今しか出来ない事をやろう (因幡の白ウサギ)
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プロローグ─俺達はAfterglow(小学生)
キャラ紹介で一話が吹っ飛ぶ


千聖さんの年齢を間違えるという、致命的すぎるミスが発覚したので書き直しました。お気に入りにしてくれた皆様には大変申し訳なく思います。
もしよろしければ、今後も当作品をよろしくお願いします。

3/21 蘭の髪色と、それに伴う色々な修正


 昔からの癖、というのは中々抜けてはくれないもので、環境が大きく変化して必要なくなった筈の早起きという行動に引っ張られて、俺は不自然なくらいパッチリと目を覚ました。

 

「ん、んん……ふぁあ」

 

 あくびと共に布団の中で背伸びをした俺が見たのは、もう何年も見慣れた、しかし何処か違和感の残る天井だ。いつも通りに目が覚めているのなら、時計の針は恐らく5時を指し示しているだろう。

 俺は首を動かして、隣に敷かれているもう一つの布団の方を見た。そして其処に見慣れた顔が無いのを確認してから、布団をチラッとめくって中を見る。

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 案の定、安らかに寝息を立てている金色が其処に居た。寝る前は確かに別々の布団に入った筈なのに、いつの間に移動していたのか……。

 俺が起き上がろうとすると、その動きに反応したのか金色もモゾモゾと動き出して布団の中から顔を出した。

 

「ふぁぁ…………おはよう兄さん」

 

「おはよう千聖」

 

 乱れた金髪を直す事なく、寝惚け眼でこっちを見たのは千聖。美が付く少女に分類されるだろう容姿をした義理の妹だ。

 

「いい加減、俺に合わせて起きなくてもいいのに。まだ寝れるぞ?」

 

「いいの……ふぁぁ」

 

 あくびをしながら目をこすっている千聖の姿からは明らかにまだ寝足りなさそうな雰囲気が感じられたが、しかし本人は布団から起き上がって赤いランドセルから、ひらがなでデカデカと「さんすう」なんて書かれたドリルを取り出した。

 

「おいおい。宿題、昨日のうちに終わらせてなかったのか?」

 

「兄さんとやろうと思ってたの」

 

「それはいいけど、でも、絶対に俺の方が終わるの早いぞ?」

 

 中高の数学とかなら兎も角、今更小学3年生の計算問題とかに手こずるほど馬鹿になったつもりもない。量もそれほど多くはないし、それこそ5分もあれば余裕で終わるだろう。

 

「終わったら私の見てて」

 

「りょーかい」

 

 俺も自分の黒いランドセルから、さっき千聖が出したドリルと同じ物を取り出して、昔懐かしの鉛筆を握って作業開始。いつしかシャーペンしか使わなくなってたから懐かしい気持ちになれる。

 ドリルに印刷された簡単な問題に自分の1()()()の小学3年生時代を思い出しながらも、手は事務的にサクサクと回答を記載していく。

 

「宿題って何ページまでだっけ」

 

「えーっと、今日は20ページまでみたい」

 

「すぐだな」

 

 なんて言ってる間にも、俺は最後の問題の答えまで書き終えていた。サラッと見返した限りでも間違えている箇所は無さそうである。まあ、俺と同じ歳くらいまでマトモに生きて、こんな問題を間違えるなんてありえないだろうが。

 

「よしっ、終わり」

 

「兄さん、ここ分かんない」

 

「どれどれ……ああ、ここはだな──」

 

 朝ごはんの時間が来るまで、俺が千聖につきっきりで宿題を手伝うのが日課。

 

 この世界で行える、唯一と言っていい家族との触れ合いである。

 

 

 ▼▼

 

 

 靴を履いて、つま先で地面を意味もなくトントンと叩く。実際、この行動ってなんか意味あるんかね。

 

「「行ってきます」」

 

 児童養護施設「青空」

 俺と千聖が赤ん坊の頃に保護されて、それから過ごしている場所だ。

 

 人数は俺と千聖を含めて6人と、更に職員の人が数人。全員がまだ小学生だが、6年生や2年生といった感じで年齢はバラバラだ。

 ちなみに俺と千聖は3年生。もう9歳である。

 

「ふぁ、あふぅ……」

 

「眠いなら無理するなってのに」

 

「無理なんてしてないもん」

 

 口ではそう言っているが、明らかに眠そうな千聖に苦笑いをしながら、俺は小学校への通学路をゆっくり歩く。

 

 

 

 事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったもので、俺は死んだと思ったら"神様"に出会って転生していた。……うむ、これは世にも○妙な物語で放送しても良いのでは?或いは自伝とか書いちゃうか。タイトルは"私が見た神の国"とか?……なんかの宗教みたいだな。

 とまあ冗談はさておき、とにかくそんな夢物語が存在したのだ。死ぬほど……というか実際に死んだけど、マジで痛覚がマヒるくらいの痛みを味わった甲斐があるのだろう。多分、おそらく、きっと、maybe。

 

 ところで、神様転生といえば転生する際に貰う何か特別な力……特典が要素の一つにある。人によっては王の財宝だったり、無限の剣製だったり、そんな感じのssを俺も昔見た。残念ながら俺にそんなのは無かったけどな!

 …………いや、悔しくなんてないぞ?「大丈夫、そんな物騒な能力なんて必要ないから」ってイイ笑顔で言ってたから、少なくとも世紀末な世界ではないのは確かだろうし。もしそうだったとしても剣とか持って戦える度胸も無いし、これでいいのだ。

 でもやっぱりちょっと欲しかったり

 

 閑話休題

 

 とにかく、俺は蘇って、そしてこうして二度目の子供生活を送っている。

 見た目は黒髪黒目の極一般的な日本人のそれで、アニメとかで見るような若干奇抜な髪の色などはしていない。でも周囲を見渡すと、一般人に2次元の中でしか見ないような組み合わせのカラーをした人がそこらじゅうに居るので、やっぱり此処は元居た世界とは何かが異なるようだった。

 

 栗色ならまだ分かるけど、スカイブルーな色の髪したそこの君は地毛なのか?大丈夫?将来、頭髪検査で引っかからない?

 

 

 

 通学路の途中、住宅街の出口にある十字路は通学時間に多くの小学生が行き交う場所となる。この地区の小学生の大半はここで友達と待ち合わせをしてから登校するのだ。

 もちろん、俺と千聖もその例に漏れない。

 

「おっ、来た来た」

 

 角にある電柱の下、いつもの5人は既に待っていた。

 

「よっ涼夜、千聖。今日も2人一緒か」

 

 紅い髪が特徴で、片手を上げて快活な挨拶をしてくるのは宇田川巴。こいつは下に妹を1人持つ"姉妹の姉"である。

 どう見ても活発な男子に見えるが……女だ。

 

「ああ。まあそりゃ、同じ場所から通ってるからな」

 

「はは、だよな。変な事言って悪かった」

 

 その笑いは嫌味一つ無い爽やかな物で、知らない人からすれば彼女が女である事など想像もつかないだろう。

 というか、下手な男よりも漢らしい。

 

 だが女だ。

 

 千聖より背は高く、身長がそれなりに高いと自負している俺と同じくらいである。小学2年生にしてはかなり大きいだろう。いつものメンバーの中では俺と並んで身長はトップである。

 

 だが女だ。

 

 ジーパンに半袖、あと薄手の上着。ボーイッシュなコーディネートが決まっている。

 

 だが女だ。

 

 もう暦の上では秋だというのに、まだ少し暑さが残っている。

 

 だが女だ。

 

 まだ生き残っていたらしい、セミの鳴き声が何処かから聞こえる。今年はこれで聞き納めだろう。

 

 だ が 女 だ 。

 

「おはよっ。今朝は少し暑くない?」

 

「んー、まあな。ところで宿題は終わってるのか?」

 

「今日()ね!」

 

 その隣のピンク髪が上原ひまり。癖しかないいつものメンバーの調整役でノリは良い。しかし、宿題忘れ常習犯である。

 何度怒られても、かなりの頻度で忘れるというひまりの辞書に懲りるという言葉は絶対に無い(確信)

 

「今日は、な」

 

「ひまりちゃんを見てると、宿題は毎日やるものっていう私の考えが揺らぐ気がするんだ……」

 

 そんな風に呟いたのは、前世でも違和感のないダークブラウンの髪色をしたThe・普通といった感じの女の子。

 名前は羽沢つぐみ。通称つぐ。癖しかないメンバーの中で唯一ニュートラルな女の子で、コーヒー店の一人娘。

 

「しっかりしろ、つぐ。大丈夫、モカでさえ宿題はやってくるんだ。間違ってるのはひまりの方だ」

 

「だ、だよね……」

 

「あたしは先生に怒られる時間で寝れると思うからやってるだけだけどね〜〜ふあぁ……」

 

 あくび混じりにそう言ったのが青葉モカ。いつものメンバーの中で1番マイペースな奴だ。趣味は睡眠と豪語するだけあって、暇さえあれば大体寝ている。過去には歩きながら寝た事もある。

 そして寝起きがヤバイくらい悪く、毎日誰かしらがモカの母親とくっついて起こしていないと起き上がらないというレベルであるらしい。俺は実際に寝起きを見た事が無いから分からないが、そりゃ凄いとか。

 こんな調子で、これからある修学旅行や宿泊学習は大丈夫なのか今から不安だ。運良くいつメンの誰かがモカと同室ならいいが……

 

「あ〜〜……眠い。ちーちゃーん、運んで〜〜」

 

「暑い。離れてモカちゃん」

 

「いやん、辛辣ぅ」

 

 モカに抱きつかれた千聖は顔色一つ変えずに引き剥がそうとぐいぐい押し退けようとしている。

 余談であるが、千聖はこのメンバーの一部からは"ちーちゃん"と呼ばれている。一部というのは、この呼び名を使うのが、ひまりとモカしか居ないからだ。

 

「そんなに抱きつきたいなら蘭ちゃんの方に行けばいいのに」

 

「ちょっと千聖。さりげなくあたしを売らないで」

 

「ん〜〜。蘭はねー、ちょっとこの時期は抱きつきたくないんだよねー。主に体温的な意味で」

 

「……あれ?なんでかちょっと悔しい」

 

 謎の敗北感にやられているのは美竹蘭。俺と同じく普通の黒髪で、髪色だけで見るなら一番現実的な色をしている。しかし、目の色がピンクに近いという別世界ならではな色をしたクールビューティー。

 ちなみに、いつメンの中で1番のお嬢様。なんでも家は伝統ある華道の家元なんだとか。しかし、蘭は家の事を話題に出されるのを嫌がるので話をそっち方向に転がさないように気をつけよう。

 

「モカ、千聖といちゃつくのは後にしろ。ほら、もう行くぞ」

 

「はーい」

 

「兄さん、私は別にいちゃついてなんかないから」

 

 この5人に俺と千聖を加えて、更に巴の妹のあこが居ればいつも放課後につるんでいるメンバーが揃う。

 

「そういえば巴、あこは?」

 

「先に行かせたよ。モカを起こすのに手間取りそうだったからな」

 

「今日も寝起き悪かったのか」

 

「モカちゃん的にはあれが普通なんだけどね〜?」

 

「あれで普通とか嘘でしょ……?」

 

 他愛のない会話を楽しみながら学校へ向かう。この時間が俺の1日の楽しみの一つである。放課後の次に楽しい時間であると言えるだろう。

 

 

 

 ▼▼

 

 

 

「そんじゃあ、また後で」

「放課後にね」

 

「ああ。放課後にな」

「じゃーね〜」

「また後でねー」

「涼夜君、千聖ちゃん。また後でね」

「なるべく早くね」

 

 昇降口に設置された下駄箱の位置は、2年生と3年生では異なる場所にあり、当たり前だが教室の位置も違うので、ここで5人とは一旦お別れだ。

 小学生の昇降口はそれなりに混み合っていた。俺と千聖はぶつからないように間を移動しながら、下駄箱に近寄って──

 

「兄さん、こっちこっち」

 

「ああ……そっちだっけ、悪い悪い」

 

 千聖に服の袖をちょいちょいと引っ張られて下駄箱を間違えかけた事に気付いた俺は、下駄箱に書かれた「ほしの」という苗字にまだ違和感が拭えないでいる。

 

 

 星野(ほしの) 涼夜(りょうや)

 それが俺の、この世界で与えられた新しい名前だ。

 苗字には由来があり、施設前に放置されて苗字が分からない赤ん坊だった俺と千聖が、星が瞬く七夕の日に保護されたから、星野、と名付けられたらしい。職員さんからはそう聞いた。そして名前の方の由来は……そういえば何故だろう?保護された夜が涼しかったから、とかだろうか。

 

 改めて名前について考えながら階段を登り、「3-1」とプレートがある教室の前までたどり着く。此処が俺達の教室だ。

 

「おはよう。今日も早いな」

 

「おはようございます。遅刻する訳にはいきませんから」

 

 隣の席に座っているライトグリーンっていうか、なんというか。言葉にできない色の長髪をした人が氷川紗夜さん。歳は同じはずなのに何故かさん付けで呼びたくなる雰囲気な人で、双子の妹を持つ姉である。

 

「おねーちゃん!」

 

「日菜……お願いだからいきなり抱きつくのはやめて」

 

 そしてその妹の方、氷川日菜。紗夜さんと同じく歳は同じはずなのに、こっちはどうも、さん付けは出来そうにない雰囲気である。どちらかというと、ちゃん付けの方が似合っているのは妹キャラだからだろうか?

 日菜は自他共に認める天才で、大体の事なら何でもこなす。しかし、それ故なのか「え?これくらい余裕でしょ?」みたいな悪気のない煽りが多い。俺もやられた。

 

「えー?いーじゃん。私とおねーちゃんの仲なんだし〜」

 

「だからやめなさい。立ち上がれないでしょう」

 

 日菜はお姉ちゃん大好きっ子なので、大体は紗夜さんと行動を共にしている。口ではなんか言いつつもそれに付き合っている辺り、紗夜さんも日菜の事を嫌ってはいないようだ。

 

「今日も元気だな」

 

「あっ涼夜くんハロハロー!千聖ちゃんもハロー!」

 

「おはよう日菜ちゃん」

 

 昼休みと放課後を除けば、俺たちは氷川姉妹と行動している事が多い。巴とか、モカとか、目の前の氷川姉妹とか、千聖とかの大人びた奴らの存在で忘れがちだが、やっぱり俺みたいにいい歳したおっさんが小学生を演じるのは些か無理があるみたいで、変な子供を見るような目で見られる事が多々ある。

 髪の色は気にしないのに、こんな些細な事を気にするのはどうなんだろうと俺は思う。けどまあ、ここはそういう世界なのだと自分に言い聞かせながら、俺は何処か懐かしい小学生の授業を受けるために教科書を広げるのだった。



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体操服は好きだが体育は滅べ(暴論)

無人島千聖さん引けて満足、星4千聖さん居なくて不満足

9/25 話のおかしな箇所の修正


 秋口とはいえ、まだ夏の暑さが残るこの時期に受けるのが憂鬱な授業がある。

 

 それは、夏は炎天下の中で行われ、冬は寒風吹き荒ぶ中で行われる、我々インドア派にとって目の敵な授業。

 

 名前こそ一つであるものの、その実は様々な競技の集合体であり、強制的に色々とやらせてくる授業。

 

 身体の能力差が戦力の決定的な差となってしまう、運動音痴には逆風&逆風な授業。

 

 泳げない俺には夏場は特に地獄と化す授業。誤魔化すのにも限界があるからだ。

 

 その名は体育。弱まる気配のない日差しにガンガン照らされた校庭に俺たちは立っていた。

 

「あっちー……」

 

「あつい……」

 

 ガンガンに照る日差しに千聖と共に陰鬱とした思いを抱えながらも、身体は皆と同じように動かす。準備運動を怠るとどうなるのかは、かつて(前世)の俺が身を以て体験している事だ。いやあ、捻挫は強敵でしたね……。

 

「いっち、にー、さん、しー!」

 

「5、6、7、8」

 

 準備体操の時点でテンション上がりっぱなしの日菜と、それとは対照的に事務的にこなす紗夜さんを前に見ながら、今日の授業内容は何なのか今から戦々恐々としていた。

 

「……ドッジボールとか来たら死ねるよなぁ」

 

「運良く日菜ちゃんと紗夜さんのチーム、ダメでもせめて日菜ちゃんの居るチームに入りたい……」

 

 もし今日の授業内容がドッジボールだったとして、仮に日菜と紗夜さんが敵に回った場合、緩急自在、明らかに小学生に投げられる量ではない球種を持った日菜と男子顔負けの豪速球を持つ紗夜さんの2人相手に逃げ切るのは不可能と言っていいだろう。

 いや、なにもドッジボールに限った話ではない。サッカーでもいいし、ソフトボールでもいい。とにかく二つのチームに分かれるような競技であの姉妹の敵に回るのは避けたい。紗夜さんは本人の負けず嫌いな性格から、日菜は純粋に手加減を知らないので容赦がないのだ。

 

 運動音痴、または苦手な奴はこの時点でお祈りゲーと化す体育は悪い文明なのではないだろうか、俺は訝しんだ。

 

「今日の授業は100メートル走をやります」

 

 

「えーつまんなーい」

 

「日菜、静かにしなさい」

 

 そんな教師の発言に多くの生徒はブーイングをしていたが、俺や千聖を含めた一部の生徒は安堵の息を吐いた。100メートル走という走るだけの単調な授業だが、運動が苦手な人間にはドッジボールみたいな死人が出そう(運動嫌い目線)な競技よりは万倍マシである。もちろん、一番いいのはそもそも授業を受けない事なのだが、そんな無法は小学校はおろか色々と緩々な大学ですら許されないので諦めるしかない。

 

「残念だがもう決まってるんだ。諦めて二人一組に別れろー。組み終わったらスタート地点に集合な」

 

「じゃあおねーちゃん、私と組もう!」

 

「……日菜がそこまで言うなら仕方ないわね」

 

「兄さん」

 

「あいよ」

 

 千聖が伸ばしてきた左手を俺の右手で掴みながら、俺達は走っていった氷川姉妹の後を追うようにスタート地点まで移動したのだった。

 

 

 そしてそれから10分後

 

 

「痛っっっっ」

 

「我慢しろ。もう終わるから」

 

 俺は保健室で傷口に消毒液が染みて悶えている千聖の両手を握っていた。

 どうしてこうなったか、というのは非常に単純。走っている最中に千聖の足がもつれて派手に転んだというだけのことだった。

 

「……やっぱり運動なんて大っ嫌い」

 

「気持ちは分かるよ」

 

 千聖は運動が嫌いだ。出来るとか出来ないとかは置いておくとして、好きか嫌いかと問われれば迷いなく大嫌いだと答えるくらいには運動嫌いなのである。

 

「はい。これでもう大丈夫よ。お風呂に入る時にまた染みるかもしれないけど……」

 

「…………ありがとうございました」

 

 憂鬱がありありと見て取れる表情で処置をしてくれた保健室の先生にお礼を言う千聖は、動くと痛むのか若干顔を顰めて歩き出した。

 

「「失礼しました」」

 

 保健室を後にした俺達は、いっそ清々しいくらいに速度を落として廊下を歩いていく。千聖を労っての行動であるが、それと同時に授業を受ける時間を短くするための姑息な手段でもあった。

 

「なあ千聖。体育の授業が100メートル走だけで終わると思うか?」

 

「うーん……終わらないとは思う」

 

 50分近くある授業時間を延々と100メートル走で費やすという考えはちょっと無理がある。後半の時間には何かしら別の事をやるというのが自然だろう。

 

「だよな……今から憂鬱だ」

 

「頑張って」

 

 心なしかさっきより重くなった足で校庭へ戻ると、そこはボールが乱れ飛ぶ戦場と化していた。つまりドッジボールであった。

 

「うわぁ、うわぁ……」

 

「遅かったな。星野の兄の方はちょうどいいから、人数が少ないチームの内野な。妹の方は……見学でいいか」

 

「先生は俺に死ねと」

 

「嫌なら早く戻ってくるんだったな」

 

 姑息な手は見抜かれていた。まあ普通に考えれば、それほど重症でもない女子の付き添いで10分くらい掛かるのはありえないから当然か。

 ちなみに、人数の少ないチームというのは氷川姉妹と敵対しているチームである。ああ……終わった……。

 

「兄さん……」

 

「千聖。頼むから"可哀想に、これから自ら殺されに行くのね"みたいな目で見るのはやめてくれ」

 

 千聖に見送られながら俺は内野へ入る。なお、残りの人数は俺が入って3人である。満身創痍とはこの事か。

 

「おお、涼夜くん帰ってきたんだ」

 

「ああ、うん、まあな」

 

「しかも敵チーム。むむむ、これは本気を出すしかないね」

 

「頼むからやめてくれ」

 

「じゃあ行くよ〜〜それっ」

 

「聞けぇ!?」

 

 そんな軽い調子で投げられたボールは声の緩さに反してえげつない程のカーブを描いて俺を襲う。日菜は恐らく意図していないだろうが、その軌道は俺の鳩尾を狙っていた。

 

「ちょっ」

 

「おねーちゃん!」

 

「逃がしません!」

 

「んまっ」

 

 避けたボールの行く先には当然のように紗夜さんが待ち構えていて、更に追撃が一発。凡そ小学生が投げるような速さではない球が鼻先を掠める。

 

「日菜!」

 

「えーいっ!」

 

「つぁ」

 

 的確に足元を狙うボールをジャンプして避ける。しかし、空中に跳び上がるという事は着地するまで無防備になるという事で、背中に待ち構えている紗夜さんの攻撃から逃げられないことを意味していた。

 

「そこっ!」

 

「ちょぎっ!?」

 

 つまり、紗夜さんの豪速球を背中で受けなければならないということだ。

 

「兄さん!!」

 

「うっわ、ヤバい音したな」

 

「……はっ!しまったつい、大丈夫ですか!?」

 

「け、結構内側に響くな……」

 

 避けられない相手に、つい、で全力投球する紗夜さんは、ひょっとすると天然なのかもしれないと俺は思ったのだった。

 

 

 

 ▼▼

 

 

 

「よし、集まったな」

 

 昼休み、校庭の一角にいつものメンバーは集まっていた。

 

「りょんりょーん、今日は何するの〜?」

 

「まあ落ち着け。そう焦るな」

 

 片手を上げてそう言ったのは、巴の妹の宇田川あこ。歳は巴の一つ下で現在小学一年生。髪の色が薄い紫みたいな色で何故か巴と髪の色が違うが、ちゃんと血の繋がった姉妹らしい。

 あだ名のネーミングセンスが独特で、涼夜と聞いてりょんりょんに切り替えるセンスは中々の物だと思う。

 

「今日はそうだな……なんかあるか?」

 

「ノープランかよ」

 

「うるさいぞ巴。モカを見ろ、文句一つ言わずに真剣に考えてるじゃないか」

 

 花壇のレンガ部分に腰掛けて考える人のポーズでうつむくモカは真剣なのか、さっきから言葉一つ発さない。よほど真剣に考えてるということ──

 

「……いや、多分これ寝てる」

 

 ──な気がしたがそんな事はなかった。試しに蘭がツンツンしてみても反応がない。

 

「………………モカに期待をしたのは間違いだったかー」

 

「そういえば昨日、お父さんが秋祭りのポスター貼りで腰が痛くなりそうだーって言ってたよ」

 

「マジで?」

 

 モカがダメ(いつも通り)かと思ったら、今度はつぐみから有力な情報が飛び出してくる。この地域の祭りは夏と秋の隙を生じぬ二段構え形式であるから、大方その宣伝のためのポスターといったところか。

 

「よし、ならやるべき事は決まったな。今日の"リトルバス『アフターグロウ』……やっぱダメか」

 

「アフターグロウの方がいいってみんなで決めたじゃん」

 

「そろそろ諦めなよ」

 

「涼夜ってさ、思った以上に強情だよな」

 

「兄さん、約束は守ろ?」

 

 非難轟々である。多数決とは時に残酷な牙になって少数派を駆逐するのだなと、俺は内心で涙をのんだ。

 

「わかったわかった。それじゃあ改めて、今日の"アフターグロウ(Afterglow)"の活動は、商店街で行われているであろうポスター貼りの作業を手伝う事だ」

 

「もし参加させてもらえなかった、あるいは終わっていたとしたら?」

 

「山か川か、どっちかに行こう」

 

「素直に秘密基地と河川敷って言いなよ」

 

「暗号っぽくてカッコイイだろ?なあ、あこ」

 

「だよね!カッコイイ!」

 

 サムズアップで友情を確かめあった俺とあこを、ツッコミを入れた蘭は戸惑いと呆れが入り混じった目で見て、仕方がないと諦めたのかモカの身体を揺らしはじめた。

 

「それじゃあそういう事で、ミッションスタートだ!」

 

 ちなみにアフターグロウという名前は、皆で図書室の和英辞典を必死にめくって調べた名前である。名前を付けるのに英語をわざわざ調べるとかまるで厨二病患者みたいだぁ……。




お察しとは思いますが、某鍵作品の影響をモロに受けてます。


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氷川日菜は絶好調

書いてたら紗夜さんのキャラが崩れてるような気がしてならない。でもタグにキャラ崩壊って付いてるし安心だな(慢心)


 夜。施設に戻ってすることといえば、飯食って、歯磨きして、風呂入って、後は宿題して寝るくらいしかない。

 

「兄さんやって」

 

「はいはい。まったく、髪を梳かすのくらい自分で出来るだろー?」

 

「兄さんより上手くできないもん」

 

「そりゃ毎日俺にやらせてれば上手くもならんよ……」

 

 と言いつつも千聖から櫛を受け取ってしまう俺は甘いのだろう。こっちに背中を向けて座る、ちょっと乱れた千聖の髪を丁寧に梳いていく。この櫛は施設の公用物だから歯が欠けるような乱雑な扱いはできないが、そもそも千聖の髪にそんな乱雑な事はしないので関係ないか。

 

「そういえば千聖、宿題は?」

 

「兄さんとやる」

 

「俺、宿題やるの明日の早朝なんだが」

 

「一緒にやる」

 

「……悪い事は言わないから、目が冴えてる今のうちに」

 

「兄さんと一緒にやる」

 

「…………」

 

 絶対にここは譲らないという鉄の意思を感じ取れる断言具合だった。こうなった千聖は何を言っても自分の意思を貫く一点張り状態になるので、こちらが諦めて折れるしかない。

 どうでもいいが、このやりとりは毎晩のように行われている。そしてその度に帰ってくる答えも同じだ。

 

「……起きれなくても知らんぞ」

 

「私の、じ、じ、"じこうせきにん"だもん」

 

「自己責任な。……あれ?そんな難しい言葉なんで知ってんだ」

 

「兄さんがいつも使ってるじゃん」

 

「ああ、なるほど」

 

 そんな風に何気ない会話を交わすこと数分、千聖の長い髪を梳き終えた。

 

「はい終わり。髪が乱れるような動きはするなよ」

 

「もう終わりなの?もうちょっとやっててもいいのに」

 

「もう梳かす箇所も無いのにどうしろと」

 

 俺は職員さんに櫛を返すために立ち上がった。この施設には千聖しか女の子が居ないとはいえ、借りっぱなしはマズイだろう。

 

「じゃあちょっと行ってくる」

 

「行ってらっしゃい」

 

 職員さんが敷いてくれた2組の布団の片割れに座った千聖に見送られながら俺は部屋から共用のリビングへ出たのだった。

 

 

 

 職員さんに櫛を返してから部屋に戻るまで3分も掛かっていない筈だが、部屋は既に電気が消されて真っ暗になっていた。2組の片割れに座っていた千聖は既に布団に横になっているのが、暗闇に慣れた俺の目で確認できる。

 

 間違って千聖の手足を踏まないように気を付けながら空いている布団に潜る。

 すると、隣の布団がいきなりもぞもぞと動き出した。もぞもぞは徐々に俺が寝ている布団に近寄ってきて、やがて隣の布団から俺の布団に乗り移ってくる。

 

 そのタイミングで俺は上半身を起こして布団を勢いよく捲った。

 

「…………」

 

「…………」

 

 そしてもぞもぞの正体である千聖と目が合った。しばしの見つめ合いの最中で、俺は頭痛が痛くなるような思いをしていた。

 

「……1人で寝るって、約束したよな?」

 

「……えへへっ」

 

 にぱっと満面な笑みを見せる千聖に思わず溜息が零れる。もう小学3年生になるのだし、そろそろ1人の布団で寝られるようにしないとと思った俺が千聖と約束を交わしたのだが、それが守られた事は過去に数回しかない。

 

「ほら、そっちの布団に戻れ」

 

「えいっ」

 

 千聖をガラ空きの布団に戻そうとした俺は、いきなり抱きついてきた千聖の勢いに()されて枕にダイブ。くりくりと可愛らしい千聖の瞳とまた目が合った。

 

「兄さん大好き」

 

「あーはいはい。俺も大好きだよこんちくしょう」

 

 ちょうど鳩尾のあたりに頭をグリグリ押し付けてくる千聖に俺は毎日負けている。どうにかして布団に押し返そうとはしているが勝てた試しがない。

 ……と言えば聞こえはいいだろうが、実のところ抵抗なんて殆どしていない。できる筈もない。

 

勝てないよなぁ……

 

「なにか言った?」

 

「もう寝ようって言った。ほら、そっちの布団に戻れ」

 

「やだ」

 

「やだって、お前って奴は……このまま言い争ってても仕方ないか。今日だけだからな」

 

「やった。兄さん大大大好き!」

 

 なにせ、ふとした拍子に見せる、今のところ俺以外は誰も見たことのないであろうこの満面の笑みに勝てないくらいには、俺は千聖に弱いのだから。

 千聖には勝てなかったよ……

 

「はいはい。分かったから早く寝るぞ」

 

「はーい」

 

 千聖の枕を置いて、一つの布団に二つの枕という場所が場所なら卑猥な意味合いに取れなくもないシチュエーションで寝るのももう慣れた。最初は前世ではお目にかかれないような美少女の寝顔が近くにあるので落ち着かなかったが、月日というのは恐ろしいものだ。

 

「おやすみ千聖」

 

「おやすみ兄さん」

 

 とは言うが、暗がりに慣れた俺の目は向き合った千聖の目とバッチリ合っている。じーっと見つめてくる千聖の意図が掴めないから安心して瞼も閉じれない。

 

「……俺の顔に何か付いてるとか?」

 

「寝る前に兄さんを見てると、なんだか良い夢が見れそうな気がして」

 

「なんだそれ」

 

 …………まあいいか。ただ俺が落ち着かないだけで別に害がある訳でもないし、千聖の好きなようにやらせておこう。

 

 人、コレを思考停止という

 

「まあいいや。早く寝ろよ」

 

「うん。今度こそおやすみなさい」

 

「ああ。おやすみ」

 

 まだ見つめてくる千聖を無視して瞼を閉じるとすぐに眠気がやってきた。ドラなんとかののび某ほどではないが、俺も寝る早さにはそれなりに、じし、んが……

 

 ……ぐぅ

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「ねえねえ、千聖ちゃん達って放課後は何してるの?」

 

 授業終わりの休み時間、次の授業の準備をしていた千聖に身を乗り出して日菜はそう聞いていた。

 

「なにって、普通に外で遊んでるけど」

 

「涼夜君と2人だけで?」

 

「そんな訳ないじゃん。友達と一緒」

 

「へー。千聖ちゃんと涼夜君って友達いたんだ」

 

「おいそれどういう意味だ」

 

 聞いてる俺が思わず言葉使いを少々荒々しくしたのも仕方ないと自己弁護したくなるくらい今のは心にぶっ刺さった。今日も日菜の無自覚煽りは絶好調である。

 

「えー?だって2人ともクラスの人達からは避けられてるじゃん。だからおねーちゃんと同じで友達なんていないのかと」

 

「ちょっと日菜、人聞きの悪いこと言わないで。私にだって友達の1人や2人くらいはいるわ」

 

「本当に?お姉ちゃんのそういう姿、見たことないんだけど」

 

「そ、それは日菜が見てないだけで、別に友達がいない訳じゃ……」

 

 ああ、アレは確実に友達いませんね……………過去に同じ言い訳をした事がある俺が言うんだから間違いない。ソースは俺という奴だ。ちゃうんや、友達を作ると人間強度が下がるから作らないだけなんや

 

「兄さん、大丈夫?」

 

「へ?あ、ああ。大丈夫だ、問題ない」

 

 つい昔の出来事を思い出して遠い目をしてしまった。もう戻れない過去の話なのに、俺は未だに引きずっているらしい。

 

「それで、普段はどんな遊びしてるの?」

 

「何事も無かったかのように聞いてきやがって……」

 

 日菜は今度はこっちに身を乗り出してきていた。あまりの切り替えの早さに思わず呆気に取られる。この滅茶苦茶さにはもう慣れたと思っていたが、そんな事はなかったようだ。

 

「どんなって言われてもな。色々としか答えられない」

 

「例えば?」

 

「商店街で辻ポスター貼りとか、山に行って秘密基地作ったりとか、まあよくある感じだ」

 

「辻ポスター貼りがよくある……?」

 

「わあ……!なにそれ、すっごいるんってきた!」

 

 そんな俺の回答がお気に召したのか、日菜は目を輝かせて更に顔を近づけてきた。おお近い近い。

 そして日菜が更に近づけてきた時、何故か千聖が対抗するように俺の背中から抱きついてくる。我が妹ながら何がしたいのかサッパリ分からん。

 

「ねえねえ涼夜君、私達もそれやりたい!」

 

「ちょっと日菜。私達って、まさか私も含んでないでしょうね?」

 

「お姉ちゃんはやらないの?絶対に楽しいよ?」

 

「うっ……」

 

 紗夜さんの抗議に、日菜が今度は紗夜さんに思いっきり顔を近付けながらそう返すと、紗夜さんは困ったように呻いた。

 

「ねーねー。おねーちゃーん、一緒にやろうよー」

 

「………………………………仕方ないわね、今回だけよ?」

 

「やたっ!おねーちゃん大好きぃ!!」

 

 たっぷり十秒近くの沈黙の末に折れたのは紗夜さんだった。その声色は本当に不承不承といった感じであるけど、日菜にはそんな事は関係ないらしい。それはもう、飼い主に飛びかかる犬の如く紗夜さんに飛びついた。

 

「分かったわ。分かったから離れて、ここは家じゃないのよ」

 

 そんな事を言っている紗夜さんも口元が若干にやけているのを俺は見逃さない。なんだかんだこの姉妹も仲がいいようで何よりだ。仲が悪いより良い方がいいに決まっている。

 

「話は纏まったな。じゃあ昼休みにメンバーと顔合わせるから、時間貰うぞ?」

 

「昼休みだね、分かった!」

 

「紗夜さんもそれでいいですよね?」

 

「そっちに任せるわ」

 

 それだけ言うと日菜はルンルン気分で自分の席に戻っていったが、楽しみで仕方ないという気持ちが所作に現れ出ていた。

 

「…………」

 

「千聖?もう日菜も戻ったし、そろそろ授業も始まるから戻った方が……」

 

 そして千聖はまだくっついていた。

 

 

 

 

 

「というわけで、氷川姉妹だ。元気そうな方が日菜で、ローテンションな方が紗夜さんな」

 

「なにが"というわけ"なのか、アタシにはさっぱりなんだが」

 

 昼休み、いつもの場所で初顔合わせである。初めて見るニューフェイスに興味深々が2人、なにがなにやらといった感じのが2人、どうでもよさそうなのが2人。見事に分かれている。

 

「分かりやすく言うならメンバーが増えた」

 

「聞いてないんだけど」

 

「アフターグロウ憲章の第1条、来る者は基本的に拒まず、去る者は基本的に追わず。を忘れたとは言わさんぞ」

 

「そんな"けんしょう"?なんて初耳なんだけど」

 

 蘭の鋭いツッコミが輝く。アフターグロウ憲章は今作ったから初耳なのも当然だろう。俺がルールだ(キリッ)

 

「まあ良いじゃないか。メンバーが増えればやれる事も増えるし、知り合いの輪も広がる。悪いことではないだろ?」

 

「まあ、そうだけど」

 

「はい、じゃあ決定。氷川姉妹はついでに自己紹介どうぞ。参加の動機とか言ってくれればいいから」

 

「日菜、先にやりなさい」

 

「はーい。氷川日菜でーっす!参加した理由はねー、なんかるんって来たからだよ!

 えっと、後は……ああそうそう、おねーちゃんは友達いないから仲良くしてあげてね!

 

「おい日菜ァ!」

 

 前半までは当たり障りない(日菜基準)自己紹介で安心していたが、やはり日菜は日菜。最後の最後でド畜生発言をぶち込みやがりましたよこん畜生。

 だが当の本人は何がおかしいのか理解をしていない様子。キョトンとしてこっちを見ていて、隣で表情が伺えない紗夜さんの事を気にもとめていない。

 

「どうしたの涼夜君?」

 

「どうしたのじゃねーよ?!誰が紗夜さんの友達事情を暴露しろっつったよ!?」

 

「えー?でもお姉ちゃんって不器用だし、友達になろう!みたいな言葉は絶対に出ないだろうから、お姉ちゃんの友達作る良い機会かなって」

 

「その思いやりは素晴らしいけど言い方!紗夜さんにグッサグッサ刺さってるから!」

 

 その紗夜さんは壁の方へそっぽを向いていた。一見すると堪えていないようにも見えるが、しかし、よく見ると肩が少しプルプル震えているのが分かる。

 

「ああ、紗夜さんが……大丈夫ですか?」

 

「べ、別に友達がいない訳じゃ……そう、友達を作ると勉強の方に支障がでるから作らないだけで、やろうと思えば1人や2人くらい──」

 

「日菜ァ!見ろよこの可哀想な紗夜さんの姿をよぉ!お前のせいで色々と大変な事になってるじゃねーか!」

 

「あははっ、おねーちゃん可愛い!」

 

 今日、俺は紗夜さんのメンタルが思っていたより脆い事を知った。そして日菜の煽りが日に日に鋭さを増している事も。

 

「友達いないって、なんか蘭みたいだよね~」

 

「モカ。アンタはあたしを怒らせた……」

 

 そんなやり取りもあったとか、なかったとか。




でも正直すまんかったと思ってる。


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夕焼け小焼けの赤蜻蛉

昔は5時くらいに夕焼け小焼けのチャイムが鳴ってた記憶があるんですが、今はめっきり聞かなくなったような気がしますね。私の近所だけなのか、それとも……


12/30 一部の訂正と文章の追加


「なっちゃん行くよー!」

 

「いいよー!」

 

「怪我しないでねー」

 

 そんな声に釣られて見てみると、さっきまでやっていた砂遊びは飽きたのか、今度は大きなジャングルジムの上からぴょーんと砂場に飛び降りて盛大に砂を撒き散らすという良く分からない遊びで盛り上がっていた。

 ところで、その横で見守るつぐみが小さいながらも母親のように見えてしまうのは、つぐみ本人の雰囲気がそうさせているからなのだろうか。

 

「つぐー。これ見て、泥団子で人間ピラミッド」

 

「ひまりちゃん、泥団子なのか人間なのかピラミッドなのかハッキリしてよ」

 

 そしてひまりは泥団子をピラミッド状に組み上げ……いや待て、何故お前が幼稚園児みたいな遊びしてんだ。どっちかというと、それはあこの役割だろう。

 

 

 色んな意味で強烈な自己紹介で良くも悪くもメンバーに覚えられた氷川姉妹。その妹の方、日菜はもうすっかり馴染んでいるようで、あこなんて、もう日菜に"なっちゃん"というジュースみたいな渾名を付けている。

 そしてまだ一緒にジャングルジムから飛び降りて笑っている。

 

『………………』

 

「……あのさ、そろそろなんか喋ろうぜ」

 

 そして姉の方、紗夜さんはというと、何か言おうと口を開けかけては閉じるという行動を繰り返していた。さっきの日菜によるぼっち暴露テロが効きすぎたのだろうか。

 まるでこの周辺一帯だけ音が消えたかのようだ。巴も蘭も曖昧な表情で沈黙している。

 

 

 そしてモカはさっきから空を眺めて動かない。何故モカの方から時々"じゅるり"みたいな涎を連想させるような音がするのかは分からない。分かりたくない。

 

「なにか、と言われてもね」

 

「初対面な人に振れる話題なんて無いんだけど」

 

「結構な無茶ぶりやめろ」

 

 

「......その通りだった、悪い」

 

 初対面で高学年に話題振るとか、確かに俺でも無理だわ。今の俺は昔と違ってハイテンションなキャラであるけど、それでも根本の部分は人見知りであるから、その気持ちはよく分かる。

 

「じゃあ紗夜さん、なんかないですかね。質問的なの」

 

「また結構ふわふわしてるわね……でも……そうね。学年も違うのにどうしてこんなふうに集まるようになったのか、とかは気になるわ」

 

「おっと、そう来たか」

 

「どう来ると思ったのさ」

 

「シャラップ蘭。で、集まるようになったわけか。そうだな、あれは今から36万……」

 

「手短にして」

 

 ツッコまれてしまった。しかし、 それはマグロに泳ぐなと言っているようなものだ。それに俺からネタを取れば何が残るというのか。

 

「通学路で知り合う。そのままノリで今に至る、以上」

 

「………………自分で手短にって言って申し訳ないけど、もう少しだけ詳しくお願いできないかしら」

 

「なら移動しながらでも?」

 

「移動、ということは場所を移すということ?」

 

「いぇす。はい全員集合ー」

 

 両手を叩いてパンパン音を出して全員を呼び集める。靴の中に入った砂を地面に落としたりハンカチで濡れた手を拭いたりと、色々フリーダムな面々を前に俺は言った。

 

「よっし、そろそろ行くぞー」

 

「りょんりょーん。今日は何処行くのー?」

 

「久しぶりに山に登るぞ。登山だ、準備はいいか?」

 

「いいともー!」

 

「ちょっと待ってください、山登り?」

 

「山登りだ。ほらあそこ」

 

 ノリノリの日菜に狼狽える紗夜さん。今後もこれがデフォになりそうだ。

 俺が指さしたのは、学校の更に向こうにそびえ立つ小山。山といっても地元の人達がハイキングコースに設定したりするくらい坂も緩くて登りやすい。どちらかというと山より丘といった感じの場所。

 

「まあ、山登りというより丘登りって感じではあるけどな」

 

「それは別にどっちでもいいですけど、しかし何故……」

 

「こまけぇ事はいいんだよ!!」

 

「ええ……?」

 

 強いて言うとするのなら、そこに山があるからかもしれない。つまりはノリと勢い。それ以外にも理由はあるけど、半分くらいはそれが理由だ。

 

 俺の返答(とも呼べないくらい雑な返し)に困惑を隠せない紗夜さん。なんだか一時期の蘭とかつぐみっぽくてちょっと懐かしい。

 

「それに比べて今は……」

 

 反応に初々しさが無くなって久しい。もう慣れてきたのだろう。受け流し方を憶えたともいうか。

 とにかく、弄る側からすれば反応を引き出す難易度が上がったといえる。

 

「この流れでどうしてあたしがやれやれ、みたいな目で見られるのか全然分かんないんだけど」

 

「こまけぇ事はいいんだよ!!」

 

「あ、これ面倒な涼夜だ」

 

「この涼夜君に構ってもしょうがないし、みんな行こっか」

 

『おー!』

 

 蘭命名「面倒な俺モード」な俺に代わって今度はつぐみがみんなを取り纏めて先頭を歩き出す。俺を躊躇なく置いてきぼりにするその切り替えの速さは流石だ。

 こいつらと出会って1年ちょっと。その間に少しの事では動じない心を得た事を喜べばいいのか、それとも動じない心を得た結果の被害が主に俺に降りかかる事に悲しめばいいのか。

 そんな微妙な心持ちとなった放課後だった。

 

「兄さん可哀想」

 

「やめてくれ千聖。その発言は俺に効く」

 

 追撃のようによしよしと頭を撫でてくる千聖の優しさは、傷口に塗り込む消毒液のように身に染みた。

 

 

 

 つぐみを先頭に歩く一行。俺達は住宅街のド真ん中を突っ切り進んでいる。俺は一番後ろを歩いているが、そこに速度を落とした紗夜さんが近くにやってきた。

 

「そろそろ聞いてもいいですかね」

 

「なにを?……って冗談ですよ冗談。そんな目で見ないでください」

 

 あれは今から……さっきも言ったが一年ちょっと前の話か。

 前にも言ったが、いい歳したおっさんが小学生の真似事など出来るはずもなく、当初から完全に奇人変人であった俺と、その妹というだけで千聖は距離を置かれていた。

 

 俺は兎も角として、千聖には今後のために友達の1人でも作って欲しかったのだが、当の千聖が俺から一切離れない為にそれも望めなかった。シスコン的には最高に嬉しかったが、しかし兄としては将来が非常に不安でもあった。

 

「兄さんそんなこと考えてたんだ」

 

「あの時は本当にどうしようかと思った。千聖はまだ分からんだろうが、大人のぼっちは本当に辛いんだぞ」

 

「なんで涼夜さんが大人のぼっちの辛さなんて知ってるんですかね」

 

「おっと、それは聞かないお約束ですぜ」

 

 ソースは俺とか言っても信じてもらえないのは確定的に明らかだし適当に誤魔化す。でも辛いのよ?マジで。

 

「話を戻すけど、俺は千聖の事が心配だった。だから俺と千聖がコイツらと出会ったのは本当に運が良かったんだろうな」

 

「懐かしいな。最初はモカが千聖に間違えて抱き着いた事だったか」

 

「モカってたまにとんでもない事やるけど、あの時が一番びっくりしたなぁ」

 

 巴とひまりも会話に混じってきた。2人も初めの出来事を思い返しているみたいだった。モカの奇行に一番慌てふためいていた2人でもあるし、感慨深いのかもしれない。

 

「……あれ?お前らだいぶ先に行ってると思ってたんだが」

 

「話に夢中で気付かなかったのか?前見ろよ」

 

 言われた通り前方に意識を戻すと、ママチャリに乗ったおばさんと何やらお話し中のつぐみが。

 

「井戸端会議か。つぐみもすっかりママ友扱いってわけだ」

 

「いやいやいや、違うだろ……多分」

 

「流石に小学生のつぐをママ友扱いなんてしないでしょー……しないよね?」

 

 俺より古い付き合いの巴やひまりでも思わず疑問符を浮かべてしまうくらい、つぐみのママ力は上昇してきている。53万なんて目じゃないぜ。

 

「あら、もうこんな時間。おばさんは買い物に行かなきゃいけないから、またね〜」

 

「さよなら〜」

 

 おばさんはママチャリを走らせて走らせて去っていった。

 俺達は事あるごとに街中を走り回っているから、色んな場所に顔見知りの人達がいる。見かける度に変な事をやらかしてる小学生達という認識で、良くも悪くも顔と名前が広まっているのだ。

 

「今の人は知ってる人なの?」

 

「え?」

 

 日菜の問いにつぐみは困ったように首を傾げた。……もしかして

 

「商店街の大掃除をした時にお菓子をくれた人、だっけ。だよね蘭ちゃん?」

 

「覚えてない」

 

「おいおいつぐ。あの人は去年のハロウィンにお菓子をくれた人だろ?」

 

「違うよお姉ちゃん。あのおばさんは給食を作ってる人だよ」

 

「もー!みんな間違えすぎ。あの人はこの前、スーパーでレジ袋が破けて大惨事になってた人でしょ?」

 

 

「お前らェ……」

 

 どれもこれも違うのは、ひょっとしてわざとやっているからなのか?ちなみに答えは毎年夏祭りで綿あめを作っているおばさんである。

 そんな感じで騒ぎながらも、俺達は足を止めることなく小山への道を歩き続けたのだ。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 そうして頂上に着いた時にはもう夕日は傾きはじめていた。一番見頃な時間には間に合ったらしい。

 

「わあ……るんってくる景色だね、おねーちゃん」

 

「るんってくるの意味は分からないけど、綺麗なのは確かね」

 

 それほど高くない丘の上から見る景色だが、ここからでも街を見渡して十分に楽しめる。

 夕焼けのオレンジが街を塗り替えて、昼間よりは大人びた──しかし夜の顔と呼ぶにはまだ幼さを残した表情を浮かび上がらせているようだ。

 

「お気に入りなんです、この時間のここ。ちょっと遠いのはネックですけど」

 

「……何故、私達をここに?」

 

「なんとなく、今日はそんな気分だったので」

 

 もしかしたら紗夜さんは俺の行動に何かしらの意味を見出そうとしているのかもしれない。しかし、今日俺が氷川姉妹をここに連れて来たのはそういう気分だからであり、それ以外の意図はなにもない。

 

「そんな理由で?」

 

「紗夜さんにとってはそんな理由でも、俺が動くにはそんな理由で十分なんですよ。なにせ俺、馬鹿なもので」

 

 馬鹿が深いことを考えても碌なことにならない。なら考えずに思った通りに動いた方がいいだろうというのが俺の考えだ。これはあくまでも持論で、他人に押し付けるようなものではない。

 

「あなたが馬鹿、ね。とてもそうとは思えないのだけど」

 

「俺が多少大人びてるからそう見えるだけですよ」

 

 俺は馬鹿だ。そうありたいし、それでいいと常々思っている。これから先は馬鹿で居られない事を身を以て知っているからこそ、それが許される時期では馬鹿でいたい。

 ……要は1度目では出来なかった事を2度目で行っているだけの話だ。いいじゃん、こんな青春したかったんだよ。

 

「ねーりょんりょん。あれやってあれ」

 

「あれ?」

 

「そうだな……新メンバーも迎えた事だし、いっちょやるか」

 

 見渡せば、ベンチに座ってこっちに注目しているいつものメンバー。そして何が起こるのかワクワクしている日菜と、やはり疑問符の紗夜さん。

 

「──夕日が照らす時間はとても短くて、その時間は一瞬で過ぎ去っちまう」

 

 そういえば、最初にこれを言った時はまだ青空が見える時間だった気がする。

 

「俺達はその一瞬を全力で生きる。みんなで馬鹿やって、その一瞬を掛け替えのない永遠へと変えるんだ」

 

 だから蘭や巴から「夕暮れの時に言えばかっこよかったのに」なんて言われたっけな。

 

「今しか出来ない事をやろう」

 

 公園の砂場遊びをいい歳したおっさんがやると変な目で見られるように、或いは子供が酒や煙草に手が出せないように。物事には出来る時期と出来ない時期が存在する。

 

「馬鹿げた事をやるグループを作る。グループ名は──」

 

 ……まあ、つまるところ

 

アフターグロウ(Afterglow)

 

 今は何も考えずに思いっきり馬鹿をやろうぜ!って事だ。



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とある休日、1組の兄妹

いったいいつまでプロローグ続くんですかね……。

2/4 細かい部分の修正


「んー……」

 

 昼メシも終わり、何をするでもなく寝っ転がる土曜の午後。

 

 土曜、日曜は基本的に活動は無い。休日には個々に予定もあるだろうし、気軽に連絡が取れない今は活動しない事にしているからだ。

 実際につぐみはピアノの習い事があるし、蘭も家が由緒ある華道の家である以上は少なからず稽古的なものがあるだろう。

 宇田川家は一般家庭だが、何かのきっかけで家族総出で出かける事も無いとはいえない。上原家や氷川家も同様だ。

 

 つまり、俺と千聖はヒマ。

 俺達にはお出かけに連れていってくれる家族なんて居ないし、習い事なんてあるわけもない。まさか生前に散々サボりたかった塾に行きたくなる日が来ようとは……この海のリハクの目をもってしても(ry

 

「千聖、腹いっぱいにはなったか?」

 

「うん。お腹いっぱい」

 

 閑話休題

 

 そんな理由で学校に行く事もなく、誰かとバカをやれるわけでもなく、宿題は今朝のうちにもう終わらせている。

 休み明けまで何もする事がなくなった俺は、こうして千聖となにもしないでボーッとしているという訳だった。

 

「そっか」

 

「うん」

 

 無言の時間が訪れる。以前に蘭か巴に指摘された事があるが、俺と千聖は会話の頻度がそれほど高くない。みんなとバカをやっている時もそうだが、こうして2人きりになった時もあまり口を開かないからだ。

 といっても、それは別に不仲だからという事ではなく、千聖が言葉より行動で表現をするタイプだから結果として言葉が少なくなるだけなのだが。

 

 俺が意識を天に飛ばしていると、唐突に俺の上に重みが増した。誰の重さか、なんてのは考えるまでもない。

 

「どうした千聖」

 

「なんでもない。ただこうしたかったから」

 

 ころころ転がって俺の上に乗っかった千聖と目が合った。俺の語彙力が無いからなのか、言葉にできない目の色をした千聖と見つめあう。

 

「千聖」

 

「なに?」

 

 顔がちょっと近くなった。首を可愛く傾げる千聖に俺は口を開こうとして、やめた。話題が見つからなかったわけではない。本当だぞ。

 

「いや、なんでもない」

 

「変な兄さん」

 

 何処か嬉しそうにそう言った千聖は首筋に顔をうずめて頬をぎゅっと擦りつけてくる。激しくはないがゆっくりでもない頭の動きに連動して髪が乱れた。

 

「そんなに暴れると髪が乱れるぞ」

 

「後で兄さんに直してもらうからいい」

 

「だから自分でやれって……分かった分かった。やるからそんな目で見るな」

 

「自分で」の辺りから向けられた悲しそうな目には逆らえず、結局俺は前言を翻してしまうのだった。

 おかしい。生前の時は妹に同じこと言われても突っぱねる事が出来たのに、どうして千聖にはこんなに甘いのだろうか。

 

(……たった一人の家族だから、なのかねぇ)

 

 この世界で俺を産んだ両親は消息不明。他に親戚が居るのかも分からない。生前に家族の暖かさという物を一応知ってしまっている俺は、多少なりともそれを今生でも求めている……のかもしれない。

 でもそれと千聖を甘やかす事とはあまり関係が無いような気がする。アレか、やっぱ可愛いからか?罵倒するわけじゃないが、生前の妹は可愛げが無かったしなぁ。

 

「──さん。兄さん?」

 

「んぅおう、ビックリした。どうした?」

 

 ちょっと思考の沼に嵌りそうだった俺を現実に引き戻したのは、千聖が俺を呼ぶ声と、鼻先がくっつくくらい接近した千聖の顔だった。

 

「散歩しようって言ったの」

 

「散歩か。このままでも暇だし、いいぞ。準備するか」

 

「私はもう出来てる」

 

 顔と重みが離れて立ち上がった千聖をローアングルで見上げる俺。下に履いてるのがズボンで本当に良かったと思う。この体勢でスカートだったらヤバいって。

 

「お前は髪を梳かせ。グシャグシャじゃないか」

 

「じゃあ兄さん、やって?」

 

 上半身を起こした俺の横に座って背中を向ける千聖。その無防備な背中に逆らう術を俺は持ち合わせていない。

 また職員さんから櫛を借りる為に俺は立ち上がった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「風が気持ちいいね」

 

「だな」

 

 土曜の午後、まだ太陽が高い位置にある時間に川のそばの土手を俺と千聖は歩いていた。

 

「いつも皆と遊んでるけど、たまにはこういうのも悪くないね」

 

「1年ちょっと前まではしょっちゅうやってた事だけど、なんか懐かしいよな」

 

 千聖と手を繋いで歩幅を合わせ、なんの目的もなく歩く。1年ちょっと前までは当たり前に毎日やっていた事だが、今となっては懐かしささえ覚える。

 河川敷にある野球場で野球をしている人達を横目に見ながら俺は言った。

 

「どこか行きたい場所とかあるか?」

 

「特には無いかな。兄さんにおまかせ」

 

「いちばんキツいリクエスト頂きましたー」

 

 しかし、そんなキツいリクエストにどう応えるかが腕の見せどころだろう。今こそ俺のエスコート力が試される時!

 

「……よし、行こう」

 

「何処に行くの?」

 

「商店街」

 

 この街の商店街は昔ながらの活気がそのまま残った稀有な場所だ。近くにはショッピングモールもあるというのに、全く押し負けていないどころか逆に押し返しているまである。俺のお気に入りスポットの一つだ。

 

 徒歩数十分で商店街の入り口に到着した。金の無い俺と千聖は基本的に用がない場所だが、暇つぶしには丁度いい。人の営みは見ていて飽きない。

 

「人多いなぁ」

 

「土曜日だもん」

 

 シャッター街しか見てこなかった俺にはこの光景が非常に新鮮に見える。人が多いところはこうも活気に満ち溢れているものなのか、と感動すら覚えた。

 

 

 さて、そんな商店街であるが、ここには知り合いの家が密集しているエリアが存在する。東西南北に伸びた商店街の道が一つに交わる十字路がそのエリアだ。

 

 一つは羽沢珈琲店。つぐみの実家でコーヒーとケーキのセットが人気らしい。俺はコーヒーの味が分からないけど、人が入って繁盛してるって事は美味しいんだろう。

 

 一つはその羽沢珈琲店と道を挟んだ向かい側に店を構える、やまぶきベーカリーというパン屋さん。手作りパンを仲のいい夫婦が売っていて、モカも大好きらしい。この前モカらしくない早口で凄い語ってて蘭がドン引いてた。

 

「あっ、星野兄妹発見」

 

 そんなパン屋の夫婦には娘が居る。皆でバカをやってる最中に、つぐみ経由で知り合った山吹沙綾という名前の彼女は、パンパンに膨らませた小さな手提げ袋を運びながらやってきた。

 

「今日はどうしたの?2人だけなんて珍しいじゃん」

 

「よう沙綾。今日はヒマだったから千聖とデートしてるんだ。ところでその手提げ袋は……買い物か?」

 

「そうそう。土日はいつもお父さんとお母さんが忙しいから、私が手伝ってるんだ」

 

 話に聞いただけだが、沙綾の母親は体が弱くてあまり動けないらしい。だから手伝えるものは沙綾が手伝っていると、目の前の本人から聞いた。「まあ、買い物くらいしかさせてもらえないけど」とも言っていたが。

 

「親孝行でいい事だけど、今日はいつにも増して重装備だな」

 

「あはは……」

 

 首からぶら下がった防犯ブザー。沙綾の物であろうキッズケータイ(防犯ブザー機能付き)。恐らくは母親のものであろう腕時計。腕時計はサイズが合ってないらしくブレスレットみたいになっていた。

 小学生とはいえ、外出に持つには些か過剰すぎる(しかも前半二つは機能被り)装備に、それを着けている沙綾自身も苦笑いしていた。

 

「お父さんがね、沙綾に何かあったら大変だーって言ってこんなに持たせてきて……お母さんも私も、キッズケータイだけでいいって言ったんだけど聞かなくて」

 

「愛されてんなぁ……」

 

 どうやら沙綾の父親はよっぽど沙綾の事が大好きらしいことは、過剰なまでの装備から見て取れた。

 

「っと、そろそろ帰らないと。お父さんにまた高い高ーいってされちゃう」

 

「扱いが完全に園児レベルだな……」

 

「やめてっていつも言ってるんだけどねー……」

 

 とは言うものの、それが嫌ではない事は沙綾の表情で分かる。この発言も照れ隠しの類いだろう。

 

「じゃあ俺達はもう行くよ。またな」

 

「うん、じゃあまた」

 

 

 

 そうして沙綾と別れてから商店街の道をゆっくり歩いていると、沙綾との会話中は沈黙を保っていた千聖が俺の服の袖を引っ張った。

 

「ねえ兄さん」

 

「ん?どうした千聖」

 

「あれ……」

 

 千聖が指さした先には、親子連れに風船を渡しているクマの着ぐるみの姿があった。何かのイベント、というわけではなさそうだ。

 

「欲しいのか?」

 

「違う。いや、違わないけど、あれ」

 

 千聖の人差し指はクマの着ぐるみではなく、どうやら親子連れの方を指さしているようだった。優しく微笑む両親と、その間で風船を持って嬉しそうな子供という普通に見る光景の何が千聖の気を引いたのか。

 

「親子連れか。あれがどうした?」

 

「どうして私達には、お父さんとお母さんがいないの?」

 

 ────それは、

 

「……いきなりどうした?」

 

「別に。ただ気になっただけ」

 

 千聖の内心は分からない。本当に気になっただけなのか、それとも別の意図があるのか。

 

「そっか。しかし、両親が居ない理由か……何でだろうなぁ」

 

「兄さんでも分からないの?」

 

「俺にだって分からない事くらいはある。俺は俺が知ってる事しか知らないからな」

 

 カッコ良く某物語みたいに言ってみたが、言ってる人が俺なので全然カッコ良く思えない。やっぱ発言者とシチュエーションは大事だ。

 

「……どういうこと?」

 

「世の中には俺の知らない事の方が多いってこと」

 

 言い回しに疑問符を浮かべた千聖の頭を撫でながら俺はそう答えた。

 まさか捨てられたなんて真実を言える筈もなく、結果として答えを誤魔化してしまうのは大人の汚い所なのだろう。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 二つの風船が夕焼けに照らされてオレンジ色に染まっている。時折吹き付ける風が少し寒い中、俺と千聖は行きも通った土手を歩いていた。

 

「これ、持って帰っても怒られないかなぁ」

 

「大丈夫だと思うけど、他の奴に割られるかもしれないな」

 

 あの職員さんなら許してくれそうではある。なんだかんだで優しいし。ただ、他の奴らがちょっかいを掛けてくる可能性は高いだろうなぁ。

 

 

「ねーお母さん。今日のご飯は何作るの?」

 

「今日はハンバーグにしよっか」

 

「やたっ!お母さん大好き!」

 

 

「…………」

 

「まあ、割れたら俺のをやるから心配すんな。割られないように俺も頑張るし……千聖?」

 

 すれ違った母親と子供の会話を聞きながら千聖に声をかけたが、返事が返ってこない。

 

 千聖の足は止まっていた。

 

「………………」

 

 その視線の先には、たった今すれ違った母子の姿。

 

「……羨ましいか?」

 

「……ちょっとだけ」

 

 生まれてから母親の温もりなんて感じた事がない千聖には、それはどう映っているのだろう。

 俺には分からない。生前の経験というズルでそれを知っている俺には、両親の愛を知らない千聖の気持ちを計り知ることは出来ない。だけど、それは間違いなく知らなくていい気持ちだろうことは分かる。

 

「……ねえ兄さん」

 

「ん?」

 

「帰ろっか」

 

 そう言って俺の手を握る千聖の力は、いつも以上に強かった。

 

「ああ、帰ろう」

 

 恨むぞ。何処に居るのか、生きてるのかすら分からない千聖の元親たち。



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どんと来い厄介事

はよ本編(高校生)行きてえなあ


 現在の学力を測るツールとして、世界のどこでも行われているものに、テストという忌まわしき物がある。

 中高生は言うに及ばず、たとえ社会に出てもまだ付き纏うそれとは、小学生の頃から付き合わなければならない。

 

「しかしそうか、ならお前とは10年来の付き合いになるのか……」

 

「兄さん……話しかけてもテスト用紙は話さないよ?」

 

 ……聞かれてたのか。ぐぬぬ、このままでは、千聖の中で俺のイメージが"テスト用紙に話しかける変な兄"になってしまいそうな予感がする。

 

「千聖。何故テスト用紙は喋らないと思ったんだ?」

 

「なんでって……」

 

「誰かに言われたからか?それとも、普通は喋らないからか?」

 

 ちょっと口ごもった千聖に畳み掛けるように俺は続けた。

 時に、めちゃくちゃな理論をそれっぽく納得させる方法を知っているだろうか?

 

「うん。普通は喋らないと思う」

 

「でも、もしかしたらこのテスト用紙は喋るかもしれない。このテスト用紙だけは普通じゃないかもしれない。

 そして、それを判断するには話しかけるしかない。だろ?」

 

 めちゃくちゃな理論を勢い良く捲し立てて、相手に思考をする暇を与えずに無理矢理に納得させる事だ。

 蘭なんかは俺を見て詐欺師の手法とか言ってたけど、いや待て、なんでアイツがそんなの知ってるんだ。

 

「だろ?って、そんなこと言われても分からないよ」

 

「そうだ、それは分からない。分からないから試すんだ」

 

 気づいてはいけない美竹家のヤベー闇を脳裏からデリートしながら、口は適当に動かす事をやめない。

 …………ふう。俺のログには何もないな。

 

「分からないから、試す……」

 

「そう。つまり、俺はなんでもチャレンジする心が大事という事を行動で示したのさっ!」

 

 そうやって全力で誤魔化しに走った俺の手元には、そんなテストに赤いインクが走った物。

つまり丸付け済みのテスト用紙があった。ちなみに科目は国語。

 

 学年が学年なのでまだカリキュラムに組み込まれていない英語を除く三科目は、これからの授業で帰ってくるだろう。

 

「ところで兄さん。テストどうだった?」

 

「どう、と言われてもな。まあ予想通りとしか」

 

 算数は言うまでもないが、社会と理科も"まだ"簡単なので凡ミス以外でミスをする事は有り得ない。俺が手も足も出せなくなるのは、理科は中二、数学は高一からだ。社会は……仮にも文系だったし、何とかなる。と思いたい。

 理系科目は滅べ

 

「そういう千聖はどうなんだ?」

 

「私も、まあ大丈夫かな。兄さんのおかげで結構できたよ」

 

 千聖もパッと見ただけでバツの方が少ないテスト用紙だった。あの様子だと8割はカタイな。

 

「おねーちゃんは出来た?」

 

「まあまあってところかしら。日菜は……なんて聞くまでもないわね」

 

「えー、聞いてよー」

 

 そして向こうでは、ゆっさゆっさと肩を掴んで揺さぶられても全く動じずテスト用紙を畳んでいる紗夜さん。

 流石に日菜の姉だけあって扱いを心得ている。あの手の輩は反応を返すと何処までも繰り返してくるからな。

 

 俺がその様子をじっと見ていると、紗夜さん揺すりに飽きたらしい日菜と目が合った。

 

「やべっ」

 

「じゃあ涼夜君、聞いて?」

 

 やべっ、と思った時には既に遅し。日菜に至近距離まで寄られていた。

 ぐいっと顔を寄せてくる──前から思ってはいたけど、日菜って顔を思いっきり寄せて来る癖があるよな──日菜を手で制しながら、こっちにサムズアップを向けてくる紗夜さんに……

 

 っておい待て。あの人ってそんな事するような性格じゃないだろ。

 

「面倒事は他人に押し付ける。実にイイ考えだと私は思います」

 

「誰だよ紗夜さんに変なこと仕込んだの」

 

「「「涼夜さん(君)(兄さん)」」」

 

「なんやて工藤」

 

 クラスメイトの工藤くん(仮)の方に顔を向けると、一瞬だけ目が合った後に露骨に目を逸らされた。

 事あるごとにやっているからか、向こうも俺の扱い方を覚えたようで何より。泣いていいか。

 

 自業自得じゃないですかと紗夜さんに言われると、まあそうなんだけどと返すしかない辺り、俺の日頃の行いがどんな物かは推して知るべし。

 

 ところでサラッと俺をスケープゴートにして自分だけ難を逃れた紗夜さんは、何食わぬ顔でテスト用紙を畳んでいる。知り合ってからの短期間で俺の扱い悪くなりすぎじゃないですかね……。

 

「"俺はリーダーだし、厄介事はドンと来い"って言ってたから押し付けただけですが」

 

「それドンとちゃう、Don'tや。否定形の英単語だから」

 

 英語なんて知りません。ませーん。ちょっとシャラップ日菜(厄介事)。え、酷い。

 なんてやり取りを交わしている休み時間。紗夜さんは俺の手からヒョイっとテスト用紙を持っていくと、ざっと目を通してから一部分を指さして「なんですかコレ」と言った。

 

「何と言われても、漢字の書き順ミスで減点喰らっただけだが」

 

「全部ミスしてるー」

 

「兄さんはいっつもこうだよ」

 

 漢字の正しい書き順なんて忘れちまったぜ…………。

 実際、どれくらいの大人は正しい書き順で漢字を書き続けているのだろう。中・高と上がるにつれて、なんか段々と面倒くさくなってきて、最後には自己流の書き順になるのは誰しもが通る道のような気がするんだが。

 

「ここさえ無ければ満点じゃないですか」

 

「今更直せないんだよ。もう何十年もこの書き方なんだから」

 

「まだ9歳ですよね?!」

 

「心はもう三十路。どうも、星野涼夜です」

 

 実のところ、中身はもう三十路を越えて……いや、止めよう。アラフォーとかアラフィフとか考えたくない。

 いいじゃん、今はまだ若々しい肉体持ってんだから。先に待ってる苦労なんて今は思い出さなくてもさ。

 

「みそじ?」

 

「30代って意味。老いぼれじゃよ」

 

 流石に"中学生ってのはな、もうBBAなンだよ"レベルに極まった思考は持ち合わせていないが、30っていったら、もう大分オッサン入ってると俺は思う。

 

「そこは人の感性によりけりだとは思いますが……」

 

「俺はそうだってだけだな。さて、次の授業の準備するか。理科だっけ?」

 

 ランドセルの中に仕舞ってある理科の教科書とノートを取りに立ち上がる。

 

「うん。今日は教室でやるって言ってた」

 

「あの人、実験室で授業すること多いもんなぁ」

 

 その時に紗夜さんからテスト用紙も回収すると、紗夜さんも無言で自分の席に戻って授業の準備に取り掛かる。

 日菜も同じように準備をする為に自分の机に戻ると、上に放置してあったテスト用紙を持った。

 

 そしてそれを暫し眺めていると、何かを思い出したのか一言。

 

「…………あれっ?結局、聞かれてなくない?」

 

 気付いたか、記憶力の良い奴め。

 

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 秋の入口を通り過ぎて暫くすると、そろそろやって来る行事がある。

 

 体育祭……もとい、運動会だ。

 

 運動会といって真っ先に思い付くのは、俺ならやはりお昼の弁当だろうか。

 親の作った普段の給食とは比べ物にならない豪華な弁当を食べられるというだけで、運動会が存在する価値があるというものだろう。

 

 ……今の俺には一切関係ないがな!

 

 一応、施設の方から弁当は出る。出来合いの奴だけど無いよりマシだ。食べれないのは何より辛い。

 でも、贅沢を言うようで悪いがそれじゃ味気ない。

 

 せめて台所が自由に使える年齢になれば千聖の弁当だけでも作るんだけど……それはこれからに期待だな。

 

 

 ところで運動会恒例のイベントの一つに、学年毎にダンスを踊るという物がある。

 最近になって廃れたと聞いて驚いた記憶があるのだが、それは生前の話だけみたいで、こっちでは普通に踊らされる。

 

 ちなみに俺達の曲は、まさかの"ひょっこりひょうたん島"である。オイオイオイ、懐かしいわこの曲。

 曲選が古すぎてジェネレーションギャップを感じてしまった。俺は分かってしまうから余計に。

 

 周囲の、聞いたことねーよ、的な戸惑いの中で一人遠い目をしてしまったのは記憶に新しい。

 

「夢、夢ねえ……」

 

 そんな、運動会が着々と近付いている途中の学活で出された作文。お題は「夢」について。

 

 スレた大人であった俺には、自分の奥底にある物をさらけ出すような、この手の作文が一番ニガテだ。書いてて自分が汚れているのを実感してしまい嫌になる。

 

 そんな事を言っていても作文が消えるわけでもないので素直に諦め、書く前に男の子がどんな夢を持っているかを想像してみよう。

 サッカー選手、野球選手、テニスプレーヤー、地上最強の男etc……。そういえば、最近はゆーちゅーばー?というものになりたがっているという話もあったか。

 男の子の夢として代表的なのはこれくらいだろう。しかし残念ながら、俺はどれにも当てはまりそうにない。

 

 こういうのは思ったままに書くのが一番なのだろうけど、そうすると今度は『公務員になって安定した生活を送りたいです』とかいう子供っ気の欠片も無い作文になってしまう。

 周囲から変人扱いされている俺ではあるけれど、これ以上の変人レッテルは勘弁願いたいところなのだ。流石に同性の友達が1人は欲しい。

 

「千聖は書けたか?」

 

 なので前に座っている千聖の作文を覗き込む事にした。男女の違い等から丸パクリは出来ないけど、参考くらいにはなるだろうと期待しての行動だ。

 

「まだ五行くらいしか書けてないけど、一応」

 

「てことは、どんな夢を持ってるのかは決まってるのか。参考までに聞いていいか?」

 

 女の子の人気な夢は、お花屋さんとかケーキ屋さんとか看護師さんって物が多かったような気がする。どれも千聖に似合いそうだ。

 

─さ─と──で─らす──

 

「ん?なんだって?」

 

 あまりに声が小さい事と、周囲がザワザワしている所為で上手く聞き取れない。なので耳を近づけると、

 

「……なんでもない。やっぱり内緒っ」

 

 そう言うと作文用紙を胸の前に持って俺に文章を見せないようにした。そこまでして俺に見せたくない夢には興味があるが、見せたくない物を無理に見る趣味はない。

 

「そっか。ならいいや、邪魔して悪かったな」

 

「ごめんね兄さん」

 

「気にしてないから大丈夫。誰にだって見られたくないものくらいあるもんな」

 

 だから千聖が自分から見せてくれるのを待つことにする。

 それは良いんだが、このままだとやはり参考になる物が無い。

 

「という訳で日菜、作文見せてくれ」

 

「いいよー」

 

 ちなみに今の席順は名前順で、紗夜さん、日菜、千聖、俺の4人は縦に並んでいる。

 4人の中で一番背の低い千聖が黒板の字を見れているのかどうかが今の俺の懸念事項だ。

 

 さて、思った以上にアッサリと見る事の出来た日菜の作文を参考に、俺も夢をでっち上げようかと考えながら覗き込むと

 

「……日菜?」

 

「よく書けてるでしょ」

 

 不思議な事に目が文字を上滑りしていくばかりで内容が一向に頭に入ってこない。

 

 ところでこの、るんっ、とかバーン、とかの擬音語が多すぎて意味が分からない怪文書はなんだ。まさかこれを作文と言い張るつもりか。

 

「どう思いますか解説の紗夜さん」

 

「書き直しなさい」

 

 にべもない一刀両断だった。

 

 いい出来だったのにー、なんて言いながら消しゴムを使っているが、いや、それ誰が見ても同じこと言うんじゃなかろうかと。

 

「ちなみに紗夜さんは」

 

「教えません」

 

 ですよねー。

 

 別にこの時間だけで書ききらければならないわけではないとはいえ、白紙の作文用紙を見ていると嫌な気持ちになる午後だった。



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始球式

「野球しようよ!」

 

 事の発端は、あこのこの一言だった。

 

「野球?」

 

「うん、野球!」

 

 急にそんな事を言い出したあこを全員が怪訝な目で見る。あこが間違ってもそんな事を言うようなキャラではないのは、皆が知っている事だった。

 なのでその目線は、必然的に姉である巴に向く事になる。巴なら何か知っているだろうという信頼からの行動だった。

 

「あー……あこ、昨日やってた野球のアニメにハマったらしくて」

 

 目線に晒された巴はそう答えた。

 なるほど、なんだかんだと影響されやすいあこだ。そのアニメが心の琴線に触れたのだろう。

 

 しかし、昨日のか……

 

「……そのアニメのタイトルは"ラジャー"か?」

 

「そうそう」

 

 ラジャーは教育テレビで放送されているテレビアニメで、大リーガーだった親を亡くした小三郎がメジャーデビューを目指すお話である。

 ……身も蓋もない事を言うならメ○ャーのパチモンだ。

 

「九回裏、ツーアウト満塁でツーストライクのピンチでホームラン!そして決め台詞の──」

 

「──コールドゲームだ」

 

 なんつー決め台詞だと初見の時は思ったが、今となっては俺も結構気に入っている。

 それあこのセリフー!と大声を出したあこを宥める役割は巴に丸投げるとして、今日はそれでいいのか。

 

「ちょっと良いでしょうか」

 

「どうぞ」

 

 と、そこで紗夜さんが手を挙げた。

 発言を促すと紗夜さんは俺たちを見渡して、確認を取るように言う。

 

「道具はあるんですか?」

 

 ……全員が隣に居る人と顔を見合わせて、首を左右に振った。全滅である。

 

「やろうにも出来ないじゃん」

 

 ひまりの言葉は、これ以上ない現実となって重くのしかかってきた。

 

「でーもーやーりーたーいー!」

 

「なあ涼夜、なんとかならないかな」

 

 あこが駄々をこねはじめ、巴が俺にそう懇願するが、しかし道具も無いのに野球なんて出来ない。

 せめてサッカーであればどうにか出来たかもしれないが……なぜあこはカミナリ11にハマらなかったのだろう。

 

「気持ちは分かるが、しかし道具が無いことにはどうにも……」

 

「ねえ涼夜君」

 

「なんだつぐ」

 

 今度はつぐみが手を挙げた。何か逆転の秘策でもあるのか。

 

「はぐみちゃんのお父さんが監督やってるソフトボールチームってあったよね」

 

「あったな。何度かヘルプで飛び込み参加した事もあった……ああ、なるほど」

 

 何が言いたいのか、大体の事は分かった。

 商店街で肉屋を営む北沢家。その親父さんに俺は、何故だか非常に気に入られている。

 

 色々やらかしている俺達を見て「若い頃を思い出すぜ」なんて豪胆に笑っていたが、何をしていたのか少し気になるところだが、今回注目すべきはそこじゃない。

 

「借りられないかなって思ったんだけど、どうかな?」

 

「やってみるか」

 

少なくとも、分の悪い賭けではなさそうだった。

 

 

 

◇◇

 

 

 

「借りられた」

 

 商店街の入口で待っていたメンバーに、思ったよりあっさりと借りることが出来た鍵を見せた。

 

「すぐ渡してくれたよね」

 

「それだけ信用されてるんだろ?

