ガールズ&パンツァー バタフライエフェクト (牢吏川波実)
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プロローグ

 それは、優しかったがために起こった悲劇だった。

 

 

 その日は試合が始まった当初から天気は大荒れで、局地的な大雨に見舞われていた。視界も悪く、遠くに原っぱが見えるはずのこの崖でも、その緑が少しも見えることのない、灰色の風景しか見えることのなかった。まるで、一昔前の戦争の映像のようだ。

 

『ここから道は細くなっていきます!出来るだけ崖から離れて走行してください!』

『了解!!』

 

 彼女は、戦車隊の前から二つ目の戦車から、その場にいたすべての戦車に向けて指示を飛ばす。

 正直に言えば、いつ崩れるかもわからないような崖の上を行くなどという危険な行為は避けたかった。下を見ると、川が増水して激流になっている。落ちてしまったら、人間はひとたまりもないであろう。

 しかし、それでも彼女たちはその道を通るしかなかった。自分たちが通りそうにもない道、それはすなわち敵も通りそうにない道だからだ。つまり、その道を通っていれば敵に出会う確率は低いであろう。そう、姉とも話し合ってこの道を選んだ。

 この先、さらに細い場所を通ることになるが、そこさえ切り抜ければ、危険なポイントはないはずだ。この崖を渡った後は、周囲が開けていないところで密集陣形を取って、姉が相手のフラッグ車を落とすのを待つだけ。ただ、それだけだった。

 その時だった。

 

『きゃぁ!!』

『!!』

 

 彼女の耳に叫び声と崖が崩れるような音がなだれ込んできたのは。

 雨で地盤が弱くなっていたのだろう。自分の目の前を走っていたティーガーⅠの足元が崩れ、そのまま激流の中へと身を沈めたのだ。

 少女は、その戦車がどうすることもできないままに急流によって流される様子をただ見ているだけだった。少女は慌てて姉へと連絡を取る。

 

『こちらフラッグ車!隊長、戦車が一輌川に落ちて、どうしよう!!』

『落ち着け副隊長。それぐらいで壊れるほどティーガーはやわじゃない。カーボン繊維で衝撃にも耐えられる。中にいる者も大丈夫なはずだ』

『でも……』

 

 彼女も知っている。確かに姉の言う通りティーガーⅠはちょっとやそっとで壊れるような作りはしていない。衝撃も、カーボン繊維によって吸収されて中にいる人間たちは確かに大丈夫だろう。

 だが、中からの衝撃はどうだろう。戦車が激流に飲まれている今、そのまま履帯が下に、天井が上にあるとは限らない。もしも波によって横転でもしてしまったら、中で様々な機材に身体中をぶつけて大怪我を負ってしまう恐れがある。いや、大したケガでなくてもあざなんてできてしまったら女の子としては大ピンチに陥ってしまう。

 見ると、まだティーガーⅠはすぐそばに浮かんでいる。泳いでいけばまだたどり着ける距離であったこと、それが彼女の明暗を分けてしまった。助けに行ける距離にいるという事が、彼女にいらぬ覚悟を決めさせたのだ。少女は、その場にいる全車輌に向けて通信を開いた。

 

『全車後退してください!崖が崩れた今進むことはできません!それから、今後の指示は西住隊長に一任します!』

『副隊長!』

『お姉ちゃん御免!でもやっぱり助けに行かないと!!』

『待て!早まるな!!みほ!!!』

 

 隊長、副隊長と呼び合っていた二人は突如『お姉ちゃん』『みほ』と砕けた、いや本来の呼び方に変わっていた。それは、あまりにも彼女たちが慌てていたという事を表していたのかもしれない。

 少女、否みほは姉や同じ車輛に乗っていた面々からの制止を振り切って一人土砂降りの中崖を滑るように降りていった。

 その最中に上を見上げると、フラッグ車を含めたその場にいた全車輌が次々と後退の準備に入っていた。

 指示に従ってくれたことに安堵したみほは、崖下に少しだけ露出している地面に降り立つとすぐに激流の皮へと飛び込んだ。

 

「待ってて、今助けるから……ッ!」

 

 その時、突然の鉄砲水が彼女の身体を襲った。突発的に起こったそれに対し、みほは対処することなどできなかった。意識しなくとも彼女の口から、鼻から次々と水が入る。冷たい、苦しい、無理やり冷えたそうめんを鼻の中に詰められているような感覚。だが、彼女の眼はまだティーガーⅠを見据えていた。みほは、ソレに対して必死で手を伸ばす。だが、遠くに見える小さな列車を掴むことができるか。否だ。彼女の身体は次第に沈み始め、ついにその手が水面から消えていった。まるで、最初からその場には誰もいなかったかのように、すでに彼女の身体に水面へと上がる力など残されていなかった。だがそれでも彼女は手を上へと伸ばした。必死で、ただひたすらに、がむしゃらに伸ばしていた。だが、結局最後まで彼女は気がつかなかった。自分が手を伸ばしていたのは、川底であったという事実に。

 

「ッ!!!」

 

 背中に走る激痛を最後に、彼女の意識は刈り取られた。

 彼女が、自分たちのチームが負けたこと、そして受け入れたくない事実を知ってしまったのは、病院のベッドの上であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、目覚まし時計が彼女の悪夢を覚まさんがごとくに鳴り響いた。軽快で、聞いてて心地の良い音を立てている。

 少女、西住みほは頭の上にあったそれをゆっくりとした動きで止めると、横にスライドするようにベッドから落ちた。

 

「痛たたたた……」

 

 そして、上半身だけを起こして周りを見渡す。はて、自分の部屋はこんな風であったか。確かに広さはこんな感じであったことは認めるが、しかしもう少し物があったはずだ。そう思いながら彼女は起き上がると、そのタイミングでようやく頭が回り始め

、自分の置かれている状況を思い出させてくれた。

 

「そっか……もう、家じゃないんだ」

 

 随分と慌ててしまった物である。もう、自分の事を叱る人間などいないというのに。

 みほは、ベッドの端っこに手をかけると、思いっきりの力を腕にかけて上半身だけでもベッドの上へと上げた。ベッドの高さが低いものを買ってよかったと思う。そうでなければ、おそらく上がれていなかっただろう。

 こうなってしまうと、ベッドではなく布団の方がよかっただろうかと思ってくる。実家ではベッドを使っていたので使い慣れている方をと思ってこっちでもベッドを買ったのだが、その時と今とでは身体が全然違うという事を考慮していなかった。だが、もしかしたらそれは、彼女なりの抵抗だったのかもしれない。今の自分の状況を受け入れたくないという無意識からくる選択であったのかもしれない。

 ともかく、みほはさらに身体を上へと押し上げると、横向きとなり、両手を使って体を持ち上げてベッドの端に座る。こうやってただ単に座るという動作をするだけでもどれだけリハビリをしたことだろう。だが、おかげで座る姿勢を保持すること、座位保持というらしいが、それをすることができた。

 さて、この時点で彼女にできることというのは数少ない。目覚まし時計が鳴り響いたのがその証拠だ。もうそろそろ、鍵が回される音が鳴るはず。そして数秒後、確かにその音が彼女の耳に届いた。

 次の瞬間、玄関のドアがゆっくりと開かれていく。外から現れたのは一人の女性だった。年は、自分と一つしか変わらない。しかし、それでも凛々しさ、格好良さは自分は足元にも及ばないだろう。そんなオーラと、おいしそうな匂いを纏った女性がそこにはいた。

 ハッキリと言ってしまえば、こんなところにいてはおかしな人間だ。しかし、それでも彼女はここにいる。すべてはこんな体になってしまった自分のために。だめだ、気がつくと自己嫌悪に陥ってしまう。あの日からの悪い癖である。

 

「おはようみほ……またベッドから落ちたの?」

「うん、でも大丈夫。ちゃんとひとりで上に上がれたよ……お姉ちゃん」

 

 西住まほ、自分が暮らしている学生寮の一室のすぐ隣で暮らしている姉である。先ほど床に落ちる音は、隣の部屋にまで聞こえていた様子だ。

 

「ほら、朝ごはん。一緒に食べよう」

「もう、料理ぐらい一人でできるのに」

「でも……」

「心配しなくてもいいよ……」

 

 その時、みほの目線は下を向いていた。足の方を見ていた。

 

「足が動かなくても……料理くらい……」

 

 決して動くことのないその足を。

 そんな様子をみたまほはただ黙ってみほの身体を抱きしめる。

 

「大丈夫。私はずっとそばにいるから」

「お姉ちゃん……うん」

 

 その後、二人は朝ご飯を食べ終えると、これから自分たちが通う学校の制服に着替えた。なんだか、このようにシンプルなデザインの服を着るのも新鮮である。それから、みほはあの日から自分の相棒となっている車椅子に移乗して、あの日から日課となっているトイレも済ませて、まほに押されて寮を出た。

 例え、足が不自由になったとしても、例え、妹のためにすべてを捨てたとしても、優しい姉と一緒に暮らせるのだから、愛する妹と一緒に暮らせるのだから、今の二人は最高に幸せだった。

 その日、彼女たちの大洗での生活は、本当の始まりを迎えた。




 介護の専門職の方、いたら検閲お願いします。
 あとミリタリー系専門の人もいたら後々嬉しいです。


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戦車道始めます
1-1 転校


 何気ない日常、普通の風景、しかし彼女はそれが好きだった。

 パン屋からあふれ出てくる香ばしい良い匂い、まるでフルートが奏でられているかのように心地の良い響きのカモメの鳴き声、地元ではまず見ることのなかったコンビニも新鮮だ。それと、アンコウ?なのだろうか、魚のようなものを模した看板もある。だが、可愛いのは確かだ。

 そういえば、前にこの街の事を調べた時にアンコウが有名であるという話を聞いたことがある。自分や姉はあまりアンコウという物を食べたことはないのだが、どうやらあん肝という物は特に美味しいらしい。噂によれば、それを手に入れるために腕の骨を折った人間や、突然世の中が嫌になってしまった人間がいるほどの珍味なのだとか。

 そんな二人のすぐ近くを、自分達と同じ制服を着た少人数のグループが通り過ぎていった。そんな仲睦まじい姿を見せられて、みほは急に不安になってきた。二年生である自分にとって、今から行くクラスは異質な物、そして自分自身も異質な物として見られるだろう。果たして、友達など作れるのだろうか。前の学校でも友達らしい友達は作れず、自分を慕ってくれていた人間もいたが、それはどちらかというと憧れの面が強く、姉ほどではないが下駄箱に女性からのラブレターが何通も入っていた時には、流石に背筋が凍ってしまった。

 色々と話したが、簡単に言えば自分は健全な友達の作り方など知らないも同然なのだ。この学校には、前の学校の人達が自分を憧れの対象として見てくれていた原因はない、というか、それがないからこそこの学校に来たのだ。そんな自分が、この大洗学園で友達を作ることができるだろうか。そう心配していた彼女は、姉に肩を叩かれて言われる。

 

「大丈夫、みほならいくらでも友達を作ることができる」

「お姉ちゃん……うん」

 

 その言葉に根拠などなかった。しかし、姉であるからこそ、みほの心まで知っていたからこそ、彼女は戦車がなくても友達を作ることくらいできるという事を信じていた。

 みほは、ここで失念していた。よく考えるとまほの方が不安でいっぱいなのかもしれない。三年生であるまほの周りは、大洗で二年間友達を作ってきた者ばかりで、もしかしたらまほ一人孤立してしまう恐れもある。さらにまほもまた、部下と言えるような人間は多々いたものの、はっきりと友達であるといえるような友達は自分と同じいなかったように思える。それに加えて、戦車と一週間以上離れるという事が、いやもしかしたら二十四時間だったかもしれない。みほは、まほが戦車と離れている姿を見たことがあまりないように思えた。そんなまほが戦車から離れて暮らすのだから、きっと辛いことなのだろうと、妹ながらに心配になってしまう。

 しかし、姉に勇気づけられたみほは、本当に自分は大丈夫なような気がしていた。それは、姉妹という硬い鎖で繋がれた者同士であるからこそ分かるような物であった。

 

 

 それから十数分後、桜の花びらが雪のようにひらひらと綺麗に舞う中、大洗学園が見えた。まほは、みほの事を担任の先生に任せると、三年の教室へと向かった。

 さて、一人になってしまうとやっぱり不安になってしまう。戦車と戯れる事しか知らなかった自分が、よき交友関係を築こうともしなかった自分が、果たして友達など作れるだろうか。

 みほは、自分は友達の作り方を知らないというようなことを言っていたが、それは間違いだ。特に、赤星小梅という少女はみほに好意すら抱いていた。みほと自分が大洗に行くことになり、彼女を含めた何人かもまた大洗に転校すると言い出した時には、流石の自分も焦ってしまった。自分が説得したことによって、何とか黒森峰の戦力ダウンは免れたものの、それでもやはりみほに友達がいるという事実は二年前に手に入れた栄光よりももっと自分の心を弾ませるほどに嬉しかった。

 果たして、自分は戦車なしで友達を作ることができるのだろうか。そんな不安を抱えながら、彼女は教室のドアを開けた。

 その時、最初に感じられたのは不審だった。当たり前だろう。二年も大洗に通っていると、クラスメート以外であったとしても大体の同級生の顔は見ているはずだ。例え、自分のようにあまり特徴のない人間であったとしても、初めて見る顔にみな驚いてしまっているのだろう。そう彼女は思っていた。

 しかし、実際には違っていた。その場にいた全員がただただ驚いているのだ。彼女からあふれ出ているオーラ、その凛々しい顔つきに何人もの女子生徒が心を奪われていたのだ。西住まほは無意識のうちに抑えられないほどのカリスマ性を放出していたのだ。

 その後は出席番号順に自己紹介が始まった。と言っても、大半の生徒にとっては見知っている顔ばかりなのでそれほど関心はなかった。しかし、ある人物の番になってからは違った。

 まほは、自分の名前が呼ばれた瞬間ゆっくりと席から立ち上がって言った。

 

「西住まほだ。黒森峰女学園から今日転校してきた……一年ばかりの付き合いになるがよろしく頼む」

 

 緊張はしたものの、しかし事前にみほと一緒に考えていた言葉は伝えられた。だが、すこし堅苦しかったかと思ってしまう。もう少し趣味とか好きな食べ物とかを話した方が、より自己紹介らしかっただろうか。そう思いながら彼女は席に座った。

 そして、いい意味での教室のざわめきが止まらない中、一人彼女の後姿を見て笑みをこぼす者がいた。

 

「へぇ、あの子がね……」

 

 そう言うと、少女は手に持った干しイモにしゃぶりついた。



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1-2 罪人

 時間は一気に飛んでお昼時にまで移る。午前中の授業を難なくこなしたみほは、一人教科書や筆箱を片付けていた。他の学校に来てみて初めて黒森峰女学園の勉強カリキュラムがかなり進んでいたのだと実感する。だが、遅れていたならともかく、進んでいたのは幸いと言っていいだろう。おかげで楽に授業を受けることができた。

 その時、ペンが一つ落ちていった。

 

「あっ、いけない……」

 

 車椅子に座っている状態で、地面に落ちた細かいものを取るのにも限界という物がある。ペンが落ちているのは、彼女がギリギリ取れない場所である。

 みほは一度溜息をつく。一端床に降りると、その後車椅子に一人で上がるのはかなり苦労する。だが、他人のペン一本をわざわざ拾ってくれるような奇特な人間などいるわけがないと、みほは車椅子を降りて机の下にもぐってペンを取りに行った。しかし、それがいけなかった。

 ペンを取りに行こうと机の下にもぐった時に、思わず机を揺らしてしまったのだ。そのせいで、片づけの途中だった定規や筆箱が次から次へと夕立のように落ちる。それを見て、みほはもう一度溜息をつき、筆箱を取ろうと手を伸ばした。しかし、その手が届く寸前に、突然一つの手が上から降りてきて筆箱を掴み、UFOキャッチャーのように上に持ち上げた。

 みほは、筆箱を取ったのが誰なのかを確認するために机の下から顔をのぞかせた。果たして、そこにいたのは黒髪の長髪の女性だった。

 

「はい、大丈夫ですか?」

「えっ……あの……」

 

 みほは、どうして少女がそんなことをするのか分からず、それに加えて友達が少なかったこともあってこのような時にどう反応していいのか彼女は咄嗟には分からなかった。そうこうしている時に、今度は後ろから声をかけられる。

 

「ヘイ彼女、一緒にお昼でもどう?」

「アゥッ!」

 

 ブロンド、いや赤、オレンジだろうか微妙な髪色の少女に声をかけられて、素っとん狂な声を上げてしまい、机にまたも頭をぶつけてしまった。

 

「ほら沙織さん。西住さん驚いてらっしゃるじゃないですか」

「あっ、いきなりごめんね。私達も拾うの手伝うよ」

「あっ、ありがとう。式部沙織さん。五十鈴華さん」

「え?」

「私たちの名前、覚え照らしたのですか?」

「うん、武部沙織さん、6月22日生まれ。五十鈴華さん、12月16日生まれ。先生から先に名簿を貰ってて、いつ友達になっても大丈夫なようにって」

 

 彼女は、この学校に来る前に担任の先生から同じクラスになる予定のクラスメイトの名簿を貰っており、それを丸暗記していたのだ。その努力が、こうも早くに報われてよかった。そう感じていた。

 筆箱や文房具を拾い終え、沙織に協力してもらって車椅子への移乗を完了させたみほは、後ろの方からよく知る声で自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 

「みほ」

「あっ、お姉ちゃん」

 

 西住まほだった。

 幸運なことにまほもまたクラスで良き友人に巡り合えていた。その友人たちから一緒にお昼ご飯に行こうとも言われていたが、今日の所は妹と一緒にお昼ご飯を食べたいという事でそれらを断ったのだ。友達がすぐにできると言ったとはいえ、いや言ったからこそその言葉が本当なのかが自分自身不安で仕方がなかったのだ。そして、みほの姿を見て思う。

 

「取り越し苦労だったか……」

「え?」

「いや、何でもない」

 

 みほは、ちゃんと友達を作ることができていた。困った時には助けてくれる、そんな友達を。まほは『ホッ』と胸をなでおろした。

 

「西住さんの、お姉さまですか?」

 

 その時、まほの姿を見た黒髪の少女がまほに声をかけてきた。

 

「あぁ、西住まほだ。妹が世話になっている」

「いえ、そんな大げさなことは……」

「あっ、そうだ!お姉さんも一緒にお昼どうですか?」

「え?……それじゃ、お言葉に甘えて……」

 

 妹が、クラスメイトと仲良くなるチャンスを不意にしたくはないとは思うが、それで断ってしまうのも彼女達に申し訳がない。そのため、ここは彼女たちの提案を受け入れることにした。

 

「よし、それじゃ急ごう!」

「ワッ!ちょ、危ないですからゆっくりお願いします!!」

 

 茶髪の女の子に押されて食堂に向かうみほ。その様子をまほはまるで母親のように微笑ましく見ていた。

 

 そして食堂。四人は席に着き、それと同時に沙織が言った。

 

「それにしても、クラス全員の名前と誕生日を覚えるなんて、西住さん本当に面白いよね」

「え?う、うん……」

 

 みほは、おぼろげにもそう返事をした。というのも、確かに彼女はクラス全員の名前は覚えた。しかし、誕生日を覚えれてたのはごく僅かだったのだ。では何故彼女たちの誕生日だけを覚えていたのか。それには、ある理由がある。

 式部沙織の誕生日である6月22日は、第二次世界大戦中にドイツ軍がソビエト連邦に対してバルバロッサ作戦を決行した日。

 五十鈴華の誕生日である12月16日は、第二次世界大戦中に、同じくドイツ軍がアメリカ軍を主体とする連合軍との戦闘を始めたバルジの戦いの決行の日である。 

 すなわち、世界史における大きな戦闘のあった日と同じであった。それが印象に残っていたのだ。因みに、五十鈴華の誕生日である12月16日は、かの有名な戦艦ヤマトが竣工した日でもある。

 とはいえ、かくゆう自分の誕生日である10月23日は第二次エル・アラメイン会戦。まほの誕生日である7月1日は、第一次エル・アラメイン会戦が行われた日である。もはや、何かの運命を疑ってしまう。

 

「あっそうだ。西住さんだとお姉さんと混ざってややこしいから名前で呼んでいい?」

「え?」

「みほって」

「……」

 

 みほは、その言葉にサバ煮をつつく手が止まった。なにか気に障るようなことを言ってしまっただろうか。心配する二人を尻目にして、彼女は言った。

 

「すっ……」

「「え?」」

「すご~い!友達みたい!!」

 

 そして、みほは嬉しそうにサバ煮を一欠けら口に入れた。そんなみほの様子を微笑ましく見ていたまほにも、華が声をかける。

 

「あの」

「え?」

「よろしかったら、お姉さんも名前で呼んでもよろしいでしょうか?」

「え……なんで?」

「何となくです。ダメでしょうか?」

「……いや、いいよ。名前で」

「ありがとうございます」

 

 考えてみれば、向こうでも自分の事を名前で呼んでくれる人間はいなかった。大体の人間が自分の事を隊長呼ばわりで、それは確かに組織としてみれば優秀な人間なのかもしれないが、しかしこうしてその組織から離れてみると、底知れぬほど寂しいことだったと分かる。もしも、またあの場所に帰ることがあったら、彼女達にも教えてあげなければならない。ふと、ありえることのない未来の事を考えてしまった自分に対して、自傷するように笑った。

 

「それにしてもよかった、友達ができて。私達二人っきりで引っ越してきたから」

「あぁ、不安だったのは確かだ……」

「そっか~まっ、人生いろいろあるよね。泥沼の三角関係とか、告白される前にふられるとか、実は親が本当の親じゃなかったとか」

「えっと……」

「まぁ、それじゃご家族に不幸が?骨肉の争いですとか遺産相続とか」

「そ、そう言うわけじゃ……」

 

 おかしい。話が変な方向へと飛躍し始めている。昼ドラマの見すぎではないかというほどに話がこんがらがってしまっており、正直驚いてしまう。

 

「なんだ、じゃ親の転勤とか?」

「……」

 

 その言葉にみほは少しうつむいた。その表情の変化を見て何かを察したのか、沙織と華はアイコンタクトで会話をして話を途切れさせるために話題を振った。

 

「ご飯が冷める前に、いただきましょう」

「あっ、うん……」

 

 まほは、その二人の配慮に感謝しながら、自分もまたカレーライスに手を付ける。確かに、少しだけ冷めてしまったであろうが、しかしその日友人と一緒に食べたそのカレーライスは、凄くおいしく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

「それは、一種の情報操作ではないでしょうか」

 

 薄暗い部屋の中、大きな窓から入る明るい光を背にして、一人の小さな少女が大きな椅子に座っていた。それは、先ほどまほの事を珍しげに見ていた干しイモを食べていた三年生の少女である。少女は、目の前に立つ二人の少女に向けて何かを言った。先ほどのセリフは、それに対する片一方の答えである。少女は、その答えを聞くとあっけらかんとした感じでいた。

 

「ダイジョブダイジョブ……許可はもう取り付けてあるし、後のことは全部任せるって」

「もはや放任主義にしか思えません……」

「分かりました。直ちに取り掛かります」

 

 真面目そうに見える少女がそう発言した後、二人は一度その部屋から静かに出て行った。そして、一人残った少女は、机の上から資料を取り出す。それは、今日自分のクラスに来た一人の少女、ほか二名について書かれている書類であった。

 

「西住まほに西住みほ……そして」

 

 もはや、なにかの運命めいたものを感じる。この大事な年にこの学園に専門家が三人も来てくれたのだから。この三人が加わってくれればきっとこの学校を守ることができるはずだ。

 だが、その世界に置いて知らぬ者はいないというほどの有名人三人が、その世界から外れた学校に来る。その事の重大さに彼女が気づいていないわけがなかった。一人については、後々ヒアリングをしてみなければ理由は分からない。しかし、残り二人については、すでに承知していた。無論、それが理由で、この学校に来たのならば、自分の思惑通りに事は運んでくれないだろうという事も分かり切っていた。

 そんな少女たちを無理やり引っ張り出すのだから、それ相応の覚悟が必要だ。彼女たちの人生に踏み込んでいく、そんな覚悟が。でも、それでも彼女はやらなければならなかった。

 

「それでも……私はやらなくちゃならない。……ごめんね、地獄への道連れみたいでさ……」

 

 少女は、同じく机の上にあった干しイモの入った袋を取ると、その部屋から出て行った。扉から出る寸前に見えた顔、そこには、先ほどまでのような真剣な顔つきの少女はいなくなっていた。



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1-3 戦略

「今日帰りお茶していかない?」

「え、お茶?女子高生みたい」

「女子高生ですって」

 

 昼ご飯を食べた後、みほたちはそれぞれ自分たちのクラスへと帰っていった。若干みほと離れることに対して後ろ髪惹かれる思いだったまほではあるものの、あまり過保護すぎるのも悪いと思って潔く自分のクラスへと帰っていった。

 みほは、黒森峰女学園の時にはなかった女子高生としての会話にウキウキしていた。家では、厳格な母のため女子高生らしい生活ができず、彼女の周りにいた生徒たちも帰りにお茶をしようなんて誘ってくれる人達はいなかった。そのため、こうして自分を誘ってくれること自体が嬉しいものであるのだ。

 

「実は相談があってさ」

「え?」

「ちょっと悩んでて……」

 

 と、沙織が突然話を切りだしてきた。その顔から考えるにかなり深刻な悩みのようだ。

 

「私って罪な女でさぁ」

「また、その話ですか?」

 

 華の反応を見る限りその悩みやらは何度も相談し、答えの出なかったもののようだ。

 

「最近、いろんな男の人から声かけられまくりで……どうしたらいいかな?」

「いろんな?」

 

 つまり、よくナンパに会うという相談らしい。まぁ、確かに彼女は整った顔つきをしていて、こんなにも明るい性格なのだから、恋人にしたいという人間が多く現れても不思議ではない気がする。

 自分は、黒森峰女学園にいた頃はナンパというものには遭遇しなかった。だが、もしもそんな状況に陥ったらどうしようかと考えていたのは確かだ。結論から言って、あたふたして何もできないだろうなというのが自分の答えだったが。

 みほは黒森峰時代から部員から戦車関連での相談事を多々請け負ってきた経験はあった物の、恋の悩みについては皆無だった。だから、一体どう返答したらいいのか困ってしまっている中、沙織はさらに話を続ける。

 

「いや、近所の人達なんだけれどね。毎朝『おはよう』とか、『今日も元気だね』って」

 

 え、それって……。

 

「ですから、それはただのあいさつでは」

「でも、絶対私のこと好きだもん!」

「はいはい」

 

 なるほど、ご近所でのあいさつを自分に対する好意として認識しているわけである。この反応から察するに、恐らく沙織は自分のようにまじめな恋愛を経験したことがないのだろう。そんな自分が大真面目に華のように反対することや、彼女を気遣って肯定してあげることは失礼にあたることだろう。あやふやな答えというのも彼女に申し訳が立たない。だから、一応みほ自身が思っていることを口にしてみた。

 

「武部さん、明るくて親しみやすいもんね。だから皆、友達になりたくなるんじゃないかな。誰とでもすぐ仲良くなれるなんてすごいと思うよ……。私、それから多分お姉ちゃんも式部さんや五十鈴さんが声をかけてきてくれて……足が不自由な私に優しくしてくれて、本当に嬉しかった。素敵な友達ができたなって……」

 

 友達ができるか不安だった自分がしかし、式部沙織、そして五十鈴華という少女たちが友達になってくれて、救われたような気持になった。姉もまた、戦車に関係のない後輩として、友達になってくれた彼女たちに感謝しているに違いない。そうみほは思っていた。そんなみほに対して華は言った。

 

「西住さんこそ素敵な方です」

「わ、私なんて全然!五十鈴さんの方が落ち着いてて、心が強そうで……それに大人っぽくて……すごく羨ましいな」

「そんな、いつも堅苦しいって言われてしまって……」

 

 華は、この時点でみほの何が自分たちを引きあわせたのか分かった気がする。もちろん足が不自由なのを憐れんだわけではない。彼女は、人を見る目という物がとてもいいのだ。優しく、穏やかな心持で誰かの眼を見ているそんな目をして、だれかのいいところを見つけるのが得意で、それでいてちょっとばかし自分に対して自信がないような。それに……。

 

「そうなの?私なんか前の学校だと皆にいつも頼りないって叱られてばっかりだったの。どうしたら五十鈴さんみたいになれるんだろう……」

「華道をずっとやっていたからそのせいかしら」

「えぇすごい!私もやってみたかったの!女らしくて華やかでいいよね!!」

 

 随分な食いつきように、一瞬だけポカンとしてしまった華。どうしてだろうか、この少女からは自分と似たようなにおいが感じられるのだ。姉のまほに至っては、もはや同族嫌悪であるかのように仲間意識すら感じる。一体、みほの家は何をしているところなのだろうかと、疑問に思ってしまった。続けて、みほは言う。

 

「二人とも、友達になってくれてありがとう」

 

 それは、きれいなお辞儀であった。華道をたしなんでいる自分から見ても、気品に溢れ、それでいて最上級に敬意を表している。そんなお辞儀だ。華は、それに対して微笑み。

 

「こちらこそ」

 

 そう言って同じくお辞儀で返す。後ろに人の気配をいくつか感じながら。

 みほが二人に対してお礼を言う寸前、三人の少女達が教室の中に入り、背の小さな少女を先頭にして教壇に立った。眼鏡をかけた少女は、何やらバインダーを持っており、先頭に立つ背の小さな少女は何やら細々としたものを食べている。その袋をよく見ると表面には干しイモという言葉が見えた。その姿を見た周りのクラスメイト達は口々に『会長』と言葉を発している。自分の理解力が正しいのであれば、会長とは生徒会長の事なのだろう。だが、どうしてそんな人間がこの教室に現れたのだろうか。

 その時、眼鏡をかけた少女がバインダーから目を離して自分の方を指さした。なんだかとてつもなく嫌な予感がする。それに伴い、先頭に立った少女は自分に向かって手を振りながら言った。

 

「やぁ、西住ちゃん!」

「はい!?」

 

 突然のご指名にみほは驚いた。もちろん、彼女は生徒会長と面識はないし生徒会に厄介になるようなことはしでかしていない。

 そもそもその少女達、おそらく背の小さい少女が生徒会長であるとは思うが、それ以外の少女二人は何者なのだろう。みほは、思わず沙織に目線を向けた。その視線をキャッチした沙織は顔を耳元に近づけて言う。

 

「一番前の人が生徒会長、それと副会長と広報の人だよ」

 

 などと教えられている間にも、三人は自分の目の前までやって来た。なんとも圧迫感というか、威圧感があるし、自分の思っていた以上に大きく見える。先ほどまで小さいと思っていた、生徒会長である少女ですら、自分と同じ身長に思えてくる。

 果たして、みほが困惑している間にも眼鏡をかけた少女は言った。

 

「少々話がある」

「はい?」

「廊下まで来てくれ」

「は、はい……」

 

 そう言われて、みほはそう返事をした。三人の中で一番普通に見えるポニーテールの少女が、手を貸そうかと言ってくれたが、自分一人でも車椅子を操作できるようにリハビリを積んできたのだから必要なかった。

 そもそも、この大洗に来るまで一人で暮らさなければならないと思っていた彼女にとって、手伝いなしに動くという事など、簡単でしかなかった。

 一人の力で廊下まででたみほに対し、生徒会長である少女が顔を近づかせて言った。

 

「履修選択科目なんだけどさぁ、戦車道取ってね。よろしく」

「え?」

 

 みほは耳を疑った。履修選択科目?戦車道?確かこの学校は戦車道の授業はないはずだったのではないか。それに……。みほは、そう思いながら自分の足元をやんわりと見ながら動揺を隠しながら言った。

 

「あの……この学校は戦車道の授業はなかったはずじゃ……」

 

 だからこそ、自分は、自分と姉はこの学校を選んだのだ。そうじゃなければ、この学校に入学するという判断もしなかった。続けて、眼鏡をかけた少女が言う。

 

「今年から復活することになった」

「わ、私この学校は戦車道がないと思って、わざわざ転校してきたんですけど……」

「いやぁ、運命だね」

 

 運命、そんな言葉一つで解決できるような簡単な問題だったら、自分もこの少女のように笑い飛ばしているだろう。だが、事はそんなゆでた卵を立たせるかのように簡単なことではない。

 

「り、履修選択科目なら好きに選べるんじゃ、それに私足も……」

「いい時代になったよねぇ。最近は安全性を確保出来たら、障害者でも戦車に乗れるようにルール変更されたって聞いたんだけどさぁ」

「ッ!」

 

 確かに、彼女の言っていることは正しい。数年前に、近年の社会情景からかんがみて、障害者であったとしても戦車道に参加できるようなルール付けが行われた。簡単に言えば、安全性を確保することができれば、身体身体障者であっても戦車に同乗することを許可するというルールにだ。だが、自分はそれ以上に……。

 

「戦略アドバイザーとかそんなんでもいいからさ、とにかくよろしく」

 

 一人、ポニーテールの少女を除いて好き勝手に言っていた少女は、それだけを言うとそそくさと退散していった。

 取り残されたみほの頭の中は、まるで台風に巻き込まれてしまった時のように滅茶苦茶となってしまい、混乱寸前だった。

 せっかく戦車道がない学校に来たというのに、せっかく姉としがらみもなく楽しく暮らせると思ったのに、せっかく女子高生らしい生活を送ることができると思ったのに。青天の霹靂という物じゃすまされない。誰も望まなかったような悲劇。

 とにかく、次の授業の準備をしないといけない。みほは、車いすの車輪を漕ごうとした。しかし、何故かそれが回ることなく、手すりから手が滑ってしまう。何故だろう。みほは、両の手を見た。そこには、まるで雨の後の地面のように汗がべったりと、粘っこく付着していた。それに震えている。尋常じゃなく、震えている。そんなみほの様子を沙織、華の二人は心配そうに教室の入口から見ていることしかできなかった。みほは、右手で左手を掴むとつぶやくように言った。

 

「お姉ちゃん……」

 

 と。

 一方、その姉の方にもまた、生徒会三人衆の魔の手が忍び寄っていた。

 

「今、何と言った?」

「だからさぁ、必修選択科目、戦車道履修してもらいたいの」

「断る。私は戦車道をするために大洗に来たわけじゃない」

 

 みほも同じく、いや、みほの時よりもはっきりとまほは三人からの勧誘を断っていた。

 

「そんなこと言わずに」

「断る、と言っている」

 

 鋭い目つきとどこからかあふれ出てくるプレッシャー、それによって会長の後ろにいた二人は後ずさってしまった。しかし、それでも生徒会長、角谷杏は退かなかった。元々断られるのは覚悟の上、ならばと、彼女も覚悟をしてここに来たのだ。それこそ、威圧感によって殺されようとも。

 

「私からしたらさぁ、そのあまりある才能をほったらかしにしているのは、ちょっとばかしもったいない気がするんだよねぇ」

「何を言われても、私は戦車道から足を洗った身だ。心変わりする気もない」

「……」

「……」

 

 かたや大洗学園の現トップ、かたや元日本一の実績を持つ黒森峰女学園の元トップ、一触即発という状況に双方一歩たりとも退こうとはしなかった。その緊張は、クラス中にも伝わっており、無関係であるはずなのだが、その光景に対して息をのむばかりであった。角谷の後ろにいる生徒会広報の河島桃に至っては、もはや泣き出しそうにも見え、それに対して副会長の小山柚子がなだめている。自分たちは、とんでもないところに来てしまったようだと慄いてしまっていた。

 しかし、そんな険悪な雰囲気も、学校のチャイムによって幸運にも途切れることとなった。

 

「チャイムも鳴ったことだし、今回の所はこの辺にしとくから」

「何度来ても私は……」

「あぁそうそう、一応言っておくけど、西住姉さん以外にもスカウトしてる人いるから。それだけは伝えておくね」

「私以外にも……?ッ!」

 

 その言葉と言動に、まほはすぐに妹の顔が浮かんだ。例え足が動かなくとも、戦車道に拘わらせることなんて容易いことだ。特に、昨今のルール変更で、障害者であったとしても競技に参加できるようルール作りがされているため、可能性は確実にある。

 まほは、すぐにみほの元へと向かおうと教室から出ようとした。しかし、ちょうどその時先生が来て、席に着くようにと言われてしまう。こんなチャイムギリギリに彼女たちが自分の元に訪れたのは、これが理由だったのだ。流石のまほも、しぶしぶ席に着くことしかできなかった。ただただ不安をその身に宿らせながら、時間を過ぎるのを待つしかなかったのだ。




 しばらくは、どのくらいの間隔で投稿しようか考えてみようと思います。


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1-4 同調

 生涯で二度はないと思っていた。そんな混乱の渦が今、西住みほの心目掛けて疑問という名の石を投げつけてきた。

 どうしよう。どうしようか。どうすればいいのだろう。どうしたらよいのだろう。彼女の頭は真っ白となり、何も考えられないでいた。

 先ほどまで、自分は心の中で鐘楼を煩く鳴らされたかのようにトラウマが揺さぶりをかけていた。そして、今はその余韻で、身体全体がおかしくなっている。そう思える。生徒会に命令された戦車道履修。ただ、断ればいいだけだ。しかし、彼女はそれができなかった。トラウマと戦うのに必死になって、結局言い出すことができなかったのだ。だが、今のところはぼろ負け状態だ。

 そういえば、姉の所にも話は行っているのだろうか。当たり前であろう。姉は、自分等よりも優秀で、一昨年は黒森峰女学園の戦車道全国大会九連覇に貢献した実力の持ち主。黒森峰女学園の十連覇を阻んでしまった自分などよりもよっぽど優秀な人だ。彼女たちが何のために自分に戦車道をまたやれと言ったのかは分からないが、しかし優秀な人材を集めているのだとしたら、姉に声をかけないはずがない。

 せっかく、自分は戦車道から離れることができたというのに。ようやく、トラウマが薄らいできたと思っていたのに。それと、姉と昔のように仲のいい関係に戻ることができ始めてきたというのに。どうして、世界は自分たちに安定を安泰をもたらしてくれないのだ。なんで、自分はあの家に生まれてしまったのだ。どうして、なんで……。

 

「みほ」

「え?」

 

 その時、斜め後ろにいる沙織から声がかけられた。どうやら、考え事をしすぎていたようだ。授業の内容も先生の話も全然頭に入ってきていなかった。

 現在の状況からして、先生に問題を答えるように指名され、それを完全無視していた様子であるが、しかし今の自分に黒板に書いてある問題を解く気力なんてなかった。

 

「どうしたの?気分でも悪い?だったら保健室に行きなさい」

「あっ……はい」

 

 好都合と言ってしまったら先生に悪いし、実際に気分が悪くなったも同意義であるため、お言葉に甘えさせてもらってみほは車椅子を方向転換させて、一人教室から出ていった。しかし、その動きはあまりにもゆっくりで、もしもこうして座っていなかったら倒れてしまうのではないかとクラスメイト全員が見ていた。特に、沙織と華はかなり心配そうに彼女が出て行くまで見ていた。

 廊下に一人出たみほ、しかし次第にその車輪は動きを止めていく。また、手についた汗によって車輪を持つ取ってが滑り、前に進まないのだ。何度スカートの裾で手を拭いても汗は吹き出し、前に進もうとしない。さてどうする。自分の足を動かす手がこんな調子であれば、自分はどこにも行くことができない。まるで、今の自分の気持ちのようだ。答えが出せずに前に進もうとも、後ろに進もうともしない自分のようだ。みほは、自分のことが少々みじめであるように感じてしまった。

 その時だ。突然背中に圧が感じるのと同時に車輪が回った。

 

「え?」

 

 何事かと、みほが後ろを向いた。そこにいたのは、沙織の姿だ。

 

「武部さん……」

「私達も一緒に行くよ」

「え?でも、授業は?」

「仮病です」

 

 沙織は腹痛、華は持病の癪を理由にして保健室に行く許可をもらった。みほの様子がおかしかったから、心配になったのだ。そしたら案の定、彼女は廊下の真ん中で立ち往生していた。いや、座り往生か?それはともかく。間もなくして、三人は保健室に到着した。

 

「今日は気分が悪い人が多いわね。静かに休んでてね」

 

 みほ他二名をベッドに寝かした後、そう言って養護教諭の先生は部屋から出て行った。それから、もう一つベッドが膨らんでいる。どうやら先客の人がいた様子だ。船酔いで、昼ご飯を食べた後に具合が悪くなってきたのだとか。三人は、この学校でそれは珍しいなと思ったが、養護教諭曰く彼女は少し前まで本土の学校にいたらしく、都合により他の一年生たちから遅れて今日からこの大洗に住み始めたのだとか。だが、ここに来るまでの船の中で船酔いを起こし、さらに船の揺れになれていないという事と昼ご飯を食べた後という事が重なってここまで重症になっているらしい。それで三人は納得した。

 そして、養護教諭が部屋を出たところを見計らって、みほの両サイドのベッドに陣取っていた華と沙織がみほに声をかける。

 

「西住さん、大丈夫ですか?」

「……」

「いいよ寝てれば」

 

 みほは、その言葉を受けて起き上がろうとするが、沙織がそれを制した。

 

「早退されるのであれば、カバン持ってまいります」

「ありがとう」

「生徒会長に何言われたのよ」

「よかったら話して下さい」

 

 どうしようか。だが、別に話してもいいようなことだ。それにむしろ話した方が……。

 

「……今年度から、『戦車道』が復活するんだって」

「戦車道とは……乙女がたしなむ伝統的な武芸の?」

 

 二人は、この世界にてポピュラーであるその言葉に反応した。戦車道は、古くから乙女のたしなみとして存在していた武道だ。礼節のある淑やかで慎ましく、凛々しい婦女子を育成することを目指した武芸らしく、高校戦車道の全国大会も行われるほどで、女性に人気なのである。だが、だからと言ってである。

 

「それとみほに何の関係があるの?」

「私に、戦車道を選択するようにって」

「え、なんで?」

 

 選択科目なのだからどれを選んでもいいはずなのである。実際、選択科目には他にもたくさんある。茶道、書道、合気道、忍道、仙道……等々。まだ序盤は分かる。よく知られたものであるから。だが、忍道と仙道とはなんだろうか。その話はまた後で、もしくは忘れ去ろう。ともかく、どうして生徒会がそこまで言うのだろうか。

 

「えっと……それは……」

「何かの嫌がらせ?あっ分かった、生徒会の誰かと三角関係?恋愛のもつれ?」

「ちがっ……」

「是非戦車道を選択するように焦がれるなんて、もしかしてみほさん数々の歴戦を潜り抜けてきた戦の達人なのでしょうか」

 

 沙織のいうドラマ的展開はともかく、華の言う通り、自分は歴戦を潜り抜けてきたといえる。だが、姉や母から見れば、まだまだ自分はそれほどまでは……。

 

「タイマンはったり、暴走したり、カツアゲしたり」

「でもなくて……」

 

 昼食の時から思っていたが、どうしてこの二人の想像は変な方向にばかり話が飛躍してしまうのだろうか。いや、確かに華の言う通りスケバンのような自分だったらどれだけよかったことだろうか。それほどまでに度胸の有るような自分だったらどれだけよかったことか、そんな事を少しは思ってしまう。

 一方、答えにたどり着かない沙織はついに、直球で聞いてみることにした。

 

「じゃあ何?」

「えっと……」

 

 みほは一瞬だけ考える。別に、言って困るようなことでもないし、そもそももう自分と姉には全く関係のないことだ。だが、姉に黙って彼女たちにばらしていいのだろうか。いや、別段二人だけの秘密という事柄でもないから多分大丈夫だ。

 みほは、何の意味もない雑学を披露するような虚しい気持ちになりながらも、ため息をつきながら言った。

 

「実は、私の家は……代々戦車乗りの家系で……」

「まぁ……」

「へぇ……」

「でも、あまりいい思い出がなくて……」

「では、まほさんも?」

「うん、でもお姉ちゃんは私のように戦車道が嫌いになるようなことはなくって……でも、戦車道の試合で足が動かなくなった私の事を心配してくれて……それで、戦車道を避けるために二人でこの学校に来たわけで……」

「そうだったんですか……」

 

 実質、彼女の足が動かなくなったのは運が悪かったとしか言いようのない物だった。しかし、それがトラウマとなって彼女の心に傷をつけたのはまた事実。結果的に、多くの人たちの期待を裏切って、たくさんの人間に迷惑をかけたという事もまたそれ以上に彼女の心に刻まれた事実だった。

 華は、何となくみほとまほにシンパシーを感じていた理由が分かった。自分もまた、華道の家元の家に生まれてきた人間だ。生活のあちこちにおいても、きつい制限がなされて自分自身時には逃げ出したいという気持ちになったことが多々ある。彼女達も自分と同じなのだろうと思う。

 

