帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~ (大ライヒ主義)
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第遺血話・・・帝都ヴィエンナ

  
  
   
 
  
     
 オーストリア=ハンガリー二重帝国を愛する、全ての人々に本作を捧ぐ
  
  
 
 
  


              

  大陸には幽霊が出る――『帝国』という名の幽霊が。

 

        ハンス・フォン・ゼートゥーア「回想録」

 

 

 

 **

 

 

 その国はかつて、『民族の牢獄』と呼ばれた。

 

 

 戦争に負け、改革に失敗した。

 

 民主主義は弾圧され、自由主義は鎮圧された。

 

 

 ゆえに産業革命は起こらない。未だ彼の国は時代遅れの封建国家である。

 時代遅れの因習に取り憑かれ、諸国民は今も牢獄に囚われている。

 

 

 ――その牢獄の、またの名を『帝国』と呼ぶ。

 

 

 

 時は「良き時代」と呼ばれしベル・エポック。科学が古き伝統を駆逐し、未開拓地が次々と地図に塗り替えられていく。文明開化と民族主義の嵐が吹き荒れ、誕生したばかりの国民国家が世界中で産声をあげていた。

 

 その進化と発展の荒波の中にあってただひとつ、その国だけは動かない。偉大なる『帝国』だけはまるで時を止めたかのように、古き時代へと回帰していく。

 

 

 時よ止まれ。お前は誰より美しい――。

 

 

 それはひとつの歴史が生んだ狂気。純粋すぎる願いが生んだ呪い。栄華の過ぎ去った後でなお、それを維持せんが為に産み落とされた忌み子であった。

 

 

 **

 

 

 どんっ、と豆鉄砲のような気の抜けた銃声が響く。

 

 それもそのはずだ。儀仗兵の射撃パフォーマンスで実弾は入っていない。実用性より装飾性を優先した煌びやかな礼服に、見栄え優先の一糸乱れぬガチョウ脚行進………死線を潜ってきた前線帰りには、さぞ滑稽に見える光景だろう。

 

「……まるでハイスクールのお遊戯だな」

 

 いつもの通り、いつもの様子でターニャ・デグレチャフ少佐は浮かれ騒ぐ街を歩いていた。前線での長期勤務が終わり、戦況も落ち着いたということで休暇の真っ最中である。

 

 しかし彼女がいる場所は、タバコ臭い上司のいる『首都』ベルンではない。1000年以上の歴史と格式を持つ古都にして『帝都」ヴィエンナである。

 

 

 『首都』とは国家権力の中心であり、中央政府が所在する拠点である。

 

 『帝都』とは国家権威の中心であり、皇帝陛下のあらせられる場所である。

 

 

 

 帝都は勅令により、皇帝のおわす場として定められた。しかし帝都ヴィエンナは帝国の中心とは必ずしもいえない。

 

 なにせ『帝国』の行政機構はいくつもの領邦に分散されている。しかもそれぞれの領邦が中世さながらの高度な自治権を保有していると来るから、とうてい単一国家とは呼びようもない。

 たとえば王冠領は固有の政府と軍隊を保持していたし、選帝侯国もそれぞれ独自の法律と裁判権を保有している。しかも諸外国の目には奇異に映るそれが、『帝国』では当たり前のこととして受け止められていた。

 

 そしてこの権力の分散こそが中央集権型の国民国家というより、まとまりと求心力と中心を欠いた、緩やかな領邦国家の連合になり下がった、伝統と格式ある『帝国』の実態を表していたのである。

 

 

 **

 

 

 たとえ世界を巻き込む大戦争の最中であろうと、『帝都』ヴィエンナの美しさが損なわれることは無い。

 

 白亜の大理石で作られた彫刻に、壮麗な石畳のメインストリート。その両脇に緑豊かな街路樹が植えられ、背後には重厚な石造りの高層建築群がそびえる。

 

 ターニャがこの都に来るのは初めてではない。士官学校時代、卒業を控えた生徒たちは全員がこの都に出向く決まりになっている。偉大なる皇帝陛下の御前で、「帝国と皇帝への忠誠」を宣誓するためだ。

 

 

「あれから2年……どこも戦時下ムードだというのに、さすが帝都は違うな」

 

 

 それは讃美か皮肉か。あるいはその両方か。

 

 どちらにせよ、伊達に十世紀以上も続いている古都ではない。この街には帝国の歴史、すなわち帝国千年の伝統と妄執が今なお息づいているのだ。

 

 

 

 しばらく歩くと、メインストリートの先から手を振る女性の姿があった。  

 

 

「少佐! 席を確保してきました!」

 

 

 ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ少尉……通称:ヴィーシャはルーシー連邦領土からの亡命者の娘で、ライン戦線からターニャと共に戦い続けている古参の魔導師である。

 

 

「道の反対側にある、木組みの建物の二階がカフェになってます。ヴァイス中尉が窓際のテーブルを確保したので、パレードもよく見えますよ」

 

 

 「コーヒーの味も確認しました!」と胸を張るヴィーシャは、ターニャが認めている数少ない“使える”魔導師だ。

 

 最初こそ根性ぐらいしか取り柄が無かったものの、実戦を経てめきめきと成長し、いまや兵站・部隊運営になくてはならない副官となっている。

 

 そして何より、コーヒーを淹れるのが上手い。そのヴィーシャが太鼓判を押すのだから、少なくとも不味い店ではなかろう。

 

 

(パレードにあまり興味は無いが、このまま人ごみに揉まれているよりかはマシか……)

 

 そう判断したターニャはゆっくりと頷き、ヴィーシャの提案を受けることにする。

 

「感謝する。これで多少は有意義な時間が過ごせそうだ」

 

 鷹揚にも取れるターニャの返答だが、付き合いの長いヴィーシャにとっては慣れたものだ。軽く受け流すと、一緒に歩きながら鼻歌を吹く余裕すらあった。

 

「ふんふ~ん♪ ふんふふ~ん♪」

 

 

(少尉め、随分とご機嫌だな……)

 

 気楽そうでおめでたいことだ、と喉まで出かかった言葉を呑み込む。敢えてウキウキ気分に水を差してやるほど、ターニャも悪魔ではない。

 

 それに――浮かれているのはヴィ―シャばかりではない。誰もが胸を躍らせ、これから始まる出来事に心をときめかせている。人々はこの場に居合わせることが嬉しくて堪らない様子だ。

 

 

 ――『帝国』皇帝即位八周年記念軍事パレード

 

 

 彼らはこの儀式にその身を委ねるためにここにいる。今日は特別な日で、おめでたい祝日である。そして祭りの中心には、『帝国』そのものがあるのだ。

            




 作者のオーストリア=ハンガリー二重帝国愛の爆発した作品です。

 つたない文章ですが、楽しんでいただければ幸いです。


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第腐堕話・・・諸民族の牢獄

                   

 ――人々は戦争が好きだ。

 

 

 それは勝負という争いに限りない魅力があるからだ。闘争は勝者と敗者を生み出すと同時に、特定の集団に自らが属しているという一体感を生み出す。

 

 軍服や装備は多種多様であれど、それを纏う人間に差異があってはならなかった。少数民族も多数派も、新教徒も旧教徒も、老若男女すべてが一体でなければならない。

 

 そうでなければ、違いを意識した途端にすべてが壊れてしまう。戦争に負けてしまう。危ういバランスを維持できない。ゆえに不都合な真実に蓋をして、彼らは今日も落日の帝都で幻術に興じる。

 

 

 ――皇帝陛下の下にて我らみな兄弟、その壮大な幻想に。

 

 

 **

 

 

 ヴィエンナの小さなカフェ『カニーンヒェン・ハイム』にて 。

 

  

「ふむ……悪くない。ここまで芳醇な香りにはそうそう出会えるものではないな。少尉、お手柄だ」

 

 ヴィーシャの見つけたカフェは、どうやらターニャのお眼鏡に適ったようだった。この辛辣な上司がここまで称賛するのも珍しい。

 

「はむ……それは、ごくん……良かったです!」

 

 名物のザッハトルテ――スポンジの中にアプリコット・ジャムを挟んだ濃厚なチョコレートケーキ――を口いっぱいに頬張りながら、ヴィーシャも上機嫌で頷く。

 

「でも、感謝ならヴァイス中尉に。この店を見つけてくれたのは彼ですから」

 

「ほう?」

 

 少しばかり興味を引かれた様子で、ターニャがカップから口を離す。見つめられたヴァイス中尉は少し照れた様子で、頬をぽりぽりと掻く。

 

「一応、地元なんです。昔、父の仕事の関係でこの街に住んでいた時期がありまして」

 

 少し懐かしむように、ヴァイス中尉が窓から帝都を見やる。町角の至る所に林立するオブジェや、平和で美しい街並みも昔のまま。ただ、ひとつだけヴァイスの少年時代と違うことがある。

 

「私が住んでいたのは、統一暦1916年まででした」

 

 ぴくり、とターニャの眉が動いた。帝国に住む人間なら、その年に何があったか知らぬ者はいない。

 

 

「……1916年、というと先帝が崩御された年か」

 

 

 そうです、と答えるヴァイス中尉の表情は複雑だ。

 

「先帝が崩御され、現皇帝が即位なされた」

 

 

 そして――。

 

 

「それと同時に、我が『帝国』の歴史が始まったのです」

 

 

 『帝国』とは何か? それは大陸の中心に位置する新興国家、覇権を狙う軍事大国であり、同時に多種多様な民族を皇帝一人のもとに繋ぎとめる、遅れた封建国家……民族主義の全盛期、数多の民族をひとつの権威が抑圧する『民族の牢獄』だ。

 

 

 **

 

 

 

 ――自分たちの伝統を守りたかった。

 

 

 

 始まりは、本当にそれだけの。たったそれだけの小さな願い。

 

 

 他の誰にも侵されず、支配されず。ただ、親から子へと伝えたかった。

 

 自分が子供の頃そうであったように、それを伝えた親もまた昔そうであったように。

 

 

 自由や平等といった、高尚な理想ではない。

 

 優生学や革命といった、過激な思想でもない。

 

 

 

 それは本当に、小さな歴史。

 

 

 

 たとえば母から受け継いだレシピを守るとか。

 

 訛りのキツい近所のおじさん達の言葉だとか。

 

 

 そんな細々とした、それでも掛け替えのない習慣だ。

 

 

 

 

 科学と技術と進歩の時代、理性が古き風習を滅ぼしていく世界にあって。

 

 

 彼らはそれでも伝統を守ろうとした。

 

 

 だが、しかし――その純真な願い、無垢なる祈りは牢獄の番人を肥え太らせる。

 

 

 

 

 やがて諸国民の牢獄は大陸の中心を覆い尽くし、いまや大陸全土を覆わんと欲す。

 

 

 

 

 その中心におわすは『帝国』皇帝、彼こそが『諸国民の牢獄』その番人であった。

  

 

   




 カフェ「カニーンヒェン・ハイム」

 響きを重視して名付けたので、ドイツ語文法的には間違いかもです。
 由来を気にしてはいけない。きっとしゃべるアンゴラ兎がいる。


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第惨話・・・死してなお

                       

 『帝国』は皇帝の国家である。皇帝ただ一人の威光の下に、万民が集い繋がれる。それゆえ戦争中であろうと、皇帝の式典とあれば豪華で厳めしいものでなくてはならない。

 

 

 大聖堂にて、開始を告げる鐘が鳴る。それが始まりの合図だった。

 

「あっ、航空ショーが始まりましたよ! 」

 

 ヴィーシャが窓の外を指差す。そこから空を見上げれば、いくつもの飛行機が紙吹雪を降らしながら一糸乱れぬ編隊飛行を組んでいる。

 

 飛行機が去ると、お次は魔導師の出番だ。縦横無尽に天を駆け巡り、すれすれの場所で互いにすれ違い合ったりとスリリングな曲芸が大空をバックに繰り広げられていく。

 

 

「お客様」

 

 やがて航空ショーが終わるタイミングを見計らって、中年の愛想の良さそうな給仕の女性が声をかけてきた。

 

「ご注文の品をお持ちいたしました。こちらが当店自慢のヴィエナー・クーゲルクップフになります」

 

 そう言うと、流れるような動作でターニャたちの机に小奇麗に盛り付けられたケーキを置く。 

 

 

「わぁ………!」

 

 

 クグロフのような形の、小麦色をしたケーキにヴィーシャが目を輝かせる。

 

 

 ヴィエンナー・クーゲルクップフとは「ヴィエンナの丸く小高い丘」という意味で、結婚式や祭事のときに出される特別なケーキだ。

 今回の式典を記念して、パン職人でもある店主が腕によりをかけて作ったのだという。

 

 

「うぅ~ん、このレモンとバニラの香り……レーズンもたっぷり入ってて、濃厚なのに食感が軽い……!」

 

 美味しそうにケーキを頬張るヴィーシャに、給仕も誇らしげに胸を張る。

 

「ウチのケーキは、その食感が自慢なんです。砂糖とバター、そして卵の混ぜ方と温度がコツですね」

 

「流石です! まさに職人の技、ですね!」

 

 

 機械化と合理化の全盛期において、いまだヴィエンナでは古き良き伝統を頑なに守り続けている店が多い。

 

 自分たちの歴史を、変わることなく後世に伝え続ける……その保守の気風こそが「二重帝国」時代から続く、ヴィエンナ人の誇りなのだ。

 

 

 それゆえか、敬虔な旧教徒の信者もまたヴィエンナでは多く見られる。科学の全盛期でさえ、日曜の礼拝を彼らは欠かすことがない。

 食事の前にはほとんどの人間が十字を切るし、司祭は尊敬される職業のひとつであった。

 

 

「ほらほら、聞いてください! ヴィエンナの少年聖歌隊ですよ!」

 

 

 航空ショーが終わると、続いて控えていた聖歌隊によって讃美歌が歌われる。

 

 帝都中に響く華麗な調べにヴィーシャはうっとりと聞き惚れ、ヴァイス中尉もまんざらでも無さそうにコーヒーに口づける。

 

 

(ちっ……)

 

 もちろん、というか案の定、ターニャは不機嫌だ。

 

(どいつもこいつも神……いや存在Xがそんなに有難いか。祈ったところで助けてくれるものか)

 

 そもそも、とターニャは思う。

 

 

「神が助けてくれるのなら、最初から我がライヒはこうも苦労はしていないだろうに」

 

 

 無神論者としては当然の見解だ。皮肉にも、神などいないということが今まさに彼女がいる場所――ヴィエンナを帝都に頂く軍事大国『帝国』で証明されようとしているのだから。

 

 

 歴史を紐解けば『帝国』の起源は、ほぼ現在の帝国領と同じ領域を支配していた『神聖ロマヌム帝国』にまで求められる。

 イルドア王国の祖先、かつて大陸に覇をとなえた古のロマヌム帝国の系譜を引き継ぐとされる、1000年続いた『帝国』のご先祖様だ。

 

 

「……ここにあるのは、その“亡霊”とでも呼ぶべきか」

 

 

 元より、そんなモノがあったかどうかも怪しいシロモノ。名前こそ存在するが、それ以上の実体があるのかと問えば哲学の領域に入ってしまうほど。

 

 

 

 “神聖でもなければロマヌムもなく、そもそも帝国ですらない!”