 まあ、なんにせよ良かったよ。このままだと、あこがぐずりっぱなしで宥めるのも大変だったからな」

 

 同じ商店街で店をやってるよしみで説得に協力出来ないかと、連れていったつぐみもビックリするくらいのあっさりさだった。あっさり過ぎてなんか怖い。

 

「……なんでそんな微妙な顔をしてるんですか?」

 

「ああいや、なんて言えばいいのか……塩気があると思ったスープが薄味だった、みたいな?」

 

「いや、疑問符を浮かべられましても……」

 

 うん、俺も困惑してるんだ。要領を得ない返答に困惑気味の紗夜さんには悪いが、俺もそうだから諦めてほしい。

 

「みんなー!はやくはやくーー!」

 

「あこ!前見ないで走ると転んで野球できなくなるぞ!」

 

 走り出したあこを追って走る巴。釣られて走る皆。

 

「おねーちゃん達も早くー!」

 

「今行くわ。さ、涼夜さんも」

 

「わーかってますって。今行くぞー」

 

 

 という訳で、辿り着いたのは河川敷にあるグラウンド。平日のこの時間は、川の土手を犬の散歩中の人が通るくらいしか人通りが無い。

 その端っこには道具を保管しているという100人乗っても平気そうな物置があり、その前であこはぴょんぴょんしていた。

 

「はやくっ、はやくっ!」

 

「まあ待て。そう急かすな」

 

 鍵を差し込み、いざ鎌倉。今にも飛び出しそうなあこを手で制しながら物置の中へ踏み入る。

 

「バットが5本にー、ボールの入った籠が4つにー、グローブが……15全部あるな。よし、良いぞ」

 

「「わーい!」」

 

「転ぶなよー」

 

 そう言うや否や、あこと日菜が飛び込んできてグローブとボールを持っていった。

 他のメンバーも持って行くのを俺が見守る中、申し訳程度に注意喚起をした巴は俺の横に立った。

 

「何してたんだ?」

 

「どうせ使うなら、ついでに備品の個数を確認してきてくれと頼まれてたんだよ。ほれ」

 

「ふーん。よっ」

 

「あっ」

 

 直筆のメモをヒラヒラさせると、巴は俺の手からメモをかすめ取って黙読した。

 

「ちゃんとあったのか?」

 

「ああ……にしても、手癖悪いなお前」

 

「ありがと。褒め言葉として受け取っとく」

 

 グローブを一つ掴んで物置から出た巴の後を追うように俺も適当なグローブを見繕って装備する。

 そして物置から出ると、蘭がマウンドに上がっていた。

 

「この短時間で何があったし」

 

「モカに乗せられたんじゃないか?」

 

 バッターボックスの方を見ると、バットを握って打席に立つモカとが居る。

 キャッチャーは居らず、普段は控えの選手や監督が座っているであろうベンチで皆が声援を送っていた。

 

「なんだろう、ぐだぐだになる未来しか見えない」

 

「初心者同士だしなぁ」

 

 一先ず2人の邪魔をしないように外野の方をぐるっと回って行くことにした。

 足を1歩前に踏み出しながら、モカがボールをぶっ飛ばしたら誰が取りに行くつもりだったのか、と考えずにいられない。

 

「でも、裏を返せばいい勝負にはなるってことじゃ──」

 

 そこから先の言葉を俺は聞くことが出来なかった。いや、聞く余裕が無かったという方が正しいか。

 視界の端から何かが迫って来るのを感じた俺は、そっちの方向へと顔を向けた。

 

 ボールが俺を目掛けて飛んで来ていた。

 

「はぁっ!?」

 

 咄嗟に避けられたのは、それこそ奇跡のようなものだった。

 条件反射で動く体。鼻先を掠めるボール。尻もちをつく俺。物置に激突するボール。

 

 全員が呆気に取られて、空気が静まり返った。心臓の鼓動がやけに五月蝿い。

 

「兄さん大丈夫!?」

 

 いち早く正気に戻った千聖が動き出すと、それを見た他の皆も駆け寄って来た。

 

「どこも怪我とかしてない?!」

 

「ああ、うん。大丈夫。とっさだったが、なんとか避けられた」

 

 ほっと胸をなで下ろす千聖。その直後に忙しなく周囲を見渡したかと思うと、ちょっと離れた所に居た蘭を見つけて手招き。

 こっちからは千聖の表情を窺い知る事は出来ないが、間違いなく怖い事になっている。蘭の怯え方がそう示している。

 

「兄さんに言う事、あるよね」

 

 底冷えするような声色に、俺を除く全員が1歩後ずさった。

 千聖は気付いていないかもしれないが、マジギレした時の声色には覇気のようなものがある。人を萎縮させるオーラと言えばいいか。

 

「その……ごめん」

 

「いや、大丈夫だ。幸い直撃はしてないし、驚いたくらいで済んだから気にしてない」

 

 強いて言うならズボンと掌が土まみれになった事くらいで、被害らしい被害は無かった。

 心臓の動悸も収まりつつあるのを、俺は掌の土をはたきながら感じた。

 

「蘭、もう1度マウンドに上がれ。手の空いてる奴は全員で外野に分散だ。俺はキャッチャーをやる」

 

『えっ』

 

「でも……」

 

「モカとの決着はまだ着いていない。そうだろ?」

 

 俺は立ち上がり、そして有無を言わさぬ足取りでキャッチャーバッターボックスの方へ向かう。

 

「勝負は一打席。一球でも打つか、フォアボールでモカの勝ち。逆に一球でもストライクを取れば蘭の勝ちだ」

 

「三振じゃないのか」

 

「蘭には無理だと判断した」

 

 さっきの暴投は間違いなくワザとではない。蘭にそんな事をするだけの悪意は無い、はず。少なくとも恨みを持たれる覚えはない。

 となると考えられるのは、蘭が想像を絶する……いや、神に愛されたレベルでのノーコンであるという可能性だ。

 

「さあどうする蘭。この勝負、受けるも()()()も、お前次第だ」

 

 こう言っておいてなんだが、蘭が逃げないだろう事は確信していた。

 蘭は負けず嫌いだから、こうやって選択肢を出した時は決まって挑戦する方を選ぶ。

 そして今回は、敢えて"逃げる"を強調するオマケ付き。これで受けない蘭ではないだろう。

 

「……やる」

 

 計 画 通 り

 

 マウンドに上がった蘭と、いつものぼんやりとした面持ちでモカがバッターボックスに立つ。他のメンバーは外野へ散った。

 俺も急いで移動しようとすると、誰かに腕を掴まれた。

 

「お、おい」

 

「巴か。早く外野に行かないと、いい席はみんな取られちまうぞ?」

 

「なんで、あそこまで蘭を焚きつけんだよ。さっきも危なかったんだし、もう終わりでいいだろ?」

 

「何故?それは愚問だな巴」

 

 そんなこと決まっているだろう。

 

「その方が燃えるからだ」

 

 燃える展開には緊張感が付き物だ。緊張感とは、ここでいうところのリスク。即ちスリル。

 いつ暴投が起こるかというスリルと、どちらが勝つかという緊張感は間違いなく他では味わえない。

 

「…………お前に理由を求めたアタシが馬鹿だった」

 

「疑問が解決したなら腕を解放してくれ。蘭がこっち見てる」

 

「ああ、悪い。……でも何故か釈然としねぇ」

 

 まだ疑問が残っているようだが、一先ずは納得してくれたらしく、巴は外野へと小走りで向かっていった。

 

「トモちんと何話してたの〜?」

 

「明日の天気の話」

 

「ふ〜ん」

 

 キャッチャーがやってる顔を保護するやつは無いが、別に無くても問題はないだろう。どうせ、こっちには飛んでこない。

 

「さあ蘭。今、試合は九回裏のツーアウト満塁でツーストライク。一球でもストライクを取れればお前の勝ちだ」

 

 蘭は無言で頷いた。やる気は十分のようだ。

 

「さあ、今こそモカとの決着をつける時だ。プレイボール!」

 

 

 

 まず一球目。大きく振りかぶって投げられた蘭のボールは、やはりあらぬ方向へ飛んでいった。

 

「お前の力はこんなもんか、蘭!」

 

「まだまだ……!」

 

 

 

 外すだろうとは思っていたので、予備のボールはキッチリ用意してある。

 

 それを蘭に投げ渡し、続いて二球目。

 

「さあ、来い!」

 

「っ!」

 

 投げる前に、蘭の目から焦りが見えたような気がする。

 結果はまたも外れ。今度は真横に飛んでいった。

 

 

 

「まだ終わりじゃねえ、三球目行くぞ!」

 

 残りは二球。蘭の目だけでなく、動きからも焦りが見えはじめた三球目。

 

 投げたボールは斜め前に飛んでいった。

 

 

 

「……蘭、これで最後だ」

 

 残るは一球。正真正銘、ラスト一球。

 

「難しい事は考えなくていい。ただ、ただ真っ直ぐに投げることだけを考えろ」

 

「………………それが出来たら」

 

「苦労しない、だろう?言いたいことは分かる。だけどな、こういうのはイメージだけで良いんだと俺は思うぞ」

 

 イメージトレーニングという言葉が存在するように、想像するという行為は体を動かす上で大事な事だと思われる。

 俺個人の勝手な推測だが、赤い弓兵も似たようなこと言ってたし間違っていないと思いたい。

 

「イメージするのは、常に最強の自分だ」

 

「最強の、自分……」

 

「ああそうだ。ストレート一発でバッターを打ち取る、理想の美竹蘭だ」

 

 閉じていた蘭の目が開かれた。そこにもう焦りは無く、あるのはいつもの冷静さのみ。

 

「……見えたか」

 

「──行くよ」

 

 モカがバットをキツく握りなおした。こころなしか、蘭が身動ぎをするだけで空気がざわめくような気がする。

 

 蘭は大きく息を吸い、そして振りかぶった。

 

「いっけぇえええぇええぇええぇぇぇぇえ!」

 

 全力の気迫と叫び声と共に放たれたボールは、さっきまでの暴投が嘘のように真っ直ぐに突き抜けて、そして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「茶番だぁあぁあああああぁああああああぁああああふっ!?」

 

 ()()()()立っていた巴に直撃した。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「な、なんで、真後ろに……」

 

「いや、うん。俺も予想外だわ」

 

 ちょっと蘭のノーコン度合いを舐めていた。まさか、まさかニュータイプ撃ちをするなど誰が予測できるのか。

 

「ごめん巴……」

 

「い、いや、気にするな……うぷっ」

 

 どうやら鳩尾に直撃したらしい。今なお苦しそうな巴に蘭も物凄く落ち込んでしまっている。

 

「Mission:蘭のノーコンを矯正せよ。は失敗か……」

 

「いやいやいや、アレは1日じゃ直らないと思うよ」

 

「それこそ何年も掛けて直るか直らないかのレベルな気が……」

 

 ひまりやつぐみの言う通り、アレは確かに一筋縄でいきそうなものではなかった。年単位の月日を費やす必要がありそうだが……それはそれで面白い。

 

「なら特訓だな」

 

 修行で主人公が更なる力を得る、あるいは欠点を克服するのは王道だ。意味もなく山籠りをして強くなるとか、昔のバトル物なら必ずあった展開だしな。

 つまり燃える展開ということだ。

 

「ダウンしている巴さんに変わって、一応聞いておきます。理由はなんでしょう?」

 

「お約束ありがとう紗夜さん。理由は無論、燃えるからだ!」

 

 俺の中ではの話だが、もう蘭は完全に野球漫画の主人公という事になってしまっている。

 それはそれで間違った配役でもなさそうなのは、蘭の隠れた主人公オーラを俺が感じ取ったからなのだろうか。

 

「あたし、別にノーコンのままで良いんだけど」

 

「そんなこと言って、本当は怖いんじゃないのか?」

 

「なに?」

 

 蘭の動きが再び止まった。

 

「なんだかんだで優しい蘭の事だ。もしかしたら皆に迷惑が掛かるかも、と考えているんだろう」

 

「それは……」

 

「だがな、皆のためを思うなら、お前は余計にノーコンを克服すべきだ」

 

 何故か?理由は単純な事だ。

 

「近い将来、お前は体育でボールを扱うスポーツをやる事になるだろう」

 

「ボールを投げなきゃ良いだけだし……」

 

「だが、その逃げがいつまでも通じると思ったら大間違いだ」

 

「でも……」

 

「諦めろ蘭。こうなったら涼夜は梃子でも動かない」

 

 回復したらしい巴が蘭の肩に手を乗せて言った。そうしてから、それに、と蘭から目を逸らして言葉を続ける。

 

「正直な話、こんなレベルのノーコンのままだとアタシ達の命が危ないっていうか……」

 

 蘭はモカを見た。目を逸らされた。

 

 蘭はつぐみを見た。愛想笑いをされてから目を逸らされた。

 

 蘭はひまりを見た。頷いていた。

 

 その反応が全員の総意だった。




蘭は『神に愛されしノーコン』の称号を手に入れた。


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芋あるところに奴らアリ

 子供の体温は高いという話を聞いたことがある。

 

 かつての頃はそれが本当かを実証する事が出来なかった。独身だったし、そもそも彼女いない歴が年齢だったし。妹夫婦の間にも子供はいなかったからだ。

 しかし今、俺は自信を持って断言をする事ができる。

 

「兄さんの身体、あったかい……」

 

「お前も暖かいよ千聖」

 

 やべぇ、超あったかいナリィ……。

 

 冬場の寒い時期、布団のお供に子供の体温と同じ温度で抱き枕を売れば儲かるんじゃないかと、茹だった頭でそんな益体もない事を考えた。

 キャッチコピーはそうだな……貴方の布団に温もりを、とかどうかね。

 

 

 布団から起き上がるのも辛い休日の朝、俺と千聖は一つの布団の中で互いを抱き枕として寝ていた。

 この時期くらいから寒さが骨身に染み……てくるのはオッサンの頃だったか。

 

 何度目になるかも分からない若さへの感謝を捧げながら、ぎゅっと千聖を抱きしめた。

 

「わっ……」

 

「おっと悪い。暑苦しかったか?」

 

「ううん、違うの。ただ驚いただけだから気にしないで」

 

 体を離そうとした俺の腕を千聖が掴んだ。

 寝起きでそれほど力が入らないのか、平時より弱々しい掴みだったが、その懸命な仕草に俺は萌えた。

 

 今の千聖はなんか、こう……子猫というか、小動物みたいな可愛らしさがある。

 

「なら良いが……暑くなったらすぐ言えよ」

 

「うん」

 

 内心では萌え悶えているが、表面上はそうとバレないように取り繕うのは得意だ。

 表情を取り繕う、話題を逸らす、誤魔化す。は大人が持てる三種の対人テクである。

 

「兄さん」

 

「ん〜?」

 

「今日は何しよっか」

 

 今日は休日であり、それ故にグループでの活動は無い。そして誰かを遊びに誘おうにも、個々人の詳しい予定なぞ把握していない。

 

「んー……」

 

 あんまり動かない頭脳で考えた結果、俺が出したのは

 

「今日はこのまま、のんびりするのもアリじゃないか?」

 

 これから運動会等で忙しくなるし、それに常に出てなければいけない理由があるでもない。

 そして身も蓋もない事を言うなら、外に出るのが面倒臭い。

 

「兄さんが良いなら、私はそれで良いよ」

 

「じゃあ決まりだな。よっし、今日は寝溜めするぞ〜」

 

 千聖の同意も得られた事だし、今日はそういう方向で行こうと俺は決心した。

 そうして気合を入れて、いざ二度寝。と洒落こもうとした所で、カーテンの隙間から太陽の光が射し込んできた。眩しい。

 

「……と言いたい所だけど、太陽が上りはじめたって事は、もう起きないとダメな時間だな」

 

「ダメなの?」

 

「ああ。残念ながらな」

 

 布団の中の温もりをもっと感じていたいという欲求に抗いながら、俺は上半身を起こす。

 

「よっ」

 

 秋の早朝の空気は、本格的な冬場のそれよりは幾分マシだが、それでもやはり冷える事は冷える。上半身だけだからマシだが。

 ……一瞬、前言を翻して布団に戻ろうかと真剣に考えた。

 

「……やっぱり寒いね」

 

「寒いなら布団に潜ってていいんだぞ?」

 

 俺も戻りたいから。という言葉は必死に飲み込んだ。リーダーたるもの、発言には責任を持たねばならぬ。

 

 ところで上半身であるが、俺と同様に身体を起こした千聖に抱きつかれていた。千聖も寒いと言ったのはこの所為で、今も身体をぶるりと震わせている。

 

「兄さんであったまるから別にいいもん」

 

「俺は湯たんぽか何かか?」

 

 俺が呈した苦言は千聖には届いていないようで、無言のまま抱きつく力が強くなった。

 

 ちょっと身体が痛くなるくらい強く抱きしめられ、身体も自由に動かせないけれど、それでも振りほどく気にはならなかった。

 ならなかったが、しかし、このままやられっぱなしも性にあわない。

 

「お前がそう来るなら俺も……」

 

 なので抱きしめ返した。抱きしめた拍子に千聖が身体をビクッと震わせたりしたが、まだ寒かったんだろうか。

 

「こうすれば2人とも暖かくなれるだろ」

 

「それも……そうだね」

 

 うむ、暖かい。空気に冷やされた頭の片隅では"何をやってるんだ俺は"という自責の念が目覚めたが、それは見なかった事にした。一々そんな事を気にしてたら、バカなんてやっていけない。

 

 そうして暫く動かないでいると、千聖から「くしゅん」とくしゃみをした音が聞こえる。

 

「寒いか?」

 

「さむ……くないよ」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

 明らかに強がっている千聖に、俺はちょっとしたイタズラを思いついた。千聖からは見えていないだろうが、俺はニヤリと笑っている事だろう。

 

「そうか。でも俺は寒いから布団に潜るよ」

 

「えっ?」

 

「だから手、離してくれるか?」

 

 抱きついていた身体を離そうとすると、そこにあったのは困ったような千聖の顔。

 まさか、俺がこんなことを言うとは思わなかったという内心が、ありありと浮かび上がっている。

 

「えっと……」

 

「どうした?早く離してくれないと、俺が風邪ひくかもしれないぞ」

 

 興が乗ったので追撃の言葉を放つと更に千聖の混乱は加速した。

 見てわかるレベルで狼狽した千聖に満足した俺は、「えっと」としか言わなくなった千聖を再び抱き寄せて布団に倒れ込む。

 

「なーんてな。冗談だ、冗談。お兄様ジョーク」

 

「えっ……?あっ、もう兄さん!」

 

 ようやく俺にからかわれたという事を理解したのか、千聖の顔がカッと赤くなった。

 

「あっはっはっ、千聖はからかい甲斐があるなぁ」

 

「もう、兄さんのバカ!」

 

 千聖が胸をぽかぽか叩いてくるが、本気でないのか全く痛くない。

 しかしその小動物的な動作は俺の精神にダイレクトアタックを仕掛けてきて、俺の精神は萌え尽き一歩手前である。

 

「千聖は可愛いなぁ」

 

「そんなこと言っても誤魔化されないからね!」

 

 ぽかぽかの威力が強くなった。

 

 

 そんなわけで、今日の始まりは俺達にしては珍しく騒がしかったけれども、たまにはこんな始まりも悪くない。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 遠くに見える山々も色付いて、次第に緑からオレンジや黄色に変化する今日このごろ。

 日に日に色付く葉を見ていると、「ああ、秋なんだなぁ」と目で実感できる。近所のイチョウの木とかも色付き始めているし、秋って感じだ。

 

 ところで秋といえば、ザクザクと落ち葉を踏んで歩く事も醍醐味の一つだと思っているのは俺だけだろうか。音で聞く秋の代名詞だと思っているのだが、

 

「そこのところ千聖はどう思う?」

 

「よく分からないけど、落ち葉踏むのは楽しいよね」

 

「だよな」

 

 さて、施設では、たまーに職員さんを含めた全員でボランティア活動をする日が設けられている。

 1ヶ月に1回はこの日があって、いつもは土日のどちらかだ。稀に祝日の日もある。

 生前でも高校生の時にボランティア活動をやらされたりしたが……まあ、当然ながら嫌々なので作業効率はあまり良くなかった。堂々とサボる奴も居たしな。

 

 小学生なんて遊びたい盛りなのだし、遊ぶ時間が潰れるこの日が来るのを大変嫌がる奴らも多い…………ように思える(というか思っていた)が、実はそんな事はなく、むしろ喜ぶ奴の方が多い。

 

 俺も当初は首を傾げたが、昨今の遊び事情を知って納得がいった。最近の子供は遊ぶ時にゲーム機(ピコピコ)を多用するらしい(おっさん並感)。

 しかし、当然の事ながら施設の子供はゲーム機など持ってる筈もなく、周りの会話に合わせられなくて大変らしいのだ。

 

 その点、最初っから変人扱いされている俺は気が楽でいい。イマドキの小学生と話題を合わせなくていいし、向こうから来ることも無い。

 氷川姉妹?あの2人もぶっちゃけ変人だしノーカンでしょ。

 

 

 

 そんなボランティア活動の本日の舞台は、商店街近くにある大きい公園だ。

 真ん中にはでっかい噴水があり、更に何故か小さいプールが備え付けられているので、夏場は水遊びをする子供で溢れている。

 

「とうちゃー……お?」

 

 ところで職員さん曰く、本日のボランティア活動は、事前に集められた人達と合同で行うものらしい。

 そしてその人達は商店街の人達が主になっているようだ。この公園の清掃業務なんかはボランティアで率先して商店街が請け負っているらしい。

 

 何が言いたいかというと、つまり……

 

「やはりというかなんというか……」

 

「沙綾ちゃんとつぐみちゃんだ」

 

「あ、星野兄妹だ」

 

「涼夜君と千聖ちゃん?どうして此処に……」

 

 商店街に住居を構えるつぐみや沙綾と鉢合わせするという事である。知り合いが居た方が気が楽だから好都合だけどな。

 

「施設で月一やってるボランティア活動の一環でな。今回はたまたま此処だった」

 

「へー、そりゃまた凄い偶然」

 

「だな。ところで、俺達はどうすれば良いんだ?」

 

「それはこれから説明されるよ」

 

 説明された事柄を簡単に纏めると、子供たちは何人かでグループを組んで、そこに大人が1人着く。

 それを1グループとして、可能な限りグループを組んでいくといった具合だ。

 

「つまりこのままでおkという訳だな。4人なら十分だろ」

 

「じゃあ役割決めようよ。皆は箒とチリ取りと、どっちやりたい?」

 

「箒は任せろーバリバリー」

 

「兄さんが箒やるなら私も」

 

「じゃあ涼夜君と千聖ちゃんで箒をやって、私と沙綾ちゃんでチリ取りを……って涼夜君はなんで急に落ち込んでるの?!」

 

「お気になさらず……」

 

「あはは、相変わらず涼夜は面白いなー」

 

 そうだよな……小学生にこんなネタが通じるわけないよな……。

 自信満々で放ったネタがスルーされた悲しみからか、なんだか寒風が身に染みた。

 

 

 

 

 

 

 

「そういえば涼夜くんって、まだ9歳なのよね」

 

 俺達に着いた大人は施設の職員さんだった。

 適当に談笑しながら暫く掃除していると、職員さんは落ち葉でいっぱいになったゴミ袋の口を縛りながら徐にそう話しかけてきた。

 

「ええ、そうですけど……それが何か?」

 

「ああ、いやね。涼夜くんがあんまりにも大人びているからねー、偶に同年代か年上と間違えそうになるのよね」

 

「ほー……そうなんですか」

 

「で、でも、あくまで私の主観だからね?私が知らないだけで、涼夜くんにもきっと子供らしい1面がある事は──」

 

 俺が顔を背けた事をショックを受けたのだと勘違いしたのだろう。職員さんが必死にフォローを入れてくるが、俺はそれを一切聞いていなかった。

 むしろ、この人勘が良いな。と内心では驚いていたくらいだ。

 

 それに、子供らしくない。だなんて陰口として言われ慣れている。

 我ながら嫌な慣れだと思うが、今更こんな風に言われたところで何も嫌な感じはしない。むしろほっこりする。

 

 そんな俺の実情など知る由もない職員さんは、「あはは……」と乾いた笑いでお茶を濁した。

 

「確かに、涼夜君ってちょっと大人びてるよね」

 

「分かる分かる。なんかこう、落ち着きがあるっていうか」

 

「そう!そうでしょ?!やっぱりつぐみちゃんと紗綾ちゃんもそう思うよね!」

 

 つぐみと沙綾の言葉に便乗する職員さんを見ると、もうどっちが大人なんだか分からない。

 この場合はつぐみと沙綾が大人びているのか、それとも職員さんが子供っぽいだけなのか、あるいはその両方か……判断に迷うところだ。

 

「積んできた経験が違うからな」

 

「なんでだろう、凄い説得力を感じる」

 

 ちょっとドヤ顔して胸を張ってみたところ、露骨に生唾を飲み込んだ職員さんからそんな言葉を頂いた。

 

「その経験があるから、蘭ちゃん達を上手く乗せられるのかな」

 

「多分な。これでも人の扱い方には多少の覚えがあるんだ」

 

「…………本当に9歳なんだよね?」

 

「気持ちは分かるが失礼だな沙綾」

 

 確かにこんな9歳児が居たら俺も年齢のサバ読み疑うけどさ。でも事実なんだから仕方ないじゃないか。……肉体年齢は、だけど。

 誰も中身の年齢なんて言ってないし、そもそもそんな事を言っても信じられないからね、仕方ないね。

 

「そんな事よりお前ら、手が止まってるぞ。特につぐみ、千聖が"さっさとやれ"と言わんばかりの目で見てるから、急いで動かさないと」

 

「え?あっ、ごめんね千聖ちゃん!」

 

 さっきから黙々と箒を動かしていた千聖はチリ取りの上にこんもりと落ち葉を集めている。一言でも声をかければ良かったのにそれをやらなかったのは、会話の邪魔しちゃ悪いとでも思ったからなんだろうか。

 

「大変そうだなー」

 

「お前もだぞ沙綾」

 

「え?うっわ、いつの間に?」

 

「駄弁ってる間にも手を休めないのが俺だ」

 

 口しか動かさないなど三流のする事だ。二流の人間ならば口と手を同時に動かす。

 二流ってなんだよとか、一流じゃないのかよ、なんてツッコミは受け付けない。

 

 そもそも一流の人間なら終わらせてから駄弁るに決まっている。

 

「そうですよね?」

 

「暗に私の事を三流って馬鹿にしてるよね」

 

「滅相もないです」

 

 でも自分からそう言い出すって事は自覚があるって事で嘘ですごめんなさいだからその怖い笑顔を止めて欲しいんですけど

 

「今のは涼夜君が悪いよ」

 

「そうだよ兄さん。いくら事実だからって、指摘したら可哀想だよ」

 

「千聖ちゃんは私をフォローしたいの?それとも死体蹴りしたいの?」

 

 ?マークを浮かべて首を傾げる千聖は、どうやら本気で分かっていないようだった。恐らく日菜の畜生成分が伝染ったのだろう。今度学校で文句言ってやる。

 

「えっ?職員さんって死んでるんですか!?」

 

 そして此処でつぐみが勘違いスキルを発動。きっと死体蹴りの"死体"の部分だけで判断したに違いない。

 

「つぐみちゃん待って、死体蹴りってそういう意味じゃなくて」

 

「どうしよう沙綾ちゃん。私達、聖水も十字架も持ってないよ!」

 

「じゃ、じゃあ、えっと、他に効きそうな武器は……」

 

「沙綾ちゃんも乗らないで!?ど、どうしよう涼夜君!」

 

 

 

「兄さん……私、怖い」

 

「安心しろ千聖。何があっても、俺はお前を守る……ふふっ」

 

 きっと、というか間違いなく信じちゃってる千聖を抱き寄せながら、俺は必死に笑いを抑えていた。

 勘違いを解こうと思えばすぐだろうが、こんな面白い勘違いをわざわざ訂正する理由とかある訳ないよなぁ?

 

「笑ってる!ほら、涼夜君が笑ってるから冗談だよ!私はちゃんと生きてるからぁ!」

 

「いや、これは恐怖から来る体の震えですよ」

 

 笑いを堪えているとか、そういう事実は無い。無いったら無い。この震えは武者震いとかの類いであり、それ以外の意味は無い。

 

「涼夜君!他に効きそうな武器って知らない?!」

 

「ニンニクだな。職員さんはニンニクが苦手だったから、きっとその特性を受け継いでいるに違いない」

 

「私の苦手な物をバラしつつ、さり気なく死体扱いしないで!?」

 

「わ、私、お母さんに言って持って来てもらってくる!」

 

「私も!」

 

「つぐみちゃんと沙綾ちゃんストーップ!!それは、それはマズイから!」

 

 勘違いが勘違いを呼び、色々極まって走り出したつぐみと沙綾の後を職員さんが追う。

 

「わあああああああああああ!?追って来たああああああああああああああああ!!」

 

「お母さーーん!お母さーーーん!」

 

「誤解だから!誤解だからぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 つぐみと沙綾の言葉だけを聞くと、完全に不審者に追いかけられている小学生のそれである。

 でっかい噴水の周りをグルグル周回している3人を見て、千聖が俺の服を掴む力が強くなる。

 

「兄さん……!」

 

「だいwww大丈夫だwww千聖はwww絶対にwww守るからwww」

 

「笑ってんじゃないよ!!こっちは真剣なのにぃ!」

 

 いや、こんな間抜けな状況で真剣なんて言われても真剣さが感じられないというか

 

「ひっ、こっち来た!」

 

「逃げるぞ千聖!アレに捕まるのはマジでヤバい!!」

 

 でもだからってこっちを巻き込むのは無しだろう!

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 四季の中で何故か秋にだけは、○○の秋、という具体的なんだか抽象的なんだか分からない言葉が存在する。食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、運動の秋etc…。

 芸術の春、とか、食欲の冬、なんて言葉は存在しないのに、なんで秋にだけ存在するんだろうという疑問は置いておくとして、この○○の部分に入る箇所は人によって差が出るところだと思う。

 

「さっきの事を鑑みるに、職員さんは間違いなくランニングの秋だな」

 

「ケンカ売ってるよね?」

 

「滅相もありません」

 

 アカン、さっきの勘違い事件の所為で沸点が低くなっている。これは迂闊な事は出来そうにない。今日は楽しめたし、もう潮時だろう。

 俺は芋にかぶりつきながらそう考えた。

 

 こういうボランティア活動をすると、終わった時にペットボトル飲料1本とかを貰えたりする。

 貰える物は場所によって変わったりするが、今日は秋らしく焼き芋だった。聞いた話だと、八百屋さんからの御裾分けらしい。

 

「すっごい疲れたぁ……」

 

「涼夜君も、死体蹴りの意味を知ってたなら教えてくれれば良かったのに」

 

「説明する間も無かったじゃないか。勝手に勘違いして、勝手に暴走しただけだろ?」

 

「うっ、それを言われると……」

 

 つぐみも悪い癖だと自覚しているらしいが、悪い癖いうのは中々直らない。蘭のノーコンと一緒だ。

 

「まあほら、運動の秋だと思えばちょうど良いだろ。な?」

 

「いや、意味分かんないし……」

 

「どんと、しんく、ふぃーる」

 

 自分の分を食べ終わり、でも少し物足りなさそうな千聖に俺の芋を渡しながら、遠くに見えた2つの影を見て思った。

 

「ひまりとモカは食欲だよな」

 

「いきなりどうしたの?」

 

 両手に花、もとい両手に芋な2人は間違いなく食欲だと確信を持って言える。むしろそうじゃなかったらなんなんだと。

 

「あの2人は食欲の秋を体現してるなって」

 

「ああ、そういう事。確かに2人とも凄い食べっぷりだよね」

 

 

 

 

 

 

 

 ……ん?

 

「モカ?」

 

「ひまりちゃん?」

 

 なんであの2人が此処に居るんだ?

 




「お芋の気配がしたから来ちゃった」

「いも~」


「……だってさ、つぐみ」

「だってさ、って言われても困るよ」

「この2人は相変わらずなんだね……」


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運動会特有のアレコレ

 別に待ちに待っていない運動会の日がやってきた。

 

 運動会といえば、これはさっきまで忘れていた事なのだが、朝に普段から使っているイスを校庭に運び出す作業がある。

 その為に俺達は、普段より早い時間に学校を訪れなければならなかった。

 

「早く早くー!」

 

「待ちなさい日菜。階段ではしゃがないの」

 

「転ぶなよー…………はぁ」

 

 朝っぱらからテンションが上限を振り切ってる日菜と比べて、俺のテンションは下限を振り切っている。このまま地中を抜けてブラジルまで到達しそうだ。

 

「兄さんどうしたの?」

 

「俺は面倒が嫌いなんだ」

 

「なにそれ」

 

 そもそも俺は生前から生粋のインドア派なのである。その俺が、アウトドア派の祭典である運動会に乗り気な筈がない。

 最近の……というか、今世の性格だって意図的に作っているモノだし、本来の俺はいわゆる陰キャと呼ばれるに相応しいモノであるのだから。

 

「いや、なんでもない。ただ運動会が好きじゃないってだけだ」

 

「え〜なんで?楽しいじゃん運動会」

 

「日菜はそうだろうけどな」

 

 天元突破したテンションを持て余しているのか、日菜が廊下を行ったり来たりしている。開会式すら待ちきれないんじゃなかろうか。

 

 そこで俺が、そこはかとなく千聖に目を向けると、表情は変わらないように見えて実はかなり気落ちしているのが分かった。その証拠に千聖の歩幅が少し小さい。

 千聖は表情を大きく変えるという事をあまりしないし、口達者というわけでもないが、行動そのものは真っ直ぐなので読み易い。

 今だってそうだ。歩幅という形であからさまに自分の気持ちを表現している。

 

「そうじゃない人もいるんだよ」

 

「そういう物なのかなー。あたしには分かんないけど、お姉ちゃんは分かる?」

 

「そうね。そういう事も、あるんじゃないかしら」

 

 そっかー、とどうでもよさそうに日菜が呟いたくらいで昇降口に辿り着く。

 しかしそこは全校生徒がほぼ同じ時間に此処を使う所為で、人口密度が半端ない事になっていた。

 

「それにしても、気を抜くと簡単にはぐれてしまいそうね」

 

「例えはぐれたとしても、どの道校庭で集まる事になるんですから問題は無いでしょうけどね」

 

 とは言っても、仮にはぐれたとして、日菜が紗夜さんを置いて校庭に行くとは思えない。逆もまた然りで、紗夜さんも何だかんだで日菜を置いて行く事は無いだろう。

 俺も千聖とはぐれたなら、千聖との合流を最優先にするだろうし、千聖もそうである筈だ。

 

「まぁゴチャゴチャしてること……長居は無用だな、こりゃ。千聖は付いて来てるか?」

 

「うん。なんとか」

 

 混雑した昇降口を抜けると、秋の朝に相応しい、冷たく清々しい空気を肺一杯に吸い込んだ。人混みが発する熱気に暑くなった身体が冷やされていく感覚は嫌いじゃない。

 

「ん〜〜〜、今日も良い天気だ」

 

「雲一つない青空だもんね」

 

 深く深呼吸してから気がついた。氷川姉妹の声がしない。まだ、あの人混みの中に居るんだろうか。

 しかし、振り返ってみても人でゴチャゴチャとしている昇降口で特定の個人を見つけるのは難しい。例え2人が目立つ髪色をしていたとしてもだ。

 

「さてどうするかな。待つか、それとも先に行くか」

 

「どうせ校庭で合流するんだし、待たなくても良いんじゃないかな」

 

「それもそうだ」

 

 どうせ最後に辿り着く場所は同じなのだ。クラスや学年が違うならまだしも、氷川姉妹とは同学年の同じクラスだし、座る場所はそんなに離れない。

 それに、だ。既に熾烈な戦いは始まっている。此処は先遣隊として俺と千聖で場所を確保するくらいはしておかなければいけないだろう。

 

 

 突然だが、ここで問題だ。保護者サイドから見た運動会で、学校に着いたら真っ先に行わなければいけない事はなんだと思う?

 

 

「そうと決まればカカッと行こうか。良い場所は取り合いだからな、早いうちに取っておかないと」

 

「カカッと?」

 

「ささっと、の類語みたいな奴。覚えなくていいぞ、むしろ忘れろ」

 

 簡単だったと思うが、答えは場所取りだ。

 最近では運動会の場所取りの激しさは大人のばかりがメディアに取り上げられるが、子供のそれも大人に負けず劣らずの激しさを持っている。

 

 何故なら、運動会がある今日この日だけは、席順が生徒側で好きに決められるからだ。

 クラス毎に決められたスペース内なら何処に座っても今日は怒られない。であれば、友達同士で固まって座るのは当たり前で、そのスペースを取る為に無言の争いが白熱するのは当然と言えた。

 

 何故か口をついて出た謙虚なナイトの言葉を忘れるように千聖に促しながら俺達は校庭へと歩を進める。今の時間なら、目当ての場所は取れるんじゃないだろうか。

 

(中学や高校じゃないんだし、こんなに急がなくてもいいかもしれないけどな)

 

 そんな事を考えた俺の視界の端で、誰かが動いていた。俺は何となしにそっちへ気を取られて、そして呟く。

 

「ああ、そういえば……」

 

「どうしたの?」

 

 ふと漏らした言葉を耳ざとく聞きつけた千聖に俺は、とある場所を指差して言った。

 

「モカは寝起きが悪過ぎるって話を聞いたなって」

 

 遠くの方で、見慣れた4人が1人を押したり引っ張ったりしている光景を繰り広げていた。2人が両手を掴み、2人が背中から押しているのが分かる。

 言うまでもなく1人はモカで、残る4人はそれ以外の面子だ。ひまりとつぐみが押して、蘭と巴が引っ張っている。

 

「……助けるの?」

 

「できるなら何とかしたいけど、今回はパス。アイツらならなんとかするさ、多分」

 

 それを一瞥した千聖の問いに、俺は首を静かに横に振る。 ちょっと無責任な気もするが、こっちも時間に余裕がある訳ではないのだから。

 大丈夫、百戦錬磨なアイツらならば何とか出来るはずだ。多分、きっと、恐らく、めいびー。

 

「そうだね。蘭ちゃん達ならなんとかするよ」

 

「ああ、きっとな」

 

 とは言ったものの、俺の脳内では"次回、Afterglow死す。デュエルスタンバイ!"というセリフが例のBGMと共に流れていたのだった。

 

 

 

 

 

 選手宣誓に始まった運動会だが、競技が目白押しのように見えて、参加しなければならない物は実はそれほど多くないのは、1度でも運動会に参加した人なら分かる事だろう。

 しかもまだ小学生のやる物ということもあって、中高でたまに見かけるガチガチな雰囲気はそこには無く、とても和気藹々としたものだった。

 

「頑張れー」

 

 そして今、目の前で繰り広げられているのは2年生の玉入れである。

 戦略性も何も無く、数うちゃ当たる理論でひたすら玉がポイポイされていた。

 

「まだかなー、まだかなー」

 

「落ち着きなさい日菜」

 

「えーでもー」

 

 さっき100m走を終えて戻って来たばかりの日菜は、早くも次の出番を待ちわびるかのように体と椅子をガッタンガッタン揺らしている。上がりっぱなしのボルテージは下がる事を知らないらしい。

 

「そんなにテンション上げてると最後まで持たないぞ?お前がトリを飾るんだから、その時まで体力は取っておけって」

 

「鳥?」

 

 紗夜さんが首を傾げた。あれ、何か首を傾げられるような変な事を言ったかなと思ったところで、

 

「涼夜君、運動会で鳥なんて飾らないよ?」

 

 という日菜のツッコミを受けて認識の齟齬を確認した。確かに音だけ聞けばトリも鳥も変わらないし、勘違いも当然だと言えるだろう。

 

「……一応言っておくけど、トリって空を飛んでる方じゃないからな?最後って意味だからな?」

 

「そんな言葉あるの?」

 

「あるぞ。昼休みに日菜の父さんか母さんに聞いてみるといい」

 

 ちょっと話している間に、玉入れも終盤に差し掛かっていた。赤も白も頑張れ的なアナウンスが響き、ポイポイが一段と激しくなった。

 それをボーッと見ていると、なんか1個だけ明らかに軌道がおかしい玉がある。俺はそれを誰が投げているのかを目で辿り、そして一人で納得した。が、それと同時に別の疑問も浮かんでくる。

 

「蘭って本当にノーコンなのかな」

 

「蘭ちゃんがどうかしたの?」

 

「いや、投げた玉が全て巴に向かうのは本当にノーコンと呼べるのかと思ってな」

 

 何をどうやったらそうなるのか、上に投げられた玉は全てが巴の居る場所のみを狙って落ちていた。

 巴が俊敏な動きで左右に動きまくっているのに、さも当然のように巴の居る場所のみを狙って落ちていく。

 

 運動会特有の謎選曲なBGMと放送委員のアナウンスが煩いが、耳をすませば僅かに巴の言葉が聞き取れた。

 

 らぁぁぁぁぁん!!お前、実はアタシのこと嫌いだろぉぉぉぉぉ!!?

 

 ちっ、違う!玉が勝手に巴の方に!

 

 ンなわけ有るかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!

 

「……何をどうしたら、あんな事が出来るんですか」

 

「やっぱり蘭ちゃんって凄いなー」

 

 あれで本気だというのだから世界は広い。そしてあれだけの暴投具合ならば、共に体育の授業を受ける巴達の危惧も最もだ。事あるごとにあんな暴投されたら身が持たないだろう。主に巴の身が。

 

「蘭の神に愛されたノーコンが直るのが先か、それとも犠牲者()出る(倒れる)のが先か……千聖はどっちに賭ける?」

 

「蘭ちゃんのノーコンって直らなさそうだし、犠牲者が出る方かな。兄さんは?」

 

「千聖に同じく。……こんなんじゃ賭けにならんな」

 

 賭け事は良くないですよ。と生真面目な声に、願掛けみたいなモノなのでセーフです。と適当に流して、競技時間が終わり、皆で籠の中に入った玉をカウントしている光景を見た。

 

「そういえば……」

 

 さっきの勘違いのままだと、トリノオリンピックが鳥のオリンピックになるのかな。なんて、しょうもない事を思った運動会の最中だった。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 午前の競技が全て終わり、昼休みを迎えると、生徒達は瞬く間にそれぞれの両親が取った場所へと小走りで向かう。

 小学生の運動会は、給食より豪華なお昼ご飯の為に頑張っている生徒が過半数を占めると言っても過言ではないだろう。頑張った後の豪華な手作り弁当は、子供達の腹と心を満たすのだ。

 

 しかし、そんな運動会で肩身が狭い思いをしている者達が居る。親類縁者が誰もいない、孤児と呼ばれる子供達。

 

 涼夜と千聖もまた、そんな子供達の1人だ。

 

「……本当に良かったのか?」

 

「なにが?」

 

「蘭達の誘いを断った事だよ」

 

 自分のイスに座って、施設から出された出来合いの弁当を食べながら涼夜は千聖にそう聞いた。

 

 時計の針を少し戻し、氷川姉妹と別れた後、昼休みに入って少ししてから、蘭達が涼夜と千聖の元に来て一緒にお昼ご飯をどうかと誘っていた。

 生前を引き摺り、外側はともかく内側は社会人な涼夜はそこまで迷惑は掛けられないと断り、その代わりに千聖だけでも行かせようとしたが、千聖もまた、その誘いを断っていたのだった。

 

「別に」

 

「……施設には悪いけど、こんな弁当より美味い物が食えただろうにさ」

 

「これも十分に美味しいじゃん」

 

「それもそうだけど、こう、おふくろの……じゃあ分からないか。えっと、母親の愛情っていう隠し味がだな……」

 

「食べたこと無いから分かんない」

 

 提案を快刀乱麻に叩っ斬られ、そっち方面での誘導は無理だと悟った涼夜は、弁当に目線を落として言った。

 

「じゃあほら、滅多に施設じゃ出ない物とか、好きな物を食べれるかもしれないし」

 

「好きな物なんて無いし、メニューとかどうでもいいもん」

 

「……お前なぁ」

 

 千聖には分からない事がいっぱいある。

 

 母親だとか、父親だとか、それらが居ると何故幸せで、居ないと如何して不幸なのか。

 

 友達はなんで必要なのか。

 

 どうして自分には父親や母親がいないのか。

 

「兄さんは嫌?私と一緒に居るの」

 

「なんでそうなる」

 

「だって、さっきから私を蘭ちゃん達の所に行かせようとするから」

 

「よかれと思ってなんだけどな……それと、お前と居るのが嫌だなんて1度も思った事は無いぞ」

 

 目に不安を隠さない千聖を安心させるように、涼夜がちょっと雑に頭を撫でると、安心したように千聖が目を細めた。

 

 

 両親が居ないということに関して、不都合な点は涼夜が思っている以上に多い。授業参観や、運動会の弁当などといった学校行事は勿論だが、それ以外にも多大な影響を及ぼしている。

 

 その最たる例が千聖だ。

 

 本来なら世界を広げる役割を果たすべき両親が居ないというのは、深刻な影響を千聖に及ぼしていた。

 その影響が一番出たのは、人格とか価値観という、その個人の根幹を成す場所。本来なら歩んでいた未来で見られる社交性や協調性といったものは、この千聖には存在しない。

 

 

 幼稚園児か、あるいはそれよりも幼い赤子か。それくらいの視野しか持つことが出来なかった千聖が描く世界は非常に狭く、そして歪に出来上がっていた。

 

「私も兄さんのこと好きだよ」

 

「ありがと。そう言われると兄冥利に尽きるってもんだ」

 

「みょうり、に……?」

 

「お前の兄で良かったってこと」

 

 千聖の世界を形作るのに必要なモノは少ない。

 

 そもそも千聖にとっての全て──つまり世界とは、千聖と涼夜に割り当てられたあの一室のみしかないのだ。

 

 小学生の2人にはまだ広いが、いつかは狭くなる程度の、そんな広さしかないのだから、必要としている人間も、また少ない。

 

 というより、たった1人しか必要としていなかった。

 

「私も兄さんの妹で良かった。こういうのを"妹みょうり"って言うんだよね」

 

 その1人が誰かなど言うまでもない事だ。

 

「尽きるが抜けてるぞ。それを言うなら妹冥利に尽きる、だ」

 

 繰り返しになるが、千聖には分からない事がいっぱいある。むしろ分からない事の方が多いだろう。しかし、そんな千聖にも分かることが一つだけあった。

 それは、髪型が乱れるくらい雑に千聖の頭を撫でた涼夜の言葉が、紛れもない真実であるという事だ。

 

 涼夜が仕草で千聖の気持ちを大体推し量れるように、千聖もまた涼夜の仕草や声色で涼夜の気持ちを大体推し量る事が出来る。

 それ故に、千聖がただ1人の兄を愛しているように、涼夜もまた、ただ一人の妹を愛しているという事実が確認できた。

 

 

 それで良いじゃないか。

 

 それだけ有れば良いじゃないか。



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金曜日のAfterglow

3/22 おかしな箇所の修正


 毎週金曜日が訪れると、俺達が決まってやっている事がある。それをやる場所は決まっていて、俺達はこれからそこに向かおうとしている所だった。

 

「よっし、今週も行きますか」

 

『おー』

 

「るんって来ないなぁ……もう帰って良い〜?」

 

 立ち上がった直後に、日菜がそんなネガティブ発言をぶちかます。そんな日菜に全員の目線が向けられる…………事はなく、全員が総スルー。つぐみですらチラリとも見ようとしない。

 というのは、この日が訪れる度に日菜が同じ事を言っている。というのが理由にあった。このやり取りは毎度の事である。

 

「いいから行くわよ日菜」

 

 そして、紗夜さんが引っ張るように日菜を着いて来させる光景もまた、毎度の事だ。

 

「えー、でもー」

 

「どうせ家に帰っても誰も居ないし、他に友達も居ないでしょう?」

 

「そうだけど……分かった。おねーちゃんの言う通り、どうせ誰も居ないもんね」

 

 俺達が移動した先は、この街の元気の象徴と言っても過言ではない場所、商店街だ。

 

「さて、今日は何があるか」

 

「沙綾の所は確定として、残りだよな」

 

「なんで分かる?」

 

「今日、トイレで沙綾に会った時に言われたからな。今日は頼むって」

 

 巴と会話しながら足を山吹ベーカリーが店を構える通りへと向ける。先ず最初の目的地はそこだ。

 

「……一応男の前で、女子が堂々とトイレとか言うのはどうなんだ」

 

「え?そんなこと気にしてたのかお前。らしくないな」

 

「俺は気にしないが、世間一般の話をしてるんだ」

 

「それは世間一般の話で、今のアタシにはあまり関係ない。いつも涼夜が言ってる事だろ」

 

 正しくは"常識は都合が悪い時は無視するに限る"だが、言ってる事はそんなに変わっていない。それより巴に言い返された事に、ちょっとぐぬぬと唸ってしまった。

 

「ぐぬぬ、巴のクセに」

 

「へっ、アタシだって成長するさ。ひまりじゃないんだから」

 

「ちょっと待って。そこで如何して私の名前が出るの」

 

「だって、ひまりは宿題忘れが日常じゃないか。いい加減つぐみはキレていいと思うぞ、アタシは」

 

「上原さん……貴女という人は」

 

「い、いや違うんです。違うんですよ紗夜さん。これはですね……」

 

 ツッコミが完全に藪蛇だったひまりに紗夜さんの呆れた声が突き刺さる。しかし、紗夜さんに言い訳は悪手だ。

 

「言い訳は聞きません。良いですか?宿題は自分の力でするもので、他人がやった物を写すのは──」

 

 日菜曰く、物凄い長くて眠くなる紗夜さんの説教が始まった。周囲で聞いている俺達も嫌になるくらいだから、説教をされている本人のひまりの辛さは推して知るべし。

 しかし誰も助けようとしないのは、流れ弾を誰も喰らいたくないからだろう。ひまりの自業自得でもあるのだし、少しお灸を据えてもらうとするか。

 

「というか、巴の話を聞く限りだとひまりの被害担当はつぐみなのか」

 

「アタシとか蘭が断るのを分かってるから、最後は断りきれないつぐみに泣きついてる」

 

「モカは?あいつも宿題はやってるって前に言ってたよな」

 

「モカは休み時間に寝てる。起きてるのは移動教室と体育で着替える時くらいだ」

 

 俺はまだ見た事は無いが、モカは無理に起こすと静かに荒れ狂うタイプらしく、1回やらかした時は凄かったらしい。

 それ以来、余程の緊急時以外はモカを無理に起こさないようにしようと蘭達は決めているんだという。

 

「モカって本っ当に寝るの好きだよな」

 

「いやー、それほどでもー」

 

「褒めてないからな?」

 

 いけしゃあしゃあと礼を言ったモカにツッコミを入れた辺りで山吹ベーカリーの軒先が見えてきた。

 

「アタシが行ってくる。この人数でお店の中に入るのは迷惑だろうし」

 

「だな。頼むぞ」

 

 先行した巴を見送った俺は深呼吸を一回して、口を開いた。

 

「第1回、突発しりとり大会ー!いえー!」

 

「……いきなりなんですか?」

 

「また始まった」

 

 紗夜さんも慣れたのか、もう大きな反応を返さなくなってきている。蘭達は言わずもがな、といった感じだった。

 

「順番は俺、千聖、蘭、モカ、ひまり、つぐみ、紗夜さん、日菜、あこでローテーションだ。ルール説明は要らないな?」

 

「ルールの要らないけど、どうしてこんなことやるのか説明して」

 

「しりとり大会の"い"からイクゾー!」

 

「聞いてよ」

 

 蘭のツッコミは華麗にスルー。強いて言うなら暇だからだが、答えなくても蘭達は分かってそうなので答えない。

 

「稲川淳二」

 

「自動車」

 

「…………………………はぁ。約束」

「くるみパン」

 

 蘭が言い終わらないうちからモカは食い気味に答えていた。背後のモカの方から、じゅるり、という音がしたのは何故だろう。

 

「…………もう一回やろう。今のはノーカンだ」

 

「もう終わりでいいじゃん」

 

「こまけぇ事はいいんだよ!」

 

「あ、まためんどくさい涼夜だ」

 

 気を取り直してもう1度。今度はモカを最後に回してレッツしりとり。

 

「殿下」

 

「鍵」

 

「銀座」

 

「ザル」

 

「る……ルパン○世」

 

「イルカ」

 

「カメ」

 

「メロンパン」

 

「ンジャメナ」

 

「ナス」

 

「えっ?まだ続くの……えっと、すずめ」

 

「めだか」

 

「かぶ」

 

「ブシモ」

 

「モンク」

 

「クラフトエッグ」

 

「グンマー」

 

「マーマイト」

 

「時計……」

 

「入れ歯」

 

「バンドリ!ガールズバンド──」

 

 

 

「ちょっと待って」

 

 蘭のストップコールに全員が蘭を見た。俺を含めた全員が、蘭の事を"なんだコイツ"とでも言いたげな目で見ている。

 

「どうしたんだよ、今いいところだったのに。ほら見ろ。決め台詞を遮られたつぐみが珍しく、むっとしてるぞ」

 

「色々おかしいから。途中から意味分かんない単語が混ざってたから」

 

「そうか?」

 

 メンバー屈指の常識人であるつぐみや紗夜さんの方を見てみても、俺と同じように小首をかしげるばかりで何がなにやらさっぱり分からない。

 

「この2人がこうしてるって事は、何も問題は無かったって事じゃないのか?」

 

「そうかなー?あたしはちょっと、おかしいと思ってたけど」

 

「ほら、日菜もこう言ってるじゃん」

 

「うん。モカちー、さっきからパンの名前しか言ってないよね」

 

「そっち!?」

 

 そのモカはというと、さっきから山吹ベーカリー店頭の窓ガラスに張り付いて身じろぎ一つもしていない。そして何かを呟いていた。耳を近づけてみると……

 

「あんぱんー、チョココロネー……」

 

「こりゃ重症だな」

 

「というか、アレじゃあ完全に不審者だろ」

 

 巴の言葉がしっくりくるくらい、今のモカは何処か危ない気配を感じるのだ。巴がいつの間に戻ってきていたとか、そういう些細な疑問が吹っ飛ぶヤバさである。

 

「巴、居たならそう言ってくれればいいのに」

 

「楽しそうだったから、邪魔するのも悪いかなって思ってさ」

 

 首からキッズケータイと財布をぶら下げた沙綾を巴が連れて来ていた。

 

「やっほ、今日もよろしくね」

 

「ほいさー……おいモカ、窓ガラスに張り付くな。行くぞ」

 

「はーい」

 

 

 俺達が何をしに山吹ベーカリーまで向かったのかというと、勿論しりとりをする為ではなく、簡単に言えばお手伝いだ。

 

 沙綾の母親は体が弱く、だからあまり身体に負担は掛けられない。店内を覗けば店番として立ってはいるが、それだって本人的には楽ではないだろう。

 しかし、買い物や掃除洗濯といった家事は、そんな事情などお構い無しに毎日やらなければならない。もちろん出来る限り沙綾や沙綾の父親がやって負担を軽減しているらしいが、それにも限度がある。

 

 そこで俺達だ。掃除や洗濯といった内側の家事は手伝えなくても、買い物のように外に出るものであれば手伝う事が出来る。

 

「みんなもゴメンねー。いつも手伝ってもらっちゃって」

 

「沙綾が謝る事はないさ。アタシ達が好きでやってる事だし。なあ?」

 

「沙綾ちゃんとは友達だからね。困ってる友達を助けるのは当然だよ!」

 

「あたしは他にやる事ないから来てるだけだけどねー」

 

「ちょっと静かにしなさい日菜。……すいません山吹さん。日菜は少し、人を傷付けてしまう悪い癖がありまして。悪気は無いんです」

 

 つぐみの心優しい言葉の後に日菜の発言が来たからか、いつも以上に発言の畜生度合いが上がっているような気がした。必死に謝り倒す紗夜さんに沙綾も苦笑いを隠せない。

 

「気にしてないから大丈夫ですよ。確かにつまんないと思いますし」

 

「いえ、そんな事は……ちょっと日菜。貴女も謝りなさい」

 

「えーなんでー?あたし悪い事は何もしてないのに」

 

 会話を聞いていて思う。こいつらは本当に小学2年生や3年生なんだろうか。実は全員が俺のように転生していて、中身はれっきとした大人なんじゃないだろうか。

 そんな考えが過ぎってしまうくらいに、この会話は大人びていた。生前の小学2年生や3年生はこんなに大人びていなかったと思うのだが、これも別世界ならではか。

 

「3人とも、もうその辺にしとけ。目的地に到着だ」

 

 到着したのは八百屋。気前の良いおっちゃんがやっている、何処か懐かしさを覚える場所だ。

 

「おっ、沙綾ちゃんとボウズ達じゃないか。今日は何が入り用なんだ?」

 

「えっと……」

 

 沙綾が持っていたメモを読み上げると、おっちゃんは手早く読み上げられた商品をレジ袋に詰めていく。その手早さからは、熟練の業のような物を感じ取れた…………ような気がした。

 

「沙綾、今日は万札しか無いのか?」

 

 会計の時間になって、沙綾がガマ口から取り出した札の種類を見て、思わずそんな事を言ってしまった。値段的には五千円札ですら過剰気味だというのに。

 

「うん。お母さんが今日はこれしか無いからって」

 

「……不安だ」

 

「ボウズの気持ちは良く分かる。沙綾ちゃんを疑う訳じゃねえが、俺も子供にこんな大金を持たせるのは少し抵抗があるしなぁ」

 

 俺の呟きを拾ったおっちゃんも頷いて、しかし次の瞬間には何かを思いついたようにニヤリと笑った。嫌な予感しかしないのは、こうなる度に、からかわれているからか。

 

「ま、だからこそカッコイイ所を見せるチャンスでもある。ナイトの務めは姫様を守る事だぜ?」

 

「誰がナイトですか誰が」

 

 茶化しの言葉に肩を竦めて返し、俺が野菜の詰まったレジ袋を受け取った。結構な量があるから、女子が持つのは辛いだろうと考えての行動である。

 そんな俺の行動を見て、おっちゃんはいよいよ笑みを深くした。

 

「そういう細かい気遣いは紛れもなくナイトだろうよ」

 

「意味わかりませんよ……行くぞ沙綾」

 

「うん。じゃあおじさん、またね」

 

「まいどありー」

 

 

 俺達アフターグロウ(Afterglow)は、こんな感じでちょくちょく商店街の人達が抱える些細な悩みや困り事を解決してきている。具体例を挙げるとするならば、犬の散歩だとか、こうして小学生の買い物の付き添いと荷物持ちだとかの子供でも出来るような些事だ。

 

「次は、はぐみの所だね」

 

「あれ、今日は魚屋はスルーか?」

 

「昨日買ったからねー」

 

 そんな事を繰り返していると、時々、何故そんな事をしているのかと聞かれる事がある。まだまだ遊びたい盛りの小学生が如何してこんな事を、と聞かれた事は両手の指では足りない。

 

 そして、その度に俺は"正義のヒーローみたいでカッコイイから"と言っている。

 実に子供らしい理由で、俺自身もそれで納得されるように振舞っているから、今までその理由で疑われた事は無い。

 

「それよりさ。野菜、重くない?」

 

「これくらいなんて事ねーよ。だから代わりに持とうとか、そんな事は考えなくていい」

 

「あははー……やっぱりバレてたんだ」

 

「沙綾が言いそうな事だしな」

 

 だが実際のところは、そんな可愛らしい理由などでは決してなく、もっと腹黒い理由からだ。

 

 ではどうしてかと問われると、それを簡単に言えばコネ作りと顔繋ぎである。

 

 周知の事実だが、俺と千聖には本来なら居るはずの両親が存在しない。それは大きなディスアドバンテージだ。

 両親の不在は、そのまま進学等に使える資金源が存在しないことを意味しているからである。

 

「いやでもさ」

 

「でもも何もない。甘えられる時は、子供は素直に大人に甘えるべきだと俺は思うぞ。

 だから今は素直に俺の好意に甘えるのだ〜」

 

「涼夜だって子供じゃん」

 

「見た目はなー」

 

 世の中で何をするにもカネが必要な以上、両親不在というディスアドバンテージはちょっと洒落にならない。出来ること、やれること、その全てに制限が掛かってしまうからだ。

 

 ……変な両親が居るよりは孤児の方がマシなんだろうけど。一般論で見れば、孤児の方が不利なのは当然だ。

 

「なにそれ。○ナンのマネ?」

 

「そんな感じ……どうもーはぐみのおっちゃん」

 

「おお、山吹さん家の沙綾ちゃんと涼夜、後はつるんでる面子じゃねーか。2人はそろってデートか?」

 

「分かってるクセに。お金を落としに来たんですよ、沙綾が」

 

 そんな現状があるのだから、大学進学なんて望めるべくもない。だから高卒で働く事になるんだろうが、此処で問題になるのが就職先。

 俺は確実が欲しいのだ。あの施設を出れば千聖を養う必要があるのだし、就職でもたついてはいられない。

 

「はー、相変わらず可愛くねえ事を言うなお前は。ガキなんだから、もうちょっと夢を語れよ夢をよ」

 

「俺は境遇が境遇ですからね。千聖の面倒を見るって使命もありますし、夢なんて見て足元掬われたら元も子もない。そうでしょう?」

 

「そりゃそうだがな……こういうのをガキが言う時代か。時代の変化は凄ぇなあ」

 

「俺が特殊なだけですって。今も昔も、時代は変わっていませんよ」

 

 そこで役に立つのがコネクションだ。コネというのは良い。コネを繋げ、それを維持する努力さえ怠らなければ誰だって用意が出来るのだから。

 

 まず人の考えとして、何も知らない初対面の人よりは色々と気心が知れた人を迎えたいと思うのは当然の事だ。そして、面識の無い人ならまだしも、面識の有る人が困っていれば手を差し伸べる。

 それは何もおかしい事ではないし、それを人情と呼ぶのだろう。それ自体は大変美しい考えだが、そこに付け入る隙がある。

 

「前々から言ってるが、お前は本当に小学生か?俺と同い年と言われても納得いくぞ」

 

「それに対する答えも同じ。ご想像にお任せしますよ。……さて沙綾、ささっと買っちまえ」

 

「あ、うん」

 

 カネは作れない。だが、コネならどんな人間でも作る事ができる。そしてコネがあれば、この世界は幾分か生きやすくなる。

 

 それが、生前に俺が学んだ教訓の一つだ。

 

 コネを作る事、そしてコネを広げる事。それを始めるのが遅すぎる事はあっても、早すぎる事は絶対にない。コネはいくら広げても足りない物だからだ。

 だから、幼い内からこうして顔と名前を売っておけば、人からの覚えも良くなるし、親しくなっておく事で将来助けてくれる確率も高くなる。就職先の面倒を見てくれる可能性も上がる。

 

 

 しかし、人の好意を利用する、というのは人聞きが非常に悪い。この考えを聞けば結構な人間が俺を批判する筈だ。

 …………正直な話、こんな考えを持ってしまう事に罪悪感は覚えている。年端もいかない子供すらも騙して利用するなんて、と良心は俺を責め立て続けている。

 

 だが罪悪感でメシは食えない。同様に、安い同情でもメシは食えない。

 

 千聖の──たった1人、この世界で得られた家族の為だ。千聖に少しでも楽をさせる為なら、その程度の汚濁は呑み込むと決めたのだ。

 

 

「まいどー。ほい沙綾ちゃん、落とすなよ」

 

「……あれ?私、コロッケなんて頼んでないですけど」

 

 俺も袋の中を覗いてみると、沙綾が買った商品の他にコロッケが2つも追加されていた。

 

「オマケさ。若いカップルに免じてな」

 

「まだ言ってるよ……」

 

「と、とにかく、ありがとうございますっ。それじゃあ私達はこれで!」

 

 この手の揶揄いにまだ慣れていないのだろう。顔を赤くした沙綾は小走りで帰路を行き、俺もそれに続こうと体の向きを変えた。

 

「……………………」

 

「千聖?」

 

 そして、何故かふくれっ面の千聖と目が合った。千聖は何も言わずに俺に顔を近付けたかと思うと、俺の右手を千聖が両手で包み込むように握る。

 

「ヒュー。沙綾ちゃんだけじゃなくて千聖ちゃんもか。よっ、色男」

 

「あのですねぇ……」

 

 このおっちゃん、間違いなく分かってやっている。

 千聖のこの反応を引き出したはぐみのおっちゃんは、他人事のようにヤジを飛ばしたのだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「今日も楽しかったな」

 

「…………」

 

 もう日が沈みかけている時間、皆と別れた俺達は施設に戻っている最中だった。

 

「でも、色々あって疲れたのも確かだし。メシ食って風呂に入ったら、今日はさっさと寝ようか」

 

「…………」

 

 そしてさっきから、千聖が一切口をきいてくれない。理由は恐らく、はぐみのおっちゃんの揶揄いが原因だろう。しかし、そうだったところで解決が出来ない。

 

「ねえ兄さん」

 

「どうした」

 

「沙綾ちゃんの事、好きなの?」

 

 と思っていた所で千聖の方から声が掛かった。不機嫌だった理由は、やはりはぐみのおっちゃんが原因だったらしい。

 

「好きか嫌いかと聞かれれば好きさ。蘭や紗夜さん達と同じくらいな」

 

「私は?」

 

「お前は大好き」

 

 たった1人の家族なのだし、ただの友達の蘭達よりは好きの度合いは高い。そもそも友達と家族とを比べるのもナンセンスだろうけど、そこは言いっこなしだ。

 

「大好き……」

 

「そう、大好き。蘭や沙綾より一つ上の好きだ」

 

「本当に?」

 

「こんな事で嘘ついてどうするよ」

 

 顔を覗き込んでくる千聖にそう答えてやると、不機嫌だった千聖の表情がぱあっと明るくなった。

 

「だから、沙綾に俺が取られるなんて心配しなくても良いからな」

 

「…………分かってたなら言わないでよ」

 

 そして直後にぷいっと顔を背ける。忙しい奴だ。その顔が赤いのは、夕日に照らされたせいではないだろう。

 

「確証を持ったのは今だから仕方ない」

 

「本当は?」

 

「千聖のそんな姿が見たかった」

 

「兄さん!」

 

 それから施設に戻るまでの間、俺は千聖に肘で突かれ続ける事になる。



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4人だけのホワイトクリスマス①

季節外れのクリスマスネタが終わったらキンクリして中学生に進みます。


 運動会が終わって、段々と落ち葉の量が増えて暫く経ったと思ったら、今度はいつの間にか冬がやって来ていた。

 

「なんだこれ……」

 

 俺に限らず、誰もが冬と聞いて真っ先にイメージするのは、まずクリスマス。そして次に空から降り積もる雪。

 ホワイトクリスマスなんて言葉があるが、首都圏でそんなクリスマスには滅多にお目にかかれない。そもそも都心部で積雪なんて事態そのものが異常なんだから当たり前だ。

 

 当たり前、の筈なんだが……

 

「……見事な積雪だ」

 

 真っ白な雪景色が視界いっぱいに広がった状況を前にしては、その当たり前は容易く崩れてしまうような気がしてならない。

 

「すっごい……」

 

 千聖が吐き出す息も白い。しかし、マフラーも手袋も無いので非常に寒そうだ。施設に余った毛糸とかがあるなら、頑張ってマフラーとか編んでみるのもいいかもしれない。やり方知らんけど……なんとかなるだろう。いや、なんとかする。

 

 

「行くよおねーちゃん!えーいっ!」

 

「無駄よ日菜。いくら球速が速くても、当たらなければ意味ないわ!」

 

「おねーちゃんもねー!」

 

 そんな雪の真っ只中で、子供たちは元気に走り回っていた。都心部では滅多に降り積もらない雪だからか、普段は冷静沈着な紗夜さんですらハイテンションに動き回っている。

 2人とも身体能力がヤバいから、およそ小学生とは思えないようなハイレベルな攻防を繰り広げていた。

 

「よっほっ、つぐー。大きさってこれくらいで良いかなー?」

 

「うーん、ちょっと小さくない?」

 

 そんな氷川姉妹の横で、ひまりはつぐみと協力して雪だるまを作っていた。

 雪だるまを作るのが憧れだと言っていたつぐみは、どうやら相当熱が入っているみたいで、腕の代わりに突き刺す木の枝の長さまで拘っていた。今も頭の部分に当たる雪玉の大きさを細かく指示を出して調整している。

 

「そうそう。もうそれくらいで……ひまりちゃん後ろ!」

 

「へ?うわっふ!?」

 

 そんな時だ、日菜の流れ弾がひまりに直撃し、その勢いのまま前方に顔から倒れ込んだのだ。

 

 雪玉とはいえ勢いがある。涙目くらいにはなっているだろうと俺は思ったが、しかしすぐに起き上がったかと思うと、

 

「やったなー!そりゃそりゃそりゃ〜〜!!」

 

 と言いながら走りだし、日菜に向かって反撃を始めた。地面で輝く真っ白い雪を掴んで固めただけの、雪玉と呼ぶには不格好すぎる塊をぽいぽい投げている。

 

「ふっふーん。ひまりんが1人増えたところで、あたしには当たらないよーんだ」

 

「だがアタシも加わればどうだ?」

 

「ぬおっ、ともちんまで私の敵になった!」

 

「いくら日菜といえど、3人に勝てるわけないでしょう!」

 

 紗夜さん、ひまり、そして巴が形成したトライアングルによって逃げ場を失った日菜は、徐々に追い詰められているように見えた。

 突発的に発生した3対1。戦況的には圧倒的に日菜が不利な筈なのに、それでも互角の戦いを繰り広げているのは流石日菜といったところか。

 

「へっくち」

 

「おいおい。風邪ひいたか?」

 

「ううん。ただ少しだけ、鼻がムズムズしただけだから」

 

「そうか。でも寒くなったらすぐ言えよ?」

 

 いざという時は今着ている上着を脱ぐことも辞さない気でいる。そう言ったら千聖は間違いなく遠慮するから言わないけど。

 

 と、俺と千聖のそんなやり取りは僅かな時間で終わったが、その間で戦況は大きく変化しているようだった。

 何をどうやったのか、トライアングル包囲網から抜け出した日菜が、3人を見据えて高らかにその名を呼んだのだ。

 

「カモン!ダークエンジェルあこりん!!」

 

「あっこあこにしてやんよー!」

 

 何処かで聞いた事があるような掛け声と共に3人の背後から雪玉が飛んでくる。3人が振り返ると、そこではニット帽に、手袋に、明らか生地が厚い上着にと、完全防寒装備のあこが雪玉をぶん投げまくっているところだった。

 

「挟み撃ちにされた、だと?!」

 

「これはマズイですね……後ろからの攻撃を無視する訳にもいかず、かといってそちらに気を取られれば──」

 

「そおーい!」

 

「日菜ちゃんから早い雪玉が飛んで来、うわぁ鼻先カスったぁ!!」

 

 さっきまで有利だった筈の3人が一気に劣勢に立たされている。戦場は完全に混戦模様であった。

 そんな時、さっきから無言でその争いを眺めていた蘭が呟いた。

 

「……楽しそうだよね」

 

「そんな羨ましそうに言うなら混ざれば良いじゃないか。いくら蘭が殺人級のノーコンだからって、所詮は雪玉だし大した怪我にもならないだろ」

 

 投げたボールの尽くが巴にのみ命中するという、ある意味ミラクルを連発し続けた蘭は、最近ボールの類いを投げていない。

 いや、正確に言うと投げさせて貰えないだが、それは別に良いだろう。…………まさか運動会の玉入れの玉すら巴に全弾直撃させるとは俺も思わなかった。

 あの後、あまりにも巴に当て過ぎたせいで「お前、実はアタシのこと嫌いだろ?」と半泣き気味に蘭に聞いていた巴の姿は記憶に新しい。

 

「そうかな」

 

「なんでもやってみればいい。失敗できるうちに沢山の失敗をしておけば、それは次に繋がる筈だ。……流石に命に関わるような事は止めるけど、それ以外はなんでもやってみるもんさ」

 

「そういう事を涼夜が言うと、なんかやけに説得力あるよね」

 

「お前ら、俺が何か言う度に毎回そう言ってるよな」

 

「つまり皆がそう思ってるって事でしょ」

 

 全く解せぬ。俺はただ、皆より少し人生経験を積んでいるだけの一般的な小学3年生だというのに。中身はともかく、見た目はちゃんと小学生だ。

 

「それじゃ、行ってくるよ」

 

「おう。楽しんでこい」

 

「何かあったら涼夜に責任押し付けるから」

 

「は?」

 

「じゃあ、そういう事で」

 

 唐突な責任逃れ発言に思考が僅かな間フリーズした。その一瞬で歩きながら雪玉を作り、それを投げると同時にダッシュで雪玉が飛び交う戦場へと蘭は飛び込んだ。

 

「おい待て。ちょっと、ちょ待てよ!…………行っちまった。まったく蘭の奴め」

 

 唐突にインパクトのある言葉をぶつけてフリーズさせた隙に逃げるとは、蘭も中々やるようになった。誰に似たんだろうか。俺ではない事は確かなんだが。

 蘭が立ち上がった事で俺の左隣が空き、今度はそこにモカが座った。ちなみに右隣は千聖が占領している。

 

「今〜考えてる事があってー」

 

「また唐突だな……あ、雪を食おうとはするなよ。腹壊すからな」

 

「なんで分かったの〜?」

 

「ベタだしな。俺としては冗談のつもりだったんだけど」

 

 流石のモカと言うべきか。その食い意地は何処から来るのかと思ったが、雪を食べるって俺も昔に考えた事があるから人の事は言えないと気がついた。

 

「……かき氷食べたくなってきたかも」

 

「冬なのにか」

 

「ちっちっちっ。分かってないですな〜リョトソン君は。アイスとかかき氷は冬に食べるものこそ最高に美味しいのだよ」

 

 向こうで「げえっ!蘭!?」とかいう巴らしからぬ悲鳴が聞こえたような気がしたが、それは気がしただけだと自分に言い聞かせる事にした。蘭だけでなく、日菜も面白がって巴を狙い撃ちしている光景なんて俺は見ていない。

 

「そういうもんかね」

 

「そういうものなのですよ〜」

 

 そういえば、雪見だ○ふくって名前の通り雪が見れる冬にしか売られていないらしい。アイスを冬にのみ発売して、しかもそれで売れているのは、モカのような考えを持つ人が多いからなのだろうか。

 しかし、冬にアイスを食べるなんて発想は無かった。思っているよりもジェネレーションギャップは大きいのかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

「そういえばさ、皆ってクリスマスに予定ってあるの?」

 

 雪合戦に疲れた日菜達が休憩を挟んでいる時、ひまりがそんな事を言い出した。聞く人が聞けば心をブチ折られかねないその話題は、俺達の頭の上に疑問符を浮かべさせるには充分だった。

 

「どうしたのいきなり」

 

「いやー、クリスマスって商店街でイルミネーションが凄いでしょ?出来たら皆で行きたいなーって」

 

「ああ……」

 

 クリスマスといえば至る所でそれにかこつけたイベントがあるのを、日本に生きる者なら誰もが知っているだろう。

 この街の商店街もまた例に漏れず、12月の初めからクリスマス過ぎまでの間は華やかなイルミネーションに彩られるのだという。

 

 俺は1度も行ったことがないから、ひまり達から聞いただけだが。それはもう綺麗なんだとか。

 

「でもイルミネーションが点くのって、夕方から夜に掛けてだろ?アタシ達みたいな子供だけだと怒られる時間じゃないか」

 

「それはそうなんだけどさー、でも一回みんなで行ってみたいんだよね」

 

 冬の間は暗くなるのが早いから、それに伴って門限の方も短くなってきている。イルミネーションの点灯を見てから家に帰ると、間違いなく説教が待っているだろう事は容易に想像がついた。

 

「それにさ、クリスマスの日は特別凄いイルミネーションが点くんだよ!」

 

「あー、あの巨大クリスマスツリーの事か」

 

 商店街の一角には巨大なクリスマスツリーがあり、つい先週、俺達はその飾り付けを運ぶ手伝いをしていた。気を良くしたのか、ひまりがずいっと身を乗り出して力説する。

 

「そう、アレ!あ、ところで知ってる?あのクリスマスツリーが点く時に好きな人と一緒に居ると、その人達は結ばれやすくなるんだって!」

 

「なんだその取って付けたようなジンクス」

 

 観光客でも呼びたいのだろうか。しかし、言っちゃ悪いがその程度のジンクスなら幾らでも転がっている。パンチ力という観点から見れば少々足りないのではないだろうかと俺は思った。

 

「でもそのイルミネーションって、クリスマスの時だけでしょ?クリスマス前に悪い事すると、サンタさん来ないかもしれないよね」

 

 と、深刻な表情でつぐみは言う。なるほど確かに、それは小学生には大きな問題だろう。

 小学生からすれば、クリスマスはサンタクロースとイコールで結ばれるイベントで、そしてサンタクロースとプレゼントはイコールで結ばれる。つまりクリスマス=サンタ=プレゼントが成り立つのだ。

 

 しかしそこで問題になるのが、親が常々言う"悪い子だとサンタさんは来ないよ"という脅しであり、実際それは非常に強い鎖となって子供を縛る。

 夢見る子供にバラしてはいけないサンタの正体を考えると、本当に良い口実だよなーと思わずにいられない。最初に言い出した人は特許取ってもいいと思う。

 

「悪いけどアタシとあこはパス。アタシはともかく、あこの所にサンタが来なかったら大変だし」

 

「家は最近お父さんが厳しいから多分無理。モカは?」

 

「蘭に同じく〜」

 

「私もクリスマスはお店が忙しくなるし、そっちのお手伝いしたいから……ごめんね、ひまりちゃん」

 

 これで幼馴染5人組のうち、4人(プラスあこ)は参加不可能。となると残りはひまり、俺と千聖、氷川姉妹の5人になるが……

 

「あたし達は行けそうだよね、おねーちゃん」

 

「日菜。その日は……」

 

「えー、いーじゃん。どうせ何もないんだから」

 

「でも、誰か1人は居ないと」

 

 日菜と紗夜さんが何やら言い合いをしていた。日菜は乗り気だが、紗夜さんはどうやら乗り気ではないようだった。しかし、どうも言葉の端々から不穏な空気がする。"どうせ何もない"とか、クリスマスの日に言う事か?

