転生作家は美少女天才作家に恋をする (二不二)
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本編
1.一目惚れ


2018年1月2日 初稿
2018年1月8日 改稿
2018年2月11日 改稿

<変更点>
・ご指摘いただきた誤字を修正しました。
・プロット変更の為、一部伏線を消しました。
・担任が「山田」と言っていたのを修正しました。


 ***

 

 

「皆さんに新しい友達を紹介します」

 

 と担任が言うなり、教室は喧噪につつまれた。

 転校生だ、と誰かが言う。

 

 一郎はこの展開を知っていた。転校生がやってくるという希少な出来事は、前世において一度経験していた。ここまでは、その経験のまさに追体験であった。

 異なるのは、ここからの反応である。

 転校生かぁ、どんな子だろう。きっと可愛い美人の娘に決まってる。俺はボインの娘がいいなぁ。やぁねぇ、男子はすぐにこれだから。ちょっとー、格好いい男子の可能性は考えないわけ?――そんな思春期特有の反応を周囲は示したのだ。

 

「前世で転校生がやってきたのは小学校だったからなぁ。なるほど、小学生と中学生とじゃ、こうも反応が違うものなのか」

 

 さもありなん。男子の女子を見る目にはあからさまな性の意識が芽生え、なまなましい情欲を宿すようになった。対する女子は、自らの身体にそそがれる視線の意味を知り、敏感に反応するようになった。

 そんなぎらぎらした男子の目と、その所為か同情的な女子の視線を受けて、その少女は小動物のように震えて教壇の前に立っていた。

 

「可愛い」

 

 というのは誰の声だったか。

 それは、皆の心の声の代弁であった。

 肌は透き通るように白く。さらりと流れる髪は陽光をくしけずったかのような金糸の髪で。小さく細い身体は、しかし、女性らしい丸みを帯びつつある、妖精の、あるいは妖性のそれである。そんな芸術家が己の理想を体現すべく命を込めて練り上げたかのような儚く美しい肢体には、これまた絵画もかくやというような、浮き世離れしたかわいらしい(かんばせ)が戴かれていた。

 少女というのは、かくも美しいものなのだ。彼女を作り上げた芸術家は、そのように叫んでいることだろう。そして世間は彼を悪魔のロリコンと呼ぶであろう。見る者を堕落せしめる、悪魔のごとき芸術家であるとして。

 そのような益体のないことをぼうっと考えながら、鈴木一郎は転校生の少女に見入っていた。

 前世では五十五のおっさんだった。今も心はおっさん、もとい大人であるつもりだ。だというのに、目の前の少女から目が離せないのである。そんな体験は初めてだった。

 

「え、なんだこれ。これって一目惚れかな。この歳にもなって? いや、この歳だからかな……」

 

 いい体験をさせてもらった。いや待てよ、これではロリコンではないか。いや、でも心はともかく身体の年齢は同い年なのだし――などと思い悩む一郎であったが、その悩みはすぐに解決することとなる。悩む必要がなくなったのだ。翌日から、少女は学校に来なくなってしまったのである。

 

 

 ***

 

 

 鈴木一郎の朝は早い。日が昇るころにはすでに起きていて、諸々の家事に取りかかっている。洗濯機を回しながら朝食を摂り、弁当の準備ができたら洗い物を干す。それから、仕事に取りかかるのである。

 

「もうこんな時間か。そろそろ行かなきゃ遅刻だな」

 

 仕事をするには没頭する必要がある。なので遅刻の危険性がある。実際、何度もあった。

 時間を忘れてしまうので、目覚まし時計をセットすることにした。それでも、アラームを止めて二度寝に耽る寝坊助のように、再び仕事にとりかかってしまうのだ。

 キリが悪いから。ネタが浮かんだからもうちょっと。あと少し。あと一ターン。もうちょっとだけ――そうやって何度も遅刻した。見かねた幼なじみが哀れな目覚まし時計に代わって一郎を部屋から追い出しにやって来るようになった。

 さすがに他人様に迷惑はかけられないと、鋼の意志で登校するようになったから、効果は抜群であった。

 だが、一度着いた火はなかなか消えない。燃えるような業火ではないけれど、ちろちろ鍋底を舐めつづけ、煮汁は常に温かくときどきふつふつとたぎる。それが、一郎少年の性格であった。

 結局は、作業の場を自宅から学校に移しただけである。それは、休み時間に終わることもあれば、昼食も摂らずに続けることや、授業中でさえ続くことがあった。

 

「おい、鈴木。さっきからノートに向かってばっかりじゃないか。ちゃんと聞いてるのか。ちょっと答えてみろ」

 

 と意地悪く問いを解かせる教員もいたが、すぐにその口を閉ざした。完璧な回答だったからである。難問とされる問題を出した大人気ない教員もいたが、結果は同じだった。

 

「すみません。休み時間だけじゃあ時間足りないんです。このままじゃあ、会社の人たちに迷惑がかかってしまうんです。授業の邪魔はしないので、どうかお目こぼし頂けませんか」

 

 仕事だから。同僚に迷惑がかかるから。というのが言い分である。

 そんなに仕事が大切なら学校に来るな、というべきところである。しかしながら、結局この言い分は認められた。

 ひとつには、鈴木一郎という生徒は、授業を全く聞いていないにも関わらず、どういうわけかめっぽう成績が良かった。なにより、あの手この手で授業の妨害を企てる厄介な生徒は他にいくらでもいたので、この生意気で大人しい優等生に構う必要も余裕もなかったのである。また、中学校というのは義務教育であるから、あまり生徒に強く出ることができないというのが、最近の教育事情であった。

 そのような訳で、いつしか一郎は授業中の自由を得た。あいつは特別だから、というわけである。

 だが、いくら「特別」だからといって、遠慮しないのが彼の担任であった。

 

「鈴木に仕事だ。このプリントと書類を、転校生の家まで持って行ってくれ」

 

 一郎は、ぱちくりと目を瞬いた。

 

「僕がですか。先生が持って行くのではないのですか。こういう時って、教員が行くものだとばかり思っていたんですけど」

 

 不登校が社会問題となって久しい。そうした生徒への対応として、学校を数日間連続欠席したら担任が家庭訪問をするというものがあると、一郎は小耳に挟んだことがある。

 そう言うと、担任は苦々しくぼやいた。

 

「詳しいな。子供はそんなの気にしなくていいんだがな。……正直に言うと、行ったよ。それでも反応は芳しくなかった。仕事に忙しくて、学校どころじゃないんだと」

「中学生が仕事って……アルバイトじゃなくてですか。それはまた、無茶な言い分ですね。親御さんも認めてるんですか」

「お前が言うな。仕事を盾に堂々と授業無視してるヤツが、一生懸命授業してる教員に対して吐く台詞か」

「そういえば、そうでした。その、すみません。はは……」

 

 居心地悪そうに苦笑いする一郎に、担任は、まったく、と咳払いして話を続けた。

 

「転校して全く新しい環境ってことで、いろいろ気疲れしたんだろうな。それに、仕事が忙しいってのも本当らしい。そんなわけで、学校に目が向いてないみたいだ。困ったことだぞ。転校しょっぱなから長期欠席すると、学校に行きづらくなる。本音を言えば、嫌々ながらでもさっさと登校してほしいところだ。授業はどうでもいいから、早いとこクラスになじんでほしい。誰かさんみたいにな」

 

 なるほど、と一郎は頷いた。一郎は、学校生活に積極的であろうとしている。といいながら、ちょうど仕事が忙しい時期であったこともあって、学校を休みがちだった。幼なじみの有り難いお節介がなければ、そのまま学校に来なくなっていた可能性だってある。

 そんな自分が誰かにお節介を焼くのも、得難い体験である。すっかり一郎はその気になった。

 

「とまぁ、これがお前を呼びつけた理由だ。同業者なら、俺よりよっぽど耳を傾けてくれるだろう」

「同業者って、それじゃあ……」

「ああ、小説家だ。山田エルフ。それが転校生のペンネームだよ」

 

 

 *** 

 

 

 都市近郊にたたずむ、閑静な住宅街。

 という言葉を聞いたとき、ふたつのイメージが一郎の脳裏に浮かぶ。

 ひとつは建て売り住宅の密集する庶民的な住宅街で、夕方にはカレーや煮物の匂いのただよう、どこか懐かしい印象とともに想起される住宅街。もうひとつは坂の上から街を見下ろすセレブリティな立地にあって、背の高い塀の内側に広い庭をもち、気ぜわしい俗世からほどよく距離を置いた、それはそれは有閑なマダムがおほほと上品に笑いながら暮らす、ハイソな住宅街である。

 その家は、前者の庶民的な地区にあって、後者のラグジャリーな家構えをしていた。すなわち、鋳型を抜いたような家々の立ち並ぶなかに突如として現れる、古めかしくも洒落た場違いなこの洋館こそが、中学生作家山田エルフの住居なのだった。

 

「うわぁ、庭なんか荒れ放題じゃないか。本当にこんなとこに住んでるのかね」

 

 時代がかった洋館ということもあって、お化け屋敷とでも言うべき様相を呈している。

 しかし、よくよく見れば、踏み固められた下生えが玄関へのアプローチと続いていたし、「山田」と記された表札は白く新しい。たしかに、ここには人が住んでいるのだ。

 ということは、あのくたびれたチャイムもまた生きている筈である。

 

「こんにちはー」

 

 とチャイムを押しかけたその時である。

 

「ん、なんだこの音は。これは……」

 

 耳朶に響く、かすかな旋律。ピアノである。

 それは、はじめは穏やかに、かと思えばだんだん軽快に跳ねる。きっと奏者の指もまた、爽快に跳ねているのだろう。

 気がつけば、一郎はすっかり聞き入っていた。

 

「ああ、なんて――」

 

 脳裏には、水面が浮かんでいた。陽光をうけてきらめく、けれどもまだ冷たく鋭い春の川。それが、だんだん暖かくなって、川辺に花が咲き、蝶が飛ぶ。そんな、春のだんだん深まる情景である。

 そんな旋律を表現する術を、一郎は持ち合わせていなかった。

 

「ああ、なんて、なんてすごいんだ、音楽って。描写したいのに、言葉が出てこない。すごいなぁ。悔しいなぁ」

 

 なんとかこの美しい物に言葉を与えようとうんうん頭をひねり、気がつけば、すっかり音楽は止んでしまっていた。

 

「ん……仕方ない。これは後回しにして、本来の用事に戻ろう」

 

 溜息ひとつついて、気持ちを切り替える。

 手に提げたプリント束を胸元に引き寄せて、再度チャイムを押す。

 ややあって、どたどたと板張りを蹴りつける音と共に、

 

「なによ!」

 

 と家主は美しい顔を現したのだった。

 おもわず一郎は見入ってしまった。陶器のような白くなめらかな肌。陽光をくしけずったような髪。芸術家が魂込めてつくりあげた、見事な造形の顔。幼くも美しい、妖精と称すべき少女がそこにいたのである。

 しかし、どういうわけか、少女の肌はほのかに上気し、顔には焦りの表情を浮かべている。言葉もまた、慌てたように乱暴なものだった。

 

「あんた誰よ。いったい私に何の用かしら」

「ピアノを弾いてたのかな。上手だね」

「み、見たの⁉」

「見たって、ピアノを? まさか。勝手に家に入るわけにはいかないし。ここに立ってたら聞こえたんだよ」

「そ、そう」

 

 どういうわけか、ほっとしたふうに答える。

 

「なんていう曲なのかな」

「なによ、あんたに聞かせる為に弾いたわけじゃないわよ」

「いいもの聞かせてもらったよ。音楽は、特にクラシックは聞かないんだけど、思わず聞き入った。なんていうか、すごく楽しそうだった」

 

 手厳しい応えもなんのその。一郎は上機嫌に感想を言う。

 その感想が気に入ったと見える。少女は口元をほころばせ、尊大に胸を反らせてのたまった。

 

「まあね。するからには楽しまなくっちゃ駄目よ。何をするにも、心から本気で楽しむ必要があるのよ。で、私に何用かしら。まさかピアノが聞こえたから立ち寄ったってわけじゃあないんでしょ」

「僕の名前は鈴木一郎。同級生。先生の遣いで、たまってたプリントを持ってきたんだ」

「あっそう」

 

 それは劇的な変化だった。すとんと、少女の声から顔から一切の色が失せた。

パチンコのチラシか何かつまらないものを受け取るかのように、おざなりにプリント束をつかむと、実にそっけなく外を指さした。出て行け、ということである。

 

「わたしはあんたに用はないし、これも要らない。次からは来なくていいわ」

「また来ていいかな。君のピアノを聞きたい」

「プリントや言伝のついでなら、嫌よ。私のピアノはそんなに安くないの」

 少女はぴしゃりと言い放った。

「……そんなに学校が嫌いなのかい」

「うっさいわね。面倒なのよ、そういうの。必要もないわ。私は仕事が忙しいの。これでも天才売れっ子作家なんだから。特に今は、私の作品がアニメ化されててんてこ舞いなんだから。昼間から学校に行ってる暇なんてないの。聞いたことないかしら、山田エルフという至高の名を」

「ああ。たしか今度アニメ化するっていう『爆炎のダークエルフ』の」

「知ってるんだ! なによなによ、あんた、ひょっとして私の下僕なの? そうならそうと早く言いなさいよ!」

 

 最初は不機嫌そうな少女であったが、話すうちにだんだん調子が出てきたと見え、最後には胸を反らして自慢げに威張り散らす。

 そんな素直な少女に(なんだこの素直可愛い生き物は。すわ天使か!)と見惚れる一郎であったが、努めて顔を引き締めて、言った。

 

「山田エルフさん。一生作家をするつもりなら、学校は行ったほうが良いよ。ネタを増やすにも、説得力のある文章を書くにも、教養と何より生の体験が必要だ。引き出しの中身は増やさなきゃならない。それが出来るのは最大のチャンスは、なんといっても今なんだから。後になって学校に行っとけばよかった、なんて言っても遅いんだ」

 

「なっ――」

 

 瞬間、少女の美しい顔が憤怒に染まった。

 小さく可愛らしい口から、恐ろしく下品な罵詈暴言の類が飛び出してる前に機先を制すことができたのは、一郎にとっての幸運であったかもしれない。

 一郎は、一枚の紙を差し出す。それこそは、彼の身分を証立てる名刺であった。

 

「同業者としての忠告だよ。――ペンネーム鈴木一郎、作家歴六年。君の同業者だよ、後輩くん」

 




5,499文字

 山田エルフの反応に違和感を覚えるかもしれません。原作についての個人的な解釈を加えた結果、こういう形になりました。自分でも違和感がありますが。
 なお、本作は小説の練習を兼ねています。文章についてご意見、ご助言、ご感想をいただければ幸甚です。


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2.鈴木一郎という少年

2018年1月3日 初稿
2018日1月8日 改稿

<変更点>
・ご指摘いただいた誤字を修正しました。
・ご指摘いただいた設定の齟齬を修正しました。



 ***

 

 鈴木一郎は転生者である。前世の知識と経験を活かして、小学三年生でプロ作家としてデビューした。 

 とはいっても、そこは小学生であったから、デビューに関しては尋常ならざる強引な手段を取る必要があった。

 いくら「それなり」以上の作品を書いたところで、小学生の作家デビューというのはなかなか難しいものがあった。編集者にとって、未成年者の就労という観点から小学生作家というのは都合が悪かったし、また、大人たちの常識に照らしてみても、それは信じがたいことであったのだ。だが何より問題なのは、一郎の応募方法であった。

 

「これで小学三年生って本当ですかね」

 

 という話がまず編集部で出る。

 次いで出るのは、

 

「小学生がこんな文章書けるのか? いい歳したオッサンが、なんとか興味をもってもらいたくてねつ造した経歴なんじゃないか」

「本当なら、大したもんですけどね。小学生作家誕生。話題になることは間違いなしです」

「たしかに。テレビでもじゃんじゃん取り上げられて、バカ売れ間違いなしだな!」

 

 という前向きな、ふわふわした夢のある話。

 それから、ようやく現実という大地に、話題は足を降ろすのである。

 

「普通の新人賞ならそれでもいいんですけどねぇ。なんでよりにもよって、『豹頭譚』の続編に名乗り出るんですかねぇ」

 

 編集部にためいきがこぼれる。

 作者病逝の為、未完でシリーズを閉じてしまった超長編シリーズ『豹頭譚』。レーベルの目玉とも言うべきこの作品は、未完を惜しむ多くのファンの声を受けて、作者が生前に残していたプロットを元に、多数の作家によるリレーという形で完結まで続けられることになった。

 その出版社の決断に対する読者の反応は悲喜こもごもであった。ある高齢の読者は、長年連れ添ったお気に入りの作品をまた読むことができると妻が生き返ったかのように喜び、またある読者は、本人が書いてこその作品で他の人が書いたらこれはもう『豹頭譚』ではないと憤り、またある読者はそもそも百巻を越えるころには当初の文体、設定から大きく変わってしまっているので今更作者が変わるくらい問題ない、それより結末を早く読みたいと淡々と述べた。

 そうした読者の反応を俯瞰的に眺めると、続きが読めることを喜びつつ、作者が変わってしまうことによる文体やキャラクターの微妙な変化を悲しむ声が多数を占めているようであった。

 つまり、続きを望む声は多いが、誰が書こうと大なり小なり叩かれるという、なんとも難しい状況ができあがっていたのである。

 そんな状況は、再開が決定される前から予想されていた。編集者のみならず作家まで、日本の執筆業界に身を置く人間の多くにとって、それは大きな関心事であった。そんな作品の執筆を依頼するというのは、大変な難事であったのだ。

 

「誰だって、自分の作品を書きたいもんだ。なのに、書けば叩かれると分かってる、それも他人様の作品を書かせてほしいだなんて、よくやるよ」

 

 鈴木一郎という小学生が書いて寄越してきたのは、編集部の苦労の末新たな作者によって刊行されるに至った『豹頭譚』の最新刊の続編である。

 確かに、大変よく書かれた作品である。文体も本人のそれに非常に似ているし、キャラクタ造形も的確だ。話の展開も、予想が簡単な展開であったとはいえ、プロット通りに展開している。

 

「粟元先生が亡くなって十三年か。この子があと十年、いや五年早くに応募してくれていればなぁ」

「続きを書いてくれる作家さん探すの苦労しましたもんね。あちこちに拝み倒して、諸々の打ち合わせや調整して、結局五年仕事でしたもんね」

「いやいや、そもそも十年前はこの子産まれてないし、五年前なんか幼稚園児じゃないか」

 

 話は思出話に転じ、苦労を共に乗り越えた仲間達の、男くさい笑顔が咲く。

 そのなかでただひとり、にこりともしない人物がいた。

 

「どうしたんです、編集長。難しい顔して」

 

 その男は、逡巡の後に声を絞り出した。

 

「……この文章、粟元のヤツによく似ていると思ってな。現在の編集として、君はどう思うかな」

「確かに似てます。すごいですよね。どんだけ読み込んでるのかなってくらい、そっくりですよ」

「そうだな。これだけ書けるなら、多かれ少なかれ自分の癖があるもんだ。ひらがなの開き方。一文の長さ、リズム。そして文章全体からなんとなく感じる、もう文体としか言いようのない雰囲気。この子のそれは、本当に粟元のそれなんだ」

 

 一同は顔を見合わせた。

 この編集長は、かつて粟元芳の担当を十年以上務めた経歴がある。作品が大きく展開、スケールアップし、文体までも変わった、超大作の礎とも言える時期に担当を務めた、まさに相棒ともいうべき存在であった。

 

「これを見てほしい」

 

 その男が、神妙な顔をして封筒をひとつ取り出した。

 

「俺宛て――編集長宛てに届いた原稿だ。原稿には一通の便せんが添えてあってな。お察しの通り、話題の小僧からの便せんだ」

 

 便箋を広げて示す。一同は顔をひきつらせた。

 曰く、どうしても自分は『豹頭譚』の続きが書きたい。諸々の都合でぱっと出の小学生に書かせるのは難しいというのは分かっている。だが、『豹頭譚』に対する熱意と理解は誰にも負けないという自負がある。担当編集者宛にはサンプルを送ったが、編集長にも是が非でも自分のことを知ってもらいたく、最終回の原稿を添付したものであるーーそうした旨の訴えが、小学生らしからぬしっかりとした言葉と文字でつらつらと書き連ねられていたのである。

 

「最終回の原稿だって」

 

 声を上げたのは担当編集である。その手には、次回分にあたる原稿が握られている。つまり、鈴木一郎という少年は、最新話と最終話を同時に書いて寄越したのである。

 

「ちょっと見せてくださいよ」

 

 一読した担当編集は悲鳴を上げた。

 

「なんてことだ。まんま粟元先生じゃないですか!」

 

 最新話も、最終話もプロット通り。ひょっとしたら、その間の話も全てそうなのではないかという予感が彼に兆した。それくらい、この少年の書き方というか、文章からにじむ独特の気配が、本家のそれとそっくりだったのだ。

 担当編集から原稿をひったくった男は、ぴゅうと口笛を吹いた。

 

「へぇ、御大そっくりに書くスーパー小学生ねぇ」

「違うな。こいつはそんなもんじゃない」

「編集長?」

 

 編集長は、何かを確かめるかのように、ゆっくりと語り出す。

 

「三十五年前の話だ。俺はアイツの担当をしていて、いつものようにアイツの家で二人で飲んだとき、最終話の原稿を預かった」

「三十五年前……。それって、転換期ですよね。ヒロイックファンタジーから、もっとスケールの大きな大河ファンタジーへと大きく飛躍したっていう」

 

 担当編集の瞳は、作家と担当編集への尊敬の念できらめいていた。編集長は照れたように咳払いをして、続けた。

 

「ファンの間じゃそう言ってるみたいだけどな、実際はバカ話の類だよ。酒を飲みながら打ち合わせをしてたらどんどん話が膨らんでな。酔った勢いで大風呂敷を広げて、たたむ人間がいないから、どんどんスケールがでかくなる。これじゃあ百巻いっても終わらないかもな、なんて言うと、アイツはこう言ったんだ。もうプロットは出来てます。ついでに終わりだけは書き上げましたってね。その原稿は、今もここにある」

 

 はじめ照れていた編集長は、しかしだんだん顔を引き締め、終いには神妙な顔で机を叩いた。

 

「恐れ入ったね。ほぼ同じなんだよ。この原稿と、その小学生の書いて寄越した原稿は」

 

 

 ***

 

 

「つまり、大好きな作家が亡くなって、その後を引き継ぎたいから、完全にプロットを予想して書き上げた最新話と最終話を、編集部と編集長に送りつけたのね。そんなことするバカには見えないけれど……ふぅん」

 

 じろりと一郎をねめつける少女。その見事な金髪に、陽光がきらきら跳ねるのをまぶしそうに眺めながら、一郎は紅茶をすする。

 日当たりの良いサンルームである。地中海を思わせる白塗りの小洒落たイスに腰掛けて、二人は向き合っていた。

 玄関先でけんもほろろに追い払われそうになった一郎であったが、こうして山田家へと上がり込むを得た。

 だが、すんなりとことが運んだわけではない。一郎の名乗りは、自称美少女大作家の山田エルフには通用しなかったのである。

 

「鈴木一郎? そんな作家名知らないわ」

「そりゃあ、僕はまだ無名かもしれないけどね、でも、作品名は知ってる筈だよ。『豹頭譚』って言うんだ」

「ヒョウトウタン?」

「えっ、知らない?」

「悪いわね。私、こう見えてもアニメ化作家なの。ちっぽけな弱小作家のささやかな盛衰には疎くって」

「ショックだな。そりゃあ本に興味無いって人や、そのジャンルに興味ない人にはしょうがないけど、ファンタジー作家にそう言われるなんて……。今生の発行部数だって、累計四百万部なのに」

「四百万部ですって!」

 

 その数字が琴線に触れたと見える。

 少女は脱兎のごとく駆けだして、かと思えば、たおやかな手に一冊の文庫分を携えて帰ってきた。

 

「このわたしの『爆炎のダークエルフ』でさえ二百万部なのに、その倍ですって! 嘘言ってんじゃないわよ、『豹頭譚』なんて聞いたこと無いもの! どこの出版社よ、カドカワの回し者? それともフジミ?」

「ハヤカワです」

「ラノベじゃないんかーい!」

「えっと、『豹頭譚』はラノベだって言う人も多いですよ、ハイ」

 

 鬼気迫る少女に、思わず敬語で答える一郎であった。

 

「シリーズ累計は三千万部を越えるけど、この僕――鈴木一郎名義で出した本の累計発行部数は確か四百万部だったかな」

「シリーズ累計が三千万部……」

 

 呆然とする少女であったが、あることに気づき、声を上げる。

 

「ちょっと待った。あんた今、おかしなコト言わなかった? まるでシリーズ全てを自分で書いてないみたいな」

「その通りだよ。『豹頭譚』は今は亡き粟元芳の作品。僕はその続きを書かせてもらってるんだ」

 

 ということになっている。

 実際はそうではない。病死した原作者の転生した姿が、鈴木一郎なのだ。鈴木一郎こそが、ゼロからシリーズを書き上げた作家本人なのである。

 そう名乗れないのは面倒だ。自分の作品の続きを書くのに大変苦労した。しかし、今はその苦労に感謝している。

 

「なによそれ。一体どうしたら、そんな超大作の続きを小学生が書くことになるのよ!」

 

 こうして少女の興味を引き、家に招かれることになったのだから。

 

「とまぁそんなわけで、『豹頭譚』の続きを書かせてもらってるんだ」

 

 一通り話を聞いた少女は、まじまじと一郎をのぞき込んだ。どこまでも澄んだ瞳は、鈴木一郎という人間の底まで見通すかのように思われた。

 

「ふぅん。楽しいの、それ」

「……え」

「だって、他人の作品の続きを書いてるわけでしょ。他人のアイデアを形にして、しかも、ファンからは元の作家とは違うって文句言われる。私なら絶対イヤよ、そんなの」

「楽しい、か。どうだろう」

 

 一郎は思いを巡らせた。

 思い出すのは、どんどん弱っていく身体にむち打って筆を握った日々である。

 思えば、それは意地だったのかもしれない。作家たるもの、広げた風呂敷はたたまねばならない。応援してくれている読者のお陰で、自分は生きてこれたのだ。どのような形であれ、最後まで物語を終わらすのが作者の義務である。晩年はそういう思いに駆られていたような気がする。

 いや、晩年どころではない。自分が転生して、しかもそれが死後間もない時期だということに気づいた時に真っ先に思ったのは、これで作品を完結させることができる、義務を果たすことができるという安堵感だった。

 けれども、決してそれだけではなかった筈である。暇があれば空想の翼を広げ、物語の空を飛んだ。ひとたび筆を握れば、次から次へと言葉が出てきた。言葉を探すのに夢中になった。

 そう、自分は夢中になっていたのだ。

 今日だってそうだ。玄関の前で、ピアノの旋律を描写しようとやっきになっていた。自分は小説を書くのが好きで――あれこれ物語を空想して、それを力の限り描写するのが好きだから、転生してまで『豹頭譚』を書きたがったのだ。

 

「そうだね、楽しいよ。だって僕は、小説を書くのが好きなんだから。『豹頭譚』は誰の作品だとか、読者の反応だとか、完結させなきゃいけないだとか、そういう評判とか義務とか関係なしに、ただ単に好きなんだ。一番思い入れのある作品だから、他の誰でもない自分自身の手で書きたいんだ」

 

 一郎は微笑んだ。

 それは、どこかで無くしてしまった宝物を再び見出した幼子のような、いとけない、純真な笑みだった。

 

「そう」

 

 少女も微笑んだ。

 そんな一郎の笑顔を慈しむような、それは、慈愛に満ちた笑みだった。

 

「あ――」

 

 そんな笑顔に、一郎は見入った。

 気付いてしまったのである。この口の悪く自尊心の強く見える少女が、実際はとんでもなく情に厚い女性ーーそれも初対面の同業者の仕事環境を心配し、心から共感し、微笑んでくれる、母性と慈愛の塊のような女性であることに。

 

「なんだこの娘は。天使か」

 

 ぽろりと、本心がこぼれた。

 

「あら、私に惚れてしまったかしら。まぁ無理もないわ。なんたってわたしは生まれ落ちた瞬間に里山を愛の光で満たした超美少女なんですから」

 

 少女は、笑みの質を変えた。相手をからかう、悪戯子のそれに。

 一郎は、しかし、動揺しなかった。

 

「ああ、惚れたよ。一目惚れだったけど、惚れ直した。君ってば、びっくりするくらいいい女だね」

「ほあっ」

 

 まさかそう返してくるとは思わなかったのか、素っ頓狂な声をあげる。

 それも仕方のない話で、いくら少女がとびきりの美少女であるとはいえ、そこは中学二年生である。思春期まっさかりの恥ずかしがり屋の童に、イタリアの伊達男どものように素直に女性を誉めたり、ましてやこんなにド直球の告白をする度胸などあろう筈もなかったのである。対する一郎はといえば、呑む打つ買うを一通り嗜んだ大人である。かつて夜の街でお姉ちゃんと遊んだ経験のある大人である。

 

「ねえ」

「ひぅっ」

 

 顔を寄せると、少女は白い顔を真っ赤に染めてあわを喰った。

 そんな初々しさをほほえましく思いながらも、これ以上迫るのは気が引ける。

 一郎は、一歩退いて声を落とした。

 

「話は元に戻るけどさ、学校に来る気はないの」

「え」

 

 少女は困惑の声をあげる。突然の話題転換に戸惑っているようである。からかわれたと思っているようにも見えた。

 

「こないだはさ、君みたいな可愛い転校生が来たもんだから、皆平静じゃいられなかったんだ。皆、普段はもっとなんというか、普通だよ」

「ま、まぁ、仕方ないわね、わたしは超絶美少女だもの!」

「うん。こんなに可愛い娘は見たことがない。それに、内面もほんとうに素敵だ」

 

 目をまっすぐに見つめて、本気だと伝える。伝わった筈である。少女は耳まで赤くして、目を逸らした。

 

「それでもあんな反応するかね。思いもしてなかったよ。女子はあんぐり口開けてるし、お調子者の男子は叫ぶし。あんなマンガみたいな反応ってほんとにあるんだなぁ」

 

 話題を変えてくすりと笑う。すると、少女はほっと息をついた。

 

「なによ。笑ってくれるけどね、私の身にもなってみなさいよ。転校して知り合いもいなくて心細いなかひとりで前に立って生まれたての子鹿のように震えてたら、無遠慮に舐め回すような視線になぶられたのよ!」

「ははは、ごめんごめん。でもさ、事実は小説より奇なりじゃないけど、珍しい体験ができたでしょ。これって絶対小説に生きるよ」

「まぁ、たしかにネタにはなるわね」

 

 むくれた様子を見せた少女に、一郎は嬉しくなった。それは、ここへきてやっと見ることができた、少女の素の姿だった。

 原因は、先の学校の一件だろう。この少女は、あの無遠慮な反応に苦手意識を覚えたのだ。

 それを、一郎は残念に思う。もったいないことだから。なにより、自分の好きなあの場所を、もっと好きになってほしいと思ったから。

 

「考えてもなかったようなことが学校ではたびたび起こるし、そうでなくても、いろんな人を見て話すだけでキャラクターの幅が広がる。ふふ、本当に変な子とか、お節介な子もいて、まるで小説なんだ。学校に通って本当に良かったと思ってるよ。仕事は忙しいけど、けど、仕事のこれ以上ない糧になってる」

「ふぅん。そこまで言うなら、行ってみてもいいかなって気にもなるわね」

 

 まぶしそうに笑う一郎に、少女も思わず笑みがこぼれた。それは、しかし、苦笑に変わる。

 

「でもね、やっぱり今は無理よ。仕事量が多いもの。わたしもやってみて驚いたんだけど、メディアミックスの作業って大変なのよね。小説の連載はもちろん落とせないし、アニメ脚本の監修や会議、販促の書き下ろし原稿、対談の仕事だってあるもの」

「それってさ、全部原作者がする必要あるの」

「無いわ」

 

 けれど、と続ける。

 

「なかにはアニメ化、ゲーム化作品に全く関わらないって作者もいるわ。自分は原作だけでいい、アニメやゲームは門外漢だからお任せしますってね。でも、それって無責任じゃない。作品のことを好きでもなんでもない、悪くすれば知りさえしないスタッフが、好き勝手に改変したオリジナル作品を作っちゃうことだってあり得るのよ。そして、それを私の信者たちが買っちゃうの。それって不義理じゃない。私の作品を信じて、まったく別物の作品を買わされちゃうのよ。そんなことにならないように、原作者はちゃんと監修しなくちゃならないの。それが信者を持つ天才作家の務めってもんよ」

 

 耳の痛い話である。

 一郎の『豹頭譚』もまた、アニメ化されたことがある。「スタッフにお任せします」と言ってノータッチにした結果は、驚きの試写会だった。殴られた敵兵が地面に首まで埋まるという、ショッキングな絵面が放映されたのである。ちゃんとしたSFファンタジーを書いていたつもりだったのに、自分が書いていたのはギャグだったのかと思い悩んだものである。なお、視聴者の感想はといえば、円盤の売り上げが全てを物語っていた。

 

 楽しい時間というものはあっというものである。そんな仕事の話をするうちに、すっかり時は移ってしまった。

 

「すっかり陽も傾いちゃったね。そろそろお暇するよ」

 

 と言って玄関口に出た一郎に、少女が声をかける。

 

「山田エルフよ。私のことなら、そう呼んで」

 

 それは、登校の誘いに来た一郎に対する、彼女なりの返答だった。

 

「ペンネームか。同業者としては認めてくれたってことかな」

 

 同級生としては接しない。つまり、学校に行くつもりはないということである。

 

「悔しいけど、発行部数じゃイチローに負けるもの。この世界、どれだけ売れてるかが全てだわ」

 

 心底悔しそうに、渋々と言った様子で、エルフは続ける。

 

「ま、先輩の忠告はありがたく受け取ることにするわ。仕事が一段落して余裕ができたら、試しに一度登校してみることにするわ」

「十分だよ。その言葉がもらえただけで、先生に対する義理も、先生の面目も立つ。何より、楽しみができた。エルフさんと一緒に学校生活を送れたら、きっと最高に楽しい体験になる筈だから」

 

 そう言い残して、一郎は去った。

 見送るエルフの頬は、夕日の赤に染まっていた。




7,696文字

時系列としては、和泉マサムネがクリスタルパレスを初めて訪問した後です。つまり裸ピアノの後。
さて、正月分の書きためは以上です。これ以降は、時間と体力・気力がある時にちょくちょく書いていきたいと思います。

なお、本作は小説の練習を兼ねています。文章についてご意見、ご助言、ご感想をいただければ幸甚です。

最後に、エロマンガ先生二次創作、特に山田エルフ先生を愛でる作品が増えることを願って。


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3.三人のラノベ作家

 ***

 

 

 玄関先で仁王立ちする山田エルフが、鈴木一郎を出迎えた。金糸の髪を、まっしろな指で手櫛に解く。それはまるで、陽光きらめく水面で跳ねる白魚のようだった。

 たおやかに家を指さし、詠うように吟じあげた。

 

「ようこそ、我がクリスタルパレスへ!」

「その名前は……!」

 

 一郎はぎょっとした。奇遇とはまさにこのことで、『豹頭譚』に登場するとある王国の宮殿と同じ名前なのだ。

 ひょっとして自分の作品を読んだのかと思ったが、そういうわけではないらしい。

 

「どうよ。格好いい名前でしょ」

 

 白い頬を上気させて、エルフはふんぞり返る。

 縁起の悪いことこの上ない。なにせ『豹頭譚』の物語は、かの水晶宮(クリスタル・パレス)が敵国の奇襲によって蹂躙され、王家の双子が着の身そのままで逃げ落ちるところから始まるのだ。それになぞらえるなら、エルフもまたこのクリスタルパレスを追われることとなるのである。更に言うと、水晶宮(クリスタル・パレス)の受難はこれに留まらないし、追われた子供も当然大変な目に遭う。

 

「アニメ化資本を当て込んでキャッシュで購入したのよ。一括購入よ、一括購入。まさにアニメ化御殿よね!」

「なんて早まったことを……」

「ちょっと、どういうことよ!」

 

 アニメがこけて水晶宮から追い出されるエルフの姿が脳裏に浮かぶ。アニメがこけた先達の身としては忠告しておきたいところであった。

 

「取らぬ狸の皮算用という諺があってだね」

「狸の皮ザンヨー?」

 

 山田エルフは中学校にろくに通っていない。のみならず、彼女は外国人である。「わたしは八ヶ国語を話す才媛よ!」などと胸に手を当てお上品におほほほと笑っていたが、そうはいっても日本語は第二外国語であろう。

 いくら優れた第二言語学習者でも、その力はネイティヴのそれとは比べ物にならない。何十年間も日本語を学んできた外国人の日本語学者が、わずか六歳の子供に絵本の読解スピードで負けて大変なショックを受けたという話がある。

 それを思えば、第二言語学習者でありながら小説を、しかもヒット作を書き上げる山田エルフという少女は、確かに天賦の才があると言えた。

 

「この場合は、借金の返済に博打の勝ちを当て込むのは正気の沙汰じゃない、みたいなトコかな」

「なによ。わたしのアニメが失敗するっていうの。そうならないように、わたし自ら監修をしてるんじゃないの!」

「え、監修してたのかい。僕はてっきり、制作会社に丸投げしてるものとばかり思っていたよ」

 

 鈴木一郎がこうして山田エルフの邸宅――クリスタルパレスを訪れるようになって早数日。その間の自称アニメ化作家ときたら、見聞きする限りでは寝ては食って遊び、料理をして掃除洗濯をしてと、なかなかこまめに家事には取り組んでいるらしかったが、作家業には全くと言っていい程ノータッチであるようなのだ。

 

「今はまだその時じゃないわ。楽しいものを書くには、楽しく書ける時じゃなくっちゃいけないの」というのが山田エルフの言であった。

 一郎もその言い分には、どちらかといえば賛成だったから、それ以上口うるさく言い募ることはしなかった。ただただ、にこにこと、あるいはにやにやと「そう」とほほ笑むだけである。

 そうした、どこか一線を引いた一郎の態度は、エルフの自堕落をますます加速させた。叱りつける人間がいないので、もともと貧弱な自制心がいよいよ寝たきりになったようである。

 

「そんなことより、一緒にゲームしなさいよ。新作ゲームが出たんだけど、協力プレイできるのよ」

「ゲームか。僕にできるかな。インベーダーゲームかファミコンしかしたことがない」

「あんた、随分なレトロ趣味ね」

「ボードゲームの方が趣味なんだ。麻雀とかね」

「オッサン趣味ね。頭の中にオッサンでも入ってるんじゃないの」

「びっくりした。鋭いね、エルフさんは」

 

 はい、と言いながらコントローラーを手渡してくる。受け取って当然と言わんばかりである。

 もちろん、一郎は受け取った。

 

「よく言われるよ、好奇心旺盛なオッサンだって。古くさい趣味してるけど、新しい体験は大好きだよ」

 

 よっ、ほっ! と言いながらコントローラーを操る。画面上のキャラクタと合わせて身体が傾くのはご愛嬌である。

 

「ちょっと、フレンドリーファイアよ、下手くそ!」

「悪い悪い」

「笑いながら撃ってんじゃないわよ、わざとなの!? わざとよね!」

「ごめんごめん。わざとじゃないんだけど、いや、これは難しい」

「むきー!」

 

 というやりとりをしていた時である。

 ピンポン、とチャイムが鳴った。

 おや、と一郎は首を傾げた。この洋館がクリスタルパレスとなったのはつい半月ほど前のことである。ここを訪れる人間は、一郎の知る限りでは担任と自分ぐらいである。

 

「来たわね」

 

 エルフは嬉しそうに言った。

 それは、一郎が初めて見る表情だった。

 つけたばかりのゲーム機を切ると、エルフは立ちあがって言う。

 

「ちょうどいいわ。イチローに紹介しておきたいヤツがいるのよ」

 

 

 ***

 

 

「おいエルフ。その人って、お前のご家族ってワケじゃないよな」

 

 部屋に上がってくるなり、その少年は困惑の声をあげた。

 そんな少年をひしと指差して、エルフは一郎に顔を向ける。

 

「こいつもわたしと同じ作家よ。名は、和泉マサムネ。イズミマサムネってのは本名で、かつペンネームってわけ。あんたと同じでセンス無いわよね」

「おい、他人様の名前になに失礼なこと言ってるんだよ! そういうお前こそ、山田エルフだなんて出来の悪い冗談みたいな名前じゃないか!」

「ちがいますぅ~。山田エルフは、まさしくエルフのように可憐で美しいわたしにぴったりのハイセンスでエレガントなネーミングですぅ~」

「ちがいますぅ~。どっかのドカベンにファンタジーを足して悪意で割って冗談に仕立て上げたような、意図して作られた頭の悪いエロゲーにしか登場しないくらい加減なネーミングですぅ~」

「なによ!」

「なんだよ!」

 

 と火花を散らす二人の姿は、まるで十年来の親友のようである。

 当然、一郎はおもしろくなかったので、苦笑まじりにからかった。

 

「仲が良いのは結構だけどね。僕のことも思い出して欲しいな」

「あっ」

 

 というのは、どちらの声だろうか。

 エルフはバツが悪そうな顔をし、マサムネは初めて一郎を見た、とでもいうような顔をした。

 

「えっと、すいません、失礼しました。どうもご紹介に預かりました、和泉正宗と言います。ペンネームは和泉マサムネです」

 

 と頭を下げる姿に、一郎は好感を覚えた。

 和泉マサムネ少年は、痩せ形中背とはいえ高校生である。中学生の一郎は頭ひとつほど背も低く、顔立ちも幼い。にも関わらず「同業者」に対する礼をしっかりと取ってみせたのだ。

 

「あの、俺と同じってことは、あなたも小説家なんですか」

「ええ。僕は鈴木一郎と言います。どこぞの野球選手の本名と同じ漢字を当てます。ペンネームも同じです」

 

 懐から名刺を取り出す。

 

「あの、すいません。俺、名刺を持ってなくって」

「いえいえ、お構いなく。学生作家で名刺まで作ってる人は珍しいので。それこそ自己顕示欲がめっぽう強いか、方々と打ち合わせする必要のある人くらいじゃないかな」

 

 エルフは前者と後者を兼ねる。アニメ化作家ということを吹聴して回りたくてうずうずしているきらいがあるが、接触するアニメ・出版の業界人が爆発的に増えたからという理由もあった。

 それではお前はどちらなのだ、という疑問を顔面に張り付けたマサムネは名刺に視線を落とすと、うおっと声をあげた。

 

「代表作品『豹頭譚』だって!? 『豹頭譚』って、あの!?」

「知ってるんですか。嬉しいなぁ」

「知ってるもなにも、日本のファンタジー作品の代表格じゃないですか! シリーズは連載百巻越え。書店に行けば嫌でも目に入る、同じ背表紙がずらりと棚をまるまる一つ占領するという不気味な絵面。あんまり凄すぎて、俺の本を立てかけて隠してやろうという気すら失せるぜ……」

「ん? 聞き間違いかな、恐ろしい台詞が聞こえたような」

「え? 俺、何か言いましたか」

 

 いかにも真面目かつ誠実な好青年に見えるが、実はこいつ結構ヤバイやつなのでは、と一郎は慄いた。

 

「ってか、エルフ、お前すげーな。こんな大物と知り合いだなんて」

「わたしが凄いのは当然だけど、そんなに凄いのかしら、イチローって。確かに戦闘力はわたしより上だけど、他人の作品を引き継いでの数字よ。いわば仲間の気を分けてもらったドーピング状態、あるいはボディチェンジで身体を奪ったギニュー隊長みたいなものじゃない」

「ばっ、馬鹿、お前! そんな作品の後継者に認められて、しかも売り上げもそこまで落ちてないばかりか、ファンですら辛口コメントばかりで嫌気のするネット上の評判だって上々なんだぞ! それがどれだけ凄いことか、お前はぜんぜん分かってない」

 

 マサムネは吠えた。特に最後の節は力が入っている。

 

「そんなのあんただけですぅ~。わたしの下僕(ファン)は従順ですぅ~。いつもわたしの作品を絶賛してくれてますぅ~」

 

 と唇を尖らせるエルフは手に負えないと見たのか、マサムネは一郎に向き直る。

 

「えっと、鈴木先生、でいいのかな? 俺から見たら先輩作家だし、ずっと大物だし、敬語は崩せないよな……」

 

 その小さなつぶやきを、一郎は聞き逃さなかった。

 

「一郎でいいですよ、マサムネ先生。作品の売れる売れないは腕だけじゃ決まりませんし、お互い同業者ってことで、気楽な口調でお願いします」

 

 などと見た目も年齢も自分よりずっと若い先輩作家に言われたマサムネは、困った顔で逡巡して、

 

「……そういう一郎先生だって、かしこまった口調じゃないか」

 

 と絞り出した。

 それが苦りきった声だったから、人の悪い一郎は思わず吹き出した。

 

「いや、ごめんごめん。話題の高校生作家はどんな反応するのかなと思って、つい意地悪をしちゃったよ」

「同じレーベルに、俺よりもっと年下で、もっと売れてるやつもいるけどな。というか、それを言ったら自分だって最年少の小学生デビュー作家じゃないか」

 

 苦笑でマサムネが応じてみせる。

 一郎は「僕のは反則みたいなもんだから」とひそかに口の中で転がして、続けた。

 

「それにしても、中学生作家に高校生作家。若年作家のバーゲンセールじゃないか。いったい近年の若者はどうなってるんだろうね」

「まさにスーパーサイヤ人のバーゲンセール、ってやつね!」

 

 エルフの弾む声が割って入る。

 

「時代の変化ってやつよ。小学生から老人まで誰もが気楽に自分の作品を公開できるようになって、ネット小説が流行った。たくさんのファンを持つ作品が出てくると、今度は出版社が目を付けるわ。この作品をウチが出せば売れる、金になるってね。結果、マサムネのような高校生作家が誕生するようになったのよ」

「俺の場合は新人賞への応募だったけどな。でも、俺のネット小説を喜んでくれる人がいたってのが、プロ作家を目指す一番のきっかけになったのかな」

「ああ、感想なんかすぐに書き込まれるんだってね。確かにそれは励みになる」

「っていうか、イチローってネット小説読むの?」

「小学生の頃から読んでるよ。カラオケも行けばゾンビ映画も見るし、ゲーセンでクレーンゲームだってする。人並みの中学生してるつもりさ」

「げっ、なんか意外。もっとこう、俺様はザ・小説家でございって感じで、書斎でしこしこ原稿用紙に向かってそうなイメージだった」

「うーん、それを聞いて怒るべきなのか、喜ぶべきなのか」

「怒ったらいいんじゃないかな。俺なら確実に怒ってる」

「それにしても、へぇ、カラオケね。どうせ寂しくヒトカラでしょ。可哀想なイチローくんの為に、これからカラオケに付き合ってあげましょうか! もちろんあんたも一緒よ、マサムネ」

「ただ単にお前が遊びたいだけだろ。っていうか、そんなことしてて大丈夫なのかよ」

「大丈夫ってなにが?」

「もう締め切りまで何日もないだろ。今日までお前が仕事らしい仕事してる姿なんか見たことないぞ。本当に間に合うのかよ」

「大丈夫よ。なんたってわたしは大作家だから、固有スキルでなんとでもなるわ」

 

 右手で左目を隠し、腰をひねってスタイリッシュにポージングを決めた。

 そんな自称美少女天才作家を「これがアホ可愛いってやつかぁ」とほんわか眺めながら、一郎は小首を傾げる。

 

「スキル?」

「そう、スキルよ。全ての作家は売り上げ二百万部以上になると大作家にジョブチェンジして、固有のスキルを得るの」

「随分詳しく設定練ってるんだな。で、お前のスキルって?」

 

 と呆れ半分で尋ねたのはマサムネである。

 

完成原稿召還(サモンザダークネス)よ。完成した原稿を異界から召還するの。そして、スキルを使うにはまだMPが足りないわ。ちなみにMPは、神聖な歌の満ちる聖域に行けば回復できるわ」

「つまりカラオケ行こうってか! スキル使えないってことは、まだ全く原稿書いてないってことだろ!」

 

 うぎゃあとマサムネは噴火した。

 

「ちゃんと仕事しろよ、仕事! 毎日こつこつ書くもんだろうが!」

「毎日こつこつって……ひょっとしてあんた、そんな仕事の仕方してるの」

 

 形の良い眉が、眉間に寄る。

 当然だろと返したマサムネに、エルフはぴしゃりと言い放った。

 

「だからあんたの小説はつまらないのよ」

「つっ、つまらない!?」

 

 ぬわぁぁー! とマサムネは悲鳴をあげる。

 そんなマサムネをひしと指さして、エルフは追い打ちをかける。

 

「気乗りしない時にいくら書いたって、文章に魂は乗らないわ。そんなのはバカのすることよ」

「ば、バカ。俺がバカ。バカにバカって言われる程のバカ……」

 

 うなだれるマサムネの肩に、そっと手が置かれる。

 

「マサムネ先生、あんまり気にしない方がいい」

 

 一郎である。

 一郎は、優しく語りかける。

 

「世には二種類の作家がいるんだ。こつこつ毎日書いていく作家と、興の乗った時にガッと一気に書き上げる作家だ。真面目な君は前者なんだろう。けれども、気分屋の山田エルフ先生はバリバリの後者なんだ」

 

 などと言われても、すぐに納得できるものではない。マサムネは、訝しげに眉をひそめる。

 

「……ちなみに一郎先生は?」

「うーん、折衷型かな」

「三種類いるじゃねぇか!」

 

 吠えるマサムネの肩に再度手を置くと、それはさておき、と強引に続ける。

 

「考えてもご覧。こんな気分と思いつきで生きてるような人が、毎日こつこつ仕事なんてできると思うかい」

「いや、全く以てこれっぽっちも。なるほどな、そう言われてみれば納得だ。ドジョウは清流には住めないもんな」

「おいこら、あんた達!」

「だって本当のことだろ。考えてみれば、お前がきちんと仕事なんてできるわけないもんな」

 

 あまりにも失礼な言いぐさである。

 案の定、エルフは反論した。ただし、その論旨はマサムネの想像を大きく越えていた。

 

「勘違いしないでちょうだい。わたしは仕事なんかしないわ」

「なっ――」

 

 マサムネは息を呑んだ。エルフの琥珀色の瞳が冷たく、そして熱く、鋭くマサムネを見据えていたのだ。それは炎を閉じこめた氷のまなざしであった。

 

「わたしは趣味で小説を書いてるのよ。趣味だからこそ、決して妥協しないわ。最高に面白いものを書く為に、最高の努力をするの。やる気全開マックスファイアー状態で書いてこそ、自分のベストを上回る傑作が書けるのよ。そんなベスト以上の作品を書き上げることが、下僕(ファン)たちに対するわたしの務めなの!」

「なんてむちゃくちゃな……」

 

 台詞とは裏腹に、マサムネはエルフの主張を認めていた。認めざるをえなかった。

 氷のなかの炎はだんだん勢いを増し、ついには氷を溶かして、マサムネをひと呑みにしたのだ。

 

「いや……そうだな。そうだよ、お前の言うとおりだ。俺の最高に可愛い妹の可愛さを伝えるんだ。全力を更に越えた全力(百パーセント中の百パーセント)じゃないと、最高に可愛い妹の最高の可愛さは最高には伝わらない。ありがとう、エルフ。俺、やるよ! 腹をくくって待ってろ、俺はお前には負けない。エロマンガ先生は渡さないぞ!」

 

 と指を突きつけ叫ぶなり、マサムネは駆けだした。エルフに点けられた炎が、彼の内部で暴れ狂っているのだ。

 そんなマサムネを見送って、一郎は楽しそうに言った。

 

「へぇ、面白い子だね」

「でしょう。あいつは面白いのよ」

「それに、面白いことをしているみたいじゃないか」

 

 どうやら、エルフとマサムネはエロマンガ先生とやらを巡って勝負のようなことをしているらしい。

 水を向けると、エルフは嬉しそうに語りだす。

 

「エロマンガ先生は、マサムネのラノベのイラスト担当よ。すごいのよ。とっっってもエッチな女の娘の絵を描くの!」

「へ、へぇ……」

 

 琥珀の瞳をきらきら輝かせて、とびっきりの宝物を見出した童のように語る。

 これで卑猥なことさえ叫んでいなければ、それだけで一郎は再度惚れ直したところであろう。

 

「わたしは、エロマンガ先生が欲しいの。わたしの書いた最高の文章に、最高にエッチなイラストを描いてもらって、最高のラノベを作り上げたいの」

「なるほど。相棒をかけて、小説の出来を競うのか。それはなんていうか――」

 

 一郎は奥歯を噛みしめた。腹の底からこみ上げてくるその衝動をこらえようとしたのだ。

 だが、その努力は無駄だった。噛みしめた歯間から、くっくと笑いがこぼれる。

 ついには笑い声と一緒になって、一郎は声をあげていた。

 

「すごい。すごく、羨ましい……! そんな少年マンガみたいな、最高に貴重で面白い体験、是非ともしてみたい! それをネタに書く小説は、いったいどんなふうになるんだろう! きっと今までよりも、もっとずっと斬新で印象的な、面白い文章が書けるに違いない!」

 

 突如声を張り上げ、一郎は笑った。

 奇行である。いつも薄笑いの向こうに自分の内心をひた隠す、捉えどころのない男が、突然笑い出したのである。

 もしも口の悪い幼馴染みがこの場に居合わせたなら、ぎょっとして、一郎から距離を取ったに違いない。キモイだと何だの、さんざん口を荒らしたであろうことは、想像に難くない。

 エルフは違った。彼女は、いつになく感情的な一郎を見ても驚くことなく、代わりに、にやりと笑ったのである。

 

「へぇ、いいじゃない。普段のイチローより、ずっとずっといいわ。そういう熱いの、わたしは好きよ。す、好きって言っても、そういうアレじゃないからね!」

 

 それがまた、一郎の激情を再点火した。

 

「ははは! 分かってるよ。エルフさんのそれは、あんなんじゃなくって、もっとアレなソレなんでしょ。ははは!」

「あっ、バカにしたわね、この!」

 

 笑う一郎と、顔を真っ赤にして金切り声をあげるエルフ。

 ようやく一郎が笑いを収めた時である。エルフは、すっかり真面目な顔になって、つぶやいた。

 

「わたしも火が点いちゃったみたい」

 

 イチロー、と呼びかける。

 

「今日はもう帰ってちょうだい。これからスキル発動の準備に入るわ」

 

 空気を読んで「ああ、原稿を書くんだね」とは言わないでおく一郎であった。

 

「ねぇ、エルフさん」

 

 玄関口で、一郎はエルフを呼び止めた。

 いわゆる「やる気マックスファイアー状態」なエルフはうずうずしており、一郎を追い出すやいなや踵を返そうとしていたところであった。

 不機嫌そうに「なによ」と言いかけたエルフであったが、思わず言葉を飲み込んだ。

 一郎の黒曜石の瞳が、真正面から力強くエルフを射抜いていたのである。

 エルフの肌が上気する。こんなに真っ直ぐ見つめられたのは、不意の告白を突きつけられた、あのとき以来だったのだ。

 エルフは身構える。いくら優れた容姿を自覚し、美少女を自称していたところで、そこは対人経験の浅い不登校中学生である。真正面からあけすけに好意を告げられることに不慣れであった。

 だが、その心配は杞憂であった。

 

「ラノベって楽しそうだね。マサムネ先生も、エルフさんもすっごく楽しそうだ。そんな君たちを見てたら、僕も新しいものを――ラノベを書きたくなってきた」

 

 一郎は笑った。どこまでも澄み渡った、彼の心の奥底までのぞかせたような、それは幼い笑みだった。

 それは、エルフが初めて見る「年相応」の鈴木一郎だった。

 

「前に『豹頭譚』ばかり書いて楽しいのかって訊かれた時、実はちょっと思ったんだ。新しい作品が書きたいって。もちろん『豹頭譚』を書くのも好きだけど、それだけじゃなく新しい作品も書きたいって。――書いてみるよ、僕もラノベを。他の誰も書いたことのない、新しいラノベを。そしたら、僕もライバルに加えてくれないか」

 

 エルフはぱちくりと目を瞬いて、それから、にやりと桜色の唇をつり上げた。

 

「この美少女天才作家山田エルフ様と同じ土俵に上がろうとは、いい度胸ね。面白いじゃない。かかってきなさい。わたしの足下にはいつくばらせてやるわ。あんたもマサムネも、ううん、日本中のラノベ作家だってまとめて相手にしてやるわ!」

 

 視線がぶつかり、火花を散らす。

 このとき、二人は初めて同じ目線の高さで言葉を交わしたのである。

 




8,370文字

ちょっとだけ距離が縮まった感。
でも次回フラれます。

なお、本作は練習を兼ねています。文章のご意見、ご感想、ご助言など頂ければ幸甚です。


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4.水晶宮(クリスタルパレス)の陥落

 実在の作品についての半端な蘊蓄は、あくまで半端な読者たる私の半端な私見です。自信を持って人様に語れるようなことでも、敢えて語るべきことでもありませんが、原作の雰囲気をつくる為にネタにしています。
 なお、引き合いに出した作品は私も全て愛しています。


 ***

 

 

 結局のところ、エロマンガ先生を巡る山田エルフと和泉マサムネの戦いは、山田エルフの負けという形で決着がついたらしい。

 エルフによれば、

 

「マサムネが勝ったんじゃないわ。わたしが負けたのよ」

 

 とのことである。

 彼女は、敢えて詳細を語ろうとしなかった。それでも分かったことがある。

 

「イチロー。あんた、わたしのこと好きって本気なの?」

 

 肯じる一郎に、エルフは淡々と告げた。

 

「それじゃあ、ごめんなさい。わたし、好きな人ができたの」

 

 彼女は、和泉正宗に惚れたのだ。

 

「まぁ、わたしも見事にフラれちゃったんだけどね」

「それでも諦めないっていうのかい」

「そうよ。わたしは、あいつの一途なところが気に入ったの。ずっとずっと、ただ一人を想い続けるところが気に入ったの。あいつの向いてる先には別の人がいるけど、それでも、思うの。それをわたしに向けてくれたら、どんなにか素敵な一生になるだろうって。……どうしたのよ、梅干しにレモンかけて舌に乗せたような顔して」

 

 山田エルフの居城、クリスタルの一室である。

 二人はすっかり冷めてしまった紅茶を置いて、テーブル越しに向き合っている。

 

「どうもこうも、自分に惚れた相手に惚気話を聞かせるだなんて、ひどいと思わないのか」

「えっ」

 

 一郎はエルフを冷たく見据えていた。目を鋭く細めて、傍目にも怒っているのが分かる。

 珍しく、というより初めて負の感情を露わにした一郎に、エルフは戸惑った。

 鈴木一郎という少年は、いつもにこにこ、あるいはにやにや笑っていて、泰然とした態度で時々ひとをからかうヤツなのだ。どこか一線引いて他人行儀で、相手の事情に踏み入らないし、自分の事情に立ち入らせない。本気で怒らせることもしないが、本気の感情を見せることもない。そういうヤツなのだと思っていた。

 けれども、

 

(そういえば)

 

 エルフは思い出す。先日、一郎を見送った時のことである。まるで年相応の子供のように――子供相手にこういう表現も変なのだが――感情を露わにして笑い、ライバル宣言を下されたのだ。

 大人ぶったところがあり、実際大人のように落ち着いてはいるけれども、根っこの部分はもっとずっと子供なのかもしれない。

 

「な、なんでよ。スパッと理由を言ってあげる方がいいに決まってるじゃない……」

 

 一郎は、カミソリのように細めていた目を見開いた。それだけで、だいぶん険が和らいだ。再び口を開いた時には、もうすっかり、いつもの彼だった。

 一郎は、申し訳なさそうに謝る。

 

「あー、その、君に悪気がなかったのは分かった。ごめん。僕の勘違いだった。エルフさんは、真剣に僕に向き合ってくれてたんだね。ありがとう」

 

 けれど、と続ける。

 

「この国では主流のやり方じゃないね。相手を袖にするときは、少年マンガか少女マンガでも参考にするといいと思う」

 

 一郎は、なんとか苦笑を浮かべてみせる。こみ上げてきたため息は、ひそかに口の中で転がして溶かした。

 けだし、断る理由を素直に伝えることが、彼女なりの誠意であるらしい。

 なるほどと一郎は得心した。山田エルフは外国人である。彼女を育んだ文化は、そうした誠意を美徳を見なしていたのであろう。「文化がちがぁーう!」と叫ばなかったのは年の功である。

 

「ふ、ふんっだ。わたしのやり方のほうが、百倍誠意があって格好いいわ。だいたい、日本人はいじいじにちにちし過ぎなのよ。マンガでたとえるならライフね。もっとこうバッとガッと、ドラゴンボールみたいに格好良く生きるべきよ。イチローもそう思うでしょ!」

「そうだね。エルフさんは格好いいよ」

 

 という答えをかわきりに、日本文化のあれこれについての演説が始まった。

 曰く、日本の学校の集団行動はおかしい。日本の学校の給食は不味い。日本の学校の掃除時間はおかしい。

 

「日本文化の話じゃなくて、学校の愚痴じゃないか。それよりさ――」

 

 などとなんでもないように切り出したものだから、エルフはほっとした。これで気まずい話題も終わりかと思ったのである。

 それは間違いだった。

 

「エルフさんは僕を袖にしたけど、僕はまだ諦めてないよ」

「えっ」

「エルフさんだってまだ諦めてないんだろう。僕だって同じだ。本気なんだから、そんな簡単に諦めがつくもんか」

 

 目の前のまっすぐで美しい少女は、一郎の心に火をつけた。

 一度着いた火はなかなか消えない。燃えるような業火ではないけれど、ちろちろ鍋底を舐めつづけ、煮汁は常に温かくときどきふつふつとたぎる。それが、鈴木一郎の性格であった。

 

「無理に迫ったりはしないから、安心して欲しい。今まで通り、ふつうに接して欲しい。なんだったら、告白したことだって忘れてくれて構わない。エルフさんを困らせるのは好きじゃないんだ」

 

 けれども、と一郎は続ける。

 

「僕はほんとうに本気なんだ。ひょっとしたら振り向いてくれないかもしれないけど、でも、その時を待つよ。これでも気は長いんだ」

 

 それこそ死んでもシリーズを書き続けるくらいにはね、とひそかに口の中で転がして、一郎はクリスタルパレスを後にした。

 

「他人行儀だと思ってたけど、あいつ、意外と積極的じゃないの……。わたしの『神眼(ゴッドアイ)』もまだまだ成長の余地があるわね……」

 

 どぎまぎと暴れる胸を抑えて、ほうっと吐息を吐き出すエルフ。引きこもりで対人経験の浅い彼女は、打たれ弱いのであった。

 

 

 ***

 

 

 風が、強い。

 びょうびょうと窓を吹きつける風の音をうとましく、聞くともなしに聞きながら、一郎は思い悩んでいた。

 ――所謂ラノベとその他の小説を分かつ物は何だろう。

 一郎が思うに、明確な定義はない。ひょっとしたら人の数だけ「ラノベ論」があるのかもしれない。

 美少女天才作家を自称する山田エルフなら、こう言ってのけるだろう。

 

「わたしがライトノベルよ。わたしが書くラノベこそが、本当のラノベなのだわ」

 

 それくらい、山田エルフという作家は迷いなく我が道を突き進む。それは一郎にはできなかったことだ。ちょっと進む度に後ろを振り返っては、自分のたどった道のりが間違っていないか確認する。

 そんなこと本当は必要ない。心の赴くままに、もっと自由に生きて良いのだ。そんなふうに山田エルフは姿で語っている。

 

「エルフさんは恰好いいなぁ」

 

 そんな彼女が夢中になっているライトノベルに、自分も挑戦したい。これまでの作風とか、自分に求められている役割とか、寄せられる期待とか、そういうものを全てうっちゃって、心の赴くままに全く新しい挑戦をしてみたい――そう思わされてしまったのだ。

 それは、奇しくも、一番最初に『豹頭譚』を書いたときと全く同じ思いだった。あの若くて熱い思いに、エルフは再び火をつけたのだ。

 

 さて、その山田エルフである。

 彼女は、唐突に降ってわいた一郎の「さすエルフ」コールを耳にするなり、

 

「でしょう。底知れぬ作家としての才能と、クレオパトラの鼻っぱしらもポキリと折れる美貌、ついでに高橋名人顔負けのゲームの腕をもつ、最高に格好かわいい美少女天才作家山田エルフとは、このわたしのことよ」

 

 と右手を払うようにスタイリッシュなポーズを取ったものだから、彼女の操っていたキャラクターは棒立ちになる。そこを、マサムネのキャラクターがめったうちにした。

 

「てい」

「あっ、こら! 今のは卑怯じゃないの!」

 

 ――あの日以降も、エルフは変わらぬ態度で接してくれる。

 クリスタルパレスに一郎を呼びつけ、ときにゲームをして、ときにお茶を飲み、ときに雑談をし、気を置かぬ友人として扱いを崩さない。

 ひょっとしたら、告白のことを忘れてしまったのかもしれない。そう思ってじっと観察するうちに、そうではないのだとすぐ気付かされるた。

 ふとした拍子に目が合うと、不自然に逸らされる。そんな不自然な態度をうわぬりしようと、努めて視線を合わせてくるものだから、一郎は笑いそうになった。こらえきれず、笑った。

 怒ったエルフは、それで吹っ切れたのか、それ以降実に自然な態度で接してくれる。

 そのなんと有り難いことか。

 自己満足ではなく、本当に相手の立場にたって気を遣うのは難しい。それをこの年で実践してしまえるこの少女は、ほんとうに珍しいくらい「いい女」なのだ。

 

 兎にも角にも、恋愛の勝敗の第一ラウンドは決した。第二ラウンドは気長にいくさ、と一郎はテレビ画面を見やる。

 奇しくも、ゲームの勝敗も決したところである。一区切りである。

 一郎は一枚の紙を取り出した。インターネットの画面をプリントアウトしたものである。それは、とある企画でああった。

 

「実は、僕もラノベを書こうと思うんだ」

 

 その企画の標題とはずばり――

 

「ラノベ天下一武道会? なんだ、このドラゴンボールみたいなネーミング。鳥山明先生の許可は取ってるのか?」

「取ってないんじゃないかしら。『ブラックジャックによろしく』だって、手塚先生の許可は取ってないだろうし」

「それ、マズイだろ。『ハイスコアガール』もいろいろあって一時休載になったし、『のぞえもん』は打ち切られたんだぞ」

「へぇ、それは危ないかもね。マサムネ先生、担当さんに伝えた方がいいかも」

「え、どうして俺が神坂さんに?」

「だってそれ、マサムネ先生のとこのレーベルだよ」

「げっ、マジか!」

 

 マサムネから血の気が引いていく。

 現代社会は著作権にうるさい。工業製品のコピーなんぞやらかせば国際社会で非難ごうごうだし、気楽なネット小説ですら、頼んでもいないのに有志がパクリ検証をはじめる。ジャスラックなんぞは著作者本人から著作使用料を取り上げる有様だ。

 問題が大きくなって出版社が吹き飛ぶようなことがあれば、自分の仕事がなくなってしまう。そうなる前に連絡して蛮行を止めさせなければ。

 などと深刻な決心を固めるマサムネに対して、二人は気楽なものである。

 

「ひょっとして、これに応募するの?」

「ああ。ちょうど良い時期にある企画だし、何よりコンペ形式ってのがいい。出版経験のある作家が競う形になってるから、話題になりやすい。これで受賞できたら、連載が決まると思う」

「へぇ、面白いじゃない! それじゃあ、これで入賞してデビューが決まれば、二人は同じレーベルで競い合うライバルになるってわけね」

 

 これはマサムネも聞き逃せない。

 

「げぇ、一郎先生がライバルかよ。ただでさえ俺と同じ芸風の先輩作家に出版枠取られたりしてるのに……」

「おーっほっほほほ! 背中がすすけてるわよ。売れない作家は大変ね。この二百万部作家の私には無縁の話だけれど、心底同情するわ」

「まぁまぁ、マサムネ先生。小説なんてどのジャンル、出版社でも一緒だよ。デビューする為に創意工夫を重ねて、デビューしてからも大先輩や次から次へと現れる若い才能の影に怯ながら、人生を賭けて挑んでいく。だから――」

 

 マサムネの肩に、そっと手が置かれる。

 

「一郎先生……」

 

 その優しさにマサムネがほろりと涙したそのときである。

 がっしと肩が握りこまれる。突然の痛みに悲鳴まじりの文句をあげそうになったマサムネは、一郎の笑顔を見て固まった。

 目が笑っていなかったのである。

 ちろちろと蛇の舌先のような、静かでけれども粘り気のある炎が、黒曜石の瞳には宿っていた。

 

「容赦はしないよ、マサムネ先生」

「ふむ。『漆黒の意志』ってやつかしら。ハングリーでいいわね」

「はは、お手柔らかに……」

 

 苦笑いするマサムネに、一郎は右手を差し出した。

 驚いた顔をして、それから、嬉しそうにあるいは楽しそうに一郎の手を取る。

 よろしくな、ライバル――

 そんな心の声が聞こえてきそうな場面で、

 

「というわけで、ラノベの先達に修行をつけてもらいたいんだ」

 

 なんて切り出したものだから、マサムネは目を丸くした。

 そして、それなら都合がいいや、と応える。

 

「ああいいぜ。代わりと言っちゃあなんだけど、企画書の書き方を教えてくれ」

「いいね。それじゃあ勉強会だ」

「あー! なにそれなにそれ、そんな面白そうなこと、わたし抜きでしないわよね!」

「もちろん。だって、せっかくラノベの先達が二人もいるんだから」

 

 

 ***

 

 

 そうして、三人は一郎のアパートへやってきた。

 発案者はマサムネである。

 

「それじゃあ、場所を変えようぜ」

「ちょっと、どういうことよ! このクリスタルパレスに何か不満でもあるっての!?」

「不満も何も、この状況そのものが不満だよ!」

 

 壁掛けの大型テレビと、その下には細長いお洒落なスピーカー。そんな、いかにも金持ち然としたシアターに、ゲーム機がつながっている。

 その前に寝転がってオヤツをつつきながらゲームに興じてばかりのエルフに、業を煮やしたのである。

 

「ぜんっぜん仕事にならねぇじゃねぇか! 俺はここに企画書の書き方を教わりに来たんだ。なのにエルフときたら遊んでばっかり。一郎先生もだぞ。一緒になってゲームなんかしてるけど、あんたもラノベ書くんだろ!」

 

 マサムネ火山が噴火するのはいつものことなので、エルフはさらりと流して話題を転じた。

 

「そういえば、一郎の家には行ったこと無かったわね」

「ちょっと、エルフさん。マサムネ先生の家には行ったことあるみたいな口振りだけど」

「まぁ同棲してるようなものだしね!」

「えっ」

「勘違いされる言い方をするんじゃない! お隣に住むことを同棲というなら、世の中はラブコメと不倫と訳あり家庭ばかりだよ!」

 

 そんなやりとりを経て、一行は一郎の住居へとやってきたのであるが、

 

「ずいぶん殺風景な部屋ね」

 

 というのが二人の端的な感想であった。

 さもありなん。その部屋には、ベッドと机があるだけだった。その他には調度も娯楽用品もいっさい存在しない、うすら寒い伽藍堂だったのである。

 

「寝るかご飯食べるしかしないからね。メインの部屋はこっち。仕事に必要なものはこっちにあるんだ」

 

 ふすまを開く。

 書斎である。そこには机と椅子、その上に一台のパソコンとプリンタスキャナ、そして本棚があった。

 本棚には、出版社から送られてきたであろう彼の書籍と、辞書。そして『粟元芳』の作品が置かれていた。

 

「本棚はひとつだけなんだな」

 

 好きで小説を書くような人種だ。当然、読む本も膨大で、ひとつの本棚に収まりきるものではない。

 

「いろいろあって、昔の本は処分せざるを得なくなったから。新しい本は、電子書籍を買ったり、ばらしてスキャンしてデータにしてる。部屋も狭いしさ」

「いろいろ?」

「ほら、うち両親いないし」

「それは……」

 

 なんとなくそんな気はしていた。

 こじんまりとした2DKの賃貸住宅で、しかも、家具や衣類の収納スペースが極端に少ない。靴も、一郎のものと思しきものが四足ほどあっただけである。

 

「気にすることないよ。僕もぜんぜん気にしてないしさ」

 

 一郎はあっけらかんと言った。

 なんとなれば、五十五まで独りで暮らしてきた前世の経験があるのだ。そんな大の大人が、いくら赤子に生まれ変わったからといって、自分より年下の他人を「父さん、母さん」と慕うのは難しい。一刻もはやく『豹頭譚』を書きたいという思いもあって、家族との仲をおざなりにしてきた。ひどい子供だったと思う。不気味な子供だったと思う。

 にも関わらず、両親は一郎を愛した。ろくに喋らず本を読み、何かに憑かれたように黙々と小説を書きつづる「気味の悪い神童」に、あれこれ話しかけ、何くれとなく世話をし、精一杯に愛情を注いだのである。

 ――交通事故で帰らぬ人となるまで。

 

 後悔はない。何度やり直しても、同じことをするだろう。自分は小説家としてしか生きられないし、前世に果たせなかった義務もある。

 けれども、ときどき思うのだ。

 

(悪いことをしたな。せめてもう少し、二人の子供らしくすれば良かったかもしれない)

 

 そんな複雑な思いが、一郎の言葉にかすかに陰を落とす。

 それを敏感に察したマサムネであるが、

 

「そっか……」

 

 と言うだけに留めた。

 彼もまた、同じ身の上――両親を亡くしているのである。放って置いて欲しいというのなら、放っておく。それが彼なりの気遣いであった。

 エルフもまた、彼女なりの優しさを発揮した。それは、なんと、家主の目の前で家捜しをするというものであった。

 

「おかしいわ。年ごろの男子の部屋よ。しかも一人暮らし。えっちな雑誌の一冊や十冊は百冊はあるんもんじゃないのー? ねぇ、マサムネ先生」

「俺に聞くなよ……」

「中学二年生だし、そういうのはまだいいかなって」

「アンタも何マジレスしてんだよ!」

 

 というやりとりを経て、ラノベ勉強会が始まった。

 はじめは、エルフによる企画書講座である。

 これはすぐに頓挫した。

 

「だってわたし、企画書とか書かないし。だって、ぶっちゃけアレって、仕事してますアピールの道具でしょ?」

 

 という無茶苦茶な言い分にはマサムネも火を噴いた。一郎は「さすがエルフさん……」と苦笑いだったが、声にも渋さがにじんでいた。

 そのようなわけで、当初の約束どおり、一郎が教鞭を執ることとなったのである。

 

「ったく、はじめから一郎先生に任せとけば良かったぜ。エルフが自信満々に割って入るもんだから、どんなものかと思ったら……」

「まぁまぁ。僕としてもエルフさんの企画書の作り方は聞いてみたかったし。それに、話も弾んで舌も軽くなったしね」

「さすがイチロー、戦闘力の高い作家はよく分かってるわ! 仕事は楽しくしなくっちゃね」

 

 一郎の企画書講座は好評のうちに幕を閉じた。

 さすがに何十年もかけて、様々な作品を世に送り出してきたおっさん作家は違った。

 そして、そのおっさん作家に、今度はマサムネが教える番である。

 と思いきや、

 

「ちょーっと誰か忘れてるんじゃないかしら。ほら、そこな底辺作家とはけた違いの実力と人気と販売部数(戦闘力)をほこる、超売れっ子天才美少女作家がいるじゃない! このわたしがあなたたち二人に、ラノベのいろはを教えてあげるわ」

 

 マサムネは唸った。

 そんなふうに言われて、おもしろくないわけがない。けれども、エルフの作品が面白いのは確かな話で、その秘訣に迫れるのなら――そんな思いが首をもたげた。

 

「おう。それじゃあ、お前のラノベ哲学を聞いてやろうじゃないか」

 

 そうして始まった勉強会は、一郎が前もって準備してた原稿をエルフが読み、指導するという形で行われた。

 エルフの指導は辛辣だった。

 なにせ、

 

「これはラノベじゃないわ」

 

 というのが第一声だったのだ。

 

「こんっな長ったらしい文章、いったい誰が読むのよ! ほら、見てよ。このページなんか、地の文ばっかりで改行すらろくにないわ。離れて見たら、紙面が四角く塗られてるみたいよ! 書店で本を開いた読者の反応を考えてみた? 絶対にひかれるわよ!」

 

 という力一杯の罵声から始まり。

 

「キャラの台詞も長いわ。こんなの会話じゃないわ。オバちゃんの井戸端会議じゃない」

 

 前世からさんざん耳にしてきた批評を受け。

 

「キャラの外見なんてこんなに細かく描写しなくていいのよ。せっかく素敵なイラストが付くんだから、そっちに任せればいいの。相棒を信じなさい!」

 

 目から鱗な助言ももらった。

 

「総括するわね。地の文が多い、台詞が長い、ネチっこい。とにかく長い。こんなのラノベじゃないわ。ヘビィノベルよ」

「地の文がしっかりした作家だっているだろ。ほら、浅井ラボ先生とか」

 

 マサムネは戦々恐々と言い募った。

 

「まぁ、確かにそうね。浅井ラボは極端な例だけど、長めのしっかりした文章を書いてる人もいるわ。けれども、あくまでメインストリームはスマートな文章。短く分かりやすく、インパクトがあることよ。ほら、同じ西尾維新の作品だって、癖の強い戯れ言シリーズよりも、もっとシンプルな文章の刀語や物語シリーズの方が圧倒的に売れたでしょ」

 

 だからここは削りなさいと原稿を指さすエルフに、珍しく一郎が反論する。

 

「待ってほしい。僕が書いてるのは、異世界ファンタジーだ。世界が違うんだから、土台となる価値観も現代日本のそれとは違う筈だ。そこがしっかりしてないと納得できない。どんなにいい話を書いても興醒めだよ」

「どうでもいいじゃない、そんな設定。読者が見たいのは、エッチで可愛い魅力的なキャラ達の、手に汗握るような恰好いい冒険譚よ。風景やらモブ住民の描写なんかしてる紙面があったら、ヒロインの台詞の一つや二つ増やしなさい」

 

「うわぁ……」

 

 マサムネは天を仰いだ。

 悟ってしまったのだ。小説家としての作風が、この二人は対極に位置するのだと。

 まず一郎の作品は、濃厚で精緻なハイファンタジーである。細かく設定された人々の信仰や価値観、風土や風俗を下敷きに、その世界に生きる人々の生活や感情をみごとに描いている。ひとたびその文章を読めば、その世界の人々の暮らしぶりが目に浮かぶのである。その世界を旅したような気にすらなった。

 対するエルフの場合、文章はひどい。あんまりひどくて、ファンのマサムネですらどうかと思うことがある。にも関わらず、読者をおおいに笑わせ、物語はテンポよく転がり、キャラは魅力的で、読者を引きつけてやまない。次の頁をめくる手が止められない。そんなリズミカルなライトファンタジーなのだ。そして、その中核にはキャラがいる。

 言葉を換えれば、設定厨とキャラ厨なのである。

 水と油。鍵と葉。決して交わらないかに思われた二人であったが、やがて、一郎が折れた。

 

「……分かった。たしかに紙面は限られてる。それに一番書きたいのはここじゃない。この描写は削ろう」

 

 小説については一家言あるが、ライトノベルという新たな舞台である。先輩作家の言に倣うことにしたのである。

 このようにして、エルフの指導は続いた。

 

「それと、こっちとこっちもね」

「でも、それは――」

「あんた、わたしの話ちゃんと聞いてた? だから――」

「分かった。それじゃあ――」

 

 マサムネの心配をよそに、二人の勉強会は順調だった。

 口の悪いエルフであるが、面倒見は良かったし、判断基準は独特であるものの善意で動く性質である。

 一郎はといえば、一歩退いた態度で和を重んじる性質である。中学生であるというのに、冷静で大人びている。

 そんな彼にしては珍しくというべきか、作家なら当然というべきか、作品に対するこだわりをまっすぐエルフにぶつけていく。そうして対立する意見を、結局は納めてエルフに倣っているのである。

 

「一郎先生さ、エルフにもっとガツンと言ってやってもいいんだぜ。あいつの言うこと、極端なのも多いしさ」

「ありがとう。でも、これでいいんだ。エルフさんの言うことには一理も二理もある。納得したうえで、自分で選んだんだ」

 

 マサムネは、よく分からないという顔をした。エルフの指摘は、鈴木一郎という作家の作風を否定しかねないものだったのだ。

 一郎は微笑んで続ける。

 

「今回は予行演習だよ。書き慣れたファンタジーという分野で、全く新しいライトノベルの作法に挑戦してみるんだ。本当に書きたいのは、僕にとっても新しいジャンルだから、それを書く前に、ライトノベルの文体を会得しようと思ってね」

 

 そうするうちに、一郎とエルフの勉強会は終了した。

 

「粗茶ですが」

 

 と差し出されたお茶にマサムネは礼を、エルフは「香りがしない。安い茶葉ね。このエルフ様に出すのよ、もっとマシなお茶を用意してよね」と文句をそれぞれ言って口を付ける。なお、エルフはマサムネに小突かれた。

 

「ところでイチロー。あんた、変わった道具使ってるのね。なにそれ、パソコン?」

「ポメラって言うんだ。白黒画面でテキストエディタ機能だけの、小説を書いたりメモを取ったりするためだけに開発されたエディタだよ。立ち上がりがすごく早くてね。ネタが浮かんだら三秒で文章が書ける」

「なんてニッチな……」

 

 と驚き呆れるマサムネはといえば、ウィンドウズのラップトップとスマートフォンの二刀流で、クラウドを用いてデータ共有をしている。エルフはお洒落なマックブックだ。

 

「意外ね。おっさん臭いイチローのことだから、てっきり手書きでしてるのかと思ってたわ」

「前も言ったけど、好奇心旺盛な新しい物好きだから」

「たしかに、好奇心旺盛なのは分かる。だって、畑違いのラノベに挑もうって言うんだから。それにこれも」

 

 手直しされた原稿を見て、マサムネは感嘆の声を上げた。

 

「すごいな、一郎先生は。あんなすごい小説書けるのに、そっからこんだけ変えてくるなんて」

「ふぅん。イチローの書いてる小説って、そんなに違うの?」

「エルフ、お前、一郎先生の小説まだ読んでなかったのかよ……」

「だって百巻越えのシリーズの、最後のほうでしょ。読む気にならないわよ。途中から読んでも話が分からないから面白くないし、最初から読むのは度胸がいるわ。だいたい、当初は百巻で完結する予定だったっていうじゃない。それがどうして、百巻過ぎても完結する兆しすら一向に見えないわけ? 作家として、プロット能力を疑うわ」

「いや、その、ごめん……」

「どうしてイチローが謝るの?」

 

 そりゃあ本人だからだよ、とは言えない。いたたまれないことはこの上もなかった。

 もともと『豹頭譚』は、好きな作品のエッセンスをごった煮にしてつくりあげた鍋である。「好きなもの」を混ぜて煮詰めて、好き勝手につくりはじめた作品である。

 当然夢中になる。夢中になって、どんどん新しい「好き」をつぎ込んでいったら、生きている間には終わらなくなってしまったのである。いったん小説を書き出すと、歯止めが利かなく性分なのだ。

 

「ええっと、エルフにもおすすめできる巻ってないかな」

 

 なぜか落ち込んでしまった一郎を、マサムネが気遣う。

 

「ありがとう、マサムネ先生。――あるよ。これだね」

 

 一郎は、本棚から一冊の著作を取り出した。

 

「この巻は鈴木一郎が――僕が担当するようになってから、一区切り付いた後の、新しい展開の序章でね。記憶喪失になった主人公が『快楽の都』に剣奴として囚われて、闘技場で闘うことになるって話なんだ」

 

 記憶を失い、己のことを全く覚えておらぬ主人公は、闘技場の猛者達を相手にあまたの武人をうならせてきた絶技で以て対峙する。そのなかで、読者と一緒に自分の過去を少しずつ紐解いていく、というストーリーラインである。

 また、新たな作者の新たな出発点として、特に力を入れて書いた巻でもある。その甲斐あってか、新鋭作家鈴木一郎の名は、『豹頭譚』の正当後継者としてファンに認められたのである。

 

「へぇ、面白そうじゃない! それで、可愛い女の娘は何人くらい出てくるの?」

「とうが立ちはじめた美女が一人と、可憐なシングル・マザーが一人かな」

「げぇっ、イチローって熟女趣味なの」

「失礼なことを言うな! その発言は色んなところにケンカを売ってるぞ!」

 

 悲鳴をあげるマサムネに、一郎は黙して肯じた。

 そして、思う。「わしの可愛い小鳥ちゃんや!」と気色ばむ男色の変態領主と、「もう、領主様ったら」と黄色い声で取り入る美青年吟遊詩人も登場するが、そのことは黙っておくことにしようと。もっとも、それも、すぐにバレてしまうことではあるが。

 

「ついでに第一巻もあげるよ。是非読んでほしい。シリーズの最初ってことで、気合い入れて書いたんだ――って評判だから」

「そうね、折角だしもらおうかしら。日本ファンタジー界の歴史に名を残す作品だもの。さらっと読んで、わたしの作品の糧にしてあげましょう! きっと粟元とやらも草葉の陰で感涙にむせび泣く筈よ。この新たなラノベ界の神、山田エルフの偉業の礎になれるのだから!」

「なんでお前は先達の大御所に対しても、徹底的に上から目線ができるの!?」

「ははは。エルフさんは流石だなぁ」

 

 金糸の髪をかきあげ、きらきら陽光をふりまきながらポーズを取るエルフだった。

 

 

 ***

 

 

 そんな想い人のかわいらしい姿を思い出しながら、一郎はひとり原稿に向かっていた。

 

 すっかり陽が高い。空高く燃える太陽のように、一郎の心もまた熱くたぎっていた。

 どれくらいそうしていただろう。原稿に向かっていた一郎の耳に、陽気な音楽が飛びこんでくる。

 それこそは、エルフからのメッセージを報せる着信音である。

 端末を開いた一郎は、驚きに色を失うこととなる。

 

「お願い、今すぐ助けに来てちょうだい!」

 

 という切羽詰まったメッセージが、そこには綴られていたのである。




11,317文字

 なかなか書き終わらないな、疲れるなと思ったら、一万字を超えていました。この文量になると二回に分けて投稿した方が良いのでしょうか。
 さて、誤字報告ありがとうございます。一部の誤字は、自分への戒めとして残しておくことにします。
 なお、時系列は、マサムネが「おめーの出版枠ねーから」と言われる前。つまりラノベ天下一武道会に応募する前です。

本作は文章の練習を兼ねています。文章に関してご意見、ご感想、ご助言いただければ幸甚です。


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5.ビルの上のラプンツェルは熱いのがお好き

前回(第四話)のラストを一部変更しました。
「幼馴染に連絡をしようと端末を手にした」という旨の記述を変更しました。



 ***

 

 

『お願い。今すぐ助けに来てちょうだい!』

 

 そのメッセージを見たとき、一郎は、くすりと笑った。

 大げさなエルフのことである。大したことは言っていないに違いない。一の出来事に十の反応を示すのが、山田エルフという少女である。そうやって天真爛漫に全力で毎日を楽しむ姿が、尊く愛おしいのだ。

 微笑ましい気持ちになって、返事を送る。

 

『何があったの』

 

 ところが、返ってきたのは予想だにしない、驚くべき答えであった。

 

『詳しくは話せないわ。今も見張られてて、こっそり隙をみてメールを打ってるの』

 

 一郎の変化は劇的だった。さっと顔から血の気がひけ、手がふるえだす。

 鼓動が、早い。息は浅く、走ったわけでもないのに目眩がする。

 けれども、そんなことに構っている暇はなかった。一秒でも一瞬でも早く、安否を確かめたかった。

 

「見張られてる? ひょっとして、どこかに監禁されてるのか!」

 

 何があったのか。無事でいるのか。ひどいことをされて、泣いていないだろうか。

 

『安心して。絶対に助ける。場所はどこ』

 

 焦燥のあまり、千々の言葉で煮えくりかえる内心とはうらはらに、メッセージは言葉少ない。

 いや、焦っていたからこそ、簡潔なメッセージになったのだ。文字を打ちこむための操作すらもうとましかった。いっそ電話をかけて一秒でも早く声を聞いて無事を確認したい。

 だが、それはできない。

 エルフからの報せがメールメッセージでもたらされたからである。ひょっとしたら、音声通話をすることが彼女に害をなすかもしれない。そう思えば、電話をすることなどできようもなかったのだ。

 メールを送った一郎は、祈るような気持ちで返事を待つ。

 

 どれくらいの時間が経っただろう。一瞬が何秒にも、何十分にも感じられた。時を刻む秒針の音は、幾万回も繰り返されたかのようだった。

 ひょっとしたらこれは悪夢で、自分はベッドの上で眠りについているのではないか。ならば早く目覚めなければ、愛しい娘の笑顔が永遠に失われてしまうのではないか。

 そのように呆然とする一郎を、まぬけな着信音が現へと引き戻した。

 我に返って端末を操作する。いつもは陽気に感じるこの音が、今はこんなにも疎ましい。

 

『ここに居るわ。早く来てちょうだい!』

 

 そこに示されていたのは、住所である。

 

「この住所、場所は近いぞ。都内だ」

 

 パソコンを立ち上げて、ふるえる手で住所を入力する。何度もタイプミスをしそうになりながら、なんとか一字一字をタイプする。

 

「フルドライブ文庫本社ビルだって?」

 

 エルフの所属する出版社である。

 

「なんだ……」

 

 一郎は脱力した。話が見えてきたのだ。

 

「エルフさん、出版社で缶詰してるんだな。そりゃそうか、仕事ぜんぜんしてなかったもの」

 

 思えば、メッセージもどこか余裕があった。短く簡潔で、ときどき漢字変換すら省いた一郎のそれと比べると、悠長さはいっそう際立つ。

 念のため『なるほど。缶詰めですか』と送れば、肯定する旨の返信があった。ただし、尾ヒレに胸ビレがビラビラについた過剰修飾ではあったが。

 

 ほっと息をついた一郎に、「ねぇ」と声が掛けられる。

 振り返れば、少女がいた。

 幼馴染みである。

 くりくりと大きな瞳をしぱしぱ瞬いて、一郎に問いかける。

 

「どうしたの。すっごい顔してたけど」

「めぐみ。どうして……」

 

 ここにいるのかと問い掛けて、ふと思い出す。

 

「一郎くん、新刊出たんでしょ。ちょっと読ませてくださいよー」

 

 と言って押し掛けてきたのである。

 

「君には作品を買って作家を支えてあげようという気持ちはないのか」

 

 と言えば、

 

「売れてるんだからいいじゃないですかー。わたしひとりが買ったくらいじゃ、影響なんてないしー」

 

 と応えが返ってくる。

 それでも渋ると、今度は媚びた声で迫ってくるから性質が悪い。

 

「ねぇ、可愛い幼なじみのお・ね・が・い。見せて?」

「こら、やめなさい。中学生になったんだろう。はしたない」

「いたっ」

「そうやって男をからかってばかりだと、今に痛い目を見るぞ。年頃の男というのは、導火線むき出しの性欲爆弾になることがある。もう小学生じゃないんだから」

「ふぅーん。一郎くんも?」

「年頃になればね」

「なるほど。勉強になります!」

「勉強の成果をいったい何に使うことやら。きっと将来とんでもない悪女になるんだろうな……」

「ちがうよ。友達千人つくるんだよっ」

 

 そんなやりとりをして部屋に迎え入れるのが、恒例行事となっていた。

 部屋に入れた後は、一郎は我関せずとばかりに本を読んだり原稿を書いたりと、ひとりの時間に没頭する。

 そんな一郎の過ごす書斎にめぐみは勝手気ままに立ち入っては、

 

「あ、新しい本見っけ」

 

 だの、

 

「ねぇ一郎くん。ほかに面白い本はないの? もうスキャンしてパソコンの中かなー」

 