 

 

 

 同時代の偉人にそう評され、『帝国の死亡証明書』と揶揄されたオスナブリュック=ミュンスター講和条約にて解体された過去の遺物である。

 宗教を原因とする戦争によって、神聖ロマヌム帝国は200年以上も昔に一度滅びたはずであった。

 

 結果、この地方の集権化は遅れに遅れていく。

 

 なにせ300以上もある、帝国内の全ての領邦に主権が認められたのだ。大国はもちろん、都市国家規模の自由都市や公国に司教領など数えればキリがない。

 

 

 それでもしぶとく形だけは存在していたが、それもフランソワ第一帝政によって解体されてしまう。

 とうのフランソワ第一帝政も後にルーシー遠征の失敗によって崩壊するが、続く反動保守のヴィエンナ体制が「諸国民の春」によって瓦解するまで、旧帝国領は大きく3つに分けられていた。

 

 

 

 すなわち北方の『王国』、西方の『同盟』、そして南方の『二重帝国』

 

 

 

 運命の歯車が僅かにでも変わっていれば、彼らは別々の国として違う道を歩んだのかもしれない。

 

 だが歴史は未来への前進を許さなかった。数多の人々の想いに翻弄され、帝国は全力で過去へ向かって猛進する。

 

 

 ゆえに神聖ロマヌム帝国は死してなお成仏を許されぬ。

 

 

 墓は暴かれ、骸骨は棺桶から引きずり出されてしまった。

 

 

 

 かの屍は今なお『帝国』として現世を彷徨っている――。

 

 




 改めて考えると『帝国』の地図ってほぼ神聖ローマ帝国だよなぁ……

 微妙にセルビアとかガリツィアとかトランシルバニアとか入っているけど。


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第死話・・・神のご加護がありますように

                 

 進歩の時代、急速な科学の発展と産業革命は光と闇の両方を生み出した。伝統的な職人技に頼っていた生産現場と市場は大きなパラダイムを迎えつつあり、至る所に工業化と自由貿易の波が押し寄せている。

 

 変化は勝者と敗者を生み出し、社会を二分する。

 富める少数の資本家と、貧しき多数の労働者。

 勝者はいっそう進歩的に、敗者はいっそう保守的に。

 

 

 かくして勝者の側は自由化によって工業化に成功しつつあった旧「王国」であり、敗者の側は関税と規制に守られた時代遅れの旧「二重帝国」であった。

 

 

 そしていつの時代も、少数の資本家や進歩的な知識人が改革を先導し、大多数の民衆は古い迷信と因習に囚われたままで保守的だ。

 

 科学と技術が発展すれば発展するほど、変化を嫌う民衆は保守的になっていった。長年現場で培ってきた経験が役に立たなくなり、雇用が機械に代替されるとなっては保守の他に頼るべきものが無かった。

 

 

 それは恐怖であった。知らないあいだに世界が変わっていき、しかも変化の流れから自分たちが取り残されることへの怯えでもあった。

 

 

「では、軍人さんにも神のご加護がありますように」

 

 

 科学と工業の町、ベルンでは聞かれなくなって久しい挨拶が、ここヴィエンナでは日常的に聞かれるのもそういった理由からだろう。笑顔で手を振って去る給仕の後ろ姿を、やや引きつった表情で見つめるターニャ。

 

 

(まったく、人間というのは度し難い。己の弱さゆえに、理性よりも迷信を信じるようになる)

 

 

 古の宗教が再び力を持ち始めたのも、こうした時代背景があったからだろう。古い権威と権力が加速度的に削られていく時代にあって、反動のように熱心な信者の数も反比例的に増えていく。

 

 

 今でもそうだが、帝国の宗教は二分されている。すなわち「旧教徒」の多い「二重帝国」および「同盟」南部と、「新教徒」の多い「王国」および「同盟」北部であった。 

 

 

 

 もっとも三者のうち『同盟』というのはフランソワ第一帝政が作った傀儡政権を基にしており、中身は雑多な領邦の寄せ集めである。

 すなわち4つの王国、5つの大公国、13の公国、17の侯国、3つの自由都市の連合体であった。

 

 しかし現「帝国公用語」を話すという、ただ一点において彼らは繋がっていた。

 

 

 やがてアルビオンとフランソワに端を発した「民族自決」の時流が広まると、「帝国公用語の届くところ、そこが帝国の境界である」として統一の動きが加速する。

 

 もちろん、現実的な問題もある。工業化に成功しつつあった「王国」を中心に、各国の経済界は「統一された帝国」という市場を欲していた。

 

 

(ここまでは、転生前の世界と同じなのだがな……)

 

 

 帝国統一………それは、『帝国』人なら誰でも知っている歴史の話である。転生者ターニャ・デグレチャフが知っている世界の歴史と似ているようで、微妙に違っている物語。

 

 

 ターニャは大学でそれを学んだとき、大いに驚愕したものだ。まさかの歴史IFが、そこにはあった。

 

 

 

 **

 

 

 

 帝国の統一を巡る方向には、二つの選択肢があった。「二重帝国」を含めた「“大”帝国主義」、そして二重帝国を含めない「“小”帝国主義」である。

 

 

 焦点となったのは、「二重帝国」に住む少数民族の存在であった。

 

 多民族国家の「二重帝国」ではこれら少数民族を合計すると実に人口の75%にも上り、彼らを組み込めば流行りの「一民族、一国家」を基本とする「国民国家」を建設することは不可能となる。

 

 

 中には「二重帝国」から少数民族地域を独立させ、無理やりに同一民族の統一国家を作るという案もあったが、領邦の不可分を宣言していた二重帝国がそれを認めるはずもない。

 

 そもそも二重帝国における帝国統一の動機は、国内の少数民族の封じ込めという政治的な理由にある。

 ほぼ単一民族から構成されている王国と同盟を組み込むことで、国内の少数民族比率を下げることにあった。

 

 

 様々な思惑が重なり合った結果、統一運動を目指した「国民議会」は二つに割れ、「二重帝国」の推す「“大”帝国主義」と王国の推す「“小”帝国主義」が正面からぶつかり合う。

            

 

 統一を巡る「王国」と「二重帝国」の主導権争いに、先手を打ったのは「二重帝国」の方であった。

 

 旧教教会に独自の裁判権や学校教育権を認める代わりに、皇帝家による支配体制の維持への協力を約束させた「政教条約」を結んだのだ。

 教会は二重帝国を支える大きな支持基盤となり、貴族の特権廃止などの改革が漸進的に進んでいく。

 

 科学の黎明期、宗教勢力は衰退しつつあるとはいえ、未だに無視できない力をもっている。

 教皇のお墨付きを得た「二重帝国」側は南部を中心に「同盟」の取り込みを着実に進めていた。

 

 

 だが王国もまた、「鉄血宰相」の指導のもとで遅れを取り戻そうと動き出していた。

 

 

 具体的には帝国統一案において、少数民族を除いた「男子普通選挙」を約束するという手だ。これは多くの民衆の望みであり、多くの自由主義派の支持を得た。

 

 しかし「二重帝国」と「同盟」に所属する全ての国家はこれを拒否――理由は単純で、男子普通選挙が実施された場合、最大の議席を獲得するのは単一民族人口では最大を誇る「王国」が圧倒的に有利となるからだ。

 

 

 一方の「二重帝国」。最大の人口を持つとはいえ、選挙権をもつ覇権民族の割合はせいぜい25%ほど。近代的な男子普通選挙など堪ったものではない。

 

 とるべき道はただ一つ。昔ながらの特権階級による貴族政治である。その点で「二重帝国」と「同盟」の利害は一致していた。

 




 「ドイツ統一」って高校レベルの世界史だと「普墺戦争で工業化の進んだプロイセンにオーストリアが負けたからオーストリアがハブられた統一ドイツが成立した」ぐらいの説明ですけど、実はプロテスタントとカトリックの争いや、自由貿易か保護貿易かの争い、地方分権か中央集権か、あと当時の外交関係など色々な要因が相互に重なった結果なんですよね。

 それが面白くもあるんですが、ヘッセン=カッセルやらバイエルン王国やらザクセンなど中小国の事情まで調べ始めると頭が痛くなってくる・・・。


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第偽話・・・帝国統一

 

 

 「王国」の統一案は中央集権に重きをおいている。

 

 地方ごとバラバラな法律、規格の統一、貿易の自由化などであり、ありていに言えば「地域固有の権利など認めぬ。地方は中央に従うべし」という上から目線……もちろん効率性を第一とするなら、実に合理的である。

 

 ――しかし昨日まで持っていた権利をいきなり廃止すると言われて納得できる者がどこにいようか。

 

 かくして「王国」案は中小国の連合体である「同盟」諸国から強い反発を受けることになる。

 

 

 対して自らも「二重帝国」からは、地方分権を強調した「連邦制」に近い統一案が提唱される。

 

 自らも多民族国家であるがゆえ、少数民族や中小国の自治権に配慮したものであり、独自の文化や地位・歴史を持つ「同盟」諸邦にも受け入れやすいものであった。

  

 

 結果、「王国」は外交的に孤立した。

 

 

 こうして早くも「鉄血宰相」の責任を問う声が上がり始める。また、普通選挙を認めたことで自由主義派が勢いづき、「鉄血宰相」の基盤である保守派を脅かしていた。

 

 もともと「鉄血宰相」の支持基盤は国王の信任のみであり、議会からの支持は弱い。

 

 加えて言論統制や議会の停止などの強硬手段をしばしば採っていたため、民衆と議会からの評判はすこぶる悪く、また進歩的な王太子や王妃からも嫌われていた。

 

 唯一の戦果と呼べるのは、二重帝国が主催するドームヒューゲル国民会議への出席を、国王を説得して欠席にできたことぐらいである。

 しかしその勝利ですら、コケにされたと感じた残りの出席者――「二重帝国」と「同盟」諸国の反発と引き換えであった。

 

 

 

 そしてついに運命の時、1963年10月の総選挙で与党・保守党の38議席に対して、野党の進歩党・中央左派が合計が247議席を確保し、与党の惨敗に終わった。

 

 

 

 「鉄血宰相」が生き残るには不満を外にそらすしかなく、「二重帝国」や「協商連合」との係争地であるノルデン地方がその標的となった。

 

 

 しかし度重なる「鉄血宰相」の横暴をいつまでも見逃しておくほど、二重帝国も寛容ではない。

 

 

 当時「王国」の参謀本部は日陰の存在であり、後装銃も実戦で使われたことがないため戦力は未知数、鉄道と電信も不十分、そして「戦場の女王」と呼ばれていた大砲の性能では二重帝国の方に分があった。

 

 加えて「二重帝国」はイルドア統一戦争でイルドア・フランソワ軍相手に実戦経験を積んでおり、もし戦争になれば国力・兵力ともに上回る「二重帝国」の勝利は間違いないとされていた。

 

 

 なればこそ、「二重帝国」の側で開戦を躊躇う理由は無い。ましてや容赦する必要性など何処にもない。

 

 

 ゆえに国内の少数民族問題に悩まされていた「二重帝国」にとってみれば、「王国」との不和はむしろ望むところであった。

 

 こちらへの攻撃を強める「王国」に対して強硬策に出ることで、国内の愛国心を刺激して皇室や政府への不満を国外に逸らすことができるからだ。

 

 

 また、当時の「王国」軍は一枚岩ではなく、統一された指揮系統は存在しない。

 

 

 反「二重帝国」を掲げる「鉄血宰相」および陸軍大臣の一派と、反革命および統帥権重視の立場からこれに反対する派閥が存在していた。

 

 後者には人事権を持つ軍事内局局長、実戦部隊の最高司令官である陸軍元帥らが属しており、親「二重帝国」的な政策を主張していた。

 

 

 

 かくして「二重帝国」は「王国」との対決を決定する――。

 

 

 

 「王国」不在で行われたドームヒューゲル国民会議は始終「二重帝国」主導で話が進む。

 これまで「王国」が経済力をバックに中小の「同盟」諸国へ高圧的な態度で接してきたこともあり、旧教が多い南部はもとより同じ新教であるはずの北部までもが「二重帝国」支持へ回った。

 

 加えて「王国」の進める「“小”帝国主義」が「王国」を中心とした中央集権体制であることも徐々に判明し、特権や自治権を手放したくない「同盟」諸国の代表はこぞって「二重帝国」の「“大”帝国主義」へと鞍替えしていった。

 

 

 こうして「二重帝国」はドームヒューゲル国民会議を掌握し、「王国」への制裁を満場一致で可決させる。

 制裁内容には「鉄血宰相の辞任」も含まれており、拒否した場合は王国と二重帝国および同盟諸国の間での戦争も厭わないという内容であった。

 

 

 

 このとき、もし「二重帝国」が対決を先延ばしにすれば、ターニャの知る歴史のように「王国」が勝っていたかもしれない。

 

