュ!」

 

「オッケー!」

 

 またしてもむきむきが馬車から飛び降り、走行を開始。

 するとリザードランナー達が一斉に、馬車から少年へと視線を移した。

 "馬車より速いものを見つけた"、ということだ。

 

 むきむきはそのまま馬車より速く走り、馬車から離れないようにぐるんぐるんと何度か円を描く走行路を選択し、リザードランナーに追い抜かれないようひとまとめにしていく。

 適度な速度で走り続けるむきむきはリザードランナー達にとって、友達になってくれそうな人を見つけたゆんゆん、カブトムシにとってのハチミツ濡れバナナに等しい。

 ムキになったゆんゆん、むきむきされたバナナに群がるカブトムシのような状態になってしまっては、リザードランナーに周りを見る余裕などあるはずもない。

 

「『サモン』!」

 

 自分達がひとまとめにされたこと。

 また馬車の後ろに来るよう誘導されたこと。

 目の前の筋肉巨体が一瞬で消えたこと。

 その意味をリザードランナー達が知ったのは、馬車の後端で手刀を横一文字に振った少女の、光の魔法を目にした瞬間だった。

 

「『ライト・オブ・セイバー』ッ!」

 

 走るリザードランナーが並んでいる風景。

 レインの目には、その『風景』が両断されたように見えた。

 無数のリザードランナー、傍にあった木々や草、その全てが光の刃にて両断され、そこからズレ落ちるようにして上半分が落下していく。

 光であるがために、切断は一瞬。

 術者の腕次第で万物を切り裂くことが可能、という謳い文句は伊達ではない。

 

「……これはまた、とんでもない」

 

 めぐみんの魔法だけでなく、ゆんゆんのその魔法にも、レインは感嘆を覚えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、キャンプを張って皆で夕飯を口に運び始めた頃のこと。

 レインはめぐみんとゆんゆんがこの歳でここまでの魔法を使えることに、素直な賞賛を送っていた。

 

「紅魔族が何故強いのか、理解できた気がします」

 

 レインは多芸な魔法使いだった。

 上級、中級、初級の全ての魔法を使えるために、旅に必要な水出し火出しなんでもござれ。

 高レベルな上スキルアップポーションも沢山飲んでいるタイプだと推測される。

 彼女の能力は低くはなく、だからこそその肯定は、めぐみん達には素直に嬉しいものだった。

 

「最初に大火力の魔法を習得させる。

 普通低レベルでは扱えませんが、紅魔族は生まれつき魔力がとても多いんですよね?

 なら、そこも問題にならない。

 最初から覚えていた魔法で沢山の敵を一気に薙ぎ払えば、一気にレベルも上がる……」

 

「その通りですよ、レイン。

 基本的には、剣よりも魔法の方が敵を倒し易い。

 紅魔族のレベルがサクサク上がるのはその延長みたいなものです。

 そういう裏事情があるから、里の大人は子供を一人で外に送り出したりできるのです」

 

「私だったらめぐみんさんを一人で里の外には出しませんけどね」

 

「うぐ」

 

「戦闘一回でのレベル上げ効率は認めますけど、それ以外はちょっと……」

 

 レインはめぐみんとゆんゆんの魔法を褒めた。

 紅魔族の効率の良さに関しても感嘆した。

 が、爆裂魔法厨に関しては擁護しない。できない。

 魔法使いとして、そこだけは手放しで褒めてあげられないらしい。

 

「でも、噂通りです。紅魔族の方達は皆優秀な魔法使いでした」

 

「えへへ」

 

 レインはゆんゆんを見て、彼女を褒め称える。

 ゆんゆんが照れて頬を掻くが、レインはめぐみんとむきむきから意図して視線を外していた。

 目を逸らしたくなるような例外が二人、そこに居たからだ。

 

 お前らのような紅魔族が居るか、と言われてもしょうがない二人。

 むきむきは割り切っているが、めぐみんはちょいと釈然としていない様子。

 少年が自分の分の干し肉を一切れ少女に渡し、少女はそれで機嫌をちょっとだけ直した。

 

「で、レイン。私達がこのクエストを依頼されたのは、紅魔族の評価があったからですか?」

 

「え? めぐみん、どういうこと?」

 

「私達は強さだけを基準にレインの護衛に選ばれたのか、ということですよ。

 王都には強さと実績を備えた高レベル冒険者なんて、それこそ山のように居るでしょう」

 

「あ」

 

 むきむきはその問いに戸惑うが、ゆんゆんとレインは動じていなかった。

 ゆんゆんは夜にでもめぐみんとしっかり話していたのかもしれない。

 レインはただ単純に、この問いを想定していたのだろう。

 

「別に邪推だったらいいんです。

 ただ、私達がこの依頼(クエスト)に選ばれた理由があったら知りたいだけなので。

 王女様と親しくしすぎたから距離を離す、程度のものでもこの依頼の理由としては十分ですし」

 

 レインはめぐみんを見て、ゆんゆんを見て、高知力の冒険者は流石に誤魔化せないなぁ、と苦笑した。

 

「ベルゼルグは今回、直接的行為の無い国力誇示をこっそり行いたいようです」

 

「ほう?」

 

「露骨に力を見せつけることは、国交上したくない。

 けれどもベルゼルグの力、特に冒険者達の力を見せつけたい。

 だからむきむきさんをエルロードに見せつけて、ベルゼルグ強い! と思わせたいそうです」

 

「あの王様、口に出してないだけでどんだけこの筋肉気に入ったんですか」

 

 強い冒険者を向かわせて大暴れさせ、強さを見せつけるのではいけない。

 あくまでレインの護衛としてむきむきをチラ見せし、「何だあの筋肉!?」「やべえよ……ベルゼルグやべえよ……」「あんな冒険者が居るのか」と反応させるのが目的。

 地球で言えば、超巨大な戦艦を親書の運搬に使わせ、あまりにも強大な戦艦を見せつけることでその後の外交を有利に運ぶという策略が近いだろうか?

 

「申し訳ありません、むきむきさん。今まで黙っていて」

 

「頭を上げてください、レインさん。アイリスから聞きました。

 ベルゼルグとエルロードは対等の、友のような関係だって。

 その仲立ちができるなら、その役に立てるなら、僕も嬉しいんです。本当です」

 

「……ありがとうございます」

 

 レインは心底申し訳なさそうに頭を下げる。

 けれども、アイリスのことを知った後となっては、"アイリス達のために頑張ろう"という気持ちが彼の中に芽生えていないわけがなかった。

 

「エルロードからの資金援助はベルゼルグの生命線です。

 どうかその筋肉で沢山の支援金を勝ち取って欲しいと、王は期待しておりました」

 

「任せ……あ、ちょっと待って下さい。

 めぐみんめぐみん、強そうに筋肉を見せる方法ってどうやればいいんだろう?」

 

「知らんがな」

 

 ボディビルで世界を救ってくれ、みたいな無茶振りを、彼はされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 めぐみんとむきむきの幸運値はすこぶる低い。

 むきむきの幸運値は下方向にカンストしていて、めぐみんの幸運もいくらレベルを上げてもほとんど伸びない。

 そのためなのかは分からないが、彼らはしょっちゅう騒動に巻き込まれている。

 

「もう本当に、なんでこんなにトラブルに巻き込まれるのよ!」

 

「いいからゆんゆんは魔法の拘束を緩めないでください!」

 

 10分ほど前のことだ。

 倒れた馬車を発見し、その中に首を突っ込んでいるマンティコアを見つけた瞬間、むきむきは馬車から飛び出していた。

 エルロード王都まであと1kmというところでこのトラブル、何か呪われてるんじゃないかとめぐみんは思わざるを得ない。

 

 マンティコアは人の頭、獅子の体、蠍の尾に蝙蝠の羽を持つモンスター。

 空は飛ぶ、知能は高い、大抵の魔法は効かない、人語は喋るわ尾に準即死級の猛毒はあるわで、戦闘には滅多に用いないが魔法まで使う。

 駆け出しは絶対に相手にしてはいけないモンスターだ。

 

「レインさん、馬車の中の人をさっさと助けてください!」

 

「今やってます!」

 

 むきむきでも一人では危なかったモンスター。

 だが突撃していったむきむきに振るわれた尾を、ゆんゆんの召喚魔法が強制的に回避させ、ゆんゆんは全力のライト・オブ・セイバーにてマンティコアの尾を切断。

 再度突撃したむきむきが羽をもぎ取り、戦いは地上戦へ移り、現在に至る。

 そこでマンティコアが『人の頭を持っている』という特徴が不幸中の幸いとなった。

 

「十界の呼号、貴使の招来。善導の聖別がもたらせしは、魂滅なる安息と知るがいい」

 

 ゆんゆんがストーンバインドでマンティコアの足を地面に縫い付け、むきむきがその背に乗って首に手を回し、詠唱しながら高い魔法抵抗力を持つマンティコアの首を極めたのである。

 

「『スリープ』」

 

「それは魔法のスリープじゃなくてチョークスリーパーじゃないですかこの大たわけッ!」

 

 叫ぶレイン。ツッコミに走る彼女は今、地味ではなく輝いている。

 めぐみんの母、ゆいゆいも得意とした魔法・スリープ。

 それを彼なりに再現した、永遠の眠りを誘う睡眠魔法であった。

 

「……よし、やりました。息もしてませんし、首も折れてます」

 

「スリープはそういう魔法じゃないし、チョークスリーパーはそういう技じゃない……!」

 

 マンティコアってこういう倒し方するモンスターじゃない、とレインは思うが、実際に倒せているのだからしょうがない。

 気を取り直して、馬車の中から出て来た騎士らしき人達と、それに囲まれた小さな王冠を小脇に抱える少年を見やる。

 

「助かったぞ、礼を言う」

 

「……あ、ああっ! あなたは! エルロードの王子様」

 

「ああ、そうだが……ん? ああ、そうか。今日だったな、ベルゼルグの使者が来るのは」

 

 それがこの国の王子様だったものだから。

 

 普通人なレインの心臓はびっくりすぎて、もうとんでもない状態になっていた。

 

「それにしても」

 

 王子と呼ばれた少年は、ドレスを着た女性でもなく、紅魔族の少女二人でもなく、マンティコアの死体を片手で引きずる巨人を凝視する。

 

「……何食ったらこうなれるんだ?」

 

 王子は興味津々だった。

 自分の胴体より太そうなむきむきの太ももをペチペチ叩き、見上げないと顔が見えない巨体の上に乗っかる顔を見上げて、よく分からない生き物を見る目でむきむきを見る。

 彼は賭博王国エルロードの王子にて王位継承者。

 レインが教えていた授業の延長にある、『金』と『金の流通』さえあれば国は作れるという理屈をその身で証明した、賭博で当てた金で建国したという伝説の初代エルロード王、その子孫である。

 

「俺の名はレヴィ。王子レヴィだ。なんというか……凄いな、これ。絵に描いたような蛮族だ」

 

「ば、蛮族!?」

 

「ベルゼルグは蛮族の国とも揶揄されるが、まさかこんな絵に描いたような蛮族が来るとは」

 

 男ってなんでこんな筋肉好きなんだろう、とめぐみんは思い。

 

 それはそれとして仲間を蛮族呼ばわりした王子の家は爆裂しておこう、と心に決めた。

 

 

 




 根はいい子で、表面上悪ぶる必要があって、けれども全体的に見れば悪ガキ気味なことに変わりはなく、エルロードの王族としての見識は備わっている。
 そんなレヴィ王子が結構好きです。十巻はアイリスが好きになる巻ですが、ルシエドは彼みたいなタイプが結構好きなのです。


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2-7-2

 原作から引用すると、レヴィ王子は自分達の失態だと感じたら素直に頭を下げるタイプで、アイリスはそんな王子を見て「王族が簡単に頭を下げてはいけません」とたしなめるタイプですよね。二人は割と違うタイプの王族です


 エルロードは、カジノの国とも呼ばれる国だ。

 地球で言えばラスベガスが近いだろうか?

 『娯楽』に特化した国で、他国からも連休の旅行で来る一般市民、クエストで得た金で一発当てることを夢見る冒険者、お遊びで来る貴族などが連日見られる特異な国だ。

 

 賭博という経費を0と計算することもできる商売の利益。及びそこにかけられる税金から、エルロード王家は莫大な金を得ていると噂されている。

 外国からの旅行者のお陰で、外貨獲得にも困らない。

 ベルゼルグが剣で殴る国なら、エルロードは札束で殴る国というわけだ。

 

 ある地球からの転生者はこの国を、「国のメイン産業がソシャゲで、自国他国問わず毟り取ってるようなもんか」と評したという。

 

「ストップストップめぐみん!」

 

「エクスプローもがもがっ」

 

「いきなり王城に爆裂魔法撃とうとするとかどうかしちゃったの!?」

 

 そして今、エルロード王城は爆死の危機に晒されていた。

 ベルゼルグの王城よりも立派なエルロードの王城は、むきむきが彼女の口を塞がなければ間違いなく瓦礫の山となっていただろう。

 

「な。ななな何をしているんですか!? 国際問題になりますよ!?」

 

「なりませんよ、レイン」

 

「え?」

 

「国際問題にできるような王族は、今全員王城ごと消し飛ばすからです」

 

「国際問題に留まらずそれ以上のコトを起こすつもりですか!?」

 

 いつからか自然とレインのことを呼び捨てにするようになっていためぐみん。気を許していると言うべきか、ちょっと舐めてると言うべきか。

 どちらにせよ、レインではめぐみんの抑止力にならないことには変わりない。

 

「初対面で私の仲間を蛮族呼ばわりするやつの家とか、無くなればいいんですよ」

 

「王子! 謝って下さい!」

「この紅魔族は格別に頭がおかしい!」

「自分が破滅しようが気に入らないものは構わずぶっ壊すタイプです!」

 

「こ、この事態は俺のせいか!? 悪かった、俺が悪かったから、その魔法を止めてくれ!」

 

 むきむきとゆんゆんに抑えつけられ、王子の謝罪を受け、めぐみんはしぶしぶと爆裂魔法の使用を取りやめる。

 

「すみません、王子様。

 うちのめぐみんは仲間思いで情に厚いんですが、ちょっと怒りっぽくて……」

 

「いや、命の恩人に蛮族などと言うものではなかったな。非礼を詫びよう」

 

「大丈夫です。僕は外見でとやかく言われるのは慣れてますから」

 

 ちょっと悲しそうな顔をしてしまいそうになって、その顔を隠すために誤魔化しの微笑みを浮かべるむきむき。

 その辺りの感情の動きを微妙な表情の動きから察したのか、レヴィ王子は自分の失言を恥じ、少し申し訳なさそうに目を逸らした。

 だが、すぐに尊大な雰囲気と表情を取り戻す。

 

「喜べ。父上の所までこの俺が手ずから案内してやろう。

 俺が居れば門で止められることもない。会見は速やかに済むはずだ」

 

「ありがとうございます!」

 

「お、おう」

 

 むきむきの声にレヴィが気圧されたのは、単純にむきむきの声が大きかったからか、あるいは予想以上に率直な返答が返って来たからか。

 王子は彼らを王城まで案内しようとするが、そこでマンティコアに破壊されたレヴィの馬車を抱え上げるむきむきを見て、ぎょっとする。

 

「おい待て! 馬車なんてここに置いていっていいんだぞ!」

 

「え、でも、街道にゴミを放置したままで行くのは……

 ちゃんと捨てるべき場所に捨てた方がいいですよ、王子様」

 

「お前にとってこれは菓子の包み紙か何かか!?

 疲れるだろう、置いてっていいんだ! 後で部下に回収させる!」

 

 普通の範疇の胆力しかないレインは、もうぶっ倒れそうな気分であった。

 

 

 

 

 

 その後、滞り無く謁見・親書受け渡しが行われたのが奇跡であったと、後日レインは語る。

 

「よかった……何事も無く終わった……ミラクル……」

 

「そんな大げさな」

 

「誰のせいだと思ってるんですか! ねえ王城に爆裂魔法を撃とうとした人!」

 

 親書の受け渡しにより、両国の結びつきを対外的にもアピールすることに成功。

 更にはむきむきという護衛を見せつけることで、ベルゼルグ王が想定した効果も得られていた。

 

「ガン見されてましたね、僕……」

 

「初見だとその迫力に呑まれるのもあって、3mくらいの筋肉巨人に見えますからね」

 

 ベルゼルグは近年魔王軍に押し込まれており、そのせいで少々『強大な国としてのイメージ』が損なわれつつあった。

 誰も気付いてはいないが、その裏には魔王軍工作員の工作の影響もある。

 弱い国に迷いなく莫大な金を投じて支援できる国などない。

 魔王軍に押し負けないだけの支援を他の国から貰い続けるためにも、"ベルゼルグは強い"というイメージだけは、なんとしても維持する必要があった。

 

 そういう意味では、今回の親書受け渡しは成功だったと言えよう。

 『なんだあのバケモノ!?』と思ってくれればそれでいい。

 "強いベルゼルグ"のイメージが王族やその周囲に印象付けられれば、エルロードからベルゼルグへの支援金は増えることはあっても減ることはない。

 

「現エルロード王は当然ながら親ベルゼルグです。

 知で金を操るエルロードでは、武のベルゼルグは蛮族と揶揄されることもありますが……

 ベルゼルグの代名詞『戦闘力』は、この国でもちゃんと敬意を払われるものなのですよ」

 

「ふむふむ、なるほど」

 

「だからでしょうね。むきむきさんがガン見されていたのは」

 

 あれが畏怖というやつなのだろうか、とめぐみんは思う。

 ある程度鍛えていた者や、ベルゼルグ王族ほどではないが優秀な血統を持つ王族は、多少なりともむきむきに敬意を向けていた。

 だがそれ以外は、よく分からない強者に対する畏怖を向ける者も多く、戦いの心得が全く無い者の中には数人、戦闘を生業とする者への蔑みを持つ者も居た。

 この国の性質が、多少見える一幕だった。

 自前の軍事力を大して持たない賭博の国、エルロード。

 そこには強者への多大な敬意と、そこそこに多い畏怖と、ほんの少しの"戦いを野蛮に思う気持ち"が見て取れた。

 

 戦争となれば、他の国に金を渡して代わりに戦ってもらう。

 徹底抗戦して無駄に被害を出すくらいなら、降伏や和平を目指す。

 国そのものがそういう方向性を持ち、そういう政策を選ばせる下地があった。

 

「あー、でも、疲れたー。最近、偉い人に緊張しながら会うこと多すぎよ……」

 

「お疲れ、ゆんゆん」

 

 テーブルに突っ伏すゆんゆんをねぎらい、その背中を少年の大きな手がぽんぽんと叩く。

 テーブルと胴体に挟まれた胸が潰れるように動き、それを見ためぐみんは密かな殺意を覚えた。

 

「本当にお疲れ様でした。

 今日はここで帰りの食糧を買い込み、泊まり、明日の朝に出発します。

 それまでは……そうですね、自由時間にしましょうか」

 

 レインがそう言い、悪戯っぽく笑った。

 その言葉の意味を察せない彼らではない。

 

「エルロードと言えば……」

 

「カジノ!」

 

 エルロードのカジノ。それは、紅魔の里にも噂が届いていた娯楽の頂点。

 疲れが見えていたむきむき達の様子が、一気に元気なものへと変わる。

 やんややんやと盛り上がる紅魔の子供達。

 三者三様に盛り上がりの程度に差はあれど、カジノをやってみたいという気持ちに変わりはないようだ。

 

「お金は使いすぎないようにしてくださいね。

 それと、明日にはここを出る予定ですから、今日一日を目一杯楽しむように」

 

 レインもすっかり引率の先生気分のようだ。

 国使としての役目を終え、後は問題を起こさず帰るだけ。肩の荷が降りたのかもしれない。

 その時、彼らの部屋の扉をノックする音がした。

 

「はい、どうぞ」

 

 レインが微笑んだまま、来客に入室の許可を与え、来客を見た瞬間にその微笑みを凍結させる。

 

「よう」

 

「!」

 

 凍結された微笑みは、扉の向こうから現れた『王子様』によって、驚愕の色に染められる。

 

「れ、レヴィ王子!?」

 

「どうだ、エルロードで二番目に偉い男の案内は要るか?」

 

 誰も予想していなかった形でのエルロード観光が、幕を上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エルロード国営カジノ。

 その利益はエルロード最大の歳入となり、エルロードある限りその存在を保証されたカジノであると謳われる。

 その収入は大抵の国の国家予算を凌駕し、その施設面積はほとんどの国の王城面積を凌駕するという。

 

 そんなカジノの一角で、むきむきとレヴィ王子は並んでカードのテーブルを眺めていた。

 

「ああ、それはやめておけ。ルールが多い上に頭を使う。初心者には向かないぞ」

 

「そうなんですか?」

 

「よく理解してないギャンブルに手を出すのは破滅の前兆だ。

 上手い賭博師は利率110%を目安に、勝てる勝負だけするものだぞ」

 

 そんな二人を、レヴィの護衛で付いて来た騎士とめぐみんが見守っていた。

 

「仲良いですね、あの二人、めぐみん殿もそう思われませんか?」

 

「王子様の方は、どことなく打算で近付いてる気がしますけどね」

 

「? それはどういう……」

 

「悪意があったら流石に止めてますよ。何考えてるんだか」

 

 レインとゆんゆんは普通の感性同士で気が合うのか、二人で一緒にカジノを回っている。

 ……が。ゆんゆんはむきむきと一緒に遊びたいが、一緒に遊ぼうと言い出せず、彼らの近くをうろうろしている。

 レインはレインでむきむきが王子様に失礼しないか心配なのか、彼らの近くをうろうろしている。

 結果、二人セットでむきむき達に付かず離れずうろうろしているという、見ていて笑える珍妙なコンビが完成していた。

 

「まあ、一番"何考えてるんだか"って言いたいのはあのゆんゆん達なんですが」

 

「あ、あはは……」

 

 護衛の騎士は苦笑いする。

 めぐみんと騎士は、視線をむきむきと王子に戻した。

 

「むきむき。お前の性情は、蛮族と言うには子供っぽ過ぎるな」

 

「うっ……た、確かに、僕は子供っぽすぎるって時々言われますけど」

 

「いや、馬鹿にしているわけじゃない。

 ……単に、風評や外見で判断していた自分を戒めているだけだ」

 

「?」

 

 レヴィ王子は一つ一つゲームの種類を説明し、むきむきの前で一勝負し、勝ち方を一つ一つ教えていく。

 さらりとやっているが、よく見るとおかしい。

 そのおかしさに、むきむきはまだ気付いていない。

 気付いていることといえば、レヴィ王子が彼に何かを教える姿が、どことなく楽しそうなことくらいだ。

 

「やはり、王子とむきむき殿は気が合うのでは?」

 

「楽しそうなのは否定しませんよ。

 むきむきの何が王子の興味を引いたのかまでは分かりませんが」

 

「それは、過剰なくらいに『いかにもベルゼルグ』な方がいらっしゃったからでしょうね」

 

「ベルゼルグはどういうイメージを持たれてるんですか」

 

「それは……その……

 頻繁に最前線に出て剣からビームを撃つベルゼルグ王族のイメージと言いますか……」

 

(魔法使いの里の出身としてはちょっと複雑なこの気持ち)

 

 ベルゼルグ王族は世界中に武の伝説を残している。

 おかげで各国からのベルゼルグ王族のイメージは、地球人から見たサイヤ人のようなものになっていた。

 この騎士も、そのイメージを持つ一人であるようだ。

 

「この国は今、宰相殿で保っていますからね。

 レヴィ王子が自分から街に出ようとするなど、よっぽどのことですよ」

 

「? あの、宰相さんが有能なのと、街に出ることに関係があるんですか?」

 

「街では影で色々言われてるんですよ。

 この国は宰相で保ってるだの、バカ王子は何の役にも立たないだの……」

 

 エルロードの国政は、現宰相ラグクラフトがそのほとんどを取り仕切っているという。

 そのせいか、ベルゼルグと比べると王族への求心力が低かった。

 公務で民の前で立派な姿を見せる王はともかく、昔からヤンチャで色々とやらかしている王子の評価は低く、宰相の比較に出されて色々言われているらしい。

 バカ王子と民に言われることも少なくないそうだ。

 

 『この国には頭が一つある。頭の中身が宰相で、王族は乗ってるだけの王冠だ』と不敬罪ギリギリの台詞を言う者さえ最近は現れてきているという。

 そう言われている側の王族(レヴィ)は何を思っているのだろうか。

 民が敬意を払うのは宰相。

 国の脳も心臓も宰相。

 宰相が王族に敵対しているということもなく、レヴィ王子が努力しようとも、国一番に優秀な宰相以上に貢献できる可能性も低い。

 王城の人間も、何かあればまず王や王子ではなく宰相に報告し、宰相に相談しているほどだ。

 

 レヴィ王子が何かを頑張ってやり遂げても、それは王子を補佐した宰相の手柄と見られる。

 最悪、このままでは駄目な王子というレッテルを剥がすことができないまま、王子から王とならなければならないかもしれない。

 それだけならまだいい。

 最悪なのは、宰相とて永遠にここに居てくれるわけではないということだ。

 宰相が王城を去った後、国を今まで通り維持できるのか。

 宰相が居なくなった後、国民は今まで通り王族を支持してくれるのか。

 レヴィ王子に見える世界は、宰相という大きな存在のせいで、酷く(ひず)んで(ゆが)んで見える。

 

 何せこの国は、国民にはあまり知られていないことだが、宰相が来るまで財政破綻寸前の状態だったそうなのだ。

 宰相がそれを一人で立て直し、今なお国を一人で回しているという。

 実権という面で見れば、既にこの国の王は宰相ラグクラフトなのだ。

 レヴィは国の王の息子として生まれ、事実上の王として国を回す宰相を見て育ち、次の王となる責務を課せられ、街では国民にバカ王子と軽んじられている。

 街をそんなに歩きたがらないという騎士の言にも、納得がいくというものだろう。

 

 以上の事柄は、この騎士が想像したレヴィ王子の内心の想像にすぎない。

 だがそこまで的外れなものではないだろう。

 結局のところそれは、古今東西様々な国が抱えてきたどこにもある問題……『No.2の能力と求心力が高すぎる』という問題に、帰結するのだから。

 

「レヴィ王子もまだお若いですから。王のように割り切れないのでしょう。

 宰相殿が常に褒められ、自分がバカにされることに、何も感じないわけがありません」

 

「……」

 

「ですが、今日の王子は楽しそうです。やはり気が合うんですよ」

 

「そういうものですかね」

 

 レヴィとむきむきはほぼ同い年。

 めぐみんは気付かない。ゆんゆんは気付いている。

 レヴィとめぐみんには大なり小なりガキ大将気質な所があって、そこが舎弟気質なむきむきと相性がいいのだ、ということを。

 

「あ、また負けちゃった」

 

 レヴィに案内されつつも、むきむきはゲームに次々と負けていく。

 元より大して金を賭けてはいなかったものの、見ていてビックリしてしまうくらいの負けっぷりだ。人類最低クラスの幸運の低さが、ギャンブルにまで作用してしまっているらしい。

 レヴィはちょっと偉そうに――小馬鹿にしているようにも見える表情で――、笑う。

 

「しょうがないやつだな。強いのは腕っ節だけか? 賭け事はてんでダメじゃないか」

 

「もうちょっと、もうちょっと幸運のステータスがあれば……」

 

「少し待っていろ。なんなら後ろで見ていてもいい」

 

 むきむきを席からどけて、レヴィが代わりにゲームのテーブルにつく。

 対面の対戦者、及びゲームのジャッジを担当する者の体が、レヴィを見た瞬間に少し強張った。

 

「何を?」

 

「俺を誰だと思っている? カジノ大国の王子様だぞ」

 

 レヴィは不敵に笑って、偉そうな顔でチップを動かす。

 

「お前に賭け事ってものを見せてやる」

 

 そこからは、見ていて気持ちが良くなるような連戦連勝だった。

 むきむきの勝ちが無い負けっぷりも見事であったが、レヴィの負けが無い勝ちっぷりも見事という他ない。

 レヴィはむきむきが負けたゲームを逆順に、ビデオの逆回しのように逆走し、むきむきが賭けた額と同額のチップを賭け、その全てのゲームに勝利していた。

 

「おぉ……」

 

 むきむきが思わず、感動の声を小さく漏らす。

 先程、むきむきが賭け事で負ける前、レヴィ王子は丁寧に一つ一つゲームの種類を説明し、むきむきの前で一勝負し、勝ち方を一つ一つ教えていった。

 さらりとやっていたが、よく見ればおかしいことに気付く。

 勝ち方を教えるには、勝たなければならない。

 つまりレヴィは、むきむきの前で一度もギャンブルに負けていないのだ。

 幸運があり、知力があり、勝負度胸を持ちながらも引き際を心得ている。

 これまた、むきむきには無いものを備えている少年だった。

 

「ほれ」

 

「え?」

 

 そうして稼いだ金を、レヴィはむきむきの前に置いた。

 むきむきが今日このカジノで使った金額が、そっくりそのままそこにあった。

 王子の行動はほぼその場のノリだ。深い理由があってのものではなく、それゆえに彼の性格がよく出ている。

 

「もう一度楽しんで来い。今度は気楽にな?

 ここはカジノとギャンブルの国……ギャンブルは楽しんでやるものだ」

 

「……はい!」

 

 レヴィはゲームやカジノが好きだ。だからこの国も好きだ。

 そして……他の国から来た人間にも、できればこの国を好きになってもらいたいと思っている。

 それは、この筋肉少年も例外ではない。

 賭け事は楽しくなければ価値がない、というのが王子の信条だった。

 

「また全部すっちゃいました」

 

「早いな! お前の幸運、いくらなんでも低すぎないか? それとも低いのは知力か?」

 

「両方です……」

 

 またしても負けたらしいむきむき。

 またしても呆れた顔をするレヴィ。

 この二人が賭け事で勝負をすれば、千回やっても勝者と敗者が変わることはないだろう。

 二人はカジノの片隅のソファーに腰掛けた。

 人が壁となって、めぐみんやゆんゆんの姿も見えない。

 少女達からも、この少年達の姿は今は見えていないだろう。

 

 並んでソファに座り、無料で配られているジュースをちびちびと飲む。

 小さな声では会話もできない、カジノの音と人の叫びが混じる喧騒がどこか心地いい。

 端から端まで見渡せないほど広いカジノに満ちる、百や二百ではきかない無数の客を眺めていると、自分が急にちっぽけな存在になったかのような錯覚があった。

 

「あ、そういえば」

 

「ん?」

 

「何か僕に、聞きたいことがあったのでは?」

 

「……気付いていたのか」

 

 むきむきの言葉に、レヴィは少し驚く。

 その指摘で、王子は彼を多少見直したようだ。

 

「正直、見抜かれるとは思わなかった。少し驚いたぞ。

 俺は愚かにもまだ、お前の性質を外見で判断していたらしい」

 

 知力も察する能力も低いものだと、そう思っていたようだ。

 この筋肉が相当強烈な第一印象を残してしまっていたらしい。

 

「お前に聞きたいのは、俺の『許嫁』のこと。つまり―――」

 

 ベルゼルグで立場のあるレインにでもなく、めぐみん達のような女性にでもなく、自分の配下にでもなく、むきむきにしか聞けないこと。

 それを聞こうとしたレヴィだが、その言葉は大きな音に遮られた。

 何かが壊れる音。

 絹を裂くような悲鳴。

 つんざく轟音、空気が破裂する爆音が入り混じる。

 尋常でない事態の発生に、二人は揃って席を立った。

 

「なんだ!?」

 

「行ってみましょう!」

 

 とにもかくにも状況確認。

 そう考え、二人は運良く近くにあったスタッフ用出入り口から大通りに出る。

 そして、彼らは見た。

 地に、悲鳴を上げ逃げ惑う人々を。

 空に、陽光を反射し輝く『金の竜』の雄々しい姿を。

 

「ドラゴン? ……この大きさ、これは……」

 

「……黄金のドラゴン」

 

「知ってるモンスターですか? 王子様」

 

「この国で最も強大で、この国に最も大きな被害をもたらしているモンスターだ……!」

 

 ドラゴンはカジノの横のコインタンクをムシャムシャと食べ、その中の輝くコインをたらふく腹に入れていく。

 巣に返ってから吐き出すのか、それともそのまま消化して自分の体の一部とするのか。専門家でもなければ、それは分からない。

 一つだけ分かることがある。

 それは、このドラゴンが狙うものが、この街には沢山あるということだ。

 

「いや、だがどういうことだ!?

 近年は王都周辺になど近寄りもしなかったというのに……!」

 

 竜が飛び上がり、ボディプレスで国営カジノを潰そうとする。

 その中のカジノコインと各国の貨幣が狙いなのだろうか?

 見過ごせば、死人が出る。

 そう考えたむきむきの行動は速かった。

 

「そらっ!」

 

 跳び上がり、全力の拳を竜の腹に叩きつける。筋肉任せの一撃は、食べた貴金属を変化させた竜の体表を強く打ち、不可思議な重低音を響かせる。

 丸太で金属の鐘を打った時の音を、数十倍重くしたような音。 

 

 その音が鳴り、破壊音が響かなかったということが、少年の拳によって竜が傷付かなかったことを示していた。

 

(……重さは金。硬さは、ヒュドラより数段上?)

 

 手応えが重い。そして硬い。

 鱗は強固で、皮膚は全力でも壊せるか分からず、その奥の筋肉と骨に至っては何も分からない。

 一度殴った手応えでむきむきが思ったことは、このドラゴンを倒せる攻撃手段は――むきむきの知る限り――ミツルギの何でも切り裂く魔剣グラムか、めぐみんの爆裂魔法しかないのではないか、ということだった。

 

 少なくとも、地に足付けた状態でなければ、むきむきの拳はこの竜を傷付けることさえ叶わない。

 

「気を付けろ! そいつは金鉱脈に住み着いた黄金竜だ!

 悪食で金を食らう上、食った金を素材に強固な皮膚と鱗を形成している!」

 

 レヴィの助言を受けつつ、振るわれた竜の爪を、竜の腹を蹴って下向きに跳躍、回避。

 着地したむきむきを見据えて竜は深く息を吸い、むきむきもまた手刀を構える。

 

「我、久遠の絆断たんと欲すれば、言葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう」

 

 竜の肺と腹が膨らみ、彼の筋肉もまた膨らむ。

 

 そして、竜の吐息(ブレス)と人の呼吸(ブレス)が、重なった。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 竜のブレスと光の手刀は衝突し、互いにその威力を相殺させる。

 

 ただ手刀を振るだけで、その手刀がプラズマを纏う怪物。

 ただ息を吹くだけで、その息が破壊光線となる怪物。

 常識外れの竜の力に、常識外れの筋肉パワー。

 まさしく怪獣大決戦だった。

 

「無茶を承知で頼む! 街に被害が行かないようにできるか!?」

 

「!」

 

 申し訳なさそうに、けれどもこの国の王族として必死に、レヴィはむきむきに向かって叫ぶ。

 

「……ここは他国から、安全に楽しく遊びたい客が集まる国だ。

 ここで街に、ひいては旅行者に被害が出れば、確実に客足は遠のく!

 エルロード、ベルゼルグ、対魔王軍戦線、全部まとめて影響が出かねん!」

 

「そ、そんな!」

 

 危険な観光地に気楽に遊びに行く者など居るものか。

 旅行者の被害者が0なら、『ドラゴンが襲って来ても被害者が出ないほど完璧な街の防備』だのなんだの言って、強引に誤魔化すことはできる。

 旅行者に怪我人の一人でも出れば、その時点で言い訳はできない。

 むきむきより広いレヴィの視点だからこそ気付いた、地味に迫り来る人類滅亡の危機であった。

 

「……分かった。やってみます!」

 

 めぐみんとゆんゆんが来てくれればなんとかなるはず、と自分に言い聞かせて走り出す。

 地面を蹴り跳び、家屋を蹴り跳び、空を蹴り跳んで、竜の背の側に回って詠唱を行った。

 

「―――だろう! 『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 むきむきの無意味な詠唱に、竜が空中で身をよじって振り返ろうとする。

 されど詠唱終了後、むきむきは再度空を蹴った。竜が振り返ったその時に、少年はもうそこには居ない。

 少年を完全に見失った竜の背後で、少年は手刀を振り上げた。

 

 めぐみんとの約束で今も続けている無駄詠唱を活用した、位置を誤認させるトリック攻撃。

 

(もらった!)

 

 黄金竜の尻尾を、少年の手刀が切断する。

 切断してしまう。

 尻尾を胴から切り離した後に、むきむきは自分の失態に気付いた。

 

(!? トカゲの尻尾の―――)

 

 尻尾はむきむきに切られたのではない。ドラゴンが自分から切ったのだ。

 だからこそ、ここまで強固な竜の尻尾が、あんなにも容易く体から離れたのだ。

 ドラゴンを『大きなトカゲ』と言う者もいるが、この瞬間は語弊無くそうであった。

 切り離された尻尾は生命力に溢れ、それ単体で一体の生き物であるかのように動き、むきむきに絡みついて動きを止める。

 

 この世界の生物は皆、強者も弱者も総じてたくましく、異常に生命力が強いのだ。

 

「ぐっ……!」

 

 尻尾の拘束は振りほどいたが、続く竜の噛みつきをかわすこと叶わず。

 むきむきの両足が下顎を、両腕が上顎を抑えるも、そこから全く動けなくなってしまう。

 いつの間にか切り離された尻尾も綺麗に胴体にくっついていて、無限再生のクーロンズヒュドラとはまた違う竜種の恐ろしさを、むきむきは思い知らされていた。

 

「むきむき! くっ、俺が余計なことを頼んだからか……!」

 

 地上でレヴィが悔いている声が聞こえるが、むきむきに王子の自責を否定し励ましている余裕はない。

 ヒュドラは蛇だった。

 獲物を丸呑みする習性を持つために、内部から攻撃する余地があった。

 だが、この竜は違う。

 この竜はむきむきをしっかり噛み砕いてから飲み込もうとしている。

 内部から攻撃する余地はない。

 

「げ」

 

 その上このドラゴン、むきむきを噛みつきで拘束したまま、先程のブレスを放とうとしていた。

 彼の筋力と拮抗する顎の力が凄いのか、金を砂糖菓子のように噛み砕く竜の顎といい勝負をする筋力が凄いのか、竜の顎とむきむきの今の筋力はほぼ拮抗している。

 ちょっとどうしようもない。

 

 このままでは素敵なステーキになってしまう。子供の肉のステーキという旨い料理の王道を進んでしまう。紅魔族ではなく子旨族になってしまう。

 あわや絶体絶命か、と思われたその時、地上から待ちに待った援護が飛んできた。

 

「『インフェルノ』!」

 

 弾丸並みの速度で飛来する巨大な業火。

 それを、竜は筋肉を咥えたまま高速で飛翔し回避した。

 

「ゆんゆん!」

 

「待ってて! 今助けるから!」

 

 とはいったものの、今の不意打ち気味の魔法をかわされたことにゆんゆんは焦る。

 むきむきごとバッサリ切ってしまわないよう、彼女はライト・オブ・セイバーを使わなかったのだが、今の飛翔速度を見るにこの距離だとライト・オブ・セイバー以外は当たりそうにない。

 エルロード最強のモンスターというのは伊達ではないようだ。

 

 おそらくこの黄金竜を倒す最適解は、規格外火力での先制攻撃。

 つまり"何もさせないこと"なのだ。飛ばせてもいけないし、攻撃させてもいけない。

 何かさせると、何かさせるたび面倒になる。そういう手合いだ。ゆんゆんはどの魔法で攻めるべきか、どうむきむきを助けるべきか、数秒迷ってしまう。

 その数秒でめぐみんとレインが駆けつけ、レヴィも合流し、竜は口に咥えたむきむきを魔力のキューブで囲んで固めていた。

 

「『サモン』!」

 

 むきむきがキューブで固められたとほぼ同時、"召喚の魔法を使えば助けられる"と気付いたゆんゆんが召喚魔法を使っていたが、タッチの差で間に合わない。

 今のゆんゆんのスキルレベルでは、召喚の魔法は成立しなかった。

 

「なんで!?」

 

「魔法で捕まっているからです! まずはあれをどうにかしないと……あっ」

 

 むきむきはゆんゆんの手元に戻されず、竜に咥えられたまま連れ去られてしまう。

 竜が帰る先は、地平の彼方の金鉱山。

 この国でも指折りの金鉱山であると同時に、竜の住処として最も恐れられる一つの山だ。

 親友が連れ去られ、ゆんゆんは手を伸ばすも、はるか彼方に去りゆく竜の背中には届かない。

 

「ああ……」

 

 むきむきの窮地に焦り、魔法の順序を間違えたことが裏目に出た。

 召喚を先に行ってから攻撃の魔法を撃っていれば、何も問題は無かったのだ。

 攻撃の後に"召喚すればいい"と気付いて、そこで召喚を使用したのでは遅かったのだ。

 だから、一手遅れてしまった。

 

 ゆんゆんも召喚魔法を習得してからまだ一ヶ月も経っていない。

 習得して一年以上が経った他の魔法と違い、召喚の魔法は咄嗟の判断に必ず組み込める域には到達していなかったのだ。

 しょうがないことだと分かっていても、ゆんゆんは罪悪感を感じずにはいられない。

 生真面目な彼女は、これをしょうがないの一言で片付けたくはなかった。

 

「分からんな」

 

「レヴィ王子?」

 

「ドラゴンには光り物を集める習性がある。

 現に相当な量のカジノコインが食われてしまったようだ。

 だがあいつのどこが光り物だ? 持って帰る理由が分からん」

 

 レヴィ王子の疑問に、顔色を悪くしたレインが恐る恐る推測を述べる。

 

「……捕食行動。つまり、『美味そうな肉』だと判断されたのでは?」

 

「! 巣に溜める、保存食か」

 

「「 ―――! 」」

 

 めぐみんとゆんゆんが一気に冷静さを欠く。

 ゆんゆんが己の額に拳をぶつけ、自分以上に冷静さを欠き後悔しているゆんゆんを見て、めぐみんは少しだけ冷静さを取り戻す。

 自分以上に慌てている者を見れば、相対的に自分の気持ちは落ち着いてくるものだ。

 二人のむきむきを心配する気持ちにそれほどの差はなかったが、今日はゆんゆんが落ち込んで、それをめぐみんを支える番。

 

「私のせいだ……私が、判断を間違えたから……!」

 

「仕方ないことですよ」

 

「でも、めぐみん、私は」

 

「ゆんゆんが自分で思っている以上に、ゆんゆんはむきむきを大事に想っていた。

 だから予想以上に動揺してしまい、失敗してしまった。それだけのことでしょう」

 

「―――」

 

「それだけのことです。

 どこに恥じる必要があるんですか?

 それとも私に罵倒されたくてそう言ってるんですか?

 いつから誘い受けするドMっ娘にジョブチェンジしたんですか」

 

「し、してないわよ! もう!」

 

 めぐみんにからかわれ、ちょっとは負けん気が出てきたようだ。

 落ち込んでいる時間はない。まだ日は高く、この時間は仲間を助けるために使わなければ。

 レヴィ王子はふと、ぼそっと呟く。

 

「なあ、御伽噺の話じゃないか、と言われたらそれまでなんだが……」

 

 彼の中には、なんとなくコレジャナイ感があった。

 

 紅魔族少女のどっちかがさらわれてむきむきが助けに行く流れの方がそれっぽいんじゃないか、という気持ちがあった。

 

「ドラゴンにさらわれるのは、ヒロインの役目じゃないのか」

 

「……なん、だと……?」

 

 かくして。

 

 『ヒロインを悪い竜から助けるクエスト』が、始まった。ドラゴンクエスト!

 

 

 




 ほとんどの敵をワンパンするアイリスにパワーチャージしないと使えない大技を使わせたのは、黄金竜さんの強さの証明になるのかそうでないのか


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2-7-3

 このすばのヴァンパイアって不遇ですよね。
 リッチーと同格の種族とされながら、短編に一回だけ出たカミラさんはアクア様にいじめられ、大陸で最も深い世界最大のダンジョンの主にして千年を生きた真祖のヴァンパイアさんはウィズとバニルに雑魚の若造扱いされ、書籍だと魔王軍幹部のオカマに吸収された人は描写さえされない。
 宝を溜め込むため宝狙いの冒険者やウィズやバニルに色々されたり、チート種族なのに他のチート個体に蹂躙されてるイメージがあります。
 いや本当に、世界最大のダンジョンの主で千年を生きた真祖のヴァンパイアって、他の世界観ならラスボス張れるレベルだと思うんですけどね……


 エルロードの黄金竜。

 この国で最も強大で、最も多くの被害をもたらした恐るべき魔竜だ。

 地元民には魔王軍より恐れられていると言えば、その恐ろしさが伝わるだろうか。

 

 ベルゼルグと友好関係にありベルゼルグに派兵を頼めるエルロードでさえ、現在まで討伐が為されていない規格外。

 ドラゴンらしく光り物を好み、コインを始めとする貴金属の流通を国の血液とするエルロードにとってはまさに天敵。

 国の資金源である金鉱山を占領して竜の巣と化すことで、国の被害は更に加速した。

 

 悪食の竜が食らった黄金は胃の中で魔力と混じり合い、一種の魔導金属となり、魔法にも物理にも耐性のある鱗と皮膚を形成する。

 マナタイト然り、こうした魔力と親和する鉱石類は武器や杖の素材として非常に優秀だが、モンスターが纏えば一転して厄介な魔物の鎧に変じてしまう。

 そのためこの竜、非常に打たれ強かった。

 

「黄金竜の打たれ強さは理解しました。

 しからば私の爆裂魔法(最強の矛)に耐えられる盾か、試してあげましょう」

 

 硬く巨大なモンスター。これでめぐみんがやる気を出さないわけがない。

 竜の住処である金鉱山に向かう途中、レヴィ王子から黄金竜の説明を受け、めぐみんは気後れするどころかそのやる気を倍加させていた。

 

「こいつはいつもこうなのか? ゆんゆんとやら」

 

「私が知る限り、めぐみんは大体こんなんです、王子様」

 

 むきむき救出パーティの内訳はめぐみん、ゆんゆん、レイン、レヴィ、レヴィの付き添いの騎士一人。

 エルロードではむきむきがまだ生きていると思っている方が少数派で、そもそもエルロードにあのドラゴンを打倒できるだけの戦力はない。

 全軍集めてもゆんゆん以下、というのが現実だ。

 

「よかったんでしょうか。王子をこんな所に連れて来てしまって」

 

 国際問題の可能性にビクビクしながらそう言うレインに、カジノでもめぐみんと話していた騎士が困った表情を浮かべる。

 

「いざとなれば私がテレポートで王子を抱えて王都に戻ります。

 むきむき殿が緊急性のある傷を負っていた場合は、彼も抱えて戻りましょう」

 

「お願いします」

 

 王子のこういうワガママは、もしかしたら初めてではないのかもしれない。

 黄金竜に関する詳しい知識を持ってはいるものの、ここに居ること自体がリスクになっている王子様を見て、めぐみんは溜め息を吐いた。

 

「なんで付いて来たんですか?

 王族が自分の命を危険に晒すのは、あまりいいことだとは思いませんが」

 

「やかましい」

 

 レヴィもまた、ゆんゆんやめぐみんと同様に、むきむきがあの竜にさらわれてしまったことに何か思うところがあるようだ。

 王子を動かすのは罪悪感か、責任感か、親近感か。

 なんにせよ、彼は危険を承知で彼を助けるべくめぐみん達を案内している。

 

 なのだが、めぐみんとレヴィは会話の節々で仲の悪さを露呈していた。

 というより、レヴィが腫れ物(ばくだん)を触るような扱いをめぐみんにするのをやめ、かなり素直にめぐみんに接するようになっている。

 今はいくら口論が加熱しようとも、めぐみんがあの竜以外に爆裂魔法を撃つことはないと、そう確信できているからだろうか。

 

「いいか、俺はお前が爆裂魔法で城を吹き飛ばそうとしたことは忘れていない。

 むきむきは蛮族ではない、それは分かった。

 非礼は詫び、前言は撤回した。だがお前に対しては撤回していない。お前は間違いなく蛮族だ」

 

「はい? よく聞こえませんでした、もう一度お願いします」

 

「聞こえてるだろう、爆裂蛮族!」

 

 めぐみんは短気な一面があるために、レヴィは時折他人の癪に障ってしまうために、微妙に仲が悪かった。 

 

「ほほう、アイリスやむきむきと歳変わらなそうな子供が言ってくれますね」

 

「いや、外見ならお前の方が俺より歳下に見えるが」

 

「残念ながら、私はあなたより三つほど歳上ですよ。ちゃんと敬って下さい」

 

(めぐみんさん、何故そこでさらっと年齢をサバ読みするんですか)

(レインさん、しっ。めぐみんは負けず嫌いなんです)

 

 学生がインターネット上で舐められないために成人を名乗るような見栄っ張りムーブ。

 

「歳上? はっ、その外見でか?

 これでは成長も望めないな! 一生ちんちくりんだ!」

 

「ま、まだ成長しますし! 大きくなりますし!」

 

「お前のそれは既に限界集落だ。これ以上は増えない、諦めろ。王族の勘だ」

 

 限界集落の胸。

 言葉のボディブローが腹に決まり、めぐみんの薄い胸から希望が損なわれる。

 されどめぐみんは膝をつかず、逆に痛烈なカウンターパンチを放った。

 

「……そういえばエルロード王、前髪の生え際が怪しかったですね」

 

「―――」

 

「聞いたことがあります。

 親から子へ受け継がれる才能の中に、ハゲの才能もあると。

 血で才覚を継承する王族もまた、優れた才能と共にハゲになる才能を……」

 

「言うな」

 

「あなたもいつか前髪が後退し……」

 

「言うなッ!」

 

 紅魔族伝統の言葉のレバーブロー。

 危うくレヴィは膝を折りそうになるが、王族の誇りが彼を踏み留まらせ、膝をつくという屈辱を味わわせなかった。

 

「俺は運命を変え、未来を変えてみせる!

 エルロード王族男性はたびたびハゲるだなどという運命には負けん!

 どんなに分の悪い賭けになろうが、俺はこの賭けにだけは絶対負けられんのだ!」

 

「私だって、母から受け継いだ貧乳の家系の運命には負けません!

 父の母は普通に大きかったと聞きます! まだここから、ここからですから!

 自分の未来はこの手で、この意志で、自らの手で勝ち取って見せます!」

 

 やたらかっこいい言い回しだが、要は親がハゲだ親が貧乳だという子供達の不安でしかない。

 遺伝(しゅくてき)に人は勝てるのか。

 負ける人も結構多いので、実際割とどうしようもない。

 

 めぐみんとレヴィは磁石の同じ極のように、寄ってはそのたび反発し、近しくも親しくもならない。

 

 根がいい人で、熱いところもあって、歳下や同年代に時折面倒見の良さを見せる、そんな二人。

 追い詰めると見られる弱さがある、そんな二人。

 この会話も、二人がドラゴンとの戦いを前にして感じている緊張と興奮を誤魔化すためのものなのかもしれない。

 

 それは、針葉樹と広葉樹の相似点を探すようなものであったが、この二人には似通う点も確かにあった。

 騎士が言っていたレヴィがむきむきを気に入った理由は、ここにもあったのかもしれない。

 そういう観点で見れば、アイリスのことを気に入っているめぐみんと同様に、この王子にもアイリスを好きになる素養がある可能性もある。

 

(レヴィ王子とアイリス王女、か)

 

 ゆんゆんは鉱山の山道を軽々と踏破していくレヴィ王子の背中を見ながら、鉱山に出立する前にレインから聞いた話を思い出す。

 

(この王子様が、アイリスの『許嫁』……)

 

 アイリスとレヴィは、なんと許嫁の間柄であるという。

 エルロードとベルゼルグの繋がりを強めるためというのもあるが、目的はそれだけではない。

 

 ベルゼルグは王も、次期王である第一王子も、最前線で戦い続けている。

 王都にも魔王軍が攻めて来ていて、いつ陥落するかも分からない。

 ベルゼルグ王族は、()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 だがアイリスが隣国に嫁げば、王都が陥落してもベルゼルグ王族の血は残る。

 アイリスに何人か子供が生まれれば、その中の一人をベルゼルグ王とすることができる。

 ベルゼルグ再起の可能性が残るのだ。

 アイリスがエルロードの次期王妃として据えられている理由には、そういう政治的判断もあった。

 

 レインがおっかなびっくりで周囲を警戒しているのも分かる。

 この王子様はアイリスとセットで、エルロードとベルゼルグの未来を決める可能性がある身の上なのだ。

 そういった事情を全部把握した上で、危険も承知で、むきむきを助けに行こうとしているだけで。

 

「お前のような爆裂蛮族に頼るのも癪だが、頼むぞ」

 

「言われるまでもありません。私の仲間は私が助けます。

 そちらこそ、この鉱山のモンスター分布と竜の情報、頼みますよ」

 

 二人共、舎弟を助けに行くガキ大将のような気合いの入れ方をしている。

 

「陽が傾いてきたな……日没までおそらくあと三時間弱。急ぐか」

 

「陽が傾くと何か不都合があるんですか?」

 

(やつ)は夜までに諸作業を終える。獲物もそれまでに捕食できる状態にするだろう」

 

「……タイムリミット、ですね。急ぎましょう」

 

「あの筋肉が、今も持ち堪えていることを信じるしかないな……

 夜になったらあの竜は頑丈な巣に篭もる。

 そうなれば倒すのも手間だ。とにもかくにも急がないとな」

 

 根拠もなく、ただ生存を信じ、山を登る。

 めぐみんとレヴィは男らしく、ゆんゆんは心配そうにして、登っていく。

 

 凡百のモンスターであればこんなに心配はしていない。

 だが、相手は最強種の一角・ドラゴンだ。

 自然と少女の胸には焦燥と罪悪感が募り、それは不安となって少女の顔に出る。

 そんなゆんゆんに、レインが心配そうに声をかけた。

 

「大丈夫ですか?」

 

「大丈夫……じゃない、ですけど。

 この気持ちを抱えてるのは私だけじゃないって、分かってますから」

 

 だから頑張れます、とゆんゆんは強がる。

 その視線は、前を歩くめぐみんの背中に向けられていた。

 

「……めぐみんもきっと、そんなに冷静じゃないんです」

 

「?」

 

 いつもより大股で、いつもより余裕がなくて、いつもより急いている様子のめぐみんを見る。

 この場の誰が気付かなくても、ゆんゆんは気付いている。

 

「ちょっと周りを見る余裕が出来た今なら、分かります」

 

 自分の中にある気持ちは、めぐみんの中にもある気持ちなのだということを。

 

「めぐみんもきっと、自分が思ってる以上に、むきむきのことを大切に想ってたんですよ」

 

 ちょっと強がりを見せるめぐみんに勇気付けられて、ゆんゆんは山道を強く踏みしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少々遡る。

 

「これはヤバい! ま、街がどんどん遠くなって……!」

 

 竜の魔力捕縛は強烈で、むきむきは魔力の箱に閉じ込められたような状態になっていた。

 殴っても蹴っても、魔力の箱は壊れない。

 格闘の技は強く踏み込むスペースと、手足を加速させられるだけの空間が必要になるものだ。

 狭い密閉空間では、普段使っているような技はてんで役に立たない。

 

「……一か八か」

 

 そこでむきむきは、自分の記憶の中で最も小さなモーションで力を出していた男の拳……ゼスタのゴッドブローを真似して、叩きつけてみることにした。

 半分、ヤケクソだった。

 

「アクシズパーンチ!」

 

 砕ける魔力の箱。竜の口の中から、転がり落ちるように脱出するむきむき。

 

「嘘っ!?」

 

 実際これはただのパンチであり、特殊な効果など何もない。

 アクシズ教徒パワーの賜物でもアクアパワーの賜物でもない。

 状況に合わせた最適な動きに、『強い人の動きを真似した拳は強い』というプラシーボ効果もどきが乗っかっただけのパンチだ。

 ただのプラシーボ効果もどき。されど、竜にも通じるプラシーボ効果もどきであった。

 

「アクシズ教徒効果凄い。僕は素直にそう思った……ってうおわぁ!?」

 

 落ちたむきむきが地に触れる前に、ドラゴンがブレスを吹き出す。

 むきむきは空を蹴って横に跳び回避するが、超高威力のブレスは纏う衝撃波だけでむきむきを吹き飛ばし、地面に着弾すると大爆発を起こしてそれもまたむきむきの姿勢を崩す。

 着地前にもみくちゃにされたむきむきは、着地の姿勢も取れず地面に激突。

 200m弱の高さから落とされ、頭と背中を強く打ったものの、筋肉の鎧に守られなんとか怪我と死亡を免れていた。

 

「あだだ……に、逃げよう」

 

 普通の人間なら今の落下で間違いなく即死だ。つくづく、このドラゴンは容赦が無い。

 むきむきはこっそり近くの木々の間に隠れ、木々の合間に紛れることで、今なおむきむきを探すドラゴンの目をかい潜る。

 

「……」

 

 見知らぬ土地、見知らぬ光景。

 周囲は木々が陽を遮るため薄暗く、空にはむきむきを食おうとする恐ろしい竜の姿。

 隣には誰も居なくて、いつも居てくれた頼れる友達も誰も居なくて、ただでさえ心細いのに、竜が度々恐怖を煽る空恐ろしい咆哮を響かせている。

 

 じわり、とむきむきの目に涙が浮かんだ。

 

「……泣いちゃダメだ。泣いても、何も変わらない」

 

 目をしばたかせて、出そうになった涙を誤魔化す。

 泣きそう。でも、泣かない。不安でも怖くても、一人で頑張るのだ。

 

(そうじゃないと、いつまで経ってもあの二人にかっこいいとこなんて見せられない)

 

 右の拳を握って、少年はそれを見つめる。

 

―――心定まらぬ時は、右の拳を握れ。右の拳を見よ

―――そこに勇気を置いていく。拳を見るたび思い出せ

 

 幽霊の言葉を思い出し、勇気を貰う。

 少年はドラゴンから逃げるため、あるいはドラゴンを倒すため、まずはこの辺りの地形を把握しようと動き始めた。

 

「うわっ」

 

 そして、見たくないものを見てしまう。

 尖った鉱石の先に、様々なモンスターや家畜などが突き刺されている、地獄のような光景を見つけてしまったのだ。

 地面には血が染み付き、嫌になるくらい生臭い。

 どうやらここが、竜の餌を保管する場所らしい。

 

 尖った鉱石は竜の魔力で強化されており、これに突き刺されたなら脱出は困難だろう。

 地球で言うところの『百舌(もず)早贄(はやにえ)』だ。

 あの魔力拘束から逃げられなかったなら、むきむきもここに並ぶ無数の死体の仲間入りをしていたことだろう。

 少年はゾッとし、足が竦むのを感じる。

 まだ、他人事にはできない。

 今からでも竜に捕まれば、こうなってしまう可能性が高いのだ。

 

「た、助けて……」

 

「!」

 

 怖くて震えそうになっていた少年の足。

 けれども、誰かの助けを求める声を聞いた時、その足は力強く動き出した。

 声を耳で辿るようにして、少年はそこに突き刺されていた女性を発見。

 そして、驚愕する。

 

「ヴァ、ヴァンパイア?」

 

「助けて……ほ、本当に死にそうなんです……」

 

 そこには、ドラゴンに餌として捕まって、串刺しにされ、日光に晒されることで消えかけているヴァンパイアが居た。

 

 

 

 

 

 なんのギャグだろう、とむきむきは思った。

 

「ありがとうございます。

 私、吸血鬼のカミラと申します。あなたは命の恩人です」

 

「いえ、とんでもない。

 我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者、世界を旅する者……」

 

「……あ、ああ、紅魔族の方ですね。なるほど」

 

「はい。何故ヴァンパイアが、最強種の一角があんなことに?」

 

 人類の敵対種の中でも、知性と力が共に最上級のものを挙げるならば、まず確実にアークデーモン・ヴァンパイア・リッチー・ドラゴンの四種が挙がる。

 吸血鬼とは、"そういうもの"なのだ。

 

「あのドラゴンが、私のダンジョンを宝目的で襲撃してきまして……」

 

「……あぁー」

 

 ドラゴンは光り物が好き。むきむきでもそれは知っている。

 

「ダンジョンは壊され、宝は全て奪われ、私は餌としてさらわれて……」

 

「おいたわしや、カミラさん……」

 

「いえ、こうして助かった幸運に感謝しませんと」

 

 悲惨過ぎる。

 普通のドラゴンなら返り討ちにできただろうに、自然界の食物連鎖における頂点たるドラゴン、そのドラゴンの中の最上級種となれば、ヴァンパイアでも歯が立たなかったのだろう。

 百舌の早贄状態になっていた吸血鬼の美女は、本当に悲惨なオブジェとなっていた。

 

 むきむきはカミラを発見してすぐに救出、近場の鉱石の山に拳の連打で穴を掘り、そこにカミラを押し込んでいた。

 これでなんとか、日光は防げる。

 カミラの体は相変わらず透けていたが、これ以上悪化するのはなんとか防げたようだ。

 

「先輩を呼んだのも、無駄になってしまいました」

 

「先輩?」

 

「私のヴァンパイアの先輩です。

 吸血鬼としてのいろはを叩き込んでくれた方ですね。

 先輩は凄いんですよ? この世界で最も恐ろしいダンジョンの主なんです!」

 

「おお、それは凄い!」

 

「私が命の危険を感じてSOSを出したので、そろそろ来てくれるかも……あっ」

 

 カミラは先輩ならそろそろ来てくれる、と思ったその時。今でも外を照りつける、自分を消しかけるほどの強い陽光のことを思い出した。

 やべっ、とカミラが思った時にはもう遅く。

 

「私を呼んだか?

 この、千年を生きる真祖、偉大なる不死者の王たる我を……あじゃじゃじゃ!?」

 

 格好良く登場した男の吸血鬼が、日光に焼かれてステーキになりかけていた。

 

 

 

 

 

 日光に焼かれ、ステーキになりながら消えていく吸血鬼をむきむきが救出。カミラの入っていた穴を拡張し、そこに男の吸血鬼も放り込んだ。

 

「カミラァ!」

 

「はいぃ先輩っ!」

 

「屋外で吸血鬼の助け呼ぶとかどういう了見だ!

 せめて夜に呼ぶか、屋内に呼ぶか、昼の屋外だと伝えておくか……何かあっただろ!」

 

「すみませんすみません慌ててたんです!」

 

「この、おでんで不人気の食材みたいなヴァンパイアが……!」

 

「うぅ、ごめんなさい」

 

 ドラゴンから逃げるか戦うかでビビっていたところで、吸血鬼を二人も助けてしまった。流石のむきむきも"何してるんだろう僕"と思わざるをえない。

 

「助かったぞ、人の子よ。

 常ならばお前達は我らの餌となる運命だが……

 今日のところは感謝し、見逃してやろう。その幸運を噛みしめるがいい」

 

「ありがとうございます、ヴァンパイアさん」

 

「どうしたんですか先輩? そんなかしこまった話し方しちゃって」

 

「おい馬鹿カミ――」

 

「……あ、そういえば先輩人前ではキャラ作ってるんでした! す、すみません忘れてました!」

 

「……」

「……」

 

 この空気をどうしてくれる、という視線が二つカミラに突き刺さる。

 

「……こほん。人の子よ、その献身に褒美を取らせよう」

 

(凄い。この人尊厳が地に落ちてもやけっぱちになってない)

 

「使用者の微量な魔力を吸って半永久的に稼働し、筋力を上昇させるベルトだ。

 筋力を参照する攻撃・スキルのダメージも15%ほどアップする代物であるぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 物で今の一幕のことを忘れろということなのだろうか。

 とりあえず強力な魔道具であることに変わりはないので、貰うだけ貰っておく。

 ベルトをどこからともなく取り出したマントが揺れていた。

 

 カミラは銀の髪のほっそりとした体付きのヴァンパイア。

 対し、先輩と呼ばれたヴァンパイアは服といいマントといい、髪といい顔といい、どこに出しても恥ずかしくない理想的なヴァンパイアの姿をしていた。

 

「ヴァンパイアさんは、いかにも吸血鬼って感じですね」

 

「いいシャンプーを使っているからな」

 

「シャンプー」

 

「服も自作だ。性能も高いが、格好良いだろう?」

 

「自作」

 

「ファッションセンスの無いヴァンパイアに生きる価値はない」

 

「ファッションセンス」

 

 ちょっと目眩がするむきむき。

 『気高く強く格好良い吸血鬼』のイメージを維持するため、日々吸血鬼が努力しているという舞台裏を、見たくもないのに見てしまった気分であった。

 気分はミッキーマウスの中身を見た小学生とそう変わるまい。

 

「そうだ先輩! あのドラゴンを倒してくださいよ!」

 

「カミラ、私は陣地作成型だ。

 自分のホームグラウンドでは強いがアウェイでは相応の力しかない。

 流石にあのレベルのドラゴンを殺し切るだけの火力は出せんよ」

 

「そ、そんなぁ」

 

「第一、今の私は誰かさんのせいで不意打ち日光を食らい、瀕死の状態なのだが」

 

「その点は本当に申し開きのしようもなくごめんなさいすみません!」

 

 魔力で日光に耐えながら長時間晒されていたカミラ。

 不意打ちで防御することもできず日光を食らってしまった先輩。

 二人は仲良く戦闘不能。

 仲間が出来たかと思ったむきむきであったが、役立たずが二人増えただけだった。

 

「お二人はここに隠れていて下さい。

 何とか僕が奴を倒して、お二人は夜になったら下山を……」

 

「いいから座れ。無策の突撃は愚策にも劣りかねんぞ」

 

 無茶しようとするむきむきを、先輩が止める。

 

「先輩、せめて支援魔法か何かをかけてあげましょう」

 

「私が今使える支援魔法など、歯が鋭く頑丈になる魔法くらいだ」

 

「なんでそんなピンポイントな魔法を!?」

 

「昔、貴族の女の首筋に噛み付いたことがある。結果、私の歯の方が折れた」

 

「!?」

 

「貴族の女の防御力を舐めるな。

 牙を強化しないと、ヴァンパイアの牙も通らんことがあるのだ。

 おのれダスティネス、100年前は辱められたが、貴様の子孫をいつか必ず……」

 

 男はなにやらメラメラと燃えていたが、そんな女性が存在するということが、少年には衝撃の事実だった。

 

「歯を強くする魔法……あ、そうだ。

 僕今歯が一本抜けそうなんですよ。

 下の歯なので、これが抜けたら屋根の上に投げようと思ってたんです。

 強くて立派な大人の歯が生えてくるようにーって」

 

「……え、乳歯? 待ってください、むきむきさん何歳なんですか?」

 

「12歳です」

 

「「!?」」

 

 下の歯が抜けたら屋根の上に投げるんだ、という話から年齢暴露の流れになり、吸血鬼二人が頭を抱える。

 

「なんということだ……後でちょっと血を分けてもらおうと思っていたのに。

 子供から血を吸わないのは私のポリシー。ここは絶対に曲げられん」

 

「そんなことを考えてたんですか、先輩……」

 

「黙れカミラ、ビビリ屋で人を殺したこともないチキン吸血鬼が」

 

「酷い!」

 

(この二人、本当にヴァンパイアなんだろうか……)

 

 もしかしてアクシズ教徒の方がよっぽど人に迷惑をかけて生きてるんじゃないだろうか、とむきむきは一瞬思うも、首を振ってその思考を頭の中から追い出した。

 

「とりあえずかけておいて損はないでしょう、先輩」

 

「あ、ちょっと待って下さい。抜いた歯にそれかけられますか?」

 

「できるがどうする気だ? まあいいか。『クリアクリーン』!」

 

 むきむきが抜いた歯に魔法がかけられる。

 

「もう他に何もないのか、カミラ」

 

「後はもう、私が使ってるヘアワックスと櫛くらいしか……」

 

「なんでだ! よりにもよって何故その二つが残った!」

 

「だ、だって! 女の子にとって身だしなみを整えるのは命よりも大切なことで!」

 

「ヴァンパイアが女の子を自称するな! 全員実質ババアだろうが!」

 

「な、なんてことをッ!」

 

「お二人とも落ち着いて下さい!

 僕の中のヴァンパイアのかっこいいイメージが加速度的に崩壊してます!」

 

 しょうがないので、ワックスと櫛でかっこよくむきむきの髪をセットすることになった。

 

「よし、完璧です! かっこいいですよ、むきむきさん!」

 

「ありがとうございます、カミラさん」

 

「大体ドラゴンスレイヤーってのはかっこいいものです。

 かっこいい髪型にしておけば、ドラゴンもきっと倒せるはず……」

 

(それは『ドラゴンを倒す姿はかっこいい』という逆説の話なのでは……)

 

 ほとんど役に立っていないヴァンパイアであったが、一つだけ面白い武器をくれた。

 

「いいか、私の魔法で強化されたその歯は何にも刺さる。

 硬いものにも柔らかいものにもだ。

 強く投げても弱く投げても必ず刺さる。

 だからこそ当てる場所は考えろ。所詮は歯だ。手足に当てても意味はない」

 

「ありがとうございました、先輩さん」

 

「全く、人を餌食とするダンジョンの主がこんなことをするハメになるとは……」

 

 そんなこんなで、むきむきは吸血鬼達と別れ山の木々の合間に潜む。

 ゆんゆんが"むきむきが既に逃げ出しているが下山は難しいという状況に陥っている"可能性に気付き、召喚魔法を試してくれる可能性にちょっと期待していたが、その可能性に気付けという方が酷だろう。

 

 むきむきは黄金竜に見つからないようこそこそ動き、山中を這うように進む。

 そして、黄金竜の様子を伺うため、黄金竜を発見し……黄金竜に攻撃を仕掛ける、レヴィ達の姿を発見した。

 

「わぁい、逃げる選択肢がなくなったよ」

 

 めぐみんとレヴィの喧嘩を売る姿は、とてもサマになっている。

 他人に喧嘩を売る人達に振り回されているレイン達を見て、むきむきは地を蹴り跳び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初撃はゆんゆんの石化魔法。

 石化の状態異常を引き起こせれば、いかな竜とて事実上の即死だ。

 と、思われたのだが、不意打ちの石化は竜に見事にレジストされてしまっていた。

 どうやらあの黄金の鱗と皮膚は、不意打ちにも状態異常にも強いらしい。

 

 竜は怒り狂い、めぐみん達に襲いかかっていく。

 

「『ライト・オブ・リフレクション』!」

 

 その姿が、竜の視界から消えた。

 レインが無詠唱で緻密に発動させた光の魔法が、光を屈折させて彼らの姿だけを視界から消してみせたのだ。

 

「器用なものだな、ベルゼルグのレイン。流石は王族の教育係か」

 

「もう八割くらいヤケクソでやってますっ……! 『ウインドカーテン』!」

 

 更に、風の中級魔法を放つレイン。

 風の中級魔法が竜の周囲をかき回し、姿を消しても消えない人の気配や足音などを誤魔化して、魔力をバラ撒くことで魔力反応も消してみせる。

 レインの両手にゴテゴテと付けられた指輪がマジックアイテムとしてなんらかの作用を起こし、複数の魔法を安定して発動させているようだ。

 

 レインはレヴィ、レヴィの警護の騎士、めぐみんを岩陰に隠して、姿と音と魔力の反応を誤魔化しながら、ゆんゆんと共に距離を詰める。

 移動した先は、人を見失い戸惑う黄金竜の顎の下。

 レインの手で安全にそこまで運ばれたゆんゆんが、風の音にまぎれて詠唱を行い、竜の首へと光刃を放った。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 ガガガ、ギャリッ、と嫌な音が鳴る。

 戦車をチェーンソーで切ろうとすればこういう音が鳴るのだろう。

 人間でいう喉仏の辺りに魔法は命中し、鱗を落として皮膚に傷を付けるも、首の切断には至らない。

 

「くっ」

 

 もう少しレベルがあって、もう少しスキルレベルがあったなら、一発で首を切り落とせたはずなのに。

 そう思い悔しがるゆんゆんだが、今の一撃をそんな風に見ていたのはゆんゆんだけだった。

 

 竜が吠え、暴れる。

 慌ててレインとゆんゆんは後退するが、竜は構わず見えない魔法使いを殺すべく、しっちゃかめっちゃかに暴れだす。

 翼が羽ばたけば、生み出された風の刃が周囲を切り裂く。

 地団駄が踏まれれば、広範囲の地面が揺れて踏み砕かれる。

 黄金竜は周囲の地面をブレスで薙ぎ払うことまでし始めた。

 

「なんでこんないきなり……!」

 

 狂乱か暴走にしか見えない大暴れ。

 今、黄金竜は、ゆんゆんの魔法の恐るべき威力に『殺される』と思ってしまったのだ。

 だからこうして、必死に暴れている。

 ゆんゆんの魔法はこのレベルの敵を一撃で殺すには威力が足りず、けれども死を意識させるほどには威力が高かった。

 

「これが竜の逆鱗とかいうあれですかね」

 

「随分余裕だな爆裂娘……うおっ!?」

 

 その内、竜の大暴れがレヴィやめぐみんが居る場所にまで飛んで来てしまう。

 岩が砕け、姿を消しているレインとゆんゆんではなく、レヴィ達が竜に見つかってしまう。

 発見の直後、間も置かず竜はブレスを吐いた。

 

 息を吸って、吐く。

 それだけで破壊光線を発射できる竜ならば、殺害に必要な所要時間など、それこそ一呼吸分あれば十分だ。

 

「王子!」

「王子!」

 

 王子の傍で騎士が、遠くでレインが、王子の身を案じて声を上げる。

 

 王子達を守る手は何かないかと、レインは考えに考えながらその光景を凝視して―――めぐみん達を抱えてブレスを回避する、筋肉の疾風(かぜ)を見た。

 

「あなたは本当に、私のピンチを見逃しませんね。むきむき」

 

 騎士を左腕に、レヴィを左手に、そして右腕にめぐみんを抱え、その巨体は軽々と跳躍回避を行う。

 抱える時にめぐみんと男性の肌が触れ合わないようにと、さりげなく気遣われて抱えられたのが、彼女にはなんだかこそばゆい。

 心配だった気持ちを、安堵の息と一緒に吐き出す。

 

 吐き出した息が、いつもより熱い気がした。

 

「無事だったようで何より。ま、私は心配なんてしていませんでしたが」

 

「ちょっとは心配してくれた方が僕は嬉しいかなって」

 

「むきむきの心配とかして噂されたら恥ずかしいですし……」

 

「心配したって噂さえ嫌なの!?」

 

 黄金竜はむきむきを凝視する。

 竜はこの筋肉を甘く見るだなどという愚行は侵さない。

 他の誰でもなく、竜はむきむきを狙って攻撃を開始した。

 

「むきむき! お前、無事だったのか!」

 

「はい、レヴィ王子!」

 

 竜が自分を狙っていると気付き、むきむきは抱えている人の安全のため、回避行動を取りつつ一人一人降ろし始めた。

 大きな岩の後ろを通る時、騎士をこっそり降ろす。

 姿を隠しているレイン達の位置を超感覚の五感で知覚し、そこにめぐみんをこっそり優しく落としていく。

 レヴィもどこかに隠そうとしたが、竜の猛攻の前にどうにも上手く行っていない。

 

 そうこうしている内に、レヴィはむきむきに謝罪を始めた。

 

「悪かった。街に被害を出さないようにしてくれなどと、無茶を言った。

 お前は奮闘してくれたが、俺の指示のせいで黄金竜にさらわれたようなものだ」

 

「王子、そんな」

 

「だが、よくやってくれた。街に怪我人は出ていない。お前のおかげだ、むきむき」

 

「! よかったです! これで後はこいつを倒すだけですね、王子様!」

 

 心底嬉しそうにしているむきむきを見て、レヴィもまた笑った。

 傲慢さが見えない、偉そうでもない、彼もまた心底楽しそうな笑みだった。

 

「人前でなければ呼び捨てで構わんぞ。

 敬語も要らん。ベルゼルグの方の王族にはそうしていたと聞いた」

 

「え、何故それを……あ、めぐみんかゆんゆんか」

 

「野蛮なベルゼルグ王族に人間的な活動で負けていられるか。

 俺も今日からお前の友人だ! 喜べ、王子直々の友人宣言だぞ!」

 

 レヴィ王子は、素直ではない男の子。

 言葉は額面通りに受け取らず、その向こうの本音を汲み取ってあげるのが大事なことだ。

 王子は自分用の小さな王冠を軽く握りしめ、巨人の胸を軽く叩く。

 

「俺がこの国で王冠を手にしている限り、エルロードはお前を友人として迎えよう」

 

「―――!」

 

「何、バカ王子のいつもの我儘だ。国民も気にしないだろうさ」

 

 自分の代わりに街を守ってくれた巨人に、竜に立ち向かったその背中に、レヴィ王子は何か思うところがあったようだ。

 それは憧憬か、尊敬か、信頼か。

 

「ありがとう、レヴィ」

 

「礼を言うのは俺の方だ。

 俺は……ベルゼルグの王族とは違い、民を自分で守れもしない王族だからな」

 

 "ベルゼルグの王族"と口にした時、一瞬だけ王子の顔が暗くなるが、すぐに元に戻る。

 

「いや、今言うべき言葉はそうではないな」

 

 そこには、会ったこともないアイリスと自分を比べる比較があった。

 男は女より強く、女を守るものだという認識があった。

 自分より強いという許嫁への捻れた感情があった。

 国を司る者として宰相に負け続け、守る力でも妻に負け続ける、そんな未来を予想している王子様の本音があった。

 王としても男としても何かに負けてしまうことに対する、子供らしい剥き出しの感情があった。

 

 その全てが、アイリスと出会い触れ合うだけで消えてしまう程度ものだったとしても。

 今はまだ、彼の中にくすぶる気持ちだった。

 

「行け、勝て、むきむき。お前より強い男を、俺は知らない」

 

 それら全ての感情を、自分より力が強く、自分より賭け事が弱い、"人にはそれぞれの強みがある"ことを思い出させてくれた巨人への敬意が押し流して、王子にその言葉を口にさせる。

 

「勝ちますとも!」

 

 短い言葉からその感情、気持ち、情念の全てを理解するには、むきむきの知力はあまりにも足りない。

 だが、王子が自分の勝利を心底願ってくれていることだけは理解できた。

 心と魔力と筋肉がひと繋がりであるその肉体は、その心の動きに連動し強くなっていく。

 

「そら!」

 

 むきむきがお年頃特有の抜けた乳歯を投げつける。

 ヴァンパイアパワーで強化されたそれは、黄金竜の左目へと突き刺さり、その目に細く深い穴を穿って失明させた。

 黄金に覆われていないその両目。

 黄金竜唯一の狙い目と言っていいそこに当て、むきむきはようやくダメージを与えることに成功した。ドラゴンは痛みに絶叫する。

 

(ヴァンパイアに歯を武器にしてもらうなんて、なんだか変な気分)

 

 ヴァンパイアの歯なんて人類の脅威の一角だろうに。

 

「むきむき!」

 

 竜が悶えているその隙に、人間サイドは全員合流。

 ゆんゆんはよっぽど罪悪感を感じていたのか、むきむきを見るなり体当たりするようにしてその体に怪我がないか確認し始めた。

 

「よかった、無事で……!」

 

「あ、待って待って、今戦ってるから……」

 

 ゆんゆんははっとして、周りを見て、恥ずかしそうに縮こまる。

 竜はこの距離が危険と感じたのか、空を飛んでブレスを吐くヒット・アンド・アウェイスタイルに移行しようとするが、そこでむきむきの無事な姿を見てほっとしたレインが指輪を空に向ける。

 

「ええ、無事で良かったです、本当に……『マジックキャンセラ』!」

 

 レインの魔法無効化魔法を受け、竜は何故か空中でバランスを崩し、勢い良く地に激突した。

 

「これは……!?」

 

「やはりそういうことですか」

 

「どういうことですかレインさん!」

 

「マンティコアを覚えていますか?

 やつは自分の羽でも飛べますが、その補助に魔法を使っているんです。

 この黄金竜の飛翔、いくらなんでも凄まじすぎると思っていたのです。

 飛行に魔法を使っている生物は、その魔法を消すことで、上手く飛べなくなる……」

 

「無効化したのは、黄金竜が空を飛ぶために使っていた魔法か!」

 

 王都でも地味なことで有名だった女、レイン。

 極めて優秀なはずなのに、地味な活躍が光っていた。

 地味の宿命からは逃れられないのかもしれない。

 

「飛行は潰しました。後は……」

 

「待って、黄金竜が何かしてる!」

 

 事実上の翼をもがれ、走って獲物を仕留めるしかなくなった竜が、首をもたげる。

 閉じられた口から、光と化した吐息が僅かに漏れた。

 膨大な魔力が溜め込まれ、高められ、竜の肺を通って口の中で圧縮される。

 今までにないほど長い溜めと、これまでにないほど大きな魔力が、竜の吐息を変性させる。

 

「黄金竜の最大威力のブレスか、これは……!」

 

 大勝負、即ちここが戦いの分水嶺。ならば、ここは彼女の出番以外にありえない。

 竜が自身の大半の魔力を込めているのに対抗するかのように、大きな杖をくるりと回しためぐみんが、皆の前に立った。

 めぐみんもまた、体内に秘める莫大な魔力を練り上げ始める。

 

「レヴィ王子」

 

「ん? なんだ?」

 

「あなたの心情はある程度察しています。

 ならば、見るといいでしょう。

 悩みなど吹き飛ばす、あらゆる悩みが小さく見えるほどの、偉大なる『最強』を」

 

 杖が前に向けられる。

 ゆんゆんとむきむきは、何一つ疑っていない顔で、めぐみんのその背中を見つめている。

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の魔法の使い手にして! 爆裂魔法を操る者!」

 

 めぐみんも、ゆんゆんも、むきむきも。

 

 『それ』が最強の魔法であることを、疑うこともなく信じていた。

 

「空蝉に忍び寄る叛逆の摩天楼!

 我が前に訪れた静寂なる神雷!

 時は来た! 今、眠りから目覚め、我が狂気を以て現界せよ! 穿てッ!」

 

 黄金竜のブレスが放たれ、迫り来る黄金の吐息に、めぐみんの魔法が後出しで放たれる。

 

「―――『エクスプロージョン』ッ!!!」

 

 一瞬の拮抗さえもなく。

 

 爆裂魔法は竜のブレスを蒸発させ、その向こうのドラゴンへと届いていた。

 

 普段、上から下へと打ち下ろされる形で放たれる爆裂魔法は、この度術者から一直線に目標へと飛ぶ爆焔となった。

 世界を焼き潰し、塗り潰す紅き爆焔。

 レヴィはその輝きに目を奪われる。

 王城を吹き飛ばすという話が法螺ではなかったと、彼は今まさに実感していた。

 この威力があれば、容易に城など吹き飛ばせる。

 魔法に耐性がある最前線の砦でも、この爆裂魔法を数撃てば崩壊しないわけがないと、そう思わせられるほどの威力があった。

 

「なんだ、これは……御伽噺に出て来る、天地創世を見た気分だぞ……?」

 

 爆裂魔法は効果範囲の大気さえも焼滅させる。

 発動時に発生した爆風、発動後に効果範囲に生まれた真空へとは流れ込む周囲の空気が、レヴィが立っていられないくらいの風の動きを生んでいた。

 だが、めぐみんはばたりと倒れる前に、目にしてしまう。

 

「しくじりましたね」

 

 その爆裂魔法でも、仕留めきれなかった黄金竜を。

 

「ブレスで威力を軽減された上、爆裂の軌道を逸らされてしまうとは……」

 

 黄金竜の全魔力の七割を込めたブレスは、爆裂魔法に当たって蒸発させられたものの、その効果範囲を少しだけズラすことに成功していた。

 爆裂魔法は、巻き込まれないために発動時は距離を取っておく必要がある。

 距離が離れていたために、少しのズレが大きなズレとなってしまったようだ。

 

 だが、それで凌ぎきれる爆裂魔法ではない。

 効果範囲は随分ズラしたはずなのに、黄金竜の皮膚は所々が爆焔に引き裂かれていた。

 左前足は完全に吹き飛び、左側の翼も消し飛んでいる。

 竜の体内は爆裂の衝撃波でシェイクされ、鱗も皮膚も全身の二割ほどが剥げていて、純粋魔力爆発は魔力ダメージとなって黄金竜から生命力を根こそぎ削り取っていた。

 

 クロスカウンターに近い形で防御行動を取らせなかったとはいえ、恐るべし爆裂魔法。

 己の信じる最強魔法で倒せなかったことにめぐみんはたいそう悔しがっていたが、レヴィから見れば、あの竜よりこの少女の方がよっぽど恐ろしく見えた。

 

「めぐみんが倒せなかった竜を私が倒す。今日の勝負は、これで私の勝ちってことでいいよね?」

 

 そこでゆんゆんがそんなことを言うものだから、倒れそうになったところをむきむきに優しくキャッチされためぐみんがギャーギャー騒ぎ出す。

 

「わ、私が弱らせたモンスターを横取りして勝利宣言とか!

 あなたに羞恥心はないんですか! この外道! 悪魔! 寝取り女!」

 

「じょ、冗談だから! そんなに本気にしないでよ! って寝取り女!?」

 

 寝取り女とか、一生に二度は使わなそうなワードが飛び出してくる。

 ゆんゆんはめぐみんに背を向け、竜を見た。

 

(とはいえ、どう攻めよう)

 

 爆裂魔法を食らってなお、竜は桁違いの生命力と大きな魔力を滾らせている。残りの全魔力を込めたライト・オブ・セイバーを首に当てても、切れるかどうかは微妙なところだ。

 思考を回すゆんゆんに、むきむきは一言だけ告げる。

 

「リーン先輩が言ってたこと覚えてる、ゆんゆん?」

 

「……あ」

 

 それが、ゆんゆんに先輩冒険者からの教えを思い出させていた。

 

「後衛が仕留めるのにこだわりすぎる必要はない。

 前衛が仕留めるのにこだわりすぎる必要はない。

 私達は、チームだから……自分が決めることにこだわらなくていい」

 

「うん」

 

 むきむきがゆんゆんを右腕に乗せ、ゆんゆんはむきむきに掴まりながらその右腕に乗る。

 

「私がむきむきを守るから、むきむきは私を守ってね」

 

「うん、任せて」

 

 ゆんゆんは杖を構え、むきむきは拳を構える。

 

 そして、打倒の疾走が始まった。

 

「行くよ!」

 

 接近してくる二人に対し、竜が抜き撃ちのようにブレスを放つ。

 

「『ライトニング・ストライク』!」

 

 そのブレスを、ゆんゆんの雷が叩き落とした。

 むきむきは回避行動に一切の時間を取られることなく、全速力で一気に距離を詰めていく。

 そして、ある距離でゆんゆんを頭上に投げ飛ばした。

 

「気を付けて、ゆんゆん!」

 

「任せて!」

 

 ドラゴンは頭上を取ろうとするゆんゆんを、残った翼で起こした風で落とそうとする。

 しかし、そこで一本だけ残った前足にむきむきがローキックを叩き込んできた。

 竜の巨体相手にも成立する筋力任せの足払い。一本だけ残った前足を払われ、竜は体勢を崩してしまう。ゆんゆんへの迎撃は失敗に終わった。

 

「ローキックは基本! って、教わったんだ!」

 

 ゆんゆんは竜の頭上から、めぐみんの爆裂魔法で鱗と皮膚が吹き飛んだ部分、すなわち魔法抵抗力が高い部分が剥げた部分に狙いを定め、狙い撃った。

 

「『カースド・ライトニング』!」

 

 魔力で動くこたつがあり、魔力で動く冷蔵庫があり、魔力で動く拡声器があり……そのため、電気で動く電気製品が無い、この世界だから奇抜な発想がなければ至らない選択肢。

 ごく一部の書籍にしか乗っていない、希少な知識に由来する攻め手。

 『金に対する電撃攻撃』だった。

 

「よし!」

 

 ドラゴンが咆哮する。雷は体を一直線に流れ、ドラゴンの心臓にも多少の影響を与えたようだ。

 むきむきがかなり高くに放り投げていたため、ゆんゆんにはもう一度魔法を撃つ余裕がある。

 雷で痺れたドラゴンの首へと、ゆんゆんは最後の魔法を解き放った。

 

「『ライト・オブ・セイバー』ッ!」

 

 自分のライト・オブ・セイバーだけでは、この首は切れない。

 そんなことは彼女も分かっている。

 だから、彼のライト・オブ・セイバーと、同時に合わせた。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 少年の手刀が、光の刃と同時に振るわれる。

 刃と刃が、ニ方向から竜の首を挟み込んだ。

 二人が狙うはめぐみんの爆裂が鱗と皮膚を引き剥がした部分のみ。

 "何故ハサミが物を切りやすいのか"という原理を証明するかのような一撃は、少年少女が今残っている余力を全部込めたのもあって、竜の首をあっという間に大切断。

 竜の首が落ちる横で、むきむきは落ちて来たゆんゆんを柔らかくキャッチする。

 

 ヒュドラの時、ゆんゆんの魔法から繋いでめぐみんとむきむきで決めたのとは対照的に、めぐみんの魔法から繋いでゆんゆんとむきむきで決める形となった。

 

「くくっ、こんなに興奮したのは、人生初めてかもしれないな……!」

 

 その光景が、またレヴィの心を震わせる。

 

「は、ははっ……! ドラゴン殺し、まるで伝説の英雄様じゃないか……!」

 

 今この瞬間だけは、国のことも、許嫁のことも、宰相のことも、自分のことも何もかもどうでもよくなって、ただ目の前の光景に感動していられた。

 とても熱く、とても誇らしい、捻くれた心に染み渡る気持ちが、少年の胸の中にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レヴィお付きの騎士は、結局あまり役に立たなかった。

 ドラゴンを見てビビっていた騎士の姿に、"まあこれが普通の反応か"と皆の生暖かい視線と寛容が突き刺さる。

 王子様は、あんまり役に立たなかった部下にも寛容だった。

 

「まあ仕方ない。俺が無理矢理連れてきてしまったようなものだ」

 

「申し訳ありませんでした、王子!」

 

「が、来月は減給な」

 

「本当すみません……」

 

 解雇されないのが既に奇跡であった。

 

「あれ、むきむきさんはどちらに?」

 

 レインが空に合図の魔法を打ち上げ、エルロード王城に情報を伝える最中、少年の不在に気付く。

 

「ちょっとその辺見回ってくると言ってましたよ、レインさん。

 周囲にモンスターが居ないかだけチェックしてくる、って言ってました」

 

「そうなんですか、ゆんゆんさん」

 

「どうせドラゴンから逃げる最中に猫でも拾ったんですよ。

 あの目は見たことがあります。以前猫を拾って来た時の目です。

 うちの妹に拾った猫を食われそうになり、こっそり猫を逃した時の目でした」

 

「めぐみんさんは彼のことをよく知ってるんですね」

 

 レインはあえて妹のくだりをスルーする。ツッコミの放棄であった。

 

 

 

 

 

 めぐみんの推測は半分当たりで半分ハズレだ。

 むきむきの心の状態への推測はピタリと的中していたが、今回彼が抱えていたのは猫ではなくヴァンパイアである。

 

「これで夕陽も差し込まないと思います。夜になったら出て下さい」

 

「ありがとうございます、ありがとうございます……!」

 

 二人を隠していた穴の隙間をみっちり塞ぎ、陽光が傾いて横から差し始める時間帯への対策もバッチリ行う。

 カミラがペコペコ頭を下げて感謝していたが、先輩と呼ばれた千年を生きる真祖のヴァンパイアは呆れ顔だ。

 

「我らヴァンパイアにここまでしていいのか?」

 

「ここまで、とは?」

 

「奇縁で話す機会を得たとはいえ、ヴァンパイアは人の敵対種だ。

 我らもその例外ではない。生かしていくべきではないと思うが?

 私は人も殺しているし、カミラも不殺だが人の血を吸うことは多いぞ」

 

「あ」

 

「……深く考えてなかったのか、人の子よ……」

 

 もうじき夜になる。

 むきむきが帰り際にしたこの手助けは吸血鬼達への助けとなったが、この時間から夜まで持ち堪えるだけなら吸血鬼達の力のみでも十分なのだ。

 まして、ヴァンパイアは人の敵。

 この手助けは、完全に余計な行動である。

 

 むきむき一人で仕留めきれるかは別として、世のため人のためを考えるなら、ヴァンパイアはここで殺しておくべきなのだから。

 

「……た、戦います?」

 

「……いや、いい。なんというかダメだな、お前は」

 

 なのだが、むきむきは多少情が湧いてしまったようだ。

 この二人が誰かの血を吸っているところに出くわしでもすれば、その時点から本気で戦えるのだろうが、現時点ではまるで戦いに踏み切れていない。

 

 正義感から割り切って、吸血鬼を倒すこともできず。

 博愛主義を極めて、吸血鬼さえも倒さないと決めることもできず。

 倒す倒さないを決める言葉が疑問形になってしまう辺りが、とてもむきむきらしかった。

 その微妙な決断力の無さが、吸血鬼を更に呆れさせる。

 

「『シュミテクト』」

 

 ヴァンパイアの男は、むきむきの歯にまた別の魔法をかけた。

 

「今のは?」

 

「今度の魔法の効果は高くない。何にも刺さる、ということはないだろう。

 その代わり長続きする、そういう魔法だ。

 もう虫歯になることはないだろう。子供はよく虫歯になるからな。餞別だ」

 

 下の歯が抜けたから屋根の上に投げるだの、歯が虫歯になる子供だの。今日は千年近く前に聞いた覚えがある懐かしい言葉を思い出す日だな、とヴァンパイアは懐かしい気持ちに浸っている。

 対しむきむきは、妙に友好的なヴァンパイアを不思議なものを見る目で見ていた。

 

 ふと、少年は昔本で読んだ内容の一節を思い出す。

 ダンジョンを作る者の中には、『最後に人に打倒されるため』に生きている者も居るのだ、という話を。

 このヴァンパイアもダンジョンの主であるのなら、ただ人間を殺すだけのモンスターとは、違う目的や思考回路を持っていたとしてもおかしくはない。

 

「自慢ではないが、私はこの国で最も険しいダンジョンの主でもある。

 お前がいつか私の下まで辿り着くことを、楽しみに待っていよう。

 私とお前が本気で戦うのであればその時だ。ふははは、その時は全力で来るがいい!」

 

「はい!」

 

 カミラの言う通りこのヴァンパイアのキャラがキャラ付けによるものであるのなら、この深層のダンジョンの主ムーブは結構楽しんでやっているのかもしれない。

 

「再会するまでは死なないようにな。……ああ、そうだ」

 

 その時、ヴァンパイアの脳裏にある事柄が思い出されて。

 

「魔王軍幹部の、シルビアという者には気を付けろ」

 

 彼は個人的に、魔王軍幹部の中で最も恐れる者の話をし始めた。

 

「シルビア? ああ、里に来て何度も撃退されていた……」

 

「そんなことができるのは上級魔法を数十人でぶっ放す紅魔族だけだ、全く」

 

 人類圏最強クラスの集団が一極集中し、常にホームで戦う紅魔の里は、やはり飛び抜けている。

 大切なのは、そこで"紅魔族にあっさり負ける者は弱い"という錯覚を持たないようにすることだ。

 

「私とそこの吸血鬼、カミラには共通の知人が居た。

 そのヴァンパイアを吸収した者が、魔王軍幹部シルビアだ。

 美しく、強い。

 それだけを理由に、奴はヴァンパイアを『最後の繋ぎ』として使うためだけに吸収した」

 

 モンスターの頂点の一つであるヴァンパイアでさえ、シルビアは吸収したという。

 吸収という近接即死技を持ち、極めて高い魔法抵抗を持つシルビアを倒せる者は限られる。

 だからこそ、ヴァンパイアはむきむきにこの忠告をしたのだろう。

 

 この少年は見るからに強力な魔法使いではなく、敵に触れることで攻撃するタイプだったから。

 

「あれは生物吸収で無限に進化し、無限に強化される。際限がない。

 本人が強さより美しさにこだわっているのが唯一の幸いだな。だから、気を付けろ」

 

「……」

 

「人の異端である紅魔族も。

 モンスターの最上級種の一角たるヴァンパイアも。

 あの幹部を前にすれば、自らを高める材料の一つでしかなくなる。

 美しい女性が身内に居るのであれば、尚更に気を付けろ」

 

 心当たりがあるため、むきむきもこの忠告は聞き流せない。

 即死攻撃に伴う吸収と進化。

 それで身内があっさりやられるのを見てしまったなら、このヴァンパイアの警戒心も当然のものと言えるだろう。

 

 あるいは、反則を貰ってこの世界にやって来る転生者でさえ『経験値を溜めレベルを上げる』という成長手段に縛られているこの世界で、それに全く縛られず『他者を吸収する』という成長手段を持つシルビアは、長命種にはとても異常なものに見えるのかもしれない。

 他者の血しか取り込めない吸血鬼には、尚更にそう見えるだろう。

 

「シルビアは盗賊職だ。

 奴はバインドで敵を捕獲し、そのまま密着、あっという間に吸収する。

 いいか? 奴に取り込む気が無いなどという例外に期待はするな。

 シルビアとの戦闘に限り、バインドは当たれば即死の即死スキルであると思え」

 

「エグすぎません?」

 

「奴のワイヤーはヴァンパイアでも千切れなかった。

 目の前で同胞を吸収された私が、そこは保証しよう」

 

「仮に千切れても千切ってる間に吸収されそうで嫌ですね……」

 

 その情報が将来活きるか活きないかは別として、少年はシルビアの初見殺し技の情報を得た。

 貴重な情報だ。いずれ魔王を倒しに行く予定が彼にある以上、値千金の情報と言える。

 

「我がダンジョンの最奥で待つ。万全の状態で来るがいい、人の子よ」

 

「ああ、私もドラゴンに潰されたダンジョンの代わり作らないと……」

 

「カミラァ! 最後くらい吸血鬼らしく決めて別れろォ!」

 

「はいぃすみませんっ!」

 

 夕方の終わり際、時間帯が夜に差し掛かった頃。

 時間帯の変化が夜の種族に力を与えるのか、あるいは空に出た月の魔力がヴァンパイアに力を与えたのか、それは分からない。

 ともかく、多少なりと魔力を取り戻したヴァンパイア達は、影に落ちるようにして――テレポートに似て非なる魔法で――どこぞへと去って行った。

 

 高位の魔法使いは自分独自の魔法を持っているという。おそらく、あのヴァンパイアもその類の技能を持っているのだろう。

 カミラの位置座標を参考にここまで跳んできた魔法に、歯の魔法に、去って行った時の魔法。

 長生きした魔法の使い手は皆ああなのかもしれない、と少年はふいに思った。

 

「大魔法使いキールの一番弟子ブルー。なら、あの人も……」

 

 考えることが多すぎて、誰かに丸投げしたくなってしまう。

 とにかく今は帰ろう、と少年は歩を進めた。

 ドラゴンの肉でバーベキューしましょう、と言っていためぐみんの言葉が、少年の心をちょっとウキウキさせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エルロードは、眠らない街だ。

 カジノは24時間営業。魔力による灯りは電力による灯りと比べても様々な面で優れている。

 昼に寝て夜にカジノに挑む者も少なくはない。

 夜に寝るのは、それこそこの国に自宅を持つ現地民が主だ。

 

 しかも、今日は『黄金竜討伐』という最高のイベント付きだった。

 街は夜通し熱気に包まれ、それは朝になっても衰えることはなく、次の夜になっても確実に続いていることだろう。

 宰相ラグクラフトは、その熱狂を窓越しに耳にしていた。

 国の繁栄、民の熱は、それだけで心地よく感じてしまう。

 同時に、楽しいことしかやりたがらないエルロードの国民性に辟易してしまう。

 彼は根っからの、政治のために命を削る苦労人政治家気質であった。

 

 手の中のワインを呷っていると、宰相の部屋のドアがひとりでに開く。

 

「何者だ」

 

 開かれたドアの向こうには、二つの人影があった。

 

「宰相ラグクラフト。

 いや、あえてこう呼ぼう。

 魔王軍工作員、ドッペルゲンガーのラグクラフトよ」

 

 宰相ラグクラフトは、この国の心臓であり、脳である。

 

「お前は引き続き、この国の要で居続けろ。

 必要な時、必要な量の手引きをするのだ。それだけでいい」

 

 魔王軍の使者は、一人の青年をラグクラフトに紹介し、魔王軍としての働きを期待する。

 

「明日は『彼』のサポートを行い。この国を陥落させよ。話はそれからだ」

 

 宰相ラグクラフトは、固く閉じられたその口を開いた。

 

「……あ、そういえば私魔王軍だった。すっかり忘れてた」

 

「絶滅危惧種級のバカかお前は!」

 

 なお、この絶滅危惧種に保護する価値はない。

 

 

 




 『(じぶん)より強い女と結婚したくない』という発言は、十巻でアイリスと出会う前のレヴィ王子の偽らざる本音でもあったんじゃないかなーと思います。十巻後には消えてなくなるものですが


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2-7-4

 十巻エルロード描写のミソは、カズマさんの一人称なのでレヴィ王子の事実が微妙に隠されてることだと思うのです。
 「レヴィ王子も頑張ってるな」「いや、宰相の功績らしいぞ」「なんだそうだったのか」という市民の会話が事実なのかそうでないのか明かされず、王子が頑張っていたとしても民は宰相の手柄として見るんじゃないか、みたいな国の雰囲気といいますか。
 自国でも他国でもレヴィ王子の評価はクッソ低いようです、はい。


 思考実験に似た形で、仮定を置いて人を見てみよう。

 めぐみんの本質は爆裂で、王子の本質はギャンブルだ、と仮定を置くとする。

 

 めぐみんは精神的にも能力的にも攻撃に寄っている。人間関係も恋愛関係も、彼女は自分から能動的に働きかけ、ガンガンと変えていくタイプだ。

 短気な一面があり、精神的に爆発しやすく、後先考えずに何かに攻撃を仕掛けることも多い。

 

 レヴィ王子は賭けが好きだ。賭ける人間が好きだ。

 彼は賭け事で肝要なことは、賭けてはいけない額を賭けないことと、何に・誰に賭けるかということだと知っている。

 例えば国がベルゼルグに支援金を出さないと決めれば、それに頑と従いつつも、ベルゼルグに賭けるべきかどうかを自分の目で決める柔軟さも持っている。

 ゆえにか彼は安全な道だけを行く人間より、何かに懸けて何かを賭けて大きな結果を掴み取る、そんな人間の方が好きだった。

 

 王子はむきむきを気に入っていたが、彼と似通う性質を持つアイリスを気に入る可能性も高い。

 ……の、だが。

 アイリスと一度も話したことがなく、風聞でしかベルゼルグの王族のことを知らないレヴィ王子は、アイリスに結構な偏見を持っていた。

 

「見ろ、むきむき。今日のエルロードは一際盛り上がってるぞ」

 

「僕からすれば今日『も』だよ。毎日盛り上がり過ぎで、違いが分からないんだ」

 

 国営カジノの屋上――自殺防止のため関係者しか入れない場所――にて、ジュース片手にレヴィとむきむきが並んで手すりに寄りかかっている。

 めぐみんとゆんゆんがカジノで勝負を始めてしまったので、手空きになったむきむきと王子は夜風を浴びにきたのだ。

 

「僕が竜にさらわれる前の話の続き、する?」

 

「律儀なやつだな、本当に」

 

 そこから、竜に中断させられていた話が再開される。

 むきむきは、王子様が自分に何かを聞きたがっていたことをちゃんと覚えていた。

 

「お前なら誤魔化さない。嘘を付かない。

 男の視点からしか見えないものを言ってくれる。

 そう信じて聞くぞ。俺の許嫁、アイリスとやらはどんなやつだ?」

 

 レヴィはただ、自分が生涯を共にするかもしれない人物のことを、自分の生涯の伴侶になるかもしれない少女のことを、知りたがっていた。

 そうでなければ、消えてくれない小さな不安があった。

 

「笑顔が可愛い子だよ。多分、戦うことより、花を摘んでる方が似合いそうな女の子」

 

 むきむきは女の子としてのアイリスのことを語る。

 女の子が好きなものがだいたい好きで、可愛らしく、この上なく王女らしい外見をしていることなど、彼女の長所をつらつらと並べていく。

 アイリスのゴリラ列伝の部分でレヴィの顔は引きつっていたが、それ以上に女の子らしい部分や王族らしい部分をむきむきが強調したために、レヴィの中のアイリス像は大分女の子らしいものになっていた。

 

 アイリスのゴリラ列伝を強調すれば、アイリスのイメージはいくらでもボブ・サップやアンディ・フグ、あるいは稀勢の里に寄せることが出来る。

 だがむきむきの語り口により、アイリスは吉田沙保里的イメージではなく真っ当な美少女イメージを獲得していた。

 むきむきの気遣いが、アイリスの尊厳を守ったのだ。

 吉田沙保里スルートは回避された。

 

「いい意味で予想外だな。てっきりゴリラのような女だと思っていた。

 ベルゼルグ王族の話は、化物の見本市のようなものだとしか伝え聞いていなかったからな……」

 

「そうなの?」

 

「風の噂に聞く『可憐』『清楚』だなんてものが信じられるか。

 『可愛い』だなんて幼児並みの褒め言葉に至っては、お前が初めて言ったくらいだぞ」

 

「よ、幼児並み……あれ、というか、可愛いのがそんなに重要?」

 

「そりゃそうだろう?

 女は可愛いか美人かどちらかがいいに決まってる。

 愛嬌がある分、可愛い方がいいな。

 ああ、バカは例外だ。話の通じないバカと話しているとイライラする」

 

「あー、うん、その気持ちは分からないでもないけれど」

 

「ほう?

 『女の子の好みの話なんて分かりません』

 とクソ真面目な返答が返ってくると思ったが、意外だな。

 いや、冒険者をやっているのであれば普通にする話ではあるか」

 

「あはは」

 

 王子様は目敏い。

 むきむきが、例えるならば"修学旅行で恋バナが始まるとはぐらかす生真面目タイプ"であることを見抜いた上で、この返答が他人の影響であると当たりをつけていた。

 エロ本を手にして迫る先輩・キースとダストの影響であるとは口が裂けても言えないところだ。

 

「考えてみれば、女がどうのという話を他人としたのは初めてだな」

 

「そうなの?」

 

「仮にも王族だぞ、俺は。下世話な話など誰が振ってくるか」

 

「え、待って、それだと僕が下世話な話振ってるみたいじゃないか」

 

「両手に花で旅をしているお前が何を今更」

 

「そ、そういうのじゃないから!」

 

「で、お前はどっち狙いなんだ?

 見たところちっこい方を好ましく思っているようだが……

 大きい方もそれなりに好ましく思っているだろう。

 恋愛感情があると言うには微妙で、だが無いと言い切るのも難しい。

 胸がある方にしとけと言いたいところだが、どうしたものか。

 ……いやまさか、お前平民のくせに一夫多妻の道を……?」

 

「ストップストップストップストップ!」

 

 それっぽく誇張して言葉の洪水をぶつけてくるレヴィ王子に、むきむきは顔を真っ赤にして抵抗する。

 が、王子がくっくっくと笑っているのを見て、からかわれているのだと気付いた。

 赤くなっていた顔が、更に赤くなる。

 

「お前は紅魔族のくせに普通だな。まだこの国の方が変に見える」

 

 ここは夜空の下、地の光の上。

 手すりに体を預け、屋上から空の光と街の光を眺めながら、王子はジュースに口をつけた。

 

「エルロードは賭博で大勝ちした金で成り立った。

 金がこの国の土台であり、この国は金で動いている。

 金鉱山はあっても質は良くなく、カジノコインの素材がせいぜい。

 農産畜産林業漁業、その他諸々にも売りがない。

 土地が豊かというわけでもなく、国固有のモンスターが居るわけでもない」

 

 王子はジュースを飲み干して、コップの中の氷を一つ一つ噛み砕き始める。

 

「この国の食料消費の大半はカジノ周辺の外食だ。

 外食産業がべらぼうな量の食を回している。

 知ってるか? この国の食料自給率、いつの間にか一割かそこらなんだぞ」

 

「しょくりょーじきゅーりつ?」

 

「よその国からご飯の材料を買ってご飯を作る。

 じゃあよその国が材料くれなくなったらご飯作れないな、ということだ」

 

「なるほど」

 

「よくもまあ、あの宰相はこの国を立て直せたものだ……」

 

 尊敬、劣等感、諦め、信頼、そして仲間意識。レヴィが宰相に向ける感情は複雑だ。

 だがその中で最も強いものを挙げるのであれば、この国を共に守るという仲間意識だろう。

 

「エルロード? 神にして主(El Lord)

 名付けた初代の王はどれだけ思い上がっていたというんだ。

 そこだけを見れば王権神授の国や、女神エリスを崇めるベルゼルグの方がよほどまともだ」

 

 この国は、お世辞にもまともな国とは言い難い。

 

「だが、それでも」

 

 けれども、レヴィ王子は。

 

「俺はこの国が、世界で一番の国だと信じている。この国が好きだ」

 

 まごうことなく、エルロードの王子様だった。

 

「楽しい国だよね」

 

「ああ。賭博の国、ギャンブル狂いしか居ない国、そう呼ばれていても、この国は俺の誇りだ」

 

 眠らない街は、夜にこそ美しい。

 ぽつりぽつりと光が消える民家があっても、カジノの光が消えることはない。

 夜に煌めく光の街を見ていると、むきむきにもちょっとだけ、この王子様の気持ちが理解できた。

 

「今日はいいものを見せてもらった。いい話も聞けた。……感謝する」

 

 竜退治も。許嫁の話も。

 レヴィの認識を変え、心に変化をもたらすには十分な出来事だった。

 

「俺も少しはまっとうに頑張ってみよう。

 今はまだ、誰もが認めるバカ王子でしかないからな」

 

「うん、頑張って!」

 

「ならまずは、景気づけにカジノで荒稼ぎと行こうじゃないか!」

 

 その夜は、一人が大勝ちして、一人が大負けしたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 

「ああ、むきむきの髪がやたらビシっと決まっていたのはそういうことだったんですか」

 

「うん、ヴァンパイアさん達にやってもらった」

 

 前日の夜から、めぐみんも違和感を感じてはいたのだ。

 前日の夜にむきむきのセットされた髪を見て、翌日洗われたことでへたっとしたむきむきの髪も見て、見比べてようやく髪の異変に気付けたのである。

 

「しかしこうして見ると、むきむきも結構髪伸びてますね」

 

「そうだね。僕は髪短いから、耳にかかったら切るようにしてたけど」

 

「迂闊でした。里を出る前に切っておけば手間も無かったのに」

 

「そのくらいはいいんじゃないかな?

 だってさ、これから何十回も僕らは里の外で髪を切ることになるんだ。

 里の外で切る回数が一回くらい増えたって、きっと誤差の範囲だよ」

 

「……確かに。言われてみればそうですね」

 

 "髪を切る"という事柄が、里の外で長い時間を旅するのだということを、めぐみんに改めて認識させる。

 妹の髪を切ってやった過去の記憶が少女の脳裏に蘇る。

 もう里に懐かしさを感じている自分に苦笑して、めぐみんはひょこっと立ち上がった。

 

「そうだ、むきむきの髪を切ってあげますよ。外に行きましょう」

 

 めぐみんはハサミとシーツを持って、むきむきを連れ空き地に移動。

 椅子くらいの高さに調節された切り株に座らせて、器用に髪を切り始めた。

 

「器用だね」

 

「私は魔道具職人の娘ですよ? 人並みには器用です。

 まあ、魔道具作りをすると何故か作った魔道具が爆裂するんですが」

 

「それは絶対加減しないで魔力込めてるからだと思う」

 

 めぐみんにかかればありとあらゆる魔道具が中国製品と化す。

 

「むきむきは散髪の時、ちょっと怖いと思ったことってありますか?」

 

「怖い? なんで?」

 

「自分の背後取った人が首近くで刃物持ってるんですよ?

 だから私は、家族以外に髪を切られるのはあんまり好きじゃないんです」

 

「……うーん、これまで自分の髪は自分で切ってたし。

 めぐみんにそういう感情を持ったこともないから分からないや」

 

「私に気を許し過ぎじゃないかと、私の方が不安になってくるんですが」

 

 平和な日本と違い、散髪の時に刃物をちょっと意識してしまうのも、この世界らしさなのかもしれない。

 

「はい、終わり。流石男の子、手を入れるのも簡単な髪でした」

 

「ありがと」

 

 空き地に置いてあった大きな水瓶を覗き込み、少年は水面に映った自分の髪を確認する。

 ちょっとばかり、男前になっていた。

 めぐみんは切った髪の毛を払い、スカートの裾を直しながら切り株に座る。

 そして彼に背を向けて、ハサミとシーツを脇に置いた。

 

「では私の方もお願いします」

 

「え?」

 

「前髪が最近鬱陶しいんですよ、ほら」

 

 めぐみんは目に入りそうな前髪を鬱陶しそうに指で弄る。

 そういえば最近前髪を横に寄せる動作が多かったかもしれない、と少年は想起する。

 少年はハサミを手に取って、シーツで首から下を覆っためぐみんの背後で、躊躇いがちに逡巡する。

 

「どうしました? さあ、さっさとやって下さい。

 多少の不出来は大目に見てあげますから、丁寧に……」

 

「……家族以外に髪切られるのは不安で嫌じゃなかったの?」

 

 一瞬の間。

 

「……そうですね。いかにむきむきと言えど、ちょっとは不安ですよ」

 

「そうなんだ、残念」

 

「ふふふ、むきむきは私からむきむきへの好感度を高く見過ぎなんですよ」

 

 不安は感じているけど我慢する、といったニュアンスのめぐみんの言葉。

 少年は露骨にがっかりしていた。

 めぐみんが自分に気を許していることを期待していたのだろう。

 少女の背後に居る少年からは、今の彼女がどんな顔をしているかは見えない。

 

「めぐみんもうちょっと首左に傾けて」

 

「こうですか」

 

「そうそう」

 

 むきむきの器用度は高い。

 時間をかけ、ゆっくり丁寧に気を使って手を入れていけば、まず失敗することはない。

 切りすぎないよう毛先を整えていけば、めぐみんのお気に入りの髪型を作ることなど、造作も無いことだ。

 彼女のことを普段からちゃんと見ていたから、尚更に。

 

「上手く切れそうですか?」

 

「めぐみんのことはいつも見てたから。

 髪型はちゃんと覚えてるし、ちょっとづつ切っていけばいいかなって」

 

 その言葉に、めぐみんは返答を返さない。

 

「じゃ、前切るよ」

 

「ん」

 

 少年が少女の背後から正面に回り、めぐみんが目の中に切った髪が入らないよう、目を閉じる。

 自然と、前髪に触れる少年と、目を閉じた少女が向き合う形になる。

 目を閉じて自分に身を委ねているめぐみんを見ていると、なんだか変な気持ちになってきて、少年は(かぶり)を振ってその気持ちを振り払う。

 

 ここでめぐみんが薄目でも開けていたならば、さぞ面白いことになっていたに違いない。

 

「よし、終わったよ」

 

 散髪が終わるやいなや、めぐみんは足早に水瓶の中を覗き込む。

 水面を見ながら首の角度を何度も変えて、髪型をきっちり確認してから、満足そうに頷いていた。

 

「80点。精進して下さい」

 

「ううむ、厳しい」

 

「髪は女の命ですよ? 雑に扱う男が居れば、私は迷わず爆裂します」

 

「怖い!」

 

 女の命を預けるということは、重いことなのだ。

 

「あれ?」

 

 切った髪を集めて焼いて、さあ何しようと少年が首を回したら、視線が一人の少女を捉えた。

 

(……ゆんゆんが居る)

 

 空き地の前の道を何度も行ったり来たりしている少女が居た。

 おそらくは、ずっとそこを行ったり来たりしていたのだろう。

 声をかけるタイミングが掴めず、自分から話しかけに行く踏ん切りもつかず、声をかけてもらえるのをずっとそこで待っていたのだ。

 空き地の前の道を行ったり来たりしているのは、偶然そこを通りがかって声をかけられたという建前を作るためだろうか。

 

「あのさびしんぼは私達が声をかけるまであそこに居ますよ。どうします?」

 

「どうします、って」

 

「このまま無視を続けるか、無視したまま私達でどこかに行くかですよ」

 

「酷い!」

 

 そこまでいじめっ子にはなれないむきむきが、ゆんゆんに声をかけて仲間に入れる。

 なんやかんやで、ゆんゆんも髪を切ってもらう流れになった。

 何故か同性のめぐみんには頼まず、ゆんゆんもまたむきむきに髪を切ってもらったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黄金竜の乱入で変なことになってしまったが、元よりこの国に何日も滞在する理由はない。

 むきむき達は今日中にもベルゼルグに向けて出立する予定だった。

 

「レインさん拾ってさっさと帰りましょう。

 アイリスも寂しさのあまり同性愛者になっているかもしれません」

 

「それ絶対寂しさが原因じゃないでしょ!?

 ……あ。あああ! そうよ、レインさんがこっちに来てるからクレアさんが野放しじゃない!」

 

「レヴィ王子がレズNTR食らうとか爆笑必至ですね」

 

「笑えない! 笑えないからね!」

 

 エルロードの街も見納めだ。「まあまあ」とめぐみんとゆんゆんの間を取り持ちながら、むきむきは街を見て回る。

 食料等を買い込んでいるであろうレインが見つかれば、そのまま帰国の流れになるだろう。

 

「めぐみんめぐみん、この髪飾りめぐみんに似合うと思うんだ」

 

「ほほう、お目が高い。むきむきはこういうののセンスありますよね」

 

「ちょっと待ってて、今買うから。ええと財布はどこに……」

 

「いいですよ、それなら自分で買います。

 そこまでされたらいくら図々しい私でも羞恥心が爆発―――」

 

 そして、最後の祭りが始まる。

 街の一角が爆発し、そこからもくもくと爆煙が立ち上っていた。

 

「め、めぐみんの羞恥心が爆発した!

 普段は隠してるだけで実は結構嬉し恥ずかしだったりしたの!?」

 

「違いますよ! 頭の中まで電波ゆんゆんなんですかあなたは!」

 

「二人共乗って!」

 

 二人を肩に乗せ、むきむきは跳躍。

 街路も人混みも混乱も無視して、建物の上を一直線に駆け現場に到着した。

 崩れた門。

 倒された門番の兵士。

 地に転がる、剣と弓矢の無残な残骸。

 チリチリと小さな火が燃えている門を背後に、"黄色の男"が立っていた。

 

「どーも、あいあむ魔王軍」

 

 一人だけ生き残っていた門兵が、鐘を鳴らして警告を叫ぶ。

 

「ま、魔王軍の襲来だー!」

 

 たった一人の襲撃者。

 それも人間に見える魔王軍の襲来だった。

 目を覆いたくなるファッションセンスのTシャツを着た男であった。

 

「真っ黄色のクソダサTシャツ、人間の外見……まさか、DT戦隊!」

 

「あんなクソダサTシャツは常人には着れるもんじゃないですよ! 間違いありません!」

 

 レッドは赤い服でもそれなりに見れた。

 だが、この男の服はめぐみんとゆんゆんが全力で酷評するレベルに酷い。

 『海人』とデカデカとプリントされたシャツ、短パン、サンダルという装備で新宿を練り歩くような人間でさえ、この男と比べればはるかにマシなレベルであった。

 

「その通り。拙はDTイエロー。君らの思う通りの人物でゲス」

 

「『でゲス』!?」

 

 しかも、ファッションセンス以外も酷い。

 

「現実で"でゲス"とか語尾付けてる人、初めて見ました」

 

「一昔前はともかく、今はもう絶滅してたんじゃ……!」

 

「どこの国の方言……?」

 

 バカ王子の国にゲス魔王軍転生者という糞セッション。

 クズ転生者の参戦によるハットトリックが待望される。

 

「エルロードは今日陥落するんででゲス、ゲースゲスゲスゲス!」

 

 どうしようもないレベルの三下臭。

 何故か負ける気がしなくて、魔王軍と戦おうとしているはずなのに、相対しているだけで戦意が張りを失っていく。

 ある意味、イスカリアの正反対の印象を受ける敵だった。

 

(試してみようか)

 

 むきむきはイエローが破壊した門の破片、その中でも野球ボール程度のサイズのものを拾い、投げつける。

 吸血鬼に貰ったベルトの補助もあり、前動作をほとんど行わなかったにもかかわらず、その弾速は1000km/hを超える。

 それが狙い通りイエローの鳩尾に命中。

 何の結果も、もたらさなかった。

 

「クズが効かねえんでゲスよカス! 『ファイアーボール』!」

 

「!?」

 

 反撃に飛んで来たファイアーボールを、むきむきは右腕で弾く。

 今の投石を体で受けて、ノーダメージ。信じられない防御だ。

 イスカリアの――デュラハンの――鎧でさえ、当てれば凹ませられたというのに。

 

 ゆんゆんは相手が人間だったため、初撃を捕縛の魔法にしようとしていたが、その防御を見て手加減抜きの攻撃魔法に切り替えた。

 

「『ライトニング・ストライク』!」

 

 雷が落ち、イエローに命中。

 だが、ダメージはない。

 そのクソダサTシャツにさえ傷一つ付かず、焼け焦げ一つ付いていない。

 

「ゲースッスッス!」

 

「何、今の? 物理防御でも、魔法抵抗でもないものに弾かれたような……」

 

 イエローは高笑いし、自分に仕掛けられる紅魔族達の攻撃を意にも介さない。

 

「拙に対する一切の攻撃は無効になるでゲス。即ち無敵!」

 

「随分ハッタリ利かせるじゃないですか」

 

「ハッタリかどうかは自分の目で確かめるといいでゲス」

 

(それにしてもこの喋り方かなりうざったい)

 

 絶対無敵の存在など居るわけがない。

 そう思うめぐみんだが、どういう仕組みで防御しているかの見当がまるで付かなかった。

 

 イエローの進撃は止まらず、むきむき達が何を仕掛けようと遅延させることもできない。

 街の中心たる王城に向かうその暴君に、新たな乱入者が矢を射かけた。

 矢は一直線にイエローの股間に飛んで命中するが、またしてもノーダメージだった上に矢の方が折れてしまう。

 

「これが魔王軍か……全く効かないとは」

 

「レヴィ王子!」

 

 矢を撃ったのは、レヴィだった。

 彼は弓矢が無用の長物であると即座に理解する。倒された兵士から拝借した弓矢をその場に捨て、さっさとむきむき達と合流した。

 イエローは現在進行形で余裕綽々だが、王子の狙いのエグさに神妙な面持ちになっていた。

 気を取り直して、イエローは上司から命じられたターゲットの一人、エルロード王族に狙いを定める。

 

「王子? ふむふむ、ならそこの君を仕留めれば第三目標達成でゲスな」

 

「させない!」

 

 高速でイエローの背後に回り、躍動する筋肉がハイキックを放つ。

 蹴りは綺麗にうなじに命中したが、またもダメージは与えられていなかった。

 

「ゲースゲスゲスゲス! 効かないんでゲスよ!」

 

 うざったいノリで笑い、イエローは走る。狙われたのはレヴィ。

 この敵をどう処理すればいいのか、彼らはてんで見当がつかなかった。

 

「『インフェルノ』」

 

 そこで、どこからともなく放たれた炎の魔法がイエローを包み込む。

 

「『ライト・オブ・リフレクション』」

 

 そして、光の屈折がむきむき達を包み込む。

 十数秒後、炎の魔法から出て来たイエローは、その場に誰も居ないことに気が付いて、深く溜め息を吐いた。

 

「あれま。これだから魔法使いは面倒臭いでゲース」

 

 高温の炎は空気に層を作り、音を遮断してしまうことがある。

 火事の時、これで助けを求める人の声が遮断されてしまうこともあるそうだ。

 今の魔法使いが炎の魔法を選択したのは、火で視界を塞ぎ、空気の層で逃げる足音を遮断するためでもあったのだろう。

 イエローの言う通り、熟練の魔法使いとは面倒な手合いの代名詞でもあった。

 

「さーて破壊破壊。ゲ素晴らしい破壊活動でゲス」

 

 だが、王子がダメなら王を狙うだけのこと。

 

 イエローは王城に向けて歩を進め、群がってきた弱小のエルロード兵達に、乱雑な魔法を連射した。

 

 

 

 

 

 レインは地味だが、魔法使いの完成形の一つであった。

 敵を仕留めることもできる。仲間を補助することもできる。

 イエローから逃げられたのは、レインが炎と光の魔法の性質を熟知した上で、それを彼らの逃走補助のために最適に使ってみせたからだった。

 

「レインさん、ありがとうございます! すごかったです!」

 

「あはは、戦闘は本来クレア様の担当なんですけどね」

 

 ベタ褒めしてくるむきむきに、レインは照れて頬を掻いた。

 

「なんなんでしょうかね、あれ」

 

「なんなんだろう。僕にはまるで見当がつかないや」

 

「無敵。奴は自分のことをそう言っていましたが、はたして……」

 

 敵の攻撃をものともしないその姿。敵を意に介さずとも問題のない絶対性。そして、自分を無敵と称するその自信。

 それらのワードから、王族の教育係を任されるほど知に長けたレインが、一つ手がかりになりそうなもののことを思い出した。

 

「まるで、文献で見た聖鎧の勇者ですね」

 

「聖鎧の勇者?」

 

「聖鎧アイギスと聖盾イージスを操ったという勇者です。

 盾と鎧で全ての敵と攻撃を押し潰した無敵の勇者であったと聞きます。

 アイギスは全スキル無効、全魔法無効、最高の防御力と術者自動治癒を備えた鎧であったとか」

 

「え、なんですかそれ怖い」

 

「とはいえ、魔王を倒した勇者は王家に取り込まれます。

 王家にはアイギスもイージスも保管されていません。

 学者の研究では、結局この勇者は魔王を打倒できずに死んだと推察されていまして……」

 

「現存していたら私の爆裂魔法の的にしたかったところです」

 

「めぐみん、やめなよ」

 

 "聖鎧の勇者と同系統の能力"。

 違いがあるとすれば、その勇者の防御は『道具』によるものであり、イエローの防御はおそらく『能力』によるものだということだろうか。

 

「それっぽさはあったな」

 

 王子が吐き捨てるように言う。

 確かにあのイエローを見れば、最高の防御力・スキル無効・魔法無効を備えた聖鎧が連想されるのは自然な流れだろう。

 ゆんゆんとレインの魔法攻撃、むきむきと王子の物理攻撃、どちらも効いている様子は無かったのだから。

 

「その勇者は魔王軍には勝てなかった。

 つまり、魔王軍は負けない程度には抵抗する手を持っていた。

 なら、僕らも何らかの形では対抗できる可能性があるんじゃないでしょうか」

 

「仮定に仮定を重ねた希望的観測ですが、あるいは」

 

 無敵の能力にも穴はあるかもしれない。

 無敵でも倒したい敵を倒せず力尽きることはあるかもしれない。

 無敵の相手をやり込める方法もあるのかもしれない。

 魔王軍にできたなら、人間にだってできるはず。

 むきむきは『敵が無敵』と聞いてちょっとへたれていた心に、暖簾を腕で押すように気合いを入れる。

 そして、皆に背を向け歩き出した。

 

「どこに行く気だ?」

 

「敵はまだ未知数だよ、レヴィ。探りを入れないと」

 

「待て、相手は魔王軍だぞ!」

 

「レヴィは前に出ないで。今の話で思ったけど、

 『魔法無効でスキル無効でも物理無効ではない』

 ってことはあるんだ。まずは色々殴って試してみる」

 

「ええいこのバカが! 迂闊に行くな迂闊に!」

 

 むきむきは何かを言おうとして、声が震えそうになっていた自分に気付く。

 一度、深く深呼吸。

 声が震えそうになっていた喉が元に戻ったのを確認し、膝を折って王子に視線の高さを合わせ、少年は力強く言い切った。

 

「レヴィの好きな国の、レヴィが守りたいと思ってる人達。ちゃんと守るから」

 

「―――!」

 

 言い切って、彼は走り出す。

 バカな話だ。泣き虫で臆病者の彼を、今日ここで戦いに送り出したのは、昨晩レヴィが口にした彼の本音だったのだ。

 ただそれだけのことで、泣き虫は『無敵の敵』などというものに戦いを挑むことを決めた。

 

「待って私も行く!」

 

「ええい、ここが街中でなければ爆裂魔法で吹っ飛ばすんですが……!」

 

 その後をゆんゆんとめぐみんが追って、レインもまたどこかに走り出す。

 王子は一人佇み、片手で顔を覆った。

 

「クソッ、余計なことは言うもんじゃないな、本当に……!」

 

 街と人々を守るため、竜と戦うむきむきに無茶振りをした時には、何も感じなかった。

 けれども今日は、それらを守るためにむきむきを魔王軍にけしかけようとは考えもしない。

 それどころか、止めようとすらしていた。

 

 それはレヴィの心の変化の結果であると同時に、少年同士の関係が変化した証明だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼らの会話を、イエローは遠く離れた場所で聞いていた。

 

「……ゲース。よしよし、釣れた釣れた」

 

 倒した兵士の体の上に腰掛けて、イエローは聞き耳を立てている。

 『盗聴』のスキルの効能だ。

 盗聴はON/OFFを切り替え聴力に大きな補正をかけるスキルであり、スキルレベルが低くても結界の向こうの音を拾うことさえ可能なスキル。

 イエローはこれで、エルロードの動き、むきむき達の動き、その両方を把握していた。

 必要な時以外は切られているため、このスキルを逆利用して爆音で耳を潰すのも難しい。

 

「あとは、どう戦いの結果を持っていくかでゲスな」

 

 イエローはあっという間にエルロードの兵士達を全滅させていた。

 エルロードの戦力がカスみたいなものだったというのもあるが、こんなんにも短時間で片付いたのは、やはりイエローが強いからだろう。

 イエローにはまだ傷一つ付いていない。

 

「ゲースゲスゲスゲス! 上手く行ってるでゲス!」

 

 アホみたいに笑って、バカみたいに慢心したイエローは、物陰に潜んでいた子供に気付かなかった。

 

「エルロードから出て行けー!」

 

「あでーっ!」

 

 物陰から飛び出して来た子供が投げた尖った石が、イエローの目に突き刺さる。

 偶然にも、ピンポイントで黒眼の部分に当たっていた。これは痛い。

 

「おっまえどういう教育されてるでゲス! 拙がレベル高くなければ失明してたでゲスよ!」

 

「ぴゃああああっ!」

 

 子供はイエローに怒鳴られ、変な声を上げながら逃げていく。

 なんとわんぱくな子供か。

 この世界はあんな小さな子供でさえたくましい。

 というか、たくましくなければ自然と死に絶えるようになっているのかもしれない。

 適者生存というやつだ。

 

 年々元気が減って頭でっかちになっていく日本のガキンチョにも見習って欲しい、とイエローは思わずにはいられない。

 

「くぅ、さっさと王城落として次行くでゲス」

 

 今の光景を誰も見てないことを確認して、イエローは更に先に進んだ。

 兵士が全滅した今、王城はほぼ丸裸と言っていいだろう。

 

「うん?」

 

 その油断を、その慢心を、むきむきは突いた。

 真正面から衝いてみせた。

 

 むきむきは王城方向からイエローに向かって全速力で走り、攻撃。

 したことはそれだけだったが、速度だけが段違いだった。

 例えるなら、学校のグラウンドの端から端まで、一呼吸で移動できるほどのスピードだ。

 

 イエローがむきむきを視認した次の瞬間には、むきむきはイエローの前にいて、そのスピードを乗せたパンチをイエローの顔面に叩き込む。

 

「はっ!」

 

 だが、ダメージはない。

 破壊の拳は、イエローの顔面に1mmたりとも食い込んではいなかった。

 

「無駄無駄無駄ゲス! 『ライトニング』!」

 

 至近距離からの電撃がむきむきに直撃し、筋肉に電気と痺れが走る。

 むきむきも負けじと、筋電位の電撃を放った。

 

「天の風琴が奏で流れ落ちる、その旋律、凄惨にして蒼古なる雷―――『ライトニング』!」

 

 紅魔族特有の無駄詠唱で気合を入れ、放ったマッスルライトニング。

 だがこれも、イエローの謎の防御の前に弾かれてしまう。

 

「その辺の兵士がなーにも試さなかったと思ってるんでゲスか?」

 

 むきむきがここに来るまでの間に、エルロードの兵士達も頑張っていた。

 だが射掛けた矢は、目に当たろうと耳たぶに当たろうと一方的に弾かれて、時に折られ、時に砕けていた。

 炎の玉も、風の刃も、石の塊も、魔法で飛ばされた何もかもが効かなかった。

 その果てに、兵士達は全滅したのだ。

 

「やってみないと分からない!」

 

 顔面に拳を叩き込み、鳩尾に膝蹴りを叩き込む。

 それでもイエローにダメージはない。

 肘をこめかみに打ち、ローキックを太腿に打つ。

 それでもイエローには効かない。

 指を眼球に突き刺して、全力で股間を蹴り上げる。

 なのに、痛みの一つも与えられない。

 

「気付いてるでゲスか?」

 

 イエローは自分の胸に叩き込まれた少年の拳に手を添えて、嘲笑した。

 

「パンチが弱くなってきたでゲス。お前、ビビってるでゲスな」

 

「……っ!」

 

 まるで分からない。

 ゲーム的な表現をするならば、普通にプレイしている限り目にすることはない仕様外(チート)のような力。

 人の改造品(チート)。ルールを逸脱した反則(チート)

 力を構築している法則性が常識を逸脱しすぎていて、能力にまるであたりが付けられない。

 

 理解不能は恐れに変わる。

 むきむき達が以前ドリスで悪党に使った手と同じだ。

 よく分からないから怖い。よく分からないからこそ恐ろしい。

 よく分からないものには、どう対抗すればいいのかさえ分からない。

 

 気後れすればするほど、恐れれば恐れるほど、むきむきのスペックは低下していく。

 

「怖かろう……悔しかろう……!

 たとえ筋肉の鎧を纏おうと、心の弱さは守れないのでゲース!」

 

 ケラケラ笑って、イエローはむきむきの顔面にまた魔法をぶち当てる。

 拭いきれない三下臭に小物臭。

 その上に備わる、他に類を見ないほどに強力な能力、人を傷付けることを躊躇わないゲスさ。

 強い弱いとは無関係に、関わり合いになりたくない人種だった。

 

「ゆんゆん!」

 

「わかってる! 狙い所は絞って……『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 ここに来てようやく、めぐみんとゆんゆんが追いついた。

 既に発射準備を負えられていた光刃が放たれ、正確無比に首筋へと命中する。

 だが、それも当然通らない。

 むきむきがその隙に兵士が落とした大剣を拾い、脳天に力任せに叩きつけるも、大剣の方がへし折れてしまった。

 当然、イエローには傷一つ付かない。

 

「何こいつ……本当になんなの!?」

 

 かつて聖鎧の勇者と戦った魔王軍の絶望的な気持ちを、彼らは追体験している。

 特に、むきむきの精神的な動揺は際立って大きかった。

 

(殴っても、倒せない)

 

 殴っても壊せない敵。

 殴っても倒せない敵。

 それは少年の中にある、幽霊の残した言葉を揺らがせるものだった。

 

――――

 

『しからば、某が言葉を与えてしんぜよう。

 殴れるのなら、壊せるはずだ。

 壊れぬものなどない。触れられるのなら尚更よ』

『しからば後は、貴様の心の問題だ。壊せるのなら、倒せるはずだ』

『神を殴れるこの世界なら、神とて殴れば殺せるだろう』

『拳を握れ。目の前に敵が居るのなら、余計なことは殴り殺してから考えろ』

 

――――

 

 師の言葉、師の教えが、この心弱い少年を支える太い芯の一つ。

 殴っても壊せない、倒せない、そういう存在との対決は"残された言葉"を揺らがしてしまう。

 ひいては、イエローを実像以上に大きく恐ろしいものに見せてしまう。

 心底尊敬した人間が常識のように語っていた言葉を凌駕する者が現れると、人はその者を過大に評価してしまうものなのだ。

 偉大な科学者が残した世界の定理(あたりまえ)が間違っていると証明した、後の時代の科学者が、周囲の科学者からそう見られるのと同じように。

 

(倒せ、ない)

 

 大物極まりない能力と小物極まりない性格を内に秘めた男が、鼻で笑う。

 

「身も蓋もない人間が求めるものなんて大概一つ。

 『無敵』、でゲス。

 誰だって自分の身の安全が第一。

 一方的な蹂躙も、自分がする分にはみんな大好きでゲース。

 ま、他人が無敵の力で一方的に蹂躙してるのを見るのは楽しくないんでゲスが」

 

 この男の最悪な所は、片方がもう片方を一方的に傷付ける蹂躙が醜いものだと知りつつも、自分がやっている分には楽しいからいいやと割り切っていることだった。

 

「なら、試してみましょうか? むきむき、走り鷹鳶の時のあれを!」

 

 めぐみんが吠える。

 むきむきの弱りきっていた心は、ただそれだけで熱と力を取り戻した。

 少年は少女の言葉に反射行動に近い形で答え、黄金竜の時にゆんゆんを投げた時と同じ感触で、その時の数倍の力を込め、イエローを上方向に投げ飛ばした。

 

「ゲスっ!?」

 

(……え? ()()()()()?)

 

 投げた後に、むきむきは()()()()()()()()()()驚いたが、そこに驚いている暇もない。

 ようやくこの街を巻き込まないで済む位置、街の遥か上方にまで移動させられたイエローに向けて掲げられた杖を、めぐみんは特大の砲台へと変える。

 

「さあ、勝負です……『エクスプロージョン』ッ!」

 

 むきむきは無垢に勝利を確信していた。

 

 

 

 

 

 ゆんゆんとめぐみんは、レインから聞いていた話から、その先にある最悪を想定していた。

 

「あー、死ぬかと思ったでゲス」

 

 爆裂魔法が命中し、エルロードの空に爆焔が広がる。

 直撃した爆焔はイエローを飲み込み、地に落とす。

 だが、着地に魔法を使ったイエローは、爆裂魔法を食らってなお無傷だった。

 

「……無、傷」

 

「いや本当に、死ぬかと思ったでゲス。

 女神パワーと魔王パワーのどっちかがなかったら死んでたんじゃないかと……だふぅ」

 

 それが、少年の心に刺されたトドメとなった。

 幽霊の教えが彼にとっての『強さ』の基準であるのと同じく、いやそれ以上に、めぐみんとその爆裂も彼にとっては『強さ』の基準であり象徴だ。

 幽霊の教えを、そして今めぐみんの爆裂までもを打ち破ったイエローに、むきむきは過剰なまでの恐れを抱いていた。

 

「だけど、まだ!」

 

「二度目は勘弁でゲス!」

 

 ホーストでさえああなっていたのに、多くの強敵を吹き飛ばしてきたのに、と心の中に湧き上がる弱音を、思考停止で抑え込む。

 半ば折れた心でむきむきはイエローに掴みかかって、また投げ飛ばそうとした。

 だが、イエローがそれに抵抗し揉み合いになると、その瞬間バチッと何かの力場が作用して、今度は投げ飛ばすことができなかった。

 

(今度は、投げられない!?)

 

 何故。

 その答えに至る前に、むきむきの手首を掴んだイエローのスキルが炸裂する。

 

「ドレインターッチ!」

 

「あばっ、あばばばばば!?」

 

 不死者の象徴、ドレインタッチ。

 手で触れることで、対象の生命力と魔力を強奪する恐ろしいスキルだ。

 むきむきには大きな魔力も魔法抵抗力もない。このスキルに抗う手段はなく、どんどん魔力と生命力を吸われていってしまう。

 このスキルの恐ろしい所は、相手がいくら頑丈でも触れるだけで生命力を枯渇させられる点にあった。

 

「自分の安全が絶対的に保証された上で一方的に攻撃!

 これが楽しいんでゲース! カードゲームで言う先行ワンキルあるいはロック!」

 

「くっ、このっ……!」

 

 むきむきは暴れるが、手足を振り回しても『無敵』の壁を抜けない。抵抗にならない。

 

「『カースド・ライトニング』!」

 

 ゆんゆんが黒色の雷をイエローが高笑いしている口の中に叩き込んだが、体内を狙ったそれもまるで効果がない。

 

「だから効かないんでゲスよ」

 

 もう立っていることもできなくて、むきむきは膝をついてしまう。

 自分の手首を掴んでいるイエローの指を掴んで引き剥がそうとしても、不思議な力に弾かれて指を掴むことさえできなかった。

 

(指を、引き剥がせもしない……!?)

 

 視線が定まらなくなり、呼吸は浅くなって、動きが緩慢になる。

 誰がどう見ても、今のむきむきは瀕死だった。

 

「あ、ぐっ……」

 

「むきむき!」

 

 打つ手がない。打てる手がない。

 

「竜をけしかけて戦力分析とかするまでもなかったでゲス。期待ハズレ期待ハズレ」

 

「! 全部、お前が……!」

 

「そうゲス。ゲースゲスゲスゲス、こちとらベルゼルグより先にエルロード落としたいので……」

 

 イエローは小物で、下衆(ゲス)で、けれども間違いなく反則(チート)の存在で。

 分かりやすく"魔王軍の色に染まってしまった"人間だった。

 

「干物になって地味に死ねよやー! ゲース!」

 

 少年に残された最後の命が吸い上げられようとし、それを二人の少女が止めようとして、そして―――

 

 

 

 




 イエローの強さコンセプトは『敵に回った、盾と鎧が揃ったアイギスっぽい敵』。
 それっぽいだけで防御の仕組みは全然違いますけどね。
 原作で盾とセットのアイギスが鎧だけであんなにチートなので、転生特典って全体的にやべーなってなるのですが、じゃあそれ持ってる転生者達が勝てない魔王軍ってうーん……


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2-7-5

 スピンオフでウィズが魔法でも壊せない地下牢を強制テレポート先に設定したスクロール出したせいで、テレポートが超の付く畜生スキルになった気がします


 勝った。イエローがそう確信した瞬間に、ゆんゆんはむきむきを召喚した。

 

「『サモン』!」

 

 ドレインタッチは殺害に至らず、少年は少女の下に呼び寄せられる。

 仕留めきれなかったことに舌打ちしつつ、イエローは召喚という手段を何故今まで使わなかったのか、そこを疑問に思った。

 

(テレポートには失敗することがあると聞くでゲス。

 ならば召喚魔法も同様で、巻き込みによる人と人の召喚合体事故を恐れた?

 いや、単純に使い慣れてない魔法という可能性もあるでゲス。

 こやつが攻撃偏重のタイプなら、どの攻撃魔法が効くか見定めるために一手使った可能性も)

 

 推測を重ね、召喚された少年が何かを少女の方に耳打ちしているのを見て、その疑問は少しづつ氷解していく。

 

(あ、これそれだけじゃないでゲスな。

 ギリギリまで待った。ギリギリまであの筋肉に足掻かせていた。

 つーまーり、拙に肉薄できるチャンスにあの筋肉がこちらの情報を得ようとしていたゲス)

 

 もがいたむきむきの抵抗を無効化したのも、むきむきの強引な指剥がしを無効化したのも、こうなってしまってはイエローの能力を見抜くための情報になってしまう。

 命がけの選択だ。

 そうそう選べるものではない。

 ある意味、先日の竜の時の反省を活かし、ギリギリまで粘ったむきむきとゆんゆんの勇気の選択だったとも言える。

 

「ただそいつは、賭けに出すぎじゃあないでゲスかね、ゲースゲスゲス」

 

 けれども、代償はそこそこに大きかった。

 めぐみんは爆裂直後で動けず、むきむきはゆんゆんから渡されたポーションと魔力を回復させる呼吸で気息を整えていて、平常時と同様に戦えるのはゆんゆんのみ。

 むきむきは疲労しているわけではない。生命力と魔力を吸われただけだ。疲労という要因がないため、時間経過での回復は幾分か早い。

 それでも、よくて平均的な高レベル前衛職程度のものだろう。

 

 能力を見切るためにギリギリまで粘ったようだが、少年の表情に浮かんでいるのは消耗の色、そして敗北感と何も変わらない打ちのめされた感情だった。

 

「むきむき、後どのくらい戦え……むきむき?」

 

 ゆんゆんが聞く。むきむきは答えない。

 前衛のむきむきはゆんゆんに背中だけを見せているが、その背中が弱々しく見える。

 それは生命力と魔力が弱っているだけではなく、もっと深いところが弱っているのだと、ゆんゆんは感じた。

 ゆんゆんと違い今のむきむきの表情を真っ向から見ることができているイエローは、少年の今の顔を見て鼻で笑う。嘲笑の仕草であった。

 

 さあ紅魔族を片付けよう、とイエローが踏み出すと、その足元に矢文が突き刺さる。

 

「うおあぶね。いや危なくもないんでゲスが……」

 

 敵の一挙手一投足さえ見逃せないほど余裕のない紅魔族達に対し、イエローには彼らから目を離すだけの余裕があった。自分には傷一つ付けられないという確信があった。

 イエローは敵の前で堂々と矢文を広げ、それを読む。

 

「……え? 襲撃予定日が一日ズレてた? 魔王城からの通達ミス?」

 

 そして、眉間を揉み空を見上げた。

 

「じゃ、拙帰るから! また明日よろしくでゲス!」

 

「は?」

 

 走り去るイエロー。

 ステータスの素早さが大したことないのか、走り去るスピードはそこまで速くはない。

 ただ、突然の逃走に誰もが呆気に取られ、その後を追うことができなかった。

 

「ほ、本当に帰った!? 何しに来たのよ!」

 

 何を考えているのか。

 何が目的なのか。

 それを全く明かさずに、襲撃日程を間違えた力が強いだけのアホな魔王軍の男は、消えた。

 

「皆さん、無事ですか!?」

 

「レインさん!」

 

「魔法の罠で逃走経路を作っていたのですが……無駄になったみたいですね。

 実はそこでラグクラフト宰相とも会ったんです。

 宰相は弓矢を持って自分の身一つで援軍に来ようとしてくれていたようなんですよ」

 

「それはすごい! 勇気ありますね、宰相さん!」

 

「は、はは……それほどでもありませんよ」

 

 レインとラグクラフトも合流。レインはどうやら逃げの一手を打つ気でいたらしい。

 褒めるレインとゆんゆんに対し、弓を持ったラグクラフトは引き攣った笑みで目を逸らす。

 ゆんゆんは、とりあえずめぐみんとむきむきと話し合わないといけない、と考えていた。

 

「むきむき、めぐみんをお願い。……むきむき? 本当にどうしたの?」

 

 だが、むきむきの様子がおかしい。

 安堵と恐怖、その他諸々の感情がいっぺんに顔に浮かべられていた。

 普段なら友に話しかけられればすぐに応え、子犬のように駆け寄ってくるはずなのに、今はゆんゆんが呼びかけても返事さえしない。

 聞こえていないのではなく、反応しないのだ。

 

「むきむき?」

 

「……だ、大丈夫。大丈夫だから」

 

 ようやく反応したと思えば、出て来た声はとても弱々しい。

 

 "これは重傷かもしれない"と、なんとなくに少女は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸い外国からの客に被害はなかったらしい。

 現代日本ならば――SNSに上げる写真を撮るために――大きな爆発があればそこに人が集まってくるが、ここは世界が世界だ。爆発が起きれば人はそこから自然と遠ざかる。

 目撃者もおらず、エルロードが「賭けに負けた冒険者が暴れて国軍がそれを取り押さえた」という噂を流し、公式発表を"綿密な調査を行って明後日行う"という形で先延ばしにすることで、なんとか問題を後送りにすることに成功していた。

 

「逃げてもいいぞ。俺は誰も恨まん」

 

 その日の夜、めぐみん・ゆんゆん・むきむきのベルゼルグ紅魔組に対し、レヴィ王子が出会い頭に言った言葉がそれだった。

 

「ですが、王子……」

 

「一戦交えて本当にどうしようもなかっただろう。

 ここはお前達の国でも何でもない。

 お前達が守るべき土地もコミュニティも、ここにはないんだ」

 

「……」

 

「俺は王族だ。

 エルロードの兵士に死ねと命じ、その死の責任を取る人間だ。

 だが他国の人間に死ぬまで戦えと言う権利はない。

 むしろ、そんな風に他国の人間に死なれれば寝覚めが悪くなるだけだ」

 

 今日、イエローが口にしていた目的は二つ。この国の破壊と、王族の抹殺だ。王子レヴィを第三目標と言っていたことからも、第一と第二は国王とこの国と見て間違いないだろう。

 

「一日ズレ? エルロードをベルゼルグより先に落とす?

 物騒なワードをばら撒いていったものだ。あいつは口が軽いのか?

 この分だとベルゼルグも平穏無事とはいかないかもしれんな、これは」

 

 エルロードの兵士の兵士はさほど死んだわけではなかったが、全員戦闘不能状態だ。

 イエローの言葉に不安を感じてレヴィは即座に馬でベルゼルグに使いを送ったが、片道十日の道のりは素早い連絡を行うにはあまりにも遠かった。

 徒労に終わるであろうことは、王子も分かっていることだろう。

 

「テレポートでベルゼルグにすぐさま連絡を取れば……」

 

「バカか? テレポートで人や者が頻繁に行き来してるわけがないだろう。

 それなら国使が、片道十日以上の国家間を陸路で行き来するわけがあるか」

 

「バカか? は一言余計ですよ」

 

「む……確かにそうだ、すまない」

 

 めぐみんとレヴィの仲は良いんだか悪いんだか。こういうやり取りを見てると、ゆんゆんの認識は揺らいでしまいそうになる。

 

「とりあえずゆっくり休んでくれ。どう転んでも、明日はロクな日にならなそうだ」

 

 レヴィもかなり忙しそうにしている。

 魔王軍が来たのだ、無理もないだろう。

 市民に流す噂はどうするのか。明日はどう対応するのか。

 ほとんどの職務は宰相が回しているが、国王代理として動けるレヴィが忙しくないわけがない。

 

「レインさんはどこに?」

 

「戦いで生き残ったうちの兵士から話を聞いて回っている。

 聞けば、街であの魔王軍に石を当てた子供を見つけたらしくてな……

 一度でも戦った人間から話を聞くことで、奴の能力にあたりをつけたいそうだ」

 

 レインは地味な活動を続けていた。

 彼女の行動は地味で目立たないが、大抵はその場の最適解に近い。

 街の子供の何気ない武勇伝――イエローに石をぶつけたという武勇伝――を目ざとく聞きつけ、そこから兵士達に話を聞き、"何かないか"と探し続けているようだ。

 魔法使いの仕事は、パーティで一番多くのことを考えること。

 

「私達もレインさんを手伝いましょうか、ゆんゆん」

 

「うん、めぐみん」

 

 それはつまり、めぐみんとゆんゆんがするべきことでもあった。

 王子は二人の選択に、眉をひそめる。

 

「ギリギリまで思索を続ける気か?」

 

「知らないんですか? 紅魔族は知力が高い、知の種族なんですよ」

 

「知っている。お前らと会ってからはそれがただの噂だったのだと気付いただけだ」

 

「よし表に出ろ」

 

 やっぱり仲悪いなあ、とゆんゆんは苦笑する。

 二人からちょっと距離を取ると、レヴィ王子の前だと言うのに俯いたまま何も言わないむきむきが視界に入った。

 少女は一瞬だけ悲しそうな顔をして、少年に呼びかける。

 

「むきむき」

 

 出来る限り優しい声で呼びかけたつもりだった。

 だが、その声でさえ少年を過剰に反応させてしまう。

 少年はビクッとし、恐る恐るゆんゆんの顔を覗き込み、彼女の様子を窺っている。

 

「……ごめん、ゆんゆん……」

 

 今の少年は怯えている。怯えていて、怯えている自分を恥じている。イエローに怯え、戦いを恐れている自分を恥じている。

 自分の全力の拳を無効化し、自分の中の強さのイメージのことごとくを打ち砕き、ドレインタッチによる殺害という恐ろしいことをしてきたイエローは、彼にとって心底恐ろしいものだった。

 立ち向かう勇気が、絞り出せないほどに。

 勝てるイメージが浮かばないほどに。

 その黄の手に触れられることさえ恐ろしいと、そう思ってしまうほどに。

 

 少年の中には逃げられないと思える理由がある。レヴィ王子や、レヴィ王子の守りたいもの、普通に幸せに暮らしている人が、この国には大勢居る。

 逃げられない。けれど怖い。恐怖を克服しようとして、けれどもできない。

 恐怖に立ち向かう度に恐怖に打ちのめされるため、よりいっそう恐怖は膨らんでいく。

 

 『敗北』。

 レッドにも、ホーストにも、イスカリアにも、結局のところ本当の意味では味わわされなかったもの。明確な殺意と、死の向こう側を彼に見せたもの。

 イエローが、むきむきの強さの全てを真正面から踏み潰し、その隙間に流し込んだもの。

 それが、少年の心をへし折っていた。

 

「大丈夫、大丈夫だから……明日になったら、ちゃんと戦う勇気を出してみせるから……」

 

「むきむき……」

 

 強がりで強張った笑みを見せるむきむきを見て、ゆんゆんは悲しそうに、レヴィは辛そうに目を逸らす。

 めぐみんは、その目元を帽子で隠していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 イエローがまた来ると宣言した日。

 街を一望できる高い建物の屋上で、レヴィ、レイン、ゆんゆんは、街の入口である門を見つめていた。

 今日中に、またそこに魔王軍の襲撃があるだろう。

 

「いいのか、逃げなくて」

 

「はい」

「ええ」

 

 王子の言葉に、二人の魔法使いが強く頷く。

 めぐみんがここに居ないのは当然だ。爆裂魔法が通じないのであれば彼女に活躍の場はない。爆裂魔法しかできない彼女に他にできることもない。

 残念ながら、ダンジョンで荷物持ちをするより役に立たないことだろう。

 

「あいつは……」

 

 王子は王城に目をやった。

 正確には、王城でむきむきにあてがった部屋の窓を見ていた。

 むきむきはあてがわれた部屋に引きこもっている。窓を王子が見つめても、その向こうに居るむきむきの姿は見えない。

 来てくれるだろうか、と王子は思う。

 来ない方がいい、とも王子は思う。

 短い付き合いではあるが、それでも王子はむきむきのことを理解していた。

 国と天秤にかけても、無理矢理には戦わせたくないと思えるくらいには。

 

「……いや、期待しすぎか。

 ゆんゆんとやら、今からでもあいつを無理矢理連れてベルゼルグに……」

 

「大丈夫です!」

 

 逃げろという最後通告。

 だが、その勧めをゆんゆんは力強く断った。

 

「むきむきはレヴィ王子を友達だと思ってるんです。

 レヴィ王子が大切に思うものを、同じように大切に思っているんです。

 ちょっと恐ろしくなったからって、それを守れなかったら、きっと気に病んでしまいます」

 

「……お前」

 

「今日の私はむきむきの代理です! 頑張りますよ!」

 

 ふんす、と気合いを入れているゆんゆん。

 ゆんゆんは魂レベルのぼっちだ。……が、それは、逆に言えば一人でも頑張れるということ。

 精神的に一人では駄目なむきむきや、能力的に一人では駄目なめぐみんとは、そこが違う。

 仲間が居れば更に強いが、仲間が居なくても彼女は強い。

 友人のために戦うなら、それよりももっと強くなれる。

 

「! 来たぞ!」

 

 逃げる逃げないの話をしている内に、とうとうイエローの再襲来が来てしまった。

 門が吹き飛び、その向こうからゆったりと黄色の男が現れる。

 

「ゲースゲス!」

 

 対応できる兵士はもう居ない。

 応じて動いたのは、レインとゆんゆんだけだった。

 爆発が人々を爆心地から遠ざけて、レインとゆんゆんはその流れに逆らい爆発した場所へと駆け出していく。

 

「レインさん、ではまず……」

 

「そうですね。仕掛けたルートに誘導しましょう」

 

「死ぬなよ、二人共!」

 

 二人を送り出し、街に大量に残された人々の姿を見て、レヴィは舌打ちする。

 そして、宰相ラグクラフトの執務室へと殴り込んだ。

 

「ラグクラフト、どういうことだ!

 昨日、魔王軍の襲撃前に観光客含む街の全員を避難誘導させると決めたはずだぞ!」

 

「私が変えさせました」

 

「何!? 説明しろ!」

 

「彼らが何事もなく魔王軍を撃退すると信じたのです。

 町の住民には何も伝えておりません。情報工作も続けております。

 昨日も今日も、賭博に負けた冒険者が暴れて取り押さえられた、という体で。

 これでエルロードの安全なイメージを守り、国益を守るのです」

 

「それでは、万が一の時の被害が!」

 

「王子」

 

「なんだ!」

 

「レイン殿達を……彼女らを信じておられないのですか?」

 

「―――っ!」

 

 そういう言い方をされては、レヴィに返す言葉はない。

 ましてレヴィは、自分がラグクラフトという偉大な政治家には敵わないことを知っている。

 

「信じて見守りましょう。彼女らが勝ってくれることを」

 

「……ああ、分かった。お前の考えは分かった。

 ラグクラフト、お前はいつも誰よりも正しい。

 お前の判断より俺の判断が正しかったことなんて一度もない」

 

 だから王子は、ラグクラフトの選択を否定しない。否定できない。

 民を逃がすという自分の判断より、全てを秘密裏に終わらせるという宰相の判断が正しいと、そういう風に自分に言い聞かせてしまう。

 自分の正しさを蔑ろにしてしまう。

 

 されども、そこで終わらない。

 少し前までの王子なら、宰相の選択を肯定し、言われた通りに見守ることを選んでいただろう。

 けれども、今の彼は違う。

 『正しくなくてもいい』という思いがあった。

 『それなら自分は正しくなくていい』という思いがあった。

 『死なせたら寝覚めが悪い』という、捻くれた決意があった。

 

「だが今日は、お前の判断に逆らわせてもらう! 俺にもできることがあるはずだ!」

 

 王子は執務室を飛び出し、ゆんゆん達の後を追って走り出す。

 執務室はまたラグクラフトしか居ない空間となった。ラグクラフトは自分以外誰も居なくなった執務室にて、ほくそ笑む。

 

「避難などさせない。誰も逃がすものか」

 

 彼はゆんゆん達の勝利など信じていない。

 ラグクラフトはただ、この王都の人間を皆殺しにするお膳立てをしただけだ。

 イエローならば、時間をかければそれができる。

 

「人間どもはここで死ぬがいい、全員、一人残らず」

 

 ドッペルゲンガー・ラグクラフト。

 

 彼は魔王軍の命で、自分の正体が明らかにならない範囲で、魔王軍に便宜を図る。

 

 

 

 

 

 レヴィ王子が見ていた王城の一室。むきむきがあてがわれた部屋の中。

 むきむきは床に膝をつき、自分の胸を拳で叩いて気合いを入れていた。

 痛々しい音が響くも、そんな痛みで恐怖が消えるわけがない。

 

「……!」

 

 床を叩く。

 弱りきった心を反映した今の肉体では、頑丈な岩石の床にはヒビも入らない。

 泣きそうな顔で、少年は髪をかきむしった。

 死にそうな顔で、少年は自分の頭を床に打ち付けた。

 恐怖に勝てない自分を嫌悪し、その嫌悪を自分自身にぶつけているのだ。

 それで、勇気が出るわけでもないのに。

 

「くぅっ……!」

 

 行きたい。怖い。守りたい。恐ろしい。逃げたくない。逃げたい。

 勇気を絞り出そうとする度に、全力を何度ぶつけてもビクともしないイエローの嘲笑、ドレインタッチで命そのものを吸い上げられるおぞましい感覚が蘇ってしまう。

 死にかけた。殺されかけた。敗北した。

 それも、心を折る最悪の形で。

 

「……立って……立たないと……」

 

 こんなにも敵を恐れている自分ではただの足手まといにしかならないと、他の誰でもない彼自身がよく分かっている。

 自分の弱さを、彼はずっと見つめてきたからだ。

 弱い自分など嫌いで。

 強い人に憧れて。

 強くなろうと決意して、何度も心を成長させて、そして心は折られてしまった。

 

「勇気が……」

 

 今、彼が欲しがるものはたった一つ。

 

「勇気が、欲しい」

 

 衝動のようなその欲求は、かつて彼が魔法の才能を求めたものよりも遥かに大きかった。

 その変化の意味に、彼は気付かない。

 彼は今、魔法の才能を求めた気持ちよりも強く、勇気と心の強さを求めている。

 目の前にその二つを並べられたなら、勇気ある強い心を選ぶだろうと、そう言えるほどに。

 

「こんな、臆病者で怖がりな自分なんて、大嫌いだ……!

 めぐみんみたいに、何にだって立ち向かっていける勇気が欲しい……!」

 

 魔法を使えない自分を嫌う気持ちを、心弱き自分を嫌う気持ちが凌駕した。

 それは、彼の中に生まれた変化の証。

 魔法を使えない自分を変えることはできないが、心を変えることはできる。

 

「なんで僕は、男なのに、こんなに情けないんだ……」

 

 彼はまた、心の分岐点の前に居た。

 

 

 

 

 

 自分達の仕込みが機能してイエローが想定通りに動き始めたことを確認し、ゆんゆんとレインは安堵の息を吐く。

 どうやら、誘導に逆らって適当に街や人々を破壊し始めるということはしないようだ。

 あの男の能力は強大だ。

 だが、頭はよくない。

 付け入る隙があるとすれば、そこだ。

 

「色々仕込みましたけど、通じるんでしょうか? レインさん」

 

「どれかは通じる……と、思います。完璧な『無敵』なんてありえませんから」

 

 身を隠して、不安げなゆんゆんをレインが勇気付ける。

 

「言い方を変えましょうか。

 魔王を倒した勇者やベルゼルグ王族が持ったこともないような力を……

 ぽっと出の人間が普通に扱っているという時点で、おかしいんです」

 

「あ」

 

「どんな能力にも攻略法は無数にあります。

 それを無敵に偽装するのはメリットよりデメリットの方が大きい。

 けれども、弱点と攻略法が少ないものなら……」

 

「無敵に偽装する手間を考えても、メリットの方が大きい?」

 

「その通りです」

 

 レインの予想は、あの能力は完全な無敵でもなんでもなく、何か小細工をして完璧な無敵に見せかけているというもの。

 反則の限りを尽くすベルゼルグの勇者達と比べてもなお格上に位置する、世界を救った勇者・ベルゼルグ王族・魔王軍幹部でさえ実現できていない『無敵』など、あるわけがないというもの。

 イエローの性格的な弱点から連鎖して突くことができる、能力的な弱点もあるはずだろうというものだった。

 

(気を引き締めないと。私もレインさんの足を引っ張っちゃダメだ)

 

 彼女らはこの国に存在する、兵士の訓練場へとイエローを招き寄せようとしていた。

 

 

 

 

 

 坂の上にボトムレス・スワンプがある。

 坂の上に発生させられた沼は坂道を泥で塗り潰し、坂を登れなくした。

 街中にボウガンが設置されている。

 王城の職業さえ持たない人々が対イエローのため徹夜で設置したものだ。

 街中に目では察知できない落とし穴がある。

 レインが魔法で設置したものだ。

 設置されたスクロールもあり、触れると魔法が放たれるようになっていた。

 

「これだから魔法使いは面倒な」

 

 イエローは沼の泥で濡れた坂を登れない。

 ボウガンが放って来た矢も受けられず、舌打ちしながら回避する。

 落とし穴はスキルを総動員して察知し回避。

 スクロールの魔法に関しては、回避する素振りさえ見せず無効化する。

 

 イエローは、自分を傷付ける可能性がある物をきちんと理解していた。

 

「……感づかれてるでゲスかね? いやまさか」

 

 イエローがどの道を通るか、どの罠を避けているか、どの罠を踏破しているか。

 それを確認しているだけで、イエローの能力が推測できるという仕組みだ。

 成程、効率的である。『無敵』に対する弱者の対策としてはかなり有効だ。

 魔法使いらしい、とも言える。

 

 イエローは盗聴スキルを発動し、広範囲の音を拾う。

 今の街に零れ落ちる小さな音の一つ一つを拾って、イエローは進路を決めていた。

 曲がって、進んで、戻って、進んで、無敵故にかなりサクサクとしたペースで罠のある道を進んで行くと、その内盗聴スキルが"王子は訓練場に居る"という情報を拾った。

 そして、王子が囮となってイエローを訓練場に誘い込もうとしているという情報も拾った。

 

「ふうん? 王族自ら囮になってくれるのであれば……歓迎でゲス」

 

 罠だと分かってはいるが、彼にはたとえ罠であってもそれを踏破できる自信があった。

 

「ここでゲスな」

 

 訓練場に辿り着き、イエローは盗聴スキルをカットする。

 まずは王子。その次に王。最後にこの国。

 ラグクラフトが情報操作で"崩しやすくした"今のこの国は、攻撃力にイマイチ欠けるイエローでも容易に壊滅状態まで追い込めるだろう。

 

 イエローが訓練場に入ると、まず目に入ったのは塞がれた道だった。

 面倒臭い曲がりくねった道を歩いて踏破しなければ、訓練場の中に入れないようになっている。

 火力とステータスが高くないイエローは壁を吹き飛ばすのにも、訓練場に外から飛び込んで上から入るのにも向いていない。

 

『魔王軍』

 

「む。この声、王子レヴィ……魔道具でどこからか声を飛ばしてるんでゲスか?」

 

『ああ、そうだ』

 

 次に耳にしたのは、レヴィの声だった。

 魔道具を通して、この訓練場のどこからかイエローまで声を届けているようだ。

 

『お前は何者だ? 勇者の同類か? その力はなんだ?』

 

「拙らの力はお前ら人間を救うため、女神が拙らに与えた力でゲス」

 

『……女神』

 

「我々は遠い遠い場所からお前らを助けに来た、沢山の人間の……その中の、ほんの一部」

 

 女神がもたらした山ほどの救いの中の、一掬いの零れ落ち。

 

「自分がどうしようもないクズだと分かっていても。

 自分がやっていることが殺人だという罪だと分かっていても。

 自分達が手を貸している相手が人類種の敵だと分かっていても。

 それでも助力してしまっている、擁護しようのない本物のクズ。それが我々でゲス」

 

『好感は持てそうにないな』

 

「好感持てるクズより好感持てないクズの方が多いに決まってるじゃないでゲスか」

 

『だろうな』

 

「その能力を魔王様の力で強化・変化させたものが我らの能力でゲス」

 

 女神の力+魔王の力。それゆえ、例外に例外を重ねた形。

 

『DT戦隊、だったか。紅魔族から聞いた。DTとはなんだ?』

 

「この世界にはない言葉でゲス。ま、最初はただ『童貞』を意味する言葉だったんでゲスが」

 

『は?』

 

「レッドの発案だったと聞くでゲス。

 上司のセレスディナ様の処女を餌にして、女性関係に転生者を引っ張り込む。

 美人の処女を餌にして、童貞を釣っていけば性欲で動く理想的な駒ができると……」

 

『細かい事情は知らんが、上司の貞操を平気で餌にするのか……』

 

 DT戦隊五人にいい意味でも悪い意味でも"良い人"は居ない。

 

「まあでも今はセレスディナ様の処女を狙ってるのは拙とピンクくらいのものでゲス」

 

『お前は狙ってるのか……』

 

「おっぱいデカい美人でゲスし」

 

 なんて野郎だ、とレヴィは思った。

 イエローはエロ、ピンクは淫乱。

 DT戦隊の各個人に担当の色を振った人間のセンスが確かなことだけが窺える。

 

『……ん? 待て、ピンクは女性だったと聞くぞ』

 

「ピンクの能力は指定した効能を持つ薬の作成。

 あいつは彼氏持ちで前も後ろも非処女。んで非童貞にもなるつもりなんでゲス」

 

『変態しかいないのかお前らは』

 

「拙が比較的普通人でゲスから」

 

 イエローは捻くれた性格を魔王軍の流儀で染めただけ。本物の変態には遠く及ばない。

 

「ただまあ、DTの今の意味は次元旅行者(Dimension Tourist)

 あるいは死んだトリッパー(Dead Tripper)のどっちかでゲス。

 呼称がそうなったのは新参の拙が

 『誰も転生じゃねえ、トリップだこれ』

 って以前レッドにうっかり言っちゃったからなんでゲスが」

 

「転生?」

 

「どうでもいいことでゲス。拙の個人的感覚の問題だったでゲスし」

 

 死んで赤ん坊から生まれ変わるのが転生。その人間がそのまま別世界に行くのがトリップ、トリップした人間がトリッパー。死んで行くならデッドトリッパーでいいんじゃないか、というのがイエローの主張であったが、この世界の常識を基準にすれば転生者をトリッパーとは呼称しない。

 そのため、身内ネタに近い呼称法であった。

 

「しかし女神に選ばれた集団か、怖いことだ。

 案外、戦隊の中じゃお前の能力が一番弱かったりするんじゃないか?」

 

「はぁぁぁ!?

 レッドは他人を思い通りにするだけの力!

 ブルーは醜い自分を美しくするだけの力!

 グリーンはトンマな自分を変えるだけの力!

 ピンクは望みどおりに薬を作るだけの力!

 どう考えたって拙の能力が一番強いに決まってるでゲス!」

 

(こいつは本当に頭が足りてないな)

 

 喋れば喋るだけ情報が出て来る。揺さぶれば揺さぶるだけ情報が出て来る。本当に能力だけが強力な人間だった。

 レヴィ王子が情報を引き出す時間が終わり、イエローは回り道を越えようやく訓練場内部の広い空間に辿り着く。

 闘技場に似た楕円の空間。

 遠く離れた場所にはレヴィ王子。

 そして、そこに足を踏み入れたイエローの目の前には――

 

「しっかし鬱陶しい喋り方だな。

 聞いているだけで不快感が伴う……だが、それもここまでだ!」

 

 ――グリフォンが、居た。

 

「は?」

 

 この街にあるとある娯楽のためにと捕獲された大型モンスター、グリフォン。

 大きな牛でさえあっという間に食らいつくし、民家にも匹敵するサイズを持つモンスター。

 それが、猛然とイエローに襲いかかった。

 

「うおおおっ!?」

 

 イエローがここに来て初めて、大きな焦りを見せた。

 流石は魔王軍といったところか、ほどなくして冷静さを取り戻し、魔法とスキルでグリフォンを一方的に無力化したが……その焦りと、グリフォンの攻撃を回避した行動が、レヴィ達に一つの確信を与えてしまった。

 

「やはりな」

 

 レヴィが、そして身を隠してそれを見ていたレインとゆんゆんが、昨晩散々話し合って絞り込んだ推測の中から、正解を見つけ出した。

 

「仮説の一つが当たったわね」

 

 レインは指差し、イエローに突きつける。

 

「あなたの能力、それ『職業を基準にした攻撃の無効』でしょう?」

 

「―――たった二回分の戦闘行動で見抜かれるとは、思ってなかったでゲス」

 

 リッチーには物理攻撃が効かない。

 たとえ山を砕く攻撃だろうとも、通常の物理攻撃であれば通じない。

 高レベルの毒耐性スキルがあれば、どんな毒もその冒険者には通じない。

 人体を溶かすような毒でさえ通じない。

 魔法無効の聖鎧アイギスには、鉄を蒸発させる魔法の熱も通じない。

 でなければ無効化とは言われない。

 神器で高い防御力を得ても、友人の髪引っ張りは無効化されない。

 

 この世界の仕組みはどこかシステマチックで、地球とは違う物理法則の元に動いている。単に、地球の物理法則とは似ているだけなのだ。

 

 高い防御力があっても、熱い湯に触れて火傷することもあれば、素足で走り回って足をすりむくこともある。防御力は"その肉体がどれほど硬いかを示す指標"ではない。

 "その肉体を守るステータス的な力を示す指標"なのだ。

 女性の腹筋を触って硬く感じるかは防御力より筋力値が基準である。

 

 『効かないものは効かない』。

 『攻撃には攻撃と認識される一定の基準がある』。

 イエローの逸脱した能力の基幹には、この世界にあるその二つの法則性があった。

 

「ご名答。拙の能力は職業に由来する攻撃の無効。

 もっと正確に言えば三つ指定した職業以外の攻撃に類するもの、その全無効化でゲス」

 

 敵の職業を見切ってあらかじめ防げるようにしておけば、魔法攻撃も物理攻撃も通じない。

 職業もカードも持たない子供の石投げは当たる。

 むきむきがゆんゆんを投げる時のように"傷付けないよう"投げれば、投げられる。

 イエローが抵抗すれば投げは荒っぽくなり、攻撃判定となる。

 むきむきの筋力であれば、自分の手首を掴んでいる人間の指を引き剥がそうとすれば、引き剥がした指がそのまま折れる。ゆえにこれも攻撃判定。

 

 アークウィザードが設置した罠のダメージは無効化できる。

 職業を持たない人間が設置した罠は無効化できない。

 職業持ちが設置した落とし穴には普通に落ちるが怪我はしない。

 レインが坂道に撒いた泥では普通に滑る。

 そして、グリフォンの攻撃も当然無効化できない。

 

 一見付け入る隙がありそうにも見えるが、相手の職業さえ見切っていれば大抵の搦手は無効化できる、そんな面倒な転生特典だった。

 

「普通、岩を投げるのと魔法で岩をぶつけるのは変わらないはずでゲス。

 けれどこの世界ではその二つが明確に差別化されているでゲス。

 魔法が効かない相手には、片方が効き片方が効かない。不思議なことでゲスな」

 

 この黄の男の能力は、この世界の法則の延長であり、この世界の法則の外側にある。

 

「手で触れれば柔らかい女の柔肌があるとするでゲス。

 けど、物理防御スキルがあれば物理攻撃は通らないでゲス。

 女の柔肌にも、何故か不思議と剣や槍は刺さらなくなっている不思議現象でゲース」

 

 この世界の人間はそれを不思議に思わない。

 地球出身で、この世界の外から来た人間だけがそこを不思議だと感じる。

 

「女神に力を貰った時、拙はそんなこと知りもしなかったでゲス。

 "自分を無敵にする力をください"と言って、この特典を貰ったでゲス。

 指定した三つの職業に由来する『攻撃』を無効にする、この力を。

 で、すぐに後悔したんでゲスよ!

 モンスターには職業無しも多いって、そんなん知らんでゲス! 詐欺じゃないでゲスか!」

 

 この能力は、魔王軍やモンスターの一部に対し完全に無力だ。神から貰った反則技だが、使いこなせなければカエルにも負ける。

 職業に由来する攻撃やスキルの無効となるため、デュラハンの死の宣告のような『種族に由来するスキル』も無効化できない。

 冒険者のスキルとなった種族スキルなら防げるが、それが何になるというのか。

 相当に頭を使わないと魔王軍相手には無双できない特典であり、イエローの頭の悪さが最悪に能力の足を引っ張っていた。

 

 ……この能力は、むしろ。()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 人間には、種族に由来するスキルはほぼ存在しない。

 あるとしても女神特典のスキル等であり、それさえも転生者がどれか職業を獲得した時点でどれかの職業のカテゴリの中に入る。

 人間は職業がなければ戦えない。

 モンスターと違い、カードがなければ戦う力もまっとうには得られない。

 この世界の人間の強さの地盤は、全て職業とスキルに由来している。

 イエローが得た能力は、人間キラーと言っていいものだった。

 

「でも、拙はレッドに勧誘されて気付いたでゲス。

 この能力は、むしろ人相手にこそ有効だと。

 んで『三つの職業の攻撃を無効にする』特典を魔王様に強化して貰って!

 『三つの職業以外の攻撃を無効にする』ものに強化してもらったでゲース!」

 

「……そこに躊躇いは持たなかったのか」

 

 レヴィが吐き捨てるように言う。

 

「別に? 魔王軍の方が生きやすそうだったからこっち来ただけでゲス。

 人間サイドの方が生きやすそうだったなら、そっちに居ただけの話でゲス」

 

「……」

 

「拙は生きやすい場所で生きたいだけでゲース」

 

 あるはずだ、他にも。女神が特典として与えられるものの中には、人類の味方としてではなく、人類の敵として使うことで最大限の力を発揮するものが。

 仮に他者と体を入れ替える道具なんてものがあれば、それは人が人から略奪する、あるいは人を陥れる時にこそ最大限に運用されていると言えるものだろう。

 

 女神は人を信じている。根底には人への信頼がある。

 それは盲信ではなく、人に世界を任せる者が持たなければならない信頼である。

 イエローの行為は、それを裏切るものだった。

 

(女神の力と魔王の力、三下の性格……誰だこんなキメラ生み出したやつ)

 

 イエローはレインの推測通り、この能力の穴を気付かせないために偽装している。

 『基本的に職業を持つ人間としか戦わない』。

 『職業を持たない一般人の殺戮は優先せず、職業持ちの打倒を優先する』。

 『モンスターに狙われる可能性がある場所では戦わず、市街地でのみ戦う』。

 イエローはその他諸々の偽装行動を行っていたが、王族教育係に紅魔族と、知力が極めて高いメンツを敵に回したのが痛かった。

 

 職業基準での攻撃無効という特性が見抜かれた時点で、もはや偽装をする意味はない。

 

「けれど、能力は見切りました。これで……」

 

「で?」

 

「え?」

 

 第一この効力は、"種が割れたから弱くなる"なんてことはない。

 

「レベル相応の耐久力が有る拙には、職業無しの弓矢も刺さらないでゲス。

 職業補正、スキル補正がなければ、この世界の人間は拙が前に住んでた場所の人と変わらない。

 拙の能力を理解したところで、事前準備無しに拙を倒すのは不可能でゲス」

 

「……っ」

 

 職業持ちでない人間が刃物を持っても、イエローはまず倒せない。

 ゆんゆん・レイン・レヴィでも、職業を持ってしまっている以上、どう手を尽くしてもダメージを与えることはできない。

 アークウィザードの攻撃を無効にすると設定すれば、アークウィザードが作った落とし穴でも怪我をしなくなるのがこの能力だ。

 依然状況は変わりなく、ピンチは何も変わらない。

 

 聖鎧アイギスが『スキル』『魔法』といった広いカテゴリを全無効にする鎧なら、イエローのそれは『職業』というカテゴリの攻撃を全無効とする能力。

 

「やってみないと分からないわ。

 めぐみんには無理かもしれない。でも私ならできるかもしれない。

 私に無理だったとしても……むきむきが来てくれれば、きっとなんとかしてくれる」

 

「あーんな期待外れに何期待してるでゲスか」

 

「……!」

 

 昔魔王軍が無敵の聖鎧の勇者に対しそうしていたように、反則級の防御性能を持つ人間と向き合い、それに対し不屈の意志を見せるゆんゆん。

 自分は諦めないという覚悟と、自分が駄目でも仲間がやってくれるという信頼。

 その両方を、特にあの少年を信じた言葉を、イエローは笑った。

 少女は、そこに大きな怒りを覚える。 

 

 気付けば、苦手で苦手でしょうがない紅魔族の名乗りを使って、普段思ってもいないようなことをのたまっていた。

 

「我が名はゆんゆん! 紅魔族随一にかっこいい男の子の友にして、上級魔法を操る者!」

 

 本当はイエローよりもずっと彼のカッコ悪いところを知っているはずなのに、彼の情けないところを知っているはずなのに、少女はそう言わずにはいられなかった。

 それは、普段何かの作品をダメダメだと思っているくせに、ネットでその作品が叩かれていると擁護せずには居られない、面倒臭いファンに似た心理か。

 あるいは、普段彼氏の悪い所を友人に散々愚痴っているくせに、その友人が彼氏のことを悪く言うとたいそう怒る、そんな面倒臭い女の心理から、恋愛感情を引っこ抜いたものに似た心理か。

 

「彼の良い所も悪い所も何も知らないくせに、勝手なこと言わないで!」

 

 ゆんゆんは、友人のことをよく知らない者が友人のことを馬鹿にすることに、心底腹を立てる女の子であった。

 

 

 

 

 

 むきむきはベッドに腰掛け、時折胸と頭をかきむしっている。

 彼が戦場に未だ向かっていないのは、奇跡的な幸運だった。

 今の彼が衝動的に戦場に向かうことは十分にあり得る。

 そうなれば十中八九誰よりも先に死ぬだろう。

 せめて、ドレインタッチで命を吸われ、命そのものを食われながら殺されていくあの感覚を克服できなければ、イエローに立ち向かえるかさえ怪しい。

 

 自分が死ぬよりも友人が死ぬことの方が怖いはずなのに、それでもロクな勇気が湧いてこない。

 

「今、居ますか?」

 

 コンコン、と扉をノックする音。少年はそれに応えない。

 

「居ますよね。入りますよ」

 

 居留守を無視して、少女は部屋に踏み込む。

 こういう時、躊躇いなくガンガン行くのはとても彼女らしい。

 

「……めぐみん」

 

 少年は顔を上げられない。

 少女と目を合わせられない。

 今は言葉を交わすことも避けたかった。

 

 少女は少年の心情を探るまでもなく理解していて、少年は少女の心情を声だけで探らなければならない。

 うつむく少年を見つめる、その少女の心情を、声だけで理解できるわけがない。

 少女がその時どんな心境であったか、むきむきには読み取ることができなかった。

 

「隣、座ってもいいですか?」

 

 返答はない。

 なかったが、少女は遠慮なくベッドに座る少年の横に座った。

 少年が断っても、彼女は強引にそこに座っただろう。

 座る二人の間には、人一人分の距離がある。

 

 少年がベッドに腰掛けても、その足は床につく。

 少女の場合は足がつかない。

 子供のように足をプラプラさせることもなく、少女は膝を揃えて腰掛けていた。

 

「私とゆんゆんは、今したいこと、しなければならないことが二つあるんです」

 

「……?」

 

「一つは戦うこと。一つはゆっくりと励ますこと。

 でも私達の体は一つずつしか無いので、一人一つで役割分担ですね」

 

 恐る恐る、少年は少女の顔色を窺う。

 少女は隣で、彼に優しく微笑んでいた。 

 

「お話しましょう。今のあなたには、きっとそれが必要だと思うのですよ」

 

 

 

 

 

 能力を解明しても、イエロー攻略は困難を極めた。

 職業を持たない人間が設置した投石罠でさえ、レインが起動スイッチを押すとイエローの攻撃無効対象となってしまう。

 それだけでなく、イエローは多種多様なスキルを保有していた。

 

「ゲース!」

 

 バインドスキル、近接格闘スキル、中級以下の魔法スキル。

 千里眼や盗聴などの五感強化系スキルに、リフレクトなど各職業が持つ強力なスキル群。

 高い毒耐性に、少々のその他状態異常耐性と防御スキルまである。

 吸魔石等の魔力を回復する魔道具と併用し、これらのスキルをくるくる回して攻めるのが、イエローの得意とする攻撃手段であった。

 

「まるでスキルのバーゲンセールだな」

 

「ゲースッスッス!」

 

「あの調子に乗ってる顔をぶん殴りたい……! できないんですけどね!」

 

 イエローのステータスはそれなりに低い。おそらくDT戦隊で最も低い。

 冒険者特有のスキルの効果の低さも相まって、どれもこれもが必殺にはならなかったが、攻撃の多様さは洒落にならない脅威であった。

 

「毒で死ななければ、スキルポイントはいくらでも荒稼ぎする裏技があるんでゲス!」

 

 教えてもらえばあらゆるスキルを習得できるのが冒険者の長所。

 かつ、イエローはそれらのスキルをえげつなく使いこなすタイプではなく、次から次へと敵にぶつけて対策を取らせないタイプである。

 ここに無敵の防御が加わると、攻めるも防ぐも難しい難敵が完成してしまう。

 

 沼にでも沈めれば殺せるだろうが、腕を掴むことさえ困難な現状、沼に沈める手段がない。

 

「うう、やりづらい……」

 

 訓練場という有利なフィールドに誘い込めたのはいいものの、ゆんゆん達の体にも傷が増えてきた。

 精神的・魔力的消耗で言えば体の消耗以上に大きい。

 イエローの能力が分かった以上、ちんたらと長引かせるのは得策ではない。

 

「あの作戦で行くぞ。やるのは俺だ、四の五の言わせん」

 

「王子様、でも危険が……」

 

「お前が言ったことだぞ、胸がでかい紅魔族」

 

「む……!? せ、セクハラですよ!?」

 

「お前はむきむきの代理だと。

 被害が出るとあいつが気に病むと。

 まったくもってそうだろう。

 凡俗の発想だが、俺もそうなるのは嫌だと感じているらしい」

 

「……王子様」

 

「女にばかり頼っていられるか。反吐が出る!」

 

 ひねくれ王子は、イエローの前に跳び出した。

 

「うん? 『バインド』!」

 

 イエローは敵がようやく姿を表したと思ったら、それが探していた王子であることに少し驚くも、短い紐でバインドスキルを発動。

 数十cmの紐はレヴィの足に絡みつき、両足首を纏めて縛る。

 イエローは転ぶレヴィを受け止めるようにして、その首を掴み上げた。

 

「ぐっ」

 

「よーやく捕まえたでゲス。王族一人目、さて次の目標は……」

 

 発動するはドレインタッチ。攻撃と回復を同時に行える優秀なスキルだ。

 スキルレベルも高いらしく、大抵の相手にはレジストさえ許さない。

 

「お前、やはり近接ではドレインタッチがメインスキルか」

 

「だったらなんだって言うんでゲスか?」

 

「やりやすくしてくれて、ありがとう」

 

「?」

 

 互いに手で触れられる距離。

 そこで、王子は懐に忍ばせていたスクロールを起動した。

 

「『テレポート』」

 

 魔法の発動は一瞬。

 一瞬でレヴィとイエローは消え、そこから一瞬の間を置いて、レヴィだけが戻って来た。

 戻ってきたレヴィは、青い顔をして膝をつく。

 

「王子!」

 

「心配するな、少しドレインタッチで吸われただけだ」

 

 あの一瞬でどれだけ吸われたのか。

 あるいは、吸われる感覚がそれほど気持ち悪いものだったのか。

 恐るべきはドレインタッチ。だが、その使い手ももう居ない。

 

「地下百mの位置に埋められた鉄の箱。

 そこをテレポート先に設定したスクロール。

 脱出用のスクロールと合わせて二枚一対の、必殺だ」

 

 一枚目のスクロールは、敵を自分諸共死地に送るテレポートのスクロール。

 二枚目のスクロールは、鉄の箱の中からこの訓練場にテレポートするスクロール。

 スクロールを読める程度の灯りはあるが、水も食べ物も無い鉄の箱の中ならば、ほとんどの生き物は餓死で死ぬ。

 確殺のテレポートコンボであった。

 

「やりましたね!」

 

「ったく、本当に高いんだぞこのスクロールの作成代金。

 金はあるが戦う力はないエルロードの切り札だ。これで……」

 

 相手さえ選べば、確殺だった。

 

「まさかバカ王子がそこに気付いてるとは思わなかったでゲス。

 正解、正解、大正解! 拙を倒すのに一番有効なのは『テレポート』でゲス」

 

「……あ」

 

 イエローがテレポートを使えなかったなら、念の為にとこの訓練場をテレポート先に設定していなかったなら、今の策で殺せていたはずだ。

 だが、それはただの『もしも』の話。

 

「それが分かってるのであれば、先にテレポートスキル取っておけばいいってだけの話でゲス」

 

「お前……テレポートを……」

 

 イエローはテレポートで使った魔力を魔道具で回復させながら、ポケットから取り出した別の魔道具で顔を微妙に変えた。

 変えた顔に、カツラを乗せる。

 魔道具と普通の道具を併用する変装。変わった顔を見て、王子は目を見開く。

 

「こーの顔に見覚えは?」

 

「お前……! その顔は、俺の護衛の騎士の!

 いや、そうか。お前が護衛の一人に選ばれたのは、テレポートが使えるからだったな……」

 

「黄金竜に殺されてくれてればよかったんでゲスが」

 

「あの時は、それが目的だったのか……!」

 

「DT戦隊のメイン業務は人間であることを活かした工作員業務でゲース」

 

 エルロード初日に、めぐみんを怒らせたレヴィを謝らせていた一人が。

 めぐみんにレヴィの事情を話していた護衛の騎士が。

 黄金竜討伐に同行していた護衛の騎士が。

 役に立たなかったなと戦いの後に減給されていた彼が。

 

 イエローの変装だった、というだけの話。

 

 何故、マンティコアが王子の馬車を襲い殺しかけるという事態が起きたのか?

 何故、黄金竜の街襲撃時にレヴィ王子の傍に護衛が居なかったのか?

 何故、黄金竜討伐の最中に、あの騎士は王子を安全のためテレポートで逃さなかったのか?

 こうして見ると、全てが繋がって見えてくる。

 

 賭博で成立した国、エルロード。

 この国には、有能であればハッキリしない出自でも宰相や王族の護衛につけるという、魔王軍のスパイが入り込みやすい下地があった。

 

「レッドは強化モンスター開発局局長シルビア様の補佐。

 ブルーは魔導指導部隊の顧問。

 ピンクは魔道具開発室の主任。

 グリーンはハンス様のお気に入り。

 拙が頭足りてないことなんて分かってるんで、拙の仕事は簡単なものだけでゲス」

 

 DT戦隊はそれぞれが得意分野を持つが、イエローはただ無敵で器用貧乏なだけ。

 彼に振られる役目など、難しくないものしかない。

 

「例えば、経験も警戒心も無いバカ王子の護衛に潜り込め、とかでゲスな」

 

「―――っ!」

 

 その言葉が、その暴露が、王子のプライドを傷付けた。

 だが、激昂はしない。

 カッとなって冷静さを失いはしない。

 レヴィは歯を食いしばって、その屈辱に耐える。

 

「そうだな、俺はバカ王子だ。お前の存在にも気付いていなかった」

 

 これで激怒させられるだろう、と踏んでいたイエローは眉をひそめる。

 本当に察しの悪い転生者だ。

 レヴィ王子のこの変化を、この成長を、この覚悟を、何一つとして気付いていなかったのだから。

 

「だからバカらしく、バカみたいにお前がくたばるまで足掻かせてもらうぞ!」

 

「ゲースゲスゲスゲス!」

 

 戦いは、まだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今のむきむきは、めぐみんかゆんゆんでしか励ませない。

 二人のどちらでもいい、という話ではない。

 ただ、二人のどちらに励まされたかで、彼が立ち上がる方向は変わっていただろう。

 

 めぐみんと話す内、むきむきは自然と自分の心中を吐露していた。

 12歳相応の、情けない自分を嫌う気持ち。それを誘発させる敵への恐れ。

 めぐみんはそのどれもを否定せず、笑わず、ただひたすら聞き役に徹した。

 

「なんでこんなに、怖いんだろう。なんで、こんなに……」

 

 自分で自分のことが分からなくなっている彼に、彼女はゆっくりと優しい口調で語りかける。

 

「助けられた命だからではないですか?」

 

「助けられた命……幽霊さんに、ってこと?」

 

 人は変わる。

 

「あなたが死ねば、その献身の価値は無に還る」

 

「―――」

 

「あなたの中の恐れを膨らませているのはそれです。

 自分の命を助けてくれた誰かの犠牲を、0にしてしまうかもしれないという恐れ」

 

 よい意味で変わったことが、悪い結果を呼ぶこともある。

 悪い意味で変わったことが、よい結果を呼ぶこともある。

 

「それに、ですよ。

 里の外に出て、生きることがとても楽しくなったでしょう?

 もっと生きていたいという気持ちも強くなりましたよね?

 人生が楽しくなったなら、そりゃ人生が終わるのも怖くなりますよ」

 

「あ」

 

 ごく当たり前の感情だ。

 むきむきがこんなにもイエローを恐れていることに、変な理由はない。

 ごく普通の人間が持つ、ごく普通の感情の動きでしかない。

 生きているのが辛い人より、生きているのが楽しい人の方が、より死を恐れるものだ。

 

「……じゃあ、やっぱり僕のせいなんだ。問題は、僕の中に……」

 

 むきむきは額に拳を当て、恐れを追い出そうとする。

 けれども上手く行かない。どうしても上手く行かない。

 

 必死に変なことを頑張っているむきむきを見て、めぐみんは少し笑ってしまう。

 生真面目過ぎる、もっと気楽に生きればいいのに、と思ってしまう。

 けれども、そう生きるのも難しいだろうというのも分かっている。

 

(それはきっと、私が爆裂魔法を捨てるようなものですからね)

 

 めぐみんの人生を変えたのは、間違いなく幼少期に出会ったあの女性の魔法。

 爆裂魔法を操るあの女性と出会った日に、少女の未来は決定された。

 あの日、めぐみんはあの女性に魔法をかけられたのだ。

 魂も魅せる爆裂に、己が人生の全てを懸けたくなる魔法を。

 

「さて」

 

 少女はベッドから立ち上がる。

 ベッドに座ったままの少年と向き合い、少女は思うままに言葉を紡いだ。

 

「我が名はめぐみん、紅魔族随一の魔法使い。あなたの心に、今から魔法をかけてあげます」

 

 立ち上がらず、立ち上がれず、座ったままの少年の額を、少女の人差し指が触れる。

 

「ただ、ゆんゆん曰く私は爆裂魔法しか使えない欠陥魔法使いらしいですからね」

 

「……」

 

「魔法はかからないかもしれませんが、それならそれでいいとも思います」

 

 微笑むめぐみんに、むきむきは思わず顔を逸らしてしまう。

 今の自分の情けない顔を、見られたくなかったからだ。

 逸らした顔に、じわりと涙が滲む。

 めぐみんに気を遣わせているという情けなさが、尚更に少年(こども)を追い込んでいた。

 

「……え?」

 

 めぐみんは自分がいつもかぶっている大きな帽子を脱いで、むきむきにかぶせた。

 

「めぐみん、何を……」

 

 大きな帽子はつばも大きく、むきむきがかぶってもその顔の上半分を隠せる。

 少年の涙を、その表情を、少女の帽子が隠してくれていた。

 

「情けない顔を見られたくないなら、私が隠してあげますよ。

 でもその帽子、私のお気に入りですからね。

 できればさっさと情けない顔はやめて、ちょっとはかっこいい顔してください」

 

「……どんな顔してたって、今の僕が何もできないことには変わりないよ」

 

 だから頑張って勇気を出さないと、だから頑張って心を強くしないと、と言おうとした少年の言葉を、少女の言葉が強引に遮る。

 

「あなたがどんな道を選んでも、私は嫌いにはなりませんよ。

 だから、恐れなくていい。

 あなたはどんな道を選んでもいいし、何も選ばなくてもいいんです」

 

「……え」

 

「人にとって大切なのは、どの道を選ぶかじゃないんです。

 本当に大切なのは、選んだ道の先を、どんな未来に繋げるかなんです」

 

 めぐみんはむきむきを戦わせたいわけでもない。ここから逃したいわけでもない。

 ただ、後悔せずに選んだ道を進んで欲しいだけだ。

 

「私は、きっと……

 爆裂魔法の道を選ぼうと選ぶまいと、里の外に出ることを選んでいたでしょう。

 魔王を倒す道、自分の身の証を立てる道、未来の仲間と出会う道を選んでいたでしょう。

 どんな道を選んだとしても、私が私である限り、繋ぐ先の未来はきっと似通っている」

 

 彼女の最大の個性は爆裂魔法だ。

 だが、爆裂魔法があってもなくてもめぐみんはめぐみんである。

 短気で、人間関係も恋愛関係もアクティヴなその性質。

 かっこいいものを好み、ふざけた敵をぶっ飛ばし、大火力でぶっ壊すことに快感を覚える嗜好。

 ドライなところもあるが人情家で、頭はいいがバカもやって、面倒見がよく駄目な人を見捨てられない時も多い。

 彼女の本質は変わらない。

 

 どの道を選んだととしても、選択で分岐するどんな平行世界であっても、彼女は彼女だ。

 彼女は、選んだ道を自分らしい未来に繋ぐ。

 それは、むきむきも同じこと。

 

「道を選ぶことに迷うより。

 道を選ぶことを恐れるより。

 道を選んだ後頑張ることの方がずっと大事だと、私は思います」

 

 人生の本番は選択の瞬間よりも、その後にあるのだと、めぐみんは言う。

 

「進むのが怖いなら、私があなたの先を行きますよ。あなたはそれを追ってくればいい」

 

 めぐみんには、格好良く誰かの前を進んで行く側面もあれば――

 

「……でも。できれば隣を歩いてくれた方が、私は嬉しいですね」

 

 ――叶うなら、一緒に隣を歩いて欲しいと思う、可愛らしい側面も持ち合わせている。

 

「もう一度言いますよ?

 あなたがどんな道を選んでも、私は嫌いにはなりません。

 だから、恐れないでください。

 あなたはどんな道を選んでもいいし、何を選ばなくてもいいんです」

 

 揺るぎない信頼がある。それが肌で感じられる。

 

「……信じて貰っても、僕はその信頼を裏切ってしまうかもしれない。

 裏切りたくないと思っていても、また情けないことして、信頼を裏切ってしまうかもしれない」

 

 彼はその信頼を裏切ってしまうことも、怖かった。

 望まずして信頼を裏切ってしまうことが怖かった。

 彼女の信頼を裏切ってしまう可能性が怖かった。

 

「花は散るからこそ美しく、価値がある。

 命は尽きるからこそ美しく、価値がある。

 私の爆裂魔法も、欠点と負の側面があるからこそ、あの輝かしい爆焔という価値を持ちます」

 

 対しめぐみんは、"信頼は終わってしまうかもしれないからこそ価値がある"という考え方を口にする。

 多大なデメリットがあるがために、長所が一点突破で大きい爆裂魔法を誇る。

 

「それと同じ。信じるということは、裏切られるかもしれないからこそ価値があるのです」

 

「―――」

 

「でなければ、『裏切られなかった信頼』に、価値が宿らない。

 絶対に裏切られないと保証された信頼に、価値なんてあると思いますか?」

 

 欠陥や欠点があるからこそ価値が宿るという、一つの価値観。

 それはめぐみんの中にある、欠陥のある魔法や、欠点のある人間を愛せるという資質から、生まれ落ちた考え方の一つだった。

 

「散らない造花は美しくない。だから私は好きじゃありません。

 永遠の命も欲しいとは思わない。アンデッドにも憧れません。

 欠点があっても輝いているものの方が、私は好きです。

 欠陥だらけでも、ダメダメでも、頑張っているものの方が好感を持てます。

 信頼を『絶対に』『完璧に』裏切らない人を信じることに、何の意味があるのでしょうか。

 私がその人を信じようと信じまいと、その人は結局成功と勝利を手にするというのに」

 

 もしかしたら、めぐみんは。

 

 信頼を裏切るかもしれない駄目な人を、その人が信頼に応えてくれると心底信じた上で、その人が信頼に応えてくれた未来に至る―――そういうものが、好きなのかもしれない。

 

 

 

 

「私はあなたを信じます。たとえ、あなたがどんな道を選んでも」

 

 

 

 その言葉が、彼女が彼にかけた魔法だった。

 

「さて、私も行きます。ゆんゆんの下に」

 

 魔法使いは、彼の心に魔法をかけて、彼に帽子を預けたままに、戦場に向かおうとする。

 

「どうして、爆裂魔法は通じないって分かってるのに」

 

「駄目ならゆんゆんの首根っこ掴んで逃げて来ますよ。

 私達にこの国と心中する義理なんてないんですから」

 

 めぐみんに真面目に戦う気はない。

 ただ、仲間と生き残ろうとする意志はある。

 

「そうしたら三人でどこかにでも行きましょう。

 あなたが望むなら、レベルを上げてから仇討ちに動いてもいいです。

 ああ、いつかは魔王も倒しに行きましょう。それまではのんびりいきますか?」

 

 紅魔族三人の中で最もたくましく、最もこの世界に適した生き方をしていて、最も安定した精神性を持つのは、間違いなくこの少女だった。

 

「むきむきもゆんゆんも真面目過ぎるんですよ。

 世の中生きたもん勝ちです。

 死にそうになったら死ぬ前にすたこらさっさと逃げるべきでしょうに」

 

 はぁ、と少女は溜め息を吐く。

 

「では、行ってきます。その帽子、後で返してくださいね?」

 

 そうして、部屋を出て行った。

 言うべきことは全て言った、ということだろう。

 部屋に一人残されて、少年はかぶらされた帽子を外す。

 帽子の下の顔には、もう涙は滲んでいなかった。

 

「いいのかな」

 

 めぐみんは信じると言った。

 彼が情けなくても、弱くても、その心を信じると言った。

 どんな道を選んでも、どんな選択をしても、信じると言った。

 むきむきは変わらなくても、成長しなくても、今のままで信じてもらえる。

 

 それでいいのかと、心が己に問うていた。

 

「僕は、情けない僕を、めぐみんに信じさせていいのかな」

 

 情けないままで信じられていいのか? と、口を通して脳が疑問を呟いた。

 

 んなわけあるか、と心は叫んだ。

 

「……いいわけない。僕は―――!」

 

 帽子を抱えて、少年は走り出す。

 

 情けない自分を、情けで信じて欲しくなかった。

 心の中には、信じて貰いたい理想の自分があった。

 まだ成れていない理想の未来の自分があった。

 彼女に信じてもらえるのなら、かっこよくなった自分がよかった。

 彼女に信じられてなお胸を張れる、格好良い自分になりたかった。

 

 むきむきは、男の子だからだ。

 

(行こう!)

 

 足に力が宿る。踏みしめる床が軋む。

 どんな道を選んでもいいと彼女は言った。

 だから、一番選びたかった道を迷いなく駆けて行く。

 

(世界で一番の魔法使いが、僕に魔法をかけてくれた)

 

 恐れは既に、彼女の魔法で爆裂させられている。

 

(この魔法を―――嘘には、したくない!)

 

 心に筋肉が応えていく。

 もはやどこにも憂いはない。

 彼は彼女に、『最強』の爆裂魔法にも匹敵する『最高』の魔法を、かけてもらったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 職業持ちではイエローを削れない。手を尽くそうとしても打つ手がない。

 対し、イエローはある程度気を付けながらじっくり攻めて行くだけでいい。

 次第にレヴィ達は追い詰められ、やがて全員が訓練場の端にて追い詰められていた。

 

「づっ……!」

 

 もがく。

 あがく。

 無駄だと分かっていても続けられる抵抗。

 それが、彼らの中に不思議な一体感を生んでいた。

 

「お前達うちの国で働く気はないか! 今の年収の三倍は出してやるぞ!」

 

「結構です! まだと……と、とも、友達と旅をしていたいので!」

「謹んでお断り申し上げます。今の私は、アイリス様のためにありますから」

 

「義理堅い奴らだなっ!」

 

 彼らからすればイエローは本気でどうしようもない相手。

 だが、イエロー視点からではまた別のものが見えている。

 何せイエロー、能力がなければ普通に弱い。弱者としての視点も持つ彼は、ここまで自分に食い下がってきた彼らの戦力をきっちり高く評価していた。

 

(なんつー奴ら……正直ビビルでゲス。

 こんなに手こずったのは、この世界に来てから初めてかもしれんでゲス。

 特にあの紅魔族の女。なんて魔力と魔法の威力……幹部とも戦えるんじゃないでゲスか)

 

 イエローは魔王を殺せる攻撃さえ無効化できる。

 それは彼が魔王より強いからではなく、相性の問題だ。

 レッドの改造モンスターを仕留め、ブルーやピンクも必死にかわしていたことを考えれば、大火力砲台のゆんゆんに最も相性が良いのはイエローであるとも言える。

 

(『相性』で勝てる拙がここで仕留めておかないと、魔王軍の脅威になりかねんでゲスな)

 

 イエローがゆんゆんに狙いを定める。

 ゆんゆんがそれに気が付き、キッと表情を強張らせて構える。

 男が少女に向けて踏み出して、その瞬間―――男と少女の間に、何かが降って来た。

 

「!?」

 

 降って来たものは、巨躯の巨人。

 2m半を超える巨体で、ゆんゆんただ一人を守るかのようにそこに立つ。

 その大きさと威圧感に、思わずイエローは後ずさった。

 

「き」

 

 特に理由はない。

 何も理由はない。

 だがレヴィは、その姿を見ただけで何故か『勝った』という確信を得ていた。

 

「来てくれたか、紅魔の巨人……!」

 

 めぐみんさえ途中で追い抜いて、王城から訓練場に数秒で到着したむきむき。

 彼はめぐみんの帽子をゆんゆんに預け、勇壮にイエローに立ち向かう。

 

「ごめん、遅くなった。ゆんゆん、これ預かってて」

 

「う、うん! あ、待ってむきむき! あいつの能力は……」

 

 ここまでの彼女らの戦いの成果、すなわちイエローの能力の詳細がむきむきに伝えられる。

 むきむきの知力で理解できるレベルに、かつ短い時間で全てを説明するゆんゆん。流石の知力と付き合いの長さといったところか。

 レインはどこか心配そうだが、ちょっと興奮気味のゆんゆんは全く心配していない。

 

「大丈夫なんでしょうか、彼だけに任せて」

 

「優しい時のむきむきはともかく、気合い入ってる時のむきむきは強いですよ!」

 

 むきむきは戦意を滾らせ、イエローは余裕綽々に、ゆったり歩いて距離を詰める。

 

「昨日は僕の心が負けた。でも、今日は負けない」

 

「ゲースゲス、そりゃ立派な心意気……ん?」

 

 今度は死にかけの恐怖ではなく死を実感させてやろう、と油断と慢心に満ち満ちたイエローが手をわきわき動かしていると、むきむきと目が合う。

 まるで空に輝く赤い星のような、真っ赤な目がそこにあった。

 

(……? 昨日戦った時より、目が赤い?)

 

 はっ、と気付く。

 

(いや、そうでゲス。忘れてたでゲス。

 紅魔族は感情が高ぶると目が赤くなる。そしてこの男に限って、それは―――)

 

 気付いた時にはもう遅く。むきむきは一瞬で歩行速度を0手前からマックススピードまで引き上げ、イエローの懐に飛び込んでいた。

 

「ドレインタッチ!」

 

 モンクの保有スキル・自動回避と同系統のスキルが発動し、確率発動のスキルがイエローに迎撃を行う余裕を作る。

 幸運値の差が、"幸運にも"イエローに対応を許していた。

 

「こう、かな」

 

「!?」

 

 だが、幸運値の無さは工夫で補ってこその冒険者。

 むきむきはドレインタッチとして突き出されたイエローの手を、パンチをはたき落とすボクシングのパリングのように、かつ赤子を撫でるように、強烈に優しく叩いて逸らしていく。

 

(『攻撃』に、ならないように)

 

 桁違いの筋力・素早さ・器用度が、筋肉魔法に似た防御行動を成立させる。

 魔法と見分けの付かない防御技術であった。

 

「な、な、何ぃ!?」

 

 柔らかなタッチ、力強い動き、神速のハンドスピードが並立している。

 今の彼なら、砂の城を崩さない手つきと、戦車を投げるパワー、目にも止まらないスピードを並立した防御行動さえ容易いだろう。

 事実、イエローの手には一切の攻撃判定が発生していない。

 自分の手が猛烈な勢いで叩き落されているのを目で見ているのに、手自体には優しく撫でられるような感覚しか感じないのだ。

 見えるものと感じるものの差異に、イエローは頭がおかしくなりそうだった。

 

「……成程、何か支援魔法をかけてきてもらったんでゲスな」

 

「うん。心に、世界最高の支援魔法をかけてもらってきた」

 

「は?」

 

「ぶっ飛べ」

 

 魔法で強化して得た一時的な力でもなければ、ここまで急激なパワーアップはありえない。

 落ち着けば怖くはない。いくらパワーアップしても、自分には傷一つ付けられない。

 そう思っていた。

 ……そう思っていたがために、イエローは、吹き飛ばされてからその脅威を理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浸透勁、という技がある。

 創作においては防具の上から衝撃を浸透させ生身にまで届かせる技、と扱われることが多いが、この技の本質は浸透による破壊である。

 そも浸透勁という言葉は造語。中国武術における、破壊力を身体に浸透させて相手の体を効率よく破壊する、という概念を言葉にしたものだ。

 

 拳撃の理想は破壊力を全て浸透させ、パンチの威力の全てを人体破壊のために使うこと。

 殴って相手を吹き飛ばしてしまうということは、パンチの威力の大半を吹き飛ばすことに使ってしまうということで、相手の体を破壊するためにエネルギーを使えていないということなのだ。

 この世界では、スキルを取ることでその動きが身に付く。

 幽霊もむきむきにこの動きを身に付けさせようとしていた。

 むきむきも未熟ながら、この動きを自然に打てるよう日々鍛錬している。

 

 なのだが、むきむきは今回『浸透勁の逆』を打った。

 攻撃にならない攻撃。常識外の格闘攻撃。破壊せずに吹き飛ばす一撃。

 職業由来でもない力で、スキル由来でもない力で、彼が生来持つ筋力。それを、『攻撃』の判定を発生させないようぶつけた結果。

 人体を決して傷付けず、自身の筋力の全てを移動エネルギーに変換したそれは、イエローの体を雲の上まで吹き飛ばした。

 

「は―――あ―――あっ―――!?」

 

 止まらない。まだ上昇は続く。まだ止まらない。まだ飛んでいく。

 

 そしてイエローは、大気圏外に到達。すなわち宇宙にまで殴り飛ばされていた。

 

(こんなんありえんでゲスー!?)

 

 イエローは冒険者相応にさして高くない自分の魔力と、スキル連発に必要な大量の魔力というミスマッチを解消するため、吸魔石等の魔道具を大量に持ち歩いている。

 それが自分の素早さを低下させないよう、ブルーとピンクが共同作成した重力を軽減する魔道具も身に付けていた。

 

 それが、完全に裏目に出た。

 質量は変わらないため、"軽いものより重いものの方が力がこもる"法則に沿ってむきむきの筋力を大量に受け止めてしまう。

 かつ、重力の影響は軽減状態。

 そこにむきむきの、一生に数回しかないであろう感情爆発のスーパーパワーの衝突だ。

 

 ここまでぶっ飛んでもなんら不思議ではない。

 これこそが、ゆんゆんが見つけた能力の隙に、めぐみんがくれたパワーで立ち向かう、むきむきが見つけた対イエロー用知的攻略作戦。

 『星の外までぶっ飛ばしてやる作戦』であった。

 

(し、死ぬ……『テレポート』!)

 

 肺に残っている残り少ない空気を使って、テレポートを詠唱発動。

 イエローはレヴィのテレポート攻撃に対処した時と同じように、訓練場の真ん中に戻る。

 

「は……はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 ぶわっ、と冷や汗が吹き出す。

 周囲に空気があるという幸運に、とてつもない幸福を感じる。

 自分の足が地に着いているという奇跡に、感動すら覚えている。

 イエローは両手両膝を地面に触れさせて、弱々しく死にそうな声を絞り出した。

 

「戻って来れなくなるかと、思ったでゲス」

 

 そんなイエローの襟を、むきむきの手が掴む。

 

「お前の魔力が尽きるまで、お前が死ぬまで……

 何度でも、空の上まで飛ばしてやる。何度でも空の星になれ」

 

「―――!?」

 

 火傷しそうなくらいに熱い、言葉の熱。

 本気も本気だ。むきむきはこんな手段でイエローを殺しきろうとしている。

 またしても彼は、とても優しい手つきでイエローを空へと投げ飛ばした。

 

(過大評価だと思っていたのに。

 爆裂魔法の女が一番の脅威だと思っていたのに。

 ヤバい、こいつ、爆裂魔法の女並みに能力がヤバいでゲス―――!)

 

 空に打ち上げられている間に、必死に吸魔石で魔力を回復する。

 重力軽減の魔道具はガッツリと服に固定しているため、この攻撃ループを脱せなければ外せない。

 真空に打ち上げられると、イエローは自分の中にある空気が、血が、全てがおかしくなったような気さえする。レベルとスキルの補正がなければ、とっくにどこかで死んでいるだろう。

 大気圏を抜けたところで、テレポートを必死に発動。

 地上に戻ったところで、イエローは走って逃げようとするが――

 

「!?」

 

 ――足を、沼に取られる。

 

 ゆんゆんのボトムレス・スワンプだ。

 最適なタイミングで最適な場所に放たれていたゆんゆんのサポート魔法が、イエローの決死の抵抗を無に還す。

 沼に足を取られたイエローはむきむきに優しく力強く蹴り飛ばされ、またしても雲の上まで血も凍るような打ち上げの恐怖を味わわされる。

 

(こいつら、こいつら紅魔族三人の内、一人だけでも昨日の内に仕留めておけば―――!)

 

 何か変わったかもしれないのに、と思っても時既に遅し。

 

 魔道具で魔力を補給しても追いつかない。

 無理矢理に打ち上げられたことで、三半規管も揺れて気持ち悪い。

 気圧が何度も変わるせいで呼吸はしづらく、真空にまで至れば呼吸なんてできやしない。

 慣性で血液も体のどこかに寄るものだから、貧血で卒倒しそうになる。

 

(この能力が無かったら、とっくの昔に殴り殺されてるでゲス……!)

 

 イエローは、地球で聞いた言葉を思い出す。

 『大人しいやつほどブチッとキレた後が怖い』。

 更に、この世界で聞いた言葉を思い出す。

 『紅魔族は、勇者と同じかそれ以上に怖い』。

 

 むきむきのこのパワーは今だけだ。

 めぐみんの言葉に引き起こされた感情、それが引き出した現在の最高値のパワー。

 心が成長し、大人になっていくにつれて子供特有の感情の爆発が失われていくことを考えれば、このパワーが今後発せられるかも怪しいものだ。

 だが、それでも。

 

 心までは無敵ではないイエローの心をへし折るには、十分だった。

 

(もしも、この男が、職業を捨てたなら……どうなるでゲス?)

 

 何度も打ち上げられ、何度も地上に戻り、必死に抵抗する最中にイエローは思考する。

 

(恩恵の薄い冒険者カードを捨て、職業の補正を全て捨てたなら?

 この肉体の力だけで拙に襲いかかってきたら?

 この筋力値ならカードと職業の補助がなくても拙は殴り殺せるのでは?

 拙の能力はどうやってもこの男の攻撃を防げないのでは?

 この男が全てを投げ打って拙を倒すことを決めたなら……殺されるんじゃないでゲスか?)

 

 殴り殺されるか。

 宇宙で呼吸困難で死ぬか。

 このまま続けても、この先にある結末は二つに一つ。

 

(ファッキンこの世界! 死ね! 死ねでゲス!

 なんで、なんで……()()()()()()()()()()()()が、普通に生まれてくるんでゲス!?)

 

 イエローはまた地上にテレポートで戻り、またしてもゆんゆんの沼に足を取られ、迫り来るむきむきの手を心底怯えた顔でかわし――

 

「『テレポート』ッ!」

 

 ――心折れて、魔王城へと逃げ帰った。

 

 

 

 

 

 真っ先に王子が喜び、大きな声を上げ、むきむきに駆け寄る。

 "そんな行動は王族らしくない"だなどと、誰が彼を責められようか。

 

「よくやった、むきむき! いやゆんゆんも、レインもそうだな! よく頑張ってくれた!」

 

 能力を判明させた者、仲間を立ち上がらせた者、立ち上がり敵を倒した者。

 全員が貢献した勝利だ。無論、それは王子も含む。

 兵士達がそうしていたように、抗って時間を稼いだ行動も無駄ではなかっただろう。

 結果論ではあるが、ラグクラフトの策謀が逆転して噛み合って、『魔王軍の襲撃』は『酔っぱらい冒険者が暴れた』程度の被害しかこの国に生み出さずに終わった。

 

「国を代表して礼を言う! ありがとう!」

 

 レヴィが満面の笑みで礼を言う。

 

「どうした?」

 

「……王子様のそんな笑顔、この国に来てから初めて見ました」

 

「おい、冷やかすようなら先程の言葉は撤回するぞ」

 

「ふふ、ごめんなさい!」

 

 ゆんゆんの言葉に王子が照れくさそうにする。

 くすくすとゆんゆんが笑っていると、訓練場の通路の向こうから格好付けた少女がやって来た。

 

「ふっ……どうやら私の秘められた力を解放するまでもなく、勝てたようですね」

 

「めぐみん!」

 

 実はめぐみん、"今回自分あんまり役になってない"とちょっと気にしていたのだが、むきむきを筆頭に皆が暖かく迎えてくれたことにホッとする。

 大量破壊兵器むきむきの投入には彼女の存在が必要不可欠だったのだから、邪険に迎え入れられるわけもない。当然と言えば当然か。

 少年は少女に、預かっていた帽子を返す。

 

「これ、ありがとう」

 

「いい顔してるじゃないですか、むきむき。それなら確かに帽子で顔を隠す必要はありませんね」

 

 むきむきはいい顔をしていて、それを覗き込むめぐみんもまた、いい顔をしていた。

 そんな二人を見守りうんうんと頷くゆんゆんもまた、いい顔をしている。

 

「さあ、戻るぞ! エルロードで一番高い飯を食わせてやる!」

 

「流石王子!」

「太っ腹!」

「ありがとレヴィー!」

 

 戦いは終わり、心休まる休息が始まる。

 

「王子! 緊急の連絡です!」

 

 はずだった。

 

「なんだ、後にしろ。今はこいつらをゆっくり休ませてやりたい」

 

「そんなことを言っている場合ではありません!

 伝令はベルゼルグからこちらへの文書テレポート送信!

 彼らの母国の緊急事態です、むしろ彼らにも聞かせなければ!」

 

「……報告を続けろ! ただし正確に、誤解の余地もないようにだ!」

 

「はい!」

 

 終わってなどいない。イエローはただの前座だ。

 彼らの本当の戦いは、ここから始まる。

 

「最前線の砦が魔王軍大部隊の奇襲によって落ちました!

 最前線の勇者達、及び王族は散り散りに!

 ベルゼルグ王、及び第一王子ジャティス様も消息不明!

 魔王軍は小規模軍事拠点を制圧しながら一気に侵攻!

 たった一日で、ベルゼルグ王都の包囲を完了、そのまま侵攻を開始しました!」

 

「……なっ」

 

「ベルゼルグは救援を求めています!」

 

「間に合うわけがないだろう! 隣国のエルロードでも十日以上はかかるんだぞ!」

 

 王都は一週間も保つまい。

 だが、静観すれば全てが詰んでしまう。

 ベルゼルグは、紅魔族やアクシズ教徒、ベルゼルグ王族に転生者の勇者達と、世界最高の戦力を抱える魔王軍侵略を防ぐ壁。

 ベルゼルグが落ちれば、人類の敗北は99%確定する。

 

「奴が日付にこだわったのは、これが理由か!

 昨日エルロードを落とせば、万が一にもベルゼルグに連絡が行く可能性があった!

 今日の大侵攻の際にベルゼルグに余計な警戒心を抱かせておかないために……!」

 

 彼らが思っていた以上に、魔王軍は優勢で。

 

「やつら、ここでベルゼルグとエルロードを同時に落とし……

 人類と魔王軍の戦争を一気に終わらせ、魔王軍の勝利で飾る気だったんだ!」

 

 人類が思っていた以上に、魔王軍は強大だった。

 

 

 




 次回から二章八節開始、その次が三章一節となります。二章はあと投稿数回分ですね


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2-8-1 ベルゼルグ王都防衛戦

『貧弱なゴブリンを中堅どころの冒険者チームと渡り合えるレベルに強化する』
『軍規模でその能力を配下にかけることができる』
『幹部クラスの兵士を即席で生産できる』
 とか言われる魔王の娘


 むきむき達は休息も取らず、即座に帰国することを選んだ。

 アイリスのピンチに、じっとしていられるわけがない。

 エルロードは彼らに国を救ってもらった恩を軽く見ていない。

 だが、その恩を歓待という形でゆっくり形にする時間がないことも、分かっている。

 

「間に合うかも分からんぞ、むきむき」

 

「間に合うかもしれないでしょ、レヴィ」

 

 少年の中にイエローを倒した時ほどの熱はない。

 あんな一過性の感情の爆発は長続きはしない。

 されども、今の彼の心の中には、長続きする感情の高ぶりがあった。

 

(……アイリス)

 

 ベルゼルグは、エルロードに状況説明と救援要請の連絡を送った。

 それと同時に、国の手紙に相乗りする形でアイリスの手紙も届けられていた。

 アイリスが手紙を送った相手は、三人の子供の紅魔族。

 

『来ないで下さい』

 

 むきむきは何度もその手紙を読み返す。

 アイリスは「助けて」という言葉を手紙のどこにも書いてはいなかった。

 

『あなた達が戻って来ても、何も変わりません。

 それに、今からではきっと間に合いません。

 きっと戻って来てしまえば、無為に無駄死にすることになります。

 私には分かります。この戦局は、むきむきさんが十人居てもひっくり返りません』

 

 アイリスはベルゼルグの王女として、無いに等しいか細い希望にすがりつき、他国に助けを求めていた。

 同時に"ただのアイリス"として、希望が残る小さな希望にすがりつき、むきむき達が助けに来ることを拒んでいた。

 

『だから、来ないで下さい。

 気に病まないで下さい。元気に笑って生きていて下さい。

 そして……叶うなら、私のことを覚えていて下さい。ずっと、ずっと』

 

 自分のことを覚えていてくれる友達が、世界のどこかで生き続けていく。

 アイリスは、自分に残された希望(すくい)はそれしかないと認識していた。

 

『私のことを"友達"として覚えてくれている人が居れば……

 私のことを覚えてくれている人が生き残ってくれれば……

 私は、それだけで満足です。こんなに幸せなことはありません』

 

 何度手紙を読み返しても、少年はこのくだりで体に力が入ってしまう。

 

『どうか、生きて下さい。

 私の望みは助けてもらうことではなく、あなた達が生き残ってくれることなのです』

 

 ベルゼルグ組四人の心は今、一つだ。

 "アイリスを絶対に助ける"という想いで、彼らの心は一つになっている。

 

「世話になったな。お前達はこの国の英雄のようなものだ」

 

「レヴィ、そんな大袈裟な……」

 

「大袈裟なものか、ドラゴンスレイヤー」

 

 ドラゴンに魔王軍。この世界でも指折りに有名な人類の敵対者を打倒したことで、紅魔族御一行、ひいてはベルゼルグの評価は爆発的に高まっていた。

 王子は彼らが帰る前に、その借りを一つでも多く返そうとする。

 

「何か望みはあるか? 俺にできることならなんでもしてやるぞ」

 

「うーん……あ、そうだ」

 

 けれど、むきむきが望んだものは形にならないものだった。

 

「立派な王様になってください、王子様」

 

 そして、山ほどの金を積み上げるよりはるかに難しいことだった。

 

「一番面倒臭くて難しい望みを言うんだな、紅魔族」

 

 王子はその願いを聞き届け、苦笑し頷く。

 レヴィに立派な王様になりたいだなんて願いはなかったが、国を救った男からの、親しい友人からの願いだ。

 その願いくらいは叶えてやろうかと、そう思っていた。

 

「僕は友達が色んな人にバカバカ言われてるの、ちょっと嫌だよ」

 

「だろうな。お前はそういう奴だ」

 

 どうやらむきむきは、レヴィを馬鹿にする人が居ることをちょっと気にしていたらしい。

 レヴィがバカ王子と呼ばれなくなる日が来るのか、あるいは馬鹿と呼ばれたまま玉座につくのか。それは誰にも分からない。

 

 レヴィは横目でラグクラフトを見る。

 ラグクラフトはいつも通りのポーカーフェイスだったが、どことなく落ち着きにかけるように見えた。

 立派な王様を目指すなら、この宰相よりも高みに行くか、最低でもこの宰相に並ばなければならないだろう。

 高いハードルだ。

 

 されども、王子は挑むことを恐れてはいない。

 宰相が居なけりゃ居ないで自分の力で上手くやってやろう、と思えるくらいの気概が、ここ数日で王子の胸の中に宿っていた。

 

「むきむき! もう馬車行けるわよ!」

 

「分かったよ、ゆんゆん!」

 

 ゆんゆんが呼びかけて、むきむきとレヴィの別れの時間も終わりを告げる。

 

「死ぬなよ、むきむき」

 

「死なないし、死なせたくないんだよ、レヴィ」

 

 少年二人は、握った右の拳を持ち上げて。

 

「またな」

 

「うん、また」

 

 拳の背を軽くぶつけ合い、それを別れの挨拶とした。

 

「よし、行こう! 皆、馬車の中では何かに掴まってて!」

 

 普通の馬車ではエルロードからベルゼルグまで十日以上はかかる。

 そこでゆんゆんが馬の代わりに別の生物を使い速度を底上げすることを提案し、めぐみんがむきむきの肩に乗って疾走することを提案。

 そして二つの案が合体し、むきむきが馬の代わりに馬車を引っ張って走ればいいじゃん、という合体作が生まれていた。

 

「こっちは大丈夫、むきむきも頑張って!」

「最高のスピードを見せてください!」

「平然とあなた達受け入れてますけど絵面レベルで変ですからねこれ!」

 

「出発!」

 

 むきむきは三人を乗せた馬車を引き、走り出す。

 馬より速く、虎より力強く、竜より猛烈に引いて走る。

 レヴィが用意したエルロードで一番性能が高い馬車を補強した馬車が、その無茶苦茶なパワーに悲鳴を上げていた。

 

 ほんの僅かな時間で、むきむき達は地平線の向こうへと消える。

 

「……最初から最後まで、とんでもないやつだった」

 

 最後の最後まで気持ちのいい豪快さを見せられて、レヴィは思わず笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部下の報告を、クレアは一言一句聞き逃さないよう聞いていた。

 

「報告します。王都の水源は全滅です。全て毒が投げ込まれています」

「報告します。王都の墓は全て荒らされました。

 おそらく、共同墓地の死体は全て急造のアンデッドにされたものと思われます」

「報告します。内通者が実在する可能性は高いと思われます。

 でなければ情報の漏洩に説明がつきません。

 作戦室関係者は全員身元はハッキリしているのですが……」

「内通者の推測予想が届きました。

 ドッペルゲンガー、洗脳系の創作魔法の存在も示唆されています」

「報告します。国軍の負傷脱落率が四割を超えました」

「報告します。死の宣告を受けた将兵が脱走を行い、その部下もつられて脱走を……」

「報告します。魔王軍に更なる増援が投入された模様です」

「報告します。陛下と第一王子様の消息は不明。

 前線に投入していた主力軍の被害状況も不明。

 参戦していた勇者達も同様です。ただ、残党狩りが行われており、生存は絶望的かと」

 

 王都ベルゼルグは今、最大の危機に直面している。

 

(憎たらしいな、魔王軍め。

 私とアイリス様の愛おしい毎日をこんな形で壊すとは……

 貴様らを片付けられる力が私にあったなら、一人残らず皆殺しにしていたところだ)

 

 現在、王都は魔王軍に完全に包囲されている。

 魔王軍は圧倒的な数の差を利用して、昼夜問わず王都に攻撃を仕掛けてきていた。

 人間側は毎日どころか毎時のペースで魔王軍に削られて、休む暇もなく追い詰められている。

 しかも、魔王軍は数だけが問題ではなかった。

 毒使いのハンスを初めとして、魔王軍の中でも厄介な能力を持つ者達が雨霰と投入されている。

 

「ターンアンデッドが通じないベルディア配下のアンデッド軍。

 魔法が通じないシルビア配下の強化モンスター軍。

 毒の軍に、悪魔の軍、鬼の軍……ダメだな、崩せる場所がない」

 

 魔法が効かないモンスターが最前列で壁となって後続の仲間を守ったりもする。

 空を飛ぶモンスターが空を飛べないモンスターを運び、王都の外壁を守る人間の頭上から落としたりもする。

 テレポートを使える魔王軍が先行して侵入し、王都内部をテレポート先に登録することで、後方から仲間をテレポートしての侵略ルートを構築。テレポートという名の橋頭堡を確保している一幕も見られる。

 

 魔王軍は数も厄介で能力も厄介、そして連携も厄介だった。

 

「ですがクレア様、私達にはアイリス様がついてますよ!」

 

 絶望的な状況。されど、ここにもまだ希望は残されていた。

 

「ですな! 姫様が居れば魔王軍も恐るるに足らず!」

「今日も王女様が剣を振れば、敵はただ吹き飛ぶだけでした!」

「アイリス様さえ居れば、幹部にだって負ける気はしません!」

 

 今日、王都は正面門を突破されていた。

 王都になだれ込む魔王軍を前にして、誰もが諦めた、その時。

 第一王女アイリスが出陣し、聖剣を振るって魔王軍を押し返したのだ。

 アイリスは魔王軍幹部を含む魔王軍を時に拮抗、時に圧倒し、魔王軍に多大な被害を与え膨大な人の命を救ったという。

 

 その後魔王軍との戦闘は13時間絶え間なく継続されたが、アイリスは何度かの休憩を挟みつつ連続で出撃し、魔王軍からの集中攻撃を捌きつつ孤軍奮闘。

 ロクな戦力が残っていなかった王都にて、決定的な被害を出さずに終わらせたという話だ。

 

「王都は包囲されて民も逃がせない。

 なけなしの戦力で四方八方を防衛しないといけない。

 そのため、街中に敵が入ってきてもまともに処理できませんでした……

 あの時は本当に、アイリス様がかつて魔王を倒した伝説の勇者様に見えたものです」

 

 アイリスに感謝し、崇め、敬意を抱き、その強さと慈悲深さに全幅の信頼を置く貴族達と騎士達を、クレアは軽蔑の目で見ていた。

 

「お前達、アイリス様が今日、幹部シルビアに吸収されかけたことをもう忘れたのか?」

 

「―――!」

 

「今最後の王族がやられれば、士気は0に等しくなるぞ」

 

 ヴァンパイアがむきむきにその脅威を語っていた幹部、シルビア。

 その名が出ると、今日の戦いであった一幕が思い出されて、彼らの高揚はかき消える。

 今日の戦いの夕方頃に、疲れが見えたアイリスが、魔王軍幹部の奇襲であわや吸収されかけたという事件があったのだ。

 

「アイリス様が掴まって吸収されそうになったのは、疲労が原因だ。

 街中という繊細な力の制御が必要とされる場所が、精神力を削る。

 無数の敵を一気に吹き飛ばさないといけないという前提が、魔力を削る。

 長時間の全力戦闘の継続が、体力を削る。アイリス様にも限界はある」

 

 この戦場におけるアイリスの戦いは、マラソンに近い。

 自分が戦っている間だけ戦いが成立し、自分が休んでいる間は押し込まれてしまう戦い。

 自分が一時間奮闘して押し返しても、30分休めばチャラになってしまう戦い。

 現状をどうにかするには休みなく何時間も戦い続けねばならず、食事の時間や睡眠の時間さえ時間の無駄遣いに感じてしまう。

 体も心も休めないまま戦い続け、疲労でふっと気が緩めば、シルビアの吸収のような一発で終わってしまうスキルが飛んで来る。

 

 最悪なのは、アイリスの奮闘で助かる命があまりにも多く、アイリスが休憩することで失われる命があまりにも多い、この状況だった。

 

「そういえば、アイリス様は丸一日戦い詰めでしたな……」

「しっかり休んで……と言いたいところですが……」

「アイリス様が抜ければ戦線は二時間保ちません」

「そ、そうなのか!? 奴らは昼夜問わずに来ている。

 それでは、アイリス様は二時間眠る余裕さえ無いのでは……!?」

 

「ようやく状況が飲み込めて来たか、莫迦者。

 第一! 我らの役目は王族の守護! 王族だけ矢面に立たせてどうするッ!」

 

 今は戦いも小康状態なため、アイリスが抜けてもギリギリ保っている。

 クレアはアイリスを三時間は眠らせたいと考えているが、それも難しいかもしれない。

 

「いいか、アイリス様は王冠なのだ! その役割は汚れ一つなく輝き続けること!

 泥をつけるなど以ての外! 傷付けるなど論外だ!

 王冠が頑丈だからといって、王冠で敵を殴りつけて平気な顔をしているバカがいるか!」

 

「うっ」

 

「奴らは、明らかにアイリス様を削ってから仕留めようとしている。

 我々がアイリス様のお荷物になれば、アイリス様も容易に落ちるぞ」

 

「ど、どうすれば……?」

 

「全員、死ぬ気でやれ。まずは決死隊を募る」

 

 ダン、とクレアは拳をテーブルに叩き受ける。

 

「決死隊の指揮は私がやろう。ベルディアを始めとする面倒な駒を、これで抑える」

 

「しかし、そんな部隊に志願する者など……」

 

「ベルディアに死の宣告を当てられた者達が居るだろう。全員参加させる」

 

「なっ……!?」

 

「私の名前で通達しろ!

 一週間後に無様に死ぬか、今日ここで格好良く死ぬかの、二つに一つだと!

 一週間後も生きられるかもしれない者達のために、お前達の命をくれと!」

 

「クレア様、死ぬ気ですか!? いけませんぞ、シンフォニア家のご令嬢が!」

 

「……私は貴族だ。

 平民より多くの権利を持ち、平民より多くの責務がある。

 死なねばならない時に死ぬのも、責務の一つだ。

 いつでも必要とあらば戦死してやろう。

 お前達も、必要とあらばその命を使い切る覚悟を決めておけ」

 

 しん、と部屋の中が静まり返る。

 クレアの言葉に思う所がある者も多いようだ。

 でも死にたくはない、と思っている貴族の姿もちらほら見える。

 クレアは死を覚悟している。アイリスの負担を減らすためなら自分の命を投げ打つことさえ躊躇わない、騎士の鑑だ。

 王に仕える貴族の鑑。少女を愛するロリコンレズの鑑。

 彼女は全くブレることなく、騎士で貴族でレズだった。

 

「クレア様、朗報です!」

 

「どうした!」

 

「冒険者です! 他の街の冒険者ですよ! 援軍が来てくれたんです!

 冒険者ギルドが募集をかけて、テレポートで外から王都に冒険者を送って来てくれたんです!」

 

「……! 本当に命知らずで腰が軽いな、冒険者という人種は!」

 

 クレアのその言葉には、二つのものが込められていた。

 貴族間の常識として在る、冒険者という職業を卑賤のものと見る認識。

 そして人生経験から来る、冒険者というものを少なからず評価する気持ち。

 今日は後者の方が大きい。毎日危険なクエストをこなし、西へ東へと飛び回る冒険者達の一部は、王都防衛というクエストに我先にと飛び込んで来てくれたようだ。

 

「私自ら礼を言いに行く! その命知らずな冒険者どもはどこだ!」

 

「こちらです!」

 

 "まだやれる、まだ戦える、負けてたまるか"と、クレアもまた、この世界の住人にふさわしいたくましさを見せていた。

 

 

 

 

 

 外部からの冒険者の参入で、また王都陥落予定終了時間が先延ばしになったと、DTレッドは深く溜め息を吐いた。

 

「紅魔族、アクシズ教徒、冒険者、王族……

 魔王軍の邪魔になるものは大抵パターン化してきたか」

 

 王都の危機を察知した紅魔族は、テレポートで飛んで来て魔王軍に一発かましてきたが、それを読んでいた魔王軍の別働隊が里に侵攻。

 紅魔族は里を守るために帰還せざるを得なくなり、以後は里の周囲で魔王軍の別働隊としのぎを削り合っている。

 

 アクシズ教徒はアルカンレティアからの観光ツアーの途中、偶然魔王軍の侵攻を察知し、腹が減ったと魔王軍の運搬食料を強襲強奪していった。

 そのついでに女神アクアの教えを思い出し、食いきれなかった分の食料その他諸々に火を放って、魔王軍の兵站を壊滅状態に追い込んでいた。

 おそらく、今日一番に魔王軍に痛手を与えている者達である。

 

 この世界では図々しい奴、ふてぶてしい奴、図太い奴、日々笑えている奴、たくましい奴、頭のおかしい奴が強い傾向がある。

 その傾向の体現者で、どこにでも湧いてきて、魔王軍を見つけると寄ってくるアクシズ教徒は、控え目に言って突発的災害に近いものだった。

 

「一日で終わる、と思っていたが……これなら二日半はかかるな」

 

 本当にこの世界の人間はしぶとい、とレッドは眉間を揉んでいる。

 

「魔王様のご息女が出撃するぞー!」

 

 人間はこの戦局をひっくり返せるのか?