「そっかぁ……じゃ、無理にやらなくていいじゃん」

「え?」

「第一、今時戦車道なんてさぁ、女子高生がやることじゃないよ」

「生徒会に断りになるなら、私達も付き添いますから」

 

 そう、断ればいいのだ。ただそれだけでいいのに、自分はその最後の一歩が怖くて踏み出せないでいた。でも、どうしてだろうか、二人と一緒ならどんなことでも言えそうな気がする。二人に、たくさんの勇気をもらっているような気がする。

 それに……障害を理由にしたくはないが、足が不自由という事は戦車乗りとしては不都合が多々ある。特に、自分のスタイルから考えると、デメリット以外の何物でもない。生徒会からは戦略アドバイザーとしての参加でもいいとは言われたものの、あいにく姉とは違って自分にそんな才能があるとは思えなかった。ここは、二人の勇気を借りてきっぱり断った方が無難だ。そう、みほは考えていた。

 

「二人とも、ありが……」

「う、うぅ……」

 

 みほがお礼を言おうとしたとき、うめき声が聞こえた。三人は思わずその方向へと目線を向ける。そこは、自分たちが来る前から埋まっていた一つのベッドだった。見ている内に、中にいる人間が上にかぶさっていた布団を取って起き上がってきた。

 

「だんだん良くなってきた……」

 

 起き上がってきたのは銀髪の女の子。自分達よりも年下に見える事と、先ほどの養護教諭の話から察するに一年生なのだろうが、心なしかもっと幼く見えてしまう。

 

「あの、大丈夫?」

「うん、ちょっと船によっだだけ……えっと?」

「あっ、ごめんね急に話しかけちゃって。私は武部沙織」

「五十鈴華です」

「私は……」

「え?」

 

 その時だ。みほが自己紹介をしようとした瞬間、それを遮るかのようにチャイムが鳴り響いた。その時、みほの顔を見た少女の顔が少し変化したのには全く気がつかなかった。

 

「授業が終わってしまいました。せっかくくつろいでいましたのに」

「後はホームルームだけだね」

 

 そういえば、よく考えてみるとこっちの二人は自分のために仮病を使って授業をずる休みしてしまったのだなと今更ながらに思った。まぁ、そのおかげで勇気を貰えたことであるし、後は家に帰って姉と相談をしなければならない。

 そう思った矢先、彼女たちの耳をサイレンのようなものが襲った。

 

「なに?」

 

 みほの疑問もそこそこに、天井に備え付けられているスピーカーから声が流れ出す。この声は確か、先ほどのバインダーを持っていた生徒会役員の声と同じだ。

 

『全校生徒に次ぐ、体育館に集合せよ。体育館に集合せよ』

「えっと……これって?」

「さぁ?」

「うちの生徒会のやることですから」

「みんな慣れっこなんだ……」

 

 この二人の反応から察するにどうやら、生徒会の突然の行動というのは奇行であるどころか、もはや名物になっているようだ。とにかくみほ、それからベッドの上にいる少女も一緒になって体育館へと向かうことになった。

 一方の西住姉、まほはというと一人体育館の真ん前で陣取り、みほが来るのを待っていた。

 授業が終わってすぐ、彼女はみほの教室へと急行した。すると、どうやらクラスの人間全員がどこかに行こうとしている様子だった。見渡してみると、みほの姿、さらに沙織や華も見当たらない。一人の女子生徒を捕まえて話を聞くと、どうやら授業中に体調不良で三人とも保健室へと向かったという。それに加えて、この喧騒は何なのかという事も聞くと、生徒会から放送があって、体育館に集まるようにと指示があったそうだ。自分は、その放送に聞き覚えはないが、多分あまりにも急いでいたため聞き逃してしまったのだろう。

 今から保健室に向かうべきかと考えたが、保健室は確か体育館とは逆の位置に存在する。と、いう事は今から体育館に向かえば、先回りすることができる。そう考えて、体育館の扉のすぐ横に立ったのだ。

 こう言っては何であるが、みほは車椅子に乗っていてよく目立つ。そのうえ、常識のある人間は車椅子の少女がいれば大体の確率で道を開けてくれるものだ。さらに言えば、彼女は目がよかった。そのため、遠くからでも車椅子に乗るみほと、その両脇にいる沙織と華の姿を見つけやすかった。

 そして、まほは自分の目を疑った。何故彼女がみほの車椅子を押しているのか、いやそれどころか、どうして彼女がこの大洗にいるのだろうか。この学校には戦車道はないはずだ。いや、百歩譲って自分たちと同じように戦車道がないからこそ来たという事も考えよう。しかし、もしもその場合でも確か彼女はまだ年齢的に言えば中学生だったはずだ。それが、何故高校にいるのか。珍しくも動揺してしまったまほに対して、いつの間にかみほたちは近づいてきていた。

 

「あっ、お姉ちゃん」

「みほ……保健室に行ったって聞いたけど……大丈夫?」

「うん、少し休んだら元気になった」

「そう……武部さんと五十鈴さんありがとう。みほの側にいてくれて」

「いいんです気にしなくて。みほのおかげで私まで授業さぼれちゃった、なんちゃって」

「もう武部さん」

 

 冗談なのか、はたまた冗談じゃないのかどちらともとれる発言ではあるが、それでも自分の代わりにみほの隣にいてくれて助かったのは事実だ。

 その時、車椅子を押している少女の顔を見る。やはり、間違いなく彼女に違いない。彼女もどうして自分がここにいるのかと言わんばかりの表情だ。みほは、彼女に対して何も思わなかったのだろうか。いや、彼女は次期家元がほとんど約束されている自分と違ってそう言った物を知る心得もないだろうから、彼女の事を知らなくても当然だろう。しかし、自分はよく知っている。何故なら、自分の家と彼女の家は双方ライバルのような物。会ったことはなくとも、写真などでよく見かける少女だった。彼女は、彼女の名前は……。

 

「島田、愛里寿……」

「え?」

「……西住まほさん……ですね」

「え?え?」

「……見間違えかと思いましたが……やっぱり、西住みほさんだったんですね……」

「え?え?え?」

 

 みほは、自分を間に挟んでの空気の変化を感じ取った。なんだろうか。険悪という雰囲気ではないが、しかし双方探りを入れているかのような感覚だ。だが、何故姉が見ず知らずの少女に対してそんな反応を示すのかよくわからなかった。深く、重い沈黙が場の空気を支配している最中、愛里寿と名乗った少女が言った。

 

「……詳しく話すのは後でも構いませんか?」

「……そうだな。みほ、色々とつもる話があるが……とりあえずこれが終わってからにしよう」

「え?う、うん……」

 

 まほはそう言うと、愛里寿から車椅子を押す役目を代わって、五人で一緒に体育館の中へと入って行った。

 島田愛里寿と姉、二人の間に何があったというのだろうか。そして、この後一体何があるというのだろうか。みほには、まるで想像もできない事であった。




 次回から、投稿は毎週火曜日の一時or十二時、もしくはその両方で投稿することにします。


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1-5 説明

 今回、聞き慣れない高校の名前を出しますが、それは原作にはないオリジナルの学校です。


 体育館の中は、大洗学園中の生徒でごった返していた。

 無理もないだろう。先ほどの放送から察するに、この場所には大洗学園の全生徒が集まっているのだから。しかし、正直言えばこの学校にこれだけの人数がいたというのは驚きに値する。

 無意識に耳に入ってくる言葉を統合すると、クラスごとに分かれているというわけではなく、それぞれに好きな場所に座って、生徒会役員が現れるのを待っているようだ。そのため、みほ、他四名は一番後ろで待っていることにした。

 それにしても、生徒会は一体何のために全校生徒を集めたというのだろうか。百歩譲って先生が生徒を招集するというのならまだ何となくわかるが、しかし生徒が生徒を呼び出す、並びにそれほどの権力を保持しているのは一体なぜだろうか。

 

「一体、何が始まるんだ?」

「さぁ?」

「生徒会のやることですから」

「こんな事……前にもあったの?」

「まぁ、何度もね」

「へぇ……」

 

 と、姉は自分が保健室で言ったような言葉を吐き、愛里寿は納得したような納得していないような表情を浮かべていた。

 因みに現在の並び順はというと、沙織、華、みほ、愛里寿、まほの順番で座っている。生徒会の人間が来る前に、まほは少し愛里寿と話をしてみることにした。その際、戦車道の話になるかもしれないため、まほはみほには聞こえないように声のボリュームを小さくして話し始める。

 

「ところで……何故ここにいる?」

「……」

「次期島田流の家元であり……私の記憶だと確か中学生であるはずの君がどうして?」

 

 華道に多くの流派があるように、戦車道にもいくつかの流派が存在する。中でも、二大流派と言われている物が、西住流と島田流なのだ。まほとみほは、色々あって現在進行形で勘当同然の扱いとなっているが、一応西住流家元の娘。島田愛里寿は、島田流の家元の娘である。

 実際に会って話したことはなかったものの、西住流の次期家元としてはライバルとなる家の家元の顔ぐらいは覚えておかなければならないと、写真で現家元、そしてその近くで一緒に映っていることの多かった娘である愛里寿の顔を見たことがあった。しかし、自分の記憶が正しければ、彼女はまだ中学生だったはず。まほは、そんな彼女がどうして高校に、それも戦車道のない学校にいるのかが不思議でたまらなかった。

 

「……まほさんは、戦車道大学選抜チームの話をご存知ですか?」

「ん?当たり前だ。戦車道を嗜んでいた身としてはな……」

 

 大学選抜チームは、文字通り古今東西日本中の大学から優秀な選手を集めて作られたチームの事である……とまほは記憶していた。

 

「そのチームの隊長に、私が任命されました」

「なに?だが君は……」

「私は、年齢的に言えばまだ中学生だけど、飛び級して大学生としての身分を持っているから……」

 

 正直、飛び級制度が日本にあったこと自体が驚きである。そのようなものは、アメリカなどの実力主義の国特有の文化であるという認識だった。だが、愛里寿が大学生であるというのなら、なおさらこの高校にいるのはおかしな話だ。

 

「そうなのか……だが、それだったらなおさら……」

「戦車道連盟で私が大学選抜の隊長を勤めることについて会議を行った時……反対する人が多かったみたいで……」

「……理由は?」

「若すぎる、人をまとめるのに力不足じゃないか……というような」

「……なるほど」

 

 もっともな意見である。確かに彼女に実力があるとしよう。しかし、彼女がまとめるのは、自分から見ても年上の大人になるギリギリの女性ばかり。そんな年上の少女達をまとめる力があるか、いやもし力があっても自分よりもはるかに若い愛里寿が隊長になることに反発する人間もいる事だろう。戦車道連盟の人間のように。さらに言えば、大学選抜という事は最高で九つも年の違う人間と接することとなるのだ。ジュネレーションギャップで話が合わず、意思疎通、コミュニケーションに支障をきたすという事もありうる。ともかく、若い愛里寿が力不足だと言われたのはそのような要因があったからであると簡単に推測できた。

 

「それに、確かに大学に入学できるほどの学力があるとはいえ、中高六年間の人生を奪うのは、かわいそうだっていう意見も出ました」

「あぁ、それは何となくわかる気がする……」

「でも、大学生の中で一番統率能力があるのは私だからどうしても隊長として置かなければならないって話になって……そしたら母さんが……期限を付けないで高等学校に通わせるのはどうかって言ってくれて……」

「……そうなのか」

 

 これは、現島田流家元の島田千代と戦車道連盟、さらに文部科学省と有識者が何日間にも及ぶ協議を行った結果に導き出された結論であった。

 だが年上の人間と一緒にいる感覚になじませるのであれば、普通に大学に通っていればいいだけの話なのではないだろうかとまほは思っていた。確かに、彼女が思った通りの意見が会議でも出た。しかし、多くの人間が知っている通り、大学というのはクラス制ではなく単位制である。それこそ学部学科によっては数百人という中に愛里寿は埋もれてしまう。大学生との会話について行けないであろうと予測される愛里寿にとっては、その状況は年上に慣れるという目標を達成すのには不都合なのである。そのため、所属する人数は数十人単位であるクラス制のある高等学校が一番この場合には適しているのだとある有識者からの意見があったのだ。

 さらに、高等学校に対しても島田流家元は二つの条件を付けた。

一.戦車道のない学校に通わせること。

二.女子高に通わせること。

 という物だ。戦車道のない学校に通わせることを条件に入れたのは、愛里寿が敬われては意味がないと考えたことからだ。

 戦車道をしている者の多くが、島田流という流派を、そして島田愛里寿という名前を知っていることだろう。それこそ、島田愛里寿は雲の上の存在に近い人間である。そんな人間が入ってきたとなると、愛里寿の事を対等の関係として見てくれる人間なんていなくなってしまう恐れがある。確かにこの問題の終着点が、隊長として大学生選抜をまとめ上げられるようになるであるが、敬われるとまとめ上げるという物は似て非なる物。そのため、対等に友達関係を築けるであろう戦車道のない学校に入学させるべきである、というのが島田千代等の意見であった。

 それから、女子高に通わせることという物は、共学校に行って、変な男に引っかけられたら自分がその男を殺しに行きたくなるほどに嫌だからという、どちらかと言えば親バカに近い理由であった。

 その条件に当てはまる高校はいくつもあった。楯無高校、竪琴高校、英星高校……最後には有識者の意見も交えて島田千代が決めた。その結果が……。

 

「大洗に来た……という事か」

「……」

 

 愛里寿は、首を縦に振った。とりあえず、自分たちのように戦車道から逃げたくて来たわけじゃないと分かって、少しだけ安心した。だが、戦車道がないから大洗に来たという事は、大洗の戦車道が復活するといった状況は少しまずいのではないだろうかとも思い始める。だが、どっちにしろ最後に決めるのは愛里寿なのだから、これ以上自分がどうこう言っていいわけがない。

 

「静かに、それではこれから必修選択科目のオリエンテーションを開始する」

 

 いつの間にか目の前の舞台に立っていた生徒会役員の少女がそう言った瞬間、体育館の照明は落とされ、プロジェクターが稼働し、真っ白いキャンバスに薄っすらと文字を映し出した。

 それまでは、ただ単にオリエンテーションのために集められたのだなと思っていた。しかし、異様だったのはその文字が出た後である。白地にでかでかと映し出された書道で書かれたような字体、そこには、彼女たちがよく知る言葉が記されていた。

 

≪戦車道入門≫

 

 と。

 

「必修選択科目のオリエンテーションでしたよね?」

「まぁ、戦車道も一応必修選択科目っていう名目らしいから」

 

 という愛里寿とみほのやり取りも聞き流して、プロジェクターはナレーターの言葉と共に映像を映していく。

 

『戦車道、それは伝統的な文化であり、世界中で女子のたしなみとして受け継がれてきました』

 

 最初に映し出されたのは富士山をバックにしてたたずむ『マークⅠ戦車』。イギリスが第一次世界大戦中に開発、使用した世界初の実用戦車だ。当時は、機械的信頼性の低さや操縦性が劣悪であることを始め、歩兵との連携を得られない事、さらに、稼働できたのが十八両という少なさも災いして、それに見合う戦火を残すことができなかった。だが、このマークⅠからマークⅡ、Ⅲ、Ⅳと改良開発が続けられ、兵器の研究・開発が各国で進められることになる。このマークⅠ戦車から、今の戦車の歴史が始まったと断言しても良いのだ。

 次に映し出されたのは、枯れた大地を進む『突撃戦車A7V』である。第一次世界大戦末期の一九一八年に実戦投入されたドイツで最初の戦車である。イギリスが前述のマークⅠ戦車を始めて実戦に投入したのが一九一六年なので、そのたった二年後の事だ。あらゆる地形に適応したうえで、塹壕を突破できる能力を有することを義務付けられたこの戦車は諸説あるが、世界初の戦車戦と言われる戦いにて前述のマークⅠの発展形のマークⅣ戦車三輌とこのA7V三輌の間で行われたと言われている。殺伐とはしているが、これが戦車道の始まりであると指摘している歴史学者もいるのだとか。

 三枚目に映し出されたのはバックに城とビルの両方が映っているという現代の写真であるということをありありと思わせる物だった。その戦車は、後ろからの写真ではあった物の、イギリス陸軍の『マークAホイペット中戦車』だ。一期一会とペイントがなされている。こちらも、先ほどまでの戦車と同じく、第一次世界大戦時の戦車であり、マークⅠを開発した人間によって、戦車供給部に対してより高速で、より安い戦車が従来の重たく遅い戦車が作る突破口を切り開くために作られなければならないと提唱し、その後承認を得て作られた戦車だ。ホイペットは、第一次世界大戦中に最も成功したイギリスの戦車と言われることもあり、戦時中のどのイギリス戦車よりも相手国に犠牲者を出したと評されている。どの戦車も、現代の戦車の歴史において重要な役割を担ってきたと言われる物ばかりだ。生徒会もそう言ったことを考えて選んだのだろうと三人は勘ぐってしまう。

 次に場面が切り替わると、そこからは映像となった。それは、まさしく戦車道に関連する女性たち。恐らく社会人チームだろうか。その映像が出された瞬間、みほはその映像から目線を外すかのように下を向いた。その様子は、まるでアレルギーを持った患者のようにも見える。

 

『礼節のある、淑やかで慎ましく、そして凛々しい婦女子を育成することを目指した武芸でもあります』

 

 カメラに一礼、続けて戦車に礼をした女性五人が、後ろにあるⅢ号戦車に乗り込んだ。Ⅲ号戦車は、一九四一年から一九四二年までの間ドイツ戦車隊の主力であった戦車だ。こちらは、黒森峰にも長砲身を使用したJ型が存在しているので見慣れている。戦車長である女性が、サイレントのためどう発声しているか分からないが、前進と言っているのだろうと、口の動きから分かる。

 

『戦車道を学ぶことは、女子としての道を、究める事でもあります。鉄のように熱く強く、無限軌道のようにカタカタと愛らしい。そして、大砲のように情熱的で必殺命中』

 

 大砲が火を吹く瞬間、今までサイレントであった映像から大きな、自分にとっては聞き慣れた破裂音がした。しかし、ほとんどの生徒にとってはそう言うことではなく、隣にいる姉、それから愛里寿が無反応である以外には皆それぞれに驚いている様子が、真後ろから見て分かった。特に、自分だけ車椅子に乗っているため一段高い場所から生徒たちを見下ろせているため、目線を外した自分でもその様子が簡単に見て取れる。

 まだ、耳の奥で大砲の音が鳴り響いている。その内、まるで自分の事を耳元であざけ笑っているのではないかというような笑い声に変化していく。笑い、罵り、そして蔑むようなそんな声。みほは、心の奥底に害虫が侵入してきたような感覚を感じた。

 

『戦車道を学べば必ず良き妻、良き母、良き職業婦人になれることでしょう』

 

 ダメだ、もう耐えることができない。今すぐここから逃げ出したい。戦車の映像が流れるたびに、痛みを感じることがないはずの足に電気が流れるような痛みを感じる。奥歯を噛み締め、必死になってその衝動を抑えてはいるものの、この身体の奥底からなだれだしてくるような感情は抑えきれない。ちょっと前までは、戦車の事が大好きで、自分自身ナレーターが言っているような人間になれるであろうと信じて疑わなかった。でも、今となってはそれらが甘い綺麗事にしか聞こえなくなって、そんな自分が嫌で嫌で仕方がない。叫びたい、吐き出したい。映像は、戦勝パレードのような映像に切り替わった。

 

『健康的で、優しくたくましいあなたは、多くの男性に好意を持って受け入れるはずです』

 

 やめて、そんな歓声欲しくない。私は、ただみんなで楽しく戦車道をしたかった。それなのに、みんなはそれを間違っているといって、そんな感情勝負の世界に入らないといって、ただ勝つためだけの戦車道を自分に押し付けて、鳥肌が立つほどのプレッシャーを自分たちに押し付けて、心を飲み込もうとする。

 車いすに座っているとはいう物の、みほに立ち眩みを起こしたかのような感覚が襲った。めまい、頭痛、吐き気、様々な物がみほの身体を、心を蝕もうと働きかける。みほは、そこにいることが怖くなってしまった。

 

「西住さん、大丈夫ですか?」

「えッ?」

 

 その声は、みほの心に精神安定剤を注いだかのように優しく、また自分の手の上に乗せられたそのか細い手は、彼女の身体をも優しく包んでいるように見えた。ふと気がつくと、五十鈴華が自分の手を抑えてくれていたようだ。どうやら、少し手が震えている。いや、彼女が心配してくれるのだとしたら、少しばかりではないのだろう。それに握りこぶしを開いてみると、手のひらにはくっきりと爪の跡が残されていた。無意識のうちに強く握りしめていたのだろう。痛みを感じなかったという事が不思議でならない。

 

『さぁ、皆さんもぜひ戦車道を学び、心身ともに健やかで美しい女性になりましょう』

 

 最後に、『来たれ乙女達!』という書が映し出され、まるでヒーローショーのような爆発と煙を最後に、そのプロモーションビデオのようなものは終わった。必修選択科目のオリエンテーションなのに戦車道の事しかしていないだとか、もしも乙女じゃなかったらどうするのだとかいろいろとツッコミどころがあった物の、みほは別段そのことについて突っ込まなかった。というよりも、突っ込む気力がなかった。




 ところで、戦車の種類はアニメの画と写真を照合して多分これだろうなという物を選んでいったので、本当にこれであっているのかは不明です。


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1-6 羨望

 因みに、他の投稿作品のアクセス解析を見たらわかりますが、私の小説はどうやら話が進めば進むほど人を選ぶようになって、どんどんと読者が減っていく方向にあるようなので、この小説の読者の方々も注意してください。

※タイトルナンバー重複のため修正。


 瞬く間に終わった戦車道についてのプロモーションビデオ。どう考えても他の選択科目のことを置き去りにしたもので、彼女たちが必死で戦車道に人を集めたいという事がありありと伝わってくるようなクオリティで逆に驚いた。

 煙が晴れて、体育館の灯りがともり始めるころ、『必修選択科目履修届』と書かれた紙が、プロジェクターで大きく映し出された。そこには、一番上にでかでかと戦車道と書かれており、その下に小さく茶道、書道、合気道、華道、弓道、仙道、香道、長刀道、忍道と書かれているという、あまりにも戦車道の自己主張の強いものが映し出されていた。

 

「みほ、大丈夫?」

「うん……ありがとう、五十鈴さん」

「いえ、どういたしまして」

 

 まほは、明るくなったタイミングを見てみほに話しかけた。本来なら、先ほど様子がおかしくなった時に話しかけたかったが、みほと自分の間にいる愛里寿に迷惑をかけるわけにはいかなかったため話しかけることができなかった。しかし、どうやらさらに向こう側にいた五十鈴華がみほの手を握って落ち着かせてくれていたようだ。

 一見して大したことのないように思えるこの行動だが、精神的に落ち込んだ時や、相手を元気つけたいときにボディタッチという物は素晴らしいほどの効果をもたらしてくれるのだ。よく、母親が子供の手を握っているという行動をよく見るが、あれは子供が迷子にならないためという事の他に、そうすることで母親の暖かさに直に触れることで子どもに無意識に安心感を与えるためであると言われている。まぁ、使い方を間違えると人生を崩壊させる原因にもなりうる諸刃の剣ともいえるのだが……。

 ともかく、まほは華に感謝しかなかった。因みに、さらにその向こう側にいる沙織はというとだが。

 

「はぁ……」

 

 顔のゆるみから察するにすっかりと戦車道に魅了されているように見える。

 ともかく、まほは愛里寿と場所を交代してもらった直後、またも生徒会三人衆が前に出てきて話を始める。

 

「実は、数年後に戦車道の世界大会が日本で開催されることとなった。そのため、文科省から全国の高校、大学に戦車道に力を入れるよう要請があったのだ」

 

 なるほど、確かに自分も母から戦車道の世界大会開催の話を聞かされた。その時に西住流として選抜されるように精進するようにとも。

 戦車道は、それなりに歴史のある武道であるが、知名度で言うと華道や茶道には今一歩劣っている。そのため高校、大学で戦車道を推進することで、近くにある戦車道世界大会に向けて熱意向上を図ろうとしていると考えるべきだろうか。

 ともかく、あの生徒会の話から察するに、どうやらどの学校に行ったとしても自分とみほ、それから愛里寿は戦車道から逃れることができなかったのかもしれない。少なくとも脅迫まがいのように勧誘を受けることもなかっただろうが。

 

「んで、うちの学校も戦車道を復活させるからねぇ、選択すると色々特典を与えちゃおうと思うだ。副会長」

 

 と言われて、隣のポニーテールの少女が反応した。あの眼鏡をかけたほうが副会長だと思っていたため、少々驚いてしまう。

 

「成績優秀者には食堂の食券百枚、遅刻見逃し二百日、さらに通常授業の三倍の単位を与えます!」

 

 瞬間、館内はざわついた。流石のまほであっても、そのような特別待遇は聞いたことがなかったので驚いた。

 

「そんなに……何故彼女たちはそこまでして戦車道履修者を集めようとする……いくら世界大会が近いと言っても、これは異常だぞ」

「うん、ただでさえ戦車道は黒森峰やグロリアーナ女学院みたいなより名門の学校が沢山ある。こんな無名校から人をかき集めても意味ないんじゃ……」

 

 何をそこまで必死になることがあるのだろうか。それにこの特典の数、生徒会が用意できる範疇から逸脱している。学校側も協力しているには違いはないが、ここまで大きな特典を付与させるなど、学校側が何を考えているのか理解できなかった。

 

「と、いう事でよろしく~」

 

 かくして、必修選択科目のオリエンテーション、というより戦車道の紹介は終了した。 体育館の中はまだ喧騒が支配しており、自分から外に出ようとしている者はいなかったため、みほたちが外に出るのは容易かった。

 戦車道を知っている者、知らない者をも巻き込んでそれぞれに衝撃を与えるようなプレゼンテーションだったのだから、あそこまで騒ぎ立てるのは当然であろう。

 後ろから見ても彼女たちの戦略がズバリとはまったことは目に見えていた。あと、ここにも一人あからさまにその術中にはまった人間がいる。

 

「私、戦車道履修する!」

「……」

 

 沙織である。

 

「最近の男子は、強くて頼れる女の子が好きなんだって!それに、戦車道やったらモテモテなんでしょ?」

「「……」」

 

 確かに彼女の言う通り自分たちはモテモテだったと言えよう。ラブレターもたくさん受け取った。……女子から。

 おそらくだが、戦車道をしたからと言って、異性からモテるようになるという事は必ずしも言えないだろう。むしろ、自分とおなじ女性であるというのに、重厚で迫力のある物を動かしているという憧れや、尊敬と言った意味合いから女性にモテるということは考えられることだ。

 

「みほとまほさんもやろうよ!家元でしょ!」

 

 しかし、二人は答えなかった。代わりと言っては何だが、その沙織からのお誘いに華が代わりに応えてくれた。

 

「沙織さん、お二人にはお二人の事情があるのですから、無理強いさせるのは申し訳ないです」

「え、そう?」

 

 正直なところ、華は先ほどのプレゼンを見て戦車道を履修したいと心の中で思った。しかし、それでいて先ほどのみほの手を握った感覚が忘れられないでいた。

 戦車を見た瞬間に震え始めた手、虚ろになる眼、沸騰したヤカンのように噴き出した汗、それらが彼女が戦車道という物に対して、戦車という物に対してトラウマを感じているという事を示していた。

 自分は、戦車道には疎いもののルールも厳格に決められており、安全に十分配慮したもので、大きなケガをするような人間が出ることはないという事を知っている。だが、みほのその身体が、自分の記憶と矛盾していることをありありと示していた。果たして、安全なはずの戦車道でみほの足が動かなくなったほどの出来事とは何なのだろう。彼女の心に傷をつけたのは何なのだろうか。

 華は、彼女は戦車を避ける理由を知らなければ、戦車道を履修する気にも、履修する資格すらもないと思っていた。

 そういえば、みほは戦車道の試合で足が動かなくなったと話していた。練習中ならともかく、試合中の出来事が原因であるというのなら今の時代、ネットでいくつかのサイトの文献を探れば出てくるだろうか。それに、彼女の家も自分の家と同じく、その道の流派の名門であるらしいため、名前で検索すれば出てくるのかもしれな。友達の過去を暴き立てるようで少し後ろ髪を引かれるが、しかしそれを知らなければみほの友達を続ける資格はないように思えた。そう思ったのだ。

 

 

 そんな体育館から帰り際の五人の姿を少し後ろの柱の影から見ている少女がいた。

 

「や、やはりあれは黒森峰女学園の西住みほ殿とまほ殿です。……それからあの銀髪の方もどこかで見たことが……」

 

 少女は筋金入りの戦車マニアであった。無論、戦車道の事も雑誌や実際の試合をテレビで観戦したりもしていた。自分もその雑誌に載っている少女たちのように戦車を乗り回したい。そう思っていたが、この大洗には何年も前から戦車道が廃止になり、戦車が置いていないためその夢は叶わなかった。ただ、それで戦車道のある学校に転校しようと思わないところが、彼女が親孝行ものであることを表しているのかもしれない。

 そんなあこがれの存在であり、高嶺の花であっただけの戦車道。しかし、そんな自分に対して思いもよらないニュースが舞い込んできた。

 

『西住姉妹が、大洗学園に転校してくる』

 

 彼女は、そのことに対して最初は大いに喜んだ。何故なら、彼女にとって戦車道名門校の黒森峰女学園の西住姉妹は憧れの存在であった。中でも、西住みほの事は、ある試合を見た時から、羨望の眼差しを送っていたほどだ。だが、その試合を見ていたからこそ、彼女は二人に会いに行くのを躊躇してしまった。体育館から出て行く彼女たちの背中を見て、声をかけようと追いかけてもこのざまである。

 あの試合、自分が西住みほにあこがれを持ったきっかけとなった試合。しかし、それは同時に、彼女に、彼女たちにとっては思い返したくないほどの苦い記憶のはずである。あんなことがあったのだから当然だ。何の関係もない自分が思い出してみても、胃がキリキリと痛み始めるほど。

 確かに、あれは人間としては正しかったのかもしれない。しかし、結果的にそれは美談となって昇華されて、多くの人の心の中に残されることとなってしまった。彼女は、そんな世間の評価の事をどう思っているのだろうか。自分は、そんな彼女に対して戦車の事も関係なしに付き合うことができるのだろうか。はっきりと言おう。彼女には、そんな自信一欠けらもなかった。だから、彼女はその美談の証としてみほが座っている車椅子を遠目から見るしかなかったのだ。それは、彼女の心が弱すぎたからではない。彼女の知識が膨大であったからこそ起こるすれ違いであった。



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1-7 理由

※タイトルナンバー重複のため修正


 必修選択科目のオリエンテーションがあった次の日の朝、西住みほが沙織に見せたのは、あの必修選択科目の選択用紙だった。ただし、戦車道ではなく香道の場所に〇のついた、である。

 

「ごめんね……私、やっぱり……どうしても戦車道をしたくなくってここまで来たの……」

 

 みほは、昨晩の事を思い返す。華たちと別れ、まほと共に帰ったみほは、その選択用紙と向かい合って、包帯を巻いた熊のぬいぐるみを抱きながら考えた。みほは、言葉の上では戦車道に未練などない、戦車道など嫌いだと言っていた。しかし、実は心の中ではしこりのように戦車という物に未練を感じていた。当然だ。何年も、産まれた時からともに歩んできたと言っても間違いではない戦車という心の恋人に近いものを、思い出という籠から解き放つことなどそう簡単にできやしない。本当は、戦車にもう一度乗りたい。大地を踏みしめ、あらゆる障害をも乗り越えて進む履帯の感覚、戦車の中だからこそ嗅げるあの鉄のなんとも言えない匂い。そう簡単に忘れられるわけがない。この学校で初めてできた友達の沙織にも誘われたこともあって、彼女の心はかなり揺らいでいた。

 だが、同時に今の自分が戦車に乗ったところでどうなるというのだろうという疑問もわいていた。確かに、座ってしまえば、黒森峰の時とはほとんど変わらないだろう。だが、足の踏ん張りがきかないため、少しの揺れで倒れてしまう恐れが多分にある。それに、戦車という物は中から見る分には視界が狭くてよく見えないため、立ち上がって入口となる場所から上半身を出して周囲の様子を見る必要がある。しかし、立てない自分がそんな事、できるはずがない。それに、戦略アドバイザーというのも……。

 だから、彼女は完全に思考の迷路へと迷い込んでいた。

 

「みほ」

 

 そんな時、まほが後ろから声をかけてきた。手には、ホットミルクの入ったコップが握られている。

 

「お姉ちゃん、ありがとう……」

 

 みほは、そのホットミルクを受け取って、少しだけ飲んだ。濃厚で、優しい味が口の中に広がっていく。それは、元々のホットミルクの味もあっただろうが、姉が淹れてくれたという事も相まっての事であることは簡単に想像できた。

 

「……みほ」

「え?」

 

 心が静まってきた頃、意を決したようにまほはみほに対して言った。

 

「……私が戦車道を選択する」

「え……」

 

 その言葉に驚いたみほは、危うく手に持ったコップを落としそうになった。さらにまほは続けて言う。

 

「あの生徒会の様子だと、たとえ断ったとしてもどうせみほや私……もしかしたら愛里寿の事もしつこく勧誘してくるはず。だから、私がみほの事を守る」

「お姉ちゃん……」

 

 みほは、姉に対して申し訳なくなる一方で、その反面嬉しくなる気持ちも少しはあった。姉が、誰よりも戦車の事が好きであるという事を知っていたから。その戦車にもう一度触れてくれることが嬉しかったのだ。

 そして、彼女は一人になって一晩考えた。ただ、やっぱりあの時の事がフラッシュバックしてしまい、彼女の手は戦車道の項目に伸びることをためらってしまった。だが、本当はそれでいいのだ。何故なら、最初から彼女は戦車道をするためにこの学校に来たわけじゃなかったのだから。戦車道から離れて、心を癒すために、この学校に来たのだから。

 だから、ただ一つ懸念事項があったとしたら、沙織の事だ。あの沙織の嬉しそうな顔、あのはつらつとした笑顔。それは、まるで戦車道を楽しいものだと信じていた頃の自分そのままだった。だから、自分が戦車道を履修しないと知ったら、彼女はどう思うのだろうか、それが心配でならなかった。そして、その沙織の反応は……。

 

「分かった。ごめんね、悩ませちゃって」

 

 そう言って、沙織はじぶんの必修選択科目の用紙を取り出すと、戦車道の項目に入れていた〇を×で消して、香道の場所に〇を入れた。

 

「え?」

「私も、みほのと一緒のにする」

「そんな、沙織さんは戦車道を選んで……」

「いいよ、だって一緒がいいじゃん。それにさ……私が戦車道をやると思い出したくないようなことを、思い出しちゃうかもだし」

「私は……平気だから……」

 

 しかし、机の上におかれたその手は小刻みな震えを起こしていた。流石の沙織でもそれにはすぐに気がつく。沙織は、その震えを止めるようにみほの手を持つと言った。

 

「みほが平気でも、私が嫌なの。みほが辛い顔をするの、私は見たくないから」

「沙織さん……でも、昨日は」

「あぁえっと……私は好きになった彼氏の趣味に合わせる方だから大丈夫!」

「沙織さん……」

 

 沙織は、まだ見知らぬ愛情よりも、今目の前にある友情を取った。将来的にどちらを取っていた方がよかったのか、それを考えるのはその時だ。今は目の前の少女の幸せを取ったそのことに、沙織は悔いはなかった。

 

「いい友達ができてよかったなみほ」

 

 一方その様子を教室の外から見るまほは、妹に真によき友ができたという事に、うっすらと喜びを感じていた。良き友といえばもう一人、華はどこに言ったのだろうか。

 

「まほさん、一つよろしいですか?」

 

 すぐ後ろにいた。

 

「何の用かな?」

「……みほさんの事、失礼ですけれど調べさせていただきました」

 

 まほは表情を変えないし、むしろやはりかと思っていた。

 

「どうして、みほの事を調べたの?」

「……みほさんがあまりにも戦車道を嫌っているのが気になったんです。私も、戦車道を履修しようとしていたのですが、その前にみほさんに何があったのか知っておかなければ、みほさんに嫌な思いをさせかねませんから」

「それで、どうだった?」

「……第62回戦車道全国大会決勝戦の悲劇」

「……」

「みほさんの足が動かなくなった原因となった試合……戦車道の事がトラウマとなってしまったのは、当然だと思いました」

「あれは……不幸な事故だったんだ。戦車道は、本当は安全でけが人なんて……ましてや試合での死傷者なんて出ることはなかった……だが……」

 

 思い出そうとするだけで自分の不甲斐なさを思い知る。いや、当時まほは別動隊を率いて崖からは遠い場所から相手の本隊を探していた。そのため、みほを力づくで止めることも不可能だった。しかし、自分がみほにフラッグ車を任せるような真似をしなけれなみほがあんなことをすることはなかった。その事実だけが、彼女を苦しめていた。

 

「昨年度の戦車道全国大会……試合が始まった時から大雨で、最初は試合の中止も検討されていたそうですが日程の問題や、前例から試合は可能であると判断されて、決勝戦は行われた。その最中、雨で地盤が緩んでいた道を走っていたことが災いして、一輌の戦車ががけ下に転落。その戦車に乗っていた仲間を助けようとみほさんは飛び出して……指揮する人がいなくなったフラッグ車……というのは、よく分かりませんが……」

 

 まほからしてみれば、初歩中の初歩の話ではあるが、知らない人間からして見れば戦車道のルールを知らないのは当然の事だろう。まほは華に教鞭をとるように語る。

 

「戦車道の試合は、主に殲滅戦とフラッグ戦の弐種類がある。殲滅戦は、文字通り相手の車両を全て全滅させることを目標とする試合形式、フラッグ戦は、双方のチームに一台づつ目印となる旗を立てた車輛を仕立て、その旗を持つ車輛を倒せば勝利となる形式の事だ。戦車道全国大会は、公平を期すために主にフラッグ戦で行われる。私は……一番信頼のおけるみほを、フラッグ車の戦車長に任命した。そして……」

 

 フラッグ車は、みほの最後の指示に従い随伴していたティーガーと一緒に後退した。しかし、みほから指揮を代わったまほとの距離があまりにも空いていて、結果ほとんどどうにもすることができずに、そのまま黒森峰は敗退。がけ下に落ちた戦車はその後回収、乗っていた人員5名は、多少のかすり傷はあったものの重症と言われるほどのケガではなかった。

 しかし、その戦車を助けに行ったみほ本人は、激流によって勢いが増した川の上流から流されて来た流木に激突したり、川底や岩肌に身体をぶつけ、脊髄を損傷してしまい、下半身不随や排尿障害と言った物も負ってしまった。そしてみほに残ったのは、戦車に対する恐怖と、自分のせいで十連覇ができなかった先輩達への慚愧の念、それから二度と歩くことができないという悲しみだけだった。

 

「みほさんは、現西住流家元である西住しほさんから怒りを買い、さらにみほさんをかばったまほさんまでも黒森峰から退学となった……それが、記事に乗っていたことの顛末でした」

「……大体はあってる。そして、後は知っての通り私たちは戦車道のない大洗に来た……はずだったのにな」

 

 瞬間、華は腕を組んでいたまほの手に力が入ったのを感じた。本当に悔しくてたまらないのだろう。自分たちは、戦車道とは何ら関係のない大洗に来たはずだったのに、まさかそこで戦車道履修を強制させられるとは思わなかった。みほのトラウマを軽減させるためにここまで来たというのに、これでは本末転倒ではないか。ふとその時、まほは思った。

 

「……五十鈴さんは、どうするの?」

 

 そう聞かれた華は、一瞬微笑んでまほの前を横切り、そして教室の中にいるみほと沙織を見て言った。

 

「私も沙織さんと同じ……これ以上みほさんが苦しむ姿は見たくありません」

「そう……ごめんね」

「……いいんです」

 

 まほは思う。自分が卒業しても、こんなにいい子たちが友達であるのなら、みほも安心して学園生活を送れることであろうと。それが、一番うれしかった。色々あった物の、結局のところこの大洗に来てよかった。それが、彼女の中の結論であった。

 次の授業があるため、まほはその場から離れていった。しかし、本当にこれでよかったのだろうか。それに、華には一つ気がかりなことがあった。それは、昨年度の戦車道全国大会の記録を探っていた時の事、ふと見えた関連項目、それは十年近くも前のある事故の事を記していた記事で、もちろんみほには何の関係もない記事のはずだった。しかし、どうにもその記事の事が気になってしょうがなかったのだ。その事故とは……。

 

『第53回戦車道全国大会決勝戦の惨劇』



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1-8 懸念

 お気づきなのかもしれませんが、この小説には複数個の問題点があります。今回、その中の一つを緩和させるために当初の想定になかったあるキャラを引っ張り出します。多分、ふざけんなって言われる可能性がありますが……。


 まほたちが、自分たちの行く先を決めていたそのころ、一人島田愛里寿は悩みうなされていた。

 

「うぅ……」

 

 保健室で。いまだに大洗での生活に慣れることのない愛里寿は、今日も今日とて気分を害してしまったのだ。気分が悪くなるというのは昨日と同じではある物の今日のそれは一段と酷い。やはり、この悩み事がストレスとなってしまっているのかもしれない。

 みほたちは、同じ学年で一緒に悩んでくれるような友達がいたため、幾分かはましではあったが、愛里寿はまだ友達も作れていないため簡単に相談できるような人間がいなかった。それに、みほが戦車道にトラウマを持っていることも、その理由も知っているためこれ以上みほに負担をかけたくはないから彼女たちに相談するのもはばかられる。そのため、一人で自分の行く先を決めなければならない。

 昨晩、彼女は実家に連絡を入れた。大洗学園で戦車道が復活するということ、自分が戦車道の授業を取るか悩んでいるという事。それを、母に相談した。そして、母からの返事はやはり、自分で決めろという物だった。だからこそ、彼女は悩んでいた。そんな時、保健室の扉を開く音が聞こえる。養護教諭が帰ってきたのだろうか。

 

「愛里寿、気分どう?」

「えっと……澤さん」

「梓でいいよ。年は違っても同じ学年でしょ」

 

 保健室に来たのは、教室で自分の隣の席で授業を受けていた澤梓だった。もともと、愛里寿の異変に二日連続で気づいて、保健室に行くように促したのは彼女であった。そういえば、もう休み時間だったか、時計を見るような余裕など彼女にはなかったため、そこまで時間が経っていることに若干の驚きを感じる。

 

「……うん」

 

 名前で呼んでいい。その梓の提案に対して彼女はそう小さく返答した。だが、彼女にそう言われたものの、愛里寿は名前を呼ぶという事になれていなかった。ここまで自分に対して笑顔を向けて、同じ目線で話くてくれる人間にそうそう会えて来なかったことも災いしているのだろうか。この大洗で生活するうちに、徐々にこの感覚に慣れていくだろうとは思うのだが、すぐに愛称で呼び合う仲になる人間が現れるとは思えなかった。

 

「あ、そうだ……」

 

 そう言いながら、梓はスカートについているポケットの中から折りたたまれた紙を取り出した。それは、今まさに自分が行先を迷っている必修選択科目の選択用紙であった。梓の紙にはすでに、戦車道の項目に〇が付けられていた。

 

「愛里寿はどれにしたの?」

「え?……えっと、まだ決めてません……」

「そうなんだ……それじゃあ、私達と一緒に戦車道取らない?他にも何人か戦車道を取るつもりの人がいるの」

「え?でも……」

「でも?」

「……正直強くできる自信がありません」

 

 一見して、みほのように戦車にトラウマがなく、母から許可のような物も取れたため愛里寿が戦車道を履修するにあたっての障害はないように思える。しかし、一番の問題は素人ばかりが来るであろう戦車道履修者の生徒たちを強くできる自信が皆無なのだ。

 確かに彼女は島田流の後継者として、門下生に交じって戦車に乗っていた、母に代わって指揮を執った経験も多分にある。だからと言って、まるっきりの素人を相手にしたことなんて全くと言っていいほどない。野球で例えれば、リトルリーグにプロのキャッチャーが一人混じるような物か。それで強いチームを作れるほど戦車道は甘くない。だからこそ愛里寿は迷っていたのだが、その答えに対して梓は笑いながら言った。

 

「なにそれ、愛里寿まるで監督みたい」

「え?」

「強くなるとか、強くするとか……そう言うのの前に私は、なんだかおもしろそうだなって思って戦車道を選んだの」

「面白そう?」

「うん、私も最初は華道を取ろうかなって思ってた……でも、なんていうのかな……昨日のオリエンテーションの映像を見ていると、ちょっと怖いけど、でも興味ができたっていうか……」

「……」

「確かに、ちょっと生徒会の人達が胡散臭かったけれど……戦車道の授業を取るのも……楽しそうかなって」

「楽しそう……」

 

