もしもギムレーがアリティアに飛ばされたら (ヒラギ)
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序章 覚醒の儀
邪竜ギムレー。
千年の時を経てイーリス大陸に蘇った邪竜。
ギムレーの力は凄まじく、その毒牙によって世界は絶望に包まれた。
聖王クロムはギムレーに意識を奪われたルフレによって殺害され、クロムと共に戦ってきた仲間たちも、一人また一人と教団の信者や屍兵の手によって散っていった。
それでも、彼らの意思を受け継いだ子供たちは抵抗していたが、ついに人間の守護神たる神竜ナーガはギムレーによって殺され、神竜の巫女であるチキもまた聖王の娘ルキナを庇い命を落とした。そして、頼みの綱であるルキナの命運も今まさに尽き果てようとしていた。
しかし、物語の行方は邪竜の思惑を外れ、誰もが予想しえない方向へと向かい始める。
世界に「もしも」は存在しない。起きた事実は覆らない。あるのは起こりえた可能性であり、選択の瞬間を過ぎた時点で可能性は現実にはなり得ない。
つまり、これは――まぎれもない現実だ。
◆
炎の台座と忌々しき剣を携え、聖王の娘が祈りの言葉を紡いでいく。何としてでも妨害する必要があったが、ギムレーの体は動かない。
「我はその火に身を焼かれ、汝の仔となるを望む者なり。我が祈りを聞き届けたまえ」
神竜の炎が娘を包み込んだ。だが、全身を炎に焼かれてもなお、その眼差しは揺るぎない。娘の瞳に浮かぶ聖痕が力強くこちらを見据えた。
「あなたの覚悟、覚醒の儀を通して確かに受け取りました。……悪しきを貫く一振りの牙、そこに宿された真の力を解放します」
一度は完全に摘み取ったはずの希望。起こるはずのない覚醒の儀。
だが、葬ったはずの神竜の巫女はなぜか生きており、宝玉は炎の台座へとおさまった。
全てが思い通りにいかない。神竜を凌駕する程の力を得たはずなのに。
「ク、クソオオオォォォ!」
器は未だに同化を拒み、思うように体が動かない。ギムレーは辛うじて動く口からありったけの憎悪を吐き出した。
「オノレ、オノレルフレーーッ!」
聖王の娘、いや、すでに聖王となったその娘は静かにファルシオンを構えた。
「私はもう……負けません。お父様や仲間たち、そしてお母様あなたのためにも、今ここで……全て終わらせます!」
「ルキナ……ごめ……なさ……ずっと……辛いお……ばかり」
もはや口ですら言うことを聞かない。器の残滓に操られるまま、心にもない懺悔の言葉が紡がれる。
その言葉を受け、娘の視線が定まり、やがて彼女は力強くファルシオンをギムレー目掛けて突き出した。
憤怒と屈辱に脳が埋め尽くされるが、もはや体は一部たりとも自らの意志で動かすことはできなかった。
視界が白く染まっていった。
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前日編
第一話「力を失いし竜」
「目が覚めたみたいだな。大丈夫か?」
目を開けると見覚えのない森の中にいた。
炎の台座、神竜の巫女、聖王の娘とその仲間たち、ギムレーを追い詰めていたものは何一つなく、側には兵士の服装をした青い髪の青年がいるだけだった。
「……ええ。ここは、何処ですか? あなたはいったい?」
「そういっぺんに尋ねるな。おれはクリス。アリティア従騎士クリスだ。ここはアリティア城近辺の森。行軍任務の最中にここで倒れているお前を見つけて介抱していた」
クリスと名乗った青年は淡々と告げた。慎重な性格なのか、話の最中も周囲への警戒は解いていない。
「お前の名は?」
ルフレ。
反射的に口から出かけたその名を飲み飲んだ。
「……ギムレーです」
破滅と滅亡の邪竜、教団が拝するその名を正直に答える必要はない。いたずらに身を危険に晒すだけだ。
だが、そうと理解していても、あの忌々しい器を騙ることは我慢できず、気づけばギムレーと名乗っていた。
「そうか。どういう事情かは知らないが、こんな森の中で倒れていたくらいだ。困っているなら力を貸す」
予想に反し、クリスはギムレーという名に何も反応しなかった。
