転生グルマン!異世界食材を食い尽くせ (茅野平兵朗)
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プロローグ1

 本作は、作者の思い付きのみでテンプレ的設定及びテンプレ的展開の実験を行う作品です。
 ですので、かなり、アンバランスかつ、ご都合展開が予想されます。
 そのような作品を好まれない方は退避されることを強くリコメンドいたします。
 面白けりゃいいや的ポジショニングでお読みいただければこれ幸いでございます。
 本作があなたにとって、白いイルカだったり黒豹だったりすることを願ってやみません。 
 なお、本作は『小説家になろう』様にても公開しております。 


「ふふふふっ、今日は店長がシフトでラッキーだったな。あの店、店長のときは味に気合が乗ってるからなぁ」

 僕は、体中にたっぷりくまなくついた脂肪を、ぶるりと揺らしてほくそ笑む。僕が贔屓にしているラーメン屋さんで、僕への一杯を作ってくれたのがその店の店長だったからだった。

 店長は雇われ店長だったけど、ラーメンに対する情熱がひしひしと伝わってくる一杯を供してくれることで、その店の常連の間では有名だった。

 だけど、その情熱を同じチェーン店の店長候補たちに伝授する役目も担っているらしくて、しょっちゅう店を留守にしている。

 更に意地悪なことに、その予定を客に知らせることをしないので、店長がお店に立っている日に遭遇するには、日参するかよほどの運を使うかしかなかった。

 僕はその店の常連ではあったけど、その店のマニアではなかったから、お店に行くのは週に一回…精々二回だった。

 だって、僕はラーメンは大好きだけど、その他のおいしい物も大好きだから。さすがに、ラーメンだけを一日に五回も食べられない。

 朝は、バターとジャムをそれからピーナッツクリームをたっぷり塗ったトーストかフレンチトーストもしくはメープルシロップ漬けのパンケーキホイップクリーム添えを食べたいし、十時のシュークリームは外せない。もちろん、銀座東のカスタードがみっちりと詰ったずっしりと重いヤツ。お昼は回転寿司かカツ丼か迷うでしょ。夜だって食べたいものはいっぱいある。そうそうおやつは新しいフレーバーのゴリゴリくんを試したり、火曜日のおやつは新製品のお菓子が目白押しだから迷うよね。

「ハア、ハア、ハア、そんなんだから、こうなるんだけどね」

 僕はショーウィンドウに映った自分を見る。ラーメン屋さんから五十メートルも歩いていないのに汗びっしょりで息も上がっている。

 身長173センチ、体重173キロ、体脂肪率45パーセントの、女の子には絶対キモデブって言われるようなブサメン。それが僕だ。

 太り始めたのは、十年前。中学のときにちょっとした……いまでこそそんな風にいえるけど、当時は自殺も考えたっけ……があって、自宅警備員になってから。さすがに80キロを越えたあたりから危機感が沸いてきて、何度も食を減らす系のダイエットしたんだけど、まあ、元から食いしんぼだったから5キロくらい痩せては大食いしちゃって……。

 あとはもう、リバウンドの繰り返しで、120キロを超えちゃった。

 でも、僕的にデブになってよかったことがひとつだけ。

 誰の目も気にならなくなっちゃったんだな。

 ある意味、これは諦観って言ってもいいのかもしれないけど。僕以外の全部が、もう、どうでもよくなっちゃったんだな。

 そして、半年前、意を決して外出してみたんだ。

 ……気にならなくなっちゃったといっても、自分に対する害意は気になるから(ほら、デブだとカツアゲとか、デブ狩りとか怖いじゃないですか)、外に出る決心をするまで更に15キロ太っちゃいました。

 そして、外の世界に出てみて、僕はびっくりしたんだ、世界は美味しいもので満ち溢れているって。

 冒頭に話したラーメン屋さんもそのひとつ。牛丼にカツ丼。焼肉にハンバーグ。

 え? ハンバーグは家庭料理? うん、普通はそうだろうけど、僕の家の場合、父さんは海外赴任中に現地妻ができて、そのまま母さんと離婚しちゃったし、母さんは母さんで僕が引き篭もったとたんツバメを飼い始めたんだな。

 そのころ僕は子供銀行(2001年になくなっちゃったけど)でこつこつお小遣いをためたお金を元手にして、株式投資と先物取引を始めて、ちょとだけお金を稼いだんだ。そして、母さんに「今まで育ててくれたお礼です」って言って、銀行の通帳とハンコを渡したんだ。もちろんキャッシュカードと暗証番号も教えた。

 そしたらさ、翌朝、「お父さんのところに行って来ます」って書置きしていなくなっちゃった。

 父さんの所になんか当然行ってないのは判ってる。ツバメと沖縄にでも行ったんだろう。

 住民票もどこかに行っちゃったみたいで、まあ、はっきりいって邪魔だったから、探さなかったんだ。

 

 しかし、あの女親、俺が気づいてねえとでも思ってたのかね。ほとんど毎晩、あんだけでかい声でアヒアヒ言っててよ。

 あの女には2・3回毒殺されかけたからな、いなくなってせいせいしたぜ。

 

 それ以来、ハンバーグを食べたのは、引き篭もって以来初めて外出した半年前なんだ。だから、僕の中では、ハンバーグは家庭料理じゃないってことで。

 そこから、150キロを超えるのは実にあっという間だった。

「ふう、ふう、ふう……」

 今日は、なんか動悸が治まりにくいな。いつもなら、立ち止まって休めば治まるのに。

 それになんか、鼓動が不規則になってきた。

 どくん、どくん、…………どくん、ど、ど、ど、どくんって感じ。

 太ってるからね。仕方ないさ。

「さて……と」

 家に帰る途中お気に入りのケーキ屋さんで、たっぷり生チョコレートがコーティングされたチョコレートケーキを買って帰ろ………………っ!

 !!!!!!!!!!! ッ!

「ぐ……っ! う、う、う、うぐっ!」

 突然胸が痛くなって息がつまる。こんな痛み経験がない。

「うぐぅ……う、う、ぐ……!」

 よろめいてた自分を支えようと右手をつく。

 一瞬僕が倒れ込む勢いが殺がれたけど、ピシッ! バリン! って音が聞こえたとたん、浮遊感が僕を襲う。そして、右手首に何かが入ってくるような感覚。不思議と痛みはなかった。それよりも胸の痛みのほうが深刻だった。わき腹がなにかで擦られるようなを感覚もあったけどどうだっていい。

 この、胸の苦しさをどうにかしてくれ。

 

 俺の意識はそこで途切れた。




 お読みいただきありがとうございます。


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プロローグ2

 僕が気がついたのは薄い緑の壁に床の部屋のベッドの上で、仰向けに寝かされているデブの上空1.5メートルくらいだった。

 そのデブの顔は布で覆われていてよくわからなかったけど、右手がざっくりと切れていて骨が見えていたのと、腹が裂けて、腸がはみだしていた。

 デブの周りに緑色の頭巾と割烹着を着た人が何人もいて、リーダーみたいな人が指示を出しながら、胸に開けた穴に手を突っ込んで握ったり開いたりしていた。

「戻って来い。戻って来い!」

「ふじたさぁん! しっかり! ふじたはじめさぁん!」 

 それが、この世で聞いた最後の言葉だった。

 

 危うく僕は、自分の名前まで忘れてしまうところだった。

 

 ありがとう。緑の頭巾の割烹着のお姉さん。

 

 自分の名前を女性に呼んでもらえるなんて思いつきもしなかった。

 けっこう幸せな気分だよ。

 ……ありがとう。

 

 

 再び意識を失った僕が気がついたのは、きれいな花畑の中にある黒板と教壇の前だった。

 僕はそこで、学校にいるときみたいに座っていた。

 机とイスは中学のときに使っていたものだ。ただ、机には落書きがないし、イスに画鋲もない。

 へえ、画鋲がないイスってけっこう座り易いんだな。

「藤田さん、お待たせいたしました?」

 突然、空間が襖みたいに開いて、誰かが入ってきて、僕に聞いてきた。僕には誰が入ってきたのか判らなかった。

 だって、見えないからね。

 普通ならここで、びっくりとかして、パニクるんだろうけど、それって、生存本能がすることなので、生憎と、もう死んでいることを自覚して諦めている僕は驚かなかった。

 死んですぐに聞いた声が女性の声なんてうれしいなぁ。

 女の人の声なんて、もっぱらアニメやエロ動画でしか聞いた事がないからなぁ。

 生声なんていったら「いらっしゃいませ」と「おまたせしました」に「ありがとうございました」といったテンプレしか聞いたことがない。

 ましてや、僕の名前を呼びかけてくれるなんて、さっき、僕を見取ってくれた緑の割烹着のお姉さんしか経験がない。

「すみません、どなたかは存じませんが、僕にはあなたが見えないんです。それから、僕もたった今気がついたばかりですので、待っていたのかどうかも判りません。ですから、主観的時間経過で言えば、待っていません」

 フックククッ……と、鼻から笑いを吹き出すような音がした。

 たぶん僕の答えが、何らかのツボにはまったんだろう。

 いいことだ。人の役に立つような人生を送らずに死んでしまった僕は、人を(人かどうかはわからない。この場合7:3で神様だろう)笑わせるという僕的偉業を成し遂げた。

 本当に思い残すことはない…………、いや、ひとつだけあった。

 隣の幼馴染の「保志埜菫」がたまに作って持ってきてくれたアップルパイがもう一度食べたい。

 売れっ子のアイドルのくせに、よくそんな暇があったもんだ。そんな暇があったら休んで彼氏とデートでもしたらいいのにといつも思っていた。

 菫が作ってくれたアップルパイは、マニアと言ってもいいくらい、カスタードが大好きな僕仕様の、焼きリンゴとパイ生地の間にたっぷりとカスタードを敷き詰めた、スミレスペシャルだった。

 僕は猛烈にそれが食べたい。

「うーん、それは残念だけど……」

 僕の頭上40センチくらいのところから、女の人の声が聞こえた。

 先生が座っている生徒に話しかける位置だ。

 それに、どうやら僕の心が丸判りみたいだ。

「はい、その通り。貴方は自分が置かれている状況を正確に把握して、適切な答えを導こうとしています。心を読まれていることも素直の受け入れ、取り繕おうとしないのも好感大です。こういった状況で、そういう思考をされる方は非常に稀でして、やれ、元に戻せだの、プライバシー侵害だの、転生したら、俺TUEEEEEにしてくれだったりと実にめんどくさい方ばかりでした。その点貴方は実に好ましく常軌を逸している。生前のあなたの記録を見ると、全てを諦めて、食べることのみに欲望を向けていたとあります。そんなあなたに、提案なのですが……」

 

「辞退します」

 僕はかぶせ気味に言った。

 

「え、えええ?」

 あからさまにうろたえている気配が伝わってくる。

「もう、人生やるなんて懲り懲りだから! あんな人生やるくらいなら。地獄で獄卒に追いかけられてる方がよっぽど楽しそうですよ。ダイエットにもなりそうだし。えーっと、神様でよろしいでしょうか? 僕、死んでもデブのままじゃないっすか。とある宗教的には、暴食の罪の報いだっておっしゃるでしょうから、文句は言いませんけど……。でも、僕、そっちの信者じゃないし……」

 なんか言ってて悲しくなってきたぞくそ!

 突然、パチンと指を鳴らす音が聞こえた。

「ん?」

 なんか、体が軽くなったような気がする。

 下を向いてみると、突き出た腹で、この十年間見えなかった股間が見える。腕を触る。二の腕の振袖がなくなっている。生きてたころより細くなって筋肉が掴める。

「これでいかがでしょうか? 貴方の記憶にある一番細かったころの体型を参考に再現してみました。ただ、太っていたことでついた筋肉まで減らしてしまうとちょっと都合が悪くなると思いまして、それは、据え置かせていただきました」

 神様なのにずいぶん僕に対して腰が低くない? 神様だったらもっと、偉そうでも僕は反感を持ったりしないけど。

「えーっと、実を言いますと、私は貴方の認識で言うところの異世界から、貴方を迎えに来たのです。そこには、神殺しなんて言う私どもにとって物騒極まりないものがございまして……あッ…あは、あはははは……」

 神様は、余計なことを言ってしまったというように、愛想笑いをした。

 まあ、僕にはそんなものおそらく関係ない。もし手に入ったとしても、こんな善良そうなお方には絶対刃を向けたりしないだろう。

 僕と僕の大切なものにとって害をなすような方でなければ。

「ああ、その辺は安心していただいてけっこうですよ。生命の誕生や天命寿命以外で私は、生命やその活動にかかわる免許がございませんから」

「え? 神様って免許制なんですか?」

「あら? 御存知ない?」

「ええ……」

 

 神様が免許? 何、そのマンガみたいな設定。

 




読んでいただきありがとうございます。


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プロローグ3

「えーっと、藤田さんの地元は多神教でしたよね。多神教というのは、万物に神が宿っているという宗教になります。藤田さんのところでは、お参りの際に、何にご利益がある神様とか仰いません? 縁結びとか厄除けとか子宝とか五穀豊穣とか……」

「あ、たしかに……でも、初詣のときは何でも勝手なことお願いしてるような感じですけど」

「あははは、それは、その……う、そう、新年のお年玉ってことで」

「はい、わかりました。それで、神様のところはそれがもっと厳格に決められているってことでいいですか?」

「はい、概ねそれでけっこうです。特に私とその眷属は取り扱うものがものですので、特に厳しく権能を管理されています」 

「そうなんですか……」

 僕は考え込む。魅力的なオファーであることは間違いない。だが、僕みたいな役立たずを召還して何になる? 死んだ後に、畑の肥やしにしかならないぞ。

「で、どうでしょう、私たちの世界に転生してきてくださいませんか?」

「ふむう……」

「あの……う」

「むふぅ……ん」

「藤田…さ……ん?」

 少し考えたが、この体型、筋肉量なら大概のところで、生きて行ける気がする。正し、文明があるとこらなら……だ。

「了解です。神様の世界に行きます。で、少しでいいんですけど……」

「あ? チートか? くらぁ?」

 うわ、とたんにガラ悪くなったよ。でも、このお方はだいじょうぶ、そんなにひどいことはしないと思う。……たぶん。

 神様に言う。

「神様、僕は食いしんぼなんです」

 僕は、転生した先でもいろんなものを食べてみたい、そのためには人間であることが難しい場合がある。

 僕は食に関する全てをいろいろチートして貰う気になっていた。

 何でも噛み砕き租借できる歯に、毒を食べても消化吸収できる胃や腸。太らない体、医者いらずの無敵の健康。病毒に犯されない完全な健康。

 僕が望んだのは、すなわち絶対健康だった!

「ふむ、それくらいなら、わたしの免許の権能でどうにかできます。まあいいでしょう。極大魔法とか元の世界から何でも取り寄せる能力とかだと、他の神との調整やら何やらが必要になってくるので……めんどうなんですよ」

 ありゃりゃ、言い切っちゃったよ。めんどくさいって。

 だから、さっき、ガラ悪くなったのか。たしかに、自分の権限だけで済むなら面倒なくていいもんね。よかった、僕の願望が素朴で。

「じゃあ、もう少しオマケしていいようなので、いろいろ付けときますね。これが、契約書になります」

 僕の目の前の空間に、膨大な数のモニターが現れた。

「ああ、読まなくても大丈夫ですよ、勝手に頭の中に流れ込みますから」

 神様の言うとおり契約内容が雪崩れ込んでくる。

 僕に不利益なことはただ一点を除いて全くない。

 だがそれは、普通に働いて10年。特別に手柄があれば、2・3年でどうにかできそうなことだった。

 

 僕の転生先は、僕が今まで暮らしていた世界で言うところの中世末期。大航海時代初頭くらいの文明度。鉄砲が普及し始めているものの、魔法が依然としてあるテンプレなファンタジー世界。

 

 僕はその世界で、交易商人の荷運び奴隷の青年として転生することになった。

 

「あの、ところで、質問なんですけど」

「はい?」

「あの、神様のお名前を教えていただければと。転生先で、もしできたら、朝、起きたときに一番に汲んだお水を捧げ、お礼を述べたいと思いますので、呼びかけるお名前をと思いまして……」

「うれしい……でも、私、固有名詞は持っていないのですよ。人の誕生と死、再生を司っています関係で、眷属もろとも、死神なんて呼称されてます。死神ですから、祀ってくださる神殿も祠さえも在りません、教団なんて、なにそれ? おいしい? です」

「では、甚だ御無礼ながら、お名前を差し上げてもよろしいでしょうか?」

「まあ、名前を献じて下さるというのですか?」

「はい、お許しいただければ」

「もちろんです。ああ、永劫を過ごしてきてこのような栄えを得るなど……」

「では、これから僕は死神様のことを『イフェ』様と、お呼びいたします」

 その名前は僕が中二的脳で書いた物語に出てくる。最強最高女神の御名だった。その物語を発表することはなかったが、僕は、その物語が大好きだった。

 女神『イフェ』の名前の元ネタは、たしか、北アフリカの民族の聖地の地名だ。

「うれしい。では、これより我が名を『イフェ』といたします。あの……う、ついでといっては何ですけど、『イフェ』の姿もいただけませんか?」

「ええッ! そんな重要なこと、僕なんかでいいんですか?」

 うろたえる僕を、やさしげな空気が包み込んでくれる。

「よいのです。第一の信者あなたが思い浮かべてくださる姿ですから」

「では……」

 僕は、小説に書いた女神イフェの姿の説明を思い出す。

 夜より黒い艶やかな黒髪。健康的な小麦色の肌。子孫繁栄のシンボル乳房は豊かで、ウェストは締まっている。そして、多産の象徴ヒップはドンと張っていて足は長い。

 服は純白のトゥニカに血の色のトーガ。

 生命の実りを収穫する鎌を背に、右手に生命の苗、左手にアクアウィタエ(生命の水)の水差し。

 生命を見守る双眸は血よりも紅い。

「なんと……! ああああッ!」

 死神様が歓喜の声を上げる。

 僕の目の前がまばゆく光芒に溢れる。

 そして、おそるおそる目を開けると……。

「人の生命を蒔き育て刈り取ること幾星霜、永劫の時を経て初めて名と姿を得ました」

 僕の目の前に、僕が想い描いた女神『イフェ』が、芍薬のように佇んでいた。

 

「生命の女神イフェの名において、藤田一を我らが世界の生命として招き受け入れ、育みましょう。ではこちらに貴方の真名を署名してください」

 24型モニターの大きさの契約書が目の前に現れる。

 と同時にズキンと右人差し指の先に痛みが走る。

 5ミリくらい指先が飛んでいた。

 勝手に指先が血を滴らせながらモニターに向かう。

「ちょ、ちょ……と」

 指先が止まる。

「一さんの同意がないと、署名はできません、同意していただければ、魂に刻まれた真名を自動で書記します」

 なるほど、そういう仕組みか。魂に刻まれた名前なんて知らないからどうしようかと思った。

「はい、同意します」

 真っ赤な血を滴らせた右手指先が、知らない文字をモニターに書いて行く。

 そして、文字を書き終わったとき。

「全ては成った!」

 生命を司る女神イフェ様が、ぱああぁん! と手を打った。

 

 そして、僕は再び気を失い、安心できる暗闇の中をたゆたいながら、どこかへゆっくりと降りて行った。

 




お読みいただき感謝いたします。


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第1話 僕は442番って呼ばれているのに転生した

 ドクンッ!

 全身が激しく痙攣して、僕は目が覚めた。

「442番!」

「旦那様! 442番が!」

 僕を覗き込んでいた人たちが、慌てている。

 なんと、獣耳の女の子がいる。いわゆる獣人ってやつだ。

「うわ、ほんとファンタジーだ……」

 思わずつぶやいた僕の方にドタドタと、数人が駆け寄って来る。

 深い眠りから覚めたばかりみたいな感じで、意識がはっきりとしない。まだ朦朧としている。

「うう……寒ッ!」

 背中から体温を奪われるような……って、地面に直置きにされてるのか僕。

「45番、44番、442番を暖めるんだ! お前たちが一番体が温かい。誰か毛布を持って来い!」

 この中で一番偉そうな人が、矢継ぎ早に指示を出す。

「ああ、442番……」

「442番……よかった」

 女の子の声が442番と俺に呼びかける。442番ってのはどうやら僕のことらしい。とたんに僕は凍えるような寒さから助け出され、ぬくぬくの中で再びまどろむ。

 柔らかくて暖かいものが僕を包んでくれていた。

 

 次に目覚めたとき、僕は大いにうろたえた。

 だって、僕の両側には、すっぽんぽんの女の子がいたからだ。僕らは毛布に包まって横になっていた。知らない天井ってか、布の天井だ。ってことは、ここはテントの中か?

 気を失う前僕のことを苦しめてくれた寒さはなかった。むしろぬくぬくと温かかった。僕が、こんなに温かい理由はすぐに判った。

 僕の両側にいる女の子たちが温かかったからだ。

 毛布の中で僕は二人のすっぽんぽんの女の子に挟まれていたというわけだ。

 しかも、この二人の女の子、垂れ耳の犬系の耳となんと、大きなお友達が大好きなウサ耳の女の子たちだった。

 僕はすっぽんぽんのケモミミっ娘にサンドイッチされて、ぬくぬくで寝ていたわけだ。

 なんて幸せくんな状況だ。俺死ぬのかな? いや、死んだばっかりのはずだから、またぞろ死ぬなんてないと思うけど。

 僕が幸せなこの状況を噛み締めていると、僕を左側から抱っこしていた犬系垂れ耳の少女が目を覚ました。

「ん……ぁ。442番!」

「や、やあ……僕は……」

「44番! 442番が目を覚ましたわ! 旦那様に!」

「ええ! 45番、旦那様にお知らせしてくるわ」

「あたしは、旦那様がいらっしゃるまで442番の傍にいるわ」

「うん! じゃあ、いってくる!」

 どうやら、この娘たちは、番号で呼び合っているみたいだ。かくいう僕も番号で呼ばれていたっけ。

「え……っと、45番?」

 おそるおそる話しかける。

「ええ! 442番! 本当によかったぁ。生きててくれて」

 どうやら僕こと、442番はこっちで死にかけていたようだ。っていうか、たぶん死んでるな。その、死にたての体に僕の魂が入り込んだって形なんだろうな。

「……ッ! あ、ああッ!」

 僕は思わず声を上げてしまう。起きたばかりの男性特有の生理現象に気がついたからだ。

「どうしたの442番?」

 愛らしい大きな瞳で、ビーグルみたいな垂れ耳の獣人少女45番が俺を見つめる。

「い、い、いや、なんでも……」

 僕の顔はたぶん耳まで真っ赤だ。

 ハッとした顔で、45番が毛布の中に頭を入れた。そして、顔を僕の目の前に戻して言った。

「よかった。すっかり元気だね」

 僕は大慌てでテントを飛び出し、人気のないところへ言って用を足す。

 夜明け前なのか、辺りはまだ暗い。

 飛び込める茂みなんてない。半分砂漠みたいな荒地だ。確か、こういうところは砂漠じゃなくて土漠っていったっけ。

 小高い丘の影に飛び込んでつまみ出し、大放出。

 ぶるるっと震えて我に返り、辺りを見回した。何もない。小高い丘を登り見回す。本当に何もない。360度全く何にもない。

 ここは土漠の真ん中だ!

 丘のふもと(といっても10メートルもない高さだが)には、僕が飛び出してきたテント群。僕は本当にどこかの誰かに転生したみたいだ。異世界かどうかはこれから検証。ってか、ケモミミっ娘の時点で、異世界転生確定。

 僕が飛び出してきたテントから、衣服を整えながら45番っていってた獣人の女の子が出てくる。

 その雰囲気、夕べはお楽しみでしたね感たっぷりなんでやめて欲しいな。僕、たぶんまだ童貞だから。

 いや、442番と呼ばれてるこの人はどうか知らないよ。

 垂れ耳の45番やウサ耳の44番って娘と、いつもよろしくやってるのかもしれないけどさ。

 でも僕は童貞だからね。

 テントから出てきた45番は僕を見つけてブンブンと手を振る。ビーグルみたいな垂れ耳が可愛らしい。

 大きく胸が開いたちょうちん袖のブラウスに胸を持ち上げるようにウェストを編み上げているコルセットみたいなもの、そしてキュロットスカートにニーハイのブーツ。

 獣人ってことだけじゃなくって、その服装も僕の常識にはないものだった。

「やっぱりここは異世界なんだな」

 そうつぶやいた俺の目を暁の光が貫く。

「ん……ッ、まぶッ!」

 土漠の彼方地平線から朝日が昇ってきた。

 こんなスペクタクルな風景、初めて見た。そして、生きていることを実感する。

「442番! 旦那様が」

 45番の隣にウサ耳っ娘、44番と呼ばれていた別のケモミミっ娘が走ってきた。

 僕は丘を駆け下りて、45番たちの傍に駆け寄る。

 そこで僕ははたと気がついた。

「痩せてる……ってか、たくましい体になってる?」

 鏡がないからわからないけど、ものすごく体が軽い。股間も見える。

「442番、すごい」

「嘘みたい! 442番あなた本当に昨日ケニヒガブラに咬まれたの?」

 ケニヒガブラってなんだ? 僕……ってか、442番はそれに咬まれた?

「おおッ! 442番! 目覚めたというのは、本当だったか! 長いことキャラバンを率いているが、ケニヒガブラに咬まれて命を取り留めたものなど初めてだ。あまつさえ、こんなに元気とは……奇跡という他ない」

 44番と一緒にやってきた、国民的RPGに出てくる商人みたいな中年男性が、僕を不思議なものを見るような目で眺める。

 この人が、45番たちが言っている旦那様なのか?

 っと、わき腹をつつかれる。

 44番と45番が片膝をついているのだった。

 どうやらこの人が僕らのご主人様のようだ。あわてて僕も片膝をつく。

「旦那様、おかげさまにございまして、442番生きております」

 勝手に言葉が出てくる。まあ、これくらいの社交辞令は知ってたからね。

「よい、よいのだ442番。お前には感謝してもしきれない。娘たちを助けてくれてありがとう」

 なるほど、442番はこの商人の旦那様の娘さんを庇って、ケニヒガブラっていうのに咬まれて死んだってこと?

「ありがとう442番!」

 そう叫びながら、僕に体当たりをかましてくる小柄な少女。

「ありがとう442番」

 そして……。嘘だ、ありえない。

 

 跪く俺の前に微笑みを湛え立っているのは。

「菫?」

 そこには幼馴染の菫が立っていた。




お読みいただきありがとうございます。


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第2話 僕は442番からハジメになった

「菫……」

 そこに立っていたのは、幼馴染の菫にそっくりな女性だった。

 いや、正確にはそっくりじゃなくて、よく似ている程度だと思う。だって、菫は金髪碧眼じゃなかったから。

「ヴィオレッタお嬢様……」

 ビーグル犬のような垂れ耳の45番が、僕の幼馴染にそっくりな女性の名前を呼びかけ、深々と頭を下げた。

 それに44番も続く。

 僕もそれに習って、頭を下げる。

 必然的に、僕に体当たりをするように抱きついてきた小柄な少女の頭頂部に、鼻先がくっつくそうになる。

「むふんッ! 442番くすぐったぁい!」

 少女が僕の胸に顔をぐりぐりとこすり付け、甘えた声で抗議する。

「これこれ、サラ、442番にそんなに甘えてはいけないよ。442番は死にかけていたのだから」

 国民的RPGのシリーズ四作目に出てきた商人にそっくりな442番のご主人様は、僕のことを気遣うように、サラという少女をなだめる。

「そうよ、サラ、あい……442番を離してあげなさい」

 ヴィオレッタお嬢様と呼ばれた女性もサラお嬢様を、なだめるが、サラお嬢様は僕にしがみつく力をゆるめようとしない。

「でも、でも442番が……ぅう」

 少女は僕を潤んだ瞳で見上げる。ひょっとして、442番のことを心配してるのかな?

「大丈夫ですよサラお嬢様。442番はもう大丈夫ですから。もう、元気ですから」

 できるだけ優しい声色で、僕は少女に話かける。

「ほんと? 442番、もう、死なない?」

「はい、442番は2度と死んだりいたしません」

 たぶんこれは絶対嘘じゃないだろう。イフェ様との契約が効力を発揮していたから、442番こと、僕は生き返ったのだから。

「あい……442番……本当にありがとう。いくらお礼を言っても貴方に受けた恩に報いきれない」

「ああ、そうだとも、お前には、何をもって報いたらいいのか……。一番なのはお前を解放してあげることなのだろうが、生憎と契約解除の儀式を執り行う設備を持って来てないのだ。私達の町に帰り着けば、屋敷に儀式用の設備一式があるから……そ、そうだ、町に帰り着いて、契約を解除するまで、仮解放というのはどうだろう」

 10年いや、5年計画で自分を買い戻すつもりでいた僕としては、急な展開で面食らってしまうが、奴隷の身から解放されるのは渡りに船ってことでいいかな?

 いや、待てよ、僕は、まだ、こっちの世界について何も知らないんだよな。

 知っていることといったら、ケモミミっ娘がいること、奴隷は番号で呼ばれるってこと。

 そして、僕は442番で、垂れ耳の娘が45番、ウサ耳っ娘が44番。

 あとは、商人らしきご主人様がキャラバンを率いていて、土漠を旅している。ご主人様には現在判明しているだけで二人娘さんがいて、どうやら442番はこの子たちを庇って、ケニヒガブラとかいうのに咬まれて死んだってこと。

 それくらいだな。僕がこの世界について知っていることは。

 したがって、もう少しの間は……そうだな、1年位かな……このご主人様のところで衣食住を保障されて暮らしてみたいってところが本音なんだけどな。

 だからといって、解放してくれるって言うのを、断ったら波風立つだろうし、どうしよう。

「お父様、それでしたら、私達の街に帰り着くまで、解放したあとの練習というのはいかがでしょうか? 442番に名乗りを許すのです。そして、帰り着くまで、我がキャラバンの荷役担当の奉公人として働いてもらうというのは?」

 ヴィオレッタお嬢様が、ご主人様に提案している。

「おお、それはいい、では、荷役奴隷442番を仮に解放することとする。そして、同時に荷役夫として、街に帰還するまでの間雇い入れる。これは、たった今から有効な宣言である。ここにいる我が娘たちが証人である。44番、45番お前たちも知っておいておくれ。442番よ、お前に名乗りを許そう。たった今より、生まれたときに授かった名を名乗るがよい。もし、元の名に不都合があるならば私が名づけてもよいが?」

 ご主人様はにっこりと僕に笑いかけてくれる。

 だけど、僕は442番の本当の名前なんて知らない。さて、どうしたもんだろう。

 あ、そうだ。

「旦那様、実は、私、死の淵を彷徨っておりましたおり、生命を司る女神のイフェ様というお方にお告げをいただいたのです」

「なんと……生命を司どる神といえば死神のこと。かの神は、無貌無名の神だが、イフェと名乗ったと」

「はい、確かに。で、その神がおっしゃるには、今一度の命と名を与えようとのことでした。そして、私は命をとりとめ、こうしているわけでございます」

 旦那様は腕を組み、考える。

「ふむ、で、その名とは?」

「皆様方の御名とは、かけ離れた異国風の名でございました」

「ふむ、死神とはいえ神は神。あまつさえ、お前に今一度の命を与えたもうたのだ。もうひとつ与えられた名を名乗らぬのは、不敬であろう。では、その名を名乗るがいい」

「はい、ありがとうございます旦那様。では、荷役奴隷442番はこれよりハジメを名乗りとうございます」

「なんとも、不思議な響きの名だ。まさに神が与えたもうたような名だな。よろしい、これよりお前をハジメと呼ぶことにしよう。いいなみんな」

 いつの間にかご主人様を中心に、キャラバンの人たちが集まっていた。

「これからもよろしくね、ハジメ!」

「へんな名前ね。ホント異国風。舌噛んじゃいそう」

「44…っと、ハジメ、おめでとう!」

「ハジメ! これからもよろだぜ!」

 44番やサラお嬢様、45番がそして、キャラバンのみんなが口々に喜んでくれている。そんな中、ただひとり、ヴィオレッタお嬢様だけが、どこか、さびしそうな翳をまとって、僕に問いかけてきた。

「その名を本当に名乗るの? あい……」

 ヴィオレッタお嬢様的に、僕に名乗らせたかった名前があったみたいだ。だが、僕の名前は藤田一だ。それ以上でも、以下でもないと思う。いまさら別の名前に変えるなんてできない。

 そして僕は荷役奴隷442番からハジメへと名前が変わった。

 

「ゼーゼマンの旦那! できたぜ!」

 そう言って旦那様の名前(今初めて知った。まるで「アルプスの少女ハ○ジの登場人物で、フランクフルトに住んでるお金持ちの名前だ)を呼びかけながら、あまりガラがよろしくない数人の剣や弓、槍で武装した人たちが現れた。

 たぶんこういう人たちのことを冒険者っていうんだろうな。

「お、442番もう起きられるのか。すげーなお前。ってか、44番ちゃんと45番ちゃんのサンドイッチで、ナニモカニモがビンビンに元気になっちまったってか?」

 なにもかにもにおかしなアクセントをつけているところ、ゲスのかんぐりもいいところなんだが、なんか妙に憎めない愛嬌がある人だ。大きな剣を背負ったいかつい人なのに。

 ほんとうに変な雰囲気の人たちだ。冒険者ってこんな陽気なひとたちばっかりなのかな?

「クレウス! 44番と45番の目つきが剣呑になってるの気がついてる?」

 弓を持った女性が、ゲスなあいさつをしてくれた、リーダー格のクレウスさんという体格が立派な人の頭をナックルダスターつきの手甲でぶん殴った。

「まったくだ! そういう一言で我々の信用が失われると、なぜ、思えない!」

 大きな盾を持った、重戦車みたいな体格の人が、弓の女性に追従する。

 クレウスさんと呼ばれたひとは、殴り続ける弓の女性冒険者に何度もゴメンナサイを繰り返していた。

 44番と45番にサンドされて、ヌックヌクのビンビンになってしまったことは事実だからべつにいいんだけど。

 あ、そうだ、できたって? 何が?

 

 僕たちは冒険者の皆さんが、できたと言っている物のところへ行く。

 それはすぐに僕の視界を埋め尽くした。

 

「ねえ、45番、44番」

「なぁに4……ハジメ?」

「なんだい? 442ば…っと、ハ・ジ・メ」

 あっけにとられつつ、僕を温めてくれたケモミミの女奴隷のふたりに聞いてみる。

「こういうのってこの土漠には普通にいるのかな」

 そこにあったそれは、僕の生物の知識から大きく逸脱していた。

「普通にはいないし、当たり前に生きている人が出会うことも稀なことだわ」

 と、垂れ耳の45番が教えてくれる。

「…んで、僕は、これにいったいどこを咬まれたのかな?」

 僕らの目の前には、すっかりと解体アンド部位分けが済んだ、大きな爬虫類らしきものの成れの果てが、レジャーシートみたいな、敷物の上に所狭しと並べられていた。

 そのなかでも、異彩を放っていたのは僕なんか丸呑みしてしまいそうなくらい大きな蛇の頭だった。

「え……っと、上あごの毒牙に胴体を貫かれていたわ」

 僕は服を捲くり上げ、傷痕を探す。でかい穴が開いていて、向こう側が見えていてもおかしくないはずだが、蚊に刺された痕ひとつない。

「ああ、お前が毒の牙を、その体で封じてれくれていたから、おもしろいように攻撃が通った」

「ふふふっ、ケニヒガブラなんて、ダンジョンじゃ中層の階層ボスクラスなのよ。普通に攻撃してたら当たることなんてないから、本来なら魔法使いの独壇場ね」

「あれで死なないなんて、お前、何の加護を受けているやら」

 そうか、僕はおそらく蛇の化け物もしくは大蛇に飲まれそうになったお嬢様方の前に立ちはだかり、代わりにその毒牙に貫かれて抜けなくなった。

 そこを44番と45番がやっつけたってお話か。

「強いんだね二人とも」

「!!! ッぷぷぷぷぷッ!」

「! ……ふふっ、うふふふふ」

 あ、しまった。へんな地雷踏んだ。

 早くも僕が本当の442番じゃないことがバレつつある感じだ。

「うん、かなり強いかもね」

「わたしたち、旦那様の最後の守りだから。わたしたちの役目は、もう、ずうっと内緒で、いつも旦那様の御傍に侍っていたから、みなさんあっちのほうの奴隷だと思っていたの」

「でもさ、442番が……ハジメがそう思ってたら嫌だねって、45番といつも言ってたんだ」

 そ、そうだったんだ。

 ゼーゼマン氏の最終防衛ラインだったんだ、この子たち。

 僕は、僕を温めてくれていた柔らかな体のどこに、そんな戦闘力が秘められているのか不思議に思った。

 




17/08/31午前 プロローグ1~第2話までの5話を投稿いたしました。
興味を持っていただき誠にありがとうございます。
本作は『小説家になろう』様にても公開させていただいております。
本日中にもう少し投稿の予定であります。


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第3話 荷役奴隷から解放されただけじゃなく武闘系ケモミミっ娘奴隷の主になってしまった件について

「な、なんということだ! 終わりだ……。私は、私は……」

 僕たちの主人であるところのゼーゼマン氏が、脂汗をかいてうろたえている。まるでこの世の終わりを垣間見てきたヨハネみたいに青ざめ、何かに救いを求めるように視線を空中に彷徨わせていた。

 僕にはよく判らないけど、ゼーゼマン氏の様子からして、よっぽどな事態が進行していることは確実だった。

 

 僕が、442番という荷役奴隷の青年に転生してきてからこっち、僕らが所属している交易商人ゼーゼマン氏が率いる商隊は、僕が巨大な毒蛇に咬まれ、生き返ったことのほかは、事件らしい事件も起こらず、順調に旅程を重ね、途中に寄った町々でも商売をして、本拠地の町に帰ってきた。

 そうそう、クレウスさんら冒険者さんたちが解体したケニヒガブラの有用な部位のうち、けっこうな価値のある上顎の毒牙は僕がもらえることになった。

 一番の手柄にその獲物の一番価値がある部分が分け与えられるのは、当然なのだそうだ。

 だから、今僕のウェストバッグには、今、僕の体をやすやすと貫いた牙が丸のまんま入っている。

 ……実は牙をしまうときに、ウェストバッグになにやら違和感を感じて調べてみた。そしたら、僕の……442番のウェストバッグは、元いた世界の国民的マンガにでてくる猫型ロボットのお腹についているポケットみたいになっていた。

 これって、イフェ様が言っていたオマケなんだろうな。

 そして、その中には、自分自身を瞬時に買い戻して奴隷でなくなるくらい簡単にできてしまうくらいのお金が入っていた。

 これは、442番が自分を買い戻すためにこつこつとためてたお金なんだろうか?

 このお金は何なのか後で神様に聞いてみよう。もっとも、神様が僕の質問に答えてくれる位にヒマしてたらだけど。

 それまでは、ちょっとおしいけど、四○元ポケット化した腰の雑嚢のこやしだね。

 

 本拠地の街に帰還した僕は、ゼーゼマン氏の屋敷の倉庫で、香辛料や、絹、その他諸々の東方の特産品が入った木箱を、せっせと整理していた。

 それこそ本当に命を懸けて運んできた、大事な大事な商品だ。僕は作業を神経質にすぎるくらい丁寧にやっていた。

 そこへ、ゼーゼマン氏が、同じ年恰好のおそらく取引相手の商人を連れて来て、木箱から東方の特産……香辛料や砂糖メノウの工芸品を次々と見せては、何事かを話し込んでいた。

 それが、いきなり取引相手が何事かを口にしたとたん、ゼーゼマン氏が青ざめ、うわごとのように「終わりだ」をエンドレスリピートし始めたのだった。

「旦那様は、いったいどうしたの?」

 僕はゼーゼマン氏の最終防衛ライン、44番と45番に何が起こっているのか聞いてみた。

「詳しくは判らないけど、事態はものすごく深刻みたいだね」

 44番が、爪を噛む。

「旦那様お仕えして、何度も遠征したけれども、ケニヒガブラにお嬢様が襲われそうになったときでさえ、あんなに取り乱されはしなかったわ」

 45番はその大きな瞳に剣呑な光を宿し、ゼーゼマン氏を見つめる。

「「お父様!」」

 ゼーゼマン氏の愛娘にして、キャラバンのアイドル(俺が勝手にそう思ってる)ヴィオレッタ様とサラ様姉妹が息せき切って倉庫に現れ、ゼーゼマン氏に駆け寄った。

 お嬢様方は何らかの事情を把握しているみたいだ。

「おお、ヴィオレッタ、サラ……」

 ゼーゼマン氏は二人を抱きしめた。

「すまない、本当にすまない。まだまだ先のことだと思っていたことが、起きてしまった」

「はい、お父様、クレウスさんたちが、冒険者ギルドにクエスト達成を報告に行って聞いてきたそうです」

「お父様……」

 ゼーゼマン氏はお嬢様方二人を抱きしめたまま、僕たちのほうに向いて告げた。

「44番、45番、みんなをここに集めておくれ。債権者たちが来る前に奴隷の皆を解放する」

 債権者が来る前? ってことは、ゼーゼマン氏は破産したのか? 負債を抱えて?

 ゼーゼマン氏は、44番と45番に、奴隷のみんなをここに集めるように指示を出すと、倉庫の中にある事務室へと入っていく。

「奴隷契約解除の儀式を行うよ。今、道具を持ってくるからね」

「ゼーゼマンさん!」

 僕は、思わず叫んでいた。

 ゼーゼマンさんは振り返って微笑む。そして。

「南回りの東方への航路が発見されたんだ。その艦隊が持ち帰った品々のおかげで、東方の特産は軒並み大暴落してしまったよ。今回の遠征の資金を集めるためにあちこちに借金をしていたんだ。暴落さえしてなければ、借金を返してなお莫大な利益がでるはずだったんだけどなぁ」

 ゼーゼマンさんは「くッ」っと呻いて、事務室に入っていった。 

 

「太陽と月の神にかけて印された隷属の契約をここに廃する」

 ゼーゼマンさんが首の辺りを榊の様なもので撫でる、そこが微妙に熱くなり、パキンと音がして、奴隷の証の首輪が砕けた。

 ゼーゼマン商会の倉庫はいまや、解放された奴隷たちが自分たちの行く末を心配する場となっていた。

 そりゃそうだ。衣食住が保障されて、些少なりとも給金が出ていた身分から、自由を得る代わりに衣食住が不安定供給な立場にジョブチェンジだもの、不安な気分になることうけあいだ。

 首をさすっていると、ゼーゼマンさんが微笑みながら、話しかけてくれる。

「442番……いや、ハジメ、今までよく勤めてくれた。娘たちの命の恩人には本来なら餞をするところなのだろうが、今はそんな余裕がない。代わりにこの二人を譲渡する。この二人の隷属契約だけはお前たちと違って、本殿でなくては解除できない特別なものなのだ。このふたりの登記の名義変更ならばすぐにできるから受け取って欲しい。44番45番、いいな、これからはハジメがお前たちの主だ」

「「はい、ゼーゼマン様。ハジメ様、これより我らふたり、あなた様にお仕えいたします。幾久しくお願いいたします」」

 さっきまで対等だった44番と45番との立場が、瞬時に主従になってしまったことに、僕は少なくない衝撃を受けてしまった。

 だって、いきなり、ケモミミっ娘奴隷のご主人様ですよ、この僕が。

 僕だって年頃の男ですから、奴隷という言葉には頭の中にピンクの靄がかかってしまう。

「よ、よろしく」

 そう言うだけで、いっぱいいっぱいでした。

 

「「「ゼーゼマン!」」」

 僕たちの他の解放奴隷たち全てが、ゼーゼマン商会から出て行ってから少しして、倉庫の中を、野太い聞いていて、あまり楽しい気分になるわけでもない声が満たした。

 

債権者の方々のご登場だった。

 




お読みいただきありがとうございます。


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第4話 借金のかたに娘が連れて行かれるって……

 ゼーゼマンさんに奴隷身分から解放されたその日の夜、僕は、44番と45番を連れて、奴隷の競売の会場に来ていた。

「南方は銀の国の男。このたくましい体で農耕から剣闘まで何でもこなすよ。こいつは金貨450からだ」

「455!」「460!」「500!」

「500! ないか? 500ないか?」

「650!」

「650! ないか? 650! では650で、アブサロム様に!」

 木槌の乾いた打擲音が場内に響く。

 一人の男奴隷の競りが終わった。

 

「4……、ハジメ、娘たちを…、ヴィオレッタとサラをどうか、どう……か」

 俺の胸倉を頼りなく掴んでいたゼーゼマン氏の手の力が抜けて行く。

「ゼーゼマンさん!」

「旦那様!」

「ヨハン様!」

 僕らのキャラバンのリーダーだったヨハン・ゼーゼマン氏は、あっけなく死んだ。ぼくは、人間の重みをひしひしと感じていた。

 

 債権者の皆様が、ゼーゼマン商会の店舗兼屋敷の隅から隅まで蝗のように漁り、金目のものを奪って行くのを、お屋敷のエントランスホールで僕たちは黙って見ていた。

 命がけで運んできた、東方の特産品はもとより、お屋敷の家財道具や美術品貴金属類も全部持っていかれた。

「ヨハン! こんなんじゃとても足りないぞ!」

 債権者の一人が叫ぶ。

「こ、この屋敷が売れれば、まとまった金になる。それまで……」

「残念だがそれは無理だよヨハン。ウチだって、君が儲けると思って借金して投資したんだ。今回収できなければ、私も家族ごと身売りしなきゃならんのだよ」

「ゼーゼマン! きさま、奴隷はどうした? きさまのところにはけっこうな数の奴隷がいたはずだが?」

「そうだ、それを売れば、けっこうな金になる……。セコハンだから、使い潰し用になるが、いい値段がつくはずだ……まさか」

 ゼーゼマン氏は俯く。

「解放したのか? 全員? なんて馬鹿なことを!」

「きゃあああッ!」

 ゼーゼマン氏のお屋敷のエントランスホールに女性の悲鳴が響いた。

「なら、ゼーゼマン! 娘たちを貰って行くぞ」

 ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様が下卑た薄笑いを浮かべた債権者に、髪の毛を掴まれ引き摺られるように連れ出されてきた。

「おお、ヴィオレッタ、サラ!」

 ゼーゼマン氏はお嬢様方の名を呼びはしたものの、連れて行こうとする債権者の行動を阻止する様子はなかった。

「くッ!」

 僕の手は、雑嚢に着けている短剣に伸びていた。

 お嬢様方の目を覆いたくなるような近未来が簡単に予測できたからだ。

 442番の愛用の短剣は鉈のように分厚く重い。

 ヨーロッパの詩人みたいな名前のウルトラマッチョヒーローがジャングルで活躍する映画の4本目で、主人公が自ら鍛えたって言う設定のでかいナイフみたいなゴツイ逸品だ。

 短剣の柄を握った右手に力が入る。革鞘に収まった刀身を固定している金具を外す。

 ヴィオレッタお嬢様の髪の毛を掴んでいる男まで一足飛び。首に斬り付け、振り向いてサラお嬢様を引き摺っている男の胸を突き刺す。

 護衛に殺されるまでに何人道連れにできるかシミュレーションを始める。

 ちょ、ちょ、待って。僕、なんでそんな物騒なこと考えられるんだ?

 僕は安全安心コンビニな国で生まれ育った軟弱ものですよ。通常の三倍が出てくるあのアニメだったら、軟弱者! って罵られて、ビンタされちゃうくらい惰弱ですよ。

 そんな僕がどうして、歯を食いしばって、でかい鉈みたいな刃物振り回そうとしてる?

 僕の逡巡をよそに体はどんどん戦闘準備を整えてゆく。

 雑嚢に着けた革鞘から短剣を抜き放とうとしたそのとき。

 その手が温かく柔らかなもので押しとどめられた。

「いまはだめ」

 44番が耳元で囁く。

「でも……」

「今暴れたら、みんなお尋ね者になっちゃうよ。あたしや45番はかまわないけど、旦那様とお嬢様がたはかなりしんどいことになるよ。いいの?」

「でも……」

 お嬢様方を連れて行こうとしている男たちは、口々に下衆な言葉を投げつける。

「このお嬢様方は、この街でも有名な上流階級のご令嬢様だ。そのブランドに大金を払う好き物は大勢いるだろうさ。没落伯爵家のご令嬢並みの値がつくぜ」

 後ろから、ヴィオレッタお嬢様の……む、胸を鷲掴みにして、好色そうな笑いを浮かべて、皮算用を並べ立てる。

「い、いやぁ」

「お姉様から手を離して! お父様、助けて! お父様!」

 お嬢様の声がエントランスホールに響く。

 だが、その声に応えるのは、債権者の邪な笑いだけだった。

「俺の見立てじゃ、こいつら、まだ、男を知らんみたいだぜ。こいつらの水揚げ代だけで、全債権の三割は返済できるぞヨハン!」

「娼館に売れれば負債の半分、水揚げ代で更に三割だ。八割をこいつらで返済できるぞヨハン!」

 お嬢様方は、ずいぶんと高値で売られるみたいだ。

 確かにきれいな方々だとは思っていたけど、そんな値段がつくなんて、僕は、半ば呆れて脱力してしまい、抜きかけていた短剣から手を離した。

 ホッと安堵のため息が、二つ聞こえた。

「さっき差し押さえた諸々と合わせれば、全額完済だ否も応もないだろ、ゼーゼマン!」

「お嬢さん方、飲み込みな、今まで贅沢ないい暮らししてきたんだからよ、ぐへへへ」

「お父様、お父様!」

 ゼーゼマン氏を呼ぶサラお嬢様の声が、どんどん小さくなってゆく。

「お父様……」

 諦念を含んだヴィオレッタお嬢様の声が、涙とともに床を濡らす。

「なあ、おい、奴隷商のところに持っていく前に俺たちで味見……」

「ばかやろう! そんなことしたら値が下がるじゃねえか!」

「奴隷商人のニンレーは店にいたっけか? 今夜の競売にこいつらを出したいな」

「大丈夫だ、ヤツは仕入れから帰ってきたばかりで、酒場で飲んでたのを来る途中に見かけた」

「「お父様ああぁッ!」」

 ゼーゼマンさんは俯いてヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様への謝罪の言葉をうわごとの様に繰り返すばかりだった。

「すまない、すまないヴィオレッタ、サラ……」

 そうして、二人のお嬢様が、連れて行かれ、ゼーゼマン氏の屋敷のエントランスホールはしんと静まり返った。

「ああ、なんということだ、なんということを私はしてしまったのだ……。ああ、私はどうすれば………………ッ! うぐッ! ぐふぅ! ぐ、ぐ、ぐぉ……ぐうッ!」

 聞き覚えがある呻き声。胸を押さえて倒れこむゼーゼマン氏。

「旦那様!」

「お、ぐ、ぐうッ! ……っは…、ぐ、ぐ、ぐぅッ!」

「ゼーゼマンさん!」

 俺はゼーゼマン氏を抱き起こす。

 ゼーゼマン氏は俺の胸倉を掴み、絶え絶えの息で俺に懇願したのだった。

「どうか、娘を、娘たちを……ハジメ……」

 全身から力が抜けぐったりとしたゼーゼマン氏を仰向けに寝かせ、胸に耳を当てる。

 鼓動は聞こえない。僕が死んだときと同じ状況なことは一目瞭然だ。 

 ウェブ上で得た心停止の際の応急手当を実行する。

 すなわち、心臓マッサージと人工呼吸。

「ハジメ!」

「ハジメ様!」

 どれくらいの間、それをやっていたのか、わからなくなるくらいの間、救命行為を続けた。

「ゼーゼマンさん! 戻って来い! ゼーゼマンさん!」

「ヨハン様!」

「旦那様!」

「戻って来い!」

 ああ、あのとき、僕の心臓を直にマッサージしていた薄緑の割烹着の人はこんな気持ちだったんだ。

 

 僕はゼーゼマンさんの名前を呼びながら、胸を押し続けた。

 

 




お読みいただき誠にありがとうございます。


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第5話 僕は平和ボケしているので、お金で解決を選ぶ。獣耳さんたちはご不満のようだけど

 僕たちの努力は実を結ばなかった。

 ヨハン・ゼーゼマンさんは戻ってこなかった。

 十数分、僕はその場に座り込んで放心していた。

 けど、どうにか気を取り直して、二人に声をかける。

「じゃあ、ゼーゼマンさんの遺言を実行しようか」

「どうやって?」

 44番が尋ねてくる。

「奪うのですか? 攫うのですか?」

 ああ、45番この状況ではどちらも同じ行動だよ。それに、力づくを前提にしないで。ぼくは、安全安心コンビニな国で生まれ育ったんだから。

 僕はふたりに尋ねる。

「お嬢様方を買い戻すにはいくらかかるかな?」

 ふたりは、ゼーゼマンさんの骸がそこにあるにもかかわらず、笑い出した。

 うん、解放奴隷がもっている程度のお金じゃ爪の垢さえ買えないのはわかってるつもりだ。

 だけど、これならどうだろうか?

 僕は四次○ポケット化した腰の雑嚢から、金貨が入った麻袋を何個も取り出す。

 その数六十八個。数えてみたら、一袋に三百枚の金貨が入っていた。どの袋も同じ分量が入っているようだった。

 運よく残っていた古い天秤で重さを量ってみると全部同じ重さだった。

 同じ重さということは、三百枚×六十八袋=二万四百枚の金貨があるということになる。

「よ、442……ハジメ様、これは……」

 45番が大きな瞳を更に見開いて、僕を見つめる。

「ハジメなぜこれをさっき出さなかったの?……そうしたら旦那様は……、それに、その雑嚢、いつの間にマジックバッグに……」

「ゼーゼマンさんが、こんなことになってしまうなんて、予想できなかった。後でこっそりとこの金貨をゼーゼマンさんに渡すつもりだったんだ。債権者たちが引き上げた後で」

 それから、さっき、債権者たちの前で、この金貨を出さなかったのは、解放奴隷の僕が肩代わりを申し出たところで、取り合ってもらえなかったろうし、最悪、護衛についてきてるやつらに金貨とマジックバッグを奪われて、殺されることも予想できたからだった。それを言うと、45番が俺の肩をつかんで睨みつけた。

「ずいぶん軽く見られたものですね、わたくしたち」

 45番の髪の毛がざわざわと逆立ち始める。ものすごくプライドを傷つけたみたいだ。

「さ、騒ぎを起こすなって言ったのキミじゃないか、45番」

「あ、そうでした」

 さっと、45番が素に戻る。

「だから、この金でお嬢様方を取り戻そうと思う」

 俺は二人の目を見てそう宣言した。

 

「さあ、次は、メス猫の獣人だ。まだ生娘!」

 会場がどよめく。

 奴隷は壇上で素っ裸にされ、口腔内陰部足の裏とありとあらゆる場所を晒され、品定めされ、開始値がつけられる。

 それを、購入希望者たちが競って行く。

 平和安全安心コンビニな国で生まれ育った僕には、なんとも、耐え難いインモラルな光景だった。

「ねえ、45番、お嬢様たちの番がきたら呼んでくれますか? 僕、ちょっと外に出ているので」

 さっきの、怒髪天を衝いた45番に、すっかり腰が砕けてる俺は、丁寧な口調でお嬢様たちの競りが始まるのを教えてもらおうとお願いをする。

「ご自分のことを思い出されたんですね。お察しいたします」

 45番が妙な気を遣ってくれる。

 しまった、この娘たちも、こうやって見世物にされた挙句に、買われたんじゃなかったか? そんなつらい経験をした女の子を、こんな所に連れて来るなんて、俺はなんて無神経なヤツなんだ。45番の怒髪が目に浮かぶ。

「そ、その……44番、45番、ごめんなさい君たちもその……」

「ああ、あたしたちは違うよ。こんな風に売られてたわけじゃないから、そこらへんのお気遣いは無用でございますわよ」

 44番がウサ耳を揺らして微笑む。タメ口と従者風の口調が混じって変な感じになっている。

 45番は早々に僕への口のきき方を、ゼーゼマンさんから登記を譲渡された瞬間から主従のそれに切り替えてしまったんだけど、僕としては、なんかむず痒いので、早いところタメ口に直してもらうか、いっそのこと解放してしまおうかとも考えている。

 そうなったときに彼女たち、僕の最高戦力が、僕の知らないところに行ってしまうのかも知れないけど、そのときは、まあ、そのときってことで。

「そ、そうなんだ。いろいろあるんだね、奴隷の入手法って……。知らなかった」

「こうしたオークションや、奴隷商人から直接っていうのが一般的なんだそうです。わたしたちはゼーゼマン様とは、普通の奴隷とは違う形で邂逅したので、つい最近なんです奴隷取引について知ったのは」

 45番が補足説明してくれる。僕こと442番が、自分の経験上から、オークションしか知らないと思ってくれているようだ。

「はい、生娘の猫人、1500でティーチ様、落札!」

 カーン! と小槌が決済の音を打ち鳴らした。

「ハジメ、次みたいよ」

 頭の後ろで手を組んで、壇上を見ていた44番が知らせてくれた。

 カンカン! 壇上の奴隷商人が木槌を打ち鳴らす。

「皆様、お待たせしました。本日のカタログには間に合いませんでしたが、先ほど緊急入荷いたしました逸品をご紹介させていただきます」

 何が出てくるのか、すでに知っている客が囃し立て、場内は騒然とした空気に包まれる。だからこその「お待たせしました」なのだろう

「破産交易商人の娘姉妹! 生娘ッ!」

 ヴィオレッタお嬢様と、サラお嬢様が、薄い生地の丈が長い白いワンピース姿で、壇上に引き出された。

「うおおおおおおおおおおおおおッ!」 

 場内が嵐の海の波の轟きのような、下劣な欲望と好奇心に盛った男たちの嬌声で満ち溢れる。

「父は高名な交易商人。母親はかつて王都の華と謳われた没落伯令嬢。母親もこの会場で父親に競り落とされた今は昔の物語。ぎゃはははははは!」

 お嬢様はふたりとも気丈にもしっかりと目を見開き、口を真一文字に引き結んで、正面を見据えていた。

「早く脱がせろ!」

「商品をよーっく全部見せろ!」

 下卑た笑いが場内を満たす。

 

 くっそ! 吐き気がする。この下衆どもが。

 

「では、皆様、深窓にて育まれ、母親と同じこの場所で競りにかけられる、運命の美少女姉妹を、お品さだめください!」

 ステージ袖から小男が数人出てきて、お嬢様方の左右に立ち、ワンピースを掴む。

 左右から強く引っ張れば、服が裂けて、ふたりとも素っ裸になるという演出か。

 さっきの猫人のときは自分で脱ぐようにさせてたくせに、今度は服を引き裂くという、陵辱的演出をしているわけだ。

 くっそ! できるなら、こいつらの首、まとめて刎ね飛ばしてやりたい。

 そう思った俺の耳が、ぐるるるるる……という、低いうなり声を聞いた。

 44番と45番が腰をかがめ、シマウマを狙うメスライオンのように喉を鳴らしていたのだった。




お読みいただき誠にありがとうございます。


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第6話 契約くんは指先を切って血を滴らせるのが好きだな。サドなのか? 変態め

 壇上で、お嬢様方の寝巻きのようなワンピースを、引き裂こうとしている連中に向かって。

「そんなのはいい、競りを始めろ!」

 と、怒鳴り声を上げたやつがいた。

「王都ネコチェルン一家の若頭だ」

「なんで?」

「こんな辺境に、ネコチェルンが何の用があるってんだ?」

 嵐のような異様な盛り上がりは一瞬にして凪いでしまった。

「で、では、はじめます。破産交易商人の娘姉妹。 五千から」

「一万!」

 ネコチェルンの若頭と呼ばれた男の声が、いきなりの高額をコールする。

 客席の前方で歓声が上がる。さっき、ゼーゼマン氏のところから洗いざらいもっていきやがった蝗どもだ。

 きっと、ゼーゼマン氏に貸し付けた金額に届いたのだろう。ひょっとしたら、利益が出てるかもしれないなあの喜び具合は。

「あの男、危険です」

 45番が囁く。

「だね」

 44番が同意する。

「お前たちよりもか?」

 俺はふたりに聞き返す。

 ふたりは俺の方を向いて、白い歯をむき出して鼻で笑う。

「「フン! まさか」」

 その笑顔は、シベリア虎が笑ったら、きっとこんな顔で笑うんだろうなと、思える笑顔だった。

「なら、それは、危険とは言わない」

 俺は手を上げる。

「一万五千!」

 辺りは、みすぼらしい旅装姿の俺がコールした破格な金額に驚き、そしてあざ笑う。俺なんかがそんな金を持ってる訳がないと思い込んでいるからだろう。

「一万六千!」

 ネコチェルンの若頭がレイズする。

 俺は負けられない、ゼーゼマン氏が姉妹を俺に託したのだ。報酬は先払いで貰った。高性能戦闘獣人の奴隷ふたりだ。

 だから俺も更にレイズする。

 

「二万!」

 

 ってこれ、日本円にしたら二億円だよ。ってか、もうそれ以上は殆ど出せないよ。

 向こうが更に吊り上げてきたらどうするんだよう。僕のあほーッ!

 

「二万ないか? 二万!」

 静寂が競売場の中を満たす。

 44番と45番は両手を胸の前で組んで何かに祈っている。

「では、二万でそこの旅姿方に! 手続きは一刻以内にお願いいたします。手続きがなされない場合は、次点の方の権利獲得となりますのでご注意ください。

 僕は、会場を出て用意しておいた幌付の馬車に乗り込む。

 荷台で金貨の麻袋をマジックバッグから出して床に並べ、44番と45番を見張りに立たせて、奴隷商の受付へと向かう。

 すぐに、壇上で競売を仕切っていた男が出てきて、馬車に乗り込み、麻袋を確認する。

 そのときの奴隷商の顔といったら、まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔だった。

「で、では、登記証書をお渡しと隷属契約をいたしますのでこちらへ」

 奴隷商の使用人たちが、金貨が入った麻袋を馬車から奴隷商の店舗内に運ぶ。

「金貨をたしかめさせていただきます。しばらくこちらでお待ちを」

 応接室に通され、紅茶を出されて待つこと数十分。

「お待たせいたしました。金貨は全て真正で数もぴったりでございました。金貨二万枚確かに。あと、取引税が10パーセントかかるのですが……」

 え? ってことは全部で二万二千枚必要ってこと? やばいよやばいよ! マジックバッグに入っていた金貨はもう四百枚しかないよ。

 

 いざって時は、45番が言っていたように強奪だな。俺は即座にハラを決める。

 

「さあ、来なさい、おまえたちのご主人様に引き合わせよう」

 奴隷商がお嬢様方を応接室に招き入れる。僕は、ようやくヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様に再会することができたのだった。

「あい……ハジメ!」

「ハジメ、ハジメッ!」

 サラお嬢様が体当たりするように俺に抱きついてくる。下腹部に頭をグリグリと押し付けて喜びを表現してくる。

「では、旅のお方、このふたりの奴隷の所有権は、ただいまから貴方様のものとなります。本証書に記名、血判され、二人の隷属の首輪にその血を滴らせることで、本契約が成立となります」

「すぐに解放するんで、隷属契約はしなくてもいいかと……」

 僕は奴隷商人に聞いてみる。

 商人は目を見開いて驚き、そして呆れる。

「なんてもったいないことを。お客様はこのふたりの対価として二万枚もの金貨をお支払いになったのですよ。それをすぐ解放だなんて……。まあ、お買い上げから先はお客様の自由ですから、わたくしどもが口を挟むことではございません……が」

 ため息混じりだった。

「ですが、一度は所有していただかないといけません。現在、この二人は当商会の仮所有になっておりますので、一時的にでも隷属契約していただかないことには、解放も何もございません」

 そういうことなら仕方がない。

「あ…ハジメ様、わたくしを貴方のものにしてください」

「ハジメ様、わたしもハジメ様のものになりたいです」

「お嬢様……」

 お嬢様方のダメ押しに、揺らいでいた気持ちがひとつの方向に定まった。

 僕は左手人差し指の先端を小刀で切る。

 滴る血で二枚の書類に名前を書いて血判を押す。よかった、こっちの文字読める。助かった。書類にはお嬢様方の名前と生年月日、血統などの個人情報と、奴隷の所有者が僕であることが記されていた。

「では、この宣誓呪文を読み上げてください」

 奴隷商がなにやら書き付けてある紙を僕の前に広げる。

「太陽と月の神にかけて、ここに隷属の印を施す。死が主従を分かつか、契約が廃されるまで、本契約により、汎用奴隷ヴィオレッタ・アーデルハイド・ゼーゼマンは旅人ハジメに隷属するものとする」

 ヴィオレッタお嬢様に着けられた首輪に指先から血をたらす。首輪が青く光り、ヴィオレッタお嬢様の全身にバチバチと稲妻が迸ったのだった。




お読みいただき誠にありがとうございます。


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第7話 人は法を守ろうとするから暴力に暴力で対抗できない

「んくうううううッ!」

 ヴィオレッタお嬢様は目を見開き、口角から一筋の雫をたらして全身を痙攣させ、がくりとくず折れる。

「だ、だいじょうぶなんですか?」

 更にうつぶせに倒れこみ、全身を釣り上げられた鰹のように戦慄かせている。

 僕は奴隷商に問いかける。

「大丈夫です。これは、この奴隷の体の髪の毛の先から足の爪の先まで、ご主人様への服従心を書き込む儀式なのです。ですから、これくらいの反応はあるものなのです」

 やがて、ヴィオレッタお嬢様の前進に走っていた稲妻が収まっていく。

「はあ、はあ、はあ……」

 ヴィオレッタお嬢様は肩で息をしながら立ち上がる。

「では、これを持ちなさい」

 奴隷商が胴締めのベルトに挿してあるナイフを抜いて、ヴィオレッタお嬢様に渡す。

 ナイフを持ったお嬢様の手を掴んで僕に押し付ける。

 

 何してくれやがる! ヴィオレッタ様に俺を刺し殺させるつもりか!

 

「ぎゃん!」

 ところが、短い悲鳴を上げて、雷に打たれたようにその場に倒れたのはヴィオレッタお嬢様だった。

「はい、隷属契約は完全に完璧に成されております。主人に危害を加えようとすると、このように全身に耐えがたい痛みが走ります」

 

 なんだって? 奴隷契約がなっているかどうかを確かめるためだけに、お嬢様をこんな痛そうな目に遭わせたのか?

 

「こうするのが、決まりなんですよ。もう、千年以上前から、奴隷取引の際にはこうしてるんです。初めて奴隷を購入された方は、そう、あなたみたいな顔をされます」

 ならしかたない。僕はだまってうなずく。

「はい、これで、姉のほうの契約は完了しました。次は妹の方をお願いしますよ」

 僕はさっき切った傷口を爪先で捲り、再び出血させる。

「ハジメ…さま……」

 サラお嬢様がおびえた瞳で僕を見上げる。

「少しの我慢ですお嬢様。僕がお嬢様のことを抱っこしててさしあげますから」

 サラお嬢様を安心させようとその小さな体を抱きしめる。

 そして、ついさっきと同じように、登記証書にサイン血判して、血をサラお嬢様の首輪に滴らせる。

「太陽と月の神にかけて、ここに隷属の印を施す。死が主従を分かつか、契約が廃されるまで、本契約により、汎用奴隷セアラ・クラーラ・ゼーゼマンは旅人ハジメに隷属するものとする」

 サラお嬢様の首輪が青白く光り、稲妻がサラお嬢様の小さな体を疾駆する。

「きゃあああああああああッ!」

 僕は激しく痙攣するサラお嬢様を抱き締める。

 稲妻は僕を感電させはしなかった。

「あ、あ、あ、あ、あああああッ! あ~~~~~~~~~~~ッ!」

 ガクンとサラお嬢様の体から力が抜ける、気を失ったようだ。

 やがて、稲妻が収まり、お嬢様方と僕の隷属契約は、今度こそ全て終了したのだった。

「気を失っているから、さっきみたいなのは無しでいいでしょうか?」

 僕はさっきヴィオレッタお嬢様にさせたことを、サラお嬢様にはさせたくはなかった。

「ええ、まあ、仕方ありませんね。……ではこれで、引渡しは終了です。よい買い物をされましたな」

 僕は、その声はあえて無視して、サラお嬢様を抱いて、登記書類を44番と45番に回収してもらい、応接室を後にする。

 もちろんすぐに契約は解除する予定なので、ゼーゼマンさんが俺との契約を解除するときに使っていた榊みたいなものをもらってきている。

 お嬢様方を伴って馬車に向かう途中、ツンとかすかに尿の匂いがしたのは、ヴィオレッタお嬢様が粗相したものか、サラお嬢様のものなのか。僕は、確認しなかった。

 それよりも、ゼーゼマンさんの遺言の始めの一歩を達成できたことにホッとしていた。

 僕は、ゼーゼマンさんに二人のお嬢様を託されたのだ。

 お二人が、いずれ、よい方お相手に恵まれ、嫁ぐその日まで。僕が、ゼーゼマンさんの代わりにお二人を護り育むことを託されたのだ。

 戦闘獣人の奴隷二人を報酬として。ってふうに僕は思っているんだけど、それでおKだよなぁ。

 奴隷商人の館を出て、馬車に乗り込んだ僕らは一路ゼーゼマン商会に向かう。

 馬車の御者台には手綱を取る45番と周囲の警戒の44番。

 ゼーゼマン商会の建物は、まだ売りに出されていなかった。ゼーゼマンさんの死は、まだ、僕と45番と44番が知っているだけで、他の誰も知らない。だから、お屋敷はまだゼーゼマンさんのものなのだ。

 お屋敷のエントランスには、まだ、ゼーゼマンさんの遺体が横たわっている。

 これからやることは、まず、ゼーゼマンさんの死をお嬢様方に知らせ、受け入れてもらい、葬儀。屋敷や、財産が残っていればその相続の手続き。そういう法があればだけど。

 まあ、それは、お嬢様が知っているだろうから、早めに立ち直ってもらわないとな。

 のんびりしている暇はない。

 ないけど……。肉親と死別するってことは相当なショックだと思われるので、どう対処したらいいか分からない。

 この世界にはパソコンもインターネットもないから。2ち○んで相談するわけにはいかない。

 はてどうしたものか……。と、考えている僕にヴィオレッタお嬢様が話しかけてきた。

「あぃ……ハジメ様、あなたには、どれだけ言葉を尽くしても、その恩に報いることはできませんね。本当に、わたくしをあなたのものにしていただくしか、わたくしはあなたに恩をお返しする致し方を思いつきません」

 太ももに、気を失ったままのサラお嬢様の頭を乗せ、愛らしい寝顔を眺めながら金髪を指ですき微笑むヴィオレッタお嬢様。

「いいえ、僕はゼーゼマンさんに頼まれましたから」

「でもそんなことで、あんな途方もない大金を……」

「シッ!」

 45番が僕たちに振り向き、口に人差し指を立てる。

 馬車がゆっくりと速度を落としやがて停止する。

 大通りを通ってはずなのに、なぜか人気がない。

「なあ、ものは相談なんだが……」

 よく響く陰鬱な声と一緒に、路地の暗がりが染み出してきたように男が現れた。

 男は、奴隷商のオークションハウスで僕とお嬢様方をかけて競った、王都のネコチェルン一家とかいう……たぶんヤクザの幹部だ。

「その、娘っこふたり、置いていってくんねえかな。代金は……そうだな、あんちゃんの命ってことで」

 僕の命と引き換えに、お嬢様方を引き渡せってこと?

 

 その、あまりにもな物言いに、瞬間的に頭がカッと熱くなる。

 んなことできるわけねえだろ! 寝言は寝てから言えだバカヤロウ!

 

「だめだ、この二人は俺が買った。もう隷属契約を済ませている」

 俺はヤクザの無理な取引の提案を即座に断る。

 語尾にバカヤロウをつけなかっただけ、まだ冷静だ。

 だが、十分にたんぱく質が変成する温度は超えている。

 この男との間に先端を開く準備はできている。いつでもやってやるぞこのやろう状態だ。

 まあ、甚だ他力本願で恥ずかしいことこの上ないが、この際だから、頼らせてもらう。

 ゼーゼマンさんから譲り受けた美しすぎるケモミミ戦闘奴隷たちに、この阿呆を叩きのめしてもらおう。

 大体暴力なんてものは、一般人に順法精神があるから、暴力へ訴えるという脅しが効果的なわけで、一般人が法を犯す覚悟さえ決めてしまえば、後は純粋に力と力の勝負だ。力さえあれば、こんな脅しは屁でもない。

「だからな、あんちゃんを殺してもイインダヨ俺はな。そっちのほうが話が早い。死か契約が破棄されるっまでって隷属契約したろ。だけどまあ、俺もな、むやみに人を殺したくはないんだ、いいかげん殺しには飽きが来てるんだよ。だから、隷属契約の破棄はこっちでテキトーにやるから、あんちゃんはその娘っ子二人を置いてってくれるだけでいいんだ。そのかわり、あんちゃんは命拾いする。WINWINだろ?」

 蛆虫がわいて、スポンジ状になった脳みそが思いつく提案だな。わかるぞ、貴様はお嬢様二人を渡して、俺が背中を向けたら、後ろから切りつけるか、鈍器で殴るかして殺すつもりだな。

「44番、45番! なるべく殺さない方向で…な」

 取ってつけたように、不殺を命じる。44番と45番ならきっと楽勝だ。

「かしこまりましたご主人様!」

 風のように二人の美獣人の戦闘奴隷が御者台から飛び出してゆく。

「あーあ、やぁっぱ、こうなるのか……やだねえ」

 男が指を鳴らす。

 俺たちは二十人からの、反社会的組織に関与していると思われる男たちに、囲まれたのだった。




17/08/31午後 第3話~第7話を投稿いたしました。
お読みいただき誠にありがとうございます。
本作は『小説家になろう』様にても公開させていただいております。
次回投稿は未明かそこらになるかと思います。


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第8話 名乗りを許されていない奴隷の名を主が呼ぶということはそういうことだったのか(赤面)

お待たせいたしました


 俺は、腰の雑嚢につけてある、鉈みたいな短剣に手を伸ばす。

 留め金を外し、いつでも抜けるように構える。

「ふふふ、あ……ハジメ様、楽しそう」

 ヴィオレッタお嬢様が歌うように言う。

 そのとき初めて俺は、自分が笑っていることに気がついた。

 俺は、そんなに好戦的な人間じゃなかったはずだがな。

 まあ、それは置いておいて、だ。

「お嬢様、俺に様つけるのナシにしませんか?」

 お嬢様はかすかに頬を膨らませ、応える。

「わたくしたちは、貴方が亡くなるか、貴方が解放してくださるまで、貴方の奴隷です。さっきそう契約しました。主様に尊称をつけないのは、作法に悖ります」

 俺的には、奴隷を所有し、使役することのほうが人道に悖るんだが、まあ、この世界は奴隷制度も重要な社会のシステムのひとつみたいだから、アブラハムくん(南北戦争をおっ始めやがったアメリカ第16代大統領。奴隷解放は、南部に戦争を吹っかけるための口実にすぎなかったんじゃね。と、俺は思っている)みたいなことはやらないことにしよう。郷に入っては郷に従えだ。

「それから……」

 お嬢様はまだ続ける。

「お嬢様はやめてください。どうかわたくしのことは……」

 ヴィオレッタお嬢様は、44番と45番に視線を投げて、軽くうなずく。

「3番と、サラのことは4番とお呼びください」

 え? 1番と2番じゃないのかな?

「1番と2番は、44番と45番です。たしか、ハジメ様が解放されたときに父がお譲りしたかと……ですから。ハジメ様が初めて所有された奴隷はヨハン・ゼーゼマンの奴隷44番と45番になるのです。ですから、わたくしと妹は3番と4番ということになります」

 

 今まで、お嬢様とお呼びしていた方を、奴隷になったからといって、番号で呼ぶことに、僕は、正直抵抗感がある。

 だが、そうするのがこの世界の決まりなら、とりあえずが従っておくのが得策だ。

「わ、わかりました。僕も心構えを新たにしなくてはいけないので、ちょっとだけ待っていただけますか? いままで、お嬢様とお呼びしていた方をいきなり番号でなんて、ちょっと、尻込みしてしまいますから慣れるための猶予をください」

 お嬢様の奴隷としての矜持を伺っているうちに、頭に上った血が下りてきた。

 こうなると、とたんに、僕は元の臆病者の僕になる。自然、短剣から手が離れる。

 そして、頭に血が上っている最中は気にならなかったあることが、気になって仕方なくなってくる。

 お嬢様は俺のそういう小さな変化を気に留めるでもなく、続ける。

「あと……ですね。名乗りを許されていない奴隷の名を主が口にするのは、閨房に限られるという決まりもあるのですよ。お忘れですか?」

 け、けけけけけいぼうって、寝室のことですよね。主に夫婦の。転じてナニをするための部屋って意味もあったりしたはずですよね。

 別の意味で頭に血が上り。心拍数が跳ね上がる。今度は不整脈なんてないぞ。

 早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと、深呼吸する。

 そして、強引に話を変える。

「それにしても……」

 僕は、ついさっきから気になり始めたことを口にする。

 頭に血が上ったり。頭を使うことをすると、特にそうなるんだ。

「お嬢様……、お腹空きません?」

「え?」

 ヴィオレッタお嬢様は、鳩が豆鉄砲をくらったような顔を僕に向ける。

「僕、かなりお腹空いてます。お嬢様方が、あの蝗どもに連れてかれた、お昼前から、なんにも食べてないんです。この街って、何がおいしかったんでしたっけ? 早くこれ終わらせてごはんにしたいです」

 この街は南欧地中海風のオレンジ色の瓦と白い壁の家屋が目立って多い。って、ことはソーセージとビールぐらいはあるに違いない。地中海風の料理があるような文明の程度なら、牛のワイン煮込みポレンタ添えもあるかもな。

 スパゲッティもあるといいな。肉料理をおかずにぺペロンチーノなんて最高だ。

 考えただけで、涎が口の中をいっぱいにしてくる。

 こんな厄介ごとは、とっとと全部片付けて一刻も早くごはんにしたい。金貨はまだ、四百枚あるから、5人で毎日かなり豪勢に食べても、しばらくは大丈夫だ。

 まあ、その前に、ゼーゼマン氏の死を、お嬢様方に知らせるっていう、つらくて大事な任務があるんだけど……。

 と、突然馬車が大きく揺れる。

「へ、へ、へへへへ……みーつけたぁ。お前を連れて行けば、カバチーンの旦那に金貨百枚もらえるんだ。げひゃひゃ……」

 大男が下卑た笑みを浮かべ、後ろから馬車の荷台に乗り込もうといていた。

 

「チッ!」

 その口の端から涎をたらしただらしない顔の大男に、俺は頭に血が上り舌打ちをした。

 と、同時に大男の顔面に蹴りをくれてやっていたのだった。

「ぷぎゃんッ!」

 豚みたいな叫び声を揚げ、大男は歯と血と涎と涙を撒き散らしながらすっ飛んでいった。

「なんと……!」

 俺は、男が荷台に乗り込んでくるのを阻止したかっただけだったんだが、敵戦力の漸減に協力した形になった。

 

「旦那様! ハジメ様!」

 44番と45番。もとい、1番と2番がこちらに駆け寄ってくる。

 馬車の中から辺りを見回すと、ガバチーンといわれていた陰鬱な声の男以外の反社会的組織の構成員と思われる二十人からの男たちがそこいらじゅうでノビていた。

 うん、予想通りだ。元ゼーゼマンさんのゴールキーパーは、本当に優秀だ。

「あーあ、こんなにしちまいやがって、これだけあつめるの大変だったんだぞ。ウチに逆らったこと、きっと後悔するからな」

 捨て台詞を残して、男は再び路地裏の闇に紛れていなくなる。

 僕は、ふううううううっと、深いため息をついた。

「こんな辺境に王都のヤクザが出張に来るなんて……だねぇ」

 44番改め1番がつぶやく。

「大方、王都の新しい娼館かボスのハーレム用に女をを集めに、あちこち行ってるんでしょうね。それより、ハジメ様、お怪我はございませんか?」

 いや、そこは俺よりも元主の娘を案じるのが筋ってもんじゃないのかな?

 そんな俺の顔色を察したヴィオレッタお嬢様こと、3番が応えてくれる。

「1番2番が、他の誰をもさておき、ハジメ様を案じるのは当然でございます。それが、わたくしたちハジメ様の奴隷の在り様なのです」

 いや、そうなんだろうけど……。

「もう、お家に着いたの?」

 寝ぼけ眼をこすりながら、サラお嬢様こと4番が起きた。

「まだですよ4番。それよりも、主様に契約していただいたお礼を、申し上げていませんでしたよ。あなた、契約の最中に気絶していたのですから」

「あ、そうだ、いけない!」

 そう言って、サラお嬢様こと4番は馬車の荷台の床に膝をつき、頭を垂れた。

「ハジメ様、このたびはわたしを買っていただきありがとうございます。一生懸命働きます。これから、末永く御願いいたします」

 サラお嬢様こと4番に追従して、1番2番3番も膝をつき、頭を垂れる。

「ま、まあ、こんなところでそういうのもなんですから、とりあえず帰りましょう」

「そ、そうですね、お父様が心配しているわきっと。ハジメ様、父のこともよしなにお願いいたします」

「ああ、うん……」

 僕は言いよどむ。

「3番4番……ヨハン様は……」

 1番こと、44番がウサギの耳を揺らして、姉妹奴隷を大きな吊り上がり気味の目で見つめる。

「お父様になにかあったのですか1番!」

「その……」

 ウサ耳が言葉に詰ってユラユラしている。

「あの……ですね」

 2番こと45番が引き継ごうとするが。こちらも垂れた耳を揺らすばかりになってしまう。

「はあ……」

 俺はため息をついて、意を決する。

「3番、4番、聞いてください。じつは、ヨハン様は、お亡くなりになりました。お嬢様方が連れ去られてすぐのことです。突然胸を押さえて、苦しみ始め、手当ての甲斐なく……。」

 お二人の顔が急激にくしゃくしゃになってゆく。

 四つの瞳がみるみる涙で溢れかえる。

「そん……な。そんな。いや。いやぁッ! いやあああああああああ!」

「うそ? やだ、やだ、やだやだ! やだあああああああああああああああああああああッ!」

 お二人は、その場に折り重なるように泣き崩れる。

 僕は、そんなお二人の背中を擦ってあげるしかできない。

 馬車は、ゆるゆるとゼーゼマン商会のお屋敷を目指して、石畳を走るのだった。




お読みいただき誠にありがとうございます。


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第9話 旅の僧侶がただでお葬式をしてくれた件について

 今、僕たちは、街の中を宿屋の食事処へと向かっていた。何のためにって? そりゃあ、きみ。ご飯をいっぱいたべて腹を満たすために決まってるじゃないか。

 

 すっかり日が暮れて外は暗くなっていた。

 ヨハン・ゼーゼマン氏の遺体を仮安置していたお屋敷のエントランスホールは、45番が使った生活魔法の明かりで、新聞が読めるくらいの明るさは確保されていた。

 ゼーゼマン氏の遺体に縋って、お嬢様方はすすり泣いていた。大声で泣き喚かなかったのには、さすがに驚いた。

 馬車の中での取り乱し具合から、氏の遺体と対面したとたんに泣き崩れ、あられもない姿を晒すのではないかと心配していたのだった。

 だが、僕の予想に反して、お嬢様方は実に静かにゼーゼマン氏の死を受け入れ、悲しんでいた。

 特にまだ親に甘えたい盛りであろう4番ことサラお嬢様が、泣き声を噛み殺していたのは、胸が締め付けられた。

 不思議だったのは、あれだけ苦しんで死んだはずなのに、ヨハン・ゼーゼマンさんの死に顔は微笑を浮かべていて、じつに穏やかなものだったことだった。

 遺体に対面したその瞬間こそ、数分の間は、お二人とも少しだけ取り乱したものの、すぐに落ち着いて、ゼーゼマン氏の死を噛み締めていた。

 ヴィオレッタ様がしゃくりあげながら、誰に聞かせるとはなしに。

「少し前から、脈が途切れ途切れになるって言ってたんです。ときどき、少し歩いただけで息切れして、親父と同じだって……と、言って、涙を零しながら微笑んだ。

「お爺様も胸が苦しくなって死んだの」

 サラお嬢様がヴィオレッタ様を補足する。

 心臓循環器系に生活習慣と加齢によるダメージが蓄積されるタイプの遺伝か……。

「心臓がいきなり止まってしまって死ぬ人って、お父様みたいな恰幅がいい方が多いのです。お爺様もそうでした。だから、わたくし、お父様にお痩せになるように言ってたんです……。ああ、もっときつく言ってれば……詮無いことですね」

 お嬢様方はそうやって、三十分くらいだろうか、ゼーゼマン氏の遺体の傍で泣いていた。

 が、やがて、泣き止み、ヴィオレッタお嬢様が立ち上がる。

「ハジメ様……旦那様、できれば、父の弔いをしたいと思います。お許しいただけますでしょうか?」

 え? そんなこと当たり前じゃないですか?

「ハジメ様、奴隷の家族の弔いは、主の務めです」

 45番が、そっと教えてくれる。

「そ、そうですか、では、ゼーゼマンさんのお葬式をしましょう」

 間抜けな台詞になってしまった。思わず赤面してしまう。

「ありがとうございます。でも、そのような儀礼は不要です。と、いうよりもやりたくありません! 役所に届けて、墓所に埋葬するだけで十分です」

 お嬢様は、きっぱりと葬儀を執り行うことを拒否した。

 ゼーゼマン氏の死を悼むことに、あの蝗どもを関わらせたくないという意思なんだろう。

 うーん、でも、なんらかの宗教的儀式は必要なんじゃないかな? それで、区切りをつけるという意味合いもあるだろうし……。

 なによりも、ゼーゼマン氏の魂が、行くあてを見つけられずに彷徨うような気がする。そしてその魂が悪意に染まって……。ホラー映画の観すぎかな?

 でも、僕だって、神様に導かれてここに来たわけだから、死後の魂を安楽の郷に導いてもらうための儀式は必要だろう。

「わかりました、役所は……」

「今日はもう終了してるねぇ」

 44番がウサ耳を揺らして教えてくれる。

「では明日朝一番に行きましょう」

「はい、そのときに埋葬許可を貰えますので、ゼーゼマン家の墓に埋葬したいと思います」

 手続き的にはそれでいいんだろうけど……。なんか釈然としないな。

 そう考えていた僕の耳に。

「ごめんください」

 という、女性の声が、玄関から聞こえてきた。

 44番と45番が目つきを鋭くして武器に手をかけ、声のするほうに振り向く。

「あら、44番に気づかれずにここまで接近できるなんて……」

 ヴィオレッタ様が目を丸くする。

 玄関に、紅いローブをまとった、いかにも僧侶な雰囲気の黒髪ロングヘアの女性が、芍薬のように佇んでいた。

「こんばんは、わたくし、旅の僧侶エフィと申します。逗留先の宿で、こちらのご主人が亡くなったと伺いまして……。あ、お布施の類をたかりに来たのではありません。私が仕えております神が、この度、御名と御姿を現されまして、ずっと、無名無貌とされておりましたので、なにやらおめだたい感じでして……。現在、諸々を無料サービスさせていただいておりまして。はい。あと、こちらの旦那様の御魂に祝福をという神託が下されまして、まかりこしました次第でございます」

 神託が下されたってのはなんか付け足しっぽいなぁ。

「最近御名と御姿を得られたという神は……ひょとして?」

 ヴィオレッタお嬢様が俺の方を見る。

「あらぁ、ご存知でしたか? まだ、殆ど知られていないと思ってたんですけど」

 旅の僧侶エフィと名乗った女性が仕えている神様っていうのは、間違いなく「生命を司る神、別名死神」イフェ様だ。

 エフィさんは、ヴィオレッタ様が招くよりも先に、ゼーゼマン氏の遺体傍にやってきた。

 その間、僕らのゴールキーパー44番と45番は、数寸も動かなかった。と、いうよりも、動けなかったのだろう。武器から手を離して床に膝をついていた。

 エフィさんは、ゼーゼマンさんの遺体に縋ってすすり泣いているサラ様の肩にそっと両の手を置いた。

「お嬢様、もう、泣き止みなさいな。お父様が心配して旅立てませんよ」

「はい」

 素直にサラお嬢様が返事をする。

 サラお嬢様のお顔から涙がきれいさっぱりと消えていた。

 ぱあぁん! お屋敷のエントランスホールに鉄砲をぶっ放したような音が響いた。

 その音は、暗く沈痛な空気をはね飛ばし、室内を明るくするような音だった。

 それは、エフィさんが、打った拍手の音だった。

「ヨハン……、ヨハン・ゼーゼマンよ。良く生きて、良く死にました。あなたが生まれ、この世界に育まれ、あなたが育んだものは見事に芽吹き、その命にたくさんの枝葉を茂らせようとしています。あなたは立派に生きました。ここに生命の女神イフェがあなたの死に祝福を与えましょう」

 エフィさんが腰から短剣を抜いて、ゼーゼマンさんの遺体の上で左右にヒュッ! ヒュッ! と振った。

 僕は、短剣が何か紐のようなものを断ち切るのを幻視する。

 かちぃん! と、短剣が鞘に収められた音がエントランスホールに響いた。

「ああ、ああああああッ!」

 ヴィオレッタ様が胸の前で手を組んで跪き、歓喜の声を上げる。

「ぅああああぁッ!」

 サラお嬢様もまた、跪き胸の前で小さな手を組んで、喜びにうち震えている。

 44番と45番もまた、跪き頭を垂れていた。

 僕も、正座をして、手を合わせていた。 

「これで、ヨハン・ゼーゼマンさんの魂は、旅立たれる準備が整いました。女神イフェの眷属がヨハンさんの魂を死後の世へと導いて行くことになるでしょう。埋葬するとき……明日ですか? そのときに、今度は大地の女神に、ヨハンさんのご遺体をよしなにと祈願しましょう。そのときにまた参りますので、今夜はこれにて……」

 エフィさんが、踵を返し、出て行こうとするのを、ヴィオレッタお嬢様が引き止めた。

「あ、あの、旅の僧侶さま! お待ちになってくださいませ!」

 ヴィオレッタ様が僕を見る。

 そして、僕の脇腹を45番がつついた。

「あのー、エフィさん?」

「はい?」

「ゼーゼマンさんの死にイフェ様の祝福を与えてくださって、ありがとうございます。何かお礼をさせていただきたいのですが……」

「はあ、でも、ただいまは無料サービス期間ですので、使徒たるわたくし達は、そういったものはご遠慮させていただいておりますが……」

「では、『イフェ様』に、お礼をするということでは、いかがでしょうか」

 僕は『イフェ様』に特にアクセントをつけて、エフィさんに提案した。

 エフィさんは満面に笑顔を浮かべ言った。

「はい、そういうことでいたら、お受けできます」

 そう、エフィさんが言ったとき、どこからか地響きのような音が聞こえてくる。

 音の発生源が耳まで顔を赤くしていた。

「だ、だって、朝から何も食べてなかったんだもの!」

 裸足の足で絨毯が剥ぎ取られた床を蹴っている、僕よりも頭二つ近く小さな少女。ぺちぺちという音が愛らしい。父親を失った悲しみからすっかり立ち直ったようだ。

 これって、やっぱり、エフィさんの弔いの儀式みたいなのが効いているんだろうな。

 なら、僕がここでやることは、みんなが元気になることの手助けだ。

「サラお嬢様……もとい、4番。みんなで、ご飯を食べに行きましょう。エフィさんもいかがですか?」

「はい、女神イフェへの供物のご相伴に預からせていただきます」

 エフィさんがにっこりと微笑む。

「でも……あの、ハジメ様……」

 何かを言おうとしたヴィオレッタ様を44番と45番が押しとどめる。

「では、まず、服屋に行きましょう。おじょう……もとい、3番と4番の服を調達しないと」

 俺は提案する。ヴィオレッタ様もサラ様も、奴隷競売場での白いロングワンピースのままだったのだ。

「まだやってるよね? 服屋」

 45番に尋ねる。

「古着屋なら買い取りもやっている関係上、夜遅くまで営業しています。売られているものはきちんと洗濯済みですが……」

 キャラバンでの厳しい生活を経験しているとはいえ、今朝の今朝まで、お金持ちの生活しか知らなかったお嬢様方が古着を身に着けられるかが心配なんだろう。

「2番、お気遣いありがとう。大丈夫です。わたくしも4番も交易商人ヨハン・ゼーゼマンの娘です。箱入りの娘ではありませんから!」

 僕が442番に転生してきた土漠のキャンプから数ヶ月。お嬢様方と一緒に旅をしてきたが、たしかにお嬢様方は逞しかった。ただのお金持ちのお嬢様ではなかった。

「それに、たとえ、呪われてたり、追い剥ぎに遭った人の血塗れのものでも、わたくしが完全に完璧に浄化して差し上げます」

 エフィさんが自信たっぷりに宣った。

 

 そうして僕たちは街へ繰り出したのだった。

 




お読みいただき誠にありがとうございます


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第10話 僕は家族と一緒にご飯が食べたいんですが?

 ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様の服選びは、存外とあっさりと終わった。

 お二人が選んだ服は、とてもじゃないが、大商人のお嬢様のお召し物といったものではなく、初級の冒険者か、せいぜいが街娘といった雰囲気の服だった。

 ちょうちん袖と襟ぐりが大きく開いたヒップ丈のチュニック、ウェストニッパーで胸を押し上げ、ボトムは二分丈くらいのキュロット。そして、ニーハイのブーツ。

 それは、キャラバンで旅をしていたときの装いにとても似ていた。

「御主人様が旅姿ですから、わたくしたちがそうでないわけにはいきませんし……」

 ヴィオレッタお嬢様が、はにかみながら試着室から出てくる。

「こういう服の方が慣れていますから。動きやすいのが一番です。わたしは、これから、ハジメ様のために、いっぱい働くんですから」

 サラお嬢様が、頭二つぶん低いところから僕に元気な声を聞かせてくれる。

「お二人ともよくお似合いですね。ちなみに、呪いも怨念もかかっていませんでしたから大丈夫ですよ」

 エフィさんが微笑む。この方がそう言うのなら間違いないだろう。何の因縁もない品のはずだ。

「3番、後で武器屋に行って、ナイフと治癒師の杖のいいのを選んであげる」

 44番がヴィオレッタお嬢様を誘う。

 ヴィオレッタお嬢様が治癒魔法の使い手だったとは、知らなかった。

「4番にもナイフを選んであげましょうね」

 45番がサラお嬢様を撫でる。こうして見ていると、外見に少しだけ種族的な違いはあるけれど、仲のいい四人の姉妹みたいだ。

「あの…う、お代はこちらになりますけどぉ……」

 店の女店員さんが、恐る恐るといった雰囲気で僕に声をかけてくる。その手に買い物の明細と代金の金額が書かれた黒板を抱えていた。

 その金額は、新品で女性一人の洋服を揃えるよりもだいぶ安かった。

 だが、その金額は、古着屋で買い物をするような階層の人間が支払うには、高い金額なのだろう。女店員はかすかに震えている。

「あ、はい、じゃあ、これで」

 僕は懐から小さな袋を取り出し、代金を店員さんに支払う。そして、支払いとは別に銀貨を三枚、店員さんの手に握らせた。

「ありがとう、また今度来たらよろしく」

「は、はいッ!」

 店員さんがばね仕掛けの人形のようにお辞儀をする。

「じゃあ、みんな、食事に行きましょう。45番どこかいいところありますか?」

 45番は少し考えた後。

「セスアルボイ亭が、この街で一番気軽で美味しいと、ゼーゼマンさんはおしゃっていました」

「45番! 確かにセスアルボイ亭はドレスコードもありませんが……」

 ヴィオレッタお嬢様が言いよどむ。

「美味しいならそこにしましょう」

「セスアルボイならすぐそこだね」

 44番がウサ耳を揺らす。

 そのお店の場所を知っているという44番を先頭に、僕たちは繁華街を歩く。

 僕たちの方をチラチラと伺うような視線が気になる。

「僕は、なにか、目立つ格好でもしてるかな?」

「きっと、ハジメ様がきれいな女を大勢侍らせているのがうらやましいのだと思うのです」

 45番が、のほほんと答えてくれる。

「それはしまったな。僕には、どうしようもできないなぁ。いまさら、みんなにブスになってなんて頼めないし……」

「ぷッ! くははっ! ハジメ様、あんたそれ、マジで言ってるますか?」

 44番が笑いながら不思議言語で俺の正気を疑ってきた。

「いたって、僕は正気だぞ」

 少しだけ憤慨した僕を、44番は渾身のギャグがヒットしたお笑いライブの観客のようにように笑った。

「はははははっ! さあ、ついた。ここが、セスアルボイ亭だ」

 うん、確かに。店内から香ばしい匂いが漂ってくる。

「じゃあ、入りましょう」

「でも……ハジメ様……」

 僕は店のスウィングドアに手をかけ、ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様を通そうとする。

「だめだ! だめだ! ウチは奴隷はお断りだ!」

 突然店内から突き出された男の手が、ヴィオレッタお嬢様を突き飛ばす。

「きゃあッ!」

 目の前から消えたお嬢様を追って視線を走らせる。

「おじょ……ッ!」

 ヴィオレッタお嬢様は、すぐ後ろにいた44番が抱きとめていた。

「あんた、どういうつもりだい? 奴隷なんか連れて来て!」

 でっぷりと太った、転生前の僕みたいな中年の男が、僕たちを怒鳴りつける。

 なぜ怒鳴られるのか、良く理解ができない。僕たちは食事に来ただけだ。

「こちらが美味しいと評判を聞いて、食事に来たんですが」

「フンッ、あんた……あんたはいい、そこの赤いローブの女性もいい。だが、他の四人はだめだ。裏に回って、残飯でも漁ってろ」

 僕とエフィさんを指差して、ヴィオレッタお嬢様を突き飛ばした中年が、耳障りなでかい声で何事かをほざいた。

「こちらのお店は、家族で食事をするのを認めないと?」

「家族? あんたのか? どこにあんたの家族がいるんだ? 俺にはあんたの連れの女僧侶と薄汚え女奴隷しか見えないぞ」

「そうですか……」

 僕は腰のマジックバッグから、奴隷契約を解除するゼーゼマン氏も僕らを解放するときに使った、榊みたいな小枝と呪文の書付を取り出す。

「ハジメ様?」

「442番?」

「ハジメ様いけません!」

「だめだよ、ハジメさま!」

 僕は自分でも判るくらいにっこりと笑っていた。

 そして、みんなに告げる。

「首を出せ、みんなの隷属契約をたった今、ここで解除する。そして、みんなで一緒のテーブルでご飯を食べよう」

 僕たちの周りに野次馬が集まる。

 セスアルボイ亭の男が、必死に野次馬を散らそうとするが逆効果だった。

「あ、あんた、一体何を始める気だ? こんなところで」

 僕の言葉に最初に従ったのは45番だった。45番が僕に背を向け、跪く。

「ハジメ様、ヨハン様がおっしゃったわたしと44番の隷属契約の解除の件覚えてるかしら」

 あ、しまった。44番と45番の契約解除は、本殿ってとこじゃないとできないって、ゼーゼマンさんが言ってたっけ。

「あれ、嘘よ。ハジメ様にわたし達を引き取らせるためにあんなこと言ったの」

 そうか、なら、いまここで、解除できるわけだ。

 次にサラお嬢様が跪く、そして、44番が僕に背を向け跪く。

「い、いけませんハジメ様。こんなことで隷属契約の解除なんて……」

「ヴィオレッタ様、僕の言うことを聞いてください。お願いします」

 僕は左腰に差したナイフで指先を傷つけ、榊みたいな小枝に血を滴らせる。

「お、おい、たのむやめてくれ。あ、い、いや、よく見たら、そちらのお嬢さんはゼーゼマンさんところのお嬢様じゃないですか。さ、さあ、よくおいでくださいました。本日はいい魚が入って……」

 僕は男を手で制した。

「奴隷はお断りがこちらの決まりなんでしょう? 僕は決まりを守ろうとしているだけですが?」

 野次馬が口々に勝手なことをわめいている。

 僕の血を滴らせた小枝が淡い光を放ち始めた。




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第11話 メシ屋に入るのにメシ抜きとはこれいかに

「太陽と月の神にかけて印された隷属の契約をここに廃する」

 45番の首を撫でる。隷属の首輪が淡い光を放ち、砕け散る。

 サラお嬢様、44番にも同じように契約解除を施す。

「ハジメ様……そんな、申し訳なさ過ぎます」

 ヴィオレッタお嬢様が項垂れる。

 そして、僕は全員の奴隷契約を解除した。

「あ、あんた、気は確かか? その奴隷たちにいくらかけたんだ? 解放したら、もう一度買わないと隷属契約はできないんだぞ」

 ヴィオレッタお嬢様を突き飛ばした男が声を震わせて、俺に正気を聞いてきた。

「これで、僕の家族と客人がお店に入ることはできますよね?」

 僕は、自分の正気を答える代わりに男に質した。

「は、はい。どうぞ、いらっしゃいませ、五名様でございますね。ご案内させていただきます」

 僕たち五人は、この街で一番美味しい料理を出すという店に入った。

「ねえ、44番」

「なぁに? ハジメ」

「まだ、市場ってやってるかな?」

「残念だけど、終わってるなぁ」

 44番の答えは予想通りだった。まあ仕方ないか。

「そうかぁ。じゃあ今晩はメシ抜きかな」

 そういう僕に、44番は白い歯を見せて笑った。

「これからメシ屋に入るのに?」

 僕はその問いににやりと笑って答えた。

 

 席に着いた僕は、注文を取に来た男に、この店で一番うまいものを人数分持って来るように注文した。

 程なく湯気が立ち上る料理が運ばれてきた。

「じゃあ、これが代金です」

 と言って、僕はヴィオレッタ様を突き飛ばした男に金貨十枚を渡す。

「い、いや、これじゃ……」

「足りないですか?」

 僕は更に十枚渡す。

「い、いえ、これでは……」

「わかりました」

 更に十枚渡す。

「じゅ、十分すぎです。いただき過ぎです。お客様! 全部で金貨二枚にもなりませんから」

「そうですか」

 僕は料理が載った皿を持って立ち上がる。

「な、なにを……」

 金貨三十枚を抱えてうろたえる男を押しのけ、僕は店の外に出る。

 そして、皿をひっくり返して料理を道端にぶちまけた。

 取って返して空になった皿をテーブルに置いて、今度は両手に持って外に出る。

 そしてまた、道端に料理を撒き散らす。

「なんてことを、なんてことを! ああああッ!」

 ヴィオレッタ様を突き飛ばした男が、僕の行為を非難して叫ぶ。

「ハジメ!」

「ハジメ様!」

 振り返るとサラお嬢様と45番が料理が載った皿を持って出てきていた。

 僕はサラお嬢様と45番から皿を受け取り、更にぶちまける。

「ああああッ! ああああッ! こんな侮辱初めてだ! うああああッ!」

 セスアルボイ亭の男は半ば錯乱して、叫んでいる。

 フラフラと野良犬が寄って来て、俺がぶちまけたセスアルボイ亭の自慢料理を漁り始めた。

「犬の餌にしやがった。犬の餌にしやがったあ……ああああっ!」

「あなたが僕の家族にしたことって、こういうことなんですよ」

 僕は、空になった皿を男に押し付けて踵を返す。

 ぎゅるるるるるるぅ!

 おもいっきり腹が鳴る。

 くううううううう!

 愛らしい腹の虫が隣から聞こえてくる。

「えへへへへッ!」

 僕よりも頭二つ低いところから、明るい笑い声が聞こえる。

 ぎゅッぎゅるるるぅッ!

 サラお嬢様の反対側からも腹の虫の声が聞こえる。

「リュドミラ」

 45番が何かを言った。

「わたしの名前。わたしはもう、奴隷ではないのだから、あなたとは名前で呼び合うのが当たり前だと思うのだけれど?」

 そう言ってリュドミラは微笑む。

「リューダと呼んでくれていいわ、ハジメ。あなた、なかなか見所あるわ」

 自分をリューダと呼ぶことを許してくれたケモミミっ娘さんは、ビーグル犬のように垂れた耳を揺らす。

「無茶苦茶です。ハジメ様!」

 ダッシュで追いかけてきて、息を切らせながら僕にお叱りをくれているのはヴィオレッタお嬢様だ。

「でも、でも、でも…………ありがとう。わたくしたちのために怒ってくれて」

 そう言って微笑んだヴィオレッタお嬢様の顔は、驚天動地の今日一日の中で、一番柔らかい感じがした。

「ところで、ヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様」

「なあに、ハジメ様?」

「なんですか、ハジメ様?」

「僕に様付けは、もう、いりませんよ。お嬢様方は、もう奴隷ではないんですから」

 そう告げると、お嬢様方は二人とも揃って提灯河豚のように頬を膨らませた。

「じゃあ、ハジメ! わたしのこともサラって呼んで!」

「そうですッ! わたくしのこともヴィオレとお呼びくださいな! それから、敬語はやめてくださいな」

 僕は困った。

 女性との接触経験が殆どない僕にとって、女性に対する敬語は、ある意味鎧兜なわけで、それを取っ払うと言うことは、裸で女性と相対することに限りなく近いわけで……。

 鼻の奥が熱くなってきた。ツンと鉄の匂いがし始める。

 鼻血噴出まで数秒と言うそのとき、後ろから僕たちを呼ぶ声が聞こえた。

「はあぁ、やーっと追いついたぁッ!」

「うふふふふぅ……、あの男の吠え面は実に傑作でしたよ、ハジメさん!」

 振り返ると、どこから調達したのか、人間が余裕で入りそうな背嚢に、溢れんばかりに食料品を詰め込んで、44番とエフィさんが駆けて来る。

 二人とも両手にもバスケットやら、飲み物が入っていそうな大きなツボを持っている。

「て、わけでさ、ハジメ、今晩はメシ抜きにはなりそうもないぜ!」

 44番は大きな犬歯が目立つ歯を見せて笑い、大きなツボの取っ手を持って肘に乗せ、中身の液体を口に流し込む。

「うふふぅッ! まあ、いただいてきたものは、殆どが食材ですから、お料理の手間はかかりますけどね!」

 エフィさんが、バゲットやらソーセージやらが山盛りになったバスケットを掲げ微笑んだ。

 僧侶ってジョブのくせに、フランク過ぎやしませんか? なんか、すごく、破戒してるような気がするんですけど。

「どこからそんなにたくさん……」

「うわあ、食べ物がいっぱい! よかったぁ! こんばんは、お水だけかと思ってた」

 びっくり眼のヴィオレ様に、大喜びのサラ様。

「僕が料理しましょう? 簡単なものならたぶん作れます」

 お屋敷の調理用具は、債権者たちがあらかた持ち去っていたが、僕のマジックバッグには元々442番が持っていたものと、キャラバンで旅をしていたときに立ち寄った街で少しづつ買い揃えて使っていた野外炊事用具が入っていた。すなわち、鋳鉄製の深底鍋に、打ち出しのフライパン。お玉、フライ返し、まな板もあるし、木の器やカトラリーもいくつかある。

 キャラバンでの旅の最中、食事は基本的に保存食が配給されていた。

 保存食は干し肉や堅く焼き締めたパンなどが主だった。

 もちろんそのままで食べられたが、毎日そんなのばかりでは飽きが来るので、自然、それらを仲の良いもの同士で持ち寄り、調理して食べるのが常だった。

 ゼーゼマンさんとお嬢様方もそうしていたし。44番と45番ことリュドミラたちもそうしていた。エフィさんも、旅の僧侶であるからにはそうしてきただろう。

「まあ、あい……ハジメ様が作ってくださるの?」

「うわあッ! ハジメのお料理大好き!」

「ふふっ」

「やたッ!」

 お嬢様方、リュドミラ、44番は目をきらきら輝かせる。

 旅の最中、たまに、新鮮な食材が手に入ったときには、キャラバンは宴を催し、料理が得意な者が腕を振るうことが何度かあった。

 実は、その料理が得意なものの中に僕もいて、僕が作る料理はなかなか人気を博していたのだった。

 引き篭もっている十年の間、デリバリーばかりじゃ飽きるんで、クッ○パッドとか、レシピサイトを見ながら料理して食べていたのが役に立った。食材はアマ○ンや、ネットスーパーで賄えたからね。

 料理だけじゃ飽き足らなくなって、ベーコンやハムソーセージに始まり、味噌とかの調味料。ハーブも栽培したし、豆腐にパン、ケーキなんかも自作した。しまいには、乳酸菌の培養をしてヨーグルトを作るなんてこともしてたし、日本酒、ビール、ワインの醸造や、それらを自作の蒸留器で蒸留してスピリッツの密造にも手を出していた。

 ちなみに酒類の勝手な製造を禁じている酒税法は、日露戦争の戦費対策の時限立法だったはずなんだが、いつ廃止されるんだろう? まあ、もう僕には関係ないけどね。

 だから、食材さえあれば、食べられるものを作ることは、なんとかできるのだった。

 

 さて、と、何を作ろうか。

 44番とエフィさんが背負っている背嚢の中身をちょっとだけ確かめる。

 さっきの店で食べ損なった、魚のムニエルは外せない。44番のリュックの中には魚が入っていた。

 あと、肉の塊がエフィさんのリュックの中にあったから、それを鋳鉄の深底鍋でローストするのもいい。それと一緒に蒸し焼き野菜も作れる。

 僕の口の中は、早くも涎でいっぱいになっていたのだった。

 

 あ、どこかで燃料(薪)を調達しなきゃ。




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第12話 肉球はいつまでも触っていたいくらいに柔らかくて心地いい

「ハジメが料理を外にぶちまけてたときにさ、コックがあたしたちのとこにやってきたんだ」

 44番がニヤニヤと薄ら笑いを浮かべ、ツボを持ち上げてあおる。中にはきっとワインが入っているんだろう、口の端から赤い液体が一筋流れている。

「当初はえらい剣幕で怒ってましたけど……」

 エフィさんもまたニヤニヤと笑い始める。

「お店にみんなで入るために、ハジメがあたしたちの隷属契約を解除したって言ったら……」

「厨房に連れて行ってくれて、あるだけの食材を下さったのです。今日は店じまいだって言って」

 エフィさんは切れ長の目を細めて、くくくっと喉を鳴らす。

「それでも金貨三十枚にはとても足りないから、今度また、食べに来て欲しいって言ってたぜ」

 そうか、あの店の主人は厨房にいたのか。ヴィオレお嬢様を突き飛ばしたのは雇われマネージャーとかそんな感じのやつだったんだな。

 

「ああ、もちろん酒と果汁もたーっぷり貰ってきたぜ」

 44番が、白い歯を見せて猛獣のように笑い、また一口、ツボのワインをあおった。

「ありがとう44番、エフィさん。僕、今日はみんなにお腹を空かせたまま夜を過ごさせてしまうのかと思って、申し訳なく思っていたんです」

 素直に44番とエフィさんに頭を下げる。

「まあ、まあ、まあ、そんな……頭をお上げになってくださいまし」

 エフィさんがあわあわして僕に笑いかける。

「っとによぉ、死にかけてからこっち、最近のお前はちょーし狂うんだよなぁ。前のお前は……442番はもっと違ってたぞ」

 グビリとワインをあおって44番が悪態をつく。お屋敷に帰るまで残しておいてくれるとうれしいんだが……。

「そうね、少なくとも、わたしたちになんて簡単に頭を下げることもしなかったし、頭にきたからって、三十枚もの金貨を捨ててまで、あんなことをしなかったわ」

 44番からワインのツボを取り上げ、リュドミラも一口あおる。

「ましてや……私と、サラを救うためとはいえ、二万枚もの金貨を支払うなんてこと、絶対するような方ではなかったわ。アイン・ヴィステフェルト!」

 エフィさんからバスケットを受け取り、ヴィオレッタお嬢様が、この体の元の主の名を呼んだ。

「ま、まあまあ、皆さん、とりあえずお屋敷にに帰りましょう。死にかけると人格に変調をきたすという症例はたくさんあるそうですから。きっと、ハジメさん…アイン・ヴィステフェルトさんもそういった例なのかもしれませんから」

「そ、そうですね、わたくしったら……ごめんなさい、ハジメさん……あの、これくらいならいいかしら? わたくし、アインに対してもこんな感じでお話してたのよ」

 すまなそうに笑うヴィオレッタお嬢様の笑顔は、少し寂しそうだった。

 と、とりあえず助かった。かなり切羽詰った状況に追い込まれていた感があったが、エフィさんの取り成しでそれ以上お嬢様方が僕について追求することはなかった。

 アイン・ヴィステフェルトか……。

 人生の中途採用だと、こういう不具合があるのか。

 僕が転生してくる前の人格なんて考えてなかったな。

「みんな、ごめんね。実はケニヒガブラに咬まれる以前のこと、あんまり覚えていないんです。余計な心配かけたくなくてずっと黙ってたけど……」

 ここはとりあえず、記憶喪失と、いうことにしておこう。実際、442番ことアイン・ヴィステフェルトの記憶は、僕には無いわけだからね。

「ああ、確か、そんな症例もありましたね。王都の大地母神施療院の治療記録を閲覧したときに、いわゆる生き返り……一度、心の臓が止まって、しばらくしてから動き出した方の治療記録にそんな事例がありましたね」

 エフィさんが、僕のでまかせにナイスフォローを入れてくれる。

「私、生命を司る女神『イフェ』の使徒でございますから、生き死にに関わるそこいら辺のことは専門ですから、施療神官とはツーカーなのですよ」

 エフィさんがウィンクする。

「そ、そうなのですか……記憶がなくなるなんて……」

 ヴィオレッタお嬢様は眉をひそめて項垂れる。

「あたしは、442番よりハジメの名前を神様からもらった後のハジメが好き! だって、優しくておもしろいんだもの」

 44番からパンやパスタ(たぶん)とかが入ったバスケットを受け取って、両手に提げ持ったサラお嬢様の明るい声が、僕よりも頭二つ分低いところから、心地よく耳朶を揺らす。

 鈴を転がすような声ってこういうのを言うんだろうな。

「そうね、ハジメになる前の442番は良くも悪くも真面目で働き者だったわ、悪く言えば、融通が利かない頑固者。ハジメになってからは……」

「はははっ、働き者は変わらないけど、どっか、フワフワしてつかみどころがない。浮世離れしてるって感じだな」

 リュドミラと44番が顔をほんのり朱に染め、僕の人物評をあてにでかいツボのワインをウビウビと飲む。たのむから、僕らが飲む分は残しておいて下さいよ。

「ふふふっ、今だって……」

「そお、今だって、あたしたちがワインを飲んでいるのを全然とがめない」

「442番なら、ツボを取り上げて、いやみったらしいお小言を半刻は垂れ流しているところだわ」

 442番はずいぶんと真面目な性格だったようだ。いや、僕だって、自己評価ではかなり真面目だと思うんだけどな。

「そうですね。ハジメさんを名乗り始めてから、お料理もかなり上手になって…以前は、食事なんて、腹が減るから詰め込むだけみたいな……」

「そうだよ、ごはんのときは、いーっつもしかめっ面してたんだよ」

 なんてもったいない! 全人生のかなりな割合を占める食事の時間を、そんなに楽しんでいなかったなんて! 442番は人生を楽しむことを放棄していたのか? ああ、まあ、荷役奴隷じゃ、人生を楽しめっつても無理か……。でも、だからこそ食事の時間は楽しいほうがいいんじゃないのかな?