 軍事改革が進み、「鉄血宰相」は権力闘争に勝利し、ノルデン方面の戦争で共闘した「二重帝国」軍がハリボテであることに気づけたのかもしれない。

 

 

 

 ここまでならば、ターニャが元いた世界とほぼ同条件。そしてターニャのいた世界におけるプロイセン王国軍は最新技術を駆使し、下馬評を覆してオーストリア=ハンガリー二重帝国に勝利している。

 

 

 だが、この世界はターニャの元いた世界と似て非なる異世界。ターニャが転生前には得ることのできなかった異能の力がある。

 

 

 

 その力とは即ち、“魔法”――。

 

 

 

 「ラインの悪魔」ターニャ・デグレチャフを生んだ最大の要因である魔法は、「二重帝国」を名実ともに中欧の支配者たらしめた。

 

 神聖ロマヌム帝国を起源とする、帝国千年の歴史は新しき力である科学を停滞させもしたが、同時に古き力である魔術を比肩するもののないレベルにまで押し上げる。

 欧州の心臓部たる中欧にて脈々と受け継がれてきた魔術師たちの努力と研鑽は、「黄金のプラーガ」と呼ばれる欧州最大の魔術都市を生み出した。

 

 「二重帝国」の魔術師たちは長い歴史と伝統を余すところなく吸収し、その力量は新興のベルンやロンディウムの魔術師たちの比ではない。

 

 

 たったひとつ、ただの一つだけ歴史が「二重帝国」に味方したとすれば、それは「魔術」において他はない。二重帝国をに君臨する皇帝家の3大家領のひとつ「ベーメン王冠領」は質・量ともに世界一の魔術王国であった。

 

 

 科学技術では後れをとっていた「二重帝国」ではあるが、魔道師同士の戦闘に限れば「王国」の勝率はゼロである。おりしも魔道師の地位もまた、かつて魔術礼装と呼ばれていた魔術師の兵装=演算宝珠の改良によって上昇していた時代である。「二重帝国」の誇る魔道師部隊は、新興の科学国家である「王国」軍にとって大きな脅威となっていた。

 

 

 

 こうして国内・国外を問わず世論では「戦争になったら王国が負ける」という空気が大陸を支配した。それは限られた情報の中から導き出された、限定合理性にもとづいた理性的な判断だ。

 

 なれば当然、主戦派は勢いを失ってゆく。非戦派の「敗戦するよりは外交的譲歩で被害を最小限に」という主張が主流に乗り替わる。

 

 

 

 更に「鉄血宰相」に追い打ちをかけるように、ノルデン地方への介入に対して諸外国が非難声明を出し始める。

 

 

 通商ルートおよび制海権確保を国是とするアルビオン連合王国は、戦略上の要衝であるノルデンへの介入に対して反発。

 

 フランソワ共和国は歴史的な理由で「王国」と常に対立していた他、国内の政治的な事情から保守派に妥協するべく旧教徒に受けがいい政策……すなわち同じ旧教の大国である「二重帝国」との協調外交を模索していた。

 

 協商連合は以前からノルデンの領有権を主張しており、もちろん妥協する気などない。売られたケンカは買わねばならぬ。

 

 残るは「二重帝国」から独立したばかりのイルドア王国とルーシー連邦であったが、前者は独立直後であるため国内の立て直しに忙しく、後者も国内で発生した反乱鎮圧に追われていた。

 

 

 こうして「王国」は外交的に完全に孤立し、「鉄血宰相」ら保守派は国内でも支持を失っていく。ここぞとばかりに軍部と議会、そして王妃、王太子ら自由派が責任を追及するに至り、ついに「鉄血宰相」は辞任することとなる。

 

 

 「鉄血宰相」の辞任――。

 

 

 それは同時に、二重帝国が主導する「“大”帝国主義」の勝利をも意味していた。

   




 >与党・保守党の38議席に対して、野党の進歩党・中央左派が合計が247議席を確保

 これに加えて皇后と皇太子、陸軍元帥と軍事内局局長(国防次官みたいな人)の全員を敵に回して国王にも呆れられてたのにクビにされなかったビスマルクって何者なんや・・・。

 ちなみにここには書かなかったですが、ロシアとの密約を酔っぱらってパーティの席で野党の党首だかなんだかに全部バラしたりするとか、他にも色々やらかしてた模様


 ちなみにこの世界では鉄血宰相(笑)としてフツーにクビにされました。むしろターニャのいた世界の歴史の方がおかしい。それこそ存在Xがビスマルクに肩入れして小ドイツ主義を勝たせようとしたんじゃと疑うレベルでビスマルクの強運がチートレベル


 あと魔道師の存在は、史実の普墺戦争にはなかったジョーカーだと思います。魔法なら新興のプロイセンより、オーストリア=ハンガリーの方が強そう

 プラハから錬金術師の作ったゴーレムとかが出動したり、ハプスブルク家ゆかりの魔術礼装が大暴れとか、神聖ローマ帝国時代から皇帝家に伝えられてきた聖遺物とかが大活躍しそう。


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第髏苦話・・・会議は踊る

 

 

 ――会議は踊る。されど進まず!

 

 

 かの有名な「ヴィエンナ会議」の伝統は、今なお帝国に息づいている。戦争の最中にもかかわらず、この式典のためだけに『帝国』を構成する4つの自由都市と35の領邦の代表が一堂に会するのだ。

 

 

 では、果たしてそれに何の意味があるのであろうか?

 

 

 士気高揚? あるいは息抜きであろうか? 否、ひとえに伝統である。

 

 遥か昔から当然のように行っているのだから、それで良いではないか。これまで続けてきて何の問題もなかったのだから、どうして今さら辞めなければならないのか。

 

 いや、むしろ続けるべきである。続けることにこそ、意味がある。

 

 我らが「帝国」を祝福する式典を意味がなくても続ける。かくして「帝国」はその存在に意味がなくとも続いてゆく。我ら臣民はそこに安住の地を見出すのだ――。

 

 

 **

 

 

「あ、来ましたよ! 皇帝陛下と皇后陛下の馬車です!」

 

 

 遠くに見える絢爛豪華な馬車を指して、ヴィーシャがもっとよく見ようと窓から身を乗り出す。ヴァイス中尉もその姿を一目見ようと目を細める。

 

「帝国統一の象徴にして、融和の英雄たちか……」

 

「はい! 戦争を止めるために、仲の悪かった両国の王子と王女が手を取り合う……ロマンチックな響きです!」

 

 『帝国』臣民なら誰もが知る美談。勿論それが脚色された寓話であることは、さすがにヴィーシャやヴァイスの歳なら気付くことだ。

 

 それでも――。

 

 

「ただの政略結婚、と済ますには惜しい話ですからね」

 

 

 **

 

 

 「鉄血宰相」の失脚により、一触即発となった王国と二重帝国。

 

 戦えば二重帝国の勝利間違いなし、外交的にも孤立という崖っぷちに追い込まれた王国は、中世から使い古された起死回生の一手を持ち出す。

 

 

 

 政略結婚――すなわち「王国」の王女を「二重帝国」の皇子に嫁がせ、共通の君主として戴くのである。

 

 つまり実態はともかく、建前上は「王国」は「二重帝国」の一部となる。「三重帝国」と呼んでもよいかもしれない。

 いずれにせよ、「二重帝国」主導の“大”帝国主義による統一を認め、替わりに敗戦という決定的な破滅を防ぐための取引であった。

 

 

 対して「二重帝国」の方もまた古き良き伝統に従い、この提案を受け入れた。

 

 

 幸いなる皇帝家よ、汝は結婚せよ――。

 

 

 これは単なる外交上の勝利という以上の意味を持つ。大陸に伝わる古き力が、誕生したばかりの新しい力に勝利した瞬間でもあった。

 

 

 時よ、止まれ! 破滅の瀬戸際にあって「王国」は中世まがいの伝統に回帰し、進歩と発展の流れを封じ込める。

 

 伝統は伝統であるがゆえに、古きは古きがゆえに強い。迷信、因習、風習、しきたり、慣例、習慣……そうした力に世界を変えてしまうような力強さこそないが、長く脈々と続いた歴史が持つ力は細く長い。

 

 

 歴史の糸は切れぬ。断てぬ。引き裂けぬ。

 

 

 かくして『帝国』は古き力の結集によって誕生した。滅んだはずの「神聖ロマヌム帝国」が、歴史に逆行するように復活したのである。

 

 

 それは国の範図だけではない。政治体制までそっくりそのまま、公国に自由都市といった大小様々の領邦はその地位を保障された。

 

 独自の軍に法律と高度な自治権を有する「国家の中の国家」を認めるという、寛大な処置と引き換えに皇帝に忠誠を誓う。これで中世の国家でなくて何であるというのか。

 

 

 連邦、あるいは連合国家ですらない国家連合。無数の頭を持つウロボロス……まさしく「神聖ロマヌム帝国」の現代版アップデートに他ならない。

 

 

 ともあれ『帝国』は建国された。大陸の中央に位置する新たな覇権国として、実態はともかく皆が祝い合う。その影響は良くも悪くも甚大であった。

 

 

 旧王国の首都ベルンでは電話回線がパンクし、ビジネスマン達は建国による経済変動の対策に追われる羽目になった。街角では号外が出され、劇場や映画館では観客全員に起立を呼びかけたうえで『神よ、皇帝を守りたまえ』が演奏された。

 

 対して帝都ヴィエンナの市街地では商業施設の機能が停止し、群集が号外を奪い合い、シェーンブルン宮殿に出入りする皇族を一目見ようと宮殿付近に殺到するといったような事態にまでなり、ヴィエンナの街は大混乱に陥った。

 

 

 それほどまでに『帝国』建国の影響は大きかった。

 

 『帝国』こそは諸民族融和の象徴であり、かつて南の「二重帝国」と北の「王国」、そして大小あわせて37あった自由都市、選帝侯国、大公国、公国、辺境伯国、侯国が「ひとつの国家」として生まれ変わった瞬間だからだ。

 

 

 だが、『帝国』は建国のその瞬間から呪われていた。その誕生は誰からも祝福されない。列強は『帝国』の存在を脅威と見なし、滅ぼそうと躍起になっている。

 

 

 

 生まれながらにして、若い覇権国は血塗られた修羅の道を歩むことを宿命づけられていたのだ――。

   




順番間違えた(汗)

大ドイツ主義が勝利していたら、『オーストリア=ハンガリー=プロセイン三重帝国』になっていたんでしょうか?


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第弑魑話・・・新しい客

                               

 宗教的な儀式を祖とする「祭り」というのは、日常の中の非日常である。ゆえにこの日、『帝国』の人々は誰もかれもが特別な日を過ごしていた。それはターニャたちとて例外ではない。

 

 

 ちゃりん、と新しい客の入室を告げるベルが鳴る。恰幅の良い壮年男性だ。どうやらお忍びらしく、帽子を深く被っている。

 

 

「っ……!」

 

 

 その人物が帽子を脱いだ瞬間、ターニャ・デグレチャフは弾かれたように立ち上がった。ヴィーシャやヴァイスも反射的に背筋を伸ばし、敬礼の構えをとる。

 

 

「るっ、ルーデルドルフ閣下……!」

 

 

 そこにいたのは、クルト・フォン・ルーデルドルフ准将――機動戦と兵站の権威にして、参謀本部・作戦参謀次長その人である。ターニャたちが驚くのも無理はない。何故こんなところに、と目を疑うような重要人物であった。

 

 しかし敬礼を向けられた当人はというと、煩わしそうに手を振って休めの指示を出す。

 

 

「堅苦しい挨拶は無用だ。今日は見ての通り、私用で来ている」

 

 

 そう言われてしまえば、敬礼などする方が迷惑というものだ。はっ、と言われたとおりにするターニャ達だったが、やはり落ち着かない。何故このような大物がここにいるのか、見当もつかない。

 

「そうキツネにつままれたような顔をするな。休暇をとっただけだ。式典の方はハンスに押し付けてきた」

 

 ハンス、というのは同期のハンス・フォン・ゼートゥーア准将のことだろう。ターニャ達の直属の上司で、こちらも作戦参謀次長である。

 

「休暇、でありますか」

 

「しっかり睡眠をとって疲れを癒し、余暇を楽しんで心をリフレッシュする。それもまた帝国軍人の務めだ。働き過ぎていざというとき、余裕が無くなってノイローゼになっては困るのだよ」

 

 ターニャが転生する前に住んでいた島国と違い、労働環境という面において「帝国」は先進的であるようだ。「勤労は美徳」と考える転生前にいた島国特有の因習と、「労働は人に神の与えし罰」という新・旧教の教義の違いも関係あるのかもしれない。

 

 

「しかし奇遇だな。こんな所で会うとは」

 

 暇潰しのつもりだろうか。ヴィエンナー・コーヒーを頼むついでに、ルーデルドルフ准将が聞いてくる。ターニャはヴァイス中尉の昔馴染みの店だと説明すると、納得したように「ああ」と頷いた。

 

「土地鑑があるのなら、知っていても不思議はないな」

 

 差し出されたコーヒーの香りを堪能しつつ、ルーデルドルフは残念そうに首を振る。

 

「まったく、ここのケーキは絶品だというのに一般の帝国人はあまり来たがらない。来るのは君のように近所に住んでいた人間か、私のような余程のグルメだけだ」

 

 ルーデルドルフの言葉に、ヴァイス中尉も「残念なことです」と相槌を打つ。

 

「もっとも、そのお陰で我々のような変わり者は多大な利益を得ているのだがな。行列に煩わされず、静かな店内で落ち着いてコーヒーが飲める」

 

「得難いことです。皇帝陛下と皇后殿下に感謝と祝福を、ですね」

 

 共通点のある者同士で気が合ったのか、まるで旧友のように笑い合うルーデルドルフとヴァイス。対して、会話についていけないターニャはぽかんと気の抜けた表情をする。 

 

(あ、今日の少佐はちょっと可愛いかも)

 

 ヴィーシャはというと、滅多に見られないターニャの表情をしっかりと目に焼き付けていた。

 

 

 **

 

 

 ルーデルドルフとヴァイスの会話を、ターニャは訝しげに聞いていた。

 

