魔法少女まどか?ナノカ (唐揚ちきん)
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第一話 転校生とピンク

 「初めまして。夕田(ゆうた)政夫(まさお)です。僕はこれからこの見滝原中学校で皆さんと一緒に学生生活を楽しんで行きたいと思います。皆さん、どうぞ(よろ)しくお願いします・・・」

 

僕は自己紹介の予行練習に書いた紙を読み上げる。

う~ん、少し堅苦しいかもしれない。だが、テンション上げた自己紹介で(すべ)ったら、目も当てられない。どうした物だろうか。

散々家でも書き直ししたはずなのに、いざ転入当日になると不安になってくる。

 

転校生。それが今の僕を一番端的に表す単語だった。

出会う物や人が新鮮で柄にもなく、どきどきする。

この見滝原中学校がかなり特徴的なせいもあるだろう。

何せ『教室の壁が全てガラス張り』という頭のおかしい設計をしている。この学校の建設を依頼した人間がまともじゃなかったのか、それとも設計者の趣味だったのか、どちらにしてもイカれているとしか思えない。体育の時とかどうするのだろうか?本気で気になる。

 

「夕田君。暁美さん。それじゃあ、教室に向かいましょうか」

 

考えごとをしていたら、担任の眼鏡を掛けた先生に呼ばれた。

僕ともう一人の転校生が黙って、先生の後に続く。

 

そうそう、僕が一番不思議に思ったのが、このもう一人の転校生、暁美ほむらだ。

転校生が同じ日に入ってくる。これはまだいい。あり得ないことではない。

問題は、なぜ二人とも『同じクラス』なのかだ。

普通は二人転校生が入ってきたら、人数調整のためにクラスを分けるのではないだろうか。

 

そして、『暁美ほむら』という少女自身も不思議だ。

名前が、とかそういう下らないことではない。職員室で僕と会った瞬間に、無表情な顔がまるであり得ないものでも見たかのように驚愕に染まった。

そこから怒涛(どとう)の勢いで質問責めに合った。

「あなたは何者?」とか「あなたはいったいどこから来たの?」とか、やたら早口で聞いてきた。

もし僕が自意識過剰な人間だったら、一目ぼれされたかと勘違いしていただろう。

まあ、暁美ほむらは、びっくりするくらい容姿が整っているから、僕なんかとは釣り合いが取れないだろう。僕としても三つ編みヘアーに黒ブチ眼鏡を掛けた、純朴そうで地味な感じの女の子の方が好きだしね。

 

そうこうしている内に教室に着いた。

担任はちょっと待っててね、と言った後、教室に入っていった。

当然、僕と暁美ほむらは廊下に取り残される。

僕は初対面の印象からか、この女子が苦手だった。何か僕のこと(にら)んでくるし。

冷たい印象のあるマネキンじみた整った顔に見つめられると怖い。なぜ恐怖の代名詞とも言える幽霊が男じゃなく、女ばかりなのか良くわかる。

内心、早くしてくれと担任に念じるが、当人は透けた扉の向こう側では、目玉焼きの焼き加減について盛大に語っていた。おい、あんたマジふざけんなよ!

 

ようやく、目玉焼きの焼き加減の話が終わり、入室の許可が担任から出される。

僕は、ほっとして教室に入った。

 

そして、僕は驚愕した。恐らく先ほどの暁美以上の驚愕だ。恐怖と言い換えてもいいかもしれない。

 

ほとんどの生徒の髪と目の色がおかしい。

取り分け一番ヤバイと思ったのが教室の真ん中辺りにいるツインテールの女の子。

 

桃色(ピンク)

 

なぜそんな色に染めたのだろうか。そしてそれだけでも十分キてるのに追撃の同色の眼球。恐らくはカラーコンタクトだと思われる。というか顔立ちからして明らかに日本人なのだからそれ以外にあり得ないのだ。

 

校則違反だとかそんなレベルじゃない。もっと恐ろしい物の片鱗を味わった。

 

 

「夕田君。大丈夫?顔色悪いわよ」

 

担任の声でフリーズした思考がよみがえる。

 

「・・・大丈夫です。何でもありません」

 

そう。大丈夫だ、政夫。落ち着け、クールになるのだ。前の中学校でも落ち着きのある優等生で通ってたじゃないか。

そうだ。素数を数えるんだ。2・3・5・7・11・13。いいぞ。落ち着いてきた。

 

「そう。それならよかった。じゃあ、まず夕田君から自己紹介始めてください。名前は先生が書いておくから」

 

よし。頑張れ、僕。

クラスメイト達の方を向いて、自己紹介の準備をする。うわ、駄目だ。ピンクが。ピンクが気になってどうしても視線がそっちに吸い寄せられる。

 

「えー。皆さん初めまして。夕田政夫です」

 

耐えろ。耐えるんだ。

 

「僕はこれからここ見滝原中学校で皆さんと一緒に」

 

こんなに時間が長く感じられるのはいつ以来だろうか。

 

「学生生活を・・!」

 

ピンク色の髪の少女の視線と僕の視線がとうとう合ってしまった。

ビクリと僕の心臓が飛び跳ねる。

髪と同じピンクの眼球の直視に耐えられず、僕は思わず目を()らしてしまった。

 

「おくっていきたいとおもいます・・!」

 

若干口調が早口になってしまったが何とか無事自己紹介を終えることができた。

 

その後、暁美ほむらも自己紹介を終えて(なぜか暁美もピンク髪の子にガンを飛ばしていた)、僕達は指定された席に座った。

やはり転校生は珍しいらしく、僕の方には男子が、暁美の方は女子が集まってきた。

 

当たり障りのない挨拶と趣味などについて彼らと話した。

彼らも例に漏れず、髪を染めていたが、ピンクや青という超ド級のカラーリングを見たせいであまり気にならなかった。

 

 

「僕は中沢。よろしくね、夕田君」

 

「こちらこそよろしく、中沢君。いやー、転校初日で友達できるか心配だったんだ」

 

 

一番好感を覚えたのはこの比較的あまり目立たないヘアカラー(あくまで見滝原中基準で)の男子生徒の中沢君。その割りに担任絡まれることが多いらしい。

いわゆる草食系男子というやつだ。話していてほっとする。

この学校の異常性をまざまざと見せ付けられたせいでまるで別の世界に(まぎ)れ込んだかのような気分だったが、ようやく僕が知っている現実らしくなってきた。

 

「ねぇ、男の方の転校生」

 

中沢君との会話に癒されていた僕に、不意に女子に声をかけられた。

席に座っている僕を中心とすると中沢君と反対側に青い髪の少女が寄ってきた。

気分よく友達と会話を断ち切られたので、ちょっとむっとしたが顔には出さず、返事をする。

 

「何かな?えーと……」

 

「美樹さやか。よろしくね」

 

青髪の女子、美樹さやかは快活に笑った。

 

正直、好きになれそうにないデリカシーが大幅に不足しているタイプの人間だ。髪の色もかなり奇抜だ。まあ、王者(ピンク)よりは幾分かマシではあるが。

 

「いや~、アンタさっきさ、まどかのこと見つめてたじゃん?もしかして一目ぼれかなーと思って」

 

「まどか?」

 

「ああ、鹿目まどか。あたしの大親友。桃色のツインテールの子って言った方が転校生には分かりやすいかな」

 

なるほど、ピンク髪の子か。

それにしても随分となれなれしいな。会って間もない人間を『アンタ』呼ばわりとは。

まあ、ごまかす理由もないし、正直に言うか。

 

「ああ、彼女(のピンク色の髪)がどうしても気になってね。もし不快にさせたんなら、悪気はなかったって伝えてくれないかな?」

 

 

「・・・・」

 

急に美樹がぴたりと黙った。そして次の瞬間にやにやと下世話な笑みを浮かべた。

「あんた凄いことさらっというのね。ねぇ、今の聞いたまどか?」

 

美樹の後ろに隠れていたらしい鹿目が顔を赤くして出てきた。

 

なぜそんなことをしていたのだろうか?さっきのことがそこまで嫌だったのだろうか?

取りあえず、謝っとくべきだろう。

「さっきは不躾(ぶしつけ)(なが)めちゃってごめんね。でも悪気はなかったんだ。ついつい鹿目さん(のピンク色の髪)に目が奪われちゃって」

 

僕は謝罪をするが、鹿目は先ほどよりも真っ赤になって、うつむく。顔面に血が昇るほど頭にきてるのだろうか。

髪をそんな風に染めているぐらいだから、ひょっとしてこいつらレディースか何かなのかもしれない。

校舎裏とかで奇抜な髪の女子たちに木刀で滅多打ちにされる自分を想像する。普通にありそうで怖い。

 

「そうだ。転校生、あたしたち帰りにショッピングモールに寄るんだけど、良かったらアンタも来ない」

 

相変わらずにやにや笑いながら、美樹は僕にそんなことを提案してきた。

つまり、そこで僕を袋叩きにするってことか、何て恐ろしいやつらなんだ。クソ、だがこのままじゃ中沢君まで巻き込みかねない。とにかく、ここは素直に承諾するしかない。

 

「・・・・わかった。いいよ。僕も行こう」

 

「そうこなくっちゃ!」

 




アットノベルズから、こちらに移らせて頂いた者です。
稚拙な文章ですが、どうか大目に見てやってください。


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第二話 CDという名の遺物

どうしてこうなったんだろう。

 

暁美が急に具合が悪くなったと言い出し、鹿目さんが保険委員として彼女を保健室に連れて行くこととなった。

うん。ここまでは分かる。

僕は実際に見たわけではないが、体育の授業で中学陸上の記録を塗り替えたらしい(陸上部の人たちが騒いでいたのを聞いたので信憑性は高い)というのに何をほざくかとは思ったが、この際それは置いておこう。

 

ちなみに更衣室は流石にガラス張りではなかった。当たり前と言えば、当たり前なのだが、かっ飛びすぎてるセンスの校舎なので実際に目撃するまで信用ができなかった。

しかし、安心したのも(つか)の間で、女子の体操着のしたは廃止になったはずのブルマだった。校長の趣味か?

 

話を戻すが、問題はなぜ僕がそれに同行しなければ行けないのか、だ。

 

いや、原因は分かっているの。全てはあの青髪が『そうだ。せっかくだから政夫もまどかに保健室の場所、案内してもらえば。場所分かんないと不便でしょ』とかにやにや笑いながら提案したせいだ。

ここで僕が断れば、放課後の女暴走族チーム【ディアーアイズ(仮)】のリンチがより苛烈になる、故に選択肢はなかった。

それにしても美樹のなれなれしさは留まることを知らないな。呼び方がいつの間にか『転校生』から名前呼びに変わっていた。まだそれほど親しくないんだから、苗字で呼べよ。

いつか他人との距離感を誤って、人間関係壊すぞ。

 

 

そんなこんなで今この状況にあるのだが。

辛い。ひじょーに辛い。

暫定(ざんてい)レディースのヘッド鹿目まどか、そして常に鉄面皮で文武両道の暁美ほむら。

そんなやつらが超至近距離にいる。これは苦痛以外の何物でもない。僕にできるのはせいぜい黙って早く保健室に着くことを祈るぐらいだ。

暁美と鹿目さんは(かろ)うじて会話のようなものを繰り返していた。

会話と言っても鹿目さんが話題を振って、それに暁美が二、三言答えると言う一方的なコミュニケーションだ。

 

 

「暁美さんって」

 

「ほむらでいいわ」

 

「ほむらちゃんって変わった名前だよね。あ、いや別に変ないみじゃなくって・・・そのかっこいいなって・・・」

 

それはどうだろう?確かに漢字で『(ほむら)』とか『(ほむら)』なら格好いいかもしれないが、ひらがなで『ほむら』って何かマヌケな感じが否めないんだけど。もしかして、鹿目さん流の皮肉か?

僕としては、ポケモンのルビー・サファイアに出てきた「ウヒョヒョ」と特徴的に笑うマグマ団幹部を思い出して、軽く笑えてくるのだが。

 

「ッ・・・鹿目まどか」

 

「は、はい」

 

「貴女は自分の人生を貴いと思う?家族や友達を大切にしてる?」

 

おいおい、何か語りだしちゃったよ。いくら中学二年生だからって、本当に厨二病の人間初めてみたよ。

鹿目さん固まってるし。まあ、無理もないけどさ。

しかたない。助け舟か。そうすれば、ひょっとしたらリンチは許してくれるかもしれない。

 

「君自身はどうなんだ?暁美さん」

 

「急に会話に割り込んできてどういうつもり?夕田政夫」

 

暁美が僕を射抜くように睨む。

こわッ。暁美さん、目こわッ。ギャグ漫画日和のウサ美ちゃんみたいな目してる!

だが、ビビるな、僕。鹿目さんのヘアカラーの方が百倍怖いはずだ。

 

「さっきから、君は他人を突き放したような態度ばかりだ。そんなんじゃ君が言うところの『大切な友達』もできなければ、『貴い人生』も送れないよ」

 

体育の件でクラスメイトに褒められても『別に』の一言で返した時は、沢尻エ〇カかよっと内心で突っ込んでしまった。

 

「・・・・・大きなお世話よ。貴方には関係ない」

 

「鹿目さんにあれだけ語ってた君がそれ言うの?」

 

発言がブーメランになってることに気がついてないのか、こいつは。

 

「ッチ。とにかく、鹿目まどか。もし貴女が今の生活を大切に思っているなら、今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないことね」

 

露骨に舌打ちされた上、無視して鹿目さんに話しかけ始めやがった。

生まれて初めて僕は本気で女を殴りたいと思った。

 

 

 

 

 

「うわッ、何それ!?転校生ってそんなキャラだったの?文武両道で才色兼備かと思いきや実はサイコな電波さん。くー!萌えか?そこが萌えなのかあ!?」

 

ショッピングモールにあるカフェの一角で、やたらとテンション高い青髪さんが他の客の迷惑も考えず叫んだ。

 

「少しも萌えないし、不快感しか周りに振り向かないよ、あいつは。電波どころかキ〇ガイの領域に片足突っ込んでる。一週間もすれば周囲に引かれて孤立するね。あと美樹さん、声でかい」

思い出しただけでも腹が立つ。

あの鉄面皮の社会不適合者め。個人の能力だけで社会を生きていけると思うなよ。

 

「そ、それは言いすぎだよ。ほむらちゃんも悪気があったわけじゃないと思うし・・・」

 

なぜかあの社会不適合者を擁護(ようご)するようなことを言う鹿目さん。

話してみると鹿目さんは不良でも何でもなかった。むしろ、荒んだこの世間では天然記念物並みに珍しい良い子だった。

 

「でも鹿目さん、悪気もないのに舌打ちしたのなら、あいつ真性のクズだよ」

 

「いけませんわ。政夫さん、実は好意の裏返しとも考えられますわ」

 

ナチュラルに僕の名前を呼ぶ、昆布や若布を彷彿(ほうふつ)とさせる黄緑色の髪をした女子、志筑仁美さん。この子もお(しと)やかに見えて実際は美樹さやか並みにアグレッシブな女の子だ。

 

「そんな事より、まどかさん。本当に暁美さんとは初対面ですの?」

ほら、その証拠に舌打ちを『そんな事』で流したよ。

 

「うん。常識的にはそうなんだけど・・・昨夜あの子と夢の中で会った・・ような・・・・」

鹿目さんはたどたどしくそう答えた。

 

「それは最悪の悪夢だね。さっさと忘れた方がいいよ」

いや、暁美は鹿目さんのこと知っていたみたいだから、呪いか何かを鹿目さんにかけているのかもしれない。どこまで嫌なやつなんだ、暁美ほむら。

 

「政夫くん。さっきからほむらちゃんに対してちょっと酷すぎるような気が・・・」

 

「気のせいだよ。鹿目さん。でも、あの手の(やから)は鹿目さんみたいな優しい人間につけ込んで悪さするから気をつけてね」

 

あははと引きつった苦笑いするカラフルな髪の三人。僕、なにか引かせるようなこと言ったかな。

 

 

 

それからすぐに志筑さんは家の習い事で帰り、僕らは美樹の要望によりCDショップに向かうことになった。

だが、アイポッドで好きな曲をダウンロードしている僕は、正直CDに興味がなかった。

安くて豊富な種類の音楽をほとんど無料(ただ)みたいな値段でダウンロードできるのに、たった数曲しか入っていないCDなんてもはや過去の遺物だ。カラス除けの置物でしかない。

そんなことを考えていると鹿目さんが挙動不振にあちこちを見回し始めた。

 

「え?誰なの?どこにいるの?あなた・・・誰?」

 

突然意味不明なことを言い始めた。

どうしちゃったんだ!?鹿目さん!まるで暁美のような厨二病を・・・・・・ハッ、まさかこれは暁美ほむらの呪い!!

 

鹿目さんは急にどこかへ歩き出した。だが、足並みはしっかりしているので結構速い。

なんかもう、あれは駄目だ。明らかに電波でサイコな領域だ。僕には手に負えない。

僕も帰ろう。お家に帰ろう。でん、でん、でぐりがえしで、ばい、ばい、ばい。

ちょっと無責任に帰ろうとした。

 

「政夫。まどかがどっか行っちゃったみたい。いっしょに来て」

 

美樹は僕の手を掴むと、僕の返事も聞かずに鹿目さんを追いかけて走り出した。

 

 

 

美樹に連れられてショッピングモールの裏の「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた看板のある大きな倉庫に着いた。

倉庫の扉は開かれており、明らかについさっき人が入って行った痕跡(こんせき)が残っていた。

 

「ここにまどかが入って行ったのね。それじゃ政夫・・」

 

「うん。帰ろうか。関係者以外立ち入り禁止って書いてあるし」

(きびす)を返して、僕は帰ろうとするが、美樹に制服の襟首(えりくび)を引っ張られる。

一瞬、結構本気で呼吸ができなくなった。

 

「何でそうなるのよ!まどかを助けに来たんでしょ!」

 

「いや、美樹さんが勝手に引っ張って来ただけだから。大体、鹿目さんが自分の意思でここまで来たなら助けなんていらないだろう?」

 

「うっ、それは・・」

 

美樹は僕の言葉にたじろぐ。後先考えず、その場のノリだけで行動するからこういう目に合うんだ。少しは反省してほしいものだ。

 

「いや、でもほら、こういう所は危ない奴とかが居そうで危険じゃない?だから」

 

一見正論にも聞こえる自分の(おこな)いの言い訳だ。だが僕には効かない。

 

「そうだね、身勝手な考えで『立ち入り禁止』のルールを破るような危ない人たちがね」

 

「うっ・・・!」

 

僕の一言で美樹はまた言葉に詰まった。

自分達も危ない人間に入るという事に気付いたようだ。考えが足りないだけで頭は存外悪くないらしい。

 

とは言う物のいくら美樹でも、流石にこんな場所に一人で行けというのは可哀(かわい)そうだ。それに変な電波を受信してしまった鹿目を放っておくのも色々な意味で危ない。

 

「わかったよ。一緒に行こう」

 

「さっすが、政夫。話がわかるぅ~」

 

パァーっと顔を輝かせる美樹。なんて単純な女なんだ。将来ホストとかに引っかかりそうだ。

 

 




もう一話投稿しました。
若干手直ししたりしてます。


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第三話 巻き込まれますか?巻き込まれませんか?

薄暗い倉庫の中に入ると鹿目さんと誰かの話し声が聞こえてきた。

これは本格的に危険かもしれないな。急ぐか。

僕は美樹を置いて鹿目さんの声が聞こえる方角に走った。

 

奥に行くと鹿目さんの後ろ姿が見えてきた。あのピンク色の髪は見間違えようがない。

そしてもう一人の声の正体も明らかになる。

 

「やっぱりお前は悪人だったんだな。暁美」

 

鉄面皮の社会不適合者、暁美ほむらが銃を鹿目さんに向けて立っていた。

 

「何の用?夕田政夫」

 

「お前なんかに用はないよ。この犯罪者」

 

暁美の持っている銃。最初はモデルガンだと思ったが違う。

火薬が炸裂したような独特の臭いが周囲を取り巻いている。恐らく、これがいわゆる硝煙の香りってやつだろう。

加えて、床に銃痕(じゅうこん)のようなものまで残っている。

こいつの持っている銃は間違いなく本物だ。

 

「ここはアメリカじゃなく、日本だよ。銃は持ってるだけで犯罪、まして実際に発砲なんてしちゃったらもう言い逃れなんてできやしないよ」

 

暁美は何一つ焦った様子を見せず、平然としている。

生権与奪が自分にある(ゆえ)の余裕だろうか。だとしたら、口封じとして、僕も鹿目さんもいずれ殺される。

どうする?一体この状況をどうする?

 

「ここに入る前に警察呼んでおいてよかったよ。転ばぬ先の杖ってやつだね」

 

無論。ハッタリだ。逃げられない以上相手に引いてもらうしかない。

僕はできるだけ余裕な振りをする。

 

「日本の警察は無能無能言われるけど実際そうでもないと僕は思うんだよ。あと二分もすれば着いちゃうんじゃないかな。このショッピングモール、近くに警察署あるし」

 

しかし、少しも焦る様子を見せない暁美。二分以内にここから逃げる逃走手段を持っているのか、それとも後先考えないほど自暴自棄なのか分からない。

どちらにしても、ここが正念場だ。下手に暴走して銃を乱射したら終わりだ。

 

「なあ、暁美。今なら引き返せるぞ。銃を捨ててくれ。警察にはいたずら電話だったってことにしておくからさ」

 

「なぜ?貴方は私のことがきらいなんでしょう?」

 

乗ってきたか。よし、ここでできるだけ親身なことを言う。

こいつだって、無難に済ませておければ、それに越したことはないはずなんだ。

 

「僕も君も転校してきたばかりでお互いのこともよく知らないけどさ。僕はせっかく君と同じクラスなったんだから、一緒に中学校を卒業したいんだ」

 

「・・・・・」

 

暁美は何も言わない。鹿目さんも僕の顔を不安そうな顔でじっと見つめている。

 

「だって、運命的じゃない?同じクラスに同じ日に転校してくるなんてさ。普通ないよ。だからさ、暁美さん。君のこと、もっと教えてくれないかな。君と友達になりたいんだ」

 

自分で言っておいて、何ほざいてるんだろうという気分になるがこの際致し方あるまい。

 

精神科医の父親のおかげで、精神が不安定な人間の扱いにはちょっとばかり自信がある。

僕は笑顔で手を広げて敵意がないことを示しながら、暁美に近づく。

片手をゆっくりと暁美に伸ばす。

暁美の手から銃を離させ、手を握りしめる。暁美は抵抗しなかった。いつも通りの無表情な顔が少し揺らいでいるように見えた。

 

「君に何があって、なぜこんなことをしたのかは知らない。でも僕達は友達だ。辛いことが合ったらいつでも頼ってよ」

 

自分でもこんなにうまくいくなんて思ってもみなかった。恐らく、暁美自身、こんな言葉をかけるような人間は周囲にはいなかったのだろう。

何にせよ、僕は生き残れた。今はそれでいい。

 

よし暁美をまるめ込めることに成功した。これで一件落着・・・。

 

「政夫!ちょっと避けて!」

 

「え?おあッ!?」

 

とっさに反射的に後ろに飛び退()くと、暁美は右側から来る真っ白い煙に巻き込まれていた。

 

「政夫、まどか、こっち!」

 

声の方を見ると、美樹が暁美に消火器を噴射していた。

何やってんだお前ー!せっかくいい感じに暁美をまるめ込んで無理やり和解したのに。

僕の努力全部パーだよ。頭がパーの青髪さんのせいで。

しかたない。ここは鹿目さんを連れて逃げるか。

もう暁美との話し合いは無理だ。確実に僕に裏切られたと思ってるだろう。怒り狂って銃を発砲しない内に逃げるのが得策だ。

 

「鹿目さん、逃げるよ」

 

「う、うん」

 

鹿目さんを立たせて、僕らは美樹の方へ向かって走った。

美樹は消火器の中身を全て暁美にぶちまけた後、空になった消火器を暁美に投げつけた。良い子は絶対にまねしないでください。

それから、三人で出口に向かって逃げていると、美樹がいら立ったようすで喋る。

 

「何よあいつ。今度はコスプレで通り魔かよ!つーか何それ、ぬいぐるみじゃないよね?生き物?」

 

は?ぬいぐるみ?生き物?一体何の話をしているんだ?

鹿目さんの方を見る。彼女は何かを抱えるような仕種(しぐさ)をしているが『何も持っていない』。

 

「わかんない。わかんないけど・・・この子、助けなきゃ」

 

この子?

確かに鹿目さんは腕に抱えている物を見るように下を向いて話しているが、当然そこには何もない。

このおかしな状況のせいで二人とも狂ったのか?なら、さっさとここを出て病院に連れて行かないと。

幸い、僕の父さんは精神科医だ。父さんなら、彼女たちをどうにかしてくれるだろう。

 

「あれ?非常口は?どこよここ」

 

「変だよ、ここ。どんどん道が変わっていく」

 

「・・・・・・」

 

最初は錯乱した二人の戯言(たわごと)と聞き流していたが、これは確かにおかしい。

僕はまっすぐ走って、さっきの暁美がいた場所に着いたのだ。来た道を戻っているのだからすでに非常口が見えてこないのはどう考えても妙だ。

 

鹿目さんが叫んだ。

 

「やだっ。何かいる!」

 

まだ、何かおかしなことが起きるのか?頼む。鹿目さんの見ている幻覚であってくれ。

そう祈って、鹿目さんが見ている方を向く。

本当に『何か』いた。

綿のような表面の球体にカイゼル(ひげ)の生えた『何か』としか形容できない物体。しかも一体や二体じゃない。

ポテトチップスのロゴにこんなのがいた気がする。取りあえずポテチおじさんと命名しておこう。

ポテチおじさんたちは僕たちの方へ取り囲むように近づいてくる。

 

「冗談・・・だよね。あたしたち、悪い夢でも見てるんだよね?ねぇ!」

 

怯えた目で必死に現実逃避を繰り返す美樹。

 

ポテチおじさんは、大きな(はさみ)をどこからともなく、取り出して襲いかかってきた。

『悪夢は起きても覚めない』

何かの本で読んだフレーズを僕は思い出した。

これはもう助からないな。ここまで絶望的だと逆に冷静になってしまう。

せめて出口がどこかにあれば、僕が身体を張って二人を逃がすくらいはするのだが、出口がない以上、二人はどの道、助からない。寿命が1分かそこら延びるだけで怯える時間が増えるだけだろう。

 

その時、僕らの前にいたポテチおじさんが二、三体吹き飛んだ。

 

「危なかったわね。でももう大丈夫」

 

僕らの後ろから足音が聞こえてきた。

振り返ると、そこには金髪ドリルヘアーのお姉さんがいた。

 

 




手直しし始めて気付きましたが、本当に適当に書いていたんですね、私・・・。
びっくりするほど、主人公の性格がおざなり過ぎます。


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第四話 サン〇オさんごめんなさい

僕らのピンチに颯爽(さっそう)と登場した金髪ドリルの女性。

ゆっくりとしたこちらに近づいてくるその姿に敵意は感じられない。助けてもらったのだから、取りあえず今は味方だろう。というかここまでやって、もしもいきなり化け物に姿を変えて襲いかかってきたら、もう何も信じられない。

 

「あら、キュゥべえを助けてくれたのね。ありがとう」

 

金髪ドリルの女性、長いので仮にドリ子さんとしておこう。そのドリ子さんが鹿目さんの腕の中を見て、微笑んだ。

キュゥべえ?何だそれ?

 

「私、呼ばれたんです。頭の中に直接この子の声が」

 

鹿目さんもそれに答える。

この人や鹿目さんには一体何が見えているのだろうか。

ただ一つ僕が言えることは、何もない空間にあたかも何かが存在しているように話しているその姿は、酷く気持ちが悪いということだけだ。まるで精神錯乱者同士が『おままごと』でもしているようだった。

 

「ふぅん・・なるほどね。その制服、あなたたちも見滝原の生徒みたいね。2年生?」

 

鹿目さんを見て何かに気付いたように納得するドリ子さん。

 

「え?あなたたち『も』ってことは、あなたも中学生なんですか?!」

 

体つき(主にバスト)からして高校生ぐらいだと思ったのだが。言われてみればドリ子さんも見滝原中学の制服を着ていた。

 

「その言い方ちょっとに引っかかるけど、まあ、いいわ。自己紹介しないとね。でも、その前に」

 

ドリ子さんが手に持っていた用途不明の卵型の黄色い宝石をかざす。

 

「ちょっと一仕事、片付けちゃっていいかしら」

 

これまた意味不明の片足で円を描くような奇怪なステップを踏む。思わず何やってんですかと軽く問い詰めたくなるのをぐっと(こら)えた。

 

「ハッ!」

 

これで何も起きなかったら、僕も「ハッ」と嘲笑したのだが、実際はそうはならなかった。

ドリ子さんはやたらと胸を強調する、ちょっとお洒落なファミレスの制服みたいな格好に一瞬で変わると虚空からマスケット銃を取り出して、周りにいたポテチおじさんを蹴散(けち)らしていく。

 

「す……すごい」

 

鹿目さんは憧憬(どうけい)の視線でそれを見つめるが、僕の感想は違った。

怖い。素直にそう感じた。おれほど恐ろしかったポテチおじさんをああも容易(たやす)く蹴散らしているあの人が、何よりあんな力を持った人が平然と同じ中学に存在していることが怖かった。

とてもじゃないけど同じ『人間』には見えなかった。

 

「も、戻った!」

 

ポテチおじさんが全て倒されると周囲の空間が元に戻り、今まで一言も喋らなかった美樹が声を上げた。

こいつ、鹿目さんよりメンタル弱いな。普段の開けっぴろげなテンションは弱い自分を隠すためのものだったんだな。

 

「魔女は逃げたわ。仕留めたいなら、すぐに追いかけなさい。今回はあなたに譲ってあげる」

 

急に後ろを振り返ったドリ子さんが僕ら以外の誰かに向けて話し始めた。

ドリ子さんのやや上を向いた視線の先には先ほど美樹に消火器をぶちまけられた暁美がいた。

 

「私が用があるのは・・・・・」

 

「飲み込みが悪いのね。見逃してあげるって言ってるの。お互い、余計なトラブルとは無縁でいたいとは思わない?」

 

まったくですね。美樹には数百回ぐらい聞かせてやりたい言葉だ。

暁美は鹿目さんの方を未練があるように見ていたが、乗っていた足場から飛び降りてどこかに行ってしまった。

明日教室で腹いせに僕が襲われたりしないかが心配だ。

 

 

ドリ子は鹿目さんが抱えていた僕には何も見えない何かを預かると、床に置いて、黄色い宝石を近づけた。

淡い黄色の光が床を照らすが、やはり僕には何も見えなかった。

 

「お礼はこの子たちに。私は通りかかっただけだから」

 

「あなたが、私を呼んだの?」

 

「何で、私たちの名前を?」

 

三人の女子中学生が何もない床に話しかけている。どう見ても怪しい儀式か何かにしか見えない。

 

「……あのさ、君ら何と話してるの?」

疑問に耐え切れず、思いきって聞いてみる。

すると、ドリ子さんはうっかりしていたというように、自分の額を軽く叩くと、再び床に話しかけた。

 

「ごめんなさい。普通の人には、キュゥべえの姿は見えなかったのを忘れていたわ。キュゥべえ、この子にも見えるようにしてくれないかしら」

 

『わかったよ、マミ。これでその少年にもボクの姿が見えるようになったよ』

 

突然、床の上に白いウサギと猫を混ぜて、デフォルメしたような生き物が現れた。

こ、こいつは……。

僕はその謎生物を(つか)み上げて、顔に近づけた。

 

「『シナモロール』の主役キャラ、シナモン!……じゃない。よく見るとシナモンより全然可愛くない」

 

何だ、こいつ。パクリか?劣化シナモンか?中国製なのか?むしろ『シナモン』じゃなくて『支那モン』だな。サ〇リオに訴えられるぞ。

 

『酷い言い様だね。ボクの名前はシナモンじゃなくて、キュゥべえだよ』

 

そう言うわりに支那モンは完全な無表情だった。まったく表情が変化しないのでかなり不気味だ。

 

「ごめんごめん。僕が知っているキャラクターに君の特徴が酷似(こくじ)していたから、つい言ってしまったんだ。気に(さわ)ったのなら謝るよ」

 

『別に気にしてないよ』

 

だろうね。まったくそんなそぶりを見せていないし。

 

「ありがとう。君は心が広いね」

 

取りあえず、お礼を言っておく。この生き物は何を考えているか分からない。得体の知れなさなら、暁美ほむらやポテチおじさん以上だ。用心しないといけない。

そう考えていた時、座っていたドリ子さんがスクッと立ち上がった。

 

「私も自己紹介しておかないとね。私は巴マミ。あなたたちと同じ、見滝原中の3年生。そして・・・」

 

ドリ子改め巴先輩は、なぜかそこで一旦(いったん)言葉を区切る。

 

「キュゥべえと契約した、魔法少女よ」

 

そして、言葉と共にドヤッという効果音が似合いそうな笑みを浮かべた。

恥ずかしくはないのだろうか。ないのだろうな。そうじゃないとあんな事は胸を張って言えないだろう。

 

僕らをピンチから救ってくれた巴マミ先輩。

僕が彼女についてわかったことは、羞恥心(しゅうちしん)を持ち合わせていないということだけだった。

 

 

 

 

「一人暮らしだから遠慮しないで。ろくにおもてなしの準備もないんだけど」

 

あれからいろいろあって、そのまま巴先輩の家に行くことになった。

僕としては帰りたかったのだが、鹿目さんと主に美樹に強引に連れて来れられてしまった。

 

「うわ……」

 

「素敵なお部屋……」

鹿目さんが巴先輩の部屋を見て感想を漏らす。

(おおむ)ね、僕もその感想に同意だ。一人暮らしというわりに、綺麗に整頓されていた。

だが、物が少ないというわけでもないのに、妙に空々しい印象を受けた。

一言で言い表すのなら、生活感がない。モデルルームです、と言われればそれで納得してしまいそうな程だ。

 

座って待ってて、と言われたので三人で座ろうと思ったのだが、テーブルが三角形なのでこのまま座ると、巴先輩が座れなくなってしまう。

どうしようかと思っていると、鹿目さんが僕の方を見て隣に少しスペースを作って座ってくれたので、好意に甘えて、そこに腰を下ろした。

何て優しくて気遣いのできる子なのだろう。ちなみに美樹は平然と一番最初に座っていた。

 

そんなことをしていると巴先輩がケーキと紅茶を持ってやってきた。

……巴先輩。先ほどおもてなしの用意はないと自分で言っていたはずじゃなかったでしょうか。

ひょっとして友達がよくここに遊びに来たりするのだろうか?

 

「美味しそうなケーキが四つも。いいんですか?巴先輩が友達のために用意したものでしょう?」

 

そう僕が聞くと、巴先輩はちょっと苦笑いをしながら答えた。

 

「家に招いたりしたのはあなたたちが初めてよ。だから気にしないで食べて」

 

待て。

それは、つまり一人暮らしで友達も招くわけでもないのに、家にケーキをいくつも買い揃えているということか。

悲しすぎる!いくらなんでも悲しすぎるだろう、それは。

じゃあ何か、誰も来ないにも関わらず、いくつかケーキを店で買うのか?最低でも四つも。

 

「んー、めちゃうまっすよ」

 

そんな僕の同情を他所に美樹は美味しそうにケーキを食べていた。こいつはもう駄目だ。人を気遣うという機能をそもそも持っていない。

 

「マミさん。すっごく美味しいです」

 

君もか、鹿目さん。しかしこっちはなぜか許せる。不思議!日頃の行いって大事だね。

 

「ほら、夕田君もどうぞ。美味しいわよ」

 

巴先輩は僕にケーキを差し出してくれる。確かにここで食べないのは失礼だろう。

フォークで一口大に切って口に運ぶ。

美味しい。しかし、このケーキを巴先輩が一人で買って、一人で食べていたのを想像すると素直に喜べない。

 

「……すごく、美味しいです」

 

「ありがとう」

 

ああ、巴先輩の笑顔が痛々しく見える。

 



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第五話 胡散臭いマスコット

「さてと、それじゃあ魔法少女について話しましょうか。キュゥべえに選ばれた以上、あなたたちにとっても他人事じゃないものね」

 

巴先輩は魔法少女について頼んでもないのに話し始めた。

 

いや、僕は支那モンに選ばれたわけじゃなくて、純粋に巻き込まれただけなんですけど。めちゃくちゃ他人事なんですけど。

だけど、悲しい巴先輩の一面を垣間(かいま)見てしまった僕は、楽しそうに語る巴先輩に水を指すことはとてもできなかった。

 

テーブルの上に乗っていたキュゥべえが、ずいっと身を乗り出す。

 

『ボクは、君たちの願いごとを何でも一つ叶えてあげる』

 

「願いごとって・・・」

 

鹿目さんが興味深そうに聞き返す。

 

『何だってかまわない。どんな奇跡だって起こしてあげられるよ』

 

胡散臭いことを無表情で言う支那モン。

いくらなんでも怪しすぎるだろう。

こちらにとって(うま)すぎる話は必ず裏がある。今どき、こんなのに引っかかる馬鹿なんて……。

 

「え!ホントに?」

 

いた。残念ながらすぐ近くに。

 

『でも、それと引き換えに出来上がるのがソウルジェム』

 

「これがそのソウルジェム。キュゥべえに選ばれた女の子が、契約によって生み出す宝石よ。魔力の源であり、魔法少女であることの証でもあるの」

 

そう言って、巴先輩はいつも持ち歩いている黄色の宝石をテーブルに乗せる。

まるで3分クッキングみたいなノリだね。QP3分クッキングならぬ、QB3分クッキングと言ったところか。

 

「最初見たときも思ったですけど綺麗ですね。一体どんな材質でできてるんですか?」

 

オパールに似ているが多分違うだろう。大きさもでかいし、売ったら、かなりの値段にはなりそうだな。

 

「私にも分からないわ。キュゥべえは知ってる?」

 

『そんなことよりマミ、大事なことを説明し忘れてるよ。この石を手にした者は、魔女と戦う使命を課されるんだ』

 

巴先輩は、支那モンに聞くが、支那モンはそれには答えず別の話題を持ち出した。

あまりにも露骨すぎる。ここにきて支那モンの不信感がぐっと高まった。

 

「魔女?」

 

「魔女って何なの?魔法少女とは違うの?」

 

鹿目さんも美樹も、まるでそれに気がついていない。『魔女』という新しい単語に興味が行ってしまっている。騙されやすい人間の見本みたいな二人だ。

対照的に巴先輩も支那モンの不自然な話題のそらし方に疑問をもっているようだった。

 

『願いから産まれるのが魔法少女だとすれば、魔女は呪いから産まれた存在なんだ。魔法少女が希望を振りまくように、魔女は絶望をまき散らす。ね、マミ』

 

 

支那モンは、何一つ伝わらない抽象的でふわっとした説明をした後、黙って考えこんでいた巴先輩を再び会話に巻き込む。

 

 

「……え?ええ。理由のはっきりしない自殺や殺人事件は、かなりの確率で魔女の呪いが原因なのよ」

 

ソウルジェムについて余程知られたくないことがあるらしい。ひっとしたら、それを聞いたら鹿目さんたちが魔法少女になることを止めるほどの事かもしれない。

 

「そんなヤバイ奴らがいるのに、どうして誰も気付かないの?」

美樹はそんなことには一切気がつかない。アホみたいに支那モンの話を正直に聞いている。

 

『魔女は常に結界の奥に隠れ潜んで、決して人前には姿を現さないからね』

結界……?あの迷路のようになった倉庫みたいな場所のことか。

 

「結構、危ないところだったのよ。あれに飲み込まれら普通は生きて帰れないから」

 

「巴先輩は、何でそんなことしてられるんですか?」

 

僕なら、絶対に嫌だ。あんな所にはもう二度と行きたくない。

 

「そう、命懸けよ。確かにキュゥべえに選ばれたあなたたちには、どんな願いでも叶えられるチャンスがある。でもそれは、死と隣り合わせなの」

 

巴先輩は、鹿目さんと美樹に厳しく言い放った。

二人はそれを聞いて考え込む。

なるほど、話を聞いて分かったが、やはり巴先輩は馬鹿ではない。だが、それならなぜこんな胡散臭い契約をしたのだろうか。

 

まあ、僕にはまったく関係ないが、最後に一つだけ一番気になったことを支那モンに聞いてみよう。

 

「ねえ、支那モン。魔法少女側のメリットはわかったけど、君自身のメリットは?」

 

僕にはとてもじゃないが、この生き物が人間のために慈善事業をしてくれるようには見えなかった。

 

『ボクの名前はキュゥべえだよ。そんなことを聞いてどうするんだい?君は魔法少女になれないんだよ』

 

また、はぐらかした。だが、僕もここで食い下がらない。

 

「聞いてみたいだけさ。……それともそんなに隠し通さなきゃいけないようなことなの?」

 

僕の言葉により、周囲に不穏な雰囲気が(ただよ)う。鹿目さんや美樹もそれを感じとったのか、不安そうな表情になっていた。

 

「夕田君、何を……」

 

『いいよ、マミ。答えてあげるよ、夕田政夫。君はエントロピーという言葉を知っているかい?』

 

僕をたしなめるように巴先輩が口を開いたが、支那モンは意外にも僕の質問に答えてくれるようようだ。

これ以上誤魔化(ごまか)しても鹿目さんや美樹から不信感を抱かれるだけだと判断したのだろう。正しい判断だが、なぜかあまり褒めたくない。

 

 

 

 

 

『・・・ということなんだ』

 

「つまり、支那モン君は宇宙のエネルギー不足を解消するためにソウルジェムを作ったり、グリーフシードっていうのを集めてるわけなんだ」

 

魔法少女のマスコットは実はエネルギーを求めて地球に飛来した宇宙人でした。

なんか急にファンタジーからSFにジャンルが変わっちゃったよ。

 

「そ、そんなの、私聞いてなかったわよ!」

何より巴先輩も相方の世知辛い正体を知らなかったらしく、ショックを受けていた。長年一緒にいたのに知らなかったのか。

 

『聞かれなかったからね』

キュゥべえはそれにシレっと答える。いや、それくらい聞かれなくても言うべきだろう、常識的に考えて。

これじゃ魔法少女についても『聞かれなかった』秘密が他にもたくさんありそうだ。

鹿目さんも美樹も、やっとこの生き物の怪しさに気付いたのか固唾(かたず)を飲んでこちらを見ていた。

 

『じゃあ、まどか、さやか。ボクと契約する気になったら、いつでも呼んでね』

 

さらに僕は支那モンから情報を聞き出そうと思ったが、支那モンはこれ以上不都合なことを喋らないようにするためか、そそくさとベランダから外に出て行ってしまった。

残された僕ら四人はしばらくの間、無言だった。

 

しかたなく僕は最初に口を開く。

 

「巴先輩・・・友達は選んだ方がいいですよ」

 

「だ、大丈夫ですよ、マミさん。キュゥべえだって宇宙の寿命を延ばすとか言ってましたし、別に悪い奴ってわけじゃないと思いますよ!」

 

次に美樹が無責任に巴先輩を勇気付ける。

いや~、他にも絶対魔法少女について不利益なことを隠してるだろう、じゃなかったら逃げるように去った理由がない。

 

巴先輩は無言で下を向いたままで、僕や美樹の言葉にも反応しなかった。

ショックがまだ抜け切っていないのだろう。命をかけて戦っているわりにメンタルが弱すぎないか?

とにかく、僕にできることは何もない。魔法少女とやらにもなれないし、なる気もさらさらない。

 

家に帰ろうと、立ち上がった時、今まで黙っていた鹿目さんが急に口を開いた。

 

「マミさん。私も魔法少女になります。そうすれば、マミさんは一人ぼっちじゃなくなります」

 

え!?何を言い出すんだ、この子は。

魔女の危険性も支那モンの怪しさも自分の目で見たはずなのに、よくそんな軽率なまねができるな。美樹ですら、そこまでしないぞ。

そして、会って間もない先輩をボッチと明言するのは流石に酷くないか!?

 

「何を言ってるの?! 鹿目さん! ちゃんと私の話を聞いてたの?(いのち)()けなのよ?私への同情なんかで簡単に決めていいことじゃないわ」

 

巴先輩も慌てたように鹿目さんを説得するが、見た目によらず鹿目さんの頑固でそれに応じようとしない。

 

「わかったわ。でもしばらく私の魔女退治に付き合ってみてからにして。魔女との戦いがどういうものか、その目で確かめた上で魔法少女になるか、じっくり考えてみるべきだと思うの」

 

最終的には巴先輩が折れて、鹿目さんを魔女退治を見学させることに(おさ)まった。

 

「まどかだけじゃ心配です。マミさん、私達も連れて行ってください」

 

親友が一人で危険な場所へ行くのが見過ごせなかったのか、危険を冒してまで叶えたい願いがあるのか、美樹も魔女退治見学会に参加を申し込む。

 

待て待て。

『達』?僕まで入ってるのか?それは本気で嫌だぞ。

 

「ちょっと待って。なぜ僕までナチュラルに巻き込まれてんの。おかしくない?」

 

「男だったら、細かいこと言わないの。それともアンタ、危険な場所にこんなか弱い女の子たちだけで行けっていうの?」

 

「いや、巴先輩がいれば平気でしょ。というか君らはいざとなったら、魔法少女になって戦えるけど、僕は何もできないぞ?」

 

そうなったら、この中で一番早く死ぬのは僕じゃないか。

大体、『契約』ができない僕にはそんなことするメリットがない。美樹が僕に言ってるのは『無意味に命をさらせ』と同じ意味だ。

 

「大丈夫よ。夕田君」

 

巴先輩が、僕と美樹の会話に入ってくる。

そうです、巴先輩。この馬鹿に言ってあげてください。

 

「あなたたちの命は私が必ず守るわ。保証してあげる」

 

急にやる気になった巴先輩は僕に自信たっぷりにそう言い放った。

……えっと、あの、お気持ちは嬉しいですが、僕が聞きたかった台詞はそれじゃないです。

あと、その自信はどこからやって来たんですか?そしてさっきまでの落ち込みっぷりはどこへ消えたんですか?