「あのぉう、ハジメさん。神様からお名前をいただいたというのは、どういうことなのでしょうか?」

 僧侶として聞き逃せないネタだったんだろうな。エフィさんが食いついた。

「ハジメはね、死神様から名前と命を貰ったんだって」

 サラお嬢様が、無邪気に答える。

「えええッ! 死神様って……?」

 エフィさんが切れ長の目をまん丸にして、頓狂な声を上げる。

「うふふふん! ああ、ごもっともだわその反応」

 リュドミラが笑う。

「かかかかッ! たしかにそーなるな!」

 44番がまた、ワインをあおって笑う。

 残ってる? ねえ、僕の分残ってる? 言いたくはないけど、それ、僕の金貨で買ったようなもんなんだからね!

 僕は、ため息をついてエフィさんに向き直る。

「ゼーゼマンさんのキャラバンが東へふた月ほどの土漠を通ったとき、ケニヒガブラに咬まれて死の淵を彷徨いまして、その時に、死神様……イフェ様と名乗られた女神様に今一度の命と、名前をいただいたのです」

「なんですってええええええええええええええええええええええええッ!」

 うん、当然そうなると思ったよ。

「ハジメさん……いえ、ハジメ様ッ!」

 エフィさんはその場に平伏した。ああ、エフィさん、リュック、リュック! 食べ物こぼれてますから!

「あの、エフィさん、お願いですから頭を上げてください」

「は、はい、かしこまりました。ああなんという至福。女神イフェに名と命を授かったお方と知己を得るなど、教団史上初のことです。だから、皆さんイフェ様のことを知っておられたのですね」

「えへへへッ!」

 サラお嬢様は、フンスと鼻息荒く、得意気だ。

「で、で、ハジメ様! 女神イフェはどのようなお姿でしたでしょう? 受名命されたときお会いになっておられるのですよね!」

 エフィさんは、土下座を解除しはしたけど、恐慌といってもいいくらい興奮状態だ。

「まあ、まあ、エフィさん。それはお食事をしながらゆっくり聞きましょう。ワインは戒律に反してはいませんよね?」

 ヴィオレッタお嬢様が、44番からワインのツボを奪い、エフィさんに飲ませる。

「はあ、はあ、はあ、私としたことが……すみません。約束ですよハジメ様! イフェ様こといっぱい教えてくださいよ!」

 うわあ、これ、絵本の朗読をせがむ幼女だ。

「はい、食後のお茶かお酒でも飲みながら、お話しましょうね」

 絵本の朗読をせがむ幼女をあやすように僕はエフィさんを宥める。

 いや、幼女に絵本を読んであげたことないけど。

「ああ、そうだ。どこかで薪を調達しないと、竃が……」

 そういった僕の後ろから。

「これくらいあれば、お風呂を沸かしても二三日は大丈夫だと思うのだけれど」

 リュドミラが薪の山を背負っていた。

「リューダ! いつの間に?」

「エフィさんが騒ぎ始めたときよ。ちょうど雑貨屋が店を閉める直前だったから、あなたから預かっていた金貨で買ってきたのだけれど」

「GJだよリューダ。よかった料理ができる」

「GJ? なにそれ?」

「いい仕事って意味」

 そう答えるとリュドミラは、ヴィオレッタお嬢様からツボを取り上げて一口あおって笑った。

「え? ちょっと待て! なんだよそれ! いつの間にリューダのこと名前で呼ぶようになっったんだ?」

 今度は44番が噛みついて来た。

「ああ、44番たちが追いついてくる直前くらいかな。できたらでいいんだけど44番も僕に名前を教えて欲しいな」

 赤い顔でふくれている44番に答える。

「そんな、ことのついでみたいに、言われて教えられるか! 馬鹿!」

 うわ、へそ曲げちゃったよ。やばいなぁ、僕は、女性とお付き合いしたことがないから、機嫌のとり方を知らない。

「こういうときはね、ハジメ。下手に言い訳しないで、『ごめんなさい』でいいのよ。そして、この子にはお酒」

 リュドミラがウィンクして教えてくれる。僕は素直に従う。そして、リュドミラからワインのツボを受け取って。44番に差し出す。

「ごめんね44番。これ、全部飲んでいいから。きみのこと蔑ろにしてたわけじゃないから。むしろ、こんなにたくさんの食べ物運んできてくれて、感謝してるよありがとう。僕、気が回らなくて……」

 そこまで言ったところで、僕の手からワインのツボが消え去った。

 再び44番の手に戻ったツボは、その内容物を大きく減じる。

「ルーデル」

「え?」

「あたしの名前。ルーって、呼んでいい。みんなもだ」

 頬を染めて44番ことルーデルがぼそっとつぶやくように言った。

「うわぁ! 44番と45番のお名前初めて知った」

「そうね、お父様しか知らなかったもの」

「よろしくねリューダにルー!」

 サラお嬢様の明るい声が、一瞬にして空気を変える。

「よろしくな、サラ、ヴィオレ」

「あらためましてよろしく。ヴィオレ、サラ」

 二人の耳が揺れる。

 ヴィオレッタお嬢様も二人の獣人に微笑みかける。

「うん、ルー。これからもよろしく」

 僕は右手を差し出す。

「おう」

 ルーデルはワインのツボを傾けながら僕の手を取った。

 その手は、二十人からの愚連隊を瞬時に叩きのめした戦闘獣人とは思えないほど柔らかく、赤ん坊のほっぺたみたいにプニプニしていた。

 肉球ってこんな触り心地なのかな? だったら、いつまで触ってても飽きないだろうな。

 

 そうして、僕たちはゼーゼマン商会のお屋敷に帰ってきた。

 

 さあ、お腹の減り具合も限界だ。

 目いっぱいうまいものを作って、みんなに食べてもらって。僕も食べまくるぞ。

 門をくぐりながら僕はそう誓うのだった。




17/08/31深夜 第8話~第12話まで投稿をいたしました。
本作をお読みいただきました誠にありがとうございます。
次回投稿は本日午後になるかと思います。
なお、本作は『小説家になろう』様にても掲載させていただいております。


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第13話 人手が有り余っているときに作るのはアレで決まりだな

 商会のお屋敷に帰って来た僕たちは、エントランスホールに祭壇をしつらえ、ゼーゼマンさんを安置した。

 エフィさんが、状態保存の魔法をゼーゼマンさんの遺体に施す。

「これで、埋葬するまでご遺体が傷むことはありません」

 今回、エフィさんには、ゼーゼマンさんの弔いの件では、何から何までお世話になりっぱなしだ。

 無料サービス期間中って言ってたけど、何かお礼をしたいなぁ。

 そんなことを考えながら、44番ことルーデルと、エフィさんから背嚢を受け取って、厨房へ。

「さて……と」

 ルーデルたちが、セスアルボイ亭の厨房の偉そうな人から貰ってきたという食材を、調理台に並べる。

 

 まず飲み物は、ワインのツボが×2、オレンジみたいな果実の絞り汁がツボ×1、ビールみたいな匂いがする飲み物が入った樽×1

 食材は、何の肉かは分からないが、適度に脂が乗った、牛のような赤身の肉の塊が、ステーキに切り分けて、男一人に女性5人なら十分に余裕でまかなえそうなくらいの分量……持った感じ1キロ余りはある。

 そして、豚のバラように赤身と脂身が層になっている、赤身部分がピンク色の肉が塊でたぶん2キロくらい。

 僕の親指より太いソーセージにベーコン、そして卵もある。

 さっき店で食べ損ねた50センチ級の魚……もとの世界の鱸に似ている……が3匹。

 ほうれん草やキャベツのような葉物野菜、にんじん、ジャガイモ、カブといった根菜類、ニンニク、ねぎ、生姜とかのハーブ類に、キノコ類。

 パンや、スパゲッティもある。

 ありがといことに、香辛料、調味料もふんだんにある。

 残念なことに味噌醤油はない。あたりまえっちゃ当たり前だけどね。

「うん、これだけあれば何でも作れるな」

 問題は、時間だみんな腹を空かしているから、時間がかかるものはまた今度ってことで。

「だと、ローストとかは無理か……」

「薪はここでいいかしら……まあ、それにしても、ルーたちはずいぶんたくさんいただいてきたのだこと」

 リュドミラが、二宮金次郎式に背負っていた薪を竃のそばに下ろし、調理台の上の食材を見て、呆れたように微笑んだ。

「ハジメさん、何かお手伝いできることありますか?」

「ハジメ! サラ、お手伝いするわ!」

「私もなにか……」

「おーいハジメぇ! 手伝ってやるぞ!」

 あれあれ、みんな、厨房に全員集合したよ。

 時間はないが、人手はある……か。

 みんな、キャラバンで旅をしているときに、自分の食事は自分で用意していたはずだから、基本的な料理スキルはあるはずだ。

 ものを適当なサイズに切り刻むとか……。

 ふむ……逆に、一人で作るのはめんどうくさいけれど、人数がいればめんどくさくならない物……か。

「あ!」

 僕の頭の中に閃光が走る。そうだ、あれだ、あれなら全員参加で調理ができる。

 すきっ腹を抱えて待つ辛さも、一緒に調理に参加することで軽減される。

 問題は、材料だけど……。

 調理台に広げた食材を見る。肉はある。キャベツ、ねぎもある。ニンニク、生姜もある。幸いなことに韮みたいな野菜もある。匂いをかいでみる。うん、韮そのものだ!

 小麦粉もある。ここまで揃っていたらやるしかないだろ!

 僕は必要な材料と、飲み物以外を腰の雑嚢にしまっていく。

 僕の雑嚢は女神イフェのギフト(たぶん)で四次○ポケット化しているから、容量に制限はないみたいだし、時間経過の停止がかかるみたいで、なまものは腐らない。食材の保存庫としては最強だ。

「あいかわらず、そのマジックバッグ、ぶっ壊れ性能ね、そんなの王族か枢機卿レベルの持ち物だわ」

 リュドミラが僕の雑嚢に呆れる。

「ほえー! すごいですね、そのマジックバッグ」

 エフィさんが、切れ長の目をまん丸にして驚いている。ああ、エフィさんには初めて見せるんだったっけ。

「ええ、元々はただの雑嚢だったんですけど、生き返ってからこっち、こんな性能になってしまってたんです。僕的には、名前と今一度の命と一緒に、女神イフェからいただいたんだって思ってます」

「そうそう! 女神イフェ様のお話、楽しみにしてますからね! 絶対ですからね!」

 エフィさんは、目をキラキラさせて僕に念押しする。

 まあ、詳しく話しても五分とかからない内容だから、食事が終わったらお話しよう。エフィさんには、今日、たくさんお世話になっているから、できることはなんでもしたい。

 

 雑嚢に入れず残した食材は、豚バラみたいな肉を半分、キャベツ、韮、ニンニク、ねぎ、唐辛子。そして、小麦粉と各種調味料に香辛料、油にビネガー。

 油が入ったツボは二つあって、その匂いをかいでみたら、オリーブオイルとごま油だったことがわかった。

 返す返すも醤油がないのが残念だ。

「ようし、じゃあ、始めよう! ヴィオレッタ様、リューダ、みんなで手分けして野菜と肉をみじん切りにしてください。可能な限りこまかくね」

 サラお嬢様を含めた全員が、利き手の反対側の腰に差したナイフを抜き放つ。

 元の世界と違って、こちらは銃刀法なんてものはない。なぜなら、こちらの世界は脅威に満ち溢れているからだ。

 怪異、モンスターは当たり前、同じ人間でさえ時と場所によっては脅威だ。

 自分の身は自分で守るのが当たり前。

 僕がもといた世界の日本ように、安全安心と水がただで手に入れられるというような考えは通用しない。

 だから自分の身を守る権利を強制放棄させられるがごとき、誰を何から守るのかを勘違いした法律、銃砲刀剣類所持等取締法などという阿呆なものは存在しておらず、誰もが日常生活で使用する小型のナイフなどは常に身に着けている。

 もちろん料理人が使う厨房刀(包丁)は存在しているけれど、今は洗いざらい債権者という名の蝗共がもっていってしまったから、今仕える刃物は、身に着けているナイフだけだ。

 ちなみに、お嬢様方のナイフは、古着屋でお二人の服を買ったときに、金貨三枚以上お買い上げのお客様への粗品ってことで貰ったものだった。

「僕はこっちをやるね」

 雑嚢から鋳鉄の深底鍋を出して、小麦粉を入れ、水を少しづつ加えながら練って行く。

 水が回ったら捏ねて、捏ねてなめらかになるまで捏ね回す。

「なあ、ハジメ、何を作るんだ?」

 と、ルーデルが僕の手元を見る。僕は捏ねあがった小麦粉をロープ上に伸ばして、一口サイズの団子くらいに切り分けていた。

「全く想像がつかないわ」

 リュドミラも不思議そうに小麦粉団子を見つめる。

「ええ、タルタル人風の細切れ肉の固め焼きにしては、お野菜が多すぎますし……」

 流石、キャラバンであちらこちら行っていらっしゃるお嬢様は、ご自分が記憶されているデータとつき合わせて、僕らが鋭意製作中の料理の正体を類推しようとしている。……が、残念ながら、想像の埒外のようだ。

「でも、楽しいよ! みんなでお料理!」

 僕よりも頭二つ分小さなサラお嬢様は、どこからか持ってきた踏み台に乗って、調理台での作業に参加している。

 ゼーゼマンさんのお嬢様方は、いわゆるお嬢様ではなかった。厳しいキャラバンでの旅の生活が身にしみているのだ。

 だから、生活する上で、できることをしないという選択肢がない。身分に胡坐をかくということをしない方々だった。

「私も、旅の僧侶です。さまざまな土地に行きましたが、このようなものは初めてですねぇ」

 エフィさんも、野菜を細かく切る手を休めずに、小首をかしげている。

 なるほど、東方遥かまで旅をしてきたキャラバンの皆様や、旅の僧侶様でさえ、僕らがこれから作ろうとしているものは想像できないらしい。

「大丈夫、きっと、美味しいと思う」

 みんなを励ましながら、僕は小麦粉団子を薄く丸く延ばしてゆく。麺棒が無くて手で伸ばしているものだから、けっこう歪な形になってしまう。

 まあ、これは仕方ない。今度、麺棒を買おう。

「ハジメ! お野菜とお肉の微塵切り終わったわ!」

「はい、みなさんお疲れ様。……うん、塩揉みからの水出しもオッケーだね。肉もきれいにミンチになっている。ありがとうみんな!」

 女性陣にお礼を言って、今度は深底鍋で肉、調味料と混ぜ、練り合わせてもらう。

 みんなが交代交代で、かしましく騒ぎながら材料を練り込んでゆく様子は、なんかほっこりとする。

 そうして、小麦団子を円盤状に延ばすという僕のほうの作業も終わり、この料理の工程はあと二つだけとなった。

 すなわち、包み込みと、焼きである。

 

 そう、僕たちは『餃子』を作っていたのだった。

 

 僕は元いた世界で、引き篭もっていたころ、何度か餃子を作ったけど、作るたびに大人数で作ったら何百個って作れて楽しいだろうなって思ってた。

 だから、僕は期せずして餃子を作ることになったこの状況が嬉しかった。




お読みいただき誠にありがとうございます。


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第14話 なるほど、餃子はそれを知らない人が見るとミートパイに見えるのか!

「じゃあ、まず、お手本を見せるから、真似してみてください」

 匙で皮に具を載せ、パンにバターを塗るように延ばす。このとき、具の分量は少ないんじゃね? って思うくらいが実は丁度よかったりする。

 丁度いいと思うような分量は、包む際にはみ出しや皮の破れに繋がったりする。

 餃子を作る上で、具の分量は侮ってはいけない。

「二つに折って、ほんの少し水をつけて、こんな風に襞を寄せながら閉じていきまーす」

 餃子製作の最難関、包みにはいろんなやり方があるが、僕は手前側で襞を寄せて閉じる方法をゆっくりとやってみせる。

「できた! ねえ、ハジメこれでいい?」

 背丈が小さい分、手も小さいサラお嬢様が、実に器用に包みをしてのけた。

「うん、上手です。この調子でたくさん作りましょう!」

 素直にサラお嬢様の作品をほめる。餃子を包んだのが初めてとは思えないぐらいに、きれいに完成していた。

「うしッ! ハジメ! こんな感じだろ!」

 以外や以外、次に包みをマスターしたのはルーデルだった。

「わたくしだって!」

 そう言ったヴィオレッタお嬢様の作品は少しだけ歪な形。

「んふふふ、こういう緻密な作業は実に私向きだと思うわ」

 まあ、そんなに緻密さは求めてないのだけれど、リュドミラの餃子もなかなかにきれいな出来だ。

「あれ? あれあれ? どうしてこうなるのでしょうかぁ?」

 エフィさんの作は……、うん、実に個性的だ。

 みんながきゃいきゃいと騒ぎながら次々に餃子を包んでゆく。

 最終的に、なんと二百個オーバーの餃子が調理台の上に並んでいた。

「なるほど、これは、プチミ-トパイですね! これをオーブンで焼いて完成! ですね。なんてかわいい形のミートパイなのかしら。でも、オーブンは……」

 ヴィオレッタお嬢様が、再びこの料理の完成形を予想した。お嬢様の予想した手順ではこのあとオーブンで焼くわけだが、そのオーブンは、今はこの厨房には無い。債権者に持っていかれたのだ。

「惜しいです。ヴィオレお嬢様! これは、オーブンがなくても焼きあがるミートパイなんですよ」

 うん、餃子がミートパイの仲間なんていう発想は、僕には無かったが、ここは、みんなに分かりやすいのが一番だ。ヴィオレッタお嬢のお言葉に乗っかっておこう。

「うわあ! ミートパイ! ミートパイ!」

 サラお嬢様がはしゃぐ。

「ほえぇ、私、こんな可愛いミートパイ初めてですよ」

 エフィさんは切れ長の目をまん丸にして餃子を見つめる。

「で、このミートパイ、オーブンなしでどうやって焼くのかしら?」

 リュドミラの的を射たツッコミに僕は口の端を少し上げる。

「ルー! 竃は?」

 火起こしを頼んでいたルーデルに確認する。

「おう! いつでもいけるぜ!」

 頼もしい答えが返ってくる。

「ようし!」

 僕は雑嚢からフライパンを取り出し火にかけて、油をまわして、みんなで包んだ餃子をならべてゆく。

 フライパンのふちに沿って、餃子で風車を描くように並べると、列を作って並べるよりも、一度にたくさん焼けるし、皿にも移しやすい。

 ジュウジュウと皮が焼ける音が、厨房に響く。

「そしてこれ!」

 小麦粉を溶いた水を、餃子の隙間を埋めるようにまんべんなくまわし入れる。

 竃から火がついている薪を取り出し弱火にして、取り出した薪に灰をかけて火を消しておく。

 蓋をして弱火のまま、水が概ね飛ぶまで放置。蒸し焼きにする。

 水分が飛んだら今度はごま油を全体にかける。このときかけ過ぎるとギトギトになるので、注意が必要だ。

 そして、火を若干強くして、焼き色をつける。火を強くしすぎると焦げ焦げになるので、ここでも注意が必要だ。

 そして……。

「第一弾完成ッ!」

 フライパンに皿をかぶせ、皿ごとひっくり返す。

 香ばしい食欲をそそる香りがブワッと厨房に充満する。

 水溶き麦粉から水分が飛んでお焦げになって、餃子と餃子の間に膜がはったようになる。

 羽付き餃子の完成だった。

「むっは~~~~~ッ! うまそうな匂いだぜ」

 ルーが涎を垂らさんばかりに、皿の上の餃子に鼻先を近づける。

「背中とお腹がくっつきそうになるような香りだわ」

「たしかに! ハーブの香りが食欲をそそります」

「私たちがキャラバンで行った限りでは、こんなミートパイは見たことないわ!」

「あーん! おなかすいたおなかすいた!」

 みんなが目の色を変えて、皿の上の餃子を凝視している。視線だけで胃袋に取り込んでしまいそうだ。

「まだ熱いから、もうちょっと待ってくださいね」

 リュドミラのフライパンを借りて、同時に焼き始めた第二弾も、ほんの少し遅れて完成。同じように皿に盛る。

 こりゃ、冷ます時間も考えて、第三段第四弾くらいはすぐに焼き始めた方がいいかもしれないな。

 熱したごま油に唐辛子を何本か入れて作っておいたラー油と、ビネガーを取り皿に注ぐ。返す返すも醤油が無いのは残念だ。

 

 さあ、最後の工程、実食だ!

 

 ……っと、その前に。

 餃子を数個小皿に取って、エントランスにしつらえた祭壇に供える。

 みんなでゼーゼマンさんに手を合わせ、僕はあらためてお嬢様方を救出したことを報告したのだった。

 

 そして、厨房の隣の食堂に移り、車座になって餃子を盛った床に皿を置く。 

 それぞれが取皿やタンブラーを雑嚢から取り出す。

 お嬢様方の雑嚢と、それに入れる食器や日用品も、服と一緒に同じ店で揃えられてよかった。

 ビールの匂いがする液体が入っている樽から、黄金色に輝く液体を、みんなのタンブラーに注ぐ。やっぱりこっちはビールだったか……。確かこっちではエールっていってたな。

 サラお嬢様には果汁だ。

 本場ドイツではビールは室温だそうだから、これはこれで正しいのだろうが、僕はコンビニ日本でキンキンに冷えたビールを飲んでいた人間だ。いずれ、ビールの温度問題は解決しなくてはいけない。

「皆さん手はきれいにしましたか?」

「「「「「はぁい!」」」」」

 たいへんよろしい。手洗いは防疫の基本ですからね。

 ぼくは、絶対健康があるから大丈夫だけど、みんなは気をつけないとね。

「では、皆さんめしあがってください!」

 みんなが銘々勝手に、それぞれの神様に祈りを捧げ、餃子に突撃していった。

「食べ方だけど……、そのまま食べてもいいけれど、さらに美味しくて食べるために、ビネガーをつけたり、塩コショウをふってださい」

 僕は自分の食器……いつも食器代わりに使っているフライパンは餃子を焼くために供出中だ。したがって僕の皿は飯盒状の小型鍋の蓋だ……に餃子を取る。

「いただきます!」

 餃子を丸々一個口の中に放り込む。じゅわっと肉汁が口の中に広がる。皮も、手作りならではのモチモチだ。

「おおうッ! うまい!」

 思わず声に出してしまった。

「おぉいしいッ! ハジメ、おいしいよ!」

 サラお嬢様が破顔する。

「ウマッ! これうまいぞ! ハジメ! これにはエールが合う。ピッタリだ!」

 一個目を、あっという間にエールで胃袋に流しこんだルーが、二個目をほおばって、エールを満たしたタンブラーを傾ける。

「ええ、ほんとうに。エールがよくあうわ。こんな味のミートパイは初めてだわ」

 リュドミラにも好評のようだ。

「ハジメさん! 私、こんな料理は初めてです。ああ、すごいこれ! おいしいッ!」

 エフィさんもうっとりしている。

「ああ、このお肉と野菜のバランスが、ああん、たまらないッ! こんなミートパイがこの世にあったなんて!」

 ヴィオレッタお嬢様も、エールのタンブラーをあおって餃子を流し込んだ。

 そして、予想通り、あっという間に、第一弾第二弾の餃子は、エールと共にみんなの胃袋に落ちていった。

 

 さあ、第三弾、第四弾を焼き始めよう。




アクセスならびにお読みいただき誠にありがとうございます。


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第15話 あっという間に無一文。夕べの餃子が最後の晩餐?

「これは早急に何とかしないとな」

 僕はベーコンと目玉焼き、にサラダ、パン、そして、果汁という朝食を、みんなと一緒に食べながら、つぶやいた。夕べと同じように、車座で、みんなはパンを齧り、ベーコンを噛み切っている。

 返す返すも醤油が欲しい。

 それにしても、こっちの世界のパンは、やたらに酸っぱくて固い。カワサキパンのバブルソフトが恋しいなぁ。

「なにを…、ですか? ハジメさん」

 ヴィオレお嬢様が果汁のツボを僕に差し向けながら、問いかけてくる。

「ああ、テーブルとイス、それからベッドを早急になんとかしないとなって」

 背伸びをしながら答える。

「さすがに、お屋敷の中でキャンプ生活は……ね」

 片目を閉じる。俗に言うウィンクだ。うわ、自分でやってなんだけどキモイ。ゾワリと悪寒に震える。

「そうね、食卓とイス、食器に調理道具、寝台と照明器具。とりあえずそれくらいは用意しないといけないと思うのだけれど」

 リュドミラがパンを齧りながら相槌を打つ。

「サラもベッドで寝たいよなぁ!」

 ルーデルがサラの頭を撫でながら犬歯が目立つ歯を見せて笑った。

「わたし、みんなと一緒なら、このままでいいな。キャラバンみたいで楽しいんだもの」

 サラお嬢様は、生活を豊かにすることに若干の不安があるようだ。

「ほえええ…………」

 エフィさんは、夕べ食後に、僕が女神イフェに名前と命を貰ったときのことを話してからこっち、心がどこかへ行ってしまって、帰ってこない。

「えへ、えへへ、ほえ、ほええええ……」

 時折えへらえへらと笑い、空気中の何者かと短い会話をしては、また、放心するといったことを、夕べから繰り返している。

「大丈夫よ、神職は時折こうして神や、精霊と交信するものなの。じきに元に戻ると思うのだけれど」

 果汁を飲み干して、ヴィオレお嬢様から果汁のツボを受け取りながら、リュドミラが僕を安心させるように微笑んだ。

「そういうものなんだ……」

 元いた世界じゃ、これは、イエロー・ピーポーレベルだ。

 ああ、そうそう、イフェ様への毎朝の挨拶は、この世界に転生してからこっち、欠かしていない。今朝も寝所の一角でイフェ様に朝一番の水と感謝の祈りを捧げた。

 ちなみに、僕が寝所として使わせていただいているのは、ゼーゼマン家の使用人が起居していた大部屋だ。昨日までは僕のような解放奴隷を含む七人の召使が寝起きを共にしていた。

 そうだ、あとで、エフィさんが戻ってきたら正しいイフェ様の祭り方を教わろう。

「ん? あれ?」

 なにかが引っかかる。

 それは、エフィさんが現れたときから感じていた違和感だった。僕が女神イフェ様とこっちの世界に来たときに、イフェ様がおっしゃっていたことだったと思うんだけど、なんだったっけ?

「いずれにしても、お父様の埋葬を終えてからにしましょう」

 ヴィオレッタお嬢様が、会話の尾を畳んで、朝食が終わる。

「ほええええ…………」

 今日の主役の僧侶がこの状況で、きちんと実施できるかどうか不安なので、早く帰ってきて欲しい。

「ほえええええ…………」

 僕と女神イフェとの邂逅の話が、おそらくは超一流の旅僧で、位階もずいぶん上位であろうエフィさんをここまで骨抜きにするとは……。

「エフィさん、大丈夫ですか? ゼーゼマンさんの埋葬……」

 僕は、おそるおそる尋ねてみる。

「うあっ! は、はいっ! 大丈夫ですっ! ハジメ様っ!」

 ハッとして、エフィさんは樽から飛び出す海賊のように、姿勢を正し、僕にわざとらしく爽やかな笑顔を向けてくれる。

「大丈夫ならいいんです。ってか、ハジメ様ってのやめてくれません?」

 エフィさんは夕べから僕のことをハジメ様と呼称し始めたのだった。

「ああ、なにをおっしゃいますのやら! もったいのおございます!」

 今にも昨日みたいに土下座しそうな勢いだ。

 当初、エフィさんは僕のことを台下とかいう尊称で呼んでくれてたけど、それは、あんまりにも恐れ多いんで僕は恐縮してしまった。

 台下って、たしか、ものすごい高僧の尊称で、日本国政府ではローマ教皇に対して台下という尊称を公式に使用していたはずだ。

 奇跡の体現者にそんな不遜な態度はとれませんと、ごねるエフィさんを相手に粘り強く、値下げ交渉を行った結果、なんとか「様」までの値下げが実現したのだった。

「この、生命の女神教団独立遊撃枢機卿エフィ・ドゥ・ルグ、身命を賭して、務めさせていただきます!」

 エフィさんが拳を胸に当てて、意気込む。

「ああ、もっと、楽にやってくれても……」

 いや、ゼーゼマンさんのお葬式だから、ヴィオレッタお嬢様ならともかく、僕がそんなことを言うのはスジじゃないけど……。

 ヴィオレッタお嬢様のほうを見ると、お嬢様も苦笑しておられる。

 ってか、エフィさんあなた、枢機卿なんてものすごい高位の僧侶だったんですね。

 しかも、なにやら物騒な接頭語がついてるし。

「はあ、困った……」

 僕は密かにため息をついたのだった。

 

 食後、僕たちはゼーゼマンさんが入ったお棺を荷馬車に載せて、墓地に向かう。

 途中、役場によって、死亡届を出し、埋葬許可証を貰う。

 町外れの墓地に着いた僕らは、墓守に正規の料金よりも少しだけ上乗で金貨を払う。上乗せ分は、ダイレクトな墓守の収入…つまり、チップだ……になるから、墓守のやる気も違ってくる。きれいに丁寧に深い墓穴を掘ってくれたのだった。

 ここでケチると、墓穴が浅いものになったりする。そうすると、魔物や野犬が掘り返して遺体がえらいことになるらしい。エフィさんが、教えてくれていた。

 

「生命の女神イフェより、大地母神ルーティエに務めを終えた器をお返しいたします。このものの死に祝福をそしてまた、このものを苗床に育まれる命に祝福を!」

 エフィさんの声が朗々と墓場に響く。

 腰の短剣を抜き放ち、空を切りながら、よく聞き取れない言語でお経のようなものを唱え始める。

 ひとしきり短剣で空を切り刻んで、エフィさんは短剣を鞘に納める。

 チーン! っという仏壇の鐘みたいな音が響く。

 そして、小さなハンドベルを取り出して鳴らしながら、再び聞き取れない言語の呪文みたいなものを唱え始めた。

 それは、歌のようでもあり、お経のようでもある不思議な旋律の美しい音声だった。ぼくはその歌声に呆然と聞き惚れてしまう。お葬式なのに不謹慎なことだとは思うが、エフィさんの声が美しすぎて、聞き惚れずにいられなかった。

「ハジメさんは、これも忘れているのですね」

 ヴィオレッタお嬢様が少し悲しそうな表情をする。いや、お父さんのお葬式なのだから悲しいのは当たり前だけど……。

「すみません、あまりにもきれいな歌声なので……」

 僕は自分の不謹慎さにうなだれる」

「いいのよ、聞き惚れても。これはそういうものなのだから。この大陸西方で行われる埋葬の儀で唱えられる、各派共通の鎮魂呪文よ。そうね、故人の命への賛歌ね」

 リュドミラのフォローに僕は安堵してホッとため息をついた。

 

 やがて、エフィさんの弔いの呪文をBGMにお嬢様たちがシャベルでひとすくいずつ棺に土をかぶせ、リュドミラ、そしてルーデルとシャベルが渡る。

 最後に僕にシャベルを差し出され。僕もゼーゼマンさんの棺に土をかぶせた。

 全員が土をかぶせたあと、墓守が残土を穴にもどし、完全に墓穴が埋まる。

 そして……、ぱあぁん! と、鉄砲でも撃ったような破裂音があたりに響いた。

 それは、エフィさんが両手を打った拍手だった。

「全ては成りました。これで、ヨハン・ゼーゼマンさんの死は、生命の女神イフェと大地母神ルーティエに祝福され、その魂は完全にこれまでの器から放たれました。そして、次の命へとその魂を紡いで行くことでしょう」

 そうエフィさんが言って、ゼーゼマンさんの死が終わったことを告げる。

 ドサリと何かが落ちたような音がした。

 ヴィオレッタお嬢様が、そして、サラお嬢様が、糸が切れた人形のようにその場にへたり込んだのだった。

「ああああああっ!」

「うわああああああああっ!」

 涙を滝のように滂沱し、お二人は当たりかまわず大声で泣いた。

 だがその泣き顔は不思議なことに笑っているようにも見えた。

 その泣き声は、悲しみだけの泣き声というには、違和感があった。僕にはその泣き声が、同時に歓喜の声にも聞こえたのだった。

 父親が死んで喜んでいるわけではない。僕じゃないんだから。

 その死が女神たちに祝福され、その死が、新たな門出であることを喜んでいたように思えた。

 僕は、ヨハンゼーゼマンという人は、本当によい親だったんだなと、少しだけうらやましかった。

 

「ヨハンさんのお弔いは、終わられましか?」

 ゼーゼマンさんのお墓から墓地の入り口に戻ってきた僕たちを待っていた人がいた。

 痩せ型で髪の毛を丁寧になでつけた上品で柔和な感じの人だったが、その目には油断がならないと思わせるのに十分な裏腹さを漂わせていた。

「シャイロックさん……」

 ヴィオレッタお嬢様が、その人の名を呼んだ。

「ヨハンさんがお亡くなりになったと聞きまして……」

 だが、この雰囲気は、葬式に参列に来た雰囲気じゃない。

 どちらかというと、昨日、ゼーゼマン商会からありとあらゆるものを持って行った蝗どもに近い。

「商人ギルドのやり手トレーダー、アロン・シャイロック。禿鷹シャイロックっていう方が通りがいいわ」

 ルーデルとリュドミラが身構え、サラお嬢様は僕の後ろに隠れた。

 ああ、つまりそういう人だこの人は……。

「あの、シャイロックさん、今日はどんな……」

「まずは、ヴィオレッタさんにサラさん、このたびは誠にご愁傷さまでございます。商人ギルドを代表いたしまして、おくやみを申しあげます。さて……」

 シャイロックさんが一枚の紙をヴィオレッタお嬢様に手渡す。

「そんな……」

 ヴィオレッタお嬢様の膝がかくりと折れる。ルーデルがそれを抱きとめた。

「どうでしょうか……」

「そんな……、もう、おわかりでしょう。私たちには、もう、何もありません」

 眉を顰め、ヴィオレッタお嬢様はシャイロックさんを睨む。

「ヴィオレッタお嬢様……」

 僕の呼びかけにヴィオレッタお嬢様は、気丈に振舞う。

「なんでもありません。ただ……」

「ただ?」

 僕は聞き返す。

「ただ、今皆さんがおいでになっておられる。屋敷を引き払っていただかなくてはいけなくなった次第です」

 シャイロックさんが慇懃に告げる。

 ゼーゼマンさん! 昨日債権者の皆さんが来たときに、お屋敷が売れればとか何とかいってなかった? とっくの昔に抵当つけられてたんじゃないよ! 抵当のこと忘れてたの?

「じつは、みなさんがおいでの屋敷の土地なのですが、先代ゼーゼマン様が借地された物件でございまして、なにぶん四十年も前の契約でして、このことは、ヨハンさんもご存じなかったようなのです。借地料も四十年分先払いされておられましたし」

 ゼーゼマンさんが亡くなったこのタイミングで、借地権が切れたってことか。イヤハヤだ。

「あの……ちなみに借地料っていくらなんでしょうか」

 おそるおそる聞いてみる。

「あなたは……ああ、ニンレーの奴隷市場で、ヴィオレッタ様たちを王都のネコチェルン一家と競って金貨二万枚で落札した……」

 すげえ、僕なんかのことを知っているぞこの人。

「さらにさらに、そのあと、セスアルボイ亭で、奴隷の入店を断られ、その場で四人の奴隷の契約解除をしてのけたとか。この、ヴェルモンの街ではけっこうな評判になってますよ。ええ……とハジメさんでしたか。さて、お伺いの借地代ですが、残念なことに、地主が買取を希望されておられまして、その金額は金貨三千枚なのです。手付け金を一割をいただければ、一月の間、取置きさせていただきますが?」

 こいつ、誘ってやがる。お嬢様方に二万枚もの金貨を出した俺が、三千枚くらい造作もなく出すだろうと思ってやがる。

「いけません、ハジメさん!」

 ヴィオレッタお嬢様が叫ぶ。

 俺は振り向いて、俺よりも頭二つ低い場所にある瞳に目線を下げる。

「サラ、あのお屋敷に住んでいたいかい?」

 サラお嬢様は、首を振って即答する。

「ううん、ハジメ! わたし、みんなといっしょならどこでもいい」

 ヴィオレッタお嬢様の顔はほっと安堵の色を浮かべる。

「わかった」

 俺は踵を返して、幌がかかっている馬車の荷台に上がる。シャイロックにマジックバッグを見られたくないからだ。

「ハジメさん?」

「ハジメ?」

 お嬢様方は俺が何をしようとしているのか分からないといった風な声で、俺を呼ぶ。

 馬車から降りた俺は、シャイロックに金貨の麻袋を突き出す。

「手付けだ。確認してくれ。あの屋敷は俺が買う」

 シャイロックの目が俺をスキャナーのように値踏みする。

「いいでしょう。手付金をお預かりいたします。すぐにギルドで念書を製作してこの街のどこにおられてもそこにお届けいたします」

 シャイロックが踵を返し自分の馬車に向かう。

「確認しないのか?」

 俺の問いかけにシャイロックは顔だけ振り向いて答える。

「私はね、ハジメさん。あなたみたいな方が一番信用も信頼もできると思っているんですよ。ですから、そんなあなたが金貨三百枚くらいごまかすとは思えないのですよ」

 シャイロックの馬車がが見えなくなったとたん、僕は左頬に衝撃を感じる。

 ものすごい音があたりに響きわたった。

「なんてことを、なんてことを! ハジメさんあなたはご自分が何をなさったかわかっているのですか?」

 ヴィオレッタお嬢様が、涙を浮かべて俺の胸を叩きながら顔を埋める。

「ハジメ! ハジメ! わたし、お家がなくなったって、へいきなのに……」

 サラお嬢様も僕の腰を抱きしめ涙やら鼻水やらを擦り付ける。

「だからこそですよ」

 僕は、お二人を抱き寄せ答える。

「だからこそ、あの場所はお二人にとって、リューダやルー、そして僕にとって必要な場所なんです」

「だからって、だからって……私はあなたに何を返せるというの?」

 いや、別になにかを返してもらおうとか考えてないし……。

「ハジメ、ハジメ!」

 お嬢様方を抱きしめている僕の腕を包む柔らかな感触。

「うふふ、やっぱりあなたはわたしが見込んだ通り」

「うん、うん。あたしもおまえならあのにやけ面に金貨叩きつけると思った」

 僕たちにケモミミっ娘さんたちが、寄り添ってくれていた。

「あの……う」

 真っ赤なローブを着た、物騒な肩書きの旅の僧侶さんが、もじもじしている。

 ヴィオレッタお嬢様が微笑み、サラお嬢様が破顔して、リュドミラとルーデルが犬歯が目立つ歯を見せて笑う。僕は腕を広げる。

 

 あの場所にとって必要な人が、ひとり増えたのだった。

 

「……で、なんですが」

 僕は、みんなに告白する。

「さっき支払った、アレで、お金はもう殆どありません」

「「「「「ええええええええええええっ!」」」」」

 残金金貨64枚が全財産だ。

 あのお屋敷を買うためには、あと、金貨約二千七百枚が必要だ。

 あと一ヶ月で二千七百枚……。いったい、どうしたらいいだろう?




読んでいただきまして、誠にありがとうございます。


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第16話 僕は冒険者になる! モンスター食材は激ウマらしい

 大見得を切って、手付け金を叩きつけたまではよかったんだけど、僕には全く考えがなかった。ノーアイディアだ。

 本当に頭に血が上ると、僕は考えなしに突っ走ってしまう傾向がある。

 自分がそのときにしたいことを直情的に選択してしまうのは、ある意味で正しいことなのかもしれないけれど、大概の場合ユンボで墓穴を掘ることと同義だ。

 リューダとルーが御者席についた幌馬車の荷台に揺られながら、僕は激しく後悔していたのだった。

 金貨三百枚もあったら、お嬢様方に新しい住居を借りることぐらいできたはずだ。あのお屋敷よりは狭くはなるだろうけれど、屋根と寝台と食事をするテーブルにイスは用意できたはずだ。

「はあ……」

 ため息をついた僕の顔を、心配そうな表情でヴィオレッタお嬢様見ている。

「ハジメさん?」

「ハジメ、だいじょうぶ? 顔色が青いよ」

 舌足らずな高い声が僕を気遣ってくれている。

 こんな幼い子にそんな気遣いをさせてはいけないな。後悔先に立たずだ。何ができるのかを考えよう。

 ぐぐっ、ぎゅうるるるるうぅ! 

 なんてこった! こんなシリアスな場面でも腹は減るのか。そのことに僕は可笑しさがこみ上げてくる。

 そういえばそうだ、昨日ゼーゼマンさんが亡くなって、お嬢様方を奴隷市場から救出したあと、悲しみにくれるお嬢様方を連れて食事時に出た。

 お嬢様方にしてみれば、こんなときにご飯なんて、ふざけるな。と、僕を罵倒してもおかしくない精神状態だったはずだ。

 そんなときに、僕は、能天気にも餃子パーティーをしてのけたのだ。

「無神経にもほどがあるな」

 思わずつぶやいた僕の右手が柔らかく温かいものに包まれた。

 ヴィオレッタお嬢様の手が、重圧のせいで、末端まで血が回らなくなって冷え切った僕の手を温めてくれていたのだった。

「ありがとう。ハジメさん。私、どれだけあなたに感謝の言葉をつくしても、あなたがしてくれたことへの感謝の気持ちを表しきれません。できることならば、もう一度、隷属契約をしたいくらいです」

 ヴィオレッタお嬢様が、ふたたび僕の奴隷になろうなんて、とんでもないことを言ってのけた。

「ありがとうございます。ヴィオレッタお嬢様。でも、どうかお気になさらずに。僕は大恩あるゼーゼマンさんの遺言を実行しているだけですから」

 僕がそう言うと、ヴィオレッタお嬢様が形のいい眉を顰め、口を尖らせる。

 その仕草が、かわいらしくて、思わず口元を緩ませた僕の左手に、今度は、サラお嬢様の小さく柔らかな手が重なる。

「わたしも、ハジメ。わたし、ハジメのいうことだったら、なんでもきくわ。死ねっていわれても平気で死ねるわ」

 サラお嬢様が、これ以上ないってくらい真剣なまなざしで、僕にとんでもない決意を表明する。

「お嬢様、僕はそんなこと望んでいませんから。僕の望みはお嬢様方の幸せな笑顔です」

 サラお嬢様は、頬を膨らませ、僕に抗議する。

「ハジメ! さっきみたいにわたしのことサラって呼んで!」

 あれは、カッとなっていたから、つい、図々しく態度がでかくなってしまったバージョンの僕がしたことなので、冷静な時の僕にやれって言われも、けっこう難しい。

「はい、心がけますサラ様」

 普段の僕には、お嬢を削って、これくらいが精一杯だ。

「むうっ」

 サラお嬢様とヴィオレッタお嬢様の膨れっ面に苦笑している僕に、真っ赤なローブをまとった、物騒な肩書きの旅の僧侶さんがニッコリと大きな前歯を見せてわらった。

「ハジメ様! 私を遠ざけるなんてことはなさいませんよね! 私、先ほど役所に寄った折に、教団本部に遊撃枢機卿の職を辞する旨をしたためました書状を出しまして……。ええ、ですから私、無職になるのですよ。そんな私を放り出したりしませんよね!」

 エフィさんは切れ長の目をまん丸に見開き、得体の知れない雰囲気をまとって、僕に詰め寄る。この人、意外とめんどくさいかもしれない。

「は、はい、もちろんですよ。放り出したりなんて滅相もない!」

 その迫力に気圧されて、僕は壊れた人形のようにカクカクと頷いた。

「はあ……」

 思わずため息が出る。

「ため息ひとつにつき、ひとつの幸せが逃げて行くって習わなかったのかしら?」

 御者台からリュドミラが僕を振り向いて言った。

「なあ、ちょっと寄り道していいか?」

 ルーデルが手綱を捌きながら、僕に寄り道の許可を求めてきた。

「ああ、うん、いいよ。でも、みんなお腹空いてない?」

 僕の腹の虫は鳴き始めたから、みんなはどうなんだろう? まあ、僕の場合、頭に血が上ったから余計に腹が空いてきたんだと思うけれど。

「ああ、すぐ終わるさ、たぶん」

「……それに、わたしたちから、ハジメに提案があるのだけれど」

 リュドミラが、ルーデルの言葉を継いだ。二人が僕になにを提案するっていうんだ?

 僕たちを乗せた馬車は、一路、街の中心へと戻る。

 墓守がサインした埋葬許可証転じて埋葬済み証を役場に提出したあと、街を横切る形で街の正門の方向へと向かう。

 一体どこに行こうというのだろう? 馬車に揺られること十数分くらい……。

 街の正門からさほど離れていない、にぎやかな通りの一角で馬車が止まる。

「ついたよ! とりあえず、みんな降りようか! あたいは馬車を停めてくる」

 ルーデルが陽気に声をかける。

「ここは……」

 ヴィオレッタお嬢様がぽかんとしている。

「ああ……そういうことですか」

 エフィさんがポンと手を打つ。

「わたし、ここ、初めて来たわ」

 もちろん僕だって初めて来た。

「ぼうけんしゃギルドなんて!」

 サラお嬢様の明るい声が響く。

 

 王国東方辺境で一番の街、ヴェルモンの冒険者ギルドの前に僕らは立っていた。

 

「うわぁ……」

 その威容に僕は圧倒される。

「じゃあ、行きましょうか」

 リュドミラが先頭を切って、冒険者ギルドのドアを開ける。

 暑っ苦しい、うっとおしいくらいの熱気が僕を襲って……来なかった。

「存外閑散としてるんだね」

 肩透かしを食らった僕は、誰とはなしに尋ねる。

「ここが、うっとおしいくらいの熱気でパンクしそうになるのは、朝早くと夕方ね。今の時間は、けっこう空いていると思って来たのだけれど」

 答えてくれたのはリュドミラだった。

 足早に僕らは受付に向かう。

「こんにちは、ヴェルモン冒険者ギルドへようこそ!」

 若い女性職員がリュドミラに声をかける。

「こんにちは、きょうは、冒険者の新規登録に来たのだけれど。シムナはいるかしら」

 へえ、リュドミラはギルドに知り合いがいるのか。なら、手続きは存外速く済むかも。

 ……って、僕、冒険者になるんですか? モンスター狩ったり、盗賊団と渡り合ったりするあの冒険者に? そんな話、いつ出来上がってたの?

 そうか、これがリュドミラとルーデルの提案か!

「手っ取り早く金を稼ぐには、泥棒か強盗か、博打か、冒険者だろ! その中で一番真っ当なのが冒険者ってワケさ。それに……」

「それに?」

 僕はルーデルに聞き返す。

「モンスター由来の食材ってのが、たまらなくうまいんだぜ!」

「ええッ! どれくらいおいしいの?」

 僕はごくりと喉を鳴らして聞き返す。

「そうだな、ふつうの豚肉が一ウマウマだとしようか」

 なんか変な計量単位が出てきたぞ。

「モンスター肉は最低でも五ウマウマだ!」

「五ウマウマ!」

 豚肉の五倍のウマさ! 瞬時に僕の口腔内は唾液でいっぱいになった。

「最低でだぜ! 極上ものだったら五百ウマウマはいく!

 ごひゃくばいだって? なる! 僕は冒険者になる! 冒険者になってモンスター肉で角煮を作る!

「だから、リュドミラとルーデルが会いに来たって言えばわかるわ」

 僕の高揚を他所に、リュドミラが受け付け譲と押し問答を始めた。

「あ、あのう、失礼とは存じますが、アポイントはございますでしょうか?」

 まだ、あどけなさを残した面差しの職員は、おっかなびっくりとリュドミラに尋ねる。

 リュドミラが呼び出そうとした人は、面会するためにアポイントメントが必要なくらいの偉い人らしい。

「あら、わたしたちがあの子に会うのに、そんなものが必要だったなんて知らなかったのだけれど」

 ところが、リュドミラは鳩が豆鉄砲を食らったようなキョトンとした顔をする。

「もしくは、ご紹介状をお持ちでしたら、お取次ぎできますけど……」

 流石、受付嬢さんは、海千山千の冒険者を相手にしているだけあって、こういった突発事項への対応を心得ている。

 ふらりとやって来て、偉い人に会わせろなんていう横紙破りな要求をはいそうですかと聞いていたら秩序なんて保てないからな。

「いつから、あたしたちがあの子に会うのに、誰からか紹介をされなくてはいけなくなったのかしら?」

 リュドミラがゆらりと剣呑な気配を放つ。僕ならこれだけで尻尾を捲く自信極大だ。

 ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様そして、物騒な肩書きを返上した旅の僧侶さんはあわあわと、うろたえている。

「はいぃ、でも、規則ですので……」

 受付嬢さんは、けなげにもリュドミラの暗黒オーラに負けじと踏ん張っている。だけど半分涙目だ。きっとすぐに心をリュドミラに折られてしまうに違いない。

 普段はきっと、ならず者みたいな冒険者を手玉にとっているような人なんだろうに。リュドミラとルーデルのオーラにすっかり怯えている。

「そんなもんいらねえだろ。あたいらがあいつに会いに来てやったんだからよぉ」

 犬歯が目立つ歯をむいてルーデルが、受付嬢さんに笑いかける。

 なんかかわいそうになってきた。

「ねえ、リューダ、ルー。僕たち冒険者登録に来ただけだよね。だったら、それだけにしようよ。ね」

 助け舟になるかどうか分からないけど、とにかく、受付嬢さんがかわいそうだ。どうにかしてあげないと。

「はあ…、そうね、このままじゃ、埒があかないわ。そうしましょう」

 リュドミラがため息をついて、了解してくれる。

「えー、めんどくせぇな。まあ、ハジメがそう言うんならいいけどよ」

 ルーデルも渋々言うことをきいてくれた。

「で、では、こちらにご記入いただきまして……」

 受付嬢さんが喜々として書類を出し、記入の方法を教えてくれる。

「みなさん御存知とは思いますが、十二歳未満の方、奴隷身分、および、成人以降での重犯罪歴のある方は冒険者登録の資格がございませんのでご注意ください」

 えーと、名前、生年月日に、出身地、それに職業……か。

「僕が記入できるところ……、名前しかない」

 今度は僕が涙目だ。

「お分かりにならないところは、空欄でかまいません。お名前さえいただければ。こちらで、お客様の身上は分かりますので」

 受付嬢さんがニコリと微笑み、手のひらが乗るくらいの水晶球を指差す。

 ああ、なるほどこれで、アイン・ヴィステフェルトの記録が照会されて、問題がないと分かれば、晴れて冒険者になれるってワケだな。

 ホッとする。

「御存知のことと思いますが、こちらの水晶球は住民登録台帳に繋がっておりまして、この国での出生からの全記録の照会ができます。では、そちらのお嬢さんからどうぞ」

 受付嬢さんの手招きに従って、ヴィオレッタ様が水晶球に手を置く。

 一瞬水晶球が青く光る。

「はい、ヴィオレッタ・アーデルハイド・ゼーゼマンさん、F級冒険者登録完了です」

 ヴィオレッタお嬢様が、受付嬢さんから免許証サイズのカードを受け取る。

「そちらのお嬢ちゃんは、おいくつかしら?」

「十二歳よ。飛び級で中級学校は卒業しているわ」

 サラお嬢様が、フンス! と胸を張り、書類を渡して、水晶球に手を乗せる。

「はい、セアラ・クラーラ・ゼーゼマンさん、F級冒険者登録完了です」

 うん始めっからこうしてればよかったんだ、よけいなプレッシャーを受付嬢さんにかけるなんてしなくたって。

「ではお次の……そちらの男性の方……」

「はい! よろしくお願いします」

 なんか、運転免許の更新の時を思い出すな、これ。

 僕は右手を水晶球に乗せる。

 水晶球が青く光……らない。明かりを消したように真っ暗になる。いや、真っ暗って言うかこれ、真っ黒だ。水晶のはずなのに、真っ黒な石に変わってしまったみたいだ。

 これじゃ、水晶じゃなくて黒曜石だ。

「え? え? え? うそ? なにこれ? こんなの私知らない……」

 受付嬢さんが、うろたえ、怯えている。

 僕だってこんなの知らないよ。

 バチンッ! 水晶球からブレーカーが落ちたような音がする。

 ビシッ! ビシッ! っという、いやな音が鳴り響く。

「うわッ!」

 真っ黒になった水晶球から、四方八方に閃光が走り……。

 水晶球があった場所には、小さな砂の小山ができていた。

「だから、シムナを呼んでって言ったのだけれど」

「あーあ、だからめんどくせえって言ったんだ」

 え? え? リュドミラさんにルーデルさんはこうなることを見越していたと?

「ほえええええ……、まさかこれほどとは……」

 え? エフィさんも……ですか?

「ハジメさん」

「ハジメ……」

 お嬢様方も困惑した顔で僕を見ている。

 僕は冒険者登録をできるんだろうか?

 




お読みいただき誠にありがとうございます。


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第17話 冒険者登録。気がついたら借金が増えている件について

「どうしたの? なにごと?」

 豪華な金髪をなびかせて、小麦色の肌のゴージャスなボディを白銀の鎧で包んだ女性が階段を下りてきた。冒険者ギルドのような力社会で、いかにも偉そうな感じがする人だ。

「カトリーヌ、どうしたって言うの?」

 ふむ、受付嬢さんはカトリーヌさんって、いうのか。覚えておこう。お世話になるかもしれないからね。

「ふう、ようやくおでましね。始めから呼んでれば、こんなことにはならなかったと思うのだけれど」

「おー、来た来た。よお! シムナ! ひさしぶりぃ!」

 リュドミラと、ルーデルが白銀の鎧に身を包んだ金髪の女性の名前を呼び手を振る。

 この人が、リュドミラとルーデルの知り合いのシムナさんか。

「げッ! リューダ! ルー!」

 露骨に嫌そうな顔したぞこの人。リュドミラとルーデルはかなり歓迎されていないようだ。っていうか、だいぶ嫌われているといったほうがいいような表情だ。

「マスター、あの……」

 カトリーヌと呼ばれた受付嬢さんが、元水晶の砂の山を指差す。マスターって……ここは、酒場でもなければ、喫茶店でもない。ってことは、この、ヴェルモンの街の冒険者ギルドのマスターってこと?

 リュドミラとルーデルは冒険者ギルドのマスターとお知り合いってこと? 大物じゃないか!

「っちゃー……記録水晶ログクリスタルが……これ、高いのに……。リューダ! ルー! あんたたちの仕業でしょ! 何にも知らない受付の子、からかわないでよ。ってか、ひやかし目的で、こんなとこ来てんな!」

 ギルマスがえらい剣幕で、近寄ってきて、リュドミラとルーデルを指を突きつけながら抗議する。

「あら、あら、シムナ。わたしは、そこのお嬢ちゃんに、あなたを呼ぶように言ったのだけれど」

「取り次いでもらえなかったから、普通に冒険者登録始めたのさ」

 シムナさんはフルフルと肩を震わせて、リュドミラとルーデルの言い訳にも等しい事情説明を聞いている。

「あんたたちが、冒険者のままだったら、会いたくないけど、すぐに取り次ぐようにしておいたわよ。でも、あんたたち、あたしが里帰りしてるときに、王都のマウのイカサマ賭場でものすごい借金作って、奴隷落ちしたじゃん! そっから何年経ったと思ってるのよ! 同じ街にいるんだったら会いに来るぐらいできたじゃんか! ばか……」

「ごめん、お前がこの町のギルマスになったって、聞いちゃいたんだけどよ……」

「イカサマに引っかかって、借金作った挙句、奴隷落ちしたなんて情けなくて……どの面下げてあなたに会えるというのかしら」

 生き別れていた昔なじみの再会か……。うんうん、なんかいいなぁこれ、心が洗われる。

「そうよ、どの面下げてあたしに会いに来れたわけ? ああん! あんたたちが奴隷落ちしたあと、里から王都に帰ったあたしに、宿屋や酒場、質屋の請求書が全部回ってきたんだからね! 〆て金貨百三十三枚と銀貨四枚に銅貨八枚と、鑑定水晶の弁償金貨二百五十枚! 耳そろえて払ってもらおうか! 利子は昔なじみ割引でおまけしといてやんよ! さあ払え! 払ったら二度とあたしの視界に入ってくんな!」

 な、なんか、風雲急を告げ始めたぞ。

 しかも、新たに借金が発覚してしかも、水晶の弁償金まで上乗せされてる!

「ハジメさん……」

「ハジメ……」

 不安そうな顔で、お嬢様方が僕を見る。そ、そうだ、水晶玉を壊したのはたぶん僕なのだからここは、僕がなんとかしなきゃ。

「あ、あのぅ……」

 僕の声に、シムナさんの豪華な金髪から突き出た耳がピクリと動いた。

 突き出た耳? あ! あまりにもゴージャスなボディと豪勢な金髪に惑わされて、シムナさんの最大の特徴を見逃していた。

 この人エルフだ。しかも、この肌の色は……。

「ああぁッ! なんだ、てめぇ…………ん? おお?」

 あからさまに僕に敵意を向けかけたシムナさんが、頭のてっぺんから足の先まで何度も見返す。スキャナーみたいに。

「あの、ここでは、なんですから、場所、移しませんか?」

 そう提案したのは、物騒な肩書きの返上を申請中の旅の僧侶さんだった。

 シムナさんはエフィさんの方に振り向いて、柳眉を顰めた。

「はああ、そうだね。これは、こんなところじゃ、話にならない。リューダ、ルー。あんたらってば、昔っからこう。忘れたころに厄介ごとを持って来る」

「あら、あら、わたしたちは、冒険者登録に来ただけなのだけれど」

「ああ、そして、いちばんおいしいクエストを食い散らかしに……な」

 戦闘系美獣人の二人は、犬歯が目立つ白い歯を見せて微笑んだ。

 

 僕たちは冒険者ギルドの二階にある、ギルドマスターの執務室に通された。

 全員が腰を下ろして、なお余裕があるソファーにみんなで座っている。

 シムナさんは大きな黒檀の机の上で、何かを操作しているような動作をしている。

空気が震えるおような音がして、シムナさんの前の空間に何かが現れたようだ。

 おそらくは空中にモニターみたいなものが出ているのだろう。それをタップしたり、スワイプしたりして操作をしている。

「さて…と、まずは、あんたたちの冒険者登録からやろうか。そっちのお嬢さんたちは……ああ、ヨハンんとこの……。災難だったね。あんたたちんとこにとっちゃ、南周り航路の発見は災難以外のなにものでもなかったろう……」

「いえ、父も何れはと思っていたようです。お気遣いありがとうございます。ギルドマスターシムナ」

 ヴィオレッタお嬢様は微笑んでギルドマスターシムナに、頭を下げる。

「シムナでいいよ。ヨハンには、ずいぶん世話になったからね。んで…、ああ、もう、冒険者登録は済んでるのか。あんたと妹さんは、キャラバンでずいぶん商人の経験を積んでるから、商人ギルドなら付け出しで、D級からスタートできただろう?」

 ヴィオレお嬢様もサラお嬢様も、シムナさんの言葉に首を振る。

「商人になろうとは思いません」

「そか……、じゃあ、あたしからは何もない、早く昇級するんだね」

「「はい!」」

 ヴィオレ様とサラ様の短い返事にシムナさんは微笑んで頷き、リュドミラとルーデルに向き直る。

「あんたたちは奴隷期間中に、免停期間の更新を怠っていたから、冒険者資格取り消し状態だ。もう一度F級からだが、文句はないよな」

「いいぜ、一日でB級になるから」

「そうね、しかたないわね。まあ、Bくらいなら、近くのダンジョンに潜れば、半日でいけると思うのだけれど」

 二人が、シムナさんから、カードを受け取る。

 B級って、簡単に言うけど、だいじょうぶなの? ってか、あんたら、元々何級だったの?

「ついでに、ヴィオレとサラのパワーレべリングもしたいしな」

 なんか物騒な単語が出てきたぞ。

 パワーレベリングって。それって、あれだよね、弱っちい人が、強い人に連れられて、恐ろしく強い敵がいるところに行って、経験値を荒稼ぎするっていう……。 

「さてと最後はあんただ、アイン・ヴェステフェルト……いや、ハジメ…か」

 ダークエルフの冒険者ギルドマスターは、ため息をついて僕に向き直った。

 僕は、冒険者になることができるのか?




17/09/01 第13話~第17話まで投稿いたしました。
御アクセスならびにご愛読誠にありがとうございます。
本作は『小説家になろう』様にても発表させていただいております。
こちらでの次回更新は明日午前くらいになるかと思います。


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第18話 アイン・ヴィステフェルトが金貨三千枚の賞金首だった件について

お待たせいたしました


「アイン・ヴィステフェルト、あんたは、ヴィステフェルト大公国から、大逆罪及びヴィステフェルト大公殺害容疑で大陸指名手配されてる。そして、生死に関わらず金貨三千枚の賞金がかけられている」

「へ?」

 ヴェルモンの街の冒険者ギルドマスター、シムナさんが口にした内容は、僕の表情を半笑いで固定して思考能力を奪うのに十分な破壊力を持っていた。

「ヴィステフェルト大公国の発表では、当時、大公国陸軍近衛少佐であったアイン・クラウス・フォン・ヴィステフェルトは、指揮下の近衛大隊を使ってグーデターを企て、実父であるヴィステフェルト大公を殺害。更には、大公家の一家ことごとくを殺害して、国を私しようとした。が、ヴルーシャ帝国留学中であった大公の弟、伯爵アドルフ・ヴォルフガング・フォン・ヴィステフェルトが急遽帰国。軍を掌握して、反乱軍が占拠していた大公城に突入、城内で激戦を繰り広げ、反乱を鎮圧。その戦闘でクーデターに参加した将兵は降伏の呼びかけに銃撃をもって答え、全滅を選んだという。ふつうは全兵力の40%の損耗で全滅と言われるんだが、この戦いでは文字通り、全員が死んだ。ただ一人を除いてな」

 おいおい、442番、アイン・ヴィステフェルト! 

 てめえ、なんてはた迷惑な人生送ってきやがった。

 俺は、こっちでうまいもの塗れな人生を送りたくて、イフェ様のお誘いに応じてこっちの世界に生き返ってきたんだ。

 金貨三千枚もの賞金首として逃亡者生活を送るためじゃねえぞ。くらぁ!

「そんな! アインはそんな人じゃありません! 無口でぶっきらぼうで糞がつくほど真面目な人でしたけれど、実のお父様を手にかけるような……」

 ヴィオレッタお嬢様が声を震わせて抗議する。でも、お嬢様のお口から糞なんて単語が出るのはどうかと思います。

 でも、おかげさまで頭に上りかけた血が静まりました。ありがとうございます。

「442番は、融通が利かなくて杓子定規で、ごはんをまずそうに食べる人だったけれど、とっても優しくて思いやりがある人だったわ」

 サラお嬢様がヴィオレッタお嬢様に続く。

「そうね、442番は、そんな大それたことを企てるほど、スケールが大きな男じゃなかったわ」

「街で買い物をしたときに、お釣りを間違えて多くよこした露店の婆に返しに行くくらいだったからな」

 うーむ、442番、これ、褒められてる? 貶されてる?

 でも、442番がみんなから好意をもたれていたことはわかった。

「ヴィステフェルトの銀鷲の高潔さは、周辺諸国の誰もが知っていることだ。その高潔さゆえに、大公に不正があれば、叛乱も起こしただろう。だが、ヴィステフェルト大公の高潔さもまた、周辺諸国に鳴って響いていた。だから、アイン・ヴィステフェルトにクーデターを企てる動機は無いってのが、うちら冒険者ギルドの見解だ」

 え? じゃあ、僕を逮捕するって話じゃないの? ってか、かっけぇ二つ名持ちだったんだ、442番は。

「冒険者ギルド本部は、ヴルーシャ帝国の意を受けたヴィステフェルト伯爵がクーデターを起こして、それを、アインにおっ被せたと見ている。いや、アドルフの与太を信じてるヤツは一人もいないといった方が正しい」

 ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様がホッと安堵のため息をついた。

「けれども三千枚の金貨と、大公国の『新しい特産品』をチラつかせられれば、道理は引っ込むというところかしら」

 リュドミラの推測に、ギルドマスターシムナさんが頷く。

「どういうことですか?」

 ヴィオレッタ様が抗議するようにたずねる。

「硝石…ね。最近、大規模な鉱脈が発見されたってお父様が言ってたわ」

 サラお嬢様が答える。

「流石は『剃刀ヨハン』の娘さんだ。その通り。それが今回のクーデター騒ぎの主な原因だ。いままで、ワインとチーズにバターしか特産品が無かった、大陸でも目立たない国だったヴィステフェルト大公国が一躍注目されるようになったのが、硝石の大鉱床の発見だ。最近、鉄砲ってのが流行り始めたのは知ってると思うが、それに使う火薬の原料がそれだ」

 ああ、黒色火薬の材料か……床下とかに糞尿を数年寝かして抽出するって、ネットの記事で読んだことあったな。たしか、木炭と硫黄と硝石をすりつぶして混ぜて作るんだっな。

 それよりも威力があるB火薬の方が好みなので、そっちの作り方はだいぶ研究したけど、材料の入手が綿以外やたらと面倒なので実行したことは無かった。

「ヴィステフェルト伯爵を傀儡にして、硝石を安価に大量に入手して、火薬を増産する……、軍隊が強化される……強い軍隊を持つということは外交交渉を有利にすることが出来る。もしくは領土的野心の実行。それに、硝石は銃を装備している軍隊を持つ国ならどこの国でも、喉から手が出るくらい欲しがる。つまり、硝石が外交交渉のカードとなりうる……。だから、アインの冤罪での指名手配がまかり通るということですか! なんてこと!」

 ヴィオレッタお嬢様の怒声がギルマスの執務室に響いた。こんなお嬢様は初めて見た。これは、かなり怒ってるぞ。

 よっぽどアインのことが好きなんだな。

 そんなお嬢様を見ていると、アインの体を乗っ取った形の現在の僕は、ものすごく申し訳ない気持ちになってくる。

「ったく、ほんっとヴルーシャは、面倒ごとを引き起こすのが好きだな」

「しかたないわ、だって、そうやって、常に拡大し続ける政策を採らなければ、あの巨大な国を維持できないもの」

 なんかお話が、アイン・ヴィステフェルトの身の上から、世界情勢に変わったぞ。こういう話は、とてもとても苦手だ。カスタードたっぷりのアップルパイが食べたくなる。

 よし、ここから無事に帰れたら、作ろう。

 あ、オーブンが無いから無理か……。

「ええと、みなさん、国際情勢はとりあえず脇において置きませんか?」

 再び物騒な肩書きの返上を申請中の旅の僧侶さんが、提案した。

「あ……、ご、ごめんなさい」

 ヴィオレッタお嬢様が、羞恥にほほを染め、

「おお、あぁ、そうだね」

「あ、ああ…うん」

「そうね、そうだったわ」

 と、ギルマス、ルーデル、リュドミラが気まずそうに同意した。

「よし、で、だ。アイン・ヴィステフェルト……いや、今はハジメと名乗っているんだったか。あんたのことだが……」

 シムナさんが僕に向き直り、仕切り直した。

 って、僕はギルドマスターにアイン・ヴィステフェルトとも、ハジメとも名乗ってないんだけどな。

 まあ、申込用紙に書いた名前を見たっていう可能性はあるけれど。

「公然の秘密ですが、世の中には、稀にあらゆるものの鑑定を行う能力を持っている人がいます。宝物やモンスターの鑑定は重要ですから、そういうひとはとても貴重です。職によって若干差がありますが、レベル及び位階が上がるごとに、その能力が進化向上してゆきます。シムナさんクラスですと、人間相手に能力を行使した場合、氏名職業レベルはもちろん、能力値や健康状態、取得スキルも覗けちゃいます。この能力を持ってない人間からすると、自分を丸裸にされるように感じてしまう人もいるので、まあ、いじめられちゃいますね。ですから、能力保有者は、普通の生活はできません。それこそ冒険者か商人になるしかないですね」

 エフィさんが、ウィンクしながら教えてくれた。

 なるほど、鑑定能力か。シムナさんは、それで僕のことを鑑定して、名前がわかったのか。

「アイン・ヴィステフェルトを冒険者登録することは、現状不可能だ。大陸指名手配の国際犯罪人だからね」

 あ、やっぱりそう来たか。僕の体はもともとがアイン・ヴィステフェルトだったから、能力で、僕はアイン・ヴィステフェルトと鑑定されているはずだ。アイン・ヴィステフェルトは大陸手配の賞金首冒険者になれない。

 犯罪者は冒険者登録できない決まりだから、それは当然だ。

 がっかり感が僕の背中を丸めてゆく。お金を稼ぐ方法を見つけたと思ったのに、糠喜びに終わってしまったからだ。

 あと、五百ウマウマのモンスター肉にあり付けなかった残念感も胃袋を締め上げていた。

「はあ……」

 僕の肩はがっくりと落ちていた。タンクトップがずり落ちるくらいには落ちていたろう。

「でも……」

 こんな状況なのに、明るいヴィオレッタお嬢様の声が響いた。

「うん、そうだね」

 サラお嬢様の鈴を転がすような声が、追従する。

「ええ、そうですとも!」

 エフィさんの声が、凛とお嬢様方の声を支持する。

「ああ、そういうことだな」

 ルーデル? それはどういうことだ?

「そうね、そういうことになるかしら」

 リュドミラ? どういうことになるんだ?

「ハジメさんなら、冒険者になれますよね!」

 ヴィオレッタお嬢様がワケのわからないことを言い放った。

 アインはだめで僕はいいなんて、僕とアインが別人だって証明できなきゃ通らないじゃないですか。

「あ……」

 僕はある可能性に気がついた。それは、ゼーゼマンさんが鑑定能力を持っていた可能性だ。

 そして、もうひとつの可能性。

 鑑定能力を持っている者に、僕は、アイン・ヴィステフェルトではなく、藤田一として鑑定されていた可能性……。

「あ、あ、あ……」

「そういうことだ、ハジメ・フジタ」

 辺境最大の街、ヴェルモンの街の冒険者ギルドマスター、シムナさんが白い歯を見せ、尖った耳をはためかせて僕の名前を呼んだのだった。




御アクセスありがとうございます。


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第19話 僕みたいにこっちに連れてこられた人のことを『招かれ人』っていうらしい

「だ、誰ですか? ハジメ・フジタって? 確かに僕はハジメですが、女神イフェからいただいた名前を名乗っているだけで、記憶はありませんが、僕にはアイン・ヴィステフェルトという名前があります。フジタなんて苗字、知りませんよ。そんな日本人みたいな……あ!」

「ハジメ、わたしたちは、フジタという単語が名なのか姓なのか氏なのかさえしらないのだけれど?」

 リュドミラが、ゆっくりと噛んで含めるように、ツッコンできた。

 ああ、しまった。僕にしかわからない事をつい喋ってしまった。

「あとよぉ、ニッポンジンって何人だ? どこの民族だ? あたいたち、この大陸の大概のとこには行ったことあるけど、ニッポン人なんて、噂にも聞いたことないし、見たこともないぜ」

 ルーデルがにひひひ、っと犬歯を覗かせながら、兎耳をゆらす。

「に、ニッポンジンを知らないとは、君等それでもゼーゼマン商隊のメンバーですか? ニッポンジンというのはここから遥か東、大陸の果てから海を渡った黄金の島国ジパングの民ですよ」

「へえ? そりゃすごい! 大陸の東の果てから海を渡ったところに、黄金の国があるんだ?そんなの、特Sランクの探索クエストものよ!」

 シムナさんが目を見開いて、尖った耳をはためかせる。

「その前に、ヴラール大山脈を越える方法を探さなきゃいけないわ」

 サラお嬢様の舌っ足らずな声が、僕を呆れている。

 しまった、この世界に関する知識の無さが墓穴を掘った。

「ハジメ・フジタ。あんた、招かれ人でしょ? 鑑定水晶が黒くなって砕け、砂になったって言うじゃない。前にヴルーシャに現れた招かれ人が、そんなことをしたって記録を読んだことがあるわ」

 シムナさんが僕が何者なのかを言ってのける。

 なるほど、僕みたいに神様に連れてこられるやつが偶にいるみたいだな。んで、そういう人のことを招かれ人っていうらしいぞ。

「な、なんですか? 招かれ人って? 知りませんよ。そんなの」

 そうだ、僕はあくまでも死にかけて記憶を失った、解放奴隷のハジメだ、元荷役奴隷442番でアイン・ヴィステフェルトさんだ。

「招かれ人というのは、ごくごく稀に…何百年とか千年に一回くらいに現れる、異界から神に招かれてやって来る人のことなのだけれど」

 リュドミラが耳を揺らす。

「あうう、僕は……僕は……」

 すっかり追い込まれた。シムナさんの鑑定眼には僕が異界人だってことが映っているんだろうな。

「ハジメさん。ありがとう。私、もう、大丈夫ですよ」

 隣に座っていたヴィオレッタお嬢様が、俺の手の甲に柔らかな手をのせ、眉根を寄せて力なく微笑んだ。

 こういう顔を泣き笑いって言うんだろうな。こういう表情を見せられると、切なくなる。

「はあ……、いつからですか?」

 僕は降参した。こういった、既に相手が全ての退路をふさいでいる場合にする言い訳は、空気の無駄使いでしかないことをよく知っているからね。もっとも、僕はずっと引き篭もりだったから、2ちゃ○での言い合いでしか、経験無いけど。

 特に、多勢に無勢だと、まさに四面楚歌だからキーボードを打つ指を動かすだけ無駄ってことがよくある。僕は専らROM専だったから、言い合いや議論の経験は無いんだけどね。

「もう、ずっと前から……。あなた……アインが、ケニヒガブラに咬まれた時、お父様の目にはアインが確かに死んだと映ったの。お父様は鑑定眼の持ち主だったから……。ケニヒガブラの牙に貫かれて、殆どすぐに死んだと仰っていたわ。ええ、私もあの時、アインの今際の際の言葉を聴いたの。私とサラを見て、『よかった』と言って笑ったの」

「……はあ、参ったな。てっきり、僕の記憶喪失だっていう話を、信じてくれていたと思い込んでいましたよ」

 やはり、ゼーゼマンさんは鑑定能力の持ち主だった。

 僕の体の元の持ち主、アイン・ヴィステフェルトこと、442番がお嬢様方を庇って毒蛇のモンスターに咬まれて死んだそのときに、ゼーゼマンさんはアインの死を見届けた。

 そして、442番が僕となって息を吹き返したときに、ステータスを全部見たのだろう。

 そりゃ、そうだ。確実に死んだ人間が息を吹き返したら、悪霊が取り憑いたか、魔族が乗り移ったかと思うだろうから。

 まあ、そのときに、鑑定眼で見た僕のステータスで、少なくとも僕が442番…アイン・ヴィステフェルトではなかったことが判ったのだろう。

 そして、その晩のうちにお嬢様方と、ゼーゼマン氏のボディガード44番と45番には、僕がアインではないことを伝えていたに違いない。

「でもね、そうやって、アインの姿で動いて、喋っているのを見ていると、どうしてもアインが死んだなんて信じられなくて……だから、一所懸命アインのフリをしてくださっているあなたの好意に、ついつい甘えてしまっていたのです」

 この人たちが、記憶喪失のアインのフリをしている僕のことを影で笑っていたなんてことはないだろうということは、この何ヶ月か一緒に生活をして分かっていた。

 だから、僕がアインじゃないことを、判っていて黙っていたのには、何か訳があるんだろうと思ったら、とんでもなくお人好しだったよこのお嬢様。

 僕は、けっしてアインのフリを積極的にしていたわけじゃない。

 むしろ。442番のことなんかガン無視してた……ってか、全く気にしていなかった。

 そんな僕のことを、受け入れて、それまでと変わらずに接しててくれたんだこのひとたち。

 なんていい人たちなんだろう。

「私ね、ハジメさん。ずっと、アインが死んだこと、受け入れられなかったの。ふふっ、不思議ね、お父様が亡くなったことは、すぐに受け入れて、ご飯も食べられたのに……」

 僕を映したヴィオレッタお嬢様の大きな瞳から涙が溢れ、頬を伝い、流れ落ちる。

 その泣き顔は、ずっと昔に見た、幼馴染の菫の泣き顔にそっくりだった。金髪だけどね。

「姉様……」

 サラお嬢様がヴィオレッタお嬢様の手を握り、そっと寄り添う。

「ん……、大丈夫よサラ……、もう大丈夫」

 そんな二人を見ていた僕の目から、この十何年か殆ど流したことが無かった液体が流れ出て膝を濡らしていた。

「ありがとう、ハジメさん……。私に夢を見せてくれて」

「僕のほうこそ、ごめんなさい。そして、ありがとうございます」

 涙を拭うのも忘れて、僕たちは見つめ合っていた。

 

「まあ、そういうことで、『ハジメ・フジタ』で、冒険者登録ができるんだけど、ひとつ問題があるのよ」

 シムナさんの声に僕らは我に返り、耳まで赤くなった。

 傍から見たら、きっと頭から湯気を出していたに違いない。

「戸籍……かしら?」

 リュドミラが答えてくれる。

「ああ、記録では、招いた神の教団が身元引き受けをして、適当な戸籍を教団の方ででっち上げて……生まれてすぐ修道院の前に捨てられていて、修道院育ちのだったため、戸籍登録が

できてなかったとか……まあ、そんな感じで教団の力技で戸籍登録できたって話なんだけど。あんたの場合、一体どの神に招かれたのか……それがわからない」

「そうか……そればっかりは、どうにもなんねえか……。シムナおまえんとこではでっち上げれられないのか?」

 ルーデルが兎耳を立て、シムナさんに問いかける。

「できないことは無いけど、かなり厄介だね、時間がかかる。そうだな、国の住民台帳からいろいろいじらなきゃならないから、半年はかかる」

 それじゃあ、冒険者登録ができるのは半年後ってことになる。

 僕は一月で金貨三千枚を作らなきゃいけないわけで、それをやるためには、一刻も早くランクアップして、高位冒険者になって、高いランクのクエストをこなさなきゃならない。

 でないと、あのお屋敷を買うお金が用意できない。

「お金のことなら心配しなくていいわ。わたしとルーで、金貨三千枚なら…そうね、三週間もあればでどうにかできると思うのだけれど」

「そうさな…、三日でBランクまで上がって、そっから二週間でAランクの以来を二十件くらいこなしゃなんとかなるかな」

 ルーデルが組んだ脚を揺らしながら頭の後ろで手を組んで嘯く。

 いやいや、無理だよそんなこと、チートかRMTでもしなきゃ無理だよ。

 ってか、俺は、そんな無理なことをしようとしてたのか?

「ハジメさん、もう、無理なさらないでください。これ以上、あなたにご迷惑はかけられませんから……。ね、サラ」

「うん、わたし、あのお家が無くたって全然平気よ。野宿だって平気」

 お嬢様方が僕に微笑んでくれる。

「ハジメさん。私たち姉妹は、アインには命を助けてもらって、あなたには、奴隷として売られそうになっていたのを救っていただきました。それだけで、今の人生であなたに恩とお金を返しきれるか正直判りません。ですから、これ以上あなたに何かしてもらったら、わたしたち、生きているうちに返しきれませんから……」

 

 俺は、カッと胃が熱くなった。

「馬鹿にするな! 俺は、あんたがたに何かをしてもらいたくて、金を出したわけでも、あの屋敷を買おうとしている訳じゃない! 俺はただ、あんたたちが笑って暮らせるようにしたいだけだ!」

 立ちあがり、俺はヴィオレッタを睨みつけた。

 俺は本当に下心なんて無かった。いや、俺だって男だ下心が頭の中をよぎることはある。だが、ヴィオレッタとサラを護ると約束したんだ。死に際に頼まれたんだ。

「ハジメさん?」

 ヴィオレッタお嬢様が目をまん丸にして、俺を見つめる。

「ハジメ。おこらないで!」

 サラお嬢様が大きな瞳に涙をためている。

 やっちまった。俺はものすごい自己嫌悪に襲われた。

 

 し、しまった。女の子相手に僕はなんてことを……。

「す、すみません。僕は……」

「いえ、私の方こそごめんなさい。ハジメさんの自尊心を傷つけてしまいました」

「ごめんなさい、サラお嬢様。大きい声を出して驚かせてしまいました。僕は怒っていませんから」

「ほんと?」

「はい」

「よかった。でも、わたし、今みたいなハジメも好きよ」

 そ、そうですか? 僕的には頭に血が上った僕はあまりすきではないので、お嬢様の前ではなるべくカッとしないようにしたいのですが……。

「それ、ウチで持ちましょうか?」

 またもやエフィさんが、提案してきた。

「話すとかなり長くなるので、結果だけ。生命の女神教団でハジメさんの招かれ人認定をいたします。そうすれば、役所も黙らせられますよね」

 そう話すエフィさんに、シムナさんが鋭い視線を投げつける。

「それは、願ったり叶ったりなんだけど……。じつは、ハジメ・フジタよりも、あんたの方が胡散臭いんだよね。生命の女神教団独立遊撃枢機卿、エフィ・ドゥ・ウィルマ・ヘンリエッタ・ルグさん。あたしの記憶じゃ、あんたが所属しているという教団は存在していない。だが、あたしの鑑定眼にはあんたの身分やステータスがきれいに出てるんだ。どういうことなのか説明してもらえるかな?」

 

「ええ、よろこんで」

 エフィさんが切れ長の目を、糸のように細めて微笑む。

 僕はその笑顔をどこかで見た覚えがあった。




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第20話 ええッ! たった三日前につくっただって?

「と、その前に、誰かを大地母神の神殿にお使いにやってくれませんか? 今から手紙を書きますので、それを届けて欲しいのです。ここだったら、えーと……、ああ、あの娘か。まあ、いいでしょう」

 そう言って、エフィさんは腰の雑嚢から筆記用具を出して、なにやら書き始めた。

「わかった、いいだろう……。カトリーヌ。お前か、お前が忙しければ他の誰かに使いを頼みたい。F級クエストでもいい。発注は私だ。大地母神殿まで手紙を届けて欲しい」

 机の下から金属製の小さなラッパの先のようなものを引き出して、それに向かってシムナさんが命令を出した。昔の軍艦とかについてた伝声管ってやつみたいだな。

 すぐさまドアがノックされ、さっき僕たちの冒険者登録を受け付けてくれた若い女の子が現れた。

 エフィさんは書き上がった手紙を丸め、赤い消しゴム大の小さな塊を筆記具入れから取り出して指先から出した魔法の火で炙る。

 赤い消しゴムのような塊の端っこが溶けて丸めた手紙の封をした。ああ。これ封蝋ってやつだ。そして、滴った封蝋にエフィさんが指輪を押し付けた。

「ではこれを。大地母神神殿の大主教代理、開明者ティエイル・シャーリーン・ハスコ・ツクに届けてください。そして、その手紙をあなたの目の前ですぐに開封させてください。『開封しなければわかっているな』と付け加えて…ね。まあ、その封蝋を見れば門番が有無を言わずに最優先で取り次いで、近従が強制的にあの娘に読ませてくれますけどね」

 カトリーヌさんに手紙を渡しながら、エフィさんが目を細めて微笑んだ。

 その封蝋の紋章を見て、カトリーヌさんはざあっと顔を青ざめさせ、最敬礼して、マスターシムナの執務室を飛び出していった。

 なんか、水戸黄門の印籠を見た代官のようだった。

「へえ、大地母神の主教ねぇ……。どんな返事が来るかたのしみね。じゃあ、待っている間、聞かせてくれる? エフィさん」

 マスターシムナが、褐色の肌の色の中で白く目立つ歯を見せて笑う。だけど、その笑顔は、好意を持つ人に向けられるものじゃなくて、獲物に向けるハンターの笑顔みたいにおっかない物だった。

「はいはい、では、まず、あなたの記憶と、あなたの鑑定眼に映るものの齟齬の解消からいきましょうか。ぶっちゃけ、どっちも正しいのでございますのですよ」

 執務室の中にいる人たちの顔は一様に、ポッカーンだった。呆気にとられた顔とはまさにこの顔のことをいうんだろうな。

「それでは、全く説明になっていないと思うのだけれど?」

 いち早く立ち直ったリュドミラがツッこんだ。

「はい、ごもっともでございます。じつはですね、『生命の女神教団』は、私がたった三日前に作ったばっかりのできたてホヤホヤの教団なのでございます」

 これには全員がズッコケた。新○劇張りにズッコケた。

「「「「「「はああああああ?」」」」」」

 全員が全員同じ反応をした。本当にまるでコントだ。

「つくった? みっかまえだぁ?」

 ルーデルが耳を立て、喚いた。

「あんた、無茶にもほどがある……ってかそれって、まだ教団になってないじゃない!」

 マスターシムナが声を荒げる。

 そりゃそうなるよな。

「たった三日前に作った教団って……。まだ、奇跡の認定さえしてないと思うのだけれど?」

 リュドミラが腰を擦りながら、エフィさんに非難めいた視線を投げつける。

「ハジメさん?」

 ヴィオレッタお嬢様が、僕の表情に気がついて、僕の名前を呼んだ。

 やっぱりだった。今思い出した。イフェ様は、僕が御名を献じるまでは無名だった。姿を奉じるまでは無貌だった。

 祀る神殿は無論のこと社、祠さえ無かったって仰ってた。信徒それなに? おいしい? 状態だったって……。

「はい、で、ございます。おっしゃる通り、信徒は、まだ、私、ただ一人でございます」

 エフィさんはしれっと開き直った。

「三日前、私はとある任務を帯びて、街道をこの街……ヴェルモンへと旅しておりました。この街まであと二日のところまで来た時、私は俄かに湧いた不気味な黒雲に遭遇して雷に打たれ、生死の境を彷徨いました。そのときでございます。ええ、私、ハジメ様と同じ体験をしたのでございます」

 なんと、エフィさんは死にかけて、あそこにいったのか。あの花畑の青空教室に!

「エフィさん、そこはどんなところでしたか?」

 僕は念を押すために訊いてみる。

「そだなぁ、ハジメと同じところだったら、信用できるな」

 俺の意図を、ルーデルが汲み取ってくれたようだ。

 皆が、エフィさんに注目する。

「そこは……、一面に見たこともない花が咲き乱れている、美しい場所でした」

「死にかけた人は、そんなことをいうことが多いのだけれど」

 リュドミラのツッコミはもっともだ。臨死体験で多い風景描写が、花畑と川だからね。

「ええ、ただ、そこには、私の人生の暗黒時代を象徴する、おぞましいものがあったのでございますよ」

「それは、災難な……で、それはなんでした?」

 俺はおそるおそる訊いてみる。俺と同じものがあったとしたら、この人は、間違いなくイフェ様に会っている。

「初級神職学校の教場で、私が使っていた机と椅子、そして塗板です」

「うえぇ」

 サラお嬢様が舌を出し、不快感をあらわにする。

 ヴィオレッタお嬢様も、愉快な様子ではなかった。どうやら、こっちの世界では学校というところは、そこで学ぶものにトラウマを植えつける場所であるらしい。

 僕も似たようなものだったけどね。

「塗板というのは、教師が教える内容を書くものですか?」

 推察はできるが念のためだ。

「ええ、教場の一番前にある黒い大きな板で、白墨という白亜の粉を棒状に固めたもので教授が講義の要点を書き出すものです」

 このひとは、間違いなく死神様に会っていた。

「どうなの? ハジメ、この人は……」

 シムナさんが俺を睨みつける。庇いだてして嘘でもつこうものなら、頭からバリバリ食われそうだ。

「エフィさん、イフェ様は、僕のことを何か仰ってました?」

「はい、毎日きれいなお水をありがとうと」

 そうか、僕の毎朝の感謝の祈りは、ちゃんと届いていたんだ。

「はあ、本物か……って、あんた、本当に死神に会ったの?」

 シムナさんは目を剥いた。

 そりゃそうか、イフェ様のイメージってそっちが主だからな。

「はい、お会いしました。というか、さっきからそう申しておりますが? そして、私は、イフェ様に献名奉貌された、ハジメ様をお助けするべく使命を授かり、女神イフェに謁を拝しました奇跡を拠所として、教団を開くお許しを女神イフェ直々に賜ったのでございます。そして、そのときに、エフィ・ドゥの名を拝し奉りましたのでございます」

 エフィさんは宗教画に描かれている女性のように手を合わせ、斜め上四十五度のどこかをうっとりと見ている。

「ちょっと待ってください、今、エフィさん献名奉貌とおっしゃいましたか?」

 さすが、シムナさん曰く、剃刀ヨハンの娘さんだ。

「はい? あ……しまっ……。あああああん! また、やっちゃったよう。肝心なとこでやっちゃったよう! うええええええええん!」

 数瞬で顔色を赤から青に紫に変えて、エフィさんは滝涙で号泣し始めた。

 きっと、以前から、けっこういい具合のところで、しくじっちゃう残念な人だったんだな。

 ああ、あえて僕はスルーしてたんですよ、エフィさん。難しい言葉だから、ここにいる大半の人のボキャブラリーには無い用例だろうなと……。

「どうじばじょう、ばびべだばぁ」

 僕はため息をついた仕方がない。

「エフィさんがおっしゃった通り、僕がこちらの世界にイフェ様に招かれたときに、祈りを捧げるときにお呼びする御名を伺ったところ、無名無貌だと仰せられました。ですから僕はお名前を献じたのです。その名は僕が元いた世界のとある民族の聖地の名です。そして、次にイフェ様がお姿も奉じるように望まれました」

「ああ、あの、……ひっく、お姿は……えぐ、まこと、ひっく、生命の女神の……ひっく、御姿でございます。美しく神々しく……ああ、あのお姿を拝しましたそのときが、ヘンリエッタ・ウィルマ・ルグ、人生の絶頂でございました」

 エフィさんが、再び宗教画の構図になったその時。ギルドマスター執務室のドアがけたたましく叩かれた。

 シムナさんの許可を得るが早いか、ドアが音を立てて開き、純白のローブに身を包んだいかにも僧侶な雰囲気の小柄な人が転がり込んできた。

 本当に転がるといった表現がぴったりだった。サッカーボールが転がってくるような錯覚をおぼえたくらいだったから。

「僕は大地母神教団ヴェルモン教区大主教代理、ティエイル・ハスコ・ツクである。当教団の独立遊撃巡回主教、正開明者イルティエ・ヘンリエッタ・ヴィルヘルミナ・ルグ様がこちらにおいでとか……あぁッ、ヴィルマお姉様ああああああああッ」

 言うが早いか、ティエイルさんと名乗った白ローブの小柄な女性は、その場から一足飛びにエフィさんに抱きついた。

「ヴィルマお姉様、ヴィルマお姉様、ヴィルマお姉様、ヴィルマお姉様、ヴィルマお姉様ああああああああああああッ!」

 みんなどん引きだ。ってか、こっちの世界の宗教関係者って、変な人しかいないの? 変な人検定とかあって、それにパスしないと僧侶になれないとか?

「なるほど、教団興したのはいいけど、前の教団の役職そのままだったってワケ。こんにちは、シャーリーン久しぶり」

 マスターシムナさんが、入室するなりエフィさんに抱きついて、懐いた猫のように纏わりついている白ローブの小柄な女性に声をかけた。

「座下ティエイルに置かれましては、ご機嫌麗しゅう……交易商人が娘ヴィオレッタとサラにございます」

 お嬢様方が、床に下り、エフィさんの膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしているローブの女性に跪いて頭を垂れた。

 ハッとして、ローブの女性は樽から飛び出した海賊人形のように姿勢を正し、ソファーの上に正座した。

「う、うむ、ヴィオレッタ・アーデルハイド、セアラ・クラーラ、一瞥以来だの。このたびは誠、愁傷であった。ヨハンには僕も世話になったから残念である。できることならなんでもするゆえ、申すがよい」

 

 そう言ってローブのフードを取った人は、燃えるように真っ赤な長い髪の毛を一本の三つ編みに編んだ、真っ青な瞳の少女だった。




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第21話 女神のてへぺろは最強だ

「よろしい、ほかならぬウェルマお姉さまの望みです、僕としてはかなえて差し上げたい。ですが……」

 エフィさんから事情を聞いてティエルさんは慇懃にうなずいた。

 そして、大きく息を吸い込んで。

「おでえだばぁ、うじどぎょうだんやべぢゃうんでどぅがぁ? おでえだばがいだぐなっだら、ぼぐ、ぼぐぅッ!」

 意味不明なことを喚き散らしながら、再びエフィさんにしっかと抱きついて号泣し始めた。

 宗教関係者って、感情の起伏がものすごく激しい人ばっかりなのかな?

「はい、大丈夫ですよ、シャーリーン。私は、大地母神教団をやめたりしないから。むしろ、やめちゃったら困るくらいなの」

「ほんと?」

「ええ、ほんとうです。シャーリ-ン。だから、泣かないで」

 二~三種類の体液に塗れた顔を上げて、ティエイルさんが、エフィさんを見上げる。

 その顔を慈愛に満ちた笑顔で見つめるエフィさん。

「なら、良しです!」

 突如、がばっ! と、体を起こし、にっこりと笑顔を顔に貼り付けえて、ティエイルさんは、フンス! と胸を張った。

「大主教代理!」

「ティエイルさま!」

 ドタドタと足音も激しく、真っ白いローブ姿のいかにも僧侶な二人と、冒険者ギルドの受付嬢カトリーヌさんが、ギルマス執務室に入ってきた。

 一人は、結構年を重ねた感じのお爺さんといっても通るくらいの外見の方。

 もう一方は、三十路を少し過ぎたくらいの落ち着いた雰囲気の女性だった。

「ティエイル様、そんな、兵士や冒険者みたいにお駆けになられては!」

「いくら、ウェルマさまにお会いできるからといって…、そんな有様では、教衆の良き手本とはいえませんよ」

 入室するなり、お小言を始めたぞ。でも、自分たちよりも頭ひとつ分は小さなティエイルさんを見下ろしてではなく、その目線まで頭を下げ同じ目線でのお説教だ。

 僕は、そういう姿勢に好感が持てた。

「二人とも、信徒の前である。あと、イルティエ独立遊撃巡回大司教座下がおいでである」

 ティエイルさんがエフィさんを手で指し示した。

 白ローブの二人はビクリと体を強張らせ、エフィさんの前に平伏する。

「も、もうしわけございませんッ! 座下イルティエ」

「ルグ座下、すみませんつい……」

 うんうんそれ分かるかも。

 何も目に入らなくなるよね、子犬を追いかけてると。

「いえいえ、お手をお上げくださな。こちらこそ、突然にお呼びだていたしまして、もうしわけございません」

 そう言って、エフィさんは、腰の雑嚢から、さっきカトリーヌさんに手渡したような、巻いた書状を取り出し、年嵩の僧侶さんに手渡して言った。

「本来ならば、しかるべき手順を踏んだ上で、お渡しすべきなのでしょうが、事態は急を要します。すぐにそれを、大地母神教団ヴェルモン神殿神官長代理兼ヴェルモン教区大主教代理に手渡した後、その書状に記載のごとく実施するように」

 さっき墓地で聞いた凛と響く声だった。

 ティエイルさんに直に手渡さなかったのは、未開封……つまり内容が改ざんされていない手紙が手渡されたというアリバイ作りなんだろうか?

 それとも、そういった重要書類を手渡すのに、宛て先人とメッセンジャーの間に第三者の介在が必要とされる、儀式的な必要性なのかはわからない。

 だけど、エフィさんが雑嚢から取り出した、リボンがついている封蝋でとじられた手紙は確かに老僧侶から、ティエイルさんに恭しく手渡された。

「あ、さっき言ってたエフィさんの任務って……」

「はい、台下。本書状をヴェルモン教区大主教代理に届けることでございました」

 エフィさんが腰を折り、畏まった口調で答えてくれる。

 もうやめてくださいその、台下っての。その尊称、ものすごく分不相応ですから。

 それに、どうしたんですか? その畏まりようは。

 おまけに、マスターシムナ以外のみんなが、神妙に僕に向かって頭を下げている。

 なに? どういうこと?

 それに、なんか、この部屋の空気微妙に重くなってないか?

「司祭長テリウス、司祭正ベルタ!」

 ティエイルさんが二人の僧侶を呼んで、書状を渡す。

「謹んで、拝読いたします」

 テリウスさんと呼ばれた年嵩の僧侶さんが受け取り、ベルタさんと呼ばれたアラサー僧侶さんと二人で読み始める。

 そして、数瞬後、二人は、恭しく頭を垂れ、跪いた。

「「大主教就任おめでとうございます。開明者ティエイル・シャーリーン・ハスコ・ツク。我等近従一同、心より寿ぎましょう!」」

 声をそろえて二人の僧侶さんが声を大にした。

「ただいまこの時より、ヴェルモンの街大地母神神殿神官長及び教区大主教には、開明者ティエイル・シャーリーン・ハスコ・ツクが座します。大地母神教団独立遊撃巡回大司教特命臨時任命神祇、正開明者イルティエ・ヘンリエッタ・ヴィルヘルミナ・ルグの名において、これを宣言いたします!」

 教会の釣鐘が鳴り響くような、凛とした透き通ったエフィさんの声が、室内に響く。

「謹んで拝命いたします」

 短くティエイルさんが答え、深々と頭を下げた。

 そして、室内に、ぱぁん! という、音が響いた。それはエフィさんが鳴らした拍手の音だった。

 さっき墓地でも思ったが、このひとの拍手で猫だましされたら、絶対引っかかる自信がある。

「すべては成りました! ようやくここまできましたね。励みなさいシャーリーン」

「はい。ウェルマお姉様」

 ふっと空気が軽くなる。

「で、ね、シャーリ-ン……」

 エフィさんが、切れ長の目を猫の笑顔のように細めて、真っ赤なお下げ髪の女の子に呼びかける。

 たった今、ここいら一帯の大地母神教団とかいう宗教団体のおそらくはトップに登り詰めた女の子が微笑む。

「はい、お姉様。斯く成りましたうえは、なにも、問題ありません。ログクリスタルも持ってきておりますし、司祭正以上の認定要件神職も二名以上おります。ましてや、教団にその人ありといわれた、ウィルマお姉様がなさることを誰が止められましょうか」

 ティエイルさんが、僕の方にゆっくりと顔を向ける。

 その表情から、微妙に険が見て取れるような気がするのは、気のせいだろうと思いたい。

「では、台下、奇跡の認定を行います。ああ、丁度よい、依り代と成りうる生娘がふたりもおる。ふむ、魔力も申し分ない。ヴィオレッタ・アーデルハイド、セアラ・クラーラ、頼めるだろうか?」

 僕の隣で、床に跪いたままだったお嬢様方にティエイルさんが声をかけた。

「「はい、謹んで」」

 お嬢様方は即答する。

「ちょ、ちょっと、お嬢様方に何をさせるつもりですか?」

 今、依り代っつったよね、このひと。

 奇跡の認定をするために依り代?

 なんかいやな感じしかしない。

「女神イフェを召喚して、お嬢様方のどちらかに降りていただきます」

 神様を降ろすだって?

 お嬢様方は普通の人間だ。そんなことできるのか? イタコの口寄せや降霊術じゃないんだぞ。

「まあ、普通の人間は一発で廃人だと思うのだけれど」

「そうだな、前に獣人の神殿で神降ろし見たことあったけど、あの後の巫女さんひでぇことになってたっけ。修練を積んだ巫女さんでさえなぁ」

 リュドミラとルーデルが僕の予感の正しさを、証言してくれた。

 

「おい、貴様、お嬢様方になんてことさせようとしてやがんだ、くらぁ!」

 つい、かっとなっちまって、俺は、頭二つ分小さな赤髪の少女を怒鳴りつけた。

「ひぃッ!」

 少女は腰を抜かしてその場にへたり込む。きっとこんな風に怒鳴りつけられたことがないのだろう。

「きさま、座下になんと無礼な!」

 腰ぎんちゃくの爺が俺を怒鳴りつける!

「うるせえッ! 無礼はそっちだ! 奇跡の認定かなんか知らねえが、大事なお嬢様方を廃人にされてたまるか!」

 俺の右手は腰の雑嚢の上に着けてある短剣に伸びている。

 それを見た、ギルドマスターシムナも俺に向かって剣呑な視線を叩きつける。

 

『それには及びません!』

 ばちぃん! っと、ブレーカーが落ちるような音とともに、光が降って来た。

 あまりにもまぶしくて目が開けていられない。

 閉じた目越しにも、まばゆい光が網膜を灼く。

 そして、その、光芒がゆっくりと収まってゆき……。

 

 ようやく目を開けることができた、僕は、僕以外の皆さんの表情にびっくりして腰を抜かしそうになった。

 僕を爆心として驚愕のツァーリボムが炸裂していたのだった。

「ほああああッ!」

「おおお! なんという!」

「ああああッ!」

「ぁあああぁ!」

 四人の神職の皆さんが、呆然と自失している。

「な、なんて……こと?」

「うそだろ?」

「まさか、こんな?」

「え、えええ?」

「すごいわ! わたし、奇跡を見ているのね!」

 お嬢様方も、目の前の出来事を俄かに信じられないでいるようだ。

 

 僕の『両側』に、光で身を包んだ女性が立っていた。

 

『来ちゃった…うふッ』

 

 そういって、金色のオーラに包まれた生命の女神様は、てへぺろして微笑んだのだった。

 




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第22話 女神様に直談判されたら、誰だって言うこと聞くよね

『こんにちは、一さん』

『やあ、はじめまして、藤田一さん』

 サラウンドで、天上の鐘が鳴り響くような声が頭の中に直に聞こえたきた。

「あ、ああ、お久しぶりです。……っと、はじめまして、え……と、あの、こちらはどちらさまですか?」

 神職さんがたにしてみたら、なんて不遜なとか言われそうだったけど、肝心の司祭様方は自失しておられるので、問題なし!

『まあ、そうでしたね、一さんにはまだご紹介してませんでしたね』

 見知った笑顔の後ろで大きな鎌が揺れている。

『そうでした、これは失礼。君はわが友生命の女神以外にこの世界の神を知らないのでしたね。我の名はルーティエ、この世界の大地の神と祀られております』

 雪のように真っ白な肌に、三つ編みにした真っ赤な髪の毛。サファイアのように真っ青な瞳と、僕を挟んで隣に佇んでいる鎌を背負った神様に負けず劣らずのグラマラスボディ。

 僕の両隣には、大地の女神と生命の女神が降臨していたのだった。

 

「我が主上、大地母神ルーティエ!」

「ああッ、生命の女神イフェ! 我が神!」

 エフィさんと、ティエイルさんは滂沱して女神様方を拝んでいる。わんこだったらうれションレベルの歓喜のご様子だ。

『うむ、皆、常の祈り、有難き哉。我が信徒たちへの挨拶は、また時を改めさせてもらってよいだろうか? 今、我が此処に降りしは、我が友生命の女神に追従してのこと故』

 ティエイルさんに暖かな眼差しを送りながら、大地母神ルーティエと名乗ったグラマラスな女神様が笑った。

 と、同時に、何もない空間につぼみが現れ、見たこともない花が咲いた。うわぁ、これは本当に女神様だ。

「もったいないお言葉! 御真姿に拝謁がかないましただけで、我等、法悦の極みにございますれば、我が主上の御心のままに!」

 ティエイルさんが、小さな体を床に叩きつけるように平伏した。

 続いて、付き添いの白ローブの二人が、やはり、体を叩きつけるように平伏した。

 僕の隣にいるおふたり? いやおふた柱か? が、ほんとうに神様なんだって実感がじわじわと上がってくる。……にしても、おんまことすがたってなんだ?

『通常、神が、地上に降臨するには依り代が必要なのです。私たちがこの姿で地上に降りること自体、地上に及ぼす影響が大きいので……』

「はい、今頃は、大地母神大神殿に座しまする大総主教を始めとする、各地神殿、社の神の声を聞くことができる神職らは、腰を抜かして、嬉しさのあまり失禁していることでしょう」

 エフィさんが、切れ長の目を猫の笑顔のように細め、イフェ様の言葉を補った。

 ふむ、そういうあなたはどうなんでしょうね? 僕は、一瞬、エフィさんをジトリとした目で見つめてしまった。

「あ……」

 エフィさんが顔を耳まで真っ赤にして、僕から目をそらした。

 そこのところは、あえて、僕はスルーしよう。うん、かたく心に誓う。

 

『いやあ、さっき、長年の友人である生命の女神がね、えらく喜んで我に会いに来たのですよ。驚きました。実に良き名と麗しい姿を得ているじゃないですか。特に乳房なんて、大地の化身たる我よりもたわわに実っている』

 女神ルーティエは、ティエイルさんたちに語りかけていたときとは打って変わって、ものすごくくだけた口調で僕に話しかけてきた。

 僕らには二ヶ月も前のことだけれど、神様にはさっきなんだなぁ。

 女神様方のお声、神職さんがたは平伏したままなので、きっと僕の頭の中だけにきこえているんだろうな。

 だから、僕も考えるだけにしてみる。

『恐縮です。女神ルーティエ』

 声に出さずに頭の中だけで大地母神様に応える。

『へえ、やっぱりなんだねぇ。聞いたとおり察しがいい。まあ、それで、ね、聞いてみたら、今回初めて、我が友、生命の女神が異界人招き担当に抽選で当たって、異世界から人を招こうと何万回と試したんだけど、なかなか眼鏡にかなう者が現れなくて、辟易してしまって、もうやめようと思ってたんだそうだ。実際、やめてしまう神も多いからね」

 なるほど、だから招かれ人は稀な存在なワケだ。そういえば、あの花畑の青空教室でイフェ様が同じことおっしゃってたなぁ。

『ええ、ですから、一さんがいらしたときにはもう、天にも昇る心地でした。あ、いけない。私、天に住んでるんでした』

 あらら? イフェ様って……、意外と残念系なのかな?