 面白そうだから、楽しそうだから、そんな気持ち考えたこともなかった。自分にとって戦車を操るという事は、もはや義務であり、勝つことが絶対だった自分にとって、楽しい、面白いという感情が湧いたことはなかった。

 コロンブスの卵的な発想とはこのことなのだろう。愛里寿にとって梓の言った言葉は、自分の今までの戦車道の概念を超えたものだったと言えるだろう。なにも、勝とうと思わなくてもいい。実家の時のように勝ちにこだわるのではなく、ただ楽しく戦車道をすればいい。そんな戦車道をしたことがなかったら、思い付かなかっただけで、至極当然なこと。愛里寿は、そんな戦車道もいいかなと思った。

 

「そうだよね……楽しく、戦車道ができれば……それも悪くないかも」

「愛里寿?」

「うん、大丈夫。私も、戦車道履修することに決めたから」

「本当、よかった」

「よかった?」

「うん……愛里寿と友達になれるきっかけができたもの」

「友……達……」

「うん!」

 

 友達。いい響きである。今まで自分に友達という物ができた記憶がない。名門の家に生まれた天才というのは、みな孤独なのだ。家柄という物のために、人生のレールを轢かれて、夢はもちろん結婚相手を親に勝手に決められることもある。そして何よりも周りの人間が家柄に委縮してしまい、英才教育によってさまざまな面で天才と評された愛里寿には、友達を作るチャンスすらもなかった。西住姉妹のように姉妹がいたら、まだ幾分かはマシだったのかもしれないが、それがない彼女には、その孤独感で言えば彼女達以上であろう。だからこそ……。

 

「友達……友達になってくれるの?」

「もちろんだよ、愛里寿」

「友達……ありがとう澤さん」

「じゃなくって」

「……うん、梓」

 

 この時感じた一生モノの暖かな心は、二度と忘れることはないだろう。

 

 

 

「思ったより集まりませんでしたね」

「十七人です。私達を入れて二十人」

 

 放課後、生徒会室にて集合した生徒会三人衆は、生徒から集められた履修選択の用紙を眺めていた。全部合わせて十七枚、自分達三人を合わせても二十人。これは、確実に少ないと言えようか。あれだけの特典を付けた上に、非人道的なことも行って履修者を集めては見たものの、ふたを開けてみればこの人数である。この大洗学園の全生徒の数から割ると、かなり少数なのだ。恐らく、特典を大量に付けたがために警戒されたり、怪しまれてしまったという事もあるのかもしれない。だが、この人数は彼女たちのある懸念事項をも左右してしまう。

 自分たちが出る予定である戦車道全国大会の公式ルールでは、参加できる車輛は、一回戦から準々決勝までは十輌、準決勝は十五輌、決勝は二十輌。さらに、最低参加車輛数は五輌である。調べたところ、自分たちが見つけた戦車は乗員四名である。まだ、他の戦車を見つけてもいないが、これを基準とするならば二十人はギリギリの数字と言えよう。欲を言えば、あともう十人程は欲しかったというのが、彼女たちの希望的観測だった。

 

「まっ何とかなるでしょ」

 

 だが、まだ出られないと決まったわけじゃない。最悪、三人乗りの戦車が五台あれば、15人で事足りるのだ。二人乗りの小さな戦車が複数あればなおいい。杏のある知り合いのいる学校では、二人乗りの小さな戦車が九割ほどで、大きな戦車は数えるぐらいしか(数えられなかったらそれはそれで問題があるのだが)ない状況でも戦車道をしているというのだから、いざとなったら彼女たちをまねるぐらいのことはできるかもしれない。

 人数の問題については一応何とかなる。そう杏は思っていた。しかし、今彼女の目の前にいる二人はさらにもう一つの問題について頭を抱えていた。

 

「しかし、もう一つ懸念事項があります」

「西住みほさん、彼女に戦車道を選択してもらえませんでした……」

 

 西住みほ。昨日オリエンテーション前に杏自らスカウトしに行った少女。戦車に疎い彼女たちにとって、前の学校で戦車道をたしなんでいた西住流家元の娘である西住みほの加入は、今後戦い抜くにおいては重要なメンバーであった。だが、自分たちが彼女に交渉しに行ったときにはいい返事をもらうことができなかった。無理もない、自分の足が動かなくなった原因の一端である戦車道というトラウマを引き出してしまったのだから。聞くところによると、その後の授業では彼女は体調不良のために保健室に向かったのだとか。

 

「どうしますか?いっそのこと、彼女を呼び出して……」

「いいんじゃないそんなことしなくても?」

「ですが……」

「姉ちゃんと、島田ちゃんは履修してくれるんでしょ?なら、それでもういいじゃん」

「……」

 

 確かに、戦車道経験者三名が履修するという一番理想的な目標は達成できなかったものの、みほの姉である西住まほ、島田流家元の娘である島田愛里寿は引き入れることができた。普通の学校なら十分すぎるほどの戦力である。

 

「それにさ……」

「それに?」

「いや、まっこれもこれで結果オーライ」

「……分かりました」

 

 みほの一件はこれで終わりとして残る問題、というよりも現在の所議論しなければいけないようなことは残り一つ。それが、名前だけ書かれてどこにも〇のついていない一枚の用紙。

 

「最後に……この少女はどうしますか?」

「あぁ、この子ね……」

 

 〇のついていない。それだけでは記載不備という事になるのだが、実はこの用紙の一番下には小さく※2、※3と表記して注意事項が書かれているのだ。注意事項は以下の通り。

※2希望がない生徒は自動的に「戦車道」の選択になる。

※3記載不備、または提出期限を守れなかった生徒は「戦車道」の選択になる

 因みに※1は戦車道選択に当たっての特典についてである。この注意事項から判断するに彼女は戦車道履修という事になるのだが、実際にその注意事項に当てはまる生徒が現れると困る物だ。

 この学園の生徒は全員がまじめな人間であることを彼女は自信を持って言える。しかし、もしも、この少女が冷やかしとして無記載で出した場合という事も考えると、戦車道履修者のモチベーションにも影響を及ぼす恐れがある。

 

「まっ、ちょっくらその子の所に行ってくるわ。河嶋、後のこと頼んだ」

「分かりました」

 

 正直一握りを除いて素人ばかりが集まることが確定的である戦車道において、モチベーションやらなんやらというのは無関係な気もするが、それでも一応どんな人物であるのかだけは確認しておきたい。杏は、そう思って生徒会室の扉を開き、件の少女の下へと向かった。

 そして次の日、その少女は集合場所に姿を見せなかった。




 杏から桃への呼び名って『河嶋』か『かぁしま』か『かーしま』のどれかだと思うのだが……。
 ところで活動報告にてそれほど重要じゃないお知らせがのっておりますので見といてください。


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1-9 逃避

 多分、夢は見ていなかっただろう。もしも見ていたとすれば、それは絶対悪夢であって、自分の記憶にトラウマとして刻み込まれているはずだから。だから、その時夢は見なかったと断言できる。ただ、これだけは覚えている。目が覚める前、一瞬のうちの出来事。

 そう、それはあまりにも一瞬で、夢であると言えるか不明である。妄想に近い物だったのかもしれない。自分と、姉、そして母が一緒の戦車に乗る夢。それも、彼女が見たこともないような笑顔を自分に見せる母の顔は、姉の顔は、例え妄想だったとしてもそれを受け入れて生きていきたいと言ってしまえるほどの物だった。

 けど、その妄想も、終わりを迎えた。 

 

「うぅ……」

 

 最初に彼女の中に入ってきたのは、メトロノームのように正確に鳴る何かの機械の音だった。聞いているだけで心地の良いその音は、耐えることなく、彼女の耳からまるで初めて音という物を聞いたかのように純粋なハーモニーを彼女の心に送り込んでいた。

 そして、彼女は重りのように重い目をゆっくりと開けた。当たり前だが、その眼に最初に飛び込んできた物は光だった。光線銃を当てられたかのように眩しいその光は、雑に並べられた彼女の心を一つにまとめるかのように神々しく輝いていた。

 ここはどこなのだろうか。家ではないことは確かだ。自分の家は、木製で、天井はこの純白とは程遠い木の色をしている。また、ベッドの周りにをカーテンが囲い視界を純白によって遮っており、それでいて、においもなんだか不純物が少ないかのように無臭であり、それがより彼女の心を不安にさせた。

 

「こ、こは……?」

 

 その言葉を発すると同時に、まずは自分の記憶をたどってみることにした。確か自分は、先ほどまでティーガーに乗っていたはずだ。初めてフラッグ車を任されて、不安だったものの、姉から『フラッグ車を任せられる人間であると判断した』という言葉を聞いて、嬉しくなり、不安なんて吹き飛んでしまった。

 そして試合当日、天気は大荒れで土砂降りの雨が降り続いて、全然止む気配がなく一時は延期という事も戦車道連盟は考えていた。しかし、結局は十年前の大会の決勝の事を引き合いに出し、試合は予定通りに開始されてしまった。

 それから……それから……。

 

「みほ!」

 

 その時だ。カーテンを勢いよく開けて入ってきた人物。それは、自分のよく知る人物だった。その顔を見ただけで、彼女の心の中から不安要素が飛んで消え去ってしまった。

 

「お姉……ちゃん」

 

 姉、まほはすぐ彼女の枕元に駆け寄ると言った。

 

「その……大丈夫か、みほ?痛むところはないか?」

「痛み……ううん、そんなのないよ」

「あっ……いや、そう……よかった」

 

 まほは、何かを言いだそうとしたところで、一瞬ためらって別の言葉を吐き出した。しかし、それはみほにとっては何かを隠しているという事を伝えることにしかならなかったのだ。一体、姉が何を隠しているのだろうか。みほにはまだそれが分かっていなかった。彼女の苦しみも。自分の苦しみでさえも、分かっていなかったのだ。

 ともかく、まずはここがどこなのかはっきりさせた方がいい。そう考えたみほは、まほに言った。

 

「……ねぇ、ここはどこなの?」

「……ここは、病院だよ。みほは三日間眠りっぱなしだったんだ」

「病院……あっ」

 

 その時、みほはようやく思い出した。そうだ、確か自分は崖から落ちて言ったティーガーⅠの乗員を助けるために激流の川に飛び込んでいったではないか。そして、確か結局ティーガーに接触することすらもできずに、水に飲み込まれて……そして……。そこで、気を失ったのだ。

 

「お姉ちゃん、ティーガーⅠに乗っていた人たちは?」

「……大丈夫、誰もケガなんてしていなかった」

「そう、よかった……」

 

 現状はともかく、みほにとってはティーガーⅠに乗っていた人たちが無事であったという事はいい報告であった。結局自分の行動は無駄骨となってしまったのだが、たとえそうだとしても、無事であることは喜ばしいという以外になかった。

 まほは、そんな彼女の言葉を聞いて、唇を噛み締める。そうだ、確かに激流に流されたティーガーⅠに乗っていた少女たちは無事だった。機材に体をぶつけるという事も、水が戦車内に侵入して溺れ死ぬという事は回避された。だが……。

 

「……ねぇ、試合はどうなったの?」

「えっ……」

 

 その言葉に、まほは一瞬答えるのと躊躇した。だが、結局はいずれ知ることとなることだ。左手を握りしめたまほは、意を決して真実を話した。

 

「……負けたよ。がけが崩れた後、すぐにプラウダ高校の戦車が現れて……」

「そう……なんだ……」

 

 みほは、心の中で謝罪した。その相手は、今は三年生になる先輩達。前の大会まで九連覇であった彼女たちにとって、今年は最上級生として十連覇に挑む年だった。だからこそ、練習に練習を重ね、相手の学校の研究もして、あらゆる準備をして臨んだはずだった。だが、結局負けてしまった。それは、全て自分の責任だ。もしも、自分があの時、フラッグ車での任務を放棄していなかったら……。

 

「……」

「みほっ!」

 

 とにもかくにも、今すぐ三年生の先輩たちに謝罪をしなければならない。彼女たちにとって戦車道ラストイヤーを、こんな形で終わらせてしまった責任を取らなければならない。そう思ったみほは、すぐさま起き上がろうとした。それに対して、まるでまほが焦っているかのような声が一瞬だけ聞こえた。しかし、みほはそれに構わずに自分の上にかぶさっている布団を取り除く。その時、彼女はようやく自分自身の身体の異変に気がついた。

 

「え……?」

 

 自分の下半身から、何かの管が伸びている。中を黄色い液体が流れていることから、これはおそらく尿道留置カテーテルという物であろう。

 いや、それがあるのは問題ではない。この姉の反応からして、自分は何日間かは昏睡状態にあったのだろう。それならば尿道留置カテーテルという物が入れられてもおかしくはない。だが、最も問題なのは、自分がそれを実際に目視するまで自分の体内にそれが挿入されているという事に気がつかなかったことだ。大きな手術なんて一度もしたことのないみほにとって、尿道留置カテーテルなどという物を使用するなんて初めてである。だが、少なくとも自分の体内に異物が淹れられているのだから、何かしらの違和感がなくてはいけないはずだ。

 それに、もう一つ不思議なことがある。さきほどから彼女は何度も起き上がろうとしている。しかし、いくら昏睡状態から目覚めたばかりと言っても、ここまで起き上がるのに失敗する者なのだろうか。まるで、自分の背中とベッドが磁石のS極とN極になっているかのようだ。

 これだけだろうか。いや、まだおかしなことがあった。自分は、確かに自分の身体の上にあった布団を取り除いた。しかし、どうしてだろうか。足が布団の質感を捕らえなかったのだ。もう一度、みほは布団を自分の身体に被せる。やはりそうだ。木工用ボンドか何かでコーティングされたかのように布団の質感を足が捉えてくれない。そして……。

 

「ねぇ、お姉ちゃん……」

「みほ」

 

 みほは、自分の心がどうにかなりそうだった。だから、唯一今目の前にいるまほに助けを求めたかった。

 

「私、まだ悪い夢でも見ているのかな?」

「みほ」

「あのね、起き上がれないの。何度も力を入れて起き上がろうとしても、すぐにまた倒れちゃう」

「みほ」

「それとこのカテーテルも……なんだろう、まるでこれが私の一部になっているみたい」

「みほ」

「それからね、足の感覚もないの。ねぇ、これって本当に私の足なの?誰か、別の人の足をつけられているんじゃないの?」

「みほ」

「それから、それからね……それから……」

 

 みほは、その先が言えなかった。ただ、怖いのだ。自分がその事実を認めてしまうという事が、その現実を直視してしまうという事が、その真実が、自分自身の人生を変えてしまうのが。

 できれば、見て見ぬふりをしていたい。悪い夢だと思いたい。もしも、これが悪夢で、目を覚ましたら、あの決勝戦の日の朝で、姉から叱られたり、チームメイトから叱責を受けたり、作戦の最終確認をして、戦車に乗って、でも自分の戦車道ができないという事にストレスを感じて、そんないつもの日常を夢に見たい。

 違う、これが夢だ。これが現実であるわけがない。現実だなんて認めたくない。みほの声は、徐々に小さくなっていく。弱々しく、霞の空に消えてしまいそうなその声をしかし、まほは一文字一文字を聞き逃さないように耳の神経をとがらせる。だがそのみほの弱気な発言は、彼女をも苦しめるのには十分すぎる物であった。

 

「それから、それから、それから、それから……それから……それから、それ……からね……」

 

 だから……。

 

「みほ……」

「ッ!」

 

 まほは、ただ彼女の身体を抱きしめてあげる事しかできなかった。それでしか、彼女の心をつなぎとめることができないと、そう感じたからだ。

 だが、それでみほは確信した。姉の人肌が、その暖かい心が、優しさが、これが現実の事なのだと証明したのだ。だから、時期尚早だったのかもしれないが、みほはその現実を受け入れるしかほかなかったのだ。その運命がたとえどれだけ辛いことであったとしても、例え、どれだけ受け入れがたい真実であったとしても、胸の中に宝物のように仕舞い続けるわけにはいかないのだ。

 みほは、その言葉を言った。言ってしまえば、それを認めることになる。しかし、これ以上無視するなどできなかった。だから、彼女は勇気を出して言った。

 

「……動かないよぉ……足が、動かないよぉ、お姉ちゃん……」

「みほ……」

「痛くない、痛くないけど、つらいよ……お姉ちゃん」

 

 その日、彼女は大事な物を二つ失った。

 

 

「……ほさん、みほさん」

「……」

「起きてよみほ」

「……え?」

 

 その二人の自分を呼ぶ声に、みほの意識は完全に覚醒した。目の前にいるのは華と沙織である。嫌な夢だった。いや、もはやあの日の再現VTRを見ている気分だった。ここ何日か、また戦車について考える時間が多くなったために見たのだろうか。しかし、今思い出してみても心が痛む。あの後、医者から自分の現在の状態や、リハビリのメニューについての説明があって、母とも会って、父とも会って、それから黒森峰の同級生たちもお見舞いに来た。だが、どれだけの人間に会っても彼女の心が救われることはなかった。多分、一生付き合っていくことになる悪夢だ。果たして、この心の傷がいつ癒えることになるのか、それを知る物は自分も含めて誰もいない。

 それにしても、何故二人がこのような朝早くに自分の部屋にいるのだろうか。

 

「どうして華さんと沙織さんが……」

「はい、実はまほさんに呼ばれまして」

「お姉ちゃんに?」

「うん、ほら選択必修科目の授業って今日からじゃん。だから、みほに少しでもいいから辛い記憶を思い出してもらいたくないって、朝早くに出るって言ってたの」

「それで、私たちがまほさんの代わりにみほさんの朝ご飯を作りに来ました」

「そうなんだ……」

 

 別に、一人でも料理はできるし、一人で学校にも行けるからいらぬおせっかいだったのかもしれない。それに、姉の心遣いも、少々度が行き過ぎている気がする。

 例え今日の朝に出会わなくても、放課後にも、明日にも、明後日にも、いつかは会う時が来るのだ。なんだかまた自分と姉の距離が離れて行ってしまったようにも感じる。このスレ違いは、あの黒森峰時代を彷彿とさせる出来事なのだ。なんだか、みほの心は寂しかった。

 

 二人が中に入ったのちしばらくして、彼女たちは西住みほと一緒に出てきた。姉の方は、どうやらいないらしいが、どうしたのだろうか。いや、そういえば二人が来る少し前に一人の女性とすれ違っていたか。暗くて顔をよく見ていなかったから分からないが、もしかしたらあれが西住まほだったのかもしれない。

 ともかく、学校へと向かう三人の後ろから、彼女もまた電信柱等に隠れながら追っていく。しかし、追ってどうなるわけでもあるまい。そもそも自分が臆病であるばかりに、このようにストーカーまがいの行動をしてしまっているのだから。仲良くなりたい、しかしもしも自分が仲良くなろうものなら、自分も彼女も嫌な気持ちになってしまうかもしれない。だから、自分は彼女の側にいる資格はない。

 

「にしても、もう少し学校に近いところに寮はなかったの?」

「えっと、何個かはあったんだけれど、バリアフリー化がされているのがここぐらいしかなくって……」

「やはり、みほさんのように車椅子の方のためには、スロープがどの施設でも必要なのですね」

 

 あの子たちのように、楽しげに話せるようになる自信がないのだ。戦車以外を話題に話している自分が想像できない。だから、自分はここから、後ろからただ眺めていればそれだけでいい。彼女の姿を見ているただ、それだけで満足なのだ。

 だから、もういい。そう彼女は思う。次第に、彼女と三人の距離が離れ始め、三人はある角を曲がって行った。いけない、見失ってはならない。そう、彼女は思い、大急ぎでその角を曲がった。直角ともいえるターンで、その道を見た時、彼女の心はまるでシンバルを目の前で叩かれたかのように跳ね上がった。

 

「私に、何か用ですか?」

 

 西住みほが、確かにそこにいたのだ。



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1-10 覚悟

「見たところ、私達を入れて十九人ですか」

「少ない……が、仕方がないか」

 

 朝早くに出ていたまほは、学校近くのコンビニでニ、三時間暇をつぶしたのち、集合場所となっている倉庫の前にまで来ていた。

 そこには、愛里寿を含めた戦車道履修者が集まっており、皆それぞれ知り合いと話し込んでいる様子だ。しかし、どういうわけか、制服を着ていない面々もいる。体操服や、何かのスポーツのユニフォームを着ている者が四人、それから一応は制服を着ている物の、何らかのコスプレに身を包んでいる者が四人。

 果たして、ここまでバラバラのチームがまとまるだろうか。いや、メンバーの質など最初からあきらめていたようなものだ。そもそも戦車道のない学校で戦車道を復活させるのだから、戦車の事を理解している人間など少ないはずだ。その中で、自分や愛里寿、さらにみほがこの学校にいるなどは奇跡にも近いものなのだ。

 

「みほ……」

 

 今頃、華や沙織と一緒に香道の授業に出ているのだろうか。今朝は、少しでもみほに戦車道の事を思い出させたくないから、一人勝手に家を出て行ってしまったが、ちゃんと学校に来ているのかも心配だ。こうなってしまっては、黒森峰にてすれ違っていた時と何ら変わらない。西住流として、隊長として、妹であるからと言って甘やかしてはいけない。そう思ったからこそ自分は黒森峰では素っ気ない態度をとっていた。だから、その分この大洗では自分は姉らしいことをしてやろう、そう思ったのだが実際には姉らしいことをした結果またすれ違いが起こってしまった。まったくもって前途多難な始まりである。

 そんな、まほの心のことなど露も知らない生徒会三人衆はまた別のことについて論議していた。実は、昨日杏が出向いた用紙の未提出の少女ばかりでなく、普通に選択履修用紙も提出していた二年の生徒がまだ来ていないのだ。用紙未提出である少女に関しては、自分はそもそも『道』と名のつく物が好かないという理由のためどの授業も選択しなかったらしい。授業を取らなければ単位を取得できないため、名前だけは戦車道履修者として登録はしているが、来るか来ないかに関しては保留している最中なのだとか。

 

「どうします?」

「いいんじゃない?風邪とかで休んでるだけかもしんないし」

「分かりました。では、これより戦車道の授業を開始する」

「質問があります」

「何、愛里寿ちゃん?」

「この学校で戦車道が廃止になって久しいらしいですが、そもそも戦車はあるのですか?」

「当時使用していた戦車が、どこかにあるはずだ。いや、必ずある」

「……つまり、新しい戦車じゃないという事ですか」

「保存状態が良ければいいのだがな……」

 

 戦車道が廃止になって何年になるのかは正確には不明であるが、経年劣化という物がある。雨風に晒されている場合は鉄等が腐食して脆くなってしまうのだ。そのため、大昔に使用されていた戦車を使うというのは、かなりリスクがいるように感じる。

 

「一応、今一輌はあるんだけど、見てみる?」

 

 そう言うと、倉庫の重厚な扉が開かれた。もはや懐かしいとすら感じてしまう。この鉄のなんとも言えない香り、錆の香りもする。やはり、かなりの年月が経っているのだろう。実際に近くで見てみないと分からないが、まるで戦後に敗戦した国の基地に置かれている戦車のように遠くからでも錆が見える。

 まほ、そして愛里寿はゆっくりと戦車に近づいていく。だが、見れば見るほどに錆がいたるところについており、履帯に至っては片一方はちぎれており、片一方は紛失しているようだ。なるほど、先ほど自分が敗戦国の戦車と思ったのはこれが原因だろうか。推測ではあるものの、この戦車は戦車道の試合の後にしかるべき修理をされずに放置され続けてきたのだろう。そうでなければ、履帯紛失等という事にはならないはずだ。だが……。

 

「装甲も、転輪も問題なさそうだな」

「えぇ、履帯も右のは新しくしないといけないでしょうが、こっちのほうは繋げれば……」

「錆取りをして、古い塗装を剥がして……」

「行けそうですね」

「あぁ……後はエンジンや車内の確認もしなければならないが、なんとかなるはずだ」

 

 確かに見た目では廃棄同然ではある。しかし、その実装甲には大きな穴もなく、転輪も軸から折れているというところは見当たらない。整備をすれば、動かすことができるはずだ。それに、まほは感じるのだ。この戦車の心を。まだ、自分はやれる。まだ自分は走ることができる。そう言っているように感じるのだ。それは、単なる想像に過ぎなかったのかもしれない。しかし、戦車と長い間一緒にいたまほにとって、愛里寿にとって、その想像は真実であると、そう思ってしかるべく事であると思っていた。

 

「この戦車、何て名前だっけ?」

 

 まほは、杏の言葉に振り向いた。

 

「あぁ、これは……」

 

 その時だ。彼女はその人物の姿を捉え、そして固まった。

 

「まほさん?……あ」

 

 愛里寿も振り向いた。そして、同じく彼女の姿を見て固まった。

 

「ん?」

 

 そして他の戦車道履修者もまた振り向いた。しかし、その者を知っているのは、三人しかいなかった。それは、この場所に来ることはないと思っていた少女。来ないで欲しいと思っていた少女。そして覚悟を決めた少女だった。

 

 

 この学校に来た時から感じていた。自分の事を凝視するような視線を、それから人の気配を。けど、悪意のような物じゃない。背筋が凍るほどの気持ち悪い目線などではない。果たして、いったい何者なのだろうか。

 今日もこんなに朝早くから誰かの視線を感じる。こっそりと後ろを見ると電信柱に隠れながらこちらに目線を向けている少女がいる。おそらく、あの少女がそれなのだろう。

 

「みほさん、どうしましたか?」

 

 後ろを気にしているみほの事を心配したのか、車椅子を押してくれている華がそう言ってくれる。みほは、後ろの少女に気がつかれていないことを確認すると小声で二人に言った。

 

「しっ……誰かが後ろの電信柱から見ている」

「え?何それストーカー!?」

「違うと思うな……でも、ちょっと話をしてみる。そこの角を曲がって、二人はちょっと離れてて」

「大丈夫ですか?」

「うん、多分大丈夫」

 

 そして、みほの言う通り、三人は曲がると、そこで華と沙織は離れる。

 

「みほ、何か変なことされたら大声で助けを呼んでね」

「大丈夫だって」

「お気を付けて」

「うん」

 

 その言葉の後、二人は物陰に隠れ、その姿は見えなくなった。みほは、一人で車椅子を回転させ、その少女をの事を待つ。そして数秒後、やはり少女は現れた。

 

「私に、何か用ですか?」

 

 シフォンショートヘアの少女、身長から察するに同じ二年生であろうか。曲がり角を曲がって、もっと先にいるであろう自分がこのように近くにいるのだから、その驚いた表情を見せるのは無理ないだろう。みほは、その顔から彼女が人畜無害であることを察した。

 

「え、あ、あの……」

 

 まるでハムスターのようにおどおどとして、これを小動物系というのだろうか。みほは、その少女に何かシンパシーを感じてしまう。まるで自分に自信がないような、そんな風に見える。

 

「貴方、名前は?」

「わ、私は普通二科、二年C組の秋山優花里といいます!」

「秋山、優花里さん?」

「はい!え、えっと……私は……その……」

 

 明るかったはずの少女はしかし、しだいにろうそくの炎が小さくなっていくように小声となっていった。そして言う。

 

「去年の戦車道全国大会を、見ました」

「え?」

「私は元々戦車というか、ミリタリーオタクで、それで戦車道にも憧れていて、試合もよく見ていたんです。それで、西住姉妹殿が大洗に来るって聞いて、私にとってまほ殿もみほ殿も……憧れの存在で、でも私……私が話しかけると、みほ殿にいやな記憶を思い出させてしまうかもしれなくて、だから……私は……」

「……」

 

 それだけ聞いて、みほは察した。この少女は、嫌われることが怖いのだろう。ミリタリーマニアという物は、男性の人数は多いものの、女性の人数は少ないのだ。特に戦車道の授業のなかったこの学校において、彼女の孤独もまた人一倍であったと考えられる。その中で、自分の事を受け入れてくれる可能性を持った自分が転校してきた。しかし、その自分は戦車に、戦車道に対してトラウマを持っている。あの試合を見ていたからこそ、彼女は自分と話すことができなかったのだろうと思う。けど……。

 

「ありがとうございます。気を使ってくれて……」

「え?あ、はい……」

「でも、それは理由になりません」

「え?」

 

 思えば、あの試合で自分はどれだけの人を悲しませたことだろう。戦車道を愛している人達、戦車道をしたいと思っている人達、戦車道にあこがれを抱いている人達。それら全ての人たちの心に、決して消えることのないであろう不安を残してしまった。そして、自分はその一番の中心にいる人物であるというのに、たった一人逃げ出してしまった。いや、逃げ出して当然であったのだ。逃げても誰も文句は言わない。ただ一人、自分の中にいるソレだけしか文句を言う資格はないのだ。自分が自分の心の中に眠っている、戦車が好きであるという、楽しい思い出があるというこの気持ちだけが。

 

「確かに、私は……戦車の事を考えるだけでも、戦車のエンジン音を聞いただけでも、今でも身体が身震いするほどだけど……でも……。何か行動を起こさないと、誰も何も言ってくれない。逃げてばかりじゃ、一歩も前に進めないんです」

「みほ殿……」

「確かに、怖いのかもしれない。傷つけてしまうのかもしれない。でも、それでも私と友達になりたいという気持ちが本当の事なんだったら、怖いとか、恐れとか、そんなの乗り越えてでも前に進むべきです」

「……」

 

 みほは忘れていた。自分にはもう一度戦車に乗る義務があるのだ。戦車道が楽しいものであるという事をもう一度証明する義務があるのだ。だが、確かにそれは義務ではあるが強制されている物ではない。だから、無視して逃げ続けてもいい。自らの足で逃げ出せばいい。人はどうしても立ち止まってしまうようなことがある。恐れや恐怖で立ち止まることがある。だが、本当はそれで正しいのだ。痛む足で歩んでも悪化するだけ。骨折した手で殴り続けても、自分の心が痛いだけ。ならば、一度立ち止まろう。立ち止まってしまえば、そこで休むことができるのだから。だが、立ち止まったのならもう一度歩き始めなければだめだ。立ち止まったまま、一歩も歩こうとしないのは、それは逃げることと同じなのだ。顔を上げろ、前を向け、立ち上がれ、例え足が動かなくても、例え歩くことができないほどにズタボロにされたとしても、足がなかったら腕がある。腕がなかったら身体がある。心がある。前に進むという気持ちを持っていなければ、人は生きる意味も価値も失ってしまうのだ。だから、歩く。歩いていく。今を生きていく。それは、同意義でなければならないのだ。死なない限り、人は自らの心の足で歩むことができるのだ。

 

「優花里さん、一緒に来てください」

「え?」

「……五十鈴さん、武部さんもういいですよ」

 

 かくれんぼで遊んでいるかのように、みほは二人の名前を呼んだ。すると、二人はすぐに現れた。そして、みほは言った。

 

「五十鈴さん、武部さん、優花里さん……私は……」

 

 

 そして、場面はあの倉庫内部に移った。まほや愛里寿達の眼に映った物、それは車椅子に乗るみほと、それから五十鈴華、武部沙織、そして秋山優花里の姿があった。みほは、一人車椅子を漕いで、戦車の目前、まほの目の前にまでやってくると言った。

 

「Ⅳ号D型……まだ走れそう」

「みほ……」

「お姉ちゃん。私、もう立ち止まりたくない。自分に負けたくない。私のために、私のせいで大勢の人たちに与えてしまった戦車道の悪いイメージを払いたいの」

「……」

「戦車道は、人を傷つける物なんかじゃない。人を育てる物だから、楽しむものだから、それをみんなに教えたい……それができるのは、戦車道を傷つけた私の役目だから」

「みほ……」

 

 思えば、どうして戦車をトラウマとしてしまったのだろう。確かに、自分は戦車に乗っていた生徒たちを助けるために川に飛び込んで、こんな大怪我を負ってしまった。けど、戦車は関係ないのだ。あれは、ただ単に運が悪かっただけなのだ。タイミングが悪かっただけ。もしも、もう少し時間がずれていたら、流木に当たることはなかった。それに、自分はあの事によって二つの物を失った。身体の機能、それと戦車道を楽しいと思う気持ちだ。身体の機能はどうあっても取り戻すことはできない。しかし、戦車道は取り戻すことができる。自分の心持一つだけで、取り戻すことができる物なのだ。

 人の心の中のトラウマは、他人が介入しただけで解くことのできない大きな傷だ。例え、九十九%取り除いたとしても、たった一%残った物によってどれだけでも傷を広める結果になってしまう。その一%は、決して取り除くことはできないなぜならば、トラウマとは所詮記憶なのだから。記憶は決して消えることのない、思い出と同じだ。忘れたと思っても決して忘れることのない鍵のかかった部屋。それが記憶、思い出、トラウマなのだ。なら、どうすればいい。決まっている。トラウマもかすむほどにいい思い出を作ればいい。誰にも文句を言われることのないまごうことなき思い出を作ればいい。逃げたらトラウマはより大きくなっていくだけ。向かえば、トラウマは小さくなる。それが、人の記憶なのだ。それに……。

 

「私は、作りたい。トラウマもかすむほどの思い出を、みんなと……お姉ちゃんと」

「みほ……あぁ」

 

 まほは、みほから差し出された手を取った。その手は、暖かかった。太陽をその手で掴んだかのように暖かく、気持ちよかったのだ。それは、まるで幼い頃のような。幼い頃、ただ戦車道を楽しんでいたころのような。そうだ、もしかしたら自分は戻りたかったのかもしれない。戦車道がない姉妹にではなく、戦車道を一緒に楽しんでいたあの幼い頃の自分たちに。西住流として等関係ない、二人で楽しく戦車道をしたかったのだ。この学校だったらそれができる。勝利にこだわらない西住流じゃない、西住まほとしての西住みほとしての戦車道ができるかもしれない。

 ここは大洗学園艦。たくさんの人の思いを、未来を運んで大海原を突き進むたくさんある学園艦の一つ。この船で人は、数々の知識を得る、数々の人々と出会う、そして数々の思い出を持って生きていくのだ。




 この先、作者が実生活で地獄に入るため、最低一ヶ月は投稿しない可能性が高いです。


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戦車、乗ります
2-1 謝辞


「そう言うわけで、西住みほ。戦車道を履修します」

「同じく、みほさんと戦車道を履修することになった五十鈴華です」

「武部沙織です!よろしくお願いします!」

 

 元々、香道を選択していた彼女達ではあったが、しかし最終的にはこの戦車道に腰を下ろすこととなった。一度選択した授業を変えることができるのかと疑問に思うが、しかしこの学校はかなり自由な校風らしく、そのようなことは造作もない事らしい。こうして、彼女たちも含めて合計二十四名(内一名無断欠席)にて戦車道の授業は進められることとなった。

 

「よろしく~。んじゃ、これから何をするんだっけ?」

「……これから、自身の乗る戦車を探しにいってもらう」

 

 杏の言葉に、桃がそう答えた。どうやら、本当に戦車を探しに行かせる気らしい。しかし、本当に戦車はあるのだろうか。それが一番の心配だ。すでに愛里寿が聞いたことではあるが、まほはもう一度聞いてみることにした。

 

「戦車があるという保証はあるのか?」

「前の学校で戦車道をしていたお前なら知っているだろうが、戦車を廃棄する際にはそのための書類が必要となる」

「あぁ……そうだな」

「しかし、戦車道が廃止となった当時に、その旨の書類が提出されたという記録は残されていない」

「なるほど、だからこの学園艦のどこかに戦車が隠されている。そう考えるのだな」

「そういうことだ」

 

 戦争に使われないとはいえ、戦車が危険なものであるという事は変わらない。そのため、戦車を破棄、もしくは売却する際にはその旨を記した書類を戦車道連盟に提出する必要がある。だがその記録が残されていないとするならば、彼女たちの言う通りこの学校のどこかに戦車が隠されている可能性が浮かんでくるのだ。その書類を制作する担当者がものぐさだったというだけという可能性も残されてはいるものの、しかしこれは有力な手掛かりとなりうる。

 

「それに、実は戦車を見たっていう目撃証言も生徒会に入っているの」

「だったらその場所に案内してもらえれば」

「でも、正確な場所は覚えていないって」

「あっ、そうなんだ……」

 

 柚子の言葉に沙織が反応したものの、返す刀での即答がさく裂した。だが、少なくとも一輌はどこかにあるという事は分かった。最悪、足りなければ母から資金提供してもらえれば戦車はなんとかなるかもしれない、と愛里寿達は思っていた。

 

「そんじゃま、皆頑張って探してきてね」 

「明後日までに戦車道の教官がお見えになるので、それまでに四輌探し出すこと……では、捜索開始」

「ほら、行こう愛里寿」

「うん、梓」

 

 という桃の言葉で、しぶしぶ外に出て行く戦車道履修者たち。愛里寿もまた、梓と呼んだ少女に連れられて出て行った。愛里寿の友達らしきところを見ると、おそらく一年生なのだろう。

 倉庫には、みほやまほ、みほの友人二人と、生徒会三人衆のみが残された。と、ここで沙織が言う。

 

「聞いてたのとなんか話が違う」

「ん?」

「戦車道やるとモテるんじゃなかったの?どうして戦車を探すっていう話になってんの?」

 

 はっきり言うと、戦車道を履修するだけでモテるのだったら、世の中の女性たちは皆戦車道をしている。あと、もしかしたら男子も無理やりしている可能性すらもあるだが、そんながっかりしている沙織に向かって杏が言う。

 

「明後日かっこいい教官が来るから」

「本当ですか!?」

「ほんとほんと、紹介するから」

「行ってきまーす!」

 

 と、沙織は嬉しそうに走って出て行った。だがそれでいいのだろうか。第一、先ほどの杏の言葉は男性にだけ当てはまる言葉じゃないことにまだ沙織は気がついていない様子だ。いや、というか戦車道は女性のみが行う武道である。そのため、来る教官というのは十中八九……。この事実は、伏せておくべきだろうと、まほは判断した。

 

「お姉ちゃん、私達も行こう」

「ん?……あぁ、そうだな、みほ」

 

 みほに促され、まほもまた外に出ようとしたその時だった。後ろから、生徒会長の杏の声が聞こえる。

 

「あっ、妹ちゃんは残ってて」

「え?」

「はい?」

 

 妹ちゃん、というのはおそらくみほの事である。杏はさらに言う。

 

「妹ちゃんは、戦略アドバイザーじゃなくて、戦車に乗ってくれるってことでいいんだよね?」

「え?あ、はい」

「ならば、それなりに戦車内部の構造を変えなければならない」

 

 その桃の言葉に、まほは納得した。足が不自由なため踏ん張ることができず、少しの衝撃でどこに飛ばされるのか分からないみほの身体を固定するための機材等を取り付けたり、他様々なオプションを付けなければ満足に戦車道を行うことはできないだろう。彼女たちもまたそう考えていたようだ。

 

「とりあえず大まかな設計は工学部や自動車部の人たちでできているから、あとはみほさんに合わせた微調整が残ってるの」

「それと、時間短縮のためその機材は現在見つかっているこの戦車に合わせた物しか作れなかったため、お前には必ずこの戦車に乗ってもらう」

「と、言うわけでちょっと一緒に来てくれる?」

「わかりました。お姉ちゃん、お姉ちゃんは武部さん達と戦車を探してもらってきてもいいかな?」

「わかった、すぐに戻ってくるから」

「うん」

 

 みほの安全を考えるとしょうがないことなのだ。そうまほは思っていたし、それに自分達はこれからどこにあるのかもわからない戦車を探しにいくのだ。もしかしたら車イスでは不便な場所にあるのかもしれない。その危険性を考えたら、みほは一緒につれていくべきではないだろう。まほは、生徒会三人衆にみほを預けると一人、倉庫のそので待っている沙織たちのもとに向かった。

 

「んじゃ、河島たちはここで連絡待ちね。私は妹ちゃんと一緒に自動車部のところにいってくるから」

「わかりました」

「んじゃ、いこうか妹ちゃん」

「あ、はい」

 

 みほは杏にそう返事をした。それと同時に、杏はみほの後ろに回り込み、車イスのハンドルを持ち、ゆっくりと押し始める。

 

「結構重いねこれ?妹ちゃんってもしかして……」

「ち、違います。元々車イスが重たいだけで別に太ってる訳じゃありません!」

「そっかそっか、いや私はてっきりお腹に子供でもいるのかと」

「そっちですかって、そっちの方が失礼ですしありえないですよ!」

 

 車椅子は、軽い物であれば10kgほどの物があるが、みほの使用している車椅子は15kgほどの物。少々重いかなと思えるぐらいの重さではある物の、そこに人の重さが加わると、動き始めるときに少しだけ強い力で押さなければ動かない。動き始めれば後は楽であるのだが、やはり押し始める時には安全性に対しても注意を払わなければ乗っている人間に危害が及ぶ可能性がある。そう考えると、杏はかなり簡単に車椅子を押しているような気がするというのが、みほの簡単な感想であった。

 二人は、倉庫から少しだけ離れた場所いる自動車部の下に向かうための廊下に入っていた。そこには人の影はなく、広い廊下であるというのに二人だけであるため、少しだけ寂しく感じてしまう。そんな中であった。

 

「……妹ちゃん」

「?……何ですか?」

 

 ゆっくりと停止し、ブレーキをかけた杏は、みほの目の前に回ったのだ。一体どうしたというのだろうか。

 

「え?」

 

 みほが何かしらの理由を考え出そうとした瞬間、杏子は無言でみほの身体を抱きしめた。その身体は、何となく暖かかく感じた。サツマイモらしき、ちょっと甘い匂いを感じる。

 

「生徒会長?」

「……戦車道を履修してくれて、ありがとうね」

「え?」

 

 杏は、それだけを言うとみほから離れる。今の言葉、ただ戦車道を履修してくれたことに対するお礼というわけじゃなさそうだ。嬉しかった、ただ自分が戦車道を取ってくれたことに対して本当に嬉しかったというような、そんな感情が見て取れた。それほど自分が戦車道を履修したことが嬉しかったのだろうか。しかし、自分の他にも黒森峰の隊長だったまほや、島田流家元の娘である愛里寿もいるというのに、どうして自分にそんな感情を向けてくるのか、今のみほにはよくわかっていなかった。

 

「さっ、行こっか……自動車部の作業場までもう少しだから」

「は、はい……って連れて行ってくださいよ!一人残されても困ります!」

「あぁ、ごめんごめん」

 

 そしてまた二人は歩き出した。みほが、この時の杏の行動の真意を知ることになるのは、もうちょっと先の事となった。



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2-2 戦友

「探せと言われたものの……」

「……」

「どこにあるっていうのよぉぉぉぉ!!!!!」

 

 テニスコート脇にある駐車場、沙織の叫び声は大きく響き渡っていった。だが、確かに沙織が叫びたい気持ちもわかる。なにせ学園艦はかなり広いのだ。黒森峰に比べればまだ小さいが、それでも全長約七.六キロ、横幅は約一.七キロ、そこに船底も加えればさらに捜索範囲は広がってしまう。その中から明後日までに戦車を見つけろなど、あまりにも無茶苦茶な話だ。

 

「駐車場に戦車は停まってないかと……」

「だって一応は車でしょ?あってもおかしくはないじゃん」

 

 いや、目撃情報がないという事から、そのような目立つ場所に置かれているとは考えられない。駐車場などという多くの人間が見ることができるような場所に置いてあるのだとすれば、最初から生徒会役員たちがあの倉庫にまで持ってきているはずだ。そのためまほは、十中八九駐車場に戦車は停まっていないだろうという確信を持ちながら彼女たちについてきた。ならば何故止めなかったか、と言われてしまえば、正直この学校の事をあまりしならないため、学校内の見学もしたいと考えていたからだ。それにして、駐車場の横にはテニスコートがあるのだが、ここから勢いよくボールが飛び出して車が傷ついてしまうという事はないのだろうか。もちろん高さのある網によってそれなりの工夫はできてはいるだろうが、それでも自分のように素人がボールを打ったとしたら、かなりの高さまでボールは飛んでしまう。とまぁ、ある意味どうでもいいことを考えていた時であった。優花里が声をかけてきた。

 

「あのまほ殿」

「ん、なに?」

「いえ、そのまほ殿は、どこに戦車があると思いますか?」

「……そうだな」

 

 まほは考える。人目に付かない所に戦車があるとすれば、まず学生が使うような道路や施設の近くにはないだろう。つまり、学内や街中のほとんどの場所が候補から外れることになる。となると残るのは船底かもしくは学校の裏手にある森の中という事だろうか。

 まほは、倉庫の中にあった戦車の外観を思い出した。確かにあの戦車はかなり傷ついていた。まるで試合の後に廃棄されたかのように。もしも、戦車道がなくなった年に試合が始まる前から戦車道が無くなるという事が決定されていいて、そして最後の戦車道の試合がこの大洗学園艦の上で行われていたとするならば戦車を乗り捨てた、もしくは乗り捨てざるを得なかったという状況を仮定したらどうだろうか。すでにいらなくなるという事が決まっているのだから、学校側が戦車を運んでくれるように手配してくれていなかったため、帰ってこれるあの車輛だけが倉庫に帰ってきて、残った車輛が森に撃ち捨てられてしまっているという事も考えられるのではないか。ならば、今自分たちにできることは、最も可能性の高い場所を探ってみる事だけだ。