 

逆に不安になりつつあった僕だが、やる気になった巴先輩には馬耳東風らしく、僕の話は一切聞いてもらえず、()し崩し的に魔女退治見学会に参加するハメになってしまった。

 

 



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第六話 悪夢と嘘つき

「鹿目さん。最初に会った時から、ずっと思ってたんだけど何で髪ピンク色に染めてるの?」

 

「ああ、桃色髪(これ)のこと?染めたわけじゃないよ」

 

「え!?……まさか生まれた時からその色だったんじゃないよね」

 

「私も最初は政夫くんと同じ黒髪だったんだよ。でもね・・・この町にいると髪の色が自然と変わっちゃうの。不思議だよね」

 

「……じょ、冗談だよね。もちろん」

 

「政夫くん、この町でほむらちゃん以外で黒髪の人に会った?」

 

「…………嘘だ」

 

「嘘じゃないよ。ほら、この手鏡見て。政夫くんの髪が見えるよね。綺麗なオレンジ色の髪が……」

 

「嘘だ……嘘だ嘘だうそだああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアぁぁぁぁ――――」

 

 

 

 

ジリリリリ。ジリリリリ。

時代遅れの旧型目覚まし時計のけたたましい音で僕の意識は覚醒した。

 

あれは夢か……。恐ろしい夢を見た。近年まれに見る悪夢だ。

未だに心臓の鼓動が大きい。

少し胸に手を当てて、深呼吸。よし、(おさ)まってきた。

時計を見る。ちょうど時計の針が七時を指している。さっさと起きて学校に行かないと。

 

「おはよう。よく眠れたかい?昨日は随分と疲れた顔をしていたからね。朝ごはん、作っておいたよ」

 

顔を洗って居間に行くと、父さんが朝食を作って待っていてくれた。

 

夕田満。僕の父であり、たくさんの病院からオファーが絶えないほど有名な精神科医だ。

そのせいで僕はよく転校するはめになっているが、それを恨んだことは一度もない。

母さんが小学校に入る前に亡くなって以来、男手一つでずっと僕を育ててくれた自慢の父親だからだ。

 

「ありがとう、父さん。昨日は転校初日で疲れちゃってさ」

 

「う~ん。でも、それだけじゃないだろう?」

 

流石は父さん。鋭いな。

本職の精神科である父さんに嘘は効かない。この人に嘘を吐いてばれない人なんかいないだろう。

でも、いくら何でも父さんに魔法少女の話せない。そんなことをすれば間違いなく、父さんの職場(びょういん)に連れて行かれてしまう。

 

「話せないなら、別にいいよ。そこまで根掘り葉掘り聞くつもりはないから。ただ危ない事はしないでね」

 

そう言うと父さんは、新聞に目を落とした。

『危ない事』、か。転校初日でイジメられたのか、じゃなくて僕自身が危険な事をすることに釘を刺した。

つまり、父さんは僕がそういった『危ない事』をしようとしていることに気付いている。

実の息子とはいえ、よく一目でそこまで分かるなぁ。

 

その後、僕は朝食をとり、制服に着替えて出掛けた。

父さんは行ってらっしゃいと言っただけで、最後まで『僕に昨日あった事』を言及(げんきゅう)することはなかった。

 

 

鹿目さんたちと待ち合わせしている場所に向かっている時、不意に曲がり角から、僕の進路を(はば)むように人影が現れた。

 

「少し、時間を取らせてもらえるかしら。夕田政夫」

 

そこにいたのは紛れもない銃刀法違反の犯罪者、暁美ほむらだった。

 

 

 

 

「それで、何の用かな?暁美さん」

 

近くにある公園で少し暁美ほむらと話すハメになってしまった。

逃げようかとも思ったが、拳銃を所持している可能性がある人間に、後ろを見せるほど僕の危機管理能力は甘くない。

 

「単刀直入に言うわ。鹿目まどかや美樹さやかと一緒に、巴マミから離れなさい。魔法少女は貴方たちが思ってるほど、甘い物じゃないわ」

 

暁美は、冷たい凍えるような瞳をしていた。そこには、何かに対する強い執着が感じ取れる。

 

ふむ。ちょっとカマをかけてみるか。

 

「いや、もう手遅れだよ。美樹さんはともかく、鹿目さんは契約しちゃったし」

 

「う、嘘ッ!?そんな……」

 

暁美は目を皿のように広げて、まるでこの世の終わりが来たかのような声を吐いた。

 

「ああ、嘘だよ。確かに巴先輩に同情して、魔法少女になるとか言っていたけど、まだ契約はしてない」

 

そう言った途端(とたん)、暁美に制服の襟首をグイっと掴まれた。

 

「貴方は私を馬鹿にしているの?・・・」

 

「違うよ。支那モン、いや、キュゥべえと鹿目さんの出会いがいくらなんでも出来すぎてたから、ひょっとして暁美さんとキュゥべえはグルなんじゃないかと思ってね。カマをかけさせてもらったんだ」

 

あの倉庫でキュゥべえが鹿目さんに助けを求めたとしても、鹿目さんがショッピングモールにいなければ意味がない。だから、暁美とキュゥべえが実はグルで芝居でも打っていたのかと思ったのだが……。

 

「ふざけないで!私があいつとグルなわけないでしょ!」

 

暁美は、珍しく大きな声を出して激昂した。この怒り方は演技ではないな。

 

「そのようだね。ごめん、君に失礼なことしちゃったね。許してくれるかな」

 

しかし、今のやり取りでわかったことがある。

あのぱっと見、無害なマスコットにここまで怒りを浮かべるなんて尋常じゃない。間違いなく、暁美は支那モンがどういう存在なのか知っている。

 

そして、暁美が支那モンとグルではないということは、支那モンは暁美に襲われながらも、あの鹿目さんのいるショッピングモール向かっていたということ。支那モンがどれほど狡猾であるかがうかがえる。

 

やはり、あの宇宙生命体は怪しい。少なくても僕や鹿目さんの味方ではないことは確かだ。

 

最後に、この女は鹿目さんのことを本気で大切に思っている。

同性愛者なのだろうか。だとすれば、こいつはこいつで鹿目さんにとって、かなり危険な存在だ。

 

結局のところ、暁美は僕の知りたい情報を一つも話してはくれなかった。

ただ言いたいことだけ言って、さっさと行ってしまった。

何て女だ。このコミュ障が!だから、お前は友達が居ないんだ。昼食の時間、独り寂しく便所で飯でも食っていろ!

 

いけない。つい、無意味に熱くなってしまった。

そろそろ僕も学校に向かわないといけない。それに鹿目さんたちを待たせたままだ。

彼女たちは、すでに先に行ってしまっただろうか?それならいいんだが、もし僕のことをまだ待っているとしたら急がなくちゃいけない。

 



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第七話 価値観の違い

「あ、政夫くん、おはよう」

 

「政夫遅ーい。女の子を待たせるなんて最低だぞ」

 

「寝坊でもしてしまったのですか?政夫さん」

 

待ち合わせの場所に着くと、ピンク、水色、緑の三人が待っていた。

それだけなら、僕は謝罪と挨拶を彼女たちに送り、談笑でもしながら学校へ向かうんだが、もう一人、いや、もう一匹そこに僕を待っていた奴がいた。

 

『やあ、夕田政夫』

 

支那モン。

胡散臭(うさんくさ)い中国製のシナモロールのキャラみたいなマスコット。

だが、その実態は宇宙からエネルギーを求めてやってきた地球外生命体だ。どんなに愛想を振りまいてきても決して油断してはいけない。

こいつの目的がエネルギーだということは分かっている。だが、『何がエネルギーに変換されているのか』までは言わなかった。

 

何より怪しいのは、『願い事』のことだ。

自分達ですらエネルギー不足で困っているのに、果たして魔法少女になる女の子の『願い事』を叶える余裕なんてものがあるだろうか?

エネルギー保存の法則がある以上、『願いを叶えるためのエネルギー』が元手(もとで)として必要になるはずなのだから。

 

・・・まさか。

『願い事を叶えるためのエネルギー』すら願った少女に払わせているのか。

だとしたら・・・。

 

 

『お~い。政夫ー?聞いてる?』

 

思考に没頭している僕の頭の中に、突然美樹の声が直接(・・)響いた。

弾かれたような勢いで美樹を見る。彼女はいたずらが成功したと言わんばかりの笑みを浮かべていた。

 

こいつ・・・今、僕に何をした?まさか、すでに魔法少女になったのか?

僕の脳裏を過(よ)ぎった考えを頭に響く鹿目さんの声が否定する。

 

『違うよ、政夫くん。キュゥべえが私たちの考えてることをテレパシーみたいな力で(つな)いでくれてるの』

 

考えただけで思考が繋がる?

だとしたら、最悪だ。このわけのわからない生き物に、自分の中身が覗(のぞ)かれていると思うだけで鳥肌が立つ。

 

『酷い言い様だね、政夫。そんなにボクのことが嫌いなのかい?』

 

これすらも筒抜けらしい。プライバシーを保護しようという概念はないのだろうか。ないんだろうなぁ、多分。

 

「お三方(さんかた)とも、さっきからどうしたんです?しきりに目配せしてますけど」

 

志筑さんは一人だけ疑問符を浮かべていた。どうやら、彼女にはテレパシーが伝わっていないらしい。

それは良い事だと素直に思う。こんな頭をお互いに覗き合うような冒涜的な行為に混ざる必要などないだろう。

 

『ぼ、冒涜的って・・・。そう言われるとそうかも知れないね』

 

『政夫。ちょっとアンタ大袈裟(おおげさ)すぎ』

 

僕はせめてもの抵抗として、テレパシー会話には参加せず、志筑さんと声を出して話すことにした。

 

「う~ん。僕にも分からないね。きっと僕らは目と目で語り合う間柄になったってことじゃないかな?」

 

「まあ!たった一日でそこまで急接近だなんて。でもいけませんわ、お三方。三人でなんて。それは禁断の、恋の形ですのよ~!!」

 

突然、志筑さんはバッグを落として、意味不明の台詞を発しながら、走り去ってしまった。

別に嘘も吐いてなければ、それほどおかしいことも言っていないのにどうしたのだろうか?

 

「あぁ…。今日の仁美ちゃん、何だかさやかちゃんみたいだよ」

 

なるほど、うまい事言うな、鹿目さん。確かにあの脳みそが沸(わ)いたような言動は、まさに美樹のようだ。

 

 

『つーかさ、あんた、のこのこ学校までついて来ちゃって良かったの?あんた、転校生に命狙われてるんじゃないの?』

 

『どうして?むしろ、学校の方が安全だと思うな。マミもいるし』

 

『マミさんは3年生だから、クラスちょっと遠いよ?』

 

 

学校に着いても、鹿目さんや美樹はテレパシーで支那モンと会話をしていた。

美樹は支那モンが暁美に襲われることを危惧(きぐ)しているようだが、僕としてはその地球外生命体の方がよっぽど恐ろしい。

なぜ二人とも平気でソレを信用してるんだ?重要な事項を説明しなかった理由を「聞かれなかったから」と平然と言い張るような生き物なんだぞ?確実に他にも何か重要なことを隠しているに決まってる。

そして何より、鹿目さん達が何も反応していない以上、僕が今考えているこの思考は鹿目さん達には届いていない。これはつまり支那モンが都合の悪い思考は繋がないようにしているという事だ。

 

『ご心配なく。話はちゃんと聞こえているわ。見守ってるから安心して。それにあの子だって、人前で襲ってくるようなマネはしないはずよ』

 

巴先輩の声までもが僕の頭に響く。

ですが先輩、僕の『話』は少しも聞こえてはいないのでしょうね。

それよりもテレパシーの圏内(けんない)が思った以上に広い。大体何メートルぐらいまでなら、カバーできるのだろうか?

 

そうこうしている間に暁美が教室に入ってきた。相変わらずムッツリとした無表情をしている。

あいつもあいつで信用ならないが、支那モンについて何らかの情報を知っている以上どうにかしてそれを聞き出さないといけない。僕の危険を少しでも減らすために。

 

 

 

 

その後、僕らは学生らしく英語の授業を受けてた。

なるほど。受動態はbe動詞+過去分詞となるわけか。

昨日も思ったけど、前の学校よりも若干授業のレベルが高いような気がする。ここ私立じゃないよね?むしろ市立だよね?

 

そんな風に授業を終え、昼食の時間となった。

僕は中沢君たち男子グループと一緒に食べようと思ったのだが、美樹にほとんど無理やり屋上に連行され、鹿目さんたちと昼食を食べることになった。せめてもの反抗として中沢君も誘ってみたのだが、美樹がどうしても駄目だと騒いだため諦めた。

それにしても魔法少女の話をするためとはいえ、「中沢は絶対来ちゃ駄目!」は酷すぎるだろ。中沢君、しょんぼりしてたぞ。

 

「ねえ、まどか。願い事、何か考えた?」

 

美樹が鹿目さんに切り出す。授業中ずっと上(うわ)の空だったのは、それについて考えていたのだろう。

数学の時間も教師に指名されて慌てていた。最終的に支那モンに答えを教えてもらい、事なきを得ていたが。

 

「ううん。さやかちゃんは?」

 

「私も全然。何だかなぁ。いっくらでも思いつくと思ったんだけどなぁ。政夫は何かある?」

 

急にこっちに話を振ってきた。こいつは僕にどう答えてほしいんだ?

 

「僕は関係ないだろ?それとも答えたら、それを美樹さんが叶えてくれるの?」

 

「えっ!?いや、それは・・・。ちょっと意見を聞きたかっただけだし」

 

「なら、僕はその『願い事』なんて物は、ない。というより気持ちが悪いよ」

 

自分が願っただけで願いが叶うなんてどう考えても普通じゃない。まるで自分の願望を勝手に汚されているみたいだ。

少なくても僕は自分の努力の介入していない結果なんていらない。

 

「き、気持ち悪いって・・・。あんたは願いとか夢とか叶ってもうれしくないの?」

 

美樹は僕の言っていることがまったく分からないよいったようすで聞いてくる。

 

「『叶った』じゃなくて『叶えてもらった』でしょ?そんな見っとも無い真似してまで、僕は願いなんて叶えてほしくないね。それじゃまるで乞食(こじき)だよ」

 

僕の言葉を鹿目さんも美樹も黙って聞いていてくれている。

その目は真剣そのものだった。ならば、僕も本心で答えるまでだ。

 

「僕はね、自分の夢も願いも自分で叶えてこその物だと思ってる。そうじゃなきゃとても胸を張れないよ」

 

『どうしてだい?結果が変わらなければ、過程なんてどうでもいいじゃないか』

 

今まで何も言葉を発しなかった支那モンが僕の意見に反論してきた。

その発言にこの生き物の本質が少し見えた気がする。

恐らくこいつは『エネルギーを集めるため』なら過程を選ばないのだろう。僕の中で支那モンの信用度がますます下がった。

だが、僕はこの生き物に人間として答える。

 

「人間は時には結果よりも過程を重視することがあるのさ。いわゆる『誇り』だよ」

 

もっともこれは僕の主観であり、他の人間には当てはまらないかもしれないが、それでも人間とは『そういうもの』であってほしいと思う。

 

確かに結果が全てだという人もいるが、人生においての結果は『死ぬこと』だ。生きている間にどんなものを手に入れても、死ぬ時にはみんな失ってしまう。生きてる間は皆過程でしかないのだから。

だからこそ、僕は、僕が少しでも納得できる生き方をしている。

 

『ふーん。ボクには理解できそうにないな』

 

「だろうね。僕もそんな君が理解できそうにないよ」

 

無表情の不気味なマスコットの見つめる。相変わらず、何を考えているのか分からない目をしていた。

しばらくにらめっこを続けていると、チャイムがなった。

どうやら昼休みが終わったようだ。

 



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第八話 魔法少女体験コース

「さて、それじゃ魔法少女体験コース第一弾、張り切っていってみましょうか」

 

巴先輩がハンバーガーショップの店内で高らかに宣言する。

(はた)から見たら、相当痛い人だ。いや、事実かなり痛い人なんだけどね。友達もいないっぽいし。

僕達は巴先輩の『魔法少女体験コース』とやらに参加するためにハンバーガーショップに集まっていた。・・・今更だけど、僕やっぱり要らないよね?正直もうすでに、帰りたいんだけど。

 

「準備はいい?」

 

「準備になってるかどうか分からないけど…持って来ました!何もないよりはマシかと思って」

 

美樹はごそごそ鞄をあさると、金属バットを取り出した。

それを見て僕は口に含んでいた飲み物を噴き出しそうになった。

「持って来ました」じゃねーよ。それ、学校の備品じゃねーか!マジックでばっちり側面に『見滝原中学校』って書いてあるぞ!

 

「まあ、そういう覚悟でいてくれるのは助かるわ」

 

巴先輩はそう苦笑いするだけで美樹に注意はしなかった。それでいいのか、最上級生。

 

「・・・鹿目さんは何か持ってきたの?」

 

僕は鹿目さんに話を振った。

君はこいつと違って変なもの持ってきたりしてないよね、という意味を言外に滲(にじ)ませる。

 

「え?えっと。私は…」

 

鹿目さんはノートを一冊取り出して、ページを開いてからテーブルの上に乗せた。

書かれていたのは、ピンク色のフリフリしたファンシーな衣装を着たデフォルメされた鹿目さん自身が描かれていた。

え?そんな黒歴史ノート見せられても、僕はどう反応していいか分からないよ。

美樹は、歯に衣着せぬリアクションをする。気持ちは分かるけど。

 

「うーわー」

 

「と、とりあえず、衣装だけでも考えておこうと思って」

 

一応羞恥心はあったらしく、照れたように慌てていた。でも、これ数年後に思い出してクッションに顔をうずめて足バタつかせるレベルのものだよ。

 

「ま、政夫くんは何か持ってきたの?」

 

話を強引にそらそうと鹿目さんは僕に振った。

僕は鞄から、数十枚に及ぶ原稿用紙を引っ張り出した。

 

「僕も鹿目さんと同じで武器になるような物は持ってこなかったけど、とりあえず、遺書だけでも考えておこうかと思って」

 

一応、武器を持ってくることも考えたが、下手に攻撃手段があると気が緩むので持ってこなかった。逃げに徹して、巴先輩に何とかしてもらった方が生存率は上がるだろう。

なぜか鹿目さんと美樹はそれを見て唖然としていた。

 

「い、意気込みとしては十分ね。でも夕田君。そこまで覚悟しなくても・・・」

 

「何言ってるんですか、巴先輩。死ぬかもしれないんですよ?実際、僕らは昨日死にかけた。そういう場所にこれから行くんです。これくらいの覚悟は必要不可欠ですよ」

 

そう。一歩間違えば死ぬのだ。簡単に。何の意味もなく。

僕に言わせてもらえば、鹿目さんや美樹のスタンスの方が異常だ。遊びに行くのとはわけが違う。

 

 

 

ハンバーガーショップを出た後、鹿目さんはおろか、お調子者の美樹までほとんど喋らなかった。二人は思いつめた顔で巴先輩の後に付いて行く。ちなみに僕は最後尾だ。

 

「基本的に、魔女探しは足頼みよ。こうしてソウルジェムが捉える魔女の気配を辿ってゆくわけ」

 

巴先輩は、ソウルジェムをかざして歩きながら、僕たちに説明を説明をする。

裏路地を通り、薄暗く寂(さび)れた区画へと入っていく。周囲には嫌な雰囲気が漂ってきた。

しばらく歩いたところで巴先輩がぽつりと呟(つぶや)いた。

 

「かなり強い魔力の波動だわ。近いかも」

 

その言葉に僕らに緊張が走る。いよいよ来るのか。

そのまま進むと大きなビルの前についた。

 

「間違いない。ここよ」

 

「あ、マミさんあれ!」

 

鹿目さんの言葉で彼女が見ている場所を見上げると、自殺寸前の女の人が見えた。

やばいと思った時には女性は飛び降りていた。

 

「ハッ!」

 

声と共に魔法少女の姿になった巴先輩は、どこからともなく黄色いリボンを召喚する。そして、そのリボンは落ちてくる女性を見事にキャッチしてみせた。

すごい。もう駄目だと思ったのに。僕の中で巴先輩の株がストップ高になった。

 

「魔女の口づけ…やっぱりね」

 

巴先輩は女性の首の辺りを見てそう言った。

僕も見てみると女性の首に変なマークがあった。『魔女の口づけ』と言うぐらいだから、この自殺未遂も魔女のせいなのだろう。たしか魔女の呪いの影響で割と多いのは、交通事故や傷害事件と巴先輩は説明していた。

 

「この人は?」

 

鹿目さんが心配そうな顔で巴先輩に聞いた。

 

「大丈夫。気を失っているだけ」

 

そう聞いて、鹿目さんはほっとした安堵を見せた。優しいな鹿目さんは。そこまで面識もない人を心配できるなんて。それに比べて・・・。

僕が美樹を見ると、不思議そうな表情を返された。

 

「どうしたの?政夫」

 

「いや。何でもないよ。僕も同じようなものだしね」

 

「さあ、三人共。行くわよ」

 

巴先輩に(うなが)されて、僕たちはビルの中に入っていく。

ここからが本番だ。

 

「今日こそ逃がさないわよ」

 

ビルの中に入ると巴先輩は、傍から見ても分かるくらいはりきっていた。多分、僕ら見学者がいるせいだ。

・・・地味だもんな。人知れず平和を守ると言えば、聞こえはいいが実際行う側からすれば、たまったものではないだろう。

 

「美樹さん。ちょっとそのバット貸してもらえる?」

 

巴先輩は美樹から、金属バット(見滝原中学の備品)を借りると表面をそっと()でた。すると、バットは発光してみるみるうちに形が変形する。

なんという事でしょう。匠の技により、ただの金属バットはデコレーションされ、華麗に生まれ変わりました・・・・って、何してんだ、この人!それ学校の備品!そんな魔改造しちゃってどうするつもりだよ!

 

「うぅ、うわぁー」

 

「すご~い」

 

何で二人ともそんな好意的に見てるの?突っ込もうよ!こんなの絶対おかしいよ!

 

「気休めだけど。これで身を守る程度の役には立つわ。絶対に私の傍を離れないでね」

 

巴先輩は、何かをやり遂げたような達成感あふれる表情しておられた。これはもうだめかもしれんね。

僕はもうすでに精神的に疲れたよ。もう帰りたい。

 

 

 

 

とうとう僕らは魔女の結界の内部まで来てしまった。

仕方ない。ここまで来たら気持ちを切り替えよう。少しでも情報を集めて、今後の役に立たせるとしよう。

僕は周囲を見回す。そして、ある事に築いた。

前は余裕がなくて気がつかなかったが、この結界の模様というか背景はずいぶん人工物のような外観をしている。

なぜだ?魔女とかいう存在が人間よりも高位の存在だとするなら、人間が作り出した物にここまで関心を示すものだろうか?

近いものを上げるなら父さんの仕事の関係で見た、精神分裂症の患者が書いた絵のようだ。

 

「来るな、来るなー!ちょっと政夫も何かしなさいよ!女の子だけに戦わせる気なの?!」

 

美樹は髭と目玉がたくさん付いたアイスクリームみたいな使い魔(ミニアイスおじさんと命名しよう)を必死で振り払おうとしていた。

うるさいな。無理やり連れてきといて何言ってんだろう、あの青髪は。

しかも、デコレーションバットを振り回しているが、一発も当たっていない。というかバットからバリアのような物が発生して防いでいるため、バット自身を振り回す意味は皆無だった。君は一体何がしたいの?

 

「どう?怖い?三人とも」

 

先頭を歩きながら、マスケット銃で使い魔を打ち落としていた巴先輩は振り返って、僕らに聞いてきた。

 

「な、何てことねーって!」

 

美樹は無駄に虚勢を張るが、怯えているのが簡単に読み取れた。前も思ったがこいつは間違いなく、僕や鹿目さんよりもメンタルが脆(もろ)い。時折(ときおり)見せる威勢のよさも内心では恐れている証拠だ。

 

「怖いけど…でも…」

 

鹿目さんは小さな声で答えるが、多分僕よりも落ち着いている。恐らく、恐怖より魔法少女というか巴先輩への憧れの方が強いせいだろう。美樹とは対照的だ。

 

『頑張って。もうすぐ結界の最深部だ』

 

突然、支那モンの声が足元から響いた。

忘れてた。この似非(えせ)マスコットもついてきていたんだった。言葉を発しなかったから、その存在をすっかり失念していた。

 

「見て。あれが魔女よ」

 

おかしな装飾をされた扉をいくつも(くぐ)ると、ホール状の空間に蝶の羽がついた寸胴な身体に頭が溶けかけたアイスクリームみたいな化け物が椅子に座っていた。

気持ちが悪い。あれのどこが魔『女』なんだ?一体どこら辺に女の成分があるんだよ!性別なんか存在してなさそうだよ、あれ。

 

「う…グロい」

 

「あんなのと…戦うんですか…」

 

美樹も鹿目さんも、僕と同じような感想持ったらしく、二人とも顔色が悪くなっていた。

対して巴先輩はそんな二人を気遣うように、優しく微笑んだ。

 

「大丈夫。負けるもんですか。下がってて」

 

そしてデコレーションバットを床に深々と突き刺した。その途端に不思議な光が周囲を覆った。多分バリアか何かだろう。

 

巴先輩は、魔女がいるホールへと飛び降りた。

そして、難なく着地する。そしておもむろにスカートを持ち上げると、そこから二丁のマスケット銃を取り出した。そのスカート、どうなってんですか。四次元空間とかと繋がっているんだろうか。

魔女は巴先輩に向かって、自分が座っていた椅子を投げ飛ばす。

巴先輩はすくむことなく、避けながら銃を撃つ。魔女は大きさに関わらずに機敏な動作でホール内を縦横無尽に飛び回って避けた。

巴先輩のマスケット銃はやはり単発式らしく、一発ずつ撃つと投げ捨てていた。

どうするのかと思ったら、今度はベレー帽を振ると何丁もの銃が出現する。そのいくつもの銃を手に取り、一発撃っては捨て一発撃っては捨てを繰り返す。

魔女はこれも飛び回って避けた。

 

「あっ…ぅ…ぇ…あっあ!」

 

突然、巴先輩が変な声を上げた。よく見ると、足元にいたミニアイスおじさんがまとわり付いていた。

ミニアイスおじさんは巴先輩の足から腰の辺りに一列になって組み付くと、そのまま(ひも)状になった。巴先輩を宙吊りに持ち上げる。

巴先輩はそれでも気丈にマスケット銃で魔女に攻撃を当てるが、壁に思い切り叩きつけられてしまった。

 

鹿目さん達は声を上げるが、僕だけは巴先輩が死んだらここをどう抜け出すかを模索し始めていた。

ここから急いで入ってきた入り口まで逃げれば、どうにかなるだろうか?

 

「大丈夫。未来の後輩に、あんまり格好悪いところ見せられないものね」

 

巴先輩のその台詞と共に、魔女の後方にあったバラの花が崩れ、そこから黄色いリボンが生えてきた。恐らく、巴先輩が魔女に気付かれず仕掛けておいたのだろう。

あんな姿をしているくせに魔女は花が傷ついたことにショックを受けたらしく、リボンの方に近づいていってしまう。案の定、魔女は長く伸びた無数のリボンに絡め取られ、身動きが取れなくなった。

それを見逃すほど、巴先輩は愚かではない。というよりこうなるようにあらかじめ動いていたと見た方がいいだろう。

 

「惜しかったわね」

 

巴先輩は首元に付いているリボンを引き抜くと、そのリボンで自分を宙吊りしている紐を切り裂いた。そのリボンは巻きつくように形を作ると、巨大な銃に姿を変えた。

 

「ティロ・フィナーレ!!」

 

巴先輩のは謎の単語を叫ぶと、巨大な銃口から黄色い光の弾丸が発射され、魔女に激突した。魔女は光に包まれると消え失せた。

巴先輩はなぜかこちらに振り向いた時にティーカップで紅茶を飲んでいた。どんだけ余裕ぶっこいてんですか、先輩。

 



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第九話 いつの間にか穴だらけ

戦いが終わり、魔女の結界が解けた。

巴先輩もあの魔法少女の衣装であるファミレスの制服のような服装から、見滝原中の制服へと変わっていた。

 

「これがグリーフシード。魔女の卵よ。運がよければ、時々魔女が持ち歩いてることがあるの」

 

 

巴先輩は、床に落ちている上と下の両端が(とが)った、手のひらに収まるほどの大きさのオブジェを拾って言った。

 

「た、卵……」

 

美樹が、怯えた表情で一歩引いた。あんな化け物が生まれてくる卵と言われれば、誰だってそんな態度を取るだろう。

うん?そのグリーフシードから魔女が生まれるなら、最初の魔女は一体どこから発生したんだ?雌鳥(まじょ)(グリーフシード)を産むことはわかったが、一番最初の雌鳥(まじょ)は自然発生したのか。謎は深まるばかりだ。

 

『大丈夫、その状態では安全だよ。むしろ役に立つ貴重なものだ』

 

僕の思考をよそに支那モンはいつも通り、口も動かさずに喋る。ハンバーガーショップではポテトを食べていたので、口自体は開くはずだろうに。

まあ、そんなことはどうでもいい。気になっていたことを巴先輩に聞こう。

 

「すいません。自分でも分かるくらい空気の読めていない発言なんですが、何であの化け物が女って言われているんですか?雌雄なんて存在しそうにありませんでしたけど」

 

「え?えーと……それはキュゥべえがそう読んでいたから。そうよね、キュゥべえ?」

 

やっぱりというか予想通りというか、巴先輩は知らなかった。むしろ、気にもしていなかったようだ。

何でそんなにこのケダモノに全面的に信頼を寄せられるのか本当に謎だ。

 

『うん。魔女と名付けたのは確かにボクらだよ。これ以上に適切な呼び方は存在しないからね』

 

「そうなの?魔女というより魔物って感じだったけど。まどかはどう思った?」

 

「そうだね。思ってた『魔女』よりも、ずっと不気味で怖かった」

 

美樹や鹿目さんも(おおむ)ね、僕の意見と同じようだ。

ならば、好機だ。こいつは僕が聞くだけなら「何でそんな事を聞きたがるんだい?君には関係ないじゃないか」とか言って追求から逃れるが、魔法少女候補生の彼女達が聞くのなら、答えなくてはいけないはずだ。

 

「それで『魔女』と名付けた経緯は何なの?教えてくれよ、『キュゥべえ君』」

 

あえて僕は支那モンではなく、名前をはっきりと呼んだ。もちろん、嫌味だ。それとより真摯(しんし)にせまり、誤魔化(ごまか)しをさせないためでもある。

 

『あれらはもともと、女の子だったからね。それが成長した結果だから魔女、なんだよ』

 

衝撃の真実。僕を含めた皆が絶句した。

だが、僕はその可能性も考えていたので、やっぱりかという感想しかなかった。

元人間ならば、結界の内部があれほど人工物を意識していても不思議ではない。それよりもこいつがさっき言った『ボクら』という方が引っかかった。

支那モンは複数、存在しているのか。それとも他に協力者がいるのか。どちらにしても恐ろしいな。

 

「…………う、嘘よね?キュゥべえ。冗談にしては悪ふざけが過ぎるわよ……?」

 

巴先輩の声は震えていた。先ほど魔女相手に立ち回っていた彼女とは同一人物には見えない。

まあ、無理もない。ただの化け物だと思って戦っていた相手は、実は人間のなれの果てだなんて平然ではいられないだろう。

 

『本当だよ、マミ。ボクが今まで君に嘘をついた事が一度でもあったかい?』

 

支那モンはそんな巴先輩ににべもなく、淡々と言う。巴先輩は(ほう)けた表情で膝をついた。

今まで一緒に過ごしてきた巴先輩の気遣いや同情の類は一切見受けられない。

しかし、巴先輩にはかわいそうだが、多分支那モンが言ってることは真実だろう。こんな嘘を吐くメリットが支那モンにはない。

僕は、さらに支那モンを問う。

 

「あれが魔女と呼ばれる理由については分かったよ。なら、なぜ普通の女の子が魔女になってしまったんだ?原因とかは分かる?」

 

『ああ、それは……』

 

支那モンは僕の問いに答えようとした次の瞬間、穴だらけになって倒れた。

 

何が起きたのか理解できなかった。

僕は目を離したり、(まばた)きすらもしていない。それにも関わらず、支那モンは穴だらけになり死んだ。

どうしたんだ?一体何が……。

絶句していた鹿目さんと美樹も、呆けていた巴先輩も、誰一人として何が起きたのか理解していないようだった。

 

「夕田政夫」

 

僕らがいる場所の横にある通路から、声と共に暁美ほむらが出てきた。

その手には、前にも見た拳銃を握っている。

 

「私は言ったはずよ。鹿目まどかや美樹さやかと一緒に巴マミから離れなさいと」

 

底冷えするような声で彼女は僕に銃口を突きつける。

 

「もう二度と魔法少女には関わらないと約束しなさい。もちろん、そこの二人もよ」

 

やはりこいつは魔法少女に関して知っている。そして、それは他の誰かに知られてはまずいことだ。

この場合、僕や鹿目さん達に聞かせたくなかったのか、それとも巴先輩の方に知られたくなかったのかによって、これから僕が取っていかなければならないアクションが変わるのだが……。

取り合えず、今は暁美の言葉に従っておこう。両手を上げて、降伏の意思を見せる。

 

「うん。分かったよ。君ら魔法少女には、もう関わらないよ。ね、鹿目さん。美樹さん」

 

こいつが支那モンをどうやって殺したのかは分からない。だが、ここでYESと答えなければ、僕が『どうなるか』は想像に(かた)くない。

 

 




どのくらいが丁度いい長さなのか、考えながら投稿させてもらってます。

やっぱり3000文字はあるべきでしょうか?


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第十話 みんな仲良く

僕は、暁美が現れた後、なんとか鹿目さんと美樹を説得して一先(ひとま)ず帰らせた。二人とも、特に鹿目さんの方は納得してはいなかったが、どうにか頼み込んで事無きを得た。

 

「これでいいんだろ。それじゃあ、僕も帰らせてもらうよ。あとは魔法少女同士でご勝手に」

 

「ま、待って……夕田くん」

 

僕もこの場からさっさと立ち去りたかったが、巴先輩に引き止められてしまった。

一瞬、制止を振り切って帰ろうかと考えたが、一応巴先輩は僕の命を救ってくれた恩人なので仕方なく留まる。

 

「……何でしょうか?巴先輩」

 

今こうしている間も、暁美は僕に銃口を突きつけている。お前はもういい加減で銃下ろせよ。

 

「友達としては……友達としては私と一緒にいてくれるの、よね?魔法少女としてではなくて」

 

巴先輩は(よど)んだ瞳孔の開いた目で僕を見ながら、そう聞いてくる。いつもの自信にあふれた目ではなく、病んだ女の目だ。ものすごく怖い。というか僕に聞かないでください。

僕は答えずに暁美の方を見る。巴先輩の意見はありなのかと彼女に言外に問う。

 

「駄目よ。絶対に駄目。巴マミに関われば、必然的に魔法少女にも関わってしまう」

 

駄目だったらしい。だが、それは巴先輩には納得できなかった。

 

「何で貴女にそこまで決められなくちゃならないのよっ!!関係ないじゃない!」

 

ヒステリックに巴先輩は(わめ)いた。支那モンの正体を聞いた時よりも取り乱している。

涙をにじませながら怒る巴先輩は年相応の女の子で、普段の先輩然としていたのは見栄(みえ)を張っていただけにすぎなかったようだ。

正直言って逃げたいな~、この空気から。何ていうか、女子特有のピリピリした空間が周りに充満している。もう魔法少女がどうとか関係ないよね。

 

ん?ふと、この状況から逃避したくて視線を巡らしているとあることに気がついた。

巴先輩の持っているソウルジェム、前に見た時よりも色が(にご)っている。

間違いない。僕の目の錯覚でもない。この前は一点の(くも)りのない綺麗な黄色だったのが、やや薄暗い黄色へと変わっていた。

 

「……っ!!巴マミ!早くグリーフシードを使いなさい!」

 

僕に向けていた銃を下ろし、暁美はクールな表情を一転させて、慌てたようすで大きな声を出した。

それに対して、巴先輩は暁美の言葉を聞こうとせず、耳を(ふさ)いでまるで駄々っ子のように首を振る。

暁美はとうとう()れて、巴先輩のソウルジェムとグリーフシードを強引に奪うとソウルジェムにグリーフシードを押し付けた。すると、巴先輩のソウルジェムの(にご)りがグリーフシードへと吸い込まれた。

 

どういうことだ?ソウルジェムが魔力の源なのなら、暁美の行動の意図がまるで分からない。敵に塩を送るようなものだ。まさか、ソウルジェムが濁ると魔法が使えなくなるだけじゃなく、他にも何か起きるのか?そして、それは暁美にとって不都合なことなのか?

 

僕は暁美と巴先輩を観察しながら、状況を脳内でまとめる。

まず、暁美は支那モンを瞬殺した。これは暁美が何らかの魔法を使ってやったのだろう。それがどんなものかは気になるところではあるが一旦置いておこう。

支那モンが言おうとしていたことは、普通の女の子が魔女になる原因と理由。

これを僕らに聞かせたくなかったので、暁美は支那モンを殺した。ならば、暁美はそれを知っているということになる。

 

次に暁美は、巴先輩から僕と鹿目さんと美樹を引き離そうとしていた。これは鹿目さんがメインであって、僕と美樹はおまけのようなものだろう。転校初日でも鹿目さんにあの意図のよく分からない厨二病っぽい説教をしていたことからも分かる通り、こいつが大事なのは鹿目さんだけだ。

鹿目さんが魔法少女になることを極端に忌避している。

この件に関しては、暁美が異常に『会って間もないはずの』鹿目さんに固執しているところが不可解だが、(おおむ)ね僕は暁美に賛成だ。

巴先輩には悪いが、少なくても僕は何度も何度もこんな異常なことに付き合わされたくはない。

 

最後が巴先輩のソウルジェムが(けが)れるのを極端に恐れていること。

これが謎だ。分かるのは、ソウルジェムが濁りきるとただ単に魔法が使えなくなるだけではないということだ。

 

ふと。

 

ふと、僕の頭で単語同士が線のように繋がった。

 

『魔女』は元は『普通の人間の女の子』。そして、『魔法少女』もまた『普通の女の子』が元だ。

『魔女』は『グリーフシード』から生まれる。『魔法少女』も『ソウルジェム』を契約時に生み出す。

これは余りにも似すぎてはいないだろうか。

 

(『普通の女の子』⇒『魔法少女』)≒(『普通の女の子』⇒『魔女』)

 

どこから来たのか分からない『グリーフシード』。濁りすぎると危険な『ソウルジェム』

 

(『ソウルジェム』+『穢れ』⇒・・・・・・・・・『グリーフシード』?)

 

これらのことを組み合わせて、最悪の考えが組みあがる。

 

(『普通の女の子』⇒『ソウルジェム生成』⇒『魔法少女』⇒『グリーフシード生成』⇒『魔女』・・・・・・)

 

魔法少女のソウルジェムが濁りが一定を越すと、グリーフシードになり、魔女を生み出す。

あくまで僕の推測に過ぎないが、この考えならば、暁美の不可思議な行動に説明がつく。

 

だとするなら、今僕が取らなければならない行動は一つ!

 

 

うずくまる巴先輩に近づいて、その手を握り締める。

 

「巴先輩!僕と友達になりましょう!」

 

巴先輩は目の端に涙を溜(た)めた顔で僕を見つめた。

 

「ほ、ほんとう・・・?ほんとうにわたしとおともだちになってくれるの?」

 

たどたどしい涙声で僕に聞き返す。完全に幼児退行してる。この人、本当に上級生か疑問になってきた。

僕は優しくだけど力強く巴先輩の手を握りながら、笑って言った。

 

「当たり前じゃないですか。巴先輩、いえ、巴さん。貴女と僕はもう友達ですよ。一緒にケーキだって食べた仲じゃないですか」

 

自分で言ってて何言ってんだと思うが、この際関係ない。グリーフシードで濁りがなくなったとはいえ、ストレスによってまた濁るならここで魔女になるかもしれない。だったら、こうするのが一番生存率が高い。

ここで巴さんに魔女になられたら危険だし、何より後味が最悪だ。

 

「ちょっと夕田政夫。私との約束は……」

 

「そうだ!暁美さんも巴さんと友達になろうよ。仲良くなるチャンスだよ?」

 

暁美がまた銃を僕に突きつけて喋りだしたが、強引に言葉をかぶせた。

そして、巴さんに聞こえないように暁美の耳元で(ささや)く。

 

「……じゃないと巴さんに魔法少女が魔女になるって教えちゃうよ?」

 

「なッ!何でそれを貴方が……」

 

反応から見て、僕の推測は正しかったらしい。ならば、ここで一気(いっき)にたたみ掛ける。

 

「そんなことより、君の答えは?ねえ、暁美さん。ここで巴さんが魔女になったら色々と困るんじゃない?倒したとして、鹿目さんにどう説明するつもり?」

 

「それは……」

 

最後に駄目押しの台詞。

 

「もし巴さんが急に居なくなったら、鹿目さん、魔法少女になってでも探すだろうなぁ」

 

「くッ……分かったわ。巴マミ、今までの非礼、お()びするわ。ごめんなさい。もしよければ、私と仲良くしてもらえないかしら」

 

暁美は、巴さんに頭を下げて、ソウルジェムとグリーフシードを返した。

うんうん、いいよね。素直に謝れるって。

その光景を見て(うなず)いていると、暁美にギロっと横目で睨まれた。ちょっと悪乗りが過ぎたかな。自重しよう。

 

「暁美さんが・・私と友達に?」

 

巴さんはいきなり暁美さんの態度が急変したことに戸惑っていた。無理もないけど。

ここで僕はあえて空気を読まず、携帯を取り出して二人に向ける。

 

「よし。それではお互いの番号とメールアドレスを交換し合おう。まずは巴さんから。僕が受信しますんで赤外線送信お願いします」

 

未だに少し呆然としている巴さんにテンションを「早く早く」と急かす。

言っといて気づいたが、巴さん携帯持ってるんだろうか?親も友達もいないなら、必要ないから持ってない可能性もあるな。

 

しかし、僕の心配は余計だったようで、巴さんはポケットからちゃんと黄色い携帯電話を取り出した。

僕は携帯を赤外線受信の画面にして待つが、しばらくしてもデータが来ない。まさか・・・。

 

「巴さん、ひょっとして赤外線機能分からない、もしくは付いてないんですか?」

 

「・・・えっと、赤外線って何かしら?」

 

もじもじと恥ずかしそうに僕に尋ねた。

そうか・・・使ったことなさそうですもんね。

 

仕方なく、僕が巴さんを渡してもらい操作すると赤外線機能自体はちゃんと付いていた。

操作している時、見せてもらったが着信履歴が間違い電話とチェーンメールしかないのと、登録件数がゼロなのが見ていて僕の心をえぐった。この人、本物のぼっちだ。そりゃ友達欲しくて喚くわけだよ。

 

無事に巴さんとお互い登録を終えると、今度は暁美とも登録をする。暁美はしぶっていたが、大人しく電話番号を交換に応じた。

こいつも、クールな表情を保っていたが赤外線機能をいじる時やたらたどたどしかった。僕と巴さんの見よう見まねでやっているが明らかだ。案外かわいらしいところもあるんだね。

 

 




ちょっとにじふぁんの時より改良しました。
でも大筋の内容は変わってません。


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第十一話 お喋りタイム

「あ、グリーフシードをどうにかしないと!」

 

お互いのアドレス交換が終わると、巴さんが突然思い出したように言った。

ああ、そういえばグリーフシードって魔女の卵なんだったっけ?孵化(ふか)する可能性があるわけか。

 

「今まではどう処理してたんですか?」

 

「いつもはキュゥべえが食べてくれるんだけど……」

 

巴さんは形のいい眉を八の字型にして、困った顔をした。……あー、殺されちゃったからねー、支那モン。

殺した張本人の暁美を見ると少しも悪びれたようすもなく、気取ったポーズで髪をファサッとかき上げた。『ファサッ』じゃねーよ。どうしてくれんだよ。

死骸(しがい)とかした支那モンへ目をやると、そこには白く崩れた支那モンをおいしそうに食べる支那モンが、って……え?

 

「のおおおおおわああああぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

『がつがつがつがつ……きゅっぷい。政夫、いきなり奇声を上げたりしてどうしたんだい?』

 

崩れた支那モンを食べ終えた支那モンがさも不思議そうに聞いた。

なんだ、こいつ……。いや、支那モンは「ボクら」と言っていたから複数匹いるのは分からなくもないが、なぜ死骸を食べた?共食いか?それとも……。

 

「キュ、キュゥべえ!あなた死んだんじゃ……」

 

『そうだよ、マミ。さっきの肉体は駄目になってしまった。まったく、勿体(もったい)ない事してくれるよ、暁美ほむら』

 

『前の支那モン』と変わらないトーンで支那モンは暁美の事を非難するように見た。『睨んだ』ではなく、あくまで『見た』だ。そこには仮にも仲間を殺したほむらへの憎しみも悪意も感じられない。

前の支那モンと記憶を共有しているのか、それとも意識までも共有しているのか、何にしても「勿体ない」で済ませるとは……つくづく人間とは価値観が違うな。

 

支那モンに文句を言われた暁美は特に気にしたようすもなく、トレードマークの無表情で驚愕に染まった巴さんのグリーフシードを勝手に取ると支那モンに放った。

 

「ほら、(えさ)よ。ありがたく受け取りなさい」

 

『餌とは酷い言い草だね』

 

支那モンの背中の模様のある部分がハッチのように開くと、そこにグリーフシードが入っていった。

これが支那モン側の魔女退治のメリットであるエネルギー回収か。

自分で魔法少女を作って魔女に変える。それを魔法少女に倒させて、グリーフシードにする。壮大な自作自演だな。胸糞(むなくそ)悪い。

だが、ここでそれを巴さんに話せば、張りぼてメンタルの巴さんがどうなるかは簡単に想像がつく。未だに支那モンに信用を置いてるみたいだし、今は教えない方がいいな。

 

 

 

 

「待ちなさい。夕田政夫」

 

その後、表通りで巴さんと支那モンと別れて、家まで帰ろうとした時、暁美に急に呼び止められた。

と言うと、まるで僕が暁美の行動に驚いているように聞こえるが逆だ。僕はこうなることをあらかじめ予期していた。

 

「何かな?暁美さん。僕はこれから家に帰って、夕飯のお米をとがなきゃいけないんだけど?」

 

しかし、あくまで顔には出さない。あからさまに面倒くさそうな表情をする。

暁美は僕に『何を』、『どこまで』知っているか聞いてくるはず。だから、逆にそれを利用して暁美の持っている情報を聞き出す。

 

「貴方は一体どこまで知っているの?」

 

ほら来た。

思った通り、暁美は駆け引きが苦手のようだ。聞き方がストレートすぎる。コミュニケーション能力の低さが(あだ)となったな。

 

「う~ん?何が?取りあえず、君のスリーサイズは知らないけど?」

 

「ふざけないで・・・!」

 

「まあまあ、落ち着いてよ。暁美さん。とりあえず、立ち話もなんだし、そこのファミレスにでも入らない?」

 

僕はそういうと暁美の返事も待たずに、ファミレスの中に入っていく。

駆け引きで一番重要なのは相手のペースを乱し、なおかつ自分のペースに持ち込むこと。

 

「な、待ちなさい!」

 

「すいませーん。2名。禁煙席お願いします」

 

ウェイトレスの案内に従い、席に腰掛ける。そろそろ夕食時なので人が多かった。

父さんに外食することをメールで伝えると、メニューを広げて笑顔で暁美に話しかける。

 

「暁美さんは何食べる?僕は夕飯に響くと困るから、デザート系にしようかな。あ、せっかくだから、男一人じゃ頼みにくいチョコレートパフェなんか頼んじゃおう」

 

「貴方は私をおちょくっているの?夕田政夫」

 

暁美はすこぶる不機嫌な顔で僕を睨む。まあ、ここまでされれば誰だってそう思うよね。

しかし、いくら怒ろうともここでは銃を出して(おど)すことはできないだろう。そのために場所を変えたのだ。

 

「暁美さん。そのフルネーム呼ぶの止めない?うっとうしいし、厨二病っぽいよ?それにさ、暁美さんの態度って、どう聞いても人にものを頼む態度じゃないよね?」

 

暁美はうつむくと、ぎりっという音を出した。多分、歯をかみ締めたな。

僕は内心結構ビビリながらも、情報を聞き出すために程よく暁美を怒らせる。

無口な人間ほど怒ると饒舌(じょうぜつ)になるものだ。隠してることをぽろっと吐き出してしまうくらいに。

 

「……政夫。貴方が魔法少女について、どこまで知っているか教えてもらえないかしら」

 

頭を下げて、僕に頼んできた。でもなぜ名字じゃなく、名前で呼ぶの?そんなに親しくないだろう。

なかなか耐えるじゃないか。ここまで行くと、いっそのこと情報を小出しにして、普通に聞き出すのも手かもしれない。

 

「暁美さん。君はどこまで知っているの?まずそれが分からないと僕もどこから話せばいいか分からないよ」

 

大凡(おおよそ)すべてよ。ソウルジェムが魔法少女の魂である事も、魔法少女が魔女になる事も、インキュベーターの事もすべて知っているわ」

 

おいおい。さらっとかなり重要な情報()らしてくれちゃったよ。チョロいよ!チョロすぎるよ!暁美ほむら!