ギムレーは思わずクリスの顔をジッと見つめた。
「……どうした、急に人の顔をじろじろ見たりして」
「いえ、少し驚いただけです。その……ずいぶんお人好しだなと」
本当はクリスの顔を見つめていた理由はギムレーという名に反応しなかったからなのだが、この言葉もまた本心であった。
事情も知らずに助けようとするなど、青い髪も相まって、どこぞの聖王のように思えた。
「困っている民を助けるのはアリティア騎士を目指す者として当然のことだ」
ギムレーは民ではない。それどころか、その民を困らせる原因そのものなのだが、クリスは知る由もない。
好都合だ。
ギムレーは情報を入手した後に殺すという考えを放棄し、このまま取り入って利用しようと決めた。教団の信者や屍兵のように、手足となる者がいるに越したことはない。
なんにしても、ひとまず優先するべきは現状の整理である。
記憶が正しいのであれば、ギムレーはイーリス城でファルシオンに貫かれ、聖王と神竜によって滅ぼされようとしていたはずだ。しかし、現実としてギムレーの体に傷はなく、どことも知れぬ森の中にいる。
何かが起きた。それが何かは皆目見当がつかないが、あの場から離れることができたのはギムレーにとって都合がいい。
「クリス! 賊だ! 村が賊に襲われている!」
茶髪の青年が馬に乗って現れた。彼の瞳には焦燥の色が浮かんでいる。
「ロディか。他の三人は?」
「村への注意を逸らすために牽制を仕掛けている」
「わかった。すぐに向かおう」
クリスは頷き立ち上がった。その挙動からは一片の迷いも感じられない。
「ギムレー、すまないが見ての通り急用ができた。少しの間ここで待っていてくれ」
「……いえ、わたしも行きます」
その言葉に二人は目を丸くしたが、ギムレーにとっては当然の申し出であった。
せっかく手に入れた情報源を、賊に殺されでもして失うわけにはいかない。
そんなギムレーの心中を知らず、試すようにロディが口を開いた。
「……ギムレーといったか、失礼を承知で尋ねたい、君は本当に戦えるのか? 見たところ武器を持っているようには見えないが」
「当然です。わたしが扱うのは魔導ですから」
少し力を見せつけてやるのもいいかもしれない。
ギムレーは懐から魔道書取り出し、右手を木に向かって構えた。しかし、魔道書を開いたのはあくまで形だけ、これから見せる邪竜としての力を魔道の力に偽装するためだ。
ギムレーは右手に邪竜の力を込めた。
……しかし、何も起きない。
木を吹き飛ばそうとしたのだが、何も起こらない。
ギムレーは困惑した。
竜の力が使えない? 消えた? いったい、何故に? 覚醒の儀の影響? 力の消失? 局所的な封印? 器の支配が消えていない?
「……どうしたんだ?」
ギムレーの様子を訝しんだロディが呟いた。声は出さないもののクリスも不審に感じているように見える。
「と、トロン!」
二人の視線に耐えかねて、ギムレーは咄嗟に使う予定のなかった魔道書の力を解き放った。
今度は失敗することなく、右手から飛び出した雷が木を貫いた。木の全体に電撃が伝わり、小骨がいくつも折れるような音が響く。雷の消えた後には、火事でも起きたかのように黒く焼け焦げた木が残った。
「……驚いた、まさかこれほどとは」
「え、ええ、これくらい余裕です」
最初からそのつもりだったと言わんばかりにギムレーは胸を張った。本当は丸焦げどころか消し飛ばそうと考えていたことなど当然口にはしない。
「これでわたしの力はわかったでしょう。わたしもついて行きます」
なぜ竜の力を使えなかったかはわからない。
だが、現状を把握できない以上、なおさらこのお人好し共を見殺しにするわけにはいかなくなった。
◆
「ちくしょう! クリスたちはまだ来ないのかよ!」
「ルーク、焦らないでください。敵一人一人の力量は大したことありません。無理に攻めこんだりしなければ……」
「そうは言っても、村人に被害が出たら元も子もないだろ!」
民を守ってこその騎士だ。護るべき対象を見捨て自らの安全を優先するのであれば、それはもはや騎士ではない。
彼らを守るには多少無理してでも敵の意識をこちらにひきつける必要がある。