 いや、無理だ。

 ここには魔王の娘が居る。

 

「流石魔王の娘。最前線で王族と転生者とずっとやりあっていただけある」

 

 魔王、そして魔王の娘には、『共に戦う仲間を強化する』能力がある。

 

 その辺の雑魚モンスターを、王都援軍に来た冒険者が苦戦するレベルにまで強化する。

 リザードランナーレベルのモンスターを、王都の騎士を倒せるレベルにまで強化する。

 紅魔の里周辺に生息するモンスターを、高レベル貴族を圧倒するほどに強化する。

 この軍の上澄みである名も無き数十人の手練れを、幹部クラスにまで強化する。

 

「転生者共が言ってたな。どっちがチートか分からねえ、って」

 

 魔王の娘はじっくり確実に攻めている。

 決着を急がず、逆転の目を残さないようじっくり詰ませていてる。

 戦力面にも隙がなく、戦術面にも隙がない。

 

 レッドが気楽に戦場を眺めていると、アイリス王女が『魔王の娘に強化された複数人の魔王軍幹部』に追い込まれ、敗走する姿が見えた。

 

「総戦力の差だな。これではどうしようもない」

 

 敵拠点を攻め落とすには防衛側の三倍の兵力が要るという。

 逆説的に言えば、防衛側は局所的には戦力を三倍化することができるとも言える。

 その上で言えることがある。

 今の王都戦力を三十倍化しても、拮抗するかは怪しかった。

 

「やはり時間の問題か」

 

 レッドは自分の出番が無さそうな流れに舌打ちし、つまらなそうに酒を飲み始めた。

 

 

 

 

 

 アイリスが敗走し、冒険者の援軍を咥えた王都防衛軍が小細工を積み上げ抵抗し、魔王の娘が時折前に出るだけでそれが瓦解していく夜。

 そんな夜を、むきむきが引く人力馬車が疾走していた。

 

「はぁ……ハァ……ハァッ……!」

 

 馬が引いて十日以上かかる道のりを、むきむきは驚くべきことに一日でほぼ踏破していた。

 馬車の重み、初めての馬車引き、道中にモンスターが居たことも考慮すれば、常識外れの移動速度であったと断言できる。

 

「気候がベルゼルグっぽくなってきた気がしますね」

 

「めぐみん、心臓に毛が生えてるの?

 これから大変な戦いになりそうなのに、私は戦う前からまいっちゃいそうよ」

 

「爆裂魔法でまとめて吹っ飛ばしてやればそれでおしまいでしょう?

 ゆんゆんは無駄に胸を大きくした分度胸は大きくなかったみたいですね! 無駄に!」

 

「戦闘で急に追い詰められたりすると誰よりも慌てるくせにこの言いよう……!」

 

 むきむきが馬車を引き、レインが爆速で走る馬車の空気抵抗を風の魔法で消失させ、めぐみんとゆんゆんは馬車内で待機。

 

「むきむきさん、流石にそろそろ休みましょう。今日はここまでです」

 

「ま、まだっ……行けますっ……!」

 

「あなたが行けても、あなた以外がきついと思いますよ」

 

「っ……分かりました」

 

 このスタイルで丸一日走り詰めだったのだが、流石に全員体力が厳しい。

 一日全速力で走り続けたむきむきは勿論のこと、弱めの風の魔法とはいえ一日魔法を使い続けたレイン、かなり揺れる馬車に一日乗り続けた二人の少女。

 全員がかなりの体力を消耗していた。

 もう夜も遅い時間だ。

 このまま王都に到着しても、疲労から犬死にしかならない。

 

 むきむきは辛そうに馬車を止め、誰も彼もが大なり小なり心の中に焦りを抱えて、晩御飯と就寝の準備を始めた。

 

「間に合うでしょうか、レイン」

 

「分かりません。ただ、間に合う気はします。冒険者ギルドの情報が正しいのであれば」

 

 めぐみんとレインの会話が、馬車が停められた川べりの水面に溶けていく。

 

「冒険者ギルドの人と出会えたのは、幸運でしたね」

 

 王都の危機に、冒険者ギルドは西に東にと駆け回っていた。

 筋肉乗用車マッスリングカー、略してマリカーの爆走ロードにも、ギルドが人を大勢動かしていた影響でギルド員が居た様子。

 魔王軍包囲網の外側で諜報活動を行っていたギルド員から説明を受け、むきむき達は今の王都の状況をかなり正確に把握することができていた。

 

 無知に無策に突っ込んでいたら、全滅していたかもしれない。

 

「私達エルロードを出た時点で、王都包囲が完了してから半日経過。

 そこから私達がこの人力馬車で一日移動。

 おそらく、明日朝一番で出て、王都までかかる時間が二時間強」

 

「王都が持ち堪えてくれていることを信じましょう」

 

 真面目な空気の中、ふと川の水面を見て、そこに映ったレインのスカートの中を見ためぐみんが一言。

 

「レインってパンツの趣味だけは地味じゃないんですね」

 

「!?」

 

 ロリのくせに黒下着のめぐみんが言えたことではないが、彼女はその辺棚に上げていた。

 

 

 

 

 

 ゆんゆんは自分の所持スキルポイント、習得可能スキルを見比べ、少し迷ってからポイントの一部を得意魔法に振って強化する。

 

「『ライト・オブ・セイバー』」

 

 そして岩に試し撃ち。

 岩は綺麗に両断され、その切断面の滑らかさは磨き上げられた石膏像のよう。

 光の魔法は目に見えて強化されていたが、ゆんゆんはどこか不満そうだ。

 

「うーん……」

 

 ゆんゆんの魔法は爆裂魔法ほどではないが強力で、魔王軍にも十分通用する。

 だが、彼女が求める領域にはまだ届いていない。

 里の大人の中でも強い者が放つライト・オブ・セイバーは、魔法抵抗力が極めて高いモンスターを仕留めることもできていた。

 この魔法は使用者の技量次第で何でも切り裂ける万能切断魔法。

 

 彼女が愛用するのも、彼女がこのレベルでは納得していないのも、納得の攻撃魔法なのだ。

 

「ゆんゆん、ご飯出来たよ。先食べる?」

 

「あ、うん。いただきます」

 

 むきむきに呼ばれて、ゆんゆんはその隣に座る。

 少年は米、肉、野菜を椀に盛って、ソースをかけて少女に手渡した。

 

「私ももっと頑張らないとね」

 

「何を?」

 

「そりゃ……その、色々と。めぐみんには負けてられないもの」

 

(……ちょっと羨ましいくらい、二人は『ライバル』だなあ)

 

 むきむきにはライバルが居ないため、こういう二人の関係を見るたび、ちょっと羨ましく思ってしまう。

 

「じゃないと、いざって時に頼りにされるのがめぐみんだけになっちゃう」

 

 ただ、これは今までのものとはちょっと毛色が違う対抗心だった。

 具体的には、『三人』が『二人と一人』になってしまうことを恐れる気持ちから生まれた、己を高めようとする対抗心だった。

 

「僕はゆんゆんを普段から頼りにしてるよ?」

 

「めぐみんの次にじゃないのー?」

 

「ええぇ、そういう言い方されると肯定も否定もしにくいんだけど……」

 

「そりゃそうよ、だってそういう言い方をしたんだもの」

 

 むきむきの性格上、めぐみんがゆんゆんより上、ゆんゆんがめぐみんより上、といった物言いはできない。

 どちらかが明確に上だったとしても、そうは言えない。

 ゆんゆんのこの言葉は、ただのいじわるだ。

 

「一番最初の友達を、頼りにしてないわけないよ。

 辛い時には傍にゆんゆんが居てくれたって、僕はそう思ってる」

 

「……」

 

 そのいじわるに、少年の掛け値なしの本音が返って来る。

 ゆんゆんはなんだかちょっと嬉しそうだ。

 

「じゃあもっと頼っていいのよ?」

 

「え、今以上に?」

 

「私は、友達に頼ってもらえた方が安心するのよ!」

 

「ぐ、グイグイ来る! ゆんゆんの友人関係の距離感の無さが全開になってる!?」

 

 話が進む。

 夜が更ける。

 日付が変わる。

 

 

 

 

 

 日付が変わる深夜の時間帯に、アイリスは部屋で一人目を覚ました。

 

「……ここは……痛っ……」

 

 アイリスは痛む体を動かして、ベッドから体を起こす。

 体には包帯が巻かれていて、着ている服も戦闘用の服ではなく普段から着ている寝間着。

 どうやら戦闘から帰った直後に、寝不足と疲労と消耗とダメージが重なって、城で気絶してしまったようだ。

 

 包帯が巻かれてはいるが、体の表面に傷は無い。回復魔法の効果だろう。

 この包帯は体表の怪我ではなく、体の奥に刻まれたダメージ、及び消耗した魔力を回復させるために巻かれている特殊なものである。

 アイリスを傷物にしないために、最大限に手を尽くした者達の尽力が、そこかしこに見られた。

 

「! 四時間も寝てしまっていたなんて……急いで戻らないと!」

 

 アイリスは急いで服と包帯を脱ぎ捨て、戦闘用の高耐性・高防御の服を身に着けていく。

 そして、その手が止まった。

 

「……恐ろしい敵でした」

 

 魔王軍の恐ろしさを思い出すたび、手が止まる。

 だがその恐怖はすぐさまアイリスの勇気にねじ伏せられて、消えてなくなる。

 彼女にとって恐怖は自分を縛るものではなく、何が自分の命を脅かすものなのかを忘れないための指標であり、自らの意志で制御できるものだった。

 

 指差されるだけで死を運命付けられるベルディアの指先から必死に逃げた恐怖。

 それを、死の宣告を正確に見切る判断力に変える。

 バインドスキルからの吸収という恐るべき連携を見せてきたシルビアの恐怖。

 それを、バインドと吸収両方に的確な迎撃を行える冷静さに変える。

 邪神様と呼ばれていた女性の、連続テレポートからの連続魔法を紙一重でかわした恐怖。

 それを、広範囲に向ける警戒心に変える。

 

「あ」

 

 一つ一つ恐怖を潰して別の何かに変えていくと、着替えの途中の少女の肘がテーブルの上のものにぶつかった。

 平凡なコップ。

 友達ならおそろいのものを揃えよう、とゆんゆんが言い出して、四人で同じものを揃えたコップだ。ゆんゆんが街で買った安物だが、大事な想い出の品。

 その隣には割れた花瓶を無理矢理に修復した花瓶。

 めぐみんとアイリスがうっかり割ってしまった花瓶で、二人で怒られないようこっそりと直した花瓶だ。これもまた、大切な想い出の品。

 その横には、花と草で編んだ冠がある。

 むきむきが器用に作ったもので、中庭の花と草で作られたこれは、レインの魔法で長持ちするよう保存されている。

 言うまでもなく、これも彼女の宝物。

 

 アイリスは花の冠を頭の上に乗せ、鏡の前でくるりと回る。

 彼女の戦闘用の服は実用性も高いが、デザインもドレスのように美しい。

 花の冠と相まって、今の彼女はとても可愛らしかった。

 "王の冠を乗せることがない、王女(わたし)だけの冠だ"と思うと、自然と少女の口元には笑みが浮かぶ。

 

「ふふっ」

 

 もう会うことはないだろう、とアイリスは遠き地の友人達に思いを馳せる。

 彼女は死を確信し、死を覚悟していた。

 そこに悲しみはあるが、絶望はない。

 宝物の花の冠を置いていき、彼女は戦場へと向かう。

 

 王女としての責務を果たすため、彼女はここで自らの全てを費やすつもりでいた。

 最後の最後まで、この街の人々を守るために全力をぶつけようとしていた。

 守れるものがあるのならそれでいい、と彼女は思っていた。

 

「エリス様。どうか皆に、私に、この国に、幸運を……」

 

 このまま燃え尽きてもいいとさえ、彼女は思っていた。

 

 

 

 

 

 それから、数時間が経過した。

 

 むきむき達はあまりにも早く、あまりにも遅く、ベルゼルグ王都へ到着する。

 

 

 

 

 

 王都を取り囲む無数の魔王軍。

 巨大で頑強だった王都の壁は無情にも突破され、街の中にも魔王軍がなだれ込んでいた。

 街中で抵抗している者、壁周辺で魔王軍の流入を食い止めている者、王都の外で決死の抵抗を行っている者、それらが散発的に見える。

 

「王都は落ちかけで王城はまだ落ちてない、って塩梅か……!」

 

 むきむきが引く馬車は止まらず突き進む。

 このままでは魔王軍の分厚い布陣が邪魔になって、王都の中には辿り着けもしないだろう。

 ならば、ここは彼女の出番だ。

 数を揃えようが、質を上げようが、その爆焔は全てを焼き尽くす。

 

「光に覆われし漆黒よ、夜を纏いし爆炎よ。

 紅魔の名の下に、原初の崩壊を顕現せよ!

 終焉の王国の地に、力の根源を隠匿せし者、我が前に統べよっ!」

 

 めぐみんは自分に制御できる範囲で、極限まで破壊範囲を広げに広げる。

 

(威力も範囲も凝縮させず、出来る限り広範囲を、ムラ無く均等に吹き飛ばすように―――!)

 

 むきむきの肩の上から、めぐみんは爆裂魔法を放った。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 世界を抉り取る爆焔。

 空の上から見下ろしたなら、魔王軍の布陣そのものが吹き飛ばされたかのようなその火力に、誰もが開いた口が塞がらないだろう。

 めぐみんの爆裂は戦国時代の戦争にミサイルを撃ち込むようなもの。

 過剰な火力は、ただの一発で魔王軍の包囲網の一角を崩壊させる。

 

 王都に駆け込む人力馬車を止めるものは何もなく、彼らは一気に王都深くまで辿り着いていた。

 

「では、事前の打ち合わせ通り、状況に合わせた動きをしましょう!

 むきむきさんは王都内部に入った敵将の打倒を!

 斬首戦術で敵侵攻を食い止めつつ、そこで敵を食い止めて下さい!

 私達はクレア様と合流し、追って状況に合わせて動きます!」

 

「了解!」

 

 むきむきが抱えていためぐみんをゆんゆんに渡し、ゆんゆんとレインは王城前の陣地に移動。

 そこで指揮を取っているクレアと合流した。

 

「クレア様!」

 

「レイン、さっきのはお前か!

 いや、助かったぞ。魔王軍が立て直しにかかりきりになったおかげで、こちらも立て直せた」

 

 大貴族の令嬢であるクレアが相当にズタボロになっている姿を見て、レインは驚く。

 クレアも同様に、地味で有名だったレインがあれだけ派手なことをしたことに驚いていた。

 とはいえ、それは脇に置いておく。

 今はそれどころではないからだ。

 

「アイリス様は?」

 

「アイリス様の助力は期待するな。

 あのお体で、昨晩から戦いすぎた。

 体に傷は残らなかったが……この戦いに復帰するのは、もう無理だ」

 

 砂の城が崩れるのを止めようとしても、結局城は崩れてしまうのと同じように。

 

 徐々に、徐々に、状況は悪くなっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 むきむきは街中に侵入した雑魚モンスターを蹴散らしながら、この軍を率いているはずの『街の中を担当する』敵将を探し回る。

 地を走ればゾンビに骸骨。

 屋上を飛び回ればワイバーンにグリフォン。

 空にも地にも、魔王軍の魔の手が所狭しとひしめいていた。

 

(敵の数は多すぎるから、全部相手にしてたら絶対に押し潰されるとレインさんは言ってた。

 でも、僕が一人で機動力を最大に活かせば可能性はあるとも言っていた。

 大将首を奇襲で仕留めるくらいしか、質も数も劣る僕らに勝ち目はないと……!)

 

 雑魚は相手にしたくない。けれど数が多すぎて、相手せざるを得ない。

 

(雑魚は無視して……)

 

 一体倒している内に、二体追加される。

 二体まとめて倒すと、三体追加されている。

 相手にしていられなくて逃げると、逃げた先には四体居て最終的に七体に囲まれる。

 

(無視……)

 

 レインの忠告は忘れていない。

 レインの指示通り動こうともしている。

 だが、それを念頭に置いてもどうにもならないほどに、魔王軍の攻め手が苛烈すぎた。

 

「無視……できない!」

 

 じりじり、じりじりと、数の問題で思うように動けなくなっていくむきむき。

 弱い敵は一撃で仕留められるが、強い敵は一撃で仕留めるのも難しい。

 次第に逃げても振り切れる&一撃で倒せる雑魚が減って、逃げようとしても振り切れない&一撃では倒せない敵がむきむきの周囲に残るようになる。

 

(マズい……マズい!)

 

 周囲の強い個体全部の攻撃を捌きながら、強い個体を一体一体倒そうとしても、そうして時間を使っている内に新しい敵が追加されてしまう。

 これが、数の暴力だ。

 むきむきの行動速度を100とすれば、敵の攻撃を受けずに処理できるのは速度1の敵100体、速度10の敵10体、速度100の敵一体が限界だ。

 今むきむきの周囲には、速度40~80程度の敵が8体。

 少年はあちらこちらに跳び回り、三体以上の敵を同時に相手にしないようにして、なんとか数の暴力をしのぎつつ豪腕で敵を殴り壊していく。

 

「ああ、もう!」

 

 むきむきが仕留め損ねた敵が後方で回復してもらい、戦線に復帰している。

 本来ならむきむきと戦えないような魔王軍の兵士が、支援魔法と数の暴力でむきむきの足止めを行う。

 魔王軍は『軍』だった。

 犠牲を出しても、連携で戦術的な目標を達成するのが軍である。

 

(こんなことしてる場合じゃないのに……!)

 

 以前戦った千の魔王軍とは明らかに格が違う。

 むきむきの周囲を取り囲む魔王軍の中には、魔王軍幹部の直属の部下と思わしき強さの敵がチラホラと居た。

 そんな彼らでも、むきむきとタイマン張れば即座に潰されるだろう。

 だから、張らない。一対一では戦わない。連携で動きを封じに来ている。

 

 名も無き魔王軍の兵士達による、魔王軍の勝利と人類の滅亡という夢を目指した、強者を仕留めるがための決死の連携だった。

 

「―――!」

 

 その連携が、今実を結ぼうとしている。

 むきむきの手足が三体の魔王軍の頭を吹き飛ばし、それと同時に三体の魔王軍が少年の背後を取った。

 背後を取った魔王軍の手には、肌を腐らせる魔剣、肉体の防御を無効化する魔剣、状態異常をランダムで発生させる魔剣が、それぞれ握られていた。

 

(っ、腕か足を一本か二本、くれてやるしかないかな……!)

 

 かわせないタイミングで振るわれる、食らえば追い詰められる魔剣。

 この魔王軍の者達は初めからこれを狙っていたのだろう。逃げられない状況を作り、そこに魔剣を叩きつけることにこだわった。

 むきむきを単独で動かし、他に誰も付けないことでむきむきの機動力を最大限に活かし、敵将を単独で討ち取って貰うというレインの策は完全に裏目に出てしまった。

 

 左腕と左足を犠牲にすることを決め、むきむきは右拳を握る。

 敵の魔剣に切られることを前提に、カウンターで拳を敵の頭を殴り潰そうとして――

 

 

 

「『デコイ』!」

 

 

 

 ――『彼女』の背中を、その日初めて目に焼き付けた。

 敵の意識と敵意を引きつけ、攻撃を引き付けるクルセイダースキル・デコイ。

 むきむきと魔王軍の間に割って入った女騎士が、肌を腐らせる魔剣を鎧の胴で、肉体の防御を無効化する魔剣を大剣で、状態異常の魔剣を鎧の方で、それぞれ受ける。

 ビクともしない。

 状態異常も起こらない。

 守る対象に傷一つ付けさせない。

 

 鋼鉄の要塞を思わせる、そんなクルセイダーだった。

 

「ふぅ。ギリギリ間に合った、といったところか」

 

 魔王軍が連携して勝利を目指すのであれば、人が助け合って勝利を目指したっていい。

 

「間一髪だったな」

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

「何、この街に居るということは、同じものを守ろうとする同志だ。当然のことさ」

 

 女騎士は金の髪を揺らし、大剣を振るう。

 大剣は全く当たる気配を見せなかったが、高い筋力で振るわれる大剣は牽制には十分過ぎる。

 魔王軍は一斉に飛び退り、彼らから距離を取った。

 

 なんと頼もしい背中か。

 そのクルセイダーの背中を見ていると、『自分は守られている』という安堵が、むきむきの胸の奥に自然と湧き上がってくる。

 先日イエローが死の恐怖をむきむきに叩きつけたばかりだが、この女騎士がむきむきに与える安心感は、ちょうどそれの対極にあたるもの。

 

 テイラーというクルセイダーの背中に見たものとは違う、けれどもどこか似たものを、むきむきはその背中に感じていた。

 

「お姉さん、背中を任せてもいいですか?」

 

「ああ、任せろ。私は守りにだけは自信があるんだ」

 

「っと、大事なことを忘れてました。あなたのお名前は?」

 

 ここは地獄の一丁目。

 人類の存亡がかかった苦境の分水嶺。

 

「私の名はダクネス。聖騎士(クルセイダー)のダクネスだ」

 

 王都を守る、その戦いで。

 

 筋肉の鎧持つ少年は、『守る』ことにかけては最強なその人に、背中を預けた。

 

 

 




 前回のイエローの攻撃判定って要するにダクネスのおっぱいのことなんですよ。
 ダクネスの体には矢も刺さらない。でもおっぱいは柔らかい。腹筋は硬い。これはどういうことなのか?
 ダクネスのおっぱいは刀をガキンと弾きますが、カズマさんが揉めば柔らかいわけです。

 ダクネスの処女膜は防御力高すぎてカズマさんの攻撃力じゃ貫通できないんじゃないか、って心配はこのすば読者の十人中九人が思ったことがあると思うんですが、心配ご無用というわけです。
 カズマさんのち■んち■ん丸で攻撃判定が出ない限りは大丈夫なはずです。あの世界が慈悲深いと信じ、攻撃判定が出ないことを信じましょう。
 カズマさんのち■んち■ん丸の攻撃力が低いとか、そういう論理的な理屈付けが可能なはずなのです。


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2-8-2

『瞬く間に全員切り伏せる』とか『動きが見えないレベルのスピードで全滅させた』とか冒険者相手にやらないでくださいベルディアさん、ホーストさん


 ダクネス曰く、今王都には二つの防衛線があるらしい。

 一つは、街の包囲によって街から逃げられなかった人が集められた避難所と、それを潰そうする魔王軍、それに抵抗する冒険者達の戦線。

 そしてもう一つが、王城を攻め落とそうとする幹部と、それを食い止める騎士達の戦線。

 

 前者には勇者と呼ばれる人間も何人か合流していて幾分余裕があり、ダクネスは前者から後者の戦線へと移動する最中であったとか。

 むきむきはそれを聞き、ダクネスと共に後者の戦線へと向かった。

 

「張り直すぞ、『デコイ』!」

 

 道中敵と遭遇しても、ダクネスが敵の攻撃を引きつけてくれるだけで、先程までの戦いとは比べ物にならないほどに楽だった。

 防御を彼女に任せれば、むきむきは攻撃に集中できる。

 ダクネスを狙う敵をむきむきが背後から攻撃することもできるので、敵の殲滅速度までもが飛躍的に上がっていた。

 

(やりやすい!)

 

 むきむきが攻撃直前の敵を倒せばダクネスが防御しやすくなり、ダクネスが敵の攻撃を引きつけることでむきむきが攻撃しやすくなる、攻撃と防御の相乗効果。

 敵の攻撃が減ったことでダクネスは残念そうな顔をしていたが、むきむきは何故彼女が残念がるのかよく分からない。

 

「あの、僕何かヘマしたでしょうか……」

 

「いや、そんなことは無い。敵の攻撃が生温いと思っただけだ」

 

「か、かっこいい……!」

 

 この窮地において"余裕のあるかっこいい台詞"にも聞こえるその言葉に、むきむきのダクネスに対する敬意が急増していく。

 

「新手だ、来るぞ!」

 

 正面からハンマーを持った獣面人体の魔王軍兵士、空からワイバーンが迫り来る。

 王都外部からの侵入モンスターを迎撃する者が減ってしまったことで、空から流入して来るモンスターの数も爆発的に増えていた。

 

 地上の敵の攻撃はむきむきが、空の敵の攻撃はダクネスがそれぞれ受けに行く。

 振るわれる兵士のハンマー、そしてワイバーンの爪。

 むきむきの強靭な筋肉に打撃は通らず、ダクネスの硬い防御に爪は刺さらない。

 

 カウンターで振るわれたむきむきの豪腕がワイバーンを、蹴撃が魔王軍兵士を木っ端微塵に吹き飛ばした。

 

「よし!」

 

 むきむきはタフだが、ダクネスは硬いのだ。

 ゲーム的な表現をすれば、むきむきはHPが滅茶苦茶高くDEFがかなり高い。ダクネスはHPがかなり高くDEFが滅茶苦茶高い。そういうタイプ分けに近い。

 肉体強度だけで防ぐタイプと、職業スキル鎧の効果を併用して防ぐタイプは、一見似ているようでも細部が違うのだ。

 

 敵の攻撃の種類によって、この二人が受けるダメージは異なる。

 なら、受ける攻撃は分担して選べばいい。

 拙いものだがこの二人の間にも、連携というものが生まれていた。

 

「ふぅ、しかし全体的に敵のレベルが高いな。ええと、むきむき殿」

 

「呼び捨てでいいですよ。あれ、もしかしてダクネスさんはそんなにレベル高くないんですか?」

 

「高くもないが低くもない。アクセルの町基準で中の上程度だ」

 

 ダクネスのレベルを聞いて、むきむきは一つ思いつく。

 その思いつきは、先を急ぐという行為と並行して行えるものだった。

 彼らは先に進み、また戦闘を行い、勝利する。だが今度は、むきむきが敵にトドメを刺していなかった。

 

「トドメを!」

 

 トドメはダクネスが刺し、よって経験値もダクネスの方に行く。

 

「レベルは上がりましたか?」

 

「まさかこの状況でレベル上げをすることになろうとは……!」

 

 レベルの上昇でダクネスのステータスが上昇し、ダクネスは得たスキルポイントも防御力上昇のために費やした。

 彼女の硬さが、また上がる。

 

 じっくりレベル上げする時間はない

 敵が魔王軍であるため、安全にレベル上げを続ける余裕もない。

 あくまで、上げられるタイミングで上げていくというだけの話。

 それでも、むきむきがトドメと経験値を譲ったことは、かなり大きな効果があった。

 

 魔王軍という経験値ソースを得て、ダクネスの頑丈さがモリモリ増していく。

 

(僕が言えたことじゃないけど、凄いな。

 そこまでレベル高くなくても、もう多分幹部級と渡り合える防御力って……)

 

 魔王軍がダクネスを傷付けるペースより、ダクネスに魔王軍の攻撃が効かなくなっていくペースの方が早い。

 おそらく同じペースでレベル上げしても、身体能力が万遍なく上がっていくむきむきより、防御力を特化して伸ばすダクネスの方が防御力の上がり幅は大きいだろう。

 敵味方どちらから見ても、ダクネスは異質な存在だった。

 

「ダクネスさん、また新手が来ます!」

 

「むしろ望むところだ! さあ来い! もっと来い! もっと攻めて来い!」

 

 ダクネスが敵の剣の振り下ろしを受け、むきむきがその腹を蹴り飛ばす。

 投げられた槍はダクネスの首に当たり、刺さらず落ちて、拾ったむきむきがそれを投げ返す。

 巨躯の魔王軍がダクネスを掴んで投げ飛ばそうとするが、彼女は力強くビクともせず、手こずっている内にむきむきに殴り飛ばされていた。

 

 筋肉と金髪。筋肉鎧に金属鎧。攻と防。二人は互いを高く評価する。

 

(この人、強い)

(この男、強い)

 

(防御に徹して、仲間を守るこの姿。

 昔絵本で見た騎士様みたいだ。

 きっと高潔な精神に、騎士の理想みたいな力を宿してるんだろうなあ)

(これでサディスト気味だと最高なのだが。

 ああ、このたくましい筋肉に痛めつけられたい……!)

 

 性騎士たる狂性駄(くるせいだあ)・ダクネスはブレない。

 筋肉マンに対する筋肉マゾだな、と言っていいほどにブレない。

 クルセイダー・ダクネス。彼女の正体は大貴族令嬢ダスティネス・フォード・ララティーナ。

 ベルゼルグの変態貴族の一角たる、ドの付く(エム)だった。

 

 敵から攻撃されれば気分はToLOVEるダークネス、大発情。

 叩かれるたび変な声を出すティネス。

 今はまだむきむきから立派な騎士だと思われているが、事実が発覚するのも時間の問題だろう。

 このブラックマゾシャンガールの面倒臭いところは、彼女の思考と行動がマゾの鑑であると同時に、騎士の鑑でもあり貴族の鑑でもあるというところにあった。

 

 こんなんでもダクネスは、真面目に王都を守ろうとしているのである。

 

「敵が強くなってきましたね」

 

「幹部が近いのかもしれないな。

 昨日も今日も、このアンデッドが厄介だったのだ。

 生半可な破壊では死なない。

 そのくせ一切のターンアンデッドが効かない。どうなっているのやら……」

 

 幹部が居るであろう場所に近づくにつれ、分かりやすく出現するアンデッドの強さが増していく。

 

(この分だと、この先に居るのはおそらくアンデッド系幹部……だけど、やっぱりこの強さは)

 

 むきむきはターンアンデッドが効かないアンデッドを踏み潰し、先日イエローから聞いた『魔王の加護』のことを思い出す。

 女神から得たものを強化できるのであれば、部下も強化できるのではないか。このアンデッドはそうやって強化されたのではないか、と思ったのだ。

 

(魔王の一族の能力は、自分以外を強化するって認識でいいのかも)

 

 名もなき魔王軍が密集している所を避け、細い脇道を抜けて大通りへ。

 王都正門と王城正門を一直線に繋ぐ大通りに出て、そこから魔王軍と王城戦力がぶつかる場所に移動しようとする二人。

 そして、そこで。

 

「ほう」

 

 彼らはとうとう、魔王軍の幹部の一人とエンカウントした。

 

「骨の有りそうな奴がまだ残っていたか」

 

 二人から見て、王城のちょうど反対側。

 破壊された王都の正門を遠く背にするように、その不死者は立っていた。

 黒鎧の騎士。

 イスカリアにどこか似た、首無しの騎士。

 馬を傍らに控えさせ、己が首を小脇に抱え、片手には人の血に濡れた大剣を携えている。

 

 今まで感じたことのない雰囲気。

 隙の無い佇まい。

 イスカリアと比べても一段上の威圧感。

 じわりと滲む強者の魔力。

 

 魔王軍の幹部で『デュラハン』とくれば、そんな者は一人しか居ない。

 

「……ベル、ディア」

 

「俺のことを知っているようだな。

 俺もお前のことを知っているぞ……イスカリアの仇よ」

 

 ベルディアが抜いた剣を地に突き刺す。

 小さな衝撃が剣から広がり、僅かに周囲の地面を揺らした。

 地を揺らす刺突にダクネスが驚き、けれどもむきむきは動じることなく、名乗りを上げる。

 

「我が名はむきむき、紅魔族随一の筋肉を持つ者。

 父の名はくらぶべりー。母の名はみっか。この名に聞き覚えは?」

 

 その名乗りを耳にして、ベルディアの思考は一瞬停止し、すぐさま喜楽一色に染まる。

 

「そうか、そうか、お前はあの二人の息子か!

 あの勇敢なる者達に子が居たのか!

 あの二人に死を与えた時のことはよく覚えているぞ!

 いや、道理だ。紅魔族も世代交代はあって当然だな」

 

 紅魔族は大昔に作られた人造人間だ。

 繁殖力も低いわけではなく、魔王軍以外に敵も居ない。

 病死等、戦い以外で死にやすい要素があるわけでもない。

 むしろ皆が高レベルな分、常人よりはるかに死ににくいと言える。

 

 なのに、彼らが未だに小さな里に収まる程度の人口しか持たないのは、その分どこかで戦死しているからだ。

 死んで、生まれて、世代交代。

 不死者であるがゆえに、そういうサイクルがあることを失念していたベルディアは、面白そうに笑っている。

 

 少年は笑えない。

 

「お前が……!」

 

「仇討ちか? ならば受けるぞ。俺にも仇討ちをする道理はある」

 

 ベルディアはむきむきの両親を殺した。

 むきむきはベルディアの弟・イスカリアを殺した。

 二人は互いが互いの仇。

 イスカリアと戦った時の気持ち、イスカリアに師を奪われた後の感情が胸の奥に蘇り、むきむきはまた悪鬼に近付いていく。

 

―――頑張ったから、泣いてるんだよ

―――あなたがどんな道を選んでも、私は嫌いにはなりませんよ

 

 そんな彼を、引き戻す言葉があった。

 深呼吸。続けてもう一度深呼吸。

 頭を冷やして、むきむきは無理矢理に自分を落ち着けていく。

 

「違う。僕は仇討ちに来たんじゃない。

 お前に対する怨みなんて、どうでもいい。

 僕は僕の過去のためじゃなく、彼女の明日のためにここに来たんだ」

 

「何?」

 

「アイリスのために、戻って来たんだ」

 

 先の名乗りは復讐者の名乗り。

 その名乗りを塗り潰すように、むきむきは今の自分の心を表す名乗りを上げる。

 

「我が名はむきむき! 紅魔族随一の筋肉を持つ者!

 王女アイリスの友である者! 友の生きる場所を守る者!」

 

 人と魔王軍の戦争は、怨恨を中心に動いているものではない。

 この世界の戦争は、怨みや復讐心でドロドロとはしていない。

 何故そうなったのか。

 この世界に根付く、地球とは異なる精神性とはなんなのか。

 転生拒否で世界が滅びそうになるほど人が魔王軍に殺されている世界で、怨恨や復讐心の奴隷となっている者が多数派になれず、生存競争として戦う側面の方が強いのは、何故なのか。

 何故、復讐で戦う者達がスタンダードでないのか。

 

 今のむきむきの在り方には、その答えの一片がある。

 

「いいだろう! かかってくるがいい、紅魔族!」

 

「行くぞ!」

 

「援護する!」

 

 聖騎士と共に、少年は死霊の騎士に拳一つで殴りかかった。

 

 

 

 

 

 その戦いを、魔道具の双眼鏡で遠くからレッドが眺めている。

 あんまりにも味方が優勢なもので、彼は様子を見つつサボっていた。

 

「宿命の対決というやつか」

 

 物語ならばこういった戦いは正義の勝利に終わり、復讐は一つの区切りを迎え、次の物語が始まるものだ。

 だが現実でそう上手くは行かないことを、レッドはよく知っている。

 この世界で『正義が勝つ』ほどあてにならない言葉もないと、彼はよく知っている。

 

「さあどうする紅魔の少年。

 倒せるチャンスは今しかないぞ?

 魔王の娘が街中まで能力を飛ばしていない今しかない。

 魔王の娘が王都に足を踏み入れれば、その時点でゲームセットだ」

 

 魔王の娘によって強化された魔王軍幹部は、尋常な手段では倒せない。

 王都に攻め込まれている今こそが、最大のピンチでチャンスなのだ。

 

「幹部様は私達のようにはいかないと思うがね」

 

 無強化状態の幹部を、むきむき達が倒せるかどうかは別として。

 

 

 

 

 

 幹部を甘く見ていたわけでない。

 甘く見たことなんて一度もない。

 むしろ実力は高めに見積もっていた。

 むきむきの魔王軍幹部に対する実力想定は、大抵の冒険者より高いものであったと言っていい。

 

 なのに、ベルディアの実力はその推定を遥かに上回っていた。

 

(―――る)

 

 名剣の類である大剣の一閃。

 むきむきの右拳が思い切り剣の側面を殴り、振り下ろされた剣の軌道を逸らす。

 ベルディアはすぐさま切り返して第二撃。

 むきむきが振った右拳はまだ戻って来ていない。

 

(―――される)

 

 第二撃の切り上げを、むきむきは右膝で蹴って逸らす。

 無理な姿勢から、身体操作技術で十分に乗せた膝蹴りが、即死をかわす。

 ベルディアはすぐさま切り返して第三撃。

 右拳は戻り切っておらず、右膝を打った直後の姿勢立て直しもまだおわっていない。

 

 速さに、根本的な差がありすぎた。

 

(―――殺される)

 

 むきむきは自ら転ぶような動きをして、体のひねりだけで左拳を打ち出す。

 第三撃もギリギリで弾いて、地面に転がった。

 だがむきむきが立ち上がる気配も見せない内に、ベルディアは素早く剣を切り返して第四撃。

 

 むきむきは腕の力だけで跳ねて避けたが、その額を剣がかする。

 ベルディアが剣を四度振るうのにかかった時間は、一瞬未満。

 しかもここからの切り返しも速く、跳ねたむきむきの足が地に着くその前には、第五撃が放たれていた。

 

(―――何もできないまま、殺される!)

 

 地球の剣士の剣速は、速ければ剣先の速度で時速150kmとも言われる。

 スキルにはスキルレベル1でも貧弱なニートに鉄の剣を片手で軽々振らせるだけのブーストがあり、レベルには莫大なステータスブーストがあり、職業にも同様のブーストが存在する。

 始まりの町アクセルの上層冒険者がレベル30~40台。

 このレベルの冒険者であれば、当然地球の剣士の五倍や六倍程度の剣速では収まらない。

 

 そしてベルディアは、()()()()()()()であれば何人同時にかかってこようと、一瞬で全員を処理できる。

 仮に、数人同時にかかってきたとする。ベルディアがそれを一瞬で全員切り捨てたとする。その場合、前述の冒険者の剣速×人数の速度が、その時ベルディアが振るった剣速の最低速度となる。

 

 もはや時速で換算することが馬鹿らしくなるレベルのスピードだ。

 喧嘩で『人は複数の敵に囲まれたら終わり』と言われるのも、『それで勝てるのは余程の化物だけ』と言われるのも、相応の理由がある。

 戦闘者に囲まれても剣一本で勝てるという時点で、『格』が違うのだ。

 

 むきむきの知り合いでベルディアに剣速で勝てそうな人間は、それこそアイリスしかいない。

 

(この、剣速が!)

 

 先程数の暴力に辛酸を舐めさせられたむきむきだからこそ、この『数の暴力を蹂躙できる速度』に驚嘆せざるを得ない。

 四方からの同時攻撃を無傷でしのぐには、敵の四倍の速度がなければならない。

 ベルディアは敵の四倍の速度を出すことを苦にもしない。

 それだけの剣技が、魔技と呼ぶべき技巧があった。

 

 遮二無二、少年は光の手刀を放つ。

 

「速く振ることのみを意識した手刀など、当たるか!」

 

 その手刀はベルディアの攻撃速度を凌駕していたが、それだけだ。

 速いだけで柔軟でも巧緻でもなく、連続する技の一つでもなく、流麗に繋げられる攻勢でもない。

 手刀は剣の腹でふわりと流され、カウンターの剣閃が回避した少年の肩を切り裂いた。

 

 もう何度死を覚悟したことか。

 それでも彼が死んでいないのは、ひとえに『最強の盾』が味方に付いているからに他ならない。

 

「攻めるなら私を攻めろ!」

 

 ダクネスが何度めかも分からない割り込みをして、ベルディアの攻撃を受ける。

 素早さのステータスがダクネスだけ低いため、むきむきとベルディアが本気で競ると彼女は度々置いて行かれてしまうのだが、それでも追いついて二人の間に体を割り込ませていた。 

 

「ありがとうございます、ダクネスさん。

 あなたが居なければ終わってました。

 ダクネスさんみたいな凄い騎士様が居てくれて、嬉しいです」

 

「ふふっ……そんなに褒められると、罪悪感で死にたくなってしまうじゃないか」

 

「え?」

 

「さあ、行くぞ!」

 

 急所を守りながら体ごと割り込んでくるダクネスは、自分の意志で動き回り仲間を守る盾のようなもの。

 しかも相手がいくら速かろうが、ダクネスには関係が無い。

 ダクネスは攻撃を弾くのではなく、受けているため、相手の速さに付いて行く必要がないからだ。

 

「流石に王都までくれば、ここまでの猛者も要るか」

 

「無駄口を叩いている余裕があるのか?

 もっと来い! どんと来い! 私はこんな攻撃では物足りんぞ!」

 

「威勢がいいな、人間!」

 

 むきむきとダクネスは、共に凄まじい耐久力を持つ。

 そうそう傷付かず、傷付いてもそうそう倒れない。

 そんな二人の体中に、ベルディアの斬撃の跡が痛々しく刻まれていた。

 だが、その傷と引き換えに得たものもあった。

 

(動きが良くなってきた。さてはこの二人、普段から共闘していないな)

 

 ダクネスとむきむきの連携が、対ベルディア用に洗練されてきたのだ。

 むきむきはダクネスを置いていかないよう動き、むきむきとダクネスは常に互いをカバーできる位置に居続ける。

 むきむきのせいでダクネスが落とせず、ダクネスのせいでむきむきが落とせない。

 そうなると、ベルディアの攻撃力と速度でも致命傷を狙うことが難しくなってきた。

 

(この紅魔族も構えが変わってきた、

 腕をコンパクトに畳んで、ワンモーションで拳を撃てる姿勢。

 自分からは仕掛けず、俺の斬撃を待つ受けの動き。

 俺の体全体の動きを見て、斬撃にいち早く反応できる目もある)

 

 むきむきの動きもまた、対ベルディアに最適化され初めている。

 ベルディアには一対一なら圧倒したまま殺せる自信があったが、この二人のセットはとにかく頑丈だった。

 ダクネスは硬く、むきむきはタフ。剣だけでは致命傷が遠い。

 

 されど、ベルディアに焦りはない。

 ベルディアには要所で使う切り札がまだ温存されている上、そもそもこの戦いは魔王軍が圧倒的優勢だ。

 "自分がやらなくても頼れる仲間が勝ってくれる"という認識があり、信頼がある。

 無理をしてでも勝ちに行かなければならないむきむき達とは、そこが違う。

 

 その余裕が崩れたのは、王城に群がる魔王軍達が、上級魔法で片っ端から落とされるようになってからだった。

 

「何!?」

 

 空から、地から、ベルゼルグの中心にトドメを刺そうと群がる魔王軍。

 それを切り裂き、叩き落としていく上級魔法の連発連打。

 王城の外壁に登るゆんゆんの姿をむきむきの超視力が捉えるも、ゆんゆんの方は遠くで戦うむきむきの姿が見えていないようだ。

 ゆんゆんは誰かに勇気を貰わずとも勇敢に戦っていて、友達として王城をアイリスの代わりに守っていて、本人が意図せぬ形でむきむきの背中を押していた。

 

 遠く王城を背にして、むきむきは頬の切り傷を親指で拭う。

 

「運が良かったね、ベルディア」

 

「何がだ?」

 

「あの魔法を撃った子がここに居たなら、お前は死んでいた」

 

「……随分と自信満々に言うな」

 

「自信じゃないよ。僕が信じてるのは僕じゃない。僕の仲間だ」

 

 むきむきが思うままに吐き出す台詞を聞いて、ベルディアは何かを思い出すように、どこか懐かしそうにくっくっくと声を漏らす。

 

「理解した。お前は確かにあの二人の子だ、よく似ている」

 

 ベルディアは死が詰まったその指で、己が鎧の胸を掻く。

 切り札を温存したままに、騎士はその指をパチンと鳴らした。

 

「ならば、こちらも一手進めさせてもらおう」

 

 地面の下から、物陰から、暗がりから現れ馳せ参じるアンデッド達。

 出現地点はむきむき達の背後であり、ベルディアとの連携で挟撃されかねない位置であった。

 

「! アンデッド!」

 

「さあ、どうする?」

 

 ベルディアに集中すればアンデッドに後背を突かれる。

 ダクネスをベルディアに当てむきむきをアンデッドに当てれば、むきむきがアンデッドを殲滅する前にダクネスが死ぬ。

 その逆にすれば、むきむきが斬り殺された後ダクネスも殺される。

 迷う時間はなく、むきむきは己が直感に従った。

 

「ダクネスさん、背中をお願いします!」

 

「分かった、だが無理はするな!」

 

 ダクネスにアンデッドを任せ、むきむきは単身宿敵へと立ち向かって行った。

 

 

 

 

 

 むきむきは自身の全てを、眼前の敵に集中する。

 他の何も見ない。周囲への警戒も捨てる。自分の中にある全てのものを、目の前のベルディアにぶつけることを決めた。

 斬撃が飛び回り、地に足付けた少年の拳がそれを弾いていく。

 

 音さえも消える集中。

 周りも見えない集中。

 目の前のベルディアだけを見て、その斬撃をひたすらに弾き勝機を探し続ける集中。

 むきむきの全てを積み上げても、その心がベルディアとの宿命の戦いに相応しい熱を帯びていても、ベルディアを真正面から突破できるだけの力は得られない。

 

 瞼が切り飛ばされた。

 腕の肉が削ぎ落とされた。

 脇に深い斬撃が刻まれた。

 肩の骨を刃先が抉った。

 

(アイリスに、言わないと。言ってあげないと)

 

 それでも止まらず、心臆さず、怖い思いを踏破する。

 ここまで助けに来た一人の友達を想って、拳を叩きつけ続ける。

 死の恐怖は、イスカリアの時に『感情の爆発』で、イエローの時に『自らの意志』で、既に乗り越えていた。

 

(僕だって思ってる。

 アイリスに覚えていてもらいたいって思ってる。

 僕のことを覚えてるアイリスに、生きていて欲しいって思ってる)

 

 血で片方の目が見えなくて。

 手の甲は切られて骨が見えていて。

 震える足は、ぶっころりーがくれた靴が支えていてくれて。

 

(僕らは友達で、思いは一つ。

 だったら助け合おう。同じ場所を目指そう。そうしたら、一緒に―――)

 

 いつ死んでもおかしくないのに、いつまでも死なない。

 拮抗は続く。むきむきが殺されないまま続く。

 それはむきむきが奮闘していたからだけではなく、周りが見えないほど集中していたむきむきの近くで、別の者が剣を振るっていたからだった。

 

「……え」

 

 いつの間にか、誰かがそこに居る。

 誰かが二人、そこに居る。

 振るわれる二つの剣を、ベルディアが必死に防いでいるのが見えた。

 気付けば、ベルディアは逃げるようにして飛び退っており、むきむきとその二人の人物を興味深そうに眺めている。

 

「急に横槍が入ったかと思えば……見覚えのある顔が二つ。さて、お前達の名はなんだったか」

 

 一人は金の髪、(あお)の瞳の少女。

 一人は茶の髪、黒の眼の少年。

 

「魔剣の勇者、ミツルギ」

 

「ベルゼルグ第一王女、アイリス」

 

 魔剣が煌き、聖剣が輝く。

 

「ここが死に場所じゃないはずですよ、師父」

「さあ、立って」

 

 少女は青い顔で、弱々しい声で、それでもどこか嬉しそうに、むきむきに手を差し伸べる。

 

「勇者様、アイリス……うん!」

 

 むきむきはその手を取って、むきむき、ミツルギ、アイリスの三人が並び立つ。

 

 全員が疲労困憊満身創痍。だが、気合だけは十分だった。

 

「面白い……ならば俺も全力を尽くそう!

 汝に死の宣告を! お前は一週間後に死ぬだろう!」

 

 死の宣告を三人が避け、ダクネスも三人と合流し―――第二ラウンドが、始まった。

 

 

 




 むきむきがベルディアを前にして精神的な成長を見せたシーンで、「むきむきも成長したな」と思った読者さんは普通にいい人。「精神の成長のせいで感情が爆発しなかったのか、それで勝てたかもしれないのに」と思った人はカズマさんタイプになれる素質があります


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2-8-3

 紅魔の里を出るシーンで、里を出る瞬間をキンクリしてそこに仕込みを入れておく系ギミック。里長からいつスクロール貰ったんだっけ、みたいな話です


 ミツルギが最前線に行っておらず、王都周辺に留まっていたのは、むきむきにクレメアとフィオが明かした情報を思い出せば分かる。

 彼は魔王軍の謀略の被害にあった冒険者の説得に動いていたのだ。

 王都の危機に奇跡的に居合わせた彼は、王都でアイリス並みの連続戦闘を敢行。

 連れの二人が疲労とダメージで脱落する中、彼は一人でも戦い続けた。

 

 アイリスが休憩できるだけの余裕が出来たのは、彼の奮闘の影響も大きい。

 ミツルギは戦いの前半で王都外部での遊撃、後半では一般人が集まる避難所の護衛を努めた。

 当然ながらアイリス並みの長時間連続戦闘に、転生者も仕留める魔王軍の苛烈な攻撃が合わされば、グラムがあってもただではすまない。

 軽くではあるが、実は幹部とも交戦してしまっている。

 

 今のミツルギは、疲労困憊で満身創痍だ。

 

 アイリスは前日の戦いで、消耗した状態で魔王の娘に強化された魔王軍幹部との多対一を強いられ、既に完膚なきまでに敗北している。

 その状態で夜通し激戦を繰り広げたせいで、今は平常時の強さが見る影もない。

 クレアの見立ては正しい。今のアイリスに期待するのは酷だ。

 

 アイリスもまた、疲労困憊で満身創痍。

 

 むきむきも黄金竜戦、翌日にイエロー初戦、その翌日にイエロー二戦目、イエロー二戦目終了直後に馬車で丸一日疾走、その後王都で連戦というブラックスケジュールの影響が出始めている。

 ベルディアに打ちのめされ、彼もまた疲労困憊で満身創痍だ。

 

 彼らはここにダクネスを加え、ベルディア含む山のような魔王軍を打倒する必要があった。

 

 空は陽光一つ見えない曇り空。

 魔法で引き寄せられた暗雲立ち込める、魔王軍が有利な世界。

 昼夜問わず、アンデッドは太陽を恐れず跋扈する。

 太陽さえも、人の味方になってはくれなかった。

 

 

 

 

 

 前門のベルディア、後門のアンデッド。

 しからばベルディアを足止めし、その間にアンデッドを全滅させて、四人全員でベルディアに挑むのが最良の策だ。

 四人全員、その認識で一致していた。

 

 アンデッドを受け持ちつつ合流してきたダクネスの援護、兼アンデッドの殲滅にむきむきが動く。アイリスとミツルギがベルディアに挑む布陣で行くようだ。

 

「魔剣の勇者ミツルギ、前に聞いた武勇伝の通りの活躍を期待します」

 

「お任せ下さい、王女様。友情、努力、後は勝利だけですからね」

 

「……?」

 

 何言ってんだこいつ、的な感情がアイリスの中に湧き上がるが、戦いで気持ちが高ぶって変なことを言ってしまったのだろう、と彼女は判断した。

 聖剣を握り、魔剣を握り、少女と少年はベルディアへと飛びかかる。

 

「エクスプロード!」

 

 アイリスはなけなしの魔力を絞り出し、聖剣より光を放つ。

 光はベルディアの構えた剣に直撃するも、魔王の加護を受けたベルディアを押し切るには至らない。

 

「ぬるい!」

 

 ベルディアの鎧は光によってところどころが焦がされていたが、ダメージは無さそうだ。

 アイリスの攻撃を受けた剣に、ミツルギが更なる斬撃を重ねる。

 ベルディアは剣技でそれを器用に受け流したが、『魔剣一万キログラム』の一撃はあまりに重く、危うく剣も腕も持って行かれそうになってしまう。

 

「む」

 

 ミツルギはこの超重量魔剣を、手足のように扱えるようになっていた。

 恐るべき筋力。恐るべき練習量。

 この二週間にどれほどの修練を積んだのだろうか。

 

 普通に受ければ剣も胴体もまとめて両断される、と判断したベルディアは、受け方を変える。

 ベルディアは足元に隙を作り、ベルディアの防御の隙間を狙いたいミツルギはそこに攻撃を誘導されてしまい、跳躍したベルディアに容易く斬撃をかわされてしまった。

 

「パワーだけでどうにかなると思うな!」

 

「ぐあっ!」

 

 ベルディアは跳躍したまま、ミツルギと同時に接近してきたアイリスの剣を大剣で受けつつ、空中で回し蹴りしてミツルギの顔面を蹴り飛ばす。

 ミツルギは吹っ飛び、ベルディア直属アンデッド軍団と戦うむきむきの横まで転がってきた。

 

「ダクネスさん、あっち援護お願いします!」

 

「分かったって何をお前うああああっ!?」

 

 むきむきは横に居たダクネスを、アイリスの横まで投げ飛ばす。

 危なっかしく着地したダクネスは、ダスティネスの裔として、そこで王族(アイリス)の盾となるべく剣を構えた。

 

「くっ、このぞんざいな扱い、何かに目覚めそうだ……!」

 

「ララティーナ、防御を!」

 

「アイリス様! 人前でララティーナはおやめ下さい!」

 

 組み合わせを変え、戦闘は続く。

 

「師父! あなたと別れてからの約二週間、その成果を見て下さい!」

 

 立ち上がったミツルギは、不死殺し(ターンアンデッド)が効かない不死(アンデッド)に向け剣を構える。

 

「ルーン・オブ・セイバー!」

 

 そして、強引極まりない破壊力の投射によって、その大半を一撃で吹っ飛ばしていた。

 10tの剣を軽々と振るって放つ斬撃、そこに魔力が付与されたソードマスターの一撃。

 攻撃力に関しては、間違いなく桁違いのパワーアップを遂げていた。

 

「凄いよ勇者様!」

 

「いえ、筋力もレベルもまだまだです!」

 

 以前のミツルギと今のミツルギを見比べれば、体が一回り大きくなったように見えるはずだ。

 そのくらいには、筋肉が付いている。

 残りのアンデッドも十体を切った。

 このまま押し切れるかと思われたが、事態は予断を許さない。

 

 アイリス達の方では、ベルディアが頑丈過ぎるダクネスの足に足を引っ掛け転ばしていた。

 ベルディアは各個撃破の利をよく理解しており、近場の建物の屋上に跳ぶ。

 ダクネスではそれについて行けないが、アイリスはついて行けてしまう。

 

「むきむき、アイリス様が!」

 

 建物の屋上で一騎打ちなど、あまりよろしくない賭けだ。

 むきむきはミツルギに残り数体のアンデッドを任せ、屋上に跳び一人戦うアイリスの横に並び立つ。

 

「来ないでくださいと、言ったのに」

 

「ごめんね、アイリス」

 

「絶交です、絶交! 許しません!」

 

「ええっ!?」

 

「許されたいって、またちゃんと友達に戻りたいって、そう思うのなら……

 この戦いの後に、王族の恩赦で許してあげます。ちゃんと生き残ってください!」

 

「うん、頑張ろう!」

 

 数歩では埋められない距離から、ベルディアは二人を指差した。

 

「二人まとめて、一週間後に死ねい!」

 

 瞬間、アイリスはむきむきを、むきむきはアイリスを蹴る。

 二人の蹴りと蹴りがぶつかり、二人は互いに反動で左右に吹っ飛んだ。

 死の宣告は空振り、二人は回り込むようにして左右からベルディアを挟撃。

 挟み撃ちで隙を生み出そうという作戦であった。

 

「俺の強みが剣と死の宣告だけだと勘違いした人間は、いつも同じ戦術を選ぶ!」

 

 対し、ベルディアは己が頭を頭上に投げる。

 

(!? 自分の頭を頭上に投げた!?)

 

 空に投げられた頭が、地上をじっと見ていた。

 構わず左右から挟撃し、角度をズラし、前後からの同時攻撃を仕掛けるむきむきとアイリス。

 だが、ベルディアは死角など無いと言わんばかりに剣を振るう。

 ベルディアは二人相手に競り勝ち、アイリスの頬、むきむきの太腿に同時に切り傷が刻まれた。

 

(奇襲完全無効に、360°視点……!)

 

 頭を上に投げることで、俯瞰の視点を作ると同時に、飛行技能を持たない人間から急所である頭を遠ざける奇妙な技。

 視点から得られる情報が爆発的に増えるため、敵全員の動きを見切る目と先読みできる戦闘経験があれば、不意打ちなどの不確定要素を片っ端から除去できる。

 戦い慣れしていればいるほどに、強さが増す技能であった。

 

 ゲームシステム的に言えば、主観視点(FPSSTG)俯瞰視点(SLG)に変えてしまうもの。一人だけ別のゲームシステムで対戦しているようなもの。

 反則(チート)の域に迫る工夫(テクニック)だ。

 

「師父!」

「アイリス様!」

 

 少し遅れて、ミツルギ達も合流する。アンデッドもようやく殲滅できたようだ。

 

「次は四人か? いいぞ、来い!」

 

 ベルディアは再度頭を頭上に投げる。

 

「そう何度も!」

 

「そう何度も、なんだ?」

 

「!?」

 

 頭を上に投げたなら、投げられた無防備な頭を狙えばいい。

 そう考えて跳び上がったミツルギであったが、跳び上がった自分の足首を跳び上がったベルディアに掴まれ、一瞬前まで立っていた場所に思い切り叩きつけられてしまった。

 

「ぐっ、あっ……!」

 

「俺の投げ上げられた頭は、迂闊な行動を誘発する囮としても機能する」

 

 意識が明滅するミツルギにベルディアの剣が振り上げられ、その剣がカバーに入って来たアイリスの剣を受け止める。

 アイリスの腕力もまた凄まじく、ベルディアの手が多少痺れる。

 が、こうして競るならまだベルディアに軍配が上がってしまう。

 ベルディアは思いっ切り大剣を振って、体重の軽いアイリスを投げ飛ばすように遠くに飛ばした。

 

「アイリス!」

「はい!」

 

 筋肉式高速移動。むきむきはアイリスが飛ばされた先に回り込み、アイリスに向けてハイキックを放つ。

 アイリスは空中で猫のように姿勢を整え、むきむきのハイキックに着地し、ハイキックを足場にして跳ぶ。

 筋肉物理学に基づき、"むきむきのハイキック威力+アイリスの跳躍力=アイリスがぶっ飛んでいくスピード"の計算式が成立し、アイリスは目にも留まらぬ速度で敵に向かって射出された。

 

 射出されたアイリスの高速剣閃にもベルディアは対応するが、初めて見る奇妙なコンビネーションに虚を突かれ、脛の部分に小さな切り傷を付けられてしまう。

 

「これは……!?」

 

「私のことも忘れるな!」

 

 痛みに悶えているミツルギの横を駆け抜け、ダクネスが体ごとぶつかるようにして攻撃を仕掛けてくる。

 その攻撃自体はみそっかすのようなものだったが、ダクネスがベルディアの攻撃を請け負えば、それがむきむきとアイリスが攻撃を仕掛けられる間隙となるのだ。

 

(またこの二人か!)

 

 むきむきが前、アイリスが後ろ、ベルディアから見るとアイリスの姿が完全に見えなくなるという奇妙なフォーメーション。

 アイリスはどこから来るのか。右か、左か、それとも上か。

 そこだけに気を付け、ベルディアはむきむきの拳を大剣で弾くが、なんとアイリスは『下』から来た。

 むきむきの股の下をくぐってきたのだ。

 

「!?」

 

 むきむきとアイリスの身長差は凄まじく、仲間の股下を通って攻撃するという奇策でさえ容易に可能であった。

 少年の股下を抜けてきたアイリスの切り上げが、ベルディアの鎧の胸にそこそこの深さの斬撃痕を刻んで残す。

 

 むきむきとアイリスの連携は、どこか奇妙だ。

 それも当然。

 この二人は共に戦う訓練も練習もしたことがないが、一緒に遊んだ回数だけは多い。

 ゆえに、二人の連携は戦士の連携ではなく、二人の子供が息を合わせて遊ぶ動きに近い。

 自然と奇を衒い虚を突く形となるのだ。

 

「う、お、おっ!」

 

 盾のダクネス、連携の二人がベルディアの足を止め、そこで復帰したミツルギが咆哮と共に切りかかった。

 魔剣一万キログラムがベルディアの構えた大剣に直撃し、受け流すことさえ許さずぶっ飛ばす。

 ベルディアの剣に、ヒビが入る音がした。

 

(どういう剣にどういう筋力だ!)

 

 またしても四人でベルディアに一斉攻撃を仕掛ける布陣。

 されど、数だけでベルディアは崩せない。

 

「お前は一週間後に死ぬだろう! 一週間後に死ね!」

 

 ベルディアは脅威にならないダクネスはほどほどに無視して、むきむきとアイリスに死の宣告を連射する。

 弾丸や魔法ならば叩き落とせるこの二人も、かわすしかないこの攻撃には手が出ない。

 

「もらった!」

 

 ミツルギは二人が死の宣告を引きつけている隙に接近、ベルディアを切り捨て―――ようとするが、突如現れた黒色の馬に体当りされ、跳ね飛ばされてしまった。

 

「馬……!?」

 

「デュラハンは『人馬一体』の魔性だ。知らなかったのか?」

 

 跳ね飛ばしたミツルギを仕留めるべく追撃に動くベルディア。

 ベルディアを攻撃で足止めしつつミツルギと合流するむきむきとアイリス。

 鈍足なので置いて行かれると合流にちょっと時間がかかるダクネス。

 

 今度は三対一の構図が出来上がった。

 

「それだけズタボロの体でここまで俺にくらい付けたこと、誇るがいい!」

 

 三人が三方向から踏み込んで、ベルディアがまたしても頭を投げての全方向迎撃を行う。

 むきむきの、ミツルギの、アイリスの体に、新たな斬撃の傷が刻まれる。

 

((( ここに! )))

 

 そんなピンチこそが、チャンスだった。

 三人は競って、競って、三人がかりでベルディアを追い詰め、ベルディアから余裕を奪い取る。

 そして、三人同時に全力の一撃をぶちかました。

 これにはたまらず、ベルディアも剣を盾にして防ぐしかなかったが、三人の筋力任せの一撃はヒビの入った剣をへし折り、粉砕することに成功するのであった。

 

「この筋力バカどもめぇッ……!」

 

「よし、これでベルディアの武器は奪えた!」

 

 勝った、とむきむきは思った。

 

 ベルディアの足元に転がる、無数のアンデッドの残骸を見るまでは。

 戦いの場所はいつの間にかに、先程ミツルギがベルディアの部下のアンデッド軍団を全滅させた、戦いの跡地に移動していた。

 

「……だが、保険をかけておいてよかった」

 

 ベルディアが部下の残骸の中から、迷いなく剣を拾い上げる。

 拾い上げられた剣は、ベルディアの両手剣スキルの対象となる上、先程までベルディアが使っていた魔剣と大差の無い魔剣だった。

 

「なっ……」

 

「街を攻めると、同じことを考えるやつは多いのでな。

 盗賊職の奴らはすぐに俺の剣をスティールしようとする。

 剣を取られたことはなかったが……部下の剣を使えばいい、という想定だけはしていた」

 

 ベルディアが人の街を攻める時などに連れて行く部下は、アンデッドナイト。

 騎士(ナイト)、即ち剣持ちのモンスターだ。

 ベルディアが部下をアンデッドの騎士だけで固めていたのには、理由があったのだ。

 まして今回は王都攻略戦。ベルディアも相当にガチガチに想定を固めた上で、ここに立っている。

 

「仕切り直しだな。お前達の奥の手はあといくつある?」

 

 少年少女の心が揺らぐ。

 体力、魔力、精神力、全てもう底を突きそうだ。

 失血もそろそろ危険域に入ろうとしている。

 これこそが、アンデッドと人間の差だ。

 

 アンデッドは失血死しない。疲労もしない。

 互角のまま戦い続ければ、アンデッドは人間に必ず勝つように出来ている。

 人を愛する神がアンデッドを嫌う理由は、こういうところにもあるのだ。

 

(幹部ベルディア。やっぱり、一筋縄じゃいかないか……)

 

 手詰まりが近い。どうしたものかとむきむきは頭を必死に回すが、そこで魔法で姿を消した女性が話しかけてくる。

 

「いいですか。私は小声で話しかけますが、あなたは返答をしないでください」

 

(! レインさん!?)

 

「準備に時間がかかりましたが……

 一度だけ、奴に致命的な隙を作ります。

 そこで、馬車の中であなたが言っていた、想い出の品を使って下さい」

 

(思い出の品……)

 

「いつもはバッグの中にしまっていて、今日はポケットの中にあるんですよね?」

 

 むきむきはポケットの上から、ポケットの中身を触る。

 

「こんな小細工が通じるのは一回だけです。

 チャンスは一回。そこで確実に決めて下さい。

 倒さないといけない幹部は、まだ沢山いるんですから」

 

 触るだけで、脳裏に蘇る思い出があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旅の役に立てるといい」

 

 そう言って、里長たるゆんゆんの父は、むきむきにスクロールを手渡した。

 攻撃ではなく、命を繋げるためのスクロール。

 旅の途中、ドラゴンゾンビとの戦闘などで怪我をした時、このスクロールが役に立ってくれたものだ。

 

「ありがとね。弟を助けるために薬草取りに行ってくれて。

 本当は弟にもありがとうって言わせたかったんだけど……

 これは、私とどどんこからのせめてものお礼で、謝罪だよ」

 

「あー、その、ゆんゆんが旅の途中で死んだりとかしたら気分悪いからさ……

 あんた、男なんでしょ? ちゃんとしっかり守ってあげてよ、あの子のこと」

 

 ふにふらとどどんこから渡されたのは、アンデッドに対し特攻となる魔法の札。

 紅魔の里でも生産されるが、対悪魔の札ほど売れ筋ではない、そんな魔法の札だ。

 それでも値段は高く、子供の小遣いで買えるものではない。

 今日までバイトして、アンデッドに殺されかけたというむきむきやめぐみん、ひいてはゆんゆんのため、買っておいてくれていたのだろう。

 

 この二人、特に弟の命を助けられたふにふらの方は、むきむきに罪悪感と感謝の両方を向けている。彼女らもまた、数少ないむきむきを里の一員として認めている者達だった。

 

「しまった、お守りが被ってしまったか。このあるえさんとしたことが」

 

「被りなんて気にしなくても……」

 

「友情だろうが愛情だろうが、人は特別になりたいものだろう?

 贈り物をしてそれが特別でないだなんて、ショックで寝込んでしまうよ」

 

「あるえはいっつもあるえだね」

 

 彼女の同年代随一に大きい胸の胸ポケットには、むきむきから貰ったペンが差し込まれている。

 お気に入りのペンとして、今も使っているようだ。

 あるえが彼に旅立ちの餞別として贈ったのは、一つのものを指定してかける単体指定の呪いを、代わりに受けてくれるというお守りだった。

 

「しかもアンデッド対策という所まで同じ。被りすぎだよこれは」

 

「イスカリアのことで、僕結構心配かけちゃってたのかな。ごめんね」

 

 皆してアンデッドだの、呪いだの、よっぽどイスカリアの一件を気にしているようだ。

 分かりやすく彼の死を回避しようとしている。

 

「皆、君がどこかで野良デュラハンに殺されるんじゃないかと思っているのだよ」

 

「うぐっ、言い返せない」

 

 からかうようなあるえの口調。それが、少しトーンを落とす。

 

「……いや、うん、違うかな。

 この言い方は正確じゃない。

 私は君とそのデュラハンとの戦いの話を聞いて、怖くなったんだと思う。

 君がこの里に帰ってこないまま、どこかで呪いで死んでしまうんじゃないかと」

 

「あるえ……」

 

「いつも君をからかってる私が『死なないで』と縋り付いたら、君は信じるかな?」

 

「あるえはいい子だよ。生き死にをネタに嘘をつく子じゃない。疑うわけないじゃないか」

 

「……ふむ、君には私がそう見えてるのか。ま、しないんだけどね」

 

「あ、結局しないんだ……」

 

「私の抱擁が欲しければ、もうちょっとだけ好感度を稼がないと」

 

「ちょっとでいいんだ……」

 

 "いつの間にかまたからかわれてる"と、むきむきが呆れた顔をする。

 

 めぐみんは頭がおかしいとも言われるが、考えていることは分かりやすい。

 ゆんゆんも純朴で、考えていることは分かりやすい。

 なのだが、あるえの考えていることはよく分からない。少なくとも、むきむきには心の深い所を察することができない。

 

 あるえの言葉の裏にどういう感情があるのか、彼には察せない。

 飄々としている彼女は、彼に根っこの部分を見せない。

 少年が思っている以上にあるえが少年を好いている可能性も、好いていない可能性もあるが、それはあるえだけが知っていることだ。

 

「君が冒険の話をする。

 私がそれを参考に小説を書く。

 それはきっと……とても楽しいことだと、私は思うんだ」

 

「うん、楽しそうだ」

 

「だからちゃんと元気に生きて、無事に帰って来て、旅の話を聞かせて欲しい」

 

 今は、遠く離れていても。

 

「いってらっしゃい。私はいつまでも、君を待ってる」

 

 きっと、心は繋がっている。

 

 

 

 

 

 むきむきはこれらの使い捨て道具を普段バッグの中にしまっている。

 ドラゴンゾンビ戦でのめぐみんを見れば分かるように、これらの道具を使用しようと決めるのは、アクティブで豪快なめぐみんであることが多い。

 使ってこそのラストエリクサーとは言うが、そう言われても死ぬまで使えないのがラストエリクサーなのだ。

 むきむきはこういう使い捨ての思い出の品を、使いたがらないのである。

 

 それでも今回の戦いに際しポケットの中に入れてきたのは、魔王軍が一筋縄ではいかないことを、彼も分かっていたからなのだろう。

 ありとあらゆるものを積み上げ、組み上げ、ぶつける時が来たのだ。

 貰ったものでさえ、全てをぶつけなければ越えられない壁があるのだ。

 

 ぶっころりーに貰った靴は足に。

 ニート達に貰った紅魔族ローブは肩に。

 吸血鬼から貰ったベルトは腰に。

 こめっこから貰ったペンダントは首に。

 その中に収められた想いは胸に。

 幽霊から貰った勇気は右の拳に。

 

 それぞれ添えられて、今この時も彼を支えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レインは分厚い雲に覆われた空を、魔王軍のアンデッド部隊を運用するために作られたステージを、強く見据える。

 "ウィザード"なら何もできないかもしれない。

 けれども、こんな状況を魔法のようにどうにかしてこそ、"魔法使い"だ。

 

「行きますよ……『コントロール・オブ・ウェザー』!」

 

 レインは昔、こう言われたことがある。

 「お前の魔法は名が体を表している」、と。

 その人は(レイン)の名と、彼女が発動した天候操作の魔法が、切っても切れないような関係に見えたという。

 レインの魔法は雲を散らして、アンデッドの弱点である太陽の光を王都に大量に降り注がせた。

 

 全魔力を投じた天候操作魔法。

 前も見えない(レイン)であっても、消し飛ばす自信が彼女にはあった。

 

「ぐ、あああっ!」

 

 天候操作で魔力攻撃と化した直射日光に、ベルディアが苦しむ。

 日光は、それ単体でもアンデッドを消し去ることがある神の恵みの象徴だ。

 王都に蔓延るアンデッド達が、陽の光によって弱り、消えていく。

 

「何をやっている、魔法部隊!

 戦いが終わるまで日光は通さないと、そういう作戦だったはずではないか!」

 

 これ以上のチャンスなど、あるものか。

 

「サポートお願いします!」

 

 むきむきが走り出す。

 右拳を握る。その上に札を貼る。幽霊から貰った勇気に、アンデッド殺しを纏わせる。

 ベルディアは苦しみながらも、頭を頭上に投げ、剣と指で少年を死に至らしめんとしていた。

 

(あと一回、私の中の全部を絞り出す気持ちで!)

(あと一回、そこに僕とグラムの全部を懸ける!)

 

「「 最後のトドメ、任せました! 」」

 

 爆裂魔法でめぐみんがぶっ倒れる時並みに、アイリスは限界を超えた魔力を絞り出す。

 

「ライトニングブレア!」

 

 放たれた飛ぶ光の斬撃が、指差そうとした左手を弾く。

 

「ルーン・オブ・セイバー!」

 

 放たれた魔力付与の斬撃が、ベルディアの剣を弾く。

 

 だが、ベルディアはその更に上を行った。

 

「バカが!」

 

「!」

 

 ミツルギが弾いた剣を、ベルディアは弾かれる直前に離していたのだ。

 剣はまた周囲の部下の亡骸から拾えばいい。それだけの話だ。

 フリーになった右手の指で、ベルディアはむきむきを指差している。

 

「一週間後に死ぬがいい、紅魔族!」

 

 一人に死の運命を与えれば、甘ちゃんなこの者達は絶対に全員動揺する。

 ベルディアは、そう確信していた。

 

「……何、だと!?」

 

 呪いを肩代わりするお守りを、むきむきが手にしているのを見るまでは。

 

「死なない!」

 

 むきむきはアンデッド殺しと化した右拳を振り上げた。

 ベルディアも近くの剣を拾い上げ、一手遅れて反撃に動く。

 

「一週間後にも、一年後にも、十年後にも、僕らは死なない!」

 

 交錯。

 衝突。

 先に動いて右の拳を振るったむきむきと、後出しで攻撃を追いつかせたベルディアの攻撃が、同時に当たる。

 むきむきの札付きの拳が、アイリスの付けたベルディアの胸の切り傷に当たり、鎧の胸部全体に大きなヒビが大きく走る。

 そして、ベルディアの剣は、むきむきの左の肘から先を切り飛ばしていた。

 

「むきむきさんっ!」

 

 アイリスの悲痛な声が響く。

 ベルディアに死ぬ気配はない。

 そして、むきむきにも止まる気配は無かった。

 

「我、久遠の絆断たんと欲すれば、言葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう」

 

 意味の無い詠唱。テンションが多少上がるだけの詠唱。

 無駄な詠唱が、彼のハートに気合いを入れる。

 厨二でかっこいい台詞を吐く時こそ、厨二でスタイリッシュな詠唱を紡ぐ時こそ、紅魔族の遺伝子はその心に力をくれるのだから。

 

「―――『ライト・オブ・セイバー』ッ!!」

 

 手刀がベルディアの胸に突き刺さり、背中まで貫通する光の一撃となった。

 

 あの日イスカリアと戦っていなければ、この決着はなかった。

 イスカリアとの戦いを生き残れたからこそ、この結果があった。

 ベルディアと初めて戦った者のほとんどが避けることができなかった『死の運命』を、少年達が覆す。

 

 死という海の上に貼られた綱、その上を、彼らは走り切ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 むきむきは左手の切断面を抑え、青い顔で膝をついている。

 その正面、少し離れた場所で、ベルディアの体が消えていく。

 アイリス達はむきむきに駆け寄り、止血と手当を行いながら、むきむきを守るようにその周りに立っていた。

 

「神の力を借りるプリースト。

 神が力を与えて導く勇者。

 そのどちらでもなく……ただの手刀に、ここまでやられるとは」

 

 ベルディアの声には、ここで死んでもいいという響きがあった。

 

「今までにも、俺の死の宣告を身を挺して受けた者は居た。

 その者達に、俺は騎士の鑑だと賞賛を贈ったものだが……

 いかんな、こういう時、こういう者にどういう賞賛を贈ればいいのか分からん」

 

「ベルディア……」

 

 勝ったんだ、と、人間達が思ったその時。

 

「じゃあ贈らなくていいだろ、そんな賞賛」

 

 どこからともなく、男が現れた。

 

「おっと、まだ死ぬなよベルディア。間一髪だったな」

 

「……ハンス?」

 

「!」

 

 その名に、むきむき以外の全員が聞き覚えがあった。

 

「気を付けて! こいつは魔王軍幹部の―――」

 

「"こいつ"? 違うだろ、"こいつら"だろ?」

 

 ハンスが小馬鹿にした笑みを浮かべて、そこかしこから次々と人影が現れる。

 人間が助け合うように、魔王軍も助け合う。

 人間のピンチに人間の助けが間に合うのなら、魔王軍も同様だ。

 それは、きっと当然のこと。

 

「まさか、これ、全部……」

 

「魔王軍の、幹部……?」

 

「ご名答。ベルディア、もうウォルバクが治してるだろ。さっさと起きろ」

 

「全く、人使いが荒い男だ」

 

 勢揃いする魔王軍の幹部。

 それどころか、せっかく追い詰めたベルディアも復活させられてしまった。

 

 あと一手。あと一撃。あと一人。

 あの時、ベルディアを消せるだけのアークプリーストさえ居れば、とミツルギは思わずには居られない。

 焼け石に水程度の話でも、それでも一人は減らせていたはずなのに。

 

「アタシはシルビア。ふふっ、美しく強いその子を吸収できるチャンスがようやくきたのね」

 

 万物を吸収し、無限に進化するグロウキメラ。

 

「ハンスだ。まあ冥土の土産に覚えとけ」

 

 都市規模の猛毒汚染すら容易に行い、幹部でも特に高い賞金を懸けられているデッドリーポイズンスライム。

 

「邪神ウォルバクよ。()()()()()()、紅魔族の坊や」

 

 むきむきにも見覚えがある、あの日めぐみんに爆裂魔法を教えた女性である邪神。

 

「部下が世話になったな。あたしがセレスディナだ」

 

 顔を覆う仮面にフードにローブ、声を変える魔法までも使用し、自分の姿も性別も完璧に隠している魔王軍工作員。

 

「数合わせの幹部、バニルである」

 

 そしてやる気が無さそうな、考えていることが全く読めない、目を離すと王都から人間を逃がす裏切り行為とかしていそうな、そんな曲者悪魔。

 

「そして俺が、デュラハンのベルディア。同じく魔王軍の幹部だ」

 

 ベルディアがその辺から剣を拾い、地に突き立てる。

 魔王城に辿り着くために倒すべき八人の幹部、その内六人がそこに居た。

 

「魔王様のご令嬢は?」

 

「すぐに来るってよ。外部をきっちり制圧して、一人も逃さないようにしとけってさ」

 

「相も変わらず隙の無いお方だ」

 

「お前はそれまで休んどけ。こいつらは俺の毒で殺しといてやるよ」

 

 ハンスが弱り切ったむきむき達に歩み寄る。

 ベルディアと同格の幹部であれば、死にかけの彼らなど赤子の手を捻るより簡単に殺すことができるだろう。

 ハンスは一歩踏み出し、何かを感知してピクリと動き、踏み出した足を戻す。

 するとそこに、魔法の斬撃が飛んで来た。

 幹部達がそちらを見れば、息を切らして駆けて来るゆんゆんの姿があった。

 

「それ以上むきむきに近付いたら、次は当てます!」

 

「ゆんゆん!」

 

 駆けつけた彼女の魔法は、幹部でも食らいたくないと思えるほどのものだった。

 ハンスは口笛を吹き、小指を立てる。

 

「なんだ少年、この女、お前のコレか?」

 

「ち、ちちち違います!」

 

「なんでそっちが答えるんだよ」

 

 友人以上には見えたんだがなあ、と慌てて否定するゆんゆんを見つつ、ハンスは顎を撫でさすっている。

 どうやらこのハンスという男、幹部のくせに性格が軽いというか、下世話な話に躊躇いがないようだ。案外、他の幹部も戦いの時には真面目なだけで、プライベートではだらしない者も居るのかもしれない。

 

(両陣営の主戦力が、一カ所に集まってるのか……)

 

 むきむきは痛む腕を抑え、呼吸を整え思案する。

 この状況は絶望的だ。だが、同時に倒さなければならない敵が一カ所に集まっている分、戦況が分かりやすくなったとも言える。

 

 めぐみんが居てくれれば、とも彼は思うが、彼女は既に今日の分の爆裂を撃ってしまっている。

 ゆんゆんが普段から欠陥魔法と言っている理由がよく分かる。

 この継戦能力の無さは、致命的だ。

 

「ごめんなさい、むきむきさん」

 

 アイリスはむきむきの腕の切断面の止血確認を終えると、彼に頭を下げた。

 

「あなた達に逃げて、と言ったくせに、何を言ってるかって思われるかもしれませんが……」

 

 寂しそうに笑って、申し訳なさそうに頭を下げて、悔しそうに拳を握る王女様。

 

「私、ピンチに友達が助けに来てくれる光景に、憧れてたんです」

 

 物語のような展開に嬉しさを覚える気持ちと、その果てにハッピーエンドを迎えられなかったことを悲しく思う気持ち、その両方があって。

 

「だから……ここで死んでも、悔いはありません。

 友達が、王都にまで来てくれた。それが、嬉しかった。

 あなた達の行動は、優しさは、無駄じゃなかったんです」

 

 アイリスらしい励ましだ。悲しい笑みの励ましだ。

 なけなしの肯定。むきむき達がここに来たことを後悔しないようにと、後悔を抱えたまま死なないようにと、アイリスが気を遣っているのが分かる。

 逃げられない死を前にして、他人の心を救おうとする。凡人にできることではない。

 アイリスは、正しく王族だった。

 

(ああ、なんでだろう)

 

―――冒険者は笑うんだ

 

(なんでこんな時に、僕は、テイラー先輩の言葉を思い出してるんだろう)

 

――――

 

「覚えてるか? 冒険者は笑うんだ」

 

「特に意図して笑う必要はない。いい仲間が居れば、自然と笑ってるもんだからな、冒険者は」

 

「いい仲間が居れば、戦いは悔いなく終わる。それが満足感だ。

 いい仲間が居れば、大体勝った気で終わる。それが達成感だ。

 後悔して勝つことも、満足して負けて死ぬこともない……と、俺の先輩は言ってた」

 

「ま、俺は信じてないけどな。けど、

 『こいつと一緒に負けるなら悔いはない』

 『こいつと一緒に戦えばきっと勝てる』

 と思える仲間を見つけるってのは、一番大事なことだと思う」

 

――――

 

 あの日、先輩冒険者のテイラーから聞かされた冒険者の心得の一つを思い出す。

 むきむきは、何故自分が今のアイリスの言葉でテイラーのことを思い出したのか理解し、アイリスの悲しい言葉を補足した。

 

「そうじゃないよ、アイリス。それだけじゃ半分なんだ」

 

「半分?」

 

「いい仲間が居れば、戦いは悔いなく終わる。それで満足感が得られる。

 いい仲間が居れば、大体勝った気で終わる。それで達成感が得られる。

 こいつと一緒に負けるなら悔いはない、こいつと一緒に戦えばきっと勝てる……

 冒険者はそう思える仲間を探して、見つけて、ずっと一緒に旅をしていくんだ」

 

「仲間……」

 

「今は僕達が、アイリスの仲間だよ」

 

 アイリスを励ますためだけに、こんなことを言っているのではない。

 彼は自分自身にも言い聞かせている。

 駄目な自分を、ヘタレそうな自分を、他人に貰った自分の言葉で勇気付けようとしている。

 

「行こう。勝とう。

 満足して死ぬだけじゃなくて、ちゃんと勝とう。

 君のその気持ちを、完全なものにするために」

 

「まだ、諦めないのですか」

 

「どうせ負けたら死んじゃうんだから、勝つか負けるかまで一生懸命やってみない?」

 

「……一生懸命。はい、そうですね、一生懸命!」

 

 アイリスが気合いを入れる。

 

「勇者様、行けますか?」

 

「もちろんですよ、師父」

 

 ミツルギも気合いを入れる。

 

「知ってますか師父? 冒険者は笑うんだそうですよ。

 ここに来てすぐの頃の僕に、ギルドの登録の仕方を教えてくれた人から教わったんです」

 

「……うん、知ってる。僕も先輩冒険者から聞いたことがあるよ」

 

 奇縁というものはあるらしい。人間、どこでどう繋がってるか分からないものだ。

 

「レインさん、ダクネスさん」

 

「手は尽くします。でも、期待しないで下さい」

「追い込まれた窮地ほど心は奮い立つ。防御は任せろ」

 

 地味に"やるべきことをやる"ことだけを心に決めているものの、実は内心ちょっとこの状況にヘタれていたレイン。

 あまり動揺もなく、勇壮に振る舞う理由を探していたダクネス。

 二人もまた、心の状態のスイッチを入れ替えたようだ。

 

「むきむき、その、その手……」

 

「その話は後でゆっくりしよう、ね?」

 

「でも」

 

「僕の左手より頼りになるゆんゆんに、僕の左手の代わりを頼んでいいかな?

 頼りすぎるのはどうかと思うけど、ゆんゆんはもっと頼っていいって言ってくれたからさ」

 

 ゆんゆんははっとして、自分が言ったことを思い出して、奮起する。

 

「わ、分かったわ! 明日からはずっと私がご飯を食べさせてあげる!」

 

「いやそういう意味で言ったわけでは」

 

 むきむきが一人一人励ますことで、一人一人が戦意を取り戻していく。

 諦めない限り、生存の可能性は0にはならない。

 ただ、極端に低いままなだけだ。

 

「話は終わりか」

 

 ベルディアが一人、剣を携え彼らと向き合う。

 

「幹部全員でかかる気はない。

 それは流石に、畜生にも劣る行いだ。

 せめて先程まで戦っていた俺が、この剣一つで介錯しよう」

 

「ありがとう騎士様。でも、遠慮しておくよ」

 

 これで終わりか、と思っていたかもしれない。けれど励まされた今、誰もそうは思っていない。

 もう駄目か、と思っていたかもしれない。けれど励まされた今、誰もそうは思っていない。

 死ぬ、と思っていたかもしれない。けれど励まされた今、誰もそうは思っていない。

 今は誰も、その心に弱音など浮かべていない。

 それはアンデッドが忘れた、"命ある限り前に進み続ける"という生者が魂に持つ心意気。

 

「ベルディア! 僕らは最後の最後まで、投げ出したりなんかしない!」

 

「その心意気や良し! 来い、本当の意味での勇者達よ!」

 

 何もかもが終わるか、そう思われたその一瞬に、奇跡は起こる。

 

 

 

 

 

 世界を揺らがすような魔力、"世界そのものより格上なのではないか"と思わされるほどの絶大な魔力が、『世界に降臨』した。

 

 

 

 

 

 魔力に鈍感な者は気付かない。

 魔力に敏感な紅魔族は驚愕する。

 悪魔、邪神、アンデッドも戦慄する。

 特に悪魔とアンデッドは、そこに『己の天敵のようなものの気配』を感じたようで、身震いしてしまった者も少なくなかった。

 

「―――あ」

 

 もしも、世界に感覚があったなら。この瞬間に悲鳴を上げたことだろう。

 何かが壊れた。何かが入って来た。何かが変わった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()何かが、世界の中に無理矢理ねじ込まれてきたのだ。

 この世界にあった運命や未来が、一瞬で全て根こそぎねじ曲がっていく。

 

 シェイクスピア風に言うのであれば、『世界の関節は外れてしまった』。

 残酷なものが山ほど積み上げられたこの世界に、何もかもを覆して、何もかもがひっくり返される切り札(ジョーカー)が二枚投入される。

 新品で購入したトランプ然り、ジョーカーとは二枚でワンセットであるものだ。

 

「なんだ、これは……!? 魔力……いや、違う、神気……!?」

 

「は? なんだ、どうした?」

 

 幹部にはそれを感じられた者も居て、感じられない者も居て。

 彼らの注目と意識は既に、ボロボロのむきむき達には向けられていない。

 

「世界にそのままの格で降臨できないほどの存在。

 それが世界に無理矢理に顕れて、世界の枠に収まるよう、強制的に力が流出した……?」

 

「どういうことだ、ウォルバク」

 

「分からないわ。でも……真実がなんだったとしても、きっとありえないことよ」

 

 一番深刻な顔をしているのは、邪神ウォルバク。めぐみんに爆裂魔法を見せ、むきむきとめぐみんの命を救ったあの女性だった。

 幹部の戸惑いが消えない内に、彼らの下に魔王城からの伝令がやって来る。

 

「緊急の通達です! 幹部は全軍を率いて大至急帰還せよ、とのことです!」

 

「何!?」

 

 魔王軍が目に見えた勝利を手放すくらいには、異常な事態が起こっているようだ。

 

「バカな、あと少しでベルゼルグを完全に落とせるのだぞ!

 優勢とはいえ、我々はまだ完全には勝ちきってはいない!

 ここで退けばすぐに立て直される! 誰だ、そんな頓珍漢な命令を出したのは!」

 

「占い師の預言者様です。魔王様との連名でこの命を出しておられます」

 

「……何?」

 

 幹部はほぼ全員がその命令に反発しかけていたが、命令を出した者が誰かを聞くと、その瞬間に無条件でその反発をどこかへ投げ捨てていた。

 

「預言者様からの伝言があります。

 『アクセルの地に大きな光が落ちた』

 『今までは占いでも魔王軍の勝利だけが見えていた』

 『だが、今は見えない』

 との、ことです。そ、それと……その……」

 

「なんだ、はっきりと言え」

 

「……にわかには、信じられないことですが……

 ……『魔王様が倒される未来の可能性が僅かに見えた』、と……」

 

「―――!」

 

 幹部にも、そしてそれを聞いていたむきむき達の間にも、衝撃が走る。

 今この世界に一体何が起こっているのか? おそらく、今この世界でそれを知っている者は、たった二人しか居ない。

 

「伝令です!」

 

「今度は何だ!」

 

「最前線の砦に居たはずの戦力が、王都包囲部隊を外側から攻撃しております!」

 

「何だと!? バカな、散り散りになったはずでは……」

 

「し、信じられないことですが!

 王族や勇者達が、それぞれバラバラになった兵士達を守っていたようです!

 ベルゼルグ王、ジャティス王子、勇者達等ほとんどが健在!

 一人一人が数十人から千人弱の兵士を守って王都まで連れて来た模様!

 なので、散り散りにはしたものの、その後の追撃で与えた被害はほとんど……!」

 

「!? これだからデタラメな個の戦力の集団は……!」

 

「奴らは叫んでこちらに襲いかかって来ています! 『ベルゼルグなめんな!』、と!」

 

 王と王子が健在、という部分でアイリスが花のような笑みを浮かべる。

 ベルゼルグなめんな、という部分で、ダクネスが凛とした笑みを浮かべる。

 この世界の人間は、どいつもこいつも結構しぶとい。

 そのしぶとさが、諦めずに食らいつき続ける姿勢が、誰も想像していなかった未来に繋がりつつあった。

 

(……魔王様に、()()占い師の判断だ。

 預言者の言葉は、大体の場合において正しい。

 されど、こいつらは行き掛けの駄賃で倒せる人間ではない……

 今ここで仕留められなければ、確実に未来に魔王軍を脅かす。だが……)

 

 ベルディアは迷う。

 魔王の命に、占い師たる預言者の命。

 王都はもう落ちる寸前。

 けれども、王都を囲む軍の後背を王族や勇者達が突いているというこの状況。

 絶妙な"上手く賢くやろうとしたのに上手く行かない"感。

 それもこれもあの神気の持ち主が、突如世界に現れたのが原因だ。

 

 魔王城に居れば、あるいはここから遠い土地に居れば、アクセルの街に出現した神気の気配などほとんどの幹部が感じていなかっただろう。

 されど、ここは魔王城よりも遥かにアクセルに近いベルゼルグ王都。

 幹部全員が、その神気の出現と、その神気に恐れ慄く仲間達の姿を認識していた。

 

「撤退すんぞ。あたしらは魔王様の手足。そこだけは揺らがないはずだ」

 

 セレスディナが、そう言って。

 魔王軍幹部達は、撤退していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この後には生還を喜ぶむきむき達の姿、じゃれ合うむきむき・アイリス・ゆんゆん等の姿、特に意味もなく胴上げされるレインの姿などが見られたが、それは脇に置いておこう。

 そんなものよりも、見るべきものがある。

 見るべきものとは、撤退していく魔王軍と、それを街の外壁の上から見つめる一人の少女の勇姿のことだ。

 

 ある者は爆裂魔法の存在を知らなかった。

 ある者は爆裂魔法の存在を聞いていたが、失念していた。

 ある者は爆裂魔法やめぐみんのことを把握していたが、一日一発という縛りを知っていたがために、今日はもう安全だと思い込んでいた。

 

 そんな魔王軍を、街を囲む壁の上から、めぐみんが見下ろしている。

 

「いやあ、国の負担で爆裂魔法を撃てるなんて最高ですね」

 

 めぐみんはクレアから許可を貰い、王城に溜め込まれていたマナタイト鉱石を片っ端からかっぱらっていった。

 マナタイト鉱石は、そこから魔力を引き出し術者の魔力消費を肩代わりすることができる。

 今の彼女の足元には、無数の使用済みマナタイト鉱石が投げ捨てられていた。

 

「むきむき。あなたがこの世界を素晴らしいと言うのなら、私はそこに爆焔を放りましょう」

 

 城が現在備蓄していたマナタイト全てを費やしても、たった一発しか放てない爆裂。

 

「その敵を、討つために。この素晴らしい世界に爆焔を」

 

 今のめぐみんの体内には、平常時の彼女の魔力上限を超えた魔力が渦巻いている。

 膨大な魔力のオーバーロードを、体内と杖の中で循環させて、展開した魔法陣の中に流し込む。

 普段の爆裂魔法よりも大きな魔力を、普段よりも大きな威力で、普段よりも精密な制御で。

 究極の威力を、極限まで絞り込む。

 

 めぐみんの視線が一瞬、狙いを定めた魔王軍ではなく、腕を切り落とされたむきむきの方に向けられた。その腕の血濡れた切断面に向けられた。

 視線が再び、魔王軍に向けられる。

 詠唱を終えためぐみんの声が、ほんの数秒、異様にトーンが落ちた声になった。

 

「ぶっ殺す」

 

 彼女がキレやすいことを。キレると怖いことを。

 

「―――『エクスプロージョン』ッッッ!!!!!」

 

 魔王軍の誰もが、知らなかった。

 

 

 

 

 

「ハンス様が吹っ飛んだ! 幹部のハンス様が吹っ飛んだぞー!」

「衛生兵、衛生兵ー! ウォルバク様重傷!」

「おいセレスディナ様どうなった!? あの人下級悪魔より脆いんだぞ!」

「シルビア様! シルビア様ぁ!!」

「撤退! 撤退急げー!」

「飛び散ったハンス様の破片には近寄るなよッー!」

 

 

 

 

 

 不意打ち爆裂は、魔王も倒せるかもしれないくらいの禁じ手である。

 神でも殺せる。成長すれば殺せない悪魔も居なくなる。

 連発すれば壊せないものなどなく、ゆえに人類最強の攻撃手段という呼称が相応しい。

 

「やっぱめぐみんは最高だよ……」

 

「師父、目を覚まして下さい。あれはキチガイの類です」

 

 これもまた、『爆発オチ』と言っていいものか。

 魔王軍幹部が固まっている所に、めぐみんの過去最大の爆裂魔法が叩き込まれた光景が、この戦争のフィナーレを飾った。

 どっちが勝ったんだか分かりゃしない。

 

 めぐみんは安定して頭のおかしい紅魔族であったが、彼女が爆裂魔法をぶっ放したその後には、謎の爽快感が皆の心に残されるのであった。

 

 

 




 次の話で二章終了。一章は爆焔一巻で、二章は爆焔二巻でしたよという話でした


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2-8-4 この素晴らしい物語に始まりを

 ガルパンの話を「金を掘り尽くしてしまい廃坑の危機に陥っていた大洗掘削学校の少女達の奮闘記」とかに改変して再構成するとするじゃないですか
 それを変化球にして、廃坑おじさん視点の物語とかにするとするじゃないですか
 どう転がすにしろ、少女達が金鉱脈を掘って先に金を掘り出した方が勝ちの戦いにするとするじゃないですか
 その裏で西住家の末弟・西住ほもが廃校おじさんを掘るとするじゃないですか

 あ、この前書きに特に意味は無いです


 むきむきの左腕は綺麗にバッサリやられていた。

 ベルディアクラスの剣技でもなければ、耐久力でダクネスの比較対象に置かれるレベルのむきむきの腕を切り落とすことは容易ではない。

 結果、むきむきの腕は最高の技で切断された。

 幸か不幸か、そのおかげで切断面はとても綺麗なものだった。

 

 ここで魔王軍の兵糧を強奪して悠々自適にアクシズ教徒が王都に到着。

 アルカンレティアの一件で、むきむき達紅魔族チームはアクシズ教徒の何割かに恩人であると認識されていた。

 急ぐ旅の途中にアクシズ教徒が少女のパンチラと困ったむきむき達を見かけたなら、足を止めてパンチラをじっと見て、十分堪能してからむきむき達を助けに行くくらいには恩を感じている。

 

 やって来たアクシズ教徒達が、彼の腕を繋げようとしてくれたのは、当然の成り行きだった。

 

「アクシズ教団のシスター、セシリーと申します。お任せ下さい!」

 

「セシリーさん!?」

 

「違うでしょ、めぐみんさん。お姉ちゃん……でしょ?」

 

「そんな呼び方で呼んだこと一度も無いですからね?」

 

 何でもありで難がある、能力はあれど常識がない、それがアクシズ教徒だ。

 彼らをオ○ム真○教を見る一般人のような目で見て不安がる者も居たが、アクシズ教徒はベルゼルグのバックアップもあって、拍子抜けするくらいにさくっと彼の腕を繋げてくれていた。

 

「元に戻りそうですか?」

 

「はい、この分なら問題なく繋がりそうです。

 流石に、我々の中にも自分の力だけで腕を繋げられる者はいませんが……

 幸い王国が魔道具を幾つか貸してくれた上に、魔法陣の敷設も手伝ってくれましたから」

 

「……そうですか。よかったぁ……」

 

 男性のアクシズ教徒曰く、腕は問題なく繋がるようだ。

 心底安堵した様子で、めぐみんが大きく息を吐く。

 ほのかに嬉しそうに、かすかに幸せそうに、少女は口元を動かす。

 アクシズ教徒のセシリーは、そんなめぐみんが猛烈に愛おしかった。

 

「あんもう可愛いわ可愛すぎるわめぐみんさーん!」

 

「ふわっ!?」

 

 セシリーがめぐみんに抱きついて、その脇で左手の調子を確かめていたむきむきが、男性のアクシズ教徒に感謝を述べる。

 

「ありがとうございました、アクシズ教の皆さん」

 

「いえいえ、私達こそ礼を言わなければならない立場ですから。

 感謝の言葉などいりません。ただ、この入信書にサインしていただければ」

 

「な、流れるように勧誘に移行した……!」

 

 アクシズ教徒は、いつでもブレない。

 

「あとですね、戦勝祝いということでこの後大規模な宴会するらしいじゃないですか。

 怪我人沢山助けましたし、私達も参加してもいいですよね? 最高に盛り上げてみせますよ!」

 

「そのどんちゃん騒ぎを嗅ぎつける嗅覚はどこから来るんですか?」

 

 本当にブレない。

 

 

 

 

 

 アクシズ教徒がウキウキして楽しみにしていた宴会――規模からしてもう祭りに近い――は無事行われ、むきむきもまた、冒険者ギルドで様々な冒険者に囲まれていた。

 もうすっかり日も暮れている。

 むきむきはやや生真面目だったが、そこはギルドの先輩達がフォローを入れ、ギルドでの宴会は概ね楽しく進んでいった。

 

「勇敢な少年に、乾杯!」

「乾杯!」

 

「や、やめて下さい! 恥ずかしいですから!」

 

 有名冒険者もむきむきのガタイと筋力に大いに興味を持っていたようだが、それにも増して興味津々だったのが勇者(てんせいしゃ)達だった。

 日本人的な感覚で見ると、"本の中から跳び出して来た人物"にも見えるむきむきの肉体。

 ミツルギ同様、その筋肉に興味を持つ者が多かった。

 

 勇者達に囲まれて色々と話をするむきむきだが、エルロードで戦ったイエローのことを話していると、勇者の一人が聞いたことのない名前を出してきた。

 

「それってスプリット太田じゃね?」

 

 変な名前だ。紅魔族の人名くらいには変な響きがある。

 

「スプリット・オオタ?」

 

「俺達がここに来る前に居た場所で、芸人やってた人だよ」

「あーいたなそんな奴」

「語尾にゲスゲス付けてて、ゲス野郎みたいなキャラ付けしてたやつな」

「子役上がりの芸人だから、確かまだ十代だったはずだ」

 

 すると、ぽつぽつ勇者(てんせいしゃ)達から声が上がる。

 

「なんだろうなあれ?

 ものまね芸ってわけでも一発芸でもないし。

 ゲスのロールプレイしてツッコミ待ちしてたのか?」

「アイーンとかゲッツとか、そういう一発芸ネタではないな」

「オリエンタルラジオとかインパルスみたいに台本作っとくタイプでもないな」

「タイプとしてはカンニング竹山が近い? いや結構遠いな」

「え? ゲッツとかオリエンタルラジオとかって何?」

「……しまった! 世代が違うやつが居るぞ!」

 

 専門用語が入って来ると、むきむきが一気に蚊帳の外になる。

 アンジャッシュだの桜塚やっくんだの小梅太夫だの言われても、むきむきには何を言っているのかてんで分からないのだ。

 ちなみに今ここに居るメンツだと一番人気はアンジャッシュである模様。

 

「テレビだと扱い酷かったな、スプリット太田」

「そういう扱いされたいっていうキャラ付けなんだろ?」

「俺そもそもいじり芸好きくない。いじめに見える時もあるし」

「大御所にバカにされるためにキャスティングされてる感はあったな」

 

 ただ、言葉の意味全てを理解できないままでも、"イエローがまっとうな人間で居られなかった理由"はぼんやりと察せた。

 むきむきがイエローの能力を話すと、これまた勇者達の中から情報が出て来る。

 

「それってあれか。無敵系特典のページにあったやつか」

「え、そんなのあったのか。もっとよく見ておけばよかった」

「俺も見たな。でも俺結局超魔力の方が欲しかったから……」

「こういう知識集めてメモっておけばDT戦隊の能力すぐに分かるんじゃないですか?」

「ちょっとやってみるか? 時間かかるだろうけど、集合知のメリットってデカいぜ」

「だな。いつの間にかゲームの攻略本が死んで、攻略wikiが天下取ってたもんなあ」

 

 むきむきは知る由もなかったが、『転生者の能力』は転生前に特典一覧から選んだものであるがために、『他の転生者が知っている可能性がある』能力でもあった。

 それは、集合知を用いることで付け入る隙となる。

 

「ええと、魔剣の勇者様、これは一体……」

 

「DT戦隊の能力、全部丸裸にできるかもしれません。そういうことです」

 

「! 本当!? 勇者様達がそこまで博識だなんて……」

 

「いや、博識というわけでは……とりあえず今は、放置しておいて大丈夫ですよ」

 

 ワイワイ盛り上がる転生者集団から離れ、むきむきとミツルギはギルドのカウンターに移動していった。

 カウンターの向こうに並ぶ酒と、酒を飲んで盛り上がる冒険者を交互に見て、むきむきはちょっとした罪悪感と背徳感を感じながら、興味本位で一計を案じる。

 

 自分の見かけならバレないかもしれない、皆と同じものを飲んで同じように盛り上がりたい、といった思考が頭の中を駆け巡る。

 子供が大人の真似をして初めてビールを呑み「にげっ」となる時と、同じような気持ちで、むきむきはカウンターのバーテンダーに酒を注文した。

 

「皆が飲んでるのと同じのを一つ」

 

 そんな子供の背伸びを、注文を受けたバーテンダーのオッサンが止める。

 

「待ちな」

 

 止めて、たしなめる。

 

「お前の歳は知ってる。だが、ここには酒しか無いわけじゃないんだ」

 

 バーテンダーは酒――シャワシャワ――を下げて、未成年でも飲めるものが並べられた棚を、コツンと叩いて示す。

 

「背伸びする必要はない。皆と同じにする必要もない。

 俺達は、お前がちゃんと大人になってから一緒に酒を飲める日を、楽しみにしてるんだぜ」

 

「おじさん……はい! ええと、こういう時は……ミルクでも貰おうか!」

 

「おう、飲め飲め!」

 

「男、むきむき! 牛乳10リットル一気飲みします!」

 

「「「おおおおおおおおおっ!!」」」

 

 むきむきの牛乳一気飲み芸で、ギルド内部が一気に盛り上がる。

 ここは冒険者ギルド。

 今の世の中で、もっとも安酒と馬鹿笑いが満ちている場所だ。

 

 やんややんやと盛り上がる皆の中で、ミツルギは苦笑する。

 

「雰囲気に酔うとは言うが、雰囲気のアルコール度数は酒よりも高いのか……」

 

 そんなことを言っているが、実はミツルギもこういう雰囲気が嫌いではない。

 むしろ好きだった。

 だからか、どこか不思議な居心地の良さを感じながら、ミツルギはアルカンレティアで別れてからの旅の話で、むきむきと盛り上がるのであった。

 

 

 

 

 

 翌日。

 すっかり陽も昇り、戦いの終わりが皆に実感として染み込んでいく。

 今は王都での戦いが終わってから、そろそろ丸一日が経とうかという時間帯だ。

 王都内部の安全確認も終わり、家が壊されていない者の一時帰宅も段階的に始められている。

 

 むきむき達は王城の一室を与えられていたが、そこから何をしろ、どこに行け、といった話は一切されていなかった。

 王族の公務がわんさか積み上げられていて、緊急の案件にランク付けをして、より緊急な案件を先に処理し、一部は翌日に回すということさえしているらしい。

 

「アイリスと一緒にご飯くらい食べたいのにね」

 

「むきむきはそうかもしれませんが、王族は今いくらなんでも忙しすぎですよ」

 

「ああ、でも私本当に疲れた……まだゴロゴロしてたいくらい」

 

 街のベンチで、三人が並んで座っている。

 が、ゆんゆんだけがぐでっとしていた。

 

 根本的に肉体疲労に強いむきむきや、爆裂魔法ドーンで魔力消費だけして倒れるめぐみんとは違い、魔法も撃ちつつ走り回ったりもしたゆんゆんはそこそこ疲れが残っているようだ。

 めぐみんの視線がゆんゆんの体の数カ所に向けられ、最後にゆんゆんの腹に向けられる。

 

「ゴロゴロしてると、腹にも肉が付きますよ」

 

「つ、付かないわよ! そんなすぐには付かないわ!」

 

「どうだか。むきむき、そのスーパーアイでゆんゆんの腹を見てやって下さい」

 

「? ええっと……」

 

「やめて、そのウエストの数字を可視化してそうな目で見ないで……!」

 

「大丈夫だよゆんゆん、里を出る前より脂肪は付いてないけど、腹筋は付いてると思う!」

 

「いやああああああっ!!」

 

 ゆんゆん、轟沈。

 めぐみんの誘導で彼がゆんゆんの腹を見た時点で、『太ったね』『美人だね』『くさそう』『柔らかそう』と何を言われたとしても、ゆんゆんの轟沈は決まりきっていた。

 今日も今日とて、ゆんゆんはめぐみんに負けている。

 

 多少筋肉が付いていた方がスタイルは良くなる、美しい体型になる、とは言うが。

 それを口にしてゆんゆんに助け舟を出す気など、めぐみんにはさらさらなかった。

 

「……あっ、しまった、またデリカシーのないことを……ごめん、ゆんゆん」

 

「いいの、私がめぐみんより肉が付きやすいってことは、知ってたから……」

 

「こ、この切り返し……! ゆんゆん、あなた日々精神的にタフになってません?」

 

 三人が街に出ている理由は一つ。

 破壊された王都の復興に、紅魔族が来ているという話を耳にしたからだ。

 紅魔族は建築の魔法等を持つ者も居る。なので、こうした有事にはテレポート担当の紅魔族達と建築担当の紅魔族達が、セットでやって来ることがあるのだ。

 

「あ、居た居た見つけた。あの髪の色はまさしく紅魔族……って」

 

 なのだが、『その人物』に、むきむきは見覚えがあった。

 

「そけっとさん!? って、アイリスも居る!?」

 

「あ、むきむき君! よかった、元気そうで。活躍の話は聞いたわよ?」

 

「こんにちは、むきむきさん、めぐみんさん、ゆんゆんさん」

 

 紅魔の占い師、そけっと。

 里一番の美人で里随一の占いである彼女が、何故か今日は王都に居た。

 

「何故ここに? 王都の再生作業ですか?」

 

「それもあるけど、占いを頼まれたの。里の外はよっぽど大変な事態になってるみたいね」

 

「……はい、とても」

 

 魔王軍が去り際に残していったワードが、あまりにも物騒すぎた。

 あれを無視することは流石に無理だ。

 そう考えてみると、そけっとがここに呼ばれ、アイリスがその隣に居たのも納得ではある。

 

 そけっとは有能な占い師だ。この世界の占いは一種の未来視や因果視に近い。

 ベルゼルグの王は王都の復興のため、そして未来のことを知るために、彼女らをここに呼び寄せたというわけだ。

 アイリスは忙しい王の代わりに占いの内容を聞く役目を与えられている、といったところか。

 

「背、また伸びたみたいね」

 

「え? 目に見えては伸びてないですよ?」

 

「あれ? そう言われてみればそんな気も……

 むきむき君が大きくなったような気がしたのは、気のせいかしら」

 

 そけっとは首を傾げる。

 はてさて、そけっとが"大きくなった"と思った理由はなんなのか。

 めぐみんとゆんゆんがしれっとしているので、この二人は分かっているのかもしれない。

 親しい距離感で話している二人の間に割って入れなくて、ちょっとしょぼんとするアイリス。そんなアイリスにめぐみんが寄り添う。

 

「アイリス、そけっとはむきむきと仲が良かった大人なんですよ」

 

「そうなんですか? それより、びっくりしました。

 今日来てくれた紅魔族の方達は、皆器用に魔法を使っていて……

 紅魔族の魔法使いは、小器用とは無縁の人型爆弾のイメージが強かったので……」

 

「アイリス、それはもしかして私のことですか? ん?」

 

「めぐみんは人型爆弾でいいんだよ。少なくとも僕はそう思う」

 

「そこであなたに包容力発揮されると、なんというか私が乙女として終わっていく気が……」

 

 女ばくだんいわにも、甘やかされて堕落してしまうことへの危機感はある。

 

「むきむき君、日記はつけてる?」

 

「はい、毎日」

 

「よろしい。……うん、いい旅ができてるみたいで、安心したわ」

 

 そけっとはこの少年が里を出る時も、里を出た後も、随分と心配していたようだ。

 だが、その心配ももう消えてなくなっている。

 里を出てから二週間と少し。

 たったそれだけの時間で、少年は随分といい顔をするようになっていた。

 

「そけっとさん、ここの街の再建の件なのですが……」

 

「どうしましたか、王女様……ああ、瓦礫が沢山詰まれていて邪魔なんですね」

 

「よろしい、私の爆裂魔法で」

 

「「 ストップ 」」

 

 街の再建の話にめぐみんがぐいぐい踏み込んでいって、それをアイリスとそけっとが押し留めている。

 先を行く三人の背中をゆっくり置いながら、むきむきとゆんゆんは並んで瓦礫の街を歩いて行く。

 凄惨に壊された町並みがあった。

 無残に壊された建物があった。

 醜悪に刻まれた戦いの跡があった。

 それでも、たくましい人達の手によって、街は早くも急速に復興を始めていた。

 

「むきむき、そけっとさんに会えて嬉しい?」

 

「うん、とっても」

 

 嘘偽りなどどこにも見当たらない少年の笑顔。

 子供だなあ、とゆんゆんは思い、時々顔を出す持ち前のどんくささで瓦礫につまづいてしまう。

 

「うわととっ」

 

「あ」

 

 咄嗟にむきむきが肩を掴んで、ゆんゆんは転ばずに済んだ。

 ゆんゆんの頬に赤みが差す。どんくさいことをしてしまったことが恥ずかしいのだろう。

 むきむきはそんな彼女の心情を知ってか知らずか、ゆんゆんが転ばないようにと、彼女に左手を差し出した。

 

「大丈夫?」

 

 差し出されたエスコートの手。

 少年の顔には純粋な心配があって、ゆんゆんがまた転んで怪我でもしてしまったらどうしよう、という不安も見える。

 

「うん、大丈夫。ありがとう」

 

 少しだけ躊躇って、ゆんゆんは差し出された彼の手の上に、自分の手を乗せた。

 むきむきの左手。

 繋がった左手。

 あの時切り落とされていた左手。

 問題なく動いている、暖かく優しい手つきのその手に触れて、ゆんゆんは心底「よかった」と思うのだった。

 

 

 

 

 

 昼食の時間だ。

 それも、かなりの量を食らうむきむきの食事の時間だ。

 アイリスとそけっとを王城まで送り届け、紅魔族は王城近くの食事処に足を運んでいた。

 

「私も同席していいだろうか?」

 

「どうぞどうぞ、歓迎しますよダクネスさん」

 

 アイリスを陰ながら護衛していたダクネスが、そこに加わる。

 ダクネス曰く、クレアも陰ながらの護衛に付いていたそうなのだが、クレアはアイリスにしか興味が無いため、屋外警護の任を終えてもこちらにはこなかったとのこと。

 しぶとく元気で常に平常運転のロリコンレズ。戦争で死ななかったのも納得か。

 

「ああ、そうだ。王城にエルロードからお前達に贈り物が届いているぞ」

 

「エルロードから? テレポートでですか?」

 

「そうだ。戦争にテレポーターを全投入しないといけない状況も終わった。

 今はもう、各国とのやり取りにテレポーターを使える状態になったのだ」

 

「国の状態の立て直し、凄い速いですね……」

 

「ベルゼルグは慣れているからな。

 エルロードからは、お前達への感謝が綴られた王子の手紙が一つ。

 それと、魔法の氷で品質を保たれた高級食材が沢山だ」

 

「……あの素直じゃない王子様、別れ際の会話を気にしてたんですかね」

 

 ベルゼルグ襲撃で有耶無耶になっていたが、レヴィはむきむき達をゆっくり休ませたがっていたし、美味しいご飯を食べさせてやろうとしていた。

 そうして、恩を返そうとしていた。

 

「レヴィ……レヴィらしいというか、なんというか」

 

「でも嬉しいんでしょう?」

 

「うん、そうなんだけど」

 

「相手が喜ぶ物を贈れるのは、いい友人関係の証です。

 相手のことをよく理解していて、相手の気持ちが分かるってことですから」

 

 レヴィはちゃんと、むきむき達のことを理解していたようだ。

 

 めぐみんの言葉を受けて、ゆんゆんの視線がむきむきとめぐみんの方に向く。

 何かを期待しているような眼差しだ。

 むきむきは近くの皿からゆんゆんが好きなものを取り、ゆんゆんの小皿に置く。

 めぐみんは近くの皿からゆんゆんが嫌いなものを取り、ゆんゆんの小皿に置く。

 

「なんでよ!」

 

「理解してあげてるだけ感謝して欲しいんですが」

 

 ライバルもある意味、互いを理解している関係なのかもしれない。

 むきむきは店員にライスのおかわりを頼んで、戦いが終わってから"偉い貴族なのだろうか?"と思われるフシがチラチラ見えてきたダクネスに話しかけてみた。

 

「ダクネスさんって偉い人だったんですね」

 

「そうでもない。この髪と目がある限り誤魔化せないことではあるが……

 私もこのベルゼルグの貴族の一人、ただそれだけだ。先人の立場を継承したにすぎない」

 

「そう言えばアイリスがララティー……」

 

「むきむき」

 

「……あ、はい、なんでもないです」

 

 あっちの方の呼称は使っちゃ駄目なんだな、と察するむきむき。

 

 ダクネスは貴族なのに気安く、話しやすい。

 むきむきは王都で色んな貴族と顔を合わせる機会が増えたので、ダクネスが貴族の中でも格段に話しやすい部類の人であると認識している。

 なのだが、"じゃあどれ位の貴族なのかな?"とは思わない。

 ダクネスとアイリスがツートップで偉そうに感じなかったので、"もしやこの人も偉いのでは"と思っていたりした。

 隣国の王子レヴィが対等な友人として接した影響、とも言う。

 

「今ではお前達の方が有名で偉いかもしれないぞ?

 元々『凸』という通称で冒険者間では評価されていたようだがな」

 

「凸?」

 

 むきむき、めぐみん、ゆんゆんが意味を理解できず首を傾げる。

 

「前から見ると、身長が一人だけ飛び抜けている。

 横から見ると、胸の出っ張りが一人だけ飛び抜けている。

 頭のおかしさで見ると、一人だけ飛び抜けている。

 二人が低くて一人が飛び抜け、故に凸、だそうだ。ギルドで聞いた」

 

「なぁんですかそれは!」

 

「落ち着いてめぐみん! 私に唾飛んで来てる!」

 

「男なんて皆そうなんですか! 皆胸ですか! この! この!」

 

「わ、私に当たらないでよ!」

 

 そんな通称が周知されてると聞けば、そりゃ怒る。

 騒いでいる二人をよそに、ダクネスはふふふと微笑んだ。

 

「ゆんゆんから聞いたぞ。

 君は昔から進んで人の盾となるという。

 そしてその昔は、自分からあの爆裂魔法を受けに行ったこともあったとか……」

 

「恥ずかしい話です。実力が行動に伴わないんですよ」

 

「分かる、分かるとも。君も私と同じ……Mの道を進む者なのだろう?」

 

(M? マッスルかな?)「ええと、そんな感じですね」

 

「そうか! うむ、そうか!

 いやあ、この広い世界に同好の士が居ることは理解していたが!

 実際にこうして会える日が来ようとは!

 夜中ふとした時に自分を振り返って、自分の生まれつきのサガに死にたくなったりするが……」

 

「あ、分かります」

 

「それでも自分は変えられないし、変える気もない。

 自分らしく生きていたい。そう思えば生きていけるものだ」

 

「自分はそう思えるようになったのは最近です。ダクネスさんは凄いですね」

 

「ふふ……私は私だ。この自分に胸を張って生きていこうと思っている」

 

 "お前らバカじゃねえの!?"と言ってくれそうな人が居ない。

 めぐみんとゆんゆんは彼女らだけで言葉の応酬で殴り合っている。

 ツッコミ不在の勘違いループだ。

 

「馬鹿みたいな……げふんげふん、楽しそうな話してる君達」

 

「クリス先輩!」

「おや、クリスじゃないか」

 

「私も混ぜてくれない?」

 

 そこにクリスがやって来て、同時に反応したむきむきとダクネスが顔を見合わせる。

 奇縁ここに極まれり。冒険者をしているダクネスは、クリスとパーティなのだそうだ。

 様々な場所を行き来し、多くの人と出会う冒険者をしていれば、こういう風に色んなところで奇妙な繋がりを目にするものなのかもしれない。

 

「ダクネスさんの仲間……じゃあクリス先輩も、王都のために頑張ってたんですね」

 

「いやあ、あたしはそんなに活躍しなかったよ。

 活躍したのはあたし以外の皆。

 皆が頑張ったから、皆が生きてるこの場所を守れたんだよ」

 

「クリスは責任感が強い。そんなことを言っても、クリスなりに頑張っていたのだろう?」

「ですね。クリス先輩はそういう人です」

 

「たはは、変に持ち上げられると困っちゃうよ」

 

 クリスが頬を掻く。

 ダクネスやむきむきは、クリスがサボったり臆病風に吹かれたりしない性格であることを見抜いていて、あるいは知っていて、クリスが頑張っていたのだろうと思っている。

 クリスが実際にどう動いていたかなど、彼らは何も知らないというのに。

 

「あたしは主役ってガラじゃないから。

 主役になる気もないし、主役は他の人に任せるよ。

 この世界の主役は君達だ! って言ってる方が性に合ってるしね?」

 

 クリスはそんなことを、この場の人間の皆に向けて言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女神はこの世界の主役が人間だと信じていて、魔王軍は自分達がこの世界の主役だと信じていた。

 

 魔王軍幹部として、魔王軍工作員を束ねる女・セレスディナは、タバコを灰皿に押し付ける。

 対面には部下。テーブルに足を乗っけてタバコを吸う姿は行儀の悪いヤンキーそのもので、スタイルのいい巨乳美人な容姿が台無しだ。

 悪の組織の女幹部感は僅かにあるが、それ以上に"女性らしく振る舞うことに手段以上の価値を見ていない"感じが、印象の逆転で凄まじい女ヤンキー感を醸し出している。

 

「ドッペルゲンガーどもと連絡がつかねえ」

 

 セレスディナは吐き捨てるように言った。

 部下は無表情に答える。

 

「今回の侵攻で全員を動かしたのが裏目に出たのでは?」

 

「んなわけあるか。人間どもはドッペルゲンガーの存在を感づいてもなかったってのに」

 

 セレスディナが工作で使う『人間』は三種類居る。

 一つは、ドッペルゲンガーというモンスターを変化させた人間。

 おそらく全滅しているだろう、とセレスディナがあたりをつけている者達。

 一つは、セレスディナが色気で惑わしたただの人間。

 典型的なハニートラップで、発覚に気を付けつつ仕掛ける相手を選べば、最高の費用対効果が得られる。

 

 そして最後の一つが、彼女のある能力を使い洗脳した人間だ。

 洗脳した人間は人格を残したままセレスディナの命令に忠実な人形となる。

 "セレスディナ様が言ったことは真実に違いない"と、真実とは違うことを思い込ませることで、洗脳強度次第では『嘘を判別する魔道具』さえ無効化する。

 何せその人間は、自分が嘘を言っていると認識することさえできないのだから。

 

「今回は不思議な不運も重なりましたね。まずは天候操作の魔法部隊」

 

「どっかから襲撃食らってやられてたな。

 そこそこの強さの悪魔でメンバーを統一してたはずなんだが……」

 

「おかげで戦場の優位性が崩れ、戦線のバランスが完全に崩れました。

 内通者の情報も途中からは来ませんでしたし……

 姫様が幹部の皆様の強化を続けたまま、質と数で圧殺するならまた違ったかもしれませんが」

 

「その話はもう聞いてる。魔王からもあの姫様には一言何か言うだろうよ。

 何か謎の女が一発かまして、その後も散発的に現れたんだっけか?」

 

「そうですね。

 ただの盗賊職かと思いきや、アンデッドや悪魔のことも熟知している様子でした。

 目撃証言をまとめると、どうやら神器の類も所持・使用していたようで……」

 

「だから魔王の娘は念押しして王都の外を潰してたってわけだ。

 じっくり進めんのは悪くねえが、あの時は誰も知らないタイムリミットがあったからな。

 時間をかけて逆転の目を残さないよう、きっちり詰みに持ってこうとしたのがアダになった」

 

 王都の外で魔王の娘が結果的に足止めされる形となった。

 天候操作担当の魔法使いが、一軍相応の分用意されていたのに、レインに押し切られた。

 ドッペルゲンガーが全員消息不明。

 別々の場所で、別々の事象として起きた、小さいけれども大きな結果に繋がった歪み。

 

「ん? いや待て、つまりそれは結果的にとはいえ魔王の娘から逃げ切れたってわけで……

 結果論の視点で見れば、そいつ一人が魔王の娘を足止めしてたようにも見えなくはない……?」

 

 普通は繋がらない『それら』を、魔王軍の人間筆頭であったセレスディナは、"人間だからこそ"それを繋げて考えることが出来た。

 疑い深く、邪推で他人を疑うことができ、連想ゲームでケチ付けのような因縁付けをする人間だったからこそ。そこから可能性を絞り込める賢い人間だったからこそ。

 その可能性に、手を届かせていた。

 

「―――エリスか」

 

「え?」

 

「エリスだ。居たのか、あの売女」

 

「まさか、国教クラスの神が暗躍していたと? そんな馬鹿な……」

 

「ありえない話じゃねえよ」

 

 "誰がやったか?"ではなく、"誰ならできたか?"という思考。

 "全てを同一の人物がしたとすれば"という妄想のような前提に従った、"そんなことをやらかせるのは誰か"という結論に至る推測。

 すなわち、むきむき達が生き残った『幸運』は、あの神気降臨の瞬間にまで彼らを生かした『幸運』は、なんだったのかという理解。

 

「あいつの厄介な点は二つ。

 一つはあいつが幸運の女神だってことだ。

 あいつの行動は幸運な結果に終わることが多い。

 エリスにスキルを教わったやつは、どっかで魔王軍の邪魔か人類の後押しになったりする。

 あいつが助けたやつは、どっかで魔王軍の敵か人の強力な戦力になったりする」

 

 エリスの行動は計算づくでなくとも、計算づくの行動以上の結果を出すことがある。

 幸運の女神の行動が不運な結果に終わるのは、短期間を切り取って見るからだ。

 長期で見れば、それらの多くが幸運に繋がる。

 

 それは、サイコロのようなもの。

 サイコロで6が出る確率は1/6。だが、直前に6が十回連続で出たという前提を付け加えてみればどうだろうか?

 "次に6が出る確率は低いんじゃないか?"と思わないだろうか?

 サイコロを振るのには変わらないのに、前提を付け足すだけで確率が一気に歪んでしまう。

 この一つのサイコロこそが、『幸運に恵まれた者』を理解する第一歩だ。

 「永遠に6が出続けるはずがない、確率は常に収束する」と思うもよし。

 「常に1/6であることに変わりはない」と思うもよし。

 この世界の幸運への理解は、こういう考察から始まる。

 

 短いワンシーンだけを見ても、幸運な者の幸運は実感できない。

 セレスディナが何の証拠も根拠もないのに、全体を見てエリスの干渉を九割九分確信しているように、それは物語の一章だけを見る者には見えず、物語全体を見る者にのみ見えるもの。

 

「もう一つの厄介な点は、あいつの幸運はあいつだけの幸運じゃない。

 あいつにとっては人類の幸福も自分の幸福だ。

 あいつの幸運は、全体で見れば、人類の幸運として還元されることが多い」

 

 幸運であるということは、やることなすこと全て上手くいくということではない。

 その人が最終的に幸せになるということだ。

 

「幸運だっていうことは、()()()()()()ってことだ。

 過程がどうだったとしても結果を引き寄せるってことだ。

 エリスの行為は最終的に、あいつにとっての幸運な結末に繋がる要素になる」

 

 幸運は絶対ではなく、誰かの行動の結果を無理矢理に捻じ曲げるものではないが、少しづつ、少しづつ、未来は幸運な者の方へと寄っていく。

 勝率0%が1%に。生還率99%が100%に。それこそが幸いであるということ。

 

「あのガキども。

 あいつらが生き残ったのは、二つの意味で『幸運』だったってわけだ……」

 

 不運な奴が不運不運の連続を諦めずに突破して、その先で掴んだ幸運。

 幸運の女神様の行動の結果が回り回って来た幸運。

 己が内の幸運に、天から降って湧いた幸運。二つ重なれば、奇跡も起きるのかもしれない。

 

「魔王の娘。

 魔王軍に有利な戦場。

 ドッペルゲンガー。

 有能な駒と有利な戦場、その内いくつかにこっそり手を回してた、と」

 

 この世界では幸運も数値化できるもの。人によっては、運良く勝った結果でさえも必然の結果と言うかもしれない。

 だからか、セレスディナの部下は、セレスディナの主張を自然と受け入れていた。

 

 ドッペルゲンガーに至っては、神が多くの力を残してこの地上に降りたとしても、多少違和感を感じるだけで終わってしまう完璧な偽装能力を持っている。

 その正体を突き止めるなら、行動からドッペルゲンガーの位置を見極めること……つまり、地道な調査と考察が必要になる。

 その上で『運良く』ドッペルゲンガーが見つかることに賭けるしかない。

 そういうものなのだ。

 

 様々な要因が絡んで、この世界においてはエリスの存在と干渉が幹部にも知られている。

 それが良い方向にも悪い方向にも作用している。

 人間にも、魔王軍にも。

 

「ったく、やってらんねえな。さっさとぶっ殺しておきたいもんだ」

 

「タバコは控えた方が」

 

「魔法でどうとでもなんだろ。病死さえしなけりゃ」

 

 セレスディナはバルコニーに出て、タバコの煙を空に浮かべる。

 済んだ空気の中を、濃いタバコの煙が上がっていった。

 上を見ていたセレスディナだが、ふと下を見て、そこで剣を振っているベルディアを見つける。

 動きからして、"何らかの敵"を想定した鍛錬のようだった。

 

「ベルディアか。あいつ何やってんだ」

 

「先日の戦いは実質自分の負けであった、と思っているようです」

 

「クソ真面目なこった。エロオヤジだが、仕事に関しては信用できんだよな」

 

 セレスディナからのベルディアの評価は、日本的な評価をすれば、仕事は真面目で有能だが職場の同僚にセクハラをするエロオヤジである。

 女性陣からの評価は低値。男性同僚・上司からの評価はそれなりに高い。

 何故そんな評価をされているのか、その証明を彼は現在進行形で行っていた。

 

「ん? あいつこっち見て何を……」

 

「セレスディナ様がバルコニーに居るのに気付いて、パンツを見ようとしているのでは?」

 

「……おい、お前あの魔道具持ってたろ貸せ。『ヒール』」

 

 この距離ならへーきへーき、と思っているベルディアに、セレスディナは部下の魔法を遠くに飛ばす魔道具でヒールを飛ばす。

 アンデッドの肌を焼くヒール。むきむきに粉砕された鎧がまだ直っていないベルディアは、セレナのヒールに猛烈な勢いで焼かれていた。

 

 王都戦、及びその後のめぐみんの爆裂魔法で幹部の中に死者は出なかった。

 だが、すぐさま全員が戦線に復帰できない程度には、大きなダメージを刻み込まれていた。

 すぐに戦争が再開されるということは、まずないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから日が経ち、ベルゼルグも無事復興。

 むきむきの腕も以前と同じように動くくらいに回復し、彼らがこの街に留まる理由も消え、彼らが旅立つ日がやって来た。

 その日、彼らは王城の謁見の間に招かれる。

 アイリス、クレア、レイン、そして紅魔族しか居ない慎ましい謁見。

 

「改めて、ありがとうございます。

 あなた達が来てくれなければ、この国は大変なことになっていました」

 

「僕らはこの国のために戻って来たわけじゃないよ?」

 

「……ふふ、そうでしたね」

 

 国のためになんていう大義で、死地に赴いたわけではない。

 最悪友人だけさらって逃げるつもりで、彼らはアイリスのためにここに来たのだ。

 

「褒賞金は後でクレアから受け取って下さい。

 話したいのは、あの日魔王軍が言っていた『光』のことです」

 

 彼らの功績に対し支払われる金額は莫大なものとなるだろうが、彼らは金が欲しくてやったわけではなく、ましてや今は金よりも重要なことがある。

 

「魔王軍はアクセルの方角を見ていました。

 全員が見ていた方角は同じだったため、まず間違いはないでしょう」

 

「始まりの街、アクセル」

 

「むきむきさん、めぐみんさん、ゆんゆんさん。

 私は王族の一人として、クエストを発令します。

 期限は無期限。未達成罰則はなし。クエスト内容は、その『光』が何かの特定」

 

「それは……」

 

 どこを探してもいい、いくら時間をかけてもいい、見つからなくてもいい、でも見つけてくれると信じている。そう言わんばかりの、アイリスによるクエストの発令。

 めぐみんはむきむきを見た。

 彼は頷く。

 めぐみんはゆんゆんを見た。

 彼女も頷く。

 

 チームを代表して、めぐみんはそのクエストを受領する。

 

「分かりました。私達にお任せ下さい」

 

 物語の舞台は、アクセルへ。

 

 

 

 

 

 何故か、胸が小さく高鳴る音が聞こえる。

 何故か、ワクワクしている自分がいる。

 何故か、形にならない何かを心待ちにしている自分が居る。

 

 むきむきは、よく分からない気持ちに胸踊らせていた。

 

「むきむき、上機嫌ね。アクセルの街に行くのが楽しみ?」

 

 ゆんゆんが問うて、めぐみんが彼の肩に乗る。

 むきむきはいい笑顔で笑って、自分でもよく分からないその気持ちを口にした。

 

「『いいこと』がある気がするんだ。なんでだろうね?」

 

 アクセルの街の物語が、始まる。

 

 

 




 カズマさんが転生特典で南斗水鳥拳をゲットして「南斗水鳥拳奥義―――卑小白麗!」とかやるSSくーださい


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三章 「君は、なんのためにこの世界に転生してきたの?」
3-1-1 ハゲ「お前ごときが佐藤和真に勝てると思うな」


プリンターなどで紙を複数枚送信するのがファックス
紙を一枚だけ送るのがファック
あなたにその紙を送信するのがファックユー
ファックズマ?
クズマさんはファックしてあげないから愛されるクズマさんなんですよ(慈愛の笑み)


 彼の名前は佐藤 和真。

 結構前にこのアクセルの街に来た冒険者である。

 いや、その言い方は正しくない。

 彼はこの街に来た冒険者、というよりは"この世界に来た転生者"と言うべき存在。

 

「なんで異世界転生したのに毎日土木作業してんだよ俺達はぁ! オイコラアクアぁ!」

 

「なんで私が責められなくちゃならないのよー!」

 

 されど冒険者らしくもなく、転生者らしくもなく、冒険にも出ずに日々日雇いの仕事・バイト・内職で食い繋ぐ、一風変わった少年だった。

 

 彼は前世において、ひきこもりの少年。その後なんやかんやで死亡。

 「転生特典上げるから別の世界に行ってみない?」と女神アクアに言われ、「ほらさっさと選んで! 私も暇じゃないのよ!」と煽られ、「じゃあお前で!」と女神を特典に指定。

 号泣する女神を引っ張り込みつつ、この世界に転生したイレギュラーだ。

 先日魔王軍を撤退させた光とやらは、この際に発生したものである。

 

「いい? 私は女神なの。偉大にして清廉なる水の女神なのよ!」

 

「だからなんだってんだ?」

 

「私の小さいミスくらいは水に流しなさいってことよ! 水臭いわね!」

 

「そうかそうかじゃあ水と油ってことで俺達お別れだな!」

 

「待って! 私昨日お酒飲みすぎてて一文無しなの! 魚心あれば水心でしょ!?」

 

「……元女神のお前を見てると、水は低きに流れるって言葉の意味がよく分かるわ……」

 

「元って何よ! 私は現在進行形で水の女神様よ!」

 

 ところがこの女神、かなりのポンコツであった。

 「もっと別なもん貰っときゃよかったぁ!」とカズマが叫ぶくらいには。

 持ち前の幸運と小器用さ(手先の器用さに非ず)でそこそこ上手く世渡りしていこうとするカズマであったが、この女神は様々な技能が人間離れしているというのに、それがまともな結果に繋がらないという正真正銘のポンコツ。

 商品の叩き売りをすれば宣伝で商品を消滅させ、飲食店で働こうとすればジュースをうっかり綺麗な真水に変え、カズマから聞いた詐欺商売を悪意なくやらかしそうになったこともあった。

 

(なんで俺はこいつを見捨ててないんだ……)

 

 カズマも何度この女神を置いていこうかと考えたか分からない。

 けれども、そのたびに見捨てることを決めきれない。

 本気で彼女を見捨てようと一度は考えるのも、その後"しょうがねえなあ"と思い直して彼女を引きずりながら歩いて行くのも、どちらも彼の本質である。

 

「とりあえずギルドに行くぞ。

 毎日日雇いの仕事して、飯食って、馬小屋で寝る繰り返しを脱却する!

 せっかく異世界に来たんだ、異世界っぽいことして金稼いで、生活を改善するぞ!」

 

「賛成! 魔王も倒さないといけないからね!」

 

 とりあえず命の危険が無い程度に冒険して、異世界っぽいことをして、楽しながら楽しい日々を送りたいと思っているニート気質なカズマ。

 魔王を倒さないと、世界を救わないと、人々を守らないと、という意識は持っているくせに、たびたびそれを忘れるポンコツ気質なアクア。

 一応カテゴリ的には世界を救う勇者の一人、勇者を導く女神の一柱なのだが、今の二人を見てもそう思う者は一人も居ないだろう。

 

「本日もアクセルは道行く人皆元気ね。

 よかったわ、あんな無茶苦茶な転送でアクセル近辺に辿り着けて……」

 

「初心者冒険者が最初に行く街、だったっけか。

 なら俺達でもこの近辺のモンスターくらいは行けると思いたいが」

 

 ここはアクセル、始まりの街。

 全ての冒険者はここに始まり、世界に散っていくと言われる街だ。

 この周辺にしか出ないような弱いモンスターは初心者のカモとなり、初心者用の装備を販売する武器屋や道具屋が自然と集まり、初心者に懇切丁寧に接する冒険者ギルドが存在している。

 街の治安はとても良く、それなりに活気があり、そこそこ人も多い。

 ギルドに向かうカズマ達も今、黒髪の魔法使いらしき少女達とすれ違った。

 

「昨日いいクエスト成功しましたし、一ヶ月くらい遊んでても収支はプラスな気がするんですが」

 

「それにしたって大盤振る舞いしすぎでしょ!

 めぐみんは節約する頭があるのに、どうしてそう派手にやるのが好きなのよ……」

 

「あ、露天にマナタイト結晶が……」

 

「話聞いてる!?」

 

 足を止める理由もなく、彼らは進む。

 そうして、冒険者ギルドに足を踏み入れた。

 

(冒険者ギルド……随分久しぶりに来た気がするな)

 

 カズマとアクアがここに来たのは、初日に来た時以来だろうか。

 自分に冒険者の才能が無く、アクアには馬鹿みたいに才能があって、アクアだけがギルドに大歓迎され、妙に萎えた気持ちになったことを、カズマはよく覚えている。

 

「ちょっとカズマ、人多いわよ。行列よ」

 

「並べばいいだろ」

 

「ええー、カズマは行列ができるラーメン屋に並ぶタイプ?

 信じられないわ。あんなの時間取られるだけで大した味じゃないわよ。

 待ち時間のつまんなさなんていう退屈を、この私に押し付けるっていうの?」

 

「待ち時間の長さに耐えきれず親に駄々こねる幼児かお前は」

 

 なんとかアクアをなだめるカズマ。

 二人してギルドの受付前に並んだが、アクアはじっとしてられないのか手慰みに芸の練習を始めている。

 手のかかる子供を連れている保護者の気分で、カズマも気まぐれに耳をすませてみた。

 

「だからな、むきむき」

 

「おいダスト」

 

「まあまあキースさん」

 

 すると、列の傍のテーブルから声が聞こえてくる。

 盗み聞きという失礼な行為をしていることに気付かれないよう、横目でそちらを見ると、筋肉ムキムキの大柄な男が一人、その対面に金髪と黒髪の軽薄そうな男が二人居た。

 筋肉ムキムキの男はあまりにも大きく、席を立ったら3mあるかもしれない、と思ってしまうほどだった。

 カズマは驚きの声を上げそうになるが、それをぐっと堪える。

 

 話を聞いている限り、その三人はむきむき・ダスト・キースという名前であるようだ。

 

(あだ名か? むきむきが本名とかないよな普通……)

 

 どうやら、ダストという男が二人を巻き込んでナンパの成功法を考えているらしい。

 

「あー、彼女欲しい。何故ナンパ成功しねえんだ」

 

 俺だって欲しいわ、こんな駄女神じゃなく可愛くて優しくて有能なヒロインが欲しいわ、彼女欲しいのがお前だけだと思ってんじゃねえぞ、とカズマは心中にてクズ力全開にその男を罵った。口には出さない。

 すると、金髪の男の対面の筋肉男が返答する。

 

「あの、ダスト先輩に彼女ができないのは、"可愛い彼女が欲しい"と考えてるからなのでは?」

 

「は?」

 

「いや、なんというか、"君が欲しい"で揺らぐ人は居ても……

 "可愛い彼女が欲しいから"で口説かれて、応える女性っていらっしゃるんですか……?

 それ『可愛くて優しいなら誰でもいい』って思ってるってことですよね?」

 

「ぐあああああああああああッ!!」

 

(ぐあああああああああああッ!!)

 

 ダストという男に向けられた痛烈な言葉の刃が、カズマにも刺さる。

 『あの人が好きだ』という気持ちと、『彼女欲しい』という気持ちには天地ほどの差が存在する。

 後者は"無条件で俺を好きになってくれる美少女居ないかな"というニュアンスを含んでいることも多く、ダストのような異性関係に飢えている者や、カズマのように能動的に恋愛行動を起こさないくせに恋愛やエロに多大な興味がある者が持つことが多い。

 総じて、『彼女欲しい』は恋愛未経験者か、浮気性の人間がよく口にするということになる。

 

 ダストへの言葉は、何故かカズマにもぐさりと刺さっていた。

 

「お前が男とも女とも上手くやれてる理由がなんとなく分かるな」

 

「え? あの、キース先輩、会話が繋がってないような気が……」

 

「でなきゃ持たざる者のダストも、持てる者のお前との付き合いは継続してないだろうさ」

 

「……?」

 

「おーいダスト、光明は見えたか?」

 

「あ、ああ……心のダメージは深いが……

 突破口は見えた……! もう俺に女関係で隙はねえ……!」

 

「……そこまで自信を持ってしまったか、ダスト」

 

 カズマは聞き耳を立てるのをやめた。

 

(これ以上聞いてたら俺が死ぬかもしれない)

 

 列が進んで、カズマは初日にギルドで受け付けをしてくれた巨乳の女性と再会する。

 

「ようこそ、冒険者ギルドへ……あ、カズマさんにアクアさんじゃないですか!」

 

 前に居たカズマ……ではなく、その後ろのアクアを見て、受付の巨乳の女性が目を輝かせる。

 アクアはこれでも女神だ。腐っても女神。腐った水の女神様の潜在能力は高く、ギルドカード作成時にとてつもないポテンシャルを見せつけていた。

 ギルド視点、アクアの方を歓迎するムードになるのは当然のこと。

 

(この人の名前は……ルナ、だったっけか)

 

 カズマはとりあえず、右も左も分からないこの状況での最善策として、ギルド員の知恵と判断を借りることにした。

 

「俺達が受けられそうなクエストで、オススメのってありますか?」

 

「そうですね……今ならジャイアントトードの討伐が、それにあたるのですが……」

 

 はっきりしないルナの物言いをカズマが怪訝に思うと、横合いから謎のモヒカン男が会話に入ってきた。

 

「やめときな、坊主」

 

「! あんたは……?」

 

「俺はしがない通りすがりの男。それより忠告だ。

 何の装備も持ってない駆け出しの中の駆け出しがやるには、今は厳しいぜ」

 

「『今』は?」

 

「カズマさん、今のジャイアントトードの生息圏には、ゴブリンが出るんです」

 

「ゴブリン? あのRPGの序盤雑魚筆頭の?」

 

 カズマはネットゲーム等で初心者が適当にやっていても倒せるような、日本のゲーム界における典型的なゴブリンを脳裏に浮かべる。

 

「ゴブリンって雑魚じゃないんですか?」

 

「防具も揃ってない時期の、初心者中の初心者だと厳しいですね。

 ゴブリンは人間から奪った錆びた刃物等を装備しています。

 これに切られると、破傷風などの感染症を起こします。

 解毒魔法で治すこともできますが、病死になると自然死扱いとなり、蘇生もできません」

 

「怖っ」

 

「ですが、初心者の登竜門の一つですよ?

 他のモンスターと比べれば、危険度は低い方です」

 

 この世界でも雑魚ということに変わりはない。

 けれども、今のカズマの力では勝てそうにもないということもまた事実。

 敵が強いというより、カズマが弱いのだ。

 

(異世界転生者って序盤はもっとイージーだった気がするんだが……)

 

 序盤くらいは楽させてくれよ、とカズマは脳内で世界を恨む。

 

「冒険者とアークプリーストだけでジャイアントトード討伐ってのもな。

 せめて前衛職もう一人か、金属鎧持ち一人入れた方が安定するだろうよ」

 

「仲間……仲間か」

 

「気を付けな、ひよっこ冒険者。あばよ」

 

「ああ、サンキューおっさん!」

 

 謎の男は去って行った。

 謎の男は謎だから謎の男なのだ。

 謎の男とルナの説明を聞き、カズマよりよっぽど死ににくく、カズマよりはるかに戦闘技能を多く持っているくせに、ビビっているアクアがカズマの服の裾を引く。

 

「カズマさんカズマさん、今日はやめておかない?

 もっと雑魚っぽいモンスターだけが居る時期に来ましょ?」

 

「お前は自分のことも俺のこともまだ分かってないのか」

 

「? どういうこと?」

 

「俺には分かる。

 "明日やろう"と決めてその明日にもやらなかった経験が多い俺には分かる。

 今ここで"明日やろう"と先延ばしにしたら、多分一ヶ月くらいはやらないぞ」

 

「うわっ、自覚のあるクズ発言……!」

 

「言っておくが、お前もそういうタイプだからな?」

 

 この二人はこの二人だけで日々を送らせると、連鎖的に・連動的に駄目になるタイプ。

 

「でもどうするの? 私、カズマさんに命預けるとか嫌よ」

 

「慌てるな。俺にいい考えがある」

 

「うわっ、なんかなんとなく失敗しそう……」

 

「まあ聞け。こういう時には王道がある。

 善意と時間が余ってる、ランカーとかじゃない、強いけど上を目指してない奴を探すんだ」

 

 カズマの提案は、ネトゲで言うところの、結構強いのに初心者指導に熱心な人・姫プレイヤーに貢いでしまう人・ギルド運営に夢中になってしまう人を探すというもの。

 要するに、『ソロでやっていけない人』で、『善意と時間に余裕がある人』で、『"ありがとう"を他人から貰うだけで満足してしまう人』を仲間に引き込むというものだった。

 

「やるぞアクア、寄生プレイだ!」

 

「カズマさーん!?」

 

 

 

 

 

 寄生プレイ。

 強いプレイヤーとチームを組んで頼りきり、他人頼りにできることにあぐらをかき、いつまで経っても向上心を見せず、周囲から嫌われるプレイスタイルの通称だ。

 カズマが嫌うプレイスタイルの一つだが、背に腹は代えられない。

 彼は生きるために、誇りを捨てる覚悟を決めたのだ。

 

 他人に寄生する決意をしてしまったとも言う。

 

「というわけでルナさん、俺達の面倒見てくれそうな冒険者って居ます?」

 

「あの、ちゃんと自立する意識は持ってくださいね?

 冒険者ってよく死ぬ職業ですから、PTって高頻度で入れ替わるんです。

 誰かに頼りきりだと、仲間が死んで新PTを組む時困るのはカズマさんですよ?」

 

「ははは、そんな大袈裟な」

 

「……まあ、いいです。ええと、今ギルドに居る人なら……」

 

 よし上手くいった、とカズマはほっと息を吐く。

 

「カズマ、自分達で募集かければいいんじゃないの?

 他の冒険者はあそこの掲示板で募集かけてるわよ?」

 

「甘いぞアクア。それは残酷な異世界トラップだ」

 

「残酷な異世界トラップ……!?」

 

「そういうのやるとな、一見いい人そうな奴に誘われるんだよ。

 で、騙される。

 女はエロエロされて殺されて、男は復讐者ルートに行っちまうんだ」

 

「なんですって!? この私に手を出そうだなんて、なんて不敬な……!」

 

「初心者狩りテンプレートだな」

 

 だがギルドの受け付けを一回通せばそういうこともないはずだ、とカズマは得意げにドヤ顔をする。

 そして期待した。

 心配事がなくなれば、次にするのは期待だろう。

 

(俺の知る異世界転生なら、ここで美少女で頼れる先輩冒険者が……)

 

 カズマはまだこの世界のことをよく知らない。

 ゆえに、"前世の時に持っていた異世界イメージ"をまだ持っている。

 それが時間経過で失われるものであったとしても、今はまだカズマの中にある。

 

「……え」

 

 そのため、その巨人がぬっと目の前に現れたことで、カズマは凄まじいギャップ・ショックを叩きつけられていた。

 

「で、デカっ……!?」

 

 アクアが思わず素っ頓狂な声を出してしまう。

 筋肉の鎧に包まれた大男。

 人間でありながらそのサイズで在るということのインパクトは、お台場ガンダムを初めて見た人間のそれに似ている。

 カズマがアクアを肩車しても、この巨人の身長を超せるかは怪しい。

 アクアもアホ面を晒しているが、カズマもまた空いた口が塞がらなかった。

 

「むきむきさん、その二人の新人をよろしくお願いします」

 

「分かりました、ルナさん」

 

 ギルド職員として、ルナは『人格的に信頼できて』『新人の命をアクシデントから守ってくれて』『強く』『面倒見のいい』人物をセレクトしていた。

 カズマの予想通り、その人物は今現在、善意と時間が有り余っている人物でもあった。

 

「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者、最強の魔法使いの仲間が一人……」

 

 お前はどこのボスキャラだ。

 その物々しい名乗りは何だ。

 肉体の威圧感が凄まじいぞ。

 と、色々言いたいことがカズマとアクアの脳内を駆け巡るが、デカくゴツい肉体の威圧感に押し込まれてしまう。

 

 初見のカズマとアクアに対し、この外見のインパクトとこの名乗りのインパクトは、あまりにも大きすぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何はともあれ、先輩冒険者のむきむきを加えた、カズマパーティの初めてのクエスト受諾が行われた。

 カズマとアクアも、気圧されていたのは最初だけ。

 さっさと自己紹介を終えて、受諾したクエストの用紙を三人でまじまじと見つめていた。

 

「ジャイアントトード五体の討伐クエスト、か」

 

 不思議と、カズマはこの少年となら上手くやれそうな気がした。

 不思議と、むきむきはカズマとなら上手くやれそうな気がした。

 アクアには特にそういう気はしなかった。

 

 むきむきはアクアにはさん付け敬語。カズマにはくん付けタメ口。

 それはカズマの方により親しみを感じているということであったが、なんとなくアクアの方が上にランク付けされている感じがして、カズマは複雑な心境であった。

 

「さあ、行くわよ! ここから私達の伝説は始まるわ!」

 

「アクアさん、ちょっと待って下さい」

 

「え?」

 

「適当にギルドから武器借りていきましょう」

 

 むきむきはルナに一言断って、ギルド裏手に回る。

 そこにあったのは、積み上げられた剣や盾などの山だった。

 

「うわっ、何これ?」

 

「ギルドが回収した冒険者の遺品ですよ、アクアさん」

 

「……うわぁ」

 

「ギルドは遺族に返したり、売れるものは売っぱらったりするんですが……

 錆びてたり欠けてたりすると、どうしても売れないんだそうです。

 で、それを集めてまとめて商店にただの鉄として安値で売ってるんだそうですよ」

 

「世知辛ぇ……」

 

「武器屋さんとか、各商店さんもその辺分かってるそうで。

 ちょっと欠けてたらそれだけで買い取らず、ただの鉄として売られるのを待ってるとか」

 

「商魂たくましいなおい」

 

 いつの世の中も、社会への後見やら公共の福祉やらを求められる組合は、商業主義の犬には弱いものである。

 

「ギルドも収入としては期待してないからね。

 だから、カズマくんみたいな初心者が借りる分には喜ぶだけなんだ」

 

「他の冒険者は借りないのか? 節約になるだろ、これ」

 

「店で一番安い剣よりはマシ、程度のものだから。

 だってこれモンスターに殺された人の遺品だから、中古以下みたいなものだよ?」

 

「……それもそうか」

 

「第一貸与扱いだから、ボロいのに壊したら弁償だしね」

 

「新品の剣買いたくなってきたぞ! 本当に大丈夫なんだろうなこれ!」

 

「カズマ君、剣買うお金あるの……?」

 

「うぐっ」

 

 タイミングが悪かった。

 いつもならカズマの財布にも店で一番安い剣なら買えるくらいの金はあるのだが、ここ数日はそれさえ買えないほどに金がなかった。

 とはいえ、仕方ない。

 カズマとアクアの金が尽きたからこそ、この二人は"ヤバいどうにかしないと"と思い、クエストを受けるべく動き出したとも言えるのだから。

 

「あ、これほとんど新品だ。

 カズマ君達みたいに、意気揚々と冒険に出た初心者の遺品かな……」

 

「おいバカそういう言い方やめろ!」

 

 柄の部分に元持ち主の血がたっぷりと染み込んでいたせいで買い取り拒否をされたと思われる、そんな剣をむきむきが拾い上げる。

 

「カズマさんカズマさん! 私達もう帰った方がいいと思うの!」

 

「なんでお前が俺より早くヘタレてんだこのスットコドッコイ!」

 

 自分は女神、世界は救わないと、人々を守らないと、とか偉そうなことを口にしている女神が真っ先にヘタレるというこの有り様。

 心配になる要素しかなかった。

 今のカズマに見えている安心要素など、むきむきの筋肉くらいしかない。

 

「さて到着。この辺がジャイアントトードの出る場所……って、街近いな」

 

「街が見える場所なら、ピンチになったら街まで逃げればいいだけだからね」

 

「ああ、そういうことか」

 

「カズマ、なんだかいける気がしてきたわ。これ楽勝なんじゃないの?」

 

「とりあえずお前は何も考えずフィーリングで生きるのを今すぐやめろ」

 

 30分後。

 

「な、なんでそんなにたかられてるんですか!?」

 

「私が聞きたモガモガモガッ」

 

「アクアさーん!?」

 

 アクアは盛大に、ジャイアントトードに捕食されていた。

 咥えこまれたアクアが飲み込まれ、カエルの腹の中に入っていく。

 

「我、久遠の絆断たんと欲すれば、言葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう」

 

 むきむきは詠唱を行い、打撃が効かないジャイアントトードに、斬撃属性の光の手刀を放つ。 

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 スパッとカエルの腹が切れ、腹の中からアクアが転がり出て来た。

 

(おお、魔法だ! 近接戦闘魔法とかそんな感じか?)

 

「カズマ君、とどめ!」

 

「お、おう!」

 

 どうやらむきむきは即死させなかったらしい。

 絶妙な加減で死に至らなかったジャイアントトードは、カズマの手でとどめを刺され、その魂の記憶はカズマの経験値として反映される。

 

「ありがと……ありがと……! うえっ、えぐっ、むきむき、ありがと……!」

 

「大丈夫ですか? これ、ハンカチです。顔だけでも拭いて下さい」

 

「ありがと………ぶっー!」

 

「あっ」

 

「おいアクア! 借りたハンカチで鼻かむんじゃねえ!」

 

「鼻の中にもカエルの粘液が詰まってるの! 仕方ないじゃない!」

 

「ああ、ええと、洗えばいい話ですから、気にしないでください、アクアさん」

 

「ありがとうむきむき。名誉アクシズ教徒に認めてあげるわ!」

 

「え゛っ」

 

 アクアは前衛後衛なんでもござれなアークプリースト。

 回復役から仕留めれば勝てる、と考え攻撃してきた敵の猛攻に平然と耐え、自分と味方を回復し続ける不沈の回復役だ。

 ……なのだが。

 打撃スキル無効のカエルが、アクアの打撃スキルのことごとくを無効化し、調子に乗って前に出たアクアをパクリと捕食。

 アクアは捕食されたことに、カズマはあっさりと仲間が捕食されてしまったことに、衝撃を受けていた。

 

「あれが初心者向けの雑魚って嘘だろ……?」

 

「カエルは食われても即死はしない、ゆるいモンスターだから。

 その代わり生きたまま消化されて死んじゃう人も多いんだけど」

 

「そんな死に方だけは絶対に嫌だ」

 

「私もう嫌よ!? 食べられるの嫌よ!?」

 

「お、落ち着いて下さいアクアさん!

 さっきみたいに突っ込んで行かないのであれば、僕がちゃんと守れますから!」

 

 食われたのがアクアからだったこと。

 むきむきがここに居てくれたこと。

 二つの『幸運』が、彼らの全滅を阻止していた。

 もしむきむきがここに居なくて、カズマ→アクアの順に捕食されていたならば、明日にはカズマもアクアもカエルのフンになっていたことだろう。

 

「アクアさんにダメージソースが無いから、カズマくんのレベル上げだけ目指す?」

 

「パワーレベリングか。よし、いっちょやってやろうぜ!」

 

 クエストの目標はジャイアントトード五体の討伐。

 残りは四体。

 頼れるむきむきが居てくれたおかげで、カズマは何の憂いもなく剣を握り締め――

 

「レベル上げね? まっかせて! 『フォルスファイア』!」

 

 ――アクアは、また余計なことをした。

 

「……アクアさん。アクアさーん?

 俺の目に見えてるその青い炎の魔法は何かな?」

 

「魔物の敵意を引きつける魔法よ!

 結構力入れたから、遠くのジャイアントトードも近寄って来るわ!」

 

「このバカ! さっきの何を見てたんだ!」

 

「え?」

 

「むきむきはジャイアントトードが二体居てもスルーしてただろ!

 わざわざ一体だけ孤立してる奴狙って戦おうとしてただろ!

 その一匹にお前が突っ込んで食われてたんだろ! つまり―――」

 

「カズマくんもう遅い!」

 

 うようよ、うようよと、彼らの周りに集まるジャイアントトード達。

 

「……あら?」

 

「アクアさん! ジャイアントトードは今繁殖期なんです!」

 

「このアホタレえええええええっ!!」

 

「よかれと思ってやったのに! よかれと思ってやったのに!」

 

 30分後。

 

「小学校の時の同級生の紫桜のこと思い出したぞ……!

 あれが、あれが、走馬灯ってやつか……! 死ぬかと思った……!」

 

 むきむきの超人的な戦闘能力、そして追い込まれてから発動したカズマの意外なしぶとさによる奮闘で、集められたカエルはそのほとんどが仕留められていた。

 逃げたカエルも多かったが、死体になっているカエルだけで、既に両手足の指では数えられないほどの数がある。

 クエスト内容の五体討伐など、とっくの昔にクリアしていた。

 

 むきむきがカエルの腹をかっさばき、その中から泣いているアクアを引っ張り出すと、怒り心頭のカズマが突っかかっていく。

 

「お前な! お前本当にな!

 ゴッドブロー打って躓いて、むきむきの背中に誤爆するとか本当にお前なぁ!」

 

「だって、だって!」

 

「カズマ君、その辺で許してあげてよ。

 アクアさんは僕の後ろのカエルを倒して、僕を助けようとしてくれてたんだから」

 

「いーや、ここでしっかり言っておかなきゃダメだ!

 じゃなきゃ次に食らうのは俺かもしれないんだからな、この駄プリースト!」

 

「わああああああっ!」

 

「カズマ君……」

 

 泣いているアクアをズリズリ引きずって、街に帰っていくカズマ。

 むきむきは苦笑して、自分の背中に残ったアクアの拳の跡と、そのダメージに感心した様子で顎に手を当てる。

 

(……凄いなあの人。本当に駆け出しなんだろうか?)

 

 むきむきのアクアに対する評価は、カズマが思っている以上に高かった。

 

 

 

 

 

 泣く子と地頭には勝てない、という言葉がある。

 むきむきも涙には弱い。しかもアクアは、子供のように泣くのだ。

 外見は色気のある比類なき美人であるというのに、泣いている時は年齢一桁の泣いている子供とそう変わらなく見えてしまう。

 そのため、むきむきもどう励まそうが悩んでいた。いたのだが。

 

「初クエスト達成、報酬ゲット、祝! かんぱーい!」

 

 ギルドで酒を一杯飲んだだけで、アクアは陽気に元気に大笑いしていた。

 カズマに責められていたことなど、最初からなかったかのように笑っていた。

 

「ほれ見ろ。あれだけ言ってもこれだ。絶対もう言われたこと忘れてるぞ」

 

「アクシズ教徒のようでアクシズ教徒っぽくない人だね……」

 

 他人の迷惑になる行動を選ぶアクシズ教徒の典型のようで、その実よかれと思ってした行動が他人の迷惑になるタイプ。

 よかれと思ってした行動が他人の迷惑になるのは他のアクシズ教徒にもあることだが、アクアは知力と幸運が低いせいか、その特性が如実に表れていた。

 

「むきむきは酒飲まないのか……って、そういえば、年齢があれだったな……」

 

「うん、まだ13歳だからね。僕の仲間はそろそろ14歳になるけど」

 

 この世界は本当にどうなってんだ、とカズマは思う。その視線の先には、むきむきの異常発達した肉体があった。

 

「明日は武器屋か道具屋回ってみる?

 今日の報酬で、安い武器か道具なら買えると思うよ」

 

「ようやく俺の専用武器か! 初めはやっぱりどうのつるぎか?」

 

「銅? 銅なんて柔らかい金属の武器、売ってたかな……鋼じゃダメ?」

 

「あ、はがねのつるぎ買えるならそっちでお願いします」

 

 肉料理が運ばれてきて、酒の入ったアクアが女を捨てた動きで食べ始める。

 むきむきがテーブル端のスパイスをかけているのを見て、カズマもなんとなくそれを真似してかけて食べてみる。

 結構美味かった。

 

「これ美味いけど、何の肉なんだ?」

 

「ジャイアントトードだよ?」

 

「……」

 

 複雑な気持ちになったカズマを、誰が責められようか。

 

「買い物の前に、カズマくんはスキルは何を取るか決めてある?」

 

「スキル?」

 

「冒険者は他の職業の人からスキルを教えて貰って習得するんだ。

 たとえば片手剣スキルを取れば、カズマくんもそれだけで剣士みたいに戦えるんだよ」

 

「いいなそれ! どうすれば取れるんだ?」

 

「カズマくんは今レベル4だったよね?

 じゃあポイントが3はあるはずだから、カードの下半分の―――」

 

 むきむきとカズマがカズマのカードを見てあれやこれと話している間に、アクアがこっそりとカズマの皿の肉をつまみ食いする。

 

「ちなみにむきむきのオススメのスキルとかはあるのか?」

 

「よく使う武器の修練スキル。

 音もなく忍び寄る敵の『意志』を感知できる敵感知スキル。

 広範囲の音を拾える、汎用性の高い盗聴スキル。

 後は自動回避とか、物理耐性とか、ステータス常時上昇スキルとか……いっぱいあるよ?」

 

「名前を聞いてるだけでワクワクしてくるな……!」

 

「アクアさんを後衛回復役として活かすなら前衛スキル。

 アクアさんを前衛回復役として活かすなら後衛スキルを取るべきだよね」

 

「……そういやこいつ前衛後衛どっちもできる万能職か。ポンコツ過ぎて忘れてたな」

 

「あ、あはは……」

 

「ってアクア! 俺の皿のもの食ってんじゃないこの欠食児童っ!」

 

「あいたぁっー!?」

 

 アクアの頭をはたいて、カズマはむきむきの先の言葉を噛み締める。

 むきむきはカズマの取得スキルについて、カズマとアクアの二人でやっていくことを前提に考えていた。

 でなければ、前衛のむきむきが居るのに、カズマに前衛スキルを奨めるわけがない。

 

 カズマはそこそこ倫理や常識を無視できるが、その根底には甘さがある。

 パーティを組む前は強い人に寄生する気満々だったのに、ちょっと仲良くなってしまうと、寄生するのが申し訳ないという気持ちも湧いてきてしまう。

 そういう甘さも持ちつつも、楽に寄生していたいというちょっとダメな部分も持っている。

 

 ずっとこのパーティに居てくれないかなあ、という甘い思考。

 居てくれるわけねえだろ、という現実的な思考。

 その両方がカズマの中にはあって、結局"うちのパーティに居てくれないか?"と能動的に言い出すことができない。ヘタレてしまう。

 他人に何か思うこともあるが、それを素直に表に出さないことも多く、人間関係が基本的に受動的でヘタレやすい。

 それが、佐藤和真という少年だった。

 

 

 

 

 

 翌朝、むきむきとカズマとアクアは店巡りに出かけていた。

 いくつか店を回ってこれだと思うものを買うべき、というのがむきむきの主張だ。

 三人で、アクセルの街の片隅を歩いて行く。

 

「なんだか新鮮な気分ね。私もカズマもこっちにはあまり来たことがないし」

 

「そりゃこっちの区画は冒険者向けの店とかが並んでる所だしな」

 

「カズマくんもアクアさんも、次第にこっちの方が馴染み深くなるよ」

 

「アクセルの街がなんだかいつもと違って見えるわ。カズマはどう?」

 

「子供か。初めて自転車貰って遠くに行けるようになった頃、俺が同じようなこと言ってたぞ」

 

 アクアの言葉をカズマが完全否定しないのは、街の見たことのない区画を見て、カズマもほんの少しはアクアと同じことを思っていたからだろうか。

 

「カズマくん、スキルは決めた?」

 

「うーん……片手剣か初級魔法かな、って思ってる」

 

「冒険者って一番器用貧乏という名の無価値になりやすいから気を付けてね?」

 

「お前本当にさらっと怖いこと言うよな」

 

 彼らがまず向かったのはアクセルの片隅の魔法店。

 店の周囲は閑散としているわけでもなく、店の周りは定期的に草が刈られている跡や、人の真新しい靴跡がいくつも見える。

 どうやら、人が来ない店というわけではないようだ。

 

 ただ、何故か窓が無かった。

 そして、生気が感じられなかった。活気でも人気でもない、生気である。

 アクアが何かを感じ取って表情を険しくするが、カズマは何も感じていない。ただなんとなく、人がいなそうな店だなあ、とは思っていた。

 

「こんにちは。ウィズさん、いらっしゃいますか?」

 

「あ、いらっしゃい」

 

 店に足を踏み入れると、そこには色白で巨乳の店主が笑顔で彼らを迎えてくれた。

 陽光が入らない店の中は少し前が見づらくはあったが、カズマの目から見ても美人で、図抜けた巨乳で、生気の無い肌色をしている女性であった。

 微笑みは穏やかで、本人の気質が形になったかのよう。

 カズマは美人をちょっとやらしい目で凝視していたが、アクアはその美人を見るやいなや、本気の殺意を噴出させる。

 

「リッチー!?」

 

 アクアの行動に、一切の迷いはなかった。

 

「なんでこんなところに! いいわ私の力で成仏させてあげる! 『セイクリッド―――」

 

「マッスル猫騙し!」

 

「ふにゃあ!?」

 

 一瞬、アクアの内で凄まじい魔力が膨れ上がる。

 ウィズとむきむきはハッとして、むきむきは瞬時に猫騙してアクアの眼前を叩いた。

 超強烈な猫騙しが、アクアの目を回させる。

 カズマは"なにやってんだこいつ"といった目でアクアを見ていた。

 

「リッチー? リッチーってなんだ?」

 

「カズマくんは知らない? リッチーっていうのは……」

 

 むきむき曰く、リッチーとはアンデッドの王。

 ヴァンパイアと比肩する種族にして、この世界のモンスター達の頂点の一つ。

 生きているだけで概念を捻じ曲げ、時には山をも崩す一撃でも傷一つ付かない上位種族。

 不死であるがために無限に魂の記憶を溜め込み、無制限に自分の力を伸ばし続ける可能性がある神の敵対者。

 命あるものは全て死ぬという、神の定めた世界法則に逆らう不死者。

 殺を超越し、死を克服し、死体を弄ぶ規格外。

 基本的には人間の天敵。

 

 そういうものである、とのこと。

 

「アクアさんやっぱり只者じゃないよね。ひと目で見抜くなんて……」

 

「ど、どうしましょう、むきむきさん!?」

 

「いやそもそも、なんで人の街にそんなやつが居るんだよ。

 話聞いてると、どっかのダンジョンでボスやってるようなやつじゃないのか?」

 

 なのだがカズマは、ウィズと呼ばれたその女性のうろたえようや、あわあわとした所作、可愛らしい表情の動きを見ていると、どうしても彼女をリッチーと見ることができない。

 何かの間違いじゃないかと思ってしまうのだ。

 そんな強大なモンスターがアクセルの街に居る、ということも含めて。

 

「間違いは無いと思う。ウィズさんが力を使ってるのを見たことがあるんだ。

 ウィズさんは定期的に行き場を失った迷える霊を救ったりしてるんだよ」

 

「なんだそのボランティア活動してる殺人鬼みたいな肩書き……

 いや、いいことしてるとかそれは置いといて、お前は冒険者なのに倒そうとはしないのか?」

 

「僕は、その……ある程度親しくなっちゃった後に正体を知ったので、情が……ね?」

 

「ね? じゃねえよ!」

 

 "こいつ脳味噌筋肉ではないけど倫理観が子供だ"、とカズマは変な危機感を覚えていた。

 

「リッチーがそんなに強いんならアクアなんてポンコツ女神、一発じゃないのか?」

 

「いや、今の魔力と一瞬見えた魔法の事前光見ると……」

「私じゃ、もしかしたら一発で消されてしまうかもしれません……」

 

「……マジかよ」

 

 カズマは改めてアクアが女神であることを認識する。

 むきむきとウィズの声におふざけの色はない。本気でアクアの力に驚愕していた。

 そしてカズマは、猫騙して目を回しているアクアを見る。

 その間抜け面を見て、アクアって女神だっけ? と思わず考えてしまった。

 

「カズマくん、どうしよう。僕の猫騙しは猫にしか効かない上、三分も保たないんだ」

 

アクア(こいつ)、猫にしか効かない技が効いたのか……」

 

「どうしよう、またウィズさんと喧嘩されても困るし……」

 

「……しょうがねえなあ」

 

 カズマはおろおろしているむきむきを見て、溜め息一つ。

 そしてアクアの耳元に口を寄せ、何度も何度も囁き続けた。

 

「ウィズは悪いリッチーじゃない、ウィズは悪いリッチーじゃない、悪いリッチーじゃない……」

 

 そして、アクアの意識が覚醒する。

 

「……はっ! あなたが悪いリッチーじゃなかったとしても!

 悪事を働くのであればこの女神アクアが許さないわ! 浄化してあげる!」

 

「し、しません! 悪事なんて!」

 

「……あれ?」

 

「か、カズマくん凄い!」

「……成功するとは思わなかった」

 

 猫騙しで一時的にアクアが見ていた夢のようなものの中に、カズマの声が微妙に干渉して、アクアはちょっと混乱しているようだ。

 カズマはその混乱に畳み掛けて、うやむやにすることにした。

 

「アクア、悪いリッチーじゃないなら今すぐ消さなくてもいいんじゃないか?」

 

「む……それは、そうかもしれないけど」

 

「お願いします! 見逃して下さい! 私にはまだやるべきことがあるんです!」

 

「えぇ、何よ涙目で、これじゃ私が悪者みたいじゃない……」

 

「安心しろアクア。今のお前は残虐な行為をして主人公に倒される噛ませ悪役そのものだ」

 

「なによそれー!?」

 

 憤慨するアクア。怒りの対象が巧みにウィズからカズマへと移される。

 

「まあいいわ。次の機会があれば、この女神アクアが必ず滅してあげる。

 私は本物の女神! 麗しき水の女神!

 浄化の象徴である流水を象る、あんた達アンデッドの天敵! 覚悟だけはしておきなさい!」

 

「め、女神アクア……世界が七度滅びても不滅と言われる、あの悪名高きアクシズ教団の……!」

 

「はぁ!? 何言ってんのよこのリッチー! やっぱ今すぐ消滅させてあいたぁ!?」

 

「やめろこのバカ女神」

 

 ガン、とカズマのゲンコツが落ちて、アクアは頭を抑えその痛みに呻きながらしゃがみ込む。

 気分は調子に乗ってゲンコツを貰った野原しんのすけのそれに近い。

 カズマの手慣れた対応に、むきむきはたいそう感心していた。

 

「こほん。では改めて、ようこそ私の魔法店へ。ごゆっくりどうぞ」

 

 忘れそうになっていたが、彼らはここに商品を探しに来たのだ。

 カズマはウィズの店の中を歩き、棚を眺める。アクアはむきむきに任せることにした。

 棚に並べられているポーションの一つに、カズマの手が伸びる。

 

「あ、気を付けて下さい。そのポーションは強い衝撃を与えると爆発しますよ?」

 

「!? マジか、固定具くらい付けとけよ。じゃあこっちは……」

 

「そちらは空気に触れると爆発します。蓋は開けないで下さいね」

 

「……じゃあ、こっちの」

 

「それは水に触れると爆発します。息を吹き込まなければ安全かもしれません」

 

「……これは」

 

「温めると爆発します。それは特に発火点が低いので、体温で温めても爆発し……」

 

「なんだこの爆発祭りは! この店はテロでも支援してんのか!?」

 

 この世界ではISISポジションにWISWISとかいう組織でもいんのか、とカズマがキレる。

 

「……ん? 爆発?」

 

 と、その時、カズマの脳裏に閃くものがあった。

 頭の中の熱が引いて、むきむきから聞いたスキルの知識いくつかが脳裏を駆け巡る。

 カズマは出来る限り楽して稼ぎたいと思っている。

 疲れないで、危ない橋を渡らないで、いいとこ取りしたいと考えている。

 駄目な方向に頭を働かせるのであれば、カズマは並大抵の人間が敵わない才能があった。

 

「これ、どのくらい爆発するんだ?」

 

「ひと瓶の爆発規模ですと……」

 

 かくしてカズマは、どのスキルを取るのか決めた。

 

 

 

 

 

 鍛冶スキル、というものがある。

 鍛冶ができるようになり、武器や防具の修理が可能となる上、手先が器用になってある程度の物作りが可能となるスキルだ。

 カズマはこれと同系統の汎用的な道具作成系スキルを習得した。

 消費ポイントは鍛冶スキルと同じ3。鍛冶スキルほど鉄製品の作成に大きな補正はかからないが、物作りに満遍なく補正がかかるようになる。

 

 なのだがこのスキル、教えてくれる人を見つけるのにも時間がかかった。

 具体的には丸一日。むきむきの協力と人脈を得てなお、ウィズと出会った日を丸々使ってしまったことになる。

 こういった不便さが冒険者が最弱職で不人気職である理由の一つなんだろう、とカズマは勝手に納得していた。

 

「あっそーれ」

 

 そして、翌日。

 

 カズマは爆発ポーションを加工して作った、手の平サイズの小型ダイナマイトもどきを使って、カエルを片っ端から爆殺していた。

 

「店で売ってた一番安い爆発ポーションが1万5000エリス。

 ここから作れる小型ダイナマイトが五つ。

 ジャイアントトードの五体討伐報酬が10万エリス。

 死体が残ってれば更に2万5000エリス……よし、いけるな!」

 

「駄目よカズマ。それじゃ日本の商標登録に引っかかるわ!

 ダイナマイトは駄目よ! 私がカズマイトって名付けたから、それにしなさい!」

 

「嫌に決まってんだろそんな名称!」

 

「え、でも私がもうギルドとかで広めちゃったから……」

 

「お前は本当にもう! なんなんだっ!」

 

 爆殺、爆殺、オブ爆殺。

 ジャイアントトードの口の中に放り込めば、カエルの体内で逃げ場が無くなった爆風が確実にカエルの命を奪ってくれる。

 適当に投げても、普通のカエルがハエを食べる時のような動きでダイナマイトを食ってくれることもある。暴投しても外側から頭を吹っ飛ばしたこともあった。

 もはやカエルも、恐るるに足らず。

 

「……ひょっとして僕は、変な方向に誘導しちゃったんだろうか」

 

 何か楽に倒せる方法無いかな、で爆弾という解答に至る。

 爆弾製作のためにそれ向きのスキルにポイントを全部突っ込む。

 真っ当に戦おうという思考を最初から投げ捨てている。

 そしてひたすらに爆殺。最初の第一歩から戦う選択肢を捨てていると、この少年はここまでかっ飛んだ存在になるようだ。

 

 カズマは行動や思考の一つ一つが、どこか非凡だった。

 普通の人ならこうはしないだろう、という意味で。

 

 ギルドに帰還したカズマ達を迎えたのは、噂を耳にした冒険者達と、白い目をしたルナを中心とするギルド職員達だった。

 

「あの、むきむきさん?

 私は、あなたが信頼できると思って新人を任せました。

 ですが、新人をあなたの好みの冒険者に染められるのはちょっと……」

 

「違います! 誤解です! 誤解なんです!」

 

 カズマの性格はまだ周知されていないので、ギルド視点これは『爆裂魔法使いの少女の仲間が新人にやらかした』ように見える。

 完全なる冤罪。哀れむきむきは、弁解のためにギルド内部に連れて行かれることとなった。

 その間カズマとアクアの二人は、冒険者のおごりで酒を呑み武勇伝を語り始める。

 

 その日からアクセルギルド期待の新人『爆殺のカズマ』の名が、こっそり知れ渡ることとなるのであった。

 

 

 




 異世界らしくまずは剣と魔法だなー、という思考を初手投げ捨てた男


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3-1-2

カズマさんをいくら弄っても、特典ゲームのロックマン風カズマさんの方が強いんじゃないか? と思えてしまう問題


 カズマが飲み切ったコップが、テーブルに置かれる。

 コップの周りの結露が、ギルドのテーブルに伝って落ちた。

 

「幸運で成功率が決まるスキル?」

 

「カズマくんの幸運はとても高いでしょ?

 だからそれを活かすスキルも有りだと思うんだ。盗賊スキルとか、アーチャースキルとか」

 

「ステータスでスキルを決める、そういうのもあるのか」

 

 むきむきは自分の持っている知識をカズマに伝える。

 カズマはそれを学ぶ。

 アクアは話を聞くのに飽きて寝ている。

 ここ数日定番となった、アクセル冒険者ギルドの日常風景だった。

 

「でもなあ、正直最近の俺の幸運は怪しいぞ?

 まさか仲間に引き入れたのがこんな駄女神だとは思わなかった」

 

「アクアさんのこと、嫌い?」

 

「……お前の聞き方は、なんか微妙にやらしいな。

 嫌いではねえよ、嫌いでは。ただ鬱陶しいし面倒臭いだけだ」

 

「今の毎日は楽しい?」

 

「……それなりには。さっさと脱却したい生活だけどな」

 

 文句を言いながら、問題児との日々を過ごすことを選ぶ。

 文句を言いながら、ちょっと危ない冒険者家業を楽しむ。

 カズマはそういう人間だ。

 彼が仲間に文句を言うのは仲間が嫌いだからではなく、むしろその逆。

 この世界や冒険者生活に文句は言うが、それらを嫌悪しているわけでもなく、それもまた逆。

 佐藤和真は素直ではない。

 その言葉を全て額面通りに受け取っては、彼の性格は理解できないだろう。

 

「あ、そっか、カズマ君は幸運を消費して幸福を掴める人なんだね」

 

「物は言いようだな、おい」

 

「幸運な人生と幸福な人生は違うよ。

 不運でも幸せな人生はあるもの。

 でもさ、幸運より幸福の方が、なんか強い気がしない?」

 

「強い弱いで計るもんなのか? それ」

 

 カズマは呆れた顔で頬杖をついている。

 むきむきが見るに、カズマはやることなすこと上手く行く幸運な人間というより、どう転んでも幸福を掴んでいける、そういう人間に見えた。

 そんなカズマが気に入ったのか、むきむきも楽しそうに笑っている。

 そして、カズマの言葉に少し遅れて反応し、アクアが体を起こした。

 

「……はっ、カズマが私のことバカにしてたと天啓が……」

 

「気のせいだぞ、アクア」

 

「なんだ、起きて損しちゃった」

 

 むにゃむにゃとアクアが目をこすり、背伸びをして、その途中に何かをはっと思い出す。

 

「そういえばむきむきは、なんでこの街に居るの?

 見たところ、魔王軍の幹部級とも戦える強さがあると思うんですけど」

 

「え、そうなのか? 強いとは思ったけどそんなにか?」

 

 大悪魔とドンパチした経験もあるアクアは、クエストで見たむきむきの実力にちょっとした疑問を持っていたようだ。

 その眼が、今またむきむきのことをじっと見る。

 こういう時、アクアの(まなこ)は全く曇りがない。

 人の深い所まで見通すような、人を水に見立ててその水底を見つめるような、不思議な色合いを宿している。

 

「僕と僕の仲間は、『光』を探しているんです」

 

 隠すことでもないので、むきむきは王都での一連の出来事を話した。

 人類劣勢の戦況を説明するところでカズマが露骨に嫌な顔をしたが、話は続けられる。

 むきむきは自分が『光』を探している理由を語った。

 

「なるほど、それは私ね。間違いないわ」

 

「え?」

 

「時期的に私がここに来た時期と一致するもの。

 魔王軍は私が降臨したことに気付いて、ブザマに逃げ出したんだわ!」

 

「お前が光? ……ないわー」

 

「なによカズマその反応は! 私は女神よ!

 その力はそのままの存在で下界に顕現できないくらいに強いんだからね!」

 

「おいむきむき、こいつは世界の希望ってイメージに沿うやつだったか?」

 

「え? ええと……」

 

「わああああああっー! むきむきまで口ごもったああああああっー!」

 

「ま、待ってください! 泣かないで!」

 

 なんとかなだめて、話を続ける。

 

「でもアクアさんは時々、人間離れしたことをしますよね。

 明らかにカードに記載された魔力量以上の力を使っていたり……」

 

「私の魔力は自前の物と、教徒の信仰心から得られるものの二種類があるの。

 私の愛するあの子達が私を信仰する限り、私の魔力は事実上尽きないのよ!」

 

「ゴキブリをいくら殺しても尽きないし絶滅しないのと同じか」

 

「待って! その言い方は絶対に的確じゃないわ!」

 

(海の水をいくら掬っても尽きないとか、そういうのかな)

 

 不滅のアクシズ教徒の最強の信仰から供給される無尽の魔力。

 カズマとむきむきの例え話は、どちらも間違ってはいない。

 

「むきむき、お前こんなのが女神だって信じられるのか?」

 

「うーん……でも僕も、本物の女神様を見たことはないし……

 ベルゼルグの貴族さんにもキラキラしたイメージあったけど、実際会ってみると……」

 

「お前は王都で何を見てきたんだ……? あ、言わなくていいから」

 

「王女様はキラキラしてたよ、とっても」

 

「ブラックリスト方式じゃなくてホワイトリスト方式かよ」

 

 この世界は、ご立派な肩書きを性格や性癖で台無しにする者が多すぎる。

 

「あと、アクシズ教徒がああだから、女神アクアにもそういうイメージがあったしね」

 

「ちょっとむきむき! それはどういう意味かしら!?」

 

「どんだけヤバいんだよアクシズ教徒」

 

 YU-DE理論の補完理論の一つ、"他アニメに常時喧嘩を売る面倒臭い特定アニメのファンを見てそのアニメのことを知った気になる現象"理論。

 面倒臭いファンの活動は、そのファンが好きなものの評価を下げることもあるのだ。

 

「それに、アクアさんは嘘付いてるようにも見えなかったから」

 

「!」

 

「アクアさんは本気でそう言ってる。なら、信じないのはかわいそうだなって」

 

「お前、新興宗教のカモみたいなこと言うのな……」

 

「違うわカズマ! むきむきは素直でいい子だからよ!

 カズマは捻くれてるから、むきむきの気持ちが分からないだけよ!」

 

「よーしアクア。じゃあその辺の人にアクシズ教の評価を聞いてみようか」

 

「待ちなさいカズマ。

 市井ではエリス教がアクシズ教の評判を落とそうと暗躍してるの。

 きっとここでアクシズ教の評判を聞いても、捏造された評価が……」

 

「むきむき、教えてくれ。お前の中のアクシズ教徒の評価はどんな感じだ?」

 

「地震雷火事を引き起こしながらセクハラしようと寄って来るエロオヤジ、かな」

 

「むきむき!?」

 

 地震雷火事親父コンプリート。

 

「私が女神って信じてくれたから、私の味方だと思ったのに……!」

 

「アクア様の味方でもありますよ?」

 

「……本当? 私が女神だって信じてるのも本当?」

 

「本当です。

 僕、魔王軍に属してる女神らしき方も知ってますからね。

 女神様が邪神になって魔王軍に与するこのご時世、何があっても不思議じゃ―――」

 

「エリス!? エリスが闇落ちしたの!? あの子が!?」

 

「えっ」

 

「あの悪魔嫌いの子がそうなるなんて相当だわ!

 あの子いい子だけどつまんないこと気にする上悩みを抱えがちなのよ!」

 

「ちょっ、待っ」

 

「エリスが闇落ちするなんてよっぽどのことよ!

 急いで私自ら赴いて目を覚まさせてあげないと……」

 

「落ち着け! むきむきが何か言おうとしてるだろ! 最後まで話聞け!」

 

 熱くなったアクアの頭を冷やさせて、むきむきがウォルバクの名を出しても、アクアは首を傾げるだけだった。

 

「ウォルバク? 聞いたことが無い名前ね。マイナー神?

 この世界に正式な女神は私とエリスしかいないはずなんですけど?」

 

「そうなのか。意外と少ないんだな」

 

「そりゃ日本人から見れば少なく感じるでしょうね。

 私てっきり、エリスが貧乳を気に病みすぎて世界の破壊を決意したのかもって……」

 

「エリス教徒にぶん殴られますよ、アクア様……」

 

 天元突破級に失礼なことを言うアクア。

 そんなアクアにいつの間にか様付けしているむきむきを、カズマは善意から諌めた。

 

「アクアに様とかいらないぞ、むきむき。こいつなんてアホアで十分だ」

 

「あーらクズマさん、ちょっと私に対する敬意が足りなすぎるんじゃない?」

 

「えと、一応女神様だということを信じていますので、様付けで」

 

「ほら見なさい! そして見習いなさい!

 むきむきのように私に敬意を払って、今までの不敬を謝りなさい!

 謝って! 私をアホアって言ったこと謝って!」

 

「ごめんなさい、バカア様」

 

「棒読みの罵倒!?」

 

 息合ってるなあ、とカズマとアクアのギャーギャー騒ぎを見守りながら、お茶を飲むむきむき。

 梅昆布茶が最近の彼のお気に入りだ。

 一杯茶を飲み切ったところで、話しかけるタイミングを窺っていたらしいギルド職員が話しかけてくる。

 

「むきむきさん、ちょっと」

 

「すみません、ちょっと行ってきますね」

 

 むきむきが一言置いていっても、カズマ達はそれに気付いてもいない。

 言い合いに熱中しているようだ。

 むきむきは一旦席を離れて、ギルドの個室で報告を受ける。

 

「これが文章に起こした魔王軍の動向です。今現在は―――」

 

 王家が手を回して、ギルドが入手した魔王軍の動向の情報は、常にむきむき達にも届けられることになっていた。

 むきむきは報告を聞き、報告内容が書かれた書類を受け取って、お礼を言ってからカズマ達の下に戻ろうとする。

 

 席を外していたのは、そんなに長い時間ではなかったはずなのに。

 

「ぱんつ返してぇ!」

 

「えーどうしようっかなー」

 

 むきむきが居た席の前では、涙目のクリスが声を張り上げていて。

 その対面では、カズマがパンツを舐め回すように凝視していて。

 そんな二人を、アクアがとても冷めた目で見ていた。

 

「……席離れたの15分くらいだったのに!」

 

 カズマ達のことを興味深そうに見ている冒険者達の間を抜けて、むきむきは席に戻る。

 そして一歩引いているアクアに事情を聞いた。

 アクア曰く、先輩冒険者としてクリスがカズマにいくつかスキルを教えてやろうとしたらしい。

 だがクリスがそこでゲームを提案し、紆余曲折を経て、カズマが教わったスキル『スティール』にてクリスのパンツを剥ぎ取ったとのこと。

 

「え、じゃああれクリス先輩のぱんつなんですか?」

 

「う……そ、そう、だよ。あれは私の……その、下着です」

 

「……」

 

「え? なんで今私をまじまじと見てから目を逸らしたの?

 なんで顔真っ赤なの? 今何を想像したの? ね、ねえ?」

 

「な、なんでもないです」

 

「嘘! 今のは絶対なんでもない感じじゃない!

 顔赤いし、目を逸らしてるし! どんだけ純情なの!?」

 

「なんでもないです!」

 

「待ってやめて! 君にそういう目で見られるとちょっとアレだよ!」

 

「あ、アレってなんですか!?」

 

「アレはアレだよ!」

 

 ノーパンの年上女性が13歳の少年に性的羞恥心を感じさせる事案発生。

 

「カズマ、いい加減下着返して上げなさいよ」

 

「んー」

 

 パンツに引っ掛けられたカズマの指が、パンツをくるくる回す。

 カズマの指が、クリスのパンツでフラフープをしているかのようだ。

 

「なんか楽しいことになってきたな」

 

「カズマさんカズマさん、今のカズマさんはちょっと引く」

 

「これは正当な勝負の戦利品だぞ」

 

 その指は止まらずパンツフラフープを継続する。

 

「お願いだから、私のぱんつ返して!」

 

「いくら出せる?」

 

「え」

 

「クリスはこのパンツの代価にいくら出せるかと聞いているのだ」

 

「……この、魔法がかかったナイフ。

 リッチーとか、一部の魔法生物にも有効な武器だよ。

 普通に売買すれば、40万エリスはくだらない一品。これで……」

 

 テーブルの上に、ゴトリとナイフが置かれる。

 カズマは調子に乗った顔で、指にひっかけたパンツを逆回転させ始めた。

 

「そうか。クリスのパンツの値段は40万エリスなのか……」

 

「……っ」

 

「もしかしたら俺は、クリス以上にこのパンツに価値を見ているのかもしれないな……」

 

「……っっっ!!!」

 

 パンツフラフープが加速する。

 耐えきれず、クリスは全財産が入った財布を、ナイフの上に叩きつけるようにして置いた。

 

「これで、私の今持ってる全財産全部です……」

 

「しょうがねえなあ」

 

 一連の流れを見ていたギルドのギャラリーは、戦慄していた。

 

「鬼畜だ……」

「クズだ……」

「クズマ……」

「カスだ……」

「カスマ……」

 

 犯罪者ではないギリギリを攻めるこのスタイル。

 絶望はさせないが大泣きはさせるこのバランス感覚。

 パンツ一枚でここまで自分を出せる人間など、そうそう居まい。

 

 もう見てられない、とばかりにむきむきが割って入り、ナイフと財布を引っ掴んでクリスの手の上に置いた。

 その時ちょっとクリスのパンツに触ってしまって、少年の顔が少し赤くなる。

 

「もういいでしょカズマくん。お互い様でした、ってことで」

 

「おいむきむき、それは正当な勝負の報酬だぞ?」

 

「ぱんつを誘拐して得た身代金でしょ?」

 

「……わぁったよ」

 

 パンツの身代金が返還される。

 カズマ容疑者によるパンツ誘拐事件は、こうして被害者(ぱんつ)が帰るべき股間(いえ)に無事帰ることで、ひとまずの決着を見るのであった。

 クリスは目元の涙をぐしぐしと拭い、椅子を踏み出しにしてむきむきの耳元に口を寄せ、こそばゆく囁いて行く。

 

「ありがとね、後輩君」

 

 そして、カズマという肉食動物に再び毒牙にかけられる前に、草食動物クリスは逃走して行った。

 

「むきむき。このぱんつ一枚分はお前への貸しにしておくからな」

 

「……具体的に金額で言われるよりずっと重く感じるねそれ」

 

「そりゃそうだ。

 俺の国では、何でも願いを叶えられる権利でぱんつ一枚を願った男も居るんだぞ?

 つまりこの貸しは何でも願いを叶えて貰うくらいの重さなんだよ」

 

「!? 何でも願いを叶え……え、それでパンツ一枚!?」

 

 事実ではある。ギャルのパンティ・クレメンス。

 

「さて、スティールは取った。

 敵感知と潜伏……どっち取るか、どっちも取らないか、両方取るか……」

 

 爆殺スタイルは元手に金がかかるものの、経験値を稼ぐために使う時間と労力はぐっと少なくなる。

 低レベル帯であれば、レベリングは非常に容易だ。

 そのためか、カズマはスキルポイントにも結構余裕があった。

 

 クリスのパンツであれだけ騒ぎを起こしたにもかかわらず、カズマ達は平然と今日もクエストに向かうのであった。

 

 

 

 

 

 そのゴブリン達は、森の合間に巣を作っていた。

 人間であれば集落と呼ばれるものではあったが、ゴブリンの知識レベルでは巣としか呼べない出来のものにしかならない。

 ゴブリンはそこで、自由気ままに他のモンスターを殺し、街道を通りがかった人間を殺し、その死体をオブジェに加工して遊んでいた。

 

「?」

 

 ふと、ゴブリンの一体が何かに気付く。

 他のゴブリンがどうしたのかと聞いてみても、そのゴブリンでさえ何に気付いたのか分かっていないようだ。

 

「……?」

 

 何かが聞こえた気がしたし、何かが見えた気がした。

 ゴブリンは低級な知能で考えてはみるものの、その頭が答えを出す前に、彼らの足元に転がっていた何かが破裂する。

 破裂して、爆発。

 ゴブリンが全員死んだのを確認してから、物陰に隠れていたカズマは潜伏を解除した。

 

「潜伏爆殺」

 

 隠れるという行為をトリガーに発動し、視覚的に消失するのみならず、臭いや音等まで誤魔化す盗賊スキル『潜伏』。

 カズマはこれにカズマイトを組み合わせ、潜伏爆殺というスタイルを確立しつつあった。

 もはや正面から戦う気がまるでない。

 剣と魔法のファンタジーという異世界に持っていたイメージを自分から投げ捨てている。

 もしも人間が本気のカズマを敵に回せば、24時間いつでもどこでも自分の周りにカズマイトが現れるという恐怖に襲われることだろう。

 卑怯者という言葉さえ生温い。

 

 火種はむきむきが居れば困ることもない。

 道具作成のスキルもレベルが上ってきたため、最近は大きいカズマイトと小さいカズマイトを別々に作れるようにもなってきたようで、威力調整もできるようになっていた。

 カズマ自身は相変わらず弱いまま。

 なのに、えげつない。

 カズマは強さを完全に自分の外部に依存していた。

 

 アクアはむきむきと一緒に、カズマの虐殺を遠目に見ている。

 

「ねえ、むきむき」

 

「なんですか、アクア様」

 

「カズマさんどんどん手が付けられなくなって来てる気がするんですけど」

 

「……僕もそんな気がしてきた」

 

「これは絶対むきむきと触れ合った化学反応よ。女神の私には分かるわ」

 

「ぼ、僕のせいですか?」

 

「時々いるのよね、互いに刺激を与え合っちゃう人達って……」

 

 女神視点、むきむきとカズマは互いに大きな影響を与え合う存在に見えるようだ。

 アクアの目は本質を見抜くこともあれば、とびっきりの節穴になることもあるため、完全に信用がおけないのが難点である。

 カズマは調子に乗って、ゴブリンの巣の中に金目の物がないか探し始めるが、そこでなんと巣の外に出ていたゴブリンが一匹、巣に戻って来てしまった。

 

「あ」

 

 転がる仲間の死体。

 巣を漁る人間。

 当然、それらを見たゴブリンは怒りのままにカズマに襲いかかる。

 今のカズマには欠点がある。

 それは、敵に攻撃する手段が爆弾しかないということだった。

 

「う、うわああああっ!」

 

 カズマは逃げる。

 ひたすら逃げる。

 一定の距離まで近付かれると、爆弾の爆発に自分が巻き込まれてしまうため、爆殺のカズマは役立たずのカズマになってしまう。

 カズマに出来ることは、仲間に助けを求めて逃げることだけだった。

 

「ヘルプ! ヘぇルプ! アクア、むきむき! 助けてくれ!」

 

「えー、公衆の面前で女性のパンツ弄ぶ人と仲間だって思われたら私恥ずかしいし……」

 

「こんにゃろう! むきむき、頼む!

 貸し! 貸しあったろ! あれをチャラにするから助けて下さいお願いします!」

 

「短い貸し借りだったね、うん。本当に」

 

 たん、とむきむきが踏み込む。

 踏み込みであり、跳躍であり、高速移動でもある一歩。

 むきむきとゴブリンの距離は一呼吸の間にゼロになり、むきむきのミドルキックが身長差でゴブリンの頭に綺麗に命中。

 ゴブリンの頭は胴から離れて吹っ飛んで行き、近くの大木に衝突して破裂した。

 

「……ひえっ」

 

 思わず、といった形でカズマの口から変な声が漏れる。

 

「アクア様、すみません。最近はアクア様が活躍できるクエストを見繕えなくて」

 

「いいのよ、いいのよ。こういうクエストの方が私は楽だもの。

 私の力を見せられないから、カズマがいつまで経っても私を舐めてることは問題だけどね」

 

 むきむきが街道の上に転がってしまったゴブリンの死体を脇にどけて、アクアが魔法でばしゃっと水を街道にかける。

 更に浄水の魔法を水にかけ、水を蒸発させてしまえば、街道にあった汚れは最初からなかったかのように消え失せていた。

 

「むきむきって様付けでもさん付けでも先輩付けでも友達の距離感よね。

 年が離れてるとそうでもないけど。きっと根が実直だからなんだと思うわ」

 

「そう、なんでしょうか?

 歳上の方には敬意を払ってるつもりなんですが……」

 

「敬意を払う友人関係だってあるでしょ?

 かくいう私もそういうのが好きよ!

 親しくして欲しいけど、女神としてちゃんと敬って欲しいの!」

 

 えへん、と偉そうに胸を張るアクア。絶妙にアホっぽい。

 

「悪い、助かったよむきむき。

 というかアクア、むきむきの交友関係にいつの間に詳しくなったんだ?」

 

「カズマが居ない時に何度か話したことがあるのよ。

 黒髪の子と、黒髪の子と、金髪の子と、金髪の子と……」

 

「黒髪と金髪しか居ねえのかよ」

 

 クリスからパンツを拉致し、その後クエストに行ったカズマは、この後ギルドに帰還して……そこで、アクアが言っていた人物達と邂逅するのであった。

 

 

 

 

 

 時間は少々遡る。

 クリスはパンツを盗られたことを、コンビを組んでいるダクネスに涙ながらに話していた。

 クリスからすれば、ただ単に愚痴りたかっただけなのかもしれない。

 しかし、これがダクネスの変なスイッチを入れてしまった。

 

「公衆の面前で、そんな辱めだと……!?」

 

「あれ? ダクネス?」

 

「それが事実なら、まさしく私が探し求めていた男……!

 いや、もしや、『光』とは、その正体とは、まさか……!」

 

「ダクネス? ダクネスやーい」

 

「私にとっての光とは、そこに……! 今行くぞ!」

 

「ちょ、ダクネス!?」

 

 頭のおかしいマゾのダクネス、略してアマゾネスが疾走する。

 その歩みに迷いはなく、「この事件のマゾは全て解けた」と宣言する探偵にも似ていた。

 顔の赤みは走っているためか、それとも別の要因か。

 期待に胸を高鳴らせ、ダクネスはギルドに突貫した。

 

 

 

 

 

 時は更にそこから遡る。

 

「むきむき、最近新人とクエストを達成してるらしいですね」

 

「うん。いい人達だよ」

 

「うう、むきむきは順調に友好関係広げてるのに私は……」

 

 ある日の晩御飯の時間に、紅魔族三人はなんでもない会話を楽しんでいた。

 

 三人は今、安宿に止まっている。

 先週までこの三人は、アクセルのとあるおばあさんの家に下宿させてもらっていた。

 家に泥棒や強盗が入った場合の撃退や、朝と夜におばあさんの話し相手になることなどが条件だったが、そのおかげで格安の宿を得ることができたのだ。

 そのおばあさんも、先週病死してしまった。

 この世界では病原体の一部までもが強力で、抵抗力の弱ったおばあさんではひとたまりもなかったのである。

 

 三人はその家を出て、おばあさんを弔い、拠点を移動。

 いつまでも安宿に居てもなあ、ということで、新しい拠点を探しつつも、結局いい感じの拠点を見つけられずに居た。

 

「どんな冒険者なんですか? その二人は」

 

 めぐみんが興味本位で聞き、むきむきが素直に答える。

 

「一人はカズマっていう人で、新人なのに頼りになる人だよ。

 もう一人はアクアっていう人で、女神みたいに綺麗な美人さんなんだ」

 

 そして、空気の感触が僅かに変わった。

 

「へぇー……ふーん……」

 

「そうなんだ……女神みたいに綺麗な人、ね……」

 

 むきむきが寝た後に、めぐみんとゆんゆんは闇の中で作戦会議を開始する。

 

「聞きましたかゆんゆん。女神みたいに綺麗な美人、だそうですよ」

 

「むきむきがそんな褒め言葉使ったの初めてよね……

 私が覚えてる限りでは、そけっとさんにも言ったことないはずよ」

 

「ゆんゆんも言われたことがないような褒め言葉ですよね」

 

「めぐみんだって言われたことないでしょ!」

 

「これは由々しき事態ですよ。

 むきむきが誘惑されている、あるいは……

 むきむきが恋をしたとか、そういうこともあるかもです」

 

「普段なら"そんなわけないでしょ"って言ってるけど……

 ああ、むきむきがあんな褒め方してるの聞いたら、断言できないじゃない……!」

 

 はてさて、その感情の理由はいかなるものか。

 子を案じる母性か、弟を心配する姉性か、兄の妹離れを嫌がる妹性か。

 仲間がどこかへ行くのを嫌がる気持ちか、友人が離れていくのを恐れる気持ちか、幼馴染の独占欲か。

 あるいは、上記のどれでもない何かか。

 めぐみんとゆんゆん自身にも、よく分かっていないのかもしれない。

 

「くくく……うちのむきむきをたぶらかそうとしているなら、相応の目に合わせてやりますよ」

 

「めぐみん、陰湿な妨害が得意なあなたが、今日はとても頼もしく見えるわ……!」

 

 かくして翌日。

 紅魔族二人は、ギルドで彼らを待ち伏せることにした。

 

 

 

 

 

 そして、時系列は現在に戻る。

 

(さて、あれが例のカズマとアクアとやらですね)

 

 めぐみんはゆんゆんを引き連れ、こっそり柱の陰に忍び寄る。

 待ち伏せは成功し、めぐみんとゆんゆんはカズマ達に気付かれないように、こっそり会話を盗み聞きしようとする。

 

(さて、実際私は、悪い人に騙されていなければそれでいいのですが)

 

 密かに覗き込み、アクアの美人っぷりに驚く二人。

 アクアの大きな胸を見て、めぐみんの目に一瞬殺意が見えた。

 

(むきむきが本気で好きになったのであれば、それも祝福しましょう。

 そのくらい平気……じゃないかもしれませんが。

 今の時間が終わるのが嫌で、大暴れくらいはするかもしれませんが。

 それでも、むきむきの幸せを願う気持ちも、ちゃんとあるわけでして)

 

 めぐみんの決意と覚悟。

 むきむきが後腐れなく彼らと一緒にいられるように、むきむきを置いてゆんゆんと遠い場所まで行くことさえ考えていた。

 彼女もまた、彼の幸せを願っている。

 

(あの美人さんが、むきむきの善意を食い物にしている悪人でなければ、それで……)

 

 そんな風に、めぐみんはカズマとアクアという人物が善人であることを期待して。

 

「なあむきむき、そんなに金持ってるなら俺達に家買ってくれよ、頼むよ」

 

「むきむきー、私達におうち買ってー」

 

「いいよ、どんなおうちがいいの? この季節、馬小屋暮らしは辛いもんね」

 

「なぁにやってんですか!」

 

 ド派手に、その期待を粉砕された。モロに善意に寄生されていた。

 

「金貸してくれ、までなら大目にみましょう!

 壺買ってくれ、なら怒るだけで済ませましょう!

 それが家!? 家って言いましたか!? 聞いたことないですよこんなの!」

 

「ど、どこのどちら様?」

 

「むきむきの本当のパーティメンバーです!」

 

「なるほどな……だが、俺達を甘く見るなよ?

 俺は親に養われることのエキスパート。

 そしてこのアクアもまた、甘やかされて養われたいダメな奴だ」

 

「カズマと同類とか死んでも嫌だけど、楽な方がいいに決まってるわ!」

 

「めぐみん大変よ! この人達ダメ人間だわ!」

 

「分かってます! ぶっころりーを超える逸材です!」

 

 こんなことになろうとは、誰が予想できようか。

 

「このヒモ! クズ! 紐屑!」

 

「うるせえ! こちとら馬小屋で凍死するかしないかの瀬戸際なんだ!

 宿になんか泊まったら日々あくせく狩りしても金なんて残らないんだよ!

 なりふりかまってられるか! この際プライドなんて捨ててやる!」

 

「そーよそーよ!」

 

「こ、このヒモコンビ……! ヒモ力が相乗効果を起こしている……!?」

 

「いいか! 俺は金が無いやつにまでたかろうとは思わない!

 だが仮に金持ちに奢ってもらえるのなら、最大限に高いもんを飲み食いしてやる!

 金があるんならいいだろ別に! 小さい家買うくらい端金だろ!」

 

「そうよそうよ!

 大体ねえ、むきむきの善意になんであなたが口を出すのよ!

 私はお願いした! むきむきは了承してくれた! はいおしまい!

 むきむきが私を甘やかしてくれるって言ったんだから、邪魔しないでよ!」

 

「こ、ここぞとばかりに……!」

 

 知力であればめぐみん達の方が遥かに高い。

 当然口喧嘩でもめぐみん達の方が遥かに強い。

 はずなのだが、今のカズマとアクアは無敵。勢いだけで押し切れる。

 たかり相手を見つけたダメ人間は強いのだ。

 

「ふっ……聞きしに勝るクズの塊だな」

 

「あ、あなたは……ダクネス!」

 

 そこにダクネスまでもが加わって、話は完全に収拾がつかなくなった。

 

「なにが爆殺のカズマですか! 私の爆裂と被ってるんですよ!」

 

「知るかロリ! 俺のこれはオリジナルだ、お前なんか関係あるか!」

 

「ろ、ロリ!? 言ってはならないことを……!」

 

 カズマとめぐみん。

 

「私のくもりなきまなこによれば、あなた最近友達が減ってるわね。

 ちょっと話しただけで友達認定するアクシズ教徒。

 そのアクシズ教徒が、しばらく会ってないもんだからあなたのことを忘れて……」

 

「あああああっ!」

 

 アクアとゆんゆん。

 

「く、クリスがそんなことをされただと……!?

 なんということだ、ここに私が居れば、身代わりになったというのに……!」

 

「流石ダクネスさん、騎士の鑑!」

 

 ダクネスとむきむき。

 

「お、なんだなんだ? またあいつらか」

「いいぞー、やれやれー!」

「問題児が結集とか、これもうどっか爆発するんじゃね?」

 

 周囲に興味本位の冒険者まで集まってきて。収拾がつく気配が完全に消滅した。

 

「ああ、あの人達が揃うとこうなるんじゃないかって気はしてたのに……」

 

 ギルド受付のルナが頭を抱える。

 その泣きっ面を刺す蜂までもがやって来た。

 

「ルナさん、警報鳴らして下さい! 魔王軍の襲来です!」

 

「もう嫌ぁっ!!」

 

 怒涛の連撃の締めとばかりに、魔王軍はやって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冒険者達が、一人で襲来したその魔王軍を取り囲む。

 襲来した魔王軍は、緑のラインが目立つ服と、緑の帽子、緑のマフラーを身に付けていた。

 こうした単色が目立つ服を着る人間は、この世界だとそれなりに限られている。

 むきむきはその名を、自然と口にしていた。

 

「DT戦隊……緑?」

 

「ああ、オイラはDTグリーン。

 あんたらが会ってない最後のDT戦隊かな? よろしくー」

 

 へらへらとした男だった。

 緊張感がないというか、掴みどころがないというか。

 だが、魔王軍であることには変わりない。

 女神から何かの力を授かり、それを魔王の力で強化しているということにも変わりはない。

 

「おいダクネス、あいつなんだ?」

 

「いきなり呼び捨てか、カズマ。ちょっとゾクゾクするな……

 あれは魔王軍に協力している人間の一人だ。DT戦隊を名乗っている」

 

「何だそのクソダサネーミング……ん? 戦隊?」

 

「ここではない遠い場所から、女神に選ばれてやって来たとか。

 彼らは世界を救うべく、女神に特典という力を貰っている。

 それが本当かは分からないが、彼らは実際に強力な能力を持っているのだ」

 

 ダクネスの話をそこまで聞いたところで、背を向けてここを離れようとしたアクアの襟首を、カズマがガシッと掴む。

 

「おいアクア、どういうことだ?

 お前人選とかしっかりやってなかったのか?」

 

「バカねえカズマ。よく考えてみなさい?

 人選しっかりやってるなら、あんたみたいなひきこもりのダメ人間を選ぶわけないじゃない!」

 

「よく考えるべきなのは俺じゃなくてお前だぁ!」

 

「仕方ないじゃない! 仕方ないじゃない!

 善人選んで送っても、こっちの世界でグレて悪人になることあるんだから!」

 

 アクアも涙目になってカズマから離れようとしていたあたり、罪悪感と申し訳無さは感じているようだ。

 全知全能でもない身で人間を救おうとする神、人の世界を人の手で救わせようとする神の限界。その一つがこれなのだろう。

 

「それで、この街に何の用?」

 

「お前らも知っての通り、魔王軍はあの日からずっと光の正体を探してる」

 

「ああ、それは知ってるよ」

 

「オイラ達戦隊五人も、手の空いてる幹部さん達もだ。

 でも見つからない。そこでオイラは考えた。

 お前らが同じように、あの光の正体を探ってることを思い出したんだ」

 

「……それで?」

 

「お前らを絞り上げて、持ってる情報を引き出そうと思ってなあ」

 

 殺戮ではなく、情報収集が目的の襲撃。

 

「おいアクア。あいつあんなこと言って一人で来てるぞ。バカなんじゃねえの?」

 

「バカはカズマの方よ。特典のこと忘れてない?

 特典のチートがあれば、初心者の街に居る冒険者くらいなら楽勝よ。

 カズマが授かった私というチートを見れば、その凄さが分かるでしょ?」

 

「特典がアクアみたいに役に立たないものだとしたら、何故奴はあんなに自信満々なんだ?」

 

「ちょっとカズマ!?」

 

 カズマの疑問には、すぐに答えが出る。

 

「ここは既にアクセルの街中。

 デカい魔法は使えない、事実上のオイラのフィールド。

 警戒すべきはむきむき、お前ただ一人。……初撃で死ぬなよぅ?」

 

 パァン、と伸びのある音が鳴った。

 音は一つであると錯覚するものだったが、耳をすませば連続する音がひとつながりになっていただけだと、そう理解できる音。

 音が大気に溶けた頃、グリーンを囲んでいた冒険者の内十数人が、糸の切れた人形のように倒れ伏していた。

 むきむき含む何人かの冒険者は、腹か頭を抱えて痛みに声を漏らしている。

 

「な」

 

 カズマが何かを言う間もない。

 グリーンのよく分からない攻撃がまた発動し、十数人の冒険者達がバタバタと倒れ、一撃目で倒れなかった者達も倒れてしまった。

 前衛達の中で倒れていないのは、むきむきのみ。

 カズマ達もあわや倒されるかと思いきや、彼らの前に金髪の騎士が進み出て、彼らが受けるべき攻撃を一身に受け止めてくれていた。

 

「ダクネス!」

 

「無事か? カズマ、アクア、一旦下がるぞ。これは……危険だ」

 

 ダクネスの真面目な声に、カズマとアクアはダクネスに守られながら後ろに下がる。

 

「おい」

 

 そして、カズマはその声を聞く。

 その声がむきむきの声であると、カズマは一瞬分からなかった。

 猛獣の唸り声にも似た、自然と人が命の危険を感じる声色。

 腹を抑えて膝をつくめぐみん、頭を抑えて座り込むゆんゆん、そして二人を攻撃したグリーンを見て、むきむきの目に強烈な戦意が宿されている。

 

 冒険者稼業なんてものをやっているのだから、めぐみんやゆんゆんが痛い目を見たことも、たくさんあった。

 むきむきの前で二人が敵の攻撃を受けたことも、何度もあった。

 これが初めてというわけではない。

 

 それでも、むきむきは怒る。彼の性根が、そういうものであるからだ。

 

「ギアが入ったかな? さあさオイラと走ろうぜ!」

 

「くたばれ! 挑発にしては趣味が悪いぞ、魔王軍!」

 

「情報を引き出すのならさ!

 お前の前で彼女らをいたぶるのが一番だ!

 どの道オイラがやることなのさ! 理解したかい!?」

 

 ふっ、と二人が消えて、どこかで打撃音がする。

 むきむきは力のある一撃を捨て、フットワークに全力を注いだスタイルにシフトしている。

 グリーンは特にそういう工夫をしなくても、余裕でむきむきより速い。

 カズマは二人の戦いを遠目に見ていたが、あんまりにも動きが速すぎて、目で追うことさえ困難だった。

 

「クソ、ドラゴンボールみたいな動きしやがって……」

 

 カズマは冒険者カードを取り出し、取得を保留にしておいた千里眼スキルを取得する。

 視力がブーストされるこのスキルならあるいは、と思っての行動であったが、それでも目で追うのがやっとであった。

 

「アクア! なんだあれ!」

 

「グリーンが腰に下げてる時計が見える?

 あれは魔剣グラムとかとセットの『ステータス上昇神器』ね。

 グラムは筋力、あの時計は素早さ……といった感じに、ステータスを強化するの。

 あの時計は使用中に凄まじい加速をノーリスクで得られるわ。

 でも魔王が強化して、発動可能時間も加速量も伸びているみたい」

 

「なんだそれチートだろ!

 おいアクア! 今すぐお前をクーリングオフしてあれが欲しいんだが!」

 

「何よ何よ何よ! いっつも私を役立たず扱いして!

 あんな時計より私の方がずっと有能なのよ! わかってよー!」

 

 ミツルギがグラムの筋力上昇の力を得て、筋力特化の人間となったように。

 ダクネスがその趣味嗜好から、防御力特化の人間となったように。

 カズマのように、生まれつき幸運特化の人間であるように。

 グリーンもまた、素早さ一点突破型の戦闘スタイル。

 

 力任せにぶち壊すミツルギ、絶対に倒れないダクネス、最終的に勝っているカズマに比肩する、超高速スピードタイプであった。

 

「あれはスピードが凄いけど、それだけよ?

 百発や二百発殴ったところで、むきむきは倒せないと思うけど」

 

「……むきむきの攻撃が当たらないんなら、何百発でも殴れるだろうけどな」

 

 そういや地球の創作だとステータス特化の場合、スピード特化が一番人気だったなあ、とカズマは思い出す。

 そして、こんだけ強いならスピード特化の人気も当然か、と舌打ちした。

 カズマイトを投げてみるが、全然当たらない。

 

「俺の唯一の武器が、早くも雑魚専技と化してる!?」

 

「バッカねーカズマ。

 普通のスキルなら攻撃力も攻撃速度もレベルと一緒に上がるけど!

 爆弾の威力と攻撃速度なんて、良くも悪くも一定に決まってるじゃない!」

 

「お前はどっちの味方だ駄女神ぃっ!」

 

 デカい敵、頑丈な敵ならば爆弾の大型化でどうとでもなるだろうが、速い敵が相手だと今のカズマイトの仕様ではどうにもならない。

 グリーンもむきむきも速さがおかしい。

 両者共に手で投げる爆弾など当たりそうにもない速度だ。

 カズマはこの状況をなんとかするべく、むきむきに叫ぶようにして指示を出した。

 

「むきむき、なんとかそいつの動きを止めてくれ! そしたら俺がなんとかする!」

 

「! 分かった!」

 

 続いて、アクアにも指示。

 

「おいアクア! 仕事しろ!」

 

「何よカズマ。宴会芸を披露してあいつの目を引けってこと? 全く、期待してくれるわね」

 

「違うわ! お前支援魔法使えたろ! むきむきを強化するんだよ!」

 

「……はっ、そうだわ! 私支援魔法が使えるんだった!」

 

 アクアの支援魔法がむきむきの身体能力を強化する。

 パワー、スピード、テクニックに関わるステータスがぐんと伸びた。

 むきむき当人が驚くほどのステータスの上がり幅。数秒前までグリーンのスピードに食らいつくのが精一杯だったむきむきが、完全に互角、いやそれ以上の戦いを展開し始める。

 

「支援魔法、一つでっ……!?」

 

 スピードはまだグリーンの方が速いが、技と力に差がありすぎる。

 グリーンは肩を抑えられ、地面に縫い止めるように抑え付けられた。

 カズマは言った。『俺がなんとかする』と。

 

「カズマくん、今!」

 

「ちょっと動き止めたところで、オイラを倒す手立てなんて―――」

 

「『スティール』!」

 

 その言葉を、彼は現実にする。

 

 グリーンが腰から吊り下げていた時計の神器が、カズマの手の中に落ちた。

 

「あ、盗れた。意外に強いなこのスキル」

 

「は?」

 

 "神器持ちの転生者の戦闘能力は神器に依存する。あるいは神器を核としている"。

 人間勢力・魔王軍問わず転生者が持つその弱点に、突き刺さる天敵のような技がある。

 それが、()()()()()()から放たれる武器奪取(スティール)であった。

 

「しまっ……!」

 

「取り押さえろおおおおおおおおっ!!」

 

 グリーンはむきむきから離れて逃げ出そうとするが、そこに冒険者が次々飛びかかって伸し掛かり、山のようになってグリーンを抑え付ける。

 誰も彼もが、先程グリーンにボコボコにされて倒された冒険者達だった。

 

「んなっ……バカな!

 一部のやつはオイラが内蔵破裂になるくらいの強さで殴ったはずだ!

 この数の人間を、あの傷の深さで、こんなに早く回復できるわけがない!

 いやそもそも、あの傷であの人数なら駆け出しプリーストじゃ魔力が―――」

 

 目を離したちょっとの間にこの人数をこの早さで完璧に治すなど、まさに神業。

 その神業を鼻歌交じりにやる女が、ここには居た。

 

「『ヒール』! ……え、そこの人なんか言った?」

 

 アクシズ教徒の信仰心をパワーに変えるアクアに、魔力切れの可能性はない。

 グリーンが一時はほぼ全員倒していたはずの冒険者達が、今では一人残らずピンピンしている。

 女神アクアの無限回復。味方にいれば、これほど心強いものもなかった。

 

「……お前は、あの時、オイラをこの世界に送り出した……!?」

 

 その女を目にした瞬間に、グリーンは目を見開く。

 この世界の人間であれば、アクアを見ても何も思わないだろう。

 アクアが女神を名乗っても、信じないだろう。

 女神としてのアクアを知る者でさえ、女神アクアがこの世界に降臨するだなんていうイレギュラーを想定できないがために、これが女神アクアであると信じられない可能性が高い。

 

 だが、他の誰でもない、転生者であるならば。

 転生の際、女神アクアを見た彼らならば。

 余計な前知識を持たない彼らならば。

 アクアを見るだけで、それが本物の女神アクアであると理解できてしまう。

 

「めぐみん、ゆんゆん、大丈夫!?」

 

「大丈夫ですから、そんなに心配しないで下さい」

 

「今はむきむきの方が怪我が多いわ。アクアさーん、むきむきにもお願いします!」

 

 アクアがむきむきの回復にも動いたのを横目で見つつ、カズマは冒険者カードを操作。

 前々から取得しようと思っていたスキルを、サクサクと習得していった。

 

「弓スキルと狙撃スキル取得、と。悪い、ちょっとその長弓貸してくれ」

 

「ん? ほれ」

 

 カズマは近くに居た冒険者から大きな弓を借りる。

 グリーンから奪った時計を手の中で転がしてみるが、ほとんど重さも感じられない。

 その感触に、カズマは神器というものをなんとなくに理解する。

 重さが無いためか、まるで時間そのものを手に乗せているかのような錯覚があった。

 

「狙撃」

 

 カズマは街の入り口にまで移動し、時計を矢の先に括り付け、発射。

 冒険者のステータスとスキルを前提とした剛弓は括り付けられた時計ごと、矢を遥か彼方まですっ飛ばす。

 

「超、エキサイティン……なーんてな」

 

 そして時計と矢は、アクセルからそこそこ離れた場所の『肥溜め』に落ちた。

 

「あ……あああああああああああっ!?」

 

 グリーンが馬鹿力を発揮して、魔力も筋力も総動員して、冒険者の下から必死に這い出す。

 そして、泣きそうな顔で全力疾走。向かう先は当然、時計が沈んでいった肥溜めだ。

 

「何してくれてんだてめええええええええええええっ!!!」

 

 グリーンは肥溜めに辿り着き、肥溜めをバシャバシャとかき回しながら時計を探している。

 糞尿まみれで泣きながら時計を探すその姿を、哀れと言わずなんと言うのか。

 ようやく矢を見つけたと思ったら、時計は既に矢から外れていて、また時計を探し直し。

 そんな悲しい繰り返しに没頭するグリーンに、グリーンにボコボコにされた冒険者達でさえ、同情の目線を向けざるを得なかった。

 

「おーいめぐみんだっけ? 確か凄い攻撃魔法が使えるんだよな。

 わざわざアクセルから遠く離れた場所まで誘導してやったんだから、一発で決めてくれよ?」

 

「……げ、外道……」

 

 もはや冒険者達は、魔王軍より恐ろしいものを見る目でカズマを見ている。

 

「正直これで仕留めるのは申し訳ないと思いますが……恨まないで下さいよ!」

 

 放たれる爆裂魔法(エクスプロージョン)

 

 クソマさんは特別な技能を何一つとして使わないまま、クソ野郎と言われても仕方ない戦術で、戦いをクソゲーにする能力持ちのグリーンを、皆と共に完封してみせるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリーンは死んだのか。

 否、死んではいない。

 確殺のあの状況から、グリーンを助けた者が居た。

 

「助けられちゃったなあ、ピンク」

 

「なになに。恋人を助けるのに理由は要らないのさ」

 

「……ありがとう」

 

 アクセルの街で直接的に動く者。

 闇に隠れ、その者を人知れずサポートする者。

 今回のお仕事は、この二人がセットで当たっていたのだ。

 グリーンが捕まりそうになっても、殺されそうになっても、罠にはめられそうになっても、最終的にはピンクが動くことになっていた様子。

 

「それにしても、何があったんだい?

 ボクは君がこんなに早くにやられるとは思っていなかったのだが」

 

「……最悪、かもしれない」

 

「詳しく」

 

「女神アクアだ。女神アクアが居た。オイラがあれを見間違えるわけがない」

 

「……ほほう」

 

「至急連絡を。セレスディナ様に、知らせないと」

 

 緩やかに、戦いの流れが動き出していた。

 

 

 




 女神アクア様の顔を知っている敵が居る問題


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3-1-3

 むきむきは、DT戦隊の素性をはっきりと認識していたわけではない。

 ただ、イエローに関しての話を色々と聞き、それを完全に把握しないままに、おぼろげながらもイエローの境遇を理解していた。

 

 本日もカズマむきむきアクアセットは、ギルドの片隅のテーブルを占拠している。

 

「スプリット太田がDTイエロー、か。アクアお前本当に無差別に送ってるのな」

 

「そんな人送り込んだような、送り込んでないような……」

 

「おい」

 

「だ、だって、沢山送り込んできたし……多少はね?」

 

「お前の物忘れはだいたい多少じゃなくて多大だ!

 俺はあの芸人好きじゃなかったが、魔王軍に居ると聞くと複雑な気持ちになるな」

 

「え、カズマくんは好きじゃない人だったの?」

 

「俺は勢いと特定フレーズのゴリ押しする芸人は好きじゃない。

 トークが上手い芸人とか、ネタを練ってる芸人の方が好きなんだよ」

 

「わかる、わかるわカズマ。

 芸人たるもの、他人が真似できないことをしてこそよね。

 雰囲気だけで笑わせるようならまだ二流。

 冷え切った場を一から暖めてこそ一流! それが芸人魂よ!」

 

「なんで女神が芸人魂を熱く語ってんだ!」

 

 敵に情が湧いてしまったりするのが、むきむきの弱いところだ。

 むきむきの中には、イエローに対する同情のようなものもあった。

 

「カズマくんはさ、そういうのない?

 かわいそうな人とか敵に、やりづらいって思うこと」

 

「ないな」

 

「い、言い切った……!」

「これでこそカズマさんでしょ」

 

「いやなんで同情しなくちゃいけないんだ? って感じ」

 

 精神面で見れば、カズマとむきむきは互いの欠点を補い合う、相補関係にある。

 

「俺達が知らないだけで、魔王軍全部にそういう事情あるかもしれないだろ。

 そんなのいちいち考えてたら、やりづらい上にこっちがやられそうじゃね?」

 

「う、た、確かに……」

 

「第一むきむき、相手にそういう事情があるとする。

 その敵がめぐみんとかゆんゆんとか傷付けたとする。

 お前、事情があるからってその敵のこと許せるのか?」

 

「!」

 

「そういうのは正義の味方に任せとけばいいんだよ。

 悲劇の悪役気取りのやつとか寝てる時にでも爆殺しとけばいい。

 かわいそうな過去とかいう免罪符なんか知るか。

 そんなの持ってるやつに攻撃される俺の方がずっとかわいそうだろ」

 

「凄いわカズマさん! 正論言っているようで、その実凄く保身的な主張!」

 

 こういう考え方を基本に据えつつも、情を完全に廃した機械的な外道にはならず、最終的には情を捨てきれないというバランス。

 それは、むきむきには無いものだった。

 

「でもむきむき、真似しちゃダメよ。

 カズマさんには人の心がないの。

 でなければ女の子のパンツを強奪して皆の前で振り回したりしないわ」

 

「おおっとアクアさん、久しぶりにゴミを見る目ですね」

 

「カズマくん、相手が困ることを実行するのに迷いがないもんね」

 

 カズマは『敵』に容赦がないのではない。敵味方に容赦がないのだ。

 

「むきむきは性格的にそういうの向いてないと思うぞ。

 あ、だからといって俺は頼るなよ。

 魔王軍と戦うとかもう勘弁してくれ。できれば他の人に任せておきたい」

 

「見なさいむきむき。これが引きこもって他力本願が身に付いた人間の末路よ」

 

「や、やる時はやってくれる人だと信じてますから……」

 

 なんでこの子こんなにカズマの評価が高いのかしら、とアクアは本気で思った。

 そこでつかつかと、どこからか一人の少女が歩いてくる。

 

「普段ダメだけどやる時はやってくれるって、私の評価だったと思うんですが……?」

 

「めぐみん?」

 

「爆裂には飽きましたか。爆弾に今は夢中ですか、むきむき」

 

「ちょっとめぐみん」

 

「あんなしょっぱい爆発のどこがいいんですか! 爆裂が一番じゃなかったんですか!」

 

 どうやら本日のめぐみんは、面倒臭いスイッチが入っている様子。

 

「おいロリっ娘。あんな使い勝手の悪いネタ魔法が俺の爆発の上とか笑わせんなよ?

 この爆弾は俺の発想力の結晶。

 爆裂魔法と違って、そこそこ近距離でも使える便利アイテムなんだぜ?」

 

「ふん、その分火力不足じゃないですか。

 どうせ硬い上級モンスターには通じませんよ。

 というか接近されたら役立たずという点では同じじゃないですか!」

 

 爆裂と爆殺が喧嘩する。

 爆裂はここで本題をむきむきに投げつけてきた。

 

「むきむき! あなたは爆裂と爆弾、どっちを取るんですか!」

 

「えっ」

 

「爆裂と爆弾のどっちを愛してるのかと聞いているんですよ!」

 

 何言ってんだこいつ、という目でアクアがめぐみんを見る。

 カズマが目で"いいぞ好きに答えて"とむきむきの背を押す。

 むきむきは微笑みのような苦笑を浮かべて、努めて優しい声色を出した。

 

「僕が愛してるのは爆裂の方だよ。浮気なんてしてないよ」

 

「! 本当ですか!」

 

「うん、愛してる」

 

「信じてました、信じてましたとも!」

 

 めぐみんが感動した様子でむきむきに抱きつき、むきむきが照れた表情を見せる。

 アクアがそれをからかいながら、むきむきの頬を指でつんつん突いていた。

 カズマは窓から曇り空を見上げながら、だらけた顔で意味なく呟く。

 

「外の天気は悪いのに、こいつらの頭の中は能天気なのな……」

 

 強い風が、窓をガタガタと揺らしている。

 今日はアクセルから少し離れると大雨や大雪が見られるほどに、空模様がよろしくなかった。

 

 

 

 

 

 むきむきとカズマは、対称的なスキル構成をしている。

 むきむきはスキルの力を一切借りることができないが、生まれつきの極端に高いステータスでゴリ押しする、正統派前衛タイプ。

 カズマは低いステータスを補うべく、多様なスキルを取得し器用に組み合わせ、小細工と搦め手で相手を嵌める邪道後衛タイプ。

 面白いくらいに、二人の長所と得意分野は正反対なのだ。

 

 むきむきの生命線がステータスなら、カズマの生命線は教えてもらったスキルにある。

 

「はい、これで私が教えられる魔法は全部です」

 

「ありがとな、ゆんゆん」

 

「お疲れ様、ゆんゆん」

 

 なのでカズマは、ちょくちょくむきむきの知り合いからスキルを教えて貰っていた。

 なお、むきむきの筋肉魔法は魔法スキルではないので教えられていない。

 

「初級魔法は別の人に教えてもらったし、これで初級中級上級爆裂その他が揃ったな」

 

「でもカズマくんの場合、取れて中級魔法だよね。

 冒険者は余計にポイントを消費しちゃうから……」

 

「弓スキルが1ポイントだったな。仮に爆裂魔法って冒険者が取るとどのくらいかかるんだ?」

 

「75ポイント」

 

「……」

 

「カズマくんは魔法適正が平均より少し低いくらいだから、90弱くらいかな?

 カズマくんがレベル90になるまでスキルを取るのを我慢すれば、あるいは……」

 

「よし、要らないな! やっぱ爆裂より爆弾だわ!」

 

「めぐみんが居ないとこでこういう事言うんだからもう……」

 

 爆裂魔法がネタ魔法と呼ばれる理由、冒険者が最弱職と言われる理由は、こういうところで強烈に実感してしまうものなのだ。

 ポイントには限りがある。冒険者も無制限にスキルを取ることはできない。

 なのだが、かつてむきむきが戦ったイエローは、半ば無制限にスキルを身に付けていた。

 

―――毒で死ななければ、スキルポイントはいくらでも荒稼ぎする裏技があるんでゲス!

 

(ゆんゆんから伝え聞いたイエローの言葉。あれは、どういう意味だったんだろう)

 

 それは、一つの裏技。

 "レベルダウンを本能的に恐れるこの世界の人間"には思いつけもしない手段。

 情報の断片があっても、むきむきでは答えに至れない。

 

「それじゃ帰ろっか。帰りに屋台で何か買っていく?」

 

「焼き鳥食おうぜ焼き鳥。奢ってくれると俺は嬉しい」

 

(スキルを教えて、帰りに買い食い……

 と、友達と一緒にすることみたいなことしてる!

 私とカズマさんはもう友達ってことでいいのかな? ど、どうだろう?)

 

 何を食って帰ろうかな、と考えながらついた帰路。

 

「あ」

「ん?」

「えっ」

 

 そこで、彼らを食おうとする者が現れた。

 

「しょ……初心者殺し!」

 

 さっと、ゆんゆんが反射的にむきむきの背後に隠れる。

 初心者殺しのことを知らないカズマはそれを不思議に思いながら、中型カズマイトを一本取り出した。

 

「……あ、ゴブリン!

 まさかここしばらく、ジャイアントトードの生息域の近くにゴブリンが居たのって……!」

 

「だね、ゆんゆん。今日まで存在を気取られてなかったってことは、相当賢い個体だよ」

 

「おい二人だけで納得すんな! どういうことだよ?」

 

「初心者殺しは冒険者を狙って食べるモンスター。

 冒険者が狙うゴブリンを追い立てて、冒険者を誘き寄せるんだ。

 そうして、ゴブリンを退治しにきた冒険者を食べる。

 あの初心者殺しは多分、クエストを終えて街に帰る途中の冒険者を狙って、待ち伏せてたんだ」

 

「なんだよそのモンスター! アクアよりよっぽど賢いじゃねえか!」

 

 『冒険者を狙って食べる』ということは、この生物は昔から存在する冒険者という存在に適した進化をした生物であるということ。

 同時に、この世界の食物連鎖には『人間』ではなく『冒険者』という歯車が組み込まれているということになる。

 人間が滅びなくとも、冒険者という存在が消えれば、ただそれだけで通常の生態が維持できなくなる、そんな異様なモンスター。

 この世界特有の食物連鎖の形であると言えるだろう。

 

「即投げボンバー!」

 

 佐藤和真の即ナボアタック。

 不意打ちに近い先制攻撃であったが、初心者殺しは飛びつき咥えてそれをキャッチ。

 投げられた爆弾が爆発する前に、カズマに投げ返していた。

 

「うっそだろ!?」

 

 すっ、と踏み込んだむきむきの手刀が、カズマイトの導火線を切断する。

 それでなんとか、自爆という結末だけは回避された。

 

「ふぅ、危ない」

 

「百歩譲ってキャッチするまではいい! ただお前、お前、投げ返すってお前……!」

 

「だから初心者が山ほど殺されてるんだよ、こいつに」

 

 カズマの脳裏に浮かぶのは、公園で主人が投げたフリスビーを跳んで咥えてキャッチする、よく躾けられた忠犬の姿であった。

 だが、初心者殺しの先の行動は、記憶のそれと比べるとあまりに殺意に満ちている。

 

「『カースド・クリスタルプリズン』!」

 

 ゆんゆんが魔法を撃ち、適度に距離を取っていた初心者殺しがそれをかわす。

 やはり、かなり知力と判断力が高い個体のようだ。

 ゆんゆんの魔法をかわした直後を狙い、カズマは番えた矢を放つ。

 

「これでもくらえ!」

 

 矢の先には、小型のカズマイトが取り付けられていた。

 

 当然それは、着弾と同時に爆発する。

 

「はっはっは! 狙撃の命中は器用度と幸運値で決まる!

 俺の幸運による必中の爆殺狙撃をたらふく味わえ!」

 

 着弾の衝撃で着火される仕組みになっているそれを、カズマは何発も叩き込んだ。

 初心者殺しが呻き声を上げ、近場の森の中に逃げ込んでいく。

 

「逃がすか!」

 

 カズマは潜伏スキルを発動し、その後を追おうとして――

 

「カズマくん、ストップ」

 

「ぐえっ」

 

 ――むきむきに背後から襟を捕まれ、止められた。

 

「おい、何すんだ!」

 

「罠だよ」

 

「罠?」

 

「初心者殺しは状況次第で簡単に潜伏スキルを見破ってくるんだ」

 

「……えっ」

 

「せめて、消臭のポーションは併用しないとやられちゃうよ」

 

 今現在、ここに居る三人は感知系スキルを一つも持っていない。

 森に入れば、カズマとゆんゆんには常に命の危険があるだろう。

 

「キース先輩から昔、賢い個体のことを聞いたことがあるんだ。

 その日、初心者殺しはPTの後衛の一人に致命傷を与えた。

 その一人を生かしたまま森に引きずり込んだ。

 初心者殺しは森の中でその一人をいたぶり、たくさん悲鳴を上げさせた。

 仲間達はその悲鳴に耐えきれず、助けようと全員で森に入って、全滅したんだって」

 

「もうやだこの世界」

 

 初心者殺しの恐ろしさは、その悪辣さにある。

 

「……え? じゃあ初心者殺しのあれは演技か?」

 

「大きいダメージは通ってたと思う。でも、逃げる時の姿はきっと演技だよ」

 

「ああ、分かった。あの初心者殺し、確実にアクアより頭がいいな」

 

「さ、流石にアクア様の方が賢いと思うけど……」

 

(これがコミュ力高いカズマさんの遠慮の無さ……私も見習わないと!)

 

 初心者殺しからバックアタックを食らわないよう、最大限に背後に気を付けながら、彼らは街に帰るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔王軍にグリーンが伝えた"女神アクア降臨"の報は、少なくない動揺を魔王軍にもたらしていた。

 当然、その情報の真偽が疑われ、情報の裏付けが求められる。

 それで白羽の矢が立ったのが、セレスディナ配下のDTイエローであった。

 イエローはエルロード潜入時にも使った、顔形を多少変えられる魔道具を使い、アクセルの街に潜入する。

 

(さて)

 

 これは任務だ。

 必ず成功させなくてはならない。

 だが、イエローには任務に対する責任感以外にも、この任務に熱をもってあたる理由があった。

 それは、女神アクアの存在。

 

(拙はあの女神に何を思っているのか……自分自身でも分からんでゲスな)

 

 イエローことスプリット太田は、十代で交通事故にて死んだ芸能人だった。

 

 元を辿れば、五歳の時に子役としてデビューしたのが彼の始まり。

 彼は幼少期から芸能界という世界で生き、芸能界を世界の中心と認識して育ち、小学校という場所を生活の基盤として認識していなかった。

 彼にとって学校は、仕事の合間に行く場所でしかなかった。

 そんな心構えでは、友達も出来るはずがない。

 

 彼は子役として活躍する自分に増長し、過度な自尊心を持ち、自分を『優れた子供』として定義して、小学校の周りの子供を『自分以下の子供達』として見下していた。

 

『僕は特別なんだ』

 

 ところが、現実は歳を重ねるごとに厳しくなっていく。

 

 子役から芸能人になり、更なる人気を求めた彼は、そこで"自分に芸能人としての価値がない"という現実にぶち当たる。

 顔は中の上で、トークも上手くなく、歌やダンスもやっては見たが平凡で、どこを見ても凡人の域を出ない。

 自尊心は膨らむのに、実力がそれに付いて行かない。

 注目が減る。

 人気が減る。

 凡百に成る。

 先走る自尊心が自分を置いて行く、そんな状態だった。

 

『僕が、笑われてる?』

 

 そんな彼が変わったのは、自分がうっかりした失敗で、皆が笑顔になった時だ。

 皆が自分を見ている感覚があった。

 皆が自分の行動で心動かされている実感があった。

 まだ自分には価値があるんだ、と思えた瞬間だった。

 何もできない自分にも、皆に見てもらえる方法があった、と気付いた瞬間だった。

 

『あ、笑われてる』

 

 それからは、どんどんキャラを作っていった。

 話し方を変えた。

 滑稽な生き方をするようにした。

 できる限りバカっぽく、愚かな行動を取るようにした。

 皆の笑顔の中に居ることで、彼は膨らんだ空っぽの自尊心を満たしていく。

 

 テレビでの出演も増え、そのキャラ付けをする前と後で知名度には天地ほどの差が生まれ、誰もが今のキャラ付けをする前の彼のことを、忘れていった。

 

『拙が、笑われてるでゲス』

 

 "笑わせることと笑われることが違う"と気付いた時には、もう遅かった。

 彼は周囲にバカにされて笑われること以外で、自分の価値を何一つ証明できなくなっていた。

 笑いものにされ、見下されることに傷付く自分を自覚してしまえば、もう手遅れだった。

 気付いた時には、人間の笑顔そのものを苦痛に感じるようになっていた。

 

『今のキャラを捨てて本当の自分に戻る……?