 

「森に行こう。そこに戦車があるのかもしれない」

「そうだね、何とかを隠すには森の中っていうしね」

「それは同類の物を隠す場合の言葉です」

 

 まほたち一行がそんなこんなの理由で森に向かって行ったそのころ、愛里寿達一年生組はというと、アグレッシブルな他のチームとは違って図書館で戦車道に関連する資料を探すことから始めていた。

 

「使っていた戦車の記録見つかった?」

 

 大量の本を抱えた梓がそう言った。しかし、その場にいる面々の顔から察するに結果は思わしくないもののようだ。

 

「戦車の『せ』の字もないよ」

「家の学校が戦車道辞めた時からさっぱり」

「これは、探すのに手間がかかりそうですね」

 

 と、眼鏡をかけたツインテールの少女大野あや、茶髪のショートヘアーの少女阪口桂利奈、そして愛里寿がそう答えた。やはりこの学校は長年戦車道から離れていたために、それに関係していた図書も建物の奥底に眠ってしまっているのだろう。あやは、戦車に関する記述が内とは言っていた物の、少しは戦車道について記述の有る資料はあった。しかし、今回戦車を探すにあたっては必要のないものばかりで、有効に活用できうるものは存在していなかった。

 

「なんで突然戦車道止めちゃったのかな?」

「やっぱ人気なくなったんでしょ昔っぽいから」

「そっか~」

 

 と、宇津木優季と山郷あゆみは言った。昔っぽい、まさにその通りだ。なにせ戦車道で使っている車輛は、主に第二次世界大戦中かそれ以前に使用していた兵器であるのだからそう言われてしまうのも仕方がない。母も言っていた。現在のレギュレーションでは第二次世界大戦末期、つまり1945年までの戦車が戦車道の試合で使用できるという事になっている。これは、戦車の性能が後年上がり続けているため、それ以降の戦車までも参加が可能になってしまうと金銭面で潤いのないチームには不利となってしまうからという問題に繋がるからだ。1945年までは、それなりに性能の差はある物の、それは些細なものである場合が多く、知略と策略を用いればどうとなる差であるから1945年までの戦車での参加は認められているのだ。

 だが、この終戦までの戦車という規定を作ってしまったことにより戦車の種類が頭打ちとなり、結果的に目新しいものが無くなってしまっているのだとか。

 

「もう少し探して何も出なかったら、外に……」

「……」

「え?」

 

 その時、なにやら漫画らしきものを見ていた丸山紗希に袖を引っ張られる。そういえば、いまだにこの少女の声を聞いていないが、無口なのだろうか。

 

「何ですか?」

「……」

 

 紗希は、何も言葉を喋らずに一枚のノートの切れ端らしきものを愛里寿に手渡す。どうやら、紗希が見ていた漫画のページに挟まれていたようだ。このタイミングで渡してくるのだから、なにか重要な手がかりでも書いていたのであろうか。愛里寿は、ゆっくりと中を開いてみてみる。

 

「何々?何が書いてあるの?」

「愛里寿?」

「……どうやら、日記の一ページみたいです。読みますね」

 

 上から下まで、愛里寿はゆっくりと読み進める。

 

『○月×日 今日、私たちの戦車とお別れになった。ゴメン、最後の試合に勝てなかった上に、この場所に連れて帰れたのはあなたと、もう一輌だけ。他の子たちは、離ればなれになっちゃった。廃部が決まっちゃって、もう皆を車庫に戻すお金も使わせてくれないんだって。私達が弱かったから、もしも私たちが強かったらこんなことにはならなかったのかな。もっと、あなたたちと、皆と一緒に戦車道をしたかった。私達がいなくなると、あなたもきっと寂しくなるよね。大丈夫、あなたは、私達であの子たちの所に連れて行くから。だから寂しくないよ。あの子たちのように死んじゃう、なんてことはないと思うけど、それでも私は心配だから。私はこの大洗を離れちゃうけど、またいつか戻ってくるから、それまでさようなら……』

 

 愛里寿は、すこしだけホッとした。少なくともこの日記を書いた人は、戦車に愛着を持ったまま戦車から離れてくれたのだ。戦車道が無くなってしまうことに対して、誰もが賛同したわけではないのだ。最後まで抵抗して、最後まで戦車道を愛してくれたまま離れてくれて、それだけで何となく愛里寿は救われたような気がした。

 

「連れて帰れたのはあなたと、もう一輌だけ……つまり帰れた戦車は二輌ってことだよね」

「でもさでもさ、車庫には戦車一輌しかなかったよね」

「だよね……この人が乗っていた戦車はどこに行っちゃったんだろう……」

 

 確かに、それもその一輌はかなりボロボロとなっていた。この日記から察するには、やはり最後の試合が終わった後にそのまま放棄されてしまったようだ。それを車庫に戻すお金も使わせてもらえなかったという事は、つまりは移動させるためのお金がなかったという事、大洗学園艦から外に出そうとするのならば撃破された場所から移動させなければならない。つまりそれぞれ撃破された場所にそのままになっている可能性が高い。それに……。愛里寿は言う。

 

「これは私の想像ですが、車庫にあったⅣ号D戦車はボロボロでした。という事は、この人が搭乗していた戦車もまた、Ⅳ号Dと同じように満身創痍で帰ってきた可能性が高い……その状態で遠くに戦車を自力で移動させるのは無理がある。つまり、もう一輌の戦車は、この学校の敷地内、もしくは学校に近い場所に隠してあるのではないでしょうか?」

「そっか!」

「愛里寿ちゃん頭いい!」

「それほどでもありません」

 

 愛里寿は、今まであまり母親以外に褒められたことがなかった。というよりも、褒められるとは感じていなかった。そのため、彼女たちに自分の考えを褒められ、少し嬉しかった。

 

「でも、一体どこにあるのかな……」

「この日記によると『あの子たち』の所にいるって書いているから、何かが複数個はある場所なんだよ。多分命のある……それにこの文面からすると、この子が帰ってくるまで待っていてくれる場所、つまり長い時間置いておける場所かな……となると、候補はかなり絞られてくるはず。この学校の地図ってどこにあったっけ」

「確か、生徒手帳にありましたよね?」

 

 梓の言葉に、愛里寿は胸ポケットにしまっていた生徒手帳のページを開く。そこには、この学校の最新版の案内図が書いてあった。改めて見るとかなり大きな学校だが、果たしてこの学校のどこに戦車があるというのだろうか。

 

「うわっ、広ーい……」

「しらみつぶしに探すにしても時間がかかるよ……」

「見かたを変えてみるの。まず、車庫や校舎の中にはない。それに校門裏門周辺は人通りも多いから、もしあったとしても目撃証言が出てるはず。それにこの子は戦車の事を友達、ううん戦友のように考えていたんだと思う。なら、雨風に晒されるような屋外には置かないだろうし……」

「……」

 

 愛里寿は思わず感心してしまった。梓の判断能力、発想力は自分に迫る物がある。いや、磨けば自分すらも超えて行ってしまう可能性すらある。それに、優しさもある。彼女は戦車長に向いているだろう。恐らく、自分や西住流の二人がいなかったら、彼女を中心にチームが動かせるほどに成長することができる。その片鱗を少し、のぞかせていた。

 

「ねぇ、愛里寿はどう思う?」

「え?……そうですね。でも学内だと部活動や掃除などで、生徒は必ず立ち寄りはするだろうから、学内での目撃証言がないのは変……周囲の景色に同化して目立たなくなった?」

「そっか、あまりにも自然に置いてあるから、誰も不自然に思わなくなったんだ。でも、もしもそうならなおさら見つけ出すのは難しいな……」

「えぇ、嘘ぉ……」

「ここまできて最初から出直し?」

 

 梓、愛里寿、そしてもう一名以外はその梓の言葉にため息をついた。

 最初から出直し?本当にそうだろうか。少なくともこの学校内にあるという可能性があるのだ。最終的には虱潰しに探すという手もあるが、他になにか見過ごしているようなことはないだろうか。

 いや、なにか必ずあるはずだ。この日記の中に手がかりが、その場所のヒントがあるはずだ。日記の中に出てくる登場人物は、『私』『あなた』『他の子たち』『皆』それから『あの子たち』である。『私』はもちろん日記の執筆者であろう。『あなた』は、この日記の執筆者の搭乗していた戦車。『他の子たち』それから、『皆』というのは、『あなた』以外の戦車であろう。ならば、『あの子たち』とは何なのだろうか。他に戦車道をしていた人達だろうか。いや、そうであれば『あの子たち』ではない。『私』は、『あなた』に愛着を持っていたはずだ。それならば、側に置いておけるのならば自分のすぐそばに置いておくだろう。それに『あの子たち』のように死ぬというのは一体どういうことか。まるで、なにか惨劇のようなものがあったかのような言い分である。そう、それこそ十年前にあったあの惨劇のような何かが。だが、もしそんなものがあるとするならばどこかに痕跡があったり、母からそのような話が転校前にあるはず。では一体何なのだ、この死ぬという一文は……。

 

「……」

「え?」

 

 その時だ、隣にいた紗希が愛里寿の肩をツンツンと指で触れた。愛里寿が紗希の方を向くと、彼女は何も言わずにただ生徒手帳の地図のある場所を指さした。

 

「紗希さん、ここが気になるんですか?」

「……」

「え、でもここって……」

「ほぼ毎日誰かが一度は見ている……っていうか、絶対に中に入ったりしているじゃん、ありえないでしょ」

「……ううん、可能性はあるかも」

「え?」

「愛里寿が言ったでしょ。あまりにも周囲の風景に同化しすぎている可能性があるって。ここだったら暗がりで、傍から見てもオブジェや置物のように自然に溶け込んじゃっていたって可能性も……」

「えぇ、それにここだったら、日記の気になっていた一文にも納得がいきます。もしも『あの子たち』がこの子たちだったとすれば、こんな書き方をしたのにも合点が付く……」

「行こう皆……この子の友達を迎えに!」

「「「「うん!」」」」

「はい」

「……」

「それじゃ、まずはこの山積みになった本を元あった場所に返そう」

「はい」

「紗希その本借りるの?」

「……」

 

 愛里寿達は本を元にあった場所に返却し、紗希は呼んでいた漫画、恐らく戦車に関係する漫画であろう物を借りると、図書館を出てその目的地へと向かっていった。



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2-3 難解

 ちょっと、自動車部の人たちの性格と口調がおかしいことになりそう。


「ついたよ~」

「ここが……自動車部の工場ですか?」

 

 みほは、自動車部の使っている工場であるのだから、てっきり車屋さんにあるようなこじんまりとしたものであろうと思っていた。しかし、来てみると三階建ての建物で、まるで一つの大きな工場であるように思える。こんな大きな工場、本物の自動車を組み立てるような工場であればあっても分かる気もするが、ただの学校の一つが持つには少々手に余るような気がする。

 

「そう、でも調べたところによると、この学校に戦車道の授業があったころには、ここで戦車の大掛かりな整備をしていたらしいよ」

「そっか……」

 

 いらなくなった工場がそのまま自動車部に送られたという事か。それにしても、車庫を外から見た時も思ったが、この学校に戦車道があった時は、学園艦全体で戦車道をサポートしていたのではないだろうか。巨大な車庫が五つに、ここまで巨大な整備工場を持たせてくれるのだから。この施設だけ見れば、中堅校よりもすこし待遇がいいぐらいの規模だろう。ここまでの施設があるのだから、それを受け継いだ自動車部はさぞかし嬉しかっただろう。

 

「その子が西住みほちゃん?」

「あなたは?」

「私は、自動車部三年、中嶋悟子。よろしくね」

 

 オレンジのツナギを着た黒髪のショートヘアーの女性が工場の奥から現れた。なるほど、見た感じ工場で働いている人間のように見える。彼女が、戦車の整備や補助具の制作を一手に引き受けてくれるのだろう。

 

「そんじゃ、妹ちゃんを置いていくから、後はよろしく。他の戦車が見つかったらこっちから連絡するから」

「了解。それじゃ、手はず通りにね」

「じゃあね、妹ちゃん。またあとで」

「はい」

 

 そう言って、杏はもと来た道を帰っていった。中嶋はそれを見送った後、みほの背中に手を当て言う。

 

「それじゃ、補助具の大体の設計図は工学部からもらっているから、あとは身長とか体重とか測って微調整したり、工学部の人にも追加で頼まないといけないものがあるかもしれないから、それについても聞かないとね」

「はい」

 

 そして、中嶋はみほの車椅子の取っ手を持って進みだす。その途中、そういえばと中嶋がみほに言う。

 

「ねぇ、みほちゃんの足って……川に落ちてそうなったんだってね」

「え……はい……」

 

 生徒会から聞いていたのだろうか。まぁ、車椅子の少女のために戦車道の部品を取り付けなければならないとなるのだから、何故みほが車椅子生活をしているのかについての説明をした可能性がある。中嶋は、それだけ言うと後ろからみほに抱き着いて明るく言った。

 

「ねっ、車椅子の改造案があるんだけれど、試してみない?」

「え?いや、その……」

「いつ川に落ちても大丈夫なように色々と取り付けて」

「いや、その前に落ちない方法とかは……」

「ほら、車とかにもエアバッグとかあるじゃん。あぁいうのを付けてさ」

「あの、私はこれでも十分ですから。というか、話を聞いてください!」

 

 自分の事を色々と考えてくれる先輩で、頼もしくはある。しかし結局、車椅子の改造は自動車部の範疇を越えてしまっているのではないかというツッコミができたのは、かなり先の事となってしまった。

 

 一方そのころ、山へと続くであろう森の中で、地図を確認しながらまほたちは進んでいた。しかし、森というのは学内よりも入り組んでいるうえに視界が悪い。そのため、戦車探しは困難を極めていた。

 

「これは、かなり手こずるな……」

「はい。せめて何か目印になるようなものがあれば……」

 

 そう、優花里が言ったその時、華が突然立ち止まった。

 

「どうかした?」

「……」

 

 華は、沙織の言葉を耳にしながら、何かの臭いをかぎ分ける犬のように鼻を動かす。

 

「あっちからかすかに匂いがします……」

「匂いで分かるんですか?」

「花の香りに交じって鉄と油のにおいが……」

「華道やっているとそんなに敏感になるの?」

「私だけかもしれませんけど……」

 

 そういえば、彼女は華道の家元の娘であるとみほから聞いた。分野は違う物の、彼女もまた自分たちと同じようなものなのだろう。だからわかる。自分たちも彼女と同じように戦車に関連したことには急に敏感になり、荒野を進む戦車のエンジン音や履帯の音で戦車の種類が分かるようになってきているのだから。彼女もまた、長年花の匂いを嗅いでいたので、逆に花以外の臭いがあるのに違和感があるのだろう。

 優花里は、一度まほに目配りをした後に華のいる方向を指さして言った。

 

「よぅし、パンツァー・フォー!」

「パンツのあほぉ!?」

 

 あまりにもテンポのいいボケに、自分と優花里はよろけてコケかけた。

 

「パンツァー・フォー……戦車前進という意味のドイツ語で、まぁ戦車用語の内の一つだ」

「へぇ、そうなんだ……」

 

 思えば、この子たちはこういった戦車道をする者にとって基本的なことでさえも知らないのだ。今後戦っていくうえでこのような戦車道の用語は少しづつ覚え、使って行った方が作戦の立案や指揮が円滑に進むので、これもまた今後の課題になるだろう。

 ともかく、華の指し示す方向へと四人は歩を進めた。やはり道はどんどんと険しくなっていく。みほを連れてこなくて正解だっただろう。どうしてだろうか、戦車から離れたくて大洗に来たというのに、戦車がすぐ近くにあるというだけでここまで嬉しくなってしまうのは。やはり、自分はどれだけの綺麗事を言ったとしても戦車を捨てきれないのだろう。みほと暮らすにあたって、戦車から一切離れた生活をしたものの、少しばかりの虚無感を感じていた。それは自分の消失。戦車というアイデンティティを消失してしまったために自分の中に去来した空っぽのフラスコ。自分の中では、それをみほという最愛の妹によって満たしたと考えていた。しかし、改めて戦車と接したことで、それがただの自己満足であり、戦車が切っても切り離せない存在であることを思い知らされた。戦車だけが我が人生、戦車だけがわが命、戦車だけが、我が楽しみ。いや違う。きっと時間が足りなかっただけだ。もっともっと、みほと一緒にいる時間があったら、自分にとってみほは戦車以上の存在にできたはずだ。それが普通なのだから。それが、姉妹として圧倒的に通常な関わり方なのだから。それに気がつくのが、ただ遅すぎているだけなのだ。きっと。

 

「あ、ありました!」

 

 優花里のその言葉にまほの意識は現在の彼女の身体へと戻ってくる。前を見ると、少し広まった場所に一輌の戦車が鎮座している姿が見える。四人は、すぐにそれに駆け寄った。

 

「38(t)……B/C型のハイブリッドか……」

「何かさっきより小さい、ビスだらけでゴツゴツしてるし」

「そう侮るほどでもないぞ。38(t)はポーランド侵攻からバルバロッサ作戦の初期まで、戦車が送られなかったアフリカ戦線以外のすべての戦場でドイツ軍の主力として活躍していたからな」

「はい!38(t)はロンメル将軍の第7装甲師団でも主力を勤めるほどの初期のドイツ電撃戦を支えた重要な戦車なんです!軽快で操作性も高くて……あっ、tっていうのはチェコスロバキア制ってことで、重さの事じゃないんですよ!」

「あぁ、ロンメル将軍はナポレオン以来の戦術家とまで言われたほど巧みな戦略・戦術によって戦力的に圧倒的優秀なイギリス軍をたびたび壊滅させるほどの人間で、そんな人間が使用していた戦車なのだから、頼りがいのある戦車なのは間違いない」

 

 と、まほは現在進行形で戦車に頬をこすりつけている優花里の意見に同意する。だが、流石に優花里の行動には華と沙織は引いてしまった様子だ。まほもまたドン引きとまではいかないものの、自分もあまり戦車に接していなかったらああなっていたのだろうかと、もはや同業者のように優花里のことを見ていた。というより、戦車を近くにすると血がたぎってくるのだからもはや同類なのだろうか。

 

 

「了解、それじゃ直に取りに行きます」

「どうしたんですか?」

「戦車が一輌見つかったんだって」

「そうですか、よかった……」

 

 身体計測を受けているみほは、中嶋からのその言葉を受けてホッ、と一安心する。やはり現在ある戦車一輌だけでは戦車道の試合をすることは不可能であるため、少しでも多く戦車を見つけてもらわなければいけない。自分がその手助けになることができていないため不安だったが、戦車発見の報告を受けて胸をなでおろすことができた。

 

「それじゃあホシノ、戦車の運搬頼んだよ」

「了解!」

 

 自動車部の一員である三年生のホシノは、中嶋から戦車の大体の場所が書かれた紙を受け取ると、すぐさま外に向かって走っていった。他の戦車が見つかったら頼むというのは、整備という事だけじゃなく、見つけた戦車の運搬の事も言っていたのだ。

 

「すみません、自動車部の皆さんにこんなに迷惑をかけて」

「いいって、それよりもあと少しで身体計測も終わるから、その後私が倉庫前まで送ってあげるよ」

「何から何までありがとうございます。私にできることがあったら、なんでも言ってください」

「だからいいって礼なんて……そうだな、それじゃあみほちゃん専用車椅子に付ける機材なんだけれど……」

「え?またそれなんですか……」

「まず、水に落ちたらすぐに開くエアバックとか、ゴムボードが開くっていうのもいいかも……推進装置を背中に付けるって手も……」

「いや、あのだから……」

「せっかくだから、水陸両用車ならぬ、水陸両用車椅子とか!」

「……もういいです」

 

 みほはいろいろと諦めてしまった。

 

 

「あっ!本当にあった!!」

「すっごーい、戦車だ!」

 

 そして、一年生七人組はというと、ようやくとある場所で戦車を見つけることができた。その場所とは……。

 

「まさか、本当にウサギ小屋にあるなんて……」

「ごめんね、邪魔しちゃって」

 

 愛里寿は、ウサギの一匹を持ち上げるとそう話しかけた。

 あの日記には、『寂しくない』『あの子たちのように死んじゃう』という文面があった。これは、ウサギは寂しいと死んでしまうという迷信に基づいた文章であると彼女たちは考えた。ウサギは自然界で生き残るために、病気になっていても敵に察知されないように平穏を装うという習性がある。そのため、もしもペットとして飼われているウサギであってもその習性のために病気であることを隠してしまい、飼い主が病気に気がつかずに遠出している間に死んでしまうことが多くあったのだとか。そのため、ウサギ一匹になってしまう死ぬ。つまり、寂しいと死んでしまうという迷信につながったのだとか。

 

「この戦車、一体なんて名前かな?」

「M3中戦車リーですね。ここにいるみんなで乗ることができる戦車です」

「そうなんだ、よかった……」

「でもさ……」

「だよね……」

 

 宇津木、大野は小屋の中を見渡して苦笑いを浮かべる。戦車のあらゆる隙間に藁が敷き詰められており、内部も敷き詰められている。恐らく、この戦車の中はウサギのすみかとして機能しているのだろう。と、いう事はこの戦車を出すためにはこのウサギ達には一端お引越ししてもらわなければならない。これは、かなり骨のいる作業になりそうだ。と、いうか……。

 

「どうやってこの戦車を小屋の中に入れたのかな?」

「あと、どうやって出そう」

 

 トタンで作られた小屋で、さらに入口は金網で作られており、どう考えてもその入り口から戦車を入れることはできない。これでは戦車を入れることも、出すこともできないだろう。

 

「鶏が先か、卵が先かですね」

「何言ってるの愛里寿?ここにいるのはウサギだよ?」

「いえ、そうではなく」

「愛里寿が言っているのは、ウサギ小屋が先なのか、それとも戦車のためにウサギ小屋を作ったのか……ってことじゃない?」

「そうです。この内装から考えると、後者ではないかと」

 

 確かに、そう考えると戦車をどうやって入れたのか分かる。いや、入れたというよりも戦車の周りに小屋を作ったと言った方が早いか。とにかく、すでに小屋はボロボロとなっており、いつ崩れてもおかしくない。これは、戦車を出す作業と同時に小屋の立て直しも検討しなければならない。

 それから十数分後、池の底と、崖の中腹にある洞穴で戦車を見つけたという別チームからの報告があり、これにて全五輌の戦車がそろった。

 

『ってことで、運搬よろしく』

「……あのさ、森の中とウサギ小屋はまだしも、崖と池の底って、最後の戦車道の試合どんなものだったの?というか、当時の戦車道履修者はどうやってそんなところまで戦車を移動させたの?というか、どうやって見つけたの?」

『ん?細かいことは気にしない気にしない』

 

 ナカジマは、どうやってそんなところから戦車を移動させようか頭を悩ませることとなった。




 細かいことは気にしてはいけない世界観だとは思うけど、いったいどうやってそんなところに戦車を置いたのか本当に気になります。


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2-4 感情

 今回、戦車説明回をしようと思いましたが、その前にやることがあるので先にそっちを片づけておきます。


「みほ、大丈夫?」

「なんだか、午前中に見た時よりもやつれてらっしゃるような……」

「あはは、大丈夫。心配しないで」

 

 結局あの後身体中隅から隅まで調べられた挙句に車椅子のアイデアも提出させられるなど、身心的にやつれるような事をした後、みほがようやく解放させられたのは放課後、日が落ちかけた頃であった。

 

「それより、38(t)を見つけたって聞いたけど?」

「はい!少し整備をしたらすぐに走れるようになるかと!」

「経年劣化もそれほどみられなかったから大幅な、装甲全部を取り替えないといけないほどの整備も必要ない」

「そうなんだ……」

 

 優花里、まほの言葉を聞き、みほは一安心する。38(t)は外で見つかったと聞いたので、雨風に晒されてのさび付きが気になっていたのだ。だが、よく考えるとここは学園艦。その上にずっとある戦車なのであるから、潮風によってさびるという事も考えられるため、それなりのコーディングが装甲や塗装にて元々なされていたのだろう。

 戦車道履修者全員が車庫前に集まってきたころ、生徒会の河嶋桃が前に出て話し始める。

 

「静かに!皆、聞いてくれ。ノルマであった全五輌の戦車が見つかり、運搬については自動車部に一任している。もう日が暮れてきたため、今日の所はこれで解散となる。明日は戦車を洗車するため、体操服を持参して集合してくれ」

「では、解散!」

 

 柚子のその一声で、みな雑談を始めながら帰り始める。

 

「私達も帰ろうか、みほ」

「うん……あれ?」

「どうしたんです?」

「うん、ちょっと」

 

 まほの声と共に動き出そうとした車椅子であるが、その前に、みほが何かが気になるような声を上げた。そして、みほが自分で車椅子の車輪を漕いで向かったのは、まだ一人たりとも動こうとしていない愛里寿を含めた一年生七人であった。

 

「愛里寿ちゃん、どうしましたか?」

「あっ、みほさん……いえ、実は私達にはまだやることがあって……」

「え?」

「ウサギ小屋を立て直すんです」

「ウサギ小屋?」

「はい、私たちが戦車を見つけたのがウサギ小屋の中で、でも戦車を出そうとしたら小屋を壊すしかなかったんです」

「だから、この後皆でウサギ小屋を立て直そうって話になってるんです」

 

 と、愛里寿の隣にいた少女が言った。見たところ愛里寿を除けば一番しっかりしていそうだ。と言っても、愛里寿は年齢的には中学生なのに大学生の学籍もあるのに高校生であるという考えてみると訳の分からないことになっていて精神年齢場にも歳不相応となっている気もしなくはない。

 

「そうなんだ……なら、私も手伝うよ。いいでしょお姉ちゃん」

「あぁ、もちろん私もだ」

「なになに?何をするって?」

 

 沙織と華、それから優花里もまたみほの元に駆け寄る。

 

「ウサギ小屋の立て直しだって」

「まぁ、ウサギですか、ふわふわして可愛らしいですよね」

「不肖ながら、秋山優花里も全力でお手伝いさせていただきます!」

「ほんとうですか?ありがとうございます!」

「けど、暗くなったら作業もおぼつかなくなるし、今日の所は完成しないかな?」

「はい、でもこれだけの人数がいるのですから、予想よりも早くに終わるかもしれません」

「よし、それじゃ行こう!あっそうだ。私澤梓です!」

「私は西住みほ。よろしくね」

「はい!」

 

 そしてそれから数時間後、結局その日の内には終わらなかった物の、必要最低限でウサギが逃げないような建物は作り直せたため、今日の所はお開きにしてまた明日という事となった。正直言えば愛里寿は嬉しかった。戦車以外でも自分が人と関われるようになっていくように変化していくことが。それに、戦車以外の話もまた楽しい物だった。小屋を立て直したらどこに行こうかとか、休日にこの街の事を案内してあげるとか、色々と話してくれた。そして今、彼女たちは学校帰りのアイス屋さんに立ち寄っている。

 

「んん~、やっぱりここのアイスはいつ食べてもおいしい~」

「うん、こっちの期間限定の完熟ミカン味もおいしいよ」

 

 もちろん、こうやって大人数でアイス屋に来ることも初めて、というかアイス屋に立ち寄るという事も初めてだ。アイスはいつも家のお手伝いさんが作ってくれるものばかりだったから、別の人が作るアイスクリームは初めてであるし、いつもと違った味もおいしい。

 

「ねぇ、愛里寿のアイスも一口食べさせてよ」

「え?あ、はい」

「ありがとう……ん~おいしい!」

 

 もちろん友達にアイスを一口分けるという事も初めてだ。こんな気持ちとなるのか。自分がおいしいと思う物をまた、誰かがおいしいと思ってくれるという事。

 

「あゆみのも食べていいですか?」

「うん、もちろん!」

 

 愛里寿は山郷あゆみのスパークリングなんとかという味を一口食べた。口の中で花火が弾けたような痛みが口の中を襲う。こんな味、感触も初めてだがしかし、なかなかに刺激があっておいしい。誰かと何かを分けあうことの嬉しさも楽しさも、共有できることの素晴らしさも、自分は今まで知らなかった。こんな当たり前の感情を知らなかったなど、自分が本当に人間だったのか疑わしくなってくる。喜怒哀楽、人にはその四つの感情があるという。しかし、自分はそのどれも持ち合わせていなかった。喜ぶことも、怒ることも、悲しむことも、楽しむことも知らなかったと思う。いや、楽しむことはあの子達のおかげで知っていたのかもしれない。しかしそれも一時の感情であり、それだけがあったとしても人間は生きていけないのかもしれない。喜怒哀楽のどれかひとつでもかけた人間は、人間なのだろうか。それは、ロボットと同じなのではないだろうか。喜ぶこともない、怒ることもない、悲しむこともない、楽しむこともない、そんなものは人間じゃない。けど、自分はもっとひどかった。自分は、それらを望むこともしなかった。人間として素晴らしいものである感情を欲しがることはなかった。多分それは、なくても人は生きていけるだろうと思っていたから。でも、自分は知らなかったのだ。感情のすばらしさを。元々楽しいという感情を知っていたから、あの子たちのおかげで知っていたから、だから自分は気がつくことができた。他の三つの感情もまた、人間を人間にするのには必要不可欠なのだと。

 

「あれ?そういえば、もう一人いませんでした?」

「あぁ、優季なら彼氏の家に」

「えっ!?彼氏いんの!?」

「は、はい……」

「うぅ……後輩に先を越された……」

 

 彼氏、恋、自分にも恋をする時が来るのだろうか。誰かを好きになるという事ができるのだろうか。人に恋をして恋をされ、愛を知り、愛を育み、未来を夢見ることができるのだろうか。島田流の家元として、いや島田愛里寿という一個人としてたくさんの人たちを導いていくことだけが夢であるのだろうか。もしかしたらもっと違う未来もあるのかもしれない。島田流を率いていくにしても、それと並行して別の仕事に就くという事もできるはずだ。たった二日三日でここにいる人達は自分の価値観を大きく変えてくれた。自己の存在意義を見直すチャンスを与えてくれた。自分はもっと変わることができるかもしれない。自分はもっと大きな人間になるのかもしれない。

 

「どうしたの、愛里寿?」

「いえ、何でもありません」

 

 愛里寿は嬉しそうに言った。自分自身が想像もしていなかった島田愛里寿という人間は、ここで作られていくのだ。

 

 

「もしもし、大洗女子学園の角谷です」

『あら、角谷さん?試合ができる人数と戦車は集まったかしら?』

「えぇ、なんとか……明後日はよろしくお願いします」

 

 杏は、生徒会室から電話をかけていた。明後日くる予定の日本戦車道連盟の強化委員である教官だ。そこには、いつものようにおちゃらけた雰囲気の少女の姿はなかった。

 

『それでどうかしら?今集まっている子たちで優勝できる目星はついた?』

「えぇ、思っていたよりも凄い子たちが集まってくれました。もしかしたら……いえ、優勝できます」

『そう、よかったわね』

 

 そう言って、電話口の相手はクスリと笑う。それはそんな事出来るわけがないだろうという嘲るような笑いではない。彼女がそこまで言うのだから、本当にできるのだろうなという確信に近い笑みであった。

 

「……どんな子たちが来たのか聞かないんですか?」

『楽しみは、最後まで取っておきたいもの……明後日行ったときに目にするわ』

「分かりました……」

『……?』

 

 教官は少し不思議に思った。杏の声色が少し前に電話した時よりも弱々しい気がするのだ。珍しいことだ。礼節をわきまえており、いつも元気で、その声は頼もしくもありたくましくもある、そんな少女だったはずなのに、なんだか今日はおかしい。

 

『どうかしたの?』

「蝶野さん、私の事……嫌いになるかもしれないけどさ、大洗学園の事は嫌いにならないでね」

『……嫌われるようなことでもしたの?』

「世間一般的に考えたらね……」

『……何ヶ月、貴方とやり取りしていたと思ってるの?あなたの性格だって分かってるわ。例え、誰が何と言おうとも、私はあなたの事を嫌いません』

「……ありがとう、ございます」

『それじゃ、また明後日』

「はい」

 

 それだけ言うと、杏は受話器を置き、横に置いてあるいつもの干しイモの入っている袋を取るとイスに座り、干しイモをかじる。不安がるだなど、いつもの自分のキャラクターではない事は分かっている。それに、そもそもそのことを覚悟して彼女達を戦車道に誘ったのだ。何も考えていなかったわけじゃない。多分、あまりにもいい結果に事が運びすぎて不安になっているだけだ。本当に、バカげたことを言っていると自分でも思う。

 

「会長」

「河嶋……」

 

 同じ生徒会の河嶋桃が、大量の同じような薬の入ったビンを杏の机の上に置いた。

 

「河嶋はほんと、変なところで頼りになるね~」

「いえ、それが私の役目なので」

 

 杏は、ビンの蓋を開けると、中に入っている薬を二つぶとって飲み込む。正直水と一緒に飲み込んだ方がいいのではないかと思うのだが、あいにく今手元にない。桃はやはりどこかで抜けているようだ。水無に飲み込むと、なんだか喉元で薬が残っているような感じがして気持ちが悪いのだが、文句を言うほどの事ではないため彼女はそのまま飲み込んだ。

 

「ねぇ、河嶋」

「何でしょう?」

「私さ、この期に及んでまだ自分の心配をしているよ。ほんと、自分勝手だよね」

 

 杏は、笑ってそう言った。どうして自分の事ばかり心配してしまうのだろうか。本当につらいのは、真に傷つかなければならないのは彼女達であるというのに。その覚悟もないで事を運んだわけではないというのに、まだ自分の心配をしようとしている自分が心の中にいる。なんとも自分勝手な女であろうか。

 

「会長、人はどれだけ見繕ったとしても、どれだけ覚悟をしたとしてもまず自分の事を一番に考える生き物です。会長は間違っていません」

「ありがとう、河嶋……ゴメンね、地獄の道連れをお願いして」

「いえ、この学校のためだったら、私は鬼になる覚悟はすでにできていますので」

「……そう」

 

 とは言っているものの、杏は柚子を通して知っている。この一件の結果自分たちに待ち受けているであろう物について説明したその夜、桃が泣いていたという事を。その時も今も、彼女は本当の自分を押し殺して自分に接している。ある意味役者だ。柚子も柚子で、他人がいる場所では平然を装ってはいるものの、一人だけで部屋にいるときはいつもの彼女の様子とは全く違う暗い姿を見せているのを見た。結局のところ、自分たちのしていることは、まだ彼女のような人間を完全な意味で受け入れてくれていない世間にとっては悪者のする行動なのだろう。

 

「妹ちゃんが……みほちゃんが戦車道を取るって決めてくれた時、本当に嬉しかった……その気持ちは本当だから……」

「分かっています会長。絶対に、この学校を優勝させましょう」

「当たり前じゃん。ここまでして、優勝できなかったら……」

「……」

「……ここから見る月は、やっぱり綺麗だねぇ……」

「はい、私もそう思います」

 

 学園艦はいつも、常に動いている。しかし、そこから見える景色はほとんど変わらなかった。そして、月の輝きも変わらなかった。この、自分の慣れ親しんだこの景色を守るためだったら、自分はどうなったってかまわない。だから彼女には、これ以上の試練を与えないでくれ。せめてこの学校にいる間だけでもいい。彼女の平穏を壊したのが自分であるのだから、彼女の安らぎを願ってもいいだろう。それぐらいのわがままは許してもらっても構わないだろう。




 今回、テレビを改めて見返した結果、戦車の発見から戦車の運搬までで一日が経過していることが判明したため、そのまま愛里寿たち一年チームが帰るのはなんかおかしいなと感じてウサギ小屋の一件を書いたら、そのままの流れで愛里寿の感情の話やら、元々書く予定だった生徒会の話にやらなってしまいました。結果的に、感想で自分が言ったことを反故にしている感じで悔しい。
 もっとこういう書き方した方がいいとかアドバイスがある場合は感想の方にお願いします。


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2-5 割当

 大百科さんがなければ、この小説は詰んでいました。


 明朝、戦車道履修者は昨日と同じようにまた、車庫の前に集められていた。そのころにはすでに車庫にあったⅣ号Dも含めた五輌全てが車庫の前に並べられていた。こうしてみてみると、なんとも統一感の欠片もないものである。

 

「まるで、多国籍連合軍のようだな……」

「うん、八九式中戦車甲型、38(t)軽戦車、M3中戦車リー、Ⅲ号突撃砲F型、それとⅣ号中戦車D型……ここまでバラバラだとそろった動きができないかな……」

 

 黒森峰もそうだが、強豪校という物は切り札と呼べるような戦車を除けば、大体の戦車の種類をそろえている。少なくとも、作られた国はそろえている。戦車という物は、製造された国によって戦車の基本スペックがそれぞれ違うため、国籍が違えば、全速で出せる速度がバラバラとなってしまうのだ。だから戦車道の試合に置いて、戦車の種類に統一感を持たせた方が安定した戦車運用ができる。そのため、今現在の編成では素早い動きと攻撃は望めないだろう。だが、その点は知力と策略で何とかしていけばよいのだ。西住みほはそう考えるしかなかった。

 

「なんとか五輌、集まりましたね」

「あぁ、自動車部の諸君。ご苦労だった」

「いやいや、もう大変だったよ。特に崖の所にあったのとか……」

 

 生徒会のねぎらいに対してナカジマはそう答えた。だが、どうやってそんなところにある戦車を持ってくることができたのか皆目見当もつかない。ナカジマ曰く。それは企業秘密であるから教えられないのだとか。まぁ、別に教えられても使い道がないと言っちゃないし、なんだか聞くのも怖いのである。

 

「では、どう振り分けますか?」

「見つけたもんが見つけた戦車に乗ればいいんじゃない?」

「そんな事でいいんですか?」

「みんな自分が見つけた戦車に愛着を持ち始めているみたいなので、それでいいのでは?」

 

 捨てられた子犬を見つけた時の心境に似ているだろうか。特に一年生組はM3中戦車を見つけた経緯から、かなりの愛着を持っているようだ。

 

「では、最初に言った通り西住のチームがⅣ号に、私たちはお前たちが見つけた38(t)に乗らせてもらう」

「分かりました」

 

 元々、足の不自由なみほのための機材はⅣ号戦車の座席を元に制作しているため、どの戦車が見つかったとしてもみほたちが乗る戦車は変わらなかった。だから、まほたちが戦車を探しに行く必要性はなかったのだが、残る一チームである生徒会の三人が乗る戦車が必要だった。三人は昨日まほたちのように戦車を探しに出てはいなかった物の、もとをただせばⅣ号Dを見つけたという意味ではすでに彼女たちの戦車道探索という役割は済んでいた。そう言う意味で言うならば、まほたちはⅣ号Dと交換できる戦車を探しに出ていたと言ってもいいだろう。なんにしても、四人乗りで生徒会の三人でも操縦することのできる38(t)をまほたちが見つけてきたのは運がよかった。この戦車であれば、操縦はそんなに難しくはない。万が一にも二種類の操作方法があるクリスティー式の戦車でなくてよかったとみほは考えていた。

 

「その事なんだが、少しいいか?」

 

 だが、桃がそう言った瞬間にまほが手を挙げた。

 

「なんだ、西住」

「あぁ、戦車道履修者の中で、戦車道を経験者は私とみほ、それと愛里寿だけだ。その内の二名が同じ戦車に乗ってその戦車が撃破されるようなことがあったら一気に総崩れする恐れがある。そのため、38(t)には私も乗車したい」

 

 これは、昨晩から考えていたことだ。ほとんどが戦車道素人であるこの学校の中で、自分、みほ、そして愛里寿の三人の担う役割は大きなものとなるだろう。だが、五輌しかない戦車の内、自分とみほがⅣ号D戦車に乗って撃破された際、残った愛里寿一人に重荷を全て背をわせてしまうという事を危惧した。

 愛里寿は一年生、しかも実年齢で言えば中学生であるから、このメンバーでは一番年下。いくら近い将来に大学選抜の隊長を努めることが内定していたとしても、素人ばかりのチームの年上の少女達をまとめ上げる心の強さがあるのか実際に見てみるまでは不安だった。だから、まほとみほの二人が別々の戦車に乗り込み、一方が撃墜されても戦線を維持できる形を取ったのだ。

 

「なるほど、そう言う事なら……いいですね、会長?」

「いいんじゃない?二年生と三年生のチームで区別もできるし。こっちとしても元黒森峰の隊長さんがおなじ車輛に乗っていたら心強いし」

「フッ、本当にそう思っているのか?」

「まっ、ちょこっとだけだけどね」

 

 実は言うと、まほは少しばかり杏に一目を置いていた。初めて会った時から感じている彼女のずるがしこさの中にある緻密な計算や、自分のプレッシャーにも動じない精神力。そして、自由奔放がゆえに何物にもとらわれることのないその発想、判断力。まほは、杏がもっと成長し、戦車道に真摯に取り組んでくれれば、大会で上位に食い込むことができる、いや将来的には社会人チームで隊長を努めることもできるのではないかと考えていた。そのため、先ほどまほ自身が言った、戦車道経験者の分散というのも真実ではあるが、もう一つの目的として杏の成長という物もまた彼女の思惑の中にあったのだ。さらに言えば、杏もまた最初からまほには自分たちのチームに入ってもらおうと考えていた。理由はほとんどまほが言ったことと同じである。それを杏自身が言わなかったのは、彼女が言わなくとも聡明なまほであったら、自分からそう持ち掛けるのではないかという考えの下だ。もしかしたら、杏はまほが思っているよりもしたたかなのかもしれない。

 

「すまないみほ、そう言うことだから同じ戦車には……」

「ううん、心配しないでお姉ちゃん。私も、同じ三年生の会長さん達と一緒に乗った方がいいんじゃないかって思っていたから」

「そう、ありがとう」

「では改めて。Ⅳ号Aチーム」

 

 Aチームは、みほ・沙織・華・優花里の四人の事である。Ⅳ号戦車は、第二次世界大戦中のドイツが持っていた中戦車である。装甲部隊の創設者であるハインツ・グデーリアンによって求められた二種類の戦車のひとつである。ベグライトヴァーゲンと呼ばれ、75mm砲搭載の20トン級の「支援戦車」として開発された経緯を持つ。ドイツ戦車の中で最も生産数が高く、大戦中期ごろには改良が限界に達していた物の、敗戦時まで使用され続けたのだから、安定性した強さはあったものと考えられる。Ⅳ号は、四社による競作が行われた結果、複数のバリエーションを持つまでに至り、1939年には今この場にあるD型が本格的に量産された。因みに、D型は当初の戦車よりも装甲厚が強化されているそうだが、防御力は不十分であったそうだ。

 

「八九式、Bチーム」

 

 Bチームは、磯辺典子、近藤紗子、河西忍、佐々木あけびの四人である。バレーボールのユニフォームを着ていることが特徴だ。というか、元々バレーボール部だったそうだ。しかし、部員不足のために廃部となってしまい、バレーボール部復活を生徒会との交渉条件にして戦車道を履修しているのだとか。唯一の二年の磯辺のみ体操服姿で、そのほかの一年生三人がユニフォーム姿であるため、一番学年の区別がつきやすいメンバーである。

 蛇足だが、三人のユニフォーム姿を見る限り、ズボンは今や懐かしいと言えてしまうブルマーであると思われる。ブルマー、あるいはブルマもしくはブルーマ、ブルーマーは20世紀に世界的に広く普及した衣類の一つである。戦前の日本でもんぺに代わって標準の運動着として採用されたブルマーは、ずり落ちたりひきつったりせず軽量で、動きに対しても身体に密着するため、オリンピックや国際競技の場で公式に使用されたことで女子体操服の代名詞として認知されるようになり、小中高と幅広い間で指定体操着として採用されることとなった。なお、主に女子限定の体操着として着用されていたが、場所や時期によっては男女共通の体操着として着用されていたのだとか。また、水着としての着用例もあったりと、使用方法にはかなりの自由度があったと考えられる。しかし、1987年にある高校から端を発した反対運動によって衰退を始め、公立校では2004年を最後に、私立では2005年を最後としてブルマーを女子の体操着として指定する学校は消滅した。現代では、男性の性的欲求を満たすためだけに存在していると言われるが、遡ってみるとかなり歴史のある伝統的な服装であったことが垣間見える。