 

「うーん……となると、残りは私と涼夜君と千聖ちゃんと、日菜ちゃん紗夜さんの5人になるのかな」

 

「ひまりは平気なのかよ。クリスマスだし、予定あるんじゃないのか?」

 

 そんな事に気付いていないのか、ひまりは能天気に話を進めていく。そちらに気を取られて、俺は抱いた疑問を一旦頭の片隅に追いやった。

 いろんな意味で空気を読めないのはひまりの長所であり、短所でもある。それが今回は良い方に向かったような気がした。

 

「分かんないけど、多分無いんじゃない?」

 

「今日帰ったら聞いてみろよ。絶対にあるから」

 

 そもそもクリスマスに何もしないのって、何かしらの宗教上の制約とかくらいしか思いつかない。

 ひまりの家にそういう宗教が無ければ、家でパーティーくらいはするだろう。

 

「……ところで結ばれるって、どういう意味なんだろう?」

 

「今の俺達みたいに、大人になってもずっと仲間で居ることだ」

 

「本当に?!」

 

「嘘だ」

 

 全員がガクッと肩を落とした。

 

「そういうやけに説得力ある嘘は止めてよね……信じちゃったじゃん」

 

「悪い悪い」

 

「それで、本当の意味は?」

 

 蘭に聞かれて、ふむ、と熟考する。ここで教えても問題はないが、それで各々の両親に話でもしたら睨まれるのは俺なのだ。

 前に蘭の父親と顔を合わせた時、どうポジティブに捉えても好意なんて欠片もない微妙な表情をされている以上、ここは自重しておくべきか。

 

「内緒。知りたかったら辞書で引け」

 

「おいおい。なんだよそれ」

 

「あ、分かった。本当は知らないんでしょ?」

 

「じゃあそれでいいや。うん、知らなーい」

 

 ちょっとイジワルな笑みを浮かべた日菜の言葉に便乗してそう答えると、紗夜さんや蘭からジトーッとした目を向けられる。

 

「…………まあ、仕方ないか。涼夜だし」

 

「ええ、涼夜さんですからね」

 

 そして勝手に納得していた。藪蛇になりそうだから深くは問わないが、この2人は俺の事をなんだと思っているのだろうか。



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4人だけのホワイトクリスマス②

着実に近付くジングルベル


「クリスマス、クリスマスねえ……」

 

 その日の夜、俺は布団に寝っ転がりながらそう呟いた。

 

 クリスマスといえば、生前では実家に呼ばれて親父やおふくろ、それに親戚の人間が集まって飲んでたか、あるいは会社の飲み会に出ていた記憶しかない。こいついっつも飲んでんな。

 イルミネーションなんて見に行くような生活とは無縁の過ごし方をしていたから、近くでそれが見れるのなら見に行きたいという思いがある。

 

「だけどなぁ……」

 

 しかしその場合にネックになるのは、やはり時間だろう。夜の7時がツリーの点灯時間であるから、その前には移動する必要が当然ある。

 だがしかし、施設の門限は遅くても5時である。それを過ぎれば入口は鍵を掛けられ、インターフォンを鳴らして職員さんから怒鳴られるのを覚悟しなければならない。

 職員さんも4時以降は外に出るのを許さないだろうし、入口から出るのは不可能に近い。

 

 ならば最初から外に居れば、と思うが、俺はともかく千聖が風邪を引いたりなんてしたら大変だ。子供は風の子元気の子なんて言うが、それは動き回っているからこそ言える事である。じっとしていれば風邪を引くのは免れないだろう。

 大体、小学生が何時間も薄暗い外に居たら確実に目立つ。俺は特に顔が知られているし、施設に通報されれば一発アウトだ。間違いなく連れ戻される。

 

 結論、無理。

 時間前に出るのもダメ、事前に出ていてもアウト。どうしようもないくらい完全に詰んでいる。

 

「無理だなこれ」

 

「そうなの?」

 

 俺の上に寝っ転がっている千聖と至近距離で目が合った。さっきから何が楽しいのか、ずっと上機嫌である。

 

「ああ。時間前に門限が来るし、その前に出ても顔が知られてるから見つかって連れ戻されるかもしれないしな」

 

「隠れてたらダメなの?」

 

「冬に一箇所に留まってじーっとしててみろ、すぐに凍えて風邪を引いちまう」

 

 春か、あるいは秋ならまだ耐えられたのだろうが、今は生憎の冬である。そんなリスクを負ってまでイルミネーションを見たいかと問われると、ちょっと首を傾げてしまうだろう。

 

「だから今回はパスだ。千聖には悪いけど、イルミネーションだって今回限りじゃないし、まだチャンスもあるだろうからな」

 

「悪いなんてそんな。兄さんが良いなら、私もそれで良いよ」

 

「…………お前はもう少し、自分の意見って奴を持ってくれよ」

 

 そろそろ「兄さんが言うならそれで」というのは止めさせなければならないな。今回は助かったけど、いつまでも俺の言う事だけに従うのも宜しくないだろう。

 

 そんな、新たな課題が見えた夜だった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 夜、とある一軒家の1階のリビングでは、2人の姉妹が肩を並べてソファに座っていた。

 

「あははっ、この人おもしろーい!」

 

 テレビに映る芸人に人差し指を向けながらバカ笑いをする日菜。

 

「日菜。あんまりうるさいと近所迷惑よ」

 

 そう日菜に言いながら、日菜と一緒にテレビを見ている紗夜。

 

 顔のパーツや髪型などの細かい違いはあれど、双子ゆえに凡その要素は似通っている2人は何時も一緒だ。何をするのも一緒、何をされるのも一緒。お腹が減る時間も一緒、好きな物も一緒、眠くなるタイミングも一緒。

 そんなだからか、紗夜と日菜がワンセットとして扱われるようになるのに、それほど時間は必要なかった。

 

「あー面白かったー。あたし、お腹痛くなっちゃったよ」

 

 やがて番組が終わると、日菜は感想を誰に言うでもなく述べて、あくび混じりに背伸びをした。

 

「ねぇ、お姉ちゃん。もう寝ない?あたし眠くなっちゃった」

 

「そうね……もうそろそろ寝ましょうか」

 

 時計を見れば、もう9時になろうかというところ。凡そ小学生が起きていていい時間ではない。

 テレビの電源を切り、リモコンをテーブルに置いて、まだ小さい紗夜の手が電気のスイッチに触れた所で日菜が言った。

 

「ねーねーお姉ちゃん。今日も一緒に寝ても良い?」

 

「あなたね……自分の部屋で寝なさい」

 

「えーいいじゃーん。2人で寝ても狭くないんだからさー」

 

「駄目よ。1人で寝なさい」

 

「えー!?」

 

 ぶーたれる日菜の抗議など聞かんと言わんばかりに紗夜はスイッチを押した。すると電気は消え、真っ暗になったリビングが紗夜の前に現れる。

 

「……まあいいや。先に歯磨きしてるねー」

 

 さっきまでぶーたれていた筈なのに、さっさと洗面所に向かった日菜の言葉を背に受けながら紗夜はリビングを見た。

 

 そこに居るはずの誰かは居なかった。

 

「…………」

 

 紗夜は一時だけ目を伏せると、何事も無かったかのように日菜の後を追って洗面所へ向かった。

 

 洗面所は小学生が2人横に並んでも全然余裕の広さがある。先に歯を磨いていた日菜は、紗夜の為に横に退いて場所を開けた。

 

「ひふひへーひょんはのひひはよへー」

 

「歯を磨き終わってから喋りなさい。何言ってるのか分からないわ」

 

 紗夜が歯ブラシを取り出している傍らで日菜は水で口を漱ぎ、ぺっと吐き出してから言った。

 

「イルミネーション楽しみだよねー、おねーちゃん!」

 

「だから言ってるでしょう。私は行かないわよ」

 

「そんなこと言わないでさー行こうよー」

 

「揺らさないで。歯が磨けないでしょう」

 

 そう言うと揺らすのは止めたが、今度は同じ事を紗夜の後ろで反復横飛びしながら言い出した。

 

「ねー行こうよー、ねーってばー」

 

ひは(日菜)へはははふはははへははひ(目が回るから止めなさい)

 

 もう寝る前だというのに、一体どこにそんな元気が残っているのか。紗夜が歯を磨いている間ずっと日菜は反復横飛びを続けていた。

 

「ぺっ……日菜、もう止めなさい」

 

「おねーちゃんが行くって言うまで止めないもーん」

 

「……はぁ」

 

 紗夜は自分の頭が痛くなった気がした。なんでここまで日菜が拘るのか、紗夜にはまるで分からなかった。

 

「とにかく、先にトイレ行きなさい。待っててあげるから」

 

 

 氷川姉妹の寝室は2階にある。歯磨きを済ませ、トイレにも行った2人は寝室へ通じる階段を上っていた。

 

「それにしても……なんでそこまで拘るのかしら。日菜らしくないわね」

 

「だってクリスマスだよ?周りの人はみんなパーティーとかでお祝いするのに、あたし達だけ何も無いじゃん。そんなのつまんない」

 

「文句を言わないの。お父さんも、お母さんも頑張っているんだから」

 

「それは分かってるけど、でも寂しいじゃん」

 

「………………」

 

 それは恐らく日菜の本心だろう。珍しく物悲しそうな表情を見せた日菜に掛ける言葉を、紗夜は持ち合わせていなかった。

 

 階段を上りきると、日菜がいきなり走り出して紗夜の部屋へと飛び込んだ。紗夜が後から部屋に入ると、ベッドが膨らんでいた。

 

「……日菜、自分の部屋に戻りなさい」

 

「ヒナナンテイナイヨー」

 

 布団の中からくぐもった声がする。これで隠れたつもりらしいが、日菜が履いていたスリッパがベッドの前に置いてあるので丸分かりだ。あまりにお粗末な隠れ方に、紗夜は再び自分の頭が痛くなるような気がした。

 このまま日菜を置いて紗夜が日菜の部屋で眠る事も考えたが、そうすると今度は日菜が紗夜の寝ているベッドに飛び込んでくる事は簡単に想像できる。

 

「……まったく。今回だけよ」

 

「やたっ!おねーちゃん大好き!!」

 

 どっちにしても同じベッドで寝なければならないのなら、無駄なやり取りをする必要はない。冬の夜は寒いのだから仕方ない。

 ベッドから飛び出てきた日菜に抱き着かれながら、紗夜はそうやって自分を納得させていた。

 

 ちなみに、紗夜がこんな風に自分を納得させない日は今のところ存在しない。妹に甘いのは何処の家でも同じようである。

 

「……ねえお姉ちゃん」

 

「なによ」

 

「お父さんとお母さん、今日も遅いのかな」

 

「…………寝ましょう。おやすみなさい」

 

「……うん、おやすみ」

 

 ぎゅっと日菜が紗夜に抱き着いてくる。日菜がめったにやらない行動に紗夜は驚いたように日菜の頭頂部を見て、そして弱々しく抱き着き返した。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「やっぱりダメだったろ」

 

「うん……」

 

 翌日。いつものように5人と合流した時に、やけにしょげていたひまりにそう言うと、ガックリと肩を落として落ち込んだ。

 

「そりゃそうでしょ」

 

「クリスマスだしね」

 

「ひーちゃん無計画〜」

 

「そりゃそうなるよな」

 

 

「みんな酷い!?」

 

 いや、誰が聞いてもそうなると思っただろう。だってクリスマスだぜ?俺や千聖のような施設の子供でも、ささやかとはいえクリスマスパーティーはやるのだし、一般的な家庭ならそりゃあるだろう。

 

「まあ、ひまりには悪いが助かったよ。こっちも施設から脱出する手段が思いつかなかったし、風邪引くの覚悟で隠れるくらいしか方法が無かったしな」

 

「脱出って、檻じゃないんだからさ……」

 

「似たようなもんさ」

 

 しかし、そうなると氷川姉妹と行く事も出来なくなるか。あの2人には悪いが、我慢してもらうとしよう。

 

「え〜〜〜!!?」

 

 と、そんな感じの事を表現柔らかく話したところ、日菜から大ブーイングが飛んできた。

 

「いーじゃん、行こうよ!」

 

「行きたいけどさ……」

 

 首根っこを掴まれてガックンガックン揺らされるけど、どうしようもない事もあるのだ。

 

「日菜ちゃん止めて。兄さんが苦しそうだから」

 

「そうよ日菜、止めなさい」

 

「でもさー、クリスマスだよー?」

 

「理由になってないわよ。まったく……」

 

 

「まあ、アレだ。よくよく考えてみたら2人にも家族で予定あるだろうし、両親にでも連れて行ってもらえば……」

 

 と、そこで俺は言葉を切った。いや、切らざるを得なかったというほうが正しい。

 

「「…………」」

 

 揺するのをピタリと止めて不気味に沈黙する日菜と、そして何とも言えない顔で目を逸らした紗夜さん。語りたくないと、あからさまに雰囲気が語っている。

 そんな2人を見て、俺は昨日抱き、しかし結局頭の片隅に追いやったきり忘れていた疑問と不穏な空気を思い出した。

 

「……そろそろ授業が始まるわ。日菜」

 

「……うん」

 

 さっきまでの元気はどこへやら、ガクリと落ち込んだ日菜は静かに自分の席へ戻っていった。紗夜さんも無言で立ち上がり、教室から廊下へと出て行く。恐らくお花摘み()だろう。

 

「ねえ兄さん。日菜ちゃんと紗夜さん、どうしちゃったのかな」

 

「さぁねぇ……」

 

 豹変した2人が流石に心配なのか、珍しく他人を気遣う千聖に俺はそう返した。

 さっき思い出した昨日の姉妹のやり取りと、そして今の反応。この2つだけでも分かりやすすぎる。

 

「千聖。次の休み時間におつかい頼めるか?」

 

「いいよ。なんて伝えるの?」

 

「今日の活動はキャンセルだ。今日は集まりもしないから好きにしろって」

 

「分かった」

 

 ここから俺がやるのは、一歩間違えなくても完全に嫌われるレベルの代物だ。無意味な行動と言い換えてもいいし、この問題を無視するのが最善とは言わなくても次善くらいの選択だろう。

 

「まっ、何とかなるだろ」

 

 でもやる。まあ、穏便な方向へ未来の俺がなんとかするだろうし、大丈夫だってへーきへーき。

 そんな感じで方針を決定したのと、紗夜さんが戻ってくるのは同じくらいだった。



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4人だけのホワイトクリスマス③

ハッピーバースデー紗夜&日菜。


 日は過ぎ去って、冬休みが訪れ、そしてクリスマスが訪れた。街中はクリスマスムード一色に染まり、多くの人間がクリスマスを祝い、騒ぐ為に外へと繰り出す。

 それ以外にも、仕事帰りの大人達が家で待つ家族の為に買って行くケーキが、バーレルが、バゲットが、売れに売れていった。

 

「はぁーー……」

 

 だが、どこにでも例外は存在する。クリスマスムードなんてクソくらえと言わんばかりに、一週間前、一ヶ月前と同じ日常を繰り返す家庭。

 

 氷川家はその例外に含まれる家庭であった。

 

 共働き家庭である氷川家は、今も尚、両親共にバリバリに働いている。帰るのも遅く、2人が起きている間に両親に会える時間はとても短かった。

 そんな状況であるから、一般的な家庭ならやるであろうクリスマスのお祝いなんかも、氷川家は行わないつもりだった。申し訳程度にクリスマスツリーは飾り付けられているが、それ以外にクリスマスを感じる要素は何もない。

 

 だが今年こそは、という日菜の希望を打ち砕いた、"この日も特に変わりなく、やはり帰るのが遅くなる"という両親から電話があったのは、ついさっきの事だ。

 

 それからというもの、日菜はずっと外を見ては溜息をつく。という行動の繰り返しである。

 

「日菜、いい加減に諦めなさい」

 

 宿題を淡々とこなしている紗夜は日菜にそう言うも、日菜の意識が宿題に向く事はなかった。むしろ溜息の色が濃くなっていく。

 

「でもさー、クリスマスー」

 

「テレビで我慢しなさい」

 

 この時間なら、クリスマス特集の一つくらいはやっているだろう。ポチッとリモコンを操作すると、クリスマス一色に染まった都内の中心地が映し出された。

 

「楽しそうだよねー……」

 

「そんな事を言っても今は変わらないわよ」

 

 紗夜も宿題を進める手を止めて、日菜と共にしばらくそれを見ていると、場面が変わってサンタクロースのコスプレをした若者達が映し出された。

 

「サンタ……そうだ!」

 

 それを見た日菜は何かを思いついたように立ち上がり、キラキラした目を紗夜に向けて言った。

 

「サンタさんにお願いすれば、私達もあそこに行けるかな!?」

 

「サンタさんが来るのは私達が寝てからでしょう?」

 

 紗夜の冷静な指摘に、そうだったー。とガックリ肩を落として再び座る。忙しいなと紗夜は思いながら、ふと外を見ると、気が付いたらもう日が落ちている。

 

「……もう外も真っ暗ね。日菜、ご飯はいつ食べるの?」

 

「ん〜、気が向いたらー」

 

 ソファに寝っ転がった日菜を見て、紗夜はこれは相当重症だな、と思いながらテレビを消し、再び宿題に目を戻して手を動かす。冬休みはまだあるが、早めにやるに越したことはないと紗夜は常々思っていた。

 

 そんな時だ。

 

 ──ピンポーン──

 

 インターフォンがリビングに鳴り響いた。すると、まるでそれがスタートの合図だったかのように日菜がソファから飛び上がると、

 

「あたし出て来る!!」

 

 と、さっきまでのしおらしさは何処へやら。な感じで玄関まで走って行った。

 

「こら日菜!まずはこっちのカメラで誰が来たのかを見ないと……ああもうっ!」

 

 紗夜の声は届かず、壁の向こうでガチャッと玄関の開く音がした。なので紗夜も鉛筆を机の上に置いて、急いで日菜の後を追って玄関へと繋がる廊下へと飛び出すと、

 

「おねーちゃん見て見て!本当にサンタさんが来た!!」

 

「ふぉっふぉっふぉっ。メリークリスマス、紗夜さん」

 

 サンタコスチュームの涼夜と千聖が立っていた。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 

「…………なにしてるんですか」

 

「見ての通り、サンタです」

 

 違う、そうじゃない。紗夜は認識のズレに頭が痛い。今の詳しい時間は時計を見ていないので分からないが、少なくとも夕方の5時を回っているのは確かだ。

 涼夜と千聖の施設の門限が5時だったと記憶している紗夜には、この時間に如何して2人が居るのかが分からなかったのだ。

 

「俺と千聖の部屋には窓がありましてね。机を足場にすればギリギリ超えられる位置にあるんですよ」

 

「なんて無茶な……」

 

 窓を使ったという点に関してではない。門限を越えてもなお、こうして脱出しようとする。その心に向けた言葉だった。

 

「……戻ったら怒鳴られますよ、絶対」

 

「でしょうね。間違いなく大目玉を喰らうでしょう」

 

 そんなことは百も承知だと涼夜が笑った。それを見てますます紗夜は混乱する。紗夜には理解できなかったのだ。

 

「分かっているのなら、どうして……」

 

「俺は千聖と紗夜さんと日菜の4人でクリスマスを祝いに来たんですよ」

 

 答えになっているような、なっていないような返答をしつつ、涼夜は片手を紗夜に向けて差し出した。

 

「行きましょう、街へ」

 

 その言葉に真っ先に反応したのは、紗夜ではなく日菜だった。

 

「連れて行ってくれるの!?」

 

「ああ。俺が連れて行ってやる」

 

「やったー!」

 

 日菜はハイテンションのまま廊下を走り、2階へと続く階段を一段飛ばしで駆け上がっていった。恐らくコートを取りに行ったのだろう。

 

「でも……」

 

 紗夜は尻込みした。それは紗夜自身が暗闇が怖かったという事が原因だし、昔から親に『夜に外に出てはいけない』と言いつけられていたからだった。

 紗夜にとって未知は恐怖であり、この場合の未知は夜の外だった。

 

 ……後ろからドタドタと走る音がした。日菜が降りてきたのだろう。

 

「おまたせーっ!おねーちゃんのコートも持ってきたから、一緒に行こうよ!!」

 

「い、いえ。私は……」

 

 

「何があっても、全ての責任は俺が取ります」

 

 紗夜はハッと顔を上げた。千聖が居た、笑顔の日菜が居た、紗夜に手を伸ばしている涼夜の姿があった。

 

「──最後に一つだけ、聞いていいですか」

 

「どうぞ」

 

「なんで私達に、ここまでするんですか?」

 

 これは明らかに過剰だ。小学生が、夜にサンタのコスプレをして、挙句の果てに施設を抜け出して大人の同伴も無しに迎えに来る。

 これが自分に、言ってしまえば知り合って1年も経っていない人への待遇かと紗夜は問うた。

 

 その問いに、涼夜は手を差し出したまま答えた。

 

「なんでって、さっき言ったでしょう?」

 

 ──この場の4人でクリスマスを祝いに来たって。

 

 

 嘘偽りの無い笑顔だった。それ以外の何も考えていないような顔だった。

 それを見て紗夜は思い出した。彼がなんと呼ばれ、そしてなんと自称しているのかを。

 

「…………そうでしたね。涼夜さんはバカでした」

 

 取るに足らない理由で行動を決めて、それに全力を尽くす。そんな、紗夜には絶対にできない生き方をするのが、目の前に居る彼だった。

 

「日菜、そのコートを渡しなさい」

 

「おねーちゃん!それじゃあ……!」

 

 真っ直ぐ誠実に生きるのが正しいのだと思ってきたし、今でもそう思っている。涼夜のような生き方は褒められたものではないとも分かっている。このまま生きる事が、1番無難な生き方であると教えられてきた。

 でも正直に言うと、日菜や涼夜のように自由に生きたいとも、思っていた。いつも好き勝手やっている2人が、ぶっちゃけ少し羨ましかった。

 

「毒されたかしらね……私が、まさかこんな事をする日が来るなんて」

 

「知ってます?バカって伝染るんですよ」

 

「それは知らなかったわ」

 

 

 日菜が紗夜にコートを渡した。紗夜は手早く袖を通して、そうしてから涼夜の手を取った。

 

「さあ、急ごう。時間もあんまり無いしな!」

 

「しゅっぱーつ!!」

 

 そして飛び出した外は、寒空の風が紗夜の頬を切るような寒さで出迎えた。

 

 目の前に広がったのは未知のエリア。

 この先に有るのは紗夜の知らないもう一つの世界。

 

 街灯しか明かりのない夜の道を4人は駆ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てが新鮮に映った。遠くに見えるショッピングモールの明かり1つを取っても、新しい経験だった。

 まるで自分達がおとぎ話の世界に紛れ込んだような錯覚を、紗夜と日菜は覚えていた。

 

「おねーちゃん。夜って、こんなに綺麗なんだね……」

 

「ええ。本当に……」

 

 キラキラと煌めくネオンの光は、まるで妖精が踊っているような華やかさで4人を誘う。

 通っているのは歩き慣れた道の筈なのに、1歩進むたびに抑えられない興奮が胸をときめかせる。

 

 走っているわけではない。しかし、歩いているというには早い。

 夢を見ているように、あるいは熱に浮かされているかのように、2人の足取りは覚束無い。

 

 気持ちが足を急がせているのだと、この時の紗夜と日菜には理解できなかった。

 

 先を歩いている涼夜は、そんな2人の様子を微笑みながら見た後、ふと空を見上げた。

 

「今日は満月か。縁起いいな」

 

「なんで満月だと縁起いいの?」

 

「なんとなく、ご利益がありそうだろ?」

 

 澄み渡った夜空には満月がぽつりと浮かんでいる。普段は見向きもしない筈の月は、満天の輝きでもって4人を歓迎していた。

 

 そんな満月と街灯の明かりのみが照らす道を歩いていると、不意に、紗夜の頭の片隅に誰かに見られるのではないか、という考えが過ぎった。それと同時に、自分は大変な事をしているのではないか、とも。

 実際、もし此処で誰かと出会っていれば、紗夜に掛かっていた魔法のような錯覚は解けて、真っ直ぐ家に引き返していただろう。

 

 だがしかし──それは紗夜にとって幸運か不幸かは分からないが──終ぞ4人は誰とも会うことは無く大通りへ……1人では決して超えられなかった一線へと足を踏み出したのだ。

 

 

 近くで見たネオンの煌めきは、遠くから見た時とはまた違った印象を2人に与えた。

 忙しなくキョロキョロと周囲を見渡す2人を暖かい目で見て、涼夜は千聖の手を握りつつ先を進む。

 

「初めてですか?夜の街に繰り出すのは」

 

「初めてに決まっています。そもそも、この時間に、こうして出る事なんて一度もありませんでしたから」

 

「そりゃそうか……でもまあ、直に慣れますよ。この眩しい夜の喧騒にも」

 

 何処か遠い所を見るような目で告げた涼夜の言葉に紗夜は違和感を感じたが、しかしそれが言葉となる前に日菜に腕を引っ張られた。

 

「おねーちゃん!あたし、こんなにるんるん来る夜は初めて!見てよ、すっごいキラキラしてる!」

 

「いきなり何よ?」

 

「街全体がお星様で飾り付けられてるみたいじゃん!!」

 

 日菜に言われてから再び見てみると、確かにそんな気がしてきた。テレビの向こうでしか見た事のないような満天の星空を、そのまま地面に落とすとこうなるのかもしれない。

 

「上手い例えだ。言われてみれば確かにそんな気もするな」

 

「そうなの?」

 

「ああ、そういえば千聖は見た事無かったか……今度機会があれば一緒に見ような」

 

 とか言う俺もテレビでしか見た事ないけどさ。と付け足しながら千聖に言うと、千聖は嬉しそうに頷いた。

 

「それにしても、本当にうるさいのね。夜はもう少し静かな物だと思っていたけれど……」

 

「人の出入りがあれば騒がしくなりますよ。それに今日はクリスマスですし、尚更ですね」

 

 夜の風は昼間より遥かに勢いが強く、そして寒い。遮る物が無い大通りでは、特にそれが顕著に感じられる。

 しかし、あっという間に熱を奪っていきそうな夜の風でさえも、この身体から熱を奪い去る事など不可能に感じられた。それほどまでに2人は興奮していたのだ。

 

「ツリーが点灯するのは7時だったな、確か」

 

「間に合うの?」

 

「間に合うさ。多少の遅れを見越して早く出たんだから」

 

 その涼夜の言葉の通り、商店街の入口に到着した時には、点灯の20分前だった。ここからなら歩いてでも点灯まで間に合う。

 日菜達はいつものように入口から入ろうとしたが、涼夜はその入口を通り過ぎた。

 

「こっちだ」

 

「あれ?こっちから行かないの?」

 

 日菜は普段使っている商店街の入口のアーチを指さしたが、涼夜は首を左右に振る。

 

「この時間って普通は小学生が単独では居ないし、知り合いに見つかると面倒だしな。最悪連れ戻される可能性もあるし……だからこっちだ」

 

 涼夜に導かれるまま進むと、喧騒から外れた場所に建物と建物の間にある細い道を見つける事ができた。

 

「こっからクリスマスツリーまで行く。予めルートは調べてあるから、迷う心配も無い」

 

「いつの間に……」

 

「事前準備は怠らない性分でしてね……行くぞ!」

 

 迷わず飛び込む涼夜の後を3人が追う。ジグザグに角を曲がる涼夜の後を追いながら、日菜は思った事を口にした。

 

「なんか、テレビでやってた街全体を使ったかくれんぼをしてるみたいで、サイコーにるるるんって感じ!」

 

「俺のイメージは"逃げ出し中"だったけど、それも良い例えだ。いつかメンバー全員でそういうのもやりたいな」

 

「なにそれ、すっごく面白そう!だよねっ、おねーちゃん!」

 

「そうね。いつか、やってみたいわね」

 

 5分ほど裏道を通っていると、一時は離れていた喧騒が段々と近付いてくるのが日菜と紗夜の耳に入った。

 

「もう表に出るの?」

 

「ああ。ここからは如何してもな……一応言っておくけど、騒ぎすぎるなよ?ここで連れ戻されるのはゴメンだからな」

 

 3人が頷いたのを確認した涼夜は、普段より遥かな量の人が行き交う商店街へと飛び出した。

 その次に千聖が飛び出す。

 

 

 後を追うようにして飛び出した日菜と紗夜が見たのは、華やかに彩られた商店街だった。

 

「わあ……!」

 

「これが……イルミネーション……」

 

 クリスマスカラーに輝く店を見るのは、2人にとって初めての経験だった。

 

 電球で形作られた雪だるま、点滅して存在感を示すトナカイとサンタクロース、垂れ幕のように下ろされた電球が川のように輝くイルミネーションetc……。さっきの大通りとはまた違う輝きが2人を暖かく出迎える。

 まだ所々に残る雪や道行く人の笑顔ですら、イルミネーションを彩る飾り付けのように輝いて見えた。

 

 今まで見た事もないような大規模なイルミネーションは、2人をその場に立ちつくさせるのに充分だった。

 

「2人とも?見とれるのは良いけど、急がないと良い場所は取れないぞ」

 

「へ?あ、うん。今行くよ」

 

「へ?え、ええ。今行くわ」

 

 涼夜に急かされなければ、ともすれば一生そこに立っていたかもしれない。

 とにかく、4人は人の波に流されるように商店街を歩く。周りの人も巨大クリスマスツリーの点灯が目当てなのだろう。波に逆らわなくても、クリスマスツリーは近付いてきていた。

 

「ドキドキしすぎて、胸が爆発しちゃいそうだよ〜〜……おねーちゃんは?」

 

「私もよ。……なんでなのかしらね。こうして外に出ただけで、こんなに緊張するのは」

 

 

「それは、紗夜さんが動き出したからですよ」

 

 紗夜と日菜の目線が涼夜へと向いた。

 

「じっとしていれば何も変わらない。変化が無いのは良い事かもしれないけれど、裏を返せば何もドキドキするような事が起こらないって事ですからね」

 

 俺は、もう、そんな人生はゴメンです。

 そう呟いた涼夜の言葉は喧騒にかき消された。紗夜と日菜には届かなかった言葉を聞いたのは、隣を歩く千聖のみ。

 

「人生は1度しかないんです。どうせ1度きりなんだったら、常に変化のある日常の方が楽しいじゃないですか」

 

 紗夜と日菜からは涼夜の表情を伺う事はできない。だが、笑っているだろう事は何故か分かった。

 

「退屈で、色褪せて、埃まみれになって生きるよりは、そっちの方がよっぽど充実しますよ」

 

 何処か重みを伴って発せられた言葉は、紗夜の胸の内側にストンと落ちた。

 

 心臓は痛いほど脈打っているし、走っていない筈なのに呼吸は上がっていて息苦しい。

 だけど、この痛みや苦しさは不思議と悪い物には感じなかった。むしろ心地よくさえ感じられる。

 

 それはきっと、

 

「私が、動き出したから……」

 

「……話している間に着いたみたいですね」

 

 近くで見た巨大クリスマスツリーは、昼間に見た時よりも大きく感じられた。周囲では人々が、点灯の瞬間を今か今かと待っている。

 クリスマスツリーの前では、いつから話していたのか、サンタコスチュームの町内会長が話していた。

 

「あんまり前に出過ぎて見つかるのも嫌ですし、この辺りにしましょうか」

 

「そうね。ここで捕まったら、全て終わりだものね」

 

 4人が陣取ったのは、最前列より2、3列ほど後ろに下がった位置である。人の波が4人を隠すが、4人からはクリスマスツリーが都合よく見れる位置だ。

 

「まだかなー、まだかなー」

 

「落ち着きなさい。焦らなくてもちゃんと点くわよ」

 

 そう言う紗夜もまた、日菜と同じ思いを内心では抱いていた。見つかるかもしれないという緊張感と、初めて見るクリスマスツリーのイルミネーションへの期待感がごちゃ混ぜになり、混沌としている。

 もしかすると、落ち着けという言葉は自分に向けて言ったものなのかもしれなかった。

 

「それにしてもカップルが多いな……あのジンクスが目当てなのか?」

 

 4人の周りだけでなく、クリスマスツリーを見に来ていた観客は、ジンクス目当てにやって来たのかカップルが多いようだった。

 

 

『──そろそろ時間ですので、皆さんお待ちかねの、クリスマスツリー点灯のカウントダウンを開始したいと思います』

 

「おねーちゃん、もう点くって!」

 

「ちゃんと聞こえてるわよ」

 

 少しの間、町内会長の話を聞き流していると、良い感じに話を区切って手早くカウントダウンに突入する。

 

『さあ皆さんもご一緒に、5!』

 

 《5!》

 

 町内会長がカウントダウンの音頭を取り始めると、会長の後に観客達のカウントも続いた。

 

『4!』

 

「よーん!」

 

 日菜が勢い良く叫んだ。

 

 

 

 

 

『3!』

 

「さん!」

 

 紗夜が魂を込めたシャウトを闇に響かせた。

 

 

 

 

 

『2!』

 

「に!」

 

 珍しく千聖が声を荒げた。

 

 

 

 

 

『1!』

 

「いち!」

 

 いつもと変わらぬハイテンションで涼夜が言った。

 

 

 

 

 

 

『点灯!』

 

「「「「てんとう!」」」」

 

 その叫びに答えるように、根元から先端までデコレーションされたクリスマスツリーが輝き────

 

 

 

「凄い……!凄いよコレ!!」

 

「こんな綺麗な物は初めて見たわ……」

 

「クリスマスツリーって、こんなに綺麗になるんだ……!」

 

「来た甲斐があったな……悪くない」

 

 

 

 三者三様の反応を見せるものの、共通している事は全員が笑顔であるという事だ。

 4人だけではない。見に来ていた観客からは大きな歓声と拍手が鳴り止まずにいた。

 

「こりゃ、ジンクスが出来るのも納得いくわ」

 

 涼夜は横の3人を見た。まだクリスマスツリーに見惚れているのか、涼夜の目線に気付いた素振りを見せず、心の底からの笑顔を浮かべていた。

 

 それを見た涼夜も微笑み、再びクリスマスツリーへと目線を戻す。雄々しく立つツリーが、この場に居る全員を祝福してくれているような気がした。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「ちょっと寄りたい所があるの。まだ付き合ってくれないかしら?」

 

 帰り際に紗夜にそう言われた涼夜と千聖は、出発した時より幾らかしっかりとした足取りの紗夜に導かれるまま住宅街を歩いていた。

 

「此処よ」

 

「此処は……公園ですよね」

 

 案内されたのは一般的な公園だった。一直線にブランコに向かう紗夜の後を追いながら、涼夜は周囲を見渡してみた。

 何かあるのかと思ったが、そういった物は無い極一般的な公園である。これといった特徴は無い。

 

「この公園は私と日菜がよく遊んでいた場所なの。ちょっと家から遠いけど、あなた達と出会うまでは殆ど毎日此処に来ていたわ。お気に入りの場所……なのかもしれないわね」

 

「……なんで、俺達を此処に?」

 

「何故かしら。強いて言うなら、なんとなく……かしらね」

 

 4つあるブランコのうち、紗夜は左から2番目に座った。涼夜が右から2番目に座ると、日菜が1番左端に座り、千聖が右端に自然と座る。

 

「珍しいですね。紗夜さんが、なんとなくなんて」

 

「自分でも驚いているわ。まさかなんとなくって私が言うなんて。こういうのは日菜の役目だと思っていたのに、これもバカが伝染ったからなのかしら」

 

 そこで会話が途切れた。興奮の余韻が冷めない身体に寒風が吹きつける。

 

「………………ありがとう」

 

 紗夜が口を開いた。それを聞いた涼夜は慌てて両手をわたわたと振りながら謙遜をしようとした。

 

「そんな。そもそも紗夜さんに余計なお節介をしたのは俺ですし……」

 

「敬語」

 

 しかし、最後まで言い終わらない内に紗夜がそれを遮った。敬語の何がいけなかったのか、と考える涼夜に紗夜は言葉を繋げる。

 

「敬語も、さん付けも、もう要らないわ。私達は同い年でしょう?」

 

「──良いのか?」

 

「良いのよ。そもそも、この状況がおかしかったんだから」

 

「……言われてみればそうだな……」

 

 同年代への敬語という、今更すぎるツッコミを受けた涼夜が確認するように問うと、紗夜は至極真っ当な返答をした。

 

「改めてお礼を言わせて。今日の出来事のお陰で、私は1歩先に進めそうだから」

 

「礼なんていいって。所詮は俺のお節介で、本当はやっちゃいけない事なんだから。むしろ礼を言うのは俺の方で……」

 

「何を言っているのかしら。お節介にしても私の方がお世話になったのだから、お礼を言うのは当然の事でしょう?それに、やっちゃいけない事だと分かってやったのだから、非は私にあるわ」

 

「いやいや俺の方が──」

 

「いいえ、私の方が──」

 

 日菜と千聖は互いに顔を見合わせて苦笑した。お互いが譲り合うから、このままだと終わりが見えない事を察したからだ。

 

「ねーねー、おねーちゃん。あたし、お腹空いてきちゃった!」

 

「兄さん。私も」

 

 

 

 夜を駆け抜けたこの日の事を、4人が忘れる事は一生ないだろう。




かなり強引だしアフロのメンバーも出ないしの酷いオチでしたが、これで小学生時代は終わりです。この話を投稿した時点で評価を入れて下さった2名の方と133名のお気に入り登録者の皆さんに、深い感謝を。お気に入りと評価が増えるとモチベが上がるって本当なんですね。

そして偶然この作品を目にして下さった読者の皆さんにも深い感謝を。欲望をぶち込んだだけの拙作ですが、暇潰しくらいにはなったでしょうか?なったなら、これ以上ない幸福です。

もし御縁があるならば、次の章も宜しくお願いします。


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中学生前編 : 白鷺
そして3年が経過した


この話は小学生時代のエピローグ兼、中学生時代のプロローグです。なのでかなり短いです。


 小学生の卒業式は思った以上に長丁場だ。

 

 というのも、式典特有の校長先生の長話やPTA等のお偉いさんの長話に加えて、校長先生が1人1人に卒業証書を手渡していく作業があるからである。

 これが高校とかになると代表1人だけが壇上に上がって全員分のを受け取るポーズをとったりするのだが、それはクラスが8とか10とか有るからこその苦肉の策なのだろう。

 小学校のように2クラス3クラスしか無いのであれば、例え高校だろうと容赦なく全員を壇上に立たせるに違いなかった。

 

 卒業証書を手渡されている時間は、賑やかしで強制参加させられている蘭たち5年生には辛い時間なんだろうなと、卒業証書を受け取りながら俺は思った。卒業式の練習で散々やらされた動きは、俺が他愛のない考えをしていても出来るくらいに身体に染み付いている。

 

 

「終わったーー!」

 

 その後の事は割愛するが、そんな長丁場な卒業式を終えた時には、教室の時計は既に12時を回っていた。日菜がバターンと机に倒れ込む。

 

「校長の話はまだ良いけど、その他お偉いさん達の話は必要なのかね」

 

「ちゃんと聞いていれば、結構考えさせられる話だったでしょう?」

 

「それは俺が話を聞いていない事を理解した上での発言だな?」

 

「ええ。もちろん」

 

 随分とイイ性格になったなぁ、と3年間で完全に無くなった遠慮という言葉に黙祷を捧げながら最後の帰りの会が始まるまで待つ。

 その僅かな時間で考えるのは、次に進む中学校の事についてだ。

 

「次は中学か……今から憂鬱だ」

 

「珍しいわね。緊張しているの?」

 

「いや、そうじゃなくて。千聖の事でな」

 

「千聖さんの……?」

 

 早ければ幼稚園児くらいから、遅くても中学生くらいから男女の間で色恋沙汰が起こり始める。実際、施設の年上の中学生も職員さんに恋愛相談をしてもらっていた。

 そして、身内の贔屓目を抜きしても千聖は綺麗だし可愛いと思っている。そこらのアイドルよりも千聖の方が良いと思うのは、俺の目が曇っている訳ではないと信じたい。

 

 とにかくだ。そんな綺麗で可愛い千聖にアタックを仕掛けてくる男は数知れないだろう事は簡単に想像がつくだろう。

 

「もうオチが見えたけれど、つまりどういう事かしら?」

 

「千聖が悪い男に騙されないか心配で心配で……」

 

 千聖の事だから大丈夫だとは思いたいが、不安なものは不安なのだ。万一そんな事になりでもしたら、俺は後悔してもしきれない。

 

「あらら、涼夜君がまたバカになっちゃった」

 

「涼夜がバカなのはいつもの事でしょう」

 

「それはそうだけど、でも千聖ちゃんが絡むと、いつも以上にバカだよねって」

 

「シスコンって奴ね」

 

 おい煩いぞ、そこのシスコン姉妹。日菜はいつもだけど、紗夜は今だに日菜の嫌いな物を代わりに食べて甘やかしてるの知ってんだからな。日菜は好き嫌いを何も言わない家の千聖を見習え。

 

「大丈夫よ兄さん」

 

 3年という月日の間で、いつの間にか喋り方が変わっていた(そして美人にもなった)千聖が俺の両手を取って言った。

 

「兄さん以外の男の人に、興味なんて欠片も無いから」

 

「千聖ーーっ!」

 

 教室にあった卒業式の余韻を完全にぶち壊すように、俺と千聖はいきなり抱きしめあった。勢い良く立ち上がったせいで、ガタッと大きな椅子を引く音が教室に響き、何人かがビクッと体を震わせる。

 何人かは俺と千聖を見て"またお前らか"とでも言いたげな顔をしていた。

 

 

「…………兄が兄なら、妹も妹ね」

 

「これなら安心だねー」

 

 抱きしめあった俺達を祝福するかのように、外では鳥の鳴き声がした。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「中学で思い出したんだけどさ」

 

 卒業式のフィナーレである、在校生と保護者達に見送られて正門から出て行くという所になって、俺はさっき言おうとして忘れていた事を思い出した。

 

「紗夜と日菜も公立の中学に進むんだったよな」

 

「そうね。どうしたのかしら?今更そんな事を聞くなんて」

 

「私立の女子校に行くって話はどうなったんだよ?」

 

 1月の中旬くらいに聞いた話だが、それきり音沙汰がなかった話だ。だから俺も忘れていて、そしていきなり「私達、公立の中学に行くことにしたから」と言われたのは中学受験で何人か休んだ日の事である。

 

「辞退したのよ」

 

「辞退?」

 

「そうよ。だっ「そうそう。なんかるんって来なかったから」……日菜。いきなり割り込まないで」

 

 その後、紗夜に説明された事を端的に説明すると、両親はもちろん親戚にも私立への進学を薦められたものの、そこまで金と負担は掛けられないと紗夜は辞退し、おねーちゃんが行かないならあたしも行かないと日菜も辞めたのだという。

 

 それを聞いた俺は、まず勿体ないと思った。

 

「それで良かったのか?」

 

「なぜ、そう思うの?」

 

「花咲川の中学って、勝ち組エスカレーターの入口だろ?クッソ有名だし倍率も間違いなく高いだろうけど、2人の学力なら余裕だろうに」

 

 花咲川という、この近辺にある私立女子校は世間でも結構有名だ。といっても、主に有名なのは中学校の方で、その倍率は高校より桁違いに高い。詳しい事は知らないが、推薦やらなんやらで有名な高校や大学進めるんだとか。ようは勝ち組が約束されているのである。

 日菜も紗夜も常人より遥かに頭が良いんだし、そんな中学でも余裕で合格出来ただろう。

 

 だから勿体ないと言ったのだ。折角のチャンスなのに、それを棒にふるような真似をするなんて、と。

 

「魅力を感じなかったから、ではいけない?」

 

「花咲川の中学校を前にしてそんな事を言える辺り、お前は間違いなく日菜の姉だよ」

 

 1回でいいから、本気でそんなことを言ってみたいものだ。どうして俺には頭脳系のチートが無いのかと、俺をこの世界に送りつけた神様に恨みの念を送った。

 

「今の発言を聞く人が聞いたら本気で怒りそうね」

 

「全くだ……学歴は大事だぞー」

 

「行きたくなったら入試で堂々と入学するから大丈夫よ」

 

「うっわ、今すっげぇイラついた」

 

 俺が凡人の僻みを言葉にしたくらいで、ちょうど蘭や巴が待ち受けている場所にやって来た。

 

「卒業おめでとー!いえー!」

 

「テンション高いなひまり」

 

「今、泣きそうなのをハイテンションで必死に誤魔化してるからね〜」

 

「ちょっとモカ!そういうこと言わないでよ!」

 

 ひまりはモカを小突いているが、俺はまあそうだろうなと思っていたので聞かなかったことにした。ひまりは涙もろいから、ほぼ確実に泣いているのは分かっていたからだ。

 

「4人とも、卒業おめでとう!」

 

「ありがとうございます羽沢さん」

 

「来年はつぐみちゃん達の番よ」

 

「うん!」

 

 つぐみはいつも通り、純粋に卒業を祝ってくれているみたいだった。流石はメンバーで1番マトモな女の子である。

 

「……おめでとう」

 

「らんらんありがとー!」

 

「だから、らんらんは止めてって言ってるじゃん……!」

 

 蘭は日菜に絡まれていた。最初にらんらんと聞いた時、なんかパンダみたいだと思ったのを覚えている。

 

「アタシで最後か。とりあえず、おめでとう」

 

「ありがと。卒業式は退屈だっただろ?」

 

「退屈っていうか、モカを寝かさないのに大変でそれどころじゃなかったっていうか……」

 

 疲れたと全身からオーラが出ている。賑やかしである5年生の方もタイミングで席を立ったり座ったりさせられていたから、モカの制御も大変だっただろう。しかもアイツの名字は『青葉』だから最前列だし、一番目立つ場所だからミスった時は酷い目立ち方をするからな。

 

「来年も頑張れよ」

 

「それを言わないでくれ……今から頭が痛くなる」

 

 本気で嫌そうな巴の前を過ぎると、後は何の関係も無い生徒と大人達で舗装された一本道が残るだけだ。卒業式の看板の前で記念撮影している親子の横を通り過ぎると、喧騒が急に遠くなったような気がした。

 

「さって、もう挨拶も済ませたし帰ろうか。腹も減ったしな」

 

「後で施設まで迎えに行くねー!」

 

「転ばないでね、日菜ちゃん」

 

「それじゃあ、また後で会いましょう」

 

 正門から出て少ししてから訪れたT字路で氷川姉妹は左へ、俺と千聖は右へ曲がって別れた。

 

 蘭達は学校で卒業式の後片付け、氷川姉妹とはさっき別れた。となるとこの場にいるのは俺と千聖の2人のみである。

 

「ねえ兄さん」

 

「ん?」

 

「私ね、今とっても幸せなの」

 

「奇遇だな、俺もだよ」

 

 晴れやかな空の下、千聖が差し出してきた手を握り返すと、千聖は満足げに微笑んだ。



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鳥の羽ばたき

これ以降に出てくる白鷺家の関連は殆どがオリ設定となります。原作の方で単語が出ればそちらになるべく差し替えますが、それまではオリ設定で突っ走ります。


「あら、おかえりなさい。どうだった〜?卒業式は」

 

 施設に帰ると、職員さんが玄関まで出迎えてくれた。ちょうど宅配便が来たところだったのだろうか、両手で大きめのダンボールを持ち運んでいた。

 

「まあまあって所ですかね。良くもなく、悪くもなく。至って普通な感じでしたよ」

 

「いや、そうじゃなくて……感動したとか、あるじゃん?」

 

「いや全然。強いて言うなら出所の日が近付いたなーってくらいですかね」

 

「ここを刑務所か何かだと思ってないよね!?」

 

「冗談ですよ」

 

 何かイベントがある度に恒例となった職員さん弄りをして満足したので、部屋に荷物を置きに行く。あの人、反応が良いから弄りがいがあるんだよな。

 

「正装ってのは面倒だよな。動きづらいし、なんか気が張っていつも以上に疲れるし」

 

「汚さないように気を使うのも大変だものね。シミが付きそうな物には近寄れないし」

 

 俺と千聖は互いに背を向けながら着替えつつ話している。この部屋には仕切り板とかそういう物は設置されていないので、見ないように気を使うと、こういう方法を取るしかない。

 千聖はいつも「兄さんだけだし別に良いのに」とか言ってるけど、そういった羞恥心が無いのはかなり宜しくない。お兄さんは将来が心配だ。

 

「本当だよなあ。中学校は制服だし、そっちも汚さないように気をつけないといけないな」

 

「そうね……兄さん、もうこっち見て大丈夫よ」

 

 言われた通りに千聖の方を見ると、そこには普段着に着替えた千聖と丁寧にハンガーに掛けられた正装がある。

 

「今日のメニューは何だろなーっと」

 

「さっき炒飯みたいな匂いがしてたから、炒飯じゃないかしら」

 

 どうせすぐに分かることだが、僅かな間でも期待は高まる。想像は願望も込みだけど、だからこそ当たっていた時はテンションが上がるのだ。

 

「はいこれ、2人に」

 

 そんな期待を胸にリビングへ出ると、職員さんがさっき運んでいたダンボールを俺達に手渡してきた。

 

「いや、なんですかこれ」

 

「お届け物。正確には千聖ちゃん宛なんだけど、涼夜君でも大丈夫でしょ」

 

「そんないい加減な……それで、誰からなんですか?俺と千聖にお届け物を贈ってくれるような人なんて居ない筈ですけど」

 

「私達の名義で懸賞にでも応募したんですか?」

 

「千聖ちゃんは私をどんな目で見ているのかな?そして涼夜君。どうして千聖ちゃんが名義貸しなんて知ってるのかな?」

 

「開けてみるか」

 

 痛いところを突っ込まれたので、何も言わずにダンボールの開封作業へと移る。まさか暇だったから教えたなんて言ったら、いつかのボランティアの再来となってしまいそうだ。

 ガムテープを素手で破りながら箱を開けると、そこには大量の文房具が詰まっていた。

 

「これは……」

 

「結構大きいダンボールだけど、まさか全部文房具は予想外だなー……」

 

 鉛筆や消しゴムといったスタンダードな物は勿論、自分の好みで色を変えられるカスタマイズ式の多色ボールペンとそのカスタマイズ用の全色。ノートや半紙、筆箱やサインペン。果ては万年筆まで。

 ありとあらゆる文房具が詰まっていた。ざっぱに計算したが、総額で二万円は下らないのは間違いないだろう。

 

「これ、本当に誰からなんですか?」

 

「配達伝票によると、送り主は白鷺麗華さんって人だね。聞き覚えはある?」

 

「いや全く。千聖は?」

 

「知らない人ね。聞いたこともないわ」

 

 施設に入れられた子供宛に荷物が届く事は殆どない。極稀に懸賞で当たった荷物が届いたりするが、基本的には何もない。頻繁に物を送ってくるような人がいるなら、もうその人に引き取られているというケースが多いからだ。

 ましてや、こんな風に面識の無い人間からいきなり大金の掛かった贈り物をされるなんて、普通ならば有り得ない事といっていいだろう。

 

「何処の誰だか知らないけど、足長おじさんには感謝しておかないといけないわね」

 

「いやいやいや、これどう考えてもそんな類いの奴じゃないだろ。千聖名義で狙い撃ちなんだし」

 

 送り先を間違えたというのが一番現実的だし、そうだとも一瞬思ったが、千聖と近いニュアンスや漢字を使う名前の子供はこの施設には他に居ない。まさか送り先の住所を書き間違えるなんてアホミスは無いだろう。

 そして足長おじさんであるなら、施設宛てに寄付してくる筈だ。よって足長おじさんという線は消え去る。

 

 そうなると、この荷物は紛れもなく千聖に届けられるために配達された事になるが、では何のために?

 

「別に良いじゃない。はい兄さん、シャーペンあげる」

 

「あ、ああ。ありがとう……?」

 

「これでお揃いね。……あっ、このカスタマイズできるボールペンも何本か入ってるわ。これも2人で使いましょう?」

 

 ……分からない。情報が少なすぎて、白鷺麗華という人物がどんな考えを持って千聖に荷物を送ってきたのか。そうする事でどんなメリットが向こうにあるのか。いや、そもそもどうして千聖がここに居る事を知っている?なぜ千聖を知っていた?ここに居るという、その根拠はどこにある?

 

「兄さん」

 

 思考がハマりそうになった時、千聖の手が下を向いていた俺の顔をグイッと持ち上げた。ぱっちりとした千聖の目と目が合う。

 

「今は考えても仕方ないわ。それよりも、中学校に向けて文房具の整理をしないと」

 

 分からない事を考えても仕方ないと、千聖は俺に言って文房具の組み合わせを考え始めた。

 うーん、うーんと自分好みの色をしているシャーペンや、消しやすいと評判の消しゴム等を組み合わせている千聖を見ていると、なんだか悩むのがバカらしく思える。

 

「……それもそうか。そうだよな、何も今すぐに答えを出さなきゃいけないわけじゃないんだし」

 

 それに千聖の言う通り、この問題は今考えても仕方のない事だ。何もないのならそれで良いし、何かあるにしても向こうから来るだろう。もしそうなったら、その時に対処をすればいい。

 

「兄さんにしては珍しく考えていたけれど、私的にはまだ考えなくても平気だと思うわ」

 

「してはってお前……」

 

 そう言われるような振る舞いをしてきた俺にも非はあるけど、まさか妹に言われるとは思わなかったのでちょっと心に刺さった。

 

「だって兄さんバカなんでしょ?いつも自分で言っているじゃない」

 

「それはそうなんだけどさ、でも千聖に言われるとなんか……」

 

 まさか、ここで興奮するなんて言ったら流石にドン引かれるどころか、普通に気持ち悪がられて家族の縁を切られそうだから言わない。悪気のない罵倒で興奮するって相当ヤバい奴じゃないか。

 

「おっ、これとこれなんてどうだ?なんか千聖ってイメージがある色合いだと思うんだが」

 

「ちょっと兄さん?今なにを言いかけたのかしら?」

 

「千聖は可愛いなってさ」

 

「もう誤魔化されないわよ?」

 

 千聖の追撃を避けながらダンボールの中を漁っていく。消しゴム一つ取っても、誰でも使えそうなシンプルなデザインから、女子にしか使えないような可愛らしいデザインのスリーブに入った物まで様々で、見ていて飽きが来ない。

 

 それ以外の文房具も同じくらい種類があって、だからこれだけの量を用意する目的が尚更気になるんだけど……それはさっき千聖が言った通り、考えても仕方ない事だから今は考えない。

 バカが深く考えてもロクな事にならないからね、仕方ないね。

 

「…………ん?これは」

 

 文房具の他に何かないのかとダンボールの中を漁っていると、真っ白い便箋が一通入っていた。

 

「兄さん。何かあった?」

 

「いや……」

 

 俺の言葉は、職員さんが後ろで叩いた手の音に遮られた。このタイミングで割り込んでくるとは、運が良いのか悪いのか。

 

「はいはい2人とも、一旦その辺にしておかないと。もう友達が来ちゃうんじゃないのかしら?」

 

「……そうですね。というわけだから千聖は先に座って食ってろ、俺はこのダンボールを部屋に置いてから行くから」

 

「1人で大丈夫なの?私も……」

 

「流石にこれくらいも運べないくらい貧弱になった覚えはないな」

 

 色々と詰まっているから、やはりそれなりには重い。だけど1人で運べないわけでもないし、部屋も近いから何も問題はない。背中に千聖の心配そうな目線を受けながら、俺はダンボールを運び込んだ。

 そして急いでさっきの便箋を開封して中身を確認する。千聖には悪いが、書いてある内容によっては存在を隠すつもりだったからだ。

 

 便箋の中には、恐らくは女性の字であろう。手書きで書かれた一枚の紙が入っていた。そこに書いてあったのは

 

「お誕生日、おめでとう……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それさ、かなりマズイんじゃないの?」

 

 さっきあった事を話したところ、蘭が発した言葉がそれだった。そんな蘭に千聖が首を傾げる。

 

「何がマズイのかしら?」

 

「だって知らない人からでしょ?しかも千聖の名前を知ってるなんて、どう考えてもおかしいよ」

 

「アタシも蘭と同意見だ。こいつは嫌な感じがするぜ」

 

「ちょっと怖いよね……」

 

「知らない人からだもんね……」

 

 蘭と巴、つぐみ、ひまりは何かおかしいと言った。まあそりゃ、状況だけでもストーカーの影を疑うような事が起きてるんだから、そうなるのは当然だろう。

 

「えー?ちょっと心配しすぎじゃなーい?」

 

「そーそー、まだ実害がある訳じゃないんだし。あ、そうだ千聖ちゃん。同じクラスになったらボールペン少し使わしてね?」

 

 逆に気楽なのは、モカや日菜といった面子である。あくびさえしそうな呑気な日菜に、紗夜は咎めるように言った。

 

「何を言っているの。実害があったら手遅れじゃない」

 

「でもさーおねーちゃん。相手の人はまだ何もやってないんだよ?そりゃあたしも変な手紙が入ってたとか、実は誰かにつけられているとか、そういう実例があるならヤバいとは思うけど」

 

 まだ何の予兆すらない以上、警戒しすぎても疲れるだけだと日菜は言った。一理あると思ったのか、紗夜がうぐっと言葉を詰まらせたタイミングでこちらにズイっと身を乗り出してくる。

 

「それよりさ、どんなのが入ってたの?最近発売したばっかりのリボルバー型の消しゴムケースとか入ってた?」

 

「え、なにそれ」

 

「知らないのー?消しゴムを入れるケースがリボルバーそっくりの形をしてる文房具の事だよ」

 

「それを店頭で見てから、日菜が欲しいってうるさいのよ」

 

 話を聞く限り、どうやらそれは正確にはリボルバーのシリンダー部分だけを模したケースであり、無駄に回転もするのだという。

 

「なにそれカッコイイ」

 

「でしょー?」

 

「ああしまった……涼夜はそっち側の人間だったって事を忘れてたわ」

 

 実に男心をくすぐるアイテムではないか。時間も無かったし、箱の底までは見ていないから全部の内容物を確認したわけではない。つまり、リボルバー型の消しゴムケースがある可能性は残っている。

 

「なあ千聖」

 

「兄さんの好きにしていいわ。私は使わないし」

 

「さんきゅ。……そういう訳だから、もし2個あったら1個は日菜にやるよ」

 

「本当に!?やったあー!」

 

「なっちゃんばっかりずるーい!あこも!あこも欲しい!」

 

 日菜にそう言ったら、今度はあこの猛抗議が炸裂した。俺の前でぴょんぴょんするあこも、もうそういうのに興味を持つお年頃に来たかと思った。あるいは、またアニメに影響されたのか。

 

「あこ……そんなの貰っても、お前すぐに飽きるだろ?」

 

「でも欲しいもん!」

 

「まあ落ち着け巴。もしあったら、あこにもちゃんとあげるからさ」

 

「本当に!?約束だよ!!」

 

 あこと指切りを交わして約束したところで、ズレにズレまくった本題へ話を戻す。

 

「今の状況だけで考えると深い事は分からない。だけどまあ、その時になんとかするさ」

 

「つまり、またノープランと」

 

「またってなんだよ、またって」

 

「またでしょ。ねえ?」

 

 全員が頷いた。なんでや、プランならそれなりに練って動いてるやろ。

 

「いい事を教えてあげるわ。大体の方向性だけ決めて、後は流れでっていうのはプランでもなんでもないの。行き当たりばったりっていうのよ、そういうの」

 

「………………分かっとるわい」

 

「だといいけれど」

 

「だ、だけど涼夜君の言う通りだよね。今考えても仕方ないよ」

 

 またズレかけた話題をつぐみがフォローして引き戻す。この話題を引っ張ってもしょうがないと思ったのか、紗夜がそれ以上何かを言うことはなかった。

 

「つぐの言う通りだ。まだ見えない先の事を考えるより、アタシ達が一緒に居られるこの時間を楽しむ事を考えようぜ」

 

「涼夜も、千聖も、紗夜も、日菜も。中学校に行ったら会える時間も短くなっちゃうしね」

 

 この3年間で蘭も紗夜を呼び捨てできるまで親しくなった。だからだろう、言葉の色に隠しきれない寂しさが漂っている。

 

「だな。だが、だからこそ楽しみがいがあるってもんだ」

 

 俺が立ち上がると、それが合図となったかのように全員が続いて立ち上がった。

 

「遊ぶぞ。午後はまだ長い、遊び倒してやる」

 

「何をやるの?」

 

 聞いてきた日菜は口角がつり上がっている。俺がどんな受け答えをするのか、完全に理解しているのだろう。ならば俺は、リーダーとしてそれに応えるまでだ。

 

「そりゃもちろん」

 

 

『今しか出来ない事をやる』

 

 

 全員の声がハモった。何をするかと問われた時、俺達にこれ以上の言葉は必要ない。

 俺が歩き出した時に見た全員の表情は、程度の差はあれど笑っていた。

 

「さあ行こうぜ。今日を楽しもう」

 



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曇天

(見所さんは)ないです


 月明かりが眩しい夜、カーテンの隙間から僅かに光が漏れていた。風が強いのだろう。吹き付ける風が窓枠を揺らし、カタカタと音を立てる。普段であれば気にもとめない筈の微かな音だが、それさえも煩く聞こえるくらいの静寂だった。

 涼夜は横で寝ている千聖を見た。最近ではようやっと別の布団で寝てくれるようになったが、まだ慣れていないのか、その手は何かを探しているように少しずつ動いていた。

 

 涼夜は布団から起き上がると、静かに動いて引き出しを開ける。そこには昼間に見つけた白い便箋が置いてあった。

 月明かりを頼りに中の紙を心の中で読み上げる。

 

(4月6日には早いですが、お誕生日おめでとう、千聖。か……)

 

 千聖の誕生日は涼夜と同じ7月7日で通っている。だから4月6日というのは全く違って、つまりこれは別の千聖さんへと送る筈だったのではないか……と、最初は考えた。

 だが冷静になって考えるうちに、それが大きな間違いであるという事に気がつく。当たり前すぎて気付けなかったともいうか。

 

 2人は孤児であるから、当然どこかの時期で親に捨てられてここに居る。そして2人が捨てられたのは赤ん坊の時であり、千聖は名前以外を確認する物が無く、涼夜はそれすらも無かった。

 千聖は名前だけを与えられ、涼夜はそれすらも与えられずに施設に入れられた。だから戸籍なんかを作る時に、足りない部分を施設側が埋め合わせるのは当然の事だろう。

 そして、そんな風に誕生日が分からない子供であれば、保護された日が誕生日として設定されるのは珍しくない。

 

 千聖は自分の誕生日を元から知らないし、涼夜は今の7月7日を今生での正式な誕生日と自分で定めていたため、その可能性を思い付く事が難しかった。

 それは、2人の誕生日はあくまでも仮のものであり、本当の誕生日は別にあるという事だ。

 千聖は知らず、涼夜も忘れていた事だが、7月7日は本当の誕生日ではないのだ。

 

 そして、この4月6日という日付が本当の誕生日だとするならば、全ての説明ができる。出来てしまう。千聖がここに居ると知っていた理由も、千聖の名前を知っていた理由も……

 

「産みの親であれば、可能か」

 

 紙の裏面には、『近いうちに迎えに行きます』という一文が、これまた手書きで書かれていた。

 この文の通りであるのならば、白鷺麗華という人物の目的は──

 

 

 

 もうそろそろ、潮時なのかもしれない。

 

 誰に言うでもなく、そう呟くと同時に月明かりが消えた。

 

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「なあ。涼夜はどうしたんだ?」

 

 河川敷の土手で一先ずの休憩を入れていた時、巴は小声でそう言った。

 

「涼夜君がどうかしたの?」

 

「いや。なんか少し変じゃないか?」

 

 涼夜は川の方をぼんやりと眺めている。隣には千聖がちょこんと座っていて、それだけ見れば何も変わらない。

 

「……そう?いつも通りに見えるんだけど」

 

「具体的に何処かって聞かれると困るんだけど、なんか普段の覇気が無いっていうか……」

 

 言葉に出来ないのがもどかしいのか、巴はガシガシと乱雑に頭を掻いた。何を言いたいのかが分からない蘭達は首を傾げる事しかできない。

 

「直接聞いてみたら?」

 

「やっぱそれしかないかなぁ……」

 

 少し悩んだ末、分からないことは聞くに限ると巴は涼夜に近付いた。

 

「なあ涼夜」

 

「…………ん?ああ、巴か。どうした?」

 

「なにか悩んでるのか?」

 

 単刀直入に切り出すと、涼夜は驚いたような顔を一瞬だけ見せた。だがすぐに表情を戻すと、川の方へ向きを戻して言った。

 

「どうして、そう思ったんだ?」

 

「どうしてって言われてもな。ただなんとなく、そう思っただけだけど」

 

「なんとなくって、お前……」

 

 困ったように言葉を詰まらせた涼夜は、不思議そうに見つめる千聖を片腕で抱き寄せた。

 

 春風がそよいで、長く伸びた草や細い木の枝を、ゆらゆらと揺らす。雲の合間から僅かに射す光が、水面に当たって煌めいている。

 少し強いと感じる春風に服の袖を靡かせながら、巴は涼夜の言葉を待った。

 

「……まあ、気にする事じゃない。すぐに解決する問題だからさ」

 

「そうか?そうなら良いんだけど……」

 

 そうは言ったものの、巴の内側では疑問は、ますます膨れるばかりであった。すぐに解決すると言うのなら、どうしてそんなに憂いを帯びた表情をしているのか。

 悩み事が解決する、或いは直ぐに解決できるのは喜ばしい事のはずなのに、何故そんな顔をしているのか。

 

「ああ、気にするな。万事OKだ」

 

 疑念は残るが、このように言われては巴も引き下がるより他にない。今の涼夜が間違いなく口を割らない事は、暫くの付き合いで分かっていた。

 

「……何かあったら言えよ。アタシ達は仲間なんだからさ」

 

「分かってる」

 

 今の巴には、そう言って戻ってくる事しか出来なかった。

 

「どうだった?」

 

「間違いなく何か隠してる。でも、それが何かは教えてくれない」

 

 あんな顔は初めて見た。きっと、何か大変な事が起こっているのだろう。だからこそ力になってやりたいという気持ちが燻って、言いようのない思いを抱かせていた。

 

「おねえちゃん、怖い顔してる……」

 

「そ、そうか?」

 

「なんか、怒ってる感じだよ」

 

 明らかに何かおかしいと分かっているが、向こうが話してくれるのを待つしかない口惜しさが、自然と巴の表情を固くしていた。

 あこに手を握られて気がついたが、いつの間にか手をキツく握ってしまっていた。

 

「怒ってなんてないさ」

 

 ただ、不甲斐なく思っているだけなのだ。

 

「よし、鬼ごっこやるぞ!」

 

 そんな思いを遮ったのは、後ろから聞こえた涼夜の声だった。

 

「鬼ごっこ?」

 

「鬼ごっこなら、昨日やったじゃん」

 

 ひまりが疑問符を浮かべて、蘭がツッコむ。だが涼夜はチッチッチッと指を振りながら言う。

 

「バッカお前、それは団体戦だっただろ?今回のは鬼が増える、バイオなハザードの鬼ごっこだぞ?!」

 

「バイオなハザードって言われても、あの作品系列は見たことないから良く分からないんだけど」

 

 金曜日のロードショーでやっていたような気がする、あの作品。それと鬼ごっこが、どうやったら結びつくのだろう。

 

「ルールは単純。最初は1人だけの鬼が、他の人間を捕まえて鬼を増やして行くんだ。つまり鬼が感染していく」

 

「それ、ただの増やし鬼じゃ……」

 

「こまけぇ事はいいんだよ!俺が最初の鬼やるから散らばってホラ」

 

 涼夜の思いつきは今に始まった事ではない。さっきまでの憂いを帯びた表情は、なりを潜めて、今は調子を取り戻しているようだし、参加しないという理由もなかった。

 

「まったく、仕方ないな」

 

「範囲とかは?」

 

「テキトーでなんとか」

 

「うっわ……」

 

 また行き当たりばったりか、という意味合いを込めた蘭の呟きは、涼夜に届く事はなかった。

 とにかく、鬼ごっこであるのならば逃げなければならない。

 

 考え事は一旦置いておいて、逃げるために巴達は走り出した。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「雨止まないなー」

 

 リビングの窓に貼り付いている日菜の言葉の通り、今日は朝から雨が止む事は無かった。真っ黒な雨雲が空を覆い尽くし、ただひたすらに雨粒を吐き出し続けている。

 

「せっかくの休みなのに」

 

「今日は諦めなさい。1日中雨よ」

 

 紗夜が見つめているテレビは、今はお昼の天気予報をやっている真っ最中である。それによると、今日は夜中まで降り続けるという事だった。

 

「明日はー?」

 

「天気予報だと曇り。だけど夜には予報も変わっているかもしれないわね」

 

「えー……あ、そうだ!」

 

 予報はあくまでも予報なのだから。と紗夜が言うと、日菜は何を思ったのかいきなり窓から離れてリビングから飛び出した。

 日菜がいきなり飛び出すのはいつもの事だと、紗夜が放置していると、程なくして日菜がドタドタと騒がしく戻ってくる。

 

「おねーちゃん!」

 

「なに?」

 

 日菜は紗夜の目の前に、さながら黄門様の印籠の如くつきつけた。実に今作って来ました感の溢れる、それの名前を

 

「てるてる坊主、作ろうよ!」

 

 人はてるてる坊主と呼んだという。

 

「……てるてる坊主?」

 

「そう!明日が晴れますようにって、おねーちゃんも一緒にお願いしよう!」

 

 紗夜は日菜を見た。断られるなんて全く想定していない、満面の笑みだった。もう紗夜がやる事を前提に、材料まで用意している。

 今更やらない、なんて言えそうな雰囲気ではなかった。

 

「…………仕方ないわね。いいわよ、一緒に作りましょう」

 

「やったあ!おねーちゃん大好きぃ!」

 

 まあ、手持ち無沙汰だったのも確かだ。このままぼんやりテレビを見ているよりは、ちょっとでも手を動かした方が暇つぶしになるだろう。

 紗夜はそう思いながら、日菜と隣合って、てるてる坊主を作り始めた。

 

「ねーねーおねーちゃん。涼夜君、次はどんな、るんって来るような事を始めるのかな?」

 

 手を動かして少ししてから、日菜が手元から目を離さずに紗夜にそう問いをした。

 

「さあね。私は涼夜じゃないから、そんな事は分からないわ」

 

「だよねー。まっ、だからこそ楽しみなのかもしれないけどさ」

 

 あのクリスマスの夜に抜け出してから、日菜はやけに涼夜を気に入るようになっていた。その理由は紗夜には分からないが、似たもの同士でシンパシーでも感じたのだろう。

 だんだんと楽しくなってきた作業に意識を傾けながら、紗夜はそう分析する。

 

(だけれど、まさか私達に友達が出来るなんてね)

 

 無自覚に煽りを入れる天才の日菜と、日菜に及ばないまでも充分すぎる才能を持った紗夜。幼い頃から才覚を発揮していた2人は、教師からも気に入られていた。何かと贔屓されるくらいに。

 2人の圧倒的な才能に惚れ込んだのか、それとも別の意図があったのか。詳しいことは分からないし、聞く気もなかった。

 そんな2人と周囲の間には、いつの間にか溝が出来ていた。2人が贔屓されているのが気に入らなかったのだろう。イジメのレベルにまでは行かなくても、露骨に避けられるくらいには、その溝は深かった。

 

「ねー、おねーちゃん」

 

「何かしら」

 

「高校、どうしよっか」

 

 作業をしていた手がピタリと止まった。

 

「…………」

 

「中学校はなんとか誤魔化せたけど、高校はそうもいかないと思うんだ。あたしは」

 

 紗夜の脳裏に掘り起こされるのは、今年の1月から中学受験が行われるまでの日々。

 両親だけに留まらず、親戚一同までやって来て紗夜と日菜に花咲川女子中学の受験を薦めてきた時は、流石にうんざりとしたものだ。

 更には学校の教師まで隙あらば薦めてくるのだから気苦労は推して知るべし。滅多にキレない日菜でさえ、半分以上キレていた。

 

「どうしたのよ、いきなり」

 

「別に、ただ気になっただけ。おねーちゃんならどうするんだろうって」

 

 親に負担を掛けたくないから断った、と涼夜に話した内容は嘘ではない。魅力を感じなかったというのも本当だ。

 しかしなによりの理由は、そこにあの2人が居ないからだった。

 

「さあ、分からないわ。その時になってみないとね」

 

「涼夜君みたいなこと言ってる……」

 

「でも実際そうでしょう。3年もあるんだから、考える時間は充分あるわ」

 

 そうは言ったが、多分また公立に行くんだろうな、と考えている。

 花咲川女子中学を蹴った理由もそれなのだし、あの2人の行く場所がそのまま紗夜の行く場所になるだろう、という確信めいた予感がした。

 

(どうして、ここまで私は、あの2人に執着しているのかしら)

 

 今更すぎる問いと言えばそうなのだろう。その問いは中学受験の前にするべきだったのかもしれない。

 だけれども、裏を返せばそれは、そんな事を考える事もなくなるくらい、共に居るのが当たり前になっていたという事なのだろう。

 

「まっ、結局あたしは涼夜君と千聖ちゃんに付いて行くと思うけどねー。あの2人と居た方が間違いなく楽しいし、毎日るんってしそうだし」

 

「それ、お父さんとお母さんには言わないでよ?」

 

「分かってるよ。もう煩く言われるのも嫌だから」

 

 2人は顔を合わせて苦笑い。そうしてから再び手元へ目線を戻して気がついた。

 

「ねえ日菜」

 

「言わないで、お姉ちゃん」

 

 テーブルの上には、溢れんばかりに、てるてる坊主が並んでいた。無意識のうちに手を動かし、作りすぎたらしい。

 

「……どうしようかしら。この、てるてる坊主の山」

 

「とりあえず、全部の部屋に飾ろうよ。それから……皆に押し付け、じゃなくて。分けてあげよう」

 

 紗夜が無言で頷くと、テーブルの端のてるてる坊主が落下した。



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I am your mother……

「千聖ちゃんにお客さんが来てるよ」

 

 そんな事を職員さんに言われた千聖は、まず有り得ないと思った。

 親類縁者が会いに来た事なんて一度もないし、そんな事をする人も居ないと思っていたからだ。

 

「人違いじゃないんですか?」

 

「ううん。ちゃんと、この施設の金髪な千聖ちゃんって指定されてるし」

 

 人違いの可能性は潰えた。この施設で金髪の千聖となれば、彼女を置いて他に居ない。……この施設に金髪でない千聖も存在しないが。

 

「兄さん……」

 

「会ってくればいいんじゃないか?」

 

 不安に思った千聖が振り向くと、涼夜は表情を変えずにそう答えた。涼夜には珍しい、どこか投げやりな返答だった。

 

「でも、もうそろそろ……」

 

 千聖は時計を見た。そろそろ皆が、施設までやって来る時間である。千聖の頭に手を乗せながら涼夜は言った。

 

「そっちは俺がなんとかするさ。だから千聖は、お客さんの対応にだけ気を使えばいい」

 

 普段なら頼もしさを感じる筈のその言葉に、予め決めていた言葉を言っているだけのような、そんな不気味さを千聖は感じた。

 

 何かがおかしい。千聖はそう思った。昨日までは確かにあった暖かさが、言葉から感じられなくなっていた。

 

「でも……」

 

「待っててやるから、な?」

 

 有無を言わさぬ圧力があった。

 

「………………ええ、分かったわ」

 

 いよいよオカシイ。千聖に言外の圧力をかけるなんて、今までの涼夜では有り得ない事だった。

 

(昨日まで優しかった兄さんが、いきなり変わるなんて……理由はなに?)

 

 千聖側に非があったというのなら、すぐに涼夜は指摘をしている筈だった。あそこは直した方がいい、ここは直した方がいいと、色々と言われた事は過去にもあった。

 だが、今日の態度は、そんな物ではなかった。もっとキツい、しかし原因が分からない事態が千聖を襲っている。

 

「……行ってくるわね」

 

「ああ、行ってこい」

 

 理由も分からぬまま、千聖は職員さんに連れられて奥の部屋へと向かう。そこは施設の子供達が里親と話をする場所であった。

 2人が暮らしている部屋から奥の部屋までの僅かな時間、千聖は前を歩く職員さんに聞いた。

 

「職員さん。私へのお客さんって、一体、誰なんですか?」

 

「前にダンボールいっぱいに文房具を贈ってくれた、白鷺麗華さんって人よ」

 

 白鷺麗華……。千聖が今まで生きてきて、一度も耳にした事の無い名前だった。

 とはいっても、千聖が名前を聞いたことのある人なんて、テレビの向こうで輝いている芸能人や自分の友人くらいなので、むしろ聞いたことのない名前の方が多いのだが。

 とにかく、白鷺麗華という名前を千聖は知らない。

 

「どんな人でした?」

 

「んー……私の主観だけど、優しそうな感じだったよ。夫婦で来てるんだけど、旦那さんもカッコよかったし!」

 

 私も結婚するなら、あんな人が良いなー。と語っている彼氏無し=年齢な職員さんの言葉を半分スルーしながら、千聖は内心で舌打ちした。

 優しそう、なんて印象は誰にでも当てはまるだろう。千聖のように、外では社交性の欠片も無い無愛想な真顔を、表情として貼り付けているのでなければ。

 

「でも出会いなんて無いし…………なんて言ってる間に着いちゃったわね。はい千聖ちゃん、私は此処までだから。行ってらっしゃい」

 

「……行ってきます」

 

 職員さんが扉をノックして、部屋の中へと千聖は入っていった。

 

「失礼しまっ……!?」

 

 そうして部屋の中に居る2人を見て、千聖は思わず言葉を詰まらせた。まさかの光景に千聖の目が釘付けにされる。

 

 1人は職員さんの言っていた通り、千聖目線で見てもカッコイイと思えるイケメンだった。だが、千聖の目が釘付けになったのは彼ではない。

 もう1人、千聖が言葉を詰まらせた原因は彼女だった。

 

「……本当に、千聖、なのね」

 

 彼女──白鷺麗華は千聖を見るや否や、ソファから立ち上がって、千聖へと、よろよろ歩いて近付いてきた。

 

 彼女の容姿は、千聖そっくりだった。

 

 

 背後でゆっくりと閉められた扉の音が、まるで鉄格子が閉められた音のように千聖には聞こえた。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「よう、待たせたな」

 

「別に待ってないけど……」

 

 ひまりは言葉を切って、施設の玄関口を見つめた。普段なら彼と一緒に出て来る彼女は、まだ現れない。

 

「ちーちゃんは?まだ着替えてるとか?」

 

「……ああ。千聖な」

 

 どうでも良さそうな涼夜の物言いに、全員が違和感を感じた。何故なら、普段の超がつくシスコンの彼らしからぬ物言いだったからだが、その違和感は直後の発言の衝撃で一気に吹き飛んだ。

 

「千聖なら里親候補と面談してるよ」

 

『なッ……!?』

 

 真っ先に反応したのは蘭だった。

 

「ま、待ってよ!里親候補って、どういう事なの?!」

 

「千聖を引き取りたいって大人が来たって事だ」

 

「そんな……!」

 

 孤児である以上、いつかは来るかもしれない事だった。だけどいざ、こうして現実として現れると、想像以上のショックが襲ってくる。

 そんな中で、まだ分かっていないらしい、あこが手を挙げた。

 

「つまり、どういう事なの?」

 

「……もう会えなくなるかもしれないって事だ」

 

「…………大変じゃん!」

 

 巴の絞り出すような声に、事の大事さを理解したのだろう。あこは急に慌てはじめた。

 しかし、そんな中でも紗夜は冷静に涼夜を見据えて言った。

 

「でもそれは、あくまで候補。まだ決定ではない。そうでしょう?」

 

 紗夜の発言が、パニックになりかけた全員の心に響いて、僅かな落ち着きを取り戻させる。

 

「そ、そうだよ!まだ候補だし、決まったわけじゃ……」

 

「今来てるのは、千聖の産みの親だ」

 

 ひまりの言葉を遮るように突き刺さる新事実。しかし、だからどうしたと言わんばかりに紗夜は仕掛けた。

 

「しかし、千聖さんを捨てた。だから彼女は此処に居るのでしょう?幾ら産みの親とはいえ、そんな人に千聖さんが付いて行くとは思えないわ」

 

「確かに、そうかもしれない。だが物事に絶対はないぞ」

 

「………………何が言いたいのかしら?」

 

 それだと、まるで千聖が引き取られるかのような言い草ではないか。

 だが、その可能性は低いだろうと紗夜は思っている。涼夜が超シスコンであるように、千聖もまた超がつくほどのブラコンである事は、Afterglowのメンバーの誰もが知っている事だ。

 そんな千聖が、兄の側を離れるようなマネをする筈がない。そう紗夜は考えていた。

 

「自分で意識しなくても、親と子の繋がりは結構深い。見た目もそうだが、性格なんかもな」

 

「例えその繋がりが、一度捨てられた物だとしても?」

 

「当然だ。見た目や性格は、そう簡単に変わらないだろ?それと同じだ。簡単に繋がりは途切れない、良くも悪くもな」

 

 それはそうだが、しかし、親と子の繋がりが深いからといって、今の生活を捨てて親の方へ行くとは、やはり紗夜は思えなかった。

 涼夜は、これ以上を話す気は無いのか、紗夜から目線を外した。

 

「まあ千聖の事はいいよ。それより今日はどうする?」

 

「いいわけないでしょ!」

 

 今度は蘭だった。蘭が感情を露わにするのは珍しい光景だった事もあり、詰め寄る蘭に全員の目が集まる。

 

「なんで、そんなに適当な事が言えるのさ!家族の事なんでしょ!?」

 

「家族の事だからこそだ。これは千聖の問題で、俺が何かする物じゃない」

 

「涼夜も家族でしょ!」

 

「なら聞くがな、俺達が行って何かなるのか?」

 

「それは……でも!」

 

 あくまでも指名されているのは千聖である。外野がなんと言おうと、最終的に決定するのは千聖なのだ。

 指名されていない以上、例え涼夜であっても外野の人間でしかない。

 

 それを分かって、それでも食い下がろうとする蘭に、涼夜は突き放すようなキツい口調で言った。

 

「感情でモノを語ると、後で痛い目を見るぞ」

 

「っ……」

 

 冷たい目をしていた。未だかつて見た事の無い目だった。直接見られていないにも関わらず、ひまりや、つぐみが一歩引いた。

 見た事のない涼夜に誰もが困惑する最中、1人だけ呑気に、あくびをした日菜は、まるで夕飯のメニューを聞くような気軽さで涼夜に聞いた。

 

「それで結局のところ、涼夜君は千聖ちゃんを、どうしたいのかな?」

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 千聖は、未だかつて無いくらい不機嫌であった。

 理由は言うまでもなく、名前を呼んだかと思うと急に抱き着いて泣きだした麗華という女性である。

 

「こらこら麗華。千聖ちゃんが困っているだろう」

 

「あ……そうよね。いきなりこんな事をしたら、驚くわよね」

 

 イケメンが麗華を宥めると、麗華は一旦、千聖に抱き着くのを止めてソファに座り直した。

 立ちっぱなしなのも失礼だと思った千聖が、テーブルを挟んで向かい合ったソファに座ると、イケメンが口を開いた。

 

「自己紹介が、まだだったね。僕の名前は白鷺(しらさぎ) 健人(けんと)っていうんだ」

 

「星野 千聖です。初めまして」

 

 星野、と名乗った辺りで麗華の眉がピクッと動いたが、お辞儀していた千聖が、それに気付く事はなかった。

 

「私は白鷺麗華。貴女の、お母さんよ」

 

「お母さん……」

 

「ええ、そうよ」

 

 麗華は目の端に涙を浮かべながら言った。

 そんな彼女を見て千聖が思ったのは、なんでこの人は泣いているんだろう、だった。

 

「それで、私に何の用ですか?」

 

 もう、この時点で、千聖は部屋から出たくなってきていた。

 母親を称する意味不明な女に、その同伴の男。無関係を装って、のうのうと暮らしていた人間が、今更どの面を下げて来ているのだろう。

 

「迎えに来たわ、あなたを」

 

「迎えに?」

 

「ええ。一緒に行きましょう」

 

 薄々と勘付いてはいたが、やはり、そういう事らしい。そういう目的でもなければ、こんな施設に誰かが会いに来る事は無いから、分かっていたことだ。

 

「なんでですか?」

 

「え?」

 

「なんで付いて行く必要があるんですか?」

 

 だが、千聖には付いて行く理由が無かった。向こうが千聖の事を、どう思ってるかは知らないが、そもそも千聖からすれば、前の2人は赤の他人である。

 

「なんでって、私は貴女の母親で……」

 

「そもそも、それすらも疑わしい。証拠も何もないのに、いきなり、そんな事を言われても信じられないです」

 

 これは相当に意地の悪い質問だと、言いながら千聖は思った。

 なにせ、千聖は母親の顔も、声も知らない。物心が付く前に捨てられたのだから当然だが、知らない物を、一体どうやって証明すればいいのか。

 知らない、分からない以上、例え正解を提示した所で、千聖が不正解だと思えば、それは不正解になるのだから。

 

「それは、そうだけど……千聖は私そっくりに育ってるじゃない?」

 

「世の中には、姿が似た人が3人くらい居るそうですね。偶然では?」

 

 何を考えているのか、隣のイケメン──健人は口を挟まないで状況の推移を見守っている。不気味ではあるものの、千聖にとっては好都合だった。

 

「じゃあ、ほら!いつも持ち歩いてる、千聖が赤ちゃんだった頃の写真よ!」

 

「それを見せられても、私は自分が赤ちゃんだった頃の姿なんて知りませんし」

 

「そんな物を持ち歩いていたのか……」

 

 それは知らなかったのか、写真を見た健人の表情が引き攣った。

 

「…………もう良いですか?外で兄さんや友達も待ってますし、そろそろ行かないと」

 

 向こうは何か勘違いをしているのかもしれないが、千聖が未だに部屋を出ていないのは、ダンボールいっぱいの文房具を送ってくれたからである。

 いわば義理であり、それが無ければ、バカ話には付き合えない。と言って、とっくの昔に部屋を出ているところだ。

 

 だが、もう話に付き合う気もない。義理は十分に果たした筈だ。

 千聖はソファから立ち上がった。2人は何も言わない。

 

「私は、これで失礼します」

 

 千聖が扉に手を掛けた時、背後から絞り出すような声で麗華が言った。

 

──私が、貴女を此処に捨てたからよ



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茶番

タイトル通り。日常欠乏症に掛かってヤバい


「どうしたい……だと?」

 

「そう。どうしたいの?」

 

 初めて聞いた冷たい声と、それとは正反対の、まるでバカンスを楽しんでいる最中のような気楽な声。

 

 蚊帳の外に置かれたメンバーは、そんな正反対な2人の会話を遠巻きに見守る事しかできなかった。

 

「今の涼夜君からは、方向性が見えてこない。いや、正確に言うと、ブレにブレまくってるって言うべきなのかな」

 

「日菜?一体なにを……」

 

 急に語りだした日菜に、紗夜は何か変な物を見るような目を向けた。姉の紗夜から見て、今の日菜は妙だと言えた。

 

「ゴールは多分同じ。千聖ちゃんの事だよね」

 

「…………」

 

「無言は肯定と見なすよ」

 

 今の日菜からは、普段の、おちゃらけた雰囲気を感じる事は出来なかった。声こそ穏やかだが、何かが違う。

 

「涼夜君の事だから、千聖ちゃんの何かをゴールに設定してる。その何かまでは分からないけど、少なくとも千聖ちゃんにとってプラスになる事なのは間違いない」

 

 千聖ちゃんの事、大好きだもんね。と日菜が言ったのを涼夜は無言で見つめた。

 

「だけど、いや、だからこそかな?この露骨なまでの豹変は」

 

「何が言いたい……!」

 

「あたしは最初から言ってるよ?どうしたいのって」

 

 ブロック塀に背中を預けながら、日菜は腕を組んで涼夜を見据えた。

 

「どうするも、こうするもない。千聖の道は千聖が決める事だ」

 

「そういうのじゃなくてさー……私は、涼夜君が、千聖ちゃんを、どうしたいのかを聞いてるんだけど」

 

 読めない。この場に居る全員の考えが一致した。

 さっきから日菜は何を言っている?何処を見据えて、こんな事を言っている?