ルークは気合を入れ深く息を吐いた。
「……少し掻き回してくる。ライアン、援護してくれ!」
「は、はい。わかりました」
ライアンは緊張した面持ちで頷いた。
「……少しでも危険を感じたらすぐに退いてください」
「わかってるって」
カタリナは不安げに眉をひそめたが、引き止めはしなかった。ルークのそれが蛮勇ではなく必要な判断だと彼女も感じているのだろう。
ルークは剣を構えると馬の腹を蹴った。弩から放たれた矢のように馬が駆け出した。最も近い位置にいる賊に狙いを定め剣を振るう。
「く、がはっ!」
賊は斧で対応しようと試みたが、剣相手に斧では分が悪い。賊はその場に倒れ、ルークの剣が赤く染まった。
「死にたい奴からかかってこい! 明日の聖騎士ルークが全員倒してやるよ!」
「くそ、アリティア騎士め、もう来やがったのか。……野郎ども! こいつから仕留めるぞ!」
賊の首魁らしき男が叫ぶと、ルークを取り囲むように賊が動き始めた。
ひとまず注意をひくという目的は達成できた。後は一掃するだけだ。
「オレの活躍を見せてやるぜ!」
戦場において馬というのはそれだけで驚異だ。機動力、突破力どちらにおいても歩兵を上回る。しかもルークの得物は剣。斧で戦う賊に対して圧倒的に有利であった。
しかし、それでも数の差は歴然。多勢に無勢。それでなくてもルークは新米従騎士だ。全員倒してやるとは意気込んだものの、実戦経験はほとんどない。村人たちの命を背負っているという意識がルークの僅かな失敗を促し、限界は予想よりも早く訪れた。
「ルーク! 一旦戻ってください! これ以上は完全に囲まれてしまいます」
「く、わかった!」
「そうはさせるかよ、取り囲め!」
「ライアン、突出した右の二人を妨害してください」
「はい!」
ルークの行く手を塞ごうとしていた賊をライアンが射抜いた。
「おう、助かったぜライアン」
「援護なら任せてください」
初めは子供かと思って侮っていたが、訓練を共に過ごす程にライアンの手堅い仕事に助けられていることに気づく。今回もライアンの援護射撃が無ければ多少なりとも傷を負っていたかもしれない。
「それで、クリスの奴はまだなのかよ」
「……もう少し持ちこたえましょう」
少しは休ませてくれよ、ルークは内心そう思ったがそれを口にするのが許される状況ではないことは明白だった。
「おい、お前ら! 計画変更だ! 馬に乗った相手とやりあってもラチがあかねえ。それより先に後ろにいる女とガキを殺すぞ!」
「……やべえな」
カタリナは軍師だ。戦い方の指示は頼りになるが、本人には戦う力がない。弓兵であるライアンも腕は悪くないが、敵に接近されたら為すすべがない。
二人を守って戦うのはさすがにルークには荷が重い。
「カタリナ、どうする?」
「森に逃げ込んで迎え撃ちましょう。追いかけて来た者から順に相手すれば、一度に多数を相手取らずにすみます」
「あの、ぼくたちが逃げて村は平気でしょうか?」
「……ルークが注意を引いてくれたので、彼らが私たちに気を取られているうちは安全なはずです。――ライアン、危ないっ!」
カタリナは咄嗟にライアンを突き飛ばした。ヒュンという空を切る音。ライアンの近くの木に矢が刺さった。
「ライアン、大丈夫でしたか?」
「う、うん。ありがとう、カタリナさん」
一刻も猶予はない。ルークが覚悟を決め剣を握りしめたその時だった。
「ごはっ!」
こちらに向かって走っていた賊が、突然強風に煽られ冗談みたいに吹き飛んだ。
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第二話「殺戮の影」
「山賊か、見逃すわけにはいかないね」
落ち着いた声と共に現れた緑髪の青年は、その手に魔道書を抱えていた。
口ぶりから察するに、先ほど賊が吹き飛んだのは彼の魔道によるものだろう。
「あなたは? 敵ではないみたいですが」
「ぼくはマリク。カダインの魔道士だ。隊長は君かな?」
「ま、マリクさん!? ……い、いえ、わたしは軍師です。隊長がこの場にいないので指揮をとっていますが、もうすぐ合流するはずです」