 だのとにぎやかしては、隣の部屋の、一郎のベッドに寝転んで好き勝手に本を読むのである。

 そうやって、別々の部屋で勝手気ままに過ごすのが常だったので、一郎はすっかり彼女のことを忘れていたのだ。

 

「そんな顔してたかな」

「うん。すっごくキモかったです」

「ああ、そうかい。勘違いしているようだから言っておくけどね、語尾を丁寧にすればいいってもんじゃないぞ、後輩。中学生なんだから、長幼の序にならって敬語をきちんと使うこと」

「だってー、一郎くんとはずっと幼なじみでお友達だしー、いまさら先輩後輩って仲じゃないっていうかー」

「……まぁ、君はそれでいいのかもしれないね」

「えっへへ。でしょ?」

 

 にぱっと微笑む。

 その満開の笑みには、全幅の信頼がこめられていた。

 

 この一つ年下の幼馴染みに、一郎は甘かった。

 一郎にとっては小さい頃、それこそ保育園児のころから面倒を見てきた、姪のような存在である。

 転んで泣けば治療し宥め、鼻水を垂らすのをハンケチで拭い、食事時にはお箸の持ち方や礼儀作法を躾た。

 なお、傍から見れば、大人ぶったこましゃくれの幼児が、背丈の変わらぬ幼児を世話するという、非常に可愛らしい光景に映っていた。

 はじめこそ幼稚園の教員もほほえましく笑っていたが、一週間もすると、その笑みはひきつることとなった。鈴木一郎という幼児は、いったいどういう厳格な教育を受けたのか、幼稚園児離れしてしっかりと生活習慣の身についた子供だったのだ。

 歯磨き、トイレ、着替え、食事、片づけ。そのすべてを一郎ははじめから自分でこなすことができた。お遊戯に至っては、教員といっしょになって他の子供の世話をする始末である。

 これは恐るべきことである。彼女らの仕事は、そうした基本的な生活習慣を教えながら、遊びのなかで子供の知性を伸ばすことなのだから。

 

 そんな一郎に人一倍なつき、卒園して小学校に入学してからも小鴨のように後を追い、中学生になって尚「かわいい幼なじみ」を自称してつきまとうのが、神野めぐみという少女である。

 とは言っても、そこは学年違いの二人であったから、いつも一緒というわけにはいかない。さらには、めぐみは長じるに従って、やたらと高いコミュニケーション能力を発揮しあちこちに友達をつくったものだから、二人の時間はますます減った。

 そのようなわけで、神野めぐみという少女は、一郎にとっては「よく面倒を見てあげた姪っ子」のような立場に収まっている。

 その幼馴染みは、心配顔で尋ねる。

 

「で、どうしたの? すごい顔してたけど」

「ああ。作家友達が大げさに監禁されてるだなんてメールしてくるもんだから吃驚したんだけどね。実際のところは、締め切りに間に合いそうにないからか、それとも間に合わなかったのか、出版社で缶詰させられてるってことだったよ」

 

 めぐみは目をぱちくり瞬いた。長い睫毛が上下する。

 

「えー、意外ー。一郎くんに友達っていたんだー。ずっと家にひきこもってばっかりのー、ぼっち大好きぼっち村の一人村長さんだとばかり思ってた」

「そうかそうか。目の前の人物は友達じゃなかったのか。ようく分かった。他人様はすみやかに出て行ってくれ。もしくは僕が出て行く」

「ちょっとー、冗談じゃないですかー!」

 

 貸す耳持たぬといった調子で、一郎は支度を整える。机上を片づけると、財布と携帯電話、執筆道具(ポメラ)をボディバッグに詰めこんで、靴を履いた。

 

「えっ、本当(マジ)本気(マジ)なのっ!?」

本気(マジ)真剣(マジ)だよ。――これから、件の友人を訪ねてくる。部屋から出るときは戸締まりを頼む。ああ、お茶も勝手に飲んでいいけど、ガスの元栓は忘れずに締めておいてね」

 

 などと悠長に言いながら、一郎はいつもと変わらぬ様子で、のんびりと出て行った。

 めぐみに言わせれば、しかし、その行動自体が異常だった。

 

「え、本当に? あの一郎くんに友達がいて、しかもわざわざ会いに外に出て行く? えー?」

 

 あとに残されたのは、ぽかんと大口を開けて呆ける間抜けな幼なじみの姿であった。

 

 

 ***

 

 

 そして、フルドライブ文庫本社ビルである。

 おっとり刀で駆けつけた一郎を待ち受けていたのは、当然ながら、エルフの熱い歓待などではなかった。

 

「この度は当社にどういったご用向きでしょうか」

 

 にっこりと、けれども機械的な受付の応対である。

 

「山田エルフ先生にご招待いただきまして。差し入れを持ってきました」

 

 名刺を差し出してそのように告げれば、

 

「あー。それは、その……」

 

 受付は困った顔になる。

 無理からぬ話である。山田エルフという作家は、大事な仕事にかかりきりであり、余人の立ち入らぬ場所でひとり静かに仕事に精を出している。決して人を立ち入らせてはいけないし、何より本人を逃してはいけない――と厳命されていたのだ。

 そこに、山田エルフ本人から呼び出されたからと、話題の作家が、しかも手みやげ持参でやってきたのである。

 板挟みになった受付は、担当に内線で相談した。責任転嫁と言うなかれ。己の権限を越えた判断は上司に委ねる。それが正しい部下の在り方である。

 

「担当編集の山田クリスと申します」

 

 応接室に通された一郎は、寸間を置かず、その青年と相対することとなった。

 

「どうもご丁寧に。鈴木一郎と申します。山田先生とは作家友達として仲良くしていただいています」

 

 手慣れた様子で名刺を交換する。

 それは奇妙な光景であった。一郎は本来ならば世間というものに疎いはずの中学生であったし、クリス氏はといえば、こちらは金髪碧眼の西洋人であったのだ。

 奇妙な光景は続く。クリス氏が、席に着くなり頭を下げたのだ。その所作は、下手な日本人より日本人じみていた。

 

「山田先生が突然ワガママを言い出しまして、申し訳ありません」

「とんでもありません。僕こそ、お仕事中にお邪魔しまして。エルフ先生もお忙しいようで」

 

 会うことはできないのかと、暗に尋ねる。

 

「申し訳ありませんが……」

 

 返ってきたのは、日本人的な「NO」の(いら)えである。

 一郎は、あっけらかんと応じた。

 

「でしょうね。普段、あれだけ好き勝手遊び倒してるんですから、これくらいしないと帳尻が合いませんし」

 

 笑いを含ませる一郎に、クリス氏の静かな瞳が向けられる。そこには、しかし、ひそかな負の感情が見え隠れしていた。

 それも無理からぬことである。金髪碧眼の山田(・・)クリス。容姿も、控えめに言って端正である。明らかに、エルフの関係者であった。身内を悪く言われて良い気がするはずもない。

 

「いや、すいません。完成原稿召還(サモンザダークネス)というスキルの正体はこれだったんですね」

「……なるほど。話に聞くとおり、鈴木先生は山田先生と仲が良いのですね」

 

 楽しそうな一郎の姿に、クリス氏の険が和らぐ。

 ここだ、と一郎は思った。

 

「仲良くしてもらっています。おかげさまで、刺激的な毎日を楽しんでいます。実は、彼女に影響されて、僕もライトノベルを書こうと思い立ちまして」

「ほぅ。ライトノベルを」

 

 編集としての嗅覚が働いたのであろう。クリス氏の静かな瞳が、鋭く細められた。

 

「どこかに応募されたのですか」

「今まさに書いている最中ですが、A社のラノベ天下一武道会という賞にエントリーしまして」

「ああ、あの」

 

 一郎は、クリス氏の反応を待った。

 クリス氏の反応は、果たして、色良いものだった。

 

「先生の書かれるライトノベルでしたら、是非うちから出版したい。お話をいただければ、私が担当させていただきましょう」

「おお、それは嬉しいお話です。次の機会には、是非お世話になります」

「お話、お待ちしております」

 

 にこにこ笑顔の一郎と、涼やかな微笑のクリス。双方に、社交儀礼以上の含意があったように思われる。

 ――頃合いである。

 一郎は、さて、と言って席を立つ。

 

「今日はお邪魔しました。エルフ先生もお忙しいところ、急にすみません。実は、まぁこんなことじゃないかなと思って、差し入れだけお渡しするつもりで来たんです。お渡しください。それと、こちらは皆さんで召し上がってください」

「申し訳ありません。それでは、ありがたく……」

「山田先生には、また差し入れを持ってくるとお伝えください。きっと、これだけじゃあ足りないと催促するでしょうから」

 冗談めかしてほほ笑む一郎に、クリスはどう言ったものかと逡巡する。

 その隙に、一郎は軽く会釈して席を立っていた。

 つられて起立したクリスは、ドアノブを回して今にも出て行こうとする一郎を、とうとう呼び止めた。

 

「お待ちください」

 

 きた、と一郎は思った。

 振り返ると、クリスは丁寧に一礼する。

 その所作はやはり日本のそれである。

 にも関わらず、どういうわけか、それは西洋の王侯貴族を彷彿とさせる優雅なものだった。足のながい彼が腰をおると、かすかに傾いた上半身に、さらりと金髪が流れる。陽光が金糸ではねる様は、光のあふれる印象派の絵画のようだった。

 

「まずはお気遣いありがとうございます。お察しの通り、山田先生は切羽詰まった状況です。締め切りが迫っているというのに、間に合わないのを覚悟で遊びほうけていたので。だというのに、いまだ本腰を入れられていない。やれ気分転換が必要だの、心の燃料が足りないだのと言って。――渡りに船です。山田先生に会っていただきたい。着いてきてください」

 

 結局、一郎はエルフとの面会を許可された。

 それも無理からぬ話である。自分の監督不届きの結果、担当作家がワガママで呼び出した相手である。

 これが常識知らずの聞かん坊なら気持ちよく追い返せただろうが、丁寧に手みやげ持参で来たのだ。しかも編集部の分も携えて。

 のみならず、実績のある有名作家で、自社からのラノベ出版をにおわせている。もしそうなれば、話題沸騰である。

 これは通すより他ないと思うのも当然であった。

 

 エルフの仕事場は、ビルのもっとも奥まったところにあるらしい。道すがらすれ違う社員は、ひょっとしたらエルフの監視員を兼ねているのかもしれない。

 そう思ってしまうほどに、クリスはエルフの逃亡を危惧しているらしかった。

 

「失礼ですが、エルフ先生のご親戚でしょうか」

「兄です。と言っても、一緒に暮らしてはいませんが」

「へぇ。ご兄妹で担当と作家ですか。それは素敵ですね」

「とんでもない。ワガママな娘なので苦労しています。私が担当でなければ、編集の一人や二人は辞めていたかもしれない。少なくとも、今日ここに缶詰で仕事をさせることは不可能だったでしょう」

「エルフ先生はパワフルですもんね。とはいえ、そこがエルフ先生の素敵なトコだと思うんですけどね。すべてに全力だから、見ていて気持ちが良い。元気づけられる。なにより不器用だけど、善い人だと思いますよ」

 

 一郎があまりに楽しそうに笑うものだから、クリスの表情も和らぎ、ついには笑みがこぼれた。

 といっても、山田クリスという青年のそれは、かすかに頬がゆるみ、口の端をうすく持ち上げるだけの、慎ましいものだった。

 けれどもそれは、何を思っているのか読みづらいポーカーフェイスの、氷の美貌とでも形容される青年の、心からの笑みだった。妹を想う兄の、心からの笑みだった。

 

「どうやら鈴木先生は、妹に甘いようですね」

「一郎と呼んでください。――そりゃあ、甘くもなります。初対面なのに、彼女なりのやり方で心配してくれたし、発破もかけられた。そんなできた人はなかなかいない。おかげで、鈴木一郎という作家は、新しい挑戦ができる」

 

 一郎は思い出す。はじめて『豹頭譚』を書き始めたころの、あの熱い気持ちを。エルフへの感謝を。

 

「だから今日は、お礼です。今度は僕が発破をかける番かなって」

「なるほど。妹は良い友達を持ったようだ」

 

 などと微笑ましい気持ちで、二人はその扉を開いた。

 出迎えたのは、なにかを後ろ手に隠そうとする、話題の人物の姿だった。

 

「げっ、お兄様! な、なによ。ちゃんと仕事してたわよ。スマフォなんかいじってなかったわよ!」

「隠しても無駄だ。お前がスマートフォンを隠し持っていたことはバレバレだ。なにせ、一郎先生が連絡をもらったと証言してくださったからな」

「えっ、一郎?」

「やぁ、エルフさん」

 

 クリスの後ろから、ひょっこり一郎が顔を出す。

 エルフの顔が、ぱぁっと華やいだ。

 

「やっと来たのね! 待ってたわ。さぁ、ここから連れ出してちょうだい!」

「いや、そうは言ってもね」

 

 一郎は、横目でクリスを見やった。

 

「……」

 

 瞠目して腕組みをしている。

 見ざる、聞かざるということであろうか。

 けれども、わざわざ部屋のなか、ドアの前に立ち尽くす姿は「何があっても逃がしはせぬ」という意思を体現している。

 

「おねがい、おねがいですぅ。何でも言うこと聞いてあげるから」

「何でも……だと……」

 

 己の懸想する美少女にそのように言われて動揺しない男がいるだろうか。

 当然、一郎は動揺した。

 

「だが断る」

 

 したが、それとこれとは話が別だった。

 

「ちょっと、絶対に助けるって言ってくれたじゃないの!」

「ピンチならね。ピンチなのは原稿の方だったみたいだけど」

「見捨てないで、大ピンチなの! ほら、見なさいよこの部屋。ゲーム機どころか、テレビすらないのよ。ピアノだってもちろんないし、本もマンガも、オヤツも。このままじゃわたし、カピカピに干からびて死んじゃうわ! 心と体の栄養が尽きて、物言わぬただのしかばねになっちゃうわ!」

「大丈夫。ちゃんと秘密道具を持ってきた」

「えっ、ひょっとしてゲームかしら」

「虎屋のドラ焼きと羊羹。頭の栄養補給にもってこいだよ」

「和菓子じゃないかーい!」

 

 とつっこみながらも、早速いただくエルフである。

 

「なによ、どら焼きと羊羹って、おじさんくさいわね! 差し入れするなら、この荒みきった現代に舞い降りた最後の幻想・エルフちゃんにぴったりな、洒落乙でインスタ映えする洋菓子にしなさいよ」

「うんうん。やっぱりエルフさんは流石だね。おいしく食べてもらって、道中買ってきた甲斐があったよ」

 

 ストレス発散の代償行為なのか、それとも口に合ったのか、むさぼるように食べるエルフに、兄クリスの鉄拳指導が炸裂する。

 

「こら、まずはお礼を言わないか」

「あいたっ! もう、頭を殴るのはやめてよ、兄貴! エルフちゃんの天才頭脳からプロットがこぼれ落ちたりしたら、人類の損失なんだから!」

「こぼれる前に原稿に写せと言っている」

「鬼、鬼がいるわ。助けて一郎。鬼編集に殺されちゃう!」

「大丈夫、大丈夫。脳細胞がちょっと死滅したくらいで、人間は死にはしないらしいよ。ほら、映画なんかのゾンビだって、多少脳が損傷しても動いてるし」

「生々しい言い方はやめてくれない!? 情報ソースだってアテにならないし!」

 

 という挨拶が一段落するや、クリスが切り出した。

 

「さて、山田先生に面会だ。三十分だけ時間を取る。その間、しっかり一郎先生にお礼を言って、気力を充実させてください」

「まるで囚人ね……」

「原稿落とすのは犯罪ですから……」

 

 古傷が疼いたのであろうか。珍しく、青い顔をして一郎が唸る。

 

「ところで、エルフ先生の仕事は進んでるのかな」

「まだね。わたしのスキルの発動条件は厳しいの。ひとつ、締め切り日を過ぎていること。ひとつ、魔力が充実していること。前者はともかく、後者はこんな環境じゃあとても補充できないわ」

「なるほど。魔力ってのはそういうことか」

「おかげで暇よ、暇!」

「相変わらずエルフさんはエルフさんだなぁ」

 

 担当編集を前にしての、この言い草には、さすがの一郎も苦笑を禁じ得なかった。

 

「暇なら、ちょっと見てくれないかな、師匠。ラノベ天下一武道会に応募する原稿を書き始めたんだ」

「よかろう、弟子よ。あれだけダメダメだったバカ弟子の成長っぷりを見てあげましょう」

「是非に、師匠」

 

 ボディバッグから執筆道具(ポメラ)を取り出す。

 開いて三秒もすれば、一郎が打ち込んできた原稿が画面に現れた。

 

「へぇ、便利なものね。軽いし、起動も早いから、出かけ先でも気楽に小説書いたり、メモ取ったりできるわね。ノートPCじゃこうはいかないわ」

「つまり、在宅作家のエルフさんには必要ないってことだね」

「わたしには、仕事にゲームにアニメにと、生活の全てをサポートしてくれるマックブックがあるからね」

 

 というじゃれ合いもそこそこに、エルフは原稿を読み始める。

 

「な、ななな――」

 

 やがて、エルフの桜色の唇からは、驚愕の声が漏れた。

 

「なにこれ、無茶苦茶よ! あんたってバカなの? こんなのを本当に応募しようとしてるの!?」

 

 一郎は、にやりと笑って答える。

 

本気(マジ)真剣(マジ)だ。この調子で最後の最後まで好き勝手に書ききって、そのまま出版してもらう」

 

 エルフは、狂人を見るような目で、一郎を見やった。

 

「無茶よ! そんなこと、本当にできると思ってるの」

「思ってるよ。やってみせる」

 

 エルフは瞠目した。それくらい、一郎の書いた小説は無茶苦茶で、言ってることは馬鹿馬鹿しかったのだ。

 だが、どういうわけか、一郎は自信満々に言い切った。まっすぐにエルフを見据えて、宣言する。

 

「僕は好きなように好きな作品を書いて、それを本にしてもらう。そして、ラノベ作家として正面から山田エルフに戦いを挑む」

 

 それが、エルフにはこの上なく面白く、好ましく思えた。

 

「くふふふ! あんたってバカね、とんだバカ弟子だわ! イチローってば、もっと飄々としてつまんないヤツって思ってたけど、なかなか熱くていいじゃない」

「そうだよ。エルフさんだって知ってるでしょう。本当に好きなことには、僕は全力で挑むんだ。だから今回は、全力中の全力だ」

「――っ」

 

 エルフの顔が桜色に染まる。

 一郎のまっすぐな視線が、言葉が、あの日のことを喚起させたのだ。

 

「エルフさん、勝負だ。僕は全力で君に挑む。君も全力で応えて欲しい」

「――最高ね。弟子からのライバル宣言。燃えるシチュエーションだわ。イチローも分かってきたじゃない。いいわ、かかってきなさい。何度でも、けちょんけちょんに返り討ちにしてやるんだから!」

 

 

 ***

 

 

 それから自宅に帰った一郎は、PCの画面に向かっていた。

 

『――この度はご丁寧にお土産までありがとうございます。編集部一同、大変喜んでおります。おかげさまを持ちまして、山田先生も発奮し、仕事はすごぶる順調です――』

 

 フルドライブ文庫の編集、山田クリスからのメールである。

 その文末には、こうあった。

 

『いつでも出版のお話をお待ちしております』

 

 どうやら、本当に社交辞令以上の言葉であったらしい。望外の幸運に、一郎はほくそ笑む。

 

「やっぱりエルフさんは天使かな。いや、さしずめ幸運の女神か」

 

 そんなときである、一郎のスマートフォンが着信を報せたのは。

 果たしてそれは、もう一人のライバルからの音声通話であった。

 

『あの、一郎先生?』

「マサムネ先生か。お久しぶり。エルフさんから聞いたんだけど、先生もラノベ天下一武道会にエントリーしたんだってね」

『そうなんだよ!』

 

 マサムネは語る。

 人気作家・千寿ムラマサに出版枠を奪われ、ラノベ天下一武道会に応募する運びとなったこと。その千寿ムラマサもまた同コンペに参加を表明。のみならず、ムラマサから愛の告白を受け、作家人生をかけてラノベ対決をすることになったこと。

 一郎がラノベ作家としての第一歩を踏み出そうとしているまさにそのとき、マサムネにもまた、大きなドラマがあったようである。

 

「そんなラブコメみたいなことって、本当にあるんだね。小説より奇なりとはよく言ったもんだ。いっそ、マサムネ先生を主人公にしたラブコメ書いちゃえばいいんじゃないかな。すんなりアニメ化しそうだ」

『笑えない冗談はよしてくれ。俺のヒロインは妹だけで十分だよ』

「あ、うん。それは笑えないね……」

 

 この、あまりに自然で不自然な妹ラヴ宣言には、流石の一郎も顔がひきつった。

 と同時に、エルフさんも報われないな、と思う。

 それは、自分にとって都合が良いはずだ。早々に想い人がフラれてしまえば、自分のつけいる隙もできよう。

 けれども、一郎はエルフのことを大切にしたかった。初対面の相手すら気遣える優しい少女を、大切にしたかった。不利な戦いと分かっていながら真っ正面から挑んでいく、どこまでもまっすぐで不器用な少女の、そんな在り方を尊重したかった。

 きっと、エルフの想いはマサムネには届かない。だから、それまで待とう。エルフが納得して、次の一歩を踏み出すまでは、陰に日向に支えよう。

 それがいつになるかは分からない。けれども、そうして愛しい人のことを想って過ごす日々もまた、最高に楽しいのだ。

 

(それに、ただ指を咥えて見ているってわけでもないし)

 

 進んでエルフの恋路を邪魔するわけではないが、少しは自分のことも見てもらいたい。その結果、納得した上で自分を選んでくれれば万々歳だ。

 

『一郎先生には申し訳ない。先生が先にエントリーしてたのに、俺もしちまって。それどころか、俺のせいでムラマサ先輩も参加することになっちゃったし』

「そんなの気にする必要はない。前にも言ったじゃないか。先達を追いかけ、追すがってくる新しい才能と戦っていくのがこの仕事だって。いまさら、誰が出てこようが関係ない。僕は、自分の作品を書くだけだよ」

『そう、だよな……。ああ、そうだ! 俺は一郎先生やムラマサが相手でも、負けるわけにはいかないんだ。いや、俺は一郎先生にも勝ってみせるぜ!』

 

 などと気炎をあげるマサムネが面白くて、一郎は思わず笑ってしまった。

 

『えっ、俺、何か変なこと言った?』

「ごめん、ごめん。いや、こうして友達と正面切って競い合うのも楽しいなって思ったんだ。エルフさんの気持ちも分かるな」

『あいつ、こういう勝負ごと好きそうだもんな』

「勝負といえば。今回のラノベ天下一武道会、マサムネ先生はどんな作品で応募するのかな」

『よく聞いてくれた、一郎先生! 俺が今回書くのは、最高に可愛い妹の小説だ!』

「えっ。ひょっとして、君の妹の私生活を赤裸々につづっちゃったのかい。それはちょっと……」

『そんなわけねーだろ!』

 

 聞けば、今回マサムネが書くのは、義妹がヒロインのラブコメで、一応はフィクションらしい。

 一応というのは、絶対に彼の妹がモデルになっているに違いなく、となれば、百パーセント創作(フィクション)であるとは言い切れないからだ。

 あふれる妹愛を作品へと昇華させたのだろう。少女への愛を文学へと昇華させた偉大な変態、ナボコフ大先生を彷彿とさせる。

 そういう変態の書く作品は、めっぽう面白い。三島由紀夫しかり。ルイス・キャロルしかり。

 

「それは傑作の予感がするね。でも僕だって負ける気はないよ。僕は僕なりに、僕の好きをめいっぱいつぎ込んだんだから」

『ああ。俺も一郎先生の作品を読むのを楽しみにしてる』

 

 お互いベストを尽くそう――

 そんな話をして、電話を切った。

 端末を置くと、大きな瞳をとりこぼさんばかりに見開いた幼馴染みの姿があった。

 

「え、うそ。あの一郎くんが声をあげて笑ってる!?」

「あれ、まだ居たのか、めぐみ」

 

 そのようなやりとりをしながら、和泉マサムネ、山田エルフ、鈴木一郎の三人の作家は、それぞれの作品を書いて日々を過ごした。

 ときに会い、ときにメールや電話で励まし合い、茶化し合い、何でもないようなやりとりを交えて、その日を迎えた。

 ――ラノベ天下一武道会の結果発表日である。

 




11,326文字

したたかに外堀から埋めていくスタイル。前世の人生経験を生かした城攻めです。

 自分なりに面白いものを書いているつもりで、漫画ネタや小説ネタ、掛け合いを書いています。
 ですが、当然他人様とは感性も好みも異なるので、スベっていないかいつも不安でいます。
 なにより、文章についてご意見いただけると何より嬉しく思います。
 あれが良かった、これはお寒い。この表現が良かった、ここは分かりにくいなど気楽にご感想いただけると助かりますが、感想書く方も面倒臭いよなぁと思う次第。
 アンケート機能があれば、気楽にご感想いただけるのでしょうか。


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6.正体

 ***

 

 

 和泉家のリビングには、三人の作家が雁首をそろえて鎮座していた。

 三人の様子はまちまちである。

 高校生作家の和泉マサムネは、肩肘をはってノートパソコンの前に陣取っている。

 それもその筈で、彼は連載の終了を受け、作家としての生き残りをかけて『ラノベ天下一武道会』に臨んでいたのである。

 その隣でくつろいでいるのは、中学生作家の鈴木一郎である。

 彼もまた、ラノベ作家としてのデビューをかけて同コンペに応募していた筈である。それが、どういうわけか、悠長に茶などすすって宣うた。

 

「マサムネ先生、更新までまだ十分あるよ。ゆっくりお茶でもしばかないかい」

「でも、早くにページが更新されるかもしれないじゃないか。俺にとっては作家生命のかかった結果発表なんだ。とてもそんな気になれないよ」

 

 と胃を撫でるマサムネである。

 一郎にしても、その気持ちは分からないではない。

 三十年余りの作家人生の一番始め。作家としてデビューをかけた、最初の挑戦。その時はまさに、マサムネのように緊張に身を縮こまらせていたのである。

 

「やれることはなんでもやる。僕もそうやって作家デビューを果たした。マサムネ先生も、エルフさんに監修してもらって、何度も書き直して、全力を尽くした。――大丈夫だよ。自信を持っていい。マサムネ先生の作品が一番面白かった」

「一郎先生にそう言われると、なんだか安心してくるよ」

「なによ、わたしじゃ不安だっての」

 

 薄い唇をかわいくひん曲げて、ぷりぷり言う。

 妖精のような幼い美貌をフリフリの服で飾りあげた、まさに絵画のような出で立ちの、その少女は、中学生作家の山田エルフである。

 彼女は今回、マサムネの作品に数々の助言をしてきた。やれ展開が遅いだの、キャラのパンチが弱いだの、担当編集のようにマサムネを熱く厳しく監督してきた。のみならず、初めてライトノベルを書く一郎にも薫陶を授け、冗談半分、感謝半分で「師匠」と呼ばれるほどである。

 そんな彼女は、二人の一歩後ろに陣取り、ニヤニヤしながら二人の姿を見比べる。

 落ち着きのないマサムネを見てはうんうんと頷き、やけに落ち着いた一郎を見ては面白くなさそうに眉を寄せる。一生懸命に物事に打ちこみ一喜一憂する、魂の発露とでもいうべき姿を見るのが、彼女は好きなのだった。

 

「そういう一郎は、残念だったわね」

「お前ね、なんでそう余計な場面でド直球投げるかな。俺だって敢えて触れないでおいたのに」

「分からないわね、そういう日本的な気遣いって。そんな気持ちでいたんじゃ、お互い気持ち悪いじゃない。面倒くさいことはサクッと終わらせて、マサムネの勝利または敗北を楽しもうじゃないの」

「人様の人生のかかった勝負をおもちゃにするんじゃない! ったく、俺はともかく、一郎先生には謝れよ」

「大丈夫だよ、マサムネ先生。もう心の整理はついてるから」

 

 と穏やかに言われては、マサムネも二の句が継げない。

 にわかに立ちこめた気まずい沈黙を払ったのは、エルフだった。

 

「もうそろそろ時間なんじゃないのさっさと更新しなさいよ。ほらっ」

「こら、そんなに更新ボタン(F5)を連打するんじゃない。サーバが落ちちゃったらどうするんだ」

「そんなヤワなサーバ使ってる筈がないじゃない。F5連打ごときで落とせたら、世の中スーパーハカーだらけよ。どれだけ連射しても問題ないわ。ほら見て、十六連射よ、十六連射」

 

 何度目かのクリックで、画面が一新された。でかでかとした「準備中」の表示は消え去り、代わりに、待ちに待った結果が表示される。

 マサムネは身を乗り出す。

 

「……!」

 

 ぎし、とマウスのきしむ音がした。それは果たして、歓喜の声の代弁だった。

 ――第一位、和泉マサムネ。

 画面は、マサムネの勝利を告げていた。

 

「やっ――」

 

 我知らずほとばしりそうになる歓喜の声を、とっさにマサムネは飲み込んだ。しまったという顔で、一郎を見やる。

 一郎は、しかし、笑顔で頷いてみせる。

 

(喜んじゃっていいんですか)

(喜んじゃっていいんです)

 

 そんな目配せがあって、ようやく、マサムネは喜びの声をあげた。

 横目に見ていたエルフが、呆れまじりのため息をつく。

 

「日本人って面倒くさいわね。そんなので疲れないの?」

「そういうエルフさんだって、よっぽど気遣いの人だと思うけどね。行動は異文化だけど。ところで、マサムネ先生に勝負を挑んだっていうライバル先生はどうだったのかな」

「ああ、ムラマサ先輩だな」

 

 マサムネは画面をスクルールしていく。

 第一位、和泉マサムネ。

 第二位、獅童国光。

 そこからずっと下、ページの最下段に、その記載はあった。

 

「ムラマサ先輩、規定違反で失格だってさ。投票数の減点だとか、なんらかのペナルティはあると思ってたけど」

「ま、文字数オーバーじゃ仕方ないわね。それで優勝なんてした日には、他の作家に刺されても文句言えないし」

「へぇ、投票数は一番なんだ。僕はマサムネ先生の方が面白いと思うけど、そのムラマサ先生とやらも、惜しいことをしたね」

 

 投票数だけを見れば、千寿ムラマサこそが堂々の一位なのである。

 ただ、既定の文量を遙かにオーバーする超大作を送りつけるという横紙破りを堂々とやってのけた為、あえなく失格となった。

 その結果、僅差で二位に着けていたマサムネが、繰り上げ一位となったのである。

 

「何はともあれ、優勝おめでとう」

「ほら、喜びなさいよ。俺が一番だー、ムラマサのヒモにはならないぞ、ざまみろーって。なんだったら、勝負の報酬を今からでも変えて、裸で町内一周でもさせちゃいなさいよ」

 

 一郎はにこりと微笑み、エルフは物騒なことを言いながら、無遠慮にばしばし背中を叩く。二人とも、心からマサムネの一等賞を喜んでいる。

 だというのに、他ならぬ当の本人は、心ここにあらずと言った様子である。

 

「なによ、暗い顔して」

「いやさ。ムラマサ先輩はやっぱすげーなって」

 

 千寿ムラマサは投票数だけなら一位であった。それも、はじめて挑戦したであろうラブコメという分野で、である。

 

「ムラマサ先輩さ。ラブコメだなんてくだらないって、そう言ってたんだ。俺もラブコメなんてやめて、バトルものを書けって。それくらい、ラブコメを嫌ってた。それなのに、コレだからなぁ」

 

 腕を組み、難しい顔で画面を示す。

 

「俺だって、最高に面白い小説を書いたつもりだった。けど、ムラマサ先輩の小説だって、すっげぇ面白かった。だから思っちゃうんだ。本当に俺が一位でいいんだろうかって」

 

 マサムネの額には、暗雲が立ちこめているかのようである。

 

「バカね」

 

 エルフは一笑した。

 

「ムラマサのアホときたら、いったいどれだけ文字数オーバーしたと思ってるのよ。そんだけ書いていいなら、アンタだってもっと面白い話が書けたでしょ」

「それは……そうかもな。必ずしも長ければ面白くなるってわけじゃないけど、今の俺なら、面白いネタをもっと詰め込むことはできたと思う」

「でしょ? 片やマサムネはルールのなかで最高の小説を書いた。片やムラマサのバカはルールを無視して好きなだけ書いて、マサムネと僅差。だったら、ルールを守ったアンタの圧勝ってことでいいじゃない」

 

 それに、とエルフは続ける。

 

「小説ってのはね。読ませる相手を限定すればするほど、面白くなるのよ。ほら、パロディだってニッチであればあるほど、分かる人はニヤリとできるじゃない。その点、あんた程この作品を楽しめるヤツはいない筈よ。他のどの読者も、あんたほどは楽しめなかった筈だわ」

「う、それは、まぁ……」

 

 マサムネは頬を染め、落ち着きなく視線をさまよわせる。それだけ強烈な内容だったのだ。マサムネにとっては殊更に。

 件の小説の内容が、マサムネ本人に宛てたラブレターとなんら選ぶところがないことは、事情を知る者には一目瞭然であった。

 

「それじゃあダメなのよ。アイツの小説は、徹頭徹尾マサムネと自分の為だけの小説。マサムネの小説は、たくさんの読者の為の小説。その差が順位に出たってことよ」

「なるほど。プロとしての意識の差ってやつだね」

 

 一郎が頷く。

 二人の支持を得て、マサムネもようやく、この結果の正当性を認めることができたらしい。

 

「そっか、そうだよな。俺は、小説家を続けるために、たくさんの人に楽しんでもらえるような小説を書いて、たくさんの人に読んでもらうための賞に応募したんだもんな」

 

 今やすっかり、マサムネの額の陰りは晴れていた。

 それを満足そうに見やるエルフに、一郎は嘆息する。

 

「流石エルフさんだなぁ」

 

 かくも鮮やかに他者を元気づけ、しかも、それを喜ぶことのできる、太陽のような女性。それこそが、一郎が尊敬し愛する山田エルフという少女であった。

 当の本人は、そんな一郎の内心など露知らず、一郎を名指して叱りつけた。

 

「ちょっと、そこでしたり顔で頷いてるプロ失格作家。あんただって人のこと言えないんだからね!」

「そうだ、規定違反といえば、一郎先生もじゃないか。アンタ一体何をやらかしたんだよ! ムラマサ先輩だって、一応は掲載されて投票もできたんだぞ」

 

 マサムネは、PCの画面を指し示す。

 ――鈴木一郎先生の作品『ファンタジー・オブ・ザ・デッド』は、規定違反の為、掲載および投票することができません。

 画面の最下部、ムラマサ失格のお知らせのすぐ下に、その一文は仲良く並んでいたのである。

 

「投票期間中にHP見たときはびっくりしたぜ。なにせ、投票ボタンの代わりに、鈴木一郎先生には投票できませんって一文があったんだからな」

「そりゃそうだろうね。そもそも作品だって掲載されなかったんだし」

 

 一郎は肩をすくめてみせた。

 作品そのものが掲載されていないのだから、もちろん投票することも叶わない。

 事実上の不戦敗である。

 

「こいつ、元から読者に見せる気なんてなかったのよ。見なさいよ、ほら。規定なんて知ったこっちゃないって小説よ」

 

 一郎から執筆道具(ポメラ)を取り上げ、マサムネに見せる。薄い筐体を開くと、三秒もしないうちに原稿が現れた。

 

「お前、もう読んだの?」

「最初の方だけね。わたしが缶詰で死にそうな思いをしてるときに、わざわざお菓子を持って遊びに来てくれたのよ。わたしのことを見捨ててくれた誰かさんと違ってね」

「あれはお前が悪いんだろ。それに、あんな黒服連中に楯突こうなんて思うかよ。重要人物のSPか、そうでなけりゃマフィアかと思ったぜ」

 

 などとエルフの戯れ言を流しつ、マサムネは原稿を読みはじめる。

 いくらもしないうちに、

 

「う、わぁ」

 

 マサムネは呻き声をあげた。

 

「なんだ、これ、面白いぞ! 面白いけど、これはちょっと……うわ、うわっ、うへぇ!」

 

 口元を押さえても、次から次へと呻き声が指の間からあふれてくる。

 それくらい、一郎の小説は好き勝手していたのだ。

 

「一郎先生、よくこんなのラノベの賞に応募しようと思ったな。こんなの掲載できるわけないじゃないか」

「レーティング区分はR15かしら」

「R18って言われても俺は驚かないぞ。なんだよ、これ。ゾンビものの映画とかゲームとかマンガとかたくさんあるけど、こんなエグく”臭い”を表現してるのなんか初めて見たよ。どうしてそこを書こうと思ったのか……」

「常々、納得いかないと思ってたからね。”歩く死体”だっていうのに、腐敗についての表現が省かれすぎてるって。もっとリアリティのある作品を書きたいと思ったんだ」

 

 一郎は飄々と答えた。

 

「リアリティか。たしかに、雰囲気は凄いな。凄いけど、凄すぎるっていうか……」

 

 臭いだけではない。今にも腐りおちそうな肉が互いに絡み合い、ねちゃりと糸を引く様子。近くを通り過ぎるゾンビの吹かす風が、ふっと身体を撫でるときのうす気味悪さ。歩くたびにぬちゃりと耳にまとわりつく、粘着質な足音。

 それらを読めば、いったい亡者どもの身体がどのような状態になっているのか、思わず考えずにはいられなかった。

 マサムネは、背中を掻きむしった。いる筈のない蛆虫が幻痒をもたらしたのだ。

 

「う”ーん。今にも紙面から臭ってきそうなこの描写。どうやったらこんなの書けるのかしら。アンタの頭のなか、腐ってるんじゃないの?」

 

 鼻をつまみながらエルフが言うものだから、一郎は言い募る。

 

「念のために言っておくけど、僕は腐ってなんかいないし、部屋だって臭くないよ。こないだ来たときだって、綺麗にしてたでしょう。変なものもなかったし」

「それじゃあ、このいやにリアルな描写は一体どうやって書いたんだ。もしかして、何かコツが?」

 

 ずいとマサムネが身を寄せる。

 もし何の参考もなしに書いたのであれば、それは、類まれな才能の発露か、それとも卓越した技術によるものである。後者であるなら、その秘訣を教わりたいと思ったのだ。

 一郎の答えは、そのどちらでもなかった。

 

「腐らせた」

「へ?」

「実際に肉を腐らせて、何度も臭いをかいでは描写した。豚肉が人に近いらしいから、まずは豚肉を。それから描写の幅を広げるために、鶏肉に牛肉、羊に馬。おかげで、臭いでゾンビを書き分けるくらいになったよ」

「うわぁ……」

「それだけじゃない。腐った肉をトングでつかんで、地面の上をぺたぺた歩かせた。ぺたぺた、というよりも、もっとたくさんのパターンがあるって分かったよ。大収穫だね。それと、せっかくだから味も――」

「分かった、分かったから! もう黙ってくれ!」

「いやっ、近寄らないでっ。変態(キチガイ)よ、変態(キチガイ)だわ! ゾンビマニアの腐男子は近寄らないでくださぃー!」

 

 何が一郎をそうまでさせるのか――

 けだし執念であろう。一郎の黒曜石の瞳は、ふつふつと黒い炎を宿しているかのようだった。

 底冷えのする熱気にあてられてマサムネは飛び退いた。その後ろにエルフが身を隠し、顔だけ出して一郎を威嚇する。

 そうして、やれ「気持ち悪い」だの「悪趣味」だの「サイコパス」だのとさんざん罵倒を浴びせるエルフと、背中を掻きむしるマサムネであったが、いつの間にか一郎の作品に夢中になっていた。

 話の筋は、このようなものである。

 

 ――陸の孤島とでもいうべき、山奥に設けられた魔術学園都市。そこで突然巻き起こるゾンビパニック。

 腐臭と死臭のただようなか、ヒロインと部屋へと逃げ延び立て籠もる主人公は、やがて、危険を承知で生活物資を探しに学園都市を徘徊する。

 そんな生活が何日も続くうちに、とうとう生活物資も底をつき始め、ついには生き残りをかけた人間同士のバトルロワイアルの様相を呈することとなる。

 さらには、学園都市をかくのごとき魔界へと変貌せしめた、亡者の親玉、吸血鬼が現れて――

 

「なんというか、本当に好き勝手にやったわね」

 

 エルフは、熱いため息をこぼした。

 それは、醒めやらぬ興奮の余韻であった。あれだけ罵りを並び立てたにも関わらず、すっかり一郎の小説に夢中になって頁を送っていたのである。

 趣味の合成獣(キメラ)とでもいうべき怪作であった。

 濃厚なハイファンタジーの世界を舞台に、ゾンビあふれるパニックホラーが軽快に、燃えて萌えるラノベ調に展開される。かと思えば、ときには抑揚たっぷりの、おどろおどろしい和風ホラーを演出した。

 

「自分の趣味をこれでもかと突っ込んだ、まさに”好き”のごった煮ね。節操なしよ。バカの雑煮ね」

「おい、ちょっとは言葉を選べよな」

「本当のことじゃない。ストーリーだって、どっかで見た展開の寄せ集めで目新しさなんてないし、キャラだってわたしの子の方がずっと格好いいし可愛いわ」

「お前ね……」

 

 いっそ殴ってでも止めようかと思ったマサムネである。

 その心配は、しかし、杞憂となった。

 でも、とエルフが言葉を継いだのである。

 

「めっちゃ面白いのよね。雰囲気の作り方が抜群に巧いのよ」

 

 読者はまず、みずみずしい奇妙な果物や、登場人物のいっぷう変わった暮らしぶりに度肝を抜かれる。

 ひとびとは一日の無事を神に祈り、決して違えぬ約束を各々の神に誓い、夜のしじまに怯えては聖句を唱え、失敗の責任は悪魔に押しつけ、喧嘩相手は神ごと罵った。六つ足の動物にたとえて相手をからかい、ガラス細工のような可憐な花を引き合いに恋人を褒めちぎる。屋台ではよく分からぬ肉の串焼きを買い、恋人と仲良く分け合う。そのすぐ傍では、シチュー売りのおばばが声を張り上げて客を呼び込み、はす向かいでは客と店主が「まけろ」だの「びた一文まからぬ」だの言い争いをしている。

 気がつけば、この奇妙な世界で暮らす、人間くさいひとびとの、にぎにぎしい日々の営みを横目に旅をしている心地になっていた。

 

「ああ、すごいよな。ほんの数ページなのに、すっかりこの世界に引き込まれてるんだ」

「ヒロインも可愛いし、いいと思うわ。裸にならないのが難点だけれど」

「裸はさておき、ヒロインが可愛いのは確かだよな。だってのに、なんだよこの展開は!」

 

 この世界をもっと見たい。旅したい。

 そう思いはじめたころに、ゾンビパニックが巻き起こるのだ。

 

 亡者の醜悪な姿が、五感に訴えかける強烈な描写でもって、主人公と読者に襲いかかる。

 展開や演出そのものは、どこかで見た作品の焼き直しである。そのなかにあってさえ、闇夜をながれる箒星の尾のように、異世界の不思議、異文化の臭いはぼうっと妖しくつきまとった。

 ある者は頑なに信じた迷信とともに心中し、またある者は亡者の波に呑まれながら悪魔を呪った。神に誓ったとおり、最期を共にした恋人たちもいる。彼らは、今際の時まで、この世界の奇妙な在り方、不思議な魅力を読者に伝え続けたのである。

 

「豪商の倉庫にたて籠もって、魔法でゾンビをなぎ倒すわ。仲間と一緒にゾンビの群をなぎ倒して、馬車で逃げるわ。結局ヒロインはゾンビに殺されちゃうわ。やってることはB級ゾンビ映画なんだよなぁ。こんなに馬鹿馬鹿しいくせに生々しくってしっかりファンタジーしてるんだから、脱帽だよ」

「力業よね。それも、綺麗な力業。そっくりだわ。我が目を疑うくらいに」

「そっくりって?」

 

 圧倒的な筆力で以て、パニックホラーをハイファンタジーに落とし込む技量は圧巻の一言につきる。喩えるなら、エレキギターでマイルドなフォークソングを演奏するようなものである。誰にでもできることではない。

 その数少ない一例をエルフは知っていた。

 

「そっくりなのよ。『豹頭譚』の第一巻にね」

 

 エルフは、神妙な面持ちで言葉を継いだ。

 雰囲気を作り出す。それはまさしく、粟本芳の最初にして最大の武器であり、今となっては生涯をかけて磨き上げた、己が技術の集大成である。

 『豹頭譚』の冒頭部では、短くない描写を必要としたそれは、今作ではもっと短く端的になっている。そのくせ、与える印象はより鮮烈なのだ。

 

「イチローの――鈴木一郎の書いた最新刊も読んで、思ったんだけどね。我が<神眼>によれば、これは粟本芳そのものよ。あるいは進化した粟本芳とでも言うべきかしら。おかしなことだけどね」

 

 エルフは、まるで初めて鈴木一郎という作家を見たかような顔をした。あるいは、幽霊を目にしたような、とでも言えたかもしれない。

 この大変洞察力に優れた山田エルフという作家は、文章から書き手の本質を見抜くことができた。

 彼女の目には、鈴木一郎という同い年の中学生作家が、かのベテラン作家の亡霊のように映ったのである。

 一方で、マサムネの感想は単純なものだった。

 

「へぇ、すごいじゃんか、一郎先生。エルフの人を見る目っていうか、小説を見る目は確かだぜ。俺のラノベもいろいろ見抜かれちゃったし、今回これだけおもしろい作品にできたのだって、七割は妹のおかげだとしても、残りはエルフのおかげみたいなもんなんだ。そんなエルフが、一郎先生こそが粟本先生の後継にふさわしいって太鼓判を押してくれてるんだぜ!」

 

「そういうのとも違うんだけど。うーん、でも、そんなラノベみたいなコトがある筈ないし。そういうことになるのかしら?」

 

 エルフにしては珍しく、口ごもる。こっそり一郎を窺って、ぎょっと目を剥いた。

 一郎が、感極まったように笑っていたのである。嬉しそうで、悲しそうでいて、切なくもある、制御不能の感情の嵐が渦巻いていた。

 

「――ありがとう」

 

 一郎は天にも登る思いだった。

 彼は、鈴木一郎として生を受けた以上、鈴木一郎として新たな人生を歩かねばと思っている。なればこそ、新しいことにすすんで挑戦し、ラノベ作家として立とうとしている。

 けれども、一作家・粟本芳としてのプライドも捨ててはいない。己が半身ともいえる『豹頭譚』を真に描くことができるのは、自分をおいて他にいない。自分が書いた『豹頭譚』は偽物などではない。そのことを、作品で分からせなければならない――

 文章の一句一言に込められた密かな主張を、エルフは過たず読み解いてみせたのだ。

 

「ありがとう、エルフさん。そう言ってもらえて、うれしい。僕を見つけてくれて、うれしい」

 

 エルフは鼻白んだ。これではまるで、本当にそう(・・)ではないか。

 そんな二人のやりとりが、マサムネには理解できぬ。

 けれども、一郎の気持ちはよく分かった。一郎にしては珍しい、というよりはじめて目にする心からの笑顔は、はじけるような喜びを雄弁に物語っていたのだ。

 

「なんだかよく分からないけど、一郎先生も楽しんだんだな。最高の仕事をやりきったぜって顔してる」

「ああ、力一杯楽しんだんだ。あんまり楽しくて、ちょっとばかしやり過ぎたかもしれないけどね」

「分かるよ。あんまり夢中になって、知り合いの裸婦像を勝手に描いたり、女の子のパンツを下ろしちゃうようなノリだろ。エロマンガ先生を思い出すぜ」

「流石、マサムネ先生は相棒も凄いね。はは……」

 

 実妹への愛を叫んでやまない作家と、名前通りの変態絵師。類は友を呼ぶとはこのことかと一郎は驚愕することしきりである。

 

「けど、いつまでも笑ってられないぞ。確かにおもしろいラノベだけど、結果は規定違反で選考外。一郎先生、これからラノベはどうすんのさ」

「もちろん挑戦するけど、うーん、大丈夫だと思うんだよなぁ。あの出版社だし」

「へ?」

「僕なりに努力はしているってことだよ。最大限の努力をね」

 

 神妙に尋ねるマサムネに、一郎は飄々と答える。

 そんな一郎を、エルフは茫然と見やるのだった。

 

 こうして闇に沈んだはずの、一郎の作品の刊行が決まったのは、その数日後のことである。

 

 

 

 

====山田エルフ先生の<神眼(ゴッドアイ)>解析====

 

<執筆能力>

キャラ:C

ストーリー:C

設定:B

文章力:A

得意ジャンル:ハイファンタジー

[A:超スゴイ][B:スゴイ][C:ふつう][D:ニガテ][E:超ニガテ]

 

<スキル>

超速筆(スピードスター)Lv.6:A級スキル。高速で小説を書く。二か月に一冊(十八万字)のペースで刊行することができる。

百の文体(ハンドレッド・ウェポンズ):A級スキル。そのジャンルにおいて最大限評価される最良の文体で執筆することができる。圧倒的な読書量と経験の賜物。

尻上り(アクセラレーター):B級スキル。連続して執筆すればする程調子が上向く。

作家の妄執(サクリファイス):C級スキル。より良い作品を書く為に、我が身を犠牲に捧げて神の加護を得る。C級では、自ら進んで腐肉に囲まれた生活をすることができる程度。

 

<Memo>

ラノベ参入を狙ってるハイファンタジー作家よ。

どこかで見たことある展開だし、設定もいい加減で、キャラも特別魅力的ってわけじゃないんだけど、雰囲気をつくるのがすごく上手いのよねぇ。気が付いたら夢中になって読んでるの。

あんな平凡な素材でこんな面白い小説書いちゃうんだから、残念な天才よ。

普段はにこにこしてるけど、小説書くときはニヤニヤしてるわ。文章も、楽しみながら書いてるのが読んでるこっちに伝わってくる素敵な文章ね。

 

当たり障りのないことばっかり言う胡散臭いヤツかと思ったけど、最近はなかなか熱くていいじゃない。ラノベでわたしに挑んでこようだなんて、なかなか面白いわ。

初めて話をした日のうちに粉かけてくる軟派なヤツかと思ったけど、ちょっとは骨があるみたいねっ。

 

 




9,682文字

「ぼくのかんがえたさいきょうのらのべ」を披露するオリ主SUGEEE回でした。しかも設定集付き。

次回、エルフちゃんと花火大会に行きます。


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7.縁日

今週は平日に書き進めることができたので、早めに投稿することができました。


 ***

 

 

 鈴木一郎の一日はめまぐるしい。

 起き抜けに家事をこなすと、小説を書いて登校する。昼間は学校で過ごし、放課後はそのまま帰宅することもあれば、ふらりと部活に顔を出すこともある。帰宅すればすぐさま小説を書くし、そもそも学校にあってさえ、授業もHRもお構いなしに小説を書いている。彼の一日は、大半が小説を書くことに費やされているのだ。

 もっとも最近は、学校が終わるや否や、まっすぐ山田エルフの起居するクリスタルパレスか、そのお隣のマサムネ宅へと足を運んでいる。そこで、二人と楽しい時を過ごすのだ。

 一郎にとって、彼らは数少ない作家友達であり、気の置けない友人であった。二人の新鋭作家との話は刺激的であったし、二人の友人とのやりとりは、エルフとの色恋沙汰を抜きにしても、非常に心地の良いものであったのだ。

 となれば、ますます彼らの許へ入り浸るのも当然のことで、作家業に充てる時間が減ってしまうのは必然だった。

 それが許せる一郎ではない。というより落ち着かない。前世では「何か書いてないと死んじゃう病」と渾名された男である。

 睡眠時間を減らし、学校の授業時間を執筆時間に充て、ますます精力的に取り組んだ。当然、幼なじみの相手もおざなりになる。

 

「――ってことがあったんだよー」

「へぇ」

「それってヒドイと思わないっ?」

「そうだねぇ」

「……」

 

 執筆道具(ポメラ)から顔も上げずに生返事の一郎である。

 神野めぐみは、ぷくりと頬を膨らませて、かと思えば、にやりと悪戯に囁いた。

 

「ねぇ。結婚しようよ、一郎くん」

「だが断る」

 

 一郎の返事は素早かった。

 

「もうっ、さっきから生返事ばっかりなのに、こんなときだけヒドイよっ!」

「生返事は悪かったよ。でも、勘弁してほしい。仕事で忙しいんだ」

 

 ご覧の通りとばかりに、イスに腰掛けキーボードをタイプする格好をとる。

 

「みたいですねー。ご飯も、外食か出来合いのものばっかりみたいだしー」

「台所までチェックして、君は僕の母親か」

「ちがいますよー。そこは、お・く・さ・んって言うところでしょう?」

 

 ずいと顔を寄せあざとく小首を傾いでみせれば、さらりと流れる髪が甘い匂いをふりまいた。

 一郎は呆れ顔になる。

 なにせ鼻を拭ってやったこともあれば、おもらしの後始末を手伝ってやったこともあるのだ。

 親にとって子供がいつまでも子供であるように、神野めぐみという幼なじみは、いつまで経っても「姪っ子」のような存在であった。

 そんな姪っ子のことを、一郎はよく理解している。

 

「君がここまで構ってくるのも珍しい。何か用があるのかな」

 

 多少独善的なるきらいがあるとはいえ、めぐみは気遣いのできる、友達思いの優しい娘である。大した用事もないのに、人の邪魔をしたりはしない。

 果たして一郎の仕事を妨げるに足ると信じる用事が、彼女にはあった。

 

「うんっ。実はね、こんなのがあってねっ」

 

 ぱあっと笑顔で取り出したのは、一枚のちらしである。

 

「あたしと一緒に花火大会、行きませんか」

「ああ、もうそんな時期かぁ。もちろんいいよ。それっていつから?」

「今からっ!」

「また急な話だね」

「だってー、一郎くんってば、最近忙しそうにしてるから。たまにはぱーっと遊ばないとねっ!」

「お気遣いありがとう。でも、遊んだ結果、忙しくなってるんだよなぁ」

 

 などと口内でもごもご転がしながら、机上を整理しはじめる。

 ただでさえ一郎はこの姪っ子のような幼なじみに甘い。その上、一郎を気遣っての提案である。断れる筈もなかった。

 

「さて、家を出るか」

 

 という段に差し掛かった時である。

 

 ピンポン――

 

 と呼び鈴が鳴る。

 一郎が玄関に向かうよりも早く、ドンタンと扉をたたく音。

 

「ちょっと、鈴木先生はいらっしゃいますか? いるんでしょ、ねぇ!」

 

 すわ何事かと、一郎とめぐみは顔を見合わせた。

 若い女の声である。

 といって、一郎やめぐみのような中学生(こども)のそれとも異なる、もっと大人の声。

 そのような年頃の、しかも狂ったように扉を殴りつける女性に知り合いなどいない。

 一郎は、訝しげに誰何する。

 

「どちら様ですか。僕は鈴木一郎ですが、どなたかとお間違えではありませんか」

「私ですっ。A社の神楽坂ですよっ!」

「ああ。『天下一ラノベ武道会』ではお世話になりました。で、今日は何用ですか――っ!」

 

 思わず息を呑む。

 扉を開ければ、山姥がいた。

 スーツは乱れ、綺麗にととのえていたであろう御髪を振り乱し、鬼気迫る表情で慟哭する姿は、妖怪のそれである。

 おおきく傾いで巨大な円盤となった太陽が、神楽坂あやめの顔に深い陰を落とす。

 

「聞きましたよ。フルドライブ文庫から打診があったそうですね。どうか、ウチから出版するよう考え直してもらえませんか!」

 

 暗闇と化した陰から響いてくるその声は、地獄の底に落ちつつある罪人が、必死に蜘蛛の糸にすがりつこうとしているかのようである。

 一郎は察した。

 

(あ。これは、上司にいろいろ言われたみたいだな)

 

 

 ***

 

 

 時は件のコンペ受付期間中まで遡る。

 原稿をメールで送ってからいくらも経たぬうちに、編集者から電話があった。

 

『ちょっと、鈴木先生。いくらなんでもこれは掲載できませんよ。やり過ぎですよ、やり過ぎ!』

 

 その神楽坂あやめという編集者は、単刀直入に切り出した。

 一郎はあっけらかんと答える。

 

「うーん。やっぱり掲載は無理ですかね。でも、僕はこれで出したいんですよ」

『つまり、修正して再提出するつもりは……』

「ありませんねぇ」

『もうちょっと、ちょろーっとだけマイルドに抑えてくれませんか。そしたら、なんとか上にかけあって掲載できると思うんですけど』

「結構です」

 

 一郎は穏やかに、けれどもぴしゃりと言い放つ。

 

「作品をより良くする為なら、何度だって喜んで書き直します。けれど、ここが一番のこだわりなので、この作品のテーマなので、どうかこのまま掲載させていただけませんか」

『でも、それだと掲載は難しいですよ』

 

 何度説得しても、一郎は頑なだった。

 これは脈無しと見たのか、神楽坂の対応はそっけないものとなる。

 

『はぁ。分かりました。一応は受け取りますけど。ひょっとしたら、規定違反ということで、原稿をお返しするかもしれません――ああ、先生はデータ投稿でしたから、お返しする物はありませんけど――とにかく、そのときは、原稿代も出ないということになります』

 

 ひょっとしたらとは言うものの、その実、落選は確実であると神楽坂は見ていた。そして、それで構わないとも。

 掲載できずとも、名の売れた作家であるから、集客効果の程は間違いない。読者から文句も出るだろうが、この頭の固い作家にラノベは難しかったということで納めてもらう他ない。

 幸い、本命の作家は他にいる。スランプの最中にありながら快復の兆しを見せはじめた、大型新人の千寿ムラマサ。一皮剥けた若き新鋭、和泉マサムネ。

 彼らこそが未来のラノベ業界を担う才能であり、自社の未来を拓くうちでの小槌であると、神楽坂は確信している。

 一方、この畑違いの作家先生は、そもそも別の大型連載を抱えている。遊び半分でいい加減な仕事をされかねない。故に、お引き取り願うのだ。

 

「もし掲載されなかったら、そのときは、他社さんへ持ち込んでもよろしいでしょうか」

『うーん。一応、後で上に確認を取ってみますが――』

 

 電話の向こうで、わずかばかりの間。

 編集部のなかで、ひそかな合意があったのだろう。神楽坂は、はっきりとした口調で言葉を継いだ。

 

『問題はないと思いますよ。そもそもその場合、原稿を”お返し”しているわけですし』

「そうですか。我が儘ばかりで申し訳ありません。どうか、掲載していただければ幸甚です」

 

 というやり取りが、かつてあったのだ。

 

 そして現在。

 一郎と神楽坂、そして何故か一郎に連れてこられためぐみの三人は、近所の喫茶店で相対していた。

 

「先生、困ります。ウチに原稿を送ってくださったワケですし、当社のHPにもお名前は載せてしまいました」

 

 スーツをぴしりと着こなし、乱れた御髪をなでつけた、一部の隙もない出で立ち。うすく白粉をはたいて、ひたと背を伸ばして臨戦態勢である。

 澄まし顔から流暢に流れるその台詞に副音声をつけるなら、このようになるだろう。

 ――応募してきたんだから、ウチで出すのが筋だろがオラ。

 

「僕も残念に思っています。結局、原稿は規約違反ということで”受け取って”いただけなかったのですから」

 

 ――受け取り拒否したじゃねぇか。忘れたとは言わせねぇぞコラ。

 

「おほほほ」

「はははは」

 

 ひきつった笑みをぶつけ合う二人の間に、紫電が散る。

 どこかのマンガで言っていた。笑顔とは、本来攻撃的な表情であると。

 なるほど。であるならば、花咲くような幼い笑みから、残酷非道のめぐみ爆弾が投下されたのも、納得のいく話である。

 

「それってつまりぃ、原稿を突き返してお金も払ってないのに、余所で出版したらダメって言ってるってことですかー?」

「うっ」

 

 神楽坂が胸を押さえて呻いた。

 パリッとのりの利いたスーツに寄った皺は、苦悶の表情の代弁者である。

 

「そう言えばぁ、別の出版社さんから出しても良いよって許可をもらったんだって、一郎くん言ってたけどー、それって一郎くんの勘違いだったんですかー?」

「ううっ」

 

 急所を付かれた神楽坂は、身を折って縮こまる。

 彼女とて、これが前言を反故にする身勝手な物言いだと分かっている。分かってはいるが、引っ込めることができない。げに悲しきは雇われの立場の弱さである。

 それは、しかし、めぐみの預かり知るところではない。

 ここぞとばかりにめぐみは畳みかける。

 めぐみは止めない。止まらない。

 

「あたしぃ、中学生(こども)だから難しい話は分からないんですけどー、結局一郎くんはフルドライブさんでお仕事できるんですかー?」

「でき、ます……」

「え、なにか言いましたかー? ちょっと聞こえなかったっていうかー」

 

 ついには神楽坂は折れた。心が折れた。

 はじめは力なくうなだれ、やがて、だんだんと大きな声で、

 

「できます! 鈴木先生は、ウチから出版していただかなくって結構ですぅー!」

 

 と叫ぶなり、バッグを掴んで飛び出した。

 

「あっ、お会計忘れてますよー」

「めぐみさん、もうそのあたりで……」

 

 一郎は、めぐみを宥めながら、伝票を回収する。

その場に残された伝票は、いわば勝利の証であった。

 

「むー。もうこんな時間じゃないですか。今からお祭り行っても、良い場所なんて取られてるし、花火は楽しめないじゃないっ」

 

 もうすっかり陽も暮れてしまった。

 会場は、黒山の人だかりで埋め尽くされていることだろう。

 花火など、前世で飽きるほど見てきた一郎である。いまさら行ってみたところで、新鮮さも感動もあったものではない。

 にも関わらず、いざ機会を逃してみると惜しいことをしたような心地になるのが、人の情というものである。

 

「それは残念だな……。晩ご飯もまだだったから、お腹も空いてきたのに」

 

 めぐみも同様である。

 一郎の為とは言うものの、彼女もこのイベントを楽しみにしていた。

 その思いを、しかし、めぐみは冗談めかして飲み込んでみせた。

 

「んー。仕方ないなぁ。優しいめぐみ様は、ここで勘弁してあげます。その代わり、力一杯食べるからねっ。パフェにクレープにケーキにアイスに……」

 

 そんな心優しい幼馴染みに、万感の感謝を込めて、一郎は言った。

 

「ありがとう」

 

 にぱっと、めぐみは笑顔を咲かせる。

 

「どういたしましてっ!」

 

 

 ***

 

 

 かくして、祭りへの参加を逃した一郎である。

 しかし、日の本の祭りは一度だけではない。地域の数だけ祭りがあると言っても過言ではないのだ。

 一郎は、祭りへと繰り出していた。

 浴衣姿のエルフを伴って。

 

「どうかしら?」

 

 頬に手を添えかるく首を傾げ、しなをつくってみせる。

 口さがない連中は、中二病だとか勘違いしているだとか騒ぎ立てるであろうポーズである。一流のモデルを以てしても、ぶりっこだのといった、やっかみ混じりの悪口は避けられまい。

 そうした悪口を、エルフは封殺する。

 可憐であどけない妖精のような少女が、浴衣を着るのがうれしくて楽しくて仕方ないのだといわんばかりに、まっすぐな笑顔をふりまく。西洋人形のような美しい少女の、そんな無邪気な笑みを見せつけられては、どんな性根の曲がった者であっても、口をつぐんでしまうに違いない。

 

「流石、エルフさん。どんなポーズを取っても似合うなぁ」

「そうじゃなくって、この浴衣のことを言ってるのよ! どうかしら。アニメ化資本によって精錬された、このオーダーメイドの浴衣(フルアーマー)は。この究極美少女生命体のエルフ様の着こなしは」

「ごめんごめん。見惚れて、頓珍漢なことを言っちゃったよ。もちろん、浴衣もすごく似合ってる。すごく新鮮なのに、いつもピンクの服を着てるエルフさんだからかな。ピンクの生地もしっくりくるし、柄も可愛いらしい。巾着風のバッグもお洒落だ。うん。本当に、可愛いよ」

「で、でしょうっ。エルフちゃんは何を着ても似合うのよっ!」

 

 ふんぞり返るエルフであったが、白磁の頬はほんのり赤い。一を尋ねて十返してくる一郎の讃辞にたじたじである。

 自ら美少女と称してはばからない、自信たっぷりのエルフであるが、学校にも行かず勝手気ままにインドアで過ごす生活の弊害で、対人経験が少ない。その為、攻められると弱かった。

 そうした初心なところが可愛くて、一郎はついついエルフをからかってしまうのだ。

 性質の悪いことに、それらは全ておべっかでもなんでもない、本心からの言葉だ。それが分かるからこそ、エルフも対処に困るのである。

 だが、困らせるのは一郎の本意ではない。

 

「マサムネ先生、遅いね」

 

 一郎は、しごくあっさりと話題を転じた。

 

「そうよ、それなんだけどね! 実はマサムネのやつ、連絡が取れないのよ。今日花火大会に行くから、時間厳守で集合よってメールしといたんだけど」

 

 エルフは事情を説明する。メールメッセージを送っても、電話をかけても、梨の礫であると。

 

「なるほど。あの結果発表の翌日から、ずっと連絡が取れないのか。三人で花火大会に行くわよなんて言うもんだから、僕はてっきり――」

 

 一郎を遮って、

 

「ねぇ、わたしだけ無視されてるってわけじゃないわよね!」

 

 エルフの必死な声。

 不安が形をそなえたかのような、それは、悲痛な声だった。

 瞳は一郎を捉えていない。一郎という人型に、自らを安心させる台詞を催促しているに過ぎない。

 

「――大丈夫、僕もだよ。実はあの日の夜、連絡を取り合ってね。連載が決まったから、出版社で缶詰することになったとの話だったよ」

 

 穏やかな一郎の答え。

 

「なによ、そういうことなのね」

 

 エルフは、ほっと安堵の息をつく。

 そして、ようやく一郎の顔を見た。

 

「あ――」

 

 微笑みである。哀れを誘う微笑みである。雨に濡れた野良犬のように、哀れを誘った。

 視線が絡む。

 一郎の瞳に滲む孤独が、胸にきゅっと絡みつくような心地がして、エルフはあわてて目をそらした。

 

「ま、まぁそんなことだと思ったわ。まったく、マサムネのやつったら。気が利かないんだからっ」

「作家生命がかかっていたからね。いや、今が一番気が抜けない状況かな。身の入れようも一入になろうってもんだよ」

 

 エルフは横目に一郎を窺う。

 そこにいたのは、もう、いつもの飄々とした一郎であった。

 どういうわけか、それがたまらなくもどかしくて、エルフは必死に努めていつもの調子で言葉を継いだ。

 

「そ、そういうイチローも、例のラノベの刊行が決まったんですってね。しかもウチで!」

「お世話になります、先輩」

 

 一郎はおどけてみせる。

 エルフもなんとか胸を反らして、

 

「ええ。ようこそ、我がフルドライブ文庫へ!」

 

 いつものように大仰に宣うた。

 習慣というのは偉大なもので、前髪を払い、にやりと口の端をつり上げると、エルフもすっかり本調子に戻ってしまう。

 

「でも、どうしてウチで出すことになったの?」

「クリスさんのお陰だよ。先だってエルフさんを訪ねたとき、機会があれば是非って言葉をいただいてね。この前連絡を取ってみたら、とんとん拍子で話が進んでね」

「編集部も思い切ったことをするわね。あの作品をそのまま刊行するのかしら」

「そのままとはちょっと違うね。第二巻までの刊行を確約のうえで、長編化してもらったんだ。エルフさんと同じ『フルドライブ・マガジン』で連載されることになったよ」

「つまり、アレを修正なしで?」

「もちろん」

「……」

 

 エルフはしばし黙した。

 あの腐臭ただよう作品と同じ媒体に、自分の作品が掲載される。愛しい我が子ともいうべき作品が、死臭に侵される。そう思うと切ない気持ちになるのだった。

 

「あんた、わたしの作品とページを離してよね。腐臭が移ったら台無しだわ」

「じゃあ、PNTMN先生の作品の隣になるように掛け合ってあげようか」

「いやぁっ、イカ臭いっ!」

 

 PNTMN先生とは、男性向け十八禁ゲームのシナリオライターとして鳴らした作家である。匂い立つような艶めかしい描写は、数多の成人男性を虜にした。

 問題は、その作風そのままにラノベ業界入りを果たしてしまったことで、更なる問題は、それはフルドライブ文庫としては全く問題にならなかったということである。

 一郎とエルフが身を寄せるレーベルは、

 

「ラノベ界の『少年チャンピオン』」

 

 などと渾名される。そこにはファンの畏敬の念と、熱い期待とが込められている。

 作家の熱意を大切にし、一緒になって表現の限界に挑む編集部の姿勢は、まさに業界の最新鋭である。

 作家も負けてはいない。全裸を信奉し隙あらばヒロインを裸に剥こうと目論む山田エルフ先生を筆頭に、熱いチャレンジ精神をもった精鋭が揃い踏みしている。

 そんな「キワモノ文庫」と名高いレーベルに、一郎の名が加わるのだ。

 

 このニュースは、たちまち業界をにぎわせた。

 先の『ラノベ天下一武道会』に一郎の作品が掲載されなかったことは、広く知られている。重大な規定違反と見咎められるほど、過激な内容であったらしいと。

 その問題作が、どうやらそのままフルドライブ文庫のラノベ雑誌『フルドライブ・マガジン』に掲載されるらしい。

 ネット上では、同誌の発売を待ち望む声が散見された。

 

「頭が痛くなるわ。こんなキワモノ読みたがる変態が、わたしの下僕(ファン)だなんて……」

「この話は棚に上げておこうか。これ以上考えたら、帰ってこられなくなりそうだから」

 

 そのキワモノ作家集団の筆頭が、全裸信奉者の山田エルフその人であるとは口外できない一郎であった。

 

「ところで、今日はどこに行くのかな」

「実は、まだ決めてないのよ。今日はいくつか花火大会があるから、三人で集まって決めたら楽しいかなって思ってたの。残念ながらマサムネのアホはいないけどね。この可愛いエルフちゃんのスペシャル可愛い浴衣姿を見逃すだなんて、本当、残念なやつよね」

「なに、夏はまだまだこれからだよ」

「そうね。また機会はあるものね! それより、どこにする?」

 

 エルフはスマートフォンを示す。

 

「このおっきい花火大会はどうかしら。芋を洗うみたいに、人がごろごろ敷き詰められてるの! いかにも日本の大花火大会って感じで、燃えるでしょう?」

 

 熱くて賑やかなのが好きな、エルフらしい選択である。

 対する一郎は、渋かった。

 

「うーん。多摩川や隅田川で派手に上がる花火を見るのもいいんだけど、こういう、こじんまりしたのもいいかなって」

「近郊のしょっぱい縁日じゃない」

「だから良いんだよ。人通りも落ち着いてるから、のんびり出店を見て回れる。花火は大したことないかもしれないけど、ゆっくり静かに愛でるってのも、それはそれで夏の風物詩だと思うよ。線香花火みたいにさ」

「あんた、やっぱり爺臭いわね。ま、いいわ。たまにはそういうのも悪くないかもね」

 

 と話がまとまった頃合いに、するするとタクシーが滑り込んでくる。

 エルフは訝しげに辺りを見回した。

 クリスタルパレスからほど近くの土手である。既にあたりは薄暗く、人影もすっかり絶えてしまっている。一郎とエルフの二人きり。

 

「あらかじめ呼んでおいたんだ。きっと電車は混むと思ってね」

「あら、気が利くじゃない」

 

 一郎はタクシーに近づく。運転手に「お世話になります」と頭を下げた。

 こましゃくれた中学生を訝しげに見やる運転手だったが、そこは客商売である。扉を開いて迎え入れるのだった。

 

 

 ***

 

 

 住宅街の奥に小さな山があって、そこへ抜ける、細い路が続いている。

 

「車が入れるのはここまでですので」

 

 とタクシーが去ると、二人は並んで歩いた。

 車も通れぬような細い路である。自然と肩を寄せることとなる。

 左右の足を動かすたびに、エルフの金糸の髪がさらりと流れて、甘い匂いが一郎の鼻腔を撫でた。

 

「うーん、いいなぁ」

「いいって、この寂れた感じが? ちょっと寂しくないかしら。こんな閑かな住宅街の奥に、本当に花火大会なんてあるの?」

「花火大会というよりは、縁日のようなものだけれどね。――ここだよ。ここを曲がるんだ」

 

 狭い路のさらに脇へと伸びるその小路に入った途端――

 町の雰囲気が、がらりと一変した。

 まるで不可視の膜がそこにあって、その向こうに広がる夢の世界に入り込んでしまったかのような、それは劇的な変化だった。

 ざぁっと、まるで波が寄せるように、遠いさんざめきが押し寄せてきたのだ。

 それは人々の声だ。花火を待ち望む若者の笑い声に、出店に心躍らせる子供の歓声や、恋人たちのひそかな囁き。それらに混じる、お囃子のひょうきんな調べ。

 ふと見上げると、小さな山がある。その天辺に神社があって、お囃子は、そこから流れてきているらしかった。

 山の麓にやがて鳥居が見えてくる。そこから、光は列を成し曲がりくねりながら、天辺へと登っている。

 光の正体は、出店の提灯である。境内へとつづく参道の両脇を、出店が固めているのだ。

 

「へぇ、意外とにぎわってるのね」

 

 歩いてみると、意外なことに出店は多い。

 道は曲がりくねっているから、見た目よりずっと距離がある。その分だけ出店もまた多くなるのだ。同じ商品を扱う店をいくつも見つけることができた。

 

「うーん。この匂い、やっぱり祭りはこうでなくっちゃね!」

 

 醤油の焦げる香ばしい匂い。肉のじゅうと焼ける音。砂糖のぷんと甘い香り。

 そのなかを、二人は歩く。

 

「見て、リンゴ飴よ! あの不健康そうな色がたまんないのよね。こんな時じゃなきゃ買えないし、買おうとも思わないけど、だからこそプレミアム感があると思わない? さっきの店とどっちが美味しいのかしら」

「こっちも美味しいよ。大きな栗が入ってておすすめなんだ」

「栗まんじゅう? わっ、大きいじゃない」

「でしょう。ここの名物なんだ」

 

 花より団子とはよく言ったもので、あっという間に、二人の手は食べ物でふさがった。

 けれども、もちろん一郎は花火を忘れてはいない。

 

「エルフさん、こっちへ」

 

 一郎がエルフを誘う。

 そこは見晴らしの良い山腹であった。

 にわかに木々は開け、天蓋は全貌を惜しみなく晒し、遠くには都心を望むことができた。

 

 静かな夜である。

 遠くに望む都は小さな光を無数に灯して、銀河のように煌びやかだ。空に向かってぼうと光を放つ様は、巨大な灯籠のようでもある。

 どん、と巨大な太鼓のような音が空を震わせた。

 

「打ち上がってるね」

 

 花火である。

 はるか遠くに望む都心の河川から、花火が打ち上がっているのである。灯籠がぼんやり照らす夜の空を、色とりどりの小さな朝顔が彩った。

 

「へぇ!」

 

 エルフは嘆じた。

 確かにここには、大きな花火大会のようなにぎにぎしさや熱狂、大輪の花を真上に望む興奮はない。

 けれども、遠目に花を愛でる風流、あたたかな寂寥感がしずかに胸を満たすのだ。

 

「こういう楽しみ方も悪くないかもね」

 

 視線を転じれば、道行く人々もいつしか歩みをゆるめ、あるいは道端に座りこみ、はるか遠くのにぎわいを眺めやっている。

 柄にもなくしんみりとするエルフである。

 ふと気付けば、一郎が嬉しそうにエルフの横顔を見やっていた。

 

「なによ、にやにやして」

「気に入ってもらえたみたいで良かったなって。何より、いつもと違うエルフさんを見れたのが嬉しいな」

「失礼ね。わたしだってしんみりする時くらいあるわよ」

 

 すっかりいつもの調子に戻ったエルフがわめいた時である。

 どん、と頭上で空気が弾けた。

 

「こっちも始まったね」

 

 花火である。

 山の天辺から、空にも届けとばかりに撃ち上がる。色とりどりの煙を引き、ひゅるると音を引き連れ、どん、と大輪の花を咲かせた。

 迫力であった。

 空が近いからだろうか、花火もまた近く感じられる。

 確かに、大きな花火大会のそれほど派手ではない。けれども、こうして空にほど近い場所から見上げる花火は、格別の迫力があった。

 

「…………」

 

 エルフは言葉も忘れて見入っていた。

 大きな瞳に花火が映りこむ。それは千切れる光の粉となって、エルフの琥珀の瞳を千々に彩った。

 

「綺麗ね……」

 

 言葉少なに呟いた。

 

「ああ。ほんとうに、綺麗だ」

 

 一郎の囁きが応える。

 どれくらいそうしていただろうか。

 次から次へと花火が打ち上がり、かと思えばまばらになり、もう終わりかと思えば一気呵成に打ち上がる。

 そうして、最後の一発がどぉんと空に散った。

 

「なによなによ、小さなお祭りだって言うから期待してなかったけど、粋な演出じゃないの! これなら大きな花火大会じゃなくったって――」

 

 エルフの喉に言葉がつかえた。

 一郎が、まっすぐエルフを見やっていたのだ。

 エルフは直感する。きっと、彼は花火など見ていなかったに違いない。あれだけ多くの花火が打ち上がる間じゅう、彼はきっと、ずっと自分を見ていたのだ。

 それでは、さっきの言葉は――

 

「エルフさん」

「ひゃいっ!?」

 

 エルフは飛び上がって舌を噛んだ。

 痛がるエルフに、くすりと笑って、一郎は優しく微笑みかける。

 

「行こうか。混みだす前に動こう」

 

 

 ***

 

 

 再び車上の人となったエルフは、訝しげに一郎を見やる。

 

「イチローってば、またまたタクシーなんか呼んじゃって、妙に手際が良いじゃない。なによ、こういうのに慣れてるの? アニメ化作家でもないくせに生意気ね!」

「売り上げ部数だけならエルフさんに負けてないからね」

「くっ、今に見てなさいよ。その余裕も今のうちだけなんだから。アニメ化ブーストをあまり舐めないことね」

「お手柔らかに」

 

 などと、いつものようなやりとりをしながら、いつもとは少し違うことを考えていた。

 

(そういえば、こいつのこと何も知らないのよね。最近、こいつの意外な一面をよく目にするけど、こんなヤツだったっけ)

 

 たとえば為人。

 第一印象は、よそよそしい人物であった。口に出すのは、どこかのテンプレートから引っぱってきたかのような、当たり障りのない台詞ばかり。(おもて)にうすく張りつく微笑は、決して胸の内を覗かせず、人に踏み込まず、踏み込ませない。穏やかで、冷たい。

 それが、深く付き合うにつれ、どんどん新しい一面をさらけ出す。

 人を馬鹿にしたり頭から否定することはないが、時々からかってはによによしている。逆にからかわれた時は、楽しそうに笑い声をあげる。ああ見えて実は、あるいは見た目通りに、結構いろんなことを面白がっているようである。

 エルフ、マサムネと過ごす三人の時間をたいそう気に入っているようで、足繁しく通いつめている。マサムネ個人とのやりとりもあるようだ。直に会わない日は、エルフの許にもメールが届く。意外とマメなところがある。

 マメといえば、妙に日本人的な細やかな、先回りした気配りができる。たびたび手みやげを、しかも貰い物だからどうぞお気軽にと持参するし、今日もタクシーを手配していた。料金も既に手渡していて、手際が良い。そうした日本的な気配りについては、エルフとしては思うところもあるが。

 

(思ってたほど冷たいヤツじゃないのよね。どちらかといえば、むしろ優しいほうだし、ときどき熱くなるわね。例えば――)

 

 小説に対してはストイックだ。

 常に執筆道具(ポメラ)を持ち歩き、ちょっとした思いつきを書き留めたり、琴線に触れた出来事や風景を描写するほどの物書き中毒である。初めてクリスタルパレスを訪ねた時も、玄関の前でピアノの音色を描写しようとしていたそうだ。

 聞けば、家でも学校でもほぼ文章を書いているのだという。それが常に「やる気マックスファイアー」状態であるから、これは一種の病気である。

 当然、小説について一家言持っている。ラノベ天下一武道会に応募した作品は、指示を仰いだエルフの助言を容れつつも、結局は自分の哲学に沿っていた。つまり頑固である。

 

(友人としては面白いヤツよね。小説家としても、わたしとは真反対のスタイルだけど、だからこそ張り合いがあるわ。それに、あの技量……)

 

 ベテラン作家の亡霊でも宿っているかのような、圧倒的な筆力。

 

(たまらないわね!)