『はははッ! 以前から我が友は、言葉遣いやらが人に感化され易かったからね。で、ようやく招くに足る者が現れてくれたわけだ。君のことだよ一さん』

 そう言って、ルーティエ様は、真っ青な瞳を細める。再び女神の周りに花が咲き乱れる。

 こんなの少女マンガでしか見たことなかったな。

『これまで、何人もの人招かれ人を見てきたんだけど、君のような人間は稀有だった。で、我が友に名前と姿を献じてくれた君に、お礼を言いたかったのと、我は君に興味が湧いてね。生命の女神の神降ろしをするらしいというので、君に一目合おうと、ついて来ちゃったわけなんですよ。イフェに』

 なんか、親友の彼氏を値踏みに来た女友達みたいな感じだな。

『あ、それいい線いってるかも!』

『まあああああッ!」

 あ、しまった。僕の考えてることなんか素通しで神様方は聞こえるんだった。

『ははは、ごめんねえ、曲がりなりにも神だからねぇ』

 ル-ティエ様は呵呵大笑し、イフェ様が頬を染めた。神様といっても、感情表現が実に豊かで、欧米の宗教の神様とは一線を画している。

『さて、と……』

 僕の両脇の女神様たちが、威儀を正して神職の皆さんに向き直った。

『ルーティエの信徒の皆さん、これで、私を祀っていただく教団を興す為のた奇跡認定はいかがでしょうか?』

『我からも頼みたい。この度、献名奉貌を受け、名と姿を得た我が友の為に、どうか祀り社を建てる助力を賜りたい』

 二柱の女神様が、頭を下げられる。

「あわわわッ! なんと、勿体のうございます! 我が主上と生命の女神のご所望とあらば、なんの障りがございましょうや! 必ずや御心に叶います様、為遂げ奉りますゆえ、御心安らかならんことを願い奉ります」

 ティエイルさんが慌てふためきひれ伏す。

「ルーティエ教団のご助力をいただけるのならば、すでにことは成ったも同じ。我が神におかれましては、どうか、御心、康寧にあらせられますよう、伏して願い奉ります」

 そしてまた、エフィさんもまた、声高に宣言してひれ伏したのだった。

『ありがとう。この場の皆に、我、大地母神ルーティエの祝福を!』

『真、欣喜にたえません。私、生命の女神イフェからも、この場の皆に祝福を!』

 お二柱の御声が、頭の中に幸福を告げる教会の鐘のように、煩悩を打ち消す梵鐘のように響く。

 

 そして、…………。

 

 二柱の女神様たちが降臨されたときのように、辺りの景色が光の海に沈み、上も下も右も左もわからなくなる。

 まぶしさに目を閉じてしまいたくなるのを、必死でこらえている僕の視界から、二柱の女神の御姿が光に溶け込むように消えてゆく。

『ありがとう』の言葉を、何度も何度も繰り返しながら。

 やがて、光の洪水が引いて行き、穏やかな午後の日差しが帰ってきたギルドマスターの執務室には、ただ、ただ、滂沱する人々が残されていた。




17/09/02 第18話~第22話までを投稿させていただきました。
次回投稿は本日中に行います。
毎度ご愛読誠にありがとうございます。
なお、本作は『小説家になろう』様にても発表させていただいております。


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第23話 女神様方の祝福のおかげで、なんか、えらいことになっているようです

お待たせいたしました


 女神様方が帰られて、かなりの時間、ギルドマスターシムナの執務室に静寂がたゆたっていた。

 時折聞こえるのは、えぐえぐとしゃくりあげる声、グスグスと鼻をすする音ばかりだった。

 が、それには、悲しみなどという負の感情は欠片も含まれておらず、ただ、ただ、途方もない感動に心を揺さぶられて滂沱していただけだった。

 やがて、僕の傍でひれ伏し号泣していたティエイルさんがガバッと顔を上げ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で叫ぶ。

「ふわあぁッ! 祝福……されちゃいましたぁッ! ダブルで!」

 ティエイルさんの叫びを皮切りに。

「はあああぁッ! 何という、何という誉!」

「ひええええええっ!」

「くううッ! 信仰生活二十五年ッ! まさか、このような日が来ようとは!」

 神職さん方は、まさにもう、嬉ションレベルで歓喜のおたけびを上げる。

 一方、お嬢様方一般人の面々も。

「はわわわあッ! こ、こんなこと、いいんでしょうか? 私、神職様でも、敬虔な信徒でもないのに!」

「お姉様、すごいわ、わたしたち無敵よ! 大地母神と生命の女神のダブル祝福なんて!」

「おいおい、いいのかよ、あいつらぁ」

「あらあら、あの子たち、私たちにまで……」

「いいの? いいの? あたしにまでダブル祝福なんて。いや、返上しないけど」

 と、とまどいながらも、一様に喜色を満面に表していた。

 斯くいう僕は、なんとも不思議な気分だった。いや、神様に祝福されるってことは、喜ばしいことなんだろうけど、正直言って、なんか余計なものを背負わされたような気になっていた。

「ハジメさん、祝福を受けるということはですね、この世界においては、鎧をもう一領重ねるのとおなじなのですよ」

 ヴィオレッタお嬢様が、指で涙をぬぐいながら僕に教えてくれる。

「でも、なんか生活とか修道士みたいにきっちりした生活態度にしなくちゃいけないとか、あるんじゃ……」

 その、鎧を得るために、暮らしの自由気ままさを手放したんじゃ、割りに合わないんだけどな。

「はいはい、通常でしたら、上級の祝福を得るためには、信仰に人生をささげることを誓い、厳しい修道士生活を続け、教団のしかるべき地位に就いて、ようやく教団の大総主教の祝福を受けられるのでございます。一般信徒でしたら、どんなに敬虔であっても、修道士の生活はできませんから、いっぱい寄付して教会に通っても、よくて教区の大主教…。せいぜいが町の教会の司祭の祝福が関の山でございますねぇ」

 エフィさんが僕の疑問に答えてくれる。

「神の祝福など、大総主教が就任するときに、大々的な神降ろしをして、そのときにいただけるものなのだ。ここ数百年では、数えるほどしか記録されていないのだ。我が教団においては、先代大総主教猊下が受けられて以来六十年無かった事だ。しかも、その祝福は依り代越しなのだ!」

 ティエイルさんが、僕に向けた口先に微量の怒気を混ぜ込む。うん、敬虔な信徒さんには信じられない態度だよな。

「でもねぇ。ハジメ。わたし達。神様から、じかに祝福受けちゃったんだよ! わたし、こんなの聞いたこと無いわ!」

 サラお嬢様が興奮して、手足をバタつかせる。

 ああ、そうか、そういえば、神様たちが自身の姿で降りてくるのって、滅多に無いことだったっけ。

「はい、…で、ございますね。最後に神が御真姿を現されたのは千年くらい前でしょうか?」

 エフィさんが、神職の皆さんに向き直る。

「はは、確か、末の戦女神リュンデ様が御姿を現されたのが最後かと」

 僧侶生活二十五年を誇る老僧侶さんがエフィさんに最敬礼する。

「此の身も斯様に心得ております」

 アラサー僧侶さんが追従する。

「で、ございましてですね、台下! 此度は、神々が御自ら行われた授福でございます。ですから、何一つ髪の毛一筋たりとも、神はご所望されておりません! はい、ここ、ポイントでございます」

「え? てことは、ただ?」

「はいぃ、で、ございますぅ! 台下!」

 エフィさんがイヌ科の狡賢さで有名な獣みたいに目を細める。いいかげん、その台下ってのやめてほしい。

「え? じゃあ、いいことだらけじゃないですか?」

 そうなんだ。それなら、すごくいいじゃないか!

 僕はてっきり、なんか神官さんみたいな義務が生じるんじゃないかと思い込んでた。

 それで、修道院生活みたいなことしなくちゃならなくなるんじゃないかと……。

「ちなみに、その祝福がどういう影響を及ぼすかというと……。シムナ! ヴィオレッタを鑑定してあげて! ヴィオレッタ、良くて?」

 有無を言わせないといった感じで、リュドミラがシムナさんに人物鑑定を依頼する。

「え? ええ、かまいませんけど?」

 事後承諾に怒るでもなく、ヴィオレッタお嬢様は頷いた。

「了解っ! ヴィオレッタを鑑定っと、ほああああっ! こりゃ……、すっごぉい!」

 マスターシムナが目を剥いた。

 リュドミラがヴィオレッタお嬢様を鑑定させたのは、きっと、お嬢様方が、一番ヤバ気なモノが出て来そうに無かったからだろう。

 それでも、マスターシムナが目を丸くしながら、手元の紙にヴィオレッタお嬢様のステータスを書き出してゆく。

 それを、リュドミラに渡して天井を見上げ、ため息をついた。

「長年冒険者をやってるけど、ナイフ以外、何の装備もしていない普段着で、こんなステータスなんて初めて観たわ、……って、うわああああっ! あたしもか! すげええっ!」

 マスターシムナが自分のステータスを見てひっくり返った。

 メモを受け取ったリュドミラもため息をつく。

「どっかのダンジョンの階層ボス級のステータスね」

「へえ、どれどれ……。うわ、なんだこれ? ちょっとレベル上がったら、B級あたりの冒険者じゃ歯が立たなくなるぞ」

 ルーデルとリュドミラが天を仰ぐ。

 僕も見せてもらおうと思ったけれど、基準がわからないから、どんなすごい数字が並んでいてもわからないだろう。

 僕に鑑定能力があれば、少しは違うかもしれないけれど。鑑定眼はレアなスキルらしいからね。

 でもあったら便利だろうな。ほら、食材採取とかに行って、毒草とか毒キノコとか判ったら便利だよね。

 まあ、僕は、イフェ様が『絶対健康』を約束してくれているから、どんな毒も大丈夫だと思うけど。

 みんなに振舞う料理の中に、毒キノコとか混じったらよくないからさ。

 いいなぁ鑑定! してみたいなあ。

「ん? ……あれ?」

 僕の異変に真っ先に気がついたのは、ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様だった。

「どうしました? ハジメさん」

「ハジメ?」

 なんか、目の前に解像度が合ってないピンボケ状態で、いくつもモニターが起ち上がったみたいに見える。この光景は見たことがあるぞ。イフェ様と契約したときみたいだ。

 いくつか起ち上がったピンボケモニターのうちのひとつを注視してみる。すると、それがはっきりと見えるようになった。

 そこにはこんなことが表示されたいたのだった。

 

 名 前:ハジメ・フジタ

 異 常:無し

 性 別:男 

 年 齢:25歳  

 種 族:人間  

 職 業:無職

 レベル:1

 HP :25/25

 MP :20/20

 攻撃力:45

 防御力:∞

  力 :30

 体 力:25

 魔 力:∞

 器用さ:22

 素早さ:31

  運 :∞

 スキル:絶対健康 常時全回復 鑑定(限定解除)鑑定妨害(状況:虚偽情報表示)

 耐 性:病(無効)毒(無効)眠り(無効)麻痺(無効)混乱(中)恐怖(小)ショック(大)

     火属性攻撃(無効)水属性攻撃(無効)風属性攻撃(無効)土属性攻撃(無効)

     電属性攻撃(無効)

     光属性攻撃(無効)闇属性攻撃(無効)即死性攻撃(無効)

     火魔法攻撃(無効)水魔法攻撃(無効)風魔法攻撃(無効)土魔法攻撃(無効)

     光魔法攻撃(無効)闇魔法攻撃(無効)

 その他:女神イフェの祝福、女神ルーティエの祝福 

 

 って、書いてあった。

 

 これって、不死身ってこと?

 いや、それ以前に、これ、ひょっとして鑑定眼? 鑑定眼なのか?



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第24話 僕の鑑定スキルは本物だった。本物だった故に僕は大いに落ち込んだ。

 これはどう見ても、ステータスウィンドウだ。

 「終了」って、つぶやいたら全部消えた。

 

 モノは試しとばかりに、サラお嬢様の鑑定をしてみる。

 お嬢様以外の人のステータスを盗み見して、万が一とてつもないやばいモノが出てきて、こっそり鑑定してしまったことがバレたら、とんでもなくやばいことになると思ったからだ。

 いや、『スキル:絶対健康』があるから、死ぬようなことにはならないと思うけど、くすぐり耐性は無いみたいだから、気がふれるまでくすぐられてしまう事になるかもしれないし……。

「サラお嬢様」

「なあに? ハジメ」

「お嬢様を鑑定していいでしょうか?」

 案の定、僕のその一言で周囲が一瞬凍りついた。

「ハジメさん? 得られたのですか?」

 ヴィオレッタお嬢様が引きつった微笑を浮かべる。

「おいおい、パねえな、ダブル祝福はよ!」

「まあ、この世界に招かれた時点で、何らかのギフトを受けていたとは思うのだけれど。まさか、鑑定眼まで授けられるなんて。黙っていればよかったのに……。まあ、それが、442番……じゃなくて、ハジメなのよね……お人よしすぎだと思うのだけれど」

 ルーデルとリュドミラが、耳を立て眉をひそめた。

「僕は、たぶん不死身だから。その分、僕の味方をしてくれる人には正直でいようかと思って」

 鑑定スキル保持を白状してしまったことを少し後悔しながら、僕は口の端を上げる。

「おめでとうございます! 台下!」

 エフィさんは……この人だけは手放しで喜んでいる。

「マジデスカ? マジナンデスカ?」

 マスターシムナは、耳をしばたかせ、目をぱちくりしている。若干片言になっているのは、きっと、自分以外に鑑定スキルを持っている人に会ったことがほとんどないからだろう。それだけ珍しいスキルってことだな。

 そして、ルーティエ教団の皆さんは、ティエイルさんがフンと鼻を鳴らしたきり、僕を冷ややかな目で見ている。

 そりゃ、自分のステータスを勝手に見られて愉快な人はいないだろう。

 もちろん誰のことも勝手に見ようなんてしないよ。敵以外は。

 だから、サラお嬢様にわざわざ声をかけ、みんなに僕が鑑定眼を得たことを知らせたんだ。

「おめでとうハジメ! 鑑定して! でも……」

 お嬢様は顔を赤らめる。

 ああ、きっと、装備を鑑定されて、どんな下着を着ているかとか知られたらどうしようとかって思っているのかもしれない。

「大丈夫です。僕の鑑定眼は、たぶんシムナさんよりレベルが低いでしょうから、鑑定できるのは、防具の種類くらいまでです。……ナイフとか、篭手とか…それくらい大雑把な…自分のを見てみたらそうでしたから」

 お嬢様に安心してももらおうと、僕の鑑定眼の性能をものすごく低く教えた。

「そのようね。装備の固有名詞とかも判らないみたい。ほんと、初級の鑑定眼みたい」

 マスターシムナが、ホッとため息をついた。

 どうやら、スキル:鑑定妨害(状況:虚偽情報表示)が機能しているようだ。

「では、いきますよ! 鑑定!」

 僕は大仰に掛け声をかける。実はもう、全部見えてるんだけどね。

 誰かや何かを見つめて、鑑定しようと明確に意識すれば、黙っていても対象のステータスが見えるみたいだ。

 目の前に浮かび上がっているたくさんのウィンドウの中から、【状態】と、いうのを注視する。

 このたくさんのウィンドウに中に、ぼんやりと衣服や、装備に関係しているものもあるけど、そっちは、敢えて意識しないようにする。ぼんやりと見えちゃっているけれど、見ていないから。

 すると、サラお嬢様の現状のステータスが見える。

 

【状態】

 名 前:セアラ・クラーラ・ゼーゼマン

 異 常:無し

 性 別:女

 年 齢:11歳

 種 族:人間

 職 業:魔法使い 丁稚

 レベル:魔法使い 10

     丁  稚 73

 HP :46/46

 MP :36/36

 攻撃力:41(+3)

 防御力:13(+2)

  力 :33

 魔 力:31

 器用さ:26

 素早さ:30

  運 :95/100

 スキル:生活魔法 回復魔法 火攻撃魔法 風攻撃魔法 土攻撃魔法 闇魔法 

     戦闘中回復(中)

 耐 性:病(大)毒(大)眠り(大)麻痺(大)混乱(大)恐怖(小)

     ショック(小)

     火属性攻撃(大)水属性攻撃(大)風属性攻撃(大)

     土属性攻撃(極大)電属性攻撃(大)

     光属性攻撃(大)闇属性攻撃(大)即死性攻撃(大)

     火魔法攻撃(大)水魔法攻撃(大)風魔法攻撃(大)

     土魔法攻撃(極大)

     光魔法攻撃(中)闇魔法攻撃(中)

 その他:女神イフェの祝福、女神ルーティエの祝福 

 

 なんてこった! 僕なんかより、ずっと強そうなステータスだ。しかも、魔法使いで丁稚という職業のサラお嬢様に、元荷役奴隷でバキバキに力仕事をこなしていたはずの僕が、力で負けてる。

 これって、奴隷として解放された瞬間に、こっちの世界でなんの経験もしていない僕にリセットされたってことなんだろうか?

 雑嚢から筆記具を出して、メモを取る。この世界、既に鉛筆があるのがうれしい。

 それを、サラお嬢様に手渡す。

「うわあ! わたし、もうレベル10になっていたんだ! うれしい! ええええええっ! これなに? そっか、これが、祝福なんだぁ!」

 さすが、剃刀ヨハンの娘さんだ。自分のものすごい耐性のことはぼかして喜んでいる。きっと、ヴィオレッタお嬢様も同じように耐性やらなにやら付与されているんだろう。

「ふう、本物か……。女神の祝福たるや……なんともはや……ね」

 シムナさんが頭を振りながら肩をすくめた。きっと、シムナさんもサラお嬢様を鑑定してたのだろう。答え合わせはオーケーだったようだ。

 ん? 何で答え合わせなんて回りくどいことを?

「シムナさん、僕の鑑定した方が話し早くないですか?」

 そっちの方が回りくどくないだろう。

「一応……ね、鑑定眼のレベルを答え合わせで確認してみたくて、ね」

 なるほど、もっともだ。確認は重要だ。

 

「では、台下。我らは急ぎ神殿に戻り、生命の女神教団設立の準備にかかります。お姉様、お名残おしゅうございますが……」

 ティエイルさんが、僕らに向かって慇懃にお辞儀をする。なんか、ルーティエ教団の方では僕はすっかり教祖様扱いのようだ。めんどくさいことにならなきゃいいなぁ。

 それに、なんか、いつまでもここにいたら、僕にあることあること全部見透かされるみたいだからなと言わんばかりにいそいそしている。

「ええ、ええ、シャ-リーン・ハスコ。明日にでも、そちらに伺います」

「はい、お姉様、一刻千秋でお待ち申し上げます。おいでになるまでに、台下の経歴をでっち上げておきます。ちょうど、半年ほど前に、野盗を装ったラツィオ教皇国の兵に撫で斬りにされた村の外れにあった修道院がいいでしょう。全員が異端者の烙印を押された上、串刺しにされて街道に並べられたといいます。そこから難を逃れたという体で作ります」

 ティエイルさんが、おっかないことをサラリと言って、二人の高僧を引き連れてヴェルモンの街の冒険者ギルドマスターの執務室から出て行った。

 撫で斬り? 串刺し? 要するに虐殺のことだよね? しかも烙印されて串刺し? 昔のルーマニアのワラキア公国の君主じゃないんだから。

 

 再びマスターシムナの執務室には静寂が訪れた。

「ふう、えらいことになったわねぇ。あたし、ここまできて、また、スキルアップできるなんて思わなかったわ。何気にレベル限界がおそろしく伸びてるし。これでまた、レベリングできちゃうわね」

 しみじみとマスターシムナがつぶやいた。

「よかったじゃん。ああ、でも、めんどくせえことになったなぁ」

 ルーデルがあきれたようにソファーでふんぞり返る。

 そうだよなあ、宗教法人の設立にかかわるなんて、よっぽどやる気がないとめんどくさいことこの上ないよな。

「相手は大地母神と死神。おまけに招かれ人。ややこしくならない方がおかしかったとおもうのだけれど?」

 ルーデルの隣で、リュドミラが冷めた紅茶でのどを潤した。

「はあ、私、とんでもないものをいただいてしまった気がして、動転しています」

 お嬢様がソファーに座り直し、紅茶に口をつける。

「わたしは、うれしいわ、姉様。このレベルのクセに、このステータスなら、たいした装備を用意しなくても、近くの軽ダンジョンなら踏破できちゃいそうよ」

 サラお嬢様が、僕が手渡したメモを見ながらニコニコしている。

 実はさっき、とんでもないモノをいただいてしまったと困惑しているヴィオレッタお嬢様のステータスを、ちょっとだけ、こっそりと鑑定してみた。

 魔法使いレベル10のサラお嬢様で、ああだったのだから、すごく気になったからね。

 もちろん、サラお嬢様を鑑定したのと同じ、基本ステータスまでだ。装備とかは見ていない。

 なんていう名前の服で、なんていう名前の下着かなんて見ていない。興味はあるけれど……。

 

【状態】

 名 前:ヴィオレッタ・アーデルハイド・ゼーゼマン      

 異 常:無し

 性 別:女

 年 齢:15歳

 種 族:人間

 職 業:治癒師 番頭

 レベル:治癒師 20/100

     番 頭 99/100

 HP :104/104

 MP :45/45

 攻撃力:54(+3)

 防御力:64(+2)

  力 :51

 体 力:62

 魔 力:55

 器用さ:44

 素早さ:44

  運 :77/100

 スキル:生活魔法 回復魔法 付与魔法 神聖魔法 

     戦闘中回復(中)

 耐 性:病(大)毒(大)眠り(大)麻痺(大)混乱(大)恐怖(小)

     ショック(小)

     火属性攻撃(大)水属性攻撃(大)風属性攻撃(大)

     土属性攻撃(極大)電属性攻撃(大)

     光属性攻撃(大)闇属性攻撃(大)即死性攻撃(大)

     火魔法攻撃(大)水魔法攻撃(大)風魔法攻撃(大)

     土魔法攻撃(極大)

     光魔法攻撃(中)闇魔法攻撃(中)

 その他:女神イフェの祝福、女神ルーティエの祝福 

 

 ヴィオレッタお嬢様もサラお嬢様に負けず劣らず僕よりもかなり上のレベルだ。

「はあ……」

 僕は思わずため息をついてしまった。

 リュドミラにまた、ため息ひとつで、幸せひとつが逃げていくなんて言われそうだ。

 しかしまあ、僕は、よく、冒険者になろうなんて思えたもんだ。

 そりゃ、豚肉が一ウマウマのとき、最低でも五ウマウマのモンスター肉に惹かれたのは確かだけどさ。

 正直、僕はかなーり、深ーい所まで落ち込んでいたのだった。

 



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第25話 冒険者登録、どうやら僕は仮免を発行されるらしい

「ハジメさん。非才のことは診ていただけないのでしょうか?」

 落ち込んでいる僕にエフィさんがニコニコと聞いてきた。

「いいんですか?」

「はい。もちろんですとも! 女神イフェの第一使徒であるハジメさんには、隠し事なんていたしません。ご覧になれる一番深いところまでどうぞ。あ、ちなみに非才は第二使徒でございます。さらにちなみれば、現在、我が生命の女神教団の信徒は非才とハジメさんの二人でございます」

 ありゃりゃ、いつの間にか信徒にされちゃったよ。しかも、第一使徒だって。僕はア○ムかメ○ィ○トかってーの。

 まあ、毎朝一番に汲んだ水を捧げ、感謝の祈りを捧げているわけだから、立派な信徒だよね。

 自覚してなかったけどさ。

 てか、さ。元の世界でも、誰も自覚してないだろうけど、大概の人は初詣に出かけていたわけだから、神道の信徒だしね。

 僕は、ここ十年くらいは行った事ないけどね。

 あと、お葬式は大体がお寺さんでしょ? だったら、立派な仏教徒だよね。つまり、大体の日本人は神道と仏教を掛け持ち信仰してるってことにならないだろうか。

 まあ、なかには結婚式を教会でやった人もいるだろうし、クリスマスには「メリークリスマス」って挨拶する人もたくさんいるだろう。ってか、メリクリしない僕みたいなヤツの方が現代においては少数派だろ?

 二月十四日には、聖ウァレンティヌスにちなんだ、意中の男性に45口径の銃弾の雨霰じゃなくて、チョコレートを渡す行事が、若い女性を中心に行われ、男子はその日、大半の生きた心地がしない男子と、全男子の一割程度の今生極楽の住人となる男子の二種類の男子に分けられるという。

 信仰をしている意識はないだろうけど、この、聖バレンタインデーも立派な宗教行事だ。だから、キリスト教も掛け持っているともいえるわけだ。

「では、エフィさんは、後でじっくりと鑑定させていただきましょう」

 何かヤバイものが出てきても、安心して対応できるように、エフィさんの鑑定は、後ほどやることを伝える。

「はい、了解でございます。ハジメさんのお眼鏡に適う能力だといいのですが……」

 エフィさんは自嘲気味に答え、ソファに座りなおした。

 お眼鏡にかなうとかって……、すんごい高レベル僧侶さんなんだろうから、そんなこと心配する必要ないだろうと思うけどね。

 

「ハジメさん、わたしもイフェ様を信仰していいかしら?」

「ハジメ! わたしも! わたしも!」

 お嬢様方が、信徒に立候補してくれた。 

「いただくばっかりでは、申し訳ないですから、せめて、祈りを捧げたくて……。私もサラも、既に大地母神ルーティエと商いの神メルキューロを信仰していますけど……」

 ヴィオレッタお嬢様の言葉に、エフィさんがすかさず喰らいついた。

「もちろんでございますとも! ヴィオレさん。そして、サラさん。我が教団は、他宗派との掛け持ち大歓迎でございますよ。特に大地母神との掛け持ちはむしろ推奨でございます。それに、どの宗派も信徒が増える分には大歓迎でございます。入信するためには棄教しなくてはいけないなんてことはございませんからご安心を。私たちが信仰するところの、この世界の神々はどの神も、他の神を否定することはございません。まあ、神々の中にも仲の良し悪しはございますけど……ね」

 エフィさんが片目を閉じる。いわゆるウィンクってやつだ。その仕草がちょっとだけギャップ萌えの琴線に引っかかって、ドキリとしてしまった。

 と、まあそれは置いておいて、なるほど、そうだったんだ。この世界の宗教観って神道に近いんだな。

 イフェ様とルーティエ様が親友同士みたいだとか、妙に人間味があったりして。神様同士が親友だったのなら、そりゃあ掛け持ち信仰オッケーだよなあ。

 この高僧エフィさんからして、まだ、ルーティエ教団の独立遊撃巡回大主教様辞めてないからなあ。

「じゃあ、僕も、ルーティエ様も拝もうかな」

 お嬢様方につられて、僕も、大地母神様を拝みたくなる。せっかく祝福を授けていただいたからね。できればイフェ様と一緒に毎日感謝を捧げたい。

「それは、我らが主上イフェ様も大変お喜びになられるかと……」

 エフィさんが破顔する。あとで、エフィさんに正しい拝み方を教わろう。

 

 ぎゅるるるるるうううっ!

 

 突如、僕の腹の虫の鳴き声が、決して狭くはないマスターシムナの執務室中に鳴り響いた。

 一瞬の無音の後、誰からかはわからないけれど、今度は噴飯したような音があちらこちらから上がり始めた。

「ぶぶぶっ!」

「ぷぷぷっ!」

「ぷ…っくははは!」

「うふふふふふ!」

「あははははははっ! ハジメのおなかすごい!」

 その場のみんなが大笑いを始めた。なんとも恥ずかしい。

「だって、皆さん、腹減りません? 僕らお昼抜いてるんですよ!」

 ほんの少しだけ語尾が強くなってしまった。だけど、なんとも締まらないんだけど、それが僕の率直な気持ちだ。

 マスターシムナの執務室の窓のカーテン越しに、午後の傾き始めた日差しが洩れ入ってきている。

 お昼はとっくに過ぎている。おやつには少しだけ早いだろうけれど、お昼ご飯にはかなり遅い。

「よし、じゃあ、どっかで食事にしましょうか。もうそろそろ、みんなの冒険者タグができてくるはずだから」

 マスターシムナが提案する。

「それ、僕のもですか?」

 恐る恐る聞いてみる。なにせ、僕は、まだ、この世界のこの国で住民登録さえしていない『存在しない人間』だ。まあ、体は元々存在していた人のものだけど。

「ああ、それなら大丈夫よ。さっき、大主教たちが帰りしなに、カトリーヌのところで、大地母神教団のログクリスタルを使って、ハジメさんの仮の住民登録して行ったみたいだから。大地母神教団の信用で仮免を発行できるわ。まあ、それで、取りあえずFクラスから、始めてちょうだい」

 いつの間にそんなことを……。

「あの子のそういう抜け目のなさが、今回の人事での大主教任命につながったんでございますよ。稀に見る優秀な子なのででございます」

 エフィさんがフンスと胸を張った。

 性格や素行的にかなりアレだと思うけど、そういうことは人事考課に入らないんだろうか?

「そうですか……よかった」

 僕はホッとしてため息をついた。僕が、こっちの世界でお役所の書類上でも存在していることになれそうで、だ。

 そして、どうやら、僕は、冒険者になれるようだ。

 豚肉を一ウマウマとした場合、最低五ウマウマを誇るモンスター肉を食べられる!

 そう思った瞬間、再び猛烈に腹が鳴った。

「そ、そうだ、僕、何か作りましょう」

 マジックバッグと化した僕の腰の雑嚢には、昨日使わなかった食材がうなっている。

「ハジメ! それ賛成! きのうのプチミートパイおいしかったわ」

「それはいい考えですハジメさん!」

 お嬢様方が、いの一番に賛成してくれる。

「え? またハジメが作るのか? うはっ、たのしみだぜ!」

「いいのかしら? ハジメ。疲れているのだと思うのだけれど?」

 ルーデルとリュドミラも賛成のようだ。

「はい、非才も賛成でございます。また、お手伝いできれば……」

 エフィさんも異をはさまない。盲目的といってもいいなこりゃ。少し怖い。

「なあに? ハジメは料理ができるの?」

 おや? シムナさんが食い付いてきちゃったぞ。

「ええ! マスターシムナ。ハジメのお料理はとってもおいしくて楽しいの!」

 サラお嬢様が実に端的に夕べみんなで作って食べた餃子を評してくれた。

「あたしもおよばれされていい? 材料やお酒は提供するから」

 シムナさんの提案にみんなが諸手を挙げる。 

「ようし、じゃあ……」

 僕は昨日使わなかった材料で、できる料理を考え始める。

 帰り道に屋台で、何か適当に、食事の用意が整うまでのつなぎのファストフードを買って、夕飯に合わせてちょっとしたご馳走を作ろう。

 今日は、ヨハン・ゼーゼマンさんのお葬式の日ではあったけれど、みんなが冒険者になった門出の日でもある。

 エフィさんによれば、ゼーゼマンさんの魂のこの世からの旅立ちの日といってもいいみたいだ。

 

 なら、ご馳走を作ってお祝いしよう。

 

『ならば、我もご相伴に与りたいな』

『私も……いいですよね。ハジメさん』

 何もない空間から、滲み出すように、光をまとった二柱の女神が再降臨された。

「「「「「「「ええええええええええええええええっ!」」」」」」」

 

『『また、来ちゃった』』

 

 二柱の女神がてへっと笑い、ぺろりと舌を出したのだった。



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第26話 ああッ! 女神様方再降臨!

『やあやあ、寸瞬ぶり! あの子らは決して悪い者らでは無いのだけれどね』

 大地母神ルーティエ様が、右手人差し指と中指を揃え、眉の辺りにかざして手首を振った。

 たしか、ボーイスカウトの敬礼がこんな感じだったな。あ、あと、ポーランド軍の敬礼もこんな感じだったと思う。

『うふふふ、ちょっと堅苦しすぎるのですよね』

 そう言って微笑む女神様方から、その体を包んでいた金色の光……オーラなんだろうな……が、すうっと消えてゆく。

 と、同時に神々しさが薄れてゆく。ちょうど、明るさ調節機能付のシーリングライトの光量を落としていく感じに似ている。

『こんなものでいいかな? イフェ』

 ルーティエ様が親友神に尋ねる。

『ええ、恐らくそれくらいで、高位の神官殿くらいに収まっていると思うわ。どうかしらエフィ・ドゥ』

 生命に女神が、その、第二使徒を自称する尼僧に微笑みかける。

「は、我が神々におかれましては、我ら信徒へのお心遣い、まこと恐れ多きことにて此の身、ただただ、地に伏すばかりにてございます。お尋ねの儀、これ、まこと正鵠にて候わば、御心安らかに候らへ」

 床に体を叩きつけるようにして平伏してエフィさんは声を震わせる。

 って、この場で普通に立っているのは僕一人だけだ。ひれ伏しているエフィさん以外は跪いて手を合わせていた。

 エフィさんが、何言ってるのか、僕にはさっぱりわからなかったが、意味だけはくみとれた。

 要するに、「そんなもんでいいんじゃないっすか? しんぺねっすよ!」だ。

「じゃあ、行きましょうか!」

 僕は再び神殿と化した、ヴェルモンの街の冒険者ギルドマスター執務室のドアを開ける。

「あ……」

 そこには、廊下の床にへたり込んで、大きな水溜りを作っていたカトリーヌさんが、手に持った僕たちの冒険者登録証兼身分証明書となるペンダント……軍隊の認識票みたいなヤツ……をカチャカチャといわせ、震えていた。

 

 

 そうして、僕たちは四人分の冒険者登録料、金貨一枚と銀貨四枚、そして僕の仮登録料銀貨二枚を受付窓口で払って、ギルドを後にする。

 僕の胸には防錆加工した鉄でできた冒険者登録証がぶら下がっていた。

 等級が上がるにつれて、銅、銀、金、白金とタグの材質も上がっていくのだそうだ。

 銀色のタグの冒険者は、金色のタグのクエストを受けられることもあるらしいので、ルーデルやリュドミラじゃないが、一刻も早くそのレベルにならないと、一ヶ月であと、二千七百枚もの金貨を稼げない。

「ふう……」

 これを、貰うだけだったはずが、とんでもないことになったもんだと、僕は胸にぶら下がっている楕円形の薄い鉄板を弄ぶ。

「あ、そうだ、とりあえずそこの雑貨屋で、クッションを見てみませんか?」

 そう提案した僕に、異を唱える人は誰もいなかった。

 ヴェルモンの街の冒険者ギルドの周辺は、冒険者目当てに商売をする店が多く、生活密着型の品揃えをした店は多くないし、その少ない店も純粋な生活用品の品揃えは芳しくない。

 生活用品のアウトドアバージョンが圧倒的に多い。小型の野外用フライパンや、鋳鉄の深底鍋…現代で言うところのダッチオーブンってヤツ…に、普通の包丁の代わりに、鍔が付いた野外用の包丁とか、鉈とかばっかりだ。

 だが、それでも馬車の荷台で尻を保護するクッションや、毛布くらいは売っている。

 とりあえず僕は、新しく増えた馬車の乗客のために、今まであったクッションよりも少しだけグレードの高いものを二つと、今まで僕らが使っていたのと同じものをひとつ買った。

 こういうクッションは、需要があるらしく、冒険者ギルド近くの雑貨屋にたくさん揃えてあった。冒険者はクエストによっては、荷馬車に乗り合うこともあるんだろうと推測できる。

『皆は乗らないのかい?』

 御者台に背を向け、イフェ様と二柱並んで座されたルーティエ様が、僕らに問いかけた。

 顔を真っ青にして、エフィさんが跪く。

「主上にあらせられましては、いと在り難き御言葉なれど……」

『エフィ・ドゥ、乗ってください。皆が徒歩で行くならば、私たちがご相伴に与る食事を用意する時間がそれだけ遅れます。ハジメさんがどのようなものを作ってくださるのか、私もルーティエもワクワクしているのです。聞き分けてくださいますね』

 じつに物腰が柔らかで、丁寧なお願いの言葉だったけれど……。

「は、ははーーーーッ!」

 エフィさんは馬車に飛び乗り、その場で平伏した。

 うん、エフィさんにとっては、他のどんな存在から下されるものよりも、最優先にして背命不可の絶対命令だよなぁこりゃ。

 それにしても、飛び乗ったはずなのに、髪の毛が乗ったほどにも揺れたように見えなかったぞ。

 独立巡回遊撃大主教という物騒な肩書きは、やっぱり伊達じゃなかった。隠密みたいだったぞ今の

 マスターシムナ、ヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様が順に乗り込んでゆく。そして、最後に乗り込もうと、馬車の荷台についた手僕の両手を、暖かく柔らかなものが包み込む。

『『ふふッ』』

 女神様方が、僕に手を差し延べてくださっていたのだった。

 

 

 僕たちを乗せた馬車は、ヴェルモンの街を冒険者ギルド周辺の繁華街を抜けて、住宅街のゼーゼマン商会のお屋敷へと向かう。

 途中に街の住民が生活するための家財道具を販売している商店や、生鮮食品を周辺の農村から荷車で持ってきて露天販売している市場を通る。

「現在の状況では新品の寝台や椅子、テーブルは無理だと思う、中古の家財道具を扱っている古道具屋、誰か知ってる?」

 馬車に乗っているみんなに尋ねる。

「おうッ! 正規買取品からワケあり品まで何でも扱ってる店、知ってるぜ」

「ああ、そういうことならあそこね!」

「オドノ商会なら、一番妥当ね。この街で一番古くて大きな古物商よ。元が質屋なのだそうよ。いいものを高価購入安価販売するって評判だわ」

 うん、願ったり適ったりの店だ。そこで、寝具と食事用のテーブル、椅子、そして、調理道具を買おう。

「全部そこで揃えられればいいな」

 思わず呟く。

 当初あった金貨は約二万と四百枚。古い天秤での重さを測っての計算だから多少の誤差はあっただろう。

 お嬢様たちを買い戻すために使ったのが二万枚。これは、奴隷商人のところできっちりと数えたから間違いなく二万枚を支払った。

 それから、夕べ、レストランで道端にぶちまけた料理の代金が金貨三十枚

 薪やら何やらで銀貨数枚使って、役場で埋葬許可料銀貨五枚と墓守に二人に正規料金金貨二枚と他に一枚ずつ渡して、さっきの金貨一枚とちょっとの出費……。

 現在僕の財布の中身は金貨六十四枚と銀貨以下が何枚か……。それが残った全財産だった。

 今朝まで三百枚以上あったのになあ。

 はあ……、まあ、仕方ないか。うん! 後悔先に立たずだ。

 それでも、なんとか、お嬢様方とルーデル、リュドミラの寝具とみんなで食べられる大きさの食事用のテーブルは欲しい。

 器と皿、そして、飲用のカップは、この世界の旅を生業とする人間にとって、雑嚢に持っているのが常識だから。お二柱の分だけを買えばいい。

 市場外れの馬止めに、ルーデルが馬車を乗り入れ繋ぐ。

 農民の大半は、人力で生鮮食品を満載した荷車を引いてくるらしいので、馬止めには片手で数えられるほどしか馬が繋がれていなかった。

「ハジメ! 姉様! ルー! リューダ!」

 いの一番に馬車を降りたサラお嬢様が、呆然として前方を指差す。

「どうしたんですか? サラお嬢様」

「ハジメ……、あれ」

 サラお嬢様が指差す方を見る。そっちは、ルーが言っていた『オドノ』商会がある方向だ。

「あら……まあッ!」

「ああ、そうだよな……。そうなるんだろうがよぉ」

 お嬢様方、そして、ルーデルや、リュドミラも目を剥いて口をぽかんと開けていた。

「た、たしかに、そうね、そうなのだけれど……」

 みんなが言う通りだった。そうだ。そういうことだ。目的地をここにしたときに、予想できたはずだったのだけれど、それはすっかりと抜け落ちていた。

 

 僕たちの第一目的地、古物商、オドノ商会の店先に、見慣れた家財道具が山積みされていたのだった。

 



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第27話 あの土地家屋って、半額以下に値切れるほどのいわく付って本当ですか?

「うわあ!」

 昨日の朝まで僕が寝ていた使用人用の二段ベッドが、航空機の格納庫を思わせる古物商の店舗外壁に立て掛けてある。

「わああッ! お姉様、私のベッドだわ」

 サラお嬢様が見つめる先には、昨日の朝までサラお嬢様がお休みになっておられた天蓋付ベッドが置いてあった。

「ええ、私のもある。あ、あそこには食堂のテーブルとイス、それに燭台もあるわ」

 その他には、食器棚やら、オーブン、丸められた絨毯など、ゼーゼマン家から持ち出された大型の家財道具の多くが、帆布のシートをかけられて置いてあった。

 しきりに感嘆符を連発しているお嬢様方の護衛をルーデルとマスターシムナに頼み、女神様方には、リュドミラとエフィさんをお世話係につけて、お嬢様方を店先に残し、僕は『オドノ商会』の店内に入る。

「しゃっせーッ!」

 この手の店って、もっと薄暗いイメージを持っていたけれど……ものすごく明るくて、商品の小さな傷まで良く見える。この明かりは自然光じゃなくて、生活魔法ってやつだよなたしか。

 まるで、年季が入ったコンビニ店員のような来店挨拶の声が、あちらこちらから飛んで来る。

 揉み手をしながら近付いて来た若い店員に、表の家財道具のことを、できるだけ何気なく尋ねる。

「いやあ、お客さん運が良い! 実はあの品々は、破産商人のお屋敷一軒から出たものでして、お屋敷一軒分、丸々ございます。それに統一感がございますから、ちぐはぐになりません。当店といたしましては、一括購入をお勧めしておりまして……」

 ああ、なるほど、一辺に全部買えるくらいのお金持ちじゃなきゃ売らないよってことか。

「ありがとう、僕じゃ買えないって事ですね」

「いえいえ、滅相も…、当店といたしましては、一括全品ご購入をお勧めしております。ってことでございまして……はい」

 わかりましたよ、貧乏人は退却です。

「えーっと、じゃあ、ベッドとテーブルを見せてほしいんですけど」

 僕は踵を返して、店員に尋ねる。

 端から、ゼーゼマンさんのお屋敷にあったものを買い戻そうとか考えてなかったから、店員の態度は全く気にならない。

 でもお嬢様方はどうだろうかと考えて、少し憂鬱になるけど、気を取り直して、外から見た感じよりもずっと広い店内を、今の僕に見合った身の丈の商品を探そうと見回す。

「いらっしゃいませなんだね! 大地母神ルーティエの使徒様ならびに、最近御名と御姿を得られたという生命の女神イフェの使徒様。そして、従者の皆様! オドノ商会へようこそおいでなされましたんだね!」

 店の奥から、いかにも怪しいものを売り買いするオヤジのような軽佻浮薄な口調が、全世界に轟き渡る様な重厚な声音で店内に木霊する。

 なるほど、出力を落とした女神様方は、使徒呼ばれるものすごい高位階の僧侶に見えるらしい。

 硬質な床を硬い踵の靴でゆっくりと踏むようなこつーんこつーんという音と、スキーのストックみたいな登山杖を交互につくような音が近づいてくる。

「こんにちわ、シャッチョさん。お久しぶり」

 いつの間に僕の背後にいたリュドミラが、店の奥から近づいてくる人物に声をかける。

 女神様方もおいでだ。

 リューダにシャッチョさんと呼ばれた足音の主は、フンと鼻を鳴らした。

「おやおや、使徒様ご一行に君まで交じっているとは……ふむ、相棒も一緒なんだね。かかかッ! 今日は楽しい午後を過ごせそうなんだね!」

 そして、地響きでも立てそうな声でいきなり耳元で笑い出す。

「おわぁッ!」

 そこには僕よりもほんの少しだけ低い身長の爺さんが、杖をついて佇んでいた。

 いつの間にこんな傍に近寄ってきていたんだろ?

 しかしまあ、オドノ商会社長の風貌はじつにイカれていた。

 左目には眼帯。二本の杖をついていたと思い込んでいた音は、義足の音だった。

 僕も、この世界に来て数ヶ月だが、この店の店主の服装はこの世界のおそらくは常識とされる服装からは大きくズレたセンスだった。

 こんなセンスのファッションはハリウッド映画の中でしかお目にかかったことがなかった。

 頭にはパナマ帽を載せ、原色がけばけばしいアロハに脛丈の半袴。

 中南米の場末の酒場で、荒くれども相手に武器や酒を売っている商人と言ったほうが遥かに的を射ていたろう。

「さて、少年! 君がお尋ねの、外に置いてあるお金持ちのお屋敷一軒分の家財道具なんだね。実は大変申し訳ないんだね。売り先は決まっているんだね」

 店主は気まずそうに眉を寄せて小首をかしげた。

「ああ、いえ、僕は、もっと安そうなものを探しているので……。外のヤツを欲しいと言う訳では……」

 僕の言葉に店主は胸を撫で下ろした様に微笑む。

「ああ、よかったんだね、使徒様方にご無礼をしでかしたらどうしようかと思ったんだね。いいよいいよ、使徒様方とそのお供様方だ。たくさん勉強させていただくね。どれ、商品を絞り込んであげよう。予算と入用の商品を教えるんだね」

 老社長は、かかかッ! と、笑い、僕に予算と入用のものを聞いてきた。

 僕は、欲しい物を片端から唇に乗せる。予算内でこの中から買える分だけを買うと告げるのは忘れていない。

 それを、傍に控えていた番頭さんみたいな店員がメモして、リスト化して社長に手渡す。

「ふむぅ……」

「ねえ、シャッチョさん。お店の中探すより、外のヤツそのまま渡したほうが早くない?」

 社長と顔見知りらしいリュドミラがウィンクする。

「リューダ、ワガママはよくないよ。外のは、もう買い手がついているんだそうだから」

 たしかに、僕が買いたい商品の構成は正に、外にシートを被せてある家財道具からピックアップしたほうが早そうだった。

 だが、絶対的に予算が足りない。僕が提示している予算は、このお店があの蝗どもから買い取った金額の百分の一にも満たないだろう。

「うーん、だけどねぇ」

 社長が悩んでいる。いや、悩む必要ないですよ社長さん。その予算で最低限ベッド二台と二段ベッド二台、それに付随する寝具、そして食事をするテーブルと椅子だけでいいんです。

「アレだけの品物を一括で購入できるお金持ちが、この街にいるとは思えないのだけれど?」

 うーんうーんと、店主が悩む。

 その悩み方は、裏取引でとんでもない条件を無理やり飲まされようとしている、怪しい商人そのものだった。

「我からも願いたい。店主! 外の家財を元の持ち主のところへ戻してやってはくれないだろうか」

 凛とした教会の鐘のようなルーティエさま声が、店内に響き渡る。

 店内のあちこちから、なにかが落下したような音が聞こえてくる。

 僕のすぐ近くからも、何かが落ちてきたような音がした。

 音がした方に視線を走らせる。

 と、そこには、幸福感を満面に湛えて気絶した、古物商会の従業員の姿があった。

 何億分の一。あるいはもっと天文学的なオーダーで出力を落としているとはいえ、女神様のお声だ。そういうことになるんだろうな。

「私からもお願いいたします。社長さん」

 今度は煩悩を全て吹き飛ばす梵鐘ように美しい、イフェ様のお声が響き渡る。

 またもや、店内のあちこちから、法悦を顔面に貼り付けて気絶した人が倒れる音が聞こえる。

「ううん、如何に使徒様方のご所望とはいえ……。ん? 少年! そちらの使徒様は今、元の持ち主と仰せられたんだね?」

 社長さんが僕に問いかけてきた。

「ええ、そうです。外の家財道具はゼーゼマン商会の会頭、ヨハン・ゼーゼマンさんのお屋敷から債権者が持っていった物です。今、外にそのお嬢様方が居られます。ちなみに、僕は、ヨハン・ゼーゼマンさんの荷役奴隷でした」

「そうか! 君が……なんだね!」

 オドノ商会の社長さんは何度も頷いて、足元に倒れている番頭さんを蹴り起こした。

「フレキ! 外の家財道具、今すぐ、店の全員でゼーゼマンのところに配達して設置するんだね! 今日はそれで営業終了なんだね!」 

 え? なんか話が一足飛び過ぎてワケがわからないぞ。

「うわッ! は、はい判りました! みんな起きろ! 仕事だ!」

 フレキと呼ばれた番頭さんは飛び起きるなり、店内に叫び、外へと駆け出した。

「ハジメ! ウチの家財道具が……!」

 サラお嬢様が半泣きで僕の胴体にタックルしてきた。使い慣れた家具が再びどこかに行ってしまいそうなのを見たら半泣きにもなるよな。

「セアラ・クラーラ、大丈夫ですよ、店主様が、お屋敷に戻してくださるそうです」

 イフェ様が僕に抱きついてべそをかき始めたサラお嬢様の頭をなでる。

「ほんと? イフ……」

 サラお嬢様の口はイフェ様の人差し指で、そおっとふさがれた。

「セアラ・クラーラ、私のことは、イェフ・ゼルフォ……イェフと呼んでくださいな」

「はい! イェフ様!」

「サラ、我のことはエーティルと呼んで欲しい」

 サラお嬢様の背中にルーティエ様の手が添えられる。

「はい、エーティル様!」

「ああああッ! なんとおおおッ! サラさん! いえ、セアラ・クラーラ台下ぁッ!」

 エフィさんがサラお嬢様に五体投地でひれ伏す。

「ひいぃッ! エフィさんッ!」

 びくりと背筋を引きつらせ、サラお嬢様が青い顔でエフィさを見下ろす。

 サラお嬢様までがエフィさんにとって、僕が元いた世界で言うところの、教皇に就任してしまったようだ。

 女神様…、もとい、使徒様方は、そんなエフィさんに苦笑しながら抱き起こし何事かを耳元で囁く。

「は、はい! かしこまりました。で、では……せ、聖下の御心のままに!」

 そうして、エフィさんはお二人の後ろに直立不動した。

「ふん、まさか、君がゼーゼマンのところにいたとはね。広くない街なのに知らなかったんだね! リュドミラ・ジェヴォナ」

 オドノ商会の社長さんが感慨深げに、口をへの字に曲げた。

「ここ何年かずっと、ルーと一緒に、ヨハンのキャラバンで護衛奴隷をしていたわ。王都の賭場で作った借金を肩代わりしてもらったの。わたしたちは、あなたがここで古道具屋をやっていたのは知っていたのだけれど、繁盛しているようでなによりだわ」

 リュドミラが、答える。もうずうっと昔からの知り合いみたいだ。

「ハジメ!」

「ハジメ!」

「ハジメさん! 荷物が……買い手がついて……」

 ルーデルとマスターシムナ、ヴィオレッタお嬢様が駆けて来る。

「やあやあルーデル・クー、久しぶりだね! おや、シルッカ・ミェリキも一緒か! 珍しい取り合わせなんだね」

 社長が、ルーデルとマスターシムナに挨拶をする。

「おう、あんたも相変わらず元気そうだな。商売繁盛してるみたいじゃないか」

 つい一週間前に会った友人のような口調でルーデルが応えた。

 きっと昔パーティ組んで冒険してたんだろうな。この人たち。

「こんにちはオドノ社長、この人たちが、今日、ウチで冒険者登録をしたの。それから……」

 言いよどむマスターシムナに頷いて社長が、ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様の肩に手をかける。

「ヨハン・ゼーゼマンのことは、残念だったんだね。ウチはね、おじいさんの代から、キャラバンが帰還する度に、東方の珍しい道具や宝石、貴金属細工品とかを仕入れさせてもらっていたんだよ、どうか、気を落とさずになんだね」

 そう励ます、オドノ社長にお嬢様方はにっこりと微笑んで言った。

「ありがとうございます、オドノ社長。祖父のお葬式のときに、一度おご挨拶させていただいております。社長のことは祖父や父から聞いて、存じておりましたが、父が亡くなる前に面会が叶わず申し訳ございませんでした。父が亡くなりましたことは残念でなりませんが、ここにいる方々の御優しい心遣いで、わたしもサラも大丈夫です」

 サラお嬢様も微笑み頷く。

 そんな、お二人を孫娘を見るような表情で見つめ、オドノ社長は目を潤ませて何度もうんうんと頷くのだった。

「あのう……」

 そんな皆さんの、しんみり空気が読めない僕ではなかったけれど、空腹には勝てない。

「あの……ぅ、さっき社長がおっしゃったご様子では……」

 恐る恐るあの家財道具群の行く末を、お嬢様たちの前でちゃんと言って欲しかった。

「ああ、心配ないんだね今頃は、御嬢ちゃんたちのお家に荷馬車を連ねて向かっているはずだね。あと、申し訳なかったんだけど、絵画美術品、貴金属宝石類でウチが押さえられたのはこれだけだったんだね。オドノ社長は小さな手の平サイズの箱を出し、ヴィオレッタお嬢様に手渡す。

「こ、これ……は……!」

 お嬢様の目に涙があふれ、あっという間にその堤防を決壊させ、滝のように流れ落ちる。

「サラ……、これ……」

 ヴィオレッタお嬢様がサラお嬢様に箱を指し出す。

「お姉様……」

 サラお嬢様の目にも涙が溢れ、大きな粒をなし落ちてゆく。

「ありがとうございます、オドノ社長……。これだけで、これがわたしたちの所にあるだけで……もう、もう……」

 お二人は抱き合いしばらくの間、嗚咽し肩を震わせていた。

 やがて、お二人は顔を上げ、ここ二日ばかりで一番の笑顔を僕たちに向ける。

「さあ、こうしてはいられないわ! サラ! ルー! リューダ!」

「はい! お姉様!」

「ええ、ヴィオレッタ!」

「あいよ、お嬢!」

 四人は勢いよく踵を返して駆けて行く。

「あ……っけない!」

 そして、ヴィオレ様たちは急停止して、僕の方を振り返って、破顔した。

「私、家で荷物の整理してます! ハジメさん、皆さんをお願いします。皆さんがお泊りになるお部屋を用意して、お待ちしてますから!」

「じゃ、あとでねハジメ!」

 そうして、お嬢様方はオドノ商会を後にして、ゼーゼマンさん宅へと馬車で向かう。

「さて、……と」

 僕は二日ぶりに気分が晴れやかになっていた。

「あの笑顔は守りたいですものね」

 自称、女神イフェの使徒イェフ・ゼルフォさんが僕に囁く。

「ああ、そうなのだな、女神イフェの招き人よ。あれが、君が守りたいものなのだな」

 え? 言っていいの? こんなところで言っていいの?

「さて、お代のことなんだけどだね。元ゼーゼマンの荷役奴隷くん」

 オドノ社長が僕の肩を叩く。どうやら、今のルーティエ様の声は聞こえてなかったようだ。

 それにしても、一声で店内の人々を多幸感で気絶させる女神ヴォイスを、こんなに傍で聞いて正気を保っていられるこのお爺さん、相当な手練れの冒険者だったんだろうな。

 恐らくモンスターのハウリングへの耐性とかに近いんだろう。

 僕は絶対健康で耐えているんだろう。実感ないけど。

「貴金属宝飾類は家が買う前にどっかに持って行かれちゃったんだけど、あいつらが価値がわからない家具調度類はウチで押さえられた。あの屋敷が人手に渡るって聞いてたからね、落ち着き先がわかったら届けるつもりだったんだね」

 え? じゃあ、もともと、あの家財道具はお嬢様方のところに戻ってくるところだった?

 じゃあ、ただ? 思わず期待してしまう。

「まあ、ウチも人件費とかあるから、ただってわけにはいかないんだね」

 僕の心中を読んだように社長が笑う。

「ええ、まあ、そうでしょう」

「だから、君が一番初めに提示した予算でいいんだね!」

 社長は隻眼の顔を綻ばせて僕の肩を叩いた。

「ええ、ありがとうございます。助かります」

「うん、ただにしてあげられないのが心苦しいんだけどね。それより、あの土地屋敷、本当に買うつもりなんだね」

 どこからそういう情報を手に入れたのか、オドノ社長が僕の目を見つめ念を押す。

「商業ギルドではその話題で持ちきりだよ。地主が売りあぐねていた、いわくつきのあの土地を解放奴隷が買うって啖呵切って、値切りもせずに金貨三百枚シャイロックに叩きつけたって。僕だったら金貨千三百枚まで値切れたね」

 

 そう言って、隻眼の怪爺は呵呵と大笑いしたのだった。




17/09/02夜 第23話~第27話まで投稿いたしました。
ご愛読誠にありがとうございます。


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第28話 屋台の中心で食欲を叫んだ女神たち

お待たせいたしました


「じゃあ、がんばってね。あの子達のこと頼んだんだね」

 ゼーゼマン商会から持ち出された家財道具一式、〆て金貨三十枚を支払って、僕たちはオドノ商会を後にした。

「ああ、そうだ、これはオマケなんだね」

 そう言って、社長は二人分の携帯用食器とタンブラー、ナイフが入った袋をくれた。

 こっちの世界の住人は、自分で食べ物を口に入れるようになると、ほとんどの人間が、スプーンと一緒に携帯用の食器を誰からか貰う。

 ほとんどの人が、地元の教会や神殿で貰うのだそうだ。

 小さな子供がいきなり大人用の食器を与えられ、ほとんどの人がそれを一生使うらしい。

 子供用の携帯食器なんて、お金持ちの贅沢なんだそうだ。

「少年! これから、そこの屋台で軽く食べるんだね? 使徒様方は、浮世に疎いらしい、食器を持っておられないようなんだね」

 そう言って、オドノ社長は白い歯を見せた。

「ああああッ! せ、聖下! 私、気がつきませんで!」

 エフィさんが、またまた五体投地しそうになるのを、二人の自称使徒様がお支えになる。

「エフィ・ドゥ、私たちの無知をなぜあなたが贖おうとするの? 次にそんなことしたら、エフィ・ドゥの名を取り上げちゃいますよ」

 自称女神イフェの使徒イェフ・ゼルフォさんがエフィさんの頬にキスをする。

「そうだよ、イルティエ・ウィルマ。我からも願う。どうか、堅苦しいのはティエイルたち、大地母神教団教衆の専売にして欲しい。我らが神殿以外で顕現しているときは、どうか、ヴィオレッタ・アーデルハイドたちに接するのと同じように接して欲しい」

 そしてまた、自称大地母神ルーティエの使徒エーティル・レアシオさんもイェフさんとは反対側のエフィさんの頬にキスをした。

「は、はひはひぃん……ふにゃあああ……」

 五体投地はしなかった。しなかったが、エフィさんはその場にへたり込んだ。

 まあ、そうなるか……。こうなったらもう、再起動までかなりの時間を要するだろう。

「マスターシムナ、辻馬車捕まえて、エフィさんを連れて、ゼーゼマン商会に行っててくれますか? 僕、そこの屋台で食べ物買ってきますから、それをお嬢様方にデリバってくれると助かるんですけど」

 僕は、オドノ商会近くに出ていた串焼き屋台を親指で指し示して、シムナさんにお願いする。

「デリバって?」

 マスターシムナが聞き返す。

「あ、すみません。『持って行ってくれると』です」

「ああ、そういうことならお安い御用よ。エフィさんも、こんなんじゃ、しばらく使い物にならないでしょうしね」

 シムナさんはそう言って、辻馬車の停留所に走って行った。

 すっかり腰が砕け散ったエフィさんを、自称使徒様方の助けを借りて僕は背負った。

「かかかかッ! お大事になんだね」

 オドノ商会の社長さんが店先に出てきて手を振って見送ってくれる。

「ありがとうございました、いずれ、あらためてお礼に伺います」

 エフィさんの頭越しに見える隻眼の社長さんの笑顔に僕は目礼する。

「ありがとう、さすらう者よ」

 イフェ様が小首をかしげ微笑む。

「我からも礼を言おう。全てを見通すものよ」

 ルーティエ様もにっこりと社長に笑顔を向けた。

「なあに、いいってことなんだね、これからもごひいきになんだね」

 そう返したオドノ社長の肩に、黒い鳥が降りてきて止まった。その構図を僕はどこかで見た記憶があるんだけど、思い出せない。

 でも、女神様方にも名が知れているほどの二つ名持ちの冒険者だったんだってことは判った。こんなにすごい人といっしょに冒険をしていたなんて、奴隷になる前はどんなランクの冒険者だったんだろうリュドミラとルーデルは。

「さて、じゃあ、『使徒様方』そこの屋台で軽く食べましょう。そして、ちょっと鍛冶屋によってから市場で足りない食材を買って、お屋敷に帰ります。夕食はちょっと豪勢アンド大量にご用意しますから、屋台では食べ過ぎないでくださいね。あ、あと、それから、ここから先は、さっきのオドノ商会のときよりも、さらにミニマムな方向での出力制限をお願いしたいのですけど……」

 うーん、神様にこれ以上出力制限してもらうのって、かなり、神様方に負担を強いることになるんじゃないだろうか?

「善処いたしましょう。他でもないハジメさんの願いとあらば!」

 イフェ様が宣言なさる。

「我も抑えよう! その方が、我が氏子たちに気取られないだろうしね」

 ルーティエ様がウィンクなさる。例によって、バックに見たこともない花が咲き乱れた。

 いや、全然抑えられていないから!

 ともあれ、僕は背中に半ば気絶している美女シスターのエフィさん、両脇にとんでもない美女の『使徒様』という他人から見たらうらやましいことこの上ないであろう構図で、串焼きの屋台に向かう。

「へいらっしゃい! あんちゃんさっきから見てたけど、あそこの社長さんに見送りさせるなんて、どっかの王族様かい? それに、まあ、なんてうらやましいこった! こんな美人さん三人もお連れになって!」

 いやぁ、確かにこの体は、王族? だった人のもんだけどね。

「オヤジさん、僕は只のフットマン(使用人)ですよ。ゼーゼマン商会の。こちらの方々は、ゼーゼマンのお嬢様方のお客様です」

 そう言った方が、波風立たないだろうと思っていた僕が甘かった。

「え? じゃあ、あんたがそうなのか! ニンレーの奴隷市場で破産したゼーゼマンさんとこのお嬢さん方を金貨二万枚で買ったっていう解放奴隷は! そうかい、あんたが! いやあ、昨日のあんたのことで街はもちっきりだよ」

 いやな予感がしたので防御線を引いておこう。

「バレてるなら仕方ないな。でも、そのせいで、僕はもう殆どのお金を使っちまったんだ。ここで今、使ったら、明後日には、ひとかけらのパンを買うお金もなくなるだろうね」

 屋台のオヤジさんは、とたんに不憫な孤児を見るような目で俺を見つめる。

「ああ、そうかいそうかい、だったら、パンを少しサービスしてやるから食って行きな。なぁに、困ったときにはお互い様だ」

 僕は、ホッとした。

 普通の人が、金を持っているヤツに出会ったときにとる態度ってヤツに、元いた世界では苦労させられたからね。

 財布から金貨を三枚出して親父さんにオーダーする。

「こちらのお二人と僕に串焼き一本ずつとパン、それからオレンジ果汁を一杯ずつ。それから、あと、これから辻馬車で冒険者ギルドのマスターが来るから、同じ取り合わせで二十個お願いします」

 オヤジさんは目を剥いて、驚いて答える。

「全部で二十三人分か! わかった二十人分は持ち帰りだな。おい、マーシャ、ローラ手伝え!」

 頷いてオヤジさんは屋台の後ろに声をかける。こういった屋台は家族でやっていることが多いから、奥さんか小さな娘さんに手伝ってもらうんだろう」

「「あいよッ!」」

 呼ばれて腕まくりしながら出て来たアラサー風の奥さんと思しき女性と、10歳くらいの女の子が手伝いに入って、オヤジさんたちは手際よく調理を始める。

「はははッ! あんちゃんのおかげで今日の売り上げが出ちまったぜ!」

 その間に僕は、屋台の傍で広げられているテーブルについて、自称使徒様方の分と僕の分の携帯用食器、匙とナイフ、タンブラーを用意する。

 食器は自前。これが、この世界での屋台の利用法だ。

 そして、そこが、食堂とのもっとも大きな違いだった。

 食器類は自前が屋台。その代わり、ものすごく安くおいしいものが揃っている。

 食堂は、食器が用意されている。だけど、値段は屋台よりもかなりお高い。その代わりおいしいものが給仕付で食べられる。

 どちらでも懐具合次第だ。

 ただ、どちらにも共通しているのは、ナイフと匙は自前ってことだった。フォークなんてものはどこを探しても存在していなかった。

 調理した肉や魚を、ナイフで切り分けて指でつまんで食べるのが一般的な食事方法だ。

 したがって、元の世界で出てくるような熱々の料理なんて、匙で食べるものの他は串焼き以外あまり見当たらない。

 こっちに来たてのころ、そんな風に手づかみでの食事なんて、正直面食らったけど、慣れというのは恐ろしいもので、あのお嬢様方でさえ、パスタを摘み上げ、上を向いて口に入れるなんていう、僕の常識では下品極まりないことしているのを連日目の当たりにしていると、自分だけが恥ずかしがっているのがおかしく思えてくるようになった。

 だから、今では手づかみでの食事にはすっかり慣れっこだ。

 昨日の夜の餃子も、焼きあがってから、少し冷まして出したのだった。

 じゃないと、指にやけどしちゃうからね。

 ただ、僕的には、衛生上何らかの問題が生じるのではないかと思っているから、対策を講じようと思っている。

「はい、お待ち! 持ち帰りの分はあんたたちが食ってる間にやっとくから!」

「おまち!」 

 威勢のいい掛け声と舌足らずな掛け声。

奥さんが木のトレイに載せた串焼きと一人頭三枚の黒パンの薄切りを持ってくる。そして隣には、オレンジの果汁が入った壺を抱えた少女。

 奥さんがもってきたトレイから、串焼きを取って用意しておいた食器に移して、自称使徒のお二人の前に置く。

「このまま、かじりつくのもいいですけど、こうやってナイフの背で串から抜いて……」

 串に刺さった肉と肉の間にナイフを挿れてくるりと回し、ナイフの峰で扱くように串から抜くいて携帯食器に盛る。

「そして、これ」

 腰の雑嚢から僕特製のソースの小瓶を取り出し、食器の隅にたらす。こうして自分の調味料を持ち込んでもいいのが屋台の醍醐味だ。

 ちなみに僕特製ソースは、トマトベースにした、にんにくと唐辛子のオリーブオイルソースだ。

 元いた世界のファミレスでよく食べていたチキンソテーのソースを再現したくて、現在進行形で試行錯誤中の試作品だ。

 試作品ではあるけれど、味的には十分おいしいと思っている。

 ただ、あのファミレスのチキンソテーの味になっていないだけだ。

「まず一切れはこのまま何もつけないで食べます。うん、うまい! 塩とコショウの加減が絶妙ですね」

 すかさずパンをかじる。肉の脂っぽさを、黒パンの酸味が打ち消して、肉のうまみと麦の甘みが残り、じんわりと、食事をしているという幸福感のボルテージを上げてゆく。

 そして、オレンジ果汁を一口。

 うん、これも絞りたてだね、柑橘系のすっきり感が飛んでない。

「まあッ!、これが、おいしいという気持ちなのですね!」

 イフェ様が、恐らく初めて食べ物を口にした感動に目を見張る。

「おお、これがうまいということか! なんと甘露な気持ちなのだろう」

 うっとりとルーティエ様が微笑む。

 ぽぽぽぽぽぽんっと、小さな花が咲いては散ってゆく。ああッ! ルーティエ様! 抑えて抑えて! 全然出力抑え込まれてませんからッ!

 女神様方は、一切れ肉を摘んで口に放り込んでは、うっとりとして、次々に串焼きの肉とパンをひょいぱくひょいぱくと口に運ぶ。

「待って下さい。こんな風にしてもおいしいですよ。肉をはずした串で肉を刺して、このソースをつけて…」

 肉を抜き去った串で肉を突き刺し、皿にたらしたソースをたっぷりとつける。

 うん、やっぱり、このソースは成功だ。アメ色タマネギを作っておいて、シャリアピンソース風にしてみたのが効いていた。

 まあ、あのファミレスのチキンソテーのソースの味には程遠いんだけれどね。

「んんんんんん~~~~~~~ッ!」

「ほおおおお~~~~~~~~ッ!」

 女神様方が目を見開き、両手を上下に振っておいしさを表している。

「主教様方! お代わりはいかがだい? いっぱい買ってくれたお礼だ。サービスしとくよッ!」

「しとくよッ!」

 屋台のオヤジさんの奥さんと娘さんが、両手に串焼きを持って、こちらに掲げる。

「ええ、ええ! いただきますとも。ああッ、なんて良い気持ちなんでしょう!」

「うむ、甘露、甘露。このような心地良さ、初めてだ!」

 いや、たしかに、ここの串焼きはおいしいけれど、そこまで感動するほどじゃ……。

 ってか、お二方とも食べ物を口にしたことがなかったとか?

『はい、そうですね。私は、ずっと信仰される対象ではありませんでしたから、お供えをされるなんてことありませんでした。ハジメさんが毎朝お水をくださるまでは』

 頭の中にイフェ様の声が響く。

『我も供えられるのは生ばっかりでな。こんな風に調理したものなんぞ食したのはどれほど前のことやら……』

 ルーティエ様の声も頭の中に直接聞こえる。

 なるほど、そういうことなら、どうぞどうぞ、もっとお召し上がりください。

 でも、この後もありますから、ほどほどにしてくださいね。

「はいッ! お待ち」

「おまち!」

 奥さんと娘さんの威勢のいい声と同時に何本もの串焼きが、僕たちの目の前にトレイごと置かれた。

「「いただきます!!」」

 お二方の声がユニゾンで辺りに響き渡る。

 と、そこここから、人々が驚く声が聞こえてくる。

 あちらこちらに、見たこともない美しい花が咲き乱れ始めたのだった。

「ふふぁああッ、ハジメひゃんがふふふもふぉは、ろんはひおひひいのれひょうは?」

 使徒イェフ様こと、生命の女神イフェ様が、串焼きをほおばりながら目を輝かせる。

「ほへふぁふぁろひふぃら」

 使徒エーティル様こと、大地母神ルーティエ様もキラキラとした瞳で僕を見つめる。

 屋台周辺の人々が唖然とした顔で、僕たちの方を凝視している

 ああ、もう! 主教さんクラスまで出力を落としても。感情の発露がこんなんじゃ……。

「いやあ、お待たせ、なかなか馬車が捕まらなくて……。って、なんじゃこりゃあああッ!」

 ようやく辻馬車を捕まえてきたヴェルモンの街の冒険者ギルドのマスターシムナさんが腰を抜かした。

「「むッ、ふぉおおおおおッ!」」

 見たこともない、きれいな花々が咲き乱れた屋台で、二柱の女神が食欲の雄叫びを上げていたのだった。




毎度ご愛読誠にありがとうございます。


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第29話 衛生環境の改善の第一歩はまずは食事の改革からだ

 ヴェルモンの街の治安維持機構は実に優秀だった。

 見たこともない花で屋台を塗れさせるという、奇跡にもっとも近い現象に、衛兵隊がそれこそすっ飛んでやって来て、職務質問を始めたのだった。

「えーと、あんた方は?」

「ああ、我は、大地母神の使徒、エーティル・レアシオ・オグ・メという」

「私は、生命の女神の使徒、イェフ・ゼルフォ・ヴィステ・ヤーと、申します」

「僕は、ゼーゼマン商会のフットマン、ハジメといいます」

「あたしは……」

「あんたを知らないようじゃ、この街の住人としちゃあモグリってもんだな」

 マスターシムナが名乗りを上げようとした瞬間に、衛兵隊のリーダー格の、少し立派な鎧を着た大男が、豪快なウィンクをして見せた。

 かっこよく名乗りたかったんだろうな。シムナさんは梯子を外されたような悔しさを滲ませた顔をする。

「わかった、マスターシムナ。あんたがこの人らの身元引き受けってことで、了解しとくよ。だが……」

 奇跡の花を一目、見ようと、屋台に周りには人だかりが形成され、次々と押し寄せている。

 自称使徒さん方は、集まった人々に笑顔を振り撒いている。

 オドノ商会のときよりも出力を抑えてもらっているので、失神者はまだ出ていない。

「これをどうするかだなぁ」

 衛兵のリーダーが、群集を前に頭をひねる。

「じゃあ、こうしませんか?」

 僕は屋台のオヤジさんに、持ちかける。

 娘さんのローラちゃん(推定10歳)に、銀貨3枚でお使いを頼む。と、いう内容だ。

 行ってもらうのは、大地母神神殿だ。

「そのためには……エフィさん、ちょっと借りますよ」

 エフィさんの雑嚢から、封蝋を取り出し、屋台の火を借りて溶かし何も書いていない紙に垂らす。エフィさんの指輪を押し付けて、お手紙が完成。

「じゃあ、ローラちゃん大地母神神殿までお使いをお願いします。門番の人にこの紙を渡して、出てきたお姉さんをここに連れてきてください」

「うん!」

 ローラちゃんは力強く頷いて駆け出した。

 僕の考えが正しければ、大地母神教団ヴェルモン教区大主教様がおっとり刀で駆けつけて、この事態を収拾してくれるはずだ。

 待つこと十数分。ローラちゃんに先導されて、大地母神教団の大主教様以下、ヴェルモン教区の枢機の皆様がおいでになった。

「なんという! なんという! なんという!」

 奇跡の花に塗れた屋台を見るや、シャーリーンさんは絶叫した。

 そして、その中心にいる自称使徒様方に気がつくや、スライディングをするような勢いで、五体投地するのだった。

 そりゃそうだ、さっき、天に帰ったはずの女神様方が再降臨されてるんだからね。

「シャーリーンさん、女神様たち、主教さまクラスまで、お力を抑えておいでだそうですよ」

 そっと教えてあげる。

「わ、わかってます。ですから、気がつかなかったんです。再降臨に!」

「じゃあ、そちらはお願いできますか?」

「ええ、もちろんです。神殿においでいただきます」

 そうして、集まった人々に笑顔を振りまいていた自称使徒様方は、花を振りまきながら、丁重に大地母神神殿へと連行されていった。大勢の野次馬たちと共に。

「じゃあ、マスターシムナ、エフィさんをよろしくお願いします」

「わかった!」

「あんちゃん、持ち帰り分できてるぜ! 一時はどうなることかと思ったがな」

 屋台のオヤジさんが麻みたいな布の袋に入れた持ち帰り分の串焼きとパン、オレンジ果汁の壺を持ってくる。

「いやあ、悪かったねありがとうございます」

「いいってことよ! これからもごひいきに……な!」

 大きな歯をむき出して笑う顔は迫力満点だ。

 

 マスターシムナが腰砕けのエフィさんを連れて先にゼーゼマンさんのお屋敷に向かったあと、僕は市場の外れにある野鍛冶を訪ねていた。

 野鍛冶っていうのは、武器鍛冶と違って、農具や、生活用品を作る職人さん事だ。

 ちょっと前に頼んでいた品物を受け取りに来たのだ。

「お、来た来た、できてるぜ!」

 浅黒く焼けた顔を綻ばせて、俺を迎えてくれたのは、そこの親方さんだった。

「お手間かけました。これ、残りの代金です」

 僕は、注文の品の残金金貨4枚を渡す。発注したときに前金として3枚渡してあるから、合計金貨7枚もの買い物だった。

「ほい、これだ。検分してくれ。普段の3倍は気をつけて仕上げたから、角の落とし忘れなんかないはずだぜ」

 できあがった品物を渡され、僕はじっと見つめる。緩やかな曲線で構成された持ち手、使いやすいカーブの掬い。爪はきっちりと4本だ。3本だとスパゲッティが、食べづらいんだ。 

 爪の一つ一つにきっちりと角落としのヤスリがかけてある。これなら口の中を怪我する心配が無い。

 もちろん防錆魔法がかけてある鉄製だ。

「親方、じつに丁寧な仕事をありがとう」

「しかし、不思議な人だなあんちゃんは、そんなもの10本も作って何に使うんだ? 手投げ武器か?」

 もっともな問いだ。

「うん、これで、食べるんだ」

 それを左手に持って、僕は、食べ物を突き刺す動作をする。

 僕はの鍛冶の工房にフォークを作って貰っていたのだった。

「がははははははっ! そりゃずいぶん酔狂なこった!」

 そうだろうな、この世界じゃ手づかみ食が主流だからな。こんな小型化した農具みたいなもので食事なんて考えられないだろう。

「親方、ご飯食べた後、おなか壊すこと無い?」

 僕はいかにも頑丈さが売りだぜみたいな野鍛冶の親方に聞いてみる。

 親方は、きょろきょろと左右に視線を走らせて答える。

「いや、ここだけの話な、最近、年のせいか、下しやすくなってよ」 

 ふふふ、思った通りだ。

「じゃあさ、これ、一本あげるから、だまされたと思って、これを使って食事してみてよ」

 案の定親方は、怪訝な顔をする。

「そんなんで腹痛が防げるのか? なんのおまじないだよ」

「まあ、いいからいいから試してみてよ、あと、これと、匙とナイフは食事が済んだらきっちりときれいに洗うこと。そうだな、汚れを取って、全体を熱湯に付けておくくらいがいいかなそれだけで、腹痛はかなり減ると思うよ。試してみて」

「おいおいまじかよ。んなことで…………そうだな、やってみるとしよう」

 それまで、僕の言うことなんか小馬鹿にしていた親方が急に素直になった。

「親方さん、あなたが、今日と明日、健やかにすごされますよう」

 振り返ると、そこに、自称使徒様方がニコニコとして佇んでおられた。

「うふふ、逃げ出してきちゃった」

「我も、アレは厳しい。早々に退散してきたよ」

 脱走女神様たちが微笑む。野鍛冶工房には、見たこともない花が咲き乱れたのだった。

「あ、あ、あの親方! この方たちは……ですね」

「知ってるよ、さっき休憩から戻ってきた徒弟が、ひとしきり騒いでたからな」

 親方はひざを折って、手を胸の前であわせる。

「女神イフェと、大地母神ルーティエに感謝を!」

 親方さんが工房の屋根が吹っ飛ぶかと思うような声で祈りを捧げ頭を垂れた。

 その頭に、自称使徒、イェフ・ゼルフォさんとエーティル・レアシオさんが手を置いて言った。

「あなたへ、女神イフェの使徒たる我が身から、女神イフェの祝福を!」

「野鍛冶フゴル・バチョに地母神ルーティエの使徒たる我から地母神ルーティエの祝福を」

 ってな。

 大丈夫なんですか。今日は祝福の安売り日ですか?

 と、思っている僕に、エーティルさんが囁く。

「大主教レベルの祝福だから問題なしだよ。鑑定してごらん」

 僕はこっそりと親方に向かって、鑑定を念じ、基本ステータスを開いた。

 

【状態】

 名 前:フゴル・バチョ

 異 常:微軽度食中毒

 性 別:男

 年 齢:46歳

 種 族:人間

 職 業:鍛冶

 レベル:武器鍛冶99/100

     防具鍛冶85/100

     野鍛冶 99/100

 HP :245/290

 MP :23/45

 攻撃力:124(+20)

 防御力:58(+2)

  力 :104

 魔 力:13

 器用さ:152

 素早さ:189

  運 :12/12

 スキル:生活魔法 回復魔法 火攻撃魔法  

     戦闘中回復(微)付与魔法(鍛冶限定)

 耐 性:病(微)毒(微)眠り(微)麻痺(微)混乱(微)恐怖(微)

     ショック(小)

     火属性攻撃(小)水属性攻撃(微)風属性攻撃(微)

     土属性攻撃(小)電属性攻撃(微)

     光属性攻撃(微)闇属性攻撃(微)即死性攻撃(微)

     火魔法攻撃(小)水魔法攻撃(微)風魔法攻撃(微)

     土魔法攻撃(小)

     光魔法攻撃(微)闇魔法攻撃(微)

 

「(微)ってのがあるだろう?」

「ええ」

「それが、今与えた祝福で新たに獲得したものなんだ。大主教レベルならこれくらいのはずだ。ティエイル・シャーリーンもこれくらいはできるはずだよ」

 と、エーティルさんはのたまうのだった。

「おお、なんか、体調子がよくなった気がするぞ」

「「それはよかった」」

『使徒様』方が微笑んだ。

 僕らは体の調子が良くなったと、喜ぶ親方に分かれを告げ、野鍛冶工房を後にした。

 

「じゃあ、これから市場に行きます!」

 僕は、使徒様方の手を取る。

「ハジメさん流石ですねぇ。おなかを壊す原因が、手についている小さな命がしでかしていることだって見抜いておられるなんて」

 市場へと続く道巣がら、『使徒』イェフさんが微笑んだ。

「いやあ、僕の世界では、手洗いは常識でしたから」

「こちらでは、それに気がついている者はほとんどおりません。だから、お腹を壊して命を落とすものも少なくないのです」

「でも、イフェ様はあらゆる生命を見守る女神様ですから、公衆衛生なんてことを広められませんよね」

 生命を司るということは、細菌もウィルスも同等に命だから、人の命を守るために、人だけに肩入れできないってことだ。

 つまり、細菌やウィルス、寄生虫の命も、人の命もこの方の前では全てが平等なのだ。

「ええ、じつに歯がゆいことではありますが……」

「少しだけ、ほんの少しだけ、そこいらのこと、変えてもいいですかね」

 僕は恐る恐る尋ねてみる。

「ええ、それは、生命の個々の自衛権の行使ですから認められます」

 イフェ様のお墨付きをいただけた。

「君は何を成そうとしているんだいハジメ君?」

 ルーティエ様が聞いてくる。

「とりあえず、仲間と友達が、つまらない病気でくたばるようなことを防ごう。なんて思ってます。まあ、イフェ様の祝福をいただいたので、もう、不要になっちゃいましたけどね」

 僕は、取りあえず僕の身の回りの衛生環境の改善から始めてみようかと思っていた。

 じつは、フォークはその手始めだったのだった。




お読みいただき誠にありがとうございます。


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第30話 僕が女神イフェの第一使徒だった件について

 市場で僕は足りない食材を買うことにした。

 それは、いまだに南方の国々でしか栽培と加工ができずにいるサトウキビから作られる、高価な砂糖や、ローズマリー、ローリエなどのハーブ類だ、今日、僕が作ろうと思っている料理にはあったほうがいい物たちばかりだ。

「あのぅイフェ様?」

「イェフ・ゼルフォです!」

「ちなみに我はエーティル・レアシオだから、ね」

 すみません。

「えー、あらためまして、イェフ様」

「うーん、様もいらないんですけど……まあ、良しとしましょう。なんですか? ハジメさん」

「はい、命について少しお願いが……」

「定められた天寿を中途刈り入れせよということ以外でしたら」

「では、そこにあるかないかを教えていただくことは?」

 女神様方は、顔を見合わせ何事かを相談し始めた。

「ちょっと待ってくださいね」

 耳に指を挿れて、小指をを立てる。

「あ、もしもし? 神様? イフェです」

 おいおい、ここではイェフってご自分で言い張ってませんでした? しかも神様に電話してるみたいだし……。って、あなた女神様ですよね! そんなあなたが神様に電話って?

「僕らの上司だね。所謂主神っていうやつ」

 エーティルさんことルーティエ様が囁く。

「はい、はい、わかりました、そのように対応いたします」

 耳から指を抜いてイェフさんことイフェ様がこちらに向き直る。

「えーっと、ですね、初のケースなので、さっき申し上げたこと以外、フリーハンドいただきました」

「ええっ! なんと大盤振る舞いだなぁ! こんなの天地開闢以来、初じゃないか?」

 天地開闢って……。まあ、それはおいておこう。現在の僕の目的は、おいしく食べられそうなものを、可能な限り極上な食べ方で食べるってことだからだ。

「って、ことは、あれもいるよな」

 僕は辺りを見回す。

 あ、あった、あった。油屋さん。

「……お姉さんこれ、いつ搾ったんですか?」

 オリーブ油の壺が置いてある屋台で、店番をしていた、長年の農作業ですっかり日焼けしている壮年女性に僕は尋ねる。

「あらやだ、お兄さんじょうずだね。こんなおばちゃん捕まえて! その壺のは今朝、搾りあがったばっかりのヤツだよ。匂い嗅いでみるかい?」

 僕はお礼を言って匂いをかぐ。独特のクセがある香りが鼻腔を満たす。

「味見、いい?」 

 白銅を貨二枚を渡し頼みこむ。

「はははっ、しょうがないね、そちらの別嬪さんに免じていいよ!」

 おばちゃんは僕が差し出した小さな杯に、壺からオリーブ油を数滴垂らす。

「んーっ! よし! お姉さん、これ壺ごと買うよ」

 僕は銀貨六枚をおばちゃんに渡す。質のいいオリーブ油のひと壺の値段としては妥当だ。

「あらま! 豪気だね、じゃあ、これはおまけだ!」

 そういって後ろの棚から、小さな壺をとって差し出した来た。

 蓋をずらして匂いを嗅ぐ。おおっ! ごま油だ!

「最近、南方航路が発見されたろ? エルルの油っていうらしいんだ。知り合いの船乗りから貰ったんだけどね、あたしにゃ灯り取りくらいにしか、使い道が分からなくてね。厄介者を押し付けるようでアレなんだけど」

「いやあ、お姉さんありがとう。お姉さんに良い一日を」

 僕はおばちゃんに手をかざし、別れを告げ屋台を離れる。

 手をかざすこと自体はこっちの世界、この国ではポピュラーなあいさつだ。

「うふふふ、ハジメさんさっそく祝福を与えられましたね」

『自称使徒』イェフさんがニコニコと俺に微笑みかける。

「祝福だなんて、ただ、いいものを譲ってもらったんで、あのおばちゃんが、いい一日であればいいなあって……」

 うそ? まさか?

「ほほほほう! さすがだねぇ。やっぱり察しがいい」

 僕は、女神イフェの招かれ人だ。しかも、女神イフェに名と姿を献じ捧じている。毎朝女神イフェに、その日一番に汲んだ水を捧げ、感謝の祈りを捧げもしている。ってことは、立派な信者第一号ってこと?

 つまり……。

「ハジメさん、あなた、女神イフェの第一使徒なんですよ」

「ああ、ちなみにイルティエ・ヘンリエッタだけど、あの子はイフェの二番目の使徒だね」

『自称使徒』エーティル・レアシオさんがにっこりと笑った。ああっ! また、花が咲いている。

 だから、エフィ・ドゥなのか?。

「ご名答オシャレでしょう?」

『自称使徒』イェフ・ゼルフォさんも微笑む。だから、花! 花!

 な、なんてこった……。そんな、そんな、大それたこと……。

 僕は愕然とした、知れず手に入れていたあまりにも強大なギフトに失禁しそうだ。

「うんうん、いい反応だ。何万回も面接したかいがあったねぇ、イェフ?」

「ええ、こんな方だからこそ。私はお招きしたのです」

 呼吸が浅くなり心拍が上がる。こんな息苦しさ、死んだとき以来だ。

「返上します!」

「「却下!」」

 無碍に言い放たれた。しかもダブルでだ!

「なんで僕なんですか?」

「あなただからですよ」

「うん、君だからだね」

 答えになってない!

「……………………考えるのやめた」

 僕は、この件に関して、思考停止を選んだ。

 ただ、厳重に注意しなくてはいけないことを心に刻んだ。

「むやみに人の幸せを願う言葉を口に出すのは禁止な。僕!」

 じゃないと、世界の人々のパワーバランスが大きく崩れてしまう。

 そして、僕が起こす奇跡を知った王侯貴族共が蝗のように押し寄せ、最悪、僕が最も願っていることを破壊しかねない。

「うぅーん。ンマーアアアァヴェラスですっ! ハジメさん!」

「これは、五千年振りにいいヤツが招かれたなあ」

 なんか知らないけど『自称使徒』のお二方は、手を取り合って小躍りしている。

「と、取り敢えず! 帰りましょう。帰って、食事の準備です」

 ちょうど運よく辻馬車が通りかかった。僕は手を上げ馬車を呼ぶ。

「あいよっ! あんちゃん、どちらまで?」

 尋ねる御者に僕は答えた。

「ゼーゼマン商会のお屋敷までお願いします」

 御者は怪訝な顔をする。

「奇妙なこともあるもんだなあ。いやね、あんちゃん、実は、たった今、そこから帰ってきたばっかりなんだよ」

 僕は苦笑する。女神様方もだ。

「御者さん、あなたは、今日は運命と時の女神グリシンに縁があるようですね」

 イェフさんが微笑む。

「御者君、悪いが戻ってもらえるかな?」

 エーティルさんがにっこりと口角を上げる。

「お願いします。ゼーゼマンさんのお屋敷へ」

 僕は御者さんに少し多めに料金を渡しながら行き先を告げた。

 

 

 数分後、僕たちはゼーゼマンさんのお屋敷に到着した。

「ルーティエ……」

「うん、イフェ!」

 馬車を降りた『自称使徒』のお二方は、なぜだかお二柱に戻っていた。

 門をくぐり、お二柱は裏庭に向かって走り出す。

「え? え?」 

 何事? 慌てて僕は二柱のあとを追う。

 二柱は裏庭の小さな祠の前で、指で空間になにやら文様を描く。

「「開門!」」

 女神お二柱の凛とした声が辺りに響き渡った。

 雷が轟き、大きな門が祠の前に出現した。

「ハジメさんどうしたのですか?」

 ヴィオレッタお嬢様がお屋敷から駆け出してくる。

「どうしたの? ハジメ!」

 サラお嬢様も駆けて来た。

「うっ!」

「やっべ!」

 リュドミラとルーが飛び出し、お嬢様方を護るように立ちはだかる。

「くっ!」

「ち!」

 マスターシムナと、正気を取り戻したエフィさんが素早く何かの文様を空間に描いて何らかの魔法を起動させた。

 その魔法がドーム状に展開して二重にお嬢様たちを保護する。それは防護結界の魔法だった。

 門が不気味な音を立てて開いてゆく。

 カツンカツンという。踵の高い靴の音が門の中から響いてくる。

「こらぁ! なんてもん開きやがった! せっかくおとなしく寝かせてたのに!」

 ルーデルが神様たちに怒鳴った。

「そういうわけにはいかないでしょ。あの子達がここに来るってことは、あの子に会わなきゃならないってことだもの」

 リュドミラが呆れたように口を歪めた。

 って、ルー! リューダ! お前ら何者? 神様方をあの子扱い?

 カツーン!

 靴音が止まった。

『お久しゅうございます。お姉様たち……』

 僕らの目の前に、天上の名工が作り上げたビクスドールのようなゴシックロリータファッションに身を包んだ幼女が現れた。

「お久しぶりミリュヘ」

「やあ、久しいねミリュヘ」

 お二柱は長いこと会っていなかった仲のいい末の妹を見るような瞳で幼女を見つめる。

「ミリュヘだ……と?」

 マスターシムナが膝を折る。

 続いてヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様も跪く。

『妾はミリュヘ。冥界の主宰である。久しいのヴィオレッタ・アーデルハイド、セアラ・クラーラ。ヨハンはこちらでそなたらの母と睦まじくあるぞ。しばらくこちらで禊いで後、天上に昇るであろう』

 外見に似合わない腹腔を揺らす重々しい声が頭の中に響く。

 冥界の主宰女神ミリュヘが現世に顕現されたのだった。




お読みいただきありがとうございます。


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第31話 僕は毎週ある物を捧げると、女神様に提案した

「ミリュヘ様は、もともと、母の実家の祭神様でした」

 ヴィオレッタお嬢様が訥々と語り始めた。

 所は、祠のあった裏庭から、厨房に移っている。

 時は、既に夕方といっていい時間だった。

「ハジメ! 串焼きありがとうね。オドノ商会のみんなも喜んでたよ」

 サラお嬢様がにっこりと笑った。

 オドノ商会の皆さんは、きっちりと仕事をして行ったと見え、お屋敷の家財道具は、昨日、蝗どもが持ち出す前の状態に再現されていた。

 絵画や、美術的に価値があるものは除いてだが。

 降臨なされたミリュヘ様は、自称使徒イェフさんエーティルさんと、なにやらお話があるそうで、応接室で話し合いがもたれている。

 その間に、僕は食事の支度をしながら、ヴィオレッタお嬢様に事情を聞いていたのだった。

「ヴィオレッタの母もまた、奴隷だったことは覚えてるかしらハジメ?」

 リューダが問いかけてきた。

「ああ、たしか、ニンレーの奴隷市場で、ステージ上の司会者……あの禿が…奴隷商人がそんな事言ってたね。王都の花とか何とか」

 僕は、いかにも人の不幸の上に胡坐をかいて高笑いをしているようだった禿頭のにやけた髭面を思い出して、吐き気を催す。

 ヴィオレッタお嬢様に、俺を刺し殺させるようなことさせやがって、機会があったら目に物見せてやると決めている。

 リューダとルーが満足そうに頷いた。

「ああ、ちなみにそいつが、ニンレー奴隷商会の会頭、ラルジウミ・ニンレーだ」

 設備が全て戻ってきた厨房で、僕は今、銅の鍋で牛乳に砂糖を混ぜ煮詰めていた。僕が作っているものは何か? それはすなわち加糖練乳! コンデンスミルク! で、あった。

「ヨハンが、あの奴隷市場で金貨三千枚で買ったのが、当時、王都の実家が没落して、奴隷に落ちた王都の花って二つ名付のスリジエ・ヒルデガルドだったのさ。……なあ、リューダ、そういえば、あんときも、ネコチェルンんとこのヤツとヨハンが競ってたよな」

「ああ、そうだったわね。もう、二十年前のことなのだけれど、グリシンが編んだ縁を感じるのだわ」

 ヴィオレッタお嬢様はクスリと微笑んで、俺の手元を見る。

「ハジメさん、それ、ずいぶん鍋の中身が減ってきたと思うんですけど……」

「ええ、これでいいんです」

「ねえ、ねえ、ハジメ、何ができるの?」

「ふふっ! みんなが大好きなものですよ」

 僕は少しだけ口を尖らせて応えた。

「母は、私なんかとは比べ物にならないくらい美しかったという記憶があります。サラを産んで、すぐ、元々の持病だった胸の病気が悪化して亡くなってしまったとのですが、本当にスリジエのように美しい方でした」

 ヴィオレッタお嬢様が、幼少時の記憶を辿り、母親スリジエさんのことを話してくれる。

「母の実家は、冥界の主宰、女神ミリュヘを祭神とする教団の枢機を預かる家でした。その威光で王都の花という二つ名を冠せられたのだということです」

「今でもミリュヘの主神殿は王都にありましたですねぇ」

 エフィさんが思い出したように口を挟んできた。どうやら、再起動には成功したようだ。これで一安心だ。

「あそこにあるのは抜け殻です。ミリュヘ教団の本質はここにあるのです!」

 ヴィオレッタお嬢様が、剣呑なことを言い放った。

「うん、これが、我が家に戻ってきたからね」

 サラお嬢様が、ヴィオレッタお嬢様の中指の指輪を指し示す。

「それは、さっきオドノ商会の社長さんが確保したって言ってた……」

 さっきオドノ商会で抱き合い嗚咽していた二人を思い出す。

「わあっ、そうだったのですか! なるほどなるほど! 先ほどは箱の中にしまわれたいたことで、非才には分かりませんでしたが……」

 エフィさんが切れ長の目を見開き驚愕する。

「冥界の主宰、女神ミリュヘの依り代がここにおわします!」

「ええ、母の実家は伯爵家にして、ミリュヘ教団の枢機を預かる家柄だったそうです。でも、教団を私しようとしていた、総大主教の計略により、枢機の任を解かれ、かつ、買収された国王により謂れなき罪を着せられ、廃爵領地没収され、没落したのだそうです。そして、奴隷に落ちた母は、その美貌のおかげで高値がつき、直ぐに実家の借金は返し終わりました」

「でもね、お母様を買った人はね……」

 サラお嬢様が、いたずらを仕掛けた幼女のような微笑を浮かべる。

「女神ミリュヘの障りで、いろいろと難儀なことになったと聞いております」

「そう、お父様以外はね」

 サラお嬢様が愛らしくウィンクする。僕は、そのウィンクの横にスペード型の尻尾を幻視した。

「で、スリジエが死んだんで、巫女を誰がやるかってことになったわけなのさ」

「ヴィオレッタもまだまだ小さかったし、サラに至っては生まれたばかりだったのだわ」

 って、ルー、リューダ、君たちについてはいろいろと後で聞きたいことがあるんでヨロシク。

「なるほど、それで、女神ミリュヘの祠を閉じていたわけなのですか」

 なんか上手い具合にエフィさんがまとめてくれた。

「じゃあ、今、女神様方が話しているのは……」

「そうね、ヴィオレッタの身の振り方の相談なのだわ」

 リューダのひと言が頭の中でリフレインする。

 

 

 ガチャン! っと、頭の中で何かが割れる音がした。

 瞬時に頭に血が上る。

 ……っざけやがって!

 俺は、鍋を持ったまま大股で厨房を出て応接室に向かう。

 ふざけやがって、ふざけやがって、ふざけやがって!

 ヴィオレッタの人生を決めていいのは、ヴィオレッタだけだ!

 応接室のドアを、ブチ開ける。そこでは、鳩が豆でっぽうを食らったような顔をした三柱の女神様方がこちらを振り向いた。女神様方は正に膝を突き合わせて、ご相談の真っ最中だった。

「何用か? イフェ姉さまの招き人よ」

 幼女神様が俺を睥睨した。

「なあ、女神様方よ、ヴィオレッタの人生にヴィイオレッタの意思を介在させてくれねえかな?」

 

 

「姉さま、この招き人、さっきに比べて粗野で下品になっておりますが?」

「ああ、まあ……ね」

 女神イフェが苦笑する。

 それだけで、周りに見たことも無い花が咲き乱れた。

 地上界でお力をかなりセーブしていただいてこれなのだから、天界でお力を制限無く使われたらどんなことになるのだろう。

「只とは言いません。毎週、必ず、女神ミリュヘの曜日に、これで作った菓子を奉じましょう」

 僕は、冥界の主催、女神ミリュヘに練乳が入った鍋を指し示して提案する。

 愛らしい鼻をヒクヒクとさせて、幼女神ミリュヘが微笑む。

「確かに良い匂いがするが……して、その煮詰めた乳で何を作ろうというのじゃ?」

「アイスクリンでございます。女神ミリュヘ」

 僕は力の限り笑って、幼女神に僕がこれから作る物の名前を申し上げたのだった。




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第32話 女神様が集まると、そこはレディースの集会の様相を呈している件について

「ほう、妾に物申す人が現れるようになるとは、正に世は末法じゃの」

 冥界の主宰、女神ミリュヘはガソリンも凍らせるような視線で僕を見つめる。

 ミリュヘ様の後ろで、自称女神イフェの使徒イェフさんと、自称大地母神ルーティエの使徒エーティルさんが苦笑している。

 だから、お二方、花! 花!

 どうやら、ミリュヘ様は、イフェ様やルーティエ様にとって手のかかる末の妹的なポジショニングのようだった。

「ヴィオレッタ・アーデルハイド、セアラ・クラーラのこの世での役目は我が使徒として、我が教えを守り後に伝えること。それは、ヴィオレッタとサラの母の母の以前より、その一族が結んできた妾との約定である。これを違えるとならば、相応の贖いが課されるは契約の神ラミーシュが神殿へ納めたる誓詞に記してあること。さて人よ、何を持って妾に異を唱えるか?」

 ミリュヘ様は微笑み僕を見つめる。

 だが、その微笑みは胃の中が全部凍ってしまいそうなくらいおっかなかった。

「い、いえ、異を唱えるとか、そんな偉そうなことじゃなくて……」

 ああっ! 頭に血が上った僕! この状況どうしてくれる? ほんっとに後先考えないんだからな。

「女神ミリュヘ、わたしからもお願いしたいのだけれど」

「ああ、あたいからも頼むぜ」

 僕の後ろから、頼もしい声が放たれ、応接室に響き渡る。

「ルー! リューダ!」

 振り返ると、ルーデルとリューダが、僕越しに女神ミリュヘをみつめていた。その視線は決して神様に向けられるような畏れを擁いたものではなく、どちらかといったら、お礼参り(リベンジ)に来たスケ番レディースと言った方がしっくり来る。

 ああ、もう、これ以上状況をややこしくしないでほしい!

 君らが、女神様方に二つ名で覚えられていたとんでもない冒険者と一緒にパーティーを組んでいたらしいことは、なんとなく知ってるけど、この場合、神様相手のことなんだから、そんな不遜な態度じゃないほうがいいだろ。

「あ、あ、あのですね、この人たちは、ゼーゼマンさんに大きな借りというか……」

 そこまで言って僕は、ゼーゼマン家の応接室の空気が一気に十度ほど下がったような気がして、今度は女神様達の方に振り向いた。

 ……自称女神イフェの使徒イェフさんと、自称大地母神ルーティエの使徒エーティルさんが目を見開いて背筋を伸ばし、起立していた。

「まあ、座んなよ」

 ルーが犬歯が目立つ歯を見せて笑う。

「女神ミリュヘ。あなたのおっしゃることも、もっともだと思うのだけれど」

 リュドミラが例の暗黒オーラを纏って微笑み、一歩前に進んだ。

「ひいいいいいいいいいいいいっ!」

 鼓膜が劈ける様な幼女の悲鳴が響く!

 冥界の主宰、女神ミリュヘが腰を抜かし、ぺたりと床に尻餅をついた。

「え? え? 何?」

 僕には状況が全く掴めなかった。

「大丈夫だ、お前の悪いようにはしない」

 ルーが僕の肩を軽く叩いて応接室に入る。

「そう、大丈夫よ。あなたが望むようにしてあげる」

 リューダがすれ違いざまに囁いた。

「ああ、ヴィオレッタたちは、こっちに来れないように結界張っておいたから大丈夫よ」

 リューダが僕を振り返りウィンクする。

「ジュピテルがちょっかい出してこなけりゃ、ここでのことは、ここでのことで全部忘れてやる」

 ルーがどさりとソファーに体を投げ出した。

「ハジメの世界の言葉で言うなら『第二ラウンド』のゴングを鳴らすのは、あなたがたの方だと思うのだけれど?」

 リューダがソファーに腰掛け長い足を組む。

「そんなつもりは無いな」

 ルーティエ様が居住まいを正し、腰掛ける。

「まあ、すごい、私たち全然気がつきませんでした」

 イフェ様はニコニコと微笑んで腰掛ける。

「びええええええええええええっ!」

 ミリュヘ様はひたすら泣きじゃくるばかりだった。

 僕はミリュヘ様に駆け寄って、持っていた匙で、煮詰まって冷えたミルクをすくって、ミリュヘ様の口元に運ぶ。

「っ!!!!!! うまっ!」

 とたんにミリュヘ様は泣き止み、僕に追加のひとすくいを求める視線をぶつける。

「今は、これだけです。後で、これをもっとおいしくして差し上げますから」

「虚偽ではないであろうな……ひっく」

「はい、ウソならミリュヘ様にはすぐにおわかりになるでしょう」

 ミリュヘ様は僕が持っているどうな鍋をじっと見つめていたが。

「ふ、ふん! ならばよし」

 と、愛らしいあごを上向かせるのだった。

「よかったわ、あなたたちがいてくれて。前のときはこの子を無理やり押し込めて祠の扉を閉めることしかできなかったのだから」

 リューダが微笑む。

「前は、ヴィオレッタが幼すぎたからな。いきなりミリュヘを負わせるのは荷が勝ちすぎると思ったんだ」

「我も、ミリュヘの教団がミリュヘの声を聞かなくなっていることに疑問を持っていたが……。よもやそのようなことになっていようとは……」

 ルーティエ様が腕を組む。

「近頃、迷う魂が多くなっていると眷属が言っておりましたけど」

 イフェ様が頬に手を当て目を伏せた。

「じゃあ、それでいいな」

 ルーがにかっと笑う。

「そも、我に異存など」

「わたしは、ハジメさんが作るご馳走にお呼ばれしただけですから」

「わ、妾は妾のことを忘れてくれなければ、それでいい」

 な、なんか知らないうちに話がついたっぽいぞ?

 いつの間にか、ゼーゼマン家の応接室は、見たこともない花が咲き乱れる天上の貴賓室となっていた。

 ってか、ルー、リューダ、君達はいったい何者? 僕がこっちに生まれ変わったばっかりのときから一緒にいるけど、君達が一番謎だよ。

「まあ、それはすぐにわかるさ」

 僕の心を読んだように、ルーが犬歯をむき出して笑う。

「ええ、でも、これだけは覚えておいてハジメ。わたしたちは、あなたがケニヒガブラに咬まれたのに生き返った442番のときも、今も変わらずに、わたしたちなのだということを」

 ああ、なるほど、これはフラグってやつだな。この二人は、僕がこっちに生まれ変わってきたときから、変わらず僕の傍にいてくれている。

 ぼくが、この二人を手放そうなんて思わない限り。

 ヨハン・ゼーゼマンさんじゃないけれど、この二人は絶対的に信頼して、信用して間違いない、僕の絶対最終防衛線なんだ。

『その防衛線に、わたしも入れてくださいな』

 頭の中に全ての煩悩を吹き飛ばす梵鐘ような声が響く。

 え? えええええ? いいの? そういうこと許されるの? 人が女神様をそんなことになんて。

「前例など、いくらでもあるのだなぁ」

「妾もそんな前例千でも万でも知っておるわ」

 ルーティエ様とミリュヘ様が声を揃えて同音を宣う。

「じゃ、じゃあ、皆様、いま少しお待ちください。精一杯おいしいものを作って捧げさせていただきますから」

 そう言うのが、それこそ僕の精いっぱいだった。




17/09/03午前 第28話~第32話までを投稿いたしました。
ご愛読誠にありがとうございます。


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第33話 異世界初! フォークで食事をするみなさん

お待たせいたしました


「ねえ、ハジメ! これでいい?」

 舌足らずな声音でサラお嬢様が、聞いてくる。

「すごい! イメージ通りです。さすがですねサラ!」

 僕のイメージどおりにサラお嬢様は、煮つめた砂糖入りの牛乳(つまりこれは練乳だ)と卵、牛乳を密閉した器の中に発生させた風魔法『竜巻』でホイップしてくれた。

「じゃあ、ですねサラ、今度はこれをゆっくりと凍らせてください。できれば、竜巻を発生させながらが理想的です。でも、それでなくても凍らせていただければ……」

「え? 竜巻しながら? 一瞬で凍らせなくていいの?」

 サラお嬢様は怪訝な顔をする。

「じっくりでいいんです。かき回しながらゆっくりと凍らせるのがいいんですけど」

 ぼくは、サラお嬢様に念を押した。

「うん、わかったわ、ゆっくりね! やってみる!」

 所は、厨房。僕は、夕食の準備に奮戦していたのだった。

 これで、デザートはよしだ。

 スープは…と。

「ヴィオレッタ、どんな感じですか?」

 ヴィオレッタお嬢様が担当してくれているのはスープだ。今日は、野菜を細かく刻んだミネストローネ風のスープを作っている。

 出汁は細かく切ったベーコンやソーセージから出るのを期待している。

 この世界には、まだ、本格的な出汁の概念がないようなので、出汁のうまみの観点からは要検討だ。

「ええ、ハジメに言われたとおりやってみているんだけど、本当にこれでいいの?」

 トマトの酸味が利いた香りが立ち上っている。

 ベーコンとソーセージから、うまい具合に山車が出てもいるようだ。さすが、西洋の鰹節といわれるだけのことはある。

 一掬い小皿に取る。

 申し分なしの味がでていた。

「ものすごくうまくいっていますよヴィオレッタ! 流石です」

 スープとデザートが上々にできつつあることにぼくは満足していた。

「じゃあ……」

 僕は、メインの料理にかかった。

 メインは魚と牛に似た赤身の肉だ。

 加熱しておいた鋳鉄製の深底鍋に油を塗った金網を敷いて、一口大にきったジャガイモ玉ねぎにんじんを敷き詰め、オーブンに入れる。

牛肉に似た赤身の肉の表面に塩コショウをまぶし、切れ目を入れて薄くきったニンニクを差し込んでゆく。

 大き目のフライパンに油を熱して、赤身の肉の塊を焼いて行く。焼き目がつく……くらい、つまり、肉の色が変わって少し茶色になるくらいの感じだ。

 そこまで、焼いたら、鋳鉄の深鍋に敷いた根菜類の上に置いて、ローズマリーを散らす。 

 後は、オーブンが調理してくれるから、待つだけだ。

「ようし、……次は……ッと!」

 昨日、マジックバッグに移しておいたスズキに似た魚を取り出し、捌き始める。

僕のマジックバッグは時間の進行を止めるタイプみたいなので、鮮度は変わっていない。三枚におろして切り分け、塩コショウして。両面に小麦を振る。

 魚はムニエルで食べることにした。

 本当は、白身魚のカルパッチョにしてみたかったんだけど、生食が一般的ではないこっちの世界では敬遠されるであろうことが容易に想像できたから今回は見送りだ。

 カルパッチョができれば、前菜のバリエーションが増えるのにな。

「ハジメさんキノコ準備できました」

 エフィさんに頼んでいたキノコの下準備ができたようだ。

 まあ、カルパッチョはいずれ…と、おいといて、ムニエルにする魚に塩コショウが馴染むまでの間に、前菜を作ろう。

「はい了解です」

 かまどにフライパンを乗せ、ニンニク唐辛子、オリーブオイルを入れて加熱して、キノコを炒める。

 少し炒めて、白ワインをふりかけ蒸し焼き風に。

 カウント180くらいで、火から下ろし、ビネガー、塩、砂糖、コショウ、で、味付ける。後は冷ましながら、味をなじませて完成だ。

 はははッ! 我ながら、なんて、うまい具合に調理してるんだろう。

 引きこもっていたころも、確かに調理はしていた。

 コンビニや、デリバリーだけじゃ飽きるからね。

 キャラバンでも宴を催すってときに何度か料理したけど、大概一品出しとけばよかった。串焼きとかね。こんな具合にたくさんの種類……いわばコース風にってのは初めてだ。

「ハジメ! もういいかなぁ」

 サラお嬢様が尋ねてくる。

 さあ、どうだろう……、うん、いい感じだ。

「流石ですサラ、ものすごく上出来です。お疲れ様でした。それは、こちらにいただきます」

 サラお嬢様から、冷たい竜巻を封入していた器を受け取り、冷凍庫に移す。氷結魔法に設定した魔石にサラお嬢様の魔力を注入して低温保冷機能を持たせた食品庫だ。

 このお屋敷には他にウォークインタイプの保冷食品庫もある。

「じゃあ、皆さんお疲れ様でした。ここからは僕一人で大丈夫ですから、食堂で待っててください。あ、そうだ、エールとワイン、それから、果汁を持って行ってくださいね」

 みんなに、冷蔵食品庫から飲み物を持っていってもらい、僕は料理の仕上げにかかった。

 すなわち、盛り付けと、給仕だ。

「皆さんお待たせしました。前菜です」

 僕は、キノコのマリネを持って食堂に入った。

 

「ねえ。ハジメ、これはなあに?」

 サラお嬢様が、みんなの目の前の置いてあるフォークを指して言った。

 この世界では、誰もが匙とナイフは持っている。

 液体は匙で掬い、固形物はナイフで切って、手で摘んで食べる。

「これは、フォークといいます。ナイフで切り分けたものを突き刺して、口に運びます」

 僕は、キノコのマリネをみんなの皿にとりわけながら、フォークの説明を始めた。

 みなさん不思議なものを見る目つきだ。

「こんなのいらないよう。使わなくたって食べられるよ」

 サラお嬢様のおっしゃりようはもっともだ。

「みなさん、子供のころからお腹が痛くなることありませんでしたか?」

 エフィさんシムナさん、ヴィオレッタお嬢様サラお嬢様が肯いた。

 女神様方は微笑むばかり。

「腹痛予防のための試みです。今日からこれを使って食べましょう」

 僕はナイフとフォークを持って構えてみせる。

「今持って来た前菜はこうやって食べてみてください」

 キノコを突き刺し、口に運んでみせる。きちんとしたテーブルマナーを知っているわけではないから、かなり適当ではある。

「へーんなの。でも、ハジメのすることだもん、なんか楽しい!」

 サラお嬢様が、器用に僕の素振りを真似て、キノコのマリネをフォークで刺して口に運んだ。

「ッ!!!! っ! おいしいッ!」

 サラお嬢様がうっとりと顔を綻ばせる。

 それが号砲だった。みんながいっせいに皿に飛びついたのだった。

「手掴みは禁止ですよ! フォークを使ってください」

 キノコのマリネの次は、ヴィオレッタお嬢様が作ってくれたスープだ。ベーコンとソーセージ、そして細かく刻んだ野菜とトマトのスープだ。

 一緒に出したパンがあっという間になくなってゆく。

 こいつはヤバイ!