 話を戻すが八九式中戦車は、1920年代後期に日本初の国産制式戦車として開発・量産された大日本帝国陸軍の戦車である。第一次世界大戦に並行して、大日本帝国陸軍において戦車部隊を保有するべしとの機運が高まり、10トン以下の軽戦車としてフランスのルノーF17、10トンから20トンまでの中戦車としてイギリスのマークA・ホイペットをそろえた戦車隊が創設された。それに加えて、当時の戦車開発の流れを鑑みた日本も、自力でこれに追随すべきであるとの判断から戦車の国産化計画を推し進めた。その結果として1927年に、作り上げられた試製一号戦車を得て、一応の国産戦車配備をこの八九式中戦車で成し遂げたのだ。1931年から勃発した満州事変から、第二次世界大戦の序盤のフィリピン攻略戦でもアメリカ軍のM3軽戦車と戦った。しかし、開発期間に十年の開きがあったために八九式は様々な面で劣っており……。そんな戦車まで前線に持ってこなければいけなかったという事を考えれば、当時の日本軍がどれほど危機的状況の中にあったのか分かるだろうか。因みにこれは余談であるが、1937年に勃発した日中戦争に置いて八九式の戦車長として多くの激戦を戦った軍人がいた。その男はその功績をたたえられ、軍部が初めて公式に『軍神』の異名を死後与えた。その男の名前は、『西住』小次郎だという。

 なお、例の崖から戦車を見つけたチームというのがこのBチームである。果たして、どうやってそんなところに戦車があったのを見つけたのか、そして自動車部はどうやってそんなところから戦車を持ってくることができたのか、永遠の謎としてこの大洗戦車道内で語り継がれることになるのかもしれない。

 

「Ⅲ突、Cチーム」

 

 Cチームは鈴木貴子(カエサル)、松本里子(エルヴィン)、杉山清美(左衛門佐)、野上武子(おりょう)の四人のチームである。歴史上の軍人らしきもののコスプレをしている四人組だ。それぞれを歴史上でも有名な軍人の名前で呼び合うというちょっと変わった人間で組まれているチームで、全員が歴史全般についての知識をそれなりに持っているようだ。

 彼女たちの乗ることとなるⅢ号突撃砲は第二次世界大戦中にドイツで開発された突撃砲だ。因みに、突撃砲という名前が付ている通り、この車輛は厳密的に言えば戦車ではない。実はドイツが製造したⅣ号戦車が一番生産されていたというのは戦車に限ってのことであり、装甲戦闘車両というくくりで見れば、一番生産されていたのがこのⅢ号突撃砲だったそうだ。つまり、それほど重宝されていたという事であろう。突撃砲は車軸が回らず、狭い射界で攻撃範囲を制限されるのに比べ、戦車は回転式の砲台を持ち、全周囲に対する砲の指向を行いながらの機動が可能である。という違いがあり、そのため、突撃砲は目標を迂回しながら突破しつつ攻撃を仕掛けるというまさに突撃砲の名に恥じない戦い方をしていたらしい。Cチームの使う三突はF型と呼ばれるもので、主砲を長砲身にしたという違いがあるらしい。そのため、今回見つかった戦車五輌の中でも一番の高火力なのだとか。

 なお、彼女たちは池の底からこの戦車を見つけたらしく、水蜘蛛という道具を使ったり、すいとんの術に似た忍術で見つけたそうだ。どうやら、彼女たちは一年生の時には忍道を履修していたらしく、それで身に付けた技なのだとか。ただ、どうやらそれは彼女たちが思った授業ではなかったらしく、戸隠流やら真田十勇士やらがあると思ったらしいが、行ってみれば近代スパイの情報収集術などというリアリティある物だったらしく、ちょっとお気に召さなかったらしい。

 

「M3、Dチーム」

 

 Dチームはウサギ小屋で戦車を見つけた七人、澤梓、山郷あゆみ、丸山紗希、阪口桂利奈、宇津木優季、大野あや、そして島田愛里寿である。

 M3中戦車、リーとはイギリス軍で当時使用されていた愛称で、他にもグラントという愛称もある戦車もあるそうだ。アメリカ軍向けの仕様のままでイギリス軍に配備されたものを、南軍の将軍の名前を取ってジェネラル・リー、イギリス向けの仕様で生産されたものを南北戦争時の北軍将軍の名前を取ってジェネラル・グラントというらしい。北アフリカの砂漠に配備されたM3中戦車は、強力な榴弾(爆発することによって弾丸の破片が広範囲に飛散するように設計されている砲弾の事)を発射でき、かつ対戦車戦闘でも有効な75mm砲を装備しているため、当時のイギリス軍からはかなり喜ばれ、同時期に導入されていた戦車の中でも機械的信頼性が高かったらしい。その後、M4中戦車がイギリス軍に配備されるようになったが、ドイツ軍やオーストラリア軍、ソビエト連邦やアメリカ軍等々数多くの軍隊で使われていたそうだ。1944年のビルマ戦線では、イギリス軍の反攻に投入され、まともな対戦車火器を持たなかった日本軍相手に威力を発揮したらしい。

 

「38(t)、Eチーム」

 

 Eチームは、生徒会三人衆である角谷杏、小山柚子、河嶋桃。そして、西住まほの四人である。

 38(t)は第二次世界大戦前にチェコの会社がチェコスロヴァキア陸軍に向けて開発・製作した軽戦車である。しかし、1939年にあったミュンヘン会談の結果、ナチス・ドイツによりチェコスロヴァキアが併合され、チェコ陸軍向けとして発注されていた車両のすべてに当たる150輌がドイツ国防軍向けとして完成させられた。しかし、ドイツ軍向けに納入された戦車である物の、元々チェコ製であることを示す名残が残っている。それが、38(t)のtである、というのはすでに優花里が言っていたことであるが。ドイツ軍は開戦時から多くの38(t)を実戦投入し、1939年のポーランド侵攻では、第3軽師団に100輌ほど配備されていたらしい。そして、これも優花里やまほが言っていたが、第二次世界大戦中の西方戦役で、エルヴィン・ロンメル将軍が指揮した第7機甲師団で有名なのだそうだ。ちなみに、この38(t)は数あるバリエーションの内B/C型と呼ばれるものであるらしく、この戦車は……。

 実は、38(t)の戦車はA型、B型、C/D型、E/F型、S型、G/H型、K/L/M型があり、B/C型という物は史実にはない。と、いう事でこの戦車は38(t)B型をこの学園艦内で改造した車輛であると考えられる。一応、今現在自動車部が使用しているどでかい倉庫は元々戦車道履修者が使用していたらしいし、あそこでかなりの改造を行ったのだと考えられる。と、言うのは戦車素人の考えであるため聞き流してもらっても結構である。

 車輛の割り当てが決められた後、戦車を洗車することになったのだが、これと言った盛り上がりもない為、以下戦車洗車ダイジェスト。

 

「ちょっと沙織さん……」

「だ、誰ですか!?」

「高松城を水攻めじゃ!」

「ペリーの黒船来航ぜよ!」

「戦車と水と言えば、ノルマンディーのDD戦車でしょ!」

「「「それだ!!」」」

「もうびしょ濡れ……」

「恵の雨だぁ!」

「ブラ透けちゃうよぉ……」

「……」

「愛里寿もその内ブラ付けれるぐらいに大きくなるから」

「別に気にしてません」

「今日は戦車を洗車すると言ったろ」

「上手いねぇ、座布団一枚」

「決してそう言う意味で言ったわけじゃありません」

「それより二人もまほちゃんみたいに手伝ってくださいよぉ……」

「それよりも、柚子が水着を着ているの何故だ?」

 

 因みに、高松城というのは現在の香川県にある城で、水攻めというのは1582年の備中高松城の戦いにおいて羽柴秀吉の家臣である黒田官兵衛が立案し、毛利氏の配下であった清水宗治相手に使用した戦術である。長さ三キロ、高さ七m、幅二十二mにも及ぶ大きな堤防を僅か十二日で作り上げ、近くにあった川の水を城の周囲に流し込み、備中高松城を湖に浮かぶ小島とし、孤立させた作戦である。因みに、この戦の最後は清水宗治の切腹という形で幕を閉じるのだが、その時の切腹の姿が見事なものであったため、その後の時代を生きる武士は、切腹が武士として名誉なことであるという認識となったらしい。

 ペリーの黒船来航は、1853年、1854年に当時東インド艦隊司令長官であったアメリカ海軍代将のマシュー・ペリーが1639年から鎖国して朝鮮王国、琉球王国、中国そしてオランダ以外と関係を経っていた鎖国を行っていた日本に開国を求めた一件である。

 ノルマンディーのDD戦車とは、第二次世界大戦中に開発された水陸両用戦車を使用したノルマンディー上陸作戦の事だ。この作戦では、特にオマハ・ビーチでの戦いがよく知られており、およそ3000の死傷者を出したという。惨劇とも言われている。DD戦車はオマハ・ビーチの岸からはるか遠くの沖合で会場に降ろされたのだが、荒波にもまれてしまいほとんどが沈んでしまったそうだ。

 それはともかくとして。洗車は、夕刻にまで及び、新品同様とまでは行かない物の、最初に比べればかなり綺麗となった。

 

「よし、いいだろう。後の整備は、自動車部の部員に今晩中にやらせるそれでは、本日は解散」

 

 その言葉を聞いた瞬間、全員が全員、自動車部の部員を憐れに思ってしまった。確か、自動車部は昨晩から今朝に至るまでにここにある戦車を色々な所からこの場所に移動させたのだとか。と、いう事は昨日は徹夜だったという事になるので、このままいくと二徹という事になる。果たして、ちゃんとした睡眠時間は取れているのだろうか。特に、自動車部とも接したことがあるみほがそう思っていた。さて、解散と言われたもののみほ達にはまだ学校でやるべきことがあった。

 

「それじゃ行こっか」

「はい、今日中にウサギ小屋が完成すればいいですね」

「うん」

 

 そう、まだウサギ小屋を建てるという仕事が残っている。みほたちAチーム、愛里寿たちDチームの面々、それからまほは昨日と同じようにウサギ小屋に向かおうとした。その時である。

 

「あっ、ちょっと待って」

「え?」

 

 彼女を呼び止めたのは、Bチームの磯辺典子だった。

 

「Dチームの人たちから聞いたけど、ウサギ小屋を建てるんだってね」

「私達もお手伝いします!」

「え、いいの?」

「はい!まだまだ身体を動かしたいんです!」

「さすが元バレー部ですね」

「まぁね」

 

 さすが体育会系の部活動出身である。あれほど身体を動かしていたというのに、まだ動かしたりないという。まぁ、洗車して身体中に水を浴びたから身体が冷えてしまっているのかもしれないが。

 そして、流石にチーム三つが集合しているので気になったCチーム四人も集まる。

 

「何ぜよ、この集まりは」

「みんなで内緒話か?」

「いや、実は先日M3リーを出すためにウサギ小屋を壊してしまってな。それを直そうという話を……」

「ほう、修繕か。戦争で修繕と言ったら第二次世界大戦の首里城だな」

「いや、ポーランドの街ポズナンじゃないか?」

「ウサギの城である小屋から出すのだから、三方ヶ原の戦いの徳川家康じゃないか?」

「「「それだ!!」」」

「どれだ?」

 

 首里城は、かつての沖縄にあった琉球王国の王城であった場所で、沖縄県内最大規模の城である。その堅牢さからか、第二次世界大戦中の沖縄戦に置いて日本軍が首里城の下に陸軍第32軍総司令部を置いていた。しかし、それが原因となり、アメリカ軍艦から三日間に渡って攻撃を受け続け消失し、首里城へと続く階段のみが残された。今現在ある首里城は、1979年に琉球大学が首里城跡から移転した後に始まった復元によって生まれ変わったと言っても過言ではない首里城である。ただ、元々の色が分からない場所、資料が消失しているという事もあって、完全に戦前の姿が戻っているというわけではないらしい。

 続いてポズナンとは、ポーランドの西部に位置している都市で、中世ポーランド最古の都市のひとつである。第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍の激しい戦闘により、ポズナン市街地全体の55%が、旧市街は90%以上が破壊され、壊滅状態となってしまった。しかし、戦後残された資料を基にしてポーランド人、ポズナンの街が好きな人たちによって完全に復元された。因みに、ドイツ軍の元歩兵大将であるエーリヒ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ルーデンドルフはこの街の旧ポーゼン管区と言われるところの出身である。

 最後に三方ヶ原の戦いの徳川家康であるが、これは1573年1月25日に起こった武田信玄と徳川家康・織田信長連合軍との戦いである。正確に言えば、織田信長は自身の包囲網への対処のために忙しく、戦場には赴いていないが。上洛を前提としたとされている武田信玄が、甲斐の国から進行する途中、徳川領であった三方ヶ原を侵攻する際にあった戦い。その際、徳川家康は浜松城にて籠城の構えを見せており、本来なら戦が起こるなどという事はなかった。しかし、それを読んでいた武田は、わざと浜松城を素通りしてその先にある城を目指すような動きを見せる。これを知った家康は、坂を下って移動中の武田信玄の首を取れるという可能性を見出し、平手汎秀ら織田からの援軍を加えた徳川・織田連合軍で信玄の後を追った。しかし、それは武田信玄の用いた作戦。武田信玄は坂を下ってはおらず、魚鱗の陣にて徳川を迎え撃った。結果、家康は敗北し、数多くの家臣、そして織田軍の平手汎秀等を失った。浜松城へと数少ない取り巻きと共に敗走した家康ではあった物の、空城の計という作戦を用いて何とか武田の軍勢を退けることに成功し、その命を失うことはなかった。

 

「とにかく、そう言う事だったら私達も参加しよう」

「そうか、助かる」

「これだけ人数がいるなら、すぐ終わりますね」

「はい、もしかしたら前の小屋よりも豪華なものができるかもしれませんね」

「ともかく善は急げ、すぐにその小屋へと向かうとするぜよ」

「はい!」

 

 そんなこんなで、生徒会チーム以外の面々が参加することになったのだが、一方でその生徒会チームはというと。

 

「私達も行こうか?」

「ダメです。まだ仕事が山積みなのですから、そんな事をしている暇はありません。それに、戦車道連盟に提出する書類もまだありますし……」

「あ~そうだったね」

 

 そのやり取りが耳に聞こえたまほは、首をかしげながら杏に話しかける。

 

「そのような書類は、普通は学校のトップに任せるべきものなのでは?」

 

 普通はそうだ。黒森峰でもそうであった。特に戦車という特殊な車輛を使うのであるから、学校のトップの承認もなければならないはずなのだ。しかし杏は苦笑いしながら言う。

 

「いやぁ~うちって放任主義でね、学校は全然協力してくれなくって」

「え?」

 

 その言葉に、まほは何か違和感を感じた。協力してくれないというのならば、あの戦車道履修者に対する大量の特典は何だというのだ。いくら放任主義とはいえ、あれほどまでに学生生活に関係するような事柄を、一生徒会の一存で設定することなどできない。そのため、自分は学校全体での協力があるのだと思い込んでいた。だが、蓋を開けてみれば学校の協力はないという。ならば、どうやってあれほどまでの特典を用意できたのか。まさか、虚偽だとでもいうのだろうか。

 

「杏、聞きたいことが……」

「あの特典は嘘じゃないよ。それだけは用意して、後は全部生徒会にお任せするってことだから」

「……そうか」

 

 だが、それで安心できるほどではない。むしろ心配の種が一つ増えたという事だ。戦車道の試合一つをするにも、安全に配慮するといった誓約書や、戦車の砲弾使用の許可や認可、さらには砲弾や燃料、火薬と言った物品の手配等々たくさんの職務がある。それを戦車道に関係するたくさんの大人たちで分担してそれぞれを終わらせていくような作業だ。それを、子供である生徒会三人が勉強の合間を縫ってやるなど、辛いことこの上ないだろう。まほは、一度目をつぶり少し考えてから言った。

 

「分かった。何か私にも手伝えることがあったら言ってくれ。これでも、母の手伝いで似た書類を書いたこともあるからな」

「感謝する。しかし、今のところは何ら問題はない。だから、安心してほしい」

「……分かった」

 

 杏と話している中ではあるが、突然現れた桃の言葉を聞き、まほはただ一言だけ答えるとみほたちの元にお向かった。しかし、その途中一度だけ振り向き、言った。

 

「一つだけ言いたいことがある。桃」

「なんだ?」

「……嘘をつくときは、手に力を入れない方がいい」

「ッ!」

「それに、少しメイクをした方が隈も隠せる。……チームメイトなのだから、少し位は頼ってくれ、ではまた明日」

 

 それだけを言うと、まほはまたみほたちの元へと帰っていった。まほは見た。バインダーを握って、震えている桃の手を。彼女は何かを隠している。恐らく自分自身の許容範囲を超えるような大きなことを。それに自分と杏の話に無理やりかのように割り込んできた姿も不自然だ。何かがある。この大洗学園戦車道には、何か裏がある。そう、確信にも近い何かを持ちながら、まほは仲間たちと共にウサギ小屋へと向かった。

 

「やっぱただもんじゃないね」

「……すみません会長、隠し通せると思ったのですが」

「いいよ河嶋……まほちゃんだったらしょうがないって。それにさ……」

「え?」

「何でもない。さっさと仕事終わらせちゃおう」

「はい……」

 

 そして、二人は生徒会室に帰っていった。

 

「待ってくださいよ会長~桃ちゃ~ん……」

 

 と、言うわけにはいかなかった。実は戦車を洗車した時、38(t)を洗車していたのは

まほと柚子の二人だけであった。桃は全体の管理をしなければならないために洗車に加わることはできなかった。それは分かる。しかし、杏は何故かいつも通りに干しイモを食べながら洗車する履修者たちを眺めていただけ。つまりさぼっていたのだ。だから二人で洗車するしかなかった。しかし、ここで体力差による疲労感の違いが出てしまう。元々黒森峰で戦車道を行っていたまほは、もはや体力は有り余っていると言えるほどに余裕をもって洗車していた。しかし、ほとんどデスクワークしかしてこなかった柚子はあまり体力がなく、結果として終わったころには今のようにモップにもたれかかってなければ立っていられないほどにヘトヘトとなってしまったのだ。主に戦車内部で雑巾を使用していたのと、外部で大きなモップを持って水をかけるという事も並行していたことも差がでた要因なのかもしれないが。

 

「やっぱり私も手伝った方がいいと思うのだが?」

「……頼む」

「あはは、さっそくだね」

 

 結局まほも生徒会の仕事を少しばかり手伝うという結論となった。見て分かる通り、ウサギ小屋の方はすでに人数が足りている。自分一人が抜けたところで、別段問題はないだろうとまほもまた判断したのだ。

 こうして、今日もまた一日が過ぎていく。誰もが想像していた通りに過ぎていく。だが、それでいい。何もない平和な毎日という物が続くのであれば、それでいい。何物にも縛られないという毎日という、どんな物にも代えがたい物、それがあるだけでいい。ただ、それだけがあればいい。




 バレー部のユニフォームですが、初見でブルマーであると思ったのですが、それにしては裾(と言っていいのだろうか)が広いような気もして……あれ?戦車の説明回なのに、なんでブルマーの説明なんて挟んでいるんだろうか……。
 あと、後半の首里城やら三方ヶ原云々の後の『それだ!!』から見て分かる通り、私の歴史知識なんてその程度です。もっといい例えがあったら誰か教えてください。
 あと、三方ヶ原の戦いは一部、『信長のシェフ』を参考にさせていただいているところがあります。


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2ー6 凶器

 思ったけど、TV本編内では西住しほはまだ西住流の師範で、劇場版で家元になったという設定だったんだっけ。もうこの時点で完璧に矛盾しているな。一応、TV本編よりも早めに家元になったという事にしてください。あと、TV本編だと勘当同然まで行ったが勘当までしていないという違いについてもスルーしてください。


 ウサギ小屋づくりは、人数をかけたおかげもあってかスムーズに終わりを迎えることができ、ウサギ達は綺麗に、前よりも多少豪華となった新しい家に住み着き始めた。途中、家の外装を西洋の城にするか、日本風の城にするかでCチームがもめるというハプニングがあった物の、そのほかは何の問題もなく終わって何よりであった。

 それから間もなくに解散して、一時間が経った頃、みほは、沙織達三人と一緒に自分の家に帰宅していた。大洗学園艦の治安がいいと言っても、もしかしてという事もある。車椅子のみほ一人で帰らせるわけにはいかないというのが彼女たちの意見であった。そして理由がもう一つ。

 

「みほ殿!ご飯は何合炊きましょうか!」

「飯盒で作るの……?」

「痛ッ!すみませんみほさん、手を切ってしまって……」

「大変!絆創膏どこにしまったっけ……」

「皆意外と使えない……」

 

 生徒会の仕事を手伝っているまほだが、その仕事の量が多く、晩御飯時までに帰ってくることができないという連絡があったのだ。そのため、みほが一人で晩御飯を作るという話を聞いた沙織達は、皆で一緒に作って食べたほうがもっとおいしくなるし楽しいという話になって今に至った。しかし、優花里は軍用のレーションや飯盒での料理しかしたことがなく、料理が得意そうに見える華もまた花しか切ったことがないようなお嬢様であったことが災いし、包丁でジャガイモを切ろうとして指を切る始末。なので普通の料理を作るという点で言えば戦力になるのが四人中二人という状況にあった。

 とにかく、華には包丁を使わせてはいけないと判断した沙織は、ピーラーで皮を向くように指示を出し、優花里にはしょうがないから飯盒でご飯を炊くという事を許可してそちらを任して、自分とみほの二人を中心として料理をしていこうという事となった。と、その時沙織があることに気が付いた。昨日の朝にもみほの家に来ていた沙織。その時は気にも止めなかったが、よく考えるとこの寮の台所は少しだけ低く設計されているように思える。料理をするためには中腰にならなければならないため、長時間料理をするというのはかなり辛くなる。

 

「ごめんね、車椅子の私に合わせて寮母さんに用意してもらったから。もしも立ってるの辛くなったら椅子用意するから」

「あっそっか……ううん、大丈夫。もうそろそろ足腰も鍛えないとなって思っていたから」

 

 みほの言葉を聞いた沙織は、なるほどと思った。確かによく考えればこの高さは、座っていれば高さもちょうどよくなる。普段自分が使っているような台所では高すぎて、車椅子に座っているみほだったら高すぎて料理をするのがしんどいだろう。それ用に椅子を買ってきて料理をするということもできなくはないが、料理によっては台所中を右往左往するような場合もあるため、車椅子で移動したほうがスムーズであるに決まっている。

 みほの言葉に納得した沙織は、料理を続ける。みほもまた、華が皮を向いたジャガイモをまな板の上に置くと、手慣れた手つきで乱切りに切っていく。

 

「すばやいねみほ、料理上手なの?」

「はい……戦車道は良妻賢母を育成するための武道だから、そのためには炊事洗濯、とにかく家の事は一通りできるようにって、お母さんとか、お手伝いさん……お姉ちゃんにも教わったの」

「へぇ……」

「それに、もともとこっちで一人で暮らす予定だったし……」

「……」

 

 そう、みほは元々こっちに一人で来る予定だった。まほも付いてくるなど想像もしていなかったのだ。だからこそのこの台所であり、バリアフリーなのだから。ふと、沙織は思った。みほの母親が一体何を考えているのかと。

 

「ねぇ、みほの家って三人姉妹だったりする?」

「え?ううん、私とお姉ちゃんの二人だけだよ」

「そう……」

「?」

 

 その言葉を聞いた沙織は、ますますみほの母親が分からなくなった。みほを勘当するのは、西住流として不甲斐ない結果をもたらしたからという理由で、分かりたくもないが分からなくもない。しかし、まほもまた勘当してしまったら、西住流を継ぐ者がいなくなってしまうではないか。ここ二、三日の間にネットで見たところによると、西住まほの能力はかなり高く、それこそ将来的には現家元のしほよりも強くなるのではないか。とも言われている。そんなまほまでも家から追い出すなんて、一体何を考えているのだろうか。はっきり言ってしまえばやりすぎであるし失格である。西住流家元としても、みほとまほの母親としても。

 それから数十分後。

 

「「「「いただきま~す!」」」」

 

 食卓には肉じゃがと、グラタン、酢豚らしきもの、刺身の盛り合わせ、みそ汁等とかなり豪華な食卓になっていた。因みに、これらのおかずは全て沙織の監修の元に作られた物である。まず手始めに、みほは肉じゃがに箸を伸ばした。口の中、舌で簡単に崩れるほどにジャガイモは柔らかく、さらに中にまで汁がしみ込んでいる。

 

「おいしい……」

「いやぁ、男を落とすにはやっぱ肉じゃがだからね」

 

 なるほど、これもまた沙織にとっては持てるための一つの道具だという事だ。

 

「落としたことあるんですか?」

 

 しかし、ここで華が痛烈な一言。

 

「何事も練習でしょ!」

「というか、男子って本当に肉じゃが好きなんでしょうかね?」

「都市伝説じゃないですか?」

「そんなことないもん!ちゃんと雑誌のアンケートにも書いてあったし!」

 

 みほは苦笑いするしかなかった。そもそも人の好き嫌いなど人それぞれであるため、万が一その雑誌のランキングで肉じゃがが一位だったからと言って、全ての男子が肉じゃがが好きであるとは限らない。仮に肉じゃがが好きであるとしても、それを作った人間にもよる可能性がある。特に肉じゃがという物は家庭によって味付けが違うおかずの一つである。肉じゃがが好きという物も、自分の母親が作る肉じゃがが好きという落ちが付いている可能性すらもある。果たして真相は、いや別にこの真相など知らなくてもよいであろう。特に、雑誌の記事を信じて疑わない沙織にとっては。とその時、みほは花瓶に刺さっている白い花に注目した。

 

「お花も素敵……この花は五十鈴さんが?」

「御免なさい、こんな事しかできなくて」

 

 華は指を切ってみほから絆創膏を貰った後は、料理ができない自分がいても仕方がないという事で、少し外の方に出て花を探したのだ。もちろんのことだがそれは他人の花壇から引っこ抜いてきたようなものではない。たまたま近くの空き地に自生していた物である。しかし、それでも綺麗な花であることには変わりはない。みほは、謝罪する華に向かって言った。

 

「ううん、お花があると部屋がすごく明るくなる。この部屋も少しだけ、殺風景かなって思っていたし……」

「ありがとうございます」

「殺風景っていうかさ……」

「はい……」

 

 みほの殺風景という言葉に対して顔を曇らせたのは沙織と優花里である。確かに、みほの部屋にはある物以外何もないなとは思っていたが、しかしこの部屋の内装を見る限り殺風景という言葉は似合っていない気がする。むしろ……。

 

「殺伐としているような……」

「なんで熊のぬいぐるみが包帯巻いてたり眼帯したりしてるの?」

「え!?ボコられグマだよ!知らないの!?」

「え?」

 

 みほと出会って史上、一番であろうテンションを浴びた沙織と優花里は椅子に座っているため実際には動きでは見えない物の、心の中では一歩だけ下がってしまう。というか、一見しておとなしそうだった少女が、ここまで声色高くなると、そりゃそうなるだろう。沙織は、みほの言ったボコられグマという言葉にどこか聞き覚えがあった。はてどこであっただろうか。

 

「ボコられグマというと、確か昔アニメ化もされていましたよね」

「うん、ボコはね、世界一可愛くてどれだけボコボコになっても立ち上がる強い子なの!!」

「ボコ……あぁ、そういえばそんなアニメが昔あったような……」

 

 ギリギリではあった物の知っていた華のアシストのおかげでようやく沙織も思い出すことができた。そういえば、自分がまだ幼かったころに、そんなぬいぐるみが爆発のように流行して、脱兎のように流行りが過ぎ去っていった覚えがある。正直身体中のいたるところを汚しているあまりにも痛々しい見た目は、何故当時ちょっとだけブームとなったのかという果てしない疑問へと彼女たちをいざなってくれるのかもしれない。

 

「そう!そして今もお昼16時30分からアニメが放送されているの!知らない?」

「え゛ッ」

「まぁ、そうだったのですか」

「知りませんでした……」

 

 このみほの発言に三人ともある意味で驚いた。一昔前にブームが過ぎ去ったアニメが、まさかまだ放送され続けているとは。いや、もしかすると再放送であるという可能性もある。しかし、もしもそうだったとしても再放送という物はかつての人気番組を中心に放送する物。数多ある番組の中から選ばれるのだ。その中に、ちょっと流行っただけのボコのアニメが食い込んでくる等想像もできなかった。

 

「それでね、ボコの何がいいのかっていうとね!」

「うわぁ、長くなりそう……」

「私、家に帰りが遅くなるって電話してきます」

 

 みほの状況から、沙織と優花里は何かを察した。優花里にとって、今目の前にいるみほの表情その他が、まるで戦車を目の前にした自分そのもの、つまりマニアの表情であると言っても過言ではない。そう感じ取った優花里は、実家の理髪店に自分が幾分か帰るのが遅くなることを伝えに外に出ようとした。しかし、ドアを開けようとしたその時、ドアノブが回り、外開きのドアが開いていく。

 

「優花里さん、来ていたんだ」

「まほ殿、はい!お邪魔しています!」

「私達もいます。今、晩御飯を食べ始めたところなんですよ」

「へぇ、そうなんだ」

 

 まほは、そう言いながら食卓へと来た。そして、その雰囲気をみて、姉妹二人での食事もいいが、やはり大人数での食事という物もいいのかもしれないと思った。

 

「あ、お姉ちゃんお帰りなさい。生徒会のお仕事どうだった?」

「ん?あぁ……」

 

 まほは、みほにそう聞かれて思い返してみる。だがしかし、どうだったかと聞かれれば一般的に考えればかなり大変だったと言わざるを得ないような仕事の量だった。まほは要領よく仕事をこなし、少しだけ自動車部の仕事を手伝って帰ってきた。どちらかというと自動車部の仕事のほうが肉体労働であるので疲れたが、しかし体中が疲れ果てるほどに働いたとは思えなかった。

 

「まぁ、滞りなく終わったよ」

「そうなんだ、今ねッ!」

「まほさんに質問があります!!」

「ん?」

 

 みほがまほに向かって何かを喋ろうとしたその刹那、沙織がみほ以上の大声を出しながら手を挙げた。沙織は、まほが帰ってきて話が少しだけ中断した今しか話を変える時間はないと思ったのだ。まほは、そんな沙織の様子を見てもしかしてとボコの方を一瞬だけ見て察し、沙織の話を聞くことにした。

 

「なにかな?」

「あ、明日戦車に乗るじゃないですか。だから、えっと……コツみたいなものを教えてもらいたいです!」

「コツ……か」

 

 まほはそう言われて考える。コツと言われても自分やみほは戦車長として戦車に乗っていたわけで運転の経験は、一切とまでは行かないがほとんどしたことがない。他の役割に関しても自分が教鞭をとれるほどに強く言えるほどエキスパートであるわけでもない。それにもしもそのようなことで沙織達に伝えたいことがあるというのならば、その現場で指揮を取ればいい。ならば、とまほは心構えについて説くことにした。

 

「そうだな……では一つだけ忠告したい」

「忠告?」

「あぁ、それは……」

 

 

 

「絶対に逃げるなって……それがコツなの?」

「はい、そうです」

 

 まほが沙織達に話しているころ、一年生チームでも同じく戦車に乗る際の心構えについて愛里寿が語っていた。なお、こちらもまたみほ達と同じように愛里寿の家で晩御飯中である。因みにメニューはスタンダードなオムライスだ。

 

「でも、そんなの当たり前じゃない?」

「うん、逃げてたら勝てないもんね」

 

 そう、彼女たちも知っている。戦車道だけじゃない、何事においても逃げていれば、絶対に勝てるはずがないという事を。だが、愛里寿は知っている。洗車に乗るときのあの感覚を。今ではもう忘れてしまっている。もう慣れてしまっている。生まれたころから戦車に乗っていた自分にとって、戦車という物は自分の友達も同じ。だから、恐れなんてものはなかった。だが、彼女たちはどうだ。自分とは違い、戦車とは縁遠い生活を送っていた彼女たちにとって、戦車はどう映ってしまうのだろうか。そう考えた時、愛里寿はこの答えを無意識に出していた。

 

「そうかもしれません。しかし、実際に戦車に乗ってみた時を考えてみてください」

「戦車に?」

「はい……戦車の中は、普通の車のように広々としているわけありません。それに、クッション性のある車とは違って、戦車は履帯から直に移動するときの揺れや衝撃が中に伝わってくる。M3リーの最大時速は39km……軽自動車よりも遅いですが、それでも中に伝わる衝撃はあります。それに、弾が当たった衝撃、いや当たらなくても地面に弾が当たっただけで内部にも衝撃が来る。私はもう慣れてしまっていますが、狭い車内でそんな怖い目にあったら……きっと、逃げ出したくなるかもしれません……」

「でも、戦車道で使う戦車って特殊なカーボンで守られているんじゃ……」

 

 現在戦車道の試合に使われる戦車は、特殊なカーボンによって装甲がコーティングされて乗員の安全が確保されている。それに、砲弾が命中して、装甲が貫通したと判断されて行動不能となれば、それ以上攻撃をしてはならないというルールもあり、安全性には留意しているのだ。

 

「確かにそうです。私の言う逃げるというのは、戦車の外に出て逃げないでくださいという事です」

「戦車の外……」

「はい……戦車道の歴史の中で、重傷者や死者が出ることがあったんです。でも、それは全部戦車の外に出ていた時……みほさんも大怪我を負ったのは……」

「……」

 

 みほもまた、激流の中に落ちた戦車を追って川に飛び込んだが故にあのような大怪我を負ってしまった。みほも知っていたはずだ。外部からの衝撃については大丈夫だという事を、彼女が危惧したのは、内部にある機材によるケガであった。しかし、結果的にあの出来事は、戦車の中は安全であり、戦車の外はより危険であるという事を証明しただけにすぎなくなってしまった。

 

「戦車は、確かに今では戦車道にのみ使われるようになっています。でも、元をただせば、人を傷つけるためだけの道具、それを忘れないでください」

「……」

 

 そう、結局はそれだ。戦車は元々、人を殺すために作られた道具。守るためという建前を使って使用されていたこともあったがしかし、結局は人殺しの道具としてしか使われたことはなかった。本当の意味で誰かを助けるために使ったという記録は、ごくまれにしか文献に登場することはないだろう。よしんば、そんな出来事があったとしても、数多くの人殺しの歴史の中に紛れて消えてしまっているだろう。多くの善行であったとしても、たったひとつの残虐な殺戮に優るものはないのだから。

 愛里寿の言葉は、その場にいる六人の心に大きく響いた。そう、これから自分達が乗ることになる戦車は、たくさんの負の歴史の積み重ねの先にあるものなのだ。愛里寿の言葉は、それを自分達の心に刻み付けるためのものだったのだと、彼女たちは思った。

 

「では、晩御飯も食べ終えたところで……」

「え?」

 

 愛里寿は、オムライスの乗っていた皿を片付けると、どこからか長細い箱を二つ持ってくる。そして、それを梓たちの目の前に置くと、一枚のDVDのパッケージを箱から取り出すと言う。

 

「ボコのアニメの全話を見ましょう」

「え……」

 

 愛里寿は、今までに彼女たちが見たこともないほどの純粋な笑顔でそう言った。実は、愛里寿もまたみほと同じようにボコのファンであった。しかし、みほにとってのまほとは違い、愛里寿の周りにはボコについて聞いてくれる者はいなかった。けど、人間の習性なのだろうか、自分が好きな物を他の人にも知ってもらいたいという抑えることができない欲求なのだろうか、愛里寿は自分の部屋に友達を連れてきたその時から、ボコの話をしようと思っていたのだ。

 他の一年生六人はというと、明日は授業がないとはいえ初めて戦車に乗るために家に帰って寝たかった。だが、その愛里寿の笑顔と、楽しそうな姿を見ると、断る気にもなれなかった。かくして、愛里寿の部屋でボコのアニメ上映会が始まった。

 そして……。

 

「頑張れー!ボコーッ!」

「結局、アニメを全話見ることになってしまった……」

「ハァ、家に今夜は帰れないと言ったら母に『赤飯を炊こうか』と言われてしまいました」

「まぁ、しかしそれは確か初めて……」

「ごめんね、みほはボコの事となったら私にも止めることができないから……」

「いえ、良いんです。高校生になって徹夜で勉強することが多かったから、慣れていますし」

「それになんだか、あんなに楽しそうなみほを見るのも、楽しいし」

「ありがとうみんな……」

 

 こうして、二つの寮の部屋で同じアニメを見ることになった。結論から言えば、この二組にとっていい夜を過ごせたという事は確かである。



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2-7 溺愛

 久しぶりにポエム書いたら何言ってんだって感じになりました。


 翌朝、彼女たちにとって運命の日がやってきた。大洗学園戦車道の歴史、その真の再始動の日だ。並びに、それは戦車道の歴史において煌々たる光をもたらし、下火になっていた戦車道という文化の灯りを明るく照らし出した記念すべき始まりの日であったのだ。後の歴史学者は言っている。一時期は戦車の種類が頭打ちの限界に達し、マイナーな文化にまで落ちぶれた戦車道が、どのようにして華道、茶道、に並ぶメジャーな伝統文化と言われるようになったのか。それは紛れもなく、この大洗学園の功績があってこそなのだと。だが、当の本人たちはまだ知らない。自分たちがこの先どのような歴史を刻んでいくのかを。彼女達はまだ知らない。どれだけ多くの友人と巡り会っていくのかを。彼女達はまだ知らない。道路の真ん中に今にも倒れそうな少女がいるなど。彼女達はまだ知らない。自分たちのおかげであるアニメが世界的に爆発的人気のカルチャーになるなどという事実を、まだ知る由もなかったのだ。

 

「ふあぁぁぁ……結局徹夜しちゃった……」

「それでもまだ全シーズンの半分も見ていないなんて、驚きです……」

「人気が無くなったと聞いていたのですが、まさか十数年間連続して放送されていたなんて……」

「それがボコだから」

 

 みほの車椅子を押している華の言葉ももっともであった。人気が下火になったと聞いていたが、まさか最初の放送から現在進行形で放送が続いているなど思いもよらなかった。みほが言っていた現在でもお昼16時30分からアニメが放送しているというのは、再放送でもなんでもなく、新規のアニメーションとして放送中という事だったのだ。あの後、結局ボコられグマシーズン1の半分、それと劇場版まで連続して見させられ、気がついたら朝になってしまっていた。しかし、それでもみほとまほはそれほど辛い様子を見せていなかった。

 

「御免、本当なら昨日はゆっくり寝てもらって、万全の状態で戦車に乗ってもらいたかったのに……」

 

 戦車はどれも、中がかなり狭くて空気が薄く重い。それに加えて揺れも直に身体に伝わってくる。そのため、寝不足の状態で戦車に乗り込めば恐らく車酔いならぬ戦車酔いするだろうとまほは考えていた。しかし、両手が塞がっている沙織は、華と自分のカバンを持っている方の手を上げて言う。

 

「まぁ心配しなくても、学園艦に乗っているだけで揺れには強くなっているし、徹夜すんのもテスト前はしょっちゅうだから慣れっこ慣れっこ」

「はい、それにボコられグマも意外に面白かったですし!」

「でしょ!だからみんなも武部さんみたいに……あれ?」

「ん?」

 

 その時である。彼女達は歩道を右往左往しながら歩く少女を見つけた。制服は自分たちと同じものだから大洗学園の生徒なのは間違いないが、今にも倒れそうで見ていて危なっかしい。道路側にはガードパイプがあるため道路に倒れて車に轢かれるという事はないだろうが、それでも頭を地面にぶつけてしまう恐れがある。そんな危なっかしい少女をみた武部がため息をついてから、カバン二つをみほに預けて近づい言う。

 

「もう、麻子しっかり歩いてよ」

「沙織か、こんなところでどうした?」

「それはこっちのセリフ。また朝起きれなかったの?」

「それはお前もだ沙織」

「うっ……」

 

 沙織は、少女に痛いところを突かれ一瞬顔がこわばった。正直に言うと、今現在彼女たちは遅刻ギリギリなのだ。ボコの映画を見終わった後、睡魔に襲われてしまった五人は、仲良く眠り込んでしまい、起きた時にはすでにみほとまほが登校する時間をを過ぎてしまっていた。いわゆる寝坊である。結果、朝食も取らずに学校に向かっている最中であるのだ。とりあえず途中にあるコンビニで朝ご飯とお昼ご飯、それから眠気覚ましの清涼菓子を買って、早歩きで学校に向かっている最中だったのだ。本当なら、走って確実に登校時間に間に合わせたかったのだが、みほが車椅子であるため安全に配慮するかたちで歩幅を合わせているのだ。なお、まほとみほがそれほど眠たそうに見えなかったのは眠り込んだことに関係がある。

 ショートスリーパーという物を知っているだろうか。人間の平均睡眠時間は7時間から8時間と言われているが、時々6時間以下でも問題なく生活することのできる人間がいる。かの有名なフランスの軍人であるナポレオン・ボナパルトは、三時間しか眠らなかったと言われている。これには諸説あるらしいのだが、今この時に真偽を問うのは無駄な行為であるためやめておこう。ともかく、ナポレオンの睡眠時間が通常の人間よりも短かったというのはかなりポピュラーな逸話の部類である。このナポレオンが短時間睡眠者、いわゆるショートスリーパーと言われているのだ。多少横道にそれてしまったが、みほとまほもまたこのショートスリーパーと呼ばれる部類の人間なのだ。黒森峰時代まほは、西住流として作戦の立案や勉強を並行して行っていたために、睡眠時間が短くなる傾向が多かった。それは、たとえ次の日に大事な試合が控えていたとしても同じ、いやむしろ試合がある前日にこそ睡眠時間が短くなる傾向にあった。だが、そんなときでもまほは何ら苦痛を感じず、むしろ清々しい気持ちで戦車道に臨めていた。みほは、まほのように作戦立案に毎日駆り出されるという事はなかったが、しかしショートスリーパーという物は遺伝的なものであるためか、みほもまた短時間の睡眠でも平気であるのだ。

 

「武部さん、知っている人?」

 

 顔がこわばり、固まっている沙織にみほたちは近寄ってそう聞いた。沙織は、表情を元に戻して言う。

 

「う、うん。幼馴染」

「冷泉麻子だ、よろしくな」

「はい。私は西住みほです」

「私はまほ。武部さん、また朝起きれなかったって……」

「あぁうん、実は麻子って低血圧で朝に弱くって……それで何度も遅刻しまくってて進級も危ないって言われてて」

 

 つまり、西住姉妹とは真逆の人間であると言っても過言ではない。それにしても、この早い段階ですでに進級が危ないと言われるとは、いったい麻子はどれだけ遅刻しているというのだろうか。結局、麻子は支えていなければ立っていられないほどにフラフラているため、沙織が右肩を、まほが左肩を支えながら歩くこととなった。この時点で遅刻は確定的であるがしかし、遅刻を理由にして目の前で困っている人間を放っておけるほど彼女たちは非情ではなかった。

 

「もうこれで、遅刻は確定的ですね」

「でもいいじゃん『寝坊遅刻も皆ですれば怖くない』っていうし」

「それを言うなら、『赤信号、皆で渡れば怖くない』じゃないかな?」

「そうそう、それそれ」

 

 群衆心理を一言で表した言葉として有名なこのセリフ、実は元々は漫才のネタであったという事はご存知であろうか。今では、映画監督して世界中で有名であったある漫才師のコンビが漫才で言った言葉であるそうだ。一人でやったら悪いことであると批判されるようなことも、大勢やったらやってもいいようなことのように見えてしまうということである。もちろん赤信号の時に道路を渡るとどうなってしまうのかは、想像しなくても分かり切っているだろうが、重ね重ねそのようなことしないように。

 そんなこんながあって、みほたちはようやく学校にたどり着くことができた。時間的にはすでに遅刻、みほとまほにとって黒森峰時代も含めて初めての遅刻となった。だが、なにも嫌な気持ちにならなかったのはどうしてだろうか。すでに遅刻しないという事は諦めていたからだろうか。それとも、人助けをしたという優越感があったからだろうか。いや、多分前者であるだろう。そうでなければ困る。もしも後者であったならば、それは偽善なのだから。世の中は報酬なしに回ることがない。会社で働くのも、お金という働いた分に見合う報酬があるから。その報酬がなかったら、世の中でよいことと呼ばれている募金活動もボランティアもできない。結局社会という歯車は報酬という物がなければ動くことができない。さらに言えば、ボランティアや募金を人を助けたいという一心で行っている者が何人いる事だろうか。もしかしたら、何人かは人を助けているという優越感を得たいと思って行っている者がいるのではないだろうか。無欲の勝利という言葉があるが、無欲というのは、もはや無我の境地といっても過言ではないのではない。人は、褒められたいという欲求を捨てることができない生き物だ。誰かに褒められたいから勉強するし、誰かに褒められたいから道端のゴミを拾うし、誰かに褒められたいから愛というものに盲目になる。だから、私は世の中で天然と呼ばれる人たちがうらやましいのだ。何も考えず、目の前に辛い顔をしている人がいれば、助けを求める人がいれば、迷わず何の疑いもなしに手を伸ばせる人達に憧れているのだ。優越感という人間にとって切っても切り離せない感情、しかしたとえ否定したとしてもそれが人間の心の中から完全に消え去ることはない。だが、ちょっとずつでいい。ちょっとずつ、報酬を求めない生き方をしてもいいのではないだろうか。一度でいいから、自分は報酬なんてもの欲しくない。そんな醜い物のためにこんな事をしたわけじゃない、だからそんなものは欲しくないです。そんなことを言ってみたい。報酬があるからこそ人は何かをする努力がある。だが、報酬がなくても愛がそこにあるのなら、一歩づつ一歩づつ歩み寄っていけばいい。人間がたどり着くことのできない領域である無欲という大きな壁に。