 

「だから、それは千聖が決める事で、俺が口を出す問題じゃ……」

 

 

「じゃあ聞き方を変えよっか。涼夜君は千聖ちゃんに、施設に残ってて欲しいの?それとも、引き取られて欲しいの?」

 

 

 日菜の、その言葉は、涼夜の目を見開かせるのに十分な威力を持っていた。

 

「日菜、もういいわ。止めなさい」

 

「お姉ちゃんは少し静かにしててよ。今は真面目な話をしてるんだからさ」

 

 日菜の声もまた、姉である紗夜でさえ聞いた事のない冷たさを伴った。

 底冷えする空気。今は春先の筈なのに、ここだけ冬に戻ったみたいな──

 

「何を、言って……」

 

「あのダンボールが来たのは何日か前だったけど、昨日までは涼夜君は千聖ちゃんに優しかったよね」

 

 ちょっと様子は変だったけどさ。と言う日菜に涼夜は内心で舌打ちをする。

 視線も幾分か鋭くなった筈だが、日菜が、それに気付いた様子はない

 

「今日になってだよ、豹変したのは。……その理由は多分、千聖ちゃんと今も面会している夫婦だよね」

 

「どういう事……?何を言っているの日菜ちゃん」

 

 つぐみは分からなかった。日菜が何を言っているのか。そして、それが涼夜の豹変と、どう関係があるのかを。

 

 いや、つぐみだけではない。蘭も、巴も、ひまりも、モカも、紗夜も、あこも。

 この場に居る、当事者を除いた全員が、日菜を訳の分からない者を見るような目で見ていた。

 

「つぐちゃん。あの夫婦が乗って来た車、駐車場に停まってるけど見た?」

 

「え?う、うん。多分だけど、見るからに高そうな黒い車だよね?」

 

「そう。しかも運転手まで付いてる。これは尋常じゃないくらい、お金持ちって事だよね」

 

 運転手を日常的に付けられて、しかも高級車。あの夫婦は、つぐみや日菜でも分かるくらいの金持ちである事は想像に難くなかった。

 見栄を張っているという可能性も無くはなかったが、子供に、しかも孤児に見栄を張るメリットはないだろう。

 

「でも、それとこれと、一体なんの関係が……」

 

「考えてみなよ、ひまちん。もし千聖ちゃんが引き取られたら、千聖ちゃんは…………ああ、なるほど。そういう事なのかぁ」

 

「へっ?」

 

 1人で納得し始めた日菜は、暫く「はいはい……だから豹変したんだ」なんて呟き、混乱したままの、ひまりをシカトして涼夜に向き直った。

 

「そういう事でしょ?涼夜君は、そっちの方が良いと思ったから豹変した。あっちと、そっちで比べて、そっちの方が千聖ちゃんが幸せになると思ったから」

 

「日菜!もう、いい加減に……」

 

「黙れよ日菜」

 

 一触即発の空気が流れた。

 

「……分からないなぁ。何をそんなに必死になってるの?」

 

「必死……?」

 

 蘭は困惑した。今の涼夜からは、必死な様子など何処にも見受けられないからだ。

 一体、日菜は今のキレている涼夜の何処に必死さを見出したのだろう。

 

「必死だと?俺が?」

 

「誰が見てもそう思うよ。ねえ、おねーちゃん?」

 

「え?」

 

 誰が見ても、という日菜の言葉に反して、日菜以外の誰もが全く分からなかった。キレているのは分かるが、必死なようには、とても見えない。

 

「……あれ?もしかして、分かってないとか?」

 

「……ええ」

 

 そんなー。と日菜は肩をガックリと落とした。が、すぐに気を取り直したかと思うと「でもさ」と涼夜に言った。

 感情の起伏が激しい奴だと、涼夜は思った。

 

「あっちと、そっちじゃあ、あたしは、あっちの方が良いと思うんだけどなー」

 

 抽象的な言葉を使いながら、日菜は涼夜に語りかける。

 

「だけどまぁ、涼夜君の言いたい事も分かるよ。確かに大事だよねー、無いと世の中を生きていけないもん」

 

「そこまで分かっているなら……」

 

「だけど、あたしは賛成できない」

 

 日菜が目を閉じた。ブロック塀に寄り掛かったまま、話は続く。

 

「自分が、らしくない事をしてるっていうのは、理解してるんだよね?」

 

「だから、どうした」

 

「慣れない事は、する物じゃないよ。あたしでも分かるくらいにボロが出てるんだから、千聖ちゃんなら間違いなく見抜く」

 

 それはそうだろうと、涼夜は思っていた。今までも、上手く隠していた体の不調を、ふとした拍子に見抜かれた事だってある。

 だが、だからといって、止められない理由がある。

 

「千聖ちゃんは、どう思うんだろうね。怒るかな、悲しむのかな、それとも……」

 

「御託はいい。それで、どうして、こんな事を言い出した」

 

 お節介なら止めろと言うつもりだった。だが、その後の日菜の発言が涼夜の度肝を抜いた。

 

「理由?そんなの決まってんじゃん」

 

 

 

「お手伝いだよ。ちょ〜っと、お・て・つ・だ・い♪」

 

 

 

 その笑みは、何処か邪悪さを伴っていた。

 

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 ──私が、貴女を此処に捨てたからよ。

 

 その言葉は、意外なほど、ストンと千聖の胸の内に落ちた。もっとショックを受ける筈だと、自分でも思っていたのに。

 なんだか拍子抜けだ。千聖は扉に手を掛けたまま、そう思いつつ言った。

 

「だから、私が麗華さんの子供だと?」

 

「………………ええ。今でも覚えているわ。でも信じて、私は、好きで貴女を捨てたわけじゃないのよ!」

 

 懇願するように訴える麗華。嘘ではないのだろう、声は必死に思えた。

 

 ──だが

 

「だから、なんですか?」

 

「え…………?」

 

「聞こえなかったんですか?だからなんだと、言ったんです」

 

 その言葉は、千聖には届かない。

 

「わ、悪かったとは思っているわ、本当よ!」

 

「もう1度だけ言います。だから、なんですか?」

 

 小学3年生の時であれば、揺らいだだろう。それより幼ければ、もしかしたら頷いていたかもしれない。

 

 でも今は、何も感じない。

 

「理由なんて、どうでもいい。世の中は結果が全てです。そうでしょう?」

 

 "頑張った。で評価されるのは、小学生までなんだよ。悲しいことにな"

 いつか聞いた涼夜の言葉が、千聖の脳裏に思い出された。あの時は確か、ニュースを見ていて、とある大会で、自社の選手が1位を取った時しか賞金を出さない。と明言した社長の言葉に疑問符が浮かんだ時だった。

 

「私は星野千聖です。貴女の娘ではない、此処で産まれた星野千聖。それが、私の全て」

 

 ボタンを一つ掛け違えた。きっと、ただそれだけなのだ。

 もし掛け違えが起こらなければ、親に捨てられる事もなく、芸能界へと入って、そしてアイドルバンドに入っただろう。そうして今とは違う幸せを手にしていたに違いない。

 

 夢を見た事は何度もある。両親が居れば、どうなっていただろう。と何度も考えた事もあった。

 授業参観で親が来れば、涼夜が"親なし"だと言われて馬鹿にされる事は無かっただろう。

 運動会に親が来れば、出来合いの──涼夜曰く、こんな弁当──ではなく、周りの子供達が食べているような豪華な弁当を涼夜と食べられたのだろう。

 

 …………親に捨てられなければ涼夜と会っていないという事実は見ないふりをして、千聖は、そういうifを考えた事があった。

 

「やっぱり人違いですよ。だって此処に居るのは、たった一人の兄が家族の、星野千聖なんですから」

 

 だが掛け違いは起こった。だから、この"もしも"に意味はない。その未来は、もう、この千聖には、関係の無い事なのだから。

 

(……ああ、そっか。だからなのね)

 

 さっきの麗華の告白に、全くと言っていいほど動じなかった理由は、きっと千聖が"星野"だからなのだろう。

 どうでもいい事を人は気にしない。千聖にとっては、両親という存在は、もう、どうでもいい物となっていたのだ。

 

(これに気付けただけでも、時間を費やした甲斐があったのかもしれないわね)

 

「それでは、失礼します」

 

 今度こそ話すことはない。千聖は扉に掛けた手に力を入れた。

 

「…………なら」

 

 今度は健人の声がした。

 

「なら、それでいい。それなら僕達は、星野千聖ちゃんを娘に迎えたいと思う」

 

 再び千聖の手が止まった。

 

「確かに千聖ちゃんの言う通り、人違いなのかもしれない。だけど、それはそれとして、君を養子として迎えたいんだ」

 

 それは、千聖に多少の衝撃を齎した。麗華の娘だから会いに来ていると思っていたからだ。

 

「何故ですか?人違いなら、養子にする理由も……」

 

「今までの会話を見て思った。千聖ちゃんは、これから中学校に上がる歳にしては、とても賢い娘だと」

 

「私より賢い人なんて、幾らでも居ますよ」

 

 兄さんがそうなのだから。と千聖は内心で呟いた。もし千聖が賢いと言われるのなら、それは千聖を賢くした涼夜にこそ相応しいと、千聖は考えていた。

 この考えを涼夜が知れば、「俺なんかより、氷川姉妹の方が、よっぽど賢いっての」とツッコミを入れていたに違いない。

 

「そうかもしれない。だが、僕は千聖ちゃんが良いと思った。君を迎えたいと思った」

 

 だから、と健人は、こう言い放った。

 

「もう数日、時間をくれないか。もう少しだけ、千聖ちゃんと話がしたいんだ」

 

 千聖は振り返った。健人のイケメンフェイスが、じっと千聖を見据えていた。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「お手伝いだと……?」

 

「日菜。ふざけるのも、いい加減にしなさい」

 

「いやいやいや、ちゃーんと、あたしは真面目だよ。おねーちゃん」

 

 突然のお手伝い発言は、場の空気を白けさせるのに十分すぎる威力を持っていた。

 シリアスな雰囲気の中から、急にお手伝いである。ふざけている、と紗夜が判断をするのも仕方ないだろう。

 

「踏ん切りがつかないなら、誰かが背中を押してあげるしかないじゃん?あたしは、それをしただけだよ」

 

「言っている意味は分からないけれど、碌でもない事なのは分かるわ」

 

「酷いや。あたしは本気で、涼夜君と千聖ちゃんの事を考えているのに」

 

 紗夜が見た涼夜は、脱力したように肩の力を抜いていた。どうやら、此処で言い争うのは辞めにしたらしい。

 紗夜にとっては意味不明な、お手伝い発言だったが、どうやら最悪の事態は回避できたらしい。こんな所で言い争って仲を悪くするとか、冗談ではない。

 

「…………もう、それでいいわ」

 

「おろ?おねーちゃん、お疲れなの?」

 

 誰のせいだ。そう叫びたかった。そんなに時間は経っていない筈なのに、疲労感がドッと襲ってきている。

 それはどうやら蘭や巴達も同じようで、安堵と披露の篭ったような溜息を吐き出していた。

 

「…………今日さ。もう、解散にしない?」

 

 そんな、ひまりの言葉に逆らう人間は誰もいなかった。

 

「じゃあ、そういう事で……また明日ね」

 

「ああ……」

 

 何処か疲れたように、涼夜も空を見上げていた。そこに太陽は無く、代わりに一面を覆い尽くす暗雲が立ち込めていた。



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夢の終わり

書いてて2番目くらいに楽しかった(小並感)。(多分)超展開注意。


「分からない事があるんだ」

 

 施設からの帰り道、巴は不意にそう言った。

 

「分からない事?」

 

「ああ。なんで涼夜は、あそこまで千聖の事に神経質になっているんだろうって」

 

 キレかけの涼夜。そして日菜曰く、必死になっている涼夜。

 それもこれも、全て千聖に関係する事であった。

 

「いつも涼夜が言ってたけど、物事が起こるには何かしらの理由がある。じゃあアイツが、あんな事をする理由は何だろうって考えた」

 

「言われてみればそうだね……」

 

 全く分からない。豹変した理由も、どうして千聖を突き放すような事を言うのかも。

 涼夜がシスコンであると知っているからこそ、さっきまでの姿は不可解な物として写っていた。

 

「嫌いになったから、じゃないのは分かるんだ。だって、もしそうなら、涼夜は千聖の事を話題にも出さない筈だから」

 

「涼夜君の性格なら、そうだよね」

 

 相手をするのも面倒くさい。と言って嫌いな人を徹底的にシカトする姿を何度か見てきたから、それはないと断言できる。

 千聖は静かにブチ切れるが、涼夜は、苛立ちすらもしない。今までに幾度となく見てきた、何処か達観した対応だった。

 

「それにさ。アタシ達ならまだしも、よりによって千聖を嫌うなんて事は、世界が終わっても有り得ないだろ?」

 

「それを認めるのも、どうなんだろうって思うけど……そうだね」

 

 千聖は、告白された時に"兄さん以外の男の人に興味無いの"と言ってフるくらいであるし、涼夜は涼夜で、常々"やっぱり千聖がナンバーワンだな!"とか言っていたから、巴の言う通り、それは無いだろうと蘭達は思った。

 

「だからこれは、もっと違う。でも千聖に関係する事になるんだよな」

 

「でも、それが何なのかは分からない……日菜ちゃんは分かってるみたいだったけど」

 

「聞いても教えてくれなかったしねー」

 

 いずれ分かるさ、いずれな……ふっふっふ。とか言って帰っていったし、聞いても答えてくれるような雰囲気ではなかった。

 

「施設に残すか、それとも引き取らせるか。普段のアイツなら、悩むまでもなく前の方を取った筈だ」

 

「だけど悩んでる。……悩むだけの理由があるって事?」

 

「日菜ちゃんが、つぐに言ってたのも気になるよね。黒塗りの高級車と、あと、お金持ちっていう情報が、どうして関係してるんだろう……」

 

 うーんうーんと悩むにつれて、歩く速度が遅くなる。だが、六人で悩んでも答えは一向に見えてこない。

 

「そういえば。あっちとか、そっちとか。抽象的すぎて全く分からなかったけど、千聖ちゃんが幸せになるとか言ってたよね」

 

「じゃあ尚更、施設に残す筈なんだけど……」

 

 だが、涼夜は悩んでいた。この六人には見えない何かが、涼夜と日菜には見えているのだろう。シスコンの涼夜が本気で悩む、何かが。

 

「……ダメだ。全く分からない」

 

「情報も何も足りないしねー………」

 

「私達には話したくないのかな」

 

「だとしたら、尚更イラつくんだけど」

 

 蘭は、さっきの涼夜の目を思い出したのか、怒りに身を震わせながら言った。

 

「あたし達は友達なのに。何も相談しようとしないで1人で悩んでる」

 

「蘭ちゃん……」

 

「確かに、あたし達は部外者なのかもしれない。でも、部外者でもアドバイスとか、話を聞くだけでも出来る筈でしょ」

 

 友達を頼らず、1人で解決しようとしている。それほど自分達は頼りないのか、と憤りを覚えた。

 そして、頼りないと思われている自分にも腹が立った。

 

「大事な時に何も出来ないなんて、あたしは嫌だ」

 

「蘭ちゃん……」

 

 蘭は、お世辞にも愛想が良いとは言えない。流石に千聖のように極端に人付き合いが悪いというレベルではないが、それでも万人に好かれやすいとは、とても言えない性格をしていた。

 それは蘭も自覚しているし、きっと、一生、直らないだろうな。とも思っている。

 

 だからこそ、こんな自分と友達をしている涼夜の力になりたいと、人一倍、思っていた。

 

「そう思ってるのは、蘭だけじゃないさ」

 

「巴……」

 

 巴は下手な男子よりも男らしくサバサバとしているが、それ故に"男女"なんて悪口を言われる事も多かった。

 なんだかんだで人付き合いは良い為、蘭より孤立しているという事は無いが、それでも友達と呼べるのは、たった4人しか居なかった。

 

 巴を含めても5人という、狭い世界に新しい風を巻き起こした涼夜には、実の所かなり感謝しているのだ。

 だから、蘭と同じく、巴もまた陰鬱な思いを抱いていた。

 

「アタシも……いや、アタシだけじゃない。つぐも、ひまりも、分かりづらいけど……モカも。どうにかしてやりたいと思ってる」

 

「あこも!」

 

「ああ、あこもな」

 

 蘭は振り返った。全員が頷いた。友達が悩んでいるのに、それを助けられないという無力さを味わっているのは、蘭と巴だけではなかった。

 

 今日は生憎の曇天なので、見上げても灰色の雲しか見えない。

 そんな空を憎々しげに睨みつけながら、巴は覚悟を決めたように言った。

 

「……明日、涼夜と、出来れば千聖とも話をしよう」

 

「でも、話してくれるかな?」

 

「くれる、くれないの問題じゃない。話すんだ」

 

 どうせ向こうは、のらりくらりと避けるに違いない。だったら、こっちは真正面から突っ込むだけだと、そう言った巴の目には、決意の色が宿っていた。

 

 

 

 ◆◇

 

 

 

 保健所の動物と、俺達みたいな孤児。一体何が違うのだろう。

 

 最近になって、よく考える事だ。

 

 言葉を話す事だろうか。育成コストだろうか。動物的な愛嬌の有無だろうか。手間のかかり具合だろうか。その数だろうか。

 それとも、薬物で簡単に殺せるか否か。あるいは、それで法的に咎められるか否か。

 

「はぁ……」

 

 部屋に戻った俺は、部屋の中心で大の字に寝転がっている。

 千聖はまだ戻っていない。長引いているのだろう。

 

(此処が分岐点……。中学に進むタイミングっていうのは、丁度いいのか悪いのか……)

 

 保健所の動物と孤児とで比べて、一つ確かな事を言えるのは、動物に比べれば、孤児を引き取る手は多くないという事だ。

 最近は子供を産まない夫婦も多くなっていると聞くし、そんな余裕を持てなくなってきているのだろう。

 だからこそ、此処で千聖に手を差し伸べてきた白鷺さん夫婦には、感謝と、そして運命めいた物を感じていた。

 

 これから先、孤児である俺達の人生は自然と厳しい道のりとなる。全てを自分で背負うのだから当然だが、そうなると色々な負担も大きくなる。

 俺は2度目の人生だし、ペナルティのような物だと思っているので別に構わないが、千聖のように何も知らない子供が背負うには、些か重すぎる負担だ。

 

(こんなチャンス、2度も来るかは分からない)

 

 俺は千聖に、必要以上に苦しんで欲しくないと常々思っている。生きる以上、ある程度の苦しみは必要だろうが、このまま孤児で生きれば、必要以上の苦しみを味わう事は容易に想像できる。

 

 今ならまだ間に合う。ここで普通の家庭の子供になれれば、苦しみを背負う必要も無くなる。

 養子ということで、多少は肩身が狭くなるだろうけれど、それでも孤児のままよりは幾分マシな筈だ。

 

(どこまでも金だなぁ、やっぱ)

 

 俗物的な現実のクソさを再認識していると、部屋の扉が開いた。今は目を閉じているから、誰が来たのか耳で判断するしかないが、まあ千聖だろう。

 

「どうだった、白鷺さんとは」

 

「どうって?」

 

「なんか有るだろ?親近感を覚えたとか、この人になら引き取られても良いとか、そういうの」

 

 抱いて貰わなければ、ちょっと面倒な事になるのだが。

 

「別に。何も感じなかったけれど」

 

「そうか」

 

 ダメか。白鷺麗華という女性は、ほぼ間違いなく千聖の産みの親なのだし、そういう方向でシンパシーを感じてくれれば楽だったのだけど、そんな甘い事も無いか。

 ならば、少し乱暴な手口になる。

 

「…………ねえ兄さん。本当に、どうしたの?最近の兄さんは凄く変よ」

 

「俺は普通だよ」

 

 苦しい言い訳なのは分かっている。日菜にも言われたが、アイツに見抜かれるようなレベルなら千聖は間違いなく気付く。

 そして、今のやり取りで、ほぼ間違いなく気付かれただろう。千聖は聡いから、気付いて欲しくない事にも気付く。気付いてしまう。

 

「……何かあったなら私に話して。私と兄さんは家族なんだから」

 

「…………家族、か…………」

 

 嬉しい筈の言葉が、重りとなって俺に、のしかかった。俺が、これからやろうとしているのは、間違いなく許されない事だ。

 千聖の事を、これから突き放す。そして家族としての縁を断ち切る。

 

「……なあ千聖。考えた事はないか?今より、もっと、お金持ちの家に産まれてたら。とか」

 

「……どうしたの?いきなり」

 

 その罪悪感から逃れるように、俺は千聖に背を向けるように横に寝返りを打つ。

 

「いつも考えてた。金があれば、千聖に、悲しい思いをさせずに済むのにって」

 

 なまじ生前の経験があるから、一般家庭の生活を知ってしまっていたから、周囲の生徒と俺達の現実の差を知ってしまった。

 そして、普通なら出来る筈の事を、させてやれないというのが、どれほど辛いのか。

 

 遠足の時(おやつ)運動会の時(食事)修学旅行の時(お土産)……。

 遊園地とか、水族館とか、そういった場所に連れて行く家族サービスという行為も、何もできない。

 何か欲しい物が出来た時に買ってやれないというのも、無力感に拍車をかけている。

 

「それは……」

 

「でも俺達は孤児で、そう嘆いた所で誰かが助けてくれる訳じゃない。そして、まだバイトを出来る歳でもない。だから仕方ないかなって思ってた。今までは」

 

 無い物ねだりをしても仕方ないから、その思いから目を逸らして生きていた。直視してしまうと、無力感に押し潰されてしまうから。

 でも、目の前に降って湧いたチャンスが現れた。滅多に現れない里親候補が、千聖を養子に迎えたいという、千載一遇の好機が。

 

 身体を起こして、千聖を見据えて、準備は出来たか?

 

 

「千聖、今からでも遅くない。養子に行け」

 

 

 そのチャンスを掴ませる為に、俺は、お前を突き放す。

 

「え…………」

 

「これはチャンスだ。お前の将来の全てを決めるような、大事な分かれ目だ」

 

 多分、千聖と俺の分水嶺は此処だ。此処で、どう動くか。それで俺達の未来が決まる。

 なんとなく、そんな気がした。

 

「此処に居ちゃダメだ。せっかくの蜘蛛の糸を、掴み損ねちゃいけない」

 

「で、でも、そうしたら、兄さんは?兄さんは、どうなるの……?」

 

「俺の事はいい。お前は、お前の未来だけを考えろ」

 

 千聖の両肩に手を置いて、顔を真正面から見つめる。冗談でも何でもない事は、きっと伝わっている。

 その証拠に、千聖の顔色が、みるみる悪くなった。

 

「嫌……嫌よ……」

 

「分かってくれ。こうする事が、これから先の千聖を楽にしてくれるって事を」

 

 肩に置かれた手を振り払おうとする千聖の手は弱々しい。突然こんな事を──よりによって、たった1人の家族に言われたら、こうもなるか。

 ……あと、もう一押し必要だな。

 

「多分、こんな奇跡は2度と起こらない。だから俺は、このチャンスを千聖に掴んで欲しいんだ」

 

「でも!私は兄さんの側を──」

 

 

 息を吸え、覚悟を決めろ

 

 

「もう鬱陶しいから消えろって、そう言ってるのが分かんないか」

 

 

 もう、俺は戻れない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳を疑った。

 

「に、いさん……?」

 

 嘘よ。だって、そんな、嫌。

 

「聞こえてただろ。邪魔だから、消えろって言ったんだ」

 

 兄さんが私を見る目が冷たくて、兄さんが私に向ける声が冷たくて、兄さんの両手が私を拒絶するみたいに突き飛ばして

 

 

 視界が揺らぐ。呼吸が安定しない。頭の中が、ぐちゃぐちゃになって、そして、そして、そして

 さっきの言葉が、山彦みたいに繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、消えろ?、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、鬱陶しい?、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返嘘して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、邪魔?、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返嫌して、消えろ?、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、鬱陶しい?、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、邪魔?、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り返して、繰り消えろ返して、繰り返して、繰り返し鬱陶しいて、繰邪魔り返して、

 

 

「あ、ああ……!」

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

「──────?」

 

「───────」

 

 誰かの話す声が近くで聞こえた。

 

「…………ん」

 

 視界が開けると、私を覗き込む日菜ちゃんと紗夜ちゃ…………!?

 

「な、なん──あ痛っ!」

 

「ぐえっ」

 

 日菜ちゃんと頭が、ぶつかって少し悶絶。でも、それより気になる事がある。

 

「な、なんで日菜ちゃんと紗夜ちゃんが……?!」

 

「おー痛た……なんでって、此処は、あたし達の家だよ?」

 

「へ?あ……」

 

 よく見渡してみたら、確かに見覚えの無いリビングで、私はソファに寝かされていたみたいだ。

 

「驚きましたよ。まさか玄関先に倒れているなんて」

 

「倒れて……」

 

「靴も履いてませんでしたし……何か、あったんですね?」

 

 紗夜ちゃんは、私に何かあった事を確信しているみたいだった。……靴も履かずに飛び出してくれば、誰でもそう思うわね。

 

「そ、それは……!?」

 

 思い出しただけで吐き気が

 兄さんが私を見る目が冷たくて、兄さんが私に向ける声が冷たくて、兄さんの両手が私を拒絶するみたいに突き飛ばして

 

「はっ……、はっ……、はっ……、はっ……!」

 

「千聖さん?千聖さん?!」

 

 視界が揺らぐ。呼吸が安定しない。紗夜ちゃんの声が遠くなっていって

 頭の中が、ぐちゃぐちゃになって、そして、そして、そして、また、さっきの言葉が、山彦みたいに繰り返して、繰り返──

 

「はいストップ」

 

「きゃっ!?」

 

 パチン、と目の前で勢いよく手のひらを叩かれて意識が戻る。

 

「うーん。ちょっと予想外かも」

 

 猫騙しをして私の意識を戻した日菜ちゃんは、深刻な表情をしながら、そんな事を言った。

 

「予想外……って事は。日菜、あなた知ってるのね?千聖さんが、こうなった原因を」

 

「知ってる、というよりは予想した、の方が正しいんだけど、そうだね」

 

「教えなさい。どうして千聖さんが、こうなったのかを」

 

「涼夜君に手酷くフられたんじゃないかな」

 

「日菜!こんな時に、ふざけている場合じゃ……」

 

「本当だよ。多分、本当に涼夜君からフられたんだよ、お姉ちゃん」

 

 息を整える私の横で、日菜ちゃんと紗夜ちゃんが何か言っている。よく聞こえないけれど、私に関係している事は分かった。

 

「ねえ千聖ちゃん」

 

 日菜ちゃんが、私の目を見つめてきた。それが兄さんと被って、咄嗟に私は目を逸らす。

 

「涼夜君に何て言われたのか、少しだけでも教えてくれないかな」

 

「ッ!?」

 

「日菜。なんて事を……」

 

「必要な事なんだよ。涼夜君が本気かどうかを知るためには」

 

 本気……?日菜ちゃんが何を言っているのか分からない。前から行動が読めないとは思っていたけれど、これが天才なのかしら。

 

「本気って……?」

 

「涼夜君が、もしかすると嘘を言っている可能性があるって事かな」

 

 何故かメガネを掛けながら、日菜ちゃんは、普段より知的な気がする笑みを浮かべた。




次話 : だいたい6時間後くらい


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君とのなくしもの

次くらいで終わり


 ◆◇

 

「…………………………………」

 

 千聖が飛び出してから、ゆうに1時間が経過した。千聖は、まだ帰ってこない。

 

「これで俺を嫌った筈だ」

 

 手応えはあった。出来れば一生、感じたくはなかった手応えだが、これで千聖の心に大きなヒビを入れられた筈だ。

 

 ここまで拒絶しておいて、それでも付いて来る奴なんて居ないだろう。少なくとも俺は付いて行かない。だから、いくら千聖でも、完全に愛想を尽かして嫌ったに違いない。

 …………つくづく自分に嫌気がさす。もっと他にマシな方法があった筈なのに、よりによって1番傷付ける方法を選んだ自分に、何より腹が立った。

 

「言っても変わらないけどさ……」

 

 とにかく、これで千聖は施設に留まる理由を無くす。千聖は引き取られて、そっちで新しい人生を歩めるのだ。

 

(そうだ。そっちの方が、千聖の将来にとっても正しい選択だ)

 

 このまま孤児で居るより、新しい両親に囲まれて、色んな場所に遊びに行って、美味しい物を食べて、やりたい事をやった方が楽しいに決まってる。

 孤児では出来ない事が、向こうでは出来る。出来ない事を沢山体験していって、多くの人との出会いを経験していけば、俺の事なんて簡単に忘れられるに違いない。

 

 それに関して、間違っても"悲しい"などと思ってはならない。どこまで行っても、俺は所詮イレギュラー。本来なら存在しない筈の人間なのだから、むしろ今までが間違っていたのだ。

 俺は間違いを正しただけ。千聖に兄なんて居ないのが、きっと正しいんだから。

 

(そうだ、忘れるな。俺は外様なんだ。この世界で産まれた人間じゃない、言うなれば異物だって事を)

 

 異物が紛れ込む前の、この世界が、どんな物なのかは知らない。もしかしたら俺の知ってる漫画の世界かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

 どちらにしても、もう十分だろう。今までは夢でも見ていたのだ。

 可愛くて美人に育った妹と、生前では、お目にかかった事の無い美少女達と知り合えて、バカをやって楽しめた。

 一度、己の命すらも失った男が、こんな幸せな夢を見れた。それだけでも贅沢ってもんだ。これ以上を望むのは、流石に罰当たりだろう。

 

 もしかすると、次の瞬間には、死ぬ寸前に触れた、あの冷たいコンクリートの上に倒れていても不思議じゃない。

 神様に会ったというのだって、もしかすると死ぬ寸前に、痛みが見せた幻覚なのかもしれない。

 

 

 そう考えると、世界が、なんだか凄く浮世めいた風景に見えてきた。

 

 俺が、ここに居るという保証も無く、全ては夢なんじゃないかと思えてくる。

 

(…………あのまま死んでいたら)

 

 こんな気持ちになる事は、なかっただろう。

 ただ、手足から感覚が消えて行き、胴体が消え、頭と視界が消え、最後に意識だけが沈んでいく"死"と、どっちがマシなのかは分からないが。

 

 ちらり、と机の方へ目線を向けた。

 

 死のうと思えば死ねる。引き出しには工作用のハサミがある。ナイフが有ればベストだろうが、ハサミでだって自殺は出来るだろう。

 だが、それをするには度胸が足りない。イメージとしてではなく、れっきとした感触で"死"という概念を味わっているから、アレに自分から触れに行く勇気はない。

 

(結局、2回の人生を通して分かったのは、俺が何も出来ないヘタレだって事と、目的の為なら女の子を平然と泣かせられるド畜生って事か)

 

 忘れるな。周囲からの"変な奴"というレッテルの方が正しいのだという事を。

 忘れるな。俺が存在しなくても、世界は問題なく回るという事を。

 忘れるな。異物は異物らしく、身の程を、わきまえなければならないという事を。

 

「ああそうだ。俺の存在は無くてもいい、オマケなんだって事を忘れちゃいけない」

 

 だけど、そんなオマケにも、まだ、やるべき事が残っている。

 

 残るは憎まれ役の幕引きのみ。

 どんなに良い夢でも、いつか醒めなければならない。それが世界の理なのだから。

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

「嘘……?」

 

「そそ、嘘」

 

 私には、日菜ちゃんが言っている言葉の意味が分からなかった。兄さんが、嘘をついている?

 

「……日菜ちゃんは見た事ないから言えるのよ。あの冷たい目をした兄さんは、本気で…………うっ」

 

 手が震えた。ダメ、また吐き気が……

 

「落ち着いて千聖さん。……あの時、外で涼夜と相対した私も分かるわ。アレは嘘を言うような目ではないわよ……!」

 

 落ち着くように背中を、さすってくれている紗夜ちゃん。私が白鷺夫婦と面談している間に何があったのかは分からないけれど、どうやら紗夜ちゃんと日菜ちゃんも兄さんの冷たい目を見たらしい。

 でも、それなら尚更、本気だって事は分かっている筈なのに……

 

「そりゃそうだよ、おねーちゃん。あの時の涼夜君は、本気で言っていただろうしね」

 

 意味が分からない。日菜ちゃんは何が言いたいの?私が混乱していると、同じ事を思っていたらしい紗夜ちゃんは言葉にして日菜ちゃんに詰め寄った。

 

「……意味が分からないわ、分かるように説明しなさい。日菜」

 

「はいはい、せっかちだなぁ。そんな、おねーちゃんに簡単に言うと、涼夜君の発言は本気だけど、ほぼ間違いなく本音じゃないって事」

 

 …………余計に分からない。日菜ちゃんの頭の中では、何がどうなって、そんな答えが出たのかしら。

 

「……まあ、これだけじゃ分からないよね。だから順を追って説明するんだけど、涼夜君の目的は何だと思う?」

 

「目的?」

 

「そう、涼夜君が目指すゴール地点。……時間が無いから説明しちゃうけど、これは千聖ちゃんを幸せにする事だよ。ほぼ確実に」

 

「……嘘よ」

 

 もしそうなら、兄さんが私を拒絶なんてする筈がない。だって私の幸せは、兄さんの側に居て、兄さんと同じ事をして、兄さんと笑っている事なのに。

 

「嘘じゃないよ。少なくとも涼夜君は、本気でそう思ってる筈。ただ、千聖ちゃんの幸せを、涼夜君の目線で勝手に判断しているってだけでね」

 

「つまり、千聖さんにしか分からない筈の幸せを、涼夜の目線で判断しているから食い違いが起こっている。という事かしら?」

 

「そうなるのかな。涼夜君はね、きっと、お金と心の、どっちが、千聖ちゃんを幸せに出来るかを考えていたんだと思う」

 

「それで、千聖さんは心が欲しかったのに、涼夜がお金を取ったと?」

 

「そう。だから養子に行く事を薦めたんだと思うよ」

 

 そういえば、さっき 「いつも考えてた。金があれば、千聖に、悲しい思いをさせずに済むのにって」と兄さんは言っていた。直後のインパクトで忘れそうになっていたけれど、そう考えると兄さんが、お金を取った理由が少し分かったような気がする。

 …………でも私は、お金より心の方が欲しい。

 

「確かに、お金は大事だけれど、それでも千聖さんとの毎日を捨てるほどの価値がある物なのかしら」

 

「そこまでは分からないよ。あたしは涼夜君じゃないんだもん」

 

 あくまで、あたしの推測なんだからさ。と言われたところで、私は全てが日菜ちゃんの推測だった事を思い出した。

 ……それにしては、随分と納得がいくというか、まるで心の中を覗いたみたいに話していたけれど。

 

「でも、涼夜君が千聖ちゃんを愛している事は、あたしでも分かる」

 

「……そう、なのかしら」

 

 自信がない。だって、さっき散々に拒絶されたのに、そんな言葉を信じる気にはなれない。

 

「だって、あの涼夜君だよ?何があっても千聖ちゃんloveな涼夜君が、千聖ちゃんを嫌いになるなんて、有り得ないと思うんだ」

 

 未だに震える手を包み込むように、日菜ちゃんが私の両手を握った。

 

「ねえ、千聖ちゃんにとっての涼夜君って、どんな人なの?」

 

 

「私の……兄さん、は……」

 

 冷たい目をしていた兄さんがフラッシュバックする。あの冷酷な目をした姿が、今の私には一番、印象に残っていた。

 あの冷たい様子も、きっと兄さんの姿なのだろう。今まで私が見た事の無いだけで。

 

『よっし、行くか!』

 

『良いか?何を聞かれても、俺にやらされたって言えよ。そうすれば、お前は怒られない』

 

『子供は大人しく、大人に甘えればいい。千聖の場合は……俺?そうなの?』

 

 

「いつも元気で、常に私の事を思っていてくれて、そして……何かあると、いっつも自分1人だけで責任を負って……」

 

 

 気が付いた時から、私は、あの部屋に居て、隣には何時も兄さんが居た。

 気が弱くて、泣き虫だった私の側に居てくれて、絵本を読んだりもしてくれた。

 

「そして、優しかった」

 

 優しかった。成長しても、その優しさだけは変わらなかった。

 

 分かってる。兄さんの事だから、私じゃなくても同じ事をしていたに違いない。

 けれど、それに私は救われた。

 

「その涼夜君のイメージ、信じてあげようよ」

 

 

「そう、よね……私は兄さんの妹だもの。星野千聖だもの」

 

 正直に言うと、まだ怖い。帰ったら、また拒絶されるんじゃないかとビクビクは止まらない。

 だけれど、私は兄さんを信じる。そして伝えたい、一緒に居たいって。

 

「だけど、それを伝えた所で、また拒絶されてしまうのではないかしら?向こうは、未だに養子に出す事が幸せになる事だと信じているのでしょう?」

 

「うっ。それは……」

 

 言われてみればそうだ。私が、そう言ったところで兄さんが聞く耳を持つかは分からない。

 

「ふっふっふ……!」

 

 しかし、何故か日菜ちゃんは怪しげに、かつワザとらしく笑ったかと思うと、ドヤ顔で胸を張りながら言った。

 

「あたしに良い考えがある!」

 

 

 

 ◆◆

 

 

 

 あれから、俺と千聖の間に会話は無かった。何も話さず、同じ部屋に居るのに、まるで壁があるみたいに別々に行動した。

 そんな俺達を見て、職員さんも不自然に感じたのだろう。「喧嘩でもしたの?」と俺に聞いてきたが、俺はノーコメントを貫いた。

 

 6年生になってから別々の布団で寝るようになったから、もう、かつてのように一つの布団に2人が入る事もない。

 それに慣れていた筈なのに、突き放した日の夜は、どうしてか懐が寂しいような気がした。

 

 

 次の日、早い時間に千聖は部屋を出て行った。何をしているのかは知らないが、お昼すぎまで戻って来なかった。

 ……大方、蘭や紗夜に別れを告げに行っているのだろう。そういえば、アイツらには何て説明しようか。

 

 ……素直に全部説明するか。全て俺が悪いんだし。間違いなく嫌われるけど、それは自業自得という奴だ。

 

「千聖ちゃーん。電話が来てるわよー」

 

「……はい」

 

 そんな事を考えながら、部屋から出る千聖の背中を俺は見送った。

 ……多分、養子縁組の話だろう。どうやら俺の目論見通りに、事は進んでいるようだ。

 

(千聖との別れも近いな)

 

 だけど、それに何を思ってもいけない。元より喜びなんてしないが、悲しむ事もダメだ。

 最後まで、無慈悲を貫かなければ、突き放した意味がなくなってしまう。

 

「涼夜くーん。居るかな?」

 

「……はい?何ですか職員さん」

 

 と思ったら、今度は俺も呼び出された。何かあったのかと扉から顔を覗かせる。

 

「友達、来てるよ」

 

「友達……」

 

 自慢にもならないが、俺の友達といえばAfterglowのメンバーくらいしか居ない。

 つまり、どういう事だと事情を聞きに、やって来たんだろう。

 

 何処から説明したもんかと靴を履いて外に出ると、そこには真面目な顔をした蘭、巴、ひまり、つぐみ、モカ、あこ、の6人が居た。

 

「場所、移そうぜ」

 

「ああ、そうだな」

 

 これは間違いなく、他人には聞かせられない事だから。




次話 : だいたい1日後くらい


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永遠(とわ)なる絆と想いのキセキ

5/19 日菜のセリフを一部追加



 ◆◆

 

 涼夜が連れてこられたのは、山の中にメンバー総出で作った秘密基地だった。

 秘密基地といっても、周囲の木々が目線を隠す山の中腹を広場のように整えて、その辺から丸太を持ってきて、椅子みたいに置いているだけの簡素な物だが。

 

「ここなら邪魔も入らないだろ」

 

 基地には、先に待っていたのだろう。日菜と紗夜の姿もあった。紗夜は何処か緊張感を帯びた顔をしているが、日菜は気楽な物だった。

 どこまでも正反対な双子だと、涼夜は思った。

 

「……それで、何の用だ?」

 

「惚けるなよ。全部聞いてるんだ、千聖から」

 

 そうだろうなと思っていたから、涼夜に驚きは無かった。

 ただ気になったのは、つぐみや、ひまりが、何故か可哀想な者を見るような目で涼夜を見ている事であるが。ひまりに至っては泣きそうである。

 

「アタシ達に何の相談もなく、1人で千聖を養子に出そうとしたってな」

 

「…………」

 

「なんで相談してくれなかったんだよ?そりゃあ、アタシ達が力になれる事は限られてるけど、でも相談くらいなら……」

 

「何度も同じ事を言わせるな。お前達には、関係ない話だ」

 

 あんまりな物言いに、巴は自分でも驚くくらい早く、そして本気でカチンと来た。巴は気が長い方だが、昨日からの涼夜の態度が、巴を、ずっと苛立たせていたからだった。

 

「前から黙ってたら、関係ない、関係ないと……!」

 

「事実だ」

 

「なら、千聖の将来に口出ししてる、お前は何なんだよ。前に自分で言ってたよな?これは千聖の問題で、アタシ達や涼夜は関われない問題だって」

 

「…………」

 

 痛い所を突かれた。と言わんばかりに沈黙する涼夜。

 巴は掴みかからんばかりに詰め寄った。

 

「都合の悪い時だけ黙んなよ……!」

 

「……こうする事が、千聖の為になるんだよ」

 

 そうして辛うじて出した言葉は、苦し紛れのそれだった。

 その姿が、巴を更に苛立たせる。

 

「だから手を出したのか?アタシ達には関わるなって言っておいて、自分だけ都合良く、発言を無視して?」

 

「………………」

 

「なんとか言えよッ!!」

 

 その時、その場に居た誰もが予想しなかった行動に巴が出た。

 

 巴の拳が涼夜の頬を捉えたのだ。

 最初は何が何だか分からないと言わんばかりにキョトンとした涼夜だったが、状況を把握するにつれて怒りの感情が、ふつふつと湧き上がってきた。

 

「テメェ……何すんだ」

 

「こうでもしないと聞かねぇだろ、お前みたいなアホはよ」

 

 不穏な空気が漂う。いきなりの巴の蛮行に、モカですら大きく目を見開いた。

 

「千聖の気持ちも考えねぇで、それで口を開けば『アイツの為』だと?バカも休み休み言えよ」

 

「部外者は引っ込んでろ」

 

「アタシ達も千聖もAfterglowのメンバーだ。部外者なんかじゃねぇ、むしろ関係者だ」

 

「なら言い方を変える。これは俺と千聖の問題だ。お前達には──」

 

「もう黙れよ」

 

 涼夜が言えたのはそこまでだった。何故なら、言葉を遮るように巴のアッパーが命中したからだ。

 ぐらり、と涼夜の身体が揺れ、ことの成り行きを見守っていた、ひまりや、あこから悲鳴が漏れる。

 

「巴ちゃん!それは……!」

 

「つぐは引っ込んでろ……さっきから黙って聞いてれば、壊れたラジオみたいに、何度も何度も同じ事ばっかり繰り返しやがって」

 

 体勢を立て直した涼夜の目には、明らかな怒りが宿っていた。手の甲で口を拭って、巴に接近する。

 

 このままでは、マズイ。そう直感した紗夜が止めに入るのも、無理らしからぬ事だ。

 

「涼夜、一旦落ち着きなさい。巴さんもよ」

 

「紗夜は黙ってろ……やんのかよ」

 

「いいぜ、来いよ」

 

 だが、紗夜の静止も届かない。まさか腕力で敵う筈もなく、涼夜を止めるには、紗夜の声は、あまりに無力であった。

 売り言葉に買い言葉。2人が激突するのに、さほど時間は必要なかった。

 

「何しやがるんだ巴ェ!」

 

「そう言うお前こそ、何やってんだよ!」

 

 殴れば殴られる。殴られたら、また殴る。至近距離で完全にノーガードの殴り合いとなった。

 

「なんで千聖の手を離そうとした!どうして、いつもみたいに『千聖は渡さない』の一言が言えない!?

 アイツは、千聖は……お前の大事な家族じゃなかったのかよ!!」

 

「どこまで行っても、所詮俺は紛い物の家族なんだよ!血の繋がった本物の家族が迎えに来たなら、そっちに渡すのが筋だろうが!!」

 

「血の繋がりだけが本当なのかよ!?一緒に過ごした時間は紛い物だって言うのかよ!!」

 

 右ストレートが涼夜の顔面を捉えた。仰け反った涼夜に更に距離を詰めて巴が猛攻する。

 

「血と時間と、どっちが本当なのかは千聖が決める事だ!!上から目線で偉そうに、お前が語る事じゃねえ!」

 

「お前こそ知ったふうな口を聞くな!これが、こうする事が、一番千聖の為になるんだって分からないくせに!!」

 

「千聖の気持ちを無視して、それでアイツの為だと?!馬鹿にしてんだろ、千聖の事を!!」

 

「お前みたいな子供には分からんだろうな!何をするにも後ろ盾があった方がいい事!両親が居ると居ないとでは、将来の道が大きく変わる事!

 そして何より、金が無ければ何も出来ない事を!!」

 

 お返しのボディブローが巴にクリーンヒットした。巴が怯んだ隙を逃がさずに涼夜は追撃を仕掛ける。

 

「白鷺家は金がある!向こうに引き取られれば、このまま施設で生きるより遥かに楽な人生を歩めるんだ!!」

 

「俺は千聖に苦労して欲しくない!俺みたいな例外が苦労するならまだしも、アイツは負わなくていい苦労を、もう背負ったんだから!!」

 

「だから引き渡すってのか!?一度千聖を捨てたような、責任感の欠片も無いような奴に!!」

 

「それが千聖の未来に繋がるから!!」

 

「それは、テメェの理屈だろうが!!」

 

 巴が殴り倒した涼夜のマウントを取って、ひたすら殴る。荒れに荒れる2人に、他の誰もが手を出せずにいた。

 

「引き渡される千聖はどうなるんだ!?お前の勝手な考えの為に、ただ1人の兄から無理やり拒絶されて、そんなんでアイツが満足できると……幸せになれると本気で思ってんのかよ!!?」

 

「心の悲しみは一時だ!でも、金は一生、付き纏う!今ここで道を間違えれば千聖は一生後悔するんだ!

 俺はそれをして欲しくないんだよ!!金の事で千聖に苦労をして欲しくない!!」

 

「だから、それはテメェの理屈だって言ってんだよ!!」

 

「綺麗事を……並べてんじゃねえ!」

 

 涼夜は巴の服の襟を掴んで引き寄せ、頭突きを御見舞いした。

 

「ならお前に分かんのか?!!親にゴミみたいに棄てられて、孤児院に入れられた子供達がどんなに辛いのか!!」

 

 バランスを崩した巴。涼夜は、その隙を逃さない。

 ごろりと半回転して、今度は涼夜が巴の上に馬乗りになる。

 

「やりたい事も出来ないで!アイツは棄てられた、親なしだと周囲から嘲笑われる子供の辛さと惨めさが!」

 

「頼る者も無く、何の支えも無しに社会に放り投げられる心細さが!金が無い事の不自由さが!お前に分かんのかよ!!」

 

 

「分かるわけねえよなぁ!両親も居て!帰る場所があって!今日みたいな明日が来る事が、当たり前だと思ってるお前には!!」

 

「一度棄てられても、それでも!名前はおろか、顔すら知らない親が迎えに来るのを待っている子供の気持ちが!お前みたいな小娘に分かるか!!!」

 

 7月7日の短冊を見た記憶が蘇る。"家族が迎えに来ますように"という、子供達の切実な叫びが、そこにあった。

 

 

「来ると思っていた明日(当たり前)を、いきなり奪われた奴の気持ちが、お前なんかに理解できるのかよ!宇田川巴!!」

 

 

 「ふっ……ざけんじゃねえ!!!」

 

 再び体勢が入れ替わった。

 

「アタシがどうしてキレてるのか分かるか!!?」

 

「アタシがキレてんのはな!"今"しか出来ない事をやろう、なんて言ってアタシ達を導いて来た奴が!先の事を考えずに突っ走ってきた、お前が!自分の妹の時だけ都合良く"明日"を持ち出して、それを盾にして語ってやがるからだ!」

 

「この瞬間を永遠にして来た奴が、今をずっと積み重ねてきた奴が!ここに来て"未来"なんて不確かな物に縋ってやがる!アタシには、それが我慢ならねぇ!!」

 

 ボコボコに殴る巴の手の速度は緩まない。むしろ早くなってさえいるようだった。

 

「アタシには両親が居る!帰る場所も有る!だから孤児院の子供の気持ちなんて分からねぇ!!」

 

「けどな!妹を、家族を大切に思う気持ちは良く分かってるつもりだ!少なくとも、今のお前よりはな!」

 

「アタシは、あこの事が好きだって胸を張って言える!多少おっちょこちょいだし、すぐアニメには影響されるけど……でも!そんなところも含めてあこなんだよ!!そんなあこだから、アタシは好きなんだ!!」

 

 巴の手は止まらない。しかし、手に入る力は確実に弱くなっていった。

 

「お前はどうなんだ!?妹の事を……千聖の事が好きだって言えるのか!!」

 

「もし言えるんなら、本当に好きなら手を離すなよ!!たった1人の家族なんだろ!!?」

 

「だったら尚更、傍に居てやらなきゃ…………他の誰が千聖に寄り添ってやれるんだぁぁぁぁ!!!!」

 

 後半の方は、もう悲鳴にも似た声色だった。あるいは、これこそ宇田川巴の魂が挙げた悲鳴なのかもしれない。

 

 それに感化されたのか、それとも、もう自分を誤魔化すのも限界だったのか。涼夜の口から、言葉が自然と飛び出した。

 

「俺だって…………俺だって離れたくねえよ!」

 

「だけど、もう分かんねえんだよ!俺が何をすればいいのか、どうすればいいのか!」

 

 涼夜が、この世界で初めて他人に弱みを見せた瞬間だった。初めて聞く本音を、全員が何も言えずに聞いていた。

 

「心は離れたくないって思ってる!だけど頭は、こうする事が千聖にとって最善だって言ってる!どっちを信じればいいのか、俺にはもう分からねぇんだよ!」

 

 バカでいられれば、本物のバカだったなら、こんな事を考える間もなく答えを出せたのだろう。

 だけど、行動に移すには前世の経験が邪魔をした。

 

 ()を取るか、(未来)を取るか。

 どちらかが間違っているのではなく、どちらも正しいと分かってしまっていたから。だから答えを出せなかった。

 でも無理矢理でも天秤に掛けて、その結果が、今回の出来事だ。

 

「なら、代わりにアタシが言ってやる!」

 

「アタシ達には今しかねえ!先の事なんて分からねえ!だったら、いや、だからこそ!今しか出来ない事をやるべきだろうが!!」

 

「お前がいつも言ってきた事だ!!」

 

 マウントを取って、襟首を掴み上げたまま、それにな、と巴は言葉を続けた。

 

「もし、お前の言う事が正しいんだったら!明日(当たり前)が奪われて、もう来ないっていうんなら!!これも"今しか出来ない事"なんじゃないのかよ!!!」

 

「答えろ!答えろ星野涼夜!!」

 

「今しか出来ない事をやるんだろ!?今を永遠にするんだろ!!?」

 

「だったら行けよ!千聖の所へ行け!そして、そしてぇ…………あの時に言ったお前の言葉を、アタシ達の始まりを……嘘にしないでくれ!!」

 

 最後は完全に懇願だった。殴られまくった涼夜の顔に、巴の涙がポタポタと落ちていく。

 

 

 誰も、何も言えず、そして動けなかった。

 巴の、すすり泣く声だけが、この場で流れる音だった。風も吹かず、鳥の囀りも聞こえない。

 

 

 

 

 暫くしてから涼夜がゴロリと転がって再び巴のマウントを取る。まだ続けるのかと身構えた周囲の予想とは異なり、何もせずに立ち上がった。

 巴は地面に大の字に寝転がったままだ。もう動く気力も無いのか、指先すらピクリともしない。

 

「…………俺、行ってくる」

 

「やっと目が覚めたかよ……バカ野郎」

 

「ああ。ようやっと」

 

「おせーよ。完全に寝坊だぜ、ばーか」

 

 背を向けた涼夜からは巴の顔は見えない。同様に巴からも涼夜の顔は見えない。

 だけれども、お互いは、互いが笑っている事に確信を持っていた。

 

「忘れてたよ。俺はバカで、バカが深い事を考えても碌な事にならないって」

 

「やっと思い出したのかよ……」

 

「なんだよ。その物言いだと、まるで俺がバカなのを知ってたみたいじゃないか」

 

「アタシ達は知ってたよ。

 何かする時は、常に行き当たりばったりで、アドリブ上等。周りの迷惑とかを顧みないで走って行って、その癖に誰かが何か問題を起こすと、全部自分だけで責任を背負おうとする。

 そんな、恐ろしく自分勝手な、でも優しいリーダーの姿を、知ってたんだよ、涼夜」

 

 自分のことなのに、知らなかったのは俺だけか。

 そう言って涼夜は苦笑した。

 

「行けよ、千聖の所に」

 

「行くけどさ……でも、千聖には完全に愛想を尽かされただろうな。あんな酷い事を言ったらさ」

 

 少なくとも、縁を切る事を覚悟して暴言を吐いたのだから。以前よりも関係が悪化するのは避けられないだろうと涼夜は思った。義兄妹の関係が続けば御の字だろう、と。

 だが巴は、そうは思っていないようだ。

 

「さて、それはどうかな?」

 

「は?巴、お前なにを言って……」

 

 

 

 ──兄さん

 

 

 声のした方へ、凡そ普通なら出来ないだろう旋回速度で涼夜は目線を向けた。

 舞い散る桜の花弁が雪のように降る中で、涼夜は千聖の姿を見た。

 

「ち、さと……?!なんで、どうして此処に!?」

 

「最初から居たのさ。隠れてて貰ってたんだ」

 

「そん、な……!」

 

 涼夜が絶句している間に、千聖は、ゆっくりと涼夜に向かって歩いてきていた。

 

「聞いてたわ。兄さんの叫び、本心を」

 

 距離が詰まる。ゆっくりと、でも確実に。

 

「ずっと、私の事を考えてくれていたのね。私の幸せを、考えていてくれたのね」

 

 一歩

 

 一歩

 

 距離が近くなっていく

 

「嬉しかったわ。やっぱり兄さんは、優しい兄さんのままなんだって、分かったから」

 

 とうとう、千聖が涼夜の目の前まで来た。

 

「でも俺は、お前に酷い暴言を……」

 

「勿論それは傷付いたわ。だから兄さん。お詫びに一つだけ聞いて欲しい、お願いがあるの」

 

「お願い……」

 

「そう。お願い」

 

 千聖は涼夜の手を取って、ギュッと握った。

 

 

「私を、もう離さないで」

 

 

 千聖に見つめられて、涼夜は──

 

「……一旦、手を離してくれるか?」

 

「え?ええ、構わないけれど、でも如何し……きゃっ!?」

 

 ──身体を抱きしめる事で、意思を示した。

 

「これが答えだ。……ダメかな?」

 

 何が起こったのかを理解すると、自然と千聖の目からは涙が溢れた。

 千聖もまた、涼夜の身体を抱きしめる事で意思を示す。

 

「……ううん。最高の答えよ、兄さん……」

 

 

 

 

 ◇◇

 ◇◇

 

 

 

 

「これで一件落着だね」

 

「一時は本当に、どうなる事かと思ったけどねー……ともえー、立てるー?」

 

「悪い、起こしてくれないか?もう気力が無くてさ……」

 

 つぐみ、ひまり、蘭、モカ、あこに起こされた巴は、桜吹雪が舞い散る中で抱きしめ合っている兄妹を見た。

 

「痛つつ……涼夜の奴、思いっきり殴りやがって」

 

「おねーちゃん。大丈夫?」

 

「ああ。平気だよ、あこ。心配すんな」

 

 本気の殴り合いという時点で大丈夫な筈はないのだが、そこは巴の姉としての意地で何とか誤魔化す。

 さっきまでは吹いていなかった筈の春風が、巴達の髪の毛と服の袖を揺らし始めた。

 

 

 暫く兄妹を眺めていると、ふと巴の脳裏に、とある考えが過ぎる。

 

「そういえば、蘭は何も言わなくて良いのかよ。アタシと同じで、結構キレてただろ?」

 

 いきなり話を向けられた蘭はキョトンとした後、珍しく笑みを見せた。

 

「確かに、あたしも言いたい事あったけど……巴が全部ぶつけてくれたから、もう良いかなって」

 

 それにさ、と蘭は一呼吸置いた。

 

「今の空気を壊すのは、ちょっとね」

 

「ああ……そうだな」

 

 まだ2人は離れない。お互いの体温を確かめ合うように、約束を守るように。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたしね、好きになった人の事を、何でも知りたがるみたいなんだ」

 

 椅子代わりの丸太に座って足をブラブラさせながら、日菜は隣の紗夜に、そう言った。

 

「何でも?」

 

「そう、何でも。好きな物とか、嫌いな物とか、普段は何を考えているのかとか、全部ね」

 

 いきなりのカミングアウトに紗夜は困惑した。どうして、このタイミングで明かしたのだろう。

 

「あたしは涼夜君の事、好きだよ。あんな面白い人も、そうは居ないし……おねーちゃんと、あたしを繋いでくれているしね」

 

「繋ぐ?何を言っているの。繋ぐも何も、私と日菜は姉妹で……」

 

 

「あたしは知ってるよ。お姉ちゃんが、あたしに持ってる内側の嫉妬とか、そういうの。全部、分かってる」

 

 

 冗談と笑い飛ばすには、日菜の目は、あまりにも真剣だった。そして、嘘だと切り捨てるには、紗夜に心当たりが有りすぎた。

 

 何でも出来る、出来てしまう日菜に対するコンプレックスが、日を追う毎に大きくなっているのを自覚していたからだ。

 

「気付いたのは最近だけど。それも、あたしだけなら先ず気付けなかった」

 

「あたしは涼夜君の事を最初に理解しようとして、出来なかった。ぶっちゃけると、今も理解できてないんだよね」

 

 日菜は1人で語り続ける。それを、紗夜は、ただ聞くだけだった。

 

「だから涼夜君を理解する為に、まずは身近な人から理解しようとして……お姉ちゃんの内側の色々が見えた」

 

 あらゆる分野においての天才は、心を見透かす事すらも天才的であるらしい。紗夜は、ぼんやりと考えた。

 

「テストで、あたしが、お姉ちゃんの点数を上回った時。お父さんと、お母さんに、あたしだけ褒められた時。あたしだけに向けられる親戚の人達からの期待の目……」

 

「でも、それでも、お姉ちゃんは、あたしと仲良くしてくれた。あたしの、お姉ちゃんだからこそ、他の人より早く離れていくと思ったのに、今も一緒に居てくれる」

 

「だから言わせて。ありがとう」

 

 出過ぎた杭は打たれないが、排斥される。天才すぎるあまり、日菜の周囲から人が居なくなった。

 同年代に限らず、大人でさえも離れていった日菜の側に居ようとする物好きは、Afterglowのメンバーと、紗夜を除いて他に居なかった。

 

「日菜の事だから、私の全部を分かってる、と言うのは、嘘じゃないんでしょうね」

 

「……うん」

 

「でも、一つだけ、思い違いをしているわ」

 

「思い違い……?」

 

 不安そうに見る日菜に、穏やかに紗夜が微笑みかけた。

 

「さっき日菜は、 "お姉ちゃんだからこそ、他の人より早く離れていくと思った"と言っていたけれど……それは全くの逆よ」

 

「ぎゃ、く……?それって、どういう事なの?」

 

「どれだけ才能に恵まれようと、どれだけ人から避けられようと、日菜は私の妹なのよ。妹を守るのは、姉である私がするべき事でしょう?」

 

 誇張抜きに、日菜の呼吸が止まった。

 

「私は日菜の側を離れないわ。もう私が守らなくても大丈夫だって、そう思える日まではね」

 

 紗夜の内側にある物を知ってしまっているだけに、本心から発せられたであろう、この言葉が、日菜に強く突き刺さった。

 

「それ本当?嘘じゃないよね?!」

 

「嘘なわけないじゃない」

 

 確かに、日菜に言われた通り嫉妬はある。けれど、それ以上に、今は日菜が愛おしい。

 

 

「〜〜〜〜〜っ!おねーちゃん大好きぃ!!」

 

「ちょ、いきなり飛び付くのは止めなさい!」

 

 

 

 三者三様の様子を太陽が見守り、晴れ渡った青空は祝福しているかのように広がっていた。




次話 : 大体1日後くらい

もうちょっとだけ続くんじゃ


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もう少し 夢の続きを

大体1日だからセーフ(震え声)


「くしゅん」

 

「……風邪か?」

 

「いや違うわ。ほら、此処って風通しが良くて、しかも今日は風が冷たいじゃない」

 

 どれくらい、そうしていたかは分からないけれど、千聖が、くしゃみをして身体を震わせるくらいの時間は経過していた。

 

「よし、もう帰るか!」

 

「だな。あー疲れた」

 

 体の節々(主に顔)が、めっさ痛い。巴の奴、ほぼ間違いなく手加減なんてしてなかっただろう。

 俺も同じくらい本気で殴ったから他人の事は言えないし、元はと言えば俺が原因なのは分かっているから何も言えないけど。

 

「もう、これっきりにしてくれよな。いくら友達の為とはいえ、2度と殴り合いなんてやりたくないからさ」

 

「俺もやりたくないし、もう、これっきりだから大丈夫だって、安心しろよ」

 

「不安だ……果てしなく不安だ……」

 

 巴も身体が痛むのだろう。時々表情が苦痛に歪んでは、あこに心配されていた。

 

「もー、本当にこれっきりにしてよ?!見てるだけの、こっちも辛いんだから!」

 

「分かってるって。あれが最初で最後だ」

 

「本当だよ!本当に本当だからね!?」

 

 本気で心配してくれていたのか、ひまりの目の端には涙のような水滴が確認できる。目も真っ赤に泣き腫らした跡があるし、そこまで心配させたのかと被害の大きさを再認識した。

 

「もうやらないって。なんだよ、そんなに俺が信用ならないのか?」

 

『うん』

 

「随分スッパリと言ったなお前らぁ……!」

 

 今回の件で信頼度ガタ落ちなのは分かるけど、もう少しオブラートに包んでくれても良いんじゃないか。もし俺がガラスの心だったら、あっという間にブロークンハートしていた所だろう。

 

「だって涼夜君だし……」

 

「ねー」

 

「つぐみ、モカ。ちょっと、そこに直れ」

 

 きゃー、と棒読み気味に逃げるモカと、苦笑いで静かに距離を取る、つぐみ。

 なんだろう、当たり前に見ていた光景の筈なのに、随分と懐かしさを覚えてしまった。

 

「…………なんで笑ってるのさ」

 

「さて、なんでかな。ちょっと推理してみろよ、蘭」

 

「はぁ?いきなり何言ってんのさ。意味分かんないんだけ……」

 

「えっ!らんらんが名探偵の真似事を!?」

 

「……え?ちょ、日菜?」

 

「出来らぁ!!」

 

 道を歩きながら、唐突に、あのテーマソングをアカペラで熱唱し始めた日菜。蘭がそれに困惑している間に、アカペラに釣られてキケンな奴らが集まって来ていた。

 

「蘭ちゃんが名探偵?」

 

「どっちかっていうと犯人側だよな……ノーコン的に考えて」

 

「その場合の被害者は、いつも巴になるんだね、分かるよ」

 

「凶器は常にボールだね!」

 

「名探偵、兼、犯人らんらんだー」

 

「それは、完全なマッチポンプというか、自作自演というか……」

 

 もう散々な言われようである。あんまりな物言いに、蘭の顔が、みるみる茹でダコみたいに赤くなっていった。

 

「モカ殴る」

 

「なんで〜?なんで、あたしだけなのー」

 

「うっさい!」

 

 モカが逃げて、蘭が追いかける。トム&ジェリーみたいな感じで、俺達の周りをグルグルと回り始めた。

 

「逃げないでよモカ!」

 

「それは無理な話ですぜ〜、らんらんのとっつぁーん」

 

「誰が、警部か!」

 

 1周、2周、3周、4周。反転して1周、2周、3周……

 うん、まさにトム&ジェリーだ。不毛な追いかけっこを永遠としている所とか、特に似ている。

 

「ところで不二子役は、ひまりがドンピシャだと思うんだけど。どう思う?」

 

「あ、凄い分かる。巴ちゃんは五ェ門とか似合いそうだよね」

 

「そうか……?でも、その流れだと、つぐが次元になるんだよな」

 

「イメージ湧かないよねぇ……」

 

 あの帽子を被って、拳銃を速抜きで撃つ、つぐみ。

 

 …………言っちゃアレだが

 

『致命的に似合わない……』

 

 つぐみには、そういった荒事関連のイメージが全く無いからだろう。全く噛み合っていないように感じられた。

 

「巴の五ェ門は違和感ないんだけどなー」

 

 反対に、和服姿で色々と叩っ斬る巴は違和感なくイメージ出来る。ハマり役なんじゃないのかとさえ思えてしまうのは、夏祭りの和太鼓を叩く法被姿がイケメンだからなのか。

 

「巴ちゃんは、そういうカッコイイ役が似合うよね」

 

「巴さ、折角だから今やってみてよ。あの決めゼリフ」

 

「え?あ、ああ。別に良いけど……ん"ん"っ。

『また、つまらぬ物を斬ってしまった……』」

 

 言われるがままに、その辺に落ちてた木の枝を刀みたいに持たされての一言だった。木の枝をバトンみたいに回しながら言ったから、何処となく漂う強者感ポイントが高い。

 

『おおー』

 

「小太刀を持ちながらっぽくてカッコイイな」

 

「小太刀って?」

 

「小さい刀の事。もう1本あると二刀流だな」

 

「二刀流!カッコイイ響きだよね!」

 

 二刀流という言葉に目を輝かせた、あこがキラキラした目で木の枝を探している横では、まだ追いかけっこが繰り広げられている。元気な奴らだ。

 

「おい蘭。その辺にしてやれよ」

 

「はあっ、はあっ。ま、まだ……」

 

「死にかけじゃん」

 

 蘭は息も絶え絶えだった。そんなになってまでモカを追うとは、これは、とっつぁん役が本気で似合っているのかもしれない。

 

「ふっふっふー。蘭は修行が足りないなー」

 

「モカちゃん、汗ダラダラで言われても説得力無いよ……」

 

 そしてモカの方は、表情こそ変わらないものの、汗がダラダラである。前からの傾向だが、なんで、この2人を放っておくと限界まで攻めてしまうのだろう。

 

「んー。なんか安心したら、途端に腹減ってきたなぁ」

 

「そういえば、今って何時くらいなんだろう?」

 

「3時過ぎくらいじゃない?きっと、おやつの時間だよ」

 

「おやつ……つまり、パン!」

 

 ブレないなコイツ……。お小遣いが入る度に、もう何年も通っているらしいが、一向に飽きが来ないとモカは常に語っている。

 前に齧らせて貰った事はあるから美味しさに疑いは無いけれど、飽きが来ないっていうのは分からない。

 

「モカって、いっつも、そればっかりだよね」

 

「ひーちゃんは、山吹ベーカリーのパンの美味しさを知らないから、そんな事が言えるのだよ〜」

 

「それは散々聞かされたし、実際に食べた事もあるから美味しさは分かるけどさー、流石に飽きると思うんだよね……」

 

 ひまりだけでなく、モカ以外の全員が恐らく思っている事だ。いくらパンの種類があるといっても、何周もすれば流石に飽きる自信が俺にはある。

 

「おねーちゃん!これ、これ持って、もう1回!」

 

「ええ?ああ、良いけど……」

 

「あこりん、ちょっと待って。ここは一本増やして、三刀流なんて……どうかな?」

 

「三刀流……!凄い、凄いよ、なっちゃん!これなら3倍カッコイイね!」

 

「ええ………?でも、どうやって持つんだ、これ」

 

 木の枝を持ち寄って、巴に、また、つまらぬ物を斬らせようとしている日菜と、あこ。当の巴は、3本の木の枝を持って、どうすれば良いのか頭を捻っている。

 

「おねーちゃん、口だよ。口!」

 

「咥えるのか?!たった今、拾ったばっかの木の枝を!?」

 

「………………ダメ?」

 

「ゔっ…………りょ、涼夜!なんとかしてくれ!」

 

 あこには勝てないのだろう。大いに共感できる理由で巴に泣きつかれたので、仕方なく止まったままの頭を回転させる。バカメーターを上げて、心を童心に戻して……

 

「……三刀流。確かにそれは、心躍る響きだ」

 

「なッ!?涼夜まで、あこと日菜の味方をするのかよ!」

 

「だよね!だから、おねーちゃん!早く──」

 

「だが……」

 

 だが、しかし。三刀流は些か中途半端であると言わざるを得ない。

 

「中途半端……?」

 

「一体、どういう事なの……?」

 

 ふっ、成程まだ気が付いていないようだな。よろしい、ならば教えてやる。

 

「あこ。手の指と指の間の隙間は、何個ある?」

 

「4つだよね?でも、それが…………はっ!?ま、まさかッ!!」

 

「そういう事なの……ッ!!」

 

「気付いたようだな」

 

 俺はニヤリと笑った。あこと、そして日菜は衝撃を受けたような表情で俺を見た。

 巴は完全に置いてきぼりを喰らったようで、他人事のように聞き流していた。

 

「そうだ。隙間は4つある。ならば片手で四刀流、両手を合わせれば八刀流になるだろう!!」

 

「「な、なんだってーー!?」」

 

 よほと衝撃的だったのか、2人は膝から自然と崩れ落ちてorzの体勢となった。

 

「そ、そうだ!人の指は、何かを挟む事も出来るッ!なんで忘れてたんだろう……ッッ!」

 

「くっ、やっぱり涼夜君は強いや……」

 

 敗北感に打ちのめされている2人を見て、巴は一言。

 

「お前ら、アホだろ」

 

「巴さん。そんなドストレートに言ったら可哀想ですよ」

 

「とは言うけどさ。紗夜も思ってるんだろ?」

 

「ええ、まあ。アホですね」

 

 2人の姉は辛辣であった。

 

 

 

 

 ◇◇

 ◇◇

 

 

 

 

「よいしょっ。千聖、準備は良いか?」

 

「ええ兄さん。いつでも良いわ」

 

 今まで履いていた運動靴とは違う、だけど懐かしさを憶える、制服用の革靴の爪先で、地面を意味もなくトントンと叩く。……そういえば、この行動って何か意味があるんだろうか。

 

「忘れ物とか無い?大丈夫?」

 

「大丈夫ですよ職員さん。今日は入学式だけですし」

 

 心配性な職員さんに笑いかけると、それで少し安心したのか、不安そうな表情が和らいだ。

 

「さて。それじゃ」

 

「「行ってきます」」

 

 外に出ると、少し強めの春風が桜の花弁と共に吹き付けてきた。空は青く澄み渡り、まさしく"青空"と呼ぶに相応しい。

 

「ふぁぁ……ねみ」

 

「遠足前の子供みたいに、そわそわしてたからよ」

 

「しゃーない。心配だったんだ、千聖が悪い男に引っ掛からないかとか、友達は出来るのかとか……」

 

 施設を出て、すぐに腕を絡ませてきた千聖と、歩幅を合わせて中学校へ向かう。

 

「あら。その心配は少し遅いわね。もう私は、悪い男の人に引っ掛かっているわよ?」

 

「は?それって、どういう……」

 

 自分でもビビるくらいの速度で千聖の方を向くと、唇に千聖の人差し指が当てられた。

 たっぷり5秒くらい当てた後に、千聖は、その人差し指を自分の唇にも当てて、そして小悪魔めいた笑みで言った。

 

「兄さん。家族を捨てるような、悪い人」

 

「……ああ、そういう……」

 

 そりゃ確かに悪い人、それも札付きのワルだ。

 

「でも好きよ。そういう悪い所があって、でも優しい、私だけの兄さんの事」

 

「嬉しいねえ。普通なら、アレ完全にアウトだから、お前の心の広さに泣いちまいそうだ」

 

 

 これから3年間、使う事になる通学路の途中には公園がある。俺と千聖は、此処で待ち合わせをしていた。

 

「おー、来た来た」

 

 公園のブランコに座って、双子の姉妹は既に待っていた。

 

「おはよー、涼夜君と千聖ちゃん。今日も2人、一緒だね」

 

「そりゃ、同じ場所で暮らしてるしな」

 

「いやいや、そうじゃなくてさ」

 

 そう言った日菜は、絡まっている俺と千聖の腕と、繋がれた手を見た。

 

「……ねえ?おねーちゃん」

 

「そうね。仲が良いのは、良い事ね」

 

「ところでおねーちゃん。ここは涼夜君と千聖ちゃんに負けないように、あたし達も同じ事をするべきだと思うんだけど」

 

「先に行くわ」

 

「ええっ!?ちょっと待ってよ、おねーちゃん!!」

 

 とてつもないセメント対応だった。

 さっさと歩き始めた紗夜を日菜が小走りで追い、俺達も顔を見合わせてから歩いて追い掛ける。

 

 日菜は素早く紗夜の前に回り込んだ後、器用に後ろ歩きをしながら「ねー、いいじゃーん。ねーってばー」と紗夜に言っていた。

 

「変わらないな、日菜は」

 

「ええ。本当にね」

 

 日菜だけじゃない。日菜を、あしらう紗夜も。此処には居ないが、冷静なように見えて実は熱いハートを持つ蘭も。何だかんだで友達思いなモカも。ムードメーカーの、ひまりも。ストッパー役の、つぐみも。友達の事情に、本気になれる巴も。厨二病に目覚めつつある、あこも。

 

 根っこの部分は何も変わっていないのだろう。

 

「このまま、ずっと。今が続けば」

 

 叶わない夢なのは分かっている。時間は戻らないのが世界の理だ。皆が、いつかはバラバラに離れていって、今みたいに集まる事も難しくなるだろう。

 だけど、それでも。

 

 

「2人ともー!早くしないと、置いて行っちゃうよー!?」

 

 遠くから日菜の声がした。まだ距離は、そんなに離れていない筈だが、着実に開いてはいた。

 

「はいはい。今行くよ」

 

 

 

 夢は何時か醒める物だ。

 

 だけど、醒めた後に再び同じ夢を見ても良い。

 

 まだ、目覚めの時間には早い筈だから。

 




はい、これで中学前編は終わりです。やっぱアフロのメンバー空気気味じゃねえか。見せ場あったの巴だけだぞ。
そんなクッソ酷い内容のお話でしたが、楽しんで頂けたでしょうか?あるいは暇潰しくらいには、なったとか?もしなったなら、やはり、これ以上ない幸福です。
ここまで見てくださった皆さんに、深い感謝を。そして、この話を投稿した時点で新たに評価を入れて下さった11名の方と、153名のお気に入り登録者の皆さんにも、深い感謝を。バーが赤くなった時は何かの間違いかと思いましたし、今でも思ってます。

次の章は中学後編、原作でいう所の『夕影、鮮明になって』の内容がメインになると思います。

もし御縁があるならば、次の章も宜しくお願いします。


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小噺

1話にはならないけど、捨てるのも勿体ない物の継ぎ接ぎ。リサイクルともいうし、在庫処分ともいう。なのでクオリティは……


『離さないと言ったって』

 

 

 

 巴と殴り合った日の夜、いつも以上にベッタリと、くっついてくる千聖との1日が終わりを告げようとしていた。

 

「んー、身体が痛い。明日は筋肉痛確定かなー」

 

 自業自得とはいえ、明日は大変だなぁ。と思いながら

 

「仕方ないわね。兄さんが悪いんだもの」

 

「分かってるー。巴は完全に被害者なのも分かってるー」

 

 明日、巴と、あこに土下座しよう。そう思い立った。ほぼ間違いなく身体が痛いだろうけど、何とかする。

 

 千聖を抱き寄せながら、俺は、そう誓い……そして今更だが気がついた。

 

「なあ千聖」

 

「何かしら兄さん」

 

「俺達、どうして同じ布団で寝てるんだ?」

 

 最近、ようやっと別の布団で寝るようになったというのに、どうして再び同じ布団で寝るようになっているのか。

 そして、同じ布団で寝ている事にマジで違和感を覚えなかった俺も俺だ。慣れって怖いね。

 

「だって、兄さんが約束してくれたじゃない。もう離さないって」

 

「そうだけど、せっかく別の布団で寝られるようになったんだし……」

 

「…………ダメなの?」

 

「分かった。寝よう」

 

 マジ泣き5秒前な千聖の言葉に逆らう術を、俺は持ち合わせてはいなかった。千聖には勝てなかったよ……。

 

 

 

 

 と、まあ。こんな感じで千聖と同じ布団で寝ている訳であるが

 

(やべえ、トイレ行きてぇ)

 

 アクシデントは突然に起こるからアクシデントなのだ。今日は寝る前にトイレに行くのを忘れていた事を、トイレに行きたくなって初めて気が付いた。

 

 だが、普通なら何の問題もない。ただ起き上がって、部屋を出てトイレに行くだけ。普通なら、それだけなのだ。

 

(だけど……)

 

 しかし体の上には千聖が寝ているので、このままでは動く事は出来ない。

 動けば起こしてしまうし、寝ている千聖を起こすのは忍びない。だけどトイレに行かないと、今度は俺の尊厳の危機だ。

 

(考えろ……考えろ……!)