 

 正反対の極にあるエルフをして、その作風、実力は認めざるを得ない。それが自分に挑んでくるのだ。これほど燃えるシチュエーションも珍しい。

 結局のところ、エルフにとって、一郎の過去に《何》があろうが関係ない。大切なのは、今現在の彼である。そして、今このとき、作家としての鈴木一郎は、望むべくもない最高のライバルなのであった。

 

「それじゃあ、僕はこれで」

 

 と下車する一郎を、エルフは手を振って見送った。その際エルフの分まで料金を支払う手際の良さである。

 エルフは、我知らずほっと息を吐いて、それから、再び思案に沈む。

 

(じゃあ、男友達としてはどうかしら)

 

 それは、今まで考えたこともなかった事柄である。

 なんとなれば、エルフには心に決めた相手がいるのだ。

 和泉マサムネ。

 何事に対しても熱心ひたむきな、見ていて気持ちの良いヤツ。小説に真摯に取り組み、山田エルフという人物にまっすぐに向き合ってくれる人物。

 何度かアプローチをかけたが、まったくなびかない。こんな美少女に言い寄られてみじんも心の揺れる気配を見せぬとは、とんだ朴念仁である。

 と思いきや、その実は、彼は想い人に心を預けていたのである。袖にされた――少なくとも本人はそう思っている――にも関わらず、いまだに強く想い続けている。そして恐らくこれからも。

 そういう一途なところが、エルフの理想そのものなのだ。

 

(じゃあ、一郎はどうかしら)

 

 知故を得たその日のうちに口説いてくる軟派な男かと思えば、その実は、なかなか一途であるらしい。

 

 ――ひょっとしたら振り向いてくれないかもしれないけど、でも、その時を待つよ。

 

 あの告白以来、あからさまに口説いてくることはない。普段エルフに向ける目も、友人のそれである。ときどき、あの告白は夢だったのではないかと疑ってしまうほど、一郎は自然体だった。

 ありがたいことである。エルフは友人としての鈴木一郎が好きだった。

 けれども、そんな彼がほんの一瞬垣間見せた、濡れそぼった野良犬のような哀れな瞳――

 

「なんなのかしらね、この気持ち……」

 

 よく分からない感情が溜まっていく。

 もやもやとした気持ちが胃に――あるいはお腹のもっと深い部分に――わだかまる。

 こういう時の発散方法は心得ている。ゲームがあればかじりつき、ピアノがあれば裸になって思いきり弾き鳴らすのだ。

 けれども、今は車内である。エルフを満足させるゲームもピアノもありはしない。

 だから、手慰みにスマートフォンを開いた。

 

「あら、SNSにメッセージが届いてるわね」

 

 マサムネかしら、と画面をタッチする。

 声を聞きたいような、今は忘れていたいような、不思議な心地がした。またお腹の奥が重くなった。

 首を振って、再び画面に目を落とす。

 

 果たしてそれは、獅童国光という作家からのメッセージだった。記憶に新しい、ラノベ天下一武道会の参加者である。

 

『ラノベ天下一武道会の打ち上げを、応募者の皆さんと一緒にしませんか』

 

「あら、面白そうじゃない」

 

 エルフはにやりと口の端をつり上げた。

 消化不良のもやもやを胃に抱えるのは趣味ではない。

 そういうとき、することは決まっている。

 楽しく全力で、お腹が空くまで、力いっぱい遊び回るに限るのだ。

 




12,875文字

マサムネやエルフとの掛け合いは、いつも書いててとても楽しいです。二次創作の醍醐味ですよね。
ですが今回は風景描写が一番楽しかったです。こちらは小説の醍醐味だと思ってます。

時系列でいえば、ラノベ天下一武道会の結果発表から打ち上げまでの間です。つまり、マサムネが連載決定を受けて缶詰してる時期です。

なお、拙作は文章の練習を兼ねています。文章についてご意見、ご感想、ご助言等いただければ幸甚です。


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8.打ち上げ会

書けたのでストックせずに投下します。


 ***

 

 

「ラノベ天下一武道会の打ち上げをするわよ」

 

 いつものように和泉家に遊びに来ていた一郎は、その決定事項を唐突に告げられた。

 もちろんマサムネも初耳だった。

 

「打ち上げって、このメンバーでか。いつもの面子で今更だし、そもそもおまえは応募者じゃないだろ」

「甘いわね。それは一を知って二を知らざる者の言葉よ」

 

 白魚の指をたおやかに振り、びしりと天を指すエルフ。

 そのまま片手で地面を指し、天上天下唯我独尊とでも宣うのかと思いきや、真面目に話しだす。

 

「参加者の獅童国光から連絡があったのよ。ぜひ打ち上げを、参加者の二人としたいって」

「えっ、どうしてエルフのとこに話がいってるわけ?」

 

 エルフの説明によれば、SNSで連絡があり、連絡手段のない一郎、マサムネとの連絡を仲介することになったとのことである。そのお義理で、エルフも参加する運びとなったと見える。

 

「まぁ、マサムネや一郎を口実に、この美の化身たるエルフ様とお近づきになりたいという思惑も、もちろんあるでしょうけどね」

「流石、エルフさん」

「おまえはやっぱりエルフだなぁ」

 

 微笑む一郎に倣って、微苦笑のマサムネであった。

 そこからの話はとんとん拍子であった。なにせエルフが仲介役をするのである。

 

「この日は新作ゲームの発売日だからダメね。この日は撮り貯めたアニメを消化したいし。よし、この日なら良さそうね!」

 

 ぐいぐいと話が進む。

 

「なにが良さそうねだよ! まぁ、俺も一郎先生も問題ないけどさ。獅童国光先生はどうなんだよ」

「大丈夫じゃないかしら。だってわたしにセッティングを一任したんだし」

「一任されたのは連絡の仲介だろ……」

 

 呆れ顔でつっこむマサムネである。一郎は軽く流して、話を促した。

 

「ということは、会場も獅童先生が?」

「それに関しては、国光がおさえるって。大学生らしいし、いいお店に詳しそうでいいんじゃない?」

「そうか、大学生なのか」

「…………」

 

 話が弾むなか、なにやら思案顔のマサムネであったが、やがて、決心したように口を開く。

 

「なぁ、そのことなんだけど、ここを会場にできないかな」

「マサムネ先生の家を?」

「ああ。今回の優勝はエロマンガ先生との二人三脚で勝ち取ったんだ。だからエロマンガ先生も打ち上げに呼びたいんだけど、先生はちょっと訳ありでさ……」

「PC越しにしか接触できないのよ」

 

 言いにくそうなマサムネに代わって、エルフが言葉を継いだ。

 気配りのできるエルフである。きっと何かしらの事情があるのだろうと察した一郎は、調子を合わせる。

 

「へぇ。ひょっとして、エロマンガ先生ってAIとかじゃないよね。電子の妖精とか」

「えっちな絵ばっかり描く電子の妖精とか、ちょっと嫌だな。いや、えっちな絵を描くのが嫌ってわけじゃないけど! むしろ大好物だけど!」

 

 何故か天井に向かって弁明する。

 そんなマサムネの尻を叩くように、エルフが言う。

 

「まったく、バカばっかりね。とにかく、そんなワケだから、気兼ねなくPC越しに宴会ができるこの家が都合が良いってわけなのよ。そういうことよね、マサムネ?」

「あ、ああ。もちろん、料理だって俺が用意する。というか、用意させてほしい」

「そうか。そういうことなら是非もない。噂のエロマンガ先生には僕も会ってみたかったんだ。マサムネ先生にはご負担をかけるけど、お願いできるかな。もちろん、手伝えることがあれば、言ってくれると気が楽になる」

「大丈夫。一郎先生はのんびり手ぶらで来てくれよ」

「そうか。ホスト役をしてもらってすまないね。ありがとう」

「いや、俺が好きで言い出したことだからさ」

「しっかり働きなさいよ」

「おまえはちっとは気を遣えよ!」

 

 いつものように、にぎにぎしく騒ぐなか、一郎はそっと辺りを見渡した。

 

(それにしても、ここで打ち上げか)

 

 勝手知ったる和泉家である。

 だが、もちろん知らないことも多い。 

 この家には、さらにもうひとり人の気配があるのだ。

 たとえば靴。玄関口に、もう長いこと使われていないような、女物の靴が置かれている。それは、いつでもすぐに履くことができるように、ピカピカに手入れをされている様子であった。

 また例えば階段。マサムネの生活は一階で完結する。リビングや台所、風呂、マサムネの部屋はすべて一階にあった。にも関わらず、二階に続く階段にうっすらつもった埃は、まるで誰かが歩いたかのように、ちょうど人の歩幅だけ払われているのである。

 

「あのさ、料理をお祭りの出店風にしたいんだけど、いいかな」

「あらあらあら! ひょっとして、わたしからの連絡を絶って花火大会を逃したこと、後悔してるのかしら!」

「そういや、今朝、そんな話もしたっけな。別にそういうわけじゃないけど、せっかくだから、お祭りふうにしたいなって」

 

 一郎の預かり知らぬことではあったが、エルフは、縁日へ行ってきたことをさんざん自慢していたのである。

 

「あんたが連絡しても出ないもんだから、一郎とふ、二人でお祭りに行ってきたのよっ。でも安心してちょうだい。そういうアレじゃないんだからっ」

 

 なにやら弁明をしながらも、かわいらしい嫉妬を期待したエルフであった。しかし、そこは妹のことで頭がいっぱいのマサムネである。

 

「ふぅん。そっか。やっぱり沙霧も、花火大会、行きたかったよな……」

 

 と心ここに在らずといった反応に「むきぃっ!」と腹を立てたという経緯があったのだ。

 そんな折りにこの提案である。意図が分からぬエルフではない。

 

「……あっそう。そういうことね」

 

 途端にしおらしくなるエルフを見て、一郎も察しがついた。

 

(なるほど。マサムネ先生の妹さんだな)

 

 妹といえば、ついに雑誌連載がはじまる彼の振作『世界で一番可愛い妹』が頭をよぎる。普段の彼の言動と併せて考えれば、ヒロインのモデルは、彼の妹とみてまず間違いない。

 今回、発起人でもなんでもないはずのマサムネがわざわざ会場に自宅を挙げたのは、何かしらの思惑があると一郎は見ていた。そうでなければ、ことのほか妹を大切にしているらしい彼が、わざわざ見ず知らずの他人を呼んで宴を開こうと言い出す筈がない。年頃の娘さんなら、そういうのを厭う筈で、それを良しとするマサムネではない。

 関心はある。一郎にとって、マサムネはもう気の置けない友人なのだ。

 けれども、敢えて踏み込まない。

 

(マサムネ先生の方から言ってこないということは、そういうことだ)

 

 親しき仲にも礼儀あり。適切な距離を保つこともまた礼儀であると、一郎は心得ている。その距離を適切に詰めてこそ、友情というのは長続きするのだ。

 

 

 ***

 

 

 そんなことがあって、今、一郎は和泉家に居る。

 

 ピンポン、と呼び鈴が鳴る。

 料理の下拵えをしていたマサムネは、前掛けで手を拭きながら、愛想を浮かべて玄関に飛んでいった。

 

「こちらは和泉マサムネ先生のお宅でよろしいでしょうか」

「はい。俺が和泉マサムネです」

 

 それからしばしやりとりがあって、そのお客はリビングに通された。

 茶髪にカジュアルな服装。いかにも大学生といった風貌の青年である。

 一足早くにソファーに腰掛けていた一郎は、立ち上がって頭を下げる。

 

「どうも、鈴木一郎です」

「獅童国光といいます」

 

 青年は柔らかく微笑んだ。

 おや、と一郎は思う。

 見た目は、今時の「チャラチャラした大学生」である。「ウェーイ」と奇声をあげて酒を飲み、女と見れば尻を追いかけ回す。そういう、古い人間にありがちな先入観を体現する出で立ちをしていながら、与える印象はむしろ逆であった。

 名乗りを終えてゆっくり頭を下げる様には、上品な落ち着きが漂う。わざわざ立ち上がった一郎に「おかけください」と促す気配りも好印象だ。加えて、一郎が腰かけるのを追って席に着く礼儀正しさ。若年の一郎を先輩作家として立てているのだ。

 それは、育ちの良さと、元来の気だての良さの証左である。

 一郎は、すっかりこの好青年が気に入った。

 

「今回はお声掛けありがとうございます。こういう場に呼ばれるのは生まれて初めてなので、大変嬉しく思っています」

「こちらこそ、お越しくださってありがとうございます――というのも変ですかね。マサムネ先生のお宅なわけですし。……あの、鈴木先生とお呼びしたら?」

「気軽に一郎と呼んでください。僕は年下ですし」

 

 一拍の間。一郎のキャリアに対する遠慮が逡巡を生んだと見える。

 獅童国光は、しかし、自然体で言葉を継いだ。

 

「では、僕のことはシドーと。友人はそう呼びますので」

「それでは、シドー先生、友人ということでよろしいですか。僕のことは気楽に一郎と」

「喜んで、一郎先生。同年代の作家友達がいなかったので、嬉しいです」

「それじゃあ、タメ口でお願いしたいかな。僕もその方が楽だからね」

「あはは、それは嬉しいな。是非タメ口で気楽にお願いします。ただ、僕のこれは素なんで」

「なるほど、シドー先生はしっかりしてるんだね」

 

 などと和気藹々と話を弾ませる二人に、納得いかない顔のマサムネが加わった。

 

「一郎先生、俺の時と違って優しくない? 俺の時はもっと意地悪に、先輩風吹かしてから敬語でタメ口強要してきたのに」

「僕も木の又から生まれてきたわけじゃないからね。先客を無視してエルフさんと盛り上がる人をからかうくらいの人間味は持ち合わせているつもりだよ」

「うっ。それは、その、すいません……」

「謝る必要はないよ。あの場でからかったんだから、おあいこさ」

「やっぱり一郎先生はときどき人が悪い」

 

 にやりと笑う一郎に、マサムネはため息を吐いて降参してみせると、獅童に向き直る。

 

「とまぁ、こういう人だよ」

「お二人は仲が良いんですね。ひょっとして、以前からのお知り合いですか」

「この通り、マサムネ先生と、それとエルフさんには良くしてもらってるよ。歳が近いからかな。有り難いことだね。これからはシドー先生も加わるわけだ」

「俺は不思議と、年寄りを相手にしてるような気分だけどな。なんだか爺臭いんだよな、一郎先生は。その点、シドー君となら話が合いそうで正直ほっとしてるよ。エルフもずいぶんな変わり者だからなぁ」

「山田エルフ先生ですか。やっぱり、ネット通りの人なんでしょうか」

 

 と盛り上がる三人に、鈴を転がしたような声がかかる。ただし、それは、幼子がハンドベルを無茶苦茶に振り回すような、遠慮のない声だった。

 

「そう言うマサムネの苔むしたような和菓子趣味も、負けてないと思うけどね」

「おやおや。噂をすれば影が射すとはよく言ったものだね」

「イチローは、そういうところが爺臭いのよ」

 

 そこには、対照的な美少女が二人いた。

 一人は、言わずと知れた山田エルフである。

 艶やかな肌は、丁寧に磨きあげた乳白色のアイボリーで。さらりと流れる髪は、陽光をくしけずった煌めく金糸であり。美しい(かんばせ)は、熟練の芸術家が己が魂を注いでつくりあげた奇跡の芸術であった。いとけなくも美しい、妖精のような少女である。

 おや、と一郎は思う。

 西洋人形のようなエルフは、派手な浴衣を身にまとい、結い上げた長髪を、これまた可愛らしいリボンで結わえていたのである。

 

「今日は浴衣なんだね。そのリボンは初めて見るけど、よく合ってる。髪型も、大人っぽくて素敵だよ」

「でしょう? ね、マサムネ。どうかしら、この究極美少女生命体エルフちゃんは!」

 

 エルフはすっかり上機嫌になって、マサムネを見やった。見せつけるようにくりと回る。

 肝心のマサムネはというと、何故か一郎の方を向いていた。

 

「驚き! 一郎先生って、そういうこと言うんだな。ちょっとイメージ変わるかも」

「マサムネ君。女性の装いは褒めなければいけないよ。それは、男が車を替えるのと同じくらい、重大なことなんだ」

「そんなポンポン車を買い替える男なんていないだろ……」

「ちょっと、男二人でいちゃいちゃしてないで、こっち見なさいよ!」

 

 苦笑混じりに耳打ちする一郎と、よく分かっていない様子のマサムネであった。

 一郎は、怒り心頭のエルフを宥めると、その後へ視線を転じる。

 

「ところで、そちらの子はひょっとして」

 

 そして、いま一人の美少女である。彼女は、エルフの影からするりと身を現した。

 鴉の濡れ羽色の髪は艶やかで、落ち着いた柄の着物をしっかり着こなし、すっと背筋を伸ばす様は、古き良き大和撫子を体現している。

 けれども、ひとふりの刀のように研ぎ澄まされたまなざしが、彼女の内面の激しさ予感させた。三歩下がって夫の影を踏まぬよう歩く、おとなしい大和撫子では決してありえない。

 彼女は、言葉少なに名乗った。

 

「千寿ムラマサだ」

 

 こうして並べてみると、二人はまるで対の人形のようだった。

 表情ゆたかな現代西洋人形さながらの山田エルフと、口数少ない和人形の千寿ムラマサ。

 その印象は、しかし、たちまち覆ることとなる。

 彼女は、きょとんとした顔で一郎と獅童を眺めやる。やがてマサムネに向き直り、そのへっぽこぶりを露わにするのだった。

 

「誰?」

「『ラノベ天下一武道会』で戦った、獅童国光先生と鈴木一郎先生だよ。こちらが獅童先生ね」

「そんな人、いたっけ」

「ほら、あったじゃん。あの、ケーキ屋さんが舞台の癒し系小説」

「読んでない」

 

 本人を前にしての、この物言いである。

 さしもの一郎も、人の善い獅童も、これには苦笑を禁じ得ない。

 だが、そこは流石に年長者である。二人は雄弁な目配せを交わせ合って、

 

「立ち話もなんですし、席に移って自己紹介といきませんか」

 

 発起人の鶴の一言により、打ち上げを始めることとなったのだった。

 

 

 ***

 

 

「獅童国光、デビュー二年目の新人作家です。大学に通いながら、主にお菓子をテーマにした小説を書いてます。今回のスウィーツの小説を書いたんですけど、幸い出版枠が拡大されて、刊行してもらえることになってほっとしてます。気楽にシドーと呼んでください」

 

 全員と初対面ということで、まずは自分がと口火を切った獅童であった。

 マサムネがすかさず話を広げる。

 

「デビュー作もコンビニスイーツ大好き少女とのラブコメだったし、今回もケーキ屋さんが舞台のラブコメだったけ。何かこだわりがあるんですか」

 

 行儀良く尋ねるマサムネ。答える獅童も、堅さが抜けきっていない。

 

「僕、子供のころからお菓子が大好きなんですよ。親や祖父母に連れられてお店に行けばお菓子をねだって、今でもコンビニやデパ地下に繰り出してはお菓子を買ってますし、”キットカット”や”ポッキー”なんかは常備してます。そういう、誰もが口にする定番商品を、親から孫までみんなが楽しんでもらえる商品をいつか作れたらいいな、一生の自慢になるだろうなって、そう思うようになったんです」

 

 獅童は、照れ隠しにお茶らけた。

 

「あはは、お菓子づくりの修行をしたり、お菓子について調べ回ったりしてたら、いつの間にかお菓子の小説を書いてました」

 

 それを、一郎は真摯に受け止める。

 

「なるほど。シドー先生は成るべくして小説家に成ったんだね」

 

 一同――ただしムラマサは除く――は頷きを以て肯じた。

 

 小説が書きたくってたまらなくって。あるいは息を吸うように自然に小説を書いていて。書いて書いて、気がついたら小説家になっていた――

 スポーツ、マンガ、芸能、芸術。どの分野にも、そうした人間は一定数いるものである。彼らは、そういう生き方しかできない。どこかで野垂れ死ぬか、そうでなければ、遅かれ早かれその仕事に就いてしまう。なんとなれば、それは仕事ではなく生き様、人としての在り方なのだから。

 けだし、獅童国光もまた、そういう類の人間である。

 他ならぬ一郎は、いや、この場に居合わせた面々は皆、獅堂国光という作家が己の同類であることがよく分かったのである。

 

 思わぬ反応を得たシドーは、くすぐったそうに「ありがとうございます」と応えて、続けた。

 

「そんなわけで、いつか食品メーカーさんとコラボして、僕が考えたキャラやお菓子を、コンビニに置いてもらうのが今の夢です」

「なるほどね。ビックリマンチョコやドラゴンボールのグミみたいな、コラボ商品ね。なかなか野心的でいいじゃない。ラノベ業界をまたいで、食品業界すら支配下に置こうというのね!」

「それはちょっと、いや、かなり色々違うんじゃないか。――売り出されたら絶対買って食いますよ!」

「そうだね。シドー先生の作品ももちろん読ませてもらったけど、これだけこだわりのある作品が書けるんだ。そんな人の考えたお菓子は美味しいに決まってる。これは箱買いかな」

 

 シドーは照れくさそうに、けれども誇らしげに礼を言うと、小さな紙袋を家主に手渡した。

 

「へぇ、手作りクッキーじゃあないか。さすがスウィーツ男子だね、シドー先生」

「お祭り料理とは合わないかもしれませんけど、良かったら食べてください」

「なによ、そんなこと気にすることないじゃない。甘いものは別腹っていうもの。つまり、美味しいスウィーツはいつ食べても大丈夫ってことなのよ」

 

 いいこと言ったわね、と自画自賛のエルフである。

 

「次は僕かな」

 

 一郎が立ち上がる。

 残りの面子のうち、最も知り合いが少ないのは一郎である。

 彼は、獅童の自己紹介にも耳もかたむけず一心不乱に原稿を書きつづけるムラマサと、未だに物言わぬ机上のPCを意識して、名乗りを上げた。

 

「鈴木一郎。中学二年生で、学校に通いながら作家業をしてる。『豹頭譚』を引き継いで書いてるんだけど、マサムネ先生とエルフ先生に触発されて、ラノベを書くことにしたんだ。残念ながら今回のコンペでは規定違反で選考外となったけど、捨てる神あれば拾う神ありというやつで、今度フルドライブ文庫でシリーズになります」

「やっぱり一郎先生は、あの鈴木一郎先生なんですね!」

 

 獅童が歓声をあげた。

 あの、という一語に込められた意味は大きい。最年少小学生デビューを飾った天才作家。『豹頭譚』の正統後継者。

 そんな彼がラノベに挑戦するということで、ネット上では話題になっていた。

 

「なぁ。こいつはそんなに有名なのか」

 

 意外なところから反応があった。

 それまで手元のノートに没頭していた千寿ムラマサである。

 

「そうね。ジャンルは違えど、わたしと同程度か、悔しいけどそれ以上に有名な作家ね。最近では、規定違反の選考外をしでかしたアホ中のアホとして、更に知名度を上げたわ」

「描写がエグすぎて、雑誌掲載されなかったんだ。面白いのは確かなんだけどな」

 

 マサムネの擁護に、ムラマサは興味を示したようである。

 

「ほう、面白いのか。初のラノベが掲載されなかったということは、つまり、私はおまえの小説を読んでいないというわけだな」

「ラノベに限っていえば、そうなるね」

「見せてみろ」

 

 大上段にムラマサが命じる。

 あんまりな物言いに鼻白むマサムネ、獅童の両名であったが、一郎はどこ吹く風、柳に風とばかりに仕事道具(ポメラ)を差し出した。

 

「はい、どうぞ」 

「む」

 

 ムラマサは唸った。

 

「これはどう使うのだ? ぱそこんとは少し違うようだが……」

 

 一郎は微笑ましい気持ちになった。

 古き良き着物姿の千寿ムラマサは、その見かけに違わず機械音痴だった。それは、テレビの扱いに難儀する着物姿の大正人さながらで、なつかしい前世の祖母の思い出のよすがとなったのだ。

 一郎は、老人を介護するように優しく、ゆっくり言葉を紡ぐ。

 

「この矢印を押すんだよ」

「こ、こうか」

「そうそう。よくできたね」

 

 そうして、ようやく小説を読み始めたムラマサは、

 

「む」

 

 再び唸る。

 

「むむむ」

 

 頁を送る指が、止まらない。

 次を読ませろと身体で語っている。

 

「あー、ムラマサ先輩はこうなると止まらないんだ。面白い小説読むために生きてるところがあるから、ちょっと我を忘れるっていうか」

 

 鬼気迫る表情で読み進めるムラマサの、異様とも言える姿を、マサムネが擁護した。

 それは余計なお節介であったかもしれない。竹を割ったような性分のエルフは「しょうがないヤツね」とさばさばしていたし、人の善いシドーはぎょっとしながらも「そういう人もいるのか」と微苦笑で、一郎はいつものようににこにこしていた。

 生温かく見守られながら、やがて最後の一頁を読み終えたムラマサは、そっと息を吐き、

 

「つまらん。駄作だ」

 

 と言い放つのだった。 

 

「あれだけ一生懸命読んでおいてなんてヤツなの!」

 

 というエルフの叱責に態度を改めるムラマサではない。彼女は、あくまで傲慢に宣うた。

 

「だが、ここは良かったぞ。ほめてやってもいい。ほら、この最初の……むぅ、どうやって戻るんだ」

「こうしながら、反対の矢印を押してね――」

 

 ややあって、

 

「ここだ。ここは良かった」

 

 と指し示したのは、ムラマサが唸り声をあげた、まさにその箇所である。

 

「これが? たしかに面白い表現だけど」

「なんだ、覚えがないのか。私はよく覚えているぞ。これは君の『転生の銀狼』に出てきた一節にそっくりなんだ」

 訝しがるマサムネに、ムラマサは笑顔で答える。それはそれは嬉しそうに。

 

「へぇ。流石はムラマサ先生だ」

 

 一郎は感嘆の声をあげた。

 

「この作品にはね、鈴木一郎としての”好き”を詰め込んだんだ。友達と観た映画とか、エルフさんと一緒に遊んだゲームとか、ほぎゃあと産まれてから今まで読んできた本とかね。これはと思う展開や表現を、もちろん自分なりに消化してだけど、取り入れてある。――そこは確かにマサムネ先生の作品を参考にした部分だよ」

「いっ、いや! 自分で言うのもなんだけどさ、この表現はめちゃくちゃ上手いよ。上手すぎて、元は俺の書いた文章だったって言われても、よく分からないんだけど」

 

 と慌てふためくマサムネに、

 

「そんなことはない。この文章からは、たしかに君の匂いがする」

 

 とムラマサが反論すれば、

 

「謙遜することはないよ。君の作品があってこそ、この一文は生まれたんだ。そういう意味では、君はこの作品の親みたいなもんだ」

 

 と一郎が言葉を継いだ。

 

「――っ」

 

 マサムネは頬を赤らめた。

 嬉しかったのだ。

 とてつもない作品を書く先輩作家が、自分の作品を好きと言い、その一節を自作品にまで取り入れてくれた。

 とはいえ、それは、完全に消化されて昇華され、鈴木一郎の地肉となり果てている。元の持ち主でさえ気付かなかったそれに、なんとムラマサは、マサムネの気配を見出したのだ。

 そのどちらも、たまらなく嬉しかった。

 

「ちょっと、わたしの作品は入ってないわけ? 信じらんない! どうしてこのへっぽこ小説家のしょっぱい文章なんかがインスパイアされて、このわたしの超超超傑作は見向きもされないの!?」

 

 むくれるエルフであったが、一郎は対処法をよく心得ている。

 

「そこは、ほら、エルフさんは僕にとっては最大のライバルだから。考えてもみてほしい。越えるべき相手の技をパクって勝つ。それってどう思う?」

「面白くないわ! コピー能力なんて踏み台の代名詞じゃない。……そっか。そうよね。その点、マサムネ作品のインスパイアなら、仲間と苦労して身につけた新必殺技でラスボスに挑む的なアレよね。そういう熱い展開は大いにアリだわ!」

 

 上機嫌になるエルフを後目に、

 

「一郎先生、よく舌が回るなぁ……」

「なるほど、ああやって捌くんですね」

「エルフさんは素直で素敵な人だからね。気持ち良く話に乗って、納めてくれるんだよ」

 

 と囁き合う男三人であった。

 さて、すっかり上機嫌になったエルフである。

 

「次はわたしね!」

 

 もう待ちきれないとばかりに名乗りを上げる。

 元来が目立ちたがり屋の彼女は、同世代の仲間に囲まれた昂揚もあって、ずっと喋りたくてうずうずしていたのだ。

 

「我が名は山田エルフ! わたしの壮大なる夢は、”究極のラノベ”を書いて、世界を征服することよ!」

 

 ラノベ王に俺はなる! と気炎を上げるエルフである。

 

『なぁ。ラノベで世界征服って可能なの?』

 

 変声器を通した、奇妙な高低音が尋ねた。

 年齢、性別不詳の怪人物、エロマンガ先生である。

 彼あるいは彼女は、テーブルの上に居た。正確には、テーブルに置かれたノートPC。そのディスプレイの向こうに、アニメキャラの仮面を被った、奇妙な出で立ちで鎮座していたのだ。

 そんな怪人にエルフは自然体で答える。

 

「世界中にわたしの本を売りまくれば、超可能よ。全世界で我が名が称えられるようになって、地上を我が下僕(ファン)が満たせば、それは世界征服したのと同じことだわ」

『そーいう理屈かぁ。でもさ、マジに本で世界征服しようと思ったら、世界最古にして最強のラノベであるアレを倒さなくちゃいけねーよな』

「アレって何よ。来年の今頃には戦闘力六千万になってる予定のわたしを、ちょっとでも手こずらせることのできる相手がいるっての?」

『エルフちゃん風に言うなら、戦闘力三千八百八十八億だな』

「さんぜんはっぴゃくはちじゅうはちおく!?」

 

 エルフからさっと血の気のひく音がした。

 

「来年のわたしの戦闘力が六千万だから、その五万倍以上じゃない! うわーん、スーパーサイヤ人でも戦闘力五十倍なのに、いったいどういう変身したらいいのよっ」

「世界人口が七十億人だから、その五十倍以上だ。つまり、五十世代の人間を下僕(ファン)にしなくっちゃね」

 

 そこまで聞いて、ピンときた獅童である。

 

「ああ、あの世界でもっとも力をもったフィクションのことですね」

「複数の作家に書かれたリレー小説でもあるね。いろんな作品の要素をすすんで取り入れて、見事にひとつにまとめた、尊敬すべき作品だと思うよ」

「ほぅと生返事で小馬鹿にされた腹癒せにフクロウに変身させちゃうとか、エグイよな」

「えっ、なによそのキチガイ主人公。そんな器の小さいキャラが主人公のキモイ作品が受けるわけ――」

「やめろエルフ、それ以上いけない!」

「何なんだ、そのトンデモ設定のラノベは!?」

 

 いつしかムラマサまでもが加わり、話に危険の花が咲く。

 

「うすうす分かってましたけど、山田エルフさんって、リアルでも山田エルフさんなんですね」

「へぇ。やっぱりエルフさんて、ネットでもエルフさんなんだ。流石だね」

「そりゃあまぁ、エルフのやつはエルフだからな。どこでもエルフしてるだろ」

 

 そんな話題の中心人物、山田エルフは少しだけ現実的なことを言い出した。

 

「ならば! 世界進出する前に、まずはラノベ日本一を目指すわ! さしあたっては、ラノベ作家”九雷神”打倒からね」

「なにその中学生のノートから飛び出してきたようなネーミング」

「日本に九柱存在する雷神の転生体よ。発行部数一千万部越えの偉大なる小説家(アークノベリスト)たちのことね」

「おお、エルフさんの設定が更に深まった」

「戦闘力って何ですか?」

「売り上げのことだってさ。エルフのやつ、作家の力を売り上げで測ってるんだ」

「そのなんとかという変人集団は、そんなに面白い小説を書くのか?」

 

 喰いついたのは小説狂いのムラマサである。

 

「なにを隠そう、この場にも九雷神の二柱がいるわ。まずは一郎がそうよ」

「あれ、僕もなのかい」

「あんたには一千万部オーバーの大作家相当の実力があると認めてあげるわ。仮に粟元(なにがし)その人だったとしても、驚かない。()()()()()()()

 

 意味深な言葉を、からからと笑いながら、なんでもないように投げかける。

 そんなエルフに、一郎は呑まれた。

 粟元芳としての自分。鈴木一郎として自分。ふたつの自分を受け止めてもらえたという歓喜にぶるりと身をふるわせる。

 

「エルフさんは、本当にいい(ヒト)だね」

「一郎先生、あんまりエルフのやつを褒めないでくれよ。すぐ調子に乗っちゃうからな。まぁ、褒められてうれしいのはわかるけどさ」

「ふふ。――それじゃあ、九雷神のもう一柱、ムラマサの番ね」

 

 急に水を向けられたムラマサは、ぱちくりと目を見開いた。

 

「私もなのか?」

「あんた、今更自分の作品の売り上げを知らないだなんて言わないわよね」

「……そ、そうじゃない。自己紹介だなんてどうすれば」

「簡単よ。心の赴くままに語れば良いのよ、”狂い咲く黒雷のムラマサ”」

「狂い咲く……」

「なんだよ、その中二病な二つ名は。ひっ、ムラマサ先輩がっ」

 

 すっとムラマサの瞳が細められる。

 すわ怒ったのかと一同が見守るなか彼女は、

 

「九雷神が一柱”狂い咲く黒雷のムラマサ”、推参!」

 

 ノリノリだった。

 ムラマサは中二病を患っていた。

 

「ムラマサ先生って、ひょっとして邪気眼とか好みなのでは」

 

 と一郎が耳打ちすれば、

 

「すっかり黒歴史と化した俺のWeb小説、いまだに気に入ってくれてるみたいだしなぁ」

 

 とマサムネが苦笑い。

 なんともいえない沈黙が兆したので、マサムネは助け船を出すことにした。

 

「ムラマサ先輩、ふつうの自己紹介もしてくれよ。ほら、初対面の人もいるしさ」

「む、そうか。では、名乗ろう。千寿ムラマサ。マサムネくんの友達だ」

 

 簡潔に名乗りを上げたムラマサは、そのまま自己紹介を終えようとする。すかさずマサムネが尋ねた。

 

「先輩の夢は?」

「”世界で一番面白い小説”をたくさん書き、それを自分で読むことだ」

「なるほど。読書中毒なんだね」

 

 一郎は頷いた。

 きっと、彼女はずっとお腹が空いているのだろう。どれだけ食べても腹ぺこで、だからこうして自分で小説を書いている。

 彼女もまた、成るべくして小説家になった人間なのだ。

 

「ははは、皆さん個性的ですね」

 

 微苦笑するシドーに、マサムネは親しみをこめて頷いた。

 

「ああ、本当にな。だから、俺はシドーくんと友達になれてすっげぇ嬉しいんだ。常識人同士、仲良くしようぜ」

「騙されてはダメよ、シドー。そいつは常識人どころか、真性の妹マニアなんだから。三度の飯より妹が好きな、妹マニアのお兄ちゃんは切なくて、妹を想うとついつい妹小説を書いちゃうおませなボクの私のぷにぷになのよっ」

 

 その揶揄が、どういうわけかマサムネの琴線に触れたと見える。マサムネは、顔を真っ赤にして妹の良さを力説しだした。

 

「妹が好きでなにが悪い! 妹はこの世で一番尊い存在なんだぞっ。やわらかそうな頬、困ったような上目遣い。袖に隠れる指先は愛らしく、ちっちゃな(あんよ)は愛くるしい。そんな娘が、兄さん、ってか細い声で頼ってくれることの嬉しさときたら、筆舌に尽くしがたい。いいか、妹を好きにならない兄は、兄じゃないっ」

 

 一同が「うわぁ……」と顔をしかめるなか、

 

 ドンドン

 

 と天井から苦情が降ってきた。

 

「は、恥ずかしがらなくたっていいじゃないかっ。分かってくれるまで、俺は声を大にして言うぞ! 妹が好きだ、大好きだ!」

 

 ドンドンドンッ、と激しい音。

 

「ちょっ、冗談じゃないか! ごめん、許してくれっ! えっ、嘘だったのって? 本気だよ、冗談じゃないよ、だから許してくれって!」

 

 慌てて二階へ駆け上がっていくマサムネを、一同は呆けた顔で見送った。

 

「あの、何ですかこれ。床ドンと会話してるんですか、ひょっとして。モールス信号とかじゃないですよね。というか、二階に誰かいらっしゃるんですか?」

 

 人の善い獅童も、目の前で繰りひろげられた理解を超える現象に顔をひきつらせた。

 予想だにしない展開へと転がり始めた話を修正すべく、エルフは口を開く。

 

「そっ、それはそうと、ムラマサは、知っての通り『幻想妖刀伝』の作者で、小説家和泉マサムネの熱心なファンよ。具体的には、『幻想妖刀伝』もマサムネのフォロー作品だし、今回のラブコメ小説はマサムネに対抗して書いた、しかも事実を基にしたフィクションよ。そんな”筋金入り”だから、そこんとこよろしく!」

 

 もうなんかグダグダだった。

 

 




12,596文字

打ち上げはもうちょっとだけ続きます。

さて、シドーくんを書くにあたって原作を読み返しましたが、本当に善い人ですね。草薙パイセンもきちんと相手を認めて、素直に自分をさらけ出せるから嫌味がない。等身大で人間味あふれる、ほんとうに魅力的なキャラばかりです。

文章について不安でいっぱいでしたが、様々な励ましをいただき、ほっとしております。及第点をいただいたものと思い、大変勇気づけられる思いです。
なのですが引き続き、文章に関するご意見、ご感想、ご助言などいただければ大変嬉しく思います。


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9.物書きたちの宴

主要メンバーの掛け合いを書くのが楽しくって、ついつい長引いてしまいました。
今回はバトルドーム回です。


 ***

 

 

「えっと、次は俺だな」

 

 気を取り直して、マサムネが名乗りを上げる。

 

「俺の名前は和泉正宗で、ペンネームは和泉マサムネだ」

「口で言う分には違いが分からないわよ!」

「なるほど。マサムネ君は本名も正宗君なのか」

 

 ヤジを飛ばすエルフと、個人情報をノートに書き留めるムラマサ。

 そんな二人を気にしたら負けとばかりに、マサムネは続ける。

 

「今回の『世界で一番可愛い妹』は、俺の理想の妹について書き綴った自信作だ」

「という、お察しの通りの、重度の妹マニアね」

「俺の夢、というより俺たちの夢は、最高に面白いラノベを創って、そのアニメを二人で観ること。以上!」

「二人というと、エロマンガ先生とですか」

 

 獅童が尋ねた。

 ディスプレイの中で仮面の怪人が頷く。

 

「ああ。俺とエロマンガ先生は、パートナーだからな。二人でひとつのラノベを創るんだ」

「なるほど、マサムネ君とエロマンガ先生はふたりでひとつ。一心同体なんですね」

「そうね。エロマンガ先生はわたしにとっても涎垂の人材だけど、エロマンガ先生とマサムネの絆は深いみたい。ねぇ、エロマンガ先生?」

『そっ、そんなえっちな名前の人、知らないっ!』

「えっ。一体どういうことですか」

『それは、そのっ』

 

 何故か自分のペンネームを否定するエロマンガ先生に、獅童は驚きの声をあげた。

 相棒の窮地を見かねてか、マサムネが声を張る。

 

「いいか、おまえら! エロマンガ先生のことをエロマンガ先生って呼ぶんじゃない。エロマンガ先生はエロマンガ先生って呼ばれると、恥ずかしくなっちゃう病気なんだよ! なっ、エロマンガ先生?」

『に、兄さ――和泉先生が一番言ってるっ』

 

 いつになく取り乱すマサムネに「兄さん」と言いかけた怪人エロマンガ先生。二人の間柄はもはや明らかである。兄妹なのだ。

 だが、獅童は勘違いをした。

 獅童は、マサムネに妹がいることを知らない。「リアル妹を持つ者には、妹萌は理解できぬ」という言葉がある。マサムネが妹狂いだということは知っていても、だからこそ、本物の妹がいるとは思えないでいた。

 加えて”エロマンガ先生”である。えっちな女の子のイラストを書く、卑猥な名前のイラストレーターである。言動もいやらしい。そんな怪人が女の子であろう筈がない。ファンの間では「エロマンガ先生の正体はオッサンに違いない」とまことしやかに囁かれていた。

 獅童は、一郎に耳打ちする。

 

「ひょっとしてエロマンガ先生って、マサムネくんの弟さんですか?」

 

 一郎は逡巡すると、にこりと微笑んだ。

 

「そう、なのかもしれないなぁ。マサムネ先生とエロマンガ先生の間には、ただならぬ関係があるようだし。聞けば、エロマンガ先生をめぐってエルフさんと小説バトルをしたこともあるらしい。そんなエロマンガ先生が、実は弟だったとなると、なるほど、筋は通るね」

「ただならぬ関係。それに、さっきの必死なマサムネ君。……やっぱり、そうですか。妹萌えの人かと思ったら、ショタもいけちゃうクチだったんですね」

 

 一郎は、笑いをかみ殺して「いや」と続ける。

 

「ひょっとしたら、もうちょっと複雑な間柄なのかもしれない」

「はぁ。複雑な関係、ですか」

「お兄ちゃんと呼ぶのは、べつに実弟に限った話じゃないってことだよ。ゲイのカップルの間では、女役が男役を”兄”と呼んで慕うらしい。そこには年齢は関係ないんだ」

「じゃあ、エロマンガ先生はネコで、マサムネ先生がタチ!?」

 

 ひっと悲鳴をもらしてお尻をおさえる獅童を尻目に、一郎は、こっそりマサムネに合掌した。

 さて、いまやすっかり男認定されてしまったエロマンガ先生である。

 

『さぁ、次はオレだな。知っての通り、イラストレーターをしてる。ペンネームの由来は島の名前だから、そこんトコ間違えるなよ!』

「そ、そいうえば、桃鉄にもそんな名前の島がありましたっけね」

 

 どこか遠慮気味に、あるいは引き気味に獅童が言う。

 その様子を訝しがりながらも、発言自体はエロマンガ先生を喜ばすものであったらしい。大変満足そうに頷いて、エロマンガ先生は続けた。

 

『オレたちの夢はマサムネ先生がもう言ったから、オレ個人の夢を言おうかな』

 

 彼は、消え入りそうな声で、けれども確かに言った。

 

『オレの夢は……好きな人の、お嫁さんに、なることだ』

 

 そんなお面の怪人を、マサムネはしんみり見やる。その瞳には、たしかな深い愛情がにじんでいた。

 二人は、ディスプレイ越しに見つめ合う。

 獅童は驚愕した。

 

(やっぱりそういう関係なんですか、この二人! そして、エロマンガ先生はマサムネ先生と同棲してるんですね!)

 

 という言葉をすんでのところで飲み込んだ獅童である。そういう雰囲気ではない。いつの間にか、場は奇妙な沈黙に支配されていた。しかも、妙にしんみりとホモホモしい。

 すがるようにエルフを見やる。エルフは、しかし、彼女にしては珍しいことにじっと物思いに沈んでいるようであった。

 それならばと一郎を見れば、なにやら得心した様子で悠長に頷いてばかりいる。

 ムラマサは当てにできない。

 しょうことなしに獅童は声を張り上げた。もうどうにでもなれ、という心地である。

 

「えっと、自己紹介は以上ですかね。それじゃあ、打ち上げをはじめましょう!」

 

 ややあって、四人の作家が囲むテーブルには、次々に料理が運ばれてくる。

 お祭りの定番料理である。

 湯気をあげるやきそばは、ぷんとソースの香りを放ち。たこ焼きは、その上でじりじりと鰹節を踊らせ。あつあつのフランクフルトは肉汁をしたたらせて、かじり付けば肉汁がぷちっと弾けそうである。

 それだけではない。小ぶりの林檎をべっこうで上品にコーティングしたリンゴ飴。バナナには流行りのホワイトチョコがたっぷりかけられて。トウモロコシは醤油の焦げる甘辛い、えもいわれぬ芳香が鼻腔をくすぐった。 

 

「おおっ、すごいですね! 本当にお祭りみたいだ」

「それどころか、お祭りのよりも美味しそうだよ、マサムネ先生」

「壮観だな。本当に、すべてマサムネ君が作ったのか?」

 

 口々に料理を褒めそやす。どこからかきゅう、と可愛らしい音。

 エルフはかぁっと頬を赤らめて、照れ隠しに声を張った。

 

「ど、どれも下賤な食べ物だけれど、ま、及第ってトコね!」

 

 こういうとき、まっさきにエルフをからかうのはマサムネである。

 けれども、今回ばかりは、彼は嬉しそうに微笑むばかりであった。自分の料理を褒められたのが嬉しいのだ。

 

「大会では競い合った間柄ではありますが、これからは良き戦友として、仲良くしていただけたらなと思っています。簡単ではありますが、皆さんの益々の活躍を祈念して――」

「そして、わたくし華麗なる山田エルフの『爆炎のダークエルフ』のアニメ化記念と、そのゴールドヒットの前祝いを兼ねて、かんぱーい!」

 

 優勝者ということで壇上にあがったマサムネから、乾杯の音頭をかすめ取ったエルフである。

 

「流石、エルフさん」

 

 と笑う一郎に倣って、ムラマサを除く皆が笑った。もちろん獅童もである。彼もまた、山田エルフという名の異文化に、早くも染まりつつあったのだ。

 

 テーブルを挟んで、二つのソファー。

 一方にはエルフとムラマサ。もう一方には一郎と獅童が、それぞれ並んで腰掛けている。

 そのちょうど間の一人席、いわゆる「お誕生日席」にマサムネは座っている。

 その向かいには、エロマンガ先生のPCがあって、変声機越しの怪しい声を伝えていた。

 

『みんな、今日は現地に行けなくてゴメンな。料理はみんなと同じものを、和泉先生に届けてもらってるから、オレはスカイプで参加するよ』

 

 その言葉を一体誰が信じたであろうか。

 エルフとムラマサは真相を知っていたし、一郎は察してしまっている。獅童は、マサムネと非常に”仲の良い”男友達がエロマンガ先生の正体だと信じ込んでいた。

 

 そうして、しばらくは料理をつついていたエルフであったが、

 

「ねぇ、折角のパーティなんだから、パーティゲームをしましょうよ」

 

 などと唐突に言い出した。

 

「パーティゲーム? おまえが言うとロクなものに思えない。ひょっとして王様ゲームじゃないだろうな」

「さてはマサムネ、あんた、王様ゲームにかこつけて、あたしにえ、えっちなことするつもりでしょ! ダメよ、こんな大勢の前でそんなこと、絶対ダメなんだからねっ」

「おいおい、寝言は寝てから言うものだぞ。笑えない冗談はさておき、パーティゲームって何だよ。まさか本当に王様ゲームじゃ……」

「マサムネが王様ゲームに興味津々なのは分かったけど、流石に用意してないわ。だって、初めて会う人もいるわけだし、この美の化身たるエルフ様に夢中になって、おいたをされても困るしね」

「ははは、流石にそんなことしませんって」

「バカがバカ言ってごめんな、シドーくん」

 

 思わず笑顔をひきつらせる獅童に、申し訳なさそうに謝るマサムネである。

 

「パーティゲームってのはこれよっ」

 

 おもむろに立ち上がると、フローリングに置いていた大きなバッグへと手を伸ばす。宝箱から重要アイテムを取り出す勇者のように、それを、天高くに掲げて、朗々と声を張る。

 

「じゃーん。バトルドームぅー」

 

 奇妙なフォルムの玩具である。そのくせ作りはシンプルであった。有り体にいえば、ドーム状の遊技盤に、ピンボールをくっつけただけである。

 

「初めて目にするけど、なんというか、分かりやすいね」

「ユニークです」

「おお、これなら私でも遊び方が分かるような気がする」

 

 未だかつて見たことのない不思議な形状をしていながら、どのようにして遊ぶのか容易に想像することができた。どう頑張っても間違える余地の一片も見つからぬくらい、シンプルである。シンプル過ぎて、クソゲーであるのは明らかだ。

 

「……おい、エルフ。どうしてよりにもよってコレなんだ」

「どうしてって、日本の定番パーティゲームなんでしょ? ニコニコ動画でも定期的にランキング上位に浮上してくるわ。日本の若年はみんなこれでエキサイティンするのよね」

「しねぇよ! それは正真正銘、クソゲーだ!」

「なっ、なんでよ! ちゃんとアマゾンだって見たけど五つ星評価だったのよ、五つ星! レビューだってちゃんと読んで、より評判の良かった旧版を買ったんだから。大変だったのよ、会社が倒産しちゃってたみたいで、なかなか見つからなかったのよ!」

「倒産してるって分かった時点で察しろよ! 多分この玩具だぞ、この会社を滅ぼした戦犯はっ」

「なによ、アマゾンが嘘つくってゆーの!?」

「ユーザーが悪ふさげしてるんだってのっ」

『ネットの嘘を見抜けないやつに、ネットをするのは難しい』

 

 ディスプレイ越しに、エロマンガ先生が追い討ちをかけた。

 

「なんてこと、バトルドームがクソゲー……。プレミアムものだと思って、ドラえもんバトルドームとスーファミ版も買ったのに。それじゃあ、わたしの苦労と一万五千円は……」

 

 真実を知らされたエルフはうなだれた。その姿は、サンタクロースの正体を知らされ、夢をけちょんけちょんに壊された哀れな童のようである。

 

「ま、まぁ、どのみち四人用ですし、エロマンガ先生はさておくとしても、誰か一人余ってしまいます。ここはご縁がなかったということで」

「うっ」

 

 エルフの脳内で、日本一有名な小学生たちの会話が想起される。

 

 ――悪いな、このバトルドームは四人用なんだ。

 ――悪く思うなよ、のび太。

 ――ごめんなさいね、のび太さん。

 ――うわぁぁあん、ドラえもぉーん、僕にも『ドラえもんバトルドーム』出してよ!

 

「ぐすっ。なによ、皆してバカにして。バトルドーム持ってきただけでそこまで言わなくてもいいじゃない……」

 

 とうとう涙を滲ませるエルフに、一同は慌てふためく。

 エルフと交遊のあった面々は、普段の身勝手で強気なエルフからは想像もできぬ姿に「鬼の目にも涙とはこのことか」と感心しながらも泡を食っていたし、運悪く、ロバの背を折る最後の藁の一束となってしまった獅童も、二の句を告げかねていた。

 例外はただひとり。最初に行動を起こした一郎である。

 

「エルフさん、一緒にバトルドームしようよ。きっとエルフさんとなら、僕はエキサイティングできるよ。ああ、エルフさんのゴールにシュートしたいな」

 

 そっと肩に手をかけ、微笑みかける一郎。

 マサムネが「驚き! 一郎先生、イケメンキャラになってる」と声をあげるなか、エルフは涙を拭って、儚げに微笑んでみせた。

 

「ぐすっ。いいのよ、もう。このバトルドームは燃やして天に還すことにするわ。この世からすべてのバトルドームを焼却処分するの。わたし、気付いたの。ツクダの亡霊の被害者をこれ以上増やしてはいけないって」

 

 そのような茶番があって、

 

「さ、気も晴れたことだし、次のパーティーグッズよ!」

 

 エルフは次なる問題商品を取り出した。

 

「……ツイスターゲームですね」

「……ツイスターゲームじゃないか」

「昔なつかしのツイスターゲームだねぇ」

「ついすたぁ? 何なのだ、これは」

『……ばか』

 

「おいエルフ、流石にこれがどんなゲームか知ってるよな」

「もちろんよ。天啓(ルーレット)に従って、指定の色に手足を乗せるゲームよ。男女で遊ぶと、あら不思議。手足を絡ませ、くんずほぐれつするホットなゲームに大変身。大学生は皆これをして遊んでるんでしょう、シドー

?」

「今時そんな大学生いませんよ。その、昔はどうだったか分かりませんけど……」

「もし仮にいたとしても、そいつはロクなヤツじゃないぞ。っていうか、王様ゲームは無しで、これはアリなの? 俺はもう、おまえの判断基準が分かんないよ!」

「そんなの楽しいか、楽しくないかに決まってるじゃない。大丈夫、安心なさいな。これは海外でも人気のあったゲームだし、数を持ってきているからあぶれる人もいない。バトルドームと同じ徹は踏まないわ」

「数を持ってきてるって……人数分もないぞ。ひょっとして、本当に二人一組とかでするつもりか」

「もちろんよ。その組み合わせだけどね、まずはわたしとマサムネね! ムラマサのやつは原稿書くのに忙しそうだし、あとはイチローとシドーかしら」

「なっ、破廉恥だぞ、この卑怯漢!」

 

 しれっと除外されかけたムラマサが、抗議の声をあげる。

 

「じゃあ、あんたがマサムネと一緒にするの?」

「そ、それは、恥ずかしい……」

 

 顔を真っ赤にして、消え入りそうな声をしぼりだすムラマサである。かと思えば、

 

「じゃあ、イチローかシドーとするの?」

「誰がするかっ」

 

 大上段に日本刀を一閃するかのような、鋭い一喝を放つ。

 

「ほら、わたしとマサムネで決まりじゃない」

『そ、そんなのダメ!』

 

 ディスプレイの向こうからエロマンガ先生も加わり、茶番は、一人の男を巡る二人の美少女と一人のむくつけきオッサンの、出来の悪いコメディへと変貌した。

 さて、蚊帳の外の男二人である。

 

「えっ」

 

 と意外そうな声を出したのは獅童である。

 ムラマサの眼にマサムネしか映っていないのは傍目にも明らかであった。何せ、初対面の自己紹介すら無視するくせに、マサムネの言葉には敏感に反応するくらいである。

 エルフはそうではない。

 マサムネにもぐいぐい近づいていくが、一郎との距離もまた近い。マサムネと相対して話すとき、エルフの隣には一郎がいて、エルフもそれが自然であるかのように振る舞うのだ。

 また、つい先程は、二人の間でのみ意味をなす、含みある会話を交わしていた。ひょっとしたら、二人は特別な関係なのではないか。そう思わせるに足るだけの、それは特別なやりとりであった。

 この山田エルフという少女は、やたら他人と距離感が近いのか、それとも二人を同程度に特別な存在として扱っているに違いない。それこそ甲乙つけがたいくらいに。少なくとも、今日はじめて三人を目にする獅童には、そのように映っていたのである。

 だから、マサムネへの好意をあけすけにしたことに、意表を突かれたのだ。

 その、獅童の驚きの声が呼び水になってか――

 

 獅童は、一郎越しに見てしまった。

 エルフが、思い出したかのように一郎を一瞥し、

 

「あ――」

 

 という顔をしてしまったことを。

 それから、どことなく精彩を欠いたエルフの弁舌は、とうとうマサムネとエロマンガ先生に圧し負けて、ツイスターゲームはバトルドームと同じく焼却処分となるのだった。

 

 

 ***

 

 

「じゃあ、いったい何して遊んだらいいっていうのよ!」

 

 ソファーに腹這いになってエルフが叫ぶ。じたばた手足を暴れさせる様は、かんしゃくを起こした子供のそれである。

 

「おまえはいったい何して遊ぶつもりだったんだよ……。だいたい、ムラマサ先輩がそんなのして遊ぶと思うか」

「マサムネをエサにすれば、絶対釣れると思ったのよね」

 

 聞かん坊を見やるような、呆れ顔のマサムネに、エルフは頬をふくらませた。

 

「エロマンガ先生だって、きっとノリノリで色を好き勝手に指定して、えっちなポーズを取らせて喜んだはずよ」

「うっ。確かに、エロマンガ先生ならやりかねない」

 

 などと言い合う二人を肴に、一郎と獅童はにこやかに話し合う。

 

「へぇ。エルフさんって、結構考えてるんですね」

「エルフさんは、皆と一緒に楽しむのが好きだからね。彼女なりに気を遣っているんだよ。気の遣い方は異文化だけどね」

 

 そういうところが、一郎はいっとう好きなのだ。

 心優しい彼女は、その表現方法が独特で、見ていて飽きない。何度でも新鮮な驚きと、喜びをもたらしてくれる。

 そんな彼女と一緒にいれたら、きっとなんでもない毎日も、二つとない宝石のように輝かしいものになるに違いない。

 

「もういい加減に機嫌直せよ! 一郎先生も何とか言ってやってくれ」

「そうだね」

 

 水を向けられて、一郎はうーんと唸った。

 

「それなら”書き会”をするってのはどうだろうか」

「”書き会”?」

「お題を決めて、制限時間内に短編を書くんだ。そうだなぁ、今回は物書きだけじゃなくて、せっかくエロマンガ先生もいるから――」

『お。オレの出番か?』

 

 名前を呼ばれて、ディスプレイいっぱいにエロマンガ先生が身を乗り出した。

 

「エロマンガ先生に絵を描いてもらう。それを、みんなで描写するってのはどうだろうか」

「へぇ、面白そうじゃない!」

 

 エルフがソファーから飛び起きる。

 

『いいじゃねーか。小説に合わせてイラストを書くことはあっても、その逆はなかなかないから、楽しみだよ。みんな、可愛く描写してくれよなっ』

「じゃあ、エロマンガ先生。いっちょ、とびっきりえっちぃイラスト期待してるわよ!」

『そ、そんな名前の人は知らないっ』

 

 叫ぶやいなや、エロマンガ先生はペンタブに向かう。「どうしようかな、なにを描こうかな」とペンをくるくる回しながら、楽しそうに悩み始めた。

 

「ねぇ。エロマンガ先生が描きあげるまで時間もあるし、その間に、別のお題で一本書いてみない?」

 

 もう待ちきれない、とばかりにエルフが提案する。

 ひょっとしたら、それは、エロマンガ先生を急かさない為の気遣いであったのかもしれない。

 

「おう、いいぜ」

「もちろん」

「いいですね。是非しましょう」

 

 男三人は気持ちの良い返事を返し、

 

「わ、私もかっ」

「当然じゃないの! こういうのは、皆でするから楽しいのよ」

 

 ソファーで原稿に向かっていたムラマサを、エルフが笑顔で引っぱってくる。

 

「それでお題だけどね、くじで決めましょう」

 

 いつの間にか、エルフの手には五本の紙が握られていた。割り箸袋でつくった簡易のくじである。

 早速マサムネが引くと、そこには「鈴木一郎」という名前があった。

 

「あら、面白くないもの引いちゃったわね。ハズレよ、ハズレ」

「人様の名前をハズレ呼ばわりかよ! 言っていいことと悪いことがあるだろっ」

 

 うがーっと火山を噴き上げるマサムネとは対照的に、当の本人はどこ吹く風である。

 

「エルフさん。僕の名前がお題ってことは、ひょっとして」

「そうよ。ここにいる五人がお題よ。くじで指定された相手を描写するの」

「それは……なんだか落ち着きませんね。書く方も、書かれる方も」

「でも面白いね。絵に描いてもらうことも珍しいけど、描写してもらうのはもっと稀だし、友人を描写するのは更に希少だ。こんな機会でもないと、友人を書くことってまずないよ」

「でしょう! 一生に一度あるかないかの機会よ! さすが一郎、よく分かってるじゃない」

 

 我が意を得たりと、エルフは顔を輝かせて一郎の背中をバシバシ叩く。

 

「私はマサムネ君が書きたい」

「えっ」

 

 隠しもせずに己が欲望をぶちまけるムラマサに、マサムネは危険を感じて後ずさる。

 

『いっちにー、おいっちにー、ふんふんふーん』

 

 そんなやりとりもも耳に入らぬ様子の、すっかり集中しきったエロマンガ先生。

 五人の作家と一人のイラストレーターは、和気藹々と時間を共有するのだった。

 

 さて、最初に書きあげたのはマサムネである。

 

「できた」

「うわっ、相変わらず変態的な速さね」

 

 どうしようかなー、などと呟きながらも指先は高速でノートパソコンを鍵打していたマサムネである。その様子をぎょっとして見ている間に、原稿はできあがってしまったのだ。

 内容はといえば、

 

「うーん、フツーね」

「フツーで悪かったな!」

 

 これといって特徴のない、無難な描写である。

 

「見たまんまをそのまんま書いたってかんじね。ま、男を一生懸命書いてもしょうがないから、これはこれで正解かもね」

「身も蓋もないな……」

「僕としてはほっとしてるよ。変な特徴を力いっぱい強調されて書かれたら、ショックだったろうから」

「ラノベの文章としてはこれで良かったのかもしれませんね」

「さて、次に原稿をあげるのは誰かしら。わたしの見たところ、執筆速度でいえば一郎なんだけど」

 

 その一郎はといえば、いつの間にか執筆作業に戻っている。執筆道具(ポメラ)を鍵打し、かと思えば手を止め、首をひねってうーんと唸る。苦戦している様子である。

 

「ま、仕方ないわね。なにせイチローのお題はわたし、美の化身エルフ様なんだから。あふれる気品。絵にも描けない美しさ。罪作りとはこのことね!」

 

 などと宣うエルフは、一郎の絶賛を期待していた。少なくとも、いつものように「流石、エルフさん」程度の答えはあるはずだと。

 ところが、一郎はそっけなく、

 

「うん」

 

 と生返事を返すだけである。

 彼の耳に、エルフの言葉は届いてはいない。

 黒曜石の瞳は、エルフを映してはいたけれども、彼の意識はひたすら己の内側を向いていた。

 この少女をどう表現するべきか――

 一郎は、心のなかで、書架をめぐる旅をしていた。辞書という辞書をめくり、古今東西の本をひっくり返しては、ああでもないこうでもないと試行錯誤する。

 

「そういえば、こいつも書き狂いだったっけ」

 

 エルフは思い出す。はじめてクリスタルパレスを訪問した際、一郎は、聞こえてきたピアノの旋律を描写しようと躍起になっていたらしい。

 

「マサムネ君、できたぞ。是非読んでくれ」

 

 ムラマサが手元のノートから顔を上げた。

 

「わたしにも見せなさいよ」

 

 とエルフがのぞき込み、

 

「げっ」

 

 とカエルのつぶれたような声を漏らした。

 

「エルフ、いま女の子が出しちゃいけない声がしたぞ。俺、不安なんだけど。いったい何が書かれてるの、ねぇ!?」

「見れば分かるわよ。嫌というほどにね。ほら」

「うげっ」

 

 マサムネも潰れたカエルになった。

 

「紙面が黒い!」

 

 横からのぞき込んだ獅童も、顔色を青くした。

 書いてある内容は、ごくごく平凡な描写である。和泉正宗という少年の、外見や何気ない仕草についての、なんということのない普通の描写でしかない。

 ただ、文量と勢いがすごかった。

 

「改行がないから、びっしり書き込まれた紙面が四角く見えますね。それに、この急いで書いたような文字。まるでお経みたいだ……」

 

 やれ眉の描写だの、まつげをたくわえた瞳の動く様子だの、手の甲に浮かぶ血管の様子だのを、事細かに描写している。

 それを、改行はおろか訓読点すらろくに打たずに勢いよく書き連ねた文章は、書き手の異常な興奮を物語っていた。

 一秒一瞬すら見逃さぬ。瞬きする寸間すら惜しい。彼のすべてを余すことなく書き写し、その姿を永遠に自分のものとしなければならぬ――とでも言わんばかりの、異様な執念を感じさせた。

 

「お経と言うより、呪いのお札とか、ストーカーのラブレターよね」

「失礼なことを言うな、この亜人は。それよりマサムネ君、どうだろうか。私なりに、一生懸命君のことを書いたつもりなのだが」

 

 頬を染めて恥ずかしそうに、けれど何かを期待する様子で、上目遣いにマサムネを見やる。

 両の手の指を絡めてもじもじする様は、初心な少女の体現で、非常にいじらしい。

 が、マサムネはふと不安が兆して、尋ねた。

 

「先輩。その指の包帯、どうしたんですか」

「ああ、これか。これはな、君の『転生の銀狼』の連載が終わって、不調に陥っていたときにちょっとな」

「ちょっと? 一体何があったんですか」

 

 千寿ムラマサは、和泉マサムネの大ファンである。

 彼女自身はマサムネより遙かに売れている人気作家であるが、それは、「マサムネのファン」をこじらせた結果に過ぎない。

「大好きなマサムネ先生の作品のような、自分好みの小説を、自分で書いてしまえ」

 その結果、和泉マサムネの出版枠を喰らう形で、作家業を営んできた。マサムネの作品がひっそり幕を閉じることになったのは、ムラマサに一因がある。

 そうとは露知らぬムラマサは、執筆意欲の源たる和泉マサムネ作品が絶たれて、スランプに陥ったのである。

 他人に辛辣な彼女は、自分に対しても厳しかった。

 

「締め切りを破る度に、爪を一枚一枚剥いでいたんだ。自ら締め切りを定めてこそ、良い作品は書けると思っているからな。実際、だらだら書いた物語が面白かったためしはない」

 

 よくよく見れば、包帯の下、爪のあるべき場所は、釜底のように窪んでいる。

 どういうわけか、そこを愛しげに撫でながら、彼女は言葉を紡ぐ。

 

「書きたくても書けない。もどかしさで何度胸がつぶれるような思いをしたか分からない。でも、そんな辛い日々はもう終わりだ。君の最高に面白いラブコメが読めたからな。なんだか、こう、すっと霧が晴れていく気分だ。そんな君に対する感謝と思いの丈をぶつけるつもりで、一生懸命、君のことを書いたつもりだ。どうだろうか?」

 

 自ら爪を剥いだ指に、びっしり書き連ねられた原稿用紙を携えて、マサムネに迫る。

 前髪から覗くまっくろな瞳は、無限の妄執をたたえて、マサムネを絡み取ろうとしているかのようだった。

 

「ひっ」

 

 思わずマサムネは後ずさる。

 椅子から転がり落ちて、無様に尻餅をつく。それでもまだ足りぬと、地面を這って距離をとった。

 マサムネの目には、この和装の美少女が、おどろおどろしい怨霊の類にしか見えなかったのである。

 

「そそっ、そういえば、そろそろシドー君も書けたんじゃないのかなっ」

「あっ、はいっ、たった今書き上がりましたっ!」

「私の目には、今まさに書いている最中のように見えるが……」

「気のせいだって! なぁ、シドー君!」

「ええっ、それはもうっ」

 

 マサムネから救助要請を受け、獅童は筆を走らせた。それは、”書き会”の開催にあたって支給された原稿用紙である。

 エルフと獅童は、仕事道具を持ち込んでいない。打ち上げの席に執筆道具を持ち込む書き狂いは、ムラマサと一郎ぐらいのものである。

 

「さぁ、シドーの腕前拝見といこうかしら」

 

 何事もなかったかのように、エルフが話題を転がした。それで、すっかり話は移ってしまった。

 

「へぇ! お菓子に喩えるなんて、あんたらしいわね」

「それ以外の描写も、どことなくふわっとして優しい気がするな」

 

 獅童の描写には、独特なアクセントがある。

 ありふれた、けれども丁寧な描写を、お菓子を用いた比喩が飾る。ふわりと柔らかな心地のする、獅童らしい描写であった。

 

「あんたも読みなさいよ。自分がどう書かれているか、気にならない?」

「別に私は、マサムネ君以外にどう見られようが、どうでもいいが」

「四の五の言わずに、さっさと読みなさいって」

「む。これが私か」

 

 強引に原稿を手渡され、ムラマサは一読する。

 息を呑む音がした。獅童である。

 マサムネに感想を強請っているところを、強引に引きはがしたのは自分である。これ以上の不興を買ったなら、果たして次の朝日を拝むことができるかどうか――

 祈るような気持ちで、彼は判決を待った。

 果たしてムラマサは、ためつすがめつして、

 

「悪くないな」

 

 と大上段に宣うた。

 

「良かった。ほんとうに良かったです……」

「ごめん、シドー君。本当にありがとう。それしか言葉が見つからない……」

 

 脱力する男二人に、原稿を提げたエルフが寄ってきて、呵々と大笑した。

 

「そんなシドーにプレゼントの原稿よ。ほら、歓喜もあらわに、けれど恭しく受け取りなさい」

「もうこの際なら、なんでも嬉しく思えちゃいますよ。……えっと、確かエルフさんのお題は僕でしたよね」

「喜びなさい。このわたくし、天才美少女作家の山田エルフ様が、シドーの一番輝いてる瞬間を書いてあげたんだからっ」

「まぁ、ある意味輝いてはいるけど」

 

 たしかに、生き生きとした獅童の姿が描かれている。というより、なんとか友を生かそう、自分も生き残ろうと必死な姿である。

 必死の形相で原稿を書きなぐる獅童の姿。ムラマサの裁きを前に、神に祈りを捧げる獅童の姿。そのどちらも、命懸けで生き生きしている。

 

「はは、生きてるって素晴らしいことですね」

 

 獅童は力なく笑うのであった。

 

「さて、最後はイチローだけど」

 

 一同は一郎を見やる。

 それが合図だったかのように、一郎は、顔を上げた。

 

「よし。まだ納得はいかないけれど、一区切りついたことにしよう。――あれ、ひょっとして待たせたかな」 

「ムラマサさんもそうですけど、一郎先生もすごい集中力ですね。これだけ騒いでいたのに、全然集中が乱れてませんでした」

「私は此奴ほど酷くはないと思うのだが」

「わたし、イチローが書くところ見てたんだけどね、にやにや笑ったり、納得いかなさそうに唸ったり、気味悪かったわ」

「言ってやるなよ、エルフ。それは俺たち小説家の職業病みたいなもんだろ」

「大丈夫だよ、マサムネ先生。昔から友達とか幼馴染みにさんざん言われて、慣れているから」

 

 微笑みながら、マサムネに執筆道具(ポメラ)を手渡す一郎。

 一同は顔を寄せる。

 ややあって、

 

「すげぇな……」

 

 マサムネは舌を巻く。

 それは、皆の心の声の代弁であった。

 

「っていうか、誰だよこの天使は!」

 

 現代西洋人形のような、活き活きとした美少女。それは衆目の一致するところである。

 そんな外見を描くのはもちろんのこと、何気ない仕草や表情からにじみ出る内面を、一郎はみごとに描いていた。

 それだけではない。性格に難のあるエルフである。その厄介な部分さえ、一郎は好ましく描いていたのだ。

 豪放磊落な、山田エルフという少女。その非常識な行動を予感させる仕草は、幼い純粋さの発露として。強引さを臭わせる、自信あふれる瞳には、人の情に訴えるあたたかみを漂わせて。

 一郎の描いたエルフは、一言も喋ってはいない。にも関わらず、読者はエルフの内面をのぞき込み、その太陽のような暖かさ、美しい在り方にすっかり魅きこまれてしまうこととなるのだ。

 

「一言も喋らさずにこれですか!」

「これは、確かにすさまじいな。こんな無茶苦茶なヤツでも、天使のように思えてしまうのだから」

「ああ。こんなキャラが出るラノベは大人気間違い無しだ。って言っても、あくまで一郎先生の書いた架空のキャラのことで、お前のことじゃないからね。……エルフ?」

 

 マサムネは、訝しげにエルフを窺った。

 自信過剰のエルフである。いつもなら「よく分かってるじゃないの。いえ、誰が書いても、きっとこれくらい魅力的になった違いないわ。流石はわたしね」などとふんぞりかえったに違いない。それが、今日に限って大人しい。

 果たして、エルフは惚けていた。

 白磁の頬をうっすら紅に染め、ぼんやりと原稿に見入っている。

 

「へぇ、お前でもしおらしくなる時があるんだな」

「あ、あんたね。そりゃあこんなの書かれたら、誰だってこうなるに決まってるじゃないのっ」

「だから、お前じゃなくって“キレイなエルフさん”なんだって」

「なんでよ! どこをどの角度で切り取ってもわたしじゃないの!」

 

 急に、場に喧騒がもどってきた。

 そんな時である。

 

『できたぞー!』

 

 パソコンの向こうから、エロマンガ先生の声が届けられた。

 

 

 ***

 

 

 こうして大盛況のうちに宴は幕を閉じた。

 エルフは隣のクリスタルパレスへと帰り、ムラマサは、いつの間にか玄関先へやって来ていた迎えの車に乗り込んだ。

 イチローと獅童は、連れなって歩いていた。

 

「今日は楽しかったですね」

「ああ、今日は特別楽しかった。いつも二人といるけど、思えば、小説家らしいことして遊んだのは今日が初めてかもね」

「そうなんですか。それは何だか勿体ないですね。実は僕、作家さんとこうして親しくお話したのって初めてなんです。だから、今日はすごく刺激になったし、とても楽しかった」

 

 獅童はぽつぽつと語りだす。

 

「僕は今、嬉しい気持ちでいっぱいでいます。ずっと小説を書いてきて、ようやく連載にこぎ着けることができた。でもそれと同じか、それ以上に、焦る気持ちもあるんです」

「…………」

「担当の編集さんに訊いてみたんです。どうやったら上手くなれるのか。面白い小説が書けるのか」

 

 獅童は静かに語る。

 それは蓋された鍋のように、静かに、けれども段々ふつふつと煮えたぎってくる。

 

「そしたら、こう言われました。いくら読んだり書いたりしても無駄だって。上手い人と交流して、自分の殻を破るしかないんだって」

 

 一郎は黙して、獅童の静かな叫びを聞いた。

 

「今日、その意味が分かりました。ムラマサさんや、一郎先生の姿を見て。僕は、一郎先生――あなたみたいになりたい」

 

 獅童は、まっすぐに一郎を見つめる。

 やがて、柔らかに破顔した。

 

「といっても、弟子にしてくれとか、そういうわけじゃありませんよ。今日みたいに、話をしたり遊んだりしてくれるだけでいいんです」

 

 どことなく気恥ずかしそうに見えたのは、ひょっとしたら、中学生にすぎない一郎の身の上を思い出してのことかもしれない。即ち、まだ中学生に過ぎない一郎に、重い相談を持ちかけてしまったという自責の念である。

 一郎は、まじめな顔で言った。

 

「光栄だね。僕も、獅童先生ともっと話したいと思っていたんだ。良かったら、ウチに寄ってかないかい」

「えっ。でも、急な訪問はご家族のご迷惑でしょうし、もう夜も暮れてます」

 

 獅童は宥めるように言った。

 一郎は優れた小説家であったし、大人びてもいたが、それでも中学生にすぎない。保護者の庇護の許にある。良識ある大学生としては、背後にいる保護者を意識せざるを得ないのだ。

 だというのに、一郎はその前提をくつがえす。

 

「それなら心配には及ばない。うちは、僕ひとりだけだから」

「それは……」

 

 獅童にはかける言葉が見当たらなかった。

 

「だから、遊びに来てくれると嬉しいな」

 

 と畳みかける一郎に、獅童は頷くより他なかったのである。

 

 

 ***

 

 

 月が出ていた。

 まっさおな月が、冴え冴えとした光をしんしんと降らせている。エルフは、クリスタルパレスのバルコニーから、その月を眺めていた。

 

「今日は楽しかったわね。せっかく準備したパーティゲームはできなかったけど、代わりになかなか面白い遊びができたし、文句なしよ。ふふっ。ムラマサに及び腰のマサムネときたら、傑作だったわね。それに、イチローのやつ……」

 

 エルフは物憂げに、ほぅと熱い息を吐いた。

 その熱は、花火の日からずっとへそのあたり、おなかの奥にわだかまっていて、時折こうして喉元までせり上がってくるのだ。いや、ひょっとしたら、もっと前から少しずつ降り積もり、嵩を増していったのかもしれない。

 それは毒だ。自ら定めた自身の在り方をすっかり変えてしまいかねないそれが、毒でなくて何だというのか。

 

「あんまり悠長にやってると、マサムネに勝つよりも先に、イチローに負けちゃうかもしれないわね」

 

 エルフはしばらく、バルコニーの手すりに身体を預け、見るともなしに月を見やった。

 宴で火照った身体を、夜風が鎮める。

 やがて、エルフは決心する。

 

「決めたわ。毒が回りきる前に、自分が自分でいられるうちに、決着をつけなくちゃね」

 




14,551文字

この後めちゃくちゃお酒呑んだ。

とうとう9万字を超えました。ここまで書くことが出来て、大変嬉しく思っています。
さて、ラノベ一冊が12万字前後ということで、この文字数を目処に話を結びたいと考えています。
そのようなわけで、完結に向けて話を転がしていきます。
なお『グイン・サーガ』は一冊当たり約18万字ですが、これを隔月ペースで出してた時もあるからすごいですよね。


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9.5.酒宴(閑話)

本筋に全く関係ありません。スキップ可能。
一郎がシドーくんにお酒を呑ませるだけの話。

本編は今日中に投下します。


 ***

 

 

「うわっ、お酒くさーい!」

 

 という幼い声が、唐突に耳朶を打った。

 開け放たれた扉からは、一条の陽光が差し込んで、目を刺すかのようである。

 部屋にたちこめる酒気が、いっせいに動く気配がした。清浄な外気を求めて、空気が扉へと殺到したのだ。

 そのような変化をもたらした幼馴染みの姿を認めて、一郎は、ようやく夜が明けたのを知ったのである。

 

「ん、めぐみか。そうか、もう陽が登ったんだな。――おはよう、めぐみ」

「おはよう、一郎くん。どうしたの、酒盛りなんかして。一郎くんって、お酒飲む人じゃなかったですよね。そもそも中学生が飲んだら身体に――え」

 

 めぐみは固まった。

 何気なく見渡した部屋の片隅。ひとり暮らしの一郎だけが使うはずの、寝台。それが、人型に盛り上がっていたのだ。

 

「うそ。なに、それ」

 

 めぐみは、しぱしぱ目を瞬いた。

 何か信じられないものを見た、という顔。

 というより、目の前の現実を信じたくないとでもいうかのように、顔をまっさおにして、やがて覚悟を決めたかのように、恐る恐る一郎を見やる。

 

「ああ、それか」

 

 一郎はあっけらかんと、テーブルにどかどかと並んだ酒瓶を示す。

 

「この惨状と関係があるんだけどね。お客さんが泊まってるんだよ。作家仲間の集まりがあったんだけど、意気投合して、ウチで呑んだんだ。――ほら、獅童先生。朝だよ。起きれるかい」

「う”う”う”」

 

 布団越しに、くぐもったうめき声が響いた。低く響く、男の声である。

 

「二日酔いかな。今のところ吐いてはいないけど、今日は一日しんどいかもね。獅童先生、吐ける? 吐いちゃったほうが楽になるよ」

「う”あ”あ”」

 

 ゾンビのように呻いてばかりの獅童に、「こりゃダメだな」と一郎は苦笑する。

 枕元には嘔吐用のビニル袋があった。一郎が置いたものだ。

 

「ひょっとして一郎くん、ずっと見守ってたの?」

「ずっとじゃないけどね。ちょびちょびやりつつ、小説のネタ出ししながら、その合間に」

 

 寝ている間に嘔吐すると、吐瀉物で窒息死するおそれがある。それで、一郎は獅童の様子を確かめながら、一夜を明かしたのだった。

 すっかり事情を飲み込んだめぐみは、破顔する。

 

「そっかー。大変だったねー」

「うーん。こればっかりは僕のせいだからなぁ」

 

 他ならぬ一郎が、獅童を酔い潰したのである。

 

 

 **

 

 

 きっかけは些細なことだった。

 

「あれ、お酒の瓶とお猪口がある。一郎先生のお酒ですか?」

 

 食器棚の奥にしまい込んでいた酒瓶を、獅童が見つけてしまったのだ。

 

「そうだけど、普段は飲まないよ。成長期の飲酒は脳の発達を阻害するというし、なにより、呑んで書いた文章は碌な出来にならない。だから、特別なお祝い事があった時とかに、軽く嗜む程度にしてるんだ。とは言っても、一度開けたら早く呑まないと味が変わってしまうから、そういう時でもなかなか開ける決心がつかないんだけどね」

「一郎先生って、中学生ですよね」

「ああ。中学生だから、自粛してるんだ」

 

 などと噛み合わない会話をしながら、酒瓶をテーブルに並べる。かと思うと、そのまま、流れるような自然な手つきで開栓してみせた。

 

「一献どうぞ。ほら、お猪口を出して」

「え、お酒はちょっと苦手で……。というか、中学生がこんなこと勧めていいんですか」

「お酒が苦手っていう若い人、多いよね。それじゃあ、これかな。騙されたと思って、ひと口」

 

 一郎は、いつになく強引だった。

 そして獅童は善人で、しかも押しに弱かった。

 

「そ、それじゃあ」

 

 恐る恐るひと舐めして、一拍の間。

 獅童は、かっと目を見開いた。

 

「お、美味しい! なんですか、これ。すっごくフルーティで、口当たりが爽やかです。お米ですよね、原材料。お米でつくったお酒って、こんな香りがするんですか!?」

「気に入ってくれたみたいで良かった。大吟醸『雪下香梅』。若者向けの、飲み口爽やかで香りの良い、フルーティーなお酒なんだ」

 

 大吟醸と言われたところで、その意味するところは、獅童にはさっぱり分からない。けれども、それが良いものだということは理解できた。

 

「お酒って、もっと酸っぱくって、うっとくる酒臭いものかと思ってました。こんなお酒もあるんですね」

「スウィーツと同じで、大量生産の商品もそれはそれで美味しいけど、ひと手間かけて作った一品はまた格別だからね」

「ああ、言われてみれば確かに、そういうものですね」

 

 納得の頷きを返して、酒をひと舐め。かと思えば、思いきって一口に呷ってしまった。「美味しい!」と感動の声を漏らす。

 その様子に、すっかり気を良くした一郎である。彼は、自分の好きなものを、好ましい友人と共有できることが嬉しかった。

 ましてや友人と酒を酌み交わすのは、生まれ変わって十四年の人生で初めてのことである。ついつい調子に乗ってしまうのも、無理からぬことであった。

 

「じゃあ、これはどうかな。久保田の『萬寿』っていうお酒なんだけど」

「へぇ、縁起の良い名前ですね。どれ、一口。――――すっとした飲み口ですね。雑味が無いっていうんでしょうか、すごく純粋で、まるで水みたいです。水といっても、味がないわけじゃないんですけど、ああ、なんと言ったらいいのか!」

「分かるよ、その気持ち」

 

 一郎は愉快そうに笑った。

 なんでも描写しないと気が済まないのは、物書きの性である。

 

「同じ酒蔵の『翠寿』ってのもあるよ」

「こっちは辛口なんですね! 同じメーカーなのに面白いです。どっちも美味しいですけど、僕は『萬寿』の方が好みですかね」

「流石、獅童先生。するどい舌をしてる」

「えへへ、そうですかね」

「そんな先生には、面白いのを。『くどき上手』っていう純米吟醸でね。季節毎に使うお米を変えてるんだけど、これは、岡山の雄町米ってのをわざわざ取り寄せて作った、山形のお酒だよ」

「へえ、季節毎に! ……ん。これもフルーティで、しかも甘口なんですね」

「『獺祭(だっさい)』はどうかな。総理大臣が某大統領に贈ったことで有名になった、山口のお酒なんだ。これは磨き三割九分のやつだね」

「磨き、ですか?」

「精米歩合のことだね。お米から、雑味の原因となるタンパク質なんかを削って、どれだけ残すかを表してるんだ。数字はそのパーセンテージ。三割九分からが大吟醸と呼ばれる等級だよ。こっちの磨き二割三分のと飲み比べてみようか」

「んっ。これも、こっちも、まるで水みたいに飲み口が澄んでます。お酒って、こんなに美味しいものだったんれすね」

 

 どれくらいそうしていただろうか。

 ふと気が付けば、一郎は手を止めて、真面目な顔で獅童を見据えていた。

 一郎の変化に気づいた獅童も、居住まいを正す。

 

「遅くなったけど、刊行決定おめでとう。ささやかな酒宴で恐縮だけど、獅童先生のお祝いだ」

 

 不意にあたたかな言葉をかけられて、獅童は感動にむせび泣いた。

 

「あ”りがとうごじゃいまずっ!」

 

 とろんとした瞳。紅潮した頬。涙といわず鼻水、涎を垂らして感涙にむせぶ獅童を見て、

(あ、これは駄目なヤツだ)

 と一郎は直感した。

 果たしてその直感が正しかったことは、しばらくも経たぬうちに証明された。獅童は、酒癖が悪かったのである。

 

「こんなの水じゃないれすかー。味のついた水ぅ! くぅーっ、飲み口がたまりましぇんっ!」

 

 などと騒ぎながら手酌で酒をかっ喰らい、

 

「ふっ、ふははははっ! こっちの水はちょっと辛口で、こっちの水は甘口れすねっ。ほっ、ほっ、ほーたる来ーい。こっちのお酒はあーまいぞー」

 

 ついには歌い出す始末である。

 一通りお酒に舌鼓を打ったら、こんどは夢語りが始まった。

 

「僕はねぇ、自分でかんがえたすうぃーつをぉ、店頭で販売してもらうのが夢なんですよぉお。家族そろって食べてもらえりゅ、しょんなお菓子が作りだいんでしゅ!」

「うん、うん。素晴らしい夢だね」

 

 かと思えば、お酒の感想に逆戻りする。

 

「どうしてくりぇるんれすかぁ。こんな美味しい水出しゃれたら、もう、普通のお酒にゃんか飲めましぇんよぉ!」

「はは、それは良かった」

 

 話題を夢へと引き戻し、そしてまたお酒の感想に立ち返りと、二つの話を延々と繰り返す。こうして千日手とでも言うべき、混沌の相を呈してきた。

 それだけではない。一郎が、あんまり気持ちの良い合いの手を入れるものだから、どんどん話題の転換は早くなる。

 

「僕の夢はねぇ――」

「オリジナルのスウィーツを、お店とコラボして売ってもらうことなんだよね」

「そう、それなんでしゅ! それで、このお酒なんでしゅけど――」

「お水みたいに飲み口が良くって、美味しいよね。あ、でも水も飲んでね。じゃないと後で地獄を見るから」

「しゃすが先生! よく分かってりゅ! それで、僕の夢なんれしゅけど――」

「お酒がお水で美味しくって、夢はオリジナルスウィーツだよね」

「そうなんれふ! そのお酒なんれしゅけど――」

 

 あまりに早くに話題が転がるものだから、もはや何巡したか分からない。

 

(うん。絡み酒だなぁ)

 

 一郎は苦笑した。

 そういう人の相手は心得ている。

 対処法は三つある。ひとつは、第三者に酔っぱらいをに押しつけることである。しかし、ここは一郎が独居する、侘びしい庵である。救世主、あるいは哀れな被害者になりうる人物はいない。

 ふたつ目は、こちらも酔っぱらうことである。これは即座に却下された。一郎は笑い上戸である。絡み酒の獅童と組み合わされば、混沌が顕現する。収拾がつかなくなる。

 となれば、いまひとつの方法しかない。即ち、酔い潰すことである。

 

「ささ、先生。こっちのお酒も美味しいですよ」

「ほっ、ほっ、ほーたる来ーい! いやぁ、今日は、なんてぇ楽しくってぇ、刺激的な日なんれしょう!」

 

 ――この数年後、獅童は念願のコラボ商品を出すこととなる。

 ただし、それは、オリジナル銘柄のお酒である。それというのも、紆余曲折を経てフルドライブ文庫から出版されることと相成った「スウィーツ大好き女子高生のほんわか酒造ラノベ」が大ヒットを飛ばしたからだ。

 確かに、この日のふたつの宴は、獅童にとって良い刺激となった。晩年になって、彼は語る。あの打ち上げ会がなければ、自分は今、こうして小説を書いていなかったかもしれないと。だが、その後の酒宴は、いささか刺激が強すぎたかもしれないと。




4,111文字

オッサンはお酒が好きという偏見に則りました。

最近、美味しいお酒を呑んだので。
一年に数回しか呑まないんですけど、今回のは格別。十六種類の大吟醸飲み放題コースでした。
お酒のことはよく分かりませんけど、高いお酒は格別ということがよく分かりました。
お酒が嫌いという方は、是非、今回取り上げたお酒を試してみてください。特に雪下香梅とくどき上手が美味しかったです。
また、お酒が好きな方は、甘口で口当たりの軽いお酒を教えていただけると嬉しいです。


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10.妖精島の三泊四日・上

熱を出したり、休日出勤があったりしましたが、なんとか日曜の内に投稿できました。

今回の投稿に併せて、第一話を修正しました。
具体的には、学校では本名が明かされているという設定に変更した為、「山田」から「転校生」へと担任の発言を修正しました。


 ***

 

 

 

「見なさい。人がゴミのようよ」

 

 はるか眼下でうごめく人々の営みを、そんなふうにエルフは形容した。

 

 広大な大地に、おおきな山々が連なっている。

 山々は、巨大な巌である。

 その合間の、わずかな平地にびっしりと、まるでフジツボのように、人は窮屈そうにひしめき合っている。

 かくも巨大な巌に引き比べて、人々のあまりにちいさく矮小である様は、なるほど、塵芥の喩えが似つかわしい。

 エルフは、まるで大自然の代弁者であるかのように、人々の矮小さを語るのだった。

 

「そうだね。こうして見ると、ついさっきまであの箱庭を見上げてたのが信じられない」

 

 機上の人となった一郎は、執筆道具(ポメラ)から目を上げて歎じた。

 窓の外に広がる驚異。

 今にも人の文明を呑み込まんとするかのような、山々の威容。それに対する、敬意の念。

 日本人がすっかり忘れてしまった感情を、エルフの幼くみずみずしい感受性は、一郎に蘇らせてくれたのだ。

 

「神々しいな、エルフさんは。ひょっとして巫女かな」

「ほーっほほほっ。もっと褒めてちょうだいっ」

「何をバカなことを言ってるんだ、君たちは」

 

 ムラマサの呆れた声が、通路の向こうの席から飛んでくる。

 手狭な飛行機の中である。エルフの高笑いは、周囲の注意を引いた。そうした恥と迷惑を知らぬエルフの蛮行を止めるべく、ムラマサは制止の声を上げたのだった。

 しかし、ひょっとしたら、制止の声をかけた本人の方がずっと人目を引いたかもしれない。なんとなれば、ムラマサは今や絶滅したと思しき、和装の美少女なのである。

 

「頼むから静かにしてくれよ、エルフ。一郎先生も、あんまり調子に乗せないでくれ……」

 

 ムラマサの隣の席では、マサムネが頭を抱えていた。

 そこから通路を挟んだ反対側。三人席には一郎とエルフそして獅童が、通路から順番に座っている。

 仲良さそうに馬鹿をするエルフと一郎のとなりで、可哀想な獅童は恥ずかしそうに縮こまっていた。

 そんな獅童なんぞ知ったこっちゃないと、エルフは悪戯に笑う。

 

「あら、威勢がいいわね。さっきまで心底恐ろしそうに小さくなってたムラマサちゃんとは思えないわ」

「なっ」

 

 ムラマサは、日本人形ような白い頬を羞恥で染める。

 

「可愛かったわね、飛行機が離陸する瞬間のムラマサちゃんときたら。ぎゅっと肩を縮こませて、ぐっと拳を握って、足は爪先までピンと伸ばして。飛行機は落ちないわよって何度言っても、そんなこと信じられるかって顔してたもの」

「そ、それは、だが、こんな大きな鉄の塊が空を飛ぶんだぞ。そんなのおかしいじゃないか!」

「ムラマサ先輩ってたしか、バリバリのSF書いてたよな。科学的なことは得意だと思ってたんだけど、意外に……」

 

 ポンコツなんだな、という言葉を呑み込むマサムネであった。

 ムラマサは、じんわり涙を滲ませて抗議する。

 

「だって、SFはサイエンス・フィクションじゃないか。あくまで作り話であって、現実に飛行機が浮くこととは関係がない。だから、こんな鉄の塊が飛ぶだなんて、信じられなくてもおかしくないもんっ」

 

 日本刀みたいに目つきも言葉も鋭いムラマサであるが、マサムネの前ではときどき言動が幼くなる。きっと、自宅で気を抜いているとき、全幅の信頼を置く家族の前では、こうして幼く拗ねるのだろう。

 さて、この発言に食いついたのは、ストイックな一郎である。彼は、作品づくりに必要な知識の吸収に余念が無かった。

 

「古典力学は単純明快だよ。飛行機のスペックと、速度と揚力の関係さえ知っておけば、中学生でも飛行機が落ちずに空を飛べることを数字で証明できる。流体力学を考慮に入れないから、そこはやっぱり大ざっぱになるけれど、まぁ気休めとしては十分だよ。どれ、ひとつ証明してみよう」

 

 言うなり、一郎は紙とボールペンを取り出して、つらつらと数式を書き連ねる。

 

「それって、高校で勉強する内容だったと思うんですけど。最近の中学生は進んでるんですね」

「いや、一郎先生が特別なだけだと思う。なにせ現役高校生の俺が、ついこないだ習ったばかりの内容だからな……」

「ねー。そんなことより、外見なさいよ、外をー」

「お。そろそろ海が見えてきたな」

「そうよ、海よ! これからわたしたちが行くのは、南国の孤島。神秘の島。地上最後の楽園よ。つまらない勉強の話なんかしてないで、しっかり期待に胸を膨らませてなさい。絶対期待を裏切らないから!」

 

 

 **

 

 

 この姦しい一行が南国の孤島へ向けて旅立つこととなったのは、例によってエルフの提案が発端である。

 

「それじゃあ、南の島に遊びに行ってみない? わたしの家が所有するプライベートビーチ付きの別荘があるの」

 

 というような話題が、先日の打ち上げ会で飛び出したのだ。

 その話題のきっかけとなったのも、やはりエルフである。彼女は、全力で四人の同業者をからかっていた。

 

「えー、台湾に行ったことないの? あんな素晴らしいイベントに行ったことがないだなんて、弱小作家は哀れだわ!」

 

 エルフによれば、売れっ子ラノベ作家は台湾のイベントに招かれ、下にも置かぬ歓待を受けるのだという。台湾に招かれることが、ラノベ作家としての実力をあかしだてるとすら宣うた。

 全力で己が力量を誇り、さんざん他者を罵ったエルフであるが、そのまま斬り捨てにするような冷血漢ではない。

 

「それじゃあ取材をかねて、皆で台湾旅行に行くってのはどうかしら」

「でも俺、海外旅行に行ったことないし、パスポートなんて持ってないぞ」

「僕もです」

「私もだ」

「右に同じ」

「えー、それマジで? パスポートが無いって、マジでみんな海外旅行に行ったことないの? 国内旅行オンリー? 国内旅行が許されるのは中学生までよねー」

 

 などと力いっぱいからかいの言葉を投げつけてから、先ほどの提案が飛び出したのである。

 

 

 **

 

 

 そのようなわけで、一行は、この何処とも知れぬ南の島へとやってきた。

 

「結構な長旅だったなぁ。飛行機に乗ってからタクシー、フェリーと乗り継いで、ようやく南の島だ。というか、ここは一体どこなんだ?」

 

 移動に次ぐ移動で、マサムネの距離感はすっかり狂ってしまっていた。

 

「沖縄のあたりだとは思いますけど……」

 

 自信無さげな獅童の隣で、一郎は、身を屈めて草木をためつすがめつしている。

 

「確かにこの植生は、亜熱帯気候のそれだね。沖縄とかもっと南の、赤道に近い地域で見られるものだ」

「えっ。一郎先生、分かるの?」

「これでもファンタジー小説で生計立ててるからね。よりリアルな世界観を作るために、地理の知識や宗教、民俗学は良い参考資料になるんだ。どれ、ちょっと触ってみようかな。ついでに味も」

 

 躊躇無く雑草を口に含む一郎から、マサムネはそっと目を逸らした。雑草のとなりには、本土で見かけるそれよりも一回り大きい、変わった蟻がいたのだ。

 天を仰いで、手でひさしをつくる。

 

「うーん。同じ夏でも、南の島の夏はカラッとしてるんだなぁ」

 

 思えば、船から下りたとたん、がらりと空気が変わった。

 あまりに渇いている。カラッとした空気が鼻に詰まって息苦しい。ひょっとしたら、あたりの埃が、僅かな水気さえ吸いつくしてしまうのかもしれない。

 船の上では、ずっとぬるりとした潮風に吹かれていたから、陸に上がってしまうまで、この劇的な空気の変化に気がつかなかったのだ。

 

「とりあえず、写真でも撮るか」

「そ、そうですねっ」

 

 マサムネと獅童は、カメラを構えて、おやと戸惑った。

 それは、到底カメラに収まりきらない絶景だったのだ。

 碧い海から、白の砂丘に波が打ち寄せる。

 波打ち際には、さまざまな色の貝殻が落ちていて、しばらく歩いた先には、ヤシの木が潮風に高くたなびいていた。

 雲が近い。ヤシの木の指す先では、まるでそれが天球を覆う薄布であるかのように、白い雲が平坦に流れている。その平坦さが、距離感を狂わすのだ。手を伸ばせば掴めそうである。

 何から撮影したものかと考えあぐねて、マサムネは視線を巡らせた。

 ふと、和装の少女が目に入る。

 

「ムラマサ先輩は、カメラ使わないんだな」

 

 文明に利器に疎いムラマサである。スマートフォンはもちろん、カメラも携えてはいない様子である。

 その代わり、ヤシの木にそっと手をつき、ザラザラした手触りを楽しむ。目を閉じて、カラッとした空気を喉で味わい、遠い潮騒に耳を傾ける。

 彼女は、五感いっぱいに感じ取った自然を、記憶に焼き付けようとしているかのようであった。

 

「そっか、そうだよな。景色だけじゃなくって、もっといろいろあるもんな」

 

 マサムネはカメラをしまって、空いた手で土へと手を伸ばす。

 

「とは言っても、一郎先生みたいなのはやり過ぎだと思うけど」

 

 一郎のことである。感触に匂い、味まで堪能した彼は、執筆道具(ポメラ)を取り出して、嬉しそうに描写しているに違いない。

 そう思って姿を探すものの、彼はいつのまにか姿を消していた。

 

「あれ、どこ行ったんだ。そういえばエルフのヤツもしないし、ひょっとして置いてかれたのか!?」

 

 さて、その一郎である。

 彼は今、マサムネたちから完全に姿の隠れる岩影の向こうで、エルフと向かい合っていた。

 

「この辺でいいかしら。ここまで来れば、あいつ等には聞こえないでしょう」

「それで、いったい話というのは何かな。悪戯、もといサプライズの演出の相談なら、喜んで話に乗るけど」

 

 エルフは、いつになく真剣な表情をかたちづくった。

 

「今回はそういうんじゃないの。話っていうのは、わたしとマサムネと、ついでにイチローのことよ」

 

 一郎は微笑みをひっこめて、唇を引き結ぶ。

 心当たりは、ひとつしかなかった。

 

「そろそろ勝負を決めることにするわ」

 

 エルフは、腰に手を当てて宣言した。

 

「あんたも気付いてるでしょうけど、あいつってば強敵なのよ。RPGに喩えるなら、ラスボス級に頑固なの。ラスボスを倒すには、それなりの準備が必要だわ。光のオーブとか、伝説の剣とかね」

 

 難事に挑むのが好きなエルフである。彼女は、楽しそうに語った。

 

「しっかり舞台を整えて、マサムネに一世一代の大勝負を仕掛けるの。その為に、イチローにも協力して欲しいの。と言っても、何か相談したり、面倒なことをさせるつもりはないわ。ただ、ちょっとだけ二人にしてほしいの」

 

 一郎は、なんと言おうか逡巡した。

 残酷な言葉である。好いた相手が、恋の成就に協力しろと言ってくるのだ。

 

「お願い。正々堂々、正面から勝負したいの」

 

 と言うエルフの様子に、おや、と一郎は目を見開いた。

 一郎が思うに、こんなときエルフは、最高に面白いでしょ、と言わんばかりの態度を取る筈である。

 なんとなれば、エルフの感性はズレている。彼女の頭のなかは、いつも対戦ゲームをプレイしているらしいのだ。だから、おおかた、はらはらドキドキの胸躍る真剣勝負のルール説明をしている感覚でいるに違いないと思っていた。

 それが、どうしたことか、エルフにしては大変珍しいことに、ばつが悪そうな顔をして、

 

「とはいえ、あなたが嫉妬する気持ちも分からないじゃないわ」

 

 一郎を慮る発言をしたのである。

 

「だから、イチローにもチャンスをあげる。特別に、わたしと二人になる機会をあげるわ。ただし、わたしの攻略戦に協力してくれたら、そのご褒美としてよ!」

「そういうことなら」

 

 一郎は肯た。

 悠長に長期戦の構えでいるが、それでも、意中の相手が他人に懸想する姿を見せつけられるのは、楽しいものではない。

 けれども、そういうところも含めてエルフなのだ。惚れた弱みというやつである。無茶苦茶な想い人に振り回されるのも、新鮮で味わい深いものだと一郎は思っていた。

 何より、エルフの心を本当に奪おうと思ったなら、彼女の思い通りにさせるより他にない。思いきり、満足いくまで走らせて、未練を断ち切らせなければならない。エルフはそういう切り替えができるし、逆にいえば、そこまでしなければ心をこちらに向けさせることはできないと確信していた。

 果たしてエルフは、ほっと安堵の息をついて、端的に説明する。

 

「わたしが右の耳を触ったら、気を利かせてほしいの合図よ。しめやかに退散すること」

 

 と言い放つと、くるりと反転。背中を向けて、

 

「そして、こっちの耳を触ったら、後を追いかけてきて」

 

 ご褒美をあげるわ、と左耳を弄りながら告げるのだった。

 

 

 ***

 

 

 マサムネ達の元に戻った二人を待ち構えていたのは、意外な人物であった。

 

「げっ、兄貴!」

 

 悲鳴をあげるエルフの前には、金髪碧眼の美丈夫が腕を組んで佇んでいた。

 森を背景に優雅に立ちつくす姿は、ファンタジー映画のワンシーンのようである。ただし、黒のスラックスに白のワイシャツという、現代地球感のあふれる出で立ちではあったが。

 

「こら、お客様を置いて先に行くんじゃない」

 

 と叱咤を降らせた彼は、一郎に向き直ると、頭を下げた。ただのお辞儀でありながら、どこか気品漂う優雅な所作であった。

 

「お久しぶりです、一郎先生。今日は案内役として、私も島に滞在することになった」

「しばらくぶりです、クリスさん。お世話になります。それと、ごめんなさい。実は、僕がエルフさんに無理を言って、海辺の生き物を見せてもらってたんです」

「なるほどな。ああなった一郎先生なら、そういうこともあるかもな」

 

 マサムネは頷いた。

 普段は大人びて人を困らせることをしない一郎であるが、小説が絡むと人が変わる。周りが見えなくなるのだ。

 

「そうですか。それなら良かった。いつも迷惑をかけてばかりの妹でも、先生のお役に立てたのなら、何よりだ」

「ちょっと! わたしがいつ、誰に迷惑をかけたっていうのよ!」

 

 反応は劇的だった。

 

「俺、エルフにほぼ毎日遊びに付き合わされてるぞ」

 

 マサムネがまっさきに手を挙げ。

 

「私もひ、卑猥な水着の着用を強要されかけたっ」

 

 ムラマサが、身をかき抱きながら同調し。

 

「はは……」

 

 獅童は苦々しく頭を掻いた。

 そんな面々の反応に、申し訳なさそうにも満足そうにも見えるクリスである。

 彼は、慰めるように、フルドライブ文庫の内部事情を打ち明ける。

 

「ちなみに、編集部には山田エルフ対策チームが存在します。別名、山田エルフ先生被害者の会とも言います。――分かったか。お前はもうすこし、自分の態度を改めるべきだ」

「あんた達、裏切ったわねっ! イチロー、なんとか言ってやってよ!」

「うーん」

 