 あれ……?

 本当の自分って、どんな性格してたんでゲスっけ……?』

 

 もう戻れない、不可逆の変化。

 テレビで作ったキャラのせいで、私生活ですれ違った人でさえ、自分とすれ違うたびに笑ってくるという耐え難い毎日。

 トラックに轢き殺された時、スプリット太田がどこかホッとした心境になったことも、また事実だった。

 

「私は女神アクア。ようこそ、ここは死後の世界よ」

 

 なのに、イエローは次の人生を望んでしまう。

 彼には未練があった。地球でやり残したこと、という意味の未練ではない。

 "失敗の無い人生を送りたかった"という未練だ。

 この期に及んで、彼はまだ膨らんだ空っぽの自尊心に振り回されていた。

 

 彼は無敵の能力を望む。

 『誰も自分を傷付けられない力』を望む。

 深層心理で、誰にも傷付けられない人生を望む。

 女神は彼が望んだ力を与えた。全知ではないアクアには、彼の中身も過去も分からない。

 

「いいわ、この力をあなたに授けましょう。

 どうかこの力が、あなたの心も守ってくれますように」

 

 それでも、その言葉は、彼の本質の一端をかすめていて。

 後にイエローと呼ばれる彼は、アクアの最後の言葉をずっと胸に刻みつけていた。

 その後のことは、分かりやすいだろう。

 体に染み付いた生き方は、引き剥がせなかった。

 彼は自分を変えられなかった。

 『生きやすい方』を選んで、流されるように魔王軍へ。優勢な方の魔王軍へ。

 小市民なだけだった性格は、魔王軍に染まることで小悪党なものへと変わる。

 

 イエローを仲間に引き込んだ後、レッドが何もかもを見透かすような虹の瞳で、イエローの本質を見破り口にしたことがあった。

 

「お前は自分を自分でしか守らない。

 誰かが自分を守ってくれると思っていない。

 自分を守ってくれる誰かのことを信用しない。

 お前は自分が自分にしか守れないと思っている。

 自己完結しているがために、善意から他人をその能力で守ろうとも思わない」

 

 根幹の部分で、イエローは自己完結している。

 独りよがりな、周りを見ない魂の形。

 他人への理解・共感・協調を重んじないがために、他人を笑顔にすることができず、他人に笑われることしかできない男。

 自分しか守らない男。

 

 無敵の鎧を纏おうとも、心の弱さは守れなかった。

 

「お前は、守り合い助け合う者達に打ち破られるだろう」

 

 レッドは、イエローの『無敵』を、そう評価した、

 

 その『無敵』をくれた女神を探して、イエローは今この街に居る。

 

(以前顔合わせた面子とは顔を合わせないように、でゲス)

 

 イエローはフードを被り、顔を見えにくくする。

 顔を完全に隠すと逆に怪しまれるので、このくらいの塩梅がちょうどいいのだ。

 口調も意識して無理をすれば、王子の部下に紛れ込んでいた時のように、一時的に普通の喋り方にすることはできる。

 そうして彼は、冒険者ギルドでアクアの居場所を聞いて回った。

 

「ああ、アクアの居場所か。知っているぞ」

 

「本当かい? 会わせて欲しいな。自分は彼女に聞きたいことがあるんだ」

 

「案内は構わないが、ちょっと待ってくれ。

 ルナ殿。この紙をギルドの裏口に居るカズマに渡しておいてくれるか?」

 

「はい、ダクネスさん」

 

 奇しくも、そこで話しかけたのがダクネスだった。

 ダクネスは受付の女性に紙を渡し、イエローを先導して歩き始める。

 鎧の重さのせいかとてもゆっくりとした歩みだったが、イエローにも焦る理由はなかったため、そのゆっくりとした歩みに歩調を合わせていた。

 

「アクアは最近、やらかしが多くてな。とある場所で反省させられているんだ」

 

「やらかし……まあ、たまになら許せるんでしょうけどね」

 

「たまに、になれば奇跡だろう。

 アクアは何もやらかしてない時の方が珍しいぞ?

 しかもカズマが一緒に居ると最悪だ。

 アクアはカズマが居ると無自覚にやらかし頻度がかなり増すんだ」

 

「そうなんですか?」

 

「カズマがいつもなんとかしてしまうから、アクアも無自覚に安心してしまうんだ、まったく」

 

 世間話をしながら、ゆったりと彼らは目的地に向かう。

 階段を降り、アクセルの東端にある地下室へ繋がる扉の前に、彼らは辿り着いていた。

 

「ここだ、この先にアクアが居るぞ」

 

「ありがとうございます、ダクネスさん」

 

 変えた顔に、変えた口調で、心にもないような感謝をイエローは口にする。

 そうして、地下室に入って。

 

「……え?」

 

 その先に居たゆんゆんを見た。

 ゆんゆんに触れ、テレポートで一瞬にして消えたダクネスを見た。

 アクアなんて最初から居ない、誰も居ない地下室を見て、イエローは自分が罠にはめられたということに気がつく。

 

「しまっ―――」

 

 気付きは早かったが、既に手遅れ。

 一瞬にして、地下室には大量の『水』が現れていた。

 

「水……そう来たでゲスか!」

 

 『水が喉に流れ込んで窒息する』という殺害方法でさえ、彼の無敵は無力化する。

 だが、『水に押し出されて周囲の空気全てがなくなっている』という状況に対しては、この無敵能力も無意味だ。

 

 ペットボトルは口が狭いため、水を"流し込む"のに時間がかかる。

 この地下室も同じだ。外から水を流し込めば、水で満たすのに数十分はかかる。

 なのに、イエローが反射的に開始したテレポートの詠唱、それに使った数秒間で、地下室は早くも水で満たされようとしていた。

 

 この水は地下室に直接『生み出され』ている。

 それも、人間のスペックではありえないような規模と魔力でだ。

 

(間に合え、間に合え、間に合え……!)

 

「『テレポート』!」

 

 ギリギリのタイミングで、イエローは魔法発動を完了。

 念の為にと、アクセル入り口に設定していたテレポート座標に瞬時に移動した。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 

 あと少し判断が贈れていたら。ほんの少しでもテレポートの発動が贈れていたら、水に飲み込まれて、テレポートの詠唱さえできなかった。

 判断が僅かに遅れていれば、強制溺死だったという事実。

 

「うっわ、むきむきが言ってた通りじゃねえか。

 戦いの前に念のため街をテレポート先に設定してたのか」

 

「!?」

 

 振り返るイエロー。

 そこには見覚えのある紅魔族三人と女神の姿。

 そして地下室にまで案内していたダクネスの姿と、この罠を仕込んだであろう黒髪の少年が居た。

 

「お前でゲスな。この罠の絵を書いたのは。生憎、拙はお前の望み通りここで終わりは……」

 

「ん? いや別に死なせようとはしたけど、終わらせようとはしてないぞ」

 

「……へ?」

 

「うちのプリーストは蘇生もできるらしいからな。

 一回溺死させて縛り上げてから蘇生しようと思ってただけだ。

 情報絞り出せるだけ絞り出して、それから警察にでも突き出そうと思ってさ」

 

「そこの外道、なんで魔王軍じゃなくて人間側に居るんでゲスか?」

 

 敵を見つけて、情報を引き出そうと考えたとする。

 むきむきであれば、殺さないように加減しつつ関節技で動きを止めに行く。

 カズマであれば、地下室に誘導して水責めで溺死させ、縛り上げてから蘇生させる。

 こういうところに、性格は出るのだ。

 

「そこの金髪も、あれ全部演技だったでゲスな」

 

「騙し討ちは私もどうかと思ったがな……

 自慢ではないが、おそらくこの中で一番腹芸が上手いのは私だ。

 悪いが、あの時受付で伝言を残し、ゆっくり歩きながら準備の時間を稼がせてもらった」

 

 むきむきが事前に何か罠でも用意しておこうと提案し、カズマが面倒臭がりながらも形にしたのが、あの殺意満々の地下室だ。

 アクアの言う通り、この少年二人は何故か奇妙な相乗効果を起こしている。

 当然、この地下室のことは仲間の皆が知っていた。

 

「……でもダクネス、お前普段ほぼ取り繕ってないよな。自分の変態っぷり」

 

「カズマ、冒険者で居る時くらい、私は私で居たいのだ」

 

「お前、むきむきとかに悪影響与えたら爆殺するからな?」

 

「なんだと!? の……望むところだ!」

 

「望むなこのバカ! 逆効果かよ!」

 

 社交界で家の名に傷を付けないよう取り繕うことはできるのに、こうしてカズマとひそひそ話していると常に全力疾走。

 どうしようもない変態騎士だ。

 

「今日は私の魔法だけで決着付けて、皆の尊敬を集めようと思ってたのに……」

 

「! あの時の女神! さっきの水は、お前でゲスな!」

 

「ふふん、そうよ! この水の女神アクアの麗しき御業よ!」

 

「神パワーとか、本当にふざけんなでゲス、このチート野郎……!」

 

「いやお前が言うなよチート野郎」

 

 痛烈なブーメラン。

 無敵の能力を得たと思ったら役立たず能力だった、という憤りをぶつけるべく、イエローはアクアに向かって歩み寄っていく。

 アクアは特に何も考えずファイティングポーズを取った。

 カズマは自分より腕っ節が強いアクアの後ろに隠れた。

 そんな二人を庇うように、むきむきはイエローの前に立ち塞がった。

 

「これで戦うのは、三回目かな」

 

 その背中が、カズマにはとても頼もしく見える。

 

「今日は前のようにはいかんでゲス」

 

 イエローは身に付けていたコートを開いて中を見せる。

 その中にはずらりと魔道具・魔鉱石が装着されていて、イエローがどれだけ念入りにむきむき対策をしてきたかを、如実に語っていた。

 

「前はお前に心をポッキリへし折られたでゲス。

 包み隠さず言えば、今でもお前は怖いでゲスが……我に対策あり!」

 

 一戦目はイエローの圧勝。

 二戦目はイエローの能力を分析してむきむき達の勝利。

 そして今日は、イエローがむきむき達に対策を打ってきた三戦目。

 

「勝負!」

 

 イエローが勝負、と言った瞬間に、むきむきはイエローの腹を蹴飛ばしていた。

 

「わぁ、人ってあんなに飛ぶのね……」

 

「おいアクア! 道の真ん中でぼーっとしてんな!」

 

「あっ」

 

 だが、今日のイエローは一味違う。

 吹っ飛ばされてもノーダメージであることを活かし、自前の魔法・魔道具の攻撃・スクロールの展開を平行して行って、きっちり反撃を行ってきた。

 アクセルの街中で、イエローの攻撃がむきむきとカズマ達――正確にはとびきり不運なアクアに――向かう。

 

「やつめ、それなりの攻撃力はあるな。皆、私の後ろから出るなよ」

 

「ダクネス!」

 

 だが、その攻撃もダクネスがきっちりカット。

 イエローの攻撃力では、ドレインタッチ以外の手段でダクネスを倒すことは不可能だ。

 イエローを吹っ飛ばすむきむき、無傷のまま反撃を続けるイエローの戦いを見やりながら、カズマ達は話し合いを初めた。

 カズマはむきむきの攻撃を食らっても無傷なイエローを、信じられないものを見るような目で見ている。

 

「マジで無敵なのか。前はどうやって倒したんだ?」

 

「むきむきが空気の無い高さまで蹴り飛ばし続けて心を折ったんです」

 

「あいつ本当にデタラメだな!」

 

 むきむきは今日も上に蹴り飛ばそうとしているが、どうやら対抗策になる魔道具を用意されてしまったようで、イエローの体が一定以上の高さにまで上がっていなかった。

 

「爆裂魔法でどうにかならないのか?」

 

「爆裂魔法はあらゆる存在にダメージを与える究極魔法ですが……

 あれとは相性が悪いです。攻撃をそもそも成立させない能力ですから」

 

「上級魔法でもか?」

 

「私が全魔力で魔法を撃てば、街の半分くらいは輪切りにできると思います。

 でも多分、その規模でもめぐみんの爆裂魔法の方が破壊力は大きいので……」

 

「……あれ? これ本格的に手詰まりじゃね?」

 

 イエローの能力は、相手の職業さえ把握していればまず事故らない。

 把握していなくても、ほぼ事故らない。

 モンスター相手ならともかく、人間相手であればほぼ全ての者にメタが張れるものだ。

 

「人間相手に使えば反則。

 魔王軍相手に使えば産廃。

 おいアクア、なんであんなもんが特典に混ざってるんだよ」

 

「使いこなしてた勇者は本当に強かったのよ?

 自分の職業をアークウィザードにして、無効対象をアークウィザードに設定。

 至近距離で上級魔法を連発して、自爆戦法取りながら自分だけ無傷とか。

 無効対象をアーチャーに設定して、仲間のアーチャー数人に矢の雨を降らせる。

 それで矢の雨の中、自分だけ矢を無視しながら敵に近接戦を挑む、とかね」

 

 忘れっぽいアクアが覚えているのだから、その勇者はそれなりに近年の勇者なのだろう。

 

「あのイエローって人がその辺の応用思い付かなかったから、弱く見えてただけよ」

 

「特典貰えるのにそれだけで俺TUEEEできないとか異世界詐欺だろこの駄女神!」

 

「知らないわよ! なんで私が悪いことになってるのよー!」

 

 結局、強い能力を持とうが弱い人間は弱い人間のままで、勝てる人間は特典なんて無くても勝っていくということなのだろう。

 

「カズマ、どうする?」

 

「どうする、って……なんで俺に言うんだよ、ダクネス」

 

「むきむきは賭けに出ず現状維持に努めている。

 それはおそらく、お前が打開策を打ってくれると信じているからだ」

 

 ダクネスは、どこの家の者かは決して語らないが、高貴な家の出である。

 彼女は変態だが、その下地には凛とした貴族の心があった。

 彼女が真面目な声で何かを言うと、そこには耳を傾けたくなる響きが宿る。

 

 カズマがむきむきの戦いを見守り、むきむきがカズマの方を見て、二人の目が合う。

 どうにかしなければ、という想いが浮かんで来て、カズマは頭をガシガシと掻いた。

 

(つっても、何がある?)

 

 むきむきに教わった様々な知識。

 今日まで自分で得てきた知識。

 今の自分達にできること。

 イエローの能力。

 色々と考え、頭を回して、カズマは一つ策を思いついた。

 

 今日の天気は、以前むきむきが爆裂愛してると言わされていた日と似た天気。

 空には雲、風は強く、アクセルから離れると大雨や大雪が降っている。

 

「……そうだ、初心者殺し。あいつの真似をすりゃいいんだ」

 

 無敵を、最強で倒す。

 

「ゆんゆん! 手を貸してくれ!」

 

「は、はい! 分かりました!」

 

「アクアめぐみんダクネスは留守番! 特にアクア、お前は余計なことするなよ!」

 

「ちょっと! なんで私だけ名指しなの!?」

 

 カズマは空中でイエローを撫でるように張り飛ばしているむきむきに向け、声を張り上げる。

 

「むきむき! 俺達を肩に乗せてくれ!」

 

「分かった!」

 

 むきむきは瞬時にカズマの下に馳せ参じ、カズマがその右肩に乗る。

 ゆんゆんも同様にむきむきの左肩に乗りながら、二人の少年が組むコンビに、不思議な頼りがいを感じていた。

 

(なんだろう。とっても頼もしい)

 

 むきむきは二人を乗せたまま、イエローに一度肉薄して蹴り飛ばす。

 

「カズマくん、僕はどうすればいい?」

 

「あいつを雪山まで運んでくれ。ゆんゆん、テレポート妨害頼む!」

 

「了解! 『マジックキャンセラ』!」

 

 むきむきは再度接近してイエローに蹴撃。

 イエローは反撃してきたが、それらはカズマの爆撃が大雑把に吹き飛ばしていた。

 

「おらイエロー! サッカーしようぜ! お前ボールな!」

 

「ゲスっ!?」

 

 イエローの迎撃をカズマが、テレポートをゆんゆんが妨害し、むきむきの連続蹴撃でイエローはサッカーボールのように雪山まで蹴り運ばれる。

 

「むぐっ!?」

 

 雪に顔面から突っ込んだイエローが、慌てて立ち上がる。

 イエローは雪が降り積もる雪山、そこに吹き荒ぶ猛吹雪の中に居た。

 数m先が見えないほどの猛吹雪。

 必然的に、むきむき達がどこに居るかも分からない。

 盗聴スキルなどを使ってみるものの、イエローのスキルレベルでは、吹雪の音が煩すぎて何も聞こえなかった。

 

「くっ、どこに……」

 

 イエローは口の中に詰まっている雪を吐き出して、はっとする。

 

(そうか、雪崩で拙を窒息死させる気でゲスな)

 

 イエローは口元に手を当て、口の中に雪が詰まらないようにしつつ、詠唱できるだけの空間を口周りに確保する。

 職業持ちが引き起こした雪崩であるなら、それのダメージも無効にできる自信がイエローにはあった。

 人為的に引き起こされた雪崩が来ても、これで窒息前にテレポートが可能になる。

 

 これで気を付けるべきは雪山のモンスターだけだ。

 周囲にモンスターが現れないか、常に警戒を怠らないようにする。

 かなり強いモンスターが現れたとしても、彼はすぐさま魔法で応戦できる心構えで居た。

 

「最近は本当に寒い季節になったよな、スプリット太田」

 

「そこでゲスな!」

 

 カズマの声が聞こえて、そちらにファイアーボールを撃つ。

 だが、カズマはむきむきに抱えられたまま吹雪の中を駆け回っているようで、ファイアーボールが当たった気配はなかった。

 

「初心者殺し。

 あれ、本当にえげつないやつだよな。

 他のモンスターを利用するとか。

 雑魚モンスターがトリガーで、強いモンスターが仕留めるとか。

 だから俺も、初心者殺しのやり方をちょっと真似させてもらったわ」

 

「そっちかでゲス!」

 

 カズマが喋って、イエローがそこにファイアーボールを撃って、当たらず終わって、その繰り返し。

 

「確実に利用できるモンスターが。

 確実に一発で決めてくれるモンスターが。

 お前を仕留め損なうことがないモンスターがいい。

 そう考えてたら、この季節一番うってつけのやつが居た」

 

 イエローは背後で誰かが雪を踏みしめる音を聞き、今度こそ仕留めてやると振り返り――

 

 

 

 

「冬将軍の、到来だ」

 

 

 

 ――氷雪色の、武者を見た。

 

 しゃりん、と、氷の上で刃を滑らせたような音がした。

 イエローがその姿を見た瞬間に、既に斬撃は完了している。

 

「あ」

 

 バタリ、とイエローが倒れる。

 誰の目にも明らかな致命の一撃。

 冬将軍の一撃は、何の抵抗もなくイエローの命を両断していた。

 

 冬将軍は、雪精を害した者を殺す大精霊。

 カズマが今日この雪山を選んだのは、吹雪いている今の雪山であれば、イエローの目にも雪精が見えないだろうと予測したからだ。

 そして、それは見事に大当たり。

 吹雪で雪精が見えないまま、ファイアーボールで雪精を殺しに殺したイエローは、容赦なく冬将軍に切り捨てられていた。

 

 冬将軍に、職業などない。

 

「流石カズマくん、他力本願の切れ味が他の追随を許してないよ」

 

「それ、褒めてるのか?」

 

「もちろん!」

 

 他力本願こそカズマの真骨頂。

 むきむき達は去っていく冬将軍に頭を下げ、礼節をもって将軍を見送る。

 イエローを倒したのはいいが、筋肉の鎧を身に付けているむきむきはともかくとして、カズマとゆんゆんにはこの気温はたいそう厳しい。

 

「む、むきむき、寒いわ! 寒いの!」

 

「だから服の露出は少なくして、長いスカートはきなさいっていつも言ってるのに……」

 

「え、何? むきむきはゆんゆんのお母さんでもやってんの?」

 

 むきむきの言葉を無視して、ゆんゆんは彼の背後から彼のズボンのポケットに手を突っ込む。

 焼け石に水をかけるような暖の取り方であった。

 

「しかし、戦う将軍とか色々思い出しちまうな……」

 

「どういうこと? カズマくん」

 

「暴れん坊将軍って言ってさ、俺の国には悪者を倒す将軍様が居るんだよ」

 

 納得した様子で、むきむきがぽんと手を叩く。

 

「あ、そっか。カズマくん言ってたもんね」

 

「ん? 何をだ?」

 

「魔王軍を倒すのは、正義の味方にでも任せておけばいいって」

 

「あー、そういやそんなこと言ってたな」

 

 そういう意味で言ったんじゃないんだけどなー、とカズマは笑う。

 なるほど、そう見てみると確かに今日の戦いは、危険を避けたカズマが正義の暴れん坊将軍に丸投げしたようにも見える。

 ちなみにこの世界には、暴れん坊将軍好きの転生者が執筆した人気小説・暴れん坊ロードが存在したりしている。

 

「さっさと死体持って帰って、アクアに蘇生させるぞ。

 魔王軍の情報引き出せれば、王都の冒険者に高く売れそうだからな」

 

「あ、カズマくんが魔王軍の情報引き出そうとしてたのってそういう……」

 

「危ないことは他の奴らに任せとけばいいんだよ」

 

 本当に勇者気質から程遠い男だ。

 だからこそ、むきむきと相性が良いのだろう。

 

「あれ?」

 

 死体を持っていこうとして、むきむきは気付く。

 

「血痕があるのに、死体がない……?」

 

 いつの間にか、イエローの死体が消えていたことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚まして、イエローは自分がまだあの世に行っていないことに驚いた。

 

「生きてる……?」

 

「いや、死んでるよ。イエロー」

 

「ピンク!?」

 

 体を起こせば、そこにはDT戦隊の紅一点。

 イエローが口元に触れてみれば、そこには薬品を流し込まれた痕跡があった。

 

「この体……まさかアンデッド化を!? 拙の死体で試したでゲスか!?

 いや、そもそもいつの間に薬品による意志を残したアンデッド化の技術の確立を!?」

 

「ボクの現在の目標は王都をラクーンシティに変えることだって、いつも言ってるじゃないか」

 

「冗談だと思ってたでゲス。冗談だと信じていたかったでゲス」

 

 この女は、躊躇なく仲間の死体を実験材料にしたらしい。

 

「これでボクの仮説も一つ証明された。

 転生者が能力特典を得た場合、死とアンデッド化でそれは神の下に還る。

 能力を維持したまま、神の理に反する存在になることはできない」

 

「!? ほ、本当でゲス……能力が、消えてる? だから拙が死ぬのを見過ごしたでゲスか」

 

「まさか、ボクらは仲間だよ?」

 

 いや、それどころか、仲間が死ぬのを黙って見過ごした可能性さえあった。

 イエローがさして幻滅した様子を見せないのは、この女がそういう人間だと前々から認識していたからだろうか。

 

「気分はどうかな?

 魔王軍から、死んでもいい当て馬の『人間』として選出された気分は。

 その果てに死んだ気分は。

 命を奪われ、アンデッドになった気分は。

 心の拠り所でもあった、無敵になれる能力を失った気分は」

 

 ピンクは煽っていない。愉悦を感じてもいない。

 研究者が顕微鏡で微生物の動きを観察する時のような目で、イエローを見ていた。

 イエローは、"何故グリーンはこんなやつの恋人をやっていられるのだろう"と思う。

 

「なんかすっきりとした気持ちでゲス」

 

「ほう?」

 

「死ぬのが怖かった。でも生きていたくなかった。拙は面倒臭いやつだったんでゲスな」

 

「ありきたりだね」

 

「死ぬのが怖いというより、傷付くのが嫌で。

 生きていくのが嫌というより、上手く行かない人生が嫌で。

 なんでか、この冷たい肌の感触が"終わったんだ"って感じがして、むしろ安心するでゲス」

 

 生が苦しみである者が居るのなら、歩く死体になることが救いになることもある。

 

「不思議なことでゲスが、満足に近いものを感じてるでゲス」

 

「そこで満足しないで欲しいな。ボクらにはまだ、やることがある」

 

「わぁってるでゲスよ。ただ……」

 

 ましてや今のイエローの中には、不可解な色の感情があった。

 

「あいつらの方が、拙よりよっぽど無敵に見えたでゲス。

 守り合ってて、助け合ってて、自分の安全を他人に任せてて……」

 

「嫉妬?」

 

「いや、憧憬でゲスな」

 

 手加減する気はない。馴れ合うつもりもない。出会えば本気で殺しにいくだろう。それでも。

 

「ああはなれないと納得して、あれに倒されるなら悪くないと思っただけでゲス」

 

 "あれに倒されて終わるのであれば悪くない"と、そう思う心もあった。

 

「魔王様みたいなことを言うようになったじゃないか、イエロー」

 

 ピンクはイエローを従えて、魔王城へと帰還する。

 

「今のアクセルには、未来に魔王様を倒す可能性が居る。

 魔王城の護りでもある幹部様達には、特に慎重に行動してもらおう」

 

 魔王軍工作員たるセレスディナの部下達は、己が果たすべき職務を一つ一つこなしていた。

 

 

 




何が本当の意味での『無敵』なんでしょうねえ


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3-2-1 アクア・ストライク!

 昔アクア様がFEifのかのポジションに行く長編を構想していたら、『呪いを全部吹っ飛ばして死体を蘇生させる』アクア様が全てをぶち壊す話になっていたのを覚えています


 クリスはアクセルをぶらぶらしていて、その途中に買い物袋をいくつも抱えるむきむきを発見した。

 

(あ、むきむき君だ)

 

 クリスは茶柱を見つけた時のようなほんわかとした気持ちになる。

 が、その買い物袋の中に酒瓶を見つけた瞬間、鬼気迫る表情でむきむきに飛びかかっていった。

 

「ちょっと! その歳でお酒飲む気!?」

 

「わっ、クリス先輩!?」

 

「天が許してもこのクリス先輩が許さないよ!

 君の歳からお酒の味を知っちゃったらバカになるんだからね!」

 

「待って下さい、これ僕のじゃないです! 仲間に頼まれたんです!」

 

「……あれ? 仲間の?」

 

 むきむき曰く、最近PTを組んだ仲間が大酒飲みで、たびたびむきむきに酒を奢らせているらしい。

 この世界における冒険者PTの適正人数は4~6人であるという。

 むきむき、めぐみん、ゆんゆん。

 そこにカズマ、アクア、ダクネスを加えて六人。

 前衛二人、後衛二人、指揮役一人、オールラウンダーヒーラー一人。

 それぞれの得意分野が違うこともあって、かなり隙の無い構成になっていた。

 

「なるほどなるほど、事情は分かったよ。

 でもその仲間の女性に無理にお酒勧められたらちゃんと断るんだよ?

 それでも強引に迫ってくるようなら、私がビシっと言ってあげるからね!」

 

「ありがとうございます、クリス先輩」

 

「ふふ、私は先輩、君は後輩だからね」

 

 先輩風を吹かすクリスは、小柄な体格や童顔もあってどこか愛らしい。

 クリスはダクネスとパーティを組んでいたものの、今はダクネスがカズマに惹かれたことで解散している。

 時折アクセルで困っている冒険者PTに参入し、手助けをしているクリスの姿が見られるが、今は固定PTを組んではいないようだ。

 

「クリス先輩もうちのPTに来てみます?」

 

「んー、今はいいかな。魅力的なお誘いだけど、ごめんね」

 

 やんわりと断られるむきむき。

 断り方はやんわりとしていたが、その裏には"今は固定PTに入っていられる余裕がない"というクリスの事情があった。

 

「それに、今はしてることもあるしね」

 

 クリスは尻のポケットから紙片を取り出し、それを広げて少年に見せる。

 そこには、洗練されたシンプルなデザインのネックレスの絵が描かれていた。

 

「これは……?」

 

「実は今、このネックレスを探してるんだ。

 どこかの貴族が買い取ったらしい、って所までは分かったんだけど……

 君、記憶力結構良かったよね、王都の貴族が誰かかけてなかった?」

 

「……いえ、無かったと思います」

 

 むきむきは記憶を探るが、王都防衛成功祝賀会のパーティでも、こんなネックレスを付けている貴族を見た覚えはなかった。

 

「クリス先輩のものなんですか?」

 

「違うよ、昔は私達のものでもあったけどね。

 ただ、曰く付きのものだから、持ってる人に注意しようとしただけ」

 

「曰く付き……」

 

 クリスは定型文を読むようにさらりとそう説明し、むきむきはクリスという人物を信用していたがために、クリスを何か怪しむこともなかった。

 

「ごめんね、買い出しの途中で引き止めちゃって」

 

「いえ、クリス先輩のためなら些事ですよ。

 そのネックレスのこと、僕からも他の人に聞いてみます」

 

「いいの? それなら、私もお言葉に甘えちゃおっかな」

 

 クリスがむきむきにネックレスの絵を手渡す。

 

「そうだ、僕ら家を買ったんです。

 よかったらクリス先輩も遊びに来てくださいね」

 

「家持ち冒険者かー。君らも一端になってきた感じがするね」

 

 時間とは流れるもの。

 人は変わるもの。

 クリスがむきむきと初めて会った時と比べれば、彼は心も体も環境も仲間も、何もかもが変わっていて。今なお進行形で変わっていっていて。

 そういう風に変わる『人』を、クリスは変わらないままに、ずっと見守ってきた。

 

「あ、福引。さっきの買い物でちょうど福引券貰ってましたね」

 

「じゃあ引いていく? さあむきむき君、いってみよう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 

「ああ、私は止めるべきだったのではないだろうか……」

 

「おいおい、今更カマトトぶるなよダクネス」

 

「カマトト!?」

 

「お前もむきむきに屋敷を買わせた共犯者じゃないか」

 

「あの時の私はどうかしていたんだ! お前に言いくるめられて、ああ……」

 

 むきむきからすれば、クーロンズヒュドラや王都防衛で手に入った余計な金を使う機会がようやく来てくれた、といった感じだろうか。

 むきむき自身ががっつり乗り気になってしまえば、めぐみんやゆんゆんでも止めるのは難しい。

 カズマはその辺りを誤解なく察している様子。

 ダクネスは猛烈な罪悪感に襲われているが、カズマやアクアは一貫して「誰も不幸になってないからいいんじゃない?」というノリだ。

 

 ちなみに幽霊騒ぎの類は発生していないため、屋敷は格安になる要因がなく、相応の価格であった。

 

「ダクネス、むきむきは寂しがり屋なの。

 私がこのくもりなきまなこで見たんだから間違いないわ。

 むきむきと一緒に暮らして話し相手になってあげることが、きっと一番の恩返しになるはずよ」

 

「アクア……お前が普段立派なプリーストであったなら……

 おそらくきっと、その言葉にも説得力があったのだろうな……」

 

「ちょっと!」

 

 アクアは女神らしくもっともなことを言っていて、それは事実でもあるのだが、普段の言動のせいで楽をしたいだけに見えてしまうのが問題である。

 

「だがなカズマ。私はやはり時間をかけても皆で家の代金は折半すべきだと―――」

 

 ご高説を垂れようとしたダクネスの頬を、カズマはむきむきが置いていった札束の一つを握り、それでぱちーんと叩いた。

 

「ふぅっ!?」

 

「お綺麗なことを言うなよダクネス。

 お前は高貴な騎士様じゃなく、ヨゴレ芸人の変態騎士だろ……?」

 

「だ、誰がヨゴレだ!」

 

「ほらよ」

 

「くぅ!」

 

 もう一度、今度は札束で逆の頬を叩く。

 

「なんだこれは……!?

 金で頬を叩かれるという屈辱……!

 私の清貧の心得を陵辱されているかのような屈辱……!

 だが何故か、気持ちいい……この屈辱が悦ばしい……!」

 

「それが金の快楽さ、ダクネス」

 

 札束が、ダクネスの頬に添えられる。

 

「これが……金の快楽……!?

 くっ、舐めるな! 私は絶対に屈しない!

 清貧こそが尊ぶべき美徳! 金の快楽になど負けてたまるか!」

 

「はいぺちーん」

 

「あふぅん」

 

 女騎士がまた一人、屈辱と快楽に屈しかけていた。

 

「他人の札束で仲間の頬を叩くとか流石カズマさんだわ」

 

 金に目が眩んで腐敗する貴族は悪徳貴族と言うのだろうが、札束で殴られる快楽に屈しそうになっている貴族は、なんと言うのだろうか。

 

「今日のカズマはやたらとサドっ気が強いな。

 このままでは日常会話の中で絶頂してしまいそうだ」

 

「疲れてて自分でも何言ってるのか分かってないのよ。

 どーも最近、夜中に一人でこそこそ何かしてるみたいなの」

 

「夜中に?」

 

「夜遅くに出かけて朝まで帰って来なかったり。

 夜遅くまで働いて小金を必死に稼いでたり。

 なのに、朝帰りしてくると妙にすっきりした顔してるのよ。

 だからか寝不足に加えて疲れも溜まってるみたいね。なんでかしら?」

 

「……ふ、風俗か? いや、違うか。

 アクセルの街は不思議と風俗の類が繁盛しないと聞く。

 この街も私が知る限り、普通の風俗店の類は出てもすぐに潰れている」

 

「カズマのことだから、ロクなことじゃないと思うんだけどねー」

 

 ソファーにぐでっと体を預けるアクアの背後から、その言葉に賛同する声が上がる。

 

「ですね、ロクなことじゃないでしょう」

「こんにちは」

 

「あら、めぐみんにゆんゆん。いつからそこに居たの?」

 

「ダクネスが金の力に屈しているところからですね」

 

「ば、バカなことを言うな! まだ屈していない!」

 

「『まだ』って……」

 

 何故この騎士は嬉しそうにしているのか。

 

「ただいま帰りましたー」

 

「おかえりー、むきむき。ねえむきむきー、私のお酒はー?」

 

「こちらに。店員さんからおすすめのツマミを教えてもらったので、それも」

 

「いいわ、流石名誉アクシズ教徒のむきむきね。

 死後は絶対に幸せになれる場所に生まれ変わらせてあげるわ!」

 

「あはは、ありがとうございます」

 

 名誉アクシズ教徒という不名誉な称号はともかく、アクアが見せる裏表のない親しみは、結構心地のいいものだった。

 真っ昼間から酒を飲もうとしているアクアに向けられるむきむき以外の視線は、割と冷たいものではあったが。

 むきむきは買ってきたものをテーブルに置き、小脇に抱えていた封筒の封を切った。

 

「ん? むきむき、それ手紙か?」

 

「そうだよ。アイリスからだね」

 

「アイリス、っていうと……」

 

「ベルゼルグ・スタイリッシュ・ソード・アイリス。

 ベルゼルグ王国第一王女で私達の友人です。むきむきは彼女と文通してるんですよ」

 

「何だその名前?

 王族と友達?

 王女様と文通してんの?

 いかん、ツッコミきれない……」

 

「最近は手紙の端っこに盤面を書いて、ボードゲームもしているようです。

 手紙を一通送るごとに駒を一つ動かせる形式のゲームみたいですね」

 

「中学生のノート遊びか!」

 

 最近ダストとキースに教わった店に通うため、無駄に溜められてしまった疲労が、王女関連の怒涛の事実の連続が、カズマの脳の回転を鈍らせる。

 

「あれ? これ……」

 

「どうしましたか、むきむき」

 

「封筒の中にネックレスが入ってたんだ。

 アイリスがくれたものだと思うんだけど……

 これ、クリス先輩が探してた曰く付きのネックレスみたい」

 

「ふむ? 奇妙な話もあったものですね」

 

 アイリスからの手紙を読んでいくと、三枚目以降にそのネックレスについての記載があった。

 

 曰く、これは第一王子・ジャティスの私用のネックレスと入れ替わりに混ざり込んでいたものらしい。

 いつ混ざったのかは不明。

 王子の周囲の者の誰もが気付かなかったとのこと。

 不思議なこともあるものだ。

 

 この世界の身分制は緩いようできっちりしている。

 王子とネックレスが入れ替わってしまうなど、人によっては恐れ多い、不敬だ、と思い、罰と誹謗を恐れて名乗り出ようとさえ考えないだろう。

 

 なのでこのネックレスは、こっそり処分されることになったらしい。

 そこで処分するという名目でこれを頂いたのがアイリスだった。

 アイリスは面白半分で、これをむきむきに贈る。

 

『むきむきさんの手から、めぐみんさんかゆんゆんさんに贈ってあげてくださいね?』

 

 手紙の三枚目の最後は、その一言で締めくくられていた。

 

(なら二つくれればいいのに)

 

 二つないと二人にあげられないじゃないか、と思う少年。

 むきむきはアイリスがウキウキで書いたその一文の意図を、全く理解していなかった。

 

 めぐみんが手紙を見て、むきむきをちらっと見る。

 ゆんゆんが手紙を見て、むきむきをちらっと見る。

 二人の少女が互いに対し持っている対抗心、競争心といったものが燃える。

 

「じゃあクリス先輩にあげた方がいいのかな、これ」

 

「「!?」」

 

 そして鎮火する。

 貰えなかった方がかわいそうだ、という思考回路が彼の中にはあった。

 

「うーん?」

 

「どうしたアクア?」

 

「それがねカズマ。このネックレスどこかで見た覚えがあるの」

 

「天界でか? それともこっちでか?」

 

「……うーん、思い出せないわ。何度か見たような気はするんだけど」

 

 カズマはネックレスをつまみ上げ、そこに刻まれた文字を見て微妙な顔になり、すぐさまテーブルの上に戻した。

 

「なんだこれ、日本語で変な言葉が書かれてるじゃねえか。

 こりゃあれだな、俺と同郷の奴が作った物だ、間違いない」

 

「カズマくんの故郷の文字なの?」

 

「そうだよ。『お前の物は俺の物。俺の物はお前の物。お前になーれ!』って書いてある」

 

 むきむきから貰えないと分かった時点で、このネックレスはクリスに渡されるまでの間遊ばれる玩具となった。

 めぐみんがネックレスを身に付け、アクアが似合う似合うーと囃し立てている。

 

「『お前の物は俺の物。俺の物はお前の物。お前になーれ!』

 って、不思議な響きだよね。なんとなく詠唱みたいなリズムがあって」

 

「いやいやこんなのただのパロディだろ。むきむきが思ってるようなことは……」

 

 瞬間、めぐみんが首にかけたネックレスが強い光を放つ。

 

「なんだ!?」

 

「めぐみん!」

 

 むきむきの反応は早く、かつ速く、瞬時にめぐみんからそのネックレスを引き剥がそうとした。

 だが、その体の動きが不自然に止まる。

 発光はすぐに収まり、ネックレスは先程までと同じ形で、めぐみんの体にぶら下がって揺れていた。

 

「な、なんだったんだ、今の……?」

 

「めぐみん、大丈夫だった?」

 

 少女らしい、高く可愛らしい声がそう言う。

 

「はい、なんともないと思いますよ、むきむき」

 

 声変わりの始まった、耳に優しい声色の少年の声が、そう応える。

 

「「ん?」」

 

 二人の声が重なって、全員が違和感に気が付いた。

 

「あれ、もしかして……」

「私達……」

 

「「 入れ替わってるー!? 」」

 

 君の名は? 我が名はめぐみん! 我が名はむきむき! 今は逆!

 

 

 

 

 

 ゆんゆんは一瞬気絶し、すぐに意識を取り戻した。

 

「……はっ、めぐみんがむきむきで、むきむきがめぐみんで……あわわわわ」

 

「ゆんゆん、落ち着いて!」

 

「ねえ、これ大変じゃないの? トイレとか、お風呂とか……」

 

「アクアは他人事みたいに言うな! 菓子ポリポリ食うのやめろ!」

 

 大混乱であった。

 ひとまず皆を落ち着かせて、めぐみんボディのむきむきが、エプロンを巻いて台所に向かう。

 

「と、とりあえず、ご飯でも食べて落ち着こう。

 落ち着かないとちゃんと考えられないでしょ?

 今日は僕が食事当番だったから、皆は座って待ってて」

 

「むきむき、真面目なのはいいけど、今はもっとうろたえていいのよ?」

 

「とりあえず手を動かしてれば落ち着くかな、って思って……」

 

「むきむきらしいわねえ。今の外見はむきむきらしくないけど」

 

 何故アクアはこんなにも緊張感も危機感も無いのか。何も考えていないからかもしれない。

 

「あ、そうだ。

 今日のお昼ご飯はカズマくんが前に食べたいって言ってたものだよ。

 よかったよかった、先に買い出し行っておいて。楽しみに待っててね?」

 

 むきむきはめぐみんの顔で、いつものように人懐っこい笑みを浮かべて、台所にかけていった。

 少女の小さい体にまだ慣れないようで、いつもの大きい体の感覚で動き、悪戦苦闘してる様子が見える。

 

「あ、あれ? 手が届かない……踏み台使わないと。ん、しょっと」

 

 ふっ、とカズマは何かを悟ったような顔で、前髪をかき上げた。

 アクアはそれを気持ちの悪いものを見る目で見ている。

 

 カズマはアクアの手綱を握って暴走しないようにしているつもりだが、実はアクアもカズマの手綱を握って暴走しないようにしているつもりでいる。

 そこには、理由がないわけでもない。

 

 面倒見のいいカズマさんは、時に面倒臭いカズマさんになるのだ。

 

「やっと分かったぞ、アクア」

 

「なにがよ、カズマ」

 

「この世界に足りなかったもの。それはヒロインだ」

 

「は?」

 

「俺のヒロインはあそこに居たんだ」

 

「は?」

 

 疲れている上、超常現象で混乱しているカズマは、この世界に対して漠然と抱いていたストレスを爆発させ、とうとう自分を見失い始めていた。

 

「カズマ。一旦落ち着いて……」

 

「控え目な僕っ娘美少女。純朴で素直な笑顔。

 献身的で頑張り屋、ダメなやつでも良い所を見つけて好きになる性格。

 料理や家事も一通りできて、寂しがり屋で子犬みたいに懐いてくる。

 しかも俺を養ってくれる金持ちだ!

 お前らみたいななんちゃってヒロイン候補とは違うんだよ!」

 

「なんちゃってヒロインですってえ!?」

 

 アクア、激怒。

 カズマのその言動に危険を感じたのか、ゆんゆんが声を張り上げる。

 

「目を覚ましてくださいカズマさん! あれの中身は男の子ですよ!?」

 

「変態騎士やアホアクアよりかはいいかな、って」

 

「!?」

 

「友情が重いゆんゆんみたいに、付き合いもべたべたしてないし……」

 

「カズマさあああああんっ!?」

 

 ゆんゆんからすれば、それは『君より男の方がいいんだ』という宣言に他ならなかった。異性からそう言われるだけでダメージは甚大である。

 ダクネスもまた、敬虔な神の僕としてカズマを止めに行く。

 

「やめるんだカズマ! ホモは非生産的恋愛の代名詞だぞ!」

 

「じゃあお前の被虐性愛趣味は非生産的じゃないってのかよこの倒錯性愛ド変態騎士!」

 

「んっ」

 

 ダメだった。いつものダクネスだった。

 もはや残された砦はむきむきボディのめぐみんただ一人。

 

「あの体の中身が私の時には何も言わず、今はこう。やはりカズマはホモなのでは?」

 

「お前は外見が美少女でも性格で萎える。分かるだろ、爆裂蛮族」

 

「萎えっ……!?」

 

「爆裂とかいう破壊衝動も、もうその筋肉で満たせるだろ?

 いいじゃないか、お前にある唯一の女要素を譲ってやるくらい……」

 

「私の爆裂愛を今ただの破壊衝動と一緒にしましたね!?

 というか唯一!? 唯一って言いましたか!?

 私の精神に女を感じる要素はないと、今言い切りましたか!?」

 

 カズマの口撃の破壊力は、それがカズマの本音であるかそうでないかに関わらず、絶大な破壊力を持つ。

 

「きっとめぐみんとむきむきはさ、体を間違えて生まれてきたんだ。

 むきむきはああいう美少女として生まれるはずだった。

 めぐみんはその筋肉で破壊衝動を満たすはずだった。

 だけど多分、生まれてきた時に体を間違えたんだな。

 今ようやく、お前達はあるべき自分の体に戻ったんだよ……」

 

「言うに事欠いてこのクズマぁ!

 許しませんよ絶対に!

 私の体に手は出させませんし、むきむきにも絶対に手は出させません!」

 

 あわやPT内部での抗争勃発か、このまま同士討ちで仲間割れしてしまうのか、と思われたその時。

 

「『セイクリッド・ハイネスヒール』!」

 

 アクアの回復魔法が、カズマの頭に直撃した。

 傷だけでなく状態異常や呪いなど、その人間の心と体に影響を与える要因全てをまとめて消し飛ばす、最上級の回復魔法である。

 それが、カズマの頭の中からややこしいものを吹き飛ばした。

 

「『クリエイト・ウォーター』!」

 

 更に水を生み出す魔法。

 冷水がカズマの頭にぶっかけられ、頭に昇っていた血が一気に冷える。

 

「どうカズマ? 頭の中すっきりした?」

 

「……さっきまでの俺の言動は、無かったことに」

 

「いいですよ。カズマの存在も無かったことにしてあげます」

 

 むきむきボディのめぐみんが、鉄をも裂く大きな手でカズマの頭をむんずと掴む。

 

「むきむき助けてくれ!」

 

「ええっ!?」

 

 駆けつけたむきむきはめぐみんボディでぺちぺちパンチをするものの、それでむきむきボディを止められるわけがなく。

 カズマが「アイアンクローはやめろ! 繰り返す! アイアンクローはやめろ!」と叫び始めた段階で皆も冷静さを取り戻し。

 カズマが「俺の頭が爆裂する!」と叫んだタイミングで、むきむきとめぐみんは元の体に戻るのであった。

 

 

 

 

 

 ネックレスは危険物として箱に収められ、外側からアクアの手で厳重に封印されることとなった。

 

「ひ、ひでえ目にあった……」

 

「カズマ、あれはただの自業自得だったと思うの」

 

 頭を抑えるカズマを尻目に、ダクネスは箱を睨んで固唾を飲み込む。

 

「恐ろしい道具だ……まさか、我々のPTの結束を一瞬で崩壊させるとは」

 

(元から大した結束がないことが露呈しただけなんじゃないかな……)

 

 そう言わないだけの優しさが、ゆんゆんの中にはあった。

 アクアはカズマの隣で得意げに胸を張っている。

 

「感謝しなさいよねカズマ。

 あなた、今日その場のノリで自他共に認めるホモになってたかもしれないのよ?」

 

「悪かったよ。確かに、今日はお前のおかげで助かっ……」

 

 そこで、カズマは思い出す。

 アクアがこのネックレスを、どこかで見た覚えがあると言っていたことを。

 

「……アクア、あれ神器なんじゃないのか?」

 

「え? ……ああ、思い出したわ! そういえばそうね!」

 

「お前っ! お前があの時思い出してればこんなことにはなあっ!」

 

「た、確かに思い出せなかったのは私が悪いけど!

 でも今回の一件は完全にカズマの暴走じゃない!」

 

「うぐっ」

 

 アクアが思い出せなかったことでこの事件が起きたことは事実だが、アクアが悪いというわけではなく、誰が悪いかで言えば間違いなくカズマが悪い。

 けれども、カズマの中にあった感謝の気持ちにケチが付いたのも、また事実で。

 

(なんでこいつはいつもオチを付けにいくんだ)

 

 何故アクアは、自分が褒め称えられる機会を自ら潰していくのか。

 

「うん、僕らの体にも異常は無いみたいだ。

 カズマくん、今日は予定通りキールのダンジョンに行くことにするよ」

 

「キールのダンジョン? 行く予定だったのか?」

 

「……あれ?」

 

 伝言が上手く行っていなかった様子。

 

「カズマはPT内で連絡回した日、アクアと一緒に昼間から酒飲んで潰れてましたから」

 

「……」

 

「おい待てダクネス。そんな目で見るな。

 あれはな、ダストと飲み比べして、勝った方が賭け金総取りという……」

 

「……昼間に金を稼ぐなら、ちゃんと働いて稼いでくれ」

 

 飲み過ぎという分かりやすい伝達失敗要因。

 

「と、ともかく。なんでそんなところに行くんだ?」

 

「魔王軍の一人、青色のあの男の師匠が、そこに居るかもしれないんだ」

 

 ダメ人間はダメ人間らしく、生真面目な人間は生真面目な人間らしく、毎日を過ごしていた。

 

 

 

 

 

 キールのダンジョン。

 それは、貴族の令嬢に恋をして。惚れた女をさらい、自ら生み出したダンジョンに閉じこもった、国最高のアークウィザードの遺したダンジョン。

 その奥には、今も最高と謳われたアークウィザード・キールが人間を待ち構えているという。

 

 今回投入された侵入メンバーはむきむき・ゆんゆん・アクアの三人。

 ダンジョン攻略組とアクセル待機組でバランス良く人材を振り分けた形となった。

 このダンジョンは、アクセルの街から馬車で半日ほどの距離にある。

 されどむきむきが二人を肩に乗せて走って行ったため、移動には一時間もかからない。

 

「ここがキールのダンジョンね!

 悪い魔法使いの根城にしては、不遜にも立派な作りじゃないの!」

 

「アクア様、静かに慎重に行きましょう。モンスターが居ますし」

 

「む、そうね。分かったわ」

 

 むきむき達は、ギルドの依頼も兼ねてここに来ている。

 最近ダンジョンに新しい通路が見つかったらしく、ギルド職員はそれなりに信頼のおける冒険者を使って、その通路の安全性を確かめたいようだ。

 

「盗賊居なくてもいいの?

 こういうときこそ、幸運と小器用さだけが売りのカズマを連れてくればよかったのに」

 

「大丈夫です。僕には漢探知がありますから」

 

「……罠を踏み潰して進む人間を、キールとやらは想定してるのかしらね……」

 

 カズマにポイントを使わせて、盗賊スキルを新規に取らせる必要もない。

 むきむきが居れば、罠は無いに等しいからだ。

 後はPT人数を絞って、むきむきの後ろをついて行かせればいい。

 

「キール……御伽噺のアークウィザード。本当に居るのかな」

 

「居るとは思うよ、ゆんゆん。会えるかどうか、力を借りられるかどうかは別として」

 

 ブルーの師であるキールから話を聞き、弱点でも見つかれば御の字。

 師匠の言葉が届くのであれば、戦わずして魔王軍を辞めさせられる可能性もある。

 どの道、行かない手はない。

 

「よし、行くわよ! 二人共私に続きなさい!」

 

「あ、アクア様! 危ないですから先に行かないでください!」

 

「ぎゃーっ! モンスターに噛まれたーっ!」

 

「て、展開が早すぎる!」

 

 アクアが何かやらかして、二人がそれをフォローする流れは、この後も何度も続いた。

 むきむきはアクアを全く制御できていなかったが、その代わりにアクアのやらかしを全て後からフォローできる、そんな身体スペックがある。

 おかげで対処は全部後出しになっているものの、アクアはとんでもない大窮地には陥らずに済んでいた。

 

「カズマくんは凄いなあ」

 

「どうしたのよむきむき。急にカズマを褒め出して」

 

「なんとなくそう思ったんですよ、アクア様」

 

 言わぬが花ということもある。

 

「アクア様、ゆっくり行きましょう、ゆっくり」

 

「そうね。私としたことが、私らしくない失敗をしてしまったわ」

 

(ツッコまない、ツッコまない……)

 

 余計なことを言わないようにしつつ、ゆんゆんもダンジョン内を照らす光の魔法などで、器用にダンジョン探索をサポートしていく。

 大きな魔力を小出しにして使っているので、息切れになる様子はまるで見えない。

 ゆんゆんがサポートに回る中、むきむきはあらゆる敵と罠をその筋肉で蹂躙していった。 

 

「インファイトだと気持ちいいくらい強いわねー。

 ねえ、そのまま魔王も倒して世界を救ってくれない?」

 

「僕の実力じゃ、まだ結構厳しいと思うんですが……」

 

 むきむきが魔王を倒してくれるなら、その間屋敷で酒でも飲んで待っていればいいかな、というのがアクアの思考だ。

 けれどもむきむきに死んで欲しくないとも思っているので、できれば自分の目の届く範囲で戦って欲しいとも思っている。

 アクアは安定してアクアであった。

 

「何も無いわね。大ボスはどこに居るのかしら。さっさと倒して帰りましょ」

 

「倒さないで下さい! あの、目的忘れてませんよね?」

 

 進めど進めど見つかるのは大量のアンデッドのみ。

 むきむきが張り飛ばし、アクアがそれを浄化するの繰り返し。

 ダンジョンの主キールなど、どこにも見当たらない。

 

「もしかしてキールは、噂の非実在青少年だったのかもしれないわね……」

 

「アクア様、もしかして飽きて帰りたくなってきたんですか?」

 

 アクアがダンジョン調査に飽きてきた。そんな頃。

 

「実在を疑われるとは寂しいな。なら、その目で見てくれたまえ」

 

 どこからか、声がした。

 

 

 

 

 

 声と共に消える壁。

 その向こうには、椅子に体を預けるアンデッドの姿があった。

 アンデッドの傍らには、白骨化した死体がベッドの上に寝かせられている。

 

(……リッチー。魔道を極めた先にある、不死の形)

 

 キールのダンジョンには、アンデッドが多く生息している。

 密度こそ高くなかったが、めぐみんはその情報からキールがアンデッド化している可能性を考慮し、むきむきに事前に伝えていた。

 御伽噺のアークウィザードは、リッチーとなって生きながらえていたのだ。

 見方を変えれば、既に死んでいるとさえ言えるのだが。

 

「ちょっと、離しなさいよゆんゆん!」

 

「ゆんゆん、そのままアクア様抑えておいて」

 

「いいけど、この人、意外に筋力あるわよ!」

 

「離しなさいゆんゆん! 三年間友達が出来なくなる呪いをかけるわよ!」

 

「妙に生々しい期間を口にしないでください!」

 

「アンデッドは浄化しなくちゃいけないのよ!

 これは私が果たすべき使命なの! 邪魔しないで!

 これ以上邪魔するようなら、街にあなたの噂をないことないこと言い触らすわよ!」

 

「虚構100%!?」

 

 ゆんゆんは涙目になって離しそうになってしまうが、むきむきに頼られてることを思い出し、なんとか羽交い締めを継続する。

 

「我が名はむきむき、紅魔族随一の筋肉を持つ者……はじめまして、キールさん」

 

「そうかしこまらなくていい。紅魔族は不遜なくらいでいいのさ」

 

 キールの語り口は、とても温和だった。

 リッチーというイメージにはそぐわないが、おそらく生前からして温和な人間だったのだろう。

 

「さて、何か御用かな? 神聖な力を持つ御方に、紅魔族の子供達よ」

 

 

 

 

 

 むきむき達がダンジョン攻略に出かけ、カズマ達は暇になり、ギルドへと向かっていた。

 面白そうな依頼があったなら先に受けておき、彼らが戻ってきたら新しいクエストに行こう、という考えの下の行動だった。

 カズマ、ダクネス、めぐみんの一行は話しながらギルドに向かう。

 

「……」

 

「……」

 

 しかし、微妙に会話が止まる間があった。

 カズマの軽快なトークや、ノリがよく饒舌なめぐみん、相槌が上手いダクネスが居れば会話が止まるはずがないのだが、何故か時々調子が外れて会話が途切れてしまう。

 それは何故か?

 カズマは時々無意識にアクアが居る前提で喋ってしまっていて、めぐみんは時々むきむきとゆんゆんが居る前提で喋ってしまったりするからだ。

 

(カズマはアクアが居ないと調子が出ない。

 めぐみんはむきむきとゆんゆんが居ないと調子が出ない。

 そして、そんな自分に気付いて意固地になっている。可愛いものじゃないか)

 

 ダクネスは、人知れずクスリと笑う。

 むきむきがゆんゆんとアクアだけを連れて行ったことで、ダクネスは慮外に面白いものを見ることができたようだ。

 

(これも二人が慣れれば、いつかなくなるものだろうが……

 貴重な青春の一ページというやつなのだろうな。うむ)

 

 ダクネスは普段とんでもないことをする二人の、普段見えない一面を面白がっている。

 普段は他人なんて知ったこっちゃないというノリで生きている二人が、こうして時々親しい者への情を見せるのが無性に可愛らしく思えてしまうようだ。

 ダクネスは二人に先んじて、ギルドの扉に手をかける。

 

 開いた扉の向こうには、動かなくなった人間が所狭しと倒れ伏していた。

 

「―――なっ」

 

「『スリープ』」

 

 魔法が放たれ、ダクネスに命中。

 ダクネスは後ろに続いていたカズマとめぐみんを押しやるように、外に逃がした。

 

「ダクネス!?」

「どうしたんですか!?」

 

「カズマ、めぐみん、走れ! 逃げっ……」

 

「『スリープ』」

 

 二射目の魔法。

 ダクネスは背後のカズマとめぐみんを庇い、それも受ける。

 盾としての役割を全うしたダクネスが膝を折ると、カズマとめぐみんにもその向こうに居る男の姿が見えた。

 

「睡眠耐性はそこそこか。普通に攻撃魔法で攻めていたら、落とすのに何時間かかることか」

 

「青色……!」

「ブルー!」

 

 かの戦隊の魔法特化。

 外見の美しさを女神に願い、それを魔王の力で不老の力へと変えた男。

 齢百を超え、その年月をかけて上げたレベルと魔法の腕だけで戦う人間。

 ブルーはカズマを魔法で捕縛し、あっという間に抱え上げた。

 手慣れた動き。特別な能力はないが、積み上げられた経験に裏打ちされた動きだった。

 

「よっ、と」

 

「あぶっ!?」

 

「カズマ!」

 

「儂が用があるのはこの男ではない。

 女神に伝えろ。儂はお前に会い、一つの区切りを付けたいと。

 そのために……上の命令にも逆らい、一人でここにまで来たのだと」

 

「待ちなさい!」

 

 ブルーはカズマを抱えて逃げようとし、めぐみんは杖先に爆焔を構えて詠唱を始めた。

 

「いい爆焔だ、美しい。

 美しいものはいいものだ。

 心が魅せられる実感が有る。

 美しいものが残るべきで、美しくないものは滅びるべきだ」

 

「何を……」

 

「だが、こんな街中で、仲間ごと儂を吹っ飛ばすつもりか?

 

「―――」

 

 爆裂魔法は、加減が利かず使用タイミングが限られるからこその、爆裂魔法なのだ。

 

「一週間後。一週間後だ。その時、女神アクアが儂の下にくれば、こいつは返してやろう」

 

「あ、じゃあそのまま魔王軍の方でお預かりいただいて結構ですよ」

 

「は?」

「えっ」

 

「腐っても仲間。さっきまでは本気で助けようとしていましたが……

 私の体の貞操の危険、むきむきの身の危険。

 どちらも感じるその男は、いっそ帰って来ない方がいいんじゃないかと思いまして……」

 

「おいバカやめろ! そういう冗談はよせ!」

 

「冗談じゃありませんよ。

 それにこれで、むきむきも気兼ねなく爆殺を忘れて爆裂一筋になるはずです」

 

「男を独占しようとする女は嫌われるぞ!

 そんなお前を見たらむきむきはお前に愛想つかすんじゃないかなー! なー!」

 

「あはは、面白いことを言いますね。むきむきは基本私のこと大好きじゃないですか!」

 

「こいつ、悪い意味で鈍感主人公の逆行きやがって……!」

 

「問題は、むきむきがカズマのことも大好きということですが……

 そこはまあ、新しい友達を見つけてもらいましょう、ということで」

 

「アクアー! アクアー!

 この頭のおかしい爆裂娘の頭にも回復魔法かけてくれー!」

 

「……『テレポート』」

 

 ふっ、とブルーと抱えられたカズマの姿が消える。

 めぐみんは杖に注いでいた魔力を戻し、悔しそうに頭を掻いた。

 

「ハッタリだけで助け出すというのは、やはり無理がありますね」

 

 少しだけ、落ち込む気持ちが無いわけでもない。

 ここに居たのが自分ではなくゆんゆんだったら、と思わなくもない。

 

「爆裂魔法はネタ魔法。理由もなくそう言われてるわけじゃないんですよね……」

 

 けれども、その気持ちは今は置いておく。

 ブルーは一週間後、と言っていた。

 しからば一刻も早く仲間と合流し、カズマ救出作戦を練らなければならない。

 

「ダクネス! さっさと起きてください!」

 

 めぐみんはダクネスの頬を叩く。起きない。

 むしろ先程より気持ちよさそうに眠り始めた。

 めぐみんはダクネスの尻を叩く。起きない。

 むしろ先程より気持ちよさそうに眠り始めた。

 めぐみんはダクネスの胸を叩く。起きない。

 ダクネスは叩く度に起きるどころか気持ちよさそうに熟睡し、叩かれた胸が揺れている。

 

 めぐみんは、その顔と胸に殺意を覚えた。

 

 

 




 キール回


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3-2-2

アルバムを見るような、起伏の無いひとつながりのお話


 むきむきはキールに問いを投げかける。

 そこに()()があるかもしれないと、そう思った。

 

「今はブルーを名乗る『フェリックス』、という人物について聞きたいんです。

 あなたが一人の魔法使いとして、魔法を教えた彼のことを」

 

 カズマは敵の事情なんて気にするなと言った。

 むきむきはそれが気になってしまうのだと言った。

 ここは単純に性格の違いだ。むきむきはどうしても敵のことを気にしてしまう。

 だが、こうして敵のことを知り、その上で敵の事情を気にせず戦うことが出来たなら―――その時こそ、自分は"あの"カズマと共に迷いなく戦える。少年はそう考えていた。

 

「フェリックス……懐かしい名前だ。とても懐かしい。その名をどこで知ったのかな?」

 

「今彼は、魔王軍に所属し、人の敵になっています」

 

「―――」

 

 キールはリッチーであるからか、それとも魔法使いとしてのポーカーフェイスを身に付けているからか、本音がいまいち読み取れない。

 なのだが、その一瞬だけは、確かな驚愕が見て取れた。

 

「世間では悪い魔法使いと言われていたあなたが、そこに驚くんですか」

 

「ああ、驚くとも。私は邪魔者を蹴散らしたが、人の敵になった覚えはないからね」

 

 キールは簡潔に自らの人生を語った。

 物のように王に側室として献上され、王にも誰にも愛されず不幸な毎日を送っていたある女性に、かつて一目惚れしたこと。

 その女性のために国最高のアークウィザードとなり、褒美として王に願いを捧げる権利を得て、その女性を貰い受けたいと願ったこと。

 王の側室を望むなど不敬だ、と死刑を言い渡されたこと。

 その後、その女性をさらい、その女性との愛を確かめ合い、国を敵に回して戦ったことを。

 

 その果てに、キールはここに居る。

 

「……あなたは、良い魔法使いだったんですね」

 

「これを良い悪いで語るのもどうかと思うがね?

 愛のために戦ったなら、良い魔法使いを名乗ってもいいのかもしれないな」

 

 かかか、とキールは笑う。

 彼は自分の人生に後悔は無いようだ。

 おそらく、長生きにさえ興味がない。

 リッチーとなったのは、さらった女性を守るため、その愛を全うするため、という目的しかなかったのだろう。

 

「さて、そこに至るまでの何を話そうか。彼に魔法の才能がなかったことから話せばいいのかな」

 

「才能が無い? 熟練の魔法使いに見えましたが……」

 

「天才も凡才も、修練を積めば同じ熟練の魔法使いさ。

 彼は魔法習得に余計なスキルポイントがかかる程度には、凡才だった」

 

 キールは昔を懐かしむように、目を細める。

 

「自慢ではないが、私には指導の才能もあったようでね」

 

「知ってます。本にもそう書かれていました」

 

「逆に彼は、早熟極まりない魔法の才能を持っていた。

 簡単に魔法を使えるところまでは早い。

 だが、そこから能力が伸びないタイプだった。

 ウィザードにはなれても、アークウィザードには中々なれていなかったな」

 

 初期ステータスが低い。レベルが上がってもステータスが低い。苦手分野があるためスキル習得に余計なポイントがかかる。

 そういう意味では、ブルーは幸運が低く悪知恵の働かないカズマのような存在であるとも言えた。

 

「だが、いいやつだったよ。

 私は愛に生きたが、彼は正義に生きることもできたのではないかな」

 

「何故そんな人が、魔王軍に……」

 

「私だよ」

 

「……キールさん?」

 

「私のせいだ。あの時の彼の言葉を、今でも覚えている。

 『あなた達の愛を認めない社会なんて間違ってる』。

 『あなた達の愛が正しいものだと認められる世界を作る』。

 彼は、そう言っていたよ。もう百年ほど前の話になるかな」

 

 "まさか、まだ生き続け戦い続けているとは"と、キールは寂しそうに俯く。

 

「昔、私は彼に青のローブを贈ったことがある。

 師から弟子への、当然の贈り物だ。

 だが、彼はたいそう喜んでな……

 『信頼と友情の証として、この色を大切にする』

 と言って、片時も手放さないほどに、気に入っていた」

 

 百年経った今では、もう形も残っていないだろうがね、と言ってキールは目を覆う。

 

「君達の話を聞いて、確信したよ。

 私にとっては終わった話でも……彼はまだ、あの日の戦いを続けているのだな」

 

 キールは彼らに、キール視点での物語を、キールとブルーととある令嬢の物語を、語り始めた。

 

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 フェリックスという名前が嫌いだった。

 名前以上に、生まれつきの容姿が嫌いだった。

 

 俺は日本人なのに、ハーフだったせいでこんな名前だ。

 しかも生まれつき顔もよろしくないと来た。

 俺の最初の半生は、かっこいい名前とかっこ悪い顔のギャップを、周囲に弄られまくった半生だった気がする。

 せめて名前か顔か、どっちかでもマシだったなら……なんて考えてたら、交通事故でぽっくり死んでいた。

 

「美しさをくれ。俺でもまともに生きられる美しさを」

 

 特典の範囲であればなんでもくれると言った女神に、俺はそう願った。

 望む顔は手に入り、俺はようやく世界に生まれたような錯覚を得る。

 顔さえどうにかなれば、後は上手く行くような気がしていた。

 

「……んだよ、全ッ然ダメじゃねえか」

 

 だけど、いい顔を持って生まれても、思った通りにはいかなかった。

 異性関係は修羅場になって、同性関係は上手くいかない。

 俺はいい顔を手に入れて初めて、『自分は性格が良くないのだ』ということを悟った。

 

 そりゃそうだ。

 世の中のブサイクの多くは、ブサイクのまま幸せになってる。

 親しい奴の顔だけ見て性格を見ない人間なんて、社会全体を見りゃ少数派だ。

 俺は単に、そういう人達には遠く及んでなかったってだけ。

 問題は顔じゃなく性格にあったんだ。

 単に俺が、"俺が好かれないのは顔が悪いからだ"と自分に言い聞かせて、自分の心を守っていただけの話だった。

 

「……やんなるね」

 

 男娼の真似をすればいくらでも稼げそうだとは思っていた。

 女を騙していけば好き勝手生きられる気はしていた。

 だけど、そうやって落ちたら、もう戻れない気がした。

 俺は一度落ちたら戻れない俺の性格を、死んで生まれてようやく理解できたらしい。

 

 魔法の才能があるとはしゃげていたのも最初だけで、次第に才能の無さに失望させられる。

 上げて落とすのとか、本当に辞めて欲しい。

 期待した分、それに裏切られるとダメージがデカいんだ。

 

「今噂の有名な魔法使いが街に来てる?

 へえ……情報感謝する。そんじゃま、会いに行ってみるか」

 

 最後のチャンスだと思った。

 俺は、その魔法使いに頭を地面にこすりつけて頼み込む。

 綺麗なだけで役に立たない顔も、泥で汚して頼み込んだ。

 

 その人は困った顔で、俺の弟子入りを受け入れてくれた。

 

「私はキール。君の名は?」

 

「フェリックス。フェリックスです」

 

「さて、私は弟子を取ったこともないんだが……私なりに、精一杯頑張ってみよう」

 

 自分には何の得もないのに、俺に手を懸ける義理など無いのに、その人はただの哀れみで、俺の面倒を見てくれた。

 

 そこからは、俺の人生が変わった日々だった。

 キールの指導は的確で、かつ既存の常識に縛られないものであり、俺は凡人以下の魔法使いから一端の魔法使いになっていた。

 俺は魔法だけでなく、家事から雑務から自分にできることを片端からやって、そのたびに師匠の「ありがとう」をいただく。

 嬉しかった。

 自分が変われたのが嬉しかった。

 自分を変えてくれたこの人に感謝されるのが、嬉しかった。

 

 この人に恩を返せるのなら、なんだってしてやろうと思った。

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

 ブルーの魔法で眠らされていたカズマは、ゆっくりと意識を覚醒させる。

 そして、自分のズボンを脱がそうとしている淫魔の男と目があった。

 

「ぎゃっー!」

 

「暴れんなよ……暴れんなよ……お前のことが好きだったんだよ!」

 

「やめてくださいお願いしますマジやめて!」

 

 抵抗するが、武器アイテムカード全てを取り上げられていた上、鎖付きの手枷が付けられているせいで逃げ切れない。

 

「ここどこ!? そしてどうしてこんなことに!?」

 

「なんで説明する必要があるんですか(正論)」

 

「そりゃそうかもしれんが問答無用でホモレイプは嫌だー!」

 

「あのさぁ……」

 

 カズマは口の中を噛み、汚らしいディープキスを仕掛けて来た淫魔の眼球に、血の霧を勢い良く吹きかけた。

 

「ンアッー!」

 

「よし!」

 

 心臓が止まりそうな恐怖を、咄嗟の機転で切り抜けるカズマ。

 だが逃げる手段はない。これでも所詮時間稼ぎだ。

 どうする、どうする、と発想力が頼りの頭脳を動かすが、横合いから発動された魔法が、不意打ち気味にその淫魔の男をどこかへと吹き飛ばしていた。

 

 カズマが囚われた地下牢に、カズマを捕らえたその当人がやって来る。

 

「しぶとさは一級品だな」

 

「お、お前は! 童貞ブルー!」

 

「DTだ、DT」

 

 カズマは身構える。彼を捕らえていた手枷と鎖がじゃらりと鳴った。

 ブルーは壁に背を預け、カズマと視線をぶつけ合う。

 

「今のは、お前の差し金か……?」

 

「いや、迎撃のために用意したモンスターだ。

 幹部シルビアの部下を借りたら、インキュバスとサキュバスだらけになってしまってな」

 

「おいあれをうちの仲間に当てるつもりかオイ」

 

「正統派に強いモンスターより時間稼ぎにはなろう」

 

「あれ? じゃあ俺が襲われたのは……」

 

「あのホモの好みに合致していただけだろうな。

 今日からは毎晩狙われるかもしれんが、ご愁傷様だ」

 

「おうちにかえりたい」

 

 この日々が一週間は続くという事実に気付いた時、カズマはどんな顔をするのだろうか。

 

「ホモに掘られるくらいなら、いっそ死にたいんだが」

 

「殺すのはあまり気が乗らんな。

 転生者には、そこまで殺意が湧かんのだ。

 あいにく儂が嫌うのは、この世界の人間だけなのだよ」

 

「おい、そういうカワイソ系過去をチラつかせんのやめろ」

 

「……」

 

「こっちは何の事情も把握できないから、同情とかしてやれないぞ」

 

「……くっ、くくくっ、ははは」

 

 可哀想な過去チラチラ系やイケメンをカズマは嫌っていた。

 ブルーはその両方を併せ持っている。

 カズマが持つそのバッサリ感に、ブルーは妙な小気味よさを感じていた。

 

「面白いな、お前は」

 

(お、これは漫画とかだと敵に気に入られて殺されないパターンだ)

 

「私の過去に興味は無いのだろう?

 だが、過去を詳細に聞けば突破口も見つかるだろうとも考えている。

 されども第一に考えているのは保身だな。

 お前、今儂と会話しながら、ゴマをすってでも生き残る道を探しているのだろう?」

 

(あ、これはこっちの内心全部読まれてるパターンだ)

 

 ブルーは不老で外見こそ爽やかイケメンだが、その中身は高レベル相応の高い知力で策謀を巡らすお爺ちゃんだ。

 取れる手が限られる状況であれば、カズマも手玉に取られてしまう。

 

「一週間後までは暇だ、聞きたいことがあれば答えるぞ」

 

「なんで一週間後なんだ? そこに意味はあるのか?」

 

「その日が、儂がこの世界に来た日だからだ」

 

 カズマのような若者が今に生きるのとは対称的に、この老人は想い出の中に生きていた。

 

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 キールは天才だった。

 世間は彼を天才と呼んだが、彼の精神と能力はあまりにも完璧すぎて、俺はそれを天才と呼ぶことさえ過小評価であると思っていた。

 とても優しく、とても強く、とても優秀。

 もしかしたらあの人にも隠している欠点はあったのかもしれない。

 それでも俺には、大魔導師キールが超人にしか見えなかった。

 

 その認識が変えられたのは、ある日の王様の視察だった。

 王様が街を進み、その后や側室、付添の貴族が皆にそのきらびやかな姿を見せる。

 

「フェリックス、帰ろう。やはり私はこういうのに興味が持てない」

 

「少し何か食べてから帰った方がいいだろ、キール師匠」

 

「まったく」

 

 俺とキールは街を歩き、見て回し、進み。

 運命に導かれるように……彼女を目にした。

 出会ったのではない。

 キールが、彼女を目にしたのだ。

 

「あ」

 

 たったの一言。言葉でさえない短い文字の呟き。

 だが、その『あ』は、魂を声にして吐き出したかのような響きと、熱があった。

 俺はその声に驚き、思わずキールの横顔を見てしまう。

 

(―――天才が天才でなくなる瞬間を、初めて見た)

 

 初めて見るキールの表情だった。

 俺はその時から確信していた。

 恋をすれば誰も彼もが普通の人になる。天才キールはここに終わり、もっと別なキールが生まれて来たのだと。

 恋をすれば誰も彼もがバカになる。キールはきっと、常に賢い選択をする天才ではなくなり、とてつもないバカもするようになったのだと。

 俺は、彼が恋をした瞬間に、確信していた。

 

 この人はもう、人間じゃないものにはならない。

 恋がこの人を人間にした。

 だからこの人は、人らしい幸せを抱えて、人らしく死んでいくんだと―――俺はそう、信じていた。

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

 同行を申し出て来たキールを連れ、暴走するアクアをむきむきが抱え、地上に出た一行。

 そこで待っていたのは、馬車で急行して来ためぐみんとダクネスだった。

 

「ええ!? カズマくんがさらわれた!?」

 

「カズマをさらって何の得があるのかしら、何も無いわよね……?」

 

「アクア、おそらくお前を誘き寄せる人質だ」

 

「はい? 私はカズマさんを人質に取ったら助けに行く仲だと思われてるの?」

 

「カズマくんもきっと、相棒のアクアさんの助けを待ってますよ」

 

「……仕方ないわねえ。最弱職カズマさんは、私が助けてあげないといけないようね!」

 

 ブルーの要求はシンプルだ。

 一週間後の再会。

 そしてアクアとの対面。

 おそらくその後は、戦闘にもなるだろう。

 

「すまない、むきむき。私はクルセイダーでありながら、仲間を守れなかった」

 

「いえ、ダクネスのせいじゃありません。

 ダクネスが庇ってくれたのに、何もできなかった私の方が……」

 

「二人の実力は僕も知ってます。

 ここは相手が上手だったと思って、気持ちを切り替えましょう。

 ……カズマくんを、僕らの手で必ず、助け出すんです!」

 

「……ああ!」

「ですね。やってやりましょう!」

 

 その助けたいという気持ちに、偽りはない。

 仲間がさらわれたという結果が、仲間を守れずさらわれてしまったという過程が、結果としてPT全体の結束を強めていた。

 

「むきむき、ところでその人は誰ですか?

 見たところアンデッドのようですが、まさか……」

 

「ああ、この人は……」

 

 めぐみんとダクネスが、魔法のローブで夕陽の光を遮断しているキールを見て、警戒している。

 むきむきはその警戒を解こうとするが、なにやらずっと考え込んでいたゆんゆんが、むきむきに先んじて叫んでいた。

 

「キールさん。これから一週間、私を弟子にしてください!」

 

 とんでもないことを、叫んでいた。

 

「ええっ!?」

 

 周りが止めようとするが、ゆんゆんはその制止に一切聞く耳を持たない。

 

「構わないが、一週間だけとなると厳しくなるよ」

 

「望むところです!」

 

 ゆんゆんの周りの人間は、ゆんゆんが何を考えてそんなことを言い出したのか、まるで理解できなかった、

 

 

 

 

 その三日後。

 

「むむ……」

 

 カズマは捕まっているくせに、悶々とした気持ちになっていた。

 ダスト達に教えてもらったとあるお店で、毎日のように性欲を解消していたカズマは、店に行けない日が続いたことで微妙に欲求不満になり始めていたのだ。

 オナ禁三日目、とも言う。

 

「……若いな、お前は」

 

「おい、何か言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」

 

「儂の口から言わせる気か。たわけ」

 

 自由にカズマさんのカズマさんをあれこれできない、見張られている状況。

 そもそも彼は根本的に性欲が強い。

 カズマは敵地にて、しょうもない苦しみに身を蝕まれるのだった。

 

 ブルーは溜め息を吐く。

 

「……仕方ないか。サキュバスを一人付けてやる。

 見たい夢があるのなら、その女にリクエストしろ」

 

「!? い、いいのか?」

 

「身内のサキュバスに食事を提供するだけだ。どういうこともあるまい」

 

「ブルーさん……!」

 

 カズマは割とどこにでも適応する男だった。

 

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 キールが恋した人は、王の妾だった。

 愛されもしない。見向きもされない。ゆえに見下され続ける。

 実質ただの置物だが、置物の方がまだマシだろう。

 少なくとも、王宮にはいじめられている置物など存在しない。

 

「誘拐するのか、キール」

 

「そうなるだろうね、結果的に。彼女には悪いことをするかもしれない」

 

「今より悪くはならないさ」

 

 キールの愛した人は、生きていることが苦痛である毎日を送っていた。

 これ以上続けば自殺しかねない、というのが俺とキールの見立てだ。

 それでも、国最高と謳われる名誉を捨て、国そのものを敵に回す決意を決めるなど、生半可な覚悟ではない。

 俺が心底尊敬する師匠は、愛のためにそれができる最高にかっこいい人だった。

 

「これより私達は罪人となる。君が付き合う必要は……」

 

「必要はなくても義理はあるんだよ、師匠」

 

「……フェリックス」

 

「俺はようやく、この世界に来た意味を見つけられた気がする」

 

 後悔なんてするはずないと、そう思えた。

 

「俺がこの世界に来た意味は、きっとあなたを助けるためにあったんだ」

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

 キールの指導は一週間。

 この世界においては短いようで長い。

 一週間あればレベル1の冒険者が死ぬ気で頑張ることで、レベル10になる可能性がないでもない……といった塩梅が、この世界のバランスである。

 

 そのため、キールの指導はシンプルなものだった。

 まず、テレポートで強力なモンスターが居る場所に移動。

 そしてリッチースキル、ドレインタッチで弱らせた強いモンスターをゆんゆんに仕留めさせる。

 これをゆんゆんの魔力が切れるまで繰り返し、レベルを上げさせた。

 

「おや? 私はここでまず躓くと思ったんだが……」

 

「悲しいことに、こういうレベル上げには実家のような安心感を感じるんです……うう……」

 

「そ、そうか。流石は紅魔族だな……」

 

 ゆんゆんの魔力が切れると、今度はキール自らがモンスターを魔法で狩り始める。

 ゆんゆんはここでは見学だ。

 

 沼の魔法で足を取り、足を取った沼を凍らせる。

 炎球をゆっくり放ち、そこに雷を撃ち込んでスパークさせる。

 氷と炎の魔法を連続で当て、モンスターの体表を脆くする。

 キールの魔法の腕は、見ているだけで勉強になるものだった。

 

「さあ、本日最後の戦いだ。気を張りなさい」

 

「はい!」

 

 そして一日の最後に、ゆんゆんは日中に自然回復させた魔力だけで、キールの動きを参考にしてモンスターと戦う。

 この三段階のローテーションを、ゆんゆんはひたすら繰り返していた。

 

(レベルも上がった。技術も多少身に付いた。後は気持ちの問題か)

 

 明確には強くなったが、劇的には強くなっていない。

 キールの指導であれば強くなれることは確かだが、こんなほんのちょっとの積み上げをしてまで、ゆんゆんがブルーに勝とうとしているのは何故なのか。

 

「君は何故、私の弟子に勝ちたいのかな?」

 

 キールはカズマ救出が始まる二日前に、彼女にそう問うていた。

 

「魔法使いとして、あの人は超えなくちゃいけない壁なんです。

 その……前から仮想敵というか、一つの目標として設定していたというか……」

 

「それだけかい?」

 

「それだけ……でも、ないと思います。

 なんだか、放っておけなくて、他人事のように思えなくて……

 自分でも、なんでそう思うのかよく分からないんですけど」

 

 ゆんゆんにとってブルーは、明確な敵であり、分かりやすい自分の上位互換であり、紅魔族以外で初めて見た格上のアークウィザードだった。

 だが、ブルーを倒そうとする理由は、それだけではない。

 もっとあやふやな、ぼんやりとした気持ちがそこにある。

 

「君の中には、まだ恋にもなっていない気持ちがあるのだな」

 

「へ? 恋?」

 

「君の中にあるのは共感と理解。

 おそらく君の中には、私達に対しそう思う下地があるのだろうね。

 異性への愛と、かけがえのない友への友情。

 だから、あのブルーのことも他人事に思えないのさ」

 

「愛と、友情……?」

 

 ゆんゆんは、キールが言っていることがよく分からない、といった顔をする。

 

 キール達が『三人組』で、それが『魔法使いの物語』でなかったのなら、ゆんゆんもこんな想いは抱かなかったろうに。

 

「今は分からなくてもいい。

 いつかは分かるかもしれないし、分からないかもしれない。

 君達は以前、三人で旅をしていたのだろう?

 私達も三人だった。私達の間には、愛も友情も信頼もあった」

 

 キールは骨をカタカタと鳴らして、若人を微笑み見守る。

 

「恋のために戦うも、友のために戦うも、君の自由だ」

 

 かつて、友と女と共に国に逆らった男の教えだった。

 

「私が国最高のアークウィザードと呼ばれるようになったのは、妻に恋をした後だ。

 妻に恋をしていなければ、私がそうなることはなかっただろう。

 想うのだ。想い続けるのだ。他人を想えば、それは魔法使いが強くなる原動力になる」

 

 若人の幸せを願う教えだった。

 

「だが忘れるなかれ。感情に振り回されて判断を誤るのなら、魔法使いに価値など無いのだと」

 

 遺言のような教えだった。

 

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 国の追手は、予想以上に苛烈だった。

 俺とキールはお嬢さんを守りながら、国のやつらと毎日のようにドンパチやり合う。

 勝っても勝っても、終わる気配も何かが変わる気配もない。

 日の当たる場所で生きていく未来を、諦めないといけない時が、刻一刻と迫っていた。

 

 役に立たない美しい容姿が、今はただ邪魔なものにしか思えない。

 才能の無さを、これほど恨んだこともない。

 俺は二人の幸せを願い、二人を守ろうと血反吐を吐くまで頑張ったが、それでもキールの活躍に遠く及ばない貢献しかできなかった。

 

「ありがとうございます、フェリックスさん。私達のために……」

 

 それでも、キールが惚れた女の人にそう言われれば。

 キールがとてもいい人に惚れたのだと、再認識すれば。

 二人の美しい愛の形を目にすれば。

 ただそれだけで、もうちょっとだけ頑張れそうな気がした。

 

「俺はキールと貴女を応援する恋のキューピットです。格好つけさせてくださいよ」

 

「まあ。ふふふ」

 

 正直言って、限界だった。

 国の奴らを恨んで、イライラとした気持ちで眠れなかった夜もあった。

 

「フェリックス、今からでも私達と離れれば……」

 

「付き合うさ、キール。

 あいつらが間違ってて、あなた達が正しいと証明する、その日まで」

 

 それでも、その憎しみや怨みが、俺の中の友情と決意と同じ方向を向いていてくれたから、俺は俺のままで居られた。

 

「フェリックス。私のただ一人の親友よ。

 君が私の弟子であり、友であったことを……誇りに思う」

 

 彼のその友情に応えられるなら、俺は死んでもいいとさえ思えた。

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

 かくして、一週間は経過した。

 

「来たか。招待状を送ってから来るまでが随分早いな」

 

「来た、って……むきむき達がか!?」

 

 ここはブルーが用意した簡易ダンジョン。

 外側から見れば雑居ビルのようにも見える。

 中にカズマが居るがために外からの爆裂魔法は不可能で、中に入ればサキュバスインキュバスのオンパレードが待っている。

 更にそれらのモンスターに合わせ、事前に用意していたむきむき対策の状態異常罠も牙を剥く。

 

 そして最上階には、鉄檻に囚われたカズマと、準備万端のブルーが待ち受けるのだ。

 

「ありがとう、マジでありがとう皆……!

 これでホモインキュバスにケツを狙われる日々も終わる……!」

 

「よくもまあ一週間を乗り切ったものだ」

 

 ちょっと心弱っているカズマにブルーが同情の視線を向けていると、下層の方から淫魔達の壮大な悲鳴の大合唱が聞こえてくる。

 

「この規模の悪魔祓い(エクソシズム)とは。本当にデタラメだな」

 

 悲鳴から攻撃の種別を判断したブルーは、階層を駆け上がってくる侵入者の侵攻スピードから、罠の類も次々突破されていることを悟る。

 対むきむき用に用意していた状態異常系の罠も、ダクネスであれば容易に突破可能だ。

 悪魔が相手ならアクアの神聖魔法で即消滅、たまに運悪く状態異常の罠がダクネス以外に当たってしまっても、アクアが即座に治癒可能。

 

 RPGでは、ダンジョンを攻略する際、ボスに辿り着くまでHPとMPを温存することが必要になることも多い。

 されど、アクアを擁するPTにその必要はない。

 MPほぼ無限のアクアが居る限り、HPが尽きるということもないからだ。

 

 ブルーが用意したリソース削りのための仕込みは、そうして全て踏破され、最上階の扉が開かれる。

 ブルーとカズマの前に現れたのは、得意気にドヤるアクアの勇姿であった。

 

「カズマー! 麗しく神聖な私が助けに来てあげたわよ!」

 

「チェンジ」

 

「なんでよー!?」

 

 お前一人で居ると罠でも踏みそうだから早く他の奴と合流しろ、とカズマが言う前に、アクアに続いてなだれ込むように皆が来る。

 

「カズマくん、無事!?」

「カズマ!」

「カズマさん!」

「カズマ!」

 

「お、お前ら……」

 

 なんだかんだ、皆心配してくれていたのだろう。

 口には出さないが、カズマはちょっとジーンとしていた。

 目をしばたかせて、ちょっと潤みそうになった目を誤魔化す。

 クズ気味なひきこもりハートに、小さな変化が表れていた。

 

「待ちくたびれたぞ」

 

 ブルーはまずアクアに何かを言おうとしたが、そこでゆんゆんが誰よりも先に前に出る。

 

「? お前は、何を……」

 

「我が名はゆんゆん! 上級魔法を操る者、大魔導師キールの弟子が一人!」

 

「―――」

 

 予想外の場所から、予想外の名前が出てきた。

 ブルーの意識が、アクアではなくゆんゆんの方に向く。

 不老の老人は、永遠を保証された美しい顔を、何かの感情で強く歪めた。

 

「そうか。あの人はまだ、あそこに居たのか」

 

 かつて、二人の魔法使いと一人の非魔法使いによる、恋と友情が絡んだ物語があった。

 二人の魔法使いと一人の非魔法使いによる、紅魔族の子供達の物語は、今この時にも綴られている。

 それゆえこれは、奇縁の対決である。

 

「付け焼き刃の弟子が、一番弟子たるこの儂に挑むか! 面白い!」

 

 ブルーが杖を構え、ブルーの背後から黒い虎が跳び出してくる。

 その姿は黒色の初心者殺し。されど、体に赤く脈打つ線が走っている。

 牙も爪も異常に大きい。

 むきむきはその歪な姿に、レッドが改造したモンスターと同じものを見た。

 

「初心者殺し……改造体!」

 

 ブルーに対峙するゆんゆんの援護に、むきむきが入る。

 これで二対二だ。

 

「ゆんゆん、ブルー以外は任せて」

 

「うん。お願い!」

 

 二人の魔法使いが魔法を撃ち、二体の猛獣がぶつかり合う。

 

 カズマ救出の緒戦が始まった。

 

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 女神アクアに会おうとする儂を、レッドが呼び止めた。

 

「私が言っても聞かないだろうが、命令違反になるぞ」

 

「構わない。儂はいかなる罰則も覚悟の上だ」

 

 上は慎重に行こうとしている。

 時間をかけて幹部を複数人同時にぶつける作戦も立てているらしい。

 だが、知ったことではない。儂は儂のやりたいようにやる。

 そもそも、幹部など全員我が強いのだ。

 魔王か魔王の娘が指揮を執りでもしなければ、絶妙に噛み合わないに決まっている。

 

「女神に会ってどうするつもりだ」

 

「……儂にも分からん」

 

 儂は自分が何を言いたいのかも、実はよく分かっていない。

 どうせ八つ当たりか何かを言いたいんだろう、と胸の奥の淀みに勝手にあたりをつける。

 なんでこんな役に立たない特典を、とでも言えば、この胸の奥の淀みは消えるだろうか。

 

 レッドは改造したての虎の魔獣を、無言で儂によこした。

 

「連れて行け。餞別だ」

 

「……礼は言わんぞ」

 

「前から思っていたが……

 『礼は言わんぞ』というセリフは、それ自体礼を言ってるようなものだと思うんだが」

 

「……」

 

 この男のこういうところが嫌いだ。

 儂の前世と比べ物にならないほどに醜悪な顔で、その顔だけで誰からも嫌われそうであるというのに、この魔王軍で人間のまま確かな地位を築いている。

 この男は、顔がダメでも人は周囲に認められるのだと証明してきた男。

 だから、儂はこの男を直視できない。

 これまでも、これからも。

 

「お前は自分を信じていない。

 揺らがない自分の芯がある者は、自分の顔など気にもしない」

 

「そう、だな」

 

「お前を信じた者が二人居た。

 その二人こそがお前の全てだった。

 お前はその二人のためにしか生きられない。

 その二人が生きているか死んでいるか分からなくとも。

 二人と別れてから、百年という時が経ってしまった今でも」

 

 レッドは、その目で儂の全てを見透かしている。

 

「容姿で自分を嫌ったお前は。

 容姿が優れていれば好かれると思っていたお前は。

 自らの外に美しいものを求めたお前は。

 顔ではなく、心が美しい者達に打ち倒されるだろう」

 

 それは儂への預言であり、予言であったのかもしれない。

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

 魔法と魔法がぶつかり、爆煙が広がる。

 ブルーの姿とゆんゆんの姿が、互いの視界からかき消える。

 煙の中から、ブルーはアクアに自分のことを聞く。

 

「アクア、だったな。儂のことを覚えているか?」

 

「………………………ええっと、その、お、覚えてるわよ!」

 

「覚えていなかったか」

 

「覚えてる覚えてる! えっとね、えっとね……」

 

 ふぅ、と姿を見せぬまま、ブルーは深く息を吐く。

 

「ああ、安心した。儂はお前に期待されていなかった。

 なら儂は、お前の期待を裏切ったわけでもなかったのか」

 

 ブルーは安心し、納得し、そして自分が女神に会って確かめたかったことが"こんなこと"だったことに、自分自身で驚いていた。

 

「……儂はこんなことを気にしていたのか。全く、笑える話だ」

 

 短い会話をする内に、爆煙が張れる。

 紅魔族と転生者、二人のアークウィザードはすぐさま魔法合戦を再開。

 完全に互角の戦いを繰り広げていた。

 

(互角。以前戦ったのが随分前で、その時この少女が低レベルだったとはいえ……)

 

 これが紅魔族と人間の差。

 才無き者と才有る者の差。

 既に頭が凝り固まった大人と子供の差。

 間違えたまま堕ちてしまう人間と、間違えても自分を正せる人間の差。

 

 強さに向かってまっすぐ進んで行けるため、強くなっていくスピードが違う。

 

(強くなった)

 

 ゆんゆんの背後から改造された初心者殺しが襲いかかるも、むきむきがそれを蹴り飛ばす。

 ゆんゆんは彼を信頼して背中を任せ、振り向きもしない。

 そうして信頼し合っている男女の姿を見ると、ブルーは自然と思い出してしまう。

 

「お前達を見ていると、あの二人を思い出す」

 

 キールと、彼が愛した女性のことを。

 

「何故だろうな……男女も逆で、性格も違うというのに」

 

 彼女がキールの弟子と名乗ったことが、彼の中から想い出と本音を引きずり出していく。

 

「あの人は一途で、その恋に全てをかけていた。

 国最高の称号は伊達じゃなかった。

 魔法の才能もあったが、間違いなく恋をしてからの方が輝いていて」

 

 キールのことも。

 

「あの人は、魔法使いにさらわれた記憶を、ずっと宝物にしていた。

 あの人がキールの愛に応えてくれたことが、本当に嬉しかった……」

 

 その妻のことも。

 

「キールは触れ合うたびに顔を赤くしていた。

 お姫様は信頼も友情も愛情も魔法使いに捧げていた。

 お姫様は魔法使いの魔法の力に敬意を払い。

 魔法使いもお姫様を見下すことなく、魔法以外のよいところに敬意を払い……」

 

 彼はずっと、変わらずに想っている。

 

 ブルーは魔法合戦の影で、カズマ救出に動く二人を見つけていたが、それもわざと見逃した。

 

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 後悔していた。

 俺は結局、誓いも約束も何も守れなかった。

 キールは膨大な魔力でダンジョンを作り、追手を防ぐ防壁と化した。

 ひとまずの安全は手に入れた、と言えるかもしれない。

 

 だが、もうキール達がここから出ることはない。

 キールは膨大な魔力を得るため、そして愛する人を守るため、重傷を負った自らの体をリッチーに変えてしまった。これではもう、人類の敵としてしか扱われない。

 かの王家が面子を潰されたと感じている以上、外に出てしまったら王が代替わりしても刺客を差し向けて来る可能性も高い。

 俺達はある意味で勝って、ある意味で負けたんだ。

 

 俺は、この二人に光の下で生きる未来をあげられなかった。

 

「結婚式?」

 

「そう、やっていなかったからね」

 

 落ち込んでいた俺に、キールはそう言った。

 どうやらさっさとさらってきたため、そういうイベントをやっていなくて、今からやろうと決めたらしい。

 俺の心は折れかけていたが、それでも二人の結婚くらいは、心の底から祝福したかった。

 

「見届けてくれ。君が神父の役だ」

 

 うろ覚えな上、俺の世界流の祝福だったが、そのくらいは大目に見て欲しい。

 

「健やかなる時も、病める時も。

 喜びの時も、悲しみの時も。

 富める時も、貧しい時も。

 これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け……

 死が二人を分かつまで、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

 

「誓います」

「誓います」

 

 最後にキールが、自分が魔法を使うために普段使っている指輪を彼女にはめて、彼らは晴れて夫婦となった。

 その光景が、とても、とても、とても、美しいと思った。

 

「結婚、おめでとう」

 

 泣かなかった俺を褒めて欲しい。

 不覚にも、死が二人を分かとうとしても一緒に居て欲しいと、そう思ってしまった。

 

「ここまでありがとうございました、フェリックスさん」

 

「君には随分と助けられた。ありがとう、フェリックス」

 

 二人に礼を言われると嬉しい。

 二人に名前を呼ばれると嬉しい。

 いつの間にか俺は、フェリックスという名前が嫌いじゃなくなっていた。

 二人にそう言われただけで……へし折れた心が、まだ戦える気がした。

 

「どんなに時間がかかっても……

 二人がお天道様の下で大手を振って歩けるようにしてみせます」

 

「フェリックス?」

 

「必ず」

 

 二人を安全なダンジョンの中に残し、俺は地上で戦い始めた。

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

「美しくないものが嫌いで何が悪い!」

 

 キールの名前を出され、戦いの推移は完全に互角。

 ブルーは徐々に熱くなり、キールから全てを聞いたというゆんゆん達との戦いに、次第に冷静さを失っていく。

 ゆんゆんがまた何かを言った。

 ブルーは感情的に言葉を吐き出す。

 

「あの日から人類が嫌いで仕方ない。

 美しくなかった……あの日、国も王も、何もかもが美しくなかった」

 

 それは、後悔で堕ちた男の情けない自白。

 

「王の威厳?

 王の妾を望むなど傲岸不遜?

 国の体裁のため?

 ふざけるな!

 愛しただけだろう! 人を……人を愛しただけだろう!

 それが! 命を狙われ、国を追われるだけの罪になるというのか!?」

 

 強い人間になれなかった男の独白。

 

「あの二人が何を望んだ!

 王の死も、国の崩壊も、世界の征服も望んでいない! ただ……

 二人で居られれば、二人で愛し合えれば、二人で暖かな日の下に居られれば、それだけで!」

 

 世界を変えたかった男の叫び。

 

「……望んだものなんて、それだけだったじゃないか……!」

 

 人の陣営には居られなかった男の憎悪。

 

「滅べばいいのだ、人間など。

 あの二人の愛より美しいものなど、結局この世界には見つからなかった。

 あの二人の愛と幸せを許さなかったこの世界も、許されなくていい」

 

 美しくなかった。

 

「女神に貰ったこの容姿も、結局は、あの二人の愛の美しさには敵わなかった」

 

 美しかった。

 

「何故、何故、儂は、あの時……」

 

 血を吐くような吐露。

 

「女神にこんな容姿などではなく、力を望まなかったのだ。

 力さえあれば……あの二人を……守れたかもしれないのに……

 幸せに……陽の下で幸せに生きる明日を、あげられたかも、しれないのに……」

 

 そして、果てしない後悔。

 

 自分の顔が嫌いだった子供は、この世界に転生し、自分が嫌いな大人になった。

 

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 俺は地上に一人出て、戦い続けた。

 そして負け続けた。

 手段を選ばなくなって、次第に悪党になっていって、それでも俺は何も変えられなかった。

 

 それで当然だったのかもしれない。

 俺は結局、どこまでも才能がない一般人。

 日本に生まれた凡人で、力を得られたはずのチャンスも、無駄で意味のない美しさを得るために使ってしまったバカ野郎だ。

 それで、世界や国が変えられるわけがない。

 

 だが、そんなことで諦めたくなかった。

 あの二人の愛は、光の下で祝福されて欲しかった。

 

 モンスターを改造して売りさばいて、その金で武装を整えたりもした。

 その国を崩すため、外道な行為にも手を染めた。

 王を暗殺しようと動いたことも、一度や二度じゃない。

 だが、上手く行かない。

 そのたび己の無能さを痛感する。

 

 キール達がダンジョンに篭ったことは有名だったため、俺の行動はキール達とは完全に切り離されて見られていた。

 していいこととしてはいけないことの境界が曖昧になっていく。

 俺はいつからか、国と社会を壊すために魔王軍の助力を得るようになっていた。

 その見返りに、魔王軍にも協力する。そんな関係。

 

 俺がまだブルーと呼ばれていない頃。

 レッドの奴を魔王軍に勧誘する、ずっとずっと前のことだ。

 

 腐っていた頃の俺に不老を与え、魔王は言った。

 

「娘が心配だ。けれども不老のお前が居るなら、安心できる」

 

 魔王は心配症な奴だった。

 

「長生きして、娘を支えてやってほしい」

 

 その在り方を、美しいと思った。

 人の敵が美しく見えて、人がいっそう醜く見えた。

 他人が美しく見えれば見えるほど、自分というものが醜く見えた。

 美しいものはいいものだ。

 俺が美しく生きられないから、なおさらにそう思う。

 

 なのに、何故だろうか。人の美しさと、この美しさが違って見えるのは。

 

 神に望んで貰った顔を、力任せに引き剥がしたくなった。

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

 ゆんゆんとむきむきが戦い、アクアが不運にも部屋に仕掛けられた罠に一人で引っかかっている間に、ダクネスとめぐみんはこっそりカズマ救出に動いていた。

 

「ダクネス、めぐみ……」

 

「しっ」

 

 囚われているカズマは、彼ら彼女らの急所である。

 

「あいつの気が変わってカズマを人質に使ってきたら、こっちは打つ手が無いんですよ」

 

「そうだな。俺ならそうする」

 

「……流石クリスのパンツを人質に取った男は違いますね」

 

 まさか"俺ならそうする"と返答されるとは思わなかったのか、めぐみんのカズマを見る目が変わった。

 めぐみんはカズマが捕らえられている檻に、外付け形式で付けられている鍵を手に取って見る。

 

「これは魔力錠ですね。持ち主の魔力でないと壊せない錠です」

 

「なんだって!? どうすりゃ……」

 

 いいんだ、とカズマが言い切る前に、魔力錠の内部構造が爆裂した。

 

「なんということでしょう。私の魔力を通したら壊れてしまいました」

 

「おい」

 

「私の大魔力の前では繊細なマジックアイテムなんてこんなもんですよ。ダクネス」

 

「うむ、任せろ」

 

 そして錠にダクネスが指を引っ掛け、力任せにブチンと破壊する。

 

「よし、出られるぞカズマ!」

 

(南京錠より頑丈そうな鍵を、素手で……)

 

 中から壊され力任せにひん曲げられた魔力錠を見て、こいつらあかんのではないだろうか、とカズマは思った。

 

「めぐみんお前、俺を見捨てるとか言ってなかったか」

 

「ハッタリですよ。あんなの全部嘘に決まってるじゃないですか」

 

「本音もちょびっとは言ってたろ」

 

「……」

 

「おいこら目を合わせろ!」

 

「こほん」

 

 咳払いで誤魔化し一つ。

 

「一緒に戦ったりしてる時点で、命は預けてるんです。

 そして、カズマの命も預かってるんです。助けるのは当然ですよ」

 

「……サンキューな」

 

 めぐみんは情の深い女だ。

 なんだかんだで、仲間は大切に思っている。

 "冒険者は一緒に戦うことで信頼を築く"というめぐみんの言葉は、彼女だけが持つ考えではなく、冒険者達の多くが持つ考え方だ。

 それは、"命を預け合う戦場の絆は家族の絆より強くもなる"という地球の軍人も持つ考え方と、どこか似ていた。

 

「あちらもカタがつきそうだ、とりあえずアクアを助けてから援護に行こう」

 

 ダクネスがそう言い、三人が走る。

 

 脱出するカズマ達を見て、ブルーは杖をそちらに向けた。

 魔法を撃とうとした。

 本気で撃とうとした。

 だが、思いとどまる。

 

 一瞬だけ、ブルーはカズマ達の方を見て、美しいものを見るような目で彼らを見ていた。

 

 

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 もうあの二人の顔も思い出せない。

 

 けれども、その笑顔に覚えた気持ちは忘れていない。

 

 友であると、仲間であると、心から思える者ももう居ない。

 

 俺は、一体何がしたかったのか。

 

 儂は、どこで終わるのだろうか。

 

 

 

■■■■■

 

 

 

 

 

 彼の終わりは、彼女が運んで来た。

 

「人間など、滅びて消えてしまえばいい! 美しくないのだから!」

 

 一人の魔法使いが、天才と呼ばれる魔法使いと出会った。天才はある日恋をして只人(ただびと)となり、魔法使いは天才を見上げながら、友情に殉じた。

 ゆんゆんもまた、天才と呼ばれる魔法使いと出会った。守ってやろうと思える異性と出会った。ゆんゆんもまた天才を見上げ、友情を抱いていた。

 因果は応報する。

 行動の結果はその者自身に返って来る。

 

「あなたが!」

 

 ゆんゆんは叫び、彼の中にある矛盾を突きつける。

 

「あなたが好きだった人達は! その人間だったじゃないですか!」

 

「―――!」

 

 ブルーは、キール達と仲良くするようには魔王軍に馴染めなかった。

 彼が心底惚れ込んだのはキールと彼が愛した女性だけで、魔王軍に美しさを感じることはあっても、それに没頭することはなかった。

 彼が魅せられたのは人の愛の美しさ。

 人の世の中にこそ、彼が愛したものはあった。

 

 なのに彼は、人を憎んで人の敵になってしまった。

 その過程できっと()()()()()()()()()()()()()、魔王軍として殺してしまった。

 殺してしまったのだ。

 

 ゆんゆんにそのつもりがなくても、ブルーは目を逸らしていたその事実に気が付き、魔法を制御する心を揺らがせてしまう。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

「ら……『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 魔法は心で扱うもの。精神力で御するもの。

 発動したのは同時でも、しからば魔法に差が生まれる。

 完全に制御された少女の光刃は美しく、男の光刃は乱れと斑で美しさの欠片もなかった。

 ブルーの脳裏に、レッドの言葉が蘇る。

 

―――心が美しい者達に打ち倒されるだろう

 

(傷付いていても、汚れていても、美しく感じるものはある。

 美しいということは、誰かに愛され、好かれるということ……)

 

 光刃と光刃が衝突する。

 

(ああ、美しい。美しく、強い魔法だ。

 これほどの魔法使いであれば、あの時のキール達を救えただろうな……)

 

 ブルーの方の光刃に、ヒビが入る。

 

(……なんだ、簡単な話ではないか)

 

 光刃が砕け、裂け、解けていく。

 

(あの時、キールに弟子入りしたのが私ではなく、もっと才能のある魔法使いであれば。

 この子のような魔法使いであれば。

 国の圧力をはねのけ、彼らを光の下で幸せにしてやれたのだ。

 なんだ、結局は私が……無才で、無力で、無能だったせいであったか)

 

 ゆんゆんの光刃もまた、刃の形を保てずに、直進するただの光の魔力となる。

 

(ああ、でも)

 

 それが、男に衝突する。

 

(―――この魔法でさえ、あの二人の愛の美しさには、及ばないのだな―――)

 

 己が内のものを根こそぎ叩かれる感覚を味わいながら、男は笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 砕けた杖の破片を握って、仰向けに倒れたまま、ブルーは首を動かす。

 傾けた視線の先には、ブルーが心から尊敬する師匠が、全てを投げ打ってもいいと思えたほどの親友が、困ったような顔で微笑んでいた。

 

「……キール……師匠……」

 

「私が居ると、君はいつまで経っても本音を口にしないと言われてなぁ。

 部屋の外で待たせてもらっていたんだ。

 ……すまなかった。君の心に気付いてやれなかった。

 私達はどうやら、君の優しさに気付かぬままずっと寄りかかってしまっていたようだ」

 

「……()が、勝手にやったことさ」

 

 申し訳なさそうに、キールが頭を下げる。

 ブルーは一瞬泣きそうな顔をして、すぐさま懐から取り出したナイフで、自らの心臓を突き刺した。

 

「! フェリックス……」

 

「最初から、こうしていればよかったんだ。

 お前に詫びる方法なんて、これしかなかった。

 価値あるものなんて持たない俺が……

 内に美しいものなど何一つとして持ってない俺は……

 命くらいしか、あなたにあげられない……これくらいでしか、償えない……」

 

 心臓に刃を突き刺したまま、命を捧げて、フェリックスはキールに頭を下げる。

 

「何もしてやれなくて、ごめん……」

 

「違う。そうではない。君がしてくれたことだけが、私達の救いだったんだ」

 

「ぇ……」

 

 キールはフェリックスの血まみれの手を取り、その目を真っ直ぐに見据える。

 

「君の『結婚おめでとう』だよ。

 君だけが、私達の結婚を祝福してくれた。私達の結婚を喜んでくれた。

 それがどれだけ救いとなってくれたことか。私はお前の言葉を忘れない。

 誰にも祝福されなかった私達の愛を、ただ一人祝福してくれた。それがお前なんだ」

 

「……あ」

 

「お前のおかげで、辛いことがあっても、私達はずっと幸せだった」

 

 まず伝えるべきは、妻の感謝の言葉。

 

「妻が最後に残した言葉だ。

 『最期にお別れを言えなくてごめんなさい。あなたの幸せを、女神様の下で祈っています』と」

 

「あ……あぁ……」

 

 そして、己の感謝の言葉。

 

 

 

「ありがとう、我が友よ。その美しい百年の友情に、心からの感謝を」

 

 

 

 もう何も、思い残すことはなかった。

 

「少し、疲れた。寝かせてください、師匠」

 

「ゆっくりおやすみ。我が弟子よ」

 

「……最後の最後に、こんな……まったく……人が、良すぎる……」

 

 こんな愚かな悪党はもっと無残に救いもなく死ぬべきなのに、と思いながら、ブルーは目を閉じる。キールが取っていたブルーの手から力が抜け、だらりと落ちた。

 キールの背中が、泣いていた。

 

「アクア様、お願いします」

 

「ええ、任せなさい」

 

 キールが頼み、アクアが応える。

 カズマはアクアにフェリックスの蘇生を頼んでみようとしたが、それを口にする前に、むきむきがカズマを手で制する。

 黙って首を横に振るむきむきを見て、カズマはそれが無粋であることを理解した。

 

「神の理を捨て、自らリッチーと成ったアークウィザード、キール。

 人の営みを捨て、魔に魂を売ったアークウィザード、フェリックス。

 水の女神アクアの名において、あなた達の罪を許します」

 

 人を傷付けたこと。

 神の理に逆らう存在となったこと。

 人の敵となったこと。

 人を殺めるダンジョンを生み出したこと。

 全ては死すれば過去のことだ。死ねば皆仏。生前の罪は、輪廻の輪にまでは持ち込まれない。

 

 死した者の罪を許し、次の人生へと送ることもまた、女神の責務である。

 

「目が覚めると、目の前にエリスという不自然に胸の膨らんだ女神が居るでしょう。

 それが愛でも、友情でもいいわ。

 全てを忘れていたとしても。

 今度は恋仲になれなかったとしても。

 今度は親友になれなかったとしても。

 それでもあなたが、『再会』を望むのであれば……その女神に願いなさい」

 

 "この人生では上手く行かなかったとしても、次の人生では、きっと"。

 

 それが『転生』というものだ。

 

「転生の後に、あなた達はきっと巡り会えるでしょう。……いえ、きっとではなく、必ず」

 

 アクアは微笑み、女神のような美しさを見せる。

 

「次の生でも、お友達とは仲良くね?」

 

「ええ。巡り会えたなら、必ず」

 

 キールは魔法を唱え、妻の遺骨を呼び寄せる。

 『三つの死体』が並び、唯一動く死体はカタカタと骨を鳴らして、笑った。

 

「感謝します、アクア様。ありがとうございました」

 

「その素晴らしい想いに祝福を。『セイクリッド・ターンアンデッド』」

 

 光が魔法陣に、魔法陣が力に、力が光になる循環。

 三つの死体がかき消えて、魂が輪廻の輪に乗っていく。

 アクアは女神としての努めを果たし、キールは安らかな顔で最後の時を迎えた。

 

「……アクア」

 

 女神らしさを見せ、格好良く決めて、颯爽と帰って来るアクアにカズマが声をかける。

 

 そしてアクアは、ゆんゆんの魔法で凹んだ床に足を引っ掛けて、ずっこけた。

 

「あだっー!?」

 

「……どうしてお前はいつもそうなんだ! そこはビシっと決めろよ!」

 

「だって! だって! 転んじゃったんだから仕方ないじゃない!

 どうして転んで痛い目見た上助けに来たカズマに怒られなくちゃならないのよー!」

 

「ああもう! だがよくやった! 今日の酒代は俺が持ってやる!」

 

「ほんと!?」

 

 アクアが顔を上げ、転んでぶつけて赤くなったおでこを見せながら、目を爛々と輝かせる。

 めぐみんとダクネスは、カズマが助けられた照れ隠しでそう言って奢ろうとしていることを、なんとなく察して苦笑していた。

 

 そしてゆんゆんは、三つの死体が消えた場所を見つめていた。

 彼女は何を思うのか。

 何を想っているのか。

 あの三人の生涯を知った上で、こういう結末になったことに、ゆんゆんはどんな想いを抱えているのか。それを知っていいのは、ゆんゆんだけだ。

 

 むきむきは彼女を、無言で肩の上に抱え上げる。

 

「わっ」

 

「帰ろう、ゆんゆん」

 

「……うん」

 

 むきむきの肩に乗せられて、仲間と一緒に歩く帰り道。

 

 仲間と一緒に見る風景は、ただそれだけで美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日の後。

 むきむきは、クリスに例のネックレスを渡していた。

 

「クリス先輩は、これがどういうものなのか知ってるんですか?」

 

「おぼろげにはね。だから危ないから、処分するよう忠告するつもりだったんだ」

 

「信じます。誰の手にも触れられないよう、処分してください」

 

 クリスはこういうものの処分法をよく知っているとのことで、むきむきはこの危険物の処分をクリスに任せていた。

 ちなみに有能タイムが終わっていなかった時のアクアによって、このネックレスは既に封印処理が施されている。大抵のことではどうにかなることはない。

 

「心って、目の前の相手とはこんなに簡単に移し替えられるのに。

 目の前の人の心の深い所を理解するのは、本当に難しいんですね……」

 

 ネックレスを見つめるむきむきの目には、悲しみと虚しさをまぜこぜにしたものが見える。

 

「そうだよ。心を交換することより、心を繋げる方がずっと難しい」

 

 クリスは少年の肩に手を置いて、優しい声色で語りかけた。

 聖母のような笑みに、抱きしめ包み込むような柔らかな雰囲気、優しい声色。

 彼女のそれは、人が無自覚に寄りかかってしまう女神のようで。

 

「でもね。人間って、ずっと昔からそれをやってきたんだよ?」

 

 その言葉の一つ一つが、むきむきの内に染み込んでいく。

 

「生まれて、繋がって、死んで、生まれ変わって、また繋がって一回り」

 

 生死も、生涯も、転生も、この世界に根ざすルールの一つ。

 

「迷った時、困った時は私に頼っていいよ。私も君の心の繋がりの一つなんだからね?」

 

 クリスは胸を叩いて、綺麗な笑顔で微笑んだ。

 

「……その時は、遠慮なく」

 

 むきむきもまた、無邪気な笑顔でそれに応える。

 

 後日ネックレスの行方を知ったアイリスが「四角関係!? きゃーっ!」と変な声を出してベッドで足をパタパタさせていたりもしたが、それはまた別の話。

 

 

 




・フェリックス・キール
 カクテル『キール』を考案した人。
・キール
 白ワインに少量のカシスのリキュールを加えたカクテル。
 カクテル言葉は『最高の巡り合い』。
・グリーンスライム
 昔男同士が馬鹿話していた時に話に出た物。
 「いつか作って見せてくれ」とキールが気軽に言ったもの。
 守られた約束。世界に残ったバカな男の友情の証。


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3-3-1 ロマンを求めちゃったその先に

 値段が曖昧ながらも出てるWEB版だと屋敷は
カズマさんの手持ち三百万
+ミツルギから決闘で剥ぎ取って売り払ったもの(有り金全部、装備全部、アイテム全部)
=小さい家くらいの値段
 でしたね。カズマさんの金で買って、流れで皆が住むようになって、カズマさんが「俺の金で買ったから一人で住むとか言えない雰囲気」「まあでもそんな小さいこと言う気はない」「一人で住んでも寂しいし」と口には出さずツンデレ発揮するという


 カズマは先日の文通やらネックレスやらの件でベルゼルグ王女に興味を持ち、ギルドから色々と紙媒体を借りてきてそれを読みふけっていた。

 ここは屋敷の中庭。

 今日はいい天気で、暖かな陽とそよ風が肌に心地良い。

 

 カズマが紙をペラペラめくり、ふと顔を上げると、視線の先には二人の紅魔族が居た。

 むきむきが椅子に座って、めぐみんがその髪を切っている。

 カズマが視線を紙に戻し、ワンセット読み終わった頃にまた顔を上げると、今度はめぐみんが椅子に座ってむきむきに髪を切って貰っていた。

 

(家族みたいなことしてるのな)

 

 カズマは今度は新聞に手を伸ばして目を通してみるが、どんな紙媒体に目を通してみても、書かれているのは王族やらアイリスやらの武勇伝ばかり。

 もっと言えば、ベルゼルグ王族の無双話ばかりであった。

 眉間を揉み、カズマは空を見上げる。空の雲の形がおっぱいに見えた。

 

「なあめぐみん、むきむき。ベルゼルグ王族って皆こんなアレなのか。

 なんか万の軍が一塊になってきたのを撃退した、と書いてあるんだが」

 

「ふふっ、カズマは面白いことを言うんですね?

 万の軍を率いる将が、万の軍より弱いわけがないでしょう。

 王都の軍を率いる王女なら、王都の万軍より強いが道理というものです」

 

「道理じゃねえよ!」

 

「でも多分アイリスって僕よりずっと強い女の子だよ?」

 

「おかしいなー、王女ってそういう生き物じゃなかったはずなんだけどなー」

 

「アイリスより強い勇者様って僕ちょっと想像つかないや」

 

「そういう生き物じゃなかったはずなんだけどなッー!」

 

 カズマ視点、この世界最強の人類は間違いなくこの少年である。その少年が微笑みつつここまで評価しているのだ。

 カズマの心境は、魔人ブウの強さを語る超サイヤ人孫悟空を見ているヤジロベーのそれに近い。

 パワーバランスの調整を神が放棄したんじゃないだろうな、とカズマは頭を抱える。

 彼が頭を抱えている内に、めぐみんの散髪は終わっていた。

 

「腕を上げましたね、むきむき」

 

「褒めてもらいたかったからね」

 

(何!?)

 

 カズマは心中で驚愕する。

 めぐみんが爆裂OSで動き、爆裂アプリを一気に複数起動して処理落ちするバカPCな人間であると最近まで思っていたカズマだが、最近は女らしいところもあると思っていた。

 というか、戦ってなければ女性らしいのだ。

 例えばの話だが、こうしてむきむきと絡んでいたりする時には、カズマにもめぐみんは普通に可愛い女子に見えるのである。

 

 そんなめぐみんの感性は女性的だ。かつ基本的に言動に躊躇いがない。

 女性らしく髪にも気を遣っているし、そこに不満があれば容赦なく指摘し、そこを改善するように迫る。めぐみんはそういう女だ。

 そのめぐみんが、素直に散髪の腕を褒めている。

 これは由々しき事態であった。

 

 切って貰ったばかりの髪を得意げにかき上げるめぐみんは、カズマの目にはいつもより二割増しに美少女に見えた。

 

(これは……そうだ!

 有名な美容院に行ってきたんだー、とかほざいてたクラスの女子の雰囲気!

 どこが違うんだよ分からねえよ、とは俺もクラスメイトも思うんだが!

 でもなんとなくどこか違う感じがする! 自信に満ちた表情がそれを裏付ける!)

 

 むきむきの髪切りの腕が、めぐみんをちょいかわめぐみんにランクアップさせたのだ。

 得意げな顔にちょっとイラッとしたものも感じるが、自信満々に振る舞う姿がそれさえも相殺してしまう。

 

(俺が前世でよく行ってた駅前の1000円でカットしてくれる美容院とは違う……!

 そうだ、これは、この髪のカットの出来は……よく分からんがたぶんマーベラス……!)

 

 女の命とも言える髪をむきむきに任せ、あまつさえここまで満足してるめぐみんを見て、カズマの脳裏に閃きが走る。

 

(まさか、そういう関係なのか? 俺が気付いていないだけで二人はそういう関係なのか!?)

 

 クズの流儀に沿った閃き。略してクズ流閃(りゅうせん)

 だが彼は、閃きに流され判断を誤るような愚か者ではなかった。

 

(いや、落ち着け。妄想で男女の仲を邪推するなど、愚の骨頂……!)

 

 地球に居た頃のカズマならばこの邪推を確信に昇華させていただろう。

 だが、今のカズマは違う。

 ダスト達が紹介した、この街に存在するサキュバス風俗に日々通った経験が、彼を一つ上のランクに押し上げていた。

 今の彼は意識の低い童貞ではなく、意識の高い童貞なのだ。

 

 商売女で童貞を捨てた童貞を素人童貞と言うのであれば、サキュバス風俗で(自分の脳内だけで活かされる)性経験を積み上げているカズマは、言うなれば"玄人童貞"。

 淫夢という名の脳内妄想の中で、そんじょそこらのヤリチンが目じゃないくらいの性経験を積み上げた、機動武闘伝自慰ガンダム。オナニーマスタークズ沢。カズマスターベーション!

 

 彼にはそこそこの恋愛判断力と状況判断力がある。

 カズマは一時の感情には動かされず、めぐみんとむきむきが恋仲でないことを見抜いていた。

 何という冷静で的確な判断力か。

 

「カズマも髪切ったらどうですか?

 変に髪伸ばしてかっこつける男ほど痛々しいものはないですよ」

 

「伸ばさん伸ばさん。俺昔からちょっと髪伸びるの早いんだよな……」

 

「エロい人ほど髪伸びるのは早いと言いますが」

 

「え、そうなの!?」

 

「ち、ちげーし! 俺はこの年頃の少年相応だし!」

 

 ヘタレだから行動には移さないものの、カズマは平成が生んだエロモンスターの一人である。

 

「私もむきむきも切れますが、どちらに頼みますか?」

 

「えー……じゃあ、むきむき頼むよ。めぐみんだと頭爆裂でアフロにされそうだ」

 

「しませんよ! 私が爆裂100%な人間みたいに言うのはやめていただきたい!」

 

 アフロにこそしないものの、めぐみんはこの世界が生んだ爆裂モンスターである。

 

 二人の会話の何が面白かったのか、むきむきはニコニコと笑っていた。

 

「僕カズマくんのことが分かってきた気がする。

 女の子にそういうことされると照れくさいとか、そういうのでしょ」

 

「おいむきむき! 変な想像働かせるのやめろ!」

 

「……ほう」

 

「ほら見ろめぐみんが調子に乗って『ほう』とか言ってんぞ!」

 

 カズマは美少女に手を握られただけでドキッとして、ちょっと好きになりそうになってしまうほどの幹部級童貞。体に触れられ髪を切られるなど、冗談じゃないのだ。

 むきむきの手の動きは神速で、その動きの正確さたるや米に絵画を書けるほど。

 カズマは散髪終了後に"頭が軽い"と感じたことに驚き、毛先が触っていて心地いいことにも驚いて、水鏡に映した自分の頭がかなりいい感じになっていることにたいそう驚いた。

 

(二割増しにイケメンになったんじゃないか? 俺……)

 

 なっていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルドの一角で、アクアを脇に従えたカズマが、テーブル越しにむきむきと向き合っている。

 むきむきが息を呑むと、カズマは籠のように組んだ手の中にコインを十枚ほど放り込み、ジャラジャラとシェイク。そして、テーブルの上に放った。

 テーブルの上に放られたコインが、何の種も仕掛けもなく、全て表となって並ぶ。

 

「な、なにこれ!?」

 

「俺、運ゲーで勝率1/2とかなら負けたこと無いからな」

 

「そこに私の幸運強化魔法(ブレッシング)! これで一芸完成ってわけよ!」

 

 アクアの魔法で幸運ブーストしたカズマは、むきむきが見たこともないような事象を引き起こしていた。

 素の幸運も、魔法による強化幅も、もはや常識を超えている。

 少なくとも一発芸に使うような代物ではなかった。

 

「幸運ってこういうのだったっけ……

 こう、目に見えるようなものじゃなかったような……」

 

「運だけはいいのがカズマだから」

 

「はっはっは、お前に運だけとか言われるのは無性に腹立つな」

 

 カズマは散らばったコインを集めて懐に入れていく。

 飲み物を取りに行っていたらしいめぐみんが戻ってきて、無言で皆の前にコップを一つ一つ並べていった。

 

「むきむきに髪切ってもらってから、なんとなく調子いいんだよ。

 昔からこういう日はなんとなくいいことがある気がするんだよなあ」

 

「そうなの?」

 

「ああ、例えば……」

 

 カズマは思い出話をしようとするが、そこでギルド内にアナウンスが鳴り響いた。

 

『緊急クエスト! 緊急クエスト!

 街の中にいる冒険者の各員は、至急冒険者ギルドに集まってください!

 繰り返します! 冒険者の皆様は、至急冒険者ギルドに集まってください!』

 

「うおっ、なんだモンスターの出現か!?」

 

「え、キャベツ収穫じゃない?」

 

「キャベツ収穫の緊急クエストがあるわけないだろ!」

 

「いや、それが……」

 

『宝島です! 冒険者の皆さん、今年の宝島がやって来ました!』

 

「―――」

 

 ギルドの皆が、息を飲む音がした。

 

「これだわ!」

 

 アクアが席を立ち走り出す。他の者も次々席を立ち、ギルド裏で忙しく動き回っていたギルド職員達も、ギルドの内外問わず駆け回るようになっていた。

 状況についていけないカズマは、困惑するばかり。

 

「むきむき、宝島ってなんだ?」

 

「めぐみん、宝島ってなんだっけ?」

 

「信頼の順位が見える質問リレーありがとうございます」

 

 めぐみんは彼らと同じ新人冒険者だが、その知識量はむきむきやカズマよりはるかに多い。

 

「宝島は、玄武というモンスターの俗称です。

 玄武は、十年に一度甲羅干しに地上に現れると言われています。

 まあ細かい説明は省きますが……

 玄武は希少な鉱石を餌にするため、甲羅にも大量に希少鉱石がくっついているのです。

 希少鉱石の鉱脈に住む玄武の生態の副産物ですね。

 日没になったら地中に帰るので、そこがタイムリミットと思えばいいですよ」

 

「ゲームで言えば美味しい採掘場、ドロップが美味しいモンスター、みたいな話か」

 

 カズマはむきむきとめぐみんに先導され、アクアに少し遅れてギルドからツルハシとリュックを借りて身に付けていく。

 

「そんなに美味しい稼ぎになるのか?」

 

「カズマの運なら、数百万は余裕で稼げるんじゃないですか?」

 

 カズマは駆け出した。

 

「は、反応が早い! なんなんですかあの男!?」

 

「めぐみん肩乗って!」

 

 そしてめぐみんを肩に乗せたむきむきが、先に走り出したカズマを一瞬で追い抜く。

 

「ちょ、待っ、俺も乗せてくれ! 頼む、後で飯奢るから!」

 

 結局カズマも反対の肩に乗せ、数秒後にはアクアも同様に追い抜き、カズマと同じように「後でご飯奢ってあげるからー!」と叫ぶアクアも抱えて、むきむき達は宝島一番乗りを果たした。

 

 

 

 

 

 一番乗りをした皆でツルハシを振るう。

 遅れて来た冒険者達も次々とツルハシを振るい始めた。

 地球で言うところのプラチナ、タングステン、ニッケル、チタンに相当するものが次々と出て来る。かと思えば、ダイヤ、ルビー、エメラルドのようなものも出て来た。

 ここはまさしく宝島。

 小山の如き巨大な玄武の背の上は、金の卵が山積みなのだ。

 

 他の冒険者達は力一杯ツルハシを振り下ろしたりもしているが、むきむきは繊細な力加減で鉱石を叩いている。

 彼が全力でやると、鉱石を全て砕いて玄武の甲羅にまで突き刺さってしまうからだ。

 

(何も悪いことしてない、むしろ人の役に立ってるモンスターだもんね。

 怪我させないように、ある程度そっと、ゆっくりと、怪我をさせないように……)

 

 むきむきは体が大きいため、大きなリュックを背負って多くの鉱石を持って帰ることができる。

 持って帰れる量はめぐみんの数倍にもなるはずだ。

 むきむきは一番やらかしそうなアクアと、一番気にかけているめぐみんを常に視界に入れつつ、周囲の人達がぎょっとするスピードで鉱石を掘り当てていく。

 

「あ、ウィズさん」

 

「あ、むきむきさん!」

 

 すると、他の冒険者と同じように鉱石を採掘しているウィズを発見した。

 とびきり美人なウィズの頬に、一点だけ付いた泥の跡がよく目立つ。

 良い人なのに抜けている、ウィズの性格をそのまま表したかのような顔であった。

 

「今日は私も頑張りますよ!

 ここで稼がないと、今月の借金の利子も返せないんです!

 でないと……でないと……店全部が、抵当が、もう大変なことに……!」

 

「……た、大変ですね」

 

 ウィズは運がなく、商才もない。

 この世界における商人は幸運が高い人間の適正職である。

 売れない商品ばかりを仕入れてしまう上、仕入れた商品が世間でヒットするという幸運にも恵まれない彼女は、おそらくこの世界でも指折りに商人に向いていなかった。

 

 むきむきは夢中になって掘っているウィズのリュックに、自分のリュックから特に価値がありそうな鉱石を放り込んでいく。

 速く静かで正確な放り込み。ウィズは気付いてもいない。

 

(頑張ってください)

 

 むきむきはウィズから離れて再度掘削を始めるが、宝の山のようなこの場所に冒険者しか集まっていないのは、それ相応の訳がある。

 

「うわぁー! 鉱石モドキだぁー!」

 

 ある冒険者がツルハシを振り下ろすと、そこからモンスターが跳び出してきた。

 "鉱石を掘りに来た人間"、あるいは"鉱石を餌とするモンスター"を餌とする生物だ。

 じっと動かずエネルギーの消費を抑え、餌が来るのを待つという意味では、蟻地獄のそれに近い。

 

「これだから冒険者しか招集かけられてないんだよね、宝島」

 

 むきむきはツルハシとリュックを放り出し、一歩で移動、モンスターを一蹴。

 蹴られた鉱石モドキはハンマーで叩かれた発泡スチロールのごとく粉砕されていた。

 助けられた冒険者は、一瞬呆けていたがすぐさま礼を言って頭を下げてくる。

 

「さ、サンキューむきむき!」

 

「いえいえ」

 

 宝島に一刻も早く行って稼ぎたい、装備を家に取りに行く時間も惜しい、と武装を置いてきた者も居る。

 鉱石も重いため重い装備は家に置いてきた、という者も居る。

 宝島は十年に一度しか訪れないためにそこにある危険を知らない、あるいはそれを甘く見ている冒険者、というのも居る。

 そういった人物は、こうしてモンスターにやられてしまうのだ。

 

 ここは十年に一度、金に目が眩んだバカが死ぬ場所でもある。

 

「た、助けてくれぇ!」

 

 どうやら今回は、鉱石モドキもそれなりの数が居るらしい。

 むきむきも走っているが、複数箇所で同時に出現されると、遠い方はどうしても後回しになってしまう。

 なのだが、むきむきから見て遠い方の冒険者は、むきむきとは別の誰かに助けられていた。

 その誰かは、巧みな魔法でモンスターをあっという間に一掃していく。

 

「大丈夫、大丈夫、最悪私がしばらく何も食べなければいい話……

 リッチーはご飯食べなくても死なない、大丈夫、大丈夫……!」

 

「ウィズさん……!」

 

 命を捨てる覚悟並みに悲壮な覚悟で人助けに走るウィズ。むきむきは思わず泣きそうになった。

 金は余ってるんだから定期的にお店に行って買ってあげないと、と少年は決意する。

 

 そして、人間だった頃の心を捨てきれないリッチー、そんなリッチー同様に自分の稼ぎは後回しにしている少年を見て、情に流されてしまった者がまた一人現れる。

 玄武が背負う甲羅の上に、爆殺の快音が響き渡った。

 

「お前らは他人のために一文の得にもならんことしてなきゃ気が済まんのか!」

 

「カズマくん!」

「カズマさん!」

 

「さっさと片付けてさっさと掘りに戻るぞ!」

 

 不幸な人間は損をする。利己より利他を優先する人間は損をする。

 それを相殺するには、とびきり幸運な人間の助けでもなければ不可能だ。

 

「よーし、カズマさん!

 助けてもらったお礼です! リッチーのスキルを見せてあげますね!」

 

 ウィズがカズマにスキルを教えながら敵を倒したりする中、宝島の上に嬉しそうなアクアの声が響く。

 

「やたっー! 最高品質のフレアタイト!

 これ一つで一ヶ月はお酒飲むだけの毎日を送っても問題なくなるわ!」

 

 (困っている人々が目に入っていない)女神の神聖で麗しい声をBGMに、三人は人に害為すモンスターを駆逐していった。

 

 

 

 

 

 日が沈む。玄武が去って行く。

 だが、宝島の採掘は終わらない。

 

 カズマが咄嗟に「むきむき! ダルマ落としの原理だ!」とか叫び出し、むきむきが「なるほど!」と何やら妙な理解を示して、玄武の甲羅の上の鉱脈にフルパワーパンチ。

 皮膚に貼られた絆創膏が剥がされるように、パコーンと宝島の甲羅の上の鉱石だけが全て引き剥がされ、地面に落ちる。

 そうして地面に落ちたものが軒並み回収されて無くなるまで、宝島の採掘は続いた。

 

 その翌日のこと。

 

「しゃあっ! 大儲けじゃあっ!」

 

 冒険者ギルドは、採掘物の査定を終えて大金を手にし、大喜びしている冒険者達で溢れていた。

 

「おう少年! 宝島では助けてくれてありがとよ!」

「最後のあれも助かったぜ! 宝島の宝の山を全部落としてくれたしな!」

「おかげで装備も新調できたぜ! ガハハハハ!」

 

「ど、どーもです」

 

 今回の宝島は、参加した冒険者のほとんどが満足できる結果になった。

 モンスターの被害は少なく、鉱石を掘れた時間も長い。

 むきむき、ウィズ、カズマの行動のおかげである。

 大人勢に絡まれてむきむきは歩きにくそうにしているが、褒められてちょっと嬉しそうでもあった。

 

「めぐみん! どっちが多く稼げたか勝負よ!」

 

「別にいいですけど、何を賭けるんですか?」

 

「え? ええと……明日むきむきと買い物に行く権利とか」

 

「荷物持ち兼話し相手、と。むきむきー、すみません、商品になってくれますかー?」

 

「いいよー」

 

「だ、そうです。いざ勝負!」

 

「負けないわよ!」

 

 宝島が生んだ熱気と活気は、見ているだけで楽しくなるような、そんな雰囲気を生み出していた。

 

「なんでよ! 最高品質の鉱石が山ほどあったはずよ!

 なのになんで換金総額が十万エリスも行ってないのよ!? おかしいわ!」

 

「アクアさん、落ち着いて聞いてください」

 

「なによ!」

 

「これらは最高品質の鉱石っぽく見えるだけのクズ鉱石ばかりです。

 これはマナタイトではなくそのパチもんのクボタイト。

 これもフレアタイトではなくクボタイト一属の一種。

 控え目に言って、一つ残らずゴミです。価値がありません」

 

「なんでよっー!」

 

 喜んでいないのは、ド底辺の幸運に時々凄まじい節穴になるアクアくらいのものであった。

 節穴に曇りはないため、くもりなきまなこであることに変わりなし。

 アクアを見なかったことにすれば、リッチーのウィズまでもがかなり稼げていた様子。

 

「はわぁ……私にしては珍しく、こんなに稼げました……!

 昨日の宝島の時だけ、不思議と幸運が倍になったみたいです!」

 

 ちなみに鉱石の目利きができるウィズ、観察力があるむきむきはアクアのような勘違いはしない。二人が価値があると見たものは、ちゃんと価値のあるものだった。

 ウィズの『幸運が倍になった気がする』という言いようは、あながち間違ってもいない。

 実際に、二人分の幸運がリュックの中には詰まっていたのだから。

 

(よかった、ウィズさんもこれでご飯ちゃんと食べられるかな)

 

 ちなみにそういった事情もあって、むきむきの稼ぎはPT内でもドベである。

 元より幸運値が低い上、他人にいい鉱石をあげて稼げるわけもない。

 それとは対称的に、幸運が高いカズマはというと。

 

「カズマ、お前はどのくらい稼げたのだ?」

 

「ほれ」

 

 カズマが金と交換するための査定用紙を、ダクネスに見せる。

 ダクネスがいつも自然に浮かべている笑みが固まり、その一瞬で凍りついた。

 

「……0が七個はあるように見えるのだが」

 

「0が七個あるからな」

 

「え? は? なんなのだこれは!?」

 

 一千万や二千万では収まらない額の大金が、そこには記されていた。

 

「え? え?」

「ちょっと見せてください!」

「カズマさん凄い!」

 

「一個一千万でも格安ってレベルの最高品質のマナタイトとかいくつもあったんだと。

 それ以外にもそれと同じくらいのやつがゴロゴロ換金の査定に入ってたな」

 

「おかしい! いくらなんでもおかしいわ!

 カズマが豪運だからってそんな……あ。ああ! 私のブレッシング!」

 

「そういうことだ」

 

 カズマの幸運、プラスアクアの魔法。

 宝島が来る前にアクアが一芸のためにかけていた魔法が、効果が切れるまでの間、カズマに凄まじい恩恵を与えていたようだ。

 アクアの魔法は、効果も持続時間も当然規格外クラスである。

 

「ねえカズマ、その稼ぎは私の魔法のおかげでもあるでしょ? 私にも何割か……」

 

「知ってるぞアクア。お前今回の鉱石の稼ぎ当てにして、ツケで酒飲みまくってたろ」

 

「ギクッ。そ、そうよ、だからその酒代くらいは……」

 

「お前その前に、俺がこの前貸した金返せよ」

 

「……」

 

「おいこっち向けアホア」

 

 目を逸らしたアクアの目線の先には、むきむきの姿。

 アクアが請えば、むきむきは嫌な顔一つせず金を出すだろう。

 そう予測したカズマは、小金を袋に入れてアクアの前に投げる。

 アクアはフリスビーを投げられた柴犬のように、その小金に飛びついた。

 

「いやこれ本当に凄いよ、カズマくん」

 

「俺は前に居た場所で、新人の戦士を育てたりしててな。

 初心者しか教えられない程度の腕しかない、とかよく言われてたよ。

 けど、それでも俺は仲間達から重宝されてた。

 俺が居ると、敵を倒した時レア物の素材とかがよく手に入ったからだ。

 俺はカズマ、過程でぐだぐだになっても結果的に手に入ったものでチャラにする男」

 

「こ、幸運だけで……」

 

「人は俺を、『レア運だけのカズマさん』と呼ぶ……」

 

「いやそれ半ばバカにしてるんじゃないでしょうか」

 

「うっせ」

 

 ドロップ率一桁%という名の悪魔でさえ、カズマの前ではひれ伏すだろう。

 カズマはリスクが低めな割に一気に稼げる宝島の存在を知り、この世界にはまだまだ他にもリスクが低くメリットが大きいものがあることに気付いてしまった。

 言い方を変えれば、彼はかなり調子に乗っていた。

 

「むきむき、ほら持ってけ。お前には家を買って貰った恩があるからな」

 

「!?」

 

 カズマは百万エリスほどを手元に残し、残りをむきむきに渡した。

 魔法で建築が行えるこの世界の建物の物価は安い。むきむきが購入した屋敷も地球ほどに高くはない。

 が、屋敷は屋敷だ。他の建物より安いというわけでもない。

 カズマがむきむきに渡した金は、かの屋敷の購入金額の半額に相当していた。

 

「こ、こんなに受け取れないよカズマくん!

 元々使い途のないお金だったから使っただけだったのに!」

 

「いいんだ、むきむき。金なんてまた稼げばいいんだからな」

 

「金に余裕が出て来ると調子に出るのがまさに小市民だな……」

「多分またすぐに同じようなことしてお金稼げると思ってるんですよ」

「絶対そうですね」

 

 うろたえるむきむき、微笑むカズマ、白い目で見ているダクネスめぐみんゆんゆん。

 普段のカズマならこの金を握り締めて「もう一生働かねえ」と言い出し屋敷に引きこもっていただろう。

 そうしなかったのは、また稼げるだろうと調子に乗っているのもあるが、この前ホモインキュバスに狙われる地獄から助け出された恩も理由だった。

 カズマ個人がむきむきという個人へ向けている友情恩義その他諸々、も理由としては存在しているかもしれない。

 

「はっ、そ、そうか!

 カズマらしくないこの行動!

 その真意はあの屋敷でむきむきと並ぶ権利者、大家となること!

 カズマはその権力を悪用しこう言うのだ!

 『この家に住みたかったら……分かってるよな?』

 『金が無いなら、そのいやらしい体で支払うしかないよなぁ?』

 なんと卑劣な……だが、私がそんな卑劣な要求に屈すると思うなよ!」

 

「お前は本当にダメだな」

 

 カズマに向いていた白い目が、ダクネスの方に向く。

 この女騎士のダメさは、むきむきも最近はちょっと察してきた感があった。

 ちなみにカズマに至っては、ダクネスに言われてから"その手があったか!"と思っていたりした。エロマさんも口には出さないだけで平常運転である。

 

「カズマさんはなんというか……

 結果オーライを人間にしたかのようなダメ人間ですね」

 

「おおっと、ゆんゆんにそう言われるとなんだかダメージ大きい気がするぞ」

 

 レア運のカズマさんは結果良しのカズマさん。

 結果良ければ全て良しのカズマさんだ。

 局所的に見てもカズマらしさというものは見えず、全体を見渡さなければカズマらしさというものは見えない。

 

「最近の俺はツいてるからな! しばらくは面倒事も来ないと思うぞ!」

 

 良くも、悪くもだ。

 

『緊急クエスト! 緊急クエスト!

 街の中にいる冒険者の各員は、至急冒険者ギルドに集まってください!

 繰り返します! 街の冒険者の各員は、至急冒険者ギルドに集まってください!

 普段顔を出さない方も、皆さん考えられる最大の武装で、必ず参加でお願いします!

 特別指定モンスター、高額賞金首、機動要塞デストロイヤー接近中!

 冒険者の皆様は、直ちにギルドに集まってください! 繰り返します! 機動要塞―――』

 

 宝島の件で熱気に呑まれていたギルド内が、一斉に冷たく静まり返った。

 

「アクアとカズマがセットで調子に乗るとすぐこうだ! お前達は本当にもう!」

 

「嘘だろおい!? いや機動要塞って何だ!?」

「待って、私何も悪いことしてないでしょー!?」

 

 ダクネスが怒鳴ると、カズマとアクアがあわあわと慌て出す。

 更に、面倒事は立て続けにやってきた。

 

『続報! 人型要塞ジェノサイダーも出現!

 両者共にアクセルの街に一直線に向かってきます! 繰り返します、デストロ―――』

 

 調子に乗った者は痛い目を見る。誰も知らない、この世界の鉄則だ。

 

「私知ってる! これ知ってる!

 私達が調子に乗ると来るアレよ!

 私達がちょっと運良かったりすると揺り戻しで来るアレよ!」

 

「畜生! 宝島で超ラッキーとか思ってたらすぐこれか!

 ざっけんなこら! 素直にいいことだけ起こしてくれよマジで!」

 

「二人共落ち着いて!」

 

 北西から機動要塞デストロイヤー。

 南東から人型要塞ジェノサイダー。

 人類が長年「あれを相手にするのは無理だな」と放置していた、この世界を震撼させる二大ロボの襲来であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時代は、紅魔族というものがこの世界に生み出された大昔にまで遡る。

 ある日のことだ。

 魔道大国ノイズの偉い人は、何をトチ狂ったのかある天才科学者の申請を受けてしまった。

 

『人型の巨大ロボを作ろう』

 

 この科学者が神様から特典を貰った転生者だったがために、事態は斜め上の方向へかっとびながら進んでしまう。

 本来ならば許可が出されるはずのなかった人型巨大ロボ製造計画が進行し、ノリノリの転生者が手をかけまくる。

 かくして、大昔の大国に巨大人型ロボが誕生してしまった。

 

 転生者は「ガンダムパクって作ったロボットだからヒュッケバインって名前にしよう」などとほざいていたが、それは脇に置いておこう。

 

 人型ロボを作ってやり遂げた感を出してしまった転生者だが、そこに新たに「あれと同じくらい強いやつもう一個作れ」という国の無茶振りが飛んで来る。

 金も人も潤沢に支給されていたが、満足感と達成感に浸っていた転生者にやる気はない。

 それどころか「この気持ちに水差してきやがって」とイラッとさえしていた。

 

 やる気なく適当にプロジェクトを進めていた転生者だが、当然のように二機目のロボは大暴走。

 ノイズ国の人間、及びノイズ国がそこにあったという痕跡を残らず破壊しながら、二機目のロボは大暴走を継続する。

 

 一機目のロボは今、人型要塞ジェノサイダーと呼ばれている。

 二機目のロボは今、機動要塞デストロイヤーと呼ばれている。

 両機共に、人類からは魔王軍に比肩する脅威と見なされていた。

 

 ジェノサイダーは定期的にパイロットを見つけては搭乗させ、搭乗者の意志に沿った大被害を発生させる。

 デストロイヤーは高速で大陸中を走り回って、進行ルートに存在するものを無差別に蹂躙・破壊する。

 足の生えた鉄の大災害がその辺を歩き回っているようなものだ。

 

 とんでもない話である。

 人類史において、ジェノサイダーとデストロイヤーが同時に同じ場所を攻めたことなど―――一度もなかったというのに。

 

「カズマ、夜逃げの準備よ!」

 

「お前は開口一番何言ってんだこの駄プーリスト!」

 

 もう二度とフラグを立てたりしない、とカズマは固く決意を固めていた。

 

「……もう一生調子に乗らないよう、俺は自分を戒めておこう。

 ん? いやそうだ、めぐみんの爆裂魔法とかでぶっ壊せるんじゃないか?」

 

「無理ですね」

 

 人類最高火力を持つめぐみんは、きっぱりと言い切った。

 

「デストロイヤーはひどく頑丈です。

 並の投石機や弩弓程度の物理攻撃ではビクともしません。

 しかもとてつもない巨体で馬のように速く走ります。

 近寄ろうとすれば上級のモンスターでもすぐ踏み潰されますよ。

 落とし穴に落としても足も壊れません。

 それどころか穴の下から跳び出してきます。

 強力な魔力結界があるため爆裂魔法でさえ届かないでしょう。

 運良く機体に取り付けても、機上にはゴーレムなどがわんさか乗せられています。

 一人や二人辿り着けたところで、リンチされてお終いですよ。

 私の爆裂魔法は消され、むきむきは踏まれ、アクセルはあっという間に廃墟になります」

 

「なにそれこわい」

 

「ちなみにジェノサイダーはデストロイヤーほどの防御力は無いそうです。

 その代わりに、デストロイヤーをはるかに上回る攻撃力を持っているとか」

 

「よし、逃げるぞ!」

 

 脱兎のごとく逃げようとするカズマの肩を、むきむきがむんずと掴む。

 

「待ってカズマくん! アクセルの街に住んでる人達を見捨てるのはかわいそうだよ!」

 

「そんな無茶な戦いに駆り出される俺の方がかわいそうだろ!」

 

「カズマくんならなんとかできるさ!」

 

「俺をなんだと思ってるんだお前は!」

 

 俺を過大評価するなと叫ぶ方が正しいのか、もっと自分を信じなよと叫ぶ方が正しいのか、はてさて。

 

「カズマ」

 

「ダスト? なんだお前、お前まで真面目に戦えとか言うんじゃないよな」

「ダスト先輩……」

 

 チンピラ冒険者・ダストが、真剣な面持ちでカズマに語りかける。

 自然と、ギルド内に集まった無数の冒険者達が、ダストとカズマ達を見つめていた。

 街を愛する気持ちなど欠片も持っていなさそうな、カズマよりクズいと言われることもあるこの男が、真剣な面持ちで一体何を語るというのか。

 

「何も手がないなら俺もお前も逃げればいい。だがよカズマ、分かってるのか?」

 

「何がだよ」

 

「お前は知ってるはずだ。分かってるはずだ。

 この街にはかけがえのないものがある。

 俺達が大切に思うものがある。

 俺達の想い出が刻まれたものがある。

 他のやつが無価値に思ったとしても、俺達にとっては大切なものが」

 

 普段のダストからは想像もできないような格好良いことを言って、むきむきが感動に身を震わせ、カズマがハッとその意図に気付く。

 

(……そうだ、この街には)

 

 カズマの目に闘志が宿り、それを見て取ったむきむきが熱く声を荒げた。

 

「そうだよカズマくん、この街にしかないものがあるはずだよ!」

 

(そうだ、この街にしか無いもの―――サキュバス風俗(サービス)

 

 カズマが立ち上がり、ダストの熱い言葉に感化された男達が、次々と立ち上がる。

 

「だな」

「俺達には、この街を守る理由がある」

「ここで逃げたら男じゃねえよな」

 

 男達のよく分からん熱気に当てられてか、女性陣も流れに流され格好良く立ち上がっていく。

 立ち上がる皆を、むきむきは心底尊敬する目で見ていた。

 

(そうだ、俺の好きなマンガの主人公が言ってたはずだ。

 逃げ出した先に―――理想の風俗(らくえん)なんてありゃしないんだと)

 

 熱く立ち上がる皆を従えるのは、魔王軍の準幹部クラスを何度も撃退、あるいは仕留めてきた実績を持つ、指揮官冒険者・佐藤和真。

 

「名案を思いついたぞむきむき。

 あの鉄クズどもに、アクセルに喧嘩を売ったこと、後悔させてやる!」

 

「カズマくん!」

 

 むきむきの目に映るカズマの姿は、外面だけは最高にヒーローしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デストロイヤーは街の北西、ジェノサイダーは南東から攻めて来ている。

 カズマとゆんゆんは街の北西に、むきむきとめぐみんとダクネスとアクアは南東に向かう。

 敵は世界観ガン無視の巨大兵器。

 その上誰も知らないことだが、アクアが送り出したチート持ち転生者の能力が造り上げた、世界の条理を無視する反則兵器群だ。

 

 されども、アクセルを防衛する者達に不安はない。

 くだらない理由で戦うカズマと、まっとうな理由で戦うむきむきが、どれほど頼りになるのかを……アクセルの冒険者達は、よく知っていたからだ。

 

「よし来い、どんと来い! この私が鎧で受け止めてやる!」

 

「ダクネスさん、受け止めたら踏み潰されますよ?」

 

 ダクネスは平常運転だったが、むきむき達と同じように街の南東に防衛に来ていた冒険者達はやる気十分。

 いつでも戦える、といった気概でいた。

 人型要塞ジェノサイダーが、外部スピーカーを使って喋り出すまでは。

 

『その街の頭のおかしい紅魔族、出てきな!

 めぐみんとか言ったはずだ!

 あたし達の陣営の切り札の一つを持って来てやった!

 お前に復讐し、お前に奪われたものを取り戻すためにねぇ!』

 

 周囲の冒険者が一斉にめぐみんを見た。

 めぐみんはその隣のむきむきを見た。

 むきむきは首を傾げてめぐみんを見返した。

 

「指名されてるわよ、めぐみん」

 

「……」

 

「ねえめぐみん、何やらかしたの……?」

 

 問うアクアの声は微妙に震えている。

 ギルドでカズマやダクネスに向けられていた白い目が、今度はめぐみんに向けられていた。

 

「めぐみん、あの声の人と何かあったの?」

 

「……知らない人ですね。魔王軍の卑劣な策略ではないですか?」

 

『聞こえてるんだよそこの頭のおかしい紅魔族!』

 

 むきむき以外の全員が白い目でめぐみんを見ていた。

 めぐみんは観念して、先月あったことを語り出す。

 

「実は先月、街の外に行った時に上級悪魔と会いまして」

 

「上級悪魔!?」

 

「ほらあれですよ。一日一爆裂にむきむきに付き合って貰って、街の西に行った時……」

 

「……ああ、あの時!」

 

 むきむきと別れていた少しの時間の間に、めぐみんは上級悪魔と会っていた。

 

「私のペットのちょむすけを邪神とか言ってきたんですよ。

 ああ、この悪魔は頭がかわいそうなんだな……

 と、私は思いましたが、そこで上級悪魔と一対一で戦うことになれば私も苦戦は必至」

 

『おい』

 

「私は悪魔に言いました。

 『ちょむすけに別れを言う時間が欲しい』と。

 『明日になればあなたに引き渡す』と。

 悪魔は少し申し訳無さそうな顔をして、飛んで去って行きました」

 

 そして、それから。

 

「後顧の憂いを断つために、私はその悪魔が十分離れてから爆裂魔法を撃ちました」

 

「おい」

「おい」

「おい」

 

「ですが、あの悪魔には仲間が居たのです。

 射程距離ギリギリだったのもいけませんでしたね。

 魔法の発動準備の時、仲間の悪魔があの悪魔に警告し、回避行動を取らせてしまいました。

 私の爆裂魔法は最強なので、回避しようと防御しようと倒せていたつもりなのですが……」

 

「生きていた、と。……あれ?

 でも一ヶ月前ってことは、悪魔でも全治一ヶ月になるダメージは与えたんだよね」

 

「直撃しなかったとしても、爆裂魔法は爆裂魔法ですよ?」

 

 得意げなめぐみんを、むきむき以外の皆が白い目で見ている。

 

「あの悪魔は、ええと……おねショタとかそんな感じの名前を名乗っていましたね」

 

「おねショタ……」

「悪魔で名前がおねショタとか……」

「業が深いな……」

 

『アーネスよアーネス! 何勝手に変な名前を付けてるんだい!?』

 

「大差ないじゃないですか」

 

『大差しかないわぁ!』

 

 上級悪魔・アーネス。

 めぐみんの帽子の中に居るペットの黒猫、ちょむすけを狙う悪魔。

 仲間に助けられ、めぐみんの爆裂から生き延び、本日巨大ロボで復讐しに帰って来た悪魔であった。

 

『ええいもういい!

 あたしを助けて今も寝込んでいる仲間のため!

 そして偉大なるウォルバク様の完全復活のため!

 卑怯で物騒なお前をまず潰し、目的を果たさせて貰うとするさ!』

 

 ジェノサイダーが動き出す。

 

「そうはいかない。めぐみんは僕が守る」

 

 同時に、むきむきも動き出した。

 むきむきが走り、跳び、弾丸のごとき速度で拳を振るう。

 ジェノサイダーも60m超えの巨体から鉄の拳を繰り出した。

 肉の拳と鉄の拳が衝突し、少年の方は吹っ飛ばされ、人型要塞は衝撃でよろめく。

 

『むっ、なんというパワー……何奴!』

 

「我が名はむきむき! 紅魔族随一の筋肉を持つ者!」

 

『むきむき……幹部の方々と戦って生き残ったという、あの!』

 

 巨大ロボとむきむきの戦いが開始される。

 人型要塞の名は伊達ではなく、ジェノサイダーは全身火器とでも言うべき出で立ちだ。

 その全身から弾丸、ビーム、レーザー、魔法、ありとあらゆる火砲が跳び出してきて、空と大地を走るむきむきがその合間を抜けていく。

 

 敵の凄まじい火力、そしてそれをかわしているむきむきの動きに、冒険者達が「おお」と思わず声を上げていた。

 その間、アクアとめぐみんは作戦通りにデカい一発の準備をする。

 

「さーて行くわよめぐみん。『マジック・ゲイン』!」

 

「! これは、凄いですね……! 魔力が一気に跳ね上がった気がします!」

 

「普段はカズマにばっかりかけてるから、めぐみんにかけるのは初めてね!」

 

 人類最強の火力砲台に、無限魔力のブースターがセットされている。

 このコンビのヤバさは、おそらく組ませたカズマでさえ正確には把握できていまい。

 

「むきむき、もういいぞ! 『デコイ』!」

 

 アクアがめぐみんの爆裂魔法を強化できる支援魔法を全てかけ、めぐみんがかつてないレベルでの爆裂魔法を準備したのを確認し、ダクネスが皆から離れてデコイを発動。

 機械のロックオンシステムがデコイスキルに引き寄せられ、攻撃の多くがダクネスへと向かう。

 その隙にむきむきはジェノサイダーから距離を取った。

 

「そうだ、もっと来い! もっと激しく攻めて来い!」

 

 ダクネスの額に銃弾がぶつかってカァンと弾かれたりしていたが、アクアに防御力を強化されたダクネスには、その激痛さえも快感の一種でしかなかった。

 

『くっ、こんな小細工で!』

 

 アーネスはダクネス以外の人間を狙おうとするが、もう遅い。

 

「黒より黒く闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆(こんこう)を望みたもう!

 覚醒の時来たれり、無謬(むびゅう)の境界に落ちし理! 無形(むぎょう)の歪みとなりて現出せよ!」

 

 めぐみんの詠唱は、既に完了している。

 

「『エクスプロージョン』ッ―――!!」

 

 まず、測定機器がエラーを起こした。

 あまりの魔力に、ジェノサイダーの計器のメーターが全て振り切れる。

 次に、モニターが異常を起こした。

 過度の光が、モニター越しに外の光景を目にすることを許さない。

 続いて、衝撃が来た。

 装甲を抉り取られ、微塵に粉砕され、巨体が揺さぶられる衝撃。

 最後に、熱が来た。

 機体の胸部が融解し、アーネスが搭乗していたコクピット前面部に大穴が空き、魔力で身を守ったアーネスの姿が外部に露出する。

 

『こ、この前よりも、数段上の威力っ……!?』

 

 そして間髪入れず、アクアが破魔の魔法を撃った。

 

「『セイクリッド・ハイネス・エクソシズム』ッッッ!!!」

 

 太さ10mクラスの悪魔だけを殺す破魔ビームである。

 アーネスは死ぬ気でそれを回避するが、光が左羽の先っちょにかすり、左羽が根本から消滅する。

 魔力で再生しようとするが、何故か再生しない。傷が治らない。

 地面に転がされたアーネスの顔が、さあっと青くなった。

 

「見つけたわよクソ悪魔!

 この私の神聖なる魔法でこの世から塵も残さず滅してあげる!」

 

「な、何!? なんなのこいつ!? というか今の魔法は何!?」

 

 アーネスが一目散に逃げ、アクアが殺意満々にその後を追う。

 

「ダクネスさん、めぐみんお願いします! 後アクアさんも!」

 

「ああ、分かった! むきむきも連戦は厳しいだろうが、頑張れ!」

 

「はい!」

 

 むきむきはダクネスに後を任せて、カズマから預かっていた小型カズマイトを空に投げ上げ、合図を送る。

 合図を送った数秒後、むきむきはカズマと共に居たゆんゆんの下へと召喚されていた。

 

「頼むぞ、むきむき!」

 

「はい!」

 

 むきむきはゆんゆんに召喚対象として指定されている。

 めぐみんが昼間楽しげにゆんゆんをホラー話で怖がらせれば、夜眠れなくなったゆんゆんがむきむきを召喚、「眠くなるまで話し相手になって」と涙目で言うこともザラだ。

 そのため、ゆんゆんとむきむきの配置次第で、むきむきというユニットは戦場のどこにも飛ばせる存在となる。

 

(見えてきた!)

 

 むきむきはデストロイヤーに接近し、握り込んだ手の中に炎を生み出し、投げつけた。

 デストロイヤーの威容は言うなれば鉄の蜘蛛。

 八本足の生えた要塞に、筋肉魔法は通じるのだろうか?

 

「我焦がれ、誘うは焦熱への儀式、其に捧げるは炎帝の抱擁―――『ファイアーボール』!」

 

 通じなかった。

 当然のように、デストロイヤーの表面には焦げ目一つ付いていない。

 

「とうっりゃっ!」

 

 これではダメだ、とばかりにむきむきはデストロイヤーに飛び蹴りを仕掛けるが、そこにデストロイヤーの蹴りが合わせられてしまう。

 むきむきはデストロイヤーの胴を蹴ろうと跳び、そこで側面からデストロイヤーの足に蹴り上げられてしまったのだ。

 

「ぐあっ!」

 

 岩の城壁を軽く蹴り砕くデストロイヤーの蹴りが、むきむきを蹴鞠のごとく空高くへと蹴り上げる。

 

「むきむき君!」

「クソ、むきむきでもダメなのか!」

「どうすんだサトウカズマ!」

 

「まだだ、まだここまでなら想定の範囲内だ! ゆんゆん、プランB!」

 

「はい、『サモン』!」

 

 冒険者達はうろたえるが、カズマはうろたえない。

 今のカズマはサキュバス風俗を守るために戦っている。

 守るべきものがある者は強い。

 守るべき人達を思い浮かべられる者は強い。

 それは、今日までの戦いでむきむきが証明してきたことだ。

 風俗店を守るため、風俗嬢を守るため、今のカズマは決して折れない。

 

 なのだが、ゆんゆんもむきむきが蹴っ飛ばされたことで動揺してしまったようだ。

 召喚魔法の精度がちょっとだけ甘くなり、むきむきは不安定な姿勢で、ゆんゆんの至近距離に召喚されてしまう。

 

「うわっ、ととと」

 

「あっ、きゃっ!?」

 

「「あ」」

 

 そしてむきむきは転びそうになり、ゆんゆんがそれを支えようとして一緒に転び、ゆんゆんがむきむきを押し倒すように転倒。

 むきむきの手が下からゆんゆんの胸を押し潰すような姿勢になってしまう。

 ゆんゆんは一瞬呆けて、状況を理解して顔を真っ赤にして涙目になり、むきむきに背を向けてその場から逃げ出した。

 

「むきむきがカズマさんの影響でえっちな人になっちゃったあああああ!!」

 

「待って! その評価はちょっと待って!」

 

「何やってんだむきむき! 戦闘中だぞ! でも柔らかったかどうかだけは教えてくれ!」

 

「カズマくん!?」

 

 ゆんゆんが顔を真っ赤にして、目元を抑え戦場を離脱する。

 誰も離脱せずに終わる戦いであるだなんて、誰も思ってはいなかっただろう。

 だがこうして脱落者が出てしまうと、戦力が減っていく感覚にカズマは憤慨せざるを得ない。

 されど、カズマは止まらない。

 何人脱落しようとも、この街を守ってみせると決めたのだ。

 

「ああ、ゆんゆんに嫌われちゃう……」

 

「むきむき、気持ちを切り替えろ!」

 

「うう、うう……幽霊さん、幽霊さん、気持ちを切り替える勇気をください!」

 

 むきむきは右拳を見て勇気をもらい、拳を額に叩きつけて気持ちを切り替える。

 

「準備出来てるよな、クリエイターの諸君!」

 

「「「 おうとも! 」」」

 

「行けるなむきむき!」

 

「うん、頼りにしてるよ、カズマくん!」

 

「俺が見て」「僕が破壊する!」

 

 クリエイターという職業は、物作りに特化している。

 DTピンクがこの職業だ。この職業の者達は、魔力次第で塹壕からゴーレムまで様々なものを制作できる。

 彼らが今回作ったのは、カズマが指定したサイズ・重量の鉄球であり、その形は『野球ボール』のそれに似ていた。

 

(小学校の同級生の紫桜君からあの漫画を借りたのを思い出すな。一回やってみたかったんだ)

 

 むきむきの大きな手が、ソフトボールより大きなサイズのそれを掴む。

 その横で、カズマが右手を銃のような形にして、遥か彼方のデストロイヤーに向けていた。

 

「―――()()()

 

 カズマの目が、千里眼スキルによって遥か彼方のデストロイヤーを凝視する。

 

「行け、むきむき!」

「ふんっ!」

 

 むきむきは全筋力をかけて鉄球を敵へと全力投球。

 カズマの指定で最適な重さとサイズとなっていた鉄球は、むきむきの筋力を余すことなく受け止め、黒い流星となって八本の足の近くを通り過ぎていった。

 

「角度修正。そうだな、気持ち今の2m右に当てる感じで」

 

「了解!」

 

 カズマが千里眼で見る。見て、投げるのを隣の相棒に任せる。

 むきむきが投げる。敵の姿も見えてはいないが、相棒の目を信じて投げる。

 

「再度修正」

 

「了解!」

 

 互いが互いの能力を信じていなければできないコンビネーション。

 むきむきが言った場所に寸分違わず投げてくれると、カズマが信じられなければできない連携。

 カズマが自分に分かるように言ってくれると、デストロイヤーの移動速度も計算に入れて投げる位置を指定してくれると、むきむきが信じられなければできない連携。

 

 一投ごとに投擲は正確になり、とうとう鉄球はデストロイヤーの足の一本に命中。

 その凄まじい威力で、デストロイヤーの足関節を破壊していた。

 

「よし、足一本折れた!」

 

「このやり方にもだいたい慣れてきたか?

 それじゃあペース上げていくぞ、むきむき!」

 

 魔法が効かない?

 近寄って物理攻撃ができない?

 上から攻められない?

 動きが速い?

 並の投石機程度の威力では壊せない?

 

 なら、魔法を使わず特大威力の遠距離物理を食らわせればいい。

 それをパッと思いつける人間と、その発想を現実にできる人間が、アクセルには存在していた。

 

「二本目やったぞ!」

 

「どんどん行こう、カズマくん!」

 

 デストロイヤーの八本足が、アクセルから遠く離れた地点で、一本、また一本と破壊されている。

 カズマに千里眼スキルを教えたキースが、壊れていくデストロイヤーを千里眼で見ながら思う。

 自分じゃカズマの代わりはできなかっただろう、と。

 本職には及ばないスキルでも使い方次第なんだな、と。

 千里眼ってこういう悪用するものだったっけ、と。

 

「……魔王軍が堂々と攻めて来たら、このやり方で頭吹っ飛ばされそうだな」

 

 クリエイターに鉄球(だんがん)を用意してもらえる状況で、かつ屋外の戦いであるのなら、大抵の敵はこれで一方的に蹂躙できるかもしれない。

 何せ、視界外からの魔力反応無しアウトレンジ攻撃だ。

 使える状況が限られるものの、これほど酷い対軍攻撃はそうあるまい。

 ましてやこれは、デストロイヤーの関節を狙えるレベルの精密攻撃なのだから。

 

 基礎スペックが馬鹿みたいに高いむきむきが、カズマの発想力と容赦の無さと噛み合うと、無敵の要塞でさえ敵ではなくなってしまう。

 デストロイヤーもデストロイ。

 カズマという鬼が、むきむきという金棒を振るっているかのようだ。

 

「ねえ、思ったんだけど」

 

「ああ」

 

 もはや、このコンビにまともに対抗できるのは、魔王軍の幹部クラスくらいのものだろう。

 

「この二人をセットで敵に回したら、絶対に死ぬな……」

 

 傍で見ていた冒険者達は、そのヤバさを身に沁みて実感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、アーネスは。

 

「皆……!」

 

 なんと、アクアから逃げおおせることに成功していた。

 なのだがそれは、彼女の力によるものではない。

 上級悪魔であるアーネスを慕う中級悪魔、下級悪魔が、身を挺してアーネスを逃がしたのだ。

 

 逃げてくださいアーネス様、と誰かが言った。

 ここは僕らに任せて下さい、と誰かが言った。

 何、また後で会いましょう、と誰かが言った。

 残機が減るだけですからね、と誰かが言った。

 「悪魔風情が生意気なのよ消えなさい!」とアクアが全員まとめて消し飛ばしていた。

 

 無論、悪魔は人間を食い物にする生き物だ。

 人間を苦しめたことも、人間を殺めたこともある。

 だが、だからといってここまで無情に消し飛ばされる道理があるのだろうか、とアーネスは唇を噛みしめる。

 悪魔にだって友情はある。

 悪魔にだって仇討ちする権利はあるはずだと、アーネスは拳を強く握っていた。

 

「運良く逃げられた皆、無事で居なよ……あたしは、戦うからさ」

 

 運良くアクアの魔法の範囲外に居て、その後も運良く逃げ出せていた部下の悪魔達が逃げ切れるようにと、アーネスは切に願う。

 彼女に逃げる気はない。

 彼女が敬意を払う主・邪神ウォルバクを救うためには、めぐみんのペットのちょむすけを回収することが必須事項なのだ。

 でなければ、かの邪神は消えてしまう。

 上司のため、部下のため、アーネスは体を引きずるようにして歩く。

 

 コクピットの前部分が壊れたジェノサイダーに再度乗り、システムを再起動するアーネス。

 幸いなことに、コクピットがモロ出しなこと以外は、大した損傷も見当たらなかった。

 だが、これでは先程のように神聖魔法をモロに食らってしまいかねない。

 どうすればいいのか。

 

「?」

 

 アーネスが相打ちで終わらせる覚悟を決めていると、その時操作モニターに謎の文字列が浮かび上がってきた。

 

「『これを見ている者に告げる』

 『このメッセージが見られている頃、私は既に死んでいるだろう』

 『このメッセージが出た時、この機体は余程の窮地に追い込まれているだろう』

 『その時のため、人類の希望のため、このシステムを残す』……?」

 

 言いたいことだけ言っている感、これがやりたかっただけ感がプンプンとする文字列。

 常に使えるようにしておけばいいのに、ピンチにしか使えない仕様にするという、ほとばしる自己満足臭のロマンシステム。

 アーネスの瞳に映るのは、これまで誰も見つけることができないでいた、人型要塞ジェノサイダーの切り札となるシステムだった。

 

「……行ける! このシステムなら!」

 

 アーネスがモニターを操作すると、アーネスの手元にガラスカバー付きのスイッチが、口元に集音マイクが現れる。

 悪魔は拳を振り上げ、モニターに表示されたキーワードを見ながら、拳を振り下ろす。

 

「『ウルトラ・ノイズ・フュージョン』!」

 

 キーワードが叫ばれ、振り下ろされた拳がガラスカバーを叩き割るようにして、その奥の合体始動スイッチを押した。

 

 

 

 

 

 ジェノサイダーが飛翔する。

 全ての足がもぎ取られてしまったデストロイヤーもシステムを再起動。

 デストロイヤーは各パーツを分離させ、ガチョンガチョンとパーツを変形、ジェノサイダーをベースにして変形合体。

 ジェノサイダーの胸の穴も塞がって、先程よりもはるかに大きな超弩級巨大人型機動兵器が完成し、人型要塞大地に立つ。

 

「な、なんだ!?」

 

『これが魔道技術大国ノイズの技術の集大成!

 二つの機械兵器が合体して誕生する究極兵器!

 その名も、"マジンガーンダム"! とか言うらしいねえ!』

 

「……!?!?!? オラァ! これ作ったやつ出て来い!

 日本の版権担当者の前に突き出して、訴訟祭り地獄に叩き込んでやる!」

 

 マジンガーンダムというネーミングが、地球出身のカズマの逆鱗に触れた。

 カズマ以外の皆はどこが怒りどころなのかさっぱりだ。

 が、地球出身者であれば怒る人は怒るネーミングである。

 

『やれる……これならやれる! 人間どもをまとめてミンチにできる!』

 

 アーネスの視線と、現れた合体メカ・マジンガーンダムのカメラアイがアクアを睨む。

 

『仲間の仇を取らせてもらおう!

 このクソプリースト! まずお前を踏み潰されたトマトみたいにしてやる!』

 

「ええい悪魔ごときが生意気よ!

 むきむき! その筋肉で粉砕してあげなさい!

 私が授けた名誉アクシズ教徒のアクアゴッドパワーを見せてやるのよ!」

 

「ええ!? いやそもそもそんなパワー貰った覚えないんですけど!」

 

「そういえば私もあげた覚えないわね」

 

「脳味噌アクシズってるんですか!?」

 

 アーネスは無言のままロボの足を上げさせ、小山のごときサイズの巨体の全体重をかけ、アクアを踏み潰すべく足を振り下ろした。

 

 

 




やわらかかったらしいです


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3-3-2

 WEB設定でスタートしておきながら書籍設定の時間経過が実装されたこのすば二次とか面白そうですよね。
 書籍はもう作中で二年が経ちそうですし、イベント盛れば三年経過させるのも余裕。
 ダクネスはWEBだと22歳前後なので最終的にアラサードMバツイチ処女貴族女騎士の行き遅れとかいう美味しい設定にできます。
 そして悩むダクネスとカズマさんがこんな会話したりするんですよ。
「もしや、冒険者家業を続けているせいで私の婚期は遠のいているのでは……?」
「おいおい、それだとお前に婚期が存在したことがあるみたいじゃないか、ダクネス」
 これ絶対楽しいやつです! 行き遅れ美人にズルズルと歳を重ねさせるヒモ男!


 小山ほどのサイズがある合体ロボ・マジンガーンダムがアクアを踏み潰しに動く。

 

「わあああああっ!!」

 

 アクアは裏返った声で叫び、美人な顔を情けなく歪め、涙や鼻水まみれの顔で逃げ惑う。

 アクアの足では、一歩で100m以上は進めるであろうマジンガーンダムの歩幅からは逃げ切れない。

 

『死ねぃ!』

 

 人間が地面を踏む音はせいぜいが"ドン"。

 されどもこの巨体であれば音は"ドゴン"。

 「踏み潰されれればまず即死」と音だけで分かるその一撃。

 むきむきは凄まじい速度での疾走でアクアを抱え、そのまま回避し、その恐ろしい踏み潰しの音を耳にしていた。

 

「あ、あ゛り゛がどお゛お゛お゛お゛お゛」

 

「無事でよかったです、アクア様。……でも鼻水はあんまり付けないでくださいね」

 

 むきむきはアクアを一旦地面に降ろし、巨大ロボの背後に回って、思いっ切り助走をつけてからの両足ドロップキックで踵を狙う。

 馬鹿げた筋力でのキックは巨大ロボの足を動かし、ズザザと地面の上でその巨足を滑らせるも、鉄の足が移動した距離は1mかそこらであった。

 マジンガーンダムの上半身は僅かに揺れたが、バランスを崩すことさえできない。

 

(流石に足払いは無理か!)

 

 これで転ばせないのであれば、この一撃で足も壊せないのであれば、できることはかなり限られてくる。

 

『もう一度!』

 

「来ないでーっ!」

 

 アーネスによるアクアを狙った再度踏み付け。

 むきむきはまた救出にひた走る。

 位置的に先程の方法ではアクアを助けられないと判断したむきむきは、アクアの眼前で地面を蹴り込んだ。

 爆散し、深く抉れて大穴を空ける地面。

 むきむきはアクアを抱えてそこに滑り込み、コンマ1秒の差で踏み潰されるという結果を回避していた。

 穴に滑り込んだむきむきとアクアの鼻先に、マジンガーンダムの足裏が触れている。

 文字通りの滑り込みセーフであった。

 

「うええ、うえええっ、もう嫌よぉ……! これ本当に怖いぃ……!」

 

「しっかりしてくださいアクア様!」

 

「むきむき、むきむきはいい子だから……

 死んでもいいところに転生できるようエリスに頼んであげるからね……」

 

「諦めないでください女神様!」

 

 むきむきはぐずるアクアを抱えて、アーネスが死体確認のために足を上げた隙に穴を脱出。

 どうにかして逃げ切らなければ、と走り出すが、そこでむきむきの逃走を支援すべくアクセルの冒険者達が魔法や弓矢を一斉に放っていた。

 リーンやキースといったむきむきと親しい知人の姿も、ちらほらと見える。

 

「援護するよ! ファイアーボール!」

 

 中級魔法は上級魔法にこそ劣るものの、大衆浴場に注がれた大量の冷水を一瞬で熱湯にできる火力を出すことも可能な威力の魔法だ。

 中堅冒険者の弓矢も、薄い金属鎧は平気で貫通する威力がある。

 それでも、効かない。

 この敵には効かない。

 デストロイヤーの魔力結界は健在であり、装甲は硬く、サイズ差のせいでそもそも腰から上にはまともな攻撃が届いてさえ居ない。

 

「魔力結界残ってるの!?」

「リーン下がれ!」

「全員下がれー! こりゃバリケードも意味ねえぞー!」

 

『人間どもが……魔王軍のあたしが、見逃してやるとでも思ったのかい!?』

 

 アーネスは対デストロイヤー陣地の奥に居た冒険者達に狙いを定める。

 そして、ジェノサイダー由来の火砲を一斉に発射した。

 逃げ遅れた冒険者達は死を覚悟して逃げ惑うが、そこはむきむきがカバーする。

 

 少年はアクアの服の襟首を歯で噛んで彼女を持ち運び、空いた両手で冒険者達を片っ端から運搬していった。

 助け、抱えて、運んで、掴んで、助けて、投げて、救って、守って、運ぶ。

 なんとか巨大ロボの攻撃範囲から、全員を逃がすことに成功する。

 

「サンキュー少年!」

「し、死ぬかと思った……」

「むきむき君! あとで牛乳奢ってやるからな!」

 

「無事で何よりです! でも皆さん、カズマくんの所くらいまで下がっていてください!」

 

『どうやらお前を潰した方が早そうだねえ!』

 

 むきむきに散々邪魔されたアーネスは、マジンガーンダムの腕を使った右ストレートを放つ。

 対するむきむきの選択は、右アッパー。

 アクアを脇に置いて、むきむきは今の状態の自分が出せる全力をそこに叩きつける。

 

「せいっ!」

 

 何千トン、何万トンあるかも分からないロボの右ストレートを『受け流すように』して、下からむきむきのアッパーが当たる。

 アッパーの反動で、地面が陥没する。

 巨大ロボのパンチをかち上げるパワーに耐え切れず、地面が爆発する。

 地面の爆発でアクアは泥まみれになりながら地面を転がされ、マジンガーンダムのパンチは上方へと受け流されていた。

 むきむきのパワーと技が織りなす剛柔一体が、巨大ロボ相手にも『格闘技』を成立させる。

 

「わきゃあああああっ! もういやあああああっ!」

 

 とはいえ、成立しただけだ。

 じんじんと痛む少年の拳が、この敵の危険性を如実に伝えてくる。

 

「……こりゃやばい!」

 

『その忌まわしいアクシズ教徒のプリーストを守るのはやめな!

 あたしとしちゃあそいつさえ潰せれば、今日はお前らを見逃しても構わないんだよ!』

 

「断る! 僕は仲間に見捨てられたくない!

 自分がされて嫌なことは、仲間にもするべきじゃないんだ!」

 

「わああああああっ! 死んじゃう! 死んじゃう! カズマさーん!」

 

 マジンガーンダムはただ歩くだけで地面を揺らす。

 アクアはただそこに居るだけでうるさい。

 むきむきはアクアを抱え、また踏み潰しに来たマジンガーンダムの足から逃げんとした。

 

「『カースド・クリスタルプリズン』!

 『カースド・ペトリファクション』!」

 

 そこに、援護で飛んで来る魔法。

 魔法は魔力バリアに包まれたロボを直接狙わず、むきむき達を囲むように氷の壁を作り出し、その氷を石化させて岩の壁とする。

 その壁が機械の足を止めてくれた僅かな時間に、むきむきはアクアを抱えて脱出することができていた。

 

「デストロイヤーと聞きつけて駆けつけてみれば……手助けは、必要ですか?」

 

「ウィズさん!」

 

 陽光を遮るフード付きローブ。フードの下の優しい微笑み。

 かつて魔王軍を苦しめたアークウィザードであり、今はリッチーたる彼女が、戦線に加わる。

 そんじょそこらの冒険者よりもずっと心強い援軍であった。

 

『一人や二人増えたところで、どうにかなるもんじゃないだろう?』

 

 ウィズが陽光を遮る装備で来たため、アーネスはそれがウィズであると気付いていない。

 ウィズもまた、その機体を使っているのが魔王軍であると気付いていない。

 互いが互いを正確に認識しないまま、戦いは再開される。

 

「くっ、ぐっ……!」

 

 火砲と複合して放たれる踏み付けに、アクアを守ろうとするむきむきとウィズが対処しきれず、二人まとめて踏まれてしまう。

 

「まだまだぁ!」

 

 されども『通常の物理攻撃を無効化する種族』リッチーのウィズ、及び単純に頑丈なむきむきはそのくらいでは死に至らない。

 豆腐に埋まったつまようじのごとく埋められていたむきむきが地面から這い出てきて、地面に体のボンキュッボンが引っかかって抜け出すのに苦労しているウィズを、むきむきが上から引っこ抜く。

 

 むきむき、ウィズ、アクアを揃えても、マジンガーンダムは戦うに難い敵であった。

 

「カズマ! なんとならないのか!?」

 

「無理に決まってんだろ! デカくて硬くて魔法無効とかどうしろっってんだ!」

 

 アクアが持つ技能をカズマが全部把握していたなら、あるいは別の道もあったかもしれない。

 例えば、破壊不能な結界を破壊するというとんでも技能の存在だけでも知っていれば、また違っただろう。

 が、「そういえば私そんなこともできたわね」などと言うようなアクアが自分にできることを全部語っている――覚えている――わけもなく。

 カズマがそれを知っているわけもない。

 それはしょせん、もしもの話だ。

 

「……む?」

 

 カズマとダクネスがあーだこーだと話している横で、ポーションを飲んで魔力を多少回復しためぐみんが違和感に気付く。

 マジンガーンダムの動きが、どこか妙に感じたのだ。

 その違和感の出処は、本来ならばデストロイヤーの足があるべき場所にあった。

 どうやら事前に足を全部破壊していたことが、合体ロボの戦闘力を削ってくれているらしい。

 

「デストロイヤーの足を壊しておいたのが功を奏しているようですね。

 カズマ、あの足を壊した時の方法をもう一度やるというのはできないのですか?」

 

「細い足の関節狙ったのは、あそこが一番壊しやすかったからだ。

 今の太い二本足を壊そうとしても、どんだけ時間がかかるのやら……」

 

 アクアが強化したむきむきの筋力で鉄球を投げても、足関節を壊すだけでどれだけの時間、及びクリエイターの魔力を消耗することになるか見当もつかない。

 かといってむきむきが踵を蹴っても壊せなかったように、このロボは硬い所は物凄く硬いようだ。

 

 葛藤が、カズマの中に生まれていた。

 

 カズマの中のエロ衝動と保身精神が拮抗している。

 三次元の美少女とも二次元の美少女ともエロエロなことができるサキュバスサービスはまさにパラダイス。

 カズマは仲間とエロいことをする夢を見せてもらったり、地球で好きだったゲームヒロインとエロいことをする夢を見せてもらったり、割とロリもイケるがために条例に引っ掛かりそうな子の夢を見せてもらったりと、好き放題やっていた。

 

 ここを守れなければ、このヴァルハラは消滅してしまう。

 魔王軍に聖地が破壊されてしまう。

 今はシコリティの高い美少女とエロエロする夢を見られているが、そこが無くなれば(シコ)リティの高い醜女(しこめ)が立ち並ぶリアルの店しか残らない。

 悩む必要など無い。守ればいい。

 だが、それも生きてこその話だ。

 ここで引き際を誤って死んでしまっては意味がない。

 

 カズマは『本当に守りたいもの』か、『自分達の命』か、大切なものを二つ天秤に乗せられて、苦渋の選択を迫られていた。

 まるで、正統派主人公のように。

 

「そう時間もないですよ。

 今はアクアが囮、むきむきとウィズが時間稼ぎをしてなんとか保っていますが……

 それもあの上級悪魔がアクアを狙っている間だけです。どう転がるか分かりませんよ」

 

「分かってるよ。……もう皆で逃げるか?」

 

「カズマ。あの悪魔はアクアとめぐみんを狙っていることを忘れるなよ」

 

「逃げても無駄だって教えてくれてありがとうな!」

 

 (シコ)リティの高い一般的な風俗店になど行きたくもないカズマは、頭を必死に回した。

 "あいつ下半身で物事を考えてるよな"という揶揄がある。

 今のカズマは頭で物事を考え、下半身でも物事を考え、エロパワー・ツインドライブシステムで並列思考をぶん回していた。

 

 地球において、エロ画像を貼るスレをスレ立てし、複数IDを使ってセルフでエロ画像を貼ることで、他の人達が自然とエロ画像を貼る流れを作り出したこともある知将カズマの頭脳があれば、きっと希望は見つけられる。

 

「信じているぞ、カズマ。むきむきも言っていた。

 お前はとことん追い詰めた時にこそ、誰もが考えつかないような策を生み出すと……」

 

 ダクネスが、その背中を信じて見つめていた。

 

「……待てよ?」

 

 カズマはダクネスから聞いた、アクアがアーネスを取り逃してしまった流れのことを思い出す。

 そして、盗聴スキルを発動した。

 以前むきむきから勧められ、先日習得してみることにした、普段は大きな音で耳を傷めないようOFFにしている聴覚強化スキルだ。

 強化された聴覚が、物陰に隠れている中級悪魔達を見つけ出す。

 

「アーネス様……!」

「行ける、行けるぞ、アーネス様!」

「頑張って!」

 

 その時、カズマは閃いた。

 

「むきむきー! アクア連れて一旦こっちに戻って来てくれ!」

 

 カズマが呼ぶと、むきむきはアクアを抱えてあっという間に跳んで来た。

 マジンガーンダムの攻撃目標がカズマ達の方に向くが、カズマはうろたえない。

 勝負は一瞬で決まると確信していたからだ。

 

「カズマくん、僕はどうすればいい!?」

 

「あそこの悪魔を殺さず捕まえてきてくれ。そうしたらなんとかなる」

 

「りょーかいっ!」

 

 カズマは主人公のような凛々しい顔で、主人公のように孤軍奮闘していたむきむきに指示を出した。

 

 

 

 

 

 カズマは必死だった。

 死なないために。サキュバス風俗を守るために。

 大抵のことは実行できるくらいには必死な気持ちになっていた。

 

「アーネスだっけ? 今どんな気分?」

 

「アーネス様ー!」

「我々のことはお気になさらず!」

「この外道を我々ごとやってしまって下さいっー!」

 

『げ、外道っー!』

 

 正統派主人公による正統派人質大作戦。

 人質という手は、何故大昔からどの世界でもなくならないのか。

 決まりきっている。

 主人公が勝ち悪役が負けるという運命の下でもなければ、人質作戦はほぼ確実に一定の戦果を上げる、効果的な策であるからである。

 

『この卑怯者! 正々堂々戦いなさいな!』

 

「ざっけんなー!

 そんなデカブツ使って戦ってる奴が正々堂々とかほざいてんじゃねー!

 いいか! 一番の卑怯ってのはな!

 強いやつが弱いやつに正々堂々真正面から戦うことを強要することに決まってんだろ!

 強いやつが弱いやつに不意打ち禁止とかしたら必ず勝つに決まってんじゃねーか!」

 

『ぐっ』

 

「大人が子供の格闘大会に出て本気出して

 『私は正々堂々戦い優勝しました。私は正しい』

 とか言って、周りから褒められるとでも思ってんのか!? あ!?」

 

 カズマはお前だけには卑怯だけとか言われたくねえよ、と言わんばかりだ。

 

「いいからとっととそっから降りて来い! 話はそれからだ!」

 

『あ、あたしは悪魔さ。そんな情に訴えるようなこと……』

 

「むきむき、こいつらって倒したらどうなるんだ?」

 

「このレベルだとおそらく残機持ちだから、肉体を失って地獄に帰るんじゃないかな?」

 

「なるほど、じゃあ三人の内二人まではみせしめにやっちゃっても平気か」

 

『待ってぇ!』

 

 この悪魔達が倒せば消滅する類の存在であれば、時と場合によってカズマが同情して殺すのは勘弁してやった可能性もあるが、この悪魔達は殺しても死なない化生の類。

 その躊躇いも生まれようがない。

 対しアーネスは、自分を逃がすために命がけで戦った部下達の生き残りを見捨てられない。

 躊躇いも迷いもたっぷりだ。

 

 悪魔は恐ろしいものを見るような目でカズマを見ていて、冒険者達も恐ろしいクズを見るような目でカズマを見ている。

 

「カズマ……」

「カズマ……」

「しょうじきひくわー」

 

「お前らよく考えてみろ!

 あんな巨大ロボに乗って正々堂々とか言うやつのどこが卑怯じゃないんだ!」

 

「そう言われてみるとそうかもしれないが……」

 

「第一だな、めぐみんのペット連れて行こうとしたんだろ。

 そんで最終的に実力行使に出たんだろ?

 じゃあ誘拐犯みたいなもんじゃねーか。

 なんで俺達が悪魔の都合に合わせてわざわざ踏み潰されないといけないんだ?」

 

「カズマの保身発言って時々正論みたいに聞こえるのが不思議よね」

 

 カズマの口撃には破壊力があり、カズマの言い分にはなんとなく正当性があるように聞こえる。……ただの詭弁とも言う。

 冒険者の反応も「あれ? 敵の方が悪いんじゃね」と「流石カズマさんだぜ」と「何言ってんだこいつ」の三つに分かれてきた。

 一方悪魔の捕縛に協力したむきむきと言えば、先日のブルーとの戦いで『敵にどんな事情があろうとも迷わず打倒する』という心意気を手に入れていたものの、この所業に協力してしまった罪悪感で顔を手で覆っていた。

 

『あたしの部下に手を出したら承知しないよ!』

 

「めぐみん、罪悪感で胸が痛い……」

 

「よしよし、よく反対もせずカズマにちゃんと協力しましたね。

 大丈夫ですよ、むきむきは悪くありませんから。これも世の常というやつです」

 

「めぐみん……」

 

 ダクネスも誇り高き聖騎士としての自分に何かが突き刺さる気分になっていて、顔を手で覆っている。

 

「めぐみん、今の私は、極悪非道の悪役の気分だ……」

 

「気分の問題じゃなくて今普通に悪役ですよ、私達」

 

 上司と部下のため戦う情に厚い悪魔と、その情を利用する人間の構図。

 

『お前達みたいなのが居るから、悪魔が人間の願いを叶えるサービスは廃止されたんだよ!

 契約した後に口八丁手八丁!

 あたしらがお前らの願いを必死に叶えてやっても!

 お前ら人間はあの手この手で魂の支払い拒否しやがってさあ!

 なんっでお前ら人間は約束を守るとか、誠実に生きるとか、そういうことができないんだ!』

 

「よかったじゃないか、俺は約束を守る男だ。

 お前が降りて来ればこいつらは約束通り開放してやるぞ。

 降りて来なかったらもちろん大変なことになるけどな」

 

「カズマ、カズマ、降りて来たら消しちゃっていいのよね?」

 

「いいぞ。思いっ切りやってやれ、アクア」

 

『んぎいいいいいいいいいっ!!』

 

 降りたら部下と一緒に消される。降りなかったら部下が消される。

 もう本当にどうしようもない。

 なのだがアーネスも上級悪魔。ここで思考を止めることはしなかった。

 普通の者ならばここで"二つの選択肢のどちらを選ぶか"だけを悩んでしまい、視野を狭めて事実上の思考停止をしてしまうものだが、アーネスはここで第三の選択肢を創造してきた。

 

『分かった、あたしはここから降りよう。ただし条件を付けさせてもらうよ』

 

「条件?」

 

『そこのアークプリーストを戦わせないと約束することさ。

 そんなに冒険者が居るんだから、そいつ一人くらい構わないだろう?』

 

「ちょっと! そんな条件飲めるわけないじゃない! ほらさっさと諦めて私に消されなさい!」

 

「分かった。アクアは戦闘に参加させないと約束する」

 

「カズマー!?」

 

『契約完了。少し待っていなさいな』

 

 アーネスはコクピットからロボの体内の通路を通って、数分かけて地上に向かう。

 気持ちが逸り、アーネスの移動速度は無自覚に早まっていく。

 

(あのアークプリーストさえいなければ、なんとか……

 爆裂魔法だって消費魔力は相当なもの。

 マナタイトや吸魔石でもう一発撃つというのも、現実的な話ではない……

 ここは一旦立て直しに入って、ホーストと連絡を取るべきだろうね)

 

 地上に降りて、アーネスは開放された部下達と合流する。

 

「アーネス様!」

 

「お前達!」

 

 感動の再会。

 そして、悪魔達の前にぬっと現れる筋肉の巨人。

 

「あ」

 

 カズマにけしかけられたむきむきは、ちょっと、いやかなり申し訳無さそうな顔をしながら、拳を振り上げた。

 予想はしていたのか、悪魔達が防御の姿勢を取ったが、むきむきパンチは問答無用。

 

「エンッ」

「ひでぶっ」

「うわらばっ」

 

 ワンパン三回、ワンキル三回。

 悪魔達はあっという間に残機を失い、その肉体は消えていく。

 アーネスは詠唱抜きで極めて安定した魔法発動を行い、少年に魔法を放った。

 

「『ライトニング』!」

 

 その魔法も、腰に手を当てたむきむきの胸筋にパァンと弾かれてしまう。

 悪魔を一撃で屠る筋力もそうだが、この物理防御力と魔法抵抗力は明らかにおかしい。

 

「こ、このステータスは……!」

 

「アクアは戦いに参加させない」(その前にバフかけないとは言ってない)

 

 どうやらカズマは、アーネスがロボの中を降りて来る間に、戦闘に参加できないアクアにむきむきをひたすら強化させていたらしい。

 

「なんで一から十までこすっからくてまともに戦わないのさあんたはっ!」

 

「なんで強い上級悪魔とガチンコしなくちゃなんねえんだよ。お前頭アクアなの?」

 

「こんのっ―――!」

 

 アーネスはホーストほど強いわけでもなく、ホーストとは違う後衛型の上位悪魔である。

 ホーストよりも早く飛べるが、ホーストより速くは走れない。

 ホーストより多彩な魔法を操れるが、ホーストと比べれば筋力も耐久力も無い。

 爆裂魔法が当たれば、それに耐えることもできない。

 

 むきむきに近寄られてよーいドンで戦った時点で、勝敗など決まりきっていた。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 一撃必殺の手刀でギャグ漫画のように吹っ飛ばされるアーネスを見て、消え行く部下悪魔達はカズマを睨んで恨み言を言って逝く。

 

「……あ、悪魔め……」

 

 その昔、むきむきはデュラハンのイスカリアに悪魔と評された。

 今現在、カズマは悪魔そのものに悪魔と評された。

 悪魔よりも悪魔らしいという評価。

 魔王軍でもやっていけたかもしれない資質への評価。

 されども意味合い正反対。

 変なところでも、魔王軍から同じような言葉で評価される二人であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強化むきむきが鬼神のような四連攻撃で悪魔をあっという間に全滅させると、冒険者全員がほっと安堵の息を吐いた。

 

「ねえねえカズマ、頭アクアってどういう意味? 褒めたの? けなしたの?」

 

「むきむきにでも聞いてみろよアクア」

 

「むきむきー! どうなの?」

 

「え゛っ?

 ……そ、そうですね。

 アクア様は誰にでも分け隔てなく優しい人ですよね。

 街の人達やアクア様の知人も皆、アクア様を慕ってますね。

 とてもいい人だと思います。尊敬できる人だと思っていますよ」

 

「うんうん、よく分かってるわね!」

 

「……」

 

 アクアの知力への言及がないことに気付かないアクア。

 こいつさっきまで踏み潰されそうになっててピーピー泣いてたくせに、とカズマは思ったが、口には出さなかった。

 

「ふ、ふふ……これで勝ったとは思うなよ……」

 

「! アーネス、生きて――」

 

『自爆機能が起動しました。

 デストロイヤー・コアにコマンド到達。

 コロナタイト臨界化開始。

 30分後に、両機のエネルギーを集約させメルトダウンを開始します。

 搭乗員は、誘導に従い当機からの離脱を開始してください』

 

「!」

 

「逃げるための時間稼ぎに用意していた、時限式の自爆機能さ!」

 

 アーネスは言うだけ言って、消えていく。

 

「イタチの最後っ屁かよ、クソッ! むきむき!」

 

「うん!」

 

 むきむきはマジンガーンダムの胸の高さまで飛び上がり、勢いのまま回し蹴りをぶちかます。

 自爆カウントを初めたロボは抵抗もせずに倒されたが、むきむきはここでカズマが自分に求めたことが不可能であると確信した。

 

「カズマくん! 僕のパワーじゃこれを運んで遠くまで行くのは無理だ!」

 

「クソ、ダメか、なら!」

 

 カズマはギルドが今回のデストロイヤー討伐にあたって貸し出してくれた数々の武器を眺める。

 弩弓、攻城用の投石機、機上のゴーレムを破壊するためのハンマー、体力回復のためのポーション、そして攻城の際に扉をぶち抜くために使う、大きな丸太。

 

 カズマの指示で、皆が巨大な一本の丸太を持った。

 

「皆、丸太は持ったな! 行くぞォ!」

 

「うおおおおおっ!」

 

 狙うはアーネスが出て来た出入り口。

 目敏くアーネスがどこから出て来たかを見て覚えていたカズマの指示で、冒険者達は丸太を持って疾走する。

 冒険者のパワーと速力。その二つを加算された攻城用丸太は、合体ロボ内部に繋がる出入り口を、閉ざされた扉から大穴へと変えていた。

 

「でかした!」

 

「カズマくん! ゴーレムとかが沢山出て来たよ!」

 

「……仕方ない、戦う班と侵入する班に別れるぞ!」

 

 本来ならばデストロイヤーの機上で冒険者を迎え撃つはずだったゴーレム達が、ジェノサイダー内部に格納されていた小型兵器群が、次々現れ冒険者に襲いかかっていく。

 だが、冒険者達は物怖じしない。

 怯えの欠片も見られない。

 特に男達の勇猛果敢っぷりは凄まじかった。

 

「俺達は男だ! そうだろ!」

「ああ、分かるさ! 男だからこそ、譲れないものがある!」

「行くぜ皆! 俺達の夜を守るために!」

「俺達が笑って眠れる、穏やかで幸せな夜のために!」

 

 男達の性なる凄まじい熱気に当てられ、女冒険者も大なり小なり奮起していた。

 めぐみんは「何か変ですね」と優れた知力で何かを察していたが、むきむきは単純に先輩達の勇姿に感動と尊敬を覚えていた。

 

「行きますよ、むきむき」

 

「うん、行こう!」

 

 むきむきは機外にてゴーレム達の中から強そうな個体を選んでさっさと破壊して、先行して機体内に突入したカズマ達の後を追う。

 ダクネスが外に残って皆の統制を取ることを名乗り出てくれたため、もはや後顧の憂いはなかった。

 少年はめぐみんを右肩に乗せ、皆の後から機内へと突入する。

 

 先行したカズマに付いてくれていたのは、二人の強者。ウィズとアクアだ。

 ウィズが付いて行ってくれたことが安心要素。

 アクアが付いて行ってしまったことが不安要素である。

 

「むきむき、あれを」

 

「? あれは……壊れたゴーレムに、魔法の斬撃痕?」

 

「これはゆんゆんのライト・オブ・セイバーの跡ですね。

 どうやらあの子、カズマのすぐ後くらいにここに入っていたみたいです」

 

「ゆんゆん……」

 

 むきむきがゆんゆんの名を呼び、かあっと顔を赤くして、申し訳無さそうな顔をしていた。

 

「ゆんゆんと何かあったんですか?」

 

「……ゆんゆんに嫌われちゃったかもしれない」

 

 赤くなっていた顔も、今ではすっかり暗くなってしまっている。

 むきむきは詳細を語らなかったが、めぐみんであれば彼の心など手に取るように理解できている。

 

「その様子だと、またゆんゆんが何かやらかした感じでしょう。

 で、むきむきが変に気にしてると。いつものことですね」

 

「そ、そういうわけじゃ……」

 

「嫌われないよう気を付けて接するのが知り合い。

 嫌いな所も好きになろうとするのが恋人。

 嫌われても仲直りしてもっと仲良くなるのが友達。

 嫌った嫌われたをいつか笑い話にできるのが仲間です。

 ゆんゆんは嫌いになんてなってないでしょうし、なっていたとしても仲直りすればいい話です」

 

「……それは……そう、かも……うん。そうだよね」

 

 めぐみんは微笑んで、肩の上から彼の右頬をつまんで、ぐにぐにと揉む。

 

「むきむきは本当に気にしいですよね。

 かくいう私も、あなたが今さっき顔を赤くしたことが気になっていますが」

 

「……何も無かったよ」

 

「本当にー? 本当の本当ですかー? 誓って嘘は無いと私に言えますか?」

 

「……う、ううっ……!」

 

 めぐみんはいじめっ子である。

 惚れた男にはストレートに好意を示し、気に入った人間にはガンガン心の距離を詰め、こういう風に接していくことも多い。

 少女は少年の頬をぐにぐにして遊ぶのをやめ、小さな手の平で少年の頬を優しくぺちぺちと叩いている。

 

「……ん? この空気の流れ……」

 

「まあ私としてはゆんゆんよりアクアの方がずっと不安要素……あ」

 

 空気の流れでむきむきが異変に気付き、めぐみんを降ろす。

 めぐみんが魔力の流転で異変に気付く。

 異変が目に見えた時には、回避する時間的余裕も空間的余裕も存在しなかった。

 

「水―――!?」

 

 むきむきが咄嗟にめぐみんを抱きかかえるようにして庇うが、水は彼らを飲み込んで、壁や天井に彼らをガンガンぶつけながら、機外へと彼らを排出する。

 めぐみんは少年に庇われ無傷で、少年は壁や天井にぶつけられても怪我一つなく、されども水は窒息死を意識させた。

 機外に水に押し出され、ようやく息ができるようになるなり、めぐみんは叫ぶ。

 

「……ぷはぁ! な、何事ですか!? 機内の罠ですか!?」

 

 次々排出されてくる水。

 次々水と共に排出される冒険者。

 軽い怪我人はちらほら見えるが、死んでいる者は一人も居ない。

 誰も死んでいないのは、流石冒険者といったところか。

 

 めぐみんの叫んだ疑問に応えたのは、最後に排出されてきたカズマであった。

 

「……あぁの、アクアンポンタンがぁーーーっっっ!!!」

 

 皆が、全てを察した。

 

「カズマくん、何があったの!?」

 

「……俺はゆんゆんと合流して、コロナタイトってのがある場所に到達した。

 ゆんゆん、ウィズ、アクア。

 これだけ揃ってればなんとなるだろうと思ってた。

 実際、ウィズはしっかり詠唱したテレポートなら余裕って言ってた」

 

「ああ、私は分かりました。カズマ、そこでウィズをベタ褒めしましたね」

 

「……」

 

「え、めぐみんどういうこと?」

 

「それでアクアがウィズに対抗心を燃やしたってことですよ。

 しかも他の誰でもなくカズマが、ですよ?

 アクアが無駄に張り切ってしまって、大失敗してしまったことは想像に難くないです」

 

「……あいつはな、俺達の前で

 『冷やせばいいんでしょ冷やせば!』

 とか言い出してな……で、前に使った大量の水を出す魔法をな……」

 

「コロナタイトにぶち込んだ、と。

 アクアは揚げ物で火事を起こしたら、燃える油に水をぶっかけるタイプなんですね……」

 

 後は説明されるまでもない。

 機内を満たすほどの大量の水が、まず冒険者達を飲み込んだ。

 そして超高熱のコロナタイトに水が触れ、あまりの高熱に水が全て熱湯になる前に、コロナタイトに触れた水が一瞬で水蒸気爆発を起こしたのだろう。

 その爆発の圧力が、機内から機外へ流れ出る強力な水流を作り出したのだ。

 カズマの幸運でも回避できないこの災害級の大自爆こそが、アクアの持ち味である。

 

「か、カズマくん! ゆんゆんは!? ゆんゆんは無事!?」

 

「悪い、分からん。俺が見たのは吹っ飛ばされて頭を打って気絶してたアクアだけだ」

 

「無事だと信じましょう。

 今姿が見えないのは……ゆんゆん、アクア、ウィズですね」

 

「……そうだ! 時間がない! アクアが土壇場でやらかしたが、多分自爆まで三分も無いぞ!」

 

「ええっ!?」

 

「くそっ、急がないと!」

 

「乗ってカズマくん!」

 

 むきむきはカズマとめぐみんを肩に乗せて疾走。

 めぐみんの頭脳、カズマのスキル、むきむきの筋肉だけでどこまでできるか、と三人が不安になりながらも先に進んだ、その先で。

 

「……あぁ、カズマさん」

「こっちはこっちで、なんとかしてみせましたよ……」

 

「ウィズー! ゆんゆんー!」

 

 優秀なアークウィザード二人は、体のあちこちをぶつけた水浸しの姿で、二人だけでコロナタイトを処理し終えていた。

 

「コロナタイトの周りに氷の層が……

 むきむき、見てください。凄い魔力ですよ、これ」

 

「うん、分かる。僕でも分かるくらいの凄い魔力だ」

 

 コロナタイトは氷に包まれ、めぐみんが片手で持てるくらいのサイズで、床に転がっていた。

 おそらく使われた魔法は『カースド・クリスタルプリズン』。

 この魔法は"対象を内に閉じ込める"という特性も持ち、呪的にも強い魔法であるため、高い魔法耐性を持つ上位のスライムにも効果があるとされる魔法だ。

 この魔法で、二人がかりでコロナタイトを封じたのだろう。

 

 元から最上級のアークウィザードだった上、リッチーとなったことでスペックアップしているウィズ。

 本物の天才であるめぐみんにこそ及ばないものの、里で唯一その天才に追随し、『紅魔族随一の魔法の使い手』を名乗ることを許された少女に次ぐ能力を持つゆんゆん。

 二人が自身の持つ魔力全てを吐き出すことで、コロナタイトさえも封ずる氷の封印が完成したというわけだ。

 

「ほんっとうにギリギリでした……!

 臨界到達まであと一秒ってアナウンスされてました……!

 私の得意魔法が氷でなかったら、きっと間に合わなかったと思います……!」

 

「お、お疲れ様です……」

 

「流石ウィズは違うな。ちゃんとしたアークウィザードは胸がないとなれないんだろうな」

 

「おい、ちゃんとしてないアークウィザードが誰のことか教えてもらおうか」

 

 カズマに絡もうとするめぐみんをむきむきが脇に抱え上げる。

 

「とにかく外に出よう。

 アクア様もここに居ないってことは、きっと外に居るよ。早く探してあげないと」

 

「えぇー……」

 

「カズマくん、えぇとか言わない。仲間でしょ」

 

 むきむきに先導され、降ろされためぐみん含む皆で外に歩き出して行く。

 五人の内三人が魔力切れの大魔法使いという珍妙な一行であった。

 むきむきはふと右に目をやって、そこで自分を見上げていたゆんゆんと目が合った。

 

 ゆんゆんがぷいっと顔を逸らして、むきむきがガーンとした顔になる。

 両方共に、顔がちょっと赤かった。

 

「……」

「……」

 

 互いに何か言い出そうとするが、何故か気恥ずかしくて言い出せない。

 沈黙が流れる。

 その時、むきむきの左の手の平に何かが触れた。

 むきむきがそちらを向くと、ゆんゆんとは逆の左隣にめぐみんが居た。

 

 めぐみんは無言のまま指差して、むきむきの顔をゆんゆんに向け直させる。

 そうして、何も言わないまま、むきむきにゆんゆんを見つめさせたまま、こっそりむきむきの左手に文字を書いていった。

 

(しっぱいしたら、わたしがふぉろーしてあげますよ)

 

 言葉なくとも背中を押す、心遣いの魔法。

 むきむきは魔法にかけられて、気恥ずかしさを蹴り飛ばす。

 

「ごめんね、ゆんゆん」

 

「……どうして謝るの? むきむきは悪いことしてないのに」

 

「ゆんゆんに嫌な思いをさせちゃったから」

 

 先に謝れた子の方が偉いんだよ、という決まり事は、子供にだけ適用される。

 大人になると皆が忘れてしまう、子供だけに適用される幼いルールだ。

 

「……私にとって、されたくないことではあっても、嫌ではなかったよ」

 

「……え」

 

「そ、そういうことをするのは恋人同士だけなの!

 だからされたくないこと! 分かるでしょ!?」

 

「う、うん」

 

「でも思い出して! めぐみんは事あるごとに私の胸叩いたりしてたでしょ!」

 

「あ」

「え、そこで私を引き合いに出すんですか?」

 

「嫉妬に狂っためぐみんと比べたら可愛いもんよ、ええ、本当に……」

 

 ゆんゆんは水に濡れた姿で、ふっと遠くを見るような表情になったり、むきむきを見て顔を赤くしたり、忙しなく表情をコロコロと変える。

 

「でも、すっごく恥ずかしかったから……今後は、気を付けるように!」

 

「は、はい!」

 

「本当に本当に恥ずかしかったんだからね!?

 胸がドキドキして、息が切れて、顔が熱くて……!」

 

「本当にごめんね! 嫌だったよね!」

 

「だから嫌とかそういうのじゃないって言ってるでしょ!」

 

「そ、そうだった! されたくないことだったよね!」

 

 今のゆんゆんは、カズマがウィズとゆんゆんを交互にガン見しているくらいには扇情的な格好をしている。

 濡れた髪は頬に、服は肌に張り付いている。

 肌は艶やかに水で濡れ、髪から滴った水滴は首に流れて、鎖骨を伝って服の下の胸の谷間に流れ落ちていく。

 カズマは張り付いた服が見せる体のラインや、張り付いてちょっとやらしい感じになったスカートなどを、これでもかとガン見している。

 ゆんゆんはあるえほどではないが、13歳には見えないほど育っている少女だ。

 

 その容姿は、実年齢以上に大人びて見える。

 けれども笑顔は、実年齢以上に幼い子供のようで。

 むきむきと笑い合っているのを見ると、とても大人には見えない子でもある。

 

「……」

 

 ゆんゆんとウィズを交互にガン見しているカズマは、めぐみんには目もくれない。

 むきむきまでもが、ゆんゆんやウィズの体の方は見ないようにと意識して視線を逸らしていた。

 めぐみんはそこで怒ることもできたが、二人の素の反応にちょっとばかりダメージを受けて、何も言わずに地味な落ち込み方をしていた。

 

 めぐみんは自分の体を見下ろしてみる。

 他二人の女性と同じく、水濡れの服が肌に張り付いていた。

 ぺたんこの体にぺたっと服が張り付いて、めぐみんは自分で"何この貧相で情けないの……"と微妙な自己嫌悪感に陥る。

 その自己嫌悪を、"いやまだこれから育つはず"と自分に言い聞かせて吹き飛ばす。

 めぐみんは、まだ発育を諦めてはいないのだ。

 

 頭は良いめぐみんだが、むきむきが水濡れのゆんゆんだけでなく、めぐみんの方も見ないように目を逸らしていることには気付いていない。

 これでは色恋上手にはまだまだ遠いだろう。

 もう少しの成長が必要だ。

 その成長がどんなものであるかは、また別の話。

 

 

 

 

 

 アーネスのカズマに対する「逃さん……お前だけは!」という念を反映したかのように、マジンガーンダムは執念深く彼らを殺そうとしていた。

 

「……ねえなんかガチガチ言ってない?」

 

「カズマくん、何か分かる?」

 

「ちょっと待ってろ盗聴スキルで……ん? ……あー、ええ……?」

 

「か、カズマさん?」

 

 既に全員脱出した後だというのに、カズマの態度にウィズが不安そうな声を漏らした。

 

「……コロナタイトが無くなったから、二つの機体のエネルギーだけで爆発するってよ」

 

「駄目じゃないですか!」

 

 機体内部の音を拾えるカズマが居てくれた幸運を喜ぶべきか、二つの機体の残りエネルギー全てが大爆発を起こしそうなこの不運を嘆くべきか。

 ジェノサイダーの方は元々コロナタイトでは動いていないのだ。

 実際にメルトダウンするかはともかくとして、この機体を作った人間がメルトダウンという単語をぶっ込んでいた以上、それに類する大被害は間違いなく発生するだろう。

 アクセルの街が消し飛ぶ可能性は、非常に高い。

 

「そうだ! こんな時こそ筋肉か大魔法……あ」

 

 めぐみん、ゆんゆん、ウィズ、魔力枯渇。

 むきむき、ダクネス、役立たず。

 アクア、頭を打って気絶して水に流され行方不明。

 残りは駆け出しを中心とした冒険者達のみ。

 

「しまったあああああああっ!!」

 

 頭を抱えるカズマ。本格的にリソースが尽きてきたようだ。

 

「魔力を回復して、魔法でなんとかならない?」

 

「私の爆裂魔法もそうですが、これをどうにかできる魔法となれば格別です。

 その魔力消費量は、アクセルのマナタイトを全部集めても足りないかもしれません」

 

「そもそも、駆け出しの街に上質なマナタイトなんてそんなにないわよ!」

 

 紅魔族三人も思いつけない。

 

「そうです……ドレインタッチです!」

 

 なのだが、この中で一番歳を食っているウィズは何かを思いついたようだ。

 ドレインタッチ、と言い出して駆け出そうとする。

 そのあまりに物騒な言動と行動に、むきむきは思わず彼女を羽交い締めにしていた。

 

「待ってくださいウィズさん!

 そんなことしたらウィズさんがリッチーだってバレてしまいます!

 お店はどうするんですか! だってウィズさん、好きだからあのお店やってるんでしょう!?」

 

「ですけど、ですけど!」

 

「いや、そこは大丈夫だ。そこは俺がなんとかする。

 むきむきがさっきから何度もなんか期待する目で俺をじっと見てるし」

 

「……カズマさん?」

 

 ピンチにこそ強い男は、なんだかんだ頼りになる。

 むきむきもカズマも、本当に大切な時には本当に頼りになる者達だった。

 

「キールの昔の話はギルドを通してもう色んな所に広まってる。

 俺達がキールと付き合いがあったのも周知の事実だ。

 なら、俺がこのスキルを持っているのも、使うのも、何ら不思議じゃない」

 

 カズマは冒険者カードを取り出し、その上で指を滑らせる。

 

「ドレインタッチがあれば、なんとかできる……かもしれないんだろ?」

 

 冒険者カードが光を放ち、カズマの手に不死者の力が静かに宿った。

 

「……はい! ドレインタッチは魔力と生命力を吸うスキルです!

 また、その逆で与えることもできます!

 カズマさんが吸って、私かめぐみんさんに与えていただければ……」

 

「どうにかできるってわけだな。だけど……」

 

 ウィズもめぐみんも、共に爆裂魔法を操るほどの魔法使いであることを、カズマは既によく知っている。

 同時に、爆裂魔法がどれだけの魔力を必要とするのかも知っている。

 

(アクアが居てくれりゃあな)

 

 この窮地に、カズマは自然とアクアを頼ろうとする気持ちになっていた。

 だがすぐに"いやあいつが居ても面倒事が増えるだけだ、いっつもそうだ"と自分に言い聞かせるようにして、アクアを頼ろうとする気持ちを頭から追い出していく。

 アクアはどこにも居ないのだ。

 爆裂魔法を使うだけの魔力を、どうにかして集めなければならない。

 

「カズマくん。任せて」

 

 そして、カズマとむきむきの関係は、互いに足りないものを補い合う関係である。

 

「みなさーん! すみませーん! 力を、魔力を貸して下さーい! 街を守るためにっ!」

 

 普段からむきむき少年を弄って遊んでいる大人達が、普段は先輩風吹かせている青年達が、普段むきむきの筋肉を触って遊んでいるような同年代達が、むきむきの声に『しょうがねえなあ』といった表情でぞろぞろと集まって来るのを、カズマはちょっと驚きの目で見ていた。

 

 

 

 

 

 何故か途中からは、街から逃げ出す途中だった人や、街には居ても防衛には出ていなかった者達まで集まってきていた。

 見覚えのある顔も、見覚えの無い顔もある。

 挙句の果てにはギルド職員までもが魔力を使ってくれと来る始末。

 マジンガーンダムの爆発までどれだけ時間があるか分からなかったが、必要な魔力量が魔力量だったため、相当な人数が集まって来ていた。

 

「いや、ちょっと驚いた。むきむきってこんなに人望あったんだな」

 

「カズマは付き合いが長いようで、まだ付き合いも短いからあんまり実感ないんでしょうね」

 

 魔力を集めるカズマの横で、めぐみんが少し離れた所に居るむきむきを眺めている。

 

「カズマは『しょうがねえなあ』と他人を助ける人です。

 むきむきは『しょうがねえなあ』と他人に助けてもらえる子です。

 ジャンルの違い……いえ、繋がり方の違いでしょうか。あなた達は真逆なんですよ」

 

「そういうもんか?」

 

「人をよく見ている人なんて、そんなもんです」

 

 しょうがねえなあ、という言葉を挟んで二人はそこでも対極に居る。

 むきむきは人助けの時に「しょうがねえなあ」とは言わないし、カズマは助けるのに乗り気だったとしてもひねくれ者なため、ついつい「しょうがねえなあ」と言ってしまったりもする。

 二人は正反対の少年コンビなのだ。

 

「さて、ウィズか、めぐみんか……」

 

 カズマはそろそろどちらに任せるかを決めなければならない。

 めぐみんかウィズか、どちらかに魔力を注ぐのだ。

 冷静に判断するのであれば、めぐみんより格上の魔法使いのウィズ一択なのだが……

 

「カズマくん」

 

 色々と考えるカズマに、むきむきが声をかけた。

 

「賭けるなら、めぐみんに賭けて欲しい」

 

 100%私情で、効率も計算もへったくれもない台詞。

 ただ単純に、『彼がこの局面で誰を信じているのか』という話でしかない言葉。

 なのだがカズマは、これだけの人と魔力を集めてくれた少年の私情100%なその台詞に、「しょうがねえなあ」という感想を抱いて、ニッと笑う。

 

「まったく、お前はいっつもブレないな」

 

 めぐみんの首にカズマの左手が触れ、右手は継続して皆の魔力を集め続ける。

 

「むきむきのオーダーだ。裏切るなよ、めぐみん」

 

「裏切りませんよ。裏切りたくないですし、裏切れるわけないじゃないですか」

 

 カズマは最後に、むきむきの魔力を吸ってめぐみんに送る。

 

「僕の魔力なんて、大したものでもないけど……」

 

「むきむきは魔法が使えないだけで魔力は多少なりと有るんじゃないか、これ?」

 

「ええ、力強くて、心強い魔力を感じます。これがむきむきの魔力ですね」

 

「……二人とも……。うん、頑張って!」

 

 だが、急場しのぎの思いつきというものは、得てしてアクシデントに弱いものである。

 

「めぐみん、どうだ!? これで全員分の魔力だ!」

 

「……駄目ですね。あと少しだけ、足りません」

 

「!? なんだと……!」

 

 理由なんていくらでも挙げられる。

 戦闘で魔法使い達が多少魔力を使った後だった。

 突然の襲撃に、街の冒険者は全員揃っておらず何割かは街から離れていた。

 ここが初心者の街で、総合的な戦力はたかが知れていた。

 前衛の魔力に至っては雀の涙程度のものでしかなかった。

 爆裂魔法のスキルレベル上昇に合わせて、消費魔力も上がっていた。

 だが、そうだったとしても。

 街一つ分の冒険者達の魔力をかき集めても一発も撃てないだなどという事態が起こり得るなど、カズマは想像してもいなかった。

 

(こいつの魔力量と爆裂魔法の消費魔力ってのは、一体どうなってんだ……!?)

 

 めぐみんの爆裂魔法は魔力で換算しマナタイトに換算すれば、一発数千万というとてつもない数字を叩き出す域にある。

 魔力を溜めたり引き出したりできる市販の吸魔石にめぐみんが魔力を込めれば、規格外の魔力で石が爆発するというレベルだ。

 めぐみんの魔力の比較対象になるのは、それこそ本物の神くらいしか居ない。

 

「……しょうがないですね」

 

 そこで、めぐみんは溜め息一つ。

 

「私の宝物で、切り札だったのですが……

 このままだと期待外れの大魔法使いになりかねないですし、しょうがないです」

 

「……めぐみん?」

 

 二度目の溜め息を吐いて、めぐみんは名残惜しそうにローブの中からマナタイトを取り出す。

 カズマは「持ってるなら最初から使えや!」と叫び、むきむきはそのマナタイトが、どこかで見た覚えがあるような気がしていた。

 マナタイトは結晶であり金属。特定材質の総称であり、魔法の魔力消費の肩代わりをして消滅する性質と、杖に混ぜることで魔法の威力を跳ね上げる性質を持っている。

 このマナタイトがあれば、爆裂魔法は撃てるのだろう。

 ならば、爆裂魔法を撃つことを愛して愛して愛してやまないめぐみんが、何故爆裂魔法を撃つためにこのマナタイトを使うことを、こうまで躊躇っているのだろうか。

 

「むきむきは覚えていませんか?

 いや、覚えていたとしても、一度加工したから分からないかもしれませんね」

 

「何を?」

 

「むきむきがあるえにペンをプレゼントしてた日のことですよ。

 あなたは私とゆんゆんに、自分で取ってきたマナタイトをくれたじゃないですか」

 

「……あ」

 

「ゆんゆんは早くに使ってましたね。

 むきむきの目の前で魔法の練習に使っていました。

 あれはあれでよかったんでしょう。

 むきむきの前で大切に使ったんだと教えてあげられたんですから」

 

「そのマナタイト、もしかして……」

 

「あの日から一ヶ月くらいゆんゆんはギャーギャー煩かったです。

 やれ友達から貰ったものがなんだの、転売は最低だのなんだの」

 

「めぐみん、まさか、あなたずっと私に嘘ついてたの!?」

 

「あの日、貰ったマナタイト」

 

 マナタイトに触れるめぐみんの手つきは、とても優しかった。

 

「あの日からずっと、こっそり肌身離さず持ち歩いていた私の切り札。私の宝物です」

 

 後でニヤニヤしたゆんゆんが鬱陶しく絡んで来るんだろうなあ、と思いつつ、めぐみんは何年も『使うべきだけど使いたくない』という気持ちで使ってこなかったマナタイトを握る。

 めぐみんは"むきむきの期待を裏切らない"という言葉を嘘にしないために、かつて吐いた"貰ったマナタイトは生活費のために売った"という嘘を、捨てる。

 

 人を繋いで、魔力を集めて、最後の最後に絆と想い出を放り込み。

 

 その全てを、よい終わりをもたらす紅き魔の爆焔へと変える。

 

「紅き黒炎、万界の王!

 天地の法を敷衍すれど、我は万象昇温の理! 崩壊破壊の別名なり!

 永劫の鉄槌は我がもとに下れ―――『エクスプロージョン』ッッッ!!!」

 

 めぐみんは、信じれば応えてくれる女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マジンガーンダム討伐後。

 アクアの支援魔法の効果が残っていためぐみんのハイパー爆裂により、マジンガーンダムは跡形もなく吹っ飛んでいた。

 その後泥に埋まっていたアクアもカズマが回収して、冒険者達は報酬の確認兼、大勝利のお祝いに大宴会を開くべく、アクセルの冒険者ギルドに集まっていた。

 

 皆が楽しそうにガヤガヤと話しているギルドの片隅で、むきむきはといえば、受付嬢のルナにこっそりと今日の戦いで活躍した人のことを語って聞かせていた。

 "あの人は頑張ってたんだからもうちょっとお金貰ってもいいはず"という、子供の浅知恵による可愛らしい裏工作である。

 

「―――というわけで、実際はアクア様も大活躍だったんです。

 あ、ダスト先輩も凄かったですよ。

 丸太を使って侵入経路を作ってくれた方の一人でした。その後もゴーレムを何体か倒してて」

 

「むきむきさん」

 

「リーン先輩は、魔法でマジンガーンダムの気を引いて助けてくれたんです。

 その後も機体外のゴーレム戦でも魔法を使って大活躍でした。

 あ、キース先輩も格好良かったですよ! 狙撃にロープ張りに器用な活躍でした!」

 

「むきむきさん?」

 

「機上の高い位置に魔法使いが陣取れたのは、キース先輩のおかげですよね。

 あ、テイラー先輩もいぶし銀に活躍してましたよ?

 こちらももっと褒められるべきです。

 あの人がデコイしてなければ何人怪我してしまっていたか見当もつきません」

 

「むきむきさん、あのですね」

 

「それでダクネスさんは……」

 

「むきむきさん! 多分本気で分かってないようなので言いますが!

 今のであなたは今回の戦いに参加した全員に

 『この人活躍したので報酬をもうちょっと上げてあげて下さい』

 って言ったことになります! あなたはもう全員褒めてるんですよ!?」

 

「……あれ?」

 

「褒めてないのはあなた自身のことだけです!

 それ以外はもう全員分褒めてます! 第一賞金の総額は決まってるんです!

 これで褒めた人達の分の賞金だけ増やしたらどうなると思います!? バカなんですか!?」

 

「……あっ」

 

「『僕の賞金減らせば良いのか』って顔してますね。しませんよ?」

 

 裏工作をしているつもりのむきむきを、冒険者達が遠巻きに見ていた。

 

「こんなことして、むきむきさんは贔屓でもしたかったんですか?」

 

「誰かを贔屓してるとかじゃないです。

 これは僕の、皆への『ありがとう』なんです。

 ありがとうは、何でもいいからちゃんと形にした方が伝わるかなって……」

 

「……口で言えば伝わりますよ、そんなもの」

 

 感謝してる人を一人ずつ挙げていったら、戦場で目についた"頑張っている人"を一人ずつ挙げていったら、必死に戦っていた人を一人ずつ挙げていったら、全員になってしまった。そんな話。

 苦笑しているルナの気持ちが分かるのか、並んで座るカズマとダクネスもつられて苦笑してしまっていた。

 

「めぐみんがカズマに言っていたな。『人をよく見ている人なんて、そんなもんです』と」

 

「ああいうことなんだろうな。ダクネスは知ってたのか? そういう顔してるけど」

 

「ああ。だから友人をやっている」

 

 むきむきは考えが浅かったり、思う通りに物事を運べなかったりすることも多いが、だからこそ周囲から"しょうがねえなあ"と思われるのかもしれない。

 この少年は足りていないのだ。

 強さがあっても、足りていないものが多すぎる。

 飛び抜けた戦闘能力が無いカズマも、頭と幸運が足りないアクアも、爆裂しかできないめぐみんも、攻撃ができないダクネスも、さびしんぼなゆんゆんも。

 きっと何かが足りていなくて、補い合ってこそ無敵になれる。

 

 カズマはむきむきをほんわか見守っている冒険者達の中心に立ち、シャワシャワがたっぷりと注がれたジョッキを掲げて、皆の注目をそこに集めた。

 

「皆、言いたいこととかたくさんあるだろうけど、まずはこれだろ?」

 

 酒を飲みたくてうずうずしているアクアとは目を合わせずに、カズマはジョッキを掲げて叫ぶ。

 

「―――乾杯ッ!」

 

「「「 乾杯っ! 」」」

 

 酒を飲んだり、騒いだり。

 語り合ったり、はしゃいだり。

 からかい合ったり、褒め合ったり。

 話の流れでカズマがわーっしょいわーっしょいと胴上げされたり、力自慢達にむきむきがわーっしょいわーっしょいっと胴上げされたり、アクアが私も私もとそこに突っ込んで行ったり。

 

 最後にアクアが胴上げされて、受け手の冒険者達がうっかり手を滑らせてしまい、床にビターンと落ちてしまったりもしたが、それもまた、アクセルの日常らしい光景だった。

 

 

 




 ガンダムと生身で殴り合うのは男のたしなみ


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3-4-1 カードゲームで言えば「相手ターンでも手札から発動可能な強制コントロール奪取」カード

光のボッチ(処女)と対になる闇のビッチ(処女)再襲来


 魔王軍八大幹部の一人、大悪魔バニルは感心したような声を出していた。

 

「露骨に特定の一人を狙い撃ちか」

 

「厄介な奴に的を絞って相性で嵌める。常套手段だろ」

 

 ただの人間でありながら、搦め手においては魔王軍屈指の腕を持つ幹部・セレスディナ。

 彼女へ、バニルは素直な賞賛を送る。

 

「悪くない。幹部複数であたるのであれば、よほど状況が悪くなければ勝利を得られるだろう」

 

 バニルとセレナがこうして話しているのを見れば、作戦の内容も大体は分かる。

 つまり、アクアの周りの特定の人間にきっちりと対策を立てた上で、かの女神を幹部複数できっちり追い詰めて仕留める。

 そういう作戦であるということだ。

 

「あたしの指示通り動いてくれよ?

 これはお前の宿敵を仕留める作戦でもあるんだ。

 勝手な行動は慎んで、一手一手丁寧に詰ませて行こう」

 

 セレスディナはホッとしていた。

 彼女主導で始めた幹部複数人による女神抹殺作戦だが、この作戦にはバニルという特大の不確定要素が存在している。

 『敵の強みであり弱み』を嫌らしく狙うというのがこの作戦の肝であったが、そのために必要な人物でなければ、セレスディナもバニルを誘いたくはなかったのだ。

 

(魔王でさえこいつは制御できない。

 いや、誰にも制御なんてできるわけがない……)

 

 そもそもの話、()()()()()()()()からこその大悪魔なのだ。

 人が神に唾吐いても神はそれを微笑んで許すだろう。

 されども大悪魔が神に弓引けば、神は全身全霊を懸けてそれを滅しようとするだろう。

 大悪魔バニルは、そういう存在だ。

 

「その素晴らしい作戦に、我輩はあえて従わぬ」

 

「!?」

 

 セレスディナの話をちゃんと聞き、その作戦の上等さを褒めちぎった上で、ホッとしたセレスディナを梯子外しで蹴落とす。

 それがバニルである。

 

「息を合わせての共同作戦など真っ平御免被る!

 我輩は先に行かせてもらおう!

 梯子を外されたその悪感情、美味である! フハハハハハハ!」

 

「待てコラァ!」

 

 セレスディナはバニルを止めようとするが、本気で移動する大悪魔に追いつけるわけもない。

 バニルはセレスディナを置いてけぼりで、アクセルの街に直行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その悪魔は、ある日突然むきむきの前に現れた。

 

「ほう、よく育ったものだ」

 

「え?」

 

「両親の面影が見える。あの赤子が、こうまでなったか」

 

「! 父さんと母さんのお知り合いですか!?」

 

 街中の路地裏に佇んでいた仮面の男。

 その男は仮面・話し方・雰囲気で、胡散臭さと掴みどころの無さを第一印象で叩きつけてくる者だった。

 むきむきもそれは感じていたが、両親の知り合いということで、警戒心が多少薄れる。

 

「うむ、知り合いと言えば知り合いか」

 

「あの、あなたは……?」

 

「奇縁という言葉は言い得て妙だな。

 奇妙な縁というものはあるものだ。

 全てを見通す我が眼が見通せないものもある」

 

「……? すみません、会話を成立させてもらえませんか」

 

「『全』とは定義の物であるからだ。

 未来には全に含まれないものも多い。

 神界や神の類もまた、全には含まれまい。

 全知の力があったとしても、可能性が生まれ続ける世界の全ては、知り得ないだろう」

 

「……ええと、結局どういうことなんですか?」

 

「結論から言ってしまえば」

 

 とん、と顔に何かが触れて、むきむきの視界が暗くなる。

 仮面を被せられたのだ、とむきむきが認識したその時には、彼の意識は闇に落ちていた。

 意識を失った筋肉の巨体を、仮面となった悪魔が動かす。

 

「我輩が見通し難いと思った者は、ほぼ確実に女神の縁者であることだ」

 

 仮面の悪魔は、その名に相応しい奇天烈な戦い方を始めようとしていた。

 

 

 

 

 

 今日は皆でクエストに出かける予定であった。

 カズマ達は全員揃い、街の外でむきむきを待つ。

 

「お、来た来た。

 おーいむきむきー、こっちだぞー。

 その仮面どうしたんだ? また露店で買わされたのか?」

 

 仮面を付けてやって来たむきむきは、無言。

 不思議に思うカズマだが、紅魔族の二人は何か違和感を感じて、近寄ってくるむきむきとカズマの間にアクアが割って入る。

 

「待ってカズマ。臭うわ」

 

「臭う? アクアお前、誰かが屁をこいた時はスルーしてやるのが優しさで……」

 

「違うわよ、これは悪魔の臭い!

 むきむきからとびっきりに臭い悪魔の臭いがするのよ!」

 

「また酔ってるのかお前」

 

「たまには信じなさいよ! 私の偉大さを理解してよ!」

 

 カズマは信じない。

 

「そっか、この感じ、悪魔!

 巧妙に隠してるけど、この魔力……最上位クラスの悪魔よめぐみん!」

 

「神話で神とガチンコで戦っているレベルの悪魔ですね。

 ……むきむきを真っ先に手中に収めに来るとは、なんと厄介な」

 

「なんだって!? どういうことだ二人共!」

 

 カズマは信じた。

 

「おかしい! この反応の違い絶対におかしいわダクネス!」

 

「よしよし」

 

 女神が神に祈るクルセイダーに泣きつくという事案が発生。

 

「お初にお目にかかる。

 魔王軍八大幹部の一人にして、七大悪魔第一席。

 我輩は見通す者にして地獄の公爵、仮面の悪魔のバニルである」

 

 バニルは仮面の下のむきむきの顔で、にたりと笑う。

 カズマのこめかみに、一筋の汗が流れた。

 

(……この肩書き、ラスボスより強い裏ボスとかのやつじゃね?)

 

 物凄く強そう、という印象はない。

 この上なく恐ろしい、という印象もない。

 なのに勝てる気がしない。打倒の想定に現実感が伴わない。不思議な雰囲気の悪魔であった。

 バニルと相対しているのがアイリスであったなら、"勝ち負けにこだわっているようにも、勝ち負けの枠の中に居るようにも見えない"と評していただろう。

 

 バニルの肩書きと雰囲気は相乗し、どうにもよく分からない印象を抱かせていた。

 仮面とは正体を隠すもの。

 しからば『仮面の悪魔』とは、『自分の本質や本音を他者に読み取らせない』という性質を表しているものなのかもしれない。

 

「むきむきをどうしたんですか? 返答によっては……」

 

「我輩が体を使っているだけだ。

 この男は魔法抵抗力がずいぶん低いようでな。

 特に労せず我輩はこの肉体を操ることができているのだ」

 

「めぐみん、こんなやつと話す必要なんてないわ!」

 

「管理者気取りでろくに管理もできていない神がよく言う」

 

「お生憎様、私達は世界の命運は人に決めさせる方針で一貫してるのよ! ぷーくすくす!」

 

 神と悪魔は、敵対関係にある。

 見方を変えれば、人と魔王軍以上に鮮烈に敵対している。

 

「いいカズマ? 悪魔っていうのはね、人間の感情を餌にしてるの。

 人間が居ないと食料が足りなくて今のまま生きてもいけないの。

 分かる? 寄生虫よ寄生虫! 寄生虫みたいなものなの!

 人間に寄生しないと生きていけないくせに、人間を食い物にする上位種を名乗ってるのよ!」

 

「……お前、本当に悪魔嫌いなのな」

 

「そりゃそうよ。

 神が愛し守る人間を苦しめて感情を食べたりするのよ?

 カズマだったら愛する子にでっかい寄生虫がくっついてたら、嫌な気持ちになるでしょ?」

 

「まあだいたい分かった。神と悪魔が殴り合ってる理由とかもな」

 

 人間に形のない恵みを与える神。

 人間の形のない感情を食らう悪魔。

 人間を挟んだ敵対関係なのだ、これは。

 知力が足りず小心者で欲に流されてしまうことも多いアクアだが、そのベースには人間や信仰者への愛がある。

 アクアの悪魔への嫌悪は、人間への愛の反転なのだ。

 

「くだらん。神も人間の信仰で力を得ているではないか。

 そういうのはな、寄生ではなく共生と言うのだ。

 神と人、悪魔と人。どちらも変わらず共生の関係でしかなかろう」

 

「じゃあなんで人を滅ぼすことが目的の魔王軍に居るのかしら! はい論破!」

 

「……ふむ、確かに。

 昔馴染みの魔王からの頼みとはいえ、そこを突かれると答えに困るな」

 

「ぷーくすくす! 反論できないとかやっぱり悪魔なんて頭悪いのね! この私を見習ったら?」

 

 悪魔は好みの感情を人間に出させるため、人間を攻撃したり、人間の敵に回らないといけない場合も多い。

 魔王軍に所属している悪魔には、人間に絶望や苦しみの感情を出させるためだけに、魔王軍に所属している者も少なくない。

 だが、人間が滅びてしまえば悪魔は糧を失うわけで。

 そこのところの矛盾はどうしようもなく、指摘されても仕方のない箇所なのだ。

 バニルは人間の死は望んでいないが、彼以外の悪魔は普通に人間を殺しているのだから。

 が。

 他の誰でもなく、宿敵の女神にそこを指摘されると、流石のバニルもイラッとする。

 

「だが貴様の煽りは、ちょっとどころではなく癇に障る!」

 

 バニルはむきむきの体を操って、アクアに殴りかからせる。

 無造作なパンチが女神に振るわれ、割って入ったダクネスの大剣に受け止められた。

 地面を強く踏みしめるダクネスは、巨大ロボを揺らすむきむきの拳を受けてもビクともしない。

 まさしく、人の形をした要塞だった。

 

「ふむ。硬いな」

 

 日々レベルを上げ、得たリソースを全て防御に回しているダクネスは、大悪魔から見ても驚くほどの頑強さを獲得している。

 

「……お前は知るまい。私とその男は、このPTの二枚盾なのだ」

 

 ダクネスは凛々しい表情で、よく通る声で、金の髪を揺らして叫ぶ。

 

「仲間を守るため、前に出る。それが私達の役割。

 ならばむきむきがその役目を果たせない間は、その分まで皆を守るのが私の役目だ!」

 

「やる気十分ではないか、最近気になる男が出来ていいところを見せたいと思っている娘よ」

 

「思っていない!」

 

 むきむきが居ない今こそ、ダクネスが最高にかっこよく活躍するチャンスなのだ。

 ダクネスが気合を入れている理由がそうであるか、そうでないかは別として。

 精神攻撃を食らって揺らいだダクネスの背後で、アクアが強気に大声を出す。

 

「いいわダクネス! そのままそいつ抑えておいて!