 

 尿意が強くなってきて、着々とタイムリミットが迫って来る。それに伴って焦燥感も強くなるが、頭は一向に働かない。

 相当ヤバい所まで来た時、俺の脳裏に一つの策が舞い降りた。

 

(……くっ。背に腹は変えられん……)

 

 苦肉の策として、寝返りを打つふりをして千聖を布団に落としてからトイレに行く事にした。

 

 ゆっくりと、なるべく自然体を装って横を向く。重機のように、ゆっくりと、こうする事で寝ている千聖を起こさずに、俺は自由になる事が出来──

 

「何してるの?」

 

 目と鼻の先で、完全に見開かれた千聖と目が合った。

 

「ーーーーッ!?」

 

「ねえ兄さん。こんな夜に、私を置いて、何処に、行くの?」

 

 チビらなかった俺を誰か褒めてくれ。

 咄嗟に叫ばなかったのは、心のどこかで今の状況が"ありえる"と思っていたからなのだろうか。……それは今は置いておくとして、一体どうして見抜かれた?さっきまで千聖は完全に寝ていた筈だ。

 寝たフリをしている事も考えたが、いつ起きるか分からない俺に対してそんな事をするメリットが薄すぎる。

 

「答えて?ねえ、どこへ行くの?ねえ、ねえ?」

 

「と、トイレだよ。ちょっと行きたくなったんだ」

 

 考察は後回しにして、このまま放っておくと暴走しそうな千聖に目的を告げると、千聖は安心したように息を吐き出した。

 

「なんだ……なら、最初に言ってくれればいいのに」

 

「いや、寝てたからさ……とにかく退いてくれ。急がないと、大分ヤバいんだ」

 

「ええ、分かったわ」

 

 ハプニングこそあったものの、どうにか起き上がる事が出来た。これで、後はトイレに駆け込むだけなのだが……

 

「……あの、千聖?」

 

 千聖が、服の袖を掴んで離さない。挙句の果てに

 

「私も行く」

 

 と言い出した。いや、トイレは何個かあるから、それ自体は構わないのだが。でもなんか、嫌な予感がする。

 

「……まあ、良いけど」

 

 だが、俺の尿意も限界だ。今は嫌な予感よりも、トイレに駆け込む事を優先したかった。

 

 なので千聖を連れ添ってトイレまでダッシュ。そんなに距離は離れていないから、すぐに辿り着けた。

 

「じゃあ千聖、先に終わったら部屋に戻ってて良いか「嫌」ら……」

 

 閉じようとしたトイレの扉を、千聖が抑えた。かと思うと、スッと極自然な動きで同じ個室に入ってきたのだ。

 

「……いやあの、千聖さん?」

 

「大丈夫、目は閉じてるから」

 

 相変わらず服の袖を掴んだまま、千聖は言った。そういう問題じゃないだろう、とツッコミを入れたかったが尿意が、暴発10秒前くらいまで迫って来ている。

 俺は何も言えず、千聖に服の袖を掴まれたまま用を足さなければならなかった。

 

 

 

「なあ千聖、どうしたんだよ。さっきから変だぞ」

 

 用を済ませて部屋に戻ったが、目は冴えていて、すぐには寝られそうにない。だから眠くなるまでの間で千聖を問い質してみる事にした。

 すると、千聖は目を伏せて俯きながら呟くように答える。

 

「だって……目を離すと、兄さんが何処かへ行ってしまいそうだから」

 

「あ……」

 

 そりゃそうだ。いくら離さないと言ったところで、それは所詮、口約束に過ぎない。

 千聖から見れば、信頼を裏切った俺の言葉を完全に信じるのは難しいだろう。だから、目に見える形で証拠が欲しかった。

 

 もしそうだと考えるならば、さっき暴走しそうになっていた千聖にも説明がつく。俺が千聖を置いていくと、そう判断されても不思議ではない。

 

「……悪い」

 

「気にしないで。兄さんの言う事を信じきれない、私が悪いのよ」

 

「それは違う。千聖の信頼を裏切ってドブに捨てた、俺が悪いんだ」

 

「でも……」

 

「それ以上は聞かん」

 

 まだ何か言おうとしていた千聖を抱き寄せて、無理やり布団に倒れ込む。

 

「全て俺が悪い。はい、これで終わり!」

 

「だから、私が……」

 

「あーあー聞こえなーい。おやすみー」

 

 ぎゅっと抱き寄せて強引に会話を打ち切る。……少ししてから、千聖が「おやすみなさい」と呟いたのが聞こえた。

 

 

 

 

 

『お姉ちゃん会議』

 

 

 

 とある日の氷川家のリビングでは、珍しい組み合わせの2人がテーブルを挟んで向かい合っていた。

 

「……そろそろ話そうぜ」

 

 その1人、巴は真面目な表情で目の前に座る紗夜を見据える。

 

「そうね。時間もあまり無い事ですし、本題に入りましょうか」

 

 紗夜がそう言うと、巴の目付きが1段と厳しい物へと変化した。そして2人の間に置かれた皿へと目線を移す。チョコチップクッキーが無くなっていた。あと3枚は残っていた筈なのに。

 さては食いやがったなコイツ。という意味を込めた眼差しを紗夜に送ると、意味深に食べかけのクッキーを見せつけられた。そして目の前で口に入れられて、何故かドヤ顔を見せつけられた。

 

 巴は激怒した。

 

 取り敢えず、後でマジパワーで紗夜の脛を蹴り飛ばしてやる。

 

 実に恐ろしき、食い物の恨みであった。

 

「本日の、定例お姉ちゃん会議を始めるわ」

 

 そんな事を思われている事など露知らず、本日の会議は幕を開けたのだ。

 

 

 

 お姉ちゃん会議とは、姉が妹に関する話題を話したり、愚痴ったり、アドバイスを求めたりする会議の事だ。

 

 参加条件は姉である事で、今のところの参加者は、紗夜と巴の2人しか居ない。

 

 なのでこの会議は、実質的に巴と紗夜の、お茶会となっていた。

 

「巴さん。何か無いかしら」

 

「……あこが、最近になって変なキャラ付けをしようとしてる」

 

「具体的には?」

 

「一人称を"妾"にしてみたり、闇のどーたらこーたらって言ってたり、魔界の女王を自称したりしてる」

 

 ちなみに、その魔界の女王は日菜の部屋で、日菜と一緒にマンガを読んでいる。†地獄から舞い降りし聖なる堕天使†とかアリだな……なんて思っている事など、今の巴が知る由もない。

 

「涼夜は何て?」

 

「一過性の物で、いつか黒歴史として葬られるってさ」

 

 2人の頭の中に浮かんだ、最近は1段と妹ボケが激しいリーダーの姿。

「俺、考えたんだけどさ。俺が千聖になって、千聖が俺になったら、お互いにハッピーじゃね?」等と言われた時は、本気で病院に連れて行こうとしてしまった。

 その後の「私と兄さんの眼球と腕を片方ずつ入れ替えれば、いつでも一緒って事にならないかしら」という千聖のトンデモ発言と合わせて、日菜がドン引いた数少ないエピソードの一つだ。

 

 兄が兄なら、妹も妹であった。そんなだから、あの2人は実は血が繋がっているんじゃないかと、メンバーの間では専ら噂になっている。

 

「現在進行形で黒歴史を量産している人に言われると、説得力が皆無ですね」

 

「だから不安なんだよなぁ……。もしかしたら、このまま治らないんじゃないかって」

 

「しかし、私達では、どうする事も出来ませんからね。本人に、さっさと飽きてもらうしか方法は無いんじゃないでしょうか」

 

「やっぱそうなるかぁ……」

 

 有効な解決法が見つからなかった巴は落ち込んで、思い出したかのようにクッキーを摘んだ。

 …………そのクッキーは、紗夜が今まさに取ろうとした物であった。

 

 虚しく手が宙を掴み、思わず紗夜が巴を見る。巴はドヤ顔で、見せつけるようにクッキーを口に入れた。

 

 紗夜は激怒した。

 

 取り敢えず、後で本気の力で巴さんの脛を蹴り飛ばしてしまおう。

 

 実に恐ろしい、食べ物の恨みであった。

 

「……で、紗夜の方は?何かあるだろ、日菜だし」

 

「ええ、まあ。日菜なので当然あります」

 

 酷い認識だが、これがAfterglow内における日菜の扱いである。メンバーからは人間ビックリ箱みたいな扱いをされているから、何をしても「まあ、日菜だし」で納得されてしまうのだ。

 

「日菜が皆で海に行きたいと言ってまして」

 

「海かぁ。確かに、全員で1度は、そういう所に行ってみたいよな」

 

 海辺の街というわけでは無いから電車を使って移動する必要があるが、海は比較的に近い方である。

 

「ただ……蘭とモカは来ない気がする」

 

「同感です。あの2人とは縁遠い場所ですからね」

 

 行かない。と拒絶する未来が、イメージするまでもなく鮮明に見えた。

 

「だな。でも、ひまり辺りが説得しそうな気もするけど……」

 

「たぶん無理だと思うんですけど」

 

「だよなー。ところで良いか?」

 

「何でしょう」

 

「さっきから、アタシの狙ったクッキーばっかを食べてるのは偶然か?」

 

 ピタリと紗夜の動きが止まった。その隙を狙うように巴の手がクッキーへ伸びる。

 

「私も聞きたいことがありまして」

 

「なんだよ」

 

「さっきから、私が狙ったクッキーばかりを横から持っていくのは、偶然ですか?」

 

 今度は巴の手が止まった。クッキーの皿の上で2人の手が牽制しあっている。

 

 残るクッキーは、1枚のみ。

 

「アタシって、一応だけど紗夜に招かれた、お客さんだよな」

 

「ごめんなさいね巴さん。このクッキーは1人用なのよ」

 

 メンチの切り合いが始まった。心なしか、目からビームのような物が飛び出しているようにも見える。

 半分に割ればいいじゃん。と指摘する者は、幸か不幸か、この場に居なかった。

 

「そうか、1人用か。ならアタシが貰っても問題ないよな」

 

「その理屈だと、私が食べても問題はないですね?」

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 ガタッと椅子を引く音が同時に発生した。

 

 

 

 お姉ちゃん会議

 

 開催日程は不定期の、お姉ちゃんの集いである。なお、大体の場合は何かしらの理由でキャットファイトが発生する模様。

 

 

 

 

 ※残されたクッキーは、日菜が美味しく頂きました。

 

 

 

 

 

 

『離れても』

 

 

 

「そうか。やっぱり私立に行く事にしたのか」

 

 蘭達の卒業式にギャラリーとして出席した俺と千聖と氷川姉妹は、久方ぶりに会った蘭達と話していた。

 

「あたしは公立でも良かったんだけど、父さんがね。ダメだって」

 

「嫌われてるわね、涼夜」

 

「仕方ないな。向こうからすれば、俺は可愛い一人娘を誑かす悪い男なんだし」

 

 蘭の父さんが、俺を好意的な目で見ていないのは始めから分かっていた事だ。真っ当な親としては、俺のような変人と遊んでいて欲しくはないだろう。

 

「それで、つぐみ達も蘭のお()りで?」

 

「お()りっていうと語弊があるけど……蘭ちゃんは放っておけないから」

 

「蘭は寂しがり屋だからね〜」

 

「モカ、うるさい」

 

 蘭達は羽丘女子中学へ進学するのだという。花咲川ほどではないが、それでも中の上くらいはある。比較対象の花咲川が可笑しいだけだ。

 

「でも、今までも全員が揃いづらかったのに、別の学校に進んじまうから、今後は更に揃いづらくなるな」

 

「昔みたいには、中々いかないよね」

 

 これから俺達は、どんどん会いづらくなっていくだろう。全員に都合があるのだし、学校も違うから予定が合わない事も多くなる。

 

「まっ、なんとかなるだろ」

 

「出た。涼夜君のノープラン」

 

「いつものね、兄さん」

 

「そう、いつもの。いつも通り、殆どノープランで行こうぜ」

 

 と、そこで誰かの腹が空腹を訴えた。全員が顔を見合わせて笑い合う。

 

「あはは……まだ、お昼ご飯食べてなかったね」

 

「午後は、飯を食ってから集合だな」

 

「今日も、あたしのノーコン矯正?」

 

「直ってきたんだから良いだろ、あとちょっとだぞ」

 

 やっと幼稚園児くらいのコントロール精度になりつつある蘭。犠牲になり続けた巴の為にも、この辺りで小学生レベルにはしておきたい。

 

「よーっし。今日も頑張るぞー!えいえい、おー!」

 

 

「ひまりー?何やってんだ、置いて行くぞー」

 

「ちょっとー!!?」

 

 



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中学後編 : バンド名は、Afterglowだ!
変人たちと、その妹たち


今日は白鷺千聖さんの誕生日ですね。……ウチの千聖ちゃんには関係ないですが、推しキャラなので嬉しい限り。今年も千聖さんの公式イラストが増えてくれる事を祈ります。


 中学校といっても、所詮は近くの地区に住む小学生を集めて詰め込んだだけの箱庭みたいな物だ。

 私立のように入学者を選別するという意味合いの入試なんて物は、まだ義務教育である中学で行う事は出来ず、そんなわけだから集まる子供達もピンからキリまで……優等生から不良まで、何でも集まる見本市状態となっていた。

 

あの人が千聖先輩かぁ……噂通り、綺麗な人

 

私も、あんな風になれたらなぁ

 

芸能人みたいだよねー

 

 

 

「ねえ兄さん」

 

「内容を当ててやる。どうしてこんなに人の目を集めるのか、だろ?」

 

「凄い……大当たりよ。流石は兄さん、私の考えている事なんてお見通しね」

 

 いや、こんなの誰でも分かるわ。というツッコミを唾と一緒に飲み下し、通学路をゆっくりと歩いて行く。通学路には俺や千聖と同じ制服に身を包んだ生徒達が居るが、その全ての目が俺達に向けられていた。

 さっき小声で話していた3人は、制服のテカリ具合的に新品な感じがするから、きっと新入生なのだろう。

 

 もう1度言うが、公立の中学校はピンからキリまでの子供達をごちゃ混ぜにかき混ぜた闇鍋状態であるから、あらゆる意味で上と下の差がデカい。それは頭脳や運動神経もそうだが、当然"容姿"という項目も含まれている。

 そして、贔屓を抜きで見ても、美人と美少女を掛け合わせたような女の子に成長した千聖が、注目を集めないわけがない。

 

「だけど、なにより……」

 

「?」

 

 割と近い位置に居る千聖の体勢が原因なのだろう。腕を組んで、しかも手をガッチリと繋いでいる。

 千聖レベルの美少女が、俺みたいな中の下くらいのフツメンと、こんな親しげに歩いていれば、意識を引くのも当然といえる。

 

 そういえば、千聖に強請られるままやっている、この繋ぎ方は恋人繋ぎとかいうらしい。前に「そういえば、千聖と常にやってる繋ぎ方って名前あるのかな」と呟いた時、紗夜が呆れ気味に教えてくれた。

 

「もう何年も、その繋ぎ方をしているのに知らなかったの?」

 

 なんて言われたが、知らない物は知らないのだ。……縁遠かったし。そういう繋ぎ方が出てくるようなマンガとか見たこと無かったし。

 

「千聖が綺麗だから注目されてるのさ」

 

「あら、褒めても何も出ないわよ?」

 

 と言いつつ、やはり気分が良いのか、手を握る力が僅かに強くなり、更に密着してきて歩きづらい。

 

「事実を言ってるだけだ」

 

「ありがとう。兄さんも素敵よ」

 

「冗談よせよ」

 

「事実よ。私にとっては、他のどんな人より、兄さんの方が、ずっと素敵だわ」

 

 嘘偽りなく、本気の目をしていた。

 

「愛してるわ。たった1人、私だけの兄さんの事」

 

「……俺も愛してるよ」

 

「嬉しい……これからも、ずっと一緒よ」

 

「ああ、ずっと一緒。約束だ」

 

「ええ。約束よ……」

 

 

 

 

「…………朝から何をやっているのかしら、あなた達は」

 

 紗夜に呆れられた。後ろを振り返ると、もう待ち合わせの公園を通り過ぎていたらしい。

 

「おはよう紗夜。居たなら声を掛けてくれれば良かったのに」

 

「涼夜は、あの甘ったるい空気に割って入れと言うのね。無茶言わないで」

 

「2人とも凄かったよー。2人の周りだけ、なんか凄いピンク色だったし」

 

 日菜が言うくらいなんだから、それは相当な物に違いなく、実際に俺と千聖は周囲の目線を集めまくっていた。

 その目線の大半は「またやってるよ……」みたいに呆れ半分、悔しさ半分な物だが、悔しさの代わりに気恥ずかしさを感じている新入生も少数居た。

 

「そうか?そんなにか……?これくらいなら、別に普通だろう」

 

「うーん。流石、ウチの中学で有名な"ブラコンとシスコンの希望の星"が言うことは違うなー」

 

「その嫌すぎる称号、まだ残ってたのかよ」

 

「えー?これ以上ないくらい的確だと思うんだけど、何が気に入らないの?」

 

「星ってのが気に入らん。なんだよ星って」

 

「目立つからじゃない?だって、ことある事にイチャついてるじゃん。2人で」

 

 入学早々の自己紹介で、千聖は"兄さん以外の男の人には興味ありません"とか言ったらしく、それが理由でブラコンの称号を得た。

 俺は俺で常に千聖と一緒だし、こんな感じで腕を絡めて手を繋ぎっぱなしだし、そもそも俺も自己紹介の時に"家の千聖は誰にも渡さん"とか言ったような……。

 

 そして、こんな発言をすれば嫌でも目立つ。噂によると、学校の殆どの人が俺達の事を知っているらしい。

 

 結論:不名誉でもなんでもなく妥当だった。

 

「うっわあ……」

 

「なんで落ち込んでるのよ」

 

「否定したいけど、否定できないという事実に気付かされたからだよ……」

 

「兄さん大丈夫?」

 

「大丈夫。その気遣いが嬉しいよ」

 

 学校が近付くにつれて、周囲からの目線も多くなる。その目線の殆どが男子であるから、目当ては千聖と氷川姉妹の3人だろう。

 千聖の影に隠れがちだが、紗夜と日菜も美少女と呼ばれるに相応しい容姿をしている。そんな美少女が3人も固まっていたら……そりゃ見るだろう。第三者なら俺も見る。

 

 そんな訳で、周囲の目線を引きつけながらの通学には嫌でも慣れた。ついでに向けられる嫉妬の目線にも慣れた。

 

「今年はクラス分けが、どうなるかな」

 

「もう3年生なんだから、今年こそは兄さんと同じクラスになりたいわ……」

 

「涼夜君だけ、2年間、別のクラスだったもんねー。あたしと、おねーちゃんと、千聖ちゃんは同じクラスだったのに」

 

「ある意味で奇跡よね」

 

 2年間、俺だけ狙ったかのように別のクラスというのは、何かの悪い偶然なのだろうか。それとも、あの神様が実は操作でもしているのだろうか。

 そんな突拍子もない事を考えてしまうくらい、俺だけ除け者であった。基本2クラス合同の体育すら被らないのは流石に笑った。

 

 その所為で最初の1年は千聖が病んだ事もあったが……今はそんな事も無く、落ち着いている。

 

「…………それにしても、慣れないわね。人の波が、こうして割れるのは」

 

「あたしは楽しいよ。モーゼが海を割った時って、きっと、こんな感じだったんだーって考えられるし」

 

「そうか?……日菜の考える事は良く分からんな」

 

 学校の正門から入り、クラス分けが掲示されている場所に向かって行くと、俺達を見つけた人集りがサッと真っ二つに割れた。

 

 ──重ねて言うが、 中学校は、近くの地区に住む小学生を集めて詰め込んだだけの箱庭みたいな物だ。

 なので、大体半分くらいは俺達が居た小学校から来ていて……あそこでは俺と千聖、そして氷川姉妹は一般生徒から露骨に避けられていた。

 

 俺は単純に変人だから。千聖は俺の妹だから。氷川姉妹は妬みとか色々。

 まあ、この際、理由はどうでもいい。とにかく俺達は小学校では避けられていて、この中学校には、俺達を避けてきた小学生が多く進学してきているのだ。

 俺達の待遇が小学校の二の舞になるのに、さほどの時間は必要なかった。

 

「楽だから良いけどな」

 

「私は、兄さんとAfterglowさえあれば、他は別に、どうでもいいわ」

 

「あたしも千聖ちゃんに同じくー。おねーちゃんとAfterglowがあれば良いかな」

 

「とんだ妹達ね……否定できない私が居るけれど」

 

 この中学校でも、俺達は4人だけ孤立していた。だがしかし、4人で充実しているし、邪魔も入らない事を考えると、孤立状態も、そう悪い物ではない。

 

「そんで、お待ちかねのクラス分けは…………ッ!?」

 

 全員が絶句した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、家への帰路の途中で、俺は口を開いた。

 

「凄ぇ……全員が同じクラスだぜ」

 

 過去一番…………いや、過去10本の指に入る衝撃だった。まさか、まさか全員が同じクラスになるとは。

 

「正直、望みは薄いかと思っていたのだけれど……こんな事もあるのね」

 

「千聖ちゃんも、珍しく、はしゃいじゃうくらいだもんね」

 

「あれは……思い出したら恥ずかしくなってきたわ」

 

 あまりに嬉しかったからなのか、思わず飛び付いてきた千聖の姿は非常に珍しかった。直後に正気に戻って顔を真っ赤に俯いたのもポイントが高い。俺を萌え殺す気か。

 

「まあこれで、千聖達が休み時間の度に忙しく教室を出入りする必要が無くなった訳だ」

 

 寂しいからという理由で離れた教室まで足を運ぶ千聖と、暇だからという理由で付いて来ていた氷川姉妹。毎時間の休み時間の度にやっていた事だが、とても忙しそうで気の毒だった。

 

「正直、あれ疲れるから助かるよー。神様に感謝だね」

 

「アレに感謝すんのは止めとけ。アイツ、休暇取ってベガスに行くような俗物だから」

 

 "あー……早く休暇取ってベガス行きてぇ"という、あまりに俗物じみた発言に度肝を抜かれたので、細部のやり取りは忘却の彼方でも、それだけは今でも鮮明に覚えている。神がベガスでギャンブルとか、何の冗談だ。

 

「まるで神様に会った事があるみたいな言い草ね」

 

「あるって言ったら、どうする?」

 

「まずは頭の病院に行きましょうか」

 

 いっそ清々しいくらいの即答だったが、事情を知らなければ俺も同じ事を言っていただろう。それくらい突拍子もないんだ、あの現象は。

 

「まっ、冗談だから安心しろよ」

 

「冗談にしても面白くなかったわ」

 

「悪かったな」

 

 そんな他愛のない事を言いながら、ふと思う。蘭達は大丈夫だっただろうかと。

 

 クラス分けは万人に降り掛かる行事であり、蘭達も例外ではない。そして、5人が一緒のクラスに居られる確率というのも、そう高くはないだろう。

 だけど、蘭以外なら何とかなる筈だ。メンタルが強そうに見えて、実はクソザコメンタルな蘭が1人だけ、ピンポイントでハブられるような事にならなければ。

 

(…………完全にフラグだ、これ)

 

 家に帰ったら、電話で巴にでも聞いてみようか。もし蘭が落ち込んでいるのなら、暇を見つけて励ましてやらなければならないだろう。

 

 もちろん、これが杞憂に終わる可能性の方が高いし、俺もそうであって欲しいと思っている。

 だけど何故か、俺には蘭がハブられているだろうなという予感があった。

 

 この予感が当たっていたと知るのは、もう少し後になる。




ところで、千聖さんの誕生花はアネモネなんですが、花言葉に『儚い恋』って意味があるらしいですよ。私も今日、初めて知りました。

儚い……あっ(察し)



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夕焼けを遮る雲

ちょこっと難産。さよひなの動かしやすさを痛感した……

4/15 ひまりの「は?」を太字にしてドスが効いているのを表現してみた。


 蘭、モカ、ひまり、つぐみ、巴の5人は昔からの幼馴染である。

 

 何をやるにも一緒、何をされるのも一緒。ひまりが思いつきで突っ走り、つぐみと巴が、それを宥めて、蘭とモカが後ろから着いて行く。そんな役割分担が、自然と出来るようになっていた。

 

「パンおいしー」

 

「……これで何個目だっけ?」

 

「家を出てから4個目だね。モカちゃんは合計で8個も食べてるよ」

 

 よく食べれるなぁ……というのが、全員が思った事だった。どんなに美味しいパンでも、朝から8個も食べるのは流石にキツい。

 

「モカちん、お腹壊さないの?」

 

 そんな、あこの心配も至極当然の物だといえるだろう。

 

「へーきだよー。モカちゃんの、お腹はブラックホールなのだー」

 

「おおー!なんか良く分かんないけど凄い!ねっ、おねーちゃん!」

 

「ん?あ、ああ。そうだな……あはは」

 

 凄いか凄くないかと言われたら、凄いのだろう。だが、素直に褒めるには微妙な凄さだった。

 あこ以外の全員の苦笑いが、それを物語っている。

 

「でもモカちゃん。そんなに食べると太っちゃわないかな?」

 

「そうそう。モカ?今からスタイルのコントロールはしておかないと、後で泣く事になるよ。多分」

 

「ひまりが言うと、説得力が違うよね」

 

「……ら〜ん〜?それ、どういう意味なのかなー?」

 

 ことある事に「これ食べ過ぎて太っちゃわないかな……?」なんて言っているから、蘭の記憶に残りやすかっただけである。

 

「へーきだよ。カロリーは、ぜーんぶ、ひーちゃんに送ってるから〜」

 

「は?」

 

 初めて聞く、ひまりのドスの効いた威圧感たっぷりの「は?」だった。オイオイオイ、死ぬわアイツ(モカ)

 これはマズい。つぐみは止めに入る事を決意した。

 

「い、いやほら!きっと言葉の比喩表現みたいなものだよ!実際に、そんな事なんて出来るわけないからね!」

 

「そ、そうだよ。いくらモカでも、そんな超能力みたいな力が使えるわけないじゃん」

 

「出来たら、いよいよモカがヤベー奴になるからな!そんな事は出来ないだろ?!はははっ!」

 

 

「……だよね。流石のモカでも、そんな事が出来るわけないよね」

 

 合わせて!という、つぐみのアイコンタクトに気が付いた巴と蘭のファインプレーが功を奏したのか、ひまりは落ち着いたように溜息をついた。

 

「…………ふっふっふー」

 

「何その含んだ笑い」

 

「べっつにー」

 

 頼むから黙っててくれ。

 意味深に含みのある笑いを見せたモカに、3人は内心で、そう思った。

 

「あ……友達だ」

 

 少しの間、歩いていると、あこが遠くを歩く友達を見つけた。

 コミュニケーション能力の高さを姉から譲り受けたのか、あこは友達が多い。多少の無鉄砲なところも、親しみを感じやすい要因の一つとなっているのだろう。

 

「行くのか?」

 

「うん。……いい?」

 

「アタシに許可を取る必要は無いさ。でも、あんまり遅く帰って来るなよ?」

 

「うん!それじゃ皆、後でねー!」

 

 

「いってら〜」

 

「転ばないでねー」

 

「気をつけてー」

 

 

 

「……………………」

 

 遠ざかってゆく、あこの背中を、蘭はボーッと見つめていた。

 

「どうしたんだ?あこの背中をじっと見て、虫でも付いてたか?」

 

「いや、そうじゃなくてさ……あこにも友達は居るんだなって」

 

「蘭。お前、捉えようによっては凄い勘違いされそうな物言いしたぞ…………そりゃ居るだろ、あこは交友関係が広いからな」

 

 もう巴でも把握しきれていないくらいだ。気がついたら、あこの交友関係は凄く広くなっていた。

 それ自体は喜ばしい事なのだろうが、それが原因で変なトラブルに巻き込まれないか、巴は気が気でない。

 コミュニケーション能力が不足している蘭と、あこを足して割れば丁度いいと、巴は思わないでもなかった。

 

「そうなんだ……」

 

「落ち込む事か?」

 

「そんなこと……「蘭は年下の、あこりんにコミュ能力で負けてるのが悔しいんだよねー?」…………モカ。そこ、動かないで」

 

「いーやーだー」

 

 スタコラサッサと逃げ出したモカを追い、走り出す蘭。残された3人は顔を見合わせて笑い合いながら、先に行った2人の後を追うように走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかし、なんだ。最初はアタシ達5人だけだったんだよな」

 

「そういえば、そうだったね。すっかり忘れてたけど……」

 

 またもや限界ギリギリのラインを攻めて、死にかけの蘭とモカに歩幅を合わせながら歩いていると、不意に巴がそう言った。

 

「はぁ、はぁ……涼夜達との、日々が……濃かった、からね……」

 

「無理して喋るなって……最近になって考える事があってさ。もしアタシ達が星野兄妹や、氷川姉妹と出会わなかったら、今頃どうなってたんだろうって」

 

 小学生の時、モカが千聖に間違って抱き着いたという一件が無ければ、あの2人とは関係を持てていない。

 そして星野兄妹と関係が持てていないという事は、巡り巡って氷川姉妹との関係も無いという事だ。

 

 もしそうなったとしたら、自分達はどうなっていたのだろう。そう巴は考えていた。

 

「そんなこと考えてたの?」

 

「この前までは春休みだったから全員が何とか集まれたけど、普段は難しいだろ?それで暇だからさ。つい考えちまった」

 

 全員に予定があるだけでなく、涼夜達は3年生──つまりは受験生である。

 才能の塊な氷川姉妹や、実は地頭が非常に良い千聖は余裕があるが、前世の経験というアドバンテージが無ければ、地頭は悪い方な涼夜は今から頑張っていた。

 

 そんな理由で集まりづらい最中、暇になった巴が考えたのだった。今とは異なる自分達が歩んだ歴史が、どんな物かを。

 

「皆で考えてみる?どうせ学校に着くまでは暇なんだしさ」

 

「いいと思うよ」

 

「でも……想像が、つきませんな〜」

 

「……今とは違う、あたし達か……」

 

 ひまりの提案で、全員がifの可能性を想像し始めた。もしもの話、十二分に有り得るだろう未来の話を。

 

「うーん……間違いなく、交友関係は狭くなってるよねぇ」

 

「最低でも4人分は少ないよね。涼夜君と、千聖ちゃんと、紗夜さんと、日菜ちゃんで」

 

「蘭は、さーやとも知り合いにはならないよねー。あたしとか、つぐやトモちんは兎も角、蘭はパンを買いに商店街までは来ないでしょ?」

 

「そうだね。わざわざ行かないし、沙綾とは知り合わないかも」

 

 想像するだけならタダだ。5人は様々な可能性を好き勝手に語り合う。

 

「逆に、私達と出会わなかった星野兄妹はどうなるんだろう?」

 

「……もう兄妹じゃなくなってるんじゃないか?」

 

「あっ……そっかあ」

 

 思い出したら、もう治っている筈の頬の痛みが、ぶり返したように感じられた。あの時に感じた痛みは今でも鮮明に覚えている。

 

「そういえば、そうだったね……」

 

「大喧嘩でしたなー」

 

「そうなると、千聖は…………この話は止めよう」

 

 蘭の言葉に逆らう者は誰も居なかった。

 どんよりと暗くなった空気。それを無理やり変えたのは、つぐみの言葉だった。

 

「じゃ、じゃあ紗夜さんと日菜ちゃんはどうなんだろうね!?」

 

「あの2人は……変わんないんじゃないかな」

 

「日菜は何処でも変わらず、おねーちゃん大好きって言ってそうだよね」

 

「紗夜も今と変わらないんじゃないか?話してると分かるけど、何だかんだ言って、妹の事が大好きだからな」

 

「そういえばトモちんは、お茶会に招かれる仲でしたなー」

 

 言うまでもなく、お姉ちゃん会議の事である。

 

「まあな……お茶会っていうより、じゃれあいなのは黙っとくか

 

「巴、何か言った?」

 

「いや、何も。それよりほら、もう着くぞ」

 

 校門に雲梯が付いている、と専ら評判な羽丘女子学園の中等部の校舎が見えてきた。

 

「校門のオブジェさ、雲梯って聞いてから、そうとしか見えなくなったんだよな」

 

「何を思って、こんなデザインにしたんだろうね……?」

 

「止めてよ。もう雲梯にしか見えないじゃん」

 

「ぶら下がれるかなー」

 

「モカ、やらないでよ。……フリじゃなくて、本当に」

 

 そうこう言っている内に、クラス分けの紙が貼られている掲示板に人が集まっている場所に、たどり着いた。

 2年生全員分のクラス分けが貼り出されているとあって、物凄く混みあっている。

 

「この人混みで探すの……?」

 

「……頑張ろう、蘭ちゃん!」

 

 もう嫌な顔を隠さない蘭を励ましながら、つぐみ達は自分の名前を探し始めた。

 

「こっちには無い、かな……つぐ?そっちはどうだ?」

 

「こっちにも無いかな……モカちゃん?」

 

「無いでーす、つぐ隊長ー」

 

「た、隊長?」

 

 自分達の名前を探しながら、まるで受験の合格発表を待つ学生のような気持ちになっていた。

 そんな中、ついに見つけたと声が挙がる。

 

「あったよ!名前!」

 

「でかした!ひまり!」

 

 人の波を、かき分けて5人が集まる。ひまりが指さした方向には、確かに見慣れた名前が載っていた。

 

「つぐと、私と、巴と、モカと……」

 

「4人同じか、やったな!これもアタシ達の幼馴染パワーの賜物だ!」

 

「後は蘭で、ロイヤルストレートフラッシュだね〜」

 

「な、なんでロイヤルストレートフラッシュ?」

 

「なんかカッコイイじゃん?」

 

 4人が割り振られたB組の名前一覧を、5人は食い入るように見つめて、そして気が付いた。

 

「……蘭の名前、ある?」

 

 ──気まずい沈黙が訪れた。

 

「……つぐ、どうだ?」

 

「……モカちゃん?」

 

「…………ひーちゃん?」

 

「……巴?」

 

「……つぐ?」

 

「……モカちゃん?」

 

「……ひーちゃん?」

 

 以下、無限ループである。誰も蘭の方を見る事が出来なかった。それくらい気まずかったのだ。

 

「……………………」

 

 蘭の目は、死んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よりによって、蘭だけ別のクラスなんて……」

 

「じょ、冗談じゃ……!?おいマジかよ、夢なら覚め……!」

 

「巴ちゃんがバグっちゃった……」

 

「それくらいの衝撃だったって事ですなー」

 

 放課後の帰り道、落ち込む蘭を中心に置いたインペリアルクロスの陣形で帰宅中である。

 

「ま、まあ、ほら!A組とB組なら、体育の授業とか一緒だから!教室も近いし、お弁当も一緒に食べられるよ!」

 

「そ、そうだよ蘭!まだ落ち込むには早いって!」

 

「…………………………………うん」

 

 あっ、アカン奴だコレ。

 長い付き合いから来る経験で悟ってしまった4人が、アイコンタクトで作戦を練ろうとした。

 

(よく考えたら、この陣形ってアタシ達4人が蘭を煽ってるようにも見えないか?)

 

(どどど、どうしよう!?)

 

(ちくわ大明神)

 

(助けて皆ーーっ!)

 

 見事なまでに噛み合わなかった。自慢の幼馴染パワーは、誰か1人が欠けると途端に機能しなくなるようだ。

 

「ほら、私達でA組には毎日遊びに行くからさっ!だから、大丈夫大丈夫!」

 

「ん…………そうだね」

 

 明らかにショックを受けている蘭を見て、4人は不安そうに顔を見合わせたのだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「ああー……恐れていた事が現実になっちまったか」

 

 施設に俺を指名する電話が掛かってきたと聞いて出ると、相手は巴だった。まさかと思って話を聞いていると、どうやら俺が恐れていた通りの事が起こってしまったらしい。

 

『何とかならないかな?』

 

「と言われてもなぁ……クラス分けに介入する事なんて出来ないし、そもそも俺達は学校も違うしな」

 

『そうなんだけどさ……でも、あんな蘭を見るのは初めてだから、何をしてやれば良いのか分からなくて』

 

 巴の言いたいことは良く分かる。対人能力には色々と難のある蘭が、知り合いが誰も居ない環境に置き去りにされたのだ。友人として心配するのは当然だろう。

 

「だから俺に白羽の矢が立ったって事か?」

 

『そうなんだよ。2年間も一人ぼっちだった涼夜なら、蘭にも適切なアドバイスが出来ると思ったんだ』

 

「まあ、確かに……」

 

 しかも蘭とは違って、最初から変人認定を受けて避けられていたから、状況は蘭よりも悪かった。……我ながら、なんて状況で2年間も学校生活を送ってきていたのだろう。

 

「と、言ってもな。蘭が新たに友達を作る可能性もゼロではないし、少しだけ様子を見てから判断しないか?

 無論、何かあれば、すぐに動くけどさ」

 

『……そうだな、まだ何も始まってないんだ。今焦っても仕方ないか』

 

 言ってて「ねーよ」とは思うが、可能性はある。もしかすると、A組にはヤバいレベルでコミュニケーション能力が高い奴がいて、蘭と友達になってくれるかもしれない。

 そんな奇跡は無いとは思うが、すぐに動くほどでもないだろう。

 

「こっちも動けるように準備はしておく。何かあったら連絡くれ」

 

『分かった。じゃあな』

 

「ああ、じゃあな」

 

 受話器を置いて、これからの対応を考える。十中八九、これから精神が病むであろう蘭のためにも、どうにか元気づける方法を見つけなければ。

 

 



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美竹蘭の憂鬱

 

「はあ…………」

 

 朝。蘭にとっては、ただでさえ憂鬱な時間だ。モカほどではないが、蘭は寝起きが悪い。

 寝起きが悪い人なら分かるだろう。朝に起きてしまった時の憂鬱というものを。

 

 だが、目覚めるなり深い溜息を吐いた蘭の今の気持ちは、寝起きが悪い事とは何の関係も無かった。

 寝起きで、まだハッキリとしない脳内に最初に浮かんだのは、自分1人だけが別のクラスに分けられたクラス分けである。

 

「…………学校…………」

 

 乾いた口の中を唾で潤しながら、蘭は、去年までは思いもしなかった事を口にした。

 

「…………行きたくないな」

 

 再び布団に倒れ込む。手で目を隠しながら、蘭は自分の憂鬱が、胸の中で大きくなっていくのを感じていた。

 

 分かっている。たかが1年、クラスが離れただけだ。一生の別れではないし、これで友情にヒビが入る事もないだろう。あの4人が、そんな程度の薄情な奴ではない事を、蘭は良く分かっている。

 だけど、そんな誤魔化しで元気が出るほど、蘭は単純ではなかった。

 

(涼夜は、どうやって耐えてたんだろう)

 

 あの孤独感に2年も耐えていた涼夜は何なんだろう、とさえ思っていた。蘭にとっては、根性なんかで耐えられるような物ではなかったのだ。

 更に言うなら、周囲のクラスメイトが、皆、クラス内に友達がいるように見えたのも、蘭の孤独感を助長していた。

 

(……このまま、サボっちゃおうかな)

 

 心の弱音が、甘美な誘いとなって蘭に語りかける。 このまま、再び眠りの闇へと堕ちていけたのなら、それはどれほど幸せな事なのだろう。

 だが、弱音を吐く心とは裏腹に、身体は既に覚醒しきってしまっていた。眠気は完全にトんでしまっていて、到底、二度寝が出来るような状態ではない。

 

 それに何より、蘭の父親が許す筈がない。厳格な父の事だ、蘭のサボりを許しはしないだろう。

 誤魔化せる自信も無くはないが、それは一時的な逃げに過ぎない。根本的な解決が必要だった。

 

「…………………………はぁ」

 

 重苦しい溜息の後に、ふと視線を動かすと、机の上に置かれた写真立てが目に入った。

 蘭達の卒業式の時に、Afterglowのメンバー総勢10名で撮った、記念写真だ。

 

 日菜が紗夜に飛びついている。あこが真似をして巴に飛びついている。つぐみと、ひまりはピースサインをしている。モカは蘭に抱き着いているし、涼夜は千聖と恋人繋ぎで寄り添っている。

 

 全員が少なからず笑っている中で、蘭の表情だけが、ぎこちなかった。

 

「あたしだけ、か」

 

 吐き捨てるように呟かれた言葉には、暗い想いが込められていた。

 

 

 それから5分もしないうちに、蘭は身体を起き上がらせる事になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初対面、あるいは付き合いが浅い人から見れば、蘭という人間は非常に取っ付きづらい。

 

 良く言えばクールな蘭の表情変化の乏しさは、悪い意味合いに置き換えれば、何を考えているのか分からないという事である。

 更に、蘭の口下手な所も災いしてしまっていた。ぶっきらぼうな蘭の言葉は、初見の人には些か厳しい物があるのだ。

 

「あっあの、美竹さん!」

 

「……なに?」

 

 女子生徒は怯んだ。あそこでグーを出せば良かったと内心で思いつつも、役目を果たす辺り程度には律儀であった。

 

「あの……次、移動教室だから……その………」

 

「……そっか。ありがと」

 

 この間、蘭に一切の表情変化は無い。ついでに言うなら、口調も若干固い物になっていた。

 これは蘭が対人に慣れていない事と、原来の口下手さが融合した結果から生じたものだ。4人のうち、誰か一人でも居れば補足説明が入っただろう。緊張してるだけだ、と。

 

……美竹さんって、やっぱりちょっと怖いよね

 

うん……ちょっと、取っ付きにくい感じするよね

 

 だが悲しいかな、ここには4人は居らず、そして人は表面に写った物でしか判断が出来ない生き物なのだ。

 女子生徒達の評は、今の蘭の状態を正しく言い表していた。

 

「…………」

 

 もう帰りたくなってきた。嫌になりながら荷物を纏めて、移動する為に教室を出たのは、蘭が最後だった。

 

 移動教室へと向かう最中、段々と蘭の足取りが重くなる。さっき言われた言葉が、こだまのように蘭の頭の中を乱反射していた。

 

 やがて、階段の踊り場で完全に蘭の足が止まる。この先の角を曲がれば教室だが、蘭の意識は階段の方へと向いていた。

 

「…………」

 

 階段の下を見た。下は保健室や、職員室などの教員が詰める場所が多い。

 一瞬、保健室へと向かおうかと考えたが、先生を通して両親に話が行くのも面倒だ。父親にグチグチと小言を言われるのは真っ平後免である。

 

 となると、残るのは上しかない。だが上にあるのは、別の学年の教室くらいしか……

 

「……空」

 

 いや、もう一つあった。それも、今の蘭にピッタリの場所が、1箇所だけ。

 蘭はチラッと一瞬だけ教室の方を見たかと思うと、階段の方へと向き直って、ゆっくりと階段を登り始めた。

 

 その足取りに迷いは無かった。

 

 

 カッカッという上履きで床を踏みしめた音が、静まり返った廊下や階段の空間に響き渡る。

 今この瞬間、世界には蘭しか居ないんじゃないかと錯覚させられるような静けさだった。

 

 やがて一つ上の階へと到着する。

 だが、蘭の目当ては此処ではない。目当ての場所は更に上だ。

 

「はっ、はっ……」

 

 気持ちが急いているのだろう。自然と足が早くなり、それに伴って息も上がる。

 誰かに見つかるんじゃないかという不安が、自然と蘭の足を早めていた。

 

 

 階段は永遠には続かない。この学校の最上階から、更に上へ。普段は清掃員しか来ないような行き止まりの場所に一つの扉がある。

 その扉は、屋上へと通じていた。

 

「…………まあ、そうだよね」

 

 ドアノブに手を掛けて前後に動かす。当然のように鍵が掛かっていた。

 

 此処、羽丘女子は近年では珍しく、生徒が屋上を使用することが認められている学校である。

 是非については様々な意見が交わされている屋上使用の許可であるが、流石に授業中の時間まで解放されている訳ではなかったようだ。

 

「仕方ないのかな…………あ?」

 

 諦めて此処で時間を潰そうかと思った時、微かな風が吹いてくる事に気がついた。

 蘭が風のする方を見れば、そこには窓があった。一般家庭にあるような左右開きではなく、いわゆる横すべり窓と呼ばれるタイプの物だ。

 

「窓が開いてる……」

 

 隙間は結構な余裕があり、蘭であれば、くぐり抜けられそうなくらいだった。

 そして近くには、もう使われなくなったのか、一つだけ机が置かれている。これを足場にすれば、屋上に出られそうである。

 

(……やってみよう)

 

 どうせ、サボりである事に変わりはなく、それで怒られる事も変わらないのだ。だったら、そこに罪状が一つ増える程度を、恐れる事があるだろうか。

 

 蘭は音を立てないように、ゆっくりと机を運んでから、机を足場にして窓から屋上へと出る事に成功したのだ。

 

 

「よいしょっと……」

 

 ギィィ……という軋むような音と共に屋上へ出た蘭を、所々に雲がある青空が出迎えた。過去に誰かが、蘭のようにサボりに来ていたのだろう。屋上側にも机が置いてあった。

 まだ春先だからか、少し強い風がブレザーの袖や裾を靡かせる。

 

 屋上からの眺めは相当良く、商店街や、その先のビル群まで見渡せるくらいである。そのため、お昼時になると多くの生徒が昼食を食べに此処に来る、羽丘女子の人気スポットなのだ。

 

 そんな理由で、普段は人が多い屋上には、今は蘭しか居なかった。

 人1人に与えられるには過剰すぎる広さの空間を見ていると、なんだか沈んでいた心が落ち着いてくる。

 

「あたしだけか……」

 

 少なくとも今は、この空間を蘭が好きに使える。誰の邪魔も入る事なくだ。

 こうして1人で居ると心が落ち着く辺り、やはり自分には大人数での集団行動は似合わないのだという事を自覚させられる。

 色々と融通が利いて好き勝手できるAfterglowはまだしも、学校のように秩序を重んじるような集団は、蘭には合わない事を肌で感じていた。

 

「落ち着く……」

 

 授業が終わるまでの間、蘭はずっと屋上で時間を潰していた。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「…………やっぱり、最近の蘭は落ち込んでるよな」

 

 放課後の帰り道。巴、ひまり、つぐみの3人の話題は、蘭についてだった。

 

「うーん……まあ、以前と同じ様子って訳にはいかないよねぇ……」

 

「それはそうだけど、それを差し引いても様子がおかしいよ」

 

 つぐみの言葉に反応して、そういえば、と思い出したように巴が言葉を紡いだ。

 

「……蘭の様子がオカシイ事に関して、A組の友達から気になる話を聞いてさ。蘭が、たまにフラっと何処かに行って、授業に出ないって話を聞いたんだ」

 

「具合が悪いとか……じゃないのかな?」

 

「アタシも最初はそう思ったんだが、どうやら保健室には居ないらしい」

 

 フラっと何処かに行って授業に出ないと聞いた時、真っ先に思い浮かんだのは保健室だった。

 保健室はサボり魔達が集う、たまり場のような場所としての役割も持つようになっていて、羽丘女子中等部にも一定数いるサボり魔な女子達は、大体そこに居る。

 

 だが、そこには居ないという。ならば何処なのか、巴達には検討がつかなかった。

 

「それじゃあ、どこに行ってるんだろう?」

 

「分からない。モカも知らないらしくて……」

 

 蘭の事なら、殆どを知っているモカが分からない事を、3人が知っていた事は今までに無い。

 完全に手詰まりだった。

 

「……じゃあ。明日、直接聞いてみるしかないよね」

 

「やっぱそれしかないかぁ……ひまり、モカにも話をしておいてくれ」

 

「いいけど、蘭が口を割るかなぁ……?」

 

 結局のところ、本人から聞くのが1番手っ取り早い。実際に話してくれるかは兎も角として、取り敢えず、やってみようと3人は決めた。

 

 

 そして翌日、金曜日。

 朝は5人での登校である。あこは、最近になって新しく出来た友達と通学するとかで、先に家を出ていた。

 

「よっ、おはよう蘭」

 

「おはよー」

 

「おはよう、蘭ちゃん」

 

「おはよー、蘭」

 

 

「ん、おはよう」

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 会話が途切れた。普段なら、ここから誰かしらが話題を振る筈なのに、今日は誰1人として話そうとしない。

 結果として、いつもの5人らしからぬ沈黙の朝となってしまっていた。

 

(おいおいおい、誰か喋れよ)

 

(巴が聞いて、ちょっと巴!)

 

(ちくわ大明神)

 

(ま、またこうなるの?!)

 

 やはり、幼馴染パワーは機能していない。もはや(笑)が付いてしまうレベルのパワーだった。

 

 残る3人からの視線の圧力に負け、巴が漸く話を切り出した時には、既に学校まで3分程度の場所まで来てしまっていた。

 

「……あ、あのさ、蘭……」

 

「なに?」

 

「そ、そのさ……最近は、なんか困ってる事とか無いか?」

 

「困ってる事?…………別に無いけど」

 

 何言ってんだコイツ、とでも言わんばかりの目を向けられた、巴の心は早くも折れそうになっていた。

 

「そ、そっか……それなら良いんだ……あ、あはははは……」

 

「巴、頭でも打った?凄い変だよ?」

 

「打ってはいないぞ!でも、確かに変かもな……あははー………はぁ」

 

 今の蘭にだけは言われたくない。と巴は内心で思いながら、しかし、曖昧な笑みで誤魔化す事しか出来なかった。

 

「あちゃー」

 

「巴ぇ……」

 

「蘭ちゃん、大丈夫かなぁ……?」

 

 こういった出来事に不向きな巴に任せた失敗を確認しながら、蘭への疑念と不安感は、ますます増していくばかりだった。



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メタ○ギアモカちゃん


パスパレのアニメ化が決まってハイテンションになっている今日このごろ、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
今話は

長い
(話の展開が)遅い
(見どころが)無い

三拍子揃っているのは、この話しかないだろう。そんな感じです。だって原作でいうところの第2話が終わってないんだぜ……?




「結局、何も話してくれなかったねー……」

 

「……そうだな。蘭は思ってる事を中々言わないで、溜め込むタイプだからなぁ」

 

 B組の自分の机に突っ伏しながらの、ひまりの言葉に巴は頷いた。蘭が、どちらかと言えば溜め込む性質である事は良く分かっていた。

 

「モカちゃんは何も聞いてないんだよね?」

 

「聞いていたら、真っ先に報告してるよー」

 

「だよねー……」

 

 蘭と最も仲の良いモカが何も聞いていないという事は、つまり誰にも話していないという事と等しかった。

 3人が知らなくてモカが知っているという事は過去にあっても、逆のパターンは今までに無かったからだ。

 

「あーんもう!なんかモヤモヤする!どうすればいいんだろ〜?」

 

「どうすればって、アタシ以外の誰かが直接聞くしか……」

 

 巴が言えたのは、そこまでだった。何故なら、言葉を遮るようにチャイムが鳴ったからだ。

 

 

 ─キーンコーンカーンコーン─

 

 

『えっ?』

 

 

 いつの間にか時間は過ぎ去ってしまっていたらしい。クラス内にいるのは、巴達だけであった。

 

 しかし何故、他のクラスメイトは居ないのだろう?

 疑問符が浮かんだ直後、次がなんの授業だったのかを思い出した、つぐみの顔が次第に青くなっていく。そして恐れるように言った。

 

「そ、そういえば……次の授業って科学室だったような……!」

 

 ヤバい、と思考が一致した。

 

「し、しまった!?あの先生、キレるとヤバいんだ!」

 

「うああ!急がないと〜〜!」

 

 顔を真っ青にして素早く準備を終え、巴、ひまり、つぐみの3人は走り出した。

 考え事に熱中するあまり、他の事に目がいかなくなるのは直した方が良いんじゃないのかな。モカは心の中で呟いた。

 

「いってら〜」

 

 モカの事など目もくれずに教室から飛び出した3人の背中に、そう声を掛けたモカは慌てた素振りを見せない。

 

 3人の足音が遠ざかるのを確認してから、モカは何も持たないで椅子から立ち上がった。

 

 

「……さてー。お姫様を探しに行きますか」

 

 モカは最初から、この時間の授業に参加する気は無かった。何故なら、移動教室である、この時間を使って蘭を探そうと考えていたからである。

 

 モカは巴達が走って行った方向とは反対側へと歩き出した。そちらにはA組の教室があるのだ。

 

(気分は蛇さんだなー)

 

 あのゲームはモカもやった事がある。スッと身を屈めて、足音を出来る限り消して、気分だけは蛇だ。

 まず最初に向かったのは、隣にあるA組の教室である。

 

(蘭はー……授業には出てなさそうかな)

 

 チラッとA組の授業風景を見た限りでは、蘭の姿は見られなかった。やはり、授業には出ていないようだ。

 金曜日の1時間目が蘭の嫌いな授業である事は既にリサーチ済みだったから、まあそうだろうな。としか思わない。

 

(此処じゃない)

 

 最初から期待はしていなかったが、そうなると捜索範囲は一気に広くなる。

 校舎の何処かに居るであろう蘭を、巡回する教師の目を掻い潜りながら見つけ出さなければならない。

 

(これはいよいよ、蛇さんみたいな任務になってきましたなー)

 

 モカは中腰になりながら、蘭を探しに校舎内を、うろつき始めた。

 

 

 だが、闇雲に探していては埒が明かない。校舎は広く、時間は有限だからだ。

 

 先ずは学内のマップを思い浮かべながら、モカは蘭が居るであろう、おおよその場所を予測してみる。

 

(まず人目の多い場所には居ない筈。蘭は見つかりたくないだろうから、人目を避けるように動くよね)

 

 大まかに蘭の考えを模倣したモカは、教室が多い東側の校舎には居ない筈だと予想を立てた。

 

(となると、蘭が居そうなのは……)

 

 中等部の校舎は、教室が密集している東側の校舎と、実験室などがある南側の2つに別れている。

 

 それならば、比較的人目の少ない南側に居るだろうと、モカは考えた。

 

 

「……行ってみますか〜」

 

 

 教師に見つからないように慎重になりながら、モカは南側の校舎へ移動する事にしたのだ。

 

 

 

 

 途中で何度か教師の目を誤魔化しながら、モカは南側の校舎と東側の校舎の境目にやって来ていた。

 

 その境目から南側には家庭科室がある。

 

 

(ほうほう、実習中かあ。……お腹減ったな)

 

 家庭科室は実習で使っているみたいだった。何を作っているのかは知らないが、兎に角いい匂いでモカのお腹を減らす。

 

 まだ1時間目なのに空腹を促す卑劣な罠であった(モカ目線)。

 

(でも、蘭はこの階には居なさそうかなぁ?)

 

 南側校舎に入ってすぐの場所に家庭科室はある。人が多く集まる場所で、何かの拍子に見つかるリスクのある家庭科室の横を通るかと言われれば、疑問符が付くだろう。

 

(そう考えると、あたしも此処には居られないか……)

 

 

 急いで家庭科室の側を離れると、離れて少ししてから扉を開けるガラッという音が廊下に響いた。

 

(ーーっ。危なかった……もう、心臓に悪いよ)

 

 心臓がドンドンと強く脈打っていて、呼吸も少し上がっている。

 まだ少ししか時間は経過していない筈なのに、どうして長い時間が過ぎたように思えるのだろう。

 

 階段を使って一つ上の階へと上って行くと、上ってすぐの所に『科学室』というプレートが掲げられた教室がある。

 

(科学室……トモちん達は上手く誤魔化してるかなっと)

 

 そういえば、巴達はどうなっているのだろうか。

 興味が湧いたモカは、周囲に気を配りながら聞き耳を立てた。

 

 

『──おい。青葉はまだなのか』

 

『も、もうちょっとで来る筈ですよ!多分……』

 

 ざわめきの中からモカの耳が最初に聞こえたのは教師の声。次に聞こえたのは、ひまりの焦ったような声だ。どうやらモカの事を話しているようである。

 

『それで15分も経過しているんだが?まさかサボりじゃないだろうな……』

 

『ほ、保健室とかじゃないですかね!?頭痛が痛いのかもしれないですし!』

 

『頭痛が痛いって、お前な……』

 

 多分ひまりも混乱しているのだろう。ボケなのか本気なのか判断に困る発言は教師を困惑させているようだった。

 

(トモちん程じゃないけど、ひーちゃんも誤魔化すの下手だよね〜)

 

 Afterglowで平然と嘘をつける人は、あまり多くない。ひまりや巴は真っ直ぐな性格をしているが、それ故に嘘をつくのが苦手だ。

 逆にモカや日菜、星野兄妹は平然と嘘をつける。罪悪感うんぬんは置いておいて、それが出来るのは密かな長所だとモカは思っていた。

 

『それにしても、遅刻やトイレというのにも限度がある。……保健室に行ってみるか?』

 

 

(おおっと、これはヤバめな予感)

 

 このまま此処に居るとヤバい感じがしたので、聞き耳を立てるのを止めて素早く科学室から離れる事にした。

 

 階段を上って一つ上の階へ移動しながら、モカは少し焦りを感じ始めていた。

 

(結構探した筈なんだけどなー……一体どこに居るんだろ)

 

 誰にも見つからずにサボれる場所なんて、モカが知っている限りでは本当に限られている。しかし、その何処にも蘭が居たという報告は聞いたことがない。

 つまり、蘭はモカの知らないサボり場所を見つけた事になる。そして、もしそうだとするのなら、蘭を見つけ出すのは困難であると言えた。

 

(これは相当な難題で……お?)

 

 

 

 階段を上り、角を曲がったところで、廊下の向こう側から足音が聞こえる。モカのように音に気をつける事もなく、堂々とした足音が静かな廊下に良く響いた。

 

(まっず……)

 

 そこからのモカの行動は素早かった。手早く上履きを脱ぐと、靴下のみで素早く来た道を引き返して、角を曲がった辺りで息を潜める。

 靴下のみで廊下を歩くと、上履きで歩く時よりも音が更に抑えられる事は、1度でも靴下で廊下を歩いた事がある人なら分かる事だろう。

 普段は使わないスキルだが、足音の主から逃れるには必要だと判断したのだ。

 

 足音の主が誰なのかは、おおよそ検討がついていた。授業中という時間に、こんな大々的に動ける人なんて限られている。

 保健室に向かう生徒という線も無くはないが、この廊下は保健室へ向かうルートから外れている。その線は薄いだろう。

 そして、今のモカのようなサボり魔であるのなら、もう少し足音には気を使う筈だ。

 

 

 それ以外に授業中に目立つ足音を出しても問題のない人間といえば、それは……

 

「……今、確かに足音がしたんだが……」

 

(──教師!)

 

 

 それは、教師を置いて他に居ない。

 

 このスニーキングミッション始まって以来のトラブル発生だった。

 

(しかも、よりによって体育教師かぁー……)

 

 教師と鉢合わせたというだけでも運が悪いのに、更に運が悪い事に、巡回していたのは厳しい事で有名な男の体育教師だった。

 

 クマのような体格をしているクセに、やけに俊敏に動く事から付いた渾名は『ランニングベアー』

 

 やたらと熱血推しな事から、生徒の間では「男子校と女子校を間違えて来た」とか言われている男だ。

 

 野田(のだ) 吉尾(よしお)。現在29歳、彼女募集中である。

 

「何処だ、何処に隠れている……」

 

(どうしようか……)

 

 もちろん、このまま捕まってやる気などない。だが、異常な感覚器官を持つ野田を相手に、逃げ切れる気がしないのも事実だった。

 上履きを履いていたとはいえ、僅かな足音すら聞き逃さない異常な聴覚は、使い所を絶対に間違えていると思いながらモカは階段まで撤退する。

 

 

 一度見つかってしまえば、モカに逃げ切れる訳がない。それに加えて、野田は間違いなく援軍を呼ぶだろうから、見つかる訳には絶対にいかない。

 

(だけど、逃げるには耳を誤魔化さないと)

 

 移動する足音を頼りに追跡されている現状。何か別の物音で気を引かなければ、振り切るのは難しそうだ。

 

(何か、何か……)

 

 モカの目は、廊下に設置されているペットボトルキャップを入れる容器に注目した。

 迷うヒマ無く、そこから一つだけ抜き出すと、急ぎ足で階段を上って一つ上の階へ。

 

 そこからペットボトルのキャップを、手すりの隙間から一階へと落とした。

 

 

 

 ──カツーン

 

 

「今の音は……?!」

 

 落下の勢いで音が響き、教師の気を引けたようだ。

 

(……今度あのゲームをやる時は、空マガジンもしっかり使おう)

 

 教師が階段を下って行く足音を聞きながら、モカは素早く動き出した。

 

 もう、一刻の猶予も無い。早く蘭を見つけ出さなくては──

 

 

「なにしてんの?」

 

 

 ヒュッと呼吸が止まりかけた。心臓が飛び跳ね、バクバクと脈打つ。

 

「〜〜〜〜ッッッ!?」

 

「いや、そんなに驚かなくても……」

 

 

 背後に、いつの間にか蘭が立っていた。

 

なんだ蘭かぁ……ビックリしたなーもー

 

「それより、モカは何で此処に?今は授業中の筈じゃあ……」

 

 

「ペットボトルのキャップ……?おい、上に誰か居るのか!」

 

 下からの声に、蘭の顔が引き攣った。思わずモカの方を見ると、モカは蘭の足元を指さして言う。

 

蘭、上履き脱いで。靴下なら、かなり足音を誤魔化せるから

 

……分かった。ついて来て

 

 ここで捕まるなんて後免だ。

 

 モカは蘭に導かれるまま、上の階へと駆け上がり続けた。

 

 

 

 

 

 モカが連れてこられたのは、屋上へ通じる扉がある行き止まりだった。モカが覚えている限りでは、授業中は屋上は解放されていない筈だが……

 

ここから抜けるよ

 

わーお……

 

 横の窓から屋上に出るルートは、流石に予想出来なかった。慣れた様子で抜けていく蘭の後を追ってモカも屋上へと出る。

 この時の様子から、蘭が屋上でサボっていた事をモカは確信した。

 

「こっち、急いで」

 

 上履きを履き直したモカと蘭は、給水塔の前に小走りで移動した。

 

「鍵かかってる……」

 

 当然だが、いくら屋上が解放されているといっても、フェンスより高い場所にある給水塔へは生徒の立ち入りは許可されていない。

 そして立ち入りを制限する為に、南京錠で鍵をかけられている金網で作られた扉があるのだ。

 

 モカはもちろん鍵など持っていない。だから蘭に、どうするつもりかと聞こうとして、目を疑う光景を見た。

 

「速開けは、やった事ないけど何とかなる筈……!」

 

 蘭がポケットから何か針金のような物を2つ取り出して南京錠の前でカチャカチャやり始めたのだ。

 なんか、こういうシーンをゲームやアニメで見た事がある。

 

「ピッキング……!?蘭、いつの間に、そんな技術を?」

 

「ただの趣味……よし、開いた!」

 

 冗談でも何でもなく、マジで開いた南京錠にモカは驚きを禁じえなかった。

 それと同時に、だけど、なんで蘭は趣味でピッキングなんて習得してるんだろう。という疑問が脳裏に飛来してきていた。

 

「給水塔の下にスペースが有るから、そこに隠れてて」

 

「蘭は?」

 

「コレ付け直したら、すぐに行く」

 

 疑問は湧いたが、聞くのは後だ。モカは急いで梯子を登る。チラッと蘭の方を見ると、蘭は金網の隙間から指を使って南京錠を元通りに付け直しているようだ。

 

 梯子を登りきると、確かに給水塔の下に人が潜り込めるスペースがある。

 モカが潜り込んで少ししてから、蘭も登ってきた。

 

「蘭……」

 

「モカ、静かに」

 

 蘭の指がモカの口元に当てられた。言われるがままに口を閉じていると、屋上へ通じる扉がガチャガチャと騒ぎ出す。

 

誤魔化せるか……?

 

 

 祈るような言葉。

 

 少し待つと、ガチャガチャという音は止まった。

 

 モカは心の中で安堵の溜息を吐いた。一先ずの脅威は去ったと思ったからだ。

 だが横では、蘭は目線を厳しくしたまま、モカの口元から指を離さない。

 

ここで屋上から脱出するべきか……いや、脱出してる最中に鉢合わせなんてしたら最悪だし。教師が引き返して来ない保証も無いか

 

 蘭とモカは、給水塔の下から動かないで暫く待った。

 

 すると程なく、再び下の扉がガチャガチャと騒ぎ始めた。

 だがこのガチャガチャは、さっきのような荒々しい物とは違って、何処か落ち着いた物だ。

 

誤魔化せなかったか……!

 

 今回のガチャガチャ音が扉の鍵を開ける音だと気付いたのは、扉が開かれた音がモカの耳に入ってからだった。

 

「本当に居るんですか?」

 

「ええ、居るはずです。こっちの方向に逃げる足音を聞きましたから」

 

 

(バレてたの……!?本当に野生動物みたい)

 

 極力抑えたつもりの足音は、努力も虚しく聞き取られていたようだった。どれだけ聴力が良いんだとモカは内心で毒づく。

 

「はあ……そうなんですか。ですが、誰も居ないようですよ?」

 

 もう片方の声は、温和な性格で生徒からの人気も高い、学年主任の先生だろう。

 蘭とモカは身動ぎ一つしないで、嵐が過ぎ去るのを待っていた。

 

「何処に隠れている……?おい、さっさと出て来い!」

 

「野田先生、声を抑えて下さい。まだ授業中ですので」

 

「あ、はい。すいません……」

 

「とにかく、手分けして探しましょうか。野田先生は向こう側を、私はこちら側を探します」

 

 

 足音が別れた。蘭から遠ざかる足音は荒々しいから、恐らく野田の物だろう。そうなると、逆に向かってくるのは、学年主任の先生だ。

 

(見つかりませんように……)

 

 ガシャガシャと給水塔に続く扉が揺らされる。音がする度に身体がビクッと反応してしまった。

 

「ふぅむ……これは」

 

「あちらには居ませんでした。そっちはどうでしたか?」

 

「いえ。こっちにも……」

 

「……本当に此処なんでしょうか?屋上に隠れられる場所なんて、見ての通りありませんし。普通なら此処に逃げないのでは?」

 

 屋上に有るのは生徒が座るベンチくらいの物で、誰かが隠れるスペースは見当たらない。今隠れている給水塔の下を除いては。

 

「それは、そうですね……」

 

「取り逃がしたものは仕方ありません。明日から巡回の先生を少し増やして対応しましょう」

 

「分かりました」

 

 2人分の足音が遠ざかり、やがて屋上の扉が閉じられる。カチャカチャと鍵が掛かる音を聞きながら、嵐が過ぎ去った安堵感を2人は感じていた。

 



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Crow Song

一人称の方が書きやすい


「ただいま……」

 

 扉を開けて言った言葉は、自分でも驚くくらい低い声で、そして小さかった。

 

 ローファーを脱ぎながら、あたしはようやく終わった1日に異様な疲労感を覚えていた。

 それはモカとの逃走劇での疲労感が主なんだろうけど、それ以外の要因も多く含んでいるに違いない事を、あたしは自分で分かっていた。

 

「はぁ……」

 

 疲れた身体を引きずって廊下を歩く。もう日は落ちかけていて、廊下も暗かった。

 居間からの明かりが、廊下に射し込んでいる。あたしの部屋に戻るには居間の前を通らなければならない。

 

「蘭、少し来なさい」

 

 居間の前を通りがかった時、父さんに呼び止められた。父さんが居間に居る時にあたしが呼ばれる時は、大体が父さんに小言を言われる時だった。

 

「……はい」

 

 それは分かってるけど、無視をするわけにもいかない。あたしは渋々居間に入って、父さんの前に座った。

 父さんの目は、普段と変わらず厳しかった。

 

「今日、学校から連絡があったぞ。授業に出ていない事があるそうだな」

 

 とうとう来たか、と思った。あたしは自然と、父さんの厳しい目線から逃れるように顔を背ける。

 

「…………それは、ちょっと、具合が悪くて……」

 

「保健室にも居ないと連絡があったぞ。…………授業に出ないだけでなく、親に嘘までつくとは感心できないな」

 

 バレていたか。屋上でサボっていたから当然だけど、保健室なんて使っていないから今の言い訳は無理があったと反省する。

 咄嗟に他の言い訳が出なかったとはいえ、これはあたしのミスだ。

 

「……ごめんなさい」

 

「学生の本分は勉強なんだ。明日からは、しっかり授業に出なさい。いいな」

 

「……はい」

 

 拒否はさせない。そんな意思を込めた父さんの目があたしを射抜く。あたしはただ、頷く事しか出来なかった。

 

「話は終わりだ。明日に備えて身体を休めるように」

 

「……うん、分かった」

 

 あたしは足早に居間から去ろうとした。今は一刻も早く部屋に戻りたかったからだ。さっさとお風呂に入って、泥のように眠りたかった。

 そうして居間を出る直前、父さんの呟きがあたしの耳に入った。

 

 

 

「それにしても、昔はこんなじゃ無かったはずだが……やはり悪い友達を持つと変わるのか」

 

 

 それを聞いた時、あたしの足は自然と止まっていた。

 

 

「……悪い、友達?」

 

 

 

 それは一体、誰の事なの?

 

「聞こえていたか。なら丁度いいから言うが、蘭。友達は選ぶべきだぞ」

 

「なにそれ、意味わかんないんだけど」

 

 自然と口調が強くなる。そんなあたしに父さんの目は厳しくなるけど、それに怯むあたしじゃなくなっていた。今は怒りが勝っていたからだ。

 

「幼稚園から付き合いのある4人はいい。何度か会った事があるが、実に礼儀の正しい子達だった。幼いながら親の手伝いも進んでする親孝行者というじゃないか」

 

 モカや巴の事だろう。幼稚園から付き合いがあるのは、あの4人しか居ない。

 

「だが……1人だけ男子が居るそうだな」

 

「……居るけど、それがなに?」

 

「あまり良い噂は聞かない。聞けば、大体の大人が"薄気味が悪い"と言うそうじゃないか。そしてその評価は、何度か対面した私も持った」

 

「だからなんなの?」

 

 イライラする。何が悲しくて、友達の悪口なんて聞かなければならないんだ。

 

「友達付き合いは考えた方がいいと言っている。そして、少なくとも彼はやめておけ。彼と関わり続けるのは、お前の為にならん」

 

 その言葉に、プツッと、我慢の糸が切れた音がした。

 

 あたしだけが言われるのなら、幾らだって耐えられる。悪いのも自覚しているし、叱られるのも当然な事だってした。

 だけど、それだけは許せない。

 

「ふざけないで!父さんが、大人達が!涼夜の何を知ってるっていうのさ!?」

 

 あたしの居場所(Afterglow)を作った彼の、何物にも変えられない、あたしの友達の悪口だけは絶対に許せない!

 

「何も知らん。だが、大多数の人間がそう言うという事は、そういう人間であるという事だ」

 

「大人の言う事が絶対なの?一方向からの評価だけが正しいの?!」

 

「世間一般から見て、という意味だ。蘭、お前もそろそろ自覚を持て。ガラの悪いのと一緒に居ると、()()()と、将来のお前に傷が付くんだぞ」

 

 "美竹流"

 

 その言葉を聞いた時、かつて抱いた事の無い怒りが、あたしの内側から湧き上がってきた。

 

「結局そこなんでしょ!?あたしの為とか言ってるけど、あたしが涼夜と一緒にいると、父さんの体裁が悪いから!だから、そんなこと言うんでしょ!!」

 

 ふざけるな。ふざけるな、ふざけるな!

 なんで友達について、他人から、とやかく言われなければいけないんだ。

 

「誰と、どう付き合うかは、あたしが決めること!他人に……父さんに、五月蝿く言われる事じゃない!」

 

「蘭。これは、お前だけの問題ではないんだぞ」

 

「いいや、あたしだけの問題だよ!誰と、どんな交友関係を築こうが、それはあたしの物だ!あたしだけの物だ!」

 

 あたしの友達は、あたしが決める。ほかの誰にも口出しはさせない。

 

「今はそうだろう。だが蘭、将来の事を考えれば、そんな事は言えなくなるぞ」

 

「先の事なんて知らない!あたしには今しか無いんだから!」

 

「……蘭。いい加減に聞き分けろ」

 

「嫌だね!あたしを、父さんみたいに頭でっかちで、規則規則って五月蝿い事だけ言う大人達と一緒にしないで!」

 

 

 あたしは走り出した。まだ玄関に置いてあったローファーを履き直すと、勢い良く扉を開けて家の外へと飛び出した。

 

 今は少しだって、あの家に居たくなかったんだ。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 衝動のままに走っていたら、いつの間にか日は完全に落ちていた。

 

「はあっ……はあっ……」

 

 疲れて自然と足が止まる。怒りが疲れに変わって、次に襲って来たのは酷い空腹感。お昼から何も食べてないからだ。

 

「……はぁ……お腹、減ったな……」

 

 くたびれて座り込む。身体中から力という力が抜けたような感覚だった。

 そのまま少し、じっとしていると、近くで何かが鳴いた。

 

 カァー カァー

 

「……カラス」

 

 近くでゴミを漁るカラスの鳴き声だった。そういえば、いつも思っていた事だけど、カラス達はいつ寝てるんだろう。

 空を飛ぶ黒い影は、休みなく飛び続けていた。いつ見てもカラスは何処かで飛んでいる。

 

「…………?」

 

 カラスのゴミ漁りを眺めていると、その奥に何かが捨てられているのが見えた。ここからだと暗くて良く見えない、だけど大きいものだ。

 

 私はゴミ捨て場に近付いた。私に気付いたカラスは一斉に空に飛び立ち、黒い羽根を撒き散らして去っていく。

 月明かりと、僅かな街灯を頼りに見てみた。

 

 ゴミ捨て場に捨てられていたのは、大きなギターケースだった。

 

「これは……」

 

 珍しいものを見たという好奇心に負けてケースを開いてみる。すると中から、まだ使えそうなギターが顔を覗かせた。

 後で調べた事だけど、このギターの名前はアコースティックギターとかいうらしい。

 

「まだ使えそうなのに……」

 

 見たところ、分かりやすい傷なんて無い。ケースから起こして裏を見てみたけれど、裏にも異常は見られない。

 まだ使えそうなギターだった。でもだから、どうして捨てられているのかが分からない。ギターは高い物の筈だ。

 

「……アンタも居場所が無いの?あたしと同じように」

 

 手を触れてみる。ギターの冷たい感じが、熱を持っていたあたしの身体に心地よかった。

 馬鹿げてる。たまたま捨てられていただけのギターに自分を重ねるなんて。

 偶然だ、そうに決まっている。

 

(……だけど)

 

 涼夜が言ってた。"一度なら偶然、二度なら必然、三度目は運命だ"って。あたしは、二度も似たような経験をしている。

 一度目はモカが、あたしと間違えて千聖に抱き着いた時。そこから涼夜と千聖との関係が始まった。その日から、あたし達は常に街を闊歩するようになった。

 二度目はAfterglowというチームを結成した時。Afterglowがあったから、あたし達は巡り巡って紗夜と日菜、沙綾に出会えた。狭かった交友関係が少し広がった。

 

 三度目は、きっとコレだ。

 もし運命なんて物があって、それが、あたしの行く先をガラリと変えるものであるのなら。それはきっと、このギターだ。

 

 根拠はない。だけど、あたしはそんな気がしていた。

 

 

 試しに手に持ってみる。どこかで見たガールズバンドのように、見様見真似で構えてみると、それが何故だかしっくりときた。

 まるで昔から、この手でずっと持っていたみたいに──

 

「……あたしと来る?」

 

 答えはない。だけどあたしには、ギターが頷いたような感じがした。

 

 きょろきょろと周囲を見渡してみたけど、辺りに人影は見当たらない。

 誰かに咎められる事もなく、あたしはギターケースを持ち上げると、それを持って走り出した。

 

 

 

 

 

 

 それからの日々は、一転して忙しい物になった。放課後になるまで我慢して、放課後になったら急いで家にギターを取りに帰り、かつて皆で作った秘密基地に移動して練習する。

 

(いつも、考えてる……語呂が悪いかな。考えてるより、思うが良いかも)

 

 授業中も無駄にはしない。授業の間は、自分の思いとか色々な事をメモ帳に、ひたすら書き連ねていく。

 教師に注意されないように授業は話半分に聞きながら、隙を見つけてはメモ帳に思いの丈をぶつけた。

 

 充実した毎日だった。クラスが分けられて以来、あたしがここまでの充実感を覚えたのは初めてだと言えた。

 形だけとはいえ授業には出ているから、今のところは父さんから小言を言われる気配もない。

 

「……ふぅ」

 

 秘密基地に着いたら、椅子代わりの丸太に座ってギターケースからギターを取り出す。このギター、本当に何の異常も無くて驚いた。

 

「人差し指と中指が……」

 

 〜〜♪

 

 買ってきた本を見ながら、ぎこちなく音を出す。ガールズバンドをやっている人達は、こんな難しい事を平然とやっているのかと驚愕したのは、つい最近だ。

 

「それで次は……」

 

 〜〜♪

 

 何度も何度も練習していると、次第に指が擦り切れて痛くなってくる。その指を1度だけモカに見られて心配された事もあったけど、何とか誤魔化した。

 

(あたしが悪いんだし、ね)

 

 元はといえば、あたしがクラスで孤立したのが悪いんだ。あたしの個人的な理由で、他のメンバー達に余計な心配をさせたくない。

 

 

 その日も門限ギリギリまで、あたしは秘密基地で音を出し続けた。

 

 



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夕影は変わらず、鮮明であった

「ん〜〜っ、今日も終わったぁ!」

 

 授業が終わった後の放課後、自分の席でひまりは上半身を伸ばしてリラックスしていた。

 

「ともえー。今日は私、部活無いんだけど。一緒に何処か行かない?」

 

 帰り支度をしていた巴に声をかけると、巴は振り返って頷いた。

 

「別にいいぞ。つぐとモカも一緒にどうだ?」

 

「モカちゃんはパン屋さんに行きたいでーっす」

 

「ブレないな……」

 

「私も今日は大丈夫だよ」

 

 つぐみは暇だと言って、モカはパン屋に行きたいと言う。ブレないモカに巴は苦笑した。

 

「じゃあ、決っまりー!」

 

「テンション高いですなー」

 

「まあ中々無いからな。アタシ達が、こうして揃うなんて」

 

 ひまり達が教室を出ると、階段を降りようとしている蘭の姿が目に入った。

 

「あの後ろ姿は……!」

 

「らーん!」

 

 ひまりが手を振る。蘭は足を止めて、ひまり達の方を向いた。

 

「みんな、今日は全員揃ってるんだ。珍しいね」

 

「そうそう、予定が合うなんて本当に珍しいよねー」

 

 ひまりは「そ、こ、で!」と言って身を乗り出した。随分なオーバーリアクションだが、ここは必要な場面らしい。

 

「この珍しさを記念して、これから5人で何処か行かない?カラオケとか、カラオケとか……カラオケとか!」

 

「カラオケで確定なのか……」

 

 最近では、もう歌う事よりドリンクバーを堪能する事の方に比重を置き始めている。本気で歌っているのは、ひまりくらいのものだろう。

 

「良いけど……その前に本屋に寄らせて」

 

「何か買うの?」

 

「うん。少しね」

 

「ふーん。まっいっか、行こう!」

 

 蘭が本屋に寄るなんて珍しいと思ったが、蘭だってマンガくらいは読むだろうと思って、特に誰も突っ込まなかった。

 

「最近は4時とか5時でも明るくて良いよねー」

 

「夜道は危ないからね」

 

「パン食べたーい」

 

「モカって、顔合わせる度に同じこと言ってない……?」

 

「えー?」

 

 久しぶりに5人で帰る通学路。去年は当たり前だった筈なのに、今は尊く思えてしまうのは、それが当たり前ではなくなったからなのだろう。

 大事なものは、失って初めて気がつくのだというらしいから。

 

「先ずは本屋さんから行こっか、近いし!」

 

「その次はパン屋ですぞー」

 

「分かってるって!」

 

 学生にとって放課後の時間は貴重だ。ましてや、こうして5人が揃う放課後なんて尚更。

 だから5人は小走りで道を行き、駅前の書店に急いで向かう。少しでも時間を作りたいがための行動だった。

 

「はぁ、はぁ……じゃ、じゃあ、すぐに買ってくるよ」

 

「う、うん……いってらー……」

 

 殆ど休みなく走った為か、息も絶え絶えの蘭を見送った4人。蘭だけでなく、全員が多少なりとも息が乱れていた。

 

「蘭が、来るまで……座ってない?」

 

「……うん」

 

 蘭が人混みに紛れて消えた辺りで、ひまりが息を整えながら提案する。ひまりもつぐみも、蘭と同じく体力が限界を迎えていたのだ。

 巴も反対しない。それは2人の事を慮ったというのもあるが、自分も休みたかった。

 

「じゃ、あたしも行ってこようかな〜」

 

「何か買うのか?」

 

「ちょこっとねー」

 

 ただ一人、モカだけは大して息も整えずに本屋へと向かう。巴の問いにモカはそう答えて、人混みに紛れていったのだった。

 

「さてさて、蘭は……」

 

 駅前に店舗を構えるだけあって、本屋は相応に広い。この中から特定の1人を見つけ出すというのは、そんなに簡単ではないように思える。蘭の髪色が黒という事もあり、見つけ出すのは苦労するだろう。

 だが、今の蘭は制服を着ている。「髪が黒の少女」では見つけにくくても、「羽丘女子の制服を着た髪が黒の少女」であれば、グッと見つけやすくなる。

 

「蘭はー……居た居た」

 

 蘭を見つけたのは、どういう訳か音楽関連の雑誌等が置いてあるエリアだった。

 近年のガールズバンド人気の高まりを受けて、特設スペースが用意されるくらいに成長したエリアだが、そこに蘭が居るのはモカも予想外であった。

 

「……違う、これじゃない」

 

 蘭は後ろでモカが覗いている事など気付いていないようで、僅かな声で呟きながら雑誌を戻す。

 

「…………これにしよう」

 

 そんな蘭が手に取ったのは『ゼロから始めるアコースティックギター(中級編)』という本。およそ蘭のイメージから遠いチョイスなだけに、モカの目が驚きに見開かれた。

 

「蘭、アコギ始めたんだ?」

 

「────っ!?」

 

 蘭の両肩がビクンッと跳ね上がる。まさか居るとは思わなかったんだろう。その目には、ありありと動揺が見えた。

 

「モッ、モカ!?なんで、ここに……」

 

「なるほどなるほど。蘭の指が擦り切れていたのは、こういう背景があったからなんですなー」

 

 ようやく納得がいったモカとは対照的に、蘭の表情は浮かない。モカ達には出来ればバレたくなかった、ある種の現実逃避のために打ち込んでいる趣味が見つかってしまったからだ。

 しかし、何か言われるだろうという蘭の予想に反してモカは何も言う事はなく、

 

「買ってきなよ。あたしは先に戻ってるからさ」

 

 ただ、当たり前のように見て見ぬ振りをするだけだった。

 

「……何も聞かないの?」

 

「聞いて欲しいならね」

 

 自分から聞く気は無い。と暗に語られたモカの答えに、蘭は「……ありがと」と告げてレジの方へと向かった。

 そんな蘭の背中を見送りながら、モカは思い出したかのように言った。

 

「……そういえば、今日は単行本の発売日では……?」

 

 せっかくだし、買っていこうかなとモカは思った。

 

 

 

 

 

 

 本屋から出て、次の目的地へと向かう5人。次は商店街の山吹ベーカリーである。

 

「さて、蘭の買い物も終わったし!モカのパンを買ってから改めて、カラオケに……」

 

 先頭を歩く、ひまりの声は段々と尻すぼみに消えていった。しかし心なしか嬉しそうである。

 

「ひまりちゃん?」

 

 不思議に思った、つぐみがひまりの見ている方を見てみると、なにやら向こうから見慣れたライトグリーンっぽい髪色の少女が向かってくるではないか。

 

「あれは、もしかして……」

 

 段々と近付いてきて顔が分かるようになるにつれて、それが人違いでもなく、長い間遊んで来た友人の姿である事が分かった。

 

「ふっはははは!あたしのスピードはレボリューションだぁ!」

 

『日菜(ちゃん)!』

 

 意味不明な言葉を口走りながら、日菜が猛スピードで走って来たのだ。

 

「モカちー!とうっ!」

 

「お〜、日菜ちんじゃないかー」

 

「マジで居るとか……」

 

 そしてモカに飛び付く日菜の後から、何故かドン引いているような表情の涼夜達がやって来る。久しぶりの再会に、全員の表情は自然と明るくなった。

 

「ちーちゃんと会うのも久しぶりかもー!」

 

「ええ、そうね。本当に久しぶり。でもひまりちゃん?いい加減に、そのちーちゃん呼びは止めてくれると嬉しいんだけれど……」

 

「えー、可愛いのにー?」

 

 久しぶりに会えて嬉しいのだろう。ひまりに抱き着かれた千聖の抵抗は普段より弱めだ。

 

「おー。ひーちゃんが、ちーちゃんに抱き着いてる。じゃあモカちゃんもー」

 

 そんな2人を見て、ここぞとばかりにモカも千聖に抱き着く。左右を挟まれた形になる千聖は、困ったように兄に手を伸ばした。

 

「モカちゃんまで……に、兄さん助けて!」

 

 

「なんでさっきドン引きしてたの?」

 

「いや、日菜が「こっちにモカちーの気配がする!」とか言って走り出したから……」

 

「えっ、なにそれ」

 

 肝心の涼夜は蘭と話していて千聖の方を見ていなかった。しかし、千聖にサムズアップを向けている辺り、確信犯的なスルーである事は容易に分かる。

 

「ほらほら、ひまりとモカはその辺にしとけ。千聖が困ってるだろ」

 

「「はーい」」

 

 代わりに巴が2人を宥めてくれた事で千聖は解放された。

 

「……ありがとう、巴ちゃん」

 

「これくらいならお安い御用って感じだが……怒ってるな?」

 

「怒ってないわ」

 

 ただ少し、ムスッとしているだけである。

 どうして助けてくれなかったんだという気持ちを込めて涼夜の脇腹を抓る千聖に、つぐみと巴は苦笑いだ。

 

「痛い痛い痛い……それで、ひまり達は何処に行くつもりだったんだ?」

 

「今日は珍しく5人揃ったから、モカのパンを買ってからカラオケにでも行こうと思ったんだけど……」

 

「だけど?」

 

「9人が集まるのって本当に珍しいから、カラオケじゃなくて別の事をしようかなって、今考えてた」

 

 あこは居ないが、9人が揃うのは非常に珍しい。じゃあ何をするかと涼夜が聞こうと口を開いた直後、遠くから誰かの声がする。

 

「みーんーなー!」

 

「あこりんやっほー!」

 

 

「……全員揃ったな」

 

 攻略本のために本屋をハシゴしていたという、あこも合流して久々に10人が揃う。平日の夕方に揃うなんて今までになく、これは快挙と言ってもよかった。

 

「おねーちゃん達は、なんで此処に集まってたの?」

 

「偶然……いや、日菜の事を考えると、あながち偶然とも言えない気が……」

 

「?」

 

「ま、まあそれはどうでも良いでしょう。とにかく、予定が無いなら私から提案させてもらっても宜しいですか?」

 

 日菜のニュータイプじみた直感を追及すると面倒な事になりそうだと感じた姉2人が誤魔化し、流れで紗夜の発言に注目が集まる。

 

「もしよろしければですが、これから登山でもやりませんか?」

 

『登山?』

 

「ええ。まあ、山登りというより丘登りって感じではありますが」

 

 その一言で何処に向かうかを理解した面々。ニヤッと笑い合い、頷いた。

 

「時間はあるか?」

 

「蘭ちゃんがどうかな……?」

 

「別に、1日くらいなら平気」

 

「モカちゃんはパンが買いたいでーす」

 

「道中で寄れるから大丈夫だ」

 

「やったー」

 

 トントン拍子に話は進み、そして10人は移動を始める。ここからの道中には山吹ベーカリーもあり、モカのパンを買いながらでも行けそうだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「ここに来るのも久しぶりだー」

 

「最近は忙しかったし、中々来る機会は無かったよね」

 

 涼夜曰く"一番見頃な時間"には間に合ったようで、綺麗な夕焼けが街と、そして10人を照らしていた。

 

「何度来ても、るんってする景色だね、おねーちゃん」

 

「…………ええ、そうね。るんってするわね」

 

 いつか、こうして夕焼けを見た時は分からなかった日菜の言葉が、今は何となく分かるようになった。身体だけでなく、心も成長しているのだろう。

 そんな氷川姉妹を、ひまりは何処か悲しそうに見つめていた。

 

「昔は一緒だった筈なのにな……」

 

「なんだよ。いきなりどうした、ひまりらしくない」

 

「いや、ちょっと考えちゃって」

 

 ひまりは珍しく、落ち込んだような顔で夕焼けを見た。滅多にない事態に、誰もが何も言わないで言葉の続きを待った。

 

「昔、小学生の頃はさ。何も考えなくても、それこそ当たり前みたいに10人が一緒に居られたのに。中学生になってから涼夜達と離れて、2年生になったら蘭とも離れて。

 一緒に居るって、こんなに難しい事だったんだって、思ったんだ」

 

 多分、誰もが考えていた事だった。境遇も違えば年齢も違う、そんな10人が一緒に居られた事。それ自体が、奇跡のような偶然で成り立っていたのだという事を。

 

「今はそれぞれ事情があるっていうのは分かってる。でもこのまま、自然に離ればなれになっちゃうんじゃないかって、少し不安なんだよね」

 

「それは……」

 

 未来を見通せない人間に先の事は分からない。だからこそ、ひまりの不安は正しいもので、その不安を否定する言葉を誰も持ち合わせていなかった。

 

「…………じゃあ、また集まればいいんだよ!」

 

「つぐ?」

 

 ──つぐみを除いて。

 つぐみが皆の前に駆け出て、そして手を大きく広げて言った。

 

「ねえ!昔みたいに、皆で何かやらない!?」

 

「何か……?」

 

「ほら、昔は何か理由を見つけては、ミッションって称して皆で取り組んでたでしょ!」

 

 皆が集まれなくなる内に、いつしかやらなくなっていった事だった。けれど昔は、何かと理由をつけてやっていた事だった。

 

「あんな感じで、皆でまた何かやれないかな!?」

 

「でも何かって……何を?」

 

「……それは…………」

 

 

「バンド。とかどうですかな〜?」

 

 今度はモカが言った。注目を集めたモカは、どこまでも普段通りであった。

 

「バンド?」

 

「そーそー。ほら、最近流行ってるじゃん?ガールズバンド。

 あたし達は涼夜が居るから、ガールズじゃなくて唯のバンドだけど、これなら皆で出来るよ」

 

 本屋に特設スペースが用意されるレベルの人気の高まりだ。蘭達の周りでもバンドに関する話題は良く飛び交っているし、実際に始める人もいた。

 それに自分達も乗ろう。モカはそう提案したのだ。

 

「バンド……いいね、なんかギュイーンってきたよ!」

 

「流行りに乗る訳ですか……」

 

「おねーちゃんは嫌なの?」

 

「嫌ではないわ。このメンバーで何かを成すという事は賛成よ。でも、こうして流行りに乗るという経験が無いから、戸惑っているだけ」

 

 紗夜は戸惑っているものの、否定的という訳ではなさそうだった。むしろ肯定的に捉えているようだ。

 

「バンド……ならアタシはドラムかな?生かせるかは分からないけど、和太鼓の経験もあるし」

 

「じゃあ、あこも!あこもドラムやる!」

 

「言い出しっぺのあたしはギターやろっかな〜。つぐはピアノやってたし、キーボードとか向いてそうだよね」

 

「じゃあ私は……ベース、かなぁ?」

 

「そうなると、あたしは…………ボーカル?」

 

 蘭達も乗り気なようで、自然と役割が決まっていく。

 言葉にはしなかったが、ひまりの不安は、きっと誰もが持っていたのだろう。

 

「リーダー。どうですかなー?」

 

「……そうだな、やろう」

 

 つぐみに代わって涼夜が前へ出る。9人の期待に満ちた目線を受けながら、ニヤリと不敵に笑った。

 

「じゃあリーダー。いつものあれ、お願いしまーす」

 

「……そういえば、あれをやるのも久しぶりか」

 

 涼夜が見渡せば、ベンチに座って涼夜を注目する9人が居る。紗夜も、日菜も、例外なく笑っていた。

 

「──夕日が照らす時間はとても短くて、その時間は一瞬で過ぎ去っちまう。

 そして、その一瞬は戻って来ない。どれほど惜しんでも、時間は無情に過ぎていく」

 

 もちろん、口で言うほど簡単ではない事などは承知している。個々人の都合や、学校が違う事によって、予定が合わない事なんかも多々発生するだろう。

 

「俺達は変わった。嫌でも変わらざるを得なかった。あの時より身体は成長して、やれる事は増えたが、同時に自由な時間を失った」

 

 万物は流転する。時計の針は巻き戻らないし、嫌でも人は成長する。それがこの世の理。

 程度の差はあれど、この場の皆が身に染みて理解している事だった。

 

「……でも、変わらないものもある。変えちゃいけないものもある。

 皆で、この10人で、何か一つの事をやる。そんな、かつての当たり前を……もう1度取り戻そう」

 