 

「冷泉さん、これで連続245日の遅刻よ」

 

 校門の前に立っていたおかっぱ頭の生徒が、まほたちに向かってそう言った。というよりも、沙織とまほの間にいる麻子に向かって言った。腕に付けている腕章か察するに風紀委員なのだろう。だが、それよりももっと気になることが一つある。

 

「245日?一年は確か365日で、長期休みを引いても……高校入学からずっと遅刻していることになりません?」

 

 そう、夏休みが大体で40日、冬休みは14日、春休みも14日と仮定して、国民の祝日が16日で、その内学生に関係のあまりない元旦や山の日等を除いて13日程として、土日の休み云々を引いて高校二年生となってからの日数を足すと、それぐらいになる。というかむしろ遅刻日数の方が多い。

 

「まぁ、単位が足りてれば何とか進級できますし」

「それに、これでも麻子って学年トップの成績だしね」

「でも、学校の規則での出席日数から換算すると、ギリギリなの」

 

 一応、出席日数が何日なければならないというちゃんとした法律などはないが、しかし学校の規則でそれぞれに決まっている日数という物がざらにある。どうやら、大洗の学校の規則から風紀委員の彼女が計算したところ、実際麻子の出席日数から遅刻した時間を引いていくと、かなりギリギリであるというのだ。

 

「大丈夫なんですか?」

「知らん。そど子に聞け」

「そど子さん?」

「だから、そど子って呼ばない。さっきから言っているけど、今でも進級できるかギリギリだから、明日からは遅刻しないように」

「朝は何故来るのだろう」

「あさは必ず来るものなの……それで、二年生の武部沙織さん。道端で冷泉さんを見て無視して登校するようにっていったはずよね」

「アハハ、でも放って置けなくて」

「全く、貴方までそんなものも持ち込もうとして……規則は守るためにあるの。学業に関係のない物は持ち込まないことってちゃんと規則に書いてあるでしょ」

「?」

 

 沙織は、そど子のその言葉の意味が分からなかった。一体自分が何を持ちこもうとしているというのだろうか。別に風紀委員に何か言われるような物は持ち込もうとしていない気がするが。その時、沙織に肩を貸してもらっている状態の麻子が思い出したかのように沙織に言った。

 

「そういえば 沙織。お前は不思議系にでも乗り返したのか?痛いクマのぬいぐるみなんて持って、彼氏が寄ってくるとでも思っているのか?」

「え?……あ゛っ!」

 

 その時になってようやく気がついた。自分自身が持っている者について。彼女は、別に不思議系になったわけではないのだ。ただ、忘れていただけなのだ。忘れていたというか、無意識の中持ってきてしまっていただけなのだ。それを今の今まで気がつかなかったというだけの話。そう、沙織にとってもそれは青天の霹靂と言うべきものだった。

 

「ボコ!?え、私いつから!?」

「寮を出た時からずっと持っていましたよ」

「はい。だからみほ殿の車椅子を押すがかりを五十鈴殿に任せたじゃありませんか」

「そ、そうだったんだ……」

 

 全く気がつかなかった。思い返してみると、確かに自分はアニメの第五話を見ていたぐらいにボコのぬいぐるみに触れていた記憶がある。それからずっとぬいぐるみを膝の上に乗せてアニメを見て、うたた寝して、起きてすぐにカバンを持ってみほの部屋を出た。確かに、ぬいぐるみを置いた記憶はなかった。そういえば、通学路の途中でボコの話になった時にみほが自分みたいに……、というような話をしようとしていた。結局麻子の発見によりその話が続けられることはなかったが、よく考えるとあれは、自分のようにぬいぐるみを持って行ってもよかったという事を言おうとしていたのかもしれない。

 

「ち、違うからね!私、別に不思議系なんてものになろうとしているわけじゃ……」

 

 といいながら、沙織はボコの目を凝視した。昨晩から思っていたが、よく見ると可愛いものだ。片耳に巻かれている包帯や、ところどころに貼られている絆創膏その他諸々、普通のぬいぐるみにはないであろう魅力を感じてしまう。たしかに、ちょっと痛々しい見た目をしているのは間違いないが、むしろそれがアクセントとなって可愛さを増強させているように見える。そう考えると、なんだかボコの目がキラキラと輝いているかのように幻視してきた。何なのだろう、この気持ちは。まるで恋でもしてしまったかのように胸がときめきだす。そう、沙織は恋をしてしまった。というのは大げさではあった物の、実際ボコというキャラクターが好きになってしまっていた。

 

「とにかく、学業に関係のない物は没収よ」

「な、なんでよ!良いでしょ別に!ゲームとか漫画とは違って誰の迷惑にもならないし、今日は選択授業だけでしょ!」

「規則は守るためにあるのよ。よこしなさい」

「絶対に嫌!」

 

 と、ぬいぐるみを学校内部に持ち込もうとする沙織と、それをさせまいとする風紀委員のバトルが始まった。どう考えても不毛な戦いにしか見えない。

 

「今のうちにさっさと入ってしまおう」

「みほさん。帰ったら私にも一体貰えませんか?」

「あっ、私も欲しいです!」

「うん!あ、でも持ってきている子には限りがあるから、こんど港に停泊した時に一緒にデパートに行きましょう」

「よかったなみほ、三人もボコのファンができて」

「ファンなのか?沙織のあれは、むしろ洗脳に近い気がするぞ」

 

 戦いを始めた二人を尻目に、みほたちは学校の中へと入って行く。かなり時間がかかりそうであるし、これ以上遅刻したら他の戦車道履修者の迷惑にもなりかねない。後者に入る一歩手前にたどり着いた麻子は、肩を貸してくれていたまほからゆっくりと離れて言う。

 

「お前たちまで遅刻させて悪かったな」

「いえ、寮を出た時から遅刻するのは覚悟していましたし」

「いつか借りは返す。またな」

 

 そう言うと、麻子はゆっくりと校舎の中へと入って行った。なんとも不思議な生徒である。というのがまほとみほの第一印象であった。こうして麻子と別れたみほたちではあったが、この時まだ知る由もなかった。麻子のいった借りを返す時がすぐに来るなどと。沙織はまだ知らなかった。ボコに魅了された者が、自分たちの他にもまだまだいるという事を。まだ知る由もなかったのだ。




 もしかしたら、この先修正するのかもしれない。どう考えても雑。いつものように中盤にポエムを持ってきて何とかしようとしたが、それほどいい話が思い浮かばなかった。チクショゥ。


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2-8 始動

 武部さんに関しては自分自身ちょっとやっちまったかなと思っています。


 校門前にて止められた武部沙織以外の四人は、冷泉麻子と別れた直後に集合場所となっている倉庫前に向かった。当然ながら、彼女たち以外の履修者はすでに集合済みで、みほたちが一番最後となってしまった。しかし、まだ教官も来ていないという事で、その点からみればよかったと言えるだろうか。

 それから数分後、沙織もまた倉庫前へと来た。しかし、その手にボコの姿はなく、何となくげっそりとした印象があった。

 

「うぅ……結局没収されちゃった……」

 

 やはり規則は規則なのか、ボコは学業に関係のないものとされて没収されてしまったらしく、放課後まで風紀委員管理となってしまったらしい。

 

「まぁ、規則ですからしょうがないですね」

「でもただのぬいぐるみじゃん、ゲームとか漫画と違って学業とは何にも関係ないじゃん……」

「学業と何の関係もないというのが問題なのでは?」

「うぐ……あぁ、ボコ……」

 

 華からのきつい正論。それにしても、一体どうしてこうなってしまったのだろうか。昨日までボコの事を全く知らなかった沙織がここまでボコの事を溺愛するようになってしまうなど想像もできなかった。麻子も言っていたが、これはもはや洗脳の域に達しているのかもしれない。ボコの魅力が凄まじいのか、沙織の感受性が人よりも優れていたからなのか、そのどちらともとれるのだが、にしてもこれはちょっとやりすぎである。

 

「それにしても、教官遅くない?」

「あぁ……ん?」

 

 まほは聞いた。空高くから飛行機のジェット音がするのを。いや、これはそんなに高くはない、むしろ低い位置からの音。そう、すぐ近くを飛ぶ飛行機の音だ。空港か自衛隊の基地に降り立つならこのような音が聞こえるのは分かるのだが、この当たりの海域には島など、飛行機が降り立てるような陸地はない。と、いう事はこの音の持ち主はここを目指していると考えるのが普通であろう。

 その時、学園の向こうから一つの大きな機影が姿を現した。それは、セスナなどと言った小型機よりも大きく、普通の旅客機よりも太い外観をしている。どう考えても一般の飛行機であるようには見えなかった。その飛行機の姿を見た優花里は興奮しながら言う。

 

「あぁ!あれは、空自が所有しているC-2輸送機!前に自衛隊の交流イベントでも見ました!!」

 

 C-2輸送機とは、1973年から運用が開始されていたC-1輸送機の後継機として2016年から運用が開始された輸送機である。配属先の基地からは≪Blue Whale≫、青い鯨の愛称で呼ばれているのだとか、あとさらに言えば、実は諸々の事情により開発が遅れ、2018年9月まで運用試験を実施した後、空輸任務に使用される予定であるそうだ。2018年の9月まで運用試験をして、2016年から運用開始となっているのはどういうことなのだろうか。という疑問がわくのだが、詳細は定かではない。

 C-2輸送機(今回の機体に関しては通常の機体に戦車を積み込めるように少しスケールアップをしたC-2改らしい)が、学校の上を通過し、すぐ近くにある駐車場の上に来たその瞬間、下部のハッチが開いていき、上空へと上がる際に斜めになったその一瞬の時に、パラシュートを付けた一輌の戦車が降りたった。

 

「おぉぉ!!あれは、自衛隊の所有している最新鋭戦車、10式戦車!!」

「ひとまるしきって?」

「現在日本自衛隊が所有し、かつ国産の戦車の中では一番新しい戦車だ。当然、戦車道の試合に用いることはできないが……正直第二次世界大戦以前の戦車100輌で10式に挑んで勝てるビジョンなど浮かばない。それほどの戦車だ」

 

 10式戦車は、陸上自衛隊が運用する国産戦車としては、61式・74式・90式に次ぐ四代目のなる主力戦車である。そのスペックは、正直あまりにも凄すぎてよくわからないが、世界トップクラスの戦車であることと、あとフィクションのみの話ではあるがかつて『ウルトラマンに出てきた際に複数体の敵怪獣を倒した実績があるらしい』という事だけ分かってもらえればどれだけ強いのかがよくわかるのかもしれない。

 

「それにしても随分乱暴というか大雑把なような……」

「はい、あと少し待ってればこっちのグラウンドに降りれたのに……」

 

 まさか一応は車だから駐車場に止めなければならないと思ったなどという、戦車探しの時の沙織の意見を実施しようとしているのかと思ったが、流石に停まっている普通車にぶつかるリスクを押してまでそのようなことをするとは思えない。

 

「学園長の車がッ!」

 

 ……いや、もしかしたら最初からぶつかるつもりで駐車場に降りたのかも知れない。地面に降り立った10式は、そのまま滑るように駐車場を滑走して止まった。一台の赤いスポーツカーを巻き添えにして。

 

「学園長か……そういえば私は会ったことがないが、学校の中にはいるという事なのか?」

「お姉ちゃん、気にするところちょっと違う気がする」

 

 まほが大ボケをかましている間にも、10式戦車は遠慮することなく方向転換をしながら学園長の車を押しつぶす。それは、まるでせんべいが平らになるかの如くに綺麗につぶれて、もはやおいしそうとまで思ってしまった。

 

「あぁ……あれはもう修復は無理そうだね」

「自動車部も匙投げるんだ」

「というか、あれって確かフェラーリ……」

「安くても何百万はくだらない……学園長も気の毒に」

 

 とは思うが、しかしこういった映像はなんだか知らないが胸がスカッとしてしまう。学園長には申し訳ないがしかし、これも学校の運営責任者としてやらなければならない戦車道関連の資料作成の全てを学生に任せたことの因果応報と思えば、さほど罪悪感もなくなってしまうだろう。

 学園長の車を潰した戦車は、グラウンドと駐車場の間にあるフェンスを隔てた向こう側にフェンスと平行にして停車すると、入口が開いていき、中から一人の女性が現れる。

 

「こんにちわ!」

「……」

 

 先ほどまでの行動すべてがまるでなかったかのように、清々しい顔でそう挨拶をした女性。まほは、その顔に見覚えがあった。

 

「あの女性は確か……」

「お姉ちゃん、知っている人?」

「あぁ、少しは……」

 

 それから数分後、整列した戦車道履修者の前に女性は立っていた。女性は、10式をこれまでの大雑把な行動とは裏腹に律儀に停車させてきた。そんな気遣いができるのであれば、もっと優しめな着地を見せてもらいたかった気もするが、迫力もあり、戦車を知っている自分達ですらその光景が魅力的に映り、少しだけ心の中で感心してしまったため、いいデモンストレーションを見せてもらったという事にしておこう。

 

「会長に騙された……」

「でも、確かにかっこよくて素敵そうな方じゃないですか」

 

 沙織は、さらに一段と落ち込んでいた。彼女は、女性ではなく、男性が来るのだと思い込んでいたからだ。しかし、こうなるという事はあらかじめ予想で来ていたことだった。と、いう事の説明は以前にもしたであろうからここでは省く。

 

「皆静かに、こちらは陸上自衛隊富士教導団戦車教導隊所属、蝶野亜美一等陸尉だ」

「よろしくね、戦車道は初めての子が多いと聞きますが、一緒に頑張りましょう」

「蝶野一尉」

「あれ?あなたもしかして……」

 

 蝶野は、自分に声をかけてきた人物に見覚えがあった。かつて、自分が世話になった西住流現家元の西住しほの長女、西住まほだ。前年度の戦車道全国大会の数か月後に、大怪我を負った妹のみほと共に西住流から破門され、戦車道の名門黒森峰から去り、その後消息不明となったと聞いていた。風の噂で海外に渡ったという話もあれば、本土のどこかの山奥に籠ったとまでも言われていたが、まさか、この学園艦に乗っていたとは。だがまほがいるという事は必然的に……。

 

「はい、お久しぶりです。以前はお世話になりました」

「そんな、私の方こそ師範……いえ、家元にはお世話になったから……あなたがここにいるという事は……」

「はい、みほもいます。今は、機材の点検のために席を外していますが……」

 

 実は、蝶野がこの場に来るまでの間に、みほは自動車部の部員と共に倉庫に向かった。どうやら、車椅子のみほのための機材にちょっとした問題が発生したという事らしい。詳細はまだ聞いてはいないが、足が不自由なみほにとって試合中に機材が壊れるという事があれば、下手をすれば命にもかかわることになりかねない。何事もなければいいのだが。

 

「そう……ここにいるってことは、戦車道を?」

「はい……西住流とは関係なく、純粋に戦車道を楽しむために……」

「そう……分かったわ、武運長久を」

「ありがとうございます」

 

 蝶野は、ある言葉を放とうとしたが、しかし言うに言えなかった。やはりというか、予想していた通り、彼女は履修者にはあの事について話していない様子。そうでなければ、純粋に戦車道を楽しむために等という言葉が出るはずがない。そう、彼女たちは知らないのだ。まさか自分たちがこの学園艦の運命を託されているなど。夢にまで思っていないのであろう。

 

「教官!今日はどのような練習を行うのでしょうか!」

「そうね、本格戦闘の練習試合。早速やってみましょうか!」

「えぇ!いきなりですか!!」

 

 蝶野のいきなりの発言に、皆一部を除いた面々は驚きを隠せなかった。まほもまた、表情には出さなかったが、内心でかなり驚いていた。

 

「蝶野一尉、それはまだ早すぎるのではないでしょうか?まだ戦車の走らせ方すらも大多数が知らないのに……」

「習うより慣れろ。何事も実践と実戦から、じゃないと人は成長しないわ。それと、一尉じゃなくて教官でね」

「はぁ……」

「皆も聞いて。戦車なんてバーッ!と動かしてダーッ!と操作してドンッ!と撃てばいいんだから!!そう考えれば気楽な物でしょ?」

「確かにそうですが……いや、そもそも戦車乗りの基本の動かすことと、戦車道としての戦略を立てることの中間から開始したほうが早いのか?」

 

 まほはそう考える。それに、正直なところ全国大会までそれほど時間がない。これから戦車の乗り方のレクチャーを受け、簡単にでも戦術を立てて、それを覚えなければならない現状からして、下手でもいいから試合勘というものを養った方がいいのかもしれない。

 

「そう言う事。それじゃ、それぞれのスタート地点に向かってね。解散!」

 

 蝶野は、手に持った地図を広げるとそう言った。所々に印が付けられているが、それがスタート地点なのだろう。しかし、ここでもまた大雑把というかなんというか、そんな物を見せてしまうと、最初にどの位置に敵がいるのかを悟られてしまうではないか。とはいえ、そんな事を考えるのは自分の他にはもう一人、いやもしかしたらさらにもう一人いるのかもしれないが、とにかくごく少数しかいないだろう。

 蝶野の一言でそれぞれチームごとに分かれ始めた履修者の面々。愛里寿はそれを見ながら果たしてどう動こうかという事を思案する。だが、それもこれも全ては一度同じ戦車に乗る面々のスペックを見てからでないといけない。それも頭に入れなければ、何事も始まらないのだ。

 

「解散って言われても、戦車の動かし方も分かっていないのになぁ……」

「それはどのチームも同じだよ。でも、私たちはまだましな方だと思う」

「うん!だってこっちには愛里寿がいるし!」

「おだてないでください……」

「愛里寿?」

 

 蝶野は、あやが放った名前に聞き覚えがあった。会ったことはなかったものの、戦車道の関連書籍の中に写真や名前が掲載していた少女だ。先ほどまでは、その低身長から人の陰に隠れてしまっていた物の、それぞれがばらけだした今、ようやくその少女の姿を捉えることができた。確かに、自分が勝手に知っていた少女の顔によく似ている。しかし、蝶野は信じることができなかった。何故ならば、戦車道をよく知っている人間からすれば、それがどのようなことであるのかを理解できたからだ。蝶野は、改めて確認するために、愛里寿に近づいて聞く。

 

「貴方もしかして、島田流の?」

「はい、島田愛里寿です」

「そうなの……だとしたら凄いわねこの学校……」

「教官、島田流って?」

「さっきも西住先輩が西住流って言ってたけど……」

「戦車道には、華道における池坊、小原流、草月流。茶道における表千家、裏千家、武者小路千家みたいにたくさんの流派があるの。いくつかの流派は時代と共にすたれていったけど、それでも現代にまで残っている名門の流派はたくさんあって、中でも二大流派と言われ双璧を成しているのが、西住流と島田流なのよ」

「へぇ……あれ?西住先輩が西住流で、愛里寿が島田流ってことは……」

「そう、つまりこの学校にはその二つの流派の娘、次期家元候補とも言える子たちがいるという事よ」

「へぇ、愛里寿ってなんか戦車の事詳しいなって思ってたけど、名門の娘さんだったんだ」

「言ってませんでしたっけ?」

「言ってなかった……よね?」

「え?どうだろう……そんなこと気にも止めたことなかったし……」

 

 などと、一年生四人がそれぞれに驚いている中、梓は一人保健室で愛里寿と話していた時の事を思い出していた。あの時、自分自身まるで監督のようだと言った愛里寿の≪強くできる自信がない≫という発言。今考えてみると、あれは戦車道という物をよく知っているからこその発言だったのだ。愛里寿がそう考えるのも無理はない。何故なら、西住流である二人を除けば、自分たちは戦車という物に関してはずぶの素人。そんな子たちで構成されたチームを強くする自信、湧いてくる方がおかしい。だが、ここで梓はふと気がつく。強くできる自信がないということは、強くしなければならないという責任感の表出なのではないかと。フィクションの世界でよく見るのだが、俗にいう名門と呼ばれる由緒正しい続柄は、常に勝ち続けなければならない。そのために、多くの苦労があるらしい。そのためには、時に人間らしさを失い、まるでマシンかのようにその分野でのエキスパート性を求められるのだと。特に、アニメや漫画では敵やライバルキャラとしてそのような存在があるが、もしかしたら、愛里寿は勝利という物に縛られているのかもしれない。絶対に勝ち続けなければならない。勝利以外の物には何の価値もない、そう思い込んでいるのかもしれない。これは、考えすぎなのかもしれないがしかし、そうであったとしても自分達と愛里寿の付き合い方が変わるわけではない。彼女が名門の家の子であったとしても、自分たちの友達であることに変わりはないのだから。梓は、愛里寿の手を取ると言う。

 

「西住流でも島田流でも、愛里寿が私たちの友達ってことに変わりはないよ。それよりも戦車の動かし方教えてよ」

「……」

 

 紗希もまた愛里寿の手を取った。というかいたのか紗希。無口であるがゆえに彼女は何かのアクションを起こさなければこちらとしても見つけることができない。先ほどの蝶野が島田流と西住流の事について話している時にも上の空であったようだが、ちゃんと話は聞いていたようで、彼女もまた梓の意見に賛成だそうだ。そして、他の四人もまた……。

 愛里寿は、何となくであるがこのような反応が来るであろうことを予測していた。元々、戦車道を知らない彼女たちにとって、自分達の正体など知ったところでそれほど驚くようなことではないと考えていたから。それに、きっと彼女達だったら自分の正体など関係なしに、友達として付き合ってくれる。そう確信していたから。愛里寿は、6人の友達と共に行く。7人目の友達の元に……。




 次回からこの小説初めての戦車戦が開始予定となります。自分自身どうなるのかがとても不安というかなんというか……とりあえず頑張ります。


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2-9 衝撃

 今回、ちょっと書き始めから疑問に思っていたことがあったため短いですが投稿します。


 あの日、人生で最も最悪な目覚めを迎えたあの日から数日の時が脱兎のように過ぎていった。自分の足のこととか、試合のこととかについて教えられてから、ひとしきりに泣いてて、それから数人の見舞い客が来たような気がする。けど、その時のやり取りは全くと言っていいほどにお覚えていない。先生や看護師の話なんてものも、一切耳に入ってこなかった。もう歩くことができないという絶望。それが、彼女の心を大きく蝕み、ガラスの靴のように少しだけの衝撃で壊れてしまいそうだった。だからなのだろう、彼女が目覚めたあの日、それ以来の言葉は……。

 

「オムツなんて、赤ちゃんだけがする物だと思ってたな……」

 

 他人事であるかのようにそうつぶやいた。だが、それは彼女の心が行った精一杯の反逆なのだろう。そうすることでしか、己の心をに平穏をもたらすことができなかったのだろう。だが、とりあえず彼女の呟きは確かに他人事のようではあるが、自分自身の状態について簡単に表した言葉であったと言える。彼女が障害を患ったのは足だけではなかった。脊髄は損傷した部位によってそれぞれに症状が個別に変化する病なのだ。そもそも脊髄とは四つの部位に分けられている。上から頚椎、胸椎、腰椎、仙椎と呼ばれており、さらにそこからそれぞれに番号で分けられている頚椎はC1~7、胸椎はT1~12、腰椎はL1~5、仙椎はS1~5という様に。そして脊髄損傷をした場合頚椎損傷から障害を受ける部位が多くなる。みほの脊髄はTー10の部分が損傷してしまっているためそれより下のT10~S5までの神経が繋がっている部位が障害を受けているのだ。そして、その間には排尿に関する神経、並びに直腸に繋がっている神経があり、それらが麻痺を起こしたため排尿障害と排便障害を患ってしまっていたのだ。これにより、みほは膀胱に尿が溜まったという感覚も、排尿を我慢するという機能も一切感じなくなったため失禁、つまりおねしょをする確率がかなり高い状態にある。それに加えて、足も動かないためトイレに立つこともできないため、排泄セルフケア不足となっている。オムツを使用しているのは、垂れ流しになる尿を受け止めるためだ。だが、それだけではまだ足りない。

 排尿に限らずとも、人間のすべての行動、生理現象というものはどれもそうではあるのだが、下腹神経や骨盤神経等多くの神経、膀胱排尿筋や内・外尿道括約筋等の筋肉が脊髄という道を介して相互に作用することによって起こる複雑な物なのだ。それこそ、全てのメカニズムを事細かに書くとかなり長いものとなってしまうため簡単に書いては見たが、みほはT10という道が寸断されてしまったため、排尿、また蓄尿といったものが障害されてしまっている。そのため、自由に排尿することができないどころか、完全に尿が溜まって、少しづつ尿道を通って漏れだすまで自分の膀胱に尿が溜まっていたという事実に気がつかないのだ。それだけ聞けば、ただおねしょするだけじゃないかと感じるかもしれないが、実は排尿が障害されるという事は、かなりまずい状況になる。血圧の上昇や膀胱痛、頻脈、果ては腎臓へダメージを与えて尿毒症にまで陥るリスクがあるのだ。これもまた、詳しくメカニズムを説明すると長いので、割愛するとして、最悪なところまで至ると、死に直結してしまうという事を頭に入れてもらいたい。

 そうならないために、みほは脊髄損傷したその日から膀胱留置カテーテルを用いての導尿を行っているのだ。ただし、それを使用していてもなお、いや異物が体内に入っているのであるから、なおさら尿路感染症のリスクは大きい。だから毎朝彼女の陰部を洗浄するために病院のスタッフが来て彼女の下を洗ってくれていた。みほはそれに関して、本当だったらみじめに思わないといけないのだろうかと思いながらもしかし、腰から下の感覚が全くないからと別に気にも止めていなかった。

 みほは窓の外の景色を見る。もうここに何ヶ月ほどいるのだろうか。みほは時間の感覚が全くなかった。一体何日この部屋で寝起きして、病院が出してくれる食事を食べて、ただ何もせずに一日が過ぎているのだろうか。実際には、みほの思っている通りの月日が流れていることはなかった。実のところ、あの事故があってからまだ数日しか経っていないのだ。ただ彼女にとってはその数日が永遠のように感じていただけの事。みほは改めて自分の足を見て思う。

 

「早く治して、お姉ちゃんたちとまた戦車道したいな……」

 

 治療して、リハビリをして、そうしたらまた歩けるようになるだろう。走れるようになるだろう。みほは現実を直視していなかったしかし、それが普通なのである。障害受容の過程の一つに、コーンの段階理論という物がある。コーンとは、この障害受容の過程の一つを提唱した人間の名前であるが、それを深く語ることは止めておこう。コーンは障害発症直後を『ショック』であるととらえた。感覚がマヒし、実際には自分自身に起こっていることのはずなのに、まるで他人事のように感じてしまう時期。この時期には集中的なケアや医療を受けていて、治療を受けていれば完治すると淡い希望を持っている患者が多いそうだ。今のみほはまさにそのショックの時期に値するのだ。

 みほは、できるだけ早くあの場所に戻りたかった。姉や仲間たちと共に戦う、あの勇ましく進む戦車の中に自分もまたいたかった。みほにとっては、それがまほと繋がっていられる唯一の時間であるから。今後、おそらく姉は戦車道界で大きな存在となっていくだろう。もしかしたら、日本代表として選ばれて、日本という国を背負って戦うことになる。そうなったら、自分とまほとの間は離れて行って、もう二度と一緒に走ることができないかもしれない。自分のような凡庸な人間が、姉と共に走ることができるのは、この高校生という限られた時間の中でしかないのだ。だから、その短い時間をもっと有意義に使いたかった。こんなところで立ち止まっていてはいられなかった。姉の背中を追いかけていたかった。姉に、必要な人間としてみていられたかった。ただただ、姉と一緒にいたかった。

 その時、みほの個室に一人の来訪者が現れた。




 ちょっと質問したいことがあります。分かる人がいればいいのですが……活動報告の方をちょっと見てください。


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2-10 子宮

 どうしよう、なんかどんどんと危険な領域に近づいている気がする……。


 己にとって、戦車とは何なのだろうか。それは足。それは腕。それは心。それは鎧。それは服。それは指。それは機械。それは鉄。それは道具。

 戦車にとって、自分とは何なのだろう。それは眼。それは頭脳。それは心。それは耳。それは花。それは神経。それは血。それは肉。それは動物。

 自分たちがここにいることによって戦車はただの置物から人を殺すこともできる兵器へと変わる。砲弾で撃ち貫き。履帯で潰し。車体で押しつぶし。時に焼き払い、時に破壊するただ一つの兵器に生まれ変わる。

 自分にとって戦車を纏う事。それはすなわち裸の自分が纏う服。それはすなわちゆりかごで揺れること。それはすなわち母の手に抱かれるかのよう。そして……。

 

 

 

『子宮』

 

 

 

 そう、まるで子宮の中にいるかのような居心地の良さ。それが戦車。自分が今の今まで忘れていた、最初に戦車に乗った時の気持ち。忘れていた。思い出した。邂逅した。閲覧した。懐かしくなった。思い出したかった本当の自分の気持ち。あぁ、また自分はこの世界に産まれようとしている。一度妹のために捨て、妹によって思い出させてくれたその魂のよりどころ。究極の二択、その全てを手に入れることができた。あの時、自分は妹を捨てなくてよかった。西住流を捨ててよかった。帰ってきてよかった。

 

 

 

 

「わぁ木にぶつかる!左!左!」

「え?何か言いましたか?」

 

 沙織が華に向かってそう言った瞬間、Ⅳ号D型は一本の太い木にぶつかった。内部にはそれほど衝撃は伝わらなかった物の、しかし激突したという事実自体が心理的にもダメージをもたらす。上部にある入口から顔を出していた沙織は、内部に入るという。

 

「もう!左って言ったのに!」

「すみません。よく聞こえなくて……」

「エンジン音と履帯の音が直に内部に伝わっていますからね。工夫していないとそうなりますよ」

 

 と、優花里が言う。確かに、戦車は通常の車とは違って内部も周囲が鉄板に囲まれているために、音がそこを伝って中にいる四人の耳に直接、それも反響することによって音が倍増して聞こえているのだ。結果、普通の会話はもちろん、少し大きめの声を出したとしてもエンジン音や履帯の音にかき消されてしまうのだ。マイクやイヤホンを使用していればもう少しましなのではあるが、残念ながら今回は用意していなかった。

 

「そういう時は、足で操縦手に指示を出せばいい。左に曲がるときは左肩を、右に曲がるときは右肩を蹴れ」

「親友にそんな事出来ないよ!」

「思いっきり蹴ってください!」

「と、親友は言っているが?」

「じゃあ左!」

「あ゛っ!……あのぅ、もう少しお手やらわかにお願いします」

 

 自分で言っておいて何ではあるが、強く蹴りすぎだ。沙織の想像以上の一撃に、華は少しだけのけぞる。親友と言っておきながら、いざ大丈夫と言われれば迷わず行動に移せる沙織も凄いとは思うのだが、そこまでやれとは言っていないと、横にあるハッチから外をみながらまほは思っていた。

 本来ならば、Ⅳ号に乗っていたのはみほのはずだった。しかし、これにはちょっとした事情がある。それは、教官の蝶野によってそれぞれのチームに別れるように言われた後の事。

 

「今日は乗ることができない?」

「う、うん。そうみたい」

 

 自動車部の面々の元から帰ってきたみほは、沙織達に向かって苦笑いを浮かべながらそう言った。続けて言う。

 

「えっと、ここしばらく戦車の移動やメンテナンスで自動車部の人達が皆して疲れ切ってて、Ⅳ号のイスに取り付ける機器の最終調整が完全に終わってないって……」

「それは……仕方がありませんね」

 

 自動車部の事を憐れに思いながら華はそう言う。元々、どう考えても自動車部の面々に迷惑をかけるであろう日程であったのだ。初日、みほの詳細なデータを取ったその夜には、計四輌もの戦車を様々な所からグラウンドに徹夜して持ってきてもらったし、2日めの夜中もまたその戦車のメンテナンスを行わなければいけなかった。戦車道を取っているわけでもないのにここまで戦車に思い入れを持って接してくれるという事はありがたいと感謝する一方で、このままだと彼女たちが過労死してしまう危険性がある。

 

「その辺に関しては我々も危惧していることだ。だが、現状彼女達しか戦車をメンテナンスすることができないため、こうするしかないのだ」

「そうだな。黒森峰だと、外部からプロを呼んできてメンテナンスや修理を行ってはいたが、それはそのための資金があったからこそ、この学校ではそうも行かないだろうからな」

 

 黒森峰は、9連覇という実績に加えて西住流という大きなバックボーンが付属していたため、その分軍資金は多かった。そのため、秀逸な機材を買うこともできたし、メンテナンス費用に多額の費用を使用することができた。コーチ代も事実上無償で合ったこともあり、そう言った面で見ても、他の学校からしてみれば羨ましい限りであろう。

 

「でもどうしよう。一応Ⅳ号は3人だけでも動かせない事はないけど……」

 

 戦車を文字通りに動かすには操縦手がいる。砲弾を打つためには砲手が必要。そして、それらを統括するための車長と、三人いれば戦車を動かせないわけがない。しかし、素人ばかりであるというのは他のチームも同じではあるが、必要最低限のメンバーのみしか乗らないというのは、ちょっとばかし不都合である。他のチームが、すべて搭乗可能人数いっぱいで乗り込んで、万全の状態で出るというのに、一チームだけ空白の役割が二つできる。他の役割が装填手と通信手であるため、いうなれば、耳と利き腕じゃない腕がないのも同じである。装填手と通信手は兼任できる役割であるため、せめてあと一人が乗ってくれればいいのだが。

 

「だったら、今日の所は姉さんがⅣ号に乗ったら?」

「なに?」

「そうだな。同じ西住流の人間が乗れば、西住みほ用の機器が完成した時に滞りなく変わることができるだろう」

 

 確かにそうすれば、華、沙織、優花里、そしてまほの四人で十分に戦車を動かすことができる。だが、とまほが言う。

 

「それだと今度は38(t)に乗る人間が一人減ることになるぞ?」

 

 そう、それはⅣ号での不安要素が38(t)に移り変わるだけだ。それでは本末転倒ではないか。まほがそう考えたその時、柚子が笑みをこぼしながら言う。

 

「大丈夫。私達は元々三人で戦車に乗ることも想定して、そのための役割分担は済んでるから」

「そうなのか……」

 

 よく考えてみると、もともとこの学校の戦車道が復活すると知っていたのはこの生徒会三人衆のみだった。逆に言えば、それだけ戦車道に携わる時間が大洗の面々の中では誰よりも長いという意味になる。であるならば、彼女達三人だけに任せても問題ないのではないか。

 

「分かった。なら今日の所は私がⅣ号に乗ろう」

「決まりだね。それじゃ、よろしく姉さん」

「お願い、お姉ちゃん」

「任せておけ……それから杏」

「なに?」

「……もうそろそろその姉さんという言い方は止めてもらえないか?なんだかこう……戦車道ではない別の道の人間のようで……」

「えぇいいじゃん格好いいし。そんじゃよろしく~」

「……」

 

 そして、生徒会三人衆は去っていった。杏の自分への呼び方に関してはあったその日から気にはなっていた。自分の事を『西住姉さん』みほのことは『西住妹ちゃん』、それが今ではさらに短くなって『姉さん』『妹ちゃん』となっている。同じ名字で、しかも姉妹なのだから区別がつきやすいようにそう呼んでいるだけなのかもしれないが、それだったらせめて名前で呼んでもらいたい。少しだけ距離を置いているように感じて、それだけは心細い。みほは、Ⅳ号の履帯に触れながら言う。

 

「ゴメンネ、今日は乗ってあげることができなくて。また今度、ちゃんと機材ができてからね」

 

 みほにとって、戦車とは仲間である。共に歩む友である。心の底から信頼するべき親友である。そうでなければ、自分の身体を預けることなどできない。それは、彼女の使用している車椅子に言えることだ。車椅子に乗り始めた頃は、さすがに少し怖かった。二つの脚で地面を踏みしめるわけじゃなく、タイヤという少し加減を間違えただけで自分の思っていなかった場所にまで到達してしまう。平坦じゃない道であれば、ブレーキをかけなければ勝手にどこか見知らぬ場所に旅立ってしまう。そんな物に体を預けるのだから、怖くないわけがない。しかし、それが戦車と同じ存在であると考えた時から自分の考えは変わった。友達としてなら、親友としてなら、そう考えた時からそれが自分の身体のようになり、自分の足の代わりの、いやもう一つの足となった。みほは戦車を愛しているのだ。だから戦車乗りの家系だからじゃない。戦車が好きだから、彼女は戦車という凶器を前にして笑っていられるのだ。

 

「みほさん」

「?えっと……確か10式の……」

「初めまして。教官としてこちらに来た自衛隊所属の蝶野よ」

「こちらこそ初めまして。私は……」

「……存じているわ」

「あ、そうですよね……」

 

 みほは、ある二通りの意味で戦車乗りには有名だ。ひとつはもちろん、西住流の家元の娘として、もう一つは前回の戦車道全国大会での大怪我で。今後も、自分は様々な場所で同じような反応をされることが予測される。覚悟はしていたものの、実際に経験してみると、なんだか心が苦しくなる。何より、このような憐みの目で見られることが、なんだか申し訳ないのだ。優しくされること自体が、まるで自分が人間として一歩劣っているのだと見られているようで、相手にとってはそんな意思毛頭ないという事も分かっている。だが、一度そう考えたらそれ以外の事を思いつけない、自分はそんな弱い人間なのだ。

 

「私はこれから見張り台から各戦車の動きを見ようと思うのだけれど、貴方もどう?」

「え……でも私は……」

「言ったでしょ?私は自衛隊員よ。車椅子一台と女の子を運ぶなんてわけないわ。それに……車椅子だから誰かが力を貸してくれるってこと、ちょっとでもいいから得だと思ってみなさい」

「え?」

「障害を持って生きることは、別に誰かと劣っているわけじゃない。誰かとは違う個性を持っているってことなのよ。私は障害を持って生まれてきたわけでもないし、障害を持つほどの大怪我を負ったこともない。だけど、私もたくさんの障害を持った人達と出会ってたくさんの話を聞いて、実際に接してきて、そう思った。だから、貴方も普通の女の子のように甘えてもいいのよ」

 

 よく、障害を持つ人を取り上げる番組を偽善だとか、感動ポルノだとかいう人間がいる。実際、ある番組で、障害を持っているから不幸であるように装うように演技するようにと演出をするという検証を行ったこともある。その結果、障害者を使って金儲けをしているだけだとか、視聴率を稼ぎたいだけだとかと色々と言われる番組がある。感動的なエピソードを抽出して、お涙頂戴の茶番劇を見せられているだけだという人間もいる。だが、我々は何を知っているというのだろうか。障害を持って生きる人達の、障害を持つことでどんな人生を送ってきたのかを。それは、確かに健常者と同じなのかもしれない。上手くいかないことがあったり、辛かったり、いじめに遭ったり不当な扱いを受けたり、それは障害を持っていなくても起こり得ること。障害者イコール不幸な人々というわけではない。それは正論であるのかもしれない。どこかの街の片隅で、今も苦しんでいる人がいるのかもしれない。今も辛い思いをしている人がいるのかもしれない。また、今も不当な扱いを受けている人間がいるのかもしれない。けど、『誰も助けようとしない』それもまた真実だ。一年に一回でいい、そんな人たちの事を思い続ける日があってもいいじゃないか。そして、そこから自分も何かしなければと思う人がいてもいいじゃないか。障害を持っているから不幸じゃない。確かにそう、だがそれは障害者全員に当てはまらないのかもしれないじゃないか。もしかしたら今この瞬間も、自分は障害を持っている、だから不幸だと思っている人がいるかもしれないじゃないか。障害者を見世物にするな。何もお前たちに見せようと思っているだけじゃない。今もどこかで苦しんでいる同じ障害を持った人達にも見せなければならない、同じような障害を持っていても、挫折しても、立ち上がれないような大きな壁があっても、乗り越えることができたと、自分はこんなに明るくなることができたと、そう伝えることができるならば、多少の演出が入っても、過剰な反応を示したとしても良いじゃないか。自分は一人じゃない。そう思うことのできる日があってもいいじゃないか。そんな日があるからこそ、自分は真夏になるといつも真っ青な空と、はっきりと区分けされている雲をみて思うのだ。あぁ、またこの季節が来てくれたのだと。今年も、夢を持った人が生まれますようにと。

 蝶野は続けて言う。

 

「多分、障害を持ってよかったって思えるようになったら、それはもう一人前何だろうけど……私が言えることじゃないわよね」

「いえ、でも……そんな自分に慣れたら嬉しいかもしれません。今はよく分からないですけれど……」

 

 とみほは言う物の、実はみほ自身障害を持った後、障害を持つ前よりも手に入れたものは多いように感じていた。姉や、大洗での友達、自動車部の面々など頼りになる先輩達、こちらにきてたったの三日でたくさんの宝物を手に入れた気分だ。だが、みほは思う。それは障害を持っていなくても手に入れられたものなのじゃないかと。思えば、あの時の大会で川に飛び込んだことによって自分の責務を放棄した時点で、自分は西住流としては失格だったはず。だから、もしも障害を患っていなかったとしても大洗に、それか他の戦車道のない学校に行っていたはず。まほの事だって、自分の中で見失っていただけで、最初から一緒に歩いてくれていたのだ。自分はまだ障害を持ったから手に入れたものがない。障害を持っててよかったなんて一人前の事を言える時、そんな物が来るのだろうか。そんな胸を張って言える時が来るのだろうか、いや必ず来てくれるはずだ。何故ならば、それに気が付けるのは自分だけ。足に障害を持って生きていく使命を持った自分だけなのだから。

 

 

 そしてそれから数十分後、全員が紆余曲折ありスタート地点へとたどり着いた。

 

「みんな、スタート地点に着いたようね。ルールは簡単、全ての車輛を動けなくするだけ。つまり、ガンガン前進してバンバン撃って、やっつければいいだけ。分かった?」

「随分とざっくりと言いますね」

「堅苦しい言い方で、よく分からない事を言うよりかはマシだと思う……多分な」

「戦車道は礼に始まって礼に終わるの。一同、礼!」

『よろしくお願いします!!』

 

 戦車道はスポーツである。そのためごく一般的なスポーツと同じように、始まる時は『よろしくお願いします』終わる時は『ありがとうございました』それが当然であり、マナーである。みほもまた、参加していないが、蝶野の横で戦車に乗っている面々と同じように頭を下げた。

 

「それでは、試合開始!」

「いよいよ攻撃開始ですね!」

「どうするまほさん?とりあえず撃ってみる?」

「決めるのは戦車長の役目、つまり沙織さんが決めていいよ」

「あ、そっか」

 

 そう、実は役割を決めるときにAチームの面々はまほに戦車長になってくれるように打診したのだが、まほは断ったのだ。今回だけしかⅣ号に乗らない自分が戦車長になって、みほが乗る時になって指揮系統に問題が起こっては困るという理由らしい。結果、くじ引きを行い、戦車長が沙織、操縦手が華、砲手が優花里、そして装填手兼通信手がまほということになった。

 

「よし!それじゃまず生徒会チームを潰そう!教官女の人だったんだし」

「まだ言ってるんですか?」

「私が決めていいんでしょ!」

「だが、生徒会チームの位置は確かここからは遠かったはずだ。確かこちらに比較的近かったのは……」

 

 その瞬間である。激しい轟音とともにⅣ号の車体が揺れたのだ。

 

「なに!?何が起こったの?」

「砲撃?だが、今の衝撃では当たった様子は……」

 

 そう言いながら、まほはハッチを開けて外をみる。そして地面にへこみを見つけた。土煙が立っていることから、先ほど撃ち込まれたもので間違いない。問題はどこからかという事であるが、まほはすでに見当をつけていた。両端を木々に囲まれ、前と後ろは道となっている。この状況で戦車道素人である他のチームがいるであろう場所がどこなのか、少し考えれば分かることだ。

 

「見つけた。右90度の位置にBチーム、なかなかいい位置取りをとる」

 

 木と木の間から八九式の姿を見つける。砲身から煙が伸びていることから、Bチームが撃ったことに間違いないだろう。それにしてもなかなかいい位置を取った物だ。一見して、森の中を進むという事は死角から攻撃されるリスクが考えられ、またその道中も草等で進みずらいように見える。だが、死角から攻撃されるリスクがあるという事は、つまり死角から攻撃できる可能性があるという事。それに加え、ほぼ90度の位置から攻撃を加えたという事は、こちらとしても反撃するのに一度砲を回転させなければならず隙が生まれる。ならば、180度回転しなければならない後ろから攻撃をした方がいいのではないかとも考えるが、その場合今度は自分が森の中からの奇襲を受けることがある。そのようなことを考えた結果、森の中から攻撃した方がいいと考えたのであろう。一方、まほに褒められていることを知らないBチームの面々は、自分たちが撃った砲弾の威力に面を喰らっていた。

 

「すごい音……」

「今、空気震えたよ?」

「こんなスパイク打ってみたい!」

「まずはⅣ号Aチームを叩く!」

 

 最初は、確かにバレー部を復活させたい。その一心だけで戦車道を選んだ。しかし、いざ乗って、撃ってみると、なんだか心に響く者がある。撃ったのは自分たちのはず。だが、その撃った砲弾の威力が自分たちの心にまで響いてきた。そんな幻想にも似た感覚を感じ取ったのだ。そして、撃たれた沙織はちょっとしたパニックを起こしかけて言う。

 

「怖い!逃げよう!?」

 

 今度は止まっているためほぼ鮮明にその言葉が聞こえた華によって、戦車は前進する。その直後、また一発の弾が地面に当たる。今度のは、確かにⅣ号に近づいていた。もし動かなければ履帯が外れてそのまま撃墜されていた可能性がある。履帯は、外れてもその場で直すことができるためか、それが外れただけでは撃墜判定にはならない。しかし、動けないためにそのまま撃墜されることがほとんどのため、8割方撃墜されたと言ってもいいであろう。

 

「いい修正能力だ」

 

 と、ハッチから顔を出してBチームの動向を探っていたまほは、素人ながらも即座に砲の着弾位置を修正してきたバレー部の面々を称賛する。沙織もまた、上部にある入口から顔を出して前を見る。すると、その先に分かれ道があり、左からは見覚えのある戦車が向かってきていた。

 

「得物を捕らえた!」

「南無八幡大菩薩!」

 

 CチームのⅢ突である。南無八幡大菩薩とは、簡単に言えばすべての心と身を武の神様にお任せしますという意味合いで考えてもらった方がいい。だが、それは切羽詰まった時に使うような言葉であるという事は分かっているのだろうか?