「いいですか! 絶対手掴みは無しですからね!」

 僕は念を押して、厨房に料理を取りに戻る。

 

 次の料理はスズキに似た魚のムニエルだ。

 



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第34話 第一皿ならびに第二皿はすこぶる好評だ

 前菜に続くメイン料理その1『スズキに似た魚のムニエル、バターソースブロッコリー添え』を女神様方の前に並べたところで、優雅にナイフとフォークを使って料理を口へと運ぶ女神様たち(きっと、僕の頭の中にある元いた世界の食事風景の映像記憶をスキャニングしたんだろうな)と、女神様たちの仕草を器用に真似て前菜をフォークで食べるお嬢様方にマスターシムナ、そして、ガチガチに緊張して前菜すら口にできてないエフィさんが目についた。

「あ、エフィさん、よかったら、ちょっと手伝ってもらえますか?」

 そう声をかけた僕に、エフィさんは打ち首直前で、恩赦を得た罪人のような笑顔をした。

「は、はいッ! 台下! ただいま」

 樽に短剣を刺して遊ぶゲームの海賊人形のようにエフィさんは飛び上がる。恐ろしい手際で、自分がついていた席を片付け、厨房へと駆け込んできた。

「はははッ! じゃあ、エフィさん。お嬢様方に魚料理をお願いします。出し終わったら、エフィさんはこちらでどうぞ」

 僕はスツールを出して、調理台の上に前菜と魚料理を置いた。

「はあぁッ! 助かりました。台下ぁ……」

 掠れかけた声でそう言うエフィさんは涙ぐんでさえいた。

「そう思うんなら、その、台下ってのやめてもらえますか?」

 オーブンを開けながら、そう、お願いする僕に聞こえてきたのは、

「ではではッ、お魚! ヴィオレッタさんたちの分、給仕してまいります!」

 ……と、いう水を得た魚のようなエフィさんの声だった。

 

 じゃあ、僕は、今日のメイン料理の支度をしよう。

 僕は、厚手の作業用皮手袋をはめる。これからの作業で火傷を負わないためだ。

 オーブンの中に入れてあった鋳鉄の深底鍋の蓋(これが、結構重い)を取って、中の物にブスリと串を刺す。

 串をズブズブと押し込んでいって、先端が中心に当たるくらいのところで止めてカウント20。

 引き抜いて唇に押し当てる。

 指を唇に当てた時よりも、暖かく感じる。

「……っし、オけッ!」

 小型の刺又みたいな、切り分けに使う大型のフォークで鍋から取り出し、まな板の上に置いて、使っていない鍋を被せる。

 元いた世界では、アルミホイルで巻いておいとくって手順のところだ。これをやらないと、切ったときにせっかくの肉汁が全部流れ出てしまう。

 しばらく自然に温度を下げて、肉汁を肉の中に留めて、落ち着かせるって寸法だ。

 次に、肉の下に敷いていたジャガイモ、ニンジンたまねぎを取り出して、人数分の皿に取り分ける。

 鋳鉄製深底鍋の根菜の下に敷いていた金網を外して、オーブンから竈に乗せかえる。

 鍋底には、野菜から出た濃厚な野菜出汁と、肉から滴った肉汁と脂がところどころ鍋肌を焦がしながらクツクツと煮立っている。

 バターを入れ、ジュワッと音を立ててバターが溶け切ったところで、常温に戻しておいた赤ワインを投入、煮詰めてゆく。

「お魚料理の給仕完了です!」

 ニコニコとしてエフィさんが戻ってくる。

「エールとワインの壺は目に入りました?」

 たった今気がついたことを、ダメ元で聞いてみる。

「そうですね、やっぱり、ルーデルさんリュドミラさんのところがだいぶ減ってましたね。はっきり言って無くなりそうでした」

 さすがエフィさん。ルーティエ教団で年若くして枢機な立場に上られただけのことはある。こういうのって、捨て目が利く人だって言ったっけ。

「ありがとう。さすがですね! じゃあ、食品庫から持っていってくれますか?」

 木ベラで鍋をかき回しながらお願いする。

「戻ってきたら、魚、冷めないうちに食べてください」

 塩コショウ、そして、ほんの少しの砂糖で味付けしてほんの少しすくってなめる。これは味見だ。

「んん~ッ! 今まで作った中で一番ウマイッ!」

 ここにダマにならないように振るっておいた小麦粉を振り掛ける。

 元の世界では、水溶き片栗粉でやってたことだけど、こっちで、片栗粉が見つからなかったので、小麦粉で代用だ。

 ただし、ダマになりやすいので注意しないとね。

「ハジメさん! 戻りました!」

「お疲れ様です。ちょうどよかった。エフィさんには、厨房の特権を差し上げましょう」

 鍋をかまどから外し、肉に被せていた鍋を取る。

 でかいフォークで抑えて端から五ミリ厚に切ってゆく。

 断面は完全に焼けて変成したたんぱく質のこげ茶色からピンクへときれいなグラデーションがかかっている。

「ふふふん! 大成功だ!」

「ふわわわあああっ! こんなお料理は見たことありませんよ!」

 そうか、こっちじゃ、まだこういう料理法は発明されてなかったんだ。そういや、こっちに来てから、今まで、ステーキか、煮込みか薄切りを炒めるかの料理しか見たことなかったな。 

 付けあわせを載せた皿に五ミリ厚の肉を三枚ずつ乗せてゆく。それでも、だいぶ余るので残りはセルフサービスでやってもらおう。

「これは厨房特権です」

 そう言って、僕は一番端の切り落としを、エフィさんの魚が乗っている皿に置いた。

「じゃあ、これ、持って行っちゃいましょうか!」

 大きなお盆にメインディッシュを載せて、二人がかりで食堂に持って行く。

 食堂では、丁度皆さんが、魚を食べ終えて、パンでソースを拭って食べていたところだった。

「お待たせしました。こちらが今日のメインです」

 僕は、まず、イフェ様の前に皿を置く。

「まあ、こんなお料理、初めて目にいたしました!」

「今日のは、僕が作った中で一番のできですよ。お口に合えばいいのですけど」

 嘆息するイフェ様に答える。

「どうぞ」

 続いて、ルーティエ様の前に。

「おお……、さっきの魚も美味だったけれど、これも、また、別の趣が……いいのかい? もう食べてもいいのかい?」

「はい、どうぞ。お召し上がりください」

 ルーティエ様は辛抱たまらんといった風だ。

「さあ、どうぞ、ミリュヘ様」

「うむ、のう、ハジメよ。アレは、これの後かの……」

 ああ、さっきの練乳を使ったデザートを忘れてなかったんですね。

「ええ、もうできてますから。こちらをお召し上がりになられましたら、すぐにお持ちいたしますよ」

「ふふふ、うむ、では、このおいしそうな香りを放つ汁がついた肉を食するとしよう」

 さっきまでの、氷を呑ませるような威圧感はどこへやら、幼い王女様然とした仕草で、ナイフとフォークを構えるミリュヘ様。

「お代わりもあるからね」

 そう言いながら、ルーデルの前に皿を置く。

「へへへッ! 待ってました!」

 さらに、テーブルの中央に、塊のままロースト肉を置く。

 そのころにはエフィさんも、お嬢様方への給仕を終わっていた。

「うふふ、ありがとうハジメ。とてもおいしそうなのだわ。昨日、ルーがこのお肉持って来たときから考えてたでしょ。このお料理」

「うん、もう、これしか考えられなかったんだ」

 リュドミラに見透かされていたことを恥じ入ってしまう僕の鼓膜を、舌足らずな声が揺らす。

「ねえ、ハジメ! たべていい?」

「はい、サラお嬢様。おあがりください」

 そう言って、僕は厨房に引っ込もうとする。エフィさんはすでに厨房で、少しだけ下品に盛り合わせた、皆さんと同じ料理(厨房特権版)に、舌鼓を打っている。

「ハジメさん!」

 僕の服の裾をつかんで呼び止めたのは、ヴィオレッタお嬢様だった。

「ハジメさんは、どうして私たちと一緒に食べないのですか?」

 うん、優しいヴィオレッタ様のことだからきっとそう言うと思った。

 僕は、ヴィオレッタお嬢様の傍に寄って、耳打ちをする。

「今日のこの席の主役はお嬢様たちなんです。お嬢様たちと、ゼーゼマンさんなんです」

 僕の服の裾をつかんでいる手に、僕の手を重ねる。

「あ……」

 お嬢様が口元を押さえる。

「こ、これは、弔いの宴なのですか?」

 僕は目を閉じる。

「ゼーゼマンさんをお墓に納めたその日に、女神様が三柱もここにおいでになったのです。こんなにすばらしいことってありますか?」

 僕の言葉に、ヴィオレッタお嬢様の肩がプルプルと震える。

「ちなみに、エフィさんにお手伝いしていただいているのは、女神様方の前だとエフィさんが緊張しちゃって食べられない様子だったからなんです」

 ヴィオレッタお嬢様は僕の方を向いて微笑む。

「では」

 僕は、厨房に引き返す。

「「「「「「「「んまああああああああああああああッ!」」」」」」」」

『牛肉に似た肉のローストの赤ワインソース根菜添え』を、一口、口に入れた食べた、食堂の皆さんから、某食材紹介グルメ番組のMCのようにエコーがかかるような賛辞が飛び出していた。

「ふむむむッ! こ、これは、これはッ!」

「はふううううッ! なんと甘露な心地ッ!」 

「ほおおおおッ!」

「なんだこれ! うめええええええッ!」

「すごいのだわ、なんなのこれ!」

「うそよ、こんな? え? これ牛の肉? モンスター肉じゃないの?」

「ああん! だめだよこんなの反則だようハジメぇッ!」

「ハジメさん! なんて、なんておいしいんでしょうッ!」

 ぼくは、背中で食堂に響き渡る賛辞の嵐を聞いて、小さなガッツポーズをしていた。

 ああ、やっぱりこの肉、牛の肉でよかったんだ。

 厨房に帰ってきた僕を、興奮したエフィさんが迎える。

「ハ、ハ、ハジメさん! これはいったいなんていう……。ああん! なんておいしい。おいしい以外の言葉が浮かんできません! この、お肉の焼き加減といい、ソースの塩梅といい。ああッ! この、肉は半生ですよね、こんな技術、王宮でも見たことありません。非才はなんと言う幸せ者でしょう。神々と席を同じくして、同じお料理をいただくなど、おそらくは、史上に例がありません!」

「よかった、おいしいですか。作ったかいがあるってもんです」

 って、エフィさんあなた、王宮の料理食べたことあるんですか?

 僕も、厨房の調理台の上に置いてある僕の分に、箸をつける。

 フォークを野鍛冶の親父さんにあげてきたから、僕は自作の箸で食べることにしたのだった。

 二本の棒で器用に肉を挟んで食べる僕を見るエフィさんのテーブルマジックを見るよう好奇の視線は、今はとりあえず無視だ。

「うん、上出来! 今までで一番うまくできた!」

 でも、まあ、ローストビーフみたいな料理は、僕が作らなくても近いうちに誰かがやってくれたことだろう。

 僕がもといた世界と似たような文明の発達を遂げるなら、探究心旺盛な料理人が、いずれ近いうちに辿り着くはずだ。今ある料理法の応用だからね。

 だけど、次のはそうはいかない。

 この世界でたぶん始めての料理だ。

 そして、僕が元いた世界と同じように文明が発達したとしても、後、数百年は開発されない料理だ。

 きっと、今まで誰も食べたことがないだろう。

 

 『アイスクリーム』なんて、ね。



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第35話 他にもお菓子が作れることに、女神様たちが食いついてきた件

「さあ、どうぞ」

 僕はまず、この一皿をこの場の誰よりも楽しみにしていたであろう、冥界の主宰女神様の前に置いた。

 エフィさんには、まず、サラお嬢様の前に、この料理を出してもらうようにお願いしておいた。

 なんと言っても、サラお嬢様抜きではこの料理は完成しえなかったからだ。

 皿の上には、直径五センチ程度の大きさのドーム型で淡い黄色味がかった乳白色の固形物体が乗っていた。

「かすかに冷たさを感じますね。これはいったい?」

 思わずといった感じでヴィオレッタお嬢様が、皿の上の物体を描写する。

 イフェ様を始め、食堂で、テーブルについていらっしゃるみなさんの頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるのが見えるようだ。

「ハジメ! 先ほどとはずいぶん有様が変わっているではないか! 妾は……」

 冥界を治める幼女神が頬を膨らませる。

 うん、わかる、わかるその反応。

「ミリュヘ様、先ほどご試食いただいたものもございますが、まずは、これを召し上がってみてくださいませ」

 清潔な布巾で匙を拭い、女神ミリュヘに差し出す。

「むう」

「さあ、時間がたつと溶けてしまいますから」

 僕は、早く食べるように勧める。

 ミリュヘ様がしぶしぶといった様子で僕から匙を受け取り、ドーム型の物体を匙の側面で切り分けてすくい取り、口に運ぶ。

 食堂を見回すと、ほぼ同時にみなさんがそれを口に入れようとしていた。

 

 パクッ。

 

 一拍、二拍、三拍……。

 

 皆さんの目が次第に真円に近づいてゆく。

 

「「「「「「「「ん~~~~~~~~~~~~~~~ッ!」」」」」」」」

 

 食堂に言語の埒外の音声が響き渡った。

 

 まん丸に見開いた目を隣同士で見合わせ、手をバタバタと打ち振り、食堂の床が抜けてしまうのではないだろうかと思うくらい、足を踏み鳴らす皆さんの様子は、まさに、とてつもなくおいしいスィーツを口にした女性の反応そのものだった。

 

「んほほほほおおおおおッ!」

「ん、ん、ん、ん、ん、ん、ん、んんんんん~~~~~ッ!」

「ふむっ、ふむむ、ふむううううッ!」

「むはッ、は、は、は、んんん、んぁああああ!」

「んんんんんッ! んんんッ! んはぁッ!」

「あむッ! ん、ん、ん、んぁ、んああッ! んんんん~~~~~ッ!」

「………………ん……んんんッ! ……………………ッ!」

「うわあああッ! んはッ、ん、んく、ん、ん、んく、んんッ! んくうぅッ!」

 

 一口目のショックから、すぐさまに立ち直ったみなさんは、蕩けきった笑顔で言語になっていない音声の不思議なコミュニケーションを交わしながら、皿に盛られた乳白色の冷たいお菓子を目にも止まらぬ勢いで口に運ぶ。

『夢中』という言葉は、まさにこの情景を切り取って表現したものだったのかと、ひとしきり僕は感動したのだった。

 

 そして、一口目を口に入れて数十秒後。

「「「「「「「「おかわりッ!」」」」」」」」

 と、いう声が、一斉に食堂の空気を振るわせたのだった。

 

「はい、かしこまりました」

 そう言って、僕は壺から皆さんの皿に乳白色の冷たいお菓子を木杓子で取って載せる。

 一人頭、余裕で三回はおかわりできる分量を作っておいてよかった。

「ハジメさん! このようなお料理、わたし、生まれて初めて食べました」

 うっとりと頬を上気させて、ヴィオレッタお嬢様が僕に微笑みかけてくれる。

「はい、これは、アイスクリンという、牛の乳と鳥の卵、砂糖を使った冷たいお菓子です」

「のうハジメ、さっき、妾がき口にしたあれを、凍らせたのがこれなのか? ハジメが申した通りだのう。さっきの有様よりも妾は美味じゃと思うぞ」

 ミリュヘ様がニコニコとして、加糖練乳から大変態を成し遂げた氷菓に満足の言葉を下さった。

「はああぁッ! ハジメさん! 流石ですぅッ! お招きした甲斐があったというものですぅ!」

 イフェ様がうっとりとした笑顔で褒めて下さる。

「うむ、うむッ! よかったなあイフェ! 何万回も面接した甲斐があったなあ」

 ルーティエ様が涙ぐんでイフェ様に笑顔を向ける。本当に仲がいいんだなこの二柱様方は。

 ってか、花! 花! またもや、見たこともないきれいな花が咲き乱れる。

「はははははぁッ! さっきから、旨すぎて笑いがとまんねぇ! ハジメ、あたいの腹捩れたら責任取れよ!」

「ああ、もう、食べ物がおいしくてこんなに笑ったの、ほんとうに久しぶりだわ」

「信じられない! あたし、かなりの年月かけて、この大陸中を旅して回って、いっぱいおいしいもの食べてきた気になってたけど、今日、ハジメが作ったものって食べたことがないものばっかりだったわ! 特にこれ、『アイスクリン』っていうの? これなんて、もう…………ううううッ!」

 マスターシムナの言葉は後半は泣き声になっててよく聞き取れなかった。

「サラお嬢様、大活躍でしたね。お嬢様が魔法でこれを作ってくださったのですよ」

 僕は、匙を加えてポカンとしているサラお嬢様の頭を撫でる。

「ハジメ! わたし、こんなことしてたの? わたし、ハジメが言ったことをしてただけだったのに、こんなにおいしいお菓子つくってたの?」

「サラ! あなたの魔法のこと、前から王立魔法学院を出た魔法使いなんかよりもすごいって思っていたけど、あなたの魔法で、こんなにおいしいものを作れるなんて、わたし、誇りに思うわ」

 ヴィオレッタお嬢様がサラお嬢様の頬にキスをする。

「お姉様……えへへへッ!」

 サラお嬢様がはにかむように、アイスクリンを口に運ぶスピードを上げる。

 それを見た皆さんも大急ぎでアイスクリンをかき込む。

「「「「「「「「おかわり!」」」」」」」」

 そうして、再びおかわりを所望する声が斉射されたのだった。

 

「本日は、まことに、まことにありがとうございました。二ヶ月前、ケニヒガブラに襲われ、妹ともども命を失うところを、アイン・ヴィステフェルトにその命と引き換えに救われ、そして、アインの体に生き返ったハジメさんに奴隷身分から救われました」

 すべての料理がお腹の中に収まって、食堂では食後のお茶が供されていた。無論これも僕が淹れた。

 そんな、落ち着いた雰囲気の中、不意にお嬢様方が立ち上がり、謝辞を述べ始めたのだった。

「昨日の昼ごろの私たちは、全てを諦め、何年先に訪れるか判らない解放のときに一縷の望みを託すことしかできませんでした。そのときに父が亡くなっていたことも知らずにです」

「でも、ハジメが助けてくれました。ケニヒガブラに立ち向かった442番のように」

 サラお嬢様がヴィオレッタお嬢様の言葉を継いだ。

「持っていたお金のほとんどを、私たち姉妹のために使ってくださった上に、こんなにもおいしい料理を作って、私たちを慰めてくださったハジメさん……。そして、エフィさんには父を弔っていただき、神々が顕現され祝福をくださいました。私たち姉妹には身に余る幸せです。私たちは、この恩に報いる術を持ちません。ただただ、頭を垂れ、感謝するしか……」

「女神様、わたし、どうしたら、恩返しできるのかわかりません」

 お嬢様方の頬を涙が伝う。

「それでいいのですよ、ヴィオレッタ、サラ」

 イフェ様が、お二人の頭に手を置く。

「ハジメ君はただただ、君たちに笑顔でいてほしいのだそうだ」

「お前たちの笑顔のために、冥界の主宰たる妾にくってかかるほどであるからの」

 お二人を柔らかな光が包む。

「ああ……」

「ああ、かみさま……」

 女神様たちの微笑で辺りに、見たこともない美しい花が咲き乱れる中、お嬢様方は、女神様がたの腕の中で、すやすやと寝息を立て始めた。

 あまり表には出さなかったけれど、この二日ばかりのお嬢様方の精神的疲労は、汚泥の中の24時間耐久匍匐前進みたいなものだったろう。

 安らかな寝顔を絵に描いたような寝顔でお休みになっている。

 

「さて、ハジメよ」

 ミリュヘ様が僕に向き直った。

「さきの『あいすくりん』だがのぅ……」

「はい、ミリュヘ様、お気に入りいただけたのなら、毎週一度捧げましょう」

「うむ、ならば、ヴィオレッタ・アーデルハイド、セアラ・クラーラをわが使徒とする件は、しがらみを排した本心でどう考えているかを考慮しよう」

「ありがとうございます。ああ、それから、ミリュヘ様」

「なにかのハジメ?」

「アイスクリン以外にも、いくつかお供えできるお菓子があると申し上げましたらいかがなさいます?」

 僕は口の端を上げる。自分で言うのもなんだけど、この顔は賄賂を菓子箱にしのばせる悪徳商人みたいだ。罰が当たらなきゃいいけ……。

 

「「「「「「「なんだって?!」」」」」」」

 

 どうやら、それは、杞憂のようだ。

 

 ぐっすりと眠っているお嬢様たち以外、その場にいた全員が僕の言に食いついたのだった。




毎度御愛読誠にありがとうございます。


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第36話 朝日に響き渡る頼もしい雄たけび

 女神様たちがそれぞれの領界に、そして、マスターシムナもお帰りになられて、静けさを取り戻したゼーゼマン家の厨房で、僕はエフィさんに手伝ってもらい、食器を洗っていた。

 お嬢様方はそれぞれの寝室に運び、寝台でお休みいただいている。

「ありがとうございましたハジメさん。おかげで、ハジメさんがお作りになったお料理を堪能できました。うふふッ、しかも、厨房特権付で! あれはいいものですね」

 食器を拭きながら、エフィさんがしみじみと言った。

「いえいえ、たまたま気がついたからですよ。たまたまです。それから、厨房特権は内緒ですよ」

 すすぎ終わった最後の食器を水切り籠に入れた僕は、人差し指を唇に当てる。

「はい! 畏まりました。台下」

 はあ、その尊称はほんっと止めてほしい。僕はそんな尊称で呼ばれるほど中身が詰まってないんだから。

「およろしい雰囲気を壊すようで申し訳ないのだけれど、いいかしら? ハジメ」

 女神様方をお見送りした後、応接室でルーデルとワインを飲んでいたはずのリュドミラが、扉がない厨房の壁をノックして、自分の存在を知らせた。

「ああ、リューダ、ワイン、無くなった? 今、持って行こうか?」

「ええ、ワインもそうなのだけれど、エフィも、いいかしら?」

 なにやら、今までにない緊張した面持ちでリュドミラが微笑む。

「わかった。干し肉と茹で豆も出そう」

 食糧庫の扉を開けながら、僕はリュドミラに答える。エフィさんもこくりと頷いた。

 

 室内の温度が、身震いするほどに下がっているように思えるほどの緊張感が漂う中、応接室のソファーに腰掛けた僕は、新しいワインの壺の封を切った。

 テーブルにはつまみに干し肉と茹でた豆、そして、胡桃と乾果実を置いてある。

 ワインをそれぞれの前に置いてある杯になみなみと注いでゆく。

「何から話そうかしら?」

 リュドミラがワインを一口あおる。

「ああ、その前にいいかな?」

 僕は手をかざし、何かを話そうとしているリュドミラを制した。

「リューダ、ルー、今日はありがとう。僕へのミリュヘ様の怒りを逸らしてくれて。君たちがどんな力で、女神様たちと相対することができたのかは、これから話そうとしてくれているんだろうけど、おかげで交渉ができた。ほんとうにありがとう」

 そう、ルーデルと、リュドミラのおかげで、僕はミリュヘ様の怒りをまともに浴びることなく交渉ができた。

 僕が、週に一度と祭日ごとにミリュヘ様にお菓子をお供えすることと引き換えに、お嬢様方の人生をお嬢様方の意思で送れることが約束されたのだ。

「もう、あらかた予想はついていると思うのだけれど」

 リュドミラの言葉に、エフィさんが喉を鳴らす。

「なあ、ハジメ……」

 ルーデルが泣き出しそうな瞳で僕を見つめる。

 僕は大きくため息をついた。

「ねえ、ルー、リューダ。君らが何者なのかなんてどうでもよくないか?」

「だい…か、……ハジメさん?」

 エフィさんが目を丸くして僕を見る。

 そりゃそうだ、僕の予想が正しければ、エフィさんは今後、ここでの暮らしぶりを大きく変えなきゃなくなる。

「ハジメ……」

「それは、今まで通りってことなのかしら?」

「それ以外に?」

 僕は答える。

 とたんに部屋の温度が上がったように感じる。

 淀んでいた緊張感が雲散霧消したのだった。

「ええ、ええ! それは願ってもないことなのだけれど」

「エフィさん、それで、いいですよね」

 僕はエフィさんに向き直る。

「ええ、無論でございますとも。非才は台下の思し召しどおりに……。ルーデルさんリュドミラさんがそれでいいのでしたらですけど……」

「どこに異論を挟む余地があるというのかしら?」

 リュドミラが目を潤ませて頬を上気させる。

「じゃあ、そういうことで」

 僕は、思いっきり、ボッキリとフラグをブチ折ってやった達成感に、フンスと鼻息を荒くした。

 正体を知られたら何処かへと去るなんて、鶴の恩返しからの典型的な別離フラグだからな。

「ぅばじべぇえええええッ!」

 ルーデルが顔中をあらん限りの液体でぐしゃぐしゃにして、抱きついてきた。

 豊満としか表現できないルーデルの体が、僕をもみくちゃにする。

「ハジメ!」

 ルーデルに負けず劣らずのリュドミラのグラマラスボディが、追い打つように僕に体当たりを敢行する。

「この波には乗るしかないッ!」

 意味不明なことを喚いてエフィさんがダイブしてきた。

「うわわッ! わあああッ!」

 獣人特有の高い体温で、あっという間に僕たちは汗まみれになる。

「アハハハハハ! アハハハハハ!」

「うふふふふッ! うふふふふふ!」

「はははッ! ははははははッ!」

「あわわわッ! うわああああっ!」

 仔犬が兄弟でじゃれ合うように、くんずほぐれつで床を転げまわる。

「ハジメさん、まだ起きていらっしゃるのですか?」

 応接室の扉が開く。寝ぼけ眼のヴィオレッタお嬢様が開いた扉の隙間から顔をのぞかせる。

 その瞳がみるみる丸く真円に近づいてゆく。

 ヴィオレッタお嬢様の見開かれた眼に、豊満な美女三人とぴったりと密着して、汗みずくで半脱ぎの僕が映っている。

 お嬢様の右腕が振り上げられ、もの凄い勢いで振り下ろされる。

 あれ? もの凄い勢いだって認識しているはずなのに、やけにゆっくりと僕に近づいてくるな。しかも、色という色が消えて、モノクロの世界に放り込まれたような気になる。

 これってあれか? 生命の危機に訪れるナントか現象ってヤツか?

 ヴィオレッタお嬢様の右手が、僕の頬に当たり、ほっぺたをひしゃげさせ振り抜かれる。

「げふあげえぇッ!」

 ほっぺたに手形と引っかき傷を貼り付けて、僕は応接室の壁に叩き付けられる。

 ヴィオレッタお嬢様の美しいフォロースルーが、この日の最後の光景だった。

 

 次に気がついたときにはすっかり夜が明けていた。

「ああ、よかったぁ。ハジメさん! ごめんなさい、ごめんなさい」

「ハジメぇッ! よかったぁ! お姉様の平手打ちは、ゴブリンくらいなら一撃だから、心配したよう!」

 最初に僕の目に入ってきたのは、泣き腫らした目で僕を抱きしめるヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様、それを見て笑っているルーデル、リュドミラにエフィさんだった。

 そんなすごいビンタくらって生きてるなんて……。頬に触れてみる。痛くもなんともない。

 ヴィオレッタお嬢様が僕にくらわせたビンタは所謂コークスクリュービンタと呼称される技で、インパクトの瞬間手首のスナップを利かせて引っ掻くという、高度な平手打ちの上位技だ。

 サラお嬢様の言う通り、中レベルのコークスクリュービンタはゴブリン程度なら一撃で粉砕できるほどの威力を誇るのだと噂で聞いたことがあったけど、自分が食らうとは考えてもいなかった。

 コークスクリュービンタを食らうと、頬に深々と引っかき傷が残るはずなのだけど、どうやら、それは回避できたようだ。さすがは女神イフェの加護『絶対健康』様様だ。

「びっくりしてぜぇ。ヴィオレのビンタの痕が、あっという間に消えていくんだからよ!」

 ルーデルが犬歯が目立つ歯を見せて笑う。

「ご心配おかけしました。大丈夫です。さて、朝食ですが、夕べの余り物でいいでしょうか? 夕食は、今日の調子しだいですけど、しっかり作りますから」

 体を起こして、僕は笑った。

 

 朝食は夕べの残りのローストビーフとキノコのマリネと葉物野菜を丸いパンにはさんだ、ローストビーフバーガー(バーガーパティをはさんでいるわけではないのに『バーガー』というのはどうかと思うが)とオレンジの果汁にした。簡単に作れるからね。

 ちなみに、ローストビーフには昨日屋台で使った僕特製のトマトソースを暖めてたっぷりとかけてある。

 更にちなみにだけど、ローストビーフの本場イギリスでは、余ったローストビーフをサンドイッチで食べる伝統があるそうだ。

 今日から僕は、朝早く出かけて働かなくちゃいけないから、これから朝食は、休日を除いて今朝みたいに時短料理を中心にしようと思っている。

「なんだよこれ、これで、昨日の肉をパンに挟んだだけなのかよ! いや、なんかタレがかかってるのか! うめえええッ!」

「ああッ! おいしいい! 朝からこんなにおいしいものを食べられるなんて!」

「おいしいいいいいいッ! おいしいよハジメ! お肉もおいしいけど、このタレだよね、タレがおいしさをえんしゅつしてるんだよね」

「ああああはんッ! おいしいですハジメさんっ! わたし、わたし、こんなおいしいものばっかり食べてたら、だめになっちゃいそうですぅッ!」

 余り物利用の時短料理なのに、喜んでいただけたようで何よりだ。

 

「さて……と」

 僕は自室で装束を調え、出かけようと玄関に出てきた。

 腰には分厚い刀身の鉈みたいな短剣を佩いている。こっちの世界に来て442番に生き返ったときから使っている、所謂手に馴染んでいる武器ってやつだ。

「ご一緒させてくださいね」

 ゼーゼマン商隊のキャラバンで見慣れた旅装束に身を包んだヴィオレッタお嬢様が、微笑を浮かべ佇んでいた。

「わたしもいっしょに行くんだから!」

 これもまた、見慣れた旅装のサラお嬢様。手には真新しい杖が握られている。

「助けてやるから恩に着な」

 犬歯が目立つ歯を見せて、ルーデルが笑っている。

「非才は、旅の僧侶が本職ですから、かなり役に立ちますよ」

 真っ赤な僧衣に身を包んだエフィさんが笑顔で杖を振っている。

「あなた一人に任せきりにしていたら、一ヵ月後にはわたしたちの屋根は星空になると思うのだけれど」

 リュドミラが耳をはためかせ、尻尾を振って微笑んでいる。

「みんな……」

 鳩尾がくすぐったくなる。とてつもなくわくわくしているときの感覚だ。

 思わず声が震える。

「じゃあ、行きましょう。みなさんよろしくお願いします」

「「「「「おおおおおおおおおおおッ!」」」」」

 

 朝の潤んだ日差しに、頼もしい僕の仲間の雄たけびが響き渡ったのだった。



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第37話 ゴブリンは同じ『ゴ』だけに一匹見かけたら三十匹はいるらしい

「ゲギャギャ! ゲギャギャ!」

 ヴェルモンの町から馬車で東に一時間ほどの森の入り口近くで、僕らはものすごい数のゴブリンに囲まれていた。

「どうするのこれ?」

「決まってんじゃんか!」

「殲滅ね」

 あわてふためき、腰を抜かしかけている僕にルーデルとリュドミラが犬歯が目立つ歯をむいて笑いかける。

「いやぁ、そうは言いましても、これほどの数……」

 エフィさんが顔を引きつらせる。

「……っく!」

「………………ッ!」

 ヴィオレッタお嬢様もサラお嬢様も、紙のような顔色だ。

「い、いくら、ゴブリンが最下級モンスターだからっていって、いちどに、こんなたくさん相手できるもんか!」

 ルーデルとリュドミラに僕は抗議する。

「やらなきゃ、殺られるだけさ」

「そうね、やるしかないのよハジメ。あなたが成そうとしていいることは、こういう無茶を重ねて積み上げていくことなのよ」

 あらためて、僕は自分の短慮を後悔していた。

 僕らは大量発生したゴブリンのど真ん中にいたのだった。

 

 鬨の声勇ましくゼーゼマン邸を出発した僕らは、街の城門近くの繁華街にある冒険者ギルドにやってきた。

 ある程度予想はしていたけれど、まるで通勤ラッシュの電車のような混雑ぶりだった。まあ、僕はそんな電車に乗ったことないけど。

「んじゃあ、行ってくんぜ!」

 お屋敷を出発したときの威勢はどこへやら、あっけに取られて、たじろいでいた僕を尻目にルーデルが腕をブンブンと回しながら突っ込んでいった。

「ッしゃあ! まあまあいいやつゲットしてきたぜぇ!」

 黒山の冒険者だかりから出てきたルーデルの手には、クエストが記載された紙の束が握られていた。

 

「あのう……本気ですか?」

 冒険者ギルドの受付嬢カトリーヌさん。昨日僕らが大迷惑をかけた被害者だ。

「ダメなのかい?」

 犬歯が目立つ歯を見せてルーデルが笑う。

「い、いえ、マスターシムナから、ルーデルさんとリュドミラさんは元トリプルSだから、ある程度のことは大目に見てねと言われてますから……」

 両手を胸の前で振り、滅相もございませんというカトリーヌさんはすっかり怯えている。

 そりゃあ、そうだよな。僕らが冒険者登録にやって来たせいで、十回人生やったってしなくてもいい体験しちゃったもんなあ。

 って、元とりぷるSだって? ちょ、ちょ、ま……。

 ええと、今、僕らは最下級のF級だから……。僕は自分の首からぶら下がっている兵隊の認識票みたいな冒険者登録証を見つめる。

 銅でできたプレートには、僕の名前、それから冒険者ランクがしっかりと『F』と刻まれている。

 トリプルSなんてランクがあるって……。

 F→E→D→C→B→A→ダブルA→トリプルA→S→ダブルS→トリプルSってこと?

「「「「ええええええええええッ!」」」」

 僕らはアゴを外さんばかりに驚いた。

「そ、そんなランクの冒険者、伝説でしか聞いたことございませんよ」

「そんな英雄譚級の冒険者が博打で借金こしらえて、お父様の護衛奴隷してたなんて」

「すごい、すごい! ルー、リューダすごい! わたしたちランクFで初心者なのに、無敵パーティだわ」

 無邪気にはしゃいでいるサラお嬢様を除いて、僕らは開いた口を閉じることをすっかり忘れていた。

「まあ、そういうことだから、気をしっかり持ってね」

 僕らを励ましてくれる声に、口をだらしなく開けたまま振り返る、そこにはダークエルフのギルドマスター、シムナさんが苦笑いを浮かべて小首をかしげていた。

「カトリーヌ、ルーはどんなクエスト持ってきたの?」

「あ、はい、マスター! こちらです」

 窓口カウンターにひじをかけたマスターシムナに、カトリーヌさんがクエストが記載された用紙の束を見せる。

「ふうん、なるほどね……、ゼーゼマンさんのお嬢さん方と、ハジメくんのランク上げを兼ねたのね……、まあ、妥当なとこかしら…でも……」

 マスターシムナが頷く。冒険者の酸いも甘いも噛み分けた冒険者ギルドのマスターがダメ出ししないってことは、ルーデルは初心者向けのクエストを何件か持ってきたってことなんだろうな。

 語尾の「でも」が気になるところだけど。

「あらあら、ルー、少し欲張りすぎじゃないかしら?」

「うん、クエストのレベルは問題ないけど、量が……ねえ」

 なるほど、ランクアップには冒険者ランクと同じランクのクエストを何回かこなさなきゃならないから、その回数分の同ランクのクエストを持ってきたってことか……。他の冒険者の迷惑顧みずに……。

 それを一度に受けて、何日かかけて全部こなしていっぺんに報酬と経験値? を受け取るって算段なんだろうな。

 ギルドに来る回数が少なくて済むから。実にルーデルらしい大雑把な受注方法だな。

「じゃあ、よろしくたのむぜえ!」

 ルーデルがカトリーヌさんの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「は、はい! では、仮登録Fランク冒険者ハジメさんのパーティーに、ゴブリン討伐五十体のクエストを十件依頼いたします。発注主はヴェルモンの領主様となっております」

 カトリーヌさんがテキパキと、クエストの受注処理をしてゆく。

「では、パーティリーダーハジメさん、こちらのログクリスタル(記録水晶)に手をお願いします」

 あ、これ、僕がきのう砂にしてしまったアレだ。

 おそるおそる手を載せる。

「クエスト受注についての注意事項をお知らせいたします」

 うん、それって、規則で毎度毎度言わなきゃいけないテンプレってやつだよね。

「本件は本日中の達成が条件となります。報酬は一件金貨二十枚です。ゴブリンからの略奪品は別途ギルドで買取いたします。また、クエスト報酬の他に加害モンスター駆除報酬が発生いたします。こちらは現在のレートですと一体あたり銀貨四枚です。討伐数の確認のため、鼻か耳などをお持ちください。同一個体から複数お持ちになっても、一体としかカウントされません。そういったことが何件も重なりますと降格や除名などの懲罰の対象になりますのでご注意ください」

 ふむふむ、一件金貨二十枚か結構いい額の報酬だね。しかも、一体ごとに更に銀貨四枚なんて、五十体倒したら、それだけでクエスト報酬と駆除報酬合わせて金貨四十枚の計算だ。本日中ってのが、ちょっときついかな? ゴブリンを探して戦ってそれを五十匹……。一日でどうにかできるだろうか。なんといっても、ウチのパーティーには、平手打ちでゴブリンを倒せるお嬢様がいるからな。

 まして、元、トリプルSの冒険者が二人もいるわけだから、ゴブリン五十体ならなんとかできそうな気がする。

 それを十日かけて十回やって、金貨二百枚、そして、おそらくそれでランクアップするはずだから、以降はそこから上のランクのクエストの受注ができる。

 はっきりいって、僕が一番のお荷物だろうけど、がんばろう。

 手を載せた水晶玉がぼうっと光る。昨日みたいに黒くなって砕けて砂になることはなかった。

「なお、クエストの失敗のペナルティは、ハジメさんはFランクですので冒険者登録の取り消しと、一年間の再登録禁止が課されます。では、ご健闘をお祈りしております」

 ふむ、なるほど、最下級でなければ一ランク降格ってペナルティか。

 これでクエスト受注完了になるんだ。

「しゃッ! いくぞハジメ! 急げ! ギルドの営業時間は、今の時期だと日の入りから一刻までだ! サクサクやんねえと間に合わねえぞ!」

 ルーデルが駆け出す。それを追うように、みんながギルドを飛び出して行く。

 あわてて僕も走り出す。

「がんばって!」

 マスターシムナが背中を押してくれた。

 他人に励まされることが嬉しくて、鳩尾がキュンとする。

「ぅしッ! やるぞ!」

 もう、みんなは馬車に乗り込んでいる。

「ハジメ、急いで!」

 リュドミラが手を差し伸べてくれる。

「はあっ!」

 ルーデルのかけ声が辺りに響く。

「うわッ! 待って!」

 リュドミラの手を取るのと同時に、馬車が勢いよく走り出した。

 馬車の中を見回すと、ヴィオレッタお嬢様もエフィさんも気合が入った顔をしている。

 いつもはのんきで明るいサラお嬢様でさえ、口をへの字に結んで目つきを鋭くしていた。

 そうだよね、うん、初めてのクエストだもの、気合入るよね。

「ルー! どこで狩る?」

 リュドミラが御者台のルーデルに叫ぶ。

「東の森の洞窟にゴブリンキャプテンが出たって噂がある。とりあえずそこに行こう!」

 !? え? ごぶりんきゃぷてん? 受けたクエストってただのゴブリンを五十体だよね?

 そんな強そうなモンスターのクエストじゃなかったはずだよね?

「なるほど、それなら、最低二百はいますね」

 エフィさんが頷く。

 ちょ、ちょっと待って? 二百? 受けたクエストの半分近くじゃないか? そんなにいっぺんにやらなくたって……!

「そうですね、それで取り合えず二百として、あと、三百は?」

 ヴィオレッタお嬢様までそんなこと言って……。それじゃあ、今日一日で全部やろうとしてるみたいじゃないです……か…?

 

 十件全部……やるの……か?

 

「あははは! 最近、東の森はゴブリンパレード(大量発生期)に入ってるみたいなんだよ! 他にも四つ五くらいはキャプテンがいそうな洞窟のめぼしはつけてあるぜ!」

「うふふふ。ゴブリンパレードね。だから、あのシブチン領主がギルドにあんなにたくさんのゴブリン討伐のクエストを出していたのね」

 待て待て待て! どういうこと? ごぶりんぱれーど? キャプテンがいそうな洞窟? そう言う話なの? このクエストは?

「まあ、私、ゴブリンパレードなんて、はじめての遭遇です」

 そう……か、本日中の達成って、十件全部を今日中ってことだったのか。

 ルーがクエストの依頼書の束を受付に持っていったときに、カトリーヌさんが「本気ですか?」と尋ねたのはこういうことだったんだ。

 ってことは、今日中にゴブリン五百匹ってこと!? 

 

「一匹見かけたら、三十匹はいるっていうもんね!」

 サラお嬢様、ゴブリンはそういうあのアレみたいな生態なんですか?

「うまくいきゃ、あいつもいるかもだぜぇ!」

 口角を吊り上げて、ルーデルが僕を見る。

「キング! ゴブリンキングですか? 確かに、パレードだとしたら可能性は大でございますけど!」

 

 なんだって? 滅茶苦茶に強そうじゃねえか、それってよ! イベントボスっぽいネーミングだぞ! この体の元の持ち主のなんちゃらって言う二つ名持ちのイケメンだったらなんとかできっかもしんねえけどな! 俺は、たった二ヶ月前にこっちに来たばっかりの軟弱者なんだよ!

 金髪の美人のお姉ちゃんに「この、軟弱者!」って罵られてビンタされるくらいにな!

 そんな、強そうなのとやれるわけねえだろ! バカヤロウ!

 

「ハジメ! がんばろうね! できる、わたしたちならきっとできる!」

「サラ……さま……」

 僕は大きく息を吐く。

「そう……ですね。やるしかありません。いえ、やれます」

「ハジメさん! 私も!」

「ヴィオレさまの平手打ちの威力には、絶大に期待を寄せております」

「やだ! ハジメさんったら」

 ヴィオレッタお嬢様が愛らしく頬を膨らませる。

「ハジメさん、非才も微力ながらお手伝いいたします!」

「はい、エフィさん、よろしくお願いします!」

 

 手綱を取るルーデルの肩越しに黒々とした森が見えてきた。

 もうすぐ、僕の冒険者生活がド派手に幕を開けようとしていた。




17/09/04 第33話~第37話までを投稿いたしました。
毎度御愛読いただき誠にありがとうございます。


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第38話 いきなり僕らはゴブリンの群れに囲まれたわけなんだけど

お待たせいたしました。


 東の森の入り口近くで馬車が止まり、僕らは馬車を降りる。

「忘れ物はないかしら?」

 リュドミラの問いかけに、みんなは、自分の装備に手をやり確認する。

 動きやすそうな作りの露出が多い服に、軽そうな金属製の胸当てと籠手、膝上丈のプロテクターがついたブーツを装着したルーデルは幅広の両手剣を軽く振って背負う。かなり重そうな剣だけど、まるで小枝を振るみたいだった。まさに狂戦士って感じだ。

 丈の短いチュニックと脚の動きを邪魔しないように丈を短かく詰めてあるキュロットに皮鎧を重ね、サイハイソックスの脚に頑丈そうなブーツを履いたヴィオレッタお嬢様は、小さな盾と手甲だけを装備して、手持ちの武器を持っていないようだ。夕べのコークスクリュービンタを思い出す。ヴィオレッタお嬢様の職業って、治癒師だったよな。武闘家にしか見えない。

 ひときわ小柄な体に生成りのローブをまとい、袖や裾がバタつかないように縛りつけ、露出した細い脚に膝丈の編み上げブーツを履いたサラお嬢様は、真新しい杖を見つめてなにやら念じている。腕にはきれいな宝石が嵌め込んである手入れが行き届いた篭手が鈍い光を放っている。こちらは、ちゃんと魔法使い然としている。

 エフィさんは、丈が短い真っ赤なタイトワンピース(昔で言うボディコンだ)に白のタイツ。血で染め上げたような緋色のインバネスコート、それとふくらはぎ丈の編み上げのブーツ。腰に巻いた幅広のベルトには何が入っているのか、たくさんのポーチ。コートの裾についた絞り紐で裾をまとめ、杖をカンフー映画みたいに振り回している。ああ、たしか、RPGには修行僧と書いてモンクとふり仮名をふる、肉弾戦が得意な僧侶って職業があったな。

 そして、リュドミラは、僕の世界で言うところのレオタードみたいな服の上に暗い色のマントを羽織り、防具はむき出しの手足に膝上丈のブーツと篭手だけという超軽装腰。腰の後ろで交差するように佩いた長脇差ような二本の片手剣の鯉口を切っては収めるという動作を何回か繰り返す。こちらは、セクシー女忍者って感じだ。

 かく言う僕は、着慣れた旅装にマジックバックと化した雑嚢、そして、使い慣れた鉈みたいに幅広で分厚い短剣を腰の後ろに佩いている。

 首をめぐらし、みんなの準備が整っていることを確認して、リュドミラが馬車に魔法をかける。登録されているメンバー以外から、存在を隠匿する盗難よけの魔法だ。馬車で旅をする隊商では、一番下っ端の丁稚クラスでも覚えているポピュラーな魔法だ。

 ちなみに僕は荷役奴隷だったので、身分的には丁稚よりも低かったからこの魔法は使えない。 て、いうか、じつは、僕にはあらゆる魔法を使う能力がないのだった。

「じゃあ、出発だ!」

 ルーデルの声にみんな緊張して頷く。

 先頭にルーデル、最後尾にリュドミラを据えたダイヤモンド型の隊列を組んで、僕らは森に入る。当然というか、不本意ながらというか、僕はダイヤモンド型にみんなが並んだその真ん中、ダイヤモンドの中心で、肩を竦めている。左右ではサラお嬢様とヴィオレッタお嬢様がそれぞれ辺りを警戒してる。

 これって、SPに警護されているVIPみたいだ。なんか、情けなくて涙が出てきそうだ。

 ちなみに上から見るとこんな感じだ

 

                  サラお嬢様

 

 ←進行方向  ルーデル  エフィさん  僕  リュドミラ

 

                ヴィオレッタお嬢様

 

 ほんの数分歩いたところで、ルーデルが体の脇で右手でこぶしを作る。冒険者の間で使われている止まれを意味するハンドサインだ。

 森に向かう馬車の中で、リュドミラから、基本的な四つのハンドサインを教わった。

 すなわち、『進め』『止まれ』『攻撃開始』『姿勢を低く』だ。

 なんか特殊部隊っぽくてかっこいい。

 ルーデルがこぶしを開いて腰の辺りで手のひらを上下させる。『姿勢を低く』のサインだ。

 僕たちは指示に従い姿勢を低くする。どんな時代、世界でも敵に自分を発見されるのを防ぐ第一歩は姿勢を低くすることなんだな。

 ってか、もう、モンスターに遭遇したのか?

 後ろから舌打ちが聞こえる。

 リュドミラとしてもこの遭遇戦は不本意なんだろうか? 手っ取り早く数が稼げそうだから、早く出会う分にはいいと思うんだが。

 あ、それとも、今、遭遇しようとしているモンスターが、釣りで言うところの『外道』っていう感じの、討伐クエ対象外のモンスターってことだろうか?

「囲まれたわ!」

 リュドミラが立ち上がり、短剣というには長く、細身で反りがある長脇差みたいな二本の剣を腰から抜き放つ。

 隊列の先頭ではルーデルが、片手で持った大剣を肩に担ぐように構えている。

 ヴィオレッタお嬢様は右足を引いて半身に構え、サラお嬢様は杖を正面に構えて呪文を唱え始める。

 そしてエフィさんは、杖を一振りして中断に構えたのだった。

「げぎゃぎゃ、ぎぎぎ」

 耳障りなしゃがれた声が、輪唱を歌うように僕らの周囲から聞こえてくる。

 そして、棍棒や、ボロボロに刃が欠け、ノコギリみたいになった剣、錆びたナイフとかを手にした濃淡さまざまな緑色の皮膚の小柄な怪異が、森の木々の間から次々とその醜い姿を現した。

 二足歩行しているとはいえ、その姿からは到底知性というものは感じられず、下品なしゃがれた鳴き声とも相まって、醜悪この上ない。

 だが、その濁った瞳からは明確な害意が感じられる。

 僕はぐるりと見回す。少なく見積もっても二十から三十はいそうだ。

 地面から、じわじわと恐怖が脚を這い上がって来て、悪寒に肌が粟立つ。ヤンキー三十人に囲まれた状況を想像してくれれば、僕が味わった恐怖心の一端が理解していただけると思う。

「勘弁してくれ……」

 思わずつぶやいてしまった。

 リュドミラの言う通り、僕らはすっかりと包囲されていた。

「殲滅するわよ」

「リューダ……」

 僕は思わずリュドミラの名を呟く。

 リュドミラは凶悪な笑みを浮かべる。たぶん僕に背を向けているルーデルも似たような表情に違いない。

「いやぁ、そうは言いましても……」

 エフィさんが苦笑する。能天気に聞こえる口調だけど、かなりヤバげな状況であることがひしひしと伝わってくる。

 そりゃあ、リュドミラたちは、元トリプルSクラスの冒険者だから、普通なら絶望の二文字しかないこんな状況も、なんとかできるんだろうけど、僕なんて、つい昨日仮免を交付された初心者以前の駆け出しにもほどがあるだろって具合の冒険者だ。本来なら街でメッセンジャークエストとかを何回もやって少しずつクラス上げするようなレベルだ。

 ルーデルたちが、僕らを包囲したこのゴブリンのことごとくをやっつけてる間に、あの、サビサビでボロボロな剣でひき肉にされているに違いない。

 お嬢様方だって、その紙みたいな顔色から察するに、僕と五十歩百歩な考えだろう。

 同じ五十匹をやっつけるのでも、一回の戦闘で数匹ずつやっつけるのとは難易度がぜんぜん違うだろ! いきなりこんなのありかよ!

「あ、ハジメさん、あぶない!」

 ヴィオレッタお嬢様の声に振り向く。

 と、同時に側頭部に激しい衝撃を感じて昏倒してしまう。

 ゴブリンが投げたこぶし大の石が命中して、僕の頭蓋骨を陥没させ、脳に深刻なダメージを与えていたのだった。

 

「いででででッ! いってえええええええッ!」

 こういう痛みってヤツは瞬時に頭を沸騰させてくれる。

 俺は確かに頭に腐れゴブリンの投石攻撃を受け、一瞬気を失った。が、次の瞬間には、気がついて、食らった攻撃の痛みに怒髪天を突いていた。

 つまり、箪笥の角に足の小指をぶつけたときのような怒りにカッとなったわけだ。

「ッんめえッ! 俺に石ぶつけやがったなぁどいつだぁッ!」

 叫んで、石が飛んできた方向を睨みつける。

「ゲゲゲギャゲギャ!」

 俺の視線の先に、再び投石のモーションに入った腐れカビ団子が目に入った。

 ケツの雑嚢の上に着けた鉈みたいな短剣を引き抜くが早いか、俺はその緑グソヤロウに向かって走り出した。

「んなるぁああああああッ!」

 数瞬後、俺が手にしていた短剣は、俺の頭の骨を陥没させ、脳みそをひしゃげさせた腐れゴブヤロウの頭蓋骨を叩き割って、脳漿を飛び散らせていた。

「けッ、蛆虫ごときが俺様の頭を陥没させやがるからだ」

 って、キメ台詞を吐いた次の瞬間、体当たりをされ、わき腹にぶりゅぶりゅと何かが入ってくる感触が俺を襲う。

「あだだだだッ! うげえええええッ」

 吐き気と同時に腹が裂けて生暖かいものが、腹から溢れる。

 近くにいたゴブリンが、俺に突進してきて、サビサビの剣でわき腹を突き刺して、薙いだのだった。

 ああ、くそ、腸が飛び出しやがった。

「ってええええええええええッ!」

 痛さに動けなくなる。

 と、次々に、俺の体に腐れ果てた武器の成れの果てが、突き刺さってきやがった。

 胸といわず、腹といわず、腕、脚、頭。体中のいたるところをサビサビでボロボロの武器で、刺され、切られ、棍棒で殴られる。

 数秒後には俺が立っていた場所に、血と肉で捏ね上げた致命傷の塊ができあがっていた。

 

 だけど、僕は生きていた。

 

 っていうか、かち割れた頭も、裂けて腸がはみ出した腹も骨が見えるくらい切り裂かれた腕や脚も、ビデオを逆回しで再生するみたいに即座に復元していった。

 僕の体は、傷ついても傷ついてもに超高速で回復していたのだった。

「げぎゃぎゃ! ぎゃ」

 そんな僕に、いくら知能の欠片すらないゴブリンでも恐怖したのか、あからさまにうろたえて後退りし始める。

「うえッ! うえええええッ!」

「おえええええッ!」

「うぷッ! えろえろえろッ!」

 びちゃびちゃびちゃ!

 地面を激しく叩く水音に振り返る。

 まあ、しかたないよね、ゴブリンでさえうろたえるようなスプラッタを見せつけられたら、誰だってそうなるよね。

 リュドミラとルーデル以外のお三方、すなわち、ヴィオレッタお嬢様にサラお嬢様、そしてエフィさんまでが、足元に盛大に特大の吐瀉物溜まりを作っていた。ゴブリンに囲まれているから、どこかの物陰でなんてことできなかったんだろうけど……。

 

「なんか、すみません」

 

 血まみれの布切れを体に貼り付けただけの姿で、僕はみんなに謝るしかできなかった。



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第39話 ぅあぢいいいいいッ! あづい! あぢいいいいいいいいッ!

「っははははッ! すっげーぞハジメッ! まるで、アンデッドだ!」

 幅広の両手剣を水平にぶん回し、何匹ものゴブリンを鳩尾の辺りで両断しながらルーデルはげらげらと笑い、甚だ不穏当なことを叫んだ。

「ヴィオレ、エフィ! サラを中心に円陣を組むわ!」

 リュドミラが剣を振ってゴブリンの血糊を振り落としながら叫ぶ。

「「はいッ!」」

 ヴィオレッタお嬢様と、エフィさんが吐瀉物に塗れた口元を拭いながら駆け寄る。

 森に入ったとたん、予想以上に大量に発生していたゴブリンに包囲された時点で、ルーデルとリュドミラが立てていた、当初のSOP(接敵行動規定)はすでに瓦解していたようだった。

 すかさずリュドミラが指示したのは、石をぶつけられ頭にきて隊列から突出した僕を切り捨て、サラお嬢様を守る形の陣形だった。所謂プランBってやつなんだろう。

 なるほど、変な具合に敵の注目を集めている僕に攻撃を集中させて、サラお嬢様のでかい魔法で、一掃するという作戦に転じたわけか。うん、実に効率的だ。

「サラ、2、30匹やれるやつあるかしら?」

 リュドミラが飛びかかろうとしたゴブリンの首を刎ね飛ばし叫ぶ。

「うんッ! リューダ、とっておきがあるよ! 少し時間かかるけど……おえッぷ」

 えずきながら、サラお嬢様が答える。

「いいわ、お願い!」

「りょッ!」

 短く、でも、大きく息を吸い込んで、サラお嬢様が地面に杖を立て、虚空に文様を描きながら呪文の詠唱を始める。

「創生の時より煉獄に燃え盛る灼熱の炎よ、我が願いに応え顕現し……」

 ぐぎゃ、げぎゃ! と、ゴブリンたちの注意がサラお嬢様に向く。

「ハジメ! わかったわね!」

 うわ、えげつない。僕は囮で餌で、時間稼ぎなわけだ。まあ、サラお嬢様を守るように円陣を組んだ時点で予想できたけどね。

 僕の方に集まっているゴブリンが多いとはいえ、全体的にはまだまだ包囲されている状況だ。こんな状況をひっくり返すのはでかい魔法か、超人的な戦士が無双するかだ。

 ハリウッド映画ならこういう場面にはガトリング砲だけどね。

「了解!」

 戦闘に関して僕は全くの素人だから、リュドミラたちの言うことを実行するだけだ。この体の元の主、アイン・ヴィステフェルトさんはかなり高名な騎士で戦闘のプロだったみたいだけど。

「おい、コラ! こっちだ、カビ団子! ペニシリンヤロウッ!」

 ぎぃいいいいッ! ぎゃ、ぎゃ~~~~~ッ! げぎゃぎゃッ!

 サラお嬢様に向けられた注意が再び僕に向けられる。しかも、かなりお怒りのご様子だ。

 ははっ……なんか通じたみたいだ。異なる言語で話す者同士の非友好的なコミュニケーションにおいて、何を言ってるのかはわからないけれど、馬鹿にされてるのはわかるってよく聞くけれど、本当だったんだな。

 しかも、今回は、人間同士ですらなく、そもそもが、意思を疎通させることさえ不可能なカテゴリーでのことだ。

 げぎゃッ! ぎいいいいッ!

 十数匹のゴブリンが、手に手にサビサビで刃こぼれだらけの剣や、棍棒を構えて僕をとり囲む。

「うわわッ! わああああッ!」

 自分でもわかるくらいのへっぴり腰で、僕は鉈みたいな短剣を小手先で振り回す。

 ぎゃぎいいいッ!

 耳障りなしゃがれた鳴き声が背後でしたのと同時に、腰のあたりが燃えるように熱くなる。

 ぶりゅりゅッ!

「え……あ……、げふッ!」

 僕のお腹から血塗れの赤錆びた剣が生えていた。

「おえッ……ぐぞぉッ!」

 ゴブリンが腋の下から頭を出して僕を見上げて「ぎぎぎぃッ!」っと、耳障りなしゃがれ声をあげる。

 

「てんめぇ……!」

 そいつが何を言ってるが俺には瞬時にわかった。「腸ぶちまけて死ね!」だ。

 俺はそいつの頭を抱えて腋を締めてゆく。

 ぎいいいいいいッ! ぎゃげえええッ!

 そいつは俺を貫いている剣から手を放してジタバタと暴れやがる。

「暴れんなよ。てめえを殺せねえだろうが」

 ミシミシとゴブリンの首の骨が軋むのが伝わってくる。

 ぎゅげ! げ、げ……。が……!

 ぼきん! と、飴の棒を折るような音がして、俺の肋骨にゴブリンの首の骨が折れた振動が伝わり、ようやく腋の下で暴れていたゴブリンがおとなしくなりやがった。

「始めっからそうしてろよ」

 

 とたんにズシリと重力の存在を再認識してよろめく。

 げぎゃあああッ! んぎぎいいいいッ!

「あ、や、ちょ、ちょ、ま」

 僕の目に怒り狂った十数匹のゴブリンが跳びかかってくるのが映る。

「ひいいいいいいいいッ!」

 思わず目を閉じ、短剣をでたらめに振り回す。

 げっ! ぎゃッ! がッ!

 ゴンゴンと何かに当たった感触が伝わってきた。

 そんな攻撃とはお世辞にもいえない、ただ振り回しているだけの短剣に、不幸なゴブリンの何匹かが当たったようだ。

 だけどそんなの、本当にまぐれ当たりだ。僕の短剣をかいくぐって何匹ものゴブリンが僕に刃こぼれだらけの剣を突き立てる。

「が、はあっ、ぐうううッ!」

 ハリネズミみたいになった僕にとどめをさそうと、得物を手に手にゴブリンが殺到してくる。

「ぐッ、がッ、があッ、あぐッ!」

 突かれ、切られ、殴られ、僕は瞬く間に血塗れなってゆく。ざっと見ただけでも十数匹が群がっていた。

「土砂降りの炎プリヴェーゴファイラ!」

 サラお嬢様の詠唱が完成する。虚空に描かれた魔法陣から巨大な火の玉が出現して僕の直上に高速で飛来、炸裂した。

 炎が土砂降りのように降り注ぎ、辺り一面が火の海のなる。

「わ、わ、わああああ」

 これって、僕だけを守る結界とか施してあるんだよね!

「ハジメ! ごめん!」

 サラお嬢様が舌を出してウィンクをする。所謂テヘぺろってヤツだ。

「ちょ、ちょ、熱いから! すんごくあっついからぁッ!」

 ぎいいいいいい! ぎゃああああッ!

 僕に集って暴力を振るっていた緑色の皮膚をした怪異が、炎の雨に穿たれ燃え上がり悲鳴を上げる。

 僕の周囲にいた、たくさんのゴブリンたちが、あるいは体の表から焼かれ、あるいは着弾した炎の雨粒が体を穿ち潜り込んで内側から焼かれ、または、その両方で灼かれ、耳障りな悲鳴を上げながら絶命してゆく。

「ぅあぢいいいいいッ! あづい! あぢいいいいいいいいッ!」

 ジャンヌダルクってこんな感じで死んだんだろうな。

 そして、僕の視界のすべてが紅く染まり、記憶が途切れた。




お読みいただき誠にありがとうございます。


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第40話 僕、いつまでこんな格好でいなきゃいけないんでしょうか?

「……メさん、……ジメさん、ハジメさん!」

「わあああああッ! あづいい……くない? はあぁ」

 安心してため息をついた僕の鼻を、肉が焼ける香ばしい匂いがくすぐる。

 あまりにもうまそうな匂いに腹が鳴る。

 ってこれ、僕が焼けた匂いだよね。僕が料理されたらこんなにうまそうな匂いがするのかよ。ってか、自分が焼けた匂いに食欲かきたてられるなんて僕は変態か。

「よかったあッ! なかなか目を覚まさなかったから心配しました」

 ヴィオレッタお嬢様の顔が逆さまに僕の顔をのぞき込んでいた。

 うわああッ! ってことは、僕はお嬢様に膝枕していただいてたってこと? うわあああッ!

 僕は急いで体を起こす。体にはお嬢様のマントが掛けられていた。

「ごめんねハジメ。呪文を完成させるのに夢中で、ハジメのこと忘れてたの」

「な、言った通りだろ。ハジメは大丈夫だって」

 サラお嬢様が僕の前に跪き頭を垂れる。

 ルーデルが僕の頭をわしゃわしゃと撫で回した。

 辺りを見回すと、ウェルダンを通り越して消し炭に成り果てた怪異がそこここに転がっていた。

 あらためて、僕を巻き込んだサラお嬢様の火炎魔法の威力に身震いする。

「あら、あら、ようやくおめざめなのかしら?」

「おお、ハジメさん。お目覚めでございますか」

 何かを詰め込んで膨れ上がった麻袋を両手に、リュドミラとエフィさんが駆け戻ってきた。

 麻袋の中身は大体の予想がついたから聞かなかった。

「あ、でも、こいつらの駆除証明はどうするのかな?」

 炭化したゴブリンの焼死体を親指で指し示す。

「ああ、それなら……」

 リュドミラが焼死体を蹴っ飛ばしてひっくり返し、尻だったと思われる部分を踏みつける。

 ぐちゃりと潰れた焼死体の肉が簡単に剥がれ、骨が露になる。

「これをもっていけばいいの」

 そう言って、骨盤の下のほうにちょろっと飛び出している、人間でいう尾骨をぼきりと折り取って麻袋に入れた。

 なるほど……ね。確かにそれなら一匹に一個しかないから証明になるな。

「いやあ、ハジメさん、サラさん、お手柄ですよ、あの魔法で一気に三十七体倒しましたのでございますよ」

 エフィさんが、麻袋を掲げる。

「残念だけど指揮個体は取り逃がしたみたいだけれど」

 リュドミラがため息をつく。

「森に入って、すぐにこんなに遭遇するなんて……」

 ヴィオレッタお嬢様が眉を顰める。

「ああ、やっぱ、ゴブリンパレード(大量発生)は本当っぽいな」

 ルーデルは犬歯が目立つ歯を見せて笑う。

「お昼には、まだかなり時間ありますよね」

 僕は立ち上がる。少しふらついたけれど、そんなに悪い体調じゃない。

「きゃあッ!」

「おう……すっげ!」

「ばか! ハジメのばか!」

「いやあ、台下、非才の目にはそのお姿はいささか毒でございますです」

「はあ、一度馬車に戻らなきゃいけないかしら?」

 僕はすっぽんぽんだった。まあ、あのサラお嬢様の魔法の炎に包まれる以前に、ほとんど布切れを貼り付けただけみたいな格好だったから、今更感はあるけれど……、でも、股間は隠せてたんださっきまでは。

「うわあああッ!」

 思わずしゃがみこむ。頭から湯気が出そうなくらい恥ずかしい。

 それに、下着一枚つけてないってことが、こんなに心細いことだなんて、思ってもいなかった。 

 バサッと大きな布が僕を覆い、視界が暗くなった。リュドミラがマントを脱いで僕にかけてくれたのだった。

「とりあえずこれを着ているといいわ。サラマンダーの皮を混ぜて紡いだ糸で織った布で作った耐火耐寒仕様だから、さっきのサラの魔法ぐらいまでなら防げるはずよ」

「じゃあ、昼までに、後、二百はやっつけようぜ!」

「「「「おおおおおッ!」」」」

 みんなが拳を突き上げ、意気を上げる中、僕は少しばかり落ち込んでいた。

 僕個人の確認戦果はたった二体だった。しかも、仕留めた直後に、フルボッコにされている。

 ひいき目に見ても相撃ちがいいところだ。

 ゴブリン一体倒すのに、相撃ちなんてことしてたんじゃ、いつまで経っても僕は弱いまんまじゃないだろうか?

「いいんだハジメ。最初はそれでいい。駆け出し冒険者がゴブリンを雑魚にできるようになるまでに、ふつうだと三ヶ月くらいはかかるんだ」

「それも、一対一でのことなのだわ。あんな集団との戦闘なんて、Bランク以上でなきゃ、やらないことなのだわ」

「そう、FやEあたりだったら、1~2匹を5人パーティーで襲ってようやく勝てるくらいだ。ふつうは、そういう戦闘を何回もやって、五十体討伐クエなんてこなすもんなんだ。お前は、さっき、相撃ちとはいえ、二体も倒せたんだぜ。対モンスター戦闘が全くの初めてでだ」

「通常でしたらさっきみたいな対集団戦闘は、Bランクでも避けますねぇ」

 そういうものなのだろうか? 少しだけ丸くなった背中がのびてくる。

「じゃあ、気を取り直していこうか、目的の洞窟はここからすぐだ。この調子なら昼までには後、二百五十はいけるだろ」

 ルーデルの声に僕以外のみんなが頷いた。なんかさっきより目標数値増えてないか?

「サラ! 疲れてない? また、大きいヤツお願いするから、回復しとくのよ」

「うん、わかったリューダ。お薬飲んどく」

 サラお嬢様が腰の雑嚢から回復薬を取り出そうとする。

「ああ、それなら、これをどうぞ。非才特製の回復薬です。効き目は大地母神教団のお墨付きでございますですよ」

 エフィさんがウェストベルトにずらりとならんだポーチのひとつから、きれいな赤い液体が入ったの瓶をとりだす。

「ありがとうエフィさん」

「いいえ、あ、そうだ、サラさん、非才のことはこれからウィルマとお呼びいただけると嬉しいです。親しいものは皆そう呼んでくれますので」

「うん、ありがとう、ウィルマ。わたしのこともサラって呼んで」

「あら、それならわたしもいいかしら、ウィルマ? わたしのことも、リューダと呼んで」

「なんだよ、あたいのこと、除け者にすんなよう! あらためてよろしくなウィルマ! ルーって呼んでくれ」」

 一戦して、みんなの垣根が、またひとつ取り払われたみたいだ。

「戦友……ってやつか」

 胸が熱くなってくる。

「ハジメさん、次は、ちゃんと護りますから」

 ヴィオレッタお嬢様が僕の手を取って、痛いくらいにぎゅっと握る。

「ええ、ありがとうございます。でも、基本、僕どんなにやられても大丈夫みたいなので、無理なさらないでください」

 そう答えた僕の頬に、ヴィオレッタお嬢様の平手が柔らかくヒットした。

「ばか! そういう問題じゃないの! ハジメさんが痛い目に合わされるのが嫌なの! 死なないってわかってても!」

 ヴィオレッタお嬢様の頬を涙が伝う。

「うん、わかりましたヴィオレさま。僕もがんばって攻撃を食らわないようにします」

「はい、がんばりましょう。ハジメさん」

「ようし、じゃあ、今度こそ出発だ! 昼までに後三百は狩るぞ!」

「「「「「おおおおおおおおッ!」」」」」

 ゴブリンが大発生しているという東の森に勇ましい勝どきがこだました。

 

 ってか、目標数値が大幅に増えてるんですけど。

 あと、それから、僕、いつまでこんな露出狂みたいな格好でいなきゃいけないんでしょうか?




毎度御愛読、誠にありがとうございます。


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第41話 肉食系女子は意気軒昂

 森の入り口付近での、初めての戦いの後、僕らは2~3匹の小グループのゴブリンとの散発的な戦闘を何度か繰り返しながら森の奥へと進んでいった。

 そして、僕の感覚で一時間ほどでかねてからルーデルが目をつけていたと言う洞窟に到着する。

 特Sレベルの隠密および索敵スキルを持つリュドミラが洞窟内に潜入して、内部をくまなく検索して敵の数と洞窟の構造を把握する。

 リュドミラが持ち帰った情報を元に、サラお嬢様の土魔法で外部に繋がる出入り口の全てを塞いで最大級の火炎魔法を放り込むといった作戦でゴブリンの小規模集団(40体程度)を殲滅した。

 残った僕らの役目は、リュドミラが偵察に出ている間と、サラが呪文を完成させるまでの間、周囲を警戒するというじつに簡単なお仕事だった。

 だけど、正直、僕はこのやりかたは、あまり気持ちがよくない。

 かの大戦で、どこぞの正義の味方を気取ったジャイアンみたいな合衆国の軍が、どこぞの芋のヘタみたいな貧乏小国相手にさんざっぱらやってくれやがった手法だからな。しかも、軍民無差別にだ。

 だけど、今はそんなことを言っている場合じゃないことはわかっている。だから、僕の感傷なんてものは天袋にでも突っ込んでおくことにした。

 サラお嬢様が『土砂降りの炎』を洞窟に放って、僕の感覚で五分くらいたったころ、おもむろにヴィオレッタお嬢様が、出入り口を塞いだサラお嬢様謹製の土壁(コンクリート並みの硬さだ)に、手のひらを当てる。

「どう? ヴィオレ」

 リュドミラの問いに、ヴィオレッタお嬢様がこくんと頷いた。

「大丈夫、敵性存在は殲滅できているわ」

 お嬢様が探知魔法で、洞窟内を探ったのだった。

「うしッ! じゃあ、サクッとトロフィー(討伐証明部位)を取ってくるか! サラ、頼む!」

「はぁい!」

 サラお嬢様が、手刀を切りながら、ひゅッと口笛を吹くように短く息を吐き出す。

 すると洞窟を塞いでいたコンクリートみたいな土壁が砂みたいに崩れ去る。

 びゅおおおおおおッ!

「「「「「「うわわああああッ!」」」」」」

 洞窟の中を覗き込む僕たちを押すように中に向かって風が吹き込む。

 あ、やばいこれは、アレが来る!

 

「みんな避けろ!」

 俺は叫んでヴィオレとサラを抱えてマントに包み込んでうずくまる。

 どんッ!

 洞窟から炎が噴出した。所謂バックドラフトってヤツだ。

「あちちッ!」

 噴出した炎が俺の後頭部を焦がす。が、当然、即座に回復する。

 

「ハジメ! ヴィオレ、サラ! 平気?」

 リュドミラが心配そうに駆け寄って来る。

「ああ……リューダに貸してもらったマントが早速役に立ったよ。みんなは?」

「はいッ! 大丈夫ですハジメさん!」

「うんッ! ありがとうハジメ」

「大丈夫だよ。あーびっくりした」

「ははッ、さすがに非才も肝をつぶしました。しかし、今の爆発、よく予見できましたねハジメさん。さすがでございますよ」

 エフィさんの賛辞に思わず顔が赤くなる。

「いえ、元の世界の火事場では、まま、ある現象だと知っていたので……」

 耳まで熱い。褒められ耐性は、残念ながらイフェ様の祝福でも付かなかったらしい。

「あ、あの……う、ハジメさん、そろそろ……」

 僕の胸の辺りからヴィオレッタお嬢様の声が聞こえる。

「ハジメぇ……」

 困惑したような、サラお嬢様の声も聞こえてくる。

 あ、僕はマントの下はすっぽんぽんだった。

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 僕は二人から飛び退いて額を地面にこすり付けるのだった。

 

 洞窟の中は酸鼻を極める有様だった。

 あるいは炭化するほどに焼かれ、あるいは酸欠でもがき苦しみ。洞窟の中の怪異たちはことごとくが無残な屍を晒していた。

 周囲のゴブリンよりもあからさまに小型の個体も結構な数がいた。きっとゴブリンの幼体なんだろう。傍にいたのは雌ゴブリンか……。

「この小さいのって子供? これもカウントされるの?」

 誰とはなしに尋ねる。

「ああ、大丈夫だゴブリンは一ヶ月で成体になるから、それも、戦果としてカウントされる」

 ルーデルの応えに、僕は、炭化した小さな躯を踏み潰し、尾骨を折り取る。

 無意識に頬を生暖かいものが流れるのを感じて、僕はこっそりと顔を拭った。

 いや、僕は決してゴブリンに同情していたのではない。

 同情はしてないけれど、やるせない気持ちになっていた。

 なぜなら、僕は、この情景を知っていたからだ。もちろん、実際に体験したことじゃない。あくまでも、ネットや本で見聞きしたことだ。

「あいつらと同じことをしてるわけか……」

 僕は思わずつぶやいていた。

「あいつらって?」

 僕に寄り添って討伐証明を採取していたヴィオレッタお嬢様が、不思議そうな顔をして僕を見つめる。

「い、いえ、なんでもないです。ちょっと、昔のことを思い出しただけです」

 そう言って、僕は作業に戻った。

 結果、この洞窟で大小合わせて40体余りの討伐証明部位を採取(元いた世界だったら、ジュネーブ条約違反だ)した僕らは次のゴブリンの拠点に向かった。

 ちなみに、この洞窟にはゴブリンルテナンと呼ばれる指揮個体がいたようで、そいつの躯からは、魔石と呼ばれる紫の結晶体が発見された。

 残念ながらゴブリンは指揮固体の魔石以外に、略奪できるものがないらしい。

「ははっ、これは最小サイズだから、ギルドでの買い取り価格は……んーそうだな、銀貨五枚ってとこか」

 それでも、略奪品が出たことにルーデルは上機嫌だった。

「これで、途中やっつけた分も合わせて、大体百五十ってとこだ。まだ、昼にはほど遠いから、昼飯までには三百いけるぞ!」

「「「「おおおおおッ!」」」」

 ルーデルの檄にみんなが雄たけびを上げる

 このパーティのみなさんはどうやら肉食系らしい。まったくもって意気軒昂だ。

 

「なあ、ハジメ」

 次のゴブリンの拠点に向かう道中で、ルーデルが僕に話しかけてきた。

「お前が何を悲しんでいるのか、あたいにゃ、わかんないけどな、どこかでお前が躊躇したら、あたいたちのうちの誰がが死ぬかもしれないんだぜ」

「ぼ、僕はそんな……」

「あたいたちの誰かが死ななくても、取り逃がしたゴブリンが、誰かを食い殺す。誰かを犯す。どこかの女の子にゴブリンの仔を孕ませる。お前が躊躇するってことはそういうことだ」

「無益な殺生じゃないってことでいいのかな?」

「ああ」

 ルーデルが僕の頭をクシャクシャと撫で回す。

「ハジメ、これは、生存競争なのよ」

 リュドミラが僕の肩に腕を回す。

「そうですねぇ。台下はちょっと考えすぎではないですか? もっと単純にいくのがよろしゅうございますです」

「ハジメ! ハジメは悪くない!」

「ハジメさん、あなたが誰と同じことをしていると思っているのかわかりませんが、ハジメさんは! ……その誰かとは絶対違います! 私がそう思っているからそれは絶対です!」

 いつの間にか、僕は肉食系女子に取り囲まれていた。

 僕の視界がみるみるぼやけていく。

「は、はい! はいッ!」

 僕の足元にボタボタと小さな水溜りができる。

「ば、ばか! 泣いてんじゃねえッ!」

 ルーデルがボカリと頭をはたく。

「そうよ、こんなところで立ち止まってる暇はないのだけれど」

 リュドミラがばしんと背中を叩いて先へ行く。

「ハジメさん、非才は何があってもハジメさんにお味方いたしますから」

 エフィさんが切れ長の目を細めて微笑む。

「そうだよハジメ! まだまだ先は長いんだから!」

 明るく言ってサラお嬢様が小走りにルーデルを追いかける。

「ハジメさん……」

 ヴィオレッタお嬢様が僕に手を差し伸べる。

「はい」

 僕はヴィオレッタお嬢様の手を取る。

 とっても感動的な場面だった。

 僕が身に着けているのがマント一枚って状況じゃなきゃ……ね。




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第42話 昼食休憩。お弁当が手抜きなのは時短優先ってことで

 その後、僕らは散発的に遭遇戦を繰り返しながら森の中を移動して、昼食前には四十体規模の拠点を更にいくつか潰し、予定(ルーデルとリュドミラがたてた予定だが)よりもかなり早いペースで総討伐数を三百台間近にまで到達させていた。

 ルーデルが目星をつけていたいくつかの洞窟の他に、幸運にも結構な数の拠点を行きずり的に発見して殲滅した結果だった。

 この殲滅作戦の肝はサラお嬢様の火炎魔法で、サラお嬢様の疲労度が最重要課題だったが、サラお嬢様が疲れを訴えることは無く、また、こっそりと状態を鑑定しても疲労を示すことは無かった。

「うふふふ、非才が調合する回復薬はかの秘薬エリクサーに匹敵すると、お褒めいただいております。まだまだ、たーっくさんご用意しておりますから、存分に最大火力を発揮してくださいませ、サラ」

 エフィさんがサラの肩を抱いて微笑む。

「ありがとうウィルマ。わたしが用意してきた回復薬はこんなに効き目がよくないから助かるわ。一個銀貨五枚もするのに」

 サラお嬢様が破顔する。じゃあ、エフィさんの薬っていくらするんだろうってのは、下種だよな。

 ……にしても、パねーな、エフィさんの薬は……。副作用がなきゃいいんだけどな。

「大丈夫でございます。非才の薬は副作用など一切ございません。そんなものがあったら、回復薬とはとてもとても申せませんのでございますから」

「確かに……、そうですね」

 僕の心を読んだように微笑むエフィさんに、僕は頷くしかなかった。

 さて、その拠点のほとんどは洞窟ではなく、人間でいうところの集落的なものだった。

 発見した集落を僕らはこっそりと包囲して、サラお嬢様の『土砂降りの炎』で爆撃、大多数のゴブリンをやっつけた後、ほんの少数の生き残ったやつらが、ちりぢりに逃げて来るのを各個撃破するといった手順で実に効率的に殲滅作戦を遂行していった。

 この、集落急襲焼き払い作戦も、ジャイアン合衆国が東南アジアの半島のジャングルでさんざっぱらやった戦法だった。

 拠点を襲撃する度に、僕は、斬られ刺され、殴られ、さんざんに痛い目にあった。固有スキル『絶対健康』が無かったら、とっくのとうに閻魔様の前に引き出されていたろう。こっちの世界に閻魔様がいればだけれど……。あ……、ミリュヘ様のところか。

 

 予定よりもかなり余裕ができたらしく、僕たちは馬車に戻って、ゆっくりと昼食と休息を取ることができた。

 馬車に戻れたおかげで、僕はようやくにして服を身につけることができた。

 ゴブリンとの戦いで服が破れたり、返り血で汚れたりすることが予想できたので、予備を二揃い持ってきていたのだった。

 もっとも、下着を含めて僕が持っている服はこれが全部だから、これが、ただの布の切れっ端になったら、マジですっぽんぽんで街に帰らなきゃならなくなる。

「リューダ、ありがとう助かったよ。これ、洗って返そうと思うんだけど手入れの方法とか分からないから……」

 リュドミラにマントを返そうと、きちんと畳んでリュドミラの前に差し出す。

「あげるわ、それ。丁度、今、それより上等なものをおろしたところだから」

 レオタードみたいな服の上に、リュドミラは真新しいマントをはおった。

「ほわああああッ! リューダ! それってレッドドラゴンの皮が素材ですか? よくみたら、そのお召し物もそうじゃないですか!」

 エフィさんが食いついた。

「ええ、そうよ、ウィルマ。昔、ルーと老衰で死んだレッドドラゴンを看取ったときに、彼からからその躯をもらったの」

「なるほど、ルーの剣はかなりの業物だと思ってましたけど……」

「はははッ! やっぱわかるかい! こいつはドラゴンの牙とアダマンタイトでエルダードワーフが鍛えた剣なのさ!」

 なんとなくそんな気はしてたけど、やっぱり相当の業物らしい。

 きっとあの軽そうな胸当てや籠手にブーツも、レッドドラゴン素材なんだろうな。

 そして、リュドミラの双剣も、きっとドラゴン素材に違いない。チャンスがあったら、そっと鑑定してみよう。

 

 昼食にと僕が用意していたのは、朝と同じローストビーフサンドだった。

 言い訳させてもらえば、そんなに時間がなかったからだ。朝ごはんとお弁当を一緒に調理するのは時短の基本だ。

 あと、飲み物はオレンジ果汁とエールにワインだ。こっちの世界では、飲料水の方が高くつくからね。

 それに、エールはアルコールが入っていることを除けば、完璧なアイソトニック飲料だって聞いたことあるし。

「うっめえええええ!」

「はあっ、また食べたっかったのだわ、これ」

「おいしゅうございまふ! 台下!」

「ハジメ! わたしがこれをまた食べたいって思ってたのよくわかったわね!」

「はああぁ、私、お昼の後ちゃんと戦えるかしら。なんか、腰がたたなくなりそう」

 口々に、パーティーメンバーの肉食女子たちは、お弁当に賛辞を叩きつけまくってくれる。

 いや、嬉しいんだけれど、あからさまに手抜きだから、逆に恥ずかしいな。

 それにしても、僕以外の我がパーティーのメンバーたちは、あれだけ、殺戮を繰り返していたにもかかわらず食欲が旺盛だった。

 かく言う僕は、何度も臓物を腹腔から飛び出させたせいか、口をつけはしたものの、胃が食べ物を受け付けず、飲み込む片端から戻してしまった。

 そんな僕を見て、お嬢様たちは、してやったりと笑っていた。

 ああ、最初の戦闘のときの仕返しか。ウチのパーティの女子たちは意外と執念深い。

「はあぁ……」

 僕はエールで口の中をすすいで、大きなため息をついたのだった。

「じゃあ、もう一息がんばろうぜ!」

「「「「おおおおおおっ!」」」」

 あいかわらず、僕のパーティーの女子は意気軒昂だ。

 

 そんなわけで、午後の早い時間には、僕らのクエスト達成率は八割以上に達していた。

 このころには、さすがの僕もそうそう攻撃を食らわなくなり、受けたり、かわしたりしながら呪文を唱えるサラの護衛ができるようになっていた。

 したがって、服もひどい破損は免れていた。

 実戦の一日は訓練の三ヶ月に相当するって、劇画で読んだことがあったけれど、自分で実感することになるとは思ってなかった。

「っしゃあッ! あと一息だ! 最後にとっておきのでかいヤツでシメて街に帰ろうぜ!」

 ルーデルの言葉に、エフィさんが応える。

「とっておきのでかいのって、クエスト達成まであと、百体近くあるのですけど、それくらいの大きさって……?」

 ルーデルは、酒席の中年管理職みたいに宣言する。

「キャプテンいってみよう!」

「きゃぷて……、ルー、他にルテナンを二つでよくないですか?」

 エフィさんがあからさまにうろたえる。

「ルテナンふたつとキャプテンひとつはどう違うの?」

 サラお嬢様がのんきに尋ねる。

「大違いよ!」

 ヴィオレッタお嬢様が少しだけ声をひっくり返して叫ぶ。

「ですねぇ、ルテナンが率いているのは大体四十体前後の群です。キャプテンというのはさらにそれを三つから四つ率いている指揮個体なのでございます」

 ってことは、最大でルテナン込みで百六十匹の群ってこと? 僕は戦慄する。

「む……」

「ハジメ、わたし、言ったのだけれど。あなたが成そうとしていることは、無理、無茶を積み重ねなきゃ、叶わないって」

 リュドミラが僕の肩を掴み、僕の目の中をまっすぐに見据える。

「わかった。ルー、ゴブリンキャプテンの拠点は、目星ついてる?」

「ハジメさん!」

 抗議の声を上げるヴィオレッタお嬢様を手で制して僕はルーデルの瞳に映った僕を見据える。

「ふふん、ったりめーだ! ここからすぐだ」

 僕は大きく息を吐いて頷いた。

「行こう!」

 

 ってね。




17/09/05 第38話~第42話まで投稿いたしました。
御愛読、ありがとうございます。


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第43話 回復薬の名前が『女神の聖水』ってのはどうだろうか?

お待たせいたしました。


「困ったことになったわ」

 偵察から帰ったリュドミラが口重たく言った。

 リュドミラやルーデルみたいなトリプルS級冒険者がそうそう困ることなんかないだろうから、これは相当に困ったことなんだろう。

「正確には面倒と言ったほうかいいと思うのだけれど」

「リューダほどの冒険者が面倒とは、だいぶ面倒なことが起こっているようでございますね」

 よほどのことが起こっているに違いないと頷くエフィさんに、リュドミラが微笑む。

 僕らが受けたクエストの目的達成まで、あと少しというところで、僕ら(リュドミラとルーデルは除く)は所属ランクよりもかなり上の状況に出くわしてしまったようだった。

「どういう状況?」

 まあ、状況を把握したからと言って。僕が有効な作戦を立てられる訳じゃないけどね。

「エルフの女が一人と人間の女が三人、捕まっているわ」

 ゴブリンキャプテンが率いる群の洞窟拠点を偵察して戻ったリュドミラが、顔をしかめて言った。

 確かに、それは困ったことになった。いままでやってきた戦術が使えない。

 出入り口塞ぎいの、火炎放射器ぶっぱなしいので敵を殲滅するだけでよかったのが、人質救出なんていう高難度のオプションがくっついてしまった。

「で、囚われ人の状況は? どうよ」

「衣服に乱れは無かったから、これからってところかしら」

「キャプテン以上のゴブリンは、他種族のメスを相手にする場合、確実に孕ませるために、月相を選ぶといいますから……」

 ちょっと、サラお嬢様には聞かせたくない内容だ。

「サラお嬢様、僕とおやつにしませんか?」

 僕はサラお嬢様の手を引いて、その場を離れようとした。

「こらこら、リーダーが作戦会議をすっぽかしてどうする」

「ハジメ、ルーの言う通りだよ。ちゃんと作戦会議しなきゃだめだよ」

「といっても、見なかったことにして、他の拠点を潰してクエストクリアにするか、無茶を覚悟で救出作戦を決行するかなのだけれど」

 リュドミラの一言で、僕のパーティーのみんなは黙り込んだ。

「いずれにしろ、余り迷っている時間は無いのだけれど? ハジメ」

 ああ、そうなるんだろうな。リーダーってそういう役回りだよね。だから、僕は言う。

「救出作戦をやるか、やらないかを話し合っているんだったんだ。僕は、てっきりどんな方法があるのかを話し合うんだと思い込んでいた。いや、ごめん。勘違いをしていたよ」

 ってね。

「へえ……」

 ルーデルが牙をむいて不敵な笑顔を作り。

「ふふふふふ」

 リュドミラが目を伏せて口角を吊り上げる。

「は、はは…ははははっ」

 エフィさんが引きつった声で笑い。

「ハジメ!」

 サラお嬢様が破顔する。

 そして……。

「ハジメさん……。ええ、ハジメさんならそっちを選択すると確信してました」

 そして、ヴィオレッタお嬢様は、どこか安堵したように微笑んでいた。

 僕は、ヴィオレッタお嬢様に頷いて、リュドミラに向き直る。

「ねえ、リューダ、救出したらギルドとか、領主様とかから褒賞出ないかな?」

「そうね、たぶん、それなりに出ると思うわ」

「人間の方はともかくとして、エルフの方からはたんまりふんだくれそうだな」

「というよりも、国からだと思うのだけれど」

「そうでございますね。エルフの女性をゴブリンの陵辱から未然に救出したなんて、エルフとの外交交渉上、結構有利な手札になりそうでございますからね」

 うん、救出作戦を実行することは、労力に見合った収入を得られそうだ。

「じゃあ、大まかな方針は、隠密裏に拉致監禁されている女性を救出して、その後、殲滅という方向だと思うんだけどどうかな? ルーとリューダ、サラお嬢様頼りで申し訳ないんだけれど……」

「私とルーなら平気なのだけれど、サラは?」

「わたしならぜんぜん平気! ウィルマのおくすりのおかげで、ぜんぜんつかれないの。逆に元気ハツラツって感じ」

 おいおい、エフィさんの回復薬、ほんっとに大丈夫だろうな。その効果って、まるっきり僕のもとの世界のあの危ないクスリっぽいんですけど。

 ぼくは、サラお嬢様の顔を見る。剥きたてのゆで卵みたいにつやつやのぷるぷるって感じの健康そのものの顔色だ。

「どうしたのハジメ?」

「今日は、本当にサラに頼りっきりだなあと思っていたのです。ありがとうサラ」

「えへへへへっ、ハジメにほめられちゃった。うふふふふっ、それに……うふふふふっ」

 仄かに頬を染めて、サラお嬢様が小躍りを始めた。やっぱり、おかしな成分入ってるんじゃないのか? エフィさんの回復薬。

 僕はじっとり成分38%の視線でエフィさんをちら見する。

「しししし、失敬ですよ台下! これでも非才の回復薬はルーティエ教団の財源の一翼を担っているのですから! 伊達に金貨一枚はしませんから!」

「まあっ! ルーティエ教団秘伝の、あの超回復薬『女神の聖水』シリーズの調剤師はウィルマでしたの?」

 ヴィオレッタお嬢様の驚嘆の声に、エフィさんが耳まで赤くなる。

「あ、あ、あ、ああああっ! き、聞かなかったことにしてくださいっ! こ、こ、こっ、これは、ルーティエ教団の、きっ、きっ、きききき、機密事項なのです!」

 どうやら、製法にはかなりの秘密がありそうだ。これ以上の追求は危険な匂いがする。

 ……にしても、聖水ね。

「うーん、それじゃ、僕らでエフィさんの薬を露天かなんかで売るってのもできませんね」

「そうね、『女神の聖水』シリーズはトリプルSランクの冒険者でもめったに手に入れられないくらい貴重品だから、売り出せば儲かること間違いなしなのだけれど」

「いえ、その前に、回復薬等の販売は国の免状が必要ですし、製造するお薬のレシピを国に届けなければいけませんから……。国への届出なしに、お薬を製造販売できるのは教団だけなのです」

 さすが、ヴィオレッタお嬢様『番頭』Lv99は伊達じゃない。

「なるほど、国の許可ですか。手続きに物凄く時間がかかりそうですね。あと、試験なんかもありそうだ。じゃあ、エフィさんの作った薬はルーティエ教団の専売ってことなんですね」

「ええ、ですから、こうして、非才が使う分には、布教行為と見做されますので問題なしなのですけど……」

「わかりました。では、この話はここまで。と、いうことで。じゃあ、みんな! 救出作戦の詳細を決めましょう」

「そうね、まず、これを見て頂戴」

 リュドミラが木の棒で地面を指し示した。

 そこには、いつの間にかゴブリンキャプテンが率いる群の洞窟拠点の詳細な見取り図が色とりどりの砂で描かれていた。

「すげ……」

 見取り図ってか、ちょっとしたジオラマみたいだ。

「ふふふ、これはね、砂盤っていうの」

 リュドミラが悪戯っぽくウィンクをしたのだった。




毎度御愛読、誠にありがとうございます。


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第44話 実は僕がかなりの重量物を担いで走れる件について

 作戦はすんなり決まった。

 まず、これまでのように、洞窟の開口部をサラお嬢様の魔法で全て塞ぐ。

 ルーデルとリュドミラ、そして僕の救出班が、拠点洞窟に潜入、最奥部に囚われている女性たちを救出して脱出。

 救出班の脱出を確認して、エフィさんヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様からなる地上班が、救出した女性たちの救護、サラお嬢様の魔法で拠点内のゴブリンを殲滅する。

 と、いう二段階の作戦だ。

 なぜ、めっちゃ低戦闘力の僕が、突入班に組み込まれたのかというと。

「そりゃ、お前が元荷役奴隷で、力持ちだからさぁ!」

 と、にべなくルーデルが言った。

「ハジメなら、女の二三人は担いで走れると思うのだけれど。買いかぶりすぎだったかしら」

 たしかに、荷役奴隷として、キャラバンではかなり重たい……総重量100キロくらい……は日々担いで歩いていたと思う。

 でも、生きている人間となると話は違ってくる。

「それって、捕まってる女の人が怪我してて歩けないってこと?」

 僕の疑問にリュドミラが答える。

「最悪を想定してのことよ。わたしが見てきた限りでは、怪我をしている様子はなかったけれど、連れて来る間に、ゴブリンの追撃に遭って怪我をするかもしれないわ」

 なるほど、と、すれば、僕が三人くらい担いで走ることができれば、ルーデルとリュドミラは、追撃してきたゴブリンへの対応に集中できるってことになる。

 つまり、生還確率が上がるってことだ。

「ヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様、エフィさん、ちょっと協力してください

 ぱっと見た目一番重そうなエフィさんを肩に担ぐ。

「しっかりつかまってて下さいね」

「え、え、え、ええッ? だ、だ、だ、台下!?」

 そして、サラお嬢様とヴィオレッタお嬢様を小脇に抱える。

「は、ハジメえッ!」

「ハジメさん!」

 不意に抱えられてびっくりしたお嬢様方は手足をばたつかせる。

「ちょ、ちょ、暴れないでください……。いいですか、ちょっと走りますね」

 おとなしく、僕に抱えられてくださったお嬢様方に、次の行動を予告して、僕は右足を踏ん張る。

「ふんッ!」

 左足を踏み出して、できうる限りすばやく右足を引いて踏み出す。

 左腕に抱えたサラお嬢様が小柄なせいで、バランスがうまく取れないけれど、何とか走れそうだ。

「ふんッ! ふんッ! ふんッ! ふんッ! ふんッ! ふんッ!」

 そうして、三十メートルばかり走ってゆっくりと止まる。急に止まると慣性の法則が働いて、抱えているみんなを放り出してしまうからだ。

「これくらいのスピードなら、なんとか三人抱えて走れそうだね!」

 まあ、片方がサラお嬢様だったから、成人女性を抱えるとなるともう少しスピードが落ちると思うけど。

「おお、上出来だ! それくらいで走れれば、なんとかなんだろ! なあ、リューダ」

「そうね、もう一人担げれば完璧だと思うのだけれど」

 僕は即答する。

「一人を背負子に腰掛けさせて縛り付け、一人を肩に担ぎ、もう二人を両脇に抱えることも可能だと思う。抱える二人の方は、たすきがけができるベルトみたいなのがあれば、それで、もっと楽に運べる」

「たすきって?」

 リュドミラが首をかしげた。

 ああ、そうか、たすきはこっちの文化には無いものか。

「ええっと、肩から斜めにかけるベルト状の……」

「こいつでどうだ? 予備の手綱だ」

 ルーデルが皮製の手綱を腰の雑嚢から取り出した。ルーデルの雑嚢もマジックバッグになっているらしい。

「ロープなら非才が持ち合わせておりました」

 背負子は……僕が持っていた。さすが、元荷役奴隷だ。自画自賛しちゃおう。

 腰の雑嚢型マジックバッグから背負子を取り出す。

 しかし、いつみても、このマジックバッグへの出し入れは、あの国民的アニメの耳無し猫型ロボットの腹にある何とかポケットみたいだ。

「じゃあ、わたしとサラは、先に行って、ちょっと穴埋めをしているわ。空気穴みたいなのも合わせて、二ヵ所だから、あなたたちが追いつくまでに終わっていると思うのだけれど……。サラ、お願いね」

「りょーかい! がんばるっ!」

 リュドミラに連れられて、サラお嬢様は張り切って、先行していった。

 さて、僕はマジックバッグから取り出した背負子を背負い、再びヴィオレッタお嬢様にお願いする。

「ヴィオレッタお嬢様ちょっとご協力願います」

「ええ、ハジメ」

 ヴィオレッタお嬢様に脇に立ってもらい、ルーデルから受け取った手綱を肩に掛けてお嬢様の外側の腋の下を通して結ぶ。

「じゃあ、お嬢様ちょっとしゃがんでいただけますか?」

「ええ、ハジメさん」

 ヴィオレッタお嬢様にしゃがんでもらい、僕もしゃがむ。お嬢様の腋の下を通した皮ベルトを腰の辺りに下げて立ち上がる。

「ひっ!」

「ちょっと、痛いと思いますけど、少しだけ、我慢してくださいね」

 そういって、僕はお嬢様のウェストを抱え込んだ。

「うん、腕だけで抱えるより全然楽だ」

 もう一本同じ皮ベルトを作って、反対側の肩に掛ける。

「はい、ハジメさん」

 エフィさんからロープを受け取り、肩にたすきがけにする。

「たぶんこれで準備完了!」

 これで、僕は、完全に荷運び専従になった。いわゆるポーターってヤツだな。

「うしッ! じゃあ、あたいたちも出発しようか! っと、ハジメ、これ貸してやる」

 ルーデルがマジックバッグから大きな盾を出した。

「虜囚を背負わずにすんだら、お前の役目は盾だ。追撃隊が追いついてきたら、まずお前がこの盾を地面に突き立てて、第一撃を受ける。この盾ならよっぽどのヘマでもしなけりゃ、成体のドラゴンの爪さえ通さないから大丈夫だ。攻撃受けて、ふっ飛ぶかどうかは、装備してるヤツのレベルとか体力とか次第だけどな。そして、お前が攻撃を受けたところであたいとリューダが、敵をやっつける。やっつけたら、逃げる。それを繰り返す」

 うわ、すっげーおっかない役目だ。

「頼りにしてるぜ、ハジメ」

 今度はルーデルが獰猛そうな笑顔でウィンクしてきた。

 

 僕は、不覚にもその表情が可愛いと思ってしまったのだった。




お読みいただきまして、誠にありがとうございます。


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第45話 獣人無双それはまるでフープロかミキサーの様相を呈している件

 先頭を行くリュドミラが肩の高さで拳を作る。止まれの合図だ。

 僕らは、ゴブリンキャプテンの拠点洞窟の最奥部に差し掛かっていた。

 ここまで来るのに、枝分かれした横穴の全てを探索して、ゴブリンキャプテン支配下のゴブリンルテナンが率いる四十体規模の群れを三つ潰していた。

 計算上は、これで、クエストクリアだった。

 洞窟に入る前に、リュドミラが砂盤に再現した精密な見取り図のおかげで、僕らは全く迷うことなく侵攻、接敵、交戦、撃滅をこなせていた。

 そのルテナンの群れを潰した方法は実にシンプルだった。リュドミラとルーデルが無双しただけだった。

 

「ちょっと、お掃除をしてくるわ」

 と、いう言葉を残してリュドミラが消える。

 それは、リュドミラがその姿を視認できなくなるほどの速度で移動したからだった。

「ふう……」

 リュドミラが再び姿を現し、ひゅん! と、風切音たてて双剣を振り血糊を払い落としたのと同時に、その場の半数以上のゴブリンの首がぼとぼとと馬の尻から落ちる馬糞のように、地面に落ちる。

「ハジメ、盾でここふさいで一匹も通すなよ! 一匹でも通したら作戦は失敗だからな!」

 そう叫んでルーデルが大剣を振りかざし突っ込んで行く。ゴブリンたちは、その知性の低さからか、自分たちよりも圧倒的な戦力を欠片も恐れずにルーデルに群がる。

「おらよッ!」

 ルーデルが大剣を扇風機のようにぶん回す。

 ゴブリンの手が脚が首が、あるいは半身が臓物を撒き散らしながら乱れ飛ぶ。まるで、フードプロセッサーかミキサーの超硬チタン製の刃がそこで高速回転しているようだった。

 ほんの数分で、四十余体りのゴブリンの群は他のゴブリンたちよりもふたまわりほど大きな固体を除いて全てが撫で斬りにされていた。

 げぎゃぎゃッ!

 下っ端ゴブリンよりは知性があるゴブリンルテナンは、うろたえ、命乞いするように跪いていた。

 だが、その背後には山と積まれた様々な動物の骨に混じって、あきらかに人間の頭蓋骨があった。

「来いよ、ハジメ。こいつらが何者なのか教えてやる」

 いや、こっからでもよくわかる。こいつらが絶対的に人間の敵だってことくらい。僕は顔を背ける。近くに行くって事は、やつらが喰った人間の遺体の傍に行くって事だ。

「ハジメ、来なさい!」

 リュドミラの声が耳元で聞こえる。

 僕の足が、僕の意思を無視して、前進を開始する。

 数瞬後、僕は跪いたゴブリンルテナントを見下ろせるところまで近寄っていた。

「うぷッ! うげえええええッ!」

 食べては吐き戻しを何度も繰り返した末に、ようやく胃に収まってくれたローストビーフサンドのかけらとエールを、僕は胃液とともに吐き戻し、盛大にゴブリンルテナントにぶっかけた。

 僕は、見てしまったのだった。ゴブリンルテナントの後ろにある骨の山の中の、食べられかけの女の子を。

 目玉がくり貫かれたその顔が、サラお嬢様の顔に重なる。

 

 俺は手に持っていた盾を放り出し、腰の雑嚢の上につけてある鉈みたいな短剣を引き抜いて、俺の吐瀉物に塗れたルテナントの脳天に叩き付けた。

 ぎゃッ!

 短く絶叫しルテナントの頭が陥没する。うまい具合に刃の部分が命中しなかったようだ。

 短剣を振りかぶり、もう一度叩きつける。

 ぎゃぶッ!

 今度はうまく刃の部分が命中したようだったが、刀身の四分の一程度がめり込んだだけで、致命傷に至らなかったようだ。

 この石頭め!

 溢れ出した涙で視界がぼやけた。

「クソッ! クソッ! クソッ! クソッ! クソッ! クソッ! クソッ! クッソおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 俺は何度も何度も鉈のような短剣をゴブリンルテナントの頭に叩きつけたのだった。

 

「もういい、もういいんだハジメ」

 ルーデルの声に我に返ると、ゴブリンルテナント肩から上が無くなっていて、辺りにさまざまなものが飛び散っていた。

 鉈みたいな短剣が乾いた音を立てて地面に落ちる。

「うえッ!」

 えずいても、もうなにも出るものがない。

「ハジメ……やさしい子……」

 リュドミラが僕を抱きしめる。

「ああ……」

 ルーデルの豊かな胸が背中に押し付けられる。

 この構図は、僕がこっちに転生してきて目覚めたときと同じだ。

 二人の高い体温は、僕を、まるで温泉にでも浸かっているような気分にさせてくれた。おかげで、ささくれ立った気持ちが徐々に治まってくる。

「ありがとう、リューダ、ルー。もう大丈夫」

 二人から離れて僕は左腰に差したナイフを抜く。

 肩から上が無くなった死体を蹴飛ばし、その腹にナイフを突き立て肩に向かって裂いてゆく。魔石を採取するためだ。

 心臓の傍にある魔石を取った後、ひっくり返して腰の辺りにナイフを刺し切り下げる。今度は討伐証明部位を採取するためだ。

 露出した尾骨をボキリと折り取って、僕は盾と鉈みたいな短剣を拾い、鞘に納める。

 僕が、ゴブリンルテナントの解体をしている間に、リュドミラとルーデルは下っ端ゴブリンの証明部位の採取を終えていた。

「ありがとう、リューダ、ルー」

 僕は、リュドミラとルーデルに心から感謝していた。

 これまで、僕はゴブリンに、かつて白人に侵略され苦難の歴史を歩んできた、有色人種を重ねていた。それは、アメリカンネイティブだったり黒人だったり、インドや東南アジアの人々だったり、そして、前大戦での日本人だったり……。

 だが、それは、明確に間違いだということが理解できた。

 ヴィオレッタお嬢様が言った通り、僕らは違う。今、こいつらを殲滅しなければ、そこに山と積まれている骨の中の人間の骨が増えるのだということが理解できた。

「こいつらが僕らにとって絶対的な敵だって理解できたよ。もう迷わない」

「それならよかったのだけれど」

 リュドミラが僕の肩を抱く。

「そうか、うん、うん!」

 ルーデルが僕の頭をわしゃわしゃした。

「いこう、リューダ、ルー! さらわれて来た人たちが無事なうちに助け出そう」

 盾を携え、僕は歩き出す。

「あらあら、ハジメに先頭を歩かれたら、ゴブリンたちに気づかれてしまうわ」

 風のようにリュドミラが僕を追い越し、先頭に立つ。

「お前のケツはあたいが護ってやる」

 ルーデルがパシンと拳を叩く。

「ありがとう、ふたりとも」

 僕はあらためて二人に感謝を伝えた。

 

 そおっと、そおっと、腰を落として僕はリュドミラに近寄った。

 リュドミラは自分の両目を人差し指と中指で指差し、掌で前方を示した。

(掌が指し示す方を見ろ)と、いう手信号だ。

 リュドミラが指し示した先は、体育館ほどの広さのホールになっていた。

 ざっと見回して、四~五十体のゴブリンが、耳障りなしゃがれ声で何かを囃し立てるように鳴き喚いている。

 その一番奥まったところに、下っ端ゴブリンよりもふたまわり以上大きな、立ち上がって概ね二メートルくらいの大きさと思われるゴブリンが座っていた。

 そして、その大きなゴブリンの前に、四人の女の子が体を寄せ合っていた。

 リュドミラの報告通り、エルフの女の子と、人間の女の子三人だった…………。

 って、本当に女の子だった。特に人間の方はヴィオレッタお嬢様よりも年下に見える女の子たちだった。

 キャラバンで旅の途中に通った農村によくいたような女の子たちが二人と、どこかの商人の娘さんだろうか、他の二人よりも身なりがいい女の子だった。

「ヤツがゴブリンキャプテンだ」

 僕の後ろ数メートルにいるルーデルの声が耳元で聞こえる。

 さっき、最初の枝分かれでルテナンの群れを潰したときも十メートルくらい離れていたリュドミラの声が耳元で聞こえた。

「これな、風魔法の初歩の初歩でマスターするウィスパーって魔法だ、こんど、教えてやる」

 僕は頷く。

「よかった、間に合ったようね」

 今度はリュドミラの声が耳元で聞こえる。

「ヤツの股座見てみろよ」

 ゴブリンキャプテンの股間を見る。

 カッと脳みそが沸騰したように頭が熱くなった。

「知ってるか? ゴブリンってな、他種族から生まれてくるとき腹食い破って出て来んだぜ」

 

「てめえらぶっころおおおおおおおおおすッ!」

 俺は雑嚢の上に着けた鞘から短剣を引き抜いて、ゴブリンキャプテンに向かって駆け出した。




御愛読、ありがとうございます


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第46話 案の定僕は囮だったわけだ

「もういいわ、撤退しなさい」

 風魔法ウィスパーで囁くリュドミラの声で僕は我に返った。

 振り返ると、ホールの出入り口でルーデルが大剣を肩に担ぐように構えて僕を手招きしている。

「はあ……」

 ああ、またやっちまったのか僕は。

 僕の周りには、頭がひしゃげたり、首が半分千切れている下っ端ゴブリンの死体が散乱していた。

 かく言う僕は、例よって血塗れの布切れを貼り付けた死体モドキだった。

 どうやら、頭に血が上った僕は、ゴブリンキャプテンに向かって単身突撃を敢行、取り巻きの下っ端ゴブリンを何体も鉈みたいな短剣で撲殺しつつも、数に圧されてフルボッコになったっという体だなこれは。

 ああ、ちなみに僕は戦闘術は習ったことがない。この体の元の持ち主は二つ名がつくぐらいの戦士だったらしいけど。

 したがって、刃物で敵を切るなんていう高等技術は身につけていないから、刃が敵にうまく当たらずに殴るということになってしまう。

 僕の短剣は鉈みたいに分厚くて頑丈な造りなので、僕みたいなズブの素人が使っても鈍器として十分に活躍してくれるというわけだ。

 あ、そうだ、今度から僕のメインの武器は棍棒系にしよう。

「まあ、ここから無事に出られたらだけどなぁ」

 でも、その前に、僕はこの、三十体以上のゴブリンに取り囲まれているという窮地を何とか脱出して、撤退しなきゃならない。

 まだ、ゴブリンたちは、突いても切ってもぶん殴っても、瞬時に回復してしまう僕に戸惑って、手出しせずに様子を伺っているようだ。

 この隙に……。

 ぐごあああああッ!

 下っ端ゴブリンを押しのけ、トゲトゲがついた棍棒を手にしたゴブリンキャプテンがズシンズシンと地響きを立てて、僕に向かって来る。

「あ、詰んだかも」

 あんな棍棒で殴られたら一発で挽肉になる自信がある。

 いくら、不死に限りなく近い、常時超回復魔法をもってしても、瞬時に全身を挽肉にされてからの回復は難しいだろう。

 怖くてちびりそうだ。ちびっても何も着てないのと同じだから問題ないだろうけど。

「早くこっちに来い! ハジメ!」

 ウィスパーでルーデルが僕に撤退を促す。

 足がすくんで動けないのに。

「回れ右!」

 ルーデルの声が鼓膜を揺らす。

 脚が勝手に動いて、棍棒を振り上げたゴブリンキャプテンに背中を向ける。

「よーい! ドンッ!」

 僕の意思とは無関係に、物凄い勢いで動いてホールの出入り口に向かって走り出した。

 直後、僕がいたところにゴブリンキャプテンの棍棒が炸裂して、地面を何十センチかへこませていた。

「あわわわわわ!」

 フランスの小説家が生み出した怪盗の孫を自称する男を主人公にしたアニメのような、いわば後傾姿勢で僕は脚に引っ張られるように走る。

「よう、お疲れ!」

 いつの間にかルーデルが僕の目の前に迫ってきている。僕が走り出してから何秒も経ってないと思う。

 数十メートルをルーデルは二秒くらいで走って来たのか!

 どん! という、衝撃音が僕の内臓を揺さぶった。

 ルーデルが僕とすれ違いざまにジャンプしたのだった。

『出入り口で盾構えてろ。一匹も通すなよ!』

 飛び上がったルーデルの声が直に頭に響く。

「わかった!」

 出入り口にたどり着いた僕は、盾を地面に突き立て、短剣を構える。

 ホールの高い天井付近まで跳んだルーテルが、大剣を振りかざし、ゴブリンキャプテンに向かって急降下を始めていた。

 空襲警報のサイレンのような音がホールに響き渡る。

 僕の目は既にルーデルを見失っていた。

 どごおおおおおおおおおん! 