 かつて見た黄昏の空と、今見る黄昏の空は何一つ変わっていない。大空は人間の小さな活動とは関係無しに動いている。

 それと同じように、10人の友情は些細な事では変わらない。変えてはいけない大切な物だ。

 

「バンドを組もう」

 

 ところで、バンドという言葉の本来の意味は"束"や"集団"であり、音楽要素は微塵も無いという。

 

「俺達10人で一つのバンドになる。バンド名は──」

 

 そうであるのだから、この10人がバンドを始める……つまり束になるという事は

 

『Afterglow!』

 

 ある意味では、必然だったのだろう。

 




これで中学後編も終わり、中学生編が終わりました。個人的には色々と課題が見えた気のする章でしたが、如何でしたか?もし暇潰しにでも役立てたなら最上の幸福です。
こんな拙い作品に評価とお気に入りを入れて下さった皆さんには勿論、たまたま見に来た読者の皆さんにも深く感謝しています。バンドリで転生モノってウケが悪い事を覚悟してただけに、真っ赤なバーは衝撃でした。

さて、これで土台が整ったので、次回からは好き勝手できる高校生編、これで本来の目的である千聖ちゃん弄りを楽しめますよ。長かったぁ……
高校生編が何処までネタが続くかは分かりませんが、もし宜しければ最後まで御付き合い頂けると嬉しいです。

それでは、次の投稿でお会いしましょう。


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中学生のエピローグ


嘘をつくつもりは無かったんです。ただ、投稿終わってから「やっべエピローグ抜けてる」ってなっただけなんです。


 

 中学校の卒業式なんてのも、大まかには小学校と変わらない。卒業証書を1人ずつ手渡しするのが、教師側も面倒だろうなと思うくらいだ。受け取るだけでも面倒くさいんだから、準備側は面倒もひとしおだろう。

 後は校長その他お偉いさん達のラリホーマ……もとい"聞いていれば"色々と考えさせられる言葉(紗夜基準)で寝ないように気をつける。

 それさえ守れば、後は座っているだけなのだから気楽なものだ。

 

ねむーい……

 

 横の日菜のように、堂々と寝られるだけのメンタルは俺には無い。無言でスネに蹴りを入れる紗夜も大変だ。

 

 そんな卒業式を終えて教室に戻れば、もう涙脆い女子達が抱き合って泣いたりしている。聞こえてきた話で推測すると、中学校までは一緒で、高校から別れる友人のようだ。

 

「あたし達もやるべきなのかな?」

 

「別にやらなくていいんじゃないかしら。生涯の別れではないでしょう?」

 

「ああ、そうだな」

 

 だいたい一年くらい前の春にバンドを組むことになった俺達だが、楽器の購入でやっぱり一悶着あったらしい。その中でも特に問題が大きかったのが、紗夜と日菜だった。

 紗夜と日菜、2人が楽器を始めると聞いて、2人の両親はそれはもう反対したらしい。向こうからすれば、親の言うことを聞かないで公立中学に行った挙句に楽器をやるなんてワガママを言われたんだから、その反応も当然だろう。

 

 そんな2人が交換条件として出したのが、この近辺で偏差値の高い羽丘女子への進学。そしてその後の学内トップの成績維持。

 絶対に守ってみせると、日菜らしくない熱弁で説得をした姿は意外なものだったと、後で紗夜から聞いた。

 

「そんで学年1位と2位で入学とはな。やっぱヤベーや2人とも」

 

「それより、日菜ちゃんが本気を出した事の方が私は驚きなのだけれど」

 

「あたしだってガチでやる事くらいあるよ。普段は面倒だからやらないだけで」

 

 珍しく日菜がマジになった結果、模試で明らかに羽丘じゃなくても良いような偏差値を叩き出すのは、流石の天才としか言いようがなかった。

 

「まっ、あたしのキャラじゃないし、ガチになるのはこれで最後かもねー」

 

「普段から真面目にしてれば良いのになぁ……」

 

 普段から真面目にしてれば良いのに、と思わずにいられない。まあ、真面目ではないからこそ日菜とも言えるだろうが。

 

「兄さん。それブーメランよ」

 

「あたしも涼夜君だけには言われたくないかな」

 

「その言葉はそのまま返すわ」

 

 総ツッコミを頂いた。お前ら酷いぜ、俺は普段から真面目に不真面目してるっていうのに。

 

「なおのことタチが悪いわ」

 

「真面目に不真面目かぁ……よし、あたしも今度から、それ使おっと」

 

 日菜が良い事を聞いたと頷いている横で「なんて事を……」という顔で紗夜が俺を見てきた。

 何も悪いことはしてない筈だが、バツが悪くなって自然と目を逸らす。

 

「そういえば、羽丘女子って蘭達の通ってる学校だよな」

 

「そうだねー。だから花咲川じゃなくて羽丘を選んだっていうのもあるんだよね」

 

「……選べるだけの学力と金があるって、良いよなぁ」

 

 言っても仕方のない事だが、やっぱり思わずにはいられない。この世の中、やっぱり何をするにも金だなぁ。

 

「そういう涼夜だって、この近辺の公立高校に進めたじゃない。あそこは、それなりに偏差値も高かった筈よ」

 

「持たざる者の妬みだ、気にすんな」

 

 いくら地頭が悪いといったって、1年も準備すれば流石に学力は上がる。事前準備が功を奏したらしく、俺も千聖も公立高校への進学は決まっていた。

 

「ふーん……あっ、先生来た」

 

 席に戻れば最後のホームルームが始まる。これで最後だという事実が余程胸に刺さったのか、この時点でクラスの半分くらいは泣いていた。

 

 その後、卒業アルバムの最後のページにクラスメイトからのサインとかコメントとかを貰う時間があったが、4人で完結している俺達には殆ど関係ない事だった。

 

「全員で回していくか。そうすれば一周した時には、自分以外の3人からコメント書いてある状態で返ってくるし」

 

「では千聖さん。お願いします」

 

「ええ。私の分は日菜ちゃんに渡すわね」

 

「はい涼夜君。なんか適当に書いて」

 

 クラスの片隅で俺達は、そんなやり取りを交わしていた。

 俺達に貰いに来る人も無く、俺達が貰いに行く事も無い。気楽といえばそうだが、学内の評判というのは小学生からずっと尾を引くものらしい。

 

 余談だが、コメントはそれぞれこんな感じだった。

 

『これからも一緒に居ようね』

 

『例え学校が離れても、私達の友情に陰りはありません。そちらも頑張ってください』

 

『これからも、るんってさせてねー』

 

 どれが誰なのかは、おおよそ検討がついていると思う。

 

 そんな違う意味でちょっぴり悲しい卒業式の〆は、小学校でもやった校門までの行進。

 俺や千聖には関係のない事だが、両親や兄弟が見に来ている人には涙腺を崩壊させる最後の一手になる事だろう。実際、泣いてる人は男子も含めて相当な数だった。

 

「走りたい、そして急いで帰りたい」

 

「止めなさい」

 

「日菜ちゃん、流石に空気読んで」

 

 そんな感動をぶち壊しに掛かろうとする妹と、それを止める姉。ちょっとシャレにならないからか、千聖も肩を掴んで止めに入る。

 

「じょーだんだよ、じょーだん」

 

「まったく……紗夜日菜の御両親は来てないのか?」

 

「お父さんは仕事。お母さんは……どうかしら。行けたら行くとは言っていたけれど」

 

 よくよく周囲を見渡すと、薄いピンクとか水色とか、何処かのマンガかアニメの世界だから許されてる髪の色した親や子供が非常に多い。

 紗夜日菜もライトグリーンに近いような気がする色の髪だし、千聖も金髪だしで、冷静に考えると違和感がパない。

 

 黒い髪の数より、茶色めいた色の髪を持つ生徒の方が多いように見えるのは色々と問題があると、一瞬でも思ったのは……黒髪が当たり前の世界に居たからか。

 そんな刺激色が多めの中から特定の色を探すのは目が疲れるものの、見つけやすくはあった。

 

「……出口らへんに居ないか?」

 

「んー……あ、本当だ」

 

 やっぱりか。姉妹の髪色が父親譲りだったらどうしようかと考えていたが、どうやら母親譲りだったようだ。

 キャリアウーマン然としている女性は、雰囲気は昔の紗夜に良く似ていた。紗夜は母親に似たらしい。

 

「家族の邪魔するのも悪いし、俺達は此処で」

 

「えー?いいじゃん、別に一緒でもさ」

 

「卒業式の後くらいは親と一緒に居てやれよ」

 

 わざわざ卒業式という節目に来ているのだし、子供と話したいこととかもあるだろう。俺達は午後に会えるのだし、今くらいは母親の元に行っても良いんじゃないか。

 そんな親切心は、しかし日菜には伝わらなかったようで。これはもう一押しが必要かなと考えながら、俺は口を開いた。

 

「親御さんも悲しむぞ」

 

「えー。それくらいじゃお母さんは悲しまないよ。ねえ、おねーちゃん?」

 

「……いや、どうかしら」

 

「えっ」

 

 割とマジで考え出した紗夜に日菜がキョトンとした。紗夜が冗談を言うとは思えないから、きっと本当の事なんだろう。

 

「とにかく、今日くらいは良いんじゃないか?」

 

「…………そうね。どうせ午後に会えるのだし、今日はそうしましょう。日菜」

 

「はーい、おねーちゃんの仰せのままにー。じゃあ後でねー」

 

「ええ。後でね2人とも」

 

 ちょっと沈黙してから頷いた紗夜は、日菜を連れて母親の元へと歩いていった。

 

「……こうしてあの2人を見送るのは珍しい気がするな」

 

「そうね。多分、初めてよね」

 

 校門から出れば、残るのは俺と千聖の2人のみ。

 

「ああ、目がチカチカした。やっぱ多くの色を一度に見るのは疲れるな」

 

「そうなの?」

 

「千聖はチカチカしなかったのか?」

 

「ええ。全く」

 

 千聖が嘘を言っていないのは分かる。行動が真っ直ぐな千聖の嘘は、他のメンバーと比べて非常に見破りやすいからだ。

 ……意識の差とかなのか?髪の色がカラフルなのが当たり前だから、チカチカする事に慣れていて今さら体感できないとかなのかもしれない。

 

「……そうか」

 

「兄さん。疲れたなら午後の予定はキャンセルでもいいのよ?」

 

「いや、それくらいで休みはしないさ。心配してくれて、ありがとな」

 

 歩幅を合わせて歩いていると、卒業式の喧騒が完全に聞こえなくなったくらいで千聖が感慨深く口を開いた。

 

「これで終わりなのね……」

 

「なんだ?千聖が感傷に浸るなんて珍しい」

 

「もう、兄さんったら。私だって思い出を振り返る事くらいはあるわよ」

 

 そう言って千聖は寄り添ってくる。俺は何も言わず、ただ抱き寄せた。無言で寄り添ってきた時は"抱き寄せろ"という合図だという事を知っていたからだ。

 

「今になって振り返れば、大きな出来事が2つも起こったのよね」

 

「そう……だな」

 

 千聖は髪を擦り付けるように頭を寄せてきながら言った。

 

「私のこと、バンドのこと。バンドはとにかく、私の事は個人的な物だったけれど……」

 

「全員が関係したんだから、個人的ではないだろ。良くも悪くもな」

 

 ……千聖の件は、主に俺のせいなんだけどさ。

 

「それはもう良いわ。約束したものね、私をもう離さないでって」

 

 本当に振り返っているだけなのだろう。その後しばらくは何も言わない千聖の頭を、俺はただ撫でていた。

 

 

「これから高校生だけれど……」

 

 次に口を開いたのは、施設まであと5分くらいの場所に来た時だった。

 

「もう決まっているの?バイト先」

 

「先ずはコンビニとかかなーとは考えてるけど、細かい所はまだだな。何かやりたいバイトとかあるのか?」

 

「いいえ。聞いただけよ」

 

 これから高校生になる俺達にはバイトが許される。自分で金を稼ぐチャンスだ、やらない手はない。

 

「まずはケータイ持てるくらいは稼がないとなぁ……これから不便だ」

 

「持ってる人は中学生から持ってたものね、ケータイ」

 

 蘭とかは持たされてたけど、多くは高校生くらいから持たされるイメージのあるケータイだ。持てるのであれば、持っておいても損は無い。

 スマホってなんですか(元おっさん世代並感)な感じではあるから、俺達が持つのは今で言うところのガラケーになるだろうが。

 

「まあ、何とかするさ」

 

「ええ。何とかしましょう」

 

 最後に少しだけ、今来た道を振り返ってから、施設の扉を開けた。

 




次からは本当に高校生編ですよ。本当に

〜おまけ(別に読まなくてもいい)・現時点での乖離点〜

涼夜(オリ主)──当然だけど最大の異物
千聖──親から捨てられ孤児になっているので、芸能人のげの字も無い。薫と花音との関係も無い代わりに、氷川姉妹とアフロメンバーとの交流有り。Afterglow所属
紗夜──日菜との仲違いが発生しなかった。実はにんじんが食べられる。アフロメンバーと千聖との交流有り。羽丘女子に進学。Afterglow所属
日菜──アフロメンバーと千聖との交流有り。にんじんが食べられない。Afterglow所属
蘭──アコギを拾った。氷川姉妹と千聖との交流有り。
モカ・ひまり・つぐみ・巴──氷川姉妹と千聖との交流有り。
あこ──氷川姉妹と千聖との交流有り。Afterglow所属


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高校生編 : 永遠の一瞬
羽丘の彼女達


高校生編1発目は、羽丘に通う彼女達の日常風景です。予定は未定なので先の事は私も分かりませんが、楽しんで頂けたら幸いです。


 宇田川家の朝は、それなりに早い。

 

「あこ〜?そろそろ起きないと、余裕が無くなるぞ」

 

 まだパジャマ姿の巴は、コンコンと、あこの部屋に通じる扉をノック。少し待つと扉が開いて、あこが眠そうに目を擦って部屋から出てきた。

 

「んー……おはよ、おねーちゃん」

 

「おはよ。顔洗って来い、もうご飯は出来てるからさ」

 

「はーい……」

 

 のそのそと洗面所に歩いていく、あこの背中を見送ってから巴はリビングへ。先に朝食を食べるためだ。

 本当は巴も、あこと一緒に朝食を食べたい。だけど、どこぞの寝坊助を起こすのに、多少早く家を出る必要があった。

 

「うーん。まだちょっと、こう、深淵の闇へ誘う悪魔の呼び声が……妾を……」

 

「素直に眠いって言えばいいのに」

 

「それじゃカッコ良くないじゃん!」

 

「……そうか……」

 

 あこが着替えまで終えてリビングに来た時には、巴の朝食は半分ほど無くなっていた。

 眠い時すらカッコ良さを追い求める熱心さには巴も感心するが、その結果が変な口調では変な笑いも浮かぶというものだ。

 

「ところで、おねーちゃん。今日もモカちんの所に行くんだ?」

 

「モカを放っておくと間違いなく遅刻するしな。まっ、小学生からだから慣れたもんだけどさ」

 

 小学生の頃と比べて、自分で起きれる頻度が高くなったとはいえ、やはりまだ自力で起きれない事も多かった。

 自力で起きれるようになっただけマシか、と蘭達と話したのは最近のことである。

 

 あこが半分くらい食べたタイミングで巴は朝食を食べ終えた。時計を見れば、予定通りの時間で今まで進んでいる。

 

「ごちそうさまっと。あこ、悪いけど先に行くからな。一応言っておくけど、遅刻はするなよ?」

 

「うん。行ってらっしゃい、おねーちゃん!」

 

 皿を片付けて巴はリビングを出た。後、やることといえば歯を磨いて制服に着替えることくらいである。

 

 

 

 

 集合場所はモカの家の前。3人はもう待っていた。

 

「巴ちゃん、おはよう」

 

「ともえー、おはよー」

 

「おはよう」

 

「みんな、おはよう。モカはまだか?」

 

 玄関の方に目をやるが、モカはまだ来ていないようだった。

 

「起きてはいるんだけどね」

 

「なら良かった。モカを起こすのは大変だしな」

 

 小学生の時を思い出したのだろう。4人は顔を見合わせて懐かしさが混じった苦笑いで、モカの家の方を見た。

 

「いやー、お待たせー」

 

 それから5分ほどの時間が経過したくらいで、モカは4人と合流する。片手に食べかけのパンを持っていた。

 

「おはようモカ。なんだ、食べながら行くのか?」

 

「行儀悪いぞー」

 

「大丈夫、だいじょーぶ」

 

「……何が?」

 

 何かは分からないが、とにかく大丈夫らしい。そんなモカを迎えて、5人で学校へ歩き出す。

 

「今更言うのもアレだけどさ、今日って数学の小テストあったよな」

 

「やめて、思い出させないで」

 

「ひまり……その調子だと、大分ヤバいんでしょ」

 

 頭を抱えるひまりに蘭が言う。蘭の言う通り、ひまりか今回の小テスト範囲は苦手としている分野だった。

 

「そーなんだけどさぁ……はぁ、憂鬱」

 

「ひーちゃんファイトー」

 

「そういうモカは……余裕だよね」

 

「ぶいぶい」

 

 今までモカが平均以下を取ったところなんて見た事が無かった。何だかんだでモカは優秀なのだ。

 ……ただ、近くに紗夜と日菜というチート姉妹が居るから忘れられがちなのだが。

 

「ひまりちゃん、頑張って!」

 

「ううっ、つぐの優しさが身に染みる……」

 

 ひまりはガックリと肩を落として、しかし直後にグワッと身体を起こした。

 

「ところで、今度のライブは何時にする!?」

 

「現実逃避は良くないんじゃない?」

 

「しゃらーっぷ!蘭だってライブしたいでしょ!?」

 

 あ、これ面倒くさいひまりだ。

 蘭の脳内には、かつての"こまけぇ事はいいんだよ!"としか言わなかった幼い涼夜が現れていた。

 

「それは……」

 

「こらこら、ひまり。蘭も困ってるだろ」

 

「巴もライブしたいよね!」

 

「あ、ああ。そうだな、最近はスタジオ練ばっかりだし、そろそろライブで豪快にドラムを叩きたい気持ちはあるな」

 

 半ば勢いに圧されるように巴は頷いた。強引に頷かされたように見えるが、今言ったように身体が疼いているというのも事実だった。

 

「だよねだよね!よし、忘れないうちに涼夜にメールしておこうっと!」

 

 ひまりは女子高生らしい早業でキーボードを打ってメールを送る。

 そんなひまりを見て、つぐみは不思議そうに首をかしげて言った。

 

「でも、ライブと小テストと、何も関係ないよね?」

 

「つぐーーっ!現実逃避くらいはさせてよぉー!」

 

 つぐみは意外と容赦ない所がある。そんな一面に不意打たれたひまりは、無理やり現実に引き戻されたのだった。

 

「うう……憂鬱だぁ」

 

「諦めなよ」

 

 そうこうしている内に、雲梯……もとい、デザイン性の高い校門が見えてきた。

 それと一緒に、何名かの生徒が校門の前に陣取っているのも。その中には紗夜の姿もあった。

 

「あれ、風紀委員が陣取ってる」

 

「えっ?……本当だ」

 

「うわぁ……今日じゃなかった筈なんだけど、服装検査」

 

「平気なのは分かってるけど、受けたくはないよね〜」

 

 例え自分が大丈夫だと分かっていても、検査の類いを受けると少々不安になってしまうのは、5人だけではないだろう。

 

「おはよう紗夜。服装検査って今日だっけ?」

 

「おはようございます皆さん。今日は抜き打ちです……まあ、貴女達には関係無いようですが」

 

「服装はキッチリしてるからねぇ〜」

 

 5人は今までに、こういった検査で引っかかった事は無い。生真面目なつぐみは勿論、メンバーの中では不真面目な方の蘭も、服装はキッチリしているからだ。

 

「もう行って良いか?ひまりのテスト準備もあるし」

 

「…………ええ。問題は無さそうですし、構いませんよ」

 

 上から下までキッチリ見て、特に問題は無いと紗夜は判断した。過去に幾人の校則違反者を取り締まってきた紗夜の目は、正確無比だと知られている。

 その紗夜が問題ないと判断したのだから、問題は無いのだろう。

 

「お仕事、頑張ってくださいね!」

 

「羽沢さんも、生徒会のお仕事を頑張ってください。……そして待ちなさい今井さん、私の目は誤魔化せませんよ」

 

「げっ、紗夜。今日って服装検査だっけ?」

 

「抜き打ちです」

 

 後ろで風紀委員の仕事を全うしている紗夜の声を聞きながら、蘭達は校舎の中へと入っていった。

 

「あー……心臓に悪い」

 

「いいものではないよね、仕方ないけど」

 

 上履きに履き替えて教室を目指していると、自販機の前で、うんうんと唸っている、見覚えのあるライトグリーンの髪の女子が居た。

 

「あれ、日菜じゃん」

 

「んー?おお、らんらん達じゃん。どったの?ジュース買いに来た?」

 

「違うけど、せっかく会ったから挨拶しておこうと思って」

 

「ふーん。そうなんだ」

 

 朝だからなのか、あるいは紗夜が傍に居ないからか。ローテンションな日菜というレアなものを見た5人は、今日は雨でも降るのかと失礼にも思った。

 

「ならついでに、あたしの悩みに答えてってよ。リンゴとオレンジだったら、どっちがいいかな?」

 

 指さしたのは、紙パックのジュースの自販機。リンゴにするかオレンジにするかで悩んでいたらしい。

 

「アタシはリンゴ」

 

「オレンジ」

 

「オレンジ、かなぁ?」

 

「モカちゃんはリンゴー」

 

「オレンジー」

 

 

「それじゃあ、オレンジにしますか」

 

 3対2でオレンジが多かった。日菜はオレンジジュースのボタンを押して、ストローを紙パックに突き刺す。

 そんな日菜を見て、巴は思い出したように言った。

 

「そういえば、今回も学年一位おめでとう。やっぱ流石だな」

 

「ん?ああ、そうだね。まあ楽勝だったし、祝われるほどの事じゃないかな」

 

「おお、流石……」

 

 本当に当然だと思っているからか、大して喜びを見せる事も無い。そんな王者の風格に、ひまりが思わず言葉を漏らした。

 

「何かコツとかあるの?」

 

 ひまりは続いて聞いた。ひまりでなくとも、もし楽ができる方法があるなら、それを真似したいというのは当然の事だろう。

 

「コツ?」

 

「そうそう。なんか、こうすれば問題は楽勝!みたいな」

 

「そうだなぁ……」

 

 しかし、相手は日菜だ。常識が通用しない天才だ。その答えは楽とは程遠かった。

 

「取り敢えず、参考書を片っ端から……一教科につき20冊くらい頭に入れてれば何とかなるよ。あたしはそうやってるから」

 

「それ、日菜みたいな記憶能力が無かったら役に立たない方法だよね」

 

 今日の夕飯のメニューを話すような気軽さで放たれたトンデモ発言は、日菜が天才なのだと再認識するのに十分すぎる威力を持っていた。

 普段は涼夜や、あこと大真面目にバカ話に興じているだけに、余計に。

 

「さ、参考にならない……流石は日菜」

 

「まあ日菜だからな……」

 

「日菜ちゃんだし、仕方ないよ。諦めて地道に頑張らないと」

 

「うーん、この酷い言われよう。あたしへの信頼が凄くて泣けてくるね」

 

 一息でジュースを飲み干して、ゴミ箱にポイ捨てして日菜は歩き出した。もう教室に戻るらしい。

 

「じゃあ放課後に、バイビー」

 

「じゃあねー」

 

 日菜とは反対側に5人は歩き出す。日菜とは教室の位置が真逆なのだ。

 

「……あ、涼夜から返信来た」

 

「なんて言ってる?」

 

「『土曜か日曜にいつものライブハウスが空いてるけど、どうする?』だって」

 

「はやっ」

 

 確認の速さに思わずそう言ってしまう。5人は自分の予定を頭に浮かべた。

 

「……どうする?」

 

「あたしは別に、どっちでも」

 

「紗夜さんと日菜ちゃんにも聞かなきゃね」

 

「予定が合う方でいいだろ。アタシも蘭と同じで、どっちでも良いけど」

 

「おー、今週かぁ。良いですな〜」

 

 意外に近い次のライブに心を踊らせながら、5人は今日の授業を受けるために教室へと向かうのだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 放課後、つぐみは生徒会の仕事に向かい、ひまりはツイストサーブを極めに部活へ赴く。

 残ったのは3人だけだが、抜けた二人の穴を埋めるように紗夜と日菜が合流するので、人数的には変化の無い帰宅路であった。

 

「へぇー、今週にやるんだ。ライブ」

 

「セットリストは決まっているのですか?」

 

「まだ。どうしようかなって考えてるとこ」

 

 久しぶりのライブだ。いつものセットリストでも良いだろうが、何か別のセットリストで演るのもアリかもしれない。

 蘭が生き生きとした顔で考えているのを見て、モカはどこか満足げに、巴は嬉しそうにしていた。

 

「じゃあ何もかも未定か」

 

「だけど、ギターは紗夜で行こうかなって考えてる」

 

「おねーちゃんで?」

 

 Afterglowは最近注目されているバンドとして名前が挙がるようになってきている。

 原因は色々とあるが、その一因となっているのがライブ毎のメンバー交代だ。

 

 モカが紗夜や日菜に、巴があこに、それぞれ入れ替わったりする。

 これは涼夜がメンバー全員を如何にかして活躍させたいと思った末の苦肉の策であり、当初は戸惑いでもって迎えられた。

 

「そう。紗夜が良ければだけど」

 

「断る理由はありません。私で良ければ」

 

 ガールズバンドとしては目新しい手法は人目を引き、内容の善し悪しに関わらず話題には挙がるようになったのは幸か不幸か。

 とにかく、Afterglowという名前は"変な事をやっている子供たちの集まり"から"変な事をやっているバンドグループ"という認識の変化を遂げていた。

 

「じゃあドラムは、アタシじゃなくて、あこにならないか?紗夜のギターと、あこのドラムって相性良いし」

 

「そうなるかな。あこの予定が合えば……」

 

 

「ふっふっふー」

 

 

 蘭の言葉を遮るように何処からか聞こえる声。ガサガサっと草むらが揺れたかと思うと、次の瞬間には誰かが飛び出してきた。

 

「あこを、呼んだね!とうっ!」

 

 ダンッ!と勢い良く踏み切り、前方に二回転してから姿勢を低く着地。そして決めポーズ。

 いきなりアクロバティックな動きで現れた、あこはドヤ顔であった。

 

「あ!野生の あこりん が 飛び出してきた!」

 

「野生言うなし……ああ、こんなに葉っぱを付けて。一体どれくらい隠れてたんだ?」

 

「さっきだよ。おねーちゃん達の姿が向こうから見えたから、ズガガーンってなるような登場してみたんだ!

 ねぇねぇ、これ次のライブでやって良い?」

 

 巴は日菜にツッコミを入れつつ、あこの髪に付いた木の葉なんかを取った。あこは巴にされるがまま、蘭の方をキラキラした目で見る。

 

「……まあ、あこ目当ての人も居るし、良いんじゃないかな」

 

「やった!これで、あこの……じゃなくて。わらわのカッコよさがまた上がるかな?」

 

「あこりん の カッコよさ が 2上がった!」

 

「なっちゃん本当!?」

 

「なっちゃんアイは嘘をつかないんですぞ〜」

 

「やったぁ!」

 

 勝手に盛り上がる、あこと日菜の後ろを蘭達はゆっくりと付いて行く。盛り上がる2人の邪魔をしたくなかったというのもあるが、ついていけないという理由が大半を占めていた。

 

「……なんでさっきから、日菜はシステムメッセージ風の片言なんだ?」

 

「あこさんが喜ぶからではないでしょうか」

 

「日菜って、あこには特に甘い気がする」

 

「シンパシー感じたんじゃないかな〜?」

 

 日菜の事だから深くは考えていないだろうが、きっとそうだと紗夜は考えていた。

 

「つまり、世界は滅亡するんだよ!」

 

「なんだって!それは本当なの?」

 

 茶番を始めた日菜とあこを、2人の姉は勿論、蘭やモカでさえも何処か生暖かい目で見ていたのだった。

 






おまけ(別に見なくて良い)・プロフィール:氷川姉妹編



自称:凡人の天才おねーちゃん

氷川 紗夜

バンド:Roselia Afterglow

パート:ギター

学校:花咲川女子学園 羽丘女子学園

学年:高校2年生

誕生日:3月20日

星座:魚座

好きな食べ物:ガム・キャンディ、ジャンクフード(特にフライドポテト)

嫌いな食べ物:にんじん なし

出来れば食べたくない物:にんじん、野菜ジュース(にんじんに似た色の物)

趣味:無いけど、強いて言うならAfterglowの活動、巴とのお姉ちゃん会合

特技:特に無し(何でも出来るから逆に秀でたものが無い)

部活:弓道部 天文部


氷川のおねーちゃん。別名、氷川姉妹の頭脳労働担当。日菜が居なければ、十二分に天才として呼ばれていたであろう才能がある。

原作同様にコンプレックスは持っているが、万能の天才だと思っていた日菜が、人の心を理解しないから孤立していく所を見て「あ、これは私が助けないとダメな奴だ」と庇護欲が勝った事と、"日菜(天才)(おまけ)"ではなく、"唯の紗夜"として見てくれる仲間が居るので、致命的な拗らせ方はしていない。
その結果、優しい性格のまま成長した、穏やかおねーちゃんと化した。この作品では、原作の最初期で見られた狂犬紗夜の姿は無い。

ここに居るのは、唯のポテト大好きシスコンおねーちゃんだぁ!


にんじんが出来れば食べたくない物に移っている理由は、幼い頃から日菜の分まで食べ過ぎて嫌でも慣れてしまったから。でも、にんじんを食べている間だけは一切の味覚が消えているらしく、だから嫌なんだとか。
野菜ジュースは、にんじんの色に似ている物に限って、にんじんを連想させるから飲みたくない。


自称:凡人。なお、それを巴の前で言ったら無言で腹パンされた模様。巴曰く「紗夜のような凡人が居てたまるか」
アプリ内イベントの色々を見ると分かるが、日菜の壁が高すぎるだけで紗夜も十二分にマジキチスペックを持っている。

特技が無いのは何でも出来るから。何でも出来るって事は、裏を返せば特に優れた物がないって事だ。器用万能とも言う。

また、クリスマスの夜に家から飛び出した体験が原因で天文部に入った。



人の心を分かろうとしない大天才

氷川 日菜

バンド:Pastel*Palettes Afterglow

パート:ギター

学校:羽丘女子学園

学年:高校2年生

誕生日:3月20日

星座:魚座

好きな食べ物:ガム・キャンディ、ジャンクフード

嫌いな食べ物:豆腐湯葉などの味が薄いもの、にんじん

趣味:アロマオイル作り、人間観察(好きな人限定)、Afterglowの活動

特技:すんごい記憶能力

部活:天文部


個人的に、どうしてこうなったキャラのNo.2。

人の心が分からない畜生キャラで行こうと思ったら、いつの間にか好きな人限定で全てを理解しようとするキャラに変貌を遂げていた。

氷川の妹の方。別名、氷川姉妹の実働担当。あこと特に仲が良い。

万能の天才だが、人の心だけは分からない……というより、分かろうとしない。
無神経な発言をしまくった結果、人が離れていった過去がある。が、当人は全く悪びれていないし反省もしていない。

原作の日菜は人の気持ちを汲み取るのが苦手(ビジュアルブックより)と言われているが、当作の日菜は一部の例外を除いて汲み取ろうとすらしないので余計に酷い。

普段は考え事を紗夜に全て任せて、自分は思考を停止しているから、頭の中は空っぽらしい。あことバカっぽい話で盛り上がれるのはそのため。
一度思考を回せば天才と呼ばれるに相応しい力を見せてくれる筈。滅多にないけど。

苦手な物にある、にんじんは、幼い頃の苦手を引きずっているから。この作品では紗夜が全てを食べて、しかも怒る筈の親が共働きで家に居ないので、克服が出来ていない。


特技のすんごい記憶能力は、正式な名前こそ違えど公式設定。一度見たらすぐに覚えてすぐに出来る、天才と呼ばれる所以みたいな能力。
紗夜との一番の差別点にして、日菜の根幹を支えるチート能力。

天才設定かつシスコンなので、筆者目線だとマジで動かしやすい。

クッソどうでもいい情報だが、作品内では"お姉ちゃん(真面目な時)"と、"おねーちゃん(それ以外)"で呼び方を使い分けている。
だから口調が真面目そうでも実は真面目じゃない時もあるし、その逆もある。

また、日菜と千聖の不在が相まってパスパレの結成は不可能に近くなった。彩ちゃんすまん。

部活に入る動機が異なり、クリスマスの夜に家から飛び出した体験が原因で天文部に入っている。


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蒸し暑い、とある日の事

山谷オチ無し


 

 珍しく全員が揃った梅雨のある日、今日はスタジオで練習をしている。

 

「ゔあっつい〜〜〜!」

 

 その練習の間に、我慢出来ない!と床に倒れながら、ひまりは服を勢い良くバタつかせ始めた。目の前に俺がいるのにだ。

 

「おい待てひまり。俺が居るのに何やってんだ」

 

「んん〜〜?良いじゃん別にぃ。涼夜だし、どうせちーちゃんにしか興奮しないでしょ?それより暑いんだもーん」

 

「ええ……?何だよその理由」

 

 ひまりからの信頼が厚い。しかし、へそチラしてるひまりにラッキーという思いよりも心配の思いが最初にやって来るのは、俺がひまりを見る目が、親が子を見る様な物だからなのだろうか。

 ……そんな風に考えてから、確かに微塵も興奮していない事に気がついた。

 

「ひまりちゃん。流石に女の子として、それはマズイと思うんだけど」

 

「そうそう。それとこれと話は別だ」

 

 俺がひまりに反応しなかった事は置いておくとして、つぐみの言う通り女子として今の行動は宜しくない。此処で野放しにしていると、ふとした拍子に男子の前でやりかねないから、注意はしておかなければ。

 

「つぐと涼夜の言う通りだぞ。まったく……そんなに暑いんだったら、アタシが冷房の温度下げて──」

 

「誰か巴を止めろぉ!」

 

 立ち上がった巴を、近くに居た紗夜と日菜、そしてあこの3人が取り押さえにかかった。

 

「巴さん、電気の無駄は止めてください」

 

「ともちんは座ってて」

 

「おねーちゃんストップ!」

 

 

「なんだお前ら!?アタシはひまりの為を思って……」

 

 無理やり座らされた事に巴は少し憤っているが、俺達には巴に空調の温度を弄らせてはいけない理由があるのだ。

 

「巴ちゃんの感覚で温度を下げられると、みんな凍えちゃうじゃない」

 

「千聖の言う通りだよ。巴の涼しいって、あたし達の寒いと同じじゃん」

 

 体感温度の差なのか、巴に温度の調節を任せたら全員が凍える事態になってしまうと発覚したのは、去年の事だった。

 

「しかし、巴がこんなだと、宇田川家の冷暖房事情が気になるな……」

 

「ねーあこりん。トモちんって、そこのところどうなってるの〜?」

 

 話に乗ったモカの質問に、あこは「うーん?」と蒸し暑さで鈍くなった反応を隠さずに答えた。

 

「おねーちゃんに触らせたらダメって言うのは、家の中でも言われてるよ。だから、あこがおねーちゃんの部屋の分まで調整するの」

 

「ほほー」

 

 ぶおー、と駆動音を無機質に響かせる扇風機の前をモカは蘭と陣取っている。

「声禁止」という小さな張り紙が中心に貼られた扇風機は2台あるが、その1台を占領していた。

 

「…………っていうか、蘭とモカずるい!私も扇風機使う〜!」

 

「ちょ、流石に3人は暑いって!」

 

「ひーちゃんは肉々しいですなー……向こうに扇風機あるよ?」

 

「私は此処が良いのー!」

 

 暗に向こうに追いやろうとしているモカの気持ちを無視して、如何にも暑そうに3人でゴチャゴチャやり始めた。

 そんな横で、つぐみが紗夜に声を掛けている。紗夜はこの騒動の傍らで、一人静かにギターを弾いていた。

 

「紗夜さんはいつも通りクールですよね。何か涼しくなる物とか使ってるんですか?」

 

「特には何も。ギターに集中していれば、そんな事にまで気が回りませんから」

 

「なるほど……」

 

 本人の性根だからか、練習や暑さにすらストイックな姿勢を見せる紗夜に、つぐみは驚いたような、感心したような声をあげた。

 

「言われてるぞ、そこの3人」

 

「……うっさいシスコン」

 

「それ罵倒のつもりか?」

 

 蘭の罵倒も元気が無い。湿気にやられたのか、あっという間にバテた3人に苦笑いが向けられる。そんな3人は、ぐでーっとなって扇風機を使い始めた。

 

「暑い……」

 

「ジメジメー……かびるー……」

 

「海行きたいなー……でも今ってシーズンじゃないしなー……」

 

「海ねぇ……ま、アリじゃないか?」

 

「お、涼夜が乗り気だ」

 

 夏と言えば海だ。今年は1度きりなんだし、やれる事はやっておきたい気持ちがある。

 

「えー……?でも海って、モカちゃん溶けちゃうよ〜」

 

「ならプールだ。最近はほら、室内アミューズメントみたいなのあるんだろ?」

 

 一度も使った事なんて無かった(というか、その手の娯楽施設で使ったことあるのはバッティングセンターくらいだ)から詳細は分からないが、色々遊べる場所だと聞いている。

 

「おー!いいねいいね!最近は暑くて何もやる気出ないし、ここらでパーッと行っちゃいますか!」

 

「私は行かないわ」

 

「えー……」

 

 ギターから目を逸らさずに紗夜は言った。そんな紗夜の様子に日菜は露骨に落ち込んだ後、何かを閃いたのかイタズラな笑顔で紗夜を見る。

 

「……あっそっか。そういえば、おねーちゃんって最近腰周りが少し……」

 

「日菜!」

 

 顔を真っ赤にした紗夜がギターを手早く置いて日菜を追い回し始めた。流石の紗夜も、乙女の秘密を暴露されればクールでは居られないようだ。

 

「うう……腰周り……」

 

 そして腰周りという単語が、ひまりの方に流れてダメージを与えていた。

 ひまりの体型を保つ努力も、紗夜とは方向性が違うが、かなりストイックと言えるのではないだろうか。

 

「……ひまり、また?」

 

「蘭、またって何!?大事な事だよコレ!」

 

「いやだってさ」

 

「だっても何もなーい!」

 

 ひまりは腕をブンブン振るって、あからさまに"怒ってます"アピールを蘭にしている。そんなひまりを見て、思わず口から言葉が零れた。

 

「そのスタイルで腰周り気にするとか、世の中の女性に完全にケンカ売ってやがる」

 

「ほら、涼夜もああ言ってる」

 

「涼夜は男子だから分からないんだよ!この、女子特有の心理が!」

 

「じゃあ女子に聞いてみるか?ひまりが気にしすぎかどうかを」

 

「良いよ。でも、ちーちゃんとモカと蘭は無しね」

 

 千聖は俺が言った事を殆ど全部肯定するから、そして蘭はさっきのやり取りから考えて当然として、何故モカもなのか。

 

「モカって学校でも毎日食っちゃ寝を繰り返してるんだけど、見ての通りスタイルに変化無いじゃん?」

 

「よく金持つな」

 

「モカちゃん流の節約術が有るのですよ〜」

 

「マジか。今度教えてくれよ」

 

「山吹ベーカリーのパン10個で手を打とうかな〜」

 

「うっわ。阿漕ぃ」

 

 完全に足下見て物言ってるモカ。気にはなるけど、でも流石にパン10個は出費が痛い。

 

「話ズラさないでよ?!」

 

「どうどう。それで、スタイルに変化無いのが何だって?」

 

 詰め寄ってくるひまりを押し返しながら、話の続きを促す。すると、ひまりはムスッとしながらも話を続けた。

 

「それで巴がモカに"太らないのか"って聞いたら、モカはなんて言ったと思う!?」

 

「体質」

 

「"ひーちゃんにカロリーを送ってるから"って答えたんだよ!」

 

 モカの方を見る。無言のピースサインが帰ってきた。俺もピースサインを返してから、ひまりに向き直る。

 

「まさか信じてるのか?」

 

「信じてはないけど……でもモカなら出来そうな気がして」

 

「……まあ、モカがダメな理由は分かった。じゃあ日菜、分かるか?」

 

「太らないから理解できない」

 

「この裏切り者ーーっ!!」

 

 座っている俺を盾に紗夜から逃れた日菜の答えに、ひまりが悔し涙を流して吼えた。涙はほぼ確実に演技だろうけど、吼えたのは多分マジだと思う。

 

「うう……それでもちーちゃんなら、ちーちゃんなら私の味方をしてくれる筈!」

 

「千聖は身長相応だぞ」

 

 今絶賛、俺の膝の上に座ってるから言える。千聖は軽い。

 

「むー……なら──」

 

「…………一体いつまで休憩するつもりですか?」

 

 味方を求めて室内をキョロキョロしたひまりを、紗夜の冷たい目が射抜く。反射的に謝りたくなるランキング1位の紗夜の目線をモロに喰らったひまりは、消え入りそうな声で「……やります」と言ってベースを手に取った。

 

「はぁ……休んでた筈なのに、どっと疲れた気がする」

 

「あんだけヒートアップしてたら、そりゃそうなるだろうな」

 

 自業自得だと言うしかなかった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「兄さん。隣いいかしら」

 

「いいぞー……って言う前から、もう来てるじゃんか」

 

 夜、風呂から上がった千聖と一緒に布団の上に座る。小学生の時は広いと感じた部屋も、高校生2人で使えば多少手狭に感じられた。

 

「今日もお願いね」

 

「はいはい……結局、自分で髪を梳かせなくなりやがって」

 

 バイトで貯めた金で買った、千聖の毛質に合う櫛で千聖の髪を梳かすのは、もう夜のルーチンワークに組み込まれているくらい続いた行為だ。

 

「別に良いじゃない。私より兄さんが上手くやってくれるんだし、私達はもう離れないでしょう?」

 

「その理屈は無理があると思うんだがなー。単に面倒臭いだけなんじゃないのか?」

 

 黄金色に煌めく髪を真っ直ぐ丁寧に梳いていく。

 

「そのついでで聞いておきたいんだが、お前ってオシャレとかする気あるのか?」

 

「いきなり何?」

 

「お前がファッション雑誌とか読んでるの見たことないから」

 

 この年頃の女子は少なからずオシャレに興味がある。というのは偏見だが、あながち間違いでもないだろう。

 しかし、千聖からは一向にそんな気配は漂ってこない。手が掛からないという意味では有難いが、やはり兄としては不安だ。

 

「読む必要があるの?」

 

「いやお前な……巴も嘆いてたぞ。千聖は素材が良いのにって」

 

 俺でさえ思うのだから、Afterglowでもトップのオシャレさんな巴からすれば余計に思うのだろう。

 実際、ショッピングモールで鉢合わせた時は2時間近く千聖が着せ替え人形にさせられた事もあった。途中で千聖が逃げなければ、夕暮れまで続いただろう。

 

「巴ちゃんは趣味がファッションだから良いでしょうけど、私は興味ないから」

 

「そういう問題かなぁ……」

 

「それに、大勢の人が好むオシャレより、兄さんが好きなオシャレをしていた方が嬉しいもの」

 

「まーたそういうこと言って」

 

 髪を梳き終わった。俺が櫛を置くために立ち上がろうとすると、太ももに千聖の手が置かれる。

 俺が立ち上がるのを阻止した千聖は、そのままグイッと距離を詰めてきた。互いの鼻息を感じられる距離である。

 

「兄さんの好きにしていいのよ。私は兄さんに全てを委ねているんだから」

 

「……さいですか」

 

 義妹からの信頼が厚い。嬉しそうに指を絡ませてくる千聖に応えるように、腰に片腕を回して軽く抱き寄せる。

 すると千聖が、あからさまに俺に体重を預けてきた。幾ら軽いといっても、唐突に体重を掛けられたらバランスは崩れる。

 

 ぐらりと視界が揺らいだかと思うと、俺が下で千聖が上になるように布団に倒れていた。千聖の重みで僅かに胸が圧迫される。

 

「いきなりどうした?」

 

「全てを委ねたのよ」

 

「何だそれ」

 

 顔を見合わせて笑う。いくつになっても、根っこの部分にある甘えたがりな部分は変わらないらしい。

 そのまま少し千聖の頭を撫でていると、されるがままだった千聖から欠伸が聞こえた。

 

「さて、もう寝ようか。やる事ももう無いし、明日も早いからな」

 

「ええ、そうしましょう」

 

 布団は常に、2つをくっ付けて一つの大きな布団にして使っている。寝る時も離れたくないと可愛い妹に言われて逆らえる兄は居るだろうか?いやいない。

 

 電気を消して布団に潜ると同時に、千聖がもぞもぞと布団を移動してくる。この時期に密着なんてしたら蒸し暑くて寝れないだろうに、千聖が離れた事は1度も無い。

 

「蒸し暑くないか?」

 

「平気よ。これくらいなら」

 

 近くで見れば見るほど、千聖が整った容姿をしている事を強く認識する。なるほど、ファンクラブが出来るのも納得出来る。白鷺家の血は優秀なようだ。

 

「なら良いけど。おやすみ」

 

「おやすみなさい兄さん」

 

 昔と変わらず、意識が落ちる瞬間まで千聖は俺の顔をじっと見つめていた。

 




次回はゆっきーなさん登場。たぶん


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蝶は羽ばたいた


巴とひまりが、(恐らく)彩ちゃんと花音先輩と同じ店でバイトしているのを何人が知っていただろう。
私は少し前まで知りませんでした。



 

「あーもう、どこ行っちゃったんだろ……」

 

 放課後、夕暮れが校舎の窓に反射して眩しい晴れの日。ブラウンカラーの長髪を風に靡かせながら、1人の少女が人混みを縫うように歩いていた。

 キョロキョロと周囲を見渡して、誰かを探しているようである。

 

「確かに5分は過ぎてたけど……あ、いたいた。友希那ーーっ!」

 

 やがて目当ての人物を見つけたらしい。名前を呼びながら、その人に向かって小走りで駆け寄った。友希那と呼ばれた少女は、そんな声に反応して振り向く。

 

「リサ。どうしたの」

 

「どうしたのじゃないよ。待っててって言ったのに、先に行っちゃうから追い掛けて来たんだよ」

 

「私は5分も待ったわ。でも来なかったじゃない」

 

「うっ。まあ、そうなんだけど……」

 

 痛いところを突かれた、とリサという名の少女が呻いた。"5分で良いから待ってて"と言ったのは他ならぬリサであるから、友希那の言葉は真っ当な正論だったのだ。

 そうやってリサが怯んだ隙に、友希那は止めていた足を再び動かし始めた。

 

「それじゃあ、私は行くわ」

 

「え?!ちょ、ちょっと待って、一緒に帰ろうよ!」

 

「今日は入り時間早いの」

 

 リサの静止を求める声も聞かず、友希那はずんずん先に進んで行く。比較的小さな体は、あっという間に人混みに飲み込まれて見えなくなった。

 

「ああもう、待ってって!」

 

 今日のリサは、そんな友希那を追いかけて帰路についた。

 

 

 羽丘女子学園に通っている高校2年生、今井リサには1人の幼馴染が居る。

 良く言えばクール、悪く言えば無愛想。他人からの評価は"とっつきにくい"という、蘭と似たり寄ったりのもの。それが外様から見たリサの幼馴染、湊友希那という存在だった。

 

「はぁ、はぁ……もう友希那。歩くの早すぎ」

 

「リサ。家はこっちの方向じゃない筈よ」

 

 友希那は疑念の目をリサに向ける。リサが道を間違えるような初歩的ミスを犯すはずが無いという、ある種の信頼から向けられたものだった。

 

「いやー。今日はアクセショップを見に行こうと思ってさ。そうだ!良かったら友希那も一緒に……」

 

「行かない」

 

 言葉を断ち切るような、容赦の無い物言いだった。最後まで言い切れずに拒絶されたリサは、一瞬だけ悲しそうな表情を見せた後、それを隠すように空笑いを見せる。

 

「……ん、そっか。でもほら、途中までは一緒に行こうよ。アクセショップも、こっちだからさ」

 

「…………」

 

 そんなリサに友希那は何も言わず、駅前に辿り着くまで無言の状態は続く事となった。

 

「……友希那さ。ほんと忙しそーだよね。毎日毎日、いろんなライブハウス行ってさ」

 

「そうね」

 

 最近はガールズバンドが流行っているが、その中で友希那は珍しくソロで活動していた。鳥籠の歌姫なんて呼ばれるくらいの技術と人を惹きつける声を持つ友希那は、連日連夜ライブハウスに足を運んでいる。

 

「だけど、毎日歌ってるんじゃないでしょ?」

 

「…………」

 

 無言は肯定と同義だとリサは捉えた。話をするならこの流れしかない。リサはそう考えて、友希那にとっての禁忌に足を踏み入れた。

 

「…………この話したくないのは分かってるけど、さ。バンドのメンバー、まだ探してるんでしょ?」

 

「当然よ。『フェス』の参加条件は3人以上。あと2人、見つけてみせるわ」

 

 断固たる意思。その眼差しには1点の曇りも無い。

 そんな友希那を見たリサは、今度は悲しそうな表情を隠さずに友希那に向き直った。

 

「でもさ。なんか、そういうのって……!」

 

「私はやる、そう決めたの。リサだって知ってるでしょ。お父さんの事」

 

「それは、そうだけど……。でもだから、アタシは友希那に──」

 

「私はただ、自分のしたい事をしてるだけ。リサがアクセサリーショップに行くのと同じ事よ」

 

 明らかな拒絶。冷たい眼がリサを射抜いた。

 

「友希那っ」

 

「じゃあ、ライブハウスに着いたから。アクセサリーショップ、早く行かないと日が暮れるわよ」

 

 すぐ隣を歩いて行く友希那。手を伸ばせば届く距離だ。友希那の手も、肩も、掴もうと思えば掴める。

 

「あ……」

 

 だけどリサは動けなかった。ただ目を動かして、友希那が隣を通り過ぎるのを見送る事しか出来なかったのだ。

 振り返った時には、友希那は長い髪を風に靡かせながら駅前の人混みに消えていく所だった。

 

「……相変わらず、頑固だなぁ」

 

 やろうと思えば振り向かせる事は出来た。だけど身体が動かなかったのは……きっと自分に、その程度の覚悟しか無かったという事なのだろう。

 

(アタシは友希那と違って強くない。一つの事をやり遂げる力も、ストイックに結果を追い求める事も……)

 

 かつてやっていたベースも、"ネイルがやりたいから"という女子高生らしい理由で辞めてしまっている。

 全てを捨てて音楽に費やすなんて、そんな事はリサには出来なかった。

 

「……だけど、そんなアタシにも出来る事はある」

 

 友希那の幼馴染は自分だけだ。同い年で、一番近い場所に居るのも自分だ。

 

「アタシには、友希那の覚悟を見届ける権利と義務があるんだから」

 

 最後まで、その覚悟を見守るって決めたんだ。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「はぁ……」

 

 バイト終わり。バイトの制服から学校の制服に着替えながら、ピンク髪の少女が溜息をついた。

 

「どうしたんですか?彩さんらしくもない」

 

「あっ、巴ちゃん。あはは……みっともないところ見せちゃったね」

 

 今日は偶然にも同じ時間帯にシフトに入っていた巴の心配する声に、彩と呼ばれた少女は気落ちした様子を隠さない。

 滅多に見ない彩の様子は、巴でなくても気になってしまうものだった。

 

「何かあったんですか?アタシで良ければ相談とか乗りますけど」

 

「……ありがとう巴ちゃん。じゃあ、ちょっとだけ聞いてくれる?」

 

 どこか寂しさを感じる疲れた笑み。これは本気で──それこそ、いつぞやの星野兄妹クラスでヤバい問題だと巴は直感した。

 

「ええ。でも場所を移しませんか?ここで話す内容じゃない気がしますし」

 

「あー……うん、そうだね。そうしよっか」

 

 事の重大さを察した巴と、察された事を察した彩。2人は何処か緊張感の漂う空気を保ちながら、一先ず2人で話せる場所を探しに街へと繰り出した。

 

 

 

 コンビニで小さな紙パックのジュースを買って、近くにあった公園のベンチに座る事にした2人。

 2つ並んでいるベンチのうち、横にゴミ箱が近い方に彩が、ゴミ箱から遠い方に巴が、それぞれ座る。

 

 座ると同時に紙パックにストローを刺して口へ。そうして紙パックのジュースが半分くらい無くなった所で、彩は口を開いた。

 

「私ね、アイドル研究生なの」

 

「アイドル研究生……初耳です」

 

「言ってなかったからね」

 

 彩の告白は、巴を驚かせるのに充分すぎる威力を持っていた。巴の中にあるアイドルは、画面の向こうで集団で踊ったり歌ったりしているグループであり、何処か遠い存在。というアナログなイメージで構築されていたから、身近に研究生が居たというのは意外だったのだ。

 

「いつ頃からなんですか?」

 

「もう3年になるかな。長かったよ、この3年間は」

 

 3年、と言ったところで、彩の表情は暗くなった。そこに何かあるのだと巴は思った。

 

「3年もですか」

 

「そう、3年。長いよね…………でも、ただの1度もチャンスが来なかったんだ。もう今年で卒業なのに」

 

「それは……」

 

 彩から明かされた事情はあまりに重く、苦しいものだった。巴はアイドルに詳しくないが、『1度もチャンスが来なかった』という言葉と『今年で卒業』という言葉から、何が起こっているかは察するに余りある。

 

「ねえ巴ちゃん。小学生の頃に持ってた夢って、まだ覚えてたりする?」

 

「え?ええ。まあ、一応……」

 

 あまりに唐突な話題の転換に、話の矛先を向けられた巴は思わず変な声を出した。

 不自然な事は承知しているのか、彩が申し訳なさそうにする。

 

「ごめんね、急で。でも良かったら聞かせてくれないかな」

 

「そうですね……そんなに大した夢じゃないんですが。みんなと何時までも、バカやれたらなって」

 

「……それは、叶ってる?」

 

「ええ。1度は危なくなりましたけど、何とか上手くやれてます」

 

 何になりたいかという、具体的な物は当時の巴には想像がつかなかった。そんな先の事を考えるより、楽しい毎日が続く事を願うように、いつしかなっていたからだ。

 そういう意味では、巴の夢は叶い続けているのだろう。これからは分からないが、少なくとも今は。

 

「そう、なんだ……」

 

 この時、彩がどう思ったのか巴には分からない。羨望、嫉妬、怒り、哀しみ。それらの感情が全て混ざっていたからだった。

 

「……彩さん?」

 

 

「私ね、気づいちゃったんだ。夢は遠いんだなって」

 

 彩は空を見上げた。それに釣られて巴も見上げた空は、ネオンの光に消されかけた、僅かな数の星しか無かった。

 

「この空と同じ。輝けるのは……夢を掴めるのは、ほんの一握りだけ。殆どの人は、かつて見た夢を諦めて、自分が選べる道を選んで生きていくんだって」

 

 伸ばした手はあまりに短い。地の果てから伸ばした手は、天で輝く光には届かない。

 最初の夢を語った人間の何人が、そこに辿り着けた?

 

「私は昔から、ずっとアイドルになりたかったんだ。画面の向こうのあの存在に、ずっと憧れてたの」

 

 自分の夢を語る彩は楽しそうで、しかし、その口調からは一切の情熱が消え失せていた。

 

「………………過去形、なんですね」

 

「──そう、過去形。もう昔の話」

 

 彩は自嘲気味に笑った。その痛々しい姿に巴は目を逸らしかけたが、すんでのところで逸らさなかった。

 ここで逸らせば、それは彩への侮辱になると思ったからだった。

 

「成功した人が居るって事は、反対に失敗した人が居るって事なんだよね。表に出ないだけでさ」

 

 なんで気付かなかったんだろう、こんな単純な事実。スポットライトが当たらない人の方が多いってさ。

 巴は何も言えずに、ただ言葉を聞いている。夜を照らす近くの電灯が、チカチカと点滅しているのが煩わしい。

 

「私は選ばれなかった。でも……」

 

 電灯の明かりが消えた。一瞬で闇に染まった視界では、彩の表情はおろか姿すら確認できない。

 

「……巴ちゃんは折れちゃダメだよ。一度掴んだ夢は、絶対に手放しちゃいけない」

 

 夢に敗れた先輩から助言。まあ、要らないかもしれないけど。

 そう言った後、彩は立ち上がったらしい。靴が砂を踏みしめるジャリッという音と、続いてゴトンという音がした。

 

「話を聞いてくれてありがとう。お陰で、なんか吹っ切れたよ」

 

「でも忘れないで。巴ちゃん達が居る場所は、誰でも居られる所じゃない。何人も居る、選ばれなかった人達の上に成り立ってるんだって事を」

 

 足音が遠ざかる。再び電灯が点いた時、彩の姿はもう何処にも見当たらなかった。周囲を見渡しても影も形もない。

 まるで夢か幻のような時間。そんな時間が嘘ではないと、彩が確かに居たと証明出来るのは、ゴミ箱に捨てられた紙パックだけだった。

 

 足下の影は色濃く伸びて、巴を無言のまま見つめている。

 




最後に彩ちゃんが、暗闇の中でどんな表情をしていたかは想像にお任せします。


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邂逅

 

「……もうそろそろか」

 

 本番前、楽屋でスタンバイする俺達。俺は部屋を見渡して、今日のメンバーを確認する。

 ボーカルに蘭、ギターに紗夜、ベースにひまり、キーボードはつぐみ、ドラムはあこ。

 

 …………なるほど。

 

「見事なまでにギターとドラムに偏ってやがる」

 

「いきなり何の話?」

 

「いや、そういえばベースとキーボードの負担がマッハだなと」

 

 仕方ない箇所も多少はあるとはいえ、やっぱり2人の負担が凄い。ドラムは2人、ギターは3人に対して、ベースとキーボードは各1人ずつというのは宜しくないとは思う。

 だけど楽器って高いし、技術の習得にも時間がかかるから今更別のパートに転向するというのも現実的じゃない。

 結論として、代換案も出ないまま俺は2人に負担を掛け続けている。物凄く申し訳ない。

 

「ひーちゃんってテニス部だったよね?しかもバイトもやってるのにバンド活動してて、身体とか壊さないの?」

 

「ふっふっふー。あこちゃん、私ほどの出来るオンナになると、体調管理は常に万全なんだよ」

 

「おー!ひーちゃん凄い!」

 

 

「…………胡散くさい」

 

「だな」

 

 

「ちょっとそこの2人うるさい!」

 

 サラッと酷い蘭と頷きあった。何故だろう、ひまりが言っても微妙に信用できない感じがする。普段から大丈夫って言って、大丈夫じゃない事が多いのが理由か?

 

「ひまりも凄いけど、つぐみの負担はもっと凄いよね」

 

「私は気にしないけど……」

 

「俺達は気にするんだ。特につぐみは生徒会もあるし、負担ヤバいだろ?」

 

「でも、それは紗夜さんも同じだよ」

 

 ヘッドフォンをして、ギターの最終調整を行っている紗夜に目線が集まる。確かに紗夜も、バンド活動に風紀委員、更に天文部と3つもやる事があるのだ。ひまりに負けず劣らずのハードワークをこなしている。

 みんなでじーっと見ていると、紗夜も目線に気付いたのだろう。ヘッドフォンを外して首をかしげた。

 

「……なにか問題でも?」

 

「いや、今つぐみとひまりの負担がヤバいって話になってさ。同じくらい頑張ってる紗夜は大丈夫なのかって」

 

「ああ、そういう事。それなら問題は無いわ。適度に気分転換はしているし、体調管理も万全よ」

 

「……同じ"体調管理は万全"って言葉でも、なんで紗夜とひまりで説得力が変わってくるんだろう」

 

「そりゃあ、日頃の行いじゃねーかな」

 

 

「ちょっと2人とも?いい加減に私も怒るよ?」

 

 ポンポンと軽く肩を叩かれるが、背後は振り向かない。もし振り向けば、きっとというか間違いなく深淵に引きずり込まれるだろうから。

 

「しかし、紗夜はまだしも、つぐみは大丈夫なのか?店の手伝いもしてるし、このままだと何時か倒れかねないぞ」

 

「だ、大丈夫だよ!私も自分の体調管理はしっかりしてるし!」

 

「そうか。…………つぐみの場合は、ひまりとはまた違った信頼の無さがあるよな」

 

「ええっ!?涼夜君ひどいよ!」

 

 つぐみには悪いが、その言葉はイマイチ信頼性に欠けると思ってしまった。何故って、つぐみは内緒で平然と限界を超えて動くからだ。

 過去にそれで倒れかけたりしているだけに、ある意味で一番信用できない。

 

「羽沢さんは過去の行いを振り返るべきだと思います」

 

「ごめん、つぐみ。あたしもちょっと擁護できない」

 

「つぐちんが倒れかけた時、みんなビックリしたもんね。あの時も大丈夫ってずっと言ってたもん」

 

 

「うっ……」

 

 否定できないのか、つぐみは言葉を詰まらせて目を逸らした。ちょっとでも目を離すとすぐに無茶をしだすのがつぐみだから、これからも注意しておかなければいけないだろう。

 そんな事を考えていると、隣の蘭が声を掛けてきた。

 

「…………ところで涼夜」

 

「分かってる。皆まで言うな」

 

 

「後ろを向けぇー……後ろを向けぇー……」

 

 

「ひまりがプレデターみたいになってるんだけどっ」

 

「見るな。見たら殺られるぞ」

 

 暫く放置していたからか、悪霊モドキに変化したひまりに引きずり込まれないように暫く抵抗していると、楽屋の扉がおもむろに開かれた。

 入ってきたのは千聖。ライブ前には千聖に、人付き合いの練習も兼ねてスタッフさんからの連絡を受けてもらう役目をして貰っている。その千聖が来たという事は、もう時間が来たようだ。

 

「兄さん。スタッフの人が、もうそろそろスタンバって欲しいって」

 

「だってさ。お前達、準備出来ているな?」

 

 

「ひまり、遊んでないで行くよ」

 

「上原さん、おふざけはその辺で」

 

「ひまりちゃん、行こう?」

 

「ひーちゃん何してるの?」

 

 

「ちょ、待ってよ!みんな辛辣ぅ!!」

 

 順々に楽屋を出て行く蘭達の後を、ひまりは慌てて追いかけていた。

 さて、千聖を隣に、蘭達を後ろに連れてステージの端の部分にやって来ると、前のバンドの演奏がちょうど終わりに差し掛かった所みたいだった。

 

「…………」

 

『…………』

 

 空気が張り詰める。さっきまで騒がしかったひまりも、ここに来れば気を引き締めてベースをギュッと握った。

 ここは薄暗いが、もう少し先は多くの人々の注目を集めるステージだ。俺には眩しいとしか感じない場所は、蘭達にはどう見えているのだろう。ふと、そんな事が気になった。

 

 やがて演奏が終わると、拍手と歓声が響いて前のバンドのメンバーがステージの端へと戻ってくる。

 その際、俺に目線が注がれたのを見逃さない。大方、"なんで男がこんな場所に"とでも思っているのだろうな。

 そんな風に人目を集めながら、俺は片手を軽く上げた。

 

「さて、と。じゃあお前ら──派手に決めてやれ」

 

「──分かってる」

 

 不敵な笑みと共に、ぱんっと軽くハイタッチを交わして、蘭達は光り輝くステージへと飛び出していく。俺と千聖は、そんな後ろ姿をただ見送った。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

(……このバンドもダメね、全く話にならない。パフォーマンスだけで基礎技術が微妙、しかもそのパフォーマンスも大したものではない)

 

 ライブハウスの端っこで、友希那は今ライブを終えたバンドをそう評価していた。

 

(ここのライブハウスは初めて来るから少し期待したけれど……)

 

 中々、自分の思い描くようなメンバーには出会えない。それは友希那の求めるレベルが高いというのもそうだが、ガールズバンド自体のレベルの低さも問題だと、友希那は誰にも言わずに思っていた。

 

(……勝手な期待だったかしら)

 

 今まで友希那基準で平均以下のバンドしか出てきていないだけに、そう考えるのも無理の無いことだった。

 半ば失望しながら次のバンドのグループ名を見た友希那は、その目を多少見開く。

 

(……次のバンドは、Afterglow……?このバンドって、確か──)

 

 それは何処かで聞き覚えがある名前だった。友希那は自分の記憶を探って、ライブハウスを巡るうちに自然と耳に入ってきたAfterglowの評価を引っ張り出す。

 

(このバンドが私の聞いた噂のバンドなら、確か"変なバンド"なんて言われていた。ライブの度にメンバーを入れ替えるんだったわね)

 

 過去に類を見ないガールズバンドとして注目を集めている、というのは友希那も聞いている。実際に演奏を見るのは今日が初めてだが……。

 

(丁度いいわ。どれほどの実力なのか見せてもらおうかしら)

 

 もしかすると、自分が求めるメンバーが居るかもしれない。演奏面の評価は聞いていなかったが、そんなものは自分で判断すればいいだけの話だ。他人の評価など、あまりアテにならない事は良く分かっている。

 ステージの端から現れた5人を見る友希那の目は自然と厳しく、そして鋭くなっていった。それは獲物を狙う猛禽の目にも、学生の程を見極める試験官の目にも見えた。

 

 

 そして、演奏が始まる。

 

 

 会場の盛り上がりを見るに、結構な数のファンがいるようだ。曲もリズム良く、会場のボルテージを上げるのに適している。

 薄暗い室内に、熱気という色が灯った。

 

(ボーカルは荒削りだけれど悪くない。他のパートも平均か、それより少し上といったところかしら。

 なるほど、少なくとも他のバンドよりは実力があるようね)

 

 友希那は自分の感性に対して絶対の信頼を置いている。その自分の感性が認めたのだから、Afterglowというバンドは見掛けだけのハリボテバンドではないようだと評価を改めた。

 

(しかしなにより……)

 

 友希那の目を惹いたのは、ギターを担当している紗夜だった。

 

(あの子、出だしから並の腕前ではないとは思っていたけど……)

 

 曲が進むにつれて分かる基礎技術の高さ。それは今まで見た事の無いレベルであり、同時に友希那が求める理想に当てはまるものだった。

 

(見つけた。この子となら……)

 

 演奏が終わるまで、友希那の目は紗夜に釘付けになっていた。

 

 

 やがて全ての演奏が終わると、室内に相当量の歓声が広がる。やいのやいのと喧しい声の津波の中から、友希那は幾つかの単語を拾い上げた。

 

「ら〜〜〜〜ん〜〜〜〜」

 

「紗夜ーーーっ!最高ーーーッ!」

 

「つぐみちゃーん!こっち向いてーー!」

 

「ひまりちゃん良いよーーー!」

 

「おねーちゃーん!」

 

「ちょっと燐子さん?!しっかりして下さい!まだ傷は──し、死んでる……!?」

 

「あこちゃんポーズとってー!」

 

 

(………………誰が誰なのかしら)

 

 幾つか名前らしき単語を頭の中で並べつつ思ったのは、誰がどの名前なのかサッパリ分からないという事だった。

 しかし、それならそれで問題はない。友希那は、楽屋の方に向かえば見つけられるだろうという何処か楽観的な予想と共に足を動かした。特徴的な髪色は覚えたし、目立つから見つけやすい筈だ。

 そう考えた友希那は、未だに興奮冷めやらぬステージから出演者が通る通路へと消えていった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「お疲れさん。今日の出来はどうだ?」

 

「いつも通り、かな」

 

 汗をかきながらも満足げな蘭は、上機嫌さを隠さずにそう答えた。最初期の頃の、終わった後も緊張していた蘭の姿は今では想像も出来ない。

 

「あこも今日のライブ良かったーって思うよ!決めポーズも出来たし!」

 

「いいライブでした。上原さんが1度だけ半音外した以外にミスもありませんでしたしね」

 

「やっぱりバレてたぁ……やっちゃった!って思ったんだよね〜」

 

「ひまりちゃんミスしてたんだ……自分のパートでいっぱいいっぱいで気付かなかったよ」

 

 蘭だけではない。ここに居る4人は勿論、恐らく観客席から見ていたであろう巴やモカも、最初よりは緊張の度合いは格段にマシになっている。

 ……日菜は最初から"出来て当たり前"みたいな感じだったから含まれていない。あいつは本当に緊張とは無縁だ。

 

「兄さん、優しい目をしてるわ。何を考えているの?」

 

「蘭達が成長したなぁって思ってた」

 

「アンタはあたし達の父親か」

 

 珍しい蘭のツッコミに全員から笑いが起こった。

 さて、このままステージ衣装から着替えて打ち上げに向かうかと思いながら廊下を歩いていると、前に誰か居る。千聖と同じくらいの身長の女子だ。

 誰かを待っているのか、道行く人に目を向けては戻し、を繰り返していた。

 

「あれは……」

 

「紗夜、知り合いか?」

 

「一応……学校の同学年というだけで、接点なんて殆どないけれど」

 

 その姿を見た紗夜が反応した。聞けば、学校の同学年という程度の間柄とのことだが……それってつまり、赤の他人って事じゃないか?

 

「…………なんか見られてない?」

 

「バッチリ見られてるね……」

 

 蘭の呟きにつぐみが声量控えめで答える。蘭の言葉通り、何故かこっちをじっと見たまま動かない。

 やがて女子は「……見つけた」と言ったかと思うと、ゆっくりと、しかし確実に俺たちに向かってきた。

 

「もしかして、あの人って……!」

 

「あこ、知ってるのか?」

 

「うん!湊友希那さんっていって、超カッコイイ人!まさかこんな近くで見られるなんて、あこ感激!ええっと、サイン色紙って何処に仕舞ってたっけー?」

 

 歓喜からか、声が大きくなったあこの言葉。本当にファンなようで、持っていない筈のサイン色紙とペンを探してポケットを漁りはじめた。

 

「湊友希那って、ソロでボーカルやってる、あの湊友希那……?」

 

「──貴方達がAfterglowね」

 

 俺は初めて見る湊友希那という少女は、蘭達に相対するなりそう言った。人違いでも何でもなく、蘭達に用があるみたいだ。

 俺は何も言わずに千聖を連れて僅かに距離を置き、壁に寄りかかった。俺が出しゃばるような案件ではないのは分かっているからだ。音楽関連では、俺が力になれる事はあまりに少ない。

 

「ええ、そうですけど……何か用ですか?」

 

「さっきギターを弾いていた貴女に用があって来たの」

 

「……私ですか?」

 

 紗夜の声には明らかな疑問符が宿っていた。紗夜の声を聞いた友希那という少女は紗夜の前まで移動する。それは言外に、それ以外の全員に用はないと宣言しているように見えた。

 

「さっきの演奏は見させてもらったわ。貴女は相当な実力を持っているようね」

 

「ありがとうございます。歌姫と名高い貴女にそう言われるとは光栄ですね。

 …………それで、本題は?まさかその為だけに待ち伏せをしていた訳ではないでしょう」

 

「ええ、もちろん。じゃあ本題に入るのだけれど──」

 

 俺だけでなく、蘭達も事の成り行きを見守る中で、友希那という少女は爆弾発言をかましたのだ。

 

「──貴女、私とバンドを組まない?」

 



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一時(ひととき)のみ交差する道

 

 ──時間は少し前、ライブが開演するより10分くらい前に巻き戻る

 

 仕事終わりや学校帰りの人々が行き交う夕方の駅前広場は、今日も凄い人の量と熱量だった。

 

(…………まだかな)

 

 そんな駅前広場のベンチに座る、長い黒髪の少女。おどおどと周囲を見渡す姿は、まるで何かに怯えているようだった。

 

「あ、いたいた。おーいっ!」

 

「待てよ日菜!こんな人混みの中で走るなって!」

 

 そんな少女に駆け寄る日菜。その後を追って走るモカと巴。声を掛けられた少女はビクッと肩を震わせた。

 

「やっほー、りんりん!待った?」

 

「えっと、いえ。私も……今来た、ところで……」

 

「日菜ちん早すぎ〜。モカちゃんは汗だくなのですよー」

 

「全くだ。ふぅ……日菜について行くのは一苦労だな」

 

 息が一つも乱れていない日菜と、汗ダラダラなモカと巴。どうやら相当、日菜に振り回されたみたいだった。

 

「よしよし。じゃあ行こっか、全員揃った事だしね!」

 

「え?あの、これから何処に……」

 

「おいおい日菜。説明も無しで連れていくのは流石にダメだろ。ですよね燐子さ……」

 

「ひっ」

 

 巴が目線を向けただけで、少女は怯えたような声をあげて近くに居たモカの背中に逃れた。

 それはまるで恐ろしいものから逃げ出そうとしているようで、露骨にそんな事をされた巴は心が物凄く傷付いた。

 

「トモちんは嫌われてますなー」

 

「あっ、いえ、その…………えっと」

 

「初対面が初対面だったからねー。まあ当然の結果じゃないかな?」

 

 少女──白金燐子は、あこがやっているネトゲ経由でAfterglowと知り合った少女である。

 しかし、あことの出会いがネトゲのオフ会というものだった事、そしてそれに無防備にホイホイ出向いた事が巴の逆鱗に触れてしまい、あこと共に正座で1時間という長い説教に晒されてしまって以降、巴の事が異様に苦手になってしまったのだ。

 

「……それは良いよ。それよりほら、行き先を言わないと」

 

「トモちんが傷付いてる。これはちょっと茶化せないかも」

 

「じゃあババっと本題に入ろっか。えっとねー、りんりんにはこれから──」

 

 いつもよりテンションが低い巴に心のダメージを察したモカが日菜に本題に移るように促し、それに頷いた日菜が話を転換する。

 燐子はこのメンバーで出かけたことなんて無い(というか、あこ以外と出かけたことなんて家族としか無い)から、どこに行くのかはまるで分からない。

 

 だから自然と身構えた燐子に対して、日菜は燐子にとって最悪の言葉を投げつけたのだ。

 

「──ライブハウスに行ってもらいますっ!」

 

 

 

「………………えっ?」

 

 ライブ、ハウス?

 燐子の脳内に言葉が反芻され、脳内でその意味を弾き出した。それはつまり

 

「ライブ、ハウス…………ひっ、人が……たくさん……!」

 

「ほらー。やっぱりこうなるから、あたしは黙って連れて行こーって言ったんだよ」

 

「いやでも、何も言わないとそれこそ疑われるだろ」

 

「ともちんは頭が硬すぎるんだよー。ソイヤのし過ぎで頭イカれちゃったんじゃないの?」

 

「ソイヤは関係ないだろ?!」

 

「いーや、関係あるね。大アリだよ。ともちんを変人たらしめる要素の10割はソイヤだっていうのはAfterglow内では常識なんだから」

 

 日菜と巴が何か言っているが、今の燐子はそれどころではない。

 人混みが、というよりはコミュ障が極まって人そのものが苦手な燐子にとって、多くの人が集まるライブハウスは此の世の地獄と呼んでも差し支えない場所であった。

 

 ぶっちゃけ駅前広場に居るのだって精神的に辛かったのに、ライブハウスになんて連行されたら精神的に死んでしまう。

 

「わ、私っ、急用を思い出した……のでっ」

 

 そうと決まれば行動は素早い。燐子史上最速でモカの背中から離れたかと思うと、これまた燐子の過去に類を見ない早さで此処から逃げ出そうとした。

 

「まあいいや。ソイヤが頭へ及ぼす影響は追々調べるとして、今はとにかくライブハウスへレッツゴーするよ」

 

 が、それはあくまで燐子の中での話。日菜からすれば、正直欠伸が出るくらいトロい動きであった。

 悲しいかな、超インドア派な燐子では日菜から逃げることは出来ないのである。

 

 ガッと服の首元を掴まれた時、燐子は目の前が真っ暗になったような感じがした。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 そして、時間は元に戻る。

 

「なっ──!?」

 

「おおう、コイツはエラいハリキリガールがやって来たじゃねぇか」

 

 蘭達は絶句し、涼夜が冗談交じりにコメントする横で、紗夜は言葉の意味を咀嚼していた。

 バンドを組む。自分と、目の前の少女が?