 私のとっておきの神聖魔法でぎゃふんと言わせて消し飛ばしてやるわ!」

 

「さて、この中で厄介な者が誰かと言えば……まず二人」

 

 瞬間、むきむきの姿がダクネスの視界からかき消える。

 バニルがむきむきの体を適当に扱うのをやめ、その肉体に備わっていたスペックを強制的に引き出したのだ。

 バニルの魔力がむきむきの肉体に流れ、滑らかに筋肉が躍動する。

 

 仮面の悪魔と化したむきむきは、一瞬でダクネスの前からアクアの背後に回り込んでいた。

 

「ぎゃふんっ!」

 

 後頭部をぶん殴られ、ぎゃふんと言わされたアクアが倒れる。

 そして、倒れたまま動かない。

 

「アクア!」

 

「女神。そしてそこの小賢しい男、であるな。

 13歳の同性の友人を風俗の道に引きずり込もうとしている男よ」

 

「し、してねーし! 思い留まったし!」

 

「……」

「……」

 

「めぐみん、ゆんゆん、その目を止めてくれ!

 これは仲間割れを狙う魔王軍の卑劣な策略だ!」

 

 卑劣。それは真実を隠し、他人に濡れ衣を着せる者の呼称。

 はたして本当に卑劣なのはどちらなのか。

 ……なんてことは、どうでもいいのだ。

 カズマが弁明に思考を割いてしまったその一瞬に、カズマもいい筋肉の一撃をもらってしまっていた。

 

「うぶらっ!」

 

 カズマも轟沈。

 事実上むきむきの体を人質に使っているバニルに対し、有効な手を打てそうな二人があっという間に沈められてしまっていた。

 

「なんだ、この動きは……!?」

 

 ダクネスはカズマ達を守ろうとしていたが、バニルの高速移動に付いて行けていない。

 今は紅魔族の二人を守っていたが、少しでも離れれば今の二の舞いになりそうですらあった。

 

「速度が足らんのだ。それでは我輩に追いつくなぞ夢のまた夢よ!」

 

 このバニルの強さはシンプルだ。

 言葉で相手を誘導し、揺さぶりをかけつつ殴りに行く力技一体。

 小細工が上手い曲者の頭脳と、むきむきの超スペックのコラボレーション。

 すなわち、普段カズマとむきむきが見せている強さと、近しいところがある強さであった。

 

「『ストーンバインド』!」

 

 ゆんゆんが土属性の拘束魔法を放つも、むきむきの体がひょいひょい跳んで当たらない。

 まるで、子供が伸ばした手を素早くかわすバッタのようだった。

 

「魔法のキレは悪くない。

 が、この肉体の持ち主を気にし過ぎでは当たらんぞ?

 幼馴染に胸を揉まれてから夜な夜な悶々としているいやらしい娘よ」

 

「し、してませんから!」

 

「そこな娘に至っては、使える魔法がネタ魔法のみ。

 使い勝手の悪い爆裂魔法では、この局面では何もできまい。

 なあ、最近色々あって女らしさを出すため髪を伸ばそうか悩んでいる少女よ」

 

(冷静に、冷静に、動揺したらこの悪魔の思うツボです……

 というか、むきむきの口を使われてこういうこと言われるのは、こう……!)

 

 バニルは本当のことを言う必要も、嘘を言う必要もない。

 仮面の悪魔が求めるのは自分の好みの味をした悪感情。

 相手の本質を見抜き、相手が言われたくないことを虚実入り交えて語ればそれでいいのだ。

 嘘で動揺させることも、真実で動揺させることも、等しく話術なのだから。

 もっとも、バニルが語ることはその多くが真実である。

 

「めぐみん、ゆんゆん、どうすればむきむきを助けられる?」

 

「あの仮面を引き剥がせば、どうにかなる気はします」

 

「一度捕まえなければ無理か」

 

 バニルの魔力が少年の体を巡り、豪快な連打が瞬時に放たれる。

 跳ね回るむきむきの拳が、ダクネスの鎧に拳の形の凹みをいくつも残していた。

 

「ぐっ……!」

 

 普段のむきむきより一段上の強さが発揮されている。

 他人の体を使って元の持ち主より強いのは、流石大悪魔といったところか。

 ダクネスの体にでも取り憑いていれば、攻撃が当たり巧みな剣技も使うスーパーダクネスが爆誕していたかもしれない。

 

 この状況でキーマンとなるのは、緻密な魔力制御と多彩な魔法を使えるゆんゆんだ。

 

「『ボトムレス・スワンプ』!」

 

「『デコイ』!」

 

 ゆんゆんの魔法だけであれば、まず当たらなかっただろう。

 だが、バニルが跳躍に入るその瞬間に、ダクネスがデコイを発動させていた。

 デコイは敵の敵意と注意を引きつけるスキル。

 言い換えれば、敵の意識に作用するスキルだ。

 

 タイミングを間違えなければ、他人の魔法の成功率を多少なりと引き上げられる。

 

「しまった! このバニルともあろうものが……!」

 

「やった!」

 

 キールからの指導と日々の研鑽によってゆんゆんの腕が上がっていたこともあり、泥沼は魔法抵抗力の低いむきむきの体を見事に捕らえる。

 バニルが焦りを見せ、皆がここでひとまずの決着を確信した。

 

「なんちゃって」

 

 が、バニルはむきむきの両の手を平手にして沼に叩きつける。

 技巧と剛力を組み合わせた一撃が、泥沼の泥をたった一発で形も残らず吹き飛ばしていた。

 

「やった! 成功だ! と思った直後の台無し感。その悪感情、美味である」

 

「超殴りたい……!」

 

 他人を手玉に取る手合いが、むきむきのパワーを扱えるとこうも厄介になるというのか。

 めぐみん達は普段カズマとむきむきに蹂躙されている敵に同情の念を抱きつつ、それと同じくらいに大きな危機感を抱いていた。

 再開される豪快な連打。

 バニルが特に何も考えずむきむきの体を動かすだけで、ダクネスの鎧が面白いようにベコベコになっていく。

 

「しかしいい肉体だな、これは。

 我輩が使うだけでこれなのだ。

 普段どれだけ宝の持ち腐れになっているか察せようというもの」

 

 バニルは()()()()のことを思い出す。

 そして()()()()()()のことも思い出す。

 この悪魔から見ても、むきむきの肉体はそれらに比肩するものであるようだ。

 ただ、その精神は戦闘者としてはあまり評価されていない様子。

 

 見通す悪魔はそう言って、めぐみんは露骨に眉を顰めた。

 

「持ち腐れかどうかは、勝手に体を使っているあなたが決めることじゃありません。

 その肉体はむきむきのもの。あの甘ちゃんだけが使っていいものです」

 

「おお、こっ恥ずかしい台詞確かに頂戴した。

 その調子で言いたいことは素直に言い合い、男女で続々繁殖するが良し」

 

「煽り芸だけはカズマ並な悪魔ですね……!」

 

 バニルに人間を殺す気はない。

 アクアは殺す気で攻撃したが、カズマは気絶で済むように手加減していた。

 今また、めぐみんの背後に一瞬で回り込んだバニルは、手加減した一撃をめぐみんのうなじに叩き込もうとする。

 

「……む?」

 

 だが、その手が止まった。

 

「やっちゃいけないことが……やっちゃいけないことは、あるんだ……!」

 

 むきむきが意識を取り戻し、内からその攻撃を止めたのだ。

 めぐみんを殴るなど、彼にとっては最大級の禁忌である。

 

「ほほう、魔力由来の力ではなく精神力で抗うか。

 ……む? いや待て、まさか貴様、これは……」

 

 まさか、と思いバニルは倒れたアクアを見る。

 バニルは殺したつもりだったようだが、アクアは情けない顔で気絶しているだけだった。

 そも今のむきむきの肉体のパワーであれば、殴られたアクアの頭はスイカ割りのスイカのようになっていなければおかしい。

 むきむきの干渉で、拳が当たる寸前に手加減されていたという証左だ。

 

 アクアは確定死の攻撃を確定気絶の攻撃にまで軽減されていた。

 ならば、バニルが気絶させるつもりで殴らせたカズマはどうなのか。

 それに気付いたバニルがカズマを探すが、カズマの姿はどこにも見当たらない。

 

「そういうことか!」

 

「そういうことだよ! くたばれ!」

 

 カズマは攻撃を食らって気絶したふりをして、潜伏スキルを発動してゴキブリのようにこっそり這い回り、草むらに隠れてじっと期を待ち、今この瞬間にバニルに奇襲気味に飛びかかっていた。

 

 "女神の近くでは見通す力を含む悪魔の異能が十全に機能しない"という『幸運』が、カズマにとっての望外の幸運となり、彼の後押しをする。

 

(だが、この男は冒険者! 大したスキルはあるまい!)

 

 何をしてこようとも、一発ではやられないだろうという考えが、バニルの中にはあった。

 されど、その認識も一撃で覆される。

 カズマの手が仮面に触れると、バニルの中にとんでもない苦しみと不快感と倦怠感が流し込まれて来たのだ。

 

「こ……これは!?」

 

 カズマは僅かな躊躇いもなく、気絶したアクアから魔力をドレインタッチで吸い上げ、それをバニルに流し込んだのだ。

 それも、アクアが羞恥から決して吸わせないようなアクアの深奥にある『濃い』神聖な魔力を。

 

「いつか悪魔かアンデッドにやってやろうと思ってたんだよ!

 喰らえ必殺、逆ドレインタッチィ! アクアパワーで死ねえ!」

 

「な、なんということを考えつくのだこの男!

 ぐ、ぐぐっ、女神の忌まわしい魔力が……ぐぅっ……!」

 

 ……タイミングと状況さえ理想的であれば、ウィズ相手でも仕留められる可能性がある裏技であった。

 

 アクアは流した涙でさえアンデッドの王を弱らせるほどの、全身洗剤女神である。

 浄化の象徴である流水の概念も内包しているのは伊達ではない。

 魔力そのものに神聖な浄化の力が宿っており、バニルにもダメージを与えるものなのだ。

 

「いいぞカズマ、そのままやれ!」

 

「くっ、離せ!」

 

 ダクネスが背後からむきむきを捕まえる。

 器用度はゴミカスダクネスな彼女だが、筋力は十分にある。

 彼女がむきむきの胴を捕まえ、そしてめぐみんとゆんゆんがむきむきの両腕を捕まえる。

 

「むきむき! そろそろ正気に戻ってください!」

 

「戻って来て! そんな悪魔に負けないって、信じてるから!」

 

「ぬぅ、ここぞとばかりに……!」

 

 "めぐみんとゆんゆんに怪我なんてさせない"と、今日一番に強烈なむきむきの抵抗がバニルの内部で大暴れする。

 その抵抗のせいで、三人をロクに振りほどくことができない。

 カズマは継続して、アクアの魔力を流し込み続けた。

 

「お前の大嫌いなアクアの魔力でくたばれ!」

 

「御免被る! それだけは絶対に受け入れられん!」

 

 バニルは仮面と化した自分をむきむきの腕で掴み、仮面だけでも逃がすべく投擲しようとする。

 その逃げ方を見て、カズマは反射的にドレインタッチを解除し、その手の平を仮面を掴むむきむきの手に向けていた。

 

 今のバニルは装備品扱いになっているため、召喚などでむきむきだけを助けようとしても助けられない。

 が、"手に持った"今のタイミングであれば、分かりやすくスティールの効果対象だ。

 

「『スティール』!」

 

 アクアの魔力で弱ったバニルに、スキルが決まる。

 カズマが反射的に撃ったスティールが、バニルの仮面を引き剥がしていた。

 仮面が外れたむきむきの体が、バタリと倒れる。

 

「なんだと!?」

 

「投げろダクネス!」

 

「あい分かった!」

 

 カズマがダクネスに仮面を投げ、ダクネスが思いっ切り空へと投げ上げる。

 

「おのれぇ、人間ごときにぃ!」

 

 コテコテのテンプレな『やられる悪役の台詞』を吐いて、バニルの仮面ははるか上空へ。

 

「行け、ゆんゆん!」

 

「はい!」

 

 カズマはアクアの魔力をこれでもかと吸い、ゆんゆんはカズマから渡されたアクアの魔力を、光の刃の形に練り上げる。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 神聖で、上質で、底無しであるアクアの魔力。

 

 それを紅魔族の超スペックで練り上げた最高の光の一撃が、バニルの仮面をとても綺麗に両断していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうこんな戦いは嫌だ、とカズマは心底思っていた。

 バニル撃退から約一時間後。

 彼らは自宅である屋敷に帰るだけの気力も持てず、近場のウィズの店に寄り、まだ普通に使える類の回復薬を買って、そこで傷の手当てをしていた。

 

「いちちち……」

 

 カズマはゆんゆんに手当されながら、後からじわじわとダメージが増してくる傷口をさする。

 むきむきの一撃は、寸前でむきむきが手加減してくれてなお重かった。

 アクアはまだ意識を取り戻していない。

 ダクネスの鎧もボコボコだ。

 アクアが起きて上位の回復魔法でもかけてくれなければ、今日一日はカズマもダクネスも戦えなさそうだ。

 ゲーム的に言えば、負傷は少ないがHPが真っ赤っ赤、といった感じだろうか。

 

 つくづく、最初にヒーラーを落とすという王道戦術の恐ろしさを思い知らされる。

 

「敵に回して初めて理解したぞ。むきむきの素の戦闘力の恐ろしさ……」

 

「単純なステータスの暴力は、本当にどうしようもなかったな。見ろ、私の鎧がベコベコだ」

 

「RPGのラスボスだわアレ。こっちが一回行動する間に三回行動してくるやつ」

 

「あーるぴーじー?

 それが何かは知らないが、行動回数というのは分かる。

 バニルの立ち回りが上手かったのもあるが、戦闘速度の差が大きかった」

 

 この世界には素早さのステータスは存在するが、素早さ特化の存在はそこまで多くない。

 むきむきレベルのスピードでも少なく、グリーンレベルの速度特化ともなれば更に少なくなるだろう。

 敵が速く、味方に速い人間が居ないだけで、今日のように後衛から落とされかねない。

 

「バニルとかいうあの幹部。

 敵戦力を減らして自分の戦力増やす乗っ取りスキルとか、二度と見たくないな」

 

 今回は、普通に全滅があり得た戦いだった。

 特にむきむきというエースを奪われ、カズマとアクアというジョーカーを先んじて潰された流れは、もう二度と繰り返してはならない流れである。

 カードゲームで言うところの、メタカードを使われたに近いどうしようもなさがある。

 

「公爵級の大悪魔にしては弱かった気がしますけどね。

 本気を出さないまま魔界に帰ったのかもしれません」

 

「おいめぐみん、怖いこと言うなよ。他の幹部が更に怖くなるだろ」

 

「公爵級の悪魔といえば、本来は神々の宿敵です。

 世界の終末に現れ、世界の存続を賭けて神々と戦う存在ですよ?

 人類の存亡を賭けた戦い程度の些事に出て来るような小物じゃありません。

 ま、当たれば私の独力の爆裂魔法でも、一回くらいは殺せると思いますが……」

 

「違った。一番怖いのはそんな魔法をやたらと撃ちたがるお前だった」

 

 危険な戦いが終わり、カズマ達の間には弛緩した空気が広がっていた。

 

「まあ、それも過ぎたことだ。私達は奴を倒したのだから」

 

「ほほう、誰を倒したと? 我輩にも教えてくれ」

 

「そりゃお前魔王軍幹部のバニルに決まってうわあああああっ!? なんでいんのお前!?」

 

 その空気が、何故かまた現れたバニルの存在に引き締められる。

 

「いやはや、我輩を一度打倒するとは見事見事。

 それとご苦労。

 これで我輩も面倒臭い役目から解放されたというものだ」

 

「ど、どういうこと?」

 

 バニルはそうは言わないが、これはバニルが自身のために仕組んだことであり、同時に人類が魔王軍に勝つ目を作るための"戦争のバランス調整"でもあった。

 

「幹部は魔王城の結界維持を担当していてな。

 我輩も魔王への義理から手伝っていたが、最近飽きてきたのだ。

 とはいえこの結界維持、手っ取り早く辞めるには死ぬしかない。

 お前達の奮闘(笑)のおかげで、我輩は晴れて自由の身になったというわけだ!」

 

「カズマ、こいつにここまで苛つくのは……

 私がエリス様に仕えるクルセイダーだからなのだろうか……!?」

 

「いや、誰でも苛つくだろこれ。

 戦いに勝っても負けても最終的な勝者になってるとか……

 勝っても負けても満足して笑ってるとか、勝負の土俵に立ってすらいねえ」

 

 "イラッとくる敵"の最上位存在は、勝敗の外側に居て勝とうが負けようが笑っている者である。

 殴るだけではどうにもできない者である。

 他者の性格や思考を把握している者である。

 何故ならば、そういう存在は敵対したり排除しようとしたりしても、相手を楽しませる結果にしか終わらなかったりするからだ。

 

 バニルは、そういう悪魔であった。

 

「い、いやちょっと待ってください!

 あなたがここに居る説明にはなってませんよ!?」

 

「友人の家を訪れるのに、理由がいるか?」

 

「友人? ……あっ」

 

 めぐみんが問い、バニルが答えて、二人の紅魔族が瞬時に察する。

 二人の視線がウィズに向けられたのを見て、カズマとダクネスも察した。

 ウィズがほんわかした雰囲気で微笑む。

 

「バニルさんは私のお友達です。

 私も魔王軍の幹部で、結界を担当している一人ですからね」

 

 そして、予想外の事実までもを明かしてきた。

 

「さらっと言うことじゃねー!」

 

「え? ……あっ。確かにそうですね」

 

「フハハハハハ! まったく、この天然貧乏店主め!」

 

 カズマが叫んで、ウィズが"あ、うっかり言っちゃった"といった顔をして、バニルが爆笑する。

 

「え、じゃあウィズはマジで魔王軍の幹部なのか……?」

 

「はい、そうです。魔王様の頼みを断れなくて」

 

「この貧乏店主の開店資金はどこから来たと思う?

 冒険者時代の貯金。そして魔王の私財を売った金だ。

 リッチーになって調子に乗った当時のこやつは、魔王の私財を魔王城で売り払い……」

 

「わー! わー! バニルさんそれは内緒にって言ったのに!」

 

「とまあ、そういうことである。魔王の頼みを断れなかった理由も分かるであろう?」

 

「……ウィズもちゃっかりしてんのな」

 

「昔はこういう人間ではなかったのだがな……

 リッチーになる前、冒険者だった頃とは大違いだ」

 

 カズマはもう呆れるしかない。

 

「で、その魔王城の結界ってのは?」

 

「魔王城の結界は幹部全てを倒して初めて消えるものだ」

 

「……ウィズも?」

 

「無論である」

 

 カズマが、ダクネスが、めぐみんが、ゆんゆんが、ウィズを凝視する。

 ウィズが生きている限り、魔王城は結界に守られたままだという。

 この流れに身の危険を感じたのか、ウィズは慌てて代案を出してきた。

 

「わ、私を倒す必要なんてないですよ。

 アクア様なら、残り幹部が三人くらいになった段階で破壊できると思います。

 私が街の周りに張った魔物避けの結界を、怪しいからとまとめて吹き飛ばしていましたし」

 

「あいつマジで何やってんの?」

 

 無くてもいい結界でしたから大丈夫ですよ、とウィズは苦笑する。

 

「私も昔魔王城に一人で殴り込みをかけた時、五人で維持していた結界を壊しましたし」

 

「お前もマジで何やってんの?」

 

 俺の周りには危ない女しか居ないのか、とカズマは戦慄した。

 ウィズは代案を出し、戦いを避けるべく必至に言葉を尽くしていた。

 

「で、ですから、私と戦う必要なんて無いんです。

 第一私はリッチーですよ? アンデッドの王なんですよ?

 戦ったら苦戦は必至です。死んじゃうかもしれませんよ?

 がおー! ほらほら、リッチーです、怖いでしょう?」

 

「いや全然。その辺歩いてる野良犬の方がまだ怖い」

 

「!?」

 

 カズマのワードパンチがウィズに突き刺さり、涙目にした。

 ウィズの事情や、ウィズを倒さなくていい理由は分かったが、敬虔なエリス教徒であるダクネスはこれを素直に受け入れられない。

 

「待て、魔王軍幹部の言葉だぞ?

 ウィズが敵だから戦えとまでは言わない。

 だが、少しは疑ってかかるべきではないのか?」

 

「以前むきむきが人を介してある占い師から聞いた内容と一致します。

 魔王城にそういう結界があるのは本当のことですよ。

 逆に言えばウィズは、嘘もつけたのに本当のことを話していたことになります」

 

 それはある程度の信用要因になるのでは、とめぐみんは言った。

 確かに、ウィズに昔むきむきが占い師から聞いた内容を確かめるすべなどあるはずがない。

 ダクネス個人としても、むきむき経由で知り合ったこのウィズという女性には好感を持っている。その人格も信用できるものだと思っている。

 ダクネスは口をもごもごとさせ何かを言いたそうにしていたが、結局何も言わずに、むすっとした顔で佇んでいた。

 

「じゃ、ウィズのことは皆内緒ってことでいいな?」

 

 カズマの確認に、首を横に振る者は居なかった。

 

「いいんですか?

 さっきまで必死に言い訳してた私が言うのもなんですけど……

 その、私は、魔王軍の幹部でリッチーなんですよ?」

 

 ウィズが不安そうに言って、キール(リッチー)の弟子でもあったゆんゆんが微笑む。

 

「……『リッチー』ですからね、ウィズさんは」

 

「そうです。人類の敵、リッチーです」

 

「良いリッチーも、悪いリッチーも居ると思うんです」

 

「……! ありがとうございます!」

 

 他の人間ならばともかく、このPTには『リッチー』や『魔王軍』を受け入れることができる、少し特殊な下地があった。

 先日、そういう事件があったからだ。

 

「今更ウィズを倒そうなんて思いませんよ。今ここに居ないむきむきも悲しみそうですしね」

 

「めぐみんさん……」

 

 ウィズの人格や性格をよく知っているめぐみん達が、今更彼女を突き放すことはない。

 

「アクアが起きてなくてよかったな、マジで……

 こいつだったら問答無用で消しに行ってたぞ、絶対。

 明日あたり俺が教えて、ついでに説得もしておくよ」

 

「す、すみません、お手数をおかけします……」

 

 ただし、アクアは除く。

 その場のノリで消しに行っていた可能性も否めない。

 アクアとウィズは気が合うフシがあるので、もうちょっと親しむ時間が必要だろう。

 カズマは今日沢山入って来た情報を脳内で整理しつつ、いつまで経っても帰って来ないむきむきをちょっと心配していた。

 

「めぐみん、ゆんゆん、むきむき迎えに行ってくれ。

 医療道具買ってくるって言ってたが、流石に遅い。

 多分気に病んでどっかで泣いてるぞ、むきむきのやつ」

 

「……そう言われるとそんな気がしてくるのが不思議ですね」

 

「カズマさん達を攻撃したこと、本当に気にしてたもんね」

 

 むきむきはバニルの支配から開放されるなり、これでもかと頭を下げて謝り倒していた。

 外に出て行っていつまで経っても帰って来ないことから、どこかでぐすぐす泣いているのではないかとカズマは予想する。

 どうせカズマとダクネスは歩くのも辛いレベルでダメージが蓄積されているのだ。

 気心知れた、紅魔族二人に行ってもらった方がいい。

 そう思っての、カズマの指示であったのだが。

 

 そこで、商品の陳列を整理していたバニルがぼそっと一言呟く。

 

「いや、もう手遅れだと思うが」

 

 見通す悪魔のその一言に、その場の全員がぎょっとした。

 

 

 

 

 

 カズマの予想は半分くらいは合っていた。

 

(やっちゃった……)

 

 むきむきは罪悪感で今にも泣き出しそうな心境で、包帯や薬を買い漁っていた。

 だが、泣いてはいない。

 彼は自分の頬を両手で叩き、"もう二度とこんなことは起こさないようにしないと"と気合いを入れる。

 そして仲間に手を出してしまった分、仲間によくしてあげないと、と思っていた。

 怪我させてしまった分、仲間に優しくしてあげないと、と思っていた。

 

(もう操られないようにしないと。気を付けないと)

 

 失敗を反省し、次に活かす。

 次からはもうあんな仮面の乗っ取り攻撃は食らわないぞ、と奮起していた。

 気合いを入れているむきむきに、その時背後からかかる声。

 

「財布落としましたよ?」

 

「え? あ、本当だ。ありがとうございます!」

 

 財布を拾ってもらって、むきむきは拾ってくれた人に感謝する。

 

(何かお礼した方がいいかな)

 

 財布を拾ってくれたのは、印象に残らない人間だった。

 フードを被ってはいるが、顔を隠してはいないため怪しい印象は受けない。

 服は厚手で、フードと合わせて体格や髪の色さえ分からない。

 声は中性的、顔も平均的で、性別すら判別しにくい。

 まるで、魔道具で顔や声を誤魔化しているかのよう。

 

 印象に残らないその人に、むきむきは恩を感じていた。

 

「お前ちょろいな。

 こんなことであたしに『借り』が出来たと思ったのか。

 あたし相手に、"ありがとう"を何か形にしようとしたな?」

 

「……え」

 

「義理堅いやつはあたしのカモだ。とても扱いやすい」

 

 その人がそう言った時点で、むきむきの思考から平静さは失われていた。

 一秒前のことを覚えていられない。思考が繋がらない。目はちゃんと開いているのに、視界が揺れる。

 

 むきむきは他人をちゃんと見ている人間だ。

 恩を感じ、それをちゃんと返そうと考える子供だ。

 周りの人達が自分を助けてくれたことを、貰った恩を、彼は小さなものであっても忘れない。

 だからこそ、周りの人から助けて貰える少年だった。

 

 その性格の天敵に成り得る人間というものも、この世界には存在する。

 例えば、『"借りが出来た"と相手に認識させた瞬間、その相手を強制的に隷属させる能力』を持つ人間などだ。

 

「意識が朦朧としてきたろう?

 このタイミングなら、あたしが何を話してもお前は覚えていない。

 お前が普通の人間から、邪神の力の傀儡になってしまう瞬間だからだ」

 

 意識が途切れ途切れになる。

 むきむきはいつの間にか、財布を拾ってくれた人物と暗い路地裏に居た。

 連れて来られたのか、と思考し、その思考が次の瞬間蒸発する。

 違う、僕は自分の足でここまで歩いて来たんだ、と気付いて、その思考が霧散する。

 

「邪神レジーナは傀儡と復讐の女神。

 信者に与える権能も同じ。

 あたしはあたしに『借り』『恩』を感じたやつを傀儡に出来る」

 

 もう指一本も動かせない。

 自分の意志で呼吸を続けることもできない。

 なのに体は動いて、呼吸していて、勝手に目の前の人物に跪いている。

 『むきむきの意志に反して』、『むきむきは自分の意志でその人物に跪いていた』。

 

 たった一回、自分が落とした財布を拾われたというだけのことで。

 

「貸し借りは目に見えない首輪と鎖だ。

 誰かにデカい借りがあると思えば、そいつによくしてやろうと思う。

 そいつにデカい貸しがあると思えば、そいつの態度の横柄な部分が目につくようになる。

 人間っていうのは大昔から、貸し借りってものに心を操られてきた生き物だ」

 

 恩を着せて、着せた恩を操って、対象の人間を傀儡とする。

 それが、この人物の固有能力。

 国に全てを捧げてきた忠臣でさえ、ほんの数秒で国を裏切ったスパイへと変える外法。

 

「お前もそうなる。ようこそ、新しい心の世界へ」

 

 魔王軍幹部セレスディナの『傀儡』。

 

 それは、どんなに善良で心の強い人物であったとしても、悪の手先と化す洗脳能力であった。

 

 

 

 

 

 むきむきを手駒として確保したセレスディナ。

 街の人に話を聞いて、むきむきの足跡を追うめぐみんとゆんゆん。

 二人の紅魔族が追いついたのは、セレスディナとむきむきが街の外の森に入ろうとする直前だった。

 

「おーおー、見つかるのが早いな。

 森の中であと何時間か様子を見ようかと思ってたんだが」

 

「むきむきはその巨体です。

 アクセルに来た余所者と一緒に歩いていれば、嫌でも目立ちますよ」

 

「だろうな。工作員とは相性が悪いんだよ、こいつは」

 

 フードを深く被った人物は、それが男なのか女なのかも分からない、そういう小細工を服装の各所に仕込んでいた。

 

「むきむき、帰りましょう?」

 

「帰らないよ。二人とはここでさよならだ。僕はこの人と一緒に行く」

 

「……むきむき?」

 

 むきむきの様子までおかしい。これはもう役満だ。

 ゆんゆんは時々発揮するとんでもない決断力を見せ、詠唱無しの抜き撃ちで魔法をセレスディナにぶっ放す。

 

「『ライトニング』!」

 

 その雷を、むきむきは小虫でも払うかのように叩き散らした。

 

「……! この感じ、まさかまた……!」

 

 異常な光景だった。

 アイリスが見たなら、これは夢だと思うような光景だった。

 むきむきが今日初めて会った人間を守り、めぐみんとゆんゆんに敵意と拳を向けている。

 

「むきむき、その二人を殺せ」

 

「―――!」

「―――っ!?」

 

 セレスディナの指示で、むきむきは殺意のこもった拳を振るった。

 いつも自分達を守ってくれた彼の殺意に、二人の紅魔族は驚愕と動揺でまともに対応することさえできない。

 

「『アンクルスネア』!」

 

 ゆんゆんの拘束魔法でさえ、むきむきは飴細工のように粉砕して来る。

 これが傀儡。人の情を利用して、同士討ちと仲間割れを誘発する外法。

 敵を簡単に寝返らせて、絆を容易く壊す邪悪な技だ。

 これで一体、どれほど多くの人の繋がりが壊されてきたのだろう。

 

「……っ……ッ……!」

 

 だが、むきむきはその悪意から、自分の大切なものを守らんとする。

 彼の拳は、ゆんゆんの目の前で止められていた。

 

 少年は自分の意志で歯を食いしばろうとして、自分の意志でセレスディナに指示されていないことはしないようにして、歯がガチガチと音を立て始める。

 意志と意思がぶつかり合って、全身から冷や汗と脂汗が吹き出していた。

 むきむきは自分の意志で二人の紅魔族を殺そうとして、自分の意志でそれを止めようとして、こんな二人を殺す程度のことに自分は何を躊躇っているのだろう、なんて疑問を持ちながら、必死に拳を止めていた。

 

「頑張って、負けないで、むきむき!」

 

 ゆんゆんが応援するも、セレスディナは特に驚いた様子も見せず、彼に向けて手をかざした。

 

「これじゃ容量不足か。なら、もう少し増やすかね」

 

 むきむきに向けられる傀儡の強制力が、十倍に増えた。

 

 セレスディナの力の総容量を100とする。

 むきむきはこういった魔法への抵抗力が極端に低いため、容量を1使うだけで簡単に操れる。

 簡単に操れるのにたいそう強いという、傀儡の理想と言ってもいい少年だ。

 が、今は10ほど容量を割いても、めぐみんとゆんゆんを殴らせることもできないでいる。

 

 傀儡はより多くの容量を割くことで、より強力な強制力を発揮することができるのだ。

 ここまでの道中でセレスディナは義理堅いむきむきに多くの『貸し』を作っており、それが尽きるまでの間は、むきむきは彼女の傀儡で居続ける。

 

「お前ら二人、いいところに来てくれた。

 こいつに身内を殺させるには、どのくらいの容量が必要か……

 その指標が欲しかったんだよ。お前らは最高の指標になってくれそうだ」

 

「あなたは一体、何者なの!?」

 

「お前達の敵だ。それでいいだろ?」

 

 情報なんて欠片も与える気のない返答。セレスディナは名乗りもしない。

 彼女は本当に操りたい相手には、しっかりと多くの容量を割く。そういう堅実な人間だ。

 割かれる容量が13、14、15と増えていき、セレスディナがむきむきに着せた恩が彼に対する強制力を増していく。

 

 むきむきは、ここに来るまでの間にセレスディナにジュースを一本奢ってもらっていた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、めぐみんとゆんゆんを殺させられそうになっていた。

 

 それが、到底釣り合うものでなかったとしても。

 着せた恩と隷属行動のトレードオフを、傀儡の力は強制させる。

 今度こそ、殺意を込めて振るわれた拳は止まることなく振るわれた。

 

「むきむき――」

「大丈夫――」

 

 逃げても無駄。抵抗も無駄。されども、二人は自分が死ぬとは思っていない。

 

 めぐみんは、彼を信じる。

 何度転んでも、何度落ち込んでも、彼は立ち上がる人物だと信じている。

 立ち上がるたびに強くなる人物だと信じている。

 本当の窮地にこそ、彼の底にある強さは見えるのだと、彼女は知っている。

 

 この窮地も、彼ならばその強さで乗り越えられるはずだと、めぐみんは信じている。

 強く成れるのが彼であると、彼女は信じている。

 周りが彼の弱さを知り、どれだけ彼を弱い人間だと思ったとしても、自分は誰よりも彼の強さを信じようと、そう決めていた。

 

 他人に優しくできる強さ。

 めぐみんは、彼の優しさは強さであると想っていた。

 

 ゆんゆんは、彼を信じる。

 何度も転ぶのは、何度も落ち込むのは、彼が弱い人間であるからだと、ゆんゆんは考えている。

 弱い人間が挫けてもなお立ち上がろうとするからこそ、その熱い覚悟と選択には価値があるのだと、ゆんゆんは思っている。

 強い人の勇気ではなく、弱い人の勇気だからこそ、本当の窮地に信じられるものになってくれるのだと、彼女は信じている。

 

 敵に操られても、そんな弱さを乗り越えて、またいいところを見せてくれると、ゆんゆんは信じている。

 弱くても頑張っているのが彼であると、彼女は評している。

 周りが彼の強さを知り、どれだけ彼を強い人間だと思ったとしても、自分だけは彼の弱さを見ていてあげようと、そう決めていた。

 

 弱い人だからこそ、他人の弱さに優しくできる。

 ゆんゆんは、彼の優しさは弱さから生まれるものだと想っていた。

 

 付き合いの長い三人だ。

 本当の本当の窮地には、信じてやれる。信じて懸けられる。

 今日までの日々に積み上げたものを思い返して、そこに懸けられる。

 

「――信じてますよ」

「――私、信じてるから」

 

 イスカリアの時も、めぐみんはむきむきの強さに救われていて、ゆんゆんはむきむきの弱さを目にしていた。

 めぐみんは最強の魔法使いを名乗っている。

 その強さを補い合えると、むきむきを心から認めている。

 ゆんゆんは自分の弱さや情けなさをよく知っている。

 むきむきとなら、互いの弱さを補い合えると思っている。

 

 勿論、めぐみんはむきむきの弱さをよく知っているし、ゆんゆんもむきむきの強さをよく分かっている。

 それでも、根本の部分が違う。

 二人が共に"その優しさが拳を止めるだろう"という同じ結論に至ったとしても、その過程(プロセス)は全く違うものだった。

 

 めぐみんがむきむきを「あの子」と呼ぶのは、彼を普段見守る心持ちで居るから。

 弱い彼の強さを見て、強さを信じる。それがめぐみんのスタンス。

 ゆんゆんがむきむきを「あの人」と呼ぶのは、彼を普段見上げる心持ちで居るから。

 強い彼の弱さを見て、弱さの中に価値を見る。それがゆんゆんのスタンス。

 

 と、いうわけで。

 

 これでカッコつけられないのなら、男なんて辞めるべきだ。

 

「―――ッッッ!」

 

 振るわれた左拳が戻って、右拳が振るわれて、その右拳も戻される。

 "セレスディナ様に命令された、殴ろう"。

 "でも左拳より右拳の方が良さそうだ、左拳を戻して右拳を出そう"。

 "でもやっぱり左拳の方が良さそうだ、右拳を戻して左拳を出そう"。

 といった、支離滅裂な思考が拳を二度戻させる。

 PCでプログラムがループに入ってしまうような異常(エラー)が、行動を先に進ませない。

 

「どうしたのさむきむき! さっさとやってしまいな!」

 

 傀儡に抵抗するたった一つの手段、それがこれだ。

 思考も意志も精神も完全に洗脳された状態で、術者の指示の範囲内で、術者の意に反した行動や選択をするという抜け道。

 思考は完全に支配されているため、頭で考えていては絶対にできないことである。

 本能レベルで、『二人を守らないと』と思っていなければ絶対にできない。

 

 カズマのような、普段から善良寄りの本音と捻くれた思考が乖離したりする人間であれば、もっと露骨にセレスディナに嫌がらせできたかもしれない。

 カズマであれば「あの二人を殺せ」と言われたなら、「じゃあその見返りにセレスディナ様の胸をじっくり揉ませて下さいよ」と言って抵抗するだろう。

 思考を支配された状態にて本能で逆らうとは、そういうことだ。

 

 その拳が引かれたのは、むきむきが弱かったからなのか。それとも強かったからなのか。

 ともかく、彼は抵抗した。

 傀儡と化しても、その本能で抵抗して見せた。

 

 時間にしてしまえば本当に短い時間の抵抗であったが、それで間に合う助けがあった。

 

「『テレポート』! でもう一回『テレポート』!」

 

 スキルレベルの高いテレポートは、ある程度融通が効く。

 これは負傷しているカズマやダクネスではない。気絶しているアクアでもない。

 バニルの言葉に不安を煽られ、めぐみんやゆんゆんと一緒に店を跳び出していた、一人の優秀な魔法使いだ。

 彼女は二人の紅魔族を抱え、テレポートで少し離れた地点にまで移動していた。

 

「ウィズ……!」

 

 あるいはこの状況でさえも、見通す悪魔は見通していたのかもしれない。

 

「お久しぶりです、セレスディナさん。

 あの、邪魔する気は無いのですが……

 今日はもうお帰りいただけませんか?

 むきむきさんには、今日うちの店の商品を紹介する約束があるんです」

 

「嫌だね。むしろ、あたしはここであんま好きじゃないお前を潰してもいいとさえ思ってる」

 

「私はこの戦争においては中立です。

 ですが、危害を加えられそうになれば反撃もしますよ?」

 

「だから出て来たんだろ、お前。

 そうやってあたしから攻撃させて、正当防衛っていう大義名分を得るために。

 お前はあたしがお前に対して思ってること、それなりに察してるフシがあったからな」

 

「なんのことですか?」

 

 ウィズが気に食わないセレスディナ。

 中立のままセレスディナと戦う大義名分を得る立ち回りをしようとするウィズ。

 二人の目的は合致していて、二人が戦うことに後顧の憂いはない。

 

「でも、いいんですか? 結界の維持要員が減ってしまうと思いますが」

 

「だからDT戦隊とか、色々用意してたんだよ。

 結界要員に使えるやつを、あたしの部下として一定レベルまで育てるためにな」

 

「……あら」

 

「そうすりゃ、幹部だって任意で入れ替えできるだろ?

 幹部を二桁にまで増やして五、六人城に常駐させておけば、魔王軍は永遠に安泰だ」

 

 先日、人類に勝利しかけた陣営の人間とは思えないほどの長期的な視野とプランだ。

 後ひと押しで魔王軍が勝つ、という雰囲気が広がる魔王軍の中で、セレスディナは十年、二十年かけて勝利するためのプランも進めていた。

 ある意味、時間をかけて結果を出す工作員らしいと言えるのかもしれない。

 

「だから、お前一人くらい居なくなっても問題はねえんだ」

 

 むきむき一人に、今セレスディナが割ける支配力の最大値が注がれる。

 事ここに至っては、むきむきがウィズ相手に手加減する可能性などありはしない。

 

「お二人は下がっていてください」

 

「でも!」

 

「お願いします。二人が下がってくれないと、最悪負けます!」

 

 ウィズの有無を言わせぬ一喝に、二人は渋々下る。

 通常の魔法が届かず爆裂魔法が届く距離まで、二人は下がった。

 ウィズは単身、最強の前衛であるむきむきと、そのサポーターであるダークプーリストのセレスディナに挑む。

 

「行け! 叩き潰せ!」

 

 一歩で遠い距離を詰めたむきむきの豪腕が、ウィズの顔面を叩く。

 衝撃波が地表の土を巻き上げ、周囲の草木を揺らし、離れたセレスディナにまで冷えた風を届けていた。

 冷たい風が、彼女の肌を粟立たせる。

 

「悲しいです、むきむきさん。でも、ちょっとだけ待っていてくださいね」

 

 その一撃を顔面に貰っても、ウィズの体はビクともしない。

 ビルを粉砕するような一撃でも、物理攻撃であれば完全無効。それがリッチーの強みだ。

 

「私もちょっと、本気を出しますから!」

 

 ウィズは自らの身体に支援魔法をかけ、魔力の大きさを身体能力の強化幅に反映させる。

 リッチーの身体能力+魔法での強化度合い=彼女の今の身体能力。

 中堅冒険者を格闘だけで圧倒するほどの身体能力をウィズは得ていたが、むきむきの身体能力はそれでも相手にしたくないほどの規格外であった。

 

「っ」

 

 詠唱無しに、むきむきの光の手刀が飛んで来る。

 ウィズは豊富な戦闘経験から来る先読みでそれを回避したが、かすった手刀はリッチーの固有能力で物理ダメージをゼロにされた上で、ウィズの頬を切り裂いていた。

 

(肉体の技だけで、ここまで練り上げているなんて)

 

 紅魔族は遊びの種族でもある。

 時に非人道的な領域に足を踏み入れるくらいに効率重視な彼らだが、彼らの里や人生には、あってもなくても変わらないような楽しい遊びがそこかしこに見られる。

 無駄な詠唱などがそれだ。

 むきむきの筋肉技の前の無駄詠唱は、この上なく紅魔族らしい。

 言ってしまえば、あれこそが彼が紅魔族であるという数少ない証でもあった。

 

 されども、セレナに洗脳された今となっては、そんな無駄は存在など許されない。

 むきむきは本人が望まぬままに、本人の意志でかの詠唱をする権利を捨てさせられていた。

 

「っ、とっ!」

 

 容量を多く割いた傀儡の強制力、及び引き出せる能力の上限は、バニルによる乗っ取り能力のはるか上を行く。

 感情、情動も一種の思考だ。

 支配力さえ強めれば、感情でスペックが変動する人間の最高スペックを引き出すことど容易い。

 

 ウィズは人間離れした動きで迫り来る筋肉由来の多彩な攻撃をかわすも、むきむきは空気抵抗・重力・慣性等さえも力任せに無視し、自然法則離れした動きでそれを追い詰める。

 人間だった頃から一流の冒険者で、今は最上級のモンスターであるウィズだからこそ避けられる猛攻。

 セレスディナはそこで油断も慢心もせず、更にもう一手追加した。

 

「魔法がかけられた武器はリッチーにも通じる、だったよな?」

 

「……ええ、そうですね」

 

 むきむきの手足に、魔法ダメージを追加するダークプリーストの魔法を付与したのだ。

 ここからは、一撃も貰えない。

 今のむきむきの拳は、ウィズを殺し得る武器なのだ。

 

「あたしはな、お前がちっと嫌いなんだよ」

 

 セレスディナはむきむきの強化、ウィズへの回復魔法攻撃と並行し、ウィズへと声をかける。

 ウィズは『むきむきを殺さない』『むきむきの妨害を掻い潜ってセレスディナを攻める』『セレスディナを倒す』『自分も倒されない』という無茶な条件を満たすため、返答する余裕も無い。

 

「人間の味方として全力も尽くさねえ。

 モンスターとして全力も尽くさねえ。

 力はあるくせに中立とかほざいて、戦争の中でフラフラしてる蝙蝠だ」

 

 セレスディナは、普段積極的にウィズを殺そうとは思わないが、こういう流れになればウィズを殺すのも已む無しとあっさり決断できる。

 

「そのくせ、気に入った個人が居たら、保身も考えずほいほい力を貸しやがる!」

 

 中立のくせに、魔王軍のバニルに友人として肩入れする。

 "リッチーの自分を好意的に受け入れてくれたから"なんて理由で、こんな風に人間達にも肩入れする。

 そういうスタンスが、セレスディナは気に食わない。

 

 バニルが言っていたように、リッチーとなる前のウィズの精神性と、リッチーとなった後のウィズの精神性は大きく違う。

 リッチーと成って変質したウィズのスタンスは、本当の意味での()()()()だ。

 人間全体への魔王軍の攻撃を止めようとは思わない。

 だが、罪なき個人を魔王軍が殺そうとすればそれを止めようとする。

 冒険者も多いアルカンレティアに満ちる水に猛毒を流し込む程度であれば微笑み見逃すが、冒険者でないアルカンレティア一般人一人を殺せば激怒する、そういう人物だ。

 

 両勢力に言い分を認め戦争を罪であると定義せず、けれども一人が我欲で一人を殺す殺人は許さないような、大視点と小視点を併せ持ち人間倫理で再構築したような精神性。

 バニルへの恩義から今の生き方を決め。

 魔王への義理から魔王軍に加わり。

 カズマに対する恩返しとしてスキルを教え。

 ゆんゆん達への好意からこうして中立を維持しながら戦いに身を投じる。

 彼女は広い視点で見れば、人間とリッチーの中間の理性をもって、個人を尊重する生き方をしていると言うべきだろう。

 

 ウィズは優しい、優しいが……彼女はあくまで中立であり、人間の味方としてその優しさの全てを行使しているわけではなかった。

 

「戦争やってんだ! どっちの味方するかくらいは決めとけってんだよ!」

 

 セレスディナは天然で優しく情の深いウィズは嫌いではなかったが、そのスタンスだけは好きではなかった。

 彼女が普段こなしている仕事の中に、優秀な冒険者を策謀で戦わずして中立の立場に追い込む、というものがあったから尚更に。

 

 ウィズの魔法をむきむきの手足が砕き、空振った蹴りが地面にクレーターを作る。

 光の手刀をウィズが後方宙返りをしてかわし、空振った手刀が巨岩を切断する。

 なのに、ウィズ自体には当たらない。

 

(……おかしい)

 

 セレスディナはローブの下の肌を手で擦りながら、この状況に違和感を覚え始めていた。

 

(いくらなんでも、あいつの身体能力で一発も当たらないって、ありえるのか?)

 

 これだけ攻撃していれば、一発くらいは当たりそうなものなのに。

 ギリギリのところで当たらない、惜しくも当たらない、という状況が続く。

 ウィズが僅かに反応を遅らせれば、判断を間違えれば、それだけで当たるのに、当たらない。

 セレスディナの吐く息は白く、大気の中にうっすらと溶けていく。

 

「ああ、クソ、寒い……寒い?」

 

「あ、気付きましたか、セレスディナさん」

 

 セレスディナに気付かれるや否や、ウィズは偽装をやめた。

 ()()()()()()()()()()()()()()あった冷気が、一気にその範囲を拡大し、セレスディナが立って居た場所も飲み込んでいく。

 地面が凍って、土の水分が氷に変わって地面が割れる。パキっと小気味のいい音がする。

 

「寒っ―――!?」

 

 セレスディナはむきむきの我慢強さを甘く見ていた。

 彼女の忠実な部下と化したむきむきは、凍えるような寒さにも耐えてセレスディナのために頑張っていたのだ。だが、頑張って寒さが消えるわけもない。

 関節の稼働能力の低下。

 筋肉の発揮力の低下。

 酸素消費量の増大。

 エネルギー消費量の増大。

 疲労の加速。

 寒さは人間の肉体から、加速度的に力を奪う。

 むきむきは膨大な筋肉で莫大な熱を作っていたものの、ウィズの魔法の前に徐々に、徐々にと力を削ぎ取られていたのである。

 

 ウィズは氷の魔法(カースド・クリスタルプリズン)ではなく、冷気の魔法(フリーズガスト)を無詠唱で密かに使い、このフィールドを作り上げていたのだ。

 

「私はアンデッドですから、寒くても死にません。

 ……でも、ただの人間にはこたえる寒さですよね?」

 

「!」

 

 自分がリッチーであるという強みと、相手が人間であるという弱みを最大限に利用した、真正面から策と力でねじ伏せる正統派な強者のスタイル。

 

「お忘れですか? 私の冒険者時代の二つ名は……」

 

「『氷の魔女』……!」

 

 魔王軍にも恐れられるアークウィザードとして、人間の冒険者であった頃から、ウィズは変わらず強者だった。

 『強い』。

 戦闘時のウィズに受ける印象は、その一言に尽きる。

 

「では、眠っていて下さいね。

 ……めぐみんさん達ほど付き合いの無い私が言うのもなんですが。

 悪者になってしまったあなたは、きっと素敵なところが無くなってしまいますよ」

 

 ウィズは寒さで動きが鈍りに鈍ったむきむきの腕、胴、足を、ウィズがすれ違いざまに四度叩いた。昏睡、麻痺、昏睡、魔法封じの状態異常が連続で彼の体に付与される。

 『不死王の手』。

 ウィズの手は、ただ触れるだけで行動不能級の状態異常を起こさせるもの。

 

「まだっ―――」

 

 ダークプリーストであるセレスディナならば、むきむきの状態異常も体力も回復させ、あっという間に戦線を立て直してみせるだろう。

 されども、ウィズはその行動を許さない。

 

「『カースド・クリスタルプリズン』」

 

 回復魔法を唱えようとした喉の少し下辺りの気管支の内側に、小さな氷の固まりがくっつく。

 セレスディナの肺の中に、小さな氷の塊が放り込まれる。

 気管支の内側と、肺の内側に放り込まれた氷の妨害。

 そして、地獄の苦しみが始まった。

 

「げほっ、ゲホッ、ガ、ガハッ!? ウエッ、ゲヘッ、カハッ、カハッ、ゲホォァ!?」

 

 手で取れず、外部から熱源を当てて溶かすこともできない氷。

 体温で溶けるのを待つしかなく、固体から気体へと昇華される特殊な氷は、体温で溶ければ綺麗さっぱりと消えていた。

 セレスディナが地獄の苦しみから解放されたその瞬間、ウィズは彼女の首を掴んで持ち上げ、テレポートする。

 

 セレスディナはぐつぐつとマグマ煮え滾る火山の火口で、不死者の手に吊り下げられていた。

 

「く……ぁっ……!」

 

 ドレインタッチ、不死王の手。リッチーの手に触れられている時点で、普通の人間は半ば詰みだ。

 抵抗しようとしても、首を締められて妨害されれば魔法発動もできない。

 にもかかわらず、セレスディナはこの状況で不敵に笑ってみせた。

 

「……レジーナは、傀儡と復讐の女神。

 あたしを害すれば、そのダメージはお前にそのまま返る。

 あたしを殺せば、広範囲の周囲全てに死と呪いが振りまかれるぞ」

 

「そう、ですね」

 

 先程セレスディナを苦しめた時、ウィズにも同等の苦しみがあった。

 こうして首を掴むことで与える痛みも、実はウィズの首元に返って来ている。

 どこまでも面倒臭い能力の幹部だ。

 直接的な能力を持たないでこれなのだから、むきむきという強力で操りやすい手足を手に入れた途端、ちょっと調子に乗っていたフシがあったのも頷ける。

 

「周りに人が居ない火山の火口に連れてきたのは、それが一つの理由ですよ?」

 

「はっ、あたしを殺せばお前も死ぬぞ?」

 

「ここであなたが勝手に火口に転がり落ちるようにしていけば、私が殺したことになりますか?

 仮にあなたの心臓を刺して、その死が返って来たとしても不死者の私は死にますか?

 そうでなくても、ここにあなたの体を固定していけば、あなたは干上がってしまいますよね?」

 

「……な」

 

「あ、そんな顔はしないで下さい。別に殺すつもりはないですから」

 

 空気が、一瞬淀んだ。

 

「分かってるでしょう? セレスディナさん。

 あなたは私がこう言うであろうことを知ってるんだから。

 だってセレスディナさん、こうなっても生き残れるよう保険をかけていましたもんね。

 だから一般の人には一切迷惑がかからないようにしていた。

 私とこういうことになった時、私に殺されないように、交渉の余地を残していた」

 

 今のウィズにはセレスディナにトドメを刺す理由がない。

 セレスディナが、そう仕向けたからだ。

 彼女が今日の戦いで一般人に一切手を出さないように立ち回っていたからだ。

 ウィズはセレスディナをゆっくりと岩の上に降ろし、微笑む。

 

「セレスディナさんは、頭が良い人ですね」

 

「……全部見抜いた上で微笑んでる、お前が言うか?

 お前は天然でも、ふわふわしていても、頭が悪いわけじゃないからな」

 

 ウィズは天然だ。商才がなく商売においては学習能力も発揮されない。真面目な顔をしている時より、ぼけぼけした顔や涙目になっている時の方が多いだろう。

 されども、それを前提にしたとしても、ウィズはとても頭が良い。

 そういう意味では、頭が良いくせに普段は頭爆裂なめぐみんにも少し近いのかもしれない。

 むきむきがウィズに情が湧いてしまったのは、必然だったのだろう。

 

「でも、今日は帰って欲しいなって。

 これはお願いです。命令でもなんでもないです。

 もしもあなたが明日同じことをすれば、私にそれを止める手段はないですし」

 

「……よく言う」

 

 ウィズは『魔王軍の内情を知っていて』、中立であるがゆえにそれを人類側に明かしていないものの、いつだってそれを『人類側に伝えられる』人間でもある。

 特にセレスディナの情報は、ウィズが人類側にその能力の詳細を語るだけで、その強みが大幅に削がれる類のものだ。

 

 これは交渉である。

 お願いという名の駆け引きである。

 

「わぁったわぁった。今日はあたしが退いてやる。

 その代わりお前は中立として、最大限の誠意を以て動け。分かるな?」

 

「は、ありがとうございます。セレスディナさん」

 

 ―――ウィズが、本気を出して魔王軍と敵対すれば。

 

 イスカリアもベルディアも、爆裂魔法か上級魔法の連射で押し切れる。

 幹部の半数以上も同様にスキルと魔法の連射で押し切れる。

 めぐみん以上の威力の爆裂魔法で、状況次第ではホーストさえ消し去れる。

 レッドは配下のモンスターごと消し飛ばされ、ブルーは才能と種族の差で魔法合戦に敗北し、イエローは溶岩の中に放り込まれて骨となり、グリーンは広範囲魔法で消し飛ばされ、ピンクも小細工の甲斐なく粉砕されるだろう。

 そんな彼女でも敵わない幹部が居るのが魔王軍ではあるが、それは一旦置いておこう。

 

 彼女は優しいだけで、柔らかに微笑む美人なだけで、温厚なだけで、非情に徹する強さも蹂躙する強さも持っている。

 かつて魔王軍と凄惨に殺し合い、ベルディアに仲間諸共皆殺しにされかけて、仲間を救うために人間を捨てリッチーとならなければならなかった彼女は、今の日常でほわほわと幸せに生きていることも含めて、この世界の形を体現する人物の一人である。

 

 彼女が人類と魔王軍の戦いに関わることはめったにない。

 人類を山ほど殺す魔王軍幹部の大半を駆除できるのに、彼女はしない。

 どんな幹部よりも多くの人を殺せるのに、そうしない。

 彼女は中立だ。

 

 彼女は心だけでも人間であろうとしているからだ。

 人間が好きな気持ちを失っていないからだ。

 ゆえに、天秤は人間側に傾く。

 

 けれどもその体は、既に人類の敵たるリッチーのものだ。

 いつかは、人間社会に紛れ込むこともできなくなるだろう。

 彼女の同族は、本質的な意味では魔王軍の中にしか居ない。

 今の彼女の本当の意味での理解者である友人は、人間ではなく悪魔だけ。

 ゆえに、天秤は魔族の側に傾き、天秤は吊り合う。

 

 心は人間のつもりでも、人を大好きな気持ちがあっても、ウィズが人間の味方として魔王軍と敵対しない理由。

 それは、こうして吊り合う心の中の天秤にあった。

 

 彼女が魔王軍と戦う時があるならば、それは人類のための戦いではない。

 踏み躙られる力無き人を守るための戦い。

 あるいは、友人を守るための戦い。

 あるいは、人として許せない何かを倒すための戦い。

 今日のウィズは、友人達に一回だけのコンティニューをあげただけだ。

 

 ウィズを単純に人間の守護者と見てはいけない。

 魔王軍の幹部という一面だけを見てはいけない。

 人間なのだと認識して接するとズレが目立つ。

 リッチーだと思って敵対すると拍子抜けする。

 無慈悲な強者だと決めつけても、温和で戦いを嫌う女性と決めつけても間違える。

 

 彼女は元人間のリッチー。人間の街で平和に暮らす魔王軍の幹部。

 昔は敵を無情に薙ぎ倒す武闘派の魔法使いで、今はほんわかとした貧乏店主。

 非情になれる優しい女性。そういうものなのだ。

 

「セレスディナさん」

 

「あ? んだよ」

 

「セレスディナさんが私を嫌っても、私はセレスディナのこと嫌いじゃないですよ?」

 

 ウィズの言葉に、セレスディナは虚をつかれる。

 

「私はリッチー。

 魔王軍に属するべき種族です。

 人の社会の中でずっと生きていくことはできません。

 それでも……どうしようもない人の敵にはなりたくなくて、人の中で生きています」

 

 ウィズは人と人外の間の中立で、セレスディナは明確な人の裏切り者。

 それでも、共通する部分はある。

 

「あなたは人間。

 人の国に属するべき種族です。

 本来なら魔王軍に居場所はありません。

 それでもあなたは……人の敵に、ならずにはいられなかった」

 

 二人はある意味対称だ。

 人の敵になりたくない人外と、人の敵でいたい人間。

 人の心を半ば失いながらも、人の心を保ち続けようとする人外。

 人の心を持ちながら、人の悪意で人と敵対する人間。

 人の滅びを望む人間と、人の存続を望む人外。

 

 ウィズの中には、セレスディナへの共感があった。

 

「くっだらね。お前が中立で居る内は、お前に仲間意識を持つ気なんてねえよ」

 

 セレスディナは、その共感を鼻で笑う。

 その言葉の意図は、"お前の言葉に同意なんかするかよ"という悪意か、それとも"お前が味方になると決めたなら歓迎してやるのに"という善意か。

 どちらにせよ、工作員らしくない感情まみれの言葉であったことだけは、確かだった。

 

 ウィズはセレスディナを連れてテレポートで戻り、セレスディナはいつの間にかウィズの傍から消えていて、ウィズは寂しそうに微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 セレスディナの能力は、結局謎に包まれたままだった。

 断片的な情報からそれなりに推測は立てられたものの、ウィズが取り引きで口止めされていたのもあって、あまり正確なところは分からずに終わる。

 何はともあれ、めでたしめでたし。

 幹部の二連続襲撃で死人が出なかったなど、本当に奇跡だったと言えることだ。

 今はただ、その幸運に感謝していればいい。

 

 ……とは、ならず。

 

 バニルが襲撃してきたのが朝の八時頃。セレスディナが襲撃してきたのが十時過ぎ。

 そして今、昼を少し過ぎた頃。

 

「ふざっけんなああああああああああああああっっっ!!!」

 

 カズマの叫びが、アクセルの郊外に響き渡った。

 

「知ってるぞこの感覚!

 遊戯王でゴヨウ・ガーディアンが環境に初めて現れた時のあれだ!

 クソぁ! やめろ! 寝取られとかそれに類するものは皆滅びろ!」

 

「落ち着けカズマ! お前普段の冷静じゃない時の五割増しで冷静さを失ってるぞ!」

 

 遊戯王はこの世界に転生者が持ち込むほどの大人気カードゲーム。

 そこに何かしら過去の想い出を刺激されたカズマが、寝取られだのなんだの叫んで、この状況に対し烈火の怒りを見せていた。

 

 そのカズマを、美女の姿をしたモンスターが笑う。グロウキメラのシルビアが笑う。

 

「あら、お怒りのようね。でも残念! もうこの子はアタシのものよ!」

 

 シルビアの膝から下はむきむきの背中と一体化し、シルビアに吸収されたむきむきはもう自分の意志で抗う抗えない以前の問題で、シルビアの体の一部と化していた。

 

「ふざっけんなよてめえらー!

 なんでこんな初見殺しが多いんだ!

 『強力な敵を問答無用で自分の力にする』

 とかいう反則級の初見殺しがバリエーション豊富にいくつも揃ってんだ!」

 

「カズマ! 気持ちは分かるが、前に出るな!」

 

 ダクネスがカズマの抑え役に回るほどの異常事態。

 

「離してめぐみん! むきむきは名誉アクシズ教徒だけどもうほぼうちの子なのよ!」

 

「分かります! 気持ちは分かりますが!」

 

「あんな悪魔臭い奴に取り込まれちゃってるのよ助けないと!」

 

「助けたい気持ちは私にも痛いくらい分かります!

 でもそもそもの発端が!

 アクアが転んで吸収されそうになったのをむきむきが庇ったことだって分かってます!?」

 

「わあああああああああっ!!」

 

「いいから離れましょう! あいつ姿が美しくて力が強い女性を狙ってます!」

 

 めぐみんがアクアを引っ張ってずりずり後ろに下がって行かなければならないような非常事態。

 

「ど、どうしよう!?

 あの接続部分をライト・オブ・セイバーでぶった切ったらなんとかなる!?」

 

「思い留まれゆんゆん! やめろ!」

 

 セレスディナは、何故むきむきを手に入れた後森の中に潜もうとしていたのか。

 簡単な話だ。彼女には、援軍のあてがあった。

 仲間を待って合流してから戦えば、より安全により確実に女神を潰せるという公算があった。

 バニルとシルビアを作戦に組み込むという必勝の前準備が、彼女にはあったのだ。

 

 バニルが先行して突っ込んだから。

 バニルが店で皆の前にて不穏なことを言ったから。

 人間達はかろうじて、魔王軍幹部複数人と戦うという最悪の自体を回避できていた。

 が、それもこれまでだ。

 連戦は厳しい。

 敵は強い。

 アクアが起きてカズマとダクネスが復帰しても、むきむきがまた敵に回ってしまっては状況は何も好転していない。

 カズマ的に言えば、無理ゲーは続く。

 

「助けてむきむき!」

 

 カズマは叫ぶ。

 むきむきは反応しない。

 

「残念だったわねえ! この子の融合童貞と融合処女はアタシがいただいたわ!」

 

「「 紛らわしい言い方をするなあああああああっ!! 」」

 

 めぐみんとゆんゆんの絶叫が、虚しくアクセルの郊外に響き渡っていた。

 

 

 




一話で三回も敵に回るとか主人公として恥ずかしくないの?


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3-4-2

昔なつめ先生が感想返信で言ってたこと原文ままです

>そして、この世界のモンスターの定義は、『人に害をなすもの』というのがモンスターの定義になってます。
>キャベツやたけのこなんかも、モンスターと野菜との差は紙一重です。
>栄養豊富で人に益を成す方が多いので紙一重です。
>そして、セレナは魔王軍幹部って事でモンスター扱いです。
>えー?と思うかもしれませんが、話の都合上そんなんなりました。
>よく、ゲームなんかで出てくる人間型のモンスターみたいな。
>山賊系やら殺人鬼系やらのあんなんです。

>ちなみにスイカは野菜、トマトはモンスターです。


 シルビアの種族はグロウキメラ。

 "他のものを自分の中に取り込む"という能力を持つ、下級悪魔未満の鬼族の一種。それが上級悪魔以上の格にまで上り詰めたシルビアの代名詞たる種族名だ。

 固有能力は突然変異で昇華された吸収スキル。

 物であろうと人であろうと、強制的にその身に取り込み自らの力へと変えることが可能だ。

 

 今のシルビアはむきむきの背中から生えた美女に見えるが、実際は違う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 バニルやセレスディナの時とは違い、今皆に見えているむきむきに呼びかける意味は全くと言っていいほどない。

 今見えているむきむきは、言うなれば『シルビアの足に付いている腫瘍』のようなものであるからだ。

 むきむきそのものの肉体を持っているものの、厳密にはむきむきそのものではない。

 魂がない。

 心がない。

 あくまで、"シルビアの足から生えているもの"でしかないのである。

 

 されど、そのスペックだけは本物だった。

 

「わきゃあああああああっ!!」

 

 シルビアがその体を動かし、むきむきの筋力を叩きつける度、地面か空気が炸裂する。

 アクアは色気もクソもない子犬の遠吠えのような声で悲鳴を上げ、逃げ回り、ダクネスに庇われる。

 太い足が蹴りを繰り出し、それを受けたダクネスの大剣が真っ二つに折れた。

 

「折れたぁ!?」

 

「構うなカズマ! バニルの時にもう既にヒビは入っていた!」

 

 連戦だったとはいえ、ベルディアにも折られなかった剣を折らせた筋力は凄まじい。

 だが、ダクネスもこれは予想の範囲内だったようだ。腰の背の側に吊っていた大剣を抜き、それを再度盾のようにして追撃を防ぐ。

 ダクネスという盾は砕けない。

 

「かき回せアクアぁ! 出し過ぎるなよ!」

 

「『セイクリッド・クリエイト・ウォーター』!」

 

 ふざけんなこの野郎、とばかりにカズマの指示でアクアが大量の水を出した。

 敵を水で押し流して仕切り直し、という考えの下の行動であったが、シルビアが扱うむきむきの体は常識を超える。

 

(水の上を走っ―――)

 

 水面走りから文字通りの『水面蹴り』がカズマの首を刎ね飛ばさんとし、ダクネスがカズマの腕を筋力任せに引っ張って、無理矢理にそれを回避させた。

 水で溺れ死なないアクアは水に沈み、紅魔族二人はダクネスの腰に必死にしがみついて流されるのを回避する。

 合体シルビアはそのまま、水の上でついた加速の慣性で流れていった。

 

「さ、サンキューダクネス!」

 

「立ち回りを間違えるなよ!」

 

 カズマが扇の要であるなら、ダクネスは扇の骨。

 骨と要だけでは風を起こすことはできないが、ここがしっかりしていなければ、扇というものは機能しない。

 規格外の能力を複数持つが前衛専門職と比べれば打たれ弱いピーキーなアクア、反則級の火力を持つが打たれ弱くピーキーなめぐみん、小器用で頭が回るが打たれ弱く器用貧乏なカズマ、優秀な魔法使いだが打たれ弱いゆんゆんは、ダクネスという盾がなければ瞬殺されかねない。

 

 と、いうより。

 むきむきを除けばこのパーティは全員にスピードがなく、むきむきとダクネスを除けば全員が後衛……つまり、打たれ弱かった。

 セレスディナが考えた、むきむきさえ引き込めばこのパーティは攻略できるという方針は、かなり正しかったと言っていい。

 バニルが細かな干渉をしなければ、間違いなく成功していただろう。

 

「根性あるわねえ、あなた!」

 

「あいにく、これしかできることがなくてな!」

 

 シルビアの素直な賞賛と殺意ある攻撃を、泥状になった地面の上でも揺らがずダクネスは受け流す。

 むきむきのスピードの前では、ダクネスでさえ盾としての役目は果たしきれない。

 ならば何故今は、盾として成立しているのか。

 それはバニルの時とは違いゆんゆんだけでなく、指示を出せるカズマ、及び仲間全員を飛躍的に強化できるアクアがまだ動けるからである。

 

「爆殺!」

 

「あだっ!?」

 

 カズマが投げたダイナマイトもどきが、水をよく吸って泥になった地面を吹き飛ばす。

 むきむきの体が転倒し、むきむきの背中にくっついているシルビアが派手に地面に頭をぶつけてしまう。立ち上がるのは早かったが、相当に痛そうであった。

 ゆんゆんがカズマのその発言に突っ込んでいく。

 

「爆発はいいけど爆殺はやめてくださいよカズマさん!」

 

「大丈夫だ! 死ななきゃ安い! むきむきはこんぐらいじゃ死なん!」

 

「そうかもしれませんけどー! 『フリーズガスト』!」

 

「もっぱつ爆破!」

 

 アクアの洪水はまだ地表に残り、むきむきとシルビアの合計体重がかかった足を沈み込ませる。

 ゆんゆんは沈み込んだ足ごと泥と水を凍結させようとし、カズマは凍結範囲の外側を爆発させて行動範囲を制限することで、そのサポートをしようとする。

 されど、策は筋肉に蹂躙される。

 シルビアは筋肉で泥も水も地面も粉砕しながら素早く足を進め、瞬時に凍結範囲から脱出し、カズマイトを掴んで投げ返してきた。

 

「この筋肉を甘く見ないで欲しいわねえ!」

 

「嘘ぉ!?」

 

「く、『クリエイト・ウォーター』!」

 

 返された爆弾の導火線を、アクアがなんとか消火する。

 

「あっぶないわねしっかりしなさいよカズマ!」

 

「だからといってお前……お前、これどうしろと!」

 

 カズマはいくらか手を打ってみたが、どうにもならない。

 

「そうだ! 爆裂魔法でむきむきの体の原型が残る程度の爆殺をして……」

 

「嫌ですよ絶対! 私スキルレベルも上がってるんですから殺すどころか粉砕しますよ!?」

 

「原型が残ってればアクアの蘇生魔法で……」

 

「できるわけないでしょ! 取り込まれてるのよ!? それで蘇るのはシルビアだけよ!」

 

「第一そんなこと提案しないで下さいカズマさん! 鬼! 悪魔! カズ魔!」

 

「ぐああああっゆんゆんの罵倒は地味に心に来る!」

 

 内心で実は"むきむきを一回でも殺すのは結構嫌だな……"と思っていたカズマの良心に、仲間達の指摘がザクザクと刺さる。

 

「アタシの筋肉の前にもはや敵は無しってところかしら!?」

 

「あなたのじゃないです! むきむきのです! むきむきと一緒に返して下さい!」

 

「今はアタシのものよ! この子もこの子の筋肉もねえ!」

 

「ぬぐぐぐぐううううううっ!!」

 

 うふふふっ、と余裕綽々に笑うシルビアの美女顔が、今はとても恨めしい。

 

「諦めなさい! あんた達にどうにかできるもんじゃないのよ!」

 

「なら、この場面だけは僕がどうにかしよう」

 

 そうして、シルビアはダクネスを豪腕の一撃で倒そうとして。

 

 間に割って入った、一人の少年の剣にその攻撃を受け止められた。

 

「ぬ」

 

 剣に折れる気配はなく、殴られた剣はダクネス以上に揺らがない。

 

 それすなわち、剣の格と筋力値で言えば、その男がダクネスを上回っていることを意味する。

 

「あ……あなたは! ホモの……じゃなかった、バイの勇者!」

 

「ホモの勇者!?」

 

「違うよ!? ちょっと待ってくれ、何その呼称聞いてない! ミツルギだミツルギ!」

 

 カズマがその男に抱いた第一印象は、"ゆんゆんにホモと呼ばれた人"だった。

 

 

 

 

 

 キョウヤのキは筋肉のキ。

 魔剣グラムのゴッドパワーで強化された膂力は、シルビアの体の一部と化したむきむきの一撃をも受け止めることさえ可能だ。

 

「こっちで手に入れた情報を師父に伝えようと思って来たんだけど……

 これはまた、厄介なことに巻き込まれてるみたいだね。あの顔、手配書で見た覚えがあるよ」

 

 ミツルギはたったひとりで、格好良く見参する。

 

「とにかく、間に合って良かったです。アクア様」

 

「……誰?」

 

「!?」

 

 だがアクアは、自分が魔剣を与えた転生者・ミツルギのことをすっかり忘れていた。

 

「や、やだなあ、冗談キツい……僕です、ミツルギですよ!?」

 

「カズマさん、カズマさん、これナンパなのかしら?」

 

「ナンパだろ」

 

「やだ、とうとう私の女神の美貌がごく自然に人を惑わすようになってしまったのね……」

 

「口を開けばお前の美貌は阿呆で失望に変わるがな」

 

「あれぇー!?」

 

 恋愛的な意味でアクアが好きで、女神的な意味でアクアを尊敬し、転生した日に女神の美しさと言葉を心に刻み込んでいたミツルギ。

 だが、アクアにかかればこんなものだ。

 この女神と関わって色っぽい話ができるのは、それこそ劇的なイベントを一回起こして惚れさせるタイプの人間ではなく、日常の中でじっくりと心の距離を詰めて行ける人間だけだろう。

 御剣響夜は一見恵まれた人間に見えるが、こういうところでとことん不遇になる星の下に生まれているようだ。

 

「と、ともかく一旦回復を! 奴から師父を取り戻す方法を考えないと!」

 

 ミツルギがシルビアの前に立ちふさがり、ミツルギ以外が後退する。

 ここに来てようやく、むきむきの身体スペックと渡り合える人物が参戦してくれた。

 

「あら、アタシあなたのこと知ってるわよ。

 手配書が回ってる魔剣使い……

 ここ数ヶ月で、筋力値を飛躍的に上げたというソードマッスルターね」

 

「その呼び方はちょっと嫌なのでやめていただきたい」

 

「あら、そうなの? でもいいわ。こいつらが手応えなくて退屈してたのよ」

 

「……それは違う」

 

「?」

 

「曲がりなりにも昔共闘した魔法使いさん達だ。その能力は僕も分かってる。

 お前が優勢だったのは、単にその人(むきむき)を人質に取った形で戦っていたからだ」

 

「……ふふっ、言ってくれるじゃないのぅっ!」

 

 拳が鳴らせるはずのない音。剣が鳴らせるはずのない音。

 体重300kg超えの筋肉が、単体重量10t超えの魔剣が、馬鹿みたいに大きな音をかき鳴らしながら激突していく。

 

「アクア、あの何とかさんの剣は魔剣グラムというらしいですよ」

 

「魔剣グラム? ……あっ、ああっ、ぼんやり思い出してきた!」

 

(……アクアってやっぱり本当に……でもまさかこの性格で……うーん……)

 

 何かを察し始めた者も居たが、それは今さして重要なことではない。

 

「よし、ここは遠くに逃げよう。あいつ強そうだから大丈夫だろ」

 

「おいカズマ! ここでヘタれるのはやめろ! むきむきは最低でも助けないか!」

 

「ええいクソ真面目かダクネス! 今さっき散々試したばっかだろ! どうしろってんだよ!」

 

 逃げるのもありなのかもしれない。ここでカズマ達が全滅しなければ、可能性は残るからだ。

 が、ここで逃げて決定的にどうしようもなくなってしまう可能性もあるわけで。

 ミツルギがシルビアを止めてくれている間にあーだこーだと口喧嘩するカズマ達。

 

「ではここで頼れる好かれるバニルさんの登場である」

 

「うおわぁっ!?」

 

 そして突如現れるバニル。シルビアにその存在も気付かせず、カズマ達の体で自分の体を隠し、地面に直接シートを敷いて商品をズラッと並べていた。

 

「さて、ここに広げますはあの貧乏店主が集めたクズアイテムの数々だ。

 全部希少でお高い素材や薬品である。

 採取に苦労する割に使い道がなく、希少価値以外の価値がほぼ存在しないという代物だ」

 

「マジモンのゴミじゃねーか」

 

「だがあら不思議! これら全て混ぜると、特殊な薬の出来上がり!

 吸収スキルで取り込まれた人間だけは助けられるマジカルなポーションの完成だ!」

 

「!? ぜ、全部売ってくれ!」

 

「だがこれらの品々、高価でな。

 売れもしないくせに原価だけは滅茶苦茶に高い。

 百年に一度咲くと言われる幻の一夜草、月光華草まである。

 全部買うのであれば総額はおそらく札束がいくつも必要な金額になるであろう」

 

「買うに決まってんだろチクショウ! 後で屋敷に金取りに来い!」

 

「毎度あり!」

 

 溜め込んだ金があればそれでニートしようとするくせに、溜め込んだ金を仲間のためなら吐き出せる。基本的に自分の幸せのために生きているのに、自分の幸せのためだけに生きられない。

 それがカズマの美点であり、バニルが店の商品を売るために利用しているものである。

 

「明日からは我輩もあの店で店員として働くので、よしなにな」

 

「うげっ」

 

 カズマはどうやら、これから事あるごとにあの店の在庫整理に利用されることが決まった様子。

 

「ああ、そうだ。一つアドバイスをしてやろう。商品を買ってもらった礼だ」

 

「なんだよ、頼むからさっさと帰ってくれよ……」

 

「あの筋肉は所謂"根が良い奴"である」

 

「んなこと知ってるよ。それがどうしたんだ? というかあいつは根以外もいいやつだ」

 

「貴様もそう。貴様の仲間の多くもそうだ。

 問題はあるが、基本的には"根が良い奴"に分類される。

 つまり、善良な良識人でなかったとしても、心の下地は悪いものではないということだ」

 

「そういう言い方されると妙に腹立つな」

 

「ならば、その逆はなんと言うのだろうな」

 

「……?」

 

「良識があるが"根が悪い奴"とでも言うべきか」

 

 バニルが好むことが一つある。

 全てを見通す力を使い、人の未来を見通し、その未来のことを口にすることだ。

 

「赤色は正義の色というが。我輩からすれば、性根の悪さも赤である。何せ血の色であるからな」

 

 バニルの言葉が人の役に立つこともある。立たないこともある。

 ただ、バニルに助言されたものは未来で"ああ、そういうことか"と納得し、バニルの言葉から何かを理解することがままあった。

 バニルは「さらば」とだけ言い残し、ふっと煙のように消えていく。

 

「変なこと言い残して行きやがって……あ」

 

 カズマが皆を見る。

 皆が目を見開き、口をあんぐりと開けていた。

 カズマがむきむきとミツルギの方を見る。

 ミツルギが吸収されていた。

 

「は?」

 

 カズマもまた、呆気に取られてしまう。

 

「おい待て何があった! 説明しろ紅魔族ツインズ!」

 

「紅魔族ツインズ!? ま、まあいいでしょう。シルビアは盗賊職だったようです。

 ロープをいくつも持っていたんですよ。バインドで魔剣の人を捕まえようとしたんです」

 

「ああ、バインドスキルか。

 魔力消費が大きいらしくてまだ取ってないんだよな……

 ん? なんでいくつもロープ持つ必要があったんだ?」

 

「私とめぐみんでツインズ……あ、せ、説明ですね!

 魔剣の人はすぱすぱロープ切っちゃったんですよ。

 でもロープが多かったから捕まっちゃって。すぐに二本目も来て。

 バインドは注いだ魔力で拘束力や拘束時間を強化できます。ですから……」

 

「……ああ! 一瞬だけ足止めする少魔力のバインド!

 相手の動きをきっちり拘束する大魔力のバインド!

 二つ使い分けて使ってたのか! いいなバインドスキル、俺も今度取ろう!」

 

「感心してる場合ですか!?」

 

 バインドスキルは魔力消耗が大きい。

 実戦レベルのものを連射すれば強い冒険者でもあっという間に魔力が尽きる。

 シルビアはどうやら、吸収か何かで他者から大きな魔力を獲得し、バインドスキルを小器用に扱うことで魔力消費を抑えているようだ。

 

「つかなんてことだ……俺が目を話してる間にやられるとか……

 多分俺達より数倍強いはずなのに、なんだこの圧倒的かませムーブ……!」

 

 主人公達より強いのに、敵の奥の手を引き出して負ける。

 貢献度合いで見れば確かな貢献がなされているはずなのに、このそこはかとなく漂う報われないかわいそうな雰囲気はなんなのか。

 幸運の女神が居て、幸運の女神に愛されたような人間が居るのなら、ミツルギはどこかの世界の不運の女神に愛されているのかもしれない。

 

「なんか爽やかイケメンでイラッと来たから負けねーかなと思ってたら……

 ……なんかマジで負けてしまった……後でこっそり謝っといた方がいいかな……」

 

「後のことは後に考えろカズマ!」

 

 シルビアはミツルギというストッパーを排除し、その筋力を手に入れるのみならず、()()()()()()()()()()()まで手に入れていた。

 

「あら、吸収したらアタシにも使えるのね。魔剣グラム」

 

「!?」

「アクアぁっ!」

「怒鳴らないで怒鳴らないで! 神器の本人認証システム的にしょうがないの!」

 

 勇者の子孫であるアイリスが勇者の残した武器を振るえるのと同じように、ミツルギを吸収したシルビアもまた、ミツルギの魔剣を扱えるようになったようだ。

 平行世界というものがあるのなら、ミツルギはそこかしこで一度は魔剣を奪われていたりするのかもしれない。

 

「まあでも、これ以上男なんて吸収したくもないわね。

 吸収するなら美しい女。それもできれば力のある女がいいわ」

 

「おいおい、レズかよ」

 

「あら、嬉しい。アタシが女性に見えているのね」

 

「……?」

 

「うふふ、なんでもないわ」

 

 むきむきの筋力でグラムが軽めに振るわれる。

 瞬間、剣から刃の形の衝撃波が放たれた。

 衝撃波は1km以上離れたアクセルの街をぐるりと囲む壁に斜めに当たり、モンスターの大軍勢の猛攻にも耐えられる想定で作られたそれを、豆腐のように切り落とす。

 

「……あら、素敵! これならベルゼルグ防衛の要のあの砦も両断できそうだわ!」

 

 これはもうダメだ。洒落にならない。

 あまりに脅威に、カズマの脳内から逃げの選択肢が消えた。

 バニルから買ったものを一緒くたに混ぜ、アクアにそれを渡す。

 

「アクア、お前水ってどのくらい操れる?」

 

「え? 水球にして攻撃に使うくらいはできるわよ?

 湿った地面から水分を完全に抜くとかもできるわね」

 

「……お前っ、普段からそういう技能を戦闘で……!

 いやそもそもの話、ウィズから聞いた結界破壊能力とかをデストロイヤーに……!」

 

「? 言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ、もー」

 

「……っ、……ッ、……! 調合したこれを水に溶かしてむきむきの体に飲ませろ!」

 

「そうそう、分かりやすく言えばいいのよ! 『クリエイト・ウォーター』!」

 

 アクアは水球を出し、カズマから渡された薬をそれに溶かす。

 水球はアクアが念じるままに飛翔するが、戦闘で実用的な攻撃に使える速度ではない。

 シルビアは鼻で笑って、それを避けようとした。

 

「そんな直球が当たるもんですか!」

 

「『ファイアーボール』!」

 

「!?」

 

「あら、いいアシストねゆんゆん! 褒めてあげるわ!」

 

 炎が水を霧に変える。

 素早く動こうが、口を塞ごうが、一度蒸発した水分が体の隙間から入ることは止められない。

 霧となった薬はむきむきの体内へと侵入していく。

 

(今度アクアに液体の毒持たせてこれやらせるか……

 ああ、でも『女神のやることじゃない』って怒られそうだな……やめとくか)

 

 カズマが外道殺法をまた一つ思いつくが口に出す前に投げ捨てて、シルビアが苦しみ出す。

 

「ぬ、ぐぐぐ……これは……!?」

 

 シルビアの体から、まずミツルギが排出された。

 続いて、むきむきも排出される。

 薬の効果は覿面で、シルビアは今まで取り込んだ者達を全部吐き出しそうになるが、再度吸収のスキルを発動して再取り込みをかける。

 

「逃が、すかっ……!」

 

 一瞬、一言、シルビアが地の自分を見せる。男のようなドスの聞いた低い声だった。

 

「な、なんだ今の声……アクア、スペルブレイク!」

 

「『セイクリッド・ブレイクスペル』!」

 

 ビビったカズマの号令で、アクアが吸収を無効化した。

 排出された二人の少年は再吸収されず、されど排出はそこで止まる。

 

「今まで吸収されてた人を全部吐き出させる、とかは無理だったか……」

 

「だけど十分ですよ! むきむきも戻って来ましたし、今度こそ私の爆裂魔法で!」

 

 仕留めます、と言いかけたその時。めぐみんの首に風の刃が飛んで来た。

 

「っ」

 

 頸動脈を容易に切断する風の魔法は、しかしめぐみんの命は奪えず、復帰して早々に飛び込んで来たむきむきの手刀に切り落とされる。

 

「むきむき!」

 

 だが、むきむきも薬剤による無理矢理な排出の直後で体調が悪そうだ。顔色が悪い。

 それさえもアクアがひょいっと魔法をかければ治ってしまうのだから、流石はアクア、本物の水の女神といったところか。

 

「すみません、遅れました」

 

「いえ、いいタイミングよ。今アタシちょっと、気分悪いから……」

 

「セレスディナ様は諸事情あって既に撤退しています。その入れ替わりに私が」

 

「ああ、そういう? 頼りにさせてもらうわね」

 

 わざわざ後衛の打たれ弱い所を、それも一番打たれ弱そうな所を狙う計算高さ。あるいは性根の悪さか。めぐみんを魔法で攻撃した仮面の男は、シルビアの隣で足を止める。

 

「あの真っ赤な服……!」

 

「久方ぶりだな、紅魔族」

 

「……レッド」

 

 モンスターを使う魔王軍の転生者、DTレッドであった。

 セレスディナはウィズに自分の撤退は約束した。が、部下を動かさないとは言っていない。

 魔王城に帰れさえすれば、アクセルの街を発ってから一時間と少しで部下をここに派遣させることも可能だろう。

 人と魔王軍の組織力の差が目に見えた形となっていた。

 

 しかも、問題はそれ以外にも山積みで。

 

「うう、ごめんなさい、ごめんなさい、この状況を見るに僕三度目で……」

 

「ちょ、むきむき! 気持ちは分かりますけど今泣かないで下さい!」

 

(いや、それよりも今の問題はこっちだ!)

 

 敵の援軍も気になる。

 その詳細を知っている風な紅魔族二人の様子も気になる。

 が、今カズマが気にしないといけないのは、最近はメンタルも強くなってきたはずなのに、仲間を大切に思うあまり罪悪感で挫けそうになっているむきむきの対処であった。

 物事には、優先順位がある。

 

「アクア! 口が上手くなる支援魔法とかないか!?」

 

「あるわよ! 『ヴァーサタイル・エンターテイナー』!」

 

 アクアの"芸達者になる魔法"がカズマにかかり、カズマの"とりあえず今この時だけ前を向かせる言葉"がむきむきにかかる。

 

「いいかむきむき、それを考える必要はない。考える必要はないんだ。

 だってそうだろ? 後悔なんて後からでもできる。後で悔いるから後悔なんだ。

 それよりも今は戦いの最中だ。そっちに集中した方がいい。そうだろ?

 こういうピンチの時、大体は俺の方が冷静だっただろ?

 つまり今も俺の方が冷静で的確な判断をしてる。してるんだ。そうだ、分かるだろ。

 そうそう、深く考えず納得しろ。今はその辺考えずに俺を信じていいぞ。

 つまり今は戦わなくちゃならない時で、それだけ考えてればいいんだ。

 第一戦いの最中にそれだけに集中しないとか危ないだろ?

 他のこと考えてるとか危ないだろ? そうそう、他のことは今は何も考えるな。

 そう、目の前のことにだけ集中しろ。目の前のことだけ。その戦いのことだけ考えろ。

 ほらふわーっとめぐみんとゆんゆんのことだけ考えてみろ。

 あの敵はあの二人も狙ってる。分かるよな? あれを倒さないとあの二人が危ないぞ。

 あの敵を倒すことだけを考えるんだ。俺も協力する。全身全霊をそこに込めろ。

 考えることはほとんどこっちに丸投げしてもいい。俺が代わりに考えてもいい。

 とりあえずあの二人のこと考えて、残りは目の前の敵のことだけ考えればいい。

 ほら頑張れ頑張れ立ち上がれできるできるお前ならできる今は戦うことだけ考えてろ!」

 

「……はいっ!」

 

 カズマのペラペラ回るようになった舌から放たれるマシンガントーク。

 乗せられやすい、言い換えるなら単純バカなむきむき。

 とりあえずで相手の言葉に耳を傾ける信頼関係。

 これが漫画なら立ち上がるまでコミックス一巻はかけていたところだが、カズマに常識や王道など通用しないのだ。

 

「流石ねカズマ。十秒ちょっとでむきむきが立ち直ったわ」

 

「対症療法だ対症療法。これ今は乗せられて忘れてるけど、戦いの後は面倒臭いぞ……」

 

 カズマはささっとめぐみん達と情報共有。

 レッドが紅魔の里で見せたモンスターの強制使役、モンスターの強化改造、特異なスキルの行使に、口が軽く頭が弱かったイエローから得た情報を得る。

 

――――

 

「はぁぁぁ!?

 レッドは他人を思い通りにするだけの力!

 ブルーは醜い自分を美しくするだけの力!

 グリーンはトンマな自分を変えるだけの力!

 ピンクは望みどおりに薬を作るだけの力!

 どう考えたって拙の能力が一番強いに決まってるでゲス!」

 

「レッドは強化モンスター開発局局長シルビア様の補佐。

 ブルーは魔導指導部隊の顧問。

 ピンクは魔道具開発室の主任。

 グリーンはハンス様のお気に入り。

 拙が頭足りてないことなんて分かってるんで、拙の仕事は簡単なものだけでゲス」

 

――――

 

 レッドがここにシルビアの援護に来たのは、ある意味で当然だったということを、カズマに伝えていく。既知の情報もあったが、そこには再確認の意味もあった。

 

「……と、そのくらいです」

 

 レッドはシルビアにエチケット袋を渡し、回復魔法をかけつつ背中を擦りながら、イエローの口の軽さに呆れる。

 その姿はさながらバスで吐いた同級生を気遣う委員長のよう。

 

「イエローは本当に口が軽いな。

 あいつを引き込んだ私が言うのもなんだが……

 生前はどんな言葉を語るかで失敗した男だろうに」

 

「ああ、もういいわよレッド、だいぶ楽になったから」

 

「そうですか」

 

 シルビアに礼を言われた男は仮面を外す。

 その下から現れたブサイクな顔に、カズマは思わず息を飲んだ。

 そのインパクトは、魔剣グラムを振っていた時のむきむきのそれに匹敵する。

 

(なっ……なんだあの顔!?

 予想外だ、悪の組織の幹部とかテンプレだとイケメンなのに!

 この異世界、いくらなんでもお約束の王道を外しすぎだろ……!)

 

 顔面デストロイヤー。一度見れば忘れない顔だ。めぐみんのネーミングは実に正しい。

 

「あ」

 

 そう、()()()()()()()()()()なのだ。それが、アクアだったとしても。

 

「カズマ! 私あの人のこと覚えてる! あの顔だもの!」

 

「顔顔言うな! イケメン以外の人権を認めない女は俺の敵だぞ!」

 

「なんでそこまで話飛躍してるのよ馬鹿なの!? 違うわよ、『モンスターテイマー』!」

 

「もんすたーますたー? ああ、ビリーのワンダーランドか」

 

「違うわよ! 特典よ特典!」

 

「!」

 

「モンスターを自由に操って、強化したり力を借りたりする職業の特典!」

 

 アクアは忘れっぽいが、記憶を刺激する何かがあれば、その特典の情報を丸裸にできる。

 

「まいったな。これでは私が能力を隠しても意味がない」

 

 神器は魔王の力で強化されても、元の神器の能力の延長か改造でしかない。

 アクアの情報に知力の高い紅魔族が付けば、もはやレッドの能力は丸裸だ。

 

「で、モンスターテイマーとかいうやつの能力ってのは?」

 

「モンスターの使役。モンスターの強化。敵のステータス把握。

 あと、仲間扱いのモンスターのスキルを一つ継承できるわね。

 この世界で言うドラゴンナイトと同系統の職業って扱いになるわ」

 

「ああ、大体分かりました。それの延長で

 『モンスターの強制使役』

 『モンスターの急速改造』

 『敵の詳細理解と把握』

 『仲間扱いのモンスターのスキルの複数継承』

 になるわけですね。前に見たスキルは、おそらくウィズの不死王の手……」

 

「つまりあいつの直接的な戦闘力はそこまで高くないのかもしれないのか」

 

 レッドのこれは、ある神器と同種のものである。

 その神器とは、どこからともなくモンスターを召喚し、それに一方的な契約を結ばせることで使役するというもの。

 "モンスターを使役する"神器と職業は、女神の特典の中では対になるものだった。

 

 世界に一つの、自分だけの武器。

 世界に一つの、自分だけの防具。

 世界に一つの、自分だけの能力。

 それが『特典』の本質であるのなら、世界に一つの、自分だけの職業というものが無い方がおかしい。

 

(アクアがミツルギってやつ完全に回復させて支援かけ終わるまで時間が欲しいな。

 なんかイケメンだし知らない人だしイケメンだし、是非前で盾になってもらおう)

 

 カズマは打算で敵に話しかける。

 

「なあ、前から気になってたんだが、お前ら人間なのになんでそっち側に居るんだ?」

 

「時間稼ぎか」

 

「うっ」

 

「まあ、別にいいけどな。こっちもシルビア様の体調が戻り切るまで時間が欲しい」

 

「やだ、レッドちゃんイケメン……! アタシと一晩を共にする気はない?」

 

「すんません、私職場内恋愛とか仲間内恋愛とかしたくないんですよ」

 

「あら、つれない」

 

 五分か、十分か。カズマはミツルギを盾にするために、レッドは仲間の体調を気遣い、この束の間の休戦に同意する。

 

「別に魔王軍側の人間に統一された目的なんて無いぞ。ブルーを見れば分かるだろうが」

 

「……」

 

「私の目的なんてシンプルなものだ。人間を一応滅ぼしておきたい、程度のものでしかない」

 

「一応……?」

 

「私の能力の詳細を聞いて思わなかったか?」

 

 レッドを魔王軍に誘ったのはブルーだ。

 なのに何故セレスディナは、年長者のブルーではなく、この男を戦隊のまとめ役にしたのか。

 

「私の能力はこの世界の基準で言えば……()()()()を支配する力。

 魔王の奴をトップに据えて人間を滅ぼしておけば、とてもいい世界が作れるそうじゃないか」

 

「……んなっ」

 

「言ってしまえば私は『争いのない世界』の構築が目的だ。シンプルだろ?」

 

 簡単な話だ。この男が、こういう性格をしているからである。

 

「素敵じゃあないか。

 悲劇も生まれず、戦乱も起こらず、憎しみの連鎖も無い。

 人間を滅ぼしたい理由が特にあるわけじゃない。ただ、必要経費なだけだ」

 

 モンスターを召喚し操る神器でも、正当な所有者ならば同じことはできるだろう。

 人を信じ人に力を与える慈悲深き女神達は、人というものが本質的には善いものであると信じる彼女らは、想定もしていなかったはずだ。

 神器を『魔王の打倒』ではなく、『魔王の治世』のために使うことを第一に考えている人間が出て来るだなんてことは。

 

「人間が魔王軍に勝っても、その後は人間の国同士の戦争だろう?

 なら、魔王軍が勝ってもいいだろう。こっちは勝った後に内紛などしないぞ」

 

 平和な分いいじゃないか、と男は醜い顔で鼻を鳴らす。

 

――――

 

「あの筋肉は所謂"根が良い奴"である」

「貴様もそう。貴様の仲間の多くもそうだ。

 問題はあるが、基本的には"根が良い奴"に分類される。

 つまり、善良な良識人でなかったとしても、心の下地は悪いものではないということだ」

「ならば、その逆はなんと言うのだろうな」

「良識があるが"根が悪い奴"とでも言うべきか」

「赤色は正義の色というが。我輩からすれば、性根の悪さも赤である。何せ血の色であるからな」

 

――――

 

(ああ、これか)

 

 バニルの言葉が、今更になってカズマに理解できるようになった。

 あの不自然な赤色への言及は、これを気付かせるヒントだったわけだ。

 

(これは確かに……なんとなく、根が悪い奴な気がする)

 

 根が良い奴なクズが居れば、根が悪い奴で情のある人間も居る。

 レッドはカズマと性格を対比することで、カズマの良さとレッドの悪さがより目立つような、そんな人間だった。

 

「だと、いうのに。人間というのは、本当にな……」

 

 レッドの目が虹色になって、むきむきをじっと見る。

 太陽光は分解すると虹色になる。これは分解であり、分析なのだ。アクアとめぐみんが先程立てた推測の通りなら、これが相手の詳細を見抜く職業の固有能力なのだろう。

 

「ホーストがお前は魔王軍に入る可能性もあると言っていたが」

 

 レッドは深く、深く溜め息を吐いた。

 

「あの頃ならともかく、今はもう可能性が無いか。残念なことだ」

 

「え?」

 

「あの時は殺すつもりだったが……今日もあの時のままだったなら、手駒に加えるつもりだった」

 

 この世界のモンスターの定義は、少し特殊なものである。

 

「この世界はシステマチックだ。地球のような法則だけが支配する場所ではない。

 概念と定義が法則に食い込んでいくこの世界では、モンスターさえあやふやな存在だ」

 

「モンスターさえ……?」

 

「驚いたものさ。魔王軍に所属すれば、人間でさえモンスターの扱いになる。

 種族:人間のモンスターだ。

 かと思えば、元モンスターの家畜などは普通にモンスターと呼ばれている。

 過程だ、過程。全ては過程さ。

 最初から人と敵対する存在だったか。

 あるいは、一度でも人と敵対したことがあるか。それでその命の定義は決まる」

 

 以前のむきむきには、自分を受け入れて好きになってくれる大切な人が居れば、どこへでもついていきそうな危うさがあった。それを失えば堕ちてしまいそうな危うさがあった。

 幼かった頃のむきむきはとても分かりやすく、近い人間に強烈な依存心を持っていた。

 

「あの頃のお前は、人に益を為さず害を為すだけのものになる可能性があった。今はない」

 

「……それは」

 

「人はそれを、成長と呼ぶ。私が操れる可能性が消えたのがまさにその証拠」

 

 その強烈な依存心も、もう無い。

 大切な場所が増えた。大切な人が増えた。世界の広さを知った。

 あの幽霊の望んだ通りに、少年はこの素晴らしい世界を知って成長していったのだ。

 

「堕落せずまっすぐ成長する者を見ると虫酸が走る者も居る。私のようにな」

 

 DTレッドが、闇に落ちずまっすぐに育つ子供を認めながら嫌悪するのであれば。

 これは、嫌悪という名の賞賛であり、嫌悪という名の尊敬だった。

 

「遠慮はしない。そこのアクアを殺すため――」

 

 ここまでだ。

 休戦は終わり。

 ミツルギとシルビアが万全の状態で戻って、魔王軍と人間達の戦いは再開される。

 

「――私は、最近捕まえたとびきりのジョーカーを連れて来た」

 

「ジョーカー? そんなの、僕に師父にアクア様に優秀な魔法使いが居るこの状況で……」

 

 人間達は、毎日何かに備えるか自分を高めていたと言っていい。

 カズマはカズマイトを作った。むきむきは日々筋肉を鍛えていた。めぐみんは毎日爆裂を撃っていた。ゆんゆんは詠唱を始めとする魔法鍛錬をしていた。ダクネスもミツルギも真面目なため彼らにも負けない努力を重ねている。アクアは暇さえあれば酒か昼寝を嗜んでいた。

 

 ならば、魔王軍はどうなのか。

 彼らはベルゼルグ王都陥落に失敗した後、女神アクアの降臨を知った後、どんな風に自分を鍛えて、どんな備えや準備を整えてきたのか。

 

「これが、私の用意したジョーカー」

 

 その答えが、ここにある。

 

 

 

「冬将軍だ」

 

 

 

 ()()()()()()()()()()レッドの隣に、それは居た。

 

「やっていいこととやっちゃいけないことの区別もつかねえのか魔王軍はよぉ!」

 

 女神アクアが現れたという知らせは、彼らの予想以上に魔王軍にガチムーブをさせたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 むきむきとミツルギが前に出て、冬将軍の目にも留まらない剣閃を弾く。

 

「くっ」

「ぐっ!」

 

 冬将軍は二人を相手にしてもなお余裕があり、後衛を狙って刀から斬撃を発射。今日はとても活躍しているダクネスが体を張って、それを受け止める。

 

「痛っ」

 

 直接的な斬撃でないのに、ダクネスの鎧が欠けた。なんという攻撃力か。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 そして前衛三人を攻め立ててなお、冬将軍にはゆんゆんの魔法攻撃に対し気を払う余裕がある。

 ゆんゆんの光の刃はとんでもない硬度の冬将軍の刀さえ真っ二つに両断するが、冬将軍の体にはかすりもしない。

 しかも、ゆんゆんが一度まばたきをした間に、刀は瞬時に再生されていた。

 

「狙撃!」

 

 そして冬将軍の動きが全く目で追えていないカズマがカズマイト付きの必中矢――相手がいくら早く動こうと、カズマの矢は『運良く』当たる――を撃つのだが、これが当たっても冬将軍はビクともしない。

 頑強にもほどがあった。

 

「無理ゲーに無理ゲー重ねるのホントやめろ魔王軍!」

 

 カズマから見れば、10tの剣を振り回すミツルギの速度さえ目で追えない。

 そのミツルギよりむきむきは速く、ミツルギとむきむきの二人がかりでも追いつけないほどに冬将軍は速かった。

 ベルディアレベルの攻撃力であればダクネスが前に出てもいいのだろうが、冬将軍の攻撃力ともなれば速度差が命取りになりかねない。

 

「シルビア様、後は見ているだけでいいですよ」

 

「あらそう? まあ変に前に出て邪魔になってもね」

 

「チョコバーを持ってきましたが食べますか?」

 

「気が利くじゃない。そういう男は嫌いじゃないわ」

 

「恐縮です」

 

 レッドとシルビアに至っては、人間サイドが虐殺されるまでの暇潰しにおやつタイムを始めていた。すっかり余裕である。ほれ死ね死ね、と煽りまで始めていた。

 

「カズマカズマ! 私あいつら超ムカつくんですけど!」

「指示を下さいカズマ! 爆裂で奴ら全員ふっ飛ばして颯爽とむきむきを助け出してみせます!」

 

「今はお前ら何もすること無いんだから黙ってろ!」

 

 むきむき達はあまりにも必死に戦っているため、喋る余裕がない。

 支援魔法をかけ終わったアクアと手投げ核爆弾に匹敵する危険度のめぐみん、つまり今現在は使えない二人は喋る余裕がある。

 しかも戦いは拮抗していない。

 一瞬一瞬に激動していく。

 今また、刀でミツルギを捌いていた冬将軍が、空いた右足でむきむきを蹴り飛ばしていた。

 

 息を一度吸うよりも短い刹那に、むきむきの体は遥か彼方のアクセルの外壁にまで吹っ飛ばされて衝突、外壁を瓦礫と変えてその下に埋められてしまう。

 

(1kmくらいは距離があったはずなのに……!)

 

 脚力一つ見ても、化物だった。

 

「『サモン』!」

 

 ゆんゆんが召喚で引き寄せ、アクアが治し、むきむきは即座に前に出る。

 ミツルギ一人では保たないことを知っていたからだ。

 

「ありがとう!」

 

 が、むきむきが抜けたことで追い詰められたミツルギを庇って、冬将軍の左ストレートを食らってしまい、またアクセルの街まで吹っ飛ばされていた。

 

「師父ー!」

 

 冬将軍の刀はミツルギが抑えているとはいえ、パンチキックのたびにダイナマイトじみた音を発生させている冬将軍の一撃だ。

 おそらく、むきむきかダクネスの耐久力が無ければ、人間は割れた風船のようになるだろう。

 

「あいつ自分の体の頑丈さを過信して他人を庇う癖直さないと、マジで死ぬぞ……」

 

 カズマはボソッと呟いていた。

 

 

 

 

 

 アクセルに落ちる隕石と化したむきむき。

 壊れた石畳に埋まる体の痛みが、まだ戦いが終わっていないことを彼に教えてくれる。

 

「あぐぐ、づぅっ……!」

 

 すぐに召喚が始まるだろう。

 そしてまたすぐに回復される。

 ほどなくまた切られるか蹴られるかするのかもしれない。

 

 だが、それでいいとむきむきは思える。

 それは仲間が受けるはずだった攻撃であり、むきむきが引き受けた傷であるからだ。

 そんな少年に、かかる声が一つ。

 

「召喚がすぐに来るであろう。なのでさっさと渡して手短に説明する。例の物が届いたぞ」

 

 声の後に、押し付けられた細長い大きな箱が一つ。

 

「気が向いた時に店に来い。貴様の両親の話をしてやらんでもない」

 

 召喚される直前に見た仮面が、愉快そうに笑っていた気がした。

 

 

 

 

 

 召喚で呼び戻され、アクアに回復され、むきむきは押し付けられた箱を見やる。

 

「大丈夫むきむき? 傷は痛まない? アクシズ教に入信する?」

 

「その辺は全部大丈夫です」

 

 妙に頭がすっきりしていた。

 今のむきむきには、カズマに足りない手札を二枚付け足す手段がある。

 そのために必要なものは、後はむきむきの覚悟だけだ。

 

「『ライト・オブ・リフレクション』!」

 

 ゆんゆんは本当に優秀な魔法使いで、ミツルギは本当に優秀な前衛だ。

 今もゆんゆんがミツルギに近寄り、姿を消す光の魔法を使って、ミツルギが姿を隠しながら全力で攻め冬将軍に拮抗するという現状を作り上げていた。

 それでも拮抗。

 押し切ることはできず、長続きしない拮抗にしかなっていない。

 

「めぐみんめぐみん」

 

「ん? なんですかむきむき? 名案でも思いつきましたか?」

 

 時間が無い。時間が無いのだ。

 本来ならばこの箱の中身は、然るべき時に渡すはずだったもの。

 むきむきがウィズを通して作成を依頼し、街の鍛冶屋の協力も得て、ちょっとばかり長い期間とそこそこの金をかけて作られたもの。

 渡すべき時と状況は選びたい、というのが彼の本音だ。

 だが、時間が無い。

 

「めぐみんがマジンガーンダムを倒した時に使ったマナタイト。あれ、僕が貰ったよね」

 

「むきむきに欲しいと言われたら断れませんよ、そりゃ。

 結晶部分は消えてしまってましたし、残っていた鉱石部分だけでしたけどね」

 

「それと覚えてるかな、コロナタイトのこと」

 

「ああ……むきむきが欲しがって、持って行ったやつですね。あれがどうかしましたか?」

 

「あれさ、初めて見た時から思ってたんだ。あれ以上の魔法媒体ってないなって」

 

 少年が開けた箱の中には、一本の杖が入っていた。

 

「今のめぐみんに、一番必要なものだよ」

 

「―――! これ、は……!」

 

 それは、爆焔の輝きを思わせる太陽の如く煌めく杖。

 

 コロナタイトの表面をそれなりに削り、削ったものを柄の内部に仕込んで魔法のブースター兼コロナタイトの安定剤として使った、並外れた出来の一品。

 柄のコロナタイトの繋ぎにはマナタイトが使われており、ここまでの素材を使ったともなれば、その価値は余裕で億を超えるだろう。

 鍛冶屋の鍛冶スキル、及びウィズの魔法知識で完成を迎えたこの杖は、あるいは神器にも匹敵する魔法媒体として仕上がっている。

 

 一人の少年が、とある最強の魔法使いに相応しい杖は何かと考え、彼なりに出した一つの解答であった。

 

「めぐみんに壊せないものなんてあるもんか! それが冬でも、将軍でも!」

 

「最高に粋なことしてくれるじゃないですか、期待に行動を伴わせてくるとは……!」

 

 そして、それは。

 

「本当は、数日後に言うつもりだったんだけどね。……14歳の誕生日おめでとう、めぐみん」

 

 めぐみんが予想もしていなかった、とあるお祝いのためのプレゼントだった。

 

「―――あ」

 

 小さな声が、少女の口から漏れる。

 『生まれてきてくれてありがとう』というメッセージが、手にした杖から伝わってくる。

 むきむきは数日後に、祝いの席でこれを渡したかったのだろう。

 こんな時間が無い時ではなく、時間がある時に、時間が許す限り祝いの言葉を述べながら渡したかったのだろう。

 だからか、少年の表情はちょっと残念そうで、ちょっと申し訳なさそうでもある。

 

 だが、十分だ。めぐみんにとってこれ以上はない。これでも十分すぎる。

 

 この少年は、大切な人の誕生日に全力を尽くすタイプの男だった。

 そしてめぐみんは、お膳立てには結果を持って応える女であった。

 

「見ていて下さい。最高のお膳立てには、最強の一撃で応えてみせましょう!」

 

 紅魔族ローブをはためかせ、めぐみんはそっと手にした杖を握りしめた。

 

 むきむきはミツルギとゆんゆんのコンビネーションがあと一分も保たないことを察し、カズマ達に一つの提案をする。

 それはカズマが思いつきかけて、思いつく前に捨てた作戦の一つだった。

 

「おいちょっと待て、それは流石に……」

 

「カズマくん」

 

 むきむきが思いつかないことは、カズマが思いつけばいい。

 むきむきが選べないことは、カズマが選べばいい。

 カズマが提案できないことは、むきむきから提案すればいい。

 

「僕はカズマくんのことを信じてる。

 他の人が選べない選択を、本当に大切な時に選べる人だって信じてる」

 

 足りない部分は、考えも力も補い合えばいい。

 一番前に出るのがむきむきの役目なら、一番後ろで指示を出すのがカズマの役目だ。

 

 カズマは頭を掻いて、心底嫌そうな顔をして、最後には肝の座った表情で強く頷く。

 

「タイミング指示は任せろ! しくじるなよ!」

 

「うん!」

 

 支え合えれば、チームは時に無敵となれる。

 

 

 

 

 

 めぐみんとカズマの視線を背中に受けて、アクアから有用な支援魔法以外のありったけの支援魔法も受けながら、走る。

 後衛をしっかりと守り続けるダクネスの横を通り過ぎ、冬将軍の引き起こす衝撃波で倒れるゆんゆんの横を通り過ぎ、ミツルギよりも更に前へ。

 冬将軍が刀の先端を、ゆらりと揺らした。

 

「師父! いけません!」

 

 むきむきが冬将軍に近付くという一手に要する時間に、冬将軍はむきむきを切るという一手を六度は打つことができる。

 ミツルギならば一つは弾ける。だが、残り五つはむきむきが弾かなければならない。

 それが、無謀な接近の代償だ。

 

(恐れるな)

 

 踏み込んだむきむきの足が地面に付くその前に、足が一本切り飛ばされた。

 

(恐れるな)

 

 左腕が肩からすっ飛ぶ。

 

(ただ、前に)

 

 残ったもう一本の足も飛んでいく。

 

(前に進むんだ)

 

 最後に、残された右腕も両断。

 

(たとえ、それがどれほど恐ろしかったとしても)

 

 一歩踏み込む時間に満たない一瞬で、むきむきの四肢は全てが切り飛ばされていた。

 だが、むきむきは四肢を犠牲にして『五つの斬撃』をかわしきる。四本切らせて、それを対価に一つの斬撃は弾いてみせたのだ。

 

(勇気がなければ、僕はきっとどこにも届かない―――!)

 

 ダルマになったむきむきは、地面に頭突きする。

 手足がもげた程度では絶望しない、心折れない、諦めない。

 その眼は、強く紅く輝いている。

 頭突きで彼の体は跳ね、切り飛ばされた右腕と彼の本体の切断面同士がぶつかった。

 

「『セイクリッド・ハイネス・ヒール』!」

 

 瞬間、アクアの回復魔法が飛んでくる。

 切られた右腕は体へと再接着され、むきむきは冬将軍の至近距離で腕を一本取り戻す。

 

「ぶっ飛べぇっ!」

 

 そして、思いっきりぶん殴った。

 全力で突っ込めば、慣性がつく。

 踏ん張る足がなくても、拳には十分な力が乗る。

 だからこそ、むきむきは無謀でも全力で突っ込んだのだ。

 

「我に許されし一撃は同胞の愛にも似た盲目を奏で、塑性を脆性へと葬り去る」

 

 めぐみんは撃つ。彼は撃てるようにする。

 それもまた、紅魔族式のコンビネーション。

 

「強き鼓動を享受する!」

 

 詠唱に淀みはなく、魔力の流れに乱れはなく、その心に曇りはない。

 

「哀れな者よ、紅き黒炎と同調し、血潮となりて償いたまえ! 穿て!」

 

 彼女は、最強の杖と最強の想いをもって。

 

「―――『エクスプロージョン』ッ!!!」

 

 最強のモンスターから最強の称号を奪い去る、地上最強の爆焔を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 杖の機能はシンプルだ。

 魔法威力上昇、魔力消費代行、そして魔法制御力向上。

 魔法威力の上昇は魔力消費も上昇させるが、それは魔力消費代行でトントンになる。

 目に見えて変わったのは、威力と制御力。

 めぐみんの爆裂魔法は圧倒的な威力を絶対的な制御によって精緻に操られ、冬将軍を風景ごと消し飛ばしていた。

 

「……嘘だろ? 冬将軍を……倒した?」

 

 レッドが、心底呆然とした声を出す。

 シルビアに至っては驚愕が過ぎて言葉を口にすることさえできないようだ。

 これで後は、むきむき達の総力を上げてレッドとシルビアを倒すだけだ。

 涙目のゆんゆんがむきむきの手足を必死に拾い集め、それを受け取ってくっつけようとしていたアクアだが、その時妙な魔力の流れを感知する。

 

「ううん? あれ? これって……」

 

 ほぼダルマ状態で寝かされてるむきむき、またしても魔力切れでぶっ倒れてむきむきの横に寝かされためぐみんの横で、カズマが嫌な予感たっぷりにアクアに問いかける。

 

「どうしたアクア?」

 

「どうやら、冬将軍は私の知らない内にパワーアップを遂げていたようね……」

 

「え、なにそれ」

 

「あれは既に冬将軍ではないわ。

 転生者達の思念を受けてまた変質した新たな概念。

 冬将軍としての自分が消滅した結果、再構築された新たなる冬将軍。

 もはやレッドの固有能力では制御できない、大魔王級の大精霊……」

 

 もぞもぞもぞ、と魔力が集まる。

 再結集される。再構築される。再生過程で進化して、復活後に再進化する。

 冬将軍は確かに倒された。

 めぐみんの先の一撃は、人類史に例のない大偉業と言えよう。

 

 されども冬将軍は死して後に生まれ変わり、自分を利用した魔王軍のレッド絶対にぶっ殺すマンとして復活した。

 

「―――核の冬将軍よ」

 

「この世界は天然物が後付けチートを蹂躙しなくちゃいけないルールでもあんのかコラァ!」

 

 冬将軍が手を掲げた瞬間、レッドは魔法を組み上げていた。

 

「『テレポート』ッ!」

 

 レッドとシルビアの姿が消え、将軍の手から放たれた魔力が、めぐみんの爆焔ほどではない爆発を巻き起こす。

 タッチの差で、彼らは灰になる運命から逃げ切った。

 

「将軍様すげー」

 

「カズマくんが思考停止した声出してる……」

 

 核パワーを搭載した冬将軍にもはや敵は居ない。

 これからは雪山で雪精を殺した冒険者に核の炎を叩き込みつつ、レッドを見かけたら積極的に核を撃ち込む大精霊となるだろう。

 冬将軍はむきむき達に最後に頭を下げ、雪解けのようにふっと消え、山に帰って行った。

 

「将軍様が頭を下げていったよ。たまげたなあ……」

 

「カズマくんが魂抜けたみたいな声出してる……」

 

 勝った、という実感が湧いてくる。

 皆の目にはめぐみんが見せた過去最高の爆焔が焼き付いているが、その感動に少し遅れてようやく勝利の実感が湧いてきた感じだ。

 

「これにて一件落着! 邪悪な魔王軍の企みはめぐみんが一蹴!

 大自然の大いなるパゥワーが悪どいやつらをぶっ飛ばしたのね! めでたしめでたし!」

 

 アクアが調子に乗る。

 が、忘れてはならない。

 この世界では、調子に乗るとツケが来るのだ。

 

「なあ、アクア。これって放射能汚染とか大丈夫なのか?」

 

「……ああああああああああっ!!!」

 

 放射能がやばかったので、その後夜までかけてアクア様が大量の水を出し、水に呑まれた放射能をピュリフィケーションで残らず消してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後の話。

 

「魔王軍幹部三人投入で一人脱落、全員撃退とは。これは笑えますね」

 

「笑えないわよ! まったく、アタシも次は少し対策用意しておこうかしら」

 

 『バニル』という存在がとことん作戦の骨子をズラした結果とはいえ、こんな結果に終わるとは誰も予想していなかっただろう。

 操られる側のむきむきと、唯一の盾として残ったダクネスがよく頑張った。

 その頑張りから、皆がよく繋いでくれた。

 そこに魔王軍の認識外の予想外が加わって、話が変な方向に転がった様子。

 魔王軍有利なこの流れの中で、むきむき達はまた『幸運』にも勝利したのだ。

 

「そういえばシルビア様が男を吸収するなんて珍しい。趣旨替えですか」

 

「魔剣の勇者の方はついでだけど、あっちの少年の方は、ね」

 

「?」

 

「あれの母親はとても美しかったのよ……ああ、とても惜しいことをしたわあ」

 

「ああ、そういう?」

 

「そう。ただの未練よ。あたしを最も多く撃退したあの女への未練」

 

「執着でしょうに、それは。しかも母親だけでなく、あの少年個人の特性に向けた」

 

「……あんた相手の本質言い当てるのはほどほどにしないと、恨み買うわよ」

 

 人の面影を追うのは、人だけではなく。

 

「それにしても、あの魔剣使いの参戦は事前想定のどこにもなかったわね」

 

「あれがここに来たのはセレスディナ様も想定してない誤算のはずですよ」

 

「理由は分かる? アタシにはさっぱりだわ。偶然かしら」

 

「いえ、おそらく」

 

 ミツルギは言っていた。

 『こっちで手に入れた情報を師父に伝えようと思って来たんだけど』と。

 その発言をレッドは聞いていなかったが、大体の予想は付いている。

 

「ベルゼルグ貴族と魔王軍(うち)の内通を察して、それを知らせに来たんでしょうな」

 

 人間の内乱を起こすのは、セレスディナとその部下の担当業務でもあった。

 

 

 




 九巻あたりでは霧レベルの水分も干渉操作できる描写があるのに多分普段は忘れてるアクア様
 放射能汚染も服に付いたカレーうどんの汁も大差なく消します
 恥は消せません


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3-5-1 絶体絶命! ダクネス筋肉包囲網!

 カズマさんが傀儡をかけられると全ての欲望が解放され、ダクネスの鎧の胸部分を奪ったグラムで切り取って、そこにコンソメスープを注いで味わいながら飲むというエキセントリックスターになります。たぶん


 魔王軍との連戦。

 元ニートで魔王軍とか戦いたくもない、という信条を持つカズマの体には大きな疲労が溜まっていた。それでも、朝陽はやって来る。

 疲れからか昨晩早くに寝てしまったカズマは、屋敷に差し込む朝陽に強制的に目を覚まさせられていた。

 

(腹減った)

 

 むきむきが居たら前に食べた海鮮丼作って貰おう、めぐみんが居たら適当に作って貰おう、アクアが居たら卵かけご飯でも作って貰おう、とぼやけた頭が他力本願力を発揮する。

 誰も居なかったら自分で作るかなあ、と居間に向かうと、そこには暖炉前のソファーで眠るめぐみんと、そのめぐみんをじっと見ているゆんゆんが居た。

 

 めぐみんは幸せそうな顔で杖を抱きしめ、うへうへしながら眠っている。

 昨晩は杖を片時も離していなかった彼女は、どうやらそのまま眠ってしまったらしい。

 スティールを使われても杖は離さない、と言わんばかりの様子だった。

 ゆんゆんはその杖を物凄く物欲しそうに見ている。

 手を伸ばして、これは取れないなあと思い直して、指先で杖をつんつんつついていた。

 昨晩もゆんゆんは物欲しそうにその杖をじっと見ていたが、朝にまた同じことを繰り返していることにカズマはちょっと驚いていた。

 

(むきむきはゆんゆんの14歳の誕生日には何を贈るのやら)

 

 カズマは居間をスルーして台所に向かう。

 

(めぐみんのよりも安いものだったらゆんゆんが落ち込むか泣くかしそうな……

 かといってめぐみんのよりも良いもの送るのもどうなんだ?

 来年のめぐみんの誕生日に更にもっと高いもの買うのか?

 いや贈り物の価値は値段じゃ……いや待て、そもそも女の子への贈り物の正答って何?)

 

 そもそもゆんゆんって今13歳? 14歳? 誕生日っていつ? というところで思考が止まり。

 女性の扱いに詳しいわけでもないカズマは、考えるのをやめた。

 そして、気付く。皆で食事をする時に使うテーブルの上に置かれていた、一通の手紙に。

 

「ん?」

 

 開けて読んで、カズマは目を見開いた。

 

『自分の未熟さを痛感しました。旅に出ます。探さないで下さい』

 

 むきむきの字で書かれていたシンプルな一文。

 

「……ふぅ」

 

 右手で顔を覆って、天井を見上げ、思いっきり息を吸ってカズマは溜めて。

 

「あのバカがぁ!」

 

 屋敷中に響き渡るような、大声を上げた。

 

 

 

 

 

 家出少年と化したむきむき。

 彼が足を運んだ先は、アルカンレティアであった。

 ドリス、王都、エルロードと、彼の想い出がある街は多い。

 だがこの街は彼が紅魔の里を出て初めて足を踏み入れた大きな街で、冒険者としての彼の原点、この世界に踏み出した一歩の原点がある場所だ。

 

 自分を見つめ直すという意味では、ここを選ぶ意味が確かにあった。

 

「……」

 

 とはいえ、なんとなくでアルカンレティアを選んだ、言い換えるなら深く考えずにアルカンレティアを選んだのは事実。

 それ即ち、ここを根城にするアクシズ教徒を甘く見ていたということだ。

 

「どうも、お久しぶりですな」

 

「……お久しぶりです。耳が早いですね、ゼスタさん」

 

「はっはっは」

 

 アルカンレティアに足を踏み入れて五分と経たずに、むきむきはゼスタの温和な笑顔に迎え入れられていた。

 

「この街に、何か御用ですかな?」

 

「いえ……あの、ちょっと、強くなろうかなと」

 

「ほう」

 

 曖昧なむきむきの言い回しに、ゼスタは顎髭を弄って微笑んだ。

 

「その言い様ですと、時間はあるようですな。

 少しこの老木とまったりデートに付き合っていただけませんか?」

 

「デート? 男同士でですか?」

 

「色っぽい話にはなりませんでしょうな、あなた相手では。はっはっは」

 

 ゼスタはどこからかバスケットを取り出して、むきむきを連れてアルカンレティアの名物である湖の畔に向かった。

 むきむきが体育座りで地べたに座り、ゼスタがあぐらをかいて釣り竿を振るう。

 湖にのんべんだらりと釣り糸を垂らして、二人はバスケットの中のサンドイッチに各々勝手に手を伸ばしていた。

 

「いい湖でしょう?」

 

「はい」

 

 アルカンレティアの『水』は、街のどこへ行っても見れるもの。

 水の女神アクアを崇める彼らの誇りだ。

 特にこの街を象徴するものの一つであるこの湖は、その大きさもあって見る者の心を和ませる効果がある。

 塩分濃度が高いこの湖では、海の魚も釣れるという。観光名所の一つであった。

 

「何があったのか聞いてもよろしいですか?」

 

「……つまんない話ですよ」

 

 何かを溜め込んだ人間と、その言葉を自然と引き出し語らせる人間。

 野外であるというのに、今の二人は懺悔室の中の者達のような雰囲気を持っていた。

 

 隠すことでもない。

 むきむきは先日の魔王軍との連戦のことを包み隠さず話した。

 仲間達に迷惑をかけて、仲間をこの手で傷付け、仲間を危うく殺しそうだったこと。

 魔王軍の手先になってしまったこと。

 そのことに、心臓が潰れそうなくらい大きな罪悪感を感じていること。

 

「そして、気付いたんです。

 僕は一番最初に自分を責めて落ち込んでしまった。

 仲間のことを本当に大切に思ってるなら、一番最初に考えるべきは償いだったのに」

 

 "『ごめんなさい』ではなく、かけた迷惑の分『されて嬉しいこと』を仲間にするべきだ"と彼は自分自身で気付いていた。

 自分のごめんなさいが、その罪悪感が、結局の所自己満足でしかないことに気付けた。

 だからこそ、あの戦いの中でも真っ先に自己嫌悪してしまったせいで危うく役立たずになりそうだった自分に気付き、気にしすぎな自分を情けなく感じたのだろう。

 

「こう……自分が、情けないなって。子供だなって、思って」

 

 もっと立派な自分に。

 仲間に迷惑をかけない自分に。

 仲間に迷惑をかけたとしてもその分仲間を喜ばせる自分に、なりたい。

 それが彼の中に渦巻いている、罪悪感と混ざりに混ざっている感情だった。

 

「大人の成り方くらいは知っておいた方がいいんじゃないかなって、そう思ったんです」

 

 むきむきが自分なりに考えて出した答え、家出の理由は。

 

「ぷっ」

 

「!?」

 

 ゼスタによって、一笑に付された。

 

「失敬。そんなどうでもいいものを知ろうとする必要はないのでは?

 下の毛も生えてないお子様が気にする必要もないことでしょうに」

 

「先月生えましたッ! 適当なこと言わないでくださいッ!」

 

「……ほう」

 

「あっ」

 

 自爆。暴露。赤面。ゼスタは笑いを堪えるのに必死なようだ。

 

「またしても失敬。

 立派な精神を身につければ大人?

 ちゃんとした倫理を持てば大人?

 いえいえ。そんなことを言っている人が居たなら、私は馬鹿めと笑って差し上げましょう」

 

「え? え?」

 

「第一、私が立派な大人に見えますか?」

 

「見えません」

 

「おおっと、言い切りましたか」

 

 むきむきは一般的なアクシズ教徒よりよっぽどゼスタを尊敬している。

 が、立派な大人だとは思っていない。むきむきのそれを再認識しても、ゼスタはまた好々爺な微笑みを浮かべるだけだった。

 

「ですが私は子供ではない。大人でしょう?」

 

「それは……そうですが」

 

「そんなものです。アクシズ教徒の大人の大半はあなたよりもダメ人間です。

 子供なあなたの方が遥かに立派で誠実であると言えるでしょう。つまり、ですな」

 

 ゼスタは女性にセクハラする時のような動きで、自分の股間を叩いた。

 

「下の毛が生え揃ったら大人! それでいいのですよ」

 

「う、生まれて初めて聞くレベルの超理論……!」

 

 流石は現アクシズ教団のトップ。頭のネジが一本か二本外れているようだ。

 

「自分を卑下するのであれば、アクシズ教団の皆より駄目になってからにしなさい」

 

「う、生まれて初めて聞くレベルの自虐的励まし……!」

 

 そのくせその人物評は時に的確なのだから始末に負えない。

 

「あなたは情けないまま立派になってもいい。

 立派な大人になってもいい。

 何せ、あなたに"こういう大人になれ"なんて強制できる者など居ないのですから」

 

「!」

 

「『好きに生きろ』がアクシズ教の根幹。

 アクシズ教徒ではなくとも、迷った時はあなたもこの教えに倣ってみてはいかがですかな」

 

 ゼスタはこれでもアクシズ教団のトップだ。

 人を見る目があり、多くの人を導いてきた。

 アクシズ教で救えない者は救っていないが、逆に言えばアクシズ教の教えで救える人物が居たならば、それを必ず救ってきた。

 これで大迷惑宗教の大迷惑プリーストでなければ、評価もされていた可能性も少しはあったかもしれない。

 

 アクシズ教徒は本当に人生を楽しそうに生きている。

 適当に、悩みは放り投げて、面倒臭いことは考えないようにして生きている。

 彼らは駄目な大人で、むきむきよりよっぽど情けないが、それでもとても幸せそうだ。

 これで大迷惑宗教でなければ、宗教団体として評価された可能性も少しはあったかもしれない。

 

 真面目な人間がアクシズ教徒を見ると、大抵がバカを見る目になる。

 ただ、自分の人生に行き詰まったものはそこに別のものを見るらしい。

 "そんなに真面目に行きてて人生楽しいの?"と、アクシズ教徒に言われた気分になるらしい。

 

 世界で一番適当に生きていて、世界で一番失敗を繰り返していて、世界で一番自制していないアクシズ教徒が、世界で一番楽しそうに生きている。

 それだけは、絶対に揺らがない真実だった。

 

「おーいむきむきー! この辺に居るんだろー!」

 

 やがて、遠くから聞き慣れた声が聴こえる。少年の耳に、カズマ達の声が届く。

 

「テレポート屋で聞き込みすりゃ一発だったぞー!

 お前テレポートでここまで来たんだろー! 居るのは分かってんだよー!」

 

「抵抗はやめろ! 大人しく投降するんだ!」

 

「ダクネスさん、その呼び掛けは何か違う気が……」

 

 ゼスタはむきむきがさっきまでとはまるで違う顔をしているのを見て、バスケットの中のサンドイッチを一気に頬張り、飲み込む。

 釣った魚を空のバスケットの中に放り込むという暴挙を行い、丁寧に頭を下げた。

 

「アクア様をよろしくお願いします」

 

 ぎょっとするむきむきをよそに、ゼスタが頭を下げる。

 むきむきはアクアのことをゼスタに言った覚えはない。なのにこの言葉。その一言には、字面以上の意味があった。

 それこそ、邪推しようと思えばいくらでも邪推ができそうなくらいに。

 

(あの人、どこまで……?)

 

 アクシズ教徒を表面だけ見ていると案外痛い目を見る。この世界の鉄則である。

 

「……顔を合わせづらいと思うけど、行こう」

 

 ゼスタはむきむきの予想を遥かに超えてきた。

 彼はアクシズ教徒だからである。

 されども話はそこで終わらない。

 むきむきもまた、ゼスタの予想を遥かに超える者だった。

 彼はゼスタの"好きに生きろ"を、ゼスタの予想以上に真摯に受け取ってしまったからである。

 

 むきむきはカズマ達の呼び声に応える前に、ポケットに入れていた野外調理用のナイフを取り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に発見したのはゆんゆんだった。

 ゆんゆんはめぐみんの名を叫んで気絶した。

 呼ばれためぐみんもそれを発見した。

 めぐみんはダクネスの名を叫んで気絶した。

 駆けつけたダクネスが復活したゆんゆんとめぐみんを発見し、再び気絶したゆんゆんとめぐみんを放置してカズマとアクアを呼びに行った。

 そしてカズマとアクアが劇画調の顔で絶句し、今に至る。

 

 むきむきは湖の前で、髪を全て剃った状態で彼らを待ち受けていたのだ。

 

(あ……頭を丸めて、謝罪だと―――!?)

 

 坊主頭。それは、世界の枠を越えて受け継がれる謝罪の形。

 むきむきにとっては紅魔族の証である黒い髪を捨てるという、より重いもの。

 カズマは誰がそこまでしろっつった、という言葉さえ出て来ない。

 

「この度は本当に申し訳――」

 

 なのだが、空気を読まず心情も読めない奴が一人、ここに居た。

 青色の髪が揺れ、規格外規模の回復魔法がむきむきの頭部にヒットする。

 

「!?」

 

 自らの意志で坊主頭へと変化させられた頭部は、一瞬で元の形へと戻されていた。

 

「むきむき大丈夫!?

 誰にいじめられたの!? エリス教徒、エリス教徒の仕業ね!

 エリス教徒は私の可愛いアクシズ教徒の子達にもいつも意地悪してるもの!」

 

「アクア様……」

 

「でも大丈夫よ、私が来たからにはね!」

 

「え、エリス教徒がやったのでは、ないです」

 

「じゃあ悪魔ね! そうでしょ?」

 

「……もうそれでいいです」

 

 この考えの足りないアホっぷりと良い人臭。

 普段から善意で周囲に奇跡と災厄を撒き散らしているのがよく分かる。

 アクアは今、むきむきが断腸の思いで示した謝意を粉砕し、代わりにむきむきが失ってしまった頭髪に奇跡を起こしたのだ。

 カズマが可哀想なものを見る目でむきむきを見て、肩に手を置く。

 

「ドンマイとしか言えねえ……

 とりあえず気持ちは伝わったから、うん、気にすんなむきむき」

 

「カズマくん……」

 

 むきむきは両手で顔を覆う。

 そんな少年に溜め息を吐き、めぐみんは彼の右胸を叩いた。

 

「はい、この一発でチャラにしておきましょう」

 

 その意図を、誰よりもゆんゆんが早く察し、彼の左胸を叩く。

 

「許したから! 許してるから! ね、ね?」

 

 実はなんだかんだ紅魔族組と仲が良いダクネスが続き、むきむきの背後に回って背中を叩く。

 

「こんなにも多方向から叩かれるとはなんと羨ましい……が、今日の私はこっち側だな」

 

 よく分からなかったアクアはダクネスに肩車してもらい、とりあえず流れに乗ってむきむきの頭頂部をペシペシ叩く。

 

「これでいいの? 許します、許します」

 

 そして最後に、カズマが男の拳でむきむきの腹を軽く叩く。

 カズマの拳はむきむきと比べればあまりにも小さく、骨も細くて筋肉も薄かったが、以前やっていた土木作業で皮は厚く、日々のクエストや小物作成で付いた傷跡が所々にある、紛れもない男の拳だった。

 

「こんぐらいで帳消しにするくらいがちょうどいいだろ。な?」

 

 むきむきの目に、じわりと涙が滲む。

 

「皆……」

 

「ふふっ、アクシズ教は全てを許すのよ。

 許さないのはアンデッドと悪魔とエリス教くらいかしら」

 

「すみません、その三つを同格に並べるのはどうかと!」

 

 出かけた涙が引っ込んで、結局はいつもの感じに終わった。

 

 

 

 

 

 アクシズ教徒にならないままアクシズ教徒の強みを少しばかり取り込んだ今のむきむきのメンタルには、ちょっと無敵感があった。

 

「さて、お詫びの第一歩として、今日の晩御飯は気合い入れて僕が作るよ」

 

「んなことしなくてもいいっての。

 第一だな、あれは皆で戦った結果だ。悪いとしたら皆悪い。

 そして俺は自分が悪いとか思ってないから、魔王軍が全部悪いと思うことにしてる」

 

「カズマくんのそういう考え方は本当に心底尊敬するよ」

 

「お前が特に悪いってわけでもないんだから、お前に何か貰っても嬉しくな……」

 

「え? 私は何か貰えたらそれだけで嬉しいわよ?」

 

「アクアぁ! お前に遠慮と謙虚の心はないのか!?」

 

 こんなやり取りにさえ安心してしまうのだから、むきむきも相当毒されているようだ。

 

 むきむきは目を走らせる。

 周囲の町並みに目を走らせる。

 観光客を勧誘しようとするアクシズ教徒。観光客に絡んでいるアクシズ教徒。

 外来の人間を見つけたアクシズ教徒。喫茶店。外来の人間を探しているアクシズ教徒。

 余所者を尾行しているアクシズ教徒。余所者をターゲッティングしたアクシズ教徒。民家。

 騒いでいるアクシズ教徒。沈黙のアクシズ教徒。奇声を上げているアクシズ教徒。

 露天。喧嘩しているアクシズ教徒。悪巧み中のアクシズ教徒。ゲロを吐いているアクシズ教徒。

 町並みの中にあるものが、次々と彼の目に入っていく。

 

(何か……何かないか! アクア様を喜ばせるようなもの!)

 

 そして、彼は見つけた。アクアを喜ばせるものを。

 露天に並べられた『ドラゴンの卵:20万エリス』と書かれた鶏の卵を。

 ゼスタ達が与えた無敵感が悪い意味で作用していたむきむき、言い換えれば仲間の励ましでテンションが上っていたむきむきは、それをドラゴンの卵だと信じて買った。

 

「これください!」

 

「「「「 !? 」」」」

 

「へい毎度!」

 

 おい待て、と四人の心が一つになった。

 

「どうぞアクア様! ドラゴンの卵だそうですよ!」

 

「むきむき、なんてものを……期待以上よ!

 私の名の下に、あなたを名誉アクシズ教助祭に任命してあげるわ!」

 

「待て待て待て待て待て待て待て待て待て待て待てぇッ!!」

 

 ボケ倒し空間が世界を侵食しようとしたその時、空気を読まないことを選べる男・カズマの大声が鳴り響く。

 

「よく見ろ! これのどこがドラゴンの卵だ! どう見ても鶏の卵だろうが!」

 

「そんなわけないでしょ! むきむきが心を込めて買ってくれたものなのよ!」

 

「心を込めて買ったら本物になるんならハヤシライスもカレーになるわバカタレぇ!」

 

「あなたには人間の心がないの!?

 いいわ、教導して啓蒙してあげる! カズマ、世界は汚れていても善意で回るのよ!」

 

「ああそうだな善意は食い物にされて世界を回すよなそれがどうしたこのアホンダラ!」

 

「人を信じず人の善意を信じない哀れなカズマを私が変えてあげる!

 いい、この卵からはドラゴンが孵るわ! そして偉大なる竜王に育つの!

 たとえドラゴンの卵じゃなかったとしても、私はドラゴンを孵してみせるわ!」

 

「何言ってんだお前!? ダクネス、援護してくれ! アクアが普段の四割増しでアホだ!」

 

「お前を信じてお前に全て任せよう、カズマ」

 

「それっぽい台詞で丸投げすんな!」

 

 あー騙されちゃったのかなーとしょんぼりするむきむき、ムキになってしまっているアクア。

 天然とバカの相乗効果。両者が互いの騙されやすさを引き出してしまっている。

 これに収集をつけるには、もはや商品を返品するしかない。

 

「いいからさっさと返品……あれ、さっきの商人もう居ねえ!?」

 

「逃走スキルと潜伏スキルの複合逃走……

 そうか奴は、売り逃げ専門詐欺師の冒険者職だったのか……!」

 

「こんなつまんねえことに本気出すなよ冒険者っ!」

 

 おそらく幸運値が高く、知識習得系のスキルで商品を上手いこと仕入れるか作るかして、話術系のスキルで売りさばき、潜伏と逃走で逃げるタイプの詐欺師冒険者。

 王国の隙間で小器用に生きる社会のダニだ。

 

「ふふっ、なんて名前のドラゴンにしましょうかしらドラゴン……ドラ……ドラえもん……」

 

「ああもう駄目だ。こうなったアクアはもうどうしようもない」

 

「……帰りましょう。なんかオチが付いた気がしますし」

 

 何故家出少年を迎えに来て鶏の卵を二十万で買って帰ってんだ俺達、とカズマは思った。

 でもまあ晩御飯のおかずが増えたと思えばいいことか、とカズマは卵を凝視する。

 だがこの卵をご飯の上にかけた瞬間、おそらくこの女神はノアの大洪水を凌駕する何かを引き出すだろうと、カズマの本能がそれを止めていた。

 

 新設ほやほやの外観が美しいテレポート屋に足を運ぶと、そこにはベンチに座ってシェイクを口にするミツルギが居た。

 むきむきの顔がちょっと明るくなって、カズマがほとばしるミツルギのリア充力に唾を吐き捨てる。

 

「あ、勇者様。いらっしゃってたんですか」

 

「はい、居たんです師父。実は居たんです、はい」

 

「この度はとんだご迷惑を……」

 

「いえいえ、師父と共に戦えて光栄です。あ、これ渡しそこねてたつまらないものですが」

 

「これはこれはご丁寧に、王都名物のゼリー詰め合わせまで」

 

 アルカンレティアまで家出捜索に付き合うお人好しさを見せつつも、むきむき、及びその仲間に気を遣って、席を外していたのだろう。

 自分のような不純物は席を外しておくべきだ、と考えたに違いない。

 その爽やかイケメンパワーに、カズマは無意識の内にまた唾を吐き捨てていた。

 

「私は王都の方に行く用事がある。悪いがここで別れるぞ」

 

「そうなのか? 次のクエスト受ける前に帰って来いよ、ダクネス」

 

「ああ」

 

 ダクネスが一足先に消えて、ミツルギを加えた一行はアルカンレティアへ向かう。

 

「ダスティネス家のご令嬢なら何か掴めるだろうか……」

 

「ん? ああ、ベルゼルグ貴族のこと……って、今何家の令嬢って言った?」

 

「ダスティネス家だよ、ええと、佐藤くん。

 王家の懐刀、国内指折りの大貴族。

 彼女はそこのご令嬢、ダスティネス・フォード・ララティーナじゃないか」

 

「……はぁっ!?」

 

 そして意外な場所から突き刺さるカミングアウトの刃。

 

「なんで仲間なのに君は知らな――」

 

「あいつ、ララティーナとかいう可愛い名前だったのか……!」

 

「――そこ!?」

 

「百歩譲ってもマゾティーナだろ……」

 

「今の君の言いようはオブラートに包んでもカスティネスだけどね!」

 

 ミツルギの中のカズマ評価がゴリゴリと落ちて行く音がする。

 

「つかさっさと行くぞハブルギ。もう皆先アクセル行っちゃったじゃねえか」

 

「あ、分かった。君僕が絶対に仲良くはできないやつだ」

 

 ミツルギは嫌いな奴にもかなり好意的に接することができる。

 カズマは一定以上好意的な人間にしか好意的に接しないイケメン嫌い。

 天地がひっくり返っても、仲良くはできない二人であった。

 

 

 

 

 

 アクセルに帰ってからも、この二人の妙な対立は続く。

 

「お前が出ろ!」

「君が出ればいいじゃないか!」

 

「ねえ二人とも、脱衣所で喧嘩するのはやめない?」

 

 脱衣所の喧騒を耳にし風呂の湯に浸かるむきむきは、すっかり呆れ顔だった。

 

 基本的にはミツルギが譲歩するのだ。それで一旦喧嘩にはならなそうになる。

 ただ、長時間話さないといけなくなると、カズマの突っかかりでミツルギの寛容さの閾値を超えてしまうのだ。

 イケメンアレルギーのカズマがアレルギー症状を起こしているため、対立せずに終わるということはまずないという困った二人。

 喫茶店でちょっと話すくらいなら、カズマが突っかかってミツルギが我慢してそれで終わるのだろうが、こうなってしまうともうどうしようもない。

 

「師父、失礼します」

 

「どうぞどうぞ。いい湯加減だよ」

 

「すみません、泊めて貰える上お風呂とご飯まで頂いてしまって」

 

「ううん、僕も色々冒険話とかしたかったし」

 

 ミツルギは体を洗ってから湯船に浸かり、風呂を借りるだけで湯に顔面をぶつける勢いで頭を下げていた。

 服を脱いだミツルギの筋肉は相当なもので、筋肉を盛っても筋力Dにしかなれなそうな見せ筋とは一線を画する、実戦的で柔軟な筋肉が大量に付いていた。

 

「うーっす横失礼するぞ」

 

「どうぞどうぞ。いい湯加減だよ、カズマくん」

 

「お前38℃から45℃まではいい湯加減って言うよな」

 

 筋肉おばけと筋肉イケメンの間に、そこでそこまで筋肉の付いてない少年が入って来る。

 

「サトウカズマ。風呂の湯にタオルをつけるな」

 

「いいだろ、家の風呂でくらい」

 

「というか体を洗ってから湯に入るというマナーはどうした?」

 

「今日は大して汚れてなかったし、家の風呂だからいいだろ」

 

「君は女性と共同生活をしている身だろう! そこは気を付けるべきだ!」

 

「はー? 風呂の湯の中でチ○コ弄ったりしない分だけ良心の塊だぞ俺は」

 

 この家の買い取り金額の半額を出した男故の暴論。

 ミツルギからすればカズマはクズに見え、カズマからすればミツルギは自宅の安らぎを奪おうとする良い子ちゃんにしか見えない。

 

「共同生活は互いに一定のマナーを守るべきものだろう!」

 

「いや共同生活ってのは段々遠慮が無くなってくもんだと思うが」

 

「僕が思うにそうやって遠慮のハードルをガンガン下げてるのは君じゃないのか!?」

 

 ミツルギが怒りのあまり立ち上がる。

 カズマも身の危険を感じたのか、同様に湯を巻き上げながら立ち上がった。

 女神に導かれ世界を救うために遣わされたフルチンの勇者達が対峙する。

 そしてカズマの視線が下に行き、ミツルギの股間部分で止まり、それを鼻で笑った。

 

「君は……君は今、どこを比べた!」

 

「ちっちぇえな」

 

「シャーマンキング好きか! しまいには魔剣で切るぞ」

 

「随分小さくてお粗末な股間の魔剣ですね(笑) それで切れるんですか?(笑)」

 

「この上ないレベルの煽り口調で言うんじゃないッ!」

 

 どうやらカズマとミツルギの股間の魔剣のグラム数には差があったらしい。

 カズマも大きいわけではないくせに信じられないくらいに調子に乗っている。ここぞとばかりにミツルギを攻めていた。

 が、むきむきがこんな一方的な股間の(グラム)差別を許すはずがない。

 

「ちょっと二人共! 風呂に入る時は静かに! 怒るよ!」

 

 彼もまた立ち上がり、二人を叱った。

 そしてカズマとミツルギの視線がむきむきの股間に向けられ、二人は思わず口を抑える。

 そうでなければ、変な声が出てしまいそうだったからだ。

 

「と……東京タワー……」

「す……スカイツリー……!」

 

 十五分後。

 居間に本を読みに来ためぐみんは、ソファーに並んで座って俯いているカズマとミツルギを発見した。

 

「風呂上がったんですか」

 

「……」

 

「カズマ?」

 

 呟き、カズマは更に深くうなだれる。

 

「体のデカさと比べればショタチンサイズなのかもしれない。

 だが……あれはまさしく、デストロイヤーだった……

 機動要塞デストロイヤー、顔面デストロイヤーに続く第三のデストロイヤー……」

 

「は? 何言ってるんですか?」

 

「ひぎぃデストロイヤー……」

 

「アクアー、アクアー、カズマの頭が壊れたみたいなので直して下さい」

 

「はいはい、アクア様にお任せっ!」

 

 三十分後。

 とりあえず立ち直ったカズマとミツルギの間には、相変わらずある対抗心と敵意だけでなく、不思議な共感があった。不思議な友情があった。

 それは例えるならば、ヘラクレスオオカブトを前にして身の程を知ったコクワガタとヒラタクワガタのような気持ち。

 

「でもお前が俺より小さいことには変わりないよな」

 

「サトウカズマ貴様ッ!」

 

 けれども、この二人にまともな友情が芽生えることはないのかもしれない。

 

「はいはいご飯できましたよー」

 

 むきむきが晩御飯を運んで来たので、二人の喧嘩は一時中断。

 本日の晩御飯はカレーであった。しっかりと火と味を通したジャガイモ・ニンジン・タマネギがどこからも拾え、厚切りの肉がたっぷりと入った豪勢カレーである。

 この世界におけるクミンやカルダモンにあたるスパイス群が食欲を掻き立てる香りを、カレーを作るためのベーススープでしっかりと取られた出汁が旨味を、それぞれ裏打ちしている。

 むきむきは料理上手のめぐみんの見真似でこういった料理を覚えたが、この料理自体はそんなに難しいものではないため、料理スキルを覚えればこのくらいの料理はあっさり作れるようになるのがこの世界の面白いところだ。

 

「来月はハンバーグカレーにしようぜ」

 

「ん、それなら来月の僕の食事当番の時にね」

 

 めぐみんは幼少期から肉じゃがを美味く作れるタイプで、むきむきはそれを見習って美味いカレーを作るタイプであった。

 豪快爆裂女は繊細な味も得意で、体がデカい男は大量に作れる料理が得意なのだ、ともいう。

 

「あ、そうだ。無ツルギ、お前ダクネスが王都に行ったあれあるだろ。

 アレの詳細、改めて教えてくれよ。ダクネスがどのくらいで帰って来るのか見当もつかない」

 

「いやミツルギだ。今名前の呼び方にとびっきりの悪意を感じたんだが……まあいいか。

 ベルゼルグ貴族と魔王軍が内通しているという話かな? 厄介な案件なんだが、実は……」

 

 ミツルギ曰く。

 どうにも貴族に内通者が居ると考えなければおかしい、と思える状況が続いて居るらしい。

 セレスディナの能力の断片的情報が入ったことで王都の内部監査も厳しくなり、シンフォニア家の長女であるクレアのレズ尋問も功を奏していると王城ではもっぱらの噂だ。事実そうしているかどうかは全くの謎であるが。

 一途とレズは響きが似ている。これは大貴族への嫉妬で、きっと根も葉もない噂だろう。

 彼女は相変わらず、王族の第一王女を狙い続けているはずだ。

 それが問題であるかどうかは、この際脇に置いておいていい。

 

 ダクネスが彼らと別れ、王都に向かったのには意味がある。

 国有数の大貴族の一人娘である彼女であれば、そこはかとなくその辺りの事情を探ってこれるかもしれない、というわけだ。

 ベルゼルグ貴族に内通者が居るのであれば、探る場所は社交界こそが相応しい。

 近年何か変わったことがなかったか、を聴き込めばそれで知ることができるものもある。

 

 この内通が真実であるならば、ことは人類規模の問題に発展しかねない。

 ミツルギからこんな話を聞いて、じっとしていられるダクネスではなかった。

 問題は大きくなりかねないものだったものの、カズマはこれを重く受け止めては居ない。

 問題の規模が大きすぎたからだ。他人に丸投げするのが最善で、自分達が何かをしても解決できる問題ではない、と判断していたとも言える。

 

 見方を変えれば、カズマはこう思っていたのだ。

 "自分達には関係のないことだ"と。

 "今度こそ無関係で居るぞ"と。

 "他人がどうにかするだろう"と。

 

 そして、一日経っても。一週間経っても。二週間経っても。

 

 PTを守る二枚盾、ダクネスが帰って来ることはなかった。

 

 

 




短めに三つに分けるか長めに二つにするか迷いました


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3-5-2

>以前、アクアが仲間になり邪魔される前に、なぜ領主が悪魔の力でララティーナを嫁にしなかったのかとの質問がありましたが、嫁に行ける年頃になった頃、嫁に行くのを嫌がって冒険者になり、その頃仲間になった女神パワーで守られていたんですよと言う屁理屈です。

 これ昔作者さんが感想返しの時に言ってたことなんですが、ダクネスって女神ローテーションで守られた上で結婚式に二人もイケメンが殴り込んで来てくれるという、本当に愛されて救われた人なんだなあって思いますよね


 少しばかり、前のことだ。

 ベルゼルグ貴族アレクセイ・バーネス・アルダープは、屋敷の自室で舌打ちしていた。

 

「ちっ」

 

 彼は悪党だ。生まれつきの悪であったわけではないが、その生涯で徐々に腐り堕落し、善性を失っていったありきたりな悪党だった。

 その人生にも悪に堕ちていった事情があるが、そこに同情の余地は無い。憐れむ必要もない。

 彼は善に勝利した後社会の主導者となるタイプの悪でもなければ、世界を崩壊させるタイプの悪でもない、善の社会に寄生し善を食い物にして生きていくタイプの悪だった。

 

「忌々しい……」

 

 彼はこの世界でも数少ない、『神器』を自分の目的のために最大活用する男だった。

 神器の存在を知る者は少ない。神に神器を与えられた転生者でなくとも神器の力は一部使える、ということを知る者は更に少ない。

 その知識と神器の実物を併せ持つ人間となると、もはや指で数えられるほどしか居ない。

 この男はその一人である、というわけだ。

 

 最終的にクリスの手に渡った、王子の手元にあった体を入れ替える神器。

 あれもアルダープが王子の体を乗っ取るため仕込んだものだ。

 若い体、王族の立場、美麗な容姿。アルダープは何の罪悪感もなく王子を謀殺し、その体を乗っ取ろうとしていたのである。

 

 彼は体を入れ替える神器だけでなく、レッドの能力について語る時にセレスディナが言及していた、モンスターを召喚し隷属させる神器も所有していた。

 

「ヒュー、ヒュー、ヒューッ」

 

「何事も上手く行かんな」

 

 神器で召喚したつじつま合わせの悪魔・マクスと名乗る悪魔の力を使い、アルダープは今まで自分にとっての邪魔者を蹴落とし、自らが得するよう真理を歪めてきた。

 この悪魔は真実と真理を捻じ曲げ、過程において辻褄を合わせることで、どんなに無茶苦茶な結果でももたらすことができる強力な悪魔だ。

 

 人間ではこれに抗うことはできない。

 例えば三つに分かれた分かれ道があるとしよう。この悪魔の干渉を受けた人間は、どの道を進むかをこの悪魔に決められてしまう。

 普段は絶対に選ばない選択があるとしよう。だがこの悪魔の干渉を受けてしまえば、人間は自らの意志でその選択を選んでしまう。

 健康な人間もこの悪魔の呪いで、人間では治癒不可の病にかかり、死んでしまう。

 これに抗いたいのであれば、何らかの形で上位存在である神の力を借りるしかない。それでも、本当に多少にしか抗えないだろうが。

 

 この悪魔の能力は、"世界の隷属化能力"と言い変えても良い。

 つじつまを合わせられた世界は、この悪魔の望むままにしか動かない。

 この悪魔を手にしている時点で、アルダープは誰を傷付けても報いを受けることはなく、どんなに汚職をしても罪に問われることはなく、アルダープに狙われた女は彼の物になるしかなく、アルダープにとっての邪魔者は破滅する以外の未来を失ってしまう。

 この悪魔が、アルダープという悪徳貴族の恐ろしさだ。

 あるいは、ここまで便利な悪魔を手に入れてしまったからこそ、アルダープはここまで堕ちてしまったのかもしれない。

 悪魔というものは、人を堕落させるものである。

 望めば何でも手に入るという環境は、人を腐らせるものである。

 そういう意味では、この悪魔は本当に悪魔らしい存在だった。

 

 そう、悪魔らしいのだ。

 『辻褄合わせのマクスウェル』は、アルダープに辻褄合わせの悪魔・マクスと名乗っていた。

 本名を教えていない時点で、もはや契約は隷属の体を成していない。

 これだけの力を持つ大悪魔だ。

 しからばそれに関わった結末など分かりきっている。

 悪魔に魂を売った者の結末など、古今東西とても分かりやすいものだ。

 

 何も知らない。

 何も気付かない。

 アルダープはそこだけを見れば、この上ないほどの愚か者だ。

 周囲に迷惑と破滅をもたらし、自らは破滅も没落もしない、そういう愚か者だった。

 

 アルダープの破滅は明日か、一年後か、十年後か。

 何にせよ、あとは『アルダープが破滅するまでにどれだけの人間を不幸にするか』のみ。

 

「ああ、忌々しい。今まで上手く行かなかったことなどないというのに、何故これだけは……」

 

「ヒュッ、ヒッ、ヒュッ、アルダープ、アルダープ、次は何をする?」

 

「鬱陶しいぞマクス! 役立たずは少し黙っていろ!」

 

 アルダープは何も知らない。何も気付かない。

 『ララティーナという手に入らない女』を手に入れるため、悪魔や神器をフルに使っているのに手に入れられず、苛立っている彼は気付かない。

 かつてクリスという少女とパーティを組み、今はアクアという女神とパーティを組んでいるララティーナに何故悪魔の力が効きづらいのか、何故"幸運にも"仕込みが機能しなかったのか、そこを知る由も無い。

 

 アルダープはララティーナ……ダクネスを手に入れるためなら、人を何人殺すことも躊躇わない精神状態に至っている。

 この男が救えないのは。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という点にある。

 アルダープはダクネスに欲情しているだけだ。

 どんな女も簡単に手に入るから、手に入らないダクネスに執着しているだけだ。

 人間としての愛などそこには全く無い。

 

「早くララティーナをワシの物にしろ! ワシのために結果を出せ!」

 

「ヒュー! ヒューッ! 出すよ、出すとも! 僕は大好きだからねアルダープ!

 さらって来た娘を心が壊れるまでいたぶった君が好きだよアルダープ!

 泣いて許しを請う娘を見ると思わず笑顔で壊しちゃう君が好きだよアルダープ!

 あのララティーナに似た子を見るとさらって、死ぬまで弄ぶ君が好きだよアルダープ!

 何人もララティーナに似た子をさらって死んでも玩具にする君が好きだよアルダープ!

 壺を壊した使用人の命乞いを蹴り飛ばして、心も体も壊した君が好きだよアルダープ!」

 

「っ」

 

「ヒューッ、ヒュ、ヒュ、ヒュッ、ヒッ、ヒューッ! ヒューッ! ヒューッ!」

 

 アルダープは悪だ。悪ではあるが魔ではない。

 これこそが『魔』である。

 神の対で、神の敵である。

 

「なんとまあ、随分と悪魔に堕落させられた人間も居たもんだ」

 

「! 誰だ、何者だ!? この部屋には使用人も入るなと言い含めてあるはずだ!」

 

「魔王軍の使いだ。今日は商談に来た」

 

「!?」

 

「魔王軍はお前の欲しい物を提供できる。

 お前は貴族にしか提供できないものを魔王軍に提供できる。これは取り引きさ」

 

 仮面を付けた赤色の男。

 男は魔王軍に手を貸さないかと、アルダープを悪の道へと誘う。

 魔王軍の組織力とその悪魔の力でもっと大きなことをしないか、と誘惑する。

 アルダープには、魔王軍に多少手を貸しても人類が滅びるというわけではないだろう、という甘い見通しと堕落した判断があった。

 だが、それがあっても魔王軍に手を貸すことには多少の迷いがあった。

 

「悪魔に魂を売ったお前が、魔王軍に魂を売ることを躊躇うのか?」

 

「―――」

 

 にもかかわらず、DTレッドと名乗ったその男は、言葉巧みにアルダープを説得し終えていた。

 堕落しやすい人間、欲に流されやすい人間など、レッドからすれば餌をチラつかせるだけで容易に操れる俗物でしかない。

 

「ただ、心しておけ」

 

 レッドは何もかもを見透かすような目でアルダープを見て、指差す。

 

「信念で悪に堕ちた者は、より強い信念の持ち主に滅ぼされる。

 憎しみで悪に堕ちた者は、大抵憎しみでは戦わない者に滅ぼされる。

 欲で悪に落ちた者は、自らの欲によって滅ぶ。世界はそう出来ているんだ」

 

「はっ、青臭い主張だ。ワシはこれを長年続けているが、破滅など見たこともないぞ」

 

「そうか。だが、私がこう言った意味は考えておくといい」

 

 まともには死ねないぞ、と言うレッドを、アルダープは鼻で笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダクネスが屋敷に戻らなくなり、様々な者達が時々屋敷に来るようになり、むきむき達が情報を収集するようになり、二週間が経過した。

 屋敷はむきむきに助けを求められたテイラー達や、王都の内通者を探していたミツルギパーティ他、クリスなどダクネスと親交があった者達が定期的に屋敷を訪れる。

 それを纏めていたのは、意外にもめぐみんだった。

 

「では今回の定例報告を始めます」

 

「はいめぐみん!」

「切り込み隊長は私達です!」

 

「はいクレメア、フィオ、発言をどうぞ!」

 

 一番前の席にむきむき、その右隣にカズマ、左隣にクリス。

 壇上にめぐみんとサポートのゆんゆん。

 むきむきの後ろの席にミツルギ、そしてクレメアとフィオが座っていた。

 

「ダスティネス家はグッダグダね。

 立て直せなくもないけど、現状のままだと立て直しの目は無いと思う」

 

「不自然なくらい色々と連鎖して出費と借金が連鎖してるとか」

 

 単純に貴族間政争が激しくなってダクネスの実家がピンチ、という話ではない。

 敵対派閥の貴族の動き、味方派閥の貴族の動き、貴族以外の動き、操作のしようがない市場の動きに天災の動きやモンスターの動きまで、あらゆる要素が結果的だけ見るとダスティネス家に対しマイナスに働いているそうだ。

 ダスティネス家にマイナスをもたらしたい人間、マイナスをもたらしたくない人間、その行動の結果がことごとくダスティネス家のマイナスになっているらしい。

 

「『何かおかしい』と思ってる人は多い。なんだけど……」

 

「どこがおかしいのか見つからないというか。

 暗躍をしているのは間違いないのに、証拠は見つからない、みたいな……」

 

 クレメアとフィオがくてっと項垂れる。

 こういう風に書けば"何故皆おかしいと思わないのか?"という話になるが、ここまでくるともはや大貴族でも起こせることではない。

 小国でも力不足になる領域だ。

 

「というかこれ、国家規模の工作でも起きてるんじゃないかって思うんですけど」

 

 ゆんゆんが腰が引けた様子でそう言い、皆が押し黙る。

 その言及でさえ正確ではない。スケールの大きさにこういった想像がされただけで、国家でもここまでの工作は不可能だろう。

 超常的な力と大規模な組織力の合わせ技でもなければ、ここまでの窮地は作れない。

 "だからこれは工作でもなんでもなく運が悪かっただけなのではないか"と思う者さえ居た。

 

 ダスティネス家は今現在、金銭的に崖っぷちに居る。

 それが誰かの悪意であると考える者が居た。

 それが奇跡的な不運の連続であると考える者が居た。

 "何かに思考の辻褄を合わせられて"、そこにそもそも違和感を抱けない者が居た。

 そして、自分の周囲に限定すれば悪魔の干渉をぶっ飛ばせる水の女神が居た。

 

 ついでに言うと、ちょっとヘタレてきた私服緑ジャージの少年も居た。

 

「つか助けを求められたわけでもないのに積極的に関わろうとする必要あるか?

 大貴族がどうにもできない問題っていうんなら一介の冒険者に何ができるんだよ」

 

「カズマー、今そういうのはちょっと求めてないです」

 

「めぐみん、お前本当に俺の知らんとこでダクネスと仲良くなってたのな……」

 

「ほらカズマくん、もうちょっとの辛抱だから」

 

「俺そう言われて本当にちょっとだった覚えねえわ」

 

「うっ、僕もない……」

 

「なあ、問題全部放置してダクネスだけさらって逃げるとかでいいんじゃないのか?」

 

「このむきむきを言いくるめて楽な道を提案する流れ、まさしくカズマですね……」

 

 ここまで話が大きく、裏で動いているものが大きく見えてくると、カズマもちょっとヘタれて来るというものだ。

 ダスティネスの家なんて放置で皆で逃げちゃわないかと言いたくもなってくる。

 かつてそのハイレベルなエロへの執着と緑のジャージから『ハイエロファックグリーン』の異名を学校で付けられたほどの男、カズマ。

 彼がリスクをガン無視して男らしさを見せるのは、大抵がエロ絡みの時だ。

 

「サトウカズマ! 何を言うんだ!

 それでこの国にヒビが入ったらどうする! 人類はそのまま最悪魔王軍に負けるんだぞ!」

「そーよそーよ! キョウヤの言う通りよ!」

「無責任よ!」

 

「だぁああ世界の命運をかけた戦いとかよそでやってくれ!

 誰がどう見ても完全無欠によろしい勝利とかお前らだけで求めてくれ!

 俺は最低限自分の守りたいものだけ守って、後は知らん! 知らないからな!」

 

「ま、迷いなく言い切った……! こんな俗物的な主張を……!」

 

 なんかヤバい敵に挑みたくないという気持ち。

 ダクネスに湧いた情。

 面倒事は嫌という気持ち。

 ダクネスのためになんか必死になっちゃってる感じで恥ずかしいだろ、という思考。

 なんか俺があいつのために頑張ってるみたいで誤解されるだろこれ、という邪推。

 

 カズマはツンデレでヘタレなため、困難にぶつかったり自分を振り返ったりする度、微妙に目標の高さを下げていくのだ。

 

「でもカズマくん。家が無くなっちゃったら、ダクネスさんはきっと悲しむよ」

 

「……む」

 

「この屋敷で皆と暮らして、僕は楽しかった。

 ダクネスさんも楽しそうに見えた。

 僕は、"家で誰かが待っていてくれてる"ってだけで幸せだったからだけど……」

 

「……」

 

「『帰る家がある』って幸せなことだよ。

 それがなくなることは、きっと悲しいことだよ。

 カズマくんがダクネスさんに『いつも通り』で居て欲しいなら、するべきことは多いはず」

 

「……」

 

「ダクネスさんが帰る家も、守ってあげないと。ね?

 大丈夫、カズマくんがしたくない面倒なことは僕がやるから。

 カズマくんはいつもみたいに最後にビシーッと決めてくれればいいからさ!」

 

「……しょうがねえなあ。今回だけだぞ」

 

 カズマの発言にイライラしていたミツルギの取り巻き二人が、毒気を抜かれた顔をして、むすっとした顔で押し黙る。

 二人はそこで何かを思いついたような顔になって、この流れを引き合いに出してカズマをからかおうとした。

 が、ミツルギが人差し指を二人の唇に当て、くさめのイケメンムーブで顔を赤くさせ黙らせる。

 

 面倒臭がりなくせに助けたいという気持ちは確かにあって、こうして決断に至るための『何か』を求めるところは、カズマのちょっと面倒臭いところだ。

 けれども、その上でむきむきにこう言わせるだけのものを、カズマは持っている。

 

「さて、では話を続けましょうか。

 こんな不運が偶然起こるとかはありえないです。

 つまりどこかに黒幕が居て、そいつを血祭りに上げることが私達の目的になります」

 

「待て血祭りは目的じゃない」

 

「紅魔族の紅は血の紅ですよ。返り血なんて恐れません」

 

「サトウカズマ! 君の仲間はどうなってるんだ!

 丁寧語口調だがこれは内心で相当キレてるぞ! 殺意と怒りに満ちてる!」

 

「いや、おかしさのベクトルが違うだけでそいつは常時頭おかしいから……」

 

 犯人確定と同時にその家に爆裂魔法を撃ちかねない女めぐみん。

 

「どうどうめぐみん」

 

「私は冷静ですよむきむき、ええ冷静ですとも」

 

「おいめぐみん、マツルギが『あの子の胸って円周率と無縁だね』だって」

 

「え!? 言ってな……サトウカズマ! そういう迂遠な謀殺を仕掛けるのはやめろ!」

 

 ダクネスが居なくなってから一日経つごとに、皆の中には焦りが降り積もり、冷静さは目減りしていって、妙に喧嘩っ早くなってきた。

 マゾではあるが良識もありストッパーにもなれるダクネスという存在の重要性は、居なくなって初めて正しい形で実感できるものだったようだ。

 

「カズマー、適当な時間になったから昼御飯持って来たわよー」

 

「なっ……サトウカズマ! アクア様に給仕の真似事をさせるなんてどういうつもりだ!

 しかも昼御飯を作らせるだなんて! そこは君が進んでやるべきだろう、男として!」

 

「いやうちの食事は当番制だし……

 さっと作ってさっと食事済ませられるよう、卵かけご飯頼んだから労力もかかってねえよ」

 

「はいどうぞ、皆の分の卵かけご飯よ」

 

「ありがとうございます、アクア様。

 この御剣響夜、今日頂いた卵かけご飯のことは忘れませ……あれ!? イクラ!?」

「!? これイクラ丼じゃねーかアクア!」

 

「何よ、イクラも卵でしょ? これぞ、水の女神風卵かけご飯! 私の創作料理よ!」

 

「水生生物の卵使えば水の女神っぽさを出せるとかいう安直な発想やめろ!」

 

 イクラ丼を卵かけご飯と言い張る勇気。

 アクアの勇気の味を噛み締めつつ、クリスはそんなアクアをじっと見ていた。

 むきむきはクリスが見たことのない顔をしていることに疑問を持つ。

 

「クリス先輩、どうしたんですか?」

 

「……いや、絶対にありえないんだろうなって思ってたんだけど……

 他人の空似だと思ってたんだけど……いや、まさかのまさか……先輩……」

 

「クリス先輩の先輩?」

 

「え、あ、いやなんでもなくてね!」

 

「アクア様って本物の女神様らしいんですよ」

 

「そーなんだー! へー! そーなんだー!」

 

「信じてる人あんまり居ないんですけど、魔王軍とかもそう思ってるフシがあって」

 

「だよねー! でも確かににわかには信じられない話だよねー!」

 

「もしかしたらアクア様みたいにエリス様も来てるのかな? なんて思ったり」

 

「いやー、女神様ってそう簡単に地上には来ないものなんじゃないかなー!」

 

 クリスのスキル・たくみなわじゅつによりむきむきはそんなものかなあ、とちょっと納得して、ほっぺにイクラを付けつつイクラ丼を食べているアクアに語りかけた。

 

「そういえばアクア様。昨日は色んな場所を回っていたらしいですが、どうでした?」

 

「なんかもうくっさいくっさい、どこ行っても悪魔の臭いだらけ!」

 

「悪魔……」

 

「これはもうクロよクロ、まっくろくろすけ! 悪魔の邪悪な企みがあるわね!」

 

 アクアの嗅覚は本物だ。

 彼女は御大層な言い方をすれば、"一つの宗教の主神が地上に降りた存在"と言える存在である。

 その権能は多少落ちてはいるが、人間離れしたスキルとして今も彼女に備わっていた。

 彼女にそれを使いこなす頭はないが、それを見越したカズマがこうして傍に居て使いこなしていけば、普通は気付けるはずもない事柄にも気付けるというもの。

 

「仮想敵は悪魔使いか」

 

 ミツルギが深刻な顔で呟く。

 

「元の噂が噂だから、ベルゼルグ貴族・魔王軍・悪魔使いが敵? でしょうか」

 

 ゆんゆんがこめかみを人差し指で叩いている。

 これは相当デカい一件になる、と皆の間にまた剣呑な空気が広がった。

 こういうシーンでカズマに期待する――してしまう――のがむきむきである。

 むきむきが肘でカズマの肩をつつき、カズマが"何か言って皆を勇気付けてほしい"というむきむきの無言の意思を察し、凄い嫌な顔をした。

 

(カズマくん、そうだ、ここで皆を勇気付ける言葉を……)

 

 そうしているむきむきもちょっと不安そうな顔をしていたものだから、カズマは何か言い始めた。

 

「むきむき、大丈夫だ。だから普段の感じで大船になった気持ちで居てくれ」

 

「カズマくん……! ……ん? ってあれ、僕が大船になるの!?」

 

「そして俺を乗せてくれ」

 

「しまった! カズマくんがすっかり他力本願モードに!」

 

「有事までカズマを乗せといてくださいね、むきむき」

 

 ツンデレカズマ。ツンデレ輸送船むきむき。そして情報収集役ミツルギと、ノリのいい女性陣。そこにダクネス絶対助けるウーマンめぐみんが加わって、なにやら奇妙な爆発力と組織力が生まれていた。

 

「普段王都で活動しているあなたも情報源としては頼りです。頼みましたよ、ギル罪」

 

「僕の名前はミツルギだ! ギルツミじゃない!

 僕を有罪確定者みたいに言うのはやめないか!」

 

 めぐみんが現在の先導者であるという不安要素は、とりあえず脇に置いておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、状況は悪くなり続けた。

 彼らはダクネスに会おうとしても会えず、事態を終着させようと動くも、その行動はほとんど実を結ばずに終わってしまう。

 現在に至っては、ダスティネスを擁護しようとする王族や貴族、ダスティネスを追い落とそうとする貴族、結果的にダスティネスを追い込んでしまう貴族や警察などの思惑が絡み合い、ダスティネス没落まで秒読みという複雑な状況が仕上がってしまっていた。

 

 複雑に噛み合っているのに、下手に手を入れるとすぐに崩れてしまうそうな構図は、まるでジェンガのようだ。

 

「ダスティネス家に魔王軍との内通容疑がかかってる!?」

 

「どうやらなりふりかまわず詰ませに来たようですね」

 

「マジで奴ら、王家の懐刀であるダスティネスを潰すつもりか」

 

「ここやられたらベルゼルグはガタガタよ。国有数の大貴族は伊達じゃないわ」

 

 ベルゼルグ貴族と魔王軍の両方が手を貸し合っているのなら、魔王軍とダスティネスが内通していた証拠など作り放題だ。

 むきむき達に詳細な全体像は見えていないが、ベルゼルグ貴族が売国に動いている現状、国有数の大貴族でさえもそれには抗えないという今の窮地は、ちょっと洒落にならない。

 これを成功させてしまえば、魔王軍が『じゃあ今後はこの手を繰り返そう』と考えかねない。

 最低でも、魔王軍と内通するような貴族は見つけなければならない。

 

「なんでこんなに上手く行かないんでしょうか」

 

 なのに、何故か上手く行かない。

 『上手く行かない』という結果だけが確定していて、その過程で辻褄が合わせられているかのようだ。

 時々は上手く行くのだ。教会での聞き込みで情報を得ることも、アクアが悪魔の臭いを嗅ぎつけることも、クリスがどこかから貴族の情報を得てくることもある。

 だが、それ以外で話が遅々として進まない。

 悪魔の力とやらは、本当に対処に困るものだった。

 

「よし、じゃあ僕がウィズさんのお店に行ってバニルさんに悪魔の話を……」

 

「やめろ」

 

 バニル? と首を傾げるミツルギ達に誤魔化すように、カズマがむきむきの口元を抑える。

 元魔王軍幹部と現魔王軍幹部が居る店のことなど、真っ当な勇者様に教えられるわけがない。

 しかも相手が相手だ。あのバニルだ。

 "あれを頼るのだけは避けたい"というのが、カズマの本音である。

 目を離した隙にむきむきはフハハハハハと笑う仮面男になりかねないという懸念があった。

 

「どうしたものかしら。ダクネスの周りに悪魔がちょっかい出してるなら、全部やっつけないと」

 

「アクア様、凄い敵意ですね……」

 

 アクアの珍しい『明確な敵意』に、むきむきが冷や汗を流す。

 

「そうだね。ダクネスの周りに悪魔がちょっかい出してるなら、駆逐してから根絶しないと」

 

「クリス先輩、凄い殺意ですね……」

 

 クリスが放つキャラ崩壊一歩手前の『明確な殺意』に、むきむきの背にどっと汗が出て来る。

 

「……あ、ごめんねむきむき君。

 怖がらせちゃったかな? 私昔にちょっと、悪魔と一悶着あってね」

 

「いえ、珍しいもの見たなあ、って思っただけですよ」

 

 むきむきは屈託もなく笑い、クリスは巧みに作った温和な笑顔を顔に貼り付けていた。

 

「そういえばクリス先輩ってカズマくんより幸運値高いんですよね」

 

「ちょっとー、私の冒険者カードは滅多に他人に見せないんだから言わないでよ」

 

「……え、そうなのか?」

 

 あ、とカズマが何かを思いついた。

 一瞬くだらない思いつきだと思えたそれが、カズマの脳内で「あれこれいけるんじゃね?」と加速度的に現実味を増していく。

 地球であればカズマ自身でさえ鼻で笑っていたであろうこと。

 この世界であれば、それなりの説得力を持つこと。

 カズマの幸運と、カズマ以上の幸運があるらしいクリスが居るのであれば、『運悪く失敗する』ということがまず無い手段。

 

「最高だぜむきむき。お前は時々、その時の俺に一番必要なものをくれるよな」

 

「え?」

 

 カズマが笑った。

 ゲス全開に笑った。

 つられてむきむきも笑う。

 こういう風に笑ったカズマが悪人の天敵であることを、むきむきはよく知っている。

 

「こそこそ隠れてこっそり悪巧みしてる悪党を、幸運の暴力でぶっ飛ばしてやる」

 

 ダクネスの『幸運』が仲間と友に恵まれたことであるのなら、敵の『不運』は彼らを敵に回したことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カズマが思いついたことはシンプルだ。

 原理は簡単。ジャンケンであれば彼が生涯一度も負けたことがないこと……言い換えるなら、単純な二分の一の運勝負であれば負けたことがない、という点を利用するもの。

 カズマとクリスを別室に隔離する。

 彼らの前でベルゼルグ貴族全員の名前を二つに分けたリストの片方を選ばせる。

 選ばせたリストの名前を二つに分け、また繰り返す。

 そうしていけば、最後には名前が一つだけ残る。

 そうして最後に残った一人の名前がカズマとクリスで同じかどうかを照合する。

 これで最後に名前が同じであれば……というものだった。

 

 普通なら、一致しない。

 ランダムな二択をこれだけ繰り返せば、最後の一人の名前が一致するわけがない。

 だが二人は、幸運にも同じ名前を引き当てていた。

 

 この世界は、撃った矢の命中率が運で決まったりもする、世界法則に幸運のステータスが絡む世界。()()()はやけっぱちの代名詞ではなく、明確な計算と推測の材料となるものだ。

 カズマが自分一人でこういうのをしないのは、幸運が絶対の指標にはならないことを知っているからだろう。自分一人でやってもそれが正解とは限らないと思っているからだろう。

 だがクリスのそれと一致するのであれば、正解であるという確率は高くなる。

 事前にアクアが二人に幸運強化の魔法もかけていたため、正答率は更に引き上げられていた。

 

 『アレクセイ・バーネス・アルダープ』。

 それが、女神の祝福と、二人の幸運という暴力によって悪魔の隠れ蓑を引き剥がされた、ダスティネスを追い込む黒幕の正体だった。

 

「君達頭おかしいよ……」

 

「よく言われます」

 

「待って! 私とむきむきは言われてないでしょ!」

 

「おい待て俺もクズだなんだと言われるだけで頭おかしいとは言われてないだろ!」

 

 ミツルギの言葉をめぐみんは否定せず、ゆんゆんは限定的に否定し、カズマは自分がその枠の中に入れられることを嫌った。

 

「ね、ねえ、こんな運任せでいいの?

 私正直こんな方法で上手く行くわけがないと思うの」

 

「僕はカズマくんとクリス先輩を信じます、アクア様」

 

「違うわむきむき! これは人格を信じる信じないの問題じゃないの!」

 

「何心配してんだ、アクア」

 

「……カズマ、その顔は秘策があるってことね?」

 

「犯人が間違ってたらむきむき通して王女に口利いてもらえばいいだろ?」

 

「ええっ!?」

「流石カズマ、封建社会で貴族を殴るスタイル嫌いじゃないわ!」

 

 カズマは運任せと王族の威光を借りる他力本願スタイルで、悪魔と魔王軍と貴族という悪辣なコンビネーションをぶっ壊そうとしていた。

 

「しょうがないわねえ。秘策が一つじゃ不安でしょ?

 もし黒幕が違う人だったら、間違っちゃった人は私が謝って誤魔化してあげる」

 

「アクア、お前にも何か秘策が……?」

 

「まず一芸を披露して場を温めるわ。

 そして千エリス札を渡しながらこう言うのよ。どうもすみま千エリス!

 突拍子も無い激ウマギャグに皆笑い、詫び賃に渡した千エリスでちょっと許された感じに……」

 

「それで許されるのはお笑い芸人の女神なお前だけだ!」

 

 アルダープ・魔王軍同盟の話の進め方は完璧だったのだが、ちょっと相手が悪かった。

 

「ここまで運任せな話の進め方見たことない……」

 

「でもさ、たくさん居る貴族をランダムに二つに分けて片方を選ぶ。

 それが最後の一人になるまで続ける。

 二人が選んだ一人が同じ人だった……ってこれ、偶然だって考える方が変だよね」

 

「……」

「……」

「……」

 

 むきむきのその言葉に、反論できる者は誰も居ない。

 皆分かっているのだ。アルダープが黒幕なのだろう、ということは。

 悪魔の力や魔王軍の力を使い、国中で工作しているのだろう、ということは。

 それを突き止めた手段がちょっと納得行かないだけで。

 

 クレメアとフィオが心底嫌そうな顔をして、二人で語り始める。

 

「アルダープ……ダスティネス家の借金の大半を肩代わりした人物。

 それと引き換えに一人娘のララティーナ……

 つまりダクネスを側室として迎えようとして、強烈に反発されてた貴族ね」

 

「一番得してる貴族、ってわけでもなかったもんね。

 強いて言うなら一人だけ下卑た欲で動いてるな、程度の人だった」

 

「金や土地で得してた人他にも沢山居たものね」

 

「つまりこれは一人の女を手に入れるために一つの大貴族を潰す作戦だったんだね」

 

「女を手に入れるにしてはやり方が汚すぎるわよ!」

 

「そうよ! 男として最低よ!」

 

「こんな方法で異性を手に入れようとするなんて、魂まで腐ってるに違いないわ!」

 

 カズマが思わず"その辺にしといてやれよ"と思わず思ってしまうほどの口撃が、クレメアとフィオの口から飛び出していた。

 

 むきむきやミツルギと話している時はあまり表出しない個性だが、この二人は基本的に普通の女の子で、その上でクズが大嫌いな女の子達だった。

 一般的な女の子が嫌いなものを盛大に嫌う。当然アルダープも大嫌いだ。

 デブで毛深く、女と見ればいやらしい目で見て、貴族も平民も見下した態度で偉そうにして、女の子をさらって乱暴しているという噂もある、民から嫌われる貴族代表アルダープ。

 これほどまでに普通の女の子に嫌われる要素を山盛りにした男は他に居まい。

 

「……一番俗物的な人、というか……

 ダスティネスの借金を肩代わりしてた人が黒幕ってのは予想外だったね、めぐみん」

 

「現実的な話をするなら

 『その事件で一番得をした人物が黒幕』

 という考えは愚の骨頂。その考え方で正解に辿り着けるわけがありませんからね」

 

 むきむきとめぐみんがうんうん頷いている。

 アルダープは自分の行動の結果得した他の貴族達、別の言い方をするならば"自分よりずっと得した貴族達"を上手く隠れ蓑にしていた。

 自分の行動の結果、不運にも自分が一番得することができないことも、意図して自分が一番得しない立場に立つこともある。

 何にせよ、一番得した人間が真っ先に疑われるのは当たり前のことだ。

 そういう偽装工作だけを見ても、アルダープは悪辣な人間であると言えた。

 

「確たる証拠はないが、これは報告する価値の有ることだろ。

 ダスティネス家に一回寄ってから、そのまま王都に向かおうぜ」

 

「王都? 何故?」

 

 カズマが皆を引き連れていく。

 いざという時、皆が気付かない所に気付き、皆が持てない決断力を得るカズマは、一直線に最適解の道を進んでいた。

 

「国規模の問題なんだろ? じゃあ決まりだ。王様と会って、話をしよう」

 

「えっ」

 

「お前ら王族から直接にクエスト受けてるんだろ? じゃ、それの報告って体で行こうぜ」

 

 カズマはヘタレだ。ヘタレだが、勇気はある。ヘタレに勇気が無いなどと、誰が決めたのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 貴族平民格差の意識があるこの国生まれの人間には、気軽に王様に会いに行こうという発想は湧いて来ないだろう。紅魔族三人なら王女相手にはギリギリ、といったところか。

 アクアのことは、むきむきが文通の手紙にいくらか書いて知らせている。

 今回はアクアを王族に会わせたい、そのついでに報告をしたい、という体で王様にアルダープが容疑者であることを伝えることを目的としていた。

 

 なのだが、謁見の間に足を運んだ王様と王女様が見た女神様には、ちょっと話しただけで分かるアホっぽさがあった。

 アイリスは特にそうだが、ベルゼルグ王族には人を見る目がある。

 王様と王女様は、アクアのアホっぽさを短時間で見抜くことが出来ていた。

 

(これが本当に女神なのだろうか)

 

「暇だったから謁見の間の床に水で大きな王様の絵を描いておいたわ」

 

「!? なんだこれ上手い!?」

 

 と、同時に『普通の人間とは何かが違う』という感想も、アクアに対し抱いていた。

 むきむきは仲間達を引き連れ、仲間達を代表して王様と言葉を交わす。

 

「女神アクア様曰く、今現在領主アルダープさんの周りが怪しいそうです」

 

「……変則的ではあるが、女神のお告げというわけか? むきむき」

 

「はい。女神様曰く、悪魔の仕業であると」

 

「悪魔、か。これは少し大事だな……」

 

 正直な話、王族視点アクアが本物の女神かどうかは半信半疑といったところだ。

 むきむき達はアクアに女神として「アルダープが怪しい」とお告げを貰い、その後幸運で判定して「アルダープが怪しい」という結果を出したのだと王様に報告していた。

 アクアのお告げに信憑性が有るかどうかなんて王族に分かるわけがない。

 ならば、アクアが女神である可能性が、そのままアルダープへの疑いに変わる。

 

 王様の中には今はっきりと、アルダープへの疑心が生まれていた。

 

「さて。で、あるならば。先にしておいた準備が役に立つであろう」

 

「どういう意味でしょうか、王様」

 

「ララティーナとアルダープを既に隣室に呼び寄せてある」

 

「!」

 

「正確には奴らが私に会いたがっていたため、お前達の後に来るよう調整して呼んだのだがな」

 

「会いたがっていた……?」

 

「二人の婚約を王の名の下に認め、発表して欲しいと望まれている」

 

「!」

 

 貴族の腐敗を聞き、王都に赴いたダクネスを助け出すために、そしてダクネスの帰る家を守るために始まったこの形なき戦い。

 その戦いはもう、バッドエンドとハッピーエンドの分岐点まで進んでいたようだ。

 

「現ダスティネス家当主のイグニスはララティーナのこの婚姻に反対だ。

 しかしララティーナとアルダープは同意しているという。

 ダスティネス家はアルダープに借金を肩代わりして貰っているため大きくは出られない。

 ララティーナも家のためと思えば、アルダープの頼みは断れなかったのだろう」

 

「そんな……」

 

「ふっ、そんな気はしていたのだ。

 だから奴らの謁見をお前達の後にしていた。退屈な謁見も少し楽しくなってきたではないか」

 

「お父様、不謹慎ですよ」

 

 アイリスが王をたしなめる。王族と家臣という関係を絶対の下敷きとしながらも、アイリスとララティーナの間には友情のようなものがあった。

 ララティーナの現状を耳にして、めぐみんという友人、クリスという友人だけでなく、アイリスという友人も憤慨を覚えているらしい。

 

「今呼ぼう。あるいはここで決着を付けるか? むきむき」

 

「是非」

 

 王様が側仕えの者を動かす。

 ダクネスとアルダープが、謁見の間に入って来る。

 二人がむきむき達を見て驚いた顔をして、アルダープの後ろで何も喋らないようにしていたダクネスが、こっそりカズマが立てた親指を見て、一瞬とても嬉しそうな顔をする。

 けれども、すぐに表情を元に戻した。

 カズマは逆に、その表情の動きを見てむっとしてしまう。

 

「陛下、これは一体……」

 

「アルダープ。今、貴様の汚職の話を聞いていてな。

 彼らは善意でそれを伝えてくれた、情報の運び屋のようなものだ」

 

(こ、この王様……!)

 

 本人を前にしてこの話題振りだ。一瞬のカマかけだろうか。

 王様の豪胆なカマかけに、悪辣な凡俗であるアルダープが一瞬露骨な反応を見せる。

 確たる証拠はなかったが、むきむき達と王とアイリスは、その反応からアルダープが黒であることに確信を持った。

 

「どうせ根も葉もない噂でしょうな。

 第一、どこに証拠があるというのですか?

 私は今陛下の御前に立つことを許されています。

 それはつまり、話に筋が通っていたとしても、証拠自体はないということなのでは?」

 

「うむ。全くもってその通りだ」

 

 だが、アルダープは自白まで行かない。

 この土壇場でこういう風に頭が回るのは、実に姑息な悪党らしい。

 アルダープは自分が捕まるような証拠は絶対に見つからないと思っている。それが見つけられているわけがないと思っている。

 まるで、その結果だけは確定しているということを知っているかのように。

 

「して、貴様の望みは婚約の発表、であったか」

 

「然り。王の名の下に、我らの愛を祝福していただきたく……」

 

 カズマが立ち上がろうとし、アクアが叫ぼうとし、めぐみんとゆんゆんが杖に手を伸ばす。

 ダクネスが無感情な顔で顔を横に振り、それを抑制する。

 王の理解者であるアイリスが、"父を信じて"とむきむきに目で訴える。

 アイリスの理解者であるむきむきが、ダクネスの意ではなくアイリスの意を汲んで、カズマ達の行動を止めた。

 

「だがその前に、果たさなければならない公約がある」

 

「……公約?」

 

 王の言葉に、アルダープの眉がピクリと動く。

 

「ララティーナ、お前は確か13年前に言っていたな。

 『強い男と結婚したいです』と。

 『自分を組み伏せられるほどの男と結婚したい』と。

 あれは謁見の最中の他愛ない雑談だった。書記官の記録にも残っている会話だろう」

 

「こ、光栄です陛下。まさか覚えていただけているとは……」

 

「うむ、この身は王であるからな。

 そのくらいは覚えておかねばなるまいて。……と、いうわけだ。

 王として、その約束を叶えてやると約束した覚えがある。

 公式の記録に残っているということは、王が公言した公約ということになろう」

 

 王が言ったことを違えるわけにもいくまい、と王は楽しげに笑った。

 

「その約束を今果たそう」

 

 ベルゼルグ王族は他国の一部から蛮族と呼ばれている。

 この理由の一つに、現ベルゼルグ王が若い頃から今に至るまで、戦いで物事を正しく解決できるという蛮族思考を持ち合わせている、というものがあった。

 そして、蛮族思考の結果として最高の結果をもたらすだけの能力もあった。

 

 

 

 

 

「今ここに!

 ダスティネス・フォード・ララティーナの婚約者を決める大会!

 男達による血湧き肉躍る戦いの祭典、『天下一武道会』の開催を宣言するッ!!」

 

「「「 ―――ファッ!? 」」」

 

 

 

 

 

 何言ってんだこいつ、とその場に居た貴族・平民・アイリス全ての心が一つになった。

 

「ま、待ってください私の意志は!?

 そんな戦いの結果だけで私の婚約者を決められても!?」

 

「無論、王とはいえ婚約者を勝手に決めるわけにはいくまい。

 優勝者と婚約するかどうかはララティーナの自由だ。

 大会で婚約者が決まるならそれでよし。

 決まらなければ大会の後にアルダープと改めて婚約すればよろしい」

 

 しまった、この王本気だ、と皆の心が一つになった。

 

「正気ですかお父様」

 

「うむ、とりあえず関係者を一カ所に集めて戦わせればなんとかなることも多いのだ」

 

「お、お父様……」

 

 戦いでなんとかならない時にはこういう提案をしないくせに、戦えばなんとかなる時にはこうした提案をするのがベルゼルグ王だった。

 提案をそれっぽくするために、十数年前に幼いダクネスと話した内容を一言一句違わず口にできる優秀さが、ベルゼルグ王に相応しい能力の証明だった。

 戦いでなんとなるかならないか、その辺は勘で判断している様子。

 

「王よ。つまりはこういうことですかな?

 その戦いで公的に勝利を収めることが、王にこの婚姻を認められる条件であると」

 

「その通りだアルダープ。ここはベルゼルグだ。欲しいものは勝ち取って見せるがいい」

 

 つまりこういうことだ。

 アルダープがこの戦いで優勝したならば、王公認でダクネスと結婚ができる。

 ダスティネス家の借金をアルダープが肩代わりしている以上、ダクネスはアルダープとの婚約、その後の婚姻を断れない。

 アルダープ以外が優勝したなら、ダクネスはその人物と婚約をするかどうかを選べる。

 そこで婚約したなら勿論アルダープとは婚約も婚姻もできなくなる、というわけだ。

 

 だからか、アルダープに家を人質に取られているも同然なダクネスは、この大会そのものに反対する。

 ……もしも、その大会で。

 『ある男』が、ガラにもなく自分を助けるために勝ち上がって来てしまったなら。

 その時自分が、ツンデレなその男に伸ばされた手を跳ね除けられるかどうか、ダクネスには自信が無かったのだ。

 

「そんなことをする必要はありません!

 このララティーナ、自らの意志でアルダープ殿と婚姻を――」

 

「嘘はいかんぞ、ララティーナ」

 

「――え」

 

 カズマの方を見ないようにして叫ぶダクネスに、その時大きな外套で自分の姿を隠した男が、むきむきの後ろから諌めるような声をぶつける。

 その声に、ダクネスは聞き覚えがあった。

 間違えるはずもない。その声は彼女の父、ダスティネス・フォード・イグニスのものだった。

 

「五歳の時の夏にも、七歳の時の冬にも、しっかりとそう教えただろう」

 

「……お父様? いけません、お父様は原因不明の重病で明日をも知れぬ身で!」

 

「父に浅はかな嘘は通じない。お前は既に、それを知っていると思っていたのだが」

 

「私の話を聞いてください! 早く屋敷に帰って、体を休めなければ……!」

 

「体は休まっても心は休まらんよ。娘の一大事だ」

 

 現ダスティネス家の当主。現在は原因不明の重病で死にかけていると、市井でさえ噂されている男だ。その男がここに居ることに誰よりも驚いているのは、アルダープだった。

 アルダープは自分が殺した男が蘇ってきたとでも言いたげな、そんな顔をしている。

 

「アルダープ。私の言いたいことは分かるな?」

 

「……っ」

 

 イグニスが睨んで、アルダープが怯む。

 だがアルダープはすぐに不敵な笑みを返し、王はアルダープに大会の詳細を告げた。

 

「代理人は認めよう。アルダープ、貴様は今からでも代理出場者を探し……」

 

「必要ありませんな、陛下。この身一つで出場しましょう」

 

「……何? 正気か?」

 

(正気か? とかあんたが言うなよ王様……)

 

 王がアルダープに正気かと言い、周囲の皆が心の中でツッコミを入れる。

 だが、それも仕方のないことだ。

 アルダープはスポーツさえできなそうな中年デブである。これでまともな戦闘力が発揮できるわけがない。その辺の冒険者にさえ負けてしまいそうだ。

 これで武道会を勝ち抜けるわけがないだろう。

 

 だからこそ王は、アルダープにも平等に勝利の可能性を与えるべく代理人を出す権利を許可しようとしたのだ。

 なのにアルダープは自分が出るという。

 何を考えているのか、皆が疑問に思ったその時。

 

「どいつもこいつも役に立たぬ者ばかり。やはり最後に頼りになるのは自分だけだ」

 

 アルダープが、懐からフラスコを取り出した。

 それが、『最初の戦いでピンクが使っていたフラスコと同じ形』であるということに、むきむきとゆんゆんは気付く。気付いてしまう。

 二人が声を上げる前に、アルダープはその中の極彩色の液体を飲み干していく。

 

「しからばお見せしよう―――アレクセイ・バーネス・アルダープの力を!」

 

 

 

 瞬間。

 

 アルダープの筋肉が膨らみ、上半身を包んでいた服が吹き飛ぶ。

 

 瞬きの間にアルダープの体が、むきむきと同サイズの体格と同レベルの筋肉を備えていた。

 

 

 

「ふあっ!?」

「!?」

「なんじゃそりゃあっ!?」

 

 誰もが困惑していた。

 目の前の光景に付いて行けなかった。

 

「己が魂を売ってまで、ララティーナを求めるか」

 

 されど、それに怯まぬ(ちち)も居た。

 

「貴様になどララティーナは渡さん! 貴様の野望は私が止める!」

 

 ダスティネス・フォード・イグニス。

 彼は男の中の男、貴族の中の貴族、そして父の中の父として立つ。

 外套を投げ捨て、彼は裂帛の気合いと共に叫んだ。

 

「見るがいい! 彼らに貰った、ララティーナを守るための奇跡の力を!」

 

 

 

 瞬間。

 

 イグニスの筋肉が膨らみ、上半身を包んでいた服が吹き飛ぶ。

 

 瞬きの間にイグニスの体が、むきむきと同サイズの体格と同レベルの筋肉を備えていた。

 

 

 

「ふわっ!?」

「っ!?」

「世界がおかしくなっていく!?」

 

 アルダープの後ろで感情を押さえ込んでいたダクネスが。

 自分の感情を殺して婚約も婚姻も受け入れようとしていたダクネスが。

 この流れにとうとう取り繕う余裕を失い、感情のままに叫んで飛び出し、カズマとむきむきに掴みかかっていた。

 

「何をしたぁ! カズマ! むきむき!

 お父様に何をした! 言えっ! 事と次第によってはぶっ殺してやる!」

 

「俺悪くない、それだけは確か」

「……僕とカズマくんのせいかもしれないけど……もう本当になんでああなったんだか」

 

 イグニスとアルダープの一触即発の空気に、一触即発の筋肉。

 よもやここで戦いが始まるのか、という皆の予感に、むきむきが先んじて動く。

 

「とりあえず」

 

 瞬間。

 

 むきむきの筋肉が膨らみ、上半身を包んでいた服が吹き飛ぶ。

 

 瞬きの間にむきむきはイグニスとアルダープの間に割り込み、二人の争いを止めていた。

 

「お二方、戦いは大会の当日に。

 婚約する気のない父親でも友人でも、大会に参加し狙った人物を倒すだけならできますから」

 

 アルダープが舌打ちし、イグニスは物分りよく静かに下がる。

 よくあるシチュエーションに、女が"私のために争わないで!"というものがある。

 だが今のダクネスの心は、"私のために筋肉を付けないで!"という感情一色に染められていた。

 

「え、謁見の間がほんの数分で数十倍暑苦しくなった……!」

 

 魔に魂を売り悪魔の筋肉を得た者、アルダープ。

 愛故に奇跡の筋肉を得た者、イグニス。

 生来筋肉であった者、むきむき。

 腹筋に愛されし女、ララティーナ。

 

 サトウカズマッスルの到来が待たれるが、カズマは「俺だけはこうならないようにしよう」と心に決めるのだった。

 

 

 

 

 

 そんな謁見の間の中を、魔王軍・DTイエローが希少な魔道具で覗いていた。

 

「くっくっく、お前達がどこまで抗えるか……特等席で見せてもらうでゲス」

 

 瞬間。

 

 イエローの筋肉が膨らみ、上半身を包んでいた服が吹き飛ぶ。

 

 瞬きの間にイエローの体が、むきむきと同サイズの体格と同レベルの筋肉を備えていた。

 

「ピンクが企画立案した『むきむき量産計画』!

 その第一シリーズ、アンデッドのマッチョ化!

 第二シリーズ、生きた人間のマッチョ化!

 新世代魔王軍の強化原案となるべく生み出せた第二シリーズの強さに震えるがいいでゲス!」

 

 これは人間同士の戦いだ。

 だが同時に、人類軍と魔王軍の代理戦争でもあり、俯瞰して見れば神と悪魔の代理戦争でもあるものだ。

 どの筋肉が勝利するのか。

 どの筋肉が正しいのか。

 

 それは、筋肉だけが知っている。

 

 

 




 ボツ案だとピンクの『おっぱいを限界まで大きくする薬』が国に蔓延
 「ちょっとしか大きくならないんですけど」と怒っためぐみんが殴り込み
 「限界以上には大きくなりませぬ」とピンクから無情な宣告
 そんなお話がありました。

 今回の話書いてて脳が溶けていく気がします


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3-5-3

 最近忙しや忙しや


 時間を少し遡ろう。

 カズマは王様に会いに行く前に、むきむきを連れてダスティネス邸を訪れていた。

 犯人がアルダープと分かった時点でめぐみんがアルダープの屋敷に爆裂魔法を撃ち込もうとしていたため、カズマとむきむき以外の皆はめぐみんを止めに回っている。

 めぐみんのアッパーで軽く舌を噛んで痛そうにしていたミツルギのもにょった顔が、妙に印象的だった。

 

「大貴族にしては小さいかもしれないが、それでも十分デカい屋敷だな……」

 

 応接間に通されて、カズマはむきむきと並んで座る。

 この屋敷に今ダクネスが居るかは分からない。

 居ても居留守を使われる可能性も高い。

 二人をこの応接間に通してくれた執事は「今確認をして参ります」と言ったが、ダクネスに会う気がなければ、二人が会うことは出来ないだろう。

 二人だけしか居ない応接間で、カズマはボソッと呟いた。

 

「ダクネスが全部終わった後俺達養ってくれねえかな……」

 

「ダクネスさんはカズマくんが怠け始めたら叱咤する人じゃない?」

 

「いいだろ、夢を口にするくらい」

 

「たわけた夢は口にした時点でただの寝言じゃないかなあ」

 

「お前言う時は言うやつだよな」

 

 そういやゆんゆんも言う時は言うやつだった、と変に納得するカズマ。

 

「もしここでダクネスさんに会えたら、何て言う?」

 

「んー……そうだな」

 

 むきむきはカズマに聞いてみて。

 

「今のお前はアクアやめぐみんより問題児で、あの二人より面倒臭えぞ、とかだな」

 

 カズマらしい返答に、そっと口元を綻ばせる。

 彼がそう言ってダクネスがそれに突っかかる光景が、目に浮かぶようだった。

 やがて執事が戻って来るが、彼らのダクネスに会うという望みは叶わなかった。

 

「お嬢様はいらっしゃらないようです。ですが……旦那様が、お二人にお会いしたいと」

 

 二人は屋敷の奥、現当主であるダクネスの父親の部屋に通されていた。

 

「ダスティネス・フォード・イグニスだ。

 初めまして、ララティーナの友人殿。娘がいつも、世話になっていたようだね」

 

 まず第一に抱く印象は、痩けた頬と悪い顔色に対する"今にも死にそうだ"というもの。

 ベッドに横たわったイグニスは、街でそう噂されている通りに、明日をも知れぬ体調のようだった。

 目を閉じて横たわったら、もう二度とそこから目を開かないまま死体になってしまいそうな、そんな弱々しい姿。

 これを毎日家で見ていたためにダクネスの心は日々弱っていってしまったのではないか、とさえ思えるような姿だった。

 

「こんな格好ですまない。今は、椅子に座る姿勢も辛くてね」

 

「いえ、こちらこそ病でお辛い時に伺ってしまい、申し訳ありません」

 

 むきむきとカズマは、今日までの調査結果を簡潔に話す。

 彼らは確信を抱いていたが証拠はなく、アルダープを絶対の犯人とするものを何も持ってはいなかったが、イグニスは前々からアルダープを疑っていたようだ。

 弱々しさを塗り潰してしまうほどの鬼気迫る怒気を、痩せこけた体から滲ませる。

 

「……そんなことが。アルダープめ、人としても貴族としてもしてはならないことを……!」

 

 二人の少年はその一瞬、ベルゼルグ王が何故イグニスを頼りにしているのか、その理由を肌身に染みて理解する。

 これは、敵に回せば恐ろしく、味方にすれば頼りになる手合いだ。

 

「私も裏で手を回していたが、これでは間に合うまい。

 すまないが二人共、ララティーナのことをよろしく頼む。どうかこの通りだ」

 

 イグニスは二人に深く頭を下げる。

 大貴族である彼が平民に頭を下げるということの重みを、理解できない二人ではない。

 けれどむきむきは、その頼みを聞かなかった。

 

「誰かに頼まれたからじゃなく。

 僕らは自分でそうしたいから、ララティーナさんを助けに行きます」

 

 その頼みを聞く必要なんてなかったからだ。

 

「素晴らしいな、冒険者は」

 

 イグニスが微笑む。

 彼の語調には、隠すつもりもなさそうな『冒険者』への敬意があった。

 

「冒険者は、どこまでも自由で……

 どんな障害があっても、自分の生き方を、自分で決めて行けるのだな」

 

「はい、そうです。だから冒険者のララティーナさんも、そうなんですよ」

 

「―――」

 

 その上むきむきがこんな返答をしてくるものだから、イグニスは思わず笑ってしまう。

 ララティーナには自由に自分の未来を決めて行って欲しいと思っていたイグニス。

 だからこそ、こうして冒険者を羨むような言葉を口に出していたイグニス。

 その秘めた願いが、思わぬ形で肯定される形となった。

 

 カズマも頭を掻いて、ちょっと自分の気持ちを誤魔化すようにして、病人のイグニス相手に言葉を選ぶ。

 

「ま、今は俺達に任せてゆっくり寝ててください。

 全部終わったら……今度は、ダクネスのお父さんの病気治そうみたいな話になるかもですが」

 

「君は……」

 

「こいつ、相手の嫌がることはあんまできないんです」

 

 カズマはむきむきの脇を小突く。

 この二人は、互いに補い合う相補の関係にあった。

 

「もしもの時に嫌がるダクネスを無理矢理連れて帰るのが……あー、俺の仕事ですね」

 

 むきむきにはできないことが、カズマにはできる。

 カズマにしかできないことが、そのまま心惹かれる要素になる女性も居る。

 だからだろうか。

 ダクネスが、むきむきよりもカズマのことを頼りにしているのは。

 

 むきむきの言葉を聞き、イグニスは"娘はいい仲間に恵まれた"と思った。

 カズマの言葉を聞き、イグニスは"娘を変えるとしたらこの子だろう"と思った。

 それがそのまま、むきむきとカズマの個性の違いだった。

 

「ララティーナに好きな異性が居るとしたら、君の方だろうな。そう思った」

 

「……大丈夫ですか? 熱あるんじゃないですか?」

 

「至って正気だとも。私はララティーナの父だからな」

 

 この人頭おかしいんじゃねえかな、とカズマは思うのだった。

 とりあえず明日アクアを連れて来よう、とカズマは考える。なんだかんだで、カズマはアクアの超技能の凄さは信用しているのだ。信頼はしていない。

 その前に自分にできることもやってみよう、とカズマは五指をわきわき動かす。

 

(生命力だけでも注いでみるか)

 

 ドレインタッチは魔力の移譲スキルと思われがちだが、このスキルの本質は生命力と魔力の伝達である。

 生命力が足りていない人間には、当然生命力の移譲も有効となるものだ。

 幸いここには、最上級の生命力持ちが居る。

 

「むきむき、例の」

 

「はい、どうぞ」

 

 むきむきが手を差し出し、その手を取ったカズマがゆったりと生命力を吸う。

 ドレインタッチで触れる場所を選ぶのは、魔力の源が心臓部であるからだ。生命力の方が目的であれば、その辺りのことは考えなくてもいい。

 

(……ん? ベルトが光った?)

 

 生命力ドレインの際にベルトが光った気がしたが、カズマは気にしなかった。

 

「ちょっとスキルを試してみます。

 治るとまでは行かないでしょうけど、楽にはなると思いますよ」

 

「おお、そういえば君は多彩なスキルを使いこなす冒険者だったな。

 娘が手紙でよく言っていたよ。

 多彩なスキルを、誰にも思いつかないような使いこなし方をすると」

 

「あいつが手紙の中で俺のことどう言ってるのかは心底気になりますね」

 

 そうして、カズマはドレインタッチで生命力を注ぎ込み。

 

 イグニスの筋肉が爆発的に膨張して、服と掛け布団が吹っ飛んだ。

 

「……は?」

 

 そこからは大騒ぎである。

 一瞬前まで肉も元気も生気も無かったイグニスが、筋肉モリモリマッチョマンに変態したのだ。

 そらもう何が何やら意味分からんと大騒ぎ。

 多少落ち着いてくると、イグニスが光っているむきむきのベルトを見て何やら気付いた。

 

「これは……まさか……!」

 

 そのベルトこそが、この事態の原因である。

 

「聞いたことがある……神器」

 

「知っているんですかイグニスさん!」

 

「それは女神様がこの世界に落とした神の道具。

 選ばれた者にしか使えないが、その力の一部であれば他の者も使うことができるという……」

 

 イグニスは、そのベルトが神器であると睨んでいた。

 というより、"神器でもなければこんな事態は起こせない"と判断していた。

 その推論は大正解であり、むきむきの筋肉をイグニスに与えたのはこのベルトである。

 

「神器の本来の出力の何%、といった形で力は発揮されるらしい。

 今日まで私も眉唾なお伽話だと信じてもいなかったのだが……」

 

「あ」

 

 その言い草に、むきむきはこのベルトを貰った時、このベルトをくれたヴァンパイアが言っていたことを思い出した。

 

―――使用者の微量な魔力を吸って半永久的に稼働し、筋力を上昇させるベルトだ

―――筋力を参照する攻撃・スキルのダメージも15%ほどアップする代物であるぞ

 

 見方を変えればこのベルト、"筋力の上昇率が極めて低くなったグラムのような効果のベルト"であるとも言える。

 グラムは筋力増加と凄まじい切れ味の二つの効果を持ち、ミツルギ以外の者が持てば筋力増加の効果が失われ、ちょっと切れ味のいい剣でしかなくなってしまう。

 

「つまりこのベルトは、所有者の力を増幅して弱体化した者に移譲する神器。

 そこから移譲能力が失われ、力の増幅量も少なくなったのがこれであると……」

 

 ならばこのベルトもグラムと似た形で力の移譲能力を喪失し、弱体化した筋力増加の能力だけが残された神器、という風に見ることができる。

 むきむきのバカみたいな筋力値、移譲の力の代わりになったドレインタッチ、原因不明の何かにより弱りに弱ったイグニス。この三つが揃ったからこそ、神器であると判明したベルトであった。

 

 ゲーム的に言えば、デバフがかけられた者のステータスを超強化するスキル。

 この世界の法則に沿って言うならば、呪いなどがその人間の生命力に生じさせた欠損に、より大きなエネルギーを流し込んで逆に強化まで持っていく、といったところだろうか。

 神器パワーでむきむきみたいな体になったイグニスの迫力は、圧巻の一言である。

 

(これが神器なら、選ばれてない僕は誰かに返すべきなのかな)

 

 でも誰に返せばいいんだろう、とむきむきは首を傾げる。

 首を傾げるむきむきの横で、イグニスは首をゴキゴキ鳴らしていた。

 

「弱りきっていた体に力が漲る……!

 今日君達は王都に行くと行っていたな!

 ララティーナもおそらくそこだ! 私も同行しよう!」

 

「え、ええ……? た、確かに心強いですけど、いいのかこれ……?」

 

 注がれた力が尽きるまで、イグニスはむきむきと同等の身体能力を発揮できる。

 娘を思う父の愛が起こした奇跡か。

 あるいは神の采配が生んだ神の奇跡か。

 筋肉の奇跡か。

 こうしてイグニスは、筋肉と戦う力を得たのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大会開催宣言の二日後。

 ララティーナ婚約者決定戦・天下一武道会は早くも始まろうとしていた。

 

 祭りだーとただそれだけで集まってきたアクシズ教徒。

 ララティーナお嬢様とか腹痛いわ、と集まってきた冒険者達。

 むきむき君が武闘大会に出ると聞いて、と応援に来ていた近所のお姉さんそけっと。

 ララティーナの運命を見届けるべく集まったダスティネス家使用人達。

 玉の輿を狙うよこしまな男ども。

 社交界でずっとララティーナに恋してきた騎士や貴族達。

 そして、カズマ達。

 

 多くの人間が集まり、戦いに身を投じるその時を待っていた。

 

「うわっ、すっごい人だかり」

 

 そんな舞台の観客席で、ゆんゆんは都会に出た田舎者のような動きをしていた。

 

「ゆんゆん、今のゆんゆんは紅魔族の恥です。さっさとどこかに座りましょう」

 

「紅魔族の恥!? え、うん、座ろっか」

 

 景品のダクネスの友人で、参加者のむきむきやカズマとも仲間であるのがこの二人だ。

 どこの馬の骨とも分からない男がダクネスを持って行くくらいなら、むきむきやカズマが勝ち抜いてなあなあで終わるほうがいいと考えている。

 

「いっぱい居るね、参加者の人」

 

「あまりにも参加者が多かったので、八組に一旦分けたそうですよ。

 そして各組でバトルロイヤル。残った八人で決勝トーナメントをやるんだとか」

 

「実質二日しか募集も告知もしてなかったのに。ダクネスさん、凄い人だったんだね」

 

「大貴族ですし、見てくれもいいですし。……性癖を除けば、性格もいい人ですしね」

 

 ララティーナに魅力を感じる者、ダスティネス家に魅力を感じる者、そのどちらでもない者、この大会に参加する理由は人それぞれだろう。

 ただ、めぐみんはダクネスの一人の友人として、ダクネスのことをよく知らない人には、ダクネスのことをちゃんと理解していない人には、優勝して欲しくなかった。

 

「むきむき、勝ち抜くのかな」

 

「この大会は魔法使用あり、スキル使用あり、武器使用無し。

 ルールはかなり緩い方ですが……

 そもそもの話、むきむきと試合形式で勝てるのなんて魔王軍の幹部くらいでしょう」

 

「そうだよね」

 

「……? どうかしました」

 

「私も、そんなことはないって思うんだけどね」

 

 観客席から試合会場を見下ろして、空気に溶けてしまいそうな声量と声色で、ゆんゆんは儚げにつぶやく。

 

「もしむきむきが勝ち抜いて、ダクネスさんとむきむきが婚約したらどうなるのかな、って」

 

「―――」

 

 きっとそうなれば、紅魔族の三人が三人だけでつるむのが一番だと思うことも、三人が三人で作る関係性が一番大事なもので在り続けることも、きっとなくなる。

 『三人』が『二人と一人』になるのではなく。

 『三人』から一人が抜けて、『二人』になってしまう。

 

「めぐみんはどうする? この大会の間はむきむきを応援しても……

 その後、あの二人がそうなりそうになったら、応援する? 応援できる?」

 

 ゆんゆんは何かの答えを期待して、めぐみんは期待した答えを返さなかった。

 

「むきむきにダクネスはもったいないですよ。応援なんてするわけないです」

 

「……そうなんだ」

 

「ダクネスの手綱を握れるのなんて、それこそカズマくらいしか……いえ、これは無粋ですね」

 

 ゆんゆんはがっかりしたが、"いつも私より上手なのがめぐみんだもんね"と、何やら不思議な納得の仕方をしていた。

 

「というかゆんゆん、この手の恋愛話好きですよね。

 私から色っぽい話か台詞でも聞き出したいんですか?」

 

「えっ、あっ、いや、そういうわけじゃないんだけど」

 

「アクセル周りのカエルにも年二回しか発情期は無いと言うのに。

 ゆんゆんは年中発情期ですか? 見かけも心もドスケベですか?

 あなたには紅魔族随一のドスケベがお似合いですよこのドスケベ!」

 

「そこまで言うことないじゃない! 私だってそこまで言われたら怒るわよ!」

 

 紅魔族の少女達がギャーギャー騒いで、バトルロイヤル形式の予選も、やがて終わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 この大会には、ベルゼルグ王の独断で実況解説席が用意されていた。

 

『さてこのバトルロイヤルを制するのは誰なのか!

 最後に残った一人だけが決勝トーナメントに駒を進めるんだぜ!』

 

 決勝トーナメントに参加する八人を決めるまでの実況がやけに聞き慣れた声で、しかもやたらとうるさい声なものだから、めぐみんは思わず呆れ顔になってしまう。

 

『出たー! 卑怯拳のカズマ! 潜伏で姿を隠し、ドレインタッチで一撃必殺!

 これはエグい! 自分が最後の二人になるまで倒れた選手の影に隠れる戦法!

 背後からのドレインタッチ! この迷いの無いダーティ戦術が彼の持ち味だ!』

 

「おいこの実況ダストだな! そこでなにやってんだてめえ!」

 

 カズマが叫んでいる気持ちにも、めぐみんは共感してしまう。

 

「あっちはあっちで、魔剣の人が強い強い」

 

 合法的にアルダープをぶっ飛ばして全て吐かせてやると意気込むミツルギも無双中。

 武闘大会という子供の頃読んだ漫画の中にしかなかったものに、彼はどこか嬉しそうに張り切っていた。

 

「むきむきの居る所に至っては、むきむきが最初の一人を吹っ飛ばしたら即全員降参」

 

 アルダープの部下が「私もアルダープ様と同じ力を手に入れたのだ!」と叫び挑みかかって、むきむきに壁に埋められたのはもはやギャグだった。

 

「アルダープも十分強いですね。あれはもう最低でも上級の冒険者クラスの強さはありそうです」

 

 アルダープも順当に強く、魔王軍に魂を売って手に入れたであろう筋肉で、並み居る強敵を全て打ち倒していった。

 

 八人の代表者は決まった。

 サトウカズマ。

 アクセル冒険者・テイラー。

 ミツルギキョウヤ。

 ウォーズマン。

 むきむき。

 ダスティネス・フォード・イグニス。

 ベルゼルグ貴族の騎士。

 アレクセイ・バーネス・アルダープ。

 この八人が、この名前の順でトーナメントに並べられ、激突することとなった。

 

 

 

 

 

 ダクネスは、本人が思っている以上に色んな人に想われている。

 気まぐれに大会に参加した冒険者。いざという時になんかしてやるか、くらいの気持ちで観客席に来ている冒険者。心配して会場に来たが、具体的に何かするつもりがあるわけでもない冒険者。

 お節介なギルド職員に、昔固定PTではなかった頃ダクネスと組んでいた冒険者。

 ダクネスのために命を賭けられる者は多くない。

 けれども、ダクネスのために暇な時間を使ってやるくらいならいいか、と考える人間はそこそこいて、遊び半分で来ている者もそれなりに居た。

 

 テイラーもその中の一人だった。

 

「んー、こんなとこでいいか」

 

 彼に勝ち抜く気などない。

 ダクネスとの婚約にも魅力を感じていない。

 ただ、"こうなったら面白いな"と思っていて、その通りになっただけ。

 テイラーはカズマやむきむきに『楽な一勝』をやろうと考えていて、そして、今カズマのために棄権し、戦わずして彼に一勝をやっていく。

 

「勝てよカズマ。ララティーナお嬢様(笑)を取り戻してこい」

 

「お前……」

 

「お前らここ最近全くギルドに顔出してないよな?

 おかげでギルドが妙に静かで寂しい感じなんだよ。さっさと戻って来い」

 

「……ああ」

 

「ララティーナお嬢様を名前でいじりたい冒険者がウズウズしてるんだからな?」

 

「存分にいじってやってくれ。あのバカ、自分勝手に動きすぎなんだよ」

 

 テイラーのお陰で戦わずして一勝したカズマ。

 しばしの時間が流れ、一回戦が一通り終わる。

 次の相手は、勝ち上がってきたミツルギだった。

 真正面から戦えば高確率で負ける相手。カズマは頭の中で色々と不意打ちのやり方を考えていたのだが、ミツルギには戦意が全くと言っていいほど見られなかった。

 

「やあ」

 

「やあ、じゃねえよ。爽やかに挨拶しやがって」

 

「僕はそこにまでケチ付けられないといけないのか!?」

 

 まったく、とミツルギが溜め息を吐く。

 

「取り引きをしよう。僕の提案する交換条件を飲んでくれるなら、棄権してもいい」

 

「なんだよ交換条件って。金か? 物か? ……アクアか?」

 

 女神様に貰った物を何一つ使わずここまで勝ち上がってきたミツルギは、女神様に何も貰わずここまで来た少年に、人差し指を立てて言い放つ。

 

「師父の……紅魔族のむきむきの期待を、この大会で裏切らないこと。優勝することだよ」

 

「!」

 

 "必ず勝つと約束するならここで勝ちを譲ってもいい"と。

 "そう言えるなら君の勝利を信じる"と。

 ミツルギは暗にそう言っている。

 この二人の対立はいつだって、負けず嫌いなミツルギと、ミツルギが好きじゃないカズマという構図で成り立っている。

 その関係は変わらない。

 変わらないからこそ、その譲歩には価値と意味があった。

 

「前から思ってたけどお前年下に師父とか恥ずかしくねえの?」

 

「前から思ってたけど君はそのひねくれた言動恥ずかしくないのか!」

 

 口論になれば、いつだってカズマが一歩先を言っているような形になって、けれどもミツルギがカズマに対してちょっと寛容だから、二人は決定的な決別だけはすることがなくて。

 

「まったく、本当にまったく……

 君が僕にそういう約束や誓いができないのは分かった。

 いいよ、誓わなくていい。僕はここで棄権するから、頑張ってくれ」

 

「?」

 

「僕はこれからは勝手に君に期待することにした、それだけだ」

 

 ミツルギは真面目な返答を返してくれないカズマに呆れて、勝手に棄権していく。

 

「ここしばらく一緒に居て分かったよ。

 アクア様が君から離れようとするわけがない。

 だったら……僕は君に、君がアクア様を守りきってくれると、勝手に期待するしかないんだ」

 

 真面目なミツルギはミツルギなりに、カズマとの向き合い方を考えたらしい。

 ミツルギはアクアを見ていても、アクアはミツルギを見ていない。

 なら、選べるものなど多くはないのだ。

 

「めんどくせー奴」

 

 去っていくミツルギを見送って、カズマはそう言う。

 その言葉は紛れもなく本心であったが、ミツルギを見下す意図はそこに一切含まれてはいなかった。

 

「さて」

 

 そして、しばしの時間が流れ。

 

 決勝の相手は、カズマの前に現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を少し巻き戻そう。

 場面は、むきむきが一回戦の相手、イグニスと向き合っているところへ。

 

 多くの者は、むきむきがこの大会の勝者になると思っていた。

 それで大会はなあなあに終わると思っていた。

 アルダープやイグニスの筋肉に仰天している者も多かったが、それでもむきむきのことをなにかしら知っている者であれば、むきむきの勝利は疑っていなかった。

 それだけの実績を、むきむきは積み上げてきたのだ。

 

 むきむきの力を疑う者はほぼ居ない。

 

「イグニスさん……」

 

「頼む、むきむき君」

 

 だが、力が強いものが最後に残るわけでもない。それが戦いというものだ。

 

「次の戦いと決着を、私に譲ってくれ」

 

 イグニスがむきむきにこう頼み込み、むきむきはそれを受けるべきか思い悩んでいた。

 現在勝ち残っているのはカズマとミツルギ。ここでイグニスに勝ちを譲れば、次の試合の組み合わせはカズマVSミツルギとなり、妥当にイグニスVSアルダープとなるだろう。

 

「分かっている。

 アルダープの妨害が目的なら、君を勝たせるのが最善だ。

 それでも……お願いしたい。頼む。この愚かな男の頼みを、聞いてくれ」

 

「……」

 

 イグニスの頼みはシンプルだが、そこには多くの目的が絡んでいる。

 アルダープを叩きのめすという目的。

 ダクネスを守るという目的。

 アルダープの体のみならず心までもを打ちのめすという目的。

 そこに"自分の手で娘を守るという父としての決意"などもあって、イグニスは一歩も引かない頑固さを見せつけていた。

 

 むきむきはその頑固さに、ダクネスとの血の繋がりを感じてしまう。

 それが、信頼に値する理由になった。

 

「分かりました。でも、絶対勝ってくださいよ?」

 

「! 感謝する! ……負けないさ。この筋肉は、君から貰った筋肉なのだから」

 

 むきむきは棄権し、イグニスに託して舞台を降りる。

 少年のこの選択は賢い選択とは言えないのかもしれない。

 だが、しょうがない。断れるわけがなかった。

 "子供を想い自分の手で子を救おうとする親"の想いを、あんな境遇で育ったむきむきが、無下にできるわけがないのだ。

 

(……お父さん、か。僕のお父さんも、僕のことをああいう風に想ってくれたのかな……)

 

 むきむきはカズマを信じている。

 そして今、イグニスを信じたいとも思っていた。娘を思う父を信じたいと思っていた。家族の繋がりが、自分が頑張るよりも良い結果を出してくれると信じたがっていた。

 

「失礼します、むきむき選手。ちょっとよろしいでしょうか」

 

「はれ?」

 

 試合が終わったむきむきだが、そこで大会運営スタッフに呼び止められる。

 大会会場を一望できる実況解説席。先程までダストの遊び場になっていたが、飽きたダストがどこかに行ったせいで誰も使わなくなったその場所を、むきむきは訪れていた。

 部屋の前に護衛の騎士が居たために、予感はあった。

 その予感は、実況解説席で一人の少女を見て、確信に変わった。

 

「……アイリス!?」

 

「ごめんなさい。今日はアイリス様、で通していただけますか?」

 

「あ、うん、ごめんね。それで今日は、アイリス様は何故ここに……?」

 

「父が『きっと楽しいぞ』、と」

 

「ああ、なるほど……」

 

「ともかくお久しぶりです。最近は会えてませんでしたからね」

 

 王様に送り出された王女様。

 試合を棄権した筋肉少年。

 戦いでタッグを組めば最強なダブルゴリラだが、本日彼らがタッグを組むのは、戦う者達の実況と解説のためであった。

 

「実況解説お願いします。アイリス様、むきむきさん」

 

「アイリス様、どっちをやりたいですか?」

 

「実況、実況がやりたいです! 何をすればいいんですか?」

 

「ええと、それなら状況に合わせて解説の僕に話を振るとか―――」

 

 ウキウキしているアイリスと、彼女に丁寧に色々と教えていくむきむき。

 アイリスがどことなく楽しそうなのは、言うまでもない。

 

「あ、試合がどんどん進んじゃってますね……

 ええと、サトウカズマさん決勝進出決定。

 続いてイグニス選手VSアルダープ選手の試合を開始します!

 あ、申し遅れました。

 ここからの実況は、ベルゼルグ第一王女アイリスが務めさせて頂きます!」

 

 アイリスが名乗った途端、アイドルのライブに集ったオタクのような歓声が観客席から一斉に上がった。

 流石はアイリス。一般人からの人気も高いようだ。

 上がった歓声の中で盛大に自己主張するクレアの叫びがあったことは、この際聞かなかったことにしておこう。

 

「それにしてもイグニス選手の筋肉も物凄いですね。

 私はアルダープ選手の筋肉は薬漬けマッスルと聞いていましたが、あちらの方は一体……」

 

「最近神器っていうものが僕の装備の中にあったことが判明しまして。

 そのパワーが偶然発動して、イグニスさんにあの肉体をくれたみたいなんです」

 

「神器! それはすごいですね、納得です!」

 

 いざという時ダクネスをさらって逃げようと観客席に潜んでいたクリスがぎょっとする。

 少女はびっくりして思わず立ち上がってしまい、座席周りの金属ポールに頭をぶつけて痛そうに転げ回っていた。

 

「どうですか? 上手く実況できてますか?」

 

「まだ試合始まってないですよ、アイリス様」

 

「あ、そ、そうでした!」

 

「でもすぐ始まります。頼りにさせてください」

 

「はい、任せてください!」

 

 拳をぐっと握って気合いを入れるアイリスをよそに、アルダープとイグニスの戦いは始まった。

 

「くくっ……まさかダスティネス卿とこうして手合わせできる日が来ようとは。

 どうかお手柔らかにお願いしますよ、ダスティネス卿。正々堂々と……」

 

「取り繕うのはやめたらどうだ、アルダープ」

 

「……何ですと?」

 

「声量に気を付けていれば観客席まで声は聞こえまい。

 そして私もお前の本性を理解している。

 隠す必要などないのだ。私はそんなお前を真っ向から叩き潰しに来たのだから」

 

「……ふ、ふふっ……ククッ……!」

 

 アルダープは貴族として表面だけは取り繕っているが、その本性は品性下劣にして邪悪。イグニスがその本性を見抜いている以上、それを隠す必要はない。

 

「そうだ、そうだとも。邪魔な老害はここで消えてもらおう!

 そして敗者として、王に認められた形で娘を持って行く私をそこで見ているがいい!」

 

「貴様などにララティーナは渡さん! あの子を守り、育て、慈しみ!

 いつか私が安心して任せられる男にララティーナを託すまでが、私の仕事だ!」

 

 アルダープの拳が揺れ、筋肉が体内に流れる魔力をオーラとして噴出させる。

 イグニスの手刀が揺れ、筋肉が体内に流れる魔力をオーラとして噴出させる。

 筋肉はオーラを圏と化し、石造りのリングの上を瞬く間に制圧してみせた。

 

「むきむきさん、あれは一体!?」

 

「あれは互いの性格が出た構えです、アイリス様」

 

「性格とは?」

 

「アルダープ選手は両足を左右に開いて右足を僅かに引いた構え。

 体の正面を前に向け、両の腕を自在に扱えるバランスのいい構えです。

 イグニス選手は左腕と左半身を前に出した構え。

 正面から見ると体の表面積が小さく見える、魔法の被弾率を下げる構えです。

 あそこで左手に剣を持たせるともっと防御的になる、実戦的な構えですね」

 

「なるほど! 勉強になります!」

 

 アイリスは実況のノリを理解し始めていた。彼女は聡明で王族教育による知識もあったが、それゆえに"実況は解説よりも頭悪そうでなければならない"という鉄則を既に理解していたのだ。

 

「む、動きますよ」

 

 ザッ、とイグニスが踏み込み、綺麗な左ジャブがアルダープの顔面に突き刺さった。

 

「くっ……!」

 

「教えてやろうアルダープ。

 女を物としてしか見ていない貴様に……父親のみが持てる力を!」

 

 イグニスは絶えず左右に動き、ジャブを打ちつつアルダープに自分の体を正面で捉えさせない。

 

「語るに落ちたなイグニス! このワシも父親であることを忘れたか!」

 

「手を出した女を次々と捨て!

 気まぐれのように子供を拾って養子とし道具のように使い!

 子にまともな愛情を注いだことのない貴様など、断じて父親ではない!」

 

 イグニスはアルダープの攻撃を左手でパリング、更にジャブを叩き込んで、隙が出来たアルダープの脇腹へと左フックを叩き込んだ。

 

「『子供が居れば父親になれる』だなどという幻想は、父親でない者しか持たない幻想だ!」

 

「ぐぅっ!」

 

 一人の父親として、イグニスにも"父親を名乗っていることが許せない"対象が居るようだ。

 

「イグニス選手の猛攻、猛攻! 解説のむきむきさん、これは一体?」

 

「彼は実に上手いですね、実況のアイリス様。

 イグニス選手はステップで軸を上手く外しています」

 

「軸ですか。ふむふむ」

 

「イグニス選手が左右に動けば、アルダープ選手は敵を正面で捉えられない。

 一方、イグニス選手はアルダープ選手を拳の正面で捉えられるままです。

 勿論アルダープ選手が一歩動けばイグニス選手を体の正面で捉えられるでしょう。

 ですが、そこは駆け引き。イグニス選手は常に左右に動き続けています。

 このため、常にイグニス選手が有利な立ち位置を確保し続けているというわけです」

 

「なるほど、ドッチボールで外野でボール回しをするのと同じですね?

 敵に正面でボールを処理させず、横などから攻めて揺さぶると……」

 

「……えー、そんな感じでいんじゃないでしょうか? また今度遊ぶ時にやりますか?」

 

「はい!」

 

 イグニスは綺麗な試合を得意とするが、アルダープは汚く泥臭い試合を得意とする。

 それを証明するように、アルダープはジャブを無視して一気に接近。

 むきむきと同格の肉体を最大限に活用し、イグニスに密着してその首をがっちり固定する。

 そして、そのままイグニスの腹に膝蹴りを放った。

 

「ぐうっ!」

 

「老いぼれが……ワシの野望の邪魔をするな!」

 

 むきむきから筋肉パワーを貰っていなければイグニスでも即死だった、と言える膝蹴りが何発も叩き込まれていき、その衝撃音が観客席にまで響いていく。

 

「む、クリンチ、そして首相撲! これは危険ですよ、実況のアイリス様!」

 

「解説のむきむきさん! それはどういうことですか!」

 

「クリンチは相手に密着して相手の動きを制する技術です!

 密着状態では通常のパンチやキックはその威力を失います!

 首相撲はそれを更に攻撃的に発展させた技術!

 相手の首を腕で固定し、そこから肘打ちや膝蹴りで相手の体力を奪うのです!」

 

「なんと泥臭い……! 正直、見てて楽しくない試合になってきました!」

 

「アルダープ選手はどうやら格闘が下手くそなようです。

 若い頃に積み重ねたご様子のイグニス選手には技で敵わないようですね」

 

「ですが泥臭さがあります。勝負は分からなくなってきましたよ、解説のむきむきさん」

 

「解説として中立的な立場でなければ、片方を大声で応援したいんですよ、アイリス様」

 

 アルダープは密着してイグニスの首を極め、その腹を膝蹴りし続ける。

 

「調子に……乗るな!」

 

 だが、やられっぱなしではダスティネス家の名が廃る。

 イグニスは至近距離から手打ちでアルダープの顎に右アッパーを決め、更に同時に右肘を右膝で蹴り上げた。

 力を乗せる距離は無かったが、事実上膝蹴りが顎に決まるダメージがアルダープへと通る。

 

「ふぐあっ!?」

 

「負けられない理由が、欲望になど負けるものか!」

 

「そういったお綺麗なことを言っていた者の多くを、ワシは這いつくばらせてきたのだッ!」

 

 一般人の視界から、両選手の肩から先が消え失せる。

 あまりにも速い拳打のラッシュが、一般人の目では終えないスピードへと至ったのだ。

 やがて、両方の拳が互いのガードをすり抜ける。

 イグニスの拳がアルダープのみぞおちを、アルダープの拳がイグニスの顔面を打ち抜き、イグニスの方がのけぞった。

 

(勝機!)

 

 アルダープは怯んだイグニスを掴み、空高くへと放り投げ、それを追うように跳び上がる。

 そして、アルダープは空中でイグニスを極めた。

 

「ああっとこれは! 解説のむきむきさん!」

 

「これはキャメルクラッチですアイリス様!

 それも、上空に投げ上げた後にキャメルクラッチを極めながら地面に落ちるという殺人技!」

 

「万事休すかイグニス選手、首を極められていて逃げることができません!」

 

「イグニスさーんっ!」

 

 それは、相手の背中に馬乗りになった状態で相手の首を極め、空高くより落ちるという、アレクセイ家に伝わる必殺の殺人芸術。

 

「アルダープバスター!」

 

 むきむきと同格の体格を得た今ようやく完成したそれが、イグニスの体を破壊していた。

 

「がっ、はぁっ……!」

 

 二人分の体重が衝撃となり、落下はエネルギーを破壊力へと転換させる。

 イグニスは口から血を吐き、力なく石造りのリングに沈んだ。

 

「か、解説のむきむきさん……」

 

「……『アルダープバスター』……恐ろしい技です。

 キャメルクラッチを極めたまま落下。

 敵の腹を地に叩きつけ、その衝撃で同時に首を折る……紛うこと無く殺人技です」

 

「では、イグニス選手は……?」

 

「立ち上がれるか……いや、命があるのかさえ……」

 

 なんと恐るべき技か。

 魔王軍に魂を売ることで得たむきむきの肉体は、ベルゼルグ貴族に伝承されていたネタ技を、現実に使えるレベルにまで昇華してしまっていた。

 このままではカズマも勝てない。

 ダクネスは、アルダープのものとなってしまう。

 

「くくくっ、これで後はあのサトウカズマとかいう小僧を縊り殺せば、ララティーナは……!」

 

 アルダープが高笑いしていた、その時。

 会場の皆がアルダープの背後を見て、息を飲む。

 他人に虫けら程度の興味しか持っていないアルダープは、それに気付かない。

 

「ララティーナは、ワシの物だ!」

 

「ララティーナは物ではない。ララティーナの伴侶は、ララティーナが決める」

 

「―――っ!?」

 

 ゆえに、愛の力で立ち上がったイグニスに気付けなかった。

 ゆえに、イグニスに背後を取られた。

 ゆえに、イグニスに掴まれ、遥か空高くに投げ上げられてしまった。

 

「隙あり、だ」

 

 イグニスもそれを追い跳び上がる。今度は逆に、イグニスが仕掛ける形となった。

 

「これは……先程とは逆の形! むきむきさん!」

 

「はい、来ますよ実況のアイリス様! ダスティネス家秘伝の必殺技(フェイバリット)が!」

 

 イグニスは空中でアルダープに電気あんまを決める。

 アルダープの両足はイグニスにしっかり掴まれ、イグニスの右足はこれまでずっと悪さばかりしていたアルダープの股間を押さえ込み、二人はそのまま二人分の体重で落下。

 イグニスの殺人技は、アルダープの頭を下にして、石造りのリングへ落下し完成する。

 

「イグニスドライバッー!」

 

 二人分の体重が、アルダープの頭部を石造りのリングに叩きつけ、クレーターを作る。

 イグニスの足が、アルダープの股間を潰す。

 完膚無きまでに王家の敵を破壊するために編み上げられた、王家の盾たるダスティネス家に相応しい必殺技(フェイバリット)であった。

 

「が、は、ぁっ……!」

 

 完全無欠の決着だった。

 

「決まったっー! イグニスドライバー!