 という、衝突音とも爆発音ともつかない音が辺りの空気を震わせる。

 ゴブリンキャプテンがいたと思われるところに猛烈な土煙が舞い上がっていた。

「逃げるぞ、走れハジメ!」

 ルーデルの叫び声に、返事より先に脚が動く。

「わかった!」

 僕は、ゴブリンキャプテンの拠点洞窟を、来た道を辿って走る。

「よう!」

 数瞬でルーデルが追いついて僕と並走する。

「ねえ、ルー、リューダは?」

 答えは分かっているけれど聞いてみる。

 ルーデルは、犬歯をむき出して微笑んで言った。

「お前の陽動のおかげで、すんなりと女の子たちを助け出せたからな」

 あ、やっぱり僕は体のいい囮役だったわけだ。

「もう、洞窟から出た……ちッ!」

 ルーデルの舌打ちの訳はすぐに分かった。

 出口まであと三分の一というところで、リュドミラが二人の女の子を担いで、もたもたと走っていたのだった。

「リューダ!」

 ルーデルの呼びかけにリュドミラが振り返る。

「ハジメ、出番だな」

 忌々しそうにルーデルがつぶやいた。

 僕は腰の雑嚢から背負子と負い紐、そしてロープを取り出した。

「状況は!?」

 ルーデルが叫ぶ。

「二名が足に負傷、裂傷と挫傷いずれも軽度。しかし、歩行困難!」

 簡潔にリュドミラが答える。

「他の二人は?」

「念話でウィルマを出迎えに呼んで、先行させたわ」

 念話? なんか、新しい技のオンパレードだな、今日は。

 怪我をして、リュドミラに担がれていた女の子はエルフの子と、身なりがいい子だった。

 農家の娘っぽい他の二人に比べて、この二人はこういうところで走るということに不慣れだったために怪我をしたのだろう。

 二人の脚を見る。

 エルフの子の足の裏から出血していて、身なりのいい子は足首を押さえていた。

 洞窟からの脱出を優先させているため、応急手当さえしていない。

「手当てする時間ある?」

 誰とはなしに問いかける。止血と殺菌ぐらいはしておかないとよくない気がした。

「手早くな」

 ルーデルが洞窟の奥を睨みながら答える。

 雑嚢からワインと応急手当用具が入った袋と携帯食器の袋を取り出し、当て布、包帯と箸を用意した。

「ちょっとしみるからね」

 エルフの子に言って、足に盛大にワインをぶっかける。傷口に入った土や石を洗い流す目的もあるから勢いよくだ。

「ぎッ!」

 エルフの子は歯を食いしばり、僕をにらみつける。

「偉いぞ!」

 布を当て、包帯をきつく巻く。こうした怪我の応急手当は隊商のキャラバンで過ごした二ヶ月で身につけた知恵だった。

「さて、次は君だ」

 身なりのいい子の足首に箸を当て、裂いた布で縛りつけ、その上から包帯を巻く。

 洞窟の奥から、ゴブリンの耳障りなしゃがれ声が聞こえてきた。

「ハジメ!」

 ルーデルが叫ぶ。耳障りなしゃがれ声がどんどん近づいてくる。

 指揮個体を失い、ただただ殺し、喰らい、生殖するという本能だけで動いているゴブリンの群が間近に迫ってきていたのだった。




お読みいただき、誠にありがとうございます。


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第47話 え? ヴィオレッタお嬢様、いま、姫様っておっしゃいました?

「できた!」

 負い紐を二本首にかけ背負子を背負い、束ねてあるロープを解く。

「じゃあ、エルフの君、背負子に乗って。前を向いてだよ。リューダ、エルフの子が乗ったら、縛りつけて」

 僕は正座をして、リュドミラにロープを渡す。

 エルフの子がおずおずと背負子に乗る。

「君、ちょっと我慢してね」

 身なりのいい子の頭と足から負い紐を通して、腋と膝裏に掛ける。

 リュドミラが背負子に乗っているエルフの子と身なりのいい子ごとロープをぐるぐると巻きつける。

 ゴブリンのしゃがれ声がもうすぐ背後に迫っている。

「ハジメ!」

 ロープの端末を手渡される。

「おKッ!」

 端末同士を本結びで結んで立ち上がり、僕は駆け出す。

「二人ともしっかりつかまってて!」

 返事の代わりに女の子たちの細い腕が僕の首にしっかりと巻きついた。

 既に僕はトップスピード(積載状態での)に乗っている。

「ふんんんんッ!」

 数瞬後、後ろから、いくつものゴブリンの断末魔が聞こえてきた。ルーデルとリュドミラが無双をしているに違いない。

 こんな状況でも呻き声ひとつあげない女の子たちに、僕は驚きつつも感心していた。

「偉いぞ二人とも!」

 励ます意味合いもこめて、二人をほめた僕だったが。

「「ふんッ!」」

「ポーターごときに」

「人間ごときに」

「「ほめられたって嬉しくない」」

「ぞよ!」

「わッ!」

 と、いうあまりにつれない返事が返ってきたのだった。

「すみません、お嬢様方、もうすぐ出口です。今暫しの我慢を!」

 そう、答えた僕に、僕に背負われ、抱きかかえられているくせに、偉そうなことこの上ないお二人は。

「「わかればいいの、以後、気軽に声を」」

「かけるでないぞ!」

「かけないでよね!」

 と、答え、フンスと荒く鼻息を吐いたのだった。

 後ろからは絶え間なくゴブリンの断末魔が聞こえる。

「あ……」

 進行方向に光の点が現れた。

「お嬢様方、もうすぐです!」

 あ、しまった。気軽に声かけるなって怒られる!

「「うわあああああっ!」」

 身構えた僕をよそに二人が歓声を上げる。

「ハジメ!」

「ハジメさん!」

 ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様のお声が、進行方向から僕の名を叫ぶ。

 数瞬後、僕は頼りになるお二方と合流する。

「「ノーマは? マリアは?」」

 僕の後ろと前から二人の女の子が、お嬢様方に同時に問いかける。

「ええ、無事でございます! 外でお二人のことを待っております。強ぉい僧侶が傍についておりますから大丈夫でございます! お二人ともよくぞ耐えられました」

 ヴィオレッタお嬢様が答える。なんか、偉い人を相手にしているみたいな話し方だぞ。

「そうか、重畳である。ヴィオレッタ・アーデルハイド、セアラ・クラーラ、久しいの」

「はい、姫様、お久しゅうございます。三年前のお誕生日の園遊会以来でございます」

 サラお嬢様が答える。

 ええッ!? 姫様だって?

 って、今はとりあえずおいといて、ここからの脱出が先だ。

「お話は、後でゆっくりとするとして、早くここから出ましょう。じき、ルーとリューダも追いついてくるはずですから」

「そうですね、ハジメさん! では、後ろは私とサラが護ります」

「まかせて! ハジメ!」

 まったくもって、ウチのお嬢様方は男の僕なんかよりもずっと頼りになる。

 お二人に殿をお任せして、僕は再び駆け出す。出口までは、後、数十メートルだ。

「かーッ! キリねえぞ!」

「あなたが両断したあれ、やっぱりメジャーだったようね!」

「そうだな! くそ、兵力四倍じゃねーかよ!」

「もともと、あなたのネタだったと思うのだけれど、ここがキャプテンの拠点だっていうのは」

「あたいが情報屋から、このネタ買った時にはキャプテンの拠点だったんだよ!」

「はあ、ゴブリンパレード(大量発生期)の最中にはよくあることなのだわ。拠点が一日二日で増強してることって」

「ってことは、やっぱり、後、キャプテンが二~三体はいるってことか! くそ!」

 ルーデルとリュドミラが、なにやら言い争いしながら駆けて来る。

 断片的に聞こえてくる内容からして、この拠点がルーデルが得ていた情報よりも巨大な群だったということらしい。

 たしか、ルーデルは、兵力四倍って言ってたから、キャプテンの群が少なく見積もって概ね百二十体として、その四倍……四百八十体? 

 おいッ! この洞窟拠点だけで、今日受けたクエスト完了じゃないか! しかも、後キャプテンが二三体いるって?

「お、どうした? ハジメ、立ち止まって。何か問題……、お、サラにヴィオレ……」

「丁度いいと思うのだけれど」

「だな、おし、ヴィオレとリューダはお嬢ちゃんたちを担いで脱出しろ。あたいとハジメとサラはここでひと仕事だ!」

「了解よ、ハジメ、お嬢ちゃんたちを降ろして」

 僕はいわれた通りに、ロープを解いてエルフの女の子と、ウチのお嬢様方に姫様と呼ばれた身なりのいい女の子を降ろして、ヴィオレッタお嬢様とリュドミラに託す。

「お嬢ちゃん! ひとつ確認したいんだけど、さらわれて来た子でお嬢ちゃんたち以外に生きてる子は……」

 ルーデルが身なりのいい子に尋ねる。リュドミラの偵察情報との照らし合わせだ。決して、リュドミラの偵察能力を疑っているわけじゃない。作戦を立てる将校の基本だ。

 大分前に読んだ軍記ものの小説にそんな記述があったことを思い出す。

「おらぬ……」

 姫様と呼ばれた女の子は顔を歪めて答える。

「妾たちを含め、全部で九人が捕まっておったが、彼奴等め、仔を孕めるようになっている娘以外は皆……」

 姫様と呼ばれた女の子のとエルフの女の子の双眸から、大粒の涙が溢れ零れ落ちる。

 ギリッ! と、いう歯がなる音が頭蓋骨に響いた。

 最初に潰した枝分かれの小ホールで見た骨の山を思い出して、歯軋りをしていたのだった。

「そうか、わかった。つらいこと思い出させたね。ごめんよ」

 ルーデルは二人を優しく抱きしめた。

「じゃあ、いくわね」

 リュドミラとヴィオレッタお嬢様が女の子たちを背負って走り出した。

 げぎゃぎゃ! ぎゃぎゃぎゃ!

 耳障りなしゃがれ声の群がすぐに迫ってきた。

 僕は地面に盾を突き立てる。

「サラ! 壁」

「わかった!」

 僕の目の前に天井まで届く壁が地面から突き出して、坑道を完全に塞ぐ。サラお嬢様の土魔法だ。

「ハジメ! サラの詠唱が完成したら、壁崩すからな!ゴブリンが飛び出してくるから踏ん張れよ!」

 肩越しに、サラお嬢様を見る。お嬢さまは何事かを唱えながら、空中に紋様を描き始める。

 ぐぎゃぁッ!

 がん! ごん! と、突如現れた壁に激突するゴブリンたちが立てる音が壁越しに聞こえる。

「呪文が完成するぞ! 踏ん張りどこだぞハジメ! 男を見せろ!」

「おおうッ!」

 ルーデルの檄に、鼻息荒く盾を支える。

 数瞬後、突如僕の目の前の壁がガラガラと崩落する。僕の方には砂粒ひとつ落ちてこない。 全部ゴブリン側に崩れ落ちたのだった。

「うわあッ!」

 よく振って栓を抜いた炭酸飲料のように、僕の目の前にできた岩の小山を乗り越えゴブリンたちが飛び出してきて、それぞれが手にしたポンコツな武器で僕に飛びかかってきた。

 ゴン、ガン、ガン! 地面に突き立てた大盾にゴブリンたちが武器を叩き付ける。

「ハジメ! ごめんなさいッ!」

 サラお嬢様の声に振り向く。

 ルーデルに抱えられて、お嬢様は既に洞窟の出口に差し掛かっていた。

 え?  僕はおいてけぼり? ってか、また、囮?

「灼熱の炎よ全てを焼き清めよ! 煉獄!」

 サラお嬢様の描いた魔法陣から白熱した炎が噴出し、あっという間に洞窟が炎でいっぱいになる。

 まるで、洞窟の壁や地面を燃やしているように炎はものすごい勢いで奥へと燃え広がってゆく。 

「うわわわわわ! わあああああああああああッ!」

 リュドミラからもらったサラマンダーのマントのおかげで僕自身は焼けない。焼けないけれど、だんだん息苦しくなってくる。

「くそ、酸欠か!」

 洞窟の中で僕が見た最後の風景は、サラお嬢様の火炎魔法で焼かれていくゴブリンたちだった。

 そこここから聞こえてくるゴブリンたちの耳障りな断末魔を子守唄代わりに、意識が薄れていく。

 

 あ、スキル【絶対健康】って、窒息系には有効なんだろうか?




17/09/06 第43話~第47話まで投稿いたしました。
御愛読誠にありがとうございます。


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第48話 ヴェルモン辺境伯ご令嬢、ニーナ様は家臣にも民衆にも慕われているようです

お待たせいたしました


「はあ、はあ、はひ、はあ……まにあっだぁ……」

 日の入りからこの世界の時間でいう一刻が過ぎようとしている今、僕は、ヴェルモンの街の冒険者ギルドの受付で、記録水晶に手を置いていた。

「ほ、ほんとうにクリアしちゃったんですかぁ?」

 受付嬢カトリーヌさんがずり落ちたメガネを直しながら、呆れているのか驚いているのか、はたまた怯えているのか分からない複雑な面持ちで、息せき切って記録水晶に手を置いている僕を見ている。

 受付ホールでたむろしている冒険者たちの、あからさまな好奇のあるいは侮蔑の視線がものすごく痛い。

 あちらこちらからクスクス笑いも聞こえてくる。

 まあ、それはしょうがない。なんといっても、僕の姿は、肝心なところは隠しおおせているものの、血塗れの布切れを全身に貼り付けただけのマントを羽織った裸族の若衆といっても差し支えの無い格好だったからだ。

 

 窒息して気を失った僕が、ゴブリンメジャーの拠点洞窟の坑道から回収されて息を吹き返したころ、すでに太陽は傾き始めていた。

 洞窟に取り残され、サラお嬢様の高位火炎魔法をくらった僕だったが、スキル【絶対健康】のおかげで、窒息はしたものの死からは逃れられていたのだった。

 サラマンダーマントのおかげもあって、かなりズタズタになってはいたけれど何とか肝心なところは隠せるだけの服も残っていた。

「おお、お目覚めになられましたか!」

 逆さまに僕を覗き込むエフィさんの笑顔。

 僕は、エフィさんに膝枕されていたのか……。これまでの経験からてっきり膝枕はヴィオレッタお嬢様の係だと思い込んでいた。

 我ながら、図々しいことこの上ない。前の世界じゃ店員さん以外で女の子と接点を持つことすらなかったくせに。

 しかし、ヴィオレッタお嬢様の膝枕が低反発枕だとすると、エフィさんのそれは高反発と表現するのが適切だろうか? 

 いずれにしても寝心地は甲乙つけがたいのは事実だ。

「うわッ、この者、生き返ったぞ!」

「ええッ! こいつ、アンデッドなの?」

「きゃああああぁッ!」

「うわああぁん!」

 僕よりも一足先に脱出してきた女の子たちは、ヴィオレッタお嬢様にすがりつき、それこそ僕をモンスターでも見るような目つきで睨んでいた。

 なるほど、だから、今回膝枕をしてくれていたのはエフィさんだったわけか。

 ヴィオレッタお嬢様は、僕を魔物扱いする女の子たちを嗜めることができずに苦笑いを浮かべている。

 まあ、仕方ない。この子たちは、ついさっきまで、ただ単に殺されるよりもおぞましい状況に直面していたわけだからね。

 でも、僕は、この子たちをそんな状況から助けるために、かなり痛い思いをしたんだけれどなあ。

「じゃ、ちょっと行って来る!」

 そう言って、ルーデルが洞窟に単身再突入していった。

 三十分くらいして、ホクホクしながら帰ってきたルーデルは、こぶし大の魔石とゴブリンメジャーのものと思われる大きな尾骨を持ち帰ってきた。

「いやあ、やっぱり、あいつメジャーだったぜえ。見ろよこの魔石。これだけで、たぶん、金貨五十はいくな。サラ、もう一仕事だ、ここ、塞いでくれ」

「おっけー! ゴブリンの死体いっぱいだもんね」

「そうね、今日はもう、討伐証明部位取ってる時間無いわね」

「ふむ、討伐部位は明日以降ということでございますね」

 なるほど、今日受けたのクエストの分の討伐部位は採取し終わっているから、残りは明日にでもゆっくりと……ってことか。

「ようし、じゃあ、みんな、乗った乗った! 街に帰るぜ! ぶっ飛ばすから、振り落とされんなよ!」

 ルーデルが手綱をとる。

「はあっ!」

 威勢のいい掛け声とともに勢いよく馬車が走り出した

 僕はなるべくみんなの目に触れないように、馬車の一番後ろの隅で小さくなっていた。べつに、いじけてたわけじゃない。この方が、女の子たちに余計な恐怖心を与えないで済むと思ったからだった。そりゃ、ちょっとはいじけてたけど。

 

 そうして、日の入り間近な時間には、なんとか僕らは街の門に到着していた。

 ルーデルの巧みな手綱さばきで、僕らが乗った幌がけの馬車が東の森からの最短距離を駆け抜けた結果だった。

 だけど、日の入り前のこの時間、街の門は日が暮れる前に街に入ろうとする旅人や、商人、街の外に働きに行っていた作業員、そして、冒険者でごった返していた。

「むう、なかなか進まんのう」

 お嬢様たちに姫様と呼ばれたいた身なりのいい女の子がつぶやく。

「街に怪しいものが入り込まないよう、衛士たちが職務を全うしている証拠ですよ」

 ヴィオレッタお嬢様が姫様を抱きしめ、耳元で囁く。

「うん、わかっておる」

 助け出された女の子たちは、相変わらずヴィオレッタお嬢様にすがり付いていた。

 こうした状況で、自分の身分を嵩に来てぎゃーすか騒ぎ出さないところは流石だ。この子を育てた親の顔が見てみたいと思った。

『それにしても、進まないな』

 馬車の一番後ろで、後ろに続く人の列を眺めながら僕は、この調子じゃ、ギルドの営業時間中に間に合わないかもしれないな。なんて考えていた。

「ハジメさん、今日、ギルドの営業時間中に間に合わなかったらでございますが、パーティリーダーを一時的に非才にお預けいただけませんか?」

 エフィさんの意外な申し出に僕はきょとんとする。

「実は……」

 エフィさんが胸元から冒険者登録証を取り出す。それは、なんと、銀のタグだった。

「え? エフィさん、あなた……」

「はいぃ……申し遅れましたが、実は非才、B級冒険者でもあるのでございます。今日、間に合わなければ、ハジメさんや皆さんは登録抹消の上、一年間登録不可になるのでございます。ですが、最悪、クエストはクリアということにならなくとも、ゴブリンの多数の討伐という実績はございます。非才であればC級に落ちるだけでございますから、討伐報酬および略奪品の買取はしてもらえます」

「了解です。そうしましょう。間に合わなかったら、僕が戦闘中に一回死んだことにして、蘇生に成功はしたものの、意識不明だったってので、リーダーを引き継いだってことで」

「台下……よくまあ、そんな嘘八百即興で思いつきますね」

 僕は、ヘラヘラとごまかし笑いをする。そんな僕の鼓膜を野太い男の声が揺らした。

「え? あ! ひ、姫様!? 姫様ッ!!」

「なんだって? 姫様が?」

 門衛の兵隊さんたちが続々と僕らの馬車を取り囲む。

「ああ、ほんとうだ! 姫様だ、ニーナ姫様だ!」

「え? 行方不明になったって噂の?」

「よく、まあ、ご無事で……」

 検問を待つ人の列の間にもニーナ姫の生還がが口々に伝わってゆく。

「おい! 誰か城に走れ! お館様にお伝えしろ! 姫様が無事お戻りになられたと!」

「ああッ! 神はニーナ様を見捨てられなかった!」

「姫様お帰りなさい!」

 やっぱりこの子、お姫様だったんだ。この街の……。

 辺境最大の町交易都市ヴェルモンの領主の令嬢ニーナ様が、兵士たちと民衆の歓呼に答えるようにして御者台にすっくと立った。

「衛士の皆、街の皆、出迎えありがとう! 妾は帰った! 衛士の皆、どうか己が職務に戻ってほしい、こうしている間にも妾のせいで領民の皆が街に入れなくて困っておる」

「では、姫様のご一行におかれましては、民に先んじてお入りいただきとうございます」

「しかし、順番は守らねばならぬ。それは、父上が定めたるこの街の法であるからな」

「姫様! おさきどぞー!」

「早くお城へ!」

 あくまで順番をきっちり守ろうとするお姫様に、どこからか声が飛んだ。

 それを合図にあちこちから順番を先に譲る声が上がる。

「す、すまぬ! じつは、妾も早く父上にお会いしたかったのだ。みな、ほんとうにすまぬ!」

 そうして僕たちは日が暮れる寸前に、ヴェルモンの街のメインゲートをくぐる事ができたのだった。

 




毎度御愛読、誠にありがとうございます。


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第49話 何とか営業時間内にギルドに来れたけど……

 辺境最大の街ヴェルモンのゲートをくぐった僕らの馬車は、衛士詰め所に誘導され、全員降ろされた。

 そして、ニーナ姫様たち僕らがゴブリンの拠点洞窟から助け出した女の子たちと僕たちは隔離された。

 まあ、そうなるよな。僕らが連れて来たお姫様はどうやら行方不明だったようだから、僕らに誘拐犯の嫌疑がかかってもおかしくはない。

 農家の娘風の子達にしたって、捜索願が出されているかもしれない。

 だけど、今の僕らにはのんびりと取調べを受けている時間は無い。

 歯軋りをして、衛士に飛び掛りそうなルーデルを、エフィさんととサラお嬢様が必死におしとどめている。

「あ、あの……僕たちちょっと急いでるんですけど」

 いよいよもって、時間的にヤバイ。もうすっかり日が落ちてしまっている、あと、一刻だ。

 ここから、冒険者ギルドまでは十分もかからないけど……。

「きさまらの事情など考慮するわけ無いだろ。自分がどういう立場にあるか分かるな」

「はあ、お姫様誘拐の嫌疑でしょうか?」

「わかってるならよし……で、だ。どうやって助け出した?」

 え? この人何か矛盾してない? 僕らにお姫様誘拐の嫌疑かけといて、どうやって助け出した?

「私がご説明いたしましょう」

 ヴィオレッタお嬢様が取り調べの衛士の前に進み出て微笑んだ。

「こんばんはハンスさん」

「あ、あれ、やっぱヴィオレッタさん? いや、見違えた。なんとも勇ましい格好だね。え? じゃあ、このパーティーはゼーゼマンさんとこの……。あ、申し遅れました。ゼーゼマンさんお亡くなりになったそうで……。お悔やみ申し上げます。俺もゼーゼマンさんにはよくしてもらってたからね」

 ヴィオレッタお嬢様が僕にウィンクする。

「ハジメ走って! ギルドについたら真っ先に、受付の記録水晶に手をのせるのよ!」

 リュドミラが叫ぶ。

「了解ッ!」

 衛士詰め所を飛び出した僕の後ろからルーデルの声が聞こえる。

「馬車ギルドの後ろに回しとくからな!」

 僕は手をあげて応え、ギルドに向かって、夕暮れの人ごみをほぼ全裸姿のまま全速で駆けるのだった。

 

「はあ、はあ、はあ、ひい、ふう……」

「ほ、ほんとうにやっちゃったんですかぁ?」

 カトリーヌさんはいまだ信じられないといった面持ちで、記録水晶に手を置いている僕をまじまじと見ている。

「そうだ、やっちまったんだよなぁ。カぁットリーヌちゃーん、たぁのしい残業タイムの始まりだぜぇ!」

 僕の後ろから、ルーデルのドヤ声が聞こえる。きっと、表情も第六天魔王真っ青のドヤ顔に違いない。

「証明部位は、裏に回してある馬車の中にあるわ。ここに持ち込んだんじゃ受付を塞いじゃうと思ったのだけれど、余計なお節介だったかしら?」

 意地悪という行為が嬉々とした笑顔を浮かべているといった態で、ルーデルとリュドミラが受付カウンターの中のカトリーヌさんを抱き寄せている。

「はあ、はあ、まにあったの? ハジメって、脚速いね」

「はひ、はひ、こ、こんなに走ったのは、初級神職学校の実習でコボルトに追いかけ回されたとき以来でございますよう」

 その後ろでは、サラお嬢様とエフィさんが息せき切ってくず折れていた。

 ヴィオレッタお嬢様は、衛士詰め所で、まだ、事情説明をしているんだろう。

「ちょ、ちょっとお待ちください!」

 樽から飛び出した海賊人形のようにカトリーヌさんが立ち上がり、奥へと駆けていこうとする。

「あー、チョイ待ち!」

 それを呼び止めて、ルーデルが何事かを言おうとしたとき…。

「あらぁ、存外、かかったわね。おやつ前には帰ってくると思ってたんだけど」

 執務室の伝声管で聞いていたんだろうな、ヴェルモンの街の冒険者ギルドのマスター、シムナさんが階段を下りてきた。

「いろいろとね、あったの。想定よりもたくさんいたものだから。おまけに、キャプテンの穴倉だと思っていたら、メジャーだったり」

「へえ」

「驚かねえな。ま、当然か。あとよ、その、メジャーの穴がな、厄介なオプション付きでな」

「大変だったわねえ」

 マスターシムナはニヤリと口角を上げる。

 あ、ひょっとして……。

「はあ……、ハジメ、よおっく憶えておくといいのだわ。腹黒い女ってこういう笑い方をするのよ」

 うん、そうだねリュドミラ。君もこういう笑い方するよね。

「やっぱりか。シムナぁ……」

 ルーデルが犬歯が目立つ歯を見せて、剣呑な雰囲気を纏う。

「冒険者ハジメ殿はおられるか!」

 ルーデルとマスターシムナがメンチを切り始めたそのとき、ギルドの扉が勢いよく開けられて、二メートルはあろうかという筋骨隆々の壮年の男性が数人の兵士とともに入ってきた。

 前田慶次が金髪碧眼になったら、かくありなんといった風体の人だ。

 警備隊長かなんか、お偉いさんみたいだ。

 そんな人が僕みたいな解放奴隷なんかに何の用だろう?

 ひょっとして、全裸みたいな格好で街中を駆けた咎で首を刎ねに来たとか?

 いや、そんなことぐらいでわざわざ隊長なんて方が、御自ら来るわけないか。しかも、僕の名前の後に殿がついていたし。

「領主様!」

 カトリーヌさんが黒ひげの海賊人形のように飛び上がって姿勢を正す。

 え? 領主様だって?

「あら、マニーお久しぶり」

「ようレッドバロン」

「あらあら、ディアブロルージュのご登場なのだわ」

「ゲッ、地獄のサイレン、スタンレーの魔女!」

 領主様から、初めて冒険者ギルドに来たときのマスターシムナと同じ反応が返ってきた。

 ルーデルとリュドミラは、どうもあちらこちらで悪名を轟かせているみたいだ。

「うふふふ、地獄に悪魔と魔女が参集して何がはじまることやら」

「「「白い死神が言うな!!」」」

 ああ、やっぱりか。

 皆さん物騒な二つ名持ちでしたよ。

「で、辺境伯閣下が、何用でかような所へ御自ら?」

 ダークエルフなのに奇妙にも白い死神と呼ばれるシムナさんが領主様に笑いかける。

 さっき、リュドミラが言った、腹に真っ黒な一物がある笑い方だ。

「ああ、そうであった、冒険者のハジメ殿がこちらにおられると聞いて、是非、当家にお招きして粗餐をと、な。で、ハジメ殿は……」

 そこにいる、領主様とお供の兵隊さんたち以外の皆さんの視線が僕に集まる。

 やがて、その視線に気がついた領主様と兵隊さんたちの視線も、ほぼ全裸に近い僕を捉えた。

 兵隊さんたちから吹き出し笑いが聞こえる。

「き、貴君が冒険者ハジメ殿か!」

 ほぼ全裸の僕の姿を気にする様子を微塵も見せずに、領主様が地響きを立てるように大股で僕に近づいてくる。

 そして、鼻先を僕にくっつけるようにして目の前に立ち、顔を真っ赤にしてぶるぶる震え始めた。

 うわぁ、これ怒ってる? ニーナ姫様から変態がいるから討伐してきてとか言われて来たとか?

 

 どうしよう?




お読みいただき、ありがとうございます。


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第50話 ローストビーフサンドが姫様たちにも好評だったこと

 思わず身構えた僕の目の前から。突然、領主様が消え去った。

「がだじがないいいいいいいいいいッ!!」

 足元から、猛獣のような雄たけびがギルドの受付ホールに響く。

「え? え?」

 雄たけびが聞こえてきた方を見ると、この地方で一番偉い人が僕に平伏していた。

 それに同調するように、お供の兵隊さんたちが跪く。

 周囲の空気が一瞬にして凍りついた。体感十度下がったような気がする。

「まごど、がだじげないいいいいッ!! ぅばじべどのぉッ!! ごだびのごど、この、マンフリート・ハインツ・フォン・ホーフェン、いぐらごどばぼづぐじでぼ、ごのがんじゃのぎぼぢいいあらばぜぬううううッ!」

「え? あのぅ……」

「お爺様は、あなたに礼をのべておるのだ! 冒険者ハジメ殿。それから、ルーデルだったな。お爺様は侯爵である、男爵とは無礼である」 

 ニーナ姫様が、跪いている兵隊さんたちの後ろから、戸惑っているいる僕に声をかけてきた。 助けた女の子たち、そして、ヴィオレッタお嬢様も一緒だ。その後ろには、メイドさんと、目つきの鋭い女性の剣士が付いている。

 兵隊さんたちが左右に分かれて道を開け、姫様がしずしずと僕に向かって来る。

 これは、僕が姫様対して礼をしないといけない場面だよな。でも僕そんなの知らないし……。

 そんなことを考えているうちに、姫様が僕の目の前にやってきて、頭二つ低いところから僕を見上げる。

 と、とりあえず跪いておけば間違いないよな。

 そう考えた瞬間…………。

「ッ!!」

 ニーナ姫様が僕の前に跪いた。

「ありがとう、冒険者ハジメ殿。妾が、今、ここに傷ひとつ無く息災であるは貴殿のおかげである。感謝の極みである。どうか、祖父と妾の感謝を受け入れてほしい。そして、できるなら、先ほどまでの無礼を容赦して欲しい」

 さっきまでの無礼って……。ああ、僕のことをモンスターでも見るような目つきで睨んでいたことか……。まあ、それまでおかれていた状況からして、あれは仕方ないと思う。

「あ、はい、それは、もちろんです。けど、僕は何もしていないので、それは、他のみんなにどうか……」

 そこまで言ったとき、記録水晶がへっぽこなファンファーレを奏でた。

 記録水晶に手をのせっ放しだったのを忘れていた。

 同時に、受付窓口から、福引の特賞にでも当選したときみたいな鐘を鳴らす音がホールに響いた。

「お、おめッ、おめッ、おめでとうございます冒険者ハジメさん! えーっと、ゴブリン討伐五十体十件のクエスト達成が確認されました。よって、F級からC級への特進が認可されました!」

 カトリーヌさんが、おっかなびっくりとひっくり返った声で宣言する。

 実に職務に忠実な人だなぁ。

「は、ははは。すみません、クエストの報告の最中だったもので……。領主様、ニーナ様、どうか頭をお上げになってください。ニーナ様をお助けできたのは、偶然ですから。でも……」

 ゴブリンの拠点洞窟の中で見た骨の山を思い出して、僕は俯いた。

「ハジメ殿、貴殿が考えていることは理解できる、だが、それは、領主としてワシが不徳を悔いることだ。どうか、貴殿らが成し遂げたことだけを誇って欲しい」

 逞しい腕が僕を抱き寄せる。

 傍から見たらかなりあやしい構図だ。

 だけど、ギルドの受付ホール中から鼻をすする音が聞こえてくる。

 今、ヴェルモンの街の冒険者ギルドは感動の渦が大回転していた。

 パサリ……。

 僕の足元から不気味な落下音が聞こえてきた。

 感動の渦が大回転しているはずの冒険者ギルド受付ホールのそこここから、吹き出し笑いが聞こえてくる。

 そしてそれはやがて大きな渦を形成してゆく。

「だぁッはッはははははははは!」

 誰かが我慢しきれずに爆笑し始める。

 それが蟻の一穴だった。あっという間に、そこにいたみんなの理性の堤防は決壊した。

 見回せばみんなが笑っていた。

 ヴィオレッタお嬢様も、サラお嬢様も、ルーデル、リュドミラもエフィさんも、マスターシムナ、受付嬢カトリーヌさんも領主様もお供の兵隊さんたちも、ニーナ姫のお供の二人も、たむろしていた冒険者たちも、そして、僕らがゴブリンの洞窟で助けたノーマちゃん、マリアちゃん、エルフの女の子、そして、ニーナ姫様も……みんな、みんな笑っていた。

(うん、これで、いいんだ)

「はは、あははははははは!」

 僕も笑った。もちろん肝心なところは手で隠してだ。

 夜の帳がすっかり落ちた辺境最大の街ヴェルモンの冒険者ギルドは、爆笑の大渦に飲み込まれていたのだった。

「ハジメ!」

 頭二つ低いところからお姫様が僕を呼ぶ。

「はい、なんでしょう姫様?」

「さっき馬車の中で食べたパンに肉を挟んだものを、また、食べたいのだが、可能だろうか?」

 そういえば、馬車で街に帰ってくる途中、救出した女の子たちが「お腹がすいた」と訴えたので、マジックバッグにしまっておいたお昼のお弁当の残り、つまり、ローストビーフサンドと果汁を差し上げたんだった。

 僕が余り食べられなかったから、ずいぶん余っていたので丁度よかった。

 ルーデルの手綱捌きが格別なおかげで、馬車がほとんど揺れなかったこともあって、普通に食べてもらえたのもよかった。

 たしかに、みんな「おいしい、おいしい」とたべてくれていたっけ。

「お願いなのだ。対価にたいしたものは用意できぬ。妾は民が納めてくれている税で暮らしておる。着る物も食べる物も殆どが領民から徴収した税でまかなわれておる。貴族として他家に侮られぬよう贅は凝らすが、それは本意ではない。だから、ハジメが作ってくれる料理に十分な対価は用意できぬ。だが……、初めてなのだ。食べ物がおいしいと思ったのは今日が初めてなのだ。だから、だから……」

「いいですよ、姫様。お作りいたしますよ。対価は……そうですね、姫様の笑顔ってことで」

 僕は片目をつぶった。

 ほぼ全裸の男が幼女期を脱したばかりの女の子にウィンク……。うぷッ、自分でやっててなんだけど、キモいことこの上ない。

「ハジメ……」

 僕の仕草を気味悪がる様子も無く、ニーナ姫様が目を潤ませる。

「さすがですニーナ様! ハジメのお料理はとってもおいしいんですよ!」

「そうね、さっき姫様がお召し上がりになったのは、夕べの余り物で作ったものなのだわ」

 サラお嬢様とリュドミラの推薦の辞に、お姫様が目をまん丸にする。

「なんと、なんと、なんとッ! あれが余り物と? セアラ・クラーラ! おぬし達はなんという贅沢な!」 

「それだけじゃねーぜ、姫様! デザートがまた、めっちゃうまかったんだぜぇ!」

 あ、ルーデルが姫様煽りに参戦してきた。

「デザート……、と、いうと、珍奇な果物かえ?」

「いえいえ、あいすくりんという冷たくて甘いお菓子です」

 フンスとサラお嬢様が胸を張る。

「ほおおおおおッ! 想像がつかぬ。冷たい菓子とな。妾の知識にはそのようなもの存在せぬ。そもそも砂糖などというものは、そんなにふんだんに使ってよいものではない……」

 なんか、ものすごくかわいそうな子に思えてきた。この子侯爵令嬢様だよね。お貴族様だよね。

 お貴族様って、民衆の苦しみの上に胡坐をかいて贅沢するもんじゃないの?

 ああ、それなら、さっきみたいに領民のみんなからお先にどうぞなんて言われないよな。

 いい子だ、ほんっといい子だ。この子のおいしいものを食べたときの笑顔が絶対見てみたい。

 僕はニーナ姫様に跪く。

「姫様、お約束します。必ず姫様においしいものをお召し上がりいただきます。もちろん、さっき、馬車でお召し上がりになられたローストビーフサンドもです」

 ニーナ姫様はほんのり頬を染めて微笑む。

「ありがとう、ハジメ……。そう呼んでかまわなかっただろうか?」

 今更ながらに姫様が尋ねる。

「はい、どうぞ、気安くお呼びください」

 僕は全裸にマントを羽織っただけの変態スタイルだ。もちろん股間は手で隠している。

「うん、ありがとう、ハジメ」

 そんな変態スタイルな僕に、姫様は微笑みぺこりと頭を下げる。

 そして、メイドさんと目つきが鋭い女剣士さんと姫様と一緒に助けた女の子たちのところへ小走りに駆け戻っていった。

 傍から見たら露出狂の変態から逃げ出す幼女だ。

 僕はニーナ姫様のために、何かおいしいものを作ろうと固く心に誓った。

 だけど……。

 うん、姫様が、そう望まれても、領主様のお城には専任の料理人がいるだろうから、きっと実現は難しいだろうな。

 僕なんていう、解放奴隷が作ったものをお姫様に食べさせるなんて、お城の料理人のプライドを傷つける行為になりかねないからなあ。

「皆、喜べ! 冒険者ハジメ殿が妾たち『東の森の乙女』のために、また、あれを作ってくれると約定してくれたぞ」

 女の子たちから「わあっ!」と、歓声があがった。

 あ、いきなり公表しちゃったよお姫様……。いつの間にか、サークル結成して名前までつけてるし。

 存外侮れない方なのかもしれないなニーナ・マグダレア侯爵令嬢。



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第51話 いっぱいモンスターをやっつけて、おいしいものをいっぱい食べよう

「まんまと、あなたの手の上で踊らされていた気がするのだけれど? シムナ」

「正直言って、ここまで上手に踊ってくれるとは思っていなかったわ」

「へえ、あたいたちを嵌めといてそれかよ?」

 大爆笑の渦が引いて営業を終了したヴェルモンの街の冒険者ギルドのギルドマスター執務室。

 そこで、僕たちはマスターシムナから、僕たちが演じた、

『ヴェルモンの街の領主辺境伯にして侯爵のご令嬢、ニーナ・マグダレナ・フォン・フォーフェン様救出劇』 

 の、演目解説を聞いていた。

 領主様方には、僕の服があまりにもみすぼらしい(と、いうより全裸)ので、後日改めてお招きに預かるということで、どうにか納得していただいてお帰りいただいた。

「と、いうことは、シムナさん、ニーナ様がゴブリンにさらわれたってことをご存知だったってことですか?」

「ええ。あの子は王都で騎士団の一隊を率いている父親の代わりに、領主である祖父の名代で領内を視察しているの。女の子なんだからそんなことしなくたっていいのにね。つい、三日前、ニーナが訪れていた村がゴブリンの集団に襲われて壊滅したの、お供をしていた数人の兵は数に圧されて皆殺し……村がどうなったかは分かるわね。かろうじて生き残った村人が知らせに来たの。ニーナと村の女の子たちがさらわれたって。それなのに、あの坊やときたら、孫娘の捜索救助に出兵するどころか、周辺農村の警備の強化に兵力を割くなんてことしやがって……、強がりもたいがいにしろっての」

 あんな武辺を絵に描いたようなお爺さんを坊や扱いか……。シムナさんっておいくつ?

「で、わたしたちが冒険者登録をしたのをこれ幸いと、領主からのクエストをでっち上げて、貼り出した」

「あの坊やにはでかい借りがあるのよ。知ってるでしょ、ルーとリューダは」

「ああ、あれか、南の邪竜をやったときのあれかぁ」

 ルーデルが遠い目をする。

「あなたがらしくもないドジ踏んだときね」

「そうよ、あの坊やが王命で騎士の一隊を率いてあたしたちと合同で邪竜を討伐したときのあれよ」

 シムナさんが顔を真っ赤にして俯いた。

 よっぽど恥ずかしいことなんだろう。ここは、スルーだ。

「でも、ゴブリン五十体討伐を十件なんて、他の冒険者がばらばらに受けたら……」

「それは、ございませんですよハジメさん」

 僕の疑問をエフィさんが否定する。

「ええ、そうですね。ゴブリン五十体なんてクエスト、F級やE級の冒険者が二週間くらいかけてゆっくりやるものですものね」

 さすが、ヴィオレッタお嬢様は冒険者を護衛に雇っていた商隊の元番頭さんだ。冒険者のことにも詳しい。

「クエストの成功報酬に加えて、五十体分の駆除報酬もFやEにとっちゃそれなりだからな、普通はF~Eが一~二週間くらいかけてこなして、一ヶ月は遊んで暮らすな。BやCでも四~五日はかかるだろ」

「そうね、五十体討伐を一日でなんて、FやEじゃ逆立ちしたってできやしないのだわ。クエストの難易度はAからS級ね」

「だが、A級S級の連中はこんなクエスト受けやしない」

「難易度の割りに、A級S級にとっては報酬がしょぼしょぼでございますからねぇ」

「ですね、報酬ランクはC級ですものね」

「そんなものを十件あったって、誰もやらないのだわ」

「ええ、F級免許のくせに、中身はSSSが二人もいて、現役B級の僧侶が在籍しているわたしたちを除いては……。ですね」

「おまけに、全員ダブルで女神の祝福もちなんて他にある?」

 シムナさんが肩をすくめおどける。

「あとよぉ、シムナ。おまえ、情報屋いじったろ。まあ、たしかにあるけどな。大量発生期にゃ一日二日で拠点が膨れ上がるなんてこたあよ」

「でも、せいぜい一が二になる程度なのだわ。キャプテンの拠点がメジャーの拠点になることなんて例外中の例外なのだわ」

 マスターシムナが執務机から立ち上がり、僕たちが座っている応接セットの前に幽鬼のようなという表現がぴったりな足どりでやって来る。

 そして……。

「ごめんなさいッ!」

 頭の位置はそのままに飛び上がって膝を折りたたみ、こちらの世界でも有効に機能しているニュートンさんが発見した法則にしたがって、正座で床に着地したのと同時に額を床に叩きつけた。

 実に見事なジャンピング土下座だった。

「マニーに借りを返したかったのは事実。それに、ニーナをゴブリンどもになんて絶対に許せなかった。周辺の村から行方不明になった女の子の捜索依頼も何件も来てたけど、そんなの、誰も請けやしない」

「救出ミッションなんて、ただでさえ難易度B~Sランクだからなぁ」

「村中から金掻き集めても、報酬ランクはせいぜいDぐらいにしかならないのだわ」

 シムナさんが額を床に擦りつけ体を震わせている。

 ああ、この人、すんごく長生きして、世の中のいやなことたっくさん見てきてるはずなくせに、とんでもなくお人よしで、めっちゃ正義感が強いひとだ。

「あのう……シムナさん、頭を上げてください」

 額を真っ赤にしたシムナさんが僕を見上げる。蛇足だが僕は未だ変態スタイルのままだ。

「その……」

「わ、ばか、ハジメやめろ!」

「救出依頼ってどれくらい来てるんですか?」

 僕が発した言葉にルーデルとリュドミラが盛大にため息をついた。

「ちょ、ちょっと待って!」

 シムナさんが飛び上がり、伝声管に飛びついた。

「カトリーヌ! まだいる? 誰か、誰か!」

 ものすごい慌て様だ。

「は、はい! カトリーヌです。どうしたんですかシムナさん」

「もももも、持って来て! 報酬ランク不足で受けられなかったクエストの申し込み書。全部!」 

 え? なんか、すごい方向に向かってる気がするんだけど。

「はあ、やっちまったなぁ……。まあ、こうなると思ってたけどな」

「ヴィオレッタ、一月後には、私たちの屋根は星空決定よ」

「うふふ、ハジメさんがそう決めたのですもの私は依存ありません」

「えへへへッ、キャラバンでのじゅくは慣れっこだからへいきだよ!」

「非才はもとより台下の思し召しに従うが喜びでございますゆえ」

 みんな、なんか諦めきって和気あいあいとした雰囲気を漂わせている。女性のこういう態度って一番怖い。僕、きっと、たった今、核地雷踏んだに違いない。

 数分後、カトリーヌさんが書類の束を抱えてやってきた。

「ここ一年の未達成の依頼書と報酬不足で受け付けできなかった申込書です」

 ぱっと見た感じ、百件は下らない気がする。

「「「「「はあぁ……」」」」」

 みんながいっせいにため息をついた。

「みんな、ごめん! どうか、僕に力を貸してください。お願いします。たぶんリューダが言う通り一月後には、あのお屋敷を出ることになるだろうけれど僕は、僕は……」

 僕はみんなに頭を下げる。

「ハジメ! わたし、あいすくりんが食べたい!」

「私は、おとといのプチミートパイがまた食べたいです」

「台下ぁ、非才は、また、厨房特権に預からせていただきたく……」

「あたいはハジメの料理とエールがあれば、まあ、いいや」

「もっと、いろいろあるのだわよね。あなたが作れるすてきな料理」

 僕はとんでもない地雷を踏んでしまったような気がした。

 でもそれは、なんとなくだけど、とても気持ちよく爆発に巻き込まれるような気がする。

 あくまでも気がするだけどね。

「そうだね、まだまだたくさんあると思う。みんなに食べてもらえる料理」

 とりあえず思いつくのは、サラお嬢様にはアイスクリンはもちろんだけど、ホイップクリームと果物でケーキを食べていただきたいし、ヴィオレッタお嬢様の好みが餃子なら、焼売や春巻きも食べていただけるだろう。

 エフィさんには、うん、厨房特権、多々ありますよ。

 ルーデルにはエールに合う肉料理、モンスター肉の角煮とかしょうが焼きとかどうだろう、ああ、B級グルメバラ焼きもいいかもしれない。

 リュドミラはこの世界に無いものならなんでも食べてくれそうだ。

 南方航路の発見で香辛料が手に入りやすくなったんなら、カレーがお安くできるに違いない。

 ああ、そうだ、僕がこっちに来る前に、お嬢様たちは遥か東に旅をしていたんだった。後でカレーの存在を聞いてみよう。

 それから、生食が可能なものが判明したら、カルパッチョから始めていずれは刺身やお寿司ってのはどうだろう。

 初めはドン引きだろうけれど、ウマイことがわかれば虜になること間違いなしだ。

 そのことは数多くの外国人旅行者が日本食にハマッた前例があるから絶対イケる。

 あ、そうなると、醤油が必要だな。

 醤油は作れるだろうか? あと、できれば味噌もだ。

 作り方は……うーん朧げだ。

 でもチャレンジする価値はある。

 そしたら、天ぷらやすき焼きだって夢じゃない。モンスター肉のすき焼き……うはあぁ!

 それから、それから、あれだ、あれ!

 

 ラーメン! だ!!

 

 僕は、こっちに来てからずっと、ラーメンを食べることの可能性について考えてきた。

 ルーデルにモンスター肉の可能性を聞いて、より、その想いが強くなった。

 モンスター食材で採ったスープでラーメン! モンスター肉のチャーシューがのったラーメン! はううううううッ……。

 考えただけで、口の中に唾液が溢れ、うっとりしてしまう。

「「「「「ハジメ!」」」」」

 あ、しまった。

 僕はよだれを手で拭い、ジト目で僕を見ているみんなに笑う。

「モンスターいっぱいやっつけて、おいしいものをいっぱい食べよう!」

「「「「「「「おおおおおおおおおッ!」」」」」」」

 ん? 雄たけびあげている人が若干多い気がするけど……。

 まあいいか!

 おいしいものは、人数たくさんで食べると、もっとおいしくなるからね。

 これは、僕がこっちに来て学んだ初めてのこと。

 みんなで食べればおいしさ十倍! ってね。

 

 あ、それはそうとして、僕は、いつまでこんな露出狂みたいな格好してなきゃいけないんだろう?

「あのう、僕、そろそろ服を買いに行きたいんだけど」

 古着屋なら、まだ、開いているはずだ。

「ぷッ! きゃはははッ」

「まあ! すみませんハジメさんすっかり忘れてました」

「おおう、非才、すっかり台下のそのお姿になれておりました」 

「……っくはははははッ!」

「あなた、今日の一日をほとんどその格好だったから、誰も違和感を感じてなかったのだと思うのだけれど」

 

 ヴェルモンの街の冒険者ギルドは、再び爆笑の渦に飲み込まれたのだった。



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第52話 結構稼いだはずなのに、結局僕の手には金貨百二十九枚と銀貨四枚しか残らなかった件

 結局、僕は未解決クエストとギルドでは報酬不足で受け付けられなかった依頼申し込み書、合計百件余の案件を全部で金貨二千枚で請け負うことにした。一件当たり金貨約二十枚の計算だ。

 その案件には明日から着手することにして、僕たちは、今日のクエストの達成報酬を受け取るべくマスター執務室から受付へと階段を下りた。

 ちなみに、僕らが受けることにした案件の報酬は、ギルドが個別に支払いを受け付けプールしておいて、僕らが全部を達成した時点で全額が支払われる。

 当然だけど、依頼者全員が提示額を全部支払うことができたとしても、たぶん金貨二千枚には到底足りないだろう。

「あんたたちが受けてくれるんなら、足りない分はあたしが払う」

 シムナさんはそう言って請合った。

 冒険者ギルドヴェルモン支部のギルドマスターシムナさんが、身銭を切ってまで有害モンスター駆除と、被害者救済に尽力をしていることに同情はするけれど、働いた分はきっちりともらう。

 と、いう、リュドミラとルーデルのお言葉通りに、僕たちはクエストの報酬を受け取ることにした。

「はい、こちらが、今回の報酬です。ゴブリン討伐五十体を一件とするクエスト十件分の成功報酬金貨百枚と、ゴブリン駆除報酬七百三十二体分、金貨二百九十二枚と銀貨八枚、ゴブリンサージェン駆除報酬七十二体分金貨二十八枚と銀貨八枚、ゴブリンルテナン討伐報酬二十体分金貨金貨二十枚、ゴブリンキャプテン討伐報酬五体分金貨五十枚、そして、ゴブリンメジャー討伐報酬一体分が金貨三十枚の合計金貨四百二十一枚と銀貨六枚になります。そこから、冒険者報酬税十パーセントを引きまして、差し引き金貨三百七十九枚と銀貨四枚になります。尚、制度上、ルテナン以上のゴブリンは駆除ではなく討伐という呼称になります」

 僕たちの前に金貨がぎっしり詰まった麻袋が三つとバラの金貨七十九枚銀貨四枚が置かれる。

「わあああッ! すごいすごい! わたしたち今日一日でこんなに稼いだの?」

「こんな大金、行商で稼ごうと思ったら半年以上かかります」

「な、な、言ったろう? 手っ取り早く稼ぐにゃこれか強盗だって!」

「C級に昇格もしたから、できればダンジョンに潜りたいのだけれど……」

「ええ、お金を稼ぐにはそれが最短でしょうけど……」

 皆口々に、僕たちの冒険者としての初任給に熱い眼差しを送っている。

「じゃあ、こっからあんたたちが昨日壊したログクリスタルの代金、金貨二百五十枚をもらうけどいいわね?」

 マスターシムナがニヤリと笑い、金貨の袋二つとバラの金貨五十枚をカトリーヌさんに渡す。

「ああ……ぁ」

「おおぉう」

「はあぁ……」

 僕たちが稼いだ金貨はあっという間に三分の一に減ってしまい、結局、手元には金貨百二十九枚と銀貨四枚が残ったのだった。

「ルーとリューダの借金は今回はオマケしてあげる」

 と、いう、マスターシムナの温情で、今回はリュドミラとルーデルの借金、金貨百三十三枚と銀貨四枚に銅貨八枚は払わなくて済んだ。

「はああぁ……、今日、痛い目にあった分、ただ働きかと思った……」

「それでも、普通に働いたら、二月分くらいの収入は残りましたから。ハジメさん」

 ヴィオレッタお嬢様が僕の手を取って励ましてくれる。

「そ、そうですね、明日からまたがんばりましょ……あ……」

 僕は思い出した。明日からは明日からで、僕たちは普通の冒険者は絶対にやらない、話を聞きに行くだけで赤字の出血大サービス格安クエストをこなすことになっていたんだった。

「はあぁ……」

「だ、だいじょうぶですよ! 全部こなしたら金貨二千枚ですよ! ハジメさん」

「そうだよハジメ! 全部を三週間でやっちゃえば残り七百枚で目標達成だよ!」

「今、百二十九枚でございますから、実質、あと、六百枚くらいで目標達成でございます」

「だな、上手いこといったら目標達成できっぞ!」

「そうね、存外、これはいい案かもしれないわね。で、あなたはいいのシムナ? あなたには何の得もないと思うのだけれど?」

「あたしは別にいいのよ」

 そう言って微笑んだマスターシムナはどこか儚げだった。

「そう、ならいいのだけれど……。ハジメ、覚えておくのよ、腹に一物持ってる女って、こういう顔を自在に作れるものなのよ」

「ちげーねー。ハジメ、こいつは、見た目の三十倍は生きてるからな。気をつけろ」

「ふ、ふんっ、あんたたちがくっついているかぎり、ハジメには手出しできないわよ。あたしだって、まだ、命は惜しいもの」

 シムナさんが腹の中を見透かされた詐欺師のように顔を紅くして取り繕う。

 うん、やっぱり何か一物あるんだなこの人。

 まあ、でも、貧乏な村の依頼をお金が足りないからってつっぱねたままにしないで、機会があれば何とかしようって、いつも考えているんだろうことが窺えるのは事実だから、そこのところは素直に感心したい。

 

「あのぅハジメさん」

 カウンターの中からカトリーヌさんがおずおずと僕に呼びかけてきた。

「はい?」

「あ、あのですね、現在お持ちの金貨、盗難とか怖いですよね」

 いや、別に、マジックバッグあるし、僕の周りにはここのマスターでさえおっかながる冒険者がそろってるからそんなには怖くないと思うけど……。

「今、お持ちの金貨、ギルドにお預けになりませんか? お預けいただければ、大陸中どこのギルドでもお引き出しが可能ですし、年十五パーセントの利子がつきます。さらに、協賛のお店でのお買い物、お食事ご宿泊は、冒険者証の提示でキャッシュレスでご利用可能です。しかも、宿酒場併設のギルドでは、最大五割引でご利用が可能となっております……いかがでしょうか?」

 なんか、これ、カトリーヌさんのボーナス査定にでも関係してきそうだ。

 リュドミラとルーデルを見る。

 二人ともため息をついているけれど、やめろとは言っていない。

 ヴィオレッタお嬢様もサラお嬢様も反対はしてこない。

「台下、非才も冒険者ギルドに、ある程度は預けておりますですよ。結構便利に使っております。口座を作ることに不利益はございませんですよ」

 なら、いいか。

「じゃあ、カトリーヌさんその袋の金貨をお預けします」

 僕の言葉にカトリーヌさんの顔がぱっと明るくなった。

「ありがとうございます。では、では、ここにお名前とご住所をご記入いただいて……」

 結局、僕らは金貨二十九枚と銀貨四枚を手に冒険者ギルドを後にした。

「ルー! 市場はまだやってるよね」

「ああ、農家から野菜売に来てた連中は午後には帰ってるから、野菜は少し割高な八百屋になるけどな」

「オーケー! じゃ、まず古着屋に行きたいんだけど」

「あ」

「きゃははっ」

「あははぁ」

「はぁっはははは」

「ふふふふ」

 ああ、また……。

「みんな、僕が裸なことに、またしても違和感を持っていなかったね」

 僕のジットリと湿った視線にみんなが苦笑いを浮かべる。

「はあっ!」

 ルーデルの掛け声が響く。

 僕たちの馬車は、すっかりと夜の帳が下りたヴェルモンの街を市場へと走り始めた。




17/09/07 第48話~第52話までを投稿いたしました。御愛読誠にありがとうございます。


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第53話 パルメジャーノレッジャーノ発見! 瞬時に僕の頭に今夜のメニューが閃いた

「ふう……」

「よかったですね、丁度いいサイズのものがあって」

「ハジメ、その服とっても似合ってるよ」

「ありがとうございますヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様」

 僕とヴィオレッタお嬢様にサラお嬢様、そしてルーデルは、市場の古着屋に来ていた。

 リュドミラとエフィさんには、別行動でエールとワイン、果汁の購入をお願いして、購入が済んだら帰宅して、保冷食品庫に入れておくように頼んだ。

 なぜこういう組み分けになったというと、ルーデルがお屋敷に帰るまでにエールを飲みきってしまう恐れがあるからだ。

 ルーデルは、僕が言うことはともかく、サラお嬢様とヴィオレッタお嬢様の言うことはちゃんと聞くので、馬ならぬルーデルの手綱は、そちらにお任せすることにしたのだった。

 ちなみに保冷食品庫ってのは、モンスターから採取される魔石を利用した家財設備で、冷気を発生する常駐魔法が設定された魔石に魔力を注入して作動させる。

 コンビニの歩いて入れるドリンク冷蔵庫を想像してもらうとわかりやすいと思う。

 さて、ようやく服を着ることができて、今晩の食事のメニューに思いをいたすことができるようになった僕は、市場を見回す。

 なるほどさっきルーデルが言ったように、近隣の村から農作物を荷車に載せて売りに来ていた農家の人たちは、あらかたが引き上げたようで市場はかなり閑散としていた。

 まだ営業しているのは、街に腰を据えている販売専業のいわゆる商人が経営している肉屋、魚屋、八百屋、雑貨屋に酒類を出す屋台だった。

「ハジメっ! 肉! 肉! 肉! 肉! 肉! 肉! 肉! 肉! 肉! 肉!」

 ルーデルが肉屋の軒先に吊るしてあるさまざまな部位の肉にかぶりつかんばかりに肉薄する。

 確かこの人、ウサギの獣人だったはずだよねぇ。

「兎人にはベジタリアンが多いのですがウォーリアヘア(戦士兎)はもっぱら肉食だだそうです。まあ、ルーを見ていると納得ですね」

 ヴィオレッタお嬢様がルーデルに向けた僕のジト目に気がついて教えてくれる。兎人にもいろいろいるんだな。

「!!」

 そんなことを思っていた僕の鼻を、肉が焼ける香ばしい匂いがくすぐった。

 くんくんとその匂いの元を辿る。

「あ!」

 僕の目に、元いた世界でも見たことがある屋台が飛び込んできた。

 それは、タレで味付けした牛や羊などの薄切り肉を串に刺し積み重ねた巨大な塊を床屋のサインポールのようにぐるぐると回しながら炙り焼き、それを長いナイフで削るようにカットしてパンにはさんで食べる『ドネルケバブ』だった。

「ルー! あれ、あれ!」

「おおッ! 流石ハジメだ! アレに目をつけるとはな!」

「キャルク人の屋台ですね。めずらしい。あの料理はキャラバンで東を旅していたときよく食べました」

「わたし、あれ、大好き! 薄焼きパンでおやさいと一緒に巻いて食べるのがおいしいの!」

「じゃあ、お肉はあれでいいですか? みんな」

「むしろ大歓迎だぜハジメ! エールに合うんだ」

「私も大好きです」

「リューダもあれ、好きだよ!」

 よし、じゃあ、今日の肉料理はあれに決定だ。

 僕は漂ってくる匂いを辿るように屋台へと歩を進める。

「ああ、今日も売れ残ったか……」

 ふと、どこからか聞こえてきた嘆き成分三十パーセント、呆れ成分七十パーセントの男の声を僕の耳が拾った。

 きょろきょろと首を巡らせる。

「だからいったろ、そんなもん仕入れたって誰も買わないって! っとにバカなんだからあんたは」

 呆れ果て成分百パーセントの女の声が、がっかりしているだろう男に追い討ちをかける。

 なんだろう? 何が売れ残っているのだろう。

「もう、三年も売れ残ってるんだ。いい加減あきらめて、さっさと捨てちまいな!」

 なんと、それはもったいない。何かは知らないけれど、捨てるなら、ぜひ譲ってほしい。

「そうだな、明日にでも捨ててこよう」

 どこだ? どこから聞こえてくる?

「ルー! 今の聞こえた?」

「ん? ああ、捨てるとか捨てないとかか? それなら……あっちから聞こえてきたぜ」

 ルーデルが長い耳を揺らしてバター屋の方を指差す。

 そこでは、恰幅のいい中年女性に叱られて、痩せた中年男がしょぼくれていた。

「あのぅ……何が売れ残っているんですか?」

 そおっと尋ねた僕に、男は直径四十センチくらいの分厚い濃い黄色の円盤を指差して答えた。

「はううッ!」

 なんと、この食べ物に出会えるなんて!

 そういえば、こっちの世界に来てから、これはまだ食べたことがなかった。

「ああ、これだよ。三年前に乳を仕入れている村の村長がうまそうに食べてたのを、試しに仕入れてみたんだけれど、これが、売れなくてね。その村でもバターを作っていて、ウチでも、ウチで作ってるバターと一緒に売ってるんだけど……。その村では昔から作ってるそうなんだ」

「その、それを試食とか……されたんですか?」

「したとも! 実にうまかったよ。さわやかな酸味とコク。ねっとりとまとわりつくような食感は官能的ですらある。僕は、この食べ物に新しい可能性を感じたんだ」

「わかります! わかりますとも!」

 思わず大声で店主と思しき中年男に同意していた。

「これ、ぜひ買わせてください!」

「え? あんたこれを買うってのかい!?」

 店主婦人と思しき恰幅のいい中年女性が叫んだ。

「この街の連中はいくら試食を勧めても食べてくれないばかりか、ウチの店じゃ干からびて酸っぱく硬くなったバターを売りつけようとしているなんて言うのに?」

 店主もゾンビの盆踊りを見たような顔をして僕を見ている。

 どうやら、この世界では、チーズは、まだ、一般的な食べ物ではないらしい。

「ご主人! あなたの目は確かです。ぼくは、この食べ物、チーズの価値を知っています! この、チーズには無限の可能性が秘められているのです!」

「あ、あんた、この食べ物……チーズを知ってるのか?」

「ええ、知ってますとも!」

 なんか、喋り方が詐欺師みたいになってきてぞ僕。

 それはさておき、何を隠そう僕は大のチーズ好きだ。

 アマ○ンの通販でラクレットオーブンを買うくらい、フォンデュの鍋を買うくらい、冷蔵庫には常に何かしらのチーズが入っていたし、チーズ受けがいいワインも常備していた。

 そして、農家が直販している生乳を原料に自作もしていた。

 僕は目の前に鎮座するウィスキー樽を上下方向に圧縮したような見かけの、濃い黄色の塊を見つめる。

「ふふふふ……」

 自然と口元が綻びているのが自覚できる。

 三年も熟成したチーズ……。この、ベイクドチーズケーキのような色合いと表面の小さな白い斑点……これは、かなり熟成が進んだ証拠だ。

 きっとこれは、僕がもといた世界でパルメジャーノレッジャーノと呼ばれる超硬チーズに極めて近いものに違いない。

 僕は、瞬時にきょうの夕食の一品を閃いた。

「ご、ご主人、バターを作る前のクリームってあります?」

「ああ、ああ、もちろんだ、そっちも売り物だからね」

「ちょ、ちょっと待っててください、今、壺を取ってきますから!」

「ああ、なら、この壺をサービスするよ。この壺一杯で銀貨三枚。チーズは金貨五枚でどうだい?」

 ふむ、直径四十センチのパルメジャーノレッジャーノが金貨五枚とは破格だ。

 元いた世界だったら、この大きさで三年ものだと、十五万円以上はしていたはずだ。

「もう一声! 三年も売れ残ってたんだろ?」

 ルーデルが厚いクレープ見たいなパンで包んだケバブをほおばりながら口を挟んできた。

「お姉ちゃん、そりゃ殺生だ! これ一個に乳三十樽使うんだ金貨五枚でギリなんだよ!」

 店主は半泣きで抗議する。

 うん、確かにこれ以上は値切らないほうがいいと思う。

「いや、そのねだ……」

 僕は、金貨を入れた財布を取り出そうとして気がついた。

(お金、ほとんどヴィオレッタお嬢様に預けたんだった)

 冒険者ギルドから出るときに、僕は一人頭金貨二枚を今日の日当として渡し、残りをそれまで僕が管理していたお金と一緒にヴィオレッタお嬢様に預けた。

 僕なんかより金庫番としてはヴィオレッタ様の方が適任だ。

 なんと言っても、元、ゼーゼマン商会の番頭さんだから。

「じゃあ、さ、ハジメ、その村に行って買ってこようよ」

「バターを作ってる村ならいくつか心当たりがありますから、クエストがてら買い付けというのも悪くないですね」

 なんと、お嬢様方も値引き交渉に参戦してきた。手にはしっかりとケバブロールが握られている。

「あ、あんた、ゼーゼマンさんとこの……。はあ、しょうがないな。ゼーゼマンさんにはウチも世話になったからな」

 店主が大きくため息をついた。

「あら、あら、ヴィオレちゃんに、サラちゃんじゃない! あんたゼーゼマンさんとこのお嬢ちゃんから儲けようっての?」

「わかってるよ。チーズは金貨三枚銀貨四枚、クリームは銀貨二枚だ」

「まあ、ありがとうヴスマンさん。では、全部で金貨三枚銀貨八枚で買います」

 ヴィオレッタお嬢様が、財布から金貨を取り出し、店主に渡す。

「ありがとう、ヴィオレちゃん。大変だったね、そのかっこ…そうかい、冒険者になったのかい。がんばんな。バターをおまけするよ」

「ありがとうハンナさん」

「ありがとうハンナおばさん」

 つくづく生前のゼーゼマンさんの人徳を思い知らされる。情けは人のためならずとはよく言ったもんだ。

 ゼーゼマンさんが積んできた徳は、こうしてお嬢様方に帰ってきている。

「よっこらしょ」

 この重量、間違いなく僕が元いた世界のパルメジャーノレッジャーノに類似したチーズに間違いない。

 さっき、バター屋の店主もこれ一個に三十樽もの乳を使うって言ってたし。

 チーズとクリームを馬車に積み込んで僕はルーデルに言った。

「ちょっと、鍛冶屋さんに寄って欲しいんだ」

「鍛冶屋? まだやってるとは思うけど、なに買うんだ?」

「今晩のごはんをおいしくするものさ」

 僕の頭の中にある今日のメニューには欠かせないもの、それが鍛冶屋にあるのだった

「鍛冶屋さんに、ごはんをおいしくするもの? ハジメってやっぱりおもしろい」

「それって、高いものなんですか?」

 ヴィオレ様が眉を顰める。だけど、その瞳は笑っていた。

 

 そうして僕たちの馬車は、市場の外れの鍛冶屋に向かった。

 




お待たせいたしました。


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第54話 いつの間にか調理の役割分担ができてしまっていた件について

 ヴィオレッタお嬢様たちに野菜の買い物を頼んで、僕は、別行動で昨日フォークを受け取りに来たフゴル親方の野鍛冶工房に来ていた。

「親方! 昨日の今日で申し訳ないんだけど!」

 僕はここで、あるものを分けてもらえないものかと相談しに来たのだった。

「おう、あんちゃん。昨日の今日でなんでえ?」

「いや、急にね薄い鉄板が必要になって……あったら分けてほしいんだけど?」

「おう、いいぜ大きさは?」

「これくらいかな」

 僕は両手の親指と人差し指で四角を作る。

「ちょっと待ってな、切り出してやる」

 金鋏を携えた親方が、何を作るんだと聞いてきたので僕は、頭の中にあるイメージを伝えた。

「ふむ、それなら、お前さんが作るより俺が今ここで作った方が早いな」

 そういって、親方は鉄板を切り出すが早いか槌音を響かせ始めた。

 そして、あっという間に僕が伝えたイメージ通りのものを作ってしまってのだった。

「なんに使うんだこんなもん?」

 フゴル親方が、二足歩行する猫でも見るような目つきで、たった今自分が作ったものをしげしげと眺めている。

 発注してから僅か二十分位の早業だ。鍛冶職人レベル99は伊達じゃない。

「ふッふッふッふ……。それは、いわば革命です!」

 僕は、自分の言葉に酔い痴れる詐欺師のように言った。

「おいおい、物騒だな。だが、こんなもんじゃ国王軍どころか、この街の下っ端衛士でさえ倒せないだろうぜ」

 フゴル親方の呆れ顔に僕は眼前で手を振る。

「ああ、いえ、そのままの意味じゃなくて、食事……料理の革命なんです」

「ふん、食事の革命なぁ……。そういや、こないだ作ったふぉーくの使い心地はどうだ? あんちゃんにもらったやつ、使ってみてるんだが、家族におかしな目で見られちまって、肩身が狭いぜ。まあ、喰いもんの汁で手が汚れねえだろってごまかしちゃいるがね。いや、実を言うと、俺の仕事ってのは、見ての通り、手が汚れるんでな、メシの前に洗っちゃいるんだが、長年の仕事で染み付いちまった金屑汚れってのは落ちなくてよ。その手で飯を食うのがちょっと気が引けてたんだ」

 ちゃんと使ってくれてるんだ。律儀な人だな。

「バッチリです。手に持ったときのバランスといい、収まりのよさといい、理想的です。親方も、使ってくれてありがとうございます」

 親父さんは仕上がりを確認するために眺めていた僕の注文品を手渡してくる。

「ほいよ、こんな感じでどうだ? 代金はいらねえよ。なぁに、俺みたいな街の職人には一生縁がない祝福なんてもんをあんちゃんのおかげで受けられたんだ。これくらいじゃお礼にもならねえよ」

「はい、イメージどおりのできです。ありがとう。急なことなのに応えてくれて感謝です。これで、今晩の食事がおいしくなります」

 僕はできたての新兵器を眺めうっとりとする。

「いいってことよ。いつか、お前さんが作ったメシ食わせてくれよ」

「もちろんです。ああ、親方にあげたフォークだけど、もう、しばらく使ってみてください。それで、お腹をこわす回数が減ったらご家族にも勧めてくださいね」

「そうだな、そんときゃ作らせてもらうよ。もちろんお前さんには、アイディア料を払うぜ」

「それは、ありがたい。じゃあ、ついでと言っちゃなんだけど、フォークの追加製作もお願いできますか?」

 僕はフォークの追加生産生産を依頼する。

「おお、うれしいね。それなら、前と同じ数なら金貨三枚だ。こないだは初めて作るもんで手探りだったからあの手間賃をもらったが、今回は、それでいい。納期は、そうだな三日後でどうだ?」

「ずいぶん早いですね。それに大分お安い。それでお願いしたいけどいいんですか?」

 僕は、財布からお金を出そうとする。ちゃんと、ヴィオレッタお嬢様からもらってきている。

「ああ、言ったろ、祝福のお礼さ。それから代金なら納品のときでいい。二回も仕事をくれたお前さんはもうお得意さんだし、使徒様のお知り合いが踏み倒しなんてするわけねえだろ」

 鍛冶屋の親父さんは白い歯を見せて破顔したのだった。

 イフェ様とルーティエ様に感謝だ。

 

「おそーい! ハジメぇ、腹へったぁ!」

「ハジメ! 今日のごはんはなぁに? わたし、お腹と背中がくっつきそうよ」

 待ち合わせの場所にすでに到着していたお嬢様方は、ご機嫌が傾き始めていた。

「ハジメさん、今日のスープも昨日と同じでいいですか?」

 ヴィオレッタお嬢様は、すっかりスープ係を自任しているようだ。

「ごめん! みんな。ほんとうは自分で作るつもりだったんだけど、鍛冶屋の親父さんが作ってくれるっていうんで、お言葉に甘えてたら遅くなっちゃいました」

「さあ、乗った乗った! 買い忘れはないよな」

「キャルク人の屋台、買占めしちゃったし!」

「今日もお野菜たっぷりのスープつくりますよ!」

「え? 屋台の肉買い占めて来ちゃったんですか?」

 たはははは……。どんだけ食べるんだろこのお嬢さんたちは。

 まあ、でも、今日のみんなの活躍具合を思い出すと……、うん、莫大なカロリー消費をしているような気がする。

 おいしいものをいっぱい食べて、エネルギー補給してもらわなきゃ。

 馬車の荷台から、後ろに流れてゆく街並みを眺めながら、僕はそう思ったのだった。

 

「よおし、始めましょう!」

「「「「おおおおおッ!」」」

 厨房には、ヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様、そして、エフィさんがいる。

 リュドミラとルーデルは、一足先に応接間で干し肉をアテにエールを飲み始めている。

「では、ヴィオレッタお嬢様は昨日と同じスープを作ってください」

「はいッ! ハジメさん!」

 返事が早いかヴィオレッタお嬢様は調理台に飛びついて猛然と野菜を切り始める。

「ヴィオレ、スープ鍋にお水張っておきましたよ」

 一足先に帰宅していたエフィさんは、すでにスープ鍋に水を入れてくれていたようで、野菜を刻んでいるヴィオレッタお嬢様の傍にある魔石利用コンロにのせる。

 これは、炎魔法に設定した魔石を利用した調理器具で、魔力の放出量によって火力の調節ができるという便利な道具だ。

 僕が元いた世界で言うところのIHクッキングヒーターってところだ。竈みたいに場所を選ばないから、重宝されている魔道具だ。

「エフィ、ソーセージをお願いできます?」

 野菜を刻んだ端から鍋に放り込みながら、ヴィオレッタお嬢様がエフィさんにウィンクする。

「了解ッ! 縦四つ切りでいいですか?」

「そうですね、お願いします」

「了解ですッ!」

 軽い敬礼をして、エフィさんがウォークイン冷蔵食品庫に入ってゆく。

 うん、これでスープは大丈夫だな。

「ハジメ! わたしは? わたしは?」

 サラお嬢様も、昨日のアイスクリンの成功で気をよくしているらしい。俄然張り切っている。

「サラお嬢様、今日はゴブリン討伐でたくさん働いていただいたので、食事ができるまでくつろがれていた方がいいのでは……」

 とたんにサラお嬢様の頬がハリセンボンのように膨らむ。

「あ、あ、あ、あ、いや、お願いしたいことはあるんですよ。サラお嬢様がきっと一番上手にできることです。お嬢様方が買い占めてきたお肉、これを暖めてほしいんです」

「うん、どうすればいいの?」

 僕は、鉄製の鍋を調理台に置いた魔石利用コンロにおいて、お嬢様方が買い占めてきた大量のケバブの肉をぶちまける。

「このコンロの魔石に淹れたての熱いお茶くらいに温まる魔法を設定してほしいんです。それで、この鉄鍋を暖めてほしいんです。この料理も温かいほうがよりおいしいですからね」

 僕がほしい温度は、魔石コンロにデフォルト設定されている炎魔法では強力すぎるのだった。

 バイキングとかで、料理が暖かいまま並べてあるアレが欲しかったのだった。

「うーん、炎魔法じゃ強すぎるなあ……。あ、そうか! できるよハジメ!」

 そういって、にっこりと笑ったサラお嬢様はコンロの魔石に指を置いて、なにやらつぶやく。

「ヴァリューシュ!」

 そう小さく叫んだサラお嬢様はにこりと笑う。

「これで、このコンロの炎魔法は解除したわ、今度は、私の魔法を設定するね」

 そう言ってサラお嬢様は歌うように呪文を唱えながら魔法コンロの上に魔法陣を描き始める。

「この魔石に宿れ! 小さな太陽プチソレイユ!」

 鉄鍋をのせたコンロの魔石が夕日のような色に輝き始める。

「今、一番弱くしてあるから、温度確かめてみてハジメ!」

 鉄鍋をどけて手をかざしてみる。使い捨てカイロくらいの温かさが伝わってくる。

「流石ですサラお嬢様! 今日はほんっとに大活躍ですね」

 サラお嬢様の頭を撫でる。

「むふふふッ! この魔法、冬のお布団の中でよく使うの」

 サラお嬢様はフンスと胸を張り、アゴを上げて、喉を撫でられている猫のように目を細める。

「暖を取るための中級生活魔法なんですよハジメさん。でもほとんどの人は生活魔法なんて初級でやめちゃう人がほとんどなの。中級生活魔法なんてほとんど必要とされませんから」

 ヴィオレッタお嬢様が、サラお嬢様の習得している魔法のすごさを教えてくれる。

「ほんとうにすごい方なんですねサラお嬢様は」

 僕は素直にサラお嬢様に賛辞を贈る。

 サラお嬢様のアゴがさらに上がる。このままではふんぞり返りすぎてロールパンになっちゃいますよ!

「ふう!」

 僕は軽くため息をつく。今日もおいしいスープと、おいしいお肉料理は確保できたようだ。

 では、僕も今日のメインに取り掛かるとするか!




毎度御愛読、誠にありがとうございます。


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第55話 完成!『カルボナーラ』

「さて……と」

 僕は大きな鍋にたっぷりと水を張り、竈にかける。

「うわあ! お鍋の中で泳げそう!」

 調理台で、ケバブを温めているサラお嬢様が驚いた声を上げる。

「まあ、ほんと! いっぱいお湯を沸かすのですね、ハジメさん」

 野菜をスープ鍋にすべて投入し終わって一息ついているヴィオレッタお嬢様も驚いている。

「ははぁ、サラが言う通り、まったくもって泳げそうでございますねハジメさん! さては、さては、今晩のメニューは麺ですね!」

 エフィさんも冷蔵食品庫から持ってきた太いソーセージを切り分けながら、今晩のメニューを言い当てた。

「大正解ですエフィさん。今日は麺料理を食べていただきます」

「「「わあっ!」」」

 厨房に歓声が響く。

「ハジメ! わたし、麺大好き!」

「私も大好きです! どんな麺になるのか楽しみです」

「うん、みんなの期待に添えるようにがんばって作るね!」

 パスタを茹でる鍋に、たっぷりめに塩を入れ、オリーブオイルを撒く。

 油を入れるのって麺同士のくっつき防止には意味が無いらしいけれど、ふきこぼれ防止には効果があるらしいので僕はスパゲッティを茹でる際には入れることにしている。

 塩加減は、今日の料理の場合少ししょっぱいと感じるくらいがいいと思う。

 さて、お湯を沸かしている間に、具材の準備だ。

 卵とベーコンを冷蔵食品庫から取り出す。

 買ってきた硬くて大きくて重いチーズとクリームも調理台の上に出してある。

 ベーコンの端のたっぷりと煙がかかった部分を数ミリ切り落とし、五ミリくらいの厚さにスライス。それをさらに五ミリ幅くらいにカット。角柱状に切り揃えてゆく。

 ベーコンのカットが終わったら、今度はニンニクとタマネギだ。

 クック○ッドなんかでちょくちょく見かけたレシピや、イタリアンレストランのシェフが公開しているこの料理のレシピに、ニンニクを入れるというものを見かけたことは無い。

 だけれども、僕はニンニクが大好きだ。いや、「ニンニク旨し」を信仰しているといっても過言ではない。

 そもそも、イタリア料理というものはオリーブオイルとニンニク、そして、トウガラシでできていると確信している。

 だから、僕はきょうの料理にもニンニクを入れる。

 そしてタマネギは、繊維にそって二ミリくらいの幅で薄切りにする。

 次は、卵とチーズだ。

 六人前だから、さすがに量がものすごい。卵十二個をボウルに割りいれときほぐす。

 そして、今日、鍛冶屋で作ってもらった秘密兵器。これがあるからこそ今日のメインは成り立つ。

 今日、鍛冶屋で僕が作ってもらったのは、薄い鉄板に穴を開けて湾曲させた『チーズグラインダー』だった。

 すなわち、硬くて重いチーズをすりおろし、粉状にするための道具だ。

 塊からやっとこさ切り出した硬いチーズを、作りたてほやほやのチーズグラインダーで、ゴリゴリとおろしてゆく。

 そして、すりおろしたチーズを溶き卵の中に投入、よく混ぜ合わせる。

「ハ、ハジメさん! 私、何が起ころうとしているのかさっぱり見当がつきません」

 ヴィオレッタお嬢様がうろたえている。

「大丈夫よお姉ちゃん! ハジメはとんでもなくおいしいものを作ってくれるわ!」

「ふうむ、非才もこのような麺料理は、初めて目にします。……が、これがおいしいものであろうことは確信できます!」

 やっぱり、こっちの世界では、今僕が作り始めたパスタは、まだ、知られていないようだ。

 ベーコン、卵、クリームに粉チーズ。

 この材料で、僕が今日作ろうとしているものは、『スパゲッティカルボナーラ』だった。

 もちろん黒コショウだってある。

 大交易商人を破産させるくらいに大暴落はしたが、まだまだ庶民には浸透していない。

 一昨日、セスアルボイ亭のオーナーシェフがルーとエフィさんに持たせてくれた食材の中に、黒コショウもあったのだった。

「ハジメさん! スープ出来上がりました!」

「ハジメ! お肉もあったまったわ!」

「お疲れ様です、では、ルーとリューダを呼んで来て、スープとお肉を食べ始めててください。麺料理がありますから、食べる量には気をつけてくださいよ。あ、エールとワイン、それから果汁も持っていってくださいね」

 そう言った僕に、ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様が頬を風船のように膨らませ、不満がこもった視線を投げつけてきた。

「ハジメさん! 昨日は、お父様の弔いの宴ということでしたし、三柱の女神様がおいででしたから、ハジメさんに調理と給仕をしていただきましたけど!」

「これから食べるのは、いつものふつうのごはんなんだよハジメ!」

 お嬢様方が何をおっしゃっているのか、僕にはいまいちよく分からない。

「ハジメ! わたし、みんなで一緒にいっせーのせで食べるのがいい!」

「私もです、ハジメさん!」

「そうでございますね。みんなで一緒に、感謝の言葉を捧げてからいただくのがいいですねぇ」

 ああ、なるほど、そうか、全員が揃って一緒に食べ始めるという、いわば家族の毎日の儀式を大事に考えているんだこの方たちは。

 こっちに転生して来るまでの約十年間、僕は家族というものがあって無き如く過ごしてきた。 どこかに出かけて食べるのも、自分で作って食べるのも、お店のカウンターで同席する以外一人きりだった。

 だから、でき上がった端から、冷めてしまう前に食べてもらおうと考えていた。

 一昨日の餃子は、料理があれ一品だったから、出来上がりと同時にみんなで食べることができたけど、昨日今日は、品数が多いから、できた端から食べてもらえばと考えていた。僕は僕で厨房で僕の分を取っておいて食べるようと考えていたのだった。

 エフィさんにしたって、昨日は女神様方の前で、あまりにも緊張して、食べられそうにも無かったから厨房で食べてもらっただけで、今日はみんなと一緒に食べてもらえるだろうと思っていた。

「ハジメさん!」

「は、はいッ!」

「ハジメさん、おっしゃいましたよね。私たちは家族だと! あれは、嘘だったのですか?」

 ヴィオレッタお嬢様が詰め寄ってきた。

 確かに言った。一昨日、食事処セスアルボイ亭で、みんなを奴隷から解放したときにそう言った。僕は家族と一緒に食事をしたいんだ……って。

「いえ、僕は嘘はつきません」

 っていうか、ヴィオレッタ様やサラ様、エフィさんにリュドミラ、そして、ルーデル。この人たちにだけは嘘をつきたくないと、僕は思っている。

「じゃあ、ごはんをいっしょに食べて」

「家族はいっしょにご飯を食べるものです! 私は父母にそう教わりました!」

 あらためて家族という言葉を突きつけられ、照れくさくなった僕は助けを求めようとエフィさんに視線を送る。

 けれども、女神イフェと大地母神ルーティエの使徒様はニコニコと微笑むばかりで僕を助けてくれるような言葉をその口から発してくれるような素振りさえ見せてくれない。

 僕は大きくため息をつく。

「ごめんなさい。僕が悪かったです。みんなが揃ったテーブルでみんなで一緒に食べましょう。ヴィオレ様とサラ様は、引き続きスープとお肉の保温をお願いします」

「「はいッ!」」

 ものすごく元気なお返事が返ってきた。二人はニコニコとコンロに向かう。

「ハジメさん! お湯が沸きましたよ」

 エフィさんが竈にかけていたパスタを茹でる鍋が沸騰していることを告げてくれる。

「じゃあ、かかりましょう!」

 僕は人数分のパスタを投入する。

 ぎゅっと捻って落とすと勝手に円形に広がってくれるんだけど、さすがにこの人数分はきついので、半分ずつの投入だ。

 徐々に鍋底に沈んでいくパスタを眺めながら、フライパンを竈にかけ、オリーブオイルを多めに入れる。

 使い込まれて黒光りしている立派な鉄製のフライパンは、手首をぐるりと回すだけで、ぱっとまんべんなく油が広がり馴染む。

 そこへ、微塵に刻んだニンニクを入れて、ふわっと香りが立ち上がったら、タマネギとベーコンを入れていためる。

 ベーコンに焼き目がついてカリカリになったところで、クリームを投入。

 塩と細かく挽いたコショウで味を整える。

 このときの味付けは好みだけれど。僕はしょっぱ味が足りないかなと思うくらいにしている。

 卵を入れるから濃い目がいいという意見もあるけれど、僕はこのときは薄めに味付けをする。なぜなら、卵には熟成した濃い味のチーズがたっぷりと入れてあるからだ。

 それに、パスタにも下味がついているから、ぼくは、断然この時点では薄味にしている。

 クリームを投入して少し立つとフライパンのふちが泡立ってくる。

「ハジメさん麺をお願いします!」

 エフィさんが麺が茹で上がったことを教えてくれる。

 パスタを一本とってチュルリとすする。うん、アルデンテだ!

 茹で汁を少しとっておいて、大ザルにパスタを空ける。湯切りをしてオリーブオイルをふりかけ、ザルをちゃっちゃと上下させてオイルを回す。

 そして、壁にかけてあった大きなボウルを調理台に置いてパスタを移す。フライパンの中は少しだけ沸騰が始まっていた。

 フライパンを火から下ろし、取り置いておいたパスタの茹で汁を加える。

 そして、卵とチーズを混ぜて馴染ませておいた卵液を盛大にぶちまける。少しかき回して、茹で上がった六人前のパスタに空けて、手早くかき混ぜる。

 余熱でチーズが溶け、卵に火が通ってゆく。

 ふわっと溶けたチーズの香りが厨房に漂う。

「っしゃッ!」

 そこに荒く挽いた黒コショウを散らして……。

「完成です! これは、カルボナーラっていいます!」

「「「わああああああッ!」」」

 お嬢様形の歓声が厨房の空気を振るわせる。

「なんだなんだ? すっげーいい匂いだぞ!」

「またハジメが、なにかおいしいものを作ったのは予想できるのだけれど」

 蕩けたチーズの匂いに誘われて来たのだろう。ルーデルとリュドミラが扉の無い厨房の出入り口から熱いまなざしをこちらに向けてくる。

「では、皆さん食事にしましょう! リューダ、ルー! 食器を並べるのを手伝って!」

「エールの壺はまかせろ!」

「ワインの壺と果汁の壺はわたしが持っていくわ」

 ルーデルとリュドミラが冷蔵食品庫に走る。

 君たち、応接室で飲んでたよね? それ、もう全部飲んじゃったの?

「スープをつけましょう」

 ヴィオレッタ様が器とお玉を構え、

「わたし、お肉を持っていくわ! 薄パンもかごに入れて持っていくね!」

 ケバブを盛ったボウルと薄焼きパンを入れたかごをサラ様が抱える。

「非才は『かるぼなーら』を盛り付けましょう」

 そして、エフィさんがローストビーフを切ったときに使った刺又みたいなフォークにくるくるとパスタを巻きつけ、皿に上品に盛ってゆく。

 みんなが踊るように食事の場を整えてゆく。

 それはまるで、温かい風を感じるような絵画に描かれていた情景のようだった。

 僕はその絵をどこで見たのかはすっかり忘れているんだけど(きっとネットかなんかで見たことがるんだろう)妙に懐かしさを感じる絵だったことは覚えている。

「ああ……あ、わッ」

 僕は慌てた。

 だって、僕の頬を暖かい液体が流れていたから。

「ハジメさん?」

 ヴィオレッタ様が、とととっと傍に来て僕の涙を拭ってくれた。

「煙が目に入っちゃいましたね」

 そう言って目を細めるヴィオレッタ様の笑顔が、また、滲む。

「ま、全くです。生木が混じっていたに違いないですね」

 僕は照れて俯いた。

 そして……。

「ありがとう、ヴィオレ」

 と、我ながら情けなく、蚊が鳴くような声でつぶやいた。

 が、その呟きは聞き逃されなかった。

「……ッ!」

 すぐ傍で息を呑む気配がする。

 僕は未だに涙でかすむ視線をそちらに向ける。

「ハジメさん……」

 そこには、潤んだ瞳で僕を見つめ、微笑んでいるヴィオレッタがいたのだった。




お読みいただき、誠にありがとうございます。


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第56話 地震かなぁ……

「みんな! 手は洗いましてね。では、いただきましょう」

「「「「「「いただきま~す!」」」」」」

「麺は、これ使ってくださいね! 昨日配ったこれ、持ってますよね! キャルク人の肉料理もパンに挟まないなら使ってください!」

 フォークを掲げ、僕はみんなに注意する。

 ちなみに僕が使っているフォークは、夕べ女神様方が使ったうちの一本だ。

 女神様方が使ったカトラリーは、僕が今使っているフォーク以外、大切に僕のマジックバッグに保管してある。

 マスターシムナが使ったフォークは、彼女が持って帰ってしまっていた。

「ええ! これで麺を食べるの? どうやって? めんどくさいわハジメ!」

 ああ、サラ様の反応……予想通りだ。

「ふふふ、実はですね、今日は、フォークでの麺の食べ方も教習しようと思って、このメニューにしたのです」

 僕は左手に匙、右手にフォークを持って構える。

「麺はこうやって食べます」

 フォークを麺に差し込んでくるりと一~二回まわして巻きつけて匙に載せ、凹みを使ってくるくると一口分の大きさに巻き上げる。

「そして、こう食べます」

 僕はソースと具をほどよく混ぜ込んで、フォークに巻きついたスパゲティカルボナーラをぱくりと口に放り込んだ。

「わあッ! 手品みたい!」

「なんと器用な……さすがは台下!」

「まあッ!」

「うへえ! めんどくさ」

「ふう、こればかりはルーの言う通りなのだわ」

 うんうん、みんなの反応はもっともだ。

 手掴みなんかで食べるより、はるかに面倒くさいだろう。

「でも、これなら、温かいままに手を汚さずに食べられますよ」

「あ、そうか!」

「指で摘めるくらいに冷めるまで待たなくていいんですね!」

「なるほど! 口に入れるときに少し冷ますだけで、熱めのものでもいけるということでございますね」

 そう、昨日のメニューは、スープ以外は手掴みでも食べられるくらいに温度が低い物ばかりだったから実感できなかったろうが、今日のは結構温かい。

「そうか、そういうことなら!」

「試してみる価値はあるとおもうのだけれど」

 カルボナーラを、指で摘めるまで待ってたら、手持ち無沙汰になり、結果、冷めるころにはケバブばかりが無くなっているなんてことななりかねない。

 それに、冷めたカルボもうまいことはうまいけれど、あったかいのには適わない。

「熱かったり温かかったりする方がおいしいお料理だってあるんです。僕は、ことごとくそれをみんなに食べてもらいたいんです」

「わかったわハジメ! 挑戦してみる! もう一度教えて! ハジメ」

 サラ様が匙とフォークを取る。

 それを合図にみんなが匙とフォークを構える。

「こうやって、こうです」

 僕はもう一度、お手本を見せる。

「んむむむ……」

「うう……ッ」

「はッ、ほッ、やッ!」

「うぬぬッ……ぬ…おぉッ」

「………………ッ!」

 みんな四苦八苦してフォークでスパゲティを巻いている。

 たしかに慣れないとフォークを回すのって難しい。

 僕も子供のころはうまく巻き取れずに、焼きそばを食べるときみたいにすすって食べてたっけ。

 僕は決して器用な方じゃない。どちらかといえば不器用な方だ。

 でも、不器用な僕でも、スパゲティをフォークで巻いて食べられるようになった。要するに練習だ。

「はあぁッ!」

「ふう……」

「ほああッ!」

「……っく、はッ、ほッ」

「…………ッ!」

 何度かフォークを取り落としながらも、彼女たちはなんとかパスタを一口大に巻いた。

「そしたらこう、ふーふーってして……」

 パクッ!

 みんなほぼ同時に、スパゲティが巻きついたフォークを口の中に入れ、思い思いに咀嚼する。

 その数瞬後……。

 テーブルがカタカタと揺れ始める。

「え? 地震? めずらしいな」

 実際、僕がこっちの世界に転生してきて地震は初めてのことだった。

 次第にその揺れが、地響きのような音を伴い、大きく激しくなってくる。

「こりゃやばい! みんな! テーブルの下に!」

 僕は身を隠そうとテーブルの下に身を屈ませる。

「なッ…………ッ!!」

 激しい揺れと、地鳴りの原因は地震じゃなかった。

 僕以外のみんなが、腰掛けたままその場で激しく足踏みをしていたのだった。

「むふううううう!」

「ふ、ふむうううう!」

「ッ…………ふんッ!」

「ふむむむうッ! むふうう!」

「……………………ッ!」

 意味をなさないことを叫びを上げながら、テーブルがひっくり返るんじゃないかと思うくらいに、みんなが激しく足踏みをしていた。

「「「「「むッふぉおおおおおおおお!」」」」」 

 まん丸に目を剥いて、メタルバンドのライブでのヘッドバンキングのように頷き合い、両手を打ち振っている。

 そして……。

「なんじゃこりゃあッ! うまあああああああああああああああああああぁッ!」

 ゲストと一緒に料理の素材の収穫をして、日本の農漁業のすごさを伝える旅番組のMCのように大声を食堂に響かせたルーデルの雄たけびが皮切りだった。

「んはああぁ……ッ!」

「おほおおおッ! こ、これは、これはあッ!」

「まああッ!」

「わあああッ! おいしいッ!」

 あるいは体全体を震わせて。

 あるいは瞑目して。

 あるいは背筋を仰け反らせ。

 またあるいは、自分を抱きしめて。

 そしてあるいは、にっこりと破顔して。

 食堂に響き渡る歓喜の声に、僕はしてやったりとにんまりしたのだった。




御愛読ありがとうございます。


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第57話 甘いものは別腹ってそういうことだったのか

「「「「「おかわり!」」」」」

 しまった! これは、想定していなかった。

 僕に向かって一斉に差し出された皿に、僕は周章していた。

 だって、ドネルケバブだってあるんだよ!

 

 まったくもって、まさに舌を巻くようなという表現がぴったりの速度で、みんなはパスタを食べるときのフォークの使い方をマスターしていった。

 一口目よりも二口目、二口目よりも三口目と、倍々に巻きつけるパスタの量の調節、そして、巻きつけるスピードが上がっていったのだった。

 ルーデルとリュドミラにいたっては。皿の後半は匙を使わずにフォークで巻いていたくらいだ。

「ぷはあぁっ! これ、エールがよけいにすすむ麺料理だぜ、ったくよう! ハジメぇエライもん作ってくれたなあ!」

 ワイルドに太く巻いた麺を一口食べてはエールをごっきゅごっきゅと飲み、ルーデルが犬歯を見せて笑う。

「麺に和えてある卵とクリームのソースに混ぜてある、少し酸っぱくて濃い乳の味がするものが、ワインを引き立ててくれていると思うのだけれど」

 上品にフォークに巻いたカルボを優雅に口に運びながら、この料理のツボともいえる部分をリュドミラが言い当て妖艶に微笑んだ。

「リューダ、それは、チーズっていうのよ。バター屋で三年も売れ残っていたのをみんなで値切って買ってきたのよ。あと、ハジメが、鍛冶屋でそれを粉にする道具を作ってもらったの」

「チーズはこうして味付けにも使えるんだけど、それだけで食べてもおいしいんだ。後で切ってあげる。ワインのつまみにするといい。もちろん、エールのつまみにもなるからね」

 食後酒のアテができてルーデルとリュドミラはにんまりとした。

「いやあ、このような料理、王宮晩餐会でも出てきませんでございますよ」

「ええっ? ウィルマ、王宮の晩餐会に出たことあるの?」

 サラ様が目を見開いてエフィさんを見返す。

「ははは、ルーティエ教団のお偉いさんにくっついてって、おこぼれに預かっただけですよ」

「じゃあ、ウィルマ、私たちって、国王様や王族の方々より贅沢なものを食べているってことかしら?」

 困ったような顔でヴィオレッタ様がエフィさんに尋ねる。

「贅沢かどうかといったらそれは、否でございます。材料はこんな辺境の市場で手に入るものばかりでございますから。しかし、王宮の料理よりもおいしいことは確かでございます」

 エフィさんは切れ長の目をいっそう細くして微笑みヴィオレッタ様に答える。

 昨日もエフィさんは王宮の料理と僕が作ったのを比べて褒めてくれたけど、エフィさんが言ってることが本当だとしたら、宮廷料理って、どんなものが出てくるのか気になってくる。

 まあ、二十一世紀日本で食べることができる料理と、元いた世界の中世後半ぐらいの文明程度の世界の料理を比較するのはナンセンスだけどね。

 大体、元いた世界の日本での一般のご家庭の料理だって、江戸時代と比較したら大名や、将軍ぐらいしか食べられなかったもののオンパレードだ。

「あと、フォークで食べるのって、なんか、自分が野蛮人じゃないって思える気がします」

「「「「それだあッ!」」」」

 ヴィオレ様の言葉にその場の全員が大きく頷いた。

 そして、あっという間に、決して少なくはない(一皿大体1.5人前は盛り付けてあったはずだ)分量を胃に落とし込んで、僕に向かって空になった皿を突き出したのだった。

 

 パスタは? あと、三キロくらいは余裕である。

 クリームは? 十二分だ。

 ベーコン大丈夫。

 卵? あと、四ダース四十八個たっぷりとある。

 チーズ? 無論だ。

「あははっ。こんなに気に入ってもらえるなんて思ってなかったから、余分に作ってはいなかったよ。ちょっと待っててね。作ってくるから」

 僕は皿を回収して厨房へ。

「あ、ハジメさん、待って! 私、手伝います!」

「わたしも!」

「あ、非才もお手伝いいたします!」

 ヴィオレッタ様、サラさま両嬢様とエフィさんたちが追いかけてくる。

「うしッ、じゃあ、はじめましょう!」

 そうして、僕は再び『スパゲティカルボナーラ』を作り始める。

 パスタの分量を一回目よりも若干増やして……というか、一回目は1.5人前を一皿としていたので次は一皿あたり二人前を盛り付けることにする。

 ソースも前より1.5倍くらい多く作る。

 それでもウチのお嬢様方はきっとぺろりとたいらげてしまうに違いない。

「はいっ! お待ちどうさま!」

「「「「「「いただきまーす!」」」」」」

「「「「「うまぁっ!」」」」」

「むはっ! ん、んぐ、んぐ、んっ!」

「っ……っ、…ん………っ! ………ん………んっ!」

「はふっ! んっ、んむっん、ん、んんんんっ!」

「あふっ、ふ! ふあっ、ん、ん、んぁ、んっ!

「ほあッ! んほおぉっ! ほ、ほ、おほおおおおおっ!」

 ……本当にぺろりとたいらげやがった。このひとたち、なんて胃袋してんだ?

「「「「「おかわり!」」」」」

 再び僕に向かって皿が突き出された。

 ケバブを食べるための薄焼きパンで、きれいにソースを拭ってるから洗ったみたいにピカピカだ。

「は、はははは……」

 パスタは? あと、二キロ弱くらいは余裕である。

 クリームは? 十分だ。

 ベーコンも、まだ、あと一回分ぐらいならなんとか。

 卵? あと、三十一個。

 チーズ? まだまだ十分ある。

「作ってきます!」

「お手伝いします」

「わたしも」

「非才も」

 再び僕たちは厨房に走る。

 パスタは残り約1.8キロを全部茹でる。ソースは2倍多く作る。

「お待ち! さあどうだ!」

「「「「「いただきまーす!」」」」」

「「「「「おーいしいいいいいいっ!」」」」」

 もうすっかりみんなフォークの使い方はマスターしていて、ものすごいスピードでカルボナーラを頬張り咀嚼し飲み込んでいく。

 僕は、ただただ、呆然とみんなが皿を空けていくのを眺めている。

「むはっ! ん、んぐ、んぐ、んっ!」

「っ……っ、…ん………っ! ………ん………んっ!」

「はふっ! んっ、んむっん、ん、んんんんっ!」

「あふっ、んふ! ふあっ、ん、ん、んぁ、んっ!」

「ほあッ! んほおぉっ! ほ、ほ、おほおおおおおっ!」

 初めの一皿は通常でいうところの大盛の分量だった。二皿目は通常だったら特盛りと呼ばれる二人前分、そして、今みんなが食べているのは僕が元いた世界では、メガとかギガとかいわれるレベルの盛りだ。

 それが、見る間になくなってゆく。

「んぐ、んぐ、んぐ……ぷはああああっ!」

「ふうぅ!」

「んはあぁっ!」

「はふぅ……」

「ほうっ!」

 全員がほぼ同時にフォークを皿の上に置いた。

「はああ……くったっ! もう入らねえ」

「ふふふ、わたしも少し食べ過ぎたかしら。お腹がおも…いのだけれど」

「ぷふう……わたし、こんなにいっぱい食べたの初めて……これ、食べ過ぎっていうのかなぁ」

「私もです。もう……ハジメさん! 私、太っちゃったらハジメさんのせいですよ」

「ほおう……非才もいささかすごしました…くはぁっ!」

 みんな膨れたお腹を抱えてイスに寄りかかっている。

 胃袋が四○元ポケット化していたわけじゃなかったようだ。

「ははっ! よかった、みんな、今日の料理は気に入ってもらえたようだね」

「気に入ったなんてもんじゃないわハジメ! わたし、今まで食べた麺料理の中できょうのスパゲッティかるぼなーら? これ、一番好きになったわ」

 サラ様が空になった皿を指差す。

「はあ、でも、あんまりおいしくって、食べ過ぎちゃう」

 ため息がちにヴィオレッタ様が眉を顰める。

「なに心配してんだよヴィオレ、働きゃあいいんだ。働きゃあ!」

「そうね、食べたら働けばいいのよ。そして、いっぱい働いたらいっぱい食べればいいのだわ」

「ふうう、で、ですが、今はなんとか、この膨れきったお腹をどうにかしたいものです」

 エフィさんが苦しげに、お腹をさする。

 ほんとうによかった、みんなお腹いっぱい食べたら苦しくなる人間だったようだ。

「はあぁ……。甘いものが食べたいなあ」

 サラ様がつぶやいた。

「そうね。何か甘いものがあればお腹がすっきりするような気がするわ。杏を干したものがあったと思うけど……」

 ヴィオレッタ様も甘いものを欲しがっている。だが、ここで、お菓子に発想がいかずにドライフルーツに考えがいくところが、砂糖がまだまだ贅沢品であるということなのだろう。

 そういえば、食後に食べる甘いもの、すなわちデザートには満腹になった胃から、腸に食物を押し出す働きがあるって聞いたことがある。

 甘いものは別腹って、そういうことだったんだって感心したことを思い出した。

「では、非才、食品庫を見てまいりましょう」

 エフィさんが立ち上がる。

「ああ、エフィさん、それ、僕が取ってきましょう。でも……」

 そう言って間をもたせた僕に、サラ様がハッとする。

「あ、あ、ハジメ! まだ、あるのね! あいすくりん、まだあるのね!」

 食堂の気温が確実に何度か上がった。

 ギラリと熱を帯びた視線が僕を射抜く。

「はい! 全員が一回食べられるくらいの分が残っていますよ」

「「「「「ぅわああああああいっ!」」」」」

 たったいままで満腹以上に詰め込みすぎて膨れきった腹を抱え、うんうんと唸っていたみんなが破顔する。

 とっぷりと日が暮れ、静まり返った辺境の町ヴェルモンの住宅街の一角にあるゼーゼマン邸に、食欲魔人と化した女の子たちの歓声が響きわたった。




17/09/08第56話~第60話までを投稿させていただきました。
毎度御愛読、誠にありがとうございます。


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第58話 あまーい! こっちのコーヒーは咽るくらいあまーい!

大変お待たせいたしました。


 翌朝、昨日よりかなりゆっくり目にお屋敷を出て、僕たちは冒険者ギルドに向かった。

 当然、朝食もゆっくり目に作って、みんなでいっしょに食べた。

 ちなみに、朝食の献立は、炒めたソーセージ、夕べのスープの余りにいろいろ付け足したもの、柑橘の果汁とパンだった。

 夕べ、カルボナーラが好評すぎてほとんど食べられずに、かなりの量が余ったドネルケバブは今日のお弁当だ。

 

 ギルドに向かう馬車の中で僕は誰とはなしに、聞いてみる。

「昨日から不思議に思っていたんだけど、ゴブリンに攫われた女の子を助け出すのって、領主様とかがやらないのかな? そのためにみんな税金納めてるんじゃないの?」

 僕みたいな平均的日本人の考えだと思う。国民の生命財産を護るために、警察や消防、そして軍隊がある。

 そしてその組織を運営するために税金が使われる。

「あなたがいた国ではそうなのね」

「へえ、どんな君主が治めてるんだ? 立派な君主だな」

 うん、僕の国の君主様は確かにいついかなるときでも国民の平和安寧を祈り続けている国民想いの立派な方だと思う。

 いや、だけどそれは、国のシステムの問題であって、君主どうこうじゃないと思うんだが。

「ハジメさん、ヴェルモンの街の領主様は民想いの立派な方です」

「でもでございます。この国で起きた有害モンスターによる誘拐事案で、どこの領主様も出兵されたことはただの一度もありません」

「え?」

「自分の孫娘が攫われたって、救出隊を編成して出兵しなかったって、シムナも言ってたろ」

「それって、どういう……?」

「この国の軍兵は、国王と国を護るものだからなのでございます」

 いや、待て、それは本末が転倒してるだろ。

 国民……すなわち、納税者があっての国だろう? 納税者がいなければ、国を動かすシステムが機能しなくなるじゃないか。

 だから、納税者、すなわち国民を守ることの優先順位が高いんじゃないのか?

「軍隊はこういった事件では動かせません。動かせたとしても個々の事案に対応するには人手が少なすぎます」

「で、ございますから、ここの領主様は周辺村落の警備を強化したのでございます」

「算数の話よハジメ。わたしたちが昨日やった救出作戦は、Bクラスの冒険者で十人からのパーティーでやるようなクエストなのだわ。これを、軍隊がやるとなると歩兵増強二個中隊二百人が必要になるわね」

「その兵力は、このヴェルモンの街の駐屯部隊は一個大隊千人弱でございますから、約二割の兵力でございます」

 僕は驚いた。

 Bクラス冒険者一人の戦力が、とんでもないということにだ。

 よく力持ちを表現する言葉に十人力とか百人力とかあるけれど、冒険者ってほんとにそうなんだ。

 Bクラスだと単純計算で一人頭軍の兵隊二十人分の戦力、いわば二十人力ってことだ。

 僕の前でニコニコしているエフィさんで二十人力……。

 だったら、SSSって何人力なんだ?

「じゃあ、兵隊増やせばいいじゃないか?」

「バカだなハジメは。いいか、国の政は国王の側近の大貴族たちが取り仕切ってるんだぜ。そいつらはいつだって自分の取り分を増やしたがってるんだ。国王の命令以外で勝手に軍備を増強してみろ」

「あ、そうか、謀反の意ありと看做されて討伐されるってこと?」

「ハジメにしては上出来な答えなのだわ そうよ、このヴェルモンはグリューブルム王国の東方辺境最大の街。そして、王国の中でも豊かな土地なのだわ」

「はい、で、ございますから、王国中枢に巣食う妖怪たちの垂涎の的なのでございます」

「ですから、ニーナ様のお父様……アルブレヒト様は、騎士団の大隊長として、奥様ともども王都に留め置かれているのです。いわば人質ですね」

「え? ヴィオレ?」

 参ったヴィオレッタ様までがそんなことを知っているなんて。

 ああ、でも、元ゼーゼマン商会の番頭さんだから、そう言う情報は入ってくるのか。

「だから、どこの街でも冒険者ギルドが、そこを肩代りしてるのよハジメ」

 うへえ、サラ様までもが冒険者ギルドの存在意義を知っているよ。

 なるほど、冒険者ギルドってのは、国の政府がやらないことを国に代わって有料でやっている組織なワケだ。

 メッセンジャー、雑用屋さんから、警察や軍隊、消防まで冒険者ギルドが網羅しているというわけだ。

 だけど、それは歪だ。

 金の有る無しで命が助かったり助からなかったりなんて不平等で理不尽だ。

 生まれで暮らしぶりが決まるのは致し方ないとしても、生まれで訪れる死に格差ができるなんて僕は許せない。

 人生は不平等であっても、死は平等であるべきだ。

「さあ、ギルドについたぜ。降りた降りた!」

 いつの間にか馬車はヴェルモンの街の冒険者ギルドに着いていた。

「じゃ、あたいは馬車止めてくる。どうせシムナの部屋だろ? 行っててくれ」

 僕たちを降ろしたルーデルが馬に一鞭くれる。

 馬車はゆっくりとギルドの裏手にまわっていった。

 

「あら、思ってたよりも早く来たわね」

「ウチのリーダーは存外まじめなんだよ」

 マスターシムナの執務室に入ったところでルーデルが追いついていた。

「そうね、クエストの争奪戦に参加しなくていいんだから、もっとゆっくりでもよかったと思うのだけれど」

 ギルドに着くなり、僕らはいきなりマスターの執務室に通される。

 そこで、僕らは不機嫌が服を着ているようなダークエルフのお姉さんに、やぶにらみで迎えられたのだった。

 もはやすっかりおなじみになった執務室の応接セットに、僕らは腰を落ち着ける。

 応接テーブルの上には、未解決のクエストと報酬不足のためにギルドのクエストとして受付できなかったクエスト申し込み用紙が昨日のまま鎮座していた。

「おはようございます。コーヒーをどうぞ、これで、寝ぼけ眼もシャッキリですよ」

 受付嬢カトリーヌさんがいい香りがするコーヒーを運んできて、僕らの前に置いた。

「「「「「「いただきます」」」」」」

「うおっ!」

「んんんっ!」

「まあっ!」

「うわぁ!」

「ほぉう!

「うえっ!」

「「「「「おーいしぃっ!」」」」

「ぅあまっ! げはッ、がはごほっ!」

 思わず咽かえるくらい甘かった。僕尺度でのコーヒーというには激甘すぎだった。

 例えるなら、ブラジルの黄色いお菓子キンジン並に甘かった。

「よかったぁ! 南方産の砂糖を贅沢した甲斐がありました。ハジメさんには不評のようですけど……」

 カトリーヌさんのジットリした視線が、絡みつく。いや、たぶんこれって日本以外基準ならおいしいコーヒーだよね。たぶん。

 だが残念なことに僕は元々が日本人だ。この体はこっちの人だけどね。

 だから僕はこれがおいしいとは思えない。

「ごめんなさい、カトリーヌさん。どうやら僕は相当に貧乏性のようです。せっかく贅沢してもらったのに、この五分の一ほどで十分甘くておいしいと思えるみたいです。でも、これはこれでいただきますから」

「はい、次にハジメさんにコーヒーをお出しすることがあったら、砂糖は皆さんの五分の一にしますね。ああ、そうだ、ポットに余っているコーヒーがありますけど、お飲みになります?」

「それは、ありがたいです。是非」

 にっこり微笑んでカトリーヌさんがパタパタとギルドマスター執務室から駆け出して、数分後に戻ってきたとき、(淹れたて?)と思えるくらいに温かいコーヒーポットが僕の目に前に置かれたのだった。




お待たせいたしました。
御愛読、誠にありがとうございます。


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第59話 昨日、僕が日本円で約二十万円を得るために何回死んだかについて

「じゃあ、始めるか」

 コーヒーカップを片付け、書類に向き合ったルーデルがなにやら宣言する。何を始めようというのだろう?