 

「……それは、私がAfterglowに所属していると知っての発言ですよね?」

 

「ええ、無理なお願いなのは承知しているわ。だけど私は貴女が欲しいと思った」

 

 随分と情熱的な事だ。声にも熱が篭っているし、これは本気の勧誘なのだろう。

 

「分からないですね。何故そこまで私に拘るんですか?他バンドに所属している私を引き抜くなんていう分の悪い賭けをするよりも、ソロで活動している人を見つけた方が早いと思うのですが」

 

「分の悪い賭けなのは分かっているわ。でも私に残されている時間は、もう殆ど無いの。一刻も早くFUTURE WORLD FES.に出られるだけのメンバーを見つけないと……」

 

「…………」

 

 どうやら何かしらの事情があるらしい。鬼気迫るような友希那の姿を見ながら、紗夜は冷静にそう分析していた。

 

「FUTURE WORLD FES……確か、プロですら出場が容易ではないという、このジャンルで頂点といわれるイベントでしたか。それに参加するために私が欲しいと。そう言いたいのですね」

 

「ええ。貴女となら行ける。私はそう確信したわ。貴女にはそれだけの力がある」

 

 この友希那という少女は、きっと本当ならソロで出たいはずだ。ソロで出られるのならこんな風にメンバー探しなんてするわけが無い。

 しかし確か、FUTURE WORLD FES.の参加条件として最低でも3人は必要だ。人数制限という壁に阻まれたから、こうして無理な勧誘さえしているのだろう。

 メンバーを引き抜かれるバンドの友希那への印象は最悪レベルにまで落ちるだろうが、そうするだけの理由があるのだ。

 

 今の紗夜には分からない何かが、この友希那という少女を突き動かしている──そんな印象を受けた。

 

「ですが、貴女が音楽に向ける姿勢──本気で上を目指すという姿勢と、私の姿勢は噛み合っていない。

 確かに私もFUTURE WORLD FES.には惹かれますし、出来るなら上を目指したいとも思っている。しかし、その志の高さは貴女に遠く及ばない。そんな私が入っても、バンドの空気を悪くするだけではありませんか?」

 

 もうちょっと俗な言い方にしてしまえば、ガチ勢の友希那のバンドにエンジョイ勢の紗夜が入ってしまっても良いのか?という事だ。

 日菜ほどではないが、紗夜も場の空気を悪くする事に関しては(無論、悪い意味合いで)かなり自信がある。だから普段は自分から発言はせず、意見を聞かれた時に述べる程度に発言の頻度を減らしているのだ。

 

 そんなエンジョイ勢の紗夜が、他の──恐らくはガチ勢であろうメンバーから評判が良い筈もない事は想像に難くない。最悪、バンド分裂の元凶にさえなってしまうかもしれない。

 そんな紗夜の不安はその通りだと思ったのか、友希那は頷いた。

 

「そうかもしれないわね。でも、それは私が何とかしてみせるわ」

 

「随分な高待遇ですね」

 

「それだけの価値があると思ったのよ。私は貴女の実力もそうだけど、何より音を気に入ったの」

 

「音……」

 

 と、紗夜が呟いたタイミングで二人の間に割り込む姿がある。それは、怒りに顔を歪めた蘭の姿だった。

 

「ちょっと待って下さいよ。なに勝手に、あたし達を無視して話を進めてるんですか」

 

「貴女達の意見は聞いていないわ。私は、この子の答えだけを待っているの」

 

「でも紗夜はあたし達のメンバーです。そんな横暴を認めるわけには……っ!」

 

「止めろ。あまり口を挟むなよ蘭」

 

 そこで涼夜が止めた。壁に寄りかかったまま放たれた、物理的拘束力は何も無い言葉だが、それは蘭を止めるのに十分な威力を持っていた。

 

「ッ!じゃあ涼夜は良いの!?もしかしたら、このまま紗夜が居なくなるかもしれないのに!!」

 

「だとしても、それは今生の別れじゃない。会おうと思えばいつでも会えるし、それに、これは紗夜の選択だ。紗夜がやりたいのなら、それで良いと俺は思う」

 

 会おうと思えばいつでも会える。そう言った時の涼夜の目が遠い所を見ていたのに気付いたのは、千聖を除いて他に居ない。蘭はヒートアップして気付けず、他の全員はそもそも涼夜を見ていなかったからだ。

 つぐみやひまりは蘭を不安そうに見ていたし、あこは友希那と蘭と紗夜を交互に見ていて、紗夜に至っては目を閉じていた。

 

「そんな無責任な!」

 

「だが正しい物の考えだ。人生なんて、どうせ何をやっても後悔する。例えば二つの分かれ道があったとして、そこで右を選んでも、左を選んでも、道を選んで進んでから思うのさ。「ああ、やっぱり向こうを選べば良かった」ってな。蘭にも覚えはあるんじゃないか?」

 

「それは、そうだけど……!」

 

「ならせめて、その時にやりたい事をやれば良い。将来的に何をしても後悔するんなら、今は後悔しない事をすべきだ。そして、それについて他人がアレコレ言うもんじゃないと俺は思っている。…………だけどな、紗夜」

 

 紗夜は目を開いて涼夜を見た。涼夜の目が紗夜を見据えていた。真剣な目だ。冗談でも何でもなく、本気で紗夜のためを思って言っている事は伝わってきた。

 

「言うまでもないが、"本気でやりたい事"なのが前提だからな?」

 

「……分かってるわ」

 

 紗夜は友希那に向き直った。蘭は横に退いて、怒りと不安が混ざった表情で紗夜を見た。

 

「湊さん。取引をしましょう」

 

「取引?」

 

「ええ、取引」

 

 いきなり何を言い出すんだろう。それはこの場にいたほぼ全員が思った事で、自然と困惑したような眼差しが紗夜に注がれた。

 ……ただ2人、涼夜は面白そうに紗夜を見ていて、千聖はそんな涼夜の腕の中で涼夜の事をじっと見つめていたが。

 

「まず前提として、私はAfterglowのギターを辞めるつもりはありません。このポジションが私の居場所なので。

 しかし、貴女が引き下がるつもりもないというのも、また事実。そうですね?」

 

「もちろん。私はチャンスを逃がしたくないの」

 

「なら答えは単純です。湊さん、貴女がAfterglowに来ればいい」

 

 その言葉は少なからず友希那を驚かせたようで、少し驚いたような顔を紗夜に見せた。

 そしてそれは蘭達も同じ。しかし、その衝撃は友希那が受けたものよりも大きかったようで、ひまりなんてベースを落としかけていた。

 

「契約期間は湊さんが私に代わるギター担当者を見つけるまで。契約期間中、湊さんにはAfterglowに参加して貰い、私は湊さんとバンドを組む。これでどうですか?」

 

「私が、貴女達と……?」

 

「その通り。勿論の事ですが、Afterglowがチームである以上、ある程度の枠組みには縛られる事にはなります。が、そこは必要経費だと割り切って頂きたいですね」

 

 暗に「私は貴女と行く気は無い」と言われた友希那は表情が微かに曇ったが、紗夜は畳み掛けるように言葉を続けた。

 

「どうです?ここまでが私の譲れるギリギリのラインです。しかし、そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが?」

 

「……いいわ。それで貴女と組めるなら安いものよ」

 

 僅かな逡巡。しかし直後に普段のクールな表情に戻って頷いた。それを確認した紗夜も頷いて片手を友希那に向けて出す。

 

「契約成立です。……自己紹介が遅れました、私の名前は氷川紗夜。これから僅かな間だけでしょうが、よろしくお願いします」

 

「湊友希那よ。これからよろしく」

 

 がっちりと交わされた握手。この瞬間から友希那はAfterglowに参加する事になり、同時に紗夜が友希那とバンドを組む事となったのだ。

 

「……他のメンバーの紹介は追々済ませますが、先ずはリーダーである彼だけ、先に紹介しておきましょう。涼夜」

 

「はいはいっと……さて、ようこそAfterglowへ。湊さん、まずは貴女の参加を歓迎しよう。俺は星野涼夜。星野でも涼夜でも、好きに呼んでくれて構わない」

 

 壁から動かずに片手を上げただけの軽い挨拶。男がリーダーをやっている事に友希那は軽く驚いたが、"まあそんな事もあるだろう"と深く考える事はしなかった。

 

「友希那でいいわ。それより最初に言っておくけれど、私は常に音楽を最優先にする。契約だから貴方の言う事にある程度は従うけれど、それだけは忘れないで」

 

「分かってるさ。過度の干渉はしないから、そっちは昨日までの普段通りにやれば良い」

 

「そうさせてもらうわ。…………じゃあ、私は出番があるから失礼させてもらうわね」

 

 去っていく友希那の背中を見送りながら、涼夜は紗夜の隣に移動した。

 が、何を思ったのか友希那は途中で足を止めたかと思うと、振り返って再び紗夜達を見た。

 

「…………そうだ。折角だから、この後の私のライブを見ていってくれないかしら」

 

「……それは構いませんが、しかし何故?」

 

「思えば、私の歌を貴女達に聞かせていなかった。だから私が紗夜とバンドを組むに相応しい実力である事を、この後の出番で証明したいの」

 

「貴女の実力は私の耳に聞こえてきていますが、それでは不足だと?」

 

「飾られた言葉に意味なんて無いわ。実力の程は、他人が勝手に付けた称号や役に立たない噂よりも、その目で見たモノで測られるべきだと私は思っているから」

 

 それだけ言い残して、今度こそ友希那は廊下の奥に消えていった。

 

「…………それにしても随分と大きく出たな。まさかあんな事を言い出すなんて」

 

「いけなかったかしら?」

 

「いや、まさか。来る者は基本的に拒まず、去る者も基本的に追わない。それがAfterglow憲章だからな」

 

「それ、まだ残ってたのね。てっきり時間の経過で無くなってる物だと思ってたわ」

 

 本気で感心したような紗夜の言い方に、涼夜は肩を竦めて返事を返した。

 

「記憶力は良い方なんでな。それより早く着替えないと、友希那のライブに間に合わなくなるぞ」

 

「そうね。行きましょう皆」

 

「へ?あ、ちょっと待ってよ紗夜!」

 

「涼夜君、千聖ちゃん。また後でね!」

 

 一足先に歩き出した紗夜を追いかけるようにして、事の成り行きをただ見守っていた蘭達も着替えのために奥へ消えていく。

 

「後でなー……っと。俺達は先に行ってようぜ、千聖」

 

「ええ。そうしましょう兄さん」

 

 それを涼夜と千聖は見送りながら、ゆっくりとライブ会場へと足を向けた。

 



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そのあとの話

「紗夜、どうして?」

 

「何がですか?」

 

 更衣室で着替えている最中、蘭は思った事を紗夜に聞いてみる事にした。

 ロッカーの扉で遮られた向こうから聞こえる紗夜の声に、蘭は疑問をぶつけていく。

 

「なんであの人……湊さんをAfterglowに迎え入れたのかなって思ってさ」

 

「不満でした?」

 

「……そういうわけじゃないけど」

 

 そんな事を言っている割には、明らかに不満を押し殺したような声色だった。本人は隠せているつもりなのだろうが、普段より明らかに声のトーンが低い。

 こんなに分かりやすいのなら、あこだって騙されはしないだろう。

 

 まあ、初対面でメンバーを引き抜きにかかり、しかも「黙って見ていろ(意訳)」なんて言われれば、好意的に見ろというのも無理だろうが。

 

「てっきり断るものだと思ってたからさ」

 

 蘭には分からなかったのだ。どうして紗夜が、自分をダシにした条件を提示してまで友希那を迎え入れたかったのかが。

 

「…………まあ確かに。美竹さんの言う通り、最初は断ろうと思っていましたよ」

 

 ハンガーを掛けるカチャッという音が向こうからして、続いて衣擦れの音。声がくぐもっているのは、服を脱いでいる最中だからだろう。

 

「じゃあ、なんで?考えを変える理由があったって事だよね?」

 

 今度はひまりの声。紗夜の真意が気になっていたのは蘭だけではないようだ。

 その際、なんとなく視界に入ったからという理由でチラリと上半身下着姿のひまりを蘭は見て、そしてすぐに後悔した。

 

 デカイな。という言葉で、蘭がどの部分を注目したのかを大体は理解できるとは思う。最初に注目したそこもヤバいが、しかし次に目が移った、その下の細さも地味に反則級なんじゃないかと蘭は思った。

 ひまり、それで腰周り気にしてるなんて巫山戯た事を言っていたのか。思わず舌打ちしなかったのを誰か褒めて欲しい。

 

「そうですね。なんと言ったらいいのか……」

 

 黙り込む紗夜。沈黙が支配する更衣室。少しの間、着替えの音だけが空間を埋め尽くしていたが、やがて紗夜が口を開いた。

 

「……理由の一つとしては、美竹さん。貴女にあるんです」

 

「あたしに?」

 

 何故そこで蘭の名前が出てくるんだろうか。それが分からないから蘭達は疑問符を浮かべる事しかできず、分からない事を分かっているから紗夜はすぐに言葉を繋いだ。

 

「ええ。ボーカルを独学でやるというのも、色々と限界があるでしょう」

 

 ギターやベースといった楽器の指南書はある。本屋のコーナーにでも行けば、それこそ豊富すぎて逆に何を選べば良いのか分からなくなる量だ。

 だがボーカルはというと、これはあまり無い。人それぞれに違う声域や出せる音の限界が異なってくるからなのか、楽器とは比べるのも烏滸がましいレベルで量が少ないのである。

 

「だから、その手の道で先を行く人が間近に居れば刺激になる。そして技術も盗める……というのは言い方が悪いですが、私にとっての日菜のような存在に、湊さんにはなって貰いたかったんです」

 

 超えるべき壁。あるいは、近くに居るだけで喚起されるようなライバル。

 そんな存在として友希那が欲しかったのだと紗夜は語った。

 

「盗むって……言い分は理解できるけど、なんか嫌だな」

 

「考え方の問題ですよ。技術は盗むだけでは唯のパクリでしょうが、モノにして自分用に発展させてしまえば立派に胸を張って自分のだと主張できる……何も、目新しい事を確立するだけが技術ではない。違いますか?」

 

 ひょっこりと、紗夜の顔がロッカーで遮られた向こうから出てきた。

 どこまでも冷静さを崩さないその目からは考えが読めない。それが本心かもしれないし、建前かもしれない。どちらが真実なのかを見極める術を、蘭は持ち合わせてはいなかった。

 

「……考え方か」

 

 だが、別にどちらでもいいだろう。本心からなら、それはそれで構わない。そして例え建前だったとしても、結果として悪い方には転がらないだろうから。

 今までもそうだった。なら今回もそうだろう。そんな信頼という名の思考放棄と共に蘭は頷いた。

 

「ええ。要は物の考え方ですよ。………さて、そろそろ行きましょうか」

 

 ガチャンとロッカーが閉められる音がした。その音を皮切りにして、周りからも次々と同じような音が聞こえてくる。

 それに追従するように、蘭もロッカーを閉じて荷物を持った。

 

「あの人の歌、楽しみだなー」

 

「いい席は取られてるかもね。ファンも多そうだし」

 

「場所なら、おねーちゃん達が取っててくれてるかも?」

 

「どうかな……」

 

 紗夜を先頭に更衣室から5人が出る。先頭を歩く紗夜は、ただ無言で、観客席の方へと歩いていた。

 

 

 

 

 もう時間は遅い筈だが、未だにどよめきが収まることが無い人混みの中、メンバーはステージから左後方の場所に陣取って、友希那の出番を待っていた。

 

「りんりん、大丈夫?なんか顔が白いような気がするんだけど……」

 

「あ、あこちゃ……私、もう、無理かも…………」

 

「が、頑張って!あと少し、少しだけだから!」

 

 死にかけの燐子を必死にあこが応援する傍ら、紗夜と日菜はそれぞれ違う面持ちでステージを見つめている。

 

「おねーちゃんが別の人とねぇ……意外だなぁ。てっきり、そういう事はしないと思ってたから」

 

「…………まあ、色々あるのよ。色々とね」

 

「ふーん」

 

 日菜も深く詮索するつもりは無いのだろう、両手を頭の後ろにやりながら欠伸を噛み殺していた。

 

「まっ、あたし的にはどうでもいいけどね。どっちにしたって、どうせ変わらないんだし。そうでしょ?」

 

「まあ、そうね」

 

 日菜がステージを見つめる目は何処までも緩やかで、そして何処までも眠そうであった。ともすれば、次の瞬間には寝てしまいそうなくらいに。

 そんな様子を見かねた紗夜は、溜息と一緒に呆れを言葉に込めた。

 

「……寝たいなら先に帰ってて良いわよ」

 

「おねーちゃんはー、あたしに空きっ腹を抱えて帰れと申すかー。この後の打ち上げのために、お腹を空かせているのにー」

 

「嫌ならしっかりしなさい。演奏を聴きに来ているのだから、その態度は失礼よ」

 

「はーい」

 

 そんなやり取りを交わしている氷川姉妹より少し前の位置で、蘭は真面目な目でステージを見つめていた。

 その目には複雑な思いが絡み合っているのだろう。言葉に出来ない感情未満の断片が、瞳に浮き上がっては沈んでいた。

 

 そんな蘭の意識を乱したのは、背後から飛びついてきたひまりだった。

 

「らーん。そんな怖い顔しちゃって、さっきのがそんなに気に入らなかったの?」

 

「……別に。そういうわけじゃ」

 

「そうやって誤魔化しても〜、顔に出てるぞー。うりうりー」

 

「ちょ、ひまり、やめてって!」

 

 ぐにぐにとひまりに頬を弄られて何とか普段の調子を僅かに取り戻せたが、ひまりがそうしなければ誰も蘭に近寄ろうとはしなかっただろう。

 現に、蘭の周辺だけ微妙に空間が空いていた。結構な混雑の筈なのに、ここだけ空いていた。

 

「それにしてもさ。もしかして、このお客さん全員が湊さんのファンとかなのかな?」

 

「……だろうね」

 

 友希那を除けば、もうめぼしいバンドも残っていない。その可能性は高いだろうと蘭は思っていた。

 

 その予想が当たっていたと分かったのは、友希那がステージに現れた瞬間から会場の熱量が静かに上がった時だ。

 

「……来た」

 

「おお……ステージに上がるだけで、こんなに……」

 

 まだ姿を見せただけだというのに、観客の熱気が最高潮に達しかけている。友希那と観客達が纏う雰囲気に蘭は気圧された。

 声は消え、呼吸音すら響きそうな静寂の中で、友希那は堂々としている。その様子は、友希那が場馴れしている事を言外に示していた。

 

 そしてマイクを持ち──静かに、歌い出す。

 

 

(こ、れは……っ!?)

 

 蘭の肌がぞくりと粟立った。

 

 歌姫などと呼ばれていたから、それなりの実力はある事は分かっていた。分かってはいた筈なのだ。

 しかし、友希那の歌声は蘭の予想を遥かに超えていた。予想を上回るほど強く、そして美しい声が胸と鼓膜を打つ。

 

「────」

 

 ひまりも何も言えずに友希那をただ呆然と見つめていた。その声に聞き惚れている、といった感じだった。

 

「……へえ、流石にやるかぁ」

 

「伊達に歌姫などと呼ばれてはいない、という事ね」

 

 眠そうな目のまま、日菜が素直な賞賛を口にした横で紗夜も頷いた。

 

 声だけで人の気分を高揚させるだなんて、そうそう出来ることではないのは承知している。

 それを当然のように出来る友希那は、やはり並大抵の実力ではないのだろう。流石に歌姫などと呼ばれて注目されているだけの事はあるようだ。

 

「これは、私も頑張らなければいけないわね」

 

「頑張れー」

 

 紗夜は小さく頷いた。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 《リサ。私は今日、やっとバンドメンバーを見つけられたわ》

 

 普段通りに見えて、でも何処か嬉しそうに友希那は語る。友希那らしくないけど、それくらい嬉しかったって事なんだろうなって分かった。

 

「そうなんだ……やっと、見つかったんだね」

 

 立ち上がって窓際まで歩く。シャッとカーテンを開けば、すぐ側には友希那の部屋に電気の点いている様子が伺えた。

 そして窓ガラスに反射するアタシの顔は、なんとも言えない表情を作ってそれを聞いている。

 

 《ええ、やっとよ。やっと始まったの。この調子で最低でも1人、出来れば3人、見つけてみせるわ》

 

「…………ねえ友希那。そのバンドを組む人って、どんな人なの?」

 

 友希那が認めたって事は、つまり凄い演奏技術を持つ人なんだろうなって事は分かる。だけど、それ以外は?

 友希那は幼いところが多いから、もしかすると騙されていたりするかもしれない。あるいは、その性格が最悪に近かったりしたら?

 

 ……杞憂といえばそうだし、音楽から遠のいたアタシが偉そうに気にする事じゃない。だけどやっぱり、気になっちゃうんだよ。

 そんなアタシの思いは、次の友希那の言葉で驚愕に変わる。

 

 《氷川紗夜って女子高生よ。貴女も知っている筈よね、だって毎回服装検査で引っ掛かっているもの》

 

「えっ?もしかして、あの紗夜なの!?風紀委員の!」

 

 《ええ、そうよ。その紗夜で間違いないわ》

 

 紗夜といえば、アタシの中では大真面目で成績もトップの典型的な優等生ってイメージだったし、実際にその通りの事しかしてなかったから、音楽活動なんて欠片も興味ないと思っていたのに。

 

「い、意外……それで、紗夜は何やってるの?」

 

 《ギター。申し分ない実力だったわ。あれでソロなら最高だったのだけど……》

 

 そんな友希那の言葉に、アタシは引っ掛かりを覚えた。"ソロなら最高だった"?

 

「あのー、友希那?」

 

 《どうしたの?私、もうそろそろ寝ないといけないから手短にね》

 

「紗夜って、他のバンドに居たの?」

 

 《ええ。だけど私は譲れなかったわ》

 

 友希那の返事に、アタシは内心で頭を抱えた。友希那が何をしたのかは大体の想像が出来るけど、まさかそんな事をするなんて思わなかったんだ。

 

「他のメンバーも居ただろうに、良く許したよね……」

 

 《条件付きなのよ》

 

「条件?」

 

 《私はこのバンドのギターを辞めるつもりはないけれど、貴女も諦めないのは分かっている。

 だから、私の代わりのギターが見つかるまで、貴女には私達のバンドに参加してもらう。その代わりに私はバンドを組む……と言われたわ》

 

「それは……まあ、そうだよね」

 

 アタシ達の世代が作るバンドって大体は友達同士とかで作られてるから、そりゃ離れたがりはしないよ……。

 

「それで、友希那が参加したバンド名は?」

 

 アタシは軽い気持ちで聞いていた。あの紗夜がバンドを組んでいるという事実が、アタシに好奇心を与えていたんだ。

 どんな人達と組んでるんだろう、やっぱり優等生みたいな人達とかな。なんて。

 

 《バンド名なんて、リサが聞いてどうするのよ》

 

「いいじゃんいいじゃん!ほら、教えてよ〜」

 

 《……仕方ないわね。1度だけよ》

 

 この時は、間違いなく聞いたことないバンドだろうし、明日の学校で友達に聞いてみても良いかも。なんて考えていた。

 

 《バンド名は──》

 

「バンド名は……?」

 

 だから、()()()()()()()()()その名前が友希那の口から出た事は、大きな衝撃だった。

 

 《──Afterglowよ》

 

「へー、Afterglow……えっ?」

 

 Afterglow。その別名は、変人達の集まり

 



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進む者、止まる者


お待たせした割りにクオリティは……お察しです。



 

 Afterglowという単語は、アタシのように普通に生活してる女子高生の耳にも入ってきている。……とはいっても好意的な物では、あんまりないけど。

 

 この近辺でアタシ達が小学生くらいの頃からずーっと活動し続けているという、変な子供達の集まり。あるいは行き場の無い子供たちの溜まり場。そんなふうに言われている。

 普通の子供ではやらないような事をやっていて、多くの大人から気味悪がられてるっていうのは結構有名な話だ。

 

 とても助かってるっていう好意的な意見も有るらしいけど……全体的に見れば、やっぱりネガティブな意見の方が目立つ。

 

 ここまで具体的な情報は知らなくても、親から名前くらいは聞いたことがある、程度の人もいるだろう。

 とにかくAfterglowという名前はそれなりに知られている。どちらかといえば、悪い意味合いで。

 

 そんな場所に友希那が居る。個人的には真面目を地で行く紗夜が居るのも驚きだけど、それ以上に友希那が心配だった。

 名前が同じなだけの別バンドとは考えなかった。だって、紗夜がギターをやっているAfterglowをネットで探したら、やがて上の話に行き着いたから。

 

「紗夜、今ちょっと時間いい?」

 

「今井さん?」

 

 休み時間、アタシは急いで教室を飛び出して紗夜の居るクラスに向かった。

 紗夜はアタシを珍しい物を見るような目で見ていたけど、それは仕方ない。だって、昨日までのアタシなら紗夜に話しかけようなんて思わなかったんだから。

 

「聞きたい事が、あってさ。ちょっと場所変えない?」

 

「……ふむ。別に構いませんが、次の授業もありますから、なるべく早めに」

 

「わーかってるって」

 

 アタシは紗夜と、強い日差しが当たらない階段のロータリー近くまで場所を移す。

 

「今井さんが聞きたい事とは珍しいですね、なんですか?」

 

「いや、そんなに大した事じゃないんだけどさ……」

 

 言おうとした瞬間に友希那の後ろ姿を廊下の向こうに見てしまって、思わず口ごもる。

 これは友希那の問題なのに、アタシが口を挟んでいいんだろうか?そんな思いが駆け巡った。

 

「……友希那が、Afterglowに参加したって聞いてさ」

 

「ああ、そういう事」

 

「うわっ!?」

 

 急に背後から声を挟まれたから振り向いたら、アタシと鼻先がくっつく場所に日菜の顔があった。

 

「あははっ、リサちー面白い反応だねー」

 

「日菜。どうして此処に?」

 

「んーとね。リサちーが難しい顔で出てったから、楽しい事があるのかと思って尾行してきた」

 

 アタシがバクバク鳴っている心臓を落ち着かせている間に、アタシを挟んで紗夜と日菜の2人が会話している。

 そして尾行してきた、と言った後に今度はアタシに声を掛けてくる。

 

「ところでリサちー、それを確認してどうするの?」

 

「どうって……」

 

「リサちーには関係の無い話だよね?」

 

 うぐっと思わず言葉を詰まらせる。確かに、これはアタシのお節介というか、自己満足に分類される行為だ。

 

「友希那は……ちょっと子供っぽいからさ。迷惑かけてないかなって」

 

 違う。本当に聞きたいのはこれじゃない。だけど、それはいきなり聞ける事じゃなかった。"変人達の中に入れられて、友希那に悪い影響は出ないのか"だなんて、アタシが聞かれたら間違いなく良い気分はしない質問だ。この2人なら……どうなるか分からない。

 アタシの質問で友希那の立場が悪くなるかもしれないと思うと、アタシのエゴで友希那に迷惑は掛けられなかった。

 

「昨日の今日で迷惑なんて掛けようがないって。ねえ、おねーちゃん?」

 

「そうね」

 

 建前の質問に答えた2人を見て、アタシは心の中を悟られなかった事に安心していた。

 普通に考えたら付き合いの浅い2人に心を読まれるなんて有り得ないんだけど、出来ても違和感がないくらい2人は何でも出来るから、不安だったんだ。

 

「あはは、まあそうだよね。ごめんね、変な事で時間使わせちゃって」

 

 とにかく、今は一旦引き下がろう。そう思って歩こうとしたら、前と後ろから片手ずつ、両肩をガシッと掴まれて動けない。

 

「さ、紗夜?日菜?もうそろそろ次の授業が始まるから、アタシも戻らないと……」

 

「それで」

「で」

 

 アタシの声を遮るように、前後から同じタイミングで同じ言葉を放った。

 

「「本音は?」」

 

 前後を紗夜と日菜に挟まれた今の状況が、どうしようもなく詰みなんだと気がついたのは、この時になってだった。

 気づかれないように背後を取って、自然な流れで話に入って逃げられないように場所を取る。振り返れば、無駄な行動は何一つ無い。アタシの行動なんて、2人には最初からお見通しだったんだろう。

 

「ほ、本音って……やだなぁ〜。まるでアタシが別の事を聞きたいみたいじゃん」

 

「…………」

 

 紗夜、お願いだから何か喋って。

 風紀委員の眼光で見つめられると、思わず全部自白したくなるくらい精神に負担が掛かるから。

 

 まるでアタシを見定めるように見られて体感で1時間、しかし実際には1分も経ってないくらいで、紗夜は息を軽く吐いてアタシから目を逸らした。

 

「……まあ良いでしょう。もう休み時間も終わりですし、今はここまでで」

 

「そ、そうだよね。じゃあアタシはこれで……」

 

「ところで今井さん。話は変わりますが、お昼休みに私達と一緒に食事をしませんか?」

 

 た、助かった……

 と、思った直後に再びの爆弾発言。一難去ってまた一難って、まさに今のアタシにピッタリな言葉だ。

 

「え!?えーーっっと…………」

 

 本当は断りたい。でもここで断ってしまうと、何かあると認めてしまうようなもので、つまりアタシに拒否権なんて最初から存在しなかった。

 

「……うん。分かった」

 

「では決まりですね。日菜、後で今井さんを案内してあげて」

 

「はーい。おねーちゃんの仰せのままに〜」

 

 こんなにお昼休みが来て欲しくないと思ったのは、これが初めてだった。

 

 

 

 

 何処となく気落ちした様子で教室に戻るリサの背中を見ながら、紗夜はリサがどんな目的で接触してきていたかを大まかに察し終えていた。

 

「……湊さんは、良い友人を持ったわね」

 

 Afterglowというグループ名がどういう意味を持っているか、それを紗夜は当然理解している。だからこそ、リサの考える事は手に取るように理解出来た。

 

「心配だったんだろうねー。騙されたんじゃないかって」

 

「でしょうね」

 

 友希那は純粋そうだったし、騙されるとか、そういう考えは存在しなかったのだろう。その分だけリサが気を張っている感じだと分析していた。

 

「それを言わなかったのは、流石に失礼だと考えたか。それとも別の目的があったか。…………まあ、ほぼ間違いなく前者でしょうけど」

 

「リサちーって見た目に反して常識人だもんねー。なんであんな見た目してるんだろう?あれじゃあチャラそうって思われても仕方ないのに」

 

「趣味嗜好は人それぞれよ。他人が兎や角言うものじゃないわ」

 

 見た目は今どきのギャルっぽいのに、その中身は普通だ。ちょっと背伸びしてるだけの女子高生という言葉が当てはまるだろう。

 紗夜は思う。趣味嗜好には兎や角言わないものの、もう少しスカート丈をちゃんとしてくれれば良いのだが……と。

 

「それでリサちーの事、どうするの?」

 

「どうするも、こうするも無いわ。放っておくわよ」

 

 今のところは警戒されているだけで害を及ぼしていない。だから何もしない。向こうがアクションを起こすのなら、それに合わせてやればいい。

 そんな考えの元、静観という答えを紗夜は出した。そしてそれは日菜も分かっていたのか、大して驚かずに頷く。

 

「まあそうだよね。おねーちゃんならそうすると思ったよ」

 

「……分かっているなら聞かないで頂戴」

 

「確認は大事でしょ?」

 

 ニヤッと笑った日菜。紗夜は無言で肩を竦めた後に、日菜の背中を軽く叩いて歩き始めた。

 

「戻るわよ。授業に遅刻するわ」

 

「はーい。でも気が乗らないなぁ……サボっていい?」

 

「いいんじゃないかしら。別に誰も反対しないでしょうし、お父さんとお母さんは泣いて喜ぶわよ」

 

「……それを聞いたら、サボる気がしなくなっちゃった」

 

 分かりづらいが、これは2人の間でだけ通じるジョークのような物だ。

 

 本来は喜ばしくないサボりで両親が泣いて喜ぶなんて言ったのは、それを口実に難癖を付けられるからである。

 両親がバンド活動を──というよりは、Afterglowの活動そのものを──好ましく思っていないのを2人は知っていた。今まで散々、両親の希望に沿わないことばかりをやってきたからだろう。

 そして、その原因を作った彼を疎ましく思うのは、ある意味で当然の事だ。

 

 そんな状態でサボりの事実を作るというのは、難癖の材料を与えるだけ。両親はすぐに食らいついてくるだろう。

 バンド活動のために来たくもない学校に来たのだから、そんな些細な事で辞めさせられる理由を作るのは下らなさすぎる。

 

「なら行くわよ。特に日菜は教室が遠いんだから、急がないと遅れるわ」

 

「はーいはい」

 

 授業開始を告げるチャイムが鳴ったのは、それから少ししてからだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「……ねえ友希那」

 

 放課後の帰り道、アタシは隣を歩く友希那を見た。友希那は少しだけ汗を浮かべながら、だけど涼しげに歩いている。

 

「何かしら」

 

「本当にAfterglowと付き合っていくの?」

 

「そうよ。昨日言ったでしょう?」

 

 当然といったように友希那は頷いた。その迷いの無い返事は、友希那の中でとっくに答えが出ている事の表れなんだろう。

 

「……やっぱりアタシ心配だよ。火のないところに煙は立たないって言うし、もしかしたら何か……」

 

「確かにAfterglowの評価は良くないのかもしれない。だけれど、それは演奏技術と何か関係があるのかしら?」

 

「それは!……無い、けど」

 

 分かっている。友希那が求めてるのは演奏技術だけで、他の要素は本当に何も見ていない事くらい。そしてアタシの心配は完全に的外れなんだって事も。

 

「そうよね、関係ないわよね。……実力と評価が食い違うバンドは幾つもあるわ。事前評価は良くても実態は大したことなかったりするバンドもあるし、その逆もある。

 そしてAfterglowは評価と実態が良い意味で離れていた。それだけの事」

 

「…………」

 

「リサが心配をしてくれているのは分かる。だけど私は、どんなリスクを背負ってでもFUTURE WORLD FES.に出たいのよ」

 

 友希那はそう言った後、「じゃあ、まだ残りのメンバー探しがあるから」と言い残して先に進んでいった。

 残されたアタシの足は、いつしか完全に止まってしまっていた。

 

 友希那はどんどん先に進んで行く。先の見えない暗闇の中すら、そこがゴールに通じる道なら躊躇いもなく飛び込んでいってしまう。

 アタシはどうだろう。そんな勇気を持てるかな?…………考えるまでもないよね。

 今のこの、友希那に置いて行かれた状況が答え。物理的にも、精神的にも、その距離は遠い。

 

「友希那……」

 

 いつまでもアタシは前に進めない。何もかも中途半端で、どうしようもなく弱いままだ。

 



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千聖の衣装替え


遅くなって申し訳ないです。代わりに少し長めだから許してクレメンス。



 

「うーん……」

 

 ひまりが千聖の周りをゆったりとした足取りでぐるぐる回っている。

 

「うーん……」

 

 うんうんと呻きながら、スマホの画面と千聖を交互に見ていた。さっきからずっと、ひまりはこの調子で延々と回り続けている。

 

「うーーん……」

 

 何を思ったか、途中で回るのを止めたかと思うと、今度はクローゼットを開けて千聖の服を丁寧に物色しながら呻くのを止めないひまりは凄く不気味に見えた。

 いや待て、なんでさも当然のように物色してやがる。

 

 俺が止めようとした瞬間、ひまりは我慢できないとでも言いたげに叫んだ。

 

「……もったいない!」

 

「なんだいきなり」

 

「ちーちゃんは勿体ないよ!せっかく可愛らしい見た目してるのに、オシャレに無頓着すぎる!」

 

 ビシッ!と効果音が付きそうな勢いで指さしたひまりを、俺達は怪訝な目で見つめた。

 アポなしで来るなり何を言い出すかと思えば、オシャレについての文句とは。

 

「オシャレならしてるじゃない。ほら、このネックレス。兄さんが去年の初めての給料で買ってくれた物よ」

 

「安物なんだけどな。高校生のバイトの給料って高が知れてるし」

 

「そこまで的確に補足してくれなくても良いけど……ってそうじゃなくて!服、服の方だよ!どう見たって、あり合わせで着ました感が丸出しじゃん!!」

 

「あり合わせで良いじゃない。楽だし、動きやすいし、不満は無いわ」

 

 千聖は本当にどうでもよさそうな様子で俺の膝の上に座っている。手近な物から適当に掴んで着ました感丸出しの服装に長い金髪をポニテにするスタイルが、最近の千聖のお気に入りらしい。

 

「涼夜も何か言って!ちーちゃんの可愛さは適当じゃ引き出せないよ!」

 

「なにか問題でも?」

 

 今のままでも十二分に可愛いし、俺自身が流行に疎いのもあって口出し出来ない。

 

「もー!涼夜がそんなんだから、ちーちゃんがいつまで経ってもオシャレしないんじゃん!」

 

「……いきなり施設に来るなり、なんてこと言い出すのかしら」

 

 今日は休日。俺も千聖も部屋でボーッとして、休みを満喫していた所に突然ひまりが来襲。あまりに突然、かつ意外すぎる人物の来訪に取り敢えず部屋に迎えたのだが……帰らせた方が良かったな、これは。

 

「とにかく!ちーちゃんは見た目は良いんだから、それを活かすオシャレしないと勿体ないよ!」

 

「……あのね、ひまりちゃん。オシャレするには、相応にお金が掛かるって事を分かってて言ってるのよね?」

 

 千聖の声に怒気が宿る。俺達の現状を知っている筈のひまりが、無責任にそんな事を言い出したのが癪に障ったのだろうか。

 

「私達に余裕は殆ど無いのよ。施設を出てから生活する為の貯金は絶対に必要だし……」

 

「千聖が進学するための入学金も必要だしな」

 

 俺は高卒で働くが、千聖にだけは何としても進学して貰いたい。この国が未だに学歴社会である以上、大学を出ているかどうかがスタートラインと言っても過言ではないからだ。……まあ、有名所でなければ意味は殆ど無いだろうけど。そこは千聖に頑張ってもらうしかない。

 学費は奨学金使えば何とかなる。あまり良い選択ではないけど、背に腹は変えられないから仕方ないのだ。

 

 そんな俺達の事情は、付き合いの長いひまりが分かっていない筈がないんだが……。

 

「それはもちろん分かってるよ。ちーちゃん達と何年の付き合いだと思ってるの?事情はしっかり把握してますとも!」

 

 だ・か・ら!と、ひまりが俺たちに突きつけたスマホの画面には、知らない店の店舗情報が乗っている。

 

「これがなに?」

 

「今、女子達の間で話題のお店なの!安い、種類が豊富、安い、そして何より安い!お金が不足しがちな女子高生達の救世主!それがここ」

 

「安いって3回も言ったぞ」

 

「それくらい安いってこと。ここはね、激安の殿堂といっても過言じゃないんだよ!!」

 

 場所は……駅の西口の方か。普段は東口側しか使ってないし行く必要も感じられなかったから、西口側には行ったことが無いんだよな。

 

「……もう言いたい事は何となく分かるけれど、つまりどういう事なの?」

 

「行くよ、今から!」

 

「嫌よ」

 

 即答だった。ひまりが言い終わらない内から拒否するくらいの早さだった。

 

「なんでー!?行こうよー」

 

「どうせ着せ替え人形にするつもりでしょう。お見通しなのよ」

 

「ゔっ!?それは……そうだけど。でも仕方ないじゃん!ちーちゃんが可愛いのが悪いっ!!」

 

「もう帰ってくれる?」

 

 早々に開き直って着せ替え人形にすると宣言したひまりに、千聖は露骨なくらい不快感を顔に出していた。ゴミを見る目って、こういう時に使う表現なんだろうな。

 

「いやいやいや、ちょっと待ってよ。2人とも多分このお店知らないだろうなーって思ったから、私は善意で安さのお裾分けに来たんだよ?それなのに、こんな酷い仕打ちをするなんて……」

 

「でも下心はあるのよね」

 

「それは勿論!」

 

「元気に言う事じゃないだろ」

 

 ……まあ理由は兎も角として、本気で良かれと思ってくれているのは確かだ。ここはその好意に甘えるべきだろう。

 

「分かった、行こう。いつかは服だって新調しなくちゃいけなくなるんだし、その時に安い場所を知ってるかどうかは大事だ。

 …………まあ、着せ替え人形にされる千聖が良ければ、だけどな?」

 

 ちらりと千聖を見ると、渋々といった感じで頷いた。内心は嫌なんだろうけど、少なくとも、もう露骨に表面には出していない。

 

「…………分かった、行くわ。兄さんの言う通り、いつかは買い替える必要もあるものね。着せ替え人形は本当に、ほんっとうに不本意だけれど」

 

「さっすが2人とも、話が分かるぅ!」

 

 余所行きの服とかも無いよりは有った方がいいだろうし、本当に安いなら今後ちょくちょく利用すればいい。なんにせよ、見てみない事には始まらない。百聞は一見にしかず、だ。

 

「でもひまりちゃん?釘は刺しておくけれど、あんまりしつこくやるのならすぐに帰るからね」

 

「も、もっちろん分かってるって〜。じゃあ決まりだね!先行してる巴を待たせるのも悪いから急ごっ!」

 

「そういう事は先に言ってくれないか?」

 

 俺、今は部屋着だから着替えなきゃいけないんだが。

 

 

 

 そうしてやって来た駅の西口の方は、普段から使っていないだけあって見慣れない。ひまりはスイスイ行くから、きっと相当足繁く通っているのだろう。

 

「混んでるな」

 

「まあね。女子高生達の人気ショップだし」

 

 ひまりから聞いていた通り、ここは女子高生に非常に人気らしく、客は見た限り全員が高校生らしき年の女子ばかりで気まずさが半端じゃない。

 しかも今日は休日。そりゃ混むに決まってる。もしかして、うちの高校の奴もいるんじゃないだろうか?

 

「お、来た来た。遅いぞー、こっちは準備万端だ」

 

 そんな人混みの中でも、巴は割とすぐに見つかった。巴自身が身長的な意味で目立つからだ。

 "分かりやすくて助かる" "生けるランドマーク"とはモカの言葉である。

 

「ごめんごめん。2人の説得に手間取っちゃって」

 

「…………巴ちゃん?まさかとは思うけれど、そのカゴの中の服、全部私が着るの?」

 

 そんな巴が手にしたカゴには結構な量の服が入っている。事前に用意していたらしいが、なんか凄い量なんだけど……。

 

「当たり前だろ。今日は千聖の服をコーディネート出来る日なんだから、今まで貯めてたアイディアを全放出しなきゃな」

 

 あっ。巴の目がこれまでにないくらいキラッキラしてやがる。そしてそれとは対照的に千聖の目が暗くなっていく。

 ……この量は1日で終わるのか?

 

「おっけーおっけー。じゃあ早速やろっか。時間も有限だし……ちーちゃんカモン!」

 

「やっぱり来るんじゃなかった」

 

 試着室に放り込まれながら千聖が言った最後の言葉がそれだった。うっきうきで服の組み合わせを選んでるひまりと巴は楽しそうだが、注意はしておくか。

 

「程々にな」

 

「分かってるよー。程々に、安く、そして可愛く仕上げちゃうから待っててねっ!」

 

「ああ。予算の事も考えて、なるべく安く済むようにチョイスしてるからな!」

 

 ああ、ダメだこれ。話を聞いてるようで聞いてない。目がキラッキラしてやがるし、頭の中は千聖をどうコーディネートするかしか考えてないとみた。

 

「……すまん千聖。非力な兄を許してくれ」

 

 半ば現実逃避気味に周囲を見渡せば、なるほど、ひまりが言う通り服の種類は多いみたいだ。この種類の多さと安さで女子高生達を引き寄せているのだろう。

 

「ちーちゃん着れた?」

 

「ええ、一応……」

 

「じゃあ開けるよ。オープン!」

 

 試着室のカーテンがバサッと開かれ、中から巴チョイスの服を着た千聖が現れる。

 …………なるほど。

 

「上着は何で切れ込み入ってるんだ?」

 

「やっぱり兄さんも気になる?」

 

 何より最初に目に付くのは、切れ込み入れて無理矢理広げました感のある上着の袖の部分。そこは上から透明な素材で覆ってるから実際は半袖と変わらない感じみたいだが、目立つ事に変わりはない。

 

「そういうデザインなんだよ。千聖は肌白いし、多少は露出した方が魅力として活かせると思ったんだ」

 

「でも、ちょっと派手じゃないかしら?」

 

「アタシからすればまだ地味すぎるぜ。もっと腕にアクセサリー付けるとかさ」

 

「最近の若い人の感性は分からん……」

 

 ファッションは移り変わりが激しい物と理解はしていても、現実にこういう服を見るとやっぱり驚いてしまう。古い人間には変に見えてしまうなぁ。

 

「それで下はスカートか」

 

「涼夜から昔に聞いたのを思い出してさ。千聖がスカート履いてるのは、学校の制服を着てる時だけって。だから着せてみたけど、今もそうなのか?」

 

「ええ、苦手なのよ。捲れないように注意しなきゃいけないし、冬は寒いし」

 

「勿体ないなー。ズボンもダメとは言わないけど、いまこうして履いてるのを見ると、やっぱ千聖はスカートが似合うよ」

 

「だからって、いきなり膝上の短い奴を履かせないで」

 

 膝下のスカートですら嫌そうにしていた千聖からすれば、膝上なんて絶対に履きたくない物の筈だ。

 でも渋々履いてるのは、そうしないと解放されないから仕方なくだろう。前に着せ替え人形にされた経験が生きている。

 そして巴も、それを分かっててチョイスしたに違いない。笑みが若干悪どい。

 

「涼夜はどう思う?アタシ的には上手くコーディネート出来たと思うんだけど」

 

「ああ。可愛いし似合ってるぞ」

 

 流行りのファッションなんかは全く分からないが、風も吹いてないのに顔赤くしてスカート押さえてる千聖も凄い可愛いし、この服は千聖に似合ってるしで良いんじゃないだろうか。

 

「だってさ。良かったな千聖」

 

「兄さんに褒められたのは嬉しいけれど……うう、やっぱりスカートは慣れないわ」

 

「むむむ、やるね巴。私も負けてられない!はい、ちーちゃんこれ着て」

 

 ひまりが渡したのは、濃い青色と白のワンピース。これまた膝上っぽい丈の長さで、千聖は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「どっちを先に着るの?」

 

「どっちでも良いよ。どのみち両方着るんだから」

 

「…………まあ、そうよね」

 

 2着持たされた千聖が再び試着室のカーテンを閉めると、千聖が出てくるまで俺達は暇になる。

 

「悪いな、急に呼び出しちゃって」

 

「別に構わねえよ。千聖と2人で暇してたし、この店も知れたし。……まあ、ちょっと急だとは思ったけどさ」

 

「それは悪いと思ってる。今日が月1回のセール日なのを忘れてたんだ。会員用のメールで思い出したから急遽来て貰ったんだけど……」

 

「だからこんな混んでるのか」

 

 まだお昼前だっていうのに、もう大変な人の量だ。ひまりから人気店だと聞いていたから人混みは気にしなかったが、この量はセールがあるからなのか。

 

「これからもっと混むぞ。午後は地獄だ」

 

「普段も混んでるけど、セール日は特に混むからね〜。特売とかセールって言葉には弱いのは女の性なのかも」

 

「着れたわ」

 

 今度は控えめに開かれたカーテンの向こうから、ひまりチョイスの濃い青のワンピースを着た千聖が出てきた。

 

「うんうん。ちーちゃんの雰囲気とワンピースの色が合わさって、なんか良いとこのお嬢さんって感じで似合ってる!」

 

「見た目だけはね。実際は孤児の貧乏人よ」

 

「命が有って五体満足なだけマシだけどな」

 

「おい、反応に困るから唐突に重いこと言うの止めろ」

 

 あっはっはと俺達はネタにして笑ってるけど、傍から聞けばタダの真っ黒すぎるジョークだ。今の発言の後、心なしか周囲から距離を取られたような気がする。

 

「2人にしか笑えないし、そもそも笑える事じゃないよそれ……」

 

「どうした?笑えよひまり」

 

「良いのよ、私達は気にしないから」

 

 一歩詰めると、ひまりが1歩下がる。その反応が面白かったので、千聖とアイコンタクトを交わしてひまりを弄ろうとしたら、巴が軽く手を叩いて俺達を止めた。

 

「はいストップ。ひまりを弄るのは後にして、今は早く次のに着替えてきてくれないか?まだ結構残ってるからさ。ほら、次はこれだ」

 

「助かっ……ちょっと巴!どさくさに紛れて私チョイスの白ワンピをスルーしないでよ!」

 

 流れるような手つきで千聖に出された服を、ひまりはツッコミを入れつつ追い返す。追い返された巴は特に悪びれる様子もなく服をカゴに戻した。

 

「ちぇっ、バレたか」

 

「もー、なんでバレないと思ったの?あ、ちーちゃんはそっちの白いの着てね」

 

「はいはい……」

 

 試着室に引っ込んだ千聖を再び待つ。それほどの時間は掛からずに、白いワンピースの千聖が現れた。

 

「こっちは肩出しか」

 

「うんうん、ちーちゃんには白も似合うなー。着てみてどう?」

 

「凄いスースーして落ち着かないわね」

 

「すぐ慣れるから大丈夫だよ」

 

 こっちは大胆に肩とか鎖骨とかを露出させたタイプで、夏にピッタリの涼しそうな感じだ。今まで千聖が着てこなかったタイプの服だからか、なんだか凄く新鮮な感じがする。

 

「はい涼夜、こっちの服の感想は?」

 

「モデルみたいだな」

 

「だって!良かったね、ちーちゃん」

 

「そうn……へくしゅん」

 

 言葉を止めてくしゃみをした後、千聖は少し身体を震わせた。

 

「……次の服、早く頂戴」

 

「あ、ああ。次はこれとこれだな」

 

 今度は巴が選んだ服を受け取って試着室のカーテンが閉められる。千聖がくしゃみをした原因は、きっと店内の効きすぎた冷房だろう。

 空気がキンッキンに冷えていて、じっとしてると半袖シャツでも寒さに震えそうなほどだ。千聖は露出度が高いワンピースだったから、余計に寒かったに違いない。

 

「良く見たらこの試着室、冷房の風がストレートに当たる場所じゃん」

 

「ああ、だからここだけ空いてたのか。アタシもおかしいなーとは思ってたんだけど、冷房のせいだったんだな。気づかなかった」

 

「いやいや、ここに立ってても結構寒いんだけど…………まあ、巴だしな。仕方ないか」

 

「冷房に関しては巴って本当に頼れないしねぇ……」

 

 それに加えて、試着室にダイレクトアタックする冷房の風。感覚が狂ってる巴は平気だろうけど、俺達はそうもいかない。

 ……にしても寒いな。

 

「2人とも、ちょっと席外していいか?」

 

「いいけど、なんでだ?」

 

「財布に金が無いからさ、そこの銀行まで」

 

 嘘は言ってない。服を買うには心もとない金額しか財布には入ってないからだ。

 だけど、冷房で冷えきった身体を外で一旦リセットしたいという気持ちもあった。

 

「じゃあ私も行くわ」

 

「うわっ、ちーちゃんいつの間に」

 

「ていうか早っ」

 

 私服に戻った千聖はさっき渡された服を巴に返しながら、俺の腕にくっついてきた。

 

「行きましょう兄さん。一刻も早く、さあ」

 

 ぐいぐいと腕を引っ張って連れて行こうとする千聖。『さっさと帰りたい』という気持ちを隠していない。

 

「まあ待てよ」

 

 そんな千聖の肩に巴が手を置いた。その置き方こそ気軽なものだが、雰囲気は有無を言わさぬものを纏っている。

 

「代金ならアタシとひまりで出すよ。なぁ、ひまり?」

 

「そうそう。後で払ってもらえれば気にしないよ」

 

「えっ。いやでも、それは2人に悪いと思うのよね」

 

 千聖が必死に巴に向かって言っているが、巴は頷こうとしない。その目からは、「逃がしてたまるか」という意志がありありと見て取れた。

 

「あっはっは。そんなちっちゃい事は気にするなよ、アタシ達の仲だろ?」

 

「親しき中にも礼儀ありって言葉もあるし……」

 

「ちーちゃーん♪」

 

 ひまりが猫なで声と共に肩に手を置く。両肩に手を置かれ、言いようのない覇気に当てられたのか、千聖が酷く怯えるという珍しい光景が繰り広げられていた。

 

「はいストップ。流石に見過ごせないぞ」

 

 ある程度までは黙ってるけど、これは流石に行き過ぎだ。これ以上は兄として見逃せない。

 

「ちぇー」

 

「ちぇーじゃない。全くお前ら……千聖の服のことになると目の色変えやがって」

 

「こんなに素材が良いのに、それを活かさないなんて世界の損失だぞ。例え僅かでも手を掛ければ千聖は化けるんだ」

 

 ……巴が言っている事も、まあ分かる。千聖はなんて言うか、元がいい。本人は無頓着だけど元がいいから許されてる感がある。

 

「……まあ巴の言う事も分かるよ」

 

「だよな?!」

 

「なあ千聖。昼飯までの時間、付き合ってやれないか?もちろん、嫌なら良いんだけど」

 

 俺の育て方が悪かったのか、千聖はオシャレに欠片も興味を示さない。それは女子として、ちょっと問題あるだろう。

 女子力高めな巴とひまりから、多少なりともオシャレに関する興味みたいな物を得てくれればと思っている。

 

「………………分かったわ。でも、お昼ご飯の時間までよ。それ以上は絶っ対に嫌だから」

 

「よしっ!じゃあ千聖、早速だけどこの服を……」

 

「ちょっと待って。巴、ちーちゃんはこっちの方が似合うよ!」

 

「……本当に、分かっているのよね?」

 

 渋々と頷いた千聖の着せ替えショーは、時間が来るまで休みなく続いた。

 





ちなみに千聖ちゃんの衣装は
①『祭』って書かれたTシャツとジーンズ(ありあわせ)
②ゲーム☆1の普段着(最初の巴チョイス)
③☆3『真っ白な居場所』特訓前イラストの衣装(ひまりチョイスの濃い青のワンピース)
④『真っ白な居場所』特訓後の衣装(ひまりチョイスの白ワンピ)
なイメージで書きました。


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(色んな意味で)アツい


最近は涼しくなってきた気がしますが、作中はまだまだ暑いです。



 

「ああ……廊下、あっつ……」

 

 今は昼休み。多くの生徒が自分の机と勉強から解放されて、昼食を食べる時間。

 そんな廊下を行き交う人の波に紛れて、蘭は一階を目指して階段を降りていた。その額には汗が浮き出ていて、廊下の気温の高さを無言で物語っている。

 

 廊下を歩いている生徒達は早歩きで、一刻も早く暑い廊下から、冷房の効いた教室へ逃げたいという気持ちが見て取れた。

 もちろん蘭も例外ではない。足は早く、今にも駆け出しそうだ。

 

 本当なら廊下になんて出たくもないが、蘭にはそうせざるを得ない理由がある。

 さりげないどころか露骨にギンギラギンな輝きの直射日光と湿気による蒸し暑さのダブルパンチによって、早々に水筒の中身を飲み干してしまったのだ。

 流石に体育もある午後を水分無しで乗り切るのは無理だと判断したから、蘭は仕方なく飲み物を求めて自販機のある一階に降りているのである。

 

 そんな一階は、廊下より更に暑かった。教室から冷房による冷えた風が漏れ出てくる廊下はまだ耐えられたが、逆に外からムワッとした暑さの風が吹き込む一階は耐え難い暑さで蘭を出迎えた。

 

「うわ……」

 

 蘭が思わず言葉を発してしまったのも仕方ない事だ。

 蘭は、もうとっとと買ってしまおうと早歩きから駆け足に速度を上げた。速度が上がるに比例して身体から汗も出てくるが、一刻も早く教室に戻りたかったのだ。

 

 買いたい物は予め決めてあるから、自販機の前で悩む事は無い。無駄に電子マネー対応のハイテク自販機から目当ての物を買った蘭は、すぐさま踵を返した。

 

「んー……うぼぁーー」

 

 踵を返した蘭が見たのは、呻き声をあげて暑さにやられているとしか思えない日菜の姿だった。自販機が置いてある場所の脇の広場のテーブルに突っ伏している。日菜の他には誰も居なかった。

 テーブルの上が散らかってるから恐らく蘭より前に居たはずだが、それに気付かなかったのは暑さのせいだろう。

 そんな日菜を見て、蘭の脳内に二つの選択肢が現れた。このまま声をかけるべきか、それともスルーすべきか。というものだ。

 

「……帰ろ」

 

 そして3秒も経たずにスルーを決定。こんなバカ暑い時に冷房も無い一階で日菜と絡む?冗談じゃない、そんなことしたら死んでしまう。それは涼夜の役目じゃないか。

 

「うぼぉー……あ、らんらんじゃん。やっほー」

 

 だが、狙ったかのように日菜が身体を起こして蘭を見つけた為に、無視も出来なくなってしまった。

 仕方なく日菜の座っているテーブル席にお邪魔してから蘭は気付く。コイツ、殆ど汗かいてねぇ。

 

「………………なに、してんの?」

 

「はい。らんらんにあげる」

 

 聞けよ。

 思わず(実感がないとはいえ一応は)上級生に乱暴な言葉を発しそうになった蘭は、渡されたチラシの内容を見てその言葉を引っ込めた。

 

「『ガールズバンドジャムvol.12 出演者募集』……?!日菜、これは一体……」

 

「あたし達が拠点にしてるライブハウスのスタッフさんから昨日貰ったんだー。出てみないかって」

 

 そういえば昨日は、紗夜と日菜、あこ、つぐみ、ひまりで練習していたんだったか。

 昨日は色々とあって参加出来なかったけど、中々有意義な時間だったと聞いている。

 

「でもさ、あたし達って……」

 

「まーそうなんだけどさ。でもほら、涼夜君は表に出ないし。対外的にはガールズバンドなんだから良いんじゃない?」

 

 外の人間はAfterglowの事をガールズバンドだというが、メンバーからすれば"Afterglowはガールズバンドなんかじゃない"というのが共通の認識だった。

 それは、Afterglowのリーダーはあくまでも涼夜だというメンバー内での常識と、"涼夜が居るんだしガールズじゃないよね"という蘭の言葉の2つが関係している。

 

「このこと、巴とかモカは知らないの?」

 

「つぐつぐとか、おねーちゃん経由で知ってんじゃないかな。多分」

 

 と、まあそんな屁理屈はさて置くとして、このチラシ。昨日ライブハウスで貰ったという事は、練習に参加していたメンバーは知っているのだろう。

 そして最近はSNSアプリもあるのだし、情報伝達は容易い。例えその場に居なくても情報の共有は一瞬で出来る。

 しかし、そこで問題になるのは蘭に一切話が来なかった事なのだが……

 

「…………ら〜ん〜?アプリ、開いてみよっか?」

 

「ひーちゃんがキレてる」

 

「今回ばかりは堪忍袋の緒が切れたみたいだな」

 

 そんな事を日菜と別れて教室に戻ってから言ったら、ひまりが威圧感たっぷりの笑顔で蘭にそう促した。

 言われるがままアプリを開くと、そこには結構な数の未読メッセージがあり、そこにはちゃんとガルジャムの話が──

 

「だ・か・ら!あれほど確認してって言ってるのにぃ!」

 

「あはは……」

 

 フォロー出来ねぇ……と言わんばかりに、つぐみも苦笑いを隠さない。モカや巴も何も言えなかった。

 蘭が既読スルーは勿論、最近では未読スルーさえ始めるようになったのは知っているから、今回もそうなんだろうなと思っていたからだ。

 

「ごめん、昨日はちょっと色々あってさ」

 

「もー、次からはちゃんと見てよ!?情報が伝わらないのって大変なんだからね!」

 

「まあまあ、ひーちゃんもその辺にして。それより参加するのかしないのかを決めないと」

 

 ぷんぷんと怒ったひまりをモカが宥めて、話題はガルジャムへとシフトする。

 

「ガルジャムっていえば、ガールズバンド界隈じゃあ結構メジャーなイベントだよな」

 

「そういえば巴って、あこちゃんとガルジャム見に行ってたりしてたよね。どうだった?」

 

「一言で言うとアツい。規模、出演者の実力、そして会場の熱気。どれもアタシ達が出て来た学生バンド中心の奴とはケタが違うって感じだった」

 

 その言葉に全員が考え込む。普段のライブハウスとは比べ物にならない広さのステージで、自分達が演奏する姿をイメージした。

 

「…………なんか」

 

「イメージできない」

 

「だよなぁ……」

 

 今までそれなりにライブの経験があるとはいえ、それは学生バンド中心の比較的小規模なイベントばかり。

 ガルジャムのような、その道の人なら大体は知っている規模のイベントには未だに参加した事が無かった。

 だからイメージが出来ない。そんな舞台で自分たちが演奏して、あまつさえ成功している姿なんて。

 

 ……失敗している姿なら容易に想像がつくのだが。

 

「どうする?」

 

「どうしよっか?」

 

 心惹かれるのは確か。これはまたとない機会で、自分達に何度巡って来るか分からない大きな話だ。

 

「この事、涼夜は知ってるのかな」

 

「日菜から聞かなかったのか?さっき会ってたんだろ」

 

「聞き忘れた」

 

「おいおい……」

 

 しかし、大きな話だからこそ自分達だけで決めていいのか。という考えが頭をよぎる。

 

「まあリーダーの事だし、あたし達がやりたいならやろうってスタンスだとモカちゃんは思うよー」

 

「そうなるだろうね。でも一応、メールで聞いておこうか?」

 

「つぐ、おねがーい」

 

 つぐみがスマホでメールを送る傍らで、蘭はチラシを手に取った。

 

「……」

 

「どうした?」

 

「いや、あの人……湊さんは、これより大きなイベントを目指してるんだなって思って」

 

「FUTURE WORLD FES.だよね。アレに出るって公言するのも凄いけど、それに出られそうな実力を持ってるのも凄いよね」

 

「私達じゃあ夢のまた夢の舞台だもんねぇ。本当、あこがれちゃうなー」

 

 チラシから目を逸らさず蘭は頷いた。その姿を見て、ひまりやモカは苦笑しながら顔を見合わせる。

 

「随分とご執心みたいですな〜」

 

「…………別に。そんなんじゃないし」

 

「照れなくても良いよー。うりうりー」

 

「ちょ!止めてよ!?」

 

 モカが面倒臭い絡み方を蘭にしているのを、3人は生暖かい目で見ていた。

 友希那と出会ったあの日から、蘭が友希那を意識しているのは誰から見ても明らかだった。本人は隠そうとしているが、しかし全く隠せていない。

 

「そっ、それより!あたし達はどうするかを先に決めとこうよ。それくらいは決めとかないと、話進まないでしょ」

 

「もーう、蘭は誤魔化し下手だなぁ」

 

「まあまあ、モカもその辺にして。蘭の言う通りでもあるんだしさ」

 

 ちょいちょいと蘭の頬をつついてキレられるというやり取りをしたモカが椅子に座ったところで、5人は改めて考え始めた。

 

「私は出たいか出たくないかで聞かれたら、出たいかな」

 

「アタシもだ。せっかく薦めてくれてるし、チャレンジしてみるのもアリだと思う」

 

 つぐみと巴はそう言って、3人はどうする?と目を向けた。

 

「いいんじゃない」

 

「蘭が出るなら、あたしも出るよー」

 

「私も出たい!」

 

 その3人も肯定と共に頷き、ひまりが立ち上がった。

 

「そうと決まれば、今日からの練習はより頑張らなきゃ!」

 

「だね。もっと気合い入れないと」

 

「うんうん、頑張ろうねみんな!えい、えい、おー!」

 

 ひまりが拳を突き上げながらの号令は、後に誰も続かなかった。ただただ微妙な空気で沈黙する4人に、ひまりは手を子供みたいにばたつかせた。

 

「……って、ちょっと!みんなも言ってよー!」

 

「…………流石に教室の真ん中でそれは嫌かな」

 

「あっ」

 

 蘭の指摘で自分達が何処で話をしていたのか、それに気付いたひまりは顔を真っ赤にして着席。そしてその後に、さっきよりは幾分か声を抑えながら言った。

 

「………………まあほら、それはそれとして」

 

「ひーちゃん顔真っ赤〜」

 

「モカシャラップ!ちょっとで良いから涼夜みたいにノッてよ!」

 

「涼夜のノリをアタシ達に求めるのは酷くないか?」

 

 普段の涼夜は子供っぽいを地で行っている。昔よりはだいぶ落ち着いてきている(本来の性格に戻っているとも言う)ものの、それでもまだ日菜やあことバカ話で盛り上がれるくらいには子供だった。

 

「ええー?そうかなー」

 

「ひまりは置いておくとして。つぐみ、返信来た?」

 

「あ、うん。来てるよ」

 

 蘭酷いっ!とひまりの抗議をスルーしながら、つぐみがメールの文面を読み上げる。返信には『放課後に詳しく話せないか?』と書いてあった。

 

「……後のことは涼夜と話して決めよっか」

 

「だな。そろそろ昼休みも終わるし、この話はまた放課後にだな」

 

 取り敢えず話はそこで切り上げ、5人はそれぞれ自分の席に戻っていった。

 

 

 そして放課後。

 

「良いんじゃないか?」

 

「か、軽い……」

 

「もっと反応してよ〜」

 

 参加するという意思を伝えたところ、帰ってきた返答がこれだった。分かってはいたものの、やっぱり軽い言い方にモカがツッコミを入れてしまうのは仕方ないだろう。

 

「と、言われてもな。俺は会場までの道を調べるとか移動に掛かる費用計算とかしか出来ないし、実際にやるお前達が良いなら異論は無いんだよ」

 

 Afterglowにおける財政面のフォローはほぼ全て涼夜の管轄だ。バンドに加えて部活や委員会なんかで時間の取れないメンバーに代わり、"せめてこういうので役に立たないとな"と調べて教えてくれている。

 いま拠点にしているライブハウスも、近所のライブハウスの料金比較表を彼が作ってきて、その中で1番費用と設備のバランスが良さそうな場所だから使っているという経緯があった。

 

「日菜はどうだ?」

 

「あたしはパスー。そういうの興味ないし」

 

「そっか。じゃあ、あこは……」

 

「どうだろうな。最近は家でも湊先輩の話が多いし、あの人って確かバンドのメンバー探してたよな?そっちに行くと思うんだ」

 

 日菜は不参加を表明。巴曰くあこも最近は友希那に夢中っぽいから微妙なところだし、紗夜は言わずもがな。

 つまり参加が確実なのは5人のみという事になる。

 

「まあ必要な楽器の担当は揃ってるんだし、このまま5人でも問題ないな」

 

「まあねー」

 

「ところで、今日は蘭は来てないんだな。何か用事か?」

 

 いつもなら、ほとんど毎日練習に来ている蘭は居なかった。なんか珍しいなーと涼夜は思いながら、コンビニで買ったアイスコーヒーで喉を潤す。

 

「さあ……?聞いてないから分かんないけど、家の用事とかじゃないか?」

 

「蘭の家って、確か由緒ある華道の家だっけか。きっと大変なんだろうな」

 

 何も聞いていないらしく、巴もモカも分からないようだった。蘭が何も言わないのは本当に稀なので、つまりそのくらい大事なことなのだろう。

 

 ストローがズズっと音を立て、コーヒーブレイクの終わりを告げた。

 



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千聖ちゃんの退屈

 放課後の夕暮れ時。

 この時間は私達、学生にとっては大切な時間だ。学校とバイトの2つに挟まれた自由時間なのだから、普通の学生なら無駄にはしたくないと思うに違いない。

 もちろん私も無駄にしたくない。

 

 なのに、私はどうして公園で何もしない無為な時間を過ごしているのだろう。

 公園のベンチに1人で座りながら、私は何度目になるか分からない自問自答を繰り返していた。

 

「待て待てー!」

 

「捕まえてみろよーっ!」

 

 前の方で走り回っている、小学校低学年くらいの男の子達の姿をぼんやり眺めながらストローを軽く咥える。そのまま吸えば、紅茶の味が口の中に広がった。

 …………飲み慣れていないからかしら。なんか、あんまり美味しくない。10円高い程度ならって冒険して紅茶を買ったけれど、これなら100円のコーヒーの方が良かったわね。残りの10円で○まい棒でも買えば、小腹も満たせたのに。

 

(退屈……)

 

 こういう時、いつもなら何か話題を出して気を紛らわせてくれる兄さんは今ここに居ない。この近辺に出来たという、新しいライブハウスの下見をしに行っているから。

 本当は私も一緒に行きたかったけれど、今日に限って日菜ちゃんから呼び出されていたから、そっちを優先しろと兄さんに言われて仕方なく此処に居る。

 

 …………なのだけれど

 

「当の日菜ちゃんが来ないのは、一体どういう事なのかしら……?」

 

 あんまりにも夕日が眩しいから、今座っているベンチから影の中にある隣のベンチへと移る。

 約束の時間は、もうとっくに過ぎ去っていた。兄さんから言われてなければ、既に帰っている。

 

(……やっぱり、時間ぴったりに来るべきだったかしら)

 

 待たせたらいけないからと少し前から此処に居たけれど。もしかしなくても、そんなに待つ必要は無かったのだろう。

 ……そもそも日菜ちゃんって、今までに単独で時間通りに来た事ってあったかしら?なんか殆どの場合、紗夜ちゃんが連れて来ていたような……。

 

 

 と、そんな事を考えながら暫く経った後。ズズズーっと、ストローの先から音がする。

 そんなに急いで飲んでいた訳じゃないものの、普通の紙パックの紅茶が無くなるくらいには、私はこの公園に居座っていた。

 

 飲み終わった紙パックを近くのゴミ箱に捨てて、とうとう何も無くなった私は溜息を一つ。

 

「はぁ……」

 

 今日は運悪く、図書館に本を返してから何も借りて来ていない。カバンの中を見ても、暇潰しになる物なんて何も持っていなかった。せいぜい教科書くらいしか無い。

 やっぱり、ちょっとコンビニに長く居座るべきだったと後悔。暇潰しになったかも……いやでも、長く居るとお菓子が欲しくなっちゃうかもしれないし……やっぱり居座らなくて良かったのよ。

 

 ポケットから折り畳み式のガラケーを取り出して、手首のスナップを効かせてパカッと開ける。待ち受けになっているのは、購入日に自撮りした兄さんと私のツーショット。

 …………約束の時間から10分もオーバーは流石にダメね。帰りましょう。日菜ちゃんが悪いんだし、兄さんも許してくれるわ。

 

 私が帰ろうとベンチから立ち上がったのと殆ど同時のタイミングで、遠くの方に鳥の群れが飛んで行った。

 バサバサという羽ばたきの音と、夕焼け空を黒く染めるように飛ぶ鳥に意識を向けた一瞬。背後で誰かが動いた。

 

 私が座っているベンチの後ろは手入れされた茂みと外観を整える為の木が数本。その木の後ろに誰か隠れている。

 振り返って見ると、チラチラっとスカイグリーンの短い髪が見えた。あの髪色で、こんな事をやるのは1人しか居ない。

 

「……遅れた言い訳は?」

 

「いやー、教師に呼び出されちゃってさ。日頃の生活態度云々で」

 

 何故かちょっと照れ気味に手を後頭部に当てて現れた日菜ちゃんは、ぴょんと跳躍して腰の高さくらいある植え込みを飛び越えて私の隣に着地する。

 

「生活態度?」

 

「そーそー。階段の全段抜かしをしたら駄目とか、授業中は真面目にノート取れとか、そういうの」

 

「全段抜かしって、それ飛び降りよね。普通は止められるわよ」

 

 私でも知ってるような常識だけれど、日菜ちゃんは「常識に囚われちゃいけないんだよ!」とか言って良くこういう事をしている。

 常識知らずなんじゃなくて、分かってて無視をするのが日菜ちゃんなんだって兄さんは言っていた。紗夜ちゃんはイラッとしていた。

 

「えー、そうかなー?あたしは出来るし、危なそうな時はやってないんだけど」

 

「……それより、どうして私を呼んだのかしら?用がないなら帰るわ」

 

「あっ忘れてた。じゃあ着いて来てよ、場所移すから」

 

「………………本当に、どうして此処で待ち合わせしたのかしら」

 

 最初から移動する場所に呼んで欲しいというのは、私のワガママなのかしら。

 

「そんなこと言って、それでも待ってくれてた千聖ちゃんが、あたしは大好きだよー」

 

「もう帰るところだったわよ」

 

 とにかく、移動するらしい日菜ちゃんの後ろをついて行って……足元にボールが転がってくる。

 

「すいませーん!」

 

 さっきの男の子達だ。追いかけっこは飽きたらしく、ボールで遊んでいたらしい。

 ……そういえば、昔は私達もあんな風に遊んでいたっけ。

 

「はい、どうぞ」

 

 ボールを渡す時、いつもの癖でニコッと微笑んだ。「物を渡す時に表面上だけでも笑うと印象が良くなるからチャレンジだ!」なんて兄さんに言われてやっていた事だが、この子達にまでやる必要は無かったかもしれない。

 

「あっ、ありがとう……ございます」

 

「あんまり強く蹴ったら駄目よ?公園から飛び出るのは危ないから」

 

「は、はいっ!」

 

 どうしてか緊張感を露わにした(しかも心なしか顔が赤い)男の子と別れて、入口で待っていた日菜ちゃんに合流する。

 何故か日菜ちゃんはニヤニヤ笑いを浮かべていた。

 

「千聖ちゃんは罪な女だよねー」

 

「いきなりなに?」

 

「だって、あんな小さい子も虜にするんだよ?これは魔性の千聖ちゃんと呼ぶしかないでしょー」

 

 何を言っているのかしら。

 

「あ、分かってないね?うーん。あたしも中々だけど、千聖ちゃんはそれ以上かな」

 

「だから、何の話なの?」

 

「千聖ちゃんさぁ、誰かに好きって言われたことある?」

 

 誰かに、好きって言われたこと……?

 話の流れが見えない。日菜ちゃんが突拍子もないのはいつもの事だけれど、そんなのを聞いてどうするのかしら。

 

「ある、けど」

 

「へぇ。誰に?」

 

「兄さん」

 

 何故か"面白そう"という思いを表面に出しながら顔を寄せてくる日菜ちゃんを押し返しながら答える。

 私の回答に日菜ちゃんは押し返されながら"しまった"とでも言いたげに言葉を付け足した。

 

「……忘れてた。涼夜君以外の人でね」

 

「兄さん以外?いないわね」

 

「ほんとぉ?」

 

 即答すると、何故か懐疑の目を向けられた。

 

「嘘を言ってどうするのよ」

 

「まあそうなんだけど。でもなー……うーん…………ま、いっか。分かってた事だもんね」

 

 分かっている事を聞かないで欲しい。そんな抗議の眼差しも日菜ちゃんは華麗にスルーしていく。

 

「いやいや、確認は大事だからさ。でもそうなると……」

 

「それより日菜ちゃん。私は何処に連れて行かれるのかしら?」

 

「ここ」

 

 日菜ちゃんが指さしたのはファーストフード店。私にはあんまり縁がない場所だ。

 

「今日から期間限定の味のポテトが売ってるんだって。楽しみにしてるおねーちゃんより早く食べて、今も新入りちゃんのバンドで練習中であろう、おねーちゃんに画像送って飯テロするんだー」

 

「そう。後で紗夜ちゃんに怒られなさい」

 

 ファーストフード店に入ると、独特の匂いが鼻を刺激した。そういえば、兄さんが「時々だけど、あのポテトが食べたくなるんだよな〜」なんて言っていたわね。

 レジにはピンク色の髪をした店員さんが立っていた。私は当たり前の髪色だと思うけれど、兄さんからすれば変みたいで「ああピンク……ピンク?!」なんて言って初見の時は驚いていたのを思い出す。

 

「千聖ちゃんは何頼むー?」

 

「そうね。ハンバーガー1つにするわ」

 

「おっけー。じゃあ先に席取っといてよ。あたしが買ってくるから」

 

 日菜ちゃんのカバンを持って、座る席を確保しに向かう。レジの近く、仕切りで仕切られたテーブル席が空いていた。

 座る時、どういう訳か、日菜ちゃんの相手をしているピンク髪の店員さんの隣に立っていた、空色の髪の店員さんと目が合った。

 

「お待たせー。はい、ハンバーガー」

 

「ありがとう。…………それで、そろそろ呼び出した用件を聞いても良いかしら」

 

「用件?無いよそんなの。ただ千聖ちゃんと話したかっただけだし」

 

「………………………………はぁ」

 

 やっぱり、さっきの内に帰っておくべきだったわね。

 そう自分を責めるも、過ぎたことは仕方ない。次に活かせば良いのよ。

 

「なんでそんな露骨ぅーに溜息なんてつくのさー」

 

「いえ。なんか疲れたのよ」

 

 とは言っても、あんまり強く出られないのは、中学時代に壊れかけた兄さんとの関係を直すのを手伝って貰った借りがあるから。あれは大きすぎた。

 

「んーっ、美味しい!」

 

「そう。よかったわね」

 

「千聖ちゃんも食べる?ハンバーガーくれれば少し分けてあげるよ」

 

「食べかけなのに良いの?」

 

「あたしは気にしなーい」

 

「じゃあ貰うわ。はいハンバーガー」

 

 ハンバーガーを日菜ちゃんの方にやって、代わりにフライドポテトを少し貰う。

 それを齧ってみると……なんか……濃い。ひたすら味が濃い。濃すぎて水が欲しくなるレベルなのは、ちょっと体に悪いんじゃないかしら。

 

「これ……」

 

「美味しいでしょ?豚骨ラーメン味」

 

 …………そういえば、日菜ちゃんは濃い味が好きで、逆に薄い味が嫌いなのよね。豆腐とか、薄ーく作ったお味噌汁とか。食べている気がしない、なんて理由で。

 とはいえ、いくら濃い味が好きだっていっても、これくらい濃い味だと日菜ちゃんも辛いんじゃないかしら。

 

「うんうん。やっぱり、これくらい濃くないと食べたって感じしないよねー。ねっ、千聖ちゃん」

 

「え?ええ……そう、ね?」

 

 これに限らず、私の舌は外で物を食べると大体は味が濃く感じてしまう(施設の料理の味が薄めともいう)けれど、これは何というか……誰が食べても濃いと感じるに違いない。それくらい濃い。

 

「そうだ。忘れないうちに写真撮って、おねーちゃんに飯テロしなきゃ。はい、千聖ちゃんも撮るよー」

 

「なんで私も……」

 

「はいパシャリ」

 

 やめて。と言う間もなくカメラの音。昔からそうだけれど、日菜ちゃんは話を聞かないで突っ走りすぎる。

 

「ふんふーん。おねーちゃんからの返事楽しみだなー」

 

「日菜ちゃんって、紗夜ちゃんの事が本当に大好きよね」

 

「そりゃそうだよ!なんていったって、あたしのおねーちゃんだもん!」

 

 ハンバーガーに思いっきり、かぶりつきながら目を輝かせて日菜ちゃんは言った。

 

「おねーちゃんは凄いよ。クールだし、賢いし、度胸もある。初めてのギターだって難なく弾けちゃう。でも……」

 

「でも?」

 

「最近は一緒に寝てくれなくなっちゃったんだよね。寝にくいって理由で」

 

 落ち込みながらハンバーガーを食べきった日菜ちゃんは、指に付いたソースを舐め取った。

 

「そういえば、千聖ちゃんは今も涼夜君と一緒に寝てるの?」

 

「当たり前じゃない」

 

「おわーっ、羨ましい」

 

 ぐぬぬぬぬ。と悔しそうに歯軋りしながら私を見てきた後、再びポテトに手を伸ばした。

 

「おねーちゃんと涼夜君。一体どこで差がついたのか……性格と環境かなぁ」

 

「そうね」

 

 ふと時計を見ると、もうそろそろ6時を回りそうなところ。兄さんが先に帰っているかもしれない。

 

「もう帰るわ。兄さんが心配してるかもしれないから」

 

「千聖ちゃん、本当に涼夜君のこと大好きだよねー」

 

「当たり前じゃない。兄さんは私の、たった1人の家族なのよ?」

 

「じゃあ、あたしは?」

 

 日菜ちゃんの発言に私は戸惑った。いきなり何を聞いてくるのかと思ったら……。

 

「日菜ちゃんが、何なの?」

 

「今なら話の流れ的に日菜ちゃん大好きって言ってくれるかと思ったから」

 

「そう、なら期待に添えないわ。私の大好きは兄さんだけよ」

 

「えー。あーたーしーはー?」

 

 食べ残したポテトを日菜ちゃんに返して、喜んでポテトを頬張る日菜ちゃんに私は言った。

 

「別に好きでも嫌いでもないわ」

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 布団の上に座る兄さんの背中から抱きついて、その体重を預ける。

 こうするとなんだか心が暖かくなって、一日の疲れも消えていってしまいそう。

 

「幸せ……」

 

 このために1日を生きている。なんて言うのも大袈裟じゃないくらい。

 

「大袈裟だなぁ」

 

「じゃあ兄さんは幸せじゃないの?」

 

「まさか、俺も幸せだよ。家族とこうして、何でもない日常を生きること以上の幸せなんて、この世には無いんじゃないかって思ってる」

 

 嬉しい。という意図を込めて更に体を兄さんに預ける。殆ど全体重を掛けているはずだけれど、兄さんは全く苦しそうにしないどころか、むしろ嬉しそうに笑ってくれた。

 

「俺も、お前も、安い人間だな」

 

「私達が幸せなら、安いとか高いとか関係ないと思うわ」

 

「……それもそうだな」

 

 いくら大金を手に入れたとしても、この一時に勝る幸せは得られないと断言出来る。そのくらい私は、もう満たされていた。

 

「ねえ兄さん」

 

「なんだ?」

 

「好きよ。大好き」

 

「俺も大好きだけど……なんだいきなり。何かあったか?」

 

 溢れそうな想いを伝えると、兄さんも不思議そうにしながら大好きだと返してくれる。それが無性に嬉しくて、抱きつく力を少し強くした。

 

「ううん。ただ言いたくなっただけ」

 

「なんだそりゃ。変な千聖」

 

「ええ、私は変よ。だって変な兄さんに育てられたんだもの」

 

「ははは、言ったな此奴め」

 

 兄さんが笑うのに釣られて私も笑う。何がおかしいのかは、お互い分からないけれど、今こうして笑える事が何より幸せ。

 

 この一時が永遠に続きますように。

 

 私は心の底から、改めてそう願った。

 



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反抗期


アフロがCrow Songをカバーすると聞いて「やったぜ」と思わず呟いてしまいました。この調子で他のkey楽曲も……というのは欲深いですね。

あ、ロゼリアのメインストーリーは飛ばし飛ばしで進行させます。理由としては大筋が変わらないから書く意味が無いという判断と、そこまで書いてると私の筆の遅さ的に、何時まで経っても終わらないからです。




 

「……ふぅ」

 

 1日が終わり、息を吐き出しながら思わずベッドに倒れ込む。脳内で想起するのは、今日行われたオーディションのこと。

 

 出会った当初から何となく分かってはいたことだったけど、あこさんはやはり湊さんの大ファンだったらしい。バンドメンバーを探していると聞くと、すぐさま立候補に名乗り出た。

 まあ、そんないい加減な理由での参加なんて湊さんが認める筈もなく、取り付く島もない断られ方をしていたのが印象的だった。

 

 ……しかし、あこさんはそこで折れなかった。側で見ていた私でさえ閉口してしまうくらい、激しいアプローチを湊さんに毎日のように掛けてきていた。

 あんまりしつこかったからか、湊さんは「オーディションで判断する」と言ったけれど……間違いなく断る為の口実だったのでしょう。

 

「おねーちゃーん。ただいまー……っと、あれ?もしかして寝てる?」

 

「いえ。ただ疲れてしまっただけよ」

 

「あ、そうなんだ。それより聞いたよ?あこりん、無事に新入りちゃんのバンドに入れたんだってね」

 

「情報が早いわね。さっきの話なのに」

 

「あこりんがタイムラインに挙げてた」

 

 ──口実だった筈のオーディションで、あこさんは見事にドラムの座を勝ち取ってみせた。理由は……湊さんではないから分からないけど、心の琴線に触れる何かを、あこさんのドラムから感じたのかもしれない。

 

「バンドメンバー、あと2人だっけ?」

 

「いえ。後はキーボードだけ」

 

「あれ、ベースも決まってたの?」

 

「ええ。今井さんがベースも出来たのよ」

 

「へえー意外。リサちーって、そういうの興味なさそうだったのに」

 

 ギシッと、ベッドのスプリングが軋む音がした。顔の上に置いていた左腕を退かして見れば、日菜がベッドの端に座って私を見ている。

 

「……私の顔に何か付いているの?」

 

「いや、おねーちゃんって綺麗な顔してるなーって」

 

「………………」

 

 今の発言に怖気が走ったのを、誰が責められるだろうか。双子とはいえ、いや、双子だからこそ、実の妹に容姿を唐突に褒められる事に奇妙さと不気味さを感じてしまったのを。

 

「え?ちょっと、おねーちゃん?なんで、あたしから距離取るの?」

 

「自分の発言を見直しなさい」

 

「んー?んー……」

 

 ……まさか、分かっていない?