ソウルジェムが魔法少女の魂?なるほどな。だから、僕がソウルジェムの材質を聞いた時、支那モンは話さなかったのか。……当然ながら、巴さんは知らないんだろうな、きっと。

 

「インキュベーターってのは支那モン、キュゥべえのことでいいのかな?」

 

「ええ、そうよ。あいつらの本当の名前は孵卵機(インキュベーター)。それであいつらについて知っているの?」

 

支那モンの本当の名前?どうやって知ったんだ?流石に暁美自身が勝手につけたってわけではないだろう。まあ、いいや。それより、暁美の質問に正直に答えてやるかどうかだが……ここは正直にいくか。

 

「宇宙からエネルギーを求めて来た生命体で、グリーフシードをエネルギー源として集めてるってことぐらいかな?エントロピーだったっけ?」

 

「もうそんな事まで知っているの?!」

 

暁美は大きな声と共にテーブルに身を乗り出した。うわッ。止めろよ。他のお客さん、びっくりして見てるよ。

集団の中で生きる能力がない人間は、人目を気にしないから嫌だ。

 

「暁美さん、落ち着いて。それで暁美さんはどうやってその『魔法少女に関する秘密』を知ったの?」

 

そこがまず問題だ。支那モンは暁美のことをよく知らないようだった。つまり、支那モンから直接聞いた可能性は低い。でも、暁美の方は支那モンや魔法少女について知りすぎている。

 

暁美はしばらく思い悩むように黙っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。

 

「私は一ヶ月後の未来から来たの……」

 



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第十二話 カミングアウト

暁美の話を聞き終えた僕は、情報を整理して暁美に確認をとる。

 

「えーと、つまり君は鹿目さんを救うために何度も同じ一ヶ月を繰り返してる、ということでいいんだね?」

 

「そうよ。話が早くて助かるわ」

 

何でも一ヵ月後、ワルプルギスの夜という、なんだか厨二心くすぐられるネーミングの魔女が来て、この見滝原市をめちゃくちゃにするらしい。

そして鹿目さんは最強の魔法少女になって立ち向かい、ある時は相討ちに終わり、ある時はワルプルギスの夜を倒せたものの代わりに最悪の魔女となったそうだ。

その(たび)に暁美は時間を巻き戻している。その過程で魔法少女の真実にたどり着いたという。

 

突拍子(とっぴょうし)もない話だが、一応嘘ではないと仮定して考えよう。そうなると、いくつか気になるところがあるな。

 

「ちょっと質問なんだけど、暁美さんは時間を巻き戻していると言ったけれど、今回以前の僕と出会ったことってあるの?それといつも起きることは暁美さんが過去に体験したことと同じなの?」

 

「ないわ。貴方と会うのはこれが初めての事よ。それから私の体験した過去と食い違う事いくつかあるわ。例えば、いつもは大体、まどかは私と出会う前から魔法少女だったけど、今回はまだ魔法少女になっていない事とか、・・・私の知らない魔法少女が現れた事もあったわ」

 

暁美は首を振った。

これがすでにおかしいことに暁美は気づいてない。本当に過去を巻き戻しているのだとしたら、『繰り返し』である以上、暁美を除いて過去と同じことしか起きないはずなのだ。

『暁美の目の届かない場所』で暁美の知らない何かが起こっているのなら、別におかしいことはない。だが『暁美の目の届く場所』で暁美の知らない何かが起きることは、暁美が何かしない限りは絶対にありえない。

 

「これは僕の仮説なんだけどさ。暁美さんにとって『ここ』は並行世界なんじゃないの?」

 

「どういう事?」

 

「つまりね。暁美さんがは『悲惨な結末の未来』から『そうなる一ヵ月前の過去』に戻ったんじゃなくて、『悲惨な結末の未来』から『そうなる一ヶ月前によく似た並行世界』に来てしまったんじゃないかってことだよ。ひょっとしたら君が今まで『過去』だと思っていたのも、実は『過去によく似た平行世界』だったかもしれないね。心当たりとかなかった?」

 

「……もし仮に貴方の言う通りだとしても、まどかを助けられるのなら私にとって何ら変わりはないわ」

 

暁美は少し押し黙った後に、毅然と言い放った。少し黙ったところを見ると心当たりはあるのだろう。だが、暁美の言葉には迷いはなく、覚悟が込められていた。

 

立派だ。実に高尚な考えに違いない。いくら何度も心を砕くような時間を過ごしたとしても中学生でここまでのことが言えるものだろうか。…………なんてことは僕は少しも思わなかった。

なぜなら、それはあまりにも鹿目さんの命を軽く見ているのと同意だからだ。

 

「全然違うよ。暁美さん。『並行世界』だということは、君が見てきた『鹿目まどか』と『鹿目さん』は限りなく近い別人ということになるんだよ」

 

「……?言っている事の意味が理解できないわ」

 

眉をひそめるだけで暁美はまったく分かっていないようだ。

なぜここまで言っても分からないのだろうか。ひょっとして理解するのを拒んでいるのかもしれない。

 

「もし暁美さんが『過去』ではなく『並行世界』から来ていたなら、暁美さんが去った後も『並行世界』はそのまま存在し続ける。つまり、この世界の鹿目さんを救ったとしても、死んだ『鹿目まどか』は死んだまま、魔女になった『鹿目まどか』は魔女になったままだ」

 

暁美は『鹿目さん』を無数にいる『鹿目まどか』の一人程度に考えている。何度もやり直しができるとはそういうことだ。次があると思ってしまえば、一回一回が軽くなる。

恐らく、今まで暁美が失敗し続けた理由の一つだろう。

 

暁美の顔が見る見るうちに青ざめていく。目が皿のように開いている。

理解したのだろう。死んでいった『鹿目まどか』が皆すべて『たった一人しかいない存在』であったことに。

 

でも、僕は納得ができない。

暁美が魔法少女でなかった世界で、『鹿目まどか』に命をかけて守ってもらったにも関わらず魔法少女になったと暁美は言った。それは最初の『鹿目まどか』の想いを踏みにじったことに他ならない。

勝手な願いで最初の『鹿目まどか』が成し遂げた結果を暁美は台無しにしたのだ。そして、助けるどころか、何人も『鹿目まどか』を死ぬことよりもおぞましい魔女に変えてしまった。

 

こいつは一体何人の『鹿目まどか』を犠牲にすれば気が済むんだ?こいつが憎むインキュベーターと結果的には何も変わらないじゃないか。

そのくせ、自分は『鹿目まどか』を救うとほざく。

ふざけるな。彼女の命を何だと思ってるんだ。

 

「君にとって『鹿目まどか』はみんな同じに見えたのかい?」

 

最後にそう吐き捨てて、僕は席を立った。

こんな人の命を冒涜(ぼうとく)するような奴と一緒に居たくなかった。

店に入っておきながら、何も頼まずに帰るのは少々マナー違反の気がしなくもないが仕方ない。

 

「……貴方に何が分かるの。あの苦しみも知らないくせに!」

 

「だから?『お前の知らない苦労を私はしている。だから私は偉い』、って言いたいの?ハンディキャップを(かさ)に着るような幼稚な意見だね」

 

暁美の目を見てはっきりとそう言ってやった。僕は生まれてこの方、父さん以外に口論で負けたことは一度もない。

暁美は俯いて押し黙った。

 

どうしようか。ここでお別れしてもいいが……一応、暁美を(なぐさ)めの言葉ぐらいはかけるべきか。

でも僕はこいつのやってきたことを許せそうにはない。少なくても、僕の価値観では到底納得できない行いだ。

 

だが、鹿目さん達、そして僕自身が一ヶ月後の絶望を乗り切るためには暁美の力が必要になってくるだろう。ここまで知っといて、平然と安全な日常に一人だけで帰るのは、無責任以外の何物でもない。

仕方ない。ここは我慢しよう。

 

「暁美さん。本当に『鹿目さん』を救いたい?何人もいる『鹿目まどか』の一人じゃなく、一人しかいない人間として」

 

「当たり前よ!私は……わたしは、まどかの友達なんだから……」

 

俯いているから表情は見えなかったが、涙まじりの声だった。

でも、信用できないな。友達だったのは最初とその次の『鹿目まどか』であって、この世界にいる『鹿目さん』じゃない。この()に及《およ》んで『鹿目まどか』と『鹿目さん』を混同して考えている。

 

「だったらできる限り協力するよ。これから一緒に頑張ろう」

 

暁美の傍に寄って、手を握り締めた。

あの薄暗い改装前の倉庫と同じ、優しさも思いやりもない形だけの握手。

そんな僕の手を暁美は握り返してくれた。

 

「……わかったわ」

 

こうして僕と暁美は協力関係(おともだち)となった。

 




改めて見ると、政夫、酷い奴ですね。


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第十三話 登校日和

「あれ?鹿目さん、どうしたの?こんなところで突っ立ってて」

 

「ティヒヒヒヒヒ」

 

「痛ッ!何!?何で小豆(あずき)投げてくるの!?意味分からないんだけど!ちょッ止めて」

 

「ティヒヒヒヒヒヒ」

「ティヒヒヒヒヒヒヒヒ」

「ティヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」

 

「うお!鹿目さんが増えた!?痛い!痛いって!!だから何で小豆投げてくるの!?」

 

「ティヒヒヒヒヒ」

「ティヒヒヒヒヒ」

「ティヒヒヒヒヒヒヒヒ」

「ティーヒッヒッヒッヒッヒ」

 

「やめて!やめてくれぇ!あと最後の鹿目さんだけ飛びぬけてテンション高くない!?」

 

 

 

 

 

ジリリリリ。ジリリリリ。

僕は昨日と同じように目覚まし時計の音で意識を覚醒した。

また悪夢か。暁美の話を聞いたせいか、やたら大勢の鹿目さんが出てきた。超怖かった。

携帯でもいじって気分を変えよう。

 

「あれ?メールだ。うわ……!」

 

画面にはメールが来たことを告げるアイコンが出ていて、受信メールが四十通ほど届いていた。

送り主はすべて巴さん。どうやら5分おきにメールをくれたらしい。どれだけ人に飢えてたんだ、あの人。

マナーモードかつバイブレーションを最弱にしていたせいで昨日はメールに気づかなかった。

とりあえず、全部見るのは手間なので、最後のメールだけ見てみよう。

 

『件名:何でメール返してくれないの?   

本文:私のこと嫌いになっちゃったの?私が頼りないから?駄目な先輩だから?ねえ、嫌いにならないでよ……私達、友達でしょ?そうよね?昨日、夕田君言ってくれたよね?お友達だって。お願いだから嫌いにならないで嫌いにならないで嫌いにならないで嫌いにならないで嫌いにならないできらいにならないできらいに……』

 

「うおわッ!」

 

あまりの狂気(ただよ)う文面に携帯を落としてしまった。

何これ……?怖すぎる。ヤンデレかよ、巴さん。ソウルジェム濁ってたりしたら、シャレじゃ済まない。

これはメールじゃなく、電話で話した方がいいな。

すぐさま僕は、巴さんに電話を掛けた。……ワンコールで繋がった。速い。

 

「もしもし。夕田です。とも・・・」

 

『夕田君!良かった……メール全然返ってこないから、嫌われたのかと思っちゃったわ。そんな訳ないのに、ごめんね?勝手に勘違(かんちが)いしちゃって』

 

あの、僕まだ何も言ってないんですけど。……この人、結構やばいな。

 

「……すみません。ちょっと携帯見てなくて」

 

『いいのよ。気にしないで。私と夕田君はお友達なんだから、ね?』

 

嬉しそうな声が僕に返ってくる。このテンションの落差が怖い。

支那モンに魔女の正体を明かされそうになった時も、友達になると言った瞬間にショックから一変して立ち直っていた。要するに『巴マミ』という人間はとてつもなく不安定なのだ。

 

「本当にすみませんでした。これからは気を付けます。それじゃあ」

 

『待って。もう切っちゃうの?もっとお喋りしましょうよ』

 

「何言ってるんですか。学校で会って直接話せばいいでしょう。長話してるとお金が掛かるし、遅刻してしまいますよ」

 

『そう……?そうよね。私ったら、浮かれちゃって。それじゃ学校でね』

 

ふー。巴さんと会話をするとひやひやする。いや、そんなことより早く着替えて、朝食を取って出かけないと本当に遅刻してしまう。

 

 

 

父さんと朝食を終えて僕は家を出ると、真っ直ぐ鹿目さん達がいる待ち合わせの場所に行く。

場所に着くと、ピンク、青、緑の三人の少女が待っていた。ただ昨日とは違い、和やかな雰囲気ではなかった。

美樹は腕組みをして仁王立ちして僕を睨(にら)み、鹿目さんも控(ひか)えめながらも怒った表情をしていた。まあ、十中八九、昨日の暁美の件だろう。何も知らない志筑さんがおろおろしているのがその証拠だ。

さて、何と言ったものだろうか。

 

 

 

 

「さあ、話してよ。昨日何があったのか」

 

待ち合わせの林道で僕は美樹と鹿目さんに問い詰められていた。と、言っても主に質問するのは美樹の方だ。

僕にわざわざ聞くということは支那モンには、まだ会っていないということか。

なぜだ?あの似非(えせ)マスコットなら、死んだところを見られたぐらいで、二人に会わなくなるほど可愛げがある奴じゃない。ということは・・・恐らく。

 

「志筑さんもいるこの場で?」

 

僕は、話以前に雰囲気についていけていない志筑さんの方を見て、わざと志筑さんにも聞こえるような声量で言った。

こう言っておけば、志筑さんは当然ながらこの話に興味を持つだろう。自分だけ仲間はずれにされているようなものなのだから。

 

「あの、先ほどから一体何の……お話ですか?」

 

僕の予想通り、志筑さんがおずおずと美樹に尋ねた。言外に自分にも教えろという思いが伝わってくる。

 

「あ、えっーと、その、何て言えば……ねえ、まどか」

 

「う、うん」

 

美樹は返答に困り、慌てふためいて鹿目さんに振る。だが、鹿目さんも頷くだけで何も言えない。

それはそうだろう。『魔法少女』や『魔女』がどうのこうのなんて話したら、ただの電波だ。加えて、まだ平穏を享受(きょうじゅ)している志筑さんを巻き込みたくないという思いもあるはずだ。

 

そして、ここで僕が助け舟を出す。

 

「実はねー、志筑さん。この一緒に登校するメンバーに一人加えたい子がいてさー」

 

「どういう事なんですか?」

 

美樹と鹿目さんは、僕の予想外の発言に「えっ?」という顔になっていたが、構わずに志筑さんとの会話を続ける。

 

「ほら。暁美さんだよ。あの子、人見知りなんだけど、ちょっといろいろあって仲良くなったんだ。・・・ねえ、暁美さん。そんなところに隠れていないでこっちに来なよ」

 

僕は、隠れて近くにいる『だろう』暁美に向けて言った。

すると、すぐに林側の方から、暁美が現れた。僕以外の三人は驚いていたが、僕は少しも驚かなかった。

やっぱりね。今までこっそりと鹿目さんを尾行していたのだろう。支那モンが鹿目さんに会うのを阻止していたのだ、恐らくは昨日僕と別れてからずっと。……超ストーカーだな。

 

「彼女、極度の恥ずかしがり屋でね。だから、志筑さんに受け入れてもらえるか分からなくて。ごめん、隠しごとなんかしちゃって。ほら、二人とも志筑さんに謝って」

 

美樹と鹿目さんに近づいて、二人にしか聞こえない声でぼそっと言う。

 

「君たちには何がなんだか分からないと思うけど、魔法少女のことを知られるよりはずっとマシだとは思わない?」

 

「うッ。それは……」

 

「分かった。政夫くんに合わせるよ」

 

二人とも、志筑さんに頭を下げて、今まで仲間はずれにしてしまったことを詫(わ)びた。

志筑さんは「お気になさらないでください」と、微笑みながら僕と二人を許してくれた。まあ、志筑さんを騙してしまった結果になるが仕方ないだろう。人を守るための嘘は美しい……ような気がする。

 

二人が志筑さんに謝っている間、暁美が僕に近づいてきた。

 

「……いつ気が付いたの?私がいる事に」

 

「いや。気付かなかったよ。ただいるだろうなと推測しただけ」

 

「またカマを掛けられたってわけね」

 

「でも、これで愛しの鹿目さんを合法的に見張ることができるだろ。僕に感謝してよ?」

 

「『愛しの』って、まるで私が同性愛者みたいじゃない」

 

「違うの!!?」

 

「違うわよ!!確かにまどかは大切な友達だけど、そんな目であの子を見てはいないわ!」

 

うわっ。魔女とか使い魔見たときよりも、驚いたわ。いや、でも嘘だろ?ただの友達のためにそこまでできるわけない。

しかも最初に出会った『鹿目まどか』と過ごした時間はたった一ヶ月。次の時間を合わせても『友達であった』時間は二ヶ月でしかない。

恋愛感情ならば、人間の性的本能と密接な関係だから、短い期間でも(はぐく)むことができるが、友情は時間をかけてゆっくりと育てなければ生まれない。

暁美が気付いていないだけで、鹿目さんへの感情は恋愛感情なのではないだろうか。

 

「貴方は私の事を何だと思っているのかしら」

 

「え?コミュ障の武装レズビアン……じょ、冗談だよ。許して。そんな顔で怒らないで。せっかくの美人が台無しだよ?」

 

暁美が僕のことを今にも殺しそうな表情で睨むので、平謝りして機嫌を取る。

実際、そこまで僕の言ったこと間違ってないと思うけどなー。

 

 

それから僕らは昨日のテレビ番組がどうとか、そんなありきたりな話をしながら、5人で学校に向かった。美樹や鹿目さんは暁美に警戒してろくに会話に入ってこなかったので、正確には僕と志筑さんが話し、それに時折、暁美が相槌(あいづち)を打つだけだった。

 



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ショウさん登場編
番外編 ホストと紅い魔法少女


俺は女が嫌いだ。

泣く。(わめ)く。甲高い声を出すしか能のねぇ馬鹿どもだ。

殴ろうが、蹴ろうが心なんざ痛みやしねぇ。

だから、俺のようなホストがナンバー1なんてやってんだろう。俺が間違ってるなら、世界が俺を罰するはずだ。でも俺は何の責め苦もなく、毎日を平然と生きている。

つまり、俺、魅月(みつき)ショウは何一つ間違った事はしちゃいない。

 

そう、俺は間違ってなんかいない。

なのに、何で俺は今『こんな訳の分かんねぇ場所』にいる!?

 

俺が今、絵の具でマーブル模様に塗ったくったようなイカれた空間にいた。

何がどうなってんのか、さっぱり分かんねぇ。俺は普通に町角を曲がっただけなのにいつの間にかこんな場所に立っていた。

 

「fdjmrfoskmdsndosdskfklsmsrjkvmdksd???」

 

突然、意味不明な言語とも、動物の鳴き声とも取れない音が聞こえてきた。

 

「な、何だ?一体……」

 

思わず、うろたえた声が出ちまう。

周りの空間が歪み始めて、そこから、『毛糸で作った巨大な手袋のようなヒトデ』としか言い表せない化け物が次々に現れた。

そして、その『手袋のヒトデ』どもの後ろに、さらに大きな『ニット帽とセーターを組み合わせて作ったチョウチンアンコウ』のようなヤツが公然と鎮座(ちんざ)している。

 

「うわああああああああああああああああああ!!」

 

何だこれはなんだこれはナンダコレハ。

震えが止まらない。気持ちが悪い。真っ直ぐ立っていられない。

逃げたいと心の底から思うのに、身体は沈み込むように蹲(うずくま)ってしまう。

せめて顔だけでも上げようして、『眼』が合った。

 

毛糸のような質感のくせに人間よりも生々しいチョウチンアンコウの『眼』。

俺は、なぜか今まで貢がせて捨てた女の恨みのこもったあの目を思い出していた。

好意から憎しみに感情が逆転した時の目。

それがチョウチンアンコウの『眼』と重なった。

 

殺される。

それが俺が唯一理解できるこの場の全てだった。

チョウチンアンコウの手下の手袋ヒトデが俺に一気に群がる。

駄目だ。もう助からない。目をつむって、身体を丸める。

 

「おお。久しぶりの大物の魔女じゃねーか。こりゃツイてるな」

 

次の瞬間、俺に届いたのは痛みや衝撃でもなく、女の子の声だった。

 

「あれ?一般人もいんのかよ。ま、いいか。おい、アンタ。助かりたかったらじっとしてな」

 

俺が声のする方を向くと、真っ赤な髪をポニーテールのように束ねた少女がそこにいた。

髪と同じ紅い衣装と、少女の身体とは不釣合いな巨大な槍。

身に纏(まと)っているのは、とても少女とは思えない歴戦の戦士を思わせる雰囲気。

 

「なん、なんだ?お嬢ちゃんは」

 

俺の疑問に答えずにに少女は、周囲にいた手袋ヒトデを槍で凪(な)いで一掃していく。

それはあまりにも一方的で、まるでヒトデたちは彼女に倒されるためだけに存在していたなどと思わせるほどだった。

 

「さ~て、雑魚は片付いたし、そろそろメインディッシュと行こうか」

 

ぺろりと紅い少女は舌なめずりをした。

よほど余裕なのだろう。紅い少女にとっては勝って当たり前の戦い。いや、どんな勝ち方をすれば、自分がより楽しめるかを考えてしまっているようだった。

それほどまでに彼女は強かった。

だが、その強さが逆に仇(あだ)になった。

紅い少女の死角から手袋ヒトデが現れる。少女はそれに気がつかない。

 

「避けろ!後ろだ!」

 

「え?ッしまっ!」

 

俺の叫びも空しく、紅い少女は避けることができず、手袋ヒトデに絡(から)み付かれる。

だが、少女も自分に組み付いた手袋ヒトデを引き剥(は)がすために、槍を振ろうとするが、

 

「なっ!こっちもかよ!」

 

槍を握る腕ごともう一体の手袋ヒトデに組み付かれていた。そのせいで紅い少女は身動きが取れない。

・・・いや、『もう一体』どころの話じゃねぇ。

マーブル模様の空間が歪み、次から次へと少女に組み付くように手袋ヒトデが現れていく。

やべぇ、紅い少女を数で圧殺する気だ。

だが、俺にできることは手袋ヒトデに向かって、大声で叫ぶくらいしかない。

 

「止めろ!お前ら、今すぐその子から離れろ!」

 

そう俺が叫ぶと、手袋ヒトデは一斉に少女から離れた。まるで俺の言うことを素直に聞いたかのに。

まさか、俺も素直に聞くとは思ってなかったので、思わずポカンとしてしまった。

いや、呆けてる場合じゃねぇ。あの紅い子は無事なのか?

 

「な、何だぁ?アンタ、なんかしたのか?」

 

無事のようだ。膝をついて息をしているが、深刻そうなダメージは負っていない。

俺に今起こった事について聞いてくるが、答えてる暇はなかった。

再び、手袋ヒトデどもが紅い少女を圧殺するために群がり始めたからだ。

俺はイチかバチかで試してみる。

 

「おい!手袋ヒトデども!その子に手を出すのは止めろ!襲うなら、あの馬鹿でかいチョウチンアンコウにしろ!」

 

俺の叫びに答えるように、手袋ヒトデどもは少女を狙いから(はず)し、自分達の親玉(俺はそう思った)に襲い掛かる。

 

「jsgfjkskedksrjlvksem!!!?」

 

ニット帽をチョウチンのようにぶる提(さ)げていた、セーターで作られた巨大なアンコウは、手下が急に裏切った事に驚いて、なにやら喚(わめ)く。

紅い少女はそれを見て、驚いた顔で声を絞り出した。

 

「嘘だろ……使い魔が、魔女を襲ってやがる」

 

使い魔?魔女?あのヒトデとチョウチンアンコウのことか?

どこら辺が魔『女』なんだ?いや、でもアンコウって確かメスの方がオスより何倍もでかいんだったけ?

まあ、そんなのどうでもいいか。よし、もし俺の命令が聞くのなら……。

 

「おい!チョウチンアンコウ!お前、自害しろ!」

 

もしかして、チョウチンアンコウの方にも、俺の命令が聞くかと思ったが駄目らしい。

チョウチンアンコウは俺の声に何の反応もせず、手袋ヒトデと戦っている。

チッ。やっぱ無理か。

 

「なあ、お嬢ちゃん。あんたもあれを倒すために、ここに来たんだろ?だったら、手を貸しちゃくれねえか?」

 

「それはいいけど。……アンタ、ほんと何物だい?使い魔を操る人間なんて聞いたことないよ?」

 

紅い少女は俺に怪訝(けげん)そうな表情を向けるが、俺がマジで頼んでる事が伝わったようで、取り合えず協力してもらえた。

 

「手袋ヒトデども!そのチョウチンアンコウに組み付いて押さえつけろ!」

 

俺が命令を下すと、アンコウとの戦いで半分くらいの数に減ってしまった手袋ヒトデどもだが、ちゃんと言うことを聞いてアンコウを押さえ込む。

 

「今だ!嬢ちゃん!」

 

「あたしにまで命令すんな!」

 

少女は怒鳴るものの、俺の言うことには一応聞いてくれたらしく、その大きな槍でアンコウをズタズタに切り裂いた。手袋ヒトデも巻き込まれて、刻まれていた。

断末魔の叫びを上げる間もなく、アンコウは刻まれて、消えた。

 

アンコウが消えると、途端に空間が変わり、元の町角に戻った。

 

「さて。じゃあ、アンタのことを聞かせてもらえる?あ、あと」

 

紅い少女は俺にお菓子を差し出した。

 

「食うかい?」

 

「そんじゃ、まずは自己紹介としようか。俺の名前は魅月ショウ。お嬢ちゃんは?」

 

「あたしは佐倉杏子だ。あとお嬢ちゃんて言うな。なんか馬鹿にされてるみてーだ」

 

俺と、紅い少女こと佐倉杏子は近くにあった喫茶店にいた。

俺が立ち話もなんだからと思って座って落ち着ける場所を考えた結果、中学生くらいの女の子を連れていてもヤバくない場所がここぐらいしか思い浮かばなかった。

 

「んじゃ、俺の質問からでいいか?」

 

「構わないよ。それよりケーキ頼んでいい?」

 

・・・それは俺に(おご)れっつーことか?なかなかちゃっかりしてやがる。

 

「良いぞ。好きなモン頼め。生憎(あいにく)と金には苦労してねぇしな」

 

仮にも俺はナンバー1ホスト。給料もそこらのリーマンとは段違いだ。

それに必要なら、いくらでも金を出してくれる女を何人もキープしてる。

 

「チッ!嫌味なヤツ。じゃ、遠慮なく頼むよ。あ、すいませーん。このデラックスパフェ3つとこれとこれとこのケーキお願い」

 

好きに頼めとは言ったが、よく頼むなー。一人で食えんのか?

ま、んなことはどうでもいい。肝心の話を聞かせてもらわねぇと。

 

「まず、あの魔女と使い魔だっけ?アレいったい何なんだ?」

 

杏子は水の入ったグラスを傾けつつ、答えた。

 

「簡単に言っちまえば、あたしら魔法少女の敵さ。あの変な空間、『結界』の中に人間を連れ込んで餌にしてんの。使い魔は、その魔女の手下」

 

「魔法少女?」

 

さっきの杏子がなっていたアレか?でも魔法少女つーより、武装少女って感じだったぞ。槍とか持ってたし。

いや、でも昔やってたセーラー〇ーンも設定上、結構物騒(ぶっそう)だったような気がする。

俺がそんなことを考えていると、今度は杏子の方から質問してきた。

 

「それよりもショウ。何物なんだ?アンタ。使い魔を操る人間なんて聞いたこともないぞ」

 

「呼び捨てかよ。まあいい。・・・・そう言われてもな、俺にもワケが分かんねぇんだよ。取り合えず、言ってみたら言う事聞いたみたいな」

 

「ハア?なんだよ、それ」

 

杏子は俺の説明に納得いかないらしく、ちょっと不機嫌になった。だが、そんなの俺に言われても困る。

頑張ったら、できたとしか言いようがないんだから。

 

『その質問にはボクが答えよう』

 

足元から突然声がしたかと思うと、テーブルの上に何か白い生き物が飛び乗った。

若干、驚いたものの、俺はそれをじっくり見る。

何か、ウサギと猫を合体させたような生き物だった。

 

「キュゥべえじゃん。どうしたんだ。グリーフシードならまだ穢れは全然溜まってねーぞ?」

 

どうやら、杏子の知り合いらしく、平然とその生き物に話しかけていた。

だが、その生き物、キュゥべえとやらは杏子ではなく、俺の方に顔を向けていた。

 

『やあ。魅月ショウ。直接話しかけるのは初めてだね』

 

「俺のことを知ってんのか?」

 

『まあね。君の妹、魅月カレンが魔法少女になった時、その願い事が君についてのものだったからね』

 

「魔法少女ってあいつがか!?いや、それよりもカレンの事を知ってんのか?あいつは今、どこに居るんだ?!」

 

俺の妹、魅月カレン。あいつは六年前から、行方不明になっていた。

警察もまったく手がかりが掴めず、事件は迷宮入りになり、カレンの捜索は打ち切られた。

俺はあいつに会いたい。高校中退して、ホストとして働き始めたのもカレンと一緒に生活するためだった。

ほんの少しの希望を持って聞いた俺の問いに、キュゥべえはあっさりと残酷に言い放った。

 

『彼女ならもう居ないよ。ちょうど今から、六年ほど前かな?魔女と戦って、魔法少女としての使命を全うしたんだ』

 

俺はその言葉に脱力した。

今まで本当に、もしかしたら、どこかでカレンが生きてるんじゃないかと思いながら生きてきた。その薄い希望が今、完全に断ち切られた。

 

「……そいつの願い事ってのは?」

 

今まで黙って俺とキュゥべえのやり取りを聞いていた杏子が、突然低い声を出した。

 

『ああ、そうだったね。話がそれてしまったよ。まあ、ショウにも分かるように簡単に説明すると、魔法少女は魔女と戦う代わりにボクらが一つだけ願いを叶えてあげるんだ。そして魅月カレンが願った事は……兄の魅月ショウが必要とした時に女性が何でも言うことを聞く、というものだったんだ。その願いのお陰で君は使い魔を操れたんだ。まあ、願ったカレンが並みの魔法少女だったから、魔法少女や魔女にはその力は効かないみたいだけど』

 

な……何だ、それは。

じゃあ、すると、俺がナンバー1ホストになれたのはカレンのおかげだったのか?

いや、そんな事はどうだっていい。重要なのはあいつが死んだのが俺のせいってことだ。

何でだよ……。俺はお前と一緒に生きていくためにホストなんかになったのに。それじゃ意味ないじゃねぇか!

 

「……っ馬鹿野郎」

 

俺はそうつぶやいた。そしてその瞬間、思い切り襟首を掴まれ、テーブル上に上半身を乗せるはめになった。

 

「てめー……、それが命差し出してまで、願い事を自分に使ってくれた妹に対する言葉か!!」

 

杏子は俺の胸倉を掴みながら凄む。

細腕にも関わらず、かなりの怪力だ。きっと俺の首くらい簡単にへし折れるだろう。

だが、俺は自分の言った言葉を撤回するつもりは、まったくなかった。

 

「ああ、そうだよ。俺の妹は……カレンは大馬鹿野郎だ!」

 

「てめぇー!!」

 

「ナンバー1なんか成れなくてよかった。金なんてなくてもよかった。あいつが居てくれるだけで……そばに居てくれるだけで、俺は幸せだったのに。何でそんな下らねぇ願いなんかで命差し出しちまうんだよ!」

 

俺は泣いていた。

ぼろぼろと零(こぼ)れ落ちる。見っとも無いとか、恥ずかしいとか、そんなことは気にも留めなかった。まるで言葉にならない俺の感情が涙腺を通して、(あふ)れ出たようだった。

 

「……悪かった」

 

杏子は俺の胸倉から手を話した。

俺は何も言わなかった。いや、涙のせいで何も言えなかった。

しばらく、無言でいると杏子の注文したケーキとパフェが届いた。杏子は何も言わずにそれに手をつける。

 

「なあ、杏子。俺にも魔女退治手伝わせてくれねぇか?」

 

俺は杏子にそう言った。

もう二度と妹と同じ境遇に苦しんでいるヤツがいるなら、手伝いたい。傲慢かもしれないが、それが俺の心からの本心だった。

 

 




いきなり、番外編が入って申し訳ありませんが、そうじゃないと話の都合上杏子が登場しなくなってしまうので、ご容赦ください。


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番外編 ホストと天才バイオリニスト少年

「ショウさん。聞いてくださいよ。ここの病院食がですね・・・」

 

「その話はこの前も聞いたつーの。ま、元気そうで何よりだわ」

 

今、俺、魅月ショウは後輩のエイジの見舞いに見滝原にある病院に来ていた。

ちなみに後輩が入院している理由は「女に刺された」といういうかなりヤバイ理由だ。俺の『必要に応じて女に言うことを聞かせられる』という能力(※この話の前の番外編を参照)でぎりぎりのところを止められたもののエイジは入院を余儀(よぎ)なくされたのだ。

 

「それじゃ、俺はそろそろ帰るわ」

 

「え、マジっすか?もっと話しましょうよ。ここつまんねーんすよぉ」

 

「雑誌何冊か持ってきてやっただろ。それでも読んでろ」

 

生意気に個人病室なんか取るからだ、馬鹿。

そう言って俺はエイジの病室から出るが、そのまま帰るつもりはなかった。もう一人、見舞いをしてやらなきゃいけない奴がいるからだ。

 

俺は廊下を少し歩いたところにあるエイジとは別の個人病室に入る。

 

「オッス。坊主。元気してるか?」

 

「あ。ショウさん!来てくれたんですか」

 

俺が声を声をかけると、嬉しそうに顔をほころばせる少年。名前は上条恭介。テレビにも何度か出た事のある天才バイオリニスト少年だ。

普通なら俺みたいなホストなんかと接点は何一つないんだが、たまたま一人で暇そうにしていたこいつに話しかけたら何か知らんが(なつ)かれた。

 

「おう。それより指の方の調子はどうだ?」

 

恭介は交通事故のせいで左手に大怪我を負っちまったらしい。将来有望なバイオリニストなこいつから大切な手を取り上げるとは、神様って奴が本当にいるんだとしたらとことん性根が腐ってやがるんだろうな。

 

「・・・もう、治らないかもしれません。奇跡や魔法でもない限り・・・・・」

 

恭介は(うつむ)いて、そうこぼす。

その表情は諦めと共に悔しさが(にじ)んでいた。

 

奇跡や魔法か。魔法少女について知っちまった俺には、もうその言葉に希望を見ることはできそうにない。そんな物は果てしなく大きい代償と後悔しか生まないことを俺は身を持って知った。

だから、こいつに言わなくちゃならない。例え、伝わらないとしても。いや、伝わらないまま何も知らずに一生を終えた方が幸せなんだろうがな。

 

「恭介。いいか、よく聞け」

 

恭介は顔を上げて、俺の顔を見る。

こいつ、ホント素直な奴だよな。今時の中学生ってこんななのか?同居人の『あいつ』に見習わせたいぜ。

 

「女って馬鹿だからさ。男がちょっと困ってたりすると、大事なモン差し出してしてまでくっだらねぇ『願い事』なんかに使っちまうんだ。だからよ。女の前じゃ、そんな事は口に出すんじゃねぇぞ?」

 

「えっと、意味はよく分からないですけど・・・分かりました。女性の前ではこんな顔、絶対にしません!」

 

恭介は自分でも言った通り、やっぱり俺の言った意味はよく分かっていないみたいだ。まあ、当然だわな。

それでも、俺の言った事は守ってくれるだろうな。こいつ、素直だし。

 

その時、病室のドアが突然開いた。

それと同時に元気な女の子の声が飛び込んでくる。

 

「恭介ぇー。お見舞いに・・・って誰!?」

 

青い髪の活発そうな女の子。年は恭介と同じくらいだろう。

にしてもいきなり誰はねーだろ、普通。礼儀正しい恭介とは真逆だな。

 

「この元気ハツラツオロナミンCなお嬢ちゃんは恭介の彼女か?」

 

「いえ、ただの幼馴染です。・・・ちょっとさやか!ショウさんに失礼すぎるよ!」

 

恭介が幼馴染という言葉を発した瞬間、青髪のお嬢ちゃんはショックを受けたような表情をした。なるほどな。あっちの方は恭介に惚れてるわけか。

 

「まあまあ、俺は気にしてねぇよ。それから、恭介。彼女は別れたらそれで終わりだが、幼馴染との関係は一生変わらねぇんだから大事にしてやんな。んじゃ、俺はこの辺で帰るとするわ」

 

そう言って青髪のお嬢ちゃんの脇を通って、病室を出ようとする。

その時にお嬢ちゃんにそっと耳打ちした。

 

「うまくやんな。早くしないと他の()に取られちゃうぜ。あいつ、顔良いから」

 

「えっ!あ、いや・・・頑張ります」

 

顔を真っ赤にさせるお嬢ちゃん。いやー、初心(うぶ)だね~。

そうだ。紅いと言えばあいつに電話しなきゃな。

病室を出てると、俺は携帯を取り出して、電話をかける。

 

「もしもし。俺だ」

 

『え、ん、これ繋がってんのか。えーと、もしもし。誰だ?』

 

あたふたとしながらも、相手は電話に出た。

こいつはまだ携帯も使いこなせないのか。じーさんばーさんだって今は普通に使ってるぞ。

 

「俺だよ。ショウだ。てか、画面に名前表示されてんだろ?せっかく携帯買ってやったんだから使いこなせよ、杏子」

 

『仕方ねーだろ!携帯なんて初めて使うし。魔法少女同士ならテレパシー使えるから・・・』

 

「分かった分かった。んで、今日何食いたい?職場(クラブ)行く前に作ってやるから、俺の家で待ってろよ」

 

『・・・・・』

 

ん?なんだ杏子の奴。急に黙ったりして。リクエストする料理を考えてんのか?

 

『・・・・何でここまでしてくれんだ?あたしに優しくしたって何の得もねーぞ』

 

なんだ。そんな事か。

 

「あのな、杏子。言っただろ?俺はお前にできる限り協力するって」

 

俺は誓った。

妹と同じ犠牲者は出さないと。

 

『礼は言わないぞ』

 

「結構だよ。こちとら好きでやってんだから」

 

ぶつっと音がして、通話が切れる。まったく、可愛くない奴だ。

カレン。あいつはお前と違ってぶっきらぼうな奴だけど、やっぱりどっか似てるわ。

 



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第十四話 お見舞いにGO

市立の中学校にそぐわぬハイレベルな授業を終えて、時間帯は飢えた生徒たちの食欲が支配する『昼休み』へと突入していた。

 

屋上では美樹の勝手な提案で昨日と同じく、僕らは屋上で昼食をとることになった。僕らというのは、僕、鹿目さん、美樹、巴さん、暁美、そして……。

 

『やあ。おはよう、皆。いや、もうこんにちわの時間だね』

 

疑うことを知らない純粋無垢な少女の命を石ころに変え、化け物にした挙句(あげく)、エネルギーにするという鬼畜の所業(しょぎょう)を行う、マスコット型宇宙人支那モンこと『インキュベーター』さんだ。

お食事どきにお前の顔なんか見たくもないんだよ。消えろ去れ!この腐れマスコットが!

 

ちなみに志筑さんは美樹が無理を言って(はず)してもらっていた。せっかく僕が仲を取り成してあげたのに無に(かえ)しやがって。食事時に仲間外れにするとか、結構傷ついたりするだろう、ましてや志筑さんは女の子なんだから。

間違いなく君らの絆に亀裂が入ったぞ。

 

「きゅ、キュウべえ!!」

 

「アンタ、転校生に殺されたんじゃなかったの!?」

 

鹿目さんと美樹は、当たり前のことながら支那モンが生きていることに派手に驚いていた。巴さんは苦笑いしながら、昨日あったことを二人に説明してくれた。

こうすることによって、僕が説明するよりも信憑(しんぴょう)性を持たせる。特に暁美と友達になったという(くだり)なんかは僕が言っても美樹は信じなかっただろう。

 

まあ、そんなのはどうでもいい。今はお昼の時間だ。

 

「さあ、皆。そんなケダモノなんかほっといて、ご飯食べようよ」

 

『ケダモノとは酷いね。ボクは政夫に嫌われるような事を何かしたかい?』

 

「僕にはしていないね。『僕には』」

 

こいつと話していると胸糞悪くなる。

こいつに取っては女の子の命など興味すらないのだろう。善悪以前の問題だ。価値観があまりにもかけ離れているせいで分かり合うことなんてありえない。

そんな存在に好意なんぞ向ける理由がない。暁美の方がはるかにマシだ。

 

 

「そうだ。私皆にお弁当作ってきたの。口に合わないかもしれないけど」

 

僕と支那モンのギスギスした会話をぶち破るように、巴さんは小脇に抱えていたものを屋上に備え付けてあったベンチに置いた。

……重箱だった。

8段くらいある馬鹿でかい重箱。『あれ?今日体育祭でしたっけ?』と問いたくなるような立派な重箱。

少なくても平日の特別でも何でもない日に持ってくる品物ではない。

 

「ちょっと作りすぎちゃったかしら。でも味には自信があるわよ?」

 

どや顔でそう語る巴さん。

よほど楽しみにしていたのが嫌でもひしひしと伝わってくる。

あの、すいません。僕、普通にお弁当持ってきてるんですけど。

 

皆自分のお弁当があったが、それは家で食べることにして、重箱を食べた。

当然ながら、食べきることができなかったので、巴さんが目を外した瞬間に支那モンの背中をこじ開けて残った料理をすべて突っ込んだ。支那モンはうめいていたが、巴さんを悲しませないために犠牲になってもらった。

そんな感じで僕らは比較的和やかに昼休みを過ごした。

 

 

 

 

放課後は僕と暁美の強い要望で、『魔法少女体験コース』はお休みしてもらうことした。

美樹は文句を言うと思ったが、意外にもあっさり受け入れてくれたのが驚きだ。何か用事でもあるのだろうか。絶対に反対すると思ったんだが。

 

暁美は巴さんと一緒に『魔女退治のコンビネーションを確かめるため』という名目で、魔女退治に行ってもらった。これで二人に何かしらの絆が生まれてくれれば、巴さんは鹿目さんや美樹を魔法少女に引き入れることをきっぱりと諦めてくれるかもしれない。

 

それにしても今日は僕は自由なわけだ。いやー、なんかすごい久しぶりな気がする。

クラスで一番仲良くなった中沢君を誘って遊びにでも行こうかな。

 

「あ。政夫。アンタ今日暇でしょ?ちょっとつき合ってよ」

 

「これから、上条君のお見舞いに行くんだよ。良かったら、政夫くんも一緒に行こうよ」

 

僕の自由は10秒で消えてしまった。

ここで断っても、何だかんだで一緒に行くことになる。今までのパターンからいってそうなるだろう。

美樹の押しの強さはもちろん、鹿目さんも誘ってるように見えて「当然行くよね?」って顔してるもん。絶対鹿目さんって、Sだよ。

 

 

 

「ほらね。結局連れてこられちゃったよ……」

 

僕はできる限りの抵抗を(こころ)みたが、予想通り彼女たちに連れられて病院まできてしまった。

そういえば、この病院は父さんが働いている職場でもあるわけだ。時間があったら、父さんに会いに行くのもいいかもしれない。

 

「政夫、ブツブツうるさい。男なんだから女々しい事言ってんじゃないわよ」

 

「さやかちゃんは男の子よりも男らしいもんね」

 

「ま、まどか~」

 

美樹が僕のぼやきに反応し、それに鹿目さんが微笑みながら、さらりと酷いことを言っていた。

……やはり鹿目さん、Sっ気があるだろう。まあ、イジられる対象が僕に向かなければどうでもいいけど。

病院の待合室まで来ると、美樹が僕と鹿目さんの方を向いた。

 

「それじゃ、私、恭介のお見舞いしてくるね」

 

「え?三人で行くんじゃないの?」

 

「政夫くん。ここは二人っきりにしてあげようよ。ね」

 

鹿目さんはそう言うが、だったら最初から連れてくんじゃねーよと思ってしまう。

これはもう『一緒にお見舞いしよう』じゃなく、『お見舞いに行く私の背中を見送れ!』だろう。何で僕が連れてこられたのか本気で意味が分からない。

 

『別にいいじゃないか。政夫はそこまで上条恭介に会いたかったわけじゃないんだろう?』

 

今まで何も言わず、ただ勝手に付いて来ていた支那モンが僕にそう言った。

確かにそうだけど、納得いかない。さらにこいつにたしなめられるような発言をされたせいで尚更(なおさら)納得がいかない。

 

「……そうだね。それじゃあ、僕は君をイジリ倒して時間を潰すとしようかな。鹿目さんもする?ストレス解消に持って来いだよ」

 

『やめてくれないか、政夫』

 

「可哀そうだよ、政夫くん」

 

支那モンの頬(ほほ)の両端を引っ張って弄(もてあそ)ぶと鹿目さんに怒られてしまった。

仕方ないので二人と一匹でしりとりをして暇を潰した。

父さんに会いに行こうかとも思ったが、父さんは暇じゃないだろうし、何より鹿目さんと支那モンから目を離すのは危険な気がした。

ふと思ったが支那モンの声も姿も周りの人は認識できないなら、僕らのしりとりはちぐはぐに聞こえるのだろうな。

 

それから、思ったよりすぐに美樹は戻ってきた。

 

「はあ……。よう、お待たせ」

 

「あれ?上条君、会えなかったの?」

 

「そうなの。何か今日は都合悪いみたいでさ。わざわざ来てやったのに、失礼しちゃうわよね」

 

嘘だろ。これだけ人の時間を無駄にさせといて会えませんでしたとか……。

何だろう、ものすごくやるせない。

 



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第十五話 絶望に触れてみて

何しに来たんだかわけが分からないが、僕ら『三人+一匹』のご一行は病院から家に帰ることになった。

 

「本当に時間、無駄にしちゃったねー。美樹さん」

 

僕は嫌味たらしく、美樹に言ってやる。

 

「悪かったわよ!後でジュースでもおごるから。まどかもそれで……って、どうしたの?」

 

鹿目さんはさきほどから病院の壁の方ををじっと見つめていた。

最初は、美樹のなめた態度に、菩薩(ぼさつ)のような彼女もとうとう切れたのかと思ったが、それにしてはどうにも様子がおかしい。

 

「本当にどうかしたの?鹿目さん」

 

「あそこ……何か……」

 

鹿目さんが指を指した場所を見ると、病院の柱に『黒い湯気のような物を(まと)った何か』が突き刺さっていた。そして、僕はすぐにそれが何か理解した。

グリーフシードだった。

そんな馬鹿な……。あれは魔法少女のなれの果てなんだから、あんなところに刺さる理由なんてあるはずが……。

 

『グリーフシードだ!孵化しかかってる!』

 

鹿目さんの肩にぶら下がっていた支那モンがいつもよりも大きな声を出した。

まさか……こいつか!こいつがあそこにグリーフシードを埋めたのか!?