(確かに、この店のケーキは旨い。雰囲気も悪くない……それだけに気にはなっていた)

 

 

 なぜ、こんな名店が放置されているのか。

 

 

 周囲を見渡しても、テーブルは半分ぐらいしか埋まっていない。経営的にはそれでも大丈夫なのだろうが、もう少し人が居てもいいのではないだろうか。

 少なくとも、首都ベルンにこのレベルの店があれば休日には満席となるだろう。

 

 

「そういえば少佐はベルンの生まれだったな」

 

 

 ややあって、ルーデルドルフ准将がこちらに話をふってくる。

 

「はっ。ベルン生まれの、ベルン育ちであります」

 

 貧しい修道院に転生した後、すぐに魔導師適性が認められて軍に入ったターニャだ。他の都市など仕事で少し寄るぐらいしか経験がない。

 

「ヴィエンナを見ていて、気づいたことはないか? 道行く人々に違和感は?」

 

 そう言われても、転生者のターニャにとってみればベルンもヴィエンナも異国という意味では一緒である。

 転生前の平たい顔と違って、彫が深く瞳や髪の色に多様性があるが、それ以上の区別はほとんどつかない。

 

 

 が、大学で歴史や社会を勉強した知識から、おおよその答えを推測することはできる。

 

 

「首都に比べて、民族的な多様性に溢れています。宗教も出身も違う人々が、平和裏に共存している点が異なるかと」

 

 

 ルーデルドルフの表情を見るに、正解だったようだ。満足そうに頷き、称賛とも皮肉ともつかない口調で帝都を評する。

 

 

「そうだ。ここヴィエンナは人種のるつぼだ。多様性に溢れた国際都市でもある。もっとも、――合州国ほどではないがな」

 

 そう、文明と科学の申し子たる合州国と違い、ヴィエンナと帝国に住む人々は「自由」「平等」「民主主義」といったイデオロギーで結びついているのではない。

 

 彼らは皆、古より伝わりし伝統に則った「皇帝」という古い権威に繋ぎとめられているのだ。

 ここヴィエンナでは、民族主義と国民国家の全盛期、その時流に逆行するかのごとく中世的な文化が息づいている。多民族、多宗教、多人種のカオスな連合体が帝都を形作っているものの正体であった。

 

 

 ああ、成程。そこでターニャは理解する。

 

 

 なぜこのような名店が、隠れた名店どまりであるのかを。

 

 

「ここの店主は、少数民族の出なのですね」

  

 

 ご名答、とルーデルドルフは頷いた。

            




 あまり有名じゃないですけど、第一次世界大戦の前の「世紀末ウィーン」と呼ばれたオーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーンでは20世紀をリードする様々な文化が花開いたそうな。

 心理学ならフロイト、生物学ならメンデル、哲学なウィトゲンシュタイン、経営学ならシュンペーター、数学ならノイマンと有名人が勢ぞろい。


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第夜話・・・当然の摂理

      

 『帝国』共通語を母語としない、少数民族は『帝国』全土に10以上も存在する。彼らが表立って迫害されることは無いが、かといって差別や偏見が完全に消えるわけではない。

 

 

(どうりで客の黒目黒髪の比率が高い訳だ。人口比率の割に金髪碧眼の客がほとんどいない)

 

 

 ほとんどの少数民族はある程度の自治権を認めれた地域に住んでいるが、民族が入り乱れた地域も存在する。そのような場所で少数派は多数派に目をつけられないよう、ひっそり生きるのが密かな生活の知恵だった。

 

 

 

 もっとも、昔からずっと共存できていた訳ではない。ジェノサイド一歩手前までいったこともあるし、転生前のターニャがいた世界では、多民族国家の多くは民族対立の激化によって内戦を経験していた。

 

 

 だが、この世界の『帝国』はそうではない。

 

 

 『帝国』国内に住む全ての民族が、互いに手を携えて列強の脅威に立ち向かっている。民族や宗教は違えども、共に命を預け合う戦友として肩を並べている。

 

 

(まさか………!)

 

 そこに思い至ったとき、ターニャの脳内でひとつの不吉な予想がよぎる。

 

(この忌々しい戦争の原因は、“そこ”なのか………!?)

 

 ターニャ・デフレチャフは合理主義者である。ゆえに戦争などという、非生産的な行為は憎むべきものだと断じていた。せっかく作ったものを自分たちで壊し合うなど、非合理的にもほどがあると……。

 

 

 そう―――――思っていた。

 

 

 だが、現実はそうではない。違うのだ。

 

 

 その真実に、今しがたターニャは気付いてしまった。

 

 

 **

 

 

 ターニャ・デグレチャフは克己心に溢れる幼女であった。常に自分を磨き、成長せねば社会の荒波で生きていけないことを自覚している。それゆえ好奇心は人一倍強かった。

 

 

「ルーデルドルフ准将……恐れながらひとつ、質問してもよろしいでしょうか?」

 

 

「ふむ、何か気になることでもあったかね?」

 

 ルーデルドルフは火のついたタバコを口から離すと、フゥーと大きく息を吐いて先を促す。

 

 

「准将は『ヴィエンナ体制』について、どう思われますか?」

 

 

 フランソワ第一帝政の崩壊後、大陸でスタンダードとなった反動保守体制。ナショナリズムの高まりを受けた「諸国民の春」によって粉砕されるまで、半世紀にわたって大陸に平和をもたらした国際秩序。

 

 今では多くの国民国家が、かの体制を「悪」であると決めつけている。曰く、自由主義と民主主義を弾圧し続けて社会の停滞をもたらした、旧態依然とした復古主義の思想であると。

 

 

 だが、ターニャはそれに賛成しない。

 

 

 むしろ勢力均衡にもとづく国際協調によって、長期にわたる安定と秩序を大陸にもたらしたのだと考えている。国家は戦争という非生産的な行為から解放され、資本を新技術に投資することで産業と文明が進歩する礎を作り出した。

 

 しかしルーデルドルフの口から出た答えは、ターニャと意見を異にするものであった。

 

「短期的には成功かも知れん。だが、半世紀もの長きにわたって続いたのは大きな間違いだった」

 

「なぜ、そう思われるのですか?」

 

「戦争が無くなり、長い平和が訪れたからだ」

 

 ルーデルドルフの口から出た答えは、まさに戦争狂のそれ。同じく狂人扱いされているターニャですら戦争を非合理的だと断じているのに、ルーデルドルフはむしろ戦争こそが合理的で国家にとって必要なものであると主張する。

 

 

「政治には、戦争が必要なのだ」

 

 

 ルーデルドルフの発言は、かの有名な『戦争論』の内容を踏まえたもの。すなわち、“戦争とは政治の継続であり手段である”と。

 

「ヴィエンナ体制は勢力均衡と国際協調によって、戦争という手段を禁じた。手段が減れば選択肢が減り、やがて政治が歪なものになるのは分かり切ったことだ」

 

 ヴィエンナ体制が自壊するのは必然であり、時間の問題だったとルーデルドルフは断じる。

 

「幸か不幸か、当時はまだ新大陸や暗黒大陸に列強の力の及ばぬ地域があった。だから植民地獲得競争という、戦争の輸出ができた」

 

 しかし、それにも限界がある。統一暦1850年になると、世界地図はほぼ列強の勢力図で埋め尽くされてしまった。

 

「輸出できなくなった戦争が、大陸に返品されるのは当然の摂理だった……ということでしょうか」

 

「その通りだ。だから我々は戦争を再開した」

 

 悪びれもせず、ルーデルドルフは言い放つ。自分たち軍部が強硬手段をとるのは、「仕方ないからやった」ことではなく、「望んで自ら仕掛けた」ことなのだと。

 

「しかし戦争は財政とマンパワーにかける負担が大きくは無いでしょうか? 長引けばいずれ国家は破綻します」

 

 狂人と呼ばれるターニャにしては、ひどく常識的な意見。いや、ターニャ本人は自身のことを常識人だと思っているのだが。

 

 ともあれ、この意見に反論できる者がいるとすれば、それこそ本物の狂人であろう。ところが、ルーデルドルフはあっさりとそれを肯定する。

 

 

「いや、逆だ。戦争があるからこそ、国家は存続しうる。国家には戦争が必要だ」

 

 

 まるで「腹が減れば食事をするだろう」と言わんばかりに、あっさりと彼はそう言い放つ。

 

 

 ――それは理性と合理性を信条とするターニャにとってそれは、にわかには受け入れがたい思想。

 

 

 だが、先ほどターニャの頭に浮かんだ仮説が圧倒的な説得力をもってそれを肯定しつつあった。戦争という忌むべき非合理性の塊が、いかに合理的であるかをルーデルドルフが証明しつつある。

  




読者の皆様にちょっとしたご報告を。

しばらく、PCが使えなくなる環境になります。原稿は完成しているので予約投稿は続けますが、返信はできなくなるかもです。


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第柩話・・・民族の火薬庫

        

 ターニャにかわり、今度はルーデルドルフが質問する。 

 

「少佐、君が嫌いな人間はどういう輩か聞いても?」

 

「共産主義者を始めとする、愚かで無能で非合理的な連中です」

 

「では君が好ましいと思う人間は?」

 

「自由市場を信奉する、理性的で合理的な人間。それで有能なら文句なしです」

 

 

「それでは少佐、君自身はどちらに属すると感じているかね?」

 

 

 一瞬、ターニャは言葉に詰まる。が、ルーデルドルフの「謙遜はいい」という言葉を受けて口を開く。

 

「……私は共産主義者ではありませんし、少佐という地位につけるぐらいには評価されていると感じております」

 

「つまり、そういうことだ」

 

 ルーデルドルフは言う。

 

 人は自分と「同じ」人間を好み、「味方」だと感じる。逆に自分と「違う」人間を嫌い、「敵」だと感じる。そこに争いの根本的な原因があるのだ。

 

 

「政治は『敵』と『味方』がいないと成り立たない。我々は違いの大きい相手を共通の『敵』に仕立て上げることで、小さな差異に目を瞑り『味方』として共存できる」

 

 

 否定はできない。ターニャ・デグレチャフは無能も共産主義者も嫌いだが、前者はまだ妥協できる。目のつかぬ場所にいるなら、放置する程度には許容できる。

 しかし後者は撃ち殺すしかない。共産主義者という菌は存在するだけで害悪になるのだから、積極的に駆除せねばならない。

 

「我々の歴史は、いつも敵と味方が争う歴史だ。時代によって変わるのは、それが国内か国外かの違いに過ぎん」

 

 歴史を顧みれば、それが証明されている。共通の敵たるフランソワ第一帝政があればこそ、それまでいがみ合っていた「王国」「二重帝国」「アルビオン連合王国」「ルーシー」は同盟を組むことができた。

 

 ルーシー遠征の失敗でフランソワ第一帝政が崩壊しても、争いは植民地獲得競争という形で戦争は残った。

 

 植民地獲得競争が一段落すると、今度は保守派と進歩派が各国の国内で争い始めた。

 

 フランソワやルーシーでは革命が起こって進歩派が勝利し、アルビオンは引き分け、「王国」と「二重帝国」では保守派が勝利を収めた。

 

 

 とはいえ不満の火種は残っている。統一した『帝国』は旧「王国」および「同盟」に大幅な自治を認め、国内の少数民族にも自治権を与えたが、その危ういバランスはいつまた崩れ落ちるかわからない。

 

 

 ――ゆえに統一したばかりの『帝国』が最初にせねばならない仕事は、内の争いの火種を外に持ち出すことだった。

 

 

 共産主義国となったルーシー連邦の脅威を喧伝し、協商連合との領土問題には強気で臨み、植民地大国であるフランソワ共和国とアルビオン連合王国に対抗すべく軍拡競争をしかけた。

 

 

 そして各国もまた、対応するように『帝国』を仮想敵国として包囲網を作り始めた。大陸の中央に突如として出現した新興の超大国の脅威、それは愛国心を刺激して動揺する国内を治めるのに格好のネタであった。

 

 

「先ほど少佐は“戦争が長引けばいずれ国家は破綻する”と言ったが、むしろ短く終わっては困るのだよ。国内に争いが戻ってくる」

 

 

 そして政府が軍隊をコントロールできる国外の戦争と違って、民衆が銃を持ち警察と軍が分裂する内戦は誰もコントロールできない。

 それは望ましいものではない。予想外の不幸に比べれば、予想内の不幸の方がまだマシだ。

 

 

「だから内戦より、外国との戦争の方が合理的であるということでしょうか?」

 

「その通り」

 

 ルーデルドルフは頷き、再びタバコを吸い始める。

 

 

「我が『帝国』には2つの宗教、10を超える民族、39の領邦と数えきれないほどの自治区がある。この混沌とした火薬庫に火種を持ち込んでみろ。『帝国』という脆い倉庫など、一瞬で吹き飛ぶぞ」

 

 

 まさしく、ターニャが転生する前の世界がそうだった。

 

 

 ウィルソンの提唱した“民族自決”という気高い理想はしかし、憎悪の壁を乗り越えられなかった。その先にあったのは地獄――昨日までの隣人同士が殺し合う“民族浄化”の世界だ。

 

 血で血を洗う血みどろの内戦は多くの傷跡を残し、内戦と虐殺が起こった地域は今でも発展から取り残されている。

 

 

「しょせん、民族融和など理想論に過ぎん。異なる民族を繋ぎとめたければ、鎖で縛るしかない。戦争という容易に引き裂けぬ鎖に縛り付けておけば、囚人は牢獄の中で平和裏に寿命をまっとうできる」

 

 

 牢獄………それは外界から隔離された囚人たちの最期の安住の地だ。

 

 

 ひとたび外界に出た途端、資本も能力もない彼らは厳しい競争に晒される。ひと握りの頭の切れる者は自由を謳歌することもできようが、大多数の凡人は食い物にされて路頭に迷うだけだ。

 

 だが、鎖に繋がれて牢獄の中にいる限り、彼らは貧しくとも平等である。

 

 鎖の範囲内でしか動けぬゆえ、利益を得ることもなければ不利益も最低限。看守の言うがままに刑務作業をしていれば、最低限の衣食住は保障されるのだ。

  

 

 ゆえに彼らは今日も此処にいる。悪名高き『諸民族の牢獄』に――。

 




バルカン半島の歴史をみると、オーストリア=ハンガリー二重帝国はあのバラバラな地域をよく纏めてたと感心します。

民族が入り乱れた地域では、下手に民族自決しようとすると隣人殺さなきゃなので、昔ながらの権威主義のほうが上手くいくこともあったり。


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第悼話・・・真夏の夜の夢

                

「この国には、戦争が必要だ」

   

 ルーデルドルフの口から紡がれる、絶望に満ちた世界観。その虚無と薄ら寒さは、転生者にして歴戦の勇者たるターニャ・デグレチャフをして戦慄させるに十分なものであった。

 

 

 この国は、どうしようもなく狂っている………!