 応接テーブルの上に置かれた、未解決のクエスト依頼書と報酬不足のために受付できなかったクエスト依頼申込書の束から書類を一枚取り上げ、僕らのパーティーの前衛アタッカー、ルーデルが鼻を近づけ匂いを嗅ぎ始めた。

「ルーはね、耳はもちろんだけど、文字通り鼻が利くのよ。危険や危機、緊急事態にね」

「手伝えリューダ」

 ルーデルが耳をひくつかせ、横目でリュドミラをジットリと見る。

「わたしもなのだけれど」

 ルーデルが僕にウインクをして微笑み、紙の束を半分受け取る。

「青!」「青!」「黄!」「青!」「赤!」「青!」「青!」……。

「黄!」「黄!」「黄!」「黄!」「青!」「赤!」「赤!」「赤!」……。

 マスターシムナの執務室内を書類が戦勝パレードの紙吹雪のように舞う。

「ちょ、ちょ、ちょッ」

 受付嬢カトリーヌさんとマスターシムナが慌てて拾い集め、ルーデルとリューダが宣言した色ごとに重ねていく。

「なるほど、緊急度を色でわけているのでございますね」

「じゃあ、青は後でゆっくりと、黄色はすぐにどうこうというわけではないけれど急ぎ……、と、いうことですね、きっと」

 エフィさんと、ヴィオレッタお嬢様は頷きながら次々に積み上げられていく書類をながめる。

「なら、赤は急を要するってことかな?」

 誰とはなしに問いかけた僕にリュドミラが微笑む。

「そうよ、赤は、二~三日内にどうにかしないと手遅れになりそうなものね」

 なんかこれ、災害時とかでけが人が大量に出たときに配られる……トリアージタグつったっけか? それみたいだ。

 あれは、たしか、緑がすぐに治療が必要としないもの、黄色が早期に治療が必要なもの、赤が一刻も早い処置が必要な者……。

「黒……」

 そして黒は死亡、もしくは救命不可能な者だったはずだ。

 ルーデルが犬歯が目立つ歯を軋ませる。

「ルー、あなたのせいではないと思うのだけれど? それは、もう半年以上前に黒になったいたものだわ。そのころ、わたしたちは遥か東にいたと思うのだけれど? 青! 黄! 青! 青! 青! 青!」

「わかってる! くっそ! 青! 青! 赤! 青!」

 そうして、ものの五分くらいで、百件以上あった未解決依頼と未受理の申込書が十五件の赤と三十件ほどの黄色、多数の青、そして、六件の黒に色分けされたのだった。

「赤に関しては、ここ二~五日だと思うのだけれど」

 リュドミラがつぶやく。

 赤……すなわち緊急に対処が求められる案件はその全てが、ゴブリンにさらわれたと思われる女の子の捜索、救出依頼だった。

 そして、その全てが申込書のままだった。

 つまり、報酬の提示金額がクエストの難易度と釣り合わないために、ギルドの規則で受けられなかった依頼だ。

「救出クエストは難易度が跳ね上がるから、B級以上の冒険者じゃないと達成できないわ」

 シムナさんが、緊急度別に分けられた書類をそれぞれ束ねる。

「だけど、ハジメ、見てみろ申込書に書かれてある報酬金額」

「ええと、依頼人エルベ村のヤン。依頼内容、エルベ村のベルタ十四歳、ペトラ十三歳の捜索と保護。報酬金貨二十枚を用意。委細はエルベ村にて。けっこうな金額だと思うけど?」

 ルーデルが指差した申込書の報酬欄に書かれた金額を見て、素直な感想を口にする。

「ハジメさん。あなた、昨日、何回死んだと思っているのです?」

 ヴィオレッタお嬢様が責めるように眉を顰めて僕を睨んだ。

 お嬢様が言っているのは、僕が【絶対健康】じゃなかったら、リアルに何回も死んでいたってことだ。

 たぶん昨日一日で、ふつうの人間なら十回以上は冥界の主宰女神ミリュヘ様に面会していただろう。

「台下は、金貨二十枚を得るために最低一回は死んでおられます」

「ゴブリン四十匹くらいの群をやっつけるためだけにだよハジメ」

「あ……」

 僕は顔から血の気が引いていくのが自覚できた。

「ニーナ嬢ちゃんたちを助けたとき、お前、ゴブリンメジャーの穴でどんだけ痛い思いした?」

「う……あ」

「しかも、裸族のような格好にまでなって……。それと、金貨二十枚を等価交換できるかしら?」

 僕だから、今こうしていられる。僕が【絶対健康】だからリアル死してないってだけだ。

「金貨二十枚に命賭けられる冒険者なんていねえんだ。それは、冒険じゃねえ。気違い沙汰ってやつだ」

「B級冒険者以上でしたら、十分に安全を確保できる技術も手段もございますからね」

「でもね、B級冒険者がその依頼を受けるとすると、その金額じゃ全然足りないの」

「キャラバンの護衛ミッションでB級冒険者の四人パーティを雇うのでさえ、経費を別で月に金貨百枚はかかりました」

 ああ、キャラバンの護衛をしてたクレウスさんたちは、B級冒険者だったんだ。あの人たちをひと月雇うのに金貨百枚か……。

 一人頭ひと月に金貨二十五枚か……。ひと月の収入二十五万円に命賭けてたってワケだよな。

 僕には無理だ。たった一回しかない命にかかわってくる危険を、二十五万円で売るなんて。

 今更ながらに僕は昨日のことを思い出して震えだした。

 僕に【絶対健康】がなかったら、何回死んでいたかを。どんな風に死んでいたかを想像してしまったからだ。

 そして、普通なら致命的な一撃となった攻撃をくらったときの痛みも思い出した。

 あんなに痛い思いしながら死ぬなんて考えられない!

「大丈夫ですよハジメさん。ハジメさんのことは私たちが絶対護りますから」

 痛みを思い出した恐怖に、末端まで血が通わなくなって、震え始めた僕の手を柔らかな感触が包んだ。

 恐怖に緊張して冷たくなった僕の手をヴィオレッタ様がその豊かな双丘に挟んでいたのだった。

「ヴィ、ヴィオレ……な、なんてことを……」

「だって、ハジメさんの手、とても冷たくって…。私、ここが一番暖かいから……」

 ヴィオレが頬を染める。

「ああぁっ! ずるい! ハジメずるい! お姉ちゃんだけ名前で呼んでる! わたしの方がお姉ちゃんより先に名前で呼んでってお願いしてたのに!」

 サラ様がハリセンボンみたいに頬を膨らませる。

「ごめんなさいだね、サラ。今からそう呼ばせていただきます」

「うーん、まだ、敬語だけど……。まあ、いいか。やったぁ!」

 そう言って、サラは、バンザイをする。僕は、女の子を呼び捨てにするなんてドキドキだけどね。

 ルーデルとリュドミラを愛称で呼ぶことに抵抗がなかったのは、彼女たちとの出会ったときがそもそも全員スッポンポンだったし、身分が同じだったから、端から抵抗がなかった。

 だけど、ヴィオレッタ様とサラ様は、元々が身分違いだし、ヴィオレッタ様の恋人? だったアインの体を乗っ取ったっていう後ろめたさもあったから、なかなか尊称を外すことはできなかった。

 でも、いま、こうして、サラ様とヴィオレ様を尊称を外して呼んでみると、なんか、距離が一挙に縮まった気がする。

 それこそ、『家族』みたいな実感が湧いてくる。

 心の中ではいまだに尊称は外していないけれどもね。

「ヴィオレ……」

「はい、ハジメさん」

「サラ……」

「えへへ、うん! ハジメ!」

「いいなあ、いいなあ! ハジメさん、非才のこともウィルマって呼んでくださいよう」

「じゃあ、エフィさんも僕のこと台下って呼ぶのよしてくれます?」

「うう、鋭意努力いたしますぅ」

 しょんぼりとエフィさんは肩を落とす。

「冗談です、ウィルマ」

「にゃはっ! にゃはははははっ!」

 へえ、エフィさんって、こういう照れ笑いするんだ。

 それは新発見だった




お読みいただき、誠にありがとうございます。


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第60話 クエスト開始! そして僕らは走り出した

「なんだかわかんねえけど、人心地ついたみてえだな」

「じゃあ、早速だけれど、今日中に『赤』を半分以上はやってしまおうと思うのだけれど?」

「そ、そうだね! 赤は早急に対処しないとだね!」

「そうです! 赤は撲滅しないといけません!」

「うん! 今日中に赤は全部やっつけちゃおうよ!」

「はい、で、ございますね! 赤は早急に殲滅しなくてはいけません。少しでも残すとそこからあっという間にゴキブリがごとく増殖してしまうのが赤でございますからね!」

 なんか、後半『赤』に分類されたクエスト依頼申込書のことではなく、赤自体に主語が移っていたみたいだけど、細かいことは気にしないでいこう。

「この『赤』分類の申込書を、更に緊急度順に分けられる?」

 僕はルーデルのアーモンド形の少しだけ端が上がった目を見る。

「お安い御用だ」

 そう言うとルーデルは二十件の申込書を並べて鼻を近づける。

 しかし、この、嗅ぎ分け(トリアージ)の仕組みってどんなんだろう? 気にはなるけれどとにかくは魔法ってことで理解しておこう。

「よし、こんなとこだな」

 ルーデルは、クエスト申込書を並べ替える。

「左から順に、二日、二日二日二日二日二日二日二日二日二日三日三日三日三日三日三日三日三日三日四日ってとこだな」

「シムナさん地図ってありますか?」

「ちょっと待って。カトリーヌ、地図持ってきて!」

「あ、はい! シムナさん」

 カトリーヌさんがパタパタと駆け出してゆく。

 僕はずらりと並んだ赤分類の申込書に、番号をふってゆく。

 丁度、二十番を申込書の左上に書き込んだとき、カトリーヌさんがB3(週間漫画雑誌の大きさがB5だからその短い辺の倍の倍だ)くらいの大きさの頑丈そうな巻紙を持って戻って来た。

「お待たせしましたこれが、ヴェルモン周辺の地図です」

 カトリーヌさんが応接テーブルの上に地図を広げる。

「マスターシムナこの地図いくらですか?」

「金貨十枚……ってなにするの?」

「赤分類の申込書の依頼人がいるところを書き込んでいくんです。赤分類が終わったら黄色をやるときにも同じことをします。じゃあ、これ」

 僕は金貨十枚をヴィオレッタ様から受け取って、マスターシムナに渡そうとする。

「いい、地図くらいあげる」

「へえ」

 マスターシムナの一声にルーデルがにやりと笑う。

「な、なによ」

 マスターシムナは顔を紅くしてたじろぐ。

「ルー、シムナなんてからかってないで」

「じゃ、みんな、依頼人がいる村を教えてくれるかな。僕はここいらの地理に明るくない。まずはこれ、ヤンさんのエルベ村」

 すかさずサラ様が地図上の一点を指差す。

「エルベの村はここよハジメ!」

「ありがとうサラ」

「えへへへん!」

 サラ様が、ふんすと薄い胸を反らす。

 これくらいの年頃の女の子が、ゴブリンに攫われて昨日のニーナ姫様のような目にあっているかと思うと背中に嫌な汗が流れる。

「よし! じゃあ、次! テレルさんのバンケル村」

 そうして僕たちは地図上に赤レベルのクエスト依頼申し込み書の依頼主の村をプロットしていった。

 

「今日中に何件まわれそうかな?」

「そうだな、依頼内容の詳細を聞くってだけなら、馬車ぶっ飛ばして昼過ぎまでに全部回れるぜ」

「そうね、そして、今日やってしまわないと危険な三件を夕方までにこなせると思うのだわ」

「あのーぅ、お話を聞くだけでしたら、馬車を借りて三組くらいに分かれてやった方がよくございませんか?」

「それはいい案ですウィルマ」

「さすがウィルマ! だてにルーティエ教団の独立遊撃巡回主教だけのことあるわ」

「にゃははっ! おだてたってなんにも出ませんようサラ。あそうだ、非才特製『プチ女神の聖水』を差し上げましょう」

 エフィさんが頬をうっすらと染める。

「お褒めに預かり、誠に恐縮です、サラ、ヴィオレ」

 いまさらながらだが、エフィさんのルーティエ教団における役職は実に宗教法人の役職っぽくないなあ。

 どっちかっつったら、どっかの秘密捜査機関みたいだ。

 あと、それから、『女神の聖水』ってネーミングもどうかと思う。

「組み分けは、僕と……」

「あたいだ。街から離れているところ十件に、あたいとハジメが行く」

「では、こっちの街の近くの村々の五件は非才と…サラ、お付き合いいただけますか?」

「うん、わかった! いっしょに行こうウィルマ!」

 エフィさんが街のすぐ近くの村々を指差した。

「では、わたしと……」

「私が街の中の五件分の依頼人に当たりますね」

「うん、お願いします。でも、なんで街中の住人がゴブリンに攫われるんだろ?」

 僕は不思議に思った疑問を口にした。

「ハジメさん、依頼主の欄を見てください」

 ヴィオレお嬢様が申し込み書を一枚取り上げて、その依頼者欄を指差した。

 そこには、『ヴェルモンの街孤児院院長マザー・テレセ』と、あった。

「孤児院の子や、貧民街の子供たちはものすごく働き者です。おのおのが、孤児院のために、家のために何とか少しでもお金を稼ごうとしているのです。この、依頼申し込み書の子達もきっと、薬草を摘みに東の森に入ったんでしょうね。朝早く、夜が明ける前に町を出て、森に入って薬草や食べられる草を摘んでいたんでしょうね」

 ヴィオレ様は目を伏せ、肩を震わせる。

 街で仕事があれば、そんな危険なことをしなくたってお金を稼げるのになあ。

「孤児院は、貧民街にあるのだわ。他の四件も概ね貧民街や、あまりお金に余裕がある人の依頼じゃないわ。結構物騒なところに入り込むことになりそうだから、わたしがついて行くのが一番安全だとおもうのだけれど」

「よし、それでいこう。昼過ぎくらいに……」

「東の森の入り口で待ち合わせがいいと思うのだけれど?」

「うん、それで、持ち寄った詳細情報を照らし合わせて、緊急度が高い順番にこなしていこう」

 みんなが頷く。

「じゃあ、みんな今日も一日がんばりましょう!」

「「「「「「「おおおおおおおおっ!」」」」」」」

 マスターシムナの執務室に、僕らのパーティの雄叫びが響いた。

 

 若干、雄叫んでいる人数が多い気がするけれども、それはご愛嬌だ。



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第61話 クエストの前金はこちらの名物料理キッシュでいただきます

 冒険者ギルドの前で僕らは散開して各々の任務へと向かう。

 リュドミラとヴィオレ様は街の西端にある貧民街へ、サラ様とエフィさんは馬車を借りて、近場の村々へ、そして僕とルーデルは街から遠くにある村々へと向かう。

「ねえ、ルー、地図で見ると、エルベの村って、街から東の森までの距離の三倍くらいあると思うんだけど?」

「いいところに気がついたなハジメ! それが、あたいとお前が一番遠くまで行く理由さぁっ!はいっ! グラーニ!」

 ルーデルが馬車を牽いている馬の名を叫び一鞭当てる。

 ぶるるっ! ひゃひひひぃんっ!

 グラーニと呼ばれた馬は縦に頭を振り、ぐんっと加速する。

 馬車が大きく揺れるかと思いきや、意外にもほとんど揺れがない。

 そういえば、ガラガラと車輪が回っている音はするものの、地面を転がっているような音がしない。例えば小石を跳ね飛ばす音とかだ。

「ま、待てよ!」

 僕は馬車から乗り出して車輪を見る。

 ガラガラと回転はしているものの、地面から土ぼこりが舞い上がっている様子がない。

「って、ことは……」

 御者台に頭を出してをグラーニを見る。

 たしかに、蹄が地面を叩く音はする。だけれども、地面を蹄が踏みつける振動が伝わってこないし土埃もたっていない。

 それから推測できることは……。

「宙に浮いてるのか?」

「こんなの、ヴィオレたちには見せられないからなぁっ! っはははぁっ!」

 グラーニが牽く馬車のスピードがまた上がる。

 いつしか、馬車は道を外れ、無人の野を最初に訪れる村へと最短経路を猛スピードで駆けて行く。

 このスピードなら確かに僕ら請け負った十件全部回っても、昼過ぎまでに待ち合わせ場所に到着するにちがいない。

「ハジメ! サヴォワの村が見えてきたぞ! 道に降ろすからな」

 馬車のスピードが緩まって、地面を走る振動が伝わってくる。

 東の森の外縁部の村のひとつ、サヴォワの村に到着した。

 僕らの馬車が村の中央の広場に入ったところで僕は馬車から降りる。

 腰の雑嚢から依頼申し込み書を出して、記入された内容を確認する。

 そして、近くで僕をものめずらしそうに見ている少年に尋ねた。

「冒険者ギルドから依頼されて来た冒険者のハジメといいます。ヴァルジャンさんの家はどこかご存知ないでしょうか?」

 僕は、相手が子供だからといって、馴れ馴れしく話しかけられない。

 人見知りだってこともあるけれど、ガキのころ大人に馴れ馴れしく話しかけられてムッとしたことがあるからだ。

 そのとき僕は馴れ馴れしく話しかけてきた大人に、僕の親兄弟でもないくせに馴れ馴れしくすんなよと思っていた記憶がある。

 だから、僕は仲良くなるまでは礼儀を守って話しかけることにしている。

「おれはラウール。ヴァルジャンさんの家ならそこの宿屋だぜ」

 少年は自分の名を答え、広場沿いの一軒の宿屋を指差した。

「ありがとう。これはお礼です」

 僕は少年の手に白銅貨を二枚握らせる。

「ついてきなよ。ヴァルジャンさん呼んでやるよ。でも、ヴァルジャンさん、さいきんふさぎこんでるから会ってくれっかどうかわかんねーぜ」

 少年は宿屋に向かって走り出す。僕は、少年を追いかけて、依頼人ヴァルジャンさんの宿屋へと向かった。

「おはようございます、ヴァルジャンさん。僕は、ヴェルモンの街の冒険者ギルドのマスターシムナから依頼されて来ましたC級冒険者のハジメといいます」

 薄暗い宿屋の奥から呻き声のような中年男性の声が聞こえてくる。

「C級だって? 救出ミッションはB級以上じゃないとできないから、金が足りないって門前払いくったんだぞ!」

 うわあ、半切れだ。まあ、気持ちは分かる。

「えーっとですね、はい、すみません。ギルドの規則上そうすることしかできなかったんです。だもんで、遅ればせながら、僕らが派遣されて来たわけなんです。僕らのパーティは免許上はC級ですけれど、元SSSが二人と現役のB級が一人所属しています。SSSの二人は借金で奴隷落ちしていたために免許更新できなくて、Fからやり直してC級になったばっかりなんですよ」

「じゃ、じゃあ、コゼットをコゼットを助けに来てくれたっていうのか?」

「はい、そのために来ました。ですから、コゼットちゃんが攫われた場所と、状況を教えてほしいんです」

「わ、分かったちょっと待っててくれ」

 そういって、ヴァルジャンさんは右足を引きずりながら奥へ引っ込むと、お金がぎっしりと詰まった麻袋を抱えて戻って来た。

「こ、これが、ウチの今ある全財産だ。金貨五十枚分はあると思う。あと、この宿屋を売れば金貨三百くらいにはなるはずだ。それで、どうか、コゼットをおおっ!」

「あんたぁっ! 冒険者が来てくれたって?」

 バゲットが入った籠を抱えた女性が駆け込んできた。ここのおかみさんなんだろう。

「おはようございます! C級冒険者のハジメといいます」

「おう、ファンティーヌ ! 鑑札はC級だが中身はSSSてえお方たちがコゼットを探しに行ってくれるってよ。だから、今、前金を……」

「ああ、それはいりません」

「へ?」

 ヴァルジャンさんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「それに、この宿、売っちゃったら、コゼットちゃんが帰ってきても暮らすところがなくなっちゃうじゃないですか。それじゃだめです。その、麻袋のお金で十分です。無事コゼットちゃんを連れ帰れたら、そのお金を、ヴェルモンの冒険者ギルドに払ってください。僕たちはギルドから報酬をもらうことになっていますから」

 僕は、きょとんとしているヴァルジャンさんに告げる。

「い、いや、だが……」

「じゃあ、こうしましょう。昼過ぎにもう一度来ます。そのときまでにキッシュを十二人前作っておいてくれませんか? それを前金代わりにいただきます」

「あ、ああ、いいけど、あんた、ウチの名物がキッシュだって知ってたのかい?」

 おかみさんが目を丸くして僕に聞いてくる。

「ええ、ヴァルジャンさんが書いた申込用紙の端っこに、受付の人が書いたんでしょうね、サヴォワ村の宿屋『ファンティーヌ』の名物のキッシュは自家製のベーコン、ソーセージと近くで取れたキノコがいっぱいでおいしいってメモ書きがありました」

「ああ、ああ、そうだとも、ウチのキッシュはここらで一番だとも。コゼットは、そのキッシュに使うキノコを採りにいって攫われたんだ……」

 ヴァルジャンさんが俯いて肩を震わせる。

 ルーデルが僕の肩を掴んで頷いた。

「ヴァルジャンさん。こちらは、ウォーリアヘア(戦士兎人)のルーデルっていいます。二つ名は『地獄のサイレン』。ルーデルが言うにはコゼットちゃんはまだ生きています。きっと助け出しますから、キッシュをたくさん作っておいてくださいだそうです」

「な……んだ……って? 地獄のサイレンだって? おお、そうだ、あんただ本当に地獄のサイレンだ! 死んだ親父がよく話してくれた、若いころ領主様について南の邪竜討伐に行ったときの話に出てきた地獄のサイレンの姿に瓜二つだ」

「ああ、思い出した。レッドバロンの部下に宿屋の倅がいたっけ。でもたしかそいつの宿屋の名物はキドニーパイだって聞いたぞ?」

「あははは。本当だ、本物の地獄のサイレンだ。キドニーパイが名物だったのは俺の婆さんが作ってたヤツだ。そんなこと知ってるのは、もうこの村にだってそんなにいねえのに……」

 思わぬところで本人確認が取れてよかった。

「頼む、ほんっとうに頼む! どうか、コゼットを助けてやってくれ」

「はい、さっきも言いましたけど、僕たちはそのために来ました」

 僕は、ヴァルジャンさんの手を取ってコゼットちゃんを連れ戻すと約束したのだった。



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第62話 お昼ごはんはサヴォワ村の宿屋ファンティーヌの名物キッシュとキドニーパイそして夕べの余り物ドネルケバブだ

「有名なんだね『地獄のサイレン』」

「あたいの二つ名を知ってるヤツがあんな小さな村にいるとは思わなかったよ。でかい街の冒険者ギルドなら、ギルマスやってるやつとかに、昔の知り合いとかいるから、あたいやリューダの二つ名が知れててもおかしくないんだろうけどな」

 ルーデルが手綱を捌きながら答える。その笑顔から、二つ名で呼ばれることに不愉快を感じている様子はうかがえなかった。

 

 僕とルーデルは東の森周辺部にある村々を巡り、赤分類されたクエスト申し込み書の詳細を聞いて回った。

「次は、エルベ村だな」

「うん、こんなに早くここまでこれるなんて思わなかったな」

 ヴェルモンの街を出てまだ二時間くらいしか経っていない。

 ひとつの村での事情聴取に概ね十分くらいかかったとして、ここまで村五つで五十分ということは、村から村への移動時間は概ね十分くらいだ。ってことは、大体時速百二十キロで移動しているってことか。

 馬が? チーターの瞬間最大速度より速いって!

「まるでスレイプニルみたいだ」

「へえ、よくわかったじゃないか。グラーニはスレイプニルの子孫さ。直系のな」

「うへえ! よくそんな名馬持ってたね。ってか、この馬車ゼーゼマンさんのか。じゃあ、ゼーゼマンさんがスレイプニルの子孫の馬主だったってこと?」

「そういうこった。ヨハンはいろいろコネがあったからな。っと、エルベ村が見えてきたぞ」

 僕らの馬車は再び道に戻り地面に車輪をつけて走り始めた。

 畑で農作業をしている人々が、辺境伯領のそのまた辺境に位置するエルベ村への時ならぬ訪問者に不審の目を向けている。

 まあ、仕方ない……か。

「えーっと、ヤンさんのお宅はどちらでしょうか? 僕は冒険者ギルドから依頼を受けてきた冒険者です」

 胸にかけてある銀色の冒険者登録証をかざす。昨日銅から銀に代えてもらっていたのだった。

「ヤンは俺だ」

 ものすごいごついおっさんが、足を引き摺るように進み出てきた。

「こないだは、取り付く島も与えずに、門前払いくわせたくせに、今頃何の用だ!」

 はい、ヤンさんもブチ切れ気味です。

「すみません。ヤンさんがギルドにお越しになったときは、大陸共通のギルドの規則でああいう対応になってしまったのです。申し訳ありませんでした」

 ここは素直に謝っといたほうが、すんなりことが運ぶ確率が高い。

 案の定、ヤンさんの険が和らいだ。

「あんた、見たところC級かB級みたいだが?」

「あ、はい、僕はC級です」

「大丈夫なのか? ギルドじゃ救出クエストはB級から上にしか出せないから、金が足りないって言われたんだぞ!」

 僕は、サヴォワ村で、ヴァルジャンさんにした説明を繰り返す。

 この説明は、実に今日五回目だ。もはや、立て板に水だ。

「本当か? 本当に、ベルタとペトラを助けてくれるのか?」

 そして、また同じように答える。

「そのために、ここに来ました」

 

 再び僕らは車上の人となる。

 えらい勢いで風景が流れてゆく。

 馬車は東の森を北から南に縦断する道を走っていた。

 途中、森の中の樵さんの集落で、クエスト申し込み書を書いた人に会って情報を収集し、南の端まで抜けて、バンケルの村に寄って、東の森を囲むように整備された街道に出て北上、再びサヴォワの村に戻って、キッシュを受け取り、待ち合わせ場所に到達するという予定だ。

 馬車は地面から一メートルほど浮いた状態でリニアモーターカーのように滑らかに滑走している。

 さすがに森の中とはいえ、道にはモンスターは出てこない。

「ねえ、ルー」

「ん?」

「サヴォワのヴァルジャンさんもそうだったし、エルベのヤンさんもそうだった。そして、途中寄った村の依頼人もそうだったんだけど、どうしてみんな脚を引き摺ってたんだろ?」

「へえ、気がついてたのか」

「まあ、ね」

「ありゃあな、ゴブリンが存外と知恵が回る魔物だってことだ」

「どういう……?」

「あの足を引き摺ってた父親たちは、みんな目の前で攫われたって言ってたろ」

「あ! ああああっ」

「わかったみたいだな。そうなんだ、ゴブリンどもは、追いかけてきそうなヤツの脚を怪我させて追跡をかわすんだ。主に狙ってくるのは踵の上の腱だな」

「なん……」

 アキレス腱を狙ってくるだって?

「で、あいつらはな、攫って来た女の子の足の腱も切るんだ。そうして歩けなくしておいて、ゆっくり嬲るってわけだ」

「じゃあ、攫われた女の子たちはもう……」

「切られてる子もいるだろうな。特にここ二日で助けなきゃならない子たちほど危険だ」

 こっちの世界の外科的治療はまだまだ、切れた表面を縫い合わせるくらいで止まっている。切れた腱をつなぐなんて外科手術は行われていない。

 そういった治療はもっぱら各教団の施療神官が担当していて、法外なお布施を要求してくるらしい。

 だから、そういった怪我をした、金のない人間は障害を一生抱えていくことになる。

「くそ!」

 

 俺は腸が煮えくり返っていた。サラとそんなに年が変わらない女の子たちがアキレス腱を切られて、魔物に犯され孕まされて、中から喰われて死ぬなんて!

 助け出したって、腱を切られていたら一生ものの障害を負って生きていかなきゃならないなんて……!

「くそっ! クソっ! くっそおおおおおっ!」

 俺は馬車の床を思い切り殴りつけていた。

 余りの激痛に余計頭に血が上る。

「殲滅だ! 撫で斬りだ! 駆逐なんて生温い! 一匹残らず、この、ヴェルモン辺境伯領から絶滅させてやる!」

 

 やがて、森を抜けた僕たちは、バンケルの村に寄って、例によって例の如く怒ってる依頼人のテレルさんを宥めて、女の子が攫われたときの状況を聞きだし、サヴォワの村に向かう。

 

「あんたたち、本当に戻って来たんだね。キッシュは作ってあるよ。あと、お婆ちゃんのキドニーパイもだ。持って行っておくれ」

 僕らはありがたくファンティーヌさんから、キッシュとキドニーパイを受け取り、東の森の入り口へと向かう。

 

「あ、来た来た!」

「もう、みんなそろっているのだけれど?」

「バッチリ情報収集してきましたでございますよ」

「ハジメさん! 天幕を張ってありますから、お昼は天幕で摂りましょう」

 ヴィオレ様が手で指し示す方には、ゼーゼマン商会のキャラバンでよくやっていたようにテントが張ってあり、野外用のテーブルとイスが並べられていた。

「ははは、用意がいいな。こっちも、いいもん持って来たぜ」

 ルーデルがキッシュを二ホールとキドニーパイ二ホールをテーブルにドンと置いた。

 テーブルの上には既にドネルケバブと薄焼きパン。果汁のツボが並べてあった。

「みなさんお疲れ様です。お昼にしましょう。お昼を食べたら作戦会議です」

 僕はナイフをキッシュに入れて六等分に切り分けながらみんなに笑いかけた。




17/09/12 第58話~第62話までを投稿いたしました。
ここ数日、できているものを投稿することさえできないほど体調を崩しておりました。
毎度、御愛読、誠にありがとうございます。


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第63話 絶品キッシュにキドニーパイ! 今度、作り方を教わりに行こう

お待たせいたしました。


「こりゃ、うめえっ!」

「うーんっ! これはおいしいのだわ!」

「まあっ! おいしいっ!」

「おいしいいいぃっ! すごぉいいっ!」

「ほわああぁっ!」

「うまあッ!」

 東の森の入り口で、デイキャンプ宜しくタープを張った僕らの野外食堂は、美味を叫ぶ嬌声がこだましていた。

 サヴォワの村の宿屋ファンティーヌの看板料理キッシュと、かつての看板料理キドニーパイを一口食べたウチの肉食系女子たちは、一様に目を丸くして互いに見つめあい、言葉にならない言葉で会話をしている。

 その内容はきっとこんな感じだ。

「うわああああっ! おいしいね!」

「はああっ! おいしい!」

「むはーっ! うま過ぎて言葉が出てこねーっ!」

「流石流石でございます」

「あんな小さな村の宿屋で、こんなにもおいしいものを出しているなんて!」

 ヴァルジャンさんか、おかみさんが作ったベーコンやソーセージがいい具合の燻製の風味で、キッシュの味にアクセントをつけ、また、ほうれん草やアスパラガスなんかの野菜が、しっかりとした野菜の味を出している。きっと、完熟の朝摘みってヤツだな。そして、東の森で採れたキノコ。噛みしめるごとに口の中に香りがたちあがり、鼻へと抜けてゆく。

 これきっと、マツタケより香りがいいぞ。

 いや、マツタケなんて、食ったこと一回ぐらいしかないけど。

「こんなキッシュ食べたことないな」

 コゼットちゃんを無事に助け出せたら、作り方を習いにサヴォワ村に行こう。

「私もです、ハジメさん!」

「わたしも、こんなにおいしいキッシュ食べたことないわ」

「いや、みなさん! キッシュもさることながら、キドニーパイもまた格別でございますよおっ!」

「うん、確かに、キドニーパイもうめえっ! これだったのか、あの若い兵隊が自慢してたのって」

「ああ、南の邪竜討伐のときに、マニーの部下の兵隊が自慢してたやつね。うふふふ、自慢するだけのことはあったのだわ」

 キッシュにキドニーパイ、そしてケバブが次々とみんなの胃袋の中に消えてゆく。

 そして、四半時もたたないうちに、全ての料理がテーブルの上から無くなっていた。

「「「「「「ごちそうさま!」」」」」」

 僕は腰のマジックバッグから、くりぬき瓢箪の水筒を取り出す。

 朝、この瓢箪にお茶を詰めておいたのだった。

 僕のマジックバッグは入れておいた物の時間が経過しないようなので、瓢箪に入れたお茶は実に入れたてのアツアツを保ったままだった。

 それを、果汁を飲み干した後、水でゆすいだみんなのカップに注ぐ。

 テーブルの上は、ヴィオレ様とサラ様、そして、エフィさんが片付けてくれている。

「じゃあ、今日これからの行動を決めましょう」

 片付けてもらったテーブルの上に、マスターシムナからもらった地図を広げ、みんなの顔を見回す。

「みんなが聞いてきた女の子たちが攫われた場所を描きこんでください」

「孤児院と街中の方は、行方不明になった日と、東の森に行ったということしかわからなかったわ」

 リュドミラが答える。

 ヴィオレッタ様が口を真一文字にして、顔を強張らせた。

「では、街の近郊の村からですが、二件は残念ながら同行していた大人も殺されていたため、街と同様、行方不明になった日と東の森ということしかわかりませんでした。後の三件は、同行していた大人が運よく生きていたため証言が取れました。彼女たちが襲われた地点は、こことここ、そして、ここでございます」

 そして、ル-デルと僕の聞き取りの結果をプロットしてゆく。

「ん?」

「あら、これは……」

「まあ……」

「わあ」

「なんという……」

 こういうことってあるのか……。

 女の子たちがゴブリンに襲われた地点は、いずれもが昨日僕たちが潰して回ったゴブリンの拠点の傍だった。

「でも、あのメジャーの穴以外、囚われてた女の子はいなかったよね?」

「……ということは」

「昨日、私たちが潰した拠点は前線基地だったということですね」

 ヴィオレ様がつぶやく。

「女の子たちは、後方の上位個体の拠点に移送された後だったということでございますか」

 え? 後方の上位個体?

「昨日のゴブリンメジャーは上位個体だったんだろ?」

 僕は尋ねる。

「まあ、そうね。五百匹から六百匹を支配する上位個体であることは違いないわ」

「その戦力の大半はあの穴の中だったわけだ」

「ハジメさん、私たちは、あのメジャーの拠点洞窟以外にもいくつかルテナンが率いる拠点を潰しましたよね」

 ヴィオレ様は、僕に何を語ろうとしているんだろう?

 確かに、昨日、僕らは、いくつものゴブリンの拠点を潰していた。

「うん、そうだね。ゴブリンメジャーの穴は、当初聞いていたことよりもずいぶん大きかったけど……」

「ゴブリンの群は、人間でいう軍隊に組織が似ています。最下級のゴブリン十匹を指揮するサージェン、サージェンが指揮する群三~四個、三十匹~四十匹を束ねるのがルテナン……」

 あ、なんか見えてきたぞ。ルテナンの群三~四個を支配するのがキャプテンで、そのまた上がメジャーってことか。

「じゃあ、メジャーの群三~四個を支配するのもいるってこと?」

「はい、それが、ゴブリンカーネルです。カーネルが支配するゴブリンの総数はざっとですが千から二千といわれています」

「その上もいるぜ」

 ルーデルの横合いにヴィオレ様が頷いて続ける。

「ゴブリンジェネラル。ジェネラルが指揮する群は、これはもう群というには巨大です。若いジェネラルで三千前後、歳を経たジェネラルは一万を超える群を率いると言われてています」

 万? 万を超える群だって?

 ……っと、待て待て。ゴブリンメジャーより上の指揮個体のことはとりあえず置いておこう。

「ゴブリンメジャーが、もう一体もしくは、複数発生してるってこと?」

「はい、そうです。ハジメさん」

「それ以上の可能性もあると思うのだけれど」

「そして……だ!」

 ルーデルが豊かな双丘を揺らし、ふんすと鼻息荒く胸を反らす。

「ここに、あたいがゆうべ入手した、ゴブリンどもの拠点の場所を印した地図がある」

 胸元から畳んだ紙を出して、ルーデルは地図の上に広げる。

 それは、東の森の略地図で、あちらこちらに×印がつけてあった。

「あらあら、ゆうべ夜遅くにどこかへ行ってたと思ったらそんなことしてたの」

 リュドミラも小さく畳んだ紙を腰の雑嚢から出して、さらにその上に広げる。

「なーんでぇ、お前もかよ」

 ルーデルが頬を膨らませる。

「うわぁ! ありがとう二人とも! 情報は接点のない複数からの入手だと精度が高くなるから、助かるよ」

 引きこもり始めてから始めた投資で、僕は情報収集の大切さを学んだ。

 いつかどこかで誰が何か革新的な発明をした、発見をした。

 どこそこの国が公定歩合を上げるだの下げるだの。

 噂話程度のことでも、市場は敏感に反応する。

 誰よりも精度の高い情報を、いち早く得ることが儲けるためには必要だった。

「そ、そおか? へへへ」

 ルーデルは犬歯が目立つ歯を見せて笑う。

「ふふっ、今日の情報は、さすがにシムナは関与していないと思うのだけれど」

 リュドミラは目を伏せて微笑んだ。

「さて、と……」

 僕は三枚の地図を見比べる。

 ルーデルが持ってきた情報にもリュドミラが持ってきた情報にも共通して描いてあることがあった。

「ゴブリンプリンス……?」

「なんですって?」

「うわあっ!」

「ほわあああっ!」

 プリンスってことは、王子様ってことだよな。

「……てことは」

「結構な数のゴブリンがいるってことだ」

 いや、それはそうだけど。

「運がよかったわ。大量発生が本格化する前で」

 いや、そうじゃなくて!

 ぐにゃりと世界が歪んでみえる。

 ああ、これって、眩暈って言うんだっけ。

 なんで眩暈がしたかって?

 だって、そうだろ。

 冒険者になって、たった二日しかたっていない僕が、いきなり中ボスに挑まなくちゃならなくなったってことじゃないか。




いつも御愛読、誠にありがとうございます。


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第64話 この事案は僕のような新米冒険者の手には余りすぎだ

「本当にわたしたちって運がいいわ」

 リュドミラは口角をすこし上げ、微笑む。

「まだキングになっていませんからね」

 ヴィオレお嬢様がため息をつく。

 ……っと待て。

 いくら、キングになってない王子様だからって言って、群の規模的にはものすごくでかいんじゃないのか?

「ゴブリンプリンスの発生って、かなり珍しいことだよね」

 知れず、僕の声は震えている。正直、僕はかなりビビッている。

「ええ、プリンスは、群を率いる最上位個体として産まれます。つまり、ゴブリンキングの幼体として産まれるわけです。これは、たいへん珍しい現象でございます。前回のキングの発生は、二百年前にヴルーシャ帝国で起きたパレード(大量発生)で、それ以外ではこの千年間で三回ほどしかありません。前回のゴブリンキングが発生したときには五万を超えるゴブリンがヴルーシャの帝都に迫ったということです」

「あの時は、ヴルーシャの穀倉地帯が本当に全滅した」

「ゴブリンの群れが通過した後には、ぺんぺん草一本残っていなかったのだわ」

 ルーデルとリュドミラが見てきたように言った。

 実際見てきたのかもしれないな。長命種のダークエルフのシムナさんとパーティー組んでたくらいだから。

「まるで蝗だな」

「流石は台下! ゴブリンの大量発生を、もっとも端的に表す言葉はまさにそれでございます」

 せっかく褒めてもらったけど、あまりうれしくないのは、きっと、ゴブリンの大量発生によってもたらされる災禍が簡単に予想できるからなんだろう。

 ん? 二百年前?

「ゴブリンの大量発生って、何百年に一回なんていう、レアなイベントなんですか?」

 もしそうなら、僕らは相当運が悪いときに生きているってことになる。

「いーや、大量発生自体は十年くらいに一回ある感じだな。珍しいことじゃない」

「そうね、最近だと……」

「ルーティエ教団本神殿の公文書館に、十三年前ロムルス王国北方の森でカーネルが討伐された記録がございましたね」

 と、いうことは、ゴブリンキングなんていうイベントボスクラスのゴブリンの発生がレアケースってことか。

「キングの発生がレアなケースってことで理解していいのかな?」

「だな、キングが発生することなんて、何百年に一回だ」

「大概はせいぜいがカーネル止まりなのだわ」

「はあ、なんてこった」

 思わずため息が漏れてしまう。何百年かに一回のレアイベントにぶち当たったよ。

 僕はテーブルの上の地図と、ルーデルとリュドミラが持ってきた小さな地図を見比べた。

 ゴブリンプリンスの発生した拠点と思われる、紅い印を囲むようにゴブリンメジャーの拠点がある、そして、その拠点をさらに囲むように下の階級のゴブリンのコロニーがあった。

「そもそもだけど、なんでこんなことが起きるんだ?」

 僕はふと思った疑問を口にした。

「ハジメ、ある日、森へキノコを採りにやってきた女の子が、運悪くゴブリンに攫われたとしよう」

 ルーデルが口を開いた。

「それが、ゴブリンパレードの始まりなのでございます」

 エフィさんが瞑目した。

 え? どういうこと?

「ゴブリンってヤツは、メスが極端に少なくてな、通常は大発生するなんてことはないんだ」

 え? じゃあ、どうやったら今回みたいなことが起きるんだ?

 ますます不思議に輪がかかる。

 キノコ狩りに来た女の子が、運悪くゴブリンに攫われたのが大量発生の始まりだって?

「ゴブリンに限らず、モンスターの多くは、森の最深部など人里はなれたところか、ダンジョンに生息しています。よほど、森の奥深くに分け入りったり、人が全く住まない荒野、そしてダンジョンにでも行かない限り、モンスターに出会うことなんてことは、まず、ありません」

 ヴィオレ様が俺の目を見つめ、言葉を選びながら訥々と話し始める。

「でも、稀に同族のメスと番えずにあぶれたゴブリンのオスが森の奥から出てくることがあるのです」

 え? そ、それって……。

「ゴブリンのメスの妊娠期間は大体一ヶ月。ネズミ並みね。そして一回に出産する数もネズミ並なのだわ」

「対して人間は十月十日といわれており、エルフは約二年、獣人種は概ね半年ほどといわれているのでございます」

 ヴィオレ様は口を真一文字に引き結んで目を閉じて俯いた。

 その肩がフルフルと小刻みに震えている。

「あ……」

 僕は理解した。ゴブリンの上位指揮個体が発生する仕組みをだ。

 エフィさんが後ろからヴィオレ様を抱きしめる。

 まるで、仲のよい姉が妹を慰めるように。

「ハジメさん……、ゴブリンの上位個体というのはでございますね……」

 僕はエフィさんの口の前で人差し指を立てた。

 ゴブリンの上位指揮個体というやつらは、非モテのオスが憂さ晴らしに他種族の女の子を攫ってきて強姦して孕ませ、ゴブリン同士で番ったのなら一ヶ月で産まれるところを、長く胎内で成長することで突然変異的に発生する特異個体ということだ。

「くっ!」

 瞬間、頭に血が上る。

「今回の大量発生が始まったのが、約一月前くらいだと思われるのでございます」

「そうですね、ギルドのカトリーヌさんの話では、ここ一月の間に急に行方不明になる女の子が増え始め、ゴブリンの集団に襲撃された村が三ヶ村にものぼるとおっしゃってましたから……」

「黒に分けた未解決依頼の中に、二年前くらいに東の森で行方不明になった女の子の捜索依頼があったのだわ。そして、この一年で五件……」

 地図を見る。ゴブリンプリンスの拠点を囲むゴブリンメジャーのものと思われる拠点が五つ。

 そのうちのひとつは、昨日僕らが潰したものだ。

「ゴブリンの群ってのは、どんなに大きくても、ふつうは四~五十匹なんだ」

「ふつうですと、この、東の森クラスの大きさの森でしたら、せいぜい十個、五百匹くらいなんです」

「それが、ゴブリンメジャーより上の指揮個体が発生すると、群が次々に統合されて、大きくなって、大繁殖が始まるのでございます。それに、他種族のメスから生まれるゴブリンは上位指揮個体だけでなく、ゴブリンのメスも含まれます」

「メスが増えるってことは」

「繁殖速度が早くなるってことか……」

「ご名答なのだわ」

「ギルドに依頼に来れた人のぶんだけでも二十件もあるから、全滅した村とかのことも考えると、実際にさらわれてる女の子はもっといっぱいいるはずだわ」

 サラ様までもが、今現実に起こっている理不尽な出来事を冷静に受け止めている。

「つまり、現状はでございますが……」

「プリンスは上位指揮個体とメスを増やそうとしている……、ってところかな?」

 エフィさんの言葉を僕は引き継いだ。

「ああ」

「そうだと思うのだけれど」

 リュドミラとルーデルが僕の答を正解としてくれる。

 つまり、ゴブリンプリンスは、現在、一年かけて増やした配下のメジャーを使って、さらに上位指揮個体や、メスを産み増やすべく、東の森に入ってきた女の子や、森周辺の村を襲撃して女の子を攫って来ている最中ってことのようだ。

「今のうちに潰しておかないと一年後には、指揮個体が最低でも十五体以上発生して、メスも増えて、そこからはもう、爆発的にゴブリンが増殖すると思うのだけれど」

「二年先には押しも圧されぬゴブリンキング爆誕だな」

「二百年前のヴルーシャの災禍の再現ですか」

 正直言って、こんなの、昨日今日冒険者になったばっかりの僕の手には大余りだ。

 僕ら新米冒険者は、この件をギルドに報告して、ギルドから領主様に上げてもらって、そこから、国王様に報告が行って、国に対処してもらうレベルの問題じゃないだろうか?



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第65話 僕はこっちの世界でトラフグの踊り食いをしたかったんだけどなあ

 こんな事案、絶対に国の機関じゃなきゃ対処できないレベルだろ。

 二百年前、今とおんなじようなことがおきて、どっかの国の首都を五万ものゴブリンが囲んだっていうんだろ。

 今すぐ国家機関が対処すればそんなひどいことにならないんじゃないのか?

 ゴブリンパレードが通った後にはぺんぺん草一本残らないんだろ?

「あのさ、これを国に任せるとして、国が対処を始めるのって……」

「早くて半年後ぐらいだと思うのだけれど」

「で、ございますね。諸侯からの兵の供出、兵站の構築。なによりも、ホーフェン公からこの辺境伯領を掠めたい連中が出兵を遅らせるでしょう」

 なんてこった……。

 国家存亡の危機だろこれって…この後に及んでもまだ私腹を肥やすことしか考えられないのか。

「はあ……」

 思わず溜息が出る。

「幸せが逃げるなんて言わないから、安心して溜息をつくといいと思うのだけれど」

 リュドミラさん! あんたなんて優しいんだ。

 マスターシムナから請け負った、救出クエストをこなすためには、ゴブリンプリンスの討伐が必要になってきた。

 さらに周辺に展開しているゴブリンメジャーの討伐も絡んでくる。

 昨日みたいに、ゴブリンメジャーの拠点にも何人か囚われている可能性があるからだ。

 ゴブリンメジャーの拠点四箇所、一箇所につき五百として二千。

 本隊ともいえるゴブリンプリンスの拠点は、まだ充実していないといっても、おそらく三千から五千はいるんじゃないだろうか。当てずっぽうだけど。

 合計最低で五千。ヘタすると一万近く……。

 僕の視界は再び大きく歪む。

「はあ……。」

 再び溜息がでる。

 なんでこうなった?

 確か僕は、おいしいものをたくさん食べるためにイフェ様の勧誘に乗ったはずなんだけどなあ。

 いや、たしかにおいしいものを食べてはいるけれど……。

 僕がこっちの世界でやりたかったことは、スキル【絶対健康】で誰も出来なかったトラフグの踊り食いとか、スベスベマンジュウガニのがん漬とか、カエンタケのキノコ汁とかを試してみることだったんだけどなあ。

 そんなグルマン(食いしん坊)な生活をしようとしているのに、実際にやっていることはふつうに冒険者だ。

 いや、ふつうじゃないな。ふつうの新米冒険者のやることからは大きく逸脱している。

 大体、きのう、初めてやった冒険者としてのクエストからして、Fランクの冒険者がやることじゃなかった。

「ハジメさん?」

「ハジメ?」

 ヴィオレお嬢様とサラお嬢様が心配そうに僕の顔をのぞき込んでいる。

 ……っ!。そうだった、僕は、このお嬢様方の笑顔を守るという重大な任務をゼーゼマンさんから依頼されていたんだった。

 お嬢様方の笑顔を守るためには、まず、あのお屋敷を買い取らなきゃいけない。

 そのためには無茶なクエストをいくつもこなして、お金を稼がなきゃならない。

 うん、よし、じゃあ、グルマン生活はその後でゆっくりじっくりとだ。

 

「悪いことばかりじゃないのだけれど、ハジメ。聞く?」

 リュドミラが口角を歪ませる。

「うん、好材料は髪の毛一筋ほどでも欲しいところだね」

 歪ませた口角をそのまま吊り上げ、リュドミラが魔女のように微笑んだ。

「この東の森で今、起きているゴブリンパレードが、まだ本当に始まったばかり、ほんの初期段階だってことなのだけれど」

 いや、でも、かなりの数の群になってるんじゃないですか?

 ずいぶん被害が出ているみたいだし。

「で、ございますね。あくまで、これまでの記録からの推量ではございますが、現在、プリンスの拠点周辺に展開しているメジャーでございますが、これは、最終的に、ジェネラルにまで陞格すると考えられるのでございます」

 リュドミラの言葉を引き継いで、エフィさんが、おそらく教団の学校で学んだ知識からだろう、ゴブリンパレードの現況を分析してくれる。

「プリンスから陞格したばかりの若いゴブリンキングの保有戦力は、俗に遠征軍と呼ばれるジェネラルが率いる群が一~三個と、キングの傍に張り付いているカーネルが指揮する俗に親衛隊と呼ばれる群の合計一万二千から三万になります。現在、まだ、プリンスとして群の拡大に着手し始めたばかりだと思われる本件は、遠征軍の部隊規模がメジャーの群の域を出ておりません。このことからプリンスの本隊……、親衛隊も規模は大きく見積もっても人間の軍隊で言うところの中隊規模。百匹から二百匹と予想されるのでございます」

「え? そうなんですか?」

 ルーデルもリュドミラも頷く。

 ってことは、単純計算で現在のゴブリンプリンスの軍勢はメジャーの群一個が五百として×四で概ね二千。親衛隊がキャプテンの群として多くて二百。

「合わせて二千くらいか……」

 昨日僕らがやっつけた総数はおそらく千匹弱……。

「ねえ、ルー、リューダ。これって一日や二日で救出と殲滅は可能かな?」

「言ったはずだと思うのだけれど? ハジメ。あなたが成そうとしていることは、無理や無茶をパイのように幾層にも重ねなくては成すことのできないものなのだと」

「できるかできないかって聞かれてもな、やるしかねえって答えるしかねえんだぜ。ハジメ」

 そうだ、これは、やるしかないことなんだ。

「もっと、精度が高い情報が欲しいな……」

 それぞれの拠点の正確な位置、兵力、構造、そして攫われた女の子の数。

「まずは、偵察だね。リューダ、お願いします」

「数が少し多いから時間がかかると思うのだけれど、大丈夫」

 リュドミラは力強く頷いた。

「あのう……ハジメさん」

 エフィさんがオズオズと手を挙げる。

「その、偵察でございますが、非才にもお任せいただけないでしょうか?」

 え?

「エフィさん、偵察関係のスキルお持ちでしたっけ?」

「はい、鑑定していただければ明白でございます。これでも、B級冒険者でございます。モンスターに攫われた人はもとより、盗賊団に攫われた子女の救出、オーガジェネラル討伐に偵察要員兼僧侶として参加したこともございます。コボルトの巣穴でトンネルラットの任もこなしたこともございます」

 慌てて僕はエフィさんを鑑定する。

 あった。エフィさんのステータスのスキルの項目の中に【隠密】が。

「願ってもないことです。リューダと手分けしてやってください!」

 二人は頷いて、テーブルの上の小さな地図を取って踵を返す。

「行って来るわ」

「行ってまいります」

 森の奥へと駆け出した二人の姿がすぐに見えなくなる。

 早くも隠密スキルを発動したに違いない。

「こっちが偵察出すってことは、むこうも偵察出してるって可能性があるよなぁ」

 ルーデルがのんびりと言いながら、背中の大剣を構える。

「もしくは、パトロールでしょうか」

 ヴィオレ様が両手を合わせて手首を回す。

「お姉ちゃんどれくらい?」

 サラ様が杖を構えて宙に魔法陣を描き始める。

「北東から二十匹くらいが急速接近。すぐに見えるわ」

「威力偵察か……。ハジメ!」

 ルーデルが腰のマジックバッグから昨日のでかくて頑丈な盾を取り出して僕によこす。

「手順は昨日と同じだ。お前が奴等をひきつけて、サラが一掃する」

「分かった」

 僕は北東方向に前進して盾を地面に突き立てる。

 そして、腰の雑嚢から、昨日、鍛冶屋で見かけて衝動買いした道具を取り出す。

「へえ…」

「まあ」

「はははっ!」

 みんながそれを見て相好を崩す。

 僕が取り出したものは、ふつうの尺度では武器とは分類されないものだからだ。

「僕は素人だからね」

 それは金属バットくらいの長さの柄の先に、野球のホームベースのような形の金属の板を取り付けた、穴掘りの道具、すなわちシャベルだった。

 柄の一番手元に開けた穴に通してある皮ひもを手に巻きつけて握りこむ。

 うん、しっくりと馴染む。

「これなら、とにかく振り回して当てさえすればいいと思って……さ」

 振り向いて笑いを浮かべる。半ばごまかし笑いみたいな笑い方になってしまった。

 昨日鍛冶屋でこれを見つけたとき、以前、何気なく見た戦争映画で、年とった兵隊が、新兵にシャベルこそが白兵戦最強の武器だと熱弁していたのを思い出して、矢も盾もたまらず買い求めてしまったのだった。

「ぶん殴れば頭がひしゃげるし、刃が当たれば首ぐらい飛ばせる」

 って言ってたっけ。

 やがて、森の奥から、ゲギャゲギャと耳障りなしゃがれ声が近づいてくる。

「あ! しまった……っ!」

 重大なミスを僕は犯していたことに気がついた。致命的といってもいい。

 

 ああ、なんてことだ。僕は服の予備を用意してなかったのだった。



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第66話 こっちの世界のクッキーは市場で農家が売っている

「ぜーっ! ぜーっ! あ、あぶなかったぁ!」

 辺りにたちこめる肉が焼け焦げる臭いの中、僕は何とか焼失から守り通した服を抱きしめていた。

 予備の服を用意していなかったことに気がついた僕は、サラお嬢様が、『土砂降りの炎プリヴェーゴ・ファイラ』をの呪文詠唱を完成させたのと同時にサラマンダーマントのフードを被り、大盾に身を隠してうずくまったのだった。

 傍から見たら、それはまるで亀が甲羅に手足を引き込んだ状態にそっくりだったろう。

 うずくまった僕に殺到してきたゴブリンが、サビサビの剣や棍棒を力任せに大盾に叩き付ける音がおっかなかった。

 

「殲滅確認! この辺りゴブリンは一匹残らず駆除したようです」

 ヴィオレ様が索敵魔法で周囲に脅威がないことを確認する。

 僕の周囲には炭化したゴブリンの死骸が二十体近く転がっていた。

「うしッ! 腹ごなしも済んだし、リューダとウィルマが帰ってくるまでおやつにしようぜ!ハジメ、なんか持ってんだろ」

「そうだね、お茶ならすぐに淹れられるし、クケートもあるよ。でも、その前にこれを処理した方がよくないか?」

 僕はゴブリンの焼死体を指差す。

「なあ、ハジメぇ、お前が持ってるものはなんだぁ?」

 ルーデルが犬歯を見せて微笑む。

 それは、あからさまに悪人の笑顔だった。

 わかってるさ、僕が持ってるのは本来的に穴掘りの道具だ。

「は、ハジメ! 穴ならわたしが掘るわ」

 サラお嬢様が地面に魔法陣を描きながら、歌うように呪文を唱える。

『掘削』

 あっという間に詠唱を完成させ、杖で地面を突く。

 ボコン! っという音とともに地面が陥没して、ゴブリンの死体が十数体がそこに落ち、

傍に土の小山ができていた。

「すごいです! サラ!」

「えへへ、初級生活魔法だからたいしたことないわ」

 ほんのりと頬を朱に染めてサラ様が照れる。

 僕は、野外食堂に戻り、腰の雑嚢型マジックバッグからクケートと携帯ケトルに小型魔道コンロを取り出す。

 クケートというのは元の世界のクッキーにあたる焼き菓子で、小麦粉を卵とバターと牛乳で練った生地をオーブンで焼いたものだ。砂糖は高価で庶民がおいそれと買えるものではないから、一般的には蜂蜜を甘味料として使っているみたいだ。

 よく、市場で野菜売りの農家が野菜や卵と一緒に売っていて、杏や木苺、葡萄などを乾燥させたものや、スライスアーモンドとかクルミを練りこんだりと、村や家庭ごとに様々な味が伝承されていてバリエーションが実に豊富だ。

 そして、値段も十枚入りの小袋で白銅貨三枚ととてもリーズナブルだ。

 僕は市場で野菜を買うときに、見かけたら一緒に買って、雑嚢に入れている。

 こういうときのためにね。

「お湯は私が用意しますから」

 ヴィオレ様がコンロにセットしたケトルの蓋を開け、水魔法で生成した水を注ぐ。

「魔石の炎魔力足りてる? 足りなかったら私が入れるわ」

「お茶の葉っぱ、おいておきますね」

 僕はテーブルにお茶っ葉が入った麻袋を置く。

「さて……と」

 手袋をしっかりとはめなおし、腕をまくる。

 サラ様の魔法で地面に掘った穴に、落っこち残ったゴブリンを片っ端から穴に放り込んでゆく。

「ヴィオレ、ボディカウントしますんで記録お願いします」

 ふつうは、戦果確認のために、討伐証明部位を採らなければ、駆除討伐したと見做されないけれど、今回は、特例として、申告した数の分、駆除及び討伐報酬が支払われることになっている。トロフィー採取にかかる時間も惜しいという、マスターシムナの事情から今回限りの特別措置だ。

 水増しし放題だけど、そんなことをしたって、きっと、目先の得にしかならない。

「十六、十七、十八……っと。全部で十八匹ですね。耳、鼻や骨を採らない分楽だなあ」

「そうですね。はいっ、ゴブリン十八匹。東の森入り口、正午過ぎ…っと」

 ヴィオレ様が雑嚢から大福帳みたいなものを取り出して、数量、場所、時間を記録する。

 まだ、太陽は真上から少しだけ下がっただけだ。元の世界の時間なら午後二時過ぎくらいだろう。

「じゃあ、僕はこいつで埋めますんでヴィオレは、お茶しててください」

 そう言って、僕はシャベルで、穴の脇の小山から土をすくって穴に放り込んでいく。

「ん?」

 なんか、軽い……な。

 不思議シャベルにかかる土の重さに違和感を感じた僕は、自分を鑑定してみる。

 

【状態】

 名 前:ハジメ・フジタ

 異 常:無し

 性 別:男 

 年 齢:25歳  

 種 族:人間  

 職 業:冒険者 Lv.23

  職種:ポーターLv.39

 HP :223/223

 MP :∞

 攻撃力:326

 防御力:∞

  力 :240

 体 力:250

 魔 力:∞

 器用さ:220

 素早さ:310

  運 :∞

 スキル:絶対健康 常時全回復 鑑定(限定解除)鑑定妨害(状況:虚偽情報表示)

 耐 性:病(無効)毒(無効)眠り(無効)麻痺(無効)混乱(中)恐怖(小)

     ショック(大)

     火属性攻撃(無効)水属性攻撃(無効)風属性攻撃(無効)土属性攻撃(無効)

     電属性攻撃(無効)

     光属性攻撃(無効)闇属性攻撃(無効)即死性攻撃(無効)

     火魔法攻撃(無効)水魔法攻撃(無効)風魔法攻撃(無効)土魔法攻撃(無効)

     光魔法攻撃(無効)闇魔法攻撃(無効)

 その他:女神イフェの祝福、女神ルーティエの祝福 

 

 うお! なんてこった、昨日一日で、レベルが20以上も上がっている。

 元々高レベルだったポーターのレベルもかなり上がっていた。

 そのおかげもあってか、いやきっとそのおかげなんだけど、ゴブリンを放り込んだ穴を埋め戻す作業は、実に短時間……体感で十分もかからなかったと思う……で、終わることができ、僕もお茶とクッキーを楽しむことができた。

 でも、こんな大量殺戮の後に、アフタヌーンティーを楽しめるなんて、僕は、自分の正気を一瞬疑う。

 そう言う感情は、一度湧くとじわじわと後か後から際限なく湧き続け気分が落ち込んでくる。

「ハジメさん?」

「ハジメ?」

 ヴィオレ様とサラ様が、心配そうに僕の顔を覗き込んでいる。

「あ、いえ、何でもありません」

 僕は、どうしても、自分が産まれて育った元いた世界の常識や、感覚をまだ引きずっているようだ。

 元いた世界でさえ時代や、地域によって人の命の軽重があった。敵の生命なんてそれこそ羽毛よりも軽い時代もあったし、現代でさえそんな地域は山ほどある。

『人の命は地球よりも重い』なんて、おためごかしもいいところだなんてことは頭では分かってたつもりだ。

「ハジメ、お前、ゴキブリ潰してそんなに落ち込むのか?」

 ルーデルのいうことはもっともだ。

 ゴブリンは僕たち人間にとって絶対の敵だ。畑を荒らす猿や猪、鹿よりもタチが悪い絶滅させるにふさわしい絶対的な有害種だ。

 だが、やつらは人間には及ばないとはいえ、知性がありコミュニケーション手段があり、社会を構築している。

「ハジメ?」

 俺の方を見ているサラお嬢様の心配そうな顔に、昨日ゴブリンメジャーの穴で見た食べられかけの女の子が重なる。

 腹の中がかっと熱くなり、何かが煮えたぎる。

 

 そうだった。俺は何を忘れているんだ。これは、生存をかけた戦いだった。

 

「ハジメさん。ハジメさんは間違ってませんから」

 ヴィオレッタ様が微笑む。

「ハジメ……」

 サラ様が微笑みかけてくれる。

 

 そうだった。俺は、この笑顔を護りたいんだった。



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第67話 あの……私の魔法ならたぶん大丈夫だと思うんですけど……

「お、帰ってきたな」

 ルーデルが森の奥を見る。

 僕も森の奥に視線を向ける。

 リュドミラとエフィさんが駆け戻って来る。

「いやあ、参りましたのでございます」

 息切らせて、エフィさんが喘ぐ。

「ちょっと、面倒なことになっているわね」

 野外食堂に到着するなりリュドミラとエフィさんが、偵察の結果を一言で表す。

「今すぐにでも救出作戦を開始しないといけないわ」

 いますぐだって?

「今夜にもオルギオが始まるわ」

「なんですって? オルギオっていったら、プリンスがキングに陞格する寸前の乱痴気騒ぎのことですよね!」

 リュドミラが告げたオルギオという言葉にヴィオレ様が仰天する。

「なんだよ! もうそんなとこまできてんのかよこの森のゴブリンパレードは」

「もう一年くらいは猶予があると思っていたのでございますが……」

「……獣人か!」

「ええ、そうね、間違いないのだわ」

「この国に、獣人の集落があったなんて聞いたことないぞ!」

「ええ、元々獣人はヴルーシャやファロンデとかの北方諸国に多いのでございますが……」

 待て待て待て! オルギオ? 獣人? 何がどうなってる? 

「あ、あの、それって……どういう……」

 いや、待て僕。疑問に答えてもらうよりもまずは、現状の把握だ。ネタ明かしは後でやってもらおう。

「その、オルギオってのが今夜始まりそうだから、今すぐ行動を起こさないといけないんだね?」

 リュドミラが僕を見て笑う。

「ええ、ええ、そうなのだわ。オルギオが始まってしまったら、今つかまっている女の子たちはみんな確実ゴブリンどもの苗床になってしまうのだわ」

「わかった。すぐに救出を始めるとして、その方法を考えよう。偵察結果を教えて」

 リュドミラとエフィさんは顔を見合わせて笑う。

「へえ」

「はははっ、さすが台下でございます」

「もっと慌てるかと思ったのだけれど」

「ハジメ、歴戦の軍師みたい」

「うふふっ」

 いや、十分慌ててます。

 慌てているからこそ、優先順位をつけて絞り込もうとしているんです。

 ネトゲでイベント最終日にやり残したことを全部やろうとして、あれもこれもと欲かいて、結局何もできなかったことが何回もあるからね。

 こういうときは、やらないことを決めて時間を稼ぐもんだ。

 今は、事情の説明をきくことがやらないことだ。何でそうなったかなんて全部終わってからゆっくり聞けばいい。

 今やるべきことは、捕まっている女の子たちの救出だ。その方法の検討だ。

「拠点の数と捕まっている人数、それから、拠点の構造が知りたいんだけど」

「敵の数はよろしいのでございますか?」

「そうですね、捕まっている人のところにいる看守役の数くらいは知っておきたいですけど……。救出作戦中はできれば一回も戦わない方向でいきたいですね」

 ルーデルが口笛を吹く。

「分かりました。では、非才の方面の偵察結果から……」

 そうして、リュドミラとエフィさんの偵察結果の報告で分かったことはこうだ。

 ゴブリンの群は、現在ゴブリンプリンスが率いる本隊とメジャーが率いる群が三個。

 メジャーの拠点にはそれぞれ五人ずつ捕まっている。

 本隊に捕まっているのは十九人。

「全部で三十四人で間違いない?」

「ええ、間違いないわ」

 単純に考えればクエスト依頼申し込み書十五件分に加えて十四人だ。ああ、エルベ村のヤンさんのとことかは姉妹で攫われてたっけ。

「ヴィオレ、申し込み書で姉妹とか、複数人の捜索って……」

「エルベ村のヤンさんのところだけですね」

 ヴィオレ様が大福帳をめくりながら教えてくれる。

「……ってことは、後は依頼の申し込みさえ出ていない被害者……つまり、壊滅した村から攫われてきた女の子たちに……、昨日助け出した子みたいなエルフとかかな?」

「ああ、それと、あたいたちみたいな獣人だろうな」

「で、ございます。非才の方面、メジャーの拠点洞窟二箇所で人間が二、狼人が五、兎人が二でございました」

「わたしの方はメジャーの拠点に人間が一、狼人が四で、本隊に人間十八とエルフが二だったわ」

 本隊に捕まっているのが人間とエルフばかりなのは、戦闘要員よりも本部要員の拡充のためだろう。

「最近、ヴィステフェルトやヴルーシャ、ファロンデから獣人がパージ(追放)されているという噂を耳にしましたのでございますが……どうも、そこから攫われてきているみたいでございますね」

「国を追い出されて、国境地帯に広がってる、この、東の森にいつの間にか獣人が村を作ってたってこと?」

 サラ様の言葉にみんなが頷いた。

「特に、狼人族の多くがこの森のヴィステフェルト、ヴルーシャ、グリューブルムの三国国境地帯に住み着いているという噂でございます」

「狼人族は元々孕んでから半年で六人産むからな、群の頭数がすぐに膨れ上がる」

「ゴブリンの種だと三ヶ月で生まれるのだわ。しかも成長は通常のゴブリンより少し遅い程度で、並みのゴブリンよりも屈強なの。もちろんメスが産まれる数は半数以上なのだわ」

 なるほど、獣人が母の場合は早くたくさん強いの(ハイゴブリンとでも呼称するか)が産まれてくるわけか。ゴブリンのメスも爆発的に増殖することになるわけだ。

 ゴブリンのメスが爆発的に増えたら、その三ヶ月後には妊娠可能になって更に一月後にはゴブリンを大量に産むわけだよな。

「獣人があちらこちらから、この森に集まって来たときに、運悪くゴブリンプリンスが生まれて、獣人の女の子達が大勢攫われてきた。だから、通常のパレードよりも、群の大規模化が加速しているってことだね」

「ご名答だ、ハジメ。ちなみに、こんなにも大規模に獣人が苗床にされたことなんて未だかつてないことだ」

 泣きっ面に蜂的な状況なのか……。

「あと、それからなのだけれど……」

 リュドミラが、更なる厄介ごとを話し始める。 

「捕まっている女の子たちは、全員が自力で立つこともままならなくなっているのだわ」 

「なっ! 足の腱を切られてるの?」

「いえいえ、薬でございます。ゴブリンの仔を孕ませやすくする薬があるのでございます」

「それを飲まされると、副次効果で酩酊状態に陥って自力で歩けなくなるのだわ」

 なるほど、ゴブリン謹製の排卵促進剤みたいなもんか。

 キメセクで異種族強制妊娠なんてどこのエロゲだ!

 最短で三ヶ月後には、獣人の女の子からハイゴブリンと指揮個体にゴブリンのメスが産まれ、ゴブリンの量産体制が整い始める。

 そうしているうちに人間の女の子やエルフの女の子からも指揮個体やメスゴブリンが生まれて鼠算式に個体数が増え、軍団が形成されていくって寸法か……。

「きのうみたいに、助けた女の子達に自力で走ってもらうことはできないってことか……」

 かといって、拠点をいちいち殲滅するにはたぶん時間が足りない。

 いくら僕のレベル39のポーターの能力でも、女の子五人分の重量を支えることはできても、五人の女の子を抱えたり背負ったりして走るのは、嵩張って無理だろう。

「そのゴブリンの妊娠促進剤の副作用を無効化できればいいわけだよね。解毒剤か解毒魔法は使えないかな?」

「非才の解麻痺毒薬はおそらく効くと思われますが、今日は余り持ち合わせがありません。材料も持って来ておりません。予見できることでしたのにすみません」

 エフィさんがすまなそうに肩を落とす。

「あの……私の魔法ならたぶん大丈夫だと思うんですけど……」

 ヴィオレッタ様がオズオズと手をあげたのは、今にも泣き出しそうなエフィさんを慰めようとしたそのときだった。




17/09/14 第63話~第67話までを連投させていただきました。
毎度、御愛読、まことにありがとうございます。


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第68話 あ、あのう、僕、それ、持ってます

「ヴィオレ、それは……?」

「私、いくつか解毒魔法を習得していまして、かかった毒の種類で使い分けするんですけど、体内の薬効を全て無効にするというのも習得してまして……」

「なんと、ヴィオレは中和魔法を習得されておられましたか!」

 エフィさんが感嘆した。

「それを使えば、女の子たちの解毒は可能なんですね」

「ええ、ただ……」

「魔力量の問題でございますか?」

 エフィさんがニコニコとヴィオレッタお嬢様に尋ねる。

「ええ、私の魔力量では、五人分がせいぜいだと……」

「それならば、非才謹製の魔力回復薬『魔女の黄金水パイン味』で完全回復できますでございますよ。幸い『魔女の黄金水』はプラム味を三十個にバンブー味を二十個、パイン味を五個持って来ております」

「それって、昨日わたしがもらったやつ?」

 そういえば、昨日エフィさんがサラ様に飲ませていたのは『女神の聖水』とかいったはずだ。

「いいえ、サラ、こっちはですね、魔力回復に特化した薬なのでございます。昨日サラに差し上げましたのは万能回復薬なのでございますよ。飲めば疲労や魔力を回復し、ふりかければ怪我の治療薬になるという代物なのでございます。昨日差し上げたのはその中でも一番お手ごろ価格のものだったのでございますよ。ちなみに今日は『女神の聖水』は並を三十個に中を二十個、上と特上をそれぞれ十個ずつ持参しております」

 なるほど、エフィさんの腰周りはやっぱり薬品庫だったって訳ですね。

「じゃあ、次は助け出した女の子たちの輸送方法だね。僕らの馬車には十五人も乗れないだろから……」

 僕は考え込む。今から街に取って返して馬車を雇って戻ってこれるのは夕方になってしまうだろう。

 せめてもう一日あれば……。

「シムナに応援を要請するわ。馬車を手配してもらうのだわ」

 そう言ったとたん、リュドミラが二人になった。

「「「ええええええっ!」」」

 僕たちの仰天を尻目にリュドミラの分身がろうそくの炎を吹き消したようにふっと消えた。

「空蝉の術よ。空中のマナを凝縮させてわたしの情報をコピーしたものなのだわ。空間時間にとらわれないから任意の場所に出現させることが可能なの。メッセンジャー代わりに重宝するのだわ。今、シムナの執務室に出現させたところよ。ふん、あの子驚きもしないわ。さっさと用件を言えですって」

「なら、オドノ商会のジジイにも出張ってもらうってのはどうだ? あそこの馬車なら静かだし何より速い……そっちはあたいがやろう」

 ルーデルも、空蝉の術で分身を作る。

「そうね、オドノ社長なら安心だわ。せっかく助け出した女の子たちをニンレーの奴隷市場に持っていかれたら元も子もないもの」

 おいおい、それって、運送屋が荷物を横領するってことだろ?

「で、ございますね。辻馬車や駅馬車の御者が強盗団と繋がっているなんてことはよくあることでございますからね」

 なんてこった。僕は唖然とした。それって、雲助ってヤツじゃないか! せっかく苦境から助け出された女の子を、奴隷に売っ払って儲けようなんてことを考えるヤツがいるのか!

 ほんっと、この世界の為政者、すなわち領主や国は何してるんだ?

「ハジメさん……」

 ヴィオレ様の心配そうな声にはっとして、僕はリュドミラに尋ねる。

「リューダとルーががあの社長さんと知り合いなのは知ってるけど、いきなりそんなことお願いしても無理じゃないか?」

 僕の問いかけにルーデルは、僕の肩を抱いて言った。

「ハジメ、ウチの馬、グラーニな、あそこの馬の子供だ」

 僕は息が詰まる。

「それから、ウチの馬車はね、昔、ヨハンがオドノの社長から譲り受けたものなのだわ」

「ええっ! じゃ、じゃあ、あのオドノ商会の馬って、す、す、すれ、すれ……」

 スレイプニルと言いかけた僕の目の前に角笛が差し出された。

「これはね、あそこの社長が残った片目と引き換えにしても欲しがっている角笛なのだわ」

「かかかかっ! 奢るなぁ リューダ! なら、あたいもだ」

 ルーデルがマジックバッグから豪壮な槍を取り出した。

「これはな、あたいがあのジジイから賭けの戦利品として奪った槍だ。持ってても使い道ないし重いだけだからな。返してやるか」

「あわわわわわわ! ルー、リューダ、それは、それはぁあああっ! ぎゃ、ぎゃ、ぐ、ぐん」

 僕は、エフィさんの口をふさぐ。

「エフィさん。とても立派な角笛と見事な槍ですね。古物商ならこういうすばらしい骨董品は一度は扱ってみたいものでしょうね」

 僕は、その角笛と槍が何なのかわかってしまった。

 だから、僕と同じようにわかってしまったエフィさんの口を封じた。

 そして、あの社長が何者なのかもわかってしまった。

 どうして、女神様方と平気で接することができていたのかもそれで納得だ。

 そして、それは口にしてはいけないことだということも。

 僕はわかってしまったのだった。

「は、はひ、そっそそそそそっ、そうでございますね。こんな国宝級のお品はそうそう出てくるものではせん。さすがは、元SSS級冒険者のお二方でございます。ものすごい冒険の後、手に入れられたのでございますね」

 ヴィオレッタ様もサラ様も、突然湧いて出てきたお宝に唖然呆然としている。どうやらこの二つが本当は何なのかまではお分かりになっていないようだった。

 よかった。

「うふふ、こんなお宝、わたしたちだって、これだけしかもってないのだわ」

「ああ、だけどな、これチラつかせたら、すっ飛んでくるぜあのジジイ」

 そうだろう。きっとそうだろう。

「と、いうわけよ。シムナ頼んだわ」

 リュドミラが自分の目の前でオーケストラの指揮者が演奏を終わらせるときのように腕を振って握りこぶしを作った。

「これで、シムナがオドノ商会の社長を連れて飛んで来るわ」

「オドノのジジイもだ。いまからお茶を一服する間に来るってよ」

 そうなんだろう。例えじゃなく、そうなんだろう。

 よし、これで、輸送手段は確保できた。

 次は、拠点攻略法だ。

 いかに戦闘を回避して女の子たちを救出するかだ。

「拠点のゴブリンをどうにかして行動不能にできるのが一番なんだけど……」

 昨日みたいにゴブリンを殲滅しながらじゃ時間がかかりすぎる。

 オマケに今日は、ヴィオレ様の魔法やエフィさんの回復薬が必要だから、突入する人数が多い。

 したがって、隠密行動は無理だと考えていたほうがいい。

「ハジメさん、行動不能にさせるといいますと?」

 エフィさんの問いに答える。

「眠らせるとか、麻痺させるとかですね」

「ふうむ、非才の付与術に眠りや麻痺はあるにはあるのでございますが、いかんせん超小型ダンジョンともいえるゴブリンの拠点を、まるまるひとつ制圧できるほどのものではございませんし、ちょっとした衝撃で術から醒めてしまう可能性がある不安定なものでございますから……」

 エフィさんが再びがっくりと肩を落とす。

「ねえ、ウィルマ、お薬は?」

 サラお嬢様が首をかしげて優しげに微笑む。

「わたし、お父様に聞いたことがあるの。人を眠らせたり痺れさせたり、殺したりするお薬があるって。ウィルマはお薬を作るのが得意なんだから、できないかしら?」

「あ……」

 サラお嬢様の一言に、エフィさんの頭の上に明るい電球が灯った。

「ええ、ええ! できますとも! ありがとうございます、セアラ・クラーラ! そうでした。非才、ルーティエ教団随一の調剤施療神官でもありました! ドラゴンでさえ殺されても三日三晩眠り続ける超強力睡眠麻酔薬が作れ……あ……ません……」

 エフィさんの頭の上の百ワット電球が光り輝いたのも一時、またまたエフィさんは夕方の朝顔のようにしぼんでしまった。

「できません! 材料が足りません! たったひとつ、絶対必要なものが無いのでございます。持ち合わせもなければ、いつ入手できるかも全く分からないのでございます。ケニヒガブラの毒袋付きの牙なんてこの三百年で一度しか市場に出たことございませんから」

 絶望のあまりエフィさんはワンワンと泣き出した。

「あ……」

「ああっ!」

「へえ……」

「あら!」

 ヴィオレッタ様、サラ様、ルーデル、リュドミラが一度に僕に注目する。

 こんなに女性の視線を浴びたのって、死んだときに緑の割烹着のお姉さんたちに見つめられたとき以来じゃないか?

「あ、あのう、僕、それ、持ってます」

 

 僕はオズオズと手を挙げたのだった。




お待たせいたしました。


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第69話 調剤施療神官の薬作りは、まるでミュージカルの様相を呈している件について

「へ?」

 

 いろんな体液でぐしゃぐしゃになった顔でエフィさんは間抜けな声を出した。

 

「僕、その、ケニヒガブラの牙持ってます」

 

 もう一度繰り返して、僕は腰のマジックバッグから、ケニヒガブラの牙を取り出し、エフィさんの目の前に差し出した。

 

「んななななななななっ! なんとおおおおっ! これは、これはっ! まさしくケニヒガブラの毒袋付きの牙! なんと見事なお品でしょうううううっ! これはまさしくうううっ、世界一いいいいっ!」

 

 再びエフィさんの頭の上にシュアファイア(目くらましにも使えるものすごく明るい懐中電灯)も真っ青のまばゆい光が灯る。

 しかしその仕草、冒険活劇マンガ『ジョ○ョ』に出てきた軍人キャラみたいなんですけど。

 

「作れますぅ! これで作れるのでございますぅ! 空前絶後、たったひと嗅ぎでエンシェントぉ~ドラゴンさえもぉ~殺されても目覚めることなくぅ~三日三晩眠り続けるう~、全身麻酔薬『モルフェオの吐息』がつくれますううううっ! ららららん、ららららららあああ~」

 

 僕から牙を受け取り、エフィさんは捧げ持ってうっとりと微笑んで歌い踊りだした。

 泣いたカラスがなんとやらだ。

 

「ヴィオレッタ・アーデルハイドぉ~! 純水をぉ~生成してくださいな~、んらららぁ~」

 

 腰の雑嚢型マジックバッグを外して降ろし、ビーカーのようなガラスの器を取り出して、テーブルに置き、エフィさんはヴィオレ様に水の生成を依頼する。

 

「あ、はい、わかりました」

 

 返事をするやいなやヴィオレ様がビーカーに水を満たしてゆく。

 

「はい、それくらいで~けっこうですうう~、んららららあ~、らららぁ~」

 

 歌い踊りながら、次々と道具や材料を読み上げて取り出し始める。乳鉢に乳棒、薬研っていったっけ?両手でゴリゴリするやつ、それと、小さな石臼。あと、アルコールランプに五徳、小さな魔女の鍋に大匙小匙。いろんな木の実や干草に干物……エトセトラ。

 

「んふふふん~、んらららん~」

 

 取り出した物を野外食堂のテーブルの上に几帳面に並べてゆく。

「んらららっららぁ~」

 

 最後にバターを入れておくような小さなツボをテーブルの上に置いて、エフィさんは大きく息を吐き出した。

 

「んふふふふふっ」

 

 心の底から楽しそうに笑って、エフィさんは手術用の手袋みたいな極薄の皮製手袋をはめ、パチンと弾く。

 そして、すうっと大きく息を吸い込んだ。

 

「ら~らららんららら~! 『モルフェオの吐息』をぉ~作っちゃうぞの歌ぁ~!」

 

 オペラ歌手のような朗々とした歌声が辺りに響き渡る。

 だけど、その歌詞はどうでしょう?

 

「んらららぁ~、ケニヒガブラぁ~のきぃばがぁ~こんなにたくさぁんあったぁならぁあ~らららぁ~、ドラゴン百匹だってえええ~ いっかぁげつうう~ 眠らせられるうう~」

 

 その、圧倒的な声量に気圧される。さっきまでの歌声が鼻歌に思える大音量だ。

 

「毒袋を~小指の爪くらい切り取ってぇ~細かく細かぁく刻みぃ~、牙をぉ~親指の爪くらい削ってぇ~粉にぃしてぇ~、ワイバーンの骨の粉ぁ~芥子の実の樹液とぉ~混ぜ混ぜ混ぜ混ぜえええ~、これとあれ、あれとこれもぉ~、粉に挽いてまぜまぜ、まぜまぜえええ~。うふふふふ……うふふふふふ、いひっ! いひひひひひひ……、うひゃーっはっはっはっは!」

 

 それは、まるでワーグナーの楽劇『ワルキューレ』の一幕のような美しく逞しい歌声だった。

 歌詞はとてもとてもへっぽこだが。

 なるほど、『女神の聖水』の製法が秘伝な理由が理解できた。

 歌声はともかく歌詞は絶対外に出せない。へっぽこすぎだ。

 ってか、エフィさん! 何気にものすごく危ないもの持ってますよね! 芥子の実の樹液なんて!

 まあ、ありとあらゆる薬品の製造を行う調合師なら当たり前か。

 

「魔法でせぇいせいしたぁ~ 純水を加えてぇ~火にかけて~」

 

 美しい歌声とメロディでへっぽこな歌詞をエフィさんの口が紡ぎだす。

 だが、その歌声とへっぽこな歌詞に反して、エフィさんの手先は実に素早くかつ正確に器具を操作し、作業をこなしていた。

 さながらそれは、かの漫聖手塚治虫が生み出した無免許天才外科医を髣髴とさせる手際のよさだった。

 

「はああ~っ! 練り練りぃ、ねりねりぃ、ネリネリィ~ ねって、ねってねりこんでえええええええええええええええ~!」

 

 いつの間にか僕は目を閉じ、腕を組み、足と指先でリズムをとってエフィさんの歌声にうっとりと聞き惚れていた。

 エフィさんの歌声は一人でで歌っているくせにまるで、三四人でハモっているように、じんじんと鼓膜を揺さぶった。

 ああ、たしか、ゼーゼマンさんの埋葬のときもこんな気分になっていたっけ。

 

「こねてこねて、こねこねてえええええ~ 形ぃをととのえましょうぅ~」

 

 そうして……。

 

「はいっ! でぇきあ~が~り~!」

 

 エフィさんは超ベテランのギャリソンよろしく僕らの前に二十センチくらいの丸い皿を突き出す。

 その上には、飴玉くらいの大きさの赤紫色をした三角錐が十個並べてあった。

 

「んふふふふふぅ~。これ~ひとつでえ~、ゴブリン五百匹なんぞぉ~あさっての朝まで~ぐうっすり~! 『モルフェオの吐息』ぃ~ か・ん・せ・いいいいいいいいぃ~!」

 

 と○がりコーンのような形のちいさな三角錐を摘み上げ、ステージをやりとげたアーティストのように、そしてまた、マッドサイエンティストのようにエフィさんが破顔した。

 

 数瞬の静寂。

 

 ぱんっ! ぱんっ! ぱんっ、ぱんっ、ぱんっ、ぱんぱんぱんぱんぱん!

 

 俺は涙を流して拍手していた。

 バイロイト祝祭劇場で生の楽劇を観覧したワグネリアン(超熱狂的ワーグナー音楽の愛好者)のように。

 それほどに、エフィさんの歌声は心を揺さぶるものだった。

 いや、歌詞のへっぽこさを差し引いてもだ。

 そして、俺の感動が伝播したかのように、その場のみんながエフィさんの独演に惜しみない拍手を送っていた。



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第70話 『モルフェオの吐息』は芥子粒大で金貨二十枚もするそうだ

 ドムッ!

 エフィさんが音をたてて赤面した。

 

「あ……」

「まあ!」

「爆発したな」

「爆発したわね」

 

「ひゃあああああああ!」

 

 それは、じつに乙女な悲鳴だった。

 薬作りのマッドサイエンティストモードから我に返ったエフィさんが、頭から湯気をしゅんしゅんとヤカンのように上げて、作り上げた『モルフェオの吐息』が乗ったトレイを放り投げてしゃがみこむ。

 

「うん、恥ずかしいな」

「ええ、恥ずかしいわね」

「とても恥ずかしいと思います」

「えーっ? とってもきれいな歌声だったわ」

 

「あわわわわ、しくじりましたのでございますぅ。大失態でございますぅ。あまりにも見事なケニヒガブラの牙を見せられて舞い上がってしまいましたぁ」

 

 生まれたばかりの小鹿のようにエフィさんはプルプルと震えている。

 なんか、ケニヒガブラの牙を出した僕に責任がありそうだ。

 

「あの、エフィさん……ステキでしたよ」

 

「ひゃあああああ! おそ、おそ、畏れ多い! おはっ……、おはおはお恥ずかしいかぎりでございますうっ!」

 

 僕は、エフィさんの歌声に賛辞を贈ったつもりだったんだけど、どうやら逆効果だったみたいだ。

 エフィさんはがたがたと震えだした。

 

「やあやあ、実にご機嫌な歌声が聞こえてきたと思ったら、ルーティエの調剤施療神官の調合術儀だったんだね。いやぁ、まるで、戦女神の姉妹たちの集会のようだったんだねぇ」

 

 その場に僕ら以外の手による拍手が響き、一度聞いたら忘れない軽佻浮薄な口調の重低音を背後から投げつけられる。

 振り向くと、そこにはヴェルモンの街の冒険者ギルドのマスターシムナさんと古物商オドノ商会の社長さんが満面の笑顔で手を叩いていた。

 

「ルーティエ教団の本神殿、奥の院でしか行われないという調剤神官の調合術儀をこの目で見る日があろうとはねぇ」

「作っていたのは……、んんんんっ! なんと、『モルフェオの吐息』なんだね! いや、まいったんだね! そんなとんでもないものを助祭コーラスも立てずに単独ソロで作っちゃうなんて! 流石は『ルーティエの瑠璃光』なんだね! それにしても、ケニヒガブラの毒袋付き牙なんてよく持ってたんだね!」

 

 エフィさんあなたも二つ名持ち様でしたか。

 

「おっとっと、ごあいさつが遅れたんだね! いやあ、お待たせなんだね! ゲリとフレキが昼寝中だったんで、起こすのに手間取ってしまったんだね!」

 

 オドノ社長が馬車の御者を親指で指し示す。

 指差された御者はテヘへと笑っている。

 

「いえいえ、急なお願いを聞いていただいてありがとうございます」

 

 僕は丁重に腰を折る。

 いっそのこと二礼二拍手一拝がふさわしいくらいだ。

 その様式でよければだけれど。

 

「お宝につられてやってきた、欲得塗れの骨董屋のジジイに、そこまで頭を下げることはないんだねぇ」

 

 オドノ社長が僕の肩をぽんと叩く。

 それだけで僕は膝がかっくんと折れて、二度と立てなくなるような気がした。

 

「んで、芥子粒大で金貨二十枚もする 『産屋の焚き込み香』をそんなに大量に作って何しようっての?」

 

 マスターシムナがエフィさん謹製の超強力麻酔睡眠薬『モルフェオの吐息』を揶揄して肩を竦める。

 

「いえいえ、マスターシムナがご存じないのもいたしかたこざいませんね。本剤の用途は現代では、貴族や金持ちの奥様がお産をされるときに陣痛を和らげるために極々少量が用いられるのみですございますから」

 

 え? そうなんだ。この薬の用途って本来的にそっちなんだ。

 でも、産婆さんとかにも影響があるんじゃないか?

 ってか、エフィさん立ち直り早っ!

 

「ハジメさん、本剤はですね、現代では催眠効果を狙うものではないのでございます」

「むしろ、とても高価な麻酔薬として知られているものなんだね」

「はい、社長がおっしゃられる通りでございます。極々少量…芥子粒ほどを室内に焚き込めることで、産婦の沈静ならびに、鎮痛効果が期待されます。そのとき、助産婦は、香気を吸い込まないように口覆いをいたします」

 

 と、エフィさんは地面に置いた雑嚢からマスクを取り出す。

 マスクといっても、風邪や花粉症のときにするような、ぺらぺらの衛生マスクじゃなくて、顔に密着させたカップが鼻口を覆うタイプの元いた世界では防塵マスクと呼ばれてるやつに似たやつだ。

 薄いなめし革製でちゃんと、給排気弁みたいなものが付いている。

 

「ここに、中和魔法をセットした小さな魔石がはめ込んでありまして、この口覆いをしている限り、『モルフェオの吐息』の香気は効かないのでございます。もちろんこの口覆いは『モルフェオの吐息』に限らず、いかなる毒気、瘴気をも無効化いたします」

 

 給排気弁にあたる部分を指差してエフィさんが得意げに説明をしている。

 ひょっとして、そのガスマスクもエフィさんの御作ですか? 後で聞いてみよう。

 

「じゃあ、突入班はそれを着用ってことで?」

 

 でないと、僕らもぶっ倒れるもんね。

 ……しかし、エフィさんは首を振る。

 

「申し訳ございません。じつは、この口覆いもこれ限りなのでございます。ですから、万一に備えてこれを装備していただくのはヴィオレッタになります」

「え? じゃあ、『モルフェオの吐息』が充満する中突入ってこと?」

 

 さすがにそれはおっかない。いや、たぶん僕は平気だろう。なんてったて、僕は『絶対健康』だから。

 でも僕以外はどうだろう?

 ってか、ぶっ倒れちゃうよなあ。

 

「ちょ、ちょっと、あんたたちゴブリンメジャーの拠点洞窟に『産屋の焚き込み香』を焚き染めて突っ込むわけ? まあ、その量ならゴブリンもラリっちゃうだろうけど……」

 

 マスターシムナが不安そうな顔をして、僕らの作戦に異議を唱えたのだった。



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第71話 アイン・ヴィステフェルトが獲得したケニヒガブラの牙が金貨一万枚で売れるらしい

「シムナぁ、これ一個で、メジャーの拠点洞窟に棲んでいるゴブリン全部をあさってまでぐっすり眠らせることができるんだってよ」

 

 ルーデルが僕らの作戦に異を唱えたマスターシムナの肩を抱いて犬歯を見せて笑う。

 

「んなっ! そんなバカみたいなことできるわけないじゃない『産屋の焚き込み香』ごときで」

 

 マスターシムナが目を剥いた。

 

「かかかかかっ! シムナが知らないのも無理はないんだね。『モルフェオの吐息』なんてここ三百年ばかり新しく調合されたことなんてなかったんだね。ほんの少ししか使わないんだけど、必須材料のケニヒガブラの毒袋付きの牙が市場に出たことなんて、ここ三百年なかったらね」

「ダンジョンで中層以上の階層主であるケニヒガブラが牙をドロップすることが非常に稀ですし、ましてや、毒袋つきの牙なんて地上で討伐したケニヒガブラを解体しなければ採取できませんからね」

「『産屋の焚き込み香』って、今、ルーティエ教団の奥の院で保管してある塊から少しずつ削ったものを売ってるって聞いたことがあるわ」

 

 さすが、番頭レベル99のヴィオレ様に丁稚レベル73のサラ様だ、稀少アイテムのことをよくご存知だ。

 

「しかし、ケニヒガブラの毒袋付き牙なんてよく持ってたんだね! ほうほう、あれがそうなんだね。売ってくれないないかねぇ。あれ、僕なら金貨一万枚で買うんだね! 最低価格金貨五千枚からの競売に出せるんだね! ふた声目に金貨一万枚越えは確実なんだね!」

 

 ……ってことは、いま抱えてるシムナさんからのクエスト放り出しても大丈夫ってこと? ぜんぜん余裕でお金儲けできるってこと?

 

 僕は、突然大金持ちになったのだった。

 いや、換金すればだけどね。

 

「へえ、いいね、いいねぇ、ハジメぇ、濡れ手に麦だぜぇ」

「そうね、まさか、わたしも、ケニヒガブラの牙にそんな値がつくなんて知らなかったのだわ」

 

 ルーデルもリュドミラもニヤニヤ笑いを浮かべて僕の目を覗き込んでいる。僕の目の奥を睨んでいる。

 サラ様も、ヴィオレッタ様もエフィさんも眉を寄せて僕を見つめている。

 街に帰って売りに出せば、労せずして金貨五千枚以上は稼げるってことか……いや、もう一本あるから、全部で一万枚以上は稼げちゃうんだろうな。

 あっさりと目標額達成だ。

 

「ハジメくん……」

 

 そして、マスターシムナがどこか縋りつくような瞳の色で僕を睨んでいた。

 

「社長、その話、後でゆっくりしませんか?」

「今じゃなくていいんだね」

「ええ、今は、急いでやらなきゃいけないことがありますから。そのために社長とシムナさんに馬車を持ってきていただいたんです」

 

 きっぱりと言った。

 わざわざ危険を冒すことはないと思う。たしかにそうだ。

 いかに、エフィさんが作った薬の効き目が抜群だとしても万が一がある、そんなところにヴィオレッタ様やサラ様を連れて行きたくない。

 楽して金が貰えるならそれでいいじゃないか。

 

 だけどな、俺が守りてえのはみんなの笑顔なんだ。

 

 こんな棚ボタで金が稼げたってな、助けられるかも知れない命を見捨てて、みんなが笑えるか?

 俺はそう思わねえ。こんなのはきれいごとだってわかってる。

 けどな、今そこで俺に見えている苦しんでるヤツを助けてこそ心の底から笑えるってもんだ。

 そうしなきゃ、ヴィオレもサラも笑って暮らせねえ。

 

「ハジメさん!」

「ハジメ!」

「ハジメさん!」

 

 ヴィオレッタ様、サラ様、エフィさんが安心したような笑顔を浮かべる。

 僕の判断はまちがっていなかったみたいだ。

 

「かかっ! こいつは一本取られたんだね。じゃあ、救出作戦の打ち合わせをするんだね」

 

 オドノ商会の社長は隻眼の相好を崩した。

 

「はい、では、僕の考えを言います。別なアイディアがあったら、なんでも言ってください。検討しましょう」

 

 僕は作戦のあらましを説明する。

 すなわちこうだ。

 

 第一段階

 エフィさん作の超強力麻酔薬『モルフェオの吐息』を拠点洞窟内に充満させ、ゴブリンを行動不能にする。

 第二段階

 メイン火力のルーデル、リュドミラ。解毒回復役のヴィオレッタ様。魔力回復役兼介助役のエフィさん。壁兼介助役の僕が突入。坑内をしらみつぶしに被害者を捜索して、発見次第、解毒と体力回復。

 第三段階

 歩けるようになった被害者を連れて洞窟から脱出。

 第四段階

 サラ様の魔法で殲滅。

 

「僕らが潜っている間、社長とマスターシムナは馬車とサラを護衛しつつ待機していただくということで」

「うん、実にシンプルでいい作戦なんだね! 作戦実施までに時間的余裕がないときは単純なのがベストなんだね!」

「『産屋の焚き込み香』は? 突入班が香気を吸い込んだら?」

 

 シムナさんの疑問にエフィさんが答える。

 

「洞窟内の換気をしてからの突入となります。こういった洞窟拠点には必ず何箇所かの空気穴がございます。これについては全てを把握しております。第一段階では、この空気穴をサラ、ヴィオレ、非才の生活土魔法で一箇所だけを残し塞ぎ、出入り口で香を焚き風魔法で送り込みます」

「その風魔法はあたいが担当だ」

 

 ルーデルが手を挙げる。

 

「その上で、残しておいた空気穴の傍でハジメさんに待機していただいて、立ち上ってくる空気の匂いを嗅ぎ分けていただきます。『モルフェスの吐息』の香りがしたら、ハジメさんの合図で口覆いを装着して待機いただいたヴィオレに空気穴を塞いでいただきます。空気穴程度でしたら生活土魔法の初級穴埋めで塞げるはずです。それと同時に出入り口も塞ぎます。これは、サラの土魔法で実施していただきます」

「香気充満後に、拠点洞窟の中で行動しているものがいるかいないかは、私が探知魔法で洞窟内を検索いたします」

 

 ヴィオレッタ様が手を上げる。

 

「安全が確認できましたら再び空気穴を開けて出入り口を解放の上、風魔法で送風します。再びハジメさんに匂いを嗅いでいただいて安全確認。その後。救出班が突入する。……という手順でございます」

 

 エフィさんの説明にシムナさんが頷いた。

 

「わかったわ。地上とサラの安全はまかせて」

「ボクもがんばるんだね!」

 

 にっこりと微笑んで胸を拳で叩いたシムナさんは、とても頼りがいがあるように見えた。

 オドノ社長にいたっては、もう、お任せしますって感じだ。

 きっと、何も間違いなく全部が実施されるに違いない。

 

「それから、これは、みんなにプレゼント」

 

 リュドミラが小さなバッジみたいなものをみんなの服の襟につけて回る。

 

「念話用ブースターよ、これをつけている限り、よほど遠くへ離れない限り念話が通じるはずだからつけておいて」

「うわあ! リューダこれ、魔道具ショップで一個金貨三枚もするヤツよ。お金大丈夫だった?」

 

 サラお嬢様がうれしそうにリュドミラに尋ねた。

 値段知ってるってことは欲しかったんだな。

 

「大丈夫よサラ。シムナのツケで買ったから。お礼はシムナに言うといいのだわ」

「あはぁん。そういうこと! 魔道具屋からあんたの名前で請求書が回ってきたときは何買ってるんだとか思ったけど、こういうことならオッケーよ。必要経費で認めてあげる」

「ありがとうございますマスターシムナ。これで作戦が円滑に遂行できます」

「ありがとう、シムナさん、わたし、これ、欲しかったの」

 

 僕らがお礼を言うと、マスターシムナは頬を染め咳払いをして手を振ったのだった。



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第72話 ステルス行軍。僕らはゴブリンの巣穴に忍び寄る

「えーっと、これから、念話で通信することが多くなると思いますので、馬車と個人に呼び出し符丁つけたいと思うんですけど」

「うん、なるほどいいね、効率的に念話通信ができそうなんだね」

 

 僕の提案にオドノ社長が早速乗ってくれる。

 

「では、僕らが乗っている馬車をアルファ、社長が乗っている馬車をベータ、シムナさんが乗っている馬車をガンマと呼称します」

 

 そして、僕らの馬車に乗っている皆はルーデルがアルファ01、リュドミラがアルファ02、ヴィオレ様がアルファ03、サラ様がアルファ04、エフィさんがアルファ05、そして僕がアルファ06と呼称することに。

 更にオドノ社長をベータ01、ゲリさんをベータ02、シムナさんをガンマ01、フレキさんをガンマ02と呼称することにしたのだった。

 

「オーケーオーケーなんだね! では、ベータ01、馬車に乗り込むとしようかね!」

 

 社長が呵呵と笑い、シムナさんが微笑んで肩をすくめる。

 

「じゃあ、みなさん、かかりましょう!」

「「「「「「「「「「おおっ!」」」」」」」」」」

 

 皆が馬車に乗り込む。

 

「あーあー、テストテスト。こちら、アルファ、ベータどうぞ……」

 

 エフィさんが自発的に通信のテストを始め、オドノ社長の馬車を呼び出している。

 僕らのパーティーの通信士はこれで決まった。

 エフィさんの念話ブースターはボディコンワンピースの立て襟につけてあるため喉仏を抑えて通信を送っている様子はまるで喉マイクで通信する大昔のドイツ戦車兵みたいだ。

 もちろん念話は周波数なんてないから、近くにいる念話を使える人間は聞き放題話し放題だ。だけれどもそれぞれが好き勝手に念話をし始めたら、こういった集団行動の時には、収拾が付かなくなり、集団行動が崩壊しかねない。

 だから、通信には統制が必要になってくる。

 

「では、進発します! エフィさん、社長とシムナさんについて来るよう連絡願います!」

 

 僕は、まだ、こうした魔法応用の技がうまく使えないので、得意な人に丸投げすることにした。

 

「ははっかしこまりました! ベータ、ガンマ、こちらアルファ。進発する。繰り返す、進発する。我に続け。我に続け」

 

 ゴブリンの拠点洞窟は、当たり前だが、人目を避けるように森の中を縦貫横断している街道から離れた森の奥にある。

 だから僕らはできるだけ街道を馬車で進んで拠点に接近、馬車を街道に待機させて獣道を徒歩で森に入り、拠点洞窟に向かうという算段だ。

 十分幅があれば街道から獣道に馬車を乗り入れることも可能なのでそこのところも考えて、幌は取り外してある。

 可能な限り馬車を森の奥に入れて救出した人たちを馬車に収容したいからね。

 ヴィオレッタ様の回復魔法で怪我や体力は回復できても、心に負った傷はそうそう癒えるもんじゃないだろう。

 心が折れてたら、ろくすっぽ歩けやしないに違いない。

 そんな無力な人たちを長い距離歩かせるのは、ゴブリンの哨戒部隊と遭遇してしまった場合、とんでもないリスクだ。

 

「ハジメ、いいよなぁ!」

 

 ルーデルが僕に許可を求めてきたのは、きっと「お嬢様方に馬のグラーニの能力と馬車の性能を知られてもいいよな」という意味だ。

 それは無論だ。むしろ知ってもらいたいくらいだ。なぜならこの馬車はお嬢様方のものなのだから。

 

「ああ、ルー。もちろんだとも!」

 

 ルーデルが犬歯をむき出してにやりと笑う。

 

「グラーニ! はぁっ!」

「え?」

「わあッ!」

「ほおっ!」

 

 フワリと浮遊感を感じて、お嬢様方が驚きの声を上げる。

 同時に馬車が走る音が消えうせる。

 後続の馬車はグラーニの両親が引く馬車だ。グラーニと同じことができる。

 御者席のリュドミラが隠蔽魔法を詠唱する、後続していたオドノ商会の馬車も含めて不可視のにするわけだ。

 これで僕らの救出部隊の馬車三台は傍からも互いからも音も聞こえなければ、姿も見えない。

 昨日の僕らの襲撃でゴブリンも警戒レベルを上げてきているだろう。偵察哨戒レコンパトロールの小隊を出したりして網を張っているに違いない。

 ついさっき、エフィさんとリュドミラが偵察に出ている間に僕らを襲ってきたやつらがそうだ。

 だから、ゴブリンの警戒網に引っかからないようにステルスで移動だ。

 

「リューダの隠蔽魔法ってすごいんだね」

「うふふふ、もっと、もおっとすごいのを見せてあげてもいいのだけれど」

 

 リュドミラは僕を振り返り、口角を吊り上げる。

 

「あ、でも、社長さんたちの馬車は僕らを見失わないかな」

 

 こちらからあちらが見えなくなったということは、あちらからもこちらが見えなくなったということだ。

 僕が何気なく放った不安にリュドミラが答える。

 

「大丈夫なのだわハジメ。オドノ商会の馬車の御者ゲリとフレキは、とてもとても鼻が利くの。あの子達がわたしたちを見失うことは太陽が西か昇ってもありえないのだわ」

「ああ、この世が始まってから、あいつらの鼻から逃れられたやつはいねえってのがもっぱらの評判なんだぜぇ」

「この世が始まって以来なんて、凄腕の追跡者トラッカーなんですね。ゲリさんとフレキさんは」

「まるで神話にでてくる魔犬みたい」

「冒険者の中でも追跡者トラッカーやハンターのことをよく犬や狼にたとえますけど、かなりの高レベル追跡トラッキングスキルの持ち主なのでございましょうなぁ」

 

 ああ、そうなのだろう。きっとそうなんだろう。うん安心だ。

 

「ハジメ!」

 

 少しして、ルーデルが僕に声をかけてきた。

 どうやら第一目標のメジャーの拠点洞窟の近くの街道沿いに到着したようだった。

 

「ヴィオレ、周辺警戒をお願いします」

「範囲は?」

「周辺四分の一リーギュ(約1キロメートル)くらいで願います」

「了解です!」

 

 ヴィオレお嬢様が目を閉じ呪文を詠唱する。

 

「ハジメさん! 現在、周辺四分の一リーギュにゴブリン及び敵対モンスターの反応はありません。警戒を続けます」

「ありがとう、ヴィオレ。ルー、馬車でどこまで行ける?」

「一台なら、まん前までいけるぜ」

「リューダ、ゲリさんとフレキさんって、冒険者のレベルだとどれくらいなのか知ってる?」

「あの子達だったらフェンリルとだって戦えるわ」

「ふぇ……っ!」

「まあっ!」

「それってS級以上でございますよ!」

 

 うん、そう言うことなら問題ない。小隊規模のゴブリンの群でもかなり余裕で殲滅できるね。

 

「よし、じゃあ、僕らは拠点洞窟の出入り口近くまで行こう。エフィさん、シムナさんとオドノ社長に馬車をここで待機させてこっちに来てほしいと連絡してください」

「ははっ! 了解しました。アルファよりベータ01、ガンマ01へ、ベータ01、ガンマ01はアルファに移乗、ベータ、ガンマは現場で待機。繰り返す……」

 

 乗員にオドノ社長とシムナさんを加え、僕らの馬車は獣道に入り、森の奥へ奥へと進む。

 

『到着だ!』

 

 ルーデルの声が耳元で聞こえる。やはり念話は便利だ。敵に声で気づかれる心配がないからね。

 まあ、近くに念話を使える人がいるときは会話がだだ漏れだから内緒話には向いてない。

 内緒話なら昨日ルーデルやリュドミラが僕に使った『ウィスパー』っていう音声を飛ばす魔法の方が向いている。

 

「じゃあ、みんな打ち合わせどおりで!」

 

 僕は極々小さな声で言う。

 

『『『『『おおっ!』』』』』

 

 みんなの返事が念話で帰ってきた。

 僕も早く念話を使えるようにならないとな。




17/09/15 第68話~第72話までを投稿させていただきました。
御愛読誠にありがとうございます。


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第73話 絶食後は重湯からお粥が基本だ

お待たせいたしました。


「もう大丈夫、大丈夫よ」

「大丈夫でございますから、ここから出られますからね」

「もう平気だからな」

 

 ゴブリンメジャーが、道路工事のような音量の寝息をたてている拠点洞窟最奥部で、ヴィオレ様の毒消し魔法と治癒回復魔法で意識を取り戻した女の子たちが、堰を切ったように泣き出し、人間の女の子がヴィオレ様に、獣人の子達がルーデルとエフィさんに縋り付いていた。

 狼人の子達は犬系のリュドミラに抱きつきそうなもんだが、どういうわけかリュドミラには誰も寄り付かなかった。

 

「ふん」

 

 リュドミラがルーデルやエフィさんにむしゃぶりついて泣きじゃくる女の子たちを湿った視線で見つめ、拗ねたように鼻を鳴らしたのは内緒だ。

 

 ヴィオレッタ様たちは、優しく女の子たちを抱きしめて頭を撫で、もう大丈夫だと何度も何度も言って、女の子たちを安心させ、落ち着かせようとしていた。

 そして、誰もが「お家へ帰ろう」なんて、決して言わないところに僕は感心していた。

 だって、囚われていた女の子たちの中には、村全部を皆殺しにされたり、いっしょにいた家族を殺されたりした子だっているはずだから。

 

 少しして、落ち着いた女の子たちを伴って、僕らは洞窟を脱出、待機していたサラお嬢様、オドノ社長、シムナさんと合流した。

 助け出した女の子たちを馬車に乗せて、拠点洞窟の掃討にかかる。

 昨日より簡単だ。ゴブリンは、『モルフェオの吐息』の効果で殺したって起きないからね。

 

「灼熱の炎よ全てを焼き清めよ! 煉獄!」

 

 サラお嬢様の火炎魔法『煉獄』が洞窟の地面はもとより、天井や壁までが燃料でできているかのように激しく燃焼させながら奥へ奥へと燃え進んで行く。

 

「土よ厚く積み重なり壁となれ! 重防壁!」

 

 そして、サラお嬢様の土魔法で、洞窟の出入り口に1センチ位の隙間をもたせて、分厚い壁を出現させ塞ぐ。

 隙間を開けたのは僕のアイディアだ。燃焼させ続けるには酸素が必要だからね。

 

 ゴブリンメジャーの洞窟の戦果確認を省略(時短だ)して、僕らの馬車でゲリさんとフレキさんが待機している街道へと戻る。

 そして、僕らの馬車コールサイン『アルファ』からフレキさんの馬車『ガンマ』に女の子たちを移乗させる。

 僕らの馬車は全員が乗るには小さいので、大型のオドノ商会所有の馬車に移ってもらったわけだ。

 

「あたし、付き添ってていいかしら?」

 

 マスターシムナがフレキさんの馬車『ガンマ』に駆けて行く。うん、女性の付き添いは必要だな。

 でもこれで、僕らが穴に潜っている間のサラ様の護衛が手薄になってしまうことに一抹の不安ができてしまった。

 

「みなさんお疲れ様です。早速ですが次、行きましょう! ここからだと……」

「はい、非才が偵察したもう一箇所が近いですね」

「じゃあ、そこに向かいましょう。あ、そうだ、女の子たちに軽い食べ物と飲み物を……」

 

 僕はマジックバッグから、クケートとお昼の残りの果汁が入った壺、くりぬき瓢箪に入れたお茶を取り出し、馬車『ガンマ』に差し入れようと馬車『アルファ』を降りる。

 

「ハジメ、これを使って! きれいにゆすいであるわ」

「あ、非才のも」

「私のも使ってください」

「あたいのも貸してやる」

「私のも使うといいわ」

 

 みんなが、雑嚢から自分のカップを取り出し僕に差し出す。

 

「まあまあ、待つんだね。あの子達はおそらく三日以上何も食べてないんだね。僕の馬車にゆるいポリッジを用意してあるから、それを勧めてみるんだね。もちろん女の子には甘いものは必要なんだね。ハジメ青年のクケートも勧めるんだね。もちろん食器も五十人分は積んできたんだね」

 

 オドノ社長が小首をかしげて微笑む。

 胡散臭い風貌なんだけど妙に愛嬌がある方だ。

 そういえば、飢えた人に食べさせるのは、まず、重湯からって聞いたことがある。

 そこから、一分粥三分粥五分七分と重くしていって順々にふつうの食べ物に戻していくんだって……。

 でないと、ショックで死んでしまうとかって言ってたっけ。

 

「ありがとうございます。オドノ社長」

「いいってことなんだね。あれを交換条件に出されたんだから、これくらいのサービスは安い御用なんだね」

 

 オドノ社長は呵呵と笑って馬車『ベータ』のゲリさんに、馬車『ガンマ』へ食事を持っていくように指示する。

 馬車を提供してもらうために、オドノ社長にリュドミラとルーデルが交換条件に出した角笛と、槍。

 たしかに、あの角笛と槍が本当に僕が思ったとおりのものだったら、喉から手が出る位に欲しいものだろう。

 というより、取り戻したいものだろう。

 

「じゃあ、次、行きましょう!」

「出すぜ! はあっ!」

 

 ルーデルの掛け声に僕らの馬車は、次のゴブリンメジャーの拠点へと音もなく走り始める。

 すかさず、リュドミラが隠蔽の魔法を隊列にかける。

 『ベータ』、『ガンマ』が瞬時に見えなくなる。

 午後もかなり時間が経ち、日が傾き始めていた。

 

「リューダ、『オルギオ』っていつ始まるのかな?」

 

 今夜にも始まるという『オルギオ』なる、ゴブリンプリンスがゴブリンキングに陞格するための儀式が今夜のいつ始まるのかが知りたかった。

 

「今夜、月が、一番高いところに昇りきったときに始まるわ」

「ハジメさん、今夜の月の出は、日暮れから間もなくです。昇りきるのは真夜中過ぎですね」

 

 リュドミラ、そして、ヴィオレッタお嬢様が答えてくれる。

 もう、夕暮れまであと一~二時間ってところだろうか。

 じわりと嫌な汗が背中を伝う。

 アダルトアニメで見たモンスターや触手に穢された美少女たちの映像が頭の中を巡る。

 そのアニメの美少女たちの顔が、サラ様やヴィオレッタお嬢様、ニーナ姫様に、昨日助けたエルフの女の子に重なる。

 口の中がからからに乾き、眩暈がしてくる。

 僕は、ぎゅっと拳を握って歯を食いしばる。

 こんなとき僕が慌てうろたえたって状況は悪化しこそすれ絶対に好転しない。

 わかっている。わかってはいるけれど、容赦なくのしかかってくる重圧に、大声で喚き散らして逃亡したくなる。

 

「ハジメさん」

 

 血の気を失って冷たくなった僕の手を、温かく柔らかなヴィオレッタ様の手が包み込んだ。

 

「引き返してもいいんですよ。もう、五人も助け出せたんです。ここで引き返したって誰も責めませんから」

「そうだよハジメ、領主様でさえできなかったことやったんだもの。それに、わたし、少し疲れちゃった」

 

 ヴィオレッタ様とサラ様が僕を甘やかしてくれる。

 そんな風に気遣ってもらった事に、僕の腹の底に言いようのない怒りがわだかまる。

 その怒りの矛先はもちろん僕自身だ。

 お嬢様方に、こんなお気遣いをさせてしまうほどに頼りない姿を晒していたなんて。

 

「ありがとう、ヴィオレ、サラ。大丈夫です。行きましょう。ひとつずつ確実にやっていきましょう。まだ、月の南中まで時間はあります」

 

 僕は、みんなの顔を見回す。

 どの顔も、自信に溢れている。

 

「みんな頑張ろう! てか、頑張んなきゃいけないのは僕なんだけど……。手を貸してください」

「はははっ! もちろんだ。十分頑張ってるぜぇ。お前は!」

「ここまでやるとは思ってなかったのだけれど」

「あと、たった三つだよ」

「で、ございます、気力体力の回復は非才謹製ルーティエ教団お墨付きの回復薬がお役に立つのでございますよ」

「ほお、それはすごいんだね! ひょっとして腰周りのポーチは全部『女神の聖水』シリーズと『魔女の黄金水』シリーズなんだね! それなら、このパーティは軍隊一個師団並みの働きができるんだね」

 

 オドノ社長がブラフにもほどがあるはったりをかます。いや、でもひょっとしたらそうなのかもしれない。

 

「だいじょうぶ。ハジメさん、私たちならできます」

 

 ヴィオレッタ様の手が僕の拳を力強く包む。

 僕は鳩尾辺りからじわじわと自信みたいなものが湧き出てくるのを感じていた。



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第74話 それは神話や伝説、おとぎ話にしか存在しないものだった

「なんだこりゃ?」

「ルー、リューダ! 君らが持ってきた情報にはゴブリンプリンスってあったと思うんだけど?」

「教団の閉架書庫の史書にもこのような事例はございません!」

「こんな……こんなことって……」

 

 ゴブリンプリンスの本営洞窟の最奥の大広間。

 そこここに、ゴブリンがだらしなく転がって寝息を立てている。 

 そんな大広間のさらに一番奥で僕らを待ち受けていたのは、僕が想像していたゴブリンの総大将とはあまりにもかけ離れた存在だった。

 

 

 最初の救出作戦を成功させた僕たちは、その後、何の問題もなく予定通りに女の子たちを助け出し、メジャーの拠点を潰していった。

 周辺警戒及びサラお嬢様の警護は 助け出して女の子たちに付き添っていたいと、馬車『ガンマ』に残ったシムナさんの代打にゲリさんに入ってもらい、事なきをえた。

 

「自分なんかでお役に立てるとは思いませんが、宜しくお願いします」

 

 と、謙遜するゲリさんに、リュドミラから聞いたゲリさんはフェンリルとだって戦えるという話をしてみた。

 

「いやあ、とんでもないっす。今まで1836敗してます。それもフレキと二人がかりでですよ」

 

 と、いう答えが返ってきた。

 

「フェンリルと戦って、生きてるだけでもたいしたものだと思うのだけれど」

 

 というリュドミラに。

 

「あざっす!」

 

 といって、ガチガチになって気をつけしていたのがなんとなく犬っぽくて可愛い感じがした。

 

 そして、全部のゴブリンメジャーの拠点洞窟から攫われた女の子たちを全員助け出し、ゴブリンを殲滅した僕らは、日が暮れて月もだいぶ高くなったころ、ゴブリンプリンスの本営洞窟に到着したのだった。

 

「じゃあ、打ち合わせどおりにいきましょう! 日も暮れてゴブリン以外のモンスターの活動も活発になってくる時間帯です。行動は必ず三人以上で気をつけていきましょう」

 

 空気穴を一箇所残して塞ぎ、残った穴に僕が待機。

『モルフェオの吐息』を焚き、洞窟に充満させる。

 今日何回もやった手順を繰り返す、規模が今日一番大きいけれど。

 

 

「ハジメさん! 変です。洞窟内の最奥部で、まだ活動している反応が二つあります」

 

 出入り口を密閉した岩壁に手を当てて、洞窟内を魔法で検索していたヴィオレッタお嬢様が叫んだ。

 

「え? それって、『モルフェオの吐息』が効いてないってこと?」

「もしくは……私と同じ……」

「ヴィオレと同じ中和魔法を持っている可能性ね」

「ゴブリンにも稀に魔法を使う個体が発生することがございますが……」

「お? やるか? ゴブリンプリンスと。久しぶりだぜ」

 

『モルフェオの吐息』を中和する魔法を持っているなら、それ系の薬剤散布等は何をやっても無駄だろう。

 そんな高等な回復系の魔法を持っている治癒師がいるなら、エフィさんの付与術で行動を阻害したとしてもすぐに解除されるだろう

 

「ヴィオレ、その二体以外に活動を再開し始めた適性存在は?」

「変化ナシです。いまだ二体のみです。他の二百は完全に活動を停止しています」

 

 二百という数からするとキャプテンが指揮する規模だ。

 どうやら、予想通り親衛隊はまだ中隊規模から少し上なだけだったようだ。

 

「ヴィオレ、変化は?」

「ナシ! 未だ活動状況にあるのは二体のみです」

 

 と、いうことは、いよいよ耐性か中和魔法持ちの線が濃くなってきたようだ。

 この状況はこれ以上ここからでは動かしようがないんじゃないだろうか。

 なら、できることは、突入して戦うか放置するかだ。

 今はまだ充満している『モルフェオの吐息だが』いずれ香気は薄れ、何日か後にはゴブリンが目を覚まし活動を再開するに違いない。

 やるなら……。

 

「やるなら今だぜハジメ」

 

 みんなの顔を見回す。

 一様に口を真一文字に引き結んで頷いた。

 

「社長とゲリさんは予定通りここでサラと待機をお願いします。サラはいつでも魔法を撃てるようにしといてください。いざという時はサラの魔法が頼みです」

 

「了解よ、ハジメ!」

 

 サラ様がふんすと鼻息荒く胸を張る。

 

「では、行きましょう! サラ、お願いします」

 

 サラお嬢様が岩壁に手を触れ、呪文を唱え壁を土くれに戻す。

 そして、ルーデルが風魔法で風を起こしを洞窟を換気する。

 

「突入! 途中の部屋もくまなく検索していきましょう!」

 

 意を決して、僕たちはゴブリンプリンスの本営洞窟に突入したのだった。

 

 

 玉座ともいえる高いところから僕らをみつめている四つの瞳。

 そいつらは、どうやってか、『モルフェオの吐息』の香気の作用から逃れ、身を寄せ合って僕らを待っていたようだった。

 恐怖に震えているようにも見える。

 

「あなたたちにお願いがあります」

 

 高いところから僕たちを見下ろしている二人のうち一人が口を開いた。

 その耳は、昨日助けた女の子のうちのひとりと同じ、実に特徴的なものだった。

 僕ら救出隊のメンバーにも同じ耳を持った人がいる。

 その人は今、街道で待機している馬車で助け出した女の子たちに付き添っている。

 だが、僕らに呼びかけてきたその声は声変わりしかけの男の子の声だった。

 なるほど、このエルフの男の子が中和魔法持ちだったのか。

 そしてもう一人。

 僕らに語りかけてきたエルフの男の子に寄り添って震えている小柄な女の子。

 

「ヴィオレ、あの子たち以外に動いている存在は?」

「ハジメさん! あの子たちと私たち以外にいません」

「ゴブリンプリンスはどこだ? リューダ、お前、ちゃんとここ偵察したのかよ」

「したわ、したけれど……ごめんなさい。この状況は見落としがあったようなのだわ。私が偵察したときにはたしかにゴブリンプリンスを視認したと思ったのだけれど……。そこに転がっているメジャーをプリンスと勘違したみたいね。あのエルフの男の子は確認していないわ」

 

 リュドミラが見落としをしたなんてことはにわかに信じられないが、現実にはここにこうしてエルフの男の子ともう一人……というべきかもう一体というべきか……。

 それはエルフと同じ形の長耳だったが、隣に寄り添っているエルフの男の子とは肌の色が違っていた。

 その肌の色はゴブリンの肌の色と酷似していたのだった。

 だが、そのゴブリンの肌の色をした小柄な女の子は、ゴブリンと言い切るにはあまりにも美しすぎる特殊個体だった。

 

「史書にはございませんでしたが……」

「ああ、神話、伝説にはあったな」

「私、おとぎ話でしか読んだことありません」

 

 どういうことだ?