 

確かさっき、美樹がお見舞いに行っている間に、鹿目さんが飲み物でも買ってくると言って席を外していた。僕もその時にトイレに行っていた。

その短い時間の間、支那モンを認識できる人間はその場には誰一人いなかった。つまり、支那モンは間違いなくその間『自由』だったということだ。

 

これはあくまで僕個人の想像に過ぎない。しかし、いくら何でもタイミングが良すぎる。

『鹿目さん』が『支那モン』を連れている状況での『孵化しかけのグリーフシード』。そしてその病院には、彼女の親友の大切な人であろう上条君が入院している。

笑ってしまうほど、できすぎた状況。僕は『何者かの悪意』を感じられずにはいられない。

 

『マズいよ、早く逃げないと!もうすぐ結界が出来上がる!』

 

支那モンの(あせ)ったように聞こえる声が、僕の耳には酷く白々しく響いた。

だが、ぼうっとしている時間は、僕にはない。

うろたえてる鹿目さんに僕の携帯を渡した。

 

「鹿目さん、巴さんと暁美さんの電話番号が入ってるから電話して。多分二人とも一緒にいると思うけど」

 

「う、うん」

 

「美樹さんは、いざとなったら鹿目さんを連れて逃げて」

 

「に、逃げるって・・・。政夫、アンタ何かする気なの?」

 

「まあね」

 

できればやりたくないのだが、迷ってる暇はなさそうだ。

ここには父さんが働いている。僕のたった一人の大事な肉親が。

だったら、どうにかしなければいけない。

 

「支那モン、ちょっと来て」

 

返事も待たずに、鹿目さんの肩にぶら下がっていた支那モンを引っつかむと、そのままグリーフシードが刺さっている柱に近づいた。

グリーフシードまでの高さは大体目測で僕の頭上3センチというところだろう。グリーフシードの形状は巴さんが見せてくれた奴とほぼ変わらない。ならば、柱に埋まっているのは先の尖った部分が1,2センチほどのはずだ。

これならば、可能だな。

 

僕は支那モンを足元に置くと、グリーフシードを両手で握り締める。

 

「うッづぁ・・・!」

 

触れた瞬間、指先を通して得体(えたい)の知れない何かが僕の中に流れ込んでくるのを感じた。

倦怠(けんたい)感、不快感、恐怖感、絶望感。

そのすべてがない交ぜになって僕の身体の内部を駆け巡る。

脳みそにぬるま湯を流し込まれているような気持ちの悪い頭痛。

胃を爪を立てられながら握り締められているような吐き気。

 

今の僕の心情を端的に表すのなら『死にたい』という一言に集約されるだろう。

何もかも投げ捨てたい。思考も感情も全部まとめて捨ててしまいたい。

 

「ぐッあ゛ぁ゛・・・!」

 

『危険だ!政夫!それは絶望の塊そのものだ!触れ続ければ命に関わる!』

 

支那モンの心にもないありがたい言葉を無視して、僕は片足を壁にかけて力の限り引っ張る。

 

「あ゛ぎぃあ゛ぁ゛・・・」

 

鹿目さんや美樹がこちらに何か言ってるようだが、耳鳴りが酷くて聞き取ることはできなかった。

グリーフシードを引っ張り続けている手には感覚がなくなっていた。

頭は重く感じられ、思考がうまくできない。

視界も急に霞み始め、自分が何をしているかも分からなくなってくる。

 

それでも、引っ張る。引っ張る。引っ張り続ける。

多分、実際は一分も経っていないだろうが、僕には永久のように感じられた。

 

そして、急に僕の視点が動き、気づいた時には僕は倒れていた。

失敗したのかと思った。

 

だが、僕の感覚のない手の中にはグリーフシードがしっかりと握られていた。

 

「……し……、支那モン!背中を開いて……!」

 

『……まさかただの人間の君が』

 

「早く……ッ!」

 

『はいはい。わかったよ』

 

支那モンの背中の模様の部分ががぱっと開いた。僕はそこに寝そべったまま、グリーフシードをを放り込んだ。

とりあえず、どうにかすることができた。まあ、何の力もない僕には上出来といったところだろう。

体に少しずつ感覚が戻ってきた。頭痛も吐き気も回復してきている。

 

「政夫くん。大丈夫なの?」

 

「アンタ無茶しすぎでしょ!」

 

僕の方に鹿目さんと美樹が心配そうに駆け寄ってきた。

なんとか上体を起こして、片手を上げて無事ということアピールした。

 

「……鹿目さん。魔法少女にならなくたって、できることぐらいいくらでもあるよ」

 

「えッ?」

 

「ちょっと政夫。いきなり何言い出してんの?」

 

「うーん、ただ思ったことを率直に述べただけだよ。あ、でも僕みたいに危険なことはやっちゃ駄目だよ」

 

美樹の方は、僕の言ったことが理解できなかったらしく、ちんぷんかんぷんな顔をしていたが、鹿目さんの方は思うところがあるのか考え込むような表情になった。

 




シャルロッテ誕生回避して、マミさんの寿命を延ばしました。

戦えない代わりに主人公には苦労してもらいます。


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第十六話 病室にお邪魔します

それから5分くらいして、巴さんと暁美が到着した。

支那モンが僕がどれだけ危険なことをしていたのかチクったせいで、僕はその場にいた女の子全員にこっぴどく怒られた。

その場所で正座をさせられて四人に(しか)られたので、病院から出てきた人たちにくすくすと笑われてしまった。

驚いたことに一番僕を激しく怒ったのは巴さんではなく、暁美だった。それも怒った理由が鹿目さんを巻き込んだことではなく、僕が危険な行いをしたことに対してのものだった。

 

「聞いているの、政夫。貴方は一歩間違えれば、命を落とすところだったのよ!いつも冷静なくせに、どうしてこんな危険な事をしたの!」

 

「あ、暁美さん。政夫君も反省してる事だし、お説教はその辺でいいじゃない」

 

「良いわけないわ。巴マミ、貴女も魔法少女なら、普通の人間が孵化寸前のグリーフシードに触れる事がどれだけ危険な事か分かるでしょう!」

 

こいつにとって僕はそこまで重要な存在でもないだろうに、一体何を考えているのだろう。

小賢(こざか)しい似非(えせ)マスコットの台詞を使うなら『わけが分からないよ』と言ったところだ。

 

 

 

病院の前で30分ほど正座をされた後、念のために僕は身体に異常がないか、病院で調べてもらった。当然の(ごと)く、父さんにバレたが、『あんまり女の子たちに心配かけちゃ駄目だよ』と笑われただけですんだ。

どうやら、正座でお説教をくらっていたのが、知られてしまったようだ。看護師さんたちにまで「正座の子」と言われていたのが、すごい恥ずかしかった。

鹿目さんたちは、付き添うと言ってくれたが、僕は遠慮した。

 

検査の結果、といっても精密検査ではないので簡単なものなので、あまり時間はかからなかった。

せっかくなので美樹の幼馴染の上条君に会ってから帰ろうと思い、彼の病室を看護師さんに聞いて病室に向かった。

 

病室の扉の前まで来ると、ホスト風の格好をした顔立ちの整った男と出会った。

 

「お。恭介の友達か?」

 

人懐っこい表情を浮かべて僕に尋ねてきた。

外見に反して、凛とした目付きをしている。僕はいい人そうだなと思った。

 

「まだ彼とは友達ではないですけど、そうなりたいと思って会いにきました」

 

「ほお。友達じゃねーのか」

 

じいっと僕の目を探るように見つめてくる。相手がどんな人間か見定めている目だ。僕は何も後ろ暗いことなどないので逆に見つめ返す。

しばらくして、済まなさそうに笑った。

 

「悪いな。ガン飛ばしちまって。恭介の奴はちょっと前まで有名人だったから、時々嫌がらせや冷やかしに会いにくる奴がいるんだよ。坊主(ぼうず)は違うみたいだな」

 

やっぱりそんなところか。

なんでも『若き天才バイオリニスト』らしいからな。そういった理由のない誹謗(ひぼう)中傷をする人間も少なくないのだろう。

 

「いえ。気にしてませんよ。それより貴方は・・・上条君のお兄さんですか?」

 

「いや、違う違う。俺は魅月ショウ。恭介とは、ただの知り合いだよ。そんじゃ、邪魔しちまって悪かったな」

 

そう言うと魅月さんは背中越しに手のひらをひらひらと去っていった。

なんか格好良いな、あの人。ハードボイルドな渋さを感じる。

 

 

僕は病室の扉を軽くノックする。

 

「どうぞ。入ってきて構いませんよ」

 

部屋の主の許しを得ると室内に入室させてもらった。

 

「君は?」

 

「初めまして、上条君。僕は夕田政夫。君が入院している間に見滝原中に転校してきた者だよ。よろしく」

 

軽く頭を下げて挨拶する。人間関係は初対面の印象で決まると言っても過言ではない。

それが僕が暁美を未だに好きになれない理由の一つでもある。

 

「夕田君か。僕は上条恭介。よろしく。それで……」

 

『今日は何で僕の病室に?』って顔してるな。まあ、普通、何の接点もない人物が会いに来たらそうなるよね。

ここは、美樹の名前を使わせてもらうか。

 

「僕は美樹さんと友達になってね。今日も彼女、君にお見舞いに来たんだけど、会えなかったらしくてね。ちょうど僕は身体の調子が悪くて病院に検査に来てたものだから、美樹さんの代わりにお見舞いしようかと思って来たんだ」

 

「そうか。多分、リハビリしてた時だろうね。さやかには悪い事しちゃったな」

 

上条君はばつが悪そうに薄く笑った。

元気がないな。怪我人だからと言ってしまえば、それまでだが何か悩みを抱えているように見える。

 

「上条君、何か悩みでも抱えてる?良かったら、僕で良かったら聞くよ?」

 

「え?いや、悩みなんて、ないよ……」

 

「会ったばかりだけど。だからこそ、気兼(きが)ねなく話せたりするものだよ。僕、こう見えても人の話を聞くのうまいんだ」

 

「……不思議な人だね、夕田君は。これは、さやかにも言ってない事なんだけどね、僕の手は動かないんだ。先生にも言われたよ。現代の医学では無理だって」

 

上条君は右手で自分の顔をつかむように(おお)う。だが、吐き出す言葉は止まらない。むしろより一層、声を荒げて喋る。

 

「無理なんだ!もうバイオリンの演奏は!なのに、さやかは聴かせるんだ!僕に自分で弾けもしない曲を!嫌がらせのように毎日毎日!」

 

積もり積もった鬱憤(うっぷん)を言葉と共に泣きながら吐き出す。

きっと美樹、そしてあの魅月さんにすら言うことができなかったのだろう。

自分でも、それが仕方のないことであり、美樹への八つ当たりであることに気がついているから。

 

上条君の(なげ)きは最後の方には、すでに言葉ですらなくなっていた。獣の鳴き声のような慟哭(どうこく)。意味も理由もない抑《おさ》えきれないほど感情の発露《はつろ》。

それらをすべて聞いて、僕は上条君に言った。

 

「よく、頑張ったね」

 

「・・・え?」

 

「だって、そうだろう?今まで上条君は、誰にもそんな気持ち言わずに一人で頑張ってたんだろう?美樹さんを傷つけまいと、その言葉を自分の心にしまい込んでいたんだろう?それなら、労(ねぎら)われるべきだよ」

 

「でも、頑張ったって・・・・もうバイオリンも弾けない。僕にはもう何もないんだ・・・」

 

何を言っているのだろうか?この人は。

自分がバイオリンを弾くしか価値のない人間だとでも思い込んでいるのか?

恐らくは、周囲の人間は『頑張れ』と無責任な応援をし続けたのだろう。彼はその重圧に応(こた)えようとして追い詰められてしまった。

だとするなら、上条君の嘆きを聞くかぎりでは、もっとも上条君を追い詰めたのは美樹だ。

 

「上条君。それは違うよ。バイオリンが弾けなくなっても、上条君は上条君だ。何もないわけないよ。君は、バイオリンを弾くためだけの機械じゃないんだから」

 

上条君の目をはっきりと見つめて、僕の思ったことを言った。

上条君は驚いたように僕を見て、再び涙を流して泣き出した。

そして一言だけ僕に返したくれた。

 

「……ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

それにならって僕も返した。

 

その後、好きな漫画やゲームの話で盛り上がった。

ギャルゲーの幼馴染ヒロインについて語った時に上条君は「実際は幼馴染はお互いに異性として見ない」と発言していた。

多分、僕のカンだと美樹は上条君に女性として好意を持っているだろう。

だが、上条君に届くことは永久になさそうだ。

 




ショウさんとの邂逅。これにより物語が繋がっていきます。


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第十七話 ああ!窓に!窓に!

夜、僕は夕食を食べ終えた後、机に向かって宿題をしていた。

 

えーと、この数字をここに代入して、展開してと……。

なかなか難しいな。僕が数学を得意じゃないことを差し引いたとしても、問題のレベルが高すぎる。

ちょっと気分転換しよう。

 

僕は外の空気でも吸おうと窓に近づくと、窓の外には黒髪の少女が無表情で(たたず)んでいた。

 

「うッぎゃああああああああああああああ!!」

 

絶叫を上げて尻餅(しりもち)をつく。

何これ? ホラー? ホラーなの? 教えて稲川淳二!?

恐怖でおろおろしていると父さんが僕の叫び声を聞きつけたらしく、すぐに僕の部屋にやって来た。

 

「どうかしたのかい?今、すごい声が聞こえたんだけど」

 

「ま、窓の外に女の子の幽霊が・・・」

 

「窓の外?誰もいないけど?」

 

父さんは窓を開けて、外のようすを見てくれたが、何も異常がないらしく怪訝(けげん)そうな顔をした。

僕も続いて窓の外を見るが、父さんの言った通り、外には物陰一つなかった。

見間違いだったのか?いやそっちの方が僕としては嬉しいが。

 

「今日は色々あったから疲れているんじゃないかな?まあ、僕は部屋にいるから、何かあったらまた呼んでくれて構わないよ」

 

「ごめんね、父さん」

 

父さんは自分の部屋に戻っていった。

僕も数学の宿題の続きに取りかかろう。無駄な時間を過ごしてしまった。

そう思って、ふと何気なくまた窓に目をやると、『いた』。

幻覚ではない。はっきりとそこに黒髪の無表情の女の子が……ってよく見たら暁美じゃないか!

 

「な、何してるの?こんな夜更(よふ)けに」

 

暁美はさも不満そうな表情で僕を睨む。

 

「……何もあんなに大きな声を出さなくてもいいじゃない」

 

第一声がそれか。

だが、明らかに自業自得だろう。こんな時間に窓の外を無表情で突っ立てたら普通は驚くぞ。

 

「少し貴方と話したい事があったのよ。入れてくれる?」

 

「それ、電話かメールじゃ駄目なことだったの?」

 

「……………………とにかく部屋に入れてもらえる?」

 

「おい。何だ、今の間は。忘れてたんだな、携帯の存在を。文明の利器を」

 

恐らく、友達がいない(ゆえ)に『携帯を使う』という概念が薄いのだろう。真性のぼっちの(さが)みたいなものだ。

……悲しい子だな。というか、せめて玄関から入って来いよ。

仕方がないので暁美を窓から部屋に(まね)き入れた。

靴を平然と窓の(さん)に置こうとしたので僕は切れかけた。汚れたら、誰が掃除すると思ってるんだ。

 

「ちょッ、靴は!……ちゃんと外に置いてね。それで話って何?」

 

「病院にあったグリーフシードの件についてよ」

 

あー、あの僕が、孵化する前に支那モンの背中に突っ込んだグリーフシードのことか。かなり危険なことだったとこいつに大激怒されたのは、よく覚えている。

でも、その話は終わったんじゃなかったのか?

僕の疑問に答えるように暁美は、続けて言う。

 

「今までの時間軸通りなら、巴マミはあのグリーフシードから生まれた魔女に、頭ごとソウルジェムを()み砕かれて死ぬはずだったわ」

 

「そ、それはかなりヘビーだね・・・」

 

僕は『その光景』を想像した、が、僕の精神衛生上よろしくないので早々に打ち切った。

でも、まあ、結果的に巴さんが助かったのなら、それでいい。命を張った甲斐(かい)があったというものだ。

 

「それで?」

 

僕が聞くと、暁美は神妙な顔で頭を下げた。

 

「本当にありがとう。心からお礼を言うわ。貴方のおかげで巴マミの命が救われた。ううん、それだけではないわ。巴マミとの協力関係まで築く事ができたわ。これでワルプルギスの夜と戦う戦力が増やせた」

 

「……その言い方はないんじゃないかな?まるで巴さんのことをただの戦力としか(とら)えてない風に聞こえるよ」

 

感謝の言葉よりも、巴さんの命を軽く見るような言い回しに意識が行く。

もしそうなら暁美との協力関係を改める必要があるかもしれない。暁美は、鹿目さんを大事にしているのは構わないが、その他の人間の命を軽く見ているのだとしたら、それは支那モンと何一つ変わらない。

すなわち、僕にとっての『敵』だ。

 

「そう聞こえるなら、そうなんでしょうね。私にとってまどか以外の事はどうでもいいの」

 

「最低だね。君の嫌いなインキュベーターと似通(にかよ)った考え方だ。ほむキュベーターとでも呼んであげようか?」

 

「……ッ、貴方に何が……!」

 

またそれか。都合が悪くなると、そうやって不幸な過去を盾にする。

そんなものはただの言い訳に過ぎない。辛い想いをしたからといっても、それで他人の命を値踏みする理由になんかならない。

 

「分からないよ。分かりたくもない。人の命の価値を勝手に決める下種な思考なんて」

 

しばしの間、僕と暁美は無言で睨み合いを続けた。

ああ、こいつのことがどうしても好きになれない。会話をしていると腹が立つ。どうにも冷静でいられなくなる。

 

暁美の表情は、抑え切れない感情が詰まったようだった。

その中でもっとも大きいものは、『理解されない苦しみ』だろう。自分だけが真実を知っている孤独感。自分の事を信じてもらえない疎外感。

どれも、僕は知らないし、知ったところで理解することはできない。それは暁美自身が背負うべきものだ。結局のところは、自業自得なのだから。

それが、最初に『鹿目まどか』の想いを踏みにじったこいつの罪だ。

 

「……私だって。私だって!精一杯やってるのに!どうしてそんな事言うの?まどか達には優しくするくせに、どうして私だけはそんなに厳しいの?ねえ、どうして!」

 

「……言い過ぎたよ。ごめんね」

 

こいつもこいつで切羽(せっぱ)詰っていたようだ。確かに辛さでは巴さんの境遇をはるかに凌駕(りょうが)しているものな。

何だかんだ言ったって、こいつも中学生。自分以外のことに責任を背負える年齢じゃない。

でも、気に食わないものはしょうがない。僕とこいつは根本的に馬が合わないのだ。

 

「暁美さん、きっと疲れが()まってるんだよ。もうそろそろ夜遅いから帰った方がいいんじゃない?」

 

意訳すると『面倒くさいのでさっさと帰れ』と言う意味になる台詞を吐いて、ご退場願う。

父さんに見つかったら、説明に困る。客観的に見れば、夜遅くに自分の部屋に女の子を連れ込んでいるとしか見えないからな。

若干、いつもの無表情よりムスっとした顔で暁美が呟いた。

 

「……やっぱり優しくないわ。私にだけ冷たい」

 

「じゃー、どーすればいいんですか?頭でもなでましょうかー?それともハグの方がいいですかー?」

 

暁美はまだごちゃごちゃ言うので、適当な態度で聞く。切れるかとも思ったが、切れて帰ってくれるならそれでも構わなかった。

 

「……じゃあ、頭の方で」

 

暁美は椅子に座っている僕の前で女の子座りすると、頭を僕の方へ突き出した。

……暁美流の冗談だろうか。だとしたら、非常に反応のし辛いギャグだ。

僕が戸惑いながらも、僕は恐る恐る手を暁美の頭に伸ばす。

ここで暁美がすくっと立ち上がって、「冗談よ」とでも言ってくれないかと願ったが、そんなことは起きなかった。

 

そっと前から後ろにできるだけ優しく暁美の頭を()でる。髪には(つや)があって、母さんの髪を思い出させる触り心地だった。

だが、心理的には凶暴な肉食獣か、不発弾に触れているような感覚だった。

理解不能な要求をされたせいで、僕の中の暁美ほむら像が崩壊しつつあった。本気で何を考えているのだろう。

考えの読めない人間ほど怖いものはない。

 

「えっと……どうでしょうか」

 

恐怖心からか、意図せず敬語になってしまった。

暁美はそれに対して気にしたようすもなく、少し陶酔したような声で答える。

 

「そう、ね。もう少し強くてもいいわ」

 

暁美は頭を突き出しているのでどんな顔をしているか見ることができなかったが、少なくても不快そうではないようだ。

要求通り、もう少しだけ撫でる強さを上げる。

 

「……………………」

 

「……………………」

 

何これ?

 

お互いに無言で、時を過ごした。

何と言うか、(はか)らずも女の子に触れているのに、気まずさだけを味合わされた。




政夫の謎の役得。

本人にしてみれば、軽く罰ゲームかも?


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番外編 ホスト、情操教育を考える

「ッ・・・ショウ!」

 

「そっちの二体は、杏子の動きに合わせて魔女を攻撃!反対側の四体は側面から魔女を攻撃しろ!残りの三体は俺の周囲に集まれ!」

 

俺、魅月ショウは現在、杏子と共に魔女と交戦中だった。

杏子に魔女の注意を引いてもらって、俺は能力で使い魔達を操り、魔女を側面から攻める。

 

『mvkrmermnv,srelp;dpffkrkflfd.flkvodfl』

 

魔女は形容しがたい声を上げて、杏子でも攻撃した使い魔でもなく、俺を(ねら)って襲い掛かってきた。

いくら化け物つっても、自分の使い魔が俺に利用されてんのが気に食わねえのか?

だけどな。

その考えは・・・命取りだぜ!

 

「魔女の面にぶちかませッ!」

 

俺の周囲にあらかじめ配置しておいた使い魔で、突っ込んできた魔女にカウンターをかけさせる。

 

『ldjrosd;sbnrti!!?』

 

魔女と激突した三体の内、二体は使い魔は消滅したが、魔女を(ひる)ませる事に成功した。当たり所がよかったんだろう。思った以上にダメージを食らわせられたっぽい。

 

「使い魔ども!集合して一緒に一斉攻撃!杏子はトドメを頼む!」

 

「おう。任せな!」

 

怯んでいる魔女に、俺は間発(かんはつ)入れずに七体の使い魔どもに一斉に攻撃させた。使い魔達は、何の躊躇(ちゅうちょ)なく、勢いをつけて魔女へ特攻していく。

 

魔女から使い魔を奪い、その使い魔で魔女を攻撃する。その事に俺は、ほんの少し罪悪感を感じるが、そんな事を言っても仕方ない。

俺はホスト。

生きるために『女』を利用する。それだけだ。それは使い魔でも変わらない。

 

ほとんどの使い魔が消滅した直後、猛攻(もうこう)で傷ついた魔女を杏子の槍が切り裂いた。

魔女は消滅して、歪んだ背景が元の風景に戻る。

杏子は魔女が落としたグリーフシードを拾うと、嬉しそうに俺の方に近づいてきた。

 

「楽勝楽勝。やっぱ、ショウがいると楽でいいわ。魔力もほとんど使わずにすむしな」

 

「そいつはよかった。……おい、残りの使い魔。自害し……」

 

俺は生き残った使い魔を自害させるために命令を下そうとした。こいつらは、放っておくと、人を食らって、魔女になるからな。魔女を倒したら、死んでもらわないといけない。

 

「ちょっと待て、ショウ。そのまま逃がしといてよ」

 

「……杏子。俺と約束したよな。グリーフシードに余裕があるときは使い魔も殺すって」

 

「っち。融通(ゆうずう)聞かねーな、ショウは。分かったよ」

 

やれやれと言った調子で杏子は(あきら)めた。

杏子はちゃんと理解していない気がする。

使い魔を逃がせば、人が死ぬ事を。それが自分と同年代や年下の子供かもしれないという事を。

『頭』ではなく、『心』で理解していない。

 

「使い魔ども、自害しろ」

 

「……あ~あ」

 

俺が使い魔を自害させると、杏子はもったいなさそうに声を出した。何度も(しか)ったが、杏子はいつもわざとそんな風に言う。

本当は悪い子じゃないのに、妙にこいつは自分本位なところが玉に(きず)だ。

 

自分が『社会の中で生きている』という意識が薄いのかもしれない。集団意識が薄いから、自分以外の人間がどうなっても関係ないと本気で思ってやがる。

 

「……杏子」

 

「何だよ。またお説教か?悪かったよ」

 

「いや、違う。お前、学校行け。金と手続きは俺がしてやるから」

 

「はあ!?何いきなり言い出すんだよ!」

 

杏子は今、学校に行っていない。年齢は自分でも覚えていないとか言ってたが、背格好からして中学生くらいだろう。

やっぱ、このくらいの年齢のガキは学校で協調性とかを身につけるべきだ。

 

「だ、大体アタシ死んだ事になってるから、戸籍だってないし……」

 

「じゃあ戸籍、用意したら学校行くんだな?」

 

「それは……」

 

杏子にしては、珍しく(うつむ)き、言葉を(にご)した。

ほ~。まったく、行きたくないわけじゃないワケだ。ゲーセン言ってるか、菓子食ってるだけじゃつまんねぇだろうからな。だったら、話は簡単だ。

 

「決まりだな。今週中にはお前を中学校に入れてやる」

 

さて、俺の『お得意様』のマダム達に頼んで、偽装戸籍を作ってもらうとするか。

ナンバー1ホストの腕の見せ所だ。

 

そうするとやっぱ学校は風見野か?でも、この辺の中学は私立ばっかだし。

……いや、隣の見滝原駅の近くに市立の中学校があったはずだ。駅に近い俺の家から考えれば、風見野の市立や公立よりもあそこの方が近いな。

 

「……いいのかよ」

 

ぽつりと小さな声で杏子が聞いてくる。

頼まなくてもでかい声ではきはき物を言うタイプのくせに、こういう時は無駄に萎縮(いしゅく)しやがる。

 

「いいんだよ。つーか、今まで戸籍もないガキを家に連れ込んでたの方がやべーよ。警察にばれたら、普通に捕まってたぞ」

 

「そうじゃなくて!……アタシはショウに世話になりっぱなしで、その上さらに学校まで……」

 

杏子が喋り終わる前に紅い綺麗な髪に指を突っ込んで、がしがしと頭を撫でる。

ったく、何でこいつは。

 

「ちょっとッ、人が真面目に話してる時に」

 

「俺は少なくとも、お前に俺ができる事をしてやりたいだけだ」

 

「ッ……」

 

「分かったら、素直にもっと迷惑かけろ、馬鹿」

 

カレンに、妹にしてやれなかった事を杏子にしてやりたい。

もう一度、『兄貴』としての義務を果たしたい。

それが俺にできるせめてもの償いだ。

 




杏子がそろそろ本編で書けそうです。


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第十八話 切れてませんよ?

「フフ。フフフフフフ…………」

 

思わず、笑いがこみ上げる。

今日は休日。安息日。学校がない。つまり、今度こそ本物のフリータイム!

 

「僕は自由だぁぁぁぁぁぁ!!」

 

一週間がここまで長く感じたのは初めてだ。見滝原に来てから、僕の心の休まる時はほとんどなかった。地味に命の危機に見舞われたことも何度かあった。

あれ?僕、アニメや漫画の不幸系主人公並みに不運なんじゃないだろうか?

まあ。今はそんなことは気にせず、ゆっくりしよう。

 

仲良くなった中沢君を含むクラスの男子を誘って、遊びに行こうかとも考えたが、やっぱり家で一人でゲームでもしよう。

今日は、どこかに行きたい気分でもないし、誰かと遊びたい気分でもない。

まだクリアしてなかったゲームの続きでもプレイしようか。

 

僕がゲーム機とコントローラーをリビングにあるテレビに繋いでいると、『誰もいないはずの』僕の部屋のドアが開き、中から黒髪の少女が現れた。

そんなホラー的登場の仕方で現れてくれたのは、暁美ほむらだった。……こいつ、また僕の部屋の窓から侵入しやがったな。そろそろ本気で警察に通報するぞ。

 

「お邪魔するわ。政夫」

 

「帰ってくれ、暁美さん。僕は今日はゆっくりしたいんだ」

 

ゴーホーム、ホムラアケミ。略してゴーホムホムだな。……だからどうしたというわけじゃないけど。

正直に言って今日一日くらいはこいつに会いたくなかった。

こいつはアリさん引越しセンターもびっくりするほど、大量の厄介(やっかい)事を運んできてくれるからな。

 

僕は暁美の方を見もせずに、ゲーム機にディスクを入れて、ゲームを起動させる。

軽快な音楽と共にオープニングムービーが流れ出す。だが、それを最後まで見ずに飛ばして、スタート画面の『つづきから』を選択した。

 

「真面目に聞いて。これは大事な事なのよ」

 

「僕も今、真面目にゲームがしたいところなんだ。暁美さんの話は明日聞くよ。だから、今日は帰って」

 

僕は無視して、ゲームを続ける。

テレビ画面の中では前回セーブした場所に主人公キャラが立っている。ステータス画面を開いて主人公の状態を見た。うーん、このレベルならボスもギリギリで倒せるかも。

行っちゃうか、ボス戦。

 

主人公で雑魚を蹴散らしながら、ボスの元を目指す。

だが、そろそろ終盤が近いので雑魚も雑魚で侮れない。

 

マジックポイントを可能な限り、使わずにボスの前にたどり着いた。このボスやたら強くて、しっかりレべリングしてから来ても全然倒せやしないんだよな。ゲームバランスちょっときつ過ぎやしませんか?

回復アイテムをほとんど使い切ってしまったのが、心残りだ。だが、贅沢は言ってられない。

 

『良くぞ来た。ゆ…』

 

長ったらしい台詞を吐こうとしてくるボスのイベントシーンをスキップで飛ばす。

ガタガタ言わずにさっさとバトれ。お前の演説を聞きに来たんじゃない。それは前に戦って負けた時、散々聞いたわ!

 

戦闘が始まると同時に、即効で今使える一番ダメージ量の多い技を選択する。

 

()でよ!魔界より来たれし、我が魔獣!』

 

主人公のかけ声を上げると、主人公の(かたわ)らに無数の腕の生えたライオンのような怪物が出現した。

これは主人公が持つ特殊能力、『召喚魔獣(ガーディアン)』。この召喚魔獣を使って敵を倒していくのが、このゲームの醍醐味だ。

ちなみに『アームドライオン』というのが主人公の召喚魔獣の名前だ。改めて見るとひねりのない名前だよな、これ。

 

『くはははははは!!死ねぃ、死んでしまえ!俺の前に立つなァ!』

 

やたら口の悪い主人公がボスに大ダメージを与える。

だが、ボスも高威力技を放ってくる。伊達にラスボスではないな。

 

何ターン過ぎたか分からない。主人公のヒットポイントも残り二桁。もうこれ異常ダメージを負えばゲームオーバーになってしまう。

 

『行けぇ。アームドライオン!!』

 

主人公の最後の一撃。これに耐えられたら、僕の負けだ。行ってくれ、頼む!

 

 

そして、ボスのグラフィックが画面からいなくなり、勝利の音楽が流れてきた。

 

「勝った……?よっしゃあああああ!ようやく倒せた!!」

 

僕は勝利の余韻に酔いしれていると、突然、画面が真っ暗になった。

 

「え……は?どういうこと?」

 

「私の話を聞きなさい」

 

見ると、暁美はゲーム機本体に繋がるコンセントを引き抜いていた。

こいつ……!絶対にやっちゃいけないことを平然と!まだセーブしてなかったんだぞ!?

僕は暁美の方に身体を向けた。

 

「……暁美ほむら。そこに座れ」

 

「やっと話を聞く気になったのね?それじゃ……」

 

暁美は僕が切れたことに気付かず、話を再び始めようとした。

だが、僕はそれを許さずにただ先ほどの言葉を繰り返す。

 

「座れ]

 

「え……」

 

「座れ、と言ってるいるのが聞こえないのか?」

 

「……わ、わかったわ」

 

暁美は僕の前に座った。

意図せず、僕の声のトーンが平淡になっていた。多分、顔から表情も消えていることだろう。

弾けるような怒りはなかった。だだ酷く、心が冷えていくのを感じる。

口調がいつもとは違う、威圧的なものになっていた。

 

「お前は今何をした?」

 

「……ゲームのコンセントを抜いたわ」

 

「なぜだ?」

 

「貴方が私の話を聞いてくれなかったから・・・」

 

「ほう。許可なく勝手に他人の住居に上がり込み、己の話を拝聴してもらえなければ、どんな暴挙も許される、と。素晴らしくお前にとって都合の良い意見ではないか、暁美。お前の両親や前の中学校の教師どもは、お前にそう教えた訳だな」

 

胡坐(あぐら)をかいた足に手を置き、大仰(おおぎょう)(うなず)きながら暁美を見据える。

今の僕がどんな顔をしているか想像もできない。ひょっとしたら、笑っているのかもしれない。

 

「えと……、その、怒っているの?」

 

まるで怯えたように暁美は、僕に尋ねてくる。叱られた子供が大人に()びるような、そんな聞き方だった。

ただ威張り散らすことが目的の人間ならば、それは効果的だっただろう。

だが、暁美にとっては残念なことに僕はそのような人間ではなかった。

 

「怒っている?……とんでもない。僕は褒めているのだよ。お前の受けてきた教養を。お前を育ててきた教育者達を。それらに惜しみない賛辞を送っているのだよ」

 

「……謝罪するわ。私は貴方がそんなに怒るとは思わなかったの」

 

「なぜ謝る?僕はお前を褒めているのだぞ?嬉しいだろう?笑え、暁美」

 

「ごめんなさい」

 

申し訳なさそうに暁美は目を()せ、頭を下げた。しかし、駄目だ。これは心からの謝罪ではない。

怒られたから謝る。よく分からないけど、頭を下げて、謝罪の台詞を吐き出せば、怒りは静まるだろう。

そんな程度の誠意のない子供じみた謝罪だ。

僕がなぜ怒っているかも理解していないだろう。

 

「笑え」

 

「本当にごめんなさい……」

 

「僕は笑えと、言っているんだ。聞こえないのか?それとも日本語が理解できないのか?」

 

「もう絶対にしないわ!金輪際、貴方を怒らせるような事は絶対にしない!約束するわ!」

 

「……その言葉ァ、永久に忘れるなよ」

 

僕は仕方なく、暁美を許すことにした。といっても暁美の謝罪の言葉を信じたわけじゃない。

なんかもう別にどうでもよくなってきたからというのが主な理由だ。

 

「それで何のようで来たの、暁美さん」

 

ようやくその言葉でほっとした表情で暁美が顔を上げる。誰もまだ『許した』なんて言ってないんだけどね。

 

「美樹さやかの件についての事よ」

 

「美樹さんがどうしたの?」

 

一応聞き返すが、大体の予想はついている。

 

「美樹さやかが上条恭介のために魔法少女になる。そして・・・」

 

「魔女になる。そんなところだろう?」

 

美樹の上条君への感情。上条君の治らない左手。そして、上条君から美樹への感情。

その三つから導き出される答えなんてこのくらいだ。

 

「察しがよくて助かるわ」

 

暁美は僕の答えに満足したように、ふっと笑った。

ようやく笑ったな、こいつ。初めて見た。

 

「何だ、暁美さん。笑うと案外かわいいじゃないか」

 

僕が軽口を叩くと、暁美は頬を紅潮させて、急に顔をまた伏せてしまった。

あれ?今度は僕が怒らせてしまったかな?

 




怒らせると、何しでかすか分からないのが政夫です。


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第十九話 交差する想い

僕は暁美を連れて病院に来ていた。

目的は上条君に会うためだ。もっとも、会うのは僕ではなく、暁美の方だが。

僕は暁美に準備はできたかと尋ねる。

 

「暁美さん、段取りは覚えている?」

 

「ええ。私が上条恭介の病室に行って少し話をした後、偶然を(よそお)い美樹さやかと(はち)合わせする。そして、美樹さやかに私が上条恭介に好意を抱いてるような台詞を吐いて、美樹さやかを()きつける」

 

「そう。美樹さんは暁美さんのことを嫌っているからね。そんなことをすれば、上条君を取られまいと告白を急ぐだろう」

 

そして十中八九、振られる。上条君は美樹に異性としての好意を抱いていないのだから。

美樹は間違いなく傷付く。だが、上条君の手を治そうと魔法少女になることはしなくなるはずだ。

なぜなら、美樹が上条君の手を治そうとするのは、自分に好意を向けてほしいからだ。

 

暁美が体験した世界では、美樹が魔法少女になった後に上条君と志筑さんが交際して、その結果、美樹は絶望して魔女となったという。

もし、美樹が打算なしで、上条君の手を治したというなら絶望などしないはずだ。『自分が好きだった幼馴染』と『自分の親友』が付き合うことになった。それは辛いだろうが、悲しいだろうが、最終的には祝ってやるべき事柄のはずだろう。

 

だいたい、失恋のショックで絶望すること自体、僕から言わせればふざけてる。そんなものは大抵の人間なら、誰でも体験する程度のことだ。

本当に好きならば、ソウルジェムになったぐらいで諦めるなよ。暁美によれば、肉体だってちゃんと成長するらしいじゃないか。

 

実際のところ、美樹が告白できなかったのは純粋に振られるのが怖かっただけだろう。『魔法少女』だからなんてものはただの言い訳にすぎない。

 

「それじゃ、暁美さんは上条君の病室の近くで待機してて。美樹さんが病院に来たら、僕がメールして知らせるよ。そしたら、上条君の病室に入って、自己紹介と軽く会話をお願い」

 

本来は病院で電話はいけないのだが、この場合は仕方ない。ちなみに美樹が来てから、暁美を上条君に合わせるのは、会話を持たせるコミュニケーション能力がない暁美への配慮だ。

美樹の方には僕が、前以(まえも)って『一緒に上条君のお見舞いをしよう』と連絡をして、待ち合わせている。あと十分ほどで美樹は病院に着く手筈(てはず)になっている。準備は完璧だ。

 

「わかったわ」

 

暁美は短く答えるとエレベーターを使い、上条君の病室へ向かった。

僕は、待合室の椅子に座り、美樹を待つ。

 

 

 

少しして美樹が病院に現れた。

 

「ごめん、政夫。少し遅れちゃって」

 

「気にしないでよ。一時間も待ったわけじゃないんだから」

 

笑顔でそう言った。

このくらい大したことじゃない。何しろ、僕はもっと君に酷いことをしようとしているのだから。

美樹に気付かれないように、こっそりと暁美にメールを送った。

 

「それじゃ、行こうか」

 

「うん!」

 

威勢のよい美樹の返事が僕の罪悪感を叩いたが、黙殺した。

僕は美樹に上条君と会って友達になったことを話しながら、エレベーターで上条君の病室に向かった。

そうして、上条君の病室に前についた。

 

よし。あとはここで暁美が出てきてくれれば……。

僕は暁美に合図するためにドアを軽く、三回ノックする。

 

すると、いきなりドアが開き、暁美が弾けるように飛び出してきた。

そこまで慌てる必要はないのに。まったく暁美は演技が下手だな。

 

「な、あんた……転校生!?何でここに!?」

 

美樹が驚いて目を丸くする。声も若干、裏返っていた。

ここで暁美は美樹に自分が上条君に好意があるようなことを(ほの)めかす手筈になっている。

 

「……ちょっと来て」

 

「は?」

 

しかし、暁美は美樹には目もくれず、僕の腕をつかむと階段の方まで引っ張って連れて行こうとする。

何をしているんだ、暁美!?段取りと違いすぎる。

暁美が何をしているのか、さっぱりつかめないが仕方ない。

 

「美樹さん。暁美さんのことは僕に任せて、予定通り上条君にお見舞いして来なよ」

 

暁美に引きずられながらも、美樹にそう言った。

美樹は当たり前ながら、状況をよくわかっていないようだったが、取り合えず、頷いて上条君の病室へ入っていった。

今は美樹は後回しにせざるを得ない。問題はこいつの方だ。

 

「どういうこと?予定と違うよね?何がしたいの?暁美さん」

 

僕は暁美を咎めるように睨む。

もし、暁美の答えがふざけたようなものなら、僕は烈火の如く怒鳴りつけるだろう。

だが、暁美は僕に背を向けたまま、何も言わない。

 

「暁美さん!」

 

「……告白されたわ」

 

ぽつりと小さな声で僕に背を向けたまま、暁美は答えた。

 

告白?

はっきり言って意味が分からない。主語と修飾語が足りないので何が言いたいのか意図がつかめない。

 

「誰が誰に?」

 

「私が。上条恭介に」

 

「はいィ?」

 

暁美の言葉の意味は理解した。だが、今度は言っている言葉の内容自体が突拍子もなさすぎる。

少なくても、『この世界』では暁美と上条君に接点などなかったはずだ。

だとするなら、上条君はいきなり病室を訪ねてきた暁美に愛を(ささや)いたということか?

会って五分も経っていない相手に?よく知りもしない相手に?

軽薄過ぎだよ、上条君!?

 

「ど、どういうこと?詳しい経緯を聞かせてもらえる?」

 

「知らないわよッ!!私が聞きたいくらいだわ!!」

 

暁美は振り返ると、(つば)を飛ばさんばかりに僕に怒鳴った。

このままでは(らち)があかない。

暁美をなだめて、落ち着かせる。

 

「落ち着いて、暁美さん。大声を出したって何も変わらないよ。いつものクールな暁美さんに戻って」

 

「……はあ。そうね。私とした事が取り乱してしまったわ。ごめんなさい」

 

「それでもう一度聞くけど、経緯を教えて。できるだけ詳細に何があったのかを」

 

「まず、私は貴方のメールが来た後、すぐに上条恭介の病室へ入ったわ。それで挨拶をして、自己紹介をしたの。その間、上条恭介は私の事を見つめたまま、何も言わなかったわ。心配になって、近づいたら、いきなり手を握られて……」

 

「告白された、と」

 

こくりと暁美は頷いた。

なるほど。一目惚れというやつだろうか。

言われて見れば、暁美はどこに出しても恥ずかしくないほどの美少女だ。僕は悪印象しか抱いてないから、それほど魅力的には感じられないけれど、初見ならころりと恋に落ちるのも分からないでもない。

 

そういえば、上条君は髪の長い女性が好きとか言ってた気がする。

しかし、いきなり告白するとは普通思わないだろう。

 

「まあ、暁美さん。これは考えようによっては大チャンスだよ。よりスマートに美樹さんに上条君への想いを諦めさせることができるんだからさ」

 

「それは、どういう事かしら?」

 

「どういうことって君が上条君と交際関係になれば、美樹は上条君のことを、ひいては彼の左手を治すために魔法少女になることを諦める。上条君はバイオリンを弾けないままだけれど、恋人の恋愛がその傷を癒してくれる。君は同性愛という不毛な恋愛から目を覚ます。考えられる限り最大のハッピーエンドじゃないか!」

 

「貴方はまだ私がレズだと思っているの!?いい加減にしないと私も怒るわよ!!」

 

「分かってる」

 

女の子が好きなのではなく、鹿目さんが好きだと言いたいのだろう。惚れた相手がたまたま同性だったのだ、と。

しかし、真面目な話、暁美もそろそろ報われてもいいんじゃないだろうか。

今まで自業自得とはいえ、『鹿目まどか』のために頑張ってきたのだから、普通の恋愛でも楽しむくらいは許されるはずだ。

上条君は顔が整っているし、親が資産家の超玉の輿(こし)だ。片手が不自由というハンデがあったとしても、お釣りがくるほどの優良物件だろう。

 

ワルプルギスの夜と戦った後にでも、清らかな恋愛のある生活でも送ればいい。

うん。まさにハッピーエンドだ。

 

僕と暁美が階段付近で会話をしていると、上条君の病室から美樹が飛び出してきた。

美樹は僕らを見向きもしないでエレベーターの方に向かって走り去って行った。こちらを向かず、俯いてのでどんな表情を浮かべていたのかは正確にうかがえないが、頬に水滴が流れていた気がする。

 

「美樹さん!」

 

僕は声をかけるが、美樹は振り向きもしなかった。ちゃんと聞こえているかも怪しい。

後を追いたいが、まず何があったのかを上条君に聞く必要がある。

暁美を一先(ひとま)ず、上条君の病室の前に待機させて、僕は病室へ入室した。

 

「あ。夕田君じゃないか。また来てくれたのかい?」

 

「こんにちは、上条君。今、美樹さんがすごい勢いで出て行ったのを見たんだけど・・・何かあったの?」

 

取り合えず、それとなく自然に上条君に聞いてみよう。

いかにも不思議そうな顔で僕は上条君にそう聞いた。

 

「それがさ、僕にもよく分からないんだ。さやかに『今、僕の運命の人とすれ違わなかった?』って聞いたら質問攻めされて、正直に答えたら、急に飛び出して行っちゃったんだ」

 

うん。明らかにそれが原因だね。

幼馴染の少年に想いを寄せていた少女の乙女心を光の速さで切り裂いたわけだ。

そりゃ泣くでしょうよ。告白する前から、すでに詰んでるようなものだもん。

 

「……そ、そうなんだ。ちなみにどんな質問されたか聞いてもいい?」

 

「うーん……『今出て行った奴の事が好きなの!?』とかな」

 

どう答えたかは聞かなくても、美樹の態度で分かった。

まあ、これで美樹の魔法少女化、ひいては魔女化を未然に防ぐ事ができただろう。まさか、上条君の左手を治して、『恭介、アンタの手を治したのは私。だから転校生よりも私を好きになって』なんて言ってきたりはしないはずだ。

状況を知っている僕とかならともかく、普通の人に言ったらただの頭がおかしい子にしか思われないからな。

 

「そうだ。夕田君は見てない僕の運命の人」

 

上条君が目をキラキラさせて僕に尋ねてきた。多分、美樹に聞いたときもこんな感じの目をしていたのだろう。

想い人がこんな顔で自分以外の女性のことを語る。

さぞ辛かっただろうな。思わず美樹に同情してしまう。

 

「運命の人って……ああ。黒髪でクールな感じの女の子?」

 

知っていながら、白々しく聞き返す。

ここで普通に答えてしまったら、僕と暁美の関係を怪しまれてしまうからな。

 

「そうそう!その子だよ!彼女が病室に来てくれた時、これは運命だと感じたね。きっと僕と彼女は運命の赤い糸で結ばれているんだ!」

 

上条君は身振り手振りで自分の感情を表現している。

この前の鬱憤もそうだが、こういうところを見るとやはり上条君は人よりも感受性が強いのだろう。

音楽家の素質とでも言うべきか。

 

それにしてもテンション高いなー、上条君。本当に怪我人なのか疑わしく見えるよ。

 

「その子ならさっきすれ違ったよ。彼女は僕と同じ、見滝原中に転校して来た子だよ。たしか名前は暁美ほむら、だったかな?ちょうど僕と同じ日に転校してきたんだ。だから、学校に復帰すれば、簡単に会えるよ」

 

「え!それは本当!?なら、頑張ってリハビリして早く歩けるようにならないと」

 

上条君はとたんに元気な声で、そう言った。

現金な人だな。この前は『僕にはもう何もない』とか言っていたのに。

まあ。前向きに頑張ると言っているのだからこれでいいか。恐らく、上条君に足りなかったは生きるための目標だったのだろう。

 

だが、上条君がなぜそこまで暁美に対してそこまで好意を抱いているのかが分からない。

 

「上条君。暁美さんのどこに()かれたの?聞いたところ、ほとんど彼女のこと知らないみたいだけど?たしかに上条君の好きな女の子のタイプはロングヘアーだとは聞いたけど」

 

「そうそう。夕田君の好きな女の子のタイプはたしかテンプレートの委員長みたいなだったっけ?」

 

「うん。黒髪で、三つ編み。眼鏡をかけていたら、最高だね」

 

「ぶふッー!!げほッ!げほッ!」

 

僕が好きな女の子のタイプを語ると、廊下の方から噴き出したような声が聞こえた後、続いて()き込むような音が響いた。

多分、病室のドアの前にいる暁美だろう。何やってんだ、あいつは。

 

「廊下で何かあったのかな?」

 

上条君は気になったようで、病室のドアの方を見た。

やばい。ここで暁美が見つかったら、上条君に何て説明すればいいのか分からない。

 

「た、ただの(せき)をした患者さんが廊下を通っただけだよ。上条君が気にすることないよ。それよりも上条君が暁美さんに好意を抱いた理由が聞きたいな」

 

「ああ。ごめん。えっと、僕が暁美さんを運命の人だと思ったわけ、だったね。そうだね、彼女はまさに僕が思い描いていたような女の子だったんだ」

 

「思い描いていた女の子か……」

 

理想の女性像ってやつか。

僕にとっての絶滅してしまった『テンプレートのような委員長』みたいなものだろう。

それが上条君にとってはそれが暁美ほむらだったと。そういうわけか。

 

「うん。僕のバイオリンが擬人化したら、あんな女の子になるんだろうね」

 

はい?バイオリン?擬人化?