 一郎は唸った。

 五対二の圧倒的劣勢である。ランチェスターの法則に従っても、民主主義の原理に則っても、等しく勝ち目はゼロである。

 果たして一郎の決断は、戦略的撤退であった。

 

「立ち話もなんだし、先を急ぎませんか。見れば皆、取材は一区切りついたようだし」

 

 そのようなわけで、エルフへの糾弾はひとまず棚上げして、一同は別荘へと歩を進めることとなった。

 その道すがら、雑談を交わす。

 

「エルフ。君の山田という筆名、本名だったのか。聞けば、兄君の名も山田というではないか」

 

 いつの間にか親しくなったのか、ムラマサがエルフに話しかける。

 

「本名じゃないわ。兄貴の苗字の『山田』を、ペンネームとして使わせてもらってるの」

「では、君の本名は何というんだ」

 

 ムラマサが、興味津々といったふうに尋ねた。

 おや、と一郎は思う。あのマサムネにしか眼中になかったムラマサが、余人に興味を示したのだ。先日の打ち上げ会でだいぶん打ち解けている様子だったが、それでも、ついぞ下の名前で呼ぶことのなかったムラマサがである。

 それが嬉しいのか、エルフは上機嫌に笑う。

 

「くふふっ。知りたいの? でもダメよ。乙女の秘密ってヤツね。どうしても知りたくば――」

 

 もったいつけるエルフを遮って、

 

「私が教えよう」

 

 クリス氏の、低くて力強い声が響く。

 

「妹の名前はエ――」

「わぁぁぁあ! 言わないでよ、わたしのミステリアスで神秘的で神々しいイメージが崩れちゃうでしょ!」

「だが、一郎先生は既に知っているではないか」

「えっ、そうなのか、一郎先生」

「エルフさんとはクラスメイトだからね。一緒に机を並べて勉強する仲だよ。といっても、たったの一日だけだったけど」

 

 転校初日こそ顔を出したものの、エルフは、以降ずっとクリスタルパレスに引きこもっているのだ。

 

「だから知ってはいるんだけど、本名呼びは許されてないんだ。エルフと呼びなさいってさ」

「ふっ。乙女の秘密は安くないのよ」

「学校の名簿には無料で印刷されてるんだろ」

 

 などと話していると、別荘はすぐだった。

 というのも、楽しい時間はあっという間だし、なにより、別荘はほんとうにすぐ近くにあったのだ。

 海を近くに望む、広々としたまっしろな一階建て。

 

「すげぇな……」

 

 呆然とマサムネが呟いた。

 一同は頷く。

 

「Casa Brutusとか住宅雑誌が取材に来てもおかしくないですね」

 

 お洒落な雑誌で特集が組まれるような、小洒落た別荘である。

 まっしろな壁面に、大小の窓が連なっていて、その左右を赤い飾り雨戸が飾っているのが見える。これは粋な塩害対策である。潮風に吹かれると、網戸や窓は消耗が早くなる。それを防ぐよろい戸を、遊び心が飾り付けているのだ。

 そんな、赤色のアクセントを上品に配置した白壁からは、台形のベイウンドウがせり出している。中を覗けば、そこは食堂であるらしかった。海を眺めながら、食事が楽しめるのだ。

 涼しげなのは、母屋の側面からせり出したパーゴラである。格子状の棚が軒先に延びており、それは、蔦のからまるグリーンカーテンとなって、ビーチチェアに涼やかな影を落としている。

 まさしく、映画や雑誌から飛び出してきたような、それは小洒落た別荘だったのだ。

 

「ふふっ、あまりの凄さに声も出ないようね。でも、本当の驚きはこれからよ。そこで外観を眺めるのも、まぁ悪くはないけれど、中はもっと凄いんだから」

 

 そしてエルフは一行を案内した。

 その別荘のこだわり様は、圧巻であった。

 内装もまた、涼やかな白で統一されている。内壁はもちろんのこと、床もクルミの無垢フローリングで、更には、調度も黄色がかって暖かみのある白のナラ木なのだ。そして、さり気なくところどころに配置されたゼブラウッドのアクセントが面白い。

 もっとも、そのこだわりように気付いたのは、一郎だけのようである。

 

「へぇ、外観もそうだけど、中もお洒落だなぁ。ソファーや照明も、南国リゾートって感じて凝ってるし。このテーブルも、なんか格好いいよな」

「うん。これはなかなか、感じが良い」

「これも手触りが良いですよ」

 

 などと言いながら、あちこちぺたぺた触る三人に、一郎はそっと忠告する。

 

「あんまり手垢とか付けない方が良いかもね」

「あの、一郎先生。これってひょっとして、お高かったりします?」

 

 恐る恐る尋ねる獅童。

 

「それなりにね。とは言っても、美術品じゃないんだから、触ったところで怒られはしないと思うよ。でも、こだわって選び抜いたんだろうなって感じはするね」

「……」

 

 マサムネは、そっと手を離した。

 あちこちから造り手の思い入れがひしひしと感じられて、遠慮する気持ちが芽生えたのだ。

 

「どうした、マサムネ君。こう言ってるんだ。遠慮する必要はないだろう」

「今のを聞いてそう思えるムラマサ先輩を尊敬するよ……」

 

 そんなこんなでリビングに居ついてしまった四人を、エルフが急かす。

 

「ちょっと、荷物は置いたんでしょ。いつまでもそんなとこで駄弁ってないで、次行くわよ」

 

 食堂、キッチン、パーゴラときて温泉である。

 

「おいおい、嘘だろ……」

 

 もはや、マサムネは二の句を継げることができなかった。

 なんと、それは、露天風呂であった。近くに海を望む、岩づくりの露天風呂。

 

「とんでもないですね。これ、維持管理費っていくら掛かるんでしょう」

 

 なにせ野ざらしの水場である。砂埃もつもれば、水垢もつく。木の葉も飛んでくるし、夏には水草だって生えるかもしれない。どうしたって人の手で整備しなければならない。そして、人件費は馬鹿にならないのだ。

 

「エルフ、貴様の家は資産家なのか?」

「ま、ちょっとした小金持ちかしらね。もっとも、あと数年の内には、わたしのラノベが稼ぎ出す資産の方がはるかに勝るようになるわ」

 

 いつものように自信たっぷりのエルフであるが、すこし威勢が足りない。ひょっとしたら、あまり好ましくない話題なのかもしれない。

 それを察した一郎は、話題を転がすことにする。

 

「これは素晴らしいね! こんな絶景を見ながら温泉に入ること自体なかなか稀だけど、今回はさらに、友達の家の持ち物件ときた。ふつうのお宿なら絶対にできないこと、できるんじゃないかな」

「おお、いいなそれ!」

 

 喰いついたのはマサムネである。

 それじゃあ、と言いかけて、結局彼は小首を傾げた。

 

「何をしたらいいんだ? お風呂で泳ぐとか?」

「確かに、マナーの悪いことはふつうの温泉ではできませんけど、そこまでしたいことではありませんし」

「あるじゃないか。とびきり極上の贅沢が」

 

 言ってみたはよいものの何か違うぞと小首を傾げるマサムネと、思案顔の獅童に、一郎はずいと顔を寄せ、とびきりの秘密を打ち明けるように囁いた。

 

「お盆を湯船に浮かべて、その上に肴とお酒を載せてだね……」

 

 二人の反応は対照的だった。

 

「一郎先生、それダメだって! 獅童くん以外、俺たち皆未成年だろ!」

「名案ですよ、一郎先生! それじゃあ、僕だけでも黄金体験を――」

「あ、うん。止めておいた方がいいかもね。特に獅童先生は」

「えっ」

 

 盛り上がりを見せる男連中に、何を思ったか、エルフは警告を飛ばす。

 

「ちょっと、あんた達! 何をこそこそ盛り上がってるの。ひょっとして、良からぬことを考えてるんじゃないでしょうね! いくら月の化身、太陽も焦がれる美の代名詞エルフちゃんがいるからって、覗きなんかしちゃダメなんだから。いいかしら、この男女の仕切は、登ろうと思えば登れるけど、ぎしぎし音がしてすぐに分かっちゃうんだから。絶対に覗いちゃダメよ」

 

 ひしと指さすエルフに対する男連中の反応は、淡泊だった。

 

「はは。そうだね」

「誰が覗くかっての」

「それより、お酒の持ち込みってありですかね」

 

 それは、エルフの期待を裏切るものだったから、彼女はむきーと牙を剥く。

 

「ちょっと、何よその反応! べつに覗かれたいわけじゃないけど、納得いかないわ。今ならムラマサのだらしないワガママボディも付くのよ! どう? それでも、そんな反応しちゃうわけ!?」

「なっ、私もか!? それに、誰の身体がだらしないだと!」

「言い間違えたわ。ふしだらな、だったかしら」

「なっ、なっ、なんだとっ」

 

 顔をまっかにして身体をかき抱くムラマサと、そんなムラマサ弄りにすっかり夢中になってしまったエルフである。

 見かねたマサムネが助け船を出すこととなった。

 

「えっと、そろそろ次行こうぜ」

「それもそうね。次は、ゲストルームよ。部屋割りの相談もしなくちゃだし」

「部屋割り?」

「二人部屋なのよね、ここのゲストルーム。――よし、決めたわ。部屋は男女混合。具体的にはわたしとマサムネ、ムラマサとシドー。イチローはぼっちね」

 

 この強引な決定に、二人が抗議する。

 

「うぉい、ちょっと待て、おかしいだろそれ! ふつうは男女で分けるもんだろ。例えばエルフとムラマサ先輩、シドーくんと俺とか」

「おのれ、亜人風情が卑怯な真似を! どうしてお前とマサムネ君が同室なんだ!」

 

 この二人が騒ぎ立てるのは想像に難くない。マサムネは常識人だったし、ムラマサは、小説とマサムネのことが人生の九割を占めている。

 意外なのは、獅童の反応である。

 

「えっ。僕がマサムネくんと同室ですか……」

 

 実に嫌そうに、油のきれた歯車のこすれるような声を出したのである。

 

「あの、えっと、シドーくんは、俺と同室は……嫌ってこと?」

 

 マサムネが恐る恐る尋ねる。

 長い沈黙があって、獅童は、顔を逸らしてなんとか答えた。

 

「…………ホモの方と同室は、ちょっと」

「ホモじゃねぇよ!」

「えっ。でも、エロマンガ先生と」

「エロマンガ先生とはそういう関係じゃないって。信じてくれ!」

「でも、同棲してるんですよね。いったいどういう関係なんですか」

「うっ」

 

 そこを突かれると、マサムネも二の句が継げない。

 エロマンガ先生の正体は、同じ屋根の下で暮らす義妹である。そう明かせば問題は解決するのだが、これは、マサムネとしては秘密にしておきたいことなのだ。

 返事に窮したマサムネを、獅童は懐疑の目で見やる。いや、その瞳には、もはや確信の色を宿している。

 

「獅童先生。大丈夫、心配いらないよ」

「一郎先生!」

 

 見かねた一郎が助け船を出す。

 マサムネは感極まって、歓声をあげた。

 

「とある作家さんにゲイの友人がいて、仕事の関係でビジネスホテルで同室に泊まることになったんだけど、こう言われたんだって。――そんなに警戒しなくても大丈夫よ。あなた、私の好みじゃないもの」

「一郎先生!?」

 

 助け船は泥船だった。

 だが、泥船でも緊急避難の役には立ったらしい。獅童は前向きに、あるいは自分に言い聞かせるように、呟いた。

 

「な、なるほど。ホモの人だって、男であれば誰でもいいってワケじゃないですもんね。好みってものがありますもんね」

 

 だが、泥船に水をかける人物がいた。エルフである。

 

「ところで、エロマンガ先生ってどんな人なのかしら。こないだPC越しに見たときは、お面にパーカーなんて格好してたけど、背も低いし、細身ではありそうだったわね。さて、シドーは……」

「えっ」

 

 一同の視線が獅童に向けられた。

 背は低くない。しかし、痩せ肉である。加えて、容姿も中性的なイケメンだ。

 

「んー。確率五十パーセントってところね。イケメンが好みのBLタイプなのか、それとも男らしいオッサンが好みのガチタイプなのかは不明だし。さ、獅童。どうする?」

「嫌ですよ! 五十パーセントって、〇・五でしょ。四捨五入したら一、つまり百パーセントじゃないですか!」

 

 獅童は泣いて嫌がった。しまいには男性怖い、人間怖いと叫びだす始末である。

 

「どうにかならないんですかっ。そうだ、マサムネ先生はエルフさんと、ムラマサ先生は一郎先生と相部屋にしましょう。そうすれば僕は一人になれます。それがいい、そうしましょう!」

 

 獅童は、これこそ名案であると力説した。マサムネと一緒になりたいというエルフの希望は満たしているのだと。

 だが、どういうワケか、エルフは否決する。

 

「それはダメ」

「ど、どうしてですかっ。このままじゃ僕の出口が入り口にっ」

 

 獅童は驚き、嘆いた。

 しかし、一番驚いたのはエルフであったかもしれない。彼女は、考えるよりも早くに自分の口から飛び出したその言葉に、呆然としていたのだ。

 そんなエルフを置き去りにして、話はどんどん進んでいく。

 

「なんでだよ、俺はエクスカリバーしないっての! だから、俺と同じ部屋でも何も問題ないって。だから一緒に寝ようぜ。なっ!」

「どうして同室に拘るんですかっ。それに、その表現、変なルビ振られてませんよね!?」

「そもそも俺はホモじゃないって! 信じてよ!」

「おい、そこな亜人。お前がマサムネ君と同室になったら、私はいったい誰と同じ部屋になればいいんだ! 今すぐ部屋割りを男女で分けろ!」

 

 そのようなムラマサの必死の説得もあって、エルフとムラマサ、一郎と獅童の相部屋、そしてマサムネの一人部屋ということで落ち着いた。これは、獅童の強い希望を容れてのものである。

 

「お願いですから、ホモの人との同室は勘弁してください。それと、やっぱり一人は不安なので、一郎先生と相部屋にしていただけると助かります」

「もうそれでいいです……」

 

 がくりとうなだれて、口から魂でも漏れていそうなマサムネであった。

 そうして部屋割りが決まると、各々荷物をゲストルームへ持ち込んだ。 

 もちろん、そのゲストルームも豪勢である。

 

「うへぇ、やっぱり広いな」

「でも、上品にまとまって感じが良いね。なんだか、こう、落ち着いてゆっくり休むことができそうだ」

 

 豪奢とはまた違う、落ち着いた、洒脱とも言うべき趣があった。

 基調を白でそろえ、変わった形の、けれども決して派手でも奇抜でもない照明が、ささやかなアクセントとして華を添えている。

 

「各部屋の冷蔵庫の中身は、自由に飲んでいいからね」

 

 お茶もあるわよ、と気配りのエルフである。

 すかさず一郎が「流石」と持ち上げれば、気持ち良さそうに右手で髪を掻き上げた。白魚の指先がたおやかに耳を撫で、金糸の先へと泳いでゆく。

 

「ところでそのお茶、砂糖とか入ってないよね」

「お茶って、紅茶?」

「各種取りそろえてあるわ。コーヒー、紅茶、ウーロン茶、緑茶にほうじ茶、それからジャスミン茶。もちろん、緑茶やほうじ茶には砂糖は入ってないわよ」

「そんなの当然だろ。抹茶に砂糖入れる提督じゃあるまいし。……一郎先生?」

 

 ほっと胸をなでおろす一郎を、マサムネは訝しげに見やる。

 一郎のしぐさは、妙に真に迫っていた。まるで、実際にその非常識を体験したことがあるような――

 

「まさか!」

「そのまさかだよ、マサムネ先生。赤道直下のアジアの島国では、ペットボトルの緑茶に砂糖が入ってるんだ。はじめて旅行したとき、そうとは知らず、渇いた喉にどろりと甘いお茶を――」

「うへぇ」

 

 珍しく苦りきった声を出す一郎につられて、マサムネも呻いた。

 

「ってかさ、いつまで獅童先生はそうしてるんだよ」

 

 マサムネは寂しそうに獅童を見やった。

 獅童は、離れたところで荷を解いていた。可哀想な獅童は、すっかり怯えてマサムネの方を見ようともしない。

 一郎が憐れむように言った。

 

「マサムネ先生、今はそっとしておいた方が良いよ。それに、これから海でしょ。女好きってところを見せつけたら、きっと誤解も解けるよ。だから、海では女の子の水着にデレデレして、思いっきりはしゃぐこと。いいね? さ、自分の部屋に行って、荷を解いて海へ繰り出そうじゃないか」

「お、おう」

 

 いまひとつ納得しかねるマサムネであったが、他に良い手立ても思い浮かばなかったので、とりあえず説得されることにした。

 ひとり部屋へと向かうマサムネを、一郎は「やれやれ」と見送る。

 かと思えば、執筆道具(ポメラ)を取り出して、執筆作業に取りかかる。

 

「あれ。一郎先生は海へ行かないんですか」

「それなんだけど、ちょっとばかし間を置いてほしいって、エルフさんから。だから、獅童先生もお願いね」

「へぇ、なるほど。それにしても、いつの間に」

「さっき、エルフさんが右耳を触っていたからね」

「え?」

 

 一郎のひそかな囁きは、獅童の耳に届かなかったと見える。訝しがる獅童に、一郎は何でもないと笑って答えた。

 

「それにしても、マサムネくんはモテモテですね。女性陣は不憫ですけど。マサムネ先生は女性に興味無さそうですし」

 

 いまだに勘違いしたままの獅童に、一郎は悪戯っぽく微笑む。

 

「獅童先生。世の中にはバイっていう人もいてだね――」

 

 それは、先ほどのアドバイスを両断する理不尽の一刀であった。

 こうして、激動の四日間は幕を開けたのである。




12,403文字

思ったより五割増しくらい長くなりました。
何故だ。
ホモのせいだ。
原作読み返して爆笑しました。何度読んでも笑えます。

ところで、私は大学の講義で隣合った人に「ゲイですか」と尋ねられたことがあります。
"Gay Men's English"という本を読んでいたからでしょうか。ゲイの人がどういう英語を話すのか、という学術書です。ゲイとちゃうねん。
仲良くなりましたけど、「お兄ちゃんと呼んでいいですか」と訊かれてとっさに防衛反応が出てしまったのは申し訳なく思っています。もっと普通に接してあげたかったし、話もしたかった。
でも、仕方ないじゃない。だって、そういうことですよね?
ワイはゲイとちゃうねん。美しい二次元に魂を預けとんや!

また、友人はバーで知り合った人に「宅呑みしない?」と誘われて、ホイホイ付いて行って当然のように褥に誘われ、もちろん断ったそうですが、「自分が今日どういう気持ちで一人寝ると思ってるんだ」と恨み事を言われて、じゃあ抱かれてやろうかと自棄になりかけたそうです。
バーと言っても、ポリスアカデミーのブルーオイスターみたいな特殊なバーじゃないそうですよ。
早まらなくて良かったね! 友人の菊が散るなんて、考えただけでもぞっとします。

さらに、「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。あなた、私のタイプじゃないから」というのは同僚の話です。
うーん。こうして考えてみると、ジェンダーの問題って重要ですね。もっとリベラルに、皆が生きやすいように世の中なるべきかもしれません。

さて、次の週末は更新できないと思います。


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11.妖精島の三泊四日・中

土曜日の出勤が免れたので、なんとか間に合いました。


 ***

 

 

「それにしても、贅沢ですね」

 

 愛機のモバイルPC(シグマリオンⅢ)に向かって鍵打していた獅童が、顔を上げ、誰に言うでもなく呟いた。

 視線の先には、窓枠で切り取られた海岸の風景があって、そこから、とおい潮騒がうち寄せてくる。

 一郎も執筆道具(ポメラ)から顔を上げて、しばしその景色を堪能する。

 

「そうだね。こうしてわざわざ南の島へやってきて、海を目の前にしながら、いつものように筆を執る。寒い冬に炬燵に入ってアイスを食べるような、そんな贅沢さがあるね」

「それ、ちょっとスケール小さくないですか」

 

 苦笑する獅童に、違いないと一郎は笑って頷いた。

 

 海を近くに望む、贅沢な立地である。

 その立地を活かすべく、別荘はひろびろと横に延びて、ほぼ全ての部屋から海が望めるようになっている。

 それだけではない。ベッドやチェア、ソファーといった家具はどれも、そこに身を預ける人間がなんらかの形で海の気配を感じることができるよう、配置に工夫を凝らしているのだ。

 この大自然を身近に感じながら、のんびり羽を伸ばして欲しい。

 そんなさり気ない想いやりが感じられて、二人はしばし手を止め、穏やかな時を楽しむのだった。

 そんな折に、

 

「うぎゃあ」

 

 と声がしたものだから、一郎と獅童は顔を見合わせた。

 女の声である。

 女性の悲鳴はよく「絹を引き裂くような」と形容されるが、こちらは、何重にも重ねた絹をずたずたに引きちぎるようかのような力強い声だった。

 驚きだけではない。腹の底からわきあがる、怒りの衝動をないまぜにしているのだ。悲鳴、というよりかは怒声の方が近いかもしれない。

 

「ムラマサ先生ですか」

「だねぇ」

 

 二人は椅子を蹴って立ち上がる。

 

「どうしたんですか、ムラマサ先生」

 

 ゲストルームの扉をたたくと、悲鳴が応える。

 

「は、入ってくるな!」

「何かあったんですか」

「あったとも言うし、無くなったとも言えるが……。とにかく、入ってくるんじゃないぞ、絶対にだ!」

 

 しばらしくて、着物を着崩したムラマサが現れた。

 頬を染めるは、怒りまじりの羞恥。憤懣やる方ないといった様子で、ムラマサは事情を語る。

 

「海に行こうとしたら、水着がすり替わっていたんだ。こ、こんなとんでもないものに!」

「こ、これは過激ですね」

「中学生にはちょっと早すぎやしないかな」

 

 それは、一応は水着の体を成してはいた。本当に大切な部分を隠すのが水着の役割であると割り切るなら、たしかに水着に違いない。けれども、多感な少女を男の獣欲から護るには、いささか頼りない。というより、煽っている。

 これを進んで着るのは、羞恥心を悦びへと変換する特殊な機構を心に備えた新人類か、飢えた獅子に我が身をよろこんで差し出す献身の聖くらいのものであろう。

 

「やっぱりそうか。あの亜人の仕業だな。危うくこんなハレンチな格好で、マサムネくんの前に立つところだったではないかっ」

「つまり、僕らが来なかったら着てたのかな」

「そっ、そんな格好で人前に出るわけがないだろうっ」

「にしては、ずいぶん悩んでたみたいだけど」

 

 一郎と獅童が執筆作業に取りかかってから、ずいぶんと時が経っていた。その間、ムラマサは隠された水着を探し、それでも結局見つからずに、この際どい水着を着るべきか着るまいか悩んでいたに違いない。

 

「エルフのやつが悪いんだ。あの性悪亜人め!」

 

 と肩をいからせて怒るムラマサを、一郎は宥める。

 

「エルフさんのことだから、本気で嫌がらせしようと思ったわけじゃないよ。その水着を着せようとしたのは本気だと思うけど、ちゃんと別の水着も用意してる筈、だと思う」

「そう、なのか?」

「クリスさんか管理人さんを呼ぼう。きっと大丈夫だよ」

 

 果たして、一郎の言ったことは正しかった。

 急遽呼び出されたクリスは、

 

「たしかに、ゲストに貸し出すための予備の水着はあるが」

 

 と肯じたのである。

 彼は、申し訳なさそうに頭を下げると、

 

「妹が申し訳ないことをした。私からも厳しく言っておく。もちろん、千寿先生からも厳しく叱っていただいて構いません」

 

 と拳を固めるのだった。

 

「ね」

 

 と微笑む一郎に、ムラマサは複雑そうに言った。

 

「……お前は、ずいぶんとエルフのやつを理解しているんだな」

 

 低く響く、ムラマサの声。まだエルフのことを許せていないのは明らかだ。静かな怒りの種火が、いまだにくすぶっている。

 その種火を吹き飛ばすべく、一郎は笑って爆弾を投下した。

 

「まさか。まだまだ知らないことばかりだよ。会ってから、まだ数ヶ月しか経ってないんだし。でも、それでも分かることはある。ちょうどムラマサ先生がマサムネ先生に惚れて、為人をどんどん知ってますます好きになっていったようにね」

「なっ! どうしてそれをっ」

「えっ、バレてないと思ったんですか」

 

 頬を染めるムラマサに、獅童は、呆れ混じりに驚いた。

 

「そもそも、ラノベ天下一武道に応募した作品からして、マサムネ先生のことですよね」

「や、やはりそう思うのか」

「まぁ、ひょっとしたらとは思ってましたけど、実際に会ってみて確信に変わりましたよ」

「そ、それじゃあ読者も……」

「分かってるんじゃないですかね。その、エルフさんがSNSで積極的に情報を流してるみたいですし」

「ななな、なんだそれは。これでは、公衆の面前で告白したみたいじゃないか!」

「というより、そのものだと思うけどね」

「――――つ!」

 

 首元まで真っ赤にしてうろたえるムラマサに一郎は、でもさ、と続ける。

 

「ほんとうに素敵な恋文だったよ。あんな告白されたら、やっぱり誰だってぐらっとくると思うんだ。それに、物書きらしくてロマンチックだ。きっと、マサムネ先生的にもポイント高いよ」

「そ、そうだろうか」

「そうともさ。そんな折りに、その水着を着ていったりなんてしたら……ひょっとしたらころっと惚れちゃうかもしれないね」

「む、むぅ。だが、しかし……」

 

 ムラマサの瞳が、葛藤に揺れる。

 ひょっとしたら、意中の相手を射止めることができるのではないか。しかし、この格好は常識外れに過ぎる。引かれてしまう可能性もまた否定できない。

 そんな葛藤を見抜いて、一郎は話を転がした。

 

「もちろん、無理をする必要なんてない。そもそも中学生には過激だし。ただ、エルフさんは、そういうことも考えてたんじゃないかな。敵に塩を送るってやつだよ。ほら、そういうのエルフさん好きそうだし」

「た、たしかに。そう言われてみれば、そうかもしれないな……。まったく、仕方のないヤツだ」

 

 もうすっかり、エルフの対する怒りは鎮火してしまったようである。

 たしかに、常識外れにすぎる衣装ではあるが、しかしそこには、エルフなりの気遣いがあったのかもしれない。悪気はあっても、悪意はなかったに違いない。だから、許すのもやぶさかではない。

そのように、ムラマサは思考を誘導されてしまった。

 

「一郎先生、ちょっとえげつないことありませんかね……」

 

 獅童は戦慄した。

 初なムラマサを動揺させ、判断力を失っている間に押し込む。ちょっと悪質なやり方だった。

 非難がましくねめつける獅童に、一郎は真剣な顔で応える。

 

「これが最良なんだよ。ムラマサ先生が納得して、エルフさんは血を流さず、僕らに飛び火することなく平和に事が収まる。三方良しのwin-win-winの関係だよ」

「たしかに、ムラマサさんときたら、何しでかすか分からないところがありますけど」

 

 獅童の描くムラマサ像はヤンデレである。

 自分に厳しいムラマサは、他人にも手厳しい。ましてや、人生の全てと言っても過言ではないマサムネに関することである。ひょっとしたら、かつて自身にそうしたように、エルフの生爪を剥ぐくらいのことはしたかもしれない。

 獅童は力強く頷いた。

 

「そうですね、平和が一番ですね」

 

 結局、ムラマサはまっしろなワンピース水着を着ることとなった。

 

「これなら何とか大丈夫だ。よし、エルフのやつを怒鳴ってこよう。爪を剥ぐまではしないが、これくらいはな」

 

 と言うなり、彼女は浜辺めがけて駆けだした。

 

「……一郎先生、宥めておいて正解でしたね」

「……本当にね。こんなに自分を誉めたいと思ったのは生まれて初めてかもしれない」

 

 二人は顔色を青くした。

 千寿ムラマサという少女は、ちょっと常識という尺には収まりきらないくらい、行動が大胆だったのだ。

 そうして二人が浜辺にたどり着いた時には、エルフとムラマサが楽しそうに喧嘩をしていた。

 

「ちょっと、どうしてわたし用意した水着を着てないのよ! せっかくサイズまで合わせたのに」

「どうしてもこうしてもあるか!」

「それが、あるのよ。どうしても着てもらう必要が。アレを着てもらう約束で、エロマンガ先生からマサムネの派遣許可を取ったんだから」

「他人様を勝手に約束の対価に差し出すやつがあるか!」

「あら、知らなかったかしら。勝利の為ならば、仲間の魂をかけてもいいのよ。某スタンド使いだってそうして勝ってるんだから、問題ないわ。だいたい、あんただってマサムネ目的で旅行に来たわけなんだし、ちゃんとチャンスだって作ってあげてるんだから、黙って従いなさいよ。感謝こそすれ、わたしを恨むのはお門違いよ」

「なるほど、そういう話があったんだね」

 

 と一郎が割って入れば、

 

「あら。イチローに獅童じゃない。どうかしら、このエルフ様の尊い水着姿は」

 

 エルフはしなをつくって優雅に構える。

 その姿もまた、過激だった。

 ビキニである。惜しみなく晒された白磁の肌は、白光をまとって目にまぶしい。くびれた腰は丸みを帯びはじめ、女性としての成熟を予感させた。その一方で、薄く小さな臀部と、そこから延びる細い足は、幼い少女の未成熟さを匂わせる。

 しなやかな青いつぼみが、徐々に艶めかしく花を咲かせようとしている。そんな妖しい美しさがあったのだ。

 自分の容姿に自信のあるエルフである。そして、一郎ならば気持ちよく褒め称えてくれるに違いない。

 その期待は裏切られることとなった。

 一郎は複雑な表情で、こう言ったのである。

 

「素敵だけどね、一枚羽織ったらどうかな。ずっっと海に入ってたんでしょ。そろそろ冷えるんじゃないかな」

 

 それは、無理のある理屈だった。なにせ、夏なのである。

 太陽が、じりじりと砂浜を焼いている。足裏には、サンダル越しに砂浜の熱を感じるかのようである。空気は乾いて、喉に貼りつくようだ。

 暑い。海水につかれば、日が暮れるまでずっとそうしていたいと思うに違いない。冷えるどころか、海水は温いぐらいだったのだ。

 獅童は驚いた。これが、つい先ほど上手くムラマサを丸め込んだ人物だとは思えなかったのだ。

 エルフもまた、一郎の珍しい反応に我知らず胸をおさえた。

 

「そ、そうね。ありがとう、とりあえず羽織っておくわっ。それより、ほらっ、海よ。どうかしら、我が家の海は!」

 

 多少強引な話題の転換であったが、効果は抜群だった。

 まさに楽園の海なのだ。碧色に透き通っていて、とても美しい。目を凝らせば、魚が泳ぐ姿すら認めることができたかもしれない。

 一郎は、素直に驚いた。その様子が、エルフに落ち着きを取り戻させる。

 

「綺麗な海だね! こんな海は、日本にいたんじゃまず見られない」

「バカね。ここも日本じゃない。パスポートなんか使わなかったでしょ」

 

 エルフはくすりと微笑んだ。

 いつも落ち着き払っている一郎である。それが、きらきら目を輝かせて、年相応にはしゃいでみせたのが嬉しかったのだ。

 

「せっかくだし、泳ごうかな。皆であの島まで競泳してみない?」

 

 という一郎の提案は、しかし、すぐさま否決された。

 

「それなんだけど、エルフも俺も泳げないんだ」

「僕もです。その、泳ぐのは苦手で」

「私もだ。そもそも泳ぎを覚える必要がなかった」

「え」

 

 まさかの満場一致の否決である。

 

「学校で水泳の授業、あったよね?」

「そりゃそうだけど、べつに二十五メートル泳げなくても小中学校は卒業できたし、高校には水泳の授業なんて無いしな」

「そうですね。成績に目をつむれば、そこはどうにかなりました」

「わたしは学校なんか通ってないわよ」

「そもそも小説を書くのに泳ぎは必要ない。人間は椅子に座って小説を書いていればいいんだ」

「うん。まぁ、そうかもしれないね」

 

 島国の民として思うところがないわけではないが、それを言っても詮無きことである。

 結局、ビーチバレーやらスイカ割りやらをして、浜辺で遊ぶこととなった。

 もちろん、遊びはそれだけではない。遊び疲れて砂浜に横になったマサムネは、パラソルのつくる日陰の下、砂を盛られて筋肉隆々の偉丈夫に改造されたし、そんなマサムネを、ムラマサは鼻息を荒くして描写した。

 

「なぁ。砂を盛るのは構わないんだけど、ちょっと等身おかしくないか?」

「すっごくサッカーの上手そうな身体つきよ。キャプテン・マサムネね!」

「た、たくましいマサムネくんも良いものだなっ」

「ムラマサ先輩、なんか目が血走ってない!? 怖いよ!」

 

 一郎と獅童は砂城作りに興じ、お互いの意外な一面を発見した。

 一郎の砂城は、子供のつくった粘土細工のように不細工だったし、獅童のそれは、なんと天守閣つきの和城だったのだ。

 

「一郎先生って、意外と不器用なんですね。もっと、なんでもそつなくこなすのかと思ってました」

「そういう獅童先生こそ、びっくりするほど器用なのは予想通りだけど、意外と渋い趣味してるんだね。お菓子でできた洋風のお城とか、メルヘンなのを作るのかと思ってた」

「先日、一郎先生にいただいたお酒がきっかけで、和風という分野に興味が出まして」

「そう言ってもらえると嬉しいな。甲斐があったというものだよ」

「実は、あれからお酒について色々調べ始めまして――」

 

 こうして五人は思い思いの時間を過ごしていたのであるが、

 

「なんでしょう、あの雲は」

 

 いつの間に、やって来ていたのだろうか。

 

「なんだかカッコイイな。”竜の巣”みたいだ」

 

 巨大なくちなわがとぐろを巻いて、五人の見上げるすぐ上空に鎮座していたのである。

 

「スコールよ!」

 

 エルフが叫んだ。

 その途端、

 

「うわっ、なんだこれ!」

「マサムネくん、はやくパラソルに入るんだっ」

「なんだって!? 雨音で聞こえないぞ!」

 

 篠突く雨、とでも言うべき驟雨(しゅうう)である。

 砂城は流され、あれだけ碧かった海はまたたく間に白い濁りを浮かべた。

 それでも奇妙なことに、空は明るい。まっさおな晴天がどこまでも続いていて、しかし、彼らのいる浜辺だけが雨に降られている。

 それは、五人の頭上に居座る大蛇が、気まぐれに降らせた悪戯の雨だった。

 たまらず五人はパラソルの下へと身を寄せた。

 その矢先である。

 

「あっ」

 

 という間もあらばこそ。

 何を思ったか、エルフはパラソルから飛び出した。

 両手を広げ、滝のような雨に自ら飛び込むと、満面の笑みで歓声をあげた。

 

「うぅーん、気持ち良いわっ!」

 

 みるみるうちに、雨が彼女を彩った。

 白磁の肌で、雨粒が跳ねる。雨粒は、きらめく陽光を吸いこんだ光の珠となって、しとどに濡れた金糸の髪を飾りたてた。

 それはまさに、雨降りの花園に不意に姿を見せた、気まぐれな妖精の舞いであった。

 この幻想的な光景に、一同は声もなく見入ってしまう。

 

 ひょっとしたら、自分は白昼夢を見ているのではないだろうか。身じろぎひとつでもしたら、この気まぐれな妖精は、雨と一緒に地上から姿を消してしまうのではないだろうか――

 そんな突拍子のない不安に囚われて、誰も、ほんの一言すら発することができないでいたのである。

 彼らを現実に引き戻したのは、他ならぬエルフだった。彼女の口から最初に飛び出しのは、とんでもなく下品な罵倒語だったのだ。

 

「何よ、アホ面さらして。アンタたちってば、ほんとうにバカよね。こんなに暑くて乾いてて、そしてここは海でわたしたちは水着姿なのよ。だったら、することなんて決まってるじゃない? こんな最っ高に気持ちいいことなんて、他に無いわよ!」

 

 それで、一同は、彼女が血の通った人間であることをやっと思い出したのだった。

 

「それもそうだね。流石、エルフさん」

「おまえにアホだのバカだの言われるのは業腹だが、たしかにそれは楽しそうだ」

「これも取材というやつですね」

「みんなも行くのかよ。それじゃあ俺もっ。――うひゃあ、こりゃすごい!」

 

 こうして五人は、乾いた夏を潤す、恵みの雨を堪能したのである。

 

 

 ***

 

 

 色とりどりとの夕餉である。

 綺麗な貝のパエリアには、橙や赤のパプリカが散りばめられ。地魚のカルパッチョには、瑞々しい緑のオリーブがそっと実を添える。ひよこ豆のスープには、トマトが紅一点を飾り。牛肉のシェリー煮込みは、飾り葉の緑が引き立てた。

 地中海を思わせる鮮やかな料理の数々には、どこかエスニックな匂いがつきまとった。それは、クミンで香り付けされたオリーブ油である。香辛料のスパイシーな風味が、ふんわり口の中に残るのだ。

 

「凄いなぁ。これを全部エルフが?」

「まぁね。下拵えは管理人さんに手伝ってもらったけど、それ以外は全てっ! この敏腕シェフ、エルフ様の手によるものよ。どうかしら、我が妙技は」

「料理が上手だとはうかがってましたけど、ここまでとは!」

「悔しいが、これは私も負けを認めざるを得ない。こんなヤツに負けることがあるとは業腹だが」

「とっても美味しいよ。どれも刺激的なのにさっぱりとした後口で、いくらでも食べられそうだ。それに、みんな出来立てだってのがまたすごい。これだけの品数を管理して同時にこしらえるだなんて、よっぽど料理慣れしてないとできない」

 

 口々の賞賛の言葉、そして口を極めて誉めたたえる一郎に、エルフは有頂天になる。

 

「そうでしょう、そうでしょう。美味しく作れて三流。要望通り完璧に作れて二流。料理を出すタイミングを含め、食卓の全てをコントロールできるようになって、はじめて一流のザ・シェフなのよ。そして、小説ならず料理の世界でまで一流の才媛、山田エルフ。こんな才色兼備、良妻賢母、神が二物も百物も与えた奇跡の美少女をお嫁さんにする人は、なんて幸せ者なんでしょうね」

 

 ちらりとマサムネを横目にうかがうが、彼は食事に夢中であった。

 それでもまぁ良いかと、エルフは上機嫌に皿に料理をよそっては配る。

 

「はむっ。やはり美味しい。くっ、やはり洋食では敵わないか。和食なら多少は太刀打ちできるんだが」

 

 悔しい、でも止まらないの! という表情でムラマサは箸を進める。

 

「マジか。これに対抗できる和食って、相当だぞ。そういや、シドーくんもお菓子はエルフ以上だし、ひょっとして作家って女子力高かったりするのかな」

 

 と応じるマサムネも、料理から目が離せない。獅童も同様である。

 

「そういうマサムネ先生も、この前の料理は上手でしたよ。どれも見事な味付けでした。一郎先生は?」

「はは……」

 

 一郎は苦笑を返した。

 

「僕に言わせれば、マサムネ先生含め、この面子が特別なんだと思うよ」

 

 そんな一郎の得意料理はといえば、レシピ通りにすればまず失敗のない煮物である。煮物は科学だ。科学とは再現性の学問である。決まった手順を踏めば、決まった結果がもたらされるのだ。

 もう一つ得意料理を挙げるとすれば、それは、野菜炒めであった。長年の独身生活は、具材を火にかけるタイミングを、すっかり一郎の魂に刻み込むことに成功したのだ。絶妙な歯応えに仕上げることができるのが、一郎のひそかな自慢だった。

 とはいえ、この輝かしい面子を前にしては、口に出すのも憚かられる。ひそかな自慢は、そのまま、そっと秘されることとなった。

 こうしてエルフの料理に舌鼓を打った一行は、しばし腹ごなしに歓談に興じ、それから、湯船につかって一日をしめくくることとなった。

 

「えっ、三人いっしょに入浴ですか……」

「まぁまぁ、獅童先生。三人だし」

 

 マサムネからそっと身を離す獅童を、一郎が宥める。誤解はいまだに解けていなかった。

 

「あの、俺、先に入ってるから……」

 

 可哀想なマサムネは、いたたまれなくなって一人先行する。

 見るに見かねて、一郎は獅童を説得することにした。

 

「ほんとうに大丈夫だからさ。獅童先生も知ってるでしょ。マサムネ先生の、エロマンガ先生に対する――かどうかはさておき、想い人に対する一途さを」

「ええ、それは、まぁ」

「ゲイかバイかはさておき、あれだけ優しいマサムネ先生が、恋愛面に関しては残酷なくらいあの二人を寄せ付けないんだ。その一途さは本物だよ。そんなマサムネ先生が、獅童先生を襲ったりするかな」

「……そう、ですよね」

 

 獅童は、マサムネの誠実さを知っている。人の気持ちを大切にし、人に対して誠実であろうとする為人を知っている。

 確かに、彼は、エロマンガ先生とただならぬ関係にあるのかもしれない。けれども、そのエロマンガ先生について多くを秘しているのも、そのことで申し訳なさそうに獅童たちに接するのも、彼の人柄の良さの証左である。

 そんな彼が、嫌がる獅童に無理矢理迫るとは到底思えない。

 

「マサムネくんは、そんなことしませんよね。それなのに、僕ときたら一方的に怖がって……。ああ! 僕は、自分が恥ずかしい!」

 

 すっかり俯いてしまった獅童に、しかし、一郎は変わらず飄々と語りかける。

 

「獅童先生が悪いわけじゃないよ。マサムネ先生も、誤解されてもしょうがないことしてるんだし。十人いたら、九人くらいは誤解するんじゃないかな。そうだね、強いて言えば、間が悪かったのかな」

「そう、ですかね……」

「そうとも。いや、傑作だったよ。本気で怖がる獅童先生と、焦ってどんどん墓穴を掘るマサムネ先生ときたら!」

「やっぱり一郎先生は人が悪いですね!」

 

 おかしそうに笑う一郎に、獅童も笑って応えた。

 獅童は嬉しかったのだ。失礼なことをしでかした自分を、あたたかく笑い飛ばしてくれたことが。そして、親しい友人にそうするように、遠慮なく自分をからかってくれたことが。

 

「僕、もう一度お風呂に行ってきます。マサムネくんと色んな話がしたくなってきました」

「いいね。行っておいでよ。僕はもうちょっと荷物を整理して、後から追いかけるから」

 

 獅童は居ても立ってもいられなくなって、廊下に飛び出した。

 これまでの非礼を詫びよう。親しい友人としてやり直すのだ。互いに肩を叩き、笑い合い、膝を交えて語り合おう。

 そうして駆け込んだ浴場、湯煙の向こうには、待ち望んだ友の姿があった。

 

「マサムネくん。マサムネくん!」

 

 と呼びかけて、獅童は硬直した。

 マサムネは、一糸まとわぬ姿の美青年と正面から見つめ合い、

 

「結婚してくれ」

 

 と愛を囁かれていたのである。

 二人が振り向く。視線が獅童にからみつく。

 男達の背後に浮かぶおどろおどろしい薔薇の花園が、するすると蔦を伸ばしてくる様を、獅童は幻視する。

 

「お、」

 

 獅童の背中で悪寒が囁いた。

 つかまればお仕舞いだ。薔薇によって菊の散らされるは必定。ああ無惨。

 非業の最期をとげなくなければ、逃げるしかない。逃げろ、逃げるのだ。

 

「お邪魔しましたあぁぁっ!」

 

 獅童は脱衣所に駆け込んだ。

 脱いだばかりの服をひったくる。下着の上からボタンもかけずに一枚羽織ると、足をもつれさせながら、必死の形相で廊下へとまろび出た。

 あれよあれよという間に、彼は姿を消してしまう。

 

「ちょっと待ってよ! 誤解だよ!」

 

 というマサムネの叫び声は、ついぞ獅童の後ろ髪を捕まえ損ねたのである。

 

 

 ***

 

 

「怖い、マサムネくんが怖い……」

「いったい何があったんだい」

 

 部屋に入るなり、寝台で薄布にくるまってぶつぶつ呟く獅童である。

 

「あ、大丈夫ですので、お構いなく。ちゃんと分かってるんです。あれはきっと、クリスさんの方から迫ったんだって。マサムネくんにその気はないんだって。だから、明日になれば大丈夫。ふつうに接することができると思います。でも、今日だけは、ちょっと距離を置いておきたいかなって」

「うん。何か大きな誤解があったことだけは分かったよ。時間が必要なこともね。つくづく可哀想に」

 

 果たしてそれは、誰に向けた言葉であろうか。

 

「それじゃあ、そろそろ僕もお風呂をいただこうかな」

「ええ、お気を付けて……」

 

 一郎は、着替えを片手に部屋を出る。

 ようやっとたどり着いた脱衣所には、マサムネがいた。

 彼は、一郎の姿を認めると、肩をつかんで言い募った。

 

「い、一郎先生っ。獅童くんから聞いたかもしれないけど、誤解だから! 俺とクリスさんは、そういう関係じゃないから!」

「分かってるよ。僕はマサムネ先生がストレートだと知ってるし、獅童先生も、これに関しては誤解だと分かってるみたいだ。ただ、今は動揺してるみたいだから、今日はそっとしておいた方が良いと思う。大丈夫。明日にはいつもの獅童先生に戻ってるよ」

 

 はじめは興奮していたマサムネであったが、一郎の静かな声音に、だんだんと落ち着きを取り戻し、

 

「そっか。それなら良かった」

 

 ほっと安堵の息をつくに至った。

 

「いやさ。打ち上げの時から、とんでもない誤解されちゃってるしさ。今回の旅行でも、ホモ疑惑が深まっちゃっただろ。せっかく友達に成れたのに、変に疎遠になっちゃったらどうしようかと思ってさ。いや、ほんっとうに良かったよ!」

「大丈夫だよ。獅童先生は人が善いから」

 

 ――誤解したままでも、友情に罅が入ることはないよ。

 破顔するマサムネに、一郎は、含蓄深いアルカイックスマイルで応えるのだった。

 などと会話する間にも、一郎は入浴の準備を整える。

 

「そうだ、一郎先生」

 

 いざ風呂への扉を開けようとした一郎を、マサムネの声が呼び留めた。

 

「今、クリスさんが入ってるんだけど、何というか、ちょっと心構えしといた方が良いかも。善い人なんだけど、ちょっと言葉が足りないっていうか、びっくりさせるようなことを言うかもしれないからさ」

 

 それは、マサムネなりの気遣いであった。口数が少なく、それ故に誤解されやすいクリスと、そんな彼と一対一で向き合うこととなる一郎を慮ったのだ。

 いかにもマサムネらしい気遣いに、一郎は嬉しそうに微笑みを返す。

 

「大丈夫。それも知ってるよ」

 

 そうして一郎は扉を開いた。

 星々のまたたく露天を望む、大浴場である。

 身体を洗い、いよいよ湯船に向かう一郎を、湯船に浸かるクリスの静かな瞳が迎えた。

 

「空が綺麗ですね」

「ああ。東京のような都会では見られない、良い星空だ」

 

 二人は、肩まで浸かり、ぼんやりと空を眺めやった。

 やがて一郎が視線を戻すと、クリスの瞳とぶつかった。クリスは、いつの間にか背筋を伸ばし、この時を待ちかまえていたのだ。

 彼は、頭を下げて謝意を述べた。

 

「一郎先生、先ほどは妹が大変申し訳ないことをした。直接の被害を被ったのは千寿先生だが、一郎先生にもご迷惑をお掛けした。それどころか、妹とご友人方との関係を取り持ってもらっているようで、感謝の言葉もない」

「僕は気にしてませんよ。これでも、楽しませてもらってますから。ムラマサ先生も、口で言うほど怒っているわけではないようだし」

「そうですか……」

 

 クリスは、煮え切らない様子である。兄としての立場と、編集としての立場が、彼の内側でせめぎ合っているのだ。

 編集としては、担当する作家が他の作家に迷惑を掛けてしまったことを申し訳なく思わなければならない。しかし、クリスとて血の通った人間である。兄としてのクリスは、妹が気を置かずに付き合える仲間ができたことを、どうしても喜ばしく思ってしまうのだ。

 そんな葛藤を、一郎は解きほぐす。

 

「クリスさん、そんなに難しく考える必要は無いですよ。普段は編集と作家という関係かもしれませんけど、この場では、エルフさんのお兄さんと友人に過ぎません。そいうことは考えなくて良い。ですから、僕にも気軽に話してほしいし、あの二人は放っといて良いと思います。ああやってじゃれ合うのが、あの二人なりの楽しみ方みたいだし」

 

 意表を突くその言葉に、クリスは目を丸くした。目の前の少年が、とても妹と同じ中学生だとは思えなかったのだ。それどころか、自分よりもよっぽど大人であるように思われた。

 

「君たちには敵わないな。和泉先生にも、作家としてではなく妹の友人として気軽に接してほしいと言われたよ」

 

 クリスは心地良さそうに笑った。

 一郎も微笑み返す。

 

「当然ですよ。エルフさんは、ただの作家仲間にしておくには惜しい人ですから。親しい友になりたいと皆思ってる。だから、安心して欲しい。そんなふうにマサムネ先生も思ったんでしょう」

「そうだとしたら、ありがたいことだ」

 

 不意に、クリスは笑みを納めて、真剣な顔で問うた。

 

「一郎先生、きみは妹のことが好きなのかな」

「ええ」

 

 あまりにあっさり答えたものだから、クリスは、半眼になって尋ねる。

 

「アレのどこか良いんだ。こう言ってはなんだが、アレは難が多いぞ。見てくれは良いが、諸々の欠点はそれを打ち消して余りある。そうだな。例えば、態度が大きく口も悪い」

「確かに、歯に衣着せないどころか、自ら遠慮を破り捨てて裸で追い回すような物言いですけど」

 

 ぎしり、とどこかで何かが軋む音がした。

 

「でも、溌剌としていて小気味良いですね。好き嫌いは分かれるでしょうけど、僕は距離が近いような気がして好きです」

 

 一郎は、微笑みながら答えた。

 

「では、アレの自分勝手なところはどうだ。きみだって、突拍子のない思いつきに有無を言わさず付き合わされてるんだろう」

「毎日色んなことがあって楽しいです。それがなければ、同じ事の繰り返しだったでしょうから。学校に行って、小説書いて。それが退屈だというわけではありませんけど、エルフさんと出会ってしまったら、もう元の生活は物足りません」

 

 クリスは言い募る。

 

「作家として、というより、人間としてもどうかと思う部分がある。締め切りはちっとも守らないし、金遣いだって荒い。自制心と計画性が皆無でだらしない」

「自分の気持ちを大切にしているんですよ。そんな人だから、他人の気持ちも大切にできる。彼女なりのやり方ですけど、でも、確かにエルフさんはそれができる人だ」

「正気か……」

 

 クリスは訝しげに一郎を見やった。

 確かに、そう言えなくもない。だがそれにしたって限度がある。エルフの悪癖は、擁護の余地のないほど悪質であるとクリスは常々思っている。まさか全て本気で言っている筈があるまい。となれば、一郎は嘘を言っているのだろうか。

 そんな疑念を一笑するかのように、一郎は微笑んで、静かに語りだす。

 

「痘痕もえくぼというやつですかね。――エルフさんは、初対面の僕を気遣ってくれたんです。他人様の作品の続きなんか書いて楽しいのかって。楽しいと答えたら、我が事のように嬉しそうに笑ってくれました。その時から、僕はあの人のことが本当に好きになったんです。クリスさんだって、よく知ってる筈です。あんなに良い(ひと)は他にいないって」

 

 ぎしりぎし、と何かが悲鳴をあげる音。

 クリスは腕を組んで、意地悪な質問を投げつけた。

 

「だが、妹は和泉くんを好いているようだぞ」

「そうですね。一度袖にされても、それでも正面切って勝負だーって挑んでますね。小説どころか恋愛事までゲームみたいに考えてるんだから、本当にエルフさんらしい」

 

 くすりと笑う一郎に、クリスは、とうとう観念したとでも言うかのように肩をすくめてみせる。

 

「やれやれ。妹も頑固者だが、きみも相当だな。妹から聞いていた以上だ」

 

 クリスは微笑んだ。

 それは、表情の変化に乏しいクリスが、ここにきて初めて浮かべた、心からの笑みだった。

 

「どうやら、きみと妹は相性が良いらしい」

「そうだと嬉しいです」

「私としては、是非きみに結婚してもらいたい」

「……え?」

 

 珍しく、驚きに目を剥く一郎である。

 クリスの手が、一郎の肩に置かれていたのだ。

 美青年ではあるが、そこはやはり男である。白く滑らかな肌に浮かびあがる、太く男らしい血管はどこか頼もしく。ほっそりと長い指は、節々がごつごつと力強い。引き締まった筋肉は、ほっそりとした鎖骨との対比を成して、逞しかった。

 一郎は、獅童の気持ちが分かった気がした。ありていに言えば、怖い。

 

「実は、先ほど和泉先生にも、結婚して欲しいと言ったんだがな。すげなく断られたよ。彼には既に想い人がいるようだ」

「ああ、獅童先生の誤解はそういうことですか」

 

 ひそかに安堵の息を吐く。

 これまでの文脈がなければ、勘違いしてしまったに違いない。ちょうど獅童のように。

 

「妹に負けず劣らず頑固なきみなら、きっと妹と上手くいくだろう。妹も、まんざらではないようだ。勝手な言い分だが、どうかこのまま妹を想い続けてあげて欲しい」

 

 クリスは、まっすぐ一郎を見やる。

 それは、兄としての真摯な願いだった。

 一郎は、しかし、あっけらかんと言い放つ。

 

「うーん。一緒に仕事してて思ってたんですけど、やっぱりクリスさんは難しく考え過ぎです。――大丈夫。エルフさんは、ほんとうの意味で賢い。どう転んだって、自分で自分の幸せを掴み取りますよ。できれば、そのとき傍にいるのが自分でありたいとは思っていますけど。とにかく、エルフさんに関して心配することはありません」

 

 それがあまりにエルフに対する信頼に満ちていたものだから、クリスは、虚を突かれてぽかんとした。

 やがて、彼は嘆息する。

 

「……そう、だな。その通りだ。まったく、これじゃあどっちが年上か分かったものじゃない」

「きっと、妹を持った兄は、誰だってそうなるんじゃないですかね。子を持つ親だって、きっとそうです」

「ふはっ。親になるというのも大変そうだな。妹一人でも大変なのに、これ以上増えたら、私は過労死してしまいそうだ」

 

 機嫌良さそうに笑うクリスに、一郎もまた笑顔で応じる。

 

「おや。良い人でもいるんですか」

「そういうわけでもないのだが――」

 

 そのような話をしてから、一郎は風呂から上がる。

 去りゆく背中に、クリスの声が掛けられた。

 

「私は、もう少しこうしているよ。きみとは本当に良い話ができた。もう少し、余韻に浸っていたいんだ」

 

 

 ***

 

 

 一郎が廊下に出ると、浴衣姿のエルフがいた。

 湯上がりなのか、肌が赤い。首元まで朱がさして、潤んだ瞳が艶めかしい。

 彼女は、

 

「あっ」

 

 という顔をすると、慌てた様子で右耳をつまみ、悲鳴のような声をあげる。

 

「そ、そういうことだからっ! じゃあまた明日っ!」

 

 そして、そのまま走り去るのだった。

 その方向は、マサムネの部屋である。

 

「ま、こればっかりは仕方ないか」

 

 一郎は、かぶりを振って部屋へと戻るのだった。

 

 一郎の預かり知らぬことであるが、それは、エルフにとって勝負の一夜だった。

 エルフは、とうとうマサムネに真正面から想いを告げ、そして、失恋したのである。

 




13,897文字


とうとう12万字を超えました。12万字で畳める筈が無かった。


ところで、先日、読経して悪霊を退治しました。

夜の四時ごろ、話声に起こされました。
アパートの壁の向こう、お隣さんの部屋から、電話で話すような大きな声が響いてくるんです。
一時間たっても止まないので、どうしようか悩んだ結果、壁に向かってお経を唱えてみました。
般若心経読み終わったころにすっと声が消えたから、アレはお隣さんの迷惑行為じゃなくて、悪霊の仕業だったに違いないと思ってます。

上司に報告すると、「換気扇の下でお香焚けばいいじゃない」とクオリティ向上の提案が。
目から鱗です。木魚や鈴も買おうと思います。

でも、しばらくして、反省したんです。
真夜中にお経が聞こえてきたら、不気味ですよね。
だから、次は落語にします。
お隣さんが笑うまで、落語を止めない!


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12.妖精島の三泊四日・下

 ***

 

 

 一郎の朝は早い。日の出るころには起きていて、さっさと家事に取りかかる。洗濯機を回し、煮物をつくって昼の弁当、夕餉にする。その合間に朝食を食べたり、洗濯物を干したりする。

 一連の家事が終われば、登校までは執筆の時間だ。頭の働く午前中は、執筆作業のゴールデンタイムなのである。

 

 しかし、ここは南の楽園である。

 三食おやつ付きの、夢のリゾートなのである。一郎のするべき家事などありはしない。

 そのようなわけで、一郎は、気ままに小説でも書こうかなとラウンジへやって来たのだが、先客が居た。

 

「むむむ……」

 

 と唸りながら、原稿を読みふけっている和装の少女。ムラマサである。

 ソファーに腰掛け、時にはにこにこ笑顔で、時にははらはらと緊張をたぎらせ、原稿に夢中になっている。

 

「早いね。いつから起きてるの?」

 

 と声を掛けるも、梨の礫である。彼女は、声の届かぬくらい深く原稿に集中していたのである。

 そこまで彼女を虜にする作品とくれば、ひとつしかない。

 

「ああ、マサムネ先生の原稿か」

 

 なんとなれば、和泉マサムネ以外の作品を「つまらない」と一蹴する彼女である。きっと、マサムネから未発表の原稿か、ひょっとしたら書き下ろしをもらっているのだろう。

 一郎は向かいにソファーに腰掛け、執筆道具(ポメラ)を開いた。

 一郎もまた、ムラマサに負けず劣らずの小説狂いなのだ。その生活は、基本的に小説が全てに優先する。唯一の例外は、この気持ちの良い作家仲間たちと、姪っ子のような幼馴染みだけである。

 

「あれ、ムラマサ先輩に一郎先生」

 

 という声が聞こえた気がした。

 キリの良いところまで書いてから顔を上げると、マサムネがいた。

 

「やあ、マサムネ先生。おはよう」

「ああ、やっと気付いてくれたか。ムラマサ先輩も一郎先生も、小説に夢中なんだもんな」

「作家にとっては褒め言葉だね。それに、マサムネ先生にとって、ムラマサ先生のは特に嬉しい反応なんじゃないかな」

「まぁ、な」

 

 マサムネは照れくさそうに頬を掻いた。

 ムラマサを虜にしていたもの。それは、一郎のにらんだ通り、マサムネの未発表原稿だったのだ。

 

「そりゃ嬉しいよ。お蔵入り原稿でこんなに喜んでくれるんだからな」

「ムラマサ先生の気持ち、僕も分かるな。好きな作家の文章なら、それだけでご飯三杯食べれちゃうからね」

「文章がおかずかよ!」

 

 などと四方山話に笑いの花を咲かせる二人であったが、突然、

 

「あの、さ」

 

 とマサムネが複雑そうな顔で切り出した。

 

「なんていうか、友達と気まずくなった時って、どうしたら良いかな」

「気まずいとは?」

 

 思案顔のマサムネは、言葉を探すかのようにゆっくりと、一語々々紡いでいった。

 

「その、もっと仲良くなろうとしてくれた人がいて、でも、それはダメなんだ。俺はそうなっちゃいけない。でも、そいつとは今まで通り、仲良くバカできる友達でいたいんだ。これって、都合の良い話だよな。だから気まずくってさ」

 

 それが何を指すのか、一郎にはぴんときた。エルフは「勝負を決めるわ」と言っていたのだ。

 

「なるほど。エルフさんに告白されたんだね」

「っ」

 

 マサムネは驚き、やがて、観念したようにぽつぽつ語り出す。

 

「俺さ。そう言ってもらえて、嬉しかったんだ。実際、あいつは格好良いし、何度も惚れそうになった。でも、俺には何より大切な、たった一人の人がいるんだ」

 

 申し訳なさそうな、そして苦しそうな表情。

 それは思ったまま、感じたままの、素直な彼の心境だった。和泉正宗という少年の、生真面目さ、誠実さの現れだった。そんなだから、一郎はマサムネのことを恋敵だからと憎むことができないのだ。

 一郎は、やさしく微笑んだ。

 

「気にすることないさ。きっと、エルフさんなら今まで通りにして欲しいって思ってるだろうし、実際にそう言ったんじゃないかな。それと、自分に惚れさせてやるとかね。覚悟してなさい、今に振り向かせてやるんだから、とかなんとか」

「すげぇ、ほぼそのまんまじゃないか!」

 

 大げさに驚くマサムネに、一郎は。思わずくすりと笑ってしまう。

 

「だから、マサムネ先生は今まで通りで良いんだよ。きっと、朝ご飯食べるときにはもう、昨日までのエルフさんさ。ただ、ちょっとばかし積極的かもしれないかもね」

 

 なんでもかんでも、ゲームのような真剣勝負にこだわるエルフである。恋と戦争は手段を選ばぬという言葉があるが、エルフの場合は、恋も戦争も正々堂々たる真剣勝負で全てを決すべきだと考えているに違いない。

 

「エルフさんは、納得してるよ。納得した上で、マサムネ先生に挑んで、挑み続けるんだ。君に勝つか、すっかり満足しちゃうまでね。だから、マサムネ先生は、自分の思いの通りに行動すれば良い。それが、エルフさんの望みだと思うから」

「……そう、だよな。強いもんな、エルフは」

 

 マサムネは、ぼんやりと中空を眺めて、それから、まっすぐ一郎を見据えた。

 その面からは、すっかり迷いの霧は晴れていた。

 

「ありがとう。気が楽になったよ。そうだよな、俺が変に気にしたって、エルフのやつが喜ぶわけじゃないもんな。むしろ、俺も本気を出さなきゃだ。俺はエルフに負けられないし、俺たちのラノベをアニメ化させるっていう大勝負に勝たなきゃいけないんだ。やってやるぜ!」

 

 などと話も一段落ついた時である。

 

「あー、おもしろかった!」

 

 年相応の、弾けるような幼い声と共に、ムラマサが顔を上げた。

 自然と、二人の視線も引き寄せられる。

 二人の無遠慮な視線を受けて、とびきりの笑顔に彩られていたムラマサの顔は、たちまち羞恥の色に染まることとなった。

 

「ふっ、二人ともいつからここに!?」

「俺はちょっと前から」

「僕はずっと前から」

「こ、声くらい掛けてくれれば……」

「掛けたんけどね」

「ムラマサ先輩ってば、集中力すごいから」

「ふ、不覚ぅぅ! マサムネくんに見られるなんて! ぜったい、ぜったい変な顔してた!」

「気にすることないじゃないか。大好きな小説を読むなら、当然の生理現象だよ」

「生理現象ってのは言い過ぎけど、変な顔なんかじゃなかったぞ。それにさ、そんなに一生懸命読んでくれるなんて、物書き冥利に尽きるな」

「そ、そう言ってくれるのなら、これはこれで良かったのか?」

 

 うんうんと唸りながら、なんとか自分を納得させようとするムラマサである。

 実際、マサムネの好意的な反応は救いであったと見える。顔を火照らせながらも、彼女は、なんとか気を取り直してみせた。

 

「そ、それよりっ! 君たちはずいぶんと朝が早いんだな」

「ずっと起きて、『銀狼』の続きを書いてたんだ。ムラマサ先輩に読ませてあげるって約束したからな。土曜日はいつも”寝ない日”だし、小説書くの面白くなっちゃってさ」

「君もか。実は、私もそうなんだ。今だって、ずっと起きて、君からもらったお蔵入り小説を読んでいた。感想はまた考えがまとまってから話すが、すごく面白かったぞ。ああ、どうして人は食べたり眠ったり、面倒なことをしなくちゃ生きていけないのだろうな。小説だけ書いて読んで暮らしたいのに!」

 

 と嘆息するムラマサである。

 一郎とマサムネは、顔を見合わせて、どちらともなく笑った。

 

「気が合うな、俺もそう思うよ。一週間ずっと小説書いて暮らしてたいぜ」

「まったく同感だよ。それでも厄介なことに、睡眠は大切なんだな、これが。三日経ったあたりから、書けば書くほど、文章はだんだんひどくなるんだ。人間には適度な休憩が必要ってことだね。だから二人とも、そろそろ一寝入りしてきなよ。もう何時間もしないうちに、また一日が始まるから」

「三日までは連続執筆できるのかよ……」

「流石に私もそこまではしないぞ……」

 

 苦笑するマサムネであるが、その拍子に、欠伸が口元からこぼれた。

 

「俺はそろそろ寝ようかな。これ以上は書けそうにないし」

「私は、君が書いてくれるなら何日だって徹夜ができるぞ。なんなら、君が書くのを傍で見守っていてもいい」

「止めて! なんか怖いからそれは止めて!」

 

 ***

 

 その後、徹夜していた二人は仮眠を取った。

 それでも、二人の眠りは浅かった。マサムネは、エルフという名の美少女に起こされるというマンガのような体験を強制されたし、ムラマサは、エルフの見事な夕食に対抗すべく、朝食をこしらえるという難事に挑んだのだ。

 

「朝食だから簡単なものばかりだが、私もエルフにそう引けをとるものではないと知ってもらいたくてな」

「美味しいよ、ムラマサ先輩。簡単なものだなんて、とんでもない!」

「たしかに、これが簡単なら、世の中の大半の朝食は犬のエサか何かですよ」

「僕の朝食なんかは、食事ですらないかもしれないね」

 

 ちょっとした旅館の朝食のようである。それも、食事に力の入った旅館のそれである。

 そんなライバルの戦闘力を肌で、もとい舌で味わうこととなったエルフは、しかし、嬉しそうに、

 

「ふふっ。ムラマサもなかなかやるじゃないの。やっぱりこうでなくっちゃ、面白くないわ!」

 

 などと嘯いていた。

 一郎の見立て通り、愉快な彼女の愉快な脳味噌は、いつだって対戦ゲームのように世界を見ているのだ。

 エルフは、一同が食事を終えた頃合いを見計らって、声を張った。

 

「注目! これが今日の日程よ」

 

 予定表。そう銘打たれた紙を、エルフはでかでかと取り出し示してみせた。

 一言で言うなら、それは、遊びで構成されていた。

 

「まずは涼しい朝のうちに”妖精の森”の探索ね。これは、私の作品『爆炎のダークエルフ』の冒頭部の舞台となった聖地よ。誰も訪れたことのない聖地を巡礼できることに、感謝の祈りを捧げなさい」

 

 片足を軸にくるりと一回転。妖精のように舞い踊りながら吟じあげる。かと思えば、片手を突き上げて熱く宣うた。

 

「午後は自由行動。各自、この神秘の島を堪能しなさい!」

 

 彼女の頭のなかでは、どのように一日を楽しくすごすか、綿密なシミュレーションが成されているに違いない。きらきらと輝くその面は、しかし、すぐに絶望に彩られることとなる。エルフの後ろに立つ影が、無慈悲な宣告をしたからである。

 

「却下だ。皆さんには、今日は仕事をしてもらいます。特に山田エルフ先生は、締め切り目前の仕事が山積していますので」

 

 言うなり、エルフの示した日程表にボードマーカーで無慈悲な修正を入れる。

 一言で言うなら、それは、仕事で構成されていた。

 

「比較的涼しい午前の時間は、最も頭が働くゴールデンタイムです。各自、仕事に取り組んでください。昼食は、まぁ予定通りで良いでしょう。午後は、腹ごなしに自由時間を過ごしていただき、それから仕事に戻ります。なお、自由時間の間も、山田エルフ先生だけはずっと仕事をしてもらいます」

 

「ちょっと兄貴、わたしだけ一日働き詰めじゃない! わたしにだけ厳しくない!?」

 

 たまらずエルフが悲鳴をあげたが、いくら泣けど喚けど、現実は動かない。机上に築かれた仕事の山は消えはしない。

 

「当然だ。ゲームとアニメの監修に、原作小説発行の前倒し。どれも締め切りまでもう何日も残っていない」

「ああ、それは仕方ないね。確かに遊んでる場合じゃない」

「エルフさん、締め切りは絶対ですよ」

 

 いつもはエルフに甘い一郎も、今回ばかりは見放した。

 大人しい獅童も、胸の内には小説に対する燃えたぎるような熱意を秘めている。静かに、けれどもぴしゃりと言い放つ。

 そして、過激なのはムラマサだった。

 

「締め切りを守らぬ者は、生爪を剥がれるべきだ」

 

 そういう彼女の指には、いまだに包帯が巻かれていたから、恐ろしさはいっそう際立つ。やると言ったらやる。そういう凄みを、見る者に感じさせた。

 

「おい、エルフ。それヤバくないか」

 

 エルフの身を案じたマサムネが、前言撤回しろと言い募るほどであった。

 

「そもそもどうして、そんなたくさんの仕事を受けようと思ったんだ」

「だって、バンナムのプロデューサーに『とらドラ!』の竹宮先生は一週間で仕上げてくれましたよって言われたのよ。よりにもよってクソゲー量産機のバンナムごときにそんなふうに言われたら、負けれてらんないじゃない」

「だから、コレは計画性が皆無なんだ」

 

 呆れた口調のクリスである。その瞳は、どういうわけか、一郎をじっと見据えていた。

 

「まぁ、エルフさんならできるでしょう。そう思ったから、担当のクリスさんも許可を出したんですよね」

「私もそう思ったのだがな。まさかよりにもよってこんな時期に、暢気に旅行なんぞを企画してくるとは思わなかったんだ……」

 

 苦虫をかみつぶしたような顔をする。鉄面皮のクリスにしては珍しい感情の発露が、エルフの焦燥感を煽った。

 

「えっ。ひょっとして、わたし、本当にヤバい?」

 

 助けを求めて、エルフは左右を見回した。

 右を向けば、マサムネが険しい顔で頷きを返す。左を向けば、獅童が苦々しく首を振る。そして、ムラマサは包帯の巻かれた指をわきわきさせていた。

 

「し、仕方ないわね。兄貴の提案を呑むわ」

 

 流石のエルフも、顔を青ざめさせる。

 まさに地獄へと我が身を踊らせつつあることを悟ってしまったのだ。垂れる糸の一筋もあらば、藁にもすがる思いで手を伸ばしたに違いない。

 そんな折りの、

 

「エルフさん、僕も手伝うよ」

 

 という一郎の提案は、まさに天佑である。しかし、それを、エルフは払いのけた。

 

「要らないわ。これはわたしの仕事よ。作家はね、自分の下僕(ファン)に最高の作品を提供しなくちゃいけないの。そして、自分の作品を一番良くできるのは、自分を置いて他にはいない。あんたもそう思うから、『豹頭譚』なんか書いてるんでしょ」

 

 エルフは静かに、けれども怒りさえ宿した琥珀の瞳で、じろりと一郎を睨みつける。

 思わず一同は息を呑んだ。

 それまでのにぎやかでお気楽なエルフと同一人物だとは思えぬほど、それは、真剣な声音と表情だったのだ。

 けれどもただ一人、一郎だけは怯まなかった。

 彼は飄々と言ってのけた。

 

「たしかにその通りだよ、エルフさん。書き下ろしや紹介文、アニメやゲームに出すキャラクタの再現度のチェック。そういうのは本人がしなくちゃいけないだろうね。でも、仕事はそれだけじゃない。例えば、世界観や細かな設定のチェック。これくらいなら、僕がしても問題ない筈だ。――是非、僕にさせて欲しい。僕ならできる」

 

 一郎とエルフは、無言で睨み合った。

 こういうとき――作家としてのプライドを賭けた”真剣勝負”をするとき、エルフは打算を抜きに心の赴くままに行動する。

 だから、彼女の心を動かすことができるのは、利を語る計算高さではなく、真っ正面からぶつかってくる不器用な誠実さなのだ。

 果たして、一郎の想いはエルフに届いたと見える。エルフは、ふっと嘆息すると、不敵な笑みを浮かべて宣うた。

 

「いいわ。そこまで言うのなら、あなたを試してあげましょう! わたしが『爆炎クイズ』を出すから、見事全問正解してみなさい。いいこと。全問正解じゃないと、任せてなんかあげないんだから」

 

 そしてクイズが始まった。

 一郎を席に座らせる傍ら、自らは仁王立ちであれこれと質問を投げかける。

 ときに腕を振りかざして熱心に、ときにポーズを取ってキャラに成りきって。ひどく真面目に、そしていっとう楽しそうに。

 やがて、エルフは、満足そうに頷いた。

 

「どうやら、イチローもわたしの下僕(ファン)だったようね。それも、相当コアな。よろしい、あんたを下僕千人隊長(チーフ・オフィサー)にしてあげるわ!」

「いやさ、ファンの認定試験じゃなくて、仕事の話だっただろ!」

 

 機嫌良く宣うエルフに、マサムネが突っ込む。

 

「うっさいわね。もちろん分かってるわよ。それくらいの上級下僕じゃないと、わたしの作品を任せるなんて到底できないってことよ。――それじゃあお願いね、イチロー。ひとつのミスも許されないから、そのつもりでね」

「もちろん。子に対する親の想いを踏みにじるようなことは絶対しないさ」

「兄貴もいいわね」

「良いだろう。一郎先生も私の担当だが、こちらは、既に第一巻の仕事を終えている。スケジュールには大分余裕がある。――ご迷惑おかけします、一郎先生」

「そんな。僕が好きでやってることですから」

 

 そうして、一郎が紙面の山を切り崩しにかかったのを合図に、一同は仕事に取り組みはじめた。

 マサムネはノートPC(レッツノート)、獅童は可愛らしいモバイルPC(シグマリオンⅢ)、そしてムラマサはジャポニカ学習帳に向かう。

 流石のエルフも、しばらくは大人しく仕事に取り組んでいたが、元来が自由気まま、感情と衝動で行動する気質である。幾許もしないうちに、集中力の限界が訪れた。

 

「もう無理! 無理よ駄目よ無茶よ! 息抜きにみんなでちょとだけ遊びましょう。兄貴も、ちょっとくらいお目こぼししてくれたっていいでしょ。ね?」

 

 これがいつもの四人であったなら、押し切られてしまっただろう。獅童は押しに弱い善人だし、ムラマサは我関せずと原稿に向かうも、マサムネを餌に釣られてしまったに違いなく。マサムネも、なんのかんので流されてしまう程度にはエルフの色に染まってしまっていた。

 エルフに甘い一郎は、しかし、この時ばかりは違った。

 彼は、エルフの提案を一顧だにすることなく、きわめて冷徹に尋ねた。

 

「エルフさん。ここの設定なんだけど、ちょっと教えて欲しいんだ。作中で明言されてない部分で、エルフさんの頭の中にしかない設定だと思うんだ」

「えっ、ええ。それね。それは――」

 

 エルフは反射的に応えてしまう。

 さすがに自らの作品ということで、すぐさま答えを導き出すエルフであるが、驚きのあまり喉につまらせたそれを吐き出すまでには、一拍の時を要した。

 

 一郎には鬼気迫る感があった。

 いつもにこにこ微笑の絶えない顔は、一文字に唇を引き結ぶ無表情で。いつもは優しい声音も、抑揚がなく平坦である。

 ふだん穏やかな者ほど、怒ると恐いという。

 一郎は、怒っているわけではない。けれども、相手を顧みず、己の行動によって周囲を威圧する有り様は、怒りと何の違いがあろうか。

 声には、底冷えするような迫力が伴い、エルフに向けられた瞳は、どこか虚ろである。黒曜石の瞳は、現実を映してはいたけれども、彼の意識はもっと別のもの、脳裏に広がる小説の世界に没頭していたのである。

 

「小説を書いてるときの一郎先生に近いですね」

「でも、小説を書くときはもっと表情豊かじゃないか。にこにこしてたり、にやにやしてたり。今の一郎先生は、なんていうか、仕事する機械?」

「きっと感情を小説の世界に置いてきたんですね」

「おお、恐ろしい。人間、ああは成りたくないものだな」

「……ムラマサ先輩も他人のこと言えないけどね」

「なっ!?」

 

 そんな一郎に気圧されてか、大変珍しいことに、エルフは静かに仕事に取り組んだ。

 ときおり沈黙に絶えかねて、無駄口をたたこうとするのだが、それが一郎にきっかけを与えるらしい。

 

「エルフさん。ここも教えて欲しいんだけど」

「はいぃっ!」

 

 何度かそういうやりとりが続くと、すっかりエルフは黙り込んで、半泣きになりながら仕事に没頭することとなった。

 そんな二人を、クリスは満足げに頷きながら見守るのだった。

 

「なんてこと、神も仏もいやしないの!?」

 

 というエルフの嘆きを対価に、作家の面々は、しばらくは己の仕事に集中することができたのである。

 そう、しばらくは。

 

「もうこんな時間か。私はしばらく席を外すが、決して怠けないように」

 

 と言ってクリスが姿を消したのを皮切りに、エルフが顔を輝かせる。

 エルフは、マサムネに向き直り、声を潜めて言った。

 

「ふっ、悪は去ったわ。というわけで、ちょっとだけ遊びましょう。そうね、そのPC上で、こっそり一緒にソリティアでもしない?」

 

 秘密を囁くかのような、ひそかなエルフの声。

 吹き込んでくる怠惰の風に、マサムネは首を傾げた。怠惰の悪魔エルフは、一郎が封じていた筈である。それがどうして、こうして自由を謳歌しているのか。

 

「ソリティアって……お前、そこまでして遊びたいのかよ。っていうか、一郎先生は?」

「しっ! イチローは集中してるから、邪魔しないようにこっそりね」

 

 ふと見やれば、一郎は相も変わらず仕事に没頭していた。虚ろな瞳も相変わらずである。

 変化があったとすれば、その作業の仕方であろう。彼は、書類の山から書類を手繰って読んでは、審査済みの山へと還してゆく。精密機械のように素早く的確にその作業をこなす合間に、付箋を貼っては、何かを書き込んでいるようなのだ。

 いったい、一郎は何をしているのだろうか。

 そう思った矢先である。

 

「エルフさん」

「ひゃいっ!?」

 

 底冷えのする声。

 エルフは反射的に身を竦ませて返答した。それは、けだし本能の成せる業である。雪崩をうって押し寄せる仕事の津波から、すこしでも我が身を守ろうと、防衛本能が身を竦ませたのだ。

 

「さっき教えてもらった設定と照らし合わせたり、何度か原作を見返したりしたんだけど、どうしても判断の付かない部分がある。こればかりは、僕にはどうにもできない領域だ。エルフさんに見てもらいたい。――これだよ。いちいち訊くのも悪いから、付箋を貼ってまとめておいた」

「こ、こんなにたくさん?」

 

 エルフは、あちこちから付箋の飛び出した書類の小山を呆然と見やった。エルフの目には、それは、理不尽な怒りに身を膨らませたハリセンボンのように映った。

 

「これでも、大分減らしたんだけどね」

 

 一郎の虚ろな瞳の差し示す先には、書類の山々が峰を連ねている。

 

「えっと、ちょっと今は疲れたっていうか、一休みして、後にしない?」

「ああ、もちろん。それじゃあ、僕は仕事を続けておくから」

「やっぱり、こんなになってもイチローはイチローね。話が分かるわ!」

 

 とエルフが喜んだのも、束の間のことであった。

 エルフが気を緩め、机に身を投げて駄弁っている間、その山はどんどん嵩を増していった。どんどん仕事の増えるのを見せつけられて、エルフは休んだ心地がしない。

 そうこうしている間に、クリスが帰ってきてしまった。

 

「ほう、ちゃんと仕事をしていたのか。これは感心だ!」

 

 顔をひきつらせて机上を眺めやるエルフを、クリスは賞賛する。

 

「仕事してたっていうか、惚けてただけですよ……」

 

 呆れ半分、哀れみ半分でマサムネは真実を告げたが、クリスは上機嫌である。

 

「なに、遊んでいないだけ進歩があったというものだ。ふむ、どうやら一郎先生のお陰らしいな。仕事も、すっかり片付きつつある」

「これのどこが片付きつつあるっていうのよ!」

 

 エルフは悲鳴を上げたが、クリスは冷静である。冷徹であるとも言えた。

 

「一目瞭然だろう。これだけあった仕事が」

 

 と右に指さすのは、威容の連なるアルプス山脈で、

 

「たったのこれだけになった。どうだ、ありがたいことだろう」

 と左に指したのは、霊峰富士である。

 

「そりゃそうだけど、でも、まだこんなに……」

 

 固まるエルフを、クリスが促した。

 

「一郎先生には感謝の言葉もない。――さぁ、山田先生、次はお前の番だ。さっさと仕事にとりかかれ」

 

 エルフは、それが毒棘でもあるかのように、おっかなびっくり手を伸ばし、けれども引っ込める。

 当然、クリスは見咎めた。

 

「やれ」

「で、でも」

 

 エルフはすがるように一郎を窺った。

 自分に甘い彼なら、なんとかクリスを言いくるめてくれるに違いないと思って。

 ところが、一郎はエルフを見てはいなかった。瞳にぽっかり空いた虚ろの穴で以て、すべての仕事を呑み込んでやるとばかりに、次なる書類の山に取りかかっていたのだ。

 

「やれ」

 

 再びの催促。

 ついにエルフは膝を折った。

 

「はぃぃ……」

 

 

 ***

 

 

 そうして朝の仕事を終えた後は、バーベキューである。

 缶詰から解放され、自由の砂丘へと躍り出たエルフは、それまでの鬱憤をぶつけるかのように網の上を取り仕切った。

 焼き肉奉行の誕生である。

 

「ちょっと、そこ! まだ半生じゃない。手を付けるのは早いわ」

 

 生焼けに手を出す者のあらば、厳しく取り締まり、

 

「だいぶ焼けてきたわね。ほら、お皿を出しなさい。マサムネにイチローに、ムラマサに獅童もよ」

 

 肉が焼ければ平等に分配してと、甲斐甲斐しく世話を焼くのであった。

 

「一郎、あんたさっきから椎茸ばっかり食べるじゃない! そんな変なのつついてないで肉を食べなさい、肉を」

 

 マイペースに箸を進める一郎である。

 そんな一郎をのぞき込み、その瞳に虚ろの穴が穿たれていないことに、ほっと安堵の息を吐くエルフであった。

 

「椎茸も美味しいと思うんだけどね」

「え……。だってこれ、菌なのよ。信じられないわ。このひだひだ、いったい何の為にあるの?」

 

 すっかり調子を取り戻したエルフは、気の置けない仲間たちとの、楽しい食事を満喫する。

 食後のデザートはスイカであった。

 それは前日のスイカ割りの成果である。スイカ割りに夢中になってしまったエルフが、後先考えずに大量にこさえてしまったのだ。おかげで、この島に滞在している間は、スイカには不自由しない。

 そのスイカは抜群に美味しかった。厳選された一品なのだろう、みずみずしさと良い甘さと良い、庶民のスーパーマーケットで売られているものとは大違いだ。スイカとはかくも美味しいものなのかと、四人は驚嘆したものである。

 とはいえ、食べ過ぎれば飽きがくる。なにせ、三食毎度のデザートに加えて、食間のオヤツなのである。度を超していた。

 唯一の例外は一郎で、彼は、いまだに目を輝かせてスイカを手に取っていた。

 

「なんて美味しいんだろう、氷スイカ!」

 

 端的に言えば、スイカの添えられたかき氷である。見た目からして、シャリシャリと涼やかだ。

 氷をそのままノミで削ったかのような、荒々しい大粒のかき氷。きんきんに冷えているのだろう、結露をまとった大切りのスイカが、でかでかと添えられている。

 大胆で素朴な、昭和のにおいが立ちのぼる。

 

「縁側の一畳台に腰掛けて、夕涼みに氷スイカを頬張る。幼いころは、よくそうしたもんだよ。これが最高のごちそうだったなぁ」

「はぁ、一畳台に氷スイカですか……。マサムネくんは知ってます?」

 

 獅童には、話の半分も理解できなかったと見える。げっそりした様子でスイカを頬張りながら、マサムネに尋ねる。

 

「昔のものってことだけは分かったけどさ、いつの時代の話だよ。まさか明治、大正じゃないだろうな。一郎先生、爺臭いし」

「ははは、大げさだなぁ。その頃は炊飯器も冷蔵庫もなかったって話だよ。一度に大量のご飯を竈で炊いて、竹で編んだ飯籠(めしかご)に容れる。それを、涼しい井戸端に吊しておいたんだとか。僕の家にも、さすがに炊飯器や冷蔵庫くらいあったさ」

 

 まるで、祖父母の昔語りでも聞くかのような、懐かしそうな顔をする一郎である。

 

「……なんでやたらと詳しいんだよ」

「こいつのレトロ趣味はともかくとして、あんた達もスイカ食べなさいよ。ほら」

「その、俺もそろそろお腹いっぱいっていうか」

 

 腹をさすって満腹ポーズを取るマサムネであるが、それで引き下がるエルフではない。むしろ喜々としてスプーン片手ににじり寄った。

 

「遠慮せずに、ね? ほら、あーんして。あーんよ、あーん。ほら、ねぇ、ほぉらっ!」

「やめろよ、土砂崩れになったらどうするんだ! 雨降りで地盤が緩んでるんだぞ!」

「はは……僕はそろそろごちそうさまです」

「マサムネくん、私も先に別荘に帰ることにする。後からゆっくり来るといい」

「あっ、ずるいぞ獅童くん! ムラマサ先輩も助けてよ!」

 

 苦笑いしながらそっと席を離れる獅童とムラマサを、マサムネが叱責する。

 その隣では、一郎がにこにこ笑顔でスイカを啄む。

 

「まぁまぁ、マサムネ先生、エルフさん。美味しく食べれる人が、美味しく頂くのが一番だよ」

「そうよ。だからあんたも美味しく食べなさい」

「そんな無茶な!」

 

 こうして好き勝手に振る舞ってストレスを発散したエルフであった。顔は輝くばかりに晴れわたり、声は弾み、楽しいことはこの上もなさそうである。

 しかし、それも長続きはしなかった。

 

「さぁ、山田先生。仕事に戻りましょう」

 

 仕事モードに入ったクリスの堅い声音が、エルフを現実へと引き戻す。

 

「イヤよ。これからビーチで遊んだり、妖精の森を散策したりする予定なんだから」

「その予定は変更された筈ですが」

「……ど、どうしても仕事しなきゃダメ?」

「どうしてもです」

「こ、こんなところにこれ以上居られないわっ。わたし、もう逃げるっ」

「そうはいきません」

 

 咄嗟に逃走を図ったエルフを、クリスが捕まえる。

 

「お、鬼っ! この鬼編集!」

「鬼で結構。山田先生に仕事を完遂してもらう為なら、喜んで地獄の獄卒となりましょう」

 

 四肢をふりまわして暴れるエルフは、そのまま仕事部屋へと連行されるのだった。

 

 そんなこんなで、五人は丸一日かけて仕事に取り組んだ。

 その取り組み様は、編集者のクリスを大変喜ばせるものだった。

 

「一郎先生のお陰です。今日一日で、いったい何日分の仕事が片づいたことか。可能であれば、作家業に加えて山田先生の監督業もしてもらいたいくらいだ」

「わ、わたしは御免よっ。あの時のイチローときたら、人間を見る目をしてなかったんだから。まだ兄貴の方がマシなくらいだわ」

「えっ、そんなに酷かったかな」

「酷かったわよ! もう二度と一緒に仕事をしたくないと思えるくらいにはね」

「なっ……」

 

 エルフは、真正面から向き合ってくれる相手を好む。先刻の一郎は、その真逆であった。エルフを小説の設定辞典のように見ているかのようだった。

 そういえば、打ち上げ会でエルフを描写したときも、似たような様子であったかもしれない。血の通った人間ではなく、単なる描写の対象として見ているかのような、虚ろの瞳をしていた。小説狂いの一郎は、小説が絡むと人が変わってしまうのだ。そのようにエルフは思った。

 

「そんなのイヤよ……」

 

 もやもやとした何かが、胃のあたり、おなかの奥にわだかまる。

 それを振り払うかのように、エルフは声を張った。

 

「とにかく! これだけ頑張ったんだから、明日は一日自由に遊んでいいわよね!」

「そうだな。この調子を維持できるとは思えないが、それを計算に入れても、納期には間に合う。――良いだろう。明日一日、自由にするといい」

 

 エルフはぱぁっと顔を輝かせる。

 

「本当? ほんとうにその嘘本当? 言ったわよ、前言撤回なんてダメだからねっ」 

 

 

 ***

 

 

 その夜、エルフと一郎は、二人でガーベラに出ていた。

 緑のカーテンから吹いてくる風の、青いにおいが心地よい。

 

「今日はありがとう。色々あったけど、お陰でなんとかなりそうよ」

「いや、こちらこそ何と言うか、ごめん……」

 

 エルフの発言がよほど堪えたと見える。一郎は、肩を落として沈んだ様子だった。

 それは、エルフが初めて見る、一郎の弱りきった姿だった。この大人びた少年は、怒ったり悲しんだりといった、負の感情を表に出さないのだ。

 エルフは、勝手に口元が緩んでしまうを感じて、ぷいと後ろを向いた。

 

「いいわ、今回だけは許してあげる。でも、覚えてなさい。あんたはいつだって、エルフちゃんを蔑ろにしちゃあいけないんだから」

「はい、善処します」

「政治家みたいなこと言うんじゃないの! 必ずそうしますって言うのよ!」

「はい、必ずそうします」

「よろしい」

 

 エルフは上機嫌に振り返る。

 

「明日はね、今日できなかったことをするの。妖精の森の探索に、海での自由行動よ。二度目のスイカ割り……は止めておくとして、今度は泳ぎに挑戦するのも良いかもね」

「三泊四日の日程にしておいてよかったね。二泊三日なら、ほとんど仕事で終わってるところだったよ」

「……そうね。”勝負”どころじゃなくなるところだったわ」

 

 エルフは、神妙な面持ちで一郎に向き合った。

 

「イチロー。悪いけど、明日は日中、あなたと一緒にいることはできないわ」

 

 その一言で、一郎は全てを察した。

 エルフもまた、一郎が己が胸中を察したことに気づく。気づきながらも、宣言した。

 

「もう一度、勝負をかけるわ。正真正銘、最後の勝負よ」

 

 これはケジメなのだ。どこまでも不器用で、どこまでもまっすぐなエルフの、彼女なりの誠意なのだ。

 

「そう……分かった」

 

 一郎は踵を返す。話は済んだと思ったのだ。

 その背を、エルフの声が呼び止める。

 

「それが済んだら、もう一度だけ二人になってあげる」

 

 一郎は答えない。ただ黙って頷いて、そのまま歩き去った。

 

 風が、吹いている。

 エルフは、風の吹かすに身を任せ、じっと物思いにふけるのだった。

 

 

 ***

 

 

 そして迎えた三日目の朝である。

 仕事で忙殺された一日を取り戻そうと、朝からエルフは意気込んでいた。

 

「今日こそ、この日程でいくわよ!」

 

 再び取り出したるは、遊び一色の日程表である。

 それは、昨日の焼き直しであった。

 唯一にして最大の違いは、部屋の片隅にたたずむクリスからのお咎めが無かったことである。

 もちろん、エルフは調子づいた。

 

「……と最初は思ったんだけどね。いくらわたしの名作『爆炎のダークエルフ』の舞台となった聖地だからといって、ただ歩くだけじゃあつまらないわ。もちろん、いずれ世界を支配する超傑作の聖地を巡礼できるだけで、五体倒地して感謝を捧げても到底足らないくらいに名誉なことよ。でも、物事は、もっと楽しむことができる。それが人の知恵よ」

 

 まるで、人の営みを俯瞰する哲学者のように、仰々しくエルフは語る。

 

「エルフのやつ、何言ってるんだ」

「さぁ……」

「またいつものアホが始まったのだろう」

 

 三人の反応がいつもの通りなら、一郎の反応もまたそうであった。

 

「道理だね。良いものはそれだけで素晴らしいけど、でも、もっと良くすることができる。流石、エルフさん」

 