 

「どうした!」

「挟まれた!あっちに逃げよう!」

「聞こえません!」

「右斜め前!!」

 

 と言って華の右肩を思い切り蹴った。華はその指示通りに右の道へと入る。

 

「よし、これで何とかなるか?」

 

 しかし攻撃はより一層激しくなるばかりだ。もしかすると……。まほがそう考えていたその時、彼女はみた。目の前にある切り株を枕にし、本を頭からかぶって寝ている女生徒の姿を。

 

「まずい!」

 

 紆余曲折あってついに始まった戦車道の新たなる一ページ。果たして、どのチームが勝利者となるのか。




 今回で第2章が終わり、続いて第3章へと入って行きます。


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試合、やります
3-1 傾斜


 音か、振動か、それとも第六感だっただろうか。ともかく、彼女の意識は突如として覚醒して眼は漆黒の中へと開かれる。目を開いたのに漆黒であるのはどういう事だろうか。自分は、確かに眠たいからと授業をさぼってしまってはいるが、確かにここに来たのは朝早くだったはず、もしも今が夜であるとするならば、自分はおよそ10時間以上も眠っていたことになる。いくら何でもそれほど自分は寝ない。それに、夜であったとしても星が一つもないのも不自然だし、それに頭が重たいのもまた奇妙である。

 あぁなんだ、至極まともで簡単な理由ではないか。顔の上に本が乗っているのだ。そういえば、確かに自分は眠りに入ってしまう前まで読書をしていた覚えがある。彼女は何故か安心する。もしかしたら眠ってしまっている間に何らかの事故が起こって死んでしまったという事も考えられたからだ。いくら眠ることが多い彼女であったとしても、永眠することだけは嫌いであるため、まずは一つ安心だった。では、その次の不安材料を何とかしよう。何なのだこの振動は。それに、この重たいエンジン音は一体なんだ。まるで大砲の弾が落ちたかのような振動と音もする。まさか、眠っている間に戦時中の日本にタイムスリップしたとでもいうのだろうか。などと、家に置いてあるタイムスリップ物の漫画のようなことを考えて、すぐさま否定した。そんな非現実的なことが簡単に起きるわけがないし、その振動は戦時中じゃなくても現代普通に感じることができる物であるからだ。

 振動は次第に大きくなり、そしてエンジン音もまた近づいてくるのを感じた少女は、顔に被せた本を落とさないように支えながら起き上がる。こうやって眠りから覚めて起き上がる時が一番嫌なのだ。どうして安らかに眠っているというのにわざわざ起きなければならないのだ。よく食べ、良く寝て、よく勉強しなさいと言うのが学術評論家たちの言い分ではないか。なのに、どうして彼らの方から寝ることを邪魔してくるのだ。よく寝ろというからには、ちゃんとよく寝られる時間を作ってもらいたい。などと寝ぼけた頭で訳の分からない事を考えながらも、起き上がり本を取って前を見た。すると、やはりすぐそこに戦車があった。戦車についている小窓からは見覚えのある女性が姿を見せている。このままだと自分は引かれてしまうなと他人事のように思いながら少女、冷泉麻子は引かれる寸前にその車体の上へと飛びついた。だが、そのまま立ち上がるなどという格好の良いことなどできるはずもなく、麻子は転んでしまう。結果、本は落としてしまったが引かれずには済んだので良しとしよう。

 

「君は……」

「やはりお前だったか。いや、確か先輩だったな」

 

 今朝あったばかりの少女だ。何故このような場所にいるのだろうか。少なくとも今は全学年選択授業を受けている最中なはず。だというのに、彼女は今野原に寝転んで本を読んでいた。それが授業であるとは考えづらいことであるが……。

 

「あれ?麻子じゃん。また授業さぼってたの?」

「沙織か、あのクマはもういいのか?」

「取り上げられて……ってそうじゃなくて、また授業をさぼって、そんなんじゃ進級できないよ?」

「眠い物はしょうがない」

「眠いから授業をさぼっていたのか?」

「朝は眠いのが当然だ」

 

 高校生がそのようなことを言っていていいのだろうか。社会人になったら毎朝眠くても会社に行かなくてはならないというのに今のうちにさぼり癖のようなものを付けては、などという事を言っても後の祭りである歳なのかもしれないが、ともかく今現在生身で外に出ているのはかなり危険である。そんなことをまほが思っている間にも砲撃が彼女たちの戦車を襲う。

 

「とりあえず中に入れ!外に出ていると危ない!」

「おう」

 

 砲撃は何とかⅣ号のすぐ後ろに着弾したために彼女達には何ら被害はなかったが、麻子が外に出ている限り危険であることには変わりなかった。まほ自身、みほの事もあってもう戦車で悲しい思いをする人間を見たくなかったこともあってか、麻子を戦車内部に入れるのはそう遅くはなかった。

 

「誰か中に入っていったわね」

「あれは確か今朝あった……でもあの人は戦車道を履修していなかったはずじゃ……」

 

 一方、その様子を見張り台から確認していた蝶野とみほ。有言実行とはまさにこのことで、蝶野は本当に車椅子ごとみほを階段の上にある見張り台にまで運んだのだ。結構な重労働であったはずなのに息切れどころか汗を全くかいていないところが、彼女が自衛官らしいといえる部分であろうか。とにかく、二人はそこから双眼鏡を使ってそれぞれの戦車の様子を確認していた。今のところ戦況としては三突と八九式の二輌が手を組んでⅣ号を追っている最中。Ⅳ号が道を外れて二輌が向かい合ったというのに、双方一発たりとも放つことがなかったところから見て、同盟を結んだという事は想像しやすいことであろう。その二輌の近くに姉の乗っているⅣ号があっただけという事も考えられるが、戦車道経験者が乗っているⅣ号を先に潰そうと考えたのだとすれば、歴女チーム、バレー部チームどちらかになかなかの策士が乗っていると考える。それにしても不可解なことが一つだけある。

 

「でも、なんだかⅣ号の動きが変……お姉ちゃんが戦車長だったらあんな動きしないはずなのに……」

 

 行動が何もかもが遅い。まほであったら、試合開始と同時にその場所から動こうと考えるはず。蝶野から場所の指示があった際、それぞれの位置関係を示す地図が全員の前で公開されていた。その時間はわずかであったため記憶力の良い人間でなければそれぞれの位置など把握することはできないだろうが、しかし最初にスタートする位置がばれている危険性があることには変わりない。そのため、試合開始とともにいち早く動いて、ともすれば自分たちの事を潰そうとする戦車を待ち伏せでもするはずだ。それなのに、Ⅳ号は一度八九式からの砲撃を受けた直後に動き始めた。もしかして戦車長は姉ではないのだろうか。

 

「そういえば、Ⅳ号から入る通信は、まほさんの声に聞こえるけど……もしかして通信手をしているんじゃ」

「え?通信手と戦車長は、役割の内容から一緒にすることはないはず。という事は、やっぱりお姉ちゃんが戦車長じゃない……でもなんで?」

 

 通常通信手と戦車長は同じ人物がやるような役割ではない。何故ならば、どちらも言語的コミュニケーションを用いる難しい役どころだからだ。戦車長は、その戦車のリーダー的な役割として一つの戦車を操作するために乗組員に指示を送らなければならない役割を持っている。通信手は、他の戦車からの指示を受けたり、また逆に指示をしたりする役割。自分の戦車に指示を出したり、他の戦車に指示を出したり、指示を受けたりと、これだけの言語的コミュニケーションの方法をいっぺんに取ろうとするとこんがらがってしまうことは間違いないだろう。姉であれば、それぐらい容易いことなのかもしれないが、わざわざ指揮系統が混乱しかねないリスクを背負う意味が分からない。今は訓練でバトルロワイヤル方式になっているため他の戦車と連絡を取り合うことはないだろうから通信手の役割は実戦よりも少なくなっているであろうが、それでも蝶野からの通信が入ることもあるだろうからおろそかにはできない。

 やはり、姉は通信手のみ、もしくは通信手と戦車長以外の役割を行っていると考えるべきなのだろう。しかしどうして姉はそのようなことをしているのだろうか。自分のためなのか。後々自分が戦車に乗ることになるから、下手に戦車長として指揮を取って自分の指揮のクセを沙織達に教えないようにするためなのだろうか。それとも、また他の目的があるのだろうか。今度姉に聞いてみよう。もしかしたら、何か答えが返ってくるのかもしれない。

 

「Aチームは、どうやら吊り橋を渡るようね」

「吊り橋……」

 

 まずい、追い詰められている。それがみほの第一印象だった。確かに吊り橋を渡れば今彼女達を追っている戦車を突き放すことができるかもしれないが、それは渡り切れればの話である。橋は洞窟のように入口と出口がはっきりしているため、その両方から挟み撃ちにされれば文字通りに逃げ場所がない。おまけに洞窟とは違って左右からも攻撃される可能性が高く、正直言えば吊り橋を何の援護もなしに渡るなど、自殺行為に等しいと言ってもおかしくないのだ。それに、みほにはそれ以上の大きな不安要素と言ってもいいものがあった。それは……。

 

「吊り橋か……危険だが、ここを渡るしかない。私が外に出て先導する」

「でも、今出たら砲弾が……」

「今までの砲撃間隔の通りなら、もうしばらくは時間がある」

 

 大体の体感では、八九式の一発目と二発目の間隔は30秒、二発目と三発目の間隔は19秒、三発目と四発目の間隔は35秒、そして四発目と五発目の間隔は22秒、平均すれば約26秒という事になる。その間にⅣ号の影に隠れて敵戦車の射線の死角に入りさえすれば、危険は少なくなる。一つ気になるのは三突の行方だ。最初に一度撃っただけでその後は一度もこちらに砲撃を加えてこないが彼女たちはどこに行ってしまったのか。だが、先回りしていたとしても橋の向こうにまでは行っていないはず。それに、三突は砲塔が回らない上に基本的に上下も動かすことができないため、地面と平行にしか砲弾が進まない。きしんだりして上下に位置が変わる橋の上の目標物を相手にして致命傷の一撃を与えられるとは思えない。よって、この場合は三突は問題にしない方がよいだろう。不確定要素として考えられるのが、M3リー戦車と38(t)軽戦車の居場所。もしも橋の向こうで待ち伏せでもしようものなら、それこそ一巻の終わりだ。こうなった場合、迅速かつ冷静な対応が必要になる。簡単に言えば、さっさと渡ってさっさと隠れるべきであるということだ。

 すばやく吊り橋の上に降り立ったまほは、両手を大きく使ってⅣ号Dの先導を開始する。華はそれに従って徐々に戦車を動かし始める。やがて、橋の上に乗った。普通のつり橋であったら、この時点で戦車の重みに耐えきれなくなって落ちてしまう事であろうが、この橋には戦車の履帯の幅に合わせて鉄板が置かれており、そのおかげもあってか木の板が壊れることなくⅣ号は確実に進んだ。だが、それも橋の半分を通過する直前までの事。徐々にⅣ号が左に進み始めている。戦車どころか車すら運転したことがない華にとって、揺れてきしむ橋の上をまっすぐに進むという事は難しいことこの上なかったのだ。その事に気がついたまほが右に行くように指示を出したが後の祭りである。Ⅳ号の履帯が吊り橋の横に張ってあるワイヤーの一本を切ってしまった。その一本を切っただけでは橋は落ちることはないが、しかしそれによってバランスを一時的に崩した橋は左右に大きく揺れ始める。その揺れに足元をすくわれてしまい、まほは蹲ることがやっとで、立ち上がることができない。そのうち、段々橋の揺れのバランスが左に傾き始めた。無論、そちらに重たいⅣ号Dがあるからだ。

 

「あぶないッ!」

 

 その様子を双眼鏡で見ていたみほはそう叫んだ。このままではⅣ号Dが浅い川へと落ちてしまう。そうなったら、Ⅳ号から身を乗り出している沙織達がけがをするかもしれない。場所は違う。天気も違う。だが、その様子はまさしくあの時のソレとあまりにも似た姿に見えた。そう、あの時。増水した川に落ちて行ったティーガーの姿。あまりにも衝撃的なその様子、地面がえぐれて、川に土砂崩れに巻き込まれたかのように落ちて行ったその巨体。離れた場所ではどうすることもできない。もう二度と立ち上がることができないと知っている。なのに、みほは発作的に車椅子から立ち上がろうとした。腕に思い切りに力を入れて、前のめりになった。だが、足は当然前には進まない。そんな事、あの時もう知ったはずだったのに、それでも彼女は沙織達を助けに行こうとしていた。気持ちだけでも、思いだけでも、だがそんなものは無意味だったのだ。その時、足を置いていたフットサポートの上から足が滑って落ちてしまう。バランスを崩したみほはそのまま前に倒れ始める。その時の様子を、彼女はまるでスローモーションのように感じていた。そして、彼女の頭が目の前にある手すりに当たろうとした、その時であった。二つの爆音が鳴り響いた。



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3-2 操者

 久々に小説投稿します。この話自体は去年の時点で出来てたので、本当に久々に執筆したのは次回からです。


 ダメだ落ちないでくれ。蹲りながら、彼女はいるはずもないであろう神様という物に祈っていた。妹を助けてくれなかった残酷な神様の事なんて、絶対に信じない。そう思っていた彼女だったが、しかし今その時だけはその神様に祈りたい一心であった。目の前で、みほの、そして自分に初めてできた本当の意味での友達。それが、橋の下へと落ちようとしている。彼女は思う。もしも、自分がこの橋を渡ることを提案しなかったら。もしも、誘導したのが自分じゃなかったら。もしも、自分がⅣ号に乗ることを提案しなかったら。あの崖を渡ることを提案していなかったら。まほの心は後悔で埋め尽くされていた。しかし、後悔先に立たずとはよく言った物。今更そんなことしたところで全ては遅すぎる事なのだ。あそこまでバランスの崩れた戦車が持ち直すことはない。何らかの外部因子がなければ、そう遠くないうちに戦車は川の下へと落ちて行ってしまうだろう。だが、外部因子などそう多くはない。台風並みの風や、クレーン等の機械で持ち上げると言ったようなことしか思いつかない。

 

「ッ!」

 

 いや、もう一つあった。そう考えた瞬間、一つの砲弾がⅣ号を襲った。その衝撃でⅣ号は若干前進し、奇跡的にバランスを立て直した。橋の左端に寄っていたその巨体は、橋の中心へと寄り、落下を逃れることができた。それともう一方もまた。

 

「……ぇ」

「大丈夫みほさん?」

「は、はい。ありがとうございます」

 

 手すりに頭をぶつけようとしていたみほは、しかしそのすぐ隣にいた蝶野が咄嗟に腕を彼女の身体の下にいれたことによって手すりの数センチ手前で止まることができた。もしもあのまま頭をぶつけていたら、怪我をしていたかもしれない。

 

「あ、そういえばⅣ号、皆は?」

「大丈夫。Ⅲ突が助けてくれたわ。向こうはそんな気はなかったかもしれないけどね」

 

「Ⅲ突か……偶然でも助かった」

 

 撃破時の旗が上がっていない所を見ると、どうやら撃破認定はされていないようだが、一体だれが撃ったのか。気になったまほは爆風と煙が収まったころ、Ⅳ号の後ろに隠れながらその戦車の後ろを見た。そこにいたのはⅢ突、そして後ろからは八九式が向かってくる様子が見えた。恐らく距離的なことを考えると、Ⅲ突の放った砲弾がⅣ号に当たったのだろう。向こうからしてみれば、こちらを助けようとする意図はなかったかもしれないが、むしろ撃破しようとしてくれたために調度良い場所に弾が当たってくれたのだ。後で感謝しなければならない。そう思っていたまほではあったが、ここでⅣ号から悲鳴にも似た声が上がったのを聞いた。

 

「五十鈴殿!」

「華大丈夫!?」

「どうした!」

「操縦手失神!行動不能!」

 

 その言葉を受けてⅣ号の上にあがったまほは、操縦席上部の窓から顔を出して気絶している華を見た。おそらく、先ほどのⅢ突の攻撃による衝撃で気絶してしまったのだろう。軽く見たところ大きなけがはしていないようだが、そのまま放っておくわけにはいかない。

 車内に入ったまほは、華を右前の席、開いていた通信手のイスへと座らせる。観察した結果、やはり怪我は見当たらないため脳震盪による気絶であると考えていいだろう。この訓練が終了した後にちょっとした検査は必要はなるだろうがしかし、大事に至ることはないだろうと思う。だがどうするか。操縦手がいなければ当然戦車を動かすことはできない、こうしている間にも後ろにいる2チームは迫ってきているのだ。何とかしなければ。

 

「やるしかないか。あまり得意ではないが私が操縦手を……」

 

 まほは基本的に指示をする側の人間だ。そのため、実際に戦車を動かすという能力に関しては平凡であった。幼少期や戦車道をやり始めたころには自分で操縦していたこともあったが、こういった試合形式のなかでするのは実質はじめてだ。果たしてうまくいくだろうか。まほが操縦席へと移動しようとしていたそのときである。戦車が突如として揺れたのだ。

 

「撃ってきた!?」

「いえ、違います!これは……」

「あぁ、間違いない、Ⅳ号が動いている。だが誰が……」

 

 砲撃を受けた時には、一度大きな揺れがあってから徐々に収まっていくような振動を感じる。しかし、今彼女たちを襲っているのは小刻みな揺れ。恐らく、誰かがⅣ号を動かしているのだ。しかし何者なのか。華は見ての通り気絶しいる。沙織も優花里も今自分の目の前にいるから彼女達ではない。透明人間でも乗っていたのか。いや違う。一人いるではないか。この試合中にⅣ号に乗ってきた人間が。

 

「……」

「冷泉、お前か」

 

 冷泉麻子である。彼女は優花里が持参していた戦車の教科書を見ながら操縦していたのだ。しかもかなりうまい。左斜め前を向いていたⅣ号が、少ししたら橋の端と平行に、そして橋のど真ん中へと戻っている。これは、ただ本を見ただけでできるようなものじゃない。才能だ。彼女の中に備わっていた操縦手としての素質が、この動きを可能としているのだ。こんな短時間でここまでの操縦技術を見せてくれる、ワクワクさせてくれるような少女、黒森峰でもあまり類がない。

 

「麻子運転できたんだ!」

「今覚えた」

「今!?」

「流石学年主席!」

 

 ぶっつけ本番でここまでの操縦技術を見せることができるのだ。彼女を鍛えればきっといい操縦手になる。いや、それだけにとどまらず鍛え方次第では以前杏が言っていたように本当に日本代表として選ばれるような人間になってしまうかもしれない。また一つこの学校への興味と欲求が増えた瞬間であった。

 

「とにかく撃ち込め!」

「連続アタック!!」

「「「それそれそれぇい!」」」

 

 そうこうしている間に八九式の副武装である九一式車載軽機関銃が火を噴く。しかしそれぐらいの攻撃だったらⅣ号に傷をつけることができないのは想像するのは難しくない。一方のⅢ突だが、今のところ砲撃の間隔から見るに、おそらく砲弾の装填に時間がかかっているのだろうと思う。75mmの砲弾の重さは最大で6,8キログラム。それをつい昨日まで普通の女の子だった彼女達がそうやすやすと持てるわけがない。八九式の装填速度がやや早かったのはおそらく元々バレーボールをしていた分筋力があったためであろう。しかし、この場面で主砲ではなく副武装の機関銃を選んだのは彼女たちのミスだ。もしも八九式が主砲を撃っていたのであれば、まだⅣ号にダメージを与えることができていたであろう。しかし、彼女たちは主砲ではなく機関銃を選ぶ、それは恐らくⅢ突が砲撃するまでの時間稼ぎをしているからだ。確かに八九式の57mm主砲である九〇式五糎七戦車砲よりはまだⅢ突の75mmの方が威力はある。それは間違いないしかし、乗り手側のスペックから考えれば、一発の威力にかけるよりも連続して攻撃できる法を選んだ方が効率がよかった。この大きなミスが、彼女達の運命を決定づけた。

 

「麻子後ろに下がってるけど!?」

「分かってる」

 

 まほが教科書をチラ見すると、そこにはそれぞれの戦車のスペックが書かれていた。おそらく彼女もそれを見て自分と同じ考えを持ち、少しは時間の猶予があることを確認したのだろう。そのまて、ゆっくりと助走を取る時間があると考えたのだ。それに、一応橋の真ん中付近にまで戻ったとはいってもまだ体勢的に見ると少しは左寄りになっている。橋の走行と平行になるように整えたかったとしたら、助走をつけようとしているのにも納得がいく。

 数秒後、麻子がブレーキをかけてギアを変える。どうやら、準備が整ったらしい。後退していたⅣ号は急停止したすぐ後に急発進する。Ⅲ突、八九式双方ともに装填が完了して発射したがすでに手遅れだった。砲弾は動くⅣ号を捉えることができず、そのすぐ前へと着弾した。結果的には煙幕のような煙が上がって視界を遮った物のしかし、どのみちまっすぐ行くしか道がなかったためⅣ号の速度が落ちることなく、煙の中からⅣ号は無傷で現れた。

 

「ッ!外れた!!」

「次だ次!」

「冷泉!橋を渡り切ったら急停止!秋山は砲塔を右90度回転!沙織は周囲を警戒してくれ、Ⅲ突と八九式は無視してもいい!」

「おう」

「分かりました!」

「了解!」

「う……ん」

「あっ華が起きたよ!」

 

 敵が装填をしている中、次の行動を素早く指示するまほ。それはもはや通信手や装填手の役割を逸脱し、彼女本来の持ち場でもある戦車長の役割を思い出したかのような行動であった。そうやってあわただしくなり始めたⅣ号の中で、先ほどの砲撃で気絶していた華が目覚める。

 

「華、大丈夫か?」

「はい、すみません……」

「いやいい、それより今は休んでいろ」

「いえ、大丈夫です。頭もクラクラとしてませんし、目もはっきり見えますから」

「そうか……だがもしも頭が少しでも痛くなったら言ってくれ。……医者か養護教諭に診てもらう方が一番安全なんだがな……」

「はい」

「とにかく、華も周囲の警戒に当たってくれ。何か異変を感じ取ったらすぐ伝えてくれ」

「分かりました」

「秋山、指示を変更する。左に90度砲を回転させてくれ」

「分かりました!」

 

 脳震盪だけで済めばいいが、もしかしたら脳出血などの脳血管疾患を起こしている可能性も考える。今は大丈夫であってもこの時の傷が後々に大きくなって重大なダメージとなる恐れがある。そのため、まほはこの試合が終わったら保健室へと直行することを薦め、華はそれに対して了承した。

 ともかく、今のところ華は心配ないだろう。ここからは再び試合に戻らなければならない。麻子は、まほの指示通り橋を渡り切り、Ⅲ突、八九式の対岸へとたどり着いた。橋の中ほどで砲塔を回転させてもこの砲身であれば引っかかることはない為橋の上で戦うことも考えた。だが、問題は今見えていない戦車二輌、38(t)とM3である。もしも二輌のどちらかが対岸にいたならば、後ろの八九、Ⅲ突と合わせて挟み撃ちとなってしまう。そうなる前に二輌を撃墜できたとしても、砲を再び前に戻している間に撃たれてしまえばどうしようもない。特にM3リーには彼女が乗っているのだ。逃げ場を確保しないで戦うか、逃げ場を確保して戦うかであるならば、逃げ場を確保して戦った方が得策であるのは素人でもわかることだ。

 

「早く回って!撃たれる前に撃っちゃってよ!」

「はい!」

「Ⅳ号の砲の回転は自動だから、せかしても意味はない。冷泉、橋と垂直になるように向きを変えてくれないか?」

「左だな?」

「あぁ」

 

 麻子は、戦車を細かく動かして戦車の向きを変える。本当にこの少女は戦車を操縦するのが初めてなのだろうか。随分と手慣れているようにも感じる。練習無しでここまでの動きを見せれるのであれば、ちゃんと鍛錬を積んでいけば全学校の操縦手の中でも一、二を争うほどまでに成長してくれるだろう。等とまほが考えている間にも、Ⅳ号は方向を変え終えて、橋に向かって右側で止まった。実はこの試合でまだ一度も砲を打っていないのはⅣ号だけだった。停車したことによる揺れが収まった直後、ついにⅣ号が待ち望んでいた瞬間が訪れる。

 

「発射用意!!」

「ッ!」

 

 まほのその言葉に、優花里は再度引き金に力を籠める。今自分の右手人差し指がその引き金を引けば、砲塔から弾が飛び出すのだ。それは、彼女が長年待ち望んでいたことと言っても過言ではなかった。いつかはこの引き金を引きたい、いつかは弾を撃ってみたい、そう願っていたのだ。いま、その彼女の夢が叶う瞬間だった。人をも殺しかねない危険な砲弾。トリガーハッピーと言われても構いはしない。他人がどう言おうとも、その瞬間は彼女にとって最も幸せな瞬間だったのだから。一度、二度瞬きをして深呼吸をする。その普通の動きですらも、なにかの儀式のように感じられた。その緊張感に思わず周囲もまたかたずを飲む。まほは発射するタイミングを見極め、沙織は緊張緊張している優花里を見つめ、華は上部の窓から顔を出して周囲を警戒し、麻子は先ほどまでと同じように眠たそうに操縦席に座って待つ。まほの声を待っている時間。それは、永遠に続くのではないかと誰もが思った。しかし、ついにその瞬間が、あまりにも突然にやってきた。

 

「撃て!!」

「ッ」

 

 反射的に、優花里は引き金を引いた。轟音とともに一発の砲弾がきりもみ回転しながら飛び出し、Ⅳ号は大きく揺れる。それは自分たちの方が撃たれていた時にも感じていた物と似て非なる物であった。弾はまっすぐと凄まじき速さでⅢ突へと飛ぶ。もちろん、Ⅲ突がそれを避け切れるはずがなかった。Ⅲ突の主砲のすぐ左に着弾した砲弾は爆風と煙を吐き出した。そして、煙の中から現れたⅢ突はしかし、着弾した場所から煙を上げて動く様子もない。それから間もなく、行動不能を示す白旗が掲げられた。

 

「うわ、凄……」

「ジンジンします……」

「なんだか、気持ちいい……」

 

 弾を撃った瞬間まほの隣から排出された大きな薬きょうと火薬のにおいが戦車内部に充満する。衝撃も音も撃たれていた時の二倍、三倍以上の力強さを持っていた。表情の乏しかった麻子ですらも、驚きの表情へと変わる。足先、指先から体の奥にまで浸透するかのようなその振動は彼女たちの心をもまた揺さぶったのだ。遊園地で危険なアトラクションに乗った後のような感触といったしまえば簡単であろう。血肉が意識しなくても沸騰し、頭も興奮状態にあるであろうことが分かる。瞬時にアドレナリンが分泌され、一種の麻薬を直に頭に撃ち込まれたかのような同じ感覚に陥ったのだ。華の光悦とした顔つきだけはある意味で危ない気もするが、しかしそれは純粋にその場にいた全員の気持ちを代弁していたと言ってもいいだろう。

 

「有効!Cチーム行動不能!やるわね」

「あの動き……操縦手と戦車長が変ったんだ……」

 

 試合の様子を見ていた蝶野はCチームのⅢ突が行動不能、走ることも砲を撃つこともできなくなったことを告げた。戦車の撃破基準は複数ある。剣道の一本判定よろしく、有効な命中弾、つまり本当の戦争であったらそれで戦車内部にいる乗員が死亡している可能性が高いという攻撃を受けた場合。弾がエンジンに当たる、もしくは整備不良で完全に壊れて運転が不可能となった場合。戦車からすべての乗員がいなくなった場合。さらにごくまれではあるが操縦者が戦闘不能とした場合にも白旗が自動的にあがって撃破となる。ともかく、そこからどう立て直そうとしても整備班が入らない限り満足に運転できなくなった場合に撃破認定されるとい思ってくれても構わない。今回は、有効弾を喰らったから撃破認定を受けたという事だ。

 みほは、Ⅳ号が落ちそうになってからⅢ突を撃破するまでの戦車の動きが変ったことに注目した。操縦もそうであるが、それ以外の動きもほとんど無駄がなく、まさしく戦車道をよく知っている物が指揮を取っていると言っていい動きを見せていたのだ。

 

「お姉ちゃん……」

 

 戦車長が姉に変ったという事は間違いない。今この状況から見るに、八九式が落とされるのも時間の問題となった。やはり、まほは強かった。自分等足元にも及ばないほどに。相手も味方も素人であるというのに、そのなかで随一の能力を見せて立ち回っている。その姿は、暗闇で光り輝くホタルのよう。

 

「敵わないな」

「あら?」

「え?」

 

 その時、蝶野が双眼鏡を覗き込んだ。何かに気がついたようだ。みほもまた、彼女のがのぞいた方向に向けて目を細めてみた。そして見つけた。森の中ほど、そこから立ち上るソレを。

 

「あれって……まさか」

「蝶野さん!すぐに確認を!」

「え、えぇ!」

 

 みほは、蝶野が通信機の周波数を合わせている間に、橋の前で八九式と対峙しているまほたちの搭乗しているⅣ号の方を見た。当然ではあるかもしれないが、彼女達もまだ気がついていないようだ。今はまだ距離的にも大丈夫ではあるかもしれないが、もしも気がつかないままであれば、勝負は一瞬の後に決まってしまう。何が起こったのか理解できないままに。

 

「お姉ちゃん……」

 

 第三者の立場で戦場をみるみほには、姉に助言をする立場にはなかった。だから、彼女にできるのはⅣ号に乗っている五人の無事を祈ることだけであった。

 

「手を休めるな!今度は八九式を!」

「はい!」

 

 四人が放った弾丸にしびれ、酔いしれている中でもまほは冷静に飛び出した空の薬きょうを片付け、新しい砲弾を装填し指示を出した。それに答えた優花里は、すぐにまた砲を撃つ準備に入る。

 

「まずい!フォーメーションB!」

「はい!」

 

 協力関係にあったⅢ突が一撃でやられた姿を間近で見た八九式に搭乗するバレー部の面々は、すぐに次の弾を発射した。だが、彼女たちは慌てていた。こういった動揺する場面でこそ落ち着かなければならないがしかし、経験の全くない彼女達にはそんな余裕は全くと言っていいほどに存在しなかったのだ。明後日の方向にそれた照準では、まともにあたるわけがなく、八九式の砲塔から放たれた弾はⅣ号にかすりもせずにⅣ号の横を通過していった。

 そして、先手を取られたⅣ号ではあったものの、こちらはバレー部とは違い、至極落ち着いていた。その原動力となったのは間違いなくまほだ。彼女の的確な指示、判断力、そして圧倒的なカリスマ性、それらを兼ね備えた言葉は間違いなく彼女たちに自信と勇気を与え、それぞれに割り振られた役割に集中する。指揮をする人間が変っただけで、ずぶの素人のチームであったのが、まるでプロのチームに入れ替わったのではないかというほどにすべてが変ったのだ。そんな化け物を相手にして、素人であるバレー部チームが勝てるはずがなかった。

 

「撃て!」

 

 Ⅳ号から放たれた弾は、見事に八九式の真ん中を貫いた。着弾した装甲には一つの穴が開き、そこから白い煙が噴き出した。

 

「まともにアタックくらった!」

 

 八九式は走行不能となり白旗が上がる。これで自分たちを追っていた二つの戦車が倒れ、元戦車長であった沙織はホッと一息をついた。

 その瞬間、華が叫んだ。

 

「まほさん!こちら側の森の奥から煙が!」

「何?」

 

 こちら側の森、つまり今走行不能になった八九式やⅢ突がいる方の崖とは反対の場所から上がっている煙。その言葉を受けたまほは、数秒後にはその意味を理解し、上部のハッチから上半身を出して森の方を見た。そして、目を皿のようにして森の中を凝視したまほが下した決断。それは……。

 

「麻子!前にフェイントを入れてから下がれ!」

「おう」

 

 麻子は、その言葉通りにⅣ号を数センチだけ前に進めた後、すぐにバックギアに切り替えて後ろに下がった。

 その瞬間、Ⅳ号の目の前に二つの弾が着弾する。一つは先ほどまで自分たちが止まっていた場所。そしてもう一つは、Ⅳ号がそのまま進んでいたら間違いなく当たっていたであろう場所。もしもまほの判断が遅れた。もしくは判断を間違えていれば間違いなくⅣ号は走行不能になっていただろう。

 Ⅲ突、八九式を倒して若干浮かれ気味であった沙織は、華の叫びから始まった数十秒足らずで起こった出来事に対し、パニック状態になって聞いた。

 

「え、ちょっと何なの一体!?煙ってなに!?」

 

 まずはそこからだった。果たして、華が見た煙とは言った一体何のことなのか、沙織はまだ理解が追い付いていなかったのだ。

 

「戦車が撃墜された時の煙だ。八九式やⅢ突が出しているような……な」

「え?それが私たちのいるほうの崖に見えたってことは……」

「そう、こちらの崖に残る二輌がいたという事……そしてすでに一輌が走行不能になったという事だ」

 

 華の報告を受けそう考えたまほは、すぐにハッチを開けてその戦車を探した。一体どのくらい前からその煙が上がっていたのかは判断がしづらいが、しかしもしも自分たちがⅢ突と戦っていたあたりから上がっていたとするならば自分たちの車輛の近くにまで来ている可能性が高かったからだ。

 事実、彼女の目に映ったのは一輌の戦車。そして、森の中にあったためにその姿がよく見えなかった物の、着弾した二つの弾、さらには残った戦車の搭乗員の関係から十中八九あの戦車であることは間違いなかった。

 

「まだ遭遇していない戦車は二輌ある。だが……お前以外であるはずがない、そうだろ?」

 

 彼女達であることを確信していたⅣ号の目の前に現れたのは、やはりまほの想像した通りの戦車。ある意味では今のⅣ号と似ている。自慢ではないが、自分が戦車長になったことによって、麻子や秋山などの能力は飛躍的に上昇した。先ほどの戦闘での圧勝がそのよい証拠である。思えば、Ⅲ突や八九式相手に対しては、あまりにも不公平な戦いをしていた。向こうが全員が戦車道に対しては素人であるというのに、こちらは戦車長として自分というあまりにも戦車道知りすぎている人間が指揮していたのだから。

 だがこの先は違う。一対一で戦うことになる彼女達もまた、自分のように戦車道の事をよく知っている人間が指揮をしているのだ。おそらく、激闘となることはほぼ間違いないと言えるだろう。だが負けられない。模擬戦だとしても、相手は自分とみほのいわばライバル。みほの姉として、そして最上級生として一年に、そして中学生に負けることはあってはならない。というか、負けたくないといったほうがあまりにも身もふたもなく簡単な言葉だろうか。

 ともかく、だ。

 

「島田愛里寿!」

 

 ここに、今世代初めてとなる島田流VS西住流の次期家元候補同士の対決が始まった。



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3-3 勇気

 まほの予感は的中。森の中からⅣ号のことを狙っていたのはM3リー。そしてその戦車長の愛里寿を含めた十四の瞳は一直線に存在するⅣ号はまだしも、その中にいるまほたちのことすらも見ているように思える。

 

「ごめん、外した」

「愛里寿、どうする?」

「問題ありません。もとから、この攻撃で倒せるとは思っていませんから。一度、森の奥に隠れてください」

「あい」

 

冷たく、遠い空の向こうに存在する星をみるかのように彼女たちの目は鋭くⅣ号を見据えたまま、その姿は森の奥へと隠れてしまった。

 

 それは、この試合が始まってすぐのこと。

 

「ここで止めてください」

「あい!」

 

 愛里寿の小さな指示と、桂利奈の独特な返事が車内に響いた。M3リーが止まったのは森の中で、少しだけ道から離れた場所である。

 

「すごーい桂利奈!さっきまで運転の仕方も分かってなかったのに!」

「愛里寿の教え方が上手だったものね」

「……」

「へへ、ねぇ!もしかして私たちって才能があるんじゃない?」

「これなら、西住流も倒せるかも!」

 

 と、愛里寿と梓、そして紗希以外の四人ははしゃいでいる。というより、紗希はほとんど無表情&無口な女の子であるため、実質的にはありすと梓以外の五人といってもいいのかもしれないが。

 愛里寿に教えを請うたこともあって一年生チームは、というより桂利奈は初心者ながらも戦車の運転が上達していった。愛里寿は思う、たぶんこの6人にはもともと素質があっただろうと。そうでなければ、いきなり戦車に乗ってここまでまでの動きができるはずがない。元々戦車道のなかった学園艦に、ここまでの素質を備えた人間がいたのは驚きに値するものだ。 

 行けるかもしれない。戦車長・島田愛里寿、主砲砲手・山郷あゆみ、副砲装填手・丸山紗希、操縦手・阪口桂利奈、通信手・宇津木優季、副砲手・大野あや、そして副戦車長兼主砲装填手・澤梓。この七人であればこの戦車を棺桶にしなくて済むのかもしれない。

 

「皆、浮かれてばかりいないで。まだ敵と遭遇したわけでも戦ったわけでもないんだから」

 

 因みに、梓を主砲装填手だけでなく副戦車長という役割に添えたのは、愛里寿が梓は命令を受けてただ動くだけには止まらず、自ら指揮をとる能力に長けていると思ったから。そんな彼女の能力を使わないのは勿体無いと思ったから。今は戦車道について全く知らないただの少女だが、2年も経てばこの大洗を率いる逸材である。そう愛里寿は考えていた。だから愛里寿は、彼女を成長させる事を目的として自分の右腕となる地位に添えたのだ。現在もこうして慢心しそうになっているメンバーの事を制止し、油断しないようにと釘を刺している。

だが、油断するのも無理はない。今は、人生で初めての乗る乗り物、それも自分で操作しているのだ。ただ動かすだけでも楽しいに違いない。問題は、今この状況で敵に遭遇してしまった場合。もしも、自分の思っている通りなら彼女たちは……。

 

「大丈夫だって!」

「うん!だって、私たちには……」

 

 轟音と衝撃が彼女たちに伝わったのはそのすぐあとだった。

 

「きゃあ!」

「なになになに!?」

「落ち着いて!みんな周りを見て!!」

「機械ばっかりで何も見えないよ!!」

「戦車の中じゃなくて外!」

 

 パニックになりながらも、少女たちは梓の指示に従って窓から顔を出して周囲を見る。だが、目を凝らしても暗い森の中にいる敵の姿は全く見えなかった。それから数十秒後、ようやくその姿を捉えたのは次の衝撃が来た瞬間だった。

 

「愛里寿!後ろにいた!距離は大体20mくらい!」

「20……かなり近いですね。どの戦車ですか?」

「えっとあれは……38(t)!生徒会の人たちのチームだよ!!」

 

 その返答にたいして、愛里寿はやはりと思った。そもそもあの配置図において一番近くにいたのは生徒会のチーム。来るとしたらやはり彼女たちか。などと心のなかで思っている時にも、当然休むこともなく38(t)は3.7㎝の砲を放った。

 

「逃げて桂利奈!!」

「逃げるってどこに!?」

「それは……」

 

 彼女の言うことももっとも。この場所ですら隠れるのに適していると言える場所。しかし結果的に見つかってしまった。いったいどこに逃げればいい。いったい自分達はどうすればいい。

 

「愛里寿!」

 

 梓は、隣にいる愛里寿の名前を叫んだ。

 

「……」

 

 しかし、愛里寿はなにも言わずに、ただ上部の入り口から身体を出して38(t)を見ていた。そして、三発目の弾が放たれる。今度は、地面には当たらずに近くの木に当たったようだ。弾があたった木はゆっくりと倒れ、M3リーのすぐ横に横たわった。その倒木が決め手となった。

 

「きゃぁ!!」

「愛里寿!」

「もう嫌だ!怖いよ!」

 

 なにも言わない愛里寿。それに対比するかのように戦車内部の混乱は激しいものであった。 

 死ぬかもしれない。そんな考えが彼女たちの頭をよぎっていた。特殊カーボン素材というもので戦車の中は守られているということは知っている。でも、それでも何かの間違いで弾がそれを貫通することもあるのではないか。元々この戦車は十何年も前からあのウサギ小屋に放置されていた物だから、鉄のように劣化していたとしても何ら不思議はない。そしたら、自分達はどうすることもできないままに死んでしまう。そんなの、いやだ、いやだ、いやだ。畏怖、恐怖、それらが彼女たちの頭に浮かんだ瞬間に、この戦いの終着への道が開かれてしまった。

 

「助けて!ここ開けて!!」

「駄目!今外に出たらそれこそ弾に当たるかも!!」

「でもこのままここにいても!!」

「あッ……」

 

 《七人兄弟の棺桶》または《七人用共同墓地》。この戦車を見つけ、愛里寿からその名前を聞いた夜に調べた時、このような文字がインターネットに浮かんでいた。車高が高いから被弾しやすく見つけられやすい。被弾した場合エンジンから発火しやすい。二つの砲それぞれにデメリットがある。そして装甲が脆いということその他諸々からそのような不名誉ともいえるあだ名がつけられてしまったのだとか。

 本当にその言葉の通りにここが自分達の棺桶になってしまうのだろうか。いや、そんなこと愛里寿が一番したくないはずだ。でも、だったら……。

 

「……」

 

 だったらなぜ愛里寿はなにも言わずに入り口から顔を出しているのだ。どうして先程までのように自分達に指示をくれないのだろうか。なんで……。

 

「愛里寿、あなたは死ぬのが怖くないの……?」

 

 ふと考えてみる。今この状況で一番危ないのは誰なのか。それは紛れもなく愛里寿。言わずもなが、弾が当たってしまえば普通の人間は死んでしまう。それも、華奢な愛里寿にあの重い砲弾が当たってしまえばそれこそ身体が吹き飛んで、ただの肉片に変わってしまう。そこには、愛里寿という一人の人間がいたという痕跡すらも残らないほどのモノが残ってしまう。それは愛里寿自身もわかっていることのはず。なのにどうしてそんな危険な真似をしている。どうして表情ひとつ変えることなく砲弾を見送ることができる。恐れを知らないのか。怖いという感情を捨ててしまったのか。

 昨晩、君は言った。戦車は人を傷つける道具だと。戦車の外にでたら危険なのだと。それなのに、どうしてあなたはまるで死にたがりのような真似をするのか。どうして友達をこんな危険な目に遭わせているというのにそんな冷たい目をしているのだろうか。いや、違う。危険じゃない。確かに衝撃は車内に伝わってきたし、その轟音で耳がつぶれそうだった。でも、自分達は無事じゃないか。弾が貫通したどころか、当たってすらいない。それなのに、どうして自分達はここまであせっているのか。まだ負けた訳じゃないのに、どうして紗希以外のみんなは逃げ出そうとしているのか。

 

「え、紗希?」

 

 そういえば、もう一人だけ冷静な人間がいた。それが紗希。彼女もまた愛里寿と同じように表情も変えずに外を見つめているようだ。彼女も自分達と同じように戦車に乗るのははじめてなはず。そして怖いはず。なのに、どうしてあなたもそこまで表情ひとつ変えないでそこにいるのか。そこにいられるのか。梓はとてつもなく不思議な感覚に陥った。そして、ただ外を見ていたはずの紗希の顔がふと、梓の方に向く。そして彼女は……。