 

「えっと……どういうこと?」

 

上条君は先ほどよりも饒舌(じょうぜつ)に僕に語ってくれた。

その様は詩歌のようにも感じられた。

 

「つまりね、夕田君。僕は長年『自分のバイオリンが女の子にならないかなー』、とずっと思っていたんだよ。だから来る日も来る日もバイオリンを弾き続けた。僕の思いが伝わり、バイオリンが女の子になってくれる、そんな日を目指してね。しかし、僕は交通事故で左手が動かなくなってしまった。絶望したよ。僕の想いが終わってしまうような気がした」

 

そこで上条君は言葉を区切って、視線を僕から天井へと移す。そして、動く方の右手を伸ばし、虚空をぎゅっとつかんだ。

まるでミュージカルのような無意味な演出。上条君は完全に自己陶酔している。

 

「でも、神は僕を見捨てなかった。ずっとバイオリンを努力してきた僕の元に、彼女を送ってくれたんだ。彼女は、僕が自分のバイオリンに抱いてきたイメージそのものなのさ」

 

ごめんなさい。意味が分かりません。

思わず、そう声に出してしまいそうになるが、ぐっと(こら)えて上条君の言葉を解読する。

えっと、つまり暁美を好きになった理由は。

 

「……自分のバイオリンっぽい雰囲気をしていたから、で合ってる?」

 

「そう!!そうだよ、そう!さっすが夕田君。誰もこの事を理解してくれないと思ったけれど、やっぱり君だけは分かってくれるんだね!!」

 

嬉しそうに笑う上条君が遠くに感じられた。僕は何とか理解できたものの、とてもじゃないが常人にはついていけない思考回路だ。支那モンよりも複雑怪奇じゃないだろうか。

天才と馬鹿は紙一重というけれど……これは越えちゃいけない一線を軽々飛び越していないか。

 

「そ、そっか。じゃあ僕はそろそろ帰るよ。早く元気になってね」

 

月並みなお見舞いの言葉を吐くと、返事も聞かずに上条君の病室から出た。

これ以上あそこにいると脳の構造を侵食されてしまう気がした。

 

「ふー。と、いうことらしいよ。バイオリン子さん」

 

「……誰がバイオリン子なのよ、誰が」

 




この話の上条恭介君はちょっと一部おかしいところがありますが、どうかご了承ください。


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第二十話 消えた馬鹿を追え!(前編)

「でだ、バイオリン子さん」

 

僕がふざけて言うと、暁美はげんなりした表情になった。

 

「……そのネタいつまで引きずる気なの?」

 

冗談はさて置き、飛び出して行った美樹を見つけなくてはいけない。

自暴自棄には、……なってるだろうな。告白する、しないレベルどころの話じゃなかったし。

 

「二手に分かれて美樹さんを探そう。暁美さんは直接会うといろいろ面倒なことになると思うから、見つけたら僕に連絡して」

 

美樹もそこまで馬鹿じゃないとは思うけど、ひょっとしたら支那モンに(そそのか)されて、魔法少女の契約をしている可能性があるかもしれない。

まあ、『願いごと』で上条君の想いをどうこうするほど下種なことはしないだろう。だが、念のために美樹の真意を確認しておかなければいけない。

 

「分かったわ。・・・・・それから政夫、さっきの話は本当なの?」

 

「さっきのって、何の話?」

 

急にそこで暁美は言葉を(にご)し始めた。

顔を横に向けて、視線をさまよわせる。

 

「あの……あれよ。ほら、その……タイプが、どうとか……」

 

「ああ。上条君と話してた好きな女の子のタイプのこと?」

 

「そ、そう。三つ編みで眼鏡の子が……」

 

「好きだけど……。それがどうしたの?」

 

「……いえ、ただ聞いてみただけよ。本当にそれだけなのよ!」

 

暁美はいきなり怒ったように声を張り上げた。

意味が分からない。挙動不審すぎる。

ハッ!まさか暁美、お前……。

 

 

上条君の謎思考に脳を汚染されて、正気を奪われたのか!

なんてことだ。ドア越しに人を発狂させるとは……恐るべし、だな。上条君。

まるで現代に巣くう『クトゥルフ』だ。

 

 

そんなこんなで僕は病院から出ると、暁美と別れて、美樹を探しに行った。

そうだ。巴さんにも電話をかけて、一緒に探してもらおう。案外、巴さんの家に美樹がお邪魔しているかもしれないからな。

 

「もしもし、夕田ですけど」

 

『あら!夕田君じゃない!どうしたの?私に何か用事……ッも、もしかして遊びのお誘いかしら!!』

 

「残念ながら違います。美樹さんが失恋のショックでどこかに行ってしまいました。見つけたら、優しく保護してあげてください」

 

『・・・そうだったの。分かったわ。見つけたら連絡するわね。あと政夫君、その言い方だと美樹さんが逃げ出したペットみたいよ』

 

少し、いや、かなり残念そうな声音で巴さんは僕に突っ込みを入れてくれた。

そんなに遊びたかったのか。だったら今度、みんなでどこかに遊びに誘ってあげるべきかな。

まあ、それよりも今は美樹を探さなければ。

 

「ご協力ありがとうございます。それでは」

 

お礼を言って電話を切った。

巴さんのところにはいなかったか。じゃあ、鹿目さんのところはどうだろう。

彼女は美樹の親友だし、失恋の傷を(なぐさ)めてもらっている可能性は高い。

だが、僕は鹿目さんの電話番号も住所も知らない。クソッ、こんなことなら、聞いておけばよかった。

 

待てよ。

たしか暁美は生粋(きっすい)の鹿目さんのストーカーだ。

なら、多分住所を知っているはずだ。

僕は暁美に電話をかける。

 

「もしもし、暁美さん。美樹さん捜索中に悪いんだけど、鹿目さんの住所教えて」

 

『まどかの・・・?ああ。そういう事ね』

 

暁美は察しよく理解して、僕に鹿目さんの住所と、ついでに美樹の住所も教えてくれた。

……やはり知ってたのか。よく考えたら、こいつ僕の住所も勝手につきとめたんだったな。本物のストーカーだ。

 

電話を切って、まずは鹿目さんの家に向かう。

自分の家に帰ってる可能性もなくはないが、心にショックを受けた人間の心理なら一人にはなりたくはないはず。休日なので、親に相談している線もあるが、中学生の年頃ならそういったことは多分しないだろう。ましてや、失恋なんて気恥ずかしいことだ。親しい友人に相談するのが普通だろう。

 

 

 

 

鹿目さんの家の前についた。

思ったよりも大きい。鹿目さんて、実は結構な富裕層の人間なのか。

いや、そんなことは今はどうでもいい。僕は玄関についているインターホンのチャイムを押して、話しかけた。

 

「ごめんください。鹿目まどかさんのクラスメイトの夕田政夫という者です。鹿目まどかさんはご在宅でしょうか?」

 

『政夫くん?どうしたの?』

 

インターホンから返ってきた声は鹿目さん本人だった。

よかった。鹿目さんの親が出ていたら、説明が面倒だったからな。

 

「単刀直入に言うね。美樹さんが上条君に振られてちゃったみたいなんだ。それでショックを受けてどこかに走り去ってしまってね。探してるんだけど……鹿目さん何か知らない?」

 

『ええ!?さやかちゃんが!!それ本当?!』

 

その反応なら、鹿目さんのところにはいないみたいだな。

だが、鹿目さんなら僕よりも美樹のこと知っているだろう。無駄足にはならない。

 

「本当だよ。詳しい説明はできないけど。よかったら、美樹さんを探すのを……」

 

『うん!わかった。すぐ行くから、ちょっと待ってて』

 

僕が言い終わる前に鹿目さんはそう言って、インターホンを切ると十秒くらいで家から出てきた。

は、早い。

 




今回は前編、後編に分けてあるのでちょっと短めです。


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第二十一話 消えた馬鹿を追え!(後編)

「さやかちゃん、やっぱり家にはいなかったね」

 

鹿目さんはしょんぼりと肩を落とした。

あの後、念のため美樹の家まで二人で行ったが、美樹は戻って来ていなかった。

 

「というか鹿目さん、美樹さんの携帯に電話すればいいんじゃない?」

 

「あ!えへへ。よく考えたらそうだね。すっかり忘れたよ」

 

思い出したとばかりに鹿目さんは目を丸くした。

申し訳なさそうな笑みが、可愛(かわい)かったので許そう。僕も鹿目さんの勢いに押されて言えなかったのも悪かったしね。

 

「もしもし……あ、さやかちゃん、今どこにいるの?」

 

あっさり電話に出たな。いや、良いことなんだけど、ここまで時間かけて簡単に終わると何だか拍子抜けだ。

 

「え?何言ってるの、さやかちゃん。よく聞こえないよ?」

 

……何だか雲行きが怪しい。鹿目さんの顔が次第に曇(くも)っていく。

美樹が何て言っているのか、僕も聞かなくてはいけない気がする。

 

「鹿目さん、スピーカーホン・モードにしてくれないかな?」

 

鹿目さんは頷(うなず)くと、携帯を耳から離して、スピーカーホンのボタンを押した。

 

『まどか。私、今最低なことしようとしてる』

 

暗く沈(しず)んだ声が携帯から聞こえた。普段の無駄に明るい美樹とは思えない。

僕は嫌な予感をひしひしと感じた。背中にじんわりと汗が噴き出る。

 

『今、キュゥべえと一緒にいるの。願いごと、決まったんだ』

 

……ッ!

 

「美樹さん!今どこにいるッ?場所は!!」

 

『政夫もそこにいるんだ。ひょっとして探してくれてた?だったら、ごめんね。迷惑かけてさ』

 

「いいから、早く!場所を教えて!!」

 

『……病院の屋上だよ』

 

ちッ!灯台下暗しか。

エレベーターの方に向かったから、外に出たと勘違いしていた。

僕のミスだ。致命的すぎる。

だが、美樹の家から病院までそう遠くない。

 

「鹿目さん!僕は先に向かうから!」

 

「あっ、政夫くん!?」

 

急がなくちゃいけない。先ほど会話で「最低なことを『しようとしている』」と美樹は言った。

なら、まだ願いごと『叶えてはいない』ということだ。

まだ、間に合う。美樹が道を踏み外す前に止められる。

 

そして、電話じゃ駄目だ。

直(じか)に美樹に会わないと止められない。そこまで美樹は追い詰められている。

美樹はそこまで性根の腐った人間じゃないはずだ。

 

 

 

僕は病院まで戻ってきた。

運動会や体育祭以上に全力で走ったため、息切れしている。もともと僕は体育会系の人間じゃないんだ。

むしろ、一般的な中学生よりも体力はない。自発的に体を動かしたのなんて、小学三年生の時、半年だけ柔道を習っていたくらいだ。

 

病院の窓口の受付の人や看護師さんたちが奇異の目で僕を見るが、関係ない。

ぜいぜいと息を吐きながら、エレベーターの方を見る。

駄目だ。全部、すぐに来そうにない。上の方に留まっているものばかりだ。

 

階段を使うか?

この忌々(いまいま)しいほど大きい病院の長い階段を。

無茶だろう。ここまで走ってきただけで、僕は体力を使い果たしたと言っても過言じゃない。

下手をしたら、(のぼ)ってる内に、倒れるかもしれない。

ふうっと息を吐いて、整える。

 

「畜っ生!!」

 

僕は全力で階段を駆け上がった。

足を上下に動かさなくてはいけない分、走るのよりも辛い。

胃の中から、食べた物が出てきそうだ。

 

階段、

 

踊り場、

 

階段、

 

踊り場、

 

階段、

 

踊り場、

 

階段、

 

踊り場、

 

階段、

 

踊り場、

 

階段、

 

踊り場、

 

階段、

 

踊り場、

 

階段、

 

踊り場、

 

階段。

 

その繰り返し、わき腹と心臓がぎりぎりと痛む。吐き気が強まり、(のど)の辺りまでせり上がってくる。口の中になぜか鉄さびのような味が広がる。

 

幸いなことは駆け上がってる最中、人にぶつからなくてよかったことだ。

いや、皆が皆、エレベーターばかり使うから、現在進行形で僕が困っているのか。

 

ようやく、屋上(ゴール)に扉が見えた時には、僕は涙目になっていた。

屋上のドアノブをつかむと、回しながら、力の限り引っ張った。

 

「はぁ、はぁ、……ま……間に合ったのか?」

 

入り口から少し離れたところ、ちょうどドアからまっすぐ正面に美樹が見えた。

 

「……来たんだ。早かったね、政夫。まだ私は契約してないよ」

 

美樹がそう言った時、僕は安堵(あんど)のあまりその場に座り込みそうになった。

だが、まだだ。やらなくてはいけないことは、これからなのだから。

 

『どうしたんだい?政夫。そんなに慌てて』

 

腹の立つ支那モンを無視して、大きく深呼吸すると僕は美樹に向き合う。

 

「美樹さん。何を願うつもりだったの?」

 

「政夫には関係ないでしょ?」

 

「大有りだよ。友達のことだからね」

 

美樹と上条君。二人の友達である僕には見過ごせないことだ。

知らぬ存ぜずで、放っておいていい間柄じゃない。

 

「上条君が自分を好きになってくれるよう願おうとしてたんだろう?」

 

「……だったら何?別にいいでしょ?私の願いなんだから、何を願おうと私の勝手よ!」

 

見苦しい。ここまで浅はかな人間だったのか、美樹さやか。

僕は心の底から軽蔑した。

こんな人間をわずかながら信用していた自分が馬鹿だった。

僕の前にいるのは友人でも、知人でもない。

僕のもっとも嫌いな『下種な人間』がただ一人立っているだけだった。

 

「いいわけないだろう!人の想いをなんだと思ってるんだ!お前の勝手な願いで、上条君の人としての尊厳を踏みにじるな!」

 

「アンタには分からないでしょうね。人を本気で心から好きになった事がないから、そんな事が言えるのよ!」

 

その言葉で僕は切れた。

美樹に近づいて、胸倉をつかみ上げる。

 

「本気で人を心から好きになったやつが、自分の勝手な都合を好きな人に押し付けるわけないだろうがッ!!」

 

美樹の目を睨みつける。

美樹は僕から顔を(そむ)けるが、そんなことは許さない。

 

「目を()らすな!」

 

僕からも、現実からも、自分自身からも。

目を逸らすことは絶対に許さない。

 

「私だって……わかってるよ。こんな事したって何にもならない事ぐらい……」

 

「だったら!」

 

「でも、嫌なの!!受け入れられないんだよ!恭介が、私から離れて行っちゃうのが……嫌で、嫌でしかたがないの」

 

「なら、願いごとで上条君の心を手に入れるのか?無理やり想いを()じ曲げて、それでお前は上条君と一緒に生きていけるのか?何の罪悪感もわだかまりもなく、平気な顔で生きていけるのか?」

 

「分かんないよぉ!……だから、願えなかった。……だから、政夫が来るまで待ってた」

 

美樹はぼろぼろと涙をこぼす。

僕は安心した。

僕の前にいるこいつは、短い時間ではあったが、僕が知っている美樹さやかのままだった。

 

「じゃあ、止めろ!そんな気持ちで願いを叶えたって幸せになんかなれない」

 

「……分かったよ。だから、手、離して」

 

僕は美樹から手を離した。

美樹は服の(そで)で涙を(ぬぐ)った。それくらいなら、ハンカチ貸してやったのに。

 

『それで願いごとはどうするんだい?』

 

支那モンが口を出してきた。

僕は支那モンをつかむと、美樹の顔の前に持っていく。

 

「それより、支那モン君はちゃんと説明したの?『魔法少女になると魂がソウルジェムになって、ソウルジェムの方が本体になること』とか『ソウルジェムが濁りきると、魔女になってしまうこと』とかを」

 

あえて、自然な感じでそう聞いた。まるで何でもないことのように平然なトーンで。

 

「え!?何それ、どういう事……?」

 

『……何故、君がそんな事を知っているんだい?』

 

美樹は、言っていることが理解できないといった表情で呆然とした。

まあ、いきなりじゃそうなるだろうな。

 

「美樹さん。聞いての通り、魔法少女って君が考えてるよりもデメリットの方がはるかに多いよ?それでもなる?魔法少女に」

 

 




前編後編に分けるほど、じゃなかったかもしれません。


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第二十二話 秘密と矛盾

美樹に魔法少女について僕が知っていることを教えた。

美樹は顔から、血の気が引いて呆然としている。頭の中で情報の処理が終わっていないのかもしれない。

 

もちろん、暁美のこと一切、言わなかった。信憑性などわざわざ口に出す必要もない。

なぜなら、当事者の支那モンが証明してくれるのだから。

 

「僕の言っているところに何か間違いはあった?『インキュベーター』君」

 

『取り立てて訂正するほどの間違いはないね。でも政夫。何故、君がそこまでの情報を知っているんだい?』

 

「ヒ・ミ・ツ☆」

 

ウインクと共に支那モンに()めた答えを返してあげた。

自分でやっといて何だが、非常に気持ち悪いな。鹿目さんあたりがやれば似合うのだろうが、僕じゃ無理だ。

 

『……ふざけてるのかい?政夫』

 

「どうしたの?ひょっとして怒ってる?感情ないって聞いたけど」

 

『誰かに聞いた?やはり誰かからボクらの事を教えてもらったんだね。それは一体誰だい?』

 

「おいおい。ごまかしはよくないよ、インキュベーター君。君……実は感情豊かなんじゃない?」

 

僕は前から思っていた。

こいつが感情がないわけがない。そんな事はありえない。なぜなら、感情がなければ、こいつらのやっている事は矛盾してしまうのだから。

 

『ボクらには感情なんて存在していないよ。感情なんて精神疾患の一種だよ』

 

「でも、君はこの星にエネルギーを求めてやって来たって、言ったよね?宇宙の寿命とやらを延ばすために」

 

『それがどうかしたのかい?』

 

「何で、そんなことする必要があるの?」

 

そう。まずそれがおかしい。

感情がないというなら、そんなことを気にする必要なんてないだろう。わざわざ、地球に来てまで、そんな面倒くさいことをする理由がない。

 

感情がないということは、生への執着も、死への恐怖もないということに他ならない。

親愛なる中沢君の言葉を借りるなら、『宇宙が寿命が尽きても、尽きなくても、どっちでもいい』と言ったところだ。

そもそも、感情がなかったら、文明なんて生まれないんじゃないだろうか。

必要は発明の母。『悩むこと』も『苦しむこと』もないのなら、何かを生み出すきっかけなどない。

 

「宇宙が寿命を迎えることが、ひいては自分達が消滅することが怖いの?感情ないのに?」

 

『……。言われてみれば、確かにおかしな事だね。今まで考えた事もなかったよ。でも、ボクらに感情は……』

 

「あるよ。絶対にある」

 

支那モンが言葉を言い切る前に僕は口を(はさ)む。

断言できる。

こいつらは感情を忘れ去ろうとしてるだけ。表にはでなくても、確実に感情は眠っている。

 

「君らが嘘を吐かないなんてのもさ。案外、自分自身にすら吐いている嘘をごまかすためなんじゃない?」

 

ならば、揺さぶってやればいい。こいつらが、ごまかしている自分達のブラックボックスを大声で指摘してやればいい。

 

『……わけが分からないよ。ボクらには感情なんて』

 

「インキュベーター君。君らに感情は……あるよ」

 

支那モンの耳元に僕は口に近づけて、そっと(ささや)いた。

今だって、たかだか僕の軽口で揺らいでいるように見える。

僕には分かる。こいつらは、嘘吐(うそつ)きだ。僕自身が嘘吐きだからこそ、同じ嘘吐きには鼻が利いてしまう。

 

 

 

 

 

 

「……政夫、私たち騙されてたの?」

 

ようやくフリーズしていた美樹が復活した。

 

「さあ?こいつらには騙していたなんて思ってないんじゃないかな?『聞かれなかったから、答えなかっただけ』とでもほざきながらさ」

 

ぽいっと支那モンをつかんでいて、軽く地面に放り投げた。

僕の言葉でダメージを受けていたのか、支那モンは受身も取れずにコロンと転がった。

 

「それで、まだ願いごと叶えたいと思ってる?まあ、何を願おうと間違いなく悲惨な末路をたどることになるだろうね」

 

『魔法』や『奇跡』があろうとも、そこに『救い』はないのだから。

代償がでかすぎて、『死ぬ覚悟をしてでも叶えたい』くらいの願いでもない限り、損をするだけだ。

 

「……うん。ありがとね、政夫。私もう少しで後悔するところだった」

 

美樹は僕に向かって、穏やかに笑った。

そういう顔もできるのか。思った以上にかわいいじゃないか。暁美にだって負けてはいない。

何せよ、これで美樹が魔法少女になることはなくなったな。

 

「それじゃ、僕はもう帰るよ。何だか疲れちゃった」

 

明日は間違いなく凄まじい筋肉痛に襲われることだろう。帰りに湿布でも買わないと。

美樹から離れて、屋上のドアに向かった。

僕はすっかり気が抜けていた。でも、やり遂げた達成感が胸の内にはあった。

 

 

「キュゥべえ」

 

だから……。

 

「願いごと、決まったよ」

 

その時、すぐに反応することができなかった。

 

「なッ……!」

 

一瞬、美樹が何を言ったのか分からなかった。

先ほど、上条君の想いを変えることを諦めたのではなかったか。

魔法少女の契約のデメリットを知って、契約を取りやめたのではなかったのか。

 

「美樹さん!!」

 

僕は美樹に向かって手を伸ばした。

実力行使でも、契約を()めさせるために。

 

だが、身体は思うように動いてくれない。散々酷使(こくし)した挙句(あげく)、心まで緩んでいたせいだ。

僕の手は・・・美樹には届かなかった。

 

 

「恭介の手を治して。それが私の願いよ」

 

え?

 

美樹の言葉に僕の頭の中は真っ白になった。

その言葉はさっきの台詞よりも理解しがたいものだった。

 

『契約は成立だね。おめでとう。君の願いはエントロピーを凌駕(りょうが)した』

 

支那モンの耳から出ている毛のようなものが長く伸びて、先端の方が美樹の胸に吸い込まれた。

 

「うっ…」

 

美樹のうめきと一緒に胸から、青く光る小さな物体が引きずり出された。

それは紛れもなく美樹のソウルジェムだった。

 

 

 




結局、マジカルさやかちゃんの誕生は阻止できませんでした。


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番外編 紅い魔法少女の恥じらい

アタシは佐倉杏子。

いや、ショウが新しく戸籍を作ってくれたから、今は魅月杏子だ。

 

今の時刻は午前二時。普段ならとっくに寝ている時間だけど、アタシはどうにも寝付けなかった。

自分が寝転がっているベッドを見る。

これもショウがアタシにくれたものだ。元々はショウの妹が使っていた物らしいけど、かなり気に入っている。

 

そのショウはまだ帰ってきていない。帰りがここまで遅くなったのは今までになかった。

ショウは今日、「帰りが遅くなるから、早く寝とけ」とは言っていたけど、やっぱり心配だ。

家の前で待ってようか。

そんな事を考えていると、ショウが帰ってきた。

 

「うぇッ……!あの豚ババア、どんだけ男に飢えてたんだよ。俺を腹上死させる気かっつーの」

 

「お帰り。ショウ」

 

「杏子。お前まだ起きてたのかよ。もう寝ろよ、明後日から中学校に編入だろ?」

 

ショウはしょうがない奴だと、アタシの事を笑いながら頭をなでてくれた。

大きくて、優しい、大人の手。

いつもなら、恥ずかしさのあまり、「子供扱いすんな」と振り払うが今日はしたくなかった。

 

「……ショウ、女の人抱いてきたのか?」

 

アタシがそう言うと、ちょっとショウは困った顔をした。

ショウはホストのくせにモラルに厳しいとこがある。アタシは前にショウに何か恩返しができないかと、考えた時、ショウに身体を(ささ)げようとした事があった。

 

ショウに会う前の一人ぼっちだった頃、アタシに近づいてくる大人はみんな身体目当てだったからだ。まあ、ホテルに連れ込もうとされた時は、軽く腕を(ひね)って、財布だけ奪うだけだったけど。

 

だから、アタシはそれなりに男に好かれる顔立ちをしてる事も知ってたし、それで少しはショウを(よろこ)ばせられると思った。

 

でも、ショウはそんなアタシを引っ叩いた。

『冗談でも、二度とそんな事を言うな』って。

 

その後、悲しそうな顔でアタシをぎゅっと抱きしめてくれた。

それ以来、アタシはショウにそういった事を話題を出した事はない。

 

 

「あー……あれだ。水商売やってりゃ身体売るくらいよくあるもんだぞ。女と違って、男の場合そこまで深刻なモンじゃねぇし……つーか、あのババアは何故か俺の力が効きづらいんだよな。図太いババアに使い魔以上に扱いが難しいぜ」

 

「アタシの戸籍の件の奴なんだろ?だから、ショウは好きでもない奴と……」

 

ショウは、はあっとため息を吐くと、アタシのおでこを指で弾いた。

 

「いたっ。何すんだよ」

 

「ガキが下らない事で悩んでんじゃねぇよ。お前くらいのガキはな、もっと楽しい事考えてりゃいいんだよ!分かったら、さっさと寝ろ」

 

ショウはそう言うと、風呂場に行ってしまった。

いつだってそうだ。ショウは優しい。アタシに心配させまいと、頑張ってる。

はっきり言って、アタシの親父なんかよりも、アタシを大事にしてくれてる。

そんなショウがアタシは好きだ。

『妹』としてじゃなく、『女』として。

絶対に口には出してやらないけど。

 

なんとなく、悔しい感じがしたのでアタシは自分のベッドじゃなく、ショウのベッドに(もぐ)りこんだ。

鼻から、ショウの(にお)いが流れ込んでくる。

安心できる優しい匂いだ。でも同時に胸がドキドキする。

 

ショウがシャワーを浴びて戻ってくると、ショウのベッドで目をつぶって寝たふりをした。

 

「ん?あ……、しょうがねぇなー」

 

少し困ったような、でも優しい笑顔を浮かべた。

タオルで()れた髪を拭(ふ)いてるのを、こっそりと薄めで(のぞ)く。

濃い茶髪の髪がショウにはよく似合ってる。

 

見蕩(みと)れていたら、パジャマに着替えたショウが電気を消して、ベッドに入ってきた。

慌てて、アタシは寝たふりをする。

 

「明日、頑張れよ」

 

ショウはアタシの頭を優しくなでた。すごく穏やかな笑みを浮かべてる。

やばい。顔が赤くなりそうだ。

 

だけど、ショウはすぐに横になって寝息を立て始めた。

すごく疲れてたんだな……。アタシのために。

 

う~……。

 

ショウがぐっすり寝ている事を確認する。

誰も周りにはいない事は分かっているのに、周囲を見回す。

 

よし。

 

こっそりと静かに。

 

アタシはショウのほっぺにキスをした。

 

自分でやってから、猛烈に恥ずかしくなって、顔を隠すように毛布に(くる)まる。

は、恥ずかしい。

今夜はとてもじゃないけど、眠れそうにない。

 

 




ホントに番外編です。


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第二十三話 楽しいクラスメイト

「おはよ!まどか、仁美、政夫!……それと転校生」

 

「何か空耳が聞こえるけど、無視して学校行こうか、みんな」

 

平日の朝、いつもの待ち合わせの場所で僕は鹿目さん、志筑さん、暁美の三人に笑顔でそう言った。

 

(みんな)の返事も聞かずに、『誰もいない場所』と僕とを見比べて困った顔をしている鹿目さんと志筑さんの手を引いて歩き出す。暁美も僕らに続いて足を動かす。

 

「ちょ、ちょっと政夫!無視しないで」

 

「まーた空耳が聞こえるよ。困ったな~。耳鼻科に行かないといけないかもしれないね」

 

鹿目さん達に話しかける。

『空耳』なんかに絶対に耳を貸してやらない。

僕が手を引いている二人はまた『誰もいない場所』をちらちら振り返りながら、何かを言いたそうな表情を浮かべているが気にしない。

一体どうしたというのだろう?暁美のように平然といつも通り歩けばいいのに。

 

「……ひょっとして怒ってる?政夫、めちゃくちゃ怒ってるよね?」

 

いい加減うざったい。

だけど、『空耳』なのだから仕方がないね。まったく困ったものだよ。

 

「ごめん!本当にあの事は悪いと思ってるよ。……政夫がやった事を無駄にしちゃったようなもんだしね」

 

道を(はば)むように、僕らの行く手に『何か』が現れて、頭を思い切り下げた。

しかし、僕らは『何か』を避けるように迂回(うかい)して歩き出す。

 

「お願いしますッ!無視しないでぇ!!」

 

がしっと腰に『何か』が組み付いてきた。

それでも、僕は平然と前だけに視線を向けて進む。

ああ、ただでさえ、筋肉痛で身体のあちこちが痛いのに!

 

ちッ。仕方ない。

何が何でも無視し続けるつもりだったが、予定変更だ。

 

「……おい」

 

「政夫!許してくれたのぉ?ありが・・・」

 

「邪魔だ、青。退()け」

 

冷めた目で、僕の腰に手を回している青い奴を見下す。

本当はもう視界にも入れたくはなかったが、これじゃ前に進めないので我慢しよう。

 

「そんなぁ……」

 

「去れ。もうここにお前の居場所はない」

 

青い奴は涙目になるが、そんなことは知らない。

人の好意を無碍(むげ)にする奴など、どうなろうと構わない。

 

「ま、政夫君。もうさやかちゃんを許してあげてよ……」

 

「そうですわ。何があったのか知りませんけど、これはあんまりです」

 

優しい鹿目さんと志筑さんは、愚かにもこの俗物を許せという。

だが、駄目だ。それはできない相談だ。

この青い奴は、どうしようもない奴なのだ。許せば、また同じようなことを仕出(しで)かすだろう。

 

しかも、こいつが魔法少女になったせいで、鹿目さんが支那モンに()け込まれるチャンスを与えてしまったことになる。

厄病神って、青髪なんだな。初めて知ったよ。

 

「政夫ぉ~、許してぇ~」

 

「美樹さやか。いつまで政夫にくっ付いているつもりなの?いい加減、離れなさい!」

 

僕にしがみ付いている青い奴を、なぜか暁美が引き離そうとしている。

まあ、何でもいいか。

暁美頑張れ!そいつ、魔法少女になったせいで筋力が上がったらしく、僕の力じゃ引き離せないんだ。

 

 

 

 

 

最終的に僕は青い奴に敗北した。

暁美の力でも引き離せなかったので、仕方なく『形だけ』許すことにした。

こんな馬鹿なことをして、遅刻などしたくはない。

 

教室に入ると中沢君を除くクラスの男子達が僕に詰め寄ってきた。

その内の一人、(ほし)凛太郎(りんたろう)君が一歩前に出てきた。

 

「夕田~。お前は毎回毎回、かわいい女の子(はべ)らしやがってぇ……。モテ男気取りか、今畜生!特に暁美さんと仲良くしやがって許さねー!!」

 

「星君、どうしたの?急にそんなこと言い出したりして」

 

「星じゃねー!スターリンと呼べ!!このタラシニコフが!!」

 

ス、スターリン?

ああ、なるほど。星凛太郎だから、スターリンか。でも、それってあんまり名誉な名前ではないんじゃないか?

そして、タラシニコフって何だよ……。

 

星君、改めスターリン君は胸を張って宣言し出した。

 

「ここに集まった男子はすべて暁美さんに好意を抱いている者達、すなわち『ほむほむファンクラブ』の者達だ!」

 

「ほ、ほむほむファンクラブ?」

 

それは暁美本人にちゃんと許可を取っては……いないな。確実に。

 

「俺達はほむほむが大好きだ!あの(さげす)んだ目で見下されるのが好きだ!冷たくあしらわれるのが好きだ!あのストッキングで包まれた足で踏まれたいと妄想するのが大好きだ!!」

 

『オウ!オウ!オウ!』

 

周りの男子達はスターリン君のトチ狂った言葉に賛同するように呼応する。

どうやら、このクラスにはまともな思考をもった男子はごく(わず)かしか存在していないらしい。

 

「で……結局のところ、僕に何が言いたいの?」

 

「むむむ。今ので伝わらなかったのか?」

 

君らの頭がおかしいことは嫌というほど伝わったよ。

 

「ほむほむと限度をもって接しろ!()()れしくするな!もしよかったら、俺にほむほむとの交流の場を提供してください!!」

 

最後のは、僕へのお願いになっていた。

 

「スターリン、貴様抜け駆けする気か!」

「ほむほむファンクラブの鉄の(おきて)を忘れたのか!」

謀反(むほん)じゃー!皆の者ー、スターリンが謀反を(たくら)みおったぞー!」

「殺せぇ!奴を血祭りにしろ!裏切り者を粛清(しゅくせい)するんだ!」

 

スターリン君はクラスの男子達に捕縛されると、どこかに連行されて行く。

ずるずると引きずられながら、こちらを向くその顔は何とも情けなかった。

 

クラスの女子たちは、それを完全に無視して化粧品や洋服のことを楽しそうに話していた。

いいなぁ、そのスキル。僕も欲しい。

 

「は、放せー!俺は想いのままを言葉にしただけだー!俺は無罪だー!!弁護士を呼べぇ!法廷で!法廷で話し合おう、な!」

 

教室がガラス張りなので、廊下に出た後も彼の醜態(しゅうたい)が丸見えだった。

廊下にいた人たちは、驚いたようすでその光景を見送っている。

アホばっかだな。転校して来た日は、皆普通の連中だったのに……。

 

「夕田君」

 

「あ、中沢君……」

 

僕の肩をこのクラス唯一のまとも男子である中沢君が軽く(たた)いた。

 

「楽に考えるんだ。『どっちでもいいや』ってね」

 

「そうだね。そうするよ」

 

僕は世界の真理の一つに触れた気がした。

 




政夫は結構根に持つ男です。
男キャラが寂しかったので、灰汁の強いクラスメイトを書いてみました。


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第二十四話 教室大岡裁き

「今日からこの学校に編入した、さく……じゃなかった魅月杏子だ。よろしく」

 

朝のホームルーム、僕のクラスにまた転校生が入ってきた。いや編入生か。

ちなみにスターリン君を引きずっていった男子達は、何かをやり遂げたような顔をして帰って来たが、スターリン君だけはあれ以来戻ってきていなかった。

怖かったので、彼があの後どうなったのか聞くのは止めておいた。

 

何にしても、人数が増えすぎだろう。なぜこのクラスなんだ?当初から、他のクラスよりも人数が少なかったのか?

『魅月』という名も気になる。

あの病院で会った魅月ショウさんの妹だろうか。それにしては顔が似ていないが。

 

それよりも、この編入については暁美が見てきた他の世界でもあったことなのかが気になる。

暁美に目を向けると、驚愕の表情を(あら)わにしていた。

その顔から察するに、これもイレギュラーというわけか。

 

 

 

ホームルームが終わると、クラスメイト、特に女子が魅月さんの(そば)に群がった。

まず最初に田中さんが話を切り出す。

 

「魅月さんって、前はどこの学校だったの?」

 

「杏子でかまわねーよ。……中学校は色々あって行ってなかった」

 

「……もしかして家庭の事情ってやつ?」

 

続いて、川村さんが興味深深といったようすで聞いた。そういう込み入った事情に臆面(おくめん)もなく入っていくあたり、僕はちょっと無神経だと思った。

だが、魅月さんは気を悪くしたようすもなく、適当に流す。

 

「まあ。そんなもんかな。でも今は……あー、うん。た、頼れる兄貴がいるからな」

 

「へえ。お兄さんいるんだ。どんな人?写真ある?」

 

「ああ。携帯に入ってる。えーと、ほらよ」

 

魅月さんは携帯を取り出し、操作して、カメラで撮ったであろう画像を見せた。

遠目からでは確認しづらいが、あの画像は魅月ショウさんだ。やはりあの人の妹さんだったのか。

 

「うわ~。カッコいい……」

「ホント、びっくりするぐらいイケメン!」

 

二人とも携帯のカメラ画像に見蕩れて、黄色い声を出した。お世辞ではなく、恐らく本心からの言葉だろう。

 

「そうだろー?なんせアタシの自慢の兄貴だからな」

 

そのようすに気をよくしたのか、魅月さんは胸を張って、クラスの女子に兄の画像を見せて回っていた。

 

それにしても驚くほど早くクラスに溶け込んでいる。はっきり言って、暁美の数百倍はコミュニケーション能力がある。

というか、暁美が今までいたポジションをあっさりと()(さら)っていったな。

もう、これで暁美に話しかけてくれる女子は鹿目さんか志筑さんぐらいしかいなくなったわけだ。哀れ、暁美。これに()りたら、人間関係を勉強するべきだ。

 

そう思って暁美の席に近づくと、難しい顔で悩んでいた。

 

「どうしたの、暁美さん?ついにコミュニケーションの重要性を理解したの?」

 

「政夫。ちょっと顔を貸してもらえる?」

 

「嫌だよ。一時限目に遅れちゃうだろう?」

 

それに、ほむほむファンクラブの人達にこれ以上敵視されたくない。学校で敵を作らないようにしてるんだから、少しは気を使ってほしいものだ。

 

「いいから!」

 

だが、そんなこともお構いないしに、暁美は無理やり僕を引っ張って、教室から連れ出そうとする。

やめろぉー!学校生活だけは平穏に過ごしたいという僕の気持ちが分からないのかー!

必死で抵抗するが、全身筋肉痛の身体ではとても魔法少女の腕力には敵わず、僕はずるずると教室の扉へと引きずられて行く。

 

誰か!僕を助けてくれる人はいないのか!!

 

「転校生。アンタ、政夫をどこに連れて行く気?」

 

救いの声を上げてくれたのは何と、青い奴こと美樹さやかだった。

どうでもいいけど、その暁美のことを転校生と呼ぶくせはよしたほうがいいと思う。僕も転校してきた日は同じだし、魅月さんとも混同する(おそ)れがある。

 

「……美樹さやか。貴女には関係ないわ、引っ込んでいてくれないかしら?」

 

「嫌よ。何でアンタにそんな事言われなくちゃいけないわけ?政夫は私の友達なんだよ!」

 

美樹は、暁美がつかんでいる僕の腕と反対の腕をつかんだ。

な、なにをする気だ?お前ら…・・・まさか。

 

「私は政夫に大切な話があるのよ!」

 

暁美が僕の左腕を廊下側に引っ張る。

 

「知らないわよ。そんな事!」

 

それに対抗して、美樹が僕の右腕を窓側に引っ張った。

僕は両サイドから引っ張られ、人間綱引き状態になった。俗にいう『大岡裁き』という奴だ。

 

「いだだだッ!!痛い!二人とも手を放して!」

 

ただでさえ身体が筋肉痛で(きし)んでいるところに、この仕打ち。お前らは鬼か!

二人とも僕の言葉には耳を一切貸さず、力を(ゆる)めるどころか、さらに力を込めて引っ張り出す始末だ。

クラスの連中は面白そうに遠巻きに見ているか、完全に無視を決め込んでいるかのどちらかだ。

鹿目さんと志筑さんはどちらに味方すべきか、分からずに困った顔を浮かべるばかりで頼りにならない。この危機を唯一どうにかしてくれそうな中沢君は教室には居なかった。

 

「痛い痛い痛い……痛いっつってんだろうが!!」

 

僕は大声で怒鳴りつける。

声に驚いて、二人の力が弛んだ瞬間、手を思い切り振り払った。クラスメイトの視線が一斉に集まったが、そんなことは気にしてはいられなかった。

鈍い痛みがじんじんと肩に留まって鳴り止まない。あのままだったら、腕が外れていたかもしれない。

 

 

「え……あの」

 

「あの政夫、ごめん」

 

二人とも謝ってきたが、許すつもりは毛頭なかった。

こいつらは本当に自分の都合しか考えない。だから、人に迷惑をかけても心から反省することなど一生できないだろう。

両名ともに一度同じようなことをしたのに、まったく成長していない。

 

「鹿目さん……僕、保健室行って来るから、授業始まっちゃったら先生に言っといてくれない?」

 

暁美と美樹を無視して、鹿目さんに話しかけた。

 

「え……あ、私が付き添うよ。保健委員だし。仁美ちゃん、遅れちゃったら先生に」

 

「わかりましたわ。私から、先生に言っておきます」

 

鹿目さんは志筑さんにそういうと、僕の方にきた。

僕は鹿目さんに悪いからと遠慮したが、彼女は頑固にも食い下がったので仕方なく、お願いすることにした。

 

「わ、私も」

 

「お前は来るな。あと暁美も来なくていい」

 

「…………」

 

美樹と暁美が付いて来ようしてきたので、一蹴(いっしゅう)した。

何か言いたそうな目をしていたが僕の知ったことじゃない。

 

 




杏子ちゃんが見滝原中にやってきました。

やったね、まさちゃん。友達が増えるよ!


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第二十五話 それぞれの悩み

鹿目さんと一緒に保健室に向かって、廊下を歩いていると、ふいに鹿目さんがぽつりと言った。

 

「……さやかちゃん。魔法少女になっちゃったんだってね」

 

美樹が魔法少女になった後、僕が鹿目さんと巴さんに連絡したので、鹿目さんはある程度大雑把にはそのことを知っていた。

そして『なった』ではなく、『なっちゃった』と言ってるあたり、鹿目さんの中で魔法少女への考え方が変わったのだろう。

 

「ごめん。止めようとしたんだけど、失敗しちゃった」

 

言い訳がましい説明は頭の中で百個は浮かんだが、僕は口には出さなかった。最終的に美樹を止められなかった僕にそんなものをいう資格はないからだ。

 

「政夫くんが謝る事ないよ。十分頑張ってたの私知ってるよ?」

 

「頑張っても、結果を出さなきゃ意味がない時もあるよ。取り返しのつかないことなら、尚更(なおさら)ね」

 

そう、取り返しがつかない。

恐らくは美樹は上条君を諦め切れなかったのだ。しかし、願いで心を支配することもできなかった。

中途半端な意志と覚悟。あまりにも不安定すぎる。

 

巴さんの場合は、その不安定だが力がある。船で例えるなら、タイタニック号といったところだ。よほど大きな氷山(しょうがい)にぶつからない限りは何とかなるだろう。

それに引き換え、美樹は泥舟。ちょっとしたことで沈んでもおかしくはない。非常に危うい存在だ。

 

鹿目さんは僕の顔を神妙な表情で上目づかいで見上げる。

改めて思うが鹿目さん小さいな。下手すると150センチもないんじゃないか。

 

「政夫くんはさ。もし願いごとができても、絶対にしないって言ったよね?」

 

「ああ。言ったね」

 

「どうして?どうしてそこまで言い切れるの?神様とかに祈った事とかはないの?」

 

鹿目さんの顔は何時になく真面目だ。それでいて、どこか自信なさげだった。

 

神様、か。僕にとって、あんまり良いイメージはないな。

すごく情けない頃の自分を嫌でも思い出させられる。

でも、正直に答えよう。じゃないと、鹿目さんに失礼だ。

 

「……あるよ。でもね、『祈ってる』だけじゃ駄目なんだ。自分の手でどうにかしないと人は前に進めない。神に祈ることは否定しないけど、神に(すが)るようになったら人間終わりだよ」

 

これは、僕が色んな人と出会って、時間をかけて学んで、ようやく気付けたことだ。

幼稚園の頃は心の底から祈れば、神様が助けてくれると思っていた。間違ったことさえ、しなければ必ず報われると信じていた。

 

でも、それはただの勘違いだった。

どうにもならないことは、どうにもならない。祈ろうが、願おうが、叶わないものは叶わない。

僕は母親の死を通じてそのことを知った。

 

そして、それが正常で正しいってこと。

辛くて、悲しくて、どうしようもないことがあるからこそ、人は必死で生きられる。

簡単に失ってしまうからこそ、本気で努力できる。

妥協して、割り切れるところは割り切って、それでもどうしても曲げられないところを押し通す。

 

都合の良い『奇跡』ばかりでは、何も成長できやしない。

きっと、世の中が理不尽だから、人間は強く()れるんだと、僕は思う。

 

「きっとさ、今のままじゃ叶わない願いがあるから、叶えようと思って、努力するんじゃないかな。それの願いが今すぐ叶うなら、きっとそれはもう願いでも何でもないよ」

 

「うまく、言えないけど…………きっと、それは政夫くんが強い人だから言えるんだと思うよ」

 

珍しく、というか初めて鹿目さんが怒ったような顔をした。

その眼光は言外に納得ができないと、僕の意見を真っ向から否定しているようだった。

 

「私みたいに何もできない弱い人間はチャンスがあったら、それに縋っちゃうよ……」

 

「そうかな?本当に『何にもできない弱い人間』なら、人の意見に批判なんかできないよ。鹿目さんは多分自分を卑下しすぎなんじゃない?」

 

そうこう話しながら、歩いている内に保健室の前にたどり着いていた。

もう少し鹿目さんと話したいことがあるが、それだとただのサボりだ。鹿目さんもそろそろ教室に帰らないと授業に遅れててしまうだろう。

 

「鹿目さんは、鹿目さん自身が思ってるよりずっと優しくて強い女の子だよ。僕が保障してあげる」

 

「……そうかな」

 

「そうだよ。それじゃ、付き添いありがとうね」

 

取りあえず、鹿目さんにお礼を言って別れ、僕は保健室に入る。

それにしても、鹿目さんも鹿目さんで悩みを抱えているんだな。何とかしてあげたいけど、今のところは本音が聞けただけでも良しとしよう。

でも、こういうのは普通仲の良い親友に話すべきじゃないのか?