 流石は王家の盾ダスティネス! 最後は勝つって信じてましたとも! きゃー!」

 

「アイリス様! 気持ちは分かるけど落ち着いて!」

 

 アルダープは石のマットに沈み、立ち上がってこない。

 

「人は裏切る。

 筋肉は裏切らない。

 至言だな。だが、それは筋肉が人にとって都合の良い存在だからではない」

 

 アルダープは立ち上がらない。

 

「過去に汗を流して積み重ねた時間は。

 今までの人生で繰り返してきた修練は。

 その人間を決して裏切らないということなのだ」

 

 アルダープは立ち上がれない。

 

「お前は奪い貶めるだけだ、アルダープ。

 他人が生み出したものを消費するだけの毎日は、さぞ楽しかっただろう。

 他人を陥れることで自分を相対的に高く置く毎日は、さぞ楽しかっただろう。

 だが、それも終わりだ。自分の内に何も積み上げてこなかったお前が、勝つことはない」

 

 限界を超えて立ち上がれるような覚悟も、信念も、想いも、アルダープにはない。

 それゆえアルダープが立ち上がることはない。

 

「……自分の中に何も積み上げて来なかった者は。

 子供にやれる何かを、自分の中に何も持てなかった者なのだよ、アルダープ……」

 

 イグニスは娘を想い、倒れるその男を見下し、その男が父親として子に与えるべきものを何も与えなかったアルダープの息子を想い、静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて」

 

 そして、しばしの時間が流れ。

 

 決勝の相手は、カズマの前に現れた。

 

「ダクネスのお父さ……筋肉が無くなってるー!?」

 

「お、おお、すまんな……元の重病人に逆戻りだ……」

 

 むきむきに背負われて、だが。

 

「これでは試合もままならん……だが、すべきことはした。

 カズマ君。どうか優勝者となり、ララティーナを貰ってやってくれ」

 

「いや要らないんですけど」

 

「むきむき君。これは素直じゃないということでいいのかね」

「カズマくんはダクネスさん嫌いじゃないと思うんですが、結婚までは嫌とかそういうのでは」

 

「やめろ! あのドMと俺の外堀を埋めようとするんじゃない!」

 

 結局のところ、この大会はアルダープを倒して自己犠牲に走るダクネスを説得するためのもの。

 アルダープを倒すだけでも、ダクネスを説得するだけでも駄目なのだ。

 ならば、残り半分、することがある。

 

「行って、カズマくん。優勝者として、胸を張って堂々と」

 

「マジかよ。俺一人で行かせるのか?」

 

「カズマくん一人で行くのが一番いいんだよ。だって」

 

 正統派主人公なら、これはきっとヒロインと結ばれるためのシチュエーション。

 けれど、むきむきにとっても、カズマにとってもこれは違う。

 これは何かを変えるためではなく、変わってしまった何かを元に戻すための逆回しの戦いだ。

 

「カズマくん、助けてダクネスさんを惚れさせようとか考えてない。

 この一件で自分が何か得しようとか考えてたわけでもない。

 欲しかったのは、取り戻したかったのは、『これまで通り』だったんだもんね」

 

「……おっまえなあ」

 

 ほにゃっと笑うむきむきが、呆れた顔のカズマの背中を押す。

 

「その通りだよ、バーカ」

 

 問題児やバカの手綱を握るのも、変に真面目に思い詰めてしまった問題児やバカの悩みを吹き飛ばすのも、カズマの得意分野であった。

 

 

 

 

 

 ダクネスは景品として、この会場の一角で、一連の流れをずっと見ていた。

 アクセルの冒険者達。アルダープ。父。王女様。むきむき。仲間達。カズマ。

 特定の人が視界に入る度、ダクネスの心に動揺が走っていたが、ダクネスはその感情の全てを噛み殺していた。

 

 PTを抜けて自分を犠牲にしようとしたことに、理由はいくつもあった。

 家が潰されそうになっていたこと。

 アルダープに家の借金の肩代わりをされたこと。

 その借金と引き換えに、アルダープのものにされそうになったこと。

 ……アクセルの街を含む領地の領主であるアルダープに、『しようと思えばあの冒険者達に罪を作ることなどいくらでもできる』と脅されたこと。

 

 アルダープが愚かさと虚栄心からかつて陥れてきた者達、無実の罪で投獄された者達の名前を挙げていくだけで、ダクネスから選択肢などというものは失われていた。

 矛盾しているじゃないか、と言いたければ言えばいい。

 ダクネスは仲間のために仲間を捨てた。

 それが最悪と知りつつ、アルダープにその身を差し出した。

 ()()()()()()()()()()()()()()ダクネスに、他の選択肢などありはしない。

 

 それも、もうここで終わりだ。

 今この大会の会場は、悪魔の力を弾く二人の女神様に見守られている。

 

「カズマ、来てくれたのは嬉しい。だが、ここまででいいんだ」

 

 階段を登っていくカズマ。階段の終わりの向こうの椅子でそれを待つダクネス。

 

「私は自分の意志でこの道を選んだ。アルダープが何かしていたことは分かっている、それでも」

 

 カズマは階段を登る。足は止まらない。

 

「奴はまだ法の中に居て、大きな権力も持っている。

 奴の機嫌を損ねればお前達の身に危険が及ぶだろう。

 裏で手を回す奴の手口がなんなのか、その証拠を掴めなければ何にもならない」

 

 カズマは階段を登る。足は止まらない。

 

「私は平気さ。普段から言っているだろう?

 ああいった手合いにこの身を好きにされるだなんて、むしろ興奮する!」

 

 カズマは階段を登る。足は止まらない。

 

「だから帰れカズマ。お前なら、皆を連れて帰って説得くらいできるだろう?」

 

 カズマは階段を登る。足は止まらない。

 

「……カズマ? 返答の一つくらい……」

 

「あ、悪い。話聞いてなかった」

 

「カズマぁ! お前という奴は! お前という奴は!」

 

 カズマはダクネスの前に来るなり、お嬢様のように着飾ったダクネスに対し、彼らしい一言を叩きつけていた。

 

「カズマがカズマらしくもなく奮闘しここまで来てくれたことは嬉しい。だが……」

 

「あ、悪い。俺今回予選以外戦ってねえんだわ」

 

「そうだな! お前はそういう奴だった」

 

 ある意味、これも幸運か。

 カズマの幸運にとっての幸運か、ダクネスにとっての幸運かは定かではない。

 何せ敬虔なエリス教徒であるダクネスは、幸運の女神様にも見守られているのだから。

 

「奴がうちの借金を肩代わりしてくれたのも、借りがあるのも事実で……」

 

「お前、俺らの屋敷の件忘れたのか。

 賞金首ちょくちょく狩ってるくせに日頃質素なむきむきがうちには居るんだぞ?

 金で困ってます、とか言ったらその時点であいつが何十億ポンと出すと思ってんだ」

 

「知ってる! 知ってるとも! だから黙ってたんだその辺の事情は!」

 

 金とは価値の大体であり、物々交換の橋渡し。分かりやすい価値の凝縮だ。

 だが、それが全てではない。金が絶対的に最も価値のある物というわけでもない。

 めぐみんの爆裂、むきむきの友人、カズマの平穏、アクアの信徒のように、人はそれぞれ金よりも大事なものを持っているものだ。

 

「そう考えたら、まあなんとなく分かったんだ」

 

「……何がだ」

 

「むきむきにとって、お前は何十億エリスって金より価値があるもんなんだって」

 

「―――」

 

「めぐみん達にとっても、クリスにとってもそうなんだと思うぞ」

 

 ダクネスが金でアルダープに持って行かれると聞けば、カズマが主導し皆は莫大な金をかき集めることだろう。

 その金で、問題を解決してしまうことだろう。

 金などこの際問題にはならないのだ。

 

 問題は、ダクネスが自分の中の『申し訳ない』という気持ちを殴り飛ばして、カズマが差し出した手を取れるかどうか、そこにしかない。

 

「お前が一人で勝手に自分を犠牲にしようとしたせいで……

 お前はそういう奴らがお前に見てた、"金で買えない価値"を蹴っ飛ばして行ったんだぞ?」

 

「……それ、は」

 

「言っておくが、今のお前はアクアよりアホで、めぐみんより問題児で、むきむきより単純だ」

 

「ぐぅっ」

 

 痛烈な口撃がダクネスの胸に突き刺さる。

 ダクネスは俯いて、そして上目遣いにカズマの様子を探るようにして、直球に――ある意味遠回しに――カズマに問いかける。

 

「お前は」

 

「ん?」

 

「お前はどうなんだ、カズマ。お前は私に、それだけの価値を見ているのか?」

 

 なんとなく、なんとなくだけれども。

 ダスティネス・フォード・ララティーナは。

 カズマが自分を本当に大切に思ってくれていると、そう知れたなら。

 自分の中で何かが変わる、そんな気がしていた。

 

「なんだお前、俺のこと好きだったのか? 素直じゃないヒロインとか近年流行らないぞ」

 

「お前だけには素直じゃないとか言われたくはない!」

 

 何故こうも王道を外してくるのか。ダクネスは怒鳴って、ほんのり赤くなった顔を逸らす。

 

「まったく、お前という奴は……」

 

 "お前は私に、それだけの価値を見ているのか?"というダクネスの問いに、カズマは否定を返さなかった。

 肯定も返さなかったが、それで十分だ。

 ダクネスがカズマの内心を知るには、それだけで十分だった。

 カズマの照れ隠しが分からないような、浅い付き合いはしてこなかったから。

 

 素直じゃないカズマの気持ちは、遠回しに伝わったのだ。

 

「お前、PTの盾を名乗ってただろ? 皆を守るのが騎士だとかかっこいいこと言ってただろ?」

 

 カズマが突きつけるのは、PTを守ると誓ったダクネスという騎士の誓い。

 仲間として、友人として、理解者として、気になる異性として、カズマはダクネスに必要な時、必要な行動と必要な言葉をくれる。

 

「じゃあ最後まで守れよ。自分の言葉にくらい責任持て、マゾクルセイダー」

 

 悪魔に辻褄を合わせられた思考は、彼の行動によって正される。

 

「お前はどうしようもない変態だが、一度した誓いを破るような奴じゃなかっただろ」

 

 家のため、仲間のため、自分を犠牲にすることを決めた貴族ララティーナが消え失せた。

 そうして、彼女は彼女らしさを取り戻し、聖騎士(クルセイダー)ダクネスが戻って来る。

 

「……騎士の誓いなら、仕方ないな」

 

 悪の貴族の陰謀も、魔王軍の企みも、悪魔の世界を捻じ曲げる力も。

 結局は"こいつを持っていくんじゃねえ"という心の叫びには敵わなかった。

 

「ありがとう、カズマ」

 

「皆にちゃんと言っとけよ、それ」

 

 ダクネスは、初めて知った。

 サトウカズマが、こんなにも独占欲が強い男だったのだということを。

 自分がカズマに独占欲を抱かれる対象であったということを。

 差し出されたカズマの手を、ダクネスの手がそっと取る。

 二人の間に、生暖かい沈黙が広がる。

 これがいい雰囲気というやつなのだろうか、と思ってしまうと、ダクネスは途端に恥ずかしくなってきてしまい、顔に差す赤みが増して――

 

「くさっ」

 

「……えっ?」

 

「ダクネスお前、なんか臭くね?」

 

 ――台無しになって、いつも通りな空気がやって来た。

 

「く、臭くない! これは香水の香りだ!」

 

「いやこれくせーよ。これはいけない。食欲が失せる」

 

「儀礼用の特別な香水の一つだ! 人を選ぶが、歴史あるものの一つなんだ!」

 

「中学の時に嗅いだ剣道着よりちょっとマシか? レベルだぞこれ。

 何日もかかるクエストの時にお前の鎧からする臭いよりやべーよ。

 お前その辺気を遣ってクエストの合間に鎧に香水付けてるけどさ。

 めっちゃ汗かいた後にそういう偽装工作忘れた時にはちょっと臭……」

 

「偽装工作とか言うな! 乙女の嗜みと言えっ!」

 

 香水、特に"趣味以外の目的で使われている物"の香りは特にドギツいことがある。

 この世界の出身でない者であれば、慣れてない分更に酷く感じるだろう。

 

「お前は話を綺麗に締められないのか! この、この!」

 

「やめろ、掴みかかってくるな! 臭いが飛んで来るだろ!」

 

「乙女に臭いとか言うんじゃない! 万死に値するぞ!」

 

 けれども、いい雰囲気になったのが気恥ずかしくて、ついこんな誤魔化し方をしてしまうような男は、ちょっと怒られたっていいのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、空気を読まない者も居る。

 部下の回復魔法で復活したアルダープが、まさにそれだった。

 

「行け! ワシのララティーナを取り戻せ!」

 

「で、ですがアルダープ様……

 こんな公衆の面前で、小さいとはいえ王が主催した大会で……」

 

「辻褄は後で合わせればいい! 行け! その程度、いくらでもどうにかなる!」

 

 アルダープが命じると、部下達がフンッと気合を入れて、全員の服がはじけ飛ぶ。

 どうやら全員が魔王軍由来のあの薬を飲んでいたらしい。

 むきむきと同格の筋肉を手に入れた者達十数人が、一斉にカズマとダクネスめがけて駆けた。

 

「ぐあああああああっ!!」

 

 その先頭を走っていた三人が、吹っ飛ぶ。

 一人は上に、一人は横に、一人はアルダープの背後の壁に衝突するほどに、派手に。

 黒髪赤眼の少年が、カズマとダクネスに襲いかかろうとした者達の前に立ち塞がっていた。

 

「カズマくんは飛び抜けて頭がいいわけじゃないんだけどさ」

 

「……!?」

 

「でも、他人の計画や筋書きを壊す方法を考えることに関しては、誰よりも信頼できるんだ」

 

 赤い眼。

 太陽の下でもハッキリと分かるくらい、強く紅く輝く眼。

 大きな体と隆起した筋肉よりも、攻撃の余波で破壊した周囲よりも、吹き飛ばされた部下達よりも、その眼の方がずっとずっと印象に残る。

 一目見れば、一生忘れられないような目だった。

 

「我が名はむきむき、紅魔族随一の筋肉を持つ者……

 サトウカズマとダスティネス・フォード・ララティーナを守る友!」

 

 少年は思う。

 ダクネスさんの仲間でいれてよかった、と。カズマくんの仲間でいれてよかった、と。

 先の二人の会話を聞いていたむきむきは、心の底からそう思えていた。

 少年が手刀を振れば、放たれた空気の刃が地面に一直線に線を引く。

 

「この線を越えようとする者は、紅魔の名にかけて僕が許さない」

 

 アルダープの部下達が息を呑み、気圧され、一歩退いた。

 

「何をやっている貴様ら!

 ララティーナを取り戻せないなら、貴様らの一族郎党皆殺しにされると思え!」

 

 だが、アルダープが恐怖を煽る。

 むきむきに対する恐怖をアルダープが与えた恐怖が上回れば、突撃以外の選択肢はない。

 部下達はむきむきと同格の筋力を用いて、十人以上で一斉にむきむきへと飛びかかった。

 

「警告はした」

 

 だが、届かない。

 普段のむきむきからは程遠い、言い切りの形での強い言葉。

 その言葉よりも遥かに()()拳の連打が、襲いかかる暴漢達を殴り飛ばしていく。

 圧倒的だった。

 肉体の性能が本当に互角なのか疑わしくなるほどに、圧倒的だった。

 絶対的だった。

 一発の拳さえ貰わない強さが、あまりにも絶対的だった。

 それでいて、美しかった。

 自己流に日々鍛えられ磨かれた格闘術は、観客にもアルダープにも、美しさを感じさせていた。

 

「な、なんだこいつの強さは……!?」

 

 アルダープはダクネスに、ただ欲を抱いた。

 むきむきはダクネスに、ただ尊敬を抱いた。

 クルセイダーとしてのララティーナの素晴らしさを、アルダープは何一つとして知らない。

 

―――……お前は知るまい。私とその男は、このPTの二枚盾なのだ

 

「お前達は知らないだろうけど、僕と彼女は仲間を守る二枚の盾なんだ」

 

―――仲間を守るため、前に出る。それが私達の役割。

―――ならばむきむきがその役目を果たせない間は、その分まで皆を守るのが私の役目だ!

 

「仲間を守るため、前に出る。それが僕らの役割。

 ならダクネスさんがその役目を果たせない間は、その分まで皆を守るのが僕の役目だ!」

 

 かつてのダクネスの言葉をなぞって、少年はここに自分が立ち続ける意味を叫ぶ。

 今日のダクネスは鎧も付けていない。大剣も持っていない。身に付けているのはドレスだけ。

 だが、それのどこが悪いのか。

 聖騎士(クルセイダー)としてなら失格だが、ヒロインとしてなら正装ではないか。

 

「いつも皆を守ってくれてるダクネスさんを、今日は僕とカズマくんが守る!」

 

 突き上げた拳を、会場の皆が見ていた。

 

「ほらほら爆裂魔法使いのエントリーですよ!」

「こ、こっちは上級魔法使いよ!」

 

 観客席からめぐみんとゆんゆんが飛び込んで来る。

 

「ここで颯爽と私が飛び込んであでーっ!?

 転んじゃった、すりむいちゃった、誰か回復魔法ちょうだいー!」

 

「ちょっ、自分で回復魔法かけられますよね!?」

 

 後を追って飛び込んで来たアクアが転んで、クリスがそれを助け起こす。

 

「それ以上の狼藉は誇り高きベルゼルグ王族の一人として、私が許しません!」

 

「加勢しますよ!」

 

 事情とかほぼ知らないアイリスが聖剣片手に飛び込んで来て、棄権した後乱闘の可能性を考えて魔剣を取りに行っていたミツルギまで加わる。

 

「観客席の皆! あの豚野郎を気に入らないって思ったら!」

「行動に移してー!」

 

 ミツルギ取り巻きのクレメアとフィオが観客席に呼びかけると、もう止まらない。

 観客席から罵声が飛んで、空き缶が投げられ、小さい魔法まで飛んで来て、分かりやすい悪者なアルダープへと集中していく。

 

「行け行け!」

「大丈夫だこの流れながらうっかり殺っちまっても下手人分かんねえから!」

「重税で私腹を肥やしてたアルダープの顔面にペンキぶっかけてやれ!」

 

 その場のノリでダストを始めとする冒険者が加勢に動くと、王女と平民が悪徳貴族を討伐するために決起した大戦争のような光景が出来上がってしまった。

 

「て、撤退っー!」

 

 派手な終わり。

 派手な勝利。

 派手な結末。

 

「しゃー! ララティーナ守りきったぞー!」

 

 カズマが叫ぶと、高揚した皆がその場のノリで深く考えず後に続いた。

 

「ララティーナ! ララティーナ!」

「ラッラティーナ! ラッラティーナ!」

「ララティーナお嬢様ー! クッソ可愛い名前っすねー!」

 

「やめろっ……! ララティーナ連呼は辞めてくれぇ……!」

 

 ララティーナ連呼は、30分くらい続いたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流石は悪徳貴族、といったところか。

 アルダープは逃げ道の確保だけはいつでもしっかりとやっていたようだ。

 あの状況から、部下達を全員見捨てて逃げ切ることに成功していた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 アルダープの体からは、既にあの筋肉は失われている。

 どうやらあの薬品は未完成で、筋肉を与えられる時間に制限があるものだったようだ。

 察するに、アルダープはデータ取りのための実験台として利用された様子。

 

「くそっ、奴らめ、こんな欠陥品を渡しおって……」

 

「欠陥品とは人聞きが悪い。私の部下の努力の結晶なのだがね」

 

「!」

 

 そうして自分の屋敷の前まで逃げてきたアルダープの前に、突如レッドが現れた。

 

「貴様、どういうことだ! 貴様らが無能だったせいで、ワシはッ―――」

 

 アルダープには、レッドにぶつけたい罵倒が山ほどあった。

 自分の無能さを棚に上げ、指摘しようとしていた魔王軍の無能さが山ほどあった。

 聞いてやってもよかっただろう。

 だが、レッドに聞く気は全く無かった。

 

「ああ、悪いな。お前の口上を聞く気はないんだ」

 

 レッドがアルダープに触れる。

 同時、アルダープの肉体が肉塊へと変質していく。

 

「ひっ、ひぇ、あが、あぎゃ―――!?」

 

 "欲で悪に落ちた者は、自らの欲によって滅ぶ"とレッドは言った。

 アルダープはその言葉の裏の意味を察せなかった。

 あれはつまり、「私はお前の欲深な姿が気に入らないので」「他の誰がお前を許しても私はどこかでお前を悲惨に殺す」という意味だ。

 あれは、利害抜きでの殺人予告だったのだ。

 

 アルダープの肉体がガリガリと書き換えられ、その精神が変質させられていく。

 心は残らない。記憶も残らない。肉体の原型も残りはしない。

 

「因果応報だ。そうだろう、アルダープ?

 お前にとって他人などただの物。他人の人権など考えたこともあるまい」

 

 レッドはアルダープをただの物として扱い、改造を進める。

 

「アルダープ。お前は自分で努力しない男だったな。

 常に他人を利用し、他人を食い物にし、他人の力を使う。だからこそ正念場では負ける」

 

 もはやアルダープという個人は、この時点で既に死んでいた。

 

「そんなお前が身一つで挑み、必死に食らいつき、そして完膚なきまでに敗北した。

 悪魔の力を借り、他人を動かし、自らの手は汚さず全てを手に入れようとしてきたお前がだ。

 お前は逃げる最中に、さぞかし情けない気分で悪感情を吐き出していったことだろう」

 

 アルダープの改造を終えたレッドが振り向く。

 

「違うか、バニル?」

 

「いかにも」

 

 そこには大悪魔バニル、そしてアルダープに手を貸していた悪魔であり、アルダープの事実上の死で契約を破棄された大悪魔であるマクスウェルが居た。

 マクスウェルは、アルダープを興味無さそうに見つめる。

 

「アルダープ、面白くなくなっちゃった。

 これじゃ僕の好きなアルダープじゃないよ、ヒュー、ヒューッ、要らない」

 

「我輩の同胞、マクスウェルだ。貴様は初対面であったな」

 

「それがアルダープに力を貸していた悪魔だった、と」

 

「その通り。貴様が様々な計画を利用し、解放しようとしていた悪魔である。

 人間の命令を聞く地獄の公爵たる大悪魔は、貴様にとって不確定要素だったのだろう?」

 

「……お見通しか。ああ、そうだとも。

 だからアルダープを利用しようとする魔王軍内の計画に相乗りさせて貰ったんだ」

 

 バニルは仲間を救い、人類の数を減らすアルダープを消せた。

 レッドは人類が大悪魔を御しているという不確定要素を消せた。

 二人は共に得をしている。

 

「マクスウェルの干渉が消えた時点で、アルダープの罪は全て明るみに出た。

 これでアルダープが原因の借金はほとんどが消えるであろう。

 アレクセイ家の財産で、ダスティネス家の立て直しも始まるに違いない。

 アルダープは明確な人類の敵に成った。

 そして、アルダープの定義は『人間という種族のモンスター』になったというわけだ」

 

 バニルがマクスウェルを解放し、アルダープからマクスウェルの加護が消え、レッドの能力がアルダープを物言わぬ怪物の奴隷に変え、アルダープの事実上の死がマクスウェルの契約を完全に消滅させる。

 一見連携を取っているかのように見えるが、実際は全く取っていないというのだから不思議なものだ。

 

「運が良かったな、アルダープ。

 そんなに恵まれた終わりを迎えられるなど、貴様には分不相応な幸運だ」

 

 心を失い、ただ命令を聞くだけの肉塊と化したアルダープを見て、バニルは恵まれた終わりであると言う。

 悪魔に魂を売った者の結末はもっと悲惨であるべきだと暗に言う。

 バニルから見れば、アルダープはマクスウェルの魔の手からレッドに救われたようにさえ見えた。

 

「それともお前が救ってやったのか? 凄惨な結末から」

 

「まさか」

 

「どちらでもいいのだ、我輩にとってはな。そんな男の結末に興味はない」

 

 レッドはアルダープが迎えるはずだった悲惨な結末を予期していた。

 そして、もう少しだけマシな終わり方をさせてやろうと考えていた。

 だが同時に、機会があれば自分がアルダープという外道を殺してしまおうとも考えていた。

 介錯をしてやろうという表面的な情と、気に入らないから殺そうという性根の両立。

 ゆえに彼は、根が悪い奴、なのである。

 

 悲惨な死に方をするようなら楽に死なせてやろう、誰もあいつを殺さないようなら自分が殺してしまおう、マクスウェルより悲惨な殺し方じゃなければどんな悲惨な殺し方をしてもいい、という考え方。

 

「今アルダープは、私の改造でようやく『悪』ではなくなったんだ。

 人間には絶対に改心しない者、悪のまま変われない者も居る。

 だがそんな者もこうしてやれば悪ではなくなる。これもまた、救いと言えるんじゃないか」

 

 改造による心と精神性の剥奪を、"悪じゃないものにしてあげた"と表現するセンス。

 善悪へのこだわりが薄いカズマとは、本当に対極だ。

 

「その独善もどき、まさしく悪である。

 根が悪でその上にそれっぽい善性を貼り付けたそのスタンス。

 貴様に我輩が守ってやる価値はあまりなさそうであるな」

 

「結構。敵と言われなくて、それだけで私はホッとしているよ」

 

「何、マクスウェルの解放に一役買ってくれた礼だ! フハハハハハ!」

 

 バニルはマクスウェルを魔界に帰し、レッドの未来さえも見通して高らかに笑う。

 

「我輩は見通す悪魔。我輩が何もせずとも全て解決するということも、お見通しである」

 

 バニルは自分が何をしなくても目的が果たせるということさえ、全て見通していて。

 

 今日の一件で幸せな日常を勝ち取った者達がお得意様になることも、お見通しであった。

 

 

 




 人類追い詰めすぎてアルダープが「魔王軍にとって不都合なことを起こせ」ってマクスウェルに命じる可能性って、魔王軍視点だと普通にありえることですからね


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3-6-1 エルロード・スタート

さて、三章終盤です。章ボスはまあ分かりやすいですよね


 「俺この歳で身を固める気無いわー」とカズマが涙目のダクネスから逃走しつつ婚約解消してから、またちょっとばかりの時間が経った。

 アルダープが魔王軍と組んでダスティネスを嵌めたという事実が公表され、アレクセイ家の蓄財は没収、ダスティネス家の建て直しに使われることとなった。

 そこから連鎖的に悪徳貴族やアルダープと繋がって甘い汁を吸っていた高利貸しなどが判明し、魔王軍との繋がりを断絶するついでに次々潰される。

 

 そうなるとギルドもてんやわんやで、機密調査に出る冒険者が用心棒にむきむきを誘ったり、カズマがパンツに証拠書類を隠した美人貴族にスティールを決めたり、めぐみんが爆裂魔法をぶっ放して貴族屋敷の焼け跡から証拠品を見つけたりと、そりゃもう色々なことがあった。

 そんなこんなで今日に至る。

 屋敷の居間にむきむきとアクアしか居ない、日差しの温かい昼のことだった。

 

「大きくなーれ、大きくなーれ……」

 

 アクアはドラゴンの卵(と思い込んでいる鶏の卵)を暖めている。

 膝の上に黒い布を敷いて、日の当たる場所で愛おしげに卵を暖めるアクアの姿は、誰がどう見ても『聖母』という感想しか抱けまい。

 それで鶏の卵を暖めているというのだから、アホっぽさが尚更に際立つ。

 むきむきの口元は、そんなアクアを見るだけで緩んでいく。

 どんな事情があるにせよ、自分が贈ったものが喜んでもらえているということは、嬉しいものなのだ。

 

「アクア様、女神様なんですよね?」

 

「そうよ? 何かあったらどーんと頼りなさい!」

 

「では早速。神器って、どうしたらいいでしょうか?」

 

「神器? うーん、封印してエリスに渡して次の勇者に渡るようにしておくべきだと思うけど」

 

 神器は神の道具。

 平和な異世界から物騒なこの世界に来てくれた人間に、己の身を守るため、世界を救う力を授けるため、女神が与えるもの。

 女神が回収しなければ天界の神器の総量は減り、下界の神器の総量は増える一方だ。

 神器はどこかで天界に返さなければならない。

 

「エーリースー! ちょっとあんた、後でいいからむきむきのとこ来なさーい!

 神器グレイプニル取りに来なさーい! あ、その時はむきむきに一声かけるのよー!」

 

「わっ」

 

「これでよし。多分、今夜くらいには来るんじゃない?」

 

「凄いですね、神様が住んでる世界にまで声を届かせられるんですか?」

 

「そりゃそのくらいできるわよ、女神だもの」

 

「……」

 

 離れた人に呼びかけるくらいの気軽さで叫ぶアクアを見て、この人はさらっとやってることが一番凄いことなんじゃないだろうか、とむきむきは思うのであった。

 

 

 

 

 

 その晩、むきむきは神器のベルトを外してくかーっと寝る。

 早寝早起きが彼の生活スタイルだ。アクアに「寝てる間に来るわよ」と言われたので、特に夜更かしもしない。

 夢に落ちる。

 眠りとは落ちるものだが、彼の意識は不思議に浮上する感覚を味わっていた。

 

「初めまして、むきむきさん」

 

 床も地面も無いために"下の区切り"が無く、天井も空も無いために"上の区切り"が無く、壁も地平線も無いために"横の区切り"も無い空間。

 魂を輪廻の輪に乗せる作業場には程遠い、神が人にお告げを渡す以外の機能を持たない、そんな空間であった。

 その空間の中心には大きな椅子があり、そこに座り微笑む女性が居た。

 

「幸運の女神、エリスと申します。

 このたびは神器を回収、返還していただき、ありがとうございました」

 

 人間離れした美しさの女性だった。

 アクアもそうだが、エリスと名乗ったその女性も、美しすぎる容姿に『女神のようだ』という感想しか持てない。

 アクアにはその美しさを相殺するアホっぽさや気安さ、柴犬のような挙動や俗っぽい雰囲気があったが、エリスにはそういったものが一切ない。

 優しそうな女神、という評価がこれほど似合う女性もそう居ないだろう。

 

 女神と向き合い、女神をじっと見て、むきむきは首を傾げた。

 

「……初めまして?」

 

(ギクッ)

 

「あれ、うーん、骨格に見覚えが……あれ……?」

 

「初対面ですよ初対面。女神が嘘を言うと思いますか?」

 

「あ、それもそうですね。ごめんなさい、変な疑いを持ってしまって」

 

(こちらこそごめんなさい。本当にごめんなさい。もう本当に申し訳ないです)

 

 申し訳無さそうに頭を下げるむきむきを前にして、女神は内心罪悪感で死にそうになっていた。

 これでむきむきは今後同じような疑問を持っても、エリスの言葉を思い出し、その疑問を自分で勝手に否定してくれるに違いない。

 

「あ、エリス様。幸運をありがとうございます」

 

 むきむきは今までの人生にあった幸運を一つ一つ思い返しながら、その幸運を得られたことを女神様に感謝する。

 水の恵みを受けた時は水の女神に感謝して、幸運を得られた時は幸運の女神に感謝する。

 それが神を崇め奉るということだ。

 

「僕の人生、いっぱい幸運がありました。

 だからこうして幸運の女神様に会えて、ちゃんとお礼が言えて、本当に嬉しいです」

 

 深々と頭を下げるむきむきを見て、エリスが慈愛の笑みを浮かべる。

 エリスはただそこに佇んでいるだけで美しいが、その慈愛が表に出てくると、エリスの魅力は美しさという枠さえ越えたものになる。

 

「いいえ、それは違いますよ」

 

 エリスの微笑みを見て、むきむきは人間として、一つの確信を得る。

 "ああ、人間(ぼく)達は、この人に愛されてるんだなあ"と。

 

「小さな不幸で世を呪う人も居ます。

 小さな幸運で私に感謝してくれる人も居ます。

 あなたの人生が上手く行っているのは、あなたが頑張っているからです。

 あなたが周りの人に助けられているからです。それは、幸運よりもずっと素晴らしいもの」

 

 幸運だけで人は幸せになれない。

 幸運だけで人は救えない。

 人並み外れた幸運を持つカズマでも、幸運だけで結果や勝利は掴めない。

 それは、幸運の女神でありながら世界の現状を変えられていないエリスが一番よく分かっていることだ。

 

「あなたが幸福なのは、幸運のおかげなどではありませんよ」

 

「―――」

 

 彼女は、在り方の根底からしてとことん女神であった。

 

「神器グレイプニルの返還、感謝します。これは元々あなたのもの。

 あなたには引き換えに何かを望む権利があります。あなたは私に、何を望みますか?」

 

 相手は女神だ。

 望めば叶うことも多いだろう。

 されど、むきむきも吸血鬼からの貰い物を女神に献上して何かを得ようだなどと、悪どいことは考えられない。

 

「お友達になってくださいませんか? アクア様の話とか、いっぱい聞きたいです」

 

 欲しい物はなかった。

 ただ、友達の友達と友達になりたいな、みたいな願いはあった。

 女神エリスが女神アクアの後輩であり、昔アクアがエリスの世話をしていたこともあったということは、この少年がアクアから聞いていたことでもあったから。

 

「……ええ、喜んで。ではこうして、時々夢でお話しましょうか」

 

「はい!」

 

 女神にも、人間との友人関係を楽しむ心はある。

 

「人間の方と友達になってしまうと、贔屓してしまいそうで……

 ちょっといけないことをしてる気になってしまいますね、ふふっ」

 

「でも、ちょっと楽しそうに見えますよ、エリス様」

 

「はい、なんだかちょっと楽しいです」

 

「分かります。僕もめぐみんとゆんゆんと里に秘密基地を作った時、そんなことを思ってました」

 

(あれっ、私ってもしかして子供っぽい思考してる? いやそんなまさか……)

 

 アクアが下界で「エリスは子供っぽいところもあるのよ」と吹聴していることを、エリスは知らない。知らぬが仏か。彼女は仏ではなく女神だが。

 

「こほん。では早速、女神として一つお告げを与えましょう!」

 

「はい、どうぞ! 聞かせて下さい!」

 

 女神の威厳――威厳?――を守るべく、女神らしく振る舞おうとするエリス。そのために選んだ行動はどうやら、女神として人に預言を与えるというものであったようだ。

 

「机の上から二番目の引き出し。何か忘れていませんか?」

 

 あっ、と少年は呟いて。

 朝になって、目が覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体を入れ替える神器が一騒動起こした日、むきむきはクリスと福引をしていた。

 

――――

 

「あ、福引。さっきの買い物でちょうど福引券貰ってましたね」

 

「じゃあ引いていく? さあむきむき君、いってみよう!」

 

――――

 

 むきむきの幸運値は底値だが、クリスの幸運値は凄まじいものがある。

 事実上クリスが引いた福引は、見事一等賞の旅行券を引き当てていた。

 つまりそれが、エリスが言及したものであり、むきむきがすっかりその存在を忘れていたものであり、机の上から二番目の引き出しの中に入っていたものだった。

 

 現代日本と比べれば法やシステムが緩めなこの世界において、旅行券は使用期限も人数制限もかなりゆるゆるなものだった。

 旅行券の仕様も、特定の旅館を推奨した旅費の代替負担という極めてアバウトなもの。

 つまり観光地の旅館の宣伝という目的も兼ねたものである様子。

 じゃあさっさと使っちゃおう、とむきむきは考えた。

 名目はダクネス奪還&全部綺麗に片付いたな記念。

 むきむきが提案すると、この手のイベントが大好きなお祭り女神がそりゃもう喜んだ。

 

「旅行よー!」

 

「おー!」

 

 名目が名目だったからか、アクアの次にダクネスも嬉しそうにしていた。

 カズマが馬車を手配して、めぐみんとゆんゆんが道中のお弁当を作って、むきむきが皆の荷物をまとめて、アクアが道中で暇を潰す芸の準備をし、ダクネスはお姫様扱いで鎮座させられていた。

 ピクニック気分の旅立ちである。

 行き先は、ベルゼルグで最もエルロードに近い立地にある、とある領地であった。

 

「それにしても、むきむきもタイミングがいいんだか悪いんだか分かりませんね」

 

「え、めぐみんどういうこと?」

 

「これから行く先の領地を治めているのは『アレクセイ・バーネス・バルター』。

 あのアルダープの息子ですよ。周囲からの評価は、アルダープと真逆ですけどね」

 

「え!?」

 

「アルダープの持つ領地の一角を貸借扱いで治めていた方です。

 いずれアルダープの後継者となるべく経験を積ませるため、と言われていましたが……

 蓋を開けてみれば、平民のことも考えた善政でアルダープより評価されたとか」

 

「へぇー……」

 

「一説にはアルダープのクソさに反乱が起こらなかったのは

 『今にあのクソは死んであの息子が後を継いでくれる』

 という期待と未来予想があったからなのでは、なんて言われたりもしますね」

 

「そ、そんなに!?」

 

 そう、そんなにだ。そんなにもアルダープは平民から疎まれていたし、バルターは平民から慕われていた。

 

「その人のことなら、私も聞いたことがあるわ」

 

「ゆんゆんも? ゆんゆんが聞いたことがあるって、相当有名な話なんだろうね」

 

「ちょっと! それどういう意味!?」

 

「あ」

 

「そりゃ私は話す相手少ないわよ! 噂話を聞く機会も少ないわ!

 でもそれちょっと……ちょっとキツい! むきむきにその事実を突きつけられるのキツい!」

 

「お、落ち着いてゆんゆん! 今のは僕が悪かった!」

 

「……違うわ、悪いのは全体的に私だもの……」

 

「ゆ、ゆんゆんの話が聞きたいなー。きっとゆんゆんしか持ってない情報だもんなー」

 

「……ぐすっ、こほん」

 

 ゆんゆんは一度袖で顔を拭って、咳払い一つ。いつもの自分を取り戻す。

 

「努力家で勤勉、頭脳明晰で剣の腕も立つ最年少騎士叙勲者。

 人柄も良くて、貴族にも平民にも平等に優しいために人望も厚いんだって。

 AKB(愛して欲しい カッコイイ男決定戦 ベルゼルグ)総選挙堂々の一位だとか」

 

「おお、凄い人なんだね」

 

「会う機会は無いと思うけどね」

 

「でもそういうことよく知ってるね。

 僕全然知らなかったよ、そういうこと。ゆんゆんも凄いよ」

 

「そ、そう? ふふっ、むきむきは友達が増えても私を頼ってくれていいのよ?」

 

 ちょろゆん。

 

「総選挙がどうとかってことは、かっこいい人なのかな?」

 

「イケメンって噂ですが」

 

「ぺっ」

 

 イケメンと聞き、横で話を聞いていたカズマが唐突に唾を吐いた。

 

「モテるイケメンを旅行先で見るとか嫌だわー。そのバルターって奴、会わないようにしよう」

 

「もーまたカズマくんは面倒臭い感じになっちゃってー」

 

 まあただの旅行だし会うことはないだろう、と思ったのがフラグになってしまったのだろうか。

 

「ようこそ皆さん」

 

 馬車から降りた彼らは、そこで彼らを待ち受けていた金髪碧眼の青年と出会う。

 

「アレクセイ・バーネス・バルターです。先日は、父が大変ご迷惑をおかけしました!」

 

 腰が折れるんじゃないかという勢いで、青年は彼らに頭を下げていた。

 

 

 

 

 

 聞いた話によると、バルターはずっと彼らに謝罪したかったらしい。

 アルダープがあんなことをしたのだ。バルターが評判通りの性格をした男なら、そりゃもう気にするに違いない。

 なのだが、謝りに行く時間が取れなかったそうだ。

 何故か? それもまた、アルダープが失脚したからだ。

 

 バルターが管理している領地も含め、アルダープの領地と財産は国が没収することになっている。

 彼は父の蛮行には関わっていなかったとされ、罪を問われることはなかったが、数日中にアレクセイ家の貴族という肩書きさえ失うことになるだろう。

 父親のせいで全てを失った息子、と書けば悲劇の青年にも見える。

 だが、バルターは自分をそんなかわいそうなものだとは思っていなかった。

 

 ギリギリまで時間を使って、後任の貴族が何も問題を起こさないように、残していく土地と民と家臣が何も不自由しないように、引き継ぎ書類を寝る間も惜しんで作成していたのだ。

 だから、彼は父が迷惑をかけたダクネス達に謝りに行けていなかったのである。

 それゆえ、彼らがここに来ると知って出迎えに来たのである。

 

(立派な人だなあ)

(ご立派なこって)

 

 むきむきとカズマの反応の違いが、そのままバルターの行動に付随する本質を表していると言えるだろう。

 これは立派な行動であり、同時に自己満足でもある。

 バルターの行動は賞賛されて然るべきものだが、彼の行動でダクネス達が得することは何もないのだ。

 

「特にララティーナ様には、どうお詫びすればいいのか……」

 

「ララティーナはやめろ。仲間はダクネスと呼ぶ」

 

「っと、失礼しました。何でもおっしゃられてください。

 自分にできることであれば、償いのため何でも致します」

 

「それはいいが……あなたは、我々を恨んではいないのか?

 あなたの父・アルダープは、我々の行動の結果全てを失った。

 長い月日をかけてあなたが信用を勝ち取り、育ててきたこの土地も没収となった。

 私達はあなたから見れば、全てを奪っていった憎い仇にも等しいのではないか?」

 

「恨むなど、とても。父は過去の悪行の報いが返って来ただけです。

 そして、父の罪は子も償っていかなければならないものです。

 そのことを気にしているのであれば、どうか忘れてください。

 あなた方はきっと、正しいことをしたのです。それに胸を張らずしてどうしますか」

 

「……ああ、そうかもしれないな。ならば礼を言うのも、謝るのも、やめておこう」

 

「それがよろしいかと。ダクネス様」

 

 父への愛情が見える、そしてそれ以上に彼自身の誠実さが見える物言いだった。

 この青年はあの父の醜悪さをよく知った上で愛していて、そのとばっちりを受けた今でも愛していて、世界の誰からも憎まれたアルダープのことを、今でも好きなままで居た。

 これもまた、父子の愛の理想形の一つなのだろう。

 

「……イケメンでいいやつとか、どうにもならんな」

 

「仲良くするくらい良いじゃない、カズマくん」

 

「そりゃそうだろうけどさ」

 

 カズマはバルターの顔写真がそこにあれば反射的に破ってしまいそうなくらいのイケメン嫌いだが、こうも"いいやつ"な一面を見せられると多少は好感を持ってしまう。

 なんだかんだ、人を心底嫌いになるのが苦手なのかもしれない。

 

「何度お詫びすれば父の罪を償えるか分かりません。

 ですが今日はどうか、この身を旅行の水先案内人としてお使いください」

 

 領地を治める者を水先案内人にするという、世にも奇妙で贅が過ぎる旅行が始まった。

 バルターは評判通り人柄が良く、あっという間にむきむき達と親しくなっていく。

 その上、その案内は偉い人がするものというよりは、地元を愛し地元をよく知る者の人情に溢れた案内と言うべきものだった。

 カズマはミツルギとはどうにもウマが合わないのだが、バルターのことは素直に"いいやつ"だと思い、彼に好感を持つことができたようだ。

 旅路を進む。

 

「なあバルター、お前俺達に借りがあると思ってるなら……風呂に覗き穴とか用意できる?」

 

「……分かりました。今夜までに用意させます、カズマ様」

 

「おっ、話分かるなあんた。アルダープと違って話の分かりそうなやつで助かっ――」

 

「カズマくーん! バルターさーん! やめよう! ね!?」

 

 もはやイケメンとイケメンを嫌う者は存在せず、風呂に覗き穴を作らせようとする者と罪悪感から従う者しかいない。むきむきが止める側に回っていた。

 旅路を進む。

 

「ここの茶屋は王都でも多少名が知れた店なのだぞ、カズマ」

 

「そうなのか? つか、女は甘いもの好きだよなあ……」

 

「それもまた嗜み、というやつだ」

 

「ん? むきむきとめぐみんとゆんゆんはなんで相談しながら菓子頼んでるんだ?」

 

「食べたい物僕ら三人でそれぞれ一つづつ頼んで、一口づつあげたりするんだよ、カズマくん」

 

「女子か! お前も女子か! お前の体格的にジャンボパフェとか頼むと思ってたわ!」

 

 ポテチを食べた手でゲームコントローラーに触り殴られるまでが男の嗜みである。

 旅路を進む。

 

「こ、この筋肉が父が野望のために手にし、父の野望を打ち砕いたという筋肉……」

 

「ば、バルターさん? あんまりジロジロ見られると恥ずかしいんですが」

 

「はっ、す、すみません!」

 

「むきむきまた身長伸びたんじゃないか」

「体重も増えてるんですよ、ダクネスさん」

「肩幅も広くなってるのか、最近肩に乗るのも楽なんですよね」

 

 最近になってもむきむきの肩に乗っているめぐみん。デストロイヤー戦の後辺りからむきむきの肩には乗らなくなったゆんゆん。「お前重いけどむきむきの肩に乗れんの?」とカズマに煽られるダクネス。実は乗りたがっている宴会芸の女神様。

 そんな彼女ら全員を差し置いて、カズマが景色を楽しむため彼の肩に乗り、一行はバルターの屋敷に向かっていた。

 どうやら今日のところはバルターが屋敷に泊めてくれる上、旅費も持ってくれるということになったようだ。

 

 気楽な旅行がなんだか面白いことになったな、と思いつつバルターの屋敷に向かった一行は、そこで意外な人物と出会った。

 

「……ゥギ! お前なんでここに居るんだ!」

 

「名前覚えてないからってハッキリ発音しない呼び方で誤魔化すんじゃない!」

 

 ミツルギキョウヤが、屋敷の庭で汗だくになりながらグラムの素振りをしていた。

 取り巻きの二人が居ないミツルギに、ゆんゆんがドストレートな言葉をぶつける。

 

「魔剣さんって単独行動結構多いですけど、実はお仲間と仲悪かったりしますか?」

 

「そ、そんなわけないじゃないか! 僕らは絆で繋がってるよ!」

 

 ミツルギパーティはミツルギの強さゆえに死者も出ず、ミツルギの強さゆえに成立しているが、ミツルギの強さに他二人がついて行けていないためミツルギの単独行動も増え、むきむき達のようなパーティとしては成立していないのかもしれない。

 

「で、なんでお前が居るんだよミツルギ」

 

「君に答える必要があるのか? サトウカズマ」

 

「ねえねえ、魔剣の人はなんでこんなところに居るの?」

 

「それがですねアクア様、僕はここの最年少騎士叙勲者のバルターさんの噂を聞きまして」

 

「おいてめえ」

 

 好感度の差である。

 

「師父! 師父までいらっしゃいましたか!」

 

「ども、勇者様」

 

「僕はそこのバルターさんの強さを聞きつけてここまで来たんです」

 

「バルターさんに?」

 

「一手ご指南頂きました。グラム抜きじゃ僕もこの人にはまず勝てないと思います」

 

「そんなに……?」

 

「いえ、私は子供の頃から剣をやっていますから、その分下駄を履いているだけですよ」

 

 バルター本人も知らないことだが、バルターはアルダープが『神器で交換するための肉体』『自分が次に使うための肉体』として選んだ子供だ。

 外道ではあるが強欲なアルダープは、マクスウェルの能力まで用いて、捨て子の中から容姿と能力が特に優れたものを選び出した。それがバルターである。

 そこに"拾ってもらった恩を返すために"と日々努力を重ねた結果、最年少騎士バルターの今がある。

 強くないチート持ち転生者くらいなら、バルターは倒せるのかもしれない。

 

「最年少騎士は伊達じゃないですよ。

 この世界では魂の記憶(けいけんち)の蓄積がものを言います。

 生きた時間が長ければ長いほど、生き物は多く魂の記憶を取り込むんです」

 

「だね、だからドラゴンとかが強いんだ」

 

「つまりですね、年若くて強いということは、それだけ才能があるということ。

 経験値の総量が低く、レベルが低く、スキルが少なくても強いってことなんですよ、師父」

 

「あっ」

 

「幹部は強い。僕もここらで一度、スキルや魔剣抜きの力量を付けたかったんです」

 

 ミツルギは真面目だ。真面目に戦って、真面目に自分を鍛えて、真面目に魔王軍を倒すために行動している。

 この世界に転生してからずっと、彼はこの世界を救うために努力しているのだろう。

 彼はさも当然のように、世界を救うためなら命をかけられるから。

 それが正しいことであるなら、彼は迷わないから。

 そして、女神アクアに頼まれたから。

 だから頑張れるのだ。

 

 カズマはそんなミツルギの肩をポンと叩いて、珍しくミツルギの努力を認める。

 

「魔王退治頼んだぞ。その調子で俺達が遊んでる間に魔王を倒してくれ」

 

「君も頑張ってくれサトウカズマ! 定義的には君も女神様に認められた勇者だろう!」

 

「あーもう喧嘩しないで!」

 

 間にむきむきが入って、またなんだかうやむやな感じになった。

 

 

 

 

 

 その後は決闘を仕掛けるミツルギや、奇襲気味にダイナマイトを投げるカズマ、そのダイナマイトをミツルギがグラムでホームランしようとして起爆、二人まとめて土まみれで吹っ飛ばされるなど、男のバカな一面全開なあれこれがあったりした。

 

「ええと、お風呂入りますか?」

 

 バルターが用意した風呂に、泥まみれの男二人が叩き込まれる。

 もう夕餉前ということで、バルターとなんだかんだ仲良くなったむきむきが、バルターを連れて後に続いた。男四人の風呂である。修学旅行のような様相を呈してきた。

 

「ん?」

 

 そしてカズマの視線が、バルターの股間に向く。軽量級(ライト)であった。バルターの剣はライト・オブ・セイバーであったようだ。

 

「……勝ったか」

 

 バルターが反応に困り、何故かミツルギが怒り出す。

 

「味をしめたな! サトウカズマ、そこで勝つことに味をしめたな!」

 

「哀れだなミツルギ。前は戦力で例えるならむきむきが魏、俺が呉、お前が蜀だった」

 

「蜀!?」

 

「お前の股間は蜀だったんだ。だが今、新たな一人が参戦した。

 むきむきがアメリカ、俺が魏、バルターが呉になった。だがお前は変わらず蜀だ」

 

「アメリカ!?」

 

「お前蜀とか恥ずかしくないの? チンは国家なりとか言う間もなく滅びるんだぞ?」

 

「蜀を馬鹿にするな! 僕は一番好きだ!」

 

「男なら魏だろ……

 まあ劉備の器用な陣営渡りは俺も好きだし、劉禅のニートっぷりには憧れてるぞ」

 

「それの行き着く先はクズニートじゃないか!

 もっとこう……もっとこう、憧れるところあっただろ!」

 

「いいからお前はその股間の小喬をしまえよ」

 

「自分が僕と比べれば大喬だからって! ええいもう許さんっ!」

 

「やめよう! もうやめよう!」

 

 むきむきが二人の間に割って入ったところで、バルターが笑い出した。

 

「あはははっ」

 

「ごめんなさいバルターさん、僕らのお見苦しいところを見せてしまって……」

 

「いえ、むしろお礼を言わないといけないのかもしれません」

 

「?」

「?」

「?」

 

「こんなに楽しい風呂は初めてです。

 いや、風呂が楽しいものだと思う日が来るだなんて、これまで思ってもみませんでした」

 

 各々が体を洗い始めても、バルターの笑みは絶えなかった。

 

「私は明日の朝にはこの領地を出て行かなければなりません。

 皆様をおもてなしできるのも、明日の朝まででしょう。申し訳ありません」

 

「え、そうなんですか?」

 

「……実は少しだけ、不安だったんです。

 僕は貴族でなくなってもやっていけるのか。

 その不安は、どうしても拭い去れないものだったんですが……」

 

 ざぱあっと、バルターが洗っていた頭を流す。

 

「その不安が、今は楽しみになりました。

 貴族であった時は知ることができなかった楽しみを、これからは知ることができる。

 アレクセイ家に拾われる前にも、後にも、知らなかった楽しみがある。

 そう思えば、この巡り合わせもきっと悪いことじゃなかったんだと、そう思える気がします」

 

 誇張も虚勢も見受けられない。

 全てを失う身の上でありながら、バルターは失った後の未来のことを楽しみにしていた。

 顔もイケメンなら心までもがイケメンで、『主人公的』で『主人公的な存在の付随要素としてイケメンである』タイプなミツルギとは、また違ったタイプの青年であるようだった。

 

「ありがとうございました、皆さん。

 貴族としての最後の仕事として勇者様に剣を教えられたこと、光栄に思います」

 

「そんな……勇者と言っても名ばかりです。名声で言えばバルターさんの方が……」

 

 顔面シャンプー(もどき)まみれのまま手を振って否定するミツルギとは対照的に、バルターの様子は落ち着き払ったものだった。

 

「私には子供の頃からの夢がありました。

 父にしか話したことがなく、父には嘲笑された夢です」

 

「夢……」

 

「勇者になりたかったんですよ、私は」

 

「!」

 

「魔剣の勇者ミツルギ殿。それと、そこのサトウカズマ殿も先程勇者と言われていましたね」

 

 人間とは、ままならないものだ。

 

「子供の頃、私はあなた達になりたかったんです。でも、なれませんでした」

 

「……それは」

 

「こうして話していると分かります。

 あなた達二人は私とは違う。私に無いものを持っていて、誰か何かに選ばれている」

 

 努力してきた天才のバルターでも、女神に選ばれた勇者のようにはなれない。

 逆に女神に送り出され特典を与えられただけのただの日本人では、バルターのような誰からも認められる完璧な天才にはなれない。

 特典を貰った後に努力したのに紅魔族以下の戦闘力という転生者も多いだろう。

 ままならないものだ。

 

 欲した物を全て手に入れることは難しい。

 しかも欲した物を望むまま全て手に入れられるようになってしまえば、その人間の心は堕落と腐敗を迎え、アルダープのようになってしまいかねない。

 望んだ物が手に入らないことこそが、人の心を律しているという一面もある。

 本当にままならないものだ。

 

「そんなあなた達に最後に謝れた。最後に貢献できた。

 貴族として、私人として、これ以上に恵まれた終わりはありますまい」

 

 バルターは本当に満足そうだ。

 事実上"女神にこの世界に送り出された"ことそのものを羨まれたようなもので、ミツルギもカズマも不思議な申し訳無さを感じていた。

 

「では、失礼致します」

 

 体を洗い終えたバルターは、風呂場から出ていく。

 

「……」

「……」

「……」

 

 むきむきは腕を組んで、ミツルギは黙って頭を湯で流し、カズマは風呂の湯に風船のように膨らませたタオルを浮かべる。

 

「バルターさんの気持ちも、分からないでもない、かな」

 

「恵まれたチート野郎のお前が何言ってんだ、ミツルギ」

 

「そりゃあ負けがないならそうだろうけど、僕はそうじゃない。

 勝てない相手も多いし、好かれたいと思った相手にも好かれない。

 君は僕にとっては反面教師だけど……君になりたいと思う時もある」

 

「え゛っ、何言ってんだお前」

 

「……っ、いや本当に僕も何言ってるんだろう……

 バルターさんに変に影響受けたみたいだ、お先!」

 

 カズマは胡乱げに、風呂場を出て行くミツルギを見ていた。

 ミツルギからアクアに向けられている感情をちゃんと理解できていないと、ミツルギの言動はよく分からないものになることがままある。

 

「わっかんねえなあ」

 

 むきむきと向き合うようにして風呂に浸かるカズマは、蒸気でぽつぽつと水滴が作られている天井を見上げる。

 

「他人が羨ましいって気持ちは超分かるが、他人になりたいとかそんな思うもんか?」

 

 カズマはその場の勢いで色々と言うことはあるが、ミツルギやバルターと体を交換できる権利を得たとしても、それを使うことはないだろう。

 

「今の自分が一番だよな、むきむき?」

 

「そういうこと言えるカズマくんは、本当にかっこいいと思うよ」

 

 この異世界に来る時に、『違う自分になりたい』と思う日本人は多々居る。

 けれどもカズマは、そんなことを毛の先ほどにも考えてはいなかった。

 カズマは問題のある自分を変える気もなく、そのままの自分が嫌いではなくて。大なり小なり問題のある仲間達が、そのままの仲間達が嫌いではなかった。

 

 そんなカズマが、むきむきは大好きだった。

 

 

 

 

 

 その晩のこと。

 日本的表現をすれば、ミュージックステーションを見終わる頃には眠くなるのがむきむきだ。

 

(バルターさんに、何かしてあげられることはないかな)

 

 ベッドに横たわってから寝る前の時間に、バルターに何かしてやれることはないか、考える。

 考えるのが苦手なくせに考える。

 

(でも、バルターさんを今の苦境に追い込んだ一人である僕がっていうのも、虫の良い話で……)

 

 考えている内に、少年は眠ってしまう。

 早寝早起き派のむきむきは誰よりも早く夢の中に居た。

 

「こんばんは、むきむきさん」

 

「……はっ、エリス様! こんばんわです!」

 

 そして、夢の中には前置きもなくエリスがお邪魔していた。

 

「連日夢の中に現れてごめんなさい。でも、急いでお願いしたいことがありまして」

 

「はい、引き受けます!」

 

「……せめてお願いの内容くらいは聞きましょうね?」

 

 相手の話を聞くことは重要だ。でなければ難儀なことを押し付けられることもある。

 地球でのミツルギが、友人の発言を「おっとこハメ太郎」と聞き間違えて一年からかわれた悲劇が繰り返されてしまう。

 まずは聞くことが重要なのだ。

 

「こほん。実は今、エルロードで……」

 

 話を聞き、むきむきは驚愕する。

 

 翌朝起きてすぐにむきむきが行動を開始したのは、当然の流れであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今現在、エルロードは国内の問題を徹底して国外に知られないように努力していた。

 それでも漏れるものは漏れる。

 漏れた情報を基点に、もっと深い情報を得る者も居る。

 その『深い情報』は、女神エリスさえ動かすものだった。

 

「レヴィ王子、また状況が悪くなりました」

 

「分かっている。宰相ラグクラフトめ、ここまで勢力を拡大していたとは……」

 

 まず最初に、この国の状況を一言でまとめてしまおう。

 エルロード政権は現在、現王派と宰相派で真っ二つに割れた内乱状態にある。

 

 初まりは宰相が魔王軍との密約、交渉、中立同盟を行うということを王に提案したことだった。

 要約すれば、エルロードが人類と魔王軍の戦争において中立となることを約束する代わりに、魔王軍はエルロードを攻撃対象から外すというもの。

 宰相は言葉巧みに利を語り、これを受け入れない不利を語り、ベルゼルグでさえ王都陥落寸前まで行ってしまった現状さえ不安を煽る材料とする。

 王は宰相に説得されかかっていたが、そこでレヴィ王子が声を上げた。

 

「この国に魔王軍と戦っている者が居なくとも、この国の外には居るだろう!」

 

 宰相の計算外は二つ。

 王子が知らぬ間に成長し、自分の考えより宰相の考えを正しいと思うコンプレックスを乗り越えつつあったこと。

 そしてもう一つが、今もベルゼルグで魔王軍と戦っているレヴィの友を、レヴィが本当に大切に思っていたということだ。

 

「魔王軍との交渉など許さんぞ!」

「……いいことを言うようになったではないか、息子よ」

 

「いいえ、ここは譲れません。エルロード宰相として、これだけは通させていただきます」

 

 かくしてこの国の政府は真っ二つに割れた。

 国を実質一人で回している宰相、その宰相の信奉者の集団。すなわち魔王軍講和派。

 王族と王族及び王権の支持者、宰相に反感を持つ者達の集団。すなわち魔王軍敵対派。

 エルロード建国王の子孫を支持する者達は頑固に王族を支持したが、実績をもって支持を得ていた宰相の支持者の数には遠く及ばず、宰相の謀略によって勢力を削られる日々を送っていた。

 

 しまいには宰相が王政の廃止を目指すことを公言し、代わりの政治システムを提示してくる始末。

 宰相はこれまでは王族の支持を受けた国の心臓であり脳であったが、恐ろしいことに、政争だけで王族をこの国から排除して、この国を乗っ取れるかもしれないという段階に至っていた。

 もはやレヴィにも残された時間はない。

 

 エルロード『王』国は、滅亡の危機に瀕していた。

 

「こんなことなら、もっと前から勉強するなり何なりしておけばよかったかもしれんな」

 

「王子……」

 

「バカ王子と呼ばれながら遊び回っていたツケか」

 

「いえ、王子は頑張られておられました。

 過去がどんなものだったとしても、あなたの頑張りが価値を損なうことはありえません」

 

「俺に実力が足らんことに変わりはないさ。……もしも、ここに、あいつが居たら……」

 

「? 何かおっしゃられましたか?」

 

「いや、なんでもない」

 

 レヴィからすれば、あの日見た無敵のイエローの方が、ラグクラフトよりよっぽど恐ろしい。

 直接的な暴力だった分、ラグクラフトの数倍恐ろしく見える。

 なのにラグクラフトに政争で手も足も出ないものだから、ことさらに政争で勝てない自分が情けなく感じてしまう。

 

(もしも、ここに、あいつが居たら……あいつの筋肉が何かを解決しただろうか)

 

 レヴィは頭に浮かんできた気弱な思考を、頭を叩いて頭の中から追い出した。

 

(いや、無いな。世の中には力で解決しない問題など山ほどある。

 政争などまさしくそれだ。筋肉では政争に勝てない。

 ……追い詰められて心細くなり、思わず友を頼りにするなど、なんと情けない)

 

 レヴィにだってプライドはある。男の子としてのプライドも、王子としてのプライドも。

 

―――立派な王様になってください、王子様

 

 別れ際に友人にそう言われたものだから、彼は尚更にカッコつけようとしていた。

 

(この政争、既に勝ち目はない。だが勝ちを諦めるものか。

 情けなく終わるものか。せめて国の外に響く俺の名は、立派なものであって欲しい)

 

 レヴィは年齢不相応なほどに強く覚悟を決めていた。

 アイリスほどではないが、王族に相応しい覚悟を決めていた。

 そんな彼の耳に、部屋に飛び込んで来た中心の大声が叩きつけられる。

 

「お、王子! 一大事です!」

 

「なんだ藪から棒に、どうした」

 

「来ました! 救世主ですよ!」

 

「は?」

 

 レヴィが変な声を出したと同時、窓の外を鋼鉄の門扉が吹っ飛んでいく。

 

「今の僕らの前に立てば、尽く轢殺するッ! 道を空けろッ!」

 

 飛んで行った門扉が王城に突き刺さり、遠くむきむきの声が聞こえて、レヴィは笑った。これ以上無いくらいに笑った。嬉しそうに、楽しそうに笑った。

 鋼鉄の門扉を蹴り飛ばした下手人が、久しぶりにレヴィを笑わせていた。

 

「むきむきとその仲間達か……! くくっ、まったく!

 いつだって俺の想像をぶっちぎり超えてくるな、あいつらは!」

 

「王子、どうしますか!?」

 

「警備兵全員に素通りさせるよう通達しろ! 奴らの突貫の邪魔をさせるな!」

 

「し、しかし……」

 

「何の目的もなくこんなことをする奴らじゃない!

 第一、警備兵程度で止められるか! 奴らの目的は俺が直接聞きに行く!」

 

 門を突破し、扉を蹴破り、むきむきとその仲間は城のどこかを目指している。

 レヴィはどこか浮ついた気持ちでそれを追い、むきむきがここに来るまで引いていた馬車からよろよろと這い出して来たゆんゆんを発見した。

 

「お前は、いやらしい方の紅魔族の女か」

 

「いやらしいって何よ! 王子様にそんな風に思われること私した覚え無いわよ!?」

 

「そんなことはどうでもいい。で、これはどういうことだ?」

 

「話はむきむきから直接聞いて。

 早朝に出て、支援魔法をかけられたむきむきが馬車を引っ張って、皆で来たの。

 凄いわよ今のむきむき、朝に出て夕方になる前にエルロードに着いちゃったもの」

 

「……とんでもないな。普通の馬なら両王都の行き来は十日以上かかるというのに」

 

 ゆんゆんを連れ、レヴィはむきむき達の足音を追う。

 むきむきとめぐみんという、知った顔が居た。

 カズマ、アクア、ダクネス、ミツルギ、バルターという知らない顔が居た。

 そして大広間にて、彼らに追い詰められているラグクラフトとその部下達が居た。

 

「エルロード宰相、ラグクラフト!

 お前は魔王軍の手先にしてモンスター・ドッペルゲンガーだな!」

 

 むきむきがエルロード王城に殴り込んでからまだ30秒も経っていない。

 怒涛の進軍からの突然の追求に、ラグクラフトの肝が冷える。

 むきむきが言っていることが――エリスからむきむきが聞いたことが――真実であったからだ。

 ラグクラフトは売国奴。

 魔王軍の一味として、エルロードを魔王軍に売ろうとするモンスターである。

 この指摘に対し、動揺を顔に出さなかっただけ大したものだろう。

 

「そんなわけがないでしょう。何を馬鹿なことを――」

 

 けれども、彼は既に詰んでいて。

 

 チリーン、と何かが音を鳴らした。

 

「――え」

 

「言ったろむきむき。頭が良さそうな奴は考える時間をやらないのが一番だって」

 

「うん、カズマくんの言った通りだ」

 

 めぐみんが大きな帽子を脱ぐと、そこにはベル型の魔道具と、そのベルの魔道具を興味深そうに見ているちょむすけの姿があった。

 その魔道具を見たラグクラフトの顔色が、さっと青くなる。

 

「う、嘘を見抜く魔道具……」

 

「真面目で頭良さそうな奴って、戦いが始まる前の奇襲とかにホント弱いのな」

 

 身も蓋もない。伏線もクソもない。凌ぎの削り合いもなく、腹の探り合いもない。

 出会い頭に問答無用で奇襲を仕掛ける外道戦法。

 この作戦案を考えたのは、間違いなくカズマだった。

 

「さ、宰相……?」

「嘘……嘘ですよね……?」

「だ、だけどあの魔道具は……」

 

「この魔道具は間違いなく本物です! ここにベルゼルグの紋章があります!

 これはバルターさんの領地引き継ぎの際に出会った、セナさんから借りたものです!

 この魔道具が正常に作動することは、ベルゼルグ王国検察部が証明してくれます!」

 

「じゃあ、じゃあ、やっぱり!?」

「そんな……モンスターってことは、宰相どのが提案してた方策って……!」

「なんてこった、王子様達が正しかったんだ!」

 

「……っ!」

 

 もはやラグクラフトに反論の余地はない。

 

「ぷーくすくす! 私達女神の目を欺けると思ってたなんてちょーうけるんですけど!」

 

(エルロードの危機を僕に教えてくれたのはエリス様なんだけど、それは黙っておこう)

 

「め、女神だと……!?」

 

「ドッペルゲンガー・ラグクラフト! さあ年貢の納め時よ!

 スケベなカスさん! 懲らしめてやりなさい! せーばいっ!」

 

「おい待てそのスケベなカスさんって俺のことかアクアてめえっ!」

 

 助さん格さんに謝って欲しい。

 

「貴様、女神を名乗るとは何者だ!」

 

「控えなさい! 私を誰だと心得てるの!?

 恐れ多くも水の女神! アクア様よ!

 天の上より来たりし神、ゆえに上様と呼んでくれてもいいわ!」

 

「お前のような上様が居るか! お前のような女神が居るか!」

 

「魔王軍なんかに信じて貰えなくてもいいですよーだ!」

 

 べーだ、とアクアが煽って、ラグクラフトが手勢の人型モンスターを大広間に呼び寄せる。

 

「女神がこのような場に来られるはずがない!

 女神の名を語る不届き者だ! 皆の者、であえであえ!」

 

 対し、女神は名誉アクシズ教助祭をぶつけて当たる。

 

「うっかりむきべえ、こらしめてやりなさい!」

 

「承知!」

 

 人々が逃げ惑い、出来た空白に高レベルモンスター総勢50体が雪崩れ込み、そこに強化されたむきむきが放り込まれた。

 

「よし、魔王様から送られた精鋭五十人! これで時間は稼げる!」

 

「ラグクラフト様全滅しますごめんなさいひでぶっ」

 

「クソああああああああせめて十秒くらいは保たせろぉッ!!」

 

 そして瞬殺。

 あっという間の蹂躙劇場であった。

 逃げようとするラグクラフトだが、逃げ道となる窓をミツルギとバルターが塞ぐ。

 

「おっと」

 

「逃げ場はありませんよ」

 

 遠くから、アークウィザードが魔法の準備をしている。

 

「めぐみん、今回は爆裂要らないわよ?」

 

「魔王軍幹部また来ませんかね……この杖、もっと使いたいんですが」

 

「ぶ、物騒なことを……!」

 

 扉という逃げ道も、最近色々と距離が近いカズマとダクネスが塞いでいた。

 

「観念しろ」

 

「お前、ちょっと同情するよ」

 

 気分は小学生の立ちション・オブ・ターゲットサイトにロックオンされたアリの気分か。

 ラグクラフトの心に満ちるのは絶望と、その絶望に負けないくらい大きく強い『負けん気』であった。

 彼はドッペルゲンガーの力を使い、()()()()()()()()()()をコピーする。

 

「舐めるな!」

 

「うおおっ!? む、むきむきになった!?」

 

「この身はドッペルゲンガー! 人の姿を真似るが能力! せめて一矢報いてくれる!」

 

 ドッペルゲンガーはマッスルゲンガーと化し、その全能力をもって王子だけでも倒さんとする。

 跳躍する肉体。

 躍動する筋肉。

 されどその一撃は届くことなく、回り込んだむきむきのアッパーが、ラグクラフトの全てを打ち砕いていた。

 

「あばらっ」

 

「いや、ドッペルゲンガーだったとしてもさ……」

 

 ラグクラフトが粉砕され、黒い不定形の液体となって散らばっていく。

 

「そう簡単になりたい自分になれたら、なりたい他人になれたら、苦労しないよ」

 

 ドッペルゲンガーでさえ、欲した強さを持つ強者に成り切れないのなら。

 

 人間が、そんな簡単になりたいものになれるわけがないのである。

 

 

 

 

 

 むきむき、筋肉で政争さえも殴り倒すの巻。

 ラグクラフトがモンスターだったという衝撃も冷めやらぬ中、レヴィは生意気そうな笑みを浮かべて、むきむきの脇を小突いていた。

 

「よく来てくれた、むきむき」

 

「友達だからね」

 

「……ああ、そうだな。お前はそういう奴だった」

 

 むきむきが手を差し出し、レヴィがその手を取って、ふたりはがっちりと握手をする。

 

「しかしお前、ラグクラフトがドッペルゲンガーだなんて情報をどこで掴んだんだ?」

 

「話すとちょっとややこしくなるけど―――」

 

 むきむきは身振り手振りも交えて事情を説明する。

 要約すると"夢の中で女神様がお告げをくれました"という、控え目に言ってクスリをバッチリキメている説明になるのだが、レヴィはむきむきを信じた。

 これがレヴィで無かったら、「大丈夫? 最近アクシズ教徒に入信したりしてない?」と頭の状態を疑われること間違い無しだ。

 

「あの水色のアホ面が女神だという話は全く信じられんが……

 お前が女神のお告げを貰ったというのは、信じなければならんだろうな」

 

「ちょっと、アホ面は失礼でしょ!」

 

「アクア様、寛容にお願いします。レヴィが悪いのは口だけなんです」

 

 されどラグクラフトがドッペルゲンガーだったということは真実だったわけで。

 結局、最終的には皆むきむきの言い分を信じるしかないのだ。

 たとえ、アクアが全く女神に見えない少女だったとしても。

 

「また国が助けられたな……何か望みはあるか? なんでも言え。

 王族になりたいというのなら、王位継承権はやれんが俺の養子に組み込んでやるぞ」

 

「レヴィ! それは冗談でもちょっとヤバい!」

 

「冗談で言ってるわけでもないんだがな」

 

 レヴィは有言実行しそうなのが怖いところだ。

 むきむきはレヴィと積もる話を終えたら観光して帰ろうと思っていたので、望みなんて無いと言おうとしたが、一つ大切なことを思い出した。

 

「レヴィ、ここに居るバルターさんに職をあげられないかな?」

 

「えっ?」

「バルター……アレクセイ・バーネス・バルターか?」

 

「そう、そのバルターさん」

 

「アレクセイ家のバルターのことは俺も耳にしている。有能だが、災難だったな」

 

「い、いえ。勿体無いお言葉です、レヴィ王子」

 

 バルターは他国にまでその名が届いているほどの天才騎士だ。

 騎士としても、領主としても、その能力が申し分ないことは間違いない。

 レヴィ達には国を支える真面目な部下が足らず、バルターにはこれから先自分が生きていく場所が無かった。

 ならば割れ鍋に綴じ蓋を乗せるべく、むきむきがこの二人を繋げようとするのは当然である。

 

「バルターさんも無一文でしたよね?

 この職場が合わないようなら路銀だけ稼いですぐ辞めればいいですよ」

 

「もしかしてむきむきさん、バイト感覚で王族直属の仕事紹介してませんか?」

 

「だろうな。……おい、バルター」

 

「! はい!」

 

 レヴィはどこまでも王子であり、バルターはどこまで行っても騎士である。

 

「ベルゼルグに尽くした忠を捨て、エルロードの発展に全てを懸けると誓うか?

 ベルゼルグの王族ではなく、エルロードの王族のために心血を注ぐ覚悟はあるか?」

 

「……はい!」

 

 レヴィが投げかける言葉を選べば、バルターが自分の中にある騎士としての衝動に従えば、導かれる結論は一つだ。

 

「で、あるならば。俺はお前を貴族平民関係なく、お前を能力と貢献と忠誠で評価しよう」

 

「よろしくお願いします、レヴィ王子!」

 

 ラグクラフトの謀反で崩れかけた国も、次の世代の王と家臣が育っていくのであれば、いずれはラグクラフトが居た時よりも国は発展していくことだろう。

 レヴィはまだまだ無能だが、忠義に厚い天才がその下に付くのであれば問題はない。

 エルロードはほどなく常の姿を取り戻すだろう。

 今のエルロードには、新しい頭と心臓があるのだから。

 

 見方を変えれば。本気の本気で魔王軍と戦ってくれる国が、また一つ増えた瞬間であると、言えなくもないワンシーンであった。

 

「よかった」

 

 むきむきがほっとして、お節介な彼の後頭部をめぐみんの杖がペシッと叩く。

 

「男ばっか気遣ってるの見ると、ゆんゆんが妬きますよ」

「わ、私は別に妬いてないけど……」

 

 むきむきがくすっと笑って、二人を連れて仲間と合流する。

 面倒事もこれで終わりだ。エリス様の願いも聞き終わり、後は当初予定していた旅行の日程をここエルロードで消化するだけ。

 この世界でも指折りの観光地であるエルロードで何日も過ごす日々は、とても楽しく、とても心安らぐ毎日だった。

 むきむきはパーティメンバーと互いに知らない一面を知ったり、絆を深めたり、なんでもない想い出を作ったりして、またいつか皆を旅行に誘おうと心に決める。

 

 ただそれも、当初予定していた彼らの旅行日程が終わるまでのこと。

 

 旅行から帰った彼らを迎えたのは、宣戦布告という名の厳しい現実。

 

 魔王軍幹部ベルディアからの果たし状が、彼らの屋敷に届けられていた。

 

 

 




 強制就職面接官ラグクラフト。討伐報酬は公務員の内定です


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3-7-1 アクセル・クライマックス

最近更新が遅れ気味ですが私は元気です(小並感)


「この見通す悪魔に何用かな?」

 

「ほう、ベルディアからの果たし状が来たと。相変わらず古風な男だ」

 

「あれは死ぬ前から中年エロオヤジで、同時に仲間と主君を守る騎士でもあった」

 

「うん? どうした、最近思春期に入り、幼馴染が異性に見えてきた筋肉紅魔族よ」

 

「……うむ、御馳走様である。

 貴様は感情の振り幅が大きいのはいいが、悪感情の出だけは悪いな」

 

「で、何が聞きたい? ベルディアの能力や弱点か? ……ほう」

 

「ここで両親の話を聞きに来るとは。脈絡がないわけではないが、面白い発想だ」

 

「そして悪くはない。それはベルディアに殺された紅魔族の話でもあるからな」

 

「だが、我輩は期待させておいてがっかりさせる仮面の悪魔。

 貴様の期待することは何も語らず、くだらない両親のイチャイチャばかり話すであろう」

 

「……ふむ、それもまたよしとするか。ならば、語ってやろう」

 

「とりあえず、貴様は出来ちゃった婚で出来た子供である。

 愛はあったが無計画に愛し合った結果生まれた子というわけだ!

 結婚した後に愛の証として作られたとかそういうものではないぞ!」

 

「フハハハハハ! 今日一番の悪感情、美味である! ちなみに出来婚は真実だ!」

 

 

 

 

 

 ベルディアが場所と時間を指定した果たし状を送ってきて、彼らがそれを確認した翌日のこと。

 めぐみんとゆんゆんがウィズの店を訪れた時、ウィズの店の床には力なく横たわるむきむきとウィズが転がされており、機嫌の良さそうなバニルが椅子の上で足を組んでいた。

 

「ちょっと、むきむきに何したんですか?」

 

「両親の話を聞かせてやっただけだ」

 

「ウィズは?」

 

「あまりにも店の売上が出ないので絶食……何日目だったか?」

 

「……」

 

「言っておくが、商品が売れてないわけではないぞ。

 そこの筋肉が定期的に買っていってはくれるのだ。

 その金をそこの貧乏店主が売れない商品の仕入れに右から左へと使ってしまうだけでな」

 

「尚更酷いですよ、それ」

 

 ゆんゆんがむきむきの頬をペチペチ叩いて起こし、本日まだ爆裂魔法を撃っていないめぐみんがおもむろに杖の表面を指でなぞる。

 

「あんまりうちの子いじめられると、ついうっかり手が滑って爆裂魔法を撃つかもしれませんよ」

 

「うむ、肝に銘じておこう」

 

 この女は本気で撃つ、と全てを見通す悪魔は見抜いていた。

 ゆんゆんも話に加わってくる。

 

「というか、バニルさんってむきむきの両親のことそんなに知ってたんですか?

 元魔王軍幹部だという話も聞いていましたけど……」

 

「十代半ばになる前には一流のアークウィザードとなる紅魔族(きさまら)だ。

 しからばそうなるも当然であろう。

 そこの思春期紅魔族の両親も、13か14の頃には魔王軍に戦争を吹っかけていたのだ」

 

「……あー」

 

「我輩にベルディア、シルビアあたりは何度か顔を合わせる機会もあったな」

 

 ウィズというアークウィザードに当てられたこともあるベルディア。高い魔法耐性を持つシルビア。それに気まぐれでどこに出るかも分からないバニル。

 むきむきの両親と交戦経験があるということに、ある程度得心がいく面子であった。

 

「仮面の悪魔とか言う割に、真実は語るんですね。仮面は何かを隠すものなのに」

 

「それは違うぞ、夢に胸膨らますも実の胸は膨らまない紅魔族の娘よ」

 

「誰が!」

 

「貴様らの仲間の、あの器用貧乏な冒険者の出身地の言葉を使うならば……

 素顔で語る時、(Man is least himself)人はもっとも本音から遠ざかる。(when he talks in his own person.)

 仮面を与えれば、真実を語り出す(Give him a mask, and he will tell you the truth)―――というやつだ」

 

「?」

 

「人の本音を知りたくば、仮面を与えて語らせればいい。

 さすれば誰でも、我輩でなくとも人の本質など見抜けるはずだ。

 遠い地にある匿名掲示板とやらでは、そうなっているらしいぞ」

 

「掲示板~? それで人の本音を知ることができるって、意味が分かりませんよ」

 

「フハハハハハハハ! 分からないならば分からないでいいのだ!」

 

 バニルがウィズをカウンターの向こうに放り投げ、商品を並べる。

 その頃にはむきむきもある程度復帰してきていた。ある程度、ではあるが。

 

「うう、父さん、母さん、そんな結婚は不潔ですよ……」

 

「さて、我輩も仕事をするとしよう。すなわち商品の販売である」

 

「ちょっと待っててください。むきむきを正気に戻しますので」

 

 めぐみんゆんゆんがむきむきを正気に戻した頃に、バニルが彼らに勧めた商品は、一枚の仮面だった。

 

「黒い仮面? ねえめぐみんこれ、バニルさんの仮面と少し似て……」

「か、かっこいい……」

「おい」

 

 バニルが持っているのは黒い仮面で、バニルが先程並べたのは黒くない仮面。

 めぐみんはその黒い仮面に紅魔族センスでお熱のようだ。

 

「ここに並べられているのは当店の売れ筋商品、量産型バニル仮面。

 黒いのはレア物、という設定である。

 月夜に着ければ魔力上昇、血行促進、肌もツヤツヤ、心も絶好調になるレア物だ」

 

「それがアクセルで売れ筋って時点で僕驚きなんですが」

 

「これは貧乏店主が買ってきた売れないものをふんだんに使った一品。

 すなわちバニルマスク・カスタムである。

 量産型より試作型やカスタム型の方が性能が高いのは世の常であるな」

 

「え? 普通試作型より量産型の方が改良してる分性能良いのでは……?」

 

「フハハハハハ! 世間知らずめ!」

 

「え? え?」

 

 どうやらその理屈で押し通すらしい。

 このバニルマスク・カスタム、ウィズの買ったものを無駄に詰め込んだ、"余り物をとりあえず突っ込んでみたカレー"のような代物であるようだ。

 

「ちなみにこの仮面、量産品と比較して値段は200倍。効果は1.5倍である」

 

阿漕(アコギ)ぃ!」

 

 仮に量産品仮面を一万エリスと仮定しても、200万エリスだ。

 在庫品処理にこういう事柄を最大限に利用してくるのは、まさしく悪魔の所業である。

 

「ええと、僕らには今は要らないかな、と。

 買うにしても量産品の方が値段がお手頃でいいというか……」

 

「そう思うか?」

 

「え?」

 

「この仮面で重要なのは、付けると『心が高揚する』という点だ。意味は分かるだろう?」

 

「「「 ! 」」」

 

「少しでも性能の良いものが欲しいのではないか?」

 

 魔法使いの魔法制御に精神の力を使うのと同じように、むきむきのスペックは精神の状態に大きく作用される。

 この仮面の装着者は、夜間に精神が高揚し最高の状態に至る。

 ある意味、どんな魔道具よりもむきむきのスペックを引き上げてくれるのが、この仮面だった。

 

「ベルディアが貴様らに果たし状で指定した時刻は満月の夜。

 悪魔やアンデッドの力が最も高まる時であろう。

 この仮面は、その時間を人間にとっても有利な時間へと変える」

 

 敵が夜に強くなる者(アンデッド)であるのなら、夜に強くなれる武装をもって当たるが道理。

 

「……買います!」

 

「毎度あり!」

 

 売れないものを売れる時・売れる状況・売れる相手を『見通し』て売るバニルという悪魔は、ウィズよりずっと商人に向いている悪魔のようだ。

 その商法は、本当に悪魔的ではあったが。

 購入した仮面を見つめて回して、めぐみんはカウンターにあったペンに手を伸ばす。

 

「かっこいい仮面ですが……ここをこういうデザインにしたらもっとかっこよくなりますよ」

 

「ちょっとめぐみん? むきむきが付けるんだからそんな痛いデザインには……」

 

「これは痛いではなくかっこいいと言うんです」

 

「いいからちょっと貸して!」

 

「あ、何ダサくしてるんですか何を!」

 

 そこからは、店にある文房具等を使ってめぐみんとゆんゆんが自分の感性で仮面にあれこれとする時間であった。

 めぐみんは中二病で格好いい漢字チョイス・変な人名センスを併せ持つ、紅魔族センス。

 ゆんゆんは格好いいものと聞けば、洗練された小刀などを連想する一般センス。

 二人がぶつかり合いながら仮面のデザインに手を入れていく。

 所々妥協点を見出しながら変えていく。

 これはむきむきが付ける仮面であるため、むきむきも当然その流れに加わっていく。

 

「わひゃっ」

 

「あ、ごめん、ゆんゆん」

 

「あ、ううん、いいの」

 

 仮面を弄ってる最中に、ゆんゆんとむきむきの手が触れて、ゆんゆんが思わず手を引っ込めたりもした。

 

「あ、そこ、そこの模様は自信作です! 手を入れないでくださいむきむき!」

 

「ちょっ、待ってまだペン持ってるから手に触らないで!」

 

 ペンを持つむきむきの手を、めぐみんが掴んで無理矢理動かしたりもしていた。

 

 そうこうして、紅魔族センスから見ても一般人センスから見ても合格点な、それなりに見栄えのいい仮面が出来上がる。

 

「できたー!」

「できた!」

「でっきたー!」

 

 ベルディアとの決戦を前にして、ようやく目に見えて役に立つ備えが一つできたようだ。

 

「うむ、満足したか。貴様らには期待しているぞ。

 ぼちぼち魔王軍をここらで打倒できなければ、人間が滅びて悪魔も困るからな」

 

「元魔王軍幹部の台詞とは思えない……」

 

 悪魔は人間が滅びると困る。

 かといって悪魔なので人間に無償の協力などしたくない。

 そのためこうして人間側の勢力に『微調整』を入れるのが、バニルのやり方だった。

 

「しかしこうして、やたら威圧感のある赤と黒の仮面を付けていると……」

「体格の問題もあって、むきむきがまさに魔王って感じに見えるわね……」

 

「そ、そう? なんか複雑だな……」

 

 なのだが、悪魔と紅魔の合体作とも言える仮面を付けたむきむきは、魔王軍を倒す勇者というよりは魔王そのものに見えるようだ。

 

「フハハハ! まあよいではないか! これで夜間の貴様は雑魚には負けんだろう!」

 

「ベルディアにも勝てますか?」

 

「今戦えば勝率は二割くらいであろうな」

 

「低い!」

 

「奴がただそこに突っ立っているだけの壁だとでも思ったか?

 否、否である。奴も自分を鍛え直し、十分に入念な準備をしているのだ」

 

 見通す悪魔バニルの視点では、この段階での彼らの勝率は二割。

 ベルディアに対し彼らが全力を尽くしてなお二割。

 それが現実だった。

 

「とりあえず一旦屋敷に戻ろう、めぐみん、ゆんゆん。カズマくん達が待ってる」

 

 だがこの二割は、まだ上にいくらでも積み上げられる二割だった。

 

 

 

 

 

 ベルディアが指定した時間は、彼らが旅行から帰ってきた夜の翌日の夜、つまり今夜だ。

 指定した場所はアクセル郊外の廃城。

 カズマはその果たし状を見るやいなや、まず「決闘なんかに付き合わず爆裂魔法で城ごと吹っ飛ばそうぜ」と提案し、仲間達を戦慄させていた。

 「まずは情報を集めよう」とむきむきが提案していなければ、間違いなくその作戦を実行に移していただろう。

 

 カズマは盗賊のクリスをギルドで捕まえ、勝手に付いて来たアクアと廃城の調査へ。

 むきむきはゆんゆんめぐみんとベルディア対策へ。

 ダクネスはベルディアの件を国とギルドに報告に、それぞれ朝から動いていた。

 そして昼に一度、屋敷に全員で集まったわけなのだが……そこでむきむきが見たのは、水と泥まみれになったカズマとアクアとクリスだった。

 

「……なんで全員びしょ濡れなの? カズマくん」

 

「……これはアクアの水だ、むきむき」

 

「え?」

 

「城全体に魔法反射の結界があるんだと!

 それも馬鹿みたいに手間暇と資材と金かけたっぽいのがな!」

 

「それって、まさか」

 

「危なかった……爆裂魔法撃たないでよかった……

 もしもあの結界が爆裂魔法の反射もできるものだったら、俺達一瞬で皆殺しだったぞ」

 

 つまり城にアクアが魔法を撃ってみたら跳ね返ってきた、ということらしい。

 実際のところ、反射の魔法で爆裂魔法を防げるかどうかは定かではない。

 防げない爆裂魔法も反射ならできるかもしれない。反射なんて無視して問答無用で爆裂させられるかもしれない。個人では防げない爆裂魔法でも、城の全てを反射結界の構築に使えば防げるかもしれない。

 だが、どれも『かもしれない』だ。

 爆裂魔法の反射を食らって、アクアでも蘇生できないほどに木っ端微塵になる勇気など、誰が持てようものか。

 

 分かりやすい爆裂魔法への牽制。

 ベルディアは『リスク』という盾を使って、爆裂魔法を封じることに成功していた。

 

(面倒な)

 

 例えば魔王軍幹部三人で維持している時の魔王城結界は、アクアになら壊せるが、そこそこ上等な杖を装備した状態のめぐみんが爆裂魔法を十発撃った程度では壊せない。

 幹部が四~五人で維持している状態ならばアクアでも壊すのが難しくなり、六人を超えた時点でアクアでも壊すことが不可能になるらしい。

 ベルゼルグ最前線の砦も、魔王軍の恐ろしい猛攻にビクともせず、爆裂魔法の一発や二発くらいなら平然と耐える頑強さを持っているそうだ。

 この世界の『軍事拠点』は極めて堅い。そして厄介だ。

 軽く見るのは、愚か者のすることだろう。

 

「どうするの? 沢山援軍呼んでも、城っていう密閉空間の中じゃ数の利は活かせないよ?

 それはベルディア側も同じだから、そんなに多くの手勢は連れて来てないとは思うけど」

 

 と、クリスが言う。

 

「ふむ。つまり爆裂魔法を封じ、ベルディアという個を最大限に活かす空間というわけか」

 

 と言って、ダクネスが考え込む。

 

「どちらにせよアンデッドは生かしてはおけないわ! 生きてないけど!」

 

 と、アクアが憤慨する。

 

「俺だったらアクアとむきむき対策はしておくけどな、あの城の中。

 ぶっちゃけ絶対罠だからあの中とか踏み込みたくねえよ、いやマジで」

 

 そしてカズマのマジレス。

 いつものパーティ六人にクリスを加えたこの七人の中で、おそらくカズマが最も冷静で的確な判断をしていた。

 

「第一果たし状無視してもノーリスクなんだから、応える必要なくね?」

 

「この人畜生だよ、盗賊の私より畜生だよ……」

 

「応えるメリットはあるよ、カズマくん」

 

「あるのか?」

 

「多分さ、ベルディアはこの決闘の間だけは逃げの選択肢を減らしてると思うんだ。

 呼び寄せて決着を付けようとしてるんだから、その分本気で来ると思う」

 

「!」

 

「相手が覚悟を決めてきてくれるなら、それはそれでメリットだよ。

 魔王軍の恐ろしいところは、魔王城の結界と、そこに逃げ帰るテレポートにもあるんだから」

 

 ベルディアはあれでも騎士だ。

 果たし状を出すということは、それ相応の覚悟を決めているに違いない。

 "ここまで追い詰めらたら逃げる"という判断基準が、相当に逃げない方に寄っているはずだ。

 

「逃げられない内に倒しちゃおうよ。後になってから不意打ちされるよりよっぽど安全だよ」

 

「だけどなあ……」

 

「魔王を倒せって言ってるんじゃないよ。

 どうせ目を付けられてるんだから、絡んでくる奴くらいは倒しちゃおうって話」

 

「……」

 

 アクアが居る限り、彼らは魔王軍に目をつけられたままだ。

 魔王軍と戦うか、アクアを見捨てるか。カズマの前にはたびたびその選択が迫られている。

 が、むきむきは意図してアクアの名前を出さなかった。

 カズマはアクアをなんだかんだ言って絶対に見捨てない男であったが、それに言及すると照れ隠しでアクアを放り投げかねない。

 カズマを乗せるためには、アクアの名前を出さず、アクアを直球で連想させず、かつカズマの中の"アクアを見捨てられない"という気持ちを励起させる必要があった。

 

「……しょうがねえなあ」

 

「! カズマくん!」

 

「城入って危なそうだったらすぐ逃げようぜ」

 

 むきむきがぱあっと明るく笑って、慌てるカズマを上機嫌に担ぎ上げる。

 めぐみんが苦笑して、ゆんゆんも同じように笑う。

 幼馴染の二人の少女から見ても、カズマはむきむきにとって"いい友達"であるようだ。

 

「まずは誘い出しだな! 行くぞむきむき!」

 

「どこに行くのさ、カズマくん」

 

「挑発だ挑発。鉄球と爆弾沢山持って、城に遠距離攻撃を仕掛けに行くぞ。

 出てきたら城の外で迎え撃つ。出て来なきゃ城がそれで壊せるか試そう。

 のこのこ城から出てきたら爆裂魔法で全員吹っ飛ばしてやろうぜ! ヒャッハー! ってな!」

 

「よし、やろう! 砲台は任せて!」

 

「果たし状の時間は今日の夜だったな! まだ時間はある、とことんやってやるぞ!」

 

「うわぁ」

 

 ベルディアが城に何を仕掛けているか、どんな策を仕込んでいるか探りつつ、ダイナマイトもどきと鉄球を投げ込むフェーズが開始された。

 ベルディア出てこねーなあと鉄球と爆弾を投げ込む彼らだが、ベルディアは我慢強く耐え、その挑発に乗らない。補修補強された城もその攻撃によく耐えた。

 

「壊れないし出てこないねえ」

 

「しょうがねえ、次はビニール袋に馬糞でも詰めて投げ込んでやろう」

 

「か、カズマくん……」

 

 彼らの城攻めが次の段階に移行しようとした時、一報が入り、彼らのベルディア城への嫌がらせは止まる。

 

「え?」

 

 それはミツルギが先日――彼らがアクセルに帰って来る前に――ベルディアにやられていたという知らせ。そして、その傷と呪いがアクアにしか治せそうにないため、アクセルに運び込まれたという知らせだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し遡る。

 ミツルギはラグクラフト鉄拳制裁事件の後、むきむき達の身内旅行の邪魔にならないようにと一人で王都へと帰っていた。

 仲間二人を放置して師父達と楽しもう、なんて考えられるような人間だったなら、ミツルギはもっと人生を楽しめている。

 

「さて、今日もクエストだ! 岩場のモンスター退治に行こう!」

 

「おー!」

「おー!」

 

 結局のところミツルギは、アクアに恋愛感情を持ってはいるが、この二人のことも人間として好きなのだ。

 この二人と過ごす時間も、かけがえのないものだと思っている。

 クエストで王都郊外に出るこうした時間も、楽しい時間に変わりはない。

 

「? 何か聞こえたような……」

 

「フィオ?」

 

 元盗賊の勘か、フィオが何かに気付く。

 ミツルギは彼女を信じていた。彼女が何かを感づいた時点で、それが気のせいであるかどうかを疑うこともなく、魔剣を抜いて構える。

 そんな信頼ゆえの行動が、ミツルギが防御行動を取れるだけの時間をくれた。

 

 奇襲に弱いミツルギが、目の前に突如現れたベルディアに対し、反応してみせたのだ。

 

「ベル―――」

 

「貴様に横槍を入れられては敵わん」

 

 ベルディアは一流の冒険者であればこの程度奇襲にもならないと思っていた。

 剣を振り下ろす。

 ミツルギは奇襲に弱い身でありながら、仲間のおかげで初撃即死を免れた。

 剣を振り上げる。

 二剣が衝突し、戦闘の舞台となった岩場の岩石が衝撃波で吹き飛んだ。

 

 ベルディアは剣を右手一本で持ち、左手で残る二人の少女を指差した。

 

「汝らに死の宣告を! お前達は一週間後に死ぬだろう!」

 

「あっ」

「うっ」

 

 死の実感、死の確信。死を運命付けられたことで二人は動揺し、ミツルギへの援護を僅かに送らせてしまう。それどころか、ミツルギの剣筋にもいくばくかの動揺が見られた。

 ベルディアであれば、その一瞬に剣を放り投げるなど造作もない。

 投げられた大剣は二人の少女の足元に着弾し、爆弾もかくやという衝撃で二人を吹き飛ばす。

 

「くあっ!?」

「きゃあっ!」

 

「クレメア! フィオ!」

 

 ベルディアは剣も持たず身軽にミツルギの剣閃をかわし、三度剣閃をかわしたところで、ベルディアの馬が投げた剣を回収してきた。

 これで、戦いは正真正銘の一騎打ちに。

 

「悪いが、貴様らは下準備だ。ここで朽ちてもらうぞ」

 

「いや、朽ちるのは貴様だ! ベルディア、覚悟!」

 

 ミツルギの魔剣とベルディアの魔剣が衝突する。

 一太刀合わせれば、明確な技量の差くらいは分かる。それが一流の剣士というものだ。

 力でこそミツルギは上回っているが、速さと技ではベルディアの足元にも及んでいない。

 

「―――!」

 

 ミツルギの肩と頬を剣がかすめ、されどミツルギの剣は一向に届く気配がない。

 外れた剣は空を切り、地を砕き、剣先は翻って幾度となく敵へと向かう。

 トラック以上の重量がある新生魔剣を、ベルディアは"重く力強いだけの剣など児戯"とばかりに流し切る。

 ベルディアの剣を相手にするなら、全身鋼鉄要塞のダクネスの方がまだ相性がいい。

 

「―――っ!」

 

 粘って、粘って、粘って、粘って。

 諦めもせず、ミツルギは食い下がり続ける。

 自分の全てをなげうって、たった一人で死に物狂いで剣を振る。

 勝ち目などとうに失われていたが、一瞬一瞬に全てを懸けて、今日までの日々に積み上げたものを全て剣に込め、叩きつけ続ける。

 

(あの人に―――アクア様に)

 

 お綺麗な剣術ではもう防げない。

 

(世界を救って欲しいと。悪者を倒して、皆を救って欲しいと望まれたんだ)

 

 ベルディアの剣はただの振り下ろしさえ必殺に見える。牽制さえ必殺に見える。ただの切り返しでさえ必殺に見える。

 地面に転がり、土まみれ泥まみれになっても剣はかわしきれない。

 増えていく切り傷の地に泥が混じって、黒々とした液体が地面に滴り落ちた。

 

(あの時見た微笑みが忘れられなくて、再会したあの人は、抜けてるところも可愛らしくて)

 

 攻めなければならない。

 重量剣での一撃必殺を主とするミツルギは、防戦に回ると極端に弱い。

 ただでさえ奇襲に弱いのだからなおさらだ。無理にでも攻め、無理にでも余裕を作る。

 ふと、その余裕に想い出がよぎる。

 

(僕が魔王を倒したら、またあの人に笑いかけて貰えると思ったけど)

 

 想い出の中では、アクアはカズマを見て笑っていて。

 女神が最後の最後に誰を選ぶのかなんて、考えるまでもなかった。

 

(それも無さそうだ)

 

 想い出を想起するミツルギの心の中に、嫉妬なんてものは無く。

 

(僕は自分で思っていたほどには……サトウカズマのことが、嫌いじゃなかったのかもしれない)

 

 剣を扱うミツルギの思考と、想い出を眺めるミツルギの思考は乖離していく。

 

(なんでこんなことを思い出してるんだろう。

 なんでこんなことを考えてるんだろう。

 ……ああ、そうか。これが―――)

 

 捨て身の攻勢、気違いじみた反抗によってミツルギの魔剣がベルディアの魔剣を折り、ベルディアが何かを叫んで新たな魔剣を握る。

 それでもミツルギは止まらない。

 想い出と現実の狭間で無念無想に剣を振り、無我の境地で剣に己の全てを捧げる。

 その姿は、まるで自分の過去と人生を全て魔剣に捧げているかのよう。

 

 ベルディアの魔剣を折って、折って、折って、百本折ったところで意識の有無さえ怪しくなって。

 

(―――これが―――走馬灯か)

 

 気付けば、酷使で握力を失った手が、グラムを手放していた。

 

「天晴」

 

 ミツルギの手からグラムが離れ、ベルディアの剣が一閃され、ミツルギの手までもが体から離れていく。

 切り飛ばされた両腕が、ミツルギの頭上で宙を舞っていた。

 

「う、が……ああああああああっ!!」

 

「恐ろしい男だ。俺は大勝負に向けて魔剣を108本用意したというのに……

 貴様一人で、たった一人で死力を尽くして食らいつき、その内107本を折るとはな」

 

 魔剣の破片が無数に地面に突き刺さる戦場に、両腕を失ったミツルギが倒れる。

 その体が自由に動かなくなっていく。状態異常・麻痺に見られる症状だ。

 

「あ、ぐ、ぅ……!?」

 

「だが、やはり残ったのはこの一本だったか。状態異常を引き起こす大業物の魔剣……」

 

 ミツルギは多少状態異常に抵抗しているようだが、指一本動かせない状態に陥ってしまう。

 

「俺が持って来た魔剣が一本だけだったなら、ここで貴様に撃退されていたかもしれんな」

 

「……僕を襲った、のは、師父を、襲うためか……?」

 

「その通り。あれと一騎打ちをするのが望ましいのだ、俺はな。

 あいつの両親は本当に強かった……俺はあの二人以上に、敬意を払った紅魔族が居ない」

 

 ミツルギの実力、むきむきの両親の実力を称えるベルディアに、ミツルギは体動かぬまま食って掛かった。

 

「なら……何故殺した! 敬意を払っていたなら、何故殺した!」

 

 ミツルギは、このデュラハンがむきむきの両親を殺したということを、伝え聞いている。

 

「全力で殺すという行為は、ある種尊敬にも似ているとは思わんか?」

 

「……なっ」

 

「全力で殺すということは、『生かしておいては危険』という最大の評価だ。

 『殺す価値もない』という言葉は、相手に対する最大の侮辱だ。

 尊敬する敵であるならば。認めた敵であるならば。全力で殺すべきだろう」

 

 生前からあった騎士としての精神性。

 アンデッドと化して変質し得た精神性。

 ウィズと同じようにこの男もまた、人間からアンデッドになった者特有の尖った精神性を持っている。

 ベルディアは弱者にではなく、強者にこそ本物の殺意を抱く。

 

「お前もここで殺す。その意味が分かるな」

 

「―――!」

 

「俺はお前の力を認めよう。お前は強い。生かしてはおけんのだ」

 

 ミツルギは魔王軍の脅威になりかねないものとして、騎士ベルディアに認められたのだ。

 

「汝は一週間後に死ぬだろう」

 

 その結果として、死が迫る。

 死の宣告を与えつつ、ベルディアは剣を振り上げた。

 

「さらば」

 

 そして、剣はミツルギの首筋に振り下ろされて。

 

 ミツルギの体に巻き付いたワイヤーが体を引き、間一髪でミツルギを魔剣の一撃から救出した。

 

「む?」

 

 ミツルギ、ミツルギの腕、二人の少女が次々と回収されてゆく。

 ベルディアがそちらを見れば、そこにはいつのまにやら現れた強そうな冒険者が何人も武器を構えていた。

 

「何奴!」

 

「俺は加藤!」

「俺は鈴木!」

「俺は大澤!」

「俺は一ノ瀬!」

「コーホー」

 

「その変な名前は……成程、貴様らが最前線で活躍しているという、あの!」

 

「迂闊だったなベルディア! お前は常に冒険者ギルドに警戒されてんだよ!」

 

 どうやらベルディア出現の報を受けた冒険者ギルドが、その時点で王都に居た最前線の冒険者を緊急クエストという形で派遣したようだ。

 名前からも分かるが、彼らも女神に選ばれた転生者であるようだ。

 ミツルギほどでなくとも、あるいはベルディアに対抗できるかもしれない。

 転生者達の仲間の冒険者も居て、ベルディアを弧状の陣形で囲んでいた。

 

「ちょっと! 全員呪いかけられてるよ! ここに居るプリーストじゃ無理!」

「ミっちゃんやべーぞ! 腕からの失血がヤバい!」

「腕はせめて繋げておいてくれ! 最悪止血だけでいい! このままじゃ失血死するぞ!」

「誰か、1パーティでミツルギ達を運んでくれ! ベルディアは残りの皆で足止めする!」

 

 実戦で磨かれた彼らの連携は本物で、普段から魔王の娘によって強化されたチート魔王軍と戦っているためか、逃げと足止めの役割分担が的確だ。

 一つのパーティがミツルギ達を抱えて撤退し、残りのパーティがベルディアに立ち向かう。

 倒す気はない。

 倒すための用意も準備もない。

 彼らは徹底して足止めだ。

 ベルディアは溜息を吐き、魔剣を地面に突き刺す。

 

「よかろう」

 

 強いから殺さなければならない、とは思わない。

 だが、生かしておく理由もない。

 

「見逃してやってもいいが……ここで全員、死ねぃ!」

 

 ベルディアの剣が翻り、空に血が舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 むきむき達がエルロードに行き、ミツルギだけが帰った。

 ミツルギがベルディアに敗北し、その後にむきむき達が屋敷に帰ってベルディアの果たし状を確認した。

 そしてカズマ達がベルディアの城にちょっかいをかけ始めた後に、王都から『王都では治しきれない』と判断されたミツルギ達が運ばれて来た。

 順序で並べると、こうなる。

 プリーストは高度な技量がなければ傷一つ残さず治すことも難しく、ベルディアの死の宣告は国最高のアークプリーストでも解除できない呪いである。

 

「『セイクリッド・ハイネスヒール』!」

 

 が、アクアからすればそんなこと知ったこっちゃないのであった。

 

「はい、治ったわよ!」

 

「一発!」

 

「でも魔剣の人は数日は安静にしておいた方がいいわ。

 蘇生魔法をかけられた直後くらいの気持ちで、安静にね?」

 

「……ありがとうございました、アクア様」

 

 腕をぶった切られて失血で弱りに弱っていたミツルギ。

 死の宣告を受けていたクレメアとフィオ。

 その他、ベルディアとの交戦で呪いや重傷を食らった者達多数。

 その全てを、アクアはあくびをするくらいのノリで完治させていた。

 転生者の皆がアクアに懐かしそうに話しかけたりもしていたが……

 

「あ、アクア様お久しぶりです」

「アクア様? あれ、なんでここに?」

「アクア様アクア様、覚えてます? ほら、女子校で刺されて死んだ私ですよ!」

 

「……あー、うんうん、覚えてるわよ!」

 

((( 覚えてないなこれ…… )))

 

 アクアの反応は、案の定である。

 

「皆さん、お疲れ様です」

 

「おっ、むきむきじゃーん」

「酒飲める歳になったか?」

「悪いね、武器とか全部砕かれて手伝ってやるのも難しそうなんだ」

 

「いえ、それはいいんです。お気持ちだけ頂いておきます。

 ただひとつだけ聞きたいことが。

 皆さんに大きな被害を与えた後、ベルディアは退却したんですよね?

 追い詰めた皆さんを殺さずベルディアが撤退していったのって、何か理由があるんでしょうか」

 

 そうだ。だからこそ、ここには死体ではなく、重傷者が運ばれてきたのだ。

 むきむきがそう言うと、転生者の一人がむすっとした顔で言った。

 

「……『俺の死の宣告も解けるのか、それだけ知れればそれでいい』って言ってたよ」

 

「!」

 

 アクアがベルディアの死の宣告を解除したことで、ベルディアは死の宣告が無意味であるということに確信を持っただろう。

 これで死の宣告などという無駄なことをしてくることはない。

 ミツルギは本気で殺しに行ったくせに、それほどではない転生者達は、アクアの能力のほどを測るための道具として使っていたようだ。

 ベルディアはどうやら、今夜の決闘に本気で望んでいるらしい。

 

「……師父」

 

「! ミツルギさん!」

 

 ミツルギは調子悪そうに体を起こして、無理をしてむきむきに情報を伝える。

 信頼し尊敬するむきむきに情報を伝え、その情報を使って何かを考える役のカズマの方に何も言わないのは、彼の意地だった。

 少年の――子供らしい――意地だった。

 つまらない意地で、アクアと仲の良いカズマに向けられた、ほんの小さな意地悪だった。

 

「奴の秘策は、状態異常付与の魔剣です」

 

「!」

 

「奴も僕を生かして返すつもりはなかったはず。

 この情報が伝わるのは、完全に奴にとっても想定外の事柄のはずです。

 今から新しい有効策を用意するのもベルディアには難しいはずです、だから……」

 

「分かってます」

 

 ミツルギの同年代と比べれば大きはずの手を、むきむきの人間離れした大きな手がぐっと掴む。

 

「仇は、必ず取ります」

 

「……お願いします」

 

 決戦の夜を前にして、むきむきは強く勝利の覚悟を決めていた。

 

 一方、カズマは。

 

「状態異常の魔剣ねえ」

 

 ベルディアが本気で状態異常を戦術に組み込んで来たなら、むきむきがあっという間に無力化されかねないこと。

 城というホームグラウンドであれば、ダクネス一人を壁にしても絶対に保たないだろうということを悟り。

 

「……やるか」

 

 クズマと呼ばれても仕方ない必勝の策を一つ思いつき、それを思いついてしまったことの自己嫌悪に苛まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 満月の夜。

 ベルディアは廃城を改造したその城のてっぺんで、彼らを待ち受けていた。

 指定した場所、指定した時間。

 来ない可能性もベルディアは考慮していたが、来るだろうという確信もあった。

 

 思い出されるのは、あの日の王都での戦い。

 満身創痍の人間四人の連携で、自分が完膚なきまでに負けたあの戦い。

 あの時に相対した四人それぞれと、一対一で戦いたいという気持ちがベルディアにはあった。

 消耗していない彼らと戦いたかったという気持ちが、ベルディアにはあった。

 その中でも特に、むきむきという個人が彼の中で特別なものとなっていた。

 

 あの敗北が、ベルディアから慢心を拭い去り、自分を鍛えなさなければという意識を植え付けていた。

 そして、自分を鍛え直してきたベルディアは、その圧力を増して、ここに居る。

 

「来るか」

 

 城の内部がにわかに騒がしくなってきた。

 それが敵襲によるものであると、気付けないベルディアではない。

 死した体に、熱い血が流れるかのような錯覚があった。

 

「俺が殺した偉大な戦士二人の子が来る。

 復讐心さえ乗り越え、ただ一人の戦士として戦いを挑んで来る。

 なんと心躍ることか。俺の死に場所はここか、それともまだ先か……さて」

 

 城の中に用意した罠に手抜きは無い。

 ベルディアはその全てを、むきむきとその仲間を殺すつもりで設置していた。

 だが聞こえてくる音、城に伝わる微細な振動を感じる限りでは、人間達はその罠のことごとくを突破してきている様子。

 

「準備は万全。さあ……来い」

 

 配下のアンデッド軍団を背後に並べ、ベルディアは自分が居る部屋の扉の前に人間達が辿り着いたことを、音で察する。

 だが、人間達が入って来ない。

 ベルディアは首を傾げた。

 

「やー! 何するのよこのレイプ魔!」

 

 代わりに聞こえてきたのは、とんでもない声色の女神の叫び。

 

「ちょ、皆止め……え、も、もしかして、皆根回し済み!? 嘘でしょ!?

 待って、待って! それはないわ! 絶対にない!

 だってこれ、私の一番大切な……やめてー!

 いくら普段いい子にしてるその子のためだからって、それはないわよ!?

 着替え持ってにじり寄って来ないでダクネス!

 助けてー! 助けてめぐみん! 城の外で待機してないで私を助けに来てー!」

 

 何が起こっているというのか。この時点でベルディアは嫌な予感しかしなかった。

 

「待たせたな、ベルディア」

 

 そして、やたら格好いい台詞とは裏腹に、罪悪感を隠しきれない顔のカズマが部屋の中に入って来て、その背後を見たベルディアの思考が停止する。

 

「は?」

 

 カズマの背後には、バニルの仮面を付け、()()()()()()()()むきむきが立っていた。

 

「は?」

 

 ベルディアの思考は停止したまま動かない。

 むきむきの筋肉ははちきれんばかりに服を押し上げ、女神の羽衣はまるでダイバースーツのようにピッチピッチに筋肉に張り付いている。

 短いスカートの隙間からは、男物のパンツがパンモロしていた。

 あまりにもアンバランスなその姿に、トッピングとばかりにバニルの仮面が乗っている。

 仮面のせいで表情は見えない。

 

「は?」

 

 むきむきの背後では、むきむきを今まで見守ってきた女性達が顔を覆っていた。

 今の自分の顔を周りに見せないために。その涙を隠すために。むきむきの姿を少しでも見ないために。その顔を両手で覆っていた。

 アクアは普通の女性が着るようなワンピースに着替えた上で号泣していて、それをダクネスが慰めている。

 

 そう、これがカズマの奇策。

 彼でさえ罪悪感を感じて実行に移そうか正直迷っていた秘策。

 むきむきの命を守る必勝の策。

 『アクアの羽衣をむきむきに着せる』というものであった。

 

 アクアの羽衣は『全状態異常無効』『強靭無比な耐久力』『各種魔法による保護』がかかった、最高の防御性能を持つ神器だ。

 神器と転生者を地上に大量に送り出してなお、アクアが「この世界にこれを超える装備は無い」と言い切るほどの、最上級の神器である。

 ならば。

 この羽衣を他人に渡し、その性能が一部しか発揮されなかったとしても、十分過ぎるほどの効果が得られるのではないだろうか?

 

「僕は今何も考えない。うん、僕は今余計なことは何も考えない」

 

「そうだむきむき。俺を信じて、今は何も考えず戦うんだ」

 

「この手口洗脳って言うんじゃないのか?」

 

 むきむきが部屋に踏み出し、部屋に仕掛けられた"人間に状態異常を起こす"罠が作動する。

 だが、作動した罠の効果はむきむきには通じない。

 罠の効果と干渉の全てを、むきむきが身に纏った神器がかき消していた。

 それを見て、カズマがにやりと笑う。

 

「これでお前の状態異常云々の策は、むきむきには一切通用しねえぞベルディア!」

 

「お前は正気を母親の腹の中にでも置いてきたのか!?」

 

 アンデッドに人間のチームリーダーが正気を疑われつつも、両者は対峙する。

 

 両親を殺された主人公と、主人公の両親を殺した死霊の騎士の因縁と宿命の対決が、幕を上げようとしていた。

 

 

 




むきむきに状態異常祭りしようとしてたベルディアさん

アクア様の台詞を拾っていくとあの羽衣、引っ張ったら伸びてしまうこともあるみたいですね
あ、この作品のカズマさんは「神器だし伸びても元に戻るだろ」と思ってます


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3-7-2

 ルシエドが今幼稚園児くらいの年頃だったら、人が入ってる便所個室のドアを叩いて
「オルガ・イツカを覚えてますか?」
 って声をかけてから全力で逃げる亜種型ピンポンダッシュを、目につく場所全てで無差別にやっていたかもしれません。メインの戦場は公園の便所ですね


 彼らが城に突撃する直前まで、時間を巻き戻してみよう。

 

 満月を見上げて、少年は拳を握った。

 肩を並べる彼らの爪先は、ベルディアが待つ城に向いている。

 戦意は十分。準備も今できる範囲では十分にしてきた。

 

「じゃ、めぐみんは城の外でお留守番で。

 めぐみん、目立つようなことしないで隠れてるんだよ?

 せめて僕らが帰って来るまでは、ね。その間、めぐみんはひとりきりなんだから」

 

「分かってますよ」

 

 城に外側から爆裂するのが危険であるため、城内部では足手まといにしかならないめぐみんは城の外で待機。代わりにダンジョン攻略などで活躍する盗賊職のクリスをPTに加える。

 前衛はむきむきとダクネス。

 索敵と遊撃にクリスとカズマ

 後衛にアクアとゆんゆん、という布陣となった。

 

「よし、行こう!」

 

 前衛のむきむきが一番前に立ち、城の扉を開いた。

 が、城の中に足を踏み入れる前に、彼の服の裾をクリスが掴む。

 

「ちょっと待って、早速罠みたい」

 

「え、そうなんですか?」

 

 盗賊のスキル、『罠感知』だ。

 クリスがそこに居る限り、罠は"意識外から人を襲える"という強みを失い、その脅威を半減させてしまう。

 

「城の最初の扉を開けると、そこにはエントランスがあるみたいだね。

 ここに足を踏み入れると全ての扉が閉まって開かなくなる。

 そしてエントランスにアンデッドがなだれ込んで来る。

 侵入者は逃げ場のないエントランスで敵に囲まれる……って罠みたいだね」

 

「解除方法は?」

 

「罠に嵌った後、出て来た敵を全員倒すことだと思う」

 

 どうやらこの城の一階エントランスは、大部屋そのものが一つの罠として機能している場所のようだ。罠解除スキルの適用範囲外になっているらしい。

 ベルディアも色々と考えて罠を仕掛けてきているようだ。

 となると、この罠には一度引っかからなければならないようだ。

 

「んなのに付き合ってられるか。アクアー」

 

「何? 心癒される芸でも見たいの?」

 

「違うわ! あのな―――」

 

 まともに相手の思惑になど付き合ってられるものか。

 そう考えるカズマは、アクアをたった一人で一階エントランスに放り込む。

 全ての扉が閉まり、蟻一匹這い出る隙間も無い密閉空間が完成して、逃げ場のないそこにアンデッドの大軍がなだれ込む。

 そして。

 

「……」

 

 密閉空間に大量の清浄な水を出したアクアの手により、その全てが溺れ死んでいた。

 

「……いいのかしらこれ……」

 

 アクアは水の女神である。水の中でも、彼女だけは溺れ死ぬことがない。

 アンデッドであればアクアの出した聖なる水に耐えきれず、呼吸をしている生物であれば水の中では窒息死するしかない。

 "密閉空間を作る"という大前提がなければ成立しないこの罠は、アクアによってこう対応されるともはや為す術がなかった。

 

 敵が出てきて、溺れ死に、援軍が出て来て溺れ死ぬ。その繰り返し。

 戦わずして敵を皆殺しにすると城の入口のドアが再び開いて、城一階に溜め込まれた大量の水とアクアが一緒に城外に流れ出していく。

 海岸に打ち上げられたワカメのようになっていたアクアに手を差し伸べ、カズマが助け起こしていた。

 

「おかえり」

 

「ただいまー」

 

 ベルディア城、一階攻略完了。

 

「よし、次いってみよう! でも罠感知スキルにビンビン反応来てるから気を付けて!」

 

 クリスがそう言った通り、ベルディアは尋常でない数の罠を仕掛けていた。

 

「! 来る!」

 

 廊下を歩けば、廊下の向こうからトゲトゲの生えた鉄球が転がって来る。

 廊下を進めば、トゲ付きの天井が落ちてくる。

 トゲの鋭さが、そのまま殺意と容赦の無さの証明だった。

 

「ふんっ!」

 

 が、ダクネスが前に出ればトゲ付き鉄球はダクネスに受け止められる。

 

「あでっ」

 

 落ちて来た天井のトゲはむきむきの脳天にぶつかるも、その一言だけで済まされた。

 

「ふん。裸身でもアダマンマイマイ以上に硬い私の防御力を舐めるなよ」

 

「あたた、ちょっと血が出てる……」

 

 鋭く重いトゲ付き天井はむきむきの頭に小さな傷を付けるに留まり、ダクネスに至っては傷一つ付いていない。流石はPTの盾といったところか。

 

「はい、傷見せて? 『ヒール』!」

 

「むきむき、大丈夫?」

 

「しかしあれだな。身長2m半超えてるむきむきが居ると天井系の罠全く意味が無いな……」

 

 治すアクアに、治った頭を心配そうに撫でるゆんゆんに、全く意味の無かったトゲ付き天井を憐れみの目で見るカズマ。

 カズマは進む道を探すべく、脇道の扉を開けてみる。

 そこには細く鋭いトゲがみっしりと生えた床と、その向こうに見える次のフロアへと繋がる扉があった。

 

「トゲトゲ好きだなベルディア!」

 

「どうするのカズマ? 怪我しながらトゲの上を歩いて突っ切る?」

 

「そんなのやってられるか。水出せアクア、出した水をゆんゆんが凍らせて、その上歩くぞ」

 

 一階のアンデッドラッシュ、二階のトゲ祭りを越え、三階、四階と越えていく。

 さしたる消耗もなく、彼らは連携を活かして最上階へと辿り着く。

 

「よしアクア、脱げ」

 

「は?」

 

 そして、ベルディアが"何やってんだあいつら"と思っていたあの一幕が始まった。

 

「やー! 何するのよこのレイプ魔!」

 

 カズマは同意を得る気もないのにじっくり説明し、案の定反抗してきたアクアから羽衣をひっぺがそうとする。

 

「ちょ、皆止め……え、も、もしかして、皆根回し済み!? 嘘でしょ!?

 待って、待って! それはないわ! 絶対にない!

 だってこれ、私の一番大切な……やめてー!

 いくら普段いい子にしてるその子のためだからって、それはないわよ!?

 着替え持ってにじり寄って来ないでダクネス!

 助けてー! 助けてめぐみん! 城の外で待機してないで私を助けに来てー!」

 

 武士の情けか、途中からはカズマが脱がすのではなく、他の女性によるお着替えとなったが、アクアが一番大切にしていた羽衣を剥ぎ取られたことに変わりはない。

 地上に落ちたアクアにとって、この羽衣は自分が女神であるという唯一無二の証明である。

 それを引き剥がされたものだから、そりゃもう号泣だ。

 むきむきもアクアの尊厳のため、そして自分の尊厳のため、カズマの提案に反発していた。

 けれど結局カズマの口八丁に言いくるめられてしまうのが、むきむきの悲しいところだ。

 

 そんなアクアを結局脱がせて、そんなむきむきに結局着せたのだ。

 カズマの罪悪感は半端無いことになっていた。しかし相手はベルディア。魔王軍幹部である。

 むきむきがかつて圧倒され、ダクネスの耐久力でも敵わず、多くの強力な冒険者を屠ってきた強敵だ。

 プライドのために手を抜けば、そのまま死んでしまいかねない。

 

「……ふぅ」

 

 だが、そんなカズマの思考などベルディアからすれば考慮の範囲外だ。

 不死者の彼に見えているのは、仮面に女装の筋肉モリモリマッチョマン、号泣する女神、そして目を覆う人間の仲間達のみ。

 ベルディアの気持ちは、コンビニで表紙につられてエッチな本を買ったものの内容が期待外れだった時のエロオヤジのそれに近い。

 

「この萎え方は、なんだ……なんだろうな。俺はこれを形容する言葉を持たない」

 

「ごめんなさい」

 

 ベルディアの言葉も、むきむきの声も、どうしようもないくらいにマジトーンであった。

 

「来てしまったものは仕方ない。なら、この形で始めるか」

 

 ベルディアの剣先が硬い床を叩く。

 その音を号令として、ベルディアの背後に佇んでいた無数のアンデッド(おばけ)達が全員筋肉おばけと化して、部屋の全てを踏破するがごとく、急速前進を始めた。

 

「うおっ!?」

 

「急造の強化アンデッド軍団だが、一夜の戦力には十分だ!」

 

 ピンク製のかの薬がアンデッドにも効果があることは、イエローという実験台での臨床試験で実証済みである。

 この薬の欠点である『効果時間に制限がある』『一定以下のステータスの者しか使用できない』という欠点も雑兵の力の底上げ目的ならさほど問題はない。

 肉の有るアンデッドは腐りかけの筋肉おばけに、骨だけのアンデッドは皮膚のないむき出しの筋肉おばけに変わっている。見かけが相当にグロテスクだった。

 グロテスクなアンデッドの行進と、アンデッドが踏んで起動させた"人間に状態異常を起こす罠"のエフェクトが重なって、部屋の中の光景はまさに地獄絵図である。

 

(この陣形……!)

 

 その上陣形に明らかな作為が感じられた。

 むきむきがベルディアに向かって一人で突っ込んで行けば、容易に突破できるような陣形の薄い部分がある。露骨な誘いだ。

 誘いに乗って一人で突っ込むか、誘いに乗らず皆でこのまま戦うか。

 乗っても乗らなくても、きっとその先には大きなリスクがある。

 

 むきむきは一瞬逡巡し、"乱戦になって後衛がベルディアに接近されてしまう"リスクが無い方を選んだ。

 

「行って来い、むきむき!」

 

 迷いながらも一歩を踏み出したむきむきの背中に、カズマの拳と言葉がぶつけられる。

 

「うん!」

 

 むきむきはアンデッド軍団へと突っ込む。

 アンデッド軍団の処理を仲間に任せ、軍団が構築する陣形の薄い部分へと殴り込んだ。

 

「わあああああっ! カズマさん! カズマさーん!」

 

「アクアお前、さっきまで俺を罵倒してたくせにお前! ちょっ……すがりつくな!」

 

 薄紙を破るように陣形を突破していく少年は、背後で上がる声を耳にする。

 

「皆を守るのは私に任せろ! 振り向くな!」

 

「女神エリスもきっと見守ってるよ! エリス教徒の私が言うんだから間違い無し!」

 

 自分に向けられるクルセイダーと盗賊の声もあった。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 少年に襲いかからんとするアンデッド達をまとめて切り裂き、道を作ってくれる光の刃が飛んで行く。

 

「頑張って!」

 

 背中に幼馴染の声を受け、少年はベルディアの前に辿り着く。

 少年も、騎士も、この一対一こそを望んでいた。

 

「お前は僕が抑える」

 

「服に不満はあるがその気概に不満はない。来い!」

 

 女神の服と悪魔の仮面。二つの力の加護を受け、目を覆いたくなるような格好から豪快な拳の一撃を放つ。

 それをベルディアの大剣が受け止め、二人の対決は開始された。

 

 

 

 

 

 少年の拳は二つ。ベルディアの剣は一つ。

 速度とリーチにおいてはベルディアが幾分か上回っている。

 ゆえに両者の攻防は、戦車を一撃で粉砕する威力をマシンガンの連射のように打ち付け合う戦いとなった。

 

 剣と拳がぶつかり合い、魔剣が状態異常の効果を少年に放つが、羽衣がそれを打ち消した。

 剣と拳に込められた純粋なパワーが弾けて、音と衝撃となって散っていく。

 死の宣告も、魔剣の効果も、事ここに至っては意味もない。

 純粋な近接戦闘能力のぶつかり合いだ。

 

(速い)

 

 拳と剣が衝突する音が途切れない。

 それどころか音がところどころ重なっている。

 ベルディアは本気で剣を振り、むきむきは剣の側面を殴って剣を逸らしながら反撃も行っているのに、両者共に相手の体まで攻撃を届けることができていなかった。

 両者の攻撃は、両者の間にある空気をただひたすらに破砕する。

 

(重い)

 

 ベルディアの攻撃は速く、重い。

 

(でも、ついて行けないほどじゃない!)

 

 だが、あの王都の戦いの時とは違う。

 あの時に付けていたベルトは失われたが、今の彼にはアクアの支援魔法と、心技体のコンディションを最高に高めるバニルの仮面がある。

 

(心が熱い。血が滾る。なのに、冷静さが失われてない……これが、この仮面の力!)

 

 今この瞬間、むきむきはベルディアと十分に拮抗できるだけの力を手に入れていた。

 

 その事実が、ベルディアの心を震わせる。

 

(以前戦った時もスキル無し職業補正無しで練り上げたその力に驚いたものだが)

 

 服を見た時に萎えた気持ちが、今は萎える前と同じくらいまで高ぶってきたのを感じる。

 

(あの時よりも更に練り上げてきたか。面白い! より力強く、より巧くなっている!)

 

 王都での戦いから、一年も経っていない。

 なのに少年の拳からは、確かに『厚み』を増した『人生』が感じられる。

 あの時自分を負かした子供が更に強くなって目の前に居ることに、ベルディアが覚えた情動の大きさは如何程であろうか。

 

(これで服がまともだったなら文句はなかったが、贅沢は言うまい)

 

 剣の横薙ぎ。拳のアッパー。

 剣と拳の衝突がまたしても音と衝撃を生み、ベルディアは高らかに笑う。

 

「来い! 貴様に負けてやる気は毛頭無いが!

 貴様であればこの首、持って行っても文句は言わんぞ!」

 

 振り下ろされる剣。それを受け止める少年の白刃取り。

 白刃取りが成立した瞬間を両者が同時に『チャンス』と思考し、蹴りを放つ。

 少年の蹴りと騎士の蹴りが衝突し、両者吹っ飛ぶ。吹っ飛んだ二人は床を踏みしめ制止して、再度剣と拳を構え直した。

 

「恨みを抱いて不死者となったお前が、そんなことを言うとは意外だよ!

 人間を滅ぼしたいんじゃないのか! 復讐するまで消えたくはないんじゃないのか!」

 

「そういった怨恨があることは、否定しないがな!」

 

 開いた距離は、二人の踏み込みによって瞬く間に詰められる。

 足刀と刀剣は絶殺の意志のもと互いの急所へと振るわれるが、人間離れした反射神経を持つ二人はそれを容易に回避した。

 

「デュラハンがどうして生まれるか知っているか? 紅魔族」

 

「ああ、その首だろう!」

 

「その通り! 不当な斬首、不当な死刑、そこから生まれる妥当な怨恨!

 それが人をデュラハンへと変える! 俺も俺の弟もそうだった!」

 

 空振った剣が斬撃を飛ばす。

 空振った踵落としが床を陥没させる。

 

「なら、お前は世を恨んでいるはずだ! 今でも!」

 

「人と敵対することを決めた最初の理由はそうだな! だが、今はそうでもない!」

 

 手刀がベルディアの脇腹をかする。

 魔剣がむきむきの髪を数本切り落とす。

 

「今の日々は、充実している。一種の楽しさすら感じる」

 

「……!」

 

「気安く話せる、信頼できる男の仲間も多い。

 美人が多い。しかも魔王軍幹部は巨乳美人揃いだ。

 ……男にまで巨乳美人が居るのはどうかと思うが、それはまあいい。

 それに何より……敬意を抱ける『王』が居る。

 尊敬できる王のために戦えること以上に、騎士を満足させられるものがあるか?」

 

 ベルディアの魔剣にかかる負荷が増し、魔剣が軋みを上げ始める。

 むきむきの攻勢がその圧力と威力を増したから? いや、違う。

 ベルディアだ。ベルディアの攻勢が加速度的に強くなっているのだ。

 彼の剣閃の激化に、魔剣の方が付いて行けなくなり始めているのだ。

 

 結果、拮抗していたはずの戦いが、猛攻によって徐々に押し込まれ始める。

 

(押される―――!?)

 

「俺が復讐に囚われた復讐鬼にでも見えたか?

 自分が殺された復讐をする騎士に見えたか?

 違う。それは違う。俺はそんな動機を第一として戦ってなどいない」

 

 ベルディアは憎悪と復讐心に駆られて人間を虐殺し高笑いするような、人間全体に恨みを持った復讐者がするような行動は取らない。

 同じ魔王軍幹部の同性とくだらない話を楽しむこともあれば、魔王軍幹部の美人のスカートの中を覗こうとしたりもしている。

 人間からすれば恐ろしい殺人鬼で、魔王軍からすれば頼もしい魔将。

 生前は誇り高い騎士で、死後は清濁併せ呑む俗っぽい責任感の強い騎士。

 それが、ベルディアだ。

 

「人と敵対する理由がある。魔王軍を守る理由がある。俺の戦う理由など、分かりやすいものだ」

 

 その人生と想いの『厚み』『重み』『強さ』が、むきむきさえも気圧していく。

 

「……弟の、イスカリアの仇討ちは……」

 

「思うところがないわけではない。

 だが、今更だろう。それが俺の戦う理由の一番上に上がってくることなどない。

 我らは既に死者。死者の仇討ち? 死者の殺害? 文字にすれば、この上なく滑稽よ」

 

 振り下ろされた魔剣を、むきむきが白刃取りする。

 魔剣にヒビが入り、そのあまりの剣圧に、むきむきの強靭な足腰が膝を折ってしまった。

 

「自分のため、やりたいことをする!

 仲間のため、するべきことをする!

 やりたいこととするべきことが一致するなど、なんと幸福なことか!」

 

 ベルディアはなおも押し込む。

 剣さえ万全であれば、むきむきをそのまま問答無用に両断できるであろうほどの力強さで。

 だからこそ―――魔剣はベルディアの強さについて行けずに、半ばからへし折れてしまう。

 

「俺は死後も楽しい人生を生きている! それが、死者としての俺の生き様だ!」

 

 それは、文字の意味だけを追えば矛盾していて、言葉の意味だけを追えば何も矛盾していない台詞だった。

 

(魔剣が折れた、これで―――!)

 

 折れた魔剣を見て、むきむきはホッとした。

 ホッとして気を抜いてしまうくらいに、直前までベルディアの迫力に気圧されていたのだ。

 だが、それは隙である。

 気が抜けた少年のその顔に、ベルディアは金属鎧の拳で全力のパンチを叩き込んだ。

 

「がっ……!?」

 

「騎士だった頃は安物の支給剣が折れた時は、こうして敵を殴り殺してたものだ。

 鎧の上から首を折ったり、組み伏せて鎧の隙間に木の枝を刺したり……なんとも懐かしい」

 

 のけぞったむきむきの腹に更に一発、くの字に折れたむきむきの顔面に更に一発。

 ベルディアは生前から鍛えアンデッド化で昇華されたステータス、及び金属の拳で、むきむきの体を打ち据える。

 

「剣が無ければ勝てると思ったか!」

 

「くっ、舐めるなっ! 肉弾戦なら、僕に分がある!」

 

 されど、格闘戦能力であればむきむきが圧倒的に上だ。

 気持ちを切り替えていけば、むきむきの拳もベルディアに直撃していく。

 だが、手応えが重く、硬い。

 壊せるだろうと思った一撃が、ベルディアの鎧を壊しきれない。

 

「硬い……!?」

 

「俺は様々な属性の鎧を所持し、敵に合わせてそれを交換して戦う」

 

 ベルディアは両の手を組み、ダブル・スレッジ・ハンマーでむきむきの頭部を強打した。

 

「ぐあっ!」

 

「この鎧は物理防御一辺倒!

 どうせ魔法耐性を上げても女神の一撃や爆裂魔法を喰らえば大ダメージは免れん!

 ならば魔法耐性など用意するだけ無駄と割り切ってしまえばいい!」

 

 めぐみんやゆんゆんの魔法は、人間の誰かに急接近することで『巻き込み』をチラつかせて撃たせないようにする。

 アクアの魔法は死ぬ気でかわす。

 紅魔族と女神の恐ろしさを十二分に理解した上でその決断をしたのだ。

 その勇気は、筆舌にし難いほどのものだろう。

 

 ベルディアの鎧は今、物理攻撃を防ぐために特化していた。

 そこに魔王の加護が加わり、申し訳程度の魔法耐性と極めて高い物理耐久を有している。

 この鎧はリスクを背負った上で、むきむきとその仲間を打倒するための最善を選ぶという、ベルディアの意志の表れのようなものだった。

 

(硬い。いや、壊せないわけじゃないけど、やっぱり手強い……)

 

 物理特化の全身鎧は硬く、その拳に殴られれば痛い。

 むきむきが気圧された流れで心まで弱り切ることがなかったのは、ひとえに顔に付けている仮面のおかげだろう。

 

(……いや、待て。ベルディアが新しい魔剣を出さないのは、魔剣のストックが無いからで)

 

 そして、仮面の高揚で弱気にならなかった心が、一つの事柄を思い出す。

 ミツルギが、ベルディアの魔剣を一本残して全てへし折ってくれていたという話を。

 

(……それは、つまり……ミツルギさんが……戦ってくれたからで―――)

 

 そう、繋がっているのだ。

 ミツルギの奮闘はここに繋がっている。

 この戦いに負ければ、ミツルギの奮闘は無駄になったことになる。

 勝てれば、その奮闘に意味があったことになる。

 "仇を討つ"と約束した記憶が、むきむきに()()()()()を取り戻させる。

 

 むきむきは自分の横に吹っ飛んできたアンデッドが身に着けていたボロ布を引き剥がし、アクアの服を脱いで放り投げ、そのボロ布を腰に巻き付けた。

 

「アクア様! お返しします!」

 

 アクアは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔をぱあっと明るくし、キャッチした羽衣がびろんびろんになっているのを見て、再度号泣し始めた。

 後で絶対に元通りに直そう、とむきむきは心に決めた。

 カズマ達の奮闘で随分と数が減ったアンデッド軍団に一度だけ視線をやり、むきむきは欠けた仮面の位置を直す。

 

「いいのか? 見かけはともかく防具としては優秀だろう、あの羽衣は」

 

「サイズがキツい服だから、ちょっと僕も体が動かしにくいと思ってたところだ」

 

「結構。慢心ではないようだな」

 

「それに、僕もカズマくんの奴隷じゃない。

 あの服が必要なのはここまで。

 それなら、アクア様の大切な物なんだから、アクア様にすぐにでも返したかったんだ」

 

 もうむきむきの体を守るものは何も無い。

 が、それで何か不利になるわけでもない。

 既に状態異常の魔剣は折れ、状態異常の罠も大半がアンデッド軍団の戦闘により破壊か起動された後で、羽衣が果たすべき役目はもうない。

 そしてむきむきは、今日までずっと防具も付けず、肉の鎧一つで戦いを切り抜けてきたのだ。

 

「僕はお前を倒す理由の一つには、アクア様を守るためってのがある。

 お前達がアクア様を狙うから、僕はアクア様を守るためにも、お前を倒す」

 

「いい思考の切り替え方だ。"他人を想って"思考を立て直せるのは、悪くない」

 

「前の戦いはアイリスのために。今日はアクア様のために。友達のために……今日も勝つ!」

 

「なら俺は、ガラにもなく仲間のために戦うとでもほざこうか!」

 

 むきむきの右ストレートが、ベルディアの左胸を叩く。

 鎧の左胸にヒビが入り、ベルディアが呻いた。

 ベルディアの左ストレートが、むきむきの腹を叩く。

 内蔵にまでダメージが通り、むきむきの足元をふらつかせた。

 

「俺は死んでいる! 貴様は生きている!」

 

 むきむきの左ストレート、ベルディアの右ストレートがかすめるように交差し、互いの顔面へと突き刺さった。

 

「だが、こうして戦っていると……まるで両方共、生きているかのようではないか!」

 

 ベルディアは楽しそうに戦っている。

 対し、むきむきの語調は静かで、ゆっくりとしていて、それでいて力強い。

 

「生きてない。どんなに血が滾ろうと、お前は生きてはいない!」

 

 ベルディアの拳を右拳で弾き、ワンスナップで右拳のジャブを叩き込む少年。

 攻防一体の軽打にて小さくとも確かなダメージを蓄積させていく。

 

「新しい命を生むこともなく、殺すことしかできないから、アンデッドは否定されるんだ!」

 

 少年の手刀。ベルディアがかがんでかわす。

 かがんだベルディアの水面蹴り。少年は跳んでかわす。

 空中で少年が前蹴りを放つが、その足はベルディアに掴み止められてしまう。

 

「正論だな! だが、それも俺を倒せなければ負け犬の遠吠えにしかならん!」

 

 ベルディアは掴んだ足で亜種型一本背負いを行い、むきむきの体を床に叩きつけた。

 床が陥没する。

 近接格闘能力で言えばむきむきが圧倒的に勝っているはずなのに、ベルディアのこの強さは、一体どこから出て来ているというのか。

 

「づっ……!」

 

「さあどうする?

 俺は明日も人間を殺すぞ。明後日も明々後日もだ。

 お前が俺を倒せれば、その全てが救われることになる!

 だがお前が負ければ、その全てが死ぬだろう! 無論俺に負けてやる気はない!

 俺が殺すその人間は、未来に俺の仲間を殺すかもしれん人間達なのだからな!」

 

「決まってる!」

 

 腕を、足を走らせる。

 投げ上げられる騎士の頭部、体に付いたままの少年の頭部。

 その両方に何度も攻撃が当たり、騎士の兜と悪魔の仮面は次第に砕けていった。

 砕けた仮面の下から、二人の素顔が現れる。

 

「―――!」

 

 騎士の顕になった顔は、アンデッドらしく醜悪なもの。腐りかけの肉のようで、その実まともな物質でさえない。

 そんな顔で、ベルディアは楽しそうに笑っていた。

 少年の顕になった顔は、普段彼が浮かべている穏やかさを投げ捨てた真剣なもの。ただひたすらに目の前のものだけを見て、勝利を追い求めている表情だ。

 むきむきは勝利だけを追い求め、目の前のベルディアを凝視していた。

 

「ぐっ!?」

 

 拳の連打、蹴りの連打の合間を縫って、ベルディアの鋼鉄の指がむきむきの胸に突き刺さる。

 ベルディアが刺した人差し指を引き抜くと、傷からは血が吹き出した。

 

「お前に死をもたらす『指刺し』だ。ちょうどよかろう?」

 

「……上等っ!」

 

 殴る、蹴る。

 この世界らしくもない、種族特性や職業特性を一切使わない戦い。スキルさえ使用しない戦い。

 両者は鍛え上げたステータスだけを武器に、互いを全力で粉砕しにかかる。

 

「う、ら、あああああああっ!!」

 

 両者共に合金を素手で捻じ曲げる豪の者だ。

 むきむきは能力で、ベルディアは気迫で互いの力を追い越し合う。

 どちらにも、負けられない理由があった。

 血みどろになりながら殴り合うむきむきが押され、その背が壁にぶつかってしまう。

 

「負けるかぁっ!!」

 

 血に濡れた背が壁を汚す。

 血に濡れた足で踏み止まる。

 血に濡れた拳を防御に回す。

 血の味がする口で詠唱を始める。

 

「我、久遠の絆断たんと欲すれば、言葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう!」

 

 仮面を失い高揚を失いつつ有る心を、紅魔族特有の詠唱で奮い立たせる。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 突き出された光の手刀は、王都での戦いの決着となった一撃と同じように、ベルディアの胸へと向かい―――まるで予定調和のような動きで、ベルディアにかわされた。

 

「その技は、前に見た」

 

「!?」

 

「芸が無いな、紅魔族!」

 

 魔王城でベルディアが"自分を倒した手刀の一撃"をかわすための特訓をずっとしていたなどと、誰が予想できようものか。

 むきむきの必殺の一撃、数多くの強敵を倒してきた光の筋肉魔法が完璧にかわされ、むきむきの頭がベルディアに掴まれる。

 ベルディアは掴んだ少年の頭を、壁に思い切り叩きつけた。

 

「うがぁっ!」

 

 一度、二度、三度と叩きつける。

 むきむきは腕を振り回してなんとか逃れるが、離れたベルディアは次の追撃の準備をしていた。

 腕を引く少年は、自分の内側と向き合う。

 

(これじゃダメだ。もっと先に、もっと上に、自分も砕けていいってくらいの覚悟で!)

 

 ……昔。自分の拳が砕けるくらい強い力で殴ったことがあった。

 その時のイメージを、自分の中で完成した形にまで飛躍させていく。

 連動して自分の中にある全ての力を右腕一本に集中するイメージを用いて、そのイメージを元に()()()右腕に全ての力を集約していく。

 筋肉の力も、魔力も、アクアの支援魔法の効果も。

 

 奇しくもそれは、ウィザードとして魔法を使うことができなかったむきむきが、土壇場で亜型の魔力操作を身に付けたという証明であった。

 

(もっと、もっと、もっと、強い一撃を―――!)

 

 信じる。

 ここまで来て頼るものなど、信じるもの以外にあるものか。

 新たな技を編み出すのであれば、イメージするものは『最強』以外にあるものか。

 信じる最強を、今ここに、筋肉によって再現する。

 

「黒より黒く闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆を望みたもう!」

 

「! その、詠唱は……!」

 

「覚醒の時来たれり、無謬の境界に落ちし理! 無形の歪みとなりて現出せよ!」

 

 "最強が来る"、という死の予感がベルディアを襲う。

 逃げるか? 迎撃するか? ベルディアは、後者を選んだ。

 ベルディアの左腕による迎撃は体を斜め下に沈めたむきむきにかわされ、後のことも未来のことも一切考えないむきむきの()()()の一撃が、右拳に乗せられて叩き込まれた。

 

「―――『エクスプロージョン』ッッッ!!!」

 

 ベルディアのガードした右腕が砕け、胸から背中にかけて大穴が空く。

 

「くっ、ぐっ、がはっ……!」

 

 同時に、むきむきの強固な骨格が右肩から拳先に至るまで全て折れる。

 右腕全ての骨が砕けるほどの一撃。

 確殺であり必勝の一撃。

 『信じる最強』を真似した一撃。

 それがなければ致命打を届かせられたかどうかも分からない敵が、今トドメの一撃を受け、むきむきの前で消滅を始めていた。

 

「くっ、くくっ、ははは……まいったな……本当に、負けるとは……

 強いな、お前は。もうおそらく、お前の両親より、ずっと強い戦士になっている……」

 

「ベルディア……何故、笑ってるんだ?」

 

 死の騎士は敗北と消滅を受け入れ、この状況でなおも笑っていた。

 

「俺が笑って逝けるのは、魔王軍の勝利を信じているからだ」

 

 後のことを何も考えないことでベルディアを倒す一撃を編み出したのがむきむきなら、後のことを何も心配せず笑っているのがベルディアだった。

 

「無念もある。心残りもある。後悔もある。

 だが、何の心配もない。後を任せられる、最後の最後の勝利を信じられる仲間が居るからだ」

 

「……」

 

「デュラハンとは、不当な理由で処刑された騎士がなるものだ。

 俺は、ようやく、騎士として王のために戦い、王のために死ねる……」

 

 騎士としてのベルディアは、ようやく一つのゴールに至る。

 

「……勝ってくださいませ、魔王様……後は、任せました……」

 

 王の部下として、騎士として戦い、戦いの中で死ぬ。

 理不尽に処刑された騎士のアンデッドは、こうして世界の塵に還った。

 

 その今際の言葉を、むきむきは全否定する。

 

「勝たないよ」

 

 砕けた右腕はだらりと下がれど、その言葉に弱さは微塵も見られない。

 

「魔王は、僕らが倒すからだ」

 

 両親を殺した相手と戦い、決着を付けたというのに。

 自分が倒したデュラハンの兄と戦い、決着を付けたというのに。

 『家族の仇』としてではなく、『一人の人間と一人の魔王軍』として戦い、最後の別れの言葉までそうであったことが、本当に不思議だった。

 

 けれどもその不思議な気持ちは、悪いものではない気がすると、むきむきは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カズマ達の方も、むきむきに少し遅れて決着がついていた。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

「ゆんゆんー!」

 

 アクアに腰に抱きつかれたゆんゆんが魔法をぶっ放し、最後のアンデッドを両断する。

 

「ターンアンデッドが効かない筋肉ムキムキアンデッド集団とか怖すぎよ……」

 

「あ、アクアさん? そろそろ離れて貰わないと、その、服に鼻水が……」

 

 ベルディアの配下は"ターンアンデッドが効かないアンデッド集団"という城内で戦うには最悪の相手。それが薬で強化されていたというのだから、もう手が付けられなかった。

 理性が薄いためダクネスのデコイスキルが有効であり、ゆんゆんが火力を絶妙に調整しつつ数を削ってくれたために、なんとか倒しきれたようなものだ。

 

「ふぃー……お疲れさん、ダクネス。盾役ご苦労さん」

 

「何、もう終わりか? 私としてはもう少し袋叩きにしてもらいた……」

 

「空気読め! ドMもいい加減にしろ!

 じゃないと"化粧したダクネスはババ臭い"とかいう風評をギルドに広めるぞ!

 明日からお前のあだ名はババティーナお嬢様だ!」

 

「やめろ! 広めていい噂とそうじゃない噂の区別もつかないのかお前は!」

 

「あ、カズマくん! ダクネスさん! こっちはやったよやったよ!」

 

 カズマも信じて送り出したむきむきがエヘ顔ダブルやったよを送って来たものだから、ちょっと気が抜けた感じに笑っていた。ダクネスも同様である。

 アクアもゆんゆんから離れ、皆の傷を一つ一つ治し始めた。

 そんなアクアに、クリスが歩み寄る。

 

「ねえアクアさん、今のむきむき君に何か見える?」

 

「クリス? 急にどうしたの?」

 

「目を凝らせば、見えると思うんだ。アクアさんが、本当に女神であるのなら」

 

「むっ、そう言われちゃ引き下がれないわね。

 目を凝らせば、ってこのくもりなきまなこで深いところまで見ればいいのかしら……」

 

 アクアの眼は、普通の人間の眼とは根本的に違うものだ。

 頭がよろしくないアクアが持っているから目立たないだけで、それは亡霊を一目見て生前の生涯全てを知ることすらできる代物である。

 クリスに誘導され、アクアはむきむきの深いところまでもを覗き込む。

 そして『見て』、『思い出した』。

 

「あ」

 

 忘れていたことを、思い出した。

 

「ああああああああああああああああああっっっ!?!?!?」

 

 それは思い出さなくてもいいことだった。明かされても現実の何かが変わる秘密ではなかった。知ることで何かがプラスになるものでもなかった。

 ただ、明かされることで心に何かを与えるものだった。

 

「嘘でしょ!? そ……そういうことだったの!?」

 

 戸惑う皆の視線を一身に集めながら、アクアはただひたすらにうろたえる。

 

 

 

 

 

 アクアが『それ』に気付いたことに、アクセルの街のバニルも気付いた。

 

「気付いたか」

 

 見通す悪魔は笑う。女神が今何を考えているかを想像し、笑う。

 

「フハハハハハハハ! 今頃女神共は悪感情を吐き出しているところか! いい気味である!」

 

 この悪魔は、全てが明らかになる前から全てを知っていて、ある約束を基に動いていた。

 

「思い知るが良い、女神共よ! それが運命というやつだ!

 貴様らよりもより貴く、より不可解で、より神秘に満ちた奇跡のような何かだ!」

 

 "その果てにこんなものを見られるとは"と、バニルはかつてした契約(やくそく)を思い出す。

 

「くらぶべりー! みっか! 貴様らの息子は、笑いの種としては最高な者になったぞ!」

 

 

 




 次回の話に救いがあると思うか思わないかは人によると思います。次回三章最終話。次の次の話から四章ですね


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0-0-0 ゼロエピソード・エンド

■■「ゲームも、人も。好きだったものを、生まれ変わっても好きでいられたら、嬉しいな」


 一つ、つまらない小話をしよう。

 この小話の主人公は、紫桜(しおう)優也(ゆうや)という少年である。

 

 

 

 

 

 紫桜優也は、小学一年生の時から六年生までの六年間、佐藤和真のクラスメイトだった。

 クラス替えがあっても一緒。席替えすると三回に二回くらいは隣の席になる。

 家が近いからか登校班も一緒で、和真とは一年生の頃からの親友であった。

 

「今日はどうする? なにして遊ぶ?」

 

「スマブラやろーぜスマブラ。

 紫桜ん家でやればゲームは一日一時間とか、うっせーこと言われねーし」

 

 自分の家でゲームをやりすぎると親に怒られるから、友達の家に行ってゲームをするという小学生伝統の秘技。それを結構な頻度で互いの家にて行うくらいには、仲が良かった。

 

「あ、砂糖と塩コンビじゃん! さよーならー!」

「買い食いとかしないで帰れよ! また先生に怒られるぞ!」

「まーたーあーしーたー!」

 

「おう! また明日なクラスメイトの衆!」

 

 クラスメイトが、帰っていく優也と和真に手を振ってくれる。

 この二人はこの六年間ずっと、二人セットで呼ばれる時は『砂糖と塩コンビ』と呼ばれていた。

 佐藤と紫桜で砂糖と塩。

 小学生らしい、安直なあだ名だ。

 されど優也も和真も、そのあだ名が嫌いではなかった。

 

「あー、習字の授業面倒臭いな。紫桜はそう思わねえ?」

 

「自分の名前を筆と墨で書くのは楽しいよ」

 

「俺は面倒臭くて嫌だわ。特に藤と真のとこ」

 

「あはは、画数多いもんね」

 

「第一なんだ『自分の名前を書いてその意味を考えなさい』って。

 意味わっかんねー、名前なんてただの名前だろ。

 かっこいいかダサいかくらいしか気にするとこないってーの」

 

「そう? 僕は和真くんの名前好きだけどなぁ」

 

「こんなありふれた名前のどこがいいんだか」

 

 優也はふにゃっと笑う。

 

「和は仲の悪い人とじゃ作れない。

 和は一人や二人じゃ作れない。

 和真くんは『真』に仲の良い人を沢山作れる、そういう人なんだよ」

 

「……そう思うか?」

 

「うん!」

 

 和真は自分がそういう人間であるとは思えなかった。

 けれど、この友人からそう言われて、悪い気はしなかった。

 

「そういうお前も『優しい也』だろ?

 お前なんて今の時点で名前そのまんまの性格じゃんか。

 クラスの女子とかいっつもお前のことそんな感じに言ってるしよ」

 

 優也は自分がそういう人間であるとは思えなかった。

 けれど、この友人からそう言われて、悪い気はしなかった。

 

「えへへ」

 

 この友人と何も考えずに遊んで居られれば、それだけで自分の名前が好きになれる気がした。

 

 

 

 

 

 和真は異性受けが悪く、同性受けがいい子供だった。

 対し優也は同性受けがそこそこで、異性受けも悪くない子供だった。

 小学生にありがちだが、男同士で集まればサッカーなりドッチボールなり、体を動かすボール遊び等をするのが常道である。

 和真はそういう遊びには進んで参加していた。

 だが、優也は誘われてもそういう遊びに参加することはなかった。

 

「僕は、体が弱いから。ごめんね」

 

 興醒めして離れていく男子達に、優也は困ったような微笑みを向ける。

 和真はドッチボールを楽しんでいる同級生から離れ、花壇の縁に座る優也の隣に腰を降ろした。

 

「見てるだけってつまんなくないか?」

 

「つまんなくはないよ。頑張ってる人は見てるだけでも楽しいから」

 

「そういうもんかねえ」

 

 優也はいつも、元気に走り回っている誰かを見る時、薄皮一枚通してそれを見るような目をしている。

 

「でも、あの中に混ざれたら……楽しいんだろうなあ……」

 

 その薄皮は、彼には決して越えられない薄皮だった。

 

「自分で体を動かして、仲間と協力して、勝つことを目指すって、楽しいんだろうな……」

 

 儚げにほにゃっと笑んで、優也は唐突にむせこむ。

 

「こほっ、こほっ」

 

「! お、おい、大丈夫か?」

 

「ん、大丈夫。ちょっと呼吸が変になっただけだから」

 

「変、って……」

 

「本当に大丈夫だってば。次の病院での治療で治るはずだよ、こんな体も」

 

 その言葉に、和真はほっと息を吐く。

 

「そしたらまず何したいんだ? 体治ったらさ」

 

「走り回りたい!」

 

「サッカーとかドッチボールとかじゃねえのかよ!」

 

 結局、和真は気付かなかった。

 『次の治療で治るという事実がある』のではなく。

 それが『次の治療で治ると言って他人を安心させようとしている』優しさであり、『次の治療で治ると信じる』という形での希望の保持であったということに。

 そう言っていなければ、優也が希望を欠片も持てない身の上だったということに。

 最後まで、気付かなかった。

 

 

 

 

 

 紫桜優也は、最後まで上手く隠し通したと言えるだろう。

 和真は彼の体の弱さをそこまで深く受け止めてはいなかったし、いずれ治るものだとしか思っていなかった。

 いや、そもそも、小学生の認識では"体が弱い人"は『体を強くすれば普通の人になるだけの人』程度のものとしか思われていなかったかもしれない。

 

「卒業と同時に引っ越すのか?」

 

「うん。体ちゃんと治さないといけないから。和真くんとも、これでお別れだね」

 

 優也は体を治すため、と言った。

 それは真実でもあるし、嘘でもある。

 実際には"体が悪くなりすぎて遠くの病院に入院することになった"というのが正しい。

 治る見込みなど、どこにもなかった。

 

「あーあ、昔一緒に立てた街冒険プランもこれでおじゃんか。

 俺達ももう中学生だし、街を冒険するって歳でもなくなってきたしな」

 

「あはは、ありがとね、和真くん」

 

 だからか、最後まで和真は優也が治った後のことを語ってくれていた。

 それが救いだった。それしか救いがなかった。

 別れ際に、優也は笑顔で和真に手を振っていく。

 

「もう会えなくても、お互い元気でやっていこう!

 でももしまた会えたら、その時は目一杯一緒に冒険しよう! 街とか、お店とか!」

 

 死ぬ気で病気を治してもう一度会おう、と優也は決めた。

 和真ともう一度会いたい、と心の底から思っていた。

 だから、再会の約束をする。

 

「ああ!」

 

 和真はその約束が果たされることを何も疑っていなかった。

 引っ越しする友達にまた会おうと約束をする、程度のものとしか受け取っていなかった。

 また会えたらいいな、くらいにしか考えていなかった。

 

 けれど結局、その約束は―――

 

 

 

 

 

 紫桜優也の症状は悪化していく。

 和真と別れてすぐに、ベッドから出ることもできないくらいにまで悪化してしまった。

 どうやらこの少年が寝たきりにならなかったのは、佐藤和真の前では元気な自分を見せようとする、精神的な頑張りによるもの……要するに、気力の力だったらしい。

 生まれた時から病弱で、好きに外出することもできず学校も休みがち、そんな少年は気力の力を借りなければ"普通"を演じることさえ難しかった。

 

 ベッドから出られない。

 病室から出られない。

 窓から病院の中庭を見る以外に、病室の外の世界を眺める手段がない。

 病気の苦痛が命を削る感覚があった。

 無機質な環境が心を削る感覚があった。

 優也は、自分が"削り取られて細くなっていく"感覚を味わう。いつか折れてしまうと、他の誰でもない彼自身がそれを自覚していた。

 

「あー、和真くんは今頃何してるのかな」

 

 肉が減り、骨も脆くなった。

 すっかり細くなった優也は、病院の外の世界に思いを馳せる。

 親友なんて和真しかいない。

 胸を張って友人と言える存在でさえ、和真しかいない。

 だから、病院の外に思いを馳せる時は自然と和真を引き合いに出してしまう。

 

「そういえば和真くんクラスの子と将来結婚する約束とかしてたっけ。今はもう恋人なのかな」

 

 優也が"和真は何もかも上手くやっているはずだ"と信じているのは、自分の人生が全く上手く行っていないことの反動だろう。

 彼の症状は悪化するばかり。

 好転する要素は何も無い。

 死は刻々と、まだ13歳の少年に忍び寄ってくる。

 

「こんないい天気の日に走り回れたら、どんな気持ちなんだろうな……」

 

 室内で寝たきりな彼は天気の変化を肌で感じ取ることはできない。

 窓越しに見て、目で判断することしかできない。

 だから大抵の人間が当事者になる"今日の天気"のことも、この少年にとってはどこまでも他人事でしかなかった。

 

「失礼する」

 

「あ、兄さん」

 

「お前のゲームを荷物から出してきた。暇な時間に遊ぶがいい」

 

 窓越しに空を見ていると、病室に男が入ってきた。

 優也の三つ上の兄、信也(しんや)である。

 信也は優也と違って頑強な健康児であり、祖父が残した道場で日々体を鍛えている。祖父の教育のせいか話し方も古風で、腕っ節も生まれる時代を間違えたかのように強かった。

 

 言葉は少なで、体格がゴツいのもあって誤解もされやすい。

 だが、『体の弱い弟を守るため』に体を鍛え始めたというこの兄は、言葉少なでも確かに弟思いであった。

 弟のためならつまらないことでも全力を尽くす。

 時間と労力の無駄になりそうなことでもやる。

 走って二時間はかかる自宅とこの病院を往復し、弟の制止を振り切ってゲームを取ってくることなど、兄ならば当然だと考えるほどの男だった。

 

 持って来たゲームはヴァルキリープロファイル。

 佐藤和真がお古として優也にプレゼントし、以降飽きもせず暇さえあればプレイしている、優也の大のお気に入りのゲームである。

 

「ありがとね、兄さん。こんな面倒なことしてもらっちゃって」

 

「構わん。愛する弟のためだ」

 

 多弁ではないが、短い言葉と行動をもって家族愛を示してくれるこの兄のことが、優也は好きだった。現在進行形で好きだ。

 無論、両親も好きだった。だが両親に対するそれは、日々少しづつ過去形になりつつあった。

 

「兄さんはちゃんと愛してるって言ってくれるんだよね」

 

「一言で済むのなら、それが一番だ。言葉は簡潔であるべきだ」

 

「父さんも母さんも、愛してるとか大好きとか言ってくれないしね」

 

「……」

 

「かといって、僕がそう言ってくれって頼むのも、何か違う気がするし」

 

 優也も幼い頃は、両親から愛の言葉を沢山貰った記憶がある。

 だが日々彼の体が悪くなっていくにつれて、優也が貰う言葉は愛の言葉より、謝罪の言葉の方が多くなっていった。

 優也の病気は先天性のもの。

 親がそういう風に産んだのだ、と言い換えることもできるもの。

 だからか両親は彼の体が悪くなるたびに、「ごめんなさい」と息子に謝った。

 

 無論、愛の言葉が減ったからといって、両親の愛が減ったわけではない。

 両親が示す息子への愛の形が、悲しみ、憐れみ、涙、苦痛、後悔、謝罪という形に変わっただけのことだ。

 泣きながら健康な体に生んでやれなかったことを謝る親は、その子供のことを確かに愛していると言えるだろう。

 

 されど両親も次第に学んでいったようだ。

 優也の前で泣くことや謝ることが減り、笑顔で励ますようになった。

 だがそれは表面上取り繕っているだけのこと。心の中では優也に謝り続けていることに変わりはない。

 ならば、愛している、大好きだ、という言葉が両親の口から出てくるわけがないのだ。

 罪悪感に呑まれている両親の心は、そういった言葉が自然と出てくるような精神状態ではないのだから。

 

(難儀なことだ。父上も、母上も、優也も、もう精神的に限界か)

 

 信也が兄として両親に『優也に愛してると言ってやれ』と伝えれば解決するのだろうか。

 いや、しないだろう。

 そんな上辺だけの解決では、この問題は形を変えてまた再発してしまうだけだ。この問題は両親が自分で気付くくらいしなければ、根本的には解決しない。

 

 第一、優也は人のそういった心情に敏いところがある。

 信也が両親に"そう言わせた"ことをすぐに見抜いてしまうだろう。

 結局、意味は無いのだ。

 

「知ってる兄さん? 病室にずっと居ると、全然生きてるって気がしないんだよ」

 

「知らん。分からん。某はお前ではないからだ」

 

「あはは、兄さんらしい。

 でもさ、体の調子が悪くて寝てる時も、生きてるって気はしなかったな」

 

「……」

 

「ねえ、生きてるってどんな感じなの?」

 

 優也は生きていない。少なくとも、自認識において彼は生きていない。

 生きている実感が全くないからだ。

 生まれてから今日に至るまで感じた生の実感が、あまりにも少ないからだ。

 だから自分が生きているとは思えない。

 なのに、生きていないのに、死にはするというのだから不思議な話だ。

 

 弟の問いに、兄は答える。

 

「生きることは……何かと戦うことだ。そして自分を鍛えることだ。

 立ち向かわない人生に意味はない。自分を高めない人生に価値は無い」

 

 この時代に生まれた人間とは思えないような返答が返って来た。

 どうやらこの男、本当に困難を乗り越えることと自分を精神的にも肉体的にも鍛え上げることだけを、人生の基本としているらしい。

 

「へえ、凄いね」

 

 気遣いができる人間であれば、ベッドから起きることもできない優也の前でこんなことは言えないだろう。ともすれば、嫌味と取られかねない言葉だからだ。

 だが、信也は自分の心の内を正直に告げた。

 "弟に何かを偽る兄がいるものか"と考えているからだ。

 その馬鹿みたいに愚直で古臭い考え方の兄の言葉が、逆に優也の心の救いになってくれていた。

 

「僕の人生には、本当に無縁そうだ」

 

「いや、お前もそう生きるべきだ。お前は治る。必ず治る。

 貴様の体が完全に健全に治った後、某がお前に生き方を教えてやろう」

 

「……ありがと、兄さん」

 

 こういう兄が居てくれたから。和真という友達が居てくれたから。優也は最後まで希望を捨てずに、いつか体を治す未来を夢見て生きることができた。

 けれど、それも無為な希望でしかなく。

 

 病には敵わない。

 望みは叶わない。

 生命は適わない。

 

 紫桜優也の死は、生まれた時から確約されていた。

 

「うん、僕も諦めない。絶対にこの体を治して、皆と一緒に外を見て回るんだ!」

 

「いい気合いだ」

 

「だって僕、世界の素晴らしいところなんて全然見たことないから!

 これでこのまま死んじゃったら、世界の素晴らしいところ何も見ずに終わっちゃうよ!」

 

 希望を頼りに、カラ元気とやせ我慢でそんなことを言う。

 

 少年にとって、この世界が素晴らしいと思う理由になるものなど、何もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 信也は兄だ。だが、祖父から喋り方や道場を受け継いだのは、兄だからではない。彼がそういうものを好きだったからだ。

 弟の優也を気遣い守ろうとするのは、誰かに言われたからではない。自分が兄だからだ。自分が兄だからそう生きるのだと、彼は自分自身の意志でそう決めた。

 彼はそういう生き方が好きだったからだ。

 

 道場で一人、信也は汗を流して体を鍛える。

 父は入院費を稼ぐため遅くまでずっと働いている。母は仕事と見舞に自分の時間のほとんどを使っていて、家に居る時間はほとんどない。弟は幼少期からずっとああだ。

 道場で彼が一人体を鍛える時間が増えたのは、自然な流れだった。

 

(弟が母の腹に宿った時、強くならなければと思った)

 

 祖父から教わった体術と剣術。それを淡々と鍛え、磨いていく。

 彼は自分を高めることそのものに価値を見い出せる、努力を苦にしないタイプだった。

 その技を誰かに使うわけでもなく、誰かに教えるわけでもなく、淡々と積み上げて鍛え上げていく。

 努力を苦にしないのは、兄弟の両方が持つ性質である。

 

 だからこそ、()()()()()()さえ奪われた弟の悲惨さが、際立って見えた。

 

(強くなって弟を守るのが、兄の役目だと思った)

 

 不器用な人間には救えない子供が居る。

 器用な人間だったなら、救えたはずの子供が居る。

 

(だが、某は何も守れていない。力では守れないものがあった。

 力では解決できないことがあった。某では弟を笑顔にできない。

 何よりも重んじられるべきは弟を笑顔にすることであるというのに)

 

 最近になって、信也は優也が小学校の頃に仲良くしていた男の子のことを思い出していた。

 

(……何もかもを笑い話で終わらせられるのが、本当に最も強い者なのではないか)

 

 小学校の頃は、優也もよく笑っていた。

 生きる気力を強く持っていて、それが体の状態にまで良好な影響を与えていたようだった。

 笑顔が減ったのは、小学校卒業と同時に引っ越した後からだ。

 

(そう考えれば……優也の小学校での友人だった、あの佐藤和真という少年が一番……)

 

 力ある者より、何もかも笑い話で終わらせられる者の方が必要な時もある。

 記憶を想起しながら鍛錬を続ける信也だが、鍛錬と記憶の想起を邪魔するかのように、道場備え付けの電話が鳴り響いてきた。

 

「電話か」

 

 嫌な予感はしていた。

 嫌な予感しかしていなかった。

 それでも電話を取らないなんて選択肢は、信也の前には存在せず。

 取りたくもない電話を取って、聞きたくもない言葉を聞く覚悟を決める。

 

『紫桜さん! 紫桜さんのお宅ですか!?』

 

「いかにも。ここは紫桜家であるが」

 

「急いで病院に来てください! 優也君の容態が―――」

 

「!」

 

 電話を取る前から、直感で分かっていたのだ。

 

 これは、弟との永遠の別れを知らせる死神から来た知らせなのだと。

 

 

 

 

 

 死と生の狭間で、昏睡状態の優也は現実と夢想の区別がつかなくなっていく。

 誰かが自分に呼び掛けているのは分かる。

 それが両親や兄のような姿だったかもしれない、と思う程度の思考は残っている。

 なのだが、それが現実なのか夢なのか、死にかけている優也には判別がつかなかった。

 

 次第に理性と本音の区別もつかなくなっていく。

 抑え込んでいた本音が吹き出してきた。

 見て見ぬふりをしていた本音が滲み出てきた。

 死の間際にようやく、彼は強がりの皮衣を脱ぎ捨てて、絶望しか産まない自分の本音と向き合うという苦行を始める。

 

(嫌だ)

 

 死んでいく。自分が死んでいく。

 生きる理由も、生きる目的も、生きてやりたいこともないくせに、間近に迫る死の実感は少年の内に絶望をかき立てていく。

 

(死にたくない、死にたくない、死にたくない)

 

 死にたくないと彼は願っていた。

 

(こんな人生終わってしまえって、何度も思った。でも、死にたくない!)

 

 死にたいと、何度も思った。

 病気のせいで寝込んでいる時間が人生の大半だった彼は、人生を生きた実感も、人生をまっとうに生きた記憶も無かったから。

 "こんな人生は早く終わらせたい"と何度思ったかも分からない。

 この少年のような人生を送りたいと願う者など、どこに居るというのか。

 死にたいと願うその想いは、至極当然のもの。

 

 それでも、死の間際には死にたくないという気持ちしか浮かんでこなかった。

 

(生きたい、生きたい、生きたい)

 

 死にたい理由は沢山あって。

 生にしがみつく理由はどれもこれもが小さくて。

 ……それでも、たった一度でいいから、彼は『生きて』みたかった。

 

(何か……何かあるはずなのに! 生きてれば、きっと何かいいことがあるはずなのに!)

 

 生きてみたいという気持ちはあるのに、どう生きれば生きた実感を得られるのか分からないがために、未来で自分が生きるビジョンのことごとくがぼんやりとしている。

 当たり前だ。

 生きた実感を得られたことがない者が、どう生きればいいかなんて知っているわけがない。

 

 生きたい気持ちはある。

 それは"こう生きたい"という気持ちから生まれるものではない。

 『一度も生きられないまま死にたくない』という悲嘆と、『どう生きることで人は幸せになれるのか』を何も知らない無知から生まれる、目を覆いたくなるような、欠損だらけの子供の渇望だった。

 

(こんな自分は嫌だ。なんで僕は、こんな死ぬしかない体に生まれたんだ)

 

 少年は自分をこんな体に産んだ両親を恨んだことはない。

 何故ならば、彼にとって自分の人生を台無しにした原因は、他の誰でもなく自分の体の中にあったからだ。

 彼の憎悪と嫌悪は自分一人で完結する。

 彼は自分が嫌いなわけではないが、自分の体は心底憎んでいた。心底嫌っていた。

 特殊な自己嫌悪が、彼の中にはあった。

 

(『皆と同じ』が良かった。

 特別な何かが欲しいなんて思ったことなかった。

 ただ、皆と同じように遊んで、皆と同じに扱われたかっただけだったのに)

 

 彼が他人に向けるのは憎悪ではない。憧れである。

 

(走り回って汗をかくって、どんな気持ちなんだろう。

 体のことを気にせず、食べたいものを食べられるってどんな気持ちなんだろう。

 いつでも遊びたい時に外に出ていけるのって、どんな気持ちなんだろう。

 明日には死ぬかもしれないって怖がらずに生きるのって、どんな気持ちなんだろう……)

 

 息が止まる。心臓が止まる。思考がぼやけて、体が死んでいく。

 最後に少年は手を伸ばし、天井のその向こうにある空を求める。

 最期に心の中に満ちたのは、叶わない願いと他者への憧れ。

 

(一度くらい、走り回ってみたかった。他の人が当たり前にそうしているように。

 一度くらい、お腹一杯何かを食べてみたかった。他の人が当たり前にそうしているように。

 一度くらい、友達と一緒に体を動かして遊んでみたかった。

 友達と同じ気持ちになりたかった。友達と同じものが見てみたかった……でも、僕は……)

 

 少年は、最期に全てを諦めた。

 

 

 

(僕は、人間の出来損ないだから。きっと、最初から、そんなこと許されていなかったんだ)

 

 

 

 命と魂が体から抜けていき、走馬灯が始まる。

 

(あ)

 

 少年は、一つだけ思い出した。

 自分が生きた実感を得られた、たった一つの時間のことを。

 病気の影響で歯抜けになってしまった記憶の中で、たった一つだけ覚えていた、友達と楽しく笑えていた時間のことを。

 まともに学校にも行けなかった日々の合間に遊んだ友達のことを思い出して、彼は思う。

 『会いたい』と、彼は最後まで叶わない願いを捧げていた。

 

(和真くん)

 

 その願いも、叶わずに散る。

 最期に友達に会いたいという願いすら、今の彼には分不相応なものだった。

 

 虚弱な体に向かう自己嫌悪。

 今の生への否定。

 死にたくないという叫び。

 『生きる』ということをしたいという渇望。

 かつて別れた友への想い。

 その全てを魂に刻んで、紫桜優也は死んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、転生に至る。

 

「ようこそ死後の世界へ。

 あなたはつい先ほど、不幸にも亡くなりました。

 短い人生でしたが、あなたの生は終わってしまったのです」

 

 命は死ねばそこで終わりにはならない。死んで巡って、また生まれて、それで一巡り。

 それが『転生』であり、それを管理するのが『神』である。

 

「私の名はアクア、女神アクア。

 死したあなたに新しい道を示す女神よ。さて、あなたには三つの選択肢があります」

 

 死んだ優也は女神の御前に招かれていて、女神アクアを名乗る女性により、とある異世界のことと三つの選択肢について教えられる。

 

「天国に行くか。

 全てを忘れて生まれ変わるか。

 肉体と記憶はそのままに、ここではない別の世界に生まれ変わるか」

 

 提示された三つの選択肢の中で、二つは論外だった。

 優也に"今の自分を保ちたい"という意識は無い。むしろ捨てられるのであれば喜んで捨てたいとさえ思っていた。

 

「僕は、自分が嫌いです。この体が、この命が、憎くすらある」

 

 その上で、彼は一度でいいから()()()()()()()()のだ。

 

「こんな自分が嫌です。この自分のまま、生きていたくないです」

 

「……そう。なら、天国も嫌よね? それなら、道は一つだわ」

 

 全てを忘れ、自分さえ捨てて、新しい人生を歩む道を彼は選ぶ。

 

「あの、全てを忘れて生まれ変わる僕を、その追い詰められてる世界に送ることはできますか?」

 

「へ?」

 

「その世界に生まれさせるための命が足りなくて、困ってるんですよね?」

 

「それはそうだけど……いいの?

 危険な世界よ。命の保証なんてされない。

 記憶の問題で、あなたに特典をあげることもできないし」

 

「はい、大丈夫です。人並みに健康であれば、それだけで」

 

 ただその選択は、楽な道を行きたいがゆえのものではなかった。

 別の人生を歩めるのなら、それがどんなに危険なものでもよかったのだ、彼は。

 

「僕の人生は、ただの一度も誰かの役に立てなかった人生だから……

 せめて、最後くらい誰かの役に立ちたいんです。だからお願いします!」

 

「……いい子ね、あなた」

 

 人生で一度くらいは、誰かの役に立ってみたかったのだ、彼は。

 アクアは微笑み、少年の足元に魔法陣の扉を開いて、両手を祈りの形に組む。

 

「あ、あの……?」

 

「光栄に思いなさい?

 私がこうして送り出す若者のために祈るなんて、滅多にないんだから」

 

「!」

 

「力も込めてない女神の祈りなんて、とても小さなものでしかないわ。

 でも無為じゃない。あなたの想いが強ければ、あなたの祈りは届くかもしれない」

 

 女神のただの祈りに何かを変える力などない。

 せいぜいが、人の祈りの後押しをするかもしれない、程度のものだ。

 

 虚弱な体に向かう自己嫌悪。

 今の生への否定。

 死にたくないという叫び。

 『生きる』ということをしたいという渇望。

 かつて別れた友への想い。

 

 死の瞬間に彼が抱いたそれらが強ければ、そよ風のような変化を起こせるかもしれない、程度のものでしかない。

 されど、アクアが善意で彼のために祈ったことは、確かなことだった。

 

「あ、あの!」

 

 開いた世界の扉に、少年はゆっくりと落ちて行く。

 

「僕は、こんなですから。

 生まれ変わっても、同じようなこと繰り返してしまうかもしれないけど……

 でも、頑張ります! 頑張りますから! この感謝を、ずっと覚えてますから!」

 

 転生すれば、忘れてしまうというのに。少年はそんな言葉を残していく。

 

「ありがとうございました!」

 

 転生の道に乗り、魂を残して全ての精神構造と記憶を消去された少年は、かくしてとある異世界へ生まれ直すのだった。

 

「記憶なんて綺麗さっぱり消えちゃうのに、どこで覚えてるっていうのよ。まったく」

 

 アクアは呆れた顔で、でも悪い気はしないとでも言いたげに、スナック菓子に手を伸ばす。

 

「男の子って、ホント馬鹿ねー。嫌いじゃないけど」

 

 好意や善意で動くくせに、それが大抵調子に乗る・考えなし・不運の結果裏目に出がちで、しかもちょっと時間が経つと忘れてしまう。それがアクアという女神だった。

 

「エーリースー! 聞こえてんでしょー!

 あんたもその子のために祈りなさい!

 その子が生前に持っていた祈りが届きますように、とか!

 事情が分からない? なら今から説明するから耳かっぽじって聞きなさい!」

 

 アクアは数多く送る転生者達の記憶と一緒に、後にこの記憶も忘れてしまう。

 

 

 

 

 

 そして優也は『むきむき』という名を与えられ、紅魔の里に生まれ変わった。

 

 

 

 

 

 女神は全知でも全能でもない。

 彼女らは善意だけを動機に、世界の維持と管理に己の全てを投じているだけの存在だ。

 行動の結果成功に至ることもあれば失敗に終わることもある。

 それでも彼女らは精一杯やっていて。

 精一杯やっていても、失敗という名の取りこぼしはあった。

 

 むきむきという少年に関して言えば、その失敗は紫桜優也という少年の持っていた『想い』の桁外れな大きさを、見誤ったという点にあった。

 

 想いを力にする武器でもあれば、紫桜優也が心の中に秘めていた感情を使うことで、戦略兵器に匹敵するような威力が出せていたかもしれない。

 そのくらいに大きなものが、彼の心の中にはあった。

 女神二人の小さな祈りを触媒にすることで―――『次の自分の肉体をとんでもないもの』にしてしまうくらいには。

 むきむきのプリースト適性――神の力をその身に受けるのが得意――が高かったことが、魂経由での身体影響を加速させる。

 

 弱い体を強い体にしたいという心の叫び。

 憎悪と嫌悪が相乗する、弱い体への拒絶。

 別の自分になりたいという魂に残る咆哮。

 それは女神の祈りを通して紅魔族の肉体へと干渉し、紅魔族の肉体という要素を使って、彼の体を『病弱な体の対極』へと進化させた。

 

 誰もこんな風になるだなんて思ってはいなかっただろう。

 予想さえされていなかったはずだ。

 神さえそうなると考えていなかった、神の知らない所で結実した神の奇跡である。

 

「ほう。これは面白いものを見た。女神のうっかりというやつかな」

 

 その幼子を見て、バニルはそう感想を漏らしたものだ。

 バニルが幼少期のむきむきを見たのは二回だけ。

 生まれてすぐと、むきむきの両親が死の宣告を受けた直後である。

 

 むきむきの両親は紅魔族らしく、細かいことをあまり気にしない性分だった。

 バニルとも戦ったことがあるものの、バニルの他人を弄ぶ性格や、人の死を望まない大悪魔としてのスタンスもあり、敵ながら自分の赤ん坊を見せびらかす程度の仲ではあった。

 

「貴様ら人間が一人生まれるたびに、我輩は喜び庭駆け回るだろう」

 

 とは、バニルの言である。

 事実であるかどうかは別として、バニルがむきむきの誕生を喜んだことは事実だった。

 敵同士であることは変わらぬままに、むきむきの両親とバニルの間には、不思議な友情のようなものが生まれていた。

 

 だが、だからこそ……その夫婦が死の宣告を受け、死に至るまでの数日の間にバニルを呼び出したことは、奇妙な行動だと言えるものだった。

 

「我輩に何用か?」

 

 死を前にした二人はバニルに契約をもちかける。

 対価は数日後には呪いで持っていかれるその命と、死後の自分達の魂そのものを、悪魔バニルに売り渡すというものだった。

 

「ほう」

 

 よくある話だ。

 悪魔に魂を売った者は、死後に地獄に落ちて悪魔の同類となる。

 死の宣告をかけられただけの魂、それも上位の紅魔族アークウィザードの魂ともなれば、悪魔と契約するには十分な対価となるだろう。

 契約の履行もすぐであるとなれば、とりっぱぐれもない。

 だがそれは、生半可な決意でできるものではなかった。

 

「転生を迎えない魂はアンデッドに等しい。すなわち永遠である。

 ならばお前達は永遠に悪魔の奴隷として扱われることになるだろう、分かっているのか?」

 

 悪魔の奴隷となれば、どんな辱めを受けようと、どんな労働を課せられようと、どんな命令を下されようと、バニルに逆らうことはできなくなる。

 死という終わりもなく、奴隷としての日々は永遠に続くだろう。

 二人はその全てを分かった上で、その命と魂、死後の全てを売り渡す気でいた。

 

「分かっているか。ならば問おう。貴様らはこの契約の対価として、我輩に何を望む?」

 

 二人は親として、契約の対価を求める。

 

 『自分達の死後にも、この子がちゃんと生きていけるように』と。

 

「……なるほどな。ベルディアの死の宣告は解除できない、ならば、というわけか」

 

 むきむきの両親は、死の宣告を受けた時点で自らの未来は諦めていた。だが、愛する息子の未来だけは諦めていなかったのだ。

 死の宣告の特性は、『死の確定』と『死の到来』に日数のズレが有ることである。

 剣ではなく死の宣告で殺される人間には、こうして何かをする時間の余裕があった。

 

「しかし面倒臭い、と我輩は言おう」

 

 二人はバニルのその言葉を予想していたのか、困ったように苦笑した。

 

「我輩が見通す限り、さして手助けが必要な生涯を送るとも思えん。

 その子供の生涯は波乱万丈なものであるようだ。

 それも困難や障害にぶち当たるたびに強く育っていく手合いの、な」

 

 バニルは見通す悪魔。未来さえ見通す悪魔だ。

 二人は愛する息子の未来をバニルが保証してくれたことを喜び、それをわざわざ伝えてくれたバニルの好意に、涙が出るほど感謝していた。

 

「我輩の目に入った時、気が向いた時、助けてやろう。契約の内容はそれでいいか?」

 

 二人の死後の永遠を捧げることの対価であると考えれば、"気が向いた時に助けてやる"というこの契約内容はあまりにも酷い。

 だが、二人はそうは思わなかった。

 愛する息子の未来だけは、この悪魔が保証してくれたからだ。

 

 未来は金では買えないが、悪魔に魂を売れば買えるものだったのかもしれない。

 

「とりあえずは、女神の祈りを媒介に自然発生したこの肉体を調整するとしよう。

 何、これも契約の内。気が向いたから助けてやるだけのことである」

 

 女神の善意を苗床に、偶発的に生まれた異常な肉体を、悪魔が弄り調整していく。

 

「宝石は傷を付ければ価値が無くなるが、人間は傷を付ければ価値が出る!

 傷無き宝石に価値はあるが、傷無き人間に価値は無い!

 うむ、この子供には存分に苦労してもらおう!

 いずれ苦労した分の価値が備わるのだ、この子にはな! フハハハハハハハハハ!」

 

 むきむきという子供の命は、両親の愛と、悪魔の気まぐれによって紡がれたものでもあった。

 

 

 

 

 

 日々は巡る。

 かくして少年は、初めての友達であるゆんゆんと、自分の人生に新しいスタートをくれためぐみんと出会う。

 

―――大きくて、強くて派手で、豪快。そういうのが私は大好きですからね

 

 殺し文句という言葉がある。

 文字通り、生きている誰かが死ぬほど参ってしまう台詞のことだ。

 めぐみんがむきむきに言ったこの言葉は、彼にとっては紛れもなく殺し文句だった。

 俯いていた彼を殺し、生まれ変わらせる一言だった。

 

 彼の人生において、そんな殺し文句はいくつあっただろうか。

 何度も死んで、何度も生まれ直して。

 再スタートを切るたびに、少年は少しづつ強くなっていく。

 

 

 

 

 

 地球とこの異世界の時間の流れは、同一ではない。

 地球で同時期に死んだ者が大きく離れた時代に行くことも、違う時代に生まれた者が近い時代に転生することもある。

 また一人ここに、地球からこの異世界へと転生する者が居た。

 

 

 

 

 

 優也が死んで、誰も何も思わなかったのだろうか。

 そんなわけがない。彼の家族は、悲嘆に暮れた。

 父は子のために無理をして働く毎日を辞め、どこか気が抜けた様子で日々仕事をこなしていた。

 母は習慣で時折間違えて病院に足を運んでしまったり、優也の見舞いの準備をしてしまったりしていたが、それでも仕事は続けていた。

 

 痛々しい姿ではあったが、それでも両親は悲しみを自分の中で消化していて、愛する息子の死を乗り越えつつあった。

 乗り越えられていなかったのは、信也の方だ。

 

「……」

 

 信也は自分を鍛えることを継続していた。

 守ると誓った弟はもう居ない。虚しい鍛錬だった。

 そのくせ彼はありもしないものを求めるかのように夜な夜な街をうろつき、他人様に迷惑をかける不良やヤクザを見つけては、それに絡むようになっていた。

 

「貴様ら、そこに直れ」

 

 彼に自覚はなかったが、彼は街に"自分が失った何か"を探し求めていた。

 そして悪行を行う人間を見るたび思うのだ。

 「某の弟が生きたくても生きられなかった今日を、お前らはそんな風に過ごすのか」―――と。

 

 そう思えばもう止まらない。

 生きていていい明日が欲しかったはずの弟と、毎日を無駄に、かつ他人に迷惑をかけながら過ごす悪人を頭の中で比べてしまう。

 何も悪いことをしていなかった弟と、悪いことをしている悪人を頭の中で比べてしまう。

 彼が夜の街の悪人を見つけ次第殴り掛かるようになったのは、必然の帰結だった。

 

 正義などと言えたものではない。むしろ悪に近い、ただの八つ当たりだった。

 

 そして、その果てにヤクザのナイフに刺されて死んだ。

 笑えるくらい、呆気ない最後だった。

 呆気なく死んで、呆気なく死んだ彼の命は世界を巡って、そうして別の世界へと渡る。

 

 女神の申し出を受けて転生した時も、彼の心は自暴自棄でやけっぱちなままだった。どうでもよかった。なにもかもがどうでもよかった。

 弟を救えなかった罪悪感が、彼を動かしていたのだ。

 一度死ぬだけでは飽き足らず、二度死んでもまだ足りないと、そう思うほどに。

 自罰的な思いだけが、信也を転生に駆り立てていた。

 

 そして、時は流れる。

 

「幽霊さん、どうしたんです?」

 

 だが、まさか生まれ変わったその先に、変わりに変わった弟が居るだなんて、信也は思いもしていなかった。

 生まれ変わった弟は、彼のことを"幽霊さん"と呼んでいる。

 

『なんでもない。気にするな』

 

 彼は幽霊になって、生きていた頃には見えなかったものが見えるようになった。

 アンデッドが生命力に溢れた特別な生命とそうでないものを見分けることができるのと、原理は同じだ。

 それに弟が生まれた時から見守り続けた兄の勘が加わって、弟の転生体を見抜くことができた、というわけである。

 

『さあ、修行を始めるぞ』

 

「はい!」

 

 祖父から習った武術を、信也はむきむきに伝えていく。

 

(……某しか教われなかった祖父の技、か。

 そうだ、あの頃、優也は道場の片隅で、羨ましそうにじっとこちらを見ていた……

 習いたくても習えなかったのだ。あの時の優也には、そうしたくてもできなかったのだから)

 

 優也はもう死んだ。優也はもう居ない。ここに居るのはただの一人の紅魔族でしかない。

 全てを忘れて転生するということは、そういうことだ。

 それを分かった上で、幽霊さんと呼ばれた兄は亡き弟に厳しく接する。

 

 そして何一つ秘密を語らないまま、消えていった。

 されど消える前に、残すべきものは残していってくれたと言えよう。

 

――――

 

『生きて、生きて、生きて……この広い世界を、見て回るがいい』

 

『貴様のような者でさえ、素晴らしい友と出会うことができる、この素晴らしい世界を、な』

 

『心定まらぬ時は、右の拳を握れ。右の拳を見よ』

 

『そこに勇気を置いていく。拳を見るたび思い出せ』

 

――――

 

 もはや意識するまでもなく、彼の握った拳の中に『それ』はある。

 

 ベルディアを倒したのは、彼の全力の右拳だったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 つまらない小話はここまでだ。舞台は現代へと戻る。

 

「ふふふっ……ようやく孵ったわね、私の愛し子よ!」

 

 屋敷(じたく)の居間にて、アクアは今日も絶好調だった。

 いや、今日はいつも以上に絶好調だったと言えよう。

 なにせ先日とある巡り合わせで購入した小さな卵、アクアがずっと暖めていた卵が、この日ようやく孵ったのだ。

 卵から生まれたヒヨコ――アクアはドラゴンの雛だと信じている――は、アクアの手の中で可愛らしく動いていた。

 ちなみに羽衣はまだ修復中で、彼女の服装は普通のワンピースである。

 

「あなたの名はキングスフォード・ゼルトマン! いずれドラゴンの帝王となる者よ!」

 

 生まれて間もないというのに元気に動き回っているゼル帝を、とても誇らしそうにアクアは見守っている。

 アクアの騒ぎ声が目覚ましになったのか、アクアがヒヨコを可愛がり始めてから数分ほどで、カズマが上階から降りてきた。

 

「朝から何はしゃいでんだお前は」

 

「あ、カズマ。寝不足そうね?

 ネットもパソコンも無いこの世界で何夜更かしとかしちゃってるのよ」

 

「うるせー、あんな話聞かされた後で寝られるわけないだろ……孵ったのか、それ」

 

「ゼル帝と呼んでちょうだい。いずれドラゴンの帝王となる女神の僕よ」

 

 カズマが寝不足だったのは、アクアから全てを聞かされたからだ。

 アクアはむきむきには何も明かしていない。他の皆にも明かしていない。

 教えたのはカズマにだけだ。

 他の皆に話しても話がややこしくなるだけだったとはいえ、おかげでカズマだけが眠れぬ夜を過ごすことになった。

 

「なあ、むきむきのあれ、本当なのか?」

 

「嘘言ってもしょうがないでしょ」

 

「……死んだのか、優也」

 

「そうよ、死んだのよ。それで転生したの」

 

「……」

 

「なんとなく思い当たるフシはない?」

 

 ある。性格的な相性の良さにはむしろ納得する理由付けがされてしまったくらいだ。

 それでも、カズマははいそうですかと素直にこの案件を流せない。

 

「でも、おかしいだろ。その転生の仕方だと全てを忘れるんじゃないのか?」

 

「記憶は肉体じゃなくて魂に付随するものよ。

 だから記憶を消しても、魂にその名残が残ることはたまにあるの。

 カズマだって前に死んだ時、エリスに魂だけであった時も、ちゃんと記憶はあったでしょ?」

 

「ああ、そういえばそうだったな」

 

 むきむきが見ていないところだと、カズマも実は死んでしまっていたりする。

 天界規定によれば人間の蘇生は一回限りという制限があるらしく、カズマもそれでこの世とおさらばしかけたのだが、エリスを脅してアクアがカズマの蘇生を認めさせ、事なきを得た。

 その時、カズマもエリスと話した覚えがある。

 死後の世界に肉体など持っていけるわけがない。

 ならばその時、カズマの魂は記憶を持って死後の世界に行ったということなのだろう。

 

「でも、なら、優也の記憶を蘇らせる方法とかがあればさ」

 

「無いわ。言ったでしょ? 所詮、記憶の名残でしかないのよ、それは」

 

 カズマが珍しくこうした食い下がり方をするのは、そこに認めたくないものがあるからだ。

 

「それでも、転生した後も何かを心に残すのは容易じゃないわ。

 むきむきの前世だった子は、『それ』を本当に大切に思ってたのね」

 

「……っ、いい話風にまとめられても困る。要は、優也が死んでたって話だろ……」

 

 親友の死。

 それがカズマに突きつけられたもの。

 紫桜優也とむきむきは、同一人物でありながら別人である。

 転生後に別人として生きているからその人が死んだことは悲しくありません、なんて言うやつが居たならば、それこそサイコパスだろう。

 

 悲しむカズマに、ゼル帝を撫でるアクアが声をかける。

 

「カズマだって、いつかは死ぬのよ?」

 

「―――」

 

「むきむきだって、めぐみん達だっていつかは死ぬわ。

 百年後も普通に生きてるのなんて、多分私だけよ」

 

 カズマは楽しく冒険できる今の生活を楽しく思っている。

 けれど、その冒険もいつかは終わる。永遠ではない。

 人間の寿命が永遠ではない以上、最後にはアクアだけが残される。

 それを分かっていながらも、アクアは泣きも喚きもしていない。

 ……きっと、初めてではないのだろう。好ましく思った人間が、自分を置いてどこかへ行ってしまうという悲しい別れを、既に経験しているのだろう。

 

「命は死んだらそこで一区切り、そこで終わり。

 でも終わりであって終わりではなく、次の命に続いていく。

 死んでも次の命に繋がらないのなんて、アンデッド連中みたいな畜生くらいのものよ」

 

 アクアはゼル帝をデレデレした顔で愛でながら、今日の天気を語るような言い草で、世界の真理を語る。

 

「悪い人生、悲惨な生涯を送った人も、死んでそこで終わりじゃないの。

 次の人生で幸せになれるかもしれないから、悲劇で終わるわけじゃないわ。

 それが『転生』するってことなのよ。

 カズマだってむきむきだって、この世界に転生して人生やり直したのは同じでしょ?」

 

「それは……そうかもしれねえけど」

 

「全てを忘れて、死んだ後に幸せになることくらい認めてあげなさい、カズマ」

 

「―――!」

 

 アクアが適当に言ったその言葉は、カズマの納得できない心を打ち据えるものだった。

 

「だから、死者とか言って粘ってるアンデッドは嫌いなのよ。あのベルディアとかね」

 

 生は転がるもの。

 死なない命はあってはならない。

 次に繋がらない命に意味はない。

 アクアも蘇生はするが、永遠の命をもたらそうとすることは絶対にない。

 

 逆に言えば、そうして世界を転がっていく限り、その命には意味も価値も有るということだ。

 命はただ流転していくだけで、世界を維持する。命の営みを生み出していく。

 親が子を産み、子が孫を産み、死しても今の生から次の生へ。

 それが素晴らしいものであると、女神達は保証してくれる。

 

 世界という体に流れる血液が命である。

 止まってもいけない。淀んでもいけない。そういうものなのだ。

 だからこそ、魔王軍に殺された命がこの世界での生まれ変わりを拒否しているがために、この世界の人類は滅びかけている。

 

 転生という世界のシステム視点で見ても、よく分かる。

 魔王軍は、人類が倒さなければならない絶対的な敵なのだと。

 

「ま、お爺ちゃんになって自然死したら、蘇生魔法も効かないけど、安心して死になさい」

 

 女神であることが信じられないようなバカだと、カズマは常々思っていたが。

 

「私とエリスが、生まれ変わった後も見守っていてあげるから」

 

 こいつはただバカでアホで調子に乗りやすいマヌケなだけで、ちゃんと女神でもあるんだなあとカズマは思った。

 

「お前に見守って貰ってても、不安しかねーよ」

 

「ちょっとカズマ! 私は偉大なる水の女神なのよ!?

 カズマは私のことを舐めてるけどね、そこら辺はもっと崇めてもらっても――」

 

「はいはい」

 

 いつもの空気が戻って来る。

 カズマはそこでようやく、アクアといつものやり取りができていなかったのは、落ち込んでいた自分の方に原因があるのだと気付いた。

 そして、平常運転なアクアの雰囲気に救われたのだ、ということにも。

 カズマは何かを誤魔化すように頭を掻いて、居間に入ってきた少年と視線をかち合わせる。

 

「あ、おはよう。今日は二人共早いね」

 

「……むきむき」

 

「ちょっと待ってて。今簡単な朝ご飯作っちゃうから」

 

 カズマであれば、むきむきに対しどんな評価を下すことも許されるだろう。

 やり直した親友だとも言える。

 親友の残骸から生まれた者だとも言える。

 紫桜優也の名残を残しただけの別人だとも言える。

 優也という個人とも、むきむきという個人とも、何の先入観も持たずに親しい友人となったカズマだからこそ、どう評価することも許されていた。

 

 カズマは何かを言おうとする。

 むきむきに言いたい言葉が、十や二十では収まらないくらいの数あった。

 けれど、その全てをぶつけるのは、何かが間違っている気がして。

 一つの言葉を残してそれ以外の言葉全てを噛み潰し、カズマは一つだけ問いかける。

 

「なあお前、今幸せか?」

 

 それが一番聞きたかったことで、一番大切なこと。

 

「うん、とっても幸せだよ。友達に恵まれたからかな?」

 

 それが一番聞きたかった答えで、それだけ聞ければ十分だった。

 

「……そっか。あ、悪いむきむき。

 俺とアクアこれから用事あるから、朝ご飯いらないんだわ。そんじゃな!」

 

「え、ちょ、カズマ!?」

 

「ああ、そんなに慌てて出て行かなくても、いってらっしゃい!」

 

 カズマはアクアの手を引いて、ゼル帝とむきむきを置いて居間を出て行く。

 用事など無い。カズマが突発的に吐いた嘘だ。

 居間を出てから街に辿り着くまで、カズマは一度も振り返りはしなかった。

 

「ちょっと待ちなさいよカズマ! ……カズマ?」

 

 強引に引っ張られてきたアクアが文句の一つでも言ってやろうとカズマの顔を覗き込んで、何やら不思議そうな顔をして黙り込む。

 何故アクアがそんな顔をしたのか、カズマの方は全く分かっていなかった。

 

「今日は朝から酒飲んでもいいぞ、アクア。今日は俺のおごりだ」

 

「! いいの!? どういう風の吹き回し?」

 

「いいだろ別に。ああ、今日は俺も飲むぞ。朝からたらふく飲んでやる」

 

 アクアはカズマが本当に辛い時、何も言わずにそばに居てくれる、癒やしの女神である。

 だから普段はトラブルメーカーであっても、カズマは彼女を嫌いになれない。

 

「……今日くらいは、朝から潰れるくらいに飲んでも、別にいいよな」

 

 カズマが一番気を許しているのは誰かと言えば、それはきっと、この女神なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日の屋敷における四人目の起床者は、部屋を借りていたクリスだった。

 台所でちまちまとした昼飯の下ごしらえをしていたむきむきだが、クリスの足音を聞いて一旦手を止め、クリスのための簡単な朝ご飯を作り始める。

 

「あ、おはよう。はやいねー」

 

「おはようございます。今朝ご飯作ってますので、座って待ってて下さいね」

 

「はーい」

 

 クリスは適当に席につき、先程までアクアに愛でられていたゼル帝を発見する。

 ゼル帝はヒヨコのくせにやけに威風堂々と振る舞っていて、クリスのことをじっと見ていた。

 

「君も本当に、筋金入りだよね」

 

 クリスは微笑んで、指先で嘴の先をつつく。

 ゼル帝も優しく、彼女の指先を嘴の先でつつき返した。

 

「元、紫桜信也さん。

 現、キングスフォード・ゼルトマン。

 誰も何もしてないのにこんな風に巡り合うんだから、本当に凄いもんだよ。

 人間として死んでも、魂に欠損を作っても、鶏に生まれ変わってまで会いに来るんだから」

 

 特典付きという転生でなければ、人は全ての記憶を捨て次の命へと巡る。

 それが、どんな形であってもだ。

 途方もない愛があれば、人はそこで女神すら驚くような奇跡を起こすこともある。

 

「……あなた達の行き先に、祝福があらんことを祈っています」

 

 ヒヨコと少年の未来の幸を願うその時だけ、クリスの声はとても優しく、柔らかで丁寧なものに変わっていた。

 

 

 




●ホースト
・1-8-1
>「DT戦隊とかいう部隊も今じゃあるしな。受け皿はあると思うんだが」
>「DT戦隊……なんでそこでその名前が?」
>「仲間になったら教えてやるよ」

 女神の力を魔王の力で改造したのがDT戦隊。女神と悪魔がちょっと手を加えたのがむきむき。要するにバニルが色々した跡に気付いた、ということ

●アクシズ教徒
・2-2-2
>ベテラン店長にしてアクシズ教徒である私の勘が言っている。
>この少年をアクシズ教に勧誘できれば、アクア様はさぞお喜びになられると……!

 こわいよアクシズ教徒

●ミツルギ&紅魔の里
・1-6-1
>他の人には読めない文字も、むきむきには読めるらしい。
・2-2-2
>あ、むきむきさん、これむきむきさんの冒険者カードですよね?
>鍛冶屋の人が誰のものかも分からない冒険者カードが落ちていたと、ギルドに届けてました

 むきむきのカードの文字はこの世界の人にはぐちゃっとしたものにしか見えないが、それは要するに『日本語』で書かれているということ。
 このカードの文字を読めたのは作中の描写範囲では幽霊(信也)とミツルギのみ。むきむきのカードは、彼の特殊な誕生経緯のせいで日本語仕様になってしまっている。

●クリス
・2-3-1
>「はいはーい、お待たせし……あれ? 君……」
>その人物はむきむきの巨体に驚くことはなく、けれどもむきむきの顔を見て少し驚いた様子を見せ、なのにむきむきはその人物に全く見覚えがなかった。
>「? 初対面の人ですよね?」
>「あ、うんそうだね、初対面初対面」

 初対面のような初対面じゃないような

●カズマ
・3-1-1
>不思議と、カズマはこの少年となら上手くやれそうな気がした。
>不思議と、むきむきはカズマとなら上手くやれそうな気がした。
>むきむきはアクアにはさん付け敬語。カズマにはくん付けタメ口。
>それはカズマの方により親しみを感じているということであったが、なんとなくアクアの方が上にランク付けされている感じがして、カズマは複雑な心境であった。

 そら特に理由もなく年上をくん付けとかしませんよ、むきむきは。

●バニル
・3-4-1
>「ほう、よく育ったものだ」
>「両親の面影が見える。あの赤子が、こうまでなったか」

 バニルさんは気まぐれ。特に見張っているわけでもなく、別に気を遣ったりもせず、気が向いた時に助けてくれるという、バニルさんらしいお助けマンです。
 あ、3-7-2などバニルさんがむきむきの両親に語りかけてるシーンは、実際に地獄に居る二人に語りかけてるってことです。独り言じゃありません。

●細かいとこ
 なんでヴァルキリープロファイル?
 なんでアクアが女神だってあっさり信じて、しかもその後疑いもしないの?
 プリースト適性が高い意味って何さ?
 その他諸々だいたいそういうことです。



 ぼちぼち終盤戦の序盤に突入します。次の話から四章で、この作品は全五章で終わりですので
 あ、章タイトルも見返してみて下さい


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四章 五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで
4-1-1 英雄をいとも容易く殺す物


ぼちぼちWEB設定の割合が増えたり、そちら側に合わせた捏造設定が増えたり、想像による独自考察が増えてくる章となります


 普通に寝ていて、起きたら目の前に女神が居るというのにも、むきむきはすっかり慣れた。

 

「どうも、こんばんはです」

 

「どうも、こんばんは」

 

 女神は全知ではなく、少年は女神に声を伝える手段を持たない。

 そのためか、二人は定期的に夢の中であって情報交換を行っていた。そのついでに、友人としてつまらない会話もしていたが。

 

「先日はアクア様の羽衣を直していただき、ありがとうございます。

 本当にすみません、手は尽くしたんですがもうエリス様に頼るくらいしか方法がなくて……」

 

「先輩のことですから。私があの人の後輩だった頃から、こんなのは日常でしたよ」

 

 むきむきがこの夢を通して先日エリスに頼み事をし、エリスが快く受けてくれたものだから、現在進行形で少年の敬意は天元突破である。

 女神エリスは少女のように微笑む姿も美しい。

 これで面倒見が良くてお茶目なところもあるというのだから、親しみと尊敬を一身に集める女神の理想形とさえ言えるだろう。

 

「最近は何かありましたか? エリス様」

 

「うーん、魔王軍の動きが少し怪しい、くらいですね……」

 

「気を付けておきます。

 あ、そういえば最近アクセルの街のエリス教の教会、建て直したんですね」

 

「はい。私を信仰してくれる皆の好意と、今までの頑張りのおかげです」

 

「エリス様が尊敬されてるっていう証ですよ。

 でもなんだか凄い防備でしたね。攻められても全然平気そうな感じでしたよ、新教会」

 

「……アクシズ教徒の人に襲われても平気なように、だそうです」

 

「……アクセルのアクシズ教会の人は知り合いなので、また強く言っておきます」

 

「……ありがとうございます」

 

 新築のエリス教会は攻めて来た者に反撃すること、外部からの攻撃に耐えること、その両面において優秀な性能を発揮できるような造りで建築されていた。

 アクセルの街のアクシズ教徒がエリス教徒への嫌がらせをやめるわけがない。

 日本の某有名野球球団が下半身タイガースと下半身ジャイアンツに改名するくらいありえないことだ。下半身クライマックスシリーズの実現程度のお話である。

 それに対してがっつり対策するあたり、エリス教徒にもこの世界の住人らしさが見て取れる。

 

 ちなみに旧エリス教会は、魔王軍やモンスターのせいで孤児になった子供達の孤児院にするとのこと。こういった慈善事業もエリス教が得意とするところである。

 

「エリス様って下界にいらっしゃってるんですか? アクア様がそう言ってましたけど」

 

「! そ、そうですね。お忍びでこっそりと、時々……」

 

「あちらでは会えないんでしょうか?」

 

「そうしたら騒ぎになりかねませんし……ごめんなさい、それはできないんです」

 

「すみません、無茶を言ってしまったようで。

 近所に美味しくお肉を焼くお店が出来たので、一緒にどうかなと思ってたんです」

 

「いえいえ、いいんですよ。私はその気持ちだけで嬉しいです。

 私もお肉は好きですよ。美味しいからついつい食べすぎてしまって……」

 

「あ、それめぐみんから聞いたことがあります、脂肪フラグってやつですよね!」

 

「女神は太りませんっ! 太らないんですっ!」

 

 きっと胸も太らない。

 女神は基本不変である。

 

「ともかく、気を付けて下さい。

 魔王軍の幹部は強敵です。少し気を抜けば、その瞬間に大変なことになりますからね?」

 

 彼女の幸運は他人の幸福へと繋がる。

 その忠告は、おそらくこの時の彼に最も必要なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔王軍幹部、ハンス。

 幹部の中でも特に高い懸賞金をかけられているその男は、本日魔王に呼び出され、魔王と一緒に食事を取っていた。

 

「この肉美味いっすね、魔王様」

 

「だろう? よく揉んで柔らかくし、スパイスを擦り込んでレアに焼いた。

 希少なスパイスが火に当たることで食欲をそそる香りを掻き立てる。

 焼きの技術と下ごしらえに時間をかける心構えが美味しさの秘訣だ」

 

「家庭的魔王……!」

 

 しかも魔王製の手料理とのこと。魔王に必要なのは部下をまとめるカリスマと言うが、一児の父である魔王がこうして部下の人望を集めているのは少しシュールである。

 

「で、何か用ですかね。大体予想はつきますが」

 

「最近の幹部の動向についてだ」

 

「預言者は相変わらず引きこもり占い師。

 魔王様の娘さんは元気に前線で日々ドンパチ。

 ウィズは相変わらず音信不通。ウォルバクも相変わらず半身探し。

 で、シルビアはまあ、ベルディアの後に続きそうな感じですね」

 

「そうか」

 

「ベルディアが責任感から独断専行して一人でやられちまいましたからね。

 あいつはあの時の王都戦で自分だけ負けたのを少し悔やんでいました。

 口にも態度にも出してはいませんでしたが、付き合いも長いんですし分かるってもんです」

 

 仲間の死に悲しみはない。ただ、仲間への理解はあった。

 

「シルビアはその内一人で勝手に因縁の相手に突っかかって行くでしょうな。

 ウォルバクも正直怪しいかと。展開次第じゃ、幹部は四人しか残らないかもしれんです」

 

「やはりそうか」

 

「俺が先んじてやっておきましょうか。

 今幹部に注目されてる『奴ら』を先に殺しておけば、不確定要素は無くなるでしょう」

 

「頼めるか?」

 

「ええ、勿論。こいつが俺の得意分野です」

 

「すまないな。昔ほど幹部に言うことを聞かせられないのが現状だ」

 

「俺は忠実に魔王様の命令に従いますよっと。大船に乗った気でいて下さい」

 

 幹部が単独で独断専行し、やられてしまう可能性を消すために、幹部が単独で人間を抹殺に動くという矛盾。

 だが、それを矛盾にさせないだけの実力と実績が、ハンスにはあった。

 魔王はハンスを信用している。

 紅魔族やアクシズ教徒等、この世界における滅ぼそうとしても滅ぼせないデタラメ勢を幹部一人に処理させるのであれば、迷わずハンスを選ぶほどに。

 

()()()()()()()()()でお前に勝てるものは居ないだろう、ハンス」

 

「ま、そうでしょうな。

 俺としては人型は別に好きじゃないんですがね。

 知性が高いモンスターが大体人型に近付いていくのは、どうにも不思議ですよ」

 

 悪魔や上位のモンスターなど、人語を解するような高度な知性を持つ生物の大半は、人に近い姿をしていることが多い。

 二足歩行で両手を使い、人の五体に悪魔やモンスターのパーツを付けたようなシルエットがよく見られるのだ。

 

「ドラゴンのように力が高まっていっても、人型には近付かんからな。

 それに関しては面白い考え方がある。『収斂進化』を知っているか?」

 

「いえ、初耳です」

 

「ここではない場所で生まれた考え方だ。

 異なる場所で全く異なる生物が似た形に進化することを言う。

 進化の環境が似ていたから、その生物が求めた体の形が似ていたから、などと考えるのだ」

 

「そら随分と遠い所の学問っぽいですね。収斂進化、か」

 

「あくまで個人的な考えだが……

 魔法やスキルを使うのに人型という形が向いているのではないだろうか。

 魔法やスキルは、『人間の手』を基点として扱われるものが多いからな」

 

「おお、それは何か新しい考えに思えますねぇ。魔王様学者にもなれるんじゃないですか?」

 

「いや、ワシは……世界が別でも、同じような形に『人間』が仕上がる理屈を探しただけだ」

 

「?」

 

 この魔王は、時々この世界の住人にはよく分からないことを言う。

 

「そういう考え方をすればお前もそうだ、ハンス。

 "人を殺すには人の形が一番だ"。そうだろう?

 だからお前も今、人の姿をしている。

 人を殺しながら進化してきた人間という生物と、今のお前の姿は似ていると言える」

 

「成程、面白い考え方ですね」

 

 魔法を使うのに人型が向いているのかもしれない、だの。

 人を殺すのに最も向いている形が人型なのかもしれない、だの。

 魔王は突拍子も無い発想、言い換えるならばこの世界の人間には無い発想を持っている。それが今回の『人類滅亡』に手をかけるほどの魔王軍の快進撃の真相だ。

 つまり、魔王が歴代魔王と比べても変わり者なのである。

 

「が、決まった形が優れてるからそこに収束する、みたいな話は同意できませんなあ」

 

「ほう?」

 

「俺は最も優れた生物は不定形生物だと信じてますよ。

 何せどんな形にもなれますからな。

 物理攻撃が効かず、魔法にも強い。食べる物も選ばない。生命力も強いってもんです」

 

「自らの種族に誇りを持つのは良いことだ、ハンス」

 

「でしょう? 決まった一つの形が優れてるなんて認識、俺がすぐに改めさせて見せますよ」

 

 ハンスは変異種のデッドリーポイズンスライム。

 形無きモンスター達を代表する―――()()()()とも呼ばれるモンスターだった。

 

「さしあたってはその優れた形の人間とやら。俺が数減らして来るとします」

 

 その能力の恐ろしさを真に知る者は、おそらくハンスに殺された者しか居ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カズマが特に仲が良い女性上位二人を挙げれば、それはアクアとダクネスになる。

 むきむきの場合だと、それはめぐみんとゆんゆんになる。

 幼馴染というのは、幼少期からの繋がりがある分家族のような気安さもあるのが特徴だ。

 カズマと出会ってからも、むきむきは変わらずこの二人を関係の最上位に置いている。

 

 奇妙な話だ。

 むきむきの身の上の全てを知ったカズマもそう思っているだろう。

 むきむきの前世の親友にして幼馴染と、今世の親友にして幼馴染が同じ冒険者パーティに揃っているのだ。奇妙な縁を感じない方が変だろう。

 

 幼馴染が前世今世のむきむきの手を引いているのも同じ。

 むきむきを一方的に庇護しているようで、その実助け合うような関係になっているのも同じ。

 幼馴染がくれたものが、むきむきの柱になっているのも同じ。

 カズマからすれば、喜べばいいのやら悲しめばいいのやら、複雑な心境だった。

 

 その影響が無かったとは言えないだろう。カズマとアクアは今アクセルの街を離れていた。

 とはいえ、パーティ内の空気が悪くなった・喧嘩したなどということはない。

 ただ単に、カズマが『一区切り』を求めただけだ。

 戻ってきたその時には、カズマもいつも通りの彼に戻っていることだろう。

 

 しからば何故アクアとカズマだけで行ったのか。

 カズマが一旦むきむきと離れてみようと考えていたのは事実だが、街を離れた理由は正確にはそれではない。アクアが勝手に一人で出て行ってしまったのだ。

 話によれば、アルカンレティアで大規模な食中毒事件があったらしい。

 それで信者を救おうとアクアが動き、彼女を連れ戻すべくカズマが後を追ったというわけだ。

 

 アクアは魔王軍に目を付けられている。単独行動など以ての外だ。

 比較的速やかに、かつ魔王軍に気取られないようこっそり連れ戻してくる、というのが一人で出立したカズマの言い分であった。

 理屈は通っている。

 が、その目的は前述の通り、気持ちを切り替えるきっかけとするためのものだった。

 

 そんな彼らの心中を知ることもなく、むきむきは今日もアクセルの街を歩いている。

 

(……穏やかだなあ)

 

 アクセルの街の賑やかさは変わらない。

 変わったのは、むきむきの周りだけだ。

 

(カズマくんとアクア様が居ないとちょっと静かに感じる。なんだか寂しい感じ)

 

 騒々しいあの二人が居ないだけで、むきむきは少し静かに感じてしまっていた。

 彼の人生を振り返ってみれば、カズマとアクアが一緒に居なかった時間の方がずっと長かったというのに、だ。

 

(ああ、そういえばレインさんも言ってたなあ。

 人は繋がっていって交流していって、集団や国ってのはそうやって出来るんだって。

 不思議だ、カズマくん達とは何年も付き合ってるわけじゃないのに。

 あの二人が居ないだけで、ちょっと寂しく感じちゃうような仲になったんだなあ)

 

 人との繋がりは不思議なものだ。

 出会って、出会った人がいなくなると、元に戻っただけのはずなのに寂しく感じてしまう。

 街を歩くむきむきの心情は顔に出ていたようで、一緒に歩いていためぐみんとゆんゆんの両方がそれを察していた。

 ゆんゆんが"どう話しかけよう"と迷ってる間に、めぐみんがさっと切り込んでいく。

 

「むきむき、どうしたんですか?」

 

「カズマくんとアクア様、大丈夫かなあって」

 

「大丈夫でしょう。

 二つの街のテレポート屋が皆体調不良だったのは不運でしたが……

 馬車でアルカンレティアに行って、アクアを連れ戻すだけですからね」

 

「こういうとこは不便だよね、テレポート。全部人力の移動手段だから」

 

 テレポートは人の手で行われる長距離転送だ。当然テレポートができる希少な人間が病気や過労で寝込めば、それだけで使用不能になる亜種陸路である。

 アルカンレティアのテレポート屋は食中毒、アクセルのテレポート屋はよく分からない体調不良で高レベルプリーストの治療待ちらしい。

 カズマとアクアは、すぐ帰って来れるというわけでもなさそうだ。

 

 今、紅魔族三人組は買い物に出ている。

 それというのも、今の彼らが何気ない日常の一幕を楽しんでいるからであった。

 

「ゆんゆんは本を買いたいんだっけ?」

 

「うん、暴れん坊ロードの最新巻。むきむきは娯楽本あまり読まないんだよね?」

 

「そうだねー、余分な時間があったら肉体の鍛錬やってたりするから」

 

「私がオススメの本を貸したら読みたいと思う?」

 

「うーん……実はちょっと、興味があったりする。

 めぐみんもゆんゆんも本読みだから、共通の話題があったら嬉しいよね」

 

「じゃ今日は、私がむきむきに本を買ってあげる!

 同じ作品の話が出来たら嬉しいって思うのは、私も同じだもの!」

 

 本を読む日常があり。

 

「あ、タバコの大安売りしてますね。

 ……毎度思うんですけど、タバコって何がいいんでしょう?

 体に悪いだけだと皆分かってるのになんで買っちゃうんでしょうね」

 

「必要なものだけで生きていけるのが人間じゃないよ、めぐみん」

 

「うーん」

 

「こう考えてみたらどうかな。

 喫煙家にとってのタバコは、めぐみんにとっての爆裂魔法と同じ。

 なくても死なないけど、人生にとって必要なものだってことには変わりない大好きな物」

 

「タバコ買う人にも一理はあると思うんですよ」

 

「か、変わり身が早い!」

 

 半ば冷やかすようにタバコ屋の前を通り過ぎる日常がある。

 

「あ、見て見てこれ。屋敷のカーテン張り替えるのにいい布じゃない? 量もあるわよ」

 

「ゆんゆん、カーテンって何かあったっけ?」

 

「あ、その話した時はむきむき居なかったんだっけ?

 屋敷のカーテンが黄ばんできてたから、私達で張り替えようって話があったのよ」

 

「カーテン……この布の柄見てると、僕らの昔のことを思い出すなあ。

 めぐみんがゆんゆんの家でカーテン掴んでくるっと回って遊んでたっけ。

 カーテンにくるまって顔だけ出してるめぐみんが、変なモンスターみたいだったよね」

 

「そういうのはさっさと忘れましょう、むきむき。私の恥ですから」

 

「そう言うめぐみんは僕の恥忘れないくせに」

 

 服飾店周りを巡る日常があれば。

 

「あ、鎧が並んでますね。町の外から来た行商人でしょうか」

 

「……むきむきの体に合いそうなサイズは無いわね。

 むきむきも防具着けてもいいと思うんだけど、普通の金属より筋肉が頑丈だから……」

 

「僕は防具の強度に影響を与えるスキルも持ってないから、ただの重りだよねぇ」

 

「防具じゃないにしろその体の大きさは問題ですよ。普通の服も合うものがないでしょう?」

 

「あ、カズマくんが近い内に裁縫系スキル取ってくれるんだって。

 僕の体格に合う服適当に作ってくれるって言ってたから、もう心配要らないよ」

 

「「!?」」

 

「カズマくん小器用というか多芸だよね」

 

「どの職業のスキルも取れるとはいえ、カズマはどこを目指してるんですか……?」

 

 変なことに驚く日常もある。

 

「というかそんなにヘンテコなスキルばっかり取ってカズマさんポイント足りるの?

 私達みたいに必要な戦闘用スキルが最初から揃ってるわけじゃないんでしょ?」

 

「大丈夫、僕らで一緒に修行してるから!」

 

「修行って……男の子ですねえ」

 

 修行が合間に挟まれる日常もある。

 

「でも、修行や買い物に一日使える日々ってのはいいものね。

 私もたまにはこういう日があると心が休まるし、肩の力が抜けるもの」

 

「毎日戦ってたらそれこそ修羅ですよ。人間のする生活じゃないです」

 

「毎日爆裂魔法撃たないと気が済まないめぐみんが言うと説得力無いね……」

 

「爆裂魔法は生き様です。私が生きる限り一分一秒の間断も無く続くものなのですよ」

 

 こんな日があるというだけで、人生は楽しいといえるのだ。

 毎日休まず戦うだけの人生は、きっと地獄と呼ばれるものだろうから。

 

「あ、ダクネスさんとミツルギさん発見」

 

「え、どこですか? むきむき目が良いから私達時々ついてけないんですが」

 

「そういえばむきむき、魔剣の人のこといつからか勇者様って呼ばなくなったね」

「んなこたどうでもいいんですよゆんゆん」

 

「ダクネスさんはあそこ。

 お店で女の子向けの小さいぬいぐるみを凝視してるね。

 ミツルギさんはあそこ。

 ポーションと携帯食料を、仲間の二人と一緒に買ってるみたい」

 

「あのダクネスに声かけたら、一週間はダクネス恥ずかしがりますよ。面白そうです」

 

「一緒にご飯食べようとか誘ってみようか?」

 

 めぐみんにからかわれながら引っ張られてくるダクネス。

 むきむきの誘いを一も二もなく受けたミツルギ。

 ミツルギの隣の席を高速で確保するクレメアとフィオ。

 むきむきの横にちょこんと座るゆんゆん。

 カズマとアクアが居る時ほどではないが、それでも楽しい騒々しさが戻って来て、少年の中の小さな寂しさが薄れて消えていく。

 

「サトウカズマとアクア様が二人だけでアルカンレティアに!? それはもしやデートでは!?」

 

「落ち着いてくださいよ魔剣の人」

 

「ミツルギだ! 覚えてくれ!」

 

(今日は生憎の天気だけど、平和でいい日だなあ)

 

 めぐみんが女性らしさをどこかに捨ててきたような食べっぷりを見せ、ダクネスがゆんゆんに聞いて無難なものを頼み、ミツルギが二人の仲間の間であたふたしながら注文して、オープンカフェのようなその場所で、むきむきは笑いながら食べ物を口に運んで……

 

 突如路上で倒れた数人の人達を見て、目を見開いた。

 

「……え?」

 

 ばたり、ばたり、と人が街のいたる所で倒れ始め、むきむき達は急いで倒れた人達の下に駆け寄った。抱き起こした人達の顔色は極めて悪い。

 

「大丈夫ですか!?」

 

「呼吸が浅くて不規則だ……これは、まずい!」

 

「ここからならエリス教の教会が近いです! 急いで運びましょう!」

 

 倒れた人を抱え上げ、教会のプリーストの下まで運び込む。

 だがそうして教会に辿り着いた彼らが見たものは、教会に集う数え切れないほどの人々――倒れた人と同様に苦しんでいる――だった。

 苦しそうにしながら教会まで歩いて来た人、息も絶え絶えでここまで運び込まれてきた人、症状の重軽はそれぞれ異なるようだ。

 

「こ、この人数の病人って……!?」

 

「明らかに普通じゃありません!」

 

 この街においてこの手の異常事態に対応できる場所は何箇所かあった。

 教会、プリーストによる私営の治療施設、冒険者ギルドなどがそれにあたる。

 だが、そうして運び込まれる人間は何箇所かに分散されているはずなのに、エリス教会は過度の運び込みでパンク状態になっていた。

 今、この街で倒れている人間は何人居るのか。想像するだけで恐ろしかった。

 

「とにかく、ギルドの方に行ってみよう。何か情報が入っているかも―――」

 

 エリス教会を離れ、むきむきに率いられた彼らは冒険者ギルドに向かう。

 

「……けほっ」

 

 だが、既に手遅れだった。

 むきむき達がむせ込み、苦しみ、全身に走る激痛・倦怠感・脱力感・嘔吐感・掻痒感に死んだ方がマシなくらいの地獄の感覚の中、倒れていく。

 めぐみんは嘔吐し、痙攣して倒れる。

 ゆんゆんは念のため程度に取っていた耐毒スキルが働いたものの、終わりなく続く咳に呼吸困難に陥っていた。

 ミツルギはずっと前に取り鍛え続けてきた状態異常耐性スキルが上手く働いたが、立っていることも出来ず膝をついてしまう。

 クレメアとフィオもミツルギには及ばないものの状態異常耐性を持っていて、高レベル相応にそれを鍛えていたが、今は洗剤をかけられた虫のようになってしまっていた。

 平気そうなのは、ダクネスくらいのものだ。

 

 むきむきもまた、めぐみんと同じように耐毒効果を持つスキルを取得していなかったが、桁外れの体力と肉体性能で、なんとか膝を地に着けるに留まった。

 

「げほっ、げほっ、ゲホッ、ゲホッ!」

「ぐっ、ずっ、あぐ、あっ!?」

「あ……え?」

 

 目眩がする。

 吐き気がする。

 徐々に力が抜けていく。

 最初は死にたくなるくらいの腹痛だけだったのに、それが内臓全てに広がっていく。

 上手く息ができなくて、頑張って呼吸をしても肺が酸素を取り込んでくれない。

 正座を何時間も続けた後のような痺れが、手足から広がってくる。

 

 むきむきは地獄の苦しみの中、ダクネスが無事だったこと、体の大きい自分がめぐみんよりも症状が軽かったことから、直感的に正解に辿り着く。

 

(―――毒ッ)

 

「吐いて下さい! 腹の中の物が原因です!」

 

 むきむきはゆんゆんとめぐみんの口の中に指を突っ込んで、『先程皆で食べた食事』を全部残さず吐かせる。ミツルギもフラフラと仲間の二人に同じような行動を取っていた。

 むきむきは解毒ポーションでめぐみんとゆんゆんの口の中をゆすぎ、次いでそのポーションと回復のポーションを混ぜて少しづつ飲ませていく。ミツルギもそれを真似ていった。

 

「くくくっ」

 

 ダクネス以外はほぼ死にかけとなった彼らの前に、そうして『黒幕』が姿を現す。

 

「遅効性の毒ってのは、案外分からないもんだろ?」

 

 無様な彼らを鼻で笑うその男は、彼らが先程食事をした店で、食事を配膳するウェイターをしていた男だった。

 

「お前、か……!?」

 

「おう」

 

「何を、した!?」

 

「お前らには直接食事に毒を盛って、街は生活用水と搬入食料に毒を混ぜ込んだだけだ」

 

「……!?」

 

 この男がしたことはシンプルだ。

 定期的にこの街に大量に運び込まれる食材に、時間差で作用する毒を混ぜた。

 この街で使われている生活用水の大本に、時間差で作用する毒を混ぜた。

 そしてむきむき達の食事に、上記二つの毒とは比べ物にならない毒性の、時間差で作用する毒を混ぜて食べさせた。

 

「死ぬか死なないか微妙なラインの濃度で生活用水や食料に混ぜた。

 そうすりゃ倒れた奴を助けるために、残った奴の手も塞がるだろうからな」

 

 この男は毒の使用において、二つの目標を設定していた。

 一つは即死にならない程度の毒で、街を混乱に陥れ街の機能を止めること。

 そしてもう一つが、むきむき達を殺すことだ。

 むきむき達は高レベル冒険者の体力で即死を免れたが、おそらく桁外れの状態異常耐性を持つダクネス以外は、あと10分も生きてはいられないだろう。

 

「どう、やって……街のそういう急所には、ギルドが対策を……」

 

「食った奴と同じ顔になれる能力がありゃ怪しまれない。

 自分の体から毒が出せるなら検問の持ち込み物検査にも引っかからない。

 楽なもんだ、街の中で安心しきってる奴を毒殺するなんてことは」

 

 ()()()()を殺す毒のような能力を持つその男は、顔の形を変える。

 男が変えたその顔にミツルギは見覚えがあり、"手配書で見た顔だ"と思わず息を飲んでしまう。

 多様で驚異的な能力を持つ、その男の名は。

 

「その顔……魔王軍幹部、ハンス!」

 

 デッドリーポイズンスライムの、ハンスといった。

 

「捕食した人間に擬態する能力……!

 冒険者の大半を即死させる猛毒……!

 街一つを余裕で手にかけられる毒の量……!

 対処困難な毒殺に、対軍レベルの虐殺能力、これはっ……!」

 

「おお、分かるか優等生。ご褒美に念入りに殺してやるよ」

 

「殺されて、たまるか!」

「援護する!」

 

 ミツルギが気合で立ち上がり、この場で唯一毒を歯牙にもかけていないダクネスと並んで、ハンスに切りかかっていく。

 

「ほら、復讐の時間だ。上手くやれよ、ベルディアの元部下達」

 

 だが、ハンスはそれを相手にもしない。

 ベルディアが死んだことで誰の配下でもなくなったアンデッド達を呼び寄せ、毒で動きが鈍ったミツルギ、それを守ろうとするダクネスに襲いかからせていた。

 

「っ!」

 

「ほら、避けてみな!」

 

 更に、ハンスは手を思いっきり振って、そこに毒の雨を降らせる。

 毒の雨はミツルギの肌から体内に染み込んでその命を削り、アンデッドの肌に触れても既に死んでいる彼らには影響を及ぼさない。

 アンデッドに群がられ、動きを止められたミツルギとダクネスは、毒の雨を思いっきり頭からかぶってしまっていた。

 

 毒の雨は粘性が高く色素も濃いものであり、ダクネスに対しては視界を塞ぎ、ミツルギに対しては命を削る効果があった。

 それが絶妙な援護となり、アンデッド達が振るう剣が人間を襲う好機となる。

 剣はミツルギの肌を浅く裂き、ダクネスの肌には弾かれ、傷口から『剣に塗られた毒』が体内に侵入していった。

 

「アンデッドに効かず生者には効く毒ってのは多いんだよな、当然ながら」

 

「くっ、あっ……」

 

「今使ってる毒はアンデッドには効かない毒で、そいつらの剣にもたっぷり塗ってある毒だ」

 

 ハンスは毒使いの魔王軍幹部だ。

 使う部下を選べば、こうして一方的に範囲攻撃を当て続けられる。

 部下の武器が剣だろうが矢だろうが、自分の能力でその攻撃力を飛躍的に増大させられる。

 一方的な虐殺に近いハンスの猛攻を食らったミツルギは、地面を這うようにして、既に絶命したクレメアとフィオの死体にすがりつく。

 

「くれめ……ふぃ……」

 

 そして、ミツルギも絶命した。

 ダクネスは単独でハンスと対峙せざるを得なくなる。

 彼女は横目にむきむきの方を見るが、唯一動けるむきむきが解毒と回復のポーションでめぐみんとゆんゆんを延命しているだけで、五分後には三人全員死んでいてもおかしくない状態だった。

 ウィズは基本中立。バニルも性格がアレ。大半の冒険者は毒で倒れている。助けは来ない。

 私がやらなければ、とダクネスは覚悟を決めた。

 

「解毒できる女神が居なけりゃ、お前らはこんなもんだ。分かったか人間共?」

 

「……そういうことか。今ここにアクアが居ないのは、偶然ではないのだな」

 

「安心しきったやつほど気軽に毒を食む。

 生物ってのは何も食わずに生きていけるもんじゃねえからな、毒は最大の牙になる。

 ただの食中毒だと思ったか? 食中『毒』を演出するなんざ楽なもんだ」

 

「卑怯者が、恥を知れ!」

 

「戦争で卑怯だ汚いだ言ってどうすんだ?

 護衛のお前らを片付けたら、次は女神だ。ゆっくり料理してやる!」

 

 アルカンレティアで食中毒事件を起こす。テレポート屋を潰して日数のかかる移動手段を使わせる。そうしてアクアをアクセルから引き離してしまえば、アクセルの攻略など楽なものだ。

 それが成功しなかったとしても、アクアとその仲間の分断が成功するまで手を打ち続ければいいだけの話でしかない。

 分断さえできれば、この通りハンスは余裕でアクアの仲間達を皆殺しにできるのだから。

 

「行くぞ!」

 

 ダクネスはハンスを組み伏せ、地面に組み伏せてから大剣で首を刎ねようとする。それなら器用度が低くても殺せるからだ。

 だが踏み込んだダクネスの足に、アンデッドが組み付いてくる。

 更に上半身にアンデッドが体当りして来て、ダクネスは仰向けに倒されてしまった。

 

「くっ」

 

 アンデッドに手足を抑えられたダクネスの腹を、ハンスが踏んで押さえ付ける。

 そして、ハンスの手がダクネスの首にかかった。

 

「っ!?」

 

「お前も面倒な手合いだった。

 俺が戦闘に使う毒に耐えて戦闘を続けられるのは、お前と女神だけだからな」

 

 弱い毒でも街の人間全てを病気にできる。無味無臭に時間差で作用するという暗殺毒も使える。戦闘毒なら高耐性の人間でも即死させられる。それがハンスの毒だ。

 だがその毒にさえ、ダクネスは耐えてしまう。

 ハンスは考えた。

 この厄介な敵を倒すにはどうするべきか考えた。

 捕食か、毒殺か。

 彼は人型の姿を維持したままで倒す手段として、毒殺を選んだ。

 

「事前に計算しておいた。お前の耐毒耐久を抜くのに必要な時間は、17秒」

 

 ハンスはダクネスの首に触れた手から、直接大量の毒を注入する。

 ダクネスはもがいて逃げようとするが、大量のアンデッドに手足を抑え付けられて動けない。

 

「ぐっ……はな、せっ……!」

 

「動きさえ止められるんなら、十分な時間だ」

 

 ほどなく、ダクネスの反抗は弱まり、動かなくなる。

 クレメア、フィオ、ミツルギに続いて、ダクネスも絶命していた。

 ハンスはアンデッド軍団を背後に従え、瀕死のめぐみんとゆんゆんを延命している瀕死のむきむきに視線をやった。

 

「水に毒を混ぜた。

 食に毒を混ぜた。

 街に毒をバラ撒いた。

 武器にも毒を塗ってやった。こんだけやりゃ、十分だろ?」

 

 そして、ダクネスの死体を脇に蹴って転がす。

 それがむきむきの逆鱗に触れた。

 怒りが彼のリミッターを引きちぎり、壁になっていたアンデッド達が一直線になぎ倒され、一瞬にしてむきむきの拳がハンスの片腕を吹き飛ばす。

 

「……! まだここまで動けるのか!」

 

「お前は絶対に許さない! ここで僕が、刺し違えてでも倒す!」

 

「だがなあ、俺に物理攻撃は効かねえんだよ!」

 

 吹き飛んだように見えた腕が、ビデオの巻き戻し映像のように再生する。

 スライムに物理攻撃は意味を成さない。それがこの世界の常識だ。

 それどころかスライムの毒が触れた肌から染み込んで来ることも、触れた部分からスライムに捕食されてしまうこともある。

 素手で戦う人間にとって、毒のあるスライムは最悪の天敵なのだ。

 

「……!」

 

 だが、怒りに任せたむきむきはその条理さえ踏破する。

 音より速い拳のラッシュは絶え間ない衝撃の壁となり、副次効果として暴風のような衝撃波を幾重にも発生させ、『擬似的な風魔法』となってハンスの上半身を微塵に吹き飛ばした。

 筋肉魔法を使うむきむきからすれば、この程度のデタラメは息を吸うのと変わりない。

 

「はっ、化け物かよてめえ」

 

 されどこれでも終わらない。ハンスは上半身を瞬時に再生し、至近距離に迫ったむきむきの顔面に口から毒霧を吐く。

 毒霧は猛毒と強酸の両方の特性を持ち、むきむきの顔面を溶かし焼く。

 眼球が焼けて視界が奪われる。

 顔が溶けて見るも無残なケロイド状になる。

 喉が焼けて、息をするのが更に辛くなる。

 激痛が意識を半ば飛ばし、激痛の後には新しい毒の苦しみが待っていた。

 

「ぐあああああっ!?」

 

「だが、分かった。お前はここで俺が倒しておかないとヤバい奴だな」

 

 ハンスは自分以外の幹部であれば、この少年に倒されかねないと危惧する。

 無論、幹部の多くはむきむきとの戦いに勝利できるだけの力があり、それぞれが魔王軍幹部の名に恥じない力を持っている。

 だが、ハンスにそう危惧させるだけのものが、この少年にはあった。

 ハンスは視力を失い苦しんでいるむきむきを捕食するべく動く。

 

(私が、やらないと)

 

 そんなハンスに、ゆんゆんが杖で狙いをつける。

 ゆんゆんの体は毒に蝕まれ、一発魔法を撃てばその反動で死にかねないほどに弱っている。

 視界はおぼろげで、体に力は入らず、呼吸をすることさえ億劫で、"このまま死んでしまった方がいいんじゃないか"と思ってしまうくらいに苦しい。

 それでも友を助けるため、ゆんゆんは倒れたまま杖を構えた。

 

 だが、魔法は放たれない。

 

(……! 駄目よ! 魔法耐性が高いスライムには上級魔法を使わないといけない!

 でも上級魔法だと、最悪ハンスの猛毒の体が街中に飛び散っちゃう!

 上級魔法が駄目なら、めぐみんの爆裂魔法も使えない! ここは街中なんだから!)

 

 ゆんゆんは誰よりも早く気付いた。どうしようもなく手遅れなタイミングで気付いた。

 全身これ猛毒であるハンスが、人の街の真ん中で戦っているという事実の危険性に。

 ハンスは人の街の中で戦う限り、街を人質に取って戦っているも同義。

 下手に上級魔法を撃てば、倒せないままに街を人が住めない場所にしてしまいかねない。

 

 アクセルの街が潰されれば、魔王軍が戦略的に勝利してしまう。

 

 ハンスは凝縮された毒の塊だ。

 その毒性と濃度は、ダクネスの状態異常耐性を貫通した先の一幕でゆんゆんも思い知っている。

 手が出せない。迂闊な魔法は使えない。

 ゆんゆんは一秒足らずで毒に侵された頭を回して、この状況からハンスに有効な魔法を探して考察を積み重ねる。

 そして、ハンスの肉片を飛び散らせない、氷の魔法を選択した。

 

「『カースド―――」

 

「お、それに気付くか。大正解、満点をやるよ」

 

 しかれども、毒で頭と体の動きが鈍ったゆんゆんの動きでは機敏さが足りない。

 ゆんゆんが魔法を撃とうとした瞬間、"地面の下からスライム状の触手が出て来て"、ゆんゆんの足に触れて毒を流し込んだ。

 

(!? 足元から!?)