 調子の良い相の手を受けて、エルフは、気持ち良さそうに言葉を継いだ。

 

「でしょう? だから、ウォークラリー大会にしましょう。二人一組になって、それぞれのチェックポイントを通過しながら、ゴールを目指すの」

「二人一組か……」

 

 不満そうに呟くムラマサに、エルフが耳打ちする。

 

「ムラマサ、あんた分かってるんでしょうね。これまでさんざんお膳立てしてあげたんだから、約束は守ってよね」

「やっぱりそういうことか! だが、ダメだ。まだマサムネくんと特別親しくなれていないもんっ」

 

 拗ねるムラマサに、エルフはぴしゃりと言い放つ。

 

「うっおとしいわね。あんたが悪いんじゃないの。聞いたわよ、せっかく二人きりにしてあげたのに、したことと言えば、お蔵入り小説をねだったり、書き下ろして書いてもらう約束をしたりと、小説のことばっかりじゃない! あんた、本当にやる気あるの?」

「だって、仕方ないじゃないかっ」

 

 などと声を潜めて話し合う二人であったが、やがて、一応の決着を見たらしい。

 

「それじゃあ、お待ちかねの組分け発表よ!」

 

 エルフは高らかに告げた。

 

「ちっ、仕方ない」

「あの、どうかお手柔らかに……」

 

 不機嫌なムラマサと、おっかなびっくりの獅童。

 

「力いっぱい楽しむわよ!」

「楽しむのはいいけど、変な道歩いて迷子になったりしないよな」

 

 やる気をみなぎらせるエルフと、不安そうなマサムネ。

 そして、

 

「のんびり行きましょうか」

「ああ」

 

 マイペースな一郎と、寡黙に答えるクリスの三組である。

 

「それじゃあ、どきどきわくわくの自由散策のスタートよ!」

 

 という合図を皮切りに、三組は各々の方角へと歩を進めた。

 

「クリスさんも、ウォークラリーに参加するんですね」

「ああ。プロの作家とはいえ、君たちは未成年だ。保護者として同行させてもらっている。うっとうしいとは思うが、ご容赦願いたい」

 

 一郎は笑いをかみ殺す。

 真面目が服を着て歩いているかのようなクリスは、豪放磊落なエルフのちょうど真逆で、そんな二人が血を分けた兄妹であるということが可笑しかったのだ。

 

「もっと楽にしてくださいよ。昨日は、妹さんのお兄さんと友人と言いましたけど、クリスさんとはもっと私でも仲良くしたいと思ってるんです」

 

 そんな一郎に気づいた様子もなく、クリスは、照れくさそうに微笑を返す。

 

「そう思ってくれるのなら、ありがたい。私も、君とは親しく付き合いたいと思っていた」

 

 二人はゆっくり言葉を交わしながら、森を進む。

 

「とは言え、何を話したものか。恥ずかしながら私は口下手で、趣味らしい趣味もなければ、これといって相手を喜ばせるような話もできない。できる話と言えば……仕事の話で申し訳ないが、すでに頂いた一巻の後の展開について話がしたいのだが、良いだろうか」

 

 生真面目なクリスの、それが精一杯の仲の深め方なのかもしれない。

 そして、そのやり方は、実に一郎好みだった。

 

「大歓迎ですよ。僕にとっても仕事は趣味でもありますし」

 

 一郎は嬉しそうに微笑んだ。

 思い出すのは、前世で最も長いあいだ、己が相棒役を務めた担当編者のことである。彼とはよく仕事の話を肴に、酒を酌み交わした。

 その縁は、鈴木一郎として新たな生を受けた瞬間にとぎれてしまったけれども、素敵な思い出として今も胸に残っている。

 目の前の青年とも、そんな関係になれたら嬉しい。そのように一郎は考えている。

 

 そんな心からの想いが面に滲んだのだろう。

 一郎の笑みを見るや、クリスは完全に肩の力を抜き、艶やかに微笑んだ。

 鉄面皮はたちどころに崩れ、その下から現れたのは、春風のようなやわらかく爽やかな微笑みだった。

 

 こうして二人は和やかに、そしてどんどん遠慮なく、あれこれと小説について意見を交わし、ますます信頼を深めていった。

 クリスにとっての一郎は、筆力のある若手作家という印象であったが、それは、ただちに上方修正された。予め想定した巻数に合わせて俯瞰的に物語の骨子をつくりあげるストーリー力は、まさにベテランのそれであったし、一話々々を盛り上げる構成力もまた熟練の技であった。

 そんな一郎にとってもライトノベルは初めての分野であり、業界の動向や読書の傾向といったビッグデータを背景に理路整然と道を示すクリスは、一郎にとって頼もしい軍師のような存在となったのだ。

 

「妹は、ラノベで世界を支配すると言っている。限りある読者(パイ)を増やし、ラノベの世界を救う救世主になるんだと。それについて、君はどう思う?」

 

 クリスの真摯なまなざしを受けて、一郎も笑顔をひっこめた。

 

「それは素敵なことだと思います。そして、難しいことだとも」

 

 クリスは頷いた。そして、神妙な顔で口を開く。

 

「兄バカだと笑われるかもしれないが、アレにはそれができるかもしれないと思っている。そして、それは、私の夢でもある」

 

 クリスは淡々と、しかし、だんだん熱く語る。

 

「私もまた、廃れつつある小説界をどうにか復活させたい。いや、今まで以上に盛り上げたいと思っている。けれども、それには妹だけの力では足りない。一郎先生。君の力が必要なんだ」

 

 クリスは、氷の瞳にかすかな熱を宿して、一郎をまっすぐ見据えた。それは、炎を閉じこめた氷の瞳である。

 

「山田エルフが、メディアミックスの力をふるってどんどん人をラノベの世界に引きずり込む。そして、鈴木一郎の”読ませる文章”に触れ、文章を読む楽しさを知り、どんどん読書の幅を広げていく。――君たちは両輪なんだ。読者をつくる山田エルフと、読者を育てる鈴木一郎。ふたり揃ってはじめて、私の夢は前に進める。どうか、私と共に歩んではくれないか」

 

 いまやクリスの炎は、氷をすっかり溶かして気炎をあげ、一郎をひと呑みにしてしまうかに思われた。

 一郎は、己が不明を恥じた。

 真反対の兄妹などとは、とんでもない。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。二人は共に、とびきり壮大で楽しい夢を持った、似たもの兄妹だったのだ。

 

「くふ、くは、くはははっ!」

 

 我知らず、一郎は笑いだす。

 奇しくも、それは、彼の妹によってラノベの道へと(いざな)われた瞬間の焼き直しだった。

 

「素敵な夢ですね。そして、実に僕好みだ! どうか、その夢の実現に一枚噛ませてもらえませんか」

「そう言ってくれるか。共に歩んでくれるか。是非もない。私の、いや、私たちの夢を叶えよう」

 

 どちらからともなく、二人は拳を合わせた。

 この瞬間、二人は夢を同じくする同士と成ったのだ。

 

 

 ***

 

 

 そうしてウォークラリーが終わると、昼食をにぎにぎしく楽しみ、午後の自由行動となった。

 エルフとマサムネ、そしてムラマサの三人は海遊びを満喫し、一郎と獅童は海のながめつ潮騒を楽しみながら、のんびり執筆作業に精を出したのだった。

 最後の夕食もまた豪勢なものだった。それは、エルフが腕によりをかけてつくった地中海料理である。驚くべきことに、昨日とおなじカテゴリでありながら、メニューが重複していないのだ。

 一同はエルフのレパートリーの豊富さ、底知れぬ料理の腕前を褒めたたえ、エルフはますます機嫌良く自慢話に給仕に料理の追加にとくるくる働いた。

 

「美味しいなぁ。こんな料理を食べれるだなんて、何度でも生きてみるもんだなぁ」

「ほんとうに、良いですよねぇ。でも、敢えてひとつだけリクエストするなら、お酒が欲しいですかね。ワインが合うのはもちろんですけど、日本酒だって意外といけると思うんです」

「獅童先生。未成年の前だから、ほどほどにね」

「まったく、大学生はだらしがない」

 

 などと話しながらも、料理から目を離せないでいる一同である。

 だからだろうか。それに気づけないでいたのは。

 いつの間にか、エルフとマサムネの姿が消えていたのである。

 一郎の他に、気付いた者はいない。ムラマサは、マサムネの書き下ろし小説に夢中になっていたし、獅童はお酒をちびちびやっていた。

 

「えっ。獅童先生、お酒飲んじゃったんだ」

「お酒を希望されたから持ってきたのだが、そうか、獅童先生はお酒に弱いのか」

 

 一郎の呟きを耳敏く聞きつけたクリスである。

 

「ええ。弱いうえに、絡み酒なんです。酔わないようにペースを作ってあげるか、さっさと酔い潰すのがベストでしょうね」

「そうか。水を持ってこよう」

 

 言うなり、クリスはピッチャーを取りに行く。が、既に遅きに失していた。

 

「クリスしゃん、このお酒も美味しいれすよ! このお酒のお米はねぇ――」

「そうか、そうか。ところで、水も一杯飲んではいかがかな」

 

 覚えたてのうんちくを垂れ流す獅童を適当にいなしながら、水を勧める羽目になるのだった。

 そんな二人を横目に、一郎は、見るともなしに森を見やった。

 

「そうか。勝負をつけに行ったんだね」

 

 風が吹いた。青いにおいがする。

 屋外のガーベラである。緑の蔓棚のつくる木陰の許、海に沈みゆく太陽の絶景を楽しみながら、一同は食事を摂っていたのだ。

 一郎が眺める森も、夕焼けの緋色をまとって、燃えるかのようである。

 それは、今にも消えいりそうな昼という炎の、最後の瞬きである。緋色の炎がすっかり絶えたとき、夜がやってくるのだ。

 

「夕陽が沈む……」

 

 感嘆の声が漏れた。

 それはあっという間の出来事だった。

 森の緋色がひときわ強くなったかと思うと、すぅっと、まるでロウソクを吹き消すかのように、足許から緋色が掻き消えた。

 夜がやってきたのである。

 

 今やすっかり夜に沈んだ森から、やがて、ひとつの人影が現れた。

 マサムネである。

 

「お帰り、マサムネ先生」

「あっ、ああ。一郎先生か」

 

 動揺した様子のマサムネである。ただならぬ何かがあったのは、傍目にも明らかであった。

 

「ご飯はもう満足かな? デザートもあるよ」

「いや、スイカはちょっと……」

 

 一郎がいつものように微笑みかければ、マサムネもほっとして、脱力した苦笑を返した。

 その時である。

 

「あたっ」

 

 ひた、と額をたたく感触があった。

 雨である。

 

「スコールだ! みんな、撤収だ。別荘に帰るんだ!」

 

 マサムネが叫ぶが早いか、たちまち雨は叩きつけるような豪雨となった。

 そこからは慌ただしかった。

 一郎は酔っぱらった獅童に肩を貸し、クリスとマサムネ、そしてムラマサは両手に食器を抱えて、別荘へとひた走る。

 皆が雨に濡れた身体を温めるなか、ただ一人、一郎はずっと森を見ていた。

 そんな一郎を気遣う、クリスの声。

 

「一郎先生、ひとまず片づいた。君もお風呂に入って、温まるといい。いくら夏とはいえ、濡れ鼠では身体に悪いからな」

「クリスさん。エルフさんはまだ、帰っていませんよね」

「……どうやら、そのようだ」

「探しに行ってきます」

「場所は分かるのか」

 

 クリスは、一郎を心配する気持ちが無いではなかったが、言っても無駄だと観念した。

 かたく一文字に結ばれた唇が、決意の固さを物語っていたのだ。

 

「おそらくは森でしょう。マサムネ先生が森から帰ってきた」

「……マサムネ先生を責めるな。彼も気にしていた。できれば迎えに行きたいと。だが、今は会わせる顔が無いとも」

 

 一郎は微笑む。

 

「生真面目だなぁ。マサムネ先生らしいや」

 

 傘を取って玄関を押し開く。

 駆け出そうとした一郎の背に、クリスの声がかかる。

 

「妹がいるのは、昼間の集合地点だ」

「あの湖……。ありがとう、クリスさん」

 

 降りしきる雨の中、一郎はひたすらに駆けた。

 ようやくたどり着いた場所は、湖である。

 ここもまた、驟雨(スコール)の勢力圏内である。湖面は白く泡立って、雨を受けた木々は泣くように梢をふるわせる。

 エルフはそこに居た。

 雨に打たれるに任せて、立ち尽くしていた。

 ほっそりと頼りないその背中に、一郎は声をかける。

 

「エルフさん」

「一郎……」

 

 エルフが振り向いた。

 いったいそれは雨なのか、それとも涙なのか。エルフは上から下まで濡れそぼっていた。

 一郎は傘を差し出す。

 エルフは首を振って固辞した。

 そして、一郎が何か言うよりも早くに、ぽつぽつと語り出す。

 

「あーあ。見事にフラれちゃったわ。ねぇ、ちょっと聞いてくれないかしら」

 

 一郎も、傘をしまって同じように雨に打たれながら、黙って耳を傾ける。

ここまで駆けてくる間に、一郎もすっかり全身びしょ濡れになっていた。

 ふたりの濡れ鼠は、雨の打ち据えるに身を任せ、見つめ合う。

 

「前も言ったけど、アイツには好きなやつがいたのよね。アイツは、もう何年もずっとその娘のことが好きで好きで、話はおろかろくに姿を見ることすらできなくても、それでも想い続けてきたそうよ。一途よね。結局、わたしはアイツのそういうところに負けて、そして、今日も勝てなかったのよ」

 

 その顔に悲壮はない。雨上がりの空のように、からっと晴れ渡っている。

 まるで雲の姿を語るかのように、エルフは、のんびりと言葉を紡ぐ。

 

「考えてみれば、当然なのよね。だって、わたしは、アイツのそういう一途なところが好きになったんだから。だったら、わたしに転ぶはずが無いじゃない。どうして分からなかったのかしら。わたしの”神眼(ゴッドアイ)”は最初から全てを見抜いてたっていうのにね」

 

 エルフは、木の根にそっと腰をおろす。

 両手を伸ばし、うーんと背伸びして、からりと笑った。

 

「なんだか、すっきりしちゃった。もう、すっかり満足よ」

 

 その隣に、一郎も腰掛け、同じように雨に打たれながら、そっと囁きかける。

 

「ねぇ。約束を覚えてるかな」

「約束?」

「今日、マサムネ先生と二人きりにしたら、時間をくれるっていう約束。今、その時間が欲しい。君と二人の時間が欲しい」

「勝手にしなさい」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

「ひゃぁっ!」

 

 一郎は、エルフを後ろから抱きかかえた。

 少年とはいっても、一郎も男である。ちゃっかりお腹に回された腕は、思ったよりもごつごつしていて、否が応でも男女の性差というものを感じさせた。

 エルフは、思わず身を堅くするが、

 

「夏とはいっても、身体を冷やすのは良くないよ」

 

 一郎の優しい声音に、やがて力を抜き、そっと背を預けた。

 気付いてしまったのだ。

 一郎の腕は、決して離すまいとエルフのほっそりとした腰にぎゅっと回されていたけれども、腕を結ぶ両の手は、壊れやすい宝物にでも触れるかのように、優しくそっと、エルフに添えられていたのである。

 エルフを求める強い想いと、エルフを大切にする一途な心。それら二つのあたたかな気持ちが、一郎の掌からじんわりと滲んでくるような心地がした。

 ほのかな熱が胃の下のあたり――下腹部のいちばん奥まで達したとき、エルフは、己の身がカッと熱を帯びるのを感じた。

 覚えがある。

 いつの間にか、一郎と言葉を交わすたびに感じるようになっていた、よく分からないあの気持ちだ。今や、その正体は明らかである。

 

「やっぱり、そういうことだったのね」

「ん? 何が、そういうことなのかな」

 

 エルフはくすりと笑って、肩越しに振り返る。

 

「あんたって、わたしのことが好きで好きでたまらないのね」

「ああ。小説より大切なものができるだなんて、自分でも驚きだよ」

「嘘つき。あんた、わたしより小説に夢中になってたじゃないの」

「これは手厳しい」

 

 それが本当に弱りきった声だったから、エルフは思わず笑ってしまった。

 それから、ぴんと人差し指を立てて、大上段に宣うた。

 

「あんたに一度だけ、チャンスをあげるわ」

「チャンス?」

「この島から出て、離ればなれになって、そして再び会ったとき。その時に、わたしに告白するチャンスをあげる。といっても、プロポーズとか、まだそういうアレじゃないんだからねっ」

「ははは。分かったよ。プロポーズとかそういうアレじゃないんだね」

「ちょっ、笑ったわね! 今のでハードル上がったわよ!」

 

 と叫ぶエルフも、やがて、堰を切ったように笑いだす。

 やがて、どちらともなく笑いが収まる。

 エルフは真面目な声音で言った。

 

「いいわね。イチローらしい、考え得る最高の告白にしなさいよ」

「それは困った。本当にハードルが高い」

「ふんっ。エルフちゃんは安くないんだから。どうしてもわたしが欲しかったら、死にものぐるいで精進することね」

「分かった。せいぜい死力を尽くすよ。楽しみにしておいて欲しい」

「楽しい告白を期待してるわ」

 

 二人は、雨が去るまで暫しの間、そうやって座っていた。

 

 

 ***

 

 

 その翌日、五人の作家は南の島を後にした。

 この浮き世離れした島を離れ、それぞれの気忙しい日常に戻っていったが、ただ一人、そこに加わらなかった者がいた。

 エルフである。

 エルフは、そのまま日本を離れ、帰ってこなかったのである。

 




20,094文字


なんとか一話に収まりました。収めたとも言います。長い!
延びに延びて焦りながらも、ここにきて、あわやクリス・ルートに行きかねないようなクリス推し。
どうしてこうなった。好き勝手したからだ。

あとはエピローグを残すのみです。
エピローグは、数日のうちに投稿します。


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エピローグ:転生作家は美少女天才作家に恋をする

 ***

 

 

 エルフのいない日々が過ぎていく。

 

 南の島での三泊四日を共にした五人の作家は、空港で別れた。

 より正確には、四人と一人の二手に分かれた。

 

「これから我々は、海外の実家に顔を出すので」

 

 と言うクリスに、エルフは渋い顔をして、しかし大人しく後に続いた。

 エルフがさも大儀そうに語ったことには、

 

「実家に行ったらずっと仕事をさせられるから、気が重いのよ。やんなっちゃうわ」

 

 とのことである。

 そのようなわけで、エルフ一人がクリスを供に海外へと旅立ち、四人はそれぞれの生活に戻っていった。

 マサムネは妹の世話をしながら小説を書く日々を送り、ムラマサは書いて読んでの合間に寝食をすませるという不健康な暮らしぶりである。

 一番健全なのは獅童であった。彼は社交性のある大学生であったから、作家業の障りにならない程度に同期の友人と遊んだり、夏期休業中におこなわれる短期集中講座に出席して学問を修めたりしていた。

 一郎はといえば、マサムネやムラマサと似たようなものである。何もなければ、日がな一日小説を書くか読むかしている。唯一の例外は、幼馴染みがやってきた時だった。

 

「クラスの友達皆でカラオケに行くんですけどー、一郎くんも行きませんかぁ?」

 

 甘ったるい口調で話しかけてくる幼馴染みに、一郎は苦笑を返す。

 

「クラスの友達皆ってことは、つまりクラス全員ってことだよね」

「それが、悔しいことに、一人だけ友達になれてない人がいるんですよー。和泉ちゃんっていって、一度も学校に来てない子なんですけどね。なんと! おにーさんが小説家なんだって!」

 

 よく知る人物像が意外なところから飛び出して、一郎は、おやと思った。

 

「ひょっとして、和泉マサムネ先生かな」

「え。一郎くん、知り合いなの?」

 

 驚いたのはめぐみである。

 本名をそのまま筆名にするのは、珍しい。もしマサムネと直接知り合っていなければ、この名は出てこない筈なのだ。

 

「つくづく世間ってものは狭いね。マサムネ先生は、最近仲良くなった作家仲間の一人だよ。他にも、ほら、この前ここで酔いつぶれてた獅童先生とか」

「あー。あの酔っ払いのおにぃさんですか!」

 

 めぐみの脳裏に、青い顔でゾンビのように呻く大学生作家の姿がよぎる。

 大仰に「なるほど、なるほど」と頷く彼女に、一郎は問うた。

 

「それじゃあ、マサムネ先生の妹さんが、めぐみの同級生なわけだ。僕はまだ会ったことないんだけど、どんな子なのかな」

「えっとー、なんて言うか……とっても可愛いえっちな娘!」

 

 めぐみはちょっと考えて、やがて、ふさわしい言葉を見つけたとばかりに顔を輝かせた。

 

「へぇ」

 

 一郎は感心した。

 イラストレーターとしての彼女は、ネット上では卑猥な言動と扇情的なイラストで知られる、あのエロマンガ先生である。

 それがネットのみならず、実生活においても「えっちな」と形容される性格をしているとは驚きである。

 驚きといえば、めぐみについてもそうである。

 マサムネの妹はなにやら複雑な事情を抱えているらしく、その存在そのものが、マサムネのこさえた秘匿の簾の向こうに隠されている。

 その簾を取っ払って素顔を拝んだというのだから、めぐみの社交性と行動力には驚くべきものがあった。

 

「めぐみって、時々すごいよね」

「そうかな? えへへ。よく分からないけど、ありがとっ」

 

 めぐみは花の咲くような笑みを浮かべた。

 そして、にこやかに提案する。

 

「それじゃあ、カラオケに行こうよ!」

「行かないよ。よく知らない上級生が突然やって来たら、皆気後れするだろうに」

「そんなことないですよー。一郎くんのことはよく話してるから、皆よく知ってるし、むしろ会ってみたいって言ってるよ?」

「いったいどんなことを話したのか不安だね……」

 

 兎にも角にも、騒がしい幼馴染みにお引き取り願った一郎である。

 そうしてめぐみが去り、一人きりになると、とたんに部屋は閑かになる。

 

 ひとりで椅子に座り、ひとりで小説を書く。その間じゅう一言も発しない。まるで機械になったかのように、黙々と手を動かす。

 何十年と慣れ親しんできた筈のそれが、どこか物足りない。

 カタカタと、執筆道具(ポメラ)を鍵打する音。肩をほぐそうと身じろぎして、しゅるりと衣のこすれる音。

 そうした、ふとした時にぽつねんと響くひとりの音が、どうしようもなく物悲しかった。

 

 ほんの数ヶ月前までなら、気にならなかった。

 五十余年の人生において、小説だけがほんとうの喜びであり、苦悩であり、楽しみであり、友だったのだ。

 生まれ変わって鈴木一郎となり、少しだけ持ち物が増えた。めぐみという姪っ子のような幼馴染みに引っ張られ、前向きに学校生活に励み、新たな遊びを覚えた。けれども、いつだって一郎の一番は小説であり、本を読む喜びや、原稿と向き合う静寂を愛していた。

 幼なじみが部屋にやってきた時でさえ、それは変わらない。一人閑かに小説と向き合うこの時間は、何者も寄せつけぬ、至福のひとときだったのだ。

 だというのに、どうしたことか、今はこの静寂が物足りない。

 エルフの声が聞けないことが、エルフの姿が見えないことが、耐え難い。

 

「どうにも参ったね。まさか自分がこんなになるだなんて。本当、エルフさんには敵わないなぁ」

 

 一郎は嘆息した。

 まるまる一つの人生を通じて鍛え上げたはずの己の度し難い性分を、エルフは易々と塗り替えてしまったのである。

 

「さて、どうしたものかな」

 

 と思案する。

 こんな時、愛しい人はどうするだろうか。

 などと考えれば、すぐに答えは出た。

 決まっている。気心知れた仲間と、共に時を過ごすのだ。

 

 

 ***

 

 

 扉を開くと、すっかり見慣れた顔が現れた。

 

「お邪魔します」

「あ、これ手みやげです」

「ほう。獅童のお菓子か。それは楽しみだ」

 

 行儀良く入ってきたのは、マサムネと獅童である。その後ろから、ムラマサが無遠慮に上がり込んでくる。

 ひとり居の小さな庵である。当然、玄関も狭い。三人は、窮屈そうにひとりずつ靴を脱いで、順番に部屋に上がった。

 

「一郎先生の部屋に来るのは久しぶりだな」

「そうですね」

「シドーくんも来たことあるの?」

「例の打ち上げ会の後、話の流れで寄らせてもらうことになりまして」

 

 と答える獅童の視線が、とある方向に吸い寄せられる。そのたどり着く先は、かつて彼が日本酒を見いだした棚であった。

 

「獅童先生、残念ながら今はストックは無いよ。この前空けたので全部なんだ」

「あ、いえっ、そういうワケじゃないんですよ!」

 

 獅童は手を振って誤魔化す。

 子供にお酒を催促するような真似をした自身を恥じ入るように、頬を掻いた。

 

「何のストックが無いって?」

 

 マサムネはよく分からない、という顔をした。

 

「な、何でもないんです、本当に!」

「そうだね。マサムネ先生にはまだ早いかな。もう二三年したら、その時にね」

「はぁ……」

 

 おそらく、ろくでもないことだろう。最近マサムネが気付いたことには、獅童は押しに弱く酒癖が悪いなど意外とだらしのないところがあるし、一郎はそもそもエルフと一緒になってバカをやるのが大好きという、非常識な一面がある。そんな二人が、わざわざ隠し立てするようなことである。知って得することはあるまい。

 マサムネは有耶無耶にされることにした。

 

「それより、本題に入ろうぜ」

 

 言うなり、マサムネは鞄を広げた。そこから取り出すは、大量の紙束と冊子。夏期休暇課題である。

 

「それにしても、ナイス・アイディアだよ、一郎先生。勉強会をしようだなんてさ。きっかけが無いと、これに向き合うのはしんどかったんだ」

「たしかにすごい量だ。高校生というのは、大変なのだな」

 

 和装の美少女ムラマサも、着物と柄を合わせた和風かばんを広げる。そこから取り出した冊子は、マサムネのそれより遙かに少ない。

 マサムネはため息をついた。

 

「まったくだぜ。教師ってのは、高校生を殺すつもりで宿題を出してるんじゃないのか。小説も書かなきゃいけないし、正直、そんな暇無いんだよなぁ」

「きっと、彼らなりの愛ですよ」

 

 珍しく毒づくマサムネを、獅童が宥める。

 しかし、マサムネは相当鬱憤が溜まっていると見える。

 

「いらねぇよ、そんなもん!」

 

 と吐き捨てると、今度は、心底参った様子でぼやいた。

 

「……俺さ、諸事情で成績を落とせないから、宿題が増えてテスト範囲が広がると困るんだよ」

「大丈夫、心配いらないよ」

 

 一郎は微笑む。確かな自信をにじませるその笑みは、見る者をほっと安心させる、貫禄の笑みだ。

 案の定、マサムネは飛び付いた。

 

「一郎先生、何か秘策があるのか」

 

 自信満々な一郎は、しかし、にこりと微笑んで獅童に投げた。

 

「もちろん。何故ならここに、有名大学在籍のインテリ作家、獅童国光先生を召還したからね。きっとテストのヤマとか、ポイントとか教えてくれる筈さ」

 

 獅童の所属する大学名が明らかになると、マサムネは、驚きの声をあげた。

 

「えっ、マジであの大学なの!? それは凄い。頼りになるよ、シドーくん!」

「そ、そんな大層なものじゃありませんよ」

 

 キラキラと信頼の眼差しを向けるマサムネに、思わず照れる獅童であった。

 もちろん、ムラマサは嫉妬した。

 

「マサムネくん、是非私にも頼ってほしい! 私は君となら、難問に挑み苦悩を分かち合うのも、やぶさかではないぞ!」

「えっと、その、結構です。俺は地獄の道連れじゃなくって、救世の聖の方が欲しいので」

「なっ!?」

 

 などと、いつものように騒いで勉強会を始める四人であったが、そこからが違った。

 なにせ、エルフが居ないのである。

 マサムネとムラマサは課題にすっかり集中し、獅童は、静かに原稿に向かっている。彼らは、元来が生真面目な性質だったから、エルフという邪魔者がいなければ、ひたすらやるべきことに打ち込むことができたのだ。

 ややもすると、すっかり会話は絶えてしまう。

 マサムネも学校の成績は、悪くないどころか優秀であるといって差し支えない。獅童に教えを乞うことは希だった。また、ムラマサは負けず嫌いを発揮して、手が止まってしまっても、決して諦めようとはしなかった。

 

 しわぶきひとつない、静寂。

 早々に課題を終わらせてしまった一郎は、とたんに手持無沙汰になる。

 しょうことなしに、ぐるりと部屋を見回した。

 マサムネは課題冊子にシャーペンを走らせ、ときおり頷いては、頁をめくっている。ムラマサは鉛筆で何事か書き込んでは、消しゴムでこすり、また鉛筆を取る。獅童はモバイルPC(シグマリオンⅢ)の上で指を踊らせていた。

 紙をめくる音に、消しゴムのこすれる音、紙を掻く黒鉛の音に、鍵打の音――部屋は、さまざまな音に満ちていた。

 もう、一郎は一人ではない。ひとりの音はもうしない。

 けれども、物足りない。

 たった一人――エルフが欠けてしまっただけで、どんな音、どんな声さえも色褪せる。それはさながら、気まぐれな雨に降られた砂漠の花が、日照りのなかで雨を待ち続けているかのような心地であった。

 

 ひどく物悲しくなって、一郎は、手慰みに本を取った。

 シンプルな装丁の、一冊の本。まるでそれが、想い人のよすがでもあるかのように、優しい手つきで、そっと背表紙を撫でていた。

 

 そんな時である。

 

 一郎の携帯電話が突然歌いだした。底抜けに陽気なメロディが鳴り響く。

 果たして、それは、エルフからの着信を告げる調べであった。

 ほとんど反射的に、一郎は携帯電話に飛びついた。

 

『イチロー? あんた、今どこにいるの?』

 

 息を弾ませるエルフの声。

 久方ぶりの声、息づかいを耳にして、一郎は我知らず頬が緩んだ。

 

「自宅だよ。エルフさんこそ今、日本に?」

『よしっ。そのまま動くんじゃないわよ。外出禁止ね! いい? じっと待ってなさい!』

 

 答えも聞かずに一方的にまくしたてると、そのまま通話は断ち切られる。

 一郎は笑った。相変わらずの突拍子のない行動が、愉快で嬉しかったのだ。

 そんな一郎に、マサムネは奇妙なものを見た、とでも言いたげな視線を向ける。

 

「なぁ、今のエルフか?」

「みたいだね。どうやら、ここに来るらしい」

「え。ここって……一郎先生の部屋にか?」

「ここで勉強会するって連絡、エルフさんに回してましたっけ」

 

 訝しがるマサムネ達が何事か口にするよりも早くに、それはやってきた。

 

 トンテンカンと金属の階段を蹴りつける足音。

 それは、アパートの外階段を駆け上がる誰かさんの足音だ。一分一秒が待ち遠しいとでも言うかのようなもどかしさを、聞く者に感じさせる。

 一郎は嬉しくなって、玄関へと駆けた。後ろで何か声がしたような気がするが、まるで耳に入らない。

 カギを開けると同時に、勢いよくドアが開く。引き戸でなければ、一郎を強打していたに違いない。

 ドアの開ききるのも待ち切れぬとばかりに、半開きの隙間から、少女が飛び込んできた。

 エルフである。

 白磁の頬を上気させ、金糸の髪のたなびくのもそのままに、一郎の胸へ飛びつかんばかりに駆け寄って、

 

「イチロー!」

 

 一郎を見るや、ぱぁっと顔を輝かせた。

 一郎の肩越しに、目を白黒させる面々を認めるも、早々に一郎に向き直る。

 エルフは、騎士を従える姫君のように悠々と、そして無限の信頼を込めて、そっと囁いた。

 

「イチロー、ちゃんと考えてあるんでしょうね」

「もちろん。世界に一つだけの、最高に面白い恋文をしたためたよ。僕の想いを余すとこなく綴ってある。どうか受け取ってほしい」

 

 と一郎が差し出せば、エルフは花のほころぶように微笑んだ。

 

「ええ。よろこんで」

 

 それは、シンプルな装丁の本である。

 表紙には、タイトルと一郎の著名が簡素に刻まれている。カバーもなければ、イラストもない。きっと挿し絵だって無いはずだ。

 けれども、上質の紙を束ねる製本は丁寧で、これ一冊の為だけに印刷所を利用したのだということが見て取れる。

 世界にただ一つだけ、ただ一人の為だけに作られたその本は、このように銘打たれていた。

 

 ――転生作家は美少女天才作家に恋をする。

 

 




5,557文字


これにて完結です。
たくさんのご感想、ご意見、評価をありがとうございます。大変勇気づけられました。

この後、「あとがき」という名の拙作語り、元ネタ解説、書き手としての振り返り(備忘録)を投稿します。
よろしければお付き合いいただき、突っ込みなり何なりいただければ、嬉しくて楽しくて小躍りすると思います。

また、今後は、気の向いたときに後日譚を書いたり、R-18に挑戦してみようと思います。
完結までのお付き合い、ありがとうございました。


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あとがき
あとがき、あるいはお礼と拙作語り


 思えば、それなりの長さの作品をきちんと書ききったのは初めてです。

 

 これまで、恥の多い文章書き人生を送ってきました。

 当時、業界に旋風を巻き起こした『月姫』にはまり、文章を読むことの楽しさを知った高校一年生。これが暗黒時代の幕開けでした。

 U-1だらけのカノンSSを読みあさり、自分もとカノン二次を書こうとしては筆を折ってを繰り返した、黒歴史の高校二三年生。エロゲも毎日プレイ。地雷ゲーまでスコップし始め、ニッチ趣味に目覚める始末。数学の偏差値は10下がり、代わりに国語の偏差値が15上がりました。理数系なのに!

 大学では、二回生になってから文芸部に所属。舞城王太郎や乙一の劣化コピーのそのまた出来損ないと化したオリジナル短編に、毎度ジョジョネタをブチこむという頭の悪さを披露。グイン・サーガに憧れて書き始めた長編ハイファンタジーは序章で投げっぱなしジャーマン。

 就職してからは忙しさを言い訳に、Fate/SNとグイン・サーガのクロスの嘘予告という薄っぺらい妄想の垂れ流しを某理想郷のチラ裏に投下。某スレでも話題にしていただき、これならグインの出てくるFateを誰か書いてくれる筈と目論むも、空振りに終わる。同時期にリリなのと超人ロックのクロスを書きはじめ、すぐにエタらせる。

 それから数年。読み専に徹しながら、使うあてのないポメラを三台も所有する未練がましさ。

 まさに黒歴史の文章書き人生です。

 

 そんな私が、完結までこぎつけることができました。

 これもすばらしい原作を世に送り出した伏見先生と、そして何より、ご感想並びに評価をくださった皆様のおかげです。

 評価1が付いただけでも「読んだ上に反応までしてくれた」と嬉しく思いましたし、「最初にフラれるのが嫌だからもう読まない」「そんなのオリ主出す意味無い」というご感想も楽しく受け止めました。

 展開について褒めてくださったことは更に嬉しく、文章について褒めてくださったことは尚嬉しく、文章について細かく例示してのご意見・ご感想は殊更に嬉しかったです。

 はじめは、誰の目にも触れることなく、ひっそりと沈んでいくんだろうな、一人で飽きるまでしこしこ書くんだろうなと思っておりました。そうしたなかで、思いがけず沢山のご感想、評価をいただけたことが、拙作を書ききる最大の原動力となりました。

 皆様のおかげで、楽しい二ヶ月間を過ごすことができました。今までの人生の中で、一番充実した二ヶ月間でした。

 ありがとうございます。

 

 さて、以下に「あとがき」という名目で、拙作語りをしてみたいと思います。

 どうして、こういうストーリー展開にしたのか。どうして、こういうキャラ造形なってるのか。そういうことについて述べたいと思います。

 正直、ずっとこれがしたかったんです。ですが、本当はこういのはご法度です。というのも、小説というのは、作品から読み取れることが全てであるべきだから。

 でも、最後まで書ききったら多少は良いのでは? そう思って、「俺、この二次創作を完結できたら、あとがきで好き勝手に語るんだ」とエターフラグを立ててました。フラグが折れて良かった……。

 

 

<ストーリーについて>

オリ主がフラれる:

 という好みが別れる展開ですが、これだけは譲ることができませんでした。ひょっとしたら、早々に低評価の嵐に沈んでしまい、誰にも読んでもらえなくなるかもしれない。それでも構わない。自分の好きなように、気の済むまでは書こう。そう心に決めていました。

 ひとつには、個人的な好みという理由があります。フラれてから、一途にだんだん距離を詰めていく。そういういじらしい展開の小説が読みたくて、でも見かけないので、だったら自分で書いてみようと。

 もうひとつは、原作をリスペクトするが故に。原作では、エルフがマサムネに好意を寄せるに至った理由が少なくとも三つ明示されています。

①同年代で気の合う、はじめての異性であるから。

②真正面から本気で自分と向き合ってくれるから。

③ただ一人を一途に想い続けることができるから。

 更には、何巻何十万字もかけてエルフの一途な姿を描くことで、この設定に厚みというか説得力を持たせています。原作は、エルフのマサムネに対する恋物語でもあるのです。

 ですので、ぱっと出のオリ主が、出会ってたったの数千字、数万字でエルフとくっ付いたところで、顰蹙を買うだけです。何より、書き手自身が納得できません。噴飯ものです。

 マサムネを飛び越えてエルフと懇ろになるのを、読者に納得してもらう。原作ファンである自分が納得できるようにする。その為には、上記の三つの理由と説得力に正面から挑むしかありません。

 即ち、まずは、オリ主にマサムネと同等かそれ以上の「好意を得るに足る理由」を持たせることです。

①同年代で、同じ趣味(小説)を持ち、相性も良い。

②恋愛面においても、ライバル作家としても、真正面から本気でエルフに挑んでくる。

③フラれても一途に想い続ける。

 これらの理由を、何万字もかけた文章・ストーリーで肉付けし、説得力とします。ここまでして、はじめて「まぁ、これだけ頑張ったんなら、そういうこともあるかもな」と思えるようになると思っています。ここまでしないと、原作のエルフちゃんのイメージを損なうことなく、原作と異なる展開にもっていくことはできない。

 正直、拙作の文量・展開でもまだ不足していると思っています。本当はもっとじっくり描きたかった。

 ですが、あまり尺を伸ばしてもダレるだけ。ソードマスターヤマトの話数稼ぎ戦術かなと思われてしまう。しげの秀一も「第一巻がふやけるくらいダラダラと頭文字Dを連載するつもりはない」とはじめは言っていましたが、それは正しいと思います。

ですので、苦渋の決断として、この辺りで話を畳むことにしました。ここが自分の限界です。

 拙作の展開に納得できなかった(関係の進展が性急に感じた)方がいれば、それは、私の力量の問題です。これくらいの文量でも、もっと説得力が出るように描けた筈です。あるいは、連載をもっと長期化しても、ダラダラ感を出さずに書けた筈です。どうすればそのようにできるのか、研究すべし。それが、拙作から得た課題の一つです。正直、それができればプロだよアンタ、とも思いますが……。

 

オリジナル展開:

 と言う程でもありませんが、エルフちゃんが缶詰させられているところを訪問したり、エルフちゃんと縁日に出かけたり、打ち上げ会をより詳しく描いたりしました。

 お察しの通り、原作でさらっと流されたり、ばさりと切り捨てられたところです。「こういうイベントも起こせるから、二次創作する人は使ってねー」という伏見先生からのメッセージのように思います。おかげさまで、「うわぁぁあ、ネタが浮かばない!」状態になることなく、するする次の展開が決まりました。流石は伏見先生です。

 このように、キャラは立ってるわ、イベントのネタも原作で提供してもらってるわで、かなり二次創作が書きやすい作品だと思います。何よりエルフちゃんが素敵、可愛い、良い女。皆さんも是非書いてみてください。可愛いエルフちゃんが読みたいです。

 

書きたかったネタ:

 もありました。

 「謎のムラマサ邸」「同人誌を作ろう」「山田エルフの登校」「ホワイトデーに獅童死す!?」というサブタイトルとプロットを考えていました。いや、二次創作って本当に楽しいですね!

 

 

<文章について>

文章の練習:

 を兼ねた拙作でしたが、じゃあどういう事を練習したのかということについては、次頁にて。大まかに言えば、小説としての文章技巧に挑戦した、ということです。例えば、読み易くするための工夫。また例えば、情景や心の動きを、描写を通じて楽しむこと。

 小説というのは、このように遠足に喩えることができる。目的地へたどりつくまでの道すがら、風景も楽しむことができなければならない。前者がストーリーで、後者が文章。そのように思っています。

 という理屈を盾に掲げて、書きたい放題して楽しみました。この楽しみを共有してくださったなら、これに勝る喜びはありません。

 嘘です。これが良かった、あれはよく理解できなかった等、文章について糧にできるような忌憚ないご意見ご感想をいただけるのが一番嬉しいです。ですので、具体的なご指摘やご感想をいただいたときはいっそう嬉しかったです。ありがたく糧にさせていただきます。

 

 

<鈴木一郎について>

名前の由来:

 エルフちゃんは山田エルフ。山田とくれば山田太郎。

 これに対抗できる平凡なビッグネームは鈴木一郎しかない!

 

性格について:

 オッサン転生ということで、落ち着きのある常識的な性格に。

 ところがいざ書いてみると、毒にも薬にもならないようなことしか言わないわ、ストーリーを動かす原動力にはならないわで、動かしづらいキャラでした。幼い言動の転生オリ主が少なくないのも、理由があるのだなと思ったり。エルフちゃんに感化されて、どんどん素直に、熱くなってきてからは、ずいぶん動かしやすくなりました。

 嬉しいことに、一郎に対する好意的なご感想を多数いただくことができました。この子が魅力的になったのは、間違い無くエルフちゃんのおかげです。流石エルフちゃんやで!

 

なぜ転生者か:

 ひとつには、受けを狙って。せっかく投稿するのだから、出来ればたくさんの人に読んでもらいたい。となると、流行りの転生要素を取り入れるのが手っ取り早い。

 ふたつ目は、原作キャラが作家として何気に凄いので。マサムネとエルフはさらっとアニメ化しちゃう程ですし、ムラマサに至っては戦闘力一千万超え。選ばれし麒麟児たちです。これと肩を並べる同年代の作家なんて、転生ベテラン作家ぐらいでないと却って説得力がない。

 みっつ目は、そもそも自分が転生オリ主が好きだから。(実質オリ主の)U-1が跋扈するKanonSSをほぼ網羅していた時期がありまして、そこで教わったことは、しっかり書いてりゃ理不尽な主人公でも楽しいんだ! とういことです。転生オリ主の持つ「分かり易さ」は、雑に扱ってもそれなりに食べれるジャンクフードが出来ちゃいますが、きちんと料理すれば上手い作品になるんです。ということに挑戦してみたかった。

 いつつ目は、『グイン・サーガ』ネタを使いたかったので。原作の「クリスタルパレス」ってのは狙ってると思うんですよ。これに応えなきゃいけない!(使命感

 

作家として:

 グイン・サーガが好きなので、それじゃあグイン・サーガと栗本薫を下敷きにしようかなと。ニヤリとしていただけたなら幸い。ニヤリとしなかった方は、かつてそういう小説家がいて、グイン・サーガという作品があったということを、ときどき思い出していただければ。もしも興味を持たれましたら、書店はもちろん、それなり以上の大きさの図書館にはまず置いてありますから、ぜひご一読ください。

 なお、拙作ではグイン・サーガのステマをしています。

 

作家としての作風:

 圧倒的な筆力で持ってすごぶる雰囲気のある描写ができる、という設定。

 無茶苦茶なストーリーや設定に、説得力と臨場感を持たせることができる。逆にストーリー展開やキャラ設定の才は凡人。凡人ながら、ベテランなので器用にこなす。掘り下げとか、さり気ない描写によるキャラ立ては上手い筈。

 ある種のチート能力ですが、こうでもしないと、アニメ化作家のマサムネ、エルフと並び立てないんじゃないかなと。どういうわけか(筆の勢いです)、ニッチ路線を攻めるキワモノラノベ作家になりつつありますし、チート能力でもないと渡り合えないんじゃないかと。

 

 

<山田エルフについて>

オリジナル解釈:

 異文化の価値観を持っている。

 原作のあまりに空気を読まない言動や、独善的で突拍子のない行動(アルミちゃんの件とか)を、なるべく好意的かつ常識的に解釈しようという試みの結果。そういう文化で育ったんだから、価値観が違えば行動様式が違うのも当然だよね! ということです。

 

良い女:

 っぷりをアピールすべく、上記の好意的解釈に取り組みました。

 原作においては、マサムネくんの一人称視点という制約もあり、あまり触れられていない箇所です。ここを深めることができて、大満足です。

 

外見の描写:

 を頑張りました。でも、パターンが少ないですね。

 エルフ耳については敢えて触れていません。「えっ、現代日本でエルフ耳!?」と興醒めされる可能性があったので。

 

攻められると弱い:

 はじめは対人経験が少ないから、という理屈でした。

 が、原作を読んで確認するうちに、やっぱこれだけじゃあ理由として弱いな、と思うようになりました。そこで、遊び半分ではない本気の慕情には対処の仕方が分からない、という理屈を追加。原作キャラの、原作にない展開での反応を考えるのって難しいです。

 

作家としての作風:

 を掘り下げようとするも、あまり情報が無いことに気付き、驚きました。

 『爆炎のダークルエルフ』はライトファンタジーで、ヒロインが裸に剥かれ、エルフ曰く読みやすくて分かりやすい至高の文体、マサムネ曰くバカらしくて(良い意味で)笑顔になるとか。

 

 

<和泉正宗について>

言動がコミカル:

 原作読んでて思ったんですけど、言動がコミカルで面白いですよね。心に火がつくと、エルフちゃんとの話しの途中でもクリスタルパレスを飛び出して、次の行動に移ったり。

 書いてみれば、勝手に動くし、動かしてて楽しい。流石は伏見先生です。

 

誠実な妹マニア:

 究極美少女かつ「良い女」なエルフちゃんに再三口説かれてもなびかない、重度の妹マニア。あるいは誠実な人。エロゲのタイトルになぞらえるなら妹魂。

 先述のコミカルな言動と化学反応を起こした結果が、拙作中のアレな妹マニア発言となりました。でも、原作でも似たようなものですよね。

 

伏見先生も妹マニア:

 に違いありません。

 俺妹の主人公は、黒猫を袖にしてまで地雷な実妹エンドを迎えるほどの妹キチ。エロマンガ先生の主人公もまた、先述の通りの頑なな妹信者。二作続いての妹モノです。

 そして同作は、好きなもの(妹)をテーマにやる気マックスファイアーで書けば面白い作品ができる、という話でした。その理論に従うなら、伏見先生は真正の妹マニアです。伏見先生に妹さんはいらっしゃるのでしょうか。心配です。

 

作家としての作風:

 に関して、エルフ以上に情報が少ないことに更に驚きました。主人公なのに!

 『転生の銀狼』は学園バトル異能ものということ。文章力そのものは高いわけではない(エルフ基準。ムラマサ邸でのやりとりより)。自作のヒロインを殺す、ということくらいしか。それでも、『最高の妹』は人気が出てあっさりアニメ化を決めるほどだから、驚き。

 拙作では、あふれる“妹愛”を作品に向けることで一皮剥けし、ナボコフや三島由紀夫並みの変態作家としての才能を開花させつつあると解釈。この解釈で以て、急にヒットを飛ばすこととなった要因の説明を試みました。

 

ホモ疑惑:

 作家としてのマサムネを掘り下げると共に、ホモ疑惑も進化あるいは深化させてみました。深刻化とも言います。私なりの愛です。

 反応が良かったからというのもありますが、何より、書いてて楽しかったんです。自分で書いた文章で笑ったのは初めてです。といっても、原作という褌を借りてるわけですが。

 

 

<獅堂国光について>

何故か扱いが丁寧:

 なのは原作であまりに扱いが軽かったから。

 なにせ、打ち上げ会ではムラマサにほぼ無視され、マサムネ一人称の原作でも反応や台詞をろくに描写してもらえず、ホタイトデーには哀れな目に遭うという始末。

 そのくせ、本人はすごぶる善人で、小説に対しては熱い思いを秘めている。おまけに酒癖が悪い。魅力的なキャラじゃないですか! そのうえ薄幸。大好物なキャラ造形ですよ。

 自己紹介時のキャラの掘り下げは、本当に頑張りましたし、書いてて楽しかったです。こういうことができるから、二次創作は楽しいのだなと実感。

 

作家としての作風:

 に関しては、ひょっとしたら一番詳しく描かれているかもしれません。

 お菓子をモチーフにした作品を描くということ。女性と思われるような作風だということ。

 

マサムネとの関係:

 が原作よりも深まっています。一郎が潤滑油として機能することで、原作よりすんなり作家連中との仲を深めることができたからです。その為、原作では「和泉くん」だった呼称が「マサムネくん」に。他の作家に対する呼称も変わっています。

 

 

<千寿ムラマサ>

ヤンデレキャラ:

 という特徴を前面に押し出しました。拙作ではあくまでサブキャラの一人で、しかもマサムネと小説のことしか頭にない為、オリ主とは絡みづらいということで。

 ヤンデレ描写が書いてて楽しかったです。

 

作家としての作風:

 は一番分かっていません。ただ、マサムネの上位互換としか。つまり、どういうことだってばよ!

 

 

<神坂めぐみについて>

ラノベ特有のかませ幼馴染ヒロインキャラポジ:

 になってて泣いたというご感想を頂きました。かませとか当て馬とか、私は大好物です。

 本来は、一郎の背景(幼少期や日常生活)を明かす為の導入材。または、エルフちゃんとの関係がなかなか進展しなかった際の起爆剤(またの名を当て馬)。

 そんな舞台装置としての役割だけを与えられて登場した彼女ですが、書くうちにどんどん気に入ってしまいました。なにせキャラは立ってるし、友達思いの善い子なので。

 その結果、当て馬化が進行。僕なりの愛ですわい。

 

口調:

 が難しい。というのも、作中ではほとんど年上を相手にするので、必然的に敬語ばかり。同い年、ないし対等な立場の相手に対する言動がほとんど描写されていない。

 ほんとうは一郎に対してタメ口にしようと思ったんですが、口調が分からないので断念、タメ口混じりの敬語と相成りました。

 

 

<エロマンガ先生(和泉沙霧)について>

ほぼ登場しない:

 私の思い入れの無さと、ストーリー上の重要性の低さが、出番の無さにつながりました。

 アニメでは可愛いんです。あの素敵なビジュアルが常に画面に描かれてるから。小説だとそうはいかない。ビジュアルの描写なしに言動だけを読んだとき、それを可愛いと思うか、面倒くさい地雷女と思うかは人それぞれだと思うんです。

 拙作では、そもそも一郎と絡む必然性がありませんし。マサムネルートにでも進まない限りは。

 

 

<山田クリスについて>

ちょい役なのに濃い:

 原作の描写が少なく、参考資料の少なさに困った人。でもキャラが立ってるから凄い。流石(略

 拙作では「生真面目」「妹思い」というイメージを膨らませて書きました。それくらいしか原作で描かれてないから、却って書きやすい。

 

お風呂での手指や鎖骨の描写:

 誰得。書いた本人も得してない。どうして書いた。

 そういう流れ(アッー!)だったからとしか……。

 

クリスの夢:

 を勝手に設定しました。これを書いている時点では、原作は第9巻までしか読んでないんですが、大丈夫ですよね、第10巻でクリス兄貴のこと掘り下げられてませんよね!?

 

 

<神楽坂あやめについて>

一番の被害者:

 偏屈な作家がR18もののグロ描写満載小説を送ってきて、親切に「直そうね」と助言するも取りつく島もなく、仕方なく上司から「まぁ、いんじゃね?」という受け取り拒否のOKサインもらって突っぱねるも、後日そのことを上司に咎められる。おまけに山姥扱い。

 コメディなシーンが欲しかったし、真面目に現実的な展開にしようとすると、話の転びが悪い。そこで、あのようなことに。

 それでも、安易に悪役にしたくなかったので、「上司と良心の板挟みに合う下っ端の世知辛さ」を滲ませることに。申し訳ない……。

 

 

<ハワカワの編集長について>

オリキャラのおっさん:

 ちょっとゴツめの酒豪オヤジ、というイメージだけで書いた。

 何気に、狭霧と同程度かそれ以上に喋ってる。

 

再登場の予定:

 はありません。一郎に干渉する必要がありませんので。二年縛りとかの決まりもありませんし、ちゃんと原稿納めてるので文句もないわけで。敢えて考えるなら、元スーパー小学生、現スーパー中学生の一郎をメディア前面に押し出していく広告戦略を採る場合でしょうか。



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あとがき、あるいは元ネタ解説

 しれっと文章中に潜ませたネタの解説です。
 マイナーと思われるもの、是非知ってもらいたもの、語り合いたいものを取り上げました。
 ギャグの解説だなんてお寒いことこの上ありませんが、大好きなものを共有できれば、これに勝る幸せはありません。
「やっぱりこれが元ネタだったんだ」「もちろん分かってたよ」「面白そうやん」など一言頂ければ嬉しく思います。


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1.一目ぼれ

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粟元芳(あわもとかおる):

 『グイン・サーガ』の作者、栗本薫(くりもとかおる)が元ネタ。

 グイン・サーガが大好きでさんざん読み漁って文体模写までした後に、とんだ801 BBAだと知ってショックを受けたのは良い思い出。

 

あと一ターン:

 Civilizationシリーズより。

 勝利条件を満たしてゲームが終了しても、その後延々とゲームを続けることができる。その際に現れる選択肢から「待って! もう1ターンだけ」を選んだ場合、完徹コースは免れない。ようこそ、夜の無い世界へ。

 

ん、なんだこの音は。これは……:

 ニコ動でおなじみの『るりまの淫語だけだよ』ドラマCD(通称“童貞チ○ポコ先生”)より。

「ん、なんだこの臭いは。これは――(以下自主規制)」

 

 

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2.鈴木一郎という少年

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『豹頭譚』:

『グイン・サーガ』が元ネタ。

 1979年からシリーズ開始。当初は全100巻で完結する予定だったとか。栗本先生が2009年5月に56歳で死去。130巻で一旦刊行が途絶えるも、その後複数作家によるリレー形式で連載が再会。累計発行部数(戦闘力)は3300万。

 豹頭人身の渋格好良いおっさん、グインが主人公。

 

「山田エルフよ。私のことなら、そう呼んで」:

 ジョジョの奇妙な冒険第6部ストーンオーシャンより。

「『フー・ファイターズ』! わたしの事を呼ぶならそう呼べ!」

 また、原作第3巻でも「わたしにプロポーズをするときは、その名前で読んで頂戴」と言ってますが、これってジョジョの台詞のオマージュなのでは? などと勘繰ってしまうのはジョジョラーの悪い癖。

 なお、乙一先生の『夏と花火と私の死体』を読んだ時、不気味な雰囲気のつくり方が、なんとなくジョジョっぽいなと思っていましたが、後日、乙一先生もジョジョラーだと判明したときは「やっぱり」と思いました。でもこれって、ただの勘繰りですよね。

 

『豹頭譚』もまた、アニメ化されたことがある(中略)驚きの試写会だった:

 テレビ放送の映像を観た時は、はじめ驚き、その後乾いた笑いが出ました。HAHAHAって米笑したのなんか、人生で初めてだったかもしれません。「埋まった!?」って驚くレムス君は、見事に視聴者の声を代弁してくれました。

 

 

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3.三人のラノベ作家

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水晶宮(クリスタル・パレス):

『グイン・サーガ』より。とある国の王宮の通称。

 第一巻の時点で新興国モンゴールの奇襲を受け、蹂躙されている。なお、王家の双子がクリスタル・パレスから追われて逃げ延びた。

 

アニメがこけた先達の身:

『グイン・サーガ』のアニメはこけた。キャラデザが公開された時点で「こんなの俺のイシュトじゃねぇ!」という声がちらほら。ええ、私の口からも出ましたよ。

 なお、舞台もこけている模様。

 

ぬわぁぁー! とマサムネは悲鳴をあげる:

 DQ5より。パパス最期の台詞にして、同作最大の名言。

 

ドジョウは清流には住めないもんな:

 江戸時代の狂歌「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」より。

 賄賂を横行させた老中・田沼が処断された後、老中・松平定信の治世においては、儒学に基づく潔癖な政が執り行われ、収賄は厳しく取り締まられた。のみのらず、極端な緊縮財政によりデフレを招いた為、民のひんしゅくを買った。上の狂歌はその象徴。

 ゲーム三昧という“濁り”を必要とするエルフの生態を皮肉った台詞。

 

産まれ落ちた瞬間に里山を愛の光で満たした:

 『四畳半神話大系』より。

“生後間もない頃の私は純粋無垢の権化であり、光源氏の赤子時代もかくやと思われる愛らしさ、邪念のかけらもないその笑顔は郷里の山野を愛の光で満たしたと言われる。”

 

炎を閉じこめた氷のまなざし:

 銀英伝のラインハルトの描写を下敷きにしたもの。

 読んだのはもう十五年以上前ですが、そんな表現があったように思います。

 余談ですが、銀英伝で印象に残っている文章表現は、やたら頻繁に目にした「視界が漂白された」というものと、「銀河の歴史にまた一ページ」という名文。そして、自業自得で四面楚歌に陥ったオバカさんの「どちらを向いても敵ばかりだ! 撃てば当たるぞ!」という名言。

 更に余談ですが、オンライン・ゴルフゲーム『パンヤ』のサービス開始当初、マッチングした人のプレイヤー・ネームが「ヤン・ウェンリー」でした。父に報告したところ(銀英伝は父の本棚から拝借した)、「それはまた自信のあることだね。その名を付けたからには、ミラクルショットを連発しなくちゃ」との答えが。オンラインゲームで有名キャラの名前を使うってことは、覚悟のいることなんだよ! そういえば、SAOが流行った時、方々のネトゲが「キリト」だらけになりましたね……。

 

 

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4.水晶宮の陥落

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サブタイトル:

 先述の通り、『グイン・サーガ』の水晶宮は敵国の奇襲により陥落する。

 

文化がちがぁーう!:

 岩明均先生の『ヒストリエ』より。異民族の異文化を目の当たりにした主人公の台詞。

 

風が、強い:

 『グイン・サーガ』で印象的だった一節。

 いつも一文がやたらめったら長いのに、ときどきこういう短くてはっとする一文が飛び出してきます。

 

背中がすすけてるわよ:

 『麻雀飛翔伝 哭きの竜』より。「あンた背中が煤けてるぜ」

 なお、あの『テコンドー朴』第二巻でもネタにされた模様。「あんた、背中がチ○ッパリだぜ」

 

『漆黒の意志』ってやつかしら:

 ジョジョの奇妙な冒険第7部SBRより。

 目的の為なら他者の命を含めた全てを顧みないという覚悟の現れかなと理解してます。

 

こんっな長ったらしい文章(中略)離れて見たら、紙面が四角く塗られてるみたいよ!:

 『グイン・サーガ』のこと。

 大学の文芸部で、御大の文体パクって書いたら、このように言われました。オイラの力不足だな、御大の文章をよく読まなくちゃ。そう思って開いた紙面は、四角く塗られていました。

 

こんなの会話じゃないわ。オバちゃんの井戸端会議じゃない:

 『グイン・サーガ』のことです。

 スレでよく言われる批評、あるいはファンの愛情の裏返し。親御さんが「ウチの子は本当にバカで……」というのと同じ。うっかり「そうですね。バカですよね」と同意してしまうと激怒すると思われるので注意が必要。

 

百巻過ぎても完結する兆しすら一向に見えないわけ? 作家として、プロット能力を疑うわ:

 『グイン・サーガ』の(ry

 

『快楽の都』:

 『グイン・サーガ』第110巻のサブタイトル。

 べつに読者と一緒に過去を紐解くわけではありませんが、主人公が記憶喪失のうえ、区切りがついた後なので新規の人も読み始めやすく、街の描写も素敵で、数少ないしっかりした戦闘描写まであるオススメの巻。

 

「わしの可愛い小鳥ちゃんや!」と気色ばむ男色の変態領主と、「もう、領主様ったら」と黄色い声で取り入る美青年吟遊詩人も登場するが:

 登場するんです……。笑いどころだと思ってますが、趣味で801同人誌を書くような作者ですからひょっとして……。

 

ポメラ:

 KINGJIMの名機。物書きの間ではすごぶる有名らしい。

 なお、ポメラユーザーをポメラニアンと呼ぶらしいです。

 拙作ではポメラのステマをしています。

 

 

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5. ビルの上のラプンツェルは熱いのがお好き

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サブタイトル:

 映画『塔の上のラプンツェル』と『紳士は金髪がお好き』から。

 

「何でも……だと……」:

 オサレ師匠の名言「なん……だと……」のパロディ。

 

「だが断る」:

 説明不要のジョジョネタ。”!”を付けるのは間違い。

 

ただのしかばね:

 DQシリーズより。

 

全力中の全力:

 『幽々白書』の戸愚呂弟の名言「百パーセント中の百パーセント」から。

 

ナボコフ大先生:

 名著『ロリータ』を書いた偉大な大作家(アークノベリスト)

 ちなみに同著は日記形式の作品。「歯磨き以外清潔なことをしない」少女がヒロインってどうなの……。

 なお、私は大学学部生時代、電車のなかで堂々とこれを読んでました。タイムマシンが使えたなら……!

 

ルイス・キャロル:

 『不思議の国のアリス』は意中のロリの為に創った話である、という説より。

 

三島由紀夫:

 ガチホモのうえにド変態。『仮面の告白』ではじっくり男の股間(ふんどし着用)を描写した。文章を読んで吐き気を覚えたのは、いまだにこれだけです。

 以前いただいた感想に(いつの間にか消えてて残念です)「純文学はなまじ筆力がすごいから、精神汚染度も高い。書いてることは犯罪なのに、読んでるうちにしんみりした気持ちになってしまう」という旨のコメントがありました。激しく同意します。精神汚染とは言い得て妙ですね。

 

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6. 正体

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F5連打でサーバがダウンする筈が無い:

 ところが、某国のF5連打攻撃によって日本ホッケー協会と、某国の大統領府HPがダウンしたらしいです。本当にF5連打だったのか、自動で短時間に連続更新するツールを使ったのかは分かりかねますが。

 

十六連射:

 高橋名人の代名詞。ファミコンのシューティングゲーム『スターソルジャー』は、ボタンを押せば押すだけ弾が出たので(十六が上限?)、連射速度がゲームの腕前につながった。

 氏はスイカを十六連射で割るパフォーマンスをしたり、オリジナル曲『君のハートに十六連射』を歌ったり、ビデオ作品で主演を張ったりと方々で活躍した伝説の人。ただし、ハドソンの社員として正規の給与しか支給されなかったと思われる。

 

箒星の尾のように、異世界の不思議、異文化の臭いはぼうっと妖しくつきまとった:

 芥川か漱石の一節を下敷きにした表現。どっちだったかな。

 

<神眼>解析のステータス表示:

 原作にもあったステータス表示。

 [A:超スゴイ]などはジョジョ風にしています。

 

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7. 縁日

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何か書いてないと死んじゃう病:

 栗本薫が慢性的に患っていた疾患。

 

おおきく傾いで巨大な円盤となった太陽:

 『グイン・サーガ』で出てきた描写を拝借。

 

PNTMN先生(ぱんつまん先生):

 特に元ネタはありません。

 ところで、エロゲのシナリオライター出身といえば、『人類は衰退しました』の田中ロミオ先生が思い浮かびます。ガガガで本を出すと聞いた時は驚いたものです。田中ロミオ先生といえば、次の三作品が好きです。

 『CROSS†CHANNEL』は歴史に残る傑作です。これをプレイしない人生は、人生の出来損ないです。子安さんとカッペイさんも出てくるので、声優目的の人にもオススメできます。

 『神樹の館』は民俗学ファン垂涎の名作。舞台からしてマヨイガですし、山中他界観を思わせる描写もたまりません。それぞれのヒロインも……。『遠野物語』が好きなら是非。

 『最果てのイマ』はコアな学園SF異能モノです。叙述トリックとも違うけど、「えっ。うそだよ、そんなわけ……マジやん!」とシビれました。流石はロミオ先生。主人公の能力もすごく科学的で斬新。そしてある意味最強です。

 上記三作の他にも、『可奈~妹~』や『家族計画』など知らなきゃモグリ呼ばわりされる名作を担当されています。

 

 

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8. 打ち上げ会

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それは一を知って二を知らざる者の言葉よ:

 三国志でよく見た表現。

 一側面だけは知っているが、それを応用できないこと。見識が浅いこと。

 諸葛孔明みたいなインテリが言うと癪に障るが、おバカ可愛いエルフちゃんが言うとアホ可愛い。

 

バカばっかりね:

 宇宙戦艦ナデシコより。ルリルリの「バカばっか」が元ネタ。

 なお、実はルリルリはそんなに「バカばっか」と発言していない。

 

究極美少女生命体:

 ジョジョ第二部の究極生命体カーズ様が元ネタ。のつもり。

 

ドラゴンボールグミ:

 昔懐かしのテレビCM。ベジータと悟空がグミを取り合ってケンカする。

「グミくれよぉ」「やーだよっ」

 

それ以上いけない!:

 マンガ『孤独のグルメ』より。

 

驚き!:

 別マガ(2017年9月号)掲載の『岸部露伴は動かない』より。

 露伴ちゃんが上岸由香子にセクハラするくだり。

「今のセリフ……キミが口にするの結構いいネェ。もう一回言ってみて」「驚き。先生、セクハラするキャラにもなってる」

 

妹マニアのお兄ちゃんは切なくて、妹を想うとついつい妹小説を書いちゃうおませなボクの私のぷにぷに:

 異様に長くて電波なことで有名なエロゲのタイトル、『恋する妹はせつなくてお兄ちゃんを想うとすぐHしちゃうの』と、『大好きな先生にHなおねだりしちゃうおませなボクの/私のぷにぷに』より。タイトルのインパクトだけで商業的に成功したんじゃないかと思います。なお、どちらも同じブランドのタイトル。

 また、少女マンガ家・美川べるの先生の『ストレンジ・プラス』でもネタにされています。

 美川先生は、他にも『鬼作』シリーズや『To Heart』をネタにしたり、エロゲのタイトルしりとりを作中でやらせたり、Alice Softの素敵絵師・織音先生に殺ちゃんの帯を描いてもらったりと、異様にエロゲネタに強い少女漫画家です。……あの、掲載冊子間違えてませんか。

 

 

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9.物書きたちの宴

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宝箱から重要アイテムを取り出す勇者のように、それを、天高くに掲げて:

 ゼルダの伝説シリーズ。特に64以降の3D化された作品。

 リンクが宝箱から重要アイテムを取り出すときの仕草をイメージしました。

 

ユニークです:

『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズ、長門の台詞より。

「ユニーク」

 

より評判の良かった旧版を買ったんだから:

 何年も前に見た時は、そんなレビューが確かにあったんです。メガハウスのはスケールダウンしており、ツクダオリジナルの方が優れているという熱いレビューが。

 

ネットの嘘を見抜けないやつに、ネットをするのは難しい:

 2ch管理者ひろゆきの名言。

「ウソはウソであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」

 なお、この頃にさんざん2chで痛い目みたり、イタイ話を聞いて育つことによって、おっさん連中はインターネット・リテラシーの大切さを肌身で学んだ。それはもう痛いくらい。実際、「SNSの垢を本名で登録するのは気違い沙汰。個人情報をネット上で晒すなんて信じられない!」という人も少なくない。最近の子供もそうなら、悲しい出来事はもっと少なくなっていただろうに……。

 

驚き! 一郎先生、イケメンキャラになってる:

『岸部露伴は動かない』より。先述の項目と同じ。

 

本当にありがとう。それしか言葉が見つからない……:

 ジョジョ第7部SBRより。

 

“キレイなエルフさん”:

 ドラえもんの“きれいなジャイアン”のオマージュ。

 

 

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10.妖精の島・上

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見なさい。人がゴミのようよ:

 高所に行ったとき、取り敢えず発言することが義務付けられている台詞。

 

地上最後の楽園:

 北朝鮮のこと。2000年代前半、北朝鮮拉致被害者がマスコミに取り上げられるようになった際、同地域(日本は国家認定していない)を指すフレーズとして頻繁に使われた。

 元はと言えば1950年代、第二次世界大戦の終結により日本より独立した朝鮮半島へ在日朝鮮人を帰す「帰国事業」の一環として、この呼称が考案されたらしい。効果は抜群で、在日朝鮮人ら約9万3千人が北朝鮮に渡ったとか。

 なお、このフレーズを大々的に喧伝したのは朝日新聞であり、朝鮮人の夫に付いて北朝鮮に渡った日本人妻は、監視下に置かれたり収容所に入れられたりと苦境に立たされたらしいが、このことは不思議なことにあまり報道されてこなかった。

 余談ですが、2000年代はFLASH全盛期かつ北朝鮮ネタの全盛期でした。ネットでは数々の北朝鮮FLASHが作られ、中高生は北朝鮮の律動体操を覚えて踊ったりと、不謹慎ながらも北朝鮮ブームの真っただ中にありました。

 

国内旅行が許されるのは中学生までよねー:

 キモーイガールズの台詞のオマージュ。

「えーマジ童貞!?」「キモーイ」「童貞が許されるのは小学生までだよねー」「キャハハハハハハ」

 あれから十六年が経ちますが、作者様のTwitter公式アカウントで、大人になったキモーイガールズのイラストが投稿されてました。胸熱。

 

光のオーブ:

 似たようなアイテムがJRPGには沢山あるので、どれを思い浮かべるかで属する派閥が分かる。

 DQ5では妖精の城でもらえる「光るオーブ」。DQ1・3では「ひかりのたま」。ファイアーエムブレム封印の盾では、そのまま「光のオーブ」。

 

しめやかに退散すること:

 ニンジャスレイヤーの名文が元ネタ。アイエェェェ!

「しめやかに失禁」「しめやかに爆発四散」

 

Casa BRUTUS:

 オサレな住宅雑誌。

 なお『Casa BRUTUS特別編集 最強の家づくり究極の参考書~都市型住宅に住む。』では、ほぼ全面ガラス張りの、露出趣味のそしりを免れない、とんでもない住宅が紹介されている。更に驚くべきことには、その家には実際に人が住んでいて、奥さんと年頃の娘さんもいるのだとか。お風呂もガラス張りですよ。「意外と不便に感じません」とか言ってるし。信じられないなぁ。

 

僕だけでも黄金体験を:

 ジョジョ第五部の主人公ジョルノ・ジョバーナのスタンド名『ゴールド・エクスペリエンス(黄金体験)』より。

 

容姿も中性的なイケメンだ:

 ジョジョ第7部SBRより。マウンテン・ティムを紹介する台詞のオマージュ。

“ルックスもイケメンだ”

 雑誌掲載時はモブ顔をしており、全くイケメンではなかった。仮にも重要キャラを説明するのに、この取って付けたような台詞のシュールさよ。

 

俺はエクスカリバーしないっての!:

 BL小説『ナイトは妖しいのがお好き♥』の帯より。作中でも実際に言われるらしいです。

「そう…。そのまま飲み込んで。僕のエクスカリバー…」

 色々思うところはあります。エクスカリバー飲み込んだら切れるやろ、痔になるってことを暗示したギャグかよとか。三点リーダーは二つ重ねろよとか。

 

僕の出口が入口に:

 先述の美川べるの先生のマンガより。

 イケメン集団とナンパ・バトルを行った際、スタイリッシュにアクロバティック着地を決めようとした相手の着地地点に三角コーンを設置。尻からコーンを生やして「僕の出口が入口に!」とのたうち回るという、「これ本当に少女マンガ?」なギャグシーンが元ネタ。

 

抹茶に砂糖入れる提督:

 リリカルなのはが元ネタ。

 リンディ提督は抹茶に砂糖を入れて甘くする。ファンの間では「リンディ茶」と渾名される。これは、地球のアジアに似通った文化があちらの次元世界の主流であるからに違いない。きっと。多分。ひょっとしたら。

 

 

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11.妖精の島・中

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勝利の為ならば、仲間の魂をかけてもいいのよ。某スタンド使いだってそうして勝ってるんだから:

 ジョジョ第三部。ダービー兄との賭博に敗れた仲間たちは、次々と魂をチップに変身させられた。ダービー兄との勝負に際して、承太郎が言った台詞。

「いいだろう。花京院の『魂』も賭けよう」

 

「ちょっと等身おかしくないか?」「すっごくサッカーの上手そうな身体つきよ。キャプテン・マサムネね!」:

 キャプテン翼のこと。大人になった翼くん達は、最大15等身の異形の超選手へと進化した。

 

”竜の巣”みたいだ:

 日本の中高生は、似たような積乱雲を目にする度に「ラピュタは本当にあったんだ! 父さんは嘘つきじゃなかった!」と口にする慣わしがある。少なくとも私はそうでした。

 

乾いた夏を潤す、恵みの雨:

 Dolly Parton(ドリー・パートン) の名曲“Jolene(ジョリーン)”より。

 “summer rain”のくだりから、アメリカ内陸部のカラッとした夏に降る、涼やかで気持ちの良い雨のことなんだろうなと想像してました。

 ところが、実際は、作詞も手掛けたドリー・パートンの出身地はテネシー州。夏は暑く湿潤で降水量の多い、日本っぽい気候だということが今回調べてみて分かりました。全然違うやーん!

 この曲、とても素敵な歌詞で、曲調もカッコいいです。

 なお、ジョジョ第六部ストーンオーシャンの主人公の名前は叙倫(ジョリーン)。叙倫をスタンド能力で支配下に置いたグエスが「ジョリーン、ジョリーン、叙倫、ジョッリヒィィーン!」と歌っているのは、この曲に違いない。足音も明らかにこの曲のサウンドですし。

 

一流のザ・シェフ:

 漫画『ザ・シェフ』を意識した台詞。なお、同作において、一流のシェフの何たるかが語られているわけではない。

 

 

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12.妖精の島・下

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だってこれ、菌なのよ。信じられないわ。このひだひだ、いったい何の為にあるの?:

『四畳半神話大系』より。

「ようそんな気色の悪い物体を食べますねえ。それ菌ですよ。菌の茶色いかたまりですよ。信じられないなあ。その傘の裏にある白いひだひだ、何ですか。なんのためにそれあるんですか」

 

ムラマサはジャポニカ学習帳に向かう:

 ムラマサの“使用機種”はジョポニカ学習帳。原作第二巻掲載の公式設定です。

 

クソゲー量産機のバンナム:

 拙作で唯一明確にディスられた稀有な存在。グイン・サーガや栗本薫の悪口は愛情の裏返しですが、こちらは……。

 バンナムちゃんがクソゲー量産機、あるいは燃えないゴミを産む機械だということは、一度でも「クソゲーオブザイヤー」のスレを覗いた人や、ニコ動視聴者にとっては常識である筈。購入者から金を取ることしか考えていないように思います。

 個人的にも泣きを見たことがあります。ジョジョの第一部ゲーです。ジョジョラーなので定価でお布施購入しましたけど、三日後には焼却処分してしまいました。中古に出して再び流通の輪に還すこと自体が罪です。そういうレベル。

 必殺技を決めるのに、どうしてボタン連打したり指定されたボタンやスティックを押さなきゃいけないんですか。しかも必殺技は一度きり。ミスれば最初からやり直しというマゾゲー仕様。SFCのウルトラセブンを彷彿とさせる、しかし確実にそれ以上のモンスター。(もしやと思って調べてみたら、SFCのウルトラセブンもバンダイでした。納得。)

 現在一番困っているのは、バンナムちゃんがドラゴンボールFighterZのパブリッシャーをしてることです。せっかくギルティのARCが作ってくれた2D格ゲーですよ。ARCが販売も兼ねてくれたら、Steamでプレイできたんですよ。どうして日本のゲームなのに「おま国」なんですか。おのれバンナム、時空を超えてあなたは一体何度我々の前に立ちはだかってくるというのだ! ……Nintendo Switchに移植される日を心待ちにしています。

 

なんて美味しいんだろう、氷スイカ!:

 二代目桂枝雀の落語の枕より。惜しい人を亡くしました。なにせ「なんて美味しんでしょう、氷西瓜!」と言うだけで笑いが取れるんです。

 ここから分かるのは、それなりに年喰った人にとっても、氷西瓜というのはレトロ趣味だということ。

 

こ、こんなところにこれ以上居られないわっ。わたし、もう逃げるっ:

 前半は死亡フラグの代名詞。後半はニコ動の有名人「ピネガキ」の台詞のオマージュ。

「俺ね、もう逃げる」

 

うっおとしいわね:

 ジョジョ第三部より。誤植ネタ。

「やかましいッ!うっおとしいぜッ!!おまえらッ!」

 誤植ネタのパロディなので、タイプミスではありません。キツイ台詞を冗談めかそうとするエルフなりの気遣いである可能性が微レ存。

 誤植と言えば、コナン君の「うん、もろちん!」というのがありますね。一郎のセリフに組み込もうとしましたが、投稿ボタンを押す直前で修正しました。真面目な回なのに、この台詞のインパクトだけで全てを台無しにしてしまいそうだったので。

 

 

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エピローグ:転生作家は美少女天才作家に恋をする

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「きっと、彼らなりの愛ですよ」「いらねぇよ、そんなもん!」:

 四畳半神話大系が元ネタ。各話の締めの台詞。

「僕なりの愛ですわい」「そんな汚いもん、いらんわい」




 以上のネタを扱いました。
 沢山のネタを使う事ができて、満足しています。

 パロディ自体は、悪いことではないと思っています。和歌の世界でも『本歌取り』と呼ばれ、技法あつかいされています。平安時代の宮中の、狭い人間関係のなかで、お互いの作品からパロり合っていた。それを学校の授業で仰々しく取り扱うんだから、やっちゃいけない筈が無い。
 ただし、条件を守った使い方に限ります。それはずばり「ネタを知らなくても(そんなに)違和感なく読める」こと。例えば戯言シリーズでは、「分かりやすくスタンドで説明するとマンインザミラー」という台詞で以て、抽象的な説明(つまり戯言)を補完していますが、こりゃ知らない人にはストレスだろうなぁと思ったことがあります。その点、テコンダー朴の「あんた、背中がチ○ッパリだぜ」は元ネタが分からなくても笑えるから凄い。
 拙作におきましても、元ネタは知らないけれども、違和感無く読めたよと言っていただければ嬉しく思います。逆に、明らかに何かのパロディなんだろうけど、元ネタ分からないから不快だったというものがあれば、教えていただければ幸甚です。


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あとがき、あるいは書き手としての振り返り

反省兼備忘録です。


【0.本頁について】

 拙作は文章の練習を兼ねたものですが、では、どういうことを意識して練習したのかということについて振り返り、今後の課題を得ると同時に、備忘録にしようと思います。

 具体的には、第1項においては執筆にあらって自らに定めた留意点を振り返り、第2項では各話の個別の振り返りを通じて課題を見つめ直し、そして第3項ではストーリー構成についての俯瞰的な気付きを確認し、第4項では文章の書き方について意識した点と気付きを整理し、第5項でまとめます。

 つまり、今後何らかの小説を書くときの、自分用のメモです。

 

 

【1.拙作を書くうえでの目標】

ストーリーと設定については次の4点を、文章については次の6点をそれぞれ意識して、拙作に取り組んできました。

 

ストーリーと設定についての目標:

 ひとつ、原作の流れに沿いつつも、オリジナル要素を入れること。具体的には、花火大会など、原作で軽く流されたり扱われなかった部分を描く。原作と同じ場面(イベント)でも、原作の文章のコピペにならないように、話題や小イベントを変える。

 ふたつ、原作のキャラを大切にすること。アンチに走らない、安易に悪役にしない。そもそもキャラの魅力は作品の魅力なので、これを損なうのは戦犯ものと心得る。代わりに、エルフちゃんに準ずる愛を注ぐこと。

 みっつ、原作キャラの功績をオリ主にかすめ取らせない。オリ主にしかできないことをさせるべし。その程度のオリジナル要素が作れなくて、何が”オリ”主か。

 よっつ、原作を読んだり観たりしていなくても、話やキャラが理解できるようにすること。二次創作とはいえ「小説」を書くことに挑戦しているので。

 

文章についての目標:

 ひとつ、エルフちゃんを魅力的に描くこと。具体的には、外見の描写は全力で。エルフちゃんの美しい内面についての洞察も添える。突拍子のない行動、非常識な言動も好意的に解釈する。

 ふたつ、説得力を持たせること。具体的には、情景は目に浮かぶように描写する。キャラクタがどうしてそのような行動を取ったのかが理解できる、あるいは納得できるように、内心を考察してみたり、描写で力押しして雰囲気で誤魔化す。原作におけるコミカルなキャラクタの動きも、同じ手法で立ち向かう。

 みっつ、原作の文章のコピペはせず、より掘り下げた描写をしたり、原作では描写されていなかったキャラの言動を描いたりする。二次創作の醍醐味。

 よっつ、面白くない文章は書かない。なるべく。できるだけ。できれば。……自分なりに楽しみながら文章を書きましょうってことで。

 いつつ、クドくならないように書くこと。どうも自分は冗長に書いてしまうようなので。

むっつ、パロディネタを好き勝手に、けれども知らない人でも(そこまで)違和感無く読めるように書く。

 

 

【2.各話の振り返りと今後の課題】

 以下は、各話についての振り返りです。

 書くときに意識した点、反省事項など、書き手としての思いを書いています。

 「ストーリーについて」ではどういう意図でその構成にしたのかを、「文章について」では技巧面で工夫したことや楽しかったことについて、それぞれ振り返ります。「今後の課題」は、主に文章上の改善点や挑戦すべき点についてのメモです。

 

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1.一目惚れ

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ストーリーについて:

 原作と最もかけ離れたエルフを描いた回。原作にない状況なので、どうしてもエルフの性格を独自に解釈して、反応を描く必要がありました。説得力を持たせないと、速攻で切り捨てられてしまうということで、投稿するまで一番度胸が要ったのはこの回でした。

 小説で言うところの冒頭2ページです。つまり本作の売りを最大限主張して、読者にアピールする必要がある。というわけで、最大の売りであるエルフちゃんの描写に全力投球。あとは、主人公のキャラ立てと、強力な恋のライバル(になるかもしれなかった)幼馴染キャラの存在を臭わせつつ、次話への引きを盛り込んで、読み疲れないように短く切り上げました。

 会話では、リアリティがでるように、最初はつっけんどんだったのが段々調子づいてきて素の姿を一瞬のぞかせる、という構成を取りました。

 

文章について:

 可愛らしいエルフちゃんを描写したい! というのが執筆に至った最大の理由なので、精いっぱい描写しました。今の私にはこれが限界。見たままを描写するのではなく、比喩を使うことを意識しました。

 書いてて楽しかったのは、住宅街のくだりです。テンポ良く戯画的に描けたかなと。逆に苦労したのは、ピアノの音色。私には音楽がとんと分かりません。今後、音楽の描写にも挑戦してみたいです。

 改めて見直すと、もうちょっと読みやすくできんのかな、てかできるでしょ! って箇所がいくつも。主に冒頭部です。書いてる時は気付かなかったものですが……。まとまった文章を書いたのは7年ぶり、小説書くのは約10年ぶりなので、しょうがないね! いや、しょうがないなんて無いだろ!

 

今後の課題:

 音楽の描写。冒頭部を読み易く。冒頭部がもっと読み易く、かつキャッチーであれば、ブラバする人はもっと少なかったに違いない。

 

 

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2.鈴木一郎という少年

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ストーリーについて:

 主人公について掘り下げる回。書きながら、手探りで主人公の性格を作っていきました。また、オリ主SUGEEE要素が欲しかったというのもあります。

 もちろん、エルフちゃんの魅力も描きます。外見の可愛らしさはもちろん、内面についても「良い女」っぷりをアピール。

 一応ジャンルは「恋愛」なので、恋愛モノであることを端的にアピールできるよう、一郎の告白を描きました。

 編集部のところは趣味です。拙作では『グイン・サーガ』のステマをしています。

 

文章について:

 古くてオシャレな家が描写できませんでした。住宅雑誌を読むのは大好きですが、描写できるかと言うと、うーん……。家の描写という課題を見つけることができました。

 編集部のくだりで、多人数の会話を描く練習。と言っても実質二人だなぁ。台詞で話を進めながら、地の文で情景を描いたり情報を補完するということを意識しました。

 描写を深めることに挑戦しました。キャラクタに行動に、様子を描写する一文を加える。例えば、“一通り話を聞いた少女は、まじまじと一郎をのぞき込んだ。どこまでも澄んだ瞳は、鈴木一郎という人間の底まで見通すかのように思われた。”という二文を加えたり。後者はエルフの<神眼>を暗示する描写となっています。

 

今後の課題:

 家の描写。

 

 

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3.三人のラノベ作家

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ストーリーについて:

 マサムネ登場。一郎との接し方、特に呼称について悩みました。先輩呼びはムラマサと被るという書き手の都合の為、そして、ベテラン作家の醸し出す貫禄の暗示として、先生呼びに。

 マサムネと知り合い、エルフとの距離を縮める回。具体的には、一郎が素の自分を出しはじめ、ラノベという共通の趣味に興味を示す。

 原作のイベントは裏で進行中。本筋たるエルフとの恋愛には、絡める必要がなかったので。

 

文章について:

 そろそろエルフちゃんの外見の描写のパータンが尽きてきました。語彙が少ない。インプットが必要です。男の外見の描写はカット。需要がないだろうし、何より自分が楽しく描けないので。クリス兄貴以外はカットです。

 マサムネに火を点けるエルフの描写において、比喩を用いた描写の練習をしました。

 マサムネと仲良く、気安く話すエルフの描写が肝でした。さらっと書きましたが、書いてて楽しくもあり、切なくもあり。ある意味、拙作の醍醐味です。

 ゾンビ映画について言及するなど、一郎の新し物好きな性格の肉づけと、今後の伏線を兼ねた一文を入れておきました。

 

今後の課題:

 キャラクタの外見の描写について、語彙の少なさが露呈。インプットが必要。

 

 

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4.水晶宮の陥落

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ストーリーについて:

 フラれます。起承転結の「承」への導入部。拙作がどうしても受け入れられなかった方は、一番の原因はこの展開のようです。文章が原因じゃなくて良かった。とはいえ、納得できるだけの材料を提示できなかったのは今後の課題です。

 マサムネ、エルフ、一郎の「三バカ」のやりとりを描く回。今後話を進める上で、キャラ同士の掛け合いがどんどん増えてきます。その時に違和感を出さない為の、土台固めの回でした。

 また、オリ主である一郎の設定ないしイメージを固めるべく、作家としての一郎のスタンスについて触れます。メインテーマは恋愛ですけど、こういった部分も、物書きをテーマとする以上は取り扱っておきたいので。更にえいば、バトルものにおけるオリ主の戦闘能力の設定に該当する部分なので、作品の魅力に直結する部分だなと思ってのことです。

 

文章について:

 エルフちゃんの外見の描写をカット。語彙が尽きてきたので。代わりに、エルフちゃんの自画自賛のセリフと、比喩を用いた仕草の描写に挑戦しました。

地の文が多いかなと反省したので、台詞を増やすことに。

 風や太陽といった風景描写を取り入れました。そういえば、これまで描いてなかったなと思って。もっと心理描写を風景描写に投げた方が小説っぽくて雰囲気出るなぁとの気付きを得ました。

 

今後の課題:

 風景描写に心理描写を投影する手法を、選択肢のひとつに加えるように。

 

 

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5.ビルの上のラプンツェルは熱いのがお好き

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ストーリーについて:

 出版社で缶詰するエルフの元を訪れる話。原作では触れられることのなかった部分です。こんな美味しいイベントをスルーするだなんて、マサムネときたら本当に真性の妹キチですね(褒め言葉)。

 ストーリー構成上の意図は三つ。ひとつ、エルフちゃんとの仲を深めること。ふたつ、クリス兄貴という馬を射ること。みっつ、ラノベ作家デビューの為の布石を打つこと。

 オマケとして、一郎のラノベ執筆の進行状況を示す。また、マサムネが偉大な変態作家と肩を並べる変態であることを示し、原作ですんなりヒットを飛ばしたことの補完を試みる。

 幼馴染属性を付与されためぐみんが登場しました。これは、一郎とエルフの仲が進展しなかったときの当て馬、もとい起爆剤として活用する為の伏線でした。が、一郎くんが自分で頑張ってくれたので不要に。

 

文章について:

 書いてて楽しかったのは冒頭部の、焦る一郎の様子です。力いっぱい描写しました。

 逆に、全体的に地の文は短く簡潔にしています。会話をテンポ良く転がす為に、初登場のクリス兄貴の描写と、一郎との緊張感あるやりとり以外は、あっさり流すことにしました。

 これまでしっかり地の文を書いてきているので、上記の変化は、大きな試みでした。その甲斐あって、エルフとの会話はテンポ良く転がり、じっくり書くべきところはじっくり書いてと、メリハリがついたと思っています。

 

今後の課題

 文にメリハリをつけることを意識する。会話は、あっさり風味の地の文で。しっかり書くべきところはしっかり。その見極めが必要。

 

 

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6.正体

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ストーリーについて:

 完全に趣味の回。「ぼくのかんがえたさいきょうのらのべ」を披露するオリ主SUGEEE回――

 にしてしまうのはマズイので、ストーリー構成上の目的を二つ持たせました。ひとつ、ラノベ作家デビューの伏線にすること。ふたつ、エルフちゃんが一郎が転生者だと気付いて関係を深める一助にすること。

 

文章について:

 結果発表を待つマサムネと一郎の描写。二人を対比して描くことで、二人のキャラクラを掘り下げる。と見せかけての、二人を見守るエルフの描写。拙作はエルフちゃんの為にあります。

 この頃には、会話でどんどん話が転がるようになっていました。はじめに台詞を書いて、それを補完するように地の文を書く。そのようにして出来上がった会話のモジュール同士を、更に地の文でつないでいく。そんな感じで、一話できました。キャラが勝手に動いてストーリーが出来上がるとはこういうことなのかと驚きました。キャラの力ってすげー。さすが伏見先生。

 書いてて一番楽しかったのは「ぼくのかんがえたさいきょうのらのべ」の内容です。こういうのが読みたい! という思いを書き連ねました。

 なお、こういう、「その世界で実際に人が生活してるんだなぁ」って実感できるような描写。にぎにぎしい街の様子とか、そこで暮らす人々の姿とか、独特の価値観がふとした拍子に台詞や行動に出てくるとか、そういう雰囲気を楽しみたいという方は、『グイン・サーガ』は本当におすすめです、とくに110巻『快楽の都』のあたりは街の描写がすごい! 拙作では『グイン・サーガ』のステマをしています。

 

今後の課題

 勝手に動くような活き活きしたキャラ作り。どうやったらそんなキャラ作れるんですかね……。

 

 

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7.縁日

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ストーリーについて:

 ストーリー構成上の意図は、エルフと一郎の関係を進めることです。最近三バカの掛け合いばっかり書いてる気がする、そうだ、そろそろエルフちゃんに打撃を与えなきゃ! ということで展開を急いだ回。

 また、原作ではマサムネが軽くスルーしていたイベントなので、「二次創作するならこれ書いてね」ラノベ作家デビューの話を進めるべく、めぐみんを使ってコミカルに神楽坂さんとの話にケリをつけました。

 

描写について。

 祭りの様子と、小路に入ったとたんに雰囲気が変わる様が書いてて最高に楽しかったです。こういう、にぎにぎいしい街の雰囲気を読むのも大好きですが、書くのも楽しいなと実感しました。皆さんは、こういうのはお好きでしょうか。楽しんでいただけたら嬉しく思いますが、「チッ、うぜーな」と読み飛ばしていたなら、考え直さなきゃならない。

 一番苦労したのは、“遠目に花を愛でる風流、あたたかな寂寥感がしずかに胸を満たす”という下りです。仕事しながら、半日くらいずっと悩んでました。短く端的に、さらっと表現するのって大変です。うまく伝わっていれば幸い。

 めぐみんの匂いを嗅いだときは無反応なのに、エルフのときは「いいなぁ」と半分セクハラ発言。この対比も書いてて楽しかったです。

 

今後の課題:

 エルフちゃんの口調、ちょっと堅くない? キャラの喋り方を常に見直し、原作を忘れるべからず。

 

 

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8.打ち上げ会

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ストーリーについて:

 原作主要メンバー揃い踏み。今後のキャラ同士の掛け合いの土台となる回なので、たっぷり紙面を割いて描きました。その結果が一話に収まりきらなかったわけですよ!