 

 

 そしてそんな化け物を生み出した世界もまた、キチガイじみている。

 

 

 帝国主義? 植民地獲得競争? 国家独占資本主義?

 

 そうであるのなら、まだマシであっただろう。資本主義の強欲ゆえに戦争が起こると説いた、マルクスはなんと素晴らしき希望に満ち溢れた世界に生きていたことか!

 

 

 この世界には、そのいずれも無い。夢も希望もなく、絶望と虚無に満ちている。

 

 

 ただ国家が存在するだけで、戦争が起こるのだ。その維持には戦争が欠かせない。人が動物を狩って食事をするように、『帝国』が生きるためには他国を狩らずにはいられないのである。

 

 それこそが何代にもわたって途切れることなく続けられた『帝国』の歴史であり、伝統であり、文化の真髄であった。

 

 

 ああ、何ということか! 『帝国』の威信はとうの昔に地に墜ちていた。「帝国に政府は存在しない。ただ皇帝があるだけである」と揶揄された、古びた封建国家である。

 

 

 ――名誉も! 栄光も! 始めからそんなものは無かったのだ!

 

 

  あるのは数百年にわたって続けられてきた、歴史という永久機関。その中で大きな歯車となるか、小さな歯車になるかの違いだけ。

 

 そこは誰もが諦観し、ルーチンワークを続ける虚無の世界。空虚な帝国の中枢で、その心臓たる皇帝は顔色一つ変えることなく自ら造営した宮殿で黙々と政務に励む。軍部もまた参謀本部の奥深くに閉じこもり、物資とマンパワーという薪を戦争という暖炉にくべ続ける。その燃えカスは、兵士たちの手でせっせと積み上げられ、無残な死体の山が築かれていく。

 

(しかし……それは非常に疑いようもなく、合理的だ……)

 

 長い歴史の中で歴代の皇帝、そして軍部が悟ったことは――否、直感的に感じ取っていたことは、いかなる改革、どんなわずかな手術にもこの脆弱な身は耐えられないということであった。

 

 皇帝が耐えられないとはすなわち、『帝国』が耐えられないということである。皇帝の意をくんだ軍部はこの真理を封印した。真実を暴く無意味さを悟っていたからである。

 

 

 ――なればこそ、争いの火種は国外へ。国内は和を以て貴しとなす。

 

 

 ひとえにそれは、問題の先送りに他ならなかった。『帝国』はひたすら問題を先送りにした。先送りにし続けた。

 

 そうでもしなければ、この古き伝統に支えられた『帝国』は一瞬のうちにバラバラになってしまう。対立が噴出する時とはすなわち、帝国が滅亡する時であった。

 

 

 ゆえに『帝国』が重視すべきは、一に秩序、二に秩序、三・四がなくて五に秩序。ひたすら対立の芽を摘み取り、安定の維持に努める。

 

 

 変化は許されない。改革などありえない。

 

 

 『帝国』という家は、千年の長きにわたって無節操な改築を繰り返してきた。今や柱一つを動かせば、どこか崩れるか分からぬ。修理しようにも、複雑に絡み合った構造は住人ですら把握できていない。

 

 ならば維持する方法はたった一つ、現状維持の道だけである。全てをあるがまま、為すがままに任せる。無為無策、独創的なまでに非独創に徹するのみ。式典の作法ひとつ、法律の一言一句に至るまで、何も変えてはならぬ。

 

 

 それでこそ『帝国』は存続し、生きながらえるのだ。

 

 

 そう、『帝国』はその強靭な意志の力で無為無策に徹した。己を空しくして、ひたすら大陸の中心部に壮大な虚無と停滞を作り上げた。そこから発せられるのは、過去の歴史が蓄積してきた神聖で神秘的なオーラである。

 

 何もしない! ひたすら何代にもわたって皇帝を輩出し続けた伝統に頼り、古い迷信の威光でもって時の流れに立ち向かおうとした。『帝国』崩壊の危機に対し、全くの無為無策をもって臨んだ。

 

 

 ――時よ、止まれ! 汝は誰より美しいのだから

 

 

 それは御伽の世界。その結界に守られている限り、魔女は魔術によって永遠の若さを保っていられる。

 

 しかしひとたび鏡を手に取り、自らの姿を眺めてみる。そこに映し出されるのは、醜くい老いさらばえた腐肉と骸骨の残骸だ。現実から目を逸らし続けた悪魔は、真実を目にした途端に醜悪な本来の姿へと戻ってしまう。

 

 

 『帝国』もまた、『帝国』という名の牢獄にいる限りは何とかその体を維持できる。ひとたび市場を開放し、進歩的な思想を引き入れた瞬間に瓦解するだろう。

 

 

 自由貿易は無数の職人とギルドを潰し、市場競争は地方と中央の格差を増大させる。

 

 民主主義は貴族と平民の対立を激化させ、国民運動は国体を変える。

 

 民族主義は分離運動を引き起こし、新技術と科学は宗教と迷信とのあいだで憎悪を駆り立てる。

 

 

 それは紛れもない劇薬。下手をすれば患者を殺しかねない、危険な外科手術だ。

 

 

 しかしこの期に及んで『帝国』を改革するという大手術に耐えられる体力が、果たしてこの老帝国に残っているのだろうか。

 

 

 ――これが百年前なら、『帝国』にはまだ改革を続ける余裕があった。しかし問題を先送りにして老い続けるうちに、今ではそんな体力も無くなってしまった。

 

 

 だが、敢えて夢から醒めることもあるまい。宮殿の執務室に終日こもって、黙々とルーチンワークをこなせば時間は過ぎていく。それが皇帝の信念であり、決意であった。

 

 そして皇帝に付き従う軍人たちもまた、この『帝国』唯一の憲法を一字一句たりともおろそかにせず墨守した。

 

 

 あるいのは永遠に続くかと思われる戦争、戦争、また戦争!

 

 

  ああ、悲しいかな! タネが割れれば何のことは無い。皇帝と軍部も例外なく、自らの作りだした『諸国民の牢獄』にかんじがらめに縛られていたのである。 

   




「戦争の歴史が国民の歴史を作る」みたいなのは世界史を学ぶと感じます。

国民国家誕生の地であるフランスなんかも反革命の外国軍に攻められて初めてパリと地方が「同じフランス人」としての意識に目覚ましたし、かくいう我ら日本もそれまでの「藩」から「日本国民」としての意識が芽生えたのは諸外国の脅威あってこそですし。


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第悼と悲屠話・・・『帝国』劇場

                

 無為無策、伝統と保守の懐古主義……不合理で非効率なそれはしかし、時の流れという残酷な圧力が徐々に諸外国から帝国内部にまで浸透し、自壊作用を起こしていくのをせき止めるための、最後の必死の抵抗であった。

 

 

(狂っている……! こんな非合理的な世界など、私は認めない……!)

 

 

 ターニャ・デグレチャフはこのとき、初めて恐怖した。同時に存在Xは本当にとんでもない世界に自分を放り込んでくれたものだと、今更ながら憤りを覚える。

 

 

(なるほど、これなら神にも祈りたくなる気持ちは分からんでもない。この絶望と諦観しかない世界で、信じられるのは元より空虚な「神」だけということか……!)

 

 

 ターニャのいる『帝国』は、まさしく大陸の中欧に生まれた異界の地であった。「諸民族の牢獄」という名の結界であった。

 

 

 

 **

 

 

 

 再び、ルーデルドルフが口を開く。

 

「少佐は先ほど、無能が嫌いであると言ったな。また、自分は自由市場を信奉するとも」

 

「……はい」

 

 ターニャ・デグレチャフは、人間の理性と自由競争を信奉するシカゴ学派の学徒である。弱肉強食こそが社会の摂理であり、あらゆる規制を排除した自由で効率的な社会を理想とする。

 

 そこには非合理的な迷信も因習も存在せず、すべてが合理的かつ効率的に機能する。有能な者にはしかるべき地位と富が渡され、無能も同様に能力に見合ったリターンが返ってくる。

 

 

 よって一切の甘えは許されない。日々、自分を磨いて努力し、競争に勝ち続けた自立した個人だけが生き残れる無駄のない社会だ。

 

 もちろん個人だけではない。経営状況の悪い会社に無駄な公的救済がなされることはないし、不毛の大地で非効率な公共事業が実施されることもなくなる。

 

 

 無駄を切り捨て、無能を切り捨てる。

 それは世代間格差と地方間格差と社会間格差を生む。

 

 

 無論、格差が悪いなどという倫理的な理由はない。ターニャ・デグレチャフのような強く合理的な人間なら、勝っても負けてもそれを当然と受け止めるだろう。

 

 

 ――不便な地方より、便利な中央に産業が立地するのは当然だ。

 

 ――消費者が高い自国製品より、安い外国製品を買うのは自然である。

 

 ――企業がコスト高の自国民を雇うより、移民を雇うか国外移転するのは効率的だ。

 

 ――業績のいい社員の給料があげられ、業績の悪い社員のボーナスがカットされるのは合理的である。

 

 

 ターニャ・デグレチャフはこうした理性的な判断を受け入れるに違いない。しかし悲しいかな、大多数の人間は弱く無能で愚かである。

 

 負ければ自らの責任を恥じるより、陰謀説を唱えて他者に責任転嫁を図るだろう。事実、そのような人間によって転生前のターニャは殺されたのだ。 

 

 

 好き嫌いの問題でいえば、ターニャは無能が嫌いだ。正義は自分にあると思っている。

 

 

 だが、事実としてそういった人間がいるという現実から目をそむけてはならない。

 

(本当に度し難い! 人というのは、どうしてこうも愚かであるのか!?)

 

 

 世界にいるのが無能だからけなら、彼らが作り出したものがマトモなものであるはずがない。

 

 

 まさしく帝国は朽ち果てた巨大な老樹であった。今にも自重で倒れんとする、巨大な老樹……きっとそれは、さぞ立派な棺の素材であるに違いない。中に納められるのは勿論、すなわち『帝国』という名の死体である。

 

 

 もっとも、あるいは葬儀は既に住んでいるのかも知れなかった。

 

 

 なにせ大陸の中央に覇をとなえる『帝国』は、その系譜を古の「神聖ロマヌム帝国」に求める。しかし当の神聖ロマヌム帝国は、三十年続いた宗教戦争によって荒廃し、講和条約によって当事者たちの了解のもと「帝国の死亡診断書」が提出されている。

 

 

 だとすれば、その正当な後継者たる『帝国』とは何者なりけるや?

 

 

 長引く戦争のせいで、今や『帝国』は末期症状を呈している。だが、それも今更だ。なにせ建国したその瞬間から、四方八方を仮想敵国に囲まれている帝国は詰んでいる。

 

 

 誕生の瞬間から、帝国は滅亡を宿命づけられていた。『帝国』という国家は、生まれながらに死んでいるのだ。

 

 

 であれば、この「死者の帝国」を統べる皇帝は冥王に他なるまい。軍人たちは妖魔の侍従で、従う臣民たちは動く死者……永遠という見果てぬ夢を見続け、醒めない悪夢の中で彼らは今日も踊り続けている。

 

 

 否、しかし彼らは現実を生きている。しかしその背中には、常に“死”の影が付きまとう。かの国は戦火の中でしか維持できない。かの国民は争いの中でしか生きられぬ亡者である。

 

 

 それは悲劇か喜劇か。

 

 

 誰もが朽ち果てた骸であるということに気付かず、「真夏の夜の夢」に憑りつかれている。死者があたかも生者のように振る舞い、毎晩のように終わりのない夜の国で空虚な馬鹿騒ぎを繰り広げる。

 

 その演目を演じる劇場は、きっと『帝国』劇場という名に違いない。

 




なんとなく目の前の現実から目をそらして改革を先延ばしに、ってのは他人事じゃないと思うんですよねぇ。
 作者もよくやらかしますし、知り合いにもいますし、会社もそうだし、国もそうだし……。

 世の中ままならないものです。


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第悼と腐汰話・・・永遠の国

 

(……少し、考えを改めねばならんようだな。戦争が非生産的行為であるという認識、あれは絶対ではない) 

 

 諸外国全てを敵に回すという、この無謀な戦争――最初こそ、このような外交状態に持ち込んだ政治家たちの無能を呪ったものだが、今なら彼らの思考を理解できる。

 

 

 ――彼らは非合理的で無能ゆえにではなく、合理的で有能ゆえにこの最悪な戦争を開始したのだ。

 

 

(諸外国全てを敵に回す大戦争か……クソッ、それなら違う宗教であろうと民族であろうと、妥協せざるを得ない。内輪で揉めていれば、『帝国』は一瞬で包囲殲滅の憂き目に遭うのだからな!)

 

 もし平和であったのなら、ターニャ・デグレチャフは共産主義者に容赦しないだろう。部下の一人が共産主義に染まっていると知った途端に、そいつを撃ち殺すに違いない。

 

 

 だが、今の帝国は末期状態だ。兵力不足であり、物資不足である。

 

 

 いくらコミュニストいえども、むざむざ撃ち殺せば銃弾一発分が無駄になる。少なくともボコボコにしてから強制収容所に放り込み、死ぬまで労働させて祖国の勝利に貢献する栄誉の一部を分け与えるぐらいの妥協をせざるを得ない。

 

 

 それが、長年にわたって脈々と『帝国』に伝わってきた「伝統」であった。

 

 

 

 ――競い! 争い! その先に未来がある! 