 

「生存権はやらないがな」

 

 スライムの強みは、不定形であること。

 大きく育ったスライムの強みは、悪食であること。

 地面の中に触手を通して、視界外の地下から奇襲することなど造作もない。

 不定形である生物の強みは、定形生物である人間には想像し難かった。

 

「あ……ぅ」

 

「だから詠唱封じに、死ぬまでゲロ吐く毒と死ぬまで咳をする毒を加えたんだがな。

 お前ら紅魔族ってのはちまちま細かい所で面倒臭いから手に負えねえよ、まったく」

 

 流し込まれた毒により、ゆんゆんまでもが毒死してしまう。

 心臓は止まり、息の根も止められる。

 むきむきは目を潰された身でありながら、それを気配で感じ取っていた。

 

「お前っ……!」

 

「すぐに後を追わせてやるよ」

 

 むきむきはまだギリギリで息がある――息があるだけで指一本動かせない――めぐみんの前に立ちはだかり、ハンスの攻勢を迎撃した。

 ハンスが差し向けたアンデッド軍団を片っ端から殴る蹴るして破壊し尽くし、接近してきていたハンスの鼻っ面に蹴り足を出す。

 ハンスは反射的に身を引き、蹴り足はハンスの鼻先をかすめていった。

 

 目だけに頼らず肌で感じて迎撃するのは、今ハンスに殺されたゆんゆんとの特訓でむきむきが身に付けたものである。

 動きの精度はかなり落ちていたが、それでもめぐみんを守るには十分だった。

 

「近付けば、殺す」

 

「おお、おっかないな」

 

 むきむきはめぐみんを庇って立ち続ける。

 そんなむきむきに、ハンスは毒を射出した。

 めぐみんを庇うむきむきはかわせない。それを受けるしかない。

 人間離れした体力が、耐性持ちの冒険者をも即死させるハンスの毒により、釣瓶を落とすような勢いで削られていく。

 

「……っ!」

 

「なら、じっくり死ね」

 

 むきむきに接近して殴られるなどというリスクを、ハンスはもう侵さないだろう。

 後は安全圏から死ぬまで毒を当て続けるだけで彼は勝てる。

 桁外れの体力を持つむきむきも、高レベルになる過程で得た体力でここまで毒に耐えてきためぐみんも、あと十数秒で死ぬ。

 

 これが、ハンスの賞金が特に高い理由だ。

 プリースト適性を持つものが多くないこの世界において、彼が恐れられる理由だ。

 擬態に猛毒という凄まじい能力を持ち、実際に戦闘することになってもとてつもなく強い。

 魔王軍幹部の中でも飛び抜けて危険な男。

 

 『毒』という名の、絶対的な『人の天敵』。

 

 古今東西、毒はあらゆる世界で多くの人間を殺してきた、人類史有数の殺人道具だ。

 それは本来、敵に使わせていいものではない。

 人類史において敵にそれを使われた人間は、そのほとんどが死に絶えてきた。

 

「じゃあな」

 

 ハンスがトドメとなる毒を放った。全てが終わる。ここで終わる。

 

 

 

 

 

「狙撃」

 

 

 

 

 

 鬱々とした時間は、ここで終わる。

 

 どこからともなく飛んで来た矢が、最後に放たれた毒を撃ち落としてくれていた。

 

「何!?」

 

 矢が飛んできた方をハンスが見れば、そこにはカズマとアクアの姿。

 そして先程殺したはずのミツルギ達の姿もあった。

 むきむきとめぐみんに、高度な解毒と回復の魔法が飛んで行く。

 

「俺の矢は『幸運』で当たる」

 

「お前達は……!」

 

「残念でした! あんたが出した毒は全部消して、殺した人は全員蘇生しちゃったわよ!」

 

 蘇生、解毒、浄化。全部アクアの得意分野である。

 アクアが帰って来た以上、ハンスがこの街にもたらした絶望は全て消し去られるが道理だ。

 だからこそハンスはアクアがすぐに帰って来れないよう徹底して工作した。

 だからこそ。アクアがここに居るということは、絶対におかしい。

 

「いや、おかしい! お前らが間に合わないよう、俺は最大限に手を尽くした!

 そしてその内にこいつら全員死体も残さず処分する予定だったんだ!

 全ての交通手段は封じていた! お前達がこのタイミングで帰って来れるわけがない!」

 

「先月くらいにこれやられてたら、まあどうにもならなかっただろうな、俺達は」

 

 カズマはドヤ顔で習得済み魔法欄に『テレポート』と書かれた冒険者カードをハンスに見せた。

 

「最近の俺、テレポート取得してもスキルポイント50くらい余ってる男だから」

 

「なんでだッ!」

 

 ダン、とハンスが地面を叩く。

 

「おかしいだろそれは!

 スキル取得に本職よりスキルポイントがかかるのが冒険者だろうが!

 それだけのポイントが溜まるわけがないだろ! 他にもスキル取ってるはずなんだからよ!」

 

「俺に説明する義務とか無いと思うんだが」

 

「ぐっ……」

 

「ま、なんというか、奇遇だよな。

 このポイント稼ぎのために毒耐性取ったってのに、真っ先に毒の幹部が来るんだから」

 

「何?」

 

 カズマは"魔王軍間で情報が共有されていない"という情報を得て、それをきっかけに多少魔王軍内部のことを察するが、とりあえずそれは脇に置いておいて煽り始めた。

 

「アクア、笑ってやれ!」

 

「プークスクス! ねえどんな気持ち? 勝ったと思ったら逆転されてたのどんな気持ち?

 殺したと思ったら殺せてなかったのはどんな気持ち? プークスクス!」

 

「アクアが居る限り、お前は毒にも薬にもなれないなんちゃって幹部なんだよ!

 なーにが毒のスライムだ! お前なんざ毒じゃねえ、無毒無薬の水だ水! 水素水以下だ!」

 

「……ぶっ殺す!」

 

 煽られたハンスが、本当の姿を現した。

 

 屋敷サイズにまで巨大化し、毒の息を吐き出しながら、物理と魔法の大半を無効化する超巨大スライムが、アクセルの街のど真ん中に出現する。

 

「行けるなむきむき! 俺達は帰って来たぞ! さあ反撃だ!」

 

「……うん!」

 

 アクセルの街が出来てから初めてと言っていいほどに大規模な、市街戦が始まった。

 

 

 




 個人的に一番『残しちゃいけない幹部』だと思っているハンスさん
 なお、アクア様が天界規定無視の複数回蘇生をまたやったのでエリス様の仕事は増える模様


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4-1-2

 ―――原作で初心者殺しを溶かして殺したハンスさんの攻撃が、ゲロ吐きみたいなモーションから放たれる体液吐きだったなら?


 レッドの発言、イエローの発言、そしてウィズによるスキル『不死王の手』の解説。

 それらを拾っていけば、発想のブレイクスルーで至ることができるものが一つある。

 "不死王の手を使ったスキルポイント稼ぎ"だ。

 

 不死王の手が起こす状態異常には、レベルを下げるというものがある。

 これでレベルを下げても、既に取得したスキルは失われない。

 ならばレベル上げ→スキル取得→レベルダウン→レベル上げのループを繰り返せば、その人間は無制限にスキルポイントを得られるというわけだ。

 

 無論、これも利点ばかりの方法ではない。

 一つ目の欠点は、レベルドレインスキルを自分の力として持っている者が人間側には存在しないこと。そして魔王軍にはウィズしか居ないこと。

 二つ目は、過酷なこの世界において全ての生物は本能的にレベルダウンを恐れるということ。

 そして最後に、このスキルで死ぬ可能性があるということだ。

 

 不死王の手の効果は毒、麻痺、昏睡、魔法封じ、レベルドレインの五つ。

 カズマはウィズの不死王の手でレベルを下げ、むきむきと一緒にレベル上げをするというサイクルを繰り返していたが、本職リッチーの不死王の手ともなれば付与される毒は即死級だろう。

 レベルダウンで体力が下がった人間であれば即死は不可避だ。

 それを回避するには、毒死という未来を捻じ曲げるだけの圧倒的な幸運、それもレベル1の頃から持っているような生まれつきの幸運が必要である。

 それを持っていても運任せ。

 理詰めでこれを運用するためには、毒の状態異常耐性を持たなければならなかった。

 

 耐毒のスキルは毒のダメージを軽減、あるいは無効化する。

 これで即死さえ免れれば、後は解毒し回復すればいいだけの話だ。アクアが居る時であれば死亡さえ気にしなくていい。

 ……幸運、アクアの二重安全装置だけでは飽き足らず、耐毒という安全装置まで盛るのが、実に基本小心者で保守的なカズマらしい。

 カズマはその時持っていたスキルポイントの全てを毒耐性の取得とスキルレベルの上昇に使い、不死王の手サイクルですぐに元を取り、満足するまでスキルポイントを確保していった。

 

 その甲斐あって、カズマは取ろうと思っていたスキルのほとんどを取った上で、そのスキルのレベルを上限一杯にまで上げることが出来た。

 今のカズマはイエローと同じ、スキルを盛れるだけ盛ったオールラウンダー。

 現在の自分のレベル以上にはスキルレベルを上げられないという制限のせいで、スキルレベルこそ一定以上には上がっていないが、それでも極めて多芸な存在となった。

 今の彼はテレポートの魔法さえ自在に操ることができる。

 

 そのため、カズマはとても調子に乗っていた。

 

 

 

 

 

 怪獣サイズにまで巨大化したハンスに、カズマが弓を構える。

 弓矢での攻撃に補正が乗るスキルを複数備えた今、カズマの矢の威力も上がっていた。

 

「狙撃!」

 

 なのだが、その矢は放たれハンスに当たっても、小さな傷一つ付けられないまま飲み込まれてしまった。

 

「……あ、あれ? 狙撃!」

 

 今度はダイナマイトもどきを付けた矢を打ち込むが、ハンスの体内に飲み込まれた爆弾は爆発するも、ハンスの体内を小規模に膨らませるだけに終わる。

 ハンスは体内で生まれた爆発を、軽くゲップのように吐き出した。

 

「……『ライトニング』!」

 

 とうとう習得した中級魔法をなけなしの魔力で撃ってみるが、それも静電気程度のダメージさえ与えられずに霧散する。

 それどころか、レベルリセットで魔力が下がったカズマの魔力は、その一発で魔力の半分以上を消費してしまっていた。

 

「効かねえ!?」

 

 驚くカズマに、巨大化したハンスが毒を吐き出した。

 球体のゲロのようなそれを、跳び上がったむきむきが体で受け止める。

 

「ぐあああああああっ!!」

 

「むきむきー!」

 

 毒はむきむきの膨大な体力を一気に削り、その体を強酸で溶かしていく。

 されども一瞬で殺すには至らず、アクアの回復魔法が間に合っていた。

 

「『セイクリッド・ハイネスヒール』!

 『クリエイト・ウォーター』! 『ピュリフィケーション』!」

 

 致命傷になる傷が消え、連続して毒が水と浄化の魔法により消し去られる。

 水の魔法と水質浄化の魔法は傷口を洗い流し血中の毒も消すという効果を生み、アクアは一瞬にして怪我と毒の両方を無かったことにしていた。

 

「アクア様、ありがとうございます!」

 

「ちょっと、気を付けなさいよむきむき! 死体の損壊が大きかったら蘇生もできないのよ!?」

 

 巨大化したハンスは毒性が増した上、攻撃の規模が拡大している。

 アクアはむきむきに支援魔法を送るが、支援魔法で強化したむきむきでも即死しかねないと、支援魔法をかけているアクア自身でさえ思っていた。

 むきむきに守ってもらって即死を免れたカズマが叫ぶ。

 

「どういうことだアクア! 俺の攻撃全然効かないんだけど!」

 

「そりゃそうよ。だってカズマ、レベルもステータスも凄く低いじゃない」

 

「!?」

 

「スキルだけ取っても全部みみっちい効果になるだけよ。

 しかもあのハンスってやつ、耐性もステータスもサイズも凄いでしょ?

 前から爆弾の固定ダメージに頼りきりだったカズマが倒せるわけないじゃない」

 

「畜生こんなんばっかか! ようやくチートになれたと思ったら!」

 

 スキルポイントを集めてスキルを習得し、ステータスの底上げをするのはいい。だが結局、それはレベルを地道に上げて得た本職のステータスには敵わない。

 技スキルを得て使えるようになった技も、レベルが高い者達が何気なく行う動きには敵わないということさえある。

 レベルドレインで自分のレベルをリセットするということは、すなわち比較的少ない経験値でレベルが上がる低レベル帯をうろうろするということであり、高レベルに至るために必要な経験値の積み上げを脇に置くということである。

 

 言ってしまえば、今のカズマは器用貧乏なのだ。

 攻撃力を始めとした、各種最大発揮値が低いため、単純に強い相手を相手取れない。

 爆弾も比較的大きいものなら威力はあるが固定値ダメージ。流石に高ステータスでこのサイズのハンスに決定的なダメージを叩き込むことはできないようだ。

 

 一種の『酔い』でもあった自分の強さへの幻想が醒めて、カズマもようやく姑息に立ち回るための観察力と思考力が戻って来た。

 そうして気付く。

 ハンスは、明らかに理性的に行動していない。

 アクセルの街のど真ん中に陣取るまではいい。

 ここに陣取っている限り、ハンスに致命打を与えられる上級以上の魔法は使えない。

 なのだがハンスは、その立ち位置を活かしていないように見えた。

 

 街中にガンガン毒を撒き散らしつつアクアを狙えばそれだけで詰みに持っていけそうなものなのに、そうしていない。

 それどころか足元の人間をいちいち気にしている。

 カズマの観察力は、それが知性有るモンスターの動きより、カエルなどの知性の無いモンスターの動きに近いことに、気が付いたのだ。

 

(……ん? あいつ、もしかして理性飛んでるのか)

 

 ハンスが最初から巨大化してなかったことには、ここに理由があった。

 巨大化の際に理性の大半が失われ、本能で動くようになってしまうのだ。

 今やハンスは人間を始めとする食料を狙って動き、片っ端から捕食していこうとするスライムの本能の権化である。

 だからこそ新たに脅威になる部分があり、だからこそ失せてしまった脅威があった。

 

(……だったらまだやりようはあるか?

 アクアがゆんゆん達を治したら、一緒に見晴らしのいい場所に移動すれば……)

 

 カズマはアクアを拾って、ゆんゆんとめぐみんと合流して距離を空けようとする。

 ハンスが撒き散らす毒の息がアクセルの住民を苦しみの内に毒死させていくが、カズマは駆け出そうとするアクアの襟首を掴み、ハンスに捕食される気配がまだないそれらの蘇生を止める。

 

「いい、アクア、あいつらは蘇生しなくていい!

 蘇生してもすぐ殺されて俺達の行動が邪魔されるだけだ!

 後ろ髪を引かれまくる思いだが、死なせとけ! 死んでる奴は毒で殺せない!」

 

「ひどい!」

 

「いいからむきむきとか強いやつだけ死なせないように徹底してくれ!

 多分勝機がワンチャンスあれば良い方だぞ、このクソデカスライム野郎は!」

 

「……あの人達恨みで夢に出るわよ、カズマ」

 

「やめろ! 後で蘇生させても夢に出て来る気がしてくるだろ!」

 

 カズマの判断は正しい。

 毒は死体に蘇生不能な損壊を残していないため、捕食に気を付けていれば手遅れにはならない。

 蘇生する意味がないというのも正しい。

 今の地上で何らかの行動を起こしている冒険者達の行動は、そのほとんどが"ハンスを倒す"という目標達成のためには意味を為さないものだった。

 

 街の様々な場所から魔法が飛ぶ。

 だが、巨大化ハンスには蚊が刺した程度にも効いていない。

 ミツルギとその仲間やダクネス等、物理攻撃を主体とする者に至っては、地上で一般人を抱えて逃げたり避難誘導をすることくらいしかできていなかった。

 

「『ルーン・オブ・セイバー』!」

 

 ミツルギが魔剣の力に自身の魔力を上乗せし、物理攻撃・魔法攻撃・神器攻撃の三重攻撃を叩き込む。が、ハンスの体を裂くことはできても、切った傷はすぐに塞がれてしまう。

 あまりにもサイズが違いすぎた。

 ハンスの体表からスライムの触手が伸びて来たのを見切り、ミツルギはバックステップで跳ぶ。

 

「くっ、このサイズだと流石に駄目か……!」

 

 ミツルギの攻撃は無効化されているが、そもそも彼くらいでなければこのハンス相手には攻撃を仕掛けることさえできない。

 体が大きいということは、身じろぎ一つで大勢の人間さえ飲み込めるということだ。

 しからば近接物理攻撃主体の冒険者は、ハンスに近寄ることが自殺と同義になる。

 ミツルギレベルの速さと見切りを持たなければ、攻撃する前に触れて死ぬか、攻撃した直後に触れられて死ぬかの二択しか無いからだ。

 

 今のハンスに触れれば死ぬ。

 体内に取り込まれれば捕食されて蘇生もできない。

 そしてそのどちらも実行に一秒さえかからない。

 既に前衛は全員役立たずになっているも同然だった。

 

「!」

 

 ハンスの巨体が空を仰ぎ、小さな毒の塊をいくつも吹き出していく。

 まるで、上に向かって唾を吐くような仕草。

 『天に向かって唾を吐く』が如きその姿は、神と人の敵対者に相応しい所業だった。

 地面に落ちれば甚大な汚染を拡大させ、人に当たれば即死させるそれを、むきむきとミツルギは見逃さない。

 

「「 させるか! 」」

 

 むきむきは殴って、ミツルギは慎重に剣の腹で殴って、落ちてくる毒の塊をハンス本体へと打ち返す。

 打ち返された毒はハンスの体内へと還っていくが、その過程で毒に触れざるを得ないむきむきは数秒に一回は死にかけ、そのたびにアクアの回復魔法で持ち直すというサイクルを繰り返す。

 

「っ!?」

 

 だが、流石に二人だけでは余裕も無いようだ。

 打ち漏らした毒の塊がカズマの頭上から降ってくる。

 死を覚悟するカズマ。されども毒はカズマに当たらず、彼を庇った一人のクルセイダーによって遮られていた。

 

「ダクネス!」

 

「間一髪だったな」

 

 ミツルギはカズマ達の方を見てほっとする。

 むきむきはダクネスを信頼していたためか視線さえやっていなかった。

 毒の塊を弾き終えたミツルギが、その場で膝をつく。

 人が顔を洗った時、睫毛に水滴がつくことがある。その水滴サイズの毒の飛沫が、ミツルギの右腕にくっついていた。

 

(……飛沫だけで……これか……! まともに、受ければ、死に、かねない……!)

 

 アクアの魔法が飛んで来てなんとか持ち直すが、ミツルギは動揺を抑えきれていなかった。

 触れれば即死。ならば飛沫にも相応の毒性があると理解してはいた。だが、ここまでのものであるとは思っていなかったのだ。

 

(この毒が街中に飛び散ったらアクセルは大変なことになる!

 あまりにも大規模な威力の魔法はぶつけられない上……

 こいつが街の中を這いずり回ったら、それだけでアクセルが死の街になってしまう!)

 

 アクセルは始まりの街。

 この世界における冒険者達はまずこの街を目指し、この街で冒険者がなんたるかを知り、各々が望む場所・街・戦場へと向かっていくという。

 ここは全ての冒険者が始まりを迎える場所。

 言い換えれば、ここが潰れるということは、人類側の戦力供給の大半が止まるということ。

 

 すなわち、人類の敗北に王手をかけられるに等しいことだった。

 このままハンスが毒を撒き散らしていけば、いずれはそうなるだろう。

 

(師父は一体何を……)

 

 毒性を消された飛沫を拭うミツルギは、ハンスに立ち向かうむきむきの背中を見送っていた。

 

 

 

 

 

 むきむきは三階建ての建物の屋上――ハンスの正面位置のほどよい場所にあったほどよい高さの建物――に立ち、支援魔法で強化された体の調子を確かめるように腕を回す。

 今のハンスと同じ目線の高さ、ハンスが少し体を伸ばせば見下されてしまう高さだ。

 やや緊張するむきむきの足元に、何かが触れる感覚があった。

 

 むきむきが足元を見下ろすと、めぐみんの飼い猫であり使い魔であるちょむすけが、彼の足に体をすりつけて鳴いていた。

 普段はめぐみんの帽子の中に居て、風呂嫌いなもんだからむきむきに定期的に体を拭いてもらっている怠惰な猫である。

 戦いの時には滅多に出て来ないのに、珍しいこともあるものだ。

 

「ちょむすけ? 駄目じゃないか、めぐみんから離れちゃ……あ、毒か。ちゃっかりしてるなあ」

 

 どうやらめぐみんが毒で倒れた時に身の危険を感じ、毒を浴びる前にめぐみんの帽子の中から逃げて、守ってくれそうな人の足元に駆けてきたらしい。

 ……めぐみんが倒されてしまうという事態は、本当に希少である。

 昔からずっと彼女はむきむきという前衛が守ってきて、今ではダクネスという親友までもがめぐみんを守ってくれているからだ。

 その辺りは、めぐみんの態度にも出ていたりする。

 めぐみんがむきむきという守り手に全幅の信頼を置いているのは、アクセルの冒険者ギルド周知の事実だ。

 

 ちょむすけも飼い主に似たのか、あるいは飼い主から学んだのか、むきむきに全幅の信頼を置いている様子。

 「頑張れ」とでも言っているかのように猫は鳴く。

 少年の後ろに隠れる猫の鳴き声は、何故かめぐみんを彷彿とさせた。

 

「応援してくれてるのかな?」

 

 むきむきは気合いを入れ、その気合いで拳を唸らせる。

 

「分かった、頑張る。安全な場所から見てて」

 

 レベルを下げて、低いステータスの上にスキルを山盛りにしたカズマとは対照的に。

 

 強敵を打倒してきたむきむきは、高いレベルと高いステータスをその身に備えていた。

 

「はッ」

 

 裂帛の気合い。

 上半身の服を一瞬で脱ぎ捨てたむきむきが気合いを入れると、膨らんだ筋肉が周囲の空気をそれだけで爆裂させる。

 そして、むきむきは目にも留まらぬ速度での掌底連打を繰り出した。

 

「だらららららららららららッ!!!」

 

 普段の彼の拳は、空気抵抗を極力生まないようにして、敵を吹き飛ばす力も極力生まないようにして、パンチのエネルギーを相手の体の破壊に全て使おうと意識している。

 だが、これは違う。

 この掌底は衝撃波を生むためだけのものであり、空気を叩いて前に飛ばすためだけのものだ。

 つまりは、先の戦いでハンスの上半身を吹き飛ばしたものを拡大化したものである。

 

 掌底の連打が、空気のハンマーを生んでハンスの体をぶっ叩き、後退させる。

 直接殴れば毒で死ぬ? なら、触れなければいい。

 鉄球等を投げたら毒が飛び散る? なら、ハンスの体が飛び散らない飛び道具を使えばいい。

 空気だってハンマーにできるのだ。そう、筋肉ならね。

 

 建物の上から空気を殴ってハンスをタコ殴りにしているむきむきを見て、アクセルの街の冒険者達は歓声を上げていた。

 

「や、野郎……デストロイヤー戦で対巨大生物戦に慣れやがった!」

「いや、違うぜ! 俺は知ってる!

 あのおねショタとかいう上級悪魔との戦い以降!

 あいつは巨大な敵と戦うための修行を、郊外でこっそり続けてたんだ!」

「頑張ってむきむき先輩! 幼馴染にいいとこ見せるチャンスですよ!」

「お前の筋肉の力はそんなもんじゃねえぞ! 爆発させるんだ、力を!」

「皆の衆、解毒のポーションはいかがかな!

 バニル印の無駄に効力も値段も高い解毒のポーションはいかがかな!

 魔王軍幹部クラスの毒でも解除できるが高過ぎるポーションはいかがかな!

 こんな時くらいしか買う必要はないが、こんな時だからこそ役に立つ一品であるぞ!」

 

 逃げる冒険者。応援する冒険者。特に意味もなく煽る冒険者。普段売れない高額商品をここぞとばかりに売り逃げに走る仮面の謎の商人。皆好き勝手していた。

 ハンス相手だと冒険者の大半が役立たずになるのは仕方ないにしても、図太いというかへこたれない者達であった。

 

「お、し、きっ、てっ、やるッ!」

 

 むきむきは凄まじい拳打の連打でエアパンチを叩き込み続ける。

 それは屋敷サイズのハンスという化け物を一方的なボクシングの試合以上にタコ殴りにし、後退させるものだった。

 ダメージこそ通っていないが、ハンスはむきむきに接近しようとしては拳圧に押し返されているため、事実上動きを封じられているに等しい。

 

 空気を弾き飛ばすという無茶苦茶な攻撃の性質上、むきむきの周囲はちょむすけが必死に踏ん張らないとよろめきそうな暴風領域となっていた。

 ここにカズマが居て、風を掴むように指をわきわき動かせば「これおっぱいくらいの柔らかさじゃね?」と言っていたかもしれないくらいの風である。

 おっぱいの風の中、むきむきは相手がただの人間なら圧殺しかねないほどの殺意に満ちた拳圧を叩き込み続けた。

 

 そして、ハンスが動く。

 ハンスは体内で毒を練りに練って、むきむきに狙いを定めた。

 

「!」

 

 少年はそれを察知し、上空へと跳び上がった。

 一瞬後に、狙いを修正し空のむきむきへとハンスが毒の塊を吐き出す。

 その一瞬後に、むきむきは空を蹴って横に跳ぶ。

 むきむきに回避された毒の塊はアクセルの近辺の森、モンスターが生息する森林地帯の端に着弾して、無数のモンスターと森林と土壌をまとめて『毒殺』した。

 死体になったモンスター、枯れる森林、微生物さえ死に行く大地。

 空から見下ろすむきむきが、それを見て驚愕の声を漏らすのは当然のことだった。

 

「なんて汚染……!」

 

 ハンスがその気になれば、おそらく山でさえ汚染できる。山をも毒殺できる。

 むきむきは急いで空を蹴って落ちて行き、ちょむすけの横に猫のような身のこなしで着地する。

 そしてハンスに向き合い直したむきむきは、ハンスが万t単位の毒の塊を形成して頭上に吐き出すのを見ていた。

 

 

 

 

 

 小さい毒の塊を吐くのなら、それは天に唾を吐くようにも見える。

 だが、ここまでの量を吐くとなると、天にゲロを吐いているようにしか見えない。

 吐き出された毒液はむきむき達の屋敷の内部を埋め尽くしかねないほどの量で、今のハンスの体のサイズと比べても大差はないように見えた。

 吐き出された毒液は、天頂で踵を返しアクセルへと落ちてくる。

 

 落下の際に飛び散り拡散する毒液だけで、アクセルを全滅させる一撃だった。

 

「で……デカッ! あのゲロ野郎、やりやがった!」

 

 カズマは慌てて後ろの三人の後衛を見やる。

 ゆんゆんは今全魔力を練ってもらっている。動かせない。

 めぐみんは爆発被害と毒物拡散が絶対に起こるため自宅で核爆弾を使うようなもの、却下。

 となればカズマが頼れるのは、意味もなく足元のタイルの数を数えている青髪のアホっぽい女神しかいない。

 

「アクアー! アクアー! 何か水出せ水っー! 受け止めろ!」

 

「そんなすぐには沢山出せないわよ! ええいっ、『セイクリッドクリエイトウォーター』!」

 

 アクアは顔を上げて、抜き打ち気味に清浄な水を大量召喚する。

 力を溜めれば洪水クラスの水が出せるアクアでも、流石に空から振ってくるこの規模の毒を相殺することはできない。

 水は空に厚い幕のように広がり、毒液を受け止めるが、そのまま毒液と共に落ちてくる。

 

 まるで、空に天井が出来てそれが落ちて来るかのような光景。

 街のいたる所から悲鳴が上がるが、むきむきはそれを無視して空へと跳び上がった。

 アクアの聖なる水が、毒液の一部を浄化してくれていた。

 毒液に触れられる部位を作ってくれていた。

 むきむきにとっては、それだけで十分だった。

 

「黒より黒く闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆を望みたもう!

 覚醒の時来たれり、無謬の境界に落ちし理! 無形の歪みとなりて現出せよ!」

 

 むきむきは現在自分の内にある魔力・支援魔法効果・全筋力を右腕一本に集める。

 そしてアクアの水を突き抜けるようにして、ハンスの毒液を殴り飛ばした。

 

「『エクスプロージョン』ッ!」

 

 ゴキン、と右肩が脱臼する音がした。

 むきむきの拳は拳打の秘奥・浸透を極めた域にあり、拳の衝撃は毒液全体に伝搬し、毒物はアクセルの街の外へと一滴残らず吹っ飛ばされる。

 そして街の外にあった荒野を、大規模に汚染(どくさつ)した。

 まだだ。まだ取り返しは付く。

 街中のような複雑な場所ではなく、荒野や森林のような場所であるのなら、アクアの水で押し流しつつ浄化すればなんとかなる可能性はある。

 

 問題は今の一撃で、むきむきさえもが肩を抑えて膝をついてしまったことだ。

 ハンスが何かするたびに、アクセルの街は存亡の危機に立たされている。

 "もう限界だ"とカズマは判断した。

 

「やべえやべえ、もうこれ以上は無理だろ! ゆんゆんまだか!」

 

「……できました!」

 

 ゆんゆんは流石だ。

 このタイミングで、間に合わせてくれるのだから。

 

「ぶっ放せゆんゆん!」

 

「『カースド・クリスタルプリズン』ッッ!!」

 

 ゆんゆんの魔力はめぐみんにこそ及ばないだけで、紅魔族でも指折りのものである。

 めぐみんという天才を通り越した鬼才が居なければ、彼女が紅魔族随一の魔法の使い手を名乗っていた可能性だってあっただろう。

 その全魔力を込めた氷の魔法。

 言い換えれば、命中してもハンスの毒を撒き散らさない魔法が、ハンスの巨体へと直撃する。

 

 これで決まると思っていた。

 これで決めないといけないと考えていた。

 何故ならば、今のアクセルの街には『ゆんゆんの全力の氷魔法』以外には何一つとして、巨大化したハンスから街を守る手段が無かったからだ。

 

「―――」

 

 ハンスは流石だ。

 魔王軍幹部として、この魔法にさえ耐えてしまうのだから。

 

「いや、そこはくたばってくれよ……!」

 

 物理を無効化し、魔法にも強い抵抗力を持つハンスは、ゆんゆんの魔法にさえ抵抗してみせる。

 ハンスは体の下半分こそ凍っていたが、体の上半分はいまだ元気に動いていて、そのままの状態でも毒を撒き散らすことは容易であるように見えた。

 下半身の凍結も徐々に剥がれている。

 このままでは、ゆんゆんの渾身の魔法もただの足止めに終わりかねない。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 だが、ゆんゆんも全魔力を使ってしまった以上、二発目は撃てない。

 

「まだだ! まだ、終わってない! アクア様、僕に支援魔法を!」

 

 それでも諦めない者は居る。

 むきむきは外れた肩を力任せにはめ、アクアから来た回復魔法と支援魔法で再度ハンスの足止めを始める。

 支援魔法の反動は効果が切れた後に来る。

 連続支援魔法は無謀で、それ相応の反動が来るものだ。

 されども、折れる理由がそれでは男の子など名乗れない。

 

 むきむきは空気を掌底で押し、またしても空気を使ってハンスを押し留めた。

 

「僕が時間を稼ぐから、その間に―――」

 

 されども、ハンスはすっかり本能的にむきむきを脅威と見定めたようだ。

 またしても小さな毒を、唾でも吐くようにむきむきだけを狙って吐く。

 そんなむきむきに、ミツルギがグラムを投げつけた。

 

「師父! バットです! 使って下さい!」

 

 回転しながら飛んで来たグラムを、むきむきはいとも容易くキャッチ。

 

「そぉいっ!」

 

 そしてグラムをフルスイングし、剣の腹で毒の全てを打ち返した。

 筋力、スピード、器用度全てが高いむきむきは、打順の一番から五番までどこに置いても活躍が期待できる逸材である。

 

「流石は師父! 師父ならば六割打者で三冠王も夢じゃない……!」

 

「楽天コーマゾクマッスルスか何かか」

 

 むきむきという鬼に金棒(バット)を持たせれば、動けないハンス相手にはまだ色々と対応できる。

 むきむきが作ってくれた時間に頭を動かすカズマの背中を、めぐみんの手が叩いた。

 

「カズマ、カズマ」

 

「ん? どうしためぐみん」

 

「いつもはトドメの一撃を撃つ私に集めているからか忘れているかもしれませんが……

 その『逆』だってありでしょう。あなたのドレインタッチの力を使うのであれば」

 

「!」

 

 めぐみんが爆裂魔法を撃ちたがっているとばかり思っていたカズマは、自分以上に冷静な視点で物事を見ていためぐみんに、少し驚く。

 

「ゆんゆん、私の魔力であなたが魔法を撃つんです。決めて下さい」

 

「―――!」

 

「あなたにしかできないことです」

 

 そして少女は、めぐみんがその力を託してまで自分を頼ってくれたことに、心底驚いていた。

 

「い……いいの? めぐみん、そういうの嫌いじゃない?」

 

「いいんですよ、別に。今回は私の出番も無さそうですしね。

 いつものことです。私よりゆんゆんの魔法の方が小回りが効く分、役に立ちますから」

 

 その言い回しに、カズマとアクアは何かひっかかるものを感じた。

 ゆんゆんはハッキリとした違和感を感じた。

 むきむきであればその違和感の正体に繋がる何かくらいは見つけられていただろう。

 それでも、今はハンスを倒すべき時だ。皆の思考はすぐに切り替えられる。

 

 カズマによってめぐみんの魔力が、ゆんゆんへと受け渡されていく。

 以前アクアの魔力をゆんゆんに注いだことがあるカズマだからこそ理解できたことであるが、アクアの魔力よりもめぐみんの魔力の方が、ゆんゆんと相性が良いようだった。

 おそらく、アクアの魔力とウィズの相性の対極に位置するものだろう。

 

「ですが、撃てますか? 私の魔力はゆんゆんよりも大きいですよ」

 

「……分かってるわ」

 

「魔力制御の難易度は先程ゆんゆんの全魔力を込めた魔法以上です」

 

「うん、分かってる」

 

 めぐみんがゆんゆんの全魔力を制御するのは容易だが、その逆は困難だ。

 されどめぐみんは、自信さえあればゆんゆんがそれを可能とすると信じていて、ゆんゆんは失敗を恐れる様子など微塵も見せてはいなかった。

 

「私はね、めぐみんが私より凄い魔法使いの資質を持ってるってことくらい、分かってる」

 

 めぐみんは自分の道を進む者。

 ゆんゆんはその背中に憧れながら、めぐみんを追い越すことを夢見る者だ。

 

「それでも勝てないって思ったことはない。

 私はずっと勝ちたいって思ってる。負けたくないって思ってる。それは、どんな勝負でも」

 

 だから。

 めぐみんの同年代で、めぐみんに本気で勝とうとする者は彼女だけだった。

 里一番の天才とめぐみんが認められた後も、ゆんゆんは本気で勝とうとし続けた。

 そんなゆんゆんだからこそ、めぐみんが向ける信頼もある。

 

「だって私は、めぐみんのライバルなんだから」

 

 めぐみんがゆんゆんのライバルだから、ではない。自分がめぐみんのライバルだから。

 『自分は○○』だという揺るぎない意識。絶対的な定義。

 めぐみんに負けるたび「勝てないかも」と弱気になる彼女を奮い立たせてきたのは、自分はめぐみんのライバルなんだから、という自意識だ。

 それは、きっと強さでもある。

 

 めぐみんは口元に笑みを浮かべて、ゆんゆんと並んでハンスを見据える。

 めぐみんの魔力のほぼ全ては既にゆんゆんへと譲渡され、ゆんゆんの杖の先にて練り上げられ、魔法の発動を今か今かと待っている。

 

「なら、普段私がゆんゆんが倒せないモンスターを倒してる分!

 今日は私が倒せないモンスターを、ゆんゆんが倒してみて下さい!」

 

「ええ、見てなさい!」

 

 魔力に反応したハンスがゆんゆんに毒を射出するが、むきむきはそれも打ち返した。

 振り返ったむきむきとゆんゆんの目が一瞬だけ合う。

 少女の胸の奥が、少しだけ熱くなった気がした。

 

「我が名はゆんゆん!

 紅魔族随一の魔法の使い手のライバル!

 紅魔族随一の筋肉の持ち主の親友!

 紅魔族随一の上級魔法の使い手にして、いずれ長として里も二人も統べる者!」

 

 誰にも断ることなく、少女は勝手に名乗って、勝手に魔法を放つ。

 

「私の魔法が、私の誇りよ! ―――『カースド・クリスタルプリズン』ッッッ!!!」

 

 ただ、その魔法は、紅魔族随一の上級魔法の使い手を名乗っても、何ら問題がないくらいのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 凍らせられたハンスの死骸を一人で抱え、街の外に投げ捨てるむきむき。

 そんな彼を、影から見ている二人の姿があった。

 

「死人ゼロで終わらせるなんて凄いですね、皆さん」

 

「ふむ……数人はやられるだろうと、あたりをつけてはいたのだが。

 いかんな、あの筋肉紅魔族の力が伸びて見通し難くなってきた。

 力が強過ぎる者は我輩の見通す力が効き難くなる。

 ただでさえあの女神のせいで見通すのが難しくなってきたというのに……」

 

「バニルさん?」

 

「これで幹部は三人撃破。奴らもやるではないか」

 

 彼らが見ていることにも気付かず、元ハンスという名の粗大ごみをアクセル街郊外に不法投棄する無礼者と化したむきむきは、付いて来てくれたカズマが自分のことをじっと見ていることに気付いた。

 

「どうしたの?」

 

 カズマの中に葛藤はない。迷いもない。苦悩もない。後悔もない。憐憫もない。執着もない。

 ただ、カズマは自分の中にある想いをどういう言葉で表すべきか、数秒の時間をかけて選んでいた。

 

「いや」

 

 言葉を選ぶ意味がないとしても。

 今のむきむきが何も覚えていないとしても。

 カズマは優也(むきむき)に対し、言葉を選んで語りたかった。

 

「人付き合いってのは、何も考えないでするのが一番だって思い出しただけだ」

 

「あ、分かる。それとっても共感できるな」

 

 それが、カズマの出した答え。

 

 前の世界でも、今の世界でも、この少年とカズマが仲良くなった理由だった。

 

「そうだそうだ、何も考えずにくっちゃべってるのが楽しかったんだよな」

 

「だね」

 

「あーすっきりした。考えることは減らすに限るよな」

 

 納得した様子のカズマが、完全に以前の雰囲気に戻っているのを確認し、むきむきはちょっとだけほっとした気分になる。

 ここまで付いて来ていたちょむすけにむきむきが手を差し伸べると、その手の先をちょむすけがちろっと舐めた。

 

「おいで、ちょむすけ。めぐみんの所に帰ろう」

 

 ちょむすけがむきむきの太い腕を登り、彼の肩の上に乗る。

 そこはめぐみんの定位置だった。めぐみんが見たら怒ることだろう。

 彼らは見られていることに気付かない。

 ウィズとバニルが遠目に見ていることに気付かない。

 

 千里眼持ちの悪魔が自分達を見ていることにも気付かない。

 

「……見つけた。ウォルバク様の半身」

 

 一つの戦いの終わりは、新たな戦いの始まりであった。

 

 

 




 小勝因:アクセルの街のしぶとい人達が元気に四方八方走り回っていたせいで、ハンスがどれを食おうか目移りし時々動きを止めていたため。回転寿司で回ってる寿司のどれを取ろうか迷ってる内に寿司が行ってしまう現象の近似


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4-2-1 僕らは最強!のターン

この執筆が深夜か翌朝までかかる最近のスタイルどげんかせんといかん(死語流行語)


 ダクネスは受け身だ。

 彼女はドMであり、戦いにおいては敵の攻撃を受けることを役割とし、彼女に降りかかる不幸に対し彼女は受け身の姿勢で対応する。

 彼女が有する属性で最も目につくものは、『防衛』であると言える。

 

 アクアは陰鬱の対極だ。

 彼女はいかなる傷をも治し、死さえも覆す。

 暗い雰囲気を自然に吹き飛ばし、トラブルメーカーとして日々をハチャメチャにかき回して、苦労はするがなんとなく楽しい日々をもたらしてくれる。

 彼女が有する属性で最も目につくものは、『癒やし』であると言える。

 

 しからばめぐみんが有する属性で最も目につくものは、『攻撃』であると言える。

 人間関係を進めようとする時はめぐみんが能動的に動く。小さく可愛らしい外見からは想像もできないが、気に食わないチンピラには積極的に絡み殴り飛ばしていく。

 ひとたび戦闘になれば後先考えない爆裂だ。

 めぐみんの家庭的な一面、少女的な一面、面倒見のいい姉としての側面が目につきにくいのは、間違いなくこの属性のせいだろう。

 

 むきむきがカズマにこの三人の評価を聞けば、『マゾネス』『アホア』『爆裂狂』の三言しか言わないに違いない。

 ツンデレが良点を真っ先に口に出す訳がないからだ。

 

 だがその三言を並べると、厳密には仲間外れが一つだけあることが分かる。

 めぐみんだ。めぐみんの欠点は、厳密にはダクネスとアクアが抱える欠点とは違う所がある。

 ダクネスの性癖は生まれつき持っていたものが様々な要因で育ったものだ。

 アクアの抜けているところもまた生まれつきのものである。

 だがめぐみんの『爆裂狂』だけは、後天的なものなのだ。

 

 めぐみんは生まれた時から爆裂狂だったわけではない。

 あの日助けてくれた女性―――ウォルバクの爆裂魔法を見た時から、爆裂狂になったのだ。

 めぐみんの欠点だけが、『後天的なもの』なのである。

 

 彼女らの欠点はある意味では彼女らの魅力でもあり、彼女らの個性である。

 めぐみんだけは、それが後付けだった。

 平行世界というものがあるならば、爆裂魔法と出会わなかっためぐみんも居ただろう。

 ……爆裂魔法を習得した後、爆裂魔法よりも大切なものを見つけ、爆裂魔法を捨てためぐみんも居ただろう。

 性癖は捨てられるものではない。アホっぽさも捨てられるものではない。

 ただ、爆裂魔法は捨てることができるのだ。

 

 そして、めぐみんの根底には、本当に大切なもののためなら爆裂魔法を捨て、上級魔法を使うアークウィザードとして生きることを選べる性情が有る。

 

 彼女の爆裂魔法への愛は本物だ。

 だが彼女はそもそもの話、愛が深い少女である。

 爆裂魔法への愛に並ぶ愛があれば、愛に優先順位を付けることができるだろう。

 親愛であっても、友愛であっても、信愛であっても、恋愛であっても。

 愛には優先順位が有る。

 

 

 

 

 

 めぐみんはよほどのことがなければ、爆裂魔法だけを愛する魔法使いであることを辞めはしないだろう。

 それほどまでに彼女が外側に向ける愛は大きく、また一途だ。

 そんな彼女に小さな揺らぎを与えているのは、爆裂魔法よりも先に出会った一人の少年と、めぐみんのライバルを名乗る少女と、環境の変化だった。

 

 

 

 

 

 むきむきとめぐみんが互いに記憶に留めている『初対面』の形は違う。

 だからめぐみんは最初の出会いの時にむきむきに抱いた幻想を見ていて、むきむきは最初の出会いの時に憧れためぐみんの背中を見ているつもりでいる。

 だが、それもいつからか終わってしまった。

 むきむきが、めぐみんの中の幻想の巨人以上に成長してしまったからだ。

 

 めぐみんが初対面の時にむきむきに抱いた幻想は、その時点では実像のむきむきよりずっと大きく力強いものだった。

 だがいつの間にか、むきむきの実像はその幻想を追い抜いている。

 元よりむきむきの弱虫で気弱で泣き虫な実像を見ていためぐみんではあったが、今は幻想など何も見ていなかった。

 

 いや、めぐみん視点ではむしろ、むきむきの方がめぐみんに幻想を抱いているフシがあった。

 

「むきむきは何故あんなにひたむきに、私を信じられるんでしょうね」

 

 里を出てから、爆裂魔法で倒しきれなかった敵の記憶も増えてきた。

 ゆんゆんとずっと一緒に旅をしてきたせいか、爆裂魔法の使い勝手の悪さ、上級魔法の汎用性の高い強力さも身に沁みて理解できてきた。

 前に出てむきむきと連携することはゆんゆんにはできても、めぐみんにはできない。

 新しい魔法を覚えるたび、ゆんゆんは仲間に多彩な貢献ができるようになっていくが、めぐみんは爆裂しかできない。

 

 里の中に居た頃は、上級魔法の使い勝手の良さと強さを実感することは少なく、爆裂魔法の欠点を意識することは少なかった。

 だが里の外に出て冒険を重ねることで、めぐみんは人知れず自分の戦力評価と爆裂魔法の評価を少しばかり下げていった。

 里の外に出て世界が広がり、認識が変わっていったのは、むきむきだけではなかったのだ。

 

「私は爆裂魔法しか愛せません。何せ最強ですからね」

 

 「爆裂魔法は最強です!」というめぐみんの叫びには、爆裂魔法に対する99%の信頼と、1%のそう自分に言い聞かせようとする意図があった。

 

 それでもむきむきは、めぐみんの爆裂魔法が最強だと信じていた。

 めぐみんの爆裂魔法の強さを、めぐみん以上に信じていた。

 彼女視点、むきむきの方がめぐみんに幻想を抱いているフシがあるというのはそういうことだ。

 むきむきの中のめぐみん評価は、めぐみんの自己評価よりずっと高い。

 めぐみんからすれば、"相手に幻想を抱いている側"が逆転した形になるので、たいそう不思議な気分になったことだろう。

 

 むきむきという実像は虚像を追い越し、めぐみんという虚像は実像を追い越していく。

 事実がどうであるかは別として、めぐみんの中ではそうなりつつあった。

 杖を貰ってからはなおのことそう思うようになる。

 杖を貰って嬉しい気持ちがあった。

 杖を貰って、その期待と信頼の重さをずしりと感じる心があった。

 

「……この杖、私よりもゆんゆんに渡していた方が、役に立ったのでは」

 

 アクセルに来てからの魔王軍幹部との決着を改めて見れば、めぐみんの気持ちも多少は理解できるかもしれない。

 バニルはゆんゆんが撃破。

 セレスディナはウィズが撃退。

 冬将軍はめぐみんが倒したものの直後に復活、シルビアはその煽りで逃走。

 ベルディアはむきむきがタイマンで撃破。

 ハンスはゆんゆんが撃破している。

 彼女はPTのフィニッシャーを自負しているが、魔王軍幹部相手に痛打を叩き込めたのは王都での戦いが最後だろう。

 杖を得た後も、ダクネスを助ける時も戦いではそう活躍できず、エルロードでラグクラフトを仕留めた時も然りである。

 

 杖が、重い。杖の価値。杖に込められた想い。その両方の重さを少女は感じる。

 むきむきは杖がめぐみんに相応しいと思って渡した。

 だがめぐみんはその杖を使い、杖に相応の活躍ができたとは思えていない。

 むしろゆんゆんの方が活躍している、とさえ思っていた。

 杖を貰った嬉しさが気持ちの上塗りをしてくれていなければ、今頃はどうなっていたことやら。

 

 "このままでいいのか"という思考は、めぐみんに自分の身の振り方を考えさせる。

 

「……あー、でもこういう意味のない思考は態度に出しちゃ駄目ですね。心配させますし」

 

 もっと必要とされる自分でありたい。

 もっと役に立てる自分でありたい。

 もっと仲間を助けられる自分でありたい。

 

 様々な要因からめぐみんの中に生まれつつあったものは、そういう気持ちだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 うーん、中々解けないわね、この知恵の輪。

 

「アクア、今は暇か?」

 

 あらダクネス。どうしたの?

 私は今露天で買ってきた知恵の輪をあっさり解こうとしているところよ。

 

「少し聞きたいことがあってな。

 カズマ、めぐみん、むきむきの三人の関係で何か最近気が付いたことはあるか?」

 

 えー、何もなくない?

 むきむきはめぐみんともカズマともいつも通りに仲良いわ。

 カズマとめぐみんも兄妹みたいに仲が良いわね。髪の色も同じだし。

 

「兄妹? 確かにあの二人は、時折互いに勝手知ったるとばかりに仲が良いが……」

 

 あれ、この知恵の輪これで解けないのね……

 カズマさんとめぐみんだけど、あの二人の相性って多分ね、むきむきとめぐみんの相性よりいいと思うの。単純に性格的な相性を見るだけならね。

 

「何?」

 

 カズマとむきむきとめぐみん、三人でよーいドンで関係を始めたら、たぶんカズマさんとめぐみんの方が仲良くなると思うわ。女神の勘よ!

 

「そういうものなのか?」

 

 そういうものよ。

 ダクネスと私は友達でしょ?

 

「うむ」

 

 でもダクネスはきっと、どうしても優先順位を付けないといけなくなったら、私よりお父さんを上に持ってくると思うの。

 ……あら、この知恵の輪解く方法無いんじゃない?

 

「それは……」

 

 ダクネスはいい子で家族思いだものね。

 きっと『どっちが上だなんてことはない』って言いたいと思うんだけど、それでもやっぱり、ダクネスの中で十何年も一緒に居た実の父親というのは、とても大きなものなのよ。

 

「……いや、だが、それでも。

 アクアは家族同然の大切な仲間だと思っている。

 きっと家族よりも大切な仲間になるだろう。それは、私の剣にも誓えることだ」

 

 ありがとね、ダクネス。

 これでエリス教徒でなくてドMじゃなかったらもっとよかったのに。

 

「カズマもそうだが、お前も大概ズケズケ言うな……」

 

 好意って矢印じゃなくて数字なのよ。

 一番好きな人が入れ替わるのは、一番目に好きだった人を嫌いになるからじゃなくて、二番目に好きだった人をもっと好きになってしまったから。

 好意は日々の積み重ねで数字の積み重ね。だから自分に矢印がずっと向いたままなのが当然だと思ってる人はすぐ浮気されちゃう。

 だからアクシズ教は浮気を許されたい人が入信してくることも多いのよね。

 浮気してもいいですかー、って女神に祈りを捧げる人それなりに居るのよ?

 

「アクシズ教は本当にどうしようもないな……

 ……ああ、だが、アクアが言う通りに考えると少し理解できたことがある」

 

 ?

 

「カズマとめぐみんが話しているのを見ている時のむきむきだ。

 あれは、そういう感情を向けていたのだな。

 カズマに対するものか、めぐみんに対するものか、それとも両方か……」

 

 どういうこと?

 

「そちらは察せていないのか……まあいい。

 これが手がかりになるかどうかは分からないが、いい話は聞けた」

 

 それにしてもこの知恵の輪解けないわね。

 最低難易度とか言われてたから気軽に買ったのに、この私が解けないなんて本当は最高難易度だったに違いないわ! 詐欺よ詐欺!

 冒険者ギルドとアクシズ教団に連絡して二度と商売ができないようにしてやらないと!

 

「アクア」

 

 何よ!

 

「この知恵の輪、ここに付いている留め具を外さないと解けないんじゃないか?」

 

 あ。

 

 

 

 

 

 あ、ダクネスー。珍しいね、昼間にこの食事処に来るなんて。

 

「クリスか。ちょうどいい、お前にも話を聞こうと思っていたんだ」

 

 何さ?

 

「最近、めぐみんの様子に何かおかしかったことはなかったか?

 もしそうであったなら、めぐみんがそうなったことに心当たりはないか?」

 

 なして? ダクネスの方がめぐみんには近いと思うけど。

 ……それとも、多角的な意見を求めてるのかな?

 あるいは、手当たり次第に情報を集めないといけないような緊急事態?

 

「さあ、どうなんだろうな。

 私はむきむきから頼まれただけだ。

 めぐみんが何を考えているか探って欲しい、とな。

 同性で幼馴染でもないが友人ではある私だからこそ察せることもだろう、ということらしい」

 

 ふーん……むきむき君が、ね。

 前からちょっとめぐみんの細々とした言動や所作に何か違和感があるみたいなことは言ってたけどね。それが確信に至ったのかな?

 

「? そうなのか?」

 

 うん、そういう話してたよ。

 

「屋敷でも屋敷の外でもそういう話をしていたのは見たことがなかったな。

 いやそもそも、お前達が私達の知らない所で話しているというのもあまり……」

 

 ……あ、あー、ほら、私達は冒険者だから。

 ダクネス達だって四六時中一緒に居るわけでもないでしょ?

 だからほら、私とむきむき君が二人だけで話すことがあっても変じゃないよ!

 

「そう言われてみればそうか。……ううむ、だがしかし……」

 

 それよりめぐみんのことでしょ!

 

「何か知ってるのか?」

 

 少女の様子がおかしいなら答えは一つ! ……恋煩いだよ!

 

「はい撤収」

 

 待って! 検討くらいしてよ!

 

「流石にそれなら私にも察せられる。

 私は別に他人の気持ちに鈍いタイプではないんだ。

 めぐみんのはそういう明確なものではなく……

 おそらくは、一言で言い表せるようなものではないのだと思う」

 

 えー、それなら紅魔族の二人に直接聞いてみるよう言ってみたら?

 せっかく三人がそれぞれ違うタイプなんだから、その過程で良い影響を与え合って解決するなんてこともあると思うんだけどな。

 

「違うタイプ、か」

 

 そうでしょ?

 

 めぐみんは別に目標がなくてもやっていけるタイプ。爆裂魔法が好きだという気持ちだけで自分の道を進んでいけるタイプ。

 魔王退治を志しても、本質的には自分と爆裂魔法に箔を付けるのが目的ってタイプだよね。

 

 ゆんゆんは里長になるっていう大目標、そのために超えなければいけないめぐみんに勝つっていう中目標、そのために魔法の腕等を磨くっていう小目標を持ってる。

 あの子が一番堅実な考え方してるよね。

 

 むきむき君は自分を鍛える、目の前の敵から仲間を守る、魔王を倒すっていう小目標をズラッと並べて優先順位ごとに一つ一つ処理していくタイプ。

 小さなことも大きなことも本気で挑んで、魔王を倒す前と魔王を倒した後でやってることがあまり変わらない人だよ。

 

 だから互いに良い影響を与えあったりしてるんじゃない?

 

「なるほど」

 

 でもだからか、関係が固まっちゃってる所はあるよね。

 

「固まっている……?」

 

 ゆんゆんが悩んでいる所にめぐみんが一喝して立ち直る。

 むきむきが悩んでいる所にめぐみんが一喝して立ち直る。

 でもその逆って、あんまりない気がするんだよね。私のイメージだけど。

 

「……それは、確かに」

 

 めぐみんはゆんゆんを「あの子」、むきむき君を「あの子」って言うよね。

 ゆんゆんはめぐみんを「あの子」、むきむき君を「あの人」って言うよね。

 むきむき君はめぐみんを「あの人」、ゆんゆんを「あの子」って言うよね。

 

 あの三人の関係は変わりそうで変わってない。

 誰かが変われば変わるのかな?

 変わるとしたら誰が変わればいいのかな?

 ダクネスはどう思う?

 

 誰が変わったら、万事円満に終わると思う?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 主の運命を変えるため。

 主の存在に付けられた見えない穴を塞ぐため。

 魔王軍所属の上級悪魔達七人は、アクセルの街へと密かに接近していた。

 

 彼らは上級悪魔の中でもそこまで強くはない部類だ。平均から少し下程度だろう。

 だが、彼らは隠密行動を行えるスキルを持ち戦闘能力もあるというタイプであった。

 彼らは邪神ウォルバク配下の上級悪魔。

 魔王に忠誠を誓い魔王軍に所属している悪魔と同様に、ウォルバクに忠誠を誓い魔王軍に所属することを決めた悪魔である。

 

「行けるか」

「ああ」

「全てはウォルバク様のために。ちょむすけ、だったな」

 

 彼らの目的は、先日仲間が見つけた巨人の肩の黒猫……つまり、ちょむすけである。

 ちょむすけを確保することが彼らの目的。

 アクセルの街にこっそりと忍び寄る彼らは、めぐみんの使い魔を狙っていた。

 

「気を付けろ。幹部も倒すような相手だ」

「気を張りすぎだろ、まだアクセルが遠目に見えるくらいだぞ」

「俺達は森で夜を待つ。そうだな、少し森の外を調べるくらいはしておくか」

 

 今はまだ午後の時間帯だ。夜まではまだ時間がある。

 幹部を倒すような人間達と、最悪戦わなければならないのだ。いや高確率で戦うハメになるだろう。上級悪魔の心にも緊張が走る。

 彼らは潜んでいた森から踏み出し、赤茶けた地面を踏みしめて――

 

「―――!?」

 

 ――ほぼ全員が、足に強烈な爆破攻撃を受けた。

 比較的脆い悪魔に至っては、足首から先を吹き飛ばされてしまう。

 なんだ、と驚愕し横に飛び退けば、そこでも地面が爆発する。

 未知の攻撃に悪魔達は戸惑い、戸惑いが大きかった者から順に、多くの爆破を足に受けてしまっていた。

 

「な、なんだ!?」

「この爆発ヤバいぞ! 多く受けるな!」

「飛べる奴は飛べ! ここの地面、爆発しやがるぞ!」

 

 比較的安価な爆発ポーションを使った爆弾という発想が無かったこの世界。

 しからば接触式の地雷だなんて、既存の発想のどこにも無かったに違いない。

 ましてやこの地雷は、それそのものからはほぼ魔力さえ感じさせないのだから。

 

「爆弾を作る道具作成のスキル。

 罠を作り設置する罠設置スキル。両方使えば、安価で強力な地雷の完成だ」

 

「! お、お前は!」

 

 近場にあった岩の側から、三人分の人影が現れる。

 腕組みをするカズマ、指を鳴らすむきむき、杖を握るめぐみんがそこに居た。

 

「どうだむきむき。多芸になったもんだろ」

 

「だね。日課爆裂に付き合ってたら敵が居るって言うから、一時はどうなることかと……」

 

「でもどうにかなったわけだ」

 

「敵見つけてからせっせと地雷作って、十分設置したら潜伏ってエグいよね」

 

 カズマがスキルにより悪魔の存在と接近を感知。そのルートを推測し、スキルで手早く地雷を設置。悪魔が引っかかるまで潜伏で待ち伏せ、という作戦をどうやら取っていたようだ。

 マリオカートで敵の前に陣取りバナナを捨てるような戦術である。

 実に効果的なようで、その実小器用な立ち回りから敵が最も嫌がることをするという、頭が良いというより姑息なイメージが先行する小技であった。

 

「バカな、何故我々の接近が分かった!」

 

「盗聴、千里眼、敵感知etc。今の俺、スキルポイントで底上げした感知系スキルの塊なんで」

 

「……!?」

 

 今のカズマは料理スキルも持っているため、味覚・視覚・聴覚・第六感の四つが常人離れした探知係となっている。

 感知系スキルは実に便利だ。取るだけで持ち主を有利にしてくれるのだから。

 スキルを揃えたカズマは、夏場寝る前に自分を狙う蚊を敵感知で把握し、離れていても盗聴スキルでその羽音を聞き逃さず、電気を消した部屋の中でも千里眼で蚊を潰せる。

 カズマは夏の日本人を悩ませる蚊の悪魔の天敵である。

 しからばこの悪魔達をも恐れさせるが道理であった。

 

 そしてサポート能力を多様に伸ばしたカズマがそうしてお膳立てをすれば、後は最高の前衛がそのお膳立てを最大限にまで活かしてくれる。

 飛んで来る悪魔、総数三。

 爪と牙を剥き、距離を詰めてくる悪魔達の前に、むきむきはその巨体で立ちはだかった。

 

「カズマくん、めぐみんをお願い。奴らは僕が片付ける」

 

「おう、頼んだ」

 

「むきむき、気を付けてくださいね」

 

 飛んで来る悪魔達とすれ違うように、むきむきが跳んだ。

 悪魔達に反応さえ許さない速度の跳躍から、すれ違いざまに音速超えの手刀が飛ぶ。

 むきむきが再び地面に足を着ける頃には、飛んだ悪魔達は一人残らず死を迎え、魔界へと還されていた。

 

「!? なんだこいつ!」

 

 昔の彼ならもう少し苦戦していただろうか。

 だが、もはや上級悪魔の平均にも届かない程度の敵に苦戦することはない。

 彼はもう、そういう強さの領域(レベル)には居ないのだ。

 

 むきむきはカズマが地雷を仕掛けた場所を覚えている。悪魔達に地雷の場所は分からない。

 ならばむきむきは地雷の合間を跳び回り、悪魔を一方的に狩ることができる。

 一体を拳で、一体を蹴りで、それぞれ仕留める。

 あっという間に二体を倒し、むきむきは残り二体にも手をかけようとする。

 

「おっと、そこまでだ。こいつらは俺の身内だ、全滅させられるのは流石に困る」

 

「!」

 

 だが、割って入ってきた悪魔がその攻撃を受け止めた。

 悪魔達が表情を明るくし、むきむきがその表情を驚愕に染める。

 

「ホースト様!」

「どうしてここに!?」

 

 その姿も、その名も、どこか懐かしくて。

 

「久しぶりだな坊主。背ぇ伸びたか?」

 

「……ホースト」

 

 自分に悪魔のことを教えてくれた先生であり、かつて命をかけた戦いの果てに別れた悪魔が、そこに居た。

 むきむきは跳ぶようにして距離を取り、地雷原の中でホーストと対峙する。

 

「カズマくん、気を付けて! こいつはホースト! 幹部級の強さの悪魔だ!」

 

「何!?」

 

「あー……思い出しました。あの日私の爆裂魔法でも倒せなかった悪魔ですね」

 

「うっそだろお前」

 

 カズマの驚愕をよそに、ホーストは地面を強く踏む。

 ホーストが踏んだ地点から地面の下に魔力の波が広がって、全ての地雷は魔力の波動に誘発され爆発してしまった。

 

「!」

 

 その踏み込みは地雷を撤去するためのものではない。

 ただ強く踏み込むだけのものだった。

 ホーストは強く踏み込み、猛烈な勢いでむきむきにショルダータックルを仕掛ける。

 トラックの全力突撃をゆうに超えるその一撃を、むきむきは盾のように構えた両腕で強烈に受け止めた。

 

 衝突の衝撃が、周囲に暴風を撒き散らす。

 

「この力……前に僕が戦った時より、ずっと強い!」

 

「あれからレベルを上げてきた。こういう日が来るだろうと思っていたからなぁ!」

 

 むきむきのアッパーに、ホーストが肘を打ち下ろして合わせる。

 ホーストの前蹴りに、むきむきも前蹴りを合わせる。

 以前は小細工に小細工を重ね、高価な魔道具をいくつも使ってようやくホーストに食い下がることができる、そのくらいの実力差があった。

 だが今は、そんなものがなくても戦えている。

 

「そういうお前も、随分と強くなったもんだな!」

 

「冒険が、出会いが、戦いが……色んなことがあったから!」

 

 ホーストが翼を広げ、飛行を織り交ぜてむきむきを翻弄する。

 走っても速い。飛んでも疾い。ホーストは力強さだけでなく、スピードも一級品だ。

 

「『インフェルノ』!」

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 飛び回って死角から炎の魔法を打ち込んでくるホーストに対し、むきむきは炎をも切り裂く光の手刀で対処する。

 だが、この魔法は目眩ましでしかなかった。

 炎の光が、熱で曲げられた大気が、ホーストの姿を僅かな間むきむきの視界から消す。

 ホーストは炎を使ってむきむきに直前まで己が体を視認させず、少年の顔面に悪魔の爪を突き出していた。

 

 顔面を貫通しかねない威力を持った爪の刺突を、むきむきはなんと歯で噛んで受け止め、その威力を完全に殺すのであった。

 

「っ!?」

 

「この歯は、吸血鬼さんの魔法で強くしてもらった歯だよ」

 

「はっ、随分面白い冒険をしてきたみたいじゃねえか」

 

 ホーストは距離を調整しつつ一歩分下がるが、そこでカズマが詠唱を終えた魔法を放った。

 

「『アンクルスネア』!」

 

 足を縛る魔法が、ホーストの動きと退避を妨害する。

 魔法はすぐに千切られたが、無視できない魔法妨害だった。

 

――――

 

「また会おうや。……後な、あのちびっ子に言っておけ。召喚できるならしてみろ、ってな」

 

「次は勝つよ。僕と、めぐみんと、ゆんゆんで」

 

「おう、やってみろ。力が足りなければ仲間を揃えるのがお前ら人間だろう? へへっ」

 

――――

 

 ホーストは思わずほくそ笑んでしまった。

 彼はカズマの姿を紅魔の里で見た覚えがない。つまり里の外でむきむきが作った仲間であるということ。別れの時に交わした会話を思い出せば、ホーストは笑みを浮かべずにはいられない。

 この少年は、里の外で仲間をちゃんと揃えていたのだ。

 

 ホーストはむきむきが守っている二人の後衛を見る。

 カズマは色々と手を準備しながら、視線をあちこちに走らせていた。

 どのタイミングで逃げに入るかの算段をしている男の目だ。ああいう目をした手合いは厄介な敵になると、ホーストは経験上よく知っている。

 めぐみんは杖を構えていた。

 ホーストはあの時受けた爆裂魔法の威力をありありと思い出せる。

 もう一度受けたいとは、お世辞にも言えない魔法であった。

 

(こいつは、むきむきから離れねえ方がいいな)

 

 ホーストは遠距離から魔法戦を挑むこともできたが、むきむきと付かず離れずの距離で戦うことで爆裂魔法を封じることを選んだ。

 むきむきはホーストを殴り飛ばして距離を離したい。

 だがホーストはこの距離を保ちたい。

 互いの意図はぶつかり合い、拮抗し、状況は現状維持のまま何も変わらない。

 

 それすなわち、二人の近接戦闘力が拮抗していることを意味していた。

 

「ホースト!」

 

「面白いくらいに拮抗したもんだな、実力が!」

 

 これが二人だけの戦いなら、この拮抗は長く続いていただろう。

 二人だけの戦いであるのなら、だが。

 

「狙撃!」

 

 カズマの撃った矢が、ホーストに命中。

 その先端に付けられた小さな爆弾が姿勢を崩させる。

 

「ちっ」

 

「カズマくんナイスアシスト! これで……」

 

 そう。カズマがアシストしたように、この戦いは二人だけの戦いではない。

 

「『ライトニング』」

 

 ならば当然、ホーストの方にも手助けしてくれる増援は現れる。

 

「っ、新手!?」

 

 むきむきが屈んで、自分を狙って来た雷をかわす。

 ホーストは致命的な隙を晒したむきむきを思い切り蹴り上げた。

 むきむきは腕の防御を間に合わせるが、凄まじい威力の蹴りに体が浮いていた。

 

「手を貸すわ、ホースト」

 

「ありがてえ、感謝します。ウォルバク様」

 

 赤い髪。

 猫のような瞳。

 神のような美しさと悪魔のような禍々しさを感じさせるその容姿。

 むきむきを撃った女性の姿に、めぐみんは見覚えがあった。

 忘れるわけがなかった。

 見間違えるわけがなかった。

 

 あの日、爆裂魔法という存在を刻み込んでくれた人のことを、爆裂魔法を教えてくれた人のことを、めぐみんはずっと覚えていたのだから。

 

「……あなた、は……」

 

 あの日、めぐみんを黒い獣から救ってくれたその人が。

 この日、めぐみんからその黒い獣を奪うべく、敵としてそこに立っていた。

 

 

 

 

 

 めぐみんには聞きたいこと、言いたいことがたくさんあった。

 だが第一声に何を言うかは迷わない。

 "あの時のお姉さん"と再会して、最初に何を言うか。何を聞くか。

 それだけはずっと前から決めていたから。

 

 王都でウォルバクが魔王軍だという話を聞いた。むきむきからも同じ話を聞いていた。

 驚きはあったが、最初に何を言うか、最初に何を聞くか、その部分は変わらなかった。

 相手が魔王軍だったとしても、めぐみんの中にある言葉も想いも変わりはしない。

 

「私のことを、覚えていますか? 私はめぐみん。あなたに命を救われた者です」

 

 戦うか、戦わないか。

 戦いたいのか、戦いたくないのか。

 めぐみんは自分がどうしたいのか、自分が何を望んでいるかも分からないまま、過去のことを引き合いに出してウォルバクに歩み寄ろうとした。

 しかし、ウォルバクはその歩み寄りを拒絶する。

 

「いいえ、知らないわね」

 

 心の距離を近付けさせない。

 対話も拒絶する。

 自分の心の内も見せず、相手の心の内も察しようとしない。

 覚えているだろうに、覚えていないと言い、そこで繋がりを断絶しようとする。

 

 それはウォルバクからめぐみんに対する明確な拒絶。

 情を理由にめぐみんが手心を加えるという可能性を減らし、あくまで対等に戦いに命を賭けようという、どこか優しさと気高さを感じる拒絶だった。

 

「何故ですか? 何故あなたが、魔王軍などに……」

 

「色々あるのよ。人間に説明してもあまり意味のない理由がね」

 

「……なら、質問を変えます。何故、ちょむすけを狙うのですか?」

 

 上級悪魔の会話はカズマが盗聴スキルで盗み聞き済みだ。

 ウォルバクとその配下がちょむすけを狙っていることは既に割れている。

 そこまで知られているのであれば、ウォルバクも目的を明かすことに躊躇いはない。

 

「あれが私の半身だからよ。

 私達はいずれ一つになる。ならなければならない。

 なら、あちらの私には消えてもらって、私の中に戻ってもらわないと」

 

「……!」

 

 ウォルバクの目的達成は、イコールでちょむすけの消滅を意味していた。

 めぐみんとカズマが息を飲み、ホーストと戦っている最中のむきむきが叫ぶ。

 

「ちょむすけを、消すだなんて! 僕らが認められるわけがない!」

 

「だったら戦うしかないでしょう。交渉の余地は無いと思いなさい」

 

「戦うならその前に言っておきます!

 ありがとうございましたお姉さん!

 あの時は僕の命もめぐみんの命も助けてもらってしまいました!

 お姉さんに助けてもらったお陰で、僕は強くなろうと初めて強く思ったんです!」

 

「え、ええ……? どういたし……んんっ、こほん。

 知らないわね。あなたは誰のことを言っているのかしら? 人違いじゃないかしら」

 

「ありがとうございましたッ!」

 

「感謝のゴリ押し……!?」

 

 めぐみんにはまだ迷いがあった。

 だがむきむきにはまるで迷いが見えない。ブレが見えない。自分が何をするべきか、何を言うべきか、その点がまるで揺るぎない。

 むきむきとて、自分が強くなるきっかけになった命の恩人という点では、めぐみんとそう変わらないというのに。

 

「こっち見ろやむきむき! まだ終わってないだろうがよ!」

 

「殴り合いならとことん付き合うさ! でもウォルバクさんだって無視はできない!」

 

 今もホーストと殴り合っているむきむきは、何故ブレないのか。

 それはブルーとの戦いを経て、相手にどんな事情があろうとも全力でぶつかっていくことを覚えたからだ。

 日々の成長は、彼の中にきちんと積み重なっている。

 だからだろうか。

 ウォルバクの目には、むきむきの方がめぐみんより成長しているように見えた。

 にもかかわらず、むきむきがめぐみんを自分より上の者としているように見えた。

 それは、奇妙な紅魔の友人関係だった。

 

 カズマはウォルバクの参戦で戦いの流れが変わってしまったことに焦り、めぐみんに言葉を叩きつけるように指示を出す。

 

「めぐみん、撃て!」

 

「……え」

 

「ホーストはむきむきに近すぎるが、あっちの幹部なら撃てる!

 あの幹部がむきむきを攻撃し始めたら本気でおしまいだ! 今しかないだろ!」

 

 カズマはめぐみんが撃てるということを、微塵も疑っていなかった。

 いつも何でもかんでも爆裂するめぐみんなら撃てるだろう、という信用。

 いくら恩人でもむきむきと天秤にかけるなら撃てるだろう、という信頼。

 だから撃てと言った。

 

 めぐみんの頭脳が回る。思考が走る。

 常人であれば数時間に相当する熟考、言い換えるならば迷いが、めぐみんの頭の中を駆け巡る。

 一瞬の間に迷いに迷って、考えても考えても答えは出なくて、めぐみんは一瞬で返答を返した。

 

「分かりました、撃ちます!」

 

 カズマからすれば、それは頼りがいのある即答に見えただろう。

 だがそれは、紅魔族の優秀な頭脳が一瞬で終わらせただけの、長い長い苦悩の果ての、見るに堪えない思考の停止でしかなかった。

 

「……っ」

 

 一つ、ある側面での真理を語ろう。

 

 その果てに答えを出せないのであれば、その苦悩に意味はない。

 

 答えを出せない苦悩は、ただの時間の無駄遣いと言うのだ。

 

「―――っ」

 

 めぐみんは爆裂魔法を撃たない。撃てない。

 詠唱すらしない。できない。

 杖さえ構えない。構えられない。

 めぐみんという少女には、爆裂魔法を教えてくれた恩人は撃てなかった。

 

「何やってんだめぐみん、早く!」

 

 カズマが叫ぶ。

 この場に居る人間の中で、カズマだけが冷静に戦況を見ることができていた。

 彼だけが、"めぐみんが爆裂魔法を撃てないという最悪"を理解していた。

 

「大丈夫! 爆裂魔法を撃たなくても済むよう、僕がこっちでなんとかしてみる!」

 

 カズマの催促に対し、むきむきは一切の催促を行わない。

 それどころか"撃たなくていい"とさえ言い始めていた。

 カズマは爆裂狂としてのめぐみんを信頼し、むきむきは幼馴染としてめぐみんを理解していた。

 だから二人の言い分には違いが出てしまう。

 

 全員で生きたいのなら、カズマの言い分が正しい。

 めぐみんの迷いと心中してもいいのなら、むきむきの言い分が正しい。

 それだけの話だった。

 撃たなくていいとむきむきが言えば、めぐみんはその言葉に少しだけ甘えてしまう。

 それだけの話だった。

 

「めぐみんは、撃たなくても大丈夫だから!」

 

「いや、無理だろ」

 

 めぐみんが撃てない分自分がカバーすればいいと、そう思って奮闘するむきむき。

 そんなむきむきの目の前で、ウォルバクの支援魔法が次々とホーストにかけられていく。

 一つ魔法がかかるたび、ホーストは飛躍的に強くなっていく。

 一つ支援が届くたび、むきむきの攻撃は届かなくなっていく。

 互いの力に差が生まれ、ホーストのアームハンマーがむきむきの頭頂部をぶっ叩いた。

 首が叩かれ、衝撃で体がくの字に曲がり、一撃の重さで首が体から離れそうになる。

 

「かぅ……!」

 

「さっきまで俺とお前は互角だった。

 だが、ウォルバク様の支援魔法を受けた今、俺は明確にお前より上だ」

 

 むきむきもホーストも、本質的に勝負強く粘り強い。

 性質にどこか似た所があるため、力の差がそのまま戦いの流れに出てしまう。

 むきむきが殴っても、もう届かない。届いてもあまり効いていない。

 対しホーストの攻撃は効く。もうかわそうと思ってもかわせないほどに速く鋭くなっていた。

 

 ウォルバクの参戦で、勝者と敗者が揺るぎないものに変わっていく。

 

「狙撃!」

 

 カズマがウォルバクに矢を撃つが、魔力の結界のようなものに阻まれてしまう。

 揺らがない。カズマの一撃では、この盤石な状況を揺らがせられない。

 ホーストはまたしても、今のむきむきを見て笑った。

 

「仲間が助け合うもんじゃなく、重荷になった時点でお前は勝てねえよ」

 

「重荷になんてなってない!」

 

「そうか? なら俺に勝って、そのセリフ証明してみせないとなぁ!」

 

 腹にホーストの拳が突き刺さる。

 むきむきの心は折れない。

 

(重荷なわけがない!)

 

 顎にホーストの蹴り上げが突き刺さる。

 むきむきはなおも目を逸らさない。

 

(僕はいつだって寄りかかる側だ。めぐみんが僕の重荷になんてなるわけがない!)

 

 悪魔の爪が少年の左肩から右脇腹にかけての範囲を深く裂き、抉る。

 むきむきは歯を食いしばって声も漏らさない。

 

(重荷に、なんて―――)

 

 そうして、頑張って、頑張って、頑張って。

 

「『エクス―――」

 

 頑張った先に、むきむきは自分の仲間達に向け爆裂魔法を構えるウォルバクを見た。

 

 

 

 

 

 考えすぎて動けなくなっている今のめぐみんとは対照的に、その瞬間のむきむきは、何も考えずに動いていた。

 何も考えずに飛び出した。

 ホーストに背中を向け、ホーストに背中を抉られ、バランスを崩しながらも跳んで、カズマとめぐみんを庇える位置に移動した。

 そして、爆裂魔法を受け止める。

 

「―――」

 

 筋肉を、命を、今の自分という全存在をぶつけてそれを受け止める。

 自分の後ろには一切の熱と衝撃が行かないよう、技と気合いで相殺する。

 "火の中に飛び込んだ虫はこんな気持ちだったんだろうか"と、地獄の感覚の中で、益体もなく少年は考える。

 彼は自分の全てをぶつけて、自分の後ろには熱と衝撃の一切合切を通さなかった。

 

「……あ」

 

 めぐみんが小さな声を漏らす。

 むきむきは振り返り、めぐみんとカズマが無事であることを確認する。

 鼓膜が残っていないから、音で無事を確認することもできなくて。肌が焼けていたから、気配で無事を確認することもできなくて。片目が無いから、残った目で見るしかなくて。

 それでも、『無事だ』と分かった瞬間、少年の顔には安心しきった笑みが浮かぶ。

 

「よかった、ぶじで」

 

 そうして、むきむきは力なく倒れた。

 カズマが叫ぶ。

 

「撃て、めぐみんっ!」

 

 "むきむきが殺される前に撃て"という意図で叫ぶカズマと。

 "恩人を殺せない"という意識から撃てず、むきむきをこうしてしまった自分が。

 めぐみんの頭の中で対比になって、止まった思考の間でくるくると回り続けていた。

 

(……これは……他の誰のせいでもなく……きっと……私の……あ……)

 

 爆裂魔法を撃てなかった自分と。

 爆裂魔法を撃った恩人と。

 爆裂魔法に焼かれて倒れたむきむきが。

 めぐみんの頭の中で一塊になって、彼女の心を際限なく苛んでいた。

 

 

 



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4-2-2

 魔王とかいうベルディア配下のアンデッド軍団全員にターンアンデッド耐性を付けた反則


 むきむきは目を覚まさないまま目を覚まし、むくりと体を起こす。

 体を起こすと、視線の先には女神エリスが居た。

 死んだのか、と一瞬思った。

 死んでいない、とウォルバクの爆裂魔法を食らった瞬間のダメージ量から逆算し確信する。

 ならば気絶したことで――寝たことで――ここに来てしまったのだろうと、少年は推察する。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……エリス様」

 

「今、魔法をかけます。

 本来なら、死んだ人が蘇生される時により完璧に体を治す過程ですが……

 爆裂魔法のダメージは深刻です。焼け石に水でも、しておいた方がいいでしょう」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 死に至る傷はその人間の体以外も傷付ける。下界で蘇生魔法を一回かけるだけでは、死に至った傷を完治させることもできない。

 ましてや爆裂魔法は、霊魂さえも粉砕する最強の一撃だ。

 ウォルバク、つまり本物の神が放ったそれは、むきむきに限りなく即死に近いダメージを与えていた。

 こうしてエリスが夢を通してむきむきの"体の中身"に回復魔法をかけてくれていなければ、綺麗に蘇生したとしても、すぐさま激しい戦闘に復帰するのは難しかったかもしれない。

 

「あの、僕が倒されてからどうなりましたか?」

 

「カズマさんがあなた達を抱えてテレポートしました。

 屋敷にテレポートして、先輩がまずあなたを治療。

 カズマさんはギルドに連絡に走って、アクセルの街は警戒状態になったようですね」

 

「おお、流石カズマくん」

 

「器用になりましたね、彼も。

 流石にテレポートを使うのに安物のマナタイトを使ってしまったようですが……」

 

 ダクネス、めぐみんは一芸特化。

 アクアは使いこなせてはいないものの多芸特化。

 ゆんゆんは最上位の後衛、むきむきは最上位の前衛。

 それらの潤滑油、あるいは繋ぎとして、多芸となったカズマは最適な存在であると言えた。

 テレポートなどを使える今、カズマは本格的に魔王軍の脅威になってきたと言えるだろう。

 ポケモンで言えばひでんマシンの技だけをわんさか覚えているタイプである。

 

「街は少し騒ぎになっています。悪魔と魔王軍幹部の襲来となれば、それもそうでしょうね」

 

「まだ街も完全に直ってないのに……」

 

 先日ハンスがアクセルの街のど真ん中で暴れたばかりだ。

 街中でハンスがあまり動き回らず、吐き出した毒も綺麗に対処されたため、毒による汚染は街郊外の汚染と一緒にアクアに浄化された。が、それでも潰された家屋などはある。

 ハンスの行動の結果最終的な死者はゼロだったものの、ハンスはデカいシールを床に貼って変に剥がし、シールの剥がし跡を残すような面倒な傷跡を街に残していった。

 死んだ後まで面倒臭い敵だ。

 

「お願いします、むきむきさん。あの悪魔達は生かして返さず、容赦なく潰してください」

 

「エリス様って悪魔のことになると急に早口になりますよね」

 

 早口で、しかも物騒になる。

 

「むきむきさん、仮想敵はどのくらいを想定していますか?」

 

「え? ええと、上級悪魔が二体居ましたね。

 後はホーストにウォルバクさん。居るとしたら後数体の悪魔……でしょうか」

 

「いいえ、違います。ウォルバクは配下の悪魔軍団を連れて来ているんです」

 

「!」

 

「邪神の墓の封印を解いた時、多くの悪魔を見ましたよね?

 邪神ウォルバクは多くの悪魔を従えているんです。それこそ、山のように」

 

「あの、空を埋め尽くした悪魔と同じくらいですか……?」

 

「あれほどには多くありません。ですが質は上ではないかと……」

 

 二度目のウォルバクの封印解除時、封印の中からは多くの悪魔が飛び出して来た。

 あの時は紅魔の里のアークウィザード集団というバカみたいな火力があったからどうにかなったものの、アクセルではそうはいくまい。

 流石に対処に困る数と質だ。

 

 本来ならこの悪魔のことは、襲撃直前まで発覚しないはずだったのだろう。

 だが、ホーストが仲間を見捨てられずに飛び出して来て、ウォルバクもホーストを見捨てられずに参戦してしまった。

 それでも隠し通していた悪魔軍団のことも、これをきっかけにエリスが把握してしまった。

 ウォルバクはもう、奇襲で手早くちょむすけをさらうということはできないだろう。

 どこかで大きな衝突が起こることになるはずだ。

 

「奴らの目的は……めぐみんのちょむすけ、ですね」

 

「無理だと感じたら、差し出してしまうことも考えてください。

 むきむきさんの命も、他の皆さんの命も、それぞれ一つずつしかないのですから」

 

「忠告ありがとうございます、エリス様。でもそれはできません。

 撃てなかった結果としてちょむすけを奪われてしまったら、めぐみんきっと落ち込みますから」

 

「……」

 

「めぐみんが撃てず、勝ち目もなかったら、本気で逃げるしかないかもですね、はは」

 

 勝利条件を整理する。

 むきむきの勝利条件はウォルバクとその配下の撃退、及びちょむすけの守護。

 ウォルバク達はその逆だ。ウォルバクが倒されず、ちょむすけを奪えれば勝ちとなる。

 焦点はちょむすけにあった。

 魔王軍と言えば人間を殺して給料を貰っているサラリーマンのようなものだが、今回に限って彼らの業務目標は殺人ではないのだ。

 

「街の外で戦います。街中じゃ上級魔法も爆裂魔法も使いづらいですから」

 

「めぐみんさんは、撃てそうですか?」

 

「撃てません。今のままなら、きっと」

 

 そして、ちょむすけがこの戦いの中心であるということは、めぐみんもこの戦いの中心に限りなく近い位置に居るということだ。

 ちょむすけの飼い主として、そしてウォルバクに唯一対抗できる爆裂魔法使いとして、めぐみんの果たすべき役割は大きかった。

 なのに、むきむきはめぐみんが"今は"撃てないと断言する。

 先の戦いでもそうだ。カズマは信頼した。むきむきは理解していた。

 だからむきむきは、撃たなくていいと彼女に叫んだのだ。

 

 あの時のめぐみんには何を言っても、最終的には撃てないということが分かっていたから。

 「撃て」と言っても、それはめぐみんの後の罪悪感を増大させてしまうと分かっていたから。

 

「でも、めぐみんはきっと間違えません。

 軽い気持ちで撃って後悔することもありません。

 何も選ばないまま全部終わってしまうこともありません。

 最後には、きっと……いや、必ず、めぐみんらしい答えを出してくれます」

 

 もうそろそろ、むきむきとめぐみんの付き合いも十年になる。

 

「手助けは、ほんのちょっとだけでいいはずです」

 

 エリスは何か助言をしてやるつもりでいた。

 答えが出せない時、答えを間違えそうな時、助言をやるのも女神の役目だと思っていたから。

 されど彼女は何の助言も口にしない。

 その必要がないということを、この会話から理解したからだ。

 

「私が何かを言う必要は無さそうですね。ただ、最後に一つだけ助言をさせてください」

 

「助言ですか?」

 

「あなたがこの世界に生を受けてから、もう十数年の時が経ちました。

 その異常発達した肉体と魂が馴染み始める頃でしょう。そうすれば、『次』に行けます」

 

「次?」

 

「私もどうなるか分かりません。ですが、悪いことではないと思います」

 

「何かが起こるということでしょうか?」

 

「はい、何かが起こります。……きっと、いいことが起こりますよ、むきむきさん」

 

 エリスも何が起こるかは分かっていないようだ。

 だが、幸運の女神にこう言われると、なんとなくいいことしか起こらない気がしてくるから不思議なものである。

 ウインクする女神様を見ていると、幸運な『次』が来てくれることを信じる勇気が湧いてくる。

 女神エリスは、微笑み一つで人の心を安定させるような女性であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪魔が来るぞ、との知らせを聞き、アクセルの冒険者ダストとキースはフル装備でギルドの一角に居た。

 女悪魔はだいたいエロい格好をしている。

 それに特に理由はないと言われている。

 それが女悪魔だからだ、それ以外に理由はない、と言われている。

 女悪魔のエロい格好を思い出しながら、ダストとキースは続報が来るまでくだらない話題で駄弁っていた。

 

「水着ってエロいよな」

 

「ああ」

 

「あれ呼び方が実質違うだけでブラとパンツだよな」

 

「ああ」

 

「女悪魔とか皆水着みたいな服しか着てないよな」

 

「ああ」

 

 何故テイラーPTはエロガキのようなバカが二人も居るのにまっとうに動いているのか。

 何故リーンは美少女なのにこの二人の毒牙にかかっていないのか。

 PTの外側から見ていると、それなりに謎な事柄だった。

 

「ほら、水着着てる娘がパーカーとか羽織ってるだろ? あれエロいよな」

 

「超分かるわ」

 

「ダストも分かるか。ちょっと恥ずかしがってて前しめてて、それ開ける時のエロさヤバい」

 

「もっと普及してもいいなあれ」

 

「俺が思うにな、水着の上に何か着てるからなんだ。

 パーカーという『服』が、水着を下着のように見せてくれるんだ」

 

「キース、お前……天才かよ」

 

「パーカーの前を開ける姿が、服を脱いで下着を見せる時と同義になる。

 添えられたパーカーが、水着の下着感を強調する。いいよな……」

 

「いい……」

 

 サキュバス風俗に頻繁に通っている男の脳内など、こんなものである。

 

「ああ、海行きてえなあダスト。俺らも女が居るPTなのにな」

 

「リーンは胸とか色々足りないだろ……」

 

「お前また後でリーンに九割殺しされそうなことを」

 

「後腐れなくヤれて面倒がない巨乳美女とか海でのナンパで引っ掛けられねえかなあ」

 

「うわー、ダストそれは俺も引くわー」

 

「可愛くて巨乳な娘とはヤリたいが面倒臭いことはしたくないのが男……だろ?」

 

「オイオイオイ、死ぬわお前」

 

 これ以上下があるのかというレベルでクズを極めていくダスト。その発言を完全否定はしないキース。本当にダメダメな男達だった。

 

「でも海行きてえな」

「分かる。美女が居る海に行きたくてたまらん」

 

「「 俺達、この戦いが終わったら海に行くんだ…… 」」

 

「なんでわざわざ死亡フラグを立てる! やめろ!」

 

 そんな二人が死亡フラグまで立てるものだから、通りがかったカズマが思わず叫んでしまう。

 

「お前には分かんねえだろうな。頭はアレでも体は最高だってのが仲間に多いお前には」

「例の店で使ってんだろカズマお前ホラホラ」

 

「し、してねえからなオラァ!」

 

「これはやってるな」

「夢の中でだけは百戦錬磨のオラオラ系な男の顔してますわ」

 

「こ、こいつら……」

 

「お前のPTは脱脂粉乳が一人で後は全員巨乳美人じゃねえか」

「低脂肪乳が一人だけのおっぱい山岳地帯とかすげーよ。

 カズマウンテン軍団やべーわ。深い仲になればおっぱいハイキングとかできんだろ」

 

 大脳にエロ画像が詰まった男の如き二人の言動。おっぱい欠乏症にかかった二人の言動は、これで酒さえ入っていないというのだから驚く。カズマはそれを冷ややかな目で見ていた。

 金が無いとサキュバスのお世話になれない。

 金があれば毎日だってお世話になれる。

 カズマのこの視線は、仲間のおっぱいに恵まれたという幸運と、金に困っていないという経済格差から来る、妙に腹立つ余裕ゆえのものだった。

 

「お前らこの状況でよくエロ談義とかできるよな……」

 

「頼んだぞカズマ!」

「俺達が後ろに控えてる間に悪魔全部倒してくれよカズマ!」

 

「そんなこったろうと思ったよ!」

 

 彼らに緊張感が無いのも当然だ。彼らは強い奴揃いのカズマPTに丸投げする気満々なのだから。

 

「あのなぁ、俺だってできれば逃げたい……」

 

「話の途中に我輩登場」

 

「うぉぅわぁ!?」

「のぅわっ!?」

「んんおぅっ!?」

 

「フハハハハハハ! 驚愕後に悪感情! 御馳走様である!」

 

「バニルこの野郎!」

 

 普通の人は話に一区切りがつくまで待ってから割って入るものだが、バニルにそんな常識は通用しない。

 彼が何故ここに居るのか。決まっている。商談だ。

 

「バニルお前、こんな時になんで冒険者ギルドに来てんだよ……」

 

「貴様らにとっても役に立つ物を売りつけに来た。さてさてここにありますはマナタイト」

 

「ほうほう」

 

「うちの店主が仕入れた最高級品だ。今回は一個二千万エリスの大特価でお届けしよう!」

 

「バカなのか?」

 

 なのだがバニルが持って来た商品は、目玉が飛び出るくらいの高級品だった。

 

「うちの貧乏店主が仕入れる物がまっとうに売れるようなものであるわけがなかろう」

 

「その店の店員が言うことじゃねえ」

 

「このマナタイト、一つで爆裂魔法も余裕で撃てるものである。

 当然ながらアクセルの街の魔法使いでは何ヶ月使っても使い切れんレベルのものだ。

 そして性能の高さに応じた価格であり、貧乏店主の懐はこれでカラッケツになった模様」

 

「ひっで」

 

「この街ではこんな物を買うような金満冒険者など貴様らくらいしかいまい。

 というわけで買え。さっさと買え。

 本日限定、あなただけに送る格安マナタイト。大特価で限定十個の限定品である」

 

「限定品とか大特価とか限定十個とか言ってお得感出しても買わんからな!」

 

 格安(二千万エリス)。

 ちなみにこのマナタイトは千五百万エリスでも滅茶苦茶に安いという品質の代物である。

 本来なら国や最前線の冒険者に売るべきものだ。

 これをアクセルの街の店に仕入れてしまうというのが、なんともウィズらしい。

 ウィズの失敗と泣き顔を思い浮かべでもしたのか、ダストとキールも笑いだしてしまう。

 

「買う奴いるわけねえだろこんなの!」

 

「もし買う奴が居たら鼻からハンバーグ食ってやるよ、ははは!」

 

 カズマでさえ購入を躊躇う高級品。

 それを、カズマの脇に現れた少年が迷いもなく即決で購入した。

 大きな金貨袋が突然机の上にどちゃりと置かれて、ニヤリと笑ったバニルがマナタイトを差し出した。

 

「十個ください。どうぞ、二億エリスです」

 

「毎度あり!」

 

「ふぁっ!?」

 

 即断即決で二億エリス出したむきむきは、キースに鼻からハンバーグを食う運命をぶちこむのであった。

 

 

 

 

 

 「ハナンバーグ! ハナンバーグ!」「鼻まるハンバーグだこれ!」「アツゥイ!」とバニルに熱々のハンバーグを鼻に突っ込まれるキースに背を向け、カズマとむきむきは帰路についた。

 冒険者ギルドは街中の警備を固めつつ、冒険者を動員して悪魔に対応してくれるらしい。

 むきむきとカズマは軽く腹に入れるものとしてたこ焼きを買って、行儀悪く歩き食いしながら屋敷へと向かっていた。

 

「街の外で迎え撃つ、か。まあゆんゆんの魔法使うならそれが一番だよな」

 

「エリス様が教えてくれたことはこれで全部。だから街の外がいいかなって思ったんだ」

 

「問題はちょむすけだよな……

 他の冒険者が街の中を固めてる間に、俺達で敵将討ち取ったりーってやるか?」

 

「おお、カズマくんが凄く勇猛果敢な策を出してる……!」

 

「その時は俺が後ろから指示出してるから、頑張って前に出て敵将を仕留めてくれ」

 

「そうでもなかった!」

 

 どうやらカズマの作戦は、悪魔殺しのアクアを始めとする強力なユニットの力を最大限にまで発揮した斬首戦術のようなものであるようだ。

 ウォルバクさえ潰せば悪魔軍団は瓦解する。ちょむすけを狙う理由もなくなる。

 カズマが居ないPTはアクアが暴走し、ダクネスが性癖に走り、めぐみんが明後日の方向に行き、むきむきが膝を抱えてゆんゆんがぼっちになるのと同じことだ。

 戦いの王道は、頭を潰すことである。

 

 そのために、必要なことがあった。必要な人と、必要な魔法があった。

 

「なあむきむき、そんだけマナタイト買ったってことは、自覚はしてんだろ」

 

「うん」

 

「お前が街の外で戦いたいと思った一番の理由は、めぐみんの爆裂がそこでなら撃てるからだ」

 

「そういうことだね」

 

「その考えは正しいと俺も思う。

 相手はアクセルの街をぶっ壊せるから街の外でも中でも爆裂魔法が撃てる。

 街の外でなら俺達の側も爆裂魔法を使える。

 相手側に爆裂魔法がある防衛戦ってのは、それだけ不利な条件が付くってことだ」

 

 爆裂魔法はとことん攻撃に向いた魔法だ。

 最前線の砦でもないアクセルなら、遠距離から爆裂魔法を撃つだけで壊すことが出来る。

 逆に防衛側は対処しづらい。

 最低でも街の外を戦場にして街に近付けさせないようにする必要があり、欲を言えば防衛側も爆裂魔法を使えるという前提が欲しかった。

 

「でもな。あいつ、撃てるのか? 恩人のウォルバクって奴を」

 

 そんな現状が、"ウォルバクを撃てないめぐみん"という要素を悪い意味で目立たせている。

 相手だけが爆裂魔法を使えるだなんて最悪だ。

 普段むきむき達が最大活用している『爆裂魔法』というアドバンテージが、そっくりそのまま不利な要素へと逆転してしまうのだから。

 

「撃てなければ、僕らも厳しいよね。爆裂魔法を同じ方法で二度防げるとは思えない」

 

「……」

 

「ホーストも強力な前衛だ。爆裂魔法というカードを切られる瞬間が怖いよ」

 

「だったら」

 

「でも、僕らが『撃たせる』のは駄目だよ。それだけは絶対に駄目だ」

 

「……っ」

 

「めぐみんが撃つ時は、めぐみんが撃つと決めた時であるべきだよ」

 

 むきむきはめぐみんの味方だ。とことんめぐみんの味方だ。だがそれはめぐみんに甘いだけというわけではなく、一から十までめぐみんの手を引いてやるというわけでもない。

 めぐみんに撃てと強要しても、めぐみんは撃てないだろう。

 たとえ撃ったとしても、頭の良いめぐみんは「他人のせいにできる逃げ道を作ってから撃ってしまった」という事実を引きずってしまうだろう。

 

 選択が必要だ。

 "自分はよく考えてそれを選んだ"という記憶が必要だ。

 "大切なもの同士を天秤にかけてそれを選んだ"という確信が必要だ。

 それがあれば、残酷な結末に至ったとしても、人は『これでよかったんだ』と思える。

 そのためにはめぐみんが自分の人生の山場であるこの時を、自らの選択肢で乗り越えていかなければならない。

 

 カズマは少し驚いた。

 見方を変えれば、今のむきむきはめぐみんに厳しく接していると言える。めぐみんに後悔させないために、めぐみんに苦悩の中での決断を迫っているのだ。

 むきむきがめぐみんに厳しく接する姿を、カズマは初めて見た気がした。

 

「俺は嫌だぞ、仲間がうだうだやってるのに巻き込まれて死ぬの」

 

「カズマくんは死なないよ。敵からは僕が守ってみせる。今日みたいにね」

 

「……お前も言うようになったなあ」

 

「さて、屋敷に到着。めぐみんに会って来るから、ちょっと待っててね」

 

 冗談めかした口調だが、どこか力強さを感じる少年の口調。むきむきはめぐみんに後悔の道を進ませないこと、カズマを死なせないこと、そのどちらをも決意している。

 今日のむきむきはなんだか頼りがいがある。

 そこでふと、カズマは思った。

 

(……もしかして。めぐみんが情けない状態になってる時は、こいつに頼り甲斐が出るのか?)

 

 もしも、それを何も考えずにごく自然に行っているのだとしたら……本当の意味で『支え合っている』と言えるのだろう。

 冷静さを失っている人間を見ると自分が逆に冷静になるのと同じように、人間とは向き合っている人間と相対的な変化をすることがあるものだ。

 階段を登っていくむきむきの背中を見送り、カズマはちょっと笑ってしまった。

 

「めぐみん、ただいま」

 

 むきむきは帰って来たことを伝えて、部屋の扉をノックする。

 昔は互いの部屋にはノックも無しに入っていた。めぐみんが一定の年齢になってから、むきむきは彼女の部屋に入る前にはノックをしないと怒られるようになった。

 それが『子供』から『女の子』に変わったことを示すものなのだと、むきむきは随分後になってから理解したものだ。

 頭の片隅をよぎる、幼馴染と過ごした過去の記憶。

 続いてよぎる、ウォルバクに助けられた時の記憶。

 

 ただいま、と言っても返答が返って来ないドアの向こうに、むきむきは言葉を続けた。

 

「入っていい?」

 

 小さな声が返って来て、むきむきはめぐみんの部屋に足を踏み入れる。

 めぐみんはウォルバクと相対した時の服装のまま、帽子と杖を手放してベッドの上に居た。

 手元には枕を抱えていて、少し前まではそこに顔を埋めていたであろうことが推測される。

 めぐみんのすぐ横にはちょむすけも居て、ちょむすけも心配そうに主を見上げていた。

 

 帽子は彼女の手元に、杖は帽子よりも離れた所に置かれていた。

 めぐみんの目は虚空を見つめていて、むきむきが部屋に入って来たのをきっかけに、その視線を徐々にむきむきへと向けていく。

 少年を見るその目に、次第に罪悪感や申し訳無さが浮かび上がって来た。

 少女は何かに耐えきれなかったかのような表情を浮かべ、少年から目を逸らす。

 帽子よりも遠くに置かれていた杖の存在が、今のめぐみんの心情を表していた。

 

「めぐみん」

 

 静かに呼びかける少年の声が、少女を落ち着かせる。

 少女に思考を整理する余裕をくれる。

 少年の呼び掛けで自責の念を少しばかり振り払うことができた少女は、ぽつりぽつりと、自分の胸中の想いを言葉に変換し始めた。

 

「情けないですね、私は。

 普段はあんなに格好付けたことを言っていて……カズマにも、撃てると言ったはずなのに」

 

 少女は枕に顔を埋める。

 少年は少女の近く、ベッドの上に腰を下ろす。

 話を聞いてくれるはずだと、少女は無意識下で彼のことを信じきっていた。

 話を聞かなければ何も始まらないと、少年は意識して聞き手に徹した。

 

「撃てませんでした。撃ちたい、撃たなければ、撃とう、と思っても……撃てませんでした」

 

 自分にいくら言い聞かせても、何も変わらなかった。

 めぐみんは、撃てないめぐみんのままだった。

 自嘲気味に語るめぐみんは、泣きそうな微笑みを浮かべて顔を上げる。

 

「私、ちょっと夢見てたことがあるんですよ」

 

 少女は、自らを嘲るように言葉を続けた。

 

「私に爆裂魔法を見せてくれたあの人に、私の自慢の仲間を見せるんです。

 そして、私の自慢の爆裂魔法を見せるんです。

 あなたに教えてもらった魔法をこんなに極められました、って言って。

 あなたに教えてもらった魔法でこんなに仲間が出来ました、って言って。

 あなたに教えてもらった魔法で仲間を守ってこれたんです、って言って、それで……」

 

 指の間から零れ落ちる砂のように、手の中から滑り落ちていく想い。

 

「ありがとうございました、って伝えて。

 よくそこまで極められたわね、って褒めてもらって。

 私が今日までしてきた努力や冒険の全部を、あの人に聞いてもらって……」

 

 水面(みなも)に浮かぶ泡沫のように、心の底から浮かんでは散っていく願い。

 

「そこまでが、私の歩いて行く一つの道で。

 そこからは、また新しく私の歩いて行く道が伸びていくものだと、思っていたんです」

 

 もう現実になりそうもない、儚い夢物語だった。

 

「でも、そうじゃなかった。……そんな未来なんて、最初からどこにもなかったんです」

 

「めぐみん……」

 

 少女の未来に待っていたのは、憧れの人との感動の再会ではなく、残酷な戦い。

 

「思えば、あなたは情けなかった頃でも……戦うと決めた時は、勇気のある人でしたね」

 

 ウォルバクを撃てなかっためぐみんは自分を責めながら、自室でずっと答えの出ない思考の堂々巡りに苛まれていた。

 そして、その過程で何度も何度も、勇気ある対峙を選んで来た幼馴染の少年の背中を思い出していた。

 

「私は怖いです。私が本気で戦って、その果てにどんな結末になってしまうのか……

 あのお姉さんと私が、どんな未来に至ってしまうのか……それが、怖くてたまらない」

 

 決断に必要なのが勇気であるとするならば、今の彼女に必要な勇気とは何か。

 

「足が震えるくらいの恐怖を乗り越えて、仲間を守るために戦う。

 あなたがいつもしていたそれは……こんなにも、難しいことだったんですね」

 

 少女の声には、少年に対する改まった敬意が感じられた。

 力なく笑うめぐみんは弱々しく、触れるだけで折れてしまいそうな、一輪の花のようだった。

 

「いっそのこと、爆裂魔法なんて捨てちゃいましょうか」

 

「え?」

 

「こっそり溜めていたスキルポイントがあります。上級魔法を取ることはできますよ」

 

「……い、いや、そういうことじゃなくて……」

 

「いいことづくめじゃないですか。

 私は爆裂魔法と一緒にあのお姉さんへの執着を捨てられる。

 このPTにも優れた上級魔法使いが一人増える。

 爆裂魔法以外も覚えろと日々口煩く言っていたカズマもこれで満足するでしょう」

 

 少女はどこか投げやりに言い放つ。

 その様子は痛々しく、見ていられない気分を彼の中にかき立てていた。

 

「……このまま、役に立たない私のままで居るより、その方がいいはずです。

 今の私とは違う私であった方が、少しでも役に立てる私が仲間であった方が……」

 

「そんなわけない!」

 

「!」

 

「それは駄目だよ! それは……そんな風に、逃げるように捨てていいものじゃないはずだ!」

 

「むきむき……」

 

「君が大好きだったものを、そんな風に捨てていいわけがない!」

 

 めぐみんが爆裂魔法を捨てることを心底納得しているなら、むきむきもその選択を尊重し応援しただろう。だが、そうではなかった。

 少女は爆裂魔法より大切なもののために爆裂魔法を捨てる決意を決めた、という思考の過程を経てさえいない。

 どこまでも投げやりで、適当だった。

 ウォルバクとの因縁を見ないようにするための、逃げるように背を向けるための選択でしかなかった。いや、それはある意味逃げでしかなく、選択でさえないのかもしれない。

 それで爆裂魔法を封印して上級魔法使いになっても、めぐみんは一生後悔しながら生きていくだけだろう。その選択の先には暗い未来しか待っていない。

 

 少年は少女に、よく考えた上で決断してほしいと願っている。

 だが、それが絶対に正しい少女への対応であると確信していたわけでもなかった。

 めぐみんに撃つべきだと言うのが正しいのか。

 ウォルバクだけは撃たないと決めて迷うなと言うのが正しいのか。

 爆裂魔法を捨てろと言うのが正しいのか。

 絶対に捨てるなと言うのが正しいのか。

 どれが絶対に正しいのか、少年自身も確信を持てないでいる。

 

 少年の脳裏に、めぐみんと幽霊がかつて少年に言った言葉が蘇る。

 

――――

 

「あなたがどんな道を選んでも、私は嫌いにはなりませんよ。

 だから、恐れなくていい。

 あなたはどんな道を選んでもいいし、何も選ばなくてもいいんです」

 

「人にとって大切なのは、どの道を選ぶかじゃないんです。

 本当に大切なのは、選んだ道の先を、どんな未来に繋げるかなんです」

 

「私は、きっと……

 爆裂魔法の道を選ぼうと選ぶまいと、里の外に出ることを選んでいたでしょう。

 魔王を倒す道、自分の身の証を立てる道、未来の仲間と出会う道を選んでいたでしょう。

 どんな道を選んだとしても、私が私である限り、繋ぐ先の未来はきっと似通っている」

 

「道を選ぶことに迷うより。

 道を選ぶことを恐れるより。

 道を選んだ後頑張ることの方がずっと大事だと、私は思います」

 

「進むのが怖いなら、私があなたの先を行きますよ。あなたはそれを追ってくればいい」

 

「……でも。できれば隣を歩いてくれた方が、私は嬉しいですね」

 

―――

 

 めぐみんはそう考えている。

 だから彼女は、爆裂魔法を捨てるという選択も、命の恩人にして恩師であるウォルバクを殺すという選択も、考慮することができるのだ。

 その過程でどんなに苦しもうとも。

 その行動の結果、一生物の後悔を背負うことになろうとも。

 めぐみんはその結果の先にも、人生が続いていくことを知っている。

 

 彼女は繊細で、後悔から落ち込んで弱ることもある。

 それでも本質的には強い人間で、それを抱えたまま前に進んで行ける人間だ。

 

――――

 

『貴様の人生を決めるのは貴様だ』

 

『好きにしろ。どうせ後悔はする』

 

『人は成功しようが失敗しようが、後悔はする。

 人は強欲で、より高い場所、より富んだ場所を求めるからだ。

 後悔は忘れることもできるが、大抵の人間は行動の結果後悔する。

 成功しても失敗しても、人は"あの時ああしていれば"と考える。

 凡俗はそうして、自分から行動することを恐れるようになるものだ』

 

『なら最初から「どうせ後悔する」と考えればいい。

 その上で行動し、「やっぱり後悔した」と後悔を軽く扱えばいい。

 後悔など最初から想定し、全てが終わった後に捨てればいいのだ。

 人生など後悔して当然。後悔など後に引きずるものではない。

 「どうせ後悔する」という考えと、「恐れず行動し続ける」という選択を、常に併用せよ』

 

――――

 

 幽霊はそう考えていた。

 死にたくなるような後悔はどこにでもあると。

 人生に後悔は付き物であると。

 だから後悔は引きずるなと。

 強い人間である彼はそれが正しい生き方だと信じていた。

 後悔で自暴自棄になり、後悔から自分の命を投げ捨てるような真似をして、後悔しながら死んでいった彼らしい人生の結論だった。

 

 選んだ先をどこに繋げるかが大切だと言った少女が居た。

 どんな道にも後悔はあるのだから、後悔を前提に生きていけばいいと言った幽霊が居た。

 人はそれぞれの考え方で生きている。

 どれが絶対に正しいというわけでもない。

 どれが絶対に正しいかなんて分からない。

 人生に絶対の正解など無い。

 

 ただ少年は、彼女に後悔しながら生きる道を進んで欲しくはなかった。

 少しでも後悔の少ない道を進んで欲しかった。

 できれば幸せになって欲しかった。

 少年は誰が何を語ろうと、ここにいる『自分』がそう想う心に従っていた。

 

 大切な人には、後悔は少なく幸福は大きく生きて欲しい。

 それはめぐみんに教わった生き方ではなく、幽霊に教わった生き方でもなく、彼自身が『こうしたい』と思う生き方だった。

 

(……めぐみん)

 

 この素晴らしい世界を冒険して、少年は様々な人達と出会ってきた。

 様々な生き方を目にしてきた。

 様々な考え方を聞いてきた。

 それらを取捨選択して自分の中に取り込み、自分というものを育てていくのが、『人間として成長する』ということである。

 

 むきむきとめぐみんの生き方は違う。考え方も違う。

 だからこそ、相手の言葉が自分の人生の光明となることもある。

 違う生き方と考え方が、抱え込んだ苦悩に解決を示すこともある。

 

「大丈夫」

 

 『どうすればいいのか』と迷った果てに、自分の最大の個性である爆裂さえ投げ捨てようとしているめぐみんを、むきむきは優しく諭す。

 優しく穏やかな語調は、少女の心を少しづつ落ち着かせていった。

 

「めぐみんがどんな道を選んでも、僕はめぐみんのことを嫌いにならないよ」

 

 彼の言葉は優しいのか、厳しいのか。

 人によってその判断は別れることだろう。

 その言葉はちゃんと考えて決めためぐみんの選択ならば絶対に肯定するという宣誓であり、めぐみんの人生の大事なことはめぐみんが決めなければならないという、叱咤だった。

 

「だから、投げやりな気持ちで大切なものを投げ捨てるようなことだけは、しないで欲しい」

 

 めぐみんがどんな選択肢を選んでも、その先に勝利に繋がる道はある。

 ただし、どの道の先にもウォルバクとの戦いか、あるいはちょむすけとの別れが待っている。

 どの道の先にも後悔はあるのかもしれない。

 けれど、その後悔は選択と覚悟により軽減することができるものだ。

 

「よく考えて、この戦いが終わる前には結論を出して欲しい」

 

 少女の心が軽くなる。

 未来を恐れる気持ちが薄くなる。

 どんな道を選んでも、その先に彼が待っていてくれるのなら――

 

「いつか一緒に魔王を倒すって、約束したよね。

 だからここで終わらせない。僕は頑張るよ。君が悩んでいられる時間を稼いでみせる」

 

 ――それだけで、何か救われたような気がしたから。

 

「だから、ちゃんと後悔しないように決めるんだ。

 撃つにしても、撃たないにしても。それはちゃんと選んで欲しい。

 選べないまま時間が過ぎて全部終わっちゃった、なんてことにならないように。

 ……僕がこんなこと言わなくても、めぐみんはちゃんと選べるんだろうけど……」

 

 日が沈む。

 空が夜の入り口に差し掛かった頃、少年はめぐみんに背を向け、部屋を出て行った。

 

「僕は、待ってるから」

 

 最後の言葉を胸に刻んで、めぐみんは少年のその背中を見送る。

 

 窓の外で動いた何かの影が、夕日が生む陰影にちらりと重なっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が見えない夜が来た。

 電気を使った電灯が一般的に普及している地球と比べれば、この世界の夜は暗い。

 夜の闇は人の視界を塞ぎ、夜目が利く悪魔の有利要素となる。

 城壁に篝火を焚いて備えを敷き、悪魔を迎え撃つ準備万端なアクセルの街を遠目に見て、ウォルバクとその配下は進軍を開始した。

 

「ホースト」

 

「合点承知。厄介なのは俺が止めますよ」

 

 ウォルバクは兵を進め、嫌そうな顔で金貨袋を眼前の悪魔の前にどかっと置く。

 仮面を付けた悪魔がニヤリと笑って、金貨袋と引き換えに最高品質のマナタイトを十個、袋に入れてウォルバクへと手渡した。

 

「二億エリス毎度あり。ではこれが約束のマナタイト十個である」

 

「……」

 

「さて、ではお前達がこれを買ったことを人間側にも伝えてこよう。

 これで両者共にマナタイトを同数買い、それを両者共に知覚したことになる。

 さあそのマナタイトを使いながら戦うがいい、フハハハハハハ!」

 

「死の商人か何か?」

 

 バニルは高笑いしながら消えていく。

 全てを見通す悪魔は見えている世界が違いすぎて、他人から見れば何が考えているのか全く分からないのが面倒なところだ。

 どちらにせよ、"敵側がマナタイトを購入した"という情報を餌にマナタイトの在庫処理をこなすバニルは、まさしく悪魔であった。

 

「ま、まあいいわ。さあ、私の半身を回収しに……」

 

 アクセルへの道を半ばほど進んだところで、ウォルバクはその足を止めた。

 先陣を切る邪神が足を止めたことで、その後ろに続いていた悪魔達も進軍を停止する。

 彼らの前には、五人の人間が立ちはだかっていた。

 前衛には筋肉の紅魔族と金髪のクルセイダー。

 後衛には紅魔族の少女、青髪のプリースト、黒髪の冒険者。

 この街を攻略しちょむすけを奪うにあたって、最も厄介な五人が揃っていた。

 

 めぐみんは居ない。

 彼女がすぐさま決断してここに来ることができないことは明らかだったが、おそらくむきむきあたりがめぐみんに時間をやるよう、仲間を説得したのだろう。

 ホーストはめぐみんが居ないことを気にもせず前に出る。

 居たとしても気にしなかっただろう。

 この悪魔は、この地では最初から今に至るまでむきむきのことしか見ていない。

 

「おう、待っててくれたか」

 

 ホーストはむきむきに呼びかける。

 むきむきは悪魔の軍団を見て、ウォルバクを見て、ホーストに返答を返した。

 

「うん、待ってた」

 

 成長した少年が真っ直ぐに返答を返して来たことに、ホーストは思わず身震いした。

 何の武器も持たず、身一つで自分と殴り合える人間が強気に相対してくるその姿が、ホーストの大きな口を獰猛に歪める。

 

「申し訳ありません、ウォルバク様」

 

「どうかしたのかしら? ホースト」

 

「あなたに忠誠を誓ったことに変わりはない。……が、我儘を通させて頂きたい」

 

 拳の骨をボキボキと鳴らすホースト。

 

「どうか俺に、決着の機会を」

 

 楽しげな悪魔の様子に、ウォルバクは呆れた顔になっていた。

 

「好きになさい。あなた達! 例の手筈通りに!」

 

 ウォルバクはホーストの意を汲んで、『めぐみんが居なかったことで安心した自分』を隠し、『むきむきの成長を褒めてやりたい自分』を隠し、悪魔に進軍を命じる。

 情を隠して、非情に徹する。

 悪魔達は邪神への忠誠心から、一瞬のラグさえなくその指示に従った。

 

 それが、戦いの開始の合図となった。

 

 軍団を止めようとしたむきむきはホーストに止められる。

 そして敵の攻撃に耐えることは出来ても、攻撃で敵の進軍を止められないダクネスに数体の悪魔が組み付いて足止めし、残った悪魔達はなだれ込むように後衛のアクアに殺到していった。

 先手を取っての奇襲進軍。

 むきむき達の対応を遅らせる、一度しか使えないであろう奇襲の一手だった。

 

「何!?」

「うおマジかよ! やれアクア!」

 

「ふんっ、馬鹿ね! 消えてしまいなさい悪魔共! 『セイクリッド・エクソシズム』!」

 

 敵は悪魔ということで、俄然気合いの入るアクアが魔法を放つ。

 アンデッドといい悪魔といい、この世の理に反した存在に対してアクアは天敵の中の天敵だ。

 地面に広がる魔法陣。

 大地と大空を繋ぐような光の柱が立ち、全ての悪魔を飲み込んでいく。

 

 光が悪魔を飲み込み、そして―――悪魔は、ただの一体も、消えてはいなかった。

 

「……あら?」

 

 消えなかった悪魔が、洪水のようにアクアを飲み込み、さらっていく。

 素の耐久と神器の耐久を併せ持ち、悪魔の能力に耐性があるアクアは短時間で容易く倒せない。

 そう判断したのか、悪魔達はアクアを他の仲間と引き離しにかかっていた。

 アクアが皆からも街からも離れた方向に、祭りの神輿のように運ばれていく。

 

「助けてカズマしゃああああああああんっ!!」

 

「アクアー!」

 

 むきむきもダクネスも邪魔されて追えない。

 ゆんゆんも魔法を撃とうとしたが、アクアが運悪く射線に何度も重なってくるせいでまるで撃てない。こんな時までアクアはアクアだった。

 必然的に、後を追えるのはマークが薄いカズマのみ。

 

(ベルディア配下のアンデッドにターンアンデッドが効かなかったアレと同じか!?

 魔王の加護どんだけ万能なんだよクソッ! 深爪して悶え死にそうな目にあっちまえ!)

 

 まずは潜伏スキルを発動。

 続き逃走スキルを発動。

 無数の悪魔という遮蔽物を隠れ蓑に使い、誰の目にも映らないようアクアを追い、"ホーストから逃げる"という形で使うことで逃走スキルの速度上昇効果を得ていた。

 

「潜伏、逃走、っと」

 

 そしてアクアに追いつくやいなや、彼女の服の脇を引っ掴んで悪魔達から取り返す。

 ここまでされれば悪魔達もカズマの存在と接近に気付き、逃がさないよう彼を取り囲むが、何も考えずに突っ込んで来るカズマではない。

 

「か……カズマー! カズマー!」

 

「『サモン』!」

 

 抱きついてくる邪魔なアクアを肘でどけつつ、カズマは召喚の魔法を使った。魔法の使用中に魔力が足らなくなり、カズマの懐の吸魔石の魔力を使い切ってなんとか魔法は成立される。

 召喚されたのは、樽のような何かだった。

 中にダイナマイトもどきが詰め込まれた、特大カズマイトとでも言うべきものだった。

 カズマは二つ目の吸魔石を出して初級火魔法(ティンダー)で手に火を灯し、自分とアクアを取り囲む悪魔に脅しをかける。

 

「俺とアクアにこれ以上近付くな! 近付いたらこの爆薬に火を付けるぞ!」

 

「こいつ正気か!?」

「自爆覚悟とはっ!」

「野郎、道連れを躊躇ってねえぞ!」

 

「みすみすやられるくらいなら俺は迷わず火を付けるぞ!」

 

 相手が人間で、相手が命を惜しむような存在だったなら、これで退かせられるだろう。

 カズマの自爆に付き合って自分も死ぬだなんて冗談じゃない。

 だったら仕切り直しを選ぶはずだ。

 が。

 今日ここに集ったのは、ウォルバク配下から選りすぐった忠誠心と実力のある悪魔達だった。

 

「うおらァ悪魔舐めんなぁ!」

「ウォルバク様のためなら残機の一つや二つ投げ捨てたるわダボが!」

「死にくされぇッ!」

 

「こ、こいつらガラが悪い! 『テレポート』!」

 

 中級悪魔と上級悪魔が息を合わせて一斉に飛びかかる。

 と、同時、カズマは特大爆弾に火をつけて、アクアを掴んでマナタイト片手にテレポートした。

 

「あっ」

 

 カズマとアクアがアクセル近くまで跳んで、同時に特大爆弾が起爆する。

 爆弾近くに居た中級悪魔は残らず消し飛び、上級悪魔もそれなりの数が燃え尽きていた。

 

「ああクソ、やっぱめぐみんの爆裂魔法みたいな攻撃範囲は無理か!」

 

 だが、それでも軍団の数は相当な数が残ってしまっていて、再度カズマとアクアを狙って駆けて来ている。

 爆弾の威力は十分だった。

 だが、軍団を巻き込むには攻撃範囲が足りなかったのだ。

 

 カズマの爆弾とめぐみんの爆裂を比べれば、威力以上に攻撃範囲の足りなさが目につく。

 駄目なのだ。

 どんなに頑張っても、めぐみんの代わりをカズマが務めることなどできない。

 いや、めぐみんの代わりなど、きっと誰にもできやしないだろう。

 

「どうしようカズマ!?」

 

「いいから水出せアクア! おいそっちの誰でもいいから助けてくれー!」

 

「『クリエイト・ウォーター』!」

 

「『フリーズ』!」

 

 アクアが出した水をカズマが凍らせ、地面の上に滑る氷を作り悪魔を転ばせる。

 これも所詮は時間稼ぎだ。長くは保たない。

 

 カズマとアクアがてんやわんやに頑張っていた頃、少し離れた場所ではホーストとむきむきが筋肉任せにがっぷり四つに組み合っていて、ゆんゆんがダクネスを救出していた。

 

「『ブレード・オブ・ウインド』!」

 

 ダクネスに組み付いていた悪魔をゆんゆんが一掃。

 むきむきはホーストの顔面パンチをあえて避けずに受け、カウンター気味にホーストの腹を蹴り飛ばし、ダメージと引き換えにホーストとの距離を明ける。

 そして、ゆんゆんが自由にしたダクネスに近寄り――

 

「むきむき、頼む!」

 

「はい!」

 

 ――ダクネスを、ぶん投げた。

 

 質量兵器ダクネスが飛ぶ。

 硬くて重いダクネスが、カズマ達を狙う悪魔達の先頭へと直撃する。

 単純に硬いダクネスは怪我一つなかったが、ぶつけられた悪魔達は痛そうにのたうち回り、中級悪魔も一体ダクネスに潰され消滅していた。

 ダクネスのフライングボディプレスは、朝青龍のそれを遥かに上回るようだ。

 

「だ……ダクネス!」

 

「待たせたな。私から離れるなよ」

 

「ダクネス! 今のダクネス最高にかっこいいわ! カズマも見習いなさい!」

 

「てめえさっきまで俺の名前をあんなに情けなく連呼しておいてこの野郎!」

 

 ダクネスの体当たりはカズマ周辺の戦場の空気を変え、悪魔達を警戒させる。

 

「気を付けろ、この女重いぞ! しかも硬い!」

「ああ、痛かった。柔らかい女の幻想を砕くような硬さだった」

「あのおっぱいアーマー絶対中身ねえぞ。

 鎧の下はきっと脂肪も何もない筋肉ムキムキで腹筋バキバキのアマゾネス状態だぜ」

 

「……悪魔死すべし、慈悲はない! エリス教徒の正義の剣で死に絶えるがいいッ!」

 

 エリス教徒としての意識がそうさせたのか、ダクネスは激怒と殺意を込めて剣を縦横無尽に振り回していく。なお当たらない模様。

 

 ウォルバク&ホーストと相対するむきむきとゆんゆん。

 悪魔軍団と相対するカズマとアクアとダクネス。

 綺麗に二つに別れた戦場を、ウォルバクは無言で眺めていた。

 

 ゆんゆんからの魔法はウォルバクにも飛んでいるが、ウォルバクはそれを難なく捌いている。

 ウォルバクは多彩な魔法を使用していた。

 めぐみんとウォルバクは同じく爆裂魔法の使い手である。

 されども爆裂魔法『しか』使えないめぐみんと、爆裂魔法『も』使えるウォルバクには、戦いで選べる魔法の種類に天と地ほどの差があるようだ。

 

(あちら側は五人中二人がテレポートを使える、と。

 その気になればこのまま撤退ができる?

 となればこれは前哨戦。

 爆裂魔法の詠唱をしても、長い詠唱を終える前にテレポートで逃げられてしまう……)

 

 一見むきむき達を分断し、ウォルバクがいつでも爆裂魔法を撃てる状況が整ったようにも見えるかもしれない。

 だが、そうではなかった。

 ゆんゆんはいつでもむきむきを連れてテレポートできる位置に居て、カズマもアクアとダクネスを連れてテレポートできる位置に居る。

 二人のテレポート要因が戦場全体を見て上手く立ち回っていて、ウォルバクの爆裂魔法を無駄撃ちさせようと『誘い』を作っていた。

 

 よく考えてるわね、とウォルバクは心中で称賛の声を送る。

 アクアの支援魔法を受けたむきむきはホーストと互角。

 カズマの方も戦線は膠着状態。

 戦いの流れはウォルバクの側にあったが、戦いの進みは膠着し牛歩になりつつあった。

 

(いけないわね)

 

 こういう流れは一見良いように見えて良くないものだと、ウォルバクは神として積み重ねた経験で察知する。

 こういう流れで強いのは神でも悪魔でもなく『人間』なのだと、ウォルバクはよく知っていた。

 特に目につくのは、男二人だ。

 

 多芸さを見せる一人の少年。石を拾っては投擲系のスキルで投げ、木の棒を拾っては棒術系スキルで殴り、腰に差した剣で片手剣スキルを発動し、悪魔が落とした槍で槍術系スキルを使っては、弓スキルで遠く離れた敵を攻撃する、器用貧乏な冒険者。

 一点突破の身体能力を見せる一人の少年。

 王都の冒険者でさえ将棋の駒を倒すようになぎ倒せる悪魔が、ウォルバク配下の最大戦力が、たった一人の少年と互角に殴り合っているという異常な光景がそこにある。

 

 何か欲しい、とウォルバクは思った。

 この追い詰めているようで追い詰めていない、敵側がいつでも逃げられる、仕切り直しの難しくない前哨戦のような戦い。

 こんな戦いを進めるくらいなら何かが起きて欲しい、と、彼女は思ったのだ。

 

「ウォルバク様!」

 

 だからか、()()がすぐにやってくる。

 

「成功しました。このアーネス、首尾よく命を果たしまして御座います」

 

「よくやってくれたわ、アーネス。これで終わりね」

 

 アーネスの右腕には、ちょむすけが抱えられていた。

 アーネスの左腕には、ぐったりとしためぐみんが抱えられていた。

 悪夢のような光景だった。

 夢であってくれと願いたくなるような光景だった。

 

「なっ―――!?」

 

 砂の城が崩れるような、無情で儚い何かの音が、少年の胸の奥に響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 アーネスはその気になれば紅魔の里にも侵入し、活動することができる。

 そうは見えないが、高い戦闘力と潜入・捜索技能を併せ持ち、飛行能力と高い魔法技能を使いこなす優秀な後衛型の上級悪魔だ。

 アクセルの街に侵入し、ちょむすけとちょむすけを守っていためぐみんを連れ去ることも、困難なだけで不可能ではない。

 

「アーネス、死んだはずじゃ……!?」

 

「再召喚さ。他の誰ができなくても、ウォルバク様ならそれが出来る。

 残機を一つ削られて地獄の底に送られたあたしを、ウォルバク様が喚んでくれたのさ」

 

 悪魔は人間とは違う。

 人間の感情を喰らい、人間とは違いいくつもの命を持つものだ。

 邪神ウォルバクのように『喚ぶ』者が居れば、強大な悪魔は何度でも人の前に立ちはだかる。

 

「それにしても、だ」

 

 アーネスは抱えためぐみん、少し離れた場所のアクアとカズマ、そしてむきむきを見る。

 

「あたしに喧嘩売った魔法使い。

 忌々しいプリースト。

 クソ野郎な冒険者。

 そして、あたしと部下を直接手にかけた筋肉野郎。

 仕返ししてやりたいと思った奴らがこんなに綺麗に揃ってるなんて、びっくりさね」

 

 めぐみんは魔法か何かで眠らされているようには見えない。

 時折呻いて動いているのを見るに、腹を殴られるかして大人しくさせられたようだ。

 ちょむすけは暴れて逃げようとしているが、まるで逃げられる気配がない。

 

 アーネスはめぐみんを見て鼻で笑い、丸腰で動けない彼女の首にナイフを添えた。

 

「……嬉しい限りだよ。あたしもようやく復讐ができるってもんだ」

 

「!」

 

「動くんじゃないよ! 動けば、このナイフがこの娘っ子の首に刺さることになる!」

 

 器用に左腕でめぐみんを抱えつつ、左手で持ったナイフをめぐみんの首に突きつける。

 露骨な人質だった。

 アーネスの登場は全ての悪魔の動きを、全ての人間の動きを止める。

 それが不満だったようで、ホーストが苛立たしそうにアーネスに突っかかっていった。

 

「おい、アーネス」

 

「あんたの言いたいことは分かるさ、ホースト。

 だが私情は捨てな。あたしらはあくまで邪神に仕える悪魔なんだよ」

 

「……チッ」

 

 理性的に諭すアーネスに対し、ホーストは感情的に舌打ちする。

 人間によくある、ロマンが好きな男と現実主義の女の関係のようだった。

 ホーストとアーネスの関係も、そこにどこか透けて見える。

 

「いいかい? あたしらの言うことを聞かなきゃ、この刃がぶすっと……」

 

「刺せよ。僕は止まらない」

 

「……へぇ?」

 

「ちょっと、むきむき!?」

 

 むきむきの強気な言葉に、アーネスは面白そうに口元を動かし、ゆんゆんは慌ててぶつかるようにして彼を制止しようとした。

 

「首を刺しても治せる。

 それで死んだって蘇らせられる。

 めぐみんの魔法抵抗なら、上級魔法でも死体が残らないってことはない。

 その脅しも、その人質も、僕らに対しては何の意味もないものだ。違う?」

 

「むきむき、どうしちゃったの!?」

 

 ゆんゆんはめぐみんを守るため、様子がおかしいむきむきを止めようとする。

 だが止めようとして、むきむきの手を取ったところで気が付いた。

 少年の手の平は、尋常でない手汗で濡れていたのだ。

 

(手汗が……)

 

 ゆんゆんはそれをきっかけにして理解する。

 これは、カズマの真似だ。

 むきむきのこれは、カズマの真似をしているのだ。

 ハッタリで"めぐみんの人質としての価値"を下げ、めぐみんを助けようとしている。

 

 なんてことはない。

 今この場に居る者の誰よりも『めぐみんに死んで欲しくない』と思っているのは、他の誰でもなくこのむきむきなのだ。

 治せるとしても、傷付いて欲しくない。

 蘇らせられるとしても、死んで欲しくない。

 当たり前の話だ。

 『少しでも後悔しない選択を』と少女に対し祈るような少年が、めぐみんに対してそんな残酷な割り切り方ができるわけがない。

 

 むきむきは、カズマにはなれないのだから。

 

(助けないと……絶対に、助けないと……!)

 

 そんな少年の強がりをあっさり見抜いて、アーネスはプッと吹き出した。

 

「あんた、嘘が下手なんだねえ。あんたの仲間とは違って」

 

「っ」

 

「その可愛い率直さに免じて、余計なことはしないでおいてあげるよ。

 ウォルバク様の半身だけはあたしらが頂いていくけど、そんぐらいは我慢しな」

 

「アーネス」

 

「それでいいでしょう、ウォルバク様」

 

「……仕方ないわね」

 

 ウォルバクとその配下の目的はちょむすけだ。

 ちょむすけを殺し、その存在をウォルバクへと還元することこそが彼女らの目的。

 しからば人間などどうでもいいのだ。殺そうが、生かそうが。

 このままちょむすけを抱えた悪魔達を見逃せば、むきむき達は万事無事に終わる。

 

(いいのか、これで)

 

 けれども、それは受け入れ難い選択だった。

 めぐみんがちょむすけの毛並みを撫でて愛でる。

 そんな記憶が、彼の中にはあった。

 こめっこがちょむすけを抱き上げて走り回る。

 そんな記憶が、彼の中にはあった。

 ゆんゆんがちょむすけに御飯をあげて、美味しそうに食べる猫の姿に微笑む。

 そんな記憶が、彼の中にはあった。

 

 むきむきが優しく抱きしめると、ちょむすけが小さく嬉しそうに鳴く。

 そんな記憶が、彼の中にはあった。

 

(めぐみんやこめっこちゃんが大事にしてたちょむすけを奪われて、殺されて、それで―――)

 

 少年は、決断を迫られて。

 

 少女は、決断を下した。

 

「むきむき」

 

 いつの間にか起きていためぐみんが、声を絞り出す。

 

「何も決められていない私ですが……一つだけ、決められたことがあります」

 

 目にはまだ迷いが浮かんでいる。

 されどその眼の底の底には、いつもの彼女の強さが見えた。

 めぐみんは身を捩り、首元にナイフを寄せて動きを制しようとするアーネスの予想を超え。

 

「気に入らない奴の思い通りには、絶対にさせないということです」

 

 自分の首をナイフの刃先にぶつけ、ナイフの刃先を自分の首に思いっきり刺し込んだ。

 

「―――」

 

 首の太い血管から、噴水のように噴出する血液。

 

 その瞬間、誰もが息を呑んだ。

 めぐみんの男らしすぎる決断に、誰もが意識の空白を生み出してしまった。

 自殺。

 唐突で前兆のない自殺。

 悪魔の側のアドバンテージを消し、『人質』を消す自殺だった。

 

 めぐみんは、逃げることではなく、戦うことを選んだのだ。

 

「―――ぁ」

 

 めぐみんの自殺による驚愕から誰よりも早く立ち直ったのは、むきむきだった。

 瞬時に踏み込み、アーネスの顔面を殴り飛ばしてめぐみんとちょむすけを回収する。

 それを皮切りに、他の皆も動き出した。

 

 アクアが必死にめぐみんの下まで行こうとする。カズマとダクネスがそれを援護する。

 だが、それを殺到する悪魔が止めていた。

 蘇生魔法の使い手は、めぐみんの所まで辿り着けない。

 それどころか精神的な動揺のせいで、カズマ達は今にも全滅しそうになっていた。

 

 ホーストは殴られたアーネスを助け起こし、ウォルバクがアーネスの傷を治療、そこに三人まとめて吹き飛ばそうとするゆんゆんの魔法が炸裂する。

 ゆんゆんは冷静さを失い、三者をまとめて消し飛ばそうとするかのように魔法を乱射する。

 その怒りが、ゆんゆんがめぐみんへ向ける友情の証明だった。

 

 むきむきは喉に穴が空き、瀕死になっためぐみんの手を握る。

 

「―――っ!」

 

 呼吸が止まって、心臓が止まって、手から体温が抜けていく。

 めぐみんはむきむきの手を取るたび、「むきむきの手は暖かいですね」と言っていた。

 そう言われるたび、少年は「めぐみんの手も暖かいよ」と心の中で言っていた。

 その熱が、失われていく。

 暖かかった少女の手が、冷たくなっていく。

 

「めぐみん! めぐみんっ!」

 

 そして、紅魔族随一の魔法の使い手は、死んだ。

 

「……っ」

 

 死んだ、その少女に向けて。

 

 

 

「―――死ぬなッ!」

 

 

 

 

 叫ぶ。少年が叫ぶ。

 

 むきむきがこんなにも声を荒げて、命令するような言葉をめぐみんに対し叫ぶのを聞くのは、ゆんゆんでさえ生まれて初めてのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 死んで、めぐみんは夢を見た。

 "自分はこのままでいいのか"と思うようになってから、見るようになった夢と同じ夢だ。

 

 めぐみんは道の上に立っている。

 爆裂魔法という名前が付けられた道の上だ。

 最初は上機嫌に進めていた道なのに、そこを歩いていく内にめぐみんは不安になっていく。

 何故ならば、その道の上を進んでいる姿が自分以外に誰も見当たらなかったからだ。

 

 一人で道を進んでいると、当然思う。

 この道は正しい道なのか。

 この道は進んでいい道なのか。

 この道の先には何があるのか。

 この道を進んで行けば―――自分は、一人になってしまうのではないだろうか。

 

 その道に一番の価値があると確信できている内はいい。

 でも、その道以外の道に価値があると知ってしまったら?

 その道の価値が色あせて見えるような、爆裂の欠陥が見えてしまったら?

 その道を進んでいいのか、と悩んでしまうくらい、孤独が怖くなってしまったなら?

 大切な仲間の存在が、孤独の怖さを倍増させてしまったなら、どうなる?

 

 夢の中の道を進む、めぐみんの足がピタリと止まる。

 

 いつの間にか道は消えていた。

 闇の中で、足を止めためぐみんがどこかへずぶずぶと沈んでいく。

 このまま『死』に沈んでいってしまうのだろうか。

 

「何かを極めようとしてるやつに、極め過ぎだって文句言うのは、何か違う気がするんだ」

 

 その時、めぐみんの夢の中に、むきむきの声が響いてきた。

 

「カズマくんも最近はなんとなくそう思うようになってくれた気がする」

 

 声がする方向に、めぐみんは歩き出していく。

 自分の道を進むのではなく、声がする方向へと向かって行く。

 

「いい。めぐみんはそれでいいんだ。

 全力で突っ走っていい。誰よりも前に進んでいい。

 それでひとりぼっちになることを怖がらなくていいんだ」

 

 何も考えず、声がする方へと進む。

 

「手加減なんて要らない。爆裂するくらいの勢いで突っ走れ! 僕は付いて行くから!」

 

 いつの間にか見えなくなっていた道が、いつの間にかまた見えるようになっていた。

 

「行ける所まで行ってみようよ。君ならきっと、誰も行ったことがない場所にだって行けるよ」

 

 むきむきの声が、夢の中でめぐみんを引っ張ってくれている。

 

「現代では爆裂魔法を覚えることなんて出来ないって書いてある本があった。

 でも、めぐみんは覚えた。

 爆裂魔法は役に立たないネタ魔法だって言ってる人が居た。

 でも、めぐみんはそれで何度も大活躍してみせた。

 僕が倒せるわけないと思った敵が居た。でも、めぐみんはそれだって倒してみせた」

 

 その言葉は、自信――自分を絶対的に信じる気持ち――を損なっていためぐみんの心に染み込んでいき、彼女の中の欠けた部分を補填していく。

 

「『できるわけがない』と誰かが言ったことを、君は乗り越えられる人なんだ」

 

 人は、彼女を頭のおかしい爆裂娘と呼ぶ。

 誰もがやらないようなことをやる。

 誰もができないようなことをやる。

 普通でないから、おかしい。だから彼女は"おかしい"と皆に呼ばれるのだ。

 

「誰もめぐみんの真似なんてできない。だって、めぐみんは凄い人なんだから!」

 

 彼女のような人間は、きっとこの世に二人と居ない。

 

「中途半端な努力は他人が真似できるもので、本気の努力は真似できないものなんだよ」

 

 人類最高の種族血統と、その中でも最高と謳われた才能を投げ捨てるような真似をして得たネタ魔法を、毎日毎日繰り返し撃つ。

 レベルが上がっても魔法の威力と魔力消費を引き上げて、撃てばぶっ倒れるという欠点を何も改善しないまま、常に全力で撃つ。撃ち続ける。

 そんな努力の果てに出来上がったこの少女の真似など、誰ができようものか。

 

 めぐみんが爆裂魔法を捨て封印すれば、一緒くたに無価値になってしまう今日までの努力の日々と、それが積み上げてきた形のないもの。

 その価値を、むきむきはよく理解している。

 何せ彼は今日までずっと、彼女の努力の日々を見守り続けてきたのだから。

 雨の日も、晴れの日も。幸せな日も、辛い日も。ずっとずっと。

 

「よくもまあ、そんなにも私のことを過大評価できますね」

 

「過大評価じゃないよ」

 

「過大評価ですよ。私は、あなたが思ってる以上に駄目なところも多くて……」

 

「めぐみんの駄目なところならいくらでも知ってるよ?」

 

「え?」

 

「相手のいいところだけしか見ない幼馴染なんているわけないでしょ」

 

 もうそろそろ十年だ。むきむきとめぐみんが出会ってから、十年の時が流れようとしている。

 深い相互理解が生まれるには、十分過ぎる時間が経っていた。

 

「第一僕ら、初対面の日に僕が大失敗して、めぐみんは顔面血まみれになってるからね」

 

「……ああ、そんなこともありましたね」

 

「僕は表面的に見ればめぐみんの良い所だけを見てると言えるのかもしれない。

 でも、それは違うんだよ。僕はそういうのじゃないんだ。僕は君の駄目な所を見た上で――」

 

 告げる言葉は、真摯な想い。

 

「――その上で、君を凄い人だと思うんだ」

 

「―――」

 

 万感の想いを込められた言葉。

 

 その言葉が、全てだった。

 

 短所も長所もひっくるめて大好きになる、愛のような尊敬だった。

 

「めぐみん。僕の期待は重かった?」

 

「……はい」

 

 夢の中、声に向かって道を進む少女の足が、徐々に早足になっていく。

 

「でも、一番に感じていたのは、重さではなく嬉しさです。

 重さより嬉しさの方がずっとずっと大きかった。あなたの期待が、嬉しかったんです」

 

「めぐみんは期待を軽くして欲しいの?

 それとも……期待に応えられるくらい、強くなりたいの?」

 

 その二つの違いが分からないめぐみんではない。

 

「強くなりたいです」

 

 その問いに、その答えが返せるのであれば、もうめぐみんの中に迷いはないのだろう。

 

「私が嫌なのは、期待されることじゃなくて、期待に応えられないことですから」

 

「うん」

 

 自分が何をしたいのか、何が嫌なのか。

 その答えが出る。

 何が迷いの原因だったのか、どうすればそれを振り切れるのか。

 その答えが出る。

 自分の中にある大切なものの順番は、どうなっているのか。

 その答えが出る。

 

 心を整理し、何を選ぶかを決めためぐみんは、いつの間にか夢の中で走り出していた。

 

「自身も自信も、失っちゃいけないものだよ」

 

「ええ、分かっていますとも」

 

 走っていく内に、めぐみんは熱くなっていく。

 

「自信が無くなったら、いつでも僕に聞きに来て」

 

 胸が熱くなる。

 

「僕はきっと、君の良いところを、君よりずっとたくさん知っているから」

 

 顔が熱くなる。

 

「君の耳が痛くなるくらい、君の良いところを聞かせてあげる」

 

 心が熱くなる。

 

 このまま走り続けていれば、ただそれだけで夢の中を飛び出してしまいそうだと、少女はなんとなくに思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前でめぐみんが死に、その死に心の底からの慟哭を上げたこと。

 それが、最後のトリガーになった。

 

「―――死ぬなッ!」

 

 幸運の女神は、きっとこの瞬間にこそ彼に微笑んだのだ。

 

「!? この……光は!?」

 

 むきむきのポケットの中の冒険者カードが光る。

 異常なエネルギーがほとばしるそれを、むきむきはおもむろに手に取った。

 少年の手元さえ見えなくなるほどの輝きは、少年に何かが起きたという証なのか、はたまたカードの方に何かが起きた証なのか。

 いや、どちらでもいいのだろう。

 少年は何かに気付き、カードのその光を握りしめる。

 そして、変わった。

 

「―――」

 

 何かが、決定的に変わった音がした。

 

 カードに触れる少年の指がひた走り、色が変わった光が少年の手に宿る。

 その光に、ウォルバクは感嘆の声を漏らしていた。

 

「この光は……神から力を借りる、聖職者の……」

 

 その光をめぐみんに注ぎ、少年は一つの詠唱を終える。

 

「『リザレクション』」

 

 ()()()使()()()()ことをコンプレックスにしていた少年が、この世界に生まれて初めて使った正しい魔法は、大好きな少女を蘇生させるものだった。

 

「……うっ、つっ、これは一体……」

 

 めぐみんが蘇生し、むきむきが魔法を使ったことに人間の誰もが驚いていた。

 誰がどう見たって分かる。

 今のむきむきは―――アクアと同じ、アークプリーストになっているのだと。

 

「この魔法は、アークプリーストの!?」

 

転職(ジョブチェンジ)……! あいつ、やりやがった! しかもそこで止まらねえ!」

 

 それだけではない。

 先程ジョブチェンジした光がまだ消えていないのだ。

 むきむきはまだ変わろうとしている。

 おそらくは、アークプリースト以上に自分に向いた職業へと変わるために。

 アークプリーストへのジョブチェンジでさえ、今の彼には一時の腰掛けでしかない。

 

「あいつを止めなホースト!」

 

「ったく、最後まで見ていたいところだが、確かにそっちの方が正しいな!」

 

 アーネスにけしかけられたホーストが飛んで行く。

 背の羽で風より速く飛び、鉄をも貫く爪が振るわれる。

 むきむきはめぐみんを庇うように立ち位置を変え、拳を振りかぶり。

 

 

 

「ゴッドブロー」

 

 

 

 静かな声と、豪快な動きで、ホーストをカウンター気味に殴り飛ばした。

 

「ぐ、あ、ガ―――!」

 

 冒険者からアークプリーストへ。そしてアークプリーストから、『モンク』へ。

 二段階のジョブチェンジを行い、冒険者時代に稼いだポイントでスキルの獲得を行う。

 結果出来上がったのは、アクアやダクネスと同じ聖職者職でありながら、己が肉体のみを頼りに戦う、退魔の格闘家。

 素手で戦う聖職者・モンク。彼はようやく、正しい形の職業を己が手に握りしめていた。

 

「……へっ、お前らしいな。蘇生魔法使う職業より、そっちの方が似合ってるぜ」

 

「そりゃどうも」

 

 神との繋がりを力に変え、自分の肉体を武器と化す。

 これ以上にむきむきに相応しい職業など無い。それだけは確かなことだった。

 

「めぐみーん!」

 

「! クリス!?」

 

「杖取ってきたよ! 受け取ってー!」

 

 まるでどこかでこっそり見ていたかのようなタイミングで、クリスまでもが現れる。

 クリスは拉致されためぐみんの代わりに屋敷の杖を回収し、コロナタイトを使った杖をめぐみんに投げ渡していた。

 めぐみんはキャッチした杖を握り、振り回しながら思う。

 

(杖が、重くない)

 

 自然と少女は笑んでいた。

 

「めぐみん、もう大丈夫なの!?」

 

「ええ、心配をかけましたね。もう大丈夫です」

 

 ウォルバクと、ホーストと、アーネス。

 めぐみんと、むきむきと、ゆんゆん。

 因縁の者達が三対三で向かい合う。

 

「我が名はむきむき。紅魔族随一の絆を持つ者!」

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の友を持ったと、自負してますよ!」

 

「我が名はゆんゆん! ……このちょっと恥ずかしい流れ、私も乗らないと駄目!?」

 

 ちょむすけを守るように立つ、紅魔族の三人。

 

「いつもは私一人で最強を名乗っていますが……今日は特別です!

 三人で一つの最強を! 三人ワンセットの最強を名乗らせてもらいますよ!」

 

 その紅魔族を突破せんと、禍々しい魔力を漏らす魔の者三人。

 

「あくまで私の半身を渡さないというのなら、戦うしかないわ」

 

「前に俺がお前に言ったな、アークプリーストが居りゃ勝てただろうって。

 ……くはは、お前は本当にバカだな! ここでそれを形にする奴があるか!」

 

「結局こうなるわけか。まあいい、あたしとしては仕返しもできて万々歳だ」

 

 人が三人、魔が三人。

 前衛一人後衛二人に、前衛一人後衛二人。

 男一人に女二人と、男一人に女二人。

 両方揃って、前衛と、後衛と、爆裂魔法使いのリーダー。

 奇妙なくらいに、この三対三は対称的で。

 

 その戦いが必然であったと思えるくらいに、どこか運命的ですらあった。

 

 

 




・モンク
 WEB版でカズマさんがちょっとだけ言及した職業。『素手で戦う聖職者』と呼ばれ、おそらく身体操作系スキルや聖職者系スキルを覚えると思われる。


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4-2-3

完結まであと投稿回数が十回以上になるってことはないと思います
多分
総文字数百万字を少し超えるくらいで、当初の予定の範疇で短めの連載に終わりそうですね


 ウォルバクがバニルから購入したマナタイトを懐から取り出し、むきむきもバニルから購入したマナタイトをめぐみんに手渡した。

 

「これ、上手く使って!」

 

「! これは……」

 

 双方共に手の中には最高品質のマナタイト。

 数は十。爆裂魔法を銃弾に例えるならば、めぐみんとウォルバクという銃の中には、今十一発の弾丸が装填されていた。

 その一発目が、放たれる。

 

「「 『エクスプロージョン』! 」」

 

 めぐみんは威力を上げることを重視した詠唱で、ウォルバクへ真っ直ぐに魔法を放った。

 ウォルバクは制御力を上げることを重視した詠唱で、めぐみんの爆裂を殴り上げるように魔法を放った。

 二つの魔法が極大規模の破壊と爆風を発生させる。

 その衝突が死亡者を生まなかったのは、ひとえに二人の魔法使いの魔法制御力の高さと、爆発を空へと吹き飛ばそうとするウォルバクの配慮の賜物だったのだろう。

 

 めぐみんとウォルバクの体が浮き、転ぶような姿勢で地面に落ちる。

 ゆんゆんとアーネスは高い知力からこの展開を先読みし、爆風を防げる場所に身を伏せており、爆裂魔法を撃った二人より早く立ち上がって魔法合戦を開始せんとする。

 そして、むきむきとホーストは。

 爆裂直後の爆風、すなわち高熱の暴風の中に突っ込み、それを突き抜けていた。

 

 少年の拳、悪魔の拳が激突する。

 

「ホースト!」

 

「来いや坊主! 俺に勝てたら坊主と呼ぶのをやめてやるよ!」

 

 高熱が両者の表皮を焼くが、二人はそれを気にもしない。

 爆裂魔法の魔力爆発そのものに巻き込まれさえしなければ、なんとか耐えられるというのは普通の思考だ。

 だがそこから"一秒でも早く接近するため"だけにこの選択を取るのには、間違いなく勇気と覚悟が必要だった。

 

 二人の腕と足が絶え間なく動き、少年と悪魔の全身を打ち据えていく。

 両方共に隙あらば敵の後衛を仕留める意識を持ちつつ、一部の隙もなく味方の後衛を守ろうと立ち回っている。

 ホーストにはウォルバクの、むきむきにはアクアの支援魔法の加護があった。

 

「『インフェルノ』!」

 

 目の前の敵に集中するむきむきへ、その時アーネスから炎の魔法が飛んでくる。

 

「『カースド・クリスタルプリズン』!」

 

 それを、ゆんゆんの氷の魔法が叩き落とした。

 

 これは一対一が三回行われる戦いではない。あくまで三対三の戦いだ。

 視界を広げれば、カズマ達の戦いも遠巻きにこの戦いへ影響をもたらしている。

 そのため、どこかの誰かの行動が近くの敵と味方へダイレクトに影響する。

 今また、めぐみんとウォルバクの爆裂魔法が衝突した。

 

「『エクスプロージョン』!」

「『エクスプロージョン』ッ!」

 

 "この距離で爆裂魔法を撃てば双方共に死にかねない"。

 "だが前衛が戻れる距離ではある"。

 "ならばホーストが、むきむきが、戻って来て守ってくれるはず"。

 そんな思考から、めぐみんとウォルバクは爆裂魔法を撃っていた。

 

 ミサイルとミサイルを近い距離でぶつけ合うような大爆発。

 むきむきとホーストは期待通りに魔法発動の直前に走り出し、魔法発動直後に飛び、それぞれウォルバクとめぐみんを爆裂魔法の衝撃から守っていた。

 そして爆裂魔法使いを後方に置き、再度戦場の中心に飛び込んで行って、肉体派の戦士同士で殴り合う。

 自分の得意分野の攻撃(こぶし)を最大威力でぶつけ合う二人は、控えめに言って馬鹿そのものであった。

 

「今日は満月の夜だ」

 

「ああ」

 

「俺達悪魔が最強になる時間だ!」

 

「ああ、分かってる!」

 

 空に浮かぶ満月。

 むきむきはホーストのラッシュを横っ飛びにかわし、懐から取り出したバニル仮面(量産品)を装着して優位に立とうとするが、ホーストに見切られ叩き落されてしまった。

 彼らの戦闘に耐えうる強度を持たない量産品は、その一撃でさっさと粉砕されてしまう。

 

「っ、ゴッドブロー!」

 

 予想外の事態であったが、少年はそれをも逆に利用した。

 左手に持っていた仮面を砕かれるのとほぼ同時に、右拳によるゴッドブローをホーストの左胸に叩き込んだのだ。

 

「ガっ!?」

 

 ゴッドブローは神の理に反する者、すなわち悪魔には特攻である。

 むきむきは心臓に力を叩き込むつもりで打ったが、仮初の肉体を持つ悪魔に対しこの拳を打ち込むのであれば、どこに打ち込んだところで同じだ。

 ホーストはふらついて、たたらを踏む。

 勝機と見たむきむきは、そこですかさずベルディア戦で編み出した必殺を打ち込んだ。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 されどホーストもさるものだ。

 たたらを踏みつつもむきむきの突き出した左拳をかわし、彼の肩口を押して拳の軌道を逸らし、その拳を地面に衝突させる。

 地面が爆裂して、少年の左腕の骨が反動で砕ける音がした。

 

「大振りなんだよ、当たるかんなもん」

 

「ぐあっ……!」

 

 大技、それもリスク付きの大技ともなれば、隙が大きくなるのは当然のことだ。

 少年に生まれた大きな隙に付け込んで、ホーストは大きな手で少年の開いた口を塞ぐように、むんずと掴む。

 

「『インフェルノ』!」

 

 そして、口の中に詠唱なしの上級魔法を全力で叩き込んだ。

 燃え盛る炎が口から体内に侵入し、少年の体内を無茶苦茶に暴れ回って焼き尽くす。

 体内の肉が焼け、高熱で溶け、炭化し灰化していく苦痛が少年を襲った。

 

「―――ッ!?」

 

 意識が吹っ飛びそうな激痛。意識が吹っ飛べばそのまま死にかねないダメージ。

 むきむきは炎を食い千切るようにして歯を食いしばり、ほんの数秒の延命を勝ち取る。

 その数秒で、離れた場所から最上級の回復魔法が飛んで来てくれていた。

 

「『セイクリッド・ハイネスヒール』! うわきゃー!?」

 

「おい馬鹿アクア余所見してる場合か!」

 

「だって! だって!」

 

 自分達の方の戦いを蔑ろにしてまで、むきむきの傷を治してくれた優しさ。

 いつものように考えが足りないアクアの行動がピンチを招き、それをカズマがフォローしているようだが、むきむきはそんなアクアの行動に感謝の気持ちしか抱かない。

 完全には治らなかったものの、九割ほど傷が癒やされた体に手を当て、少年は『職業変更で使えるようになった魔法』を発動した。

 

「―――『ヒール』!」

 

 アクアの回復魔法と比べれば微々たる回復。

 それでも確かな回復が、少年の体の傷を癒やしていく。

 体内の損傷も左腕の損傷も、綺麗さっぱり消え去っていた。

 

「……!」

 

「『宗派が違うプリーストの力は重複する』……前に、話には聞いてたんだ」

 

「おいおい……悪魔の敵らしくなってきたじゃねえか!」

 

 むきむきはアクアの力を借りて魔法を行使しているわけではない。

 彼が力を借りている神はアクアとは別のものだ。

 ゆえにその魔法はアクアの魔法と同時に効果を及ぼすことが可能であり、同種の魔法であれば効果量は単純に加算した結果となる。

 

 モンクとなった今、彼はさほど高度な魔法を使うことはできない。

 蘇生も今は出来ないだろう。

 支援魔法の習得も難しい。

 簡単な回復魔法がせいぜいだ。

 されどその魔法は、アクアの使う魔法効果の底上げを可能とするものであった。

 

「僕に魔法を使う才能は無かった。

 理論で使う普通の魔法と、信仰で使うプリーストの魔法は違うものだけど……

 それでもレベルとステータスが上がらなければ、きっと使えなかったと思う」

 

 才能の無さ。

 ステータスを初めとする適性の無さ。

 そして冒険者カードのバグ。

 彼が魔法を使えなかった原因は、主にこの三つだ。

 プリーストの魔法が使える今に至っても、ウィザードの魔法は使えないことだろう。

 

「プリーストの魔法は神様の存在を感じて、それを信じた人が使う魔法。

 神様と繋がる魔法とも、神様の力を借りる魔法とも言われる。

 ……きっと、人間一人じゃ使えない魔法。神様と手を取り合う人のための魔法なんだ」

 

 クリスは悪魔に凄まじい勢いで挑みかかっている。

 アクアは泣いて逃げ回って、カズマとダクネスが悪魔から彼女を守っていた。

 ウォルバクはめぐみんとの爆裂魔法合戦の途中。

 ちょむすけは心優しいゆんゆんに拾われ、アーネスとの戦いの中、小脇に抱えられている。

 

 どこを見ても神が居る。

 ごちゃごちゃとした戦場だった。

 絵の具をまぜこぜにした絵のような戦場だった。

 混沌とした戦場の中心で、少年は魔法の光を拳に握る。

 

 人から信じられた神様が、信仰のお返しにちょっとばかり分けてあげた力の光。

 

「信じて、繋がって、借りて……そうして初めて、僕は魔法が使えるんだ!」

 

 少年の人生には、故郷の皆が使う魔法を使えないという悲しみがあって。

 

「今なら言える!」

 

 少年の人生には、だからこそ理解できたものがあった。

 

「普通の魔法が使えなかったから、こんなにも大切なことを知ることができた……

 ……僕は、出来損ないの紅魔族で、良かった! 今はこの生まれに感謝してる!」

 

「―――あのガキンチョが! デカくなったじゃねえか!」

 

 今なら。少年は、自分の人生の全てを肯定できる気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 めぐみんが詠唱をしようとすると、ウォルバクは魔力を絞った魔法を撃ってきた。

 

「『ライトニング』」

 

 詠唱を邪魔するだけの魔法だ。

 だがめぐみんは詠唱を中断して必死に避けなければならない。

 時には詠唱を中断した上でむきむきかゆんゆんに助けてもらわなければならない。

 そうしてめぐみんの詠唱の邪魔をした後、ウォルバクは早口で詠唱を終えて爆裂魔法を撃ってくるのだ。

 

「『エクスプロージョン』!」

「っ、『エクスプロージョン』!」

 

 めぐみんは詠唱無しの爆裂魔法で対抗せざるを得ない。

 爆裂魔法と爆裂魔法の衝突地点はウォルバクからは遠く、めぐみんには近く、めぐみんの体を消し飛ばすには十分な位置だった。

 必死の形相で飛び込んで来たむきむきが、めぐみんを抱えて一瞬でその爆発圏内から脱出していく。

 

「めぐみん、詠唱!」

 

「空蝉に忍び寄る叛逆の摩天楼! 我が前に訪れた静寂なる神雷!

 時は来た! 今、眠りから目覚め、我が狂気を以て現界せよ! 穿て!」

 

 間一髪の回避、だがここで戦いが一区切りになるわけもない。

 少年はめぐみんに詠唱を行わせ、続く爆裂魔法合戦ではめぐみんに先手を取らせることに成功した。

 

「『エクスプロージョン』ッ!」

「『エクスプロージョン』!」

 

 一日一爆裂の成果により、詠唱速度はめぐみんが上。

 爆裂魔法のスキルレベル――消費魔力と魔法威力――もめぐみんが上。

 爆裂魔法の制御技能もめぐみんが上。

 

 ただ、立ち回りと生涯の経験値だけは、ウォルバクの方が上だった。

 規格外射程が売りの爆裂魔法による連続インファイト。

 今度の爆裂魔法の衝突地点はウォルバクに近かったが、ウォルバクは詠唱無しの即席テレポートで爆発の範囲から逃げおおせていた。

 

(凄い―――あの日私が魅せられた、あの時の爆裂魔法がそのままそこにある)

 

 爆裂魔法という分野では、めぐみんはとっくの昔にウォルバクを追い越している。

 人間の努力は、既に神を超えている。

 それでもウォルバクの爆裂魔法は、めぐみんの目には絢爛に映っていた。

 その爆焔は、あの日憧れた美しさを今もそこに湛えていた。

 

「おいおい、俺様はよそを気にしながら戦えるほど安い相手か!?」

 

「っ、ホースト! ごめんめぐみん、また離れる!」

 

 むきむきが一旦後回しにしていたホーストが戻って来てしまい、むきむきはまためぐみんから離れてホーストの相手をせざるを得なくなる。

 めぐみんは一人ウォルバクに立ち向かい、コロナタイトの杖先を向けて彼女を問い質した。

 

「どうしても、ちょむすけを害さなければならないのですか!?」

 

 ウォルバクは、今はゆんゆんに抱えられているちょむすけの方を一度だけちらっと見て、語る必要もない事情を語り出す。

 それを語らせたのはウォルバクの中で痛む良心か、あるいは罪悪感か。

 

「ずっとね、そっちの方の私の半身の方が力を増してるのよ」

 

「……?」

 

「そっちが私の半身であると同時に、私もそっちの半身なの。

 ウォルバクは怠惰と暴虐を司る神格。私が怠惰で、そっちが暴虐。

 力のバランスが崩れちゃうとね、片方がもう片方に吸収されちゃうのよ」

 

「! そんな……」

 

「これは元女神の私にとっては死活問題なの。

 それに……どの道分かたれた半身である以上、片方が消えるのは必然なのよ」

 

 ちょむすけが残ればウォルバクが消える。

 ウォルバクが残ればちょむすけが消える。

 今朝のめぐみんであったなら、その選択を突きつけられた時点で戦えなくなっていただろう。

 どちらかなんて選べずに、杖を下ろしていただろう。

 

「『エクスプロージョン』」

 

 けれど、今は違う。

 今のめぐみんには、それを知った上で撃てるだけの覚悟がある。

 

「―――『エクスプロージョン』!」

 

 ウォルバクが撃った爆裂魔法が爆裂する前に、爆裂前のめぐみんの爆裂魔法が衝突し、めぐみんの魔法制御により混ざった爆裂魔法は地面に向かう。

 そして混ざった状態で地面にめり込み、その衝撃で爆裂。二つ分の爆裂魔法が、地面に巨大なクレーターを作り上げていった。

 爆裂魔法の効果範囲自体は狭まったが、そのせいで大量の土や石が魔力を帯びて吹き飛ばされ、凶器となって周囲へと飛んで行ってしまう。

 

「ウォルバク様!」

 

 アーネスは大きな翼で飛び、ウォルバクを抱えて飛翔。それを回避する。

 

「『テレポート』! 『テレポート』!」

 

 ゆんゆんも連続テレポートでめぐみんを助け、同様に殺人土石流を回避した。

 

 この距離を空けない爆裂合戦。仲間が居なければウォルバクもめぐみんも、とっくの昔にくたばっていることだろう。

 ()()()()()()()()()()()()こんな無茶をしようと考えられるのだ。

 既に使った爆裂魔法が五発。

 どんなに追い詰められようが一発で逆転できるのが爆裂魔法。

 ならば、この爆裂魔法合戦を制した陣営こそが、この戦いに勝利する陣営となる。

 

「元女神と言いましたね! なら、何故魔王などに与するのですか!?」

 

「同情と、贖罪と……まあ、色々よ」

 

「ウォルバク様!」

 

 めぐみんとウォルバクの会話を遮るように、ホーストが叫んだ。

 ウォルバクはその呼びかけで何かを察したのか、"ホーストとむきむきに向けて"爆裂魔法を準備する。

 驚いためぐみんも同じ場所に杖先を向けて爆裂魔法を準備するが、今日見た『爆裂魔法に焼かれて倒れたむきむき』の姿が頭の中にチラついて、一瞬だけ迷ってしまう。

 

「撃って、めぐみん!」

 

 その迷いを、むきむきの叫びが断ち切った。

 

 バカみたいな威力の魔法を撃とうとする女達の背中を、男達が押す。

 

「『エクス――」

「『エクス――」

 

「――プロージョン』ッ!」

「――プロージョン』ッ!」

 

 めぐみんはホーストを倒すため、ウォルバクはむきむきを倒すため、爆裂魔法を解き放つ。

 ホーストは飛び、むきむきは跳ぶが、当然間に合うわけがない。

 爆焔が二人を飲み込んで――

 

「『カースド・クリスタルプリズン』!」

 

「『サモン』!」

 

 ――アーネスは、ホーストを氷で包んで守り。ゆんゆんはむきむきを召喚して守った。

 

 ホーストを包んだ氷は一瞬で蒸発するが、氷の厚みの分だけホーストを守る。

 ゆんゆんはむきむきを無傷で守ったが、ぼちぼち魔力切れが見えてきた。

 いい加減、誰も彼もが体力と魔力に底が見え始めている。

 

 そんな中でも、最高品質のマナタイトを持って来ためぐみんとウォルバクだけは、魔力が尽きる気配が無かった。

 めぐみんに至っては、気力が尽きる気配も無かった。

 

「他はともかく、爆裂魔法のことに関しては私は誰にも負けたくないのです!

 たとえ、教えてくれたあなたが相手だったとしても! だって、私のこの魔法は――」

 

 爆裂魔法で一番を目指す一番の理由が、今の彼女の中にはある。

 

「――あの人が、信じてくれた最強だから!」

 

 何一つとして自覚しないまま、めぐみんはむきむきを『あの人』と呼んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 七発目のエクスプロージョンが衝突した。

 衝撃でゆんゆんがすっ転んで尻餅をつく。

 

「わひゃぁっ!?」

 

 今のめぐみんとウォルバクは、互いに十一本のミサイルを持ってチャンバラをしているようなものだ。

 ミサイルとミサイルがぶつかれば当然爆発する。

 高レベル相応の耐久力はあっても、めぐみんもウォルバクも比較的打たれ弱い後衛職であるために、爆発に巻き込まれれば当然死ぬ。

 そこで二人の仲間が手助けして、二人は魔法抵抗で爆裂魔法の余波をなんとか相殺して生き残っていく。そしてまた、ミサイルで互いに殴り合うのだ。

 

 むきむきとホーストは体を使って爆発の合間を跳び回り、ゆんゆんとアーネスは頭を使って戦場の隙間を立ち回る。

 アーネスはまた、詠唱も無く早撃ちで中級魔法を撃ってきた。

 

「『ファイアーボール』!」

 

 それに、ゆんゆんは後出しで魔法を間に合わせる。

 

「『ライトニング』!」

 

 紅魔の里で魔法を修めた。

 中級魔法を実戦的に使うあれこれはリーンから学んだ。

 大魔法使いキールを師と仰ぎ魔法のイロハを叩き込まれた。

 ゆんゆんは今この戦場で最も完成された魔法使いである。

 空を飛べるというアドバンテージを持つアーネスが、まともにやりあえば劣勢にしかなれないほどに。

 

「やるねえあんた。疲れた、こんな危ない戦場でもう戦いたくない、とかは思わないのかい?」

 

「思わないわ」

 

 爆裂魔法で焼けた地面の香りが、少女の鼻孔をくすぐる。

 むきむきとホーストが殴り合う音が、少女の耳の中に飛び込んで来る。

 少女の腕の中で、ちょむすけが応援しているかのように鳴く。

 ちょむすけを優しく地面に下ろし、少女は杖を両手で握った。

 

 ゆんゆんもまた、普段の彼女とは打って変わって心を熱くさせていたらしい。

 

「私はめぐみんのライバルで!

 むきむきの一番の親友で!

 ちょむすけをずっと可愛がってた一人なのよ!」

 

「あんた今友情の部分だけ話を盛ったね。情けないと思わないのかい?」

 

「う、うるさいっ!」

 

「友達の話だけは誇張して話すんだねあんた……」

 

 一番の親友かどうか怪しいというのは、本人も思っていることだ。

 

「聞こえるだろう、この声」

 

 アーネスはカズマ達と戦う悪魔軍団を指差した。

 悪魔の数は随分と減っていて、カズマもアクアもダクネスもクリスも傷が目立つが、人間の側にはまだただの一人の脱落者も出てはいない。

 それでも、悪魔達は活気とやる気に満ちていた。

 

「うぉらぁ、さっさと片付けてウォルバク様んとこ行くぞ!」

「爆裂魔法の巻き込みなんざ怖くねえ!」

「こいつら面倒臭えぞ! 小狡い奴にアーププリーストにクルセイダーだ!」

「全員で一斉にかかれぇッ!」

 

 残機持ちの悪魔達は死を恐れない。

 

「悪いけど、今日ここに集まった悪魔は全員」

 

 恐れているのは、残機を持たないウォルバクが死ぬことだけだ。

 

「ウォルバク様が生きてられるのなら、一回や二回くらいは喜んで死ぬ悪魔ばかりでねえ!

 あたしもそいつらを率いてる一人である以上、あっさりやられてやれないんだよっ!」

 

「……!」

 

 人にも、悪魔にも、負けられない理由がある。

 

 八発目のエクスプロージョンの爆発音が、戦場に響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 この戦場においては、人も悪魔も負けられない理由を持っている。

 だがその理由とは全く別の所に、負けられない理由を持っている者も居た。

 むきむきとホースト。

 少年と悪魔は『負けたくない』という一心で戦っていた。

 

 負けられない理由がたくさんあった。

 負けられない理由を全て削ぎ落としても残る『負けたくない』があった。

 『負けたくないから負けたくない』という、シンプルな意地が根底にあった。

 

「うぉらァ!」

 

 少年が悪魔の両肩を掴む。

 悪魔が少年の両肩を掴む。

 これ以上近付かせない、これ以上離れさせない、という合意の上での距離の固定。

 そこで二人は、互いの頭を潰すべく、全力の頭突きを始めた。

 

「はぁあぁっ!!」

 

 高速道路を走るトラックが、次々と壁に全速力でぶつかっていくような連続衝撃。

 絶え間なく頭と頭が打ち付けられる。

 二人の間に鉄球でも投げ込めば、すぐさま頭と頭に挟まれて押し潰されてしまいそうだ。

 

「人間の世界にもたまには出てみるもんだよなぁ! 楽しくてしかたねえぞ!」

 

 両者が思いっきり頭を引いて、ぶつけ合う。

 最後の頭突きの衝撃はあまりにも大きかったのか、両者の体は後方へと吹っ飛んでいった。

 むきむきは着地し、ホーストは翼を翻して空中にて旋回する。

 

「『インフェルノ』!」

 

 むきむきに迫る業火の塊。少年はそれに、光の拳で対応した。

 

「ゴッドブロー!」

 

 光の拳が炎を砕き、そのまま炎の背後から突っ込んで来たホーストの右肩にかする。

 退魔の光は悪魔の体を弾けさせ、かする以上のダメージを刻み込んでいた。

 

「っ!」

 

 ゴッドブローの攻撃力が高い。

 プリーストの浄化や破魔にもある程度耐性があるホーストにも、多少は効いているようだ。

 そこにホーストは違和感を感じた。

 

「破壊力が高えな……これよ、本当にただのゴッドブローか?」

 

「? そうだと思うけど」

 

 打撃の攻撃判定とは違う、聖属性の攻撃判定とは違う、もう一つの攻撃判定がある。

 何か不可思議な破壊がある。

 そうホーストが気付いた時、むきむきの背後にはいつの間にかに、ゆんゆんが地面に下ろしたちょむすけが居た。

 ここまで駆けてきたちょむすけが、むきむきの背後で叱咤の鳴き声を上げる。

 

(……そうか)

 

 それが、ホーストに全てを理解させた。

 

(エリスかアクアだと思っていた。

 だが違う。こいつに神の力を分けてるのは―――()()()()()だ)

 

 ちょむすけはこれでもメスだ。カテゴリー的には邪神であり、女神でもある。

 エリスに見守られ、アクアと共闘し、ウォルバクの力を借りる。

 今のむきむきには、これでもかと女神の何かが盛られていた。

 悪魔(ホースト)の敵としてはこれ以上無いと言っていいほどに。

 

(なんてこともない日常での共存が。

 特に大きな出来事もなく一緒に居たことが。

 信頼ではなく親しみで繋がる人間とペットの関係が。

 そのまま"邪神ウォルバク"がこいつに力を貸す理由になった)

 

 アクシズ教なら水のプリースト。

 エリス教なら幸運のプリースト。

 レジーナ教なら復讐と傀儡のプリースト。

 しからば今の少年は、世界で唯一人の『暴虐のモンク』である。字面が怖い。

 

「……おいおい、笑えるな。

 ウォルバク様のための戦いだってのに……

 一番面倒臭い敵が……ウォルバクプリーストの格闘家、だなんてよ」

 

「……ああ、やっぱり分かる? 僕が今、誰から力を借りてるかっていうの」

 

「ああ。それに加えて、もう一つ分かった」

 

 この戦いは、人と悪魔の戦いであり、爆裂魔法の師弟対決であると同時に、『ウォルバクとウォルバクの決戦』でもあったということだ。

 

「獣の方のウォルバク様は、お前らに勝って欲しいって意志を、ちゃんと示してたんだな」

 

「ああ」

 

 ふっ、と二人の姿が掻き消える。

 

「ゴッドブローっ!」

 

 双方共に瞬間移動を見紛う速度で踏み込んで、少年は拳を突き出し、ホーストは魔力を込めた腕でそのパンチを受け流した。

 空振ったゴッドブローが、魔力を消費する。

 

(うっ、目眩が……魔力が足りない?)

 

 それで、むきむきの魔力は底をついてしまった。

 めぐみんが魔力を使い切った時のように、限界を超えて魔力を消費してしまったことで、体が思うように動かなくなってしまったのだ。

 

(しまった……魔力の残量管理とかしたことなかったから……)

 

 魔法を使ったことがないむきむきだからこそ、やらかしてしまった初歩的なミス。

 レベルが上って、職業が変わって、それでもむきむきの魔力はそれなりに低い。

 そこにホーストが付け込んで、無防備にふらついた少年の腹を蹴り上げた。

 

「ぐあっ!」

 

 少年の体がダメージを受け、浮き上がる。

 ホーストは浮いた体にトドメの一撃を叩き込み、むきむきの不調が治る前に死に至らしめようとするが―――そこで、九発目のエクスプロージョンが、爆発した。

 

「―――!」

 

 ホーストは踏ん張り爆風に耐え、少年の体は爆風で流されホーストから離れて転がっていく。

 転がされた体が地面のくぼみに引っかかって止まり、ふらふらと立ち上がるむきむきに、少し離れた地点からゆんゆんが未使用の安物マナタイトを投げつけた。

 

「むきむき!」

 

 むきむきはそれをキャッチして、魔力を回復。

 なんとか戦闘続行が可能な程度にまで魔力を回復させる。

 

「ありがとう! 『ヒール』!」

 

 それで早速回復魔法を腹に当て、ホーストの蹴りで深くまでダメージを浸透させられた腹のダメージを癒やしていく。

 しかし、大きな痛みが小さい痛みになる程度の回復しかしていなかった。

 腹に発生した内出血も完治していない。

 こんなところでもアクアの凄さを実感するむきむきであったが、今はそんなことを考えていられる状況ではなかった。

 

 むきむきのスキルはどれもこれもスキルレベルが低い。

 スキルレベルが低いということは、魔力消費量も効果も低いということだ。

 そのため、まだ何回かスキルは撃てるものの、残り魔力量とスキル効果の両方が心許ない。

 自分の魔力量を管理しながら戦わないといけないという面倒臭さを、むきむきは今日始めて身に沁みて理解した。

 カズマ、めぐみん、ゆんゆんへのリスペクトが深まる。

 魔法を使わないダクネス、魔力無限のアクアに対しては特に深まらない。

 

(せめて最低でもゴッドブローは使わないと、ホーストは倒せない……!)

 

 爆裂魔法にさえ耐えたのがホーストだ。

 一番手軽な討伐方はめぐみんを当てること。

 だがそうしてしまえばウォルバクの爆裂魔法が飛んで来てしまう。

 次に手軽な方法はゆんゆんを当てること。

 だがそうすればアーネスがめぐみんに手を出し、ウォルバクの爆裂魔法が飛んで来るのは確実。

 

 ホーストとアーネスが残機持ちであるがために、ウォルバク視点この戦いで死なせても何も問題ないということが、むきむき視点で最大の問題となっていた。

 

「覚えてるか、むきむき。

 お前が俺と最初に戦った時言ってたことをよ。

 紅魔族は悪魔を倒すものだー、とか。

 仲間外れにされてても自分はその一員として動くんだー、とか言ってたよな!」

 

 殴る。

 

「ああ、覚えてるよ!」

 

「つくづく生きるのが下手糞な奴だな! 今もそれを続けてんだからよ!」

 

 殴る。

 

「じゃあ、ホーストは覚えてる?

 その戦いの時に、僕に言ったことを!

 仲間外れな奴ほど、そのコミュニティに献身的になりたがるってやつ!」

 

 殴る。

 

「ああ? んなこと言ったっけか?」

 

「言ったよ! あの言葉は痛烈で……僕は、あの言葉で少しだけ自分を省みたんだ!」

 

 殴る。

 

「んなこといちいち覚えてねえっての!」

 

「僕が言ったことは覚えてたくせに!」

 

 殴る。

 

「ああ、クソ、いってえな!」

 

 ひたすらに殴り合う。

 

「俺様がなあ! あの時お前を魔王軍に誘ったのは!

 実は結構本気だったんだぜ! お前と一緒に戦うのも楽しそうだと思ったんだよ!」

 

 拳で殴り、殴るように言葉をぶつけ合う。

 

「……ありがとう、でも、僕はそっちに行けない。

 行けない理由はもう言ったよ。僕の答えは、あの時と同じだ」

 

「だろうなぁ。惜しいことをしたぜ」

 

 仲間がこっちに居るから行けないと、昔のむきむきは言った。

 今のむきむきもそう言うだろう。

 ホーストに、友情を感じていたとしても。その選択を迷うことはない。

 

「行くぜオラァ!」

 

「来い!」

 

 少年の拳が悪魔の顔面に、悪魔の拳が少年の顔面に突き刺さり、双方吹っ飛ぶ。

 吹っ飛ぶ最中、ホーストはウォルバクの前を、むきむきはめぐみんの前を通り過ぎる。

 ホーストはウォルバクと目が合い、"守らなければ"と思った。

 むきむきはめぐみんと目が合い、アイコンタクトでめぐみんと意思の疎通を行った。

 

 それゆえに、この直後の少年と悪魔の行動は正反対のものになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホーストはウォルバクの前に出る。

 爆裂魔法の詠唱を行うウォルバクをカバーできる位置に移動する。

 むきむきはめぐみんの斜め前に出る。

 だがそれは、めぐみんを守るためではなく、めぐみんの攻撃を補佐するためだった。

 

「我に許されし一撃は同胞の愛にも似た盲目を奏で……

 ……塑性を脆性へと葬り去る、強き鼓動を享受する!」

 

 めぐみんは杖を地面に突き刺し、素手でむきむきの背中を狙う。

 

「哀れな者よ、紅き黒炎と同調し、血潮となりて償いたまえ! 穿て!」

 

 めぐみんの詠唱はウォルバクより早いため、ウォルバクより早く終わる。

 杖を手放したことで威力を減らした爆裂魔法を、詠唱の形で更に調整し、威力を下げて爆風の勢いを強めた形で解き放つ。

 仲間である、むきむきの背中に向けて。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 爆裂魔法がむきむきの背中を破壊しながら、むきむきの体を射出した。

 彼は爆発と同時に爆心地とは反対方向、すなわちアーネスの居る方向へと跳んでいたため、それがまたダメージを軽減させる。

 

「―――!?」

 

「『ヒール』『ヒール』『ヒール』『ヒール』『ヒール』『ヒール』ッ!」

 

 そして、マナタイトで回復した魔力を一撃分だけ残して、残り全てを回復魔法に投入。

 背中に受けた致命傷を、頑張れば痛みに耐えられる程度の重傷にまで回復させた。

 爆裂魔法で吹っ飛ばされながら自分への回復を続けるという前代未聞の特攻攻撃。

 

「甘いんだよ!」

 

 だが、アーネスも上級悪魔。これほどまでに奇を衒った奇襲にさえ対応してしまう。

 魔法を放つアーネスの手の平が、飛んで来るむきむきへと向けられて――

 

「狙撃!」

 

 ――カズマの狙撃をピンポイントで叩き込まれ、魔法は明後日の方向へ飛ばされる。

 

「カズマくん!」

 

「こっちは片付いたぞ! やれむきむき!」

 

 最高の幸運が、ここで連携を繋いでくれた。

 詠唱を終えたウォルバク・フリーになったゆんゆん・飛んで行ってアーネスとの距離を詰めきったむきむきが、同時に行動を起こす。

 

「『エクスプロー―――」

 

「『マジックキャンセラ』!」

 

「ぶっ飛べ!」

 

 ウォルバクが爆裂魔法を放とうとする。

 その魔法をゆんゆんが無効化する。

 そしてむきむきの拳がアーネスの腹を打ち抜き、その体を崩壊させていた。

 

「ウォルバク、様っ……!」

 

(!? 魔法無効化魔法、ここまで温存して隠していたっていうの!?)

 

 アーネスが魔界へと還っていく。

 これで三対三が三対二になった。

 崩れた均衡は戻らない。

 

「!」

 

 むきむきが再びホーストに挑みかかるが、アーネスが居なくなった以上、ゆんゆんは自由にその戦いを援護することができる。

 

「『ボトムレス・スワンプ』! 『アンクルスネア』!」

 

 沼がホーストの足を取った。

 魔法がホーストの足を固定した。

 身動きの取れない大ピンチに、ホーストはなおも不敵に笑う。

 

 むきむきは、いつも履いている宝物の靴を触った。

 ぶっころりーに貰った靴。思い入れのある、少年の戦闘にも耐えてきてくれた一品物だ。

 それに、最後の魔力を注ぐ。

 残った魔力の全てを注ぐ。

 靴を通して、今獲得したばかりのスキルを発動させる。

 

「ホーストぉッ!」

 

「来いやぁッ!」

 

 踏み込む少年。

 悪魔は足を固定されながらも、身の捻りと上半身の力だけで必殺の拳を繰り出してくる。

 少年は油断なく身を屈め、それをかわし―――光を込めた必殺の蹴りを、ホーストの胸へと叩き込んだ。

 

 

 

「ゴッド―――レクイエムッ!!」

 

 

 

 鎮魂曲(レクイエム)の名を冠したスキルが、今日一日に少年がホーストへと叩き込んできた数々のダメージを、一気に噴出させる。

 最後の最後の、トドメとなる。

 

「ホーストのこと……嫌いじゃ、なかったよ」

 

 少年は最後に本音を語った。

 

「……ああ、俺もだ。褒めてやるよ―――もうガキとは呼べねえな」

 

 悪魔は、随分と背が伸びたその子供のことを、褒めてやった。

 ホーストが消えていく。

 その肉体が消えていく。

 ホーストと仲良く話していた、こめっこやあるえのことをふと思い出して、むきむきは何故か無性に泣きたい気持ちになってしまう。

 

「そんなツラすんじゃねえよ……やっぱまだ、ガキか」

 

 ホーストは苦笑して、至近距離に居た彼の耳元で何かを呟く。

 そして、少年の髪をくしゃくしゃになるまで撫でてやる。

 

「わ、わっ」

 

「胸を張れ」

 

 撫でて、髪をくしゃくしゃにして、面白そうに笑って―――ホーストは、消えていった。

 

 アーネスが消え、ホーストが消え。

 ゆんゆんが妨害の魔法を準備している今、ウォルバクにできることは何も無い。

 

「ありがとうございました」

 

「礼を言われることなんて何もしていないわ、私はね」

 

 詠唱破棄の爆裂魔法が構えられる。

 

「私がここに今も生きていられるのは。

 こんなにも大好きになれる生き方を選べたのは。

 ……あなたの、おかげです。本当に、ありがとうございました」

 

 自らの死を前にしても、ウォルバクは恐怖や恨みの感情を何一つ見せることはなく。

 

「なら、最後にこれだけ覚えておきなさい。

 人を幸せにするのは神じゃないわ。……それは、いつだって人なのよ」

 

 ただ、微笑んだ。

 人の子の成長と未来を喜ぶ、女神様のように。

 

「―――『エクスプロージョン』ッッッ!!」

 

 コロナタイトの杖で強化された爆裂魔法は、ウォルバクのそれよりも輝かしい光景を生む。

 

 爆焔は、ウォルバクの死体の一欠片も残さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十一発の爆裂魔法は、ウォルバクとの激戦を勝利へと導いた。

 何も残らなかった地平を、めぐみんは今にも泣きそうな顔で見つめる。

 けれども耐えきれなくなったのか、無言で歩み寄ってきたむきむきに、めぐみんは正面から寄りかかる。

 顔を彼の腹に押し付けて、自分の情けない顔を隠すように。

 

「めぐみん?」

 

「ごめんなさい」

 

 他人に泣いていると知られるのは嫌で、むきむきに泣いていると知られるのはいい。

 涙でぐしゃぐしゃになった情けない顔をむきむきにだけは見せたくない。

 そんな思考からの行動だった。

 

「ちょっとだけ、今だけは、寄りかからせてください……」

 

 むきむきには抱きしめるという選択肢があった。

 頭を撫でて慰めてやるという選択肢もあった。

 が、彼はめぐみんの肩を掴んで優しく離し、彼女の目元に浮かんだ涙を袖で拭う。

 

「いいよ、寄りかかかってもいい。

 僕だったらいつでも体を貸すよ。……でも、それは今じゃない」

 

「……え?」

 

 むきむきは左手でめぐみんの手を引き、右手をちょむすけに差し出した。

 ちょむすけが彼の右腕を駆け上がり、彼の右肩の上にちょこんと座る。

 

「ちょむすけの考えてること、僕には時々だけど何となく分かるんだ。

 アクシズ教徒はアクア様の声を聞けるんだって前に聞いたことがあるんだけど……

 その時は信じられなかったことが、こうして信じられるようになるなんて思わなかったよ」

 

 『知識』を貰える神様がいた。

 

「ホーストが、消える前に僕に言ったんだ。

 『ウォルバク様だけは助けてくれねえか』

 『色々教えてやった貸しを返すと思ってよ、な、頼む』

 ってさ。最後の最後まで、ホーストは自分の主のために動いてた……」

 

 元よりあった『動機』に、ホーストが動機を追加していた。

 

 ちょむすけがひと鳴きすると、ちょむすけとむきむきが触れた部分から光が漏れ、ふわふわとその場に浮かんで満ちる。

 

「おいむきむき、なんだこの光?」

「カズマ、これ神気よ。魔力より清浄で、もっと強い力」

「ほらダクネス、いいものが見られそうだよ?」

「クリス? どういうことだ? というかお前だけ驚きが少ないような気がするのだが……」

 

 悪魔を倒しきった仲間達も戻って来た。

 ちょむすけは猫が毛糸玉を転がして遊ぶ時のような仕草で、少年の首辺りから何かを抜き取り、それを宙に放り投げる。

 

「ちょむすけが言ってた。信仰者は一人でも、女神は成立するんだって」

 

「!」

 

 それが、光を吸い上げて形を成して――

 

「さっきぶりですね、『女神ウォルバク様』」

 

 ――先程爆裂魔法で倒されたはずの、ウォルバクを復活させていた。

 

「……え?」

 

 むきむきとちょむすけとクリスを除いたその場の全員が「え?」と言い。

 直後、皆の叫びが響き渡った。

 

 

 

 

 

 こんな奇跡、二度と起こりはしないだろう。

 ウォルバクは爆裂魔法で倒され、その力はちょむすけに流れ込み、人間体のウォルバクは完全に消滅したはずだった。

 ここから復活する見込みは無いはずだったのだ。

 

「昔、ウォルバク様の『核』の欠片みたいなもの飲み込んでたみたいなんですよ、僕」

 

「え」

 

「あの時は石か何かでも飲み込んだと思ってたんですが」

 

 だが、むきむきが子供の頃邪神の封印解除の時に飲み込んでしまい、ちょむすけがむきむきから抜き取ってウォルバク復活に使ったものが、あんまりにも普通ではなかった。

 

「……ああああああっ!

 私の半身の力が増してた理由! 力のバランスが崩れてた理由!

 私がそっちの半身に取り込まれかけてた理由!

 そうか、あなたがそれを取り込んだ上で、ずっと私の半身の傍に居たから……!」

 

「その辺はなんというか、ごめんなさい」

 

 むきむきは邪神の封印解除時、二つに分かれたウォルバクの、大きな二つに分かれなかった小さな破片の一つを飲み込んでいた。

 ちょむすけはそれを使ったのだ。

 

「いや、だからって、こんなことができるわけが……」

 

「僕は『女神ウォルバク』のプリーストです。

 そこにちょむすけが『ウォルバク』という枠で力を貸してくれてたんですよ」

 

「―――」

 

「ウォルバクさんも元は女神だったんですよね?

 アクシズ教徒の邪神認定とレッテル攻撃の結果、邪神となったと聞きました」

 

 アクアが思いっきり顔を逸らした。

 

「女神ウォルバクのプリーストが居るのなら、女神ウォルバクが居ないとおかしい。

 信仰者が一人でも居れば、信仰と神性は成り立ちます。

 今はちょむすけが邪神ウォルバク。あなたが女神ウォルバクなのです」

 

「な、なんて強引な……成功率だって数%あればいい方だったでしょうに……」

 

「懸ける価値はありました。こうして成功したなら、結果オーライですよ」

 

 怠惰の女神ウォルバク。

 怠惰と暴虐を司る邪神ウォルバク(ちょむすけ)。

 今やこの二人は、別個の神として独立した存在となっている。

 そのくせ『ウォルバク』ではあるから両方共にむきむきの信仰を受け、むきむきに力を貸し与えることができるという、奇妙な関係性が構築されていた。

 

 そこまで聞いて、カズマはむきむきの胸板にびしっと手刀をツッコミ動作で打ち付ける。

 

「いやそれができるなら俺達にも最初からそう言ってくれよ!」

 

「ちょむすけも『できるわけないけどやるだけやってみたら?』くらいの言い草だったし……」

 

「ちょむすけそんなキャラだったのかよ……」

 

「お茶目な女の子って感じかな」

 

「今更だが女の子にちょむすけとか名前を付けためぐみんが大戦犯な気がしてきた」

 

「ちょむすけという名前の何が悪いって言うんですか!」

 

 全部悪い。

 

「凄えな女神。こんなとんでもないこともできるのか。見習えよ、アクア」

 

「なんで私を引き合いに出すのよ!

 あのねえカズマ、分かってないようだから教えてあげるわ。

 こんなこと他のどんな女神が真似しようと思ってもできるわけないのよ?」

 

「え、そうなのか? じゃああれか、奇跡が起こったってやつか」

 

「そゆこと」

 

 アクアはカズマに得意げにウインクして、めぐみんとむきむきの方をちらっと見て、自分の手柄でもないのに得意気に語る。

 

「信仰され、祈りを聞き、奇跡を起こす。それが神様ってものでしょう?」

 

 お前俺の祈り聞いてくれたことあったっけ、とカズマは思ったが、口には出さなかった。

 むきむきはちょむすけを肩に乗せたまま、ウォルバクと向き合う。

 

「ウォルバク様、色々と言いたいことはあると思います」

 

「……」

 

「部下が倒されたのに自分だけ生き残って良いのか。

 そう思っているとは思いますが、生きてください。

 それが僕に最後に言葉を残した……ホーストの願いでした」

 

「……ホースト」

 

「ホーストだけじゃありません。

 他の悪魔もそうでした。ウォルバク様が生き残ってくれれば、それでいいと」

 

「……」

 

「魔王軍と戦ってくれ、なんて望みません。

 もう魔王城の結界維持の任も解けたなら、僕らが敵対する理由もありません。

 だから見守っていてください。エリス様みたいに、僕らから少し離れた所から」

 

「……」

 

「どうかお願いします、ウォルバク様」

 

 むきむきはちょむすけを手に抱え、深々と頭を下げた。

 勝者であるのに、彼女の命を救った恩人であるのに、優位に立っている者であるのに、敬意をもって頭を下げて、ウォルバクに『お願い』していた。

 少年に抱えられたちょむすけが、ウォルバクのことをじっと見ている。

 ウォルバクは少しの困惑を見せ、次第に納得し、そして微笑んで、少年の頼みを聞き届けた。

 

「私は敗者で、あなたは勝者。

 私は助けられた側で、あなたは命の恩人。

 ……なら、従いましょう。それが条理というものだものね」

 

「……! ありがとうございます!」

 

 この結末を、誰が予想できたことか。

 奇跡が起きて、ウォルバクもちょむすけも残るだなんて、誰が想像しただろうか。

 めぐみんがむきむきに語った"あの日助けてくれたお姉さんに話したかったこと"も、これでちゃんと語ることができるだろう。

 少女の積年の想いは、これできっと果たされる。

 

「良かったね、めぐみん」

 

「むきむき……」

 

「僕もちょっとはめぐみんを喜ばせられたかな」

 

 ちょむすけは女神ウォルバクの復活などできないと思っていた。

 女神ウォルバクから見ても高くて数%の可能性でしかなかった。

 それを実現にまで持っていったのは、女神への信仰、すなわち想い。

 めぐみんを笑顔にしたい、後悔は少なくしたい、幸福は大きくしたい―――そんなシンプルな少年の想いから生まれた、必然の奇跡を招き入れるほどの強き想い。

 

「ありがとう、むきむき」

 

 少女は少年の手を取って、その手を己の頬に当てる。

 自らの頬の熱を伝えるように。

 口から漏れる言の葉を、少年の手を通して伝えるように。

 少年の手を己の頬に添えたまま、少女は微笑む。

 

「あなたは今日、私にとって一番大切な人になりました」

 

 今日という日に、むきむきという少年の力に変化が起こり。

 

 今日という日に、めぐみんという少女の心に、小さくない変化が起きていた。

 

 

 




>1-2-1 むきむき、五歳にして修行回
の冒頭ですね、はい。


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4-3-1 恋と愛

 前回の引きからして皆さんノンケの恋愛を期待してたと思うのでひねくれ者の私はホモを提供したいと思いました


 ここはアクセルでも一番にシャレオツなシティロードだと若者に人気の一角。

 ダクネスはカフェにて、めぐみんと二人きりで紅茶を飲んでいた。

 彼女も十代の若者だ。

 むきむきのPTで十代ではないノットヤングはアクアのみ。

 オンリーババアの称号はアクアにのみ与えられる。

 こういった場所にも興味があるのが若者というものだ。

 

 ダクネスはカフェで一番高い茶葉の紅茶を頼み、実家の茶葉と比べて「ちょっと不味いな」と思いつつ味と香りを楽しんでいるふりをするという、ヘンテコなお嬢様ムーブを自然に行っていた。

 

(穏やかな昼下がり。なんと心休まる時間か……)

 

 カフェの一角で紅茶を飲んでいるだけでもサマになるのは、流石ララティーナお嬢様といったところか。

 

「それで、話というのはなんだ、めぐみん?」

 

 ダクネスは余裕のある語り口でめぐみんに問い、紅茶を飲み。

 

「私、むきむきのことが好きになったみたいです」

 

「ぶふぉっ」

 

 一気に吹き出した。

 この瞬間、ララティーナお嬢様はお笑い芸人ダクネスへと転がり落ちる。

 

「お、お前! ……そうか、そういう方向に転がったか」

 

「何一人で納得してるんですか?」

 

「いや、しかし、こんなあっさり言うとは……

 私がめぐみんに打ち明けた時は、打ち明けるだけでも何十分と使ったというのに……」

 

「何言ってるんですか、ウブなネンネじゃあるまいしそんな悩みませんよ。

 いい加減慣れましょうよ、こういう話にも。

 カズマを好きになってしまったと私に相談してきた時のあなたはどこに行ったんですか?

 カズマを惚れさせるにはどうしたらいいかと相談してきたあなたはどこに消えたんですか?」

 

「わー! わーっ!」

 

 誰の影響も受けなかった場合、ダクネスは"自然に好きになってもらおう"とする。

 めぐみんは"積極的に動いて落とす"。

 二人は攻防で対極的だ。

 主導権を自分で持つか、相手に渡すかでも対極的なので、めぐみんは落とすだけ落としておいて肉体関係は結婚までお預けにすることもあり、ダクネスにはちょっと押されただけで性的な関係を持ちかねないところもあった。

 

「こほん。ま、まあ、なんだ。

 つまりはめぐみんも私に恋愛のイロハを聞く気になったと……」

 

「いや別に」

 

「!?」

 

「ダクネスに聞いても返って来るのは

 『こういう純愛であるべき』

 『淑女は殿方にこう振る舞うべき』

 『清く正しいお付き合いからの恋愛成就』

 みたいな刺し身の上のタンポポ並みに役に立たない乙女チックな返答でしょうし」

 

「な、なんだと!?」

 

「ダクネスは性癖は変態ですが素は一番乙女チックですからね。

 以前は恋愛知識が絵本に毛が生えたレベルでしたよ?

 戦闘においても落ちない要塞、女性としても誰にも攻略されてない要塞でしたし」

 

「このっ、このっ、このっ……うぐぐぅっ……!」

 

 要塞落としの爆裂と処女要塞では、どうしても前者が優位に立つものである。

 

「彼を見ていると、胸が高鳴ります。

 いつも自然と目で追っていて、いつも自然と居場所を探している気がします。

 もっと触れたい、もっと話したい、もっと一緒に居たいって思います。

 触れるのは少し気恥ずかしくて、でも触れたいし、触れて欲しい。

 抱きしめて気持ちを伝えたい。

 でも抱きしめて貰うのは、想像するだけでちょっと恥ずかしくて、頬が熱くなります」

 

「ベタ惚れか!」

 

 彼女が少し頬を染めてそんなことを言うものだから、ダクネスはめぐみん以上に顔を赤くしていた。

 

「よくそんな台詞が言えるな、聞いている私の方が恥ずかしいぞ……」

 

「本人の前で言う時は、もうちょっと言葉を選びますよ」

 

「言えません、じゃなくて言葉を選びますよ、なのか……」

 

 もしもこの少女が恋敵であったなら、とんでもない強敵になっていただろうと、ダクネスは密かに戦慄するのであった。

 

 

 

 

 

 同時刻、別の場所。

 ここはアクセルでも一番にハイカラな商店街だと若者に人気な一角。

 クリスはゆんゆんに呼び出され、カフェでコーヒーを飲んでいた。

 

(今日は結構いい天気だねえ)

 

 クリスはかなり面倒見が良い。

 知り合いのダメ人間に対する面倒見も良ければ、初対面の人間に対しても優しく、ギルドに来たばかりの初心者の面倒を見ることもある。

 そのためか、アクセルのギルドに頻繁に来るわけでもないのに、ギルドの冒険者からの印象が総じて良かったりした。

 

 ゆんゆんが"悩みの相談相手"にクリスを選んだのは必然だったと言えるだろう。

 クリスならば口も固く、真剣に一緒に悩んでくれて、生産的な返答を返してくれるだろう。

 ゆんゆんの思い詰めた表情を見て、クリスは早くもこのお悩み案件が一筋縄でいかない事を察していた。

 クリスは砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーを口元に運び、口元を潤わせる。

 

「で、本日は何用……」

 

「めぐみんがむきむきを好きになっちゃったみたいなんです!」

 

「ぶっ」

 

 そして、吹き出した。

 

「けほっ、けほっ、あ、そういう相談?」

 

「そうです! クリスさんは数少ない常識人ですから!」

 

「普通、世の中の大半を占めるマジョリティを常識人って言うんだと思うんだけどね……」

 

 この世界基準の常識人とは、一般的には一体誰のことを言うのだろうか。

 

「めぐみんが本気を出したら……もう大変です!

 なんやかんやで恋愛感情まで行ってなかったから、私にも沢山チャンスがあったのに!」

 

「あーうん分かるよ、むきむき君めぐみん大好きだもんね」

 

「私のことだって大好きです! めぐみんほどじゃないですけど!」

 

「言ってて悲しくならない?」

 

「悲しいですよ!」

 

 テーブルを叩くゆんゆんは涙目である。

 

「昔のむきむきはめぐみんを凄い凄い言いながら依存してたフシがあったんですけど……

 今はそういうのがないんです。

 めぐみんのことを褒めていても、依存はしていないというか。だからまだチャンスは……」

 

「うーん成る程。私にはあまり理解できないけど、ゆんゆんが言うんならそうなんだろうね」

 

 昔のむきむきはめぐみんを『段違いに特別な存在』として見ていた。

 当時の彼がめぐみんに言い寄られれば、他の誰に好かれようが迷わずめぐみんを選んでいたかもしれない。他の誰よりも彼女を優先したかもしれない。

 が、今はそうであるとも言い難い。

 

 今のむきむきは、昔と比べれば大切な人達への好感度がフラットだ。あくまで昔と比べれば、ではあるが。大切な人が増えた結果と言えるだろう。

 恋愛に必勝法など無い。勝利を約束された者も居ない。

 両思いであっても成就しないのが恋愛の常だ。

 恋という過程を一度も通過しないまま結婚し良い夫婦となった者さえいるという。

 むきむきとゆんゆんの仲を考えれば、ゆんゆんの望みが叶う可能性は高すぎるほどに高い。

 

「……あ、そっか」

 

 むきむきを挟んだめぐみんとゆんゆんの関係を頭に思い浮かべて、クリスは何かを納得した様子で、ぽんと手の平を合わせていた。

 

「じゃあこれも、いつもめぐみんとゆんゆんがやってる『勝負』になるわけだ」

 

 クリスの本質を言い当てた言及に、ゆんゆんは苦笑する。

 そう、これは勝負。勝負なのだ。

 ゆんゆんがめぐみんを超えようと挑むいつもの勝負と、本質は同じ。

 

 二人はどこまで行っても―――『ライバル』だった。

 

「……めぐみんは、私の憧れなんです」

 

 ゆんゆんは店員が運んできたパフェを一口食べ、一呼吸置き、パフェを見つめて――その向こう側の遠くを見つめて――内心を吐露し始める。

 

「勝ちたくて。だから全力で挑み続けて。

 でも本当に勝ってしまったら、何かが終わってしまう気がして……

 ずっと憧れで居て欲しいけど、その上を行きたくて……

 矛盾してるけど、一度も手を抜いたことはなくて、全力で挑んで負け続けて来たんです」

 

 めぐみんは先日、自分の杖はゆんゆんの方が相応しいんじゃないかと思うくらいに、自分とゆんゆんを比べゆんゆんを上に置いていた。

 ゆんゆんは、めぐみんがそんなことを思っているなど想像したことさえないだろう。

 彼女はライバルであるめぐみんに、ずっと負け続けてきたのだから。

 

「でも今、生まれて初めてこんなにも強く……勝ちたいって、負けたくないって思うんです」

 

 はてさて、それは少女の可愛らしさか。

 

「負けたくない。勝ちたい。取られたくない。私を選んで欲しいんです」

 

 それとも、女の本気か。

 

「むきむきと出会ったのは私の方が先。

 でも私とめぐみんが出会った時にはもう、めぐみんの方が好かれてたんです。

 悔しい気持ちもあったんです。……いや悔しくないわけないじゃない!

 むきむきにもめぐみんにも言ったことないですけど!

 二人が仲良いこと自体には文句無いですけど! 仲良すぎることは不満で、もうっ!」

 

「あはは、幼馴染しか持たない悩みだねえ、それ」

 

「ううぅっ……」

 

 普段ゆんゆんがめぐみんとの勝負に本気で挑むのは、めぐみんに負けたくないからだ。

 まず"めぐみんに勝ちたい"、"めぐみんに負けたくない"という気持ちが大前提としてあって、その気持ちを成就させるためにどんな勝負内容にも全力で挑んでいく。

 だが、これは違う。

 ゆんゆんには大好きな人が居て、それがまず大前提なのだ。

 大好きな人が居るからめぐみんに負けたくない。負けたくないから全力で挑む。そういうちょっとだけ違う過程を経ている。

 

 極端な話、好きになった彼を射止めるために負けることが必要なら、ゆんゆんはめぐみんにあっさり負けることを選ぶだろう。

 勝たなければ得られないから、全力で勝とうとしているだけである。

 今日までの勝負は『めぐみんに勝つことが目標』で、この勝負だけは『めぐみんに勝つことは手段』になっているというわけだ。

 

 それはある意味、変化でもあり成長でもあった。

 それは、劣等感やコンプレックスというにはあまりにも綺麗で、純真で、可愛しくて、真っ直ぐで、熱くて、前向きな……そんな、感情だった。

 

「今度こそは勝つんです! 負けないんです! 私はここから、めぐみんに勝ちます!」

 

「うん、その意気だ。私も今日からは、ゆんゆんだけを応援することにしようかな!」

 

「ありがとうございます! ずっと勝ててない私だけど、これを最初の勝ちにしてみせます!」

 

 クリスは自分がこの少女に肩入れすることが、ちょっとズルいことだと認識しつつも。

 

「罪作りな子だね、むきむき君も」

 

 そう呟いて、ゆんゆんの未来の幸運を願うことを、止められなかった。

 

 

 

 

 

 はてさてその頃、彼らの屋敷では。

 

「むきむき、お茶を持って来てくれる?」

 

「既に持ってきております」

 

「ありがとう、あなたは最高の信徒よ」

 

「光栄です」

 

 ニート化した女神ウォルバクと、その下僕と化したむきむきが居た。

 

「何やってんだオラァ!」

「何やってんのオラァ!」

 

 そこにチンピラカズマとチンピラアクアが殴り込んで来る。

 

「おま、ニートて、ニートて……!

 あれだけ本気でお前助けようとしてたむきむきとかに申し訳ないと思わねえのか!」

 

「し、仕方ないじゃない。

 私は怠惰の女神としての信仰を軸に再構築されてしまったのよ?

 お休み大好き、温泉大好き、だらけるの大好き、お酒もちょっと好き。

 こんなに堕落していいのかって自己嫌悪にも陥るけど、しょうがないことなのよ……」

 

「は? 既にあなたは現在進行形で女神の面汚しなんですけど?

 謝って! 私とむきむきとめぐみんとついでにエリスとか他の女神にも謝って!」

 

「分かった、謝るわ。女神アクアには謝らないけど」

 

「なんでよ!?」

 

 怠惰の女神ウォルバク。

 彼女は新生した今の自分の存在、及び自身を構築する概念に多少振り回されていた。

 PTの放っておけばニートになりそうランキングワンツーフィニッシュのコンビが、思わずツッコミ側に回ってしまうほどに。

 今のカズマとアクアは、ソシャゲ課金を止めた課金厨に似ている。

 あまりにも多額の課金をして爆死をした人を見て、課金を思い留まった課金厨に似ている。

 ウォルバクの溢れ出るニート=アトモスフィアは、カズマとアクアに自分の悪癖を棚上げさせ、常識人ぶった行動を取らせるほどのものだった。

 

 魔王軍幹部級の部下を含む悪魔軍団を引き連れ、自身も爆裂魔法を操ることで、魔王軍屈指の集団戦力と目されていた美しき邪神が、今は見る影も無い。

 

「お姉さん明日から頑張るから、ね?」

 

「カズマくん、アクア様、ウォルバク様もこう言ってるし……」

 

「「 甘やかすな! 」」

 

 このままではニート駄女神が爆誕してしまう。

 最悪むきむきが彼女にかかりっきりになってしまう。

 それは最悪の未来であった。

 カズマもアクアも、自分がむきむきに甘やかされながら悠々自適のニート生活をするのはよしとするが、生産性の無い新参居候引きこもりがそんな生活を送ることは許せなかったのだ。

 

 むきむきの誘いでウォルバクもこの屋敷の住人となった以上、カズマとアクアはウォルバクの生活スタイルに口を出す権利がある。

 ここに、ウォルバクニート化を否定するアクアカズマ同盟、略してアクマ同盟が結成された。

 

「うちの屋敷にこれ以上駄女神増やされてたまるか! 一人でさえ手に余ってんのに!」

「うちの屋敷にクソニートが二人とか悪夢よ! 一人でさえ頭が痛くなりそうなのに!」

 

「「 ……は? 」」

 

「おいおいアクア、俺の生産性を舐めるなよ?

 今や生産職のスキルをいくつも取って潰しが利くようになった俺だぞ?

 むきむきの体に合う服作りのため取ったスキルで、販売用に作った服も売れてきた。

 今の俺のどこがニートだ? ん? 駄女神よりは役に立ってるぞ、おい」

 

「あらあらカズマさんたら、最近調子に乗ってるんじゃないかしら?

 私はね、凄いのよ? できることが一から十まで凄いの。

 むきむきが『アクア様にしかできない凄いことです』

 『アクア様が居なかったらどうなっていたことか……』

 って何度も言ってくれるくらい凄いのよ?

 スキルあっても当分暮らせていけるだけの金が出来たらニート化するカズマとは違うのよ!」

 

「「 …… 」」

 

 アクマ同盟、崩壊。

 

 カズマとアクアがぎゃーぎゃーと口喧嘩を開始する。

 

「多分私へのお説教はまだ続くと思うから、今の内に外に行ってきちゃいなさい」

 

「……すみません」

 

「謝るのは私の方よ。

 いつかは元に戻るかも知れないけど、こんな情けない醜態を見せてしまってごめんなさい。

 あ、外に行ったら帰りにお酒買って来てちょうだいね。あれば果実酒系の度数高いやつ」

 

「……はい、分かりました。本当の本当にごめんなさい」

 

 むきむきはこっそり部屋を出て、両手で顔を覆って心底悔いるように言の葉を吐き出した。

 

「……こんな復活の仕方をさせてしまって、本当の本当にごめんなさい……!」

 

 むきむきのテンション数値は今や最低値である。

 「うちの名誉アクシズ教徒をどうたぶらかしたのよ邪神!」「もうその件は水に流して頂戴、水の女神なだけに」「暴虐が棒ギャグになってるわよクソ女神!」と背後から女神バトルが始まった音まで聞こえてきて、たまらない気持ちで屋敷を出てしまう。

 怠惰とギャグの女神になったらどうしよう、という不安まで出てきていた。

 

「あ」

 

 家に居辛い子になってしまった彼が屋敷から出るやいなや、屋敷の前にまで来ていたリーンと彼の目が合った。

 

「やっほ、むきむき」

 

「こんにちは、リーン先輩」

 

「相変わらずいいところに住んでるねえ」

 

「住み心地もいいところですよ。

 一緒に暮らしてる人がいい人達で……ん? リーンさん香水変えました?」

 

「ふふふっ」

 

「?」

 

「うちの男共はそういうの全然気付いてくれなくてさ、やんなっちゃうよねー」

 

 リーンは外見も性格も可愛いが、クズには躊躇なく魔法をぶっ放し、鬱陶しいナンパ男の股間はノータイムで蹴り上げる、ごく一般的なアクセルの冒険者思考をしている。

 彼女のように、仲間にあまり女としては見られていない女性もいるのだ。

 むきむきのPTとは、そういう意味で根本的に違っていたりする。

 

「ギルド受付のルナさんあたりなら、すぐ気付きそうですけど」

 

「あ、そのルナさんの話だけどね、あたしルナさんに頼み込まれて呼びに来たのよ、君を」

 

「僕を?」

 

「遠い所からお客さんが来てるんだって」

 

「お客さん? 王都……じゃないか。

 アイリスは来たいって言ってたけど、それは手紙で止めたし……

 レヴィが遊び半分仕事半分でベルゼルグに来るって手紙で言ってたのは四ヶ月先だし……」

 

 リーンに呼ばれ、冒険者ギルドへと赴いたむきむきが見たのは。

 

「や」

「あ、兄ちゃんだ」

 

「……あるえ!? こめっこちゃん!?」

 

 里から出て来た、二人の知り合いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 むきむきは二人がこのタイミングで里から出て来たきっかけに心当たりがあった。

 少し前に、ホーストと戦った果ての顛末も含め、あるえに手紙を送った覚えがあったのだ。こめっこの年頃なら、文字で伝えるより誰かの口から伝えた方が伝わるだろうと考えて。

 むきむきはあるえに『自分を悪者にすることも考えて欲しい』と伝えたのだが、こめっこの様子にもあるえの様子にも、暗いものは見られない。

 ホーストをむきむきが討伐したことなど、なかったかのように振る舞っていた。

 なので"ホーストの件で来たんだろう"と身構えていた少年は、少し拍子抜けしてしまう。

 

 ギルドの一角を借りて、そこに二人を座らせる。

 むきむきが三人分の飲み物を持って戻ってきたら、さあ世間話の始まりだ。

 どこか懐かしくも申し訳ないような、けれども楽しい会話が始まった。

 

「めぐみんとゆんゆんは? 私は二人がどうなってるかも楽しみだったんだ」

 

「二人は出かけてるよ。街の近くに居るとは思うけど」

 

「ふむふむ」

 

「……からかうのはほどほどにね」

 

「めぐみんはまだ発育を気にしているのかな? そうだったら楽しいけれども」

 

 あるえは紅魔族随一の発育という称号を持つ者。現在進行形でそうだった。

 めぐみんと会わせたらめぐみん激怒間違い無しである。主に胸のせいで。

 

「こめっこちゃん、背が伸びたね」

 

「兄ちゃんも伸びたねー!」

 

「はは、ありがとう。こめっこちゃんは将来美人になるよ」

 

「それは姉ちゃんみたいになるって意味? 一般的な意味での美人になるって意味?」

 

「え? ええっと……」

 

「兄ちゃんにとっての美人基準ってどんなの?」

 

「そ、それはね……」

 

 こめっこの手強さも健在だ。魔性の妹の称号を自称するだけはある。

 

「私も成長して胸が大きくなったよ。小説書く以外に特に何もしてないけど」

 

「申告しなくていいから! そういうのはいいから!」

 

「……うーん、こんなので顔を赤くするのであれば、まだ童貞かな」

 

「推測しなくていいから!」

 

 二人は昔から、ホーストやむきむきが手玉に取られてしまうような強者だ。

 

「兄ちゃんが姉ちゃんの兄ちゃんになるかならないか、そこんとこはっきりとですね」

 

「こめっこちゃん、こめっこちゃんにはそういう話はまだ早……」

 

「姉ちゃんと上手く行かなかったらあるえに走るの? ゆんゆんに走るの?」

 

「どーこでそういう言葉覚えてくるのかなー! こめっこちゃん!」

 

 二人が揃うと、どうしてもむきむきが翻弄される側になる。

 二人と居ると、どうしてもホーストのことを想起してしまう。

 こめっこが邪神ウォルバクの封印を解いていた間、悪魔と紅魔がひとときの休戦期間を過ごしていた、戦わないでいられた時のことを思い出してしまう。

 ホーストを倒したことに少年が罪悪感を感じていないと言えば、きっと嘘になる。

 それが心の傷になっていると言っても、きっと嘘になるだろう。

 

 ただ、二人と居ると思い出すのだ。

 間違いなく楽しいと言えた、あの頃のひとときを。

 

「私達がここに来た理由が知りたいかい? むきむき」

 

「! ……うん」

 

「まあ遊び半分だよ。理由があるかと言われたら無いとしか言えない」

 

「え、ちょっと」

 

「君が悪い方向に想像してるようなことはないとだけ言っておこう」

 

「うっ」

 

 あるえは掴みどころがなく、それでいてむきむきを初めとした周囲の友人のことをしっかりと理解していて、それなりに親しい友人であるむきむきにも何を考えているのかよく分からない。

 頭がおかしいと言われるだけで行動基準が分かりやすいめぐみん、紅魔の里に理解者が居なかっただけのゆんゆんと比べれば、その思考は極めて難解だ。

 彼女が心の中に秘密を抱えていたら、誰もそれを理解できないに違いない。

 

「乙女っぽく言ってみようか。会えなくて寂しいから来ちゃったっ、てへっ」

 

「あるえ、真顔でそういうの言ってからかうの楽しい……?」

 

「言うのが楽しいんじゃない。むきむきの反応が楽しいんだ。勘違いしないで欲しい」

 

「なんというか本当にもう……!」

 

 あるえはお洒落眼帯を外して、ペンとメモ帳をポケットから取り出す。

 そして赤く綺麗な両目で少年を見て、話を促す笑みを見せた。

 

「さあ、君の人生を聞かせて欲しい。私の小説のネタにしたいんだ」

 

 少年は知らない。

 少女が少年に語ったこともない。

 彼女にとって、一番最初に自分の夢を手伝ってくれた友人が彼であるということを。

 

――――

 

「君が冒険の話をする。

 私がそれを参考に小説を書く。

 それはきっと……とても楽しいことだと、私は思うんだ」

 

「うん、楽しそうだ」

 

「だからちゃんと元気に生きて、無事に帰って来て、旅の話を聞かせて欲しい」

 

――――

 

「いってらっしゃい。私はいつまでも、君を待ってる」

 

――――

 

 それはめぐみんやゆんゆんのそれとは別の、暖かな繋がりだった。

 

 

 

 

 

 冒険者ギルドの一角で、微笑ましい時間が流れていた。

 少年が今日までの冒険譚を語って聞かせ、少女がそれを面白そうに聞く。幼女が合間合間に入れる合いの手のおかげか、会話も小気味いいテンポだ。

 酒の入った冒険者が子供っぽい彼らをからかいに行こうとするが、たまたまその場に居たテイラーが腹パン一発。担ぎ上げてギルドの外に連れて行った。なお、少年達は気付いていない。

 

 むきむきの冒険譚はこめっこにとって心躍るものであり、あるえにとっては物語のネタにしたくてたまらないものであったようだ。

 こめっこは目を輝かせ、あるえのペンは止まらない。

 合間合間にあるえが里のことを話したり、こめっこがやんちゃした小さな武勇伝を得意げに語ったりもして、三人組の会話に花が咲いていく。

 ギルド受付のルナが水差しをこっそりテーブルに置いていったが、声はかけない。

 三人の会話を邪魔しないようにと、大人なりに気遣ったのだ。

 

「他の人にも話を聞いてみたら?

 アクセルのギルドには僕以外にも色んな冒険者が居るよ。

 あるえのお話のネタにするなら、僕が何人か話を聞かせてもらえないか頼んでみようか?」

 

「ん……魅力的な誘いだけど、今はいい。君の話だけでいいさ」

 

「なんで?」

 

「私はきっと、君の人生が好きなんだ」

 

 あるえの聞きなれない言い回しには、不思議な響きがあった。

 

「そこでこう選択するのか。

 そこでこの敵と出会うのか。

 そこでこういう仲間と出会うのか。

 君の人生の一片を聞くたびに、私はそんなことを思ってる。

 性格や過去なんて、極論を言ってしまえばその枠の中にある『設定』でしかないだろう?

 私は君の人生を構成するそれら多くの要素を、大雑把に大体気に入っている」

 

「嫌いなところもあるんだ……ど、どこ? 言ってくれれば直すよ?」

 

「サラダがごまドレッシング派なこと」

 

「!?」

 

「君が悪者になっても、私は多少幻滅こそすれ、嫌いにはならないだろう。

 友人のまま、たまに会って君の人生を聞いて本の参考にするだけだろうね」

 

 曲者な友人との会話は、ちょっと頭を使わないといけない時もある。

 けれど、楽しいものだった。

 

「僕もあるえの小説好きだよ。全部好きだ」

 

「君が最初のファンで良かったと思うよ、掛け値なしにそう思う」

 

「ただの感想だよ?」

 

「ならこう言おうか。私は君の感想も好きだ」

 

 あるえは口元に手を当てて、思わせぶりな表情で微笑む。

 一方こめっこは、拳を握って何やら決意を固めていた。

 

「私も、もっとぶゆーでん作ってべすとせらーの主人公にならないと……」

 

「こめっこちゃん、危ないことするなら僕が止めるからね?

 もしものことがあったらひょいざぶろーさんやゆいゆいさんに合わせる顔が……」

 

「じゃあ兄ちゃんも手伝って!」

 

「手伝う? 武勇伝を作るのを?」

 

「ん」

 

 こめっこは跳ねるように席を立ち、椅子に座ったままのむきむきの太ももの上に立った。

 得意げに立ち、小さな手でぺちぺちとむきむきの額を叩いている。

 

「ここは冒険者ギルド。私の伝説を打ち立てるにはうってつけだよ」

 

「ああ、そういうこと?」

 

 そこまで言われて、むきむきはこめっこの意図を把握したようだ。

 

「ルナさん、あるえの臨時冒険者登録できますか?」

 

「はい、できますよ。

 こっちで処理しておきますから、むきむき君はそこのコップの片付けお願いしますね」

 

「はい!

 あ、こめっこちゃんはカードないと思うのでそっちはいいです。

 あるえが倒したモンスターをギルドが処理してくださればそれで。

 ギルド利用による納税の義務とかがあったらこっちに回して……」

 

「はいはい、大丈夫ですから。

 そんな小さな子のお願いを聞いてあげるお兄ちゃんにそんな責任負わせませんよ」

 

「……すみません。じゃなかった、ありがとうございます!」

 

 むきむきが空のコップを洗い場に持っていき、ルナが書類を手早く処理していく。

 あるえはこういう一幕からも、この街におけるむきむきのポジション、このギルドにおけるむきむきのポジションを読み取っていく。

 "中々里帰りしないわけだ"と、あるえは密かに納得していた。

 むきむきはこめっこの手を引いて、クエスト発注書が張り出されている掲示板の前に移動した。

 

「さてクエストどれにしようか、こめっこちゃん」

 

「……けーじばん、高くて見えない」

 

「あ、ごめんね。よいしょ」

 

「わっ、高い! ぐみんを見下ろせる高さ!」

 

「どーこでそういう言葉覚えてくるのかなー! こめっこちゃん!」

 

 抱っこして抱え上げただけでこれだ。

 将来途方もない大物になるであろう片鱗をひしひしと感じさせる。

 むきむきに至っては『愚民』の部分が『めぐみん』に聞こえてしまったので、心中では二度びっくりしていたりした。魔性の妹はお兄ちゃん特攻持ちである。

 いつの間にかあるえも彼の隣に居て、ほうほうと呟きつつ掲示板を眺めていた。

 

「? 兄ちゃん、誰か来るよ」

 

 そんなこんなで、こめっこを抱え三人であーでもないこーでもないとクエストを物色するむきむきであったが、その肩を突如現れた男性がガシッと掴む。

 振り返れば、そこにはダスト。

 とんでもなく余裕のない顔で少年の肩を掴むダストが居た。

 

「あ、ダスト先輩。どうし―――」

 

 女好きのダストからさり気なくあるえを隠すよう動くむきむき。

 だが、今日のダストに女を見る余裕はなかった。

 彼は最初から一貫して、男のむきむきだけを見ていた。

 

「頼む、むきむき! 俺をホモの魔の手から救ってくれ!」

 

「へ?」

 

 今日もアクセルは騒がしく、平和である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞くところによると、ベルゼルグ貴族でアクシズ教徒のとある男がダストに惚れてしまったのが始まりだったらしい。

 ベルゼルグ貴族はそれなりに変態が多い。

 ダクネスとか、アルダープとか、ダクネスとか、ダクネスとか。

 アクシズ教徒は大半が変態だ。こちらは個人名を挙げる必要さえない。

 そのハイブリッドのホモともなれば、悟空とベジータのフュージョン、ウルトラマンとウルトラマンの合体にも等しい存在であることは明白だ。

 

 ホモ貴族はダストに告白。そして玉砕。

 アクセルの街で泣きながら一人で酒を飲んでいたところ、突然降臨した女神アクアに助言を貰った……らしい。ホモ貴族が、そう言っていたそうだ。

 女神はこう助言したという。

 

「いいのいいの、突っ走っちゃいなさい!

 愛は誰かの迷惑になったとしても間違いなんかじゃないのよ!

 100人幸せにしても1人不幸にしたら間違ってるとかアホらしーでしょ?

 世界全ての人より愛する人一人のために、とか美しいでしょ?

 いいのよ、愛は迷惑で! 間違ってる愛なんてないんだから!

 あ、すみませーん! クリムゾンビアおかわりでー! 支払いこの人でー!」

 

 ホモ貴族が目覚めた時、降臨した女神は既に消えていたという。

 それが夢か現か、判別するすべをホモ貴族は持っていなかった。

 だが、確信だけは持っていた。

 あのお告げは、絶対に―――アクア様自身が、自分にくださったものなのだと。

 

 『非正常愛(ホモレズ)・オブリージュこそが貴族の使命』と彼は割り切り、覚醒する。

 大悪魔ホモストとでも言うべき愛の魔性と化した彼はもう止まらない。ダストへのラブコールという名の執拗なホモ堕ち誘導を開始した。

 

 この世界においては、同性愛者や性同一性障害者、特殊性癖の人間の受け皿はアクシズ教団しかないと言っていい。

 そのアクシズ教団の人間が『死んだ後に転生できる、自分達を受け入れてくれる楽園』として夢見ている世界が、歩いていけない隣の世界・日本である。

 古来より日本では、岩手県の伝承等を取りまとめた遠野ホモ語などの書物が書かれ、最近では偽ホモ語なる作品が大人気でシリーズ化までしている……と、伝えられている。

 伝言ゲームで多少なりと歪んだ可能性もあったが、ホモ貴族はそんなこと気にしなかった。

 

 この世界で結ばれればいい。

 この世界で結ばれなくても心中して日本で結ばれればいい。

 そういう思考でホモ貴族は行動していた。

 

 アナル・クソミソ・アイラブユー、略してアクア。アクア式恋愛理論がホモ貴族の脳裏を駆け巡る。彼の中では押し倒しちまえばこっちのもんよ、と思うくらいに話が進んでいたらしい。

 となると、困るというか恐怖するのがダストだ。

 いつホモ貴族にレイプされるか分からない。いつ心中を仕掛けて来るか分からない。相手が男だという事実がなおさらにダストを恐怖させた。

 

 ダストが伴侶に求めるのはエッチ・リッチ・スケベのエリス式三拍子が揃った女性。

 つまりエロい体をして金を持っててやらせてくれる美人である。最悪だ。

 この需要は、ホモ貴族という供給と完全にマッチしていなかった。

 ノーブルホモの恋路は最初から成就しないと決められていたようなものだった。

 

「で、クエスト内容は?」

 

「ああ、それは―――」

 

 そこでダストは一計を案じた。

 アクセル近くの山々にこの時期生えるという、『恋忘花』を使うことを決めたのだ。

 これは煎じて飲むと『恋の熱を少しの間忘れさせる』効果があるという。

 恋を忘れて愛があるかを確かめる、あるいは恋に恋する娘が悪い男に引っかかっているから目を覚まさせる、などの目的で使われる希少な薬花なのだそうだ。

 

 しかし恋の熱を忘れるのは少しの間。

 その少しの間で恋の夢から醒めないのであれば、効果は無いに等しい。

 希少ではあるが貴重ではないというのが現実で、取引価格も低いのだとか。

 ダストはノーブルホモのそれが恋の熱に浮かされたものであることに賭け、手伝ってくれないテイラー達の代わりに助けてくれる人を探していたらしい。

 

 このクエスト依頼を特に何も考えずこめっこは快諾。

 "最近の小説はファッションホモで笑いを取るのもアリなんだよ"とあるえも賛成。

 かくして、アクセルの近所の山に行くというピクニックのような行動と、ホモの痴情のもつれの解決という目的を両立するクエストが開始されるのであった。

 

「……酷いクエストになりそうだ」

 

 むきむきは仲間に一言断っていくため、一旦屋敷に向かう。

 勿論怠惰の女神と化したウォルバクに頼まれていた買い物は忘れていない。

 ウォッカの大瓶、ルシアン・クエイルード、バロン、クォーター・デックの四種でアルコールゴッドレクイエム、ウォルバク式コンボを構築。

 それらの酒は屋敷の居間にがちゃっと置いたのだが、むきむきの帰宅を迎えてくれたのはウォルバクとウォルバクに絡んでいるアクアだけだった。他の皆は出かけているらしい。

 

「―――というわけで、クエストに行ってきますので。留守番お願いします」

 

「はい、分かったわ。お酒もありがとうね?

 それなら今日の夕飯はその二人の紅魔族の分も余分にご飯を作っておいて……

 ……あ、駄目、怠惰の波が来ちゃったわ。

 私が晩御飯作ろうと思ってたけど、面倒臭くなってきたし店屋物取ればいいかしら……」

 

「うぉ、ウォルバク様……」

 

「ごめんなさいね……こんなに情けない女神で……

 今やもう事実上信徒はあなたしか居ないから、こんな私でも見捨てないでね……」

 

「いやもうなんか本当にごめんなさい。元に戻るまでちゃんと責任取って面倒見ます」

 

 ノーブルホモレイパーより自分の方が罪深いのではないだろうか。

 少年がそんな風に思っていると、アクアがまたウォルバクに絡んでいく。

 

「さあ、飲み比べで勝負よ!

 ちゃんと女神と認められたいなら、私との飲み比べで勝つことね!」

 

「あなたが飲みたいだけなんじゃ……いやなんでもないわ」

 

 この青髪アルコールの女神だったかしら、とウォルバクが目で訴え、信徒は首を振ってそのアイコンタクトを否定した。

 信徒は信仰対象の意を汲みやすくなるらしい。

 

「あ、そうそう、これこれ」

 

 と、そこでアクアがポケットの中からペンダントを取り出した。

 

「僕のペンダント? なんでアクア様が持ってらっしゃるんですか?」

 

「昨日の夜はクリスが居たでしょ?

 むきむきがテーブルの上に置きっぱなしにしてたのを、クリスが拾ってたのよ」

 

「それはですね、紅魔族に伝わるお守りで、皆の髪の毛を入れて……」

 

「入れた髪の毛が魔術的なお守りになる、だったわよね。

 前にあの子が……めぐみんが、私に色々と教えてくれたわ。

 あの子は本当にいい子で、元邪神の私を慕ってくれるのが信じられないくらい」

 

 このペンダントには、むきむきと親交を持ち絆を紡いできた者達の髪の毛が入っている。

 紅魔の里を出る時に、その後の旅の途中に、出会った人々が想いを込めてくれていた。

 これはある意味、彼の人生の軌跡そのものであると言っていい。

 

「昨日はちょむすけと、クリスって子がこっそり入れていたわね。

 ダクネスとカズマって子達も入れていたわよ?

 謙虚なんだか、恥ずかしがり屋なんだか……

 可愛い信徒のためだもの。私も貢献するとしましょう、ふふふ」

 

 そこに、ウォルバクが数本の髪の毛を入れる。

 

「むきむき、いつでもアクシズ教徒に転向していいのよ?」

 

 アクアはウォルバクが入れた髪の毛より一本多く、対抗心むき出しで髪の毛を放り込んでいた。

 

「……うちの信徒を、邪教の道に誘わないでもらえるかしら」

 

「邪教!? はい!? 私は正当な女神で、アクシズ教も邪教なんかじゃないんですけど!」

 

 "これ以上付き合っているとあるえとこめっこを待たせてしまう"と考えたむきむきは、二人を放ってさっさと出て行こうとする。

 

「クエスト行ってきます。あ、最後に一つ」

 

 去り際に、一言だけ残して。

 

「お二人とも、ずっと僕が喜んで尊敬していられる女神様で居てくださいね?」

 

 バタン、とドアが閉まる。

 一触即発、今にも魔法さえ使った殴り合いを始めそうだったアクアとウォルバクであったが、何も行動を起こさないまま、むすっとした顔で席についた。

 先程の少年の発言。あれは喧嘩の仲裁ではない。喧嘩に怒ったわけでもない。

 喧嘩するなと、遠回しにお願いされただけだ。

 それも『尊敬』を引き合いに出された形で。

 これで何もかも投げ捨てて喧嘩に没頭できるなら、二人は女神などやってない。

 

「……」

 

「……」

 

 二人は静かに、とりあえず酒飲みでだけでも相手の上を行ってやろうと、無言で飲み比べを開始するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくしてむきむきは、恋忘花を見つけるべく山の麓に到着していた。

 まだ小さく危なっかしいこめっこはむきむきが担いでいくことになり、彼はあるえも担いで行こうかと提案したが、あるえに"それは乙女的によくない"と断られてしまう。

 ダストは歩いてついて行けばいいが、問題は最後の一人。

 そう、ここにはもう一人いたのだ。

 ダストがここに来るという情報を嗅ぎつけ、ストーキングでここまで付いて来たホモ貴族が。

 

「ああ、愛しの君よ。僕はあなたに拒絶されるだけでたまらなく悲しくなるんです」

 

「ケッ、てめえのストーキング行為を止められるなら何でもしてやるよ」

 

「ん? 今なんでもするって言ったよね? 結婚しよ」

 

「むきむきー! こいつ怖い! 怖い! 心底恐ろしい!」

 

「僕に何ができるっていうんですか!

 自慢じゃないですけど僕がどうにか出来ることって大抵拳で壊せるものだけですよ!?」

 

 隙あらばダストの後をつける。隙あらばダストの背後を取る。隙あらばダストの尻を撫でようとする。私ホモーさん、今あなたの後ろに居るの、と言わんばかりだ。

 

「えーとですね、僕が言うのも変ですがダスト先輩が嫌がっているので、貴族様もその辺で……」

 

「あなたは僕の愛を否定できるだけのものを持っているんですか?」

 

「あ、えと」

 

「愛を成就させたことは? 告白して断られたことはありますか?」

 

「えと、その、ないです」

 

「ふぅ……なんだ、子供ですか」

 

「こ、子供ですけど!?」

 

「しからばあなたに僕の愛を止める権利はないということですよ、ふふふふふふふふふふふふ」

 

 じり、じり、とにじり寄ってくるホモの威圧感に、むきむきは思わず泣きそうな顔で後ずさっていく。

 魔王軍幹部は倒せても、こういうのは駄目なようだ。

 ベルゼルグ貴族でアクシズ教徒でホモという三和音(トライアドプリムス)は魔王軍幹部よりもずっと怖い。のかもしれない。

 酔っぱらい女神が適当に言った言葉のせいで振り切ってしまったホモ貴族だが、むきむきににじり寄る彼の前に、あるえが立ち塞がった。

 

「悪いけど、あまり彼に近寄らないでくれるかな」

 

 ホモには女を当てるべし。女を見て萎えたホモ貴族は、踵を返してダストの尻を触りに行った。

 

「ありがと、あるえ」

 

「君は体が強くなっても、まだ恋や愛には弱いんだねえ」

 

「兄ちゃんウブだから」

 

「こめっこちゃんにウブとか言われるのは納得いかない!

 いや僕もうそろそろ14だからね!? 結婚できる年齢だからね!? 大人手前だからね!?」

 

 ダストとむきむきはとりあえずホモ貴族を縛り上げ、樹上に縛り付けることにした。

 縛る途中で「あなたから進んでこんなプレイをしてくれるなんて……!」と興奮し始めたホモの言動は意図して無視する。

 尻を抑えて挙動不審にキョロキョロしながら必死に花を探し始めるダスト。

 ダストの菊の花を散らさないためには、この山で希望の花を見つけなければならない。

 

「あのホモどっかで見てんじゃないだろうな……俺怖えぞ」

 

「大丈夫、あのホモはむきむきを狙っていないようだから私は安心だ」

 

「俺は安心できねー!」

 

 しかもあるえに至っては『見つからなくてもいいけど』くらいのノリで、こめっこはダストのことなどどうでもよく、初めてのクエストにウキウキするのみ。

 ダストの尻穴の守護者になってくれそうな人物は、むきむきしか居なかった。

 

「埒が明かねえ。おいむきむき、一刻も早く見つけるため、手分けして探すぞ」

 

「声が届く範囲でお願いしますよ? 一定時間毎に互いに呼び合いましょう」

 

 ダストは一人離れて花がありそうな所を駆け回る。

 むきむきはこめっこを抱えて、こめっこが木の枝で肌をすりむいたりしないよう、背が低い木がある場所を避けて探す。

 あるえはダストとむきむきの中間ほどの位置で、何かを思いついてはメモり、細々とした文章をメモに書き溜めていた。

 

「あ、兄ちゃんお花発見!」

 

「どこ? ……ああ、あれだね。すごいよ、こめっこちゃんのお手柄だ」

 

「これは里に帰ってからじまんできるね!」

 

「だね。こめっこちゃんのお陰でクエストクリアできたんだ、って言っていいはずだよ」

 

 そうこうしている内に、目的の花が見つかった。

 恋忘花……ホモという絶望を打ち破る希望の光。

 これで上手く行けばダストの処女は守られるだろう。これには処女厨もニッコリ。

 むきむきは花を二、三輪摘み取って、保護ケースの中に放り込んでこめっこに持たせる。

 

 さあダストはどこだ、と探し始めたむきむきにあるえが一言。

 

「むきむきー、ダストって人がその辺にあった深い穴に落ちたようだよ」

 

「他人事みたいに淡々と言うことじゃない!」

 

 ダストはケツの穴を掘られる前に、山の穴に落ちてしまったようだ。

 

 

 

 

 

 ダストが穴に落ちたと聞き、むきむきがまず思ったのは"一部のモンスターが掘る縦穴に落ちたのだろうか"という心配だった。

 とはいえ、前衛職のダストが穴に落ちて大怪我するとも考えにくい。

 そこまで大きな心配はしていなかった。

 

 だがダストが落ちた穴の大きさを見て、むきむきは驚く。その穴の底まで落ちていたダストを追って、あるえとこめっこを抱えて降りると、その驚きは更に増した。

 

「……これ、地下施設?」

 

 ただの縦穴? とんでもない。

 その穴は、山の地下に作られた謎の地下施設への入り口だったのだ。

 誰が作ったのか? どんな目的で作ったのか?