「そうか、じゃあ君に従おう。指示を出して欲しい」
「はい! ……あの、マリクさん、もしかしてあなたはマルス様の友人の」
マリクはカタリナの言葉を遮るように手を突き出した。
「話は後だ。今はこの状況を切り抜けるのが先だろう?」
「は、はい。そうですね」
マリクの力は圧倒的で、数の差をものともすることなく、並み居る敵を次々と風魔法でなぎ払った。賊たちは近づくことすらできずに倒れていった。
しかも、驚くことにマリクは誰一人として殺していないのだ。その力の差は歴然であり、勢いのままに飛びかかってくる者はもはやほとんどいなかった。
「くそっ、なんだてめえは! 弓兵、この緑頭をぶっ殺せ!」
「させるかよ!」
魔道士はその火力、殲滅力は申し分ないが、その分打たれ弱い。いくらマリクといえども、弓を受けて無事だとは思えない。マリクの戦力がルークたちの生命線である以上、弓兵たちの攻撃を許すわけにはいかなかった。
ルークは馬をかけ、弓兵に急接近した。弓兵が本領を発揮できるのは、遠距離での戦いだ。接近戦では無力に等しい。
「ルーク! そのまま、弓兵を殲滅してください!」
「おう、任せとけ!」
瞬く間に弓兵たちを斬り伏せた。賊たちの間に動揺がはしる。
流れは完全にこちらが握っている。ルークがそう確信した時、それは起こった。
辺り一面に広がる心臓を直接叩いたかのような強い振動と破裂音。それが終わったと同時に村の一画に炎があがった。
「いったい、何が」
「ぎゃはははは! いいぜいいぜ、そのまま、村ごと燃やしちまえっ!」
「そんな、なんて、酷いことを……」
マリクが悲痛な面持ちで呟いた。
「知ったことかよ。こうでもしねえと、オレたちは生きていけねえんだ。逆らうってんなら皆殺し、それがオレたちの流儀だ」
「おいおい、親分、逆らわなくても憂さ晴らしに燃やすつもりだったんでしょうに」
「はは、違いねえ」
殺さないように手加減をしたのが仇となり、マリクが倒した者たちが一人また一人と立ち上がった。
ルークは賊たちの攻撃を警戒したが、彼らの取った行動は全く逆のものであった。
「お前ら、よく聞け、こいつらには勝てねえ。さっさと逃げるぞ!」
「なッ! そうはいくかよ!」
ここまで好き勝手に暴れておいて逃すわけにはいかない。堂々と告げられた逃亡宣言にルークは声を荒げた。
「いいのか? そうしている間にも村は焼けてくぜ。それに――」
再び破裂音があたりに響いた。
「――仕掛けは一つじゃねえ。もたもたしてるとどうなるだろうな?」
「汚ねえぞっ」
「じゃあな、アリティアの騎士さんたち」
賊の首魁はそう告げると倒れ伏す仲間には目もくれず走り出した。生き残っている賊たちも後に続いていく。
ルークがカタリナを見ると、彼女は沈痛な面持ちで首を横に振った。
「まずは村に回った火の手を止めましょう」
「あいつらを逃がしていいのかよ!」
「いいわけないです。でも、人手が足りません」
「ぼくが取り抑えようか」
「……いくらマリクさんでも魔道士一人では危険です。森の中では死角も増えますし、逃げるふりをして待ち伏せされたり、不意を突かれたら対処できなくなります」
カタリナの判断はもっともであり、だからこそルークは鬱憤とした思いで奥歯を噛み締めた。
打つ手なし、見逃すしかないのか。
その時、ルークたちの視界を鋭い光が一閃した。一瞬遅れて糸の切れた操り人形のように、賊の首魁が倒れた。
「お、親分? ……そんな、し、死んでる」
近くにいた賊が駆け寄ったが、すでに賊の首魁に息はなく、腹部から流れるおびただしい血液が結末を知らせていた。
「逆らうなら皆殺し、いい流儀ですね。実はわたしの流儀もあなた方と同じなんですよ」
賊たちが逃げようとしていた方向から、黒いローブの女性と待ち焦がれた二人のアリティア従騎士の姿が現れた。
「遅くなってすまない」
「クリス、そちらの女性は?」
「彼女はギムレー、おれたちに手を貸してくれるらしい。見ての通り強力な魔導の使い手だ」
突如現れ強烈な魔法を放った彼女が敵ではないと聞いて、カタリナたちは安堵の表情を浮かべた。