 

 

 

 だが、それは希望に向けてではない。目の前の破滅を避け、未来への破滅へ向かうという意味ではあるが。

 

 

 破滅に向かって突き進む、ノンストップの暴走特急。ターニャは知らずのうちにその乗員として、ボイラー室に薪をせっせとくべ続けてきたことに今更気づいて絶望する。

 

 

 それこそが『帝国』の歴史、伝統、文化であった。

 

 伝統は、伝統であるがゆえに強い。歴史は、古くから受け継がれているがゆえに滅びない。

 

 

 ターニャ・デグレチャフにルーデルドルフ、ゼートゥーアといった、『帝国』最高の頭脳をしてもなお、そのシステムは崩れることない。それどころか誰もが知らず知らずのうちに、気づけば歴史の歯車として組み込まれている有様だ。

 

 

 つまるところ、誰もかれもが思考を放棄して、因習と伝統に身を委ねていたのだ!

 

 

 争うのが人の歴史。内なる争いを鎮めるため、外にそれを輸出する。そのサイクルを飽きもせずにせっせと続ける無為無策……保守に脈々と受け継がれてきた伝統が、その集大成としてこの大戦争を引き起こしたのだ。

 

 

 しかし希望は残っている。人という生き物は存外に強い。ゆえに生半可なことでは、まったくの諦観に徹しきれるものではない。

 

 『帝国』という建物はだいぶ綻びがひどくなってきた。しかし修理しようとすればするほど、次から次へとボロが出てしまう。では、どうするか?

 

 正解はひとつ――――何もしない! その一言に尽きる。

 

 

 ひたすら保守、反動、懐古主義に徹する。誰もみだりに動いてはならぬ。ただ己を空しくして、ひたすら古の伝統、過去の権威に身を任す。それでこそ帝国は動き、続いてゆく。

 

 この手に限る! 先の皇帝はそう悟った。そして民を導く責任感と指導者としての矜持から、徹底した無思考、完璧な虚無の世界へと臣民をいざなう。偉大なる皇帝陛下の後姿を追い、迷える7000万の帝国臣民もまた虚無の世界へと旅立った。

 

 

 辿り着いた先に待っていたのは、恋い焦がれた不老不死の世界である。生と死の境界が曖昧となった、ヴァルプルギスの夜。すでに死んでいるのだから、それ以上の死はない。

 かくして皇帝はまったくの無為無策によって、その帝国を永遠のものとした。

 

 

 大陸の古き力を結集した、進歩と発展の時代へのアンチテーゼ。その中心には死があり、虚無が存在する。そして古来、人は虚無を畏怖する。死後の世界はその代表だ。だからこそ、そこへ心臓を授ける。

 

 皇帝が死後の世界に求めたのは、完全なる虚無だった。複数のバラバラな勢力を抱える多民族・多文化の超大国『帝国』を維持するには、多種多様な勢力の、そのいずれもが決して手を触れること叶わぬ絶対的な虚無が必要である。

 

 

 虚無とは何か。“死”である。

 

 では何が“死”をもたらしてくれるのだ?

 

 

 ――それこそ「戦争」に他ならない!

 

 

 虚無の中心には戦争がある。戦争こそが、『帝国』に意味をもたらす。戦争あってこそ、『帝国』は『帝国』として現世に存在し続けられる。

 

 

 皇帝、そして軍部はその統治システムを十分に理解していた。『帝国』の中心にあるのは、それ自体が目的となった「戦争」だ。

 




「 争い! 競い! その果てに未来があぁぁぁあああるッッッ!!!

 オール・ハイル・ブリタぁぁぁああああニアッ!!!!」


 デグさん、前世は絶対にブリタニア帝国人だよなぁ、と勝手に思ってる。


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第悼と惨話・・・機械仕掛けの神

            

 だが、歴代皇帝の作り上げてきた黒魔術も今や限界であった。老骨に鞭打って動き続けた帝国は軋みはじめ、動くたびに自壊し、徐々に動くことも適わなくなっている。

 

 

 逆らえぬ時の流れにより、『帝国』が崩れゆく日はひたひたと迫ってきている。死に体の『帝国』が完全に動きを止めたその日に、千年の長きにわたる伝統に終止符が打たれるだろう。

 

 その瞬間に『帝国』は崩れ、複数のグループはそれぞれの感情と利己的な理性に突き動かされて四方八方に飛び散り、やがて互いに血で血を洗う争いの渦中に放り込まれることになるだろう。

 

 

 ――だが、今はまだ“その時”ではない。

 

 

 だから『帝国』が完全にその動きを止めるまで、バラバラな帝国臣民の共通の傘としての、『帝国』の機能は止めてはならぬ。『帝国』の中心たる「戦争」は決して中止してはならぬ。

 

 そのためには、戦争を維持し続けなければならないのだ。

 

 

 かくして皇帝と軍部は絶望と希望の二つを抱いて、諦めることなく無謀な戦争に挑み続ける。朝早くから夜遅くまで、休まず働く。人を殺し、殺され続ける。建物を破壊し、破壊され、膨大な屍と残骸の山をせっせと築き上げていく。機械仕掛けの人形のように、ひたすらに勤労に努める。

 

 

 それは一種のデウス・エクス・マキナ――。

 

 

 皇帝は『帝国』の中心であるが、それすらも真の中心である「戦争」の前ではひとつの歯車に過ぎなかった。消耗品である兵士と一緒であり、まさしく「帝国臣民は平等」である。名前など必要ないし、死ねば次の皇帝が即位するだけ。代用品は幾らでもいた。

 

 ゆえに要求はただひとつ。ひたすら、資源が尽きるまで戦争を続ければよい。全てを使い潰して燃やし尽くすまで、『帝国』は血塗られた道を歩み続けるのだ。

 

 

 それでこそ『帝国』の系譜は脈々と受け継がれていく。判断業務は一切放棄され、何もかもがルーティンワークであった。

 

 

 

 今までずっと、そうやって『帝国』は続いてきた。ならば今さら疑う余地などあろうはずが無いではないか!

 

 

 

 戦争こそが『帝国』の道なのだ。この『帝国』の骨格は寸分たりとも変えてはならぬ。何も変えないし動かさない。すべては思考停止という決定機能にゆだねる。

 

 

 それが『帝国』の国是だった。

 

 その国是は、虚無を目指している。

 

 

  誰もが畏怖する軍事大国『帝国』の中心、その虚無は「戦争」ただひとつが担っている。それこそたったひとつだ。それしか、2つの宗教、10を超える民族、40近い領邦、7000万の帝国臣民を結びつけるものが無いからだ。

 

 

 そこまで思い至ったとき、ターニャ・デグレチャフは打ち震えた。えもいえぬ感情が体の内側からこみ上げ、世界が暗転するような錯覚を覚えた。

 

 

 しかし、現実はここにある。『帝国』という空虚な現実は目の前にある。それでこそ人は恐れ怖く。

 

 

 **

 

 

 ルーデルドルフが、ゆっくりと口を開いた。それは死期を告げる死神のようで――。

 

「少し、話が長くなってしまったな。少佐、君の疑問は晴れたかね?」

 

「はっ! 小官のために貴重なお時間を割いていただき、感謝に堪えません!」

 

「いや、なかなか楽しい話だった。流石はハンスが見込んだだけのことはある」

 

 ルーデルドルフはタバコを灰皿に押し付け、カップに残った最後のコーヒーを呑み込む。

 

「では、これで失礼する。せっかくの休暇だ、楽しみたまえ」

 

 

 悠然と去ってゆくルーデルドルフ。その後には、虚無が残った。

 

 まるで最初から、そこは誰もいなかったように……。

 

 

 ある意味では、彼もまた一人の死人なのかもしれない。死者の国で何かに突き動かされるように、ひたすらに踊り狂う操り人形。意思を持たぬ、死神の傀儡。

 

「………っ」

 

 もはや窓の外から覗く壮麗なパレードも、完璧に薄ら寒いダンス・マカブル(死者の踊り)にしか映らなかった。“ラインの悪魔”ターニャ・デグレチャフをもってしても、その空虚さに耐えるのは難しい。

 

 

 ターニャは追加のコーヒーを頼み、逃げるように非現実の世界に飛び込むしかなかった。

 




作中の「帝国」が拡張主義であるのを、地図を踏まえて作者なりに考えた結果・・・。

 一見すると国土増えてるから強そうに見えるけど、民族も宗教も経済レベルもバラバラ過ぎて逆に内政詰んでね!? 国内対立ぜったいにヤバいだろうし、なんとか纏めないと……

 →戦争すればいいじゃん!敵の敵は味方!

 という発想になりました。昔から国内の不満は戦争で逸らせ、って色んな偉人が言ってますもんね。


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第悼と死話・・・うたかたの夢

          

 窓から見えるメインストリートでは、変わらずパレードが続いている。

     

       

 皇帝の紋章官、そして幾つかの自治を認められた王国、大公国、公国、辺境伯国、侯国、そして自由都市の代表が徒歩で行く。続いて歩兵、魔導士、そして砲兵がやはり徒歩で大通りを闊歩する。

 

 お次は本日の主賓、帝都参事会員によって掲げられた天蓋のもとを皇帝陛下ならびに皇后殿下が歩む。それに続くのは宮内の役人に聖職者、その他諸々の有力者だ。そして最後に甲冑に身を固めた騎兵が馬を駆り、その隊長が新たに鋳造された帝国金貨を沿道の民衆をばらまく。

 

 

 この祝祭行列が消えると、すぐに帝国のあちこちで今度は民衆のどんちゃん騒ぎが始まるのだ。これらの祝祭のための支出は「一公国、の年間支出に匹敵する」ぐらいであった。

 

 

 それを帝都は一身に引き受ける。誰をも寄せ付けぬ難攻不落の市壁を巡らせ、天を突く高き塔を聳え立たせしヴィエンナ……いかなる無双の軍勢すら拒絶する市門を構えた、自由で誇り高き帝都こそが軍事パレードの場に相応しい。そのためなら莫大な出費も厭わない、それが市民の誇りでもあった。

 

 もちろん、ただでさえ財政が苦しい戦争の最中に派手なパレードを行うことに眉をひそめる者もいる。そんな相手にヴィエンナ市民は決まってこう返すのだ。

 

 

 

 それなら心配ご無用! なにせ『帝国』の周囲は敵だらけ!  偉大なる我らがライヒは世界を敵に回し、ただ一人それに立ち向かっている!

 

 

 今や世界大戦の戦火は、地球上を覆い尽くそうとしている。『帝国』が過去の栄光に陶酔できる時は、もう二度とやってこないかもしれないのだ!

 

 

 これでは式典どころか、この『帝国』そのものが何時この世から消えてしまうかわからない! ならば『帝国』が滅ぶ前に今一度、過去の栄光に浸ろうではないか!

 

 

 

 愚かな『帝国』市民とて、そこまで馬鹿ではない。この戦争の先行きが暗いことは子供でも分かる。そんな胸騒ぎを薄々感じていたからこそ、より一層パレードに熱狂するのだ。

 

 

 ――瞬間よ、止まれ!  そう、切に願いながら。

 

 

 **

 

 

 こうして果てしない儀式は続いていく。軍事パレードが済むと、いよいよ大広場で祝辞が述べられる。煌びやかに飾り立てられた絢爛豪華な大広場で、皇帝陛下を中心に400人もの貴族に有力者がずらりと並ぶ。

 

 それは豪華極まりないが、どこか嘘寒い。原因は、ぽつぽつと存在する空席のせいだ。

 

 

 ――空席の理由はもちろん、戦争だ。

 

 

 戦場を離れられなかった者や、後方にいるが仕事が忙しくてそれどころでは無い者。とにもかくにも、彼らは「戦争」という『帝国』の維持に必要不可欠な行為をしているがために、帝国を祝うこの場にいることができなかったのだ。

 

 

 ゆえにどれだけ煌びやかに飾り立てられてはいても、本来いるべき主のいない空席は『帝国』が本質的に不安定であることを暗示していた。

 それだけで『帝国』、大陸中央に位置する軍事大国の実態が分かるというもの。だが、誰もが当然のようにその現実から目をそむけている。

 

 

 その中心にいる者こそが皇帝、あるいはそう呼ばれる存在だ。ちなみに正式な名称は『帝国議会において代表される諸王国および諸邦ならびに神聖なる王冠の諸邦の皇帝』だったりする。

 

 

 が、そんな訳のわからない長ったらしい名前など誰も覚えていない。そんな地位は、人々の空想と幻想の中にしか存在しない。

 

 かつての「神聖ロマヌム帝国」同様、この『帝国』には議会もなければ代表してもおらず、神聖でもないし、皇帝自体がよく意味の分からない空虚な存在であった。

 

 

 『帝国』という複雑怪奇なパッチワーク、魑魅魍魎の跋扈するグロテスクな組織は単一の中央集権国家どころか、中心を欠いた緩やかな国家連合ですらなくない。

 それはまるで、複数の頭を持ち、互いが互いを喰らい合うウロボロスのようであった。

 

 

 しかし、だからこそ軍事パレードは、否が応でも豪華絢爛でなければならなかった。現実には無い権力を、権威という名の空想幻想妄想で現界に召喚する。

 

 

 

 そのためにはまず、儀礼をおろそかにしないことだ。魔術礼装が完璧でなければ、魔法儀式は成功しえぬ。

 

 

 ゆえに真珠や宝石をちりばめた真紅の絹でできた将校礼服、儀礼銃、騎兵鎧、祝砲のすべてがこの日のために伝統に則り、職人技を用いて新しく豪華に作られる。

 

 

 

 現実から目をそむけ、迷信に縋るその姿は外国人の目にはさぞ滑稽に見えただろう。だが、それでも『帝国』は必死であった。

 




権力がなくなればなくなるほど、権威に縋るという悲しい構図。業績が悪い組織ほど建前とか理念とか精神論に傾く感じ。

 国家もそうですけど、組織が実体のないキレイ事を言い始めるとロクな未来がないと思ってたり。「金だ!金ならあるぞ!」っていう物質崇拝のほうがまだ安心できる


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第悼と偽話・・・万歳三唱!