 それを考えれば考えるほど、嫌な予感しかしない。

 他の誰でもなくダストがこの穴に挿入ってしまったという巡り合わせに、どこか美しい運命さえ感じる。ホモの因果がそこにはあった。

 

「俺厄ネタ臭しか感じないんだが」

 

「そりゃ僕もですよ、ダスト先輩」

 

「よし! アクセルのギルドに報告に帰るぞ! お先に!」

 

「あっ、ちょっ、ダスト先輩!?」

 

 基本的にクズいダストはむきむき達を置いて、脱兎の如く逃げ出した。

 ギルドに報告しに行くのも本当だろうし、危険な匂いを感じたというのも本当だろう。

 が、女子供を置いてさっさと逃げ出すのは流石はダストといったところか。

 

「あれはクズだね。まごうことなきクズだ。

 こっちで出来た君の仲間があんなだったら、強引にでも君を連れて帰るところだったよ」

 

「そ、そんなに?」

 

 あのあるえが呆れた顔で溜め息を吐いているのだから、よっぽどである。

 むきむきがアクセルで過ごしている日々が悪いものであったなら、問答無用で里まで連れて帰りかねない性情が、あるえにはあった。

 

「でもここはちょっと怪しいよ? 僕らも戻ることを考えておいた方がいいかもしれない。

 アクセルの街の周辺はギルドが管理してるから、簡単にこんな物は……こめっこちゃん!?」

 

 こめっこがむきむきの肩から飛び降りて、地下施設の中へと駆け出していく。

 忘れてはならない。

 こめっこはここに武勇伝を作りに来たのだ。

 そしてめぐみんも、その妹も、「入ってはいけないよ」と言われていた邪神の墓に気軽に入って邪神の封印を解放してしまうくらいには、向こう見ずな突撃タイプだった。

 

「追わないと!」

 

「いやはや、むきむきの人生は本当に波乱万丈だ!」

 

 怖いもの知らずなこめっこを追い、施設内部に入っていくむきむきとあるえ。

 そこで彼らが見たものは、無数の透明なケースの中に入れられた、数十体の少女型モンスターとそれを培養する施設だった。

 

「! ……これ、は……!」

 

「……安楽少女?」

 

 むきむきは驚き、あるえは驚きを顔に出さず、そのモンスターの名称を口にする。

 透明なケースの合間の通路を歩く二人は、何十体もの安楽少女に圧倒されていた。

 こめっこを探してキョロキョロとするむきむきを尻目に、あるえは部屋の隅で計画書を見つけ、眉を顰める。

 

「これは……培養してるのか。

 安楽少女は植物型のモンスター。

 この透明なケースの中の培養液で、球根育てるみたいに増やしているのかな」

 

「あるえ、あるえ、あそこに一匹ケースの外を歩いてる安楽少女が居るけど」

 

「安楽少女は危険なモンスターだ。むきむき、君に対しては特にそうだろう」

 

 一匹ケースから出てしまった安楽少女がむきむきに近寄るも、むきむきは反応に困ってしまう。

 

「安楽少女は食虫植物を大型化したような生態のモンスターだ。

 高い知能を持ち、庇護欲をあおることで人間を誘き寄せる。

 誘き寄せられた人間は様々な手でその場に留められ、捕食される。

 見方を変えれば、『人間を殺して捕食する』ことに特化したモンスターだね」

 

「あ……なんか寂しそうに僕らの方を見てる」

 

「近くに居れば安らぐ笑顔を浮かべる。

 離れようとすると泣き顔を浮かべる。

 そうやって人間に精神的な訴えかけをして自分の近くに留めるんだ。

 善良な人、お人好しな人、同情的な人は基本的にこのモンスターのカモだよ」

 

「なんでこんな実験してるのか分からないけど……僕らで助けてあげた方がいいのかな?」

 

「安楽少女は自分の体に成る実を人間に与える。

 これを食べて腹を膨れさせ安楽少女の傍に居続ける者も居る。

 安楽少女の実をちぎる痛々しい姿から、食べない者も居る。

 まあどっちにしろ死ぬんだけどね。実には栄養無いし。

 食べなきゃ空腹で死ぬ。

 実には一種の麻薬に近い物が入っているため、食えばトリップしながら死ぬから」

 

「ああ、あんなに弱った姿で……彼女を助けるために、僕は今日ここに、きっと……」

 

「そうやって人間の精神を上手く利用した殺害法を使ってくるわけだ。

 安楽少女は殺した人間の死体に根を張り、苗床にして栄養にする。

 あれはつくづく、人間という数も量も栄養もある餌を捕らえることに特化しているね。

 初心者殺しとかいうのと同じ、人間社会の発展に合わせた進化を遂げたモンスター……」

 

「よしあるえ! この子達を助けられるだけ助けて――」

 

「『ファイアーボール』」

 

「ああああああああああああっ! 安楽少女っー!!」

 

 安楽少女は植物系モンスターである。つまり、よく燃えた。

 

「つまりは君の天敵で、私のカモだ。さあ、行こうか」

 

「ひどい……」

 

 安楽少女はむきむきに対しては天敵であるが、普段から何を考えてるか分からないと評判のあるえに対しては逆に相性が悪いようだ。

 

「というかあるえ、魔法ちゃんと使える上にこんなに魔法の扱い上手かったんだね……」

 

「私を誰だと思っているんだい?

 ほぼ全員がアークウィザードで上級魔法使いの紅魔族、そこで学年三位だった女だよ」

 

「……そういえばそうだった」

 

 めぐみんやゆんゆんが不動の一位二位だったとはいえ、あるえもそれに次ぐ成績だったことに変わりはない。

 あるえはこんな性格ではあるが、秀才だ。

 とびっきりの天才には及ばないものの、紅魔族であるがゆえにその能力は極めて高い。

 

「まあ発育は学年一位だったんだけど」

 

「そのネタはもういいから! 行くよあるえ! こめっこちゃん探さないと!」

 

 安楽少女入りのケースの合間を抜けていくと、その向こうで大きな機械に備え付けられた大きなレバーを掴んでいるこめっこが居た。

 

「兄ちゃん、兄ちゃん! これ見て!」

 

「あ、こめっこちゃん! 一人で先に行ったら危ないって昔から何度も――」

 

「えいっ!」

 

 ガチョン、とこめっこがレバーを下ろす。

 するとケースの中の安楽少女達が一斉に溶解し、ザバっとケース内にさざなみを立てた。

 ケースの中の安楽少女達は一瞬にして消え去り、後には培養液の中の染みだけが残される。

 

「……ここ、怖いな……」

 

 ちょっとどころでなく、闇を感じる施設だった。

 

「それにしても、なんでこんなところで安楽少女の量産なんか……」

 

「決まってるじゃないか」

 

 むきむきが疑問を口にすると、あるえが拾った計画書の表紙を見せつける。

 計画書の表紙には『アクセル攻略作戦C・安楽少女量産計画』とタイトルが銘打たれており、その下部には魔王軍幹部セレスディナの署名があった。

 

「魔王軍による侵略だろう。

 安楽少女を山程放り込めば、どんな強固な要塞って落ちるって寸法さ」

 

 時と状況を選べば、安楽少女はたった一体で、むきむきPT六人を皆殺しにできる。

 

 そういうモンスターなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 安楽少女の恐ろしさは、いくらでも挙げられるだろう。

 それなりに人情があれば誰でも引っかかってしまうこと。

 どんなに強い冒険者でも衰弱死させられてしまうこと。

 近くに仲間が居なければ、引っかかった時点で自力脱出が不可能であること。

 そしてPTが安楽少女に引っかかった人間と、安楽少女を殺そうとする人間に別れた場合、安楽少女の味方と敵という構図で同士討ちが始まりかねないことだ。

 

 大量生産できるのであれば、これを街中に放り込んで大混乱を引き起こし、その後進軍することで拠点を落とすという戦術も可能だろう。

 物理耐性・魔法耐性・状態異常耐性のどれでもこれは防げない。

 

「ただ、これどんなスキルを使って実現させているんだろうね?

 私には想像もつかないよ。私の知るどの職業も、どのスキルも、これは実現できそうにない」

 

 あるえは里の外に出たことがほぼないため、誰がこんなことをしたのか見当もつかない。

 だがむきむきは、"このくらいできそう"な魔王軍の人物に、何人か心当たりがあった。

 

「これができそうな魔王軍の心当たりは……何人か居るかな」

 

 そして、なんとなくに『魔王軍の焦り』も感じ取る。

 

 現在撃破された魔王軍幹部はバニル、ベルディア、ハンス、ウォルバク。

 残りの幹部はウィズ、シルビア、セレスディナ、そして占い師の預言者だ。

 バニル退場でバニル領地の悪魔の参戦は止まり、ベルディアやハンスの配下も事実上無力化、ウォルバクとその配下も綺麗に魔王軍から消え去った。

 

 この施設からは、『数を揃えよう』という意識が感じられる。

 むきむきが受けた直感的な印象でしかなかったが、ここにカズマが居ればおそらく彼も同じ印象を受けただろう。

 この施設は、どこか日本人的な造形が感じられるものであったから。

 

「とにかく戻ろう。あるえやこめっこちゃんに危ないことはさせたくない」

 

 施設のことも気になるが、むきむきが第一に考えるのは二人の安全だ。

 こめっこを抱え、あるえを庇うようにして慎重に来た道を戻っていく。

 

「普段からこういう風に私をお姫様扱いしてれば私の好感度が上がるよ」

 

「その辺自己申告するんだ……」

 

 なのだが、どうにも様子がおかしい。

 来た道をそのまま戻っているつもりなのに、一向に入り口に戻れないのだ。

 それどころか施設の奥に誘導されている、そんな気すらしてくる。

 

「……これ、僕ら道に迷ってない?」

 

「迷ってるんじゃない。迷わされてるんだよ。

 この施設、構造が変わる上に魔法がかけられているみたいだ」

 

「!」

 

「あるえちゃん、私達姉ちゃんの所に帰れないっぽい?」

 

「今は帰れないっぽいよ」

 

 帰ろう帰ろうと思っても、施設の奥深くに招かれてしまう。

 むきむきが『壁壊して帰ろうかな……』と思うような不安な道のり。

 せめてどっちの方向に壁を壊していけば出られるのか、それだけでも把握できなければ最悪天井まで崩れてしまい、彼らは哀れ生き埋めになるだろう。

 

「言われてみると、この施設現状僕らの行ける道が一本道しかない……」

 

「罠だね、断言できるよ」

 

「やっばいかなこれ?」

 

「こめっこちゃんはともかく、私を保護対象としては見ない方がいい。

 ゆんゆんやめぐみんには及ばないけど私もアークウィザードだ。

 今日は君の背中を守る大役を私が果たす。背中を任せてくれて構わない」

 

「……ありがとう、あるえ」

 

「そしてこの話は私の手で小説になるんだ」

 

「このしたたかさ……!」

 

 どこかしら他人とズレていて、平然とした顔で淡々と冗談を言うあるえの発言は、本気なんだか嘘なんだか分かりづらい。

 ただ、一つだけ言えることはある。それに対するむきむきの反応が、あるえにとっては好ましいものであるということだ。

 

「姉ちゃんの冒険の話も聞きたくなってきた」

 

「それは帰ってからだね、こめっこちゃん」

 

「冒険って楽しいね!」

 

 あるえやこめっこは、良い意味で暗い空気を吹っ飛ばす性格だ。

 既に敵の手の内に落ちているも同然の現状だが、むきむきは二人のお陰でかなり上向きの精神状態を保っていられた。

 やがて、気持ちの悪い大きな部屋へと彼らは辿り着く。

 やたらと広い、天井と壁の境界に覗き窓が無数に設置されている、気持ちの悪い色彩で床と壁を彩った部屋。大きさは小中学校の体育館ほどだろうか。

 

 むきむきはその気持ちの悪い色彩が、生物を殺して飛び散った体液が染み付き変色したものであると、ひと目で見抜いていた。

 つまりこの空間では、定期的にたくさんの生物が外的要因によって殺されているということだ。

 

(広いな)

 

 部屋を見渡すむきむきだが、その近くを"見えない何か"が通る。その存在は、光の屈折で姿を消す魔法が込められた魔道具を使い、姿を隠してあるえを狙っていた。

 膨れ上がった筋肉に、それを覆う金属の表皮。

 銀色の拳を突き出して、その存在はあるえの胸に大穴を開けようとしていた。

 

「……そこに、何かいるな」

 

 だが、そんな奇襲を成立させる彼ではない。

 足音だけを頼りにむきむきが拳を突き出して、その存在が拳で応戦する。

 拳と拳がぶつかって、むきむきの拳が押し込まれて弾かれる。

 敵が見えなかった、というハンディキャップは勿論あった。

 

 だがこの一瞬、拳の威力はその見えざる敵の方が強かったのだ。

 

(―――強い!)

 

 パワーはむきむきとも大差がない。拳の強度も同様だ。なら何故押し負けたのか?

 速さだ。

 速さという一点で、その存在はむきむきとホーストの両方を遥かに凌駕している。

 

 見えない敵が、今の激突の衝撃で姿を現していく。

 膨れ上がった筋肉が見えた。

 それは、薬剤でむきむきと同等になった筋肉。

 胸に埋め込まれた時計が見えた。

 それは、女神が『彼』に与えた加速の神器。

 全身に銀色が見えた。

 それは、彼の全身に施された改造手術の証。

 指先に小さな穴が見えた。

 それは、その指先に無駄に搭載された醤油差し機能の排出口。

 

「……!?」

 

 鋼鉄の巨人と化したDTグリーンが、そこに居た。

 

「……グリーン?」

 

「男子三日会わざれば刮目して見よ」

 

「その姿の説明には確実になってないッ!」

 

 メカニカルな姿になったグリーンは、むきむきと比べても一回りは大きい。

 体長はゆうに3mは超えている上、アルダープが使っていた薬剤も併用しているのか、むきむきに比肩する筋肉まで備わっている。

 全身がメカニカルになったことも合わせて、以前の彼の面影はどこにも見当たらなかった。

 スピーカーがガガガと鳴って、女性の声が飛んで来る。

 

『あーあーてすてす。私の最新最高傑作のグリーンとの決戦場へようこそ』

 

「この声……ピンク!」

 

「兄ちゃん、知り合い?」

 

「一番エグい時のめぐみんから優しさを引っこ抜いて数百倍厄介にしたような奴!」

 

「大変!」

「それはヤバい!」

 

 ピンクとグリーンのことを曲がりなりにも知っているむきむきの発言が、こめっことあるえを驚愕せしめる。

 

『その装甲は昨日手に入れた魔術師殺しの欠片の技術を応用してるから、強いと思うんだがね』

 

「……うん? 魔術師殺し? いや待て、それを昨日手に入れたって、それは……」

 

『生きてる限りはどんなに改造しても特典の効果は失われない。そこは立証済みさあ』

 

 スピーカーから出て来るピンクの言葉は誰に対して向けられた言葉でもない。

 自分が作った芸術品の自慢だけをひたすら繰り返す、自己中絵師のようでさえある。

 あるえはピンクが垂れ流す言葉の中から"魔術師殺し"というワードを拾って、そこに一つの疑問を持ち、グリーンに魔法を撃ってみた。

 

「『ライト・オブ・セイバー』」

 

 試しにで撃っていい威力ではない光刃が飛翔し、グリーンに命中する。

 だが上級悪魔をも真っ二つにするその魔法は、グリーンにかすり傷一つ付けられていなかった。

 

『無駄無駄』

 

「……やっぱり魔術師殺し。魔法の完全無効化機構。なら、それはつまり……」

 

「あるえ?」

 

「あ、むきむきは里でハブにされてたから知らないんだっけか」

 

「うぐっ」

 

「あれは魔術師殺し。魔法完全無効化装甲だと思えばいい。

 あれが欠片であってもここにあるという時点で、別の問題が出てくるのだけれど……

 まあそれは置いておこう。今は私達が生きるか死ぬかの瀬戸際だからね」

 

 魔法完全無効化能力を身に付け、時計を体に直接組み込むことで、グリーンは前回カズマ達にしてやられた自分の弱点を全て克服してきたのだ。

 

「今のオイラはそう……サイボーグリーンとでも呼んでいただこう」

 

「さ、サイボーグリーン……!?」

 

 邪神と悪魔の次はサイボーグ。

 魔王軍の構成員バリエーションには底がないのだろうか。

 とはいえ、非人道的行為ここに極まれり。

 現魔王軍とも元魔王軍とも繋がりがあるのがむきむきだ。ピンクとグリーンの能力も、この二人の関係もちゃんと理解している。

 

 ピンクは望んだ薬剤を作る能力、グリーンは加速する時計の神器が特典の転生者。

 その上で二人は恋人同士で、仲睦まじく付き合っていると聞いていた。

 なのにこれだ。

 グリーンはピンクに改造され、人間とは思えない形にまで変貌してしまっている。

 

「ピンクとグリーンは恋人だ、って聞いてたけど……

 恋人をこんな風に改造する人間も居るんだ。知らなかったよ」

 

『君は恋人を作ったことがないのかな』

 

「無いよ。でも、恋人が出来たとしても、こんなことは絶対にしない」

 

『それは君の行動原理だ。ボクの行動原理とは何の関係もない』

 

 最近めぐみんやゆんゆんと良い意味で微妙な関係になってきただけに、むきむきはこんな恋人関係を見せつけられて複雑な心境になっている。

 

『ただ、そうだね……

 ボクらは何もかも忘れてしまいたいんだ。

 覚えていることも覚えていないことも全部全部。

 生まれ変わる前の記憶を全部まとめて一緒くたに壊したい。

 だから自分も壊したいんだ。そんな気がする。自分のことなんて何も分からないけれども』

 

 むきむきがピンクと対峙したことは多くない。その性格を知る機会はほぼなく、DT戦隊の中で顔を合わせた回数も一番少なかった。

 むきむきはピンクに対し『今まで出会った人間の中で一番壊れてる』という印象を受ける。

 悪い、でもなく。外道、でもなく。悪性、でもなく。壊れている、という印象を受けた。

 

 むきむきの前方から、全身をサイボーグ化されたグリーンがのっしのっしと歩いて来る。

 

「……満足なのか、そんな風に改造されて」

 

「あの人の自傷願望と自殺願望に最後まで付き合うと、オイラぁ決めてるんでね」

 

「……!」

 

「『愛』ってやつさ、これもな」

 

 ピンクとグリーンは合意の上でこうしているのだ。

 グリーンは愛する人に改造されることさえ受け入れている。

 そこに本来他人がどうこう言う資格は無いのだろう。が、少年はそこにおぞましさや気持ち悪さを感じてしまう。

 

 恋の到達点は恋人という関係に至ること、とは言うが。

 恋というものの先にこんなおぞましい関係があっていいのか。純情な少年には分からない。

 

 むきむきはピンクとグリーンの会話を聞いていると何か違和感を覚えて、何か不協和音が聞こえるような気すらしてしまう。

 彼らについて何かを知らない。だから何かを理解できてない。そんな実感が離れてくれない。

 ピンクとグリーンというこの二人は、何か、どこかがおかしい。

 どこがどういう風におかしいのか、分からない。

 だからむきむきの理解の範囲外にいる。

 

「……!」

 

 気付けば、壁が回転扉となってそこからぞろぞろと安楽少女達が出て来ていた。

 ピンクの薬剤で量産されたものだろう。

 その姿や挙動を見るだけで、むきむきはなんとなく殴りづらい気分になってしまう。

 

(グリーンと一対一で戦えるなら互角、だと思う。でも……周りの安楽少女がな)

 

 このサイボーグリーンとタイマンであれば勝つか負けるかの勝負ができる。

 が、安楽少女が居るなら話は別だ。

 安楽少女はむきむきの精神に対し特攻を持つため、安楽少女が戦いに混じってくるだけでむきむきは勝ちの目がなくなってしまう。

 

 グリーンには薬剤で再現したむきむきの筋肉、魔法無効化能力、もやし時代だった頃のグリーンがむきむきと接近戦でやりあえたほどのスピード補正を加える神器がある。

 最近はいつもかけてもらっていたアクアの支援魔法も無いので、むきむきも今現在は相対的に大幅なスペックダウン状態だ。

 横槍がなくても勝てるかどうかは確信が持てないところである。

 

 さりとてあるえに安楽少女を一掃してもらおうにも、安楽少女は次々追加されている上、一掃する前にグリーンとの接敵で混戦となるのは必至。

 むきむきを魔法に巻き込む可能性も考慮しなくてはならなくなる。

 安楽少女が一体でも居ればむきむきは無力化されるので、その隙にグリーンはあるえとこめっこを始末できてしまう。

 むきむきはこうして戦ってみてようやく、安楽少女と魔王軍の戦士の混成部隊の強さというものを身に沁みて実感していた。

 

 壁や天井をぶっ壊して逃げようとすれば、ここは地下なので最悪少女二人と一緒に生き埋めになりかねないというこの手詰まり感。

 

(どうしよう、地味にピンチだ。あるえがテレポート使えたりしないだろうか)

 

 少年の心は追い詰められていたが、その心に絶望はない。

 意図して心を落ち着かせ、フラットな精神状態で打開策を脳内にて模索し続ける。

 そんな少年の横顔を見て何を思ったのか、こめっこは少年の服の裾をくいくいと引っ張った。

 

「兄ちゃんお困り?」

 

「うん、お困り。でもこめっこちゃんは危ないから下がって……」

 

「しょうがないなあ、私が助けてあげましょう」

 

 そう言い、こめっこは懐から取り出した大きな紙を床に広げる。

 紙に描かれているのは『魔法陣』だった。

 グリーンが、ピンクが、警戒して流れを止める。

 むきむきが驚き、あるえが肩をすくめる。

 こめっこは慣れた様子で、その魔法陣へと魔力を通す。

 

「わが呼び出しに応えよ、わが名にしたがいし偉大なるあくまよ!」

 

 むきむきがこの世で最も尊敬する少女の妹は、大物なめぐみんでさえ将来大物になると言って憚らない愛妹は、カードやスキルの補助もなしに、魔法陣という理論と自前の魔力という力だけで、()()()()を成立させる。

 

 

 

「悪魔召喚! 上級悪魔、『ホースト』!」

 

 

 

 あの日、こめっこと繋がりを持って。

 不思議な友情のような何かを築いて。

 里の事件で別れたっきり、少女とは一度も会っていなかった悪魔が居た。

 

 少女は別れの前にこっそり言っていた。

 自分がホーストを召喚できたらいつでも会えるようになるのか、と。

 ホーストは里を出て行く前に、直前まで戦っていたむきむきにこめっこ宛の伝言を残した。

 

―――……後な、あのちびっ子に言っておけ。召喚できるならしてみろ、ってな

 

 こめっこはホーストのその伝言を、一日たりとて忘れたことはなかった。

 彼女は悪魔召喚使いのアークウィザード。

 爆裂魔法使いの姉に負けず劣らずの、変態型特化魔法使いであった。

 

「わが名はこめっこ。わが召喚に応じたあくまよ。われと契約を交わすがよい」

 

「おう、いいぜ」

 

「これがにえです」

 

「饅頭かよ。まあ元々人の頭を生贄にするものの代理品として作られたもんだが……」

 

 少女が投げた饅頭を、召喚された悪魔が受け取り、食す。

 ここに契約は完了した。

 

「まあ、いい」

 

 悪魔の羽が羽ばたき、悪魔が飛翔する。

 そして悪魔の爪は無情に安楽少女達の群れを切り裂いた。

 可愛らしい少女達を一瞬にして何人も切り裂く無残なその一撃は、まさしく悪魔の所業。

 そう、悪魔だ。

 悪魔に半端な甘さを期待してはならない。

 安楽少女に怯むむきむきのような甘さを期待してはならない。

 人の心に訴えるのが安楽少女なら、『悪魔』は間違いなくその天敵だった。

 

 悪魔はくっくっくと笑い、ウォルバクの信仰者たるその少年の横へと降りる。

 人と悪魔。

 種族は違えど彼らの信じるものは同じで、彼らが守るものも同じだった。

 

「敵は多いが……おいそこのヘタレ坊主。助けは必要か?」

 

「……猫の手も、悪魔の手も、借りたいくらいかな! ホースト!」

 

 魔術師殺しの装甲は、並大抵の魔法では壊せない。

 有効となる攻撃は爆裂魔法、あるいは―――『物理攻撃』である。

 殴ればいいのだ。

 先日、この少年と悪魔が互いを殴って倒そうとしていた時のように。

 

「遅れんじゃねえぞ人間!」

「頼りにしてるよ悪魔!」

 

 この二人を並べて殴り壊せないものなど、ありはしなかった。

 

 

 




 WEB版の気の強そうな雰囲気+キツめの顔立ちで黒髪ポニーテールでチョロいというギャップがとても良く、めぐみんに一回も勝てたことなさそうなゆんゆんも好きです
 勿論一回は勝った書籍版も好きです
 WEB版初期めぐみんも好きだったのであるえも凄く好きです


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4-3-2

描写の濃さは控えめにしましたが、今回ちょっとキツめの描写がありますのでお気を付けください


 群れる安楽少女の大群。

 本来ならば人間を拠点単位で堕落させ、同士討ちさせ誘発させる美少女の群れは、ホーストとあるえの前ではただのカモだった。

 

「『インフェルノ』!」

 

「それじゃ私も『インフェルノ』」

 

 ホーストとあるえの炎魔法が安楽少女を焼き払っていく。

 人の心に訴えるという最悪の特性が働かないのであれば、安楽少女はただのひ弱な植物モンスターでしかない。

 元安楽少女の灰を踏みしめ、むきむきはグリーンに向けて拳を放った。

 

「ゴッドブロー!」

 

 敵が人間であるならば、特攻にはならないスキル攻撃。されども高速の拳撃だ。普通は見切れない速度のそれを、グリーンは欠伸混じりにはたいて落とす。

 アルダープを実験台にもしていた筋力増加薬を投与され、基礎ステータスを上昇させた上で神器で加速させているグリーンは、とんでもないスピードとパワーを手に入れていた。

 

「そぅら!」

 

「っ!」

 

 グリーンは目にも止まらない回し蹴りを放つ。

 少年は諸動作からの先読み及び、回し蹴りが事前動作に要する僅かな隙を利用しガードを間に合わせた。グリーンの蹴りが少年を浮かし、後方のホーストの隣にまで吹っ飛ばす。

 

「おいおいウォルバク様のプリーストやってんだ。もっと格好良く決めてくれや」

 

「頑張るから大目に見て!」

 

 ホーストがからかい、今度はむきむきとホーストが息を合わせて前に出た。

 魔法は効かないため、使えるのは肉弾戦の技のみ。

 されども二人がかりの猛攻でさえ、サイボーグ化したその男は綺麗に対処してしまう。

 

「ゴッドブロー!」

 

(っ、グリーンの職業……僕と同じ、モンクか)

 

 むきむきは初戦の時の記憶を思い出してみるが、初戦でのグリーンは戦闘中にスキルさえ使っていなかった。

 職業を特定できる情報さえ見せてはいない。ただ加速して、むきむきを殴っていただけだ。

 前回の戦いと今回の戦いの間にグリーンが職業変更していたなら、むきむきがそれに気付けないレベルでグリーンは情報を出していなかった。

 

 つまり、前回の戦いではそれだけ手を抜かれていたということだ。

 初戦はむきむき達が勝ったものの、当時のグリーンはアクアに強化されたむきむきよりも速かった上、カズマという強弱を無視するジョーカーを使って勝っただけだ。

 グリーンとまともな戦いで競って勝った者は、人間勢力には存在しない。

 

 むきむきが一回の戦闘でベルディアの魔剣を一本折り、ミツルギがベルディアとの戦いで魔剣を百七本折ったことからも、『特典』の恐ろしさは伺える。

 

(それにしても、本当に速い!)

 

 切れ目の無い二連打撃音が響く。

 ホーストとむきむき、その両方の顔面がグリーンに殴られた音だった。

 人と悪魔でグリーンの左右から攻め立てても、グリーンは右手と右足・左手と左足に対処を役割分担させ、挟み撃ちをあっさりと捌き切ってしまう。

 この男、とにかく速かった。

 

「もっと早く、もっと速く。そう願ってオイラは生きてきたもんさ」

 

 あるえのやる気の無い応援とこめっこの応援をバックに、余裕綽々でグリーンは人と悪魔の攻撃を全て叩き落とし、両者の腹をぶん殴った。

 速く重い拳がめり込み、少年と悪魔を後退させる。

 

「もっと早く生まれてれば、オイラにも何か出来たはずだったんだ」

 

 速さが足りない。早さが足りない。グリーンがこの特典を選んだ理由には、そういう自責とコンプレックスがあるようだった。

 ホーストはとりあえず会話を繋いで、精神的に揺さぶりをかけようとする。

 

「なんだ、守りたい女でも守れなかったりしたのか? そういう悩みはよく聞くが」

 

「女、なぁ」

 

 人間の恥部、思い出したくない過去を思い出させ、悪感情を引き出すのが悪魔である。

 ホーストの読み通り、それはグリーンの急所であり、同時に地雷でもあった。

 

「ピンク、居るじゃん? オイラの仲間で恋人ってことになってるあの人」

 

 今はスピーカーの向こうにいるピンク。かの女性こそが、地球に居た頃のグリーンが抱えていた問題の原因であり、今なお抱えている問題そのもの。

 

「アレはな、普通の女じゃねえ。オイラの父さんなんだよ」

 

「……え?」

 

 かの女性は、グリーンの『父親』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリーンこと丹那誠二には、丹那誠一という父が居た。

 当然ながら誠一の人生は誠二の人生が始まるよりも遥か以前に始まり、誠二の人生が終わるよりも早く終わった。

 

 誠一は高校時代、同級生に「ギャルゲみたいな人生だな」とよく言われた。

 彼には可愛い幼馴染が居て、小中高とずっと一緒。家ぐるみの付き合いもあり、部活のたびに弁当を作ってもらったりもした。

 趣味も同じで、互いの考えていることもなんとなく分かる。

 それでいて異性としての意識はある。

 誠一は付き合うにしろ結婚するにしろ、その女性の他には誰も候補に上がらないくらいに、その幼馴染のことが大好きだった。

 

「幼馴染だから、彼女は僕の最大の理解者なんだ」

 

 高校から付き合って、大学を出たら二人はすぐに結婚した。

 周囲はその結婚を当然のことのように扱い、それでいて心底祝福してくれた。

 今日は幸せだから、明日はもっと幸せになる。そう信じられる日々の始まりだった。

 やがて夫婦の間には子供が生まれ、誠二と名付けられた。

 誠一の両親も、妻の両親も、初孫の誕生にたいそう喜んだそうだ。

 

 何の不安もなく、ただ幸せな今日を過ごし、幸せな明日を待つ。

 愛する妻と愛する息子のためだけに、限られた人生の時間を使う。

 そうして、息子の年齢が十代の半ばを過ぎた頃。

 

「―――は、あ?」

 

 妻の浮気が、発覚した。

 

「え?」

 

 浮気相手は、妻の大学時代の同級生。

 調べてみれば出るわ出るわ浮気の証拠。その過程で誠一と誠二の間に血の繋がりがなかった事実さえ出てきてしまう。

 つまり、誠二は妻と浮気相手の子。

 誠二が生まれるよりも前から、夫婦の間に相互の愛は無かったのだ。

 

 愛は一方通行でも成立はする。ホモ貴族とダストがそうだった。

 だが、夫婦は一方通行では成立しない。

 夫は妻を愛していても、妻は夫を愛していなかった。

 幼馴染だからその愛が裏切られない、なんて保証があるわけがない。

 

「自分の最大の理解者は、自分を絶対に裏切らないって、何故僕は思い込んでたんだろう」

 

 理解者はイコールで味方ではない。

 相手が自分を理解してくれていても、自分が相手を理解しているとは限らない。

 それに気付くまでに、彼は何十年もかかってしまった。

 取り返しのつかない数十年だった。

 

 離婚までの流れはとても簡単で、誠一と彼女が家族でなくなるまでの日程は、上から下へと流れる川の水のようにするすると決まる。

 彼にとってその離婚は、幸せになるためのものではなかった。

 一区切りを付けるだけで自分をより不幸にするだけのものだった。

 

 彼はただ、彼女が大好きだった。傍に居て欲しかった。愛して欲しかった。

 それだけだったのだ。

 『彼女の愛』があれば誠一は幸せで、『彼女の愛』がなければそれだけで彼は不幸だった。

 

 それでも、もうその浮気が気付かれ公になってしまった以上、二人が夫婦で居ることは許されないことだった。

 

 誠一は親の顔を見ることができなかった。

 初孫だと喜ぶ両親の笑顔を覚えていたから。

 それで「この子はあなた達と一切血が繋がっていない不義の子です」だなどと、どうして言えようか。

 なのに両親は誠一を暖かく迎えてくれた。

 涙が出そうなくらい嬉しくて、両親に対し感謝の気持ちしか感じられなかった。

 

 親権がどうだの、夫婦の間の子はどちらが育てるだの、弁護士があーだこーだと喋っていたが、愛した女性に裏切られた誠一の壊れかけの心には届かない。

 彼を動かしたのは、一人息子の真っ直ぐな一言。

 

「オイラ、父さんと一緒がいい」

 

 それが、離婚調停が終わったらすぐに自殺しようと考えていた誠一を、この世に繋ぎ留めるただ一つの楔となった。

 

 

 

 

 

 誠一は息子の誠二を育てるためだけに生き始めた。

 だが、その心には致命的なヒビが入ったままだった。

 

 酒をかっ食らうように飲む。肝臓を壊すくらいに飲む。

 なのに、いくら酔っても愚痴の一つも吐きはしない。

 人間が酒に酔ってスッキリできるのは、嫌なことを忘れてその場の勢いで心の膿を吐き出すことができるからだ。

 酒に酔っても何も忘れることができず、愚痴の一つも吐き出すことができないのなら、それで解決することは何も無い。

 酒に飲まれても、彼は息子に一切の迷惑をかけることはなかった。

 理想的な父親であり、同時に幸せになる未来が絶望的な人間だった。

 

 次には麻薬に手を出してみた。

 元妻のことを思い出すと衝動的に死にたくなって、その気持ちを忘れるにはもうアルコールでも足らず、麻薬の力を借りるしかなかったのだ。

 麻薬を毎日のように使ってようやく、誠一は少しだけまともな人間のように振る舞うことができていた。

 ヒビの入った心をそうやって取り繕えば、ヒビはどんどん大きくなっていく。

 

 手首を試しに切ってみた。

 手首を隠す長袖やリストバンドが手放せなくなっていく。

 尻の穴に玩具を入れてみたり、耳の穴の中を棒でかき混ぜてみたりもした。

 この辺りでようやく、誠一は『自分を壊したい』という欲求を自覚する。

 壁に頭を打ち付けてみた。

 『結局の所僕は死にたいだけなんだろう』という自覚も得る。

 麻薬の量を増やした。

 もう取り返しがつかないくらいに自分の心が壊れていることも、誠一は自覚し始めていた。

 

 それでも息子の前でだけは、いい父親を演じ続けた。

 息子を育てる責任がある。

 この子には育てられる権利がある。

 その一心で、()()()()()()()()()()()を愛し育て続けた。

 

「父さん、今日はそこで座っててくんな!」

 

「おお、どうした誠二、今日はやけに張り切ってるじゃないか」

 

「今日はオイラが家事全部やるから、父さんはそこに座ってていいよ」

 

 子は父の愛に応える。

 ある日、子は父の庇護からの卒業と、父のための行動を起こすことを宣言した。

 

「父さんに頼り切りの生活は今日まで。

 今日からは父さんがオイラを頼る番だ!

 オイラはもう父さんを頼らないから、父さんはオイラをガンガン頼って欲しい!」

 

 それは子の誠二にとっては愛の証明であり、父の誠一にとっては断頭のギロチンだった。

 

「……ああ」

 

 父は思う。

 『もう自分に果たす責任は無くなったのだ』と。

 『この子はもう一人でも大丈夫なのだ』と。

 『じゃあもう僕は死んでいいな』と。

 

 息子の自立の一言が、父親を愛しているがために口にされた一言が、誠一に自殺を決意させる。

 

 そしてその日の夜、彼は行きずりのトラックを使って自殺した。

 

 

 

 

 

 そして、死した魂は女神アクアの下へ送られる。

 

「……ここまでぶっ壊れた魂、久々に見たわね」

 

 彼の絶望は、千の自殺を行っても目減りすらしないほどのものだった。

 彼の人生は、終盤には自分を痛めつけるだけのものへと変わっていった。

 自分を削り続けるだけの人生に、麻薬を含めた身を滅ぼす物の数々が加わり、アクアが本気の同情をしてしまうくらいに、その魂はボロボロだった。

 心はそれに輪をかけて酷く、まともに記憶を保持しているかさえ怪しい状態だった。

 

 アクアの下にこの魂を運んできた天使でさえ、魂を運ぶ手つきがひどく慎重だったほどに。

 

「ちょっとそこの天使、なんでこんな魂ここに持って来たの?」

 

「アクア様が今言った通りですよ。

 ここまでぶっ壊れた魂の処理担当部署なんて無いからです。

 ですので一番暇そうにしてる神の所に持って来たってわけです」

 

「何よ暇そうって! 私は勤勉に働いてるわよ!」

 

「すみません、暇そうな女神と言えばアクア様という印象だったので」

 

「どういう意味!?」

 

 舐め腐った態度の天使であった。

 アクアが部下にナメられつつ愛されるタイプの上司であるとも言う。

 

「ここまで壊れていると生前がどんな人間だったかも分かりません。

 若者なのか老人なのか、男なのか女なのかも不明。さっさと転生させましょう」

 

「でもこのままじゃ転生にも耐えられないわ。ちょっとは手を加えないと……うん?」

 

 アクアが魂に触れると、誠一のグズグズに崩れた心から、残された本音が伝わってくる。

 

「『この世界にだけは生まれ変わりたくはない』?

 『危険と引き換えにでもまだ見たいものがある』?

 ……なるほど、それがあなたのたった一つの望みなのね」

 

 自然に"それ"を読み取り叶えようと考えるのは、彼女が女神だからだろうか。

 アクアは特典一覧が載っているカタログを魂の前に広げ、『世界を救う』といった高潔な目的をお題目に使うことさえせず、この哀れな魂に私情で"生き残るための力"を与えることにした。

 

「はいどうぞ! ここから魂の本能で欲しい特典を選びなさい!

 ちょっとそこの天使! 魂を整形して特典埋め込んで、すぐ転生できるようにして!」

 

「えー私がやるんですか。まあいいですけど」

 

 男なのか女なのかも分からない魂を、とりあえず転生に耐えうる域にまで整形していく天使。

 壊れた心を直すことも、穴空きになった記憶を戻すことも、失われた正気を完全に復活させることもできなかったが、とりあえず形にはなった。

 

「いっそ転生させず世界に還してもいいと思うんですが」

 

「この魂は不幸な人生を最後に終わりました……なんてかわいそうでしょ」

 

「女神の慈悲だけじゃなく、女神の責任感も持ってくださいよ。

 なんで同情するだけ同情して、後はこっちに丸投げしてるんですかもう」

 

「自慢じゃないけど、私そこまでこの分野が得手ってわけじゃないの」

 

「本当に自慢になりませんよアクア様」

 

 アクアは怠けることも多いが、本質的には怠け者というより、有能だが考えの足りない善意の働き者である。

 働けば働くほど周囲に迷惑をかける『無能な働き者』というフレーズは有名だが、アクアはそれに近いのに別に無能ではないという生来の芸人気質だ。

 彼女は操縦桿を握る者が居て初めて有能に見える者である。

 今この瞬間も、ここまでボロボロになった魂の微かな意志を読み取り、どの特典が欲しいのかを理解していたりしていた。

 

「あ、その特典にするのね。

 今の私の権限だとあっちの世界にしか送れないけど気を付けなさい。

 ちょっと危ない世界だから、その力を使って世界の隅っこで大人しくしてるのよ?

 魔王倒してくれたら嬉しいけど、どうせ他にも送り込んでるからそっちに任せて……」

 

「おい勇者を導く女神」

 

 天使のツッコミもなんのその、アクアは特典を与えたその魂を送り出す。

 

 生まれ変わった誠一は、孤児の『少女』として孤児院で日々を生きていた。

 肉体も精神も魂もズタボロだった誠一は、一から生まれ直すことでまともな命を取り戻す。

 孤児院の院長も、周りの友人も、彼女(かれ)に優しくしてくれた。愛してくれた。

 それが苦痛で、彼女は自然と孤児院を飛び出していく。

 

(この『愛』っていうやつが―――なんでか、ボクには苦痛だ)

 

 過去の自分、今の自分、それさえ定かではないグチャグチャな状態で、『自分は自分だ』という当たり前の自認識さえ持てないまま、少女は彷徨う。

 彼女は、"愛そのものにアレルギーを起こしてしまうようになっていた"。

 

(僕はボクで、ボクは僕。

 そうだ、覚えてる。いや、覚えてない。

 何かを探してボクはここに居て……何を探していたんだっけ?

 ああ、そうだ。探してたのはあれだ。だから愛が邪魔なんだ、要らない)

 

 そして転生して十数年後。

 運命に導かれるように、誠一は()()()()()()()()()()()()誠二と、この世界で再会した。

 

 

 

 

 

 グリーンとピンクは壊れている。

 彼と彼は壊れている。

 彼と彼女は壊れている。

 子と父は壊れている。

 愛を理由に、互いの存在が完膚なきまでに互いを破壊していった。

 

 壊れた改造人間が跳び、飛んで撹乱に動いていたホーストに接近、その羽を蹴り破る。

 

「お前、悪魔なんだってな」

 

「っ」

 

 そして追撃の蹴り落とし。

 ホーストは流星のように叩き落される。

 

「お前より悪魔みたいな人間を、オイラは見てきたんだよ! 実の母親とかな!」

 

 床付近でむきむきが優しくキャッチしたため、なんとか無事に終わったものの、そうでなければ今の一撃でホーストが重傷を負っていてもなんら不思議ではなかった。

 

「っと、悪いな」

 

「今は仲間だから、このくらいはね」

 

 むきむきとホーストは跳び上がったグリーンを目で捉えようとするが、彼らが上を見上げたその瞬間には、グリーンは彼らの背後に居た。

 魔術師殺しと呼ばれるもののコピー品で覆われた銀の拳が、少年と悪魔の後頭部を思いっきり殴り抜いていた。二人はノックダウンしかけるが、なんとか気合いで踏み留まる。

 

(執念……!)

 

 強い念と化した、執着する心。執念。

 肉体改造で肉体のタガが外れると同時に精神のタガも外れたのか、今のグリーンは言葉からも行動からも鬼気迫るものが感じられる。

 むきむきとホーストは、誠二(グリーン)の放つ圧倒的な気迫に気圧されていた。

 

「やや、ボクが来る前に終わってるかどうかは半々だと思ってたが、終わってなかったか」

 

「!」

 

 安楽少女達が出て来た回転扉が動いて、そこから壁に這うようにしてピンクが出て来る。

 ピンクの身の上を知った今、彼女を見る周囲の目には驚愕しかない。

 ただ一人、グリーンだけが、驚愕と一緒に納得の感情を顔に浮かべていた。

 

「あなたがここに来たってことは……そうか、居るのか、この中に」

 

 グリーンの呟きが聞こえているのかも怪しい、危うい表情で、ピンクは熱に浮かされたような語りを始める。

 

「恋は美しいんだ。

 愛は醜いんだ。

 分かってくれ、分かって欲しい」

 

 愛を否定し、憎み、見下す。

 恋を至上のものとし、愛を唾棄すべきものと定義する。

 幼馴染にかつて恋した記憶を美化し、結婚してから愛に裏切られたトラウマを抱えるピンクは、恋の絶対肯定と愛の絶対否定の二律非背反で成り立っていた。

 

 ピンクはむきむきを熱っぽく見る。

 

「恋は恋のまま終わるべきだ。君に恋心を抱く人は居るのかな?」

 

 むきむきは返答を返さない。

 だが、むきむきの表情の動きから、ピンクは『むきむきに恋心を抱く人物』が存在することを確信した。

 しからばピンクは、その恋が愛になることを止めようとする。

 

「ならその恋は、君を殺すことで永遠に恋のまま、愛にはならず、終わるのかな」

 

 恋が愛になることを認めない歪んだ破壊者が、この女の本質だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリーンこと丹那誠二は、父を愛していた。

 だが、その愛は常に裏目に出ていた。

 

 彼は父を敬愛し、母に漠然とした嫌悪を感じていた。

 それは母が浮気をして、父が大きく傷付き、それでも血の繋がらない自分を引き取ってくれた日から、より大きくなっていった。

 母が憎い。父のために何かがしたい。

 その気持ちが心に定着してしまった時点で、誠二の心もどこかおかしくなっていたのだろう。

 

「オイラだけは、父さんの味方で居てやらねえと」

 

 そしてある日、三つのことに気付いてしまう。

 それに気付いてしまったせいで、彼の根本は本格的におかしくなってしまった。

 

 一つ目。

 父を自分が好ましく思っているのは、母からの遺伝であるということ。

 つまり、誠一の妻は誠一のことを愛してはいたのだ。今愛しているかは定かではないが。

 ただし誠二が生まれるより前に、その愛からは誠実さが消え去っていた。

 誠実でない愛は大抵害悪だ。

 母がそうなったこと、そしてそんな母から性格を遺伝で受け継いでいることに、誠二は心底吐き気のする気分だった。

 

 二つ目。

 母が何故父を裏切ったのか。気付けば簡単な話だった。

 時間の経過が、まず妻から夫への誠実さを薄れさせた。

 そして夫から貰える愛の実感を薄れさせた。

 要するに、妻は夫に『傷付いて欲しかった』のだ。

 自分の裏切りで夫が傷付けば、それは愛の証明になる。

 最後の最後に愛された実感さえ得られれば―――心残りなく、迷いなく離婚できる。

 そういう思考回路で、誠二の母は父を裏切ったのだ。

 

 三つ目。

 浮気の理由を理解できたということは、誠二の性質が憎い母に近いということだ。

 似た者同士だから理解できる。

 同族だから嫌悪する。

 現に誠二の母が浮気した理由は、誠一も、父方の祖父母も、母方の祖父母も知らない上に理解していないようだった。

 誠二は口を噤み、母が浮気した理由を黙秘する。

 

 血の繋がらない自分を愛し育ててくれた父や祖父母にそれを話せば、傷口に塩を塗るようなことになるのは明白であったからだ。

 代わりに彼は頑張った。

 少しでも早く独り立ちできるよう頑張った。

 父の世話にならなくてもいいように、逆に自分が父を支えられるように。

 

「父さん、今日はそこで座っててくんな!」

 

「おお、どうした誠二、今日はやけに張り切ってるじゃないか」

 

「今日はオイラが家事全部やるから、父さんはそこに座ってていいよ」

 

 父の庇護から卒業しながらも、父の傍に居る。

 それが何よりの愛の証明になると、誠二は信じていた。

 誠一にとって、もはや愛などただの苦痛でしかないと知りもせずに。

 

「父さんに頼り切りの生活は今日まで。

 今日からは父さんがオイラを頼る番だ!

 オイラはもう父さんを頼らないから、父さんはオイラをガンガン頼って欲しい!」

 

 そして、息子に自分が必要ないと察した誠一は、自殺してしまった。

 

 誠一の妻は、幼馴染として誠一のことをよく理解していた。

 まごうことなく一番の理解者だった。

 息子の誠二は、母の1/10も父のことを理解していなかった。

 ゆえに無自覚に父の地雷を踏み、愛する父を殺してしまった。

 最悪に、皮肉な話だった。

 

 それが誠二の心にトドメを刺し、薄れた正気が誠二を後追い自殺に追い込んだのだ。

 

 

 

 

 

 誠二は外面だけを見ればかなりまともだ。

 ただ内面の一部が変な壊れ方をしている。

 話し方や振る舞いが自然に――哀れなほどに――笑いを取りに行く形になるが、内心はただの小市民であるイエローとは真逆。

 ピンクも少し話しただけなら頭のイカレたマッドサイエンティストという印象しか抱かないが、その中身はとんでもなくグチャグチャで、そのあたりは血縁を感じさせる。

 

 アルカンレティアを出た後のむきむき達がドリスの街で助けた子供は、グリーンが面倒を見ていた子供だった。

 彼がこっちの世界に来てから子供にだけは優しいのは、気まぐれではない。

 そこに自分を重ねているのだ。

 まともに親に愛されなかった子供を見ると、ついつい面倒を見てやりたくなってしまう。

 それは優しさと言うべきか、甘さと言うべきか、それとも代償行為と言うべきか。

 

 そんな日々も、"こちらに転生してきていた父"を見て終わる。

 誠二は父の後を追ってすぐに自殺したが、転生時の時差によってこの世界に来たタイミングに十数年の時間差が生じてしまっていたようだ。

 女としてこの世界に誕生し、本当の本当に血の繋がらない存在となった父に、誠二はひと目で気付いた。

 息子としての本当にまっとうな愛が、それが父であると気付かせたのだ。

 ありえない、奇跡のような出来事だった。

 

 その奇跡も、幸運なままでは終わらない。

 女として生まれ変わった誠一は、十数年というインターバルで魂の崩壊こそ戻ってはいたが、精神の状態はむしろ悪化していた。

 アイデンティティは崩壊し、既に丹那誠一という自分の名前さえ忘れている。

 その上、彼女(かれ)は『とんでもない精神状態』にあった。

 

「これ、は」

 

 愛に裏切られた。愛を拒絶している。愛を憎んでいる。

 愛にアレルギーを起こしている上、自傷願望に自殺願望に破滅願望まで持っていて、精神崩壊のせいでそれら願望を理性的に実行することもできないという自走地雷。それが今の彼女だ。

 この壊れた思考がなければ、彼女が魔王軍に入ることもなかっただろう。

 彼女と一緒に、誠二(グリーン)が魔王軍に入ることもなかっただろう。

 

 ピンクとグリーンが肉体関係を持つことも、なかっただろう。

 

 愛は嫌いだが、人のぬくもりがないと生きていけない。

 愛されたら自殺しようとする。

 愛がある人間に世話をしてもらわなければ勝手に死ぬ。

 そのくせ衝動的に自滅への道を選ぶ。

 そんなややっこしいピンクに薬を盛られ、肉体関係を持ったグリーンの絶望は如何程だっただろうか。精神が端からぐずぐずと潰れる音を聞きながら、グリーンはフォローに走った。

 

 失われそうな正気を繋ぎ留め、信じていた父に背中から刺されたに等しい諸行に胸を掻き毟りたくなるような衝動に襲われながら、『肉体関係を結ぶという愛の象徴のような行為』を行ってしまい自殺しようとする父に、必死に言い聞かせる。

 

「これは恋人で、夫婦にはならない。

 これは肉欲からの行為で、愛ではない。

 今のあなたは女性であるから、女性に裏切られることはない」

 

 最悪なことに、その言葉がピンクの求めていたものだった。

 

「……あ、そっかぁ、そうだねえ」

 

 そんなフレーズを無限に繰り返しながら、彼女(ちち)を抱いてやるという悪夢。

 傷心の人間が正常な自分を保つために異性と一晩の関係を求めるということはままあるが、これもその一種だろう。

 これは愛ではない、愛ではないと、そう連呼されながら愛されることで、ピンクはギリギリのところで"ぷちっと切れる"ことを回避していた。

 

 その代わりに、ピンクもグリーンも、精神的に追い詰められていく。

 肉体関係は続き、ピンクはふっと前世の記憶を思い出しては自殺衝動に襲われて、グリーンは表面上は取り繕うも、『父として愛していた』彼女との関係に精神を削られていく。

 こんな日々が続いて壊れない()()などあるものか。

 グリーンは、こんな現状早く終わりにしたかった。

 父に救いのある終わりを迎えさせてやりたかった。

 そのために、見つけなければならないものがある。

 

 自殺願望や破滅願望を持つピンクが未だ自殺していないのは、まだ人生にやり残したこと、見たいと思っているものがある、ということだ。

 

「父さんには、見たがってるものがある。地球では見れなかったものがあるんだ」

 

 グリーンはそれがなんであるかという答えに、確信を持っていた。

 

「それはきっと……『愛にならなかった恋』と、『誠実』だ」

 

 恋は愛にならないから美しい。

 人間関係は誠実であるからこそ価値がある。

 ピンクに必要なもの――ピンクを満足させたまま殺せるもの――は恋と誠実。

 ピンクとグリーンは紆余曲折を経て、それが唯一無二の答えであると確信していたが、彼らのリーダーは最初からそれを分かっていたようだ。

 

「大体分かってきたみたいだな、ピンクにグリーン」

 

「……レッド」

 

 彼らのリーダーの赤色は、醜悪な顔を動かした笑みを浮かべて、特典に付随する虹色の目で二人の全てを看破する。

 

「ピンク、お前は愛に裏切られ、愛を嫌うようになった。

 愛でお前は救えない。お前が求めたもの……

 愛にならなかった恋を持つ者、決して揺らがぬ誠実を持つ者が、お前を救うだろう」

 

 それは、彼らに『ゴールがどこにあるか』を助言するような行為だった。

 

「グリーン、お前は報われない。

 報われることをお前が望んでいるわけではないからだ。

 お前の愛は、お前が愛した対象を救わない。

 お前の愛は大切な人の救済には繋がらない。

 希望を父の救済の向こうに見るなら絶対に忘れるな。

 この壊れに壊れた父が救われた時が、お前が救われる時。そしてお前が死ぬ時だろう」

 

「……予言みたいだな。オイラぁ、そういうのは信じないが」

 

「そんな御大層なもんじゃない。

 お前らが死を受け入れるであろう場面を、適当に想定してるだけだからな。

 あれだ、ギャンブル狂に『ギャンブルで破滅する』って予言っぽく言ってるようなもんさ」

 

 レッドは達観している。

 この二人は最終的に死ぬことでしか救われないことを知っているから、二人のことを助けようとさえ考えていない。

 

「ブルーも、イエローも、お前達二人も。

 生まれ変わらなければ救われる道はなく、死ぬことでしか救われない。

 お前達は二度死ななければ救われない畜生だ。救われたいのなら、二度目の死の形は選べ」

 

 ただ、仲間としての忠告だけはしてくれていた。

 

 

 

 

 

 そして今日、グリーンは紅魔と悪魔の混成チームと戦っていた。

 彼女がこの部屋まで降りて来たということは、ここに居るということだ。

 ピンクが見たがっていたもの、『愛にならなかった恋』と『誠実』を持つ者が。

 誠一(ピンク)はそれを見たがっている。

 それだけが彼女の心残りで、ピンクを今日まで生かしているものなのだ。

 

(父さんのためなら、なんだってできるよ。なんだってするよ)

 

 追い詰めれば人の本質は出る。

 グリーンは彼らを追い詰めて本質を暴き、父にそれを見せようとしていた。

 最強の筋肉、加速の神器、魔法無効化が揃っていれば、それもきっと容易いことだ。

 

(だってオイラは、父さんのことが大好きだから)

 

 そうして父が見たがっていたものを見せた後は、父を殺す。

 満足した心持ちのまま苦しみの生から解放する。

 後は用済みの紅魔族と悪魔を一掃して、最後には自殺して終わり。

 

 それが、グリーンの打ち立てたシナリオだった。

 

(なんだってしてやるさ)

 

 むきむきが殴りかかるが、軽くかわされて腹に蹴りを入れられる。

 腹を抑えるむきむきの背後に一瞬で回り、今度はそこにカカト落とし。

 三発目の攻撃で決定打を叩き込もうとするグリーンだが、そこでホーストの爪が飛んで来て、三発目の攻撃は断念。ホーストが助け起こして、むきむきはすぐさま復帰する。

 

(血の繋がらないオイラを愛してくれた父さんを救えるのなら)

 

 むきむきとホーストは背中をくっつけ、互いの死角を完全に消す。

 なのに対応できない。四方八方から飛んで来る高速攻撃を弾くので精一杯だ。

 次第に二人の体に傷が増えていき、むきむきをホーストが守ることも、むきむきがホーストを庇うことも、回数が増えてきた。

 

(そのゴールに辿り着くまでは、走り続けてやる―――!)

 

 戦っているのはグリーンだけで、ピンクは何もせずきゃっきゃ声を上げるだけ。

 自分の意志で戦っているのはグリーンで、心がぶっ壊れているピンクは本質的には自分の意志を何も持っていない。

 ……なのに。

 ピンクが、グリーンを懸糸傀儡の如く操っているかのように見えるのは何故だろうか。

 意志が薄い方が主体で、意志が強い方が補体に見えるのは何故だろうか。

 

 『人形が人間を糸で操っている』かのような気持ちの悪さがそこにはあった。

 

「踏ん張ろう、ホースト!」

「はっ、そいつは余計な気遣いってやつだ!

 お前が紅魔族随一の前衛なら、俺はウォルバク様の配下随一の前衛だぞ!」

 

 前世のことを忘れているむきむきや、前世のことが大きな鬱屈や心残りになっていないカズマやミツルギとは違う。

 グリーンとピンクは、前世の因縁故に『この世界を楽しく生きることができない』者達。

 生きることが救いにならず、死だけが救いとなる者達だった。

 

「ノロマなんだよ、オイラは。いつだって遅い。いつだって手遅れだ」

 

 ホーストの破れかぶれの一撃がグリーンの足先をかすり、それに過剰に反応してしまったグリーンにむきむきが放った拳が、顔に当たりそうになるもかわされる。

 グリーンは腹に力を入れ、そこから更に加速した。

 

「浮気を止めるなら、オイラが妊娠される前に動かなくちゃならなかった。

 オイラが生まれた時点で手遅れだった。

 もっと早く生まれて浮気を止めなきゃならなかったんだ、オイラは。

 でなくても、父さんの歩幅に合わせて進んでいけるようにならなきゃならなかった。

 ガキの歩幅じゃ遅すぎる。対等の立場で父さんを励ますこともできやしない。

 もっと早く気付いて、もっと速く動けるようになってりゃ、他にも手なんていくらでも……!」

 

 更に加速して、加速して、加速する。命を削ることさえ厭わない加速を行う。

 

「もっと早く、もっと速く、もっとはやくっ……!」

 

 先程までなら、残像程度は見えた。影くらいなら目で追えた。

 なのに、今はそれさえできない。

 少年と悪魔は急所のガードだけを固めて、互いの背中を必死に守り合っていた。

 今のグリーンは風だ。姿は見えず、動きは疾く、体を強く打ち付ける暴風。

 手を伸ばしても、風を掴むことは敵わない。

 

(……私の方もちょっと動きづらいかな)

 

 あるえはこめっこがどこかに行かないよう抱えつつ、小さなワンドでちょくちょくピンクを狙っているが、魔法を撃つ前にグリーンにカバーできる位置に入られてしまう。

 なんとか援護したいのはやまやまなのだろうが、魔法が効かないグリーンが跳び回っている上にピンクまで庇っているとなると、どうにもできることがなくなってしまう。

 安楽少女が出て来なくなったことくらいしか、いい情報が目に入ってこないのが歯痒い。

 

 グリーンはピンクを守っている。

 誠二は誠一を守っている。子が父を守っている。

 ここまで壊れて、ここまで手遅れになって、ここまで気持ちの悪い関係性にまで堕ちきっても、なおも守り続けている。

 だから強い。

 グリーンは、だから強いのだ。

 

「ホースト、立てる?」

 

「悪魔をあんまり舐めんなよ、余裕だ」

 

 そんな強いグリーンでも倒しきれず、長々と粘られてしまうくらいには、このコンビが生み出す力も強かった。

 

「かわいそうだとは思うけど! やりにくいとも思うけど!」

 

「同情はしねえ! てめえらまとめて、俺達が叩き潰してやる!」

 

 破れかぶれに、タフな男達の拳が振るわれる。

 理屈も、道理も、作戦さえも無い感情の拳。

 大気を切り裂き暴風を纏う暴虐の使徒達の拳。

 

 ピッ、とグリーンの頬が浅く切れ、一筋の赤い線が彼の頬に刻まれる。

 

 グリーンは更に加速した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あるえは暇だ。

 何もすることがない。

 とはいえむきむきがこうもいたぶられているとじっとしてはいられない。

 彼女は大きな感情を顔に出すことがほとんどないが、無感情ではないのだ。

 むきむきをいじめられているようなこの現状には、普通にイラッとしている。

 ピンクとグリーンは痛い目見ればいい、くらいには怒っている。顔には出さないが。

 

(会話。うーん、会話で揺さぶりをかけられないだろうか)

 

 声をかければ、手が空いているピンクは当然話を聞くだろう。

 ピンクを守ることに集中しているグリーンも、ピンクに話しかければその内容を聞くだろう。

 むきむきとホーストは聞かないかもしれないが、それはそれで好都合。

 

(会話の流れを計算して、一番重要なタイミングで、一番揺さぶりをかけられるように……よし)

 

 下手すれば敵の矛先が自分の方に向かうかもしれないのに、ここで自分に出来る何かを探すあるえには、間違いなくクソ度胸があった。

 

「そこのピンクって人。目の焦点が段々合わなくなって来てるけど、大丈夫なのかな?」

 

 離れた場所からピンクにあるえが呼びかければ、ピンクが怪しい目つきで見返してくる。

 

「自分を見失う、という言葉があるが。ボクも自分を見失って随分長い」

 

 会話が成立している分マシだと考えるべきか。

 

「嘘は筋道立てて整理された虚偽の心。

 対しボクの言葉は俯瞰して見れば支離滅裂だが、間違いなく本当の心だ」

 

「支離滅裂でもいつだって本当のことを話している、と」

 

「そうなんじゃないかな。ボクは正直過去の自分の発言を大体覚えてなかったりするんだけど」

 

 それとも、会話が微妙にズレているからアウトだと考えるべきか。

 あるえは会話の最中に爆弾をぶつけるタイミングと、それがグリーンに致命的な隙を作るタイミングを合わせるべく、言葉を選びながら会話の間を調整する。

 紅魔族の彼女には容易いことだ。

 そうこうしていると、ピンクが会話の流れをぶっちぎってあるえに言葉をぶつけてくる。

 

「それより、君、お前、あなただよ」

 

 定まらない二人称。

 サヴァン症候群の一種なのか、精神と脳が持ついくつかの機能を欠損したピンクは、他人には見えない妙なものが見えているようだった。

 

「ボクには分かる。君は、君が……『愛にならなかった恋』の持ち主だ」

 

 その言葉に、あるえはさらりと返答した。

 

 

 

「そりゃそうだよ、だって私、昔はそこのむきむきに恋してたんだから」

 

 

 

 ピンク以外の全員がぎょっとして、動きを止めた。

 あるえが抱えていたこめっこも、里に居た頃あるえと付き合いがあったホーストも、当然渦中のむきむきも、不意打ち食らったグリーンも、動きが止まる。

 

「殴れ、むきむき!」

 

 あるえの声に、むきむきは反射的に拳を前に出した。

 思考という過程をすっ飛ばした、ノーモーションの強攻撃。

 

「くぅあっ!?」

 

 それがグリーンの土手っ腹に当たり、彼の全身を包んでいた魔術師殺しの模造装甲全てに、大きなヒビを走らせていた。

 だが、それどころではない。

 むきむきからすれば今はそんなことはどうでもいい。

 グリーンを殴って吹っ飛ばしたが、今はそれ以上に揺さぶられることがあるのだ。

 

「あっ、あるえ!?」

 

「昔の話だよ、昔の話。

 女心は秋の空みたいなものさ。

 すぐに移り変わって、後にはその名残だけが残される」

 

「あるえー!?」

 

 昔は恋愛的な意味で好きだった、今はそうでもない、とでも言いたげな口ぶり。

 口元に手を当ててくすくすと笑うあるえの内心は読めない。誰にも読めない。

 かくして、あるえはピンクに言った。

 

「だって、恋は愛よりも儚くて、冷めればすぐに消えてしまう、愛より脆いものだろう?」

 

 容赦なく、ピンクの急所を抉る言葉を。

 

「……違う……それは……いや、だって……愛は、恋より価値がないもの、なんだ」

 

「私も私の価値観をあなたに押し付ける気はない。

 私自身も他人から押し付けられた価値観を信奉する気はないしね。

 けれども、『恋』は盲信や崇拝するものではなく、神格化するものでもないと私は思う」

 

 子供だった頃の幼馴染との関係を上に置き、大人になってからの幼馴染との関係を下に置き、恋を上位とした彼の考え方を、あるえは"恋の神格化"と表現した。

 

「……紅魔族の君。君の恋は、愛にはならず恋のまま終わり永遠になったんだろう?」

 

「その通り。哀れあるえには魅力も勇気も足りませんでした、となったわけだ」

 

 肩をすくめて、少女は自虐する。

 

「でも恋していた時は、普通に愛になって欲しかったさ。過去形だけれども」

 

 けれどもそこに、少女が自分を卑下する様子は、何一つとして見られなかった。

 

「君も過去にはそう思ってたんじゃないか? この恋が結ばれて、愛になったら嬉しいなって」

 

「―――」

 

 ピンクが震えた唇を動かす。

 かすかな声が口から漏れる。

 されどもそれ以上の干渉を、グリーンは認めなかった。

 

「その口を閉じろ!」

 

 あるえを狙って、グリーンが高速移動で駆け出した。

 全身にヒビが入り、凄まじい激痛のせいか速度も落ちていたが、それでも速い。

 されど装甲が割れて魔法が通るようになったなら、ホーストほどの悪魔はそのチャンスを逃しはしない。

 

「『インフェルノ』!」

 

 詠唱カットの上級魔法。

 炎の柱がグリーンの行く手を阻むように立つが、グリーンは自分の肉が焼け爛れることも厭わずに突っ込む。炎の柱を突き抜けたグリーンの前には、むきむきが立ちはだかっていた。

 

「行かせない!」

 

 とりあえず割って入ったものの、むきむきの耳はまだ真っ赤なままだ。

 先日めぐみんに大切な人宣言された時並みに真っ赤になっている。

 あるえは迫るグリーンに危機感を抱くことさえせずに、不思議なフレーズを口にした。

 

「『さあ、幕を引こう。青天の霹靂を待つまでもない』」

 

 そのフレーズが耳に届いたその瞬間に、むきむきは前転気味に地面に転がる。

 

「―――!」

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 そうして空いた射線に、あるえが光の魔法を解き放った。

 光刃は一瞬前までむきむきの上半身があった場所を通過し、魔術師殺しの装甲の残った部分を粉砕しながら、彼の胴体を深く切り裂く。

 

「ん、なっ……!?」

 

 続き、地面に転がった勢いを殺さず立ち上がったむきむきの蹴りが、グリーンを吹き飛ばした。

 

「がッ―――!?」

 

 その衝撃で、残っていた魔術師殺しの装甲も、胸の部分に埋め込まれていた時計の神器も剥がれ落ち、蹴り飛ばされたグリーンは壁に激突する。

 

「バカな……オイラが聞いてた情報じゃ、お前ら共闘したことなんてなかったはず……!」

 

 そう、むきむきとあるえは一度も共闘したことなんてない。

 あるえが魔法を覚えて学校を卒業したのはむきむきが里を出た後。

 共闘する時間も、コンビネーションを鍛える時間も、実は互いの動きを合わせるための打ち合わせさえなかったりした。

 なのに、今の一瞬は、神業の如き連携を見せていた。

 

「なんで、こんな息の合ったコンビネーションを……!?」

 

「あるえは小説家志望なんだ」

 

 むきむきは赤い顔を誤魔化すように、鼻の下をこする。

 

「さっきあるえが口にした言葉は、彼女が昔書いた小説の一文さ。

 そのシーンで、主人公は前に転がって射線を空ける。

 ヒロインは主人公スレスレに魔法を撃って敵を倒す。

 突然のことでちょっとびっくりしたけど、あるえが言いたいことは大体伝わった」

 

「! 小説の動きを、模倣した……!?」

 

「いいファンだよ、本当に」

 

 むきむきはあるえの小説のファンだと公言していた。

 そして、かつて読んだ小説の一部をきっちり再現したことで、その言葉が嘘でないことを証明した。

 あるえは一人の読者を信じた。

 その読者の感想と言葉に嘘はないと信じ、自らの小説を利用した一瞬で終わる作戦指示を実行に移した。

 これもまた、コンビネーションである。

 

 めぐみんとむきむきなら、目を合わせただけで意思疎通できる。

 ゆんゆんとむきむきなら、名前を呼んだだけで複雑な指示も伝えられる。

 あるえとむきむきのこれは、そのどちらにも及ばないが、それでも二人だけの繋がりだった。

 

「あ、あるえ……さっきのは、その……」

 

 むきむきが視線を泳がせて、あるえは淡々と言い放つ。

 

「小説家は話を創作してなんぼだと思うんだよ」

 

「……あっ」

 

「今から私に好かれたいっていうなら相応の行動に応じて好きになってあげるけど」

 

「いやもういいよそういうのは! あるえはあるえだった!」

 

 またからかわれた、と少年は憤慨やるかたない気持ちだ。

 あるえはどこまでが本当でどこまでが嘘かも語らず、含みのありそうな笑顔を作る。

 そんなあるえを見て、ピンクはポツリと呟いた。

 

「……そうか。それで君の恋は終わったのか」

 

 成就されずに終わった恋がそこにあった。

 もう再開はしない恋心がそこにあった。

 そこにあるのは、既に想い出になった恋心。

 幼馴染の少女に恋して、恋の果てに愛し合って結ばれて、その愛に裏切られた彼女(かれ)が見たかったものは……きっと、ここにあったのだ。

 

「……ここまでか。ここで、終わりかな」

 

 グリーンは全てを察し、血でびしゃびしゃに濡れた右手で、床に落ちた時計を拾う。

 

「来い! まだオイラは戦えるぞ!」

 

 もはやこの行動に意味はない。

 座して死を待つ気のない男の意地だ。

 無為でしかないその意地を、むきむきとホースト、二人の男が受け止める。

 

「行こう、ホースト」

 

「ああ、血の花でも手向けてやろうや」

 

 少年と悪魔が踏み込んだ。

 ダメージが足に来ているグリーンは動かない。

 意識の先端を鋭く絞り、彼らを待ち構え、自身の全力加速を迎撃に使う。

 

「ゴッドブロー!」

 

 迎撃のゴッドブローが、ホーストへと向かう。

 限界が近かった体を無理矢理加速させて放った一撃は―――当たらない。かわされる。

 

 特典の強力さゆえに、ズタボロになってからの戦闘の経験値が少なかったグリーン。

 ズタボロになってからの戦闘経験も豊富な少年と悪魔。

 その差が、露骨に出た形となった。

 奇しくもグリーンが持っていたその弱点は、グラムの力に頼っていた頃のミツルギが持っていた弱点の一つと、同じものだった。

 

「ゴッドブローッ!」

「くたばりやがれっ!」

 

 オーラスの一撃は、男二人で息を合わせたダブルパンチ。

 

 むきむきの筋肉を薬剤で模倣した肉体でも、防げるわけがない威力の合体攻撃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 床に取り落とされた時計を拾って、むきむきは片手を上げる。

 

「ナイスファイト」

 

 そして、ホーストとハイタッチ。互いの健闘を称え合う。

 

「おう、お疲れ」

 

 グリーンは薄れていく意識の中で、あるえがむきむきに向ける視線、こめっこがむきむきに向ける視線、ホーストがむきむきに向ける視線から、あることを察した。

 

「お前が『誠実』か」

 

「え?」

 

「裏切らない、傍に居続ける、真心で付き合う、真摯に接する……誠実の、条件さ」

 

 ピンクが見たかったものの『もう一つ』。

 決して裏切らない、一度好きになればずっと好きなままで居てくれる人。

 言い換えるなら、"浮気はいけないことだからしない"という意識と理性が、どんな感情や誘惑にも負けない人、とも言える。

 里の外で誠実に成長したむきむきは、彼女が求めた条件に綺麗に合致していた。

 

 ピンクは見たかったものを見終わった。

 誠実に成長したむきむきも、恋が終わった後のあるえも見た。

 もう、彼女が生に固執する必要はない。

 

「こほっ」

 

「!?」

 

 気が緩んだのか、ピンクはむせこんで血を吐き出した。

 

「心配は要らない。ピンクのこれは、どうせ助からないものなんだ」

 

「薬を作る能力があるなら、それで治療薬を作れば!」

 

「無理さ。この喀血がそもそも、間接的にこの能力のせいで起きたようなものだから」

 

「そんな……薬を作る能力を貰ったってことは、何かを治すために貰った力なんじゃ……」

 

「違う。そんなまっとうな目的で貰ったものじゃない」

 

「え?」

 

「ピンクが欲しがったのは、『タダで麻薬を作れる能力』だ。だからこの能力を選んだんだ」

 

「―――」

 

「この人は、現実から目を逸らす手段しか求めてない。

 麻薬で嫌なことを忘れる。精神安定剤で舵を取る。

 そんなことをずっと繰り返してたから、もう体も心もボロボロなんだ」

 

「なんで、そんな」

 

「そうでもしないと生きてなんていられなかった」

 

 口から血を吐き、死にかける女。

 腹から血を流し、死にかける男。

 アクアが居ればこの二人の傷も損壊も綺麗サッパリ消せるに違いない。

 だが二人は、ここを死に場所に決めていた。

 

「女神は三つの選択肢を提示する。

 天国に行くか、その世界で転生するか、別の世界に行くか。

 『こんな世界で生まれ変わりたくない』と思ったなら、そいつに選択肢は無いに等しい」

 

 グリーンは壁に触れ、その奥に隠されていた魔法陣に触れる。

 すると、施設が大きく振動し、崩壊を始めた。

 

「これは!?」

 

「施設の自壊機能を起動させた。

 この施設もすぐ潰れて山に沈むだろう。

 オイラ達と心中したくないんなら、さっさと逃げるこったな」

 

「!」

 

「地上までの道は開けておいた。道なりに行けば脱出できる」

 

「……グリーン」

 

「行けよ」

 

 丹那誠二は、出口を指で指し示した。

 お前達はここで死ぬべきじゃないだろうとでも、言いたげに。

 

「好きな人が出来て、子供でも出来たら、絶対にいい父親になれよ」

 

 その短い言葉に彼がどれだけの想いを込めたか、余人には知ることも叶わない。

 

「魔術師殺しってのは紅魔の里の奥深くに封印されてたもんだ。

 分かるだろ? その欠片をオイラ達が持ってるってことは……

 オイラ達とは別の魔王軍部隊が、紅魔族をそれだけ追い詰めてるってことだ」

 

「―――」

 

「迷ってんじゃない、さっさと行けよ」

 

 可及的速やかに地上に戻らなければならなくなった。

 二人を連れて行くか迷う少年の肩に、ホーストが手を置く。

 ホーストは無言で首を横に振っていた。

 あるえの方を見れば、こちらはむきむきの目をじっと見てから、首を縦に振る。

 

 そして去っていく紅魔族と悪魔の背中を、グリーンとピンクは見送った。

 なのだが。

 何故か、一人だけそこに残っていた。こめっこがそこに残っていた。

 どうやらまた彼らの隙をついてこっそり逃げ出し、ここに残っていたらしい。

 

「……どうしたのさ、小さなお嬢ちゃん」

 

 グリーンは純粋な疑問から、少女に問いかける。

 こめっこは小さな手でグリーンの頭を優しく撫でて、ピンクの頭も優しく撫でた。

 

「泣いてる子には優しくしてあげないと、って姉ちゃんが言ってたから」

 

 二人の顔に流れる雫はない。

 けれどもこめっこは、二人が泣いているようにしか見えていなかった。

 

「じゃあね!」

 

 二人に優しくしてあげて、こめっこはむきむき達の後を追って走り出す。

 

「……泣いてる子、だってさ」

 

 グリーンは静かに呟く。

 

「オイラも父さんも、泣いてる子だったんかね」

 

 施設が崩れていく。

 

「いつから、泣いてたんだろうかね……」

 

 ピンクは血を吐き、死に近付いていく。

 

「今までありがとう……君も、ボクの救いだった」

 

 最後の最後に、誠一は感謝の言葉を残した。

 

「父さんは、恋が愛になったら醜くなるって信じてたけど……オイラは別に、そうでもないんだ」

 

 最後の最後に、誠二は生まれて初めて、父の言葉に反抗した。

 

「オイラは恋なんてしたことないけど」

 

 最初の反抗期で、最後の反抗期だった。

 

「綺麗な恋が綺麗な愛になって、綺麗なまま終わったら……それが、一番じゃないかな」

 

 施設の全てが、彼らを飲み込んで崩れていく。

 

「次の転生があったら、そしたら今度はもすこしまともな親子に―――」

 

 どことなく清々しい気持ちで、全てをやりきったかのような気持ちで、彼らは輪廻の輪の中へと還っていった。

 一度目の死には全く無かった、不思議な気持ちだった。

 

 

 

 

 

 崩れ落ちた施設の跡を、むきむきが見つめる。

 少年にはそれが墓標に見えた。

 崩れ落ちた瓦礫が、彼らを安らかに眠らせる墓石に見えた。

 

 ダストの依頼で摘んでいたいくつかの恋忘花の一輪を引き抜き、少年は献花する。

 

 墓前には花を添えるものだ。

 それが生者の権利であり、義務である。

 彼らの墓前に捧げた恋忘花の花一輪が、少年が彼らへと捧げる誠意の形だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、この一件の顛末だが。

 アクセルに帰ったところでダストと出会い、むきむき達が恋忘花を渡して使わせたものの、結局ホモ貴族の恋は冷めなかった、というオチがついた。

 どうやらこのホモ、既に愛の領域に入っていたらしい。

 これ以上はむきむき達に付き合う義理もないというわけで、ダストとホモは放置して彼らは帰路につくことにした。

 

「むきむき、浮気してはいけないよ」

 

「唐突だねあるえ! いや唐突じゃないのかもしれないけど!」

 

「兄ちゃん浮気はいけないよー」

 

「しないってば……」

 

 今日の敵が敵だ。あるえがこの話題を振るのは唐突なようで、唐突でもない。

 

「むきむきは他人への好意をあっさり大きくしちゃうからね。私は不安さ」

 

「不安そうな顔してなくて、面白そうな顔してるけど……」

 

「関係の名前が変われば君ほど安心して見られる奴も居ないんだけど、それはそれこれはこれ」

 

 あるえはめぐみんの一人勝ち以外の未来を見ていなかった。

 

「まあ私はむきむきと話してて誰が勝つかとか予想もついたから、後は様子見……」

 

 そう、この瞬間までは。

 

 彼らが屋敷の門を明けると、門が錆からギギギと音を出す。

 その音を聞きつけて、屋敷の中から飛び出して来た少女が居た。ゆんゆんだ。

 ゆんゆんは駆け出し、むきむきに声をかけられても止まらず飛びかかり――

 

「え」

 

 ――少年の唇に、キスをした。

 

「!?!?!?!?!?!?!?」

 

 何かが色々とひっくり返った音がした……と、あるえは感じた。

 

「……あ、ごめん、前言撤回。誰が勝つか私にはまったく想像もつかないね」

 

 こめっこが興奮した様子で声を張り上げる。

 

「ちょむすけはクロネコだけど、ゆんゆんはどろぼーねこだね!」

 

「こめっこちゃん、そういう言葉どこで覚えてくるんだい? 私に教えてくれないかな」

 

 グリーンからの情報で、一刻も早く里帰りしなければならなくなったこの時に、紅魔族の少年少女は何故か新たな問題を次々発生させていた。

 

 

 




初めての相手はめぐみんではないッ! このゆんゆんだッ!


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4-4-1 泥にまみれた彼が見た星

このエピソードで四章は終わり、次から最終章に入ります


 『魔術師殺し』。

 全ての魔法を無効化する、魔道技術大国ノイズで作られた対魔王軍兵器。

 バッテリーの問題で既に稼働しない状態になっているものの、当時の時代にあの紅魔族が『我々の天敵』と評した程の恐るべき兵器だ。

 

 今は紅魔の里の地下格納庫に収められ、『世界を滅ぼしかねない兵器』を始めとするノイズの遺産と一緒に、紅魔族の手で封印されている。

 その封印はノイズ滅亡の際に失われたと言われる解除方法でしか解けないと言われ、地下格納庫に部外者が近寄ろうとすれば紅魔族がそれを止めるという。

 

 魔術師殺しの一部がピンクの手に渡っていたということは、紅魔族の地下格納庫にまで魔王軍の手が及んだということ。

 最低でもそのレベルで紅魔の里の中核が脅かされているということだ。

 里の中枢まで攻め入られているか、いつでも暗殺できるレベルで里に侵入されているか。

 ありえないが"もはや紅魔の里は存在しない"という可能性もある。

 

「出来る限り早く行くべきだと私は思う。

 ゆんゆんのテレポートがあるのだ、行くだけならすぐだろう」

 

 ダクネスがそう言うと、対面のカズマ・ウォルバク・アクアが思い思いに返答を返してきた。

 

「え、やだよ行きたくねえよ」

 

「何言ってるの、彼らの故郷は私達でちゃんと守ってあげないと……うっ、怠惰の波が」

 

「私もパス! この麗しき水の女神アクア様は魔王軍にずっと狙われてるのよ!」

 

「このダメ人間集団が!」

 

 仲間の故郷が滅ぼされるかもしれないというこの時に、何故こんなにもこの面子はやる気を出してくれないのだろうか。

 

「むきむきは故郷を守りたがっている。

 故郷に家族が居るゆんゆんもそうだ。

 めぐみんは故郷をそもそも心配していないが、この二人が行くなら行くだろう。

 お前達が嫌がることは予測していたが、だからといってお前達は仲間を見捨てられるのか?」

 

「三人が行くの止めるって手もあるぞ」

 

「それはそうかもしれないが、しかしだな……」

 

「むきむきは帰りたがってるけどさ、あいつ里でロクな扱いされてなかったんだろ?

 ゆんゆんからもめぐみんからも聞いたことあるぞ。助けに行く必要とかあるのか?」

 

「それはむきむきの心の問題だろう。

 奴にとって紅魔族とは嫌いな相手ではない。

 むしろ好きだから、その輪の中に入れて貰いたいのではないか」

 

「……」

 

「紅魔の里にもしものことがあれば、むきむきはその輪の中に入る機会を永久に失うんだ」

 

 ダクネスの視野は広い。カズマのような常識外れな結論を出すことはできず、アクアやウォルバクのように神の視点を持つわけでもないが、人間の範疇で常識的に広い。

 彼女は仲間のことをよく分かってくれている。

 カズマは頬杖付いて口を開いた。

 

「ぶっちゃけるとうちの紅魔族三人が里帰りすればそれだけで即ゲームセットだと思うんだが」

 

「ぶっちゃけるわね……」

 

「めぐみんの爆裂魔法で吹き飛ばせない敵とかもう居ないだろ、ワンパンだよワンパン」

 

「……まあ、元幹部として否定はしないわ。

 今のめぐみんちゃんの爆裂魔法なら、魔王でも一発で消し飛ぶわよ」

 

「……ええぇ……」

 

 対軍兵器めぐみんは、むきむきが贈ったコロナタイトの杖で超強化されている。

 彼女が放つ爆裂魔法の威力たるや、ウォルバクが女神のスペックを総動員して放つ爆裂魔法を様々な点で凌駕してしまうほどだ。

 当てるまでが大変だろうが、当てられれば魔王だろうと女神だろうと一撃必殺。

 紅魔の里を襲っている誰かとやらも、余程のことがなければ一撃で吹き飛ばせるだろう。

 むきむきが居る以上、それを当てることも難しくはない。

 

 ならば不確定要素は、里近辺に居るであろう敵が誰か、ということだけだ。

 

「ウォルバク殿。

 私は魔王軍にそこまで詳しくないが、貴女はそうではないはずだ。

 紅魔の里を危機に陥れられるほどの魔王軍であれば、誰か分かるのではないか?」

 

「そうね、私が魔王城を出た時点での役割分担は……

 ベルゼルグ主戦力対応担当が魔王の娘。

 魔王城の最後の砦、兼魔王城戦力掌握担当が預言者。

 セレスディナが各街への工作。

 シルビアが……紅魔の里とアルカンレティア、どっち担当だったかしら?

 まあいいわ。それとレッドはまた魔王から直接密命を受けてたわね」

 

「密命?」

 

「レッドはなんだかんだ魔王と仲が良いのよ。

 直接の上司はセレスディナだけど、魔王が指示を出してる時もあったわ。

 だから今は幹部の誰かと行動してるか、どこかで秘密裏に動いてるかどちらかでしょう」

 

 魔王軍の内情を喋ってくれるウォルバクは、カズマにとってもありがたい味方だ。

 最近は怠惰化で"微妙に頼りにならなそうな人"というイメージが定着しつつあったが、こうして貢献することでちょっとづつイメージを回復させている。

 

「しかしこうして魔王軍の内情喋ってもらえるのは素直にありがたいな」

 

「今の私はウィズと立場が変わらない中立だもの。女神としてはどうかと思うけど……」

 

「俺は魔王の娘と預言者って奴のこと全く知らないんだが、どのくらい強いんだ?」

 

「魔王より強いわよ」

 

「は?」

 

「魔王より強い」

 

 魔王軍には、魔王よりも強く魔王を絶対に裏切らない、それでいてベルゼルグ王族と転生者の軍団とやりあっても負けない規格外の駒が二つある。

 将棋で言うところの、王の左右に配置される二枚の金。

 それが魔王の娘と預言者だ。

 

「というか、私の目算だとバニル・ウィズ・娘・預言者は確実に魔王より強いわよ」

 

「どうなってんだ魔王軍……幹部の半分が魔王より強いって……」

 

「魔王も寄る年波には勝てないのよ。

 神や悪魔のように歳を取らない種族でもなければ、単体で最強というわけでもないから。

 軍将としての能力でなら、明確に上と言えるのは娘とバニルだけになるでしょうけどね」

 

 話が盛り上がり始めたが、今話すべき内容はこれではない。

 

「話を戻しましょうか。

 ぶっちゃけた話、シルビアとセレスディナに一人で紅魔の里を落とす力はないわ」

 

「ぶっちゃけた!」

 

「だからレッドの支援か、でなければ小細工があると思うのよ。

 紅魔族に対して、これまでになかったような斬新な手段を用いたはず」

 

「斬新な手段、ねえ」

 

「シルビア……あの男は性根が弱者だから、そういう手段を躊躇わない男だったわね」

 

 ほうほう、と頷きかけたカズマ達が『男』という部分を聞いてピタリと止まる。

 ウォルバクは話を戻そうとしたが、戻そうとした話が一気に脇に逸れていった。

 

「え、男?」

 

「男よ? シルビアは美人のエルフやヴァンパイアを吸収して姿を変えた男なの」

 

「「「 うわあ…… 」」」

 

「そういえばベルディアが私に

 『魔王軍幹部は巨乳ばかりで嬉しい限りだ!』

 『男まで巨乳なくらいだからな!』

 『……正直どうなんだと思わんでもない』

 とか言ってセクハラ発言してきたから、一発蹴り入れてやった覚えがあるわ」

 

「魔王軍はレベル高えなあおい……」

 

 色んな意味でレベルが高い。

 

「だから気を付けて。

 捕まったが最後、最悪むきむきは前も後ろも蹂躙されるわ。

 シルビアは男好きで、彼に執着してる上、ベッドテクにおいては魔王軍最強とも―――」

 

「やめろ! 想像させるんじゃない!」

 

 ホモの因果はまだ続いている様子。

 

「セレスディナならもっと話は簡単ね。彼女の能力、傀儡で紅魔族を操ったのよ」

 

「傀儡か……前提知識がないと抵抗もできないエグい能力なんだよな……

 おいアクア、お前そういうことできないのか?

 そういう便利な能力貰えるなら、俺もお前の信仰者になってやってもいいんだけど」

 

「私の信徒になるなら水に関する能力ゲット、芸も上手くなるわよ!」

 

「……それだけのメリットでお前の信徒になるのはなんか嫌だな」

 

「!? あ、アンデッドが寄ってくるようにもなるらしいわ!」

 

「ただのデメリットじゃねえか!」

 

 現状、カズマが信仰してもいいなと思える女神はエリスくらいしか居なかった。

 掴みかかってくるアクアをカズマが手で制していると、部屋の扉がノックされ、あるえが部屋に入って来る。

 

「失礼するよ。私達は明日紅魔の里に向かうことに決めたのだけれど、そちらは結論出たかな?」

 

「もう出たようなものだけど、もう少し時間を頂戴」

 

「ふむ。了解した」

 

 部屋に入ってきたあるえの、服の上からでも見える胸の揺れをカズマは見逃さなかった。

 椅子に座る時も揺れる。あるえと話しているダクネスとウォルバクも室内用の薄着を着ていたため、自然と彼女らの胸の方へとカズマの視線は向かってしまう。

 このままではいかん、と思ったカズマは、アクアを見ることで興奮しそうになった自分の性欲を強制的に萎えさせた。

 

 現在、この部屋の中の巨乳率は100%。貧乳の人権が許されない空間だった。

 

(巨乳率高くなったなうちの屋敷……というか貧乳がめぐみん姉妹しか居ねえな……)

 

 ただそこに居るだけでムラっとしてしまいそうな異空間。

 "もしやめぐみん達が貧乳遺伝子を持っている異常個体なだけなのでは?"という思考さえ、カズマの脳内に生まれ始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ゆんゆんの部屋では。

 

「わああああああああああっ!!」

 

 ゆんゆんがうつ伏せになって枕に顔を埋め、ベッドの上で足をぱたぱたさせていた。

 

「なんで私あんなことしちゃったの!? 勢い……勢いで!? んあああああっ!!」

 

 クリスに相談して背中を押されたゆんゆんは、めぐみんからリードを奪うがために自分の中の衝動と思いつきに従った。

 冷静な状態の彼女だったなら、あんなことはできなかっただろう。

 よくも悪くもノリと勢いで突っ走った形だ。

 

 が、顔を真っ赤にしてむきむきにキスをした甲斐はあったと言える。

 記憶の中の、キスをした時の少年の真っ赤な顔が、見たこともない表情が、パクパク動くも何も言えない口の動きが、少女の頭の中をぐるぐる回る。

 可愛い、と少女は思った。

 私のこと意識してくれたかな、と少女は微笑んだ。

 

 ベッドに仰向けに寝て、ゆんゆんは天井に向けて枕を投げる。

 投げた枕は落ちてくるので、ぽふんと胸に落ちて来た枕をまた投げ上げて、その繰り返し。

 彼としたキスのことを思い出すだけで、なんとなくじっとしていられない気持ちになるのだ。

 

「……キスとかするのは、恋人が出来て、二回くらいデートした後だと思ってたんだけどな」

 

 ゆんゆんは恋愛というものに乙女的な理想像を持っている少女だ。

 彼女が思う理想的な恋愛の流れというものは、少女漫画の中にありそうなものばかり。

 誰かを好きになって、その人と自然に好き合うようになって、気持ちが通じ合うようになって告白して、デートで手を繋いで、やがてある日のデートの終わりに初めてのキスをする……というのが、ゆんゆんが夢見ていた恋愛の形だ。

 

 彼女の理想の男性像は、『物静かで大人しい感じで、私がその日にあった出来事を話すのを、傍で、うんうんって聞いてくれる、優しい人』。

 そういう男性と、上記のような恋愛を経て結ばれるのが理想中の理想であったが、彼女のファーストキスはそういう形では使われなかった。

 それどころか、結ばれてもいない男性に対してするという予想外の形で使われたのだ。

 理想から大きく外れた形になったが、何故かゆんゆんは不満も感じてさえいなかった。

 

「恥ずかしいけど、不思議。後悔はしてないんだな、私……」

 

 恥ずかしさで顔が火照る。

 なのに、"しなければよかった"とは思わない。

 "してよかった"としか思えない。

 ただキスをしただけなのに、"嬉しい"という気持ちで胸の中がいっぱいになっていく。

 

「ふふふ」

 

 少女の指が唇をなぞる。

 キスをした時の感触が、暖かさが、唇に蘇っていく。

 たまらず、少女は奇声を上げてベッドの上を転がり始めた。

 

「きゃー!」

 

 真っ赤な顔で枕を抱きしめ、ゴロゴロとベッドの上を転がる少女。

 ここにめぐみんが居れば「アホ面晒してる」「色ボケ」「バカみたいなことしてる」と散々な評価を容赦なくしただろうが、いい年した大人が居れば生暖かい反応をしたことだろう。

 後者の場合、ゆんゆんは憤死するかもしれないが。

 

(思い出すだけでドキドキして、ウキウキして、じっとしていられなくなっちゃう)

 

 投げ上げた枕がくるりと回って、少女の顔の上に落ちて来る。

 その枕を――真っ赤な顔を隠すように――顔に押し付け、少女はぼうっと言葉を紡いだ。

 

「あー……私、本当にどうしようもないくらい、好きなんだなあ……」

 

 赤裸々な青春であった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、めぐみんの部屋では。

 

「くああああああおのれゆんゆんめ!」

 

 めぐみんがうつ伏せになって枕に顔を埋め、掌でベッドの端をばたばたと叩いていた。

 

「ファーストキスぅ……」

 

 その動きが、ピタリと止まった。

 

「互いのファーストキス交換とか……そりゃもう憧れですよ……」

 

 自分の初恋がその人で、その人の初恋が自分。

 自分のファーストキスの相手がその人で、相手のファーストキスが自分。

 互いが互いの初めてで、互いが一番の特別になる。

 そういうものに憧れる気持ちは、めぐみんの中にも確かにあった。

 彼女もまた、少女なのだから。

 

「お互い初めてとか、憧れるじゃないですか……」

 

 初めてとは一回限りだから初めてなのだ。

 ファーストキスは人生に一回しか使えない恋の魔法のようなもの。

 ゆんゆんに取られてしまった時点で、それはもうめぐみんのものにはならない。

 ならめぐみんも同じように彼にキスすればいい、と考える者もいるかもしれないが、もはやこうなった時点でそれは『後追い』にしかなれない。

 

「二番目……二番目なんですよね……はぁ……」

 

 後追いで手に入るのは二回目以降のキスだけだ。

 ゆんゆんがあの時勇気と暴走と勢いで勝ち取ったものは、めぐみんにはもう手に入らないものであり、ゆんゆんに強力な後押しを与えるものだった。

 めぐみんの動きが止まり、大きな溜め息が吐かれて、少女はガバッと顔を上げた。

 

 カチッ、と少女の意識が切り替わる。

 

「いや、ここからですよ。勝負はここからです」

 

 一番目のキスは取り戻せなくても、一番愛されている人にはなれる。

 そう、ここからだ。

 ゆんゆんはめぐみんが持っていた恋愛的リードによる差を埋めただけで、まだ勝ったというわけではない。勝敗はまだ決していない。

 

 むきむきとゆんゆんの関係は変わっただろうが、『関係の名前』は変わっていないのだ。

 二人の少女は、未だ少年の『友人』でしかない。

 友達以上恋人未満なんてものは、言ってしまえば全部友達なのだ。

 関係の名前が『恋人』になるまでは、誰も勝ってはいない。負けてもいない。

 勝負はここから。ここから頑張らなければならないのだ。

 

「私は彼のもので、彼は私のもの! そういう風にしてみせます!」

 

 ゆんゆんも初恋なら、めぐみんも初恋だ。

 『この恋だけは負けられない』と、二人共強く決意している。

 本気の本気でぶつかり合う二人は、まごうことなくライバルだった。

 

「終わりよければすべてよし!

 ライバルが居ても勝てばよし!

 最終的に私の横に居てくれるなら、その過程の困難全てがただの試練となるはずです!」

 

 赤裸々な青春であった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、むきむきの部屋では。

 

「ぬあああああっ!!」

 

 むきむきが自分の額に拳を打ち付けていた。

 小さな衝撃波が発生し、余波だけで椅子が倒れる。当然額は無傷であった。

 額がジリジリと痛むが、今の彼はそれどころではない。

 

「や……ヤバい! ゆんゆんのことしか考えてない!」

 

 今のむきむきの年齢は中学生男子のそれに相当する。

 女の子に手を握られただけで惚れ、微笑まれただけで「おっとどうやら俺のことを好きになってしまったようだな」と勘違いするような年頃だ。

 可愛い女の子からキスなどされればこうもなる。

 今の彼は四六時中ゆんゆんのことしか考えていなかった。

 

「唇がやわらかかっ……何思い出してんの僕は!?」

 

 脳内のもやもやを蹴飛ばそうとするかのように、少年の膝蹴りが額へと突き刺さる。

 むきむきの心中における"異性として意識されてる女性ランキング"では、現在ゆんゆんがぶっちぎりの一位であった。

 異性に感じるドキドキや、異性として意識する感情は、そのままその人物への好感度へと転換することもあるものだ。

 

 そういう点を考慮すれば、彼の中のゆんゆんとめぐみんを左右に置いた両天秤は今、限りなくつり合った状態でグラグラと揺れていると言えるだろう。

 ゲーム的な表現をすれば、むきむきというヒロインに二人のギャルゲー主人公が迫り、好感度をカンストさせた上で、一枚絵付きイベントをガンガン起こしているようなものだ。

 

「今改めて考えてみても、今の自分が誰が一番好きとか分からない……ま、マズい!」

 

 真面目な彼にとって、現状の自分は嫌悪対象だ。

 彼は恋愛感情が一途であるべきだと考えているし、恋愛とは自分の人生を一人の愛した人のために使い切ることだと考えている。

 ピンクが察した誠実の資質は、こういったところにも見られていた。

 

 それなのに『君が今一番好きな女性は誰?』と問われても答えられない、この現状の心情。

 死にたくなるくらいの自己嫌悪が、これでもかと彼を苛んでいる。

 平均的な人間はガムを路上に吐き捨てても何とも思わずすぐ忘れるが、真面目な人間は一度出来心でポイ捨てしたコンビニのレシートのことを一生忘れない。

 これは、そういうものなのだ。

 

「僕のことを誠実とか言ってくれたグリーンさんに対する裏切りみたいなもんじゃないか……」

 

 ポックリ逝ってしまった彼らは、今頃輪廻の輪に乗って転生待ちをしている頃だろうか。

 彼らの霊がここに居たら「君はそのままでいいんだよ」「童貞こじらせてるな君」「河原でエロ本でも拾って耐性つけろ」とかなんとか言ったかもしれない。

 死人に口無しとも言うので、実際何を言うかは定かではないが。

 

「……ま、まず自己分析しよう」

 

 自分自身とちゃんと向き合えば答えは出るはずだと、少年は自分に言い聞かせる。

 

「めぐみんは凄い人だ。

 僕に最初に出会った日から道標になってくれて、その後も何度も導いてくれた。

 どんなことがあっても僕を嫌わないって、そう言ってくれた。

 爆裂魔法は最強で、僕はその強さをいつだって信じてる。

 抱き上げると体は小さくて、華奢で、僕が体を張って守らないとって思えて……」

 

 万の言葉を費やしても、きっとその気持ちを語るには足りない。

 

「ゆんゆんは優しい人だ。

 僕の最初の友達で、僕の世界に光明をくれた。

 泣いていた時に僕の頑張りを認めてくれて、優しく抱きしめてくれた。

 僕が知る限り最も優秀な魔法使いで、何度背中を預けたかも覚えてない。

 抱きかかえると柔らかくて、脆く思えて、僕が体を張って守らないとって思えて……」

 

 万の言葉を費やしても、きっとその気持ちを語るには足りない。

 

「さあ、僕はどっちの方が好きなんだ」

 

 考えてみる。天秤にかけてみる。思い出されるゆんゆんのキス。少年の顔が赤くなり、考えていた内容が吹っ飛ぶ。思考の海に潜ろうとする度、キスの記憶が彼の意識を引き上げてしまう。

 可愛い女の子にキスされたせいで思考に集中しきれてない、とも言う。

 

「……」

 

 答えが出るのか出ないのかも怪しい段階でゆんゆんのキスが頭の中をチラついて、考えても考えても無為に終わる。

 以前に望まずしてゆんゆんの胸を揉んで大うろたえしたことがあったが、今揉んでしまったらどうなるのだろうか。

 ベッドブローからのベッドレクイエムまで行ってしまうのだろうか。

 いや、貞操観念がしっかりしているこの二人にそれは流石にないだろう。

 

「……大丈夫、大丈夫。よく考えれば大丈夫なはず」

 

 この少年が今盛大に積み重ねている失敗は、恋愛という感情的な問題を、理性的に考えて判断しようとしていることだった。

 

「どっちも選ばないなんてのはただの選択の放棄だ。自分を楽にしたいだけだ」

 

 ただ、その思考も無意味というわけではない。

 最終的に答えに辿り着けるのであれば、その過程の苦悩には全て意味がある。

 

「迷うことも、考えることもやめちゃいけない。

 苦しくてもあの二人と、そして自分とちゃんと向き合って、考えた上での答えを出すんだ」

 

 答えを探して進んで行く意志は、苦悩の果ての結末を少しでも良い物にしてくれることもある。

 

「まずは僕があの二人を好きな所を全部書き上げてみよう。

 あと、あの二人にしてもらって嬉しかったこと。

 あの二人との想い出で良かったと思えたこと。

 全部書き上げてみるんだ。文章に書き出してみれば、客観的に自分を見れるはず!」

 

 むきむきは紙とペンを用意し、机に向かって紙に二人のことを書き出し始めた。

 ペンは止まらない。どれだけ文字を書いても止まらない。

 ここで頑張れば答えが出るはずだと思った少年は、俄然気合いを入れて書きに書く。

 

「僕があの二人のどっちが好きか、ハッキリさせなきゃならないんだ!」

 

 頑張りました。

 

 ダメでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 あるえにこめっこ、こめっこに召喚されたホースト。

 上記三人と一緒に里帰りする紅魔族三人。

 そしてなんだかんだ同行することを決めたカズマ、アクア、ダクネスの三人。

 以上のメンバーが、屋敷を出立しようとしていた。

 ウォルバクとちょむすけはお留守番である。

 

「……よ、よし」

 

 ゆんゆんは横目に時々こっそりとむきむきを見ている。

 本人は気付かれないように見ているつもりなのだろうが、頻繁に見すぎなせいで周囲にはバレバレで、時たま何かを思い出して顔を赤くしていた。

 

「よし、急いで戻って里に何があったか確認して、できることをしよう!」

 

 むきむきは色んなことをあんまり考えないようにして振る舞っていた。

 里で戦闘が起こるなら、余計な思考は邪魔にしかならない。頭の中に何かが浮かびそうになったなら、そのたびにすぐ思考を切り替えて行く思考ルーチンを定着させていく。

 『恋愛問題』という重大案件に取り掛かるのは、里の危機を終わらせてからだ。

 里の危機が二の次になりかけているようにも見えるが、本人がそれでいいのならいいのかもしれない。

 

「……むきむき、喉乾いてますか?」

 

 めぐみんは、いつも通りの彼女のように振る舞っていた。

 異性に告白したことに内心ドキドキしていても、表面上はすました顔で振る舞えるのがめぐみんという少女である。

 告白の翌日でも、高い知性がポーカーフェイスと振る舞いをいつも通りに維持させる。

 そんなだから、彼女に好かれた異性は大抵やきもきさせられるのだ。

 

「あ、うん、よく分かったね」

 

「むきむきは分かりやすいですし、心の動きなんて見てれば分かります。はいどうぞ、水ですよ」

 

「ありがと」

 

 市販の旅行用使い捨て水筒――地球で言えばペットボトルにあたる――をめぐみんが投げ渡し、少年が受け取って、年相応の笑みを浮かべて水筒に口をつける。

 

「あ、すみません。それさっき私が飲んだやつでした」

 

「ぶふぉぁっ」

 

「!?」

 

「こっちが新品です、どうぞ。それにしても……これ、間接キスですね」

 

「―――!?」

 

 そしてさらっとそんなことを言うめぐみんに、むきむきは盛大に水を吹き出し、ゆんゆんは己が人生最大最強のライバルの強さを再認識していた。

 

「めぐみーんっ!」

 

「お? お? やりますか?」

 

 涙目のゆんゆんを前にして、めぐみんはしゅっしゅっとシャドーボクシングの如く拳を空打ちさせている。

 

「むむっ、私のゴッドセンサーがラブコメの波動を感じてるわ」

 

「おうアクア、それはまた適当言ってるんだよな?

 それともまた忘れてた技能でも思い出したのか? 前者であってくれよ」

 

「カズマ、私は痛みならなんでもバッチコイだが、こういう胃痛は勘弁なのだが……」

 

「うるせー! 恋愛脳のラブティーナも丸投げせずになんか考えろ!」

 

「ラブ……!?」

 

 おそらく今この場で一番お気楽で何も考えていないのは、アクアである。

 

「俺様が認めた男が情けない姿晒してやがる。けっ、失望したぜ」

 

「ホースト、つんでれー」

 

「誰がツンデレだこのロリが!」

 

「生活が落ち着いたらラブコメ小説でも書こうかなー」

 

 出立待ちのこめっこ、ホースト、あるえに至っては、『まあかの紅魔族むきむきさんなら程よい着地点見つけますよ』みたいな顔で何の危機感も抱いていない様子だった。

 カズマはアクアほどお気楽に考えてもいないが、ダクネスほど深刻に考えすぎることもなく、的確な塩梅でこの状況のデメリットを認識していた。

 

(あかんわこれ)

 

 どうにかしないとな、とカズマがちょっと考え始めたその時。

 むきむきがカズマの服の裾を引き、か細い声で訴えた。

 

「たすけて」

 

「俺は! お前がそこまで絞り出すような声で助けを求めたのを! 今初めて聞いたぞ!」

 

 カズマは能力的・人格的に問題がある人間の手綱を握るのは上手い。

 が、PT内で諍いが起きた場合にその仲裁をするのが上手いかと言えば、そうでもない。

 当然他人の恋愛の仲立ちができる恋愛上手でもない。

 が、追い詰められた時の発想力と、窮地で頼られた時に発揮する爆発力だけは、誰にも負けないものがあった。

 

「アクアぁ! 芸達者になる魔法よこせ! 言いくるめてやる!」

 

「そこでどうにかしてやろうと考えちゃうからカズマなのよねえ……

 『ヴァーサタイル・エンターテイナー』! 魔力マシマシバージョン!」

 

 困った時のカズマさん。

 どうにかしてしまえるのが、カズマさんであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程の一幕は恋愛的修羅場に見えたが、根本の部分でめぐみんとゆんゆんの仲が良かったため、その実そこまで修羅場というわけでもなかったようだ。

 一見危ういバランスのようで、実際には絶妙に安定したバランスを保ち、一行は紅魔の里へと移動する。

 紅魔の里へ到着した彼らが見たものは、人っ子一人見えない上に原型を保っている建物が一つも見えないほどに破壊され尽くした、"紅魔の里だったものの残骸"だった。

 

「……んなっ」

 

「酷いな、これは……」

 

 里に来たことがないカズマ達でさえ、ひと目で理解してしまった。

 これは、既に手遅れだと。

 里に家族を残してきためぐみん、ゆんゆん、こめっこ、あるえの衝撃は殊更に大きく、仲間外れにされていたむきむきも――ぶっころりー達のことを思い出し――大きな衝撃を受ける。

 それでもむきむきが呆けず、周囲への警戒を怠っていなかったのは、彼が里の外での冒険で成長した証明であると言えるだろう。

 

「……ゆんゆん、皆の姿消して」

 

「え? あ、うん、分かったわ」

 

「皆声を出さないで、出来る限り音も出さないように」

 

「『ライト・オブ・リフレクション』」

 

 むきむきが意味もなくそういうことを言う性格でないことは、皆知っている。

 異論や質問が挟まれることはなく、ゆんゆんの光の屈折魔法がその場の皆を包み込んだ。

 カズマは無言でむきむきの腹を手の甲で叩き、目と目を合わせて無言で意思疎通する。

 

(何か居るのか?)

 

(居る)

 

 やがて、むきむき達が姿を消した後のその場所に、人ならざる者の警邏がやって来た。

 

(魔王軍……)

 

 破壊された紅魔の里。

 姿が見当たらない紅魔族。

 徘徊する魔王軍。

 ここまでくれば、誰でも何があったか察せようというものだ。

 

(付いて来て)

 

 頑丈で土地勘のあるむきむきが皆を先導し、ホーストが中程の位置、ダクネスが最後尾を固めて静かに彼らは移動する。

 むきむきが彼らを誘導した場所は、里の北東に位置する魔神の丘と呼ばれる場所だった。

 

「ここまでくれば大丈夫。生き残りの人が居たなら、こっちに逃げ込んでるはずだよ」

 

「ここは?」

 

「ここは魔神の丘。

 ここで告白して結ばれた恋人は、魔神の呪いで永遠に別れることができないんだって。

 紅魔族や観光客に人気のロマンチックな観光スポットで、いざという時の避難地なんだ」

 

「どこがロマンチックだ! ヤンデレチックも大概にしろ!」

 

 目敏いカズマは、めぐみんとゆんゆんが一瞬チラッと視線を動かしたのを見逃さなかった。

 むきむき以外の紅魔族は基本的に頭が良い。

 事態が進めば高い知性ですぐ思考を切り替えるため、戦いの最中に好いた惚れたで仲間同士足を引っ張り合う可能性もない。

 そういう点を考慮すれば、今はとても安定していると言えた。

 

 里を出た時の少女二人は、この丘を観光名所程度にしか思っていなかったに違いない。

 だが、今はどうだろうか。

 今のめぐみんとゆんゆんに、この丘はどう見えているのだろうか。

 彼女らの思考内容は、カズマやむきむきにはきっと予想もできないものだった。

 

 魔神の丘周辺を探ろうとした彼らの前に、その時紅魔族の生き残りが現れる。

 

「むきむき! お前、帰って来てたのか!」

 

「ぶっころりーさん! 無事だったんですか!」

 

 彼らは魔神の丘の更に北東、山に生える木々の合間に身を隠していたようだった。

 

 

 

 

 

 木々の合間で、むきむき達は故郷の仲間達と再会する。

 そして、絶句した。

 幼い子供や老人を数に数えても―――20人も、残っていない。

 人数だけで言えば、めぐみんの学生時代の女子クラスの人数と大差ない。

 ほぼ全滅に近い惨状だった。

 

「残っているのは、この人達だけ、ですか……?」

 

「これだけだ。後は全員シルビアに吸収された」

 

「シルビアに!?」

 

「ああ。里をこんなにしたのは、魔王軍幹部シルビアだよ」

 

 状況は、むきむき達の想定よりも遥かに最悪である様子。

 ぶっころりーやそけっとのように、生き残っている若者も居た。

 

「ぶっころりーさん、そけっとさん、お二人が無事でよかったです……」

 

「遅れたけど、お帰り。俺は正直むきむきが帰って来てくれて心強いと思ってるよ」

 

「お帰りなさい。ゆっくり話したいところだけど……今は、そうもいかないわね」

 

 めぐみんの両親のように、生き残っている大人も居た。

 

「お父さん! お母さん!」

「姉ちゃんとこめっこが帰ったよー!」

 

「めぐみん! ここまで来て無事だったのね!」

「よくぞ帰った娘達よ! だが全体的に成長はしてないな!」

 

「いくら父親でもそこに触れるなら私許しませんよ!」

 

 だが、ここに居ない大人や若者の方が圧倒的に多く、ゆんゆんとあるえの家族の姿も見当たらない。

 

「あの……私のお父さんとお母さんは……?」

 

「ゆんゆんの両親もそうだが、私の両親も見当たらないね」

 

「ゆんゆん、あるえ……二人の両親は、シルビアに……」

 

「そんなっ……!」

 

「……だろうね。そうだろうとは思った」

 

 ゆんゆんにとって救いだったのは、奇妙な縁で結ばれた友達二人が残っていたことくらいか。

 

「ふにふらさん! どどんこさん!」

 

「や、久しぶり」

「あんたも随分な時に帰って来るもんだね、ゆんゆん」

 

 里の皆を守るために族長さえもがやられたこの窮状で、めぐみんの両親は不安を顔に出すこともなく、むきむきの帰りを家族のように暖かく迎えてくれていた。

 

「よく帰って来たな、むきむき。お前は……目に見えて大きくなったなあ……」

 

「おかえりなさい。私の娘達の面倒を見てくれてありがとう。元気そうで安心したわ」

 

「……ただいま帰りました。ひょいざぶろーさん、ゆいゆいさん」

 

 いい光景だな、とカズマは思うが、一部の紅魔族を除いた紅魔族が、ゆんゆんやむきむきに妙な視線を向けているのが気になった。

 変なもの、余所者、そういうものを見るような目。

 田舎の学校に都会からの転校生がやって来たらこういう目を向けられるんだろうか、とカズマが思うような視線。

 変人のゆんゆんと才無しのむきむきが里でどういう扱いだったか、カズマにもなんとなく分かるような気がした。

 

 周りを見ているカズマの横で、むきむきはぶっころりーに単刀直入に疑問を投げつけた。

 

「あの、ぶっころりーさん。何があったんですか?」

 

「……」

 

「魔王が来てもやられないのが紅魔族だと、僕は思ってました。

 そもそも紅魔の里がこんな風になってることが信じられないです」

 

「だよなぁ。俺もそんな風に思ってたよ」

 

「敵は……シルビアは、何をしたんですか?」

 

 そう、こんなにも簡単に紅魔の里が落ちるわけがないのだ。

 紅魔の里は魔王軍が最重要攻略目標として設定したほどの場所。今まで魔王軍が全力で攻め続けていたにもかかわらず、その侵攻の全てを跳ね返して来たほどの魔境である。

 王都を落とせる戦力を投入しても、この里を落とせるかは怪しい。

 

「ジャイアント・アースウォーム、知ってるよな?」

 

「太さ1m以上、体長5m以上、けれども体が大きいだけのミミズモンスターですよね?

 雑魚モンスターの部類に入る、一般人を捕食するモンスター。それがどうかしましたか?」

 

「奴らはそいつを手懐けて地中に、遠方から地下格納庫への道を作ったんだ」

 

「!」

 

「そして何ヶ月・何年かけたかは分からないが、地下格納庫の外壁を破壊して、そこに侵入した」

 

 『モンスターを手懐けて』という部分を聞いた瞬間、むきむきにはシルビアに協力しているであろう魔王軍が誰か、ある程度想像がついていた。

 

「それで取られてしまったんだ。『魔術師殺し』を」

 

「やはり、魔術師殺しは取られてしまっていたんですね」

 

「後は分かるだろ? 魔法が完全無効なら時間はシルビアに味方する。

 抵抗してた紅魔族の皆も、シルビアの策略と魔法無効能力にやられ、皆取り込まれていった」

 

 シルビアはなんでも取り込み、自分の一部としてその力を行使することができる。

 人間を取り込み自分の力とすることも、美しい生物を取り込んで自分の姿を変えることも、戦車や戦闘機を取り込んで融合することさえできる。

 転生者を取り込めば特典を使うこともあるだろう。

 吸収進化の特性を持つシルビアに、力の上限値は存在しない。

 

「吸収……」

 

「俺達も皆を助けようとは思ってるんだが、難しいんだ。

 昔からテレポート事故での合体ってのはあったから、研究自体はあったんだけどね。

 シルビアが吸収した人達を分離させるには、研究で導き出した理論だけじゃどうにも足りない」

 

「理論ってその手に持っている紙に書いてあるやつですか?」

 

「ん? そうそう、これのこと。

 せめてシルビアを生け捕りにして実験材料に出来れば違うんだけど……」

 

 魔法無効化能力と吸収能力持ちで、紅魔族の大半を取り込んだシルビアを生け捕れとは、ぶっころりーも無茶を言う。

 だが、無茶を言っている自覚は彼にもあるのだろう。

 彼も「シルビアを生け捕りにしてくれ」とは言わないし、仲間を助けようとして被害が拡大するくらいなら、すっぱり諦めてシルビアごと倒すべきだとも考えている。

 ただ、ぶっころりーは基本ニートなのでそういう内心を周囲には語らない。

 仲間殺しを割り切るにもちょっと迷っていたりする。

 彼も中々のニート気質なのだ。

 

「今はシルビアは動いてないみたいですが、どこにいるんでしょう」

 

「分からない。ただ、眠っているんじゃないかと俺は思ってる」

 

「眠ってる……?」

 

「シルビアは睡眠を取って魔力を回復させているんだ。

 奴は一度創り、一度その全てを壊した。

 推測だが奴は『アレ』を作るのに全魔力の半分を使う。それだけの大魔法だった」

 

「『アレ』?」

 

「紅魔族は睡眠時、膨大な魔力を吸収回復する。

 魔力の自然放出が下手だと、魔力の過剰吸収で内側から爆発してしまうくらいに。

 シルビアは紅魔族を沢山取り込んで、膨大な魔力と魔力回復力を得たんだ。

 紅魔族の皆はそれにやられたんだよ。シルビアのあの―――」

 

 そこまでぶっころりーが言いかけた所で。

 

「みぃつけた」

 

 山の木々の奥の奥、薄暗く見通せない空間の向こうから、シルビアの声がしんと響いた。

 

 一瞬の間、一瞬の沈黙。そして、紅魔族は逃走を開始した。

 

「逃げろおおおおおおおおおっ!!!」

 

 何が何だか分からず、戸惑うむきむき達には逃走の動作さえ許されない。

 

「また『ダンジョン創造』が来るぞッ!!」

 

 紅魔族も、むきむき達も、全てがまとめて創造されたダンジョンへと飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダンジョンの創造に必要なものは二つ。

 膨大な魔力と、ダンジョン作成を可能とする魔法の技だ。

 魔法を極めてリッチーになったような人物であれば、ダンジョン創造は難なくこなせる作業でしかない、と言っている学者もいたりする。

 

 紅魔族を大量に取り込む過程で、シルビアは膨大な魔力と魔法の技を得た。

 しからばダンジョンを作ることなど造作もない。

 周囲の人間を巻き込むように地表にダンジョンを生成すれば、ダンジョンの各所に人間達を分断することもできるため、開けた場所で真価を発揮する紅魔族も封殺可能だ。

 

 しかもダンジョンの生成範囲が里とその周辺を丸ごと飲み込んでいるため、里近辺をテレポート先に設定している紅魔族は全員テレポートを封じられてしまう。

 適当に空間跳躍して壁と融合などしてしまったら大惨事だ。

 必然的に、上級魔法という大火力を使いづらい、ダンジョン内という密閉空間を歩いて突破せざるを得なくなる。

 

 里が全体的に壊れていたのもこれのせいだろう。

 ダンジョン生成の際に、里に最初からあった建物はその大半が押し潰されてしまったのだ。

 里を破壊しながらダンジョンは紅魔族を取り込み、分断されテレポートも封じられた紅魔族は魔法無効化シルビアに手も足も出ず、その時生き残っていた者達も吸収されてしまった。

 

 これが、シルビアが紅魔族をここまで追い込んだ手品の種である。

 

「……シルビアが、そんなとんでもないことをしてくるとは。驚きです」

 

 むきむきは以前に出会った、吸血鬼達との会話を思い出していた。

 

―――先輩は凄いんですよ? この世界で最も恐ろしいダンジョンの主なんです!

―――それだけを理由に、奴はヴァンパイアを『最後の繋ぎ』として使うためだけに吸収した

 

 ヴァンパイアはダンジョンを造れる。

 シルビアはヴァンパイアを吸収している。

 ヒントはあったのだ。小さいヒントではあったが、シルビアに魔力さえあれば巨大なダンジョンを造れるということは、予想できたことだった。

 これで予想しろという方が酷なのだが、むきむきは悔しい気持ちでいっぱいだった。

 

 ウィズはダンジョンを造れるが、バニルはダンジョンを造れないという話も聞いたことがあったので、ダンジョン作成技能をとても希少なものだと勘違いしてしまっていたのだ。

 

 今、むきむきの前にはこのダンジョンのことを説明してくれている、ぶっころりーとそけっとしか居ない。

 仲間達も、他の紅魔族の姿も見えない。

 彼らはシルビアの狙い通り、まんまと分断されてしまったのだ。

 

「奴に、何かがあったんだ」

 

 ぶっころりーは、真剣な面持ちでシルビアを語る。

 シルビアが今日まで紅魔族でも対処できていたのは、シルビアが本当に追い詰められるまでは、美人の女しか吸収しようとしてこなかったからだ。

 追い詰められればそのポリシーをも投げ捨てるのがシルビアだが、ウィズの魔法さえ無効化する魔法抵抗力を持ったシルビアは、紅魔族相手にもその域までは追い詰められることもない。

 なのに、今。

 シルビアは追い詰められているわけでもないのに、吸収し進化する能力を、こだわりを捨ててまで最大限に使用している。

 

「今までは無制限に吸収を行わない理由があって、今はそれがない。

 シルビアに何かがあったことは間違いないと思う。その理由を捨てる何かがあったんだ」

 

「何か……」

 

 シルビアの心境に変化を起こした何かがあり、それがこの現状を招いていた。

 それが何かは分からないが、むきむきはダンジョンの壁に触れるだけで、空恐ろしい気分になってしまう。

 薄暗く、外の光が入らない、蝋燭だけが頼りの暗き世界。

 冷たい床と冷たい壁は、おそらく中級魔法では傷一つ付かないほどの強度がある。

 道は入り組んでいて、出口がどちらにあるのかも分からない。

 ……もしかしたら、入り口も出口も無いのかもしれない。

 

 まるで監獄として作られた城であるかのようだ。

 外部からの敵を撃退するのが城の存在意義であるが、これは中に取り込んだ人間を逃さず、永遠にその中を彷徨わせようとする意志がありありと見える。

 ここは狩場だ。

 紅魔族という反則を一方的に、かつ確実に狩るために作られたダンジョンなのだ。

 

「……そけっとさん達、よくこんな絶体絶命の状況から逃げられましたね」

 

「追い詰められた紅魔族が四方八方に魔法をぶっ放したの。

 紅魔族は魔法抵抗力も高いから、一部の人は巻き込まれながらも脱出できたのよ」

 

(相変わらず平均的な紅魔族の皆はとんでもないなあ……)

 

 自爆同士討ち上等で上級魔法を撃っている時点で、相当に頭がおかしい。

 ただその手段も、カズマ等魔法抵抗力が低い人間がダンジョン生成に巻き込まれてしまった今、使うことができなくなってしまった。

 適当に壁をぶっ壊してたら里の外の人を蒸発させちゃいました、は流石にマズい。

 紅魔族の誰もが強引な脱出は自重していることだろう。

 

 薄暗い通路を進んで、分かれ道に差し掛かった時、むきむきは後ろの彼に呼びかけた。

 

「ぶっころりーさん、この分かれ道はどっちに……ぶっころりーさん?」

 

 返答がない。

 むきむきとそけっとが同時に振り返るが、ぶっころりーはもうそこには居なかった。

 

「……え?」

 

 代わりに、ずり、ずり、と蛇が這いずるような小さな音が聞こえる。

 それが何であるかは分からないが、それがぶっころりーに何かをしたということだけは分かる。

 

(―――何か、いる)

 

 背後に振り向く。

 何も居ない。

 暗闇の向こうを覗こうと凝視する。

 何も居ない。

 そけっとと話そうと、彼女が居た方を向く。

 何も居ない。

 

 そけっとの姿は既に消えていて、暗闇の向こうから、くぐもったそけっとの声が聞こえてきた。

 

「逃げなさい!」

 

 むきむきは、直感的に察する。

 この敵はむきむきを狙っていた。

 むきむきの背後から仕掛けてきていた。

 そしてぶっころりーとそけっとは、むきむきの背後に居たために、むきむきを庇ってこの敵にやられてしまったのだ。

 

「このシルビアは一人じゃ勝てないわ! あなたが里の外で出会った、信じられる仲間を―――」

 

 蛇が、何かを丸呑みにするような音がした。

 敵は姿を見せないままに彼らを襲っている。

 その敵の正体が分かったのは、その敵が二度も庇われたむきむきを面白く思い、むきむきを後回しにすることを宣言した時だった。

 

「あんたはアタシ直々に、他の人間を全員取り込んでから、最後の最後に仕留めてあげる」

 

 シルビアの声。そう、ぶっころりーとそけっとは、シルビアに吸収されてしまったのだ。

 この薄暗いダンジョンの中で、何の抵抗さえも許されないままに。

 

「させるもんかっ!」

 

 仲間はやらせない。

 残った仲間とシルビアを倒す。

 そう決意して、少年はダンジョンの中を走り出した。

 

 

 

 

 

 めぐみんは走る。

 必死に走る。

 光の足りないダンジョンの中を孤独に走る。

 

「お父さん……お母さん……!」

 

 運命的なことに、彼女もまたむきむきと同じ状況に陥っていた。

 彼女はダンジョン生成時は両親と一緒に居て、はぐれてしまったこめっこを探してダンジョンを彷徨っていた。

 ……そこからが、悲惨だった。

 むきむきと同じように、二人が自分を庇ってくれたことで、めぐみんは一人だけ生き残ってしまったのだ。

 

「行け、めぐみん!」

 

 声もなく吸収された母のこと、一言だけ残して吸収された父のことが頭から離れない。

 むきむきはシルビアに見逃された形であったが、めぐみんの場合は自力である程度逃げて距離を離したこと、そしてシルビアがむきむき達を見つけたことでそっちに行ったという幸運が、生き残りという結果を生んでくれていた。

 

「? あれ、これそけっとの服の装飾の……」

 

 孤独の恐怖。

 暗闇の恐怖。

 見えざる敵の恐怖。

 それらが床に落ちていたそけっとの服の切れ端を拾ってしまったことで倍増する。

 

 めぐみんはおばけが苦手な方だ。

 こういうシチュエーションは、加速度的に冷静さを削られてしまう。

 落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせるめぐみんだが、その時彼女の耳に届いたのは、ここから遠ざかっていく蛇が這いずるような音だった。

 物静かなダンジョンの闇の中だからこそ、その音は恐怖を掻き立てる。

 

(壁の向こう……まさかこのダンジョン!

 シルビアがいつでもどこでも現れることができるような、秘密の通路がある!?)

 

 一刻も早く合流しなければ、とめぐみんは焦る。

 それでいて"下手は打てない"と自分を落ち着かせもする。

 めぐみんがシルビアに吸収されれば、シルビアは爆裂魔法も使えるようになるだろう。

 そうなればもう絶望的だ。

 

 めぐみんの脳裏に、今生き残っているであろう者達の顔が次々と浮かんで、最後にライバルの顔が思い浮かべられる。

 

「ゆんゆんが私より先にやられるわけもなし。

 早くむきむきと合流して、カズマ達とも合流しないと……」

 

 第一に合流すべき幼馴染の少年を思い浮かべて、めぐみんは駆け出した。

 

 

 

 

 

 薄暗い闇の中を、ゆんゆんはおっかなびっくり進んでいた。

 背後にこっそり忍び寄ってわっと大きな声を出せば、それだけで号泣してしまいそうな雰囲気すらある。

 

「ひっ……む、むきむきー? 近くに居たりしない? めぐみーん? 居たりしない?」

 

 頼りになる人を思わず探してしまうゆんゆん。

 そんな彼女に光明が見えたのは、長い通路の向こうから、ふにふらとどどんこの声、及び魔法の音が聞こえて来てからだ。

 

「あっ、くっ、やばい!」

 

「……これは、もう……!」

 

 友達が戦っている。

 声からして友達のピンチだ。

 ゆんゆんは意識を切り替え、友達を助けようと走る。

 

「ふにふらさん! どどんこさん!」

 

 友達に呼びかけるゆんゆんだが、返って来たのは拒絶の言葉だった。

 

「来んなゆんゆん!」

 

「……え」

 

「来たら全滅するから! あんたは踵返して逃げて、無事な仲間と合流しなさい!」

 

「で、でも!」

 

「こっちはもう手遅―――あ」

 

 カラン、と杖が落ちる音がする。

 ふにふらとどどんこの声が聞こえなくなり、戦闘の音も聞こえなくなった。

 ゆんゆんは瞬時に判断し、踵を返して走り出す。

 戦闘地点とゆんゆんとの間に距離があったのもあり、背後からずり、ずりと聞こえる音から逃げ切ったゆんゆんは、息も整えないまま走り続ける。

 

 むきむきを召喚するべきか。

 今むきむきと誰かが一緒に居るなら召喚魔法は使うべきではないが、実際はどうなのか。

 どのくらいのピンチで、どのタイミングで召喚するべきか。

 色々と考えながら、ゆんゆんは仲間を探して駆け回る。

 

(私よりしぶといめぐみんはまだ生き残ってる、はず。

 早くむきむきと合流して、どこか広い場所を見つけて、そこでっ……!)

 

 第一に合流すべき幼馴染の少年を思い浮かべて、ゆんゆんは駆け出した。

 

 

 

 

 

 一方その頃、カズマはこういう状況で輝く能力を存分に発揮していた。

 

「カズマはこういう時は本当に器用だな」

「ねー」

 

「スキル山盛りだとこういう時は楽なんだよなあ」

 

 カズマは暗視が可能になる千里眼、遠くの音を聞き取れる盗聴、シルビアの位置を把握できる敵感知でダンジョン内をすいすい進み、アクアとダクネスをあっという間に回収していた。

 このダンジョンは対紅魔族に特化しすぎていて、カズマから見ればガバガバである。

 他の皆も回収して行こうとするカズマだが、敵感知スキルがシルビアの接近を伝えていた。

 

「っと、敵が来たぞ」

 

「どこから?」

 

「ちょっと待て、集中させてくれ」

 

 大体どの位置に居るか、今どのくらいの距離があるのか、その辺りなら敵感知スキルですぐさま理解できるが、どんな道から来てるのかがイマイチ分からなかった。

 集中してスキルの精度を上げていくと、やがて迫り来る敵の存在がはっきりと感じられる。

 

「―――蛇?」

 

 カズマの敵感知スキルが見せた敵の姿は、彼らが居る細長い通路に巻き付くようにして接近して来る、蛇のような姿の敵だった。

 

「―――」

 

 薄暗い通路にシルビアが無言で現れ、彼らを背後から襲撃する。……かに、見えた。

 だが、シルビアが通路に姿を現した時には、カズマ達の姿はもうそこにはない。

 代わりにあったのは、シルビアに反応するダイナマイトの罠だった。

 

「……!」

 

 ダイナマイトが起爆する。

 シルビアの体に目に見えた傷はなかったが、本人が顔を顰めたのを見るに、どうやら小さいダメージは通ったようだ。

 爆弾で崩れた通路、そしてカズマ達の姿がどこにも見当たらないのを見て、シルビアは感心した様子でその手腕を褒め称える。

 

「爆弾を罠設置スキルで設置し、何らかの手段で遠くに移動……

 アタシを爆弾で攻撃しつつ、自分達は爆弾の効果範囲から脱出。やるわね」

 

 逃さないわよ、とだけ言って、シルビアはその場を去っていった。

 数分後、"崩れた通路の瓦礫の下から"カズマ達が這い出してくる。

 

「……逃げてないんだけどな」

 

「ひえぇ」

 

「お前は本当に、次から次へと小細工の種が尽きないな」

 

 カズマは爆弾トラップを仕掛けた後、ダクネスを盾にするようにして壁に張り付き、三人を対象に潜伏スキルを発動していたのだ。

 壁に張り付くだけの潜伏でも、シルビアが出て来て爆弾が爆発するまでの間隠れるだけなら、まず見破られることはない。

 後は爆風をダクネスという盾で防いで、崩れた通路の瓦礫をダクネスという傘で防ぎ、瓦礫を使って潜伏を発動しておけばいい。

 

 爆弾を仕掛けておきながらその爆風をモロに食らう位置に隠れているなんてありえない、というシルビアの常識的な思考を逆利用した、大胆なやり過ごし策だった。

 

「やーね蛇とか。連鎖的にカエルのこと思い出しちゃうじゃない。ねえ、カズマ?」

 

「つかあいつ、まるっきりホラーゲーム特有の追跡系倒せないボスじゃねえか……」

 

「ほらげ……?」

 

 シルビアは闇に潜み、突如現れ、人にとって致命的な行動を取っていく。

 

 

 

 

 

 ずり、ずり、と下半身が機械の蛇になったシルビアがダンジョン内を這い回る。

 じわり、じわりと、人間達はシルビアに吸収されていく。

 シルビアは、知恵ある敵だ。

 このグロウキメラは、人質を取ることを躊躇わない。

 

「てめえ……!」

 

「おっと、動くんじゃないわよホースト。

 幹部級に強いあなたと戦うなんてまっぴらごめんよ。

 下手に動いたら、この紅魔族のお嬢ちゃんの死体は残らないと思いなさい」

 

 こめっこと分断されたホーストがこめっこに召喚され、ホッとしながら彼女の下に馳せ参じて見た光景は、シルビアに捕まり無理矢理召喚させられていたこめっこの姿であった。

 シルビアはいつでもこめっこを蘇生不可能なやり方で殺せる状態にある。

 この状況が作られた時点で、ホーストに生き残る道はなかった。

 

「大人しくアタシに吸収されるなら、この子だけは見逃してあげてもいいわ」

 

「……おい、本当だろうな?」

 

「ええ、勿論よ。あなたを吸収できるならそのくらい対価としては当然でしょう。

 それに……本当に必要ならともかく、こんなに小さな子を手にかけるのは気が引けるわ」

 

「言ったな? ならこいつは悪魔との契約だ。破ることは許されねえぞ」

 

「どうぞ、お好きなように」

 

 こめっこが暴れ出すが、シルビア相手では逃げ出すことさえ叶わない。

 

「だめ! ホースト!」

 

「覚えておけ、こめっこ」

 

 ホーストはシルビアのかざした掌を見ながら、こめっこに別れの言葉を遺す。

 

「召喚者より後には死なない。

 いつだって召喚者を守り、召喚者より先に死ぬ。

 そいつが召喚された俺達悪魔が持ってる、なけなしの誇りってやつなんだ」

 

 そう言い残し、シルビアに吸収されていった。

 

「ホーストーっ!」

 

 シルビアの体色が変化する。

 身体能力が劇的に上昇し、悪魔の爪・牙・翼が体に備わって、魔力も一気に増大した。

 その姿は、まさしく悪魔。

 残機なるものを使って生き残る悪魔という生物の耐性も、吸収の力の前では無意味だった。

 

「ふふっ……さて、後何人取り込もうかしら……?」

 

 むきむきとも殴り合える幹部級の悪魔を取り込んでなお、シルビアの『吸収して強くなる』という強欲は止まらない。

 

 

 

 

 

 油が砂に染みていくように。

 じわり、じわりと、シルビアの悪意が人間達を侵していく。

 

 

 

 

 

 通路の行き止まりに追い詰められたあるえが、ゆったりと近付いてくるシルビアに恐怖を感じるも、顔には出さない。

 彼女は抵抗の魔法を撃ったが、魔術師殺しを身に纏うシルビアには傷一つ付けられなかった。

 

「アタシも、前の戦いでは希少な素材を使ったポーションで吸収を解除されたけど」

 

 負けて何かを学ばない者は、愚か者だけだ。

 負けた理由を考え、学び、自らを鍛え、より強くなる。

 シルビアもまたそうだった。

 

「今回はそれもない。じっくり時間をかけて、このダンジョンの闇の中で仕留めさせてもらうわ」

 

 吸収解除。ただそれだけを、彼女は徹底して警戒している。

 

「そう、全員ね」

 

 一人も生かして返さない。シルビアからは、揺らがない鋼鉄の意志が感じられた。

 あるえは抵抗を放棄して、保証も確証もなく『助けてくれるだろう』と彼を信じて、昔好きだった男に自分の未来と命運を賭ける。

 

「まったく。これはどうやら王子様を待つお姫様の気分で、待っているしかないみたいだ」

 

 助けは期待するが、彼が自分だけの王子様になることは期待しない。

 恋が終わった後の少女の心情など、そんなものだ。

 

「それは不可能というものよ。私が取り込んだ者は、私でさえ自由には吐き出せないのだから」

 

「私は現実的な話をしてるんじゃないよ。

 何を信じてるかの話を、どう転がれば面白いかの話をしてるんだ。

 私は小説家志望だから、多少荒唐無稽な未来予想の方が好きなのさ」

 

「あら。じゃあ、あのむきむきという子を仕留める時は、あなたの顔を使うことにするわ」

 

「……性悪め」

 

 あるえの両親の顔を一瞬だけ表に出して、それからあるえを吸収するシルビア。

 

 今この瞬間、この世界に生きている紅魔族は、たった四人しか存在していなかった。

 

 

 




 書籍版だと描写カットされてるんですがめぐみんが里帰りすると里の皆が親しみを込めて迎えてくれるのに、ゆんゆんが里帰りすると余所者を見る目で見てくるというのは中々にハードモードでゆんゆんかわいそかわいいと思いました

 どうでもいいことなんですが、プロットの端に
「プロセスは全く違うが"すぐ結論を出せずヒロイン間で揺れる主人公を描写する"ことで、原作のカズマとの対比を行い、むきむきとカズマの『思考も性格も全然違うが目的地と向いている方向は同じ』という友情を婉曲的に見せていく」
 みたいなメモが書かれていました
 メモした記憶が全く無いので多分妖精が書いたんだと思います


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4-4-2

 シルビアの魔法抵抗力を知った上で、紅魔族が撃った魔法からシルビアを守るため、命を投げ捨てて盾になろうとする部下が居るくらいには、シルビアは部下に好かれてる人です


 めぐみんもゆんゆんも、この薄暗いダンジョンと孤独に年相応の恐怖を感じつつも、ダンジョンの中を一人徘徊していた。

 怖い。と、心が言う。

 でも動かなければ始まらない。と、頭が言う。

 むきむきは穏やかでおどおどしがちな性格のため、この二人の方が男らしく見える時もあるが、闇に対して恐怖を抱かないタイプの心の強さを見るならば、むきむきの方がずっと強い。

 

 ゆんゆんは壁に右手をついて、めぐみんは壁に左手をついて薄闇の中を進んで行き、ある曲がり角でぶつかるようにして互いの姿を認識した。

 

「あ」

「あ」

 

「めぐみん! 無事だったのね!」

「ゆんゆん! 無事だったんですね!」

 

 二人は友人だ。

 だから互いに"もしかしてやられているんじゃないか"と心配していた。

 二人は戦友だ。

 だから互いに"自分より先にはやられていないはず"と信頼していた。

 二人は恋敵だ。

 だからこの機会に自分の方がリードできるチャンスが来れば、と思わなくもなかった。

 二人は同じ人を好きになった。

 だから、こんなところで二人の内片方が"居なくなる"ことなど許せない。

 正々堂々ぶつかって、ちゃんと勝って終わらせたいと思っている。

 

「あの音、ゆんゆんも聞きましたよね?」

 

「……蛇の這いずる音みたいなの?」

 

「ええ。あれが聞こえたらむきむきを呼びましょう。それまでは控えるということで」

 

「うん」

 

 むきむきはゆんゆんが居ればいつでも喚べる。

 むきむきが既に誰かと合流しているなら、召喚魔法を使わず合流するのが望ましい。

 二人は理性的に考え、頼りになる幼馴染を呼び寄せない選択をした。

 未だ心細くはあるが、隣に居るライバルのお陰で、薄闇の中を進んでいく勇気が持てる。

 "ライバルに情けない姿を見せてたまるか"という意識は、誰の中にも大なり小なりあるものだ。

 

「この暗さ、なんとなくむきむきと初めて会った時のことを思い出しますね」

 

「そうなの?」

 

「可愛くて動かないから人形だと思った、とか言われましたよ」

 

「……」

 

「あれは本当に人形みたいだと思ってたんでしょうねー、まったく」

 

 昔、めぐみんにとってその記憶は憧れの気持ちを生むものだった。

 今は、『可愛い』という評価を内包する、懐かしくも嬉しい想い出である。

 

「私はめぐみんがデュラハンにやられた時の夜を思い出すかな」

 

「ほほう」

 

「むきむきはめぐみんのためにもう必死になって戦って。

 でもめぐみんは助けられたけど悔しい結果に終わって。

 今まで隠してた自分の弱さを全部吐き出しちゃうくらい、大泣きしてた。

 ……あの夜に泣きつかれるまで、私はむきむきがあんなに悩んでるって知らなかったんだ」

 

「……」

 

「感づいてはいたんだけど、あんなに悩みが深いとは思わなかった」

 

 あの時からゆんゆんは明確に力を求め始めた。戦いの中でむきむきを守ろうとする意識を強く持つようになっていた。

 あれはむきむきが自分の弱さを全て見せてくれた、ゆんゆんの大切な想い出だ。

 

「めぐみん、私が知らないむきむきのことをもっと知ってるんだよね?」

 

「そう言うゆんゆんも、私が見たことのない彼のことを知ってたりするんでしょう?」

 

「……」

「……」

 

「私に自慢する?」

「私に自慢しますか?」

 

 自慢されることは嫌で、けれど彼のことはもっと知りたい。

 『彼のこと』で自分が知らなくて他人が知っていることがあるのが、なんだか悔しい。

 もっと彼のことを知り、彼を理解したい。

 そういう気持ちから、二人は互いの想い出を聞き出したり、自慢したりといったことを始めた。

 

 『自分と彼だけの想い出』を相手に自慢する。

 相手が悔しそうにする様子を見て、ちょっとばかり優越感に浸る。

 逆に想い出自慢をされて悔しい気持ちにもなる。

 そして『自分と彼だけが知っていること』が『三人が知っていること』に変わっていく。

 自分だけの特別が薄まっていく。

 対抗心から、自慢話という形で想い出を次から次へと語っていく二人。

 秘密にしておけばいいものを、控えめに言ってバカの所業であった。

 

 話をしながらも油断なく道を進み、二人分の視界で死角は生まない。

 会話が途切れればその瞬間に隣の人間が消えたという証明にもなるので、そういう点でも安全性の確保に一役買っていた。

 

「夜中と言えば山の中で野宿した時の一撃熊鍋とか美味しかったですよね」

 

「あー、私達三人だけだった時の……

 そういえばもう三人だけで旅をすることもなくなって、ちょっと寂しいかも」

 

「人が増えてるのに寂しさを感じるというのも変な話ですが、同感です」

 

「あの頃はあの頃で楽しかったもんね」

 

 二人には昔からの付き合いがある。

 昔から付き合いがあるということは、恋愛エピソードの自慢が、そのまま三人で過ごした想い出の想起に繋がるということだ。

 

「あの時の一撃熊鍋はめぐみんが調理したんだっけ」

 

「あの時の面子の中では私が一番料理上手かったからそうなったんですよね」

 

「……わ、私も料理の腕は磨いてるから……」

 

「私ゆんゆんの知らないところで『いいお嫁さんになる』ってむきむきに言われてましたよ。

 ゆんゆんの目の前でも『めぐみんの嫁力はゆんゆんに生涯無敗』って言われてましたけどね」

 

「! くぅっ……!」

 

「いぇーい、今どんな気持ちですかー?」

 

「今が緊急事態じゃなければ右ストレート放ってたわ、絶対に」

 

「このピースサインは勝利のVサインです」

 

「今が緊急事態じゃなければ上級魔法放ってたわ、絶対に……!」

 

 ゆんゆんから弁当を巻き上げるときでなくても、恋愛絡みの問題が無かったとしても、めぐみんは時々意味もなくゆんゆんを煽っていく。

 昔から二人はずっとこんなんなのだ。

 恋敵になろうとも、ドロっとした修羅場ではなく、紅魔族らしい修羅場になる。

 憎みはしないが殴りはする、そういうノリだ。

 

「カズマには盗聴スキルがあります。

 鼓膜保護のため常時使ってはいませんが、こうして大声でない程度に会話しておけば……」

 

「うん、そろそろだと思う」

 

 めぐみんやゆんゆんが、他の人がやられた直後に走って逃げ切れたという時点で、シルビアにはこの状況で脅威になるレベルの探知スキルは無いという推測が立てられる。

 それはこの二人の共通認識だ。

 会話の声程度では、余程近付かれでもしない限りシルビアに見つかることはない。

 が、カズマは遠くからでもこの二人の会話を拾うことができる。

 

「お、二人発見」

 

「ほら来てくれました」

 

 凡夫であればこの状況、敵に見つからないよう黙り込んで静かにする。

 が、ある程度頭が良ければ大きすぎない声を出し続けることを選ぶ。

 何故なら、その方が早くカズマ達と合流できるからだ。

 

 

 

 

 

 めぐみんゆんゆんに、カズマアクアダクネスが合流。

 合流直後に何やら憤慨しているこめっこも拾い、これで六人。

 カズマはすぐにむきむきを召喚することを提案した。

 むきむきに同行者が居た場合そちらが孤立する、と二人は主張したが、カズマは二人のその主張を否定する。

 

「もう俺達とシルビア以外に動いてる奴は居ねえよ」

 

 その言葉の意味が分からない二人ではない。

 むきむきの召喚が行われ、ようやくいつもの六人チームが結成された。

 こめっこを守りつつ、まずはどう動くべきか?

 チームリーダーのカズマへ皆の視線が集まる。

 

「じゃあ全員手を繋いでくれ。壁から離れないように、潜伏発動しながら移動するぞ」

 

 こめっことめぐみんが手を繋ぎ、めぐみんとむきむき、むきむきとゆんゆんが手を繋ぐ。

 ゆんゆんとアクア、アクアとカズマ、カズマとダクネスが手を繋ぐ。

 カズマは"むきむきに変なことしないだろうな左右のあいつら……"とか考えているせいで、自分と手を繋いだ時のダクネスの顔が赤かったことに気付いてもいない。

 そのくせ、アクアとカズマが手を繋ぐ時は、熟練夫婦のようなスムーズさがあった。

 

「何度も言うけど、壁から離れるなよ」

 

 カズマが潜伏を発動し、壁沿いをゆっくり動いていけば、時々足を止めるだけでシルビアの感知網にはまるで引っかからない。

 一行はカズマの指示で、上の階へと繋がる道を手探りで探し、ゆっくり時間をかけて進む。

 

「あっさりいくね。もっと苦戦するか、一回は見つかると思ったんだけど」

 

 拍子抜けするくらいにシルビアに見つからない。不思議そうにしているむきむきに、カズマは身も蓋もない答えを返した。

 

「そりゃ簡単な話だ。紅魔族に潜伏スキル持ちなんて居ないだろ」

 

「あ、確かに」

 

 『対策』というものは対策を立てた対象以外には無力であることがままあり、一人一職業という獲得スキルにかかる縛りが、『臨機応変』に制限をかける。

 紅魔族という強敵集団を仕留めるための対策では、カズマ達は嵌め殺せない。

 ダンジョン作成という小細工に走ったシルビアだが、小細工勝負であれば小賢しいカズマに軍配が上がるのだ。

 

「よし、ここが一番上の階だな」

 

 えげつない能力が相手なら、えげつない手で対抗すべきである。

 

 

 

 

 

 カズマがまずしたことは、内部に人間を閉じ込める構造――出口も窓もほぼ無い構造――になっているこのダンジョンの階下に、大量の水を流し込むことだった。

 

「よし出せそれ出せ頑張れアクア!

 今のお前は水道の蛇口より人に頼りにされる存在になってるぞ!」

 

「ふふっ、そんなに褒めても……ん? ちょっと待って、それ褒めてるの?」

 

 蛇口より頼りになる女、アクア。蛇口より被害が少ない女とは言ってない。

 

「迷ったら水攻めに走るカズマくん、嫌いじゃないよ」

 

「これでシルビアは外に出るか、上に上がってくるしかないわけだ」

 

 人が出て行く穴がほぼないために、水が出て行く穴もないのがこのダンジョンだ。

 水は一方的に溜まっていき、シルビアが行き来するための通常通路と隠し通路の経路にも流れ込むため、階下にある全ての空間は水で満ちるだろう。

 何もしなければシルビアは溺れ死ぬ。

 魔法無効化だろうが、吸収能力があろうが、問答無用で溺れ死ぬ。

 

 常識的な思考であるならば、シルビアが取る妥当な手段は、外に逃げるか、カズマ達が居る高さまで上がって来るかのどちらかだろうか。

 

「上に上がってきたら俺の敵感知で分かる。

 そうしたらゆんゆんの魔法で壁の一部を壊して射線空けて爆裂魔法撃てばいい。

 魔力爆発そのものはダンジョンの壁がある程度緩衝材になるから問題無い……と思う。

 ただの瓦礫が沢山飛んで来るだけならむきむきが全部弾けるよな? 信用してるぞ」

 

「獣を罠の場所まで追い込んで仕留める狩人みたいなこと考えてるね、カズマくん」

 

「シルビアが外に出たら俺達もゆっくり外に出ればいい。

 外で戦うならとりあえず敵に地の利はつかないだろ。外で遠慮なく爆裂魔法を当てりゃいい」

 

「やっぱり理想的な有効打は爆裂魔法?」

 

「触れるのがアウトなら、魔法無効さえ無視しそうな『最強』に賭けるのが一番だろ」

 

 ダンジョン内戦闘では基本的に爆裂魔法は使えない。

 このダンジョンは紅魔族対策特化、つまりめぐみんのような爆裂魔法特化個体紅魔族の存在も想定して作られた密閉空間。存在そのものが爆裂魔法対策なのだ。

 爆裂魔法を使うなら、ターゲットにはできれば外に出ていて欲しいところ。

 周囲の視線が、自然とめぐみんに集まっていく。

 

「はい、お任せください」

 

 めぐみんが自信満々に胸を張る。

 精神的な問題はなさそうだと判断したカズマは、アクアが水没させた一つ下の階層の水に、懐から取り出した金属製の瓶の中身を全部投入した。

 

「カズマくんがボトボト水に流し込んでるそれ、何?」

 

「ゆんゆんが凍らせたハンスの死体買い取ってスキルで加工した毒薬」

 

「……ま、マジですか」

 

「マジマジ。スプーン一杯でプール一杯くらいなら猛毒にできる毒薬だ。

 魔王軍には魔王軍、幹部の力には幹部の力。

 どうせ俺達はアクアが居る限り毒死なんてしないんだ、派手に使ってやろうぜ」

 

「ハンス……カズマくんの前で死ぬなんていう失態を犯したばかりに……」

 

 これでシルビアが水棲生物を吸収していたという万が一の可能性もカバーできる。

 ダンジョン内の水抜きをしようとして一階に大穴を開ければ大惨事になることだろう。

 ハンスを使ってシルビア対策を行うあたり、文字通りの『毒をもって毒を制す』といった外道戦術であると言える。

 

「アクアー、浄化効果の無い普通の水出してくれたんだよな?」

 

「大丈夫大丈夫、普通の水よ」

 

 アクアは手から出して適度に継ぎ足していた水を、水鉄砲のようにカズマの顔にぶっかける。

 この非常時に、特に意味もなく。

 

「はっ倒すぞお前!」

 

「やーねー、緊張を解きほぐすためのちょっとしたお茶目……」

 

「お前が部屋に隠してる酒、屋敷に帰ったら残ってると思うなよ」

 

「え、え? 待って待って待って! ごめんなさいカズマさん! 待って考え直してー!」

 

 カズマは有言実行の男である。相手がヒロインであっても割と容赦がない。

 実際にカズマは緊張していて、今のアクアの行動でカズマの緊張がなくなったということに、カズマとアクアとむきむきだけが気付いていた。

 

「敵感知と盗聴のスキルは常時発動しておくから、ここで少し休憩にしようぜ。

 さすがにシルビアを倒すには腰を据えて考えないとダメくせえし」

 

「流石ねクソニート。休むタイミングを見逃さない目があるんだわ」

 

「お前も蛇口みたいにひねれば口閉じる部分があればいいのにな……」

 

「ちょっとどういう意味よ!」

 

 こんなアクアだからこそ、カズマに一番近い位置に居られるのかもしれない。

 

「カズマくん、カズマくん、今このスキルの中ならどれ取るべきだと思う?」

 

「このポイントだと……全部は取れないか。

 つかやっぱ魔法系はポイントを多く消費しちまうんだな。なら……」

 

 とりあえずは敵を警戒しつつ冒険者カードとにらめっこだ。

 特にポイントを温存していたむきむきは、カズマの言う通りに習得スキルを決めてくれる――むきむきの将来に影響する獲得技能をカズマの言う通りに決めてくれる――のもあって、カズマの悪知恵で出来ることの範囲を広げてくれる。

 カズマとむきむきが話している後ろで、こめっこはシルビアに怒っているのか"ぷんすかぷん"といった表情で、床にチョークで何かを描いていく。姉はそれを、首を傾げて眺めていた。

 

「こめっこ、何してるんですか?」

 

「まほーじんだよ、姉ちゃん」

 

「ん? どうしたの?」

 

 めぐみんの疑問の声が気になったのか、むきむきが振り返る。

 

「いでよ! わがつかいま、バニル!」

 

 そして振り返ると同時に、こめっこがバニルを召喚していた。

 

「!?」「!?」「!?」

 

「主よ、そう頻繁に我輩を呼ぶなと言っただろう」

 

「バニルさん!?」

 

 姉妹揃って、常識の破壊者極まりない。

 

「えっ……え!? こめっこちゃん、なんでバニルさんを召喚できるの!?」

 

悪魔(ホースト)悪魔(ホースト)のことをよく知らないと召喚できないからだよ、兄ちゃん」

 

「あーだからホーストの前に見通す悪魔を先に従えたんだ頭良いー……ってなにそれ!?」

 

「バニルはわがつかいまですが、どれいではありません。

 戦ってもくれません。でも私を守ってくれるつよーい悪魔なのです」

 

 ランダム召喚でバニルを召喚し、バニルを使ってホースト召喚の事前準備を整えるという、最新型ゲームエンジンを使って旧型ゲームソフトをDLするような召喚の経緯があったようだ。

 最強の悪魔を素材に結構強い悪魔を呼ぶような本末転倒感。

 その実本末転倒でもなんでもなく、ホーストが呼べるならなんでもいいやというこの思考。

 『魔性』の妹の称号は伊達ではない。

 

「よりにもよってこのタイミングで我輩が召喚されるとは……!

 あの貧乏店主が店の売上全てでガラクタを買おうとしていたタイミングでっ……!」

 

「……ドンマイです、バニルさん」

 

 ウィズの『絶対商売が失敗する』という因果律がこの結果を招いたのだろうか。

 幸運なこめっこの無事が保証されたのも、バニルがいつものようにウィズの散財を妨害するに失敗するのも、とてもお約束感がする。

 ウィズには自分の商売が必ず失敗するよう、世界の命運を捻じ曲げ辻褄を合わせる能力があるのかもしれない……と、カズマが思ってしまうほどに酷い流れであった。

 

「あの、ウィズさんのお店に行く頻度上げますので……」

 

「……」

 

 むきむきが励ますと、バニルは何かを諦め何かを割り切った様子で、その場にあぐらをかいて座り込む。

 そして膝の上にこめっこを座らせる。

 今この瞬間こめっこは、世界で一番安全な場所に座らされ、バニルが明言しないだけで世界一強力な生存保証をされていた。

 

「我輩はこの未熟な主と、つまらん命令は聞くがそれ以外は無視していい契約を交わした。

 よって戦えと命じられても従わん。この子は守るが、我輩を戦力としては期待しないことだ」

 

「ちょ、うちの妹を……」

 

「代わりと言っては何だが、定期的に当店を利用してくれる礼だ。質問があれば答えてやるぞ?」

 

「お、いいのか? じゃあシルビアのスキル構成教えてくれよ」

 

 めぐみんの抗議を無視して、カズマはバニルに話を聞き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ダンジョン外部では日が沈みかけていた。

 警邏と残党探しで外部を見回っていた名も無きシルビアの部下達も、ダンジョンの外へと出たシルビアと合流。

 シルビアの部下達は一度、むきむき達に考える時間をやらないためにダンジョンの水抜きを提案したが、カズマの狙い通り毒を帯びた水が排出されたため、シルビアの部下の約半数がリタイアするという大惨事となっていた。

 

「なんで魔王軍の俺達より畜生な人間が居るんだ」

「もしや俺達の畜生度が足りないのでは……?」

「!」

 

 毒を食らった人間は後方に下げ、倒れた仲間を運搬・手当てする人員を割くと、シルビアの部下は数人しか残らなかった。

 だが、シルビアに焦った様子は見られない。

 元よりこの紅魔の里襲撃作戦は、シルビアの能力だけを頼みとしている。

 部下が減っても、戦闘行動に支障はきたさない。

 

「シルビア様、後始末が終わりました」

 

「ご苦労様。敵は最上階の壁を壊して出て来ると考えられるわ。

 向こうも十分考える時間を得られたでしょう。そろそろ来るわよ」

 

「了解しました」

 

 シルビアはこの水と毒でのダンジョン下階層制圧を、ダンジョンの外を戦場とするための作戦であると同時に、人間側が考える時間を得るための時間稼ぎだと推測する。

 だが結局、毒にやられた部下達の命を助けるために相当な時間を使ってしまった。

 沈んでいく陽を背中に受けて、シルビアは使ってしまった時間の価値を噛み締める。

 

「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 

「いいわよ、何が聞きたいの? スリーサイズ?」

 

「それは結構です。あの筋肉お化けの紅魔族に何故こだわるのですか?」

 

「こだわってなんかいないわよ」

 

「いいえ、こだわっています。

 誤魔化せてるつもりでも行動が時々変になってますよ、シルビア様」

 

「……」

 

 シルビアは合理で動いているのか、執着で動いているのか、行動を俯瞰して見るといまいちハッキリとしない印象を受ける。

 付き合いの長い部下なら、そこにいっそう大きな違和感を覚えているに違いない。

 部下の追求に、シルビアは溜め息を吐く。

 

「昔、あのむきむきって紅魔族の両親と何度か戦ったことがあったわ。

 そして一度だけ、運悪く完膚なきまでに負けそうになったのよ。

 最終的に逃げ切ることはできた。

 でもその時、醜いモンスターの死体を見て、アタシは思ってはいけないことを思ってしまった」

 

 "この醜い肉体を取り込んででも、生きたい"。

 

「『死ぬくらいなら美しさも捨ててしまった方がいい』って、思ってしまったのよ」

 

「……」

 

「生まれ持った品性の無さだけは、何を吸収しても変えられないってことなんでしょうね」

 

 シルビアは女性らしい美しさに並々ならぬ執着を持っている。

 男のくせに女を取り込み、完全に身に付きもしないのに女の顔や体付きを手に入れ、薄着のドレスでそれを周囲に見せつけていることからもそれは頷ける。

 シルビアは基本的に綺麗な女性しか取り込まないと決めていた。

 けれど、死ぬほど追い詰められればその執着さえ捨ててしまう。

 

 自分の美学を貫く強さがない。

 自分のこだわりと心中できる強さがない。

 だから、自分を曲げてしまう。

 そんな弱い自分を、"美しくない生き方をしている"と、シルビアは自虐していた。

 

「因縁を把握しました。

 我々は部下としてその意志を貫いて欲しいと考えます。

 どうか我々を使い潰すことも厭わず、その因縁に決着をつけてください」

 

 そして、部下の言葉と忠義に苦笑する。

 部下が伝えてきたその言葉を、掛け値なしに美しいものであると、シルビアは思った。

 

「いいからあなた達は作戦通りどこかに隠れてなさい。

 あなた達は弱いのよ。

 アタシはあなた達から何かを奪う気にもなれないし、部下を誰かに奪わせる気もないわ」

 

「……! ご武運を! 必ずや勝利と、その果てに人類の絶滅を成し遂げましょう!」

 

 部下が里周辺の木々の合間に隠れる。

 その内ダンジョンからむきむき達はやってくるだろう。

 十分後か、一時間後か。

 シルビアはそれをじっくりと待つことにした。

 

「さあ、どう来るかしら」

 

 取り込んだ紅魔族達の肉体資質が、シルビアの魔力を恐るべき速さで回復させていくが、魔力容量自体がとてつもなく大きいので全回復はまだ遠い。

 ホーストを取り込んで変質した肉体は頑強で、下半身は魔法無効化能力を与えてくれる魔術師殺しの銀の蛇体。

 シルビアは己の頬をなぞり、変わり果てた――美しさを失った――肉体に目を細める。

 

「……」

 

 シルビアは男が性的に好きだ。

 恋愛対象、性欲対象が男なのだ。

 それでいて素の自分の話し方は男性的で、取り繕って喋る時のみ女性口調になる。

 女性を取り込んで外見を女性的にしているが、下には男性器が付いたままで、放っておけば髭も伸びてしまうなど、完全に女性化したわけではない。

 

 シルビアは歪なのだ。男として見ても、女として見ても。

 

 ただの同性愛者なら、自分の肉体を異性に改造しようとまでは思わない。

 同性愛者の皆が性転換手術を望むわけではないのと同じだ。

 捻くれていない同性愛なら、まずは自分の体を変えることなく、今の自分のままで愛し合える相手を探すことだろう。

 

 なら自分の体を異性のものへと変える欲求とはどういうものか。

 多いものだと、二つの例が挙げられる。

 一つは、自分の性自認と肉体の性別が一致しないパターン。

 もう一つは、男性と男性の恋愛という事柄が受け入れられず、自分の性別を変えてまで女性と男性という構図にしようとするパターンだ。

 この二つは、別の言い方で一つにまとめることができる。

 

 すなわち、『なりたい自分』と『異性になった自分』が同一である、ということだ。

 

 サッカー選手になりたいと思う人のように、女性になりたいと思う男性、と例を挙げれば分かりやすいだろうか。

 シルビアは先に書いたように、素の自分が男性的で、取り繕うと女性的になる。

 つまり心の性別と体の性別が一致していない、というわけではない。

 かといって、恋愛のために自分の体の性別を変えようとしているわけでもない。

 これはどういうことなのか?

 

 シルビアは性同一性障害ではなく、同性愛者である。

 彼の精神の基盤は男のそれであり、彼は男のまま男を性的な対象として見ている。

 男を見て勃起する性スタイルなのだ。

 なのに自分が美しい女性であることにこだわる。

 女性的な話し方、女性的な服装、女性的な外見であることにこだわっている。

 

 そこには、シルビアの生い立ちに関わる歪みがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪魔にも様々な種類がある。

 バニルのような人や神々と変わらない姿をした大悪魔。

 ホーストのような戦闘に特化した獣に近い姿を持つ悪魔。

 アクセルのサキュバスのような、有名な固有種族名を持つ下級悪魔。

 そして、下級悪魔にもなれない鬼族。

 

 シルビアはこの鬼族の生まれであった。

 

 吸収した者達を全て引き剥がせば、おそらくそこには何も持たない鬼族のシルビアが残ることだろう。グロウキメラとは、多くを取り込んだ後のシルビアの固有種族名。

 素のシルビアは、戦う力も持たない弱き鬼族の末端でしかないのだ。

 

 バニル曰く、悪魔には独自の美学と生き様があるという。

 弱者は虐げられ、強者がそれを支配する。

 力こそが正義で、力を持たない者は悪。

 欲望のままに振る舞うことこそが美徳であり、弱者は縮こまって自らを律するべきである。

 そんな生き様が当たり前である悪魔の世界に、シルビアは弱者として生まれた。

 

「おい、見ろよ」

「弱虫のシルビアだぜ」

「雑魚のシルビアだ」

 

 シルビアも生まれた時から歪んでいたわけではない。

 ただ、歪む資質は持っていた。

 彼は弱かったのだ。

 弱さは醜さ。

 弱さは侮蔑されるべきもの。

 彼は周囲からバカにされ続け、弱いというだけでさして醜くもない容姿を醜いとされ、弱いというだけで足蹴にされてきた。

 

 ただの人間と比べれば、ずっと強かった。

 純粋に外見だけを見るならば、さして醜くもない容姿だった。

 だが、悪魔の世界において弱さは罪に近いものだ。

 人間の世界でさえ、特に容姿が悪くないいじめられっ子がいじめのせいで「自分はブサイクなんだ」と思い込んでしまうことは多い。

 

 下級悪魔にさえ見下される鬼族が、鬼族の中でも特に弱いシルビアを見下す日々は続く。

 誰かに虐げられた者は、自分より下の者を見つけて虐げる。

 どこの世界でも、どんな場所でも同じだった。

 同族に蹴り転がされ、泥の中に仰向けに転がされながらも、星を見上げて彼は奮起する。

 空を見上げて星を目にすれば、もうちょっとだけ頑張れる気がした。

 

「……頑張ろう。弱すぎて底辺だからって、負けるものか……!」

 

 シルビアは負けなかった。彼にはとびきりのガッツがあったのだ。

 日々頑張り、時に恋をし、時に好いた女性に告白し、恋の熱を必死に伝える。

 

「バッカじゃないの?」

 

 だがその恋が実ったことは一度も無かった。

 

「アンタみたいに弱くて醜い鬼の出来損ないが、何思い上がっちゃってるのよ」

 

 見下されている者が、見下している者を射止めることは難しい。

 

「身の程を知りなさいよ、まったく」

 

 鬱屈していく。

 歪曲していく。

 圧壊していく。

 シルビアは環境のせいか、特異な精神性を育てていった。

 

 その心に溜め込まれたものが発散されたのは、シルビアが自分の中に眠っていた、『キメラと呼ばれるモンスターになることができる吸収能力』に目覚めてからだった。

 

「……あはっ」

 

 この頃から、今のシルビアを形作る精神性の雛形があったと見ていいだろう。

 

「やっ、やめて!」

「あんたなんなのそれ!? あ、あ、体が、吸われ―――」

「いやあああああああっ!」

 

 シルビアはまず、自分が惚れた女性を全て吸収した。

 次に、自分が美しいと思った女性を全て吸収した。

 その過程で、今までにあった自分に新しい自分を上塗りしていく。

 

 吸収するたび、男としての自分が薄れていく。

 自分自身で侮蔑していた、シルビアという名の『男』が薄れることに快感を覚える。

 吸収するたび、女としての自分が増えていく。

 嫌っていた『女』達から、全てを吸収し略奪することに悦楽を覚える。

 

 自分を振った女への不信は男への性愛に転じる。

 そして自分が強く、美しく、女らしくなっていくたびに、シルビアは大嫌いだった自分を愛せるようになっていった。

 自分本来の姿を嫌い、元来の自分とは正反対の美しい女の姿を求め、異性の美しい姿へと変貌した己でなければ愛せない。

 これを、歪みと言わずなんと言うのか。

 

「より強く、より美しく、アタシはより完璧に」

 

 シルビアは盗賊系の職業だ。

 他人から『強さと美しさを盗む者』。

 ゆえに、盗賊。

 

「アタシより美しい者を、できればそれでいて強い者を、アタシの内側に」

 

 悪魔の倫理観と歪んだ環境が生んだ、強さと美しさの同一視。

 シルビアは強さと美しさの見分けがつかなくなって、自分のものと他人のものの見分けがつかなくなって、男と女の境界さえ自分の中で曖昧になっていく。

 醜いのは嫌だ、美しくなりたい。

 生きたい、そのためなら美しさも捨てられる。

 生きるために強くなるとしても、醜くなるのは嫌。

 この三つがシルビアの中で大きくなったり小さくなったりして、状況に合わせたシルビアの行動原理を決定する。

 

 平時は美しさを求め、窮地には強さを求めるのだ。

 

「……ああ、そうね」

 

 だが、シルビアもいつかは自分自身の本質に気付く。

 

「アタシは美しく、それでいて美しくないんだわ」

 

 他者の吸収で変化する。

 他人を取り込めば取り込むほどに自分が自分でなくなっていく。

 自分が自分であることを捨てるたび、自分が美しく強くなっていく。

 それは同時に、『本当の自分は永遠に強くも美しくもなれない』ということも意味していた。

 

 シルビアのそれは成長ではない。

 吸収による変化であり進化なのだ。

 吸収した者を核である自分の周りに貼り付けているだけなのだ。

 何人他者を取り込もうが、シルビア自身は何も成長していない。

 仮に吸収した者達が全て消え去れば、後には鬼族で弱者のシルビアだけが残るだけだろう。

 

「……他人の心の美しさは、吸収できないのね」

 

 シルビアを構成するのは他人から奪ったものばかり。

 だから自分の矜持や美学でさえあっさり捨てることができてしまう。

 美しい女性以外も取り込もうと考えてしまう。

 そのくせ核の自分は残っているため、根本の自分は変われず、捨てたい弱さを捨てることもできないまま、他人から奪ったものを継ぎ足していくことしかできない。

 

 素の口調は男のまま。

 男性器も消えずに残ったままで、完全には女性になりきれない。

 精神性の基盤も男性のままで、男として男を好きな性癖も変わらない。

 吸収した者達を外面に貼り付けて、外見だけを誤魔化しても、彼自身は変わりきれない。

 

 女のようになった自分は愛せても、素の自分は愛せないままで変わらない。

 

「あなたが魔王?」

 

 シルビアの生涯に訪れた初めての転換点が吸収能力の覚醒であるならば、二つ目の転換点は魔王にスカウトされた時だった。

 

「アタシがシルビアよ。魔王軍にスカウトって本気かしら?

 自分自身で言っちゃうのもどうかと思うけど、アタシはまともでも真面目でもないわよ」

 

 シルビアの自虐気味の軽口を、魔王は言葉で切って捨てる。

 

「その能力と力量があればいい。

 性別がどうだろうが変態だろうが知ったことではない。

 要は信頼できるかどうかだ。強い仲間ならば、信頼できる仲間ならば、それ以上は求めん」

 

 歪みと逃避と略奪の生涯を送ってきたシルビアの言葉と比べれば、シルビアの方がかわいそうになってしまうくらいに、魔王の言葉には重みが乗っていた。

 重厚な人生を送ってきた男の言葉だった。

 安くない人生、軽くも薄っぺくもない人生、積み重ねた人生が吐き出す言葉だった。

 シルビアは彼の言葉を聞き流せない。

 

「お前が必要だ。お前のその力を貸してくれ」

 

 シルビアの心は、その一言で射止められていた。

 

 

 

(―――アタシが必要だと求められたのは、価値を認められたのは、生まれて初めてだった)

 

 

 

 老いてカリスマが目減りしてきた今の魔王は、幹部の者達に言うことを聞かせることができなくなりつつある。

 それでも裏切る幹部は居ない。

 元冒険者のウィズでさえ魔王を裏切り殺そうと思ったことはない。

 力を持つ配下達に担ぎ上げられるに足るものが、魔王の心には備わっていた。

 

「魔王様」

 

「なんだ?」

 

「あなたと合体したい」

 

「は?」

 

 男が尊敬する男に惚れる気持ち。

 女が恋慕する男に惚れる気持ち。

 同性愛者が同性に惚れる気持ち。

 その全てが、シルビアの中にはあった。

 魔王軍に入ることに躊躇いはなく、シルビアは次の日から魔王軍の幹部となる。

 

 シルビアには、魔王が光り輝いて見えた。見上げるようにその姿を見つめていた。

 泥の中で空を見上げ、そこに光り輝く星を見つけるような気持ちがあった。

 

 

 

 

 

 やがてむきむきの両親に追い詰められ、自分の恥部を見せつけられ、復讐する前にベルディアがむきむきの両親を殺してしまい、気持ちの行き場を失って。

 二人の間にむきむきという子が居たことを知り、一度は吸収した。

 だが、吸収の際に――むきむきの体の成り立ちが成り立ちだったからか――不思議なことが起こった。

 むきむきの心の一部が、シルビアに感応してしまったのだ。

 

「これは……」

 

 そこに、シルビアは不思議な共感を持った。

 むきむきは"『何故こんな風に生まれたのか』と自分を呪ったことがある者"だけしか持たない心の形を持っていて、それがまずシルビアの興味を引いたのだ。

 少年の中にあったコンプレックスが幹部シルビアを動かした。

 だが、部下を使って調べてみると、シルビアはむきむきに次第に不満を持ってしまう。

 

「何よこいつ。十分強くて力もあるくせに、コンプレックスなんか持ってたの?」

 

 むきむきが、最初から力の強い人間だったからだ。

 最初は弱かったシルビアからすれば、その肉体は純粋に憧れるものでしかなく、その肉体を持っている者がコンプレックスを持つということがまるで理解できなかった。

 

(あなたみたいな肉体が欲しかったわよ、アタシはね)

 

 シルビアは深呼吸して、心を落ち着けて、周りを見る。

 するとシルビアの視界の端を、一体の下級悪魔が通り過ぎていった。

 

(……ん?)

 

 下級悪魔はシルビアに見つからないようコソコソしていて、シルビアを見るだけで怯えていて、シルビアを心底恐れているのが見て取れた。

 鬼族だった頃のシルビアが強者として恐れていた下級悪魔が、今は逆に自分を恐れている姿を見て、シルビアの頭の中で認識と認識がカチリとはまる。

 

「ああ」

 

 シルビアはむきむきに対し、"そんなに強いのに何が不満なんだ"とむきむきを理解できないがゆえの不快感を抱いた。

 だが、シルビアが自分の中にあるコンプレックスを――自分の上に他者を貼り付けているだけ――先程の下級悪魔に語れば、下級悪魔も同じ感想を抱くことだろう。

 "そんなに強いのに何が不満なんだ"、と。

 

(アタシがあの少年に

 『そんなに強いのに、何故自分の生まれを恥じる必要があるの?』

 とかなんとか言ったら、アタシ自身が憤死してしまっていたかもしれないわね)

 

 力だけを見れば、シルビアもむきむきも類稀な強者で天才だ。

 強さだけを見れば、コンプレックスなんて持たなくてもいい存在に見える。

 けれど、シルビアもむきむきも、本当に欲しかった強さが手に入らず苦しんだ過去があった。

 

 シルビアは自分一人で持つ強さを求めた。

 同族に認められたかったからだ。

 むきむきは皆と同じ魔法の強さを求めた。

 同族に認められたかったからだ。

 二人共求めても手に入ることはなく、仲間の輪の中に入ることができなかった。

 二人揃って無いものねだり。

 けれども欲しいと思わずには居られない、そんな幼少期があった。

 

 

 

 

 

 そんなむきむきとシルビアが、紅魔の里であった跡地の一角で、今対決しようとしていた。

 

 

 

 

 

 ダンジョンの最上階部分が蹴り壊され、ダクネスとゆんゆんを抱えたむきむきが降りてくる。

 戦いに参加しないバニルとこめっこが居ないのは当然だが、カズマ・アクア・めぐみんも見当たらない。どこかに潜んでいることは明白だった。

 カズマが何やら小細工を弄している戦場の中心で、むきむきとシルビアは向かい合う。

 

「いらっしゃい。アタシが取り込んだお仲間を見捨てる覚悟はできたかしら?」

 

「そんなもの、ないよ。僕は助けるために頑張るだけだ」

 

「素敵ねえ」

 

 シルビアは運命に感謝した。

 遠きあの日、自分が子供の頃に求めた強さが目の前に居る。

 焦がれるように憧れた、最強の個が目の前に居る。

 自分と同じ気持ちを持ち、自分の気持ちを分かってくれる共感者として、最大の敵対者として、目の前に立ってくれている。

 

 これは幸運によるものではない。幸運の女神は、悪魔であるシルビアの宿敵だ。

 なればこそ、この巡り合わせは運命以外にありえない。

 シルビアという鬼族が夢見た『誰よりも力強い肉体』が、今シルビアというキメラの前に居る。

 

 シルビアには、むきむきが光り輝いて見えた。見上げるようにその姿を見つめていた。

 泥の中で空を見上げ、そこに光り輝く星を見つけるような気持ちがあった。

 彼を取り込むということは、憧れで見上げたその星を掴むことができるということ。

 

 グロウキメラのシルビアは今、星を掴むチャンスを前にしている。

 

 シルビアはむきむきの故郷も、故郷の同族も、仲間も、かつてはむきむき自身さえ奪った。

 今、シルビアは盗賊職らしく、少年に残された最後のものまで全て奪おうとしている。

 奪うことがシルビアの全て。

 他者を己が物とすることこそが、シルビアの生涯。

 下級悪魔より下等な鬼族だったシルビアは、今日も下級悪魔の皮で作ったドレスを身に纏い、『自分』より上等な全ての敵に食らいついていく。

 

「さあ遊びましょう!

 アタシは万物吸収の力を持つ幹部が一人! グロウキメラのシルビアよ!」

 

 魔王という星のため、目の前の星を喰らおうとする悪魔に、少年は赤く眼を輝かせ構える。

 

「我が名はむきむき! 紅魔族随一の筋肉を持つ者!」

 

 もうこれ以上は奪わせないと、彼は強く心に決めていた。

 

 

 




 シルビアが盗賊職であることには意味がある、シルビアが魔王に合体したいと言っていたことには意味がある、という独自考察


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4-4-3

 WEB版だと吸収した全員を引き剥がされ素の状態でオークの集落に放り込まれた後、身一つでオークの集落のリーダーとなったらしいシルビアさん。タフという褒め言葉でさえ過小評価な気がしますね


 むきむきを正面から向かわせ、潜伏で連れためぐみんの爆裂魔法を別方向から奇襲でぶつける、というのがカズマの考えた第一手だった。

 爆裂魔法は強力すぎる。姿を隠す魔法や潜伏スキルでも、魔法発動時に発生する膨大な魔力を感知されてしまう可能性があった。

 そのため、カズマが選んだ作戦は極めてシンプル。

 

「『バインド』!」

 

 めぐみんを連れて潜伏スキル発動、シルビアの背後から無詠唱爆裂魔法を発動させる。

 無詠唱爆裂魔法の発動に要する僅かな時間を、持って来たワイヤーを使ったバインドスキルで捕縛して稼ぐ。

 潜伏・バインド・爆裂と手早く繋げる必殺コンボであった。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

「『テレポート』!」

 

「!?」

 

 それを、シルビアは紅魔族から奪った即席テレポートで回避する。

 シルビアは離れた場所まで一瞬で移動し、爆裂魔法はシルビアに当たることはなく、その向こうの巨大ダンジョンへと着弾していた。

 

「テレポート……!」

 

紅魔族(あなたたち)がアタシ達を散々苦しめてきた里近くで跳ぶテレポート!

 そいつを使って、あんたの爆裂魔法を避けてやったのよ! どう、皮肉でしょう!?」

 

 シルビアは紅魔族によほどテレポートでからかわれてきたのか、紅魔族の力を使ってめぐみんをだまくらかすという皮肉混じりの戦法で対応してきた。

 バインドで捕まっていようが、テレポートでの逃亡は可能というわけだ。

 爆裂魔法の着弾を予測していたのか、こめっこを連れて事前にさっさと逃げていたバニル。

 魔力を使い果たして倒れるめぐみん。

 めぐみんを抱えるアクアに、舌打ちするカズマ。

 

「む、無念……!」

 

 めぐみんは魔力を使い果たして力なくドテッと倒れたが、シルビアはめぐみんの流れ弾爆裂が命中したダンジョンの上半分を見て戦慄する。

 里とその周辺を飲み込むほどの巨大ダンジョン。

 その上半分が、跡形もなく消滅していた。中の水に至ってはほぼ残っていない。

 中の水ごとダンジョンという風景を抉り消す、制御された極大火力。

 

「……どっちが化け物なんだか分かりゃしないわね」

 

 大量の吸収によって大幅に強化されたシルビアのスペックと、魔法を無効化する魔術師殺しを併せても、当たれば消し飛ばされかねないのが爆裂魔法だ。

 シルビアから見て北西側にむきむき・ダクネス・ゆんゆんが居て、南東側にカズマ・アクア・めぐみんが居る。当然、シルビアはカズマ達の方を狙う。

 

「カズマカズマカズマ! やっぱこっちに来ちゃたわよ!」

 

「分かってる! 当たれ狙撃ィ!」

 

 器用度と幸運で『精度』ではなく『命中率』が上がる狙撃スキルは、条理を外れた命中過程を経ることもあるカズマのメインウェポンの一つだ。

 だがシルビアはそれをさっと避けてしまう。

 他人から奪った幸運によるものか、他人から奪ったスキルによるものか。どちらにせよ、他人から奪ったものでそれをかわしたことに変わりはない。

 

(これを、投げ返す!)

 

 されど外れた矢を、シルビアの背後でむきむきが跳びキャッチした。

 むきむきはノータイム・ノーモーションで矢をシルビアの背に投げ、殺人ダーツと化したカズマの矢がシルビアの背に刺さる。

 

「あいたぁ!?」

 

「よし! これでどうかなカズマくん!」

「ナイスフォローだむきむき!」

 

「くっ、こんなもの……!」

 

 むきむきの筋力をもってしても、スキル補正がない軽い矢ではシルビアの背中に爪先ほどの傷を残すのがやっとであった。

 だが、カズマの目的を達成するだけならそれで十分だ。カズマは悪どく笑う。

 

「刺さったな?」

 

 傷口がじわりと熱を持ち、全身に小さな気怠さが生まれ、それが徐々に拡大していく。

 自分を襲うその症状に、シルビアは覚えがあった。

 

「……!? まさか、毒……!」

 

「最近は幹部相手だと爆弾が大して効かないからな。

 爆殺のカズマから毒殺のカズマにジョブチェンジすることにした」

 

「この毒、まさかハンスの……アタシの仲間の亡骸を随分使ってくれるじゃない!」

 

 シルビアはカズマを衝動的に潰しに行こうとして、回り込んで来たむきむきに阻まれ、前衛を無視してカズマをすぐに潰すことは難しいと理解した。

 

 カズマもそう多く毒を持ち歩いているわけではない。

 だが、矢の先に塗れる程度の量は常備している。

 ハンスの毒は微量でも命を削り、シルビアといえど治療を受けなければほどなく時間経過で死に至るだろう。

 

 ここからは時間との勝負だ。

 毒に侵されたシルビアは、時間経過で加速度的に体力を奪われていく。

 幸運の女神はむきむき達の味方で、時間もむきむき達の味方をするとなれば、シルビアも余裕を捨て去り本気で彼らを狩りに行くはずだ。

 だが、この毒でシルビアが死ねば、シルビアが取り込んだ全員が道連れに死んでしまう。

 

「正気かしら? あなた達の仲間も、アタシと一緒に毒に侵されているのよ」

 

「死ぬ前に助けるよ。死んでも助ける。僕らには、頼れる水の女神様がついてるんだから」

 

 むきむきがアクアを信頼した台詞を吐いたことで、むきむきの背後のアクアのテンションが上った音がする。具体的にはわちゃわちゃ騒ぎ出した。

 "お前調子乗ると失敗するんだから落ち着け"とカズマがアクアの後頭部を叩き、この大舞台でアクアが大やらかしするという事態を未然に回避する。

 むきむきは振り返らなかったが、自分の台詞で興奮したアクアがめぐみんをうっかり落とした音まで聞こえてきたので、自分の発言をちょっとだけ後悔していた。

 

「助ける? アタシ自身でさえ分離できないこいつらを、どう助けるつもりなのかしら!」

 

 シルビアはむきむきに跳びかかった。

 今まで吸収で強化してきたステータスにホーストを上乗せしたことで、戦闘技術はともかく身体能力においてシルビアはむきむきに比肩している。

 ゆえに速い。

 ゆえに強い。

 それでいて、しっかりと触れるだけでシルビアはむきむきを取り込める。

 

 伸ばされたシルビアの手に『吸収』のスキルが発動されているであろうことを予測し、むきむきはその手を思いっきり殴り抜いた。

 

「―――『ブレイクスペル』!」

 

 油断していたシルビアの手が殴り飛ばされ、手首の骨が嫌な音を立てる。

 

「―――っ!」

 

 シルビアは激痛が走った手を反射的に引き、痛みはあるが動かす分には何もないことを確認。拳を握って臨戦態勢を整えた。

 

 先程までダンジョン最上部でカズマと話していた時に、むきむきが習得したプリーストの魔法型スキルである、『スペルブレイク』系の魔法。

 辛うじてプリーストの魔法が使えるだけのむきむきでは、この魔法を取得するのに余計なポイントもかかり、習得したところで効果も燃費も最悪だろう。

 それでようやく習得できた、アクアの魔法の下位互換・ブレイクスペル。

 発動時効果の分だけ敵スキルの効果を打ち消すというものだが、これが吸収というスキルに対し実に効果的に働いていた。

 

「よく、やるわねえ!」

 

「『ブレイクスペル』!」

 

「タイミングもシビアでしょうに!」

 

 シルビアが吸収のスキルを発動し、それがむきむきの体を取り込もうとした瞬間、スペルブレイクが発動した拳が吸収のスキルを妨害する。

 これによって、むきむきはシルビアに触れる権利を得た。

 それだけではない。次撃、彼らは更に大きな賭けに出る。

 

「アクア、今だ!」

 

「『セイクリッド・ブレイクスペル』!」

 

「『ブレイクスペル』!」

 

 一瞬。

 刹那の一瞬。

 むきむき、カズマ、アクアの呼吸が完全に重なった一瞬だった。

 

 怠惰と暴虐の女神ウォルバクのスキル消滅の光、水の女神アクアのスキル消滅の光、その二つが少年の拳の上で混ざり合う。

 混ざった光は神聖な色合いとなり、拳と共に放たれた。

 吸収のスキルが発動した瞬間の、シルビアの呼吸と呼吸の間の隙間。そこに少年は拳を放り、シルビアの吸収スキルを無効化しながら、シルビアのスキルの向こう側へと手を伸ばす。

 

「―――!?」

 

 それは、敵が瓶の中に新しいものを吸収(いれ)ようと蓋を開けた瞬間に、開いた蓋の隙間に手を突っ込んで、瓶の中身を引っ張り出すような過程(プロセス)

 神様にお願いして貸してもらった力の光が、シルビアの内部から『人』を引きずり出した。

 引きずり出した『あるえ』を、むきむきはお姫様のように横抱きに受け止める。

 

「……これは」

 

「お待たせあるえ。大丈夫?」

 

「ああ、悪くない気分だ」

 

「なっ……!」

 

 あるえを降ろして、むきむきは前に出る。

 最初に助け出されたのが彼女とは、何の因果か。

 彼の手には、いかな理屈かシルビアに吸収された人を救い出すことが可能な光が宿されていた。

 

「吸収された人を引っ張り出す理論だけなら、僕はぶっころりーさんに見せて貰ってた」

 

 ダンジョンに飲み込まれる前、むきむきが知識として吸収したものがあった。

 

「考える時間もあった。

 学校で成績一位二位を取るような頭の良い女の子も二人居た。

 何でも見通す情報源もあった。僕らはあのダンジョンの中で、ずっと準備してたんだ」

 

 シルビアの吸収は、紅魔族がシルビアを使って人体実験を繰り返せば、吸収された人達を助けられる可能性も十分にある、スキルによる融合だ。

 だが、それでも簡単に吸収解除など出来るものではない。

 

 積み重ねだ。

 これは紅魔族の積み重ねのリレーなのだ。

 テレポートの合体事故を治療する分離技術の研究は、以前から里にもあった。

 それを応用して、少年達が里に来る前から、シルビアに吸収された仲間を取り戻そうと頭を捻っていた紅魔族が居た。ぶっころりーもそうだ。

 それをむきむきが引き継ぎ、むきむきからめぐみんとゆんゆんに引き継がれた。

 最終的に神の力によって成されたそれは仲間を助ける技として、少年の拳に形を結ぶ。

 

 シルビアの中から仲間を助け出す力は、皆のリレーが無ければ生まれもしなかっただろう。

 

紅魔族(ぼくら)を舐めるな!」

 

 紅魔族の理論、ウォルバクとアクアの力、その両方を最適なタイミングで打ち込んで初めて効果があるという、この綱渡り。

 

(こんな綱渡りのような方法でアタシの中から略奪を……いや)

 

 シルビアはむきむきの内側に、傀儡と復讐の力をその身で体現するセレスディナ、女神アクアの性質をその身で体現するアクシズ教徒に似た、神の性質を反映する信徒の性質を見た。

 

(これはもしや、略奪ではなく『暴虐』? アタシに対する暴虐?)

 

 無理矢理相手から何かを奪うのであれば、成程それは暴虐だ。

 

(暴虐に後押しされた―――『結束』)

 

 むきむき一人のブレイクスペルでは、吸収を妨害するので精一杯。

 アクアのセイクリッド・ブレイクスペルが合わさって初めて人を助け出せる。

 元々効果が継続する魔法でもないのだから、むきむきとアクアの魔法効果発動タイミングは、ほぼ同時でなければならない。

 

 むきむきが魔法を使い、カズマが魔法使用のタイミングを先読みしてアクアに指示を出し、アクアがいいタイミングで魔法を使う……そんな無茶苦茶な連携で、彼らはそれを可能としていた。

 

 むきむきがシルビアの吸収を打ち消すタイミングを見切り間違えれば。

 カズマがむきむきの思考の把握を失敗すれば。

 アクアがカズマの指示に全幅の信頼を置きその指示に従わなければ。

 このコンビネーションは、破綻する。

 その難易度は三つの意志で一つの体を滑らかに動かすに等しいものだ。

 

 気が合う三人は、さらりとそんな奇跡の連携を成功させていく。

 

「よし、よし、上手く行ってる!」

 

 あるえの次は、ゆんゆんの両親。

 眠るように気を失っている二人を、むきむきがシルビアの体内から引きずり出していた。

 少年は親友の両親、自分をゆんゆんという初めての友達と引き合わせてくれた恩人を、優しく丁寧に地に寝かせる。

 

 むきむきとシルビアは跳び回る。

 片や少年を吸収しようとする者。

 片や同族を助け出そうとする者。

 互いが互いに隙を作ろうと、素早く動き回って敵を翻弄しようとしているのだ。

 

 シルビアが吸収を発動させ、右手を伸ばす。

 

「『ブレイクスペル』!」

「アクア!」

「『セイクリッド・ブレイクスペル』!」

 

 むきむき・カズマ・アクアの息の合いっぷりは見事の一言であり、ダブルスペルブレイクが形成される。

 だが、シルビアの伸ばした右手は囮。『吸収』さえも囮だった。

 吸収の発動はむきむきに見切られていると理解するやいなや、シルビアは右手で吸収を発動させ囮とし、左の拳でむきむきの顔面を殴ったのである。

 

「ぐっ!?」

 

「吸収の無効化に集中してるあなたなんて、ただのでくのぼうよ!」

 

 ホースト以上の威力の拳打が、むきむきの脳を揺らす。

 吸収攻撃を囮にしての通常攻撃。吸収という事実上の即死攻撃だけは絶対に防がなけれならない彼らからすれば、されたくない攻撃だった。

 シルビアが一筋縄でいかないことを痛感した彼らだが、泣きっ面を蜂が刺すように、不利な条件は積み重なっていく。

 

(ま、魔力消費がキツい……!)

 

 むきむきの魔力が尽きてきたのだ。

 吸収をスキルで無効化しなければむきむきはあっという間に吸収されてしまう。かといって仲間を助けるためにはシルビアを攻め立てるしかない。

 すると攻防のたびにゴリゴリと魔力が削れてしまう、というわけだ。

 むきむきは魔法を覚えたせいで、PT内で二番目に魔力が尽きやすい者になりつつある。

 

 そしてとうとう後一回魔法を撃てばむきむきは動けなくなってしまう、というところまで来てしまった。

 それを察したカズマが、むきむきにマナタイトを放り投げる。

 

「むきむき受け取れ!」

 

 少年との鎬の削り合いの最中、シルビアは無詠唱で中級魔法を放つ。

 

「させないわ! 『ブレード・オブ・ウインド』!」

 

 風の刃の曲射であった。

 むきむきに叩き落されないよう、横方向に大きく弧を描いて放たれた風の刃は、カズマが投げたマナタイトへと迫る。

 が。

 間に割って入ったダクネスの体にぶつかり、霧散した。

 

「ふん……私を満足させる痛みには到底足りないな! それでも魔王軍幹部か! 恥を知れ!」

 

「何言ってるのこの女」

 

 動き回っているシルビア達にダクネスは追いつけず、魔法使い達もシルビア相手に有効な魔法は撃てない。

 だが、できることが全く無いわけではないのだ。

 "盾になる"という役割をダクネスが果たした結果、むきむきはキャッチしたマナタイトから魔力を補給することに成功し、今一度仲間を救うチャンスが訪れる。

 

「『ブレイク――」

「アクア!」

「『セイクリッド・ブレイク――」

 

「「 ――スペル』ッ!! 」」

 

 混ざった光がむきむきの両手に宿り、瞬時に拳の連打がシルビアを打ち据え、その内部から二人の人間を引っ張り出した。

 右手はひょいざぶろーを、左手はゆいゆいを。

 両手でめぐみんの両親を助け、むきむきは優しく地面に降ろす。

 

「家族みたいに扱ってくれたこと、とっても嬉しく思ってました。

 子供の頃からずっと感じてた『ありがとう』を、ようやくちょっとだけ形にできた気がします」

 

 むきむきとシルビアはまた跳び回っての攻防を始めた。

 気を失っているめぐみんの両親はダクネスが運び、カズマはアクアに魔法発動のタイミングを指示しながら、指示片手間に弓を引いた。

 

「狙撃!」

 

 再び放たれる毒の矢。

 振り上げられる少年の拳。

 魔法を合わせるタイミングを図る水の女神。

 三者三様の行動を、シルビアは口内で溜めていた炎を吐き出すことで切り返した。

 

 炎のブレスが矢を燃やし尽くし、むきむきの全身を焼け爛れさせ、アクアの視界からむきむきとシルビアを覆い隠す。

 むきむきは全身に火傷を負って後退し、苦悶混じりの回復魔法を自分に当てた。

 

「く……『ヒール』!」

 

「アタシの吸収ストックが尽きるのが先か、そっちが力尽きるのが先か」

 

 吸収さえ何とかできれば倒せると、そう思っていた。

 吸収された人達を助ける方法さえあれば問題はないと、そう思っていた。

 それはただの"スタート地点につく方法"であって、シルビアを倒し切るにはそこから頑張らなければならないというのに。

 

「どっちが早いかしらね?」

 

「! 『ブレイクスペル』!」

 

 吸収を無効化するも、シルビアの巨大な蛇尾による薙ぎ払いが、むきむきを叩き飛ばした。

 

「くぐぅっ……!」

 

「自分の外側の他人に力を求めるあなたじゃ!

 自分の内側の他人に力を求めるアタシには勝てないと教えてあげましょう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦いは続く。

 日の沈み始めに開始された戦いも、もはや夕日が微かにしか見えない戦いとなっていた。

 

 カズマは『誰も吸収されるなよ』と全員に念を押していた。

 例えばめぐみんが吸収されれば、シルビアの判断次第ではそこで詰んでしまう。

 今回の戦いはむきむき・アクア・カズマの三位一体と、むきむきだけがシルビアに接敵する状況を作ることで、奇跡的に拮抗する状況を作ったのだ。

 

 吸収が前衛を殺し、魔術師殺しが後衛を殺す。この構成が厄介すぎる。

 

 カズマが魔力を与えて動けるようになっためぐみんは、ゆんゆんダクネスと一緒にむきむきがシルビアから引き抜いた人達の回収に動くことしかできない。

 カズマもアクアもむきむきのサポートに集中しないといけないため、他のことをしていられる余裕がほとんどない。

 むきむきとシルビアの距離が空いた時、その僅かな時間だけが、カズマが多様なスキルを活かすことが出来る時間だった。

 

(クリエイターのスキル、っと)

 

 爆弾、毒矢、どちらも有効でないこの状況で、カズマは地に手を当て鉄球を生成する。

 彼の視線の先ではむきむきがまたフェイントにやられ、吸収を囮にシルビアの尾の強烈な一撃を食らってしまっていた。

 

「あぐっ!」

 

 シルビアは一撃食らわせ、スペルブレイクを使う間も与えず吸収を仕掛ける。

 

「ゆんゆん、頼む!」

 

「はい! 『サモン』!」

 

 カズマはゆんゆんを使ってむきむきを呼び寄せ、緊急回避を行わせた。

 

「アクア回復! むきむきこれ投げろ!」

 

「『ハイネスヒール』!」

 

「りょーかいっ!」

 

 間髪入れずむきむきを回復させ、むきむきに自分が作った鉄球を投げさせる。

 

「むきむきの筋力で投げる鉄球豪速球! デストロイヤーの足さえぶっ壊したこれならっ!」

 

 投げつけられた鉄球を、シルビアは―――頭突きで粉砕した。

 

「アタシはね、喋りでそれっぽくなく見えるけど、地味に頭固いらしいのよ。

 部下からよく

 『シルビア様頭固いから勘違いして思い込み持っちゃうこと多いですよね』

 とか言われるわ。思い込みは多いけど頭固いとまでは行かないと思うのだけれど」

 

「頭が固いの意味が違う……!」

 

 身体スペックのどこにも死角がない。

 むきむきは眉を顰めて独り言ちる。

 

「……せめてホーストはひっぺがさないと、話にならないか」

 

 むきむきはまた前に出て、猛禽のように笑むシルビアがそれを迎え撃つ。

 ハンスの毒のせいで顔色は悪くなっているのに、一向に動きが悪くなる気配はない。

 時間が味方してくれているはずなのに、シルビアは多少の毒の影響などものともしないほどに、精神が肉体を凌駕していた。

 

 

 

 

 

 闇の中、呼ぶ声がした。

 声の聞こえる方向に、光の見える方向に、ぶっころりーは手を伸ばす。

 

「靴、嬉しかったです。本当の本当に嬉しかったです。

 お兄ちゃんが居たなら、ぶっころりーさんみたいな人が良かったなって、ずっと―――」

 

 弟のように思っていた少年の想いに、青年は引き寄せられていく。

 

 闇の中、呼ぶ声がした。

 声の聞こえる方向に、光の見える方向に、そけっとは手を伸ばす。

 

「日記、嬉しかったです。里を出てからずっと書いてます。

 優しくて面倒見のいいそけっとさんのこと、実はずっとお姉ちゃんみたいに―――」

 

 姉が弟にそうするように優しく接していた少年の想いに、彼女は引き寄せられていく。

 

 目覚めた時、ぶっころりーは地面の上に直に転がされていて、その横には同様に気を失った様子のそけっとが居た。

 周囲には忙しく動き回るむきむきの仲間達と、気絶しているか呆けているかのどちらかである紅魔族の面々も見える。

 

「そけっと、そけっと、大丈夫か?」

 

「……え、ええ。ここは? 私、助かったの?」

 

「光を見たと思うんだ。俺も、君も」

 

「! なら、私達を助けてくれたのは……」

 

 むきむきとシルビアの激闘は、里の残骸とダンジョンの残骸を破壊し、吹き飛ばし、偏らせ、紅魔の里があった場所に瓦礫のジャングルを作り上げていく。

 カズマがばら撒いた毒水も戦いの過程で既に浄化されてしまった。

 そこにあるのは、人の視界を制限する瓦礫の森。

 キメラと少年は、その合間を高速で駆け互いの隙を狙い合う。

 

 時にホーストの羽で飛翔し、魔術師殺しの巨大な蛇尾で猛然と攻め立てるシルビアの様相は悪魔のそれであり、徒手空拳で悪魔に挑む少年の勇壮さはおとぎ話の勇者のそれだった。

 少年は傷つき、吹き飛ばされ、なおも立ち向かい、光纏う手で紅魔族をシルビアの内から救い出す。その光景を、紅魔族達は遠巻きに見ていた。

 

「光……」

「そうだ、光だ」

「あの光は」

 

 シルビアから解放された紅魔族達は、深い眠りから目覚めたばかりの低血圧の人間のように、イマイチしゃっきりとしていない。毒の影響もありそうだ。

 だが、誰もが少年の手に宿る光を見つめていた。

 彼らは皆闇の中で光を見て、手を伸ばして、シルビアの中から引っ張り出された。

 シルビアの内側で光に向かって手を伸ばした記憶が、彼ら全員の中にある。

 

 戦う少年の背中を見て、寂しそうに申し訳なさそうに、ぶっころりーは呟いた。

 

「……おかえりパーティとかして、帰りを迎えてやりたかったんだけどなあ」

 

 少年の帰省は暖かく迎えてやろうと考えていたのに、現実は戦いで迎えることになってしまった上、少年に助けられた形だ。

 ニートにだって恥はある。

 その恥を(すす)ごうにも、シルビアは未だ魔法無効のままであり、ぶっころりーの体は融合解除の影響で不調なままだ。

 

「『ブレイクスペル』!」

 

 シルビアが吸収を発動しつつつ全身での体当たりを仕掛ければ、むきむきは吸収を無効化しつつ鉄山靠で真っ向からそれを受け止める。

 プリーストのものとはいえ、魔法を使い里と皆を守ろうとするむきむきの姿に、何かを感じ入る紅魔族は多かった。

 

「魔法だ」

「むきむきが、魔法を使ってる」

「俺達を助けてくれたのか……」

 

 元より、紅魔族の皆はむきむきを嫌って疎外していたわけではない。

 嫌う理由が無いのに嫌うわけがないのだ。

 むきむきは異端であり異物だった。魔法が使えて当然の種族に生まれた魔法が使えない異常個体だった。おかしい存在であるがために、周囲に不定形の不安と恐怖を与えるものだった。

 それは白人の集落に突然生まれた黒人のようなもの。

 人体に侵入し抗体に攻撃される異物のようなもの。

 家族という庇護者が居なければ、環境の悪化に歯止めはかからない。

 ごく普通の精神性を持っていただけでゆんゆんがおかしい子扱いされていたことを考えれば、むきむきへの扱いは至極当然であったと言えた。

 

 それが今、変わろうとしている。

 周囲からむきむきへの"普通の応対"が、"普通ではない応対"に変わろうとしていた。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 息を切らして、むきむきはシルビアの中の人達を救い続ける。

 もういくつマナタイトを使い切ったかも分からない。

 紅魔族はもう全員救い出したのに、今度はシルビアが取り込んだ美しい人間やエルフ等が出て来たせいで、後何人助ければいいのかも分からない。

 少なくともシルビアの外見になっているヴァンパイア、及びホーストを救い出せていないことだけは確実だ。

 

「今日まで健気に自分を磨いてたんでしょうね、意味もなく!

 そんな費やした労力と得られる物が相応じゃない努力に価値なんてあるのかしら!?」

 

 シルビアが小馬鹿にした叫びを叩きつける。

 同時に、吸収をフェイントに入れ尾の一撃を叩きつけた。

 シルビアはむきむきの理解者である。彼女が共感した過去のむきむきが、過去にその境遇から努力と自分を鍛えることに走った時の心の動きも、彼女はよく理解していた。

 

「他人に憧れたことがないなんて言わせないわよ?

 アタシ達はそういうものだもの。

 でもね、その背中を追いかけて努力するより、その憧れた人を吸収する方がよっぽど楽」

 

 シルビアが一撃入れて、むきむきが一発殴る。

 キメラの一撃は少年の命を削り、少年の一撃はシルビアの中から人を救い出す。

 そんな攻防の繰り返し。

 『ないものねだり』で始まって、周囲の者達に尊敬や憧れを抱いてきた二人は、跳び回りながら互いに打撃で殴り合う。

 

「他人に憧れ進化するのは同じでも、あなたはアタシよりずっと非効率だわ!」

 

 またしても吸収のフェイントと、そこから来るパンチが繰り出される。

 だがむきむきは静かで無駄の無い動きでその両方をかわして、ウォルバクとアクアの力を込めた拳で、シルビアの顔面を殴り抜いた。

 また一人、エルフが排出される。

 

「それじゃ僕らは何も変わらない。

 憧れの人と同じ力を得ただけだ。

 憧れに近づくことも、その隣を歩くことも、できない」

 

「―――」

 

 誰かに憧れ、自分を高めたなら、その後を追うことが出来る。隣を歩くことも出来る。運と努力次第で追い越すこともできるだろう。

 だが憧れた者を取り込む怪物に、そんな未来が訪れることは無い。

 

「意味がない努力はあっても、価値のない努力は無いと僕は思う。

 でも……努力しないことで、無価値になってしまうものはあると思うよ」

 

「……!」

 

 自分自身を変えるため、自分の世界を広げたむきむき。

 自分が変えられなくて、自分の上に他人を貼り付けるシルビア。

 『強くなる』、ただそれだけを目的とするならば、どちらも間違ってはいない。

 されどもシルビアは、共感してしまうほどに自分を重ねていたむきむきの言葉を、適当に聞き流すことができなかった。

 

「今の自分が嫌で。

 欲しい力は手に入らなくて。

 なりたい自分にはなれなくて。

 皆と同じになることができなくて

 そんな風に思う子供の頃があったとしても……」

 

 『奪う者』にならなかったむきむきは、それが見当違いの代償行為だと分かっていても、シルビアには『ありえた自分』に見える。

 

「……自分を好きになるには、変わっていかなくちゃいけなかった。進む先が、手探りでも」

 

 冒険と出会いが、少年を成長させた。

 

「だから僕はもう、自分が嫌いじゃない。

 普通の魔法が使えない自分に絶望してない。

 紅魔族の皆に同族とみなされなくてもそれでいい。

 それはとても辛くて悲しいことだけど……里の外に出て、僕の世界は広がったんだ」

 

 悲しい過去は悲しい過去だ。

 それはもう過去のこと。

 過去を断ち切る強さは、少年にはあってシルビアにはないものだった。

 

「他人を自分の物にしなくても、僕には色んな人から貰ったものが沢山あった」

 

 奪う者シルビア。

 貰う者むきむき。

 奪った物は返さないのが当然で、善意を貰えば善意を返すのが当然だ。

 二人はそうやって生きてきた。

 

「他人から奪った物より、他人から貰った物の方がずっと嬉しいと思うよ、シルビア」

 

「……知ってるわよ、そんなことは」

 

 会話の中でも二人の攻防は絶え間なく続き、むきむきはシルビアの中からようやくヴァンパイアを引き抜くことに成功し、シルビアはようやく気付かれないよう『それ』を拾うことに成功していた。

 

「ただね、アタシはそんなもの貰えるだなんて、生まれてこの方期待したことさえないわ!」

 

 吸収込みのフェイント。

 フェイントを見切り吸収された仲間を助けようとするむきむき。

 シルビアはその読み合いで僅かに上を行き、吸収を無効化したむきむきのガードの腕に、拾った毒矢の矢先を力任せにぶっ刺した。

 

「っ、カズマくんの毒矢……!」

 

「アタシより深く刺したから、アタシより多く毒が入ったでしょう?」

 

 むきむきの疲弊が始まった肉体に、ハンスの猛毒が流れ込む。

 シルビアの方が毒を食らったのは早かったが、毒の量はむきむきの方が多かった。

 慌ててアクアが杖を構える。

 

「待ってなさいむきむき! 今毒を解除するわ! 『セイクリッド――」

 

「『マジックキャンセラ』! シルビア様の邪魔をするな!」

 

 だがそれを、シルビアの指示で隠れていた部下達が邪魔をした。

 

「ぎゃー! ぐぎゃーっ! カズマ敵! 敵よ背後から!」

 

「お前女が上げちゃいけない悲鳴出してるぞ!?

 大丈夫だ、なんかうろちょろしてるってのは敵感知で分かってた!

 ダクネス! ゆんゆん! 悪いが頼む! もう二人しか動けそうなの居ねえ!」

 

「分かった、任せろ」

「は、はい!」

 

 シルビアから排出された者達は実はちょっとハンスの毒の影響もあったりしたため、実質病み上がり。戦闘に参加させるには不安がある。

 カズマアクアは動かせない。めぐみんは爆裂魔法を撃った後。

 となるとダクネスとゆんゆんで対応させるしかない。

 シルビアの部下への対応にカズマが追われている内に、シルビアはむきむきに急接近し、吸収攻撃と打撃攻撃に拾った毒矢での刺突も織り交ぜていた。

 

(あいつ面倒臭いというか、しぶといというか、泥臭いな……)

 

 シルビアは、能力を攻略すれば倒せるという敵ではない。

 むしろ能力を攻略して追い詰めてからが長い。

 死が近くなればなるほどに、シルビアはなりふり構わない見苦しい強さを発揮していた。

 

 追い詰められてからが長い、醜く食い下がる人種というものは存在する。

 これは『諦めが悪い』といった長所とは別で、『潔い』という長所の対極だ。

 醜く食らいつく。

 醜く粘り出す。

 むきむきに毒矢での傷が付き、アクアが解毒の魔法を放っても、むきむきの体内にまたすぐハンスの毒が刺し入れられてしまう。

 

 一時でもむきむきを倒せれば、むきむきを吸収してアクアとカズマを仕留められる。

 体内に回ったハンスの毒がいい加減危険域に入って来たシルビアは、焦りからかむきむきに対しこれまでにない猛攻を仕掛けてきた。

 

「あなたが貰ったものも全部、あなたごとアタシが吸収してあげるわ!」

 

「僕が貰ってるこの『信頼』、絶対に渡さない!」

 

 何度目かも分からない衝突。

 むきむきの双纏手がシルビアの腹部に命中し、複合スペルブレイクが発動する。

 右手が気絶したホーストを、左手が魔術師殺しを、それぞれ引き抜いていた。

 

(! よし、大当たりだ!)

 

 これでシルビアの強さの根幹は引き抜いた、これで―――と、少年が思った瞬間。

 

「させないってんのよ!」

 

 シルビアが反射的に魔術師殺しに飛びついてきて、それを再吸収してしまう。

 なりふり構わない、獣じみた動きによる再吸収であった。

 先程まで下半身に融合し蛇のようになっていた魔術師殺しは、強引な吸収で下半身ではなく右腕と同化してしまっている。

 むきむきにできたことといえば、吸収に巻き込まれないよう、すぐさま魔術師殺しを手放したことくらいであった。

 

「まだここじゃ終わらないわ。まだここじゃ終われない」

 

(粘り強い……!)

 

「アタシはまだ満足してないのよ。

 満足するほど取り込んでない。美しくなっていない。強くなっていない。

 十分に魔王様に貢献もしていなければ、目の前のあなたを取り込んでもいないのだからぁ!」

 

 排出されたホーストは長時間体内に居たためか、毒の影響で気絶していながらも調子が悪そうで戦力には数え難い。

 魔術師殺しを再吸収したシルビアは瓦礫の陰へと走り、むきむきがそれを追っていった。

 

「……?」

 

 周囲には瓦礫。

 里の建物とダンジョンの残骸がゴロゴロと転がっているのが見える。

 なのに、シルビアの姿は見えない。むきむきはハッとした。

 

「せ……潜伏スキル!?」

 

「アタシは盗賊職よ。ポイントがあれば……戦いの中だって習得できるわ」

 

 瓦礫で出来たジャングルは、シルビアが姿を隠すにはうってつけだ。

 シルビアが突然飛び出し、むきむきを吸収せんと飛びかかってきて、少年は危ういところでそれを跳躍回避する。

 

「っ!」

 

 冷や汗が垂れる。

 ホーストを失い、正攻法で戦えなくなるやいなやすぐこれだ。

 元々が泥に塗れた弱者であるシルビアは、とにかく終わりそうになってからが長かった。

 有効打を与えてからが長い。

 毒を食らわせてからが長い。

 しぶといのだ、要するに。

 

 おそらく取り込んだ者達を引き剥がされた時に、毒も一緒に排出していたのだろう。

 排出量が微量でも、シルビアは排出した分だけ延命される。

 死にそうになれば巨大で醜いムカデとの融合さえ躊躇わないであろうその見苦しい足掻きは、もはや固有の強さの域に達していた。

 そこに潜伏からの吸収という手段を取ってくるのであれば、もう手がつけられない。

 

 このしぶとさをこれ以上発揮させないためには―――特大の、一撃必殺が要される。

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 見通す悪魔は、めぐみんにマナタイトを売りつけるこの商機も見逃さなかった。

 

「一個二千万エリスである」

 

「商魂たくましいですねこんな時まで!」

 

「惚れた男のためであろう。それとも貴様の惚れた男は、二千万以下の価値しか無いのか?」

 

「……っ! 後で金払いますから、一つください!」

 

「毎度あり!」

 

 惚れた男を引き合いに出されては、財布の紐が堅いめぐみんと言えど出さざるをえない。

 二千万エリスをぽんと出す娘に、めぐみんの両親はいたく感動したようだ。

 

「めぐみん、こんなにリッチ……じゃなかった、立派になって……」

 

「仕送りから薄々察していたが、お金持ちになれたんだな……!」

 

「お母さん、お父さん、金に目が眩んでますよ」

 

 最高品質マナタイトが、めぐみんに爆裂魔法を一発撃つだけの魔力を与えてくれる。

 

「カズマ、アクア、むきむきを守るのを続けてあげてください。こっちで一発かまします」

 

「任せた!」

「頼んだわよ、めぐみん!」

 

 忙しいカズマとアクアに一声だけかけて、めぐみんはやっと体調が戻って来た様子の紅魔族達の前に立つ。

 

「もしも、むきむきを見直したという人が居るのなら。

 むきむきに対する態度を改めるという人が居るのなら。

 彼の窮地だからというだけで、むきむきを助けようとする人が居るのなら。来て下さい」

 

 めぐみんが背を向け、歩き出す。

 迷わずその後に続く者が居た。少し考えてからその後に続く者が居た。迷ったがその後に続く者が居た。最終的に、紅魔族の全員がめぐみんの後に続く形となる。

 やがて、シルビアの部下を追っていたゆんゆんとダクネスも戻って来た。

 シルビアの部下は士気と能力が極めて高かったらしく、ゆんゆんとダクネスのコンビでもどうやら仕留められなかった様子。ゆんゆんはめぐみんの隣でしょんぼりしていた。

 

「倒せなかった、逃げられちゃった……」

 

「ゆんゆん、戻ってきて早々すみませんが、魔力は残ってますか?」

 

「? 空間転移魔法なら一回分、攻撃魔法なら数回分かな」

 

「結構。最高のタイミングで、むきむきを呼び戻して下さい」

 

 紅魔族全員を従えるように、めぐみんが杖を構える。ローブをひるがえす。格好つける。

 

「我が魔法の名が最強である所以を、奴に思い知らせてやります!」

 

 そして紅魔族の皆も、杖か掌を前へと向けた。

 

「皆もここに、紅魔族の魔法が最強である所以を、奴に思い知らせてやりましょう!」

 

 最強を名乗るのならば、ここに証を打ち立てるべし。

 

「黒より黒く闇より暗き漆黒に、我が深紅の混淆を望みたもう!

 覚醒の時来たれり、無謬の境界に落ちし理! 無形の歪みとなりて現出せよ!」

 

 全員が自分の持つ最強の魔法の詠唱を始める。

 めぐみんの詠唱は特に長く、特によく通る声をしていて、遠く離れたシルビアにさえ、漏れ出す魔力だけで命の危機を実感させた。

 

「あんなの、受けるわけには……!」

 

 逃げようとするシルビア。

 

「逃がさない!」

 

 その逃亡を妨害するむきむき。

 

「『サモン』!」

 

 やがて全員の魔法発動準備が終わり、ゆんゆんが魔法発動直前に、むきむきを引き寄せる。

 

「―――『エクスプロージョン』ッ!!」

 

 かくして、三人の連携で爆裂魔法はシルビアに着弾。

 シルビアは爆裂魔法をガードに動かした魔術師殺しで受け止める。

 そして一拍遅れて、紅魔族全員による一斉魔法攻撃の奔流が、シルビアを飲み込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆裂魔法含む、紅魔族ほぼ全員による魔法一斉掃射。

 『むきむきを助けるため』という名目で集めたのに、全員が参加してくれたという凄まじい一斉攻撃。それは魔術師殺しさえも凌駕する異常な一撃と化していた。

 

 爆裂魔法が魔術師殺しにヒビを入れ、その向こうまでダメージを通した。

 続く紅魔族の皆の魔法が、ヒビの入った魔術師殺しを粉砕した。

 結果、シルビアは取り込んだ悪魔達の命と肉体のパーツのほとんどを使い切ってしまい、息も絶え絶えに泥中にて横たわる。

 

「くっ……うっ……」

 

 体の重要器官を失っても、シルビアは死なない。

 厳密に言えば死にはするのだが、取り込んだ者の肉体を切り替えることで再生し、少しばかりの延命をすることができるのだ。

 今まさに、シルビアはそういう状態になっている。

 悪魔以外の吸収ストックはむきむきに全て奪われ、命は尽きかけ、魔術師殺しと融合した右腕はもげたまま再生する様子さえ見せない。

 

 女性の吸収ストックがなくなったため、容姿も鬼族の男に戻ってしまっている。

 ステータスも下級悪魔以下、スキルも吸収系以外はほぼ全損失。

 シルビア本人が"情けなく、惨めで、みすぼらしい、見るに堪えない"と自己評価するシルビア本来の姿と強さが、そこにあった。

 

「シルビア様!」

 

「……! ここ、で……見つけられるなんてね……」

 

 今にも死にそうなシルビアを、そこでダクネスとゆんゆんから必死に逃げて来た部下達が見つける。

 ゆんゆん達から逃げ切れるだけの能力を持った部下達だ。

 おそらくシルビアを探すためのスキルも持っていたのだろう。

 

「シルビア様、今回復魔法を」

 

「要らないわ。あなた達のスキルレベルじゃ、手遅れよ」

 

「……!」

 

「それより、早く逃げなさい。魔王様には、申し訳ありませんと伝えて……」

 

「……いえ、まだ終わっていません。まだ手はあります」

 

「どう、いう、ことかしら……?」

 

 一人の部下が、他の八人の部下を見る。全員が頷く。

 シルビア配下の彼らの心は、一つであった。

 

「我々を吸収してください。今ここに揃った全員を吸収すれば、ギリギリで助かるはずです」

 

「……!?」

 

「そうすれば後一度だけチャンスが生まれるはずです。

 このままここから逃げようとしても逃げ切れない。

 シルビア様、どうか因縁のあの少年を打ち倒し、吸収することで生き延びる力を得て下さい」

 

 彼らはここで、シルビアのために死ぬことを決めたのだ。

 

「何をバカなことを。そんなことをすれば、あなた達が……」

 

「シルビア様は何度も、紅魔族の魔法から我々を守って下さいました。

 我々の命は吸収するまでもなく、とっくの昔にシルビア様のものですよ」

 

「―――!」

 

「どうかこの命をお使い下さい。

 我らはただ、我らを守ってくれたシルビア様の心に、応えたいだけなのです」

 

 シルビアの胸に、激しく大きな感情が渦巻く。

 そうしてシルビアは、生まれて初めて、『奪わず』に誰かをその身に取り込んだ。

 

 

 

 

 

 一方その頃、紅魔族達はほぼ全ての魔力を使い切っていた。

 紅魔族達は各々の最強魔法に全魔力を注ぎ込んで放っており、ゆんゆんでさえ最後の召喚魔法で魔力を使い切ってしまっていたのだ。

 

「ふぅー、私の魔力も全部使い切っちゃった……」

 

 ゆんゆんの傍らに召喚されたむきむきが、くてっと倒れるゆんゆんを受け止める。

 めぐみんもくてっと倒れてきたので、そちらも受け止める。

 二人揃って魔力切れなど珍しい。むきむきは取り落とさないよう、二人を優しく抱きとめた。

 

「お疲れ様、二人共」

 

 ぎゅっと、二人が少年の服を掴む力が増す。

 そこから何か会話が始まりそうな気配があったが、その空気は断ち切られてしまった。

 

「いいご身分ねえ、むきむき君?」

 

「……!」

 

「まだ終わりじゃないわ。少なくとも、アタシにとってはね」

 

 シルビアが、また現れた。

 カズマに至っては「てめえ奈落かよ」と呟き辟易した表情を浮かべている。

 取り込んだ部下の関係か、シルビアの外見に女性らしさは微塵も見られない。

 どこまでも男らしく、それでいて所々に獣系モンスターの名残が見て取れた。

 体だけを見れば過去最弱の形態のシルビアであり、心だけを見れば過去最強の形態のシルビアであった。

 

 シルビアの接近を見て、めぐみんはむきむきの胸板に拳を当てる。

 

「信じてます」

 

 そう一言だけ言って、めぐみんは寄りかかるのをやめ、自主的に男らしく地面に倒れた。

 シルビアの接近を見て、ゆんゆんはむきむきの胸板に拳を当てる。

 

「頼りにしてる」

 

 そう一言だけ言って、ゆんゆんは寄りかかるのをやめ、自主的に男らしく地面に倒れた。

 

「うん」

 

 二人の言葉に応え、むきむきはシルビアと対峙する。

 背中に多くの視線を感じた。

 自分に向けられる視線の中に、確かな信頼がいくつもあるという確信があった。

 

(信じてくれる人が居ると、その人の想いに応えたいって自然に思う)

 

 受け取った想いを拳に握る。

 

(あの二人の心に、応えたい)

 

 背中に背負ったものの重さが、どこか心地良く感じられた。

 

 

 

 

 

 シルビアは相対するむきむきを見る。

 その後方で、むきむきを遠巻きに見守っている紅魔族達を見る。

 『彼は成したのだ』とシルビアは理解し、擦り切れた嫉妬と羨望の残滓を顔に浮かべた。

 

「入れて欲しかった仲間の輪に、入れてもらえるようになったみたいね」

 

「……シルビア、お前も僕と同じだったのか?」

 

「そうよ」

 

 むきむきもまた、この戦いを通して、少しばかりシルビアという個人を理解していた。

 

「そうよ、悪い? アタシだってそうよ。

 アタシも、昔見たあの輪の中に入りたかっただけよ」

 

 少年は紅魔族の輪の中に。シルビアは鬼族の輪の中に。

 入りたいと願い、入れなかった幼少期があった。

 シルビアは変われず、むきむきは変わり、叶えられた願いがあった。

 

「でもね、アタシはあなたみたいにはなれないわ」

 

 むきむきとシルビアは、同じにはなれない。真似もできない。

 

「あなたは手を繋ぐことで、アタシは人を吸収することで、ようやく他者と『一緒』になれる」

 

 心を一つにして戦うか。

 体を一つにして戦うか。

 二人は対極である。

 

「これ以外の道なんて、どこにもなかったわ。さあ、決着をつけましょう」

 

「シルビア……」

 

「アタシもあなたも、もう()()()()()()()()()()()のだから!」

 

「……ああ!」

 

 同族を取り返し、仲間の想いを受けて、己が身一つで走るむきむき。

 取り込んでいた同族は全て消え、信頼できる部下と融合し、混ざった体で走るシルビア。

 

「―――」

 

 仲間を誰も死なせないむきむきの在り方。

 自ら進んで犠牲となってくれた部下の命を使い潰しながら、勝利へと向かうシルビアの在り方。

 二つは正反対であるように見えて、『仲間の命を最大限に尊重する』という意味で同類である。

 『仲間のためにも勝とうとする』という意味で同一である。

 負けられないという想いの強さだけなら、二人は同格である。

 

「―――っ!」

「―――ッ!」

 

 吸収が発動したシルビアの手が、少年に伸び。

 

「『ブレイクスペル』!」

 

 少年の右手が、その手をスキルごと弾き。

 

「ゴッドブローッ!」

 

 ほぼ同時に放たれた左のアッパーが、シルビアの顎をかち上げた。

 

(アタシの星)

 

 アッパーを食らった顔は自然と夜空の方を向き、星を見上げる。

 星に手を伸ばしたのに届かなかった、そんな気持ちがあった。

 魔王、むきむき、魔王軍の仲間、子供の頃に仲間に入れて欲しかった鬼族の友達グループの姿が、シルビアの頭の中をぐるぐると回る。

 

 シルビアには欲しかったものがあった。届かないものがあった。手に入らないものがあった。

 けれど、欲しいと思ったものとは違っても、それを得られて嬉しいと思ったものがあった。

 最後に部下と交わした言葉が、シルビアの心を満足させていた。

 心が満足してしまったから、シルビアの見苦しく足掻く強さは消え失せてしまっていた。

 幹部シルビアは、ここで終わる。

 

「さあ、見上げた輝き、憧れた煌めき、届かぬ光よ。

 どうか決着を。アタシの終わりを、このアタシに分不相応なほど、美しく」

 

「うん」

 

「が……羨ましいし妬ましいから、お前苦しんで死にやがれ、って願っておくぜ」

 

 最後の最後に、取り繕った女性口調を捨て去って、シルビアは男口調での本音を語る。

 少年は無言で埋葬の華を捧げるように、最後のスキルを叩き込む。

 

 

 

「―――ゴッドレクイエム」

 

 

 

 鎮魂歌(レクイエム)を覚えていて本当に良かったと、少年は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔の里の滅びは、むきむきとその仲間達によって回避された。

 一時は紅魔族のほとんどがシルビアに吸収されていたため、そこから助け出してくれた彼らは紅魔族の恩人である。中二的に言えば、里の英雄だ。

 

「むきむき」

 

「はい」

 

 ゆんゆんの父が皆の先頭に立ち、族長として少年に片手を差し出す。

 握手を求める所作だった。

 

 それは初めからずっとむきむきを受け入れてくれた彼が、改めて里の代表としてむきむきを受け入れることで、里の皆がむきむきを受け入れたということを示す、象徴的な行動だった。

 この手を取れば、むきむきは里に受け入れられる。

 ならば、迷うはずもない。

 

「里を救ってくれて、ありがとう」

 

「感謝される理由がないです。ここは、僕の故郷なんですから」

 

「ああ、そうだったな……すまなかった」

 

「謝られる理由がないです。ここは、僕の愛する故郷なんですから」

 

 その手を取って、むきむきは里に受け入れられた。

 

「ところで」

 

 と、そこで終わっていれば綺麗だったのだが。

 族長の眼球がぎょろりと動き、ゆんゆんむきむきめぐみんの間で視線が行ったり来たりする。

 

「君、私の娘とはどういう関係かね?」

 

「……ただの友達です」

 

「ころしゅ」

 

「何故!?」

 

「お前達の今の関係と状況を察せないとでも思ったかこの二股童貞ビッチが!」

 

「ちょっとお父さん! むきむきに酷いこと言わないで!」

 

 またまた騒動が引き起こされて、紅魔族達が大騒ぎして。

 その輪の中に自然に混ぜてもらえている今を、少年は心底嬉しく思う。

 そんな少年の満面の笑みを、仲間達は微笑みながら見守っていた。

 

 

 




 結界担当幹部残り三人(内一人ウィズ)。DT戦隊生存者残り一人、アンデッド一人
 四章終了。次回から最終章、最終エピソード開始、そしてエンディングです


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終章 この素晴らしい世界に祝福を
5-1-1 「―――『祝福を!』」


 身内の不幸やら連休の用事やら殺生院やらのせいで投稿遅れてすみません


 紅魔の里でカズマが驚いたことは、大きく分けて三つある。

 一つ目は、完全に崩壊した紅魔の里が、ほんの一時間ほどでとりあえず寝泊まりできる程度には復興したこと。

 そして、完全に元に戻るまで三日しかかからないと聞かされたことだ。

 

「お、帰ってたのかりらりら」

「復興要因として呼び戻されたのさ。ほれレッツゴー我が悪魔」

「おーい資材まだか? 組み立ての魔法はもう準備できてるぞ」

「はいはい只今」

 

 里の修復担当の紅魔族達が目まぐるしく里の中を走り回っているのを、カズマは目を丸くして見つめる。

 里の外でぶらぶらしているような変わり者まで呼び戻されているようで、里の中は軽い同窓会のような様相を呈してきていた。

 こめっこのような悪魔召喚オンリーという変わり種は居ないが、補助程度に悪魔の使役を嗜んでいる者の姿まで見える。

 

 カズマが驚いた二つ目のことは、紅魔の里の魔道具の品揃えであった。

 

「これ、アクセルで売ってた高級品だな……すみませーん、これいくら?」

 

「お前は……あの子の仲間の、確かカズマだったか。いいぞ、好きなの持っていけ」

 

「いいのか?」

 

「いいさ、里を救ってくれた英雄一行からは金は取れん。里の英雄よ、期待しているぞ!」

 

「お、おう」

 

「ちなみにアクセルにも下ろしているので、見かけたらご贔屓に」

 

「あれここ産かよ!」

 

 紅魔族の高い魔法資質は全員が誕生と同時に保証されるものだ。むきむき以外は。

 野球で言えば全員がメジャーリーガーになれることを保証された身体能力持ちの一族、のようなもの。紅魔族は魔法関連なら大抵なんでも優秀だ。むきむき以外は。

 なので皆、魔道具作成に使う能力においても優秀なのだ。むきむき以外は。

 彼らは低コストの素材と極めて高い能力を合わせ、里の売店や近隣の街への販売などで高価な魔道具を売りさばき、高い収入を安定して手に入れることができるのだ。むきむき以外は。

 

 カズマは紅魔の里で魔道具を貰ったり、店の売り物を譲り受けたりしつつ、紅魔族という種族自体がいくらでも潰しが利くということを理解する。

 紅魔族の女性には容姿が優れた女性も多かった。

 割と俗物的なカズマは、この里の女性を何人も侍らせている男性を見かけたなら即座にスキルで嫌がらせを仕掛けるだろう。むきむき以外は。

 むきむきは許す。ミツルギは許さない。

 

 紅魔族の魔道具作成能力の数々を見るたびに、"逆になんでこれだけ優秀な種族に生まれてめぐみん達は貧乏なんだ"とカズマは思わざるを得ない。

 めぐみんが子供のむきむきに一家でご飯を貰っていたという話はカズマも聞いている。

 この恵まれた里、恵まれた種族において金を稼げない親とはいかがなものか。カズマはめぐみんの両親に怪訝なものを感じずにはいられなかった。

 

 だがめぐみんの母親の容姿を思い出し、大人になっても膨らまなかったその胸と、めぐみん達に受け継がれたであろう貧乳遺伝子に思いを馳せ、カズマは思い直す。

 めぐみんの恵まれていない胸のこと、ゆんゆんの恵まれた胸のことを思い出し、『人には向き不向きがあるんだよな……』と一人で勝手に納得するカズマであった。

 絶対に巨乳になれない貧乳が居るのと同じように、人にはできないことがあるものなのだ。

 

 めぐみんの両親にもそういう事情があるのだろう、とカズマは思考を結論付ける。

 

(おっ)

 

 約束された貧乳のめぐみんに対し大変失礼なことを考えていたカズマは、約束された相棒のむきむきを発見する。

 むきむきはぶっころりーに靴を見てもらっていた。

 

「うわあ、俺があげた靴随分磨り減ってるね。

 サイズ調整の魔法は保護の魔法との複合だから、磨り減りにくいはずなのに」

 

「すみません、乱暴な使い方をしてしまって」

 

「いや、大事にしてくれてたのは分かるよ。

 親父がよく言ってるんだけどさ、靴の底の減り具合って人によって違うんだよ。

 武術の達人とか超綺麗に磨り減るらしいんだ。

 ほら、むきむきの靴もかなり綺麗に磨り減ってるだろ?」

 

「そうなんですか? 普段、靴の磨り減り方なんて気にしないもので……」

 

「雑に扱われてないのは見りゃ分かるよ。俺も既に一流の靴職人と言っていいからね」

 

「基本ニートのぶっころりーさん、その発言は何割くらい適当言ってますか」

 

「……三割くらい」

 

 あいつら仲良いな、とカズマは思った。

 

「とりあえず靴は新調しようか。

 実は君が里の外に出てから、俺も成長した。

 週に三回くらいは親父の仕事の手伝いをしてるのさ」

 

「おお……!」

 

「腕も上がって出来ることも増えた。

 プリーストになって魔法も使えるようになったんだっけ? おめでとう!

 お祝いと言っちゃあなんだけど、靴を魔法発動媒体にできるよう仕込みをしておくよ」

 

「ありがとうございます!

 魔法発動媒体……杖や指輪と同種のものになる、ってことですか」

 

「慣れればビームとか出せるよ多分」

 

「どういう靴にするつもりなんですか!? ふ、普通のでいいです!」

 

 『足を引っ張る』の対義語で足という単語を使う言葉ってあったっけか、とカズマは真面目に勉強した覚えもない脳内の記憶を探る。

 その対義語こそが、この二人にぴったりな気がしたからだ。

 けれども該当する言葉が見つからなかったので"もう『仲良い』の一言でいいか"と妥協する。

 

「背も伸びたし、筋肉も付いたし、喋り方もハッキリするようになったなあ、むきむきは」

 

「喋り方もですか? そういうこと言ってくれたのは、ぶっころりーさんが初めてです」

 

 この里にも昔からむきむきの味方が居たということを改めて認識し、カズマは不思議な安堵を覚えていた。

 カズマの幼少期はそれなりに普通の範疇だった。過度に幸せだったことも、過度に仲間外れにされたこともない。

 そのせいか結婚の約束をしていた幼馴染を不良の先輩に取られたことで、微妙に打たれ弱かったカズマはそれだけでノックアウトされてしまい、引きこもりの道を進んでしまった。

 

 むきむきが『失われた幼馴染』だったからか、カズマはむきむきの育った環境のことを知る過程で、自然と昔のことを思い出していた。

 そうして結婚を約束した幼馴染(おんなのこ)のことを思い出して、カズマは最近ラブコメっている仲間の紅魔族三人のことを、意外と好意的に見ている自分に気が付いた。

 

(……あー、だから俺は自然と応援してるのか、紅魔族幼馴染三人組の関係)

 

 『幼馴染がくっつくという理想の形』。

 カズマはツンデレで自分の気持ちに疎かったり、自分の気持ちから目を逸らしたりしてしまうこともあるが、時たまこういう風に自覚することもある。

 

「カズマくん、僕は移動するけど一緒に行く?」

 

「おう」

 

 ぶっころりーと別れたむきむきと合流し、カズマは歩き出す。

 地球で紫桜優也が手に入れられなかったもの、この世界でむきむきが手に入れられたもの。

 カズマはその二つを比べて見ることができる数少ない人間である。

 よかったな、とカズマは紫桜優也(むきむき)の背中に向けて、心の中で呟いた。

 

(転生して別の世界に行けば、前世で手に入らなかったものも手に入るもんなんだな)

 

 ほっこりした気分で彼を見るカズマ。

 けれどもカズマは気付かない。

 彼もまた、地球で手に入れられなかったものをこの世界で手に入れているということに。

 心許せる仲間。自分を好いてくれる女の子。気の許せる友人。ニートできる環境。理想の風俗。

 

 普段は「こんなふざけた世界だなんて聞いてねえよ!」と言っているカズマだが―――見方によっては、彼にとってもこの世界は、素晴らしい世界なのかもしれない。

 

「んで、どこに行くんだ? むきむき」

 

「日記を見せに行くんだ。そけっとさんっていう人に」

 

「日記?」

 

「"僕は外でも元気でやってますよ"って伝えるだけで、きっと笑ってくれるお姉さんが居るんだ」

 

 ゆんゆんの両親、めぐみんの家族、里でのむきむきの友人に、むきむきの面倒を見てくれていた大人達。むきむきについて行く過程で、カズマは色んな人を見た。

 紅魔族は誰も彼もがふざけたノリで、カズマはたいそう疲れてしまったが、それでも不思議な充足感があった。

 紅魔族というものが、カズマは嫌いではないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日紅魔の里に滞在し、さて明日帰ろうかとむきむきが里の端で伸びをする。

 

(……帰ろうか、か。僕にとって『帰る場所』はもうアクセルなんだなあ)

 

 ごく自然に『帰る場所』が紅魔の里ではなくアクセルになっている自分に気付いて、むきむきは思わず笑ってしまう。

 

「むきむき、手紙だよ」

 

「あるえ?」

 

 そこにあるえが来て、明日帰る予定だったむきむきに、ギリギリのタイミングで手紙を渡す。

 

「手紙? 僕に?」

 

「そう、君にだ」

 

「封筒の中に紙二枚……二枚目はあるえがこっそり忍ばせた創作小説と見た」

 

「その分かってる感のある対応、嫌いじゃないよ」

 

 封筒の中身を確認するなりすぐに、少年は少し驚いた。

 

「アイリスからだ」

 

 そして手紙を読み進め、更に驚く。これでもかと驚く。

 少年の顔を見ていたあるえが「顔が小説ほどに物を言ってるよこの人」と言ってしまうくらいに驚いていた。

 むきむきが仲間達にその内容を語ると、一人残らず驚くという珍事が起きたという。

 

 そして、その日の夜。

 

「こんばんは、エリス様」

 

「こんばんは、むきむきさん」

 

「あ、昨日の朝くださった幸運、ありがとうございます!