「それでは、掃除を始めましょうか」
何でもないように呟いたギムレーの瞳は、この場にいる誰よりも濁っており、そして確かに笑っていた。
◆
ギムレー、クリス、ロディの三人が合流してからは一方的な展開だった。マリクが参戦した時点で力量の差は歴然としていたが、そこから更に三人増えたことであの場から逃げることに成功した者は一人もいなくなった。
火事の被害も全く無いとまではいかないものの、早期の消火によって最小限に抑えることができたようだった。
彼らは村を守ることに成功したと言えるだろう。
「ウキキ。計画どおり」
廃墟となった村の一画で不気味な仮面をつけた男が呟いた。
すでにクリスたちはこの場を去っており、彼らがこの仮面の男を見ることは叶わない。
黒い服に身を包んだ金髪の少女が歩いてきた。
「ローロー」
「あり? クライネがいる。別の仕事があるんじゃなかった?」
「うるさいわね。いつの話だと思ってんの。あんなの、とっくに終わらせたわよ」
クライネは舌打ちすると剣呑な眼差しを向けた。
「あたしはお前達のようなグズとは違うの」
「あいあい。でも、オレたち仕事はきちんとする」
厳つい体格とは対照的にローローの言葉は間延びしており、どことなく締まりが悪い。
「ふん、それならいいけど」
「クライネはどうしてここにいる?」
ローローの問いにクライネは小さく鼻を鳴らした。
「仕事についての伝言よ。よく聞きなさい――」
◆
「第七従騎士小隊、ただいま帰還しました」
「クリスたちか。ずいぶんと遅かったな。お前たちが最後だぞ」
「申し訳ありません! ジェイガン様」
クリスたちがアリティア城に帰還して始めにしたことはジェイガンに謝罪することだった。
ギムレーとマリクを除く全員が急いで頭を下げ、ギムレーは人ごとよろしくそれを眺めていた。
「ジェイガン様待ってください。彼らが遅れたのには事情があるのです」
「これはマリク殿。クリスたちと一緒とは、何かあったのですかな」
「ええ、実は――」
マリクは事の次第をジェイガンに伝えた。
クリスたちは村が山賊に襲われているのを見つけ戦っていたこと。アリティア城に向かう途中、偶然その場に居合わせたマリクとギムレーも手助けしたこと。
「――なるほど。……第七従騎士小隊!」
ジェイガンの鋭い呼び掛けにクリスたちは背筋を伸ばした。
「此度の件、アリティア騎士の誇りに恥じぬ素晴らしい働きであった。今後もその意気で訓練に励むように」
「はいッ!」
クリスたちは誇らしげな表情を浮かべ、気迫のこもった返事をした。
「ギムレー殿、そなたの助力に感謝する。貴殿がいなければ、村の被害はさらに大きくなっていただろう」
「ええ」
礼儀正しく謝辞を述べるジェイガンだったが、対するギムレーは上の空で返事をしていた。
ギムレーの頭の中はすでに終わった賊の話ではなく、他のことで一杯だった。
会話にも度々現れているアリティアという言葉。おそらく、この土地を指し示していると思われるその単語に、ギムレーはどこか聞き覚えがあり、記憶をたどっていた。
「マリク、久しぶりだね。元気だったかい?」
王族の衣装を身にまとった男が現れた。人当たりの良く爽やかな、それでいて芯の強さを感じさせる声。周囲の視線を自然と惹きつけるような存在感。ギムレーは我にかえると、声の主を眺めた。
かつてギムレーを追い詰めた聖王たちと同じ青色の髪。頭部には金色のティアラが嵌められている。
「お久しぶりです、マルス様」
英雄王マルス。
その名前を聞いた瞬間、ギムレーは呼吸も忘れ、大きく目を見開いた。
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第三話「実技訓練」
ギムレーは世界を二度破滅の淵に追い込み、どちらも後一歩のところで阻止された。
いずれにおいても、ギムレーの前に立ち塞がったのは神竜ナーガとその加護を受けた人間だった。
一度目は封印され、二度目に至っては真の力に目覚めたファルシオンにより、その身を滅ぼされそうになった。
ギムレーに歯向かった忌々しい者たち。