 エルフの容姿にゴブリンの肌?

 これはゴブリンプリンスじゃない。

 

「ゴブリンプリンセス?」

 

 僕は目の前の事実を口にしたのだった。



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第75話 哀れなエルフの物語

「話を聞いてください」

 

 エルフの男の子は叫んだ。

 

「話を聞けだぁ? お前それ本気で言ってるのか?」

 

 ルーデルが牙といってもいい犬歯を見せて獰猛な笑みを浮かべた。

 

「あなたの隣にいるのは、ゴブリンが攫ってきたあなたの同族の女の子を犯して産ませたものだと思うのだけれど?」

 

 あからさまにエルフの男の子を嘲る笑いと共にリュドミラが言い放った

 

「ええ、ええ、そうです。この子は僕の妹の娘なのです」

 

 その場にいた僕らの空気が凍りついた。

 

「な、ん……だと?」

「ああ、とてもとても、ややこしいことになったのだわ」

「これは、聞かざるをえなくなりましたでございます」

「ハジメさん、私、頭がぐるぐるしてきました」

「僕もですよヴィオレ」

 

 唖然としている僕らをよそに、エルフの少年が訥々と話し始めた。

 とあるエルフの家族の物語を。

 

 

 昔々、東の森の奥、エルフが隠れ住む里に一人の少女がいた。

 村の他のエルフ同様、決して豊かではなかったが、つましやかな暮らしとゆったりと流れる日々。

 美しく育った少女は、里の慣わしに従い、成人してすぐ、親が決めた里の若者と見合い、所帯を持こととなった。

 村の若者と許婚となって間もなく、里にひとりのエルフの青年が流れて来た。

 そのエルフの青年を一目見たそのとき、エルフの少女は今まで感じたことがない気持ちが心の底から湧き立つ感じた。

 流れ者の青年もまた、女に目を奪われた。

 二人は恋に落ちたのだった。

 

「おおう……」

「なんてこった……」

「ハジメの世界でいうところのフラグってやつだと思うのだけれど」

「まあ……」

「古来、それまでうまくいっていたものを、全部台無しにして来たのが、美男美女でございます」

 

 恋に落ち、逢瀬を重ねた二人のことは、すぐに里の誰もが知るところとなり、流れ者のエルフの青年は追い払われ、許婚に不義をしたとして少女はエルフの里の掟により追放された。

 が、このとき既に女は流れ者の青年の子を身ごもっていた。

 里から追放された少女は、身重の体で森の奥深くを彷徨った。

 飢えと寒さに絶望しかけたそのとき、追い払われた青年が戻ってきて少女をみつけだした。

 二人は力を合わせて森を切り開き、小さな小屋を建て猫の額ほどの畑で僅かの作物を育て、森で狩をしてひっそりと暮らして始めた。

 やがて、家族がいっぺんに二人増えた。

 たった二人きりだった家族が四人になった。

 暮らしぶりは決して楽ではなかったが、笑みが耐えない幸せな家庭が築きあがった。

 生まれた子らが幼児期を抜けかけたある日、子供たちが森で一匹のゴブリンと出会った。

 そのゴブリンは傷つき、飢えていた。

 かわいそうに思った子供たちはゴブリンを家に連れて帰った。

 そのゴブリンはかつての自分たちと同じように群を追い出されたのだろう。

 夫婦はゴブリンに食べ物を与え、傷を癒し、手厚く看護した。

 

「ああ……」

「やっちまったな」

「フラグが何千本も立ちまくりなのだわ」

「なんてこと……」

「いつの世も、お人よしがバカを見るものでございます」

 

 やがて傷が癒えたゴブリンは、エルフの一家の五人目の家族になった。

 ゴブリンの首には家族の印しとして輝石の首飾りがかけられた。

 種族も違い言葉も通じなくともエルフ一家とゴブリンは睦まじく暮らしていた。

 が、ある日、狩から帰って来た父親と息子が小屋で目にしたのは、無残に食い散らかされた母親の姿だった。

 ゴブリンが仲間を呼び寄せ、父親と息子の留守を襲わせたのだった。

 怒り狂い血の涙を流し。小屋で待つように息子に言い付けて、父親は弓を携え森の奥へと消えていった。

 残された息子は、母親の遺骸を拾い集め、小屋の傍の大きな木の根元に埋めた。

 一日が過ぎ、二日が過ぎ、やがて七日が十日、一月と過ぎても父親は帰らなかった。

 やがていくつもの季節が移り変わっていったが父と双子の妹は帰って来なかった。

 更にいくつかの季節を過ごして、少年は父と妹を探す旅に出ることにした。

 何ヶ月も森の奥を彷徨い、ようやく妹を連れ去ったゴブリンの群を見つけ出すことができた。

 群のゴブリンの一匹があのゴブリンだったのだ。

 その首には母がかけてやった首飾りがあった。

 だが、父たちを見つけ出すことができなかった。

 

「でも、これを見つけることはできたのでした」

 

 少年は、エルフがよく使う長弓を掲げる。

 

「これは、あの日、父が持って行った弓です」

 

 僕の周りで啜り泣きが聞こえる。

 初恋を貫いたがためにエルフの里を追い出され、やっと築いた小さな幸せな家を、ゴブリンに軒下貸したばかりに母屋を取られ、挙句喰い殺された哀れなエルフ女性の生涯に皆が涙していた。

 

「僕は、忍び込む機会を伺ってこの巣穴の傍にずっと何ヶ月も潜んでいました。そして、ようやく、昨日、忍び込むことができました」

 

 少年はぎゅっと唇を噛んだ。

 

「覚悟はしていました。妹が攫われてからもう何年も経っていましたから……。でも、妹の忘れ形見は見つけ出せました。ええ、この子です。忌まわしいゴブリンとの子ですが、かけがえのない血族なのです。どうか、この子は助けて欲しい……」

 

 エルフの少年は平伏した。

 

「ハジメ!」

「ハジメ……」

「ハジメさん!」

「台下!」

 

 僕は軽く息を吸い込んで言う。

 

「いいですよ。その子は助けましょう」

 

 エルフの少年は満面の笑みで顔を上げる

 

「ほんとうですか?」

 

「ルー!」

 

 僕はルーデルについてくるように手招きをする。

 玉座の段を上がり、尚、平伏している少年の前に立つ。

 

「ハジメさん!」

「ハジメ!」

「台下?」

 

 皆が僕の背中に疑問符を投げつけ、傍らのルーデルが喉を鳴らした。

 

「けど、キサマは死ね」

 

 俺はシャベルを少年の頭に振り下ろした。



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第76話 嘘に何割かの本当を混ぜるととても危険だ

「ひいいいいいいいいいいいっ!」

 

 少年の傍らの少女が悲鳴を上げ腰を抜かす。

 

「な、なぜ……」

 

 シャベルが食い込み割れた頭から、青い血を吹き出しながらエルフの姿をした少年が言った。

 

「キサマがゴブリンプリンスだからだよ」

 

 僕はシャベルを引き抜こうと何回かこじる。けれども少年の頭蓋骨ががっちりとくわえ込んで放さない。

 

「このクソ石頭さ加減にゴキブリ並みの生命力どうひっくり返したってゴブリンだろ。しかも、この、青い血だ! エルフの血は赤いしな、こんな風に頭からシャベル生やして生きてられるやつはほとんどいないんだ。知ってたか?」

 

 僕は未だにエルフの姿をしているゴブリンプリンスの頭からシャベルを引き抜くのを諦め、柄から手を離す。

 どうやら変化の魔法でエルフに化けているわけではなく、エルフの姿が本来の姿のようだ。

 エルフもどきめ!

 

「リューダ、ヴィオレ、エフィ! 攫われた女の子たちの捜索をお願いします」

「「はいっ!」」

「わかったわ」

 ヴィオレお嬢様方に女の子たちの救出をお願いして僕はゴブリンプリンスを睨みつける。

 当のゴブリンプリンスは、頭にシャベルを生やしたまま、僕を睨み上げていた。

 

「なぜだ? なぜなんだ? なぜ我の話を信じなかった? 我のこの話はどの村の人間も涙を流して聞いていたぞ」

 

 なるほど、こいつらは、ゴブリンに襲われたエルフの家族の生き残りを演じて、お人よしの村人の互助精神(お互いさま)につけこんで人間の村に入り込んでたわけか。

 そして、村全体が寝入ったころ、群を招き入れて襲撃してやがったな。

 まるで時代劇に出てくる盗賊の引きこみ役だ。

 しかも、押し入った先で金品を強奪するだけでなく(ゴブリンの場合は食い物がメインのようだ)村人をことごとく殺して女の子は攫ってきて犯すなんざ、急ぎ働きの畜生ヤローだ。

 盗賊の風上にも置けねえ。

 ああ、畜生にも劣るゴブリンだったか……。

 

「いいか、後学のためによく聞いておけ。まあ、キサマには僕が話したことを生かすチャンスは無いがな」

 

 そうして、僕は、なぜこいつがゴブリンプリンスだということを見破ったかを教えてやる。

 

「僕の仲間の斥候はな、絶対に見落としたり勘違いしたりしないんだ! 絶対にだ!」

「な、なん……だと? たったそれだけか?」 

「ああ、たったのそれだけだ」

 

 いや、実はそれだけじゃない。

 本当は、こいつが悦に入ってお涙頂戴話をしている間、僕はこいつらのことをこっそりと鑑定していたのだ。

 そしたらこいつはゴブリンプリンス/エルフハーフだったわけだ。

 だけど、僕が鑑定スキルでこいつの正体を見破っていたなんてことは内緒だ。

 自分が適わない能力で策略が見破られたなんてのは、十分負けて当然の理由だ。

 逆に自分が明らかに見下していることで負けたとなると、これはダメージがでかい。

 僕が仲間リュドミラを絶対的に信頼しているというただそれだけの理由で頭をかち割られ、何年もかけて計画、準備してきたゴブリンキングへの陞格、そして、ゴブリンパレードを起こして人間に壊滅的なダメージを負わせる目的を潰えさせられた挫折感に身を捩ればいい。

 こいつには思いっきり絶望して敗北感に苛まれながらくたばってもらいたいからね。

 

「キサマが言ったことの何割かは本当だったんだろう。例えば、キサマらが苗床にした不幸なエルフの女性の話だ。キサマらゴブリンごときのエテ公並みの脳みそで思いつくお話じゃないだろうからな。並のゴブリンよりも知恵が回るキサマが何年もかけて言葉を覚え、エルフの文字を覚えて、キサマのオス親のゴブリンが襲った追放エルフの家族の日記かなんかを元ネタにしてでっちあげたんだろ?」

「ぅぐう……」

 

 顔を青い血に塗れさせゴブリンプリンスは息を詰まらせる。

 いいぞ、その顔。

 その、絶望に体中を噛み千切られているような、苦渋を何ガロンも漏斗で飲まされているような顔。

 キサマは何百人にもそんな顔をさせたんだ!

 

「ぎざば! ぜっだいゆどぅざなぎ!」

 

 ゴブリンが青い涙を滂沱させ、俺を睨みつける。

 

「キサマが今しているその顔な、何人の人間がそんな顔して死んでいったか覚えてるか?」

 

 俺はゴブリンプリンスに聞いてみる。こいつがそんなこと覚えているわけがない。

 

「俺は覚えておいてやるぞ。俺たちが殺した一体一体の顔はもう忘れたけどな、少なくともキサマのその顔だけは覚えておいてやる。キサマの氏族を何千匹も焼き殺したことを覚えておいてやる」

「ぐぞおおおおおおっ!」

 

 ゴブリンプリンスが腰からボロボロに錆びた短剣を引き抜いて俺の腹に突き立てる。

 

「うぐうっ!」

 

 痛さに息が詰まる。

 

「ハジメっ!」

 

 ルーデルがプリンスの首を刎ねようと大剣を振りかぶる。

 俺は手でそれを制して、俺の腹に短剣を突き立てたゴブリンプリンスの青い血に塗れた顔の下に両手を差し込んで持ち上げる。

 

「がっぐげっ、げぎゃっ、ゲッ、ゲッ、ゲハっ!」

 

 親指を支点にして両手を雑巾を絞るようにゆっくりと回してゆく。

 

 俺に吊り上げられたゴブリンプリンスは、俺の親指が自重で喉に食い込み気道が塞がれて苦しいのだろう、ジタバタと手足を必死に動かして逃れようとしている。

 その、すんなりと長い手足が俺の顔を殴り腹を蹴る。

 肘や膝も的確に急所を狙って飛んでくる。

 痛い。猛烈に痛い。

 ボクシングで選手が殴られたようにまぶたが腫れ上がり切れて血が迸る。

 鼻血がドクドクと流れ、口の中が血反吐で溢れ返る。

 いつの間にか俺の足元は、バケツでぶちまけたように紅黒い血が池のようになっていた。

 

「ゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲッ、ゲッ、ぐげぇえっ!」

 

 俺の血溜まりにゴブリンプリンスの青い血が滴り落ちて混じりマーブル模様を描く。

 白目を真っ青な憎しみに染めてゴブリンプリンスは俺を殴り続ける。

 だがやがて、次第にその力が弱くなってゆく。

 俺の顔に叩きつけられていた拳が、俺の頭を撫でるように。

 腹を蹴っていた足が小便を我慢しているようにモジモジとした動きに。

 そしてついには、ただ、ビクビクと痙攣するだけとなり……。

 俺とプリンスの血溜まりに、新たな体液がばちゃばちゃと音をたてて滴り落ちる。

 ずしりと俺の腕にゴブリンプリンスの体重がのしかかる。

 思わず俺は腕を下ろしてしまう。

 ゴブリンプリンスだったものが、ベチャリと汚い音をたてて、糸が切れた操り人形のようにみっともなく血溜まりに落下した。

 俺は、その頭に食い込んだままのシャベルの柄を蹴飛ばした。

 からんからんと乾いた音をホールに響かせてシャベルが転がる。

 

「うおっとと……」

 

 蹴飛ばした拍子によろめいた。

 

「ハジメ!」

 

 ルーデルが僕の腕を取って支えてくれる。

 血溜まりに転がっているゴブリンプリンスに目を向けると、まだ手足がピクピクと痙攣している。

 

「ルー……」

「ああ、わかった。プリンスともなると、全く呆れた生命力だぜ」

 

 ルーデルが大検を振りかぶり、その首に叩きつけた。

 大広間に鐘の音のような音が鳴り響き、ゴブリンプリンスの首が数メートル飛んで玉座の段を転がり落ちていった。

 そうして、ようやくゴブリンプリンスは静かになったのだった。



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第77話 シチューは実に栄養効率がいい調理法だ

「みんな、名簿を作るので、お姉さんたちに、お名前教えてね」

 

 野営用大天幕(ゼーゼマンキャラバンで使っていた)の中で攫われていた女の子たちからヴィオレッタお嬢様が、一人一人の名前を聞いて大福帳に書き留めていた。

 ゴブリンプリンスの洞窟を殲滅した後、女の子たちを収容してシムナさんたちが待機している街道まで引き返し、周辺の木を伐採して下草を刈りちょっとした広場を作って、天幕を建てたのだった。

 暗闇の中での作業を覚悟していたけれど、サラお嬢様の上級生活魔法の照明が、夜間道路工事の照明よりも明るく辺りを照らし、安全な作業ができたのだった。

 しっかりと建てられた小型のサーカス小屋のような形をしたゼーゼマンキャラバンの野営用大天幕は学校の教室ほどの大きさがあり、助け出した女の子たち三十五人と救出隊十人が十分横になれる広さがある。

 グランドシートこそないけれど、枯れ草や枯葉を敷詰め、その上に厚い絨毯を敷いて地面からの寒さを防でいる。

 それは、キャラバンの旅で何度も繰り返したの野営の知恵だった。

 

「寒くない? はい、お名前ありがとう。……あなたは?」

 

 ヴィオレお嬢様が毛布に包まった女の子たちの間を回り、やさしく声をかけ名前をきいてゆく。

 女の子たちが思い思いにくるまったり被ったりしている毛布は、オドノ商会と冒険者ギルドが用意してくれていたものだ。

 一刻も早く森から出で帰りたいだろうに、女の子たちは誰一人として不平をこぼさない。

 

「夜の移動は、危ないのでございますよ。申し訳ございませんが、我慢してくださいませ」

 

 エフィさんが温かいお茶を配りながら、女の子たちに謝る。

 

「そんな! ゴブリンから助けていただいただけで感謝しなくちゃなのに、我慢なんて!」

 

 女の子たちは一様に、救出されたうえ温かい毛布とお茶をいただいていることに感謝しこそすれ、一晩ここで過ごすことに文句を言う子はいなかった。

 あの、ゴブリンプリンスの傍にいた、エルフの容姿にゴブリンの肌の女の子は僕の鑑定で、幻惑魔法で状態異常【容姿改竄】がかかった状態だったことがわかった。

 すぐさまエフィさんの付与魔法で幻惑魔法を解除すると、どこからどう見ても、疑いようのないエルフの女の子になったのだった。

 その子も、いま、毛布にくるまって、エフィさんからお茶を受け取って、口をつけている。

 

「よし、っと! こんなもんかな」

 

 ひとかかえほどある大きな寸胴鍋をかき回していた僕は、その中のものを僕のメスキット(携帯食器)に少しだけ取り、味見をして思わず口角を上げ頷いた。

 僕はこの巨大寸胴鍋で、材料現地調達の野趣溢れるシチューを作っていたのだった。

 シチューは、食物が持っている栄養を無駄に捨てることなく全て食べつくせる優れた料理法だ。

 ゆうべカルボナーラに使った牛の乳と、パルメザンチーズをマジックバックに入れておいて正解だった。

 

「ヴィオレ、サラ、エフィさん! お願いします」

「「「はいっ!」」」

 

 三人が大きなトレイに器を山積みにして持ってくる。

 

「ほいっと!」

 

 トレイに並べた器に大鍋でじっくり煮込んだシチューをたっぷりと盛り付ける。

 

「どうだ? どうだ? あたいが狩って来たオーク! 美味くなったか?」

「私が採って来たキノコや芋はどうかしら?」

 

 ルーデルとリュドミラが器を突き出して聞いてくる

 

「いやあ、ルー、リューダ! さっきから天幕に充満しているかぐわしい香りでおわかりになりますでしょうに」

「そうよ、ルー、リューダ! 今日もハジメはおいしいものを作ったわ!」

 サラお嬢様がまだ食べてもいない料理の出来を断定した。

 こういうのはちょっとプレッシャーだな。

 信頼されるのはうれしいけど。

 

 僕は黙ってルーデルとリュドミラの器に、たっぷりとオークと森の幸のクリームシチューを盛り付ける。

 

「はい、こちらもどうぞ」

 

 いつの間にか、僕の隣にヴィオレッタお嬢様が立って、これも焼きたてホカホカのパンを差し出した。

 

「シチューを煮込んでいる脇で、何か捏ねてると思ったら、これだったのか!」

「んんんん~ん! 街のパン屋で買うものよりいい匂いだわ」

「煮込みに少し時間がかかると思ったからね。一緒にパンを作ってたんだ」

 

 僕は、寸胴鍋の脇においてある三個の鋳鉄の大鍋を指差した。

 

 と、ごくり! と、いう、ツバを飲み込む音がそこここから聞こえる。

 ぐぎゅるるるるるるううううううううう! と、いうお腹の虫の大合唱付だ。

 

「遅くなってごめんね! さあ、みんな、どうぞ! このお姉さんたちが取ってきてくれた森のもので作ったシチューと、焼きたてのパンだよ!」

 

 僕の呼びかけに、ひとクラス分の女の子たちの明るい声が返って来て、僕の前に様々なヒト種が入り乱れ集まった。

 

「ああん、さっきからとってもいい匂いがして、おかしくなりそうだったの」

「あたしも、がまんできなくって!」

「ねえ、ねえ、いっぱいたべていい?」

「さっき、おじいさんにもらったポリッジもおいしかったけど……」

「すぐ、おなかすいちゃってたの!」

「いっぱいあるから大丈夫慌てないで! もちろんおかわりもあるからね」

「はい、どうぞ。このパンもおいしいわよぉ!」

 

 エフィさんから器を受け取り、サラお嬢様から匙を受け取って、僕が器に溢れるくらに盛って、ヴィオレッタお嬢様が暖かでフカフカのパンを手渡す。

 席に戻って女の子たちはシチューがたっぷりと盛られた器を置いて、じっと見つめる。

 気が早い何人かの子は、席に戻るが早いか匙を器に突っ込んですくい取り一口ほお張る。

 

「「「あ!」」」

 

 しかし、周りの子が他の子が帰ってくるのを待っていることに気がついて、慌ててシチューが入った器を置いて真っ赤になる。

 

 そして、全員にシチューとパンが行き渡ったのを確認してエフィさんが胸の前で手を組んだ。

 

「では、みなさん、材料を取ってきてくれたお姉さんたちと、作ってくれたお兄さんに、そして全てに感謝していただきましょう!」

「「「いただきまあああああす!」」」

 

 天幕どころか、森中に響渡るような声。

 

 そして、数瞬後。

 

「「「おいしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」」」

 

 四十五人分の歓喜の声が森中に響き渡ったのだった。




17/09/19 第73話~第77話までを投稿いたしました。
毎度御愛読、誠にありがとうございます。


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第78話 なんのことだ? お情けをくださいって?

お待たせいたしました


「ん? なんだありゃぁ?」

 

 救出隊の馬車三台の先頭を行く僕らの馬車の御者台で、ルーデルが頓狂な声を上げた。

 けっこうゆっくりと東の森を出発して、まもなく昼過ぎというころ、僕らはヴェルモンの街の城門が見えるところにさしかかっていた。

 

「あらあら、街の門が一番空いている時間帯に到着するように出発したと思ったのだけれど」

 

 御者台に身を乗り出して、僕も前方を凝視する。

 ヴェルモンの街の門前に黒山の人だかりができていた。

 

「まるで、収穫祭のときみたい!」

「ほんとうね、収穫祭の時期はあちこちから行商人や大道芸人がやって来たり、周辺の村々から来た人たちで連日あんなふうになるけど……」

「収穫祭はまだまだ先でございますよ」

 

 お嬢様方も身を乗り出して、遠望する。

 徐々にはっきりと見えてくる黒山の人だかり。

 

「ん?」

 

 僕はその街の門前にできている黒山の人だかりに違和感を感じる。

 なぜだか、その人たちはこちらを向いているように見える。

 街に入るために並んでいる人たちなら、こちらに背を向けているはずだ。

 あまつさえ、手を振っているようにも見えるぞ。

 

「おーい! おーい!」

「おおおおおお-い!」

 

 更に僕たちの車列に向かって呼びかけているような声まで聞こえてくる。

 

「何が起こってるんだ?」

「ありゃぁ、お出迎えってやつじゃないか?」

「そうね、わたしたちを追い返そうとしているような雰囲気ではないと思うのだけれど」

 

 状況を把握しきれずに混乱する僕にルーデルとリュドミラが答える。

 

『ごめん! あたしのせいだ』

 

 冒険者ギルドヴェルモン支部のギルドマスター、シムナさんの声が頭の中に響いた。

 念話だ。

 え? どういうこと?

 

『昨日、あんたたちから応援要請されて、社長と街を出発するときに、手が空いてるEや、Fの冒険者にメッセンジャークエスト出したのよ』

 

 え? それって、エルベ村やサヴォワ村とかに女の子たちを助けたって、ふれ回らせたってこと?

 失敗したら、どう言い訳するつもりだったんだ?

 

『シムナ、あなたのその先走りっぷりのせいで、ディアブロルージュ(領主)に返しきれない借りを作ったの忘れたとは言わせないのだけれど?』

『うう、面目ない。でも、あんたたちがやるって言ったときに、八割の成功が見込めたんだものしょうがないじゃない』

「「はあああっ!」」

 

 ルーデルとリュドミラが盛大に溜息をついた。

 だが、それには、若干の微笑み成分が含まれていることは、同じ馬車の乗っている僕らだけが目の当たりにできたことだった。

 それにしても八割の成功が見込めたからって、ふれ回らなくたって……。

 

「まあ、気持ちはわからなくもないのだけれど……」

「あの状況はS級の冒険者がやったとしても、半分の子を助けられたら大成功だったでしょうね」

 

 ヴィオレッタお嬢様が呟いた。

 

「実際、『モルフェオの吐息』が無ければ、あたいたちでも七割しか助けられなかったな」

 

 そ、そんなに……。

 

「それだけ、虜囚奪還作戦というのは難易度が高いってことでございます」

「うんうん、ハジメ、それがみーんな助けることができたんだよ。わたしたち」

 

 サラお嬢様がフンスと胸を反らす。

 

「コゼット! コゼットぉっ!」

「ベルタ! ペトラ!」

 

 サヴォワ村のヴァルジャンさんとエルベ村のヤンさんが僕らの馬車を覗き込み、娘さんの名前を叫んだ。

 

「ヴァルジャンさん、ヤンさん! 一番後ろの馬車ですから!」

「ほ、ほんとうか? ほんとうにコゼットが乗ってるのか?」

「あ、あんた、ベルタとペトラもか?」

「ええ、ヤンさんのとこのベルタちゃんとペトラちゃんもです!」

「バンケル村のテレルだ、エ、エミリーは?」

「はい、エミリーちゃんも一番後ろの馬車です!」

 

 ギルドのクエスト申し込み用紙にあった十六人の女の子たちは、一番後ろのシムナさんが乗っている馬車に集めていた。

 親御さんたちが迎えに来るまでギルドで待機していてもらうためだ。

 ギルドに依頼がきていなかった子達は、元々親がいないか、攫われたときにゴブリンに殺されたか、村が全滅したかだろうから、再会に喜ぶ親子の姿を見せたくなかったからね。

 誰かの先走りでぶちこわしになっちまったけどね。

 

「ウィルマ! シムナさんに後はギルドでよろしくと伝えてください!」

「は、はい、りょうかいです!」

 

 エフィさんに念話でマスターシムナに僕の伝言を伝えてもらう。

 

「で、あたいたちはどうする?」

 

 ルーデルとリュドミラが僕を振り返り微笑む。

 馬車の中を見回す。

 僕らの馬車にはゴブリンプリンスの傍にいたエルフの子と獣人の子達数人が乗っている。

 ほかの獣人の子とエルフの子、それにギルドに依頼がなかった人間の女の子たちはオドノ社長の馬車だ。

 獣人の子達はなぜだか、一様に緊張している様子だ。

 きっと、人間の街が初めてなんだろうな。

 

「あ、あの!」

 

 唐突に兎人の子が身を硬くして叫んだ。

 

「あの、冒険者様! ど、どうかわたしたちにお情けをください!」

 

 街の門をくぐり、石畳に揺れる馬車の中の空気が凍りつく。

 なんのことだ? お情けをくださいって?

 

「なんでもしますから! どうか、お情けを!」

 

 その兎人の女の子は、悲壮な決意を込めた瞳で僕を見つめている。

 ほかの獣人の子たちも何か覚悟を決めたような目で僕を見つめている。

 

「ハジメ、その子たちはあなたの奴隷になりたいといっているのだと思うのだけれど?」

 

 ルーデルが肩を震わせながら教えてくれる。

 

「いっしょうけんめい、お仕えします」

「今は何も知りませんけど、お姉様がたに手ほどきいただければ覚えます」

「おねがいします! どうか! 食べ物と屋根をお与えいただければ、なんでもしますから、どこかに売らないでください!」

 

 あ、なるほどそういうことか。

 この子達、奴隷商人に売られると思ってるのか。

 

 なんでそうなる?



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第79話 約三十人が一緒に食べられる料理は?

「こちらにいるお姉さまがたは、僧侶様以外、皆、冒険者様の奴隷だと聞きました」

 

 誰だ? どこのどいつだ? そんな出鱈目を吹き込んだのは?

 

「あらぁ、事実無根じゃないと思うのだけれど?」

 

 リュドミラ! 君か?

 

「たしかに、あたいたちはハジメ様の奴隷だっ」

 

『た』と、こっそりとルーデルが付け足す。いや、そんな小声で言ったって誰にも聞こえてないから!

 

「あ、あの、なんで奴隷なのかな」

「あ、あたしたち、冒険者様の戦利品ですから」

 

 狼娘さんの一人が答える。怯えたような瞳でかすかに震えている。

 なんだそりゃ? 戦利品?

 訳わかんねえぞ。この世界の社会システム! ゴブリンの巣から助け出した女の子が戦利品?

 

「そうね、この子達はゴブリンプリンスたちからの戦利品、奴隷に売ろうが、自分の奴隷にしようがハジメ様の好きになさればいいのだわ」

「モンスター討伐の際、モンスターが所持していたものは討伐したものが略奪できる。冒険者が手っ取り早く稼げる理由だ」

 

 だからって、獣人とはいえ攫われてた女の子をモノみたいに……。

 いや……、モノなのか?

 

「っと、ハジメ様、ニンレーの奴隷商会につきましたぜぇ」

 

 ルーデルが振り返り凶悪な微笑を浮かべる。

 

「うふふん、この子達なら一昨昨日市場で見た獣人の娘よりいい値がつきそうだと思うのだけれど?」

 

 獣娘さんたちの顔が凍りつく。

 何の冗談だルーデル! 城門からゼーゼマンさんのお屋敷に帰るのに、何でそんなところを通る! 回り道じゃないか!

 

「冒険者様!」

「助けて!」

「わああああああああっ!」

「う、う、売らないからね! みんなのこと奴隷なんかにしないから!」

 

 慌てて僕は獣娘さんたちをなだめる。

 

「あはははははっ! 冗談だよニンレーのとこになんか向かってもいいないよ!」

「ふふふっ、ハジメ様のうろたえ方が愉快で、からかっただけよ」

「ルーデル! リューダ! いい加減いしないと!」

 

 僕がそう怒鳴りかけたとき。

 

『だがな、ハジメ……、こいつらの身の振り方をきちんと考えないとな』

 

 風魔法囁き(ウィスパー)でルーデルたちが語りかけてきた。

 

『そうね、じゃないと本当に奴隷落ちさせることになると思うのだけれど』

『こいつらと、後ろの馬車の娘たちは、はっきりいって行く所が無いからな』

 

 この馬車に乗っている子達と、オドノ社長の馬車に乗っている子達合わせて十八人の親兄弟親類縁者は、おそらくいないだろう。

 ギルドに捜索依頼が申し込まれていない時点で、たとえ、親兄弟が生きていても口減らしの対象ってことだ。

 いずれにしてもお先真っ暗だ。

 

「君たちを奴隷としてどこかに売ったりしないことは約束する! 絶対だ!」

 

 僕は、獣娘さんたち一人ひとりの目を見て約束する。

 じゃあ、どうするかだけど……。

 

 女の子たちの身の振り方を考え始めたとき、明るい舌足らずの声が僕の思考を妨害する。

 

「ハジメさまの奴隷をしていると、昨日の夜のシチューみたいにおいしいものが毎日食べられるのよ」

 

 ちょ、ちょっと、サラお嬢様、ナニを言い始めるんですか! あなた、もう奴隷じゃないでしょ! 一昨昨日路上で解放ライブしましたよね!

 

「非才は奴隷契約は結んでおりませんが、台下とは信仰の上で主従関係にございますゆえ、事実上の奴隷でございます」

 

 エフィさん、あなたまで!

 

「「「「「「毎日!?」」」」」」

 

 獣娘さんたちの顔がパッと明るくなる。

 

「おいしかったぁ、ゆうべのシチューぅ」

「あんなの、村じゃ、お祭りのときでも食べたことないよ」

「あたしは、また、きのうのパンが食べたいなあフカフカで甘いのぉ」

「オークの肉ってあんなにおいしいんだねぇ」

「熊みたいに大きくて怖い魔物だから、村一番の狩人でもとって来たことないよ」

「わたしはシチューに入ってた森のお野菜がよかったよ、村でもよく食べてたのばっかりだったけど、村で食べてたのは苦いばっかりだったもの」

 

 獣娘さんたちはうっとりとゆうべの夜食を思い出している。

 口の端から垂らしちゃってる子もいる。

 森のお野菜は、ちゃんとアク抜きすればおいしいからね!

 

「「「「「「また、食べたいなあ」」」」」」

「あらあらみなさん、夕べのシチューみたいなものはもちろんですけど、私はあいすくりんがおすすめです!」

 

 ああ、ヴィオレッタ様まで……。

 

「「「「「あいすくりん? なにそれ?」」」」」」

「雪みたいに冷たくてふわふわで、とっても甘いお菓子よ」

 

 サラお嬢様が追い討ちをかける。

 獣娘さんたちの瞳がいっそう輝く。

 

 ぐぎゅっぐぎゅるるるるるるるるるるるううううううぅっ!

 馬車の中に腹の虫の大合唱が鳴り響く。

 

「ああん、お腹空いたぁ! ね、みんな!」

 

 サラお嬢様が破顔する。

 

「サラ、いいところに気がついたわ! 実は私もぺこぺこなの」

「ははっ! 奇遇でございますな。非才もでございますよ」

「あたいもだ!」

「わたしもだわ」

 

 サラお嬢様にみんなが追従する。

 ふむ、助け出した女の子十九人と僕たち六人ゲリさんとオドノ社長、フレキさんとマスターシムナが来るかもしれないことを考えて合計二十九人。

 

「約三十人か……」

 

 お屋敷の食堂はそんな大人数を収容できない。

 いっぺんにこの大人数で食事をする方法は……と。

 

「うん! あれにしよう!」

 

「ルー! 市場に行こう。まだ、野菜売りの農家は村に帰ってないよね」

「ああ、まだいるはずだ! はいっ、グラーニ!」

 

 ルーデルが一鞭入れ、市場に向けて馬車が速度を上げる。

 

「みんな牛豚は食べられる? 食べ物に禁忌は無い?」

「「「「「「はいっ!」」」」」

 

 僕は今日、これから作るものの材料を考え始める。

 

「サラ、ヴィオレ、ウィルマ、後で魔法の力を貸してくださいね」

「「「了解!」」」

「リューダ! こないだどこで薪を買ったっけ?」

「肉屋の傍よ」

「うん、好都合だ」

 

 ぐぎゅるるるるるるるっ!

 ふたたび腹の虫が大合唱をする。

 

 わかったわかった! もうすぐおいしいものたんと食べさせてあげるから!



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第80話 なんと、こっちの世界じゃ米は超高級食材だった件

「お兄さん、お兄さん!」

 

 馬車から降りて肉屋に向かっていた僕を呼び止めたのは、バゲットを抱えた油屋のおかみさんだった。

 市場の道はけっして広くはないから、三十人近くがゾロゾロとねり歩くのはどうかと思い、僕とリュドミラ、サラお嬢様で買出し隊を編成、残りは、ゼーゼマンさんのお屋敷に先に行って、助け出した女の子たちのしばらくの間の寝床を整えようということにした。

 ちなみに寝室寝台寝具は、僕ら使用人が使っていた使用人部屋と戻って来た三段ベッドが使えるので大丈夫だ。

 

「こんにちは油屋のお姉さん、こないだはどうも」

 

 少しわざとらしいと思うけど、最初にこの人にそう話しかけたのでそれを通す。

 

「あははは、ヤトゥでいいよ!」

「ははっ! ヤトゥさんおいしそうなバゲットですね。僕のことはハジメと呼んでください」

 

 焼きたてのバゲットの香ばしい匂いが、数メートル離れている僕に届いている。

 

「あいよ、ハジメちゃんだね。ところで、ちょっと寄っていってくれないかい?」

「ええ。でも、オリーブオイルはこないだのがまだありますけど?」

「ちょっと……ね、面白いもんがあるんだ」

 

 それは聞き捨てならない。

 僕はおいしいものと面白いものには目がないのだ。

 それに、この油屋のおかみさんこと、ヤトゥさんには、つい一昨日、オリーブオイルを一壺買ったときにごま油をオマケしてもらっている。

 だからというわけじゃないけれど、この人が面白いものというのならなんか本当に面白いような気がする。

 

「へえ、なら、寄らせてもらいます。サラ、リューダ、ちょっと寄り道をしよう」

「うん、ハジメ様!」

「ええ、ご主人様の思し召しととおりに」

「おやおや、あんたハジメちゃんの奴隷だったのかい」

「ちがいます! むしろ僕が使用人ですから!」

 

 光速で否定して、僕はヤトゥさんの後に続く。

 その後ろを、サラお嬢様とリュドミラが笑顔でついて来る。

 二人の笑顔に僕は胸がじんわりと温かくなるのを感じた。

 

「さあ、ついた。ここだよ」

「え? こないだの屋台は……?」

 

 ヤトゥさんに案内された僕らが到着したのは、立派な店構えの油問屋だった。

 

「「「おかえりなさいませ」」」

 

 店員さんたちが口々にヤトゥさんにあいさつをしている。

 開いた口がふさがらない。

 

「ありゃ、趣味だ。初心忘れるべからずっていうだろ。亭主とこの商売始めたばっかりのころを思い出すために、たまにやってるんだ。ついといで」

 

 ヤトゥさんが店の奥へと手招きをする。

 人がすれ違えるくらいの広さの廊下を通り、油屋さんの倉庫に通された。

 

「これなんだけどね」

 

 ヤトゥさんが指し示したものを見て、僕は鳩尾が締め上げられるような感覚に襲われる。

 手足がぶるぶると震え、視界が涙で滲む。

 僕の目の前には、樽が二つと俵が鎮座していたのだった。

 

「内海を挟んだ向こう側の南大陸の東の外海の浜に、見たこともない船が流れ着いたのが半年前。その船に生きている人間は乗ってなかったそうだ。で、あたしの知り合いの交易商人が、その船に積んであったこれを手に入れて、土産にくれたんだけどね。売れたらその値段の三割をやることになってる」

「へ、へえ、め、珍しい形の樽ですね」

「変な形だわ、転がしにくそう」

「ほんと、見たことないわ」

 

 サラお嬢様たちの声が遠い。声が上ずってるのが自分でもわかる。

 僕は明らかにうろたえている。

 その樽は、横から見たシルエットが下窄まりのゆるい台形で、タガがこの国では一般的な鉄の輪ではなく、竹を編んだものだ。

 僕らが住んでいるヴェルモンの街がある国はもちろん、僕たちがキャラバンで旅をしてきたどこでも見たことがない形のものだ。

 それは、たしかに、この大陸では見たことがない形の樽だった。

 が、『僕』にとっては、身近とは言わないまでも、見覚えのある形の樽だった。

 

「ああ、こんな形をした樽、見たこともないよ。タガなんて木の皮みたいなものを編んだものみたいだね。こっちなんて、藁を編んだ入れ物みたいだけれど、藁なんてブリトン人が屋根に使ってるのしかみたことないよ」

 

 俵をぽんぽんと叩きヤトゥさんが笑う。

 

「うかつに開封して価値が下がったらアレだってんで、口を切らずにもってきたんだ。だから、中身が何なのかわかってないってわけさ」

 

 その中身は一体なんだろう米か炭かはたまた芋か?

 米であってほしい。

 できれば未精米の籾状態が希望だ。

 いや、俵に入っているのが米だとしたら籾状態の確率が高い。なぜなら、米は、精米したとたんに鮮度が急降下するからだ。

 そっと、【鑑定眼】を発動。

 俵と樽を鑑定する。

 

【四斗俵】

 内容物:米種籾60キロ

【四斗樽】

 内容物:清酒

【四斗樽】

 内容物:醤油

 

 膝がガクガクと震え始める。

 米と醤油と日本酒だ!

 

「た、た、た、た…たしかに、面白いものですね。きゃ、キャラバンでもみたことがない」

「ハジメ?」

「どうしたのかしら? ハジメ」

 

 僕のあからさまなうろたえ具合に、サラお嬢様とリュドミラが気がついた。

 ヤトゥさんが口の端を吊り上げる。

 

「ハジメちゃん、あんた、この樽の中身わかるだろ」

「どっ、どうしてですか?」

「一昨日あんたにオマケした油あるだろ」

「ええ、たしか、エルルの油っていってましたよね」

「ああ、あのエルル油ね、じつは、同じ難破船に積んであったものなんだ。エルルの実は内海の向かう側の大陸でもとれるらしいんだけどね。この国じゃ、まだまだ知られていないものなのさ。あんた、あの油を一目見てなんの疑いもなく貰ってくれたろ。ふつうは、あんな得体の知れないものわたされたら困った顔するもんさ。だから、あんたはあのエルル油の使い道を知っていると踏んだわけなのさ」

 

 サラお嬢様とリュドミラが間抜けを蔑むような湿った視線を投げつける。

 これから作る料理に大活躍してもらう予定だったんだけどな。エルル油ことごま油には。

 

「あんたにオマケしたエルル油ね、樽のタガが緩んで染み出してたんで中身がわかったんだ。だけど、この樽はしっかりしてて、臭いさえ染み出してこない。ゆすってみるとちゃぷちゃぷいうんだ。中身が油だったらたっぷんたっぷんって感じなんだけどね」

「そ、それは買い被りですよ。僕は解放奴隷ですから」

 

 傍にいるサラお嬢様とリュドミラが盛大に溜息をつく。

 呆れてるんだろうな。

 

「そこで、あたしはあたしは思ったのさ。あんたならこの樽と藁の入れ物の中身がわかるんじゃないかってね。で、あんたの今のうろたえ方ったら……、この中に入ってるのがお宝だって言ってるようなもんだよ」

 

 僕は大きく溜息をついた。

 一緒にサラお嬢様とリュドミラも、もう一度溜息をついた

 

「はあ、ハジメって絶対商人には向いてないわ。ほんっとバカ正直なんだから。腐った水に砂が入ってるって言えば、二束三文で買えたのに」

「そうね、こんなバカ正直者、商人になんてなれやしないのだわ」

 

 二人の褒め言葉に肩をすくめ、僕はヤトゥさんに向き直る。

 

「はあっ、仕方ないですね。樽の方は、酒か調味料。そっちの藁の入れ物……俵っていうんですけど、さわってもいいですか?」

 

 鑑定眼があることは内緒にしておきたいから、これから中身を検証するふりをする。

 

「あはははっ! やっぱりか! 判るんだね! いいよ触ってみな」

 

 ぽんぽんと叩いたり撫でたり押してみたり……。

 医者が触診するみたいに俵と樽を触る。

 

「俵は、米の可能性が高いですね。そして樽はやっぱり酒か調味料だと思います」

「米!」

「お米?」

「米だって?」

 

 な、なんだなんだ?

 ヤトゥさんが色めきたった。

 サラお嬢様にリュドミラまでもが目の色を変えている。

 そんな僕のポカンとした顔を見てサラお嬢様が耳打ちしてくれる。

 

「ハジメ、お米なんて王様だって何年かに一回食べられればいいって言うくらいの超高級食材よ」

 

 僕は目の前が真っ暗になった。

 それじゃ、僕なんかが食べられるわけないじゃないか!



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第81話 そうか、これがソウルフードってやつなんだな

 がっくりと肩を落とした僕に、ヤトゥさんが優しく語りかけてきた。

 

「なあ、ハジメちゃん。モノは相談なんだけどねぇ」

「はあ、なんでしょうか?」

「この、米?、いくらか分けてあげてもいいんだけど……」

「ほ、ほんとうですか?」

 

 露骨に喜んだ僕の足を、サラお嬢様のかわいらしいあんよが踏みつけた。

 

「ヤトゥさん、ハジメの代わりにわたしがお話をうかがったらいけないかしら?」

「へ? あ、ああっ! あんた、ゼーゼマンのサラちゃんじゃないか! 魔法使いみたいなかっこしてるから全然気がつかなかったよ! ああ、ヨハンのことは残念だったね。お葬式に行かなくてごめんよ。ヨハンが死んだって聞いたの昨日でさ、埋葬も終わったって言うじゃないか…」

「ううん、お姉ちゃんがお父様のことは静かに送りたいって言ってたから。それから、わたし、今はハジメのパーティーの魔法使いなの一昨日登録して、もう、C級なのよ」

「そうかい、そうかい。あんたたち冒険者になったのかい……って、なんて早さだい。FからEに上がるのだって半年かかるっていうじゃないか。それをたった二日で? まさか」

「それは本当のことなのだわ。ヤトゥ・ヴィーテルドゥム」

 

 サラお嬢様の後ろからリュドミラがヤトゥさんに声をかける。

 

「へえ、ずいぶん懐かしい名前で呼んでくれるじゃないか。その名を知ってるってことは……ふん、そうか、あんたリュドミラ・ジェヴォナかい」

「ヤトゥさん、リューダとお知り合いなんですか?」

「いいや、この商売始める前にちょっと冒険者をやってたことがあってね、そのころいろいろ噂で聞いたことがあったのさ」

「わたしもあなたの噂をずいぶん耳にしたものだわ」

 

 ふたりは、ヤンキーがメンチを切るようににらみ合う。

 先に目をそらしたのはヤトゥさんの方だった。

 

「はあっ、若いころみたいにゃいかないねぇ」

「まだまだ中々のものだわヤトゥ」

「うん、納得だね。ああ、納得だ。三日でFからCなんて離れ業、『スタンレーの魔女』リュドミラ・ジェヴォナが一緒のパーティーなら納得だ。どうせ、『地獄のサイレン』ルーデル・クーも一緒なんだろ?」

「あら、よくわかったわねヤトゥ。もちろんルーも一緒なのだわ」

「ああ、そうかいそうかい。ふん!」

 

 ヤトゥさんがふてくされたように鼻を鳴らした。

 こんなところでもリュドミラとルーデルは悪名をとどろかせている。

 困ったことではあるけれど、僕が情けないから、丁度いいバランスなんだろうな。

 

「えーっと、ヤトゥさん!」

 

 サラお嬢様が頭ひとつと少し大きなヤトゥさんを見上げる。

 

「あ、ああっと、ごめんよサラちゃん。大事な商談の最中だったね。昔っから頭に血が上るとこうだ。はあ、ごめんよ」

 

 へえ、ヤトゥさんはサラお嬢様が子供(サラお嬢様本人には面と向かって言えない)だからといって、子ども扱いするような人じゃないんだ。

 それだけで好感が持てる。

 

「ヤトゥさん、それがお米だとして、売値はいくらつけるおつもりなんですか?」

「そうだね……本当に米だとしたら……」

 

 サラお嬢様の問いかけに、ヤトゥさんは傍の棚から算盤を取って弾き始める。

 

「そうだね、二ポンドで金貨二枚と銀貨三枚ってところかねえ?」

「んなっ!」

 

 僕の口はあんぐりと開いてしまった。

 元いた世界で、ふつうに流通している高級米はキロ三千円くらいがせいぜいだ。それを二ポンドって九百グラムちょっとだよね。それが、金貨二枚と銀貨三枚だって? 日本円で二万三千円ってことじゃないか。

 

「五年位前にフルブライト商会が王家に納入した値段より三割は安いんだけどね」

「はあ、僕は諦めます……」

 

 僕はがっくりと肩を落として踵を返す。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなって!」

 

 ヤトゥさんが僕のマントを掴んで引きとめる。

 

「い、いまのは、売るときの値段を聞かれたから答えただけさ。あんたとの話はここからだよ」

「と、いいますと?」

「へえ?」

「あはっ!」

 

 サラお嬢様が腕を組んでヤトゥさんを見上げ、リュドミラがにやりと笑う。

 

「あんた、米を作れるんじゃないのかい?」

 

 ヤトゥさんが俵を指差す。

 

「それは……、かなりむずかしいです」

 

 バラエティ番組やネットからの知識で米を作る方法は知っている。

 だけれども、『知っている』と『できる』の間には天と地ほどの開きがある。

 

「むずかしいってことは、やりかたは知ってるってことだね」

 

 うわ、この人するどい。

 

「この、たわら……だっけ? その中身が米だったとして、その種があったら作ろうと思うかい?」

「ええ、やりたいですね! でも、何回も失敗すると思います。二、三回で成功できるとは思えません。それどころか、十回やっても失敗するかもしれません」

「よしわかった! この樽二つと俵持ってお行き! んで、五年後ぐらいに成功でも失敗でもいい、結果を持って来ておくれ! 栽培に必要なものはウチが用意する」

「え? ええええっ! いいんですか?」

「うふふ、大盤振る舞いねヤトゥ」

「ヤトゥさんいいの?」

「ああ、元々ただでもらったもんだからね……。あ!」

 

 そこまで言ってヤトゥさんが目をそらしてごもごもと言う。

 

「あの……さ、その……う。十ポンドだけ残してくれるとうれしいんだけど……。その、五年前にフルブライトが王家に納入した分量なんだけど……ね」

 

 ああ、王様に献上でもしてフルブライト商会に張り合いたいわけですね。

 

「ええ、いいですとも。じゃあ、中身を確かめましょうか」

 

 俵を立て、左腰に差してあるナイフを抜いて、藁縄を切る。

 あらかじめ中身がわかっててもドキドキする。

 藁で編んであるフタを取って中を覗く……。

 

「米だ! 米だ!」

 

 僕は思わず叫んでしまう。

 俵の中身は鑑定どおり、籾殻がついたままの状態の米だった。

 田んぼを作って植えれば増やせるかもしれない。

 

「ああ、ほんとに米だ……」

 

 僕がこっちの世界に来てからこっち、ゼーゼマン商隊の食事で米が出ることはなかったし、交易品の中にも米はなかった。

 通過してきた街や村でも、米を食べているところはなかった。

 俵の中から両手で掬い上げた米が涙で滲む。

 僕はこんなに米が好きだったのか……。

 

「白いご飯が食べられるなあ」

 

 ああ、そうだ。これってソウルフードってやつなんだな。

 胸が熱いもので満たされてゆく。

 ここから、籾摺りや精米をしなくちゃいけないから、食べることができるのはもうちょっと先だけど、僕は、もうすぐ確実にご飯が食べられる。

 その想いが僕の両目からあふれて止まらなくなる。

 

「よかったね、ハジメ」

「よかったわね、ハジメ」

 

 僕にはもう、サラお嬢様とリュドミラの笑顔がよく見えなくなっていのだった。



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第82話 漂う吟醸香。それは妖精のポルカと例えられた

 酒樽を開けるのには少し苦労をした。

 ニュース映像なんかでよく、樽の蓋を木槌で割るってのがあったから、それでいけると思ってたんだけれど、まあ、これがうんともすんとも言わない。

 それでもがんがん蓋を叩いているうちに、フタの栓が浮いてきてポロリと取れたのでそこから鉄梃子を突っ込んでこじ開けた。

 辺りにフワリと果物のような甘い香りが漂う。

 鑑定したときにその品質までは鑑定しなかったから、この香りには驚いた。

 たしかこれ、吟醸香とかいう上等なお酒に特有の匂いだったと思う。

 じゅるり! っという涎を啜り上げる音に振り向くと、リュドミラが瞳を爛々と輝かせている。

 

「は、ハジメ! その樽から、ものすごく誘惑的な香りが立ち上がっていると思うのだけれど。それは、なんなのかしら?」

「これは、君やルーがとても喜ぶものだよリューダ」

 

 腰の雑嚢から携帯カップを出して、日本酒を一掬い…たぶん二合くらいだ…をリュドミラに勧める。

 

「ああなんてステキな香り。妖精がポルカを踊っているみたいだわ」

 

 うっとりと目を閉じ、リュドミラが香気を愉しむ。

 

「ちょ、ちょ、ハジメちゃんあたしにも!」

「わたしも、わたしも!」

 

 ヤトゥさんとサラお嬢様もカップを僕に差し出す。

 

「はいはい、ちょっと待ってください……って、サラお嬢様はまだ……」

「ハジメ、この国ではワインとエールは十二歳以上なら飲んでもいいのよ。それ、ワインと同じような気がするわ」

 

 たしかに、この世界は元の世界よりもいろんなことが過酷にできている。

 だから、子供が大人と呼ばれるようになるまでの期間は僕の世界よりもかなり短い。

 いい例が冒険者ギルドへの登録ができるようになる年齢だ。

 僕の世界だったら十八歳以上ってのが常識だろう。

 でもこっちの世界はギルドに登録できるのは十二歳からだ。

 だから、こっちの世界ではサラお嬢様は十分に成人女性なワケだ。

 

「たしかに、たしかに日本酒のことをライスワインなんていったと思うけど……」

 

 サラお嬢様はきらきらと瞳を輝かせている。

 

「ヴィオレには内緒ですよ」

「わあぃ、ありがとうハジメ!」

 

 僕は二人からカップを受け取り、一掬いとる。

 

「ハジメはこれを使うといいわ」

 

 リュドミラが自分のカップをとりだして、手渡してくれる。

 それを受け取って、僕も樽から一掬い取る。

 

「では、遠い国からやって来た酒に」

 

 なみなみと日本酒を湛えたカップをかざす。

 僕に習ってみんなもカップをかざす。

 口元にカップを運ぶとメロンのような香りが鼻腔をくすぐる。

 それだけで、耳が熱くなり、上気しているのを自覚できる。

 

 そして、一口。

 

「くぇrちゅいおp@~~~~~っ!」

 

 思わず音にならない声で叫んでしまった。

 これ、ものすごく上等なやつだ。僕なんかが飲んでいいヤツじゃない!

 

「「「ほわああああああ~~~~!」」」

 

 周りを見ると、リュドミラもサラお嬢様もヤトゥさんも、蕩けきった顔をしている。

 

「い、今までに飲んだ、どのワインよりもおいしいわ」

「なにこれ? これ、ワインなの? わたし、こんな味知らない!」

「ちょ、ちょ、ちょっ! なんだいこれは!」

 

 これは、飛び抜けすぎている。

 まさにチートな味だ。万が一ソーマとかネクタルとかが実在したらっていうレベルだ。

 いや、僕がただ単に上等な日本酒を知らないだけだって話もあるんだが、傍らで蕩けきった顔をしている女性陣を見ると、まんざら外した例えでもない気がする。

 

「は、ハジメちゃん……」

 

 ヤトゥさんが、申し訳なさそうな目で僕を見る。

 この味のものは他にはないだろうから、王様に献上したら、けっこうな優遇措置を引き出せるかもしれない。

 

「いいですよ。この酒は、王様に献上したほうがいいと思います。できたら、壺ひとつ分わけていただければありがたいんですけど」

「そ、そうかい悪いね。いいよ、壺二つ分持って行きな」

「ありがとうございます。じゃあ、もうひとつの樽を……」

「え? 同じものじゃないのかい?」

 

 ああ、そう考えるよな。

 

「ええ、これは、中身が違う樽ですね。ここをみてください」

 

 僕は樽に押してある焼印を指す。

 

「お酒のほうの印は四角の中に穂がありますけど、こっちの樽には斜めの屋根みたいなものの下に棒を互い違いにクロスさせた印が押してあります」

「そうか、なるほど……ね。じゃあ、仕方ないね開けてみようか」

 

 今度は蓋にしてある栓の周りから叩いてみる。

 すると栓が少し浮き上がってきた。

 そこで栓を四方から少しずつコンコンと叩いていって緩みきったところで外す。

 醤油のにおいが辺りに漂う。

 

「な、なんだい? この匂い。 鼻が曲がりそうだよ」

 

 ヤトゥさんが鼻をつまんだ。

 僕は心の中で口の端を吊り上げる。

 

「ヤトゥさん。これは醤油という調味料ですね。豆を加工した漬けダレです。ただ、王様に献上したところで、宮廷にこれを使える料理人はいないでしょうね」

「ああ、そうだろうさ、こんな漬けダレ見たことも聞いたこともないよ」

「じゃあ、これは……」

「いいさ、こいつはさっき言った通り持って行っとくれ」

「ありがとう、ヤトゥさん!」

 

 ヤトゥさんに僕は最敬礼をする。

 

「いいってことさ。その代わり……」

「ええ、米の栽培、やってみます」

 

 王様に献上する分の約10キロをのぞいた約50キロの米と醤油の四斗樽(約72リッター)、そして日本酒を二壺(ひと壺概ね一升くらい)をマジックバッグに入れて、僕らはヤトゥさんのタジャ商会を後にする。

 思いもよらず手に入った米と酒と醤油に僕は、ワクワクを押さえられなかった。

 酒と醤油は、早速今日の料理から活躍してもらおう。

 米は籾殻を外すところからだから、今後のことも考えて臼の開発からになるだろうか?

 実際に銀シャリを食べることができるのは少し先になりそうだ。

 

「それに、ここに米と酒と醤油があるってことは……」

「どうしたのハジメ?」

 

 サラお嬢様が不思議そうに僕を見上げる。

 

「いえ、僕が元いたところと同じものを作っている人たちが、この世界にもいるんだなと思いまして……ね」

「あ、そうか、作れる人が本当にいるってことなんだ」

「ハジメがいた世界のものと同じものを作れるヒトが、この世界にもいるかもしれなということね」

 

 そう、米も酒も醤油もここにある。僕は、それを作ることができる文明がこの世界に存在する可能性に胸が高鳴っていた。

 

 後日、国王に献上された日本酒は、陛下によって、『妖精のポルカ』と命名された。

 国王陛下の御前でヤトゥさんが献上品の日本酒の説明をしたときに盛り込んだリュドミラの漏らした一言を陛下がいたく気に入って、酒の名前にしてしまったそうだ。

 

樽には全く違う名前が書いてあったことは内緒だ。

 




17/09/24 第78話~第82話までを投稿させていただきました。
毎度御愛読誠にありがとうございます。
なお、本作は『小説家になろう』様にても公開させていただいております。


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第83話 ああっ、しまった! 僕は気づかずに5ウマウマを食べていたじゃないか!

お待たせいたしました。


 ヤトゥさんのタジャ商会を後にした僕たちは、野菜とパンそれからベーコンやソーセージに卵を買い込んで帰途につく。

 肉は、夕べシチューに使わなかった分のオークの肉がマジックバッグにたんまり残っているけど、味に変化をつけるために豚と牛を1キロずつ購入した。

 それにしても、夕べ、ゴブリンの宿営地を壊滅させた直後に狩に出かけてオークを仕留めて来て、解体、食肉へと加工したルーデルとリュドミラのバイタリティには開いた口がふさがらない。

 

「取り急ぎだったから、オークくらいしか狩れなかったのだわ」

 

 と、リュドミラは言ったけれど、取り急ぎじゃなかったら、何を狩って来たのか、ものすごく気になるところではある。

 ドラゴンでさえも簡単に狩って来そうだ。

 もし、ドラゴンなんか狩ってこられたらどうしようか?

 まず、ステーキは確実にやってみたい。

 せっかく醤油が手に入ったのだから、ガーリック醤油で、レアのドラゴンステーキ……。

 想像しただけで口の中が唾液で溢れる。

 最低5ウマウマと言われるモンスター肉、頂点生物のドラゴンは何ウマウマなんだろう?

 ってか、最低5ウマウマのモンスター肉って何の肉なんだろう?

 夕べのシチューはオークの肉を使っただけあって、今まだ僕が作ったシチューの中でも最高の出来だった。

 5ウマウマはあったと思う。

 ………………………………………………。

 !!!! っあ!

 

「ああッ!」

「どうしたのハジメ?」

「なにか思い出したのかしら?」

 

 サラお嬢様とリュドミラが直立歩行する猫を見たような顔をする。

 そうだ、僕は思い出した。

 僕の今のこの体の持ち主アイン・ヴィステフェルトさんはどうだかしらないど、『僕』は初めてだったんじゃないか!

 

 モンスター肉を食べたの!

 

 最低5ウマウマと言われるモンスター肉を夕べ僕は食べてたじゃないか! ごくごく普通に食べてしまってたじゃないか5ウマウマを!

 なんやかんやですっかり見落としてたよ!

 夕べ食べた肉がモンスター肉だったってこと!

 すっかり鹿やら猪やらのジビエ感覚で食べてたよ。

 最近は鹿肉とかネット通販で買えるから、ジビエもかなり身近になってるし……ね。

 あああっ! 言い訳になってない。

 

「いや、夕べ、何気なくあっさりと、スルーっと食べちゃってたなあって……。せっかくモンスターを狩ってきてくれたのに、感動薄くて申し訳なかったなって。ごめんねリューダ」

「あらあら、今頃気がついたの? 夕べ食べたのがモンスター肉だったって!」

「うん……。お恥ずかしながら。たった今……」

「夕べのシチュー、とってもおいしかったわ!」

「ルーは怒ってないかな?」

「あの子はそんなこと気にしていないと思うのだけれど……。そうね、怒ってたとしても、ハジメのお料理と、さっきヤトゥからもらってきたお酒を飲ませれば忘れちゃうとおもうのだけれど?」

 

 リュドミラがにっこりと微笑んだ。

 僕はその提案に無条件で乗っかることにした。

 

 

「では、始めましょう! よろしくお願いします」

「「「「「「おおおおおっ!」」」」」」

 

 なぜか厨房は、やる気まんまんの女の子たちで溢れ返っている。

 狭くはない厨房なのに身動きもままならないくらいだ。

 

「えーっと、これはどういう……」

「みんな、ハジメさんのお手伝いがしたいって……」

 

 ヴィオレッタお嬢様が困ったように微笑む。

 

「食事の用意ができるまで、ベッドで休んでいてくださいって申し上げたのですが……」

「働かないとキリギリスになっちゃいますから!」

 

 エフィさんの言葉尻にかぶせるように答えたのは兎人の女の子だった。

 帰りの馬車で、お情けを……って言い出した娘だ。

 

「うん、でも君たちは……」

 

 休んでた方が……といいかけた僕の鼓膜をエフィさんの囁き声が直に揺らす。

 風魔法ウィスパーだ。

 

『必死なのですよ。台下に気に入られようと』

「な……っ!」

 

 僕は言葉を飲み込んだ。

 ゴブリンの苗床になるという危機からは脱したものの、この子達は依然としてさまざまな危機に直面している。

 飢えの危機、貞操の危機、尊厳の危機……。

 この子達の小さな肩にはそれがずっしりと乗っかっている。

 僕に気に入られれば、その危機が遠ざけられる。

 たぶんそれは、藁にも縋る思いなのだろう。

 僕なんかに気に入られようなんてしなくたって、僕はこの子達を奴隷商に売り払ったりしないのに……。

 でも、それだけではだめなんだろう。

 この世界では、国というものに国民を保護する機能が備わっていない。

 自助自己救済が基本だ。だから冒険者なんて職業も成立する。

 モンスターに村を襲われ、親類縁者を全て失った子供が自活できるほど甘くはない。

 もとの世界だって、子供がたった一人で生活するなんてマンガの中くらいでしかお目にかかれない。

 こんな子達に、「さあ、もう君は自由だ」なんて言ったところで悪いおじさんにだまされてどこかへ連れていかれるのが関の山だ。

 この子達に必要なのは食う寝るところ棲むところと、理不尽な暴力にさらされない安心できる場所なのだ。

 

「はあ…、問題山積だ」

 

 思わず溜息が出る。出るけれどとりあえず目の前のことをひとつずつ片付けていけば、いつかはなくなるはずだ。そう言う方向性で頑張ろう。

 

「じゃあ、みんなには……、コンロの設置をやってもらいましょう。ヴィオレ、ウィルマ、みんなに手伝ってもらって、裏庭にコンロを2~3台セッティングしてください」

「まあ、ハジメさん! ……ということは、アレをやるんですね!」

 

 ヴィオレッタお嬢様が目を輝かせる。

 

「ええ、ヴィオレ。きょうはアレです。ゼーゼマンキャラバン名物のアレです」

「わあッ! アレ、街でやるのって初めて! キャラバンに出てるときしか食べられないものだって思ってたわ」

「ハジメさん、アレとはいったい?」

 

 サラお嬢様とヴィオレッタさまのはしゃぎようにエフィさんが首をかしげる。

 

「ああ、ウィルマは初めてね。うふふ、アレって、とーっても楽しいパーティのお料理なの!」

 

 サラお嬢様が全身でWktkしている。

 

「はははっ。それは楽しそうでおいしそうでございますね」

「じゃあ、みんな、私について来て! えーっと、コンロって帰ってきてたかしら? なかったら、サラの土魔法で竈を作ってもらいましょう。とりあえず、納屋を見に行くわ」

 

 ヴィオレお嬢様が女の子たちを引き連れて厨房から出て行く。

 

「えーっと、僕のほうにもひとりかふたりいてくれると助かるんだけど……」

 

 その背中にだめもとで声をかけてみる。

 

「あ、はいっ!」

 

 大きな耳をピクリとさせて、あの兎人の娘が振り向いて駆け戻ってきてくれる。

 そして、少し遅れて狼人の子がひとり駆けて来た。

 

「ああ、ありがとう。君にはこれをお願いしたいんだけど大丈夫かな」

 

 僕はタマネギとニンニクにしょうがと一昨日チーズをおろすのに使ったおろし金を取り出す。

 

「皮をむいて、この道具にこういうふうにこすり付けるんだけど……」

「はいっ! がんばりますっ!」

 

 兎人の少女は目を見開いて勢いよく頷く。

 

「さて、と、君には……」

 

 狼人の少女を振り向いて、僕は調理台の上にタマネギやピーマン、アスパラガスなどといった野菜と包丁を出す。

 

「お野菜を切るんですね」

 

 はきはきとした口調で狼人の少女が頭ひとつ低いところから僕を見上げる。

 

「うん、そうだね、皆が一口で食べられるくらいの大きさでよろしく。包丁使ったことある?」

「はい! ご飯のしたくはわたしの仕事でしたから!」

 

 そういって、狼人の少女が包丁を取って、野菜を切り始める。

 

「サラ! サラにはまた、魔法でアレをお願いしますからね」

 

 僕はかき回す仕草をしてみせる。

 

「わあ、今日も作るのね!」

「はい、食後の甘いものはひつようですからね」

 

 そうして僕は、マジックバッグから四斗樽と酒のつぼを取り出し、ボウルに注ぐ。

 砂糖と蜂蜜を適量入れてかき回し、兎人の子がハーブと香味野菜をすりおろすのを待つ。

 僕が作ろうとしているのはのは、おそらくこの世界初の醤油ベースバーベキューソースだ。

 

 ゼーゼマン商会のお屋敷は裏庭での『バーベキューパーティー』に向かって猛然と動き始めたのだった。



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第84話 ヴィオレッタお嬢様が実はゼーゼマン商隊イチのBBQ奉行だった件

「うわあ……」

「すごぉい」

「きっと、これから貴族様がおいでになるんだよ」

「うんうん、きっとそうだよ、あんなごちそう見たことないもの」

「そうだよね、あれって貴族様のたべものだよねぇ」

「ああ、テーブルの上のご馳走、ちょっとでいいから余らないかなぁ」

 

 グリューヴルム王国辺境の街ヴェルモンの景色が緩やかに朱を帯びてゆく。

 街の郊外の小高い丘の上にあるゼーゼマン商会のお屋敷の裏庭では、すっかりガーデンパーティーの用意が整いつつあった。

 

「みんな! あたいたちの初仕事は、きっと給仕だよ」

「そ、そうだねダリル」

「貴族様に失礼がないようにできるかしら」

「リゼ、あたいたちのしっぱいはごしゅじんさまの恥になるんだからな!」

「うん! がんばる!」

 

 僕たちがゴブリンの穴から助け出した少女たちが顔を見合わせ頷きあう。

 この会場のセッティングもかなりの部分で彼女たちの労力によっているのだが、彼女たちはこの会場で行われる宴の主役が自分たちであることに全く気がついていない。

 ってか、僕は君たちを使用人にした覚えないし、ましてや奴隷にした覚えもないからね。

 それにしても、これは本格的過ぎのような気がする。

 この人数で食事をするにはこのお屋敷の食堂が狭すぎるので、僕は裏庭でのバーベキューを提案したんだけど、いつの間にやらガーデンパーティーの様相を呈していた。

 

「ははは、ここまでやっちゃいますか」

 

 僕は半ば呆れてひとりごちる。

 

「嫌なこと忘れるには旨いもん食って飲んで、バカ騒ぎするのが一番さ」

 

 脚立を担いだルーデルが僕の肩を叩く。

 なぜ脚立?

 

「ん? これか? リューダとウィルマと一緒にガーランドを張ってたんだ」

 

 裏庭上空を十字に横断しているロープに数珠繋ぎになった提灯みたいなものをルーデルが指差す。

 

「どうせやるなら徹底的にやるのが効果的だと思うのだけれど」

「で、ございますとも。徹底的に面白おかしくおいしくでございます!」

 

 そういえば、キャラバンの宴のとき、僕もこの照明兼飾り付けのロープを張る手伝いをしたことがあったっけ。

 

「ハジメさんは食べ物を徹底的にしてくださいましたからね」

「いやぁ、バーベキューだけってのも寂しいと思って……」

 

 エフィさんが裏庭の真ん中に設置した長テーブルを示す。

 そこには、みんなに手伝ってもらって用意した料理が所狭しと並んでいる。

 バーベキューは醤油と酒のおかげで自信が持てる味付けになったものの、それだけじゃ寂しいと思って、昨日の残り物やらなにやらをマジックバッグから全力出撃させ、さらに手伝ってもらっていろいろと作ったらこれだけになったって感じだ。

 料理の豪華さはともかくとして、物量だけは寂しくないものとなったはずだ。

 ちなみにメニューは以下の通りだ。

 

【飲み物】

 エール

 ミード(蜂蜜酒)

 赤ワイン

 白ワイン

 日本酒

 オレンジ果汁

 りんご果汁

 

【お料理】

 刻んだ塩漬けキャベツ

 茹でたジャガイモ

 東の森のキノコと山菜マリネ

 ニンニクと唐辛子のスパゲティ

 パン

 スペアリブ

 オークすね肉のシチュー

 オークロース肉のバーベキュー

 

【デザート】

 アイスクリン

 

「はあぁ……、おいしそう……」

 

 エルフの女の子が呟く。

 それが呼び水となったんだろうな、お腹の虫の大合唱が始まった。

 

「ご、ごめんなさい。ごしゅじんさま! すぐにだまらせますから」

 

 狼人のダリルが腹を抱えてひれ伏す。

 

「ごめんなさい! ごしゅじんさま」

 

 他の子たちもつづいて一斉に土下座する。

 

「ハジメ!」「ハジメさん!」「ハジメぇ……」「ハジメったら」「台下!」

 

 刺さってる! 刺さってるから! みんなの視線!

 僕は大慌てで膝をついて、女の子たちに語りかける。

 

「み、みんな、頭を上げて! そんなことしないで! あのね、みんな、お腹の虫はだまらせなくていいからね」

「え? でも……」

 

 涙目で僕を見上げる兎人のリゼの頭を撫でる。

 

「いいんだ。みんなのお腹の虫は、これから大満足するに違いないからね」

「「「え?」」」

 

 呆ける女の子たちを立たせて、僕はパンパンと二度手を叩く。

 

「さあ、ここからは、みんながお客さんだ!」

 

 僕は女の子たちに宣言する。

 彼女たちはきょとんとしてフリーズしている。

 

「え? でも、あたしたち、おしごとしないと……」

 

 狼人の女の子ダリルが口ごもる。

 

「みんなおいで! お肉が焼けたわ!」

 

 その容姿に似つかわしくない大きな声をヴィオレッタお嬢様が辺りに響かせ、こんがりと焼けた串焼きをかざす。

 実は、ヴィオレ様はゼーゼマン商隊イチの鍋奉行ならぬバーベキュー奉行だった。

 

「あ、あの……ごしゅじんさま……」

 

 女の子たちは不安げな表情で僕を見上げる。

 よく見ると、口の端から涎をたらしている子もいる。

 僕はかがんで彼女たちの一人ひとりの目を見て語りかける。

 

「これはね、きみたちに楽しんでもらおうと思って用意したものなんだ。あそこでお姉さんが焼いている串焼きも、みんなに手伝ってもらって作ったテーブルの上の料理も全部食べていいんだよ」

 

 徐々に少女たちの目尻が下がり口角が上がってゆく。

 

「テーブルの上のカップにお皿や匙を使ってね」

「「「「はいっ!」」」」

 

 少女たちは一斉にご馳走(あくまで彼女たち曰くだ)が並ぶテーブルへと、あるいはヴィオレお嬢様が待ち構えるバーベキューコンロへと駆け出した。

 

「わあああああっ!」

 

 夕暮れが迫るヴェルモンの街郊外の小高い丘に少女たちの歓声が響き渡った。



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第85話 女神様方の再々再降臨は戦隊の登場シーンのごとく也

「「「いただきまーす!」」」

 

 明るく元気な愛らしい歓声が夕暮れのゼーゼマン邸の裏庭に響き渡る。

 思い思いの料理を手にした少女たちが、満面の笑顔で(彼女たち曰く)ごちそうを頬張っていた。

 

「はふうっ! おいひいぃ!」

「んはあぁっ! こんなごちそうお祭りのときでも食べたことないよ!」

「ああぁっ! しやわせぇ!」

「はううぅ、このパンがまた食べられるなんて」

「おいしいねぇ! おいしいねぇっ!」

「この、麺もおいしいよう」

「わたし、夢を見てるのかなぁ」

「夢がこんなにおいしいわけないじゃん!」

 

 僕らがゴブリンの巣穴から助け出した女の子たちは、夢中でごちそう(あくまで彼女たちの主観でだ)を咀嚼し飲み込みお腹をふくらませていく。

 そんな女の子たちの食べっぷりに、僕の視界はちょっとだけ滲む。

 

「ハジメさん……」

 

 いつの間にかヴィオレッタお嬢様が僕の傍にいた。その両手はエールを満たしたゴブレットを持っている。

 焼き奉行はサラお嬢様が交代しているようだ。

 

「え? あ……、ありがとうございます、ヴィオレッタおじょ……」

 

 涙を指で拭い、ゴブレットを受け取ろうと差し出した手が空振りをする。

 ヴィオレッタお嬢様がゴブレットを引っ込めたのだ。

 その目が抗議しているように少し吊り上って、頬が膨らんでいる。

 

「あ! えーっと……ゴホン……、ありがとうヴィオレ」

 

 咳払いをして言いなおす。

 

「はい、ハジメさん」

 

 にっこりと微笑んで、ヴィオレッタお嬢様がゴブレットを差し出す。

 僕はようやくエールを受け取ることができたのだった。

 ぐるりと裏庭を見回す。

 ヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様、ルーデル、リュドミラ、エフィさん、オドノ社長にゲリさん。

 皆がエールを満たした杯を掲げ微笑んでいる。ちなみにサラお嬢様はこちらの世界ではエールやワインは飲んでもいい年齢に達しているのでセーフだ。

 僕は一人ひとりの瞳を見て会釈して杯を掲げる。

 そして、杯を持った手を高く突きあげた。

 みんなも無言で微笑み、杯を天にかざす。

 無言なのは大声を出して、『ごちそう』を楽しんでいる女の子たちを驚かさないようにだ。

 

 乾杯っ!

 

 心の中で叫んでエールを食道に注ぎ込む。

 

「うふふふ、盛況ですねっ! ハジメさん」

「やあやあ、、これはまた旨そうなのを作ってくれたね。ハジメ」

「うむ、祠の扉越しに、楽しげな喧騒が漏れ聞こえ、妙なる匂いが漂ってきおったのじゃ。ハジメ、妾は『あいすくりん』を所望じゃ」

 

 ぶふぉっ!

 

 盛大に咽てエールを吹き出す。

 

「きちゃった」「やあ、またご相伴にあずかたせてもらうよ」「あいすくりん」

 

 振り返ればそこに、生命の女神イフェ、大地母神ルーティエ、冥界の主宰神ミリュヘの三柱の女神様方がホクホクとした笑顔で佇んでおられたのだった。

 

「おおっ! なんと、なんと! あの絶望的な状況でも心挫けなかった乙女たちを祝福に、生命の女神、大地母神、冥界の主宰神の使徒さま方がおいでくだされたんだね!」

 

 オドノ社長が杯を掲げて叫んだ。

 一心不乱に『ごちそう』を頬張っていた少女たちが僕の方を見て動きを止める。

 凍りついたといってもいいかもしれない。いや、もちろん恐怖なんかにではない驚愕にだ。

 その焦点は、僕を通り越した数メートル先に結ばれている。

 

「皆さんはじめまして。生命の女神の使徒イェフと申します」

「やあ、大地母神の使徒エーティルだ」

「冥界の主宰神の使徒ヘミリュである」

 

 微笑み会釈するお三方の背後で爆発するように見たこともない美しい花々が咲き乱れる。

 まるでなんとかレンジャーの登場シーンみたいだ。

 そして咲き乱れた花々が光の粒子となって消えてゆく。

 

「強い心をもった娘たち、そのお顔をよく見せてくださいな」

 生命の女神の使徒イェフ様』が花を撒き散らしながら微笑み、しずしずと進む。

 

「使徒さま!」

「使徒様!」

「使徒サマ!」

「使徒さまっ!」

 

 十八人の少女たちが、『使徒様』方に駆け寄る。

 

「ああ、よい子たち」「よくくじけなかったね」「褒めてつかわす」

 

『使徒様』方が少女たち一人ひとりを抱擁してその頬にくちづける。

 ヘミリュ様は少女たちよりも背が少しお小さいので、お姉ちゃんに甘えている幼女にしか見えないのは僕だけの秘密だ。

 

「こ、こ、こkdうぇrtyあああ……」

 

 エフィさんががくがくと震え、意味不明なことを口走る。

 

「かかかかっ! こりゃすごい、例えは悪いがこれは、これは祝福のバーゲンセールなんだね」

「ええっ?」

 

 オドノ社長の笑い声に、僕は慌てて【鑑定】を展開して、狼人の少女ダリルを観る。

 ダリルにはしっかりと『女神イフェの祝福(小)』『女神ルーティエの祝福(小)』『女神ミリュヘの祝福(小)』がついていた。

 他の子にもしっかりと三女神の祝福(小)がついている

 

「こ、こっ、ここっ、ここここっ、こんなことっ!」

 

 エフィさんは半泣きだ。

 ああ、まあそうだろう。

 宗教者にとって神様からの祝福なんて、何十年も一生懸命修行してようやく受けられるか受けられないかってくらいのものだろうから、こんな、ここにいたってだけの村娘や亜人デミたちがいともたやすく授けられているなんてこと臍噛みもんだろうからね。

 

「かはあああっ! 私の幸せは世界一いいいいいいいぃっ! こんな、こんな奇跡に何度も何度も立ち会えるなんてえええええええええええええええぇっ!」

 

 どっかのマンガの軍人キャラみたいに叫んで、エフィさんはその場にへたり込んで動かなくなった。

 

「エフィさん!」

 

 思わずいつも心の中で呼んでいる呼び方で呼びかけてしまう。

 近くにいたゲリさんとオドノ社長が駆け寄って、エフィさんを抱き起こし、生命兆候を看る。すなわち呼吸や脈なんかだ。

 医療ドラマなんかではバイタルって言葉が飛び交うけどいわゆるそれだ。

 ゲリさんが頷いて、オドノ社長が微笑む。

 エフィさんは感極まって失神しただけみたいだった。

 

「さあ、みなさんお食事の途中だったのでしょう」

「楽しんでおいで」

「うむ、さめないうちに食すがよいぞ」

 

「「「はーい!」」」

 

 祝福を授けられた少女たちが食事へと戻ってゆく。

 

「さて、ハジメくぅん」

 

 自称大地母神の使徒、エーティル様が、ねっとりとした視線を僕に巻きつける。

 

「なにやら、とても珍しいお酒を手に入れたようだねえ」

「なんだって? そりゃほんとかハジメ!」

 

 『使徒エーティル様』の暴露に音速を超えてルーデルが食いついてきた。

 ってか、食いついてきたのはルーデルだけじゃなかった。

 気絶しているエフィさん以外の全員が僕を取り囲んでいた。

 衝撃波で辺りが吹っ飛んでなかったのが不思議なくらいの速さだった。

 

「なんだよハジメ! あたいに内緒なんて!」

「青年! そ、それはどんな酒なんだね?」

「甘くてフルーティなのよ!」

「それはそれは、ソーマやネクタルもかくありなんという香気なのだわ」

「ハジメさん! わたし、それ、とても興味あります!」

「ちょ、ちょ、ハジメくん! なんか今、聞き捨てならないこと耳に挟んだんだけど!」

「そ、ソーマ? ネクタル!?」

 

 あ、あれ? いつの間にか人数増えてないか?



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第86話 近隣の村々からものすごい量の特産品が届けられた件

 いつの間にか増えていた人の正体は、ヴェルモンの街の冒険者ギルドマスター『白い死神』ことシムナさんと、ギルド職員のカトリーヌさん、そして、オドノ古物商会のフレキさんだった。

 フレキさんはみかん箱大の大きさの木箱を何個もくくりつけた背負子を背負っている。

 それはまるで、エベレスト登山で活躍しているシェルパ族のポーターのようだ。

 うん、冒険者パーティー『ゼーゼマンキャラバン』(僕が勝手にそう呼んでいる)のポーターとして、シェルパ族のタイガーと呼ばれる屈強なポーターは目標の一つでもある。

 たしか、僕の冒険者の職種はポーターだったはずだ。

 壁役をやらされることもあるけれどな。

 んで、シムナさんたちは一体ナニを持って来たんだ?

 

「ちょっと、ちょっと、ハジメくん! 珍しいお酒があるならちゃんとあたしに教えてくれなきゃだめじゃない」

「そうですよハジメさん! おつまみの選定に困ってしまうじゃないですか! 今日はマスターにエールとワインにミードくらいだろうって言われたので、豚の腸詰と塩漬け肉の燻製、それから、刻みキャベツの塩漬けを用意してきました」

 

 なんか言ってることがよくわからないんですけど? シムナさんカトリーヌさん。

 まあ、それでも、僕が入手した『珍しい酒』に興味津々なのは伝わってきた。

 それに、ソーセージやベーコン、刻みキャベツの塩漬けはいくらあっても困らない。

 加工肉はふつうに焼いたり茹でたりしたり、スープやパスタの具材としても優秀だし、刻みキャベツの塩漬けは付け合せにするだけでなく、加工肉や厚切りの肉と一緒に蒸焼きにしても旨い。

 ちなみに、刻みキャベツの塩漬けというのは、元の世界で言うところのザワークラウトにそっくりなキャベツの漬物のことだ。

 

「ああ、そうだ! これをことづかってきたんだった。サヴォワ村のヴァルジャンさんにエルベ村のヤンさんとか。あとは、バンケル村のテレルさんに……。後は見てもらったほうが早いか。フレキくん!」

 

 そう言って、フレキさんを手招きする。

 

「はあぃ、シムナさん。っと、よっこらしょ!」

 

 フレキさんが背負子をおろして、荷を解き始める。

 ホントすごい荷物だ、何を持ってきたのやら……。ってか、ことづかってきたって言ったよねシムナさん。

 ってことは、それ、僕らへのお届けモノ?

 

「ヴェルモン領の東の森近辺の村々からのお礼の品々ですね。エールにミードワインに……うわ、これはすごいです! オルビエート村特産の白ブドウの生命の水(蒸留酒)です! これは、国に納める税金代わりになるくらい高価なお酒なんですよ! あとは、豚丸々一頭分の肉とか野菜に腸詰、クケートに……」

 

「おおう! キッシュにキドニーパイだ!」

 

 サヴォワ村のヴァルジャンさんの宿屋の名物料理キッシュとキドニーパイがみかん箱大の木箱のひとつにいくつも……ほぼ満杯に入っている。

 

「生ものや料理はカトリーヌが『状態保存』かけてくれてたから悪くなってはいないと思う。今朝、ギルドに、サヴォワ村のヴァルジャンたちが持って来たらしいんだ」

 

「はい、冒険者だったころから状態保存の魔法だけには自信がありましたから」

 

 マスターシムナがキドニーパイを持ち上げ懐かしそうに眺める横で、カトリーヌさんがガッツポーズを作った。

 

「ねえ、リューダ。サヴォワ村の宿屋の名物料理ってキドニーパイだって言ってたわよね」

 

 マスターシムナがキドニーパイを指差した。

 

「ええ、確かそうだったと思うのだけれど。ディアブロ・ルージュ(領主)の部下の若い兵士がたしか、その宿屋の息子だったと思うのだけれど」

 

「お前ら、アレから何年経ってると思ってんだよ。代替わりしてんだよその宿屋は。キドニーパイは二代前の女将の得意料理だぜ。今の名物はキッシュの方なのさ。昨日も弁当代わりに作ってもらったんだ。うまかったぜえ」

 

 ルーデルが昨日の昼に仕入れたばかりの情報を、十年前から知っていたことのように話す。

 うん、キドニーパイの方は所謂復刻ってヤツだな。昨日のキッシュとキドニーパイは実にうまかった。こんど作り方を習いに行こうかと思っているくらいだ。

 

「ほう、それは近くの村の宿屋の名物なんだね。ハジメくんが旨いというのであれば、ぜひ我もご相伴させていただきたいものだ」

 

「ええ、ほんとうに。きっと、ハジメさんがお持ちのお酒にも合うことでしょう。あとそちらのお酒は……、はい、生命の水とおっしゃるのですね。これは、生命の女神の使徒としてぜひともお味を確かめなければなりませんね」

 

「あいすくりん」

 

 自称使徒様方が興味津々に、シムナさんやカトリーヌさんが木箱から取り出す村々からのお礼の品々をのぞき込む。

 若干お一人様はマイペースでご自分の興味が赴くもののみを求めておいでになっておられるが……。

 はい、今日もちゃんと用意してありますよ、アイスクリン。

 

「ん? ……って、は? めがっ! んむぐぐっ」

 

「え? あひッ! めがっ! もがっ!」

 

 ようやくというか、やっとというか、シムナさんとカトリーヌさんが自称使徒様方に気がついた。

 女神様と言いかけて、リュドミラとルーデルに口を塞がれる。

 どうやら、人間の神職並に出力を落とすことが容易になったいるらしい。

 

「な、なん……なんで『使徒様』方がここにまた?」

 

 三使徒の再来のわけをシムナさんが誰とはなしに尋ねた。

 

「お三方が冥界でお茶をしてたら、丁度いいタイミングで祠の扉から向こう側にバーベキューの匂いと賑やかな声が流れってって、それにつられてやってきたんだと」

 まるでどこかの岩戸隠れの神話のような情景描写で、シムナさんの疑問にルーデルが答える。

 

「失礼ですね、『黄金を抱くものよ』! 私は、女神イフェの名代として、ハジメさんの冒険者としての初の功績を称えにやってきたのです」

 

「我は、その介添えだ」

 

「あいすくりん」

 

 自称生命の女神イフェの使徒様が、フグみたいに頬を膨らませてもっともらしいご降臨の理由をおっしゃったのだった。



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第87話 それは古いとても古い二つ名

「てめっ! 死神っ!」

 

 ルーデルが、『黄金を抱くもの』と呼ばれ声を荒げ、自称使徒様の本当の二つ名を口にした。『地獄のサイレン』と呼ばれても喜んでいたのに。

 二人は手を触れたらそこから破裂しそうな風船のような雰囲気でにらみ合う。

 その火花を散らすような雰囲気オーラに当てられて、上空を家路に急いでいた小鳥が気絶してぽとりと落ちてきた。

 

「まいったな」

 

「ええ、困りましたね。それにしてもトリプルSの冒険者ってすごいんですね。総主教様並に制限しているとはいえ、女神様の神気に当てられても平気でにらみ合えるなんて」

 

 ヴィオレッタお嬢様が半ば呆れたように僕に耳打ちした。

 いや、小鳥が当てられて気絶するくらいの気の飛ばし合いの中で、僕に耳打ちできるあなたもどうかと思いますけどね。

 まあ、それが、三女神の祝福の効能であることには疑いはない。

 

「ハジメ、ああなったあの子を黙らせるには……」

 

 そうだね、そうだ、とっておきを出すしかないな。

 僕は、はっと気がついて、狼っ娘兎っ娘たちを見る。

 少女たちはこちらの様子に気づくことなく輝かんばかりの笑顔で食事を楽しんでいる。

 視線を少しずらすと、エフィさんがウィンクしていた。

 そうか、幸いにも、ものすごく早く再起動を果たしたエフィさんが結界を作って、食事を楽しんでいる少女たちと僕らの間に障壁を作り、こちらの様子が向こうに漏れ伝わらないようにしてくれていたのか。

 

「『黄金を抱くもの』……ね」

 

 自称使徒様方はこないだ降臨していらしたときにもヴェルモンの街一番の古物商会のオドノ社長のことを『さすらうもの』とか、『全てを見通すもの』とかいってたっけ。

 さすがルーデル、神様に二つ名を知られるほどの冒険者だったんだな。

 

 ………………………………………………………………………………………………っ!

 

 ふと、僕の記憶の中で何かがカチリとはまる。それは、ある神話特有の登場人物の名を直接呼ぶことはぜずに、称号や、そのものを形容する言葉で呼ぶという固有名詞の迂遠な表現方法だった。

 

「…………っく!」

 

 背中を駆け上がる悪寒に僕は身震いして、恐怖に吐き気を催した。体温が氷点下にまで下がった気がする。

 血圧と心拍数が飛び上がり、こめかみや指先に心臓ができたかと思うくらいだ。

 落ち着こうと肺に溜まった古い空気を全部吐き出す。吐き出しつくして大きく吸い込む。

 女神イフェの祝福と、僕固有のスキル【絶対健康】のおかげで、すぐに僕は落ち着きを取り戻した。

 

「ふう……」

 

 落ち着いた……よ……な。

 身体的には…ね。でも、精神的にはうろたえっぱなしだ。

 もう一度深呼吸する。

 ちなみにだが、深呼吸するときに「吸って」から入るのは効率的じゃない。元から肺に入っている空気に追加したところで新しい新鮮な酸素補給にはならないからだ。

 深呼吸の意味を考えるなら、吐いてから吸った方が効率的だ。

 さて…と、自称使徒イェフ様とルーデルは、まだにらみ合っている。

 

「ルー! 『黄金を抱くもの』なんて、景気がいい二つ名も持ってたんだね。ダンジョンに潜ったら大金持ちになれそうだ。しかも、女神イフェの使徒様がご存知の二つ名なんて、なおさらご利益ありそうだ」

 

 僕は、細心の注意を払って笑顔を作り、ルーデルに話しかける。

 よし、僕は落ち着いている。

 ユニークスキルのおかげで身体的には落ち着きを取り戻しているからね。 

 このまま押し切れ。

 

「はあっ……。古い古い二つ名さ。ああ、とんでもなく古い……な」

 

 ルーデルの瞳が虚空を泳ぐ。

 

「あ! ごめんなさい! ルーデル・クー、私ったら、つい、昔の癖で…」

 

 我に返った『使徒』イェフ様がルーデルに深く腰を折る。

 それを見たルーデルはふっと肩から力を抜いて微笑む。

 

「ああ、ああ……、いいよ。ただ、あたいと、リューダを古い二つ名で呼ぶのはやめてくれ」

 

 その微笑みはどこか寂しそうだった。

 

「ええ、ええ、そういたします。地獄のサイレン……ちょっとこれ呼びかけにくいですねぇ」

 

「じゃあ、ハジメたちがあたいを呼んでいるように呼んでくれ。ルーってな」

 

「まあ、ステキ! お友達になったみたい! ルー!」

 

 そう言って破顔したイェフ様の周りに花が咲き乱れ、光の粒子になって消えてゆく。

 こないだ、串焼きの屋台を花まみれにしてしまったときとは大違いだ。実にエコだ省エネだ。

 

「どうだいハジメくん。この……えーっとキミの世界で言うところの…そうだ! エフェクト! さっき、三人で考えたんだ。ほら、屋台で辺りを花まみれにしてしまったろ」

 

 自称大地母神の使徒エーティル様がフンスと鼻息荒く胸を張る。この世界でも有効なニュートンの法則に従って、その豊かな双丘がたゆんたゆんと揺れた。

 

「んぎっ!」

 

 嫌な音が足元から聞こえてきた。ふたつも!

 

「あらぁ、鼻の下が駱駝のようになっている色ボケのあんよに、正義の鉄槌が下ったようなのだわ」

 

「ハジメさん!」

 

 ヴィオレッタ様とリュドミラの声に、天界の眼福から足元の地獄に視線を移す。

 僕の両足が左右から踏みつけられて、半分ほど地面に埋もれていた。

 【絶対健康】のおかげで瞬時に踏みつけられた際のケガ(足の甲の打撲および骨折だ)は治っていたけれど、両側から僕の足を踏みつけている二つの足が、グリグリと僕の足をさらに踏みにじるもんだから、治る片端からケガが重なっていって、痛みが治まらない。

 これ、やばくね? 【絶対健康】でもカバーしきれないんじゃね?

 

「そうだ、そうだ! ハジメ! 珍しい酒って?」

 

 僕が、足に危機感を募らせ始めた瞬間、ルーデルが音速で詰めて来た。

 ヴィオレッタお嬢様と、リュドミラの足が高速で引き戻され、僕の足が踏みつけ地獄から解放される。

 

「そ、そうだよ、これ、こ・れ!」

 

 地面から埋もれた足をレンコンみたいに引き抜いて、僕は腰の雑嚢マジックバッグから二つの瓶を取り出した。




17/09/29 第83話~第87話までを投稿させていただきました。
毎度御愛読誠にありがとうございます。


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第88話 神様でも知らないことはいくらでもある

たいへん長らくお待たせいたしました。


 コルクでしっかりとされた酒壺の栓を抜いて、ルーデルに差し出す。

 

「ほわあああっ! なんだこれ? こんな香りの酒知らないぞ!」

 

「ええ、ええ! ほんとうに! こんなにかぐわしい香りのお酒は初めて拝見しました」

 

「うむ! この香気は我も初めてかぐものだ。大地が続く限り我が知らぬことなどないのに」

 

「あいすくりん」

 

 若干一柱様がまったく関係のないことをおっしゃっているが、神様でさえ知らないお酒って!

 そんな僕の心を読んだのか自称使徒イェフ様が耳打ち魔法ウィスパーで教えてくれる。

 

『わたくしたち神といえど、この地上のすべての事象を知りえるわけではありません。ただ一柱を除いてね。わたくしたちが知りえるのはわたくしたちを認知し、祈りを捧げてくれるものがいるところだけなのです。わたくしたちのことを知らず、独自の神々に祈られている方のことは知りえないのです』

 

 なるほどもっともな理屈だ。

 全知全能のクセに、ちょっとした悪事も働かないという自己矛盾を抱え込んでいる唯一絶対を自称する神様なんかよりよっぽど存在がリアルだ。

 なら、生命を司る女神様や大地の女神様、そして、冥界の主宰神たる女神様でさえ知らないなんていうこの酒は、感謝の心を表すのにもってこいだ。

 まあ、自分で買ったものではないから、そこらへんに後ろめたさはあるけれど。

 そこは、とりあえず棚上げしよう。

 今は、みんなが上機嫌になることが一番大切だ。

 

『ハジメさん、そんなあなただから私は……そのときの一番大切なことを、自分の細かな自尊心と引き換えにしないあなただから、私はこの世界にお招きしたのです。あなたがこの世界に来てくださってほんとうによかった』

 

 イフェ様の声がじかに鼓膜を揺らす。

 自称使徒様イェフ様が、光の粒子に変わる花を咲き乱れさせながら微笑んでいる。

 僕はなんだか無性にうれしくなった。

 

「この一壺は、ルーとリューダに! 君たちがいなかったら今回の作戦は成功しなかった。ありがとう! そして、もう一壺はみんなで! みんなのおかげで今回のクエストのうち、急を要するものを終わらせられることができました。ありがとう! さあ、テーブルのゴブレットを持ってきて乾杯をしましょう!」

 

 エフィさんが障壁魔法を解いて、長テーブルの上のゴブレットが載ったトレイを持って来る。トレイを持つその姿はまるで、ベテランのウェイトレスみたいにサマになっている。

 

「ははっ! さすがは台下ご慧眼です! 非才、実は旅の途中で食い詰めることしばしばでして、その際、宿屋で給仕の真似事をして路銀を調達していたのです」

 

 この人存外無計画なのかもしれない。

 

 さてはともかくもエフィさんの給仕によりゴブレットが行き渡り、僕は一人ひとりに等分になるように日本酒を注いでゆく。

 

「みんなはこっちだからね!」

 

 サラお嬢様の声に振り向くと、女の子たちのゴブレットにサラお嬢様とリュドミラが果汁を注いでいた。

 

「サラ、よく気がつきましたね。ありがとう!」

 

 僕の謝辞にサラ様が頬を染め少しだけ舌を出す。いわゆるテヘペロだ。

 そうして、みんなの杯が満たされる。

 

「ハジメさん! 用意ができました!」

 

 ヴィオレ様の声にみんなを見回す。

 そこにあるのは笑顔、笑顔、笑顔。

 満座に満面の笑顔だ!

 嬉しくてうれしくて、視界が滲む。

 

 僕は酒が満たされた杯を掲げて歓喜を叫ぶ。声が少し裏返ったのはご愛嬌だ。

 

「乾杯ッ!」

 

 夕闇が訪れ、魔石利用のガーランドライトが柔らかに照らすゼーゼマン商会のお屋敷の裏庭は、咲いては光の粒子に変わって消滅してゆく見たこともない美しい花々が咲き乱れたのだった。

 

 

 

 その少女は、そーっと、ほんとうに誰もが気がつかないくらいにそーっとゼーゼマン邸の裏庭からお屋敷の通用門に辿りついた。

 一分間に一メートルという超遅速の移動速度で、誰にも気づかれることなくここまで来たのだった。

 通用門の閂を外し、音をたてることなく扉を開ける。

 そして、じんわりと門をくぐり外へ出た。

 

「いやはや、流石だ。で、これからどこへ行こうというのかな?」

 

 僕は少女に声をかける。

 

「げぎゃッ!」

 

 美しいエルフの少女の外見に不釣合いなしゃがれ声で短く叫び、びくりと痙攣するように肩をすくめて彼女が振り向いた。

 

「ふむ、人語を解することはできる……か」

 

 いつでも僕に飛びかかれるように、エルフの外見の少女が背中を丸め、膝を畳む。

 彼女は女神様が現れたとき、他の子等といっしょに女神様方に駆け寄ってはいたが、女神様方に撫でられてはいなかった、そして、少女たちが食事に戻ったときには裏庭の壁にもたれて食休みを取っている風にしていた。

 だが、僕はけっして、この少女から注意をそらすことはしていなかった。

 ゴブリンプリンスの傍らから連れ出してからこの方、一時も注意を逸らすことはしていなかったのだった。

 

「ここから出てどこへ行く? 再び東の森に入って、今度こそゴブリンパレードを起こすか? ええ? ゴブリンプリンセス!」

 

 そう、この完璧なエルフの外見の少女は、ゴブリンプリンセスだった。

 あのゴブリンプリンスの洞窟拠点で、妹を助けに来たエルフの少年を装ったゴブリンプリンスの幻術で肌の色を変えられ、妹の娘、エルフハーフのゴブリンプリンセスの姪を演じさせられていたエルフの少女だ。

 エルフの少年を装ったゴブリンプリンスの三文芝居を見破って殺し、この少女にかけられていた幻術を解いたら、エルフの少女が出てきたのだった。

 だが、それは、ゴブリンプリンスが仕掛けた氏族存続のための一手だった。

 自分が討たれても、ゴブリンプリンセスたるこの少女を生き残らせ、氏族の復活を図るという策謀だったんだろうな。

 

「残念だったな。ゴブリンプリンスの最後の望みだったから、お前を生かしておいたんだが……。再びゴブリンパレードを図ろうというならここで殺さなきゃならない。洞窟で俺は言ったろう。俺の仲間は間違えないって。俺の仲間は囚われた女の子のうち、エルフは二人って言ってたんだ」

 

 僕の鑑定スキルでこの完璧なエルフの外見の少女がゴブリンであることは確認できている。 

 そして、混じりけナシの二人のエルフの少女は、今頃、ヴァルジャンさんの宿屋の名物のキッシュに舌鼓を打っているだろう。

 

「さあ、どうする?」

 

 問いかけた僕に飛びかろうと、エルフの姿をしたゴブリンプリンセスが足に力を込めるのが感じ取れる。

 そんなことを感じ取れた自分に、たった三日かそこらで、ずいぶんレベルが上がったもんだと思わず口角が上がる。

 

 俺は雑嚢からゴブリンプリンスの頭をかち割った例のシャベルを抜き出した。




毎度御愛読ありがとうございます。


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第89話 俺のレバーは旨いか?