 

「日菜、普通の姉妹は何の脈絡も無く容姿を褒めたりしないでしょう」

 

「でも、あたし達は普通じゃないしー」

 

「やめて。やめなさい」

 

「はーい」

 

 間の抜けた返事を返しながら日菜はベッドから立ち上がり本棚に近寄った。

 

「自慢じゃないけど、そこには参考書とかしか無いわよ。日菜の興味を引きそうな本なんて、なんにも……」

 

「知ってるー。でも、あと少しで完全制覇できそうなんだよね」

 

「……完全制覇?」

 

「そそ。おねーちゃんの本棚の本を覚えちゃおーって企画。もう一番下の段まで来てるんだけど、最近は中々時間が取れなくて……」

 

 当たり前のように日菜は言い放つ。四つん這いになって「どれにするかなー」なんて言っている日菜の後ろ姿を、私は複雑な気持ちで見た。

 

 言うまでもなく日菜は天才だ。私が時間を掛けて何度も読み返して覚えている本の内容を、たった1度見ただけで完璧に覚えていく。

 運動神経だって良いし、今やっているギターだって、私よりも短い期間で私より上手くなっていった。

 

 隔絶した才能の壁に嫉妬した事は──正直、何度もある。

 

 両親も、親戚の人達も、どちらかといえば私より日菜の方を見ているのは分かっていた。

 日菜の功績が大きすぎて、私のちっぽけな努力は影に埋もれて消えてしまう。

 

 今だって──

 

「──お姉ちゃん?」

 

「っ!?」

 

 気がついたら目と鼻の先にある日菜の顔に驚いて、思わず声にならない悲鳴をあげてしまう。

 ……深く考えすぎたみたいね。

 

「……ちょっと疲れたわね。お風呂、空いてるでしょう?入ってくるわ」

 

「あ……うん」

 

 我ながら、なんて雑な誤魔化しだ。どうせ日菜には見破られているだろうから、取り繕うだけ無駄なのに。

 

 

 着替えとバスタオルを持って洗面所で衣服を脱いで、そして見慣れた浴室へ。

 

「──……」

 

 さっさと頭と身体を洗ってから湯船に浸かれば、纏わりついていた疲れが溶けて消えていき、代わりに心地よさに包まれるような感じがした。

 

『今考えてる悩み事なんてのはな、大体は風呂に入って飯食ってたら忘れてるもんだ』

 

 やけに慣れたように涼夜が言っていた事を思い出す。初めて聞いた時は「それって問題の先送りよね」と反論したけれど、今こうしていると、確かに嫌な事なんて忘れてしまえそうだ。

 ……考えても解決しない問題なら、こうして忘れるのも良いのかもしれない。どんなに嘆こうが、この現状は変わらないのだから。

 

「……あ」

 

 そうやってモヤモヤを頭の片隅に追いやったら、夕方、唐突に期間限定のフライドポテトを食べている所を写真で送るという日菜の非道な行為を思い出した。

 

「あれは、お説教が必要よね」

 

 別に先を越されて悔しいとか、そういう理由ではない。

 

 そんな理由では、断じて、ない。

 

 ただ……そう。恐らく無理やり誘ったであろう千聖さんを巻き添えにするのは止めなさいと言いたいだけ。

 

 半分くらいボーッとしながら湯船に浸かって暫く。私の思考は、おおよそ完成を迎えた湊さんのバンドにシフトしていた。

 ドラムは湊さんが何を思ったのか、あこさんがオーディションに受かったので決まり、ベースは今井さんが実は出来たという事と、音の相性が良かったという理由で決まった。

 ボーカルとギターは言わずもがなで、これで残るはキーボードのみ。

 

 正直、無くてもいいんじゃないかと思わないでもない。最悪スリーピースでもバンドとして成立するし、キーボードが無いバンドだって存在する。

 だけど湊さんが必要だと言うのなら、私は従うだけだ。あのバンドのリーダーは湊さんなのだし。

 

「そしてFUTURE WORLD FES.に出る、か……」

 

 バンドに参加するにあたって、FUTURE WORLD FES.に関するライブ映像を動画サイトで調べて見てみたが、このジャンルの頂点だけあって、参加するバンド全てが並ではなかった。

 それほど期間の無い中で、あそこに出場するというのが一体どれほど大変なのか。それは湊さん本人が1番分かっている事だろう。

 

 ……湊さんが何を思っているかは知らないけど、私は全力を尽くすだけだ。元より、そういう契約なのだから。

 

「おねーちゃーん。ご飯できたってー」

 

 浴室の扉越しに日菜の声。くぐもっていて聞き取りづらいが、完全に普段通りの声色に戻っているように聞こえた。

 

「そう。今行くわ」

 

「ゆっくりで良いよー」

 

 ……そろそろ出よう。暫く浸かっていたから身体も良い感じに温まっているし、意識したらお腹も減ってきた。

 さて、今日の晩ご飯は何だろう。

 

 

 

 

 黙々と食事が進む。今日もお母さんと私と日菜の3人で食卓を囲んでいた。

 他の家族がどんな風に食卓を囲んでいるかは知らないけど、これが我が家の和気藹々。

 

 お母さんや私は元々こういう時は口数が非常に少なくなるし、日菜も食事に夢中で黙っているからこうなる。

 

 今日のメニューは焼き魚と味噌汁、そして春雨サラダとご飯。今日は仕事が早く終わったお母さんが作った料理だ。

 

「…………最近どうなの?学校」

 

 これは珍しい、と思いながら焼き魚を咀嚼する。お母さんが食事中に話を振ってくるなんて滅多にない事だから、正直かなり驚いた。

 

「どう、と言われても……勉強は、いつも通りだし。特に変わったこともないし……」

 

「そう。ならいいわ」

 

 ……それきり会話が終わる。お母さんは私達を何とも言えない顔で見ていた。

 本当は何が聞きたかったのかは大体分かっているけど、向こうから切り出してこなければ答える必要はない。

 

「バンドの方は、どうなの?」

 

 と、思っていたら向こうから踏み入ってきた。曖昧な質問なら、のらりくらりと避ける事が出来たけど、こうも直球で聞かれたら答えるしかない。

 

「順調。練習も欠かしてないし、毎日楽しいわ」

 

「そう……ねえ紗夜。バンドじゃなくて、その……あの子達とは、まだ──」

 

「お母さん」

 

 その言葉を、日菜が不意に遮った。

 

「最初に約束した事は覚えてるよね?」

 

「…………」

 

「お母さん達の言う通りに偏差値の高い高校に行って、あたし達がちゃんと勉強してるんだったら、余程の事じゃなければ口を出さない……って約束だったけど。

 それって余程の事なの?」

 

 日菜の声からは感情が消えていた。そして、どこまでも真っ直ぐに、自分の母親を見つめている。

 

「あたし達は約束を守ってるよ。約束通りに学年トップと2番目を常にキープしてる。なのに、お母さんは約束を破る気?」

 

「……心配しているのよ。確かに、2人から見れば悪い人ではないでしょうけど、その人が原因で間接的に日菜や紗夜に被害が出ないとは言いきれないでしょ?」

 

「そうかもね。で?それが何か問題?」

 

 取り付く島もなく日菜は言い放ち、そして畳み掛けるように更に口を開く。

 

「なにも問題は無いんだよ。あたし達は、お母さん達の言う通りに優等生で有り続けて、その対価としてバンドをやる。

 そんな感じで、このまま過ごしていれば、みんなハッピーなの。分からないとは言わせないよ」

 

「それはそうでしょうけど」

 

「もうさ、正直に言ってよ。そんな思いっきりどうでもいい建前なんて要らないから──」

 

「日菜」

 

 これ以上は流石に止めなきゃいけない。日菜には誰かが止めなければ、やりすぎてしまう傾向があるから、ここで止めなければ、言ってはならない事まで言いかねない。

 日菜はそこで言葉を飲み込んでから、深く大きい溜息をついて立ち上がった。

 

「…………ご馳走様。今日も美味しかったよ」

 

 食器を台所に片付けて、日菜はリビングをさっさと出ていった。残されたのは、お母さんと私のみ。

 凄い気まずい空気の中、最初に話しだしたのはお母さんだった。

 

「……遅めの反抗期、なのかしら。今思えば、紗夜も日菜も、反抗期なんて来てなかったもの」

 

「……かもね」

 

 虚勢を張って無理に明るく、そう言ったお母さんを見れば、心の底から反抗期だと思っている訳じゃない事は分かる。

 私は、それに合わせて曖昧に笑った。

 

「紗夜はどうなの?」

 

「え?」

 

「反抗期よ。そろそろ来ても、おかしくないから」

 

「分かんない」

 

 素直にそう答えると、お母さんは「それもそうよね」と言った。そしてその後に、今の私が最も聞きたくなかった事を言い放つ。

 

「……お父さんがね、近々2人と話をしたいんだって」

 

「バンドの事で?」

 

「多分」

 

 チッと舌打ちをしたい気分だった。何故って、それは言い方を変えれば家族会議だからだ。

 間違いなくお母さんも参加するだろうし、お母さんだけでも機嫌が加速的に悪くなった日菜の感情が爆発しても不思議じゃない。

 

 …………涼夜に"お風呂に入ってご飯を食べた後に発生した悩み事はどうすればいいか"って聞いておこうかしら。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「あたし、フラれちゃったー」

 

 ベッドに寝っ転がりながらの日菜の言葉が、部屋に戻った私を出迎えた。様子は完全に普段通りに戻っていて、さっきまでの面影は全く見えない。

 

「…………とりあえず起きなさい。食べてから、すぐ横になると太るわよ」

 

「じゃあ起きるー」

 

 語尾を間延びさせながら日菜が起き上がる。

 

「日菜、あなたの部屋は隣でしょ。何か用事でもあるの?」

 

「今日は、おねーちゃんと寝るもん」

 

 なにを言い出すかと思えば、この子はまったく……この前バッサリと断った筈なのに、まだ諦めてなかったのね。

 

「千聖ちゃんと涼夜君は今でもイチャラブちゅっちゅ……ちゅっちゅまではしてるか分かんないけど。とにかく一緒に寝てるんだし、あたし達も良いじゃん!」

 

「あの2人は特別でしょ…………それより、それで思い出したわ。

 私より先にフライドポテトを食べるのは構わないけど、それを写真にして送るのは止めて」

 

 さっきの出来事で、すっぽ抜けていた事柄が復活したから忘れないうちに言っておく。

 

「あれ〜?おねーちゃん、もしかして先を越されて悔しかったの?」

 

「部屋に帰りなさい」

 

「わわっ!?冗談だって!」

 

 ベッドから引きずり下ろそうとすると、日菜もそれなりの力で抵抗してくる。わちゃわちゃと数分くらい攻防を繰り広げた後、私は椅子に、日菜はベッドに。息を切らしながら、それぞれ座りなおした。

 

「それでフラれたって、どういうこと?日菜が異性に興味を持つとは思えないけど」

 

「おねーちゃんサラッと酷い。まるで、あたしを同性愛者か何かみたいに……あたしは、おねーちゃん大好きなだけだよ!」

 

「なおさら酷いわ」

 

 ……話が脱線してるわね。

 

「それなら誰にフラれたのよ。私には心当たりがまるで無いわ」

 

「千聖ちゃん」

 

 ……異性ではないとは思っていたけど、よりにもよって千聖さんだなんて。無茶にも程がある。

 

「それはフラれるわよ。当然の結果じゃない」

 

「そうなんだけどさ。でも、こう、好きの"好"の字すら出てこないと流石に落ち込むっていうかー。

 あ、友達的な意味で。だからね?」

 

「分かってるわよ」

 

 日菜はパタッと再びベッドに倒れ込んだ。「ぐぬー」とか「ぐおー」とか、呻き声をあげて動かない。

 

「涼夜君も千聖ちゃん程じゃないけど、なーんか千聖ちゃん以外にはドライだし。あの2人は、ちょっと他のことに目をやらな過ぎだと思うよ!

 前なんて、ショッピングモールであたしが何度も露骨に前を通ったりしたのに、ガン無視して2人でウィンドウショッピング楽しんでたからね!」

 

「何やってるのよ日菜……でも、そこが気に入ってるんでしょ?」

 

「うん!あの2人は見てて飽きないもん。滅多に見ないタイプの人達だし」

 

「なら我慢しなさい。それは自分で買った苦労よ」

 

 まあ確かに、あの2人は他とは良くも悪くも違う。何がと聞かれると困るけど、とにかく違う。高校は知らないけど、小中と孤立していたのは伊達じゃない。

 でもそこが、面白いモノが好きで普通とか退屈が嫌いな日菜の目に留まったんだろうけど。

 

「苦労ってほどじゃないんだけど、まあ仕方ないかぁ」

 

 そう言うと日菜はベッドから起き上がって部屋の扉の方に歩き出した。

 

「お風呂入ってくる〜。それまで布団あっためといてね」

 

「なんで当然のように一緒に寝る流れになってるのよ」

 

「あーあーきこえなーい」

 

 抗議もなんのその。わざとらしく指で耳栓をしながら日菜は逃げるように部屋を出ていった。

 

「まったく、あの子は……」

 

 ……今日くらいは一緒に寝ても良いかもしれない。どうせ家族会議という日菜の精神を削るイベントが待っているのだし、少しくらい良い思いをさせてもバチは当たらない筈。

 

「でも、その前に宿題やらないと」

 

 まあ、やるべき事が終わってからだけどね。

 



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分からぬ感情


ちょっと短めです



 

 放課後、あたしは1人で家に帰っていた。モカと巴は涼夜と話をしに行くって言ってたけど、あたしは無理を言って先に帰らせて貰っている。

 

 見慣れた商店街は、今日もいつも通り人が多い。こんなに活気があるのは珍しいって涼夜は言っていたけど、これが当たり前のあたしには、珍しいという意味が分からなかった。

 ……だけど、その意味を理解するって事は、つまりこの商店街から活気が無くなった時って事だから、そう考えると分からない方がいいんだろう。

 

 学校から家には、つぐみの家がある通りの一つ横を通って帰るのが近道。

 そんな理由があって、普段みんなと使っている道から外れた場所を歩いていると、ふと、花の香りが風に乗って、あたしの鼻を刺激した。

 

「あ……」

 

 先を見れば、丁度あたしが行こうとしている道の先に花屋さんがある。

 

「…………」

 

 ……今日は、この道を通るのは止めておこう。

 

 少し前なら気にも留めない筈なのに、こんな些細な事に反応してしまうのは、きっとこれから待っているであろう出来事が原因なのかもしれない。

 あたしは道を左に曲がった。あのまま花屋さんの前を突っ切る事は、今のあたしには出来そうもなかった。

 

 なんとなく、逃げ続けているものを突きつけられた気がしたから。

 

 ──お前は逃げられない──

 

 風に乗って遠くまで匂う花の香りが、そんな事を、あたしに告げている。そんな気がしていた。

 

 

 結局、普段みんなと使っている道に戻ってくる。背後から迫ってくる何かから逃げるように足を早めていると、前から見慣れた姿が歩いてきた。

 

「あ、蘭」

 

「沙綾……」

 

 つぐみの家のすぐ近くのパン屋さんの長女、沙綾だ。家の位置とかの関係で、あたしは、モカや巴ほど濃い付き合いはしていないけど、今でも出会えば軽く話をするくらいには仲がいいと自負している。

 

「今日は1人なんて珍しいね」

 

「まあね。今日はちょっと」

 

「そっか……最近どう?学校とか、バンドとか」

 

 沙綾は察しがいいから、今の言葉だけで何かある事を察してくれたんだろう。それ以上は何も聞かないで、他愛ない話に移ってくれた。

 

「いつも通り、かな」

 

「ふふ、なら良かった。蘭って不器用だから、上手くやってるか心配だったんだ」

 

「そんな、あたしの母さんみたいな……そうだ。沙綾の母さんは平気なの?」

 

「お母さんなら大丈夫。今は私も大きくなったし、家事も手伝えてるからさ」

 

「そっか。それなら少し安心できるけど、何かあったら力に──」

 

 その先を言おうとした瞬間、あたしの後ろから大きな声がした。

 

「さーやー?!早く早くー!」

 

 沙綾の名前を呼ぶ知らない声。きっと、学校で新しく作った友達の声だろう。

 

「はいはーい……ごめんね蘭。呼ばれてるから、そろそろ行かなきゃ」

 

「気にしないで。じゃあ、また」

 

「うん、またね。もし何かあったら、その時は力を借りるよ」

 

 呼ばれて行く沙綾の顔は、ちょっと嬉しそうだった。小走りで駆けていく沙綾の背中を足を止めて見送ってから、あたしも再び歩き出す。

 心なしか足取りが軽そうに見えた沙綾とは対照的に、あたしの足は重く沈んでいるような気がした。

 

 帰り道の途中の公園からは、駆け回る子供の声が聞こえてくる。ちょっと目を向けると、何人もの子供達がボールを追いかけて走り回っていた。

 全員が何も考えてないような、無邪気な笑顔をしていた。

 

(……羨ましいよ。まだなんにも考えなくていいなんてさ)

 

 そう心の中で呟きながら、はしゃいでいる子供の声を聞いていると、何故だか無性に腹が立った。

 理由は自分でも良く分からない。だけど唐突に、ふつふつと怒りが込み上げてきたんだ。

 

「……何考えてるんだ、あたし」

 

 アホらしい、なんてレベルじゃない。見ず知らずの子供達に怒りを覚えるなんて、どうかしてる。

 

「帰ろ……」

 

 そして寝よう。きっと疲れてるから、こんな変な事を考えるんだ。寝て起きれば、少しはマシになってる筈。

 そう思いながら、家に近づくにつれてドンドン重くなる足を無理やり動かして帰路を進んでいった。

 

「ただいま」

 

 家に帰ったら、あの時と同じように、居間の明かりが廊下に漏れ出ているのが玄関からでも分かった。父さんが居間に居る証だ。

 一瞬スルーしようか迷ったけど、仮にスルーしたところで食事の後に何か小言を言われるだけ。問題の先送りにしかならない。

 

 嫌だけど、行くしかなかった。

 

「…………っ。入るよ」

 

 入る前に軽く呼吸を整えて扉を開けると、その強い眼差しがあたしに向けられた。

 

「帰ったか」

 

「……」

 

「最近、どんどん帰りが遅くなっているな。華道の集まりにも顔を出さずに」

 

「…………だから?」

 

 またそれか。という意味合いを込めて父さんを見る。何度も何度も同じ事ばかり言われているから、いい加減に慣れた。

 

「何度でも言うぞ。蘭、お前もそろそろ、自分が美竹流の後継者である事を自覚しろ」

 

「何度でも返すよ。あたしは華道を継ぐ気は無いって」

 

 こうなったら、もう完全な平行線。最近は毎日のように繰り返している事だった。

 

「だが、家には跡を継ぐ者はお前しか居ない」

 

「なら産めば良いじゃん。もう1人、産めないほど苦しくはないでしょ」

 

「そういう問題ではない。例えもう1人産まれようとも、美竹流の後継者は、蘭、お前だ。何故なら先に生まれたのだからな」

 

 決定事項のように──いや、実際に決定事項なんだろう。父さんは、あたしにそう告げた。

 

「こういうのって、普通は男の人が後継ぎになるもんじゃないの?」

 

「確かにそうだが、別に女性が後継ぎになる事を禁止されているわけではない。……何を言おうと、お前が後を継ぐ現実は変わらんぞ」

 

「……」

 

「……」

 

 ……あたしも父さんも、もう何も言わない。今日はひとまず、お互いに言いたいことを言い切ったという事だ。

 

「……もう部屋に戻る。お風呂って、もう沸いてるの?」

 

「ああ。夕食の前に入るといい」

 

「そうする」

 

 お風呂と聞いた途端に、外の暑さでかいた汗が不快さを主張してきたような気がした。それを流すため、あたしは着替えを取りに部屋に戻った。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

「はぁ……」

 

 100円ショップで買ってきた南京錠を、適当にカチャカチャやってピッキングする手遊びをしながら、あたしは溜息をついた。

 綺麗さっぱり汗も流したし、ご飯だって食べてお腹も一杯。だというのに、あたしの気持ちは晴れないまま。

 

 理由は分かっている。抱えている問題の全ては、華道に関する事に帰結するんだから。

 

「家業……華道を継ぐ、あたしが……」

 

 ここ最近、ずっと頭を悩ませている問題。それが何度も頭の中をぐるぐると行ったり来たりして、今は色んな事に身が入らない。

 授業も以前に比べればボーッとする割合が増えて、注意される事も多くなった。この前なんて、ドッジボールで避け損なって思いっきり顔面に当たったりもした。

 

「なんで、あたしなのかな……」

 

 他に誰もいないから。と言われてしまえば、そこまでなんだろう。だけど、それじゃ納得がいかない。

 

 そりゃあ、父さんの言われるがまま、華道を継ぐのが正しい道なのかもしれない。

 だけど、今のあたしはその道を選ぶ事が出来なかった。それは親に反抗する事がカッコイイとか、そんな理由ではない。

 ただ、自分のやる事は自分で決めたい。他人に指図されたくない。それだけ。

 

 そういう意味では、あたしは涼夜の事を羨ましく思っている。誰かに何かを言われることも無く、家の後継ぎなんて立場に縛られることのない──まるで、空を飛ぶ鳥のように、どこまでも自由に生きる人のことを。

 それが過酷な生き方だというのは頭では分かっているつもりだ。親の援助が無いというのが、どれほどのディスアドバンテージを生むのかも。

 

 だけど、それを差し引いても尚、その生き方が、あたしには眩しく見えた。

 今のあたしには、そんな生き方を選べるだけの勇気や度胸なんて無いから。だから、堂々と突き進んで行くあの背中に憧れのようなものを抱いている。

 

 ごろりと横向きに寝返りを打つと、中学の卒業式の時に撮った集合写真が視界に入った。

 

「…………」

 

 つぐみには生徒会がある。ひまりには部活がある。巴には和太鼓が、モカも最近はデザイン関係の勉強をしてるって小耳に挟んだ。

 紗夜と日菜は学年トップと2番を維持する為に頑張ってるし、あこだってゲームという趣味に熱中している。涼夜と千聖も生きる為にバイトに精を出している。

 

 誰もが少なからずバンド以外の何かに打ち込んでいるのに、あたしは何をやってるんだ?

 家柄は他人より遥かに恵まれていて、このまま行けば先は安泰だろうに、何故あたしはこうも抵抗する?何故、何故、何故──

 

「……あっ」

 

 ガチャリ、と音を立てて南京錠が外れた。プランと力なく揺れる南京錠を見ながら、あたしの考えは最初に戻っていた。

 

 なんで、あたしなんだろう。

 

 

 

 そんなだからか、翌日の個人練習でも全くと言っていいくらい調子が良くなかった。音のノリも悪いし、曲のアイディアも全然浮かんでこない。

 みんなはガルジャムに出る方向で練習を頑張ってるのに、肝心のあたしがこんな調子じゃあ良い演奏なんて出来っこない。だから、あたしが一番しっかりしないといけないのに……

 

(…………ダメだ。こんなんじゃ)

 

 だけど、いくら焦っても演奏は上手くならないばかりか、一ヶ月前のあたしよりも劣っていそうな始末。

 もっと、もっと上手くならなきゃガルジャムで成功を収めるなんて夢のまた夢なのに、上手くなるどころか、どんどんと下手になっていく自分に焦りが強くなる。

 

「一体どうしたら……」

 

「笑えばいいんじゃないかなー」

 

 あたしの呟きに、そんな答えが返ってきた。ちょうどモカがスタジオに入ってきたところだった。

 

「モカ遅い」

 

「蘭が早いんだよ〜」

 

 今日は珍しく、モカの方から2人で練習しようと持ちかけてきた。モカが滅多に言わない事だし、1人より2人でやった方が気分転換にもなると思ったから今日は2人でやる事にしたんだった。

 

「まあいいや。さっさとやるよ」

 

「そーだねー」

 

 今は兎に角、一時(ひととき)でも時間を無駄にしたくない。目を閉じて、意識を集中させようとした……その時。

 

 ピリリリリと、無機質な着信音があたしのポケットから鳴り出した。マナーモードに設定し忘れていたらしいスマホを取り出すと、画面には"父さん"の文字が光っていた。

 

「…………」

 

「出ないの?」

 

「父さんからだから、いい」

 

「ん……そっか」

 

 暫く着信音が鳴った後は、もう電話は鳴らなかった。忘れないうちにマナーモードに設定を変えて、邪魔が入らないようにしておく。

 

「始めよう。みんなが頑張ってる間に、少しでも上手くなっておかなくちゃ」

 

「……」

 

「モカ?どうかしたの?」

 

「蘭の横顔に見とれちゃってたかもな〜」

 

「気持ち悪いこと言わないでよ……とにかく、やろう」

 

 あたしはそれから、嫌な感じを振り払うように、ただ、がむしゃらに弾き続けた。

 

「…………」

 

 隣でモカが不安そうに見ているのを気付かないまま。

 



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ひまりお手製魔術アイテム


クオリティはお察し



 

「んふふ〜♪」

 

 最近、家の郵便受けを見るのが楽しみだ。

 

 郵便物が投函された音を聞いて、取りに行こうとする両親を制しながら、ひまりは郵便物を取りに外に出る。

 

 ガルジャムに出ると決めてから、早速応募して早数日。この間、ひまりの朝の日課に"郵便受けを覗くこと"という行動が追加されるくらい、ひまりは案内が来るのを心待ちにしていた。

 なにせ、みんなでバンドを組んでから初めての大規模なイベント出演だ。経験したことの無い事態に不安と興奮が織り交ざり、また、とある物を秘密裏に制作している事もあって、ひまりは連日寝不足だった。

 

「〜〜〜っ!ああ、朝日が眩しい……」

 

 寝不足の目に朝日が沁みる、この辛さは何度経験しても慣れない。……夜更かしは美容の大敵なのだと聞くし、慣れたとしても、それはそれで嫌だが。

 

(でも本当に気持ちいいなぁ。これなら確かに、ちーちゃんと涼夜が朝散歩するっていうのも分かるかも)

 

 まだまだ蒸し暑い陽気が続くが、昼はともかく朝は清々しくて過ごしやすい。あの2人が散歩をしたくなるのも分かる気がした。

 

 私も朝にジョギングとかしてみようかなぁ?

 

 朝の風を感じながら爽やかな汗を流す……うん、悪くない。むしろ良いかも。

 

 そんな事を考えながら郵便受けの前まで来ると、ひまりは心を落ち着かせる為に深呼吸を2回。

 朝の気持ちいい空気を期待感と共に吸い込んで、胸のワクワクと緊張を吐き出して平静を取り戻す。

 

「……よしっ!」

 

 気合いは入れた。後は郵便受けを確認するだけだ。

 そうして新聞を始めとする郵便物の詳細を確認せずに取り敢えず全部ひっつかんで、リビングで新聞を待つ父親のところに戻りながら内容物を確認する。

 

「お父さん宛の手紙とー、新聞とー、後は大きな封筒……」

 

 特に目を引くのは、昨日までで1度も見た事の無い封筒。今は裏面を見ているから大きさしか分からないが、何が入っているんだろうか?

 そんな疑問の中に混ざった一抹の好奇心と共に、ひまりは封筒を裏返した。そしてその表面に記載された内容を読んだ時、ひまりは思わず声をあげた。

 

「あっ!」

 

 

 そんなひまりがメンバーを、つぐみの実家である羽沢珈琲店に招集したのは、それから1時間が経過した後だった。

 

「おっそ〜い!」

 

「ひまりが早いんだよ」

 

 案内が届いたと聞いて、蘭や巴は勿論、涼夜と千聖。そして暇していたらしい日菜まで集まって来ている。

 その中で、ひまりは特に千聖に注目した。一先ずは封筒をテーブルの上に置いて、千聖を上から下までジロジロと眺める。そうしてから言った。

 

「ところでさー、ちーちゃん?その、今日は何で……その服なの?」

 

「なんでって、どうして少し出歩くだけなのにオシャレをする必要があるのよ」

 

 返ってきた返事は、およそ女子らしくはない、だが千聖らしさは感じるものだった。

 思考が完全に面倒くさがりのそれだとか、オシャレの必要は兎も角として髪すら結ばないのはどうなんだとか。色々と言いたいことはあるものの、ひまりは取り敢えず一番目立つ服装にツッコミを入れる事にした。

 

「だからってジャージは色々とマズイよ……」

 

 流れるような金髪を特に束ねる事もせず、更に上下共にジャージ。

 休日にダラダラしているOLみたいな姿の千聖に、ひまりは憤りを禁じ得ない。なぜ千聖は、こうも自らの容姿というアドバンテージを全力で投げ捨てるようなマネをするのか。

 

 これが所謂お節介である事は重々承知しているが、しかし見過ごすわけにはいかない。1度でも見過ごしてしまえば、それを期に千聖がどんどんオシャレから遠ざかっていくのが分かっているからだ。

 どんな事でも、運動を継続するのは大切なのである。

 

「いいじゃないジャージ。機能性抜群なのよ」

 

「ええ……?」

 

「動きやすいし、部屋着にも外にも着ていける。こんな有能な服が他にあるかしら?」

 

「涼夜君は千聖ちゃんに一体どんな教育してるのさ」

 

 ジャージの有用性は置いておくとして、少なくとも花も恥じらう乙女が、胸を張って言っていいことではないのは確かだった。

 日菜は思わずといった感じで呟いた。千聖の情操教育は十中八九涼夜がやっているのだろうが、その涼夜の手腕に問題があるとしか思えない。

 

 日菜の呟きに、ひまりは無言で頷いた。そのまま話題がズレそうだったが、そこで蘭が半ば強引に話題を戻す。

 

「その話は後でいいよ。それより、ガルジャムから案内来たって本当なの?」

 

「あっ、そうそう!これなんだけど……」

 

 千聖の件は後回し(なお、この時点で涼夜共々お説教が確定した)にして、それぞれがコーヒーや紅茶を注文しながら、ひまりの家に届いたという封筒を回し見る事にした。

 

「『ガールズバンドジャムvol.12』出演者招待案内……」

 

「……こりゃあマジモンだね」

 

「だな」

 

「うん……」

 

 やっと来たか。という思いと、本当に来たのか。という思いが混ざりあって、それが沈黙として空気に現れる。

 黙々と書類を読み進めるメンバー達に、思った反応が得られなかったひまりは少し不満げに言った。

 

「……って、ちょっと!もう少し大きく反応してよー」

 

「そんなこと言われてもさ……」

 

 リアクション芸人でもないのに、そんな事を期待されても困る。

 そう心の中で呟きながら、蘭は頼んだブラックコーヒーを1口飲んだ。

 

 ……慣れ親しんだ味を舌で感じて、少し気持ちが落ち着いた。コンビニのコーヒーも悪くはないけど、やっぱり羽沢珈琲店のコーヒーが一番良い。

 この時の蘭は気づいていないが、気持ちが落ち着いた。などと考えている時点で、気持ちが落ち着いていなかった事を自白している。

 

「これが来たって事は、いよいよって感じか。……にしても、会場遠いな」

 

「だねー。まあ頑張って、あたし達は出ないけど応援はしてるよー」

 

 開催場所を確認している涼夜は交通費の試算を始め、日菜は"Afterglow"と書かれた手製っぽい旗をフリフリして応援の意を示している。

 

「なにその旗、もしかしてお手製なの?」

 

「うん。暇だったし、適当にパパーって」

 

 それにしてはクオリティが適当なんて出来ではないように見えるが、日菜だから。とひまりは自分を納得させた。

 何をやっても一流かそれ以上にこなす日菜だ、それくらいなら朝飯前だろう。……今は朝飯後だけど。

 

「ひまり、なにニヤついてんの?」

 

「えっ?いや、なんでもないよ!」

 

 目敏く見つけてきた蘭に、ひまりは内心ドキッとしながらそう答え、誤魔化すように手元のコーヒーを飲んだ。

 まさか、今どき誰も言わないようなギャグもどきで笑っていたなんて言えるはずもない。言ったら間違いなく変な目で見られ、そして日菜に煽られるのまで容易に想像できた。

 

「さて。これが来た事だし、今日からの練習は一層激しくやってかないとな」

 

「時間は有限だもんね。みんなも頑張ってるし、私も頑張らないと!」

 

「モカちゃんも頑張っちゃうよ〜。でも頑張る前にパン買っていい?」

 

「好きにすれば」

 

 こうして目に見える形でガルジャム出演という出来事が確認できたからか、出演する5人のモチベーションがみるみる上がっていく。

 そして、それと同時に危機感も抱いていた。まだ期間はあるとはいえ、こうも明確に日時が提示されると、多少なりとも焦りが生まれてしまう。しかも自分達の上達が分からないから、尚更だった。

 

「じゃあ、今から行く?予約は入れてないけど、空いてるスタジオはある筈だよ」

 

「うん。私はお店の手伝いがあるから、ちょっと遅れるけど……」

 

 故に、今から予定を変更して練習を始めようとするのは当然の帰結だろう。

 しかし、それに待ったをかける者がいた。

 

「ちょーっと待ったー!みんな、練習の前に、これ見て!」

 

「なにー?出演のお知らせなら、もう見たけど〜」

 

「そうじゃなくて……」

 

 それは、ひまりだった。出すタイミングは此処しかない、と確信したひまりは、まだ何かあるのかと注目したメンバーの前に、最近の寝不足の原因を出す事にしたのだ。

 

「じゃーん!実は、お守り作ってきたんだー!」

 

 出されたそれを見て、誰もが目を疑った。そして思う。ひまりのセンスは独特だとは思っていたが、まさかここまで極まっていたとは……と。

 

「最近、裁縫にハマっててね。それで何か作れないかって考えたら……みんなでお揃いのお守り作ればいいじゃんって思いついて!」

 

 それは、ぬいぐるみの筈だ。

 様々な色の布でツギハギされ、目はボタンで表現しているが、大小違う大きさの所為で不安になる顔を形成している。鼻から口にかけての歪みも、その雰囲気を作り出すのに一役買っているだろう。足にあるアルファベットのAとGは、Afterglowから取ったと思われる。

 

「ふふふふふー。我ながら、すっごく良い出来だと思うよ!いやー、私ったら自分の才能が怖いっ!なんちゃってー」

 

 愛嬌の中に凄く不気味な何かが見え隠れする。なんだか怪しげな土産物屋にでも売っていそうなオーラを放っているが、一応ぬいぐるみの筈だ。

 そうであるに違いない、と思いたい。

 

 そんなヤバそうな代物を手作りしたひまりはドヤ顔だったが、黙りこくる皆を見て首を傾げた。

 

『…………』

 

「……あれ?みんなどうしたの?」

 

 

「……ぷっ、くくくっ!」

 

「えっ?!なんで笑うの!?」

 

 最初に反応したのは日菜だった。何がツボにハマったのか、声を抑えながらテーブルに突っ伏してビクンビクンしている。

 それを数分くらい続けた後、日菜は目をキラキラさせながら顔を上げて言った。

 

「あははっ!いいじゃんいいじゃん。なんか、ずるんっ!って感じするよ。

 いやー。まさか、ひまりちゃんにこんなおもしろ特技があるなんて思わなかったなー」

 

「ずるんって何!しかも、おもしろ特技扱い!?」

 

「黒魔術の生贄みたいで……確かに怖い才能だよね」

 

「ええっ?!」

 

 日菜と蘭が代表して酷い反応を返してきた。他のメンバーは何も言っていないが、まあ似たような思いを抱いている事は想像に難くない。その証拠に、全員どことなく微妙な表情をしている。

 

「ああもう、せっかく頑張って作ったのに酷すぎーーっ!」

 

「そうだぞ。折角ひまりが作ってくれたんだし、そういう事は思っても胸の内に留めておくのが優しさだろ?」

 

「ともえぇーー……って、それ巴も似たようなこと思ってるって事!?」

 

「アタシはスネアケースに付けるよ。みんなは?」

 

「その反応は図星ってことでしょ!ちょっと、ねえ!!」

 

 巴は一切ひまりの方を向かない。それが百の言葉より雄弁に巴の答えを表現していて、ひまりと日菜を除く全員が(そりゃそうだよ)と思った。

 だが、ひまりがせっかく頑張って作ってくれた物を無碍にする心ない者は此処にいない。結局、どこかしらにお守りを付ける事にしたのだった。

 

「私はキーボードケースに付けるよ」

 

「モカちゃんはギターケースにしよっかなー。……蘭のギターケースにも付けとくね〜」

 

「ちょっと、勝手に……」

 

「じゃあ何処に付ける?」

 

「………………ギターケースに、自分で付けるから」

 

 ひまりはベースケースに既に付けているから、渡された全員が楽器のケースに付けた事になる。

 しかし、並べられていたぬいぐるみは5体のみ。千聖や日菜の分はなかった。

 

「とりあえず5体までしか作れなかったんだけど……待ってて。暇を見つけて、ちーちゃん達の分まで作るから!」

 

「そう……楽しみに待ってるわね」

 

 ふんすと鼻息荒く意気込むひまりを前に、千聖はそう答える事しか出来なかった。

 なお、その時の千聖は、え?これ付けるの?とでも言いたげな顔をしていたが、ひまりがそれに気が付く事は、幸運にもなかった。

 

 その横で、日菜は再びテーブルに突っ伏して痙攣していた。どうやら千聖の反応にツボったらしい。

 

「ん、こんなもんか。そういえば、ガルジャムって王手レコード会社のお偉いさんが来るとか聞いたけど、あれ本当なのか?」

 

 交通費の試算を終えた涼夜が、掛かりそうな費用を大雑把に計算し終えてから、巴にそう聞いた。

 

「ああ。そういえば、そんな感じの人たちが居たっけな」

 

「むっふふー。もしかしたら私達もスカウトされちゃうかもよ?『私達と契約してメジャーデビューしないか』みたいな感じで」

 

「無理でしょ」

 

 ひまりの妄想を蘭は即座に切って捨てた。にべもない即答に、ひまりは「ちっちっちっ」と指をふりながら言う。

 

「分かんないよ?このライブを期に将来……いや、数年後には超有名人!なんて可能性も残されてるんだから」

 

「メジャーデビューって、それ湊さんレベルまでいって初めて来るような話じゃないの?

 少なくとも、このライブであたし達にスカウトなんて来ないよ。あんな実力無いんだし」

 

「うっ。そう言われると確かに……」

 

 具体例を出しての切り返しに、ひまりも言葉を詰まらせた。あのレベルまで到達しているかと問われれば、それは間違いなくNOだと分かっている。

 

「まあまあ、夢を見るのは良いじゃないか。もしかしたらってさ」

 

「でもさー。メジャーデビューっていったら、あたし達より、あたし達と共演するバンドの方が可能性あるよね〜」

 

「……まあ、そうだよね。そこそこの知名度のバンド多いし、このバンドなんてメジャーデビュー秒読み!みたいなこと言われてるし」

 

 共演するバンドの名前は、それなり以上の知名度を誇るものばかり。自分達とは1回りも2回りも違う人気を誇ってもいる。

 ……それを考えると、なんだか自分達が酷く場違いな気がしてきた。

 

「なんか、今から緊張してきちゃうな……」

 

「なに言ってんの。どこでだって、誰とだって、あたし達はいつも通り演れば良いんだよ」

 

 つぐみを鼓舞するように、蘭はそう言った。そのままコーヒーを飲み終えると、カップを置いて立ち上がる。

 

「行こう、練習」

 

「いってらー。あたしは涼夜君と千聖ちゃんと、もうちょっとここに居るよ」

 

「出演者情報の連絡とかの裏方は、いつも通り俺に任せとけーバリバリー」

 

「やめて、なんかそれ不安になるから」

 

 最後にネタに走った涼夜にツッコミを入れながら、会計を済ませて一足先に外に出た。

 

「……あたしは」

 

(あたしは、今だけを見て生きたい。メジャーとか、家業を継ぐだとか、そんな先の事とは無縁に生きていきたい。今この瞬間、それだけあれば──)

 

 青く澄み渡る空を見ながら、蘭は心の中でそう呟いて手を伸ばす。あの空を自由に飛べたなら、それはどれほど心地よい事か。

 

(…………だけど)

 

 空を横切るカラスが、その羽根を蘭の足下に落として行った。

 

(だけど今、あたしは湊さんを超えたいって思ってる。見たくない筈の先を夢見て、それが欲しいって思っちゃってる)

 

 あの日見た友希那のステージは、今も蘭の内側に強く焼きついている。自分の根幹の何かを揺さぶられる感覚は初めてで、期せずして目の前に現れた壁の強大さを思い知った。

 

 あの場所、あの領域に、いつか自分も。

 

 そんな想いが、いつの間にか胸の内に芽生えていたのを蘭は知っていた。それが、今抱いている願いと矛盾する想いである事も。

 

「ズルいな、あたし……」

 

 自虐の言葉を吐き捨てた蘭の顔には、暗い影がさしていた。

 



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突然の誘い


メリーあけましてクリスマスおめでとうございました。お久しぶりです。
今までの書き方にちょっと思うところがあって修行してました。まあまあ納得いく書き方が出来るようになったので、これからまたぼちぼち書いていこうと思います。宜しくお願いします。

前回までのあらすじ
・蘭の反抗期
・友希那と紗夜の契約
・日菜の反抗期



 

「えーっと……見当たらない」

 

 学校から目的地へと向かう僅かな移動時間、リサは通りがかった本屋の雑誌コーナーに立ち寄っていた。

 

「オシャレ雑誌の位置なら分かるんだけど、音楽関連はねぇ……」

 

 リサは普段使うオシャレ雑誌の売り場をスルーして、音楽関連の雑誌が集まる売り場で雑誌を探している。

 これは少し前までのリサらしくない行動だが、今そうしている理由は友希那のバンドに入って意識が変わったから……という理由だけではない。

 

 先日、友希那のバンド──名をRoseliaと名付けられたそれの初ライブがあった。

 

 友希那には固定ファンが多く、また、その業界からも注目されているとあってかライブには多くの人が集まった。学生は勿論、社会人らしき人や、リサは気付かなかったが業界の中でも名が知られた者達まで来ていたという。

 満員の会場で、恐らくは友希那にだけかけられているだろう期待にリサは大いに緊張しながらも、なんとか初ライブは成功に終わり、そのライブ後にインタビューを受けた雑誌の発売日が今日なのだ。

 

 友希那は"他人の評価なんてアテにならない"というスタンスだから見向きもしないが、リサは気になっていた。

 といっても、それはリサが人の目を必要以上に気にしているとかではない。むしろ友希那のように余程極まった考えを持たなければ、多少なりとも他人からの評価が気になるのが人間という生き物だろう。

 

 自分達の初ライブがどんな風に見られていたのか、そしてそれは好意的に受け取られたのか、否か。

 そんな不安と期待が半々な気持ちのまま入り混じって、今のリサは若干挙動不審だった。

 

「……あっ、見っけ」

 

 キョロキョロと目線を忙しなく動かすこと暫し。目的の物を見つけたリサはそれを手に取り、Roseliaの特集を探す……前にスマホが振動した。

 定期的にブーブーと振動しているスマホをリサはポケットから取り出し、そして驚いた。

 

「……えっ?!嘘、もうそんな時間?」

 

 予めセットしておいた集合時間まで、あと5分しか無かったのだ。どうやら自分が思っていたよりも長く探してしまっていたらしい。

 

 ……次からは1人で探さないで店員さんに聞こう。

 そう決意しながら、リサは急いでその雑誌をレジに走ったのだった。

 

「リサ姉おそーい!」

 

「ごめんごめん!ちょっと雑誌探すのに手間取っちゃってさー」

 

 結局、約束の時間から10分も遅刻してしまっていた。羽沢珈琲店で先に席を取ってくれていたあこに謝りながら、リサもコーヒーを頼んで席に座る。

 

「このまま2人でお茶会になるかと思ったよ~。ね、りんりん!」

 

「うん……けど。今井さんなら、来るって……思って、ました」

 

 今日は、あこが提案した"祝! Roselia雑誌掲載記念お茶会"の日であった。

 が、友希那はお茶会なんかに出るより練習に時間を使いたいと不参加。そして紗夜は生徒会の仕事で不在なので、参加者はこの3人のみだ。

 メインの2人が欠けるというまさかの事態だが、その2人の分まで楽しもうとリサやあこは意気込んでいた。

 

「あはは、ありがと燐子。じゃあ待ってくれた2人にお詫び……って訳じゃないけど、はいこれ。買ってきたから一緒に見よっか♪」

 

「あ!それが、あこ達が載ってる雑誌?」

 

 買ってきた雑誌の表紙を見せると、あこは目を輝かせてそれを見た。

 

「そうそう。普段はファッション雑誌しか買わないから迷っちゃって」

 

「見せて見せて!」

 

「いいよー。はい」

 

 リサから雑誌を受け取ったあこは急いでページをペラペラと捲っていく。リサが頼んだコーヒーが来たくらいで、どうやら目当てのページを見つけたようだ。

 

「『孤高の歌姫(ディーヴァ)、友希那がついにバンドを結成』だって!雑誌に名前が出るなんて、やっぱ友希那さんって凄いなー」

 

「写真、撮られてたん……ですね。…………思い出したら、緊張してきちゃいました」

 

「えっ今更?」

 

 あこが広げたページをテーブルに広げて3人で見る。演奏中は夢中だから気付かなかったが、様々な角度から撮られていたらしい写真を見ていて……3人は殆ど同時に同じ感想を抱いた。

 

「それでー、なんか……えっと」

 

「あこ正直に言っていいよ。分かってるから」

 

「……じゃあ遠慮なく言うけど」

 

 とは言いながらも、あこは躊躇いがちにリサに気を使って言葉を選びながら言った。

 

「リサ姉だけ、凄い浮いてる」

 

「だよねー……」

 

 友希那は普段着、リサも普段着、燐子も普段着。そして、あこと紗夜も普段着。

 まだ演奏用の衣装なんてものが無いので仕方なく普段着で演ったが、こうして見れば個人個人の感性が異なる事もあって、どうしてもアンバランスな印象を写真からは受ける。

 これだけ見れば、5人がガールズバンド界隈で注目されているバンドだとはとても思えない。

 

「いやー。あの時から薄々思ってはいたけど、こうして写真になると分かるね。アタシだけ場違い感がヤバいっ!」

 

「えっと、その……」

 

 どの写真を見ても自然とリサに目が吸い寄せられる。普段着には大なり小なり個人の個性が出るものだが、その中でも特に個性で殴ってくるのがリサの普段着だった。

 

「特にこの写真。これさ、ボーカルの友希那より目立ってるっぽいの流石にちょっと不味くない?」

 

「相対的に……友希那さんが地味に、見えますね……」

 

 リサが指さしたのは、恐らく友希那を目当てに撮られたであろう写真に写りこんだ自分。

 それは見切れているにも関わらず……いや、この場合はむしろ見切れているからこそ、余計に目がリサに寄ってしまうという効果を生んでいた。

 

「Afterglowみたいにお揃いの衣装があればいいんだけどなー」

 

 あこと紗夜だけはAfterglowでも活動しているから、ライブ衣装である黒色の専用パーカーを持ってはいる。しかし、それはあくまでAfterglow専用でありRoseliaの初ライブには不適切だとして着ていなかった。

 

「っていうかさ、アフロに限らずバンドって衣装もある程度は揃えるもんなんでしょ?流石にこのままだと主にアタシが目立っちゃうし、なんとかなんないかなぁ?」

 

 今のリサが目立つ理由は見た目ギャルな事と5人の中で誰より派手な私服なのだから、お揃いのライブ衣装があれば問題の半分は解決できる筈だった。

 もう半分はリサがギャルを辞めなければ解決できない問題だが、それは無理だろうから解決不可能である。

 だが、問題が半分になるだけでも幾分かマシなはずだ。

 

「あ、でもこういうのって高いかもしれないのか。アフロの時はどうだったの?」

 

「Afterglowの時はねー。普段から使おうと思えば使える実用性と、それなりに安いっていうのを兼ね備えて最強に見えるパーカーだけだから安かったよ!」

 

「普段着の上から、着てるだけ……だもんね」

 

 忘れがちだが蘭達は高校生に成り立ての一年生であり、あこはまだ中学三年生だ。

 つまり、蘭達はバイトを始めて日がまだ浅く、あこに至ってはバイトを始める事すら出来ない。

 

 メンバーの大半が抱えるお財布問題もあり、上下一式なんていう金の掛かるライブ衣装は用意できる筈もなかった。だが、出来るならライブに臨む時の勝負服は持っていたい。

 そんな思いから必死に探した結果、見つかったのが上着だけ統一するという案だったのだ。

 

「そういう考えもあるかー。んー、アタシ的には全然オッケーなんだけど、友希那が納得するかどうか……」

 

 FUTURE WORLD FES. に出るのならば、ライブ衣装は避けては通れない問題だ。

 

 参加規定には"ライブ衣装を用意する事"なんて書いてはいないが、過去にライブ衣装無しで出場を果たしたバンドは無いし、ライブ衣装には統一された衣装を着る事で一体感を高めたり、自分達の音楽を視覚で観客に訴える効果もある。

 その重要性を友希那は勿論承知しているだろうから、上着だけ等という手抜きとも取れるようなライブ衣装など認めはしないだろう。

 

 だが、リサ達にも資金面の問題がある。初ライブ後にファミレスで行われた反省会でRoseliaに全てを捧げる覚悟は決めたものの、お金の問題はどうしようもないものだった。

 

「うーん。りんりん、何とかならない?」

 

「なんでそこで燐子に聞くの?」

 

「だってりんりん、あこのこの服とか作ってるから」

 

「これ手作りだったの?!燐子すごいじゃん!」

 

 あこが普段から好んで着る服をよく見てみる。だが、言われてから見ても店売りにしか見えなかった。

 これが手作りなんて……とリサは内心で凄まじい衝撃を受ける。本当に個人制作なのかを疑うくらい完成度が高かった。

 

「そんな、大したことは……」

 

「いやいやいや、大したことあるって。アタシ今まで店売りだと思ってたから」

 

「りんりんの腕があれば、きっと良い衣装が出来ると思うんだ!」

 

 このクオリティーならば何も問題は無い。音楽に関係する物に妥協は許さない友希那も、これだけのレベルなら認めてくれるだろう。

 

「確かに!これなら友希那も納得してくれるだろうし、ねえ燐子、作ってくれない?」

 

「……私が作って、いいんですか?」

 

「あったりまえじゃん!むしろ燐子じゃなきゃダメなくらいだよ!」

 

「アイディアをみんなで出し合って作れば、きっと良いものが出来るよ!」

 

 戸惑いの目を向ける燐子にリサとあこは頷きなから言った。そんな2人の様子を見た燐子は小さく、しかし確かに頷いた。

 

「私で、良ければ……作らせてください」

 

「うん、お願い!」

 

 そうと決まれば、まずはデザインを考えなければならない。これは最終的には5人で決めなければいけない事だが、草案くらいなら3人で出してもいいだろう。

 

「じゃあねー、あこは『高貴なる闇の騎士団』みたいな感じのカッコイイのが良い!」

 

「初っぱなからヘビーなの来たなぁ……」

 

 具体性に欠ける上に、Roseliaの語源である薔薇の要素が欠片も見当たらない。

 草案の雲行きに一抹の不安を感じながら、リサもどんなものが良いか思考を巡らせるのだった。

 

 

「────♪」

 

 場所は変わって、とあるスタジオ。友希那が1人で使っているそこには、友希那の歌声が響いている。

 適度に休憩を挟みながら歌い続けていた友希那は、しかし何処か不満足そうに歌い終えた。

 

(…………ダメ。こんなんじゃ全然)

 

 もし今の歌を誰かが聞いていれば「そんな事はない。素晴らしい歌声だった」と答えるだろう。だが、当の本人は全く納得していない。友希那の中にある理想に、今の歌は遠く及ばないからだ。

 

「もっと……もっと……」

 

 友希那は再び歌いだそうとして……スタジオを使える時間が終わりを迎えそうな事に気がついた。残念だが、どうやら今日はここまでみたいだ。

 友希那は消化不良な気持ちを抱えながらも、そそくさと帰り支度を済ませてスタジオを出た。

 

「スタジオ空きました」

 

「友希那ちゃんお疲れ。そういえば雑誌見たよ。Roselia、いい名前じゃない」

 

「ありがとうございます」

 

 もう何度も使っている場所だから、スタジオのスタッフともそれなりに会話をする間柄になっていた。そんなスタッフの手にはRoseliaの事が載った雑誌がある。

 

「それで、どう?Roseliaの感想は」

 

「まだまだ理想のレベルには程遠いです。私も、みんなも」

 

「やっぱり理想高いねー。まあ、ずっとやりたがってたバンドだし、そういう思いが強くなるのも当然かもだけど……おや?」

 

 スタッフが入口に目を向けた。それに釣られるように友希那も目を向けると、かっちりしたスーツ姿の女性がスタジオに入ってきたところだった。

 

「ほほー。珍しいお客さんだ」

 

 その来客を物珍しそうに見るスタッフの前で、その女性は友希那に声をかけた。

 

「湊友希那さん。少々お時間いただけますか?」

 

「……失礼ですが、どなたでしょうか?」

 

「私、こういう者です」

 

 差し出された名刺を友希那は受け取り、さらりと目を通す。彼女は音楽事務所の人間らしかった。

 

「もしスカウトの話なら、申し訳ないですがお断りさせていただきます。私は自分の音楽で認められたいので」

 

 この手の話は別に今回が初めてではない。もう飽き飽きするくらいされてきた事で、その度に友希那が返す返答も同じだった。見守るスタッフもそれを分かっているのか、若干憐れむような目で女性を見ている。

 だが、女性は友希那とスタッフの予想に反して、とんでもない隠し玉を用意していた。

 

「私達なら、貴女の夢を叶える事が……FUTURE WORLD FES. に出ることができます」

 

「──っ!?」

 

 そこで初めて、友希那は動揺した素振りを見せた。今の自分が何がなんでも出たいFUTURE WORLD FES. を餌に提示してくるという事は、どうやら色々と調べられていると思った方が良さそうだ。

 

「実は、友希那さんに声をかけるのは、これで2回目なんです。さっきの反応を見るに覚えてはいないでしょうが……」

 

「…………」

 

 覚えていなかった。しかし、これは友希那の記憶力に問題があるわけではない。むしろ、何十社とスカウトしに来た会社名を全て覚えている方がおかしいだろう。

 とにかく、今回の事務所は一度断られているにも関わらず、友希那を諦めきれなかったらしい。

 

「バンドメンバーにこだわっている事も知っています。ライブハウスで自らスカウトしていた事も。だから、あなたが納得するであろうメンバーも集めました」

 

「友希那ちゃん。これってつまり、メジャーデビューなんじゃ……」

 

「…………」

 

 友希那は何も言わなかった。否、言えなかった。

 突然に降って湧いた己の目標を叶える絶好の機会に即座に反応できるほど、友希那はまだ人生経験を積んでいなかったからだ。

 

 その言葉を咀嚼し、飲み込んで理解するのに多少の時間を有しているのを断りの沈黙と受け取ったのだろう。女性は更に言葉を投げかけた。

 

「コンテストになんて出る必要はない。あなたの実力ならば、そんなものを経由するまでもなくフェスに出られる!もちろんメインステージで!」

 

 その言葉に友希那の心は更に揺さぶられた。

 向こうは間違いなく最高の条件を整えてくれている。数多くのスカウトを受けた友希那でさえ、これに乗らない手はないのではないかと思えるほどだ。

 

「私、は……」

 

 だが、友希那は何故か首を縦に振れなかった。これが最善だと頭では分かっていても、どうしてか頷けない。

 そんな未知の感覚への戸惑いが表に出ていたのだろうか、女性は心配そうに友希那の顔を覗き込んだ。

 

「……友希那さん?すみません、何か気に障るようなことを言いましたか?」

 

「いえ、ただ混乱してしまって……少しだけ、待っててくれないかしら」

 

 頭の中が混乱したまま咄嗟に放った言葉は、友希那自身を驚かせた。

 

(私、今なにを言ったの?フェスに出るには、これが最短ルートなのは分かっているのに)

 

 頭で分かっているはずの事なのに、どうして誤魔化すような言葉で回答を先送りにしたのだろう。

 混乱は深まるばかりだった。

 

「わかりました。急に言われても難しいのは分かっていますし、友希那さんの中で答えが出る時まで待ちます。それでは」

 

 女性がスタジオから出ていく。その後ろ姿を見送りながら、友希那は荒れ狂う胸の内に悩まされる事になるのだった。

 



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後悔

 ぎゅっと、何か強く掴まれるような感覚で、ふと目を覚ました。

 

 カーテンの隙間から部屋に射し込んでくる僅かな光と寝る前に電気を消した時と同じ暗さが、まだ夜明けも訪れていないらしい事を伝えてきていた。天井に向けていた目線を壁掛け時計に移すと、今が午前の2時前後である事が分かる。

 

 そこまでをぼんやりした目つきで把握してから、俺は目線を下げた。

 いつものように一緒に寝ていた千聖が、段々と掴む力を強くしながら、どこか不安そうな目をしつつ俺を見ていた。

 

「どうした?」

 

「…………」

 

 千聖は何も答えない。ただ無言で俺の胸元に顔をうずめるように密着してきたかと思うと、そのまま動かなくなる。

 何か、良くない夢でもみたか。そう理解した俺は言葉を選びながら千聖の頭を撫でた。

 

「言ってくれなきゃ分からないぞ」

 

「…………私が、勝手に見た夢だもの。兄さんは寝てていいわ」

 

「原因は俺なんだ。放っておくわけにはいかない」

 

 もう眠気など無くなっていた。こんな状態の千聖を見て、のんきに寝ている事なんて出来るわけがないだろう。

 ぽつりと呟いた千聖の声には、抑えきれない湿っぽさが滲んでいた。それだけで、どんな夢を見たのかが概ね想像つく。

 

「その様子だと、また夢の中で俺が何かしたか」

 

 ぴくりと千聖の肩が僅かに動く。元より隠し事なんてお互いに通用しないのが俺と千聖だが、こうまで露骨なら見逃すはずもない。

 

 そして、また、というように、千聖がこんな状態になるのは今回が初めてという訳ではなかった。

 

「……で?今度は何をしたんだ」

 

「………………」

 

「なるほど。相当酷かったんだな」

 

 口をつぐむという行為そのものが、その酷さを雄弁に語る。沈黙は金という言葉があるものの、それは常に当てはまる訳ではないのだ。

 

「兄さん……」

 

 か細い声だった。今にも消えてしまいそうな声量だった。

 そんな言葉と共に顔を上げた千聖の目にはハイライトが存在しない。元から千聖の目にハイライトというものは殆どなかったが、それが完全に無いということは今回は相当酷かったんだなという事を理解した。

 

「怖いの。私」

 

 千聖は震えていた。

 

「分かってはいるのよ。兄さんはもう私を離さない、ずっと一緒に居てくれるって」

 

「だけど、ね。ふとした拍子に頭をよぎるのよ。また捨てられたらどうしよう、また置いていかれたらどうしようって……」

 

 そこまで絞り出すように言ってから、千聖はポロポロと大粒の涙を零し始めた。

 

「ごめんなさい……私、兄さんの事を信じきれなくて……!」

 

「いや、それは俺が悪いんだ。千聖は悪くない、俺が全部……」

 

 千聖の信頼を裏切ったのは俺で、その心を踏みにじったのも俺だ。千聖は誰より俺を責める権利があると思っているし、何度かそう言った事もある。

 

 でもそう言う度に、千聖は今みたいに無言で首を横に振るのだ。

 

「兄さんが常に私の事を第一に考えてくれているのは知ってるわ。あの時は、それがちょっと空回りしちゃっただけって事も……。

 だから私は兄さんを許すの。兄さんが私を愛してくれているように、私も兄さんを愛しているから」

 

 千聖はどこかイカれている。

 

 事ここに至って、俺はそれを認めざるを得なかった。

 

 あれだけの出来事があったなら多少なりとも恨み言を言うだろうし、そうでなくとも悪感情を持つのが普通だ。

 だから俺も恨まれる覚悟はしていたし、持つであろう悪感情を利用して兄離れをさせようとさえした。たとえ憎まれようとも、千聖が幸せになれるならそれでいい、と。

 

 だというのに、千聖からは一切悪感情を持つような気配が無い。それどころか、愛しているからという理由で千聖は俺の全てを許してくれる。許してしまう。

 

 その理由は何となく分かっていた。

 

(……捨てられたらどうしよう、か)

 

 結局のところ、全てそこに行き着くのだろうなと俺は考えている。俺に捨てられるのが怖いから。俺に置いていかれるのが怖いから。

 だから機嫌を損ねて居なくならないように、こうまで許してくれるのではないか。

 

 あの騒動のあと、昔よりベッタリになって風呂もトイレまで着いてくるようになってしまったのも、根本の理由はそこにあるのだろう。

 千聖は俺に対して過剰なまでに離れるのを嫌がるのは、目を離した拍子に俺が消えてしまうような気がしているのだろうと。

 

 これは俺の勝手な推測だが、間違ってはいない筈だ。そうでなければ、学校の授業の都合で離れた後に合流した千聖が、やけにホッとしたような顔を見せるわけがない。

 

 兄離れさせるどころか、より一層強くなってしまった依存。これは間違いなく俺の責任だ。

 

 千聖を歪めてしまったのが俺のせいだという事に疑いの余地はない。ここがどんな世界なのかは遂に分からなかったが、俺がいる時点で本来の流れからは確実に逸脱しているだろう。

 そして千聖は、その煽りを最も強く受けている。そんな気がする。だからこれは俺のせいなのだ。誰がなんと言おうと、俺だけが抱える罪なのである。

 

「ねえ兄さん、ぎゅってして。壊れそうなくらい強く、がっちりと。夢の中でも離れないように」

 

「…………ああ」

 

 元から異端者の俺と、そのせいでイカれてしまった千聖。

 

 もしかしたら白鷺家で平和に暮らしていくはずだったのかもしれない千聖を変えてしまったのは俺なのだという事実を、千聖が泣き疲れて眠るまでの間ずっと受け止め続けていた。

 

 

 

 兄さんが私に対して罪悪感を抱いていることなんて、とっくの昔に気付いていた。

 

 ふとした拍子に兄さんは私に申し訳なさそうな表情を向けて、何故か「ごめんな」なんて謝っていたから、気付かない方が難しい。

 そして私は、そう言われる度に苦笑いと一緒に首を横に振った。そうすると兄さんは何も言わず、ただ困ったように頭を撫でてくるだけだった。

 

 きっと過去の騒動を負い目に感じているのでしょう。兄さんは優しいから、そういう事を背負い込んでしまうもの。

 でも私からすれば、もう過去のことなんて殆ど関係はない。今こうしていてくれるという事実があるなら、兄さんが私を突き放そうとした過去なんて些細なこと。

 

 だから私は兄さんを恨んだりなんてしないわ。あのタイミングで空気を読まずにやってきた白鷺家の人に空気読めと思うことこそあれど、兄さんに負の感情なんて向けられるはずがないし、向けようとも思えない。

 もし負の感情を向けるのだとしたら、それは白鷺家にのみ向けられるものよ。

 

 白鷺という苗字は向こうから捨てさせてきたのだから未練なんて欠片も無い。私の苗字は星野、これは一生変わることは無いでしょう。

 そもそも赤ちゃんの頃に捨てられている時点で、向こうとの縁は切れたのだと私は解釈している。どんな事情があったのかは知らないけれど、私にとって大事なのは縁が切れたという事実のみ。

 

 そのはずなのに、ぬけぬけと戻ってくるなんてどういう神経をしていたのか。まったく、身勝手で図々しいにも程がある。

 こっちの都合も考えずに勝手に現れたと思ったら、母親譲りらしい私の目の色を見て勝手に親近感を覚えて私を迎えに来たなんて妄言を吐く。……施設で会っていなかったら通報していたところよ。

 

 私が言った通りに抱きしめてくれている兄さんの腕の中で、私はぴったりと兄さんの胸に耳をあてた。

 

(……暖かい)

 

 とくん、とくんと一定のリズムで聞こえる兄さんの心臓の音が心地いい。

 たとえ体が成長しても、この音は昔からずっと変わらない。いつでも私に安心感を与えてくれる魔法の音だ。

 

 その昔、私の記憶には無い遥か彼方から、私は兄さんの心臓の音で泣き止んだと聞いている。私が転んだり、犬が怖かったりして泣き出した時、いつも兄さんが今みたいに私に心臓の音を聞かせて泣き止ませていたとも。

 その音がなせる技なのか、ポロポロと零れていた私の涙は次第に引っ込みはじめて、それと共に恐怖心も和らいできていた。

 

「…………」

 

 当然の事ながら、この時間にもなれば周りは夜の静寂に満たされていて、他の音は聞こえない。

 誰もが寝静まっているだろう時間、この世界にいるのは兄さんと私だけ。兄さんがいて、私がいる……それがこの瞬間の全てだった。

 

 …………ああいや、この瞬間に限った話ではないわね。

 昔からずっと、私が自我を持った瞬間から、この部屋が私の全て。この部屋にある物、いる人が私を作るモノ。ここから外にある世界の事なんてどうでもいいし、無くても変わりはしない。

 

 それは昔からずっと思ってきた事で、今でも変わらず思っている事でもある。

 

 私に愛をくれたのは兄さんで、私に家族をくれたのも兄さんで、私に世界をくれたのも兄さんだ。

 私の全ては兄さんから貰ったものだけで出来ている。それ以外の不純物なんて入る余地は無いし、あったとしても入れさせない。誰も、何も。

 

 とくん。とくん。耳元の音は変わらない。兄さんが呼吸をする度に胸が上下して、鼻息が僅かに私の髪を揺らす。

 兄さんに包まれている私は、さっきまでの恐怖心をやっと忘れて眠りにつこうとしていた。

 

 うとうとしはじめた瞬間、兄さんの溶けて消え去りそうなくらい小さな呟きが私の鼓膜を揺らす。

 

「……ごめんな」

 

 ほら、また言った。

 私は訪れた眠気に意識を引きずり落とされながら、首を微かに横に振った。

 

 兄さんはきっと、私が兄さんを許すのに何か深い理由があると思っているのでしょう。そんなもの、ありはしないというのにね。

 私が兄さんを許すのは、兄さんが家族だから。それ以外に理由なんて無い。

 

 だから、そんなに思い詰めなくてもいいの。それよりも兄さん、また昔みたいに笑って?

 兄さんの笑顔と喜びが、私の喜びでもあるのだから。

 

 

 ◇◇

 

 あの2人について真っ先に思う事といったら、いつ一線を越えるのかハラハラする。という少し下世話なものだ。

 

 なんといえばいいのか……義理とはいえ年頃の兄妹の距離感ではない所に危うさを感じているのだろう。

 

 ……どうして私がこんなことを考えているのかというと、一緒に昼食を取っていた日菜の発言が原因だった。

 

「涼夜君と千聖ちゃんの距離感、おねーちゃんはどう思う?」

 

「距離感?」

 

 お昼休みになるなりダッシュで駆け込んできた日菜と共にお弁当を広げながら、私は疑問を日菜に返す。

 私達が同じタイミングで弁当箱の蓋を開けると、そこには全く同じおかずの入ったお弁当が広がっていた。

 

「そうそう距離感。ひまりちゃんみたいに上に兄が居る家の子から見ると、あの2人って異常に近いらしいよ」

 

「……まあ、それはそうでしょうね」

 

 それには同意する。

 私に一般的な距離感というものは分からない。隣に居るのが色々と近すぎる日菜だし、そもそも妹なのだから参考にはなるはずもなく、かといって身近にも兄妹の参考例が無いから『どの程度が適切な距離感なのか』というのすら分からない。

 けれど、それでもあの2人が近すぎることくらいは分かっているつもりだった。普段から日菜がベッタリくっついて来る私がそう言う時点で、どれくらいかは察して欲しい。

 

「知らない人が見たら、あの2人ってバカップルに見えるんだって。見た目が似てないから余計に」

 

「血は繋がってないものね。無理もないわ」

 

「ところで涼夜君ってさ、性欲とかあるのかな」

 

「ぇえ?またあなた、そんな脈絡もなく話を変えて…………知らないわよ」

 

 あまりに脈絡のない話題転換に思わず間の抜けた声を上げながらも、日の高いうちからなんて話を持ち出すのか、と眩暈に似たものを覚えながら話を受け流す。

 こういう時はセメント対応をしないと日菜はすぐに暴走してしまうのだというのは経験で分かっていた。

 

「大体、なんでそんな話になるのよ。どう考えてもそっち方向の話じゃないでしょう」

 

「涼夜君は男子高校生でしょー。それで、聞いた話だけど男子高校生って凄いらしいじゃん?だけど涼夜君は全くそういう素振り見せてないよねーって」

 

「……仮にあったとして、日菜には関係ないでしょう。その劣情をぶつけられたとかならまだしも、そんな事ありえないでしょうし」

 

「そうなんだよねー。涼夜君、ひまりちゃんの無防備なスケベボディを見ても呆れ顔するだけだし」

 

 上原さんが無防備なのは今に始まった事じゃないし、その度に居合わせた全員で注意もしている。

 本人曰く「Afterglowのみんなの前だけだから大丈夫だよ〜」らしいけれど……だからといって、気を使わなくてもいいという事ではないでしょう。

 

「もしロリコンだったらあこりんにも欲情してないと変だし、やっぱ千聖ちゃんオンリーなのかもなー」

 

「涼夜は前から千聖さんオンリーでしょうし、千聖さんは涼夜以外は眼中に無いなんて分かっていたことじゃない」

 

「2人ともお互いが大好きだもんねー。5年後とか10年後はどうなってるんだろう」

 

 そう言った日菜は、さも当然のように私の卵焼きを持っていきながら考え込むような仕草をした。しかしその直後、どうでもいいのか、それとも飽きたのかは分からないものの、とにかく考える事をやめた日菜が別の話題を振ってくる。

 

「まっいいや。それよりおねーちゃん、FUTURE WORLD FES.には行けそうなの?」

 

「さて、どうかしらね。この調子だとギリギリかもしれないわ」

 

 白金さんや今井さんのメンタル面は実際のライブで鍛えてもらうしかないから置いておくとしても、まだバンド衣装も決まっていないし、技術面でも課題が残っている。

 それ以外にも、楽曲の用意やセットリストの作成など……考えるまでもなく問題は積まれていた。

 

「大変だねぇ」

 

「一つずつ地道に解決していくわ。幸い白金さんや今井さんがバンド衣装の草案を纏めてくれているから、衣装の問題はすぐに解決しそうよ」

 

「デザイン見れる?見れるならちょっと見せて!」

 

「別にいいけど……はい」

 

 トークアプリに貼られたデザインを画面に表示して日菜に渡すと、画面をスワイプしながら次々と見ていく。

 その隙に日菜の弁当箱からウィンナーを持っていきながら、私は日菜が見終わるまで待った。

 

「……うわぉ。一つだけ凄い異彩を放ってるこれ、あこりんのデザインって一目で分かるよ」

 

「それは真っ先に却下されたわ」

 

「だろうね」

 

 うんうんと頷きながら、日菜はスマホを返してきた。それをポケットに入れながら、私は食べ終わった弁当箱をカバンの中に仕舞う。

 

「今日も練習?」

 

「ええ。今日は全員の予定が合うらしいから、スタジオで合わせる事になっているわ」

 

「うーん……あたしはどうしよっかな」

 

「どうって?」

 

「何もすることない」

 

 そんな馬鹿な……とは言えない。美竹さん達はガルジャムに出る準備で忙しいだろうし、私達は言わずもがな。そして涼夜や千聖さんはバイト尽くし。

 私達の中で日菜は1人だけ何もやっていないから、暇を持て余しているのでしょう。

 

「ギターの練習でもしておけばいいじゃない」

 

「1人でやっててもつまんないんだもーん」

 

「じゃあ何か……趣味を見つけるとか、あるいはバイトでも始めるとか」

 

「バイトかぁ……それもアリかも」

 

 …………でも、日菜がバイトって全く想像つかないわね。どうしてか上手く行くような気がしないのは、日菜のズバッと物事を言う性格を知っているからなのかしら。

 

「自分が納得いくまで探しなさい。今の日菜には、それくらいの時間はあるでしょう?」

 

「そうするー。ごちそーさまでしたっと」

 

 気付けば、私の弁当箱は殆ど空になっていた。最後に残ってしまったにんじんを嫌々ながら齧っていると、現実逃避気味に高速回転した思考が一つの考えを出す。

 

「ところで日菜」

 

「なにー?」

 

「まさかとは思うけれど、にんじんを残すなんて言わないわよね?」

 

 さり気なく隠していたけれど、私達のお弁当のおかずは同じものが入っている。つまり私の弁当箱ににんじんが入っていれば、日菜のにも入っているという事になるのだ。

 ぴたりと日菜が一瞬動きを止めた隙を逃さず、私は閉じられかけていた弁当箱の蓋を持ち上げた。するとそこには、案の定一切手のつけられていない、にんじんが残されていた。

 

「……日菜?」

 

「にんじんいらないよ」

 

「食べなさい」

 

 ……取り敢えず、今は日菜ににんじんを食べさせる方法を考えないといけないわね。



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バッタリ

 

(……ライブまで、あと2週間)

 

 夜通し動かしてボンヤリとした頭でカレンダーを見れば、ガルジャムはもうそこまで迫ってきていた。

 もうそれだけしかないのか、と驚くと同時に時の流れの速さを感じる。

 

 2週間と聞くと一見余裕がありそうだが、実際のところは全く余裕などない。演ると決めた曲の順番決めや調整など、まだまだやらなければならない事は山積みだ。

 振り返ってみれば、一ヶ月という長そうな月日すらあっという間だった。それより短い2週間など、もっと早く過ぎ去ってしまうだろう。

 

 この残り2週間は一切無駄に出来ない。本当は学校にも行かないで練習したいくらいだが、それは流石に許されないだろう。学生の本分が勉強だという事は蘭も分かっている。

 しかし放課後だけでは、あまりにも時間が足りなさすぎるというのも事実であった。ならば何処かで練習時間を確保するしかないが、これ以上は日常生活に支障をきたすという所まで来てしまっていた。

 

 例えば昨日の夜から今までのように、完徹でギターの練習をすれば練習時間そのものは確保できるだろう。だがそれは翌日以降の学校に影響を与えるし、なにより繰り返していては身体が持たない。

 ほぼ確実に放課後の練習まで悪影響を及ぼすと考えると、これは禁じ手に近い所業だった。

 

 冷静になって振り返れば、なんて馬鹿な事をしたんだろう。と蘭は思考能力が低下した頭で思う。どうやら焦りすぎるあまり、冷静な判断力さえ失ってしまったらしい。

 

 そんな感じで日常生活……というか睡眠時間を犠牲にする事のデメリットは今の蘭が身をもって実感しているが、しかし他に削れそうな場所も見当たらない。

 ならば練習の密度を濃くするしかないだろう。時間が無いなら無いなりに、その時間を最大限有効に活用しないと。

 そう結論を出しながら蘭は呟いた。

 

「みんなは上手くなってるんだから、あたしだけ立ち止まってるわけにもいかない……」

 

 誰もが成長しているのは分かっている。モカやひまりは勿論、巴やつぐみもドンドン上達していっているのは感じていた。

 しかし自分はどうだ?個人の勝手な事情に囚われて、上手くなるどころか足を引っ張っているではないか。

 

 部屋に置いてあるギターに目を向ける。もちろん、無機物のギターは蘭に何も語ってくれはしない。

 ただ陽光を反射して煌めくだけで、その胸のモヤモヤとは正反対に輝いていた。

 

「…………なのに」

 

 気付けば自然と歯を食いしばっていた。胸の内で暴れる不安と苛立ちが、蘭の心をかき乱す。

 

「なのに、なんで進めないの……!?」

 

 頭では分かっている。このままではいけない、どうにかしないとなんて事は。

 だけど、どうすればいいのか分からない。何をすればこの苦しみから解放されるのかを考えれば考えるほどドツボにハマって、頭の中がぐちゃぐちゃになって、今すぐにでも狂ってしまいそうだった。

 

「く、うっ……!」

 

 胸が苦しい。今まで気にもとめなかった心臓の鼓動が、やけに五月蝿く耳に残る。ぎゅっと胸元を掴みながら、動悸を抑えようと深呼吸を繰り返した。

 やっと呼吸が元通りになってきた時には、時計の針が起きる予定の時間を過ぎていた。

 

「………………起きなきゃ」

 

 寝不足で鈍い痛みを発する頭を抱え、力の入らない身体に活を入れて立ち上がる。すると、昨日見ていたRoseliaの特集が載った雑誌に、自然と目線が吸い寄せられた。

 広げっぱなしだったそのページには堂々とした友希那の姿と、その覚悟とやらを語っているインタビュー記事が載せられていた。

 そこから目を外すと、今度は窓ガラスに僅かに写った、疲れきった蘭の姿が見える。

 

 なんてザマだ。蘭は自分に向けて嘲笑を浮かべた。

 追いつきたいと願った相手が更に先へ進む一方で、自分は後退する一方。つぐみやひまりの背中を見ているような現状では、友希那の背中など見ることすら叶わない。

 

 部屋を出る直前に少しフラッと揺れながら、蘭は思わず呟いた。

 

 なんで、あたしだけ。

 

 蘭の胸の内は晴れやかな朝とは正反対に暗く、先が見えない森のような陰鬱さを持っていた。

 

 

「よう蘭、おはよう」

 

「ら~ん~。おはよー」

 

「蘭ちゃん、おはよう!」

 

「らーん!」

 

 いつも通りの何でもない朝、昔から変わらぬ4人と待ち合わせる。

 でも何故だろう、今日はいつにも増して幼馴染たちが眩しく見えた。気を強く保たないと、思わず目を逸らしてしまいそうだ。

 

「…………おはよ」

 

「おー?ら~ん、今日はご機嫌ナナメですかなー」

 

 挨拶の声は自分でも驚くくらい低い声だった。気持ちに引きずられて暗くなっているのだろう。

 そんな様子をモカは見逃さない。若干茶化すような軽い口調で、しかし何かを探るような目を向けてくる。

 

 こういう時、察しのいいモカの存在は厄介だ。普段は頼りになる筈の洞察力が、今はとても鬱陶しい。

 

「寝不足」

 

「ああ、なら仕方ないね。あたしも眠いと、なんだかイライラしてパンが欲しくなるし」

 

「……イライラしてパンが欲しくなるの?」

 

「長い付き合いだけど、モカの事はまだ良く分からないな」

 

「トモちんひどーい」

 

 寝不足という嘘ではないか真実でもない理由を答えれば、モカが勝手に話を別方向に逸らし始めて、どんどん話が脱線していった。

 モカが山吹ベーカリーのパンの良さを語っているのを尻目に、蘭は見つからないように軽く息を吐く。

 

 なんとか誤魔化せただろうか。気持ちに引きずられて、暗くなってはいないだろうか。

 長い付き合いだし、もし暗くなっていたら簡単にバレてしまうだろう。そして心配されてしまう。だけどガルジャムが間近に控えた現在、みんなに負担は掛けたくなかった。

 

(どうにか隠さないと)

 

 あともう少し、2週間の辛抱だ。そこさえ乗り切れれば後は何とかなるに違いない。

 そう信じ、蘭は鈍い痛みを発する頭を抱えながら学校への道のりを歩いて行く。

 

「だよねー蘭?」

 

「……ごめん。話聞いてなかった」

 

「えー。モカちゃんのありがたーいパンのお話を聞きそびれるなんて、いま蘭は凄い損したよ。人生最大のミスだよ~」

 

「人生最大は言い過ぎでしょ」

 

 他愛のない会話と何も変わらないみんなの様子。そこからは、まだ察せられたような雰囲気は出ていなかった。

 大丈夫だ、まだバレていない。

 

「1時間目って生物だったよね?私、今日の小テスト自信ないんだ……」

 

「ひーちゃんって、いつも自信ないって言ってるよねー」

 

「でも、ひまりちゃんがそう言って本当にダメだった事って、あんまり無いよね?」

 

「まあほら、本当にダメだと紗夜が……ね」

 

 下駄箱で上履きに履き替えて階段を登る。高校に進学した当初は登りきるだけで息切れしていたが、慣れた今ならそんな事も無かった。

 既に自分の席に荷物を置いたらしい生徒が廊下で雑談している様子も、朝の日常の一コマだ。

 

 そんないつも通りの廊下の、いつも通りの場所で、蘭は進む方向を変えた。

 

「じゃあ、また後で」

 

「後でねー」

 

 蘭とそれ以外の4人はクラスが違い、蘭はA組で4人はB組だ。A組とB組は体育なんかは合同でやるし、教室の位置も隣同士だが、少しの間でも離れるのには違いない。

 今立っている位置から見て、蘭が入っていった手前側の教室がA組なので、残る4人は蘭とは一旦別れて奥側のB組に入る。

 

 A組に入っていく蘭の背中を歩きながら見送るのも、いつも通りの事だった。

 

 それを終えた各々がB組に入って自分の机に鞄を置き、丁度いい位置にあるモカの席に集まった時。4人の顔は、皆一様に渋い様子になっていた。

 

「蘭ちゃん無茶してるよね」

 

 最初に切り出したのはつぐみ。話し合いの内容は、さっきまでの蘭のこと。

 

 蘭はまだ隠せていると思っているようだが、バレていない筈がなかったのだ。

 自分では気づいていないだろうが、どこか上の空だったり顔色が微妙に悪かったりと、明らかな異常が見て取れた。それは蘭を見慣れていなければ見過ごしてしまいそうだが、蘭を見慣れているなら分かりやすすぎる変化である。

 

 異常を見せておきながらバレてないと思う蘭の見込みが甘いと言えばそれまでだが、裏を返せば少し鏡を見れば分かりそうな自分の変化に気づけないくらい、蘭が切羽詰まっているという事でもあるだろう。

 

「蘭は抱え込みやすいですからな〜。でも、そこまで蘭が抱え込む問題となると……」

 

「家のこと……だろうな。あそこまで蘭を悩ませる問題っていったら、アタシにはそれしか思いつかない」

 

 歴史ある華道の家に生まれた一人娘の幼い双肩に掛けられる責務とか重圧とかは、裕福とはいえ一般家庭の生まれな4人には分からない。

 だけど良いことばかりではないんだろうな。というのは何となく分かっていた。過去に何度も、華道の稽古とかで蘭と遊べなかった事を経験しているからだ。

 

 そして歳を取るにつれ、段々と今の年齢に近くなるにつれて、蘭が稽古を嫌がるようになっていった事が、強く印象に残っている。

 

「いやいや。もしかしたら恋をしているという可能性も」

 

「それならそれでいいさ。どっちにしろ、解決しなきゃならない問題に変わりはないんだし」

 

 ひまりの発言は如何にも今どきの女子高生らしいものだった。巴はそれを口に出して否定こそしなかったものの、無いんじゃないかな。と心の中で思う。

 

「どうするー?蘭、あの調子だといつか倒れちゃいそうだけど」

 

「そりゃ決まってるさ。涼夜の時と同じように、多少強引にでも話を聞く」

 

 なにかと溜め込みやすい性格をしている蘭だが、しかし自分から話そうとはしないだろう。ガルジャムも近いし、恐らくこちらに気を使って1人でなんとかしようとしている。と半ば確信していた。

 もう10年近い付き合いだ、蘭が考えている事なんて容易に想像がつく。

 

「でも蘭ちゃんって、ちょっと意地っぱりな所があるよ。正直に話してくれるといいけど……」

 

「部外者でも話を聞くだけならできるって、昔に言ったのは蘭だ。嫌とは言わせない」

 

 気を使ってくれているのは嬉しいが、だからといって1人で苦しむ蘭を見たくはない。こういう時に力になってこそ友達なんじゃないのかという思いが巴にはあった。

 

「巴らしい強引なやり方だね」

 

「アタシらしいって、そんな風に思われてたのか?…………まあいいけど、とにかく蘭にはこれくらいが丁度いいさ」

 

 ほぼ間違いなく言い争いに近い事が起こるだろう。だけどそれは仕方ない事だと割り切っていた。

 真に友達を想うのならば、多少荒々しい手段を取らなければならない時もある事を、巴は知っている。そして、それをしなければならないのは今だと確信していた。

 

「いつやるの?」

 

「今日の放課後かな。アタシの予定が空いてるから、そこで仕掛けてみる」

 

 今仕掛けても意味は無い。蘭から話を聞き出すには相応に時間が必要だし、途中で逃げられないように場所を整える事も必要だ。

 それらが出来る時間的な余裕があるのは放課後しかないだろう。そして幸いな事に、今日は予定が空いていた。

 

「蘭の事は心配だけど……こんな時に限って部活なんだよねー……」

 

「私も生徒会が……」

 

「いいさ。アタシとモカで何とかするから、2人は自分のやるべき事に集中してくれ」

 

「吉報を期待しててよー」

 

 方針は決まった。ならば後は行動に移すだけだ。モカと巴は頷き合いながら、どうやって蘭から話を聞くかという事を考え始める。

 

(涼夜達に頼るのは本当に最後の手段だ。一番付き合いの長いアタシ達で解決できるんなら、それが一番いいに決まってる)

 

 事情を話せば助けてくれるだろう。もしかすると助けるどころか、彼一人で話し合う舞台を整えてくれさえするかもしれない。

 

 だけど、それじゃあ何時まで経っても自分達は成長できない。何でもかんでも"彼に任せればいいや"では思考停止もいい所だし、望む望まぬに関わらず、いつか別々の道を歩まなければならなくなる時は必ず来る。

 いつまでも彼という補助輪が存在する訳ではない事は分かっているのだから、その補助輪を外すためにも、この問題は自分達で解決したいのだ。

 

(…………本当は、蘭が自分から打ち明けてくれるのが一番なんだけどな)

 

 少なくとも今は期待できないか、と巴はその考えを切り捨てた。

 

 

 

 ──蘭がふと顔を上げると、そこは学校から離れた商店街だった。

 

「あれっ?」

 

 唐突に意識を取り戻した蘭は、目の前に広がる夕日色に染まる見慣れた商店街に困惑しながらも周りを見る。

 

「ここって……」

 

 なぜ、こんなところに立っているのだろう。さっきまで自分は学校に居たと記憶しているのだが……。

 

 鞄の中からノートを取り出してパラパラとめくってみれば、それなりにノートは取ってあるみたいだった。まるで覚えていないが、これは紛れもなく自分の文字だ。授業は受けていた……のだろうか?

 

 他には何かないかと鞄の中を更に漁れば、朝には持っていなかったプリントが入っていた。

 その一枚を手に取ってみる。夕日に照らされたプリントには『授業参観のお知らせ』という、今の蘭が見たくないお知らせが書かれていた。

 

「……」

 

 それをぐしゃっと潰して鞄に押し込み、スマホの画面に映る時計を見た。普段練習を始める時間から少し遅れている。

 

(何があったのかは分からないけど、早く練習を始めないと。もう時間もないんだから)

 

 自分の身に何があったのか気にはなるものの、気にしたところでわかるものでもない。

 だからさっさと考えを変えて一歩を踏み出そうとした瞬間、

 

「あら?あなた……」

 

 それを阻むかのように背後から声がした。一度だけだが確かに聞いたことのある声に蘭が振り向くと、そこには予想通りの人物が立っていた。

 

「湊、さん」

 

「確か……美竹さん、だったわね」

 

 紗夜に友希那が声をかけた日から顔を合わせていない2人が、この日、偶然出会した。

 



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