彼らの祖先にあたり、イーリス聖王国の前身となった初代アカネイア連合王国の盟主。それがギムレーの知るところの英雄王マルスだ。
二千年前から語り継がれる英雄。
竜でもないただの人間が二千年もの時間を生きることができるとは到底考えられない。彼は英雄王と同じ名前の別人なのか、それとも英雄王本人であるとでもいうのか。
呆然とするギムレーを見てクリスが口を開いた。
「ギムレー、あのお方がアリティアの王子、マルス様だ。……もしかして、マルス様の名にも聞き覚えがないか?」
「……ええ、自分のこと以外は何も」
族を討伐した帰りの道中、クリスたちには記憶喪失で自分のこと以外は何も覚えてないと告げていた。
「そうか」
てっきり何か説明してくれるものと思っていたギムレーは、クリスの態度に拍子抜けした。
「クリスさん、説明してくれないのですか?」
「今はマルス様の御前だからな」
まるでギムレー教団の信者のような台詞だ。
所詮は人であるマルスより、竜である自分を優先するべきだと思ったが、ギムレーは口を開こうとして思いとどまった。
ギムレーはマルスについて詳しく知らない。
仮に二千年経った今でも生きているのであれば、果たしてそれは人間と言っても良いものか、ギムレーは判断できなかった。
マリクと話していたマルスが振り返った。
「村を救ってくれたこと、民を守るべき者として感謝している。ぜひ、お礼をしたい」
「お礼ですか」
「うん、ぼくに出来ることに限るけど」
「……実はわたし、クリスさんと出会うまでの記憶がないんです」
「え! それは、大丈夫なのかい?」
「アリティアという名前にも聞き覚えがある気はするのですが、どうにも思い出せなくて」
ギムレーは憂いに満ちた表情で顔を伏せた。
「それなら、アリティア城にしばらく身を寄せるというのはどうかな」
マルスの提言にマリクが頷いた。
「ぼくから見ても、彼女の魔導の腕前はかなりのものでした。騎士団の訓練に彼女の力を借りるのも良いと思います」
「マリクがそこまで褒めるくらいだ、きみの魔導の腕にはぼくも興味がある。ぼくたちに力を貸してくれるのであれば心強い」
アリティア城を離れたとしても行き場はないだろう。それに調べたいことも多い。
記憶喪失という嘘が通っているこの城にいる方が動きやすそうだった。
「……そうですね、ではしばらくここに留まることにします」
そうして、ギムレーはアリティア城に招かれることとなった。
◆
アリティア城で暮らし始めてわかったことがある。
それはマルスが二千年生きているのではなく、どうやらギムレーが二千年前の世界に来てしまったらしいということだ。
あの厄介なイーリスも、世界滅亡の片棒を担いだペレジアも、この世界にはまだ存在しない。大陸の名もイーリス大陸ではなく、アカネイア大陸だ。
ギムレーの名もまだ知られる前であり、クリスたちがギムレーの名を聞いても特に反応しないのは当然であった。
時間遡行が起きたこと、竜の力が消失したこと、不可解な謎は依然として尽きないが、自分の現状を把握するにあたり、この城に住む者たちは有用であるとギムレーは判断した。
ギムレーの目標は大きく二つある。
一つ目は邪竜としての力を取り戻すこと。この世界を破壊するにせよ、元の時間軸へと戻るにせよ、邪竜の力が無いことには話にならない。何をするにしても、力は必要だ。
二つ目はギムレーの他にも時間遡行したものがいないか探ること。ギムレーは意図せぬ時間遡行により窮地を脱したわけだが、自分に都合のいいことが起きたからといって、他の者にも同じことが起きていないとはいえない。
ギムレーと同じようにアカネイ大陸へと飛ばされた者がいるならば、それを見つけ出し場合によっては排除する必要がある。
やるべきことは多い。
教団か屍兵がいれば楽だったのに、ギムレーがため息をついていると、誰かの足音が聞こえてきた。
「ギムレー、もうすぐ訓練が始まるから来てくれ」
「……面倒ですね」
足音の主はクリスだった。
成り行きで賊を殺した日から、ギムレーはクリスたち第七従騎士小隊の訓練を手伝うことになった。
訓練というのだから、てっきりクリスたちと手合わせをするのかと思っていたが、実際の役回りはギムレーの思っていたものと少し異なっていた。