「シャッ!」

 

 ゴブリンプリンセスの狙いすました貫手が俺の顔面を襲う。

 正中にシャベルを立て、両手で構える。

 

「ゲギャアアアッ!」

 

 ぶりゅぶりゅ! 

 

 気持ち悪い手応えが左手を震わせ、青い血飛沫が飛び散る。

 と同時に、俺の目を狙って放たれた貫手が左右に分かれていく。

 俺が正中に構えたシャベルの刃は、ゴブリンプリンセスの中指と薬指の長さを増しながら右手首近くまで食い込んで止まった。

 

「あぐッ!」

 

 不意に右脇腹に激痛を感じる。

 熱い! とてつもなく熱い! 何かが右脇腹に打ち込まれた?

 

「ゲッゲッゲッゲッ」

 

 俺の右脇腹に打ち込まれたのは、ゴブリンプリンセスの左貫手だった。

 口角を吊り上げてゴブリンプリンセスが嗤う。

 その顔は絶対的な勝利を確信した自信に満ちた顔だった。

 おそろしく長くなった右手の中指と薬指の間からシャベルの刃を抜きながら、ゴブリンプリンセスが俺の胸板を蹴飛ばす。

 

 ブチンッ! ぎゅぽッ!

 

「ぐああああッ!」

 

 体の中で何かを引きちぎられたような衝撃と激痛。

 トンボを切って着地したゴブリンプリンセスの紅く血に塗れた左手に握られた俺の体の一部……ってか、それ、俺の肝臓だよな! レバーだよな!

 幼女の手とはいえ、俺の肝臓一握り分て、結構な分量持ってきやがった!

 

「ゲギャギャ! ゲギャギャギャ」

 

 うっとりと恍惚さえ浮かべて、ゴブリンプリンセスが俺のレバーをつまみ上げかざす。

 そして、あんぐりと口を開け、舌を突き出した。

 

「てめえ……、食うんだなそれ。俺のレバー食うんだな」

 

 横を向いて、俺から視線を外さずニタリと笑ったゴブリンプリンセスは、がぱっと開いた口から突き出た舌の上に俺のレバーを落とした。

 俺のレバーを乗せた舌が、羽虫を捕まえた蛙の舌のように引っ込む。

 

「ギュゲッ……ふほ、ゲギャギャギャギャ!」

 

「そんなにうめえかよ? 俺の生レバーは……」

 

 ゴブリンプリンセスは、初めてアイスクリンを食べたお嬢様たちのようにうっとりとしている。

 自分の生肝の踊り食いなんて、そうそう見られるもんじゃねえな。

 ふつうなら、これで終わりだ。

 生肝抜かれて生きていられる人類はそうそういない。

 あっという間に出血性ショックで御臨終だ。

 

「ふうううううううううッ! すううううううううううううううッ!」

 

 だが、俺にはユニークスキル【絶対健康】があった。

 深呼吸を一回するうちに引きちぎられた肝臓は再生を完了して、ゴブリンプリンセスが打ち込んだ貫手が開けた脇腹の大穴も、無かったことのように塞がっていた。

 

「ゲギャッ!」

 

 ゴブリンプリンセスは、あからさまにうろたえていた。

 そりゃそうだ、絶対的な致命傷を負わせたはずの敵がなにごともなかったように立ってるんだからな。

 

「肉を切らせて骨を断った気でいたんだろうが、残念だったな、肉を切らせ損だ」

 

 ひゅん! 右手に持ったシャベルを回し、ぴたりとゴブリンプリンセスに向ける。

 

「プリンス様のように頭を割ってやろうか? それとも首飛ばしてやろうか? 選ばせてやる」

 

 一歩前に出る。

 

「ぎゃ……」

 

 プリンセスが尻込む。

 

「選べよ」

 

 さらに一歩、もう一歩。 もっと前に出る。

 

「ぎゃひッ!」

 

 ゴブリンプリンセスの膝がガクガクと震えている。俺から逃げようと、きょろきょろ辺りをうかがう。

 だが、逃亡の手助けも俺を倒すために役立つようなものも都合よく落ちているわけもなくゴブリンプリンセスは追い詰められてゆく。

 

「どうした? かかって来いよ。俺を殺してこっから逃げるんだろ」

 

 俺はもはや無造作にゴブリンプリンセスに近づく。

 

「ひぃッ!」

 

 ゴブリンらしくない悲鳴を上げてプリンセスが腰を抜した。

 びちゃッ! っという水音が辺りに響く。

 それはゴブリンプリンセスが自ら作った水溜りに尻餅をついたからだった。

 

「なんだぁ、てめえ、ちびってたのかよ。ションベン漏らすくらい怖がってんのか。てめえらゴブリンが襲った村で何人が怖くてションベン漏らしたか知ってるか? てめえらが食った女の子たちは怖くて怖くてションベンどころか糞も漏らしたろうな」

 

 シャベルの刃を立て振り上げる。

 あとは俺の肝を抜いて食いやがった憎たらしいゴブリンプリンセスの頭頂部にこれを叩きつけるだけだ。

 

「じゃあ、死ね!」

 

 ゴブリンプリンセスの脳天めがけて、俺はシャベルを振り下ろす。

 

「そこまでです!」

 

 逆らいようのない、絶対命令に俺の体が凍りついた。

 シャベルはその刃をあと数センチでゴブリンプリンセスの頭蓋に叩きつけられるというところで停止した。

 俺の意思でこれをやろうとしても絶対無理だ。勢いってのがあるからな。絶対止められない。

 だが、女神の一声はそれを可能にした。

 ゴブリンプリンセスはまたもやその命を救われたのだった。

 

「ハジメさん、もう、やめてあげましょう」

 

 生命の女神イフェがゴブリンプリンセスの背後にフワリと降り立つ。

 その頭蓋まであと数センチに迫ったところで停止したシャベルの刃をつまんで横にずらし、ゴブリンプリンセスの頭を指先で軽く突いた。

 

「ゲッ!」

 

 短く一声叫んで、ゴブリンプリンセスが昏倒する。

 女神イフェはそれを抱きかかえると俺に向き直り微笑んだ。

 

「戻りましょうハジメさん。せっかくの宴を血で穢すことはありません」

 

 女神様のその言葉に、ぷしゅうぅっと、僕の体の穴という穴から何かが抜けていく。

 まるで戦闘を終え、ダクトから噴気を排出する人型兵器になった気分だ。

 

「そうですね、イフェ様」

 

『全ての命を等しく見守り育む女神様』に僕は頭を垂れる。

 僕のレバーを恍惚の表情を浮かべて食べてくれたゴブリンプリンセスは、女神様の腕の中でスヤスヤと寝息を立てていた。




お読みいただきありがとうございます。


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第90話 あ、あ、あの…これって?

「皆がハジメさんがいないことに気がついて探し始めましたよ。戻りましょう。この娘については後ほどお話しましょう」

 

「はあッ!」

 

 僕は大きく溜息をついた。

 

「エフィ・ドゥ、ありがとう。もう大丈夫ですよ」

 

 イフェ様が僕の後に向かってウィンクを飛ばした。

 

「はあああッ! 一時はどうなるかと……」

 

 振り向くと、気が抜けてヘナヘナとへたり込むエフィさんがいた。

 きっと、僕とゴブリンプリンセスの周りに結界を張って、闘っている音がみんなに聞こえないようにしてくれてたんだな。

 僕はエフィさんに駆け寄る。

 

「ごめんね、ウィルマ! 余計な手間をかけさせた」

「いえいえ、大事に至らず重畳でございます」

 

 そう言って、少し青ざめた顔でエフィさんが微笑んだ。

 しまったな、だいぶ心配をかけたみたいだ。

 ……っと、青いエフィさんの顔色がみるみる真っ白になっていく。

 そしてバタバタと腕だけでコモドオオトカゲのような速度で匍匐前進して自称使徒イェフさんに這いより縋りついた。

 

「しッ…、し、し、し、使徒イェフ・ゼルフォ、ッ! ちょ、ちょ、今しばしお待ちを!」

 

 ゼーゼマン邸の裏口から中に入ろうとした自称生命の女神の使徒イェフさんをひきとめる。

 

「あら、どうしたのエフィ・ドゥ? そんなに慌てて」

 

 振り向いた自称使徒イェフさんの腕に抱かれているゴブリンプリンセスの右腕がだらりと垂れ下がる。

 その手は中指と薬指の間が手首まで切り裂かれ、水鉄砲が仕込んであるみたいにビュッビュッと青い液体を飛び散らせている。

 って、動脈出血だよねそれ。

 

「使徒イェフ! そのゴブリンプリンセスでございますが、そのまま連れて行っては騒ぎになるのではないかと!」

 

 たしかに、手のひらを手首まで切り裂かれて、青い血を流している女の子を、ゴブリンの巣穴から助け出された女の子たちの目に触れさせるのはどうだろうかと思う。

 

「あッ! あらあら、そうだわ!」

 

 エフィさんに指摘され、自称使徒イェフさんは、たった今気がついたというような間の抜けた顔をつくった。

 

「あら、あら、あらぁッ! ごめんなさいッ! 気がつきませんでした! エフィ・ドゥ、ありがとう。あと、ちょっとお願いできますか?」

 

 そう言って、自称使徒イェフさんがゴブリンプリンセスをエフィさんに抱かせる。その右手をとって、両手で傷口をあわせて目を閉じなにごとかをつぶやいた。

 イェフさんの両手に包まれたゴブリンプリンセスの手が淡い緑の光を放ち始める。

 

「おお……ッ、ああ、なんと、なんと!」

 

 エフィさんがうっすらと涙を浮かべ感嘆する。

 僕はビデオの逆再生を見ているような錯覚をおぼえる。『俺』が切り裂いたはずのゴブリンプリンセスの右手が傷口の一番奥側の手首の方からつながり始め、ついには、何もなかったかのようにきれいにふさがったのだった。

 

「これで……いいかしら、エフィ・ドゥ?」

 

 ゴブリンプリンセスの右手を持ってエフィさんに示しながら、自称使徒イェフさんがエフィさんにウィンクをする。

 

「は、はい、これで何も問題ないかと……、あとは、この娘が気絶している理由でございますが……」

 

 耳まで真っ赤にしてエフィさんが答える。憧れのアイドルに話しかけられた女子中学生みたいだ。

 鼻血を噴いて失神しなきゃいいけど。

 

「うろついているうちにうっかり外に出て、辻馬車にはねられそうになったってのはどうでしょうか?」

 

 ため息まじりに僕は提案する。

 何でため息がまじっているかというと、僕はゴブリンプリンセスを生かしておくつもりがなかったからだ。

 だけど、女神イフェは僕がゴブリンプリンセスを殺すことを良しとしなかった。

 イフェ様にとってはすべての命が等しく平等だ。

 生存競争を見守るということはしても、何かに肩入れするということはないはずだ。

 人間がゴブリンを殺す、ゴブリンが人間を喰らうということは生存競争の範疇のはずだから、イフェ様がどちらかに肩入れするということはないはずだ。

 そんなイフェ様が『俺』がゴブリンプリンセスを殺すのを止めたということは、そこに何かワケがあるはずだと僕は思っている。

 だから、ため息まじりにだが、ゴブリンプリンセスを生かしておくことに賛同せざるを得ないのだった。

 

「じゃあ、それで」

 

 エフィさんからゴブリンプリンセスを受け取り、悪戯を仕掛けた女児のような笑みを自称使徒イェフさんが浮かべる。

 僕の肝臓を食べてくれやがったゴブリンプリンセスは、その邪悪な本性をほんのひとかけらも見せない天使としかいえないような顔ですやすやと眠っている。

 

「ん?」

 

 その寝顔に僕は違和感を感じた。

 

「うふふッ」

 

 自称使徒イェフさんが悪戯が成功した女児のような笑顔を僕に向ける。

 じっと、ゴブリンプリンセスを見つめる。まちがいさがしをするようにだ。

 ゴブリンプリンセスが僕に与えた違和感の正体はその肌の色だった。

 あんまりにあからさますぎてかえって気がつかなかった。

 さっきまでのゴブリンプリンセスの肌の色は、今頃ゼーゼマン邸の裏庭で一緒にゴブリンの巣穴から助け出された少女たちとBBQに舌鼓を打っているであろう二人のエルフ少女たちとおなじものだった。

 つまり、中身がゴブリンというだけの見かけはエルフそのものだった。

 だが、今、女神イフェの腕の中で寝息をたてているのは褐色の肌のエルフ……ダークエルフの幼子なのだった。

 

「あ、あ、あの…これって?」

「な、な、なんと?」

 

 僕とエフィさんはそれをいうだけで精一杯で、あとは口をだらしなく開けっ放しにするしかできない。

 

「それは、のちほどゆっくりとお話ししましょう」

 

 咲いては光の粒子となって消える見たこともない花を咲き乱れさせ、自称使徒イェフさんが笑い、ゼーゼマン邸の裏門から邸内に入ってゆく。

 僕とエフィさんは慌ててそれを追いかける。

 

 いつの間にかグリューブルム王国東方辺境最大の街ヴェルモンに、夜の帳がそっと下りていた。




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第91話 珍しい酒なんかよりも人間にとって価値があるものが僕の目の前でおしゃべりに花を咲かせている件について

 宴はすでに終わり夜も更けて、曰くお祭りのときでさえ食べたことのないご馳走でお腹を満たした少女たちは、かつてゼーゼマン家の使用人たちが使っていた部屋の暖かいベッドで寝息を立てている。

 サラお嬢様も、ここ数日の魔法大放出で疲れたのだろう、少女たちが全員眠ったのを見届けて応接室に来るやいなやソファーに倒れこみ寝息を立て始めた。

 ちなみにサラお嬢様以外にこの部屋ではもう一人すやすやと眠っている娘がいる。

 それは、ついさっきまで人間の仇敵ゴブリンを統べるゴブリンプリンセスだった、ダークエルフの幼女だった。

 

「サラお嬢様大活躍でしたからね。いずれ、日を改めて何か精のつくものを食べていただきましょう」

 

「ハジメさん! お嬢様がついてます! それに敬語になってます!」

 

 ヴィオレッタお嬢様が頬を膨らませる。

 

「あ、ごめんなさいヴィオレ、つい」

 

「もうッ! いいかげんに私たちのこと同じ仲間として見てください」

 

 そうは言っても、やっぱり僕にとって、ヴィオレッタ様はヴィオレッタお嬢様だし、サラ様だってサラお嬢様だ。

 表面上はヴィオレ、サラと呼んでも心の中ではいまだにヴィオレッタお嬢様にサラお嬢様とお呼びしている。

 こればっかりはどうしようもない。僕はそんなに図々しくはなれないんだ。

 

「さあ、さあ、宴の第二部開幕だ」

 

 ルーデルがとりなすように酒を満たした杯を掲げる。

 

「そ、そうだよ! 今は、僕らの任務完了を祝おうよ」

 

 僕も慌てて日本酒を満たしたゴブレットをかざす。

 

「救出クエスト達成に乾杯!」

 

「「「いいぞ! かんぱーい!」」」

 

 今日何回目かの乾杯だろうか。

 ゼーゼマン邸の広い応接室では皆がくつろいだ姿で杯を重ねていた。

 テーブルの上には宴の余りの料理とエール、ワインにミードそして日本酒の酒壺に果汁の壺が並んでいる。

 思い思いに料理をつまみながら好きな酒を飲むというスタイルだ。

 だが当然といえば当然だが、人気は日本酒に集中していた。

 

「はあっ! ほんと、お口の中で妖精がポルカを踊っているみたいです」

 

 機嫌を直したヴィオレッタお嬢様が、ほうっとため息をついて、うっとりと杯の中の薄く黄色がかった異国の酒を眺める。

 

「ぷはあっ! まったくだ! 妖精のポルカたぁ、よく言ったもんだ。リューダぁ、ここ何百年かで最高のたとえだぜぇ」

 

 さらりとおっかない年月を出しながら、ルーデルが日本酒の味を賞賛したリュドミラのたとえを称えた。

 

「いやあ! まったくだね! こんな酒があるなんて知らなかったんだね」

 

 ヴェルモンの街最大の古物商会のオドノ社長が目を見開いて驚嘆している。

 

「ほう! すべてを見通す者が知らないものとは! なんと面妖な」

 

「さすがの僕だって、存在を認識していないところのことは見通せないんだね」

 

 自称使徒エーティル様のツッコミにオドノ社長が自嘲する。何気にものすごいことを言っているような気がするけれど、それには気がついてないことにしよう。

 

「ではやはり……」

 

 自称使徒イェフ様が遥か遠くを眺めるような目をする。

 

「そうだね。大ヴラール山脈の向こうに我らを認知していない人々が暮らしているに違いないんだね」

 

「では、台下が以前おっしゃった大陸の東の果てから海を渡った先にある島国……」

 

「うむ、どうやら、その可能性が高いようだの」

 

 エフィさんが僕が元いた世界の日本の位置にあるかもしれない国の存在の可能性をほのめかし、冥界の主宰神ミリュヘ様が三回目のお代わりをしたアイスクリンの匙を舐めながら肯定する。

 

「すごいわ、大陸を縦断するヴラール大盾山脈を越えての探検なんてトリプルSクラスより上のクエストになるわね」

 

「でも、そんなクエスト、誰が依頼してくれます? 国王様ぐらいじゃないと、報酬と必要経費出せませんよ」

 

「だったら、南回り航路みたいに国家事業として、Sクラスより上の冒険者に連隊規模の探検隊を率いさせると思うのだけれど?」

 

「へへへッ! じゃあ、あたいらが行くか? 大ヴラール越えかぁ……いいねえ!」

 

「大ヴラールのお山の上って雪が積もらないくらい風が強くて、真冬より寒いって聞いたことがあります」

 

「わたしたちのことを知らない人々が、私たちが知らない神を奉じているのでしょうか?」

 

「そこの者が死んだ後に魂がどこへ行くのであろうか? 少なくとも今においては妾のところへは大ヴラールからこちらの人間しか来ておらぬが」

 

「はっははぁ! 我の他にも大地を司る神がいるのであろうか?」

 

 神様方も含めて未知の場所への冒険ににわかに場が熱を帯びてゆく。

 ああ、女神様たちってば、もう、自称使徒様の看板下ろしちゃってるし。

 未知への熱病にも似た憧れに、今僕らの杯を満たしている『妖精のポルカ』がかなり手を貸していることは否めない。

 

「それにしても、イェフ様、この酒樽はどうされたんですか?」

 

 僕の目がものすごく悪くなっていなければ、ヤトゥさんのタジャ商会の倉庫にあるはずの日本酒の四斗樽が蛇口を取り付けられ、応接室のかなり目立つ位置に据えられた台座の上に鎮座していた。

 

「うふふ、さっき、使徒エーティル・レアシオといっしょに、ヤトゥさん……でしたっけ? その方のお店の倉庫に行ってきまして……」

 

「ああ、拝借してきたんだ。もちろん代価は置いてきたよ」

 

 あ、また自称使徒の看板掲げましたよこの方々。

 自称使徒エーティル様がおっしゃるには、大地母神ルーティエと生命の女神イフェ、そして、冥界の主宰神ミリュヘの加護(中)が込められた護符と、僕らがヤトゥさんからもらってきた一升分くらいの壺に一杯分の日本酒をとりわけて置いて来たのだそうだ。

 四斗樽が一升壺にいつの間にかすり替わっていたなんて、ヤトゥさんは仰天するだろうな。

 

「我等三柱の連名の護符の方が、人間の王には珍しい酒などよりもよっぽど価値があるんじゃないかなぁ」

 

「ひと壺分とはいえ、お酒も残してきましたし」

 

「妾たちの三柱の連名護符とこの酒ひと壺とは、この国の王なんぞにはぜいたく極まりないことよの」

 

 ミリュヘ様がアイスクリンを、また、ひと匙口に入れてのたまった。

 

「そうそう、ヴェルモン教区総主教ティエイル・シャーリーンに神託降ろしといたから、いまごろはヤトゥ・ヴィーテルドゥムのところに教区の教団幹部を引き連れて、奇跡の認定でもしに行ってるころじゃないかなぁ」

 

 自称使徒エーティル様が、何百年かに一遍くらいあるかないかのことを、三時のおやつのような気軽さで言ってのけた。

 

 それにしても、この数日間、この辺境の街でいくつの奇跡が起きているのかを思い出して僕は眩暈がしてきたのだった。




御愛読誠にありがとうございます


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第92話 ゴブリンとかにとって僕は河豚みたいな存在らしい

「何から話しましょうか……」

 

 自称女神イフェの使徒様が日本酒が入った杯を傾け、ゆっくりと話し始める。

 その場の地上世界の住人は、皆、使徒様が紡ぐ言葉を聞き逃すまいと、息を殺して耳を澄ましていた。

 ここ数日、ヴェルモンの街で立て続けに起きまくっている奇跡のうち、最新の奇跡が女神イフェの膝でスヤスヤと寝息を立てている。

 そのダークエルフの幼子のプラチナブロンドを、イフェ様が杯を持っていない方の手で梳いている。

 その瞳はお昼寝をしている幼いわが子に向ける慈母のそれだった。

 

「そもそもこの世界に遍く存在し、人間はもとより亜人をも含めたヒト種の天敵とも言える魔物とかモンスターと呼ばれる存在はどこからきたのか?」

 

 女神イフェはそう切り出した。

 

「この世界には、ハジメさんがいらした世界ではあまり知る人のない魔素……マナと呼ばれる……ハジメさんに理解しやすい言葉で言うところの…そうですね、一種のエネルギーが、そこかしこに満ちています。その存在が広く知られ、使う術が古より連綿と伝えられてきました。ですからこの世界では魔法が発達しているのです。そして、マナは魔法だけではなく、ヒト種を始めとするあらゆる生き物の生態にも影響を及ぼしているのです」

 

「モンスターや魔物と呼ばれる生き物たちは、野山や森に町や村にいる生き物……、犬や猫、鼠。猪や熊に鹿、狼などの動物や、蟲に似ているだろう? 普通に存在している生き物と全く似ていないモンスターのほうが珍しい。それは、魔物やモンスターと呼ばれる存在が普通の生き物が魔素…マナに影響を及ぼされ、姿や能力を変質させたものだからなんだよ」

 

 使徒イェフ様の言葉を使徒エーティル様が繋ぐ。

 

「そう、魔素に影響されたヒトや獣、蟲が、長い年月をかけ代を重ねた結果、魔物…モンスターへと変質したのじゃ」

 

 そして、使徒ヘミリュ様が締めくくった。

 

「で、では、ゴブリンは……、もともとヒトだったというのですか?」

 

 魔物という生き物の成り立ちを知ったヴィオレッタお嬢様が、人間の脅威であるゴブリンの素となった生き物に考えが及び、震える声でつぶやいた。

 そのつぶやきに自称使徒イェフ様が噛んで含ませるように答える。

 

「こと、ゴブリンやオーガといった悪鬼と呼ばれるモンスターはヒト種や猿が何代にもわたって魔素と穢れに曝され変質したものなのです。今ではもう、二足歩行ということにしかヒト種であったころの名残はとどめていません。もはや完全に別の存在です」

 

「マナと穢れ……でございますか……」

 

「穢れ……」

 

 エフィさんが反芻してこめかみを押さえ、ヴィオレッタお嬢様は酒盃をあおる。

 僕は女神様の膝枕なんていう身の程をわきまえない贅沢至極な状況にある元ゴブリンプリンセスを見下ろした。

 

「これは……この子は、本当に稀なのですよ。先ほどハジメさんと戦ったこの子の怪我を『わたし』が手当てをいたしました。ちなみに、わたし達が使う回復魔法には、祝福や加護がもれなくついています」

 

「ハジメ君の世界で言うところの応募者全員プレゼントってやつだね」

 

「妾たちが地上の生き物に回復魔法なんぞを使うこと自体が、まず、ありえないことであるからの。それくらいのオマケはよかろう」

 

 ってことは、この、ゴブリンから、ダークエルフへの普通はありえない種族チェンジは、女神イフェの回復魔法にオマケでついてきた女神イフェの祝福の産物ってことなのか?

 

「ええ、そうなのです。わたしの回復魔法に付与されている祝福で穢れが落ちて、ゴブリンであった部分がその存在を維持できなくなったのです」

 

 僕の心内を読んだ自称使徒様が答えてくれる。

 

「ダークエルフの祖は神が祝福を与え、穢れが落ちたヒト種起源の魔物なんだよ。エルフが穢れてダークエルフになったわけじゃない」

 

「で、あるから、エルフはダークエルフを忌み嫌い、敵視するわけなのじゃ。元は同じなのにのう」

 

 そこで僕はひとつの疑問が残った。

 それは、なぜ、女神イフェが、ゴブリンプリンセスに回復魔法をかけたのか? いや、そもそも、なぜ、僕がゴブリンプリンセスを殺そうとしたのを止めたのか?

 ヒト種の生存を脅かすゴブリンを大量発生させる可能性のあるゴブリンプリンセスをだ。

 生命の女神イフェは全ての生命に平等なはずで生存競争はただ見守るしかないはずだ。

 そして、僕とゴブリンプリンセスの闘争は生存競争の範疇のはずだから、通常ならばあそこで女神イフェが僕とゴブリンプリンセスの戦いに割って入ることはしないはずだ。

 

「それはね、ハジメさん。この子があなたの眷属となったからです」

 

「「「「「「ええええええええッ!」」」」」」

 

 自称生命の女神イフェの使徒様の爆弾発言に、自称使徒様方とルーデル、リュドミラ、オドノ社長、ゲリさん、フレキさん以外がぶったまげて寝た子を起こすような大声をあげた。

 幸い、ここから使用人の寝室は遠いから女の子たちがびっくりしてベッドから転げ落ちることはないだろう。

 

「どっどどどどどど、どういうことですか? 僕の眷属って!?」

 

「あら? ハジメさん、あなた、この子に自分の血肉を分け与えたじゃありませんか」

 

「あ……」

 

 右わき腹がツキンと痛む。

 ゴブリンプリンセスに抜き手を見舞われ生き肝を抜かれたときの痛みが甦った。

 あれを分け与えたなんていうのは語弊が過ぎる。あれは強奪されたっていうんじゃないか?

 

「わたし、初めはハジメさんからこの子を引き取り、人間が寄り付かない深山幽谷の清浄な気と魔素が尽きることなく湧き出す場所に庵を結んで住まわせるつもりだったのです。そうすれば、ハジメさんがゴブリンプリンスの願いをかなえることにもなりますし、わたしが祝福を与えずとも、この子の寿命のうち半分くらいの時間をそこで過ごせば穢れも徐々に落ちてゆくだろうと思ったのです……」

 

 僕だって、ゴブリンプリンスがいまわのきわに僕に託したプリンセス命をどうにかできないだろうかと思っていた。

 できればここで静かに暮らさせてやりたいと思っていた。

 だが、プリンセスはここから逃げ出そうとした。

 おそらくはそれは、ゴブリンとしての本能に根ざした行動だろう。

 僕にはそれを看過することができなかった。

 今回は連れ戻せても、いずれ連れ戻せなくなるかもしれない。そうしたら、またこいつは森に入ってゴブリンどもを量産する女王蟻のようなものになるかもしれない。

 それは、ヒトにとってとんでもない脅威となるだろう。

 最悪大規模なゴブリンパレードを引き起こすかもしれない。

 今度はそれを防げないかもしれない。

 さっき、ゴブリンプリンセスがお屋敷から逃げ出したときに僕はそのことに思い至り、プリンスとの約束を違える決断をしたのだった。

 

「ハジメさんとこの子が戦い始めたとき、それもまたいたし方のないことだと思いました。ここで命脈が断たれるなら、生存競争の上でのこと、生き残れないならばそこまでだと。ただ、この子は知ってか知らずかハジメさんの生き肝を喰らいました。ハジメさんの血肉はそのすべてが女神イフェに祝福されているのです。穢れをまとったものには神の祝福は猛毒です。体を維持できなくなって瞬時に崩壊してしまうはずなのです」

 

 じゃあ、ゴブリンプリンセスは僕の生き肝を食った瞬間に体が崩壊して塵と消えているはずだった?

 

「ああ、そうなんだ。それが穢れをまとった魔物の普通なんだよ」

 

「稀有なことではあるが、あるのじゃのう。穢れをまとっているはずなのに、なぜだか神々の祝福を受け止められるものが」

 

 自称使徒様方が自称使徒イェフ様の言葉に追従する。

 

「ハジメさんの肝を喰らって平気でいられたこの子は、あの時点でハジメさんの眷属となっていたのです。いわば、この子はハジメさんの娘みたいなものです。ハジメさんはわたしの眷属ですからこの子はヒトの世界で言うところのわたしの孫のような存在となったのです」

 

 って、僕はまだ子供ができるようなことしたこともないのに、いきなり娘ができちゃったぞ。

 子宝に恵まれる前にその前段階を是非とも踏みたかったぞ。僕だって健康な男子だし、前世の僕はああいう状態だったから諦めてたけど……。

 

「我々はね、血族同士の殺し合いを黙って見ていられるほど、超越してはいないのだよ」

 

 使徒エーティル様が四斗樽の下部に付けられた蛇口の木栓をひねって杯に日本酒を満たす。

 そして、エーティル様の言葉を繋いで、使徒ヘミリュ様がアイスクリンの匙を咥えてのたまった。

 

「で、あるから使徒イェフは貴様とゴブリンプリンセスの戦いを止めたのじゃ」

 

 なるほど、穢れた魔素に影響されて魔物になったゴブリンなんかから穢れを落とせば、普通の生き物に先祖返りする。

 だが、穢れた魔素に影響された魔物にとって神の祝福は肉体が塵となるくらいの猛毒だ。

 だから使徒イェフ様は深山幽谷にゴブリンプリンセスを連れて行き、清浄な魔素に長い年月をかけてあて続けて普通のエルフに戻そうと思っていたわけか。

 だけど逃げ出そうとして僕との戦闘になり、なぜだか猛毒であるはずの僕の肝を食って平気だったから、女神自ら祝福を与えて瞬時に先祖返りさせた。

 ただ、魔物だった名残がダークエルフという種族として残ったということか。

 それにしても、血を分けて眷族を増やすなんて、なんか吸血鬼みたなスキルだな。

 おまけに、穢れをまとった魔物にとって、僕の血肉が有毒なんて、まるで河豚みたいな……。

 

「うふふ、ハジメさん、血や肉を分け与えるだけではなく、他にも眷族を増やす方法があるのですよ」

 

 あからさまに頬を上気させ、瞳を潤ませて自称使徒イェフ様が囁く。

 その、おそらくは恥じらいに紅く染まった頬に、僕は、自称使徒イェフさんが言うところの眷族を増やす方法に思い至り、かっと耳が熱くなる。

 なんてこった、こういうときはやたらに察しがいいぞ僕!

 

「い、いや、その、それは……」

 

 僕が赤面して口ごもった瞬間、ヴィオレッタお嬢様の怒声が僕の鼓膜を揺さぶった。

 

「ハジメしゃんっ! どーゆーことれふかっ! ゴブリンプリンセスと戦ったでひゅって? 生き肝食われたでしゅってっ! わらひがみへいないところれあなたは何をしているんでしゅか!」

 

 その黒板を引っかくようなお声の方に振り向くと、そこにはオーガキングも裸足で逃げ出しそうな形相で僕をにらみつけるヴィオレッタお嬢様の真っ赤なご尊顔があったのだった。




毎度御愛読ありがとうございます。
今回は第87話~第92話まで投稿いたしました。


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第93話 新しいダークエルフの氏族は森ではなく街中で興った件

たいへん長らくお待たせいたしました。


「か、神よ! 僭越ながら神よ、この身にそのダークエルフとなった子を育てさせてはいただけないだろうか」

 

 それまで静かに飲んでいた冒険者ギルドヴェルモンの街支部ギルドマスターのシムナさんが、自称生命の女神の使徒イェフ様の足元にひれ伏していた。

 ちなみに、酔っ払った勢いで僕に絡みまくったヴィオレ様は僕の太ももにその頭を乗せてあられもない寝顔を晒している。

 でも、お嬢様が僕のことをものすごく心配してくれてたことがうれしくて、口の端が自然とあがってしまう。

 

「ふむ、シルッカ・ミェリキよ、君がこの子の育み役となると?」

 

 自称大地母神ルーティエの使徒エーティル様が尋ねる。

 

「わが氏族の神よあなたならわかってくださるのではないか? わが氏族の祖に祝福をお与えになったなったあなたなら」

 

 え? ってことは、シムナさんのご先祖さまって、大地母神ルーティエの祝福でダークエルフになったんだ。

 

「ふふ、なつかしいなぁ。あの時も……そうだ、ちょうどこんな風だったね。時の女神グリシンが招いた勇者がオーガの氏族ひとつをまるごと殲滅したことがあってね、勇者は、その氏族最後の生き残りのオーガプリンセスを不憫に思ったんだろう。元の世界から持ってきて大事にとっておいた甘くて柔らかでほんのり乳の香りがする飴の最後の一粒をわたしの祠に供物として捧げて祈ったんだ。うん、あれはうまかったなあ」

 

 なんと、シムナさんのご先祖様って、キャラメルと引き換えに祝福を得たのか……。

 ええっと、キャラメルの作り方ってどうだったっけ。

 そうだ、基本的に加糖練乳と同じだった。たしか、練乳をさらに煮詰めていくんじゃなかったかな? んで、茶色になったところでバットに流し込んで冷やしたら出来上がりだったような……。あと、バターを入れるってレシピもあったような気がする。明日にでもやってみよう。

 

「うん、そうだ。カルヤラの谷の君の氏族の祖に祝福を与えたのは我だ。そうか、君がこの子を育み役となるというのか。ではこの子が祖となる氏族の名と森、それと名を与えるとしよう」

 

「ふん、東の森……シュバルツヴァルトは既にエルフが居る…南の森……ヴァルトブリーゼには居らぬの、ではその娘の新しい氏族は南の森ヴァルトブリーゼをその住処とするがよかろう。南の森……ヴァルトブリーゼのエルフの氏を与えようぞ」

 

 と、ミリュヘ様。

 

「まあ、ミリュヘあなたが氏神になってくれるの?」

 

 と、イフェ様が微笑む。

 

「ええ、お姉様、妾もその一柱となりましょう。ですが、主たる氏神はイフェお姉様がふさわしい」

 

「たしかにな、この娘に祝福を与えたのはイフェであるからな」

 

「はい、では、わたくしがこの娘の氏族の主たる氏神となりましょう。うふふ、わたくし実は初めてです。ワクワクです。では、この娘の氏はそよ風の森のエルフ、名は……名は……」

 

 そこまで言ってイフェ様は僕を見つめる。

 

『先ほども申しましたが、この子はあなたの眷属……いわば娘なのです。父たるあなたが名を与えるべきでしょう』

 

 頭の中に直接イフェ様の声が響く。

 僕はため息をつきつつ目を閉じる。

 ふっと、あるイメージがまぶたの裏に鮮やかに像を結んだ。

 天空を馬で駆ける戦装束の乙女……。

 

「僕が元いた世界の、戦死した戦士の魂を天上へと導く九人の乙女の中の一人の名ではどうでしょう? 戦士は皆、彼女らに魂を天上へと導かれることを望んだと伝えられています」

 

「妾はよいと思う」

 

「うむ、我もよいと思う」

 

「はい、わたくしに異存があろうはずがありません」

 

 三柱の女神様方が微笑み、咲いては光の粒子となって消える花を咲き乱れさせうなずく。

 ああ、もう、この場ではそれぞれの使徒と言う仮初の身分を騙るのはやめることにしたんですね。

 まあ、この場には、お三方が女神様であるってことを知っている者しかいないわけだから、仮初を騙ったところでいまさらだけど。

 

「神よ! 神々よ! 再び僭越ながら神々よ! どうかこの身の一族の姓をこの子に名乗らせてはいただけないだろうか!」

 

 再びシムナさんがひれ伏し願い出る。

 

「シルッカ・ミェリキ・カルヤラよ、ミェリキの姓をこの娘に与えると? それは、この子の育み役というだけではなくなってくるのだよ。氏族の始祖の母というとても重い役を務めることにもなるのだよ」

 

 ルーティエ様が辺りに花を咲き乱れさせる。

 

「はい、わかっております!」

 

 シムナさんが眦を決して応える。この世界に名前を継がせるということにどんなルールがあるのかはわからないが、相当な決心をもって臨むことなのだということは、シムナさんの青褪めた顔色が物語っている。

 

「人に滅ぼされし最後のカルヤラの谷の民よ、エルフの新しき氏族の氏母となろうというか? それは、お前にとって必ずしも軽い荷物ではないということを……ああ、わかっておるのだろうな」

 

 ミリュヘ様がシムナさんに何かを忠告をしようとして言葉を切り瞑目した。

 

「では、この子の氏族の神話はこうしましょう」

 

 イフェ様が花を咲き乱れさせる。

 

「東の森……シュヴァルツヴァルトで穢れに落ちたエルフがわたくしの使徒に討伐された。最後の生き残りの娘を哀れに思ったわたくしの使徒が祈り、わたしの祝福を得て娘から穢れが落ちた。その娘を流浪の最後のカルヤラの民が引き取り育て、三女神に示されたそよ風の森の奥で新たな氏族を建てた」

 

「いいねそれ。それでいこう」

 

「うむ、よき神話じゃ」

 

「はい、我が一族に伝わる神話とそっくりです」

 

 シムナさんが涙ぐんでいる。

 そうか、この、元ゴブリンプリンセスのダークエルフに自分の姓を名乗らせるということは、滅ぼされたシムナさんの氏族を再興するということにもなるのか。

 

「では、ハジメさんこの子に名を与えてください」

 

 この場のすべての視線が僕に集まる。

 なんか、ものすごく緊張する。

 大きく息を吸い込んで、僕はゴブリンプリンセスから新しいダークエルフの氏族の祖となった女の子の名を告げる。

 

「僕は、この娘にブリュンヒルデの名を与えます。どうかこの娘の氏族が永く永く続きますように」

 

「我、最後のカルヤラの谷の民シルッカ、ブリュンヒルデに我が一族の姓ミェリキを与える。カルヤラの谷のミェリキの姓がそよ風の森で栄えますように」

 

 僕の命名にシムナさんが続いた。

 そして、女神様方が、口々にブリュンヒルデを寿ぐ。

 

「ダークエルフ、ヴァルトブリーゼ氏族の始祖ブリュンヒルデ・ミェリキに氏族主神、生命の女神イフェが祝福を与えます」

 

「ブリュンヒルデ・ミェリキ・ヴァルトブリーゼに大地母神ルーティエが祝福を与えよう」

 

「ブリュンヒルデ・ミェリキ・ヴァルトブリーゼに冥界の主宰神ミリュヘが祝福を与える」

 

 それは、東方辺境の街ヴェルモンの小高い丘の上にあるゼーゼマン商会のお屋敷の応接室で、ヴェルモンの街の南の森ヴァルトブリーゼに里を興すこととなるダークエルフの一族の祖が誕生した瞬間だった。

 

「いいねいいね! 三柱もの女神が同時に会して祝福を与えるなんて前代未聞なんだね。そんな繁栄が約束された新たなるエルフの氏族の誕生に立ち会えるなんて稀有な体験なんだね。いやあ、いい物を見せてもらったんだね!」

 

 オドノ社長が拍手して喜んでいる。

 勝手にワルキューレの名前を使って怒られないかとビクビクもんだったけど大丈夫みたいだ。

 ってか、オドノ社長が僕が元いた世界のあの方だとは限らないんだけど。

 

「珍しい酒と旨い料理に、こんないいものを見せてもらえただけで、今回、助っ人に出てきた甲斐があるってもんなんだね」

 

「へえ、じゃあ、あたいが持ってる槍をくれてやるって話は無しでいいんだな?」

 

 ルーデルがにやりと笑い日本酒が満たされていた杯を空にする。

 

「あら、そういうことならわたしが持っている角笛を譲る話も無しでいいと思うのだけれど?」

 

 リュドミラも意地の悪そうな笑みを浮かべゴブレットを傾ける。

 

「ふん……」

 

 オドノ社長が口角を吊り上げ鼻を鳴らす。

 

「そうだね、そいつらは、まだ君らに預けておくとするんだね。馬車を出したくらいで取り戻そうなんて端から考えてなかったんだね」

 

 そう言って、オドノ社長は呵呵大笑して杯を空にした。

 

「そうそう!」

 

 女神イフェがポンと手を打った。

 

「この娘が大人になって年頃になったら婿を迎えなくてはいけませんね。一族を栄えさせなくてはいけませんから、大勢の子をなしてもらわなくては……。婿の第一候補はハジメさんがふさわしいでしょう」

 

 女神様の爆弾発言に僕は凍りついたのだった。




毎度御愛読誠にありがとうございます。


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第94話 ゼーゼマン邸の土地が正式にヴィオレッタ様の所有になったこと

「はい、真正の大金貨27枚、金貨2700枚分確かにいただきました」

 

 商人ギルドの最上階(といっても、三階建てだけど)の商人ギルドヴェルモン支部長室で、僕とヴィオレッタお嬢様、サラお嬢様は土地売買契約を終わらせた。

 元ゴブリンプリンセスのダークエルフが三女神様方から祝福され、新たなエルフの氏族の始祖となった日から三日が経っていた。

 ダークエルフとなった元ゴブリンプリンセスは養い親に立候補した冒険者ギルドヴェルモン支部のギルドマスターシムナのもとに引き取られ、ゴブリンの巣から助け出した少女たちのうち行く当てのない18人は、未だ落ち着き先が決まらず、ゼーゼマン邸で雑用をしながら起居していた。

 

「おめでとうございます! ハジメさん、これで、あの土地はあなたのものです。しかし、おどろきました。どうにかするだろうとは思ってましたけど、まさか、たった三日で金貨2700枚もの大金を作るとは。いやはや驚嘆に値します」

 

 僕はシャイロックから土地の権利書を受け取りながら答える。

 

「ええ、冒険者になった翌日にたまたまゴブリンの巣を一個つぶすことができて、翌日に大規模ゴブリンパレードが発生しそうになってたのを防ぐことができた結果です」

 

 本当は、それだけじゃ足りなかった。時間的余裕ありに分類された依頼申込書のクエストをまだ片付けてないから、金貨二千枚はまだ冒険者ギルドからもらっていない。

 実は、僕が持っていた二本のケニヒガブラの毒袋つき牙のうち、全く手をつけていない一本をオドノ商会に金貨一万五千枚で買ってもらってお金が用意できたのだった。

 燻煙麻酔薬『モルフェオの吐息』に使ったほうの牙は、固辞するエフィさんを押し切って彼女に進呈した。

 僕が持っているよりも遥かに有益に使ってくれるだろう。結果、きっと金貨一万枚以上の価値をもたらしてくれるに違いない。

 

「ああ、こないだはえらいさわぎでしいたね。この街周辺の村々からゴブリンに娘さんを攫われた人たちが、一族郎党引き連れてやって来て、あちこちで大宴会してましたからねぇ」

 

 シャイロックが肩をすくめた。

 

「ああ、そうだシャイロックさん、これの名義変更ってどこでやればいいんですかね」

 

「ハジメさん!」

 

「ハジメ!」

 

 ヴィオレッタ様とサラ様が僕を咎めるように叫ぶ。

 だけれども僕は、それに怯まず、シャイロックを見つめる。

 数瞬、尋ねた僕をシャイロックが呆けた顔で見つめてから慌てて手を胸に当てる。

 

「それなら今ここでできますが……」

 

「では、これの名義をヴィオレッタ・ゼーゼマン様に変えてください」

 

「だめだめ! だめですハジメさん! あなたは、わたしたちにどれだけ背負わせればいいんですか!」

 

「だめだよハジメ! その権利書はハジメの命と等価だよ! そんな価値のもの、わたしたちもらえないよ!」

 

 僕は、サラお嬢様の頭をなでながら視線をサラお嬢様の高さに下げる。

 

「サラ、この権利書を買ったお金はアイン・ヴィステフェルトさんが文字通り命と引き換えに得たものです」

 

「そうだよ、わたしとお姉ちゃんを助けるために……」

 

 サラお嬢様が目に涙をいっぱいにためる。ヴィオレッタお嬢様も鼻を真っ赤にして涙を流している。

 

「だから、彼の想いを遂げるために使うんです。彼は、お嬢様方を助けることができて満足してミリュヘ様の下へと旅立ったんです。これは冥界の主宰神ミリュヘの使徒ヘミリュ・セルピナ様から聞いたことですから本当のことです。ですから、ぼくなんかが勝手にしていいお金じゃないんです。お嬢様たちをお助けするためにこそ使うべきお金なんです」

 

「でもハジメ!」

 

「でもです! ハジメさん!」

 

 僕は人差し指をお嬢様方の唇に当てた。

 

「では、ハジメさん。名義変更は……」

 

「ええ、ヴィオレッタ・ゼーゼマン様にしてください」

 

 僕はシャイロックに向き直り答えた。

 

「本当にあなたはお人よしだ。頭に馬鹿がつくくらいの……ね」

 

 そうつぶやいたシャイロックのことを僕はあえて無視した。

 

 

 

 

「じゃあ、親方、そういうことでお願いします」

 

「おう任せときな!」

 

 商人ギルドからの帰り、僕は製麺所に立ち寄った。

 製麺所の親方にあるものを渡し、それを使って麺の生地を打ってもらう依頼をしたのだった。

 ヴィオレッタお嬢様とサラお嬢様には、商人ギルドから出たところで辻馬車を拾って、お屋敷に先に帰ってもらった。

 

「しかし、こんな物を混ぜて作る麺の依頼は初めてだぜ」

 

 親方は健康そうな白い歯を見せて笑った。

 

「本当に麺の形にしなくていいのか?」

 

 親方が大きな押し出し製麺機を指差す。

 練った生地をつめて押し出してスパゲッティを製造するヤツだ。

 元の世界では、断面が丸いパスタを作るでかい注射器みたいな押し出し製麺機が通販とかで売っていたっけ。

 

「ええ、生地を普通の麺の太さくらいの厚さに伸ばして畳んでくれれば大丈夫です。そこからは僕が麺の形に切っていきますから」

 

「なんだ、切り麺か。どれくらいの太さがいいんだ? 切っといてやるぜ」

 

 え? スパゲッティ以外も作れるのか?

 

「できるんですか?」

 

「おう、ウチは断面が丸いヤツだけじゃなくて四角いヤツに筒になってるヤツや、平たいヤツも作ってるからな」

 

 なんと、スパゲッティだけじゃなくてマカロニやフィットチーネも作ってるのか。

 

「じゃ、じゃあ、是非お願いします! 断面が真四角になるような感じで、これくらいの太さに!」

 

 僕は地面に二ミリ角の断面図を書いて一本あたりの長さを約10インチ(約25センチ)くらいに指示する。だいたいスパゲティとかのロングパスタのサイズだ。

 箸で食べるなら40センチくらいの長さがいいんだけれど、フォークで食べるとなるとこれくらいが適当な長さだ。

 これより長いとフォークで巻き取りきれない。

 アメリカのカ○プヌードルの麺の長さが日本で売ってるのよりも短いのと同じだ。

 そして一人前を5オンス(約140グラム)ぐらいで100個お願いした。

 

「まかせろ! 明日の昼過ぎまででいいんだな?」

 

「ええ、僕が取りにきますから! これは前金です。残り半分は明日取りに来たときに」

 

 僕は金貨一枚を取り出し親方に手渡す。

 

「前金? おいおい、こりゃもらいすぎだ。これだけで5オンスの玉、120個分にもなるぞ」

 

「初めてのものをお願いするので、面倒代です。今回はこの金額でで100個お願いします。さっきお渡しした材料が100個分くらいですから」

 

「わかった。その口ぶりだと俺の仕事次第で次があるってことだな」

 

「はい」

 

「うしっ! きっちり指示書通りのもん作っといてやる!」

 

「はいっ! お願いします!」

 

 製麺所を後にした僕は、これから取り組む料理のまだ揃っていない分の材料を集めに、市場へと向かった。




御愛読ありがとうございます。


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第95話 味付けしだいでチャーシューだってパンに合う(個人の感想です)

「お、お、おほほッ! うまぁッ!」

 

 口に入れた肉片を噛み締め僕は思わず叫んでしまった。

 製麺所の帰りに市場に寄って買い物をして帰ってきた僕は、早速、ある肉料理を作っていた。

 明日、製麺所に頼んできた特製の麺を使った料理に使う重要な具材だ。

 昼飯前のすきっ腹にはこの旨さは殺人的だ。

 

「う、うまッ! これ、うますぎだろ!」

 

 さすが5ウマウマのオーク肉だ。材料がいいと、どんな風に料理しても旨くなる。

 こないだのBBQも傑作だった。

 

「何ですか? どうしたんですかハジメさん!」

 

 大慌てで最初に厨房へと駆け込んできたのは、ヴィオレッタお嬢様。次いでサラお嬢様、ルーデル、リュドミラの順だった。

 エフィさんは、まだ行き場が決まっていない女の子たちに裏庭を使って読み書きと簡単な計算を教える青空教室を実施しているので、僕の叫び声は聞こえなかったようだ。

 この世界の識字率は、ものすごく低くいそうだ。

 商家に小僧奉公するときに、簡単な読み書きと二桁の足し算と引き算ができるというだけで手代候補生として扱われ、スタートの給金が段違いなんだと以前ヴィオレッタお嬢様が言っていたっけ。

 だから、行き先が決まって、ここから出て行くときまでに、少しでも読み書きそろばんを覚えておくことは、彼女たちにとってけっしてマイナスではないだろう。

 それにしても青空教室とは……ね。新しくしつらえた食堂のテーブルでやればいいのに……。

 どっかの国の戦後かよって。

 きっと、勉学する場所と食事の場所をきっちりと分ける習慣でもあるんだろう。

 

「す、すみません! 新しい料理が予想以上においしくできたので思わず叫んでしまいました」

 

 僕は頭を下げる。

 

「なんだって? 新しい料理?」

 

「それは、調理台のそれのことかしら?」

 

 ルーデルとリュドミラが目ざとく僕の新作に気がついた。

 新作といっても元の世界では当たり前にあった料理だ。

 

「うん、ルーにもらったオークの肉とタジャ商会のヤトゥさんにもらった調味料で作ったんだ。さすが5ウマウマだね。すごくおいしくできたよ。味見してみる?」

 

「ええ!」「うんっ!」「うまそうな肉料理だな」「あら、それはオークの腿の肉かしら? 煮込んだの?」

 

「そう、オークの腿肉を半刻ばかり茹でて、この調味料…醤油っていうんだけど、これにまた半刻漬けたんだ」

 

 僕が作ったのはウルトラ簡単お手軽チャーシューだった。

 通常チャーシューは表面を焼き固めて肉汁を閉じ込め、醤油ベースのタレで煮込むんだけど、お店で食べるような味にするには秘伝だらけの調理法で秘伝に作らなくちゃいけないので秘伝を伝授されていないと秘伝の味が出ないわけだ。

 んで、僕は元の世界のころからこの方法でチャーシューを作っているんだけれど、それがわずか2工程のシンプルなレシピで、グルメなエッセイも書いている漫画家のおっさんが、そのエッセイで紹介していた調理法だ。

 すなわち豚肉を茹でて醤油にぶちこむ。ただそれだけだ。

 たったそれだけで、秘伝のチャーシューが味わえるって寸法だ。

 このレシピのキモは醤油で、醤油が上等であればあるほど秘伝の味っぽくなっていくって寸法だ。

 そして、それを基にした僕の手順はこうだ。

 肉の塊をタコ糸で縛り形を整え、熱湯にぶち込む。このとき、長ねぎとつぶしたしょうがを入れてもいい。もちろん入れなくてもいい。

 原典では入れずにただ単に茹でることを強く推奨している。

 それを大体1時間くらい茹でる。200グラムよりも小さな塊だったら40分くらいでもいい。逆に大きな塊だったらもう少し長く茹でた方がいいだろう。

 茹で上がったら熱いうちになるべく上等な醤油に漬け込む。八角アニスシードや潰したニンニク、鷹の爪を入れてもいい。入れなくてももちろんオッケーだ。

 原典では醤油のみを推奨している。他の材料を入れたくなるのを我慢せよと説いている。僕は我慢できずにいろいろ入れちゃったクチだ。

 醤油に漬け込むこと40分から1時間。うっかり一晩漬け込んでも別段問題なく食べられる(個人の感想です)。若干しょっぱいかもしれないけど。

 

「さあ、どうぞ召し上がれ!」

 

 概ね5ミリ厚にスライスして小皿に並べ、爪楊枝を添える。歯に挟まった食べかすを除去するこの道具は、こちらの世界でもポピュラーなものらしく、雑貨屋で売っていた。

 こちらにも日本の江戸時代にいたような木を削って楊枝を作る職人がいるらしい。仕掛け人アサシンだったりして。

 みんなが楊枝に簡単チャーシューを突き刺して口に運ぶ。

 一瞬の沈黙、。皆が皆、全身を震わせ小刻みに足踏みを始めた。

 それが徐々に地響きのようにあたりを揺さぶってゆく

 

「まああッ!」

 

「うわあああッ!」

 

「うおッ!」

 

「あらあああッ!」

 

 四人が目を見開き、いっせいに感嘆する。

 

「「「「おーいしいいいッ!」」」」

 

 フレンズみたいなみんなの反応に、回れ右をして背中を丸め、僕はこっそりと、誰にも見えないようにガッツポーズを作った。

 

「さっきからいい匂いがすると思ってたら、こんなうめーもんつくってやがったのかよ!」

 

「しょうゆ? それをヤトゥが王家に持ち込んだところで、これほどに使いこなせる料理人が王宮にいるとは思えないのだけれど」

 

 まあ、僕が醤油の使い方を何かに書き付けて渡すという方法もあったんだろうけどね。

 醤油の樽を僕が開けたときに、ヤトゥさんは「鼻が曲がりそうな匂いだからいらない」って言ったんだ。

 だから、僕は醤油四斗(約72リットル)をありがたく(ウマウマと)いただけた(せしめた)わけだ。

 

「あーーーーーッ! みなさん、ずるいのでございますよ! 非才たちが青空の下でお勉強をしているときに密かに、そんな、そんなおいしそうなものをおおおおおおおおおおッ!」

 

「どうりでいい匂いがすると思ったぁ!」

 

「うんうん、このにおいだったんだねぇ! おいしそうだねぇ!」

 

 どうやらダリルをはじめとする 狼娘さんたちがチャーシューの匂いを嗅ぎつけ気もそぞろで字の書き取りに全く身が入っていなかったなっていたらしい。

 

「うわぁ! おいしそう」

 

「ご主人様がまたおいしそうなものを作ったって!」

 

「はあぅ! あんなおいしそうなお肉の塊、お祭りのときでも出てこないよ」

 

「さすがはご主人様なのです」

 

「でも、あれはあたしたちが食べられるものじゃないよ。きっと、ごりょうしゅさまにけんじょうするんだよ」

 

 いや、きみらさぁ、いつになったら、僕が君らの主だって誤解を解いてくれるんだろうか?

 僕は確かに君たちをゴブリンの巣穴から助け出したけれども、君らを戦利品扱いなんてしないからね!

 僕の魂は日本人ですから、どっかの宗教みたいに異教徒は処女以外皆殺し処女は神様からの贈り物だから暴虐の限りを尽くしてよしなんてことしませんから!

 和をもって尊しとなせとDNAに刻まれてますから! ……この身体はこっちの人のだけれど。

 あと、こんなにおいしくできたものを自分たちで食べる以外の使い道を用意できるほど僕は権力にもお金にも興味ないからね。

 

「はあ……」

 

 僕はため息をつきつつ、チャーシューをスライスして、ネギを刻んで白髪ネギを作る。

 当然のことだけれど、チャーシュー自体はハナからたくさん作ってある。

 そして、チャーシューを漬けておいた醤油を手鍋に若干量移して砂糖と蜂蜜、木苺のジャムを加え煮詰めてソースを作る。

 チャーシューで何とかパンを食べられないだろうかと、元いた世界で編み出したソースだ。

 

「ちょっと早いけれどお昼にしましょう! ヴィオレ、サラ、ウィルマ手伝ってください! パンが焼きあがっているので、上下半分くらいのところに切れ目を入れてください」

 

 目の端に、そーっと厨房から出て行こうとするルーデルとリュドミラを捕らえる。

 

「ルー! リューダ! 飲み物を新食堂に持って行って! エールも持って行っていいから」

 

 新食堂って言うのは、現在このお屋敷に住んでいる24人が一度に食事できるようにバンケットルーム(宴会場)に長テーブルと椅子を運び込んでしつらえたものだ。

 さすがに連日裏庭でBBQってわけにはいかないからね。

 悪戯が見つかった子供みたいに「うへえ」っという顔をして肩をすくめるルーデルとリュドミラに、僕は冷蔵食品庫を指し示す。

 

「ふふふッ」

 

 水にさらして少し塩抜きした酸っぱい刻みキャベツを絞りながら、僕はクスクスと笑う。

 

「どうしたんですか? ハジメさん」

 

 ヴィオレッタお嬢様が不思議なものを見るような顔で僕を覗きこむ。

 

「いやぁ、うれしくって……」

 

 元の世界で生きていたころには考えもしなかった状況に僕は置かれている。

 それは、たくさんの人といっしょにごはんを食べるということだった。

 定食屋さんやラーメン屋さんでの合い席とかじゃなくて、家族といっていい人たち席を同じくして、親しく会話しながら食べるごはん。

 店員さん以外の人との本当に会話といえる会話。

 タマネギを刻んでいるわけじゃないのに涙が出てくる。

 なんか、僕はこっちの世界に来てから、とても涙もろくなってしまった気がする。

 

「ほいッと、できあがり! みんな、新食堂に持って行ってください」

 

 今日のお昼ご飯は、チャーシューサンドだ。




お読みいただき、誠にありがとうございます。


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第96話 ゲンコツは下処理がとても大事だ

「ふふふ、これで、よし」

 

 みんなが寝静まったお屋敷の厨房で僕はただ一人、明日の夜の食事のための仕込をしている。

 お昼ごはんのチャーシューサンドは好評だった。

 特に甘辛いタレとチャーシューの組み合わせが大成功だった。

一緒にはさんだ刻みキャベツの塩漬けの酸味がまた、甘辛いタレの味をひきたてていた。

 

「今日は徹夜だな……。でも、楽しいからオケッだ!」

 

 僕の目の前には、竈にかけられた巨大な寸胴鍋がある。竈にじゃんじゃん薪をくべて常にグラグラと煮立つように火力を維持している。

 中身はオークの大腿骨と背骨、そして、ニンニクやにんじん、生姜にたまねぎとかの香味野菜がどっさりだ。

 そう、僕が作っているのは豚白湯出汁、いわゆるトンコツスープだ。僕の本来的な好みで作るんだったら、豚のゲンコツを使っていても濁りが少ない清湯出汁だけど、現在の材料の入手状況ではカツオブシや煮干、サバブシや昆布などの海産系出汁が致命的に弱い。ってか、全く入手できていない。したがって骨と香味野菜だけでもなんとかなりそうな白湯出汁にしたわけだ。

 まあ、今回はトンコツって言うよりオークコツ? オクコツ? ってことになる。

 

「これ、叩き割るの大変だったな」

 

 関節部分いわゆるゲンコツが小さい子供の頭ほどもあるオークの大腿骨を見つめる。

 骨はハンマーで二つに割ってある。

 もちろん骨の下処理をばっちりとしてからだ。

 下処理とはすなわちスープを取るために煮込む前に、30分ほど茹でて、浮いてきたアクを取り、その後、たわしで擦り洗うというものだ。これをおろそかにすると、とてもくされまずいスープが出来上がる。

 どれくらいまっずいかというと、一口含んだとたんに脳天まで突き抜ける生臭ささ。そして、えぐみがいつまでも後を引いて何もかもが台無しになるといった具合だった。

 元の世界で、初めて鶏がらと豚の大腿骨…いわゆる拳骨ってやつでスープをとったとき、下処理を端折ってしまってとんでもなくまっずいスープを作ってしまった。

 それ以来、ガラの下処理はきっちりとやっている。

 もちのろんだが、失敗したスープであっても、しっかりと全部ラーメン他に活用して食べた。

 おかげで、「こんなまずいもん二度と作るか!」って、一口ごとに心に誓えたのは怪我の功名だ。

 

「ハジメさん……まだ…起きていらしたんですか?」

 

 厨房の出入り口に、優美なシルエットが浮かび僕に話しかけてきた。

 

「ああ、ヴィオレッタお……」

 

「嬢様」と続けようとして、厨房に入ってきた少女の頬がみるみるクサフグのように膨らんでいくのに気がついて慌てて着地先を変更する。

 

「……お、起こしてしまいましたか」

 

 っと、しらじらしく続けた。どれくらいしらじらしいかというと、つまみ食いを目撃された犬が、口から食べ物を足元に落として現物を押さえられたくせに、そっぽを向いてすっとぼけたつもりになってるくらいにしらじらしい。

 なぜなら、ヴィオレッタお嬢様の寝室はここから一番遠い二階の一番端にあって、金ダライを二メートルの高さから落としたって聞こえるわけがないからだ。

 そんな僕のしらじらしいごまかしに、ヴィオレッタお嬢様はにっこりと微笑みを返してくれる。

 

「いいえ、ちょっと用足しに起きてしまって……その……通りかかったのです」

 

 ヴィオレッタお嬢様も、頬を染め、しらじらしくご自分がここに来た理由を言い訳した。

 なぜなら、ヴィオレッタお嬢様が、お休みになっていたのをわざわざ起きてまでするような御用は、こんなところを通りかかるまでもなく足せるからだ。

 

「……ぇ? ……ううぅッ!」

 

 お嬢様が小鼻をヒクヒクとさせ、厨房に立ち込める匂いに眉を顰める。

 

「ハジメさんッ、この匂いはいったい?」

 

 初めてこの匂いをかぐ人には、さぞかし奇異なものに感じることだろう。僕も初めてこのスープで供される料理を食べに行ったときに、その店内に充満していた匂いに顔を思いっ切り顔をしかめた覚えがある。

 

「これは明日の夕食の用意です」

 

 僕は寸胴鍋を指差す。

 

「明日の夕食ですって? いったい何を作るおつもりなんですか? 今日の夕食から経った時間を数えたほうが早いくらいの時間しか経ってませんよ」

 

 ヴィオレッタお嬢様はすっかり困惑されている。まあ、しかたのないことだ。この世界ではまだ、スープとか出汁とかいったものがあまり普及していないようだからね。

 

「まあ、それは、明日の夕食のお楽しみということで……。この作業は…、まだまだ、…そうですね、あと、六刻はかかるでしょうか」

 

「ええッ? では、その間中起きているつもりなのですか?」

 

「ええ……、まあ……時々かきまわさなくちゃいけませんし……」

 

 僕は、ちょっとたちが悪い悪戯を教師に咎められた子供みたいな気分になる。

 

「はあ……あなたって方は……」

 

 ヴィオレッタ様が手を腰に当て、ため息をつきながら頭を振る。なんか、ものすごく呆れられたみたいだ。

 

「はあ……ほんっと、ちょっと目を離すと、すぐ、無茶するんだから……」

 

 更にもう一度ため息をついて、ヴィオレッタ様はおもむろに僕に顔を向けにっこりと微笑んだ。

 

「ハジメさん、そのお鍋ってじっと見つめていなくてはいけないものなんですか?」

 

「いえ、それほどでは……、でも、傍には居たいですね」

 

 僕がそう言うとヴィオレッタ様が調理台の下にしまってあるスツールを引き出す。

 

「わたし、なんだか、目が冴えちゃいました。傍に…いてもいいでしょうか?そうだ、お茶を入れましょう」

 

 否も応もない。そのヴィオレッタ様の問いかけに対して、僕の答えはただひとつしか用意されていない。

 すなわちYESのみだ。

 僕は薬屋の前に飾ってある象や蛙や兎のマスコットのように首をカクカクと頷かせる。

 

「で、でしたら、たしか、ブルーベリー入りのクケートとドライフルーツのパウンドケーキがあったはずです」

 

 僕はマジックバッグをまさぐり、パウンドケーキとクケートを取り出す。こういうこともあろうかととっておいたやつだ。

 

 そうして、数分後、僕らは真夜中のティーパーティーを始めたのだった。




お読みいただきありがとうございます。


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第97話 自分がしてほしいことは大概の場合、自分にそうされたい人がいる

「さあ、みんな揃いましたね。ちゃんと歯を磨き顔を洗いましたか? 汗は流しましたか? では、神と食事を作ってくださったハジメさんたち。そして食材に感謝ししていただきましょう。いただきます!」

 

「「「「「いただきまぁす!」」」」」

 

 食堂ホールに明るく元気な少女たちの声が響いた。

 今朝のメニューは、ライ麦のパンにバターとりんごのジャム。茹でたソーセージにスクランブルエッグ。茹でたブロッコリーと酸っぱい刻みキャベツ。カブとニンジン、じゃがいものスープ。それからオレンジみたいな果物の果汁だ。食後にはお茶を用意してある。

 スープは、本格的な出汁をまだ用意していないのでベーコンを入れてそこから出汁が出るのを期待している。

 元いた世界のベーコンと違い、こっちの世界のベーコンは保存食の意味合いが強いので、塩がけっこう効いていて、かなりスモーキーだ。

 元いた世界でも僕はスープの素を使わずに自作のベーコンや自作のソーセージでポトフを作ったりしていた(スープの素が切れたりしたときの非常手段だけどね)。

 味付けはベーコンとソーセージから出る出汁と少々の塩。

 ベーコンは西洋の鰹節とも言われているだけあって、それだけでも十分にうまかった。

 だから、濃い味のこっちのベーコンには、出汁の素として更に期待ができるってワケだ。

 

「おいしいッ!」

 

「はあぅ、こんな朝ごはん、お祭りの最中でもなきゃ食べられないよ」

 

 あるいは満面の笑顔で、そしてまたあるいは涙ぐんだ笑顔で少女たちが勢いよく器を空けてゆく。

 こんな朝早くからものすごい食欲だと感心してしまう。

 ちなみに今の時間は、元の世界の概ね午前6時ぐらいだ。

 少女たちは大体午前4時半くらいには起き出して、お屋敷の掃除を始める。 誰に言われたわけでもなく、それが当然のことのようにお屋敷を全部きれいに磨き上げてくれる。

 少女たちがお屋敷の掃除やら、洗濯やらの家事全部をやり始めた当初、ヴィオレッタお嬢様もサラお嬢様も、そんなことはしなくてもいいとおっしゃっていたが、少女たちは頑として聞かず、いわゆるメイドのお仕事をし続け、もはや、お嬢様方も少女たちがメイドをすることを止められなくなっていた。

 そして、掃除が終わると、エフィさんの指導で体術の練習をして、身支度を整え、5時半ぐらいに厨房にやってくる。

 人間の女の子たちは農村部や貧民街の子達ばかりなので、朝早くから労働に出る習慣ができている。

 獣人の子達にしても、狩の手伝いや開墾などの森での暮らしもやはり朝が早い。

 だから当然ここでもみんなものすごく早起きだ。

 

「んはぁッ! ご主人様のスープは本当においしいのです」

 

「おいしいね! おいしいねぇッ!」

 

「たまごのぐちゃ焼きもおいしいよぅ。お姉様がたが言ってたことほんとうだったね!」

 

「ご主人様のおかげで、毎日おいしいものがたべられるね!」

 

「字が書けるようになるなんて、あたい、夢でも見たこともないよ」

 

「あたし、ゴブリンの穴から助けられてからこっち、ずっと夢見てるみたい。毎日おいしいごはんをおなかいっぱい食べて、字や計算を習ってるの」

 

「ばぁか、夢がこんなにおいしいわけないじゃんか! こんな味、夢なんかじゃあじわえないよッ!」

 

 そんな少女たちの会話があまりにもかわいらしくて口角が上がってしまう。

 この数日、食事のたびにこんなやり取りが少女たちの間で交わされるのが常となっていた。

 いいかげんに、僕のことをご主人様扱いするのはやめてほしいんだけどな。

 

「ウィルマ先生! おかわりしていいですか?」

 

 そしてまた、エフィさんは少女たちに勉強を教えているせいか、すっかり担任の先生になってしまっていた。

 戸惑った視線を僕に送ってきたエフィさんに、にこりと笑い頷き返しながら両手を広げる。

 食べ盛りの少女たちが三回ずつお代わりしても余るくらいの量を用意してあるから大丈夫だ。

 

「ええ、もちろんいいですよ。ハジメさんが皆さんのためにたくさん用意してくださいましたからね」

 

 いやいや、給食みたいなこんなにたくさんの食事の用意なんて、僕一人じゃ無理だからね。

 

「みんなが作るのを手伝ってくれたからいっぱい用意できたんだよ。たくさん食べてね」

 

 ヴィオレッタお嬢様にサラお嬢様、エフィさんと少女たちの協力なくしては、これだけの分量を用意するのは無理だったろう。

 

「「「ぅわぁい!」」」

 

 歓声がホールに響き渡った。

 

 

 

 少女たちが朝食を終え、いまや常設の教場となりつつある中庭に出て行ってから少しして起きてきたリュドミラ、ルーデルと一緒に今度は僕らが食事をする。

 メニューは少女たちと全く同じものだ。

 そうして、全員が食事を終えるのが大体7時半ぐらいだ。

 

「しゃッ! じゃあ、行ってくっか!」

 

「そうね、帰りは夕方くらいになると思うわ」

 

「いってきまぁす!」

 

 ルーデルとリュドミラ、そして、サラお嬢様が冒険者ギルドへと「出勤」してゆく。

 僕たちがまとめて請け負ったクエストのうち「青」に分類した依頼をこなすためだ。

 その大体がメッセンジャーや薬草の採取、日帰りの護衛や害獣駆除などの初心者クエストばかりなため、サラお嬢様とルーデル、リュドミラの三人が中心となって毎日出掛けているのだった。

 大荷物や回復職が必要なときは僕やヴィオレッタお嬢様も加わることがあるけれど、基本的に僕らはお留守番でお屋敷でみんなの帰りを待ちつつ、食事の用意をしたりしているのがスタンダードな一日の暮らし方となりつつあった。

 

「ふぁあ……」

 

 僕は大きく口を開け欠伸をして、竈の火を消す。

 トンコツスープが炊き上がったのだった。

 

「できたんですか?」

 

 振り向くとヴィオレッタお嬢様が厨房の入り口で微笑んでいる。

 

「ええ! ようやくです。後は、夕方に製麺所へ行って頼んできたものをとって来て……」

 

 鍋に向き直り、炊き上がったスープをかき回し、白濁具合を確かめる。うん、久しぶりに作った割にはいい感じになっている。

 昨日作ったチャーシューを漬けていた醤油で味付けして飲んでみよう。

 ヴィオレッタお嬢様にも味見してもらって感想を聞きたいな。

 

「うふふッ……どんなお料理なのか楽しみです」

 

「お口に合わないかもしれないから、もしものときのために、すぐに出せる料理を作ってマジックバッグに待機させておかなきゃいけませんけどね」

 

「まあ、そいうことでしたら、予備の用意をお手伝いします」

 

「ええ、ありがとうございます。ヴィオレッタおじょう……」

 

 さま…と言いかけた僕は、思わずしてしまった失言に顔から血の気が引いていくのが自覚できる。

 夜叉のように面貌を怒色に染めたヴィオレッタお嬢様に全身の皮膚が粟立った。

 

「ハジメさん!」

 

「うはッ、はいッ!」

 

 反射的に気をつけをする。直立不動で目を見開き、ヴィオレッタお嬢様がダンダンと足を床に叩きつけながら近づいてくるのを見つめる。

 

「もうッ! わたし、いいかげん怒りますッ! ハジメさんはわたしの使用人でも、目下の者でもないんですよ! むしろ、わたしの方がハジメさんの使用人で奴隷でハジメさんのことを目上の方と奉らなくてはいけない立場なんですよ! それなのに、いつまで、わたしのことをお嬢様扱いしてくれやがるんですか!? ハジメさんだって、ダリルちゃんたちにご主人様って呼ばれるのやめて欲しいって言ってるじゃないですか!」

 

 あ、ヴィオレッタ様が本格的に怒った。

 この後僕はたっぷりと小一時間ヴィオレッタお嬢様……もとい、ヴィオレのお説教をくらうことになったのだった。




2017/10/22 第93話~第97話をアップいたしました。
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第98話 トンコツスープの盟友を忘れるなんて!

大変長らくお待たせいたしました。


「どおでぇ! あんちゃん、注文どおりだろ! 試食してみたが、オイルがいい具合に絡んで旨かったぜぇ!」

 

 製麺所の親方は絵に描いたようなドヤ顔でふんぞり返った。

 僕の目の前には依頼どおりに出来上がった麺がきっちり100人前整然と並んでいた。

 そのうちのひと玉から一本つまんで持ち上げ、揉んだり爪で挟んで切ったりしてみる。

 生麺の状態での見た目や弾力には全く問題ない。

 親方の試食はおそらくペペロンチーノ風の調理法でのものだろうから、昨夜から僕が仕込んでいたスープとの相性は実際に調理しみないとわからない。

 

「あんちゃんが預けてくれたあの材料だが、ありゃいったいなんだ? なんともいえない風味が出たぜ」

「ふふ、そのうち教えます。それまでは企業秘密ってことで」

「きぎょうひみつぅ? なんだそりゃ。ああ、職人の秘伝ってヤツだな。それなら、ウチにもあるからな、了解だぜ! まあ、満足してくれたみてぇでよかった!」

 

 親方がふんぞり返って「がはははっ!」と笑う。

 

「ええ! ありがとうございます親方! とても見事な出来です! ああッ! 早く食べたいなぁッ! ああ、そうだ、これ後金です」

 

 僕は感謝の意味も込めて約束の代金に一枚金貨を追加した。

 

「おいおいあんちゃん、それはもらい過ぎだって。もともとの代金だってもらいすぎなんだ。おいらぁ、ふつうに仕事しただけだぜぇ」

 

 そう言って、固辞する親方に「今後ともよろしくお願いしたいので、その前金だと思ってください」と、僕は半ば無理やりにお金を渡した。

 それだけ、親方が再現してくれた太縮れ麺は、いい具合に出来上がっていた。

 

「じゃあ、またよろしくだぜ。次からは今回の半額以下の料金でやらせてもらうからな!」

 

 親方に今月中のリピートを約束して、僕は帰路に就く。ついに今日完成する料理への期待感から、足がやたらと軽く感じる。

 ちょっと気を緩めると口の端が上がって、笑い声が漏れてしまうくらいだ。

 元の世界だったら、完璧に通報事案の塊だ。

 

 

 

「あ、お帰りなさい!」

 

 ゼーゼマン邸に帰った僕を出迎えてくれたのは、ヴィオレッタお嬢さ…もといヴィオレだった。

 

「ただいま、ヴィオレッ……かわったことはありませんでしたか?」

 

 あやうくお嬢様と言いかけて、僕は慌ててごまかす。そんな僕をじっとりとした湿った視線でひと睨みして、ヴィオレッタお嬢…もとい、ヴィオレはププっとふきだして微笑んだ。

 

「ええ、特段変わったことはありませんでした。ハジメさんの方はいかがでした?」

 

 僕にお嬢様扱いを禁じたくせに、おじょ……もとい、ヴィオレは相変わらず僕のことをご主人様扱いしてくる。

 この件については、いずれきっちりと話をつけなくてはいけない。……まあ、僕に、コークスクリュービンタを何発喰らおうが折れない精神力が備わったらの話だが……。

 

「ええ、もうバッチリです。しっかりと僕の要望通りの麺が出来上がっていました。サラたちが帰ってきたら、すぐに食べられるように用意しておこうと思ってます」

「よかった。また、ハジメさんがいらした世界のおいしい食べ物が食べられるんですね。うふふッ、今から夕食が楽しみです」

「がんばります!」

 

 僕はこぶしを握って応える。

 元の世界で最後に食べたメニューの映像がまぶたの裏によみがえる。

 今日僕が作ろうとしているのはまさにその料理だ。

 そのひと鉢に人類の英知が全て宿っているとも、その一杯が地球料理のフルコースに匹敵するとも例えられる国民食。

 あるものはそれに宇宙を感じ、あるものはまたそれに人類普遍の真理を求めるという。

 白濁したスープにたゆたう太縮れ麺、バランスよく配置された具材。仕上げにかけられる黒い香味油。

 ……と、頭の隅っこでパチンと何かが光る。

 

「ああッ! しまった忘れてた!」

「どうしたんですかハジメさん!」

 

 ヴィオレが眉を顰める。

 

「いやあ、ヴィオレありがとう! おかげで、大事な一味を思い出した!」

 

 僕は厨房に向かって駆け出す。

 あぶないあぶない! アレがあるとなしじゃ、天地ほどに味に開きが出てしまうじゃないか!

 

「え? どうしたんですかハジメさん! ちょ、ちょ…まッ!」

 

 僕のすぐ後ろにヴィオレが続く。

 

「ええ……と、材料は……うん、あるな」

 

 食在庫に飛び込んで材料を取り出す。

 取りい出したる材料とはすなわち長ネギ、タマネギ、ニンニク、ショウガのハーブ類だ。

 これらを胡麻油で揚げて炭化させ、すり鉢で粉砕、揚げた油で練り伸ばしゆるいペースト状にしたものを僕は作ろうとしているのだ。

 

「ハジメさん、何をお作りになるのですか? 何かお手伝いすることはありますか?」

 

 ヴィオレが心配そうに聞いてくる。

 

「あ、ごめんね、ヴィオレ、びっくりさせて! うん、今日の夕食に必要な調味料を思い出して、それを作ろうと……。じゃあ、ヴィオレはタマネギとニンニクをむいてくれますか?」

「はいッ!」

 

 ヴィオレの明るい声が僕の鼓膜を心地よく震わせる。前から思ってたことだけど、ヴィオレの声にはf分の1ゆらぎ成分が含まれているに違いない。

 僕らはトンコツスープの盟友マー油作りに取り掛かった。

 

「うぉりゃりゃりゃッ!」

 

 フライパンを取り、竈にかけネギ、タマネギ、ニンニク、ショウガをみじん切りにする。

 温まったフライパンにたっぷりと胡麻油を注いで、みじん切りにした材料を投入する。

 じゅわああああッ! という心地よい揚げ音とともに香味野菜の香りが立ち上がり鼻腔を満たす。

 

「はあぁいい香り……」

 

 ヴィオレがうっとりとした歓声を上げる。

 僕もこの香りは大好きだ。

 

「おっとっと……」

 

 その香りにクラクラと何処へかと飛びかかった意識を、かぶりを振って、フライパンへと強制的に戻す。

 薪を竈から抜いて火勢を下げる。

 バチバチと音を立てて、みじん切りにしたネギたちが爆ぜながら変色していく。

 少し茶色がかったところで約四分の材料を取り出し、さらに焦がしていく。

 完全な茶色に焦げてきたらその半分を取り出す。弱火での加熱は続けている。 そこからほんのちょっで煙がもうもうと立ち込める。

 

「すごい煙……。は、ハジメさん大丈夫ですか? 炭になっちゃいそうですけど」

 

 ヴィオレが涙目で心配してくれる。

 

「ええ! 大丈夫です。むしろ、炭にするのが目的ですから」

 

 厨房に充満した煙が目にしみる。

 だけど、ここでビビッたら負けだ。火を止めたくなっても火災報知機が鳴り響いてもそのときを待つ。

 っと、こっちの世界には火災報知器はなかったっけ。

 元の世界でも、マー油作りのときはもちろんだけど、ベーコンを作ったりしたときにも煙がたくさん出て、火災報知機を鳴らしちゃったっけ。

 オムレツを作ろうとして、鉄のフライパンをがんがん熱したときも煙がやたらと出て、報知器がそれに反応して鳴り出した…なんてこともしょっちゅうだった。

 

「ふふッ」

 

 思わず思い出し笑いが込み上げる。

 

「……あ……れ」

 

 笑っているはずなのに、なぜだか暖かな液体が頬を伝っていた。

 元の世界のころのことを思い出して泣けた? おいおい、ホームシックかよ。

 

「どうしたんですか? ハジメさん」

「ううん、大丈夫です、煙が目にしみちゃったみたいです。さあ、もうすぐですよ!」

 

 フライパンのふちの辺りの材料が真っ黒になったら大慌てでフライパンを火から降ろす。

 余熱でフライパンの中身が一瞬で炭化する。その様子はほんとに手品を見ているみたいだ。

 

「なにごとですか! 火事ですか!」

「ご主人様!」

「だんなさまッ!」

 

 エフィさんと少女たちが水を満たした手桶(木のバケツ)を下げ、慌てて駆け込んできたけれど、ヴィオレがみんなを安心させてくれる。

 

「ごしゅじんさま、いったいなにを始めたのかな?」

「きっと、れんきんじゅつの新しいこころみだよ」

「さすがはあたいたちのご主人様だ!」

 

 少女たちが何に感心しているのかわからないけど、期待に頬を赤らめてフライパンを見守る僕を見つめている。

 

「さあさあ、ここは、ヴィオレとハジメさんにお任せして、みなさんは午後の鍛錬に戻りましょう」

「「「「「「はい! ウィルマ先生!」」」」」」 

 

 エフィさんと、少女たちは裏庭へと戻ろうと踵を返す。

 エフィさんはすっかり少女たちの先生役が板についている。

 

「あ……、そうだ、エフィさ……もとい! ウィルマ!」

 

 その後姿に僕はハッと閃いて呼び止める。

 

「はい? 何でございますかハジメさん?」

 

 実はフライパンに材料を放り込んで熱し始めたときに気がついたんだ。

 すり鉢が無いってことに!




18/08/21
第98話 トンコツスープの盟友を忘れるなんて!
の公開を開始いたしました。
こちらでの更新を再開いたしました。
本作は『小説家になろう』様でも公開しております。


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第99話 がんばれ僕の自制心

「それでございましたら、ちょうど予備の新品がございますので差し上げるのでございますよ」

 

 そう言ってエフィさんが、マジックバッグから出してくれたのは、僕の元の世界では薬研と呼ばれている生薬の材料を砕き粉末に挽く道具だった。

 ちなみに、江戸時代にあった運河の薬研掘はこの道具の形状がその由来だ。

 

「これは、薬研ですか? 願ってもない最高の道具ですよ材料を砕いて粉末状にするには一番です! あ、そうか! ウィルマはルーティエ教団で一番の調剤神官さんでしたね。この手の道具は必需品ですよね。しかし、用意がいいんですね。こんなかさばる物の予備を持ってるなんて」

「やげん……というのですか。非才どもはこの道具を単に粉砕器と呼んでおります。いやあ、ハジメさんのお役に立てて何よりでございます。で、それを粉砕するんですか?」

 

 エフィさんが鍋を覗き込み怪訝な顔をする。

 そりゃもっともだ。こんな油漬けの消し炭、とうてい調味料には見えない。

 

「ええ、夕食をお楽しみに。ひょっとしたらお口に合わないかもしれないので、他にもちゃんと夕食になるものは作ってありますから」

「そんな! これまでハジメさんがお作りになったもので、非才がおいしいと思わなかったものはございませんでございますよ!」

「そうです! ご主人様! ご主人様のおりょうりは、あたいたちにとって毎日がお祭りも同然です!」

「ウィルマ先生がいってるとおりですご主人様! きょうの晩ごはんだって、いつもどおりのおいしいおりょうりだと思います」

 

 エフィさんに先行して外へ向かっていた女の子たちの何人かが引き返してきて、エフィさんの援護に入った。

 うわあぁ! 何気にハードル上がってるし!

 はたして、とんこつならぬオクこつラーメンは受け入れられるだろうか?

 この世界の料理基準では、ラーメンなんておそらくキワモノの範疇に入っているんじゃないだろうか?

 

「ま、まあ、なんにせよ、夕食時間まで待っててください。ああ、そうだ、ウィルマ、みんなはフォークの使い方覚えたかな」

「ええ、それは……」

「はい! ごしゅじんさま! みんな、ふぉーくのつかいかたを先生や姉さま方に教えていただきました!」

 

 エフィさんに代わって、狼人少女のダリルが元気よく答える。

 

「あたしたち、もうすっかり、ふぉーくでごはんを食べるのおぼえました。麺だってちゃんと巻き巻きして食べられます!」

 

 兎人少女のリゼがダリルを引き継いで答える。

 

「すごいなあ、たった二~三日で……。みんな、よくがんばったね。僕もがんばっておいしい料理を作るよ」

 

 ガーデンパーティーの翌日、朝一番に鍛冶屋に注文していた追加のフォーク10本を引き取りに行った僕は、鍛冶屋の親父さんに無理を言って、さらに急遽フォークを10本追加で作ってもらった。

 それはもちろん、ゴブリンの巣穴から助け出した少女たちのうち、行き先がまだ決まらずにゼーゼマン邸で小間使いをしながら、エフィさんに読み書き算術を教わっている子達の分だ。

 それを女の子たちに支給して、この二日間、ウィルマを始め、ヴィオレやサラに使い方を教導してもらっていたのだった。

 その間、日に一食は汁気たっぷりの、いわゆるスープスパを出して、スープに浸かった麺を巻いて食べるということも教えていた。

 それは、今晩の夕食として供する予定のラーメンへの布石だったのだが、僕の思惑以上にフォークで食べるということに少女たちは順応していたのだった。

 

「どんな塩梅かなぁ……。むこうと材料違うから心配だよ」

 

 マー油を作り終えた僕は冷蔵食品倉庫に入り、ガーデンパーティーの翌日から仕込んでいたラーメンのタレを取り出した。

 元の世界で作っていたタレのアレンジ版になってしまったのは、海産系の食材をまだ手に入れていないからだ。

 タジャ商会のヤトゥさんからもらってきた醤油は、ものすごく上等な濃い口醤油だったので、使うのはほんの少々にした。

 東京風のしょうゆラーメンなら、これをメインでタレを作るところだ。

 だが、やっぱりとんこつラー…もとい、オクこつラーメンはその白濁したスープに特徴があるので、濃い口醤油の色で茶色くしたくないというのがその理由だ。

 だけれども、旨みという点では醤油のパンチ力は無視できない。だから、少しだけ使うことにしたのだった。

 日本酒に醤油少しと塩、それからチャーシューを漬け込んでいた醤油を少しとバーベキューのときに出したオークの肉や牛豚の肉の形を整えたときに出た屑肉を挽肉みたいになるまでたたいた肉を鍋に入れ火にかける。

 煮立ったらしばらくそなまま沸騰させて続けて火からおろして冷まし、肉を漉しとって冷蔵食糧庫に入れて寝かせていたのだった。

 

「いかがですか?」

 

 ヴィオレが心配そうに僕が持っている手鍋を覗きこむ。

 手鍋の中は冷えて固まったラードが蓋のようになって、空気からタレを遮断している。

 ラードを匙で割り除けると、そこには薄く茶色に色づいた澄んだ液体がたゆたっている。

 

「試してみましょう」

 

 オクこつスープを寸胴鍋からお玉に一杯ミルクパンにとって火にかける。

 

 煮立ったオクこつスープに、小さじ一杯分足らずのタレを入れる。

 

「おほッ!」

 

 とたんに、たちあがった懐かしいあの食欲をそそる匂いに少しむせる。

 

「ふわあぁッ! 香ばしい、いい香りですぅッ!」

 

 ヴィオレがうっとりとして小鼻をヒクヒクさせた。

 

「とりあえずこれで味見してみましょう。ヴィオレ、お願いできますか?」

 

 小皿にスープをひとすくい取り、マー油を一滴垂らしてヴィオレに渡す。僕の分も同じように作る。

 

「はい、ハジメさん」

 

 ヴィオレは受け取った小皿から立ち上がる湯気を自分に向かって手で扇ぎ吸い込む。

 

「わはぁ……こんないい香り、初めてですハジメさん!」

 

 そしてフーフーと小皿のスープに息を吹きかけ冷まし、口をつけた。

 

「ん……んく……、ん? ンンッ! これッ! すごっ……はあぁんッ!」

「ええぇッ! そんなに!? うそでしょ?」

 

 慌てて僕も匂いをかぐ。

 

「ふがッ! なんじゃこりゃあ!」

 

 思わず昭和の刑事ドラマの殉職シーンのように叫んでしまった。

 今まで食べたどんなとんこつラーメンよりもパンチがある、あるんだけれども決して下品ではない、芳しいと表現するのがぴったりな香気が鼻腔を満たす。

 

「こ、これは……」

 

 スープを啜る……もちろんこちらの世界のスタンダード通り、音を立てずにだ。

 

「むはあぁッ! こ、こ、こ…これはあああああっ! なんじゃこりゃああっ!」

「おいしいですねぇッ! ハジメさんッ!」

「うんッ! うんッ! すっげーウマイよこれっ!」

 

 これはウマイ。確実にウマイ! このスープがあの麺に絡んで口の中で奏でるハーモニーが容易に想像できる。

 このスープで作成されるラーメンの味をあのチャーシューがいかに演出するのかが見えてくる。

 しかも、きっとその予想を凌駕する味に違いない。

 

「はあぁッ! このスープで麺をいただくんですよねハジメさんッ! 私、楽しみですぅッ!」

 

 今日の夕食の完成した形を想像したのであろう。ヴィオレがその美しい瞳をキラキラと輝かせていた。

 ああッ! 待ちきれないッ! 早く食べたい! いっそのこと今作っちゃおうか!

 僕は怒涛のごとく押し寄せる誘惑に、いつまで自制心を保てるのかすっかりと自信を失っていた。




18/08/21
第99話 がんばれ僕の自制心
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第100話 完成! オクコツラーメン。当社比五倍のウマさです!

「「「「「いただきまぁす!」」」」」

 

 王国西方辺境最大の街ヴェルモン。

 すでに夕日はつるべ落としに地平線に隠れ、その残照が深まりつつある秋の空気を夕闇色に染めている。

 街の住宅地の小高い丘にあるゼーゼマン邸、そのバンケットルーム改め大食堂の長テーブルに着いた少女たちの明るく元気のよい食事開始のあいさつが響いた。

 食欲に瞳を輝かせ、少女たちが器用にスプーンとフォークを使い、麺を巻き取り口に運ぶ。

 

「ふんむッ!」「ほっ!」「へぁ!」「んッ!」「……ッ!!」「んんんッ!」「んは!」「ふはぁ!」「んぁ!」「むぐぅ!」「え?」「ええぇッ?」「はふぅんッ!」「ふわあ!」「んきゅぅ!」「はぁん!」「ぅんッ!」「はあぁッ!」

 

 二回三回と咀嚼した少女たちは、カッと目を見開き、矢継ぎ早に二口三口その麺料理を口に運んだ後、一声呻いてトロンとだらしなく目尻を下げたあられもない表情でうっとりと忘我した。

 口の端から一筋垂らしてしまっている娘もいる。

 夕日が差し込んでいるわけでもいないのに、少女たちの頬は一様に紅く染まっていた。

 

「「「「「ほわあああああああああッ!」」」」」

 

 忘我から再起動した少女たちが口々に歓声を上げながら、その料理に果敢な突撃を敢行してゆく。

 

「ンはッ! はわわわッ、んなななななッ! 台下ッ! ……っ。もといッ! ハジメさんッ! な、な、な、なんですかこれはあぁッ!」

 

 少女たちから数瞬遅れて忘我からの再起動を果たしたしたエフィさんが顔を真っ赤に染め瞳を潤ませて、その料理が入ったボウルを捧げ持ち僕に迫った。

 

「それはですね、ラーメンという僕の故郷の料理です」

 

 僕はかいつまんでラーメンの歴史をエフィさんに話す。

 

「なるほど……もともとはハジメさんの隣の国のお料理で、何百年か前に伝来してそれに創意工夫こらしてしてこうなった……と」

「ええ、僕の故郷はそういったものがたくさんあるんですよ。もちろん僕の故郷で発明されたものだってたくさんありますけど、それよりも、元があってそれをいろいろと改良しまくって、元のものを凌駕させてしまうのが得意な民族ですね」

 

 ラーメンに始まる料理はもとより、カメラや時計などの精密機械、車などの重工業製品。

 テレビにラジオ、白物家電。他国で発明されて、わが故郷で国産化されるや、発祥の国の製品の性能を凌駕してJapan as No1. と言われるようになったものは枚挙に暇がない。

 ゼロ戦なんてものはその最たるもんだし、カレーにいたっては、来日したインド人がカレールーをお土産にするくらいだ。

 

「あの……ぅ、ごしゅじんさま……」

 

 狼人のダリルの声に振り向くと、空になった丼(陶器屋で似たような器があったので大量購入してきた)持って少女たちが頬を上気させ上目遣いで僕のほうを見つめていた。

 

「ん? ええっ! もう食べちゃったの?」 

「ご、ごめんなさい、ごしゅじんさま! あんまりおいしくて夢中で食べてたら……」

 

 兎人のリゼが涙目で訴える。

 彼女たちのここ二~三日の食事量から勘案して、一人前たっぷりと二玉(元の世界では特盛りと呼ばれるサイズだ)入れたんだけど、どうやら10オンス(概ね300グラムぐらい)じゃ足りなかったようだ。

 一言二言エフィさんと話をしている間に、熱々の特盛りオークこつラーメンを平らげるなんて……。

 どうやら、ひそかに心配していた猫舌の子はいないようだ。

 

「くくくくッ!」

 

 思わず僕は喉を鳴らす。ニヤリと口角が吊り上るのが自覚できる。

 

(うわぁ、今の僕の顔、絶対悪代官級だ。女の子たちが怯えちゃうよ)

 

 でも僕は、漏れ出して止まらない薄ら笑いを堪えることができないでいる。

 だって、たった18人とはいえ、この世界で初めてのラーメンは人を虜にできたんだもの!

 男勝りの逞しい女性が多い異世界とはいえ、女の子たちにこんなにもオークこつラーメンがあっさりと好評をもって受け入れられるとは本当にうれしい限りだ。

 味見したときに、確かにスープは向こうの世界で僕が作ったとんこつラーメンの五倍いや、下手をすると七倍くらいにはウマイと思った。

 だけれども、それはとんこつラーメンを食べ慣れた僕の舌がそう判断しただけで、こっちの世界……少なくともこの大陸では、たぶんラーメン自体が供されたのはこれが史上初だろう。

 受け入れてもらえるか本当に心配だったんだ。

 

「「「「「ごしゅじんさまぁ!」」」」」

 

 僕の悪代官顔に怯んだ気配さえ欠片ほどもさせず、猫科の大型肉食獣の眼光を湛えた36の上目遣いの瞳が僕を凝視している。

 狼っ娘たちや、人間の娘たちはともかくとして、兎人やベジタリアンのイメージがつきまとうエルフの娘までがだ。

 大丈夫だ。こんなこともあろうかと、製麺所には100食分注文したんだから。

 

「ああ、ごめんッ! オーケー! お代わりだね! どれくらい食べる?」

 

 女の子たちは口々に今と同じくらい、できればそれよりたくさんと声を大にする。

 とてつもないハイカロリーを摂取することになるけれど、エフィさんの武術の稽古はメチャ厳しそうだから大丈夫だよね。

 

「ようしッ! ちょっとまってて、あ、何人か器を洗うの手伝って」

「「「「「はぁい!」」」」」

 

 全員が手を挙げ、手に手に丼を持って厨房へと小走りに駆けて行く。

 

「は、は、ハジメさん非才……んぐッ! んもッ!」

 

 エフィさんも特盛りオークこつラーメンをものすごい早さで平らげ、少女たちの前の凛とした先生然とした表情をしどけなく崩し、おずおずと遠慮がちにドンブリを差し出す。

 

「ええ、オーケーですよ。厨房に行きましょう。みんなと一緒にボウルを洗ってラーメンを作りましょう」

 

「はい、はいいっ!」

 

 エフィさんの顔がぱあっと輝いたような気がした。

 あの自称使徒様方だったら、見たこともない花を咲き乱れさせているに違いない。

 はははッ! 一挙に70人前以上ががぶっ飛ぶぞ。

 うはははッ、100食用意しといてよかった。

 

「……ッ! あ……」

 

 厨房へと向かおうとした僕は突然寒気を感じて振り向く。

 背筋を冷たいものが伝い落ちる。

 大型の猫科の猛獣のような視線が僕を見据えていた。

 僕はこの後に控えている、我がゼーゼマンキャラバンの肉食女子たちの分が残り30食弱ほどで足りるだろうかと心配になってきた。




18/08/21
第100話 完成! オクコツラーメン。当社比五倍のウマさです!
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第101話 なぜだか箸が全員にいきわたっていた件について

大変長らくお待たせいたしました。


「へえ!」「あらぁ!」「うふふっ」「わあっ!」「まあぁっ!」「ほう!」「あいすくりん」

 

 ゼーゼマンキャラバン(僕が勝手にそう呼称している)のメンバーの女性たちは、獲物を屠るときの肉食大型獣のように瞳をキラキラと輝かせ、目の前に置かれた陶器製のボウルに盛られたオークこつラーメンを見つめている。

 若干3名様ほど多い気がするが、まあそれは脇に置いておこう。

 ゴブリンの巣穴から救出した女の子たちとキャラバンのメンバーがいっしょに食べなかったのは、ラーメンを盛る器が20個しか用意できなかったからだ。

 決して盛りや味に差異をつけるためではない。

 それに、キャラバンのメンバーは大概食事といっしょにエールやワインを嗜む(というか約二名ほどがのんだくれる)ので、ヨッパライをわざわざ見せることもないだろうと、教師役を引き受けてくれているエフィさんの発案で少女たちと食事する時間を分けているわけだ。

 自然、少女たちに先生と慕われているエフィさんは、当然彼女たちと一緒に食事を摂ることになっていたのだった。

 なので今はここにエフィさんはいない。今頃は食休みをはさんで夕食後のお勉強タイムのはずだ。

 ちなみに夕食後のお勉強は、初級神職学校でやる内容だそうだ。

 

「講義しているのは、お腹一杯で居眠りしてても大丈夫な無難な内容です。目的は彼女たちに考える暇を与えないことですから。ある程度の期間はそうして過ごさせたほうがよいかと……」

 

 とは、エフィさんの弁だ。

 このときの女の子たちに考える暇を与えないというエフィさんの言葉を理解できたのはそれからしばらくしてからのことだった。

 

「さて、と」

 

 ルーデルが20センチ弱くらいの長さで先細ったの二本の棒を取り出した。

 断面はおそらく正方形に近い形だろう。二本ともがきっちりと大きさと形が揃えられている。

 

「まあ、奇遇ですね、ルー。実は私も同じものを持ってるんですよ」

 

 ヴィオレが同じようにテーパーがかかった一揃いの二本の細い棒を取り出す。

 

「あれぇ、偶然だねルー! わたしも、それ持ってるの。お姉ちゃんとお揃いに作ったの」

 

 こんどはサラが同様の細い棒を取り出す。

 

「あら、奇遇ってほんとにあるのね。わたしも持っているわ」

 

 そして、リュドミラが。

 

「うふふっ、わたしもです」

 

 自称生命の女神の使徒イェフ様が。

 

「ははっ、じつは我も用意してある」

 

 自称大地母神の使徒エーティル様が。

 

「あいすくりん」

 

 そして、自称冥界の主宰神の使徒ヘミリュ様も一揃いの短く細い棒を取り出した。

 

「そ、それは……」

 

 僕は、みんなが持っているそれに見覚えがある。とても慣れ親しんでいる。今も、今日のこの料理を食べるために用意してある。

 その場にいる全員が持っている先細りで形大きさが揃った二本の細い棒……。

 それは、まごうことなき『箸』だった!

 

「え? なんで? 僕はまだ箸の使い方なんて誰にも教えてなかったはずだけど……」

「そうなんですか! この道具は『はし』というんですか……覚えました。ハジメさん、私、キャラバンで旅をしているときからハジメさんがこの道具を使ってお食事してるの何回も見てるんですよ」

 

 そうだった。アイン・ヴィステフェルトの体に転生してきて以来、一人で食事をするときはたいてい自作の箸を使ってた。

 キャラバンが立ち寄った街の木工所で、食器に使う木材の切れ端をもらってきて、ナイフで削り出したものだ。

 木を削る作業は、鉛筆を削ることさえしたことが無かった僕だったけど、プラモは結構作っていた方だから、カッターナイフでプラを削る経験はあった。 だから、ナイフの刃が木材に入っていく感覚にさえ慣れれば後はなんとかなったんじゃないかと思う。

 出来上がった箸は、よく僕の手になじんでくれたから。結構よい出来だったんじゃないかと思う。

 

「あたしもハジメがこれ…『はし』を使ってごはんを食べてるの見て器用だなって思ってたの」

 

 いや、僕のほうが驚きでした。汁物以外はみなさん手掴みで食べてたんですから。

 僕は、人類の四割を占める手づかみ食文化圏に属してはいないので、人目を忍べるときには箸を使っていたんだけれど、まさか、それをお嬢さま方に目撃されていたなんて。

 

「これを使って器用に食べてたハジメさんを見て、私も使えたらなって思ってたんです。だって、手が食べ物で汚れないでしょ」

 

 ヴィオレが日本人のように箸を持ってカチカチと箸先を鳴らす。

 うーん、それはお行儀がいいことではないことを後でこっそりと教えてあげよう。

 

「うん、でも、ハジメはさ『はし』じゃなくて『ふぉーく』を鍛冶屋さんで作ってもらってきたでしょ」

 

 サラの声には若干の不満成分が乗っかっている。

 

「ええ、たしかに『ふぉーく』はこの国と近隣諸国、さらには私たちが旅してきた国々にも食器としては存在しないものでした。そして、大変便利なものです」

「でもね、ハジメ、わたしたち、ふぉーくじゃなくてこれをつかってごはんをたべてみたかったの。ハジメと同じもので食べてみたかったの」

 

 ゼーゼマン姉妹は向かい合って首を傾げて微笑み頷き合う。

 

「それで、もう、いいかげんに使ってみたくてしかたなくなったので、私とサラで相談して絵図面を描いてこっそり木工所に頼んでいたの。それを、昨日、商工会の帰りに受け取ってきたんです。今日ハジメさんが作ってくださるお料理は絶対こっちで食べたほうがいいって思えて」

 

 そう言って、ゼーゼマン姉妹はにっこりと箸をかかげる。

 しかし、ヴィオレたちははじつに当たり前に箸を持っている。ってか、この場のみんなが普通に箸を構えている。それは、もう日本人でもこんなにきれいに箸を構えられる人はそうそういない。

 

「どうして? たった、二~三日で全くその存在さえ知らなかった人間が箸を使えるようになるなんて……ありえない……」

 

 いきなり目の前に突き出されたありえない現実に、僕は思考が停止してしまっている。

 

「まあまあ、ハジメさん、せっかくハジメさんが作ったラーメンがのびて? しまいますから」

 

 自称生命の女神イフェ様の使徒イェフ様の「のびて」の部分の半疑問形に、僕は我に帰る。

 

「そ、そうでした。麺がのびてしまいます! のびてしまったらせっかくの『8ウマウマ』オークこつラーメンが台無しです。さあ、みなさんどうぞ召し上がれっ!」

「「「「「「「「「いただきまぁすっ!」」」」」」」」」

 

 解き放たれた猟犬のようにゼーゼマンキャラバンの女性たちと、自称使徒様方が、箸を構えてオークこつラーメンに突貫してゆく。

 数瞬後、ゼーゼマン邸の元バンケットルームの食堂は、見たこともない美しい花で埋め尽くされたのだった。

 どうやら女神様方は、初めて食べたオークこつラーメンの衝撃で、咲いては光の粒子になって弾けるという『見たことも無い美しい花』のギミックを忘れてしまっていたのだった。

 

 




18/11/23
第101話 なぜだか箸が全員にいきわたっていた件について
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なお、本作は別サイトでも公開しております。
続きが気になるという方はそちらでどうぞ。
最新第二部第65話まで掲載しております。


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第102話 流石5ウマウマ! オークこつラーメンは香りだけで丼一杯のご飯がイケます

大変お待たせしました。


「「「「「「「んまあああああああああああああぁっ!」」」」」」」

 

 ちゅどん! 

 

 と、いう爆発音を伴うように、この世のものではない花が咲き乱れ、ゼーゼマン家のバンケットルーム改め大食堂(僕が勝手に新しい食堂をそう呼称している)を埋め尽くし窓という窓、ドアというドアから溢れ出した。

 

「こらあっ! おまえらこの花、どうにかしろぉッ!」

 

 ルーデルが花に溺れながら叫ぶ。他のみんなも、かくいう僕もあの世の花の海で溺死しかけている。

 しかし、女神様……もとい、女神様の使徒様方をおまえら扱いするなんて、ルーデルは相当のもんだ。

 奴隷落ちして資格を失効したため、冒険者をもう一度Fランクからやりなおしているとはいえ、SSSランク冒険者ってのは、規格外の存在なんだな。

 

「ぬかった、我としたことが!」

「まあ、まあ、まあッ! ごめんなさい!」

「むうッ! 然知ったり」

 

 女神様……もとい、使徒様方が羞恥に顔を真っ赤にして我に返る。

 次の瞬間、辺りを埋め尽くしている花弁が光の粒子となって泡と消え、僕らは花弁の泥沼での溺死の危機から脱出できた。

 

「ふう、これで落ち着いて『らーめん』を味わえるのだわ」

 

 リュドミラが、ほうっと、溜息をついて丼の中に箸を入れ、ヴェルモン製麺所謹製の太麺を摘み上げる。

 数回上下させ、尖らせた唇でふーふーと息をふきかけ冷まして、勢いよく啜りこんだ。

 その所作はまるで、昼に夜にお気に入りの店に集うラーメンマニアのようだった。

 

(いや、それはおかしいよね。みんなお箸の使い方なんて誰に教わったんだよ? 僕は誰にも教えてなかったよね。ってか、その箸の使い方ものすごく堂に入ってるってんだけど)

「「「「「「「ズズズッ! ズズーッ!」」」」」」」

「…………あ?」

 

 それは、おそらく、この世界で初めて集団的にその行為が行われた瞬間だった。

 辺境最大の街ヴェルモンの住宅街の小高い丘にあるゼーゼマン邸の大食堂に麺料理を啜る音が響き渡ったのだった。

 僕は自分の分のオークこつラーメンを食べることを忘れて、呆気にとられていた。

 このラーメンを食べることを、何日も前からものすごく楽しみにしていたのにだ。

 

「ぢゅるるる、ぢゅッ、ぢゅるるるるーッ!」「じゅるッ、ずずッずるる、じゅるるるッ!」「ずずっ、ずずずーっ」「ちゅるっ、ちゅるる、ぢゅるるるっ!」「ずぞっ、ずぞぞぞぞぞッ」「ずずずッ、ずずーッ!」「ズルルッ、ジュルルル!」

 

 皆が皆、器用に箸を繰り、夢中でオークこつラーメンを啜り、咀嚼してはまた啜り込んでいた。

 

「おほおおおッ!」「んはうぅんッ!」「まあああっ!」「ふわああぁッ!」「ぅむおおおおッ!」「んきゃふううッ!」「ふむむむうぅッ!」

 

 その光景は、いつの間にか元の世界に帰還したのではないかと錯覚するほどだった。

 それほど、違和感なくみんながラーメンを『日本人みたいに』食べていたのだった。

 

「まるで日本のラーメン屋さんにいるみたいだ」

 

 思わずそう呟いた僕に、ヴィオレが微笑む。

 

「うふふッ、私、密かに『はし』の使い方特訓してたんですよ。でも、なかなかハジメさんみたいに使えなくて困っていたんです」

 

 それがなぜ、今、こうも日本人みたいに使えているんだ?

 

「イフ……、使徒イェフ・ゼルフォ。そろそろハジメ君に種明かししてあげたらどうだい? ハジメ君のラーメンがのびてしまわぬ内に、さ」

「使徒イェフ・ゼルフォ、それがよかろうかと。なに、ハジメは怒りませぬよ。あなたが見込んだ者ですから。あいすくりん」

 

 使徒ヘミリュ様が、僕に湿った視線を絡ませてくる。

 はい、はい、そんな心配そうな顔しなくても、お約束どおりちゃんと作ってありますから。

 

「まあまあ、種明かしは後でということで、今はハジメさんが作ってくださった。この世界初のラーメンをいただきましょう」

 

 生命の女神イフ……もとい、使徒イェフ様が、はふはふと厚切りチャーシューをほおばりながら使徒エーティル様と使徒ヘミリュ様にウィンクする。

 

「あ……そうだった!」

 

 兎にも角にも今は夢にまで見たラーメンの実食だ。それが最優先だ。何でみんなが箸を使えるようになったかとかのお話はとりあえず脇において、今はオークこつラーメンに集中だ!

 

「ふう……」

 

 僕は軽く息を吐いて、丼の上に鼻先を突き出し、湯気を吸い込む。

 

「ふはッ……」

 

 そのツンと甘酸っぱくこうばしい香りにクラクラと眩暈を催してしまう。

 さすがは、豚を1ウマウマとした場合のに5ウマウマを誇るオークで摂った出汁だ。

 元いた世界のとんこつラーメンの香りを1ウマウマとするなら、確実に7ウマウマ超えていた。

 

「ふははッ、ふはははははははッ!」

 

 思わず昭和期のアニメに出てきた主人公のような高笑いが漏れてしまう。

 ハッとして、見回したけれど、誰もそんな僕の高笑いを気に留めることなく、せっせと胃袋をオークこつラーメンで満たすべく箸を使っている。

 僕は、悪戯の発覚を逃れた子供みたいな気分で丼を覗きこむ。

 

「さぁて、と」

 

 箸を構え、どこから手をつけようかと、僕は改めて手元にある大ぶりの丼(正確には丼に似た陶製のボウルだが)の中のおそらくは異世界初のラーメンをまじまじと見つめるのだった。




19/01/06 第102話 流石5ウマウマ! オークこつラーメンは香りだけで丼一杯のご飯がイケます の公開を開始しました。
毎度ご愛読ありがとうございます。
次回は、なぜみんなが箸を使えるようになっていたのかと、ラーメンの麺についての謎解き回の予定です。


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