志筑さんは仕方ないとして、美樹あたりが……。いや、あいつもあいつで自分のことだけで精一杯か。

 

 

 

 

 

僕は養護教諭に腕を見てもらった後、保健室のソファでそのことを思案していた。

もちろん、養護教諭には許可を頂いている。

随分、痛いなと思っていたら、身体のあちこちが肉離れを起こしていたらしい。急な激しい運動は身体に毒だということを身にしみて理解した。

 

休みの日も全然休めなかったので、ちょっとゆっくりしようと神経をリラックスモードに移行していると、保健室のドアが開いた。

 

「失礼します。体調が悪くなってしまったので少し休ませて下さい」

 

疫病神がこの場に降臨した。ドアから顔を出したのは暁美だった。

僕が心休まる場所はみ存在しないのか……。暁美は、僕をいじめているのかい?

 

「うむ。許可しよう」

 

養護教諭は軽く頷くと、机に向かってデスクワークの続きを始めた。

僕の時もそうだったが、つくづく無口な人だ。

恐らく、養護教諭が許可したのは、暁美が入院していたことを知っいるからだろう。

暁美はさも自然に僕の隣に座った。

 

「……ここなら、落ち着いて話ができるわね」

 

「……それで何しに来たの?」

 

暁美が小声で話しかけてきたので、僕もそれに合わせて小さな声で聞いた。多分、聞かれてはまずい話なのだろう。もっとも、あの寡黙な先生が生徒の会話などに耳を傾ける姿など想像できないけれど。

 

「あの編入生、魅月杏子は魔法少女よ」

 

またか。もういいよ。魔法少女は、お腹一杯だよ!

心底嫌そうな顔で暁美を見たが、それに気付くほどのコミュニケーションスキルなど暁美が持ち合わせてるわけもなく、淡々と話を進める。

 

「彼女は私の知っている限り、家族は皆心中して天涯孤独の身だったはずよ」

 

「え?待って。たしか兄がいるって、魅月さん教室で話してたよ?」

 

意味が分からない。

僕自身、彼女の兄である魅月ショウさんに会ったことがあるのだ。

 

「彼女の本名は佐倉杏子。『魅月』という姓は『この時間軸』以外では名乗っていなかった」

 

「じゃあ、魅月ショウさんに引き取られたってことなのか……」

 

一度会って話しただけだが、良い人らしいのは見てとれた。僕は人を見る目には自信がある。

あの人なら、居場所のない少女に居場所を作ってやるぐらいのことはやりそうだ。

 

「え……?貴方は佐倉杏子が言っていた『兄』の事を知ってるの?」

 

「一度、病院で会ったことがあるだけだけどね。上条君とも知り合いらしいよ」

 

上条君の名前を出した途端、暁美は複雑な表情を浮かべた。

そういえば、彼の告白の件については暁美の中ではどう処理されたのだろうか。気になるところだ。

 

「そう……上条恭介の……」

 

「で、暁美さん。上条君の告白の返事は決まった?」

 

「うう……。胃が痛くなってきたわ」

 

暁美はぐったりとして、ソファからずるずるとすべり落ちた。

恋愛でここまで悩むとは、意外に乙女チックなところがあるんだな。

僕はもう少し踏み込んで聞いてみる。

 

「上条君のこと嫌いなの?」

 

「……貴方は人の事をヴァイオリンの化身扱いする人間に好意を抱けるのかしら?」

 

「う~ん。そう言われると厳しいかもね。でも上条君は話してみると結構面白いよ?」

 

「他人事だと思ってるわね……」

 

暁美はじと目で僕を睨む。

そりゃ、人事ですもん。真剣に考えるわけないじゃないか。

 

「でも、真面目な話、そろそろ上条君は学校に復帰するよ。左手も治ったわけだし」

 

本格的に暁美は身の振り方を考えなければいけないだろう。下手をすれば、それが美樹が魔女化を決める決定打になる。

生半可な気持ちではいけない。

 

「分かってる。でも……」

 

「だから、いっそ付き合っちゃえばいいじゃないか。美樹さんのことは、僕と鹿目さんで慰めるとしてさ」

 

「そうじゃないわ。私が好きなのは!……ま……」

 

急に顔を赤らめて暁美は目を泳がせながら、もじもじと人差し指をこねくり回す。

別に今更そんなに恥ずかしがる必要なんてないのに。

 

「知ってるよ。まどか、つまり鹿目さんだろう?でも、鹿目さんはレズじゃないんだ。ここら辺で君も現実を見ないと…・・・ゥッ!!」

 

僕は最後まで言葉を言い切ることができなかった。

なぜなら、暁美の右拳が華麗に決まったからだ。舌を噛まなかったことは本当に幸いと言えよう。

痛いという以前に意味分からなかった。

急に視界に保健室の天井が映し出された後、次の瞬間には暗転した。薄れ行く意識の中で、僕は『保健室の天井って案外綺麗だな』と思った。

 

 




あまり内容は進んでいないです。申し訳ありません。


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第二十六話 知らない間にこじれる運命

「おい。もう起きろ」

 

低い声が耳に響いて、僕の意識は覚醒した。

目を覚まして、僕の目に一番最初に飛び込んできた映像は、無表情の養護教諭の顔だった。

 

「おわっつ!」

 

「人の顔を見るなり奇声を上げるとは、随分だな?夕田」

 

養護教諭は心外そうな表情を僕に向ける。

いや、寝起きでその顔が近くにあったら、誰でも奇声を上げますって。

 

「あはは・・・すいません」

 

一応、善意で起こしてくれたようなのでこの場合は僕が悪いのだろう。謝罪をすぐにできない人間は、社会では嫌われる。言い訳せずに僕は養護教諭に謝った。

 

「そんな事はいい。それよりももう帰れ。帰りのホームルームも終わる時間だぞ?」

 

「え!?」

 

慌てて保健室の時計を見ると時刻は午後3時を回っていた。

嘘だろう?じゃあ、つまり僕は暁美にノックアウトされたまま六時間近く気絶してたのか。

大幅に授業をサボってしまった。試験の前に中沢君にノートを写させてもらわないといけない。

 

あー。これもそれも暁美のせいだ!あいつめ、図星を指されて切れるとは、とんでもない奴だ。あとで必ず謝罪をさせよう。

それに養護教諭もなぜ今まで起こしてくれなかったのか。別に文句をいうつもりはないが、起こさなかった理由を養護教諭に尋ねる。

 

「あの先生?起こしてくれても良かったんじゃ……」

 

「すまん。忘れていた。そこの保健委員が来てくれて、ようやくさっき思い出したところだ」

 

「保健委員?」

 

僕が聞くと、養護教諭は僕の方を向いたまま親指で後ろを指した。

見るとそこには鹿目さんが立っていた。養護教諭の存在が濃すぎて全然気が付かなかったが、どうやら僕が目を覚ました時から居たようだ。

 

「政夫くん、大丈夫?様子を見に行ったほむらちゃんは、政夫君はとっても疲れていたみたいでぐっすり寝てるって聞いたから、放課後までそっとしてたけど……」

 

鹿目さんは心配そうに聞いてくる。

 

あははは…………あの(アマ)ァ、自分でやっておいてよくもまあヌケヌケと!この借りはいつか絶対返してやる!

暁美に対して怒りを覚えたもの、心配してくれた鹿目さんを安心させるために僕は笑った。

 

「大丈夫だよ。多分ちょっとした寝不足だよ心配かけてごめんね」

 

「ううん。政夫くんが元気でよかったよ」

 

鹿目さんは僕に合わせて微笑むが、そう言う鹿目さんの方がどこか元気がなかった。

こりゃ僕がいない間、確実に何かあったな。

 

「何か……あったんだね?」

 

僕がそう確信を持って聞くと、鹿目さんは驚いた顔をした後話し始めた。

 

「政夫くんは何でもお見通しなんだね。……お昼休みにね、いつもと同じようにみんなで屋上に集まって、お昼食べてたの」

 

でも政夫くんがいないからいつも通りじゃないんだけどね、と鹿目さんは付け足した。

 

いつもと同じね……。ということは志筑さんが参加していないのもいつもと同じってことか。そろそろ本格的に友情に亀裂が走っていないだろうか心配だ。

 

「そしたら、魅月さんが来て、マミさんと知り合いみたいだったけど険悪な感じになっちゃって。あ、魅月さんも魔法少女らしくて……」

 

えらく説明がたどたどしいな。

必死に言いたいことを伝えようとしている意志は伝わるけど、いまいち鹿目さんが何が言いたいのか分からない。

取り合えず、魅月さんと巴さんは魔法少女としての面識があり、かつ仲が良くないことは理解した。

 

「それで最終的にどうなったの?」

 

鹿目さんに結論を促す。()かしているようで悪い気はしたが、これでは話が見えてこないので仕方がない。

鹿目さんは言葉に詰まりながらも最後まで僕に伝えてくれた。

 

「えっと、放課後、二人だけで話があるから今日は魔法少女体験コースはお休みにしてって、マミさんが……」

 

 

暁美と巴さんが和解してからも魔法少女体験コースは続いていた。と言っても、あれから魔女は現れず、使い魔ばかりとの戦いだった。

そうなると当然グリーフシードはでないので、暁美は巴さんにできる限り魔力を使わせないように気を配って戦っていた。巴さんの方も無闇に必殺技である「ティロ・フィナーレ(なぜかイタリア語)」を使うことはほとんどなかった。恐らくは支那モンに魔女は、元は女の子だったと言われたせいで自分がやってきたことが正義だったのか疑問を持ち始めているからだろう。

 

両親を失った巴さんにとって『魔女退治』とは誇りであり、すべてだった。それに従事することによって生きがいを得ていたと言っても過言ではないはずだ。

もしも、魔法少女が魔女になると知ったら、間違いなく巴さんは壊れるだろう。自分がやってきたことが正義の所業ではなく、ただの同族殺しだと知ってしまうから。

だから、未だに巴さんにはそのことを教えられていない。これは推測だが、魅月さんも魔法少女の秘密については知らないのではないだろうか。

 

駄目だな。考えれば、考えるほど嫌な気分になっていく。

僕は気分を変えるために、鹿目さんに別のことを尋ねた。

 

「そうだ。暁美さんや美樹さんはどうしたの?少なくても美樹さんはいつも鹿目さんにべったりなのに」

 

そして暁美の方も暇さえあれば、鹿目をストーキングしているから、ある意味でこっちもべったりだが。

 

「さやかちゃんもほむらちゃんに何か話があるみたいで、放課後じっくりと話したいって言ってたよ」

 

あー。美樹の方は上条君についてだな。思いっきり三角関係だもんな。

まあ、そっちは部外者が首を突っ込むと余計に話がこじれそうだから、そっとして置こう。

 

「それじゃ、久しぶりに鹿目さん帰りにどこかに寄ってから帰ろうか」

 

僕が何気なく提案すると、鹿目は照れたように顔を朱色に染めた。

 

「え!?それって……もしかして、デ、デートのお誘い?」

 

「あー……。そう言われてみればそうだね」

 

確かに男女二人っきりでどこかに行くことをデートと呼ぶのなら、そうなるだろうな。

僕としては、鹿目さんのストレスを軽減するために気分転換のつもりで誘っただけなのだが、女子の目線と男子の目線では物の捕らえ方が大きく違うらしい。

 

「じゃあ止めようか?鹿目さんも変な(うわさ)とか流されちゃ困るだろうし」

 

「ううん。行くよ!せっかく政夫くんが誘ってくれたんだもん」

 

「え、そう?ならよかった」

 

なぜか微妙に鹿目さんは(りき)んでいるのがよく分からなかったが、魔法少女だの魔女だのに頭を悩ませているよりずっと健康的だ。

今日は鹿目さんに楽しんでもらおう。

 




連投です。


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第二十七話 流れるような大ピンチ(前編)

「カラオケ、楽しかったね」

 

「そうだね。鹿目さん、驚くほど歌上手かったから聴いてるこっちも楽しかったよ」

 

僕は鹿目さんと一緒にカラオケに行って遊んだ。最初は一時間だけのつもりが意外に盛り上がり、二時間も延長してしまった。

それに加えて、鹿目さんの歌がお世辞ぬきで上手かったのも要因の一つかもしれない。カラオケ評価で90点代をバンバン出していた。

 

「そんな事ないよ。政夫くんだって……あれ?仁美ちゃんだ」

 

「あ、本当だ」

 

前方に志筑さんがふらふらとした足取りで歩いているのが見えた。どこか虚空を見つめて歩むその様は、夢遊病患者のそれによく似ている。

飲酒、あるいは危ない薬にでも手を出したのか?

 

「仁美ちゃ~ん。今日はお稽古事……ぁ」

 

「……!これは」

 

僕と鹿目さんが志筑さんに近づくと、すぐにその原因が分かった。酒や薬なんかよりももっと性質(たち)が悪いもの、『魔女の口付け』が志筑さんの首元にくっきりと浮かんでいた。

僕らが至近距離まで近づいているのに、志筑さんはこちらに気付かない。

 

「仁美ちゃん。ね、仁美ちゃんってば」

 

「あら、鹿目さん、それに夕田さん、御機嫌よう」

 

鹿目さんが志筑さんの肩をつかんで揺さぶると、ようやく反応を示した。それでもまだ目が虚ろで、本当に僕らに目の焦点を合わせているのか微妙なところだった。

 

それよりも気になるのは今、志筑さんは僕らのことを『鹿目さん』、『夕田さん』と苗字で呼んだことについてだ。いつもなら名前で呼ぶのにも関わらずに。

これは完璧に魔女に操られているせいだろうか。それとも、もう志筑にとって、鹿目さんは苗字で呼ぶ程度の間柄になってしまったということだろうか。僕は後者ではないと信じたいな。

 

「ど、どうしちゃったの?ねえ、どこ行こうとしてたの?」

 

鹿目さんはそんな事には気にも留めず、心配そうに志筑さんに話しかける。

だが、志筑さんは虚ろに笑って楽しそうに答えた。

 

「どこって、それは……ここよりもずっといい場所、ですわ」

 

「ここよりもいい場所、ね。それはネバーランドか、どこかかい?」

 

皮肉がつい口をついて出たが、志筑さんは気にした様子はない。

 

「ああ、そうだ。お二方もぜひご一緒に。ええそうですわ、それが素晴らしいですわ」

 

名案でも思いついたかのように、一人で何度も頷くと僕らの答えも聞かずに勝手に歩みを再開する。

どうしたものか。とにかく、巴さんや暁美に電話をかけよう。

 

「ま、政夫くん……」

 

不安そうに僕を見る鹿目さん。どうしたらいいのか分からないのだろう。

 

「取り合えず、志筑さんを追いながら、美樹さんに電話をかけて。成り立てとはいえ、美樹さんは魔法少女だ。僕らと違って魔女と戦うことができる」

 

僕は鹿目さんにそう言うと、志筑さんを追いかけながら巴さんに電話をかけた。

プルル……と電話がつながる前に聞こえる音が途切れた。

 

「あ、もしもし。夕田ですが……」

 

『お掛けになった電話は現在電源が入っていないか、電波の届かないところにあります。番号をお確かめになるか、もう一度お掛け直し下さい』

 

無常にも電子音声が電話が繋がらないことを告げる。

クソッ。どういうことだよ。

この場合、希望的に観測を述べるなら、『もうすでに巴さんは魔女の結界の中にいるため電波が届かない』といったところだが、最悪の場合は『魅月さんと交戦するはめになって、携帯そのものを壊されている』というものだ。この場合は確実にこちらには来れない。

 

だが、こんな時のために僕は暁美の連絡先を交換してある。

備えあれば憂いなし。今度は暁美に電話をかける。

 

「もしもし。暁美さ……」

 

『お掛けになった電話番号は現在……』

 

「お前もかよ!!」

 

つい突っ込みを入れてしまった。

暁美。お前、一体何のためにいつも鹿目さんストーキングしてるんだよ!こういう時のためじゃないのか!?ええ!?どうなんだ、おい!

 

志筑さんはこちらに反応せずに前をふらふらと進むだけだったが、鹿目さんは携帯を片手に驚いた表情をしていた。

 

「ど、どうしたの?政夫くん」

 

「いや、携帯の意味をちょっと問いたくなっただけだよ。それより美樹さんには連絡取れた?」

 

「ごめん。さやかちゃん、携帯切ってるみたいで繋がらない」

 

そっちもか……。

あいつらは携帯を持っている意味あるのか?こういう緊急で連絡をとりたいと時のために携帯を持ってるんじゃないのか?そもそも魔法少女って、一応魔女と戦うのが仕事みたいなものじゃなかったか?

腹を立ててもしょうがないな。何か別の方法を考えなくてはいけない。

 

もういっそのこと志筑さんを無理やり連れ帰るというのはどうだろう。後ろを振り返って帰り道を確認すると、背後にぞろぞろと志筑さんと同じように『魔女の口付け』をされた人たちが集まっていた。

 

「げッ……」

 

しくじった。

退路を断たれた。

これじゃ志筑さんを連れて帰るのは無理そうだ。そんなことをして、この人たちが暴れだしたら、僕一人ではどうすることもできない。ましてや、鹿目さんがいる状況だ。

 

こいつらは志筑さんの言った『ここよりもずっといい場所』に行くために来たのだろう。

その人たちがこれだけ密度で進んでいる。つまりこれは目指している場所が近いということを表している。

 

「政夫くん……」

 

鹿目さんは僕に助けを求めるように見つめてくる。僕がどうにかしなくてはいけない。だけど、どうやって……?

 

 




ちょっと短めです。


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番外編 一方その頃 紫と青の魔法少女

これは政夫たちがピンチに巻き込まれている時のほむらとさやかの話です。
番外編ではありますが、ストーリーには密接してます


~ほむら視点~

 

上条恭介の入院している病院。

その屋上で私、暁美ほむらは待たされていた。私を呼びつけた美樹さやかは一向に姿を見せない。

もしかしてからかわれたのかしら。もしそうなら頭にくるどころじゃ済まない。いくら私が嫌いだからってやっていい事とそうでない事の区別くらいあるでしょうに……。

 

帰ろう。時間の無駄だった。

そう思ってドアの方に向かうと、ドアが開いた。

 

「わあ……!暁美さん、本当に来てくれたんだね」

 

現れたのは、車椅子に乗った上条恭介。そしてその車椅子を押しているのは、私を散々待たせた美樹さやかだった。

 

「……どういう事なのか説明してくれるかしら?」

 

私は意味が分からず、美樹さやかに尋ねるが、彼女は何も答えない。

代わりに上条恭介が驚いたように聞いてきた。

 

「え?暁美さんは手の治った僕のヴァイオリンの演奏を聴きにきてくれたんじゃないの?」

 

ヴァイオリン?演奏?

見ると上条恭介の腕の中には高級そうなヴァイオリンがあった。

もしかして、それを聴かせるために美樹さやかは私を呼んだのだろうか。私は美樹さやかの顔を見つめると、懇願するような目で私を見つめ返された。

きっと恐らくはそうなのだろう。

 

最初からそう言えば、上条恭介の事を好意的に思っていない私は来なかったと思う。だからといって美樹さやかがやっただまし討ちのような事を肯定するつもりはさらさらないけれど。

 

こんな時、政夫ならどうするだろうか。きっと美樹さやかの意図をくんでこんな風に言うだろう。

 

「冗談よ。美樹さんに誘われて、貴方のヴァイオリンを聴きに来たわ。ぜひ演奏を聴かせてちょうだい」

 

「良かった。もしかしてさやかに何も聞かされてないのかと思ったよ」

 

できるだけ柔和な笑みを浮かべて言うと、上条恭介は安心したかのように笑った。

 

そして私は美樹さやかを見る。

彼女は驚いたように目をまるくしていた。私が気を使ったのがそんなに珍しいのだろう。

これは『貸し』よ。美樹さやか。貴女の力は『ワルプルギスの夜』との戦いで(おお)いに利用させてもらうから、覚えておきなさい。

私は演奏中に鳴らないように携帯の電源を切ってポケットに入れた。

 

 

 

それから上条恭介のヴァイオリンの演奏が始まった。

美樹さやかは私の隣にきて、彼の演奏を黙って聴いている。

夕焼けを背にしてヴァイオリンを弾く上条恭介は、それなりに格好良く見えた。少なくても、前よりは上条恭介に対してのイメージは良いものになった。

 

「何て曲なのかしら……」

 

「『亜麻色の髪の乙女』。ドビュッシーの曲よ。……恭介の好きな曲」

 

ぽつりと漏らした独り言に美樹さやかがそっと答えてくれた。

意外ね。クラシックなんて美樹さやかの柄じゃないのに。それとも上条恭介に話題を合わせられるように覚えたのかしら。

美樹さやかの瞳が少し(うる)んでいるように見えるのは、夕日の(まぶ)しさだけのせいではないだろう。

 

……夕日といえば、政夫は怒っているかしら。流石にあそこで右ストレートは我ながらなかったと思う。明日にでも謝ろう。

 

 

 

演奏が終わり、今まで閉じていた目を開いて上条恭介は私に聞いてきた。

 

「どうだったかな。僕の演奏。手が治って、一番最初に暁美さんに聴いてほしかったんだ」

 

その台詞を聞きたかったのは私ではなく、隣にいる美樹さやかだっただろう。

美樹さやかは相変わらず喋らない。上条恭介に気を使っているためだろうか。

 

「とても良かったわ。クラシックはあまり聴いた事はなかったけど、そんな私にもいい曲だとわかるほど」

 

これはお世辞ではなく私の本心。口のうまい政夫と違って、私はお世辞を言うのが苦手だ。

昔は身体が弱くて病院で寝てばかりいたし、魔法少女になってからは人付き合いどころではなかった。

今でも人付き合いが得意になったわけではないけれど、それでも少しは頑張れるようにはなった。

 

「そう言ってもらえると幸いだよ。本当は夕田君やショウさんにも聞いてほしかったけれど、それでも最初に暁美さんに聴いてもらえてすごく嬉しいよ。さやかもありがとうね」

 

「ううん。気にしないで。恭介が喜んでくれれば何よりだよ」

 

美樹は笑ってそう答えた。何故そんな風に笑顔でいられるのだろうか。もし私が美樹さやかの立場なら、とてもじゃないが笑ってなどいられそうにない。

 

 

美樹さやかは上条恭介を送ってくると、すぐに戻ってきた。

今度こそ本当に話ができるわね。

 

「私を呼んだ理由は上条恭介の演奏を聴かせるためだったのかしら」

 

「それだけじゃないわ。転校生……ううん、ほむら。頼みがあるの」

 

美樹さやかは初めて私の名前を呼んだ。ぎゅっと拳を握りしめている。

ゆっくりと私の方に近づいてきて、いきなり土下座をした。

 

「え?ど、どういう事」

 

予想外の美樹さやかの行動に思わず、どもってしまった。

美樹さやかはそんな事はお構いなしに、頭を屋上のコンクリートにつけたまま、私に話しかけてきた。

 

「恭介と付き合ってあげて!!」

 

美樹さやかが何を言っているのか分からなかった。

貴女は上条恭介が好きではなかったのか。魔法少女になってまで彼の手を治したのではなかったのか。

 

「……言っている意味が分からないわ」

 

「恭介はアンタの事が好きなの!だから……」

 

美樹さやかは顔を上げない。上げられないのだ。大嫌いな私に今している顔を見られたくないから。

それでも涙のにじんだ声は彼女がどんな顔をしているのか、他人の事を察するのが苦手な私にも容易に分かった。

美樹さやかは今、泣いているのだ。

どれだけ上条恭介を愛しているのかが伝わってくる。

 

「ごめんなさい、さやか。私には……好きな人がいるの」

 

それでも、私は彼女の言葉を踏みにじらなくてはいけない。ここで頷く事はそれこそ彼女への侮辱に他ならない。

 

「……本当に。本当にごめんなさい」

 

私は謝罪の言葉を吐きながら、屋上から去った。美樹さやかから逃げた。

…………私は卑怯者だ。

 

 

 



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番外編 一方その頃 黄色と赤の魔法少女

~マミ視点~

 

寂れた廃ビル。

人気のないこの場所で赤い髪をした女の子が壁に寄りかかり、私の方を見てにやりと笑った。

 

「よう。本当に逃げずに一人で来たんだな」

 

私、巴マミに声をかけたのは私の元から去った魔法少女、佐倉杏子さんだった。

 

「学校で会った時はびっくりしたわ、佐倉さん。またこの町に戻ってきたのね」

 

彼女と私は昔、と言ってもそれほど前ではないけれど、魔法少女の師弟のような間柄だった。その頃は姉妹のように仲が良かったと思っていた、……少なくても私の方は。

 

「今は魅月杏子って名乗ってんだ。覚えといてくれよ、『マミ』」

 

「随分と出世したのね、『佐倉』さん。昔は私の事をさん付けで呼んでくれたのに」

 

売り言葉に買い言葉。呼び捨てにされたせいでちょっと意地悪な事を言ってしまった。

ぴりぴりと剣呑(けんのん)な雰囲気が周りに漂う。

 

「……お高くとまってんじゃねーよ。子分が二人もできたから調子に乗ってんのか!」

 

佐倉さん改め、魅月さんは今にも飛び掛ってきそうな目付きで私を睨みつけた。

 

「二人?ひょっとして暁美さんと美樹さんの事?もしそうなら訂正してもらえないかしら。彼女たちは私の友達よ」

 

私の大事な友達を子分なんて呼び方で呼んでほしくない。まして、私を裏切った魅月さんなんかにはそんな事を言われる筋合いはない。

私も負けじと魅月さんを睨み返す。

 

一触即発の空気。

それを最初に破ったのは意外にも魅月さんの方だった。

 

「……やめよう。今日はアンタと喧嘩するために呼んだわけじゃないし」

 

「じゃあ、私と仲直りでもしに来てくれたの?」

 

それだったら嬉しい。結局、喧嘩別れみたいになってしまったけれど、私は魅月さんの事を嫌っているわけじゃない。むしろ、本当の妹のように思っていたくらいだ。

 

けれど、魅月さんの口から出た言葉は和解の言葉とは程遠かった。

 

「マミ。この狩場をアタシに譲れ」

 

……がっかりした。

期待していた分だけ、裏切られた。

もうどう転んでも楽しいお喋りにはなりそうにないけれど、一応魅月さんに問い返す。

 

「……もし仮にあなたに見滝原を譲ったら、使い魔もちゃんと倒してくれるの?」

 

「グリーフシードに余裕があれば……使い魔も倒してやるよ」

 

途中、魅月さんは葛藤(かっとう)するように黙り込んだがそう答えてくれた。

その答えは、魅月さんからしたら妥協した結果なのかもしれない。でも、到底私が納得できるものではなかった。

 

『グリーフシードに余裕があれば使い魔も倒す』ということは、つまり裏を返せば『グリーフシードに余裕がなければ絶対に倒さない』ということだ。

魅月さんにここを譲れば、確実に使い魔に襲われて命を落とす人が増える。そんな事は絶対に許されない。

 

「話にならないわね。昔より丸くなったかと思えば、あなたは少しも変わっていないわ」

 

「そう言うアンタも、相変わらず頭のお堅い正義馬鹿のままだな」

 

吐き捨てるように魅月さんはそう言うと、指輪をソウルジェムに変えて自分の前に(かか)げた。

彼女の濁り一つない赤いソウルジェムが薄暗いビルの中で煌々(こうこう)と輝く。

 

「ソウルジェムを出しなよ、マミ。やっぱりアタシたちは『コレ』で白黒決着つけなきゃダメみたいだね」

 

「そのようね」

 

私も彼女と同じように指輪をソウルジェムへと変化させる。魅月さんと違い多少濁りが目立つ。

ここ最近、使い魔ばかりと戦っていたせいでグリーフシードが一つも手に入らなかったからだ。この状況では私の方が魔力をフルに使えない分、不利だ。

それでも、関係ない。

私は魔法少女。魔女や使い魔から人の命を救う事が使命なのだから。

 

 

 

 

~杏子視点~

 

結局戦う事になっちまったか……。

アタシは内心頭を抱えていた。

そもそもマミを呼び出したのは、マミに魔法少女なんて危ない事から手を引いてもらいたかったからだ。

 

昔と違って今のマミには心を許せる友達がいる。『魔女退治』なんかにすべてを捧げる必要なんてない。

マミはアタシよりもずっと『魔女退治』を恐れていた。それでも戦っていたのはマミにそれしか生き方がなかったからだ。

 

そして、そんなマミの元から去ったアタシが今更そんな事を言う権利はない事も知ってる。

アタシ自身もショウと出会うまで、そんな風に誰かの事を気遣うなんてしなかったと思う。でも、アタシはショウのおかげで一度は諦めた幸せを手に入れられた。

 

魔法は徹頭徹尾、昔自分のために使うなんて言ってた手前、『マミのため』なんて台詞は吐けない。だから、あんな喧嘩腰の言い方になっちまった。

 

はあ。自分で言うのも何だけど、アタシってホント素直じゃない。ショウが近くにいれば、どうしたらいいか一緒に考えてくれるのに。

馬鹿だと思うけれど、自分の性格はそんなに簡単には変えられない。

 

アタシはマミのソウルジェムを見る。ほら見ろ、やっぱり『(けが)れ』が目立ってる。

そんなんじゃ、いざという時に魔力が全然使えずに、魔女にやられちまう。

 

「どうしたんだ?ソウルジェムに『(けが)れ』が溜まってるみたいだけどそんなんでアタシと戦えるのか?」

 

「関係ないわ。むしろハンデとしてちょうどいいくらいよ」

 

心配して言ったアタシの言葉に言葉にマミは一切耳を貸さない。

ああ、そうかよ。だったら、力ずくで認めさるだけだ。

 

アタシとマミの身体がほとんど同時にソウルジェムの光に包まれる。

向こうは黄色。こっちは赤。

光が霧散した時にはマミもアタシも魔法少女の姿に変わっていた。

 

「来なさい」

 

マミが挑発するように両手に二丁のマスケット銃を出して言う。

 

「上等だ!」

 

アタシも槍を出してマミへと走る。

向かってくる弾丸を床にキスするぐらい腰を(かが)めてかわした。魔力が足りてないせいか、弾丸のスピードは鈍く、思ったほど避けるのには苦労しなかった。

 

「ちぃッ!」

 

マミは弾の切れたマスケット銃をアタシに向かって投げつけてきた。

 

「はッ、甘いよ!」

 

マスケット銃を槍で(はじ)いて、後方へと飛ばす。

だが、その一瞬の隙にマミはベレー帽から新しいマスケット銃を取り出していた。流石はマミ。伊達に長年魔法少女をやってるわけじゃないな。

 

だけど。

 

「せりゃあ!!」

 

この距離なら、アタシの槍の方が速い。

いくら、マミでも銃を構えて撃つよりも、アタシが振り下ろした槍がマミを吹き飛ばす方が絶対に速いはずだ。

 

しかし、マミはアタシのそんな想像を軽々と越えた。

(はさみ)のように交差させた二丁のマスケット銃でアタシの槍を受けると、左へ受け流した。

全力を込めて振り下ろした分、勢いがついて横によろけそうになる。

 

マズい。ここで床に倒れたら負ける。

何とか持ちこたえようと、両足で踏ん張る。

 

「がぁ……!」

 

意識が足に向いた(わず)かな間に、マミの蹴りがアタシの脇腹に決まった。

予想すらしていなかったその一撃に受身なんて取れるはずもない。アタシは五メートルほど床を転がった。

 

「銃だけに気を取られていたあなたの負けね」

 

起き上がると顔のすぐ前にマスケット銃の銃口が見えた。

マミは勝利を確信した表情でアタシを見下ろしている。

 

正直に言って、アタシは油断をしていた。

いくらマミとは言え、まさか魔法もそう使えないほどソウルジェムが濁っている相手に負けるとは思ってもみなかった。

 

だけど、一つ。

一つだけ、マミは失態を犯した。

 

「……なあ、マミ。アンタ、昔アタシに教えてくれたよね」

 

銃口を突きつけられたまま、アタシはマミに話しかける。

素直なマミは、相変わらず馬鹿正直にアタシに問い返してくれた。

 

「昔教えた事?」

 

「勝利を確信した時こそ、油断してはいけないってね!!」

 

アタシは寝転がったままの体勢で槍を操り、多関節武器に変え、マスケット銃を突きつけるマミの首に巻きつかせる。

蛇のように巻きつく多関節の槍に首を絞められ、マミは注意はアタシから()れる。

その隙にアタシはマミを蹴り倒して起き上がり、体勢を立て直す。

 

だが、流石はマミだ。

体勢を起こした瞬間、マミはとっさにマスケット銃でアタシが握っている槍の柄を撃った。

 

「ッ!」

 

腕に直撃はしなかったものの衝撃で槍を手放してしまった。

結果として、マミは首に巻きつく槍から解放された。

だが、マミもマスケット銃を撃ってしまったために、武器はない。

 

マミのソウルジェムの濁りから言って、おいそれと魔法は使えないはずだ。

アタシはもちろんグリーフシードのストックがあるから、魔法は好きなだけ使える。

けど、アタシは何もマミを殺したいわけじゃない。ここは一旦引いておこう。

そう決断すると、首が絞まっていたせいで咳き込んでいるマミを尻目に窓から、廃ビルの外へと逃げた。

 

 




戦闘描写は苦手です。


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第二十八話 流れるような大ピンチ(中編)

僕と鹿目さんが着いた場所は薄暗い工場だった。

工場の中には先客と(おぼ)しき人たちが虚ろな表情をして待っていた。ちなみに入ってきた出口はシャッターが閉められ、早々に逃げ道を潰されていた。

 

「そうだよ、俺は、駄目なんだ。こんな小さな工場一つ、満足に切り盛りできなかった。今みたいな時代にさ、俺の居場所なんてあるわけねぇんだよな」

 

陰気な顔をした男の人が(うつむ)いて、ぼそっとつぶやいた。恐らくは、この工場の経営者だったのだろう。

……ご愁傷(しゅうしょう)様としか僕にはコメントできない。このご時世新しい職を見つけるのも難しいだろうし、借金なども背負っていたなら目も当てられない。

 

僕がヘビーな人生を歩んでいる男の人を同情していると、僕の隣にいた鹿目さんが僕の(そで)を引っ張った。

 

「どうしたの?鹿目さん」

 

「政夫くん、あれ……」

 

鹿目さんの視線の先には、バケツに洗剤をどぼどぼと惜しげもなく入れているおばさんが居た。

そのすぐ近くには、バケツに入れた洗剤とは別の種類の洗剤が置いてある。

確実に『さあ、お掃除しましょう』なんて雰囲気ではない。どうか考えても自殺の準備だ。

 

ああ、本当に参っちゃうなー。せめて僕らのような輝かしい未来ある子供達を巻き込まないでほしい。

切実にそう思う今日この頃。まあ、志筑さんにのこのこ付いて来たのは僕らなんだけどさ。

 

とにかく、無理やりにでも止めないと。

僕は洗剤をバケツに注いでいるおばさんを止めに入ろうとする。

 

「おい、待てよ。夕田ぁ」

 

だが、ふいに僕の前に誰かが僕の行動を阻止(そし)するように立ちふさがった。

その人物を見て、僕は目をまるくした。

 

「スターリン君……。何で君がここに」

 

「決まってんだろぉ。俺らはここで肉体を捨てて生まれ変わるんだよ……」

 

他の人たちにと同じく虚ろな目をしたスターリン君(本名 星凛太郎)。教室であった時とは、別のベクトルで狂っていた。

厨二病みたいなことを口走っている。いくら、実際に中学二年生といっても痛々しいことに変わりはない。

 

「アホみたいなこと言ってないで、早くそこを退()いて、スターリン君。生まれ変わりなんて存在しないよ。人間は死んだら、それで終わりだ。誰かに好きになってほしかったら、生きて努力すればいいだろう?」

 

スターリンを(さと)すが、彼はまるで僕の言うことを聞いていない。腕をだらりと垂れ下げて見つめる様は、顔色と(あい)まって映画やゲームにでてくるゾンビのように見えた。

 

「お前はさぁ、恵まれてるからそんな台詞が吐けるんだよ……。俺みたいにモテない男は一度死んで、神様に転生させてもらって、チートで美形な人間にならないとかわいい女の子たちと接点ができないんだよぉぉぉぉ!!」

 

フィクションと現実を混同しているようなことを口走りながら、僕に向かって襲い掛かってきた。

アニメか漫画の見すぎだろう。そんな都合の良いことなんか起こるわけないって気が付かないものかな。

なぜか周囲の人たち、特に男性はスターリン君の台詞に感動したらしく、パチパチと拍手をしていた。アホか、お前ら。

 

「政夫くんッ!」

 

「大丈夫、ちょっと離れてて」

 

鹿目さんは悲鳴に近い声を上げるが、僕はそっと彼女を離れさせて、スターリン君を迎え撃つ。

手を伸ばして僕につかみ掛かろうとするスターリン君の腕を逆につかみ返し、同時に彼の足に僕の足を引っ掛ける。

 

「おお!?」

 

重心を崩したスターリン君をそのまま背負い投げる……とこの硬い床では死んでしまう可能性があるので寝技に持ち込む。

マウントポジションの体勢をとり、相手の片腕と頭を抱え込むようにして腕をクラッチして締め上げる。

通称『肩固め』。英名はアームトライアングルチョークとも呼ばれている。

 

一見、関節を極める技に見られるが、実際は頚動脈を絞める技だ。

そのため、本来はかなりの危険な技であり、小学生では絶対に教えてもらえないのだが、この技を昔通っていた道場のアナーキーな師範代は平然と小学校低学年の僕に教えていた。

まさか今になって、あのむちゃくちゃな師範代から教わった技が役に立つとは思わなかったよ。

 

ほどなくして、スターリン君の身体が脱力する。完全に気を失っただろう。

腕を解いて、彼の口に手をかざす。

よし。息はある。これで命に別状はないだろう。

 

即座にスターリン君から離れると、僕は『混ぜると危険』のマークが書かれた洗剤を混ぜようとしているおばさんからバケツを奪う。

おばさんはぼんやりとした顔で僕を見るが、気にも留めなかった。

危険なネルネルネルネはもうお終いだ。

 

僕は入り口付近にある窓にガラスを無視して、力の限りバケツを放り投げる。

思いの他軽い音をたてて、窓ガラスが砕け、洗剤の入ったバケツは工場の外に飛んでいった。

 

いくら勢いをつけたと言っても、普通は頑丈にできてるはずの工場の窓ガラスが、バケツでこうもあっさりと割れるとは……。この工場、結構老朽化してる。これじゃ潰れるわけだよ。

 

「ま、政夫くん!」

 

この工場の(もろ)さに感謝と呆れを抱いていた僕に、鹿目さんの声が飛ぶ。

振り向けば、工場内にいた人たちが僕を生気のない顔で睨んでいる。いや、目の焦点が合っていないので、睨んでいるという表現は適切じゃないかもしれない。

 

まあ、こうなることは大体予想がついていた。だから、僕は数ある窓の中から、入り口付近の窓に近づいたのだ。

流石に高い位置に設置してある窓には脚立でもない限りは届きそうもない。仮に脱出できたとしても、鹿目さんを置いて行くはめになってしまうだろう。

 

でも、この場所の近くにはシャッターの開閉スイッチがある。さっきシャッターを閉めていた人がボタン押していたのを僕は確認していた。

僕は壁についているそのスイッチに目掛けて走った。工場内の人たちが鹿目さんがいる場所が離れるよう、うまく誘導する。

 

「鬼さんこちら~♪手の鳴る方へ~♪」

 

目の焦点がおかしい上、口を半開きにしている人たちに追われるのは途轍(とてつ)もなく恐ろしかった。そこには捕まったら何をされるか分からない怖さがある。

そのため僕も(なか)ばヤケクソになっていた。

 

ようやく、開閉スイッチにたどり着くとすぐさまボタンを押す。しかし、壁に(そな)え付けてある開閉スイッチの傍にいるということは、すなわち逃げ場を完全に失ったということだ。

 

津波の如(ごと)く迫ってくる人たちに成す(すべ)のない僕は無常にも飲まれていく。だが、ここにこれほど人数が密集しているなら、対角線上にいる鹿目さんの周りにはほとんど人がいないはずだ。

 

「政夫くんっ!!」

 

鹿目さんの泣きそうな声が聞こえたが、人間津波で彼女の顔を見ることは叶わなかった。それでも開閉スイッチだけは死守しながら、鹿目さんに呼びかける。

 

「今、わずかだけど入り口のシャッターが開いてる!そこから逃げて!!」

 

「そんな事できないよ!」

 

「勘違いしないで!巴さんたちを探して呼んで来てって言ってるんだよ!!」

 

「でも……!」

 

鹿目さんの煮え切らない態度のまま、一向に動く気配がない。彼女は優しいが、そこで割り切れないのはただの弱さだ。

 

「鹿目さん!」

 

僕は手足をつかまれ、床の上に無様に倒される。頭も押さえつけれるが、声だけは鹿目さんに届くよう、(のど)を振るわせた。

 

「これは!今!君にしか!できないことだッ!!」

 

「……!分かった。すぐに戻るからね!」

 

その声と共に走り出す足音が聞こえ、やがて遠ざかっていった。

冷たい床に押し付けられ、うつ伏せにされたまま僕は薄く笑った。

良かった。

取り合えず、鹿目さんだけは逃がせた……。

 

 




ちょっとぶつ切り間があります。
申し訳ありません。


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第二十九話 流れるような大ピンチ(後編)

今の僕の現状を端的に表すなら、『王手(チェックメイト)』という言葉が相応(ふさわ)しいだろう。

両手、両足、おまけに頭まで工場の床に押し付けられて、まったくといっていいほど身動きが取れなくなっていた。まさに、手も足もでない。

唯一の出口であるシャッターも鹿目さんが逃げた後、すでに閉められてしまった。

 

僕は顔を動かせないため、目だけで周囲を見回す。

虚ろな目の人たちは僕を見下ろすが、生気の抜け落ちた表情からは、彼らの感情すら読み取ることができなかった。

 

命乞いは無意味だろう。一応、言葉を(かい)するぐらいは思考は持っているけれど、慈悲や躊躇(ちゅうちょ)が残っているとは到底思えない。

 

参ったな。この人数にリンチされたら確実に死ぬ。それでも、鹿目さんを見捨てて逃げて一生後悔するよりは(はる)かにマシだけれど。

やれやれだよ、まったく。今日は遺書書いて来てないのに……。

 

 

 

「がふッ……!」

 

僕の脇腹に誰かの蹴りが入る。

それを境に複数の人間の足が一斉に僕に襲い掛かった。

手足を押さえられているせいで顔を守ることすらできずに、ストンピングの嵐を身体中に受ける。

 

声を上げる暇すらない。

腹部から、顔に至るまで余すところなく、執拗(しつよう)に踏みつけられている。

動作が鈍いせいで、一撃一撃はそれほど重くなく、狙いが雑なのが救いといえば救いかもしれない。

 

「が……は……」

 

とは言え、雨のように降り注ぐ暴力にどうすることもできず、ただ耐えるしかない。

鼻や口から血がこぼれて、呼吸をすることすら難しくなってきた。

全身が痛い。痛すぎて、かえって頭がぼうっとしてくる。

   

 

死を覚悟した僕だったが、不思議とそれほど絶望してはいなかった。

僕は自分のできる範囲で自分が納得できる行いをした。

僕をここまで育ててくれた父さんには悪いが、例え、ここで死んでも悔いは残らない。暁美のように時間を戻して、シャッターを開いた時まで戻ったとして、僕はまた自分より、鹿目さんを逃がすことを選ぶだろう。

 

 

ただこのまま僕が死んだら、志筑さんや今は気絶してるスターリン君も再び自殺を再開してしまうなぁ、という思いが頭をかすめた。

そうなると、鹿目さんは気に病むだろう。下手したら、支那モンと契約して魔法少女の願いごとを使ってしまうかもしれない。

 

…………あーあーあー。まだ死ねないじゃないか。

アホみたいに自己満足して何も考えなければ、未練もなく死ねたのに。馬鹿だな、僕。

 

頭を押さえ付けられているせいで、僕の頭を床から持ち上げることはできない。ちょうど耳のあたりに手のひらが置かれている。感触からして恐らく男性のもの。

僕はストンピングの嵐の中、舌を伸ばして、その手のひらをベロリと()めた。血の混じった唾液が手のひらにこびり付く。

 

「うあ……!」

 

思考が鈍っているとはいえ、自分の手のひらにいきなり(ぬめ)り気のあるものが接触したのだ。生理的本能が働き、手のひらの持ち主は僕の頭から手を離した。

 

頭が持ち上がると、周りの連中が行動するより早く、僕の腕をつかんでいる人たちの顔面に血の混じった唾液を吐きかける。彼らも急な反撃に驚いて手を離した。

 

生きる意志がなくなろうと、思考が狂っていようと、人間である以上はふいに顔面に何かが付着すれば反応してしまう。思考が鈍ければ、なおさら動物的な本能が優先される。

 

上半身が自由になると、僕を踏みつけていた人たちを突き飛ばす。僕を何度も踏みつけていたせいで、彼らの体勢は必然的に片足を上げていた状態になっていた。

この体勢は、前か後ろを押されれば、簡単に倒れてしまうほど不安定なもの。(ゆえ)に彼らはあっさりとドミノ倒しの(ごと)くひっくり返る。

 

あとは身体をひねって、僕の足の太ももを押さえていた男に肘鉄(ひじてつ)を食らわせた。思い切り勢いをつけたせいでゴキゴキと背骨が盛大な音を立てた。

 

「おぐゥ!」

 

ただでさえ筋肉痛なのに、()つ、成人男性複数に何度も踏まれたり、蹴られたりしていたのだ。

そこに骨の痛みまで加算され、泣きそうなほどの激痛が走る。だが、その甲斐あってか、僕の肘鉄は足を押さえていた男の鼻に直撃した。

 

「~~~~~~!!」

 

彼は鼻血をこぼしながら、もだえるように転がった。

罪悪感はあるが、後悔はしていない。こちらの方が圧倒的に不利なのだ。文句を言われる筋合いはない。

周りの人間が再び僕に襲い掛かる前に、ふらふらの身体を引きずり起こして、彼らの足の隙間を通り抜け、ゴキブリのように人込みを脱出する。

 

僕が彼らを出し抜けたのは、別に『僕の中に眠るパワーがピンチにより覚醒した』とかではなく、純粋に彼らの思考能力が落ちていて反応が極端に鈍くなっていることと、単純に運が良かったからだ。彼らに確固とした統率者がいなかったのも、原因の一つかもしれない。

 

 

 

 

運良く逃げ(おお)せられた僕は、部屋の奥の方にある扉を開いて中に逃げ込んだ。

鍵をがちゃりと閉めて、一息吐く。僕の日常はいつからこんなにデンジャラスになったのだろう。

とにかく、ここで作戦を立てて、あの人たちをどうにかしなければいけない。でも魔女を倒さなければ、『魔女の口付け』は消えないわけだから、魔法少女がいないと話にならない。

 

まずは何か身を守るための道具を探すために、部屋の中の方を向く。

するとどこからか黒い煙のようなものが現れ、女の子の小さな声が聞こえた。

 

げっ……。一難さって、また一難か。

突然世界がきり変わり、なぜか僕の後ろの壁がテレビの山になっていた。

 

「しかも何か出てきたしッ!」

 

多分、魔女の使い魔なのだろう。気持ちの悪い笑顔をした、漫画家とかがよく使うデッサン人形のような生物がテレビの画面から()い出してくる。

よく観察すると頭の上にリングがあり、背中には小さな翼らしきものが生えている。

ひょっとして、それで天使のつもりなのだろうか。敬虔(けいけん)なキリスト教信者から、聖書で殴られても文句は言えないデザインだ。

 

そのできそこないエンジェルが僕に群がってきた。まるで大きな昆虫にアリがまとわり付いているようだ。

 

「クソッ!離れろ、変な髪形のデッサン人形がぁッ!!」

 

身体を振って引き離そうとするが、宙を舞うできそこない天使どもには意味をなさない。得体の知れない生き物が自分の身体に触れているというこの状態は不快以外の何物でもない。思わず鳥肌が立つ。

 

一瞬、僕の身体は大きくたわむと、バラバラに分解されていく。

 

ああ。今度こそ本当に死んだ……。

 

 




意外に政夫がパワフルなのは、火事場のクソ力です。
別に不思議な力に目覚めたわけではないです。

それにしても、諦めが良いのか、悪いのか分からない主人公ですね。


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第三十話 折れない心

「……………え。あ?どこ……ここ?」

 

不細工なデッサン人形たちに身体を解体されたはずの僕は、いつの間にかおかしな空間に浮いていた。

上と下に長細くなっている円柱形の空間。十中八九、魔女の結界の内部だろう。

空間の側面には遊園地のメリーゴーランドを模した絵が描かれていた。

心なしか僕の身体がグニャグニャしてるように見える。錯覚や、福本漫画に(はま)っているせいではない。

 

まだ、僕は生きているのか?