第七従騎士小隊を構成する一員としてクリスたちに手を貸す。つまり、クリスたちと戦うのではなく、クリスたちと共に戦うのだ。
ジェイガン曰く、どんな仲間とでも一体となった戦いをすること、それこそがアリティア騎士だとのことだが、それを聞いたギムレーはずいぶんと甘い話だと思った。
真に信じられるのは自分の力以外に存在しない。他者を利用することはあれど、それを初めから当てにした訓練など弱者のすることだ。
人間のお遊びに付き合わされるのにはうんざりだ。
「アリティアの訓練はその厳しさでよく知られているんだがな。……面倒だと思うのはギムレー、お前くらいだ」
「たいして苦戦していないということなら、クリスさんだって同じようなものでしょう。わたしにはあなたが熱心なことの方が疑問です」
「アリティアの剣となれ、そう言われて育てられてきたからな。騎士になることはおれの悲願。熱心にもなるさ」
「……よくわかりません」
「目標があったら頑張れるってことだ。ギムレーだって、もし戦うことで叶う願いがあるなら喜んで戦うだろ?」
「……さあ、どうでしょうね」
ギムレーは首をすくめ、それ以上何も言わなかった。
◆
「それでは、本日の実技訓練を行う!」
教官であるアリティア正騎士カインが声を張り上げた。
ギムレーは周囲を見渡した。訓練が厳しいというクリスの言葉は本当なのだろう。回を重ねるごとに確かに人が減っており、今では二十人ほどしかいない。
「第七小隊の相手を務めるのはオグマ殿だ」
「よろしく頼む」
カインに促され、オグマが一歩前に出た。頬についた十字の傷が彼の歴戦の勇姿を示している。
「お、オグマさんがわたしたちの相手だなんて、緊張しちゃいますね」
カタリナはそう言って表情を引き締めた。
「オグマさんってそんなに有名なんですか?」
「それはもう、前の戦争における英雄の一人ですから。剣の腕前はかなりのもので『大陸一の剣闘士』と呼ばれているとか」
「……なるほど」
カタリナの言葉を受け、ギムレーは改めてオグマを見つめた。大剣を背負い、革鎧を装備した姿は騎士と呼ぶにはあまりにも荒々しい。大陸一かはさておき、剣闘士という呼び名には納得がいく。
「それでは訓練を開始する! 各隊教官の指示に従い、持ち場へと移動せよ!」
紹介が終わると、カインの合図を皮切りに従騎士たちは教官について散らばっていった。
ギムレーたちもオグマの後に続いてその場を離れる。
「……ここがわたしたちの訓練場所でしょうか」
「ああ、そして、俺とここにいる兵がお前たちの相手だ」
カタリナがきょろきょろと辺りを見渡した。一本の小川を挟んで、クリス率いる第七小隊とオグマたちが向かい合うようになっている。
「……おいおい、こんな川があったらオレの馬が突撃できないぜ」
「確かに、ここでは私たち騎兵より、ライアンの弓やギムレーの魔法が重要となりそうだな」
ルークの小声でもらしたぼやきに、ロディが同意を示した。
「あーあ、せっかく華々しいオレの一番槍を見せてやろうと思ったのに」
「……今は訓練だからいいが、ルークはもう少し慎重さを身につけるべきだ」
ロディがルークをたしなめていると、川を渡ったオグマが振り向いた。
「訓練だからという考えは捨てろ。甘えは判断を鈍らせる。お前たちはすでに戦場に立ち、敵を前にしているのだと思え」
「は、はいッ!」
オグマの鋭い叱咤にルークとロディは背筋を伸ばした。
「第七小隊、準備は万端か?」
「はい、いつでも始められます」
隊長であるクリスは一通り隊のみんなを見渡すと頷いた。その言葉を受け、オグマが剣を構え、つられるようにクリスたちも各々の武器を構えた。
「よし、それでは訓練を開始する。……殺す気でかかってこい!」
オグマの口から放たれた訓練開始の合図。
待ちかねたその言葉に、ギムレーは思わず口角が釣り上げた。
そして、次の瞬間、オグマの心臓を目掛け全力のトロンを撃ち放った。
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