 朝に割った卵の黄身が二つだったのにびっくりして、ちょっと幸せな気持ちになれました!」

 

「それはあなたの自前の幸運ですよ、ふふっ」

 

 紅魔の里での最後の夜に、エリスが夢の中に現れていた。

 

「今日私があなたとお話しようと思ったのは、ベルゼルグがある作戦の準備をしているからです」

 

「僕も今日手紙でアイリスから聞きました」

 

 彼女も、彼も、ベルゼルグ王都で採択されアイリスがむきむきに手紙で伝えたその内容を、重く受け止めていた。

 

 

 

「ベルゼルグが魔王城へ総攻撃を仕掛ける、と」

 

 

 

 すなわち。

 人類で唯一魔王軍とまともに戦えると言われる武闘派国家ベルゼルグと、魔王率いる魔王軍の、最終決戦の決定である。

 

「アクア先輩が居ますから、魔王城の結界はどうにかできると判断したのでしょう」

 

「僕が手紙で色々伝えてましたからね、アイリスには」

 

 現在、魔王軍の幹部は半数以下にまでその数を減らしている。

 悪魔を従える大悪魔バニルと邪神ウォルバクの脱落。

 アンデッドを従える死霊騎士ベルディア、対魔法混成部隊を従えるシルビアの脱落。

 人間の天敵であり戦略毒使いのハンスの脱落。

 これだけあれば、人間が決戦に踏み切るのも妥当な判断であると言えよう。

 

 魔王軍に対するアイリスの認識は、ニアイコールでむきむきの認識である。

 アイリスの認識は、そのままベルゼルグ上層部が伝え聞くことができるものである。

 アクアが魔王城結界を破壊できることも、そのために必要な幹部撃破数を超えたことも、幹部を次々と倒しているPTが居ることも、ベルゼルグは理解しているのだ。

 だからこそ、今この瞬間に十分な勝機があると確信している。

 

「むきむきさん達のこと、天界でもちょっと話題になっていますよ。

 今回はこの流れで、この勇者パーティが魔王を倒すのかもしれない、って」

 

「僕ら勇者なんてガラじゃ……あ、でも、僕の仲間には勇者っぽい人は居ますね」

 

「女神としては、魔王軍に立ち向かう勇気ある者達は皆勇者と呼んでいいと思いますよ?」

 

 今の人類には勢いがある。

 何故か? "御伽噺における勇者"に相当する者達が居るからだ。

 今まで人類を一方的に追い詰めてきた幹部を次々と倒す者達が、突如現れたからだ。

 女神の特典で武装した転生者達が頑張っても覆らなかった戦況が、今や逆転しているからだ。

 

 むきむきとめぐみんとゆんゆんが里を出た時と、カズマとアクアがこの世界にやって来た時に、この世界の『流れ』は二度明確に変化した。

 

「むきむきさん。次の戦いが最後の戦いになるでしょう。

 おそらく、戦いの規模からして仕切り直しになることはありません。

 人類か魔王軍か、次の戦いで負けた方がそのまま戦争の敗者となると思われます」

 

 女神の忠告が少年の心に染み渡る。

 

「どうか、半端な心持ちでは挑まないでください」

 

「……忠告、ありがとうございます」

 

 油断して勝てる戦いでもなく、後がある戦いでもない。

 勝ちが決まっている戦いならば、女神はこんなにも真剣な声色で忠告などしないだろう。

 エリスはその忠告に加え、"本気で勝とうとする理由"もむきむきにあげた。

 

「先輩に伝えてください。

 魔王を倒せたならば、特例として地に堕ちた女神達の天界復帰を認めると」

 

「……!」

 

「無論、これは選択権です。

 魔王を倒した後帰るか帰らないかは、その後で先輩達が決めること。

 それと、魔王さえ倒されれば倒した人は問いません。

 最終的に魔王が倒され人類が救われれば、その時点で天界に帰れるということです」

 

「よかった……アクア様、戻れるんですね」

 

 少年は心底安堵した様子で息を吐き、女神はそれを見て微笑ましい気持ちになる。

 アクアとウォルバクが天界に戻れるかもしれないというだけで、むきむきはそれを自分のことのように喜んでいた。

 

「アクア様、前からカズマくんと何度も喧嘩してたんですよ。

 よくも私を引きずり下ろしたわねー、俺の特典なんだからまともに役に立てー、みたいに。

 これで喧嘩する理由も……あ、でも、アクア様が帰ってしまったら、寂しいですね……」

 

 と、同時に。もしもの別れを、寂しがってもいた。

 

「さて、どうでしょうか。先輩の本音は、先輩にしか分かりませんから」

 

 くすくすと、エリスは可愛らしく笑む。

 『分からない』と言いつつも、その言動はいかにもアクアのことを分かっている風だった。

 エリスにはアクアが天界に帰る権利を前にして、どう動くか、何を考えるのか、選ぶ道はどれなのか……それらが全て、分かっているのかもしれない。

 

「それと、もう一つ。最後の戦いの前に、あなたに謝らせてください」

 

「え?」

 

「ごめんなさい、むきむきさん」

 

 エリスは深々と頭を下げる。

 彼女は紅魔の里でむきむきがようやく仲間として迎え入れられたという話を耳にして、むきむきの幼少期の苦労を再認識し、そこに責任を感じてしまったようだ。

 

「あなたがその肉体に生まれついた遠因の一つが私です。

 子供の頃、あなたはその体のせいでしなくていい苦労をしてしまいました。

 もしも私があの時、あなたの生誕にもう少しでも気を遣っていれば……」

 

 エリスの責任ではない。エリスが悪いというわけでもない。

 "仕方のないことだ"の一言で片付けるべきことだ。

 それでも女神はそこに罪悪感を感じてしまい、少年はその罪悪感を的外れであると感じ、同時に女神の生真面目な責任感の強さも感じた。

 

「違います。どんな事情があったのかは知りませんけど、それは絶対に違います、エリス様」

 

「……え?」

 

「僕が子供の頃にしてた苦労の責任は、僕の人生の責任は、全部僕が背負うべきものです」

 

 エリスは悪くないと、当の少年が言い切った。

 

「最近になって僕、昔のことや出会いを思い返すたび、思うことがあるんです」

 

「それは、一体何ですか?」

 

「自分の周りに人が居てくれるかどうかは、自分の生き方で決まるんだって」

 

「……!」

 

 めぐみんに聞けば、子供の頃のむきむきはよく泣いていたと言うだろう。

 ゆんゆんに聞けば、最近のむきむきは滅多に泣かないと言うだろう。

 心は変わり、在り方は変わり、生き方は変わった。

 

「女々しかった頃の僕がダメダメだったのは当然だったんです。

 カズマくんは別世界の常識とこの世界のズレを感じながらも、すぐ溶け込んだ。

 ダクネスさんも貴族と一般の常識の差異に気付きながらも、努力でそれをすり合わせた。

 ゆんゆんは変と言われても僕ほど深く悩んでなくて、学校で友達も作れてた。

 めぐみんなんて色んな場所で頭おかしいなんて言われつつつも、そこかしこに友人が居ます。

 アクア様は変なところも多いですけど、それでもアクセルの街では多くの人に慕われてました」

 

 むきむきの周りには、「お前おかしいよ」と言われてもなんだかんだ人の輪に入って行ける、コミュニティからドロップアウトしてもなんだかんだ楽しく生きていける、そんな仲間達が居た。

 彼らがむきむきより上等な生き方をしていたかどうかは、判断が分かれるところだろう。

 だが少なくともむきむきは、彼らの人生から学べたものがあったようだ。

 

「入りたくても入れない人の輪があることを認めて。

 自分のどこが変なのかを認めて。

 せめて今の僕くらいには、人と触れ合うすべを知っていれば……

 子供の頃の僕は、寂しさも疎外感もそんなに感じないような立ち位置に居れたと思うんです」

 

 "あの時ああしていればもっとよくなった"という思考だが、ネガティブな後悔の色はなく、むしろその逆で何故かポジティブな響きすらあった。

 

「だってほら、現に今僕は里の皆に迎え入れられてます。

 方法に違いはあれど、僕が里の皆に仲間として認められる可能性はあったんですよ」

 

「ううん、そういうものでしょうか……?」

 

「ともかく、エリス様は悪くないんです。それだけは確かなことですよ」

 

 エリスはむきむきの子供の頃の境遇に罪悪感を抱き、精一杯謝ろうと思っていただけに、こうまで真っ向から"エリス様は悪くない"と否定されると対応に困ってしまう。

 女神の意見を否定してまで女神の擁護を行うむきむきに、エリスは少しばかり彼への認識を改めていた。

 

「でもでも! これじゃ私の気が済みません! なんでも言ってください!」

 

「えーと、なんでも、ですか」

 

 ちょっとだけ考えて、思いついたことを少年はそのまま口に出す。

 

「あ、そうだ。それなら応援してください」

 

「応援……ですか?」

 

「エリス様も魔王が倒されたなら嬉しいですよね?」

 

「勿論です。魔王に脅かされている人々に、一刻も早く救われて欲しいと思っています」

 

「なら、僕らのこと、応援してください。

 エリス様に応援してもらえたら、百人力です! きっと魔王だって倒せます!」

 

 屈託のない笑みで、少年は女神様にお願いをする。

 

「魔王を倒すのは僕とめぐみんの約束で、夢です。

 だから二人分で二倍頑張れます。

 ゆんゆんとも一緒に約束しました。だから三倍頑張れます。

 魔王を倒せたなら、アクア様とウォルバク様に『選ぶ権利』をあげられます。

 それなら五倍頑張れます。それでエリス様に応援もしてもらえたなら、六倍頑張れます!」

 

 少年のお願いに、女神様は慈愛の笑みを返した。

 

「他の誰でもなく、あなたが魔王を倒して世界を救ったなら、素敵ですよね」

 

「……?」

 

 意味深で含みのあるエリスの言葉に、少年は女神の内心を推し量れず首を傾げる。

 

「先輩はきっと、カズマさんが世界を救ったら

 『この人が世界を救ってくれてよかった』

 と思うと思うんです。先輩はカズマさんのこと、内心とても気に入っていますから」

 

 エリスはアクアが最も信頼している対象がカズマであることを理解している。

 アクアがもしも転生者で一人選んで賭けるなら、おそらくカズマに賭けるであろうということも分かっていた。

 

「力を持たない人が魔王を倒して世界を救う、というのはロマンです。

 好きな人はとことん好きです。かくいう私やアクア先輩も好きですね」

 

 かくいうエリスも、なんやかんやカズマのことは評価している。

 カズマは"力を持たないまま何かを成し遂げられる"人間だからだ。

 

「でも」

 

 されども、"一人選んで賭ける"なら、今のエリスは目の前の少年に賭けるだろう。

 

「優しい人が世界を救うのも、ロマンだと思いませんか?」

 

 目が覚める。女神とのひとときが終わる。

 普段は慈愛溢れる女神をやっているくせに、唐突にロマンの良さを語り出すお茶目な女神様は、少年に悪戯っぽい笑顔を見せていた。

 少年は最後に、女神に深く頭を下げて意識を覚醒させていく。

 

 頑張って、と女神様に言われた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝。

 魔王軍との最終決戦、及び魔王討伐で女神の天界復帰権が得られるという話を聞いたアクアは、これでもかと狂喜乱舞した。

 カズマに魔王倒しに行こうとねだり、魔王倒しに行きましょうと駄々をこね、魔王倒しに行きなさいよと偉そうに命令し、カズマのスキル盛り盛りデコピンをカウンターに食らう。

 痛みでゴロゴロ転がるアクアに、むきむきは申し訳なさそうに追加情報を告げた。

 

「あの、アクア様? 最終決戦ってすぐ始まるってわけじゃないんですが……」

 

「へ、そうなの?」

 

「時期で言えば来月ですよ」

 

「意外と遠かった!」

 

 テレポートなしの移動でも、紅魔の里とアクセルは数日で移動できることを考えれば、焦る必要などどこにもない。

 むしろじっくりと時間をかけて準備するべきだ。

 カズマも紅魔の里で魔道具を沢山確保できたようで、むきむきから色々と話を聞き、『どうやったらその物騒な大戦争から逃げられるか』『もし逃げられないなら何を準備すべきか』かを考え始めていた。

 

「カズマくん、僕ここから別行動とってもいいかな?」

 

「? いいけどどうした?」

 

「回りたい場所があるんだ。……これが、最後になるかもしれないから。

 心残りを全部整理してから、『もう一度ここに来よう』って心を決めておきたいんだよ」

 

「お前らしいなぁ。さっさと帰って来いよ?」

 

「うん」

 

 アクセルに直帰しようとするカズマと別れ、むきむきは最終決戦の前に世界を巡る。

 

「私も付いていきますよ。一人にさせると心配ですし」

 

「! わ、私も一緒に行っていいかな?」

 

 めぐみんとゆんゆんも、その後に続く。

 

「ん、行こうか」

 

 『決戦』という一区切りの前における、彼らの最後の旅が始まった。

 

 

 

 

 

 彼らがまず向かったのはアルカンレティア。

 

「いってらっしゃい」

 

「いってきます!」

 

 ぶっころりーのテレポートに送られて、彼らはアルカンレティアへと一瞬で辿り着いていた。

 

 むきむきは意気揚々と、二人の少女を連れて街に入っていく。

 靴はぶっころりー謹製の新品、里で仕立て直された紅魔族ローブは新品同然、服はその巨体に合わせて作られたカズマお手製の服、胸元にはこめっこからプレゼントされ多くの人の髪の毛が格納されたペンダントが揺れている。

 進む足取りに迷いはない。

 

「お久しぶりですね!」

 

「うおわぁっ!?」

「ひゃっ!?」

「きゃっ!?」

 

「ようこそいらっしゃいませアルカンレティアへ! 改宗ですか! 入信ですか!」

 

「心臓に悪いからいきなり出て来ないでくださいゼスタさん!」

 

 が、その気持ちも待ち構えていたかのように現れたゼスタに驚かされた瞬間に、欠片も残さず霧散してしまっていた。

 むきむきはゼスタに来訪の連絡をしていない。

 ゼスタに彼らの来訪を予測する手段はない。

 つまり彼は、勘だけで彼らの来訪を予測し、それを待ち構えていたということだ。

 

 いつもながらおかしさが極まっている謎生物である。

 

「ところで、本日は何用ですかな?」

 

「……こほん。

 名誉アクシズ教助祭むきむきとして、アクア様のお言葉を伝えに来ました」

 

「―――」

 

 その瞬間、街の空気が一変する。

 

(あ、これヤバい、ヤバいです。むきむき、もうちょっと近くに寄ってください)

(あ、これ怖い、なんだか怖い、二人共どこにも行かないでよ!?)

 

 むきむき、めぐみん、ゆんゆんが思わず互いの距離を詰める。

 

 彼がアクアの名前を出した途端、ゼスタの目の色が変わった。雰囲気も変わった。

 それだけでなく、街に漂う空気そのものが変貌を遂げていた。

 街全体が息を呑み、耳をすまして、むきむきの次の言葉を聞き逃してたまるかとばかりに耳を傾けている。

 街に奇妙な静寂が広がっていた。

 アクシズ教徒の沈黙が、街の音全てを塗り潰しているかのようだった。

 

「『来るべきその日に、私と共に魔王を倒しなさい』……だ、そうです」

 

 短い女神のお告げを伝えた、その瞬間。

 耳が割れんばかりの大声の大合唱が、アルカンレティアを包み込んだ。

 

「―――ッ!?」

 

 アクシズ教徒はそのほとんどが狂信者。

 女神アクアのためなら笑って死ねるクレイジーペテロの集団である。

 そんな彼らにアクアが直接こうして言葉をかけたのだ。全員揃って絶叫するのも当然か。

 "この少年の嘘ではないか"だなんて思うアクシズ教徒は居ない。伝聞だろうと、それが女神アクアの言葉であると理解できるのがアクシズ教徒だ。

 この瞬間、彼ら異常性癖十字軍の参戦が決定した。

 

「アクア様の性格からして、手伝ってくれた人には後でお礼を言いに来ると思うんです。

 魔王軍との決戦に参加してくださった方は、アルカンレティアに皆で固まって―――」

 

 アクシズ教徒の絶叫と咆哮が、音量を数倍に増した。

 意図せずして火に油を注いだ形となり、アクシズ教徒達のテンションがピークに到達する。

 これはあかん、と判断した紅魔族の少女二人は左右から思い切りむきむきの手を引いた。

 

「むきむき! 逃げましょう!」

 

「掴まって二人共! 『テレポート』!」

 

 ゆんゆんのテレポート、及びテレポート使用後の馬車を使用して逃走。

 むきむきは伝えるべきことだけ彼らに伝え、アルカンレティアを出立した。

 

「アクシズ教徒こわい」

 

「アクア与えると劇薬が劇薬のまま爆薬になった感じですね……うん?

 むきむき、その脇のポケットに入ってる紙切れはなんですか?」

 

「え?」

 

 いつの間にか入れられていた紙切れを見て、そこに書いてあった一文を読み、むきむきは少しばかり驚かされた。

 

『お互いの無事を祈りましょう。生きてまた会えますように  ゼスタ』

 

 あの老人は、本当に食えないキャラをしていた。

 

「……あの人だけはいつまで経っても底が見えないなあ……」

 

 馬車に揺られて、彼らはドリスへ。

 

 

 

 

 

 かつての旅路を辿るように、彼らはドリスへと到着し、昔ドリスで助けた一人の少年をそこで見つけた。

 

「あ、筋肉のあんちゃん! 久しぶり!」

 

「? あー、あの時の子!」

 

 かつてむきむきは、そうと知らぬままアルダープと繋がっていた犯罪者集団とぶつかり、グリーンが面倒を見ていた子供を助け、王都で役に立ったアイテムを貰ったことがあった。

 あれからその子供とは一度も会っていなかったが、今日ようやく再会できたらしい。

 

「元気にしてた?」

 

「元気元気! でもあと一年くらい時間くれな!

 もっとでっかくなって、筋肉のあんちゃんよりムキムキになるから!」

 

「あはは、腕相撲で勝負する約束、ちゃんと忘れてないよ」

 

「よっし!」

 

 久しぶりの再会に、めぐみんは少年に問いかける。

 

「今は何をしてるんですか?」

 

「この辺の身寄りのない子供達集めて、助け合いながら日々の飯を集める組織作ったりしてる。

 昔はグリーンのあんちゃんが孤児とかの面倒見てたり、金くれてたりしてたらしいんだけどさ」

 

「……それは」

 

「多分どっかで死んじゃったんだと思うんだよなー、悲しいけど」

 

 『親の居ない子供』に同情し、面倒を見ていたグリーンも既に死んでいる。

 少年はあっけらかんと死を語りつつも、その死を悲しんでいた。

 

「あんちゃんも、あんちゃんの……恋人? も気をつけてな」

 

「まだ恋人じゃないです」

「まだ恋人じゃないわよ!」

「この二人こうやって僕を玩具にしてるんだけどひどくない?」

 

「お、おう。そうなん? まあいいけど、気をつけて死なないようにしなよ」

 

 この子供とむきむき達の関係は、『他人』だ。

 仲間でもなく、友人でもなく、家族でもない。

 一度助けた、一度助けられた、それだけの『恩』でしか繋がっていない他人。

 されども今、その『他人』がむきむき達の旅路の幸運を本気で願ってくれていた。

 

「人が簡単に死ぬのは当たり前のことだけど、人が死んだら悲しいのも当たり前のことだぜ」

 

「……うん、そうだね」

 

「ほんじゃま俺も仕事あるから、んじゃね。また会いに来てくれよなー!」

 

 少年は手を振って去っていく。

 

「魔王を倒せたら、ああいう子も救われるのかな……」

 

「ええ、そうですとも。

 むきむきの知っている人より、むきむきの知らない人の方が多く救われますよ」

 

「めぐみん」

 

「それが世界を救うってことです。

 名前も知らない山程居るモブキャラ達が、一番沢山恩恵受けるんですよ」

 

 むきむきが居て、むきむきと親しい人達が居て、むきむきが名前を知っている人達が居て。

 むきむきが名前も知らないようなそれ以外の人達も、山のように居て。

 世界はむきむきと無関係な大勢の人達で回っている。

 その人達もまた、魔王軍を倒さなければ救われない者達だった。

 

「あれ? ねえむきむき、あそこに居るのテイラーさんじゃない?」

 

「本当だ。テイラーさーん!」

 

「おおっと、紅魔族トリオか。こんなところで会うなんて奇遇だな」

 

 何気なくドリスを歩いていると、彼らはそこでテイラーと出会った。

 どうやらドリスにまでクエストを受けに来たらしい。

 

「ダストさん達は一緒じゃないんですか?」

 

「キースとダストがドリスでナンパして一般客に迷惑かけてな。

 リーンの魔法で股間に凍傷食らって、今は治してくれるプリースト探してる」

 

「……うわあ」

 

 股間のマンモスが氷漬け冷凍保存される痛みはいかばかりだろうか。

 ナ○パでチ○ポがイ○ポになりました、なんて洒落にもならない。チ○コモナカと同じで、一度折れれば二度と元には戻らないのである。

 

「お前らは魔王城に殴り込みかけるあれ、当然参加するんだろ?」

 

 テイラーが問えば、むきむきは首を縦に振った。

 

「決戦の参加者はもうギルドで募集開始してると思うんですが、参加されないんですか?」

 

「するわけないだろ」

 

 だが、どうやらテイラーパーティは最終戦には参加してくれないようだ。

 

「世界の命運に関わるような戦士じゃねえよ、俺達は。

 良くも悪くも普通の冒険者だ。

 お前らが世界を救ってる間にも、俺達は俺達で凡庸な冒険を楽しむさ」

 

「……」

 

 対岸の火事を見るように、遠くの国の戦争をニュースで見るように、テイラーは最後の戦いをどこか他人事のように見ているようだ。

 それも当然。

 テイラーが参加して何かが変わるようなレベルの戦いではない上、テイラーが参加しなかったから何かが変わる戦いでもない。

 決戦とは言うものの、それはテイラーにとっての他人が勝敗を決するものでしかないのだ。

 

 人と魔王軍が雌雄を決している間にも、テイラー達は普通の冒険を続けるのだろう。

 普通のクエストをクリアして、彼らだけの冒険と想い出を積み重ね、"気付いたら魔王軍との戦いが終わっていた"という人生を送るのだろう。

 それは何も間違ってはいない生き方だ。

 最後の決戦に対し、そういう向き合い方をしている人間も居るというだけのこと。

 

 決戦の日の夜に、テイラーは冒険者ギルドで酒でも飲みつつむきむきを待っていることだろう。

 その日のクエストを終え、むきむきの土産話を期待して待っていることだろう。

 あくまでも日常の延長で、テイラーは少年の帰還を待ってくれているはずだ。

 

「が、俺達も英雄譚は大好きだ。勝てよ? お前の土産話を期待して待ってる」

 

「……はい!」

 

 強くなくとも、才能に溢れていなくても、テイラーは彼らの先輩冒険者なのだから。

 

「めぐみん、しっかり手綱握ってやれよ」

 

「言われなくとも」

 

「ゆんゆん、しっかり支えてやれよ」

 

「も、勿論!」

 

 テイラーと別れ、彼らはドリスを後にした。

 

 

 

 

 

 かつての旅路を辿る歩みは、ようやくベルゼルグ王都へと至る。

 王都ではむきむき達をまず守衛が迎え、その後アイリスが迎えてくれていた。

 

「お待ちしておりました、むきむき様」

 

「アイリス様御自らお迎え頂くとは、なんと恐れ多い……」

 

「「 まあそれはそれとして! 」」

 

 儀礼的な挨拶もそこそこに、歳も腕力も近い友人と久々に会えたことで、二人は子供のようにじゃれ合い始める。

 むきむきがアイリスを太陽のシルエットと重なる高さにまで放り投げたり、アイリスがむきむきを雲の下まで投げ上げたり。そりゃもう色々とじゃれていた。

 

「見ろレイン。最近は友人と会うこともできず、王族として固い表情を崩すことも出来ず。

 自然と落ち込み気味だったアイリス様が、あんなにも歳相応に、楽しそうに……」

 

「歳相応の笑顔ですけど人間相応の行動じゃないと思います、クレア様」

 

 空中を走れる二人は、空高く投げ上げられても墜落死することはなく、それどころか太陽をバックに滑空していたりした。

 

 彼らは二人で一つのゴリライブ・サンシャイン。

 力を合わせればグレート・ゴリテン及び北部ゴリランド連合王国並のパワーを発揮する。

 アルトリア・ペンドラゴンという名にもアナグラムでゴリラという文字が仕込まれるこの時代、王族ゴリラなアイリスと、紅魔族ゴリラなむきむきが万全の状態で揃っていれば、まっとうな戦い方で勝てる相手などそうそういないはずだ。

 対魔王軍戦線でも、この二人が組むと思っていた者は多い。

 

 だがこの二人は、同じ戦場には立たないということで話がついていた。

 

「アイリスも好調みたいだね」

 

「むきむきさんも、前に会った時よりずっと強くなっていますよ?」

 

 『魔王を倒す軍』と『魔王を倒すPT』を分ける。

 それが、ベルゼルグが今回の総攻撃に選んだ作戦だった。

 

 むきむきが得た魔王軍幹部の情報は、アイリスとの文通を通じてベルゼルグ王国に全て伝わっている。

 その中でも特に警戒されていたのが、魔王と魔王の娘が持つ『配下の強化能力』だ。

 これは雑魚を強力な敵に、名もなき精鋭を魔王軍幹部クラスへと強化する。

 魔王親子の周りには、常に数十人のベルディアやハンスが居るようなものなのだ。

 

 『魔王』が『魔王軍』と共に在る限り、人間側の勝率は目に見えて低下する。

 人間側が確実な勝利を収めるためには、魔王と魔王軍を引き離す必要があった。

 

 魔王城の結界は、既に女神アクアの手で破壊可能な強度にまで落ち込んでいる。

 そこに『アクアが軍内に居ると見せかけた』王国軍が魔王城に接近すれば、魔王城は総戦力でそれに対抗せざるを得ないだろう。

 そこにはベルゼルグ王族という超小型ウルトラマンも居るからだ。

 生半可な戦力でこの時間制限無しウルトラマン達は止められない。

 

 そうやって魔王軍を城から引き出し、そこに魔王軍幹部撃破の実績を持つむきむき達一行を、女神という超戦力とセットで脇から叩き込む。

 これが、ベルゼルグが打ち立てたシナリオなのだ。

 

 王国軍につられず、魔王軍が城に引きこもるならそれでもいい。

 そうなれば結界をアクアが普通に壊し、王国軍をそのまま雪崩込ませれば良いだけの話だ。

 城内に侵入を許してしまった城など、その時点で防御機能を失っている。

 シンプルに軍を進め、アイリス等の魔王を倒せる個体能力持ちを魔王の下にゴリ押しで押し込めればそれで勝てるはずだ。

 

 魔王軍が城内に戦力を温存して中途半端な戦力で来るなら、王国軍で押し潰してからゆっくり攻めてもいい。

 後戻りを捨て、魔王さえも前に出て来るようなら野戦で決着だ。

 他にも様々なケースが考えられるだろう。

 どの道魔王軍が『攻め込まれる側』である以上、戦場の推移は人間側がコントロールできる。

 その時点で人間は一種のアドバンテージを得ていると言えよう。

 

 アイリスは王国軍に、むきむきは魔王の首を取る刺客に、それぞれ役割を与えられている。

 今回の最終決戦で二人が肩を並べて戦うことは、あり得ないことであると言えた。

 

「めぐみんさんもゆんゆんさんも、むきむきさんみたいに大きくなって……

 ……めぐみんさんの方はあんまり変わってないですね?」

 

「ほほう、アイリス、喧嘩売ってるんですか?」

 

「やめなさいよめぐみん! アイリスにはめぐみんと違って将来性があるのよ!」

 

「最近のゆんゆんの対抗心と喧嘩売りはかなりガチなものを感じますね!」

 

 ゆんゆんとめぐみんがぎゃーぎゃー騒ぎ出し、アイリスが笑いをこらえきれずに吹き出してしまう。

 アイリスには、人を見る目があるという。

 彼女からすれば、今の紅魔族三人の関係は見ていてとても楽しいものであるに違いない。

 むきむきは慣れた様子でスルーして、レインとクレアにおみやげの饅頭を手渡していた。

 

「あ、これどうぞ。買ってきたドリス饅頭です。レインさん、クレア様」

 

「これはどうもご丁寧に。あなたと戦場を同じくするのは王都防衛戦以来ですね」

 

「シンフォニア家の名にかけて、我々は必ず役割を果たすと誓おう。

 ……む、なんだこの饅頭美味いな。皮がもちっとしていて中身のあんこの程よい甘さが……」

 

 レインとは一度旅をしたお陰か、あるいは一時むきむきがレインの授業を聞いていた関係のお陰か、ある程度気心知れた関係だ。

 クレアとも一緒に王都を守った戦友、という関係である。

 饅頭を美味そうに食べつつ騎士の誓いを口にするクレアを見ていると妙に不安になってくるが、こんなでも能力だけは確かなのが彼女なのだ。

 

「いい加減、王都に眠れない夜を持って来る迷惑な奴をやっつけよう、アイリス」

 

 むきむきが大きな拳を前に出す。

 

「そうですね。夜を……皆が安心してグッスリ眠れる時間を、取り戻しましょう!」

 

 アイリスが小さな拳をそれに合わせる。

 

 ベルゼルグが誇る二大ゴリラは、かくして勝利を誓うのだった。

 

 

 

 

 

 一行はそのままエルロードへ。

 魔王軍との決戦を前にして、ベルゼルグ・エルロード間に臨時のテレポート用機関――両国をこまめに行き来できるための機関――が設置されていた。

 今だけは、両国をあっという間に行き来できるようになっている。

 

 むきむきはほぼ顔パス――事実上の筋肉パス――で王城の警備を抜け、道中すれ違った人に何度か軽く会釈して、王子レヴィの私室に足を踏み入れた。

 部屋にはレヴィと側近のバルターが居て、むきむきは彼らにアイリスからの伝言……つまりベルゼルグ王家からの伝言を届ける。

 ご苦労、とレヴィは偉そうにのたまった。

 

「うちの国からは金と武器を出す。おかげで支出がありえんくらいに膨らんだぞ」

 

「ありがとう、レヴィ」

 

「礼ならベルゼルグから既に貰っている。お前にとやかく言われる謂れはない」

 

 発言が微妙に他人の神経を逆撫でするレヴィだが、この空間にはそれを許容できる少年が一人、許容する気はある少女が一人、許容できなくて爆裂魔法を時々撃ちそうになる少女が一人の合計四人しか居ない。問題はなかった。

 

「バルターさん、こちらでのお仕事には慣れましたか?」

 

「ええ、おかげさまで。皆様には感謝してもしきれません。

 決戦の日にはエルロードの希望者をまとめて、義勇軍として戦場の末席に馳せ参じる予定です」

 

「!」

 

「今は遠く離れていますが、ベルゼルグが私の故郷であることに変わりはありませんから」

 

「バルターさん……」

 

「それに、我が国の王子様もとても気にしておられるようでして」

 

 バルターが横目にチラッとレヴィを見て、レヴィがぷいっと顔を逸らす。

 

「余計なことを言うな、バルター」

 

「失礼しました」

 

 どうやらレヴィとバルターは、主従として仲良くやっているらしい。

 王族のアイリスと臣下のダクネスが仲が良いことを考えると、アイリスの婚約者のレヴィとダクネスの元婚約者のバルターが仲が良いことには、不思議な縁さえ感じる。

 あるいは運命、とでもいうものなのだろうか。

 レヴィの毒吐きに近い言い草に、いつものようにめぐみんがつっかかる。

 

「男のツンデレとか流行りませんよ、レヴィ王子」

 

「女の貧乳も流行らんぞ、ちんちくりん」

 

「今日は同じネタでよく喧嘩を売られる日ですね……!」

 

「最終決戦を前にして皆の心が一つになっている……?」

 

「むきむき! あなたはどんだけ前向きな解釈が好きなんですか!」

 

 喧嘩誘発機のレヴィとめぐみんが居ても、むきむきが居ると話の流れが険悪な方向に行かないのだから不思議なものだ。

 

「それにしても……」

 

 レヴィは紅魔族三人組を見る。

 前に会った時とは、また微妙に空気が違う三人を見る。

 めぐみんとむきむきは、並んで立っている時の距離が半歩分近くなっている。

 ゆんゆんとむきむきは、何もしていない時に自然と目が合う頻度が倍くらいになっている。

 この三人の関係がまた変動したことは、よく見れば傍目にも理解できた。

 

 レヴィは解決策を善意で提示する。

 

「うちの貴族になる気はあるか?

 貴族なら別に女を複数囲っても何ら問題はないぞ。

 なんなら明日からでもうちの貴族に叙任してやってもいい」

「王子!?」

 

「レヴィ、そういうところで腰が軽いのがいけないんだと思うよ」

 

 二人とくっつくために貴族になればええやん、という王子特有の飛躍の発想。

 

「……うーん。それは駄目じゃないかな」

 

「別に誰かが禁じたわけでもあるまい」

 

「だってめぐみんとゆんゆん、できれば自分だけ好きになって欲しいって思ってるもん」

 

 ピクリ、と少女二人の肩が動く。

 図星だと言わんばかりの二人の反応に、レヴィはむきむきがこの二人のことをよく理解していること、何故一人を選ぶために彼が苦悩しているのかという理由を察した。

 

「レヴィのその誘いに乗ってしまうのは、卑怯って言うものだと思うんだ」

 

「面倒臭い奴だなお前は。なあなあで片付けることも覚えなければ世の中やっていけないぞ」

 

 むきむきとレヴィなら、レヴィの方がまだまともな恋愛観を持っている。

 恋愛とは求め与えるものであり、自分のエゴを押し通しつつ時には譲歩して、愛した人から押し付けられたエゴを受け入れつつも、それに時に反発することが必要なものだ。

 与えるだけの愛も、求めるだけの愛も、一般的には歪んでいると言われている。

 

 むきむきは理性的に恋愛を判断しようとし、女性のエゴを尊重して、自分のエゴを押し付けようともしていない。

 もうちょっと欲深な方がいいだろう、とレヴィは思う。

 が、そうはなれないだろう、ともレヴィは思っていた。

 面倒臭い奴だな、と思いつつ、王子は減ってきた腹の欲求に従い彼を誘う。

 

「お前の人生だ、お前の選択で不幸になる権利も幸福になる権利もある。好きにしろ。

 そしてこういう面倒臭い案件は、美味い飯を食ってから考えるもんだ。昼飯食っていくか?」

 

「そだね、一緒に食べようか」

 

「私達の里の学校の男子みたいなことやってるよ、この二人……」

 

 ゆんゆんの呆れ声をよそに、今日もレヴィとむきむきは中学生男子の友人同士のようなやり取りを行っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、むきむき達が昔の旅路をなぞるようにして、色んな場所を巡っていた頃。

 カズマ・アクア・ダクネスはさっさと帰り、カズマはとりあえず爆薬と毒薬の作り置きに入り、ダクネスは実家に報告と相談に行き、アクアは晩酌用の酒と肴を買いに行っていた。

 アクアが自分用に買ってきたそれらを自室に隠した後、日が沈んですぐに彼らは三人セットで酒をあおりに動くのであった。

 

 留守番をしていたウォルバクは怠惰が発動してしまったらしい。

 昼夜逆転生活が身に付き、この時間に起床してくるというダメ人間っぷりを発揮していた。

 邪神ちょむすけと転生者ゼル帝の非難がましい視線がウォルバクに痛く突き刺さっている。

 二階で動き回っているウォルバクの足音を聞きつつ、カズマ達は酒を飲む。

 

「お前達に会えてよかった」

 

 酒が回ってきたところで、ダクネスは唐突にそんなことを言い出した。

 

「どうしたダクネス、急にそんな恥ずかしいこと言い出して」

「ホントそれよ、どうしたの?」

 

「恥ずかしさなどあるものか。これは嘘偽りのない私の本音だ」

 

「そうだな、お前の普段の生き方の方がずっと恥ずかしいもんな」

 

「んっ……酒が入ると、カズマの口撃の破壊力が気持ち増すな……」

 

 カズマの言い草は別に言い過ぎというわけでもないが、ダクネスのハートに真正面からぶっ刺さり、その心の痛みでダクネスを心地良く満足させる。

 

「多くは語らない。

 だから酒の勢いに任せて一言で言わせてもらう。

 私は今が人生で一番楽しくて、今の仲間より良い仲間を見つけられる気がしない」

 

 ダクネスはほんのり赤い顔で恥ずかしい言葉を吐き出している。

 頬に差した赤みは、酒のせいだけではないだろう。

 

「お前はどうだ、カズマ。お前も私と同じ気持ちじゃないのか?」

 

「うっせー、お前の魂胆は読めてるっての。

 俺が肯定したら嬉しがって、俺が否定したらツンデレとか言うんだろ?

 どっちで答えても酔っ払いの面倒臭い絡みしか待ってないとかふざけんなコラ」

 

「そうかそうか、お前なら『はい』と言ってくれると信じていたぞ」

 

「いや俺何も答えてな……酒臭っ! お前俺が目離した隙にどんだけ飲んだんだ!?」

 

「カズマーカズマー、そこに酒瓶がいくつも転がってるわ」

 

「アルダープの次はアルコールにしてやられるのかこの駄クルセイダーは……」

 

 ダクネスは次から次へと酒瓶を飲み干している。

 彼女にしては珍しい飲み方だ。一度はこういう飲み方をしてみたかったという意識と、その意識を後押しする酒の力の相乗効果が起こっているのかもしれない。

 

「むきむきがなあ、私と腕相撲したんだ。

 私はあっという間に負けてしまった。

 そしてあいつは言った。『細腕の女性には負けませんよ』と。

 力勝負に負けか弱い女性扱いされたのは、久方ぶりだったよ。

 ……あいつらしい優しさだったが、私は萎えてしまった。

 私がその時本当に欲しかったのは……勝者が敗者にぶつける罵倒だったというのに」

 

「しまった、ダクネスのやつ一人語りに入っちまった。

 こうなった酔っぱらいはクソ面倒臭いぞアクア」

「いいじゃないの、酒の席の恥は見なかったことにするのが粋ってものよ」

 

「そしてそのことを語ったら、カズマお前は『ゴリラにも格差があるんだな』と言ったな」

 

「カズマはそんなこと言ってたわねー。で、ダクネスが殴りかかって」

「クソマゾとか言っても喜ぶくせに、ゴリラとか言うと怒るんだよなお前……」

 

「私が欲しい罵倒をよこせというんだ!」

 

「お前貴族と雌豚の間に生まれたんじゃないだろうな」

 

「あふぅんっ」

 

 ダクネスのノリに合わせて――酒の勢いで――罵倒したことを、カズマは言ってからちょっとばかり後悔していた。

 

「いい出会いだったと断言できる。

 私にとっては幾億の黄金よりも、お前達との出会いの方が素晴らしく(かがやいて)見えた」

 

「ダクネス相当酔ってんな」

「酒の力を借りてでも、言っておきたいことがあったんじゃない?」

 

「……この先に……どんな結末があっても……私に、悔いはない……」

 

「……まったく。普段ドマゾなくせに、こういう時だけこういうこと言うんだからよ」

 

 ダクネスは今の仲間を気に入っている。

 今の仲間とずっと一緒に居たいと思っている。

 だが、魔王を倒した後に今の仲間が全員残っているだなんて楽観は持っていない。

 ぐでんぐでんになったダクネスは放置して、カズマはアクアとのサシ飲みに入った。

 

「なあアクア」

 

「なーに?」

 

「お前、天界に帰りたいか?」

 

 単刀直入に聞くカズマ。

 自分では、軽い気持ちで聞いたつもりだった。だからカズマの口調は軽い。

 自分はどうでもいいと思っていると、カズマはそう思っていた。自分の心も彼は知らない。

 佐藤和真は、どこまで行っても素直ではない。

 

 だからだろうか。

 アクアがたった一言、短い一言に、僅かな寂しさをにじませた時。

 

「帰れるならね」

 

 その一言だけを理由に、魔王を倒そうという小さな気持ちが、彼の中に芽生えたのは。

 

「……」

 

 "ちょっとくらいなら手を貸してやってもいいか"という小さな気持ちが生まれる。

 "いや魔王とか勘弁"という気持ちがそれを吹き散らす。

 それでも、残る気持ちの残滓があった。

 

「でも地上も楽しいから、帰れって言われたら逆に帰る気なくなるかも」

 

「天邪鬼な小学生かお前は」

 

 しかれども、アクアは今日も平常運転である。

 

 天界に帰りたいと思うアクアも居て、地上での生活を楽しく思うアクアも居て、脳天気に今日を生きているアクアも居て。

 そんなアクアが、カズマは嫌いではなかったりした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人間側が戦いの前の準備を進めるように、魔王軍もまた戦いの準備を進めていた。

 魔王軍から見れば、今回の戦いはピンチであると同時にチャンスだ。

 女神のせいで魔王城の結界は絶対のものではなくなった。

 何か一つボタンを掛け違えれば、次の戦いで魔王軍は滅びるだろう。

 

 だがもし次の戦いに勝ち、ベルゼルグ主戦力や強力な冒険者、女神とそれに送り出された転生者を一気に仕留めることができたなら、反撃でそのまま人類を詰ませることができるだろう。

 特に女神だ。

 『水』を司る強力な権能持ちのアクアさえ倒せれば、魔王軍の勝利はほぼ決まる。

 人類にとっても魔王軍にとっても、次の決戦は狙った者を倒せるチャンスというわけだ。

 

 イエローはそんな大舞台を前にして、魔王に直訴を行っていた。

 

「どうか拙を、その一番危険な役割にあててくださいますよう、お願いしますでゲス」

 

「……」

 

 残る幹部は三人。将の魔王令嬢、工作員のセレスディナ、最強の預言者。

 残る戦隊は二人。魔物使いのレッドと、アンデッド化で特典を喪失したイエロー。

 魔王はこの五人をどう振り分けるか、という判断を迷っていた。

 そこにイエローが危険な任務を志願した形である。

 

 魔王の娘は軍団を率いて戦う係。占い師の預言者は城を守る最後の砦。

 魔王としてはセレスディナは一番危険な場所に置き、その部下であるレッドとイエローもそれなりに危険な場所に置くべきだと思っている。

 が、そこでイエローが上記の申し出をしてきたというわけだ。

 

「拙が一番危険な役割をやるんで。

 セレスディナ様はそこそこ安全なとこに置いといて欲しいんでゲス」

 

「……ふむ」

 

「敵軍のど真ん中で死なせて呪い爆弾として使うというのを考慮しても……

 セレスディナ様を戦いで使い潰すなんてもったいない。

 工作員の彼女は生き残れる可能性を高めて置くべきでゲス。

 生き残れれば『次の魔王様』のためにも役立ってくれるはずでゲース」

 

 イエローには自分の死を前提とするスタンスと、それによって大切なものを守ろうとする意志、その両方が感じられた。

 

「ワシにはお前が生きようとしている風には見えない。探しているのは死に場所か」

 

「一度目の死は後悔に濡れ。

 二度目の死はどこか満足し。

 しからば三度目の死は、二度目の死と同じ心持ちで居たいんでゲス」

 

「そのために、他人のために死ぬ道を選ぶというのか」

 

「一生にいっぺんくらいはやってみたかったんでゲス。

 美女のために命をかけて、美女のために死ぬってやつを」

 

「―――成程」

 

 イエローがセレスディナのことをそこまで大切に思っているかと言えば、そうでもない。

 かといってなんとも思っていない、と言えば間違いになる。

 美女はセレスディナでなければいけないのか、と問われればNOだ。

 誰でもよかったのかと問われればそれもまたNO。

 

 ただ単純に、イエローの知り合いに"そいつのために死ぬのなら良いか"と思えるような美女は、セレスディナしか居なかったのだ。

 死に場所を探すこの男にとっては、それだけの理由があれば十分だった。

 

「いいだろう。だが、役割は必ず果たすのだぞ」

 

「承知! でゲス!」

 

 魔王への直訴が成功し、意気揚々と部屋を出て行くイエローだが、一秒後にそこで盗み聞きしているセレスディナを発見してしまった。

 イエローの動きが止まる。思考が停止する。心拍数が一気に上がる。

 どうやらセレスディナは、今の会話の全てを聞いていたようだ。

 

「よう、自分に酔ってる馬鹿野郎」

 

「ほげっ」

 

「まさかあたしが気付いてないとでも思ったか?

 あたしを誰だと思ってんだ。自分は暗躍して他人の暗躍は暴く、魔王軍きっての工作員だぞ」

 

「せ、セレスディナ様……」

 

 セレスディナはタバコを咥えて、呆れ顔で煙を吐く。

 

「必ず戻って来い」

 

「え」

 

「お前がそこまでバカだったとは知らなかったからな……

 死んでも治らなかったお前のそのバカを、あたしが直してやるよ」

 

 セレスディナにも人情はある。

 加え、セレスディナはお涙頂戴の自己犠牲や、それを実行に移させる熱意が好きではない。

 だからだろう、彼女がイエローにこういうことを言っているのは。

 死に場所を求める人間に死ぬなと言う。

 その人間を救いたいからではなく、自分の気分が悪くなるから死ぬなと言う。

 セレスディナはまごうことなき悪女であった。

 

「だから死ぬなよ。無事に戻って来い」

 

「……拙の努力目標ということで」

 

 悪女とアンデッドがそんなやり取りをしているのを、少し離れた場所から魔王とレッドが並んで眺めていた。

 

「人間が人間を守り人間を滅ぼす算段を魔王軍でする。世も末だとは思わないか? 八坂」

 

 レッドは気安い口調で魔王に語りかけるが、魔王は応えない。

 魔王の名前を八坂と呼ぶが、魔王は何も反応しない。

 その無礼一歩手間の接し方さえ、魔王は咎めない。

 レッドはつまらなそうにため息を吐き、少し後に控えた決戦に思いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 夜が更けていく。

 かなり遅い時間になってからようやく、紅魔族三人はアクセルの屋敷に帰って来ていた。

 

「ただいま」

「ただいまー」

「ただまー」

 

 さっさと国内各地を回るためか、タイムスケジュールは相当にカツカツだった。

 おかげで体力があるむきむきは例外として、めぐみんもゆんゆんも露骨に顔に疲労の色が出てしまっている。

 

「流石に疲れました。さっさと寝ます」

「私もそうするね……」

 

「うん、おやすみ、二人共」

 

 さあ寝よう、と三人の中で一番に早寝早起きなむきむきも部屋に戻ろうとするが、そこでめぐみんに服の裾を引かれてしまった。

 

「むきむき、ちょっとかがんでください」

 

「こう?」

 

 望まれるまま、膝を折って。むきむきはめぐみんの指先が空を走るのを見た。

 めぐみんの人差し指が、めぐみんの唇に触れる。

 その人差し指が、むきむきの唇に触れる。

 目を逸らして顔を赤くする少年とは対照的に、少女は微笑み、彼をまっすぐに見る。

 

「おやすみなさい」

 

 そして何事も無かったかのように、二階に上がっていった。

 ゆんゆんは一瞬思考がショートしていたが、ここで対抗できなければ敗北は必至であると考え、浅い考えでむきむきにぎゅっと抱きつく。

 そしてすぐに恥ずかしくなり、離れて行った。

 

「お、おやすみなさい!」

 

 めぐみんの後を追うように二階に駆け上がっていくゆんゆんの背中を見つめ、顔を真っ赤にするむきむきが、ようやくその口を開く。

 

「……もしや今の僕は、肉食動物に狩られる草食動物の立ち位置なのでは……」

 

「そうよ」

 

「!? うぉ、ウォルバク様……!?」

 

 家政婦(ウォルバク)は見た。

 常に屋敷に居るニートウォルバクは、今の一部始終もバッチリ見ていた。

 見ていただけで何もしない。何も言わない。何も言えない。

 実はウォルバクにも大して恋愛経験なんて無かったからである。

 

「……強く生きなさい、むきむき」

 

「……頑張ります」

 

 この世界の女神達は、恋愛絡みだとそんなに頼りにならない。

 それはきっと、彼女らが本質的には人間に無償の愛を与える者達であるからだ。

 自分の気持ちと相手の気持ちで時に綱引きを行うような"人間の恋愛"は、彼女ら自身が経験するまでは、彼女らの認識と少しズレた場所にあるからだ。

 性愛(エロース)隣人愛(フィリア)家族愛(ストルゲー)神の愛(アガペー)は全て別のもの。

 ウォルバクもまた、恋愛経験豊富で妖艶な美女に見えるだけの純情ウブおばさんであった。

 

 

 

 

 

 ウォルバクと少し話し、役に立たない恋愛アドバイスと役に立つ魔王の話を聞き、むきむきは一人居間に向かった。

 最近はウォルバクも昔の自分に戻りつつあり、脱ニートも近そうだ。

 外見だけを見れば20代半ばで絶世の美女であるため、ニート状態が殊更悲惨に見えるウォルバクだが、このまま行けば普通に女神として復帰できるかもしれない。

 

「おかえり」

 

「え? あ、カズマくん、居間にいたんだ」

 

「さっきまでアクアとダクネスも居たんだが、部屋に帰っちまったんだよ」

 

 居間で一人で飲んでいたカズマとむきむきが、互いの存在を認識する。

 そこかしこに酒瓶やツマミの包み紙が転がっている居間は「汚い」の一言であり、真面目な人間ほど"片付けなければ"という焦燥感にかられてしまう。

 カズマは居間のソファにてちびちびと酒をあおっていた。

 

「行きたかった場所には行けたか?」

 

「うん、全部行ってきた。あとは来月の戦いのために準備するだけだね」

 

 むきむきはカズマの横に座る。

 

「最後の戦いを前にすると、色んなことを思い出しちゃうんだ」

 

「あー、俺もだな」

 

 二人の口は自然と開き、言うつもりもなかったようなことが語られて、心が自然と本音の想いを吐き出していく。

 

 出会ってからの日々。

 出会う前の日々。

 楽しかったクエストのことに、辛いと思ったクエストのこと。

 かけがえのない想い出になった一日のことに、忘れられない悪夢のような記憶の一日のこと。

 好きになれた人のことに、嫌いにしかなれなかった人のこと。

 

「巨乳で男から性的な目で見られたいと思ってもないのに胸元開くとかどうなんだろうな」

 

「誰のことを言ってるのかな、カズマくん」

 

 とりとめもない話は続く。

 カズマが"巨乳だから人権認められてるみたいなやついるよな"と言えば、むきむきが"胸の大きさで人を分けて考えるのは駄目でしょ"と言い、"めぐみんのことがあるからとりあえずで貧乳擁護に回ってるだろお前"とカズマが言えば、むきむきが目を逸らした。

 思春期のむきむきに芽生えた『おっぱいを愛する心』の小さな芽を、カズマは見逃さない。

 

「ああもうこの話はここで終わり! 別の話しよう別の話!」

 

 ジャイアントトードを倒した時の想い出を語った。

 キャベツ狩りの時の釈然としない気持ちを打ち明けた。

 ゴブリン狩りの時に思っていたことを言い合った。

 ブルータルアリゲーター狩りの時に食べた弁当の感想を今更に聞かせ合った。

 魔王軍幹部と戦った時、心の中にあった本音も吐露した。

 

「もう二度と戦いたくねえな、としか思わなかったぞ」

 

「あはは、皆強かったもんね」

 

 二人はなんでも話した。

 "この相手に隠し事なんて必要ない"とでも言いたげに、なんでも話した。

 

 子供の頃のこと。

 自分が育った環境のこと。

 父親のこと、母親のこと、幼馴染のこと。

 子供の頃の夢に、子供の頃なりたかったもの、子供の頃の友達との想い出。

 近所に作った秘密基地。

 振り回した自慢の木の枝の形。

 子供だからしてしまったヤンチャと、その結果大人に怒られたという苦い記憶。

 本当に、なんでも話した。

 

「カズマくんって昔からカズマくんって感じだよね……」

 

「うっせ」

 

 それはむきむきにとっては『未知の話』であり、カズマにとっては『友達が忘れてしまったことをもう一度教える過程』でもあった。

 かつてカズマと優也の間にあった想い出の共有は、「ああそんなのあったあった!」と言い合うことができる権利は、もうこの世のどこにもない。

 仕方のないことだ、カズマは心中にて自分に言い聞かせる。

 

 話は次第に、"むきむきの幼少期に里に魔王軍が来た話"から、"魔王軍にまつわる様々な話"へとシフトしていく。

 

「お前が居ると、魔王退治なんて簡単なことに思えてくるから困るんだよなあ」

 

 魔王と戦うなんて危ないことはゴメンだ、と考えるカズマだが、むきむきが居るというだけで不思議な安心感を持ってしまい、"魔王を倒すくらいならいいか"だなんて思ってしまう。

 

「僕もそうだよ。カズマくんが居ると、それがとても簡単なことに思えてくる」

 

 むきむきもまた、カズマがそこに居るというだけで、己に巣食う不安が消えていくのを感じていた。

 

「お前が倒してくれるんじゃないか、とか思うわけだよ」

「カズマくんが倒してくれるから、って自然に思っちゃうんだよね」

 

「だけどお前は俺が居ないとうっかりやられそうなんだよな、とも思う」

「でもカズマくんには僕の力が必要なんだ、とも思う」

 

「俺には多少考える頭がある」

「僕には君に貸せる腕っ節がある」

 

「だけど、器用貧乏な俺には決定的な力が足りない」

「だけど、僕には勝利を掴むための頭脳が足りてない」

 

 もうこの世界は、力だけでは救えない。

 もはやこの世界は、悪知恵だけでは救えない。

 むきむきの分かりやすい優しさに救われる者も、カズマの分かりづらい優しさに救われる者も居るだろう。

 万人に好かれる人も居なければ、万物に負けない人間も居ない。

 けれども、互いの足りない部分を補い合う―――そんな二人が、居たならば。

 

「僕はカズマくんに必要?」

 

 むきむきの問いかけに、カズマは応えない。

 

「俺はお前に必要か?」

 

 カズマの問いかけに、むきむきは応えない。

 

 もはやこの二人の間には、答える必要さえもない。

 

「カズマくんは次の戦いどうするの? 戦う? 逃げる?」

 

 戦うか逃げるか。

 カズマはどちらを選ぶ可能性も持っていた。

 そんな彼の脳裏に、アクアが一瞬だけ見せた『寂しそうな表情』がチラつく。

 

「お前は俺にどうしてほしいんだ? むきむき」

 

 カズマは他力本願で、選択を他人に委ねがちだ。

 そしてむきむきは、カズマがどんな話を振っても、カズマの期待通りの言葉を返してくれる者。

 

「僕が大好きなこの世界を、一緒に守って欲しいって、ずっと思ってる」

 

 カズマが望んだ言葉を、カズマが期待した返答を、むきむきはごく自然に口にした。

 

 

 

「……しょうがねえなあ」

 

 

 

 凡人・佐藤和真が魔王軍と戦うことを、心に決めた瞬間だった。

 

 魔王というのはラスボスだ。

 ラスボスを倒せばエンディング、その後にクリア後の世界を冒険するパートが始まる。

 魔王を倒した後に始まる冒険もある、ということはゲーマーなら誰もが知っている。

 ラスボスもゴールもない楽しいだけのぐだぐだな冒険―――それを日々送れるのなら、それはきっと楽しいに違いない。

 そんな日々の冒険こそが、カズマが本当に望んでいるものである。

 

「酒飲もうぜ酒。今日くらいはいいだろ、別に」

 

「いいのかなあ。僕まだ成人してないのに」

 

「いいから飲め飲め!」

 

 しまいにはむきむきにまで酒を飲ませ始めるカズマ。

 先程までも無礼講で心中を語り合う時間であったが、酒が入ってなけなしの遠慮までもが吹っ飛ぶと、二人の会話はどんどん隠し事のないものになっていく。

 女体ソムリエのごとく女体を語るカズマと、可愛い女の子に手を握られたらもうダメなむきむきが酒に酔って語り合う光景は、控え目に言ってお笑い番組のようですらあった。

 

「よし決めたぞ! 全部終わったらお前を俺の行きつけの風俗店に連れてってやる!」

 

「えええええ!? い、いいよそんなの!」

 

「大丈夫だ! 俺の世界にも

 『風俗で一発抜いて冷静になれば変な女には引っかからない』

 って言葉があるからな! お前はまず一発抜いて冷静に判断できるようになれ!」

 

「二人は変な女じゃないから! 変な女じゃないから!」

 

「いーやあの二人は変だ! お前はいっぺん冷静になるべきだ!」

 

 もうなにがなにやら分からない。

 

「俺、この戦いが終わったら……むきむきをサキュバスの店に連れて行くんだ」

 

「カズマくーん!?」

 

「あ、これダメだな。死亡フラグだ」

 

 飲んで、語って、飲んで、語って……彼らは馬鹿馬鹿しいことに、二人揃って酒に飲まれて眠ってしまった。

 一時間後。

 そこに二階からめぐみんとゆんゆんが降りてくる。

 

「水、水……」

「ふわぁ、なんだか眠れない……」

 

「「 あ 」」

 

 しかも申し合わせたかのように同時に、だ。

 台所に水を飲みに来た二人は、その途中で居間にて眠るおバカな少年二人を見つける。

 カーペットの上に転がる二人は、放っておけば風邪を引いてしまいそうだった。

 

「おや、むきむきが酒に潰されているとは珍しい」

 

「珍しいというか、私は初めて見たわね……

 カズマさんに悪い道に引きずり込まれそうになってる?」

 

「まさか。この二人は互いに影響を与え合いつつも、自分の道には引きずり込めませんよ。

 『絶対に自分のようにはならない仲間』だからこそ、互いにいい影響を与えてるんですから」

 

 ゆんゆんはむきむきを理解していて、めぐみんはむきむきもカズマも理解していた。

 

「それにしても厄介な。私達の腕力ではむきむきを部屋には運べませんよ」

 

「それならその辺に毛布が……あ、あったあった」

 

 ゆんゆんが毛布を持って来て、カズマにまず一枚かけてやり、むきむきにも一枚かけてやり、めぐみんが自然な流れでむきむきと一緒の毛布に入る。

 

「ちょっと何してるの!?」

 

「どこで寝ようが私の勝手です。

 殿方の部屋に忍び込んでるわけじゃあるまいし、別にいいでしょう」

 

「よくな……ああもう! どうせ何言っても聞かないんでしょ! 私もやる!」

 

 いつものようにさらっと攻めるめぐみんがむきむきの右側に、赤面しながらも対抗するゆんゆんがむきむきの左側に入る。

 

 それから更に一時間後。

 酒が抜け、自分が汚くした居間の後始末をしなければと思い立ったダクネスと、ダクネスの部屋で寝ていたアクアが降りてくる。

 そして雑魚寝していた皆を見て、水の女神様は一言呟いた。

 

「大乱交スマッシュ穴兄弟(ブラザーズ)でもやってたのかしら」

 

「おいアクア」

 

 アクアは欠伸混じりに居間に踏み込んで、カズマの横にごろりと寝転がる。

 馬小屋でずっとカズマと並んで寝ていたのだ。アクアもカズマの横ならば気にならない。むしろ彼の横で寝ることに、懐かしささえ感じているだろう。

 

「ふわぁ……私眠いから、もうここでいいや」

 

「お、おい! アクア!」

 

 皆寝ている。

 見ている者は誰も居ない。

 なのにダクネスは、誰に聞かせるわけでもない言い訳を呟いて、アクアの反対側のカズマの横に潜り込んで行った。

 

「……皆で一緒に寝てるだけだからセーフ」

 

 そして寝る。

 これでもかと寝る。

 カーペットの上で、不思議な安心感に包まれながら、六人はぐっすりと寝る。

 

 彼らは翌朝訪問してきたミツルギが起こしてくれるまで、六人一緒にずっとぐっすり眠っていたそうな。

 

 

 

 かくして、時は流れる。

 

 各々が心と武器の準備を終え―――最終決戦の火蓋が切られる、その日がやって来た。

 

 

 




 事実上の決戦前夜


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5-1-2

 魔王城へと向かう揺れる馬車の中で、むきむきは夢を見ていた。

 今日という日のために、皆でレベルを上げに行った時の夢だ。

 彼らは世界で最も危険な場所であると言う者も居る、世界で最も深く最も星の核に近い場所にあると言われるそのダンジョンに、六人で挑んでいた。

 なお、めぐみんは役立たずと化したので荷物持ちである。

 

「あっ、宝箱!」

 

「おい待てアクア、ああいうのは大抵……」

 

「ぎゃー! モンスターの擬態!」

 

「言わんこっちゃない!」

 

 彼らは強かった。城崩しと化しためぐみんを差し引いても強かった。

 上がったレベルの全てを防御と耐性に費やしたダクネスは、防御以外にもリソースを振るむきむきを遥かに超える防御力を獲得。

 正統派にステータスを上げたゆんゆんは非の打ち所の無い最強クラスの後衛に。

 カズマは死体に鞭打つようにハンスの死体を有効活用。

 アクアは精神的にも能力的にも成長しないがそれはそれでよし。

 むきむきもカズマの勧めで状態異常耐性を獲得、スキルレベルは高くないもののちょっとした毒には耐えられるようになっていた。

 

「閉じた扉……そこにあるレバー倒せばいいのかしら?」

 

「アクア様、カズマくんが罠感知と罠解除のスキルを持っているので僕の横で少し待っ」

 

「床抜けたー!? 落ちる落ちる落ちる!」

 

「もー!」

 

 それぞれが特定分野において特化した能力を持ちつつも、相互にカバーが可能な能力。これによって一人落ちたくらいではビクともしない堅固なPTとなった。

 緊急事態においてはダクネス・むきむき・自動回避スキル使用のカズマで三枚盾が可能、むきむき・アクア・カズマで回復役三重も可能、ダクネス以外の全員を攻撃に回すこともできる。

 これだけの強さがあれば、最難関ダンジョンのモンスターさえも敵ではない。

 彼らは危なげなく進んでいった。

 

「アクア、私より前に出るな。硬い私が役に立つ機会を奪わないでくれ、な?」

 

「何よ? 賢い私は学習してるのよ? このくらいぜんぜんだいじょぎゃぁぁぁー!?」

 

「!? わ、私が踏まなかった部分の床石だけが綺麗に落ちた!?」

 

 彼らの奮闘はまさしく鬼神の如し。

 罠は剥がされ、モンスターは倒され、壁があれば殴り壊された。

 もはや彼らに怖いものはない。

 

「おかしい! おかしい! 今度は私何もしてないのに! 助けてー!」

 

「『ライト・オブ・セイバー』! アクアさん今日は格別ツイてない気がします!」

 

「ゆんゆーん! ありがとっー!」

 

 彼らは他の冒険者達が苦戦するダンジョンの道のりを、あっという間に突破していた。

 

「ほう……よもや、ここまで到達する者が現れようとは。それも、以前見た顔ときた」

 

 そして最下層にて、見覚えのある吸血鬼と対峙する。

 むきむきがエルロードでのドラゴン戦の時に出会った、むきむきに神器のベルトをくれた、あのヴァンパイアだった。

 ダクネスが救われる遠因、むきむきとエリスが夢の中で会う関係を持つことになった遠因のヴァンパイアである、とも言える。

 彼がこのダンジョンの主たる夜の王。

 

「我がダンジョンを攻略し、ここまで来れた事は褒めて遣わそう。

 さあ、ここまで来た汝らの力! アンデッドの王! 永遠の命を持つ存在!

 ヴァンパイアの真祖にして、千年の時を経たこの私の前に示すがいい!」

 

 戦いは熾烈を極めることもなく、見ていて惚れ惚れしてしまうほどに鮮やかな瞬殺。

 現代の魔王軍は人類を危険域まで追い詰めるという、歴代の魔王軍でも頂点争いが出来るほどの強豪揃いだ。それに対抗するこのPTもまた強豪揃い。

 世界の終末に衝突するという本物の大悪魔バニルや女神アクアが平然と混ざる現代のインフレ戦場に適応した彼らが相手では、流石の真祖も敵わない。

 決まり手はカズマが創ったゴーレムをむきむきが振り回しての鈍器攻撃であった。

 

「……見事だ。前にドラゴンと戦っていた時よりも、数段強かったぞ」

 

「あ、ありがとうございます。あ!

 それと、あの時は歯に魔法をかけてくださってありがとうございました!

 あの後に何度か敵の剣や槍を歯で噛み止めることが多くて、本当に助かったんです」

 

「お、おう。なんというか、とんでもない日々を送ってきたようだな」

 

 虫歯にならないようにしてあげよう、子供だし、くらいの気持ちで吸血鬼がかけた魔法は以外なところで役に立っていたようだ。

 

「さあ、トドメを刺すといい」

 

「あ、また来ます。今度は一人でここ突破してみせます。だから今日は、このままで」

 

「……そういえば、そういう性格だったな、お前は」

 

 以前、むきむきはこのヴァンパイアを見逃した。今日も見逃す。

 いつかは見逃すことが許されず、人の敵としてこの吸血鬼を倒す日が来るかもしれない。

 だが、それは今日ではないのだろう。

 

「前にやったベルトのことは覚えているか? 少年」

 

「はい、勿論。女神様にお返ししてしまいましたが」

 

「そうか……あれはな、前に来た痛い冒険者が持っていたものだ。

 女神に選ばれた勇者を名乗り、一人でここに挑み、途中で死んであれを残していった」

 

 ヴァンパイアの記憶の中の『神器の力に溺れた冒険者』の姿と、目の前の『互いを補い合う冒険者達』の姿が、皮肉なほどに対比になって見えている。

 この世界で生きていくことは厳しい。

 だが厳しいだけで不可能ではない。

 神器を与えられても生きていくのが厳しいこの世界でも、何かに特化した人間達が手を取り合うことで、途方もなく強大な敵に打ち勝つことはできる。

 

「疑いが失わせるものがあり、信頼だけが生むものがあった。

 諦めが絶やすものがあり、不屈だけが繋ぐものがあった。

 冷酷が断ち切るものがあり、優しさが育むものがあった。

 他の誰もが踏破できず、たったひとつの仲間の輪が踏破したダンジョンがあった。

 このダンジョンがそれだ。誇るといい。お前達を超えるパーティは、未だこの世には無い」

 

「ヴァンパイアさん……」

 

「シルビアに吸収されていた同族を助けてくれたこと、本当に感謝している。礼を言おう」

 

 この地は未だ攻略されたことのない未踏破ダンジョン。

 しからばここを攻略した者達には、他の冒険者達にはないものがあるとヴァンパイアは考える。

 それを持っている冒険者が、あの日ドラゴンの一件で出会い、その後シルビアから同族のヴァンパイアを助け出してくれた少年であったことに、吸血鬼は運命を感じていた。

 しっとりとした空気が広がる。

 その雰囲気を、アクアは容赦も躊躇いもなくぶっ壊した。

 

「あん? 何カッコつけてんのよ、人間の血を吸わないと生きていけない寄生虫が。

 血は人間の営みの証、親から子へ受け継がれる命の象徴なのよ? 分かる?

 あのね私ね、悪魔みたいな生態してるあんたら見てると消したくてたまらなくなるんだけど」

 

「あ、すみません、かっこつけて調子に乗りました! ヴァンパイア超反省してます!」

 

「やめんかチンピラ女神!」

 

「あいたぁ!」

 

 カズマが止めるが、圧倒的上位者たる女神に恫喝されたヴァンパイアは既に及び腰である。

 先程までの威厳は既になく、カリスマ政治家がヤクザに脅されてビクビクしているような構図ができあがってしまった。そのヤクザが主人公陣営だというのが殊更に酷い。

 

「まあいいわ。生かしておいてあげるから、その代わり財宝全部差し出しなさい」

 

「はいただいま!」

 

「アクアって悪魔や吸血鬼相手には微妙に高圧的というか攻撃的というか、偉そうになるな」

「しかも罵倒がちょっと早口だな」

「いじめっ子の顔してますよね」

「やめなよ」

 

 このヴァンパイアよりも、ダンジョンの罠の方がアクアを涙目にしていたような気がしないでもない。

 それから十分後。

 ヴァンパイアが吐き出した財宝の数々の前で、カズマとむきむきは並んで色々と漁っていた。

 皆が思い思いに財宝を漁り、そのたびにガチャガチャと音がする。

 

「強そうなのが多いが、呪われてそうなのも多いな……」

 

「呪いの品っぽいのは触らないようにしておくべきだよ」

 

「まあそれもそうか。レベル上がったし、欲張って自滅しても元も子も……うおっ!?」

 

 財宝の山から呪われたペンダントが飛び出してきて、カズマの首に能動的に巻き付こうとし―――むきむきの拳が粉砕する。

 

「ゴッドブロー!」

 

 反応一瞬、粉砕一瞬。呪いのアイテムの危険行為も、むきむきの前では許されない。

 

「無難なのだけにしておこっか、カズマくん」

 

「……そうだな」

 

 どうやらこのダンジョンの財宝は"ヴァンパイア基準で問題がない"ものが積み上げられているらしく、ヴァンパイアはものともしないが冒険者職では即死する、というものが平然と転がっているようだ。

 

「すみませーん、ヴァンパイアさん、何かオススメの装備ありますか?」

 

「ふむ、何がお望みかな?」

 

「アークウィザード、アークプリースト、モンク、クルセイダー、冒険者。

 僕らの職業が装備できるもので、できれば長所を更に伸ばせるようなものを……」

 

「魔法使い用の装備はないのだ、すまないな。前衛の能力を補填するものならいくらか……」

 

「あ、そこにあるその鎧は呪いあるっぽいのでいいです」

 

「む。そうか」

 

 無知ゆえに素直に聞けるむきむきと、先程醜態を晒したくせにまたすぐ元の口調に戻って、むきむきに説明を始める吸血鬼に、カズマは少しもにょっていた。

 

(この吸血鬼、むきむきの前でだけは未だに偉そうな口調だな……

 なんかこれ地球でも見たことあるぞ。

 そうだ、思い出した。

 中学校でいじめられてたダサいやつが、小学生の俺達の前でだけは兄貴分気取ってたやつだ。

 俺達の前でだけカッコつけてたくせに、同級生と会うとヘーコラしてたからよく覚えてる)

 

 地球で例えるなら、いじめっ子高校生アクアに、いじめられっ子中学生吸血鬼、最下層無知小学生むきむきという構図だろうか。

 なお、この高校生は小学生に姉気取りで接しているため、三すくみが完成している。

 

「ああ、そうだ。この甲冑の内側には特殊な宝石があったな。

 これを外せば……ほら、プリーストが使える、神の力を増幅する石になる」

 

「いいですねそれ! 貰っても大丈夫なんですか?」

 

「ああ、いいとも。私としても……次に私のダンジョンに来る前に、お前に死なれても困る」

 

 各々適当なものを貰ったり、「俺が使える装備ないんですけど?」と戦慄するカズマを立ち直らせたり、アクアが財宝の罠にかかったりしていたが、やがて彼らも地上へと帰る。

 

 次にお前が来る時までにもっとダンジョンの難易度を上げておく、と、楽しそうに笑うヴァンパイアは負け惜しみのような台詞を吐いていた。

 

 

 

 

 

 そんな日の夢を見て、むきむきは目覚めた。

 

「起きた?」

 

 すると隣から――すぐそばから――、ゆんゆんの声が聞こえる。

 どうやらむきむきの左隣に座っていたらしい。

 彼が眠る前は左右に誰も居なかったはずなのに、だ。

 

「はい、水」

 

「ん、ありがと」

 

 時刻は早朝。彼らは馬車に揺られている。

 馬車の外に視線をやれば、土煙を上げて走る王国軍の馬車が無数に見えた。

 人間はスキルがなければ夜目が利かず、モンスターには生来夜目が利く者も多い。

 ベルゼルグ王国軍は、日本で言うところの朝八時頃に戦いが始まるよう調整していた。

 

 水を飲む少年は、自分が起きたことにも気付かず、話し込んでいるカズマとめぐみんを見た。

 

「お前、恋愛の駆け引きで押し引き両方使う面倒臭いやつだよな」

 

「何をおっしゃいますか、風評被害ですよ」

 

 カズマはむきむきと同じ肉体的童貞だ。

 そのため、童貞的第三者視点から見ためぐみんの『恋愛強者』っぷりはよく目につく様子。

 めぐみんはおそらく、パーティメンバーの中で最も"他人を自分に惚れさせる"のが上手い少女であった。

 時に押し、時に引き、めぐみんは自分が惚れた相手を自分の領域に引っ張り込んでいく。

 

「しっかしお前、ゆんゆんのことでむきむきに嫉妬心持ったりしないのか」

 

「むきむきは昔から優柔不断なところがありましたからね、仕方ないですよ」

 

「意外と寛容だな、めぐみん」

 

「このくらいで幻滅するような付き合いはしていませんから」

 

 むきむきがまだ寝てるものだと思っているめぐみんに、どこか『寛容ないい女』を気取っているめぐみんに、起きたむきむきは容赦なく彼女の本質を突きつけた。

 

「違うよ。めぐみんは駄目な人が好きなとこあるからだよ。

 僕がハッキリしなかったりヘタれてるのを見てキュンとしてるだけだよ」

 

「ぶっ」

 

 めぐみんが悩んでいた時に、むきむきはちゃんと言っていた。

 めぐみんの駄目な所を、自分は全部ちゃんと知っていると。

 

「え、お前複数の女の間でふらっふらしてる男が好きなの? 引くわ」

 

「違いますー! 私のことだけを好きで居てくれる人の方が好きですー!」

 

(カズマにそういうことを言われるとは、世も末だな……)

(カズマはそういうこと言える性格してないと思うんだけど)

 

 引くカズマ、叫ぶめぐみん、白けた目をしたダクネスとアクア。

 

 めぐみんは駄目男が好きだ。だが浮気男にイラッともする。

 駄目な男はすぐ女性に優越感を与えるが、駄目な男は一途でもないので、いわゆる『ダメンズ』はその辺のジレンマに苛まれている事が多い。

 彼女はおそらくそのために、矛盾したシチュエーションに大きな情動を感じるのだろう。

 複数女性の間でふらふらしてる男性が、自分だけを見てくれる。

 だらしない男が自分の行動の結果しゃきっとする。

 普段駄目なところを見せる男が、いざという時格好良く決める。

 泣き虫な人に自分が声をかけ、立ち直らせ、男らしく力強く新生させる。

 

 だからめぐみんはむきむきに恋をして、カズマと相性がよく、アクアの世話をすることが苦にもならず、アクシズ教徒に駄目な友人も居る。

 めぐみんには、"ダメな人が好きという、ダメなところ"がある。彼女もダメな女なのだ。

 むきむきは、めぐみんのそういうダメなところをきっちり理解している。

 

「言っておくけど、僕は絶対一人選ぶからね。フラつかないから」

 

「まあむきむきが一度ゆんゆんを選んでも、最終的に私の横に居ればいいんですけど……」

 

「ごめん、めぐみんが何言ってるか全然分からない」

 

「むきむきは知らないでしょうが、里を出る前あるえがハマっていたものに寝取りというものが」

 

「そこまでよめぐみん! むきむきに言ってるように見せかけて私を挑発するのやめなさい!」

 

 むきむきめぐみんの間に、ゆんゆんが割って入っていく。

 めぐみんは恋敵が出来ると、恋敵を憎むのではなく、恋敵をからかったり挑発をしたりするタイプのようだ。

 だからか、彼女の周りの恋愛模様はインファイトに近くなる。

 

「めぐみん、弁当みたいに簡単に取れると思ったら大間違いよ」

 

「うわっ、このゆんゆんのガチトーン……!」

 

 めぐみんとゆんゆんの恋愛インファイトを見ながら、ダクネスは気付きたくなかっためぐみんとむきむきの共通点に気付いてしまった。

 

 要するにこの二人、両方共ダメな人間を見捨てられないのだ。

 

(めぐみんとむきむきがカズマと相性良さそうに見えるのは、つまり……)

 

 めぐみんにはダメなところが多く、むきむきにも駄目なところが多く、そして二人共駄目な人間を見捨てられずに面倒を見てしまうタイプ。

 つまりめぐみんとむきむきは、互いのダメな部分を肯定し合ってしまうのだ。

 ある意味最高の相性であるとも言える。

 

 むきめぐには似た部分がある。

 つまりゆんゆんとむきむきの間にあるのは、ゆんゆんとめぐみんの関係から対抗心を引っこ抜いたものに似た信頼関係が下地にある恋愛感情、と表現することもできる。

 しからばその相性が悪いわけがないのだ。

 最高のライバルは最高の恋人に等しいとも言うので、むきむきとゆんゆんの相性もまた良い。

 

 この三人は『人間的好み』の関係で絡み合っているがゆえに、ややこしい。

 

「なあむきむき」

 

 カズマは真剣な顔で、魔王城へと挑む直前の冒険者らしい張り詰めた雰囲気で、むきむきに問いかける。

 

「お前貧乳派? 巨乳派? ちなみに俺はロリはアウト派」

 

「その質問はどういう意図で投げつけてきてるのかな? カズマくん」

 

 何故ラスボス戦・ラストダンジョン戦を前にしてこんなにも軽いのか。

 

 カズマ達が普段からそうだから、としか言いようがない。

 

「皆さん、魔王城が全体像までハッキリ見えてきましたよ!」

 

 馬車の外から声が聞こえて、皆の意識が外に向く。

 どうやら魔王城到着までそう時間はないようだ。

 

「……ん?」

 

 そこで、カズマの山盛り感知スキルに何かが引っかかる。

 『何か』だ。明確な感覚ではない。

 その時点でおかしい。カズマの目は千里を見通す千里眼、結界の向こうの会話も聞こえる盗聴の耳、敵を感知する第六感と、スキル百鬼夜行がカズマの売りだ。

 その感覚が正確に捉えられない時点で、何かがおかしい。

 

「なんだ?」

 

 カズマが何かを察知して、むきむきが馬車の行く先に目を凝らす。

 数多くの実践で磨かれた観察力と動体視力が、そこに何かを見た。

 

「―――敵」

 

 同時、どこからともなく王国軍の先頭に攻撃が仕掛けられる。

 その姿は見辛く、立てる音は聞き取り辛く、動きは肌で感じ難い。

 感知スキル持ちでも認識することが難しい存在からの、理想的に成功した悪夢のような奇襲であった。

 

「な、なんだ!?」

「総員止まれ! 馬車から降りろ! 何が何やらわからんが戦闘態勢!」

「そんな急にできるか! 何人居ると思ってるんだ! 時間は相応にかかるぞ!」

 

 人類側は奇襲に対応しようとするが、どうにも対応しきれていない。

 普段は個人・数人で動いている冒険者さえも『一軍』として運用するため、集団運用を前提とした動きを徹底させたことが仇となった。

 考えるまでもなく、これは魔王軍による奇襲。

 王国軍の先頭に、魔王軍のモンスター軍が食い込んでいく。

 

「あれは……隠密トカゲ!」

 

「知っているのかめぐみん!」

 

「密林の主と言われる、賞金首モンスターです!

 高レベルの盗賊系感知スキルでも発見は困難と言われる厄介なモンスター!

 それがこんな平地に、この数で現れるなんて常識じゃ考えられません!」

 

「じゃあ、あれだな」

 

 ありえない数の隠密トカゲ。先日、むきむき達が"ありえない数の安楽少女"を見たことを考えれば、これがどこから来たかも分かろうというものだろう。

 これは置き土産。

 ピンクと呼ばれた一人の人間が、自分の醜悪な歪みに付き合わせてしまった魔王軍(なかまたち)に残した最後の置き土産なのだ。

 奇妙な形で繋がった、今は亡き仲間が遺してくれた戦力を、魔王軍は最大限に利用する。

 

「魔王軍の最初の刺客ってやつだ……!」

 

 この戦いは軍規模の戦い。

 軍に大きな損害を受ければ、その時点で戦線は破綻する。

 

(ここで大打撃を受けたら、この先の戦いが……)

 

 個人が頑張っても群体は止めきれず、軍に損害が出てしまうだろう。

 そして強力な個人の消耗は、魔王という個人を仕留める駒が弱ってしまうことを意味する。

 自分が出るか出ないか。

 どうするべきかを迷うむきむきであったが、そこで思わぬ援軍が現れる。

 

「だらしないわね」

 

 王国軍へと食い込む魔王軍の、更に横合いから突っ込んでくるモンスターの群れ。

 隠密トカゲの軍は「奇襲した」と思った最大の隙を突かれた形となり、一気に瓦解する。

 人間の味方をしてくれたそのモンスター達の姿に、むきむきは見覚えがあった。

 

「お久しぶり。ふふ、いい男ぶりは変わらないようね」

 

「お前はオークの……スワティナーゼ!」

 

「あら嬉しい。名乗った覚えもないのに、短い一夜の逢瀬でも覚えていてくれたのね」

 

 そう、それは。

 あの日の夜ミツルギをレイプしようとし、むきむきをレイプしようとした、オーク調教性騎士団の女騎士達であった。

 

「なんでここに……」

 

「勘違いしないで、あなたのためじゃないわ。

 あなたの童貞を貰うのは私。ただ、それだけのことよ」

 

(筆舌に尽くしがたいレベルの不快感!)

 

 しかも参戦理由が酷い。

 彼女らはどうやら、むきむきのためにここまで来てくれたようだ。

 魔王城近辺とオークの生息域はそこまで離れていないとはいえ、その苦労は易くない。

 むきむきをレイプするまではむきむきを死なせはしないという、高潔で誇り高い意志が見える。

 

「さあ、守るのよ!」

「命と共に失われてしまうもの! 彼らの童貞を!」

「魔王軍が殺すことで奪うもの! 彼らの童貞を!」

「彼らの童貞は私達の童貞! 自分のものは自分で守れ!」

「「「 童貞! 童貞! 童貞! 」」」

 

「さあ行きなさい! あなた達の未来を! あなた達の命を! あなた達の童貞を守るために!」

 

 オーク達は優秀な男の子種を守るため、男達の命を守る。

 ちょっと目を覆いたくなるような光景だった。

 

「進軍!」

 

 王国軍はオークに急き立てられるように――オークから一刻も早く逃げだすために――急速に陣形を整え、トカゲを抑えてくれているオークに背を向け、軍は進む。

 その前に、とうとう魔王軍の本隊が現れた。

 将としてそれを率いるは魔王の娘、そのサポートにセレスディナ。

 対するは王国軍を率いる王族達、それに従う転生者や貴族達、そしてアイリス。

 アイリスは聖剣片手に、ここで魔王城への投入部隊を切り離させる。

 

「ここからは別行動です、むきむきさん」

 

「アイリス!」

 

「あなた達は魔王の首を。私達がここで、魔王軍の本隊を受け持ちます」

 

 ここからが正念場だ。

 アイリスにはアイリスの、むきむきにはむきむきの戦場がある。

 

「その勇気に、どうか女神エリスの祝福がありますように!」

 

 むきむきは力強く頷き、アイリスにここを任せて魔王城への道を進む。

 はるか後方で大軍と大軍が激突する音が聞こえてきたが、彼が振り返ることはなかった。

 潜伏スキル、姿を隠す魔法、魔道具を併用して進むことでむきむきとその仲間達は魔王軍にも気付かれずに魔王城へと接近していく。

 だが、それも途中まで。

 やがては彼らの接近を察知し、その進行を阻もうとする者も現れる。

 

「ゲースゲスゲス」

 

 彼らの前に立ちはだかったのは、一度彼らに負け死んだことで特典も失い、大量のスキル以外に何の強みも持てなくなった、DTイエローであった。

 

「黄色……!」

 

「拙の役目はお前らのような『魔王城に来る精鋭』の抹殺。

 あるいは足止め。まあ……捨て駒みたいなもんでゲスが、望んだ役職と割り切って、と」

 

 イエローの背後には、選りすぐりの強力なモンスターが何体も控えていた。

 

「なら、僕の役目はお前のような露を払うことだ」

 

 されども、この程度の事態をアイリス達が予期していなかったはずもなく。

 むきむき達の道中の露払いのため、その援護に回された男が現れた。

 

「ミツルギさん!」

 

「私達も居るわよ!」

「私達三人で仲間(チーム)だもの!」

 

「クレメア先輩、フィオ先輩!」

 

 ミツルギPTのおでましだ。彼の構えた大きな魔剣が、陽光を浴びてきらりと輝く。

 

「行ってください、師父。ここは僕らだけで十分です」

 

「ミツルギさん……」

 

「……以前、僕は思ったことがあります。

 魔剣を貰ったから上手くいかないんじゃないかって。

 聖剣とか、そういうのを貰わなかったから、僕はなりたいものになれないんじゃないかって」

 

「……?」

 

「でも、違った。魔剣だろうと、聖剣だろうと……

 『そういうもの』を望むような人間に、この世界は救えないんです」

 

 世界が救われるか、救われないか、それが決まる最後の戦いを前にしてようやく、ミツルギは自分の中にあった疑問に対し『自分なりの答え』を出していた。

 

「この世界を救ってください。そして……

 『世界を救いたい』という願いも叶わず!

 『女神様に褒められる勇者になりたい』という願いも叶わなかった僕の代わりに!

 『この世界に救われて欲しい』という最後に残った僕の願いを! 叶えてください!」

 

 むきむきは力強く頷き、皆と共に先へと進む。

 

「ようやく分かった」

 

 ミツルギはそういい、魔剣を構えた。

 

「遅すぎたけれども、分かった」

 

 イエローはそう言い、ピンクが残した最後の薬を飲んだ。

 

「僕は世界を救う勇者にはなれなかった。でも、それでいい」

 

 魔剣が彼に筋力を与える。

 

「拙は勇者どころか善人にさえなれなかった。でも、それでいい」

 

 薬が彼に筋力を与える。

 

「僕は人が救われ、世界が救われるための一助となる。それだけでいい」

「拙は魔王軍を勝たせ、人とその世界を滅ぼす一助となる。それだけでいい」

 

 力任せに、二人は踏み込む。

 

「「 ―――きっと、そのために、この身はこの世界に辿り着いたんだ 」」

 

 正しく生きるか、悪しく生きるか。

 二人の転生者は、どこまで行っても対極的だった。

 

 

 

 

 

 先に進んだむきむき達が見たのは、魔王城結界の周辺で警備についていたであろう魔王軍の僅かな残りと、それを一方的に追い立てるアクシズ教団の姿であった。

 

「……なんで僕らより早く着いてるんだろう……」

 

 確かに先日、むきむきはアクアの頼みでアクシズ教団を煽った記憶はあった。

 だが何故、むきむき達より先に到着しているのか。

 数が少ないとはいえ魔王城の警備を何故一方的に蹂躙しているのか。

 何故めっちゃ楽しそうなのか。

 謎であった。

 

「あ、アクシズ教徒!? どっから湧いてきた!」

「ゴキブリかお前らは!」

「し、しぶとい!? やべえぞこいつら!」

 

「ヒャッハー! 火を放て!」

「アクア様にあだなす奴らをぶっ殺せ!」

「魔王軍を一人残らず浄化してやるんだよォー!」

 

 全員こっそりやっているつもりなのだろうが、チラチラアクアの方を見ているのが妙に鬱陶しく気持ち悪い挙動になっている。

 悪死's教団の狂信者達を率いるゼスタは、足を止めたむきむき達に声をかけた。

 

「さあ、お行きなさい! むきむき殿!」

 

「ぜ、ゼスタさん!」

 

「なに、アクア様はおっしゃいました!

 あなた達はやればできると! できる子達なのだと!

 上手く行かないならそれは世間が悪いのだと!

 つまりあなたは必ず勝てるのです!

 あなたが魔王に勝てないのなら、そんな世界は間違っていると私が断言いたしましょう!」

 

 アクシズ教の教えを引用して励ましてくれるのは嬉しいのだが、こうまでとんでもないことをされてしまうと流石に気が引ける。

 むきむきは頷きを見せ、信徒に構おうとするアクアを抱えて先に進んだ。

 

「これが、幹部の力で維持された結界……!」

 

 最後の壁。この魔王城を守る城壁代わりの結界だ。

 カズマの指示で、そこに二つの神の力を混合した結界破りが叩き込まれる。

 

「アクア! むきむき!」

 

「『セイクリッド・ブレイクスペル』!」

「『ブレイクスペル』!」

 

 パリン、と結界が粉砕され、数分は再生も始まらないような破壊がもたらされた。

 さあ次は城に突撃だ、と彼らが意気込んだまさにその瞬間、大規模な上級魔法が彼らを襲う。

 

「! 伏せて!」

 

 地面に大きな凹凸がある場所だったことが幸いした。

 咄嗟に伏せた彼らの頭上を、地面を抉りながら飛ぶ上級魔法がスレスレに飛んでいく。

 むきむきやダクネス相手にも有効打、あるいは致命傷になりかねない、ゆんゆんの魔法さえも凌駕するような規模と威力の上級魔法であった。

 

「ふむ……まだ遠いか? 私が外すとは、勘が鈍ったか」

 

「むきむき、あれは……」

 

「話に聞いてたやつだ。『最強の幹部』、『最強の魔法使い』、『魔王軍最強の存在』……!」

 

 ウォルバクから聞いていた、今残っている幹部の中で最も危険な一人。

 悪魔の故郷である魔界から無尽蔵に魔力を引き出す魔法陣を使い、魔王城周辺では魔王を超える最強の存在と化すと言われていた預言者が、その姿を見せていた。

 

 無尽蔵の魔力を防御結界・再生能力・攻撃強化に回しているため、めぐみんの爆裂魔法でも倒せるかどうかは五分五分であり、与えた傷も無制限に回復してしまう。

 攻撃魔法は単騎で対軍の域にあり、一騎当万は当たり前。

 まともな手段では削りきれない、魔王軍随一の化物の中の化物だった。

 

「我が下に辿り着けたなら、私の名乗りを聞く栄誉と死を与えよう」

 

「えっらそうに……!」

 

 魔王城の外に出て、魔王城へと侵入する者を皆殺しにする気満々だ。

 さっさと魔王城の魔王を仕留めたいむきむき達だが、相対して身に染みて理解した。

 この敵は強い。おそらくウィズよりも、これまで戦ったどの幹部よりも強い。

 魔王を早く倒すために早く倒さなければ、なんて考えていたら全滅する。

 魔王を倒すために力を温存しよう、なんて考えていたら全滅する。

 

 巧遅も拙速も下策になりかねないこの状況で、むきむきの肩に手を置く者が居た。

 

「おっと、こんな所で無駄に時間を使う必要はないぞ。むきむき、めぐみん、ゆんゆん」

 

 少年の肩に手を置いたのは、ぶっころりーだった。

 

「!? ぶっころりーさん!? こ、紅魔族の皆……!?」

 

 ぶっころりーだけでなく、続々と現れた紅魔族達が、むきむき達の前に立ち並び壁となる。

 

「ベルゼルグから援軍要請があってな。いいタイミングで来れたようだ」

 

 嘘だ。絶対最高のタイミングで格好良く現れるため、こっそり隠れていたに違いない。

 占い師の預言者も、紅魔族達の登場に僅かに残っていた慢心と油断を投げ捨てたようだ。

 

「ほう、紅魔族。神族の血を引く私に勝てるとでも?」

 

「あいにく我ら紅魔族は、人類最強の魔法使い一族なのでね」

 

「ならば私は、魔王軍最強の魔法使いであると名乗らせてもらおう」

 

 最強の魔法使い。最強の魔法使い一族。

 最強の個。最強の群。

 片方だけでも人類国家の一つくらいは楽に消し飛ばせるような二勢力が、魔王城の眼前にて激突しようとしていた。ここの地形がそのまま残ることはありえないだろう。

 

「行け、むきむき、めぐみん、ゆんゆん! 紅魔族の代表として、お前達が世界を救ってこい!」

 

 ゆんゆんの父である族長が叫ぶ。

 むきむきは嬉しそうに頷き、皆を連れて駆け出した。

 "紅魔族の代表"と言われたことがよほど嬉しかったに違いない。

 預言者はそれを魔法で止めようとするが、紅魔族の戦える者達が総出でそれを妨害し、むきむき達は無事魔王城の内部へと突入した。

 

 手薄になった魔王城を突き進むことなど彼らにとっては造作もない。

 罠があろうが、罠感知と罠解除のスキルを持つカズマの前では問題にもならない。

 彼らは階段を駆け上がり、一気に魔王城最上部へと上がっていく。

 

(皆がこの先にあるものを望んでる。敗北でないものを望んでる)

 

 階段を越え、廊下を越え、部屋を越え、魔王の部屋さえ抜けて、魔王が待ち受ける魔王城の頂点たる屋上へと向かう。

 

(僕らは―――皆が繋いでくれたものを、そこに繋げないといけないんだ!)

 

 彼らが足を踏み入れたその場所には、魔王とその配下が待ち受けていた。

 今日この日、この時間に、どんな人間がやってくるかさえ、予想して対策もしてきたとでも言いたげな表情の(まおう)が屋上の中央で佇んでいる。

 その顔にむきむきは見覚えがあるようで、見覚えがなかった。

 

「よくぞここまで辿り着いたな、女神と勇者よ」

 

 天蓋を背に、魔王は語る。

 

「ここが終わりだ。

 お前達の命の終わり。

 お前達の冒険の終わり。

 これより先はなく、これより後はない」

 

 魔王を殺せば人の勝ち。女神とその仲間を殺せれば魔王の勝ち。話は至ってシンプルだ。

 

「魔王とは闇をもたらし、光に討たれるもの。

 百年の絶望を与え、一瞬の希望に切り裂かれるもの

 無限の手を尽くし、たったひとつの想いに打倒されるもの。

 ……されども、この身を打ち倒すのが貴様らである、だなどと保証する者は居ない」

 

 シンプルゆえに、不可避である。

 

「さあ、我が腕の中で息絶えるがよい!」

 

「行こう、みんな!」

 

 むきむきが仲間達に呼びかけて、みんながその呼びかけに応え声を上げる。

 

 この物語の最後をしめくくる、運命の最終決戦が始まった。

 

 

 




↓WEB版の心惹かれた設定会話抜粋

「……遠距離から、強力な上級魔法で敵を一掃するタイプだな。
 そして、弱点は無い。
 こいつは、魔王城の中に魔界から、直接魔力を引き込む魔法陣を設置していてな。
 おかげで、魔王城から遠く離れられない代わりに、城の近辺では絶大な力を振るう事が出来る。
 絶えず濃い魔力が供給され続けるおかげで、受けた傷も即座に回復するし、
 自身に強力な結界を絶えず張り巡らせているおかげで、並の攻撃はまず通じない」
「そんな奴、どうやって倒すんだよ。そいつをやり過ごす事って出来たりしないか?」
「倒すのは無理だろうな。余程の火力じゃないとあいつの結界に遮られるし、
 たとえ傷を与えても、回復力に追い付かない。
 紅魔族の連中が総掛かりで魔法を撃ちまくって、それでようやく押し切れるとか、
 そんなレベルじゃないか?


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5-1-3

 ぼちぼちWEB版と書籍版の現状ある設定をまぜこぜにしたものを、とりあえずの着地点に持っていくための繋ぎにしたオリジナル設定が一杯出てきます


 エリスが事前にむきむきに教えていたことはいくつかある。

 例えば、アクアが持っているが忘れている『魔王を弱体化させる能力の存在』などだ。

 

「『光よ』!」

 

 最近は昨日の朝ご飯のメニューも、自分が女神であることも忘れがちなアクアだが、言われればそこそこ思い出す。

 開幕でいきなり弱体化の力を放ち、魔王のスペックを著しく低下させていた。

 

「弱体化か、小癪な」

 

 魔王は力を著しく削られるが、それで焦る様子も見せない。

 冷静に状況を把握し、部下を自分の周囲に展開し、油断なく敵を見る。

 ゆえに一瞬で気が付いた。

 むきむき達のPT人数が、事前に聞いていたものよりも少ないことに。

 

(頭数が足りていない?)

 

 一瞬でそこに危機感を持った魔王の洞察力は一流と言って差し支えないものであったが、それでも遅い。既に一手遅れている。

 カズマの卑怯戦術は、一瞬でその全てを見抜かれたとしても対応不可能であるものだからだ。

 

「―――『エクスプロージョン』!」

 

 先日考案された、カズマの潜伏で姿を消しためぐみんの無詠唱爆裂魔法が屋上にて放たれる。

 魔法の白光が屋上に展開された魔王とその部下達に直撃し、冬将軍も消し飛ばすほどの威力を的確に直撃させた。

 デタラメな規模の爆発。発生した爆風の余波は、むきむきとダクネスが盾となって遮る。

 

 戦いの開始直後、むきむき達と魔王達が接近する前の問答無用先制攻撃―――容赦の無い一撃必殺であった。

 

「やっぱり潜伏爆裂は……最強だな!」

 

「この戦術私達が使ってるって発覚したら国から厳重に警戒されそうですね、テロ云々で」

 

 カズマ&めぐみんのこの一撃を防ぎたいなら、潜伏を無効化するモンスターを魔王城内部に大量に放つしかない。

 実際魔王はそうしていたのだが、むきむきとアクアに片っ端から駆除されてしまっていた。

 

「しょうもない決着だな……だが、勝ちは勝ちか」

 

 ダクネスが溜め息を吐き、肩の力を抜く。

 めぐみんの爆裂魔法に耐えられる存在などそう居ない。魔王でさえも耐えられない。それはウォルバクが明言したことだ。

 彼女が少しだけ気を抜いたのも、ごく自然なことであったと言えよう。

 

「ほう、綺麗に吹っ飛んだな」

 

「! お前、レッ―――」

 

「第一ラウンドの決着としては悪くない終わりだ」

 

「!?」

 

 ふっ、と突然レッドが現れる。

 戦場の片隅に現れた彼は、魔王が倒されてしまったというのに、驚く様子も慌てる様子もなく、とても静かな様子で顔を隠す仮面をなぞる。

 

「お前達も知っての通り、当代の魔王は老人でな。

 純粋な力で言えば全盛期には程遠く、配下を強化する能力さえも劣化していた。

 されど勇者を待ち受けるのが魔王の責務。弱っているのに、逃げるわけにはいかないときた」

 

 その内寿命でポックリ行くんじゃないかと娘に心配されていたくらいでな、とレッドは仮面の下で苦笑する。

 

「お前達は幹部が補充される前に勝負を仕掛けたい。

 私達は寿命死する前に『今の魔王』を勝たせたい。利害は一致していたわけだ」

 

 この決戦で雌雄を決したいという理由は、人間側にも魔王軍側にもあった。

 

「私の能力は特典職業、モンスターテイマー。

 魔王にも色々と仕込ませて貰った。流石に老人の魔王のままでは味気なかろう?」

 

 爆裂魔法が発生させた爆煙の中で、何かが蠢く。

 マナタイトで魔力を補給するめぐみんとゆんゆんは、杖をそちらに向けた。

 むきむきとダクネスは、レッドと爆煙の両方に警戒心を向けつつ、仲間を庇った。

 アクアはバリバリ油断していた。

 カズマはとりあえずこっそり潜伏で隠れる。

 爆煙を散らすようにして、『それ』は魔王城の屋上にて立ち上がった。

 

「私の手で、魔王に最後の手を加えさせてもらった。

 この世界では魔王の一族は死ねばそこで終わりであるという。

 だがそれじゃあ、魔王らしくないだろう? 魔王はもっと、それっぽさが必要だ」

 

 爆煙の中から現れたのは、20m以上の巨体に膨れ上がった魔王であった。

 筋肉と鋼鉄を融合させたような肌色に、化物としか言えない風体。

 魔王城の屋上も狭くはないはずなのに、その巨体がそこに立っているだけで、急に狭くなった気すらする。

 

「例えば―――倒された後の『第二形態』などは、必要だと思わないか?」

 

 これが、この日のために魔王とレッドが用意した策。

 

 魔王が倒された直後に発動する、強化進化であった。

 

「で……」

「デカっ……!」

「デカい!」

 

「殺された後復活するのは悪魔の特権。

 殺された後、強く変質して新生するのはアンデッドの特権。

 ホーストやアーネスのように、死しても蘇るように……

 ウィズやベルディアのように、一度死んだ後にこそ強化されるように……

 女神の特典で、魔王の体に仕込めるだけの仕込みを行った。

 魔王も一種のモンスター。本人の同意があれば、いくらでも混ぜて強化はできる」

 

 複数のモンスターを女神の力で改造し、意志を剥奪し、魔王に組み込んだ。

 女神の力を勇者に選ばれた人間が魔王のために使うというこの矛盾。

 されどその矛盾は、数十体のモンスターを魔王に組み込むという過程を経て、最強の矛と盾にも勝るものを魔王に備えさせていた。

 

 くぐもった声で、魔王は語る。

 

『さあ、第二ラウンドだ』

 

 魔王はその巨体から、右の豪腕を振り下ろした。

 狙いはむきむき。むきむきは魔王の豪腕の攻撃範囲に入っていたゆんゆんを突き飛ばし、頭上で腕をクロスしてその一撃を受け止めようとする。

 その一撃を甘く見ていたことは否定できない。

 その攻撃を受けきって、反撃することを第一に考えていたのも間違いない。

 ゆえにこそ、その甘い考えは豪腕の一撃で粉砕される。

 

「―――か、ぁ、がっ!?」

 

 頭上からの一撃を受け止めたむきむきの両膝は折れ、普段とは逆の向きに曲がっていた。

 

「!?」

 

 豪腕には状態異常効果が付与されていたようで、それもまたむきむきの体力を削る。

 魔王は一撃でむきむきの両足を折り、もう一度腕を振り上げて、追撃の一撃でむきむきにトドメを刺そうとしていた。

 

「せ、『セイクリッド・ハイネスヒール』!」

 

 そこで飛ぶアクアの回復魔法。

 むきむきは間一髪で状態異常から立ち直り、逆方向に折れた膝が治りきる前に両腕だけで床を叩いて大ジャンプ。巨体豪腕の一撃を辛うじて回避して、滞空中に治った足で着地した。

 

「あ、危なっ!」

 

「こりゃ近寄ったら叩き潰されるか踏み潰され……ん?」

 

 距離を取るべきだ、と皆が判断したその瞬間。

 魔王の全身に鋼鉄の瞼が現れ、開いた瞼がぎょろりと動く鋼鉄の眼球を見せつける。

 更には鋼鉄の唇までもが魔王の皮膚上にずらりと現れ、その唇の全てが魔法の詠唱を開始し、数え切れないほどの数の魔法を射出してきた。

 

「うわっ!?」

 

「私の後ろに隠れろ!」

 

 そこで役立ったのがダクネスであった。

 潜伏さえも許さない絨毯爆撃だが、ダクネスという堅固な盾(しゃへいぶつ)に遮られればその後ろにまでは届かない。

 跳んで絨毯爆撃を避けるむきむき以外の全員が、ダクネスの背後で攻撃をやりすごす。

 

 それも当然。でなければ生き残れるはずもない。

 足を止めて攻撃を遮っているダクネスの背後以外、安全地帯が存在していないのだ。

 しっちゃかめっちゃかに魔法を乱射する魔王のせいで、彼らの周囲は彼らを飲み込もうとする魔法の雪崩しか見えない。

 跳び回っていたむきむきもダクネスの隣に着地、仲間のため安全地帯を作りに動くが、打たれ弱いカズマ達がこれの直撃を受ければ腕の一本や二本は持って行かれかねないだろう。

 

「こ、これは……!?」

 

「魔王の体の表面に口が沢山付いてるの、見えるか?」

 

 この攻撃の正体に真っ先に気付いたのは、やはりというかカズマであった。

 

「あれで多分、一気に複数の詠唱を実行してるんだ。ちょっと、いやかなり面倒だな……!」

 

「ともかく攻めよう、カズマくん! ダメージを通さないと話にならない!」

 

「ああ!」

 

 ダクネスに仲間の守りを任せ、むきむきは敵に隙を作るべく動き出す。

 前に出るのはむきむきに任せ、カズマは仲間に指示を出して動き出す。

 ゲーム的な表現をするのであれば、『一度倒すと強化されて第二形態』『一ターン複数回行動』『通常攻撃が全体攻撃』という能力を実装した大魔王。

 魔王と勇者の戦いを、レッドは遠巻きに仮面越しに眺めていた。

 

 

 

 

 

 セレスディナは魔王の娘の横、魔王軍本隊の中央にて耳を澄ませる。

 魔王城の方から聞こえてくる轟音は、加速度的にその音量を増していた。

 城に残った者達とぶつかるミツルギ達やアクシズ教徒達の戦闘音。

 その戦闘音よりも更に大きな紅魔族と預言者の戦闘音。

 二つの戦闘音さえ塗り潰す、むきむき達と魔王の戦闘音。

 

「始まったか」

 

 ここは魔王軍本隊の中央、戦乱の渦中にして台風の目。要するに安全地帯だ。

 セレスディナの横で、セレスディナが漏らした一言を聞いたのか、魔王の娘が不思議そうにセレスディナに呼びかける。

 何が始まったのか、と。

 

「魔王の野郎の戦いさ。あれが本当の最後ってやつだろ」

 

 魔王の娘が眉をひそめる。

 

「あっちが終わる前にあたしらもこっちを片付けて、戻らねえとな」

 

 魔王の娘はひそめた眉を戻し、不思議そうに首を傾げた。

 そして、ああ部下が心配なんだなこのツンデレ、と思う。

 

「早めに戻るさ。要はさっさと人間の軍の本隊を叩いちまえばいいんだ。

 それまでの間、あたしの部下達が保たせてくれればいい。

 そうすりゃ魔王軍の本隊を反転させて、今城とその周りに居る奴らを全員ぶっ殺せる」

 

 セレスディナはぶっきらぼうにそう言い切った。

 彼女は冷酷で、残酷で、姑息で、卑怯で、部下が死んでも引きずることはまずないが、部下を生き残らせるために奮闘できる女性だった。

 

「が、その前に」

 

 されども、部下を生かすため、魔王軍を勝たせるため戦うセレスディナが居るように―――人間の側にも、仲間を生かすため、人類を勝たせるために戦っている者達が居る。

 ベルゼルグの者、エルロードの者、冒険者、転生者、貴族、兵士、傭兵。

 人類というカテゴリが抱える戦う者達。

 その中でも特に奮闘している者が居た。

 状態異常無効の聖剣を持ち、セレスディナの洗脳も呪いも跳ね除ける、魔王の娘に強化された魔王軍さえも蹴散らしている、魔王の王女と対になるベルゼルグの王女。

 

「てやああああっ!!」

 

 突き進むアイリスは、セレスディナの心に"そもそも勝てるのか"という不安を募らせていた。

 

「ったく、『王』とか肩書に付いてるやつはどいつもこいつも……!」

 

 敵も味方も、王族が命を賭けて戦わなければならない局面に足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 一方その頃、魔王城の頂点では。

 

「うおっ!?」

 

 相も変わらず魔王による魔法の制圧射撃により、カズマ達は反撃の糸口を得られずに居た。

 

「埒が明かねえ! むきむき、アクア、めぐみん、さっき言ったあれやるぞ!」

 

「了解!」

「うーんちょっと私怖いから遠慮したいなーなんて」

「ほらアクアはさっさと行ってください」

 

 カズマは三人を動かしての賭けに出る。

 ダクネスは盾を継続、賭けに出るための一瞬の隙を作るのはゆんゆんの役目だ。

 

「ではまず私が! 『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 ゆんゆんは馬鹿みたいに大量の魔力を注いで、魔王城の結界さえも両断できそうな巨大で鋭い刃を作る。

 魔王もこれは喰らいたくないと考えたらしく、絨毯爆撃に使っていた魔法の全てを一点集中、ゆんゆんの魔法と相殺させる。

 そうして出来た僅かな時間に、めぐみんはマナタイトで回復した魔力を全投入、二発目の爆裂魔法を発射した。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 本来ならば超長距離から飛来する高速弾頭、それも広範囲を焼き尽くす範囲攻撃。

 かわせるはずもない一撃。

 だが砲弾のように発射されたそれを、魔王は超反応と高速移動にて回避した。

 

「その魔法はワシも既に一度見た!」

 

(っ、本当に忌々しいですね。

 上から下に打ち付けるタイプの爆裂魔法は仲間を巻き込むため撃ちにくい。

 横に射出するタイプだと、あの巨体が信じられない速度で動いてかわされる。

 爆裂魔法ってそんな避けられる弾速じゃないはずなんですが……けど、それでも)

 

 ウィズの店で売っていた高級マナタイトも、魔王軍幹部等との戦闘などで消費してもう残り少ない。めぐみんとゆんゆんの魔力消費ペースが段違いなため、尚更使用ペースは速かった。

 ならば。

 一発ごとに、当てる工夫をすればいい。

 

(これで!)

 

 ゆんゆんが魔法を撃った時点で、アクアを抱えたむきむきが走り出していた。彼はめぐみんが魔法を撃つ直前に跳び上がり、めぐみんが放ち魔王が避けた魔法が、一直線にそこへ向かう。

 

「『リフレクト』!」

 

 その爆裂魔法を、アクアが無限に近い魔力を用いて()()した。

 

「―――!」

 

 プリーストの使用魔法を女神の力で昇華させ、力任せに355°方向転換。

 回避直後で隙を晒している魔王へと爆裂魔法が再び迫る。

 魔王は避けられないと悟り、右腕を振り上げ―――死すらも覚悟し、爆裂魔法にハンマーの如く拳を叩きつけた。

 

「!?」

 

 膨大な魔力を込められた右腕は、右腕を消し飛ばされながらも爆裂魔法を床に――魔王城に――叩きつける。

 魔王を殺すために費やされるはずだった破壊力は、その全てが魔王城の破壊へと費やされた。

 魔王城が壊れ、崩れ落ちていく。

 

「う、うわっ!?」

 

「な、なんて無茶苦茶な……!」

 

「カズマくん、皆を捕まえて!」

 

「お、おう! 『バインド』!」

 

 カズマがバインドスキルの応用で仲間達と自分を繋ぎ、むきむきが空を跳ねながらワイヤーで繋がれた仲間達を回収して、なんとか地面に着地する。

 むきむきの筋肉巨体が空を跳ね回る姿も圧巻だが、今は魔王城の崩落に巻き込まれてもダメージを受ける様子さえ見せない、魔王の巨体の方がよく目立っていた。

 

()ッ……流石に、効いたぞ!」

 

 魔王は爆裂魔法に吹き飛ばされた腕を瞬時に再生、再生した腕で殴りかかる。

 むきむきは仲間を庇うように前に出て、魔王の拳に拳を合わせる。

 拳と拳が衝突し、むきむきの方が競り負け、吹き飛ばされた。

 そして体が浮いたむきむきに、魔王の全身から放たれた無数の魔法が突き刺さる。

 

「くっ……ぐあっ!」

 

「むきむき!」

 

 意識が飛びかける。命が飛びかける。

 少年は自前の回復魔法で一瞬だけ命を繋ぎ、繋いだ命を更にアクアに繋いでもらう。

 むきむきの意識は数秒だけ完全に飛び、意識が飛ぶその直前に、魔王に捕まるアクアとそれを助けようとする仲間達の姿が、むきむきの目に焼き付いていた。

 

 

 

 

 

 その数秒が、むきむきの記憶を蘇らせる。

 一種の走馬灯だろう。むきむきの意識は、ある夜にウォルバクと二人きりで話した時の記憶の中に放り込まれていた。

 

「あなたの性格は私の信徒より、エリスの信徒の方が向いている気がするわ」

 

「うっ」

 

「敬虔なエリス教徒の一部はアクシズ教徒に優しいと聞くけれど……あなたはまさにそれね」

 

 『怠惰と暴虐』という自分の特性と、むきむきの相性がイマイチ良くないのだと彼女は言う。

 確かにこの少年、怠惰に生きることも暴虐に生きることも無さそうだ。

 

 カズマとアクアがこの世界に来てすぐの頃、アクシズ教徒だと思われたアクアは、ギルドの登録料をエリス教徒に恵んで貰ったという。

 敬虔なエリス教徒であるダクネスやクリスは、アクアに優しい。

 寛容な一部のエリス教徒でもなければアクシズ教徒に優しくできないのかもしれないし、先輩のアクアに寛容なエリスに信徒が似るのかもしれない。真相は謎である。

 

「私に気遣わず、エリス教に改宗してもいいのよ?」

 

「今のままで特に困ったこともないので、変えようとは思ってなかったんですが……」

 

「少なくとも、私は人に祈られる資格がある女神じゃないもの」

 

 魔王退治を近日に控えたことで、ウォルバクは妙な厭世感を漂わせていた。

 魔王が死ぬか、この少年が死ぬか、二つに一つ。この先に待っているのはそういう決戦だ。

 その前提が、ウォルバクを嫌な気持ちにさせていた。

 

「前に、あなた達に聞かれたことだけど。……魔王の身の上話、聞く気はある?」

 

「! はい、是非!」

 

 魔王が魔王で在る理由。

 ウォルバクが魔王軍に付いていた理由。

 むきむきはそれを聞きたがっていた。

 だがウォルバクは今日までずっとそれを話そうとはしなかった。

 それを話してしまうことで、むきむきが同情して戦いの手を鈍らせてしまうことを、そのせいでむきむきが死んでしまうことを恐れたからだろう。

 あるいはまだ、魔王の味方をしてやりたい気持ちが少しは残っていたのだろうか。

 

 だが最後の戦いを前にして、ウォルバクはそれを話す覚悟を決めた。

 目の前の『自分を天界に帰そうと頑張っている子供』の姿が、女神としてのウォルバクの心を揺らしたのかもしれない。

 

 魔王の身の上を知った上で、人の世界を守るために倒す決意を固める。

 魔王のことを知り、理解し、それを魔王の討伐に役立てる。

 それがきっと今一番に必要なものだ。

 敵を知り、その上で同情せずに打倒する。それが心持つ敵を倒すために必要なものである。

 

「魔王は、元人間よ」

 

「え?」

 

「それも、佐藤和真や御剣響夜と同じ場所から来た異邦人であり、当時最強の勇者と目された者」

 

 だが流石に、()()()()()を告げられてしまえば、むきむきも驚かずにはいられない。

 ウォルバクは蕩々(とうとう)に、滔々(とうとう)と語り出す。

 

「彼がまだ魔王になっていない、彼がまだ勇者だった頃……

 彼は一人で魔王と対峙し、それを追い詰めた。

 けれども最後に魔王に逆転され、死にそうになった時……事故が起こってしまったの」

 

「事故?」

 

「彼が拾得していた他人の神器が発動してしまったのよ。

 あなたも見た覚えがあるでしょう? 体を入れ替えるタイプの神器を」

 

「!」

 

「彼が負けそうになったその時、神器が発動して勇者と魔王の体が交換された。

 勇者は勝つ直前の魔王の体の中に。魔王は死ぬ直前の勇者の体の中に。

 そうして、『魔王になった勇者』は自分の体の中に入った魔王を倒し、世界を救ったわ」

 

 『今の魔王』は、そうして生まれた存在だった。

 

「いや、待ってください。そこまで詳しく知ってるってことは、まさか……」

 

「あなたにとってのエリスのように。

 佐藤和真にとってのアクアのように。

 今の魔王である彼には女神ウォルバクが居た。それだけよ」

 

「……」

 

 冒険をする日本人が居て、それを見守る女神が居て、人と女神が言葉を交わす。

 本来一対一で向き合うことのない人と神の交流に、不思議な楽しさや喜びが生まれる。

 そんな関係が、過去にもあった。

 今は魔王と呼ばれている男とウォルバクの間にも、そういう関係があったのだ。

 

「でも神器は本来の所有者でなければ正常には機能しない。

 それはあなたも知っているでしょう?

 魔王の体を正しい形で乗っ取れなかった彼の心は、魔王の体に引っ張られ始めた」

 

「……」

 

「そうして、いつしか人ならざる者の味方になった。

 ……優しい人だったから、きっと情が湧いてしまったのね。

 人外の仲間を作り、人外の妻を持ち、人外の娘を得て、人外の軍を率いて……」

 

「"魔王軍の代表者"として、魔王を名乗り動き始めたんですね」

 

「そうよ」

 

 一時ではあっても、バニルほどの大悪魔が魔王の味方をした理由も分かった。

 魔王が『人間』でもあり、『面白く』もある者であるならば、あのバニルの興味を引いたとしてもおかしくはない。

 魔王もからかえば、バニル好みの"人間の悪感情"を吐き出したのだろうし。

 

「彼をそこまで堕としておいて、私だけ知らんぷりはできないでしょう?」

 

「……あなたは、見捨てられなかった。ウォルバク様は、優しい女神だったから」

 

「違うわ。情のせいで見捨てられなかっただけで……邪神が優しいわけがないでしょう?」

 

「……」

 

「レッドという悪い親友も出来て、魔王になってから長いあの子も少し明るくなった。

 それでも元には戻らない。……起きた変化は不可逆で、あの頃にはもう戻れないのね」

 

 ウォルバクは少し寂しそうに笑う。

 彼女は見方を変えれば、"人間個人との向き合い方を失敗した女神"であり、アクアやエリスにもあり得たBADENDの存在であるとも言える。

 特別に親しくしていた人間の結末こそが、彼女を最終的に邪神へと至らしめた。

 

 カズマにとってのアクアが、魔王にとってのウォルバクだった。

 ならばカズマにとってのむきむきが、魔王にとってのレッドなのだろう。

 

 ウォルバク視点、そこかしこに既視感を覚えているに違いない。

 むきむき達の物語は、ウォルバクが詳しくは語らない、彼女の過去の再演だ。

 ハッピーエンドで終わらなかった女神の物語の後始末だ。

 女神に導かれた勇者が魔王を倒し、めでたしめでたしで終わる光景を目にして初めて、失敗に終わったウォルバクの物語は一つの区切りを迎えることができる。

 

「勇者を魔王に堕ちる道に誘った。

 それを理由に人の敵に回った。

 その罪が在ったからこそ、私は邪神だったのよ」

 

 ウォルバクが語っていない理由もあるかもしれない。

 されども、彼女が魔王軍に付いた主たる理由の一つがこれであることに間違いはないだろう。

 彼女は一人の人間に情を持ってしまった。

 その人間となら地獄に落ちてもいい、と思ってしまった。

 自分には地獄の底まで付き合う責任がある、と思ってしまった。

 彼女は骨の髄まで『女神』だったから。

 

 アクアという女神と、カズマという人間の間に、地獄に落ちても断ち切られることがなさそうな腐れ縁があるのと同じことだ。

 ウォルバクは今でこそ誰の味方にもならず中立を保っているが、それまではずっと魔王の味方で居続け、その部下として彼の傍に居た。

 

「女神が誰か一人の人間のために地に堕ちる。

 それは……とても大きなことで、きっと世界さえも変えてしまうものなのよ」

 

 その言葉には、途方もない重みがあった。

 

「ねえ……あなたは、魔王を倒してあげられる? もしも、あなたにその時が来たら―――」

 

 倒してあげて、とウォルバクは言った。

 

 倒さないでと女神は言わない。

 倒して欲しいと女神は言わない。

 倒してあげてと、女神は言った。"終わりにしてあげて欲しい"と、彼女は言った。

 

 

 

 

 

 数秒の意識の断絶が解け、記憶の海からむきむきが復帰する。

 その数秒で、魔王はアクアを捕まえていた。

 むきむきは自前のヒールで気休め程度に体を癒やし、立ち上がる。

 

「ぎゃー! カズマさーん! カズマさーん! たしゅぅけてぇーっ!!」

 

「お前はなんで最後の戦いまでそういうノリなんだアクアぁー!」

 

「これで回復役は潰れたな」

 

 魔王は背中から一本太い触手を生やし、それでアクアを捕まえ、アクアが魔法を使えない程度に自分の近くでブンブンと振り回し始める。

 

「ぎょえええええええー!?」

 

「アクアー! あ、これ洒落にならんやつだ!」

 

 これでアクアは仲間を回復できない。

 ゆんゆんも魔法の使用は消極的にならざるを得ず、めぐみんに至っては爆裂魔法も封じられてしまった。撃てばアクアを巻き込んでしまう。

 

「この女神を取り上げれば、お前達は大怪我も直せない。

 死者も蘇ることは出来ない。強力な支援魔法も使えない。そうであろう?」

 

(こいつ……!)

 

 アクアの支援と回復、めぐみんの一撃必殺さえ封じれば、魔王は圧倒的有利に立つ。

 そう、アクアだ。

 このPTの中で『ぶっちぎりに強い長所』を一番多く持っているのは、アクアなのだ。

 短所も多いがそれは脇に置いておく。

 回復、蘇生、支援を使うアクアが居る限り、魔王はどんなに攻めても攻めきれない。

 真っ先に仕留めるべきはアクアだったのだ。

 

 そうすれば、後は時間をかけて少年達をじっくり削っていけばいい。

 

「ワシもあの時風呂で見た子供が、こうしてまたワシの前に立ちはだかるとは思わなかったわ」

 

(あの時……?)

 

「それもウォルバクの加護を受けて、とはな。奇縁ここに極まれりよ」

 

 魔王は深く息を吸い、その魔力を漲らせる。

 魔力量だけで言えばめぐみんも、ウォルバクも超える魔力が唸りを上げた。

 

「少年。ウォルバクはまだ迷っていたか?」

 

「……そうだよ。魔王(おまえ)の敵にも味方にもなりきれない。まだ迷っていたよ」

 

「ウォルバクは人が良すぎるのだよ。

 本質的に魔王の味方などできない。

 人の敵になど回れない。

 それなのに情が湧いてしまったという理由だけで、ワシの味方をしてしまった」

 

 魔王の言い草からは、ウォルバクが味方をしてくれて嬉しかったのか、ウォルバクに自分の味方ではなく女神のままで居て欲しかったのか、どちらが本音なのかイマイチ読み取れない。

 老人の静かな語り口は、ベールのように本音を隠す。

 

「人の敵たる邪神か、人を愛する女神かどちらかにしかなれないというのに。

 ワシさえ居なければ、迷うことなく人の味方で居続けられたというのに。

 倒されるなら倒されるでワシは満足だというのに。それが魔王に課せられた運命なのだからな」

 

 バニルならば「魔王ならば自分の最期がどうあるべきかくらいは分かっている」と言うだろう。

 ウィズに聞けば「最後に派手に倒されることを望んでいるでしょうね」と言うだろう。

 ウォルバクも「彼はそういう人だから」と言うだろう。

 それでもなお、魔王軍が人類を追い詰めるほど圧倒的で容赦がなかったのは――

 

(そっか、魔王は倒されることを受け入れてる。

 でもその部下は魔王を勝たせたいと思ってる。

 魔王は部下のその想いの分だけ、勝とうという決意を持ってる。

 この矛盾してるようで矛盾してない構造こそが、今の魔王軍……)

 

 ――それを受け入れない者が、魔王の周囲に居たからに、他ならない。

 ベルディア達はどこまでも本気で、魔王を勝者の座に座らせようとしていた。

 

「ワシはいつでも人の味方に戻っていいと彼女に言っていたのだがな。

 結局彼女は『魔王の敵』には戻らなかったか。

 ……ウィズもいつかはそうなるだろうと思っていたが、ワシの予想は大抵当たらん」

 

 魔王がくくっと笑う。

 人類を裏切って魔王となった男が、元女神と元冒険者が自分を裏切らないことを訝しむなど、奇妙な話もあったものだ。

 

「ウォルバクも随分と長く、ワシの我儘に付き合わせてしまったな」

 

 20m超の巨体が蠢く。

 

「だが、それももう終わりだ。今日ここに全てが決着する」

 

 カズマがハンスの毒を使った毒矢を撃った。

 ゆんゆんがアクアに当たらないよう威力を絞った魔法を撃つ。

 むきむきもカズマがスキルで創った鉄球を投げつけた。

 だがそのどれもが、魔王の各種耐性に弾かれてしまう。

 

 魔王(ラスボス)はただひたすらに、世界を殺す自らの脅威を見せつけていた。

 

「さあ、続きを始めようではないか。ワシもいい加減、この運命に決着を付けたいのでな!」

 

 むきむきの身体能力を超え、爆裂魔法でも腕一本しか喪失せず、数多くの特化能力を持つ魔王の第二形態。

 レッドは胸を抑えながらそれを見て、仮面を外し青い顔でニヤリと笑う。

 

「……行け、魔王が、勇者に勝って、世界に救いはなく、女神は嘆き……それで終わりだ……」

 

 魔王のこの形態を維持するため、レッドは命を削っている。

 おそらくはこの戦いの後、数日生きることも叶わないだろう。

 特典に命の全てを食わせる勢いで、レッドは魔王のために能力を使っている。

 魔王のために死ぬことを、この男は躊躇わない。

 

 そうするだけの理由があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 DTレッドと呼ばれる彼は、根が悪い奴である。

 クズだカスだと言われるが根は良い奴なカズマとは対極にあたる。

 逆説的に言えば性格の根を除けば善人であったとも言える。根が悪人だった彼をそう育てたのは両親であり、環境であり、周囲の善意だった。

 むきむきとは対極でレッドは幼少期からずっと、この上なく環境に恵まれていたのだ。

 

 彼は若くして死に、女神に能力を貰って何事もなく転生する。

 だが、この時既に片鱗は見えていたと言えよう。

 彼は他の生物を支配し、自分の思い通りに変える力を特典に求めたのだから。

 

 異世界に辿り着き、彼は冒険者になって、ある日遠出した時に食料が尽きてしまって、その上森の中で迷子になってしまった。

 

「……腹減ったー」

 

 食べるものはなく、帰り道は分からない。

 このままでは死ぬかもしれない、という疑惑が心の中で確信へと変わっていく。

 

「何か食えるものないか……」

 

 死を肌で感じ取りながら彷徨う彼が見つけたのは、一匹のジャイアントトードだった。

 

「お、カエルか。あー……あと一時間見つけるのが遅かったら、餓死してたな……」

 

 まだレッドと名乗っていなかった頃の彼は、カエルを捕まえて食べる。

 飢えに飢えていた彼はカエル肉を生で食べていた。

 冒険者ならば多少は胃腸も強くなっているため、元より鶏肉に近い性質のカエル肉を食べることに問題はない。

 食べる。

 ひたすらに食べる。

 飢えを凌ぐために食べる。

 食べて、食べて、食べて、彼は気付けば――

 

「は?」

 

 ――カエルの腹の中に居た『人間の子供の肉』を食べている、自分に気付いた。

 

「あ、え?」

 

 ジャイアントトードは人を食う。

 毎年のようにこのモンスターに人間の子供が捕食されている。

 その腹の中に人間の子供が居ることも、カエルの肉が"人間を消化した栄養で作られている"ことも、この世界の住人ならば容易く受け流せる事実だ。

 だが、彼はこの世界の住人ではない。

 そのショックは途方もないものだった。

 

「……う、わ……なんで……」

 

 ここで一つ、彼の性根を見返してみよう。

 彼の根は悪性だ。

 善性というものを上塗りしていただけで、本質的には悪である。

 

 残虐な殺人を見ても殺人犯を酷い悪人だと思えない。何故なら彼はもっと残虐な殺し方を思いつけるし、実行できるから。

 自分の方が悪人なのだから、その殺人犯を悪人だとは思えない。

 他人の大切な物が失われると快感を感じた。

 葬式で泣いている人を見ると思わず笑顔になれた。

 取り返しの付かない悲劇にこそ、素晴らしさを感じ取ることが出来た。それが彼だった。

 

 社会の歯車を回す人間の大半は、善人であると言える。

 犯罪者になるサイコパスは、壊れた善人であると言える。

 人の苦痛を全て喜べるのであれば、それは倫理が逆転した善人であると言えよう。

 彼は違う。彼は性根が悪性だ。

 彼に時折垣間見える善人のような思考や動きは、後天的に教育で獲得したものである。

 

「なんで私は……()()()()()()?」

 

 生まれつき正義の味方が向いている人間が居るように、生まれつき悪の味方が向いている者も居る。

 

「なんで、人の肉を食べて笑ってる?

 無残な子供の死体を見て笑ってる?

 普通の人は……そういう反応を、するべきじゃないんじゃないか?」

 

 『食人』という特大の禁忌を破ってしまったショックは、人によっては発狂しかねないものだっただろう。

 それが彼の()()を外してしまった。

 

「ああ」

 

 エリートが一度の失敗で転落してしまうように。

 ただの悪ぶった子供が一度の万引きで、犯罪を躊躇わない人間になってしまうように。

 普通に生きていただけの人間が、徴兵により平気で人を殺せる人間になってしまうように。

 彼もまた、その"ただの一度"で悪に堕ちた。

 

「いいな、これ。もっとこういう死体が見たい」

 

 かわいそうな過去などない。

 あったのは小さなきっかけ一つのみ。

 彼は最初から、根底からそういう人間だった。

 魔王軍に魂を売ったのも、単に悪行を行うならそっちの方が都合がよかったというだけの話。

 

「すみません、魔王軍に入りたいんですが」

 

「は? お前人間だろう?」

 

「はい」

 

 彼は能力を駆使して魔王城までの道のりを突破し、魔王城に座すという魔王に会うべく動いていた。まだレッドと呼ばれてないこの頃には、魔王軍に入る以上の目的はなかっただろう。

 だがそこで、彼は意外な人物と再会する。

 

「……ユージ?」

 

「え? ……まさか、マキトか?」

 

 彼は魔王が自分のことをユージと呼ぶのを聞いて驚き、その呼び方から何かを察して、魔王のことをマキトと呼ぶ。

 魔王が元勇者で、元地球人で、地球に居た頃親友だった男だっただなんて、どこの誰が想像できようか。

 魔王になってから途方もない年月が経った頃、地球に居た頃親友だった男が女神に送られてくるなど、どこの誰が想像できようか。

 

 ―――カズマとむきむきが再会したのと同じように、彼らもまた、奇縁によって再会したのだ。

 

 二人は自分達の境遇を懐かしそうに語り合い、再会を喜び合い、共に戦えることに奇妙な運命のようなものを感じていた。

 魔王という人間にとっての悪性となった魔王と、生来人間社会に適合しない悪性を持っていたレッドは、地球に居た頃よりも気が合うようになっていた。

 親友である二人の男と、再会を導いた女神。

 彼らの境遇はどこかむきむき達のそれと重なる。

 ウォルバクはカズマとむきむきとアクアの関係を、一体どんな目で見ていたのだろうか。

 

「戦隊の構成員募集の準備も出来た。私もようやく魔王の配下らしくなったんじゃないか?」

 

「何故戦隊……」

 

「私の趣味さ、魔王」

 

「ああ、そうなのか。ワシももううろ覚えだが、お前はそういう奴であったな……」

 

「そうとも、私はこういう悪党が正義の味方を暗にコケにするのも好きなんだ」

 

 二人は相棒だったのだ。魔王軍の大半は、そのことに気付きもしていなかったが。

 

「だが、本来の名前を捨ててそんな適当な偽名を名乗る必要はあったのか?」

 

「お前に合わせただけさ。お前も過去を捨てて、今の魔王になったんだろう?」

 

「する必要もないことを、よくもまあ。ワシにそこまで合わせる必要はなかっただろうに」

 

 レッドにとって魔王軍は自分の欲求を満たすための、悪行を行う下地でしかない。

 ……なのに。

 魔王の正体を知って、魔王軍に対し湧いてしまった情があった。

 

「地球ではお前くらいしか居なかったからな。こんな顔の私と友人になろうとした物好きは」

 

「……バカが」

 

 レッドは自分の心も顔も醜いと、そう考えている。

 他人から憎まれることが苦にならない。

 他人に正しく同情できない。

 正義の語り口に一切感化されない。

 自分の行動の結果他人が幸福になっても、何も感じない。

 泣きながら縋り付いてくる誰かを蹴飛ばすのが好きだ。

 そういった根底の感性の上に、普通の人の感性を後天的に貼り付けたのが彼の性格だ。

 

 人類を絶滅させ、モンスターだけになった社会を自分の能力で『争いの無い世界』にし、そのトップに魔王を据えるなど、まともな精神の人間の考えることではない。

 その思想は悪そのもの。

 だが、それでも。

 

 悪には悪の友情がある。

 

「私は醜いアヒルの子さ」

 

「……ユージ」

 

「今はレッドだ、魔王」

 

 レッドは『みにくいアヒルのこ』。

 彼は同族には馴染めない。

 彼にとっての本当の仲間は、最初に同族だと思った者達ではなく、自分と同じ異質(みにく)さを人間に感じさせる魔王軍の中にこそ在る。

 自分がなんであるかをきちんと自覚して初めて、醜いアヒルの子は飛び立てる。

 

「アンデッドも、悪魔も、モンスターも、魔王も、人間視点じゃ醜い奴らさ」

 

 白鳥の子は、アヒルの群れの中には混ざれない。

 住む場所が限られているのなら、まずはアヒルを皆殺しにしなければならない。

 

「昔から思ってたんだ。この顔は自分の心の醜さが出たものなんじゃないかと」

 

 レッドは醜い己が顔を指でなぞる。

 

「私はどうやら人間社会の味方にはなれない、魔王軍(おまえたちの)側の存在のようだ」

 

 そんなレッドに、魔王は手製の仮面を渡し、その手を取って強く握った。

 

「ようこそ、魔王軍へ」

 

 男同士の握手が、人を人とも思わない残酷な悪役同士の握手が、魔王軍(ここ)にレッドの居場所があるのだということを強く知らしめる。

 

「勇者だった頃、ワシは一人で戦っていた」

 

「……」

 

「だが魔王軍(ここ)で、初めて仲間を得た気がした。

 一人で全てを成そうとしたワシの考え方の、なんと愚かだったことか……」

 

 この二人は、本当に皮肉なことに、人間を平気で虐殺できる悪党になって初めて、心許せる仲間や心安らぐ居場所を得たのだ。

 

「……ワシはウォルバクにも、ここまで深い部分の心情を話したことは無かったな」

 

「男が本音を語るのは大抵男で、大抵は親友じゃないかね」

 

「違いない」

 

 くっくっくと、男二人で屈託なく笑う。

 魔王として世界を滅ぼしてもいいと思う魔王が居た。

 それに与してもいいと思う悪人が居た。

 志半ばで勇者に討たれても別にいいと思う魔王が居た。

 魔王のためなら別に死んでやってもいいかと思う悪人が居た。

 部下の献身の分くらいは頑張ってやろうかと思う魔王が居た。

 魔王を世界の覇者にしてやろうと考える悪人が居た。

 

 それは、命を懸けて果たすに値する『悪行』だった。

 

 

 

 

 

 レッドの心臓は今にも張り裂けそうで、『最強の魔王』の維持だけで命は削られていく。

 "魔王が死ねばそれだけで自分も連鎖的に死ぬ"という確信を持ちながらも、第二形態の維持をやめることはない。

 自分も苦しかったが、それ以上に人間達の上げる苦悶の声が、レッドの心に力をくれていた。

 

「腐れ縁の情があった。湧いた情があった。ただそれだけだ」

 

 誰よりも仲間を庇い、最後まで仲間を守り続けたダクネスが倒れ。

 めぐみんもゆんゆんも、攻撃の余波だけで瀕死の重傷を負い。

 アクアは相変わらず捕まったまま魔王の玩具にされていて、むきむきの回復魔法で仲間達は死んでこそいないものの虫の息。

 残るはカズマとむきむきだけという、引っくり返し難い窮地へと追い込まれてしまう。

 

「与することに大した理由など要るものか」

 

 なおも魔王は、進撃を続けた。

 

「そうだろう、レッド!」

 

「ああ、そうだな魔王!」

 

 人間の敵となった()()()()

 良い人であるむきむきと、根が良い人なカズマとは決して共存できない人種。

 彼らに押し込まれながら、むきむきは自身の無力に歯噛みする。

 倒してあげてと、ウォルバクは言った。

 終わりにしてあげて欲しいと、女神は言った。

 巨大な化け物(モンスター)と化したこの魔王を見ていると、その意味がよく分かる。

 

(……普段、女神様に祈ったり感謝してるくせに! 何やってるんだ僕は!

 たまに女神様に願われた時くらい、その願いを叶えてやれなくてどうする!)

 

 歯噛みするむきむきに守られるカズマは、友情を匂わせる台詞を吐いて息を合わせる魔王とレッドを見て、白けた顔で口を開く。

 

「知らんがな」

 

 ビックリするくらい、鬱陶しそうな声色だった。

 聞いた魔王が困惑してしまうくらい、今のこの状況にそぐわない声色だった。

 

「お前、一体何を……?」

 

「うるせー!

 悪役がカワイソカワイソな過去匂わせて出て来るのやめろ!

 周りの同情とか共感とか買おうとすんのやめろ!

 そういう風に悪役がしれっと仲間入りするパターンはモヤッとするんだよ、俺は!」

 

 カズマは昔から読者の同情を買いつつ、大した罪滅ぼしもしないまま仲間に加わる悪役にモヤッとするタイプだった。ただし美少女キャラは除く。

 

「悪役は黙ってやられてどっかいけよ! 倒した後にモヤッとするような要素入れんな!」

 

 彼は言いたいことを言う。

 そりゃもう遠慮もなしに言う。

 言い切られたその言葉が琴線に触れたのか、魔王は愉快そうに笑った。

 そして、豪腕を振るってカズマを捕まえんとする。

 

「カズマくん!」

 

 むきむきはそれを止めようとするが、スペック差で一手届かない。

 カズマは魔王の巨腕に掴まれ、人間がフィギュアを持つように持ち上げられ、いつ握り潰されてもおかしくない状態に陥ってしまう。

 

「いい名乗りだったと褒めてやろう、サトウカズマ。

 力量が伴っていたならば、よい勇者になれたかもしれんな」

 

「うっせ……クソ難易度のボスとかゲームからも異世界からも根絶しやがれ……」

 

「……貴様、何気に大物だな」

 

「そう言うお前は魔王のくせに小物だな。

 言っとくがお前倒せそうな方法がいくつか頭に浮かぶ時点でショボいぞ?

 むきむきの三角関係とかやべーからな、解決方法が思いつかん。

 あっちの方がお前を倒すより遥かに難易度が高くて面倒くさあだだだだっ!?」

 

「貴様、口から先に生まれて来たのか?」

 

 魔王が握る力を少し強めるだけで、カズマは喋れなくなってしまう。

 

「言い残すことはあるか? 歴代最弱の勇者よ」

 

「……俺は自惚れが強いんだよ。あいつの一番の男友達は俺だって、確信してる」

 

 魔法が雨のように降り注ぎ、助けに走るむきむきの足を止める。

 その隙に魔王はカズマに語りかけながら、親指をカズマの首に寄せた。

 それでもカズマの減らず口は減る気配を見せない。

 

「俺が死んだ時にこそ、あいつは最強になれる……気がする」

 

「そうか」

 

 魔王の親指が動いて、人の骨が折れる音がする。

 首が折れ、糸が切れた人形のようになったカズマを、魔王はゴミを捨てるかのように造作もなく投げ捨てた。

 べしゃり、と落下したカズマの死体が音を立てる。

 

「決め台詞を格好良く言おうとして寸前でヘタれるのは、少し格好悪いな」

 

「―――」

 

 友への侮辱は、むきむきを怒らせて然るべきものだった。

 そうしてむきむきは、精神の成長につれ控え目になっていた感情の爆発―――仲間がやられた怒りによるスペックアップを迎え、魔王へと殴りかかった。

 雨のように降り注ぐ魔法を全て殴り壊して、油断していた魔王の反応速度を凌駕し、一気に接近して拳を振り下ろす。

 

「―――ッッッ!!!」

 

「ぬっ!?」

 

 左腕を盾にした魔王だが、その腕が強烈な一撃に痺れてしまう。

 規格外のスペックと体格を手に入れた魔王であったが、その一撃に体を浮かされ、望まずしてたたらを踏んでしまった。

 魔王は反射的に、虫を叩くように右腕を振るう。

 それがむきむきを叩き落とし、その体を地面へとめり込ませていた。

 

「がッ―――!?」

 

「運が無かったな」

 

 魔王は思わず、ほっとしていた。

 今の一撃に感じた『脅威』を処理できたことに、ほっとしたのだ。

 だがその安堵もほどなくすぐに消えて失せる。

 死に体で立ち上がってきたむきむきが、心胆寒からしめるほどに強い意志の光を宿した目で、魔王を睨んできたからだ。

 

「僕に、運は、ある」

 

 運が無いなどと、この少年に言ってはいけない。

 常日頃から幸運に感謝しているこの少年に言ってはいけない。

 彼は人生の中で出会った全ての『幸運』に感謝している。

 

「僕が貰った一番大きな幸運は、人との出会いに恵まれたことだ!」

 

 彼の周りにはいつだって、巡り合わせの幸運が、幸運に恵まれた人が、そして未来に待つ幸運があった。

 少年は死に体のまま、よたよたとした足取りで、拳を振り上げ前に出る。

 

「この『幸運』を、僕は守る! 昨日も、今日も、そして明日もっ―――!」

 

 そして。

 魔王が振り下ろした豪腕に彼は潰され、死に絶え、ぐちゃりと潰れた肉塊に姿を変えた。

 

「決意は買おう。覚悟は認めよう。だが、それだけだ」

 

 もはや、魔王の前に立っている者は居ない。

 人間を蘇生する者も居ない。

 レッドは息も絶え絶えに魔王の勝利を確信し、穏やかな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔王との戦いに決着がついたその頃。

 紅魔族と預言者の戦い、魔王軍の一部とアクシズ教徒の戦いはいつの間にか混戦し、二つの戦いと戦場は重なり完全に一つのものとなっていた。

 しっちゃかめっちゃかな大混戦の中、不思議な巡り合わせでぶっころりーとゼスタが共闘しており、二人は互いに背中を預けながら戦っていた。

 

「おお、やりますな、紅魔族の方。私とも今晩あたりヤリませんか?」

 

「結構です! 自分好きな(ひと)居るんで!」

 

 ゼスタに尻を向けることに絶大な不安を感じていたぶっころりーであったが、今はこの男に背中を預ける以外に選択肢はない。

 

「こういう戦いではアクア様に感謝の祈りを捧げれば生き残れるともっぱらの評判ですぞ!」

 

「いや遠慮しときます! アクシズ教の主神とかマジで勘弁!」

 

 預言者が無尽蔵の魔力で魔法を乱射している中でも、隙あらば勧誘。

 アクシズ教徒の勧誘癖は本当に筋金入りだ。

 

「第一、女神様は居るでしょうけど、女神様に祈ったって大抵助けてくれないじゃないか!」

 

 女神様に祈りながら死んでった人ってたくさん居るでしょうが、そういう人はむしろ助けてくれなかった女神様を恨んでるんじゃないか、とぶっころりーは叫んだ。

 それを聞き、ゼスタは"何を馬鹿なことを言うのか"とでも言いたげに笑う。

 

「ははっ、何をおっしゃるのやら!

 自分の命の危険を前にして

 『神様私の命を助けて』

 と叫び、助けてもらえなかったから神を恨むなど片腹痛いと言い切れますとも!」

 

「え、どういうことです?」

 

「それは我欲と保身からくる、懇願でしかありません。

 祈りでもなんでもないのですよ、それは。

 祈りとは神に感謝するもの。穏やかな気持ちで願いを空に手向けるもの。

 窮地の時にだけ必死に神に祈りすがる人間になど、醜さ以外の何が感じられましょうか!」

 

 自分が死にそうな時にだけ本気で祈るような、命乞いの時にばっかり女神にすがるような祈りなど、届くはずもないとゼスタは言う。

 アクシズ教徒らしい、強靭さとおかしさが感じられる主張だ。

 だが、よく考えれば当たり前の話だろう。

 アクシズ教徒は常日頃から、自分の行為や変態性をアクアに許してもらう時や、アクアに感謝する時にだけ、アクアに祈りを捧げているのだから。

 

「理想的な祈りは、もっと透き通っているものです。

 そう……自分の死に際に、神への感謝と隣人の幸福を願うような―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそ死後の世界へ」

 

 声は静かに、死後の魂が至る天の世界に響く。

 

「私はあなたに新たな道を案内する女神、エリス。

 むきむきさん、あなたは今日その命を失いました。

 辛いでしょうが、あなたの人生は終わったのです」

 

 死したむきむきは、女神エリスと向き合っている。

 彼は負けたのだ。魔王相手に、抵抗する余地もなく圧倒的に。

 

「あなたには、私に小さな願いを奉る権利があります」

 

 女神は返答を待つこともなく、少年に語りかけ続ける。

 

「私は全能の神ではありません。

 できることも多くなく、救いたい世界も救えない無力な神です。

 それでも、私に祈りますか? その願いを、他の誰でもなく私に届けますか?」

 

「はい」

 

 少年は他の誰でもなく、女神エリスに願いを捧げた。

 

「……僕の友達を、助けてください。この世界に、祝福をください」

 

「その小さな祈り。確かに聞き届けました」

 

 そうしてエリスは『人の祈りを聞き届け、それを叶える』という大義名分を得る。

 

「『蘇生せよ』」

 

 女神の蘇生魔法を受け、少年の意識は天界から地上へと移って行った。

 

 

 

 

 

 一つ、蘇生魔法には女神だけが知る裏技が存在する。

 魂だけの存在になっている時に天上の女神に蘇生魔法をかけてもらい、後に肉体の方に地上の女神が蘇生魔法をかけると、通常の蘇生魔法とは段違いの蘇生効果が得られるのだ。

 その効果たるや、魂に付けられた傷でさえも修復可能なほどのものである。

 

 その裏技を知っている魔王でさえも、目の前の光景に自分の正気を疑っていた。

 

「『蘇生せよ』!」

 

 何故。

 

「何故―――()()()()()()()()()()()!?」

 

 何故、エリスが地上に現れ、死んだむきむきとカズマを蘇生しているのか。

 

「天上で私が彼らに蘇生魔法をかけ、今私が地上で回復魔法をかけました。

 これで彼らはあなたに付けられた全ての傷を癒やし、完全な蘇生を果たします」

 

「ワシが聞いているのはそういうことではないッ!」

 

「強いて言うなら、この人が望んだからですね。罪なき人の未来が救われる、祝福を」

 

 ウォルバクは言った。

 軽い気持ちで女神が地上に堕ちることはないと。

 エリスは地上に降りて来てくれた。

 他の誰でもないこの少年の祈りに応え、世界と彼を救うべく、この地上に降りて来てくれた。

 分け身ではなく本体の降臨のため、そのスペックはアクアのそれに匹敵する。

 

 エリスはむきむきの手持ちの道具からこっそり抜き取った、吸血鬼の持ち物だった神の力の増幅石を使って、倒れたダクネス達も回復させる。

 魔王がエリス出現に驚くその間に、むきむきは魔王の触手からアクアを助け出していた。

 

「っ!?」

 

 切断された触手が地に落ち、カズマとむきむき、アクアとエリスが左右に並ぶ。

 

「ありえるはずがない!

 この世界で最も大きな力を振るえる女神が!

 この世界で最も多くの信仰を集める女神が!

 力の大部分を捨て、直接殺されるリスクを抱え、天界から不可逆の降臨を行うなど!」

 

「……ああそうか、魔王(おまえ)は知らないのか」

 

 むきむきは、狼狽える魔王を指差した。

 

魔王(おまえ)を倒せば、女神様達は全員天界に戻る権利を得るんだよ」

 

「―――!」

 

「勝てばいいんだ、勝てば。……そのために、エリス様はここに来てくれた」

 

 むきむきはエリスに感謝しかなく、感謝されている当のエリスは、先程までずっと魔王に振り回されていたアクアに回復魔法をかけていた。

 

「おぼろろろろ」

 

「せ、先輩!? お気を確かに!」

 

「はぁ……はぁ……

 このゲロを吐いてる時に背中をさすってくれる優しい感触……

 懐かしくも暖かいこの感触……まさかエリス……?

 とうとう偽乳罪で神の座から降ろされ、天界を追放されたの……?」

 

「なんてこと言うんですか!」

 

 ゲロの女神はゲロだけでなく謂れなき中傷まで吐いていた。

 

「カズマくん! 女神様がいいとこ見せてくれたんだから、人間もいいとこ見せなくちゃ!」

 

「おう、これ勝ったら一生引きこもってやる!」

 

「魔王倒したなら、仮にカズマくんが一文無しになっても一生養ったげるよ!」

 

「言ったなこいつ! 優雅なニート生活餌にされた時の俺の強さ、舐めんなよ!」

 

 拳を掲げる少年。弓を構える少年。

 二人揃って最強。仲間と女神が揃えば無敵。幸運添えれば奇跡も起こせる。

 

「「 これで最後だ、魔王! 」」

 

「……っ、正念場だ、踏ん張れ魔王!」

「お前に言われるまでもないわ、レッド!」

 

 最後の最後の戦いは、最終局面へと突入しようとしていた。

 

 

 




 次回最終話。その後エピローグ、あとがき投稿して完結

【余談】
・ルシエド解釈
 WEB版魔王と書籍版魔王は別人のような同一人物。設定の変更がされた同一人物。

・WEB版の魔王と書籍版の魔王に繋がりがあると仮定した場合の考察(一例)
 書籍版魔王がまず勇者から魔王化。その後娘に『仲間を強化する能力』を渡し、その娘の子孫に『仲間を強化する能力』と『日本人名』が継承される。
 代を何度か重ね、WEB版魔王の代にまで知識・能力・名前が継承される。
 書籍版魔王の子孫がWEB版魔王説。

・この作品における設定
 勇者は体を入れ替えるタイプの神器により、魔王の一族となった。
 勇者時代の経験値式成長チートはその際に喪失、女神ウォルバクとの取引(魔王を倒したことで勇者は一つ願いを叶えてもらえる)でアイリスのエクスカリバー同様血継で渡せる特典を獲得、それを娘に継承させる。
 周囲には自分の一族が血で継承させている力である、と教えている模様。


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5-1-4 女神の愛を祝福と呼ぶ

ラストです


 傷だらけのイエローとミツルギ、及びその仲間が激突する。

 一閃、二閃、三閃。

 クレメアとフィオの援護を受けたミツルギの魔剣が翻る。

 イエローの周囲のモンスターが両断され、無数のスキルと模造の筋肉で武装したイエローにも斬撃が届いていた。

 筋肉の鎧に阻まれるも、その斬撃は致命に届かないだけで決着の一撃。

 

「くあっ……!」

 

「これで決まりだ!」

 

 左肩辺りからヘソ下まで切り裂かれたイエローだが、それでも倒れない。

 ミツルギの加減によって傷は適度な塩梅に収められており、動けば死ぬ、動かなければアンデッドであるイエローは死なないという適度な傷の深さであった。

 アンデッドと言えど、魔剣に深く傷付けられた状態で激しく動けば死ぬ。

 それが分からないはずがないのに、イエローは戦いを継続した。

 

「ま……まだ、まだ……!」

 

「! 待つんだ、その傷で動いたら死ぬぞ! 大人しくしてれば、命までは……」

 

「ゲースゲスゲスゲス、上等! 既に一回死んでる身、何も恐れることはなし!」

 

 奇妙な声での高笑い。

 地球に居た頃笑いを取るため始めた笑い方、身に染み付いて離れなくなってしまった笑い方、最後にはネットでも現実でも「気持ち悪い」「おかしい」と笑いものにされた笑い方。

 以前はどこか卑屈さが滲んでいたその笑いには、今はどこか誇らしさを感じられる。

 

「恐れるのは敗北、喪失、中傷のみ。それこそを恐れながら一度は死んだもんでゲス」

 

 グズグズと崩れていく不死者の体を引きずって、イエローはミツルギに近付いて行く。

 

「だから理解できないんでゲスよねえ。

 魔王様が、自分は本来倒されるべきものだとか言って、それを受け入れているのが」

 

 語りながら近付いて来るイエローに、ミツルギの仲間の二人の少女が迎撃しようとするが、ミツルギは二人の動きを手で制する。

 自分の手で決着をつけるというミツルギの意思表示を、イエローは鼻で笑う。

 男にしか分からない馬鹿な意地の張り合いが、ここにはあった。

 

「勝たせる。あの人を。拙らが、命をかけて。……悪役を、勝者にする!」

 

 イエローは召喚魔法を使用し、カズマが使っている爆弾と同種の爆弾――かなり大きい――を引き寄せ、それにティンダーで着火した。

 

「!」

 

 カズマがハンスの猛毒(強さ)を学習し、それを武器として利用したのと同じように。

 イエローのスキルポイント稼ぎをカズマが真似したのと同じように。

 彼もまた、カズマを真似たのである。

 ただ真似ただけなためカズマほど出来のいい爆弾にはなっていなかったが、サイズが大きいためにミツルギをも殺しかねない威力があるだろう。

 

 イエローはこれで、ミツルギを道連れに自爆するつもりなのだ。

 

「世の中は!

 卑怯なやつ、悪辣なやつ、他人を騙せるやつが勝つようできてるんでゲス!

 世に数多ある悪が勝つ物語のように! セレスディナ様と、魔王様を勝者にッ……!」

 

「それは、事実かもしれない……でも……!」

 

 爆弾を抱えるイエロー。

 剣を振り上げ駆けるミツルギ。

 導火線の火が爆弾に届くのが先か?

 剣が届くのが先か?

 どちらが先か、先に届いた方の目論見が果たされる。そんな一瞬の短距離レースに―――勝利したのは、イエローだった。

 

 ミツルギの剣が導火線を切るより先に、爆弾が起爆する。

 イエローが爆発に巻き込まれ、ミツルギにも爆炎が迫る。

 

「―――でも! それが! 全てじゃない!」

 

 その爆炎を、ミツルギは『切った』。

 魔法の如き妙技ではない。ただ爆炎を切り裂き、自分が受ける傷を致命傷から重傷にまで軽減するだけの一閃。

 されど迷いのない一閃は、ミツルギの命を救い、爆炎を両断し、アンデッド化したイエローの命を断つ一撃を届ける。

 

「か、ふっ」

 

「……サトウカズマだって、卑怯なだけじゃない。それが全てじゃ、なかった」

 

 そうして、ミツルギは人を斬った嫌な感触を味わいながら、カズマの前では絶対に言わないようなことを言った。

 おそらく、ミツルギの生涯最初で最後の、佐藤和真に対する純粋な賞賛だった。

 

「キョウヤ!」

 

 爆弾に巻き込まれたキョウヤに、仲間の少女達が声をかける。

 ミツルギの手から魔剣が落ちて、イエローの体が崩れ落ち、血を吐くようにミツルギは叫ぶ。

 

「卑怯な人の方が強くても!

 正しい人が間違った人に負けても!

 優しい人が魔王軍に殺され続けても!

 僕が全力を尽くしても、サトウカズマに敵わなくても!

 ……最後の最後には、『いい人』が勝つんだと、僕は信じてる!」

 

 ここでミツルギが勝っても、イエローが勝っても、この戦場の勝敗には小さな影響しかないだろう。それでいいと二人は割り切っていた。

 それでも突き通したい信念があった。

 悪役に勝者であって欲しいという想いと、いい人に勝って欲しいという想いがあった。

 そして、後者が勝ったのだ。

 想いが正しい方が勝ったのではなく、強い方が勝った。

 ただ、それだけの話。

 

「……そんな子供みたいな理屈、信じてるのは、ガキか、バカみたいな善人だけ―――」

 

「なら、それでいい。僕はサトウカズマのように、斜には構えられないから」

 

「―――」

 

 イエローの体が崩壊し、霧散した。

 誰もが自分の生き方を持っている。曲げられない生き方を持っている。

 ミツルギはアクアに好かれたいと思ってもカズマのようになることはできず、イエローも自分の生き方を曲げることはできなかった。

 生き方を曲げられないならぶつかり合うしかない。

 人と魔王軍のように、戦いを避ける道は無い。

 明確に、勝者と敗者が決まるまでは。

 

「キョウヤ! 大丈夫!?」

 

 仲間二人が駆け寄ってくる足音を聞きながら、ミツルギは残っている全魔力と全体力を込め、魔剣グラムをスキルで投げ飛ばした。

 グラムは飛んで、遥か彼方の魔王と女神達の戦場へ向かう。

 傷だらけで、最後の力をも使い果たしたミツルギは、その場に倒れ込んだ。

 

「勝利を信じてます、師父」

 

 むきむきが魔王を倒せば心底喜べるが、カズマが魔王を倒してしまうともにょっとする。だからカズマではなくむきむきだけを応援する。

 ミツルギ・カズマ・むきむきの関係は、結局最後まで安定してこんな風なままだった。

 

 

 

 

 

 アクアは魔王を一度弱体化させた。

 その力をもう一度重ねがけすることはできないが、別の女神なら重ねがけすることができる。

 

「『光よ!』」

 

 エリスによる弱体化が魔王にかかり、アクアとエリスの支援魔法が仲間達に二重にかかる。

 別々の神々の力は重複して対象にかかる。この世界の常識だ。

 

「くっ……!」

 

 魔王が脱力感に声を漏らし、その巨体を揺らがせる。

 

 むきむきが拳を打ち合わせた。

 めぐみんが杖を前に向ける。

 ゆんゆんが詠唱を開始する。

 ダクネスが右手に大剣を持ち、左手で鎧の割れた部分を引きちぎった。

 カズマは地面にあれこれしてちまちまと罠を作っている。

 

「どうか、世界を救ってください! 勇者の皆様方!」

 

 エリスのその声を皮切りに、人間達は動き出した。

 先陣を切るのは、いつもの人類最高火力。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 めぐみんの無詠唱爆裂魔法を、魔王は防御結界を自分に張りつつ素早く回避する。

 だが回避した先に回り込んだむきむきに蹴り飛ばされ、妨害された回避は成功せず、爆裂魔法が直撃する。

 爆裂魔法は魔王の防御魔法を飴細工のように砕いて、その右腕と右足を吹き飛ばしていた。

 

「ぐあっ!」

 

 だが、吹き飛ばされた腕と足は瞬時に再生する。

 魔王の防御を無いに等しく貫通し、このサイズの腕と足を吹き飛ばすめぐみんも、それを瞬時に再生する魔王も、尋常ではない。

 

「『ライト・オブ――」

 

 次いでゆんゆんがしっかりと詠唱した魔法を放とうとする。

 魔王は大量の魔法を解き放ちゆんゆんをその前に消し飛ばそうとするが、間に割って入ったダクネスが魔王の魔法の全てを防いだ。

 詠唱は、完了される。

 

「――セイバー』ッ!!」

 

「『リフレクト』!」

 

 ゆんゆんの馬鹿魔力の一撃を、魔王は咄嗟に反射魔法で返す。

 彼女の魔法の威力に危うく力任せに突破されかけたが、きっちりと魔法は反射して、彼女の魔法の威力を逆に利用する。

 反射された光刃を、割って入ったカズマの反射魔法が受け止めた。

 

「『リフレクト』! う、うおっ!?」

 

 だがゆんゆんや魔王と比べれば、カズマの魔法は数段格が落ちる。

 カズマは反射しきれず、反射魔法は粉砕され、光刃は空の彼方へと飛んでいった。

 反射しきれないと判断したカズマが瞬時に反射魔法を傾け、本来なら反射するための魔法を軌道を逸らす魔法として応用したのだろう。

 

 一進一退。

 攻めているのは人間側であるはずなのに、二人の女神が魔王を弱体化させているはずなのに、押し切れない。

 親友(レッド)が命を削って魔王に与え続けている力は、それほどまでに強大だった。

 

「女神……何故そこまで、人間に手を貸す! 命を賭してまで、人間を助ける!」

 

 魔王は女神に向かって叫び、同時に全身に生えた口から火を吐いた。

 縦横に数百mという広大な範囲に火が広がり、これをダクネスという肉の盾と、ゆんゆんが張った魔法の盾が遮断し仲間を守る。

 

「貴様らは天上から見下ろしているだけで良かったはずだ!

 プリースト達に力を貸している!

 転生者という救世主まで送っている!

 神器という強大な力まで与えている!

 むしろ過保護なほどであろう!

 神はもっと無責任で、もっと放任でいいはずだ! ワシの元居た世界ではそうだった!」

 

 火の吐息が終わった後は、またしても全身の口が詠唱する魔法の乱射。

 むきむきが殴って魔法を減らし、減らした魔法をダクネスが受け止め、仲間達を守る。

 

「あなたが納得できる理由などありませんよ、魔王」

 

「なんだと?」

 

「私達は神として世界に顕れたその時からそういうものだった。ただ、それだけです」

 

 エリスの声は静謐に、されど強烈に、魔王の言葉にぶつかっていく。

 

「私も、先輩も。女神は人が大好きなのです。

 そして人も等価の愛を返してくれる。それ以上の理由など必要ありません」

 

 女神は人が好きだから。人は女神が好きだから。

 人は信仰と好意を、女神は加護と好意を手渡してきた。

 ずっと昔から、そうやってきた。

 それ以上の理由など、何一つとして必要ない。

 

「女神様にそう言われたら、人間(ぼくら)だって適当にはやってられない!」

 

「くっ!」

 

 エリスとアクアの支援魔法を受けたむきむきが、魔法の雨を突き抜けて魔王を殴る。

 魔王は体をぐらつかせただけで、カウンターパンチでむきむきは逆に吹っ飛ばされたが、少年の拳と言葉は魔王を殴る。

 

「お前だって! ウォルバク様とそういう関係だったんじゃないのか!」

 

「―――」

 

 その心を、殴るのだ。

 

「いつか、この世界に、女神(わたし)が必要でなくなる、その日まで」

「いつか、女神様達に助けて貰わなくても人間(ぼくたち)だけで世界を守れる、その日まで」

 

 互いの期待に応え続けるのだと、エリスとむきむきは言う。

 

「その日私は『よく頑張りました』『頑張って』と言い、その存在意義を終えるのです」

「その日僕らは『今までありがとう』『もう大丈夫です』と言って、安心させてあげるんだ」

 

 魔王はそこに、在りし日の自分を見た。

 言葉に殴られ、想いをぶつけられ、心が揺らいで―――部下の献身を思い出し、心に生まれた動揺の全てを握り潰す。

 この程度で心の弱さを表に出すようなら、魔王なんてやっていられない。

 

「どう? これが私の育てた後輩と名誉アクシズ教徒よ! いい子達でしょう!」

 

「何故そこで女神アクアがえばる」

 

 何故か自分の手柄のように胸を張るアクアは、まあよしとして。

 そこでなんと、魔王のために援軍に駆けつける者が現れてしまった。

 

「魔王様! ご無事ですか!」

 

「げっ」

 

「イエローが自分の身も顧みず紅魔族を何人か麻痺させてくれたのです! 今助けます!」

 

 預言者だ。

 よりにもよって魔王軍最強の男がここで援軍に駆けつけてしまった。

 

 預言者は全身ズタボロで、無尽の魔力・無限の再生・無双の防御を併せ持つ預言者をどうやったらここまで追い詰められるのか、紅魔族の恐ろしさがひと目で分かる惨状であった。

 どうやらイエローがミツルギにやられる前に死ぬ気でチャンスを作り、その間に残りの紅魔族を全員足止めする魔法をぶちかましてきたらしい。

 

 これで、女神の参戦で人類有利になった天秤は揺れる。

 少なくとも、人類優勢とは言い難い。

 カズマは誰よりも早く状況を把握し、誰よりも早く最適解を出し、指示を出した。

 

「めぐみん、ゆんゆんはあいつの対処!

 ダクネスはここで皆を守りながら待機!

 俺とむきむきで魔王を抑える!

 エリス様とダメな方の女神は両方の援護だ!」

 

「了解!」

 

「待ちなさいよカズマ! 今のダメな方の女神認定を撤回してから行きなさい!」

 

「知るか!」

 

 前方の魔王、後方の預言者。

 どちらも脅威でどちらも難敵。

 どの魔法を撃つか一瞬だけ逡巡したゆんゆんは、どこからともなく飛んで来た――ミツルギが投げた――グラムを見た。

 

(あれは……いや、考えてる暇なんてない!)

 

 魔剣の強度は、ゆんゆんも知っている。

 

「『インフェルノ』!」

 

 ゆえに放たれた炎の上級魔法は火柱となり、魔剣を強く押し出した。

 上級魔法の後押しで加速された魔剣は、魔王が防御に使った魔法の全てを容易に突破し、10tという重さをもって魔王の首元に深々と刺さる。

 

「ぐああああああああああっ!?」

 

「ナイス、ゆんゆん!」

 

 むきむきがゆんゆんの咄嗟の機転を褒め、親指を立てる。

 ゆんゆんも嬉しそうな顔をうっすら赤く染め、親指を立て返した。

 グラムが神器であるからか、魔王へのダメージは目に見えて大きい。千載一遇の好機であった。

 

「行こう!」

 

 むきむきが腹から大声を出した。

 めぐみんとゆんゆんが預言者へ、カズマとむきむきが魔王へと対峙する。

 男女二名づつに分かれて対処に動いた彼らを見て、魔王は"舐められている"と感じた。

 

「ぐっ……この程度の負傷で、ワシがたかが二人にやられると思うてか!」

 

 むきむきのパーティ全員を追い詰めるほどの魔法攻撃の雨が、むきむきとカズマを狙って集約される。

 空も風景も塗り潰し、視界の九割が魔法に染まっていった。

 むきむきはカズマを肩に乗せ、走り出す。

 カズマは彼の肩の上に立ち、魔法詠唱を行った。

 

「今日一日だけって約束で、ダクネスから同意取った切り札だ! 『サモン』!」

 

 魔法の雨にどう対応するか?

 簡単だ。

 ダクネスを召喚して、盾にすればいい。

 

「んほおおおおおおおっ! くっ、この快感!」

 

「むぅ!?」

 

 そこからの進撃は、魔王も目を疑うようなものだった。

 マナタイトで魔力を補給しつつ女を召喚する男と、男の手で空中に召喚されて魔法を防ぐ盾にされては、その度地面にベチっと落ちていく金髪の美女。

 女の扱いが雑にもほどがあったが、女の方は何故か嬉しそうですらあった。

 

「この雑な扱い……たまらん……たまらんぞカズマ!」

 

「レベル上げしたからってこれで死なないお前は正直どうかと思うけどな!」

 

 しかも死なない。

 ダクネスがとことん死なないのだ。

 防御とレベルをとことん引き上げた最終決戦仕様ダクネスは、もはや大陸間弾道ミサイルで殺せるかも怪しい生物となっていた。

 

「貴様! 仲間をそう扱うのはどうなんだ!」

 

「うるせえ死ななきゃ安いもんだ!」

 

 魔王に仲間の扱いを非難される勇者が居る。酷い話だ。

 むきむきはすっかり慣れた様子で、ダクネスに申し訳なさそうな視線を向けて、カズマを遥か頭上に投げ上げる。

 魔王の身長が20mと少しで、カズマが投げ上げられた高さは地上から約40m。

 カズマを投げ上げると同時に、むきむきは地上から跳び上がり魔王の下顎を狙う。

 上からカズマ、下からむきむきという、擬似挟み撃ちだ。

 

「猪口才な!」

 

 魔王はハエを叩き落とすように、むきむきを拳で地面に叩き落とす。

 

「くあっ!? ぐっ、まだまだ!」

 

「ええい、鬱陶しい!」

 

 少しの間くらいは気絶させられたかと思った魔王であったが、叩き落とした直後にむきむきがまた跳び上がってきたため、思わず舌打ちしてしまった。

 女神二人による弱体化で魔王はより弱く、むきむきは女神二人の支援魔法でより強くなっているのだ。これではいけない。拳でも魔法でも決定打にならない。

 

 魔王は武器を探した。

 要求条件は『切れ味があって壊れないもの』。

 そして、一瞬でそれを発見し……自分の首に刺さっていたグラムを、むきむきに向けて振るう。

 

「―――ッ!?」

 

「むきむきっ!」

 

 スパッ、と小気味のいい音を立てて、むきむきの左肘から先と、右肩から先が切り飛ばされる。

 神器は流石に魔王には強烈に反応したのか、持つだけで魔王の手を焼いている。

 だが再生する魔王の体にそれでは焼け石に水だ。

 

「終わりだ」

 

 魔王はグラムを強く握り、トドメの一閃を振るわんとする。

 そのグラムを――

 

「『スティール』ッッッ!!!」

 

 ――カズマのスティールが、見事に奪還していた。

 

「何!?」

 

「覚えとけ! これが日本人・佐藤和真の真のメインウェポンだ!」

 

 カズマは魔王の頭上に投げ上げられていた。そこでスティールを使えばどうなるか?

 冒険者には『重い物を持っている相手にスティールは使うな』という不文律がある。何故か?

 その答えに従って―――カズマは盗ったグラムの重さに引っ張られ、魔王の右肩に衝突した。

 魔剣が、魔王の右肩に深々と刺さる。

 

「ハンスの毒直流しを喰らえ!」

 

「くっ、このッ……!」

 

 魔剣が刺さった傷口にハンスの毒を瓶で流し込むという畜生戦術を披露するカズマ。

 ツンデレゆえに口には出さないが、よくも俺の仲間の腕を、と言わんばかりだ。

 魔王の肩に刺さった魔剣にしがみつき、カズマはむきむきがどうなったか確認しようとして……そこで、魔王の眼前にまで飛び上がるむきむきを見た。

 グラムに斬られた両腕はそのままで、両腕の切断面からは血が吹き出している。

 

 魔王もまずは回復してから来ると思っていたのだろう。

 完全に面食らった様子で、眼前にて足を引くむきむきの姿を見ていた。

 一瞬の隙、付け入る隙がそこにある。

 

「繋いだ手を失っても!

 繋いだ心は(ここ)にあり!

 繋がった想い出は(ここ)にあり!

 繋がりの象徴は……(ここ)にある!」

 

 ぶっころりーがくれた靴。絆の靴。そこにウォルバクの力を込めて――何故か他の女神の力も感じて――魔法発動媒体であるその靴を、魔王の顔面に叩きつける。

 

「腕を切っても(これ)まで断ち切れるものか! ゴッド―――レクイエムッ!!」

 

 繋いだ手を切り裂かれても。

 繋いだ絆はなくならない。

 前に進む足は残る。

 

 女神の力を宿した渾身の一撃は、魔王第二形態が残していた戦闘力の全てを欠片も残さず、消し飛ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔族は一国の戦力を平然と上回る化け物集団だ。

 やろうと思えば策謀込みでベルゼルグとて落とすことができる。

 彼らが総勢で攻めたことで、無尽蔵の魔力を好き放題使える反則中の反則である預言者も、随分と追い詰められてしまっていた。

 

 魔力も肉体も削られ、身体と精神は活力を失い、精神の一片から肉体の細胞の一つ一つに至るまで疲労とダメージが蓄積している。

 過剰な火力と過剰な再生が拮抗し、それでも火力の方が上回り続けた結果だ。

 体の魔法式ごと魔法で壊される、魔法で破壊された部分を治している最中に更に破壊される、破壊されている最中に破壊される、そういう繰り返し。

 預言者の体の再生速度は見る影もないほどに遅くなり、魔力を継ぎ足してもフルにそれを扱うことはできず、歩くだけで体に激痛が走るという始末。

 

 それでも彼はイエローの援護を受け、ここまでやって来た。

 全ては魔王を守り、魔王を勝たせるために。

 

「どけ! そこをどくのだ! 我らは魔王様に、勝利の栄光を届けなければならない!」

 

 魔王を守ると約束した部下が居た。

 男は最強の魔法使いと呼ばれていた。

 魔王を一緒に倒そうと友と約束した子供達が居た。

 彼女らは最強の魔法使いの一族で、最強の魔法を持っていた。

 

「あなたにも意地があるように、こちらにも意地があります!」

 

「私達にも、ここで負けたら顔向けできない仲間がいるの!」

 

 二対一。だが、誰も卑怯とは言うまい。

 

「『インフェルノ』! 『カースド・ライトニング』! 『トルネード』!」

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 迫り来る上級魔法の無詠唱連打を爆裂魔法が全て吹き飛ばし、ゆんゆんのライト・オブ・セイバーが預言者へと命中、その体に張られた防御結界を両断する。

 体にも浅い切り傷が走り、それが切っ掛けで紅魔族が与えたダメージが、預言者の体内で一気に噴出してしまった。

 その動きが、明確に一瞬止まる。

 

「く、ぐっ……!」

 

「『ライト・オブ・セイバー』ッ!」

 

「『エクスプロージョン』ッ!」

 

 マナタイトで魔力を常時補給している彼女らの魔法は止まらない。

 預言者は腕を振って光刃を弾くが、爆裂魔法の方はモロに食らってしまった。

 自動で再展開される防御と回復の魔法が命を繋ぎ、傷を再生させていくが、吹き飛ばされた預言者にはもう大きな苦悶の声を上げる余力もない。

 

「『ライト・オブ・セイバー』ッッッ!!!」

 

「『エクスプロージョン』ッッッ!!!」

 

 ゆえに、これはトドメの一撃。

 預言者は身を捩って、片腕を光刃に切り飛ばされる。

 だが、爆裂魔法の命中の前に、最後の魔法の行使を間に合わせた。

 

「―――『テレポート』ッ!」

 

 それは離脱の魔法。

 魔王城敷地内を帰還地点に登録していたこのテレポートは、彼を魔王の下へと届けた。

 めぐみんとゆんゆんのどちらも倒せないままに、テレポートで魔王の下へと逃げ帰る。……預言者が最も避けたかった結末だ。

 分断している時に、せめて女神を行動不能にしなければ、先は無かったというのに。

 

(これで、詰みか。女神が居れば、奴らもすぐに回復してしまう……)

 

 テレポートした預言者が見たのは、むきむきの必殺技で仕留められ、倒れる魔王の巨体。

 むきむき達は切断されたむきむきの腕を探し、拾い、それを繋げようと動いていたため、魔王達のことを警戒しながらも後回しにしている。

 妥当な判断であり、間違った判断でもあった。

 

「魔王、様……」

 

 預言者はここで力尽き、倒れた。

 もはや指一本動かす力も残っていない。

 無限の魔力は彼の中に流れ込み続けてはいるものの、それの一切を使えない状態だ。

 倒れたままの預言者を、いつの間にかその横にいたレッドが助け起こす。

 レッドの顔色も既に死体と見間違えかねないほどに悪く、今にも死にそうなほどだった。

 

「……立て、るか?」

 

「すまない……それは、無理な、ようだ」

 

「しょうがねえ、なっ……」

 

 助け起こした預言者に肩を貸し、レッドは牛歩の進みで倒された魔王の下へと歩いていく。

 

「占い師……一つ、聞く」

 

「なんだ。貴様は人間だ、別にここで逃げても責めんが……」

 

「魔王のために死ぬ覚悟、あるか?」

 

「ある」

 

 即答であった。

 レッドは深く頷き、つまらないことを聞いた自分を恥じる。

 

「私とお前の意志を消し、純粋なモンスター要素として魔王に還元する」

 

「!」

 

「可能なはずだ。私は人間だが今はモンスターのカテゴリー。

 魔王が今この巨体なのも、あれほどに強いのも、肉体に組み込んだモンスターが居るからだ。

 魔王は配下のモンスターを強化する能力を持つ。

 その力は今は魔王の肉体にも作用しているのだ。

 私とお前を魔王に還元し、魔王の肉体であると同時に配下でもある肉を活性化させられれば」

 

「魔王様は……復活する」

 

「そういうことだ」

 

 まだ終わっていない。

 まだ繋がる先がある。

 まだ二人は諦めていない。

 

「お前はそれでいいのか、レッド」

 

「いい。元々私には寿命がある。

 ピンクが死者の特典消失を実証した以上、これ以外の方法はない。

 私は人としての寿命が尽きる前に、この方法で特典の力を魔王にやるつもりだった」

 

「……そうか。なら、いい。やってくれ」

 

 二人は死にかけの体でよろよろと、魔王の顔の近くにまで辿り着く。

 

「レッド。貴様は、馬鹿だな」

 

「お前もそうだろうに」

 

「……かも、しれないな」

 

「だけど、それでいいんだろうさ。

 魔王を勝利させ、人類を滅ぼすなんて夢を見るのは……馬鹿だけだ」

 

 二人の男がそんなことを話しているものだから、魔王も首だけを動かしてそれを止めに行く。

 

「やめるのだ。ワシはこのまま死んでもいい。魔王とはそういうものだ」

 

「ゲームは簡単に投げるものじゃない。地球でもそうだったろう、魔王」

 

「……レッド」

 

「私達の命に遠慮することはない」

 

 魔王の制止を、レッドは聞かない。

 悪行を成した友を止めようとする友情があるように、悪行を成す友を助けもっと悪行を行なえとそそのかす友情もある。

 悪の友情は、悪を肯定し、悪を後押しするものだ。

 

「覚えてるか、魔王。

 昔出席番号一番の給食費がなくなった時の話だ。

 私はやっていなかったが、嫌われ者だった私は真っ先に疑われた」

 

「……ああ、そんなこともあったか」

 

「その時、お前だけは私を疑わなかった。私はお前に借りがある」

 

 悪の友情は、"お前と一緒に地獄に落ちてやるよ"と言えて初めて成立するものだ。

 

「難しく考えるな。私はお前に借りを返すだけだ」

 

 善の友情にも、悪の友情にも、小難しい理屈は必要ない。

 

「……何年前の話をしているのだ、お前は。ワシですら、完全に忘れていたことを……」

 

 そうしてモンスターを支配する力と、魔王軍最強の力は、魔王の内へと溶けていった。

 

 

 

 

 

 一度目は爆裂魔法に倒された。

 二度目はゴッドレクイエムに倒された。

 三度目は無いと、魔王は立ち上がる。

 皆は立ち上がった魔王にまず驚き、その全身がトゲだらけになり、全身の体色がより黒くなり、その背中に堕天使のような翼が生えていたことに更に驚いた。

 

「いでよ」

 

 またしても魔王の全身に口が生える。

 だがそこで詠唱されるのは、先程まで使用されていた魔法よりも一段上の、上級魔法。

 預言者の魔法技能と無尽蔵の魔力を得た今、魔王は上級魔法を雨粒と同数撃っても魔力切れを起こさない化け物と化していた。

 

「降り注げ」

 

 魔王が魔法を空に放ち、空から魔法が降り注ぐ。

 むきむき達の下だけではない。

 魔王城の周辺全て、アクシズ教、紅魔族、果ては離れた場所で戦っているベルゼルグ王国軍の末端までもを巻き込むほどの広範囲絨毯爆撃。

 天を裂き地を焼く、神話の世界の一撃だった。

 

「魔王の―――第三形態!?」

 

 長引けば不利。めぐみんの判断は早く、即座に爆裂魔法をぶち込んでいた。

 

「『エクスプロージョン』ッ!」

 

 爆裂魔法は胸部に命中、その心臓を粉砕する……はずだった。

 だが爆裂魔法は魔王の体表に展開された防御結界に僅かに威力を軽減され、魔王の胸に空いた大穴はすぐさま再生で塞がってしまう。

 預言者だ。

 預言者を取り込み、魔力が無尽蔵となったことで、防御と再生の能力が強化されたのだ。

 

 ここに来て彼らはようやく、魔王がここまでの戦闘で使っていた防御と再生の魔法が、預言者の使っていたそれであり……魔力の無限供給があって初めてフルスペックで使えるものであると、理解した。

 

「なんて耐久力……」

 

「……参りましたね。今使ってるのが最後のマナタイトです。ゆんゆんは?」

 

「こっちはもうとっくになくなってるわよ!」

 

 リソースは尽きるもの。

 大火力の連打のせいで、紅魔族の少女二人はあっという間にPTの最高級マナタイトをゼロにしてしまっている。

 永遠に戦えると思われた預言者が消耗を強いられたように、人間の側もまた、戦いが続くことで消耗と疲労を積み重ねてしまっていた。

 

「貴様の誇りはなんだ、女神の使徒の紅魔族」

 

 魔王は問いかける。

 少年は仲間達を、女神達を横目に見てから、その問いに答えた。

 

「今、お前の目に見えてるものだ」

 

 彼が一番に誇るものは、今ここにある。

 

「全部全部―――僕が、胸を張って誇るものだ!」

 

 そして、魔王が一番に誇るものは。

 

「お前の誇りが『それ』ならば、部下こそがワシの誇りだ」

 

 既に失われ、事実上の死を選び、魔王に何かを残していった。

 

「誇りを抱え戦うがいい。あるいは、誇らしい気持ちで果てることができるかもしれんぞ!」

 

 両者は互いに誇るものを胸抱き、誇り故に譲ること無く、衝突する。

 

 衝突し、強き方……すなわち、魔王が全てを蹂躙していく。

 

 

 

 

 

 一方その頃。

 魔王をかつて導いた女神ウォルバクは、アクセルの街で管を巻いていた。

 怠惰が発動したからではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()だ。

 誰の味方をするか。

 何の味方になるか。

 どんな未来を選ぶのか。

 どんな結果だけは嫌なのか。

 何をしたくなくて、何をしたいのか。

 

 一度決めてしまえば後は楽なのに、それを決められない。

 

 古今東西、頻繁に語られている命題が一つある。

 悪に堕ちた友が居た時、敵として友を止めるのが正しいのか? 悪に堕ちた友の味方になってやるのが正しいのか? というものだ。

 ウォルバクに迫られている決断も、それに近い。

 彼女は今、『何か』を選ばなければならないのだ。

 

「……」

 

 ウォルバクが茶を啜ると、テーブルの上で彼女をじっと見つめている、ちょむすけとゼル帝が目に入る。

 

「ねえ知ってる? サトウカズマ君が、むきむきに教えたことを」

 

 猫とひよこは見つめたまま。

 

「日本では宗教は入り混じっているのが当然だって。

 複数の神様を崇めるのが普通だって。

 その方が日本人には向いているって……まったく、まだ未練でもあるのかしら」

 

 猫とひよこは見つめたまま。

 

「でもそうね、そういう視点で見ると、あの子はそういう感覚を持っているのかもしれないわ」

 

 猫とひよこは見つめたまま。

 

「むきむきの宗教感覚は、この世界より日本のそれに近いのかもしれないわね」

 

 猫とひよこは見つめたまま。

 

「……分かってるわよ、そんなに見つめなくても。ちゃんと私は分かってるわ」

 

 観念した様子のウォルバクを見て、猫とひよこは頷いた。

 

「本当はね。もう何を選ぶかは決めてたのよ。

 ただ、それを選ぶのを後回しにしてただけで……

 一つだけ残した選択肢に、選択の指を運ぶことを躊躇っていただけで」

 

 ウォルバクの服の袖を、猫とひよこが甘噛し、引っ張る。

 早く行こう、早く行こうと急かすかのように。

 

「そうね。私も……他人任せにするだけじゃダメよね」

 

 ウォルバクはローブを纏い、立ち上がる。

 

「一緒に行きましょうか?」

 

 猫とひよこを、肩に乗せて。

 

 

 

 

 

 魔王城近辺は、地獄と化していた。

 ベルゼルグ王国軍は距離があったためまだそこまで被害は出ていない。

 だが、魔王第三形態と紅魔族・アクシズ教徒がデタラメな戦闘を繰り広げており、魔王城の周辺を完全に火の海と変えていた。

 その上で、魔王は人類を一方的に圧倒していた。

 

「アクア様の御前だ! もっと激しくビートを刻め!」

 

「ゼスタ様! 指示がよく分かりません!」

 

 魔王か、預言者か。

 どちらか片方なら押し切れる可能性もあるのに、その両方が融合している。

 融合させているレッドまで融合している。

 これではどうにも打つ手がない。

 

「族長! このラスボス厨二力めっちゃ高い!」

「オサレだ……!」

「戦いはかっこいい方が勝つ! 古事記にもそう書いてある! これはマズいぞ!」

 

 むきむき達は最後の希望。

 アクシズ教徒と紅魔族の援護を受けて近付こうとするが、気を抜けば次の瞬間には魔王の魔法で蒸発しかねない状況が続いていた。

 魔王が周囲全てに攻撃をばら撒いているために、近付くことさえ困難と来ている。

 

「エリス様、僕らの陰に隠れてください」

 

「……魔王が、こんなに近くに居るのに……!」

 

 そんな、地獄のような光景の中に。希望のない戦場の中に。

 

「良かった、魔王城をテレポートの転移先に登録したままにしておいて」

 

 三人目の『女神』が、舞い降りた。

 

「! ウォルバク様!」

 

「ごきげんよう、とでも言うべきかしら? むきむき。……エリスが居るのは、そういうことね」

 

 ウォルバクは一瞬でこの状況を大体理解したようだ。

 魔王はウォルバクを見て、すぐに攻撃の手を止める。

 女神の降臨が流れを変え希望を繋げるのは、絵物語ではよくあることだ。

 魔王だけでなく、皆が手を止め彼女の姿を見つめていた。

 まるで、"ここから何かが変わる予感"を感じたかのように。

 

 魔王は穏やかに、ウォルバクに語りかけた。

 

「決めたのか、ウォルバク」

 

「ええ」

 

「それでいい。お前はそれでいいのだ、ウォルバク」

 

 どこか、納得したように。どこか、安心したように。どこか、寂しそうに。

 

「魔王軍を裏切り、正しい道に戻る。ワシの元居た世界でも、それは王道の物語だった」

 

 そう言う魔王に、ウォルバクは悲しい顔で首を振った。

 

「誰かを裏切った時点で正しい道ではないと、私は思うわ。

 でも今は……正しい道ではなく、信じる道を行きたいと思ってる」

 

 彼女に正しさを掲げる気はない。間違っているかもしれない、と思ってすらいる。

 それでも、こうするべきだと信じている。

 正しさを保証される者が居るならば、それは生存競争で生きるために敵を打ち倒そうとしている人類と魔王軍だけであるべきだと、女神である彼女は考えていた。

 

「今日、ここで、長きに渡る因縁に決着を」

 

 三人目の女神の力が、三度目の魔王への影響力を行使する。

 

「『光よ!』」

 

 三度目の弱体化。

 三度目の正直とは言うが、もはやこれ以上女神の力による弱体化は望めまい。

 この三度目が、ラストチャンスだ。

 

「くっ……! ここまで、女神が肩入れした戦いも、なかろうな……!」

 

「アクシズ教徒、突撃ー!」

「族長! 魔王倒したいと一部の紅魔族が先走りました!」

「ほっとけ! ……いや、むしろ加勢しろ! 全員でだ!」

 

 アクシズ教徒と紅魔族が魔王に群がるが、三度の弱体化を経ても魔王は変わらず強大で、彼らは一方的に蹴散らされている。

 だが、その結果として貴重な時間が稼がれていた。

 ウォルバクはその時間を使ってむきむきに呼びかける。

 

「最後の仕込みをするわよ、むきむき」

 

「? ウォルバク様?」

 

「あなたのこのペンダント。

 ここには女神の髪の毛、紅魔族の髪の毛、冒険者の髪の毛……

 沢山の想いと、髪の毛が詰まっているわ。

 あなたは里を出てからずっと、このペンダントを付けたまま、祈りをどこかへ捧げていた」

 

 むきむきがいつも首からかけている、里を出る時にこめっこから貰ったペンダント。ウォルバクがそれを手に取ると、ペンダントの金具がカチャリと小さな音を立てる。

 彼女が触れた途端、ペンダントは淡い光を放ち始めた。

 

「ごめんなさい。だから以前から少しだけ、いじらせて貰っていたの」

 

「これ、は……!」

 

「プリーストが祈りを捧げたネックレスを魔法触媒にするのと同じ理屈よ。

 これは今、神聖な力を使う媒体としては最高の状態にある。

 私達女神がこれに力を込めれば……あの状態の魔王でも、命に届くわ」

 

 今日この日、この瞬間にラストアタックを仕掛けるためのウォルバクの仕込み。

 『最強の武器』ではなく、『より多くの力を受け止められる器』と成ったペンダント。

 

「このペンダントは、あなたが今日まで出会って来た人達の想いと髪が内包されている」

 

 ウォルバクに選ばれるだけの要素が、このペンダントにはあった。

 多くの人が想いを込め、多くの想いをむきむきがこれに通してきた。

 里を出てから今日までの日々の全てが、このペンダントには込められている。

 

「あなたが今日まで越えてきた冒険の全てが、あなたの力になるのよ」

 

「―――」

 

 里を出る時に髪を入れてくれた人が居た。旅の途中でリーンが髪を入れてくれたこともあった。アクセルで女神が髪を入れてくれたこともあった。今の仲間は皆既に想いを込めてくれている。

 『全て』をここに集約し、結実させる時が来たのだ。

 淡く輝くペンダントを握るむきむきの肩を、カズマが軽く叩く。

 

「知ってるか、むきむき。俺の故郷ではな、いい勝負になると皆こう言うんだ」

 

「?」

 

「『幸運の女神が微笑んだ方が勝ちます』ってな」

 

「!」

 

 むきむきが首を横に向けると、そこで幸運の女神が彼に向かって微笑んでいた。

 

「いい加減何時間戦闘してんだって話だ!

 もう皆疲れが出始めてる! というか俺が疲れてる!

 次がラストチャンスだと思って決めろ! できるよな、むきむき!」

 

「うん!」

 

 次で決める。

 その意志を、この場の全員が共有していく。

 むきむきは歩き出し、めぐみんと右掌を打ち合わせた。ゆんゆんと左掌を打ち合わせた。

 めぐみんと掌を打ち合わせた音はとても大きく、ゆんゆんと打ち合わせた掌は強烈で手が少しだけ痛かった。

 

 頷くめぐみん。

 頷くゆんゆん。

 むきむきもまた、深く頷く。

 彼は女神の前に進んで、ペンダントにその力を注いで貰い始めた。

 

「大丈夫、私を信じなさい! 私を信じればだいたい上手く行くからね!」

 

 自分を信じろ、より私を信じなさい! と言うのが実にアクアらしい。

 水の女神の力がペンダントに込められる。

 

「大丈夫。今日まであなたが積み重ねたものが、あなたを支えてくれるわ」

 

 怠惰の女神のくせに努力を賞賛するようなことを言うウォルバク。

 ゼル帝を脇に置いて、ちょむすけと一緒に怠惰と暴虐の力を注ぎ込む。

 

「幸運はもたらされるものであり、掴み取るものでもあります。どうか、それを忘れないで」

 

 最後に、幸運の女神の力が注ぎ込まれる。

 これで準備は整った。

 

「むきむき、私の大剣を持っていけ。

 私も盾代わりにしか使っていないが、盾くらいにはなるはずだ」

 

「ありがとうございます、ダクネスさん」

 

 ダクネスの大剣を受け取り、それを左手に持ち、ペンダントを右手に握る。

 

「『カースド・クリスタルプリズン』! 準備できたわよ、むきむき!」

 

「うん、行って来るよ、ゆんゆん」

 

 ゆんゆんは残存魔力で巨大な氷塊を作り、むきむきはそれを魔王に向けて投げ飛ばした。

 彼は後追いで跳び、氷塊の上に飛び乗っていく。

 

「さあオーラスですよ、かっこよく決めて下さい―――『エクスプロージョン』ッ!」

 

 そしてめぐみんが、その氷塊へと爆裂魔法をぶっ放した。

 熱や破壊力を抑え、爆発力を伸ばすよう調整された爆裂魔法が氷塊を粉砕しながら押し出し、支援魔法で頑丈になったむきむきを魔王に向けて吹き飛ばす。

 爆風によって凄まじい速度を得たむきむきは、魔王へ一気に接近していく。

 魔王は何かスキルを使おうとしたが――

 

「『スキル・バインド』!」

 

 ――カズマの新スキルにより、そのスキルを無効化される。

 そして魔王とむきむきは、互いに一撃ずつ入れ合える距離まで接近した。

 

「来い!

 貴様が最初に戦った魔王軍はレッドであった!

 貴様が最後に戦う魔王軍はワシであろう!

 今は亡きレッドの代理として、そして今ここにある我として、ワシは貴様を打ち倒す!」

 

「魔王ッ―――!!」

 

 先手を取ったのは魔王。

 全身に生えた無数の口から、無数の雷系上級魔法を発射する。

 

「『カースド・ライトニング』ッ!!」

 

 魔王が得意とする雷の魔法が、空間を飽和させる勢いで密集していく。

 密集した雷は、むきむきを飲み込まんとする雷撃の洪水となった。

 

「―――!」

 

 むきむきはそれに、ダクネスから預かった大剣を投げつける。

 大剣は金属。避雷針の代わりにもなるものだ。それが高速回転しながら投げつけられたことで、雷撃の洪水に大きな穴が開く。

 むきむきはそこに飛び込み、自分が体術として行使できる最強の技と、モンクとして行使できる攻撃スキルを、ペンダントを握り込んだ右腕で発動させる。

 

 

 

「エクスプロージョン―――ゴッドブローッッッ!!!」

 

 

 

 突き出された右拳が、魔王の左頬を抉る。

 少年のゴッドブローに連鎖して、ペンダントの中の女神の力が炸裂した。

 清浄な光が、拳の内側から広がっていく。

 

「私の死は無駄でもなく、無為でもなく、無価値でもなく、無意味でもない。

 私は命を燃やして生きた。その果てに燃え尽きるように終われるのなら、それでいい」

 

 光に飲まれながら、魔王はそんなことを言う。

 女神の力で消滅しながら、遺言のように彼は言う。

 

「勝利を望まれここまで来たが。魔王とは……倒されるものなのだ」

 

 部下のために勝ちたいという気持ちがあり、魔王ならば倒されるべきだという気持ちがあり、悔い無く終われれるのならそれ以上は望まないという気持ちがあり。

 

 そうして、この世界における魔王(ラスボス)は、勇者達(しゅじんこう)に討ち取られるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようこそ、むきむきさん。世界を救ったあなたに、ここに感謝の気持ちを現したいと思います」

 

「先輩やウォルバクさんを差し置いて私がこの役をしていいのかとも思いますが……こほん」

 

「まずは、ありがとうございます。あなた達のお陰で、魔王は倒され、世界は救われました」

 

「あなたには願いを一つ叶える権利があります」

 

「え? 聞いてない? そうですね、あなたは特例ですから」

 

「転生者が魔王を倒した場合のご褒美、というものに無理矢理ねじ込んだんです」

 

「ちょっぴり反則ですけど、あなたにはこのくらいの見返りがあってもいいと思うのです」

 

「勿論カズマさんも今頃願いを叶えていることでしょう。そちらは先輩の担当ですが」

 

「さあ、どうぞ。私にできることであれば、あなたの望みを何でも叶えて差し上げます」

 

「……え?」

 

「願いは……それでいいんですか?」

 

「あ、いえ、できないということではなくて」

 

「……ふふっ、あなたらしいですね。でも、とても素敵なお願いです」

 

「よかった」

 

「今、私は、心の底から『女神でいてよかった』と思っています」

 

「ありがとう、むきむきさん。私に、そう思わせてくれて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年は、女神様に願いました。

 

「僕の大好きな、僕が好きになれた、この素晴らしい世界に―――祝福を」

 

 彼が願ったその日から、この世界はちょっとだけ、優しい世界になったそうです。

 

 

 




次回、エピローグ

スピンオフのプリーストの祈りを受け続けたネックレスは神聖魔法の至高の触媒になる、っていう設定をようやく表に出せました


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エピローグ

ラストです
マヴラブのような内ゲバです


 エリスとウォルバクは天界に帰ることを選んだ。

 アクアは地上に残ることを選んだ。

 むきむきは世界への祝福を願った。

 カズマは―――『アクアの頭がよくなりますように』、と願った。

 

 

 

 

 

 魔王軍との戦いから一ヶ月が経った。

 魔王と魔王城を失った魔王軍は敗走し、人類の生存圏から脱出。一部は魔界へと逃げ込み、一部は地上で人間の住まないモンスターの生息地へと逃げ込んだ。

 魔王軍の主要な者で生き残ったのは魔王の娘とセレスディナだけであったが、魔王の血と工作員が残った以上、またいつか魔王軍は再起するだろう。

 『魔王を倒した勇者』が生きている内は、流石に攻めては来ないだろうが。

 

 とはいえ、世界はそれなりに平和になった。

 国家間の問題はあり、野生のモンスターは相変わらず人を喰い、賞金首が人間を殺したりもしているが、以前ほどに人は死んでいない。ちょっとだけ、世界は人に優しくなった。

 人類はこれから数を増やし、その文明を発展させていくことだろう。

 

 今、とりあえず世界が抱えている大きな問題は総合的に纏めれば一つ。

 それは、カズマが叶えた願いが原因だった。

 

「そんじゃカズマ、願いを言いなさい。そうしたらその願いが自動で叶うから」

 

「アクアの頭がよくなりますように」

 

「ちょっと! それどうい……アアアアーッ! イッタイ、アタマガァー!?」

 

 カズマの願いにより、アクアの知能レベルが引き上げられる。

 アクアの学習能力はメーカー修理に出され、リコールによってアクアの学習能力は修理されて戻って来る……はずだった。

 が、現実はそう上手くは行かず。

 

「なっ……!?」

 

「わ、私がもう一人!?」

 

「ふぅ……分裂できたみたいですね」

 

 ぺかーっ、とアクアが光ったと思えば、次の瞬間にはアクアが二人に増えていた。

 

「な、なんでこんなことに!?」

 

「女神アクアの中に賢い部分が生まれました。それが私。

 そして賢い部分はこう思ったのです。

 『こんなアホな本体の中には居たくない』と。ゆえに分裂しました」

 

「なぁんですってぇ!? 表に出なさい! ぶっ飛ばしてやるわ!」

 

 そこからはもうてんやわんやである。

 分裂したアクアの力は互角。でも賢い方のアクアが頭がいい分ちょっとだけ強かった。

 

「お、覚えてなさいよー!」

 

 頭が悪い方のアクアはアルカンレティアに逃げ込み、アクシズ教徒達に事情を全て話して味方に付け、自分の偽者を倒そうと企んだ。

 が、これが逆効果だった。

 アクシズ教団はイスラム教シーア派スンナ派の如く、アクアに知性と包容力を求めるアクシズ教バブみ派と、アクアに子供っぽさやアホっぽさを求めるアクシズ教過保護派に分裂してしまう。

 両派はそれぞれがアクアを掲げて衝突、ことはアクシズ教団内の内戦に発展してしまった。

 

「アクア様は女神っぽいムーブして欲しいんだよ!

 頭が良くて何もかも許してくれるアクア様とか最高だろ!

 俺達はアクア様に変態性を受け入れ許してもらいたいからアクシズ教やってんだ!」

 

「いいやアクア様はやることなすこと空回りだからいいんだ!

 あの一人では放っておけない感じが超愛おしいんだよ!

 僕らは愛と信仰をアクア様に向け捧げるためにアクシズ教徒やってるんだ!」

 

 対立は激化し、やがて武力衝突に発展する。

 

「なんでよー!」

 

 そう、これが世界が今抱えている大問題―――スーパーアクシズ教大戦の勃発であった。

 

 

 

 

 

 同時期、むきむき達にもこれに比肩する大事件が発生していた。

 カズマは当時『魔王を倒したのと同じくらい偉大な決着』とこれを評した。

 

「ごめん」

 

 むきむきに頭を下げられた少女が居た。

 

「あなたが好きです」

 

 むきむきに告白された少女が居た。

 

 結局、決断まで魔王を倒した後にも一ヶ月という時間を要してしまった。

 そのくらいに大事なことだったのだろう。二人の少女は、一ヶ月彼を悩ませてしまうほどに格差が存在しないレベルで、同じくらい彼に大切に想われていたらしい。

 両者に対する少年の好感度はとっくにカンストしている。

 信頼もカンスト。愛情も友情もカンスト。二人のためなら死ねるレベルだ。

 

 それでも選ぶと、彼は言った。

 言った通りに、彼は選んだ。

 二股も行けないことはなかっただろうが、それでも彼は自分に全力の好意を向けてくれる女の子に対し、二分割した自分の愛で応えるという不誠実を許せなかった。

 だから苦しくても、一人を選ぶ。

 

 二人は泣いた。涙を流した。

 

 ゆんゆんは選ばれなかったから。

 めぐみんは自分が選ばれたから。

 だから、泣いた。

 

「いいの、大丈夫、むきむきは気にしないで」

 

 ゆんゆんはむきむきの罪悪感を軽くするため、気を遣った。

 流れる涙は悲しみのため。

 

「へー、はー、ふーん、そんなに私のことが好きなんですか!

 まあ実際は私の方がもっと好きなんですけどね! 本当ですよ!」

 

 めぐみんは照れ隠しに、恋愛の主導権を取るようなことを言った。

 涙はすぐ止まり、涙を流したことを誤魔化すべく、涙はすぐに拭われていた。

 

 決断は一瞬だ。

 一つ決めれば、すぐに決着してしまうこともある。

 勝者と敗者が決定し、ゆんゆんは今日もライバルとの勝負に負けた。

 かつてないほどに、負けたことがショックだった勝負だった。

 

「う……うえぇ……」

 

 ゆんゆんもフラれて数日は、実家の枕に顔を埋めてずっと泣いていたくらいだ。

 むきむきともめぐみんとも顔を合わせづらかったため、実家に帰ってはや数日。

 本気の恋の悲しみは終わらない。

 本気の恋は諦めきれないものであり、本気で悲しいものであり、フラれてもなお本気のまま胸の奥に刻まれるものである。

 

 そんなゆんゆんの下に、頭が悪い方のアクアが現れた。

 

「いい、ゆんゆん。そんなに苦しいのなら我慢する必要はないわ。

 迷っている時に出した決断はね、どの道どっちを選んだとしてもきっと後悔するわ。

 なら、苦しい方ではなく楽な方に行きなさい。あなたが望む方向に」

 

「で、ですけど、アクア様……」

 

「汝、我慢することなかれ。したいようにしなさい。

 それが犯罪でないのなら、それはしてもいいことだということなのよ」

 

「え、あ、いや、その……」

 

「何故諦める必要があるの?

 あなただってめぐみんの甘さは知ってるはず。

 今の時代、めぐみんでは生き残れないわ!

 何故ならあの子は、なあなあで惚れた男に別の女がくっつくのを見逃してしまう子だから!」

 

「……!?!?!?!?」

 

「ゆんゆん、あなたほどの女が何を迷うことがあるの?

 奪い取りなさい! 今は女神が微笑む時代なのよ!」

 

 アクアは味方を作るべく、その場のノリでとても余計なことを言った。

 

「奪い取る……諦めきれないのなら、いっそ……!」

 

 これがスーパーアクシズ教大戦と同時に始まった大問題―――略奪愛大戦争だった。

 

 

 

 

 

 ゆんゆんは紅魔族を説得。

 少女はアクアにそそのかされ、頭が悪い方のアクアに付く戦力を集める。

 

「面白そうだな、やるか!」

 

 面白そうという理由だけで、紅魔族はあっさりゆんゆんの味方に付いてくれた。

 本音は"他人の修羅場は見てて楽しいなあ"くらいの気持ちだろうか。

 一方その頃頭が良い方のアクアは事情を説明し、本気モードめぐみんとめぐみんの友人であるアイリスを味方に付けていた。

 

「面白そうですね、やりましょう!」

 

 面白そうという理由だけで、色恋沙汰が大好きな年頃のアイリスは味方に付いてくれた。

 これで、彼らは二つの勢力に分かれたことになる。

 頭が良い方のアクア率いる、アクシズ教バブみ派・ベルゼルグ王族・めぐみん勢力。

 頭が悪い方のアクア率いる、アクシズ教過保護派・紅魔族・ゆんゆん勢力。

 後にこの戦いは歴史家により、「戦後最大の内戦とか、そういう感じになんかかっこよくこれを呼びたかった」と記述されている。

 

「聖戦よ! 聖戦が始まるのよ!」

 

 審判として冒険者ギルドの人間が手配され、観戦席の予約チケットは即日完売。予約チケットを先に買い占めたバニルが転売で儲ける姿まで見られたという。

 だがバニルがそうして稼いだ金でまたウィズがゴミを買ってしまうように、誰の目にも映っていない舞台裏……この戦争の裏でも、暗躍している者達が居た。

 

「ではダクネス殿、基本的に互いにアクシズ教団を前に出す感じで行きましょう」

 

 紅魔族の長、ゆんゆんの父がダクネスにそう言う。

 

「そうですね。これで相互に最前列に出たアクシズ教徒だけが損害を被る形となる」

 

 王国を代表してここにいるダクネスが、紅魔族の長にそう言う。

 

 彼らは互いにアクシズ教徒だけを一番前に出し、ぶつけ合うという相談をしていた。

 何故そんなことをしているのか?

 決まっている。

 彼らは両方共、アクシズ教団というものがダメージを受け、大人しくなることを望んでいたからだ。

 

「できればしばらく大人しくしていて欲しいですからな」

 

「ええ、まったくです」

 

「アクシズ教以外に大きな被害が出そうになったら降参ということで」

 

「ではそういう感じで」

 

 要するに、魔王軍が居なくなった今、魔王軍の次に厄介で迷惑なアクシズ教徒もどうにかしないと……という悪巧みであった。しょうもない。

 魔王軍が居る間は存在を許されていたが、魔王軍が居なくなった途端見逃されなくなったあたりに、アクシズ教徒の普段の行いが垣間見える。

 

「おのれむきむきめ、娘が諦めてないからといって娘はやらんぞ……!」

 

「族長どの、族長どの、本音が漏れてます」

 

 娘を持っていくなど許せん、だが娘をフって別の女を選ぶなど許せん、だから邪魔しちゃるぞというゆんゆんパパの複雑な感情。控え目に言ってクソ面倒臭い。

 ダクネスは深く溜め息を吐き、数日後の開戦に不安しか感じられなかった。

 

 

 

 

 

 数日後に、戦争は始まった。

 馬鹿しかいない戦争、馬鹿しかいない両軍。

 カズマは観戦席で「アホくさ」とでも言いたげな顔で、その戦争を眺めていた。

 紅魔族が殺す気で魔法を撃っているのに前線のアクシズ教徒は死なず、ベルゼルグ王国軍からガチな攻撃が飛んでいるのにアクシズ教徒は全く死なず、謎スコアボードの数字が動いていく。

 アクシズ教徒の体とハートは何で出来ているのだろうか。

 カズマは小腹が空いて、近くに居た売り子を呼び止めた。

 

「すんませーん、キャラメルポップコーンとコーラ一つ」

 

「はいただいま!」

 

「……何やってんだバニル」

 

「ウィズ魔法店臨時出張所である。今が書き入れ時なのでな」

 

「大悪魔が売り子やってるのは正直どうなんだそれ」

 

 女神の馬鹿戦争の合間で金を稼ぐという、女神を小馬鹿にする所業が実にバニルだ。

 

「それより、貴様の親友はどうした?

 我輩はこの惨状を奴に見せて悪感情を食したいと思っていたのだが」

 

「むきむきのことか? その力で見通せばいいだろ」

 

「いや、見通せん。奴の力が阿呆店主並みになってきたのもあるが、これは一体……?」

 

「……あ。そういやエリス様と地上に出て来た地獄の七大悪魔倒しに行くって言ってたな」

 

「なんだつまらん。つまり今この土地には居ないということか」

 

「むきむきが居なくなってすぐにこんな騒動が起こるとか、もう笑えてくるけどな」

 

 カズマが見下ろした先では、めぐみんとゆんゆんが言い争っている。

 

「ふはははははは! 素直に諦めたらどうですかねゆんゆん!」

 

「諦めない心が奇跡を起こすってアクア様が言ってたから! 私は諦めない!」

 

「うーんこのアクシズ教感染初期特有の症状……」

 

「第一、私がすぐ諦める女だったら! めぐみんのライバルにも、友達にも、なれてなかった!」

 

「……ま、それはそうですね。そこは間違いなく、ゆんゆんの長所ですよ」

 

 こうなることが分かっていたから、切っ掛け一つでこういうぐだぐだになることが目に見えていたから、カズマは『魔王を倒すより難しい』と言ったのだ。

 ぐだぐだしている。

 もう本当にぐだぐだしている。

 むきむきはキッチリ答えを出したというのに、何故こんなにぐだぐだしているのか。

 

 大体アクアが悪い。

 

「というか今思い出したけど!

 私とむきむきがくっついても、めぐみん寝取る気満々だったわよね!」

 

「知りませんねえ、私は過去にこだわらない女なので!」

 

「時々地味に粘着質なくせに!」

 

「なにおぅ!」

 

 ゆんゆんのおっぱいをめぐみんがビンタしたりする不毛な喧嘩が続き、カズマの脳裏にレッドがかつて言っていた言葉が蘇る。

 

―――人間が魔王軍に勝っても、その後は人間の国同士の戦争だろう?

―――なら、魔王軍が勝ってもいいだろう。こっちは勝った後に内紛などしないぞ

 

 嘆けばいいのやら、呆れればいいのやら。

 

「……流石にレッドも、こんなバカみたいな内戦は予想してなかっただろうな……」

 

 戦場のどこかで、アイリスが部下を連れて駆けている。

 

「ほら行きますよ、クレア! レイン!」

 

「クレア様、なんで私達こんなところに居るんでしょうね」

「言うな!」

 

 戦場で店名の書かれた旗を振って、この状況で自分の店の宣伝をしている紅魔族の姿も見える。

 

「うちの靴屋をお願いしまーす!」

「我が煉獄の魔道具店もお願いしまーす!」

「紅魔の里に観光を!」

 

 観客席のカズマの周りも、にわかに騒がしくなってきた。

 

「ん? 以前見た顔が居るな」

 

「この辺りに座りましょうか、王子」

 

 レヴィ王子や、バルターの姿が見えた。

 

「テイラー、カズマが居たぞ」

 

「んじゃこの辺でいいか」

 

「うわぁ、アクシズ教徒って自分に回復魔法かけてるからすんげえしぶといな……」

 

「不死でもなんでもないはずなんだけどね」

 

 ダスト、テイラー、キース、リーンの姿が見えた。

 

「サトウカズマ、隣いいかな?」

 

「いいわけないだろ、よそ行けしっしっ」

 

「……まあ、そう言われるだろうと思ったよ」

 

「ちょっと! キョウヤに失礼でしょ!」

「そんな言い方しなくても!」

 

「いいんだ、クレメア、フィオ。僕らはこれでいいんだよ」

 

 話しかけてきたミツルギを突っぱねたりもした。

 

「すみませんそこのお姉さん、ギルドの人ですよね? 私達が全員座れる席を……」

 

「はい、団体様ですね。ご案内します」

 

 人間に化けたサキュバス達と、それを案内するルナが目の前を横切っていった。

 

「まったく。めぐみんの恋路のために戦うのも。

 ゆんゆんの恋路のために戦うのも。私がしたくないことだというのに」

 

「あるえは複雑だね!」

 

「複雑ではないよ、こめっこちゃん。もう終わった話だから」

 

「だから一抜けしたんだねー」

 

 カズマの背後を、あるえとこめっこがカズマに気付くこともなく通り過ぎて行った。

 

「セレスディナさん! セレスディナさんじゃないですか! 傷はもう大丈夫なんですか!?」

 

「ウィズてめえ! わざとあたしの名前連呼してんじゃないだろうな!」

 

 どこか遠くで、途切れ途切れにウィズと誰かの声もする。

 

「ゼル帝とちょむすけは、どっちに勝って欲しいんだ?」

 

 ほどなくして膝の上にやって来た猫とひよこに、カズマは問いかけてみる。

 ちょむすけは爪でめぐみんを示し、ゼル帝は嘴でゆんゆんを示した。

 彼らの推しカプは真逆のようだ。

 カズマが猫やひよこと戯れている間に、頭の良いアクアと頭の悪いアクアが戦場の中心でがっぷり四つに組み合い、んぎぎぎと押し合い圧し合っている。

 

「カズマさんはアホだから私に構ってくれてるんですよ、頭の悪い私!

 ですがそのままじゃいつまでもペット扱いです!

 私は頭の良い私をベースに再構成しないと、気になってるカズマさんと恋仲にもなれません!」

 

「はぁ!? 気になってませんしー! 女神は人間なんか気になりませんしー!」

 

「賢い私も女神アクアの一部なのですよ! そんな嘘が通じると思いますか!」

 

「う、そ、じゃ、な、い、しっー!」

 

「カズマさんが私の天界に帰る権利のため、頑張ってくれてたこと!

 バカでもアホでも薄々は分かっていたでしょう! 気付いているはずです!」

 

「そ、ん、な、じ、じ、つ、な、い、しっー!」

 

 ムキになって否定するアホな方のアクア。冷静に自己分析するアホじゃない方のアクア。ちょむすけとゼル帝と戯れているカズマはアクアの方を見もせず、空をぼんやり見つめていた。

 

「……むきむきとかがそろそろ来て、オチつけてくんねえかな」

 

 そして。カズマがそう言った途端、その空から、むきむきが落ちて来た。

 

「……呼べば来たよ! マジかお前!?」

 

 空から落ちて来たむきむきの手には、エリスの神器(ハリセン)が握られていた。

 

「特典補正ブレイカー!」

 

「なにゅわー!?」

 

 神器(ハリセン)で頭が良い方のアクアの頭をぶっ叩くと、アクアの頭と反発していた知性がすぽんとアクアの中から抜けていく。

 

「合体!」

 

「あぶっ!?」

「なぶっ!?」

 

 続き二人の頭を掴み、強引にゴツンと打ち付ければ、次の瞬間には二人のアクアは元のアクアへと戻っていた。

 

「アクア様は元のアクア様に戻りました! はいここで終わり! 戦争終わり! 終了です!」

 

 戦争調停(物理)。

 むきむきが大声を上げると"ああ祭りが終わってしまった"的雰囲気が広がり、各々が武器を収め帰宅準備を始めていく。

 

「チャンス! ゼスタ様覚悟!」

「むっ! やはり私の地位と権力を狙う曲者がこれを仕組んでしましたか!」

「最高司祭の座は貰ったァ!」

「ああ、理想のアクア様が……」

「トリスタン様! 気を確かに!」

「くっ、知性と包容力あるアクア様がぁ……でもやっぱ今のアクア様も好きだ!」

「こんな世界滅ぼしてやる!」

 

 一部は帰る気配を見せていないが、それはそれこれはこれ。

 カズマは観客席を飛び降りて、むきむきに歩み寄り話しかけた。

 

「おかえりむきむき。早かったな」

 

「ただいま、カズマくん。

 大丈夫、七大悪魔の一体はちゃんとエリス様と倒してきたから。

 ここに来たのはエリス様にこの戦いを止めて欲しいって頼まれて、魔法で送られたんだ」

 

「お前最近どこに出しても恥ずかしくないエリス教徒になってね?」

 

「……気のせいでしょ」

 

 顔を逸らすあたり、自覚はあるらしい。名誉エリス教徒認定くらいは受けてそうだ。

 カズマは嫌そうな顔で、杖を捨て素手での勝負に移行しためぐみんとゆんゆんの二人を指差す。

 

「で、お前。あれどうすんだよ」

 

「今日の勝負は、ゆんゆんの恋を終わらせること。大事な勝負だ、ちゃんと勝たないとね」

 

 むきむきはきっぱりと言い切った。

 何をすべきか、何を言うべきか、迷いのない男の顔である。

 カズマは泥臭く諦めていないゆんゆんを見て、どこかお綺麗な恋愛観を元に動いているむきむきを見て、"ダメかもしれん"と思案する。

 

「……なんとなくだけど、お前負ける気がするわ」

 

「えっ」

 

「とりあえず頑張れ、俺腹減ったから昼飯食ってくるから。困ったら呼べ」

 

 恋愛には様々な勝ち負けがあるが大体の場合、より強く愛している方が勝利する。

 カズマは童貞だが、この手の勘は良かった。

 むきむきに背を向け、カズマはどこぞへと歩き出す。

 

(恋する乙女が最強なら、"そっちの土俵"じゃむきむきは最弱なんだよなぁ)

 

 そけっとやひょいざぶろーとすれ違い、カズマは軽く頭を下げて、むきむきの居場所を教えて歩き出す。バカ騒ぎの後始末をしているダクネスを、そのついでに拾っていった。

 

(殺し合いって土俵なら、魔王だって倒した奴なのに。不思議なもんだ)

 

 魔法飛び交う中ダクネスを盾に、アクシズ教徒を中心にまだバカ騒ぎを続ける者達の合間を抜け、倒れて目を回しているアクアを回収し、頬をペチペチ叩いて起こす。

 

(誰が折れるか、誰が妥協するか、誰が諦めないかで、結末も全然違いそうだ)

 

 むきむきの望み通りになるか、めぐみんの望み通りになるか、ゆんゆんの望み通りになるか。

 はてさて、それは神のみぞ知る……いや、神も知らない未来だ。

 この世界は往々にして、自分勝手な奴ほど強い。

 恋は自分勝手な想いでも許される。

 彼ら三人が互いのことを思い遣り、友情を下地にして恋路を進むなら、その着地点はどこにあるものか。

 

 けれど、いくら過程がぐだぐだしようとも、一つだけ変わらないことがある。

 彼が決めた、『一番好きな女の子は誰か』という決断だ。

 そもそもアクアが引っ掻き回さなければ、もう終わっていた話なのである。

 優柔不断の果てにはよくよく悲劇が待っているものだが、一番好きな人が誰か揺らがないのであれば、その結末はきっと悪いものにはならないはずだ。

 

 最後には必ず、三人全員が納得できる結末が待っている。

 

「アクア、ダクネス、馬鹿が馬鹿やってる間に飯食いに行こうぜー」

 

「お前……まあいいか。今日の昼食代は私が持とう」

 

「うーん、うーん、私なんだかさっきまでとても賢かった気が……いや今でも賢いけどね?」

 

「寝言は寝てる時だけ言えよ、アクア」

 

「何その言い草!?」

 

 今日も今日とてこの世界は、不思議で、おかしくて、ふざけていて。

 

 残酷を笑って乗り越えるタフな人々の笑顔が、そこかしこに溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 君が好きだと、少年は言った。

 

 私も好きですよ、と少女は言った。

 

 負けてもまた挑むのが私だと、少女は奮起した。

 

 『三人でいつまでも一緒にいれたら良いな』と、三人は揃って同じ気持ちを持っていた。

 

 

 




 これにて終わり。皆さん、四ヶ月と百万字分、お付き合い頂きありがとうございました。


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あとがき

 終盤はリアル事情のせいで変な投稿時間になることが多かったです。でもそんな時間にすぐ感想くれた方も居たりして嬉しかったです。かしこ。

 自分はこの作品を書き始める前に、こんなことを活動報告に書いておりました。

 

> 最初は

>「お、紅魔族主人公でダブルヒロインか?」

> と読者さんに思われて

>「ちげえ、この主人公ゆんゆんとかと同じ、めぐみんに攻略されてるヒロインの一人だわ」

> と思われて途中から

>「この主人公はカズマさんのヒロインだったんや!」

> となり最終的に

>「エリス様マジ女神」

> と言われるような、原作リスペクトっぽい話になればいいなあ……と思います(小並感)。

 

 それっぽくなっていれば幸いです。WEB連載をリアルタイムで追っていた時は、めぐみんの正ヒロイン感とエリス様の真ヒロイン感に心奪われていた記憶があります。

 上記の他にも、こんなことも活動報告に書いておりました。

 

>最初から最後まできっちり詰めたfeat。ファジーに始めて地味に隙間を詰めた課金。なので今回は、間に余計なエピソードを自由に入れられる感じにしたいなあ、と思います。

>基本は1~2話完結構成で、章ごとに完成させるべき本筋を用意。

>あれですね、ゲームによくある『いつでもメインシナリオを進められるけど、やろうと思えばたくさんサブイベントをこなしてレベル上げやアイテム集めができる』ってやつです。

>あれっぽいストーリー。

>メインストーリーとシナリオクリアがあるオープンワールド? 的な。

>人間関係の軸ワードは「あの人が一番最初だったから」。

>戦闘関係の軸ワードは「ギャグで流せないクソバランスの世界」。

>まだ追加されるやもしれません。

 

 この作品は設定とイベントだけを最初に積み上げておいて、それを切り崩したりカットしたり繋げたりして話を作りました。大体平行世界五つ分くらいですね。

 なので自分にしては珍しく結構想定外の流れが多くありました。話というか、キャラ単位で見ると割とそう思います。

 一部のイベントは描写を完全に放棄したため、描写されてないだけで起こっていたという設定のイベントも、起こっていないという設定のイベントもあります。

 実際イベントが起きたかどうかは、皆さんの想像におまかせするということで。

 

 

 

【主人公】

 

・むきむき

 「ワードで作った主人公」。

 「いつだって正直で居ることができれば、自分の発言の矛盾に気を付ける必要は無いんじゃないかな」とかそういうワードを接いで作ったキャラです。

 方向性としては『気弱』で『泣き虫』だけど『巨躯のマッチョメン』というところにも見られますが、ギャップや落差を意識してキャラ作りしました。

 「仲間と弱点を補い合う」「心の弱さを体の強さでなかったことにはできない」など、キャラの設定を文章ではなくワードの継ぎ接ぎで作っていくのは楽しかったです。

 

 「君がどんなに卑下しようと、僕は君が凄い人だって知ってるよ!」と言うタイプ。

 むきむきが信頼して期待した人が期待に応えてくれなければ、その人諸共むきむきも死ぬので、何気に死にやすいタイプです。

 むきむきが重傷を負う頻度はPT内でも相当に多かったと思われます。頑丈なくせに。

 

 頑張ろう、君は凄い、とむきむきに褒められた人は彼に信頼され、期待されます。

 むきむきが褒める度合いはなんだかんだいってその人の本質を見てるので、絶対に越えられないハードルになりません。

 「がんばって!」「すごーい!」の嵐でその人間に限界を越えさせて、全力の上限値でやっと越えられるハードルを越えさせたりします。

 時々自分から踏み台になりに行って、その人を跳ね上げてハードルを越えさせたりします。

 

 なので『頑張れる人』はむきむきの声を受け頑張り、成長していきます。

 『頑張れない人』はむきむきの声を受けても頑張らないので、褒められるだけです。

 特に「しょうがねえなあ」と言いつつ期待に応えてしまう人は、むきむきの周囲に置くことでガンガン結果を出し、ガンガンその能力を伸ばしていきます。

 期待に応えるためにスキルフルアームズになり、爆殺能力を様々な形で応用し、ハンスの死体を使って毒攻撃したりするようになるわけです。

 アクアが言っていたカズマとむきむきが互いを高め合うという相乗効果の裏には、こういう設定もあったりしました。

 

 カズマが「お前らああしろこうしろ」と指示を出し最高の結果を出すなら、むきむきは「君ならあれが出来るこれも出来る」と期待し結果を導きます。

 

・靴

 むきむきの武器です。繋いだ手が切り飛ばされても、の展開に繋げるためのものでした。

 でも本質的には武器ではなくて、彼の旅のお供です。

 前に進む彼の足を守るものです。

 幽霊さんが言った「この素晴らしい世界を見て回れ」という言葉を実現させるためには、最も大切であると言えるものです。

 

・ペンダント

 スピンオフのウィズの仲間の、毎日祈りを込めたペンダントが至高の触媒になる、という設定。

 WEB版魔王戦の、女神の髪の毛を入れたペンダントは魔王が触れればそれだけで火傷してしまうほどのものになる、という設定。

 その二つを合わせたものです。

 ペンダントに毛があるせいかむきむきは怪我ある状態が増えてしまったのかもしれません。毛がない方が怪我ない未来がつかめたやも。実際はどうだか知りません。

 話の都合もありますが、ペンダントの中に入っている紅魔族の髪の毛は、むきむきが最初に里を出た時にむきむきの味方だった人の髪の毛しか入ってません。特別感ありますね!

 

・恋愛関係

 エゴが薄い。自分勝手に行かない。欲求が少ない。

 ないわけではないけれど欲求を理性で押さえ込めてしまう。

 別の言い方をすれば、根が引っ込み思案で本音をどこかへやってしまうのが得意な性格。

 また別の言い方をすれば、他人の欲求を自分の欲求より優先しがちな、周囲にとっての『都合がいい人』になってしまう少年。

 なので恋愛ポテンシャルは結構低いです。

 恋愛における最強の性格タイプは泥棒猫、とか本で書いてる人もいらっしゃるくらいですしね。

 彼は恋愛においてはとことん誠実で、それが最大の武器です。

 

・ゼル帝

 お兄ちゃん。

 転生先って別に人間に限らなくていいじゃん、という発想から生まれた存在。

 没エルロードイベントで体を入れ替える神器が運び込まれ、芸達者になる魔法でオウムのようにキーワードをオウム返ししてしまったゼル帝により神器が発動。

 ゼル帝がブルードラゴンの肉体をゲッツしてアクアがカズマにドヤるという未来もありましたが、アクアがドヤる未来は抹消されました。

 

・ちょむすけ

 ペット。正確にはめぐみんの使い魔。

 むきむきに密かにめっちゃ加護を送っている邪神。というかウォルバク戦後はちょむすけのパワーソースは大体むきむきに注がれてます。

 現在は確か誕生(分離)から九年、九歳だったと思います。

 ルシエドが密かに魔法少女年齢とか呼んでる年齢ですね。

 ちょむすけは九歳の女の子。でも魔獣となって暴走するシナリオもありました。それがあったらウォルバクシナリオをカットしてこちらがウォルバクメインシナリオになってたかもですね。

 

・カズマ

 ご存知原作主人公。

 この作品ではもうひとりの主人公。

 むきむきの戦闘関連のステータスはカズマと組み合わせると最強になり、めぐみんやゆんゆんと組み合わせても凶悪になるようデザインされております。

 なのでコンビとしてはむきむきとカズマのコンビが最も強いです。

 むきむきがエピローグ以降ではターンアンデッドを覚えるのでカズマの潜伏暗殺コンボを邪魔するアンデッドが息をしなくなります。

 

 笑えるクズがカズマさんなら、笑えないクズがDT戦隊。

 笑い話で終わらせられるのがカズマさんなら、笑い話で終わらせられないのが以下略。

 でもきっと来世では別の道を行ってると思われるDT戦隊。

 まあカズマさんは全てを忘れて来世で幸せになるとかどうなん、今この人生をよくして今の自分のままで生きたい、って人なのでそこら辺でも対極ですが。

 基本的に自分が嫌いな人、自分の能力に自信がある人はカズマさんの対極です。

 自分の能力の低さを受け入れつつつも、全く卑屈なところを見せず、自分が嫌いな様子もないカズマさんはとてもいいキャラだと思いました。

 

 地球とこの異世界の物語と関係を繋ぐ人の一人でもあります。

 

 

 

【仲間】

 

・めぐみん

 メインヒロイン。

 イベント次第ではカズマさんとむきむきで三角関係になるかもしれなかった人。まあ三角関係と言ってもカズマとやたら仲良いめぐみん見てむきむきが膝を抱える、みたいな感じでしたが。

 でも却下。今の形に落ち着きました。何故か?

 むきむきとカズマさんの友情がとんでもなく強くなったからです、以上!

 

 喧嘩しないアムロとシャア、喧嘩しないカズマと龍鳳の間に女が入っても、どことなく茶番感しかしません。

 翔太郎とフィリップの間に女を入れて三角関係にする意味があるのか? みたいなもの。

 スタードライバーのタクトとスガタみたいにするという手もありますが、カズマさんが受け身の人なのでそれも難しい。

 元々三角関係イベント入れなければ発生しない関係だったので、ここのカットの影響はそんななかったと思います。

 

 三角関係イベントはめぐみんからカズマへの好意はむきむきの勘違いだったパターンと、むきむきが告白してめぐみんにフラれ、そこから立ち直って強くなるパターンもありました。

 子供の頃からの初恋が破れて強くなるパターンです。まあ真っ先に切り捨てられたイベント案でしたが。

 その場合はゆんゆん単独ヒロイン化、ミツルギが失恋仲間として励ましに来る未来もあったと思います。

 まあ採用しなくて良かったんじゃないですかね! 明らかに人選ぶ要素!

 

 総じてめぐみんは一途で、愛情深い人。

 本編のシナリオでは序盤はむきむきを立ち直らせる精神的支柱兼ヒーローとして描写していましたが、途中からはむきむきにそれが必要なくなり、後半戦ではむきむきがめぐみんを励まして立ち直らせ、むきむきがめぐみんのヒーローとなっていました。

 ギャルゲー的に言えばギャルゲープレイヤー(めぐみん)が攻略対象(むきむき)を攻略して好感度カンストさせたら、後半の一枚絵付きイベントでプレイヤーが攻略対象にノックアウトされた感じでしょうか。

 

 コロナタイトで火力超強化。本作の最終決戦では対魔王戦のため温存されましたが、本来野外での軍VS軍の戦争において彼女を敵に回すことは、死を意味します。

 赤壁の戦いで三軍纏めて吹き飛ばして全員壁の赤いシミにすることができるでしょう。

 

・ゆんゆん

 メインヒロイン。

 めぐみんに勝てない人。めぐみんに勝ちたい人。でも最後にはめぐみんに勝つことが目標ではなく、好きな人をゲットする手段となった人。

 めぐみんに勝てないかもと不安になったり、ボツられたイベント案ではめぐみんにフラれたむきむきのメインヒロインになっていたりと、とにかくめぐみんの恋愛強者っぷりに押されていた感があります。

 それでも本編でロスタイムまで粘りきったのは、作者の連載開始当初の予想を遥かに越えた粘りだったと思います。

 

 実は今まっとうな意味で紅魔族で一番強い人。

 魔力総量も多く、使える魔法も多彩で、本編全体を通して魔王軍幹部ですらぶった切れるライト・オブ・セイバーをぶっ放しまくっております。

 エピローグ後はむきむきの召喚魔法登録を解除し、むきむきはそれに安心しましたが、めぐみんはそこにゆんゆんの凄まじい覚悟を見て警戒を強めました。

 恋愛的にも精神的にも戦闘力的にも胸的にも、物語を通して少しづつ成長していったキャラであると思います。

 

・アクア様

 知性はクーリングオフされました。

 

・ダクネス

 むきむきに優しくされたり、女性扱いされると好感を持つが萎える人。

 カズマにぞんざいに扱われたり、雑に対応されると興奮して惚れる人。

 第一印象が良かったためむきむきには結構頼りにされてます。年上のちょっと変だけど頼れるお姉さんくらいには。

 

 カズマに対し「こんなやつを好きになるのは私くらいだろう」と思っていたらアクアが怪しくなり、エピローグ後にはアイリスも結構怪しくなくなってきて大ピンチ。

 何せ魔王を倒した勇者の血を取り込むのはベルゼルグ王家の伝統。そりゃもうピンチです。

 恋愛的には基本受け身で周囲に流されやすいダクネスさんなので、此処から先は中々苦戦すると思います。頑張れダクネス!

 多分もうむきむきがプラズマ手刀叩き込んでも当たりどころによっては傷もつきません。

 

・クリス

 実は作中で全く正体がバレなかった人。

 バレるイベントの用意はあったものの一切バレなかった人。

 彼女の個人イベントが有った場合、むきむきに盗賊の技量を信用され、クリスという個人として信頼され、女神としては信仰されるという部分を描写する話になっておりました。

 クリスとエリス、どちらにも別々の感情が向けられ……という話ですね。

 

 エピローグ後のむきむきはなんやかんやあってウォルバクアクアエリスから均等に力を貰って行使するタイプのモンクになりましたが、メインはエリスです。

 むきむきの冒険者稼業にエリスが頼んだ神器回収の依頼が加わり、悪しき悪魔をアレン・ウォーカーばりに左手で殴ってぶっ飛ばし、エリス様に彼が色々お礼を貰ったり。

 まあそんな感じの日常になります。

 没バニルイベントではむきむきがバニルに魂を売り渡し、バニルの助力を得る代わりに死後地獄でバニルの奴隷となる契約を交わしたため、エリスがむきむきに死後天界に送られ女神の下でずっと働く契約をぶち込むことで、事実上無効にするというウルトラCもありました。

 

 基本的には善意と慈悲と愛の人。

 けれど原作でも

>「一番弱い職業の人が魔王を倒す。そっちの方が、格好良いじゃないですか!」

 と言っており、堅実な道より『この人に勝って欲しい』という願いや想いを優先するという面も持っている人です。

 彼女はこの作品でも、信じて賭けて幸運にも勝ちました。

 

・ミツルギ(とその仲間二人)

 クリス同様、パーティインはしなかった人。

 彼については描写すべきことは大体作中で書ききった感あるので特に言うことはないです。

 これから先もカズマとは微妙に仲が悪く、むきむきとは仲が良く、でもカズマとむきむきの実力両方を評価している、といった距離感で接してくれるでしょう。

 強いて言うなら、ミツルギは『引き立て役』で終わらないよう気を付けました。ミツルギの取り巻きの二人も、『ハーレムメンバーという名のアクセサリー』にならないよう気を付けました。

 クレメアとフィオは、アクセルの街が無数の安楽少女によって陥落され、それをむきむき・クレメア・フィオ・リーン・キースの五人で奪還するイベント採用して、もっときっちり掘り下げて見てもよかったかもですね。まあテンポの問題で投げ捨てたわけなのですが。

 

 

 

【没イベント抱えたその他の人(一部)】

 

・レイン

 平民上がりの貧乏貴族の娘で一般の生活にも詳しい、という独自設定を裏に貼っておいた人。スピンオフとWEB版のカズマの王城戦での台詞からの捏造ですね。

 彼女の採用されなかったイベントはカレン・ドネリーも絡む貴族イベント。おかげでカレンが影も形も存在しません。

 カレンの出番とか刹那で忘れちゃいました。まあいいか、あんな貴族……

 

・クレア

 ベルゼルグ貴族の清浄化を図るハイパークソレズ大戦でむきむきと共闘。

 アイリスを狙う不埒なレズ貴族を全員排除し、アイリスの周辺からレズの影を一掃しました。

 最後にはアイリスの側にはクレアとレインだけが残ったそうです。

 

・サキュバスクイーン

 設定だけ居た人。

 カズマさんが「魔王軍相手に商売してるサキュバスが居るらしい」「サキュバスは人が居なくなったら困るだろ」「サキュバスに頼んで魔王軍の情報抜けるんじゃないか?」「ヤッた後は口が軽くなるぞ」と提案するというシナリオで出て来るオリジナルキャラです。

 氷の城に住み、サキュバスの元締めとなるキャラ。スピンオフによるとサキュバスは魔界の土地に帰属し、その土地を治める悪魔に従っているようです。

 なので種族としてのサキュバスを統括するキャラを用意してみました。

 ユダヤ人のように、一つの国に密集するのではなく様々な場所に拡散し、種族特性とサキュバスはこう在るべしという口伝を頼りに、サキュバスの在り方を維持するサキュバス達。

 そんなサキュバス達に道を示すキャラ。

 そういう風に設定した、偉いだけのクソニートサキュバスです。

 この人の説得に成功することで、魔王軍に情報線で勝てるようになり人間側が有利になる、という単発シナリオでござんした。

 

・ダスト

 むきむきが奇襲でやられ、敵がむきむきにトドメを刺そうとしたその時、薄れ行く意識の中でむきむきは、しょうがねえなと言わんばかりに槍を拾い上げるダストの姿を見るのだった。

 目覚めたむきむきは、あれが夢か現実かを疑い始める。

 だがむきむきは気絶してしまっていた上、ダストが「あの敵は逃げた」と嘘を言ったため、真実を確かめる方法はなくなってしまったのだ……みたいなシナリオ。

 

・アクシズ教

 ベルゼルグ王城をアクシズ教徒が占拠するシナリオもありました。

 

・アイリス

 カズマとのフラグイベントばっさりカットしてしまってすまない……(竜殺し)

 

 

 

 

 

 ルシエドは作品書いてる時、「こういうことを気をつけよう」というルールを自分に課しつつ、「面倒臭え」と頻繁にそのルールを投げ捨てています。

 

 例えば、自分が書いた作品を読む皆さんはPCに例えられます。

 

 まず読者さんが頭の中で情報を処理するのはメモリに例えられます。

 登場人物が多すぎる、世界観設定を地の文で長々と書きすぎる、といった失態を繰り返すと読者さんの頭の中で処理すべき情報が多くなりすぎてしまい、メモリ不足が起きてしまいます。

 こうなると処理落ち、情報の破損が起きてしまい、正確に情報が伝えられません。

 メモリで処理すべき情報は出来る限り少なく。

 処理の負担は出来る限り少なく。

 そうすると読者さんにするっと情報を処理してもらえます。

 

 読者さんの情報処理がメモリなら、感情処理がCPUです。

 感動している時はメモリに負荷がなくても100%、話がつまらない時はメモリの負荷だけ増えて0%の稼働率。

 これをどれだけ動かせるかで、作品の価値は決まります。

 

 グラフィックボードは、読者さんの情景想像力。

 読者さんのグラフィックボードの性能はそれぞれなので、読者さんが情景を頭の中に描けなかったなら、それは作者の責任です。

 どんな人でも頭の中に情景を思い浮かべられるよう、作者の方で皆さんの方へと送る情報を洗練させなければなりません。

 ちなみにルシエドは四苦八苦してもこれが中々上手く行ってなかったり。

 

 ハードディスクは皆さんの脳内にある情報です。

 例えばゼロ魔の二次創作を書く時、皆さんの記憶の中にルイズの姿があれば、作者がルイズの容姿を綿密に描写する必要はありません。

 皆さんの脳内の情報を利用すれば、『ガンダム』の一言で外見描写が終わることもあります。

 異世界の店の中は綿密に描写する必要がありますが、現代なら『コンビニ』の一言で終わることもあります。

 創作は読者さんの脳内情報を利用するものです。

 皆さんの脳というハードディスクに色んな情報が入っていると、作者はそれだけ描写を軽く読みやすくすることができ、軽い気持ちで大きく楽しめる作品が作れます。

 

 回線速度は更新速度です。

 別に遅くても気にしない方はいらっしゃいますが、速ければ速いほど良く、『遅すぎる』とちょっと論外になってしまいます。

 近年になればなるほど、更新速度と回線速度の速さは求められていたりしますね。

 

 メモリに負担はかけたくない。でもCPUはガンガン動かして欲しい。ディスクの情報はどのくらい利用するか。グラフィックボードはどのくらいの性能を想定するか。とにかく回線(更新)速度上げよう。

 そんなことを考えていたら、むきむきはこういったバランスに仕上がり、完結しました。

 

 イベントは元より沢山捨てるつもりで作ってあったものですが、いざ採用せず捨てるとなると少しもったいない気もします。

 が、これでいいのです。

 何かが付け足されることもあれば、何かがカットされることもあるのが物語というもの。

 彼らの物語はこの結末をもって完成であり、この完成形に後は何を付け足しても余分だと思うのです。

 

 没シナリオはここで火葬です。

 さようなら、インポルエンザでむきむき達が全滅したシナリオ。君のことは忘れない!

 この後書きをもってボツられた幾多のシナリオの供養とします。

 シモノーケ・ボーボボとか四蔵法師とかボツったキャラはどこかで復活するかもしれませんが気にしないでください。どうせどこかの作品で出た時はまるっきり別人です。

 

 さようなら、没シナリオ達。

 

 ルシエドは次に名探偵マーニー書くか、エグゼイド書くか、ホモヴィヴィッド書くか、聖杯戦争書くか、ウルトラマンヒトラー書くか、ISベイブレード書くか、ウルトラマンネクサス再構成書くか、1.5章のカルデア書くか、まるで決めていないけれど。

 次の作品を書くまでは、君達のことは忘れないよ……

 

 

 




 レクリエイターズ「スーパー創作大戦のネタに使ってええんやで?」


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