なぜだ。僕を殺そうと思えば殺せたはずだ。わざわざ躊躇する理由が見えない。

 

もっと深く考え込もうとした僕の思考は唐突に中断された。

上の方、この円柱の空間の上面から、羽根の生えたテレビとそれを支える天使もどきのデッサン人形が舞い降りてきた。

明らかにデッサン人形たちとは形が違う。あれがこの結界の魔女なのだろうか。薔薇の魔女とは違い、もはや見た目が生物ですらない。

 

羽根付きテレビは僕のすぐ近くへとやってくる。距離をとろうと身体を動かすが、すぐさまデッサン人形が僕の手足をつかんで逃がさしてくれない。

 

羽根付きテレビの画面が良く見えるほど、近い距離に来た。

画面の中には、女の子がステージの上に立っている影絵のような映像が映っている。影絵の女の子はツインテールの髪型をしていた。

 

そういえば魔女は元は魔法少女、つまり一番最初は普通の女の子だったんだよな。それが今じゃ電化製品の姿で人を殺している。非常に哀れだ。

 

羽根付きテレビの画面が突然切り替わり、今度は女の人が映った。

一瞬、脳がフリーズした。画面に映っている女性は僕のよく知っている人だった。

 

「お・・母・・・さん?」

 

夕田弓子。僕が幼稚園生だった時に病気で死んでしまった僕の母親。

身内の贔屓目(ひいきめ)なしでも、黒髪に眼鏡が似合う綺麗な人だった。

 

画面の中の母さんは、最初は元気そうな顔をしていたが、徐々(じょじょ)に痩せこけ目が落ち(くぼ)み、亡くなった時と同じ顔に変わっていく。

僕の心にかつての喪失感が広がる。

どうにもならない母の病気の悪化。それを見ていることしかできない無力感。

 

当時、幼稚園児だった僕はそれが耐えられなかった。

評判のいい神社に行って、少ないお小遣いを賽銭(さいせん)箱に入れて祈った。

来る日も、来る日も祈り続けた。遠足のお菓子を買うお金も『神様』にお願いするために使った。

その頃の僕は、心を込めて願い続ければ、いつか母さんの病気が治ると信じていた。

 

でも、世界は幼い僕に容赦ない現実を突きつけた。

母さんは、呆気なく死んだ。それを僕が知ったのはちょうど神社で『神様』に祈ってきた帰りだった。

『神様』なんて都合のいい存在は居なかった。どうにもならないことは、何をやっても変えられない。

それを僕は身をもって思い知った。

 

 

 

 

「…………それで?」

 

僕は、羽根付きテレビにそう聞いた。

 

「――――――――――――――――」

 

画面では再び、母さんの映像を巻き戻し、母さんが弱ってくる様子を見せてくる。

 

「いや、それを見せてどうするの?ひょっとして僕が絶望でもすると思ったの?」

 

くくっと馬鹿にするように僕は笑った。

多分、そうだろう。絶望して魔女になったこいつは、絶望しない僕が気に食わなかったのだ。

しかし、今更そんなものを見せられても絶望などするわけがない。

 

「そんな過去、とっくの昔に乗り越えたよ」

 

口元で笑いながら、目だけは羽根付きテレビを睨みつける。

確かにこの過去は僕にとって辛い過去だ。だが、大抵の人間が体験している、言ってしまえばどこにでもある不幸。

誰もが乗り越えて生きている、ありふれた過去だ。そんなものでは僕の心は揺らがない。

 

「―――――――――――ッ!」

 

羽根付きテレビは左右にその身体を揺らした。まるで小さな女の子が地団駄(じだんだ)を踏んでいる様を想像させる。

 

「もしかして怒った?そんな(なり)して、案外かわいいところもあるんだね」

 

僕は羽根付きテレビを挑発するように言った。にやにやと口元を歪める。

なるほど。ある程度は人間らしい感情もあるのか。

それに人の過去まで探って、その映像を見せるわけだからある程度知能があることは間違いないはずだ。

 

「――z――――zz――――――ッ!!」

 

画面が砂嵐に変わり、ズザザーと耳障りな雑音が鳴り響く。

その音に反応したのか、僕の手足をつかんでいたデッサン人形たちが力を込めて引っ張りだした。

 

「……ッあぐぁ!!」

 

強烈な痛みが僕の身体を襲う。

だが、それよりも僕の身体に起こった現象に目を(みは)る。

 

伸びたのだ。手足が。

まるでゴムか何かのように形状を変えて、僕の身体は伸び広がる。

 

「……うぇぐ」

 

自分の身体が何か別の物のようになって行くその様はおぞましさを感じざるを得ない。激しい痛みに加え、生理的嫌悪が僕の脳を(むしば)んでいく。

 

それでも、僕は羽根付きテレビを睨みつけることをやめない。

こんな相手に屈服するなんて、それこそ死んだ方がマシだ。

 

「……君に……どんな辛い過去があるかなんて知らない。……でもね。そんな風に絶望して……挙句の果てに無関係な他者にまで悪意をぶつけるような『負け犬』なんかには……僕は絶対に屈しない」

 

僕は痛みで引きつる顔にできる限り馬鹿にした笑みを浮かべてみせる。

 

「―――ズザザザザザ―――――――――!!」

 

羽根付きテレビの画面の砂嵐はより酷くなっていく。それに応じて、デッサン人形たちは引っ張る強さを上げた。

 

「ッぎぃッ……!あはは……本当に、怒りっぽいねぇ……きみ……」

 

恐らく、僕の身体を引きちぎり殺すつもりなのだろう。

痛みが脳を支配されて、思考もままならない。

 

ああ、まったく。どうせ両腕を引っ張られるなら、暁美と美樹の方がまだ良かったかも。

あの騒がしいタイプの真逆の馬鹿二人を思い浮かび、死ぬ寸前だというのに少し笑えた。

 

 

 

 

 

「使い魔ァ!今すぐその子を放せ!」

 

激痛で気が遠くなっていた僕の耳に男の声が響いた。

とうとう幻聴まで聞こえるようになってしまったか。そう思ったが、その声と共に痛みがなくなった。

 

「……え?」

 

何が起きたのか分からず、僕は周りを見回す。

そして痛みが引いた理由を理解した。デッサン人形たちが僕から手を離していたのだ。

 

なぜ魔女の忠実な使い魔であるこいつらが僕から手を離したんだ?さっきの声の命令を聞いたのか?いや、そもそもさっきの声の主は誰だ?

 

痛みから解放された僕の脳を、瞬時に疑問が埋め尽くす。

 

その時、上からさきほどと同じ声が降ってきた。

 

「スゲェ格好いい啖呵(たんか)だったぜ?さっきの台詞」

 

颯爽(さっそう)と一人の男が飛び降りてくる。

その男の顔には見覚えがあった。僕が上条君の病室の前であった美形の男性、魅月ショウさん。

 

「魅月……ショウさん?」

 

魅月さんだけだと、魅月杏子さんと混同してしまうので僕はフルネームで呼んだ。

ショウさんは僕のすぐそばまで来ると、ピタリと急停止した。

 

「おっ。誰かと思えば、あん時の坊主じゃねぇか」

 

「ど、どうやってここに?というか何で普通に浮かんで……」

 

そこまで言って、僕は気付いた。

まるで支えるようにデッサン人形たちがショウさんの身体にくっ付いている。

 

「そ、それ……」

 

僕がショウさんにくっ付いているデッサン人形を指差すと、ショウさんはそれに気付いたようで軽く苦笑いをした。

 

「ああ。こいつらね。取り合えず、俺が『命令』してる間は安全だぜ。ま、実際に襲われてたお前からしたら、信用できねぇかもしれねぇけどな」

 

『命令』?使い魔を完全な制御下に置いているのか?この人何者なんだ?

超展開すぎて、まったくと言っていいほど状況が飲み込めない。

 

ショウさんは混乱している僕の頭の上にポンと軽く手を置いた。

 

「わりぃな。いろいろワケ分かんねぇ事ばっかだとは思うけど、ちょっと待っててくれ。あのテレビ倒さねぇとこっから出られないからよ」

 

安心させるように力強くショウさんは僕に笑いかけてくれた。

危機的状況はそれほど変わっていないはずにも関わらず、僕の心に安堵(あんど)の色が広がる。

なんだこの安心感。下手をしたら涙が出るかもしれない。

 

ショウさんは僕の頭から手を離すと、羽根付きテレビの方へと向き直る。

口元には不敵な笑みを浮かべているが、その両目は鋭く、突き刺すようなものだった。

 

「てめぇがこの結界の魔女か。恭介のダチ、(いじ)めてくれやがって覚悟はできてんだろうな。ここはてめぇのテリトリーなんだろうが、こっからはてめぇが『(ゲスト)』で俺が『主人(ホスト)』だ。たっぷりサービスしてやるから感謝しな!」

 

 




この物語のヒーローのショウさんが登場しました。
今までは、この話のためのプロローグだったのです!





……ごめんなさい。それは流石に言い過ぎでした。


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番外編 通りすがりのホスト

「仕事終わった~~!」

 

俺、魅月ショウは仕事場のホストクラブ『プレギエラ』から出て、店の前でぐっと背筋を伸ばした。

ソファとはいえ、ほとんど座りっぱなしだから、身体を伸ばすのが気持ちいい。

 

いつもより比較的早い時刻だが、オーナーが妹ができた俺を気遣って、帰してくれたのだ。本当にあの人には良くしてもらっている。

 

両親が死んだせいで高校を辞めて妹を養わなきゃいけなかった俺に、働く場所を与えてくれたのもオーナーだった。俺にとってオーナーはもう一人の父親と言ってもいい。

そうだ。今度、ちゃんとオーナーにも杏子を紹介してみよう。俺にできた新しい『妹』を。

 

せっかく早めに帰れるんだ。杏子に何か美味いもんでも食わせてやるか。

俺は携帯を操作して杏子に電話をかける。

プルルという音の後に電波が届いていない(むね)を告げる電子音声が聞こえた。杏子の奴、電話切ってんのかよ。

今日は編入初日だから、仲良くなった友達とまだ遊んでいるから携帯を切っているのかもしれない。でも、電話を切るってのはおかしい。普通マナーモードぐらいにするだろう。

 

いかん。心配になってきた。

魔法少女なんていったところであいつの中身はまだ幼いガキだ。何かしらの不測の事態に陥ってる可能性もなくはない。

まあ、杏子に限ってはそんな事はないとは思うが一応探すか。ひょっとしたら、この町の魔女と戦っているのかもしれないし。

俺は杏子を探すために歩き始めた。

 

魔女と戦っているんだとしたら人通りの多い場所よりも、人気(ひとけ)のない場所の方が妥当だな。

俺は勘で魔女の居そうな寂れている場所を探す。『勘』といってもそれほどあやふやな物じゃなく、魔女の結界内に入り込んだ経験から、何となく魔女の結界の気配が分かるのだ。

流石に杏子のソウルジェムほど性能がいいわけじゃないが、手当たりしだいに探すよりはマシだろう。

 

 

勘に従って進むと、街灯の少ない狭い道に出た。

道の先には小さな工場が見える。その工場から、何か嫌な感じがしているが見ただけで伝わってきた。

 

間違いない。あそこだ。杏子と一緒に魔女の結界内に何度も入った俺には分かる。

うまい表現が見つからないが、その場所と周囲が何か『浮いてる』気がするのだ。例えるなら、白い画用紙の一点が黒く汚れているようなそんな感じだ。

 

 

俺は工場へ入ろうと近づくが、その時工場のシャッターが突然開き始めた。

とっさに俺は身を潜めた。魔女関係で油断したら、危険だという事は経験則から知っている。

さて、鬼が出るか、蛇が出るか。

 

だが、警戒していた俺の予想に反して、シャッターから出てきたのはピンク色の髪をした女の子だった。

ピンク色の髪の女の子は見滝原中学の制服を着ていた。

という事は杏子と同じ学校の生徒とになる。ひょっとしたら、同じクラスの子かもしれない。

それよりも彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。妹を持つ兄としては同じ年頃ぐらいの女の子がそんな顔をしているのを見るのはかなり辛い。

 

とにかく、中の事情を聞くにしても、彼女に話しかけなければいけない。俺は彼女に近寄って言葉を投げかけようと口を開いた。

 

『お困りのようだね、まどか』

 

だが、俺よりも早く、まどかと呼ばれたピンク色の髪の女の子に話しかけたヤツがいた。

彼女はその声に反応して、俺と反対の方向に顔を向ける。

 

「……キュゥべえ」

 

魔法少女をサポートしてくれるマスコット、キュゥべえがそこにいた。

何であいつがここにいるんだ?いや、待て。何であの子キュゥべえが見える、というか知っているんだ?あの子も魔法少女……には見えないな。

 

ピンク色の髪の女の子改めまどかは、はっと何かに気付いた顔をした。

 

「そ、そうだ。キュゥべえは魔法少女に通信ができるんだよね?マミさん達を呼んでほしいの!」

 

『今は無理だよ。彼女たちは僕の通信が届く距離にいないからね』

 

「そ、そんな。だって、早くしないと政夫くんが……政夫くんが死んじゃうかもしれないのに……」

 

顔を手で押さえ、ぼろぼろとまどかは涙をこぼし始める。嗚咽(おえつ)(こら)えようとしているが、どうにも抑え切れないようだった。

しゃくり上げながら、その場に膝を付いて(うずくま)ってしまった。

 

『でもまどか。政夫を救う方法はあるよ』

 

「……え?」

 

泣くのをとめて、まどかはキュゥべえを見る。

キュゥべえはまるで何でもない事のように言った。

 

『君が魔法少女になって政夫を助ければいい。それが最も確実な方法だよ』

 

「……私が魔法少女になれば……政夫くんを助けられるの?」

 

『造作もない事だよ。ここに魔女も倒せるから、志筑仁美を含めた”魔女の口付け”を受けた人達も救う事ができる。まさに一石二鳥ってやつだね』

 

「だ、だったら私。あなたと契約して魔法少女に……」

 

 

まどかがそう言いかける前に、キュゥべえの元へと駆けつけると思い切り蹴り飛ばした。身体の軽いキュゥべえの身体は俺の蹴りで転がりながら遠くの方まで飛んで行った。

 

「馬鹿野郎がッ!!」

 

なんて事しようとしやがるんだ。明らかな誘導尋問みたいな真似しやがって。

こいつはまた杏子やカレンみたいな子を増やすつもりなのか。死と隣り合わせの危険な世界へ放り込むつもりなのか。

 

「キュ、キュゥべえ!?」

 

俺は蹴り飛ばした時に振り抜いた足を戻し、驚きのあまり呆然としているまどかへと向き直った。

 

「おい、お嬢ちゃん。まどかとか言ったか?」

 

俺が聞くとビクっと身体を震わせると、まどかはおどおどしつつも答えた。

 

「え!?あ、は、はい。あの……あなたは?」

 

「俺は魅月ショウ。通りすがりのナンバー1ホストだ」

 

「ほ、ホスト!!?お酒を飲むのが仕事のあのホストさん……?」

 

俺が急に登場した事にまだ頭がついてきておらず、ちぐはぐな事を言い出している。ま、無理もねえか。

何しろ俺だって今の状況があんまり飲み込めてるわけじゃねぇからな。

 

「俺の事は一先(ひとま)ず置いておいて、お前は今キュゥべえと契約しようとしてただろ?」

 

「え、ななんでキュゥべえの事知って……あれ?そもそもキュゥべえって普通の人には見えないはずじゃ……」

 

『それはショウが普通の人間じゃないからだよ、まどか』

 

俺とまどかが会話をしていると、視界の外へ消えていったはずのキュゥべえがすぐ近くにやって来た。

結構強めに蹴ったつもりなのだが、キュゥべえの奴はピンピンしている。

 

「普通の人間じゃないって……どう言うことなの、キュゥべえ?まさかこの人も魔法少女なの!?男の人なのに!?ホストさんなのに!?」

 

「落ち着け。俺はそんなファンシーな存在じゃないから安心しろ」

 

キュゥべえの発言でますます混乱しているまどかをなだめ、話を再開させる。

たっく。キュゥべえの野郎は面倒くさい事にさせさがって。

 

「もう短刀直入に聞くぞ?さっきちょっと聴いたかぎりだと、お前はこの工場の中に大切な奴がいて、そいつを助けるために魔法少女になろうとしてた。合ってるか?」

 

「はい……」

 

「じゃあ、後は任せろ。俺がそいつを助け出してやる。だから魔法少女になろうなんて考えるな。ありゃお前が想像してるほど楽なモンじゃねぇ」

 

何度も杏子の魔女退治を手伝ったが、その俺ですら魔女退治は未だに慣れない。使い魔を操る俺の特性上、使い魔に襲われる事はないが、醜悪なイタズラ書きみたいな魔女を前にすると嫌悪と恐怖が心の奥から噴き出してくる。

 

気を抜けば死ぬかもしれない。そんな世界だ。

少なくても、まどかのような普通の女の子が入り込んでいい世界じゃない。本当なら杏子にだって止めてほしいくらいだ。

 

「あの……」

 

まどかが心配そうな顔を俺に向けてくる。まあ、俺みたいなのが『助けてやる』なんて言ったところで不安だろうな。どう見てもヒーローなんかには見えないだろうし。

 

「安心しろ。取り敢えずは俺は魔女と戦えるから」

 

つっても、魔女そのものが使い魔以上に戦闘能力が高い場合は完全にお手上げだがな。

 

だが、まどかは首を振る。

 

「そうじゃなくて、私を何で助けてくれるんですか?まだ会ったばっかりなのに」

 

言われてみればそうだな。仮にも命を懸けなきゃいけないのに、出会って三分も経ってない女の子を何の得もないのに助けるっていうのはちょっとおかしいかもしれない。少なくても、カレンを失って女に八つ当たりばかりしていた俺だったら絶対にしなかっただろう。

 

「格好つけてぇからだよ。俺はホストだからな」

 

きっと、俺のために死んでしまったカレンに見せたいからだ。お前のお兄ちゃんはこんなに格好いいぞって。

要するに単なる見栄(みえ)だ。でもどうしても譲れない俺の見栄。

 

俺はまどかと離れると工場の壁を触れながら、工場の周りを回る。

シャッターはまどかが出てきてからは閉まっており、そこから入る事は不可能だ。第一もし入れたとしても魔女の結界の中まで入る事はできないはずだ。

 

だから逆転の発想。

俺が中に入るのではなく、奴らに俺を結界の中に入れさせればいい。

 

「ここだ」

 

工場の側面のある一部。

そこだけ触っていると気持ちの悪い嫌な感覚がなだれ込んでくる。魔女の結界の中で感じる気分と同じものだ。

恐らく、魔女の結界内と繋がっているのだろう。

だったら話は早い。魔女の結界内は使い魔が結構な頻度で徘徊(はいかい)している。

 

「使い魔!!そこにいるなら、俺の前に出て来い!!」

 

俺が叫ぶと、壁から天使を模した人形が三体ほど()い出してきた。うへぇ、かなり薄気味悪い人形だ。ひゃっきんで売ってたとしても俺なら買わない。

 

「よし出てきたな。それじゃあ俺を結界の中に連れて行け!」

 

 

 




政夫は視点として側面の主人公です。

ショウさんはヒーローとしての側面を持つ主人公です。


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第三十一話 グンナイベイビー

凄い。

僕の目の前で起こっている状況への感想は、まさにその一言に集約する。

 

「魔女の羽根を抱えている使い魔!そいつの羽根を引きちぎれ!!」

 

ショウさんの声と共に、羽根付きテレビの両サイドの羽根を大事そうに持っていたデッサン人形達は、急に心変わりをしたようにその羽根を僕に対してやったようにゴムのように引っ張り、そして引き伸ばす。

 

魔女の下僕である使い魔を操っているのだ。それも魔法少女とは(えん)所縁(ゆかり)もなさそうなショウさんが、だ。

 

 

『――z――zaz―――zizaziuziaizuiauzza――――――ッ!!』

 

ザリザリと羽根付きテレビの画面いっぱいの砂嵐が一際(ひときわ)揺れた。

その様子は魔女の悲鳴そのものだ。身体をもがくかの様に暴れるが、移動に必要な羽根自体をつかまれているため身動きがまったく取れていない。

 

ぶちりっと安っぽい音がして、羽根付きテレビは唯一のチャームポイントだった羽根を失い、秋葉原で安売りしてそうなただのテレビと化した。

 

『――――――――ッ!!』

 

画面からは砂嵐すら消えて灰色をぼんやりと映し出しているのみ。引きちぎられた羽根と接合していた場所からは、絡まったケーブルのようなものがダラリと顔を出している。

僕が感じるのは明らかにお門違いだが、その無残な姿にどうしても哀れみを感じてしまう。

 

「まだ終わらせねぇよ。羽根をちぎった使い魔はそのまま魔女を押さえてろ!残りの使い魔は俺の周りに集まって、その後、俺の命令と共に魔女に突撃!!」

 

ショウさんの号令に従い、デッサン人形たちは軍隊然と機敏に動いて陣形をとる。陣形はちょうどショウさんを基点に円を描くかのように綺麗にまとまる。

その様は、どこか絵画めいていた。

 

もう羽根なしテレビに逃げ場はどこにもない。先ほどまで僕がそうであったように魔女は『王手詰み(チェックメイト)』。

この状況から、巻き返すなど不可能だ。

 

羽根のないテレビはただのテレビだ、というように、もがいていた魔女も今では微動だにしない。

自分の分身であり、忠実な手下でもあった使い魔に裏切られ、その使い魔の手により殺されようとしている。魔女にとって、それは一体どんな心境なのか。僕には僕には分からない。

 

「これで(とど)め……!?」

 

ショウさんが死刑執行の宣言をしようとした瞬間、魔女の灰色の画面に唐突に映像が映し出される。

ブラウンの肩まで伸びた髪に、あどけなさの残るかわいらしい顔をした僕と同じ中学生くらいの女の子。どこかショウさんに似ている気がするのは僕の気のせいだろうか。

 

「カ、カレ……ン……?何で……」

 

カレンというのが画面に映っている女の子の名前らしい。それを知っているということはつまり、ショウさんの知人、いや、顔立ちからして家族と見て間違いないだろう。ショウさんの『血の繋がった』妹かな。

 

「カレンが俺を責めてるのか?ごめん。カレン、俺が……俺が頼りなかったばっかりにお前を……」

 

ショウさんが画面に向かって何やら脈絡のない言葉を(つむ)ぎ出す。

まずい。これはあのテレビの魔女の十八番(おはこ)の過去のトラウマを呼び起こす能力だ。

ショウさんの言葉から察するにあのカレンっていう女の子はすでに他界しており、それをショウさんが気に病んでいるのだろう。魔女はそこにつけ込んだのだ。

 

ショウさんの周りに陣形を組んでいた使い魔が、身体をよじる様な仕草を始めた。

もしかして、ショウさんの気がそれたことで使い魔の操縦が緩み、再び魔女の支配下に置かれようとしているのか?

もし、そんなことになったら、形勢は一気に逆転してしまう。僕はもちろん、ショウさんまで使い魔に殺されるはめになってしまう。

 

僕はショウさんに向けて、大声で呼びかける。

 

「ショウさん!そいつらのそれはあくまでショウさんの記憶の一部を見せているに過ぎません。惑わされないでください」

 

ショウさんは僕の方へ顔を向ける。そこには明確な迷いが垣間見えた。

 

「だけど……カレンは俺の事をきっと恨んで……死んだはずだ」

 

「カレンさんがあなたにとってどんな人だったかは知りませんが、死んだ人間は何も語りません!『はず』なんて不確かな台詞で決め付けないでください!それは死んでいった人たちへの侮辱です!」

 

「お前にはカレンの事なんて分からねぇだろうが!知ったような口を……」

 

「なら、ショウさんには分かるんですか?死んだ人の気持ちが」

 

「それは……」

 

ショウさんは口ごもった。反論できないからだ。

 

誰も亡くなった人の気持ちなんて分かるわけがないのだ。死んだらそれで終わりだ。天国も極楽も三途の川もない。

だだ、人生という名の長い糸がぷっつり切れて終わり。途切れた先など存在しない。

 

「だったら、そんな風に決め付けて逃げないでください!カレンさんの死とちゃんと向き合って、受け止めなきゃいけないんです!」

 

そうでなければ、カレンという人が本当の意味で報われない。

ショウさんは(うつむ)いていて、僕の言葉が届いたかどうかは分からない。

突然、ショウさんの肩が小刻みに震え始めた。一瞬、泣いているのかと思ったが違った。

ショウさんは笑っていた。

 

「……くっ、ははは。まさか中学生のガキに諭されるとは……。俺も焼きが回ったかなァー。おい坊主。お前の名前は政夫でいいのか」

 

「え?何で僕の名前を……」

 

なぜショウさんが名乗ってもいない僕の名前を知っているのか疑問に思ったが、すぐに得心が行った。

そもそもショウさんがこのタイミングで魔女の結界内に来ている時点で気付くべきだった。きっとショウさんは鹿目さんに出会ったのだろう。そして彼女に頼まれてここに助けに来てくれた。

大体の筋書きはこんなところで合っているはずだ。

 

「政夫、お前の言う通りだ。カレンが俺を恨んでいるかなんて、誰にも分かんねぇ。勝手に俺が決め付けてただけだ。ありがとな、おかげで目が覚めたぜ」

 

ショウさんは僕から魔女に視線を移す。その横顔には迷いはもう見えず、どこかさっぱりとした表情をしていた。

 

「下らねぇ事考えてんのはもう終わりだ。大人ってのは子供に格好いいところを見せるのが仕事なんだから、もっとシャッキとしねぇとな」

 

魔女の画面には相変わらず、カレンさんの映像が流れている。

その画面をショウさんはまっすぐ見て、指を指す。

 

「使い魔ども、一斉突撃!!画面目掛けて、ぶちかませッ!!」

 

その命令を言うや否や、円陣を組んでいたデッサン人形たちは魔女目掛けて殺到する。

魔女の画面を数の暴力が襲うが、魔女に逃げ場はない。両サイドをがっちりと抱えているデッサン人形がいるため、魔女は吹き飛ぶことすら許されない。

 

『――――――――!!』

 

「Good Night, Baby」

 

ショウさんのその台詞を最後に魔女は爆発した。

 

周囲のメリーゴーランドの模様がかき消え、元の工場に戻った。

魔女の口付けで操られていた人たちは電池が切れたように倒れている。傍に寄って、脈を確認したが大丈夫だった。

 

凄く疲れた。身体から力が抜けて、僕はその場に座り込んでしまう。

何で友達とカラオケに行った帰りにこんな体験しなくちゃいけないんだ。

 

「おいおい。情けない格好すんなよ。ほれ、お前の彼女(ハニー)がお待ちだぜ?」

 

僕が脱力していると、ショウさんが笑いながら入り口付近の壁に近寄って、シャッターの開閉スイッチを押した。

開いたシャッターから入ってきたのは、鹿目さん……そして、暁美。

 

「政夫くん!その顔……ごめんね。私のせいで」

 

鹿目さんは申し訳なさそう顔で僕に駆け寄ってきた。

よく見ると泣いた跡が目の周りにある。たくさん心配をかけてしまったんだろう。

僕の顔が()れて、鼻や口元から血を流しているせいで、さらに心配させてしまってるのだろう。

 

「心配かけてごめんね。でも大丈夫だよ。僕こう見えて結構頑丈だから。それより、鹿目さん凄いじゃないか。ショウさんを連れて来てくれたのは君だろう?」

 

「ううん、私は何もできなかったの。あそこにホストさんが駆けつけてくれたのは偶然なの」

 

鹿目さんは所在(しょざい)無さ()にしょんぼりと肩を落とした。

だが、そこでショウさんがポンっと鹿目さんの肩に手を置いた。

 

「そうでもないぜ?俺がここに魔女がいるって完全に確信できたのはこの子のおかげだ。あそこでまどかに出会わなかったら、ひょっとしたら帰っちまったかもしれねぇ」

 

「そんなのただの偶然ですよ……私は結局何も」

 

それでも自信なさそうに落ち込む鹿目さん。

そんな彼女に僕は笑い掛けた。

 

「でも、その偶然を引き寄せたのは間違いなく鹿目さんなわけだろう?」

 

「え?」

 

「自分にとって都合の良い偶然を、人は『奇跡』って呼ぶんだよ。鹿目さんは奇跡を起こしたんだ。支那モンに頼らずにね。自信を持って」

 

鹿目さんは最初、僕の言っていることが分からなかったようだったが、少しづつ理解したようで最後には笑みを浮かべてくれた。

 

「ありがとう。政夫くん」

 

「お礼を言うのは僕の方だよ。ありがとう、鹿目さん」

 

二人ともお礼を言い合うその姿はちょっとおかしかった。自然とお互いに顔が(ほころ)ぶ。

その様子にショウさんは口笛を吹いて茶化した。

 

「ヒュー。いいねぇ、中学生の恋愛は。初々しくて」

 

「れ、恋愛とか、そんなのじゃないですよ、ホストさん!」

 

茶化されたのが余程恥ずかしかったのか、鹿目さんは顔を真っ赤にした。何にしても和やか雰囲気だ。

さて、僕は鹿目さんと一緒に入ってきた『付属品』を見た。

 

「今更、のこのこ何しに来たの?暁美さん。ピクニックか何かかな?」

 

笑顔の僕の口からさらっと嫌味がこぼれる。

この短い間に僕は二回、いや、最初の洗剤自殺も(あわ)せると三回も死に掛けたんだ。

というか、現在進行中で結構死にそうだ。

このくらいの嫌味は許されるだろう。

 

「……仕方なかったのよ」

 

「ほう。君の愛する鹿目さんまで生命の危機にさらしても申し開きのある理由があると。それはぜひぜひ聞いてみたいね」

 

じっくりとこいつから何があったのか聞くとしよう。

まあ、何があろうと学校でされたアッパーの件は許すつもりはさらさらない。僕を気絶させてくれた報いを受けてもらおう。小学校時代、粘着質の政夫と恐れられた僕のしつこさは収まるところを知らない。

 

 




身体がボドボドでも報復を優先する政夫。
こいつ、かなりタフですね。


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第三十二話 ファミレス裁判

「被告人暁美ほむら、何か申し開きはありませんか」

 

僕が暁美に慄然と告げた。

何やら物言いたげに僕を見るが、結局何も言わずに押し黙る暁美。

 

そうここは裁判所……ではもちろんなく、ファミレスの店内だ。もっと詳しく語るなら、前に暁美と一緒に入ったが何も頼まずに帰ったあのファミレスだ。

僕らはあの後、工場からこのファミレスにやって来ていた。工場の中でスターリン君や志筑さんを含む『魔女の口付け』に操られていた人たちは、目を覚ますと一様に首を(かし)げながら帰って行った。

 

「被告人って……。政夫くん、流石にそれはちょっと言いすぎじゃないかな?」

 

「そうだな。まあ、俺も詳しい事は知らねぇが、もうちょい穏便でもいいんじゃねぇか?」

 

傍聴席、じゃなかった。僕らのすぐ近く隣に座っている鹿目さんとショウさんは、暁美を擁護(ようご)するようなことを言うが僕はこの女を許す気はなかった。

 

暁美がこうやって人に擁護してもらえるのは、(ひとえ)に容姿が整っているからだ。誰が最初に考えたのかは知らないが『可愛いは正義』とはよく言ったものだ。

 

しかし、僕にはそんなものは通用しない。暁美が僕の好みのタイプではないからではない。

美少女だろうが、何だろうが裁かれないといけないことがある。

 

「……確かに僕も少し感情的になりすぎていたよ」

 

だが、まあここでこの怒りをぶちまけてしまうと僕の評価が(いちじる)しく下がってしまう。ましてショウさんとこうやって話し合いの場を設けるのはこれが初めてだ。ここで悪感情を持たれるのは『今後のこと』を考えるとあまり好ましくない。

 

だから、ここは許そう。寛大な心でっ・・・!

時には納得できない理不尽なことにも、妥協して人は進むのだ。

 

「ごめんね。被告(・・)

 

「……政夫。貴方、性格悪いって言われない?」

 

暁美が俯きして、僕を恨みのこもったような目で見上げる。

そんな目で僕を睨める立場か!この世界と限りなく近い並行世界を見てきたにも関わらず、ろくに優位に立てないくせに!

僕は多少イラっときたが、そこはさらりと受け流す。

 

「ほら、僕ってツンデレだから」

 

「初耳だわ。私にはいつデレるのかしら?」

 

あははははは。そんなもん一生来ねーよ!

お前が僕に対してやってきた仕打ちを思い出せ。

 

「さて、無駄話はこれくらいにして、そろそろ本題に入りましょうか」

 

僕は暁美との不毛な会話を断ち切り、ショウさんの方に顔を向けた。

ショウさんもこれから僕が言わんとしていることが想像できたのか、表情を引き締めた。

鹿目さんだけは会話の雰囲気に変わりようについて来れていないのか不思議そうな顔をしている。まあ、鹿目さんには取り合えず聞いていておいてもらえばそれでいいか。

 

「ショウさん。大前提として『魔法少女』についてどのくらい知っていますか?」

 

「そう来るって事はお前は俺よりも知識があるって事だな?」

 

探るような目でショウさんは僕を見る。

やれやれ、大人だけあってそう簡単に情報は漏らさないか。まだ警戒されているのだろう。ギャルゲーでいうなら攻略対象とのイベントをろくにこなさずに告白したようなものだ。

 

ならば、興味の引くような話題を提示すればいい。嫌でも本音と情報を引きずり出す。

 

「そうですね、多分知識だけならショウさん以上だと思います。例えば……そう、『魔法少女の殺し方』って知ってますか?」

 

「なッ、政夫!」

 

一早く反応したのは、僕の正面にいた暁美だった。

こいつにとっては看過できない話題だろう。いきなり意味もなく、弱点をさらすようなものだからな。

だからこそ価値がある。信用を勝ち得ることができる。

暁美に少しだけ黙っててもらえるようアイコンタクトを送った。暁美は納得したような様子は見られなかったが、しぶしぶながら引き下がってくれた。

 

「え?どういう事……?魔法少女の殺し方……?何を言ってるの政夫くん!?」

 

意味が分からないようで困惑する鹿目さん。ただ字面から剣呑な話であることは分かったらしく、表情から怯えが(にじ)み出している。

 

「……面白い話だな。続き、話してもらえるか?」

 

ショウさんの方は僕の予想通り食い付いてきた。興奮しているのを(さと)られまいと(つと)めて冷静な様子を保っているものの、それが返って興味を抱いているのが見て取れる。

なんせある意味で義妹の命に関わることだ。胸倉をつかんででも聞き出したいというのが本音だろう。

 

「いいでしょう。お話します。まず魔法少女には魔法を使うための『ソウルジェム』という魔力の源が存在しているのはご存知ですね?」

 

「ああ。それくらいは」

 

「魅月杏子さんから聞いたんですか?」

 

「そうだ……ちょっと待て。何で杏子が魔法少女だって事を知っているんだ?」

 

ショウさんは不信感を(あらわ)にして僕に詰め寄った。

ふむふむ。よほど魅月さんのことが大切と見える。彼女のことを本当に大事に思っているのだろう。

これなら、『魔法少女の秘密』を知っても魅月さんを拒絶したりしないはずだ。

 

「彼女が自分から教えてくれたんだよ。ねえ、暁美さん」

 

ここで僕は暁美に話のバトンを渡した。今まで黙っていてくれた彼女に発言を任せよう。

暁美は僕の方をじろっとわずかに睨んだ後、ショウさんの方へ向き直り、軽く会釈(えしゃく)をした。

 

「ここからは政夫に代わって、私がお話します。初めまして、暁美ほむらです。魅月ショウ……さんでよろしかったでしょうか?」

 

「ああ。呼びにくかったらショウでいいぞ。あと敬語も別にいらねぇよ。なんか政夫と違ってお前の敬語は違和感ある」

 

「そう。じゃあそうさせてもらうわ。それで魅月杏子の件だけれど、彼女とは今日学校で出会ったわ」

 

やはり、暁美はショウさんには過去から来たことはいうつもりがないらしく、魅月さん、いや、杏子さんとは今日初めて知り合ったことにするらしい。

無難な選択だ。暁美にとってはこれ以上自分の秘密を暴露する理由などないのだから。

 

暁美が屋上で杏子さんにあった経緯を伝え終わると、ショウさんは少し眉間(みけん)(しわ)を寄せていた。

 

「まずったなー。そっか、魔法少女って他にも大勢いるんだったな。魔女っつーか、グリーフシードの取り合いになっちまう。もっとよく考えて杏子を中学に入れるんだったぜ」

 

どうやら、ショウさんは杏子さんと巴さんたちが敵対している状況を知って、彼女を見滝原中学校に編入させたことを後悔しているようだった。

 

ここはフォローするべきところだな。

 

「でも、杏子さんはクラスにもうまく溶け込めていましたし、彼女を中学校に入れたこと自体は少しも間違いじゃありませんよ」

 

むしろ、少しでも杏子さんのためにそこまで行動したショウさんは本当に偉いと思う。血の繋がってもいない相手にそこまで思いやれる人間は少ないだろう。

 

「ありがとうな、政夫。それで……」

 

「分かっていますよ。最初の『魔法少女の殺し方』ですよね?ちゃんとお話ししますよ」

 

この場所で僕が聞きたかったことはショウさんが『魔法少女の秘密』を知っても杏子さんとうまくやっていけるかどうかだった。彼女が真実を知ったショウさんに拒絶され、魔女化する恐れがあったからここまで会話を長引かせたのだ。

 

だが、それは僕の杞憂(きゆう)だった。はっきり言って魅月杏子という人物はよく知らない。だけれど、ショウさんになら安心して話すことができる。

このことを杏子さんに教えるかどうかはショウさんに決めてもらおう。

 

 



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第三十三話 魔法少女の秘密

「ソウルジェムが魔法少女の本体だと……?そんな馬鹿な事があるか!」

 

がたっと音をたてショウさんは椅子から立ち上がった。周囲の人の目も気にしていないあたり、完璧に冷静さを欠いている。そして、その顔は怒りを隠そうともしていなかった。

 

「う、嘘だよね……政夫くん」

 

鹿目さんは悲痛に表情を歪め、今にも泣き出しそうだ。自分自身のことではないのにも関わらず、ここまで悲しめるのはやはり彼女の優しさゆえだろう。あるいは支那モンに騙されかけていたことにも少なからずショックを受けているのかもしれない。

 

だが、二人へ僕は嘘を吐くわけにはいかない。心苦しいがはっきりと彼らに言った。

 

「ところがどっこい真実です。これが真実。(うそ)(いつわ)りは一切語っていません」

 

「なら証拠は、証拠はどこにあるんだよ!」

 

信じられない。いや、信じたくはないと言ったようにショウさんが僕に問い詰める。

やはりそう簡単には信じてもらえないか。

仕方ない。できればやりたくなかったが直接証拠を見てもらおう。

 

「それはこれから実演しようかと思います。……暁美さん」

 

「嫌よ」

 

暁美は僕が言葉を(つむ)ぐ前に拒絶の意志を表す。

(さと)いこいつは僕が何を言いたいのか、すでに理解したのだろう。

ぎゅっと指輪状になったソウルジェムを、もう一方の手で覆い隠す。絶対に渡さないと言わんばかりのポーズだ。

 

「ソウルジェムを貸せ、と言いたいのでしょう?これを私から百メートル離して、本当に心臓が止まるか実演する気なのね」

 

「暁美さん、時には命を懸けなければ信頼を勝ち得ないことだってあるんだよ。僕を信じてソウルジェムを託して」

 

「これは私の魂そのものなのよ。おいそれと誰かに預けられるわけないじゃない。それとも逆の立場だったら、簡単に命を預けられるとでもいうの?」

 

「うん」

 

暁美の問いに僕は一言で返した。

当然のことだ。

それはもちろん疑うことは大事だが、信じることを恐れていたら何もできやしない。

身体を張ることを渋る相手に一体誰が心を開くというのだろう。

 

「な……!貴方は質問の意図を理解していないの?それとも口先だけの言葉で私を言い包めようとしているのかしら?」

 

「だって逆の立場ってことは、僕が君に命を預けるってことだろう?それなら信用できる。君は理由もなく僕の命を奪うようなことは絶対にしない」

 

まあ、僕の命と鹿目さんを天秤に掛けるような状況なら間違いなく、こいつは僕を裏切るだろうが、逆に言えばそんな状況にでも(おちい)らない限りは安全だろう。

今のところ、僕は暁美を『信頼』してこそいないが『信用』している。役には立っていないものの、進んで害を与えてくる存在ではない。それは確実だ。

 

「僕はこんなにも君を信用しているのに、君は僕を少しも信用してくれていなかったの?」

 

「そ、そういうわけじゃないけれど……」

 

「暁美さん」

 

僕は正面に座っている彼女の手を優しく包み込むように両手で握った。

 

「あ……」

 

暁美は僕が触れると小さな声を出した。

そうやって僕が悪意の欠片もない、無害な存在だとアピールする。

自分の体温を相手に感じさせることによって、親近感をわかせるカウンセリングの初歩的なテクニック。

 

「大丈夫。僕に任せて。きっと悪いようにはならないから、ね」

 

笑顔と共に優しく、でもはっきりとした声で(ささや)いた。幼子に教職の人間がよくやるようなパフォーマンス。相手の目を見ながら、間を()けつつ、ゆっくり言葉を発するのがポイントだ。

 

「わかったわ。あなたにわたしのソウルジェムをあずける」

 

ようやく折れてくれた暁美は()めていた指輪を抜き取ると、卵状のソウルジェムに変えて僕に手渡した。

暁美はなんか少しぽやぽやとした幼い口調になっていた気がするがきっと平気だろう。

 

僕は暁美の手から自分の手を退かすと、まるで詐欺師を見るような目で僕を見ていたショウさんの方を向く。

 

「さて、実演を始めるに当たってですが、まずはお互いに電話番号を交換しておきましょう。今、暁美さんが言ったように僕はこのソウルジェムを持ってファミレスから離れますので、ショウさんは暁美さんの脈拍を測っていてください。鹿目さんはそのサポートをお願い。脈拍が完全に消えたら電話をください。そしたらすぐに戻ってきますので」

 

「オーケー。分かったぜ」

 

「……うん。できるだけがんばるね」

 

一応、暁美は女の子だから、男のショウさんに身体をベタベタ触られるのは嫌だろう。これは僕から暁美への最低限の配慮だ。

愛する鹿目さんに身体を合法的に触ってもらえるのだ。さぞ嬉しいだろう。

 

僕はショウさんと電話番号を交換し終えた。実はよく考えれば分かることなのだが、暁美の携帯には僕の電話番号がすでに登録されているので、ショウさんと電話番号を交換する必要はないのだ。

これは今後ショウさん、そして杏子さんと連絡を取り合うためのものだ。あれだけ警戒心のあったショウさんから合法的に且つさりげなく連絡先を聞き出すタイミングを探すのは大変だった。

 

ファミレスを出て、表通りを少し歩く。これで2,30メートルくらい離れただろうか。

手に持った薄紫色の宝石、暁美のソウルジェムを見つめる。

本当に綺麗な色合いをしているな。質屋に持ち込めば、かなりの額になるだろう。そんなことをするつもりは毛頭ないけど。

 

ファミレスからおよそ50メートルぐらいの地点。当然ながら電話はかかってこない。

そのままずんずん突き進む。

大体自己計測で100メートル程度の地点に到達すると、ショウさんから電話がかかってきた。

 

『おい!本当に脈も心臓も呼吸も止まっちまってる。やばいぞ!』

 

「瞳孔も開いていると思いますよ。それで信じてもらえましたか?」

 

『ああ。信じる信じる!てか何でお前、そんなに平然としてんの!?大事な友達なんだろ?まどかは泣きそうだっていうのに!』

 

「暁美さんが僕に言ったことが本当ならソウルジェムさえ戻せば蘇生するはずです。僕は彼女の言ったことを信用しています」

 

そう言って通話を切った。

今来た道を逆行し、急いでファミレスに戻る。

ショウさんには冷静に言ったけれど、やはり知り合いがそんな状態なのは僕の精神衛生上よろしくないようだ。どうにも気持ちが落ち着かない。

 

息を切らしてファミレスのドアを開くと、思った以上に強く引いてしまったようでウエイトレスが驚いたように僕を見ていた。

 

「一名です。席はすでに知り合いが取っているので」

 

早口に言うと、ウエイトレスの返答も聞かず、暁美たちがいる席に向かう。

席に行くと、暁美はぐったりとして横になっていた。それを鹿目さんが支えている。

とっくに100メートル圏内に入っているのに暁美は目覚める気配がない。最悪の状況が脳裏に過ぎるが、思考停止するには早すぎる。

 

ソウルジェムをだらりと弛緩した暁美の手のひらに握らせた。すると暁美は眠っていただけみたいに起き上がる。

どうやら、ソウルジェムと魔法少女の肉体は見えない糸のような物でリンクしているようだ。100メートル離れるとその糸がちぎれ、再び結び付けるには直接肉体に触れさせなければならない。

 

僕は席に座ると何事もなかったかのように話し出す。

 

「それでソウルジェムが魔法少女の本体ということは分かってもらえたと思います。それではもう一つの秘密についてお教えしようかと」

 

「おいおい、まだあるのかよ。これも俺はかなりショック受けてんだけど」

 

「そうですね。面倒な前置きもなしに言っちゃいましょう。ソウルジェムに穢れが溜まりすぎると魔女になります」

 

さらりと勿体付けずに言うと、シーンとした静寂が舞い降りた。

ショウさんも鹿目さんも何も言わない。暁美はただことの成り行きを見ているといった風情だった。

きっと恐らくはこれ以上ショッキングなことは言わないだろうと思っていたのだ。さっきの話はほんの前座でしかなかった。

 

「これは流石に実演は無理です。でも僕がこの期に及んで嘘を吐いていると思うのなら、どうぞ信じなくても結構です。ただし、その結果は当然自己責任ですが」

 

 



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第三十四話 信用を勝ち得る誠意

僕が全てを語り終えた後、ファミレスに集まったみんなは解散となった。

ショウさんの顔色は蒼白どころか土気色になり、傍から見ても大丈夫そうではなかった。

やりすぎたような気がしないでもないが、これは魔法少女である杏子さんと一緒に暮らしていく上で、絶対に避けては通れないことだ。衝撃的すぎる話だが、きちんと受け入れて欲しい。

 

鹿目さんの方もかなり辛そうで、ふらふらと覚束(おぼつか)ない足取りをしていた。そのため、暁美に家まで送って行ってもらうよう(すす)めた。

男である僕が送って行くと、鹿目さんのご両親が妙な勘繰(かんぐ)りをしかねない。ただでさえでもいっぱいいっぱいの彼女にこれ以上いざこざの種をまくのは(こく)すぎる。

 

帰り際、僕が暁美と鹿目さんと別れる時に、暁美は僕だけに聞こえる程度の小さな声でぼそりと話した。

 

「政夫。まどかに話すのは急過ぎたんじゃないかしら?」

 

「辛いからと言って先延ばしにしたって最終的には知るはめになるよ。それに苦しいことから逃げているだけじゃ、前へは進めない」

 

「それは……あくまで貴方の自論でしょう」

 

「経験論だよ。誰にでも当てはまる話さ」

 

嫌なことでも、衝撃的なことでも逃げてるだけじゃ、いつか必ず破綻してしまう。ならば、立ち向かわなければいけない。

目を()らし続けても、目の前に立ち(ふさ)がる現実は消えてはくれないのだから。

 

二人に別れを告げて、僕は家へと帰った。

余談だが、またあのファミレスで何も注文せず、帰ってしまった。店のブラックリストに()せられてても文句は言えない。

 

 

 

制服は汚れている上に、顔は怪我だらけなので、父さんに何を言われるかと思ったが、父さんは僕の顔を見た後、困ったように笑った。

内心、怒られるだろうなと思っていたので、拍子抜けしてしまった。

別に怒られたかったわけではないが、息子がこんな格好で帰ってきた理由ぐらい聞いてもいいのではないだろうか。

 

「えっと……怒ったり、何があったか聞いたりしないの?」

 

「息子が男の顔をして帰ってきたんだ。きっとそれなりの理由があったんだろう。だったら、怒れないよ」

 

何もかも見透かされたような言い方に、少し冷や汗をかきながら突っ立ていると、父さんは風呂に入ってすぐ寝るように促した。

実の父親ながら、どこまでも読めない人だ。魔法少女や魔女のことを知っているとしても僕は驚かない。

 

父さんは放任主義にも見えるが、純粋に僕のことを大人扱いしている。

自由とは自分以外、誰も守ってくれないことを言うのだと、僕に教えてくれたのは去年中学生になった時だった。

そのおかげで自主性のある人間に育ったのだから、感謝してもしきれないな。

 

 

 

 

 

 

次の日の朝、顔の腫れも大分収まった僕はいつものメンバーたちと登校せずに、一人早めに学校に来ていた。

目的は一つ。巴さんと会うためだ。

僕はポケットの中にある、グリーフシードを触る。これは昨日、ショウさんが倒した羽根付きテレビの魔女が落とした物。

 

もちろん、勝手にショウさんから奪ったものではなく、ちゃんと断りを入れて頂いた物だ。あの話をした後に知り合いの魔法少女のソウルジェムの穢れが溜まっているという旨を何気なく言ったら、あっさりと譲ってくれた。

 

義妹の杏子さんのことを考えると簡単には渡してもらえないかと思ったが、簡単にくれたのは意外だった。そのために用意していた罪悪感をくすぐる台詞や、話した情報料としてグリーフシードをもらう作戦を使わずにすんだのは僥倖(ぎょうこう)と言える。

 

三年の教室の前に来ると、廊下を歩いていた女子生徒のグループを呼び止めた。

 

「あの、巴マミさんがいる教室がどこだか知っていたら教えてもらえませんか?」

 

「ああ。巴さんなら私達と同じ教室だから、ちょうどそこの教室よ。君は……ひょっとして彼氏?」

 

「いえ。違います。ちょっと巴先輩にお世話になった後輩ですよ。それではありがとうございました」

 

変な誤解をされないようきっぱりと言った後、軽く頭を下げて、三年の女子グループから離れた。

僕が少し離れた後、女子グループが会話をしているのが聞こえた。

 

「巴さん、この学校にちゃんと知り合いいたんだ」

 

「歩美、それヒドすぎ……」

 

「でも、クラスでかなり浮いてるから心配してたけど良かったわ」

 

普通、孤立している人間は総じてからかいの対象になることが多いが、それを凌駕(りょうが)して哀れまれてるあたり、どれだけ巴さんがボッチなのが分かる。

聞いてると涙腺(るいせん)にくるので、早足で教室の扉を開く。

 

「失礼します。巴マミさんはいらっしゃ……」

 

「ゆ、夕田君!何!も、もしかして私に会いに来てくれたの!?」

 

僕が言葉は、テンションの高い巴さんの声に途中でかき消される。

教室の中央あたりの席にぽつんと一人で座っていた巴さんは凄い勢いでこちらにやってきた。

参考書や過去問題集を広げていた少数の真面目な三年の先輩たちが、ジロっと僕の方を睨む。本当にすいません……。

 

「何かしら!ひょっとしてどこかに遊びのお誘い?」

 

目をキラキラと輝かせ、大きな声で僕に尋ねてくる。あれー巴さん、あなた、受験生じゃなかったでしたっけ?