        

 

 この日、帝都ヴィエンナで繰り広げられた軍事パレードは目にも鮮やかな壮麗極まる祝祭であった。そして祭りが終わって日常に帰る。夢から醒めたとき、人々は自らの心に改めて問うた。

 

 

 あれは一体全体、なんだったのか?

 

 

 この祝祭は『帝国』が皇帝の国であり、それを強大な軍隊を支えていることを改めて確認し、それを祝うものであった。つまり、この祭りの中心にいたのは皇帝と軍隊である。

 

 しかしパレードによる慶祝を受けての皇帝のお言葉は短い。

 

 

「全ての臣民に感謝と祝福を。帝国に栄光あれ」

 

 

 なんとも素っ気ない、至極あっさりしたもの。同じく軍にしても戦争の最中に精鋭部隊を引き抜くわけにもいかず、士官学校生徒のお遊戯会のような簡素さだった。

 

 そう、パレードの中心たる皇帝と軍部は幻想に惑わされることなく、極めて冷静であった。自らの仕掛けた魔術に溺れることなく、淡々と職務を全うしただけである。

 

 

 とはすなわち、このパレードの中心にあったのは「虚無」だったということだ。

 

 

 あるいは、勘の良い者なら感じ取れていたかもしれない。

 

 帝都大改造で新築された新市街――石畳の環状道路に、広々とした大通り、爽やかな木々の立ち並ぶ小奇麗な街並みでは溢れんばかりの人々でごったがえしていた。

 

 しかしひとたび帝都の中心部――すなわち旧市街に目を向ければ、それがまやかしの賑やかさであることに嫌でも気づく。王宮と大寺院がそびえる帝都の心臓部、煉瓦造りの古ぼけた旧市街では不気味なぐらい人影がなかった。

 

 

 外側だけが賑やかで、中心はあくまで虚無……この張りぼてこそが帝国の忠実な再現であり、帝都というミニチュアに現れた帝国の縮図でもあった。

 

 

 式典が日常のミニチュアであるのならば、それが失敗するはずもない。非日常の中の日常は人々を安心させる。かくして世界大戦の最中、『帝国』の中心・帝都で行われた壮大無比な軍事パレードは、その中心に虚無があることによって成功した。

 

 

 もちろん、一時のモラトリアムが終わると、人々は容赦のない現実に直面する。

 

 悪化する経済、不足する物資、配給の列、徴兵された家族や友人の戦死報告……それでも皇帝は宮廷の奥にある政務室で自動機械のように淡々と政務をこなす。軍隊もいつもの泥まみれの戦場で、ひたすら塹壕を攻めて守る日々を過ごす。

 

 

 **

 

 

 そもそも、派手な軍事パレードを軍事大国である『帝国』が行うということがある意味では矛盾している。

 

 『連合王国』などでは、長い伝統と安定した立憲君主の気風が滲みついている。それゆえ、わざわざ手の込んだ軍事パレードなど必要ない。そんなものを目に見せずとも、人々は無意識レベルで共有している。

 

 

 だが、『帝国』ではどうか。

 

 

 もとよりバラバラな諸民族の寄せ集めである。一体感に連帯感、絆に友愛など望むべくもない。帝国支配体制の在り方についての結論は、とうの昔に不文律として確立されていた。

 

 すなわち美しいピラミッド状の中央集権国家ではなく、様々な勢力のごった煮から成る緩やかな国家連合である。皇帝は飾りでしかない。

 

 

 しかしそれでも、あるいはだからこそ皇帝家は権威の象徴としての地位に執念を燃やし続けた。軍隊という権力と、皇帝家という権威。それは二つに一つであり、どちらかが欠けても正当性を有しない。

 

 

 ゆえに『帝国』は屋台骨が揺らげば揺らぐほど、勇ましい軍事力と皇帝家の伝統、そして帝国を帝国たらしめる「戦争」にしがみついたのである。

 

 否、もはや帝国には巧みに演出された虚無が実際の政治に及ぼす力を信じる以外、何も手立てがなかったのだ。

 

 

 

 しかし、もう終わりだった。ほとんど仮死状態の『帝国』を蘇生させる術はもはや存在しない。

 

 

 

 軍事パレードも今となっては万能薬になりえぬ。戦争というカンフル剤も、あと僅かしか残っていない。

 もっとも、それすら病の痛みから逃れるために、麻薬を打つようなものだ。豪華絢爛な祭りに甘美な勝利という、一時の壮大な幻術を楽しむだけのもの。

 

 『帝国』という病人がまだ生きているのか、とっくに死んでいる分かる者はどこにもいなかった。毛は抜け落ち、皮膚は爛れて摺り剥け、肉は腐敗している。

 やがて白骨が砕けて朽ちるのも時間の問題だろう。最後に残るのは、腐臭の漂う残り香だけだ。

 

 

 そんな破滅へと続く未来を薄々感じていたからこそ、人々は帝都に集い、派手な軍事パレードをやり遂げた。そこに「我らみな兄弟、皇帝に仕えし帝国臣民なり」との一体感なる幻想を存分に享受した。

 

 

 民衆は共通の敵を必要とする。なにしろ、ここ数十年間大規模な戦争らしい戦争はなかったのだ。後でどれだけ多くのツケを払うことになっても、嫌いな奴をボコボコにしたいという欲求は日常世界の中でくすぶり続ける。知らず知らずのうちに、日常の営みの中で不平不満の火薬は蓄積してゆく……。

 

 それはいつの日か、小さな火種が引火し、発火し、大爆発を引き起こすだろう。人々はその瞬間が来るのを、じっと待つ。ただひたすらに待ち続け、問題を先送って今日を生き続ける。

 

 

 ところでその「人々」とはいったい何者なのか? もちろん帝国の臣民である。

 

 

 それではこの事実は何によって確認できるのだろうか? 法律によってだろうか。

 

 

 

 ――とんでもない!  では何か? もちろん戦争だ!

 

 

 

 共通の敵がいる、それが唯一の共通点なのだ。

 

 

 ゆえに帝国臣民のアイデンティティーは勇ましい軍隊と、9000万の帝国臣民を統べる皇帝陛下の御姿にある。諸外国の脅威に、今こそ一致団結して立ち向かわねば!

 

 バラバラな臣民が戦争によって一体となり、陛下に忠誠を誓って軍を祝福する、またとない機会である。戦争に裏付けられた皇帝陛下の権威と帝国軍の権力こそが、9000万の人民が目にしうる、唯一の『帝国』であった。

 

 

 その陛下は今年、即位八周年をお迎えになられた。軍隊も戦争に今のところ勝っている。

 

 

 ならば我ら帝国臣民のとるべき行動は何か? 不平不満を述べることか? 意識を高く持って国の将来を模索することであろうか? 

 

 否、答えは否。ただ全てを忘れ、今を楽しめばよい。誉れ高き『帝国』臣民であることのできる、今この瞬間を。

 

 

 

 誰かが言った。さぁ、皆で今日という日を祝おう!

 

 

 

 

 ――皇帝万歳!!!

 

 

 

 

 ――勝利万歳!!!

 

 

 

 

 ――戦争万歳!!!

 

 

 




 なんだか釈然としない形ですが、今作はこれで完結とさせていただきます。


 最後に、ここまで読んでくださった読者の皆様に感謝いたします。

 執筆のきっかけは「幼女戦記」の地図で「帝国」の国土がドイツとオーストリア=ハンガリー両方を含んでいることに衝撃を受けたことにあります。オーストリア愛をこじらせた結果、ノリと勢いだけを頼りに書き上げてきました。

 それでもこうして最後まで走り切ることができたのは、ひとえに読者の皆様に応援していただいたおかげです。

 本当にありがとうございました。



 それから最後に改めて。



 オーストリア=ハンガリー二重帝国を愛する、全ての人に。



 そして「幼女戦記」を愛する、全ての人に。



 作者より、本作を捧げさせていただきます。

 ありがとうございました。


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追補編
いかにして古き二重帝国は新たなる王国を打ち破ったか?①


               

 帝国士官学校構内、『近世二重帝国史』の講義において――。

 

 

 

 歴史の講義、それは己の頭脳を使うことも手を動かす事もなく、ただひたすらに教官の話を聞いて黒板に書かれたことをノートに記すだけの作業である。

 

 大部分の学生にとってはただただ退屈で時間の無駄でしかなく、歴史好きの学生にとっても既に自分で調べて知っていることを確認するだけに過ぎない。

 

 

 今年で8歳となるターニャ・デグレチャフはどちらかといえば後者の学生であり、講義で教わる内容などとうに渡された教科書で知っていた。

 

 

 だから、というべきか。生徒たちのやる気の無さに気付いた初老の教官が教科書を机に置いた時、生徒たちはちょっとした驚きをもってその行為を受け止めていた。

 

 

 

「さて、本日の講義の主題である“カールスグレーツ演習”だが、儂はそのとき王国軍にいたんじゃ」

 

 

 

 にわかにざわつき始める教室。少し考えてみれば士官学校の教官の半数以上は元軍人なのだから、最近おこった戦争のいくつかに参加していても不思議な話ではない。

 

 そしてそれが、「帝国」が成立するきっかけとなった最初で最後の戦いだとしても、だ。

 

 

 カールスグレーツ演習……その戦闘の詳細を公の場で語ることは禁じられている。同胞たる二重帝国と王国は「あくまで平和裏に統合された」というのが政府の公式見解であり、それは「戦闘」ではなく「演習」であるとされていた。

 

 

 もっともそれが詭弁であり、実際にはナショナリズムの高まりによる2つの統一運動が衝突した「カールスグレーツの戦い」であったことは周知の事実である。

 

 

 片や中世に大陸の大部分を支配した『神聖ロマヌム帝国』の復活を目論み、地方分権型の多民族国家を良しとする「二重帝国」。そして片や二重帝国を排除し、王国主導で中央集権型の単一民族国家を作ろうという「鉄血宰相」らの勢力があった。

 

 両国は帝国統一を巡って長きにわたって争ってきたが、その緊張が頂点に達した結果、「カールスグレーツの戦い」が発生し、最終的に勝利を収めた二重帝国主導で今の「帝国」統一が成立した。

 

 

 

 同じ帝国臣民が争ったという負の歴史は内戦の火種となりうるため、公の場でその詳細が語られたり教えられたりする機会は多くは無い。

 

 

 ――しかし今、当時の事情を知る生き証人の口から、その真実が語られようとしている。

 

 

 それまでの弛緩した空気がガラリと変わり、生徒たちが興味に目を輝かせる。ターニャもまた、その一人であった。

 

 

 

 ターニャの元いた世界にも、似たような事例があった。

 

 片やカビついた封建制度から抜け出せずにいるオーストリア・ハンガリー二重帝国、片や工業化に成功した軍事大国プロイセン王国……大ドイツ主義と小ドイツ主義で対立した両者の戦いは、当然の結果としてプロイセンの勝利に終わる。

 

(もし二重帝国の勝利がフランソワ共和国やレガドニア協商連合といった外国の助けありきだというのなら、まだ話は分かる。だが、聞くところによればあの「カールスグレーツ演習」では、二重帝国が単独で王国に圧勝したという……)

 

 

 にわかには信じがたい。

 

 

 事実、軍事面の大部分において二重帝国は王国に後れを取っていた。当時の王国の指導者である「鉄血宰相」もそれを知っていたからこそ、外交での孤立を悟ってからは軍事的な勝利に賭けたのだ。

 

 

 ―――そして今、ターニャの前で歴史の真実が紐解かれる

    




 久々に小ネタを投稿


 帝国=大ドイツ主義が成功してオーストリア=ハンガリー二重帝国主導でドイツ統一された説を今日も推す


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いかにして古き二重帝国は新たなる王国を打ち破ったか?②

「当時の勝敗予想は五分五分だったが、儂ら王国軍の兵士は皆が自軍の勝利を疑っておらんかった。なにせ二重帝国の軍備ときたらそりゃあ、酷いもんだった」

 

 

 開戦時の兵力は、王国軍とその同盟諸邦を合わせておよそ50万。これに二重帝国から「未回収のイルドア」奪還を目指すイルドア王国軍30万を加えれば80万の大軍勢だ。

 

 対する二重帝国軍の兵力は同盟諸邦と合わせても60万だったから、必然的に戦争は南北から挟み撃ちにしようとする王国軍を、二重帝国軍が防衛する形となった。

 

 

「儂はそのとき、主戦場のベーメン王冠領に送られた。王国軍は二重帝国の首都である帝都ヴィエンナを目指し、その前地であるベーメン王冠領で二重帝国軍を包囲殲滅する計画じゃった」

 

 

 

 

 序盤から戦争の推移は王国の有利に進んでいた。

 

 

 強大でありながら旧態依然としていた二重帝国と異なり、王国では「鉄血宰相」の指揮のもと、全軍を「参謀本部」が一元的にトップダウンで管理できるシステムとなっていた。

 

 戦略構想でも王国軍は、外交によってギリギリでイルドア王国を同盟軍に引き込むことに成功し、敵の戦力を南北に分割することが出来ていた。

 

 

 

 当時の参謀総長は、主戦場を二重帝国側の「同盟」諸邦でなく二重帝国本国に置いた。

 

 二重帝国が同盟国の「同盟」のひとつサクスン王国から首都ベルンへ兵を進めるであろう事を予測し、そちらを20万の兵士で足止めしている間にベーメン王冠領へと30万以上の大軍を進めて、一気に二重帝国の首都ヴィエンナを目指すという計画を立案した。

 

 隣国の介入を避けるための戦争は短期決戦とされ、分進合撃によって途中の二重帝国軍を包囲殲滅することが決定された。

 

 

 王国軍参謀本部はもともと軍隊の迅速な移動に必要な道路整備に熱心だったが、とりわけ有能で知られた当時の参謀総長は最新技術である鉄道と電信設備を重視していた。

 