 

文章について:

 原作では、マサムネくんの一人称であることと紙面の関係の為か、キャラの反応や言動が深く描かれていませんでした。拙作では、これを深めることが目標のひとつなので、キャラ同士の掛け合いを増やしたり、獅童くんをもっと丁寧に扱ったりしました。自分ではそれらしく描けたと思っています。

 一方で、ムラマサ先輩の口調が難しかったです。堅いようで、若者ぽかったり。基本は堅くて、家族やマサムネの前では幼い言動になるけれど、堅いときの堅さ加減が掴めない。二次創作と言うことで、ある程度は割り切りましたけど。思うに、伏見先生はキャラの「口調」のパターンが多いのかもしれない。翻って、自分の扱うことのできる「口調」ってパターンが少ないんだなと気付かされました。

 

今後の課題:

 キャラの口調のパターンを増やす。

 

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9.物書きたちの宴

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ストーリーについて:

 前回に引き続き、キャラを動かして掛け合いをさせたり、掘り下げて描いたりすることで土台作りをしました。特に、五人の作家としての技巧的な面を描くことで、キャラを深めました。

 ストーリー構成上の意図は二つ。ひとつ、獅童という第三者の目を通じて、三人の関係を客観的に確認すること。ふたつ、起承転結の「転」につなぐための導入として、エルフの独白を盛り込むこと。

 原作ではさらっと流された感のある「打ち上げ会」ですが、もっと楽しい会話やイベントがあったに違いないと思い、バトルドームや“書き会”を描いてみました。なお“書き会”は私が所属していた大学の文芸部の恒例行事で、制限時間とお題を決めて超短編を書くというものです。三十分から四十分かけて、原稿用紙二・三枚でしょうか。お題は辞書から無作為抽出。即興の一発ネタで終わることがほとんどでした。瞬発力が鍛えられたような、何も鍛えられなかったような……。今思えば、風景描写でもしておけば良かったのでは……。

 

文章について:

 以前の反省を生かして、風景描写を効果的に使うことに挑戦しました。つまり、月の描写をつかって「クールダウンしてるよー」アピールしてみました。上手くいったと思っています。今後はもっと活用したい。

 

今後の課題:

 風景描写を活かす手法を、もっと活用する。

 

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9.5.酒宴(閑話)

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ストーリーについて:

 完全な閑話。本筋にまったく関係なし。

 獅童くんに「連載決定おめでとう」してあげたかったのと、お酒呑ませたかっただけです。それだけだと男臭いので、ついでにめぐみという花を添えて。

 

文章について:

 冒頭部の、めぐみと一緒に外気が入ってくる描写が、書いてて一番楽しかったです。

 お酒の味については、酔っ払いながら呑んだ記憶を参考に。なのでどこまで正しいか怪しいところですし、そもそもお酒の味が分かるほど呑み慣れてませんし。

 お酒もそうですが、飲食物の味について描写ができたら素敵ですよね。飯テロとかできたら楽しそうですし、食レポしたら楽しみは三倍ですよ。食べる、書く、読み返すの三倍。

 

今後の課題:

 飲食物の描写をインプットしたり練習したりする。

 

 

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10.妖精島の三泊四日・上

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ストーリーについて:

 話を畳むべく、展開を急ぐ。『森と妖精の島』『山田エルフちゃんと結婚すべき十の理由』のふたつをいっぺんにやってしまおうということで、二泊三日を三泊四日に延長。エルフから協力の要請、秘密の合図の話をもちらけられることがメインの内容。

 展開を急いでるはずが、導入部に当たるこの回だけで12,000文字。どうしてこうなった。ホモのせいだ。原作のホモネタが面白過ぎたので、絶対に書きたかったんです。

 冷静に考えれば、飛行機のくだりこそが蛇足。ストーリー構成上の意図を持たせていないので。これを削除すれば、1,700文字は削れた筈。小説というのは長く書くより短く削る方が大変だというけれど、それを実感した回。

 書いてから気付きましたが、お昼ごはん食べてないよね……。原作では管理人さんが用意した海鮮料理でした。

 

文章について:

 冒頭部で自然の描写に挑戦。風景の描写とか好きです。特に、飛行機からの眺めは一度描写してみたかったので、楽しく書けました。

 家屋の描写にリベンジ。今回はインターネットで用語や材木について調べながら書きました。つまり付け焼刃。詳しい人が見れば興醒めまちがいなし。それでも敢えて書いたのは、「細けぇことはいいんだよ!」精神の発露と、「オサレな横文字を使えばそれっぽい雰囲気が出て誤魔化せる説」の検証です。

 描写全般に言えますが、マンガと違って住宅の全体像を描かなくて良いのが小説の便利なところだなと実感。特徴的なところ、取り上げたいところだけをピックアップすればよいので、誤魔化しが利きますし、書きたいところに全力投球できます。小説は最高や!

 雑学をネタに取り入れる。0.5を四捨五入したら1だとか、日本昔ばなしの泥船の話だとか、ランチェスターやら多数決の原則やら。教養や雑学ってほんとう、こういう時に生きてきますよね。インプットの大切さを実感するとともに、学校教育に感謝。

 異文化をネタにするも、勘違いであることが発覚(ご感想にてご指摘いただきました。ありがとうございます)。思い込みで書いていたので、ちゃんと調べて裏を取ること。

 

今後の課題:

 ストーリー構成上、不必要なところは削るべし。必要無いけど書きたいから書くってのはエゴだよ。

 裏が取れる情報は裏を取ること。勘違いしたまま間違った知識を使うのは、興醒めの原因。

 

 

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11.妖精島の三泊四日・中

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ストーリーについて:

 次話との対比になるスコールの描写と、クリス兄貴との対話がメイン。

 あとは、さんざん広げたホモネタ話を畳むこと。獅童を宥め、怒るムラマサを丸めこんだりと、一郎が人間関係の調整に尽力することに。

 

文章について:

 スコールの描写を比喩を用いて描きました。また、エルフちゃんの描写に全力を尽くしましたが、超絶美少女のエルフちゃんですので、これくらい大袈裟で丁度いいのかもしれません。やるなら徹底的に。とても楽しかったです。

 クリス兄貴の裸の描写をしました。あんまりやり過ぎるとアッー!なので自重気味に。

 食事の描写は、「色」をテーマに描写してみました。それだけと物足りないので、「匂い」を追加してみたり。それでもやっぱり飯テロにならないのは、触感や味が想起されないからでしょうか。料理と食事の描写は要研究。

 

今後の課題:

 料理と食事の描写を研究すべし。触感や味が想起されると良いかも。

 

 

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12.妖精島の三泊四日・中

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ストーリーについて:

 起承転結の「結」。

 エルフが気持整理を付け、一郎を受け入れる話。

 文量が延びに延びてしまったので、早く畳まなきゃと思いながらも、クリスの夢語りを入れてしまいました。その為、無駄な展開が入って、ストーリーが右往左往した印象に。でも、好きなことを好きなように書けたので、大満足です。

 

文章について:

 急いで話を畳むべく、さらっと流しました。本当は、スコールに打たれるシーンで前話との対比を演出したり、“妖精の森”の描写をしたかったのですが。

 感想蘭にてご意見をいただいた、過去と現在の繋ぎについて意識してみました。過去に飛ぶのが明瞭でないとのことでしたが、そもそも時間の推移全般が読み取りづらいのかなと思って***を多用。時間の推移が分かるよう、地の文で全て表現できたら格好良いですよね。

 

今後の課題:

 時間の推移が明瞭に分かるような地の文を書く。

 

 

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エピローグ:転生作家は美少女天才作家に恋をする

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ストーリーについて:

 最後の締め。一郎にデレ始めるエルフの回。俺達の恋愛(イチャイチャ)はこれからだ!

 

文章について:

 これまでと打って変わって寂寥感のある「エルフの居ない日常風景」を描くことに挑戦。

 オリ主のキャラ立てで苦労した第一二話の次に苦労した話。というのも、キャラが勝手に動いてコメディをしだすので。なんとか一郎の独白寄りの地の文で、寂寥感を強調。いっそ、キャラの具体的な動きを書かない方が良かったかもしれない。

 一郎への好意を示すエルフがやっと描けれる充実感。

 

今後の課題:

 これまでのコメディ色に引きずられて、勝手にキャラが動いてしまう場合の対処法が要研究。今思いつくのは、一郎だけでなく全員に「エルフちゃん居なくて寂シス」とさせるか、地の文で徹底的に雰囲気つくるか。

 

 

【3.ストーリー作りに関して得られた考察】

 ストーリーと構成とは言いますけれど、それが一体何なのか、私はまったく分かっていませんでした。そんな私が今回得た気付きは、「勝手に動いてくれるキャラ」と「大まかなプロット」、「目玉となるイベント」が用意できれば、とりあえず物語が書けるのでは? ということです。

 例えば「打ち上げ会」などのイベントと、それを引っ張ってくるキャラクターを用意すれば、あとは各キャラが勝手に動いてくれる。その合間々々に伏線を張ったり、地の文で人間関係や内面を補完するような描写を入れたりする。これだけで、とりあえず一話できる。これを何話も連ねていけば、物語が出来上がる。この時、大まかなプロットがあれば、どこでどの伏線を張って、人間関係を進展させたりとかが調整ができる。ような気がするなぁ。

 ……などと振り返ってみれば当然のことですけど、それを実践できたのが初めてなので、無茶苦茶嬉しいです。それも、伏見先生の用意した魅力的なキャラとストーリーあってのことですけどね。

そういうキャラと、イベントを自前で用意できれば、自分でも一次創作ができるんじゃあないだろうか、と希望が湧いてきました。

 

 

【4.文章の書き方に関して得られた考察】

 本項では、上手く書けた(と思っている)文章、あるいは気持ちよく書けた文章について、そのメソッドを解析してみます。反省点については、第2項に譲ります。

 

各話の引きに力を入れる:

 いいところで区切り、次話を面白そうに見せる(面白いとは言ってない)ことで、拙作へ繋ぎとめる。また、書く手が「早く書きたい!」と思えるので、モチベーションが意地できる。

 

会話から書き始める:

 会話をはじめに書いて、その間をつなぐように地の文を加えてく。

会話だけならとっつきやすく、がっつり書く気力が無い時にも書けるので、執筆作業がはかどった。

 

会話文を多用する際の注意:

 会話文が多くなると、ストーリーが弾む一方で、二つのデメリットが発生する。なので、これを解決する方策を次のように採った。

 ひとつ目のデメリットは、どのキャラが喋ってるのか分からなくなるということ。口調で書き分けることもできるが、読者に定着するまでは、誰の発言か分かるように地の文で補足することとした。

 いまひとつは、情景描写が疎かになったり、キャラの描写が薄くなること。つまり、何処で喋ってるのか分からない。喋ってるキャラはどんな表情してるのか。そもそも喋って無いヤツは何しとんねーん! 俺の好きなあのキャラをもっと描写せいやー! という疑問・意識を常に持ち、これに応えるつもりで書いてきた。

 

キャラはなるべく早い段階で掘り下げる:

 キャラ設定がしっかりしていないと、キャラの性格と動きがブレる。逆に、なるべく早いうちに、行動原理や性格(相手に対する反応の仕方など)を決めてしまうと、徐々に勝手に動き始める。

 また、初めに掘り下げた説明を地の文でしておけば、「こんな行動取らせたいんだけど、違和感ないかな?」と不安になった時、該当する性格描写を再度引っ張り出すことで、説得力を持たせることができる。(例えば、第1話で「一度着いた火はなかなか消えない~」と表現した作家としての一郎の性格を、そのまま第4話で再度登場させ、恋愛に対する一郎の考え方の説明として利用した。)

 

同じ表現を避ける:

 例えば「言った」ばかり続くと、下手な洋書の和訳本みたいで違和感がある。読んでいてストレス。なので、偉そうに言ったなら「宣うた」、大声で言ったなら「声を張った」「叫んだ」にするなどヴァリエーションを持たせる。

 または、「言った」に類する言葉を使わず、全く別の描写をするのも吉。

 

描写は比喩を用いる:

 比喩を用いることで、描写の幅を広げることができる。大仰にしたり、コミカルにしたり、厨二テイストにしたり。

ということは、作品の雰囲気づくりに大きく影響する要素ではなかろうか。

 

大袈裟な描写もあり:

 エルフちゃんの描写を、大袈裟な比喩をつかって描写。知る限り、思いつく限りの美人的な描写を詰め込んだり、雨降りの花園に不意に姿を見せた気まぐれな妖精で、声を出したら消えちゃいそうだとか言っちゃたり。つき抜ければ、雰囲気が出てアリかなと。

 源氏物語の「あまりに美しく、寿命が伸びそうなくらいだ」「あまりに美しくて、かえって気味が悪い。不吉だ」とか、現代人の感覚からしたらヘソが茶をボイルするような言い回しも、当時はそれが「あなをかし」だったわけで。つまり、大袈裟な言い回しそのものは有効ってことかと。

 

好きな側面だけを描写する:

 建物などを描写する際は、無理に全体像を詳らかに描写する必要はない。どこか一部のみを取り上げて、それについて語っても良い。読み手が最低限の情景を想像できて、かつ面白く読めれば良いので。

 例えば、妖精島の別荘の描写は、「オサレ」をキーワードにしたものに限定した。つまり、白い外壁と、オシャンティな飾り扉、洒落乙なベイウィンドウ、蔦をまとった棚の四つ。別荘の内装も、「白い木材」についてのみ。

 楽に書けるし、なにより楽しい。小説って最高ですね!

 

読み易くする為の工夫:

 ひとつ、長すぎる文は分けること。一文中で思い浮かべるモノは三つか四つ、多くても五つになるように。マジカルナンバー・セブンを意識する。

 ふたつ、ひらがなで開くこと。ひらがなは音楽を司る右脳で、漢字は言語や論理的思考を司る左脳でそれぞれ処理される。文章のリズムと、脳の疲労度に関係してくる筈。

 みっつ、句点を入れること。そうすることで、ポーズを挟んで情報を整理させたり、リズムを整えたりする。パッと見の印象も大事。スマフォで読む人も多い筈なので、

 よっつ、なるべくリズムを良くすること。上記の句点や、語彙のチョイス、文の結び方を変えてリズムを整える。

 いつつ、長い文やシーンは「結論」「具体」あるいは「結論」「具体」「結論」の構成を取ること。論旨の明快な英語の論文の後に、国語のテストのような勿体ぶったエッセイを読んだ時の苦痛を思い出すべし。

 

 

【5.まとめ】

 第1項では、拙作を書く上での心構えを確認した。これは、多くの二次創作を書く上で共通して守るべき事項だと思う。つまり、原作リスペクトと、オリジナル要素ないし掘り下げをしろということ。

 第2項では、各話を振り返り、今後の課題を得た。各種描写の練習と、各話構成の研究、そしてキャラ作りが喫緊の課題。

 第3項では、拙作を書くなかで得た、ストーリー作りに関する気付きについて確認した。所謂「戦略」に当たるストーリー作り、「戦術」に当たる各話の構成の第一歩は、生きたキャラ作り、勝手に動くようなキャラ作りだと思う。

 第4項では、連載を書く上で成功した要因を整理した。筆の進みを早めた要因は、キャラを早い段階で掘り下げたことと、会話から書き始めたこと。会話が書けたら、次いで、「物足りない」と感じる部分を地の文で補う。地の文は、自分の思った通り、書きたいとこだけ書きたいように楽しんで書くことが、筆の進みを早めた。また、この為、自然と描写に力を注ぐことが出来た。更に、書きたいことを書きたいように書いたこと、それに対して感想や評価をいただけたことがモチベーションになった。この気持ち忘れるべからず。

 



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蛇足
Ex1.謎のムラマサ邸・上


気の向いたときに後日談を書いていきます。
「もうちょっとだけ続くんじゃ」というやつです。


 ***

 

 

 玄関で仁王立ちする山田エルフが、一郎を出迎えた。

 エルフは、やんごとなき姫君が賓客を迎えるかのように、ちょこんと腰を折って、

 

「ようこそ、我が王宮クリスタルパレスへ」

 

 と吟じあげた。その拍子に、ほそいウェストがスカートをふわりと揺らす。

 

 夏である。

 白磁の肌には微かに朱がさし、うっすら珠の汗がにじんでいる。

 短くない間、ずっと一郎を待っていたのは明らかである。家の中はきんきんに冷房が利いて、汗をかく筈がないのだ。

 

「ほら、さっさと行くわよ――」

 

 エルフの手が、一郎の手を取ろうとして、はたと中空をさまよった。

 ひょっとしたら、手汗がにじんでいるのを気にして、思いとどまったのかもしれない。

 一郎は、引っ込みかけたエルフの手を、遠慮なく捕まえた。

 

「柔っこいなぁ、エルフさんの手は。すごく気持ちが良いよ」

「そっ、そうかしら」

 

 エルフは照れて身じろぎする。

 そんな照れを打ち払うかのように、一郎は畳みかける。

 

「すべすべしてるし、やっぱり男とは違うなって」

 

 すると、すっかりエルフはいつものように自信満々になって、胸を反らして宣うた。

 

「誇りなさい。このエルフちゃんと、こうして手をつなげるという栄誉を」

「御身の手を引かせていただく栄誉に浴すること、大変喜ばしく思います、姫」

 

 大仰に膝をついて手を取る一郎に、エルフは破顔する。

 たいへん機嫌良さそうに、エルフは囁いた。

 

「そういう一郎も、悪くないわよ。なかなかの騎士っぷりだわ」

「恐悦至極に存じます」

「殊勝な心がけね。よろしい。エスコートしなさい」

 

 手に手を取り合って、玄関をくぐる。

 勝手知ったる他人の家である。一歩前を歩く一郎は、宝玉でもその手に乗せているかのように、そっとエルフの手をとって、一歩一歩を気遣うように階段をのぼっていく。それが大仰で面白いのか、エルフはくすくす笑いながら、導かれるままお淑やかに歩を進めるのだった。

 そうして二人がやってきたのは、”迎賓館”と名付けられた一室である。

 そこには、深く沈みこむソファーがあり、二人は並んで腰かけた。ひとたび体を預ければ、たちまち心地の良さにとらわれて、動くことが億劫になる。

 もちろん、動く必要などなかった。

 二人は手を握り合ったまま、どちらともなく互いの瞳を見つめ合い、しばらく、そうしていた。それは、紆余曲折を経て結ばれた二人が、お互いの心が通じ合っていることを確かめ合い、またそうすること自体を楽しむ、くすぐったくも暖かなひとときであった。

 

 不意に、エルフのまなじりが悪戯っぽく微笑んだ。「ねぇ、見てごらんなさい」とでも言わんばかりに、ある一点を見つめる。

 

「エルフさん、あれはひょっとして……」

 

 部屋の片隅には、ガラス張りの飾り棚があった。その足下と天井には照明があって、幾条もの光が、棚のなかのものをライトアップしている。

 それは、一郎にとっても思い出深い品である。

 

「ふふふ、気付いたわね。あれは、誰かさんが書いた、この世にただ一冊の、最っ高に面白い小説よ」

 

 ガラスには、埃のひとつも付いてはいない。丹誠こめて毎日磨きあげているのは、誰の目にも明らかだった。

 一郎はすっかり嬉しくなって、エルフのやわらかな手を両手で包みこんだ。

 

「大切にしてくれてるんだね、僕の(きもち)を」

 

 エルフはかぁっと頬を染める。嬉しそうに、そして誇らしそうに胸を反らして言った。

 

「も、もちろんよ。一郎の一世一代の、まごころのこもった作品(マスターピース)だもの。あそこに飾って来客に見せびらかして、夜ごと読み返してるわ。……その度に思うの。こんなに深く深く愛されて、それって、いったいどんなに幸せなことなのかしらって」

 

 そのように言葉にすることすら、ほんとうは必要なかったのかもしれない。

 エルフの琥珀の瞳は、ほんのり涙をにじませ、切なさにむせび泣きそうであった。あまりにはげしい幸福の嵐が吹きあれたが為に、感情の堤防はあわや切れかけ、歓喜の波が今にも涙となってあふれ出そうとしていたのである。そうした感情の動きが、一郎にはひしひしと伝わった。

 そんなエルフに対する一郎の喜びもまた、ありありと瞳に浮かび上がって、それは、余すことなくエルフに伝わっていた。

 

 一郎が手を離す。

 名残惜しそうに睫毛を伏せたエルフであったが、その意図を察して、はっと目を見開く。

 一郎の手が、肩に置かれたのである。

 エルフは、そっと目をつぶる。

 かわいらしく蕾のようにすぼめた唇に、やがて、そっと優しく、春雨のような接吻が降ってくる。

 しっとりと、やわらかな感触。

 

「ふぁ……」

 

 エルフは思わず幸福の吐息を漏らした。

 二度、三度と接吻は降ってくる。

 それを、エルフはすっかり肩の力を抜いて受け入れ、ついには自ら唇をつきだして唇を求めた。

 どれくらいそうしていただろうか。

 はたと夢から醒めたかのように、エルフは呟いた。

 

「こ、これは強烈ね……」

 

 竹を割ったように、カラッとした性格のエルフである。人目も憚らずイチャつくバカップルのことを否定はしないものの、自分には縁のない心境だと思っていたが、その考えはすっかり吹き飛でしまった。

 

「エルフさん、まだまだ序ノ口譲二だよ。他にも色んな、もっとすごいキスだってあるんだから」

「も、もっとすごい……」

「試してみる?」

 

 一郎がずいと身体を寄せる。

 

「ちょっとタイム! これは危険よ!」

 

 たまらずエルフは声をあげた。

 これ以上唇を重ねれば、きっと歯止めが利かなくなってしまう。

 下腹部からかけあがってくる熱は、いまやすっかり胸を焦がしてしまっている。それは、脈動にのって全身を駆けめぐり、身体の内側からすっかりエルフを作り変えてしまおうとしているかのようである。

 そんな自身の変化に、エルフは怖くなって、声をあげたのだ。

 

「わかったよ。大丈夫。ゆっくり僕らのペースで時間を重ねていこう。時間はたっぷりあるんだから」

 

 一郎は、なにもかも心得ているとでも言わんばかりに、優しく微笑んだ。

 そんな一郎に、エルフはすっかり安心した様子で、頷きを返す。

 

「ありがとう、一郎。――ちょっと待ってて。いま、乙女回路を鎮めるから」

 

 頬をたたいて、勢いよく立ち上がる。

 

「よっし、通常回路に切り替えたわ。それじゃあ、遊びましょう!」

 

 そんなエルフを、一郎は愛おしげに見やる。

 こうしてすっぱり心を切り替えられる、思い切りの良さが、一郎は好きなのだ。

 

 さて、すっかり雰囲気を入れ替えたエルフである。

 

「と言っても、ここにあるゲームはもう飽きちゃったし。一郎がCivilizationでもしてくれたら、パソコン並べて対戦ができるんだけどね」

「たしか、一マッチにつき十時間かかるんだっけ」

「十時間なんてあっという間じゃないの。あんたも、小説書いてたら十時間なんてひと瞬きって手合いでしょ。そんだけ集中力があれば、プロゲーマーにだって成れるわよ」

 

 これぞ名案とばかりに、エルフは顔を輝かせる。

 

「わたしが導いてあげる。最高難易度もらくらくクリアする、この天才ゲーマーエルフちゃんに任せなさい。第二のスパ帝にしてあげるわ」

「うーん。ゲームのプロになるのは、次の人生あたりでいいかな。今生はもう間に合ってるよ」

「仕方ないわね。来世はビシバシいくから、覚悟しときなさい」

 

 などと馬鹿話をしていたエルフだが、ふっとある思いつきが兆した。

 

「そういえば、一郎はSNSしないの?」

「SNSっていうと、Twitterとかかな」

「そう、まさにそれよ。一郎のアカウントも探してみたけど、見つからなかったの。やっぱりやってないのね」

「あんまり興味無いからね。それより、小説を書くか読むかしていたい」

「あんたって、そういうヤツよね」

 

 エルフはつまらなそうに言った。

 

「わたしたち”エルフちゃんと愉快なオマケ達”のなかでTwitterしてるのって、わたしと獅童だけなのよね」

 

 マサムネはネット上の口さがない連中の、あまりに遠慮ない物言いを敬遠していたし、ムラマサはそもそも携帯端末を持っていない。

 

「エルフさんと一緒なら、やってみてもいいかな」

 

 エルフが寂しそうに言うものだから、一郎は手を挙げた。

 効果は覿面だった。

 ぱぁっと顔を輝かせて、肩も触れんばかりに身を寄せる。まじまじと、嘘のないことを確かめるように、一郎の顔をのぞき込んだ。

 

「ホントにホントよね!? 取り消しは利かないからねっ」

「すると言っても、書き込んだりはしないよ。いわゆる読み専ってやつかな。フォローだってエルフさん以外しないだろうし」

「それはいいわね。一郎は人気あるみたいだし、きっとフォロワーがたくさん付くわ。最年少小学生デビューを果たした、天才中学生作家。その素顔を知りたくって、大勢の人が一郎をフォローするの。だっていうのに、一郎がフォローするのはエルフちゃんただ一人」

 

 エルフは、悪童のように、悪い笑みを浮かべる。

 

「きっと皆思うわ。一郎はエルフちゃんにゾッコンなんだって。そんなふうに一郎をわたしが従えている以上、一郎の下僕もまた、わたしの下僕も同然。つまり、エルフちゃんは超凄い!」

「ああ、例の”世界征服”に近づくんだね」

 

 エルフは、世界人類を己が下僕(ファン)に転向させ、以て地上に覇を唱えようとしているのだ。

 

「まぁ、すでにこれだけの下僕がわたしの支配下にあるわけだけど」

 

 エルフは自慢げにスマーフォンをかざして見せた。

 一郎はおや、と目を剥く。よく見知った名前がそこにあったのだ。

 

「へぇ、獅童先生もしてるんだ。是非フォローしなくちゃ」

 

 一郎は、早速アカウントを作成すると、エルフと獅童をフォローリストに加えた。

 

「ちょっと! どうして獅童もフォローしちゃうのよ!」

「獅童先生はちょっと離れたところに住んでるし、お互い学業があるから、いつもは会えないしね」

「そりゃそうだけどねっ」

 

 エルフは不満気である。それは幼い独占欲の現れである。

 一郎は嬉しくなった。

 自分なりのやり方で他人を気遣うことのできる彼女の、それは、滅多に見せない我が儘だったのだ。

 

「僕にとっての一番はいつだってエルフさんだよ。そうだなぁ、プロフィールに『エルフ先生公認の”千人下僕隊長(チーフ・オフィサー)”』って書いておくのはどうだろう」

「悪くはないわ。けどね、もっと名誉で栄誉で誰もが羨むこと間違いなしの、最高の肩書きがあるでしょ?」

 

 エルフは春風のように微笑んだ。

 

「仰せのままに、お姫様」

 

 というようなやりとりをしながら、二人の時間がゆるゆる過ぎていく。

 そうした穏やかな時間は、エルフにとって新鮮なものだった。これまでの彼女は、ひたすらゲームやピアノに没頭するか、最近では気の合う仲間を呼びつけてはいっしょに騒ぐことに夢中になっていた。

 けっして嫌な時間ではない。むしろ、ほっと安心して何もかもを委ねることのできる、いっとう心地良いひとときであった。

 けれども、エルフは欲張りである。ふたりの時間も、大勢と過ごすにぎにぎしい時間も、両方とも好きだった。

 

「なんだか、こう、皆でわーっと騒ぎたいわね」

 

 むずむずと身じろぎしながら、エルフは提案する。

 一郎は、そういう素直なエルフが好きだったので、優しく微笑んだ。

 

「それじゃあ、マサムネ先生でも呼ぼうか」

「いいわね。連絡はわたしに任せなさい」

 

 言うなり、エルフは電話をかけた。

 夏休みの朝である。学校もなければ、学生作家のマサムネにはアルバイトも部活もない。果たして、電話はすぐにつながった。

 

「今からすぐ、ウチに来なさい。――え、今からムラマサの家に押し掛ける? なによ、どうしてそんな楽しそうなこと黙ってたのよ。もちろん、わたしも行くわ。一郎と一緒にね!」

 

 

 ***

 

 

 カナリアンイエローの鮮やかな電車が、するすると駅舎にすべりこんでくる。見事なことに、それは、あやまたず白線の位置にぴたりと停まるのであった。

 それを指さし、自らの手柄を誇るかのように、エルフは尊大に宣うた。

 

「電車が着たわ。さっさと乗るわよ」

 

 さっさと席に着いたエルフの隣に、一郎が座る。その更に横にマサムネ、獅童と続く。

 久しぶりの面子である。四人がこうして一同に会するのは、エルフが日本に帰ってきたあの日以来である。

 嬉しそうに、一郎は尋ねる。

 

「さて、今日はムラマサ先生のお宅を訪問するということだけど、どうしてそんな面白いことになったんだい」

「ああ、実は言い出しっぺは俺じゃなくて、シドーくんなんだ」

 

 というマサムネの言葉を、獅童が継いだ。

 

「僕が、あやめさんから頼まれたんです」

 

 神楽坂あやめ。それは、獅童とマサムネの担当編集たる女性の名前だった。

 獅童の話では、打ち合わせの最中に、その編集者から、悩ましいため息と共に相談を持ちかけられたらしい。もちろん、人の善い獅童は断れなかった。

 

「なんでも、ムラマサ先生が原稿を寄越してくれないそうなんです。それで、交流のある僕達に是非、原稿をもらってきて欲しいと」

「で、俺がシドーくんから更に相談を受けたんだ。二人で原稿をもらいに行かないかって」

 

 あやめに吹き込まれたとおりに、獅童がマサムネに言い聞かせたことによれば、ムラマサ邸に行けば、作家としての成功の秘訣に迫ることができるという。

 

「なるほどなと思ったぜ。ムラマサ先輩って、小説に関してかなりの偏食家だろ? 自分で言うのもなんだけど、俺の小説しか受け付けないような悪食だし。それなのに、あんな面白い小説が書けるんだから、きっと何か秘密がある筈なんだよ。インプットが俺の小説だけなんて思えない。ヒット作を生み出す秘密が、ムラマサ先輩の家には隠されてる筈なんだ!」

 

 拳を握りこんで熱く語る。

 マサムネは、こと小説に関してはすぐに熱くなる。いや、マサムネに限らず、ここに居合わせた四人の作家は皆、それぞれの胸の内に、小説にたいする熱い想いを秘めていた。

 そのことを自覚しているエルフと一郎は、鏡を見るような思いで、マサムネを見やる。

 

「それって、絶対上手く使われてるわよね」

「なかなか人を使うのが上手い人みたいだね。優秀な編集さんだ」

 

 エルフは、ああはなるまいと呆れ半分に、一郎は面白そうに、それぞれの感想を囁き合った。

 触れ合わんばかりに顔を寄せ、いかにも親しげな様子は、二人の特別な間柄を匂わせる。

 それを目にしたマサムネと獅童は、真実を確かめたくて、けれどどちらが切り出したものかと困った様子で目を見合わせた。

 結局のところ、えいやと口火を切ったのは獅童だった。

 

「ところで、お二人はやっぱり……」

 

 という歯切れの悪い問いに、エルフは先回りして答える。

 

「ええ。付き合ってるわ」

「そ、そうですか。僕はてっきり、エルフさんは……」

 

 言いづらそうに、ちらりとマサムネを視線で示す。

 それは気の善い獅童にとって、大変勇気のいる行為だった。つきあい始めたばかりの二人に「でも、エルフさんってマサムネくんに懸想してましたよね」と突きつけるのだ。

 けれども、と獅童は思う。いつも、仲良くエルフと喧嘩をしてばかりのマサムネが、今日はどこかよそよそしい。エルフに対するツッコミも鳴かず飛ばずであるし、席だっていちばん離れている。変な気を遣っているのは誰の目にも明らかだ。それが寂しくて、声をあげずにはいられなかったのだ。

 そして、それは、皆の思いの代弁だった。

 

「ああ、その認識は間違ってないよ。実際、ずっと僕の片思いだったし。はじめて口をきいたその日のうちに告白して、その数日後には、好きな人ができたからって袖にされたんだよ」

「そうなのよ。それでも、何年でも何十年でも待つって言うのよ。それくらい、わたしのことが好きで好きでしょうがないんだって。まったく、エルフちゃんも罪づくりよね」

 

 一郎は実にあっけらかんと、訊いてもいなことまで喋りだす。エルフもまた、サバサバと言葉を継いだ。

 それは、いつもの二人である。そんなだから、二人の間柄は、なにも変わっていないかのようにすら思われた。

 ――その光景を目にするまでは。

 

「思ったの。わたしが一緒になってあげないと、きっと一生ひとりなんだろうなって。仕方ないから、こうして付き合ってあげてるの」

 

 エルフは、とろけるように微笑んだ。

 それがあまりに幸せそうだったから、マサムネは、すとんと胸のつかえが取れた心地になって、

 

「――そっか。そりゃあ良かった」

 

 我知らず、笑みを浮かべていた。

 そんなマサムネに、エルフは腕を伸ばしてチョップをかます。

 

「バカね。あんたは、フッた相手のことなんか気にしてる場合じゃないでしょ。あんた達のことだもの。面倒くさいお姫様と、厄介な約束でもしてるんじゃないの?」

「うっ。たしかにその通りだけど……」

 

 たじろぐマサムネに、エルフはカラカラと笑う。そんなエルフを、マサムネは眩しそうに見上げた。

 

「やっぱ、お前は格好いいヤツだよ」

「そうでしょうとも。エルフちゃんは、誰よりもカッコカワイイのよ」

 

 そんな二人を、一郎はあたたかく見やる。

 相手の気持ちを慮ることのできる情の深さは、一郎がもっとも愛するエルフの一面だったし、素直に感謝の心を伝えることのできるマサムネもまた、非情に好ましい友人だったのだ。

 

「よっし、俺もしっかりしなくちゃな! 『世界妹(せかいも)』をアニメ化させる為にも、ムラマサ先輩からヒット作の秘訣を盗みに行くぞ!」

「ムラマサ邸の謎を探りに行くのね。面白いじゃない。題して”謎のムラマサ邸”ね!」

「なんだよ、そのニンジャでも飛び出してきそうなタイトルは」

「良いタイトルよね。英語版のタイトルも、そのまま"ザ・ミステリアス・ムラサメ・キャッスル"なんですって。ドラクエは”ドラゴン・ウォリアー”、ロックマンは”メガマン”だなんてバタくささ全開の、センス無い翻訳するヤツらにしては、いい仕事したと思わない?」

「流石、エルフさんの言うとおりだね。タイトルってのは作品の顔、家でいうなら玄関だ。もうちょっと作品に込められた思い、ロマンを匂わせなくちゃ」

「剣心の”サムライX”もどっこいどっこいだし、人のこと言えないんじゃないか?」

 

 すっかり調子を取り戻したマサムネを、ぐいぐい自分のペースに引っ張り込んでいくエルフに、太鼓をたたく一郎。それは、あの日以前の、いつもの三人だった。

 

 それが、獅童にはこのうえなく嬉しかった。

 大学でよく耳にすることには、男女関係が原因で、サークルの人間関係が崩壊してしまうことは珍しくない。

 主な原因は、意中の相手を奪い合っておきる友情崩壊。あるいは、カップルの二人が人間関係を閉じてしまい、集団全体が気まずくなってしまうことである。

 そのどちらも、この三人には無縁であるように思われたのだ。

 

「ねぇ、シドーもそう思わない?」

「ええ、それはもう!」

 

 そんな三人の仲間に加えてもらえたことが、嬉しくて楽しくて、獅童は、力いっぱい頷きを返すのだった。

 

 そうして電車は走る。

 窓に映る景色も、だんだんその姿を変じていった。

 つぎつぎと灰色の建造物が過ぎ去っていく。色とりどりの屋根や看板が、ひとすじの帯となって流れる様は、めまぐるしい。それは、やがて、どこまでもつづく緑の田園風景に取って変わられた。

 変化は劇的だった。

 めまぐるしく変化する近景の後に現れた、ゆっくりと、歩くように動いていく遠景。思わず、四人は見入る。

 

「さすが、都市圏の田舎と名高い千葉県ね!」

「おい、失礼なこと言うなよな。こういうのは、近郊って言うんだぞ」

「絶景かな。都会のにぎにぎしいのも良いけど、僕はやっぱり、こういう日本の原風景みたいなのが落ち着くな。所詮は、米を育ててる農耕民族ってことなのかな」

「たしかに、緑があるのは落ち着きますよね」

 

 などと、物珍しそうに車窓に見入る四人であったが、不意に、

 

「ねぇ、ムラマサの家って一体どんなのかしら」

 

 エルフが話題を転がした。

 

「ムラマサ先輩の家かぁ。和風は絶対だろうな」

「でしょうねぇ」

 

 なにせムラマサは、今や絶滅したと思しき和装の美少女なのである。

 

「きっと目に入れても痛くない、蝶よ花よと育てられた、箱入り娘なんだろうね」

 

 という一郎の言に、皆、首肯を返す。

 文化帝国アメリカの支配下に置かれて久しい現代日本である。若者はジーンズを買い、流行のポップソングを聴いている。そんななか着物に身を包み、白足袋に雪駄という出で立ちで、アスファルトの街を歩くのだ。時代錯誤もはなはだしい。

 

「間違いないわ。アイツ、ATMの使い方すら知らなかったのよ!」

「本当は驚くべきところなんでしょうけど、驚けませんね。なにせムラマサさんですから」

「イメージ通りだよね。大正とか明治って感じかな」

 

 獅童が苦笑すれば、一郎が微笑ましいものを語るような口ぶりで続ける。そして、マサムネの表現は端的だった。

 

「日本刀とか似合いそうだしな」

 

 大和撫子というよりは日本刀、あるいは妖刀のような鋭さ、危うさのある少女である。

 

「ムラマサというより、妖刀ハラキリブレードよね。あいつ、原稿を寄越さないって話だったけど、ひょっとしてまたスランプに陥っちゃったのかしら。だったら、腹を斬ったりしてないわよね」

「……まさか」

 

 その一言には、様々な意が含まれている。

 まさか、そんなことはするまい。とは言うものの、締め切りを破るたびに自ら生爪を剥いでいた、あのムラマサである。その”まさか”がひょっとして……。

 

「一刻も早く、ムラマサ先輩の家に行かなきゃだな」

 

 神妙な様子のマサムネに、一同は青い顔で首肯するのだった。

 

 

 ***

 

 

 そしてたどり着いたのは、逆立つ瓦が天を衝く、それはそれは見事な和風建築だった。

 

 といっても、全容は望めない。

 遠目に見えるのは、塀からひょっこり顔を出した屋根だけである。しかし、それだけで、その家の威容は十二分に知れた。

 びっしりとしきつめられた瓦の波打つ天井は、鬼飾りが四方に睨みをきかせ。さりげなく縁をかざる青銅の雨樋は、えも言われぬ風格をただよわせた。

 その威容に圧倒されたのか、マサムネと獅童は及び腰になってまごついた。

 

「な、なぁ。メロンとか持ってきた方が良かったかな」

「ふつうでいいとは思いますけど……」

 

 気後れしなかったのは、エルフと一郎である。

 エルフの実家は資産家であるらしかったし、一郎には、売れっ子作家が趣味でつくった豪邸にたびたび招かれるという前世の経験があった。

 

「ここがあの女のハウスね。――うわっ、なによあの魚! どうして家に魚がくっ付いてるの」

「シャチホコだね。お城にも付いてるよ。これは僕の想像だけど、お城にあこがれた昔の人が、自分の家にもつけだしたのが始まりじゃないのかな。お城のある地域なんかは、天守閣みたいな家もあるし」

 

 はしゃぐエルフに、のんびり答える一郎。二人はどこまでもマイペースだった。

 

「うーん、分かんないわねぇ。洋風の家なら、だいたい相場は分かるんだけど。ねぇ、一郎。この家、戦闘力はどれくらいなの?」

「母屋だけでも一億は下らないね。庭や土地代まで含めると、いくらになるか想像もできないなぁ。家も庭もこだわり次第で青天井だし」

「ふぅん。この家、そんなにスゴいんだ」

 

 よく分からない、といった風のエルフに、一郎は古い記憶をたぐり寄せて答える。

 

「瓦一枚、数千円。シャチホコと鬼飾りは五万から十万円だったかな。それに、一部にわざと土壁を使ってある。いまどき土壁なんて好んでしたててもらう人は希だから、左官だって少ない筈だよ。それだけで費用がかさむ。そんな家だから、きっと柱や天井裏の梁だってこだわってるだろうし」

「つまり、ロマンを追求した時代劇ハウスなのね。天井にニンジャでもいるんじゃないかしら」

 

 そんな会話を聞かされて、マサムネと獅童はますます縮こまってしまった。

 それも無理からぬ話である。

 四人の眼前にそびえるは、塀。

 背の高い、頑丈なつくりのそれは、外界のいっさいを拒絶するかのようにいかめしく屹立している。

 ――何人たりとも、この家に踏み入ることは決して許さぬ。

 そう言うかのように、あたりを払ういかめしい威厳で以て、塀は四人を睥睨していたのだ。

 

 もちろん、そんなことを気にするエルフではない。

 

「それじゃあ、さっさと行きましょう。ほら、マサムネにシドーもそんな離れたトコに居ないで、こっちに来なさいよ」

「行くったって、どこにだよ」

「見れば分かるでしょ。門があるじゃない」

「門だけはな。呼び鈴もないのに、どうすりゃいいんだよ」

 

 マサムネは怯えたふうに言った。

 その不親切な門からは、作り手の意志がひしひしと感じられたのである。すなわち、「さっさと帰れ」である。

 

「決まってるわ、こうするのよ」

 

 エルフは怯まない。おおきく息を吸い込むと、そのまま、高らかに声を張る。

 

「たのもー!」

 

 いんいんと、のどかな田園風景にエルフの声がこだまする。

 田畑の海に、ぽつねんと浮かぶような一軒家である。はるか遠くの山までとどいた声が、山彦となって返ってくるような錯覚さえした。

 果たして、その男は現れた。

 

「我が家に何用か」

 

 痩せ肉の、神経質そうな男である。

 いつも、何事か思い悩んでいるのだろう。眉間には陰深い皺がきざまれ、目尻に寄った皺は苦みを思わせる。

 中折れ帽の似合いそうな、いぶした渋みの薫る壮年である。ただし、その身は和装に包まれていた。

 一同は確信する。

 彼こそは、ムラマサの血縁に違いないと。

 

「こちら、千寿ムラマサ先生のお宅でしょうか」

 

 とっさに一郎が尋ねた。自由奔放なエルフとの相性は、見るからに悪そうだったのだ。

 それは、しかし、悪手だった。

 半開きの門に、するどい眼差しで立ちふさがった壮年は、

 

「出版関係者は、娘には会わせん。お引き取り願おう」

 

 と悪びれもせずに言うなり、門を閉ざしてしまう。とりつく島もないとはこのことである。

 そして、島がなければ、海底から無理矢理引っぱり上げてしまうのがエルフである。

 

「ちょっと、待ちなさいよ!」

 

 エルフは叫ぶ。

 

「せっかくエルフちゃんが、わざわざ東京くんだりからやって来たのよ。お茶の一杯くらい出すのが礼儀ってもんじゃない!?」

 

 その無礼な物言いが、いかなる心境の変化を招いたのであろうか。

 

「ほぅ、君が山田エルフか」

 

 ぎぃと重々しい音をひきずって、ふたたび門が開く。

 今度は、半開きではない。完全に開かれた門戸は、この気難しそうな壮年の横に、さらに人を通すだけの隙間を空けていた。

 彼は、四人の少年少女を睥睨すると、しずしずと告げる。

 

「良いだろう。ひとまず、家には通してやろう。――御客人、付いてきなさい」




10,619文字


 誤字報告、評価、そしてご感想には本当に力をいただきました。
 ですので、ご要望のあったイチャイチャに挑戦してみました。

 さて、今回の話を書くに当たって、母がコレクションしているハーレクイン・ロマンスを参考にしました。してしまいました。新たな境地に手を出してしまいました。
 読んでみると、これが小説として普通に面白い。
 ストーリーもそうですが、なにより舞台設定と描写が面白い。

 ヒロインは伯爵令嬢で、馬に乗って城に帰れば、ヒーローの公爵様は「タクシーを呼んだから」みたいなノリで貸し馬車を呼ばわる。
 しかも、彼等を取りまく下男や給仕の噂話や、風の抜ける石造りの城の様子だの、さり気ない描写から香る現実味がすごい。
 何この時代錯誤な作品! と思ったら、ダイアナ元皇太妃のお婆ちゃんが作者してる作品でした。そういう時代を知ってて、しかも教養ある人だから、見てきたように書けちゃうのね。素晴らしい!

 音楽の描写だとか、あちらの国の風景描写だとか、文章そのものも非常に参考になります。引き込まれるような文章です。
 原文が良いのか、それとも訳者が凄いのか。両方でしょうかね。

 そんなこんなで、西洋風ファンタジを書こうという人に自信を持ってオススメできるレーベルです。


=====
ネタ解説
=====
序ノ口譲二:
 『あずまんが大王』や『よつばと』の作者、あずまきよひこ先生の昔のペンネーム。何故か黒歴史扱い。エロ同人描いてた時代があってもいいじゃない!
 最近の高校生と話す機会があり「日常系のアニメは『ゆるゆり』が最初だと思うんですけど」と言われたので「あずまんが大王を観なさいな。あれが草分けで、あれがあったからこそ昨今の日常系ブームがあるんだよ。偉大な先達に敬意を払うべし」とSEKKYOUしたことがあります。

謎のムラマサ邸:
 FCソフト『謎の村雨城』が元ネタ。村雨城では、刺客のニンジャや化け狸が襲いかかってくるが、果たしてムラマサ邸では……。
 英語に移植されたのは最近らしい。その甲斐あってか、タイトルの英訳は無難。そりゃあ数々の失敗から学んだことでしょうよ。
 なお、原作では「謎のムラマサ城ね」というエルフの台詞がある。

ドラゴン・ウォリアー:
 ドラクエの海外版タイトル。
 一単語変えるだけで、ここまで印象が違うのかと教えてくれる素晴らしい教材。ウォリアーだと脳筋おにいさんなイメージ。クエストだとあふれるロマンが隠しきれない。

メガマン:
 ロックマンのあちらでのタイトル。
 ロックとロールちゃんでロックンロール。兄貴分のブルースに、ライバルのフォルテ。そんな作り手のこだわりが現れたタイトルが、どうしてこんなことに……。

サムライX:
 映画版『るろうに剣心』のあちらでのタイトル。
 あちらの国の人に「安いポルノ映画っぽいから変えた方が良い」とさんざん忠告されるも、日本人スタッフが「いいや、これで行くねッ」と断行したとか。結果は「面白いけど、どうしてこのタイトル?」という評判。

所詮は米を育ててる農耕民族ってことなのかな:
 マンガ『孤独のグルメ』より。
「なんだかんだあってもしょせん俺たちゃ島国の農耕民族ということか」

文化帝国:
 文化帝国主義とは、経済的または軍事的に強大な国が、他の国に対して、自国の文化や言語を押しつけ根付かせ、以て「侵略」することを指す。
 例えば、某国が戦後日本にパンなどを供給したのも、この施策の一環という説がある。小麦文化を根付かせ、経済的に搾取しようとしたとか。

若者はジーンズを買い、流行の歌を聴いている:
 Civilization5より。
 観光力を高め、ライバル国の文化力を大きく上回ると、当該国の指導者が憎々しくこの台詞を吐き捨てる。腰ミノ蛮族のモンテスマが言うとシュール。なお、最近の若者はジーンズをあまり履かない。
「我が国の民は貴国のジーンズを買い、流行の歌を聞いている。ほかの国々も知らず知らずのうちにこのような文化に毒されてしまうのだろうか?」
 なお、原作においても、エルフちゃんが最高難度をクリアできるガチ勢であることが明かされている。

妖刀ハラキリブレード:
 不朽の名作『CROSS†CHANNEL』より。
 ヒロインの一人である桐原(キリハラ)冬子は、妖刀ハラキリブレードを用いて、謎のハラキリ儀式を行った。アイエェェ!
「冬子の怒りが頂点に達したその時、4.35光年の彼方から時空を越え、妖刀ハラキリブレードはわずか0.05秒で空間両断跳躍を果たすのである」

「な、なぁ。メロンとか持ってきた方が良かったかな」「ふつうでいいとは思いますけど……」:
 『あずまんが大王』より。
 ちよちゃんの家(豪邸)を訪問した際のやりとり。

ここがあの女のハウスね:
 FLASH全盛期を象徴する作品のひとつ。通称『ペリーの人』の作品。 他にも『ペリー来航』『バスト占いの歌』など、制作者様は数々の名作を世に送り出し、ネット界隈のトレンドをつくりあげた。
 調べてはじめて知ったんですが、TECKWinのワンコーナーで歌われた曲だったんですね。

天井にニンジャでもいるんじゃないかしら:
 ハットリくんを思い浮かべるか、それとも水戸黄門を思い浮かべるかで年代が分かる。かもしれない。


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Ex2.謎のムラマサ邸・下

 ***

 

 

 その壮年は、自らを梅園麟太郎と名乗った。

 

「君たちは、娘といったいどういう関係なんだ」

 

 麟太郎は一同を睥睨する。

 それは、この重苦しい部屋の雰囲気と相まって、いっそう圧迫感を増したように思われた。

 

 その部屋は、「客間に通してやろう。付いてきなさい」という麟太郎の言葉を信じるのであれば、客間に分類されるらしい。

 これほど客をもてなそうという意思を見せぬ客間もまた、珍しかった。

 杉の大木からまるっと切りだしたテーブルは、物を知らぬ者にも一目でそれと分かる高級品であり、見る者を威圧した。畳の縁取りは、金糸が豪奢に彩り。飾り棚にはこれまた高そうな備前焼の細工物が並んでいる。あまりの威容に耐えかねて視線を天井に逃せば、今度は、荒々しく力強い欄間の飾りが、無言で威圧してくる。

 その場に居るだけで気疲れするような、それは重苦しい部屋であった。

 

 そんな重々しさを背景に、麟太郎は厳めしく言葉を継いだ。

 

「君たちは、娘のことを千寿ムラマサと呼んだ。だから出版関係者だということは分かっている。そして、それだけではないということも。……娘と、どういう関係なのかね」

 

 じっと、四人の子供を見つめる。

 一人ひとりの瞳をのぞき込み、真実を見つけようとする、必死のまなざし。それは、娘を想う親の目であった。

 そんな想いに、エルフは威勢良く答える。

 

「聞いてないかしら。わたしはアイツの唯一無二の親友、山田エルフ様よ」

 

 それをかわきりに、一同は名乗りを上げる。

 

「鈴木一郎。娘さんとは、なんと言うか、作家仲間ですかね。良き友人になれれば良いと思っていますけど」

「獅童国光です。ムラマサさんには同じ作家として憧れる思いもありますが、それ以上に、仲間として親しくさせていただいているつもりです」

 

 一郎は人好きのする笑みで答え、獅童は誠実に、己が心の内をすべて晒けだしてみせた。

 

「和泉マサムネといいます。その、俺にとってはラノベの先輩で、なにより大切な友達です」

 

 と実直に語ったのはマサムネである。

 そんな彼を、麟太郎は、どういうわけかぎろりと睨みつけ、

 

「ほう、大切な」

「え……」

 

 獣が威嚇するかのように唸った。思わずたじろくマサムネである。

 かと思えば、今度は一郎をじろりと見やる。

 

「君は鈴木一郎と言ったが、ひょっとして、あの」

「そうよ! 『豹頭譚』を手がける売れっ子作家でありながら、このエルフちゃんの偉大さにひれ伏して、我がラノベ界の門を叩いた鈴木一郎その人よっ」

 

 なぜか我が事のように一郎を誇り、ついには完全な自慢話にもっていくあたりが、エルフのエルフたる所以である。

 

「……その事については、色々と言いたいことがある。だが、それはさて置き、まずは娘のことだ」

 

 麟太郎は、眉間に力をこめる。

 とたん、壮年のしわぶかい眉間に、苦みがただよった。

 

「君たちが単なる同業者でないことは知っている。なにせ、あの子が話題にすることときたら、『転生の銀狼』という小説と、その作者の和泉マサムネとかいう若造。そして、君たちのことばかりなのだからな」

「そ、そうですか」

 

 麟太郎はなぜかマサムネを注視しながら言ったので、マサムネはしょうことなしに返事をした。

 麟太郎は無遠慮に続ける。

 

「山田エルフという、騒がしい女の子。鈴木一郎という太鼓持ち。獅童国光という、ラノベ作家の皮をかぶったお人好しのパティシエ」

 

 一人ひとりの為人を確かめるように、その瞳をのぞきこむ。

 彼の口に上ったのは、きっとムラマサが語ってみせた人物評にちがいない。

 それを語るムラマサの表情を、四人はありありと思い浮かべることができた。なんとなれば、麟太郎のしわぶかい眉間。そこには、寂しくも嬉しいような、あたたかな感情の渦がわだかまって居たのである。

 

「そう。あいつがそう言ってたのね」

 

 エルフはくすぐったそうに微笑む。

 マサムネはいっそう注意深く耳をそばだてた。あの風変わりな先輩に、自分がどのように評されているのか気になったのだ。

 しかし、麟太郎は、あえてマサムネについて語らなかった。その代わり、

 

「そして、そして……和泉マサムネとかいう青二才っ!」

 

 声に怒気をにじませ、手を壁に伸ばす。

 そこには、鞘に納められた、ひとふりの日本刀が飾ってあった。

 

「刀っ!?」

「安心するが良い、和泉マサムネ。これは単なる模造刀だ。手入れを欠かさず、本物同様に磨きあげた渾身の、実用的なコレクションだ。だから安心して斬られろ。――どうして逃げる。理不尽だぞ」

「理不尽なのはそっちじゃないか! いま本物同様って言いましたよねっ! それに、斬られろって。斬ったら斬れるってことじゃないかっ」

 

 などと掛け合いをする二人を見て、エルフはしみじみと呟いた。

 

「やけに鋭い目つきといい、あの強引で理不尽な性格といい、ムラマサそっくり。間違いないわ、ムラマサは父親似だったのね」

「たしかに、そっくりだね。そういうエルフさんは、お母さん似なのかな」

「あら、わたしの家族が気になるのかしら」

「それはもちろん。エルフさんの御家族は、エルフさんのように大切にしたいと思ってるし、なにより、その人たちとも家族になりたいから」

「バカ。プロポーズならもっと時と場所を選びなさいっ」

 

 という言葉とはうらはらに、エルフは満更でもなさそうである。頬を染め、口元をゆるめて、一郎をやさしく掌で叩いた。

 そんなふうにあまりに暢気にしているものだから、おとなしい獅童も、

 

「……あの、お二人とも。ムラマサさんのお父さんを止めなくて良いので? このままじゃマサムネくんが死んじゃいますよ」

 

 と突っこまずにはいられなかった。

 そのような折である。

 

「パパぁ~、ごはんまだぁ~?」

 

 という甘ったるい声が聞こえてきたのは。

 それが合図であったかのように、一同はぴたと動きを止めた。

 いちはやく再起動を果たしたのは麟太郎である。彼は、何事もなかったかのように刀を壁にもどし、居住まいを正していた。

 それから一拍遅れて、

 

「……えっ?」

 

 四人の作家たちは、困惑の声を漏らした。

 それは、よく知った声に似ていたのだ。

 例えば、その声音をもう一段低くして、不機嫌で威圧的な抑揚を加えれば、ムラマサの声になったかもしれない。

 

「この……甘えた声っ……これはっ……!」

 

 その衝撃たるや、マサムネの言語野に衝撃を与え、カタコトにせしむる程であった。

 驚愕にざわざわと一同がさんざめくなか、マサムネは斬られかけたのも忘れて、麟太郎に尋ねる。

 

「あの、今のって、ひょっとしてムラマサさんですか」

「いかにもその通りだ。あの子は朝が遅くてね、休日はいつもこんな時間になってしまうんだ。……さて、呼ばれたのでわたしは中座するが、君たち食事は済ませたかね」

 

 その言葉が飲みこめなくて、一同はカクカクと言われるがままに首肯を返す。

 幸い、移動がてら適当な店で食事を済ませていたから良かったものの、そうでなけば、昼食を食いっぱぐれていたところであった。

 

「ならばよろしい。私たちはこれから食事を摂るので、悪いが、本でも読みながら待っていてほしい」

 

 と厳めしく言うなり、麟太郎はにへらと相好をくずし、

 

「はぁ~い、花ちゃん。今行きますからねぇ~!」

 

 と猫撫で声で駆けて行った。

 そのようなわけで、一同は客間に留め置かれることとなった。

 

「……えっ、いや、マジであの声がムラマサ先輩!?」

「ちょっと想像ができませんね。ムラマサさん、普段から恐ろしくストイックな人ですし」

「ぷぷっ。聞いた? ”パパぁ~”だって。あのお澄ましのムラマサちゃんがよ!」

「でも、考えてみれば納得かもしれないな」

 

 きっと、すっかり心を許した相手の前では、ああやって幼く甘えるのだろう。それくらい、相手を信じて寄りかかった、無防備な声だった。

 考えてみれば、思いあたる節がないでもない。マサムネに対して、彼女は、ときどき幼い子供のような口調になることがあった。ふだん鋭利な刃物のような彼女の、それは柔らかな内面の示唆である。ひょっとしたら、これと思い定めた相手に対して、己のすべてを預けてしまうのかもしれない。

 

「なんというか、極端だよね。ムラマサ先生らしいと思わない?」

 

 と一郎が評せば、一同はなるほどと肯じた。

 

「ヤンデレの片鱗が見えるわね。ねぇ、マサムネ?」

「や、やめてくれよっ」

 

 思わず背筋をあわだてたマサムネである。

 彼は、不吉な予感を誤魔化すべく、気になっていたことがらを槍玉に挙げた。

 

「そ、それよりさ。ムラマサ先輩の親父さん、なにかおかしなことを言ってなかったか?」

「そういえば、”花ちゃん”って言ってましたね」

「ひょっとしなくても、ムラマサの本名よねぇ」

 

 梅園花。

 その可愛らしい名前こそが、千寿ムラマサの本名であるらしい。

 

「そして、お父さんは梅園麟太郎。作家親子ってやつだね」

「やっぱりそうなのね。わたしも、もしかしたらそうなのかなって思ってたのよね。ほら、あれよ」

 

 とエルフが指さすは、客間の片隅にひっそりと鎮座する――というにはあまりに大仰な本棚である。

 それは、まるで自身がこの部屋の主であるとでも言わんばかりに、どしんと大きな身を横たえていた。

 重厚な黒杉であつらえた、この重苦しい部屋にぴったりの本棚である。そこに納まっているのは、やはりと言うべきか、重々しく時代がかったタイトルであった。

 

「時代ものの小説ですね。作者は……”梅園麟太郎”先生じゃないですか!」

「時代ものの大家じゃないか!」

「へぇ。やっぱり有名なのね」

 

 獅童とマサムネが驚きの声をあげる。

 エルフの反応はいまひとつである。彼女は、梅園麟太郎の作品を読んだことがなかった。

 

「ああ。剣豪小説と捕物帖でそれぞれ超有名なシリーズがある。そうだな、ふたつ併せて『豹頭譚』くらいのネームバリューかな」

「あら、一シリーズだと一郎の半分の戦闘力なの? てんで雑魚じゃない」

「おまえね……」

 

 呆れて絶句するマサムネに代わって、一郎が弁解する。

 

「とんでもない。この分野における巨頭だよ。誰にでもできることじゃない。歴史物は、とりわけ勉強が必要な分野だ。ちょっとでも考証からズレたことを書けば、お叱りの手紙が津波のように全国からやってくる。そのくせ、すっかり研究され尽くされた”安牌”でがちがちに固めてしまっても、そんな目新しさのない作品は、書く意味がないからね」

「ほんとうに好きな人じゃないと、書く覚悟を決めることすらままならないんですね」

「なんていうか、気の狂いそうな話だな……」

 

 マサムネはうんざりした様子で呟いた。

 

「僕には絶対に書けない分野だね。そんな世界でトップを張ってるんだから、これは尊敬するより他ないよ」

「面倒なのは分かったわ。それで、面白いの?」

 

 というエルフの問いに、涼やかな声が答えた。

 

「つまらないぞ」

 

 ムラマサである。

 いつの間にやって来ていたのであろうか。その涼やかな声の後を追うように、襖の向こうから、ふらりと姿を現した。 

 

「あんたの感想なんか当てにならないわよ。そりゃあマサムネの小説だって悪くはないけど、それしか受け付けないんじゃあ悪食ってもんよ。あんたと違って、わたしは美食家なんだから」

「ふん。ジャンクフードのような小説を書くおまえがよく言う。……何をどう思おうが、読者の勝手というものだ。私にとって、マサムネくんの小説は、この世の何よりも素晴らしい。自分にとっての百点満点中、一千万点の小説に出会うこと――それが人生で一番大切なことだ」

 

 にわかにいきり立つ二人であったが、あえて止める者はいなかった。それが彼女等なりの交遊のしかたであると、心得ていたのである。

 実際、エルフはこのやりとりを心から楽しんでいた。彼女は、ムラマサをじろりとねめつけると、

 

「なるほど、なるほど。いかにもあなたらしいわ。――ねぇ、お花ちゃん」

 

 と悪戯っぽく微笑んだのである。

 

「き、聞いたのかっ。このうすぎたない覗き屋めっ! その呼び方をするんじゃない!」

「えー、でも可愛いじゃない。皆もそう思うわよね」

「たしかに。ふたりとも美少女だし、”フラワーズ”って名乗っても、名前負けしてないと思うね。ねぇ、マサムネ先生」

「まぁ、な。その昭和アイドルみたいなネーミングセンスはどうかと思うけど、ふたりがとびきりの美少女ってのは間違いないと思う」

 

 マサムネは照れくさそうに答えた。

 

「へぇ、花にも負けない華があるってわけね。それじゃあ、一郎、わたしは花に喩えるなら何になるのかしら」

「うーん……菜の花かなぁ」

 一郎の脳裏にひろがるのは、一面の菜の花畑である。

 朝日のように鮮やかな花々が、まっ青な空との対比になって、まぶしく美しい。風にそよぐ様は、エルフの元気いっぱいの笑みのように朗らかである。

 

「花言葉は”快活な愛”や”明るさ”だったかしら。悪くはないけど、このわたしの美しさ、気高さを表現するには役不足ね。宿題よ。もっと、このエルフちゃんにぴったりな花を見つけてきなさい!」

「うーん、手厳しい」

「もうさ、ラフレシアとかでいいんじゃない?」

 

 花言葉は”夢現”。ラノベで地上を支配するという大志をかかげる夢想家のエルフにはぴったりかもしれないと、マサムネは思った。

 

 さて、この話題に喰いついた者がいた。恋する乙女、ムラマサである。

 彼女は、鼻息を荒くしてマサムネに迫る。

 

「マサムネくん! 私は何の花だ!?」

「えっと…………」

 

 ずいと身を寄せられ、マサムネは、はにかみ混じりの困惑の色を浮かべる。

 長い逡巡があって、

 

「彼岸花」

 

 と答えた。

 その答えは、エルフを大変喜ばせた。

 

「うわ、ぴったりじゃない。いかにも毒のありそうなとこなんか、ヤンデレっぽいムラマサそのものよね」

 

 鮮烈な赤色は、血の色をほうふつとさせ毒々しい。じっさい、根には毒をもつ。

 

「花言葉は……ああ」

 

 止せばよいのに、獅童は携帯端末で花言葉を調べていた。

 そこには「悲しい思い出」「あきらめ」とあったから、思わず納得の声をこぼしてしまう。マサムネに対する、いっそ偏執的とでも言うべきひたむきな想いと、その行く末を予感させたのだ。

 気になったムラマサがのぞき込み、怒りの声をあげた。

 

「なんだ、この不吉な花言葉は! 獅童、貴様、どうしていま納得したような声を出したっ!」

「ひいいっ」

 

 その手が、壁にかかった模造刀に伸びるのを見て、思わずすくみ上がる獅童である。

 

「いやいや。この”情熱”ってのが、ぴったりだって思ったんじゃないかな。何もかもをなげうって執筆する姿勢とか、まさにムラマサ先生じゃないか」

「そうね。あんたのヤンデレでエクストリームな執筆スタイルは、まさに彼岸花の毒々しさが相応しいわ」

 

 すかさず一郎がなだめに入り、エルフが自らに敵意(ヘイト)を誘導する。

 果たしてエルフの思惑どおり、ムラマサは食ってかかった。

 

「なにっ、誰がヤンデレだとっ」

「だってアンタ、一人でぶつぶつと、自分の部屋でお話とかしてそうじゃない。エア・マサムネと」

「なっ」

 

 と硬直したのは、マサムネとムラマサである。声を上げたタイミングもまた同時であった。

 ただし、その内容は正反対である。

 

「気味悪いこと言うなよ、エルフ! いくらなんでも失礼過ぎるだろうが」

「どうしてそれを知っているんだっ」

「そうだよ、そもそもどうして、そのことをおまえが知って――え?」

 

 マサムネは、油のきれたロボットのような動きで、ぎしぎしと首を回してムラマサを窺った。

 彼女は、花も恥じらう手弱女ぶりで、もじもじと恥ずかしそうに尋ねた。

 

「そ、その、いけないだろうか」

 

 可憐である。

 日本人形のような白い肌には朱色が差し、はしたない自らを恥じいるように口元を押さえる。その様は、いまや御伽話にのみ語られる大和撫子の体現であった。

 背景に、花の浮かぶ様を幻視する。

 しかし、騙されてはいけない。その花は、根には毒をひそませ、血のように赤黒い花弁を咲かせる、あのおどろおどろしい彼岸花なのである。

 現に、マサムネを上目遣いにうかがう瞳は、無限の妄執に濁っている。コールタールのように粘つく妄執が、瞳からぬるりと触手を伸ばし、いまにもマサムネを絡み取ろうとしているかのようである。

 反射的に、マサムネは視線を切った。

 

「ごめん、先輩。正直怖い。それだけは止めてください」

「なっ……!」

 

 マサムネは震えながら言った。思わず飛び出した敬語が、心の距離を感じさせる。

 ムラマサは顔をまっさおにして、口をぱくぱくさせた。

 なにはともあれ、一段落である。

 

「それはそうと、あんた、原稿出さないんだってね。担当が嘆いてたわよ」

 

 さも見てきたかのようにうそぶくエルフに、ムラマサもなんとか気を取り直して、大仰に応じてみせる。

 

「うむ。ストライキというやつだな」

 

 ストライキ。所謂抗議デモである。雇用者に対して、労働を行わないことで抗議の意思を示すのである。

 では、いったい何に抗議するというのか。

 

「聞けば、マサムネくんは、他の作家とのコラボ企画をするというではないか」

「ああ、そうだな。他の作家さんが俺の『銀狼』を舞台に書いてくれたり、逆に、俺が他の作家さんの作品を書いたりするんだ。お互いのキャラクタを自由に登場させてもいいし、そうしなくてもいい。けっこう自由度の高いコラボ企画だよ」

「つまり、公式アンソロジーというわけね。楽しそうじゃない」

 

 弾んだ声でエルフが言う。

 対照的に、ムラマサは幼くそっぽを向きて、

 

「嫌だ」

 

 と幼く拗ねた。彼女は口下手で直情的な人間だった。

 そんなムラマサには慣れっこになりつつある一同である。雄弁な目配せを交わすと、マサムネが代表して尋ねた。

 

「先輩、もうちょっと詳しく」

「君がコラボなどするのが嫌だ。読まずとも分かる、絶対に失敗する。私はそれが許せない。君はそんなお遊びなんかせずに、私を認めさせた『世界妹』の続きに専念するべきなんだ」

 

 ムラマサは、マサムネの新作にすっかり入れ込んでいる。そのクオリティを落としかねない真似をすることが、気にくわないらしい。

 そうした不満をぶちまけたことが、呼び水になったと見える。ムラマサはつらつらと不満を吐き出した。

 

「そもそも、小説は原作者以上に面白い作品が書けるはずがない。そのキャラ、世界を一番知ってるのは原作者だ。二次創作は、どうしても書き手の解釈という異物が混じってねじ曲がる。そんなの、もう別物じゃないか。原作を台無しにしてる」

 

 彼女の愚痴は留まるところを知らない。

 

「お互いの作品のキャラを自由に登場させる? 噴飯ものだ。クロスオーバーなんか以ての他じゃないか。そもそも土台が違うんだから、うまく噛み合うわけがない。一方が他方を蹂躙する、最低の駄作に堕するがオチだ」

 

 憤懣やる方ないといった口調のムラマサに、エルフはさもありなんと頷いてみせる。

 

「そういえば、異能バトルしてる漫画のコラボ・ノベライズ企画で、なぜか探偵小説の主人公が登場したのがあったわね。あれは一体何がしたかったのかしら」

「エルフ、それ以上いけない!」

 

 話題が危険の坂を転がりはじめたのを察して、マサムネは強引に本筋へと引きもどす。

 

「あー、先輩の言わんとすることは分かった。その上で訊くんだけど、先輩、二次創作嫌いだろ」

「当然だ」

 

 ムラマサは勢いよく頷きを返す。

 が、はっと何事かに気づいた様子で、急ぎ言葉を継いだ。

 

「とは言っても、君の書いた作品は例外だぞ! ほら、テイルズ・シリーズの二次創作で、オリジナル主人公マサムネの活躍を描いた『勇者マサムネの冒険』のことだ。必殺技は――」

「わーっ、わーっ!」

 

 闇に埋ずめておきたかった黒歴史(トラウマ)を掘り返されて、マサムネはわめいた。必死にスコップで土砂をかぶせるが如くに、声を重ねる。

 

「恥ずかしがる必要なんてないじゃないか。君の描く活き活きしたバトル描写は、実に素晴らしかった。以前も言ったが、あの作品からずっと、私は和泉マサムネのファンなんだ」

 

 ムラマサの瞳が、あたたかな色を浮かべる。

 かと思えば、それは次の瞬間にはなりをひそめめ、すっと瞳を眇め、うって変わって不機嫌そうに、

 

「そういう希有な例外はあるにしろ、基本的に、二次創作はすべて駄作だ。害悪とすら言ってもいい」

 

 と言い放つのだった。

 その時である。 

 

「先輩、それは大きな間違いだ」

 

 という雄々しい声が耳朶を打った。

 ムラマサには最初、それが誰だか分からなかった。

 マサムネである。彼は、燃えさかる情熱を瞳にともし、その炎で以てムラマサを焼きつくさんと吠えた。

 

「先輩だって思ったはずだ。どうしてこの作品はここで終わってしまうんだ。この先が見たい。登場人物たちは、この後どうなったんだろう。こうなったら良いのにな。きっとこうなったに違いないって」

「っ! それは、そうだが……」

 

 ムラマサは身につまされる思いだった。

 エルフに招かれた南の島。そこでマサムネからもらった待望の書き下ろしは、まさにそういうストーリーだった。それが読みたくって堪らなくって、ムラマサはずっとスランプに陥っていたのだ。

 

「気になって気になって、昼も夜もそのことで頭がいっぱいになって、気が付いたらノートや紙に書き出してた。そんなことが無かったなんて言わせない」

「…………」

 

 マサムネの熱気にあてられ、すっかりムラマサは黙りこくって耳を傾けてしまった。

 

「――そんな気持ちで書いた作品がさ、害悪だなんて筈ないよ。好きで好きでたまらないって気持ちを形にした作品なんだぜ。きっと、どこかの誰かの一千万点になる筈だ」

 

 不意に、マサムネの声が和らぐ。

 はっとして顔を上げると、マサムネが優しく微笑みかけていた。

 手を差しのべられた心地になって、ムラマサは、安堵の吐息を漏らす。

 

「……分かった」

 

 神妙に頷き、それから穏やかに嘆息した。

 そして、憑き物がおちたように、しみじみと独白する。

 

「私にとって駄作であることに変わりはない。それでも、それを喜ぶ人はいるのかもしれないな。なら、それで良いのだろうな」

 

 穏やかな顔には、しかし、どういうわけか諦観の色が漂っていた。

 ムラマサは、極端な趣味嗜好をしている。たとえば、マサムネの小説の素晴らしさを語り、理解を示さぬ同級生から孤立したことがある。ひょっとしたら、そのことを思い出していたのかもしれない。自分の在り方は、他人とはけっして相容れないのだと、受け入れてしまったのかもしれない。

 それを見て、放っておけるエルフではない。

 

「ふぅん。まだ納得いってないみたいね」

「そ、そんなことは……」

「ないなんて筈ないでしょ。アンタは自分のことしか考えないヤツなんだから。アンタ自身が楽しめない”駄作”なんか許容できるわけないじゃない。だからさ、アンタも楽しんじゃいなさいよ。その”駄作”とやらを書くのを」

 

 なんてことないように、エルフは言ってのける。すると、すかさず一郎が追従し、獅童が続く。

 

「名案だね、エルフさん。そういうことなら”書き会”だ」

「そういうことよ。お題はもちろん『銀狼』ね」

「打ち上げ会以来ですね。執筆時間はどれくらいにしますか」

「えっ、皆して俺の小説の二次創作するのかよ!」

「なに照れてんのよ。喜びなさい。名誉なことでしょうが」

 

 楽しそうなエルフに、ムラマサが戦々恐々といった調子で尋ねる。

 

「そ、それは、私も参加するのか?」

「当然じゃない。あんたがしなくて、誰がするのよ。マサムネ教の第一信者なんでしょ?」

「しかしだな、マサムネくんの『銀狼』を私なんかが書いたりしても……」

 

 この言い分に困ったのはマサムネである。

 なにせ、口さがない連中ときたら「和泉マサムネは千寿ムラマサの下位互換」などと悪意いっぱいにさえずるのである。じっさいマサムネも、ムラマサの実力を高く評価していたから、この言い分は心に刺さった。

 

「あの……俺と似たような作風で、俺よりずっと売れてる先輩にそう言われると、立つ瀬がないんだけど」

「すまないっ、そういうつもりじゃないんだ! ただ、やっぱり、私にとって『銀狼』は他の誰でもない君のものだという意識がある。それをよりにもよって、原作者(きみ)の目の前で書くなんて……」

 

 不安に揺れるムラマサの瞳を、まっすぐ見据えて、マサムネは言った。

 

「俺はムラマサ先輩が書いてくれると嬉しいんだけどな」

「だが、きっと身勝手なストーリーになるぞ」

「いいじゃないか。ムラマサ先輩オリジナルの『銀狼』が読めるってことだろ。きっと面白くなる」

「キャラだって、原作者の君から見れば違和感があるかもしれない」

「へぇ、そりゃ楽しみだな。俺たちのつくったキャラがどんな風に受け止められてるのか、すごく興味がある」

「だ、だが――」

「あーもうっ、まどろっこしいわね! アンタは。マサムネもこう言ってるんだから、さっさと書けばいいのよ!」

 

 まごまごと言い募るムラマサの尻を、エルフの言葉が蹴り上げた。彼女は、このいかにも楽しそうな遊びに、一刻も早くとりかかりたくて仕方がなかったのである。

 果たして、それがムラマサの天秤を傾ける、最後の一押しとなったと見える。

 ムラマサはぎゅっと拳を固めて、宣言した。

 

「……そうだな。せっかくマサムネくんがこう言ってくれるんだ。やってみよう」

 

 そうと決まれば現金なもので、ムラマサの表情はとたんに華やぎ、弾むような声で言った。

 

「やるからには全力を尽くすぞ。もちろん、おまえ達もだ。和泉マサムネの『銀狼』を穢すなんてこと、あってはいけないんだからな!」

 

 そんなムラマサに、マサムネはやさしく声をかける。

 

「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどさ、細かい設定まで皆覚えてるわけじゃないと思うんだ。だから、少しは容赦してあげてほしいな」

 

 ムラマサはにこりと微笑み、

 

「大丈夫だ。マサムネくんの書いた小説なら、全て私の部屋にそろえてある。今すぐ『銀狼』を全巻持ってこよう。分からないことがあったら、各自で確認するように。もしくは、私に訊いてもらってもかまわない。マサムネくんの次くらいには、『銀狼』に詳しいと思っているからな」

 

 誇らしげに、どんと胸を打つ。

 

「ははは……さすがですね」

「ムラマサさんらしいや」

 

 これには獅童、一郎も苦笑を禁じ得なかった。

 

「ふぅん。マサムネの小説なら、ね」

 

 などとエルフが不満気に言えば、

 

「…………おまえ達の小説も一応、置くだけ置いてやってる」

 

 ムラマサは顔を背けて、ぼそりと言った。その横顔は、ほんのり赤い。

 

「ほんとに!? もうっ、お花ちゃんってば、ほんっとに可愛いんだからっ!」

「だからその名前で呼ぶなと言っているっ」

 

 などとじゃれ合って、二人は友情を深めたのである。

 

 そんなやりとりも一段落して、いよいよ筆を執るかとなった折りに、ふと思い出したようにムラマサが言った。

 

「ああ、そういえば、鈴木一郎。お前の『豹頭譚』とやらだけは、この部屋にも置いてあったかな。ほら、そこの本棚に」

「あ、本当だ」

 

 件の本棚は、棚を二重に備えていた。手前の棚を横にスライドすれば、さらにその奥から、もう一段の棚が現れる。そこに、『豹頭譚』は並べてあった。

 

「父は『豹頭譚』とやらのファンらしい。つねづね、おまえとは膝を交えて語り合いたいと言っていた」

「本当にそう言ってたのかな。つまり、膝じゃなくて拳じゃなかったのかってことだけど……」

 

 この親にして、この子あり。蛙の子は蛙。血は争えぬという言葉もある。

 ムラマサは、少なくとも今日この時までは、ちょっとどころではなく頑固な原作主義者であった。その作品を世に送り出した原作者しか、その作品を書くことは許さないのだと主張した。

 であるならば、その親はいったいどれだけ頑固な”原作者”のファンなのだろうか。

 

「やれやれ、面倒なことになったなぁ」

 

 などとため息をつく一郎であった。

 その憂鬱な思いは、しかし、すぐに蹴散らされることとなった。

 

「ちょっと、そこ! いつまでもお喋りしてないで、さっさっと始めるわよ」

 

 一郎は、笑って答える。

 

「そうだね。厄介なことは忘れて、小説を楽しもうか!」

 

 

 ――これより数ヶ月後、とある公式アンソロ小説本が刊行されることとなる。

 それは、さいきん話題の五人のラノベ作家が名を連ねた、豪勢な一冊である。

 

 いまやこの人を知らぬラノベ読者、アニメ視聴者はいないとすら謳われる、『幻刀』の千寿ムラマサ。

 『爆炎』のアニメ化を決め、急速に知名度を高めつつある山田エルフ。

 ハヤカワの看板作家の跡継ぎでありながら、独特の作風でラノベ界への参入を果たした若き天才、鈴木一郎。

 そして、これら尖った作品を書く連中のなかにあって、おっとり優しくいかにも女性らしい作風の、紅一点とまことしやかに噂される獅童国光。

 

 いかなる経緯があったのか、この四人が、和泉マサムネの『銀狼』の二次小説に挑んだのである。

 特に山田エルフと鈴木一郎は、活躍するレーベルすら違っていたから、この取り合わせに人々はひどく興味をひかれた。

 そもそも、魅力的な小説を書くことで大なり小なり注目を集めていた面々であったから、この本は売れに売れた。

 

 そのようなわけで、出版をプロデュースした神楽坂あやめは、幸福の絶頂を極めることとなる。

 

「我が世の春よ、春! アンソロ本の売れ行きも絶好調だし、おかげで和泉先生の新作の売れ行きも上向いたし。和泉先生と獅童先生、ついでにエルフ先生には感謝ね。あの憎たらしい鈴木一郎も、今なら許してあげてもいいわね。なんなら、ウチで一本書いてもらってもいいくらいだわ!」

 

 それを言質にとった一郎が、図らずとも神楽坂あやめにひと泡ふかせることとなるのだが、それはまた別のお話。

 今はただ、ひとりの物書き、いち小説ファンに立ち返った五人が、人気だの売れ行きだのといった世俗を忘れ、無邪気に創作活動を楽しむばかりである。

 

 そんな五人だからこそ、彼らは親友足りえた。

 五人は、お互いに切磋琢磨するライバルであり、志を同じくする仲間であり、そして気の置けぬ友人である。

 とはいえ、その関係も不変のものではない。たとえばエルフと一郎のように、多少は人間関係も変わってしまうだろう。

 けれども、五人のつながりは永遠である。きっと五人はいつまでも、仲良く無邪気に騒がしく、とびきり楽しい時をともに過ごすにちがいない。

 

「今日も楽しかったわね。今度は、五人で同人誌でも作ってみない?」

「流石、エルフさん。名案だね。それじゃあ、イラストレーターとしてエロマンガ先生も引き込んで、各々Twitterや小説のあとがきなんかで宣伝して、いっそ大々的にやっちゃおうよ。どこかで会場を借りてイベントにしちゃうのも、大げさで面白いかもね」

「いいわね! そうと決まればマネージャーとして兄貴も巻き込んじゃいましょう。さっそくマサムネ、ムラマサ、シドーを召還するわよ」

 

 この賑やかな二人がいる限り、らんちき騒ぎの日々はずっと続くに違いない。

 エルフが口火を切り、一郎が太鼓をたたけば、獅童が苦笑し、マサムネが頭を抱え、ムラマサがエルフに喰ってかかる。そんなにぎにぎしい日々がきっと、ずっと――――




12,417文字


 五人はずっとも!
 本編では、エルフと一郎の関係を主軸に〆ましたので、こちらでは五人の関係について纏め上げました。こういう、やいのやいの仲良くしてる感じが好きなんです。
 なお、時系列でいえば妖精島後の夏休み(原作第三巻後)です。第五巻のイベントを変形させる形で一年ほど前倒ししました。
 さて、もし今後書くことがあるとすれば、あて馬さん(にすら成れてない)の哀れ可愛い様とか、草薙パイセンとか書いてみたいです。


====
ネタ解説
====
ざわざわと一同がさんざめく:
 カイジやアカギ等、福本作品に頻出する擬音語。通常”ざわ…ざわ…”と表現される。
 カイジのアニメ化にあたってどう表現されるのか楽しみにしてましたが、実際聞いてみて、笑いつつも納得しました。スタッフはいい仕事しましたね!