 

「……」

「紗希……」

 

 ただ、笑っていた。

 梓は、彼女のその表情から紗希が何を考えているのかを察しようとする。だが、答えは簡単だった。信じているのだ。昨晩愛里寿が言ったあの言葉を。車内にいれば大丈夫という言葉を。だから彼女はなんの心配もせずに笑っていられるのだ。愛里寿を、そしてこの戦車を信じている。

 

「紗希だって信じてる……だったら、私も!」

 

 まだ手は震えている。今でも逃げ出したくなって、叫びそうになる。でも、逃げてたら勝つことができないのは当たり前とあのとき誰が言った。自分だ。愛里寿がなにも言わないのも信じているからだ。自分達が逃げないのを、そして反撃してくれるということを。きっとそうに違いない。だったら、その期待に答えるのが戦車長の下に付いたものたちの、自分達の役目なのではないか。梓は、震える手を握りしめて、大声で言った。

 

「みんなも愛里寿の言ったこと思い出して!!」

「え?」

「梓……」

 

 瞬間、凍結。編みにかかった魚が死んだかのような静寂が辺りに流れた。あゆみ、紗希、桂利奈、優季、あや、そして愛里寿の目線が梓に集中する。

 

「逃げるなって言われたでしょ!逃げてたら勝てないって言ったでしょ!怖くて当然だよ……戦車は元々人を傷つけるための道具なんだから、恐ろしくてたまらないのが当たり前なんだよ。私だって、はじめて戦車にのって怖いけど……でもみんなまだ大丈夫!傷ひとつないでしょ!負けた訳じゃないのに逃げ出すのなんて、そんなの弱虫のすることじゃん!……私たち、もっと考えないといけなかったんだ。戦車に乗ることがどういう意味をもつのかって、人を傷つけるかもしれないものに乗るっていう覚悟を決めてからじゃなければ、乗っちゃいけないものだったんだ。戦車は、誰かを傷つけて、その人の人生を狂わせてしまうものかもしれない、みほさんのように……。みんなみほさんのように強くないから、誰かの人生を変えてしまうかも、殺してしまうのかもしれない。でも怖いって分かった。怪我するかもしれないって分かった!今の私たちなら、きっとなんでも乗り越えられるはずだよ。だから、逃げないで戦う。私たち7人ならこの棺桶を、ううん、この子を無敵の要塞にもできる。だって私たちは……恐れを知った子供たちなんだから!」

「梓……」

 

 人を傷つけない乗り物など存在しない。戦車はもとより、車だって、バイクだって、自転車もそうだ。どの乗り物も人を傷つけ、簡単に殺すことのできる力を秘めた鉄の怪物。それを便利な道具にするのか、人を傷つけるための機械とするのかは、それを操る人間の心に委ねられている。恐れを持ったままそれを操るときっといつか取り返しのつかないことをしてしまう。人は失敗からなにかを学ぶ生き物。でもその失敗で一人の人生を狂わせた結果に残るのは、より多くの人間の狂った人生だけ。優しい人間こそ、その狂わせてしまった人生に悩み、苦しむことになる。大きな力に対する大いなる責任、その認識を持たないままに力を手に入れた者には破滅的な未来が待っている。例えそれまでにどれだけ輝かしき過去を持っていたとしても、純粋で優しい心を持っていたとしてもひとたび人を傷つけたものには幸せになる未来は待っていないのだ。だからこそ覚悟を決める。車にのるのも、バイクにのるのも、自転車にのるのも、そして戦車にのるのも、一回一回に全身全霊をかけるほどの気持ちを持っていなければならない。そうでなければ無意識な人殺しとなってもおかしくない。覚悟なき者が乗る乗り物ほど恐ろしいものはない。犠牲があっても仕方がないと思うものが乗るほどに悲しいものはない。そんなものに傷つけられることほどに狂わしいものはない。人を守るのは、傷つけられるという怖さを知ったものだけに許された権利なのである。

 彼女たちは知った。傷つけられる恐怖、死ぬかもしれないという恐れ、それを乗り越えようとしている彼女たちは……。

 

「愛里寿、指示を出して。私たちは絶対に逃げないから」

「……うんそうだよ、愛里寿!どこに向かえばいい!?」

「私は、どこを狙えばいいの?」

「私たちは、愛里寿とこの戦車を信じるから!」

「みんな……」

 

 そこには、先ほどまで逃げ出しそうになっていた少女たちの姿はなかった。みんな、敵に向かおうとしている、立ち向かおうとしている。怖いとわかっていて傷つけるかもしれないけど、それでも戦おうとしてくれている。今ここに、大洗最強の一年生チームが誕生した。愛里寿は、一瞬だけ目をつぶると言う。

 

「動かなくても平気、今のところ合計8発打たれているけど、一発も当たっていないから」

「え!?」

「そんなに!?」

 

 それは二つの意味での驚き。ひとつは、そんなに打たれていたのかと言う驚き、そしてもうひとつはそんなに外れていたのかと言う驚き。確かに冷静に考えてみると自分達はかなりの時間足を止めていたと言うのに、一発たりとも弾がかすることもなかった。しかも20mという近距離にいるというのに一発も攻撃が当たらないというのは、むしろ才能ではないのだろうか。

 

「もしかして、生徒会の砲手の人ってノーコン?」

「そうかもしれません。生徒会の人たちも、戦車にのるのがはじめてであれば、砲を撃つのもはじめてで、まだ戦車になれていないということも考えられるけど……」

「愛里寿、もしかしてそれがわかったら顔を出してたの?」

「小窓から身体をだすのはよくあることです。小窓じゃ視界が狭まってよく見えないし、気がついたのは、二発目が当たらなかったとき」

「さすが愛里寿!」

「こんなときにも冷静に見れているなんて」

 

 一方の38(t)。

 

「はっずれ~」

「桃ちゃんこの距離で外すの?」

「桃ちゃんと呼ぶな!次は当てて見せる!!」

 

 といいながら桃は次の弾を装填する。愛里寿たちの予想は当たっていた。生徒会チームの広報河嶋桃はある種天才的なノーコンである。その精度は見ての通り、止まっている戦車を狙って全弾当たらないどころかかすりもせず、砲身がM3リーをとらえているというのに、何かしらの超能力でも発動したのかというほどに誰もが予想することのできない方向に飛んでいってしまっている。これならばいくら素人であっても冷静に戦えば勝つことは容易いであろう。

 

「桂利奈ゆっくりでもいいから砲身を38(t)に向けて」

「あい!」

「あゆみは主砲の用意、あやは相手が動いて主砲が外れたときのために副砲の準備をして。M3は主砲が回転しないから外れる可能性が高いから」

「「了解!」」

 

 M3リーの武装は前方向かって車体前部左側に搭載されている主砲の75mm砲、砲塔搭載の副砲の37mm砲の二つ。それに加えて、機銃もあるにはあるが、こちらは戦車相手にはあまり効果が期待できないためやはり主に二つの砲を使っていくということになる。しかし、主砲の75mmは、砲塔の37mmとは違い左右に最高15度しか射角をとることができない。そのため、まだ戦車になれていないあゆみであればはずす可能性が高い。そう考えてのあやのバックアップであった。

 

「梓」

「え?」

「……やっぱり梓を副戦車長にしてよかった」

「愛里寿……」

 

 心のそこでは、逃げ出しても仕方がないと思っていた。逃げても恨まない、そう思っていた。戦車に乗ることの恐ろしさは、自分がよく知っているから。でも、彼女たちは逃げなかった。梓が止めてくれたから。彼女が成長するのに2年もかからなかった。今この場所で、彼女の才能の一端が覚醒したのだ。

 

「愛里寿、私から提案があるんだけどいいかな?」

「なんでしょう?」

「まず……」

 

「動き始めた!」

「おのれ逃がさん!追え柚子!」

(あ〜なんか嫌な予感がする)

 

 当初、一切の動きを見せていなかったM3リーはゆっくりと戦車を前後させながらその砲身を38(t)に向けようとしていた。しかし、M3リーは突如として急速発進し38(t)を置いてその場から逃走を図った。無論、生徒会チームはそれを追った、がこの時杏の中である一つの予感がした。もしかしてこれは愛里寿の策略なのではないか。そうじゃなければノーコンの桃から逃げるなどという奇妙な行動を取っている説明がつく。つまり、このまま行くと罠にはまって負けてしまうのは確実。では、そう考えているのならなぜ何も行動を起こさないのか。

 答えは単純明快。全く戦車道について知らない自分には戦車道を、いや戦車の事をよく理解している愛里寿の考えが読み取れないからだ。知識の浅い自分でも考えるてはみるが、良くて待ち伏せ、もしかは別チームにばったり出くわして混乱させている間に撃破。いや、後者はない。愛里寿もわかっているはずだ。この近くには自分たち2チームしかいないのだと。だとすれば、待ち伏せか。いや、確か自分の記憶ではM3リーよりも38(t)の方が少しだけ速かったはず。待ち伏せをするのならこの戦車を引き離すほどの速度が出なければならない。まぁ、この道は整地されているわけではないのだからどちらも最高スピードまでまだせるとは思えないが。

 杏の予想通り、その追いかけっこは双方ともに付かず離れずという様相を呈したままだった。途中、桃が何発か撃ってはみたが、当然のごとく当たらない。しかし、冷静に考えてみるとこの状態、意外と悪くないのかもしれない。M3リーの副砲を旋回するにはそれなりの時間が必要になるし、こうも全速力で後方にある戦車を撃破するにはテクニックが必要になる、ということはいつかは車体自体を回転させて、なおかつ停車して主砲で攻撃なければならない。そのためにはよくカーレースで見るようなドリフトをしなければならないが、先ほども言った通りこの辺りは整地されていないし木が生い茂っているため、もしもそのような真似をすれば最悪横転、自滅といった結果になってしまうだろう。他にも急停止する事で38(t)がM3を抜かし、逆に背後を取るというような作戦も考えられる。これならば、不整地の場所でドリフトなど危険な真似をしなくても済む。だが、それをするにはあまりにも車間距離が広すぎる。これでは自分たちの車が追い抜くということはまずないだろう。

 

「全く!どこまで逃げるつもりだ!!」

「そういえば、この先に整地された道があるよ!」

「なに!まさか、その道に出ようとしてるのか!させん!!柚子、先回りだ!」

「了解!」

(なるほどね〜)

 

 この時、彼女の頭の中に2つのシナリオが浮かんだ。だが、それを発する事なく柚子の運転により38(t)はM3から離れ、道に先回りできるコース取りをする。この辺りの地形は、戦車道を復活させると決まった際によく見回ったため地の利は生徒会チームにあった。舌を噛みそうになるほどに少々乱暴な運転になったものの、なんとか3人は1年生チームより先に道へと到着する。

 

「さぁ来い!次は一撃で仕留めてやる!!」

 

 狩人は我々生徒会チーム。獲物はお前たち一年生チームだ。そんな意気込みで待ち続ける桃。待つ、待つ、待つ、しかし、待てど暮らせどM3が来る気配はない。いくら先回したとはいえそれほど距離を開けてはいなかったはずだが。

 

「何故だ!何故あいつらはこない!!」

「あー、かぁしま」

「なんです!」

 

 ここまで不動の態度をとっていた杏は、しかし入り口からひょっこりと顔を出して後ろをみていた。自分の想像が正しければ彼女たちは横か後ろか。ならば、入り口から180度みていれば戦車の姿が見えるはず。そう考えたのだ。果たして、彼女の予想通りであった。

 

「後ろから狙われてるよん」

「「え!?」」

 

 安全のため、苦笑いを浮かべた杏が入り口の扉を閉めて車内に戻ったその瞬間であった。

 

「撃って」

 

 38(t)の近くで大きな音が二つ、そして遠くからひとつの花火のような音。そして二つの衝撃がひとつの小さな戦車を襲った。M3リーから放たれた弾丸は、ひとつが38(t)の装甲を掠めて削り、反動で動いた38(t)を今度はもうひとつの弾丸がクリーンヒットしたのだ。それによって小さな爆発が起こり、38(t)は走行不能の白旗をあげる。

 

「す、すごい……」

「本当に、生徒会の人たちを倒せた……」

「気持ちいい……」

「やったね、愛里寿!」

「梓の考えてくれた作戦のおかげ」

 

 梓はあの時愛里寿に二つ、いや正確に言えば三つの作戦を提案していた。ひとつが、生徒会チームが考えていたように整備された道に出る作戦。しかし、それは杏が考えていたようにドリフトすると言ったテクニックのいる作戦ではなく、本当にただ道路に出て戦いやすい場所で戦うというもの。また、これまた杏の予想通りいきなり急停止して38の後ろに回り砲撃を加えるというもの。ただ、この二つの作戦が成功するとは微塵も梓は思ってなかった。

 本命は最後の一つ。確かに道に出た方が戦いやすい事だろう。しかし、そんな単純なことはすぐ見破られ、作戦を破るために動いてくることは必然。それならば、それを逆手にとった作戦。

 恐らく、相手は自分達の作戦を破るために先回りして道に出ようとする、もしくは道に出た直後の無防備な自分達を攻撃してくることだろう。だとすれば、おのずとその待ち伏せするための場所は限られてくる。38(t)の有効射程範囲、それに木々に邪魔されない場所ということも重要。なおかつ、自分達が道に出ることがよく見える場所を相手は選ぶことだろう。そう辺りをつけてM3リーもまた後ろから38(t)を追った。この後ろからというのも重要となる。

 真後ろというのは、戦車の死角、注意してみるということをしない場合以外はそこに敵がいたとしてもまず気付かれにくい。さらに相手は先回りをするためにもうスピードで目的地に向かっているため周囲に気を配りづらくなることだろう。それに、さきほど愛里寿がやっていたように入り口からから顔や体を出して後ろをみるという行為も、バランスがとれないためにやりづらい、そう梓は考えてこの本命の作戦プランをたてたのだ。

 

「ううん、今回は偶々……運が良かったから」

 

 今回彼女にとって幸運だったのは、本当に相手が自分の作戦に乗ってくれたこと、そして勢い余ってなのか生徒会チームが道に出てしまったということ。これによって、森の中からみれば生徒会チームが丸見えとなってしまっていたため、よく狙いを定めて打つことができた。ちなみにもしも敵が自分の作戦に乗ってこなかったときは、もうその時はその時で真正面からぶつかるつもりでいた。そもそも、杏が考えていた通りノーコンである射手から逃げる必要なんてなく、その場で戦いを挑んだ方がすぐにけりがつく勝負だった。しかし、それをしなかったのは、もともとこの作戦は運転テクニックがまだ備わっていない桂利奈があの場で後ろを向くということに苦労していたことから、どうしたら敵を真正面にすることができるのかを考えた結果の代物。今回の戦いは、いくつかの運が重なった結果一番最良な終わりとなってしまっただけなのだ。

 

「それでもいいんです。複数のプランを用意できる時点で、優秀です」

「ありがとう、愛里寿」

 

 愛里寿の言葉は社交辞令でもなんでもなく真実。あるひとつの戦いにおいてひとつの作戦をたてるなどということは、素人でもできること。大切なのは、もしその作戦が失敗したらどうするのか、敵がどう動いたらこちらはどう動くのか、戦場の状況をみるなかで自分のたてたプランのどれを早く採用し、そして動くことができるのか、それを考えられる人間こそが強い指揮官となることができる。確かに彼女の作ったプランはシンプルで単純なものだった。しかし、それがひとつだけではなく二つ三つ、さらにもしも敵が想定していない動きをした場合についても考慮していたことを考えると、作戦の精度等は横道にそらしてもいいくらいに賢明な作戦だった。今はまだこれだけではあるが、しかし彼女のこれからの成長を期待できるないようだったことは確かだ。

 

「愛里寿、このあとどうするの?」

「次のチームのところに向かいます。ただ、そのなかで一番の驚異となるのは……」

「西住流……みほさんのお姉さん……」

 

 島田流と双璧をなす西住流であり、戦車道の名門黒森峰の元隊長西住まほ。生半可な相手ではないことは確かだ。

 

「気を引き締めないといけないね……」

「はい、敵は生徒会の人たちのように単純ではありません。今用いることができるすべての力を使ってください」

「了解!」

 

 用心のために目の前にある道は使わずに、彼女たちは森のなかを再び突き進んでいく。もうそこには、油断し、満身状態にあった彼女たちの姿も、なすすべなく過去に倒されていった棺桶の姿もない。そこにいたのは動く要塞、そして7人の狩人だけであった。




 書いてて気がつきましたけど、恐らく僕は愛里寿と機動戦艦ナデシコというアニメのルリの口調とかキャラクターのイメージがごっちゃ混ぜになっております。というかそれ以外の一年生チームの中で口調の再現ができるの紗希しかいないような(一言しかしゃべらせていない時点でキャラ崩壊させてるのに何を言うか)。


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3-4 吶喊

 まほたちの方を見すぎていた結果、彼女たちはすでに四号の首を狩ることのできる位置にいた。瞬時の判断によって最悪の事態は避けられたが、敵は森のなかに潜んでしまった。果たして姉はどう戦うのだろうか。みほは双眼鏡で彼女たちの姿を目視しながら固唾を飲んでその戦況を見守るしかない。

 

「まさか、Eチームの車輌が撃破されていたなんて気がつかなかったわ」

「森の深いところ、見えないところで戦っていたみたいですからね」

 

 蝶野は38(t)のなかにいるEチームと通信しながらみほに言う。どうやら、撃破された衝撃で通信装置にトラブルが発生してしまったため撃破の報告ができていなかったらしい。戦車が中古品であるのならば通信装置もまた中古品。大会までには何とかする予定ではあるが、古いまま使ってしまっていたことがこのトラブルを産んでしまった。だが、それ自体はこの戦況を左右するものではなかったため彼女たちの戦いに水を指さずに済んだ訳だが、この先は恐らく森の奥深くに入り込んでの戦いになる。となるとこの場所からはよく見えないだろうから、彼女たちの報告がみほや蝶野にその結果を伝える唯一の手段となる。姉や友達の戦いをみることができないと言うもどかしさを抱えたまま、みほは森のなかに入った四号を見守るしかなかった。

そして、号砲が鳴り響く。

 

「どうしますかまほ殿!」

「……」

 

 麻子に森の中から狙い撃ちされないように細かく動くように指示を出したまほは、顎に手を添えて支えて考える。この状況は非常に不味いのだ。

 確かに表向きはこちらと向こうとでは戦車長以外は素人、この場所で戦うのは今日が初めてと双方ともにアドバンテージなど微塵もない関係に見える。しかし、だからこそ最初の位置取りというものが大事となる。今回の場合、四号はM3リーにとって有利な場所をとられてしまった。所謂、地の利を取られたというものだ。

 

「森の中は木々が生い茂っているから外からは狙いにくく、当たりづらい。それに日光が遮られていることもあって暗くて見えづらい。一方森の中からはそれがまるっきり逆となってこちらが狙い放題になる。最初の攻撃で撃破されなかったのが奇跡のようなものだ……」

 

 森の中というアドバンテージを持っていかれた今、彼女達にできることはあまりない。まほが悩むのはその数少ない危険な作戦に彼女達を巻き込んでいいものか。先程の吊り橋のような奇跡的なことはもう起こらないだろう。危険か、安全か、どちらを取っても運に左右される非常に無責任な作戦だ。

 

「じゃあどうすんの!」

「突っ込むか?」

「まぁ、それは大胆ですね」

「麻子アバウト過ぎ!そんなのすぐやられちゃうじゃん!」

「いや、それもいいかもしれない」

「「え!?」」

 

 自滅覚悟とも思えないようなその麻子の提言を、唇に笑みを浮かべて採用したまほにたいして、優花里と沙織は驚嘆の声をあげた。

 事実、この作戦を採用すると言うことは敵の中に突っ込んでいくということ。向こうの位置も把握できていないと言うのに、そのようなことをすれば、最悪真正面から飛び込んで二発の砲弾が当たって終了ということにもなりかねない。明らかな大博打となってしまう。それに、森の中は障害物がたくさんあるから、弾に当たらなかったとしても木や石その他もろもろに当たって撃破という間抜けな自体にもなり得ない。しかし、それ以外の有効な方法があるかと聞かれればはっきりと言えばなかった。

 

「愛里寿ほどの人間が、こちらの何らかの作戦にのってこの開けた場所に来ることが考えにくい以上、森のなかに入って戦うしかないのは明白。なら……」

「まほ殿……」

 

まほは、一度目を瞑り、数秒後決心したように目を開けていう。

 

「華、頼みたいことがある。麻子!」

「はい」

「おう」

 

 まほは、麻子に操縦手の役割を渡して事実上手の空いてしまっている華、そして麻子をエンジンの音に負けないくらいの大声で呼んだ。

 

「……」

 

 二人には、それぞれの位置についてもらい一度深呼吸を入れて心を整える。まほは、恐らくこの先こうしてゆっくりと休める状況など作られないだろうと考えていた。ここからはノンストップ、やるかやられるかの世界に入っていくため息つく暇がない。何時以来だろうか、こんな気持ちになるなんて、どのくらい前からだろうか、最後に運で勝利することができたのは。一度神様に投げ捨てた幸運ではあるが、再びそれを返してもらえるように祈りながら、まほは叫ぶ。

 

「パンツァー・フォー!!!」

 

 その時の履体の回転速度は、その試合で一番速いもの。しかし、それを知ることができるのは、他でもない神の視点を持つものだけだ。その試合最高にボルテージが上がったタイマン勝負が今始まった。

 押しつぶされそうな重力に歯を食いしばって耐えながら、5人ののる四号は、飛行機が不時着するかのようにその地に足を踏み入れた。勢いよく飛び出したために数センチだけではあるが本当に中に浮いたのだ。着地の衝撃もまた大きかったが、発進するときの比ではない。そして、死地に降り立って早々に、最初の攻撃が彼女達を襲う。

 

「見つけましたッ」

「ッ!右ッ!」

「ッ!!」

 

 麻子が右にドリフト走行したその刹那、進行方向にあった地面に一発の砲弾が落ち、土煙を上げた。あとコンマ一秒動くのが遅かったら交わしきれなかっただろう。その攻撃を切り抜けたまほは、すぐさま隣にいる優花里に指示を飛ばす。

 

「撃てッ!」

「はい!」

 

 その命令を忠実に守った彼女によってその指示が飛んでからタイムロスも一切無しに一発の砲弾が飛んだ。そして・・・・・・。

 

「ッ!痛いッなッ!」

 

 弾は潜んでいたM3に当たることなくその奥にある木に当たって弾け、お返しとばかりにまたも弾丸が飛んできた。しかし、麻子が悪態をつきながら左に避けたため、双方合計して3発の弾丸はひとつたりとも相手にかすることなく無駄弾となる。いや、無駄というのは間違いだ。この結果、互いの位置がわかってしまったのだから。先ほどのまほの攻撃は、もう見逃すことも見送ることもしない。逃がすこともしない。どちらが先に倒れるかの勝負の鐘が鳴り響いたということを愛里寿にも知らせるための、宣戦布告だったのだ。

 ちなみに、麻子の言葉からわかるようにまほは麻子の肩を勢いよく蹴っている。これは、この試合が始まる少し前に沙織に教えていた走行路を操縦手に教える方法である。先ほどにもましてうるさくなった現在、間近にいる砲手の優花里にたいしては辛うじて指示が聞こえるものの、麻子にたいしては全く声が届かない。そのためこの方法を選択したのだが、これには問題もある。

 勝負は油断した方、そして少しのミスが命取りとなって負けてしまう。判断の遅れも、その判断の伝達にもロスがあってしまえばそれだけで負けてしまう。現に撃たれた二発は少しでもまほの指示が遅かったらまともに当たっていたもの。入り口から上半身を出してすぐにしたにもぐって麻子の肩を蹴る。この下に潜るという動作がどう考えても無駄だったのだ。そのため、麻子に操縦手の席を譲り、事実上仕事のなくなった華に入り口から上半身を出してもらい敵の位置を教えてもらうという方法をとった。これによって無駄などうさがひとつ消え、麻子が即座に動くきっかけとなったのだ。

 

「ここからは作戦もなにもない!あとは・・・・・・」

「倒すか、倒されるかです」

「「「「「「「「了解!!」」」」」」」」「おう」「……」

 

 双方、辛うじて聞こえたそれぞれの車長の指示に答える。ここから先は作戦、戦略、それらはもうなにも通用しない。どちらの乗組員の地力が強いかの勝負だった。

 赤信号が青信号に変わったかのように二つの車輌はほぼ同時に走り出する。先ほどの急発進の比ではないがしかし重力を身体に感じるのは同じ。胃や腸が押し出されそうなほどに潰され、無意識に歯を食いしばってしまい、満足に声すらもあげることができない。戦車の中にいる少女達ですらそうなのだから、入り口から上半身を出している華、そして梓の二人などは手の力を少しでも緩めると文字通り振り落とされてしまうだろう。

 そう、一年生チームの愛里寿もまたまほと同じように一人をもう一つの目として使っていたのだ。今回の場合一番信用ができ、なおかつどんな急事にも動ずることのない梓のことだ。とはいえ、M3の車内の大きさと四号を比べた場合M3の方が狭いため操縦手に指示を伝えるだけで見るのならば、まほが使っているような方法をしなくてもよい。彼女の場合は、入り口から上半身を出した愛里寿の背だとギリギリ届くという位置に入り口があるため、いざという時に踏ん張りが聞かない。後々M3の戦車長に正式に就任することとなった時には、自動車部に座高の高さを調整してもらう予定だが、今回の場合は梓に目になってもらった方が視野を広げるという意味で得策であると考えたのだ。

 まるで合わせ鏡かのように同じ戦法を用いていた二組の戦車は、しばらく並走しながら主砲で牽制を仕掛けていた。何故牽制であると断言できるか、それは二人とも自分たちの攻撃が当たるとは思っていないからだ。この試合の経過を見てもらってわかる通り、動いている戦車を、撃破するというのは相当に難しい。仮に止まっていたとしても自分の方が動いているのであれば同じこと。ということは、動きながら走行している戦車に弾を当てるのは何倍も難しくなるということだ。では、一体二組はなにを待っているのか、答えを簡潔にいうのならば、それはイレギュラー。整備もされていないこの道をほぼ全速力とも言えるスピードで走っていれば、熟練のF1レーサーでさえ必ずミスを起こしてしまう。そうすれば必ず隙ができる。二人ともそのわずかだが、しかし決定的であるその隙を狙っているのだ。

 

「ッ!」

 

 果たして、その一瞬の隙を作ってしまったのは同時に走り出してから1分足らず後のこと。どんな障害物を乗り越える履帯ではあるが、しかしその乗り越えるという利点が仇となった。中くらいの大きさの石の上に乗り上げたのだが、その石が突然砕け、一瞬だけバランスを崩したⅣ号が右、つまりM3リーが走る方向に進路をとったのだ。

 

「愛里寿!」

「行って」

「あい!」

 

 梓の声を聞いた愛里寿は、桂利奈の左肩を優しく蹴る。それに反応した桂利奈は左に速度を落としながら進路を向けた。この結果、M3リーはⅣ号の背後をとることに成功しただけでなく、これまでは真正面にしか撃てなかったために使うことができなかった副砲も使用することができるのだ。

 万事休すとはこの事だ。そう心の中で呟いたまほは、えぐるように麻子の右肩を蹴った。

 

「だからッ痛いぞッ!」

 

 刹那、Ⅳ号は突如右にドリフトする。その遠心力でなかにいる四人、そして華は飛ばされそうになったが奇跡的に耐えることに成功し、Ⅳ号はM3リーを真正面にとらえる。その瞬間だった。華のすぐ横を砲弾が飛んだ。ドリフトしたことによって着弾点がずれたため、M3の主砲が通りすぎていったのだ。華は、火薬や、なにかが焦げ付いた臭いを感じ、そして鳥肌と冷や汗が突如として吹き出した。腰が抜けた華は、座っているまほのひざの上に座り込む。おそらく恐怖で腰が抜けてしまったのだろう。今のは二つの意味で危険だった。砲弾が華に当たりそうだったというのもあるし、もしあのドリフトでさらにバランスが崩れていれば横転し、転がっていただろう。そうすれば、どちらにしろ華の命が危なかったかもしれない。

 ひざの上に湿った温もりを感じながら、これ以上華に危険なことはさせられないと感じたまほは、そのままの体勢で優花里に指示を出す。

 

「秋山!M3の近くの木に当てろ!どこでも構わない!」

「了解!!」

 

 下手な鉄砲も数打ちゃ当たるとはよくいったもの。照準は定まらないものの、これだけ木がうっそうと生えているのだから、どれかひとつには当たるだろう。そう考えたまほの指示を忠実に守った優花里の放った砲弾は、見事にM3近くの木に当たった。そして、優花里はすぐさま砲弾を装填する準備に入った。

 

「キャァッ!」

「梓、大丈夫!?」

「う、うんなんとか……」

「梓、下に降りて!主砲、早く撃ってッ!」

「ッ!!こんのお!!」

 

 あやは、愛里寿の言葉を聞いた瞬間、いや少しだけ遅れたか、主砲から75mmの砲弾が発射される。だが、すでに体勢を建て直したⅣ号にそれが当たることはなかった。まほが、優花里に木を撃つように指示したのは、ほとんどやけくそぎみな発想だった。そうすることで、M3リーが怯んで主砲の発射タイミングを一瞬でもいいからずらすことができたならば、麻子のテクニックなら十分避けることができる。しかし、怯まなかったらそれまでという行き当たりばったりに近い作戦。しかしそれが今回こうをそうすこととなる。

 

「突っ込め冷泉!」

「いいのか?」

「構わない!!」

「こっちに向かってくる!」

「うそぉ!!」

 

 それは、超巨大な砲弾と行ってもいいもの。重さ25トンの車体が、全速力で迫ってくるのだ。それは、もはや恐怖としか言い様のない瞬間。

 愛里寿は、愕然とした。まさか、そんな方法を使ってくるとは思っても見なかった。戦車同士の戦いは砲弾と砲弾の撃ち合いで、その終わりかたも砲弾が当たることによる撃破、ただそれだけだと思っていた。しかし、まさか車体自体を砲弾とするなんて思いもよらないこと。そうほうともに全速力での衝突。その衝撃は今まで自分ですら経験したことのないものになるだろう。重さではM3が勝っているものの、先ほど怯んだ関係でM3の速度が若干落ち、さらに大きさも向こうの方が上、吹き飛ばされることになるのはM3の方だろう。だが、その衝撃で四号の方もただではすまないはず。それに耐えきればまだ……。

 

「あっ」

 

 気がついたときには、すでに手遅れだった。

 今までに聞いたことのないような鈍い音が彼女たちの耳に届いた。

 

「きゃあぁ!!」

「クゥッ!!」

「……」

 

 その衝撃に、戦車に乗ることになれているはずの愛里寿でさえも苦しい声を上げる。が、なぜか紗希だけはやはり無言のままであった。愛里寿の予想通り、勢いよくぶつかった四号後からによって、M3リーはその衝撃をそっくりそのまま受け取ったかのように転がっていく。それは、まるで子供が蹴ったサッカーボールのように。ぶつかってきた四号もまた同じように転がっているが、M3と比べたらまだ規模は小さい。2、3回回転して止まった四号と違い、M3リーは何度も回転、内一度の空中での一回転を加えて木にぶつかってようやく止まった。

 

「みんな、無事?」

「なんとか生きてる~」

「あれだけあって怪我一つないって奇跡じゃん」

「これが戦車道のすごいところ」

 

 そう、あやの眼鏡以外にはかすり傷一つおっていない7人。普通の交通事故であれば死者が出てもおかしくはないはずなのだが、これが戦車道に使われる戦車のすごいところ。といってしまえばこれほど楽な説明というのもないだろう。

 

「あっ、愛里寿!」

「……」

 

 声をあげたのは梓だった。どうやら入り口の方が上になって止まっているらしく、そこから梓は体を出して外の様子を見ているらしい。梓に呼ばれた愛里寿は確認の意味も含めて梓に続いて入り口から顔を出した。そして、彼女が見たのはこちらに砲身を向けている四号の姿だ。もう発射する準備を整えているらしい。

 

「早くこっちも撃たないと!砲塔を回転させて!」

「無駄です、梓」

「え?」

 

 早くこちらも撃つ準備をしなければならない。そう考えた梓の指示であったが、しかし愛里寿は冷静にそんなことをしても無駄であるということを伝える。なぜならば・・・・・・。

 

「砲身が曲がってます」

「あっ……」

 

 おそらく、あのぶつかったときの衝撃で曲がってしまったのだろう。二つある砲の砲身がどちらも曲がってしまっている。これでは、奇跡的に撃てたとしても、先ほどの生徒会チームの桃の撃つ弾のように明後日の方向に飛んでしまう。一方の四号はぶつかった際に砲身が少しだけ横を向いていたためそのあと転倒しても何ら問題がなかったように見受けられる。

 

「っていうことは……」

「あれが西住流……ですか」

 

 これらの事象から導き出されるもの。それは……。

 

「次は負けません」

 

 初めてだ。ここまできれいで、そして潔い負けというのは。



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3-5 伝統

 おいまたやったぞ。マジで我が小説恒例の展開が三たび登場と相成ったぞ。普通になにげなしに書いててこの展開が必ず出てくるって、もはや癖だよ。果たして、今回は誰が被害者となるのか……。


 この試合の勝利条件が最後まで撃破認定されないことと見るのならば、勝利者はAチームだった。撃破数から見ても生徒会チーム以外の3輛を撃破したAチームが最も好成績だった。しかし、今回の試合は勝ち負けを決めるものではなく、戦車道というものになれてもらうということが目的だった。その点から見れば、この試合はすべてのチームが勝利者であると行ってもいいであろう。

 試合が終わり、行動不能になった戦車を自動車部に任せて、ある特定の何人かを除いた面々が再び車庫前のグラウンドに集合する。

 

「みんなグッチョブベリーナイス!はじめてでこれだけガンガン動かせるなんて上出来よ!特にAチームとDチーム!よくやったわね」

 

 そう名指しで呼ばれた二チーム、ではあるがその場にいたのは半数にも満たない。愛里寿、梓、沙織そして優花里だけであった。

 

「他の子達はどうしたの?」

「あやたちは、運ばれたM3の中で眠ってます。はじめての戦車道で疲れきったものかと」

「紗希は、諸事情でみほさんたちとお風呂に向かってます」

「?」

 

 一年生チームが疲れて眠ってしまっているというのはわかる。彼女たちにとって今日ほど神経をすり減らした日はおそらく今までになかったことだろうから。紗希がお風呂に向かったというのも、汗をかいた等そういった理由だろう。

 だが、四号のまほと華がこれていない理由がわからない。みほに至っては戦車にのってすらいないのだから。いったい道言うことなのかと蝶野が聞くと、ただ優花里と沙織は苦笑いを受かべるだけ。なんだか、言ってはいけない秘密を抱えている様子だ。それに麻子という途中からⅣ号を操縦していた女の子の姿もないが、その子もまたみほたちと一緒にいるというのだろうか。

 そんな蝶野の考えは当たっていた。唯一撃破認定されなかったⅣ号を運転して、道路を走っていたのがその麻子。いくら撃破されなかったとはいえ、かなり傷だらけである。M3との激闘のなかで何度も地面の上を転がったのだから、無理もない。本来は車庫まで戻ってあとは自動車部に任せればいいのだが、しかし今回は事情が事情であるが故にそうもいかない。その事情というのは、みほにもたれ掛かって泣いている華である。

 

「泣かないで下さい。初めてであんなことをして怖いのは当たり前なんですから」

「でもッ、でもッ、私……もう、お嫁に行けません」

「華……」

 

 もはや、この世の終わりと言わんばかりにみほの胸で泣いている華。その華のことを、申し訳ない目でまほは見ている。自分が、あんなことを頼まなければこんなことには、あんな作戦を立案したばかりに、自分は華を辱しめてしまった。こうなってしまったのは自分の責任だ。そして、Ⅳ号に同乗させてもらっている紗希は、そんな先輩の背中を慰めるようにさすっている。だが、後輩である紗希の目の前でというのもまた華のことを苦しめていた。もう親に顔向けなどできはしない。ただでさえあの性格からすれば、自分が戦車道をするということにたいして嫌悪感を示しかねないというのに、それに加えて自分の娘がそんなはしたないことをしてしまったと知られれば、自分もまたみほやまほのように勘当されても文句は言えない。

 ここまで華を悲しませている理由、それは……。

 

「高校生にもなって、漏らしてしまうなんて……」

 

 一人の女の子とし、乙女として死活問題とも言えるようなものであった。

 試合が終わった直後、腰が抜けてまほの膝の上に降り立った華は、落ち着いた頃を見計らって喜んでいる沙織と優花里のてをとろうとした。だが、そこで気がついたのだ。なんだか、自分の股が異様に濡れているということに。本当に最初は汗であると思っていた。でも、なんだかそれにしては輛が大息がする。それに、その臭いは運動した後の臭いというにはあまりにも臭かった。まさか、そんなことはない。そう思いながらスカートをたくしあげた先にあった自分のパンツには、黄色い染みが大きく広がっていた。もう、間違うはずがなかった。その事を知ったAチームは、沙織と優花里だけを降ろし、操縦手である麻子と、まほ、途中で華を慰めるための要員としてのみほを拾い学生が使用する大浴場に向かう。あそこならば洗濯機もあるし、この時間からいれば貸しきり状態であるようなものだからこれ以上華を辱しめることはないだろう。なおその際M3の梓からついでに紗希も一緒に連れてってもらいたいと言われて、こうして同乗させてもらっているのだ。

 

「それに、まほさんのスカートも汚してしまって、私とんでもないことを……」

 

 まほの膝の上にいたということはその下にあったまほのスカートにも華の尿がついたということでもある。その華の言葉の通り、まほの履いている大洗のスカートにも大きな染みがついている。自分だけならまだいいが、他人にまで迷惑をかけてしまった。特にまほが大洗の制服を来はじめてまだ1週間もたっていない。そんな新品の制服を汚してしまったという罪悪感を、華は感じている。

 

「私は気にしていない、むしろ……」

 

 悪いことをしてしまったな。その言葉を、まほは心のなかにしまった。もしも自分があんな作戦を思い付かなかったら、彼女の自尊心を傷つけることはなかった。自分が目と足の中継点になるなどせずに、発信源になってさえいれば、少なくとも彼女が恐怖に身体を縛られるということはなかった。またしても、自分の大きなミスが招いた最悪な自体。自分は、いったい何度人を傷つければいいのだろう。やはり自分には……。

 

「華さん、慰めにはなってないかもしれないけど……私も、よく漏らすの」

「え?」

 

 そういったのはみほだ。みほは、戦車に搭載した車イスの後ろについているポケットから袋に入った一本のチューブを取り出して華に見せる。

 

「これね、カテーテルって言うんだけれど、トイレに行くときはこれをいれて尿を出すの」

 

 それは、自己道尿と言われているもの。下半身の感覚のない、筋肉に力をいれることのできないみほは、尿意というものを感じることができず、また我慢することもできない。つまり、尿が膀胱に貯まれば出すといった健常者であればなんのこともないようにできる行動が阻害されてしまっているのだ。だから、定期的にトイレに向かっては、そのカテーテルを自分でいれて、膀胱内にある尿を出さなければならない。しかし、そうそう何度もトイレにいけないときは、膀胱ないにためることのできる尿の容量をオーバーしてしまい溢れだす、つまり漏れてしまうことが多々あった。その恥ずかしさは、何度経験してもなれることはない。高校生にもなってお漏らしをするなんてまるで赤ちゃんのようだ。そう思うがしかし、それが今の自分なのだからと半ば静観の姿勢をとっていたみほだが、でもそれが人生が終わってしまうのではないかというほどに恥ずかしいことであるのだと、華は改めて思い出させてくれた。

 みほのことが、とても輝いて見えた。自分がよく漏らすという言葉を、自慢するように言うような人間恥女ぐらいしかいないだろう。それを言って喜ぶ人間なんて変態ぐらいだし、そう考えると彼女はとても堂々と自分の恥ずかしい記録のことについて話してくれた。それは、自分を励ますため。漏らすということは、生理機能が正常であるからこそ恥ずかしいし、自分のように漏らすということをどうしようもないことだと諦めていないからこそ辛いことであるのだと教えてくれているのだ。

 

「みほさん……え?」

「……」

 

 その時、華は肩を叩かれた。振り向くと、そこにはさきほどまで自分の背中を指すって慰めてくれていた後輩の紗希の姿。

 思い返してみると、今まで、自分はとても恥ずかしい姿を後輩にさらしていた。恐怖により失禁し、先輩にも迷惑をかけ、挙げ句の果てには後輩に慰められて、紗希に先輩としては一番見せてはいけないような姿ばかりをさらしている。こうして、面と向かい合うこともはじめてである紗希に、先輩はいつもおねしょをする人なのだと変なイメージをつけられたのかもしれない。

 羞恥と恥辱のダブルパンチに、またも華の涙腺が決壊しそうになる。自分はこんなにも涙もろい、弱い人間だっただろうか。もしかしたら、知らないうちに自分は心が壊れてしまったのかもしれない。あの恐怖のなか放出された屈辱にまみれた自分の中の女としての部分が、悪い方に変えられてしまったのかもしれない。いつの日か、自分はこうして失禁するということを当たり前であると、あるいは気持ちいいとすらも感じてしまうのだろうか。それとも、誰かに見てもらいたいとすら願ってしまうほどの地徐に変わってしまうのではないか。ネタバレをするとそんなことは絶対にない。なぜなら彼女は五十鈴華だからだ。いくら彼女を恥辱が襲ったとしても、五十鈴華としての自分を忘れなければ、そのような人間に書き換えられるということはない。

 人間はちょっとの恥辱で変わるような人間ではない。男ならまだしも、女性はそんなに弱い生き物じゃない。人類早世の時代より、女性は男よりも弱い生き物として扱われるときがあった。しかし、強い男と言われたものたちの裏には、いつも女性の姿があった。女性が、男を支えてきた。女性がいなかったら、男はいきることも、生まれることすらもできなかった。女性というのは、この世界を支えている大黒柱なのだ。心が強く、そしてたくましい者なのだ。そんな女性が辱しめを受けただけで変わってしまうのであれば、それはきっとただのフィクション。偽の物語。本当の女性を知らないものたちが紡いだただの妄想、願望、そして暴論。であれば暴論には暴論で対抗する敷かないのが人間の常。

 華のした粗相は別になんでもない。それは、人間として全うな反応。怖かった、恐ろしかった、寒気が走った。死にそうな状況に陥ったからこそ、それが一瞬で過ぎ去ったからこそ、彼女は全身の筋肉が弛緩し、膀胱の筋肉も揺るんだ結果の必然。死にそうな状況にあって、腰が抜けなくなるほどに鍛えるのにどれくらいの歳月が必要か。どれくらいの忍耐力が必要か。はたまた、どれくらいの度胸が必要か。それ以外であったのならばそれこそ、無事であるのは死にたがり屋ぐらいしかいないのではないだろうか。彼女は死にたがりじゃない。どうしようもないほどの生きたがり。やりたいこと、やってみたいことがあるお年頃。夢も希望もまだ失っていない、子供と大人の中間地点を越えたばかり、それが高校生。

 

「……」

 

 紗希は、華の顔を見ながら、普通の顔とも、笑みとも、悲しみの表情ともとれるような表情を浮かべる。

 一年生チームのなかで、紗希だけは異端だった。どんな危険な状況でも動じず、笑みすらもこぼす紗希の勇敢な姿に、梓もまた勇気付けられた。でも梓が、それがちょっと違っていたのだと気がついたのは試合が終わってすぐのこと。華に、感情深い顔を見せた紗希は、スカートをたくしあげる。そして……。

 

(ボッチじゃなかったですよ)

 

 声、聞こえずとも、そういってくれているかのようだった。彼女も、またあのとき怖かったのだ。怖くてたまらなかったのだ。一年生チームのなかでもっとも勇敢で、そして大物だと思っていた女の子が、一番臆病で、そして優しかったのだ。

 

「そうですよね、怖かったですよね、紗希さん……」

 

 そういいながら、華に抱きつかれた紗希は思う。他の友達と違って試合前にトイレに行かなかったということに最初はとても後悔していた。でも、怖かったのは自分一人じゃないと華が教えてくれて、そして自分からも華に教えることができた。自分が、こんな性格で本当によかったなと。

 

 

 

 これが、大洗女子の名物兼伝統となった戦車に乗る前には必ずトイレで大行列を作るに至った裏話である。




 途中のカテーテル、自己道尿関連の話は脊髄損傷にもその場所によっても症状が千差万別様々あるということを前提に……後書きに書くとこではありませんが見てください。


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