 ベーメン方面には王国側から5本の鉄道が整備されていたのに対し、二重帝国側からは1本があるのみだった。そのため開戦してからの王国軍は、二重帝国軍の予想を遥かに超えた迅速かつ整然とした進撃を行うことができた。

 

 

 こうしてベーメン王冠領に侵入した王国軍32万に対し、二重帝国軍が動かせた兵力はわずか24万だった。

 二重帝国側の同盟軍60万のうち16万は同盟諸邦の軍隊ではるか西方にあり、残りの20万は北上してくるイルドア王国軍30万人の迎撃に割かれていた。

 

 

「こうして“量”の面で儂ら王国軍は優位に立った。残る“質”の面では……」

 

 

 二重帝国の兵士は全く持って話にならなかった、とその教官は皮肉っぽく笑った。

 

 

 「鉄血宰相」が心血を注いだ王国軍は、丈夫で装填時間が短い鋼鉄製の後装式大砲や世界初の後装式軍用ライフルを装備し、どちらも前装式であった二重帝国軍に対して発射速度の面で遥かに凌駕していた。

 

 射程こそ二重帝国軍の方が長かったものの、伏せ撃ちができず脱走兵を防ぐため密集した戦列を組んで戦う二重帝国軍の兵士は圧倒的な火力の前に次々になぎ倒されていった。

 

 




ひっそり投稿中


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いかにして古き二重帝国は新たなる王国を打ち破ったか?③

       

 指揮の面でもまた、王国軍は世界の軍隊の最先端をいっていた。

 

 

 王国軍によって発明された「参謀本部」は、国王の直属であるとされ、全ての作戦に対しての指揮権を有していたため一元的な命令遂行が可能であった。

 対して二重帝国の参謀本部は形だけしか真似られておらず、それぞれの指揮官に助言する程度の機関で命令系統は古くからの慣習に縛られた無秩序なものであった。

 

 

 それに加えて、王国の軍事教育も二重帝国よりも優れていた。王国の参謀将校は自ら率先して考えるよう訓練されていたが、二重帝国では忠誠心や伝統がもっとも重視される中世の軍隊さながらであった。

 

 

 そして兵士もまた、多民族国家である二重帝国では様々な民族からなる軍隊の寄せ集めである。

 人種も民族も言語も文化に習慣もバラバラな兵士たちが統一された行動など出来るはずもなく、そもそも指揮官の話している言語を理解できない部下が半数以上であった。

 

 

「そして軍備が古臭ければ、二重帝国の戦争計画もまた中世の戦闘そのもの。彼らの構想は実に単純なもので、ベーメン王冠領にある3つの要塞に兵士を立て籠もらせ、現地で根こそぎ徴発した食糧をもって長期持久戦を行うというものじゃった」

 

 

 もちろん王国軍がそんな挑発に乗るはずもなく、被害の大きい攻城戦は避けて電撃的に首都を目指して進軍していた。

 

 

「だが、世の中すべてが予想通りに動くものではない。かつてどの軍隊も経験したことのない王国軍の快進撃は、予想もできない結果をもたらした」

 

 

 早い話が、進撃速度が速すぎて補給が追い付かなかったのだ。

 

 

 王国内ではまだ、あらかじめ敷設された5本の鉄道が機能していたから問題は起こらなかった。

 

 しかし二重帝国のインフラ整備の遅れは王国の想像以上で、ベーメン王冠領は二重帝国でもっとも発達した工業地帯でありながら、わずか1本の鉄道と予算不足で崩れかけた橋に、穴だらけの道路という有様であった。

 もちろん車なども通っているはずがなく、現地住民に聞けば二重帝国軍は補給の大部分を昔ながらの馬に頼っているという体たらく。

 

 そのため王国軍の補給線はベーメン王冠領に入った途端に支障をきたし、国境沿いには山ほどの物資が積み上げられるも最前線では補給が滞り始めていた。

 

 

 

「王冠領にあった要塞のうち2つは回避していたが、最後に残ったカールスグレーツ要塞だけはそうもいかなかった。物資が足りず、かといって後方からの到着を待てば短期決戦という戦争計画が根本から揺らぎかねない」

 

 外国の介入も予想され、ついに参謀総長は最初に到着した王国第1軍14万人をもってカールスグレーツに立て籠もる二重帝国軍20万に総攻撃を命じた。

 

 もちろん数で上回る上に要塞に立て籠もる敵に攻撃するなど正気の沙汰ではない。当然、王国第1軍はかつてないほどの抵抗に合い、対照的に負け戦続きだった二重帝国軍は初めての本格的な勝利に湧きあがり、戦闘開始4時間後には二重帝国軍は反撃に転じていた。

 

 

「じゃが、それも全て参謀総長の手の内じゃった。参謀総長の真の狙いは要塞に立て籠もる敵を平野へ引きずり出して野戦に持ち込むこと。罠に釣られてノコノコ安全な要塞から出てきた敵軍を、別方向から分進してきた王国第2軍12万と合わせて3方向から包囲殲滅するのが、彼の真の狙いであった」

 

 

 初老の教官の話に皆が引きつけられる中、ただ一人ターニャは冷静であった。

 

 

(そう、ここまでなら元いた世界と大差はない。第2軍はやや遅れるも、最終的には戦場に到着して包囲殲滅が完成するからだ……)

 

 

 だが、ターニャはひとつだけ失念していた。この世界ではあまりに当たり前で、それゆえ気付かなかったたった一つの違いに……。

   




 この話のモデルとなった普墺戦争、プロイセン軍が鉄道でブイブイきかせてたという話はよく聞きますが、実のところオーストリア領内に入ってしまうとそうもいかず進撃速度が急激に低下して……と後のWW1を先取りしたかのようなgdgdが起こってたらしいです


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いかにして古き二重帝国は新たなる王国を打ち破ったか?④

 

「結局、王国第2軍が戦場に間に合うことは無かった。彼らが戦場に遅れて到着した頃には、既に王国第1軍の戦線は崩壊していた」

 

 

 作戦を指揮していた二重帝国軍の皇太子は、流れが変わった事を見逃さなかった。彼はすぐさま予備にも総攻撃を命じると一転して騎兵と歩兵による追撃を続けた。

 

 ここにきて二重帝国軍の旧態依然とした戦術―――砲兵の事前砲撃がないまま無謀な銃剣突撃を繰り返す――がその真価を発揮した。

 勢いに乗った二重帝国軍は砲兵の支援を待たずして、要塞から次々に出撃して慌てふためく王国軍との白兵戦に持ち込んだ。

 

 

 白兵戦になってしまえば、もはや王国自慢の後装式大砲も同士撃ちを恐れて使えない。後装式銃の素早い連射による火力の集中もまた、敵とある程度の距離が無ければ発揮できない。

 

 

「カールスグレーツの戦場では、今や鉄血宰相と参謀本部の作り上げた華麗な芸術は失われていた。そこにあったのは中世から連綿と続く銃剣突撃の蛮勇だけで、野蛮な暴力が戦場を支配していた」

 

 

 敵味方が入り乱れた1対1の殺し合いともなれば、最終的には数の多い方が勝つ。二重帝国軍20万の兵士は自らも甚大な被害を被りながら、王国軍兵士14万人をスチームローラーの如く確実に磨り潰していった。

 

 

「あの戦場は地獄じゃった……今でも悪夢に見る。そして儂はそのとき、あれほど信じていた鉄血宰相と参謀総長の“戦争芸術”が単なる幻に過ぎず、戦争の本質は野蛮そのものなのだと悟った……」

 

 

 王国軍の本営では度重なる救援要請に対して、参謀総長が優雅に葉巻を選り好みするなどの余裕を見せて強がるも、もはや勝敗の結果は明らかであった。

 

 

 翌日、遅れて王国第2軍が到着するも既に後の祭りである。そこにいたはずの第1軍は霧散しており、倍近くの士気建興な二重帝国軍兵士が待ち構えていた。

 

 

 こうして戦闘は二重帝国軍の逆転勝利に終わり、結果的に兵力を分散した26万の王国軍は各個撃破される形となった。

 

 そしてこの報を受けて南部で苦戦していたイルドア王国は早々に戦争から離脱する。一転して優位に立った二重帝国とその同盟軍は南部と東部から王国領内へと進撃、首都ベルンへと迫った。

 

 

「王国内部では『鉄血宰相』が戦争責任を問われて失脚、最終的に王国の王女と二重帝国の皇太子が政略結婚することで戦争は二重帝国の勝利に終わり、帝国は統一された」

 

 

 そう言って、初老の教官は口を閉じた。ちらり、と時計を見ればまもなく講義終了の時間だ。

  




 分進合撃って成功すれば敵を包囲殲滅できるけど、失敗すると各個撃破されるという


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いかにして古き二重帝国は新たなる王国を打ち破ったか?⑤

 

 だが、講義が終わる前にターニャはどうしても聞きたいことがあった。威勢よく手をあげ、大きく口を開く。

 

 

「教官、ひとつ質問をよろしいでしょうか?」

 

「なんだね?」

 

「なぜ、王国第2軍は戦場に現れなかったのでしょうか?」

 

 ターニャにはそれが不思議でならなかった。

 

(当時の戦況図は、前に図書館で見たことがある。王国第2軍が遅れた理由として一番考えられる原因は残りの2つの要塞からの妨害だが、全兵力を出してもたったの2万。王国第2軍12万に到底かなう数ではない……)

 

 あるいは「同盟」諸邦かイルドア方面から引き抜かれた別働隊がいた可能性もあるが、距離から考えて物理的に不可能だ。

 

 

 

 ―――では、誰が? どうやって?

 

 

 そんなターニャの疑問は、あっさりと教官の口から出た言葉によって氷解した。

 

 

「ああ、その事か。なに、単純な話だ―――帝国は虎の子である『魔導騎士団』を出撃させたのじゃ」

 

 

 魔術……それはターニャの元いた世界にはなかったものであり、この世界でも次第に過去の遺物として滅びゆく運命にある奇跡だ。

 

 この世界においても魔術を使える人間は多くは無く、ほとんどが生まれ持った素質で決まる。過去においては奇蹟として崇められたものの、近代以降の科学技術の発達によってその優位は揺らいでいた。

 

 

 そんな「時代遅れの骨董品」に強みを持つ国家ともなれば、それは大陸において二重帝国をおいて他にはない。古の「神聖ロマヌム帝国」時代から続く「魔術師」はやがて貴族の特権階級へと変質し、その中心地であったベーメン王冠領の主都“黄金の都”プラーグでは今なおかつての栄光の名残として『魔導騎士団』が残されていた。

 

 

 しかし科学技術の発達に従い、魔術はその神秘性を失っていった。伝説とされていた宝珠と王笏を用いた「奇跡」は、科学的に解析されてその神秘性を失って伝統芸能へと貶められる寸前であった。

 

 

「しかし二重帝国の魔導師たちはみっともなく過去の栄華に縋り、それを忘れることが出来なかった。誰が思いついたかは知らぬ。だが、その一人が科学的に解明された己の秘術を「演算宝珠」とすることで、魔術を再び現代に蘇らせようとしたのじゃ」

 

 

 

 中世の騎士のぶつかり合いならいざ知らず、電子機器や火器の発達した現代において魔導師からなる軍隊の戦闘力はまったくの未知数であった。

 

 魔導師たちは数において希少であり、科学技術の発達と比較して特別有利なわけでもなく、単純能力は「航空機よりも遅く、戦車よりも装甲が劣り、歩兵よりも数が少ない」と評される。

 

 

「だが、二重帝国の魔導師は生き残りをかけて詭弁を用いた。すなわち“航空機より自由に展開でき、戦車と比較されるくらいいには堅牢な防御力で、おまけに歩兵なみに万能屋”と」

 

 

 これが王国であれば、このような戯言は一蹴されただろう。

 

 近代科学技術と合理性の塊である王国軍参謀本部は、魔術師を前時代的なものだと考えていた。現に宗教や超科学的存在を否定するという立場を取っている理性の信奉者であるルーシー連邦においては「過去の遺物」として迫害の対象とすらなっている。

 

 

 

 だが、二重帝国は違う。

 

 

 ホコリ塗れの因習とカビ臭い伝統の支配する、遅れた封建国家である。そうした時代遅れに過去の遺物はかの国が十八番とする唯一のものだ。

 

 

 かくして旧態依然とした軍隊に温存された「魔導騎士団」は、国家の危機においてその真価を発揮した。

 

 過去の遺物でしかなかった魔道師たちは「空飛ぶ歩兵」として演算宝珠を用いて自由自在に戦場を動き回り、中世の騎士のごとく己の才能のみを武器として指揮系統も作戦も戦術もなく、各々がそれぞれの誇りと正義を胸にてんでバラバラに戦った。

 

 ある者は行軍中の敵兵を襲い、ある者は夜間に宿舎へ爆撃を仕掛けた。別の者はやっと届いた貴重な補給物資を空からの砲撃で焼きつくし、違う者はただ遠くから嫌らがせにヒット&アウェイを繰り返した。

 

 

 ターニャの元いた世界の言葉でいえば、ゲリラやパルチザンに相当する戦い方だ。もっともゲリラのように組織だったものではなく、ただの連携不足で統一された動きが取れなかっただけなのだが。

 

 

 

 されど魔導師たちの活躍により、王国軍第2軍はその兵力の大部分を温存しながら、士気の低下と物資不足、そいて行軍速度の低下によって貴重な時間の多くが失われた。

 

 

 もちろん最終的には系統だった戦い方を知らない魔術師たちは一人、また一人と王国軍の銃弾に倒れていくのだが、滅びの間際に古き時代の最後の栄華をこれでもかと見せつけて散っていった。

 

 

 己の人生と意地を賭けた、壮絶な嫌がらせ。それは王国軍を倒すことなど勿論不可能であったし、奪われた領土を一時的に取り戻すことすら出来なかった。

 

 ただ、敵に丸1日分の時間を浪費させただけ。

 

 

 最終的に王国第2軍は一日遅れでカールスグレーツに辿り着いているのだから、彼らが稼いだ時間は日数にすればわずか1日に過ぎない。

 

 

 しかしその3日は、後の歴史を変えてしまう価値をもった1日であった。

        




 そのための魔法


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