フラワーズ:
歴史にその名を刻まれるべき傑作エロゲ『CROSS†CHANNEL』より。ヒロインの仲良し二人組をあわせてFLOWERS(お花ちゃんたち)と主人公は呼んでいる。
 昭和のアイドル・ユニットのような昔懐かしいネーミング・センスを感るのは、私だけでしょうか。

このうすぎたない覗き屋めっ:
 日本SF漫画界を代表する作品『超人ロック』シリーズより。
 作中では、エスパーの蔑称としてこの言葉が多用される。他にも「スキャナー」等と呼ばれるが、これは、「壁の向こうや心の中をスキャンする者」という嫌悪感が込められている。
 超人ロックの二次創作が読みたいです。

異能バトルしてる漫画のコラボ・ノベライズ企画で、なぜか探偵小説の主人公が登場したのがあったわね:
 ジョジョのアレ。
 悪意はありません。
 舞城王太郎は大好きな作家さんの一人です。あの津波のような勢いのある文体は尊敬しますし、『好き好き大好き超愛してる。』や『阿修羅ガール』なんてタイトルからして魅力的で、それだけでワクワクしてご飯三杯いけちゃいます。なお、一番好きなのは『パッキャラ魔道』の冒頭部です。


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Ex3.かませ犬のバラード・上

 ***

 

 

 鈴木一郎は小説家である。

 小説を読んだり書いたりするのが好きで、昼夜の別なく小説に向かい、そうするうちに小説家になっていたという類の人間である。

 そのようなわけで、暇さえあれば、あるいは暇が無くても捻出して、小説を書いている。

 執筆作業に夢中になるあまり、そのまま学校に遅刻してしまうということも多発した。

 そうして自堕落に暮らすうちに、見るに見かねた幼馴染みが、朝一番に一郎のもとを訪れるようになった。

 丁度このように。

 

「おはようございまぁす、一郎くんっ!」

 

 扉を開けると、ふんわりほころぶ幼馴染みの笑顔が現れた。

 

「おはよう。夏休みだってのに、朝からめぐみは元気だなぁ」

 

 なにが嬉しいのか、めぐみは上機嫌に微笑む。

 

「えっへへ。だって、一郎くん、元気いっぱいの女の子の方が好きじゃないですか」

「そうなのかな」

 

 とは言うものの、一郎には心当たりがないでもなかった。

 山田エルフ。紆余曲折を経て、とうとう想いを通じた恋人のことである。

 立てば向日葵、座ればランタナ、喋る姿は徒の花。そうした喩えがいっそ似つかわしい、にぎやかな少女である。いつも太陽のように微笑んで、何をするにも大仰で明るく、お喋りで楽しい。

 そんな女性に恋をした。だから、元気な女性が自分の好みなのだろうと。

 しかし、嬉しそうに微笑むめぐみは、エルフのことなど知る由もない。だから、彼女はもっと別の理由を挙げた。

 

「一郎くんの小説読んだら分かりますよぅ。元気印の女の子、とっても可愛く書かれてるもん」

 

 そして、それは、一郎を非常に喜ばせた。

 己が作品を褒められて喜ばぬ作家はいない。のみならず、一郎は、さんざんエルフに「ヒロインが可愛くない」だのなんだのと指摘を受けた過去がある。ヒロインを褒められた一郎は、嬉しそうに微笑みを返す。

 

「ということは、読んでくれたんだね」

「えっへへー。買っちゃいました、一郎くんの新作が載ってる小説雑誌!」

 

 と言いながらちいさく跳ねて差し出したのは『フルドライブ・マガジン』である。

 

「びっくりするような表現も多かったけどぉ、とぉ~っても面白かったっ!」

 

 めぐみは、おおきな瞳をにっこり細めて、心底楽しそうに微笑んだ。

 それから、小首を傾げて尋ねる。

 

「いちファンとしての質問なんですけどぉ、原稿ってどれくらいまで書いてるの?」

「第一巻は書き終えて、今は第二巻の終盤かな」

「えっ、もうそんなに!? 雑誌にはまだ第一話が載っただけなのに」

「一巻分だけ掲載して、その後は単行本で刊行する予定なんだ。早い話が、お試しだね。担当の編集さんが、よりたくさん人の目に触れるように気を遣ってくれたんだ」

 

 もちろん、担当編集のクリスには、もっと別の思惑もあった。それは、一郎の小説目当てに雑誌を買う新規読者を期待して、というものである。

 

「そっかぁ。早くから準備するもんなんだねぇ」

「うーん、どうかな。ほんとうに締め切り間近に原稿上げる人もいるし」

 

 一郎の脳裏に浮かんだのは、エルフである。

 遊んでばかりのエルフは、原稿の仕上がりがとてつもなく遅い。なにせ当の本人が「ダイジョーブ。我がスキル“完成原稿召還(サモンザタークネス)”でなんとでもなるわ。ちなみにこれは締切日以降にのみ使用可能なスキルね」と言っているのだ。

 

「もちろん、早く上げるにこしたことはないけどね。編集さんにも見てもらって、その結果さらに推敲が必要になることだって勿論あるし、あちらの都合もあるから」

「ふぅん。一郎くん、大忙しだね。これまでの連載に、これからの連載。仕事が増えて大変じゃない?」

「変わらないよ。時間があれば小説書いてたのは、今に始まったことじゃないからね」

「そっかそっか、そこは心配いらないかぁ」

 

 よろしい、よろしいと頷くめぐみであった。

 そんな話をしながら、二人はキッチンまでやって来ていた。

 めぐみは、悪戯っぽく問いかける。

 

「ねぇ、ちゃんとご飯食べてる? また煮物ばっかりになってない? 塩分取り過ぎてるとぉ、歳をとってから、身体悪くなっちゃうんだから」

「うっ、耳が痛い……」

 

 病のために前世を早世した一郎である。

 

「減塩料理を持ってきたから、食べてね」

 

 と差し出したのは、料理の詰まったタッパーである。

 

「いつもすまないねぇ」

「もぅ、それは言わない約束でしょっ」

 

 という三文芝居は、二人のルーティーンである。

 めぐみは一郎の部屋に来るたび、なにかしらの料理を持ってくる。

 彼女が言うには、それは「部屋の使用料」である。

 かつて、このようなやりとりがあった。

 

「一郎くん家には本がたくさんあるし、飲み物も飲み放題、お菓子も食べ放題! マンガ喫茶みたいなもんじゃないですかぁ。だから、せめてこれくらいはって思うんですよぅ」

「そんなこと、気にすることはないよ。だいたい、置いてあるのも小説にお茶、ちょっとしたお菓子くらいのもので、お客様にお出しするような大層なものじゃない。つまり自分用、あるいは身内用だね。めぐみは”身内”なんだから、そんなこと気にしなくていいんだよ」

「いいんですよぅ。おかーさんも気にかけてるし。今日も言われたんです、一郎くんにちゃんとしたもの食べさせてあげなさいって」

「それを言われると弱いなぁ。……ってことは、これ、めぐみの手作り?」

 

「えっへん」

「すごいじゃないか!」

「ねぇ、一郎くん。男の人って、料理のできる女の子は好き?」

「そりゃあね。男は皆そうじゃないかな。特に僕みたいな、料理がからっきしな人にとっては」

「それじゃあ、もっともぉっと腕を上げないとねっ」

 

 それ以来、めぐみはほぼ料理持参で部屋にやってくるようになった。

 素直に厚意に甘えることにした一郎であるが、感謝の言葉は忘れない。律儀な一郎と、他人行儀をいやがるめぐみとの間を取って、先のような寸劇を打つことに相成ったのだ。

 

「それじゃあ、わたしは本読んでるけど、一郎くんは執筆かな?」

「今日は本を読もうかな。買ったばかりで、バラしてスキャンにかける前の本があるんだ」

「いつも思うんですけどぉ、本バラすのって勿体なくない?」

「まぁね。結局は紙の手触りが一番だと思うし。でも、そうでもしないと、本なんてあっという間に棚からあふれちゃうからなぁ。あれはきっと、増殖する生き物だよ」

「もしくは、スライムみたいに仲間を呼ぶタイプのモンスターだよねぇ。……あっ、こっちにあるのが新しい本だね。バラす前に読んでもいい?」

「どうぞお好きに」

「やったっ。それじゃあベッドの上もーらいっ」

 

 ごろりとベッドに転がる。スカートに皺が寄るのも構わずに、めぐみは「えへへ」と嬉しそうに、楽しそうに笑う。

 

「ちょっとは家主に遠慮するべきじゃないかな」

「一郎くんこそ、お客さんに譲ろうよ」

「お客さんにベッドは譲らないんじゃないかな、ふつうは」

「いいのいいの。めぐみちゃんは”身内”なんでしょ。ねっ?」

「矛盾じゃないか。それも舌の根の乾かないうちから」

「さいきょーの矛と盾を持っためぐみちゃんは、無敵の元気っ娘ですからっ」

 

 一郎が苦笑すれば、めぐみはにぱっと笑顔で答えるのだった。

 そして、ゆるゆると時間が流れる。

 気がつけば、ふたりは無言で読書にふけっていた。めぐみはベッドに寝転がり、一郎はベッドを背もたれに床に座して。

 耳を澄ませば、吐息さえ聞こえてくる距離である。それだけ近くでありながら、二人は、少なくとも一郎は、めぐみの気配さえ忘れて読書にふけっていた。

 かさり、と紙のめくれる音。しゅるり、と衣類のこすれる音。そんな音が、ふと思い出したように耳朶を撫でる。

 不意に、甘い匂いがただよってくる。それで、一郎は、めぐみがすぐ隣にやってきていたことに気付いた。

 

「ねぇ、一郎くん。もう夏休みが終わるね」

 

 顔を上げて振り向くと、めぐみの顔がそこにあった。めぐみは、ごろりとベッドの上を転がって、一郎のそばにやってきていた。

 グロスだかリップクリームだかを引いているのだろう。ぷっくらした唇が、陽光を受けて桜色に色づいた。窄み、ひらく様は、まるで蕾のほころぶようである。そこからこぼれた吐息もまた、砂糖菓子のように甘い。

 けれども、一郎は「んー」と気の無い返事である。本に夢中になっているのだ。声が届いていないわけではない。一区切りつくまでは、一郎は読書を優先するのだ。

 そんな一郎を、めぐみはにこにこ微笑みながら待つ。

 ようやく顔を上げた一郎に、めぐみは話しかける。

 

「宿題はもう済んだの?」

「実は、皆で集まったときにやっつけたんだ。皆ってのは、作家仲間のことなんだけどね」

 

 それがいかなる感情の変化を引き起こしたのか、めぐみは、がばっと起きあがって声を高くした。

 

「それって、和泉ちゃんのおにーさん――和泉マサムネ先生や、ここで酔い潰れてた獅堂国光先生?」

「そうだよ。他にも、山田エルフ先生や千寿ムラマサ先生も一緒にね。獅堂先生以外は中高生だから」

「ふへぇ、一郎くんがちゃんと友達付き合いしてる……」

 

 失礼な物言いである。が、自覚のある一郎は甘んじて受け入れた。

 

「千寿ムラマサ先生ってぇ、たしかアニメでやってる『幻想妖刀伝』の作者さんですよね」

「知ってるんだ」

「もちろん! めぐみちゃんは文学少女ですからっ。ムラマサ先生の『妖刀』もバリバリ読んじゃいますよっ」

「めぐみって、三国志や海外文学が好きじゃなかったっけ」

 

 神野めぐみは自称文学少女である。

 その原因の一端は、一郎に求めることができる。なんとなれば、めぐみのすぐ隣には一郎がいたのである。これに影響されない筈がない。

 めぐみは、ものごころ付く前から一郎を追いかけまわしていた。ものごころが付いてからは世の妹や弟がそうするように、兄のような一郎を真似て、本を読みだしたのだ。

 初めは児童文学を。それから、尺の短い探偵小説や海外文学を。そして、中学生の頃には三国志にハマったのである。

 

「三好三国志の熱いノリも好きだけど、キモヲタ小説――じゃなくてラノベの熱い展開とかも好きですよ。少年ジャンプ的な勢いがあってスカッとするよねっ」

「ちょっと、めぐみ。今あぶない発言しなかったかな」

「えへへー」

 

 誤魔化しの笑みを浮かべる。

 それだけで、うっかり一郎は全てを許してしまいそうになる。

 めぐみは気立て、器量ともに大変優れた少女である。朗らかで嫌味のない、まっすぐな心根は、その花のような笑顔に立ち現われている。

 ときどき口を滑らせて無神経な言葉を落っことしてしまう幼馴染みであるが、それも、日々の生活のなかで経験を積むうちに少なくなってきた。もう十年もしないうちに、誰もが絶大な好意と信頼を寄せる、素敵な女性に成長するに違いない――

 

 というのは、身内の贔屓目を多分に含むだろう。

 一郎は、娘を嫁に出す父親の顔になって、めぐみとの思い出を回想する。足元にこさえた水たまりの後始末をつけた幼少期。友達との殴り合いのケンカを仲介した幼児期。おませな言動に苦笑した学童期。

 かように親身に世話を焼いてきた身としては、贔屓目のために甘くなってしまうのも仕方が無い。ところが、最近は逆に世話を焼かれる一方である。それがまた、くすぐったいのだ。

 そんなだから、一郎はめぐみにめっぽう甘かった。

 

「他のラノベ作家さんの前で言ってないよね、それ」

「ええっとぉ……ちょっとお化粧直しに行ってくるねっ!」

 

 はたいてもいない白粉を、どうやって直すというのか。

 

「やれやれ、仕方のない子だなぁ」

 

 と言いつつも、ついつい笑みを浮かべてしまう一郎であった。

 

「さて。結構時間が経ってるな。のども渇いた。飲み物でも用意しよう」

 

 冷房を効かせているとはいえ、そこは夏である。気づかぬうちに、身体は汗を滲ませる。脱水症状にはよくよく注意しなければならない。

 そう思って二人分のコップを用意した一郎であるが――

 

「あら、気が利くじゃない」

 

 横からかっさらう手があった。

 エルフである。

 くぴりと可愛らしく喉を鳴らして、一息にあおる。白い喉がなまめかしく上下する。

 一郎の肩が、驚きで跳ねる。

 

「エルフさん、いつの間に」

「鍵が開いてたのよ。不用心じゃないの。それとも、わたしが電撃訪問するのが分かってたの? 虫の知らせってやつかしら。あるいはニュータイプ的な直感? 愛の力でエルフちゃんの接近を関知したのね」

 

 エルフは、合い鍵を持ってはいない。一郎の部屋に訪れる際は、事前に連絡があるので、あらかじめ鍵を開けておくのが常であった。

 だから、今日のように連絡もなしにやってくる場合は、呼び鈴を鳴らすのだ。すると、驚いた一郎が扉をあける。それが楽しくって、エルフは電撃訪問を何度か行ってきた。

 

「今日の驚きようは一入(ひとしお)ね。こっそりやって来た甲斐があったわ!」

「そりゃあ、音もなく横から手が伸びてくればね。エルフさんが多芸なのは知ってたけど、格闘技でも習ってたのかな」

「そこはダンスとかバレエとか言わない? バトルもののラノベに出てくる、闘うヒロインじゃあないんだから。まっ、ラノベヒロイン並の美少女ってことは否定できないけれど」

 

 エルフは楽しそうにからから笑った。

 

「でも、それだけ驚くってことは、これはわたしの為に準備してくれたお茶じゃなかったようね。どおりで葉っぱが安物の筈だわ」

 

 一郎は、我が儘なエルフの為だけに、お高い茶葉を準備している。紅茶はもちろん、麦茶さえも専門店で購入した高級品だ。

 

「となると、問題は誰のかってことよね。ひょっとして、マサムネか国光でも来てるのかしら」

「そうでもないんだけどね。ほら、靴を見たんじゃないかな」

 

 一郎が想起したのは、女ものの可愛らしいパンプスである。

 エルフは見落としていた。逸る気持ちが、堪え性の無いエルフから注意力を奪っていたのだ。

 

「どういうことかしら。それじゃあまるで一郎に、わたしたち以外の友達がいるみたいじゃない」

 

 エルフが訝しげなのも無理からぬ話である。

 なにせ人付き合いの悪い、小説狂いの一郎ことである。エルフの知る限り、この部屋に上がりこむような物好きなど、いつもの連中しかいない。だから「流石エルフさん。名探偵だね」と手放しで名推理をたたえてくれなければおかしいではないか。

 

「実は」

 

 と一郎が口を開いたそのとき。

 甘ったるい声が二人の間に割って入った。

 

「一郎くん、さっきからぶつぶつ言って、どうしたんです――――え」

 

 めぐみである。

 可愛らしい顔を驚きに染めあげて、ぱちぱち瞳をまたたき、一郎とエルフを交互に見やるや、

 

「うっわぁ誰、誰? すっごく可愛い~!」

 

 と黄色い声を上げた。

 人間、窮地に立たされたときや、予期せぬ事態に追い込まれたときこそ、本来の姿が現れるという。

 エルフはぎょっとして、

 

「え、ええ……そうでしょうとも! 何を隠そうわたしこそは、美少女天才作家と名高い山田エルフ。あなたも、聞いたことくらいあるんじゃない? 今度アニメ化される『爆炎のダークエルフ』の作者よ!」

 

 と胸を反らして名乗りを上げた。

 けだしエルフこそは自信と顕示欲の塊である。動転したときでさえ、自己主張を忘れない。

 

「あ~、一郎くんのお友達の!」

「ちょっと、反応するところはそれ? たしかに一郎とは仲良くしてあげてるけど」

 

 それを、めぐみは華麗にかわしてみせた。

 というより、反応するだけの余裕がなかった。エルフが動転したように、めぐみもまた、動揺していたのだ。

 

 そして。

 動揺しためぐみの示す本性。

 それは、とても女性的なものだった。

 めぐみは愛想良く微笑んだのである。

 

「どうも、一郎くんがお世話になってます。幼馴染みの、神野めぐみといいます」

 

 それは、ほぼ反射的に放たれた、無意識の牽制打であった。

 彼女は、自分が大変見栄えの良い少女であることも、また自分をいっそう可愛らしく見せる笑顔のつくり方もよく心得ていたのだ。更には、一郎との仲の深さを匂わせる言葉を放つ。

 めぐみは、その豊富な人間関係でつちかった経験から、エルフの一郎に対する特別な感情を察したのである。

 これがエルフでなければ、効果は抜群だっただろう。めぐみほどの器量もなければ、一郎との深い繋がりもない。引け目を感じ、すごすごと引き下がったに違いない。

 エルフはそうではない。

 彼女は堂々と胸を張り、応じてみせた。

 

「山田エルフよ。こちらこそ、一郎が迷惑かけてるみたいね」

 

 料理の詰まったタッパーが台所に置かれているのを、ちらりと見やる。

 ほんの一瞬だけ表情を曇らせて、けれども、次の瞬間には自信満々のいつもの表情で、めぐみに向き合っていた。

 

「一郎ってば、料理が下手だものね。でも安心してちょうだい。これからはわたしが、きっちり面倒見るから」

「いいえ。あたしが面倒みますよぅ。一郎くんの好みも食生活も、よっく分かってますからっ。幼馴染みなんです。これまでもずっとそうしてきたし、これからもそうするつもりです」

 

 めぐみも負けてはいない。

 なんとなれば、一郎といちばん長く付き合ってきたという自負がある。一郎のことをいちばんよく知っているのは自分なのだという自信、一郎が家族同然に気を許しているのは自分なのだという自覚があった。ぱっと出の金髪少女に持って行かれるほど、一郎との絆は浅くない。彼女はそう思っていた。

 けれども。

 そんな想いをくじく者がいた。

 一郎である。

 

「あのさ、めぐみ」

 

 一郎は、まっすぐにめぐみを見据えた。

 いつもの笑顔をひっこめた、真面目な顔で。

 

 瞬間、めぐみはすべてを悟った。

 その表情を、めぐみは覚えていたのだ。

 忘れられよう筈もない。それこそは、初めての失恋をもたらした表情なのだから。

 

「――いや、聞きたくない!」

 

 叫び、続くはずの言葉を遮った。そうしなければならなかった。

 めぐみは一郎のことを好いているのだ。親愛の情よりなお深く貪欲な、異性に向ける慕情を抱いている。

 それを、一郎はうすうす察していた。

 察していながら、放っておいた。

 かつて、一郎はめぐみを袖にしていた。だから、付き合うことはできないと、彼女はきちんと心得ている筈だと思っていた。

 それは大きな間違いだった。

 そして、間違いは正さなければならない。

 

「めぐみ。僕はエルフさんと付き合ってる。エルフさんが好きなんだ」

 

 いやいやと首を振るめぐみに、一郎は言葉を重ねる。

 もちろん、めぐみは、素直に聞き入れることなどできはしない。

 

「いやだよ、認めない、認めたくない! 一郎くんは誰とも付き合わないって言ったもん! だから、その娘と付き合っちゃダメなんだもん! ねぇ、一郎くん、別れてよ」

「めぐみ……」

 

 困りきった顔で、一郎はめぐみを見やる。

 一郎とて、めぐみを悲しませたいわけではない。けれども、エルフを愛してしまった以上、避けては通れない。引導をわたさなければならない。

 意を決して口を開いたときである。

 

「ダメよ、一郎。いくら(あんた)が言っても、こればかりは収まりがつかないわ。これはもう、わたしとアイツの勝負なの。正々堂々、一対一のね」

 

 エルフがめぐみの前に進み出た。

 

「……一郎くんを返してよ」

 

 瞳いっぱいに涙をためて、めぐみは言った。

 エルフはあっけらかんと答える。

 

「いいわ。そこまで言うなら、決着をつけてあげようじゃない。――勝負よ。かかってきなさい」

「言ったからねっ! あたしが勝ったら、一郎くんを返してくれるんだよね!」

 

 めぐみは、一直線にエルフを睨みつける。

 その瞳をしかと見据えて、エルフは首肯を返した。

 

「ええ、そうね。考えてあげるわ」

「考えるだけ、ってのはなしだよ。ちゃんと一郎くんと別れて!」

「もちろん分かってるわ。この山田エルフ、そんなみみっちい生き方はしないつもりよ。ええ、二言はないわ。わたしが負けたら、一郎とはきっぱり別れてあげようじゃないの」

 

 エルフの悪い癖が出た。

 人生を面白おかしくかき暮らそうとする彼女は、ゲームの流儀を現実に持ちこんでくる。この場合、ヒロインをかけて死闘を演じるヒーローのつもりでいるのかもしれない。

 そんな無茶苦茶な提案を、一郎は止めることができなかった。エルフの目配せが、一郎を制したのである。

 そもそも、くちばしを挟んだところで暖簾に腕押しであったに違いない。めぐみは一郎の言葉を拒んで駄々をこねたのだから。

 

「勝負はどうするの? あたしは何でもいいよ。何を挑まれても、絶対に勝って一郎くんを取り戻すんだからっ」

 

 両の手をにぎって意気込むめぐみである。

 対するエルフは、片手を目、もう片手を肘に添える、多感なお年頃ならではのポージングを決めて、宣うた。

 

「違うわ、間違ってるわよ。挑むのはあなた。それに応えるのがわたし。挑戦者を華麗に倒して、一郎が誰のものかはっきりさせてあげるわ」

 

 発話内容も態度も、相手をおちょくっているとしか思えない。

 けれども、めぐみには、そんなことを気にしている余裕などなかった。

 彼女は、もうそれしか目に入らないとばかりに、恋敵の顔をねめつける。

 

「……勝負の内容は?」

「そうね」

 

 エルフはまっしろな人差し指を、桜色の唇に添えて、思案する。

 かと思いきや、指揮棒でも振るかのようにしなやかにのびやかに突きつけて、言い放つ。

 

「カラオケで勝負よ!」

「望むところですよぅ。リア充女子中学生めぐみちゃんの実力、見せてあげるんだからっ!」

 

 めぐみも負けじと啖呵を切った。

 エルフは自信たっぷりに、めぐみはうるんだ瞳に力を込めて、にらみ合う。

こうして、二人の美少女は、紫電を散らして対峙するのだった。

 




8,589文字


次回、カラオケ回。


=====
ネタ解説
=====
「ダイジョーブ」:
 パワプロのダイジョーブ博士の台詞。もちろん大丈夫ではない。

「返してくれるんだよね!」「ええ、そうね。考えてあげるわ」:
元ネタでは返すとは言ってませんが、エルフちゃんは返すと約束しました。
「やれば返していただけるんですか」「おぅ。考えてやるよ」

「違うわ、間違ってるわよ」:
厨二病悪逆皇帝の決めポーズと台詞から。


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Ex4.かませ犬のバラード・下*

 いろいろ危険の伴うカラオケ回かつ、趣味100%の俺得洋楽回です。
 なお、今回登場する洋楽の記述(歌詞あるいは訳文そのものではなく、曲の概要、主題の解釈を記述したもの)については、予め管理人様にメールにて具体的にお尋ねし、OK判定を頂いています。


 ***

 

 

 話が決まるやいなや、めぐみは部屋を飛び出した。

 

「先に行って部屋を取ってるから! 一郎くん、いつものとこね」

 

 顔を背けて、そのまま走り去る。

 めぐみは、けっして振り返ろうとはしなかった。けれども、一郎には、めぐみがどのような顔をしているかがよく分かった。きっと涙をこぼしているに違いない。

 

「…………」

 

 一郎は無言で、じっと幼なじみの後ろ姿を見送る。

 後ろ髪でも引かれたかのような、物憂げな表情。それは、エルフが初めて目にする一郎の表情だった。

 それが、エルフは気に入らない。

 

「なによ、ひょっとしてああいうのが好みだったりするの?」

 

 固有スキル“神眼”を持つエルフの見立てによれば、一郎は恋愛に関してサバサバした一面がある。小説以外のすべてを、彼は割り切ることができるようなのだ。

 エルフに横恋慕した際は、十年単位の長期戦、それも一生涯の片思いを覚悟していた。それだけ深い想いをいだきながら、エルフには作家友達以上の接し方を(基本的には)しなかったし、恋敵のマサムネとは“親しい友人”としてわだかまりなく接していた。のみならず、エルフが心おきなくマサムネに挑むことができるよう、気を遣ってさえいた。恋愛に関して、徹底して割り切っていたのだ。

 そんな一郎だから、自分に想いを向ける相手にも中途半端な遠慮はしない筈である。「君とはつき合えない。小説を書く時間がなくなるから。だから、良い友達でいよう」くらいは言いそうである。なにせ彼は、小説がすべてに優先する小説バカであり、実際、前世では小説と添い遂げた。

 それが、どういうわけか、神野めぐみという少女にだけは、態度が異なる。

 

「めぐみは幼馴染みなんだ。家族同然の、いや、家族より親しい間柄のね。それで、その、小学生の時に約束したことがあってね」

 

 一郎にしては珍しく、たどたどしい口調である。

 当然、エルフは噛みついた。

 

「ちょっと、どういうことよ! 説明しなさい! まさか秘密だなんて言わないわよね。こういうことを黙ってると、三角関係になって泥沼にはまって、昼ドラ展開まっさかさまよ。ラノベやマンガの鉄則よ。もちろん分かってるわよね」

「フィクションの法則はさておき、エルフさんに隠し事はしないつもりだよ」

 

 一郎は、いつになく重々しく口を開く。

 

 

 ***

 

 

 それはバレンタインの日であった。

 

「一郎くん、あたしをお嫁さんにしてくださいっ」

 

 神野めぐみ八歳。彼女は、はじめての手作りチョコとともに、その言葉をぶつけてきたのだ。

 一郎はきっぱり断った。

 

「ごめんね、めぐみ。僕は誰かと結婚するつもりはないんだ。小説を書いて、読んで、たまに友達と遊ぶ。それだけで十分幸せだし、それ以外の生き方を僕はできない。めぐみは可愛らしいし優しい良い子だから、僕なんかよりもっとずっと良い人がすぐに見つかるよ」

「うそ……だよね? あたしに優しい一郎くんが、そんなこと言うわけないもん。ねぇ、一郎くん」

 

 一郎は答えない。いつもの笑顔をしまって、真面目な顔で、まっすぐめぐみを見つめている。己は本気であると訴えている。

 

「ふぇぇ……一郎くんは、あたしのことが嫌いなんですか」

「そんなことないよ。めぐみのことは家族同然に大切に思ってる。姪とか、妹とかね。だから――」

「いやっ。そんなこと言わないでっ!」

 

 可哀想なめぐみは、すっかり泣きじゃくってしまった。

 一郎は、撫でるような優しい声音で宥める。

 

「めぐみ。僕は、きみと一生の付き合いをしたいと思ってる。恋人とか結婚とか、そういうのはいつまで続くとも限らない。どれだけ好き合っていても、一緒に暮らすうちに、ケンカばかりで嫌いになっちゃうこともある。けれど、友情は一生ものだよ。めぐみとは一生仲良くしたいんだ」

 

 それは優しくも残酷な拒絶の言葉である。

 けれども、覚悟を決めた女は強い。母は強しと言うけれども、恋する乙女もまた強かなのだ。それを、独り者の一郎はほんとうの意味で知り得なかった。

 めぐみは、泣き腫らしたまっかな瞳で、一郎を見上げて言う。

 

「……ねぇ、一郎くん。あたしにチャンスをちょうだい? 一郎くんは、ずっと独身のつもりなんだよね。だったら、あたしも独りでいるもん。一郎くんが結婚してくれるまで、ずっと待つから。だから、お爺ちゃんお婆ちゃんになったら結婚してくれますか?」

 

 一郎とて、めぐみを嫌っているわけではない。むしろ好いている。

 それは異性に対する慕情ではないが、家族やそれに類する者に対する、深い親愛の情には違いない。

 そんな相手をいたずらに悲しませたくはない。また、同じ家で暮らすことになったとしても、ふたりの在り方は、今とあまり変わらないように思われた。つまり、嫌ではなかった。

 だから、一郎は宥めるつもりで、軽い気持ちで応じた。応じてしまった。

 

「うーん。たしか、日本の平均結婚年齢は三十だったかな。それじゃあ、めぐみが三十になって、お互い決まった相手がいなかったら、その時は一緒になろう」

「ほんとにほんとっ!? うそついたらダメだよ、約束だからねっ」

 

 と顔を輝かせる童女を、一郎は微笑ましく見やる。

 

(ちっちゃな子が親戚のお兄さんお姉さんに憧れるってのはよくある話だ。めぐみは器量も気立ても良いし、そのうち、ちゃんとした恋人ができて、こんな他愛のない約束は忘れるだろうさ)

 

 などと考えながら。

 

 

 ***

 

 

「ふぅん。そうやって、ほいほいOKしたってわけね」

 

 肯じる一郎。

 エルフは呆れ声で、

 

「バカ。朴念仁。ラノベ主人公」

 

 と酷評した。

 けれども、じめっと後を引かないのがエルフである。さんざん言って気が晴れたのか、エルフは、からりとした口調で言葉を継ぐ。

 

「まったく、男ってバカよね。大人になってもオモチャだのマンガだのゲームだの、ガキみたいなヤツばっかり。その点、女の子はどんなに小さくても“女”なんだから」

 

 などともっともらしく言うエルフの仕事場には、マンガとゲームが山を築いている。「それ、エルフさんが言うかなぁ」という言葉を、けれど一郎は吐かない。エルフは男の童心と女の機微の両方を理解することのできる、懐の深い女性なのだ。

 

「女の子の覚悟を見誤っちゃあダメよ。あんただって小説読んだり書いたりしてるんだから、それくらい知ってるでしょうに。……けどまぁ、いろいろ気の回る一郎だけど、そこは男ってことかぁ」

「そっか……。めぐみには悪いことをしたなぁ」

「悪いのはいつだって男なのよ。その分、女は面倒かもしれないけどね――」

 

 と言いかけて、エルフは気づいた。

 一郎はめぐみをかばっているのだ。

 なるほど、乙女に気を持たせるような言動をした一郎には確かに責がある。だからと言ってエルフに詰め寄るのはお門違いも甚だしい。

 そんなめぐみに悪感情を持たせぬよう、自分の失点ばかりに目を向かせようとしていたのだ。

 このもくろみは実際、成功していた。女として思うところがあるのだろう。一郎の話を聞くうちに、エルフはめぐみに対して同情的になっていたのだ。

 

「呆れたわ。あんたって、ほんっっとラノベ主人公だったのね!」

 

 という罵倒語の意味するところは「優柔不断のハーレム野郎」である。

 自分という恋人が居ながら、他の女をかばう一郎に、エルフは胸の詰まる思いがした。

 

「エルフさん。めぐみは僕にとって家族同然の、姪みたいな子なんだ。それだけだよ」

 

 一郎は言葉少なに訴える。

 めぐみは家族同然の、大切な人間であると。

 けれども、恋愛の対象ではないと。

 

「僕が愛してるのは、何より大切なのは、エルフさんだから」

 

 一郎のまっすぐな瞳が、エルフを射抜く。

 不意にエルフは、世界にたった一冊の、あの本を思い出す。

 すると、胸のつかえはすっと溶けて消えてしまった。あの本のほんの一節でも思い出せば、この世の誰よりも深く強く思われていることは、たちどころに明らかになるのである。

 

「……そうよね。あんたは小説バカだもんね。そんなの、言われるまでもないことだったわ」

 

 エルフは安堵の吐息をこぼす。

 次の瞬間には、すっかりいつものエルフに戻っていた。

 

「しょうがないわね。まっ、この究極美少女エルフちゃんと出会う前のことだもの。枝の股から産まれてきたような一郎じゃあ、そんな約束してもしょうがないかもね」

 

 それから、まじめな顔で一郎に向き直る。

 声音も一段低く、エルフは尋ねた。

 

「どういうつもりだったのか、だいたい予想がつくわ。でも、やっぱり、教えてちょうだい。一郎のこと、もっとちゃんと知っておきたいの」

「分かった。ちゃんと話すよ」

 

 一郎はぽつり、ぽつり語りだす。

 ――一郎にとって、小説以外はすべて“余計なこと”あるいは“面倒ごと”だった。人付き合いに労力を費やしたり、小説の時間が削がれることを嫌がっていた。

 その点、幼馴染みのめぐみであれば気心も知れているし、何より口うるさく干渉してこないから、都合が良かった。

 

「めぐみなら、一緒になっても今とあんまり変わらないと思ったんだ。……不誠実な行動だった。僕がめぐみと話をつけるよ。きっぱりフってくる」

「ダメよ」

 

 エルフはぴしゃりと言った。

 いまやすっかり、彼女は確信していた。この鈴木一郎という男は、小説以外はてんでだらしがない。

 小説にかまけて、生活習慣はムラマサのように不健全である。曲がりなりにも中学生らしく生活できているのは、件の幼馴染みのおかげだろう。

 その幼なじみに対して、フッたつもりが気を持たせるようなことをしているので、女性関係も舵取りが下手だ。放っておいたら、生活習慣病か痴情のもつれで命を落としかねない。

そんな彼の面倒を見ることができるのは、自分をおいて他にはいないのだ。

 

「あんたには分かんないでしょうから、教えてあげる。女ってのはね、男の話なんか聞きやしないのよ。特にこういう、自分のものだと思ってた男を誰かに盗られた場合はね」

 

 ドンと胸をたたいて、エルフは自信満々に請け負った。

 

「任せときなさい。一郎の不始末は、わたしの不始末よ。これはもう一郎だけの問題じゃなくって、わたしたち二人の問題だわ。ここはエルフちゃんが一肌脱いであげようじゃないの」

 

 

 ***

 

 

 そして二人はカラオケ屋へやってきた。

 あらかじめ手続きを済ませていためぐみに先導されて、部屋へと入る。

 まっさきに動いたのはエルフだった。

 マイクをかっさらい、白魚の指をたかだかと掲げ、そして、ぴんとめぐみを指す。

 

「ルールは簡単よ。場の雰囲気を盛り上げた方の勝ち」

 

 スピーカー越しのエルフの声が、いんいんと部屋に響く。

 めぐみも負けじと、マイクを引き寄せる。

 

「つまり、一郎くんが審判ってことですね」

「分かってるようね。そう、これは一郎をめぐる闘いよ。この偏屈な小説バカと一緒になろうっていうなら、小説(しゅみ)を共有するのはもちろん、小説以外のことでも楽しく過ごせなくっちゃいけないわ。つまり、相性の良さを競うのが、このカラオケ勝負ってわけ」

「いいのぉ? 小説家なのにぃ、小説以外のことで勝負してぇ。それだと、エルフちゃんに勝ち目が無くなっちゃうよ」

 

 挑発するめぐみである。

 そこに先ほどまでの狼狽はみじんも見られない。ただただ、まっすぐにエルフを睨み返す。それは、覚悟を決めた女の目だった。

 

「自信満々ね。ぶりっ子のくせに、いい目をするじゃない」

「十年来の幼なじみだからね。一郎くんのことなら何でも知ってるんだからっ」

「はっ。ちゃんちゃら可笑しくって、ヘソが茶をボイルするわ。確かに、わたしと一郎は出会って数ヶ月よ。でも、とびきり濃い付き合いをしてきたわ。それこそ、どこかの幼なじみサンの十年間を煮詰めたくらい、濃厚な付き合いをね。幼なじみキャラが所詮はかませに過ぎないってことを、正当派ヒロインのエルフ様が教えてあげようじゃない!」

 

 めぐみを指さし、マイク越しに凄むエルフである。対するめぐみは、わざとらしく小首を傾げてみせた。

 

「ふぅ~ん。ラノベ作家の言う正当派ってぇ、イロモノのことなんだぁ」

「わたしがイロモノですって!?」

「だって、裸好きじゃないですかぁ。山田エルフせんせーの小説読んだんですけどぉ、隙あらば脱ぐーってカンジでぇ、なんて言うか、変態?」

「どうして変態なのよ! ヒロインの魅力をアピールする、幻想的なシーンじゃない!」

 

 この挑発は、エルフの心の柔らかい部分に突きたった。急所である。

 エルフは煽り耐性が低い。それは、故意にそうしている部分がある。人生を楽しむことに余念のないエルフは、怒ったりムキになったりといった情動を進んで楽しんでいるのだ。

 つまり、本気で怒っているわけではない。だからこそ、マサムネやムラマサとやり合っても、すぐにきもちを切り替えて、笑い合うことができる。

 しかし、小説となると話が別である。己が魂を練り込んで綴りあげた小説をバカにされて、本気にならない小説家はいない。少なくとも、エルフはそのように思っている。

 エルフは炎を瞳に宿して、にっくき毒舌少女をねめつけた。

 

「よっっく分かったわ。遠慮は無用ってことね。いいわ、こてんぱんにしてあげようじゃない」

「そんなことより、負けたらちゃんと約束守ってくださいよっ」

 

 マイクパフォーマンスを繰り広げた二人は、一郎を挟み込むように席に着いた。

 思わず一郎は肩を縮こませる。

 

「ほら、そんなちっちゃくなってないでリラックスしなさいよ。なんたって、これは、いかに一郎を楽しませるかって勝負なんだから」

「そうですよぉ。一郎くんには楽しんでもらわないと。それが勝負なんですからっ」

 

 あれだけ苛烈にやりあった二人も、一郎に対する態度はいつもの通りである。努めていつもの通りを演じているのだ。それが分かったから、一郎も平生の態度で応える。

 

「それもそうか。要するに、いつもの僕を見てもらえば、それが答えになるんだもんな」

 

 それでよろしい、と言わんばかりにエルフは頷いた。

 さて、そのエルフである。

 

「一番手は譲ってあげるつもりだったけど、やめたわ。最初からぶっちぎってやるんだから」

 

 彼女は、大仰なポーズを取る。小指を立ててマイクを握り込み、一郎に決め顔を向けた。

 

「ねぇ、一郎。わたしのピアノの腕は知ってても、歌の方は知らないでしょ? 今こそ見せるときがきたわね。いくわよ、『アネスティ』!」

「へぇ、意外だなぁ。エルフさんがこんなしっとりした曲を歌うなんて」

 

 いつも朗らかでにぎにぎしいエルフである。そんなエルフには、このしずしずとした旋律はそぐわない。

 しかし、なるほど。聴けば聴くほど、これほどエルフらしい選曲はないと思われた。

 それは、一途な愛を求める曲である。

 在りはしないと知りつつも、それでもなお誠実な愛を希う、いじらしい愛を歌っている。

 それは、エルフの価値観を象徴している。想い人に袖にされても一途に勝負を挑み続け。そしてついには一郎のひたむきさ、一途な想いに心を開いた。そんなエルフの内面を歌っているかのようであった。

 

「はい、次は一郎よ」

 

 とエルフがマイクを差し出したときには、すでに一郎の手にはめぐみのマイクがあった。

 

「ぐぬぬ、やるわね……!」

 

 エルフは、めぐみが難敵であると認めざるを得なかった。

 影のようにそっと寄り添い、何くれとなく夫の世話をするという、あの大和撫子のようではないか。

 にこりと微笑む様も、たおやかだ。

 ただし、瞳には愉悦の光が宿っている。

 

「なによ、妻気取り? きぃぃ、小娘のくせにっ」

「同級生だって話じゃないですかぁ。それをー、小娘だなんてぇ。見た目はそんなにちっちゃいのにぃ、心ばっかり老けちゃったんですかぁ?」

「ちょっと、ロリBBAは圧倒的な人気を誇る勝ち組属性なんだからねっ。幼なじみ属性なんか、刺身のツマよ、ツマ。妻気取りで調子に乗らないことね」

 

 しなをつくって挑発的な態度を取るめぐみに、エルフ火山はますます活性化する。

 

「……えっと。それじゃあ、エルフさんに続いて『キーポン・ラヴィニュー』を歌おうかな」

 

 唇を噛むエルフを宥めるように、一郎が声をあげる。実際、それは効果的であった。

 エルフは気色ばんだ。一郎の意図は明らかだったのだ。

 エルフの曲が一途な愛を求める曲なら、一郎のそれは、永遠の愛を誓う返歌である。

 バラードのしんみりした階調が、段々とボルテージを高めていく。いよいよ声を高く張りあげて、永遠の愛を唱いあげた。

 

「一郎……」

 

 エルフは瞳をうるませて一郎を見やる。

 一郎は、やさしく微笑んで応えた。

 

「ぐぬぬ……」

 

 今度はめぐみが唇を噛む番である。

 彼女は中学生であったから、英語の歌詞を十全に理解することはできない。けれども、二人をつなぐ絆の糸が、ありありと見えるような気がしたのだ。

 当然、彼女は割って入ろうとする。

 

「今度はあたしですよっ。めぐみ、『スカイ・ハイ』歌います!」

「ぶっ」

 

 コップに口を付けていたエルフは、思わず吹き出した。

 

「アンタ、歌詞の意味分かってる?」

「よく分からないけど、これ、一郎くんが好きな曲なんですよぅ。一緒にカラオケに行ったときは、いつも歌うもんね。ねっ、一郎くん!」

「う、うん。とあるプロレス選手の入場曲でもあるし、有名な曲だからね。そうだね、めぐみ入場のテーマってことにしておこうか、うん」

 

 笑顔を向けてくるめぐみに、一郎はひきつった笑みを返した。力なく垂れた眉が、どこか申し訳なさそうでもある。

 それも仕方のないことであった。なんとなれば、それは、失恋の歌だったのだ。

 いつまでも続くと思っていた関係は、しかし、ある日突然終わってしまった――

 そんな悲恋を熱唱するめぐみに、一郎は、哀れみと申し訳なさのいりまじった複雑な思いを抱かざるをえない。

 歌が上手なのもまた哀れを誘う。しっかり音程を捉え、声もよく延びれば歌詞も違わず、すっかり歌い慣れた様子である。それだけこの曲を歌い込んできたのだ。その曲が何を意味するかを知らぬまま。

 

「……そうしといた方が良いみたいね。ところで、一郎は他にどんな曲が好きなのかしら」

 

 見かねたエルフが話題を転じる。

 一郎は厚意に甘えることにした。

 

「八十年代までのロックンロールだね。ちょうど世代だったんだ。イーグルスの『ホテル・カリフォニア』なんか、まさに一世を風靡した作品だよ。それをきっかけに、ビートルズにクイーン。さらに遡ってエルヴィス・プレスリー。リトル・リチャードにチャック・ベリー」

「まさにオッサンね。一番最初まで遡ってるじゃない。さしずめ、バックトゥーザパストってところかしら」

 

 エルフは呆れた声を出す。

 それはまさに、ロックの発展の歴史を逆にたどる旅だったのだ。

 そんなエルフの呆れ声などどこ吹く風。一郎は、気持ちよさそうに古き良きロックンロールを歌う。

 

 曲名は『のっぽのサリー』。

 内容はなんてことのない、下世話な噂話である。ひそかな主張もなければ、あからさまな恋の曲でもない。ただただ、叔父さんの不倫をにぎやかす、おどけた曲である。

 一郎は、かつて本家がそうしたように、おどけて歌ってみせる。

 これに触発されたのはめぐみである。

 

「ロックンロールなら、あたしも歌えるよ。ねっ、一郎くん!」

 

 めぐみは意気込んでマイクを取った。

 もともと、めぐみは洋楽にあまり興味がない。もともと同級生と遊ぶときは、流行の邦楽ばかりを歌ってきた。

 そんなめぐみの得意とする歌は、けれども、今では幅広い。流行歌はもちろん、演歌や童謡まで。人付き合いの上手な彼女は、他人の趣味を好きになることができたのだ。

 そんな彼女であるから、一郎の側にいて影響をうけない筈がない。一郎をカラオケに引っ張りまわすうちに、一昔前の歌謡曲や洋楽を身につけることとなった。

 そうした、一郎と重ねてきた思い出のひとつが、この曲なのだ。

 

「『キャントバミーラヴ』を歌いまーす」

 

 明るく宣言するめぐみに、エルフは思わず「ちょっと待ちなさいよ」と言いかけた。もしその曲に序奏(イントロ)があれば、制止の声をかけていたに違いない。

 またしても、悲恋の曲だったのだ。

 小気味良いギターの音が、悲恋の歌を明るく盛り上げる。歌詞がなければ、とても悲恋の曲だとは分かるまい。

 気持ちよく歌いきっためぐみに、流石のエルフも同情する。何も言わず、次の曲に移ったのは武士の情けである。  

 

「次はわたしよ。物書きとして、この曲は外せないわ。もちろん一郎は知ってるわよね。ビートルズの『ペイパーバック・ライター』よ」

「良い選曲だね。流石、エルフさん!」

 

 存在感のあるベースラインが刻むのは、一心不乱の情熱。どうあっても小説家になりたい。家庭も仕事も、今ある生活のすべてをなげうってでも。そうした必死の思いを、編集者宛にしたためた手紙を歌いあげた一曲である。

 素朴でのびやかなフォークソングでありながら、明るく、けれども憂いを帯びたR&Bの旋律。どういうわけか、じんと胸ににじむ感傷を、歌詞を知らぬめぐみですら覚えざるを得なかった。

 

「小説家になりたいって曲なんですかぁ?」

「そうだね。僕ら物書きにぴったりな曲だよね」

「あたし、この曲覚えます。だから、今度一緒に歌おうよっ」

 

 こうして、三人のカラオケは続く。

 めぐみが空回りすれば、エルフが盛り上げ、一郎が続く。

 ――そのような状況が長く続くはずもない。

 エルフは、気遣いのできる少女ではあったけれども、そのやり方は独特で、しかも元来が身勝手でこらえ性が無かった。

 

「やってらんないわ、どうしてわたしが気を回さなきゃなんないのよ!」

 

 とうとうしびれを切らしたエルフは、自由気ままにアニメソングやらゲームソングやらを歌い始める。

 

「この曲はね、こないだ完結した、PC98時代から続くエロゲーのシリーズ九作目、ラスボス戦のBGMなのよ。もともとは別のゲームのOP曲だったんだけど、ファンの間で人気があって、度々カヴァーされてるの。わたしの『爆炎』のアニメのOPも、これくらいの名曲でなきゃ釣り合わないわね」

 

 とうんちくを垂れれば、すかさず一郎が拾う。

 

「へぇ。ゲームの曲、それも成人向けゲームの曲もカラオケに入ってるんだ」

「エロゲー原作アニメのあふれる昨今よ。アニメどころか、ソシャゲにパチンコと節操ないわ。すっかり社会権を得たってかんじよね。そうと知らずにソシャゲのスピンアウトをプレイして『このソシャゲーのエロゲー化が待たれる』なんて言っちゃってるバカもいるのよ。笑っちゃうわよね、もともとエロゲーなのに」

「ってことは、エルフさんもエロゲーするんだ」

「当然じゃない。エロゲーはオタクのたしなみよ」

 

 何を自慢することがあるのか、胸を反らして偉そうに宣うエルフを、一郎は楽しそうに見やる。

 エルフの自分勝手は、これに留まらない。

 誰も知らないような曲を好き勝手に歌い、歌える曲があれば一郎からマイクを奪い取り、しびれを切らせて自分の曲を割り込ませたりと、傍若無人を体現した。

 

 ふつうなら、雰囲気を悪くしたことだろう。互いの様子をうかがい、望むところ、望まざるところをそっと察するのが日本の流儀である。

 しかし、エルフは自分勝手なだけではなかった。一郎や、恋敵のめぐみが歌うときでさえ、合いの手を打ったり、自らマイクを取って競うように声を合わせてきたりと、全力で楽しんでいるのがありありと見てとれた。

 じっと呼吸を読んで相手に合わせる気遣いを、エルフはしない。その代わり、真正面から全力でぶつかって、楽しみを共有するのだ。

 

 めぐみは戸惑った。

 敵愾心をぶつけ合っていた相手が、気がつけばするりと懐に潜り込んできたような心地がしたのだ。

 

「ほら、次はあんたでしょ。ぼーっとしてないで、さっさと選曲しなさいよ。それとも、わたしが歌っちゃっていいの?」

 

 肩を寄せ、ずいとリモコンを突き出す。すっかり“友達”の距離である。

 そんなエルフを、めぐみは拒めない。無視すればよいのに、ついつい応じてしまう。それも、幾分か角の取れた声で。

 

「ちょっとぉ、さっきも歌ったじゃない。ちゃんと順番守らなきゃ、めっですよぅ」

「そんなので楽しいの? 歌いたいと思ったときが歌いどきよ。好きなときに好きな曲を入れればいいじゃない。そんなだから、日本人は堅苦しくってつまんないのよ」

 

 と言い合う二人の姿は、仲良くケンカする友達そのものである。

 それを一郎は優しく、嬉しそうに見やる。

 

「それじゃあ、僕も好き勝手に歌おうかな」

「そうよ。そうこなくっちゃ!」

 

 気づけば、勝負などそっちのけで三人はカラオケを楽しんでいた。

 エルフは相も変わらず好き勝手に歌い、めぐみは背伸びをやめて十八番の邦楽を。そんな二人にマイクを譲りながら、一郎は楽しそうに手拍子を打った。

 

 そして、とうとう時間がやってきた。

 耳をつんざく、けたたましい電子音。電話機である。

受話器を取れば「延長しますか?」との店員の無粋な声。それでようやく、約束の時間が過ぎたこと、それが一郎を賭けた勝負であったことを思い出す。

 めぐみは、はっとした。夢から醒めたかのように、それまでの笑顔がかき消える。

 

「どう? 延長する必要はあるかしら」

「…………ううん。もういいの、分かっちゃったから。だって一郎くん、あんなに楽しそうなんだもん」

 

 声がふるえている。だんだん声は小さく、けれどもどんどん高くなり――

 とうとう、めぐみは泣いた。

 慕情、悲哀、恨悔。あらゆる感情が打ち寄せ濁流となって、瞳からあふれる。

 その感情の波に流されるまま、泣きに泣いた。

 

「ふぇぇっ。どうしてあたしじゃないんですかぁ、どうしてあなたなんですかぁ!」

 

 めぐみは、エルフに縋りついて泣きわめく。

 エルフは、一郎に雄弁な目配せをした。

 

 出てってちょうだい。ここからは女同士の話よ。男の出る幕じゃないわ――

 

 そんな意思を乗せて、一郎を見やる。

 

「でも……」

 

 と言い募る一郎に、

 

「大丈夫。任せなさい」

 

 とエルフは胸を叩くのだった。

 

 

 ***

 

 

「あたし、分かったんです。どうして一郎くんがエルフちゃんのこと、好きになったのか。だって、こんなときだっていうのに、エルフちゃんたら楽しそうなんだもん。それも、あたしと友達みたいにして。……そんなの、敵いっこないよ」

 

 めぐみは、ぽつりぽつり語りだす。

 それは、一郎との歴史である。

 

「聞いたかもしれないけど、あたし、一郎くんと約束してたの。三十になってお互い相手がいなかったら結婚しようって。最初は、それでも良かったの。一郎くんは小説が一番で、人付き合いもびっくりするくらい悪いから、誰かと付き合ったりするなんて考えられなかったし」

 

 ずっと見てきた一郎の姿。もっとも親しい、恋しい人の姿。それを思い浮かべながら。

 

「けど、そんなの待てない。だって、一郎くんはいつも側にいるのに、触れさせてもくれないんだよ。そんなの、我慢できるわけないもん。ねっ?」

 

 めぐみは、同意を求めているわけではない。語りながら、己が胸の内を整理していたのだ。

 それが分かっていたから、エルフは相づちを打ちながら黙って聞く。

 

「だから、一郎くんを変えようとした。あっちこっち引っ張り回して、いっぱい楽しいことを知ってもらったり、あたしの色んな友達と引き合わせて、人付き合いの楽しさを知ってもらおうとしたり。でも、全然効かなかった。それで思ったの。ああ、やっぱり一郎くんの一番は小説なんだなって」

 

 めぐみは、寂しそうに言葉を接いだ。

 

「だから安心してたんだ。きっと一郎くんは誰のことも好きにならなくって、誰とも付き合ったりしないって。もちろん、あたしとも。それはちょっと……ううん、すっごく寂しいけど、でも、三十になれば結婚してくれるし、それでもいいかなって」

 

 ひとすじの涙をこぼして、微笑む。

 

「けど、エルフちゃんに持ってかれちゃったね」

 

 それは、朝露がつうと筋をひく、蕾のような、笑みだった。

 弱々しく、けれども瑞々しい。

 流した涙を糧に、花を咲かせる蕾である。

 めぐみのなかで、整理が付いたのだ。

 

「以上っ! これが、あたしと一郎くんのすべてですっ。今度は聞かせてほしいな、エルフちゃんと一郎くんの話」

 

 水を向けられたエルフは、しかし、どういうわけか、まっすぐにめぐみを見据えて、

 

「それで全部なわけないじゃない」

 

 と真面目な表情で言った。

 勝ち誇った女の顔でもなければ、傷ついた年少者に優しく微笑む母性の顔でもない。同じ戦を争った好敵手に向ける、どこまでもまっすぐな表情である。

 

「一郎はね、言ってたわよ。自分には小説以外何もなかったって。特別なのはわたしと作家仲間――あんたも知ってるマサムネとかね――だけだって。でも、そんなことなんて全然ないじゃない。今日のアイツを見たら、そう思っちゃった。もう一人、こんな“特別”がいたんじゃない。……ま、わたしとはちょっと枠が違うみたいだけどね」

「え……」

 

 予想外の言葉に硬直するめぐみ。

 

「アイツがこんなに誰かを大切にしてるところ、初めて見たわ。初めて見る表情もね」

 

 ちょっと嫉妬しちゃった、とエルフは笑う。

 

「ねぇ、わたしこそ聞かせてほしいわ。わたしの知らない一郎のこと」

「エルフちゃん……」

 

 めぐみの瞳に涙が滲む。

 やがて、めぐみは、わっとエルフに泣きついた。

 

 

 ***

 

 

「一郎くん」

 

 受付の前、待合所のソファーにもう長いこと腰掛けていた一郎に、声がかかる。

 めぐみである。

 その後ろには、どういうわけか、エルフが控えている。「さぁ、言いなさいよ」とでも言わんばかりに、めぐみの肩をやさしくたたいた。

 めぐみは一歩また一歩と一郎に近寄り、けれども、明確に「弁えています」とばかりに距離を置いて、ぴたと立ち止まる。

 

「あたし、やっぱり一郎くんのこと諦められない。だって、うんとちっちゃい頃から一郎くんのことが好きだったもん。一郎くんにはフラれちゃったけど、でも、あたしにもまだチャンスはあると思うの。三十になってもお互い相手が居なかったら結婚する。この約束は破らせないから」

 

 もちろん、一郎は断った。

 

「応えられない。僕はエルフさんのことが本当に好きなんだ。ひょっとしたら小説以上に。だから、もうチャンスはないよ」

 

 けれども、めぐみはどこ吹く風で、悪戯に微笑んでみせる。

 

「それなんですけどぉ、やっぱりエルフちゃんとは上手くいかないって思うんですよぅ。小説の作風も違うしぃ、小説家としては絶対に合わないでしょ? 私生活でもぉ、一郎くんって意外と頑固だしエルフちゃんはワガママだから、なんて言うか、N極とN極、凸と凸? その点あたしだったら絶対に一郎くんの嫌がることはしないしぃ、一歩下がって影踏まずな大和撫子だしぃ、理想のお嫁さんになれると思うの」

 

 めぐみは、花のほころぶような笑みを浮かべる。

 

「諦めないよ。ずっと待ってるから。それこそ一生。――ううん、エルフちゃんから奪い取ってやるんだから」

「面白いわ、やってみなさい。言っとくけど、一郎はわたしのことが好きで好きで堪らないエルフちゃんマニアよ。当然、わたしも一郎を手放すつもりはないわ。それこそ一生ね。それでも良いっていうなら、いつでも相手になってあげるわ!」

「いや、相手になるのは僕なんだけど……」

 

 とぼやく一郎はもはや蚊帳の外。

 めぐみはあざとい微笑みで以て宣戦布告し、エルフは胸を反らして、不敵な笑みで応じてみせる。

 

「ねぇ、次の勝負は何にする? 勝者の余裕として、種目の選定はめぐみに任せるわ」

「そうですねぇ。お料理なんてどうですか。けっこう自信あるんですよぅ」

「へぇ、よりにもよって料理ね。世界の広さを知らないというのは、残酷なものね。いいわ、覚悟を決めてかかってきなさいな。本当の地獄はこれからよ!」

 

 こうして、エルフと一郎の日々は、ますますにぎにぎしく彩られることとなるのだった。

 

 

***

 

 

 それから一夜明けて、その日の夜のことである。

 一郎は、エルフが起居する“クリスタルパレス”へとやってきた。

 

「一郎とは一度、しっかり話しておかなきゃいけないみたいね。まさかとは思うけど、めぐみみたいなのはもういないわよね?」

 

 じろりとねめつけるエルフに誠心誠意応えるべく、一郎は召喚を快く受け入れたのである。

 召喚といっても、そこはエルフであるから、法廷へ証人や被疑者を呼びつけるような厳めしいものではない。

 

「もちろん、我がクリスタルパレスに招く以上は、それ相応の饗応をさせてもらうわよ」

 

 という言葉の通り、ぜいたくな夕食が一郎を迎え入れた。

 フルコースのフランス料理である。色とりどりの前菜(オードブル)に、あたたかなスープが続く。それから魚料理(ポワソン)ときて、箸休めのソルベ。

 もちろん、一郎は美味しそうに箸を進める。

 

「美味しいね。流石、エルフさん」

 

 などと太鼓を打つのも忘れない。

 けれども、一郎の感情表現には、さらに上があった。

 

「そう言ってくれると、作った甲斐があったわ。さぁ、次はいよいよメインの肉料理(ヴィアンド)よ」

 

 新たに運ばれてきた皿を見て、一郎は声を上げたのだ。

 

「おっ、カツレツじゃないか。いいねぇ!」

「やっぱりね」

 

 エルフは頷いた。どういうわけか、その額はかすかに曇っている。

 

「一郎は、そういう食べ物の方が好みなのね」

「というより、驚いたんだ。エルフさんは、もっとこう、本格的な料理が得意ってイメージがあったから」

「変な気を遣わないで。めぐみから聞いたのよ。カツレツが好物なんですってね」

「参ったなぁ。めぐみと一体どこまで話したんだか」

 

 ばつの悪そうな一郎に、エルフはあっけらかんと答える。

 

「いろいろよ。一郎の好きな食べ物とか、嫌いなもの、興味のあることとか。……思えば、わたしって一郎のことあんまり知らなかったのよね。だから、そう、いろいろ知りたいわ。産まれてから今までの、一郎の話を」

「僕の半生なんて面白くないよ。エルフさんに出会うまでは。仮にこれを小説にしたって、読むべきとこなんて一頁もないさ」

 

 一郎は、心底そのように思っているらしい。

 語るべきことなどないのだと、申し訳なさそうにエルフに告げた。

 エルフは呆れた声を出す。

 

「あんたって、とことん小説家よね。いいかしら。わたしは別に、小説が読みたいわけじゃないの。一郎のことが知りたいの」

「エルフさん……」

 

 ふたりはじっと見つめ合う。

 そんな折りに、エルフは突拍子のないことを言い出した。

 

「ねぇ。キルタイムなコミュニケーションしましょう」

「暇つぶしっていうには、随分と積極的だけどね」

 

 字面の意味は分からずとも、その意図を察することはできた。

 なんとなれば、エルフの瞳はうるんで、熱っぽく一郎を見上げていたのである。男に媚びる、女の瞳である。

 

「そりゃあ僕は嬉しいけど、どうして?」

「アンタの幼馴染み、めぐみってヤツだけどね」

「うん」

 

 微熱にけぶるエルフの琥珀の瞳が、じっと一郎を見据えた。

 一郎がまっすぐ視線を返すと、しかし、エルフは目を逸らした。まるで心を覗かれることを恐れるかのように。

 エルフらしからぬことである。自分勝手で、思ったことを思ったそばから口にするのが彼女の性質だ。人はそれを傍若無人と呼ぶが、一郎は天真爛漫で魅力的だと思っている。

 けれども、エルフはやはりエルフだった。

 

「危機感を覚えたのよ」

 

 正面から恋人に向き直り、自らの胸中をつまびらかに示してみせる。それは彼女なりの誠意であった。

 

「信じられないのよ。自分がそうだったから。ほら、わたしってマサムネのこと好きだったじゃない。それが一生続くものだと思ってた。わたしのお父様がそうだったから」

 

 エルフは、ぽつりぽつりと語りだす。

 

「お父様も、たった一人を一途に愛し続ける人だったわ。お母様に恋をして、恥も外聞もなくアタックしたんだって。ライバルにお金を積んで諦めてもらったり、テニスでプロを買収して八百長試合でカッコつけたり、高価なプレゼントをしたり。金にあかせて恥も外聞も無く、全力でつきまとったそうよ。カッコ悪いわよね。ひどくバカで、でも、きっと何より正しいわ」

 

 辛辣な台詞とは裏腹に、その口調は暖かい。父を慕っていることがよく分かる。きっと、心根のまっすぐで暖かな父親であったに違いない。

 

「そっか。素敵なお父さんなんだね」

「ええ、大好きだったわ」

 

 エルフは遠くへ視線を投げる。

 

「お父様は病気で死んでしまったけれど、そのとき、お母様にお願いしたらしいわ。わたしのことをよろしく頼むって。……最高の夫で、最高の父だったわ。そういう父がいたから、わたしも思ったのよ。ただ一人だけを、生涯愛し続けようって」

 

 遠くをさまよっていた視線が、やがて、現実へと引き戻される。

 

「だから、最初マサムネを好きになったとき、一生コイツを愛し続けるんだって誓ったの。この胸の奥は、たった一人のものだもの。だっていうのに、そこに、いつの間にか一郎が居座るようになったの」

 

 視線は、やがて、一郎の上で焦点を結ぶ。

 

「ただ一人を一生――そんなふうに生きようって決めてたのに、心変わりしちゃったの。そんなだから、真心ってやつが信じられなくなっちゃったの。……ううん、本当は信じたい。けれど、不安になるのよ。また、この心もいつか変わっちゃうんじゃないかって。それに一郎だって、わたしより好きなヤツができちゃうんじゃないかって」

 

 父との思い出からはじまった独白は、いつの間にか、不安の告白になっていた。

 それは、エルフがはじめて見せた弱さである。

 心を許した恋人に、己が不安を預けようとしているのだ。

 もちろん、一郎は受け入れた。

 両手をひろげるかのように、おおらかな声で以て、そのままエルフを包み込む。

 

「僕はさ、エルフさんに飽きることなんて無いよ。ウマが合うっていうのかな。どんなことをされても気にならない。理不尽に怒ってても、無茶しても、それが可愛くて素敵だって思える。毎日惚れ直してる。毎日、君に惚れてるんだ。たとえ心変わりしたとしても、次の瞬間にはもう惚れ直してるよ。エルフさんは自然にしてればいい。それだけで僕は一生、君のものだから」

 

 エルフは顔を両の手で覆った。

 

「そっ、そういうところよっ。そういう恥ずかしいところに、わたしはやられたのよっ! そんなふうに面と向かって褒められて、しかもあんな小説なんか書かれて、これで好きにならないワケないじゃないの!」

 

 あの小説(ラブレター)に綴られた想いは一途で、とても純粋なものに思われた。一度読めば、どんなに自分が想われているのか分かってしまう。そんな想いを、一郎は、まっすぐぶつけてくるのだ。

 

「なんだ、だったら簡単な話じゃないか。毎日愛を囁くよ。僕がどれだけエルフさんを想っているか見せて聞かせて、絶対に離さない」

「ひぅっ」

 

 エルフが喉の奥で悲鳴をあげた。顔をまっかにして、肩を縮こませる。

 エルフの手を、一郎が握ったのだ。

 押しが強く、いつもやりたい放題のエルフである。マサムネに懸想していたときは、何度袖にされても、それでもなお積極的だった。けれども、引きこもりで対人経験の乏しい彼女は、攻められると弱い。

 そんな彼女の手を、一郎は力強く包み込む。若年の少年でありながら、それでも女性のそれとはちがって、どこか骨ばって逞しい。その衝撃たるや、いかほどであろうか。家族以外では、異性の手に触れるのも初めてだったのかもしれない。

 やがて衝撃が過ぎ去ると、エルフの顔に喜色がはじける。

 

「一郎っ」

 

 エルフは、一郎の胸に飛び込んだ。まっかに染まった頬を胸に寄せて、ささやく。

 

「証をちょうだい。わたしが一郎のもので、一郎がわたしのものだっていう証を」

「それじゃあ、証が消えないように、毎日つけ直さなきゃいけないね」

「の、望むところよっ!」

 

 ふたりはもつれ合ってベッドに倒れ込んだ。

 




15,872文字。

エピローグ以降、エルフちゃんの一郎の呼称が「イチロー」から「一郎」に変わってるのは仕様です。誤字ではありません。

さて、今回の続きを『転生作家と美少女天才作家の睦言』(R-18)に掲載していますので、ご一読いただければ幸甚です。

[追記]ブログにて、今回登場した楽曲の一部を和訳してみました。興味がありましたら、ぜひ割烹をご覧ください。

=====
ネタ解説
=====
隙あらば脱ぐーってカンジでぇ、なんて言うか、変態?:
 往年のWeb漫画『蒸し暑いからぬぐー』をイメージ。

『アネスティ』:
 Billy Joelの"Honesty"のこと。
 歌い手はエルフちゃん。
 「一途な愛を求める曲」として選曲しました。
 個人的には、エルフちゃんのイメージソングです。

『キーポンラヴィニュー』:
 R.E.O. Speed Wagonの"Keep On Loving You"のこと。
 歌い手は一郎。
 「永遠の愛を誓う歌」として選曲しました。
 THE BEATLESの"I'm Happy Just Dance With You(素敵なダンス)"と迷いましたけど、こちらを選択。
 どちらも超大好きな曲です。

『スカイ・ハイ』
 Jigsawの"Sky High"のこと。カービィの方ではありません。
 歌い手はめぐみ。
 「いつまでも続くと思っていた」のに「ある日突然終わってしまった」という「失恋の歌」として選曲しました。
 個人的には、めぐみのイメージソングだと思っています。

『のっぽのサリー』:
 Little Richardの"Long Tall Sally"のこと。
 歌い手は一郎。
 ようつべで動画を観ましたが、ピアノとJAZZ楽器で演奏する姿に「ロックンロールって、本当にゴスペルとR&Bから生まれたんだなぁ」と納得しました。
 ジョン叔父さんと、ナイスバディで美人のサリーの不倫をチクって楽しもう、という曲。
 なお、米国のドラマ"Full House(フルハウス)"では、ジョーイおいたんが捩って「でっぱのサリー」と言ってました。
ラブソングに食傷気味な時は、こういうのもいいですよね。

『キャントバミーラヴ』:
 THE BEATLESの"Can't Buy Me Love"のこと。
 歌い手はめぐみ。
 「悲恋の歌」と書きましたが、要するに、貢がされてる男の歌です。

『ペイパーバック・ライター』:
 THE BEATLESの"Paperback Writer"のこと。
 歌い手はエルフ。
 「オイラの小説を載せてくれ!」という旨の曲。

こないだ完結した、PC98時代から続くエロゲーのシリーズ九作目、ラスボス戦のBGM:
 ママトトのテーマソング"Running to the straight"のこと。ランスⅨでボス戦のBGMとして登場した時の感動ときたら……。
 ちなみに、ママトトはSTGパートも面白いし、AVGパートも王子の純愛と王の鬼畜とを同時進行して遊べる、画期的なゲームです。NTRスキーもにっこり。贔屓目を引いても名作。
 なお、私はランスは鬼畜王から入ったにわか組です。リメイク作品をそろそろプレイすべき。いい加減そうするべき。

このソシャゲーのエロゲー化が待たれる:
 FGOのこと。
 Fateに限らず月姫や恋姫、リリなのなど、エロゲー原作の作品が何食わぬ顔で世にあふれている日本の現状って、冷静に考えるとおかしくないですか?
 そんな変態な母国が、私は大好きです。

ほんとうの地獄はこれからだ:
 某王子の台詞。
 彼我の戦闘力の差を知ったとき、めぐみも絶望するに違いありません。

キルタイムなコミュニケーション:
 原作でエルフが口にした台詞。
 エロゲみたいなライトな官能小説雑誌『二次元ドリームマガジン』を刊行しているキルタイムコミュニケーション社を示唆しているものと思われる。
 つまり、えっちぃことしようって事ですね、分かります。


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If1.転生作家のめぐみんルート・上

4月1日企画に憧れてました。


 **

 

 

 神野めぐみは夢を見る。

 

 春の眠りは、浅く長い。冷えた空気が眠りを浅くするけれども、あたたかな日差しが、目覚めかけた頭を再び寝かしつける。そうした起きるとも眠るともつかないまどろみのなかで、めぐみはぼんやり夢を見ていた。

 やがてスマートフォンが起床の時間を告げても、

 

「んんぅー、あと五分だけぇ……」

 

 とうたた寝をずるずる延長して、完全に覚醒した時にはすっかり時が移ってしまっていた。

 

「まっずーい、もう二時間目の授業が終わっちゃう!」

 

 と叫び声をあげてから真っ先に取りかかったのは、もちろん教材の準備などではない。

 寝癖をとかし、いつもの髪型にセットして、明るい色のリップクリームを唇にひいて装いを整えてから、ようやく鞄に荷を詰める。

 

「オシャレよーし、笑顔よーし。それじゃあ、行きますかっ」

 

 鏡の前でにっこり笑顔をかたちづくって、それから元気良く玄関を飛び出した。

 すっかり時が移ってしまったとはいえ、そこは春の朝である。朝の風は冷たく、けれども日差しはあたたい。そんなだから、朝露が(かすみ)となってぼんやりと立ちこめている。その朝靄(あさもや)のなかを、めぐみは元気良く走る。

 その道すがら、見知った後ろ姿を見つけたものだから、

 

「あっ」

 

 と声をあげて、急停止。

 甘い香りのする制汗剤をひと吹きして、手鏡で前髪を整える。鏡の中にとびきりの笑顔を準備したら、そのまま後ろ姿に駆け寄った。

 

「だーれだっ」

 

 後ろから目隠しをする。

 相手は、めぐみより頭ひとつ背が高い。顔に手を回そうとすれば、自然と背中に密着することになる。

 幼い膨らみが相手の背中に押しつけられる。

 わずかに増した接着面積。じんわり伝わる体温に、多幸感とくすぐったい羞恥とを噛みしめながら、めぐみは相手の反応を窺った。

 果たしてひとつ年上の幼馴染み――鈴木一郎は、妹を心配するかのような声音で言った。

 

「めぐみじゃないか。どうしたんだ、こんな時間に」

 

 その反応が気に入らなかっためぐみは、唇をとがらせる。

 

「それはこっちの台詞ですぅ~。一郎くん、またこんな時間に登校なんかしてぇ。執筆でもしてたんですかぁ?」

 

 そうと気づかぬ、朴念仁な一郎である。めぐみのそれより少しだけ大きな手で、めぐみの手を掴み、顔から引きはがす。

 中学生とはいえ、そこは男の手である。ごつごつした感触に異性を感じ、めぐみは耳を赤くした。

 

「その通りだよ。ちょっと筆が乗って、ついつい徹夜しちゃってさ」

「だからって学校に遅刻したりしたらダメですよー」

 

 頬を膨らませ、可愛らしく「めっ」とねめつけるめぐみに、一郎は苦笑を返す。

 

「今こうして遅刻している人に言われても納得できかねるよ、めぐみ」

「だいじょーぶ。遅刻の常習犯と、初犯のめぐみちゃんとじゃあ、レベルが桁一つ違いますからっ!」

「うーん、たしかに程度は全然違うからなぁ。しょうがない。ここは黙って従うことにしようかな」

「素直でよろしい!」

 

 と何でもないやりとりをして、学校へと向かう。

 歩み出した一郎の隣に、めぐみが駆け寄る。

 それを待つべく一郎は歩を緩めていて、二人の肩が並ぶと、自然と足は速まる。そうしたさり気ない心配りが、めぐみは好きだった。

 ここで「ありがとう」などと言うのは無粋であると、めぐみは心得ている。わざわざ言葉という形を与えるまでもなく、お互いの意思が瞬きひとつで通じる間柄。そうした関係性を実感できる、このくすぐったい瞬間が好きだったのだ。だから、何か言うでなく、

 

「えっへへ」

 

 とただただ微笑みかけた。

 一郎も微笑みを返す。

 

「遅刻したのがそんなに面白いの?」

「早起きは三文の得って言いますけどぉ、たまには寝坊してみるもんだなぁって思ったんですよ~。だってぇ、こうして一郎くんと一緒に登校できるし」

「それは、切り株の守をして、ウサギがぶつかるのを待つような話だよ。流石の僕も、そこまで不精者じゃないって」

 

 悪戯っぽく微笑みかけるめぐみに、苦笑を返す一郎であった。

 それは、いつもと変わらぬ些細なやりとりで、これからもずっと同じ関係が続くものだとばかり思っていたから、めぐみは何の気なしに、

 

「そうだ、一郎くん! 今日、いっしょに帰ろうよ」

 

 と約束を取り付けた。

 ――この何気ない約束を、めぐみは後にこう振り返る。

 

「アレはほんとーにファインプレーだったなぁ。あの約束がなかったら、エルフちゃんに負けてたかもしれないもん。でも、あの日がなかったら、きっと今みたいにはなってなかったと思うから……だから、エルフちゃんにはほんとーに感謝です!」

 

 この日こそが、運命の転機だったのだ。

 

 

 **

 

 

「え、転校生ちゃんの家ですかぁ?」

 

 大きく口を開けてオーバーリアクションを取るめぐみに、一郎もまた大仰に頷いて答える。

 

「転校して早々に、登校しなくなっちゃったんだ。それで、溜まりに溜まったプリント類を持っていく役を、僕が仰せつかったんだよ」

 

 放課後である。

 一緒に下校する約束をしていた一郎は、これを違えることなく、はるばる教室までめぐみを迎えにやって来た。

 これに、めぐみの同級生は色めき立った。

 ひとつ上の先輩が、わざわざ女の子を訪ねて教室まで足を運ぶ。それも「待たせたかな」などと親しげに声をかけるのである。それはまるで少女マンガのような、年頃の女の子の憧れるシチュエーションそのものだったのである。

 そんな周囲の反応に満更でもないめぐみは、耳を赤くして、心の底から嬉しそうな笑みを咲かせる。あざやかに色づいたリンゴのような、可愛らしい笑み。

 それを向けられた一郎は、けれども、いつもと変わらぬ調子で言葉を継いだ。

 

「そんなわけで、悪いけど、まっすぐ家には帰らないんだ」

「いいですよー、あたしも一緒に行きます。これでまた友達が増えますし!」

 

 めぐみは張りきって、可愛らしく拳を握りこむ。俺より強いヤツに会いに行く、とばかりに気合いをみなぎらせて。

 

「うーん。不思議なんだけど、どうしてめぐみは友達をつくることに、ここまで熱意を燃やすんだい」

 

 と疑問符を浮かべる一郎に、めぐみは上目遣いになってあざとく微笑んだ。

 

「ふっふーん。めぐみちゃんは、友達百万人できるかな、な超イケイケJCですから!」

 

 要するに「格好良いから」というのがめぐみの答えであった。

 

「分からないなぁ。それだけたくさん友達を増やしても、皆と仲を深められるわけじゃなし。それより、小説のひとつでもじっくり読んだり書いたりするほうが、よっぽど達成感があると思うんだけど」

「そこはほらぁ。小説ばっかりの一郎くんと、超外向的なめぐみちゃんとでバランスが取れてるっていうかぁ」

「どうだろう。塩を入れすぎたからって、砂糖を加えても真水には戻らないからね」

 

 そんな話をしながら、二人は帰り支度を整え、校外に出る。件の転校生の家に向かう道すがら、話は転がる。

 

「そういえば、どうして一郎くんなんですかぁ? ふつう、担任の先生が持って行く気がするんですけどぉ」

「それが、この転校生ってのが、いかにも小説家らしい(・・・・・・)ことに、強情な性格らしくてね。作家業で忙しいからって、先生も門前払いなんだって」

「ほえー、作家さん! それってつまり」

「うん。同業者の僕なら、話を聞いてくれるかもってことらしい」

「すっごーい! ステキだね、一郎くんと同じ中学生作家だなんて。どんな人なんでしょーか」

「作品から察するに、なかなか愉快な人みたいだけどね」

「小説、読んだことあるんですかぁ?」

「最近、ライトノベルも読み始めてね。そのなかでも最も勢いのある作品のひとつだよ。というか、めぐみも読んだじゃあないか。こないだウチの本棚に置いてあったラノベだよ」

「ああ、あれですか! それじゃあ、とっても面白そうな人ですねっ」

 

 などと転校生の為人についてあれこれ噂していると、目的地に到着するのはすぐだった。

 そこは、天高くそびえるマンションであった。

 

「うへぇ~、これはすごいですね」

 

 高級そうなマンションである。

 まず一階のエントランスは、こじゃれた観葉植物が脇を固める、いかにもお高そうなガラスの自動ドアである。そこを、受付の小窓から、景観を壊さぬようこっそり守衛が睨みをきかせている。その先には、大理石の立派なロビーがあって、埃ひとつない手入れの行き届いた、不慣れな者には居心地の悪いことこの上ない威容を見せつけている。

 二人は受付に足を向けた。ドアは施錠されていて、内から出るには自動だが、外から入るにはカードキーか受付の操作が必要になるのだ。

 めぐみと一郎は、そこは可愛らしい中学生であったから、欠席している友達に配りものを持ってきたのだと告げれば、守衛は微笑ましそうにドアを開錠してくれた。

 

「最上階ってことだけど、豪奢なことだね」

 

 大理石のエレベーターのなかで、一郎が呆れ声で呟いた。

 その隣で、めぐみは喜色満面で声を上げる。

 

「そうだね、すごいねっ! 見て見てっ、どんどん空が近くなってくよ!」

 

 エレベーターの最奥の壁面は、ガラス張りになっている。そこから望む、ぐんぐん遠ざかっていく地表と、どんどんビル群から顔を出す青空とを、めぐみは堪能しているのだった。

 

「確かにすごい。東京には高い建物はいっぱいあるし、そうトコに行けば別段珍しい景色じゃないけど、これを毎日、しかも家で見ることのできる人はそうそういないよ」

 

 果たして、噂の中学生作家の家は、高層マンションの最上階に在った。

 というより、マンションの最上階そのものが、件の作家の住居なのだった。

 

「マンションの最上階をぶち抜いて一部屋にした、高級物件。そんなとこに住める小説家なんて、なかなかいないよ。ひょっとして、資産家なのかな」

「小説で儲けたんじゃないんですかぁ?」

「売れっ子と言っても、最近デビューしたばかりの人だし、シリーズの冊数も少ない。小説の出版規模は、例えばマンガのそれよりずっと小さいから、今の段階でこれだけの部屋を買えるだけの稼ぎを捻出すのは難しい筈だよ」

「ふ~ん、謎ですねぇ。宝くじでも当てたんでしょーか」

「それか、資産家のご子息かもね。確率的には、宝くじの一等に当選することは、交通事故に遭うより珍しいらしいし。たしか、前者が一千万分の一で、後者が二百分の一だったかな。その点、資産家ってのは人口の数パーセントもいるらしいから、まだこっちの方が現実的だ。……どちらにしろ、為人は謎のままだけど」

 

 という二人の疑問は、呼び鈴を押した瞬間に氷解することとなった。

 

「よく来たわね、我が宮殿へ。わたしこそが、超売れっ子の美少女天才作家、山田エルフちゃんよ!」

 

 腰に手を当て、胸を反らし、偉そうに宣うその少女を見た瞬間、一郎は理解した。

 

「なるほど。なんとかと煙は高いところが好きってやつか」

 

 と思っても口に出さないのが一郎である。

 

「うっわぁ~、この子が転校生!? 超かわいいっ! お人形さんみたいに綺麗で、しかも頭からっぽでおバカっぽいのが、ラノベのキャラみたいでかわいいっ」

 

 と口に出してしまうのがめぐみである。

 

「ちょっと、いったい誰がバカっぽいですって? っていうか、どうして二人もいるのよ! プリントを渡しに同業者のクラスメイトがやってくるって聞いてたんだけど」

 

 ぷりぷり怒るエルフに、一郎が如才なく名乗りをあげる。

 

「失礼したね。僕は鈴木一郎。件の同級生だよ。それで、こっちが――」

「神野めぐみだよっ。一郎くんの幼馴染みで、いっこ下だから、後輩になりますねー。それじゃあさっそくお友達になりましょう!」

 

 などと抱きつかんばかりにすり寄ってくるめぐみに、エルフは思わず身を退きかけた。

 それも無理からぬ話で、初対面の、しかも「バカっぽい」などと言ってきた相手なのである。

 しかしそこは負けん気の強いエルフである。いったん退いを身を、負けてなるものかと逆にぐいと前に出して、

 

「なによ、いきなり馴れ馴れしいヤツね。とはいえ、名乗られたら名乗り返さないわけにはいかないわね。――我が名は山田エルフ。いずれラノベで三千世界を統べるべく、ラノベ界に生を受けた運命の覇王よ!」

 

 胸に手を添えて、自信満々に応えてみせた。

 この強烈な個性の持ち主に対する反応もまた、個性的なものだった。

 

「二度もご丁寧な挨拶、どうもありがとう。ところで、その山田エルフというのは、ペンネームだよね。ああ、僕のペンネームはそのまま鈴木一郎なんだけど」

「あたしは神野めぐみだよっ。趣味は友達づくりと、小説を読むこと。友達百万人目指してまーす」

 

 一郎は、同業者として小説の話をしたそうにしているし、めぐみは「きゃるんっ」という擬態語でも聞こえてきそうな、ひどくあざといポーズを決めた。

 

「イチローにめぐみね。イチローが作家なのは聞いてた通りだけど、アンタも本を読むのね。なら、驚き慄かずにはいられない筈よ。『爆炎のダークエルフ』を書いた、美少女天才作家山田エルフ様を目の当たりにしているのだからっ!」

 

 めぐみは、桜色の唇に人差し指を当てて、あざとく小首をかしげた。

 

「えっとぉ、『縛猿のダークエルフ』ですかぁ? なんだか、とってもマニアックでおへんたいな響きがしますけどぉ」

「なんでよ、超かっこいいタイトルじゃない!」

「めぐみ、漢字が誤変換されてない? めぐみもこないだ読んだ筈だよ。ほら、ウチの本棚に置いてあったラノベだよ」

「あっ、わかりました。古本屋さんで山積みになって叩き売りされてた、あのライトノベルですね!」

「なっ!?」

 

 と笑顔を凍らせたエルフに、一郎はすかざす、

 

「めぐみ。古本屋に量があるってことは、それだけ流通量が多いってことだからね」

 

 とフォローを入れた。

 

「そっ……そうよ! これは売れっ子の宿命なんだからね! 自分の本は面白くって、誰ひとりとして手放す筈がない。古本屋に並んだら物書き辞めてもいいって言うオバカさんもいるみたいだけど、それは、現実を知らない子供のたわごとだわ。ほんとうはむしろ逆で、売れれば売れるほど古本屋に並ぶ数も増えていくわ。悲しいけどこれ、天才の宿命なのよね」

 

 たちまち調子を取り戻したエルフである。「ふぅ」と息をつき、長い睫毛を伏せて、憂いを帯びて気怠げに前髪を弄ぶ様は、映画のヒロインのようである。

 そうして「天才作家の憂鬱」とでも言うべき演出をするエルフであったが、しかし、めぐみの暴走は止まらない。

 

「わたし時代小説とかぁ、童話チックなお話とかが好きなんですけどぉ、エルフちゃんのお話も結構楽しく読みましたよ」

「ちょっと言い方が気になるけど……属性(ジャンル)の壁を越えて下僕(ファン)を作るだなんて、流石はわたしね!」

「うんっ! ほんと、とっても面白いギャグでした」

「そうでしょう、そうしょうとも! ……ん? ギャグですって?」

 

 調子づいて胸を張ったエルフが、さっと表情を凍らせた。

 そんな変化など目に入らぬ様子で、めぐみは機関銃のように言葉を放つ。

 

「そうする必要なんかないのに、わざわざ全裸になってみたり。しょうもない口ゲンカに真面目な地の文を添えて、しかも何ページも続けてみたり。笑いをこらえるのが大変でしたよー。家でしか読めないギャグノベルですよね~」

 

 めぐみに悪気はない。彼女は、他人のことを思いやれる暖かな心の持ち主ではあるが、顔色をうかがうということを知らないので、無神経に地雷を踏み荒らすことが多々ある。

 そうして怒りを買ってしまっても構わず笑顔でいられるあたり、無駄に心が強い。

 

「むきぃーっ、あれのどこかギャグなのよ! 完璧にさりげなく、違和感なしの自然な流れで全裸になってたじゃない! だいたい、アンタの言い方だと単なる露出狂じゃないのっ」

「ん~。そもそも全裸になる理由がわからないって言うかぁー」

「全裸は究極の美なのよ! 古の彫刻から現代アートにいたるまで、美術の世界が裸だらけなのが何よりの証拠! ジョジョだって半裸のキャラばっかりでしょうが!」

「ふーん、裸ってすごいんだね」

「むきぃーっ!」

 

 とおざなりな反応を返すめぐみに、エルフは眦をつり上げる。

 

「とにかくっ、裸がすごいのは真理よ! それに地の文だってね、読みやすくって読者にフレンドリーな究極の文体にしてるのよ! わたしの作品は、いずれ世界を支配するの。その為には、子供から老人まで読める文章じゃなくっちゃダメなの。だからこそ、ギャグからシリアスなシーンまで一貫して読みやすい文にしてるんだから」

 

 と必死に言い募るエルフに、一郎は感心した様子で声をあげる。

 

「なるほど。ライトノベルは青少年(ジュブナイル)を主な顧客とした小説だからね。語彙や一文の長さ、会話文とのバランスの最適解も違ってくる。それに、若年層が読めるということは、とうぜん他の年齢層も読める。購買層を考慮した、隙のない戦略だ。なにより、多くの人に楽しんでもらえるのが良い」

 

 顎に手をあてて何度も頷く様子から、それが心からの賞賛であるのは明らかだったので、エルフはたいへん気を良くした。

 

「アンタは見込みがあるわね! イチローと言ったかしら。特別に、エルフちゃんファンクラブの会員番号一桁に繰り上げてあげる」

「はは、ありがとう。ファンクラブに入会したら、そのときにお願いするよ」

 

 微苦笑まじりに辞退する一郎であったが、山田エルフという少女には、都合の悪い言葉は届かぬらしい。エルフは、一郎を従僕かなにかのように従えたワガママお嬢様の風情でもって、めぐみに、

 

「見ての通り、イチローは我が軍門にくだったわ。どう? アンタも、美少女天才作家たる山田エルフ様の凄さがほんの少しでも、氷山の一角くらいでも、アポロチョコのイチゴの部分ほどでも理解できたかしら」

 

 と挑戦的なまなざしを送った。しかしめぐみはどこ吹く風で、

 

「え~! 冗談じゃなくて、本気でアレ書いてたんですかぁ? エルフちゃんっておっもしろ~い! それにすっごく可愛いしぃ、あたし、エルフちゃんのこと大好きになっちゃった」

 

 ころころ笑いながら、エルフに抱きついた。

 

「面白いのはわたしじゃなくって、わたしの小説よ! ええい、離れなさいったら離れなさいっ」

「またまた謙遜しちゃってぇ~。エルフちゃんは、とぉーってもおもしろい女の子ですよぅ」

「むきぃー! 人の話を聞きなさいよ! そもそも、同業者だっていうから、そっちのイチローは特別に家へ招いてあげたけど、アンタは呼んでないんだからね!」

「あっ。そろそろいい時間だから、今日はこのへんでお暇するね。続きはまた明日っ!」

「明日も来るつもりなの!? だからっ、アンタなんか呼んでないって言ってるじゃない!」

 

 などと一通り騒ぎ終えて、ぐったりした様子のエルフに一郎がそっと耳打ちした。

 

「ごめんね、エルフさん。こんなだけど悪気はないんだよ、この子。本当にエルフさんを気に入ったみたいなんだ」

「みたいね……。わたし、この娘苦手だわ……」

 

 エルフは苦々しくため息をついた。エルフにしても、めぐみに悪意がないのは見て取れたので、本気で拒絶することができないでいたのである。

 そんなエルフに、一郎は微笑む。

 

「エルフさんは人が良いね」

「まぁね……」

 

 相手の顔色を伺わず、傍迷惑な好意を一方的に押しつけるめぐみと、そんな好意を冷たくはねのけることができずにいるエルフ。どうやらエルフにとって、めぐみはあまり相性の良い相手ではないようである。

 けれども。

 

「さぁ、さっさと行きなさい」

 

 エルフは、しっしと手首を振って、二人を玄関口へと追い払った。

 

「とにかく、もうプリントとか持ってくるのは結構よ。気まぐれで、こうして今日のところは相手をしてあげたけど、わたしは作家業で忙しいの。学校に通うつもりはないし、プリントも連絡も不要だわ。明日からは来ないでちょうだい」

 

 さっきまでの賑々しさからうって変わって、静かに告げる。

 声音は冷たく、表情の失せた顔はたいへんな美貌もあいまって、人形のようで寒々しい。果たして先ほどの賑やかな少女と同一人物かと疑ってしまうほどの、それは、急激な変化であった。

 ――それは、めぐみに何の驚きも与えなかった。

 

「ダメだよー、エルフちゃん。それは聞けませんよぅ」

 

 めぐみは、何憚ることなく前に出て、エルフの蝋人形のような青白い手を取った。

 きらきら瞬く瞳に、人好きのする暖かみを宿して、エルフの瞳をのぞき込む。

 

「わたし、エルフちゃんとお友達になりたいもん。プリントや連絡がいらないっていうなら、それは持ってこない。だから純粋に友達として、これから毎日、一郎君と一緒に遊びに来るねっ」

「うっ……」

 

 エルフは鼻白んだ。

 めぐみのことを苦手に思ってはいたけれども、同年代の人間とやいのやいの過ごす時間は楽しかったし、面と向かって好意を告げられ、だから遊びに来るのだと慕ってくる相手に情を向けないでいられるほど、エルフは自分勝手でも非情でもなかったのである。

 だから、

 

「勝手にすればいいじゃないっ」

 

 と眉をへの字に曲げ、口元はニヤけさせた複雑な表情で、エルフは答えたのである。

 対するめぐみは、花の咲くような無垢な笑顔で応じる。

 

「えへへー。それじゃあ、また明日ねっ」

 

 そんな二人を、一郎は微笑ましく見やるのであった。




8,941文字


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ネタ解説
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切り株の守をして、ウサギがぶつかるのを待つような話:
 中国の故事成語『株を守りて兎を待つ』のこと。普通科高校なら、漢文の授業で必ず習う話。

塩を入れすぎたからって、砂糖を加えても真水には戻らないからね:
 少女マンガ雑誌掲載の四コマ漫画でありながら、登場キャラにエロゲーのタイトルでしりとりをさせた、美川べるの先生のネタが元。

自分の本は面白くって、誰ひとりとして手放す筈がない。古本屋に並んだら物書き辞めてもいいって言うオバカさん:
 頭空っぽの方が夢詰め込めるんでしょうかね。

古本屋に並んだら物書き辞めてもいい:
 雉も鳴かずば撃たれまいに……。

悲しいけどこれ、天才の宿命なのよね;
 かの名言「悲しいけどこれ、戦争なのよね」を意識した言い回し。

氷山の一角くらいでも、アポロチョコのイチゴの部分ほどでも:
 [氷山の一角]=[アポロチョコのイチゴの部分]の公式。マンガ『海の大陸NOA』より。


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If2.転生作家のめぐみんルート・中

 **

 

 

 天を衝くような高くそびえる住宅ビルの最上階。

 はるか地上にうごめく人々の営みを、ワイングラス片手に眼下に見やる人影があった。

 

「ふっふっふ。見なさい、人がゴミのようよ」

 

 さらりと流れる金髪に、琥珀の瞳。一点の曇りもない純白の肌は、しっとりとして艶めかしい。

 西洋人形のごとき美貌の持ち主は、その名を山田エルフといった。

 フリフリのフリンジをあしらったワンピースの装いは、絵本から抜け出してきた、童話に語られるお姫様のように可愛らしい。そんな強烈な衣装に負けることなく、むしろ己が魅力をひきたてる飾りとして見事に着こなしているのだから、この山田エルフという少女はなるほど、本人が豪語するとおりの「美少女」なのであった。

 かくのごとき美少女を前にしながら、しかし、ソファーに腰かけた一郎は一切そちらに目をやることなく、

 

「確かに、あまりに遠くにあるから、人形劇でも見てるかのような非現実的な感じはするね」

 

 と小説に目を落としたままそっけなく言うものだから、とうぜんエルフは怒りだす。

 

「ちょっと、それがエルフ様の話を聞く態度!?」

「一郎くんは本の虫ですからね~」

 

 エルフに後ろから抱きついていためぐみが、エルフの頬をつつきながら宥める。それは、むしろ火に油を注ぐ結果となった。

 

「あんたは暑苦しいのよっ。離れなさいってば!」

「あんっ」

 

 めぐみの口から、甘ったるい声がした。

 無遠慮にお腹に回された手をふりほどこうとして、めぐみの母性を鷲掴みにしてしまったのだ。

 エルフは愕然とした。

 果たしてそれは、見た目以上に大きければ形も良く、弾力もあるくせに柔らかくもあるという「矛盾」を体現した奇跡の産物だったのだ。

 エルフは自他共に認める美少女である。胸像を描けば、それだけで世紀の芸術作品になることは間違いないが、裸婦画であれば人類の至宝となるとすらエルフは思っている。実際、少女らしいスレンダーな体つきは、花ひらく直前のみずみずしい蕾のような色気がある。それに対抗しうる存在があるとすれば、ふくよかな果実――端的に言えば、大きさとハリと形を備えた奇跡の美巨乳であろう。

 めぐみの母性は、まだ発展途上である。とはいえ、エルフの小さな手では、文字通り手に余る程度にはおおきい。年下の中学生であるにも関わらずだ。まだまだ発展途上なその母性はハリがあり、ずっしりと重量をたくわえて、エルフの手の中でふにゃりと形を変えながら、これからの成長を予感させた。

 自身と対を成す奇跡の誕生を予感して、エルフは目を丸くした。

 そんな衝撃を振り払うかのように、あるいは嫉妬を紛らわすかのように、エルフは手を払ってわめく。

 

「なによなによ! ちっとはこの『七曜宮』のことを誉めてくれたっていいじゃないの! この売れっ子天才作家エルフ様が、アニメ化マネーをあてこんで購入した、GTA5の最高級物件にも比類する豪邸なのよ!?」

「『七曜宮』だって?」

 

 その甲斐あってと言うべきか、ソファーの一郎が小説から目を上げた。それというのも、『七曜宮』というのは、一郎の小説『豹頭譚』に登場する宮殿の名前なのだ。自らの作品を誉められて、嬉しくならない作家はいない。

 ――それでは、この傍若無人で唯我独尊な少女も、自分の作品のファンなのだろうか。

 と期待する一郎であったが、どうやら、そうではないらしい。

 

「そうよ。エルフ様が羽を休めるこの宿り木からは、下々の暮らしを一望すことができるわ。人々があくせくはたらくみじめな姿や、たまの休日を懸命に楽しもうとする滑稽な姿。はるか高みから月火水木金土日の七つの曜日の光景を肴に、こうして美酒をあおることができるの。だから『七曜宮』よ。どうかしら。ステキな名前でしょう?」

 

 セレブな方々がバスローブ姿でそうするように、ワイングラスのなかの葡萄ジュースをくるくる回して、エルフはホホホと笑った。

 

「ははは……」

 

 と一郎も微笑する。内心では(怒ったり笑ったり、忙しない娘だなぁ)と苦笑している。

 一方のめぐみである。彼女もまた、一郎のすぐ隣で同じように小説を読んでいたが、やおら立ち上がると、瞳を輝かせて大袈裟に喜んでみせた。

 

「ほんっとぉ~に高いですねっ。ウチのマンションもそこそこ高いんですけど、それよりもっと高い。すっごぉい、ハイツ・ハイソよりずっとたかぁ~い!」

「やめなさい! 敵国の騎士にお姫様を寝取られたどっかの隊長みたいで縁起が悪いじゃない!」

 

 などと、やいのやいの騒ぐふたりの声をBGMに小説を読んでいた一郎であったが、やがて持ち込んでいたボディバッグから、執筆道具(ポメラ)を取り出した。

 

「それにしても、あんたってマイペースね。それってポメラとかいうワープロでしょ。こうして遊びに出てるときでも執筆するわけ?」

 

 ひとたび集中すれば、余人の声が耳に入ってこなくなる一郎である。けれどもこのときばかりは幸いなことに、小説をしまってポメラを広げた、いわば作業のちょうど合間であったので、一郎はエルフに応じることができた。

 

「そうだね。学校でも好きなときに書くし、外に出てても思いつくことがあったらメモを取ったりするよ」

「一郎くんってば、いつもこうなんですよー。一緒に映画館や喫茶店に行っても、すぐにお仕事はじめちゃうんです」

 

 困ったことですねー、とニコニコ微笑みながら、さりげなく一郎の側に腰を下ろすめぐみ。

 

「そもそも、コイツが映画や喫茶店に行くってのが驚きね」

「エルフちゃんもそーおもう? 一郎くんってば、ちょっと目を放したら、平気で何日間でも徹夜で小説書いちゃうから、干からびる前に外に連れ出す必要があるんですよ~」

「僕も筋金入りだとは思うけど、めぐみも強引だからね」

「ああ、納得だわ。あんたら二人とも、すっごくマイペースだものね」

 

 腕組みして仁王立ちしたエルフが、呆れたように頷いてみせる。

 

「僕の場合、締め切りっていう人様の都合もあるから、マイペースとは違うと思うんだけどね」

 

 と苦笑する一郎を、エルフは半眼でねめつける。

 

「ひょっとしてアンタ、毎日小説書かなきゃいけないとか思ってない? たまにいるのよね。そういう、義務感だけで、面白くもない文章を製造する機械になっちゃうヤツ」

 

 声音も一トーン低く、彼女が機嫌を損ねたのは明らかである。

 けれども一郎は、どこふく風で飄々と答えた。

 

「なるほど。エルフさんは、気が乗ったときに書いちゃうタイプだね。――それなら僕は中間かな。小説を書くのが楽しくてしょうがないんだ。それこそ毎日、寝食を忘れて没頭するくらいにね。だから、義務とかそういうのじゃなくて、たのしく毎日書いてるよ」

「……っ!」

 

 エルフは息を呑んだ。

 軽い調子で答えながらも、一郎の瞳には、たぎるような熱が籠もっていたのである。魂そのものを燃やしているかのような、まばゆい輝き。それが、エルフの瞳をまっすぐに射抜く。

 それがお気に召したと見える。

 

「くふふっ。つまり、毎日がやる気MAXファイアー状態ってわけね!」

 

 エルフは、両手を叩いて喜色ばんだ。

 

「いいじゃない! そういうヤツの書いた小説は、大なり小なり面白いものができるものよ。アンタの小説にちょっとだけ興味が湧いたわ。見せてみなさいよ。この美少女天才作家のエルフちゃんが、ちょいとアドバイスしてあげようじゃない」

 

 などと、どこまでも上から目線なエルフに、

 

「ふふーん。一郎くんにそんなこと言えるのも、いまのうちですよぅ? なにせぇ~、一郎くんは通算百冊オーバーの超人気シリーズ『豹頭譚』の作者なんだから!」

 

 なぜかめぐみが自慢げに言った。腰に両手をあてて胸を反らせて、その歳のわりに豊満な母性を強調するようなポーズである。

 それに萎縮したわけでもあるまいに、

 

「……えっ、シリーズ百冊オーバー?」

 

 冷や汗まじりにエルフが呟く。

 その一瞬――エルフが及び腰になったその一瞬の虚を突いて、めぐみは距離を詰める。

 

「エルフちゃん、いま怖気づきましたね?」

 

 挑発的な上目づかいになって、人差し指をエルフの喉元に突きつける。

 すると、エルフは悔しそうに唇を噛んで、

 

「くっ……! 百冊オーバーですって? いったいどれほどの戦闘力(発行部数)をもつのか想像もつかないわ!」

 

 と呻いた。

 勝ち誇るめぐみと、悔しそうなエルフ。

 いったい、何を争っているのであろうか。二人は、まるでそれがすべてを司る絶対の法則であるかのように、シリーズの長さ、あるいは発行部数を比べ、喜びを顔にみなぎらせたり、顔を青くしたりしていた。

 

「でも、大丈夫! ここは一郎くんのファン第一号兼なかよしこよし幼馴染みのめぐみちゃんにお任せくださいな。一郎くん初心者のエルフちゃんにピッタリな一冊をチョイスしてあげますよ~。えっとぉ、シリーズの途中から読み始めても大丈夫でぇ、しかもエルフちゃんにピッタリな巻は……これですっ!」

 

 どこに隠し持っていたのであろうか。めぐみは、一冊の本をエルフに差し出した。

 

「うっ、これは……すごい表紙ね」

 

 豹頭人身の怪人が、古代ギリシャの戦士ような格好で、たくましい上半身を露出させていた。

 大きな足裏をがっしり包むサンダル。革の腰履き。筋骨隆々とした上半身には、革のベルトが巻き付いて、はちきれんばかりの腕は、筋肉の厚さたくましさを物語っている。

 エルフは、ちらりと部屋の片隅へ視線をうつした。

 そこには本棚があって、エルフの著書が表紙を見せつけるかのように鎮座している。表紙では半裸の、というより全裸のなり損ないとでも形容すべき少女が、あざといポーズを決めている。

 再度、手元に視線を戻す。

 半裸のオッサンが、はちきれんばかりの筋肉を見せつけていた。

 

「ほぼ同じ肌色率なのに、受ける印象が真反対じゃない……。ラノベに必須な『萌え』のかけらも見あたらないわ。絵柄も濃いし」

 

 げんなりした様子のエルフに、めぐみは抱きついて、

 

「な~にをおっしゃいますか、エルフちゃん! この豹のオヂさまは、それはそれは萌える豹面(ヒョウづら)オヤジなんだからぁ~。幼子のよーなピュアな心をもった聖人君子でぇー、ひとの悪口はぜったい言わなくってぇー、剣をふるえば世界一、軍配をふるえば負け知らず。そのくせ恋愛にはちょー奥手でぇ、ヒス持ちのロイヤルビッチ王女様にいつもふりまわされてるんですよぅ。ロイヤルビッチがイケメンにうつつをぬかして色々やらかした尻拭いで大冒険に出てぇ、みごと解決して結婚したとおもったらぁ、今度は拗ねたあてつけで不特定多数とイケナイコトしちゃってついにはNTR懐妊しちゃったバカ王女を~、それでもあの娘に罪はない、王女の重責の為に不幸になった可哀想な子だとか言っちゃう、健気な薄幸系オヂさまなんだから。ね、萌えるでしょ?」

 

 しかも豹頭だからケモナー女子にもクリティカルヒット! などと立て板に水とばかりに、エルフの耳へ言葉をそそぎこんだ。

 めぐみの甘ったるい吐息が、エルフの形の良い耳に吹きつける。エルフは耳を赤くして「ちょっと、離れなさいよ!」とめぐみを引き離そうとするも、そこは引きこもりのエルフと、元気印のめぐみである。がっちりホールドされ、めぐみの思うがまま成すがままに空気を吹き込まれてしまったエルフは、やがて、

 

「わかったわ、ニッチ路線を攻めてるのね! ラノベレーベルではできない挑戦じゃないの。だからこそのハヤカワということね。いいじゃない。畑違いではあるけど、同じ作家として――いえ、ライバルとしてイチローのことを認めてあげないでもないわ! めぐみのことも特別に、わたしの上級奴隷(プレミアム・ファンメンバー)にしてあげようじゃないの」

 

 と納得したとばかりに頷いた。

 一郎は、

 

「いまいち納得いかない認められ方だけど……まぁ、今後ともよろしく」

 

 と苦笑を返し、めぐみは、

 

「それはいらないかなー。でもでも、親友にならなって欲しいなっ!」

「どうしてよっ!? この上なく名誉なことじゃない!」

 

 などと、きゃっきゃとエルフとの会話に花を咲かせるのであった。

 

 

 **

 

 

 こうして仲を深めた三人は、頻繁に顔を会わせるようになった。

 めぐみと一郎は、放課後になると必ずどちらかの教室で落ち合って、エルフのマンションへと足を運ぶ。

 そうして、エルフとめぐみがコントのようなやりとをして、小説を読んだり書いたりしている一郎を巻き込んで、にぎにぎしく時を重ねるのだ。

 けれども、そこはエルフである。引きこもりのくせにイベントごとが大好きで、常に新しい刺激を求めるあまりに、あちこちで事件を起こして回るエルフである。

 それは、突然に起こった。

 

「おい、見ろよ。すごく可愛い娘が校門にいるぞ!」

「あれって山田さんじゃない? ほら、こないだ転校してきた」

「一日しかいなかったから、よく覚えてないわ。とんでもなく可愛いかったってのは覚えてるけど」

「よく見ろって。アレはうちの制服じゃないぞ。なんか、いかにもお高そうな私立の制服だ!」

 

 放課後の教室にとつぜん巻き起こったさんざめき。校門に現れたという正体不明の美少女をめぐって、教室の生徒は渾然一体となって、あれやこれやと噂をささやく。

 それは奇妙な光景であった。

 放課後にもなれば、生徒は散り散りになって各々の予定にとりくむ。あるいは部活に一番乗りすべく、またあるいは自宅でゲームに興じるべく先を争うように教室から飛び出すし、かと思えば、教室に残って四方山話に徒の花を咲かせる者までいる。そこにはもう、彼らをひとつの集団として括り束ねるタガは存在しない。

 にも関わらず、全ての生徒が教室に残り、まるでLHRの時間であるかのように、謎の美少女について云々しているのだ。

 もちろん、一郎にはそのキテレツな人物の正体が分かっていた。

 

「エルフさんか」

 

 窓の外を見れば案の定、すっかり見慣れた、西洋人形のごとき金髪の美少女の姿がある。

 めぐみか一郎を探していたのであろう。校舎をきょろきょろ見やる琥珀の瞳と目が合った。

 どういうつもりか、いつもの大袈裟な挙動とはうってかわってお淑やかに、手首を揺らすように手を振ってきた。一郎も、微苦笑混じりに手を振り返す。

 

「おい、オレを見て微笑んだぞ!」

「ばか、俺の方を見たんだよ」

 

 などと色めき立つ同級生の声を背に、一郎はひとり校門へと歩を進めるのであった。

 

「じゃじゃーん! そんなわけで、制服エルフちゃんの登場よ!」

 

 と言うなり、くるりとその場で回ってみせる。

 丈の長いスカートが、ふわりと蕾のふくらむように広がった。

 黒百合のような、淑やかで清楚な制服である。それが不思議と、天真爛漫なエルフに似合っていた。

 それは、エルフの白磁の肌のせいである。乳白色の肌は、白黒の対比で描かれた制服の一部であるかのように、みごとに制服に調和する。

 ちょこんとスカートを持ち上げて軽くお辞儀をすれば、それだけで、エルフは一枚の絵のような、完璧な「美」を体現するのである。

 

「……似合ってるけど、どうしてその制服なの? うちの制服じゃないでしょ」

 

 と答えるまでの一拍の間は、しかし、エルフに見惚れていたからというわけではない。小説バカの一郎は「これは小説に活かせるな」と思うや否や、頭のなかで眼前の光景を描写をしていたのだった。

 それを知る由もないエルフは、

 

「くふふ、びっくりしたようね!」

 

 と嬉しそうに笑って、すばらしい思いつきを披露した。

 

「イチローやめぐみを驚かせようと思ってここまでやってきたけど、生徒として学校に行くつもりは無いもの。だから、わざわざヤホオクでどこかの学校のオシャレな制服を買って、こうして着てきたのよ。どうかしら。お嬢様学校の女の子が訪ねてきたみたいで、非日常的でワクワクしたでしょ?」

「おかげさまで、明日は説明が大変そうだよ」

 

 遠く離れた校舎では、誰もかもがこちらを指さして、やいのやいのと賑々しい。

 深く息を吐いた一郎に、しかしエルフは、満面の笑みを浮かべて得意げに宣うた。

 

「それなら、わたしに感謝すべきね。凡人イチローの平凡な日々を、エルフちゃんがラノベみたいな極彩色で彩ってあげたのよ」

「そうだね。ショッキング・ピンクとかの極彩色だね」

 

 原色より尚もどぎつい色である。

 苦笑する一郎の隣を見て、背後をのぞきこんで、それからエルフは「あら」と声をあげた。

 

「めぐみのヤツは? いつも二人で一緒に行動してるんじゃないの?」

「いつも一緒ってわけじゃいよ。幼馴染みだから、それこそ幼稚園時代は四六時中一緒だったけど、今はふたりとも中学生で、しかも学年も違うしね」

「ふぅん……」

 

 エルフは、どこか不満気に相槌を打った。

 きっと、なんのかんので仲の良いめぐみがいないのが不満なのだろう。

 そう思った一郎は、微笑ましそうに言った。

 

「めぐみなら、他校の友達と一緒に遊びに行くんだってさ」

 

 他校と言っても、その意味するところは広い。たとえば転校していった昔の友達。たとえば部活の大会で知り合った、近くの学校の生徒。はたまた本来ならば縁を結ぶことなどない筈の、他県の人間。

 恐るべきことに、それら全てをめぐみの「友達」は指すのだ。

 ということを話せば、どういうわけかエルフはムキになって、

 

「わたしだって、ツブヤイターのフォロー数なら負けてないわよ!」

 

 と両手をふって張り合った。

 一郎は、おだやかに諭す(さと)

 

「友人に関しては、数より質だと思うけどね。挨拶を交わすだけの友達百人より、どんな悩みも苦労も喜びも分かち合えるたった一人。心を分かつた魂の兄弟。その方が素敵だと思うな」

「ふぅん。それもそうね」

 

 エルフは神妙な顔で頷いて、それから、何事か思いついたのか、

 

「ねぇ。だったら、わたしと仲を深めてみない?」

 

 悪戯っぽく笑って、一郎の瞳をのぞきこむのだった。

 

 

 **

 

 

「ふぅん。ここがイチローのハウスね」

「ハウスというよりルームだけどね」

 

 好奇の瞳でぐるりと見渡しながら、エルフが言った。

 六畳の間。食器棚と、それからテーブルひとつがぽつねんと置かれた、伽藍堂の部屋である。

 

「ほんとうに何にも無いのね」

「持ち物が少ないからね。奥の寝室兼書斎には、ベッドと書架と机、それとパソコンがあるけどね」

「ほんとだわ、それしか無い! ゲームとかテレビとか無いわけ? パソコンだってゲームができるようなスペックじゃなさそうだし。いったい何して生きてるのよ」

 

 無遠慮に隣の部屋をのぞき込みながら、驚きの声をあげるエルフに、一郎は苦笑を返す。

 

「小説があるからいいんだよ」

「アンタって本当に筋金入りね……」

「だから、ウチに来てもエルフさんがつまらないよ、喜ぶような物はないよって言ったんだよ」

 

 驚いたり呆れたりと忙しないエルフに、苦笑の絶えない一郎である。そんな一郎に、エルフはニヤリと悪戯っぽく微笑みかける。

 

「そうかしら? はたして本当にそうかしら?」

 

 どこから取り出したのか、虫眼鏡片手に雉撃ち帽を被り、名探偵に扮して家捜しを始める。

 

「そうは言っても、イチローだって年頃の男の子じゃない? あの月くんだって、偽装用だとはいえ、グラビア写真を隠し持っていたのよ。ましてや、イチローはいろいろ欲望詰め合わせた生身のオトコノコ。探せば、きっと恥ずかしい物が出てくるに違いないわ」

「見られて困るものもないし、僕は別にかまわないけどね。元あった場所に返すようにしてくれれば」

「言質は取ったわよ! 雑誌のサイズ順にきれいに並べて積み上げてあげるんだから!」

 

 言うなり、エルフは嬉々として隣室に駆け込んだ。ベッドの下をまさぐって、本棚の辞書のケースをあらためて、机の引き出しの底に細工がないのを確かめると、心底不服そうに、

 

「なによ、何にもないじゃない!」

 

 と頬を膨らませた。

 

「だから、見られて困るものは無いって言ったんだけどね」

「えっちなものがないにしても、黒歴史ノートとか香ばしいものはあると思ったのに、期待はずれだわ。力いっぱいからかってあげようと思ってたのに」

 

 と不満を口にするエルフだったが、次の瞬間にはぱっと笑顔を咲かせて、一郎の隣に腰を下ろした。それは、とびっきりの悪戯をおもいついた悪童のようである。

 

「でも、ひょっとしたら黒歴史ノートに匹敵するかもしれない、面白いものを見つけたわ。くふふっ。見なさいよ、これ!」

 

 と広げて見せたのは、一冊の冊子である。

 

「ああ、アルバムじゃないか。懐かしいなぁ」

 

 どこか遠くを見やるように、一郎は呟いた。

 一郎は訳あって一人暮らしをしている。端的に言えば、両親が亡くなって独りになったのだ。このアルバムは、まだ両親がいたころに撮られた写真である。言うなれば、家族の記憶の(よすが)なのだ。

 いっさいの遠慮躊躇無くアルバムを開いたエルフにも、そうした事情はなんとはなしに察することができた。けれども、そうした不幸の影にはいっさい触れることなく、

 

「ぷっ。なによこれ、二・三歳の子供がいっちょまえに原稿書いてるじゃない。文字なんて書ける筈ないのに、イチローってば昔からこうだったのね」

 

 と楽しいところだけを取り出して笑ってみせる。それが嬉しいのか、一郎も笑顔で、

 

「まあね。両親も、おまえは一歳の選び取り(・・・・)で一直線に筆を取ったんだぞ、ってうれしそうに言ってたよ」

 

 と昔語りをする。

 恐るべきことに、その頃には本当に小説を書いていたのだが、そうとは知らぬエルフは「マセガキね」とけらけら笑う。

 

「それにしても、このちっこいのはめぐみかしら。よく出てくるわね」

 

 見れば、どこかの浜辺で幼児ふたりが砂遊びに興じている。

 ひとりは、砂にまみれて無邪気に笑いながら、砂の城とおぼしきものを作っている。不出来でほほえましい、それは子供らしく可愛らしい作品だ。

 もうひとりは、そんな相方を後ろからそっと見守り、それはまるで、歳の離れた兄弟のようでもあった。

 

「めぐみとは幼馴染みだからね。家族ぐるみで付き合いがあったんだ。それで、一緒に写ってることが多いんだよ」

 

 そう言って、一郎は頁をめくる。

 ふたりを同じ枠におさめた写真は数知れない。誕生日の食卓。ある日の七夕。七五三の服に着られためぐみと、妙に堂に入った一郎。また、何でもないある日の食卓では、口の周りをべとべとにしためぐみが、苦笑まじりの一郎に口元を拭われている。

 写真の数だけ思い出があって、それは、ふたりが共に育んできた絆そのものなのだ。

 それを懐かしそうに見やる一郎の横顔を、エルフは、じっと見つめていた。

 果たして、その横顔に、エルフは懐かしさとは別の、もっと感傷的な色を見いだした。

 今となっては届かぬもの、はるか遠くに去ってしまったあたたかな存在を求める幼子の泣き顔を、エルフは見つけたのだ。

 たちまちエルフは、その感情に引き込まれる。

 

「……ねぇ。そんなんで寂しくないの?」

 

 せつなさに揺れる瞳で、一郎を見やる。

 哀しみ、憐憫、愛おしさと慕わしさ。さまざまな感情がないまぜになった、情深い女の瞳だ。

 華奢な腕が、一郎の胸に回される。薄手の服越しに、エルフのこぶりな、けれどもやわらかな双頂が押しつけられる。

 

「エルフさん?」

 

 一郎がおどろいて声をあげる。

 うわずってはいない。そこに、女性との接触に対する動揺は見られない。ただ、予想外の事態に困惑している様子である。

 エルフは、背中ごしに肩に額をのせて、耳元でささやいた。それは、普段のにぎにぎいしい彼女からは想像もできない、しずかでしっとりとした、やさしく耳朶をなでるような声である。

 

「子供のころの写真ばっかり。新しい写真が無いじゃない」

 

 エルフの意図が分かりかねて、一郎は、ただただ問いにまっすぐ答える。いつも飄々とした一郎の、それは珍しい年相応の姿だった。

 

「まあね。今はこうしてひとりの身の上だし、カメラも持ってないから」

 

 そんな一郎に、エルフは優しくささやいた。

 

「だったら、わたしと一緒に撮りましょう? これから一生、ずっといっしょに二人で遊ぶの。それで、その思い出を写真に残すのよ。きっと、とびきり楽しくなるわ。一年、また一年とすごすうちに、どんどん思い出が増えていくの。あの時はこうだった、この時は――なんて話してるうちに、一生なんてあっという間に過ぎちゃうわ」

 

 胸に回した腕は、いつしか、ぎゅっと一郎を抱きしめていた。まるで、あらゆる哀しみから彼を守るのだと言わんばかりに。

 

「約束するわ。わたしが、イチローを幸せにしてあげる。毎日楽しくって忙しくって、そんな寂しそうな顔なんてできないくらい、幸せでいっぱいな一生にしてあげる」

 

 胸に回された腕が熱い。じんわりと染み込んでくような、それは情深い言葉だった。

 そんなまっすぐな想いを向けられた一郎は、

 

「ありがとう。きっと、エルフさんといれば楽しい一生になるんだろう。――けど、僕は小説があればそれいい」

 

 そっとエルフの抱擁を解いて、立ち上がる。

 己の腕から逃れようとする一郎を、エルフの手が追いかける。

 それを、一郎は風のようにすりぬける。

 

「エルフさんの言うとおり、一生なんてあっという間だよ。だから、僕は小説にすべてを捧げたいんだ。小説を書くには、人間の一生ひとつじゃあ、あまりに短すぎる。ふたつあっても足りるかどうか分からない」

 

 同じく立ち上がったエルフに目を合わせて、困ったように、けれどもはっきりとした口調で言う。

 

「こんなヤツだから、一緒にいたってきっとエルフさんは満足しないよ。エルフさんは僕にはもったいないくらいの、素敵な女性だ。だから――」

 

 何事か続けようとした一郎を遮って、

 

「ちょっと黙りなさいよ、このおバカ」

「あいたっ」

 

 エルフが一郎にチョップをかました。

 かと思えば、一郎の頭を両手で捕まえて、その瞳をのぞき込む。琥珀の瞳が、黒曜石の瞳をがっしり捉える。

 そのまま、瞳越しに想いを届けるかのように、エルフはまっすぐに言葉をぶつけた。

 

「そんなこと、とっくに分かってるわ。三度の食事よりも小説が大切な、小説バカだってことくらい。だって、ウチに来ても小説読むか書くかばっかりじゃない。わたしみたいな至高の美少女がいて、それからついでに、めぐみみたいなそれなりの美少女もいるのに、活字ばっかり追いかけてるんだもの。最初、ホモじゃないかと疑ったくらいよ。……だから、こういう返事が来るんじゃないかって予想はしてたわ」

 

 そのままの体勢で「しょうがないわよね」と呆れ混じりの、けれどもあたたかな笑みを浮かべる。

 

「アンタはそういうヤツだもの。そんな小説狂いで、小説のことだけやたらめったら熱くって、普段はおとなしいのに小説のことになるとわたしに食ってかかってくる面白いヤツ。そんなイチローだから、好きになったの」

 

 するりと一郎から離れて、それから、楽団の指揮者のようにひらりと指を振って、一郎に突きつけた。

 

「――勝負よ。わたしとイチローで一対一、正々堂々の勝負で決めようじゃない。わたしが勝ったら、イチローの一生をもらうわ。イチローが勝ったら、なんでもひとつ言うことを聞いてあげようじゃないの」

「……勝負か」

 

 困り顔の一郎に、エルフは悪戯小僧のような笑みを向ける。

 

「くふふ。勝負なんてしたくないって顔してるわね。大丈夫よ、安心なさい。わたしが好きになったイチローなら、絶対に喜んで受けるくれるはずだから」

 

 そう言うと、今度は不敵に笑って、理不尽をつきつける悪の親玉のように尊大に宣うた。

 

「――小説勝負よ。面白い小説を書いた方が勝ち。ジャンルはラノベにライト文芸に、純文学にホラーに紀行文まで、なんでもありの無差別級選手権よ! なんなら、トマトやドーナツが人間を襲うパニック・コメディでもかまわないわ」

 

 どうかしら、と挑発的に一郎を見やる。

 

「――へぇ。面白そうじゃないか」

 

 一郎はにやりと笑った。

 一郎は、なにより小説が大切な小説狂いである。それも、小説家らしいことにワガママだ。自分が書きたい小説を書くためなら、常識はずれの行動も平気でとるし、計算高くもなる。そして、小説は私生活のすべてに優先する。

 そんなだから、「面白そうだな」と思わせてしまえば、あとは容易い。たとえ結婚という人生の重大事がかかっていようが、小説勝負という面白そうな催しを辞退する理由にはならないのだ。

 

「それじゃあ、受けて立つのね?」

「もちろんだよ。ああ、書くのはラノベにするよ。ラノベ作家に、ラノベで挑む。同じ小説家として、こんな楽しいことはないからね」

 

 めずらしく不敵に笑う一郎である。

 

「っ!」

 

 思わずエルフは身を退きかけた。黒曜石の瞳に、ゆらゆら揺れる黒炎を幻視したからである。

 けれども、エルフとて不退転の決意である。負けてなるものかと声を張る。

 

「あらあら! はやくも勝負を投げてしまったのかしら。そんなにこのエルフちゃんと一緒になりたいのなら、素直にそう言えばいいのに」

 

 根が単純な性格のエルフである。虚勢を張るうちに調子が戻ってきて、気が付けば、いつもの調子でマイクパフォーマンスをしていた。

 それは、一郎をたいそう喜ばせた。

 

「ふはっ! いいねぇ、小説家たるもの、そうじゃあなくっちゃ!」

 

 一郎の顔が裂けた。

 裂けんばかりに口を開いて、獣のような笑みをかたちづくる。

 それは、小説に生涯を捧げた男の業そのものである。

 であればこそ、エルフは負けることはできない。背をのばして胸をはり、腕を振るって、戦意をたたきつけた。

 

「負けないわよ! 今回ばかりは、傑作中の傑作にする自信があるんだから!」

 

 こうして、二人の作家は人生を賭けて対峙するのだった。

 

「たっだいま~、今日もかわいいめぐみちゃんが来ましたよー。って、どうしたの二人とも! 喧嘩ですかっ!?」

 

 もう一人の人物を巻き込みながら。




11,888文字。


 転勤と引っ越しのため、思うように時間が取れないでいます。ほんとうは、全て今日中に投下したかったのですが……。
 次の投稿はしばらく先になります。

 ところで、四月一日なのに新たな勤務地には雪かきの道具がありました。おかしいなと思っていると、昼間に吹雪いて車がかまくらみたいになりました。おかしいな、春なのに。
 聞けば、僻地手当と寒冷地手当が頂けるそうです。暖房費と、雪かきの人足代と、スタッドレスタイヤ代の足しになるかしらん。
 社宅には、冷房とインターネット回線がありません。前者は言うまでもありませんが、後者も「最低限文化的」な設備だと思うんです。
 そんな某県の県北にやってきました。土手の下を見かけるたびに戦々恐々とします。ああ~たまらねぇぜ!

 それはさて置き、エルフちゃんパワーでプロッットが青色吐息です。これもうエルフちゃんルートなんじゃ……。


====
ネタ解説
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冒頭部の描写:
 なろうの『玉葱とクラリオン』の、マルチ商法で億万長者になったシーンを参考に。

見なさい、人がゴミのようよ:
 お決まりの台詞。

GTA5の最高級物件:
 大抵が高層マンションの最上階。とてもオシャンティ。

七曜宮:
 『グインサーガ』に登場する、とある宮殿の名称。

すっごぉい、ハイツ・ハイソよりたかぁ~い!:
 名作RPG『バハムートラグーン』より。「サラマンダーより、ずっとはやい!!」はあまりに有名。

半裸のオッサンが、はちきれんばかりの筋肉を見せつけていた:
 グイン・サーガ作中でのグインの挿絵はだいたいこんな感じ。

それはそれは萌える豹面オヤジなんだからぁ~(中略)ね、萌えるでしょ?:
 グイン・サーガで一番萌えるキャラは、この豹面オヤヂだと思います。

ヒス持ちのロイヤルビッチ王女様:
 グイン・サーガのシルヴィア王女のこと。ビッチ、ありだと思います。

魂の兄弟:
 フリーPCゲーム『elona』より。仲間からの信頼度、あるいは仲の良さのパラメータの最高値を示す表示。

ここがイチローのハウスね:
 元ネタは「ここがあの女のハウスね」。

トマトやドーナツが人間を襲うパニック・コメディ:
 寿司が人を襲うヤツもあります。


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If3.転生作家のめぐみんルート・下

大変遅くなりました。


 **

 

 

 めぐみは階段を駆けあがる。

 カンコンカン、と階段は甲高い軋みをあげる。

 安普請のアパートの金属板である。雨ざらしなので、いちめん錆が浮いている。たわむことこそないものの、足を置くたびに、滑ってしまわないかと不安が兆してくる。そんなめぐみに大丈夫だと言わんばかりに、階段は、カンコンカンとおおきな音で応えるのだ。

 この音を聞く度に、めぐみの胸は痛くなる。それは、一郎の悲鳴のように思われた。

 

 一郎がこのアパートで暮らすようになったのは、つい数年前のことである。それまでは、血のつながった両親とともに、めぐみと同じマンションの、すぐ隣の部屋で暮らしていた。

 ――あの事故が起きるまでは。

 

 交通事故だった。家族を乗せた車は大破し、一郎だけが生き残った。

 一郎はすべてを失った。たくさんの愛情をそそいでくれた両親はもちろん、思い出のつまった部屋すらも。

 幸いにして、気の好い親戚がこころよく保護者を引き受けてくれたばかりか、転校しないですむようにと、ほどちかくのアパートまで用意してくれた。けれども、彼は仕事で国内外をわたり歩いたので、一郎はいつもひとりだった。

 

「気にしてないよ。両親が亡くなって悲しくはあるけど、心の整理はついてる。なにより、筆を執るこの手が無事だった。いつも言ってるけど、小説を書ければ、僕は幸せなんだ」

 

 飄々とした様子で一郎は言う。けっして辛そうな顔を見せない。

 けれども、本当は泣きたい筈なのだ。誰かに寄り添ってもらって、誰かと一緒に悲しみを、苦しみを、そして喜びを分かち合いたい筈なのだ。

 だから、めぐみはいつものようにとびきりの笑顔で、一郎の部屋に飛び込んだ。

 

「こんにちはぁ~。今日もニコニコ可愛いめぐみんがきましたよっ!」

 

 と元気よく扉を開けて、「うひゃっ!?」と悲鳴をあげた。

 

 ――熱気である。

 六畳二間の庵には、ふたりの人間の放つ気迫が、熱風となって渦巻いていた。

 壁際でひっそり執筆道具(ポメラ)に向かう一郎と、テーブルを占拠して、派手にカチャカチャ執筆道具(MAC)をうち鳴らすエルフが、熱風の発生源である。

 

 めぐみは目をむいた。

 いつも楽しそうに鍵盤(キーボード)上で指を遊ばせている一郎が、どういうわけか、気炎を立ちのぼらせて鍵打している。

 エルフも、普段の放蕩ぶりはどこへやら、別人のような顔つきで画面に向き合っている。

 

 しばらくもの言わぬ氷像となって、熱気渦巻く庵に立ちつくしていためぐみであったが、

 

「えーっと……いったい何があったんですかぁ?」

 

 一郎が水を求めて視線を上げたその瞬間に、そっとコップを差し出しながら、めぐみは尋ねた。

 

「ありがとう、めぐみ」

 

 驚くでもなく、慣れた様子でコップを受け取る一郎。のどを潤して、それから、簡潔に答えた。

 

「実は、エルフさんとの交際を賭けて小説勝負をすることになったんだ」

「えぇっ! それってぇ、エルフちゃんから告白されたってこと!?」

 

 一郎から交際を申し込んだなどとは欠片も思わぬあたり、めぐみは、一郎のことがよく分かっている。

 これまで、一郎は何人かの同級生に交際を申し込まれたことがある。そのたびに「小説以外に割く時間はない」という理由でばっさり断ってきたのを、めぐみは知っている。めぐみもまた、そうして袖にされたうちの一人なのだ。

 めぐみは思い出す。

 

 ――小学生のころ、はじめて異性(一郎)に恋をした。胸焦がす想いを留めておけなくて、そのまま一郎にぶつけた。

 当然、受け入れてもらえるものだと思っていた。一郎はいつもめぐみの側にいて、にこにこと優しく、あれやこれやと世話を焼いてくれた。家族のような親しい仲だった。そうした仲の深さはそのままに、恋人という関係に姿を変えて、いつまでも睦まじく付き合っていくのだと思っていた。

 そんな根拠のない自信は、あっけなく打ち砕かれた。

 

「悪いけど、誰とも付き合うつもりはないんだ。小説を書くより他のことに、なるべく時間を使いたくない」

 

 めぐみは泣いた。一郎とは想いを通じていると思っていたのに、それが思い違いであったのだと突きつけられたのだ。

 そんなめぐみと同じ思いを、大なり小なり、一郎に恋した少女たちは味わった。

 だというのに、この山田エルフという女は、一郎と同じ土俵に立って睨み合っている。それが悔しくて、恨めしそうに一郎をねめつけた。

 

「それで、受けちゃったんですか」

「小説勝負と言われたら、断れなくてね」

 

 バツが悪そうに答えた一郎であるが、その瞳には、後悔の色はいっさい見られない。代わりに、我が身すら焼きつくさんばかりの炎が燃えさかっている。

 めぐみは、こんどはエルフに向かって吠えた。

 

「エルフちゃん、ズルい!」

「ふふん。それだけわたしがイチローを深く理解してたってことね」

 

 胸を反らして自慢げにめぐみを見やるエルフである。

 めぐみは「ぐぬぬ!」と唸って、一郎に振り返る。

 

「一郎くん、ふこーへーですよ、ふこーへー! エルフちゃんだけズルイ!」

 

 頬をふくらませて、あざとくも可愛いらしい。

 けれども、いくら可愛かろうが、それは一郎の決心を揺るがすものたりえない。めぐみは、そのことがよく分かっていたので、別の手段をとった。

 

「その勝負、あたしも参加するんだからっ!」

 

 すなわち、一郎争奪戦への参加表明である。

 

「へぇ、いいのかしら? わたしはいずれ三千世界を支配する美少女天才ラノベ作家エルフちゃんだし、一郎も、わたしには及ばないとはいえプロよ。その点、めぐみなんかズブの素人じゃない」

「だって、一郎くんのこと取られるちゃいそうだから……」

 

 めぐみは、上目遣いになって一郎を見た。

 一郎は、バッサリと言う。

 

「ひとつ言っておくけど、僕は誰とも付き合うつもりはない。小説を書くことに勝ることはないからね。もちろん、小説勝負だって負けるつもりはない」

「ううん、ちがうよ一郎くん。そういうのじゃなくて……」

 

 めぐみは、エルフの行動力に焦っていたのだ。

 エルフは一郎のことをよく理解している。その点においては、自分もけっして負けず劣らずであると、めぐみは自負している。

 だからこそ、どうしようもないと感じることがある。小説という分野。そこでは、一郎は常にひとりだったのだ。めぐみは一郎につきまとい、しょっちゅう同じ部屋で過ごしてはいたけれども、一郎はひとりで小説を読み、ひとりで小説を書いていた。同じ場所にいるだけで、同じ時を過ごしていたわけではない。

 そんな領域に、エルフは踏み入ろうとしているのだ。

 

 それは、めぐみがしようとしてこなかったことである。

 めぐみは小説を書くことができない。楽しそうに小説を書き綴る一郎の姿を見て、魅せられて、ならば自分もと挑戦してみたことがある。けれども筆は進まず、それでもなんとか書いた文章は、面白みのない、無味乾燥な語句の羅列である。一郎のときに熱く、ときにしっとりとした、雰囲気のある文章とは比べようもない。

 

「あたしに小説なんて書けないけどぉ、でもっ、それでも一郎くんの側に居たい! そー思ってたけど、それだけじゃあダメなんだって気づかされたから。勝てないかもだけど、でもでもっ、そんなの理由にならないですっ。一郎くんとほんとうにいっしょに居ようと思ったら、こうしなくちゃダメなんだって気づいたんだもん!」

 

 めぐみは一郎を見る。その瞳には、あふれんばかりの慕わしさがにじみ出していた。

 それが分からぬ一郎ではない。

 

「めぐみ……」

 

 たいせつな家族のような存在の可哀想な姿に、一郎はぎゅっと胸を締めつけられる思いがした。

 めぐみと一郎は見つめ合う。一言も発してはいないのに、ふたりは互いの言わんとすることを手に取るように察することができた。

 

 ――こんな小説バカのことなんて忘れてしまえ。めぐみのことを幸せにしてくれる、素敵な男なんていくらでもいるんだから。

 

 ――そんなのイヤっ。あたしの幸せは、一郎くんの隣にいることなんだから。一郎くんの隣で、一郎くんを幸せにすることなんだから。

 

 そんな無言のやりとりに割って入ったのは、エルフのお気楽な台詞だった。

 

「面白い展開になってきたじゃない! ええ、もちろんいいわ。めぐみの参戦を認めてあげようじゃない」

「どうしてエルフさんが許可を出すんだい」

 

 渡りに船とばかりに、一郎はエルフにツッコミを入れる。

 もちろん、船はすぐに撃沈された。

 

「商品は黙ってなさい。これは一人の男を賭けた、女の戦いよ!」

「ええ……」

 

 エルフは、漫画のような熱い展開に意気高揚して声をあげた。無駄に尊大に胸を反らして、ピシリと一郎に指をつきつける。

 めぐみは一郎に、互いの胸がくっ付くくらいにすり寄って、上目遣いになって、

 

「一郎くんのこと、ぜ~ったいにあきらめないんだからっ」

 

 と宣言した。

 

「めぐみ――」

 

 何事か言おうとした一郎を遮って、

 

「よく言ったわ!」

 

 とエルフが喝采を叫んだ。

 エルフは、めぐみにずいと近寄ると、目をキラキラさせて馴れ馴れしく肩をたたいた。

 

「わたしのライバルたるもの、そうこなくっちゃ! 気に入ったわ。このエルフさまが、めぐみに小説の稽古をつけてあげようじゃない!」

「えっ、エルフちゃんの小説講座ですかー? えっと、そうですね、おねがいしま~す!」

 

 ほんの一瞬、疑わしげにエルフを見やっためぐみであるが、売れっ子作家であるということを思い出して、提案に乗ることにした。

 発言をつぶされた一郎も、小説狂いとして非常に興味をそそられる話題だったので、そのまま耳を傾ける。

 ふたりの注目があつまったのを確認して、エルフは口を開いた。

 

「一瞬の逡巡がなんだか気に入らないけど……まぁいいわ。小説に必要なものは何かしら?」

「んー、やっぱりストーリーとかぁ?」

「そのとおりよ! 売れる作品に必要なもの。それは画期的なストーリー。だからこそ、小説は英語でNovel(画期的な)というのよ!」

「なるほど。Novel(画期的)Novel(小説)こそが、一流の小説ってことだね」

 

 どんなトンデモ理論が飛び出てくるかと身構えていた一郎も、これには納得の頷きを返す。

 好感触の反応を得て、エルフはしたり顔で続けた。

 

「それじゃあ、ストーリーを活かすものは何かしら?」

「僕は文章だと思ってる。マンガになぞらえるなら、文章は絵柄だからね。どれだけ面白いストーリーでも、表現が伴ってなければ、魅力は伝わらない」

「ぶっぶ~、不正解ですぅ~」

 

 エルフは唇を尖らせて、ちからいっぱい持論を展開する。

 

「正解はキャラよ。ストーリーを生かすも殺すもキャラ次第。考えてもみなさい。マンガ、アニメ、ラノベ、映画のどれも、ヒットした作品には魅力的なキャラがいるわ。カッコいいキャラ、かわいいキャラ、えっちなキャラがね。考えてもみなさい。『恋姫○無双』からキャラを取ったら、あとに残るのはカスみたいなゲームシステムとペラペラなシナリオの『ゲー()』よ。そんな問題作がゲームやらアニメやらいろんなメディアで大暴れしてるのは、ひとえにキャラのおかげじゃない」

「エルフさん、ちょっとそのあたりで……」

 

 エルフの危険な発言に肝を冷やす一郎。

 そんな一郎の汲んでか、すかさずめぐみが割って入る。

 

「でもでもぉ~、『良いキャラ』って言われてもよく分からないっていうかぁ~。どういうキャラをつくればいいんですかぁ?」

 

 それは実にエルフ好みの話題だったので、エルフは快く話題転換に応じた。

 

「簡単よ。感情移入できる主人公(ヒーロー)と、かわいいヒロインをつくればいいのよ」

「はい、しつもーん。感情移入できる主人公っていうけどぉ、それってどういうのがいいの?」

「なんでもいいわ!」

 

 きゃるんとあざとく手を挙げるめぐみに、エルフは自信満々に答える。

 

下僕(読者)が共感できれば良いのよ。ろくにコミュニケーションが取れなくて、だからてっとり早く自分を犠牲にして問題を解決しようとする根暗なヤツとか。ハーレム作りたいって言ってるくせに、実はウブでチキンなDT気質なヤツとか。人の行動にあれこれ文句つけるくせに、けっきょく自分からは何も行動起こせない常識人気取りとか。ね、陰キャに刺さりそうでしょ?」

「なるほど~。わたしにはよくわからないけどぉ、そういうよく分からないことしちゃう人って、必ずクラスにいますもんね!」

「……欠点や弱さのない人間はいないからね。完璧超人じゃない、人間味のある人物像を見せることで、身近に感じてもらえるんだ」

 

 二人の会話から猛毒がしたたりはじめたので、一郎はあわてて話をまとめにはいった。

 だが、そこで止まらないのが我が道を行くエルフであり、天然のめぐみである。

 

「そういえば、西尾維新の戯言シリーズで、主人公がやたらめったら理不尽にモテるのを『欠点しかないから共感されて惚れられる!(キリッ』って説明してたわね」

「やだ、欠点しかないってキモい!」

 

 けれども、話題はどんどん危険の坂を転がり落ちていく。

 しょうことなしに、一郎は強引な話題転換を図った。

 

「エルフさん、主人公についてはよく分かったよ。それじゃあ、文章についてはどうだろうか」

「それなら読みやすい文章が至高ね! 面白いストーリーと最高のキャラがそろったら、それだけで頂点を取れるわ。あとは、子供から大人まで幅広い奴隷(ファン)が読めるように、読みやすい簡潔な文章にするのが正解よ」

 

 それは、まさしくエルフの文体であった。

 えっちでかわいいキャラと魅力的な主人公がおりなす、ちょっとおバカで熱いストーリー。それを、テンポの良い地の文章とコミカルな台詞で勢いよく転がすのが、エルフの『爆炎のダークエルフ』であった。

 そして、その逆を行くのが一郎である。

 一郎は、文章表現こそが小説の魅力を最大限にひきだす肝でると信じている。微細な感情の動きをほのめかす描写や、面白い文章表現こそが、読者を小説の世界に引きこむのだと主張する。

 

「それは違うよ、エルフさん。小説はストーリーも大切だけど、本当に面白い作品は、文章表現をたのしむだけで幸せなきもちになれるものだよ。すぐれた文章は、一節だけで半日は繰り返し読むことができる」

「それっていったいどんな変態よ……」

 

 どん引きだわ、と言わんばかりに半身になって一郎から距離を取ろうとするエルフに、めぐみは、何でもないように囁いた。

「一郎くんは、小説をおかずにごはんが食べれちゃう人ですから」

 

 実際、めぐみは、小説片手ににやにやしながら白米を咀嚼しつづける一郎の姿を見たことがあるのだ。

 一郎は、尚も熱く続ける。

 

「小説を遠足に喩えようか。魅力的な目的地を設定することはもちろん大切だけど、そこまでの道中も楽しめなくちゃあいけない。道すがらの景色はもちろん、足下に花々を見る近影まですべてを楽しめるように仕上げるべきだ。ストーリー進行はもちろん、その背後の世界観や、雰囲気まで楽しめないと勿体ないじゃないか」

「違うわ。まちがっているわよ!」

 

 エルフが両手を広げてポーズを決めた。もしもマントを羽織っていたなら、派手にはためいたであろう。厨二心をくすぐるポージングであった。

 

「今の時代、キャラが立ってなんぼなのよ! だいたい――」

「いいや。どれだけキャラが立っていても、表現がおざなりなのは小説じゃない。例えば、台本形式の文章を見せられて、これは小説だと言われた日には、僕は作者の気が狂うまでこんこんと説き伏せる覚悟がある」

「その例えは卑怯よ! もうちょっとマシな例えを出しなさいよ! そう、たとえばマンガだって、下書きなのに天下のジャンプに掲載されて原稿代までもらってる漫画家がいるじゃない。やっぱりストーリーとキャラなのよ」

「マンガと小説は違うじゃないか」

「それなら翻訳された小説はどうかしら? センスのかけらもない、英語の文法書から引っぱってきたみたいな文章が載ってるベストセラーの翻訳小説について、どう説明するつもり?」

「そういう本があるのは事実だよ。そして、それらはやっぱり本当の小説じゃない。実際に、村上春樹が小説の翻訳について語った著作『翻訳夜話』では――」

 

 エルフは熱く語り、一郎も珍しく頑固に持論を曲げない。そんな二人の作家のやりとりを適度に聞き流しながら、めぐみは考えを巡らせた。

 

「ふーん、いろんな考えがあるんですね~。きっと大切なのは、自分がどうしたいかなんですよねぇ」

 

 エルフであれば、キャラの輝く読みやすく面白いライトノベル。一郎であれば、文章と世界観に夢中になるSFファンタジー。

 

「それじゃー、あたしが書くなら…………うん。これなら書けそう」

 

 めぐみは、かわいらしい手帳を取り出して、ピンクのシャーペンを走らせた。

 

 こうして三人の小説勝負は火蓋を切ったのである。

 

 

 **

 

 

 それから、三人の小説に向かう日々がはじまった。

 

「さぁ、帰った帰った。それと、しばらくはウチに来ないでちょうだい。ライバルは馴れ合わないものよ。これから決着の日まで、互いに全力で牙を研ぐのよ」

 

 というワガママを炸裂させたエルフによって、三人は以前の生活に戻っていた。

 すなわち、エルフは自宅にこもってゲームとアニメ鑑賞と小説にとりかかり、一郎もまた自宅で一心不乱に筆を走らせ、そんな一郎にめぐみはべったりだった。

 ただ、いつもと違うところがある。

 

「う~ん…………文章を書くってむずかしーです」

 

 めぐみもまた、小説を書くべく執筆道具(スマートフォン)に向かっていたのだ。

 

 ひと息ついた一郎が、うんうん唸りながら文章を書き連ねるめぐみに気がついた。

 座布団に座して執筆道具(ポメラ)に向かう一郎の正面。ちょうど目線の高さに、ベッドに寝転がってスマートフォンをいじるめぐみの姿があった。

 

 春である。窓から差しこむ日差しはあたたかく、部屋はまっしろな陽気で満たされている。

 それで暑くなったのか、めぐみは上着を脱いで、まっしろな肩口をあらわにしていた。ちょうど一郎の方を向いていたので、ほっそりと華奢な首と、やわらかそうな胸元がのぞいている。桜色の唇からは、甘い吐息が桃色のしずくのように零れおちる。

 そんな無防備なめぐみの姿など、一郎にとっては慣れ親しんだものである。

 無遠慮に、ほっそり小さな手元のスマートフォンに顔を寄せると、楽しそうに声をあげた。

 

「へぇ、一人称の小説か。主人公は中学生の女の子なんだね」

「うんっ。幼馴染みの男の子にふりむいてもらいたくって、いろいろがんばる女の子の話なの!」

「それは……」

 

 一郎は困り顔になる。

 めぐみと一郎をモデルにしていることは明らかだった。

 

「一郎くんとエルフちゃんの話を聞いて、思ったんです。ふたりとも、自分の書きたいことを書いてるんだなぁって。それじゃー、あたしは何が書きたいんだろうって考えて、たったひとつしかないことに気づいたの」

 

 めぐみは、まっすぐに一郎を見つめて想いを告げる。

 

「あたしは一郎くんが好き。一郎くんの声が好き。やさしい言葉が好き。頑固なところが好き。あたしにかまってくれるところが好き。小説に夢中なのも好き」

 

 それは、めぐみのような幼い少女が抱えるには、あまりにおおきな想いだった。想いを告げるうちに涙がにじみ、声は鼻にかかった泣き声になる。

 

「……でも、一郎くんがひとりになるのはイヤ。小説が一番なのはいいけど、それでも、家族をもって幸せになってほしい。一郎くんには、誰かといっしょに幸せになってほしい。それで、その誰かはあたしじゃないとイヤなのっ」

 

 ――それでも、めぐみは泣かなかった。

 眦をぬぐうと、にっこりと笑顔を咲かせる、

 

「だからぁ、女の子ががんばってがんばって、男の子を幸せにするの! そういう話を書こうとしてるんですけどぉ、小説ってむずかしい」

 

 それは、朝露をまとったような笑みであった。濡れそぼってはいたけれども、みずみずしく元気でたくましい。

 

「めぐみ……」

 

 そんなだから、一郎は返答に窮した。

 一郎にはめぐみを――誰であろうと――受け入れるつもりがない。今生も小説と添い遂げるつもりだ。実際に、好意を寄せてきた物好きな子を何人か袖にしてきた。

 にも関わらず、めぐみだけは一郎から離れない。小鴨のように一郎を追いかけまわし、子犬のようにすり寄ってくる。変わらず想いを寄せ、変わらぬ想いを告げてくる。

 そういう相手ははじめてだったので、それも大切な身内のような存在だったので、どうして良いか分からず困惑しているのだ。

 その困惑を察して、めぐみは、一郎好みの話題に転じた。

 

「ねぇ、一郎くん。ここってもっと上手く書けませんかぁ?」

「……うーん。一人称の文章だからね。主人公の目で見たこと、感じ取ったことしか表現できなっていう制約があるから、どうしたって表現の幅は限られる」

 

 文章指南なら一郎の土俵だ。最初は困惑を引きずっていたが、生来の小説バカなので、しばらくもせぬうちに水を得た魚のように生き生きと語り出す。その横顔を、めぐみは嬉しそうにながめやる。

 

「だから、そこを逆手に取れば良い。主人公に勘違いさせて読者をミスリードさせたり、感情を独白させて読者を引き込んだりね。例えば、こうしたら良い」

 

 隣に座る一郎が、めぐみの手中のスマートフォンに手を伸ばす。いっそう近づき肩を寄せ、それは、恋人が寄り添うようである。

 

「あっ」

 

 一郎は気付いた。これはまさに、めぐみの小説内で描かれている状況そのものである。

 

「くっついたところがあたたかくって、なんだか、うれしいですねっ」

 

 えへへ、と幸せそうに笑う。

 

「で、ここはぁ、こういうふうに書こうと思うんだけど、どうですかぁ?」

 

 それは、傍から見れば、あからさまなめぐみからのアプローチである。

 けれども、めぐみにそのつもりはなかった。なんとなれば、めぐみには一郎のことがよく分かっていた。

 一郎は、ただただ一心にスマートフォンを――めぐみの書いた小説に見入っていた。

 

「……いいね。主人公の感情の熱量がつたわってくる。こういう独白は、僕じゃ書けないから、とても勉強になる」

 

 ときにめぐみの小説を褒め、

 

「ここの状況説明の文章はもっと淡々と書くと良い。そうすれば、感情を描写した場面との対比になって、いっそう映えるようになる」

 

 ときにアドバイスを送り、すっかり一郎は小説談義に熱中していた。それを、嬉しそうにめぐみは聞き、また積極的に質問を返し、自らの小説の糧にしていく。

 けれども、それは、めぐみの手に余るものだった。

 

「う~。やっぱり、小説ってむずかしいですよぅ」

 

 スマートフォンを持った腕を伸ばして、身をベッドに投げ出す。万歳あるいは降参の格好である。

 めぐみには小説のイロハが分からない。一郎のアドバイスは、助言というよりむしろ補助輪のようなもので、それがあればこそ、めぐみは小説を書き進めることができているのだった。

 

「やっぱり、あたしひとりじゃ完成できないかもぉ……」

「それは勿体ない。せっかく面白い話が書けてるんだから」

 

 その言葉を待っていたとばかりに、めぐみは飛び起きた。

 ずいと一郎に身を寄せる。一郎の胸板に自らの胸をくっつくけるようにすり寄る。きらきら輝く瞳が、至近距離から一郎を見つめていた。

 

「それじゃあ! いっしょに小説を書いてみませんかっ」

「一緒に?」

「うん。原作があたしで、文章が一郎くん! ふたりでひとつの小説をつくるのっ」

「うーん……」

 

 一郎は思案する。

 

 小説は、究極的には作家ひとりのものであると、一郎は考えている。文章を紡いでひとつの世界を描ききるのは、作家に課せられた責任である。であれば、めぐみもまた、ひとりで作品を描ききらなければならない。

 けれども、めぐみは作家ではないし、ひとつの作品を描くだけの力も経験も備えてはいない。

 それは惜しいことだ。めぐみの考えるストーリーは、一郎には決して生み出すことのできないものであるし、めぐみの紡ぐ心情の独白は、読む者の胸をしめつける。これにふさわしい形を与えれば、傑作になるにちがいない。

 

 という事情を勘案した結果、

 

「条件を詰めよう」

 

 一郎は是と答えた。

 

「基本的に、文章はすべてめぐみが書くんだ。ぼくはそれを、こういうふうにしたら読みやすくなるだとか、こうすればもっと魅力的になるだとか、ここは削るべきだとか、そういうアドバイスをする。つまり編集の仕事だね」

「えー、でもぉ……」

 

 めぐみは渋い顔をする。眉をへの字に寄せて、ぷっくり頬をふくらませた、あざとかわいい表情である。

 その反応を予想していた一郎は、すかさず言葉を継いだ。

 

「それでも書けないときは、僕が手直しをしよう。勿論めぐみの持ち味を壊してしまわないように、めぐみの文体に似せてね」

「そんな器用なこと、できるんですかぁ?」

「僕は、できないことは言わないよ」

 

 一郎は前世において「百の文体を持つ男」と呼ばれた。

 あらゆる時代、あらゆる分野の作品を読みつくして己が血肉とし、その結果、それぞれの作品にもっとも適した文体で書くことができるようになった。

 不気味の香るホラー。滑稽(コミカル)なミステリ。重厚なファンタジー。それぞれの雰囲気をひきだすべく、己が筆致を千変万化させることができるのだ。

 この技能を習得する課程において、ひとりひとりの作家、ひとつひとつの作品のもつ「文体」をはっきりと認識し、これを真似ることができるようになった。

 その「百の文体を持つ男」が、新たな糧としてめぐみの小説を欲している。

 

「めぐみの小説には、すごく良いところがある。それを僕は学びたいんだ。だから、めぐみと一緒に小説を書きたい」

 

 この言葉はめぐみをたいへん喜ばせた。

 めぐみは、自分は小説を書けないと思っていて、小説でもって一郎を喜ばせることができるなど思ってもみなかった。

 この、ずっと諦めていたことが、とつぜん手中に転がり込んできたのだ。

 

「ほんとうに、そー思ってくれるの?」

「めぐみ?」

 

 一郎はぎょっとした。

 めぐみが、ぽろぽろ涙をこぼしていたのだ。肩をふるわせ、こぼれる涙を手の甲でぬぐい、それでも足りず手の甲でぬぐっている。

 一郎はベッドに上がり、めぐみの隣りに腰掛け、ふるえる背中にそっと手を回した。

 その頃には、めぐみは、幾分か落ち着きをとりもどしたと見える。かわいらしいレースの縁りのハンカチを取り出し、そっと目元を押さえていた。

 

「ごめんね、一郎くん。うれしくって」

 

 ふるえる声で、めぐみは言う。

 

「一郎くんの大好きな小説のことで、役に立ちたいってずっと思ってた。でも、それはムリだって思ってたから……だからうれしいんです」

 

 目尻に涙を浮かべたまま、めぐみは淡く微笑む。

 眦を縁どる涙は、白光をまとって美しい。

 部屋に差しこむ淡い白光にいまにも溶けて消えてしまいそうな、それは儚い笑顔だった。

 

「めぐみ……」

 

 ――どうしてその行動を取ったのか、一郎自身にもわからない。

 気がつけば、一郎はめぐみを抱きしめていた。

 

「ひゃっ!?」

 

 これに驚いたのはめぐみである。

 夢にまで見た一郎の、年相応に細く、けれども意外とがっしりした男性らしい腕と胸板が、めぐみをぎゅっとかき抱いているのだ。

 何が起こったか分からない。それが、めぐみの胸中である。

 

 それは一郎も同じであった。

 鼻腔をくすぐる、甘い香り。

 普段はまったく意識に登ることのない、嗅ぎ慣れたはずのそれが、このときばかりはやけに存在を主張する。

 頭に靄でもかかったかのように茫然と、一郎はめぐみを抱きしめていた。

 

 もうどれくらいそうしていただろうか。

 とつぜんの事態に顔をまっかにしてあわあわ言っていためぐみであったが、衝撃が過ぎ去ると、こんどは果敢に攻めだした。

 

 めぐみは身を丸めて、顔を隠すようにして泣いていた。その上から抱きしめられたので、めぐみの身体と一郎の胸板には、わずかばかりの隙間があった。その隙間を詰めようというのである。

 二人は並んで座っていて、一郎が横向きになってめぐみを抱き抱えている。

 そのまま、めぐみは腰を一郎に寄せ、ぴたりとくっつける。

 すると、腰から腹、そして胸が一直線に起き上がり、結果、上半身をひしと密着させることとなる。

 

 それだけではない。

 めぐみは、もっと一郎にくっつこうと、腰をよじって正面から向き合った。一郎の脚に自らの脚をからめ、ふたりは全身くまなくからみ合う。

 

「ねぇ、一郎くん」

 

 めぐみの瞳が、熱っぽく一郎を見つめる。その瞳からは愛おしさ、慕わしさがあふれ、熱く濡れそぼっていた。

 そして、その想いを形にしたような言葉。

 

「ずっと、あたしといっしょにいてください。一郎くんのこと幸せにしたいの」

 

 それを聞いたとき、一郎は自覚せざるを得なかった。

 

「――そうか、これがそうか」

 

 このいじらしい幼馴染みと一緒にいると、こんなにもあたたかい。

 それは、小説を書くときに燃えあがる、魂を焦がすような炎の熱気とは異なる。それを想うだけで胸がうずき、居ても立ってもいられなくなって、ただただそれのみを成せと己を駆り立てる、あの業火にはとうてい及ぶべくもない。

 けれども、凍てついた心の隅々までじんわりと包みこんで解きほぐし、微睡むばかりにやさしくあたたかい。

 

 それは、きっと恋ではない。

 もっとやさしく、穏やかで深いもの。それが為に、今まで気付くことができなかった、大切なもの。

 

「めぐみ」

 

 一郎はめぐみの瞳をまっすぐ見据えた。

 

「たしかに、僕にとってめぐみは特別な存在だ。こうしていると、幸せなんだなって想うことができる」

 

 一郎は、めぐみの頭をやさしくひと撫でして、それから、そっと腕を離した。名残惜しそうな視線を投げかけるめぐみに、けれども、と一郎は続ける。

 

「でも、やっぱり小説が一番なんだ。小説を書いてるときの熱狂は、何物にも代えがたい」

 

 はっきりと放たれた拒絶の言葉に、しかし、めぐみは笑って答えた。それは、予想通りの言葉だったのだ。

 

「わかってますよーだ。一郎くんがそういう人だってこと!」

 

 愛しい我が子のワガママを聞かされた母親が、「しょうがないんだから」とあきれ混じりの笑みを浮かべるように、めぐみは笑う。

 

「一郎くんはマジメすぎるんです。小説が恋人でぇ、だから、他に浮気できないって思ってるんでしょ? 幸せは、ひとつに限らなくっていーんです。小説書くのも、あたしと居るのも、どっちも取っちゃって欲ばりハッピーセットでいいんですよぅ」

 

 めぐみは、一郎の手をにぎりこんで、諭すようにまっすぐ目を見て語りかけた。

 

「小説が恋人でもいーです。でもでもっ、奥さんが勤まるのはぁ、めぐみちゃんしかいないってわかってもらうんだからっ」

 

 それから、元気よく立ち上がる。

 後ろ手にかわいらしく手を組んで、ほそい背中を向けたまま一歩二歩とスキップする。くるりとふり返って、花咲くような笑顔を投げかけた。

 

「だからぁ、あたしが勝ったら、いっしょに幸せな家庭をつくりましょー! ふたりでいっしょに、たっくさん子供と小説をつくるんだからっ!」

 

 あたたかな陽光に包まれためぐみの姿に、幸せな未来を幻視した一郎は、じんわり胸にひろがる熱をぎゅっと噛みしめるのだった。

 

 

 **

 

 

 そして、いよいよ決着の日である。

 三人の姿は<七曜宮>にあった。

 

「遠路はるばるよく来たわね! さぁ、ここが決戦の地よ!」

 

 エルフが運命を語る予言者のように、両手をひらいて高らかに声を張る。

 これがマンションの最上階をまるごと占領する<七曜宮>でなければ、近所迷惑もはなはだしかったことであろう。しかし、そこはマイペースな二人のことである。

 

「うん。お邪魔するよ、エルフさん」

「やっほ~、おひさしぶりだねエルフちゃん!」

 

 勝手知ったる何とやら。

 風変わりな挨拶に気楽に応えながら、靴を脱いで上がる一郎。そんな一郎と自らの靴をととのえ、それから元気に挨拶を返すめぐみ。

 そんな二人を、エルフもまたマイペースに誘う。

 

「決戦の場はあつらえてあるわ。で、商品の席はここよ、ここ」

 

 エルフがバシバシ椅子をたたく。

 そこには、リボンで派手に装飾された、座り心地の悪そうな椅子があった。ご丁寧に「商品」という札が掛けられている。「商品」が勝利することをまったく考慮していないような有様である。

 

「僕も負けるつもりはないんだけど」

「あら残念ね。勝つのは、この美少女天才作家エルフちゃんだって決まってるもの」

「あたしだって負けませんよぅ!」

 

 口々に気炎を吐きながら、三人は席に着いた。

 白樺のおしゃれなテーブルを囲む形になる。なお、一郎の席だけはリボンでごてごてしており、腰を降ろすときにはガサガサと音を立てた。

 

「それじゃあルールの確認ね。三人でいっせいに、ひとつずつ同じ原稿を読んでいくの。で、一番おもしろい小説を書いた人が優勝よ!」

 

 テーブルをたたいて、にぎにぎしくエルフが言う。

 これにめぐみが待ったをかけた。

 

「そんなルールでだいじょーぶですかぁ? みんな自分の小説が一番だって言ったらぁ、勝負がつかないじゃないですかぁ。ほらぁ、どっかのネット小説投稿サイトだとぉ、たくさんアカウントつくってまで自分の小説に投票してランキング詐欺する人もいるみたいですしー」

 

 笑顔でさらりと毒を吐くのがめぐみである。

 そして、そんなめぐみの相手をするのが、一郎の役割である。

 

「ほんとうの物書きなら――小説が好きで好きでたまらない人間なら、面白い小説を素直に認めることができる筈だよ。たとえそれが、自分の今後に関わるような場面であってもね」

 

 一郎は、前世においてデビューする際になりふりかまわぬ場外戦を演じたことがある。

 大学卒業と同時に、新進気鋭の小説評論家としてするどい弁説をふるい、まず名を売った。それから、「そこまで言うなら、お前が理想の小説とやらを書いてみろ」という世間の声を利用して、書きたい物を好きなように書いた。

 その作品こそが、彼が二つの人生を股にかけて描きつづけている代表作『豹頭譚』である。

 

「デビューするためなら、何だってする。それは当然のことだとは思うよ。けれどもそれ以上に、僕たち物書きというイキモノは、小説が好きで好きでたまらないんだ。だから、おもしろい作品は正当に評価しちゃうんだよね。……めぐみもそうだろう?」

 

 そんな幼馴染みの影響があってか、めぐみもまた、小説が好きに育っていた。

 

「そう……ですねぇ~。やっぱり、おもしろいものはおもしろいですもんっ」

 

 と花咲く笑顔で肯んじたのを受けて、エルフが開戦を宣言した。

 

「さぁ。懸念がなくなったところで、はじめるわよ! 一番手は、とうぜんこのわたしね」

 

 テーブルに人数分の、プリントアウトした原稿をたたきつけるように置くエルフ。彼女は、己が作品を一刻も早く読んでもらいたくて、いよいよ抑えが利かなくなったのだ。

 そんなエルフとは対照的に、一郎とめぐみは落ち着き払っている。

 

「順番にこだわりは無いし、僕は構わないよ」

「ねぇねぇ、はやく読みましょうよぅ」

「ふーん、えらく余裕しゃくしゃくじゃない。そんだけ自分の小説に自信があるってわけ? いいわ、その自信を打ち砕いてあげようじゃない!」

 

 エルフは自信たっぷりに言い放つと、早く読めとばかりに原稿を二人に押しつけた。

 こうして、いよいよ三人は小説を読み始めるのだった。




14,097文字


たいへん! プロットが息してないの!

というわけで、予定の5割増しの分量でお送りしております。
完結編もできていますので、すぐに投稿できると思います。


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ネタ解説
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『恋姫○無双』からキャラを取ったら、あとに残るのはカスみたいなゲームシステムとペラペラなシナリオの『ゲー()』よ:
 異論は認めます。
 発売当初にプレイしたときは、こんなに大ブレイクする作品になるだなんて思ってもみませんでした。
 だってゲームシステムの酷さときたら、あかほりさとるをシナリオに招き、豪華CVと有能作画チームで脇を固め、メディアミックスでアニメまで放送して、まさに札束で殴って売りこんでやるぜオラァ! と世に送り出した結果大ゴケしたクソゲー『らいむ〇ろ戦記譚』(どうしたelf……)のゲームシステムさながらの、ゲーム性皆無の「ゲー無」だったんですから。
 今となっては、偉人女性化の草分けとなった、歴史の転換点とも言える意義深い作品ですね。

ろくにコミュニケーションが取れなくて、だからてっとり早く自分を犠牲にして問題を解決しようとする根暗なヤツとか。ハーレム作りたいって言ってるくせに、実はウブでチキンなDT気質なヤツとか。人の行動にあれこれ文句つけるくせに、けっきょく自分からは何も行動起こせない常識人気取りとか:
 それぞれ八○、ベ○・クラネルくん、キ○ン。
 ベ○くんに関しては、チキンでDT気質というより、単に性欲ゼロで朴念仁なラノベ主人公というだけだったり。


「違うわ。まちがっているわよ!」:
 某中二病悪逆皇帝のおなじみの決め台詞より。
 劇場版最新作『復活のルルーシュ』がようやく発売されますね。

西尾維新の戯言シリーズで、主人公がやたらめったら理不尽にモテるのを『欠点しかないから共感されて惚れられる!(キリッ』って説明してたわね:
 未読の人は、戯言シリーズも是非。ジャンルは、ミステリを装ったアンチミステリの皮を被ったラノベです。私のようなミステリ嫌いにも安心。

 エルフが両手を広げてポーズを決めた。もしもマントを羽織っていたなら、派手にはためいたであろう。厨二心をくすぐるポージングであった:
 某中二病悪逆皇帝の決めポーズ。なお、腰は「く」のじに曲がっている。非常にダサイ(ダサカッコイイの略)。

村上春樹が小説の翻訳について語った著作『翻訳夜話』:
 村上春樹が文体について語っています。勉強になります。
 英語の翻訳ということで、日本語と英語の文章の特徴を比較しながら、彼の考える「かくあるべき文章」について書かれています。

どっかのネット小説投稿サイトだとぉ、たくさんアカウントつくってまで自分の小説に投票してランキング詐欺する人もいるみたいですしー:
 小説家になる為なら仕方ないね……。
 でも読む側からしたら、ランキングが機能してないのは辛いです。
 だから、スコップサイトが本当に有り難い。私もスコップサイトを作っていますので、ご覧ください。作者ページにリンクがあります(ダイレクトマーケティング)。

一郎は、前世においてデビューする際になりふりかまわぬ場外戦を演じたことがある:
 栗本の御大がしでかしたこと。この面の皮の厚さよ!(褒め言葉)

かくしてエルフは、優勝宣言をする。両手でピースを形作り、脚を前後にひらいた中腰のポーズで、高らかに「優勝しちゃっったもんね!」とばかりに笑みを浮かべる:
 ドラゴンボールより。悟空の幼少期、天下一武道会にて、相打ちに倒れた悟空とジャッキー・チュンが優勝を争って取ったポージング。


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If4.転生作家のめぐみんルート・完

すべてを終わらせる時…!


 **

 

 

 読み終わるなり、一郎はおおきく天を仰いで「やられた!」と嘆じた。

 

「参った、エルフさんの作品にはやられたよ」

「うぅ~、こんなに面白いなんてぇ……!」

 

 めぐみもまた、エルフの小説を認めざるを得ない。この場に居る三人にとって、これほど面白い題材をあつかった作品は他にないからだ。

 

「これってぇ、ぜぇ~ったい一郎くんとエルフちゃんのことでしょ~! しかもぉ、このサブヒロインはぜぇ~ったいあたしがモデルだしぃ」

 

 エルフの作品は、一郎に宛てたラブレターである。「一緒になったら、こんな楽しい未来が待ってるのよ!」というアピール小説であった。にぎやかでか愉快なヒロインにふりまわされながら、楽しく毎日笑って暮らす主人公が描かれている。

 

 小説としての完成度も高い。どのキャラもまっすぐで影が無く、ひたすら明るく面白おかしい。エルフの魅力をそのまま写したかのような作品である。読むだけで明るく幸せになれる、ラノベの頂点のひとつとも言うべき傑作であった。

 

 一郎はエルフを見やり、ふと思う。このような作品を生み出した作者、作品そのものが形をそなえたかのような、山田エルフという愉快な少女。彼女といっしょになったなら、どんなにか楽しい毎日が待っているのだろうと。

 

「なんて考えさせられてる時点で、僕の負けだな……。試合に勝ったとしても、勝負に負けたよ」

「たしかに、このヒロインみたいな子といっしょになれたら、ぜったい毎日楽しいだろーなって思いますもん。……こんなのひきょーですよぅ」

 

 エルフの小説は、読者(ターゲット)を一郎ただひとりに絞った商業作品失格、商業作家失格の、とんでもない一点ものである。そんなものを出されて、一郎の心にまったく響かぬはずがない。

 そうして心を動かされてしまった時点で、どんなに面白い小説を書いて小説勝負に勝とうとも、恋愛の勝負では一郎の負けなのだ。――そんな旨の発言に、エルフが噛みついた。

 

「ちょっと待ちなさいよ。『試合に勝ったとしても』ってどういうこと? ひょっとして、わたしの傑作ラノベより面白いものを書いたとでも言うつもり!?」

「小説としては負けてないと思う。……なんてのは作者の欲目かもしれないけどね。どっちにしろ、読んでみれば分かるさ」

 

 自信たっぷりの一郎と、その隣でうんうんと頷くめぐみ。そんな二人の姿は、熱しやすいエルフの心に火をつけた。

 

「言ったわね! いいわよ、読んでやろうじゃないの、さっさと読ませなさいよ!」

「それじゃあ、次は僕の番だね」

 

 こんどは一郎の原稿が配られた。

 それをひったくるようにしてエルフは読み始め、めぐみは「よーやく一郎くんの小説が読めますね!」とうれしそうにほほえんで受け取った。

 

 さて、一郎の小説である。

 

 一郎の作品のジャンルは、エルフの土俵であるライトノベル・ファンタジーであった。雰囲気のあるファンタジーで、ほんの数頁めくるうちに、エルフはたちまち独特の世界観に引きずり込まれてしまった。現代人のそれとはおおきく異なる価値観と風習。そのなかで生活する人々の、生き生きとした様子。神秘にみちた未開の地と、それを旅する主人公の、尻のうずくような冒険譚。

 古典的な展開でありながら、それでいて飽きを感じさせないどころか、まったく新しい作風であるとすら思わせるのは、ひとえに書き手の力量の故である。

 たったラノベ一冊でありながら、読み終えた後には、大長作でも読みこんだかのような強烈な満足感が残される。古き良き王道を、正々堂々と正面から書ききって、目新しささえ感じさせる怪作であった。

 

「うぎぎぎぎ……! なによこれ、裸にもならないのにそのくせ面白くって、しかもこんな濃厚なのに全然ヘヴィじゃなく、しっかりラノベになってるだなんて、そんなの反則じゃない!」

 

 エルフは悔しさに涙を滲ませた。

 エルフは常日頃、小説は、面白い内容をわかりやすい文章で伝えることが肝要であると謳っている。それは、幅広い読者層を獲得するための戦略である。そして今回は、イチローを虜にするための戦略を採った。

 下僕(ファン)を楽しませたいなら、下僕(ファン)に向けた作品を書くし、想い人(イチロー)を振り向かせたいのなら、想い人(イチロー)に向けた作品を書けばよい。読み手(ターゲット)を絞れば絞るほど、作品はより色濃く面白くなっていく。ならば、そうしない理由はない。勝てば良かろうなのだ。

 

 それが、これは一体どうしたことか。

 たった一人に向けた自分の作品と同じくらいに、不特定多数に向けられた筈の一郎の作品は面白かった。

 自分は一郎のことしか考えていないのに、一郎はこっちを見向きもしないで、同等の作品をつくってみせた。

 それが、同じ作家として悔しかったのだ。山田エルフは、ひとりの恋する乙女であったけれども、それ以前にひとつの小説家であった。

 

「悔しいけれど、商業的な小説としてはイチローの勝ちね。もちろん、内輪(わたしたち)にとっては、わたしの小説の方が面白いんだけど……」

 

 たいへん不本意そうに、エルフは言った。

 

「う~ん、そうだね。一郎くんの小説もすっっごっっく! おもしろいし、あたしはこっちの方が好きだけど、でもでもぉ、エルフちゃんの小説はおもしろすぎて卑怯っていうかぁ」

「僕たちだけの為に書かれた作品なんだからね。僕らにとって大ヒット間違いなしの内容を、商業作家のエルフさんが本気で文字におこしたんだ。僕らにとって何より面白い小説になるのは、当然の結果かもしれない。……ほんとうは負けるつもりなんてなかったから悔しいけど、エルフさんの勝ちだね。参ったよ」

 

 悔しいと言いながら、そのくせ、実にすがすがしく一郎が言った。

 

「……負けたっていうわりには、ぜんぜん悔しそうじゃないじゃない」

「そりゃあ、これだけ面白い作品を読まされたらね」

 

 と示したのは、エルフの作品である。ふたりが一郎の小説を読んでいる間も、一郎は、エルフの作品を読み返していたのだ。

 ほぅと息を吐いて、心地よい読後感にひたる一郎。その姿を見て、エルフはたちまち機嫌を直した。

 

「なんにせよ、心残りがないのはいいことだわ。これで、イチローは晴れてわたしのモノね!」

 

 かくしてエルフは、優勝宣言をする。両手でピースを形作り、脚を前後にひらいた中腰のポーズで、高らかに「優勝しちゃったもんね!」とばかりに笑みを浮かべる。

 そこに、

 

「ちょおっとまった!」

 

 と割って入る元気いっぱいの声。めぐみである。

 

「まだひとつ作品がのこってますよぅ!」

「もちろん覚えてるわ。アンタもがんばって小説を書いたんだから、当然しっかり読ませてもらうわよ。といっても、この天才作家のエルフ様入魂の傑作と、それにひけをとらないイチローの怪作という、いわば時代の頂点を極めた作品に敵うものが出てくるとは思わないけれど」

 

 残念だけど、これって勝負なのよね、と言いつつ原稿を催促するエルフである。その姿は、あきらかな格下を相手に防衛戦を行う、絶対王者ボクサーのように余裕綽々であった。

 そんなエルフの顔が、小説を読み進めるうちに凍りつく。

 

「なっ、ななな、なによこれ!」

 

 最初こそ「あら。意外と面白いじゃない」と言わんばかりに跳ね上がった柳眉は、しばらくもせぬうちに「ん? これは……」と疑惑のかたちに姿をかえ、しまいには「ちょっと、どういうことよ!」と逆立ち怒りを象った。

 

「めぐみ! アンタ、イチローに手伝ってもらったわね!」

「へぇ。エルフさんはそんなことまで分かるんだ」

 

 と驚きの声をあげたのは一郎である。

 エルフは、めぐみの小説を読んだことがない。だから、めぐみの文体など分からぬ筈である。

 のみならず、一郎が書いた箇所は、めぐみの文体に極限まで寄せた文体で描かれている。めぐみが物書きとして成長したら、きっとこうなるのだろう。そう思わせるような、めぐみの癖やみずみずしい感性はそのままに、表現技巧にある程度の下駄を履かせた、それはいかにもめぐみらしい文章だったのだ。

 にも関わらず、めぐみ一人で書いたのではなく、一郎の手が入っていることを見抜いてみせた。

 その慧眼に、めぐみもまた、おおきな瞳を瞬いて驚きの声をあげる。

 

「すご~い。エルフちゃん、まるで魔法使いみたいですぅ」

 

 そして、褒められるととりあえず調子に乗るエルフである。

 ニヤリと相好をくずして、得意そうに髪をかき上げる。

 

「まぁね。<神眼>の異能を持った偉大なる小説家(アーク・ノベリスト)に、見抜けぬモノはないわ。……そんなことより、これはどういうつもりなのかしら」

 

 が、すぐさまジト目になって二人をねめつけた。

 そんなエルフに、ふたりは正面から答える。

 

「どうもこうも、見たとおりだよ、エルフさん」

「あたしは、やっぱりひとりじゃ小説が書けなかったんです。さいしょは一郎くんにつきっきりで教えてもらいながら、書いてました。でも、それでも間に合いそうにないしぃ、なにより一郎くんの邪魔になっちゃう……」

「それは勿体ないことだ。この小説は世に出さなくちゃならない。そうは思わないかい、エルフさん」

 

 めぐみの書いた小説。それは、どこまでも頑なにひとりになろうとする幼馴染みを振り向かせようとする、いじらしい女の子が主人公の小説だった。不器用な幼馴染みの幸せを願って、そのために報われぬ努力を続ける、けなげな少女の物語。

 

「……そうね。たしかにこの小説は、表現もグッとくるものがあるけど、なにより元のアイディアが素敵だわ。こんな一途でいじらしい一人称の小説、ほかに見たことがないもの」

「だから、僕が手を入れることにした。編集の真似事みたいなことをして、それでも書けない部分は僕が書く。そうやって完成にこぎ着けたんだ」

「でもそれじゃあ――」

「うん。これはあたしの作品じゃあありません。あたし一人で書いたものじゃないから。だから、小説勝負はあたしの負けです」

「そうね、たしかに小説家としてはアンタの負けよ」

 

 でも、とエルフは続ける。

 

「勝負については話が別よ。アンタとイチロー、ふたりの勝ちね。こんな小説読まされて、わたしの勝ちだなんて言えるワケないじゃない!」

 

 エルフは叫んだ。どんなに悔しくとも、その小説に込められた想いを認めないわけにはいかなかったのだ。

 めぐみの小説からは、一郎を想う気持ちがひしひしと伝わってくる。そして、それを文章におこしていく上で、一郎もまた、その想いをすっかり受け止めてしまったのだ。

 いじらしい少女の想いを綴る文章は、一途な少女の、ぎゅっと胸を締めつけるような強烈な魅力にあふれている。そんな少女の幸せな結末を、気がつけば読者(エルフ)は祈っていた。

 エルフでなくとも気付かざるを得ない。読者が抱かされたその想いは、書き手(一郎)の想いそのものなのだ。そのことが、文章によく現れている。

 

「これを読めばわかるわ。アンタたちが、どれだけ互いを想ってるのかが」

 

 ふたりでひとつの小説を書くうちに、ふたりの気持ちはだんだんと重なっていったのだ。

 最初こそ、主人公(めぐみ)の想いの独白と、他の文章との間には、はらむ熱量に差があった。ところが、だんだんと主人公(めぐみ)の報われぬ境遇をつたえる文章が熱を帯び、さいごには渾然一体となって読者を熱狂へと引きずりこむ熱渦と成りはてる。そうして、読者と作者はいっしょになって主人公を応援してしまうのだ。

 だからエルフは、めぐみと一郎の仲を認めざるを得なかった。

「あーあ。負けよ負け、わたしの負け!」

 

 エルフは椅子から立ち上がると、両手を突き上げてうんと背伸びをした。

 それから、二人に背を向け、

 

「結局、イチローには小説勝負で負け、めぐみには恋愛勝負で負けたってことね!」

 

「エルフちゃん……」

 

 めぐみは気遣わしげにエルフに声を掛けるが、しかし、どうしたことが言葉が続かない。

 これがいつものめぐみなら、浮かんだ言葉をそのまま相手に放り投げて、たいへんな顰蹙を買った筈である。

 ところがこの時ばかりは、エルフを気遣った。それは、エルフの描いた小説――一郎に宛てたラブレターとなんら選ぶところのないそれ――を読んだ為である。同じ男を愛した二人は、互いの想いを綴った読んで、互いに深い共感を抱いたのだ。

 なので、めぐみの気持ちもまた、エルフには分かっていた。

 

「なに辛気くさい顔してるのよ。安心しなさい。アンタたちの小説のおかげで、素直に祝福する気持ちでいっぱいだわ。あんな熱い小説読まされたんじゃあね!」

 

 エルフは、あきれた声音でめぐみを叱咤した。

 そして、自らの胸中を詳らかにする。

 

「……知らなかったわ。えっちでかわいいヒロインの出てくる熱いバトル小説も好きだけど、こういう小説も、また違った熱さがあっていいものなのね」

 

 そっと自らの心の輪郭を撫でるような、それは、しっとりとした声音だった。

 

「さぁ、今日はもうお開きよ。勝者は商品をもって帰りなさい!」

 

 エルフがふり返って、からりと笑う。

 そのときには、エルフはもういつもの元気を取り戻していた。

 

 **

 

 

 そうして、ふたりは一郎のアパートへとやってきた。

 横並びになってベッドに腰掛けると、いつものように(・・・・・・・)どちらからともなく手をつなぐ。

 

 気がつけば、二人はこういう関係になっていた。ふたりでひとつの小説を仕上げるうちに、二人は心を通じ合わせるようになったのである。

 めぐみは、己が想いの深さを、何度も何度も小説という形で一郎に示した。一郎もまた、めぐみのしあわせには自身が欠かせぬことを嫌というほど突きつけられ、と同時に、めぐみに対する深い想いを自覚したのだ。

 そうなると、二人の間に言葉は要らなかった。なんとなれば、互いの想いは、小説を書き上げるなかで否応なしに伝わり、重なっていったのだから。

 いつしか二人は、こうして並んでベッドに腰掛け、手を握ってお互いの存在を感じ合う、無言の時間を設けるようになっていた。

 

 しばらくそうしていたが、やがて、一郎が口を開く。

 

「エルフさんには悪いことをしたなぁ。僕がもっと早くに素直になっていれば、今日のようなことにはならなかったのに」

 

 結局のところ、小説勝負の決着が着くより前に、一郎は答えを出してしまっていたのだ。これでは、エルフは道化師である。

 そんな一郎の悔恨を、めぐみは一蹴する。

 

「う~ん、それはどうでしょー」

 

 めぐみは、ほっそりとした人差し指を桜色の唇にあてがって、あざとくもかわいらしく言った。

 

「エルフちゃんのことだからぁ、それでも一郎くんにアピールしてきたに違いないと思いますぅ。だってだってぇ、エルフちゃん、ぜ~ったい一郎くんのこと諦めてませんもん」

「それは無いんじゃないかな。こんな形で袖にされたわけだし」

 

 と苦笑する一郎であるが、めぐみは自信たっぷりに断言する。

 

「ううん、まちがいないですよぅ。エルフちゃんと小説を読み合って、それでぇ、わかっちゃったもん。おたがいのこと。エルフちゃん、また一郎くんに告白してくるに違いないですよぅ」

「……女性のことは、僕にはよく分からない。たしかに、どういうわけか今日、めぐみとエルフさんは通じ合っていたように思う。めぐみがそう言うなら、そうなのかも知れないけれど……」

 

 難しい顔をする一郎に、それに、とめぐみは続ける。 

 

「この小説勝負がなかったらぁ、一郎くんとはこんな関係になれてなかったと思うんです。きっと、一郎くんは小説のことしか頭になくってぇ、あたしも、小説の世界(そこ)までは踏みこんでいってない。だからぁ、こんなふうには、ぜぇっったいなってませんよぅ」

 

 めぐみは、つないだ手をぎゅっと握りこむと、とろけるような笑顔で、それはそれはうれしそうに微笑んだ。

 それで、ようやく一郎も肩の力が抜けたと見える。ふっと息を吐くと、頬を緩めて、語りだした。

 

「……そうだね。こんなことになるだなんて、僕も思ってもみなかった。きっかけになったのは、一緒に小説を書いたことだけど、こんなの考えたこともなかったよ」

 

 一郎は小説バカである。こんなときでさえ、口から出てくるのは小説のことである。

 

「リレー小説は書いたことがあるけど、あれは究極的にはひとりで書くものだしね。でも、めぐみとしたのは、正真正銘の共同作業だ。二人三脚みたいに、どちらか一方の脚が動かなければ先には進まないし、息が合わなければ転びさえする。それがひどくもどかしく感じることもあるし、上手く噛み合ったときには、ひとりで書くときの何倍もの馬力を発揮することもできて、それがひどく楽しいとも思った。ひとりじゃ絶対に書けない世界が、めぐみとなら描けたんだ」

「一郎くん……」

 

 それが、めぐみにはうれしかった。

 めぐみは小説を読むことはしても、物書きではなかったから、一郎が作家としての想いを語ることは稀であった。もっとも大切な小説という分野において、一郎は、めぐみを寄せ付けなかったのだ。

 それが今こうして、隣りに並び立つ同志として、めぐみを見ている。

 めぐみの瞳に涙がにじむ。感極まって、頭に浮かんだ言葉(フレーズ)をそのまま一郎に投げた。

 

「あたしといっしょに、小説を書いてくれませんか。原稿用紙は、ふたりの人生。そこに、ふたりでひとつの小説を書いてくのっ!」

 

 果たして、一郎は、やさしく微笑み返す。

 

「僕はね、これまで小説のことしか考えてなかった。これからもきっとそうだと思う。小説の世界と向き合っていく。それはひとりでするもので、だから、ずっとひとりでいるより他にないし、それで良いと思ってた。……けど、そんなとこまでめぐみは入り込んでくるんだもんなぁ。完敗だよ」

「それじゃあ!」

 

 めぐみの顔に、歓喜の色がはじける。

 

「いっしょに描こうよ。ふたりの小説(じんせい)を」

「うんっ! ずっとずぅ~っと、いっしょなんだからっ!」

 

 喜びを爆発させて、めぐみは元気いっぱいに一郎に飛びついた。そのまま、よくわからない喜びの悲鳴をあげて、一郎を巻き込んでごろごろとベッドを転がる。

 一郎の部屋には、ふたりの笑い声がこだまする。

 それは、この先何年も何十年も、変わらず続くことだろう。

 なんとなれば、めぐみは、己の人生の中心に一郎を据えていたし、一郎もまた、最も大切な小説の世界にめぐみを招き入れたのだ。

 

 

 **

 

 

 それから時は流れ、成人した二人はひとつの所帯を持った。

 

「ねぇ、一郎くん。今日のごはんは何がいい?」

「鰤大根が食べたいな。めぐみが、子供のころからよく作ってくれてるから、もうすっかり大好物だよ。そういうめぐみこそ、次の小説の構想とかアイディアはもうあるのかい?」

 

 一郎は、鈴木一郎というペンネームで変わらず小説家の仕事をしている。

 代表作の『豹頭譚』は相変わらず続いていて、そろそろ二百巻の大台に乗ろうというのに、終わりが全く見えない。口さがないファンのなかには「二代目も完結を墓まで持って行くんじゃなかろうか」「どうしてこの悪癖まで受け継いでしまったのか」「何から何まで正統後継者」と言う者もいるくらいである。

 

 変わったのはめぐみである。鈴木めぐみというペンネームで小説を書くようになったのだ。著作の著者の欄にはふたりの名前が並んでいて、それは、ふたりの合作であることを示している。

 世間の評価も上々である。「文章は旦那のそれに遠く及ばないんだけど、なんていうか、とにかく胸に響く」「旦那は旦那。嫁は嫁。それぞれの味がある」「エモい」「しかも美人でモデルまでしてるんだぜ。料理も上手いらしいし。旦那は爆ぜろ」というふうに、面白おかしく賑やかされており、それを本人も楽しんでいる。

 

「んー、そうですね~。美少女JKがぁ、付き合ってる幼馴染みをいっしょうけんめいつなぎ留めようとする話とかどうですかぁ? 恋のライバルは、海外からやってきた美少女なんですけどぉ、むちゃくちゃなことばっかり思いついて、二人をかき回すの。でぇ、美少女JKはしかたなく身体を使って、幼馴染みのハートをがっしりキープするんです!」

「……それは暴露本になっちゃうから、勘弁して欲しいかな。それに、どろどろの十八禁に成らざるを得ないじゃないか。登場人物は十八歳未満なのに」

「それじゃあそれじゃあ、作家の子供が活躍する小説とかどうですかぁ! 両親の書いた本の世界に入り込んで、世界を救う旅をしちゃうんです」

「おっ、いいじゃないか。めぐみ原案なら、きっと子供から大人まで一緒になって楽しめる、心温まるファンタジーになるに違いない」

 

 そうしてどんどん小説の話を広げていく二人の背中に、幼い声が降ってくる。

 

「かあちゃん、腹へったー!」

「う゛わぁぁあん、おとうさん、だっごぉ~」

 

 すっかり話に夢中になってしまっていたらしい。お腹を空かせた長男が文句を言い、長い間放っておかれた長女が泣きべそをかいてすがってくる。

 ふたりは顔を見合わせ、しまったとばかりに苦笑い。それから、今この瞬間がしあわせでたまらないのだとばかりに、にっこり笑い合って、子供に向き直った。

 

「あらあら~、ごめんなさいねー。いまから鰤大根つくるから、待っててくださいねー。圧力鍋にかけて、タイマーをセットしてっと」

「ほら、おいで。ご飯ができるまで、僕の膝の上で一緒に本を読もうか」

「とうちゃん、よーちえんじに『さんごくし』をよんできかせるのはどーかと思う」

「あははー、だいじょーぶですよぅ。あたしもちっちゃいころ、一郎くんに『三国志』読んでもらって、それで小説が大好きになりましたからぁ。えいさいきょーいくってヤツですね!」

「それよりかーちゃん、ナベ吹いてるよ。タイマーもなってるし」

「あらあら!」

 

 ピピピピピ! とタイマーは鳴りひびく。

 けたたましい電子音を止めようと手を伸ばしたその瞬間――

 

 めぐみは目を覚ました(・・・・・・)

 

 ベッドの上である。

 見慣れた自室の、見慣れたベッドに寝転んで、見慣れた天井に向かって手を伸ばしている。これまた聞き慣れたアラーム音が、枕元のスマートフォンから響いていた。

 

 ――これは一体どうしたことだろう。

 

 だんだんと目が覚め、覚醒して明瞭になった頭に、理解が兆す。

 

「……………………夢?」

 

 ――中学生の神野めぐみは夢を見た。

 それは、とびっきりしあわせな夢だった。

 

「うぅ~」

 

 あまりにしあわせで、けれども、それは現実とはおおきくかけ離れていて、だから叫ばずにはいられなかった。

 

「こんなのあんまりですよぅ~!」




8,990文字


====
あとがき
====
本シリーズはめぐみの夢です。
ですので、本編との差異がいろいろあります。
おおきなところでは、次の五つです。

1.エルフの住居が異なる(のでマサムネと出会っていない)
2.エルフが一郎に惚れる(マサムネポジションに在る為)
3.一郎がエルフに惚れない(めぐみの夢なので)
4.めぐみの胸がおおきい(めぐみの「夢」なので)
5.一郎くんが性欲に弱い(のでめぐみを抱きしめた)

ところで、オチに関してですが、If.1の冒頭部にあからさまな伏線を張っていました。
”神野めぐみは夢を見る。”です。
とはいえ、もう8ヶ月も前のことなので、すっかりお忘れかもしれません。

そう、8ヶ月も経ったんです。

色々ありました。
四月から夏までは仕事が忙しく。
それが終われば、こんどは自転車(ロードバイク)のトレーニングに取り組む毎日。
からの、念願の琵琶湖一周旅行。とうとうビワイチしました。一昨年のしまなみ街道往復、昨年の淡路島一週とステップアップして、とうとうビワイチ達成です。SIMSで言うところの「生涯の願望」達成です。やったー!

そんなこんなで時間が空くとモチベーションが戻ってこず、なんとか『虐待おじさん』という短編を挟んで、ようやくカムバックすることができました。

小説も自転車(ロードバイク)も同じですね。
週一ペースのトレーニングだと、すぐに息が上がるようになってしまう。小説も頻繁に書いてないと、書けなくなってしまう。
継続は力なりとは格言だってハッキリ分かんだね(戒め)。

そのようなわけで、今後は(4月までは)ちょくちょく何か書いていけたらと思ってます。
エタりません。死ぬまでは。


=====
あとがき2
=====
一週間で書き上げました。
ですので、

くぅ~疲れましたw
実は、ネタレスしたら、エイプリルフールにこのあとがき書きたいと思ったのが始まりでした。猫耳猫のあとがきでも使われてたんで
と言いつつ、まったく間に合ってないんですが←
とにかく当て馬が哀れ可愛いくて好きなので、もっと哀れになるネタで挑んでみた所存ですw
以下、めぐみ達のみんなへのメッセジをどぞ

エルフ「最後まで読んだのね。まっ、この可愛さ天元突破超絶美少女エルフちゃんがいるんだから、当然よね!」ファサ
一労「ありがとう」ぺこり
めぐみ「えへへ~、ありがとー!」にへら
エルフ・一労・めぐみ・マサムネ「ほんとうに、ありがとうございました」
エルフ・一労・めぐみ「って、なんでマサムネ(くん/おにーさん)が!? こっちには登場してないじゃない(か)! 改めまして、ありがとうございました!」


……うわっ、痛い。


=====
元ネタ解説
=====
すべてを終わらせる時…!:
 『ギャグ漫画日和』より。ソードマスターヤマトの煽り文句。
 めぐみの想いがいつか報われると信じて…!

最後のシーン(夢オチ):
 Alicesoftの『大悪司』の殺っちゃんルートのエンディングにインスパイアされて。なにが「良かったな、殺」じゃい! 切ない……。
 ちなみに、殺っちゃんルートは3回、喜久子ルートは5回、元子ルートは10回クリアしてます。

くぅ~疲れましたw:
 某コピペより。知らない方は是非ググってみてください。
 なお、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』第7巻でもネタにされている模様。


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