何というかクラスで浮いているというのは、こういう空気の読めない行動が原因なんじゃないだろうか。

 

「巴さん」

 

「何かしら!」

 

「……場所を変えましょうか」

 

これ以上真面目な先輩方の勉強を邪魔するのも何なので、常時開放されている屋上に場所を移す。この時、なぜか巴さんは楽しそうだった。

屋上につくと、中央に設置されている変わった形のベンチに腰掛けた。巴さんも僕の隣に着席する。

 

「それで何の用件かしら」

 

「これです」

 

制服のポケットから、グリーフシードを取り出して、巴さんに手渡す。

 

「グリーフシード!?なんで夕田君が?」

 

「暁美さんが昨日魔女と戦って得たものです。自分が渡すと巴さんが遠慮するからって」

 

さらっと巴さんに嘘を吐く。

理由は二つある。一つはショウさんのことを知られると芋蔓(いもづる)式に魔法少女の秘密が巴さんに伝わりかねないから。二つ目は巴さんの暁美への好感度を上げることで信頼を強めるため。

これは暁美自身にやらせた方が効果的なのだがあいつは嘘が苦手そうなので、逆に不信感を抱かせてしまう可能性があった。

 

「そうだったの。じゃあ暁美さんにお礼を言っておかないと」

 

「僕が言っておきますよ。同じクラスですし、巴さんに直接言われると素直になれないかもしれないですから」

 

「そうね。それじゃ夕田君、お願いね」

 

「はい。任されました」

 

和やかに笑い合った後、巴さんはソウルジェムをグリーフシードで浄化した。黄色い宝石は、みるみる内に元の輝きを取り戻す。

ふー。これで一番の懸念事項は消化したな。

 

『ボクの出番だね』

 

聞きたくもない頭に響く声が聞こえたかと思うと、支那モンがどこからともなく現れる。

暁美の話じゃ思った通り、僕をダシにして鹿目さんに契約を迫ったらしい。どこまでも抜け目のないケダモノだ。

 

支那モンは背中に付いている口で今しがた使い終えたグリーフシードを飲み込む。

クソ。こいつらの役に立っていると思うと虫唾(むしず)が走る。

 

「やあ。支那モン君。お腹がいっぱいになったなら、ちょっと席を外してくれないかな?」

 

『だからボクの名前はキュゥべえだよ、政夫。別にボクらは食欲を満たすためにグリーフシードを回収しているわけじゃないからその発言は不適切だね』

 

そんなことは知ってるよ。お前と会った時にご大層な理由とやらを語ってくれたのはちゃんと覚えている。

宇宙のためだと寝言をほざきやがって。最初から自分のためだと答えればまだ可愛げあったものを。

 

「知ってるよ。じゃあ悪いけど、どこかに行ってくれない?君がいると不快だから」

 

『酷い言われようだね。ボクが政夫に何かしたとでも言うのかい?』

 

「分かった分かった。じゃあ君のインキュベーター脳にも解る台詞で言ってあげるね。……『いいから、とっとと失せろ』」

 

『…………』

 

支那モンを追い払うと、巴さんは目をぱちくりさせ驚いていた。

いけない。普段は見せない一面が出てしまった。だが、大丈夫。まだ巻き返せるはず。

こほんとわざとらしく咳払いをして、場の空気を無理やり()える。

 

「それで鹿目さんから聞いたんですけど、魅月杏子さんからどこかに呼び出されたって本当ですか?」

 

途端に巴さんの顔に影が差す。巴さんにとってあまり好ましい話題ではないようだ。

 

「……ええ。本当よ」

 

「良ければお話を聞かせてもらえませんか?巴さんも自分一人で抱えているより『友達』に話した方がすっきりすると思いますよ」

 

「……そう。そうよね。じゃあ夕田君聞いてもらえるかしら」

 

あえて『友達』という単語を強調したのだが、思ったより反応が(かんば)しくない。

それでも、話してくれるようだから良しとしよう。

 

 

 

巴さんの話によると、杏子さんとは少し前まで一緒にコンビを組んでいた魔法少女だったらしい。

彼女とはそれなりにうまく関係を築けていたが、グリーフシードを持たない使い魔まで狩っていく巴さんの正義の味方じみたやり方が杏子さんには受け入れられなくなり、やがて決別した。

 

そして昨日、杏子さんがこの中学に編入してきたことにより、再び合い間見えることとなったそうだ。

巴さんは和解を望んでいたが、杏子さんの考え方は昔と変わっておらず、結果戦うことになった。

勝敗はうやむやのまま終わり、杏子さんには逃げられて和解はできないまま終わった。

 

 

 

まとめるとこんなところか。

気になるところがあるとすれば、杏子さんのグリーフシードへの執着だ。魔女化の危険を知っているのならともかく、ただの魔力の保持のためにそこまでこだわる理由が分からない。

ひょっとして、『誰かのために何かする』という考え方そのものが嫌になっただけ、とかはないだろうか。

 

しかし、彼女をどうにかするのは僕じゃなく、ショウさんの仕事だろう。僕は僕がなるべく後悔しないようにやるべきことをするだけだ。

僕は話を終えて心なしかすっきりしているような巴さんを見る。

 

巴さんにも伝えるべきか……否か……。この判断が恐らく今後を決める。

恐らくは教えればパニック状態に(おちい)ることは間違いない。巴マミという人間のアイデンティティを根本的に破壊しかねない事実だ。

彼女は両親を失った痛みを『正義の味方の魔法少女』でいることで納得していた。それを丸ごと奪うようなものだ。

 

「巴さん、ありがとうございました」

 

「いえ、私こそこんなことを語っちゃって、ごめんね」

 

少し照れた笑みを見せる巴さん。

この笑顔を粉砕するようなことを僕はこれから、しなければならない。

 

「ところで巴さん、マスケット銃って、変身しなくても出せますか?」

 

「え?ええ、それほど大量でなければできるけど……」

 

「じゃあ出してください、一丁で構いませんので」

 

巴さんは理解ができないといった顔をするが、それでも頼む込む。

怪訝(けげん)そうな表情を浮かべるが、巴さんはソウルジェムから一丁のマスケット銃を取り出してくれた。

 

「はい。でも下手に扱っちゃ駄目よ?危険なものだから」

 

巴さんが僕にマスケット銃を渡そうとするが、僕は首を振った。

 

「いつでも撃てるように構えてください。でもトリガーは引かないでくださいね」

 

そう言って、僕は巴さんの構えているマスケット銃の銃口を僕の心臓へと押し当てた。

 

「なッ!!何をしているの夕田君!?」

 

「落ち着いてください。これからちょっとお話を聞いてもらうだけです。ただ・・・・『何があっても冷静』でいてください。じゃないと僕が死にます」

 

命を懸けなければ信用を勝ち得ない時、今がまさにそれだ。

 

 




死にたくないのに、必要ならば平然と命を懸ける。
主人公の覚悟。

ちょっと前まで普通の中学生していたのに、人って成長するものなのですね。



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第三十五話 二人っきりの屋上

学校の屋上で男女が二人仲良くベンチに座っていると言い表せば、さぞ穏やかな情景が浮かぶことだろう。あるいは、恋愛物のドラマの一シーンのようにロマンチックで甘酸っぱい気分が起きるかもしれない。

 

だが、残念なことに僕と巴さんの周りにある雰囲気はそんなものとは程遠い緊迫したものだった。

黄色と白のおしゃれなデザインのマスケット銃。そんな物騒な小道具がこの舞台をぶち壊しているからだ。

 

そのマスケット銃を構え、指を引き金に掛けているのは巴さん。銃口がぴったりと心臓のあたりに押し付けられているのが僕。

ここだけ説明すれば、巴さんが加害者で、僕が被害者に聞こえてしまうが、それは大きな間違いだ。

 

「……ねえ、夕田君。……意味が分からないわ。もうこんな事やめましょう?」

 

「意味ならありますよ、巴さん。これから話すことについて、あなたの心が僕の言葉から逃げ出さないための必要な措置(そち)です」

 

【挿絵表示】

 

 

彼女のわけが分からないという顔を見れば理解できる通り、この状況を強要しているのは僕の方だ。むしろちゃんと説明もされておらず、こんなことをさせられている巴さんは被害者と言っても過言ではない。

 

だが、この行為には意味がある。こうして僕の心臓に銃を当てさせていることで、巴さんをパニックにさせる余裕をなくしているのだ。

言ってしまえば『人質』だ。

 

「お話するのは『あなたが聞かされていなかった』魔法少女の秘密についてです」

 

「魔法少女の……秘密?」

 

「そのマスケット銃を取り出した『ソウルジェム』。それは魔力の源とおっしゃっていましたね?」

 

「ええ、キュゥべえはそう私に言っていたわ……」

 

キュゥべえがそう言った、ね。

この人はあの似非マスコットのことを一度も疑わなかったのだろう。目的すら教えてもらっていなかったのにも関わらずだ。

ただ支那モンが言ったから絶対にそうなのだ、と思考を停止したわけだ。

ならば、そこから攻めて行くとしよう。そうしないと僕が何を言っても、『キュゥべえが私に嘘を吐くわけがないわ』の一言で封殺されてしまう。

 

「巴さんはキュゥべえと事故で死にかけていたところを『偶然(・・)』出会ったんでしたよね。それで魔法少女になって一命を取り留めた」

 

巴さんは話が()れたことでやや不思議そうな顔をした。

 

「……そうよ。それが何かしら?」

 

「おかしいとは思いませんでしたか?そんなまるで仕組まれていたかのような偶然」

 

「一体……何が言いたいの?夕田君」

 

一気に表情が強張(こわば)る巴さん。この人も馬鹿ではない、何かしら疑問には感じていたらしい。

でも、巴さんは疑うことができなかった。あんな不思議生物でも、両親を失った巴さんには掛け替えのない存在だったってことか。

ああ、またこの人を傷つけなきゃいけない台詞が増えちゃったな。

 

「キュゥべえは任意で魔法少女や魔法少女候補の少女以外にも姿を見せることができます。ちょうど僕がそうなように。……もしも運転していた巴さんのお父さんの目の前に『見たこともない小動物』が『突然』現れたなら、驚いて事故を起こしてしまってもおかしくありませんよね」

 

「そんな……だって?キュゥべえは……」

 

巴さんの手に持ったマスケット銃が震える。その表情にも悲壮の色が見え始めた。

 

「落ち着いてください。引き金を引かないで。僕が死にます。それとこれはあくまで推論です」

 

と言っても、まず間違いないと僕は睨んでいる。瀕死の重傷を負った少女が魔法少女の素養をたまたま持っていた、なんてどう考えてもできすぎだ。

 

「話を戻しましょう。ソウルジェムは……実はあなたの魂です。それが魔法少女の本体とも言えます。そのソウルジェムが肉体から100メートル離れると、魔法少女は絶命します。逆に言えばソウルジェムが砕かれない限りは魔法少女は死にません」

 

「う……嘘よね。さっきから夕田君は性質(たち)の悪い冗談ばかり言って……ひ、酷いわ。私をからかってるの!?」

 

目尻に涙を浮かべ、巴さんは激昂した。

思った通りの反応。だが、こうなることを予想して僕はこの状況を作り上げた。

 

「本当にそう思いますか……?命を張ってまで、あなたを悲しませる冗談を僕が言っていると、本当にそう思うんですか?」

 

マスケット銃の銃口をより一層、自分の胸に押し付ける。

これで巴さんが引き金を引いたらと思うと恐怖が身体の中から()り上がってくる。

心臓の音が銃を通して巴さんの腕に届くかも、なんて下らないことを想像してしまう。

 

恐怖で銃に目を落としそうになるけれど、目線はもちろん巴さんの目だけに向け続けている。

巴さんと真正面から逃げずに向き合う。これが僕にできる最大限の誠意だ。

 

「……思わないわ。本当に夕田君が嘘を吐いているなら、そんな目はできるわけないもの」

 

巴さんもまた僕の瞳をまっすぐ見据えてそう言ってくれた。

今までそんなことを気にする暇なんてなかったので、改めて思うがこの人、本当に顔が整っている。同じ美少女でも暁美とは違い、少しも鋭いイメージがない穏やかな可愛らしい顔立ちだ。

そんな人に見つめられて、僕は少し照れてしまいそうになる。

 

「ありがとうございます。それではキュゥべえが隠していた、もう一つの重大な秘密について話します。準備はいいですか?」

 

「わざわざ聞くって事は、さっきの話よりもショックが大きいって事ね?……わかったわ。続きをお願い」

 

巴さんが覚悟を決めたように顔を引き締める。それでもやや幼い顔立ちの巴さんはには似合わない。

心臓に銃弾が打ち込まれるかどうかの瀬戸際で、緊張で冷や汗がじんわりと背中に(にじ)んでいる状況にもかかわらず、つい微笑(ほほえ)ましくなる。

 

「ソウルジェムに(けが)れが溜まりすぎると、ソウルジェムはグリーフシードに変わります」

 

「ッ……!それって……」

 

「魔女は」

 

これを言ったら、僕、死ぬかもしれない。

覚悟はしてたとはいえ、死にたくはないな。せめて結婚して、子供を作って、老後に年金もらってから死にたい。

 

「魔法少女のなれの果てだったんです」

 

「―――――ッ!!」

 

マスケット銃の引き金にかかった巴さんの指が震えている。いつ限界を迎えて、僕の胸に押し当てられた銃口から弾丸が飛び出してもおかしくない。

 

「気をしっかり持ってください!!あなたは今、僕の命を握っています!」

 

「だって……だってそれじゃあ私が今まで倒してきた魔女は――――みんな私と同じ魔法少女だったの!?」

 

もはや、巴さんは涙を(こら)えることもせず、裏返った声で僕に問いただす。

しゃくり上げながら、僕に違うとでも言ってほしいように、縋るような瞳で見つめている。

 

けれど、僕は彼女の望む答えをあげることはできない。

都合のいい優しい欺瞞(ぎまん)で、彼女の立ち向かわなければいけない現実を覆い隠してしまうのは、何の解決にもならない。

きっぱりと、はっきりと、僕は巴さんに告げる。巴マミを支えていた『人々を影から守る正義の味方』という肩書きを奪い取る台詞を。

 

「はい、そうです。あなたが殺してきた魔女は、みんなあなたと同じ、キュゥべえに願いを叶えてもらったただの女の子だったものです」

 

「じゃあ私も魔女になるの……? ソウルジェムさえ(にご)れば、私も魔女に……?だったらみんな……」

 

「死ぬしかない、とでも言うつもりですか?」

 

巴さんの言葉の先を予想して、彼女より先に言った。

 

「それはただの『逃げ』です。仮にあなたを含めた魔法少女を皆殺しにして自殺しようとも、『キュゥべえ』はまた新しい少女を魔法少女に作り変えるだけですよ。何にも知らない少女たちがあいつの語る『奇跡』に(おび)き寄せられて、最後には魔女にさせられる」

 

「だったら!私はどうしたらいいのよ!?」

 

「生きたらいいじゃないですか」

 

「え?」

 

先ほどの恐慌が嘘のように、巴さんは止まった。呆けた顔で僕を見る。本当に年上なのか疑問に思ってしまう。

普通じゃない境遇だから仕方ないとはいえ、手間のかかる先輩だ。

 

「『死にたくない』と願ったんでしょう?だったら生きればいい。魔女になるその時まで、魔法少女として、あなたの思うがまま生きていけばいい」

 

「でも、私は……魔法少女は人間じゃないじゃない。絶望を()き散らすだけの魔女になる存在なのよ?どうやって生きていけって言うの?」

 

「今まで通りに生きていればいいじゃないですか。それに、巴さん」

 

銃口を押し当てさせていた手の反対の手で、巴さんの顔に触れる。

親指で巴さんの涙をピッと弾くように払った。

 

「人間ではなかったとしても、僕は巴さんの友達です。それじゃ、足りませんか?」

 

「夕、田君……。本当?私とまだお友達でいてくれるの?」

 

もうマスケット銃は必要ないようだ。巴さんの手から、銃を引き剥がして脇に置いた。すると、マスケット銃は自分の役目は終えたというように静かに消滅した。

 

僕は両手で巴さんの手を握る。マスケット銃を握り締めていた手には、その跡がくっきりとついていた。

 

「言わないとわかりませんか?」

 

「夕田君、ありがとう」

 

泣き虫な先輩は笑いながら、また泣いた。

 




マミさんが事故った時にあまりにキュゥべえがタイミングが良すぎたので、こんな風に書きましたが、……これって独自解釈ですかね?


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第三十六話 クラスの皆には内緒だぜ☆

「もう少しだけ一緒に……、ううん。これ以上夕田君の(そば)にいると際限なく甘えちゃいそうだから、私は教室に戻るわ」

 

「ええ、それじゃあ。今度会った時は格好いい巴さんを期待してますよ」

 

「もう……。そんなにからかわないでよ」

 

泣き止んだ巴さんは少し怒ったように僕を見て、屋上から立ち去った。ちょっと口が過ぎたかな。でも、本気で怒っていたというよりは、照れ隠しのようだったし、多分大丈夫だろう。

 

巴さんが教室に帰っていった後、見計(みはか)らったかのように暁美が屋上の扉から顔を(のぞ)かせた。

こいつ、さては隠れてどこかから見ていたな。鹿目さんだけじゃなく、僕にまでストーキング行為を働くとは、呆れたストーカーだ。

 

「……政夫、貴方は実は命を粗末にするのが好きなんじゃないの?」

 

いつも以上に仏頂面(ぶっちょうづら)な顔と不機嫌そうな声で暁美は僕を睨む。

仮に僕がそんな自殺志願者だろうと、こいつには関係ないだろうになぜそんなに苛立っているんだ?ひょっとして、僕のことを心配しているのか?

 

いや、それはないな。暁美にとって大切なのは鹿目さんだけだ。

他の人間がどうなろうと、こいつにはどうでもいいことのはず。(げん)に巴さんのことはただの兵力扱いしていた。

 

「……い、いや……そう、でもないよ……」

 

「!貴方……」

 

どうやら暁美も気付いたようだ。

僕が震えていることに。

巴さんが居なくなる前は(かろ)うじて押さえられていたが、もう限界だった。

 

手、足、身体の末端から中枢にかけて震えが止まらない。

怖くないわけなかった。(みずか)ら銃を胸に押し当てていたのだ。

銃という最低限の知識さえあれば、どういった『結果』になるか目に見えている物は予想がつく分、魔女よりも恐ろしい。

 

「そう。貴方も……無理をしていたのね」

 

暁美の静かな問いに、言葉すら出せなかった僕は黙って(うなづ)いた。

予想していた最悪の仮定が脳裏を()ぎり、寒気がする。一向に止まる気配を見せない不快な振動が、僕を捕らえて放さない。

 

落ち着け。もう終わったんだ。

そう自分に言い聞かせるが、恐怖の警鐘は鳴り止まない。

 

そんな中、僕の手を誰かが取って、優しく握りしめた。

顔を上げると、暁美がいつの間にか僕の傍に近づいて来て、僕の手を握っていた。

 

「暁、美さん?」

 

「手を握られると、ふ、不思議と何故か安心するのよ。だから、ほら……」

 

急にしどろもどろに弁解を始める暁美。

一瞬、こいつが何をしているのか分からず、僕はポカンとしたが、すぐに不器用ながらも(なぐさ)めてくれようとしていることに気が付いて、その似合わなさに思わず笑みがこぼれた。

 

「くっ、あはははははは!」

 

身体に溜まっていた恐怖が霧散するのを感じる。

今まで震えていたのが嘘みたいだ。

 

「あははははははははは!!」

 

「なッ、何で笑うのよ!納得いかないわ!」

 

最初は突然笑いだした僕に面食らっていた暁美だが、次第に腹が立ったのか、怒り出した。

それが、ますます僕の笑いを誘う。

 

「だ、だって、くふっ。可愛すぎるよ。暁美さん」

 

僕は笑いを(こら)えながらも何とか言葉を吐き出した。

 

「か、可愛い?政夫。また私をからかっているでしょう!」

 

「からかってないよ。混じりけのない素直な感想だって」

 

今度は暁美は(ほほ)をわずかに紅く染め上げる。まったく見ていて飽きない。楽しいやつだ。

今までが今までだったから、暁美への印象が百八十度変わってしまった。

どうしても意見が合わない知人から、実は面白おかしい知人にランクアップだ。

 

ようやく。

 

ようやく暁美のことがほんの少し好きになれそうだ。

 

 

 

 

暁美と一緒に屋上から教室に戻ろうとした時、僕はふと気付いて暁美に尋ねた。

 

「あれ?でも何で暁美さんがここにいるの?鹿目さんたちと登校してくる時間よりもかなり早い気がするんだけど」

 

僕は巴さんと誰にも邪魔されずに話すために、結構早い時間に登校してきた。

いつも林道で待ち合わせをしている時刻になったら、鹿目さんたちにもう学校に行っていることをメールで知らせるつもりでいた。

暁美はちょっと顔を曇らせながら答えた。

 

「それは……私も今日は一人で早く登校したのよ」

 

その表情は幼い子供が後ろめたいことを黙っている顔だった。

何をしたんだ?…………ハッ!まさか!!

 

 

 

『まどか。邪魔者は去ったわ。これからは女の子同士でしか味わえない事を教えてあげるわ』

 

『え!?何するの、ほむらちゃん?嫌だよ。そんな事やめてよぉ…・・・』

 

『ふふ。もう遅いわ。今夜は寝かせない』

 

『やっ……!女の子同士でそ、そんな事……。やめてぇ!!』

 

 

 

昨日、鹿目さんを家に送った時にレズビアンとして欲望に歯止めが効かず、送り狼と化してしまったのか!

 

しまった。あの時間帯なら家族もいるだろうと(たか)(くく)っていたが、まさかそこまで理性がぶっ飛んでいたとは……。

クッ。すまない、鹿目さん。僕が暁美を信用したばかりに、取り返しのつかないことを!!

 

 

「……最近、政夫が何を考えているのか大体分かるようになったわ。でも安心して、“欠片も合っていないから!!”」

 

コミュ障の分際で生意気な。

僕はどこぞの主人公()りに、『君に僕の何が解るってんだよおぉぉぉ!』とでも叫んでやろうかと考えたが時間と労力の無駄にしかならないので止めた。

 

「僕の考えが分かるかどうかは別にして、鹿目さんたちと一緒に登校しなかったのは何で?」

 

「美樹さやかと顔を合わせづらいのよ」

 

「上条君のことで何かあったんだね?」

 

そう言えば、昨日美樹に呼び出されたとか鹿目さんが言ってたな。

男を巡る三角関係。所謂(いわゆる)修羅場って奴だ。絶対に関わりたくない。

 

暁美は憂鬱そうに髪をかき上げる。だが、いつもの無意味に誇らしげな『ファサッ!』という後ろにビックリマークを付けた軽快なものではなかった。

 

「……上条恭介の想いに応えてやってほしいと頼まれたわ。土下座までしてね」

 

「そりゃ思い切ったことするね。自分に決定的なトドメを刺してって言ってるようなものじゃないか」

 

いや、下手にチャンスがありそうな今の状況の方が美樹にとっては辛いのかもしれない。

だが、本当に美樹は上条君を諦め切れているのか(はなは)だ疑問だ。もし美樹の中で割り切れていなければ、絶望して魔女になってしまう。

 

まあ、僕は美樹にちゃんと説明した上で説得したにも関わらず、あいつは魔法少女になったんだ。友達としての義理は果たした。

後はどうなろうと美樹の自業自得としか言いようがない。

 

 

 

 

 

教室に入ると、僕が登校してきた時よりも人数が増えていた。

中沢君もいたので、ノートを貸してもらい、受けられなかった授業の分を勉強する。

うわ。英語とか一日だけで結構授業進んでるな。でも、中沢君のノートはカラーペンなどできちんと色分けしてあり非常に見やすい。これなら、遅れも取り戻せる!

 

二十分ほどノートを書き写したりして復習していると、スターリン君が僕に声をかけて来た。

 

「おい、夕田。少し話があるんだが、いいか?」

 

「ああ。いいけど?」

 

「ちょっとトイレまで一緒に来てくれ」

 

スターリン君はいつになく真剣な顔で僕を連れて行く。

一体何の用だろう?

それにしても命に別状はないとはいえ、魔女の口付けを食らった翌日に普通に登校してくるとは、結構根性あるなあ。

 

トイレにはちょうど僕らの他には誰もいなかった。

ここで何の話があるというんだろう。僕はスターリン君の方を見るが、彼は後ろを向いたままだった。

 

「……魔法少女」

 

「!!」

 

スターリン君がぽつりと漏らした単語に僕は戦慄(せんりつ)した。

なぜスターリン君がその言葉を知っている?いや、そもそも僕に言っている時点でバレているのか?

 

「俺が工場で気絶して目を覚ました時、お前そんな台詞を言ってたな。それでピーンと来た。お前は……俺と同類だって事にな」

 

「まさか……君」

 

知っていたのか。魔法少女のことを。魔女のことを。

 

一気に空気に緊張が走る。

スターリン君はおもむろに僕に紙袋を差し出す。

 

「クックック。多分、お前も気に入ると思うぜ。昨日、目を覚ましてもらった借りだ。受け取りな」

 

全てを見通したような目で僕に笑いかけるスターリン君。

君は一体どこまで知っているのだろうか。

黙って紙袋を受け取り、中の物を取り出した。

 

そこには……。

 

 

 

 

 

『魔法少女レイ~禁断の触手~』と書かれたパッケージのゲームソフトが入っていた。

 

スターリン君を見つめ直す。すると彼は晴れやかな笑顔でこう言い放った。

 

「クラスのみんなには内緒だぜ☆」

 

言葉ではなく、握った拳をスターリン君の右頬目掛けて振りぬいた。

僕の拳は逸れることなく綺麗に決まり、スターリン君は不浄なトイレの床に()いつくばる結果となった。

 

「がぁはぁッ!!な、何をすんだ。夕田ぁ」

 

「その台詞、そっくりそのままお返しするよ!!」

 

意味が分からない。何がしたいんだ、この男。

R18指定のゲームを僕に渡してどうする気なんだよ。

 

「俺はただ、昨日工場内で気絶してた俺を起こして助けてくれた夕田が、魔法少女萌えだと思ったから、お礼としてお気に入りのエロゲーをプレゼントしただけなのに……」

 

『目を覚ましてもらった借り』って文字通りの意味かよ!てっきり『魔女の口付け』から解放してもらったことかと思って、ビックリして損した。

別にこいつは魔法少女のことを知ったわけでも何でもなかった。ただ単に僕が『魔法少女』というフレーズを口ずさんだ時にたまたまそれを聞いていただけだったわけだ。

 

「いらないよ!というか学校にエロゲーを持ってくるな!どういう神経してんだ、君は」

 

「そんな事言わずにちょっとやってみろって。マジエロいから。マジ(ハマ)るから」

 

「やるかボケェェェェェェェェッ!!」

 

僕はトイレの床に寝転がったまま、エロゲーを勧めてくる馬鹿野郎にゲームの入った紙袋を投げつけた。

 

 




正直、主人公よりもスターリン君書いてた方が楽しいです。

ネタキャラはいるだけで場を盛り上げてくれます。


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さやか&杏子編
第三十七話 アグレッシブだよ!上条くん


「なあなあ、夕田。俺たちって友達だよな?」

 

「知らないよ」

 

僕が『魔法少女萌え』だと勘違いしたスターリン君は、同好の士を見つけたと言わんばかりに目をキラキラさせ、僕に構ってくる。

非常に鬱陶(うっとう)しい。どこかに行ってくれないだろうか。

慣れなれしくくっ付いてくるスターリン君を押し退けて、中沢君に借りていたノートを返した。

 

「ありがとうね。中沢君」

 

「ああ。写し終えたの?随分早かったね」

 

本当はまだ全部は写しきれていないが、今日の一時限目に英語があること考えると今返さざるを()ない。もうそろそろホームルームまで少し時間があるが、それでもギリギリまで借りるのは気が引ける。

取り合えず、重要そうなところだけざっと抜いて書き出したので、それほど困りはしないはずだ。

 

今まで特に気にしていなかったのだが、中沢君の席って暁美の隣なんだな。

可哀想な中沢君。こんな愛想のない女が隣とはついていない。息苦しくて授業中も息が詰まる思いなんじゃないか。

 

「何かしら、その目は」

 

暁美が僕に不機嫌そうな目を向けてくる。

いちいちこちらの顔を気にするな。いつものスルースキルはどこへやった。

 

「何でもないよ。そんなに怒らないで」

 

ドウドウと馬を落ち着ける要領で暁美をなだめていたら、教室の扉が開いて上条君が松葉杖を突きながら、教壇側の方から教室に入ってきた。

こちらに気がつくと嬉しそうな顔で寄ってくる。

 

「やあ、夕田君。おはよう。学校で会うのは初めてだね」

 

「おはよう、上条君。退院したんだね。元気そうで何よりだよ」

 

お互いに挨拶をしながら、僕は上条君の左手を眺める。

彼の左手は右手同様、松葉杖をちゃんと握り締めていた。

『動かない』と言われていたその手が、感覚もないと嘆いていた手が、しっかりと上条君の身体を支えるため使われていた。

 

「動くようになったんだね」

 

僕が上条君の左手を見ながら言うと、彼はとても嬉しそうな笑顔で話し始めた。

 

「そうなんだよ!凄いよね。本当に奇跡だよ。きっと神様がまだ僕にバイオリンを弾いてもいいって言ってくれてるんだよ」

 

上条君は(いと)おしそうに自分の手を見つめながら、実感のこもった口調で述べた。

きっと上条君は予想もしていないだろう。その左手のために幼馴染がどんな代償を払った、いや、払い続けるはめになったのかを。

当然と言ってしまえばそれまでだが、美樹は本当に報われないな。まあ、頼んでもいないのにそんなことをした美樹に非があるのだ。上条君に責められる要素は一つもない。

 

「おめでとう、上条君。ほら、暁美さんも」

 

こっそりとこの場から離れようとしていた暁美の腕をつかんで僕はエスケープを邪魔する。

何さりげなく、逃げようとしてんだお前は。

 

「……放して」

 

「逃げ出さないならいいよ」

 

僕は暁美の顔をじっと見る。

暁美は目を(そむ)け、そっぽを向く。

まるで今にも逃げ出したいと書かれているようだった。夏休みの宿題から逃げ出そうとする子供のみたいだ。

 

だが、ここで逃げるのはなしだ。そんな甘えは許さない。

僕は笑顔のままで暁美に上条君との対話を促す。

暁美は僕を恨みがましい目で見た後、しぶしぶながらも上条君と向き合った。

 

「……退院おめでとう。上条恭介……君」

 

「ありがとう、暁美さん。これは多分君のおかげでもあるんだ」

 

「私のおかげ……?」

 

「うん!君がお見舞いに来てくれてから、例え手が動かなくても頑張ろうと思えるようになったんだ。そうやって足のリハビリをしていたらいつの間にか手も元のように動くようになった。バイオリンだってまた弾けるくらいに。……本当に君は僕の女神様だよ」

 

……べた惚れだね、上条君。

それにしても女神様なんてキザな言い回し普通中学生が使うか?ひょっとしてショウさんの影響か何か。

その美形な顔立ちにはフィットしているからいいが、僕なら一生ネタにされる台詞だ。

 

そんな台詞を投げかけられた暁美の方は、あまり嬉しそうな顔は浮かべていない。というか引きつっている。

見てる分には面白いよなー、こういうの。絶対に当事者にはなりたくないけど。

 

 

「暁美さん」

 

スゥーと深呼吸をして一拍(いっぱく)空けた後、上条君は静かに、でも、はっきりと暁美にこう言った。

 

「今日、僕とデートして下さい」

 

突然の発言。暁美唖然。それも当然。

 

上条君の台詞により、教室と僕らの周囲の温度が切り離された。他のクラスメイトの話し声が妙に空々しく聞こえる。

暁美の隣に座っている中沢君にいたってはこちらを向いたまま硬直している。

その気持ち分かるよ、中沢君。完全な部外者なのにそんなことを聞かされればそうなるよ。

 

言われた本人の暁美でさえ、口を金魚の如く開閉していた。

文字通り、言葉を失っていらっしゃる。

面と向かって告白されたのは実はこれが初めてだったりするのかもしれない。

 

「駄目、かな?」

 

まったく返事をする気配を見せない暁美に、上条君は不安そうな顔で聞く。

 

「ほら、上条君返事待ってるよ。暁美さん」

 

取り合えず、僕は暁美の肩を揺すって返事を(うなが)した。

暁美は「どうすればいいの?」という声が聞こえそうな顔で僕に助けを求めるが、それに答える気は毛頭(もうとう)ない。上条君が勇気を出してデートに誘ったのだから、断るにしても暁美自身の言葉で言わなければ失礼だ。

僕が助け舟を出さないことを悟ったのか、暁美は上条君に向き直り、そして――――――。

 

「わかったわ」

 

意外にも肯定の返答をした。

 

へー。あれだけ嫌がっていたのにデートには行ってつもりなのか。実は上条君のことを気に入っていたのかもしれない。何にしても報われない同性愛に生きるよりは生産的だ。

 

「本当!?じゃあ放課後に一緒に帰ろうよ」

 

「わかったわ」

 

暁美の返事を聞くと上条君は嬉しそうに席に戻って行った。

青春してるな~。長い入院生活でまったく学園生活を送れていなかったのだから、これでつり合いが取れるだろう。

 

「それにしても君がOKするとは思わなかったよ」

 

僕は話しかけるが、なぜか暁美は無言だった。

 

「暁美さん?」

 

「なんで……」

 

「え?何?」

 

「何で咄嗟(とっさ)に『わかったわ』なんて言ってしまったのかしら」

 

 

え?

 

まさか、こいつ。

 

咄嗟(とっさ)って、デートを受けるつもりなかったの?」

 

暁美はごまかすように髪をかき上げる。

 

「……不用意に言葉が出るときって怖いわね」

 

こいつ、本当に酷いな。適当に言っただけかよ。

しかしまあ、これが美樹にとってどうなるかが気になるところだ。

本当に上条君のことを諦めているのか、それを試させてもらう良い機会と言える。

 

僕は透明な教室の壁の向こうの廊下から、鹿目さんや志筑さんと一緒に登校してきた美樹を見ながら、今後の未来に思い()せる。

 

 




「恭介はこんなこと言わない!」とおっしゃりたい上条恭介ファンの皆様。
本当にごめんなさい。

ですが、この物語の上条君は基本こんな感じなので、温かく見守ってください。


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第三十八話 ストーキング・ザ・デート

中学生の恋愛というのは結局のところ、思い込みのようなものだと僕は思う。

本当に異性が好きだというよりも、『誰かを好きになっている感覚』に酔っているだけだ。『恋に恋するお年頃』という奴だ。

 

かく言う僕も見滝原中に転校する前の中学校で女の子と付き合っていた。告白してきたのは向こうからだったが、僕はそれに応えて恋人同士になった。自分で言うのも何だが彼女とはうまくやっていたと思う。

僕が転校するため、仕方なく別れることになったのだが、本当に彼女のことが好きだったなら遠距離恋愛もできたはずだ。事実、付き合っていた彼女はそれを望んでいた。

しかし、僕は遠距離恋愛はお互いに何かと大変だからと説得して、最後には彼女ときっぱり別れてしまった。

 

まあ、何が言いたいかというと、だ。

わざわざ長年好意を抱いていた相手とはいえ、そこまで必死になれる美樹のことがよく分からないって話だ。

 

「政夫。アンタ、ちゃんと真面目に見てるの?」

 

美樹が少し遠い目をしていた僕に、小さく(しぼ)った声で(ささや)く。

 

「見てるよ。上条君と暁美さんが一緒に下校しているところを余すことなく、しっかり見てる」

 

僕と美樹は今現在、上条君と暁美の二人を尾行している。

なぜこんなことをするはめになったのかというと、話は昼休みにまで(さかのぼ)る。

 

 

 

鹿目さん、美樹、巴さん、暁美そして僕という明らかに男女比率がおかしいいつものメンバーで屋上にてランチをしていた。

ちなみにあまり関係ない話だが、杏子さんは今日学校に来なかった。巴さんに負けたことがショックで休んだのか、それとも……。

まあ、彼女のことはショウさんに任せよう。外野がごちゃごちゃ言うことじゃない。

 

「はい。夕田君。召し上がれ」

 

巴さんが僕に唐揚げを(はし)(つま)んで差し出してくる。

 

「ど、どうもありがとうございます。それじゃここに・・」

 

僕は弁当箱の(ふた)を出して、そこに乗せてくれるように頼むが、巴さんは不思議そうな顔で僕を見返す。

 

「何言ってるの?夕田君。さあ、『あ~ん』て口開けて」

 

「え!?何でですか?」

 

意味が分からない。僕と巴さんはそんなことをする間柄ではなし、巴さんがそんなことをするのは今回が初めてのことだ。

そして何より、僕は誰かに食べさせてもらうのがあまり好きではない。鳥のヒナみたいでなんか嫌だった。付き合っていた彼女ともそれが原因で喧嘩になったことがあるくらいだ。

だが、巴さんはにこにこと笑顔で箸を差し出してくる。

 

「はい。あ~ん」

 

仕方ない。ここは後輩として先輩からの好意を素直にもらおう。

 

「あ、あ~ん」

 

「どう?おいしい?」

 

「は、はい。おいしいです。とっても」

 

「そう!それは良かったわ!」

 

物凄く嬉しそうな表情で僕に笑いかける巴さん。

そこには、いつもどこか先輩として気を張っている姿は完全に消滅していた。

朝の会話が巴さんにここまで影響を与えるとは正直予想していなかった。いや、今までは我慢をしていただけで本来の巴さんはこんな性格の人間だったのかもしれない。

 

「……いい身分ね。鼻の下まで伸ばして」

 

暁美が脇から嫌味を飛ばしてくる。

上条君のことで気が立っているのかもしれないが、それは完璧にお前の自業自得だ。僕に当たるんじゃない。

 

「物を食べていたんだから、顔面の構造的に鼻の下なんか伸びないよ。それよりも上条君とのデートのために君も『あ~ん』を練習しておいた方がいいんじゃない?」

 

わざと美樹がいるこの場で言った。

鹿目さんは昨日のファミレスの話が衝撃的すぎて、未だにどこか暗かった。美樹も美樹で上条君の件で元気がなく、会話に入ってこようとはしなかったが、今の言葉で急にこちらの話に入ってきた。

 

「恭介とほむらがデートってどういう事!?」

 

ほむら……?

いつの間に名前で呼ぶようになったんだ?ついこの前までは『転校生』で固定されていたのに。

まあ、いい。良い感じに反応してくれた。僕は内心ほくそ笑みながら、美樹に詳しい説明をする。

 

「どうもこうもそのままの意味に決まってるだろう。今日放課後、上条君と暁美さんがデートするだよ」

 

「ちょ、ちょっと政夫!」

 

暁美が僕に咎めるように語調を強めて、睨みつけた。それで美樹が魔女化したらどうする気だと言外に責める。

しかし、こんなことぐらいで魔女になるなら美樹に未来はない。

上条君への想いを諦められるかがが、美樹の分岐点だ。だったら、そうそうにけじめを着けなくてはいけないだろう。

 

僕は美樹をじっくりと観察する。どういう反応を示すかで、今後のしなければいけない行動が百八十度変わってくるからだ。

 

「そ、そうなんだ。じゃあ、ほむら。恭介を今日は楽しませてあげてよ。あいつ、ずっと入院生活で退屈だったと思うし……」

 

ぎこちない笑顔。

上ずった声。

(はた)から見てもやせ我慢で言っていることが分かる。

やはり、上条君のことは諦めきれていないようだった。これでよく『暁美に上条君と付き合ってあげて』なんて言えたものだ。もし、暁美がそれに頷いていたら、美樹は魔女になっていたかもしれない。

 

「さやかちゃん……。無理してない?」

 

隣にいた鹿目さんが心配そうに美樹の顔を覗き込む。

魔法少女の真実を知ってしまった鹿目さんには、今の美樹の状態が非常に危ういものだということが分かっている。親友としては、さぞ辛いだろう。

 

「大丈夫だよ。まどかは心配性だなあ」

 

あはは、と美樹は笑うもそこには力はなく、空気が抜けたようなタイヤのようだった。

 

「美樹さん」

 

巴さんが美樹の名前を静かに呼んだ。

そこには僕に『あ~ん』をしていたぽやぽやした巴さんではなく、先輩の威厳が漂うきりっとした女性がいた。

 

「今日の魔女退治はお休みしていいわ。本当は魔法少女としての戦い方をしっかりと教えてあげたかったけれど、今のあなたは少し休養が必要みたいね」

 

「え、でも、マミさん。私……」

 

「美樹さん。先輩の忠告はちゃんと聞くものよ?」

 

柔らかく微笑む巴さん。まさに年上の女性としての貫禄だ。

僕が間違っていた。あの甘えてくる巴さんも、今の先輩然とした巴さんもみんな『本来の巴さん』だったもだ。別に気張っていたのでなく、こういった一面もまた巴さんのごく自然な一部だった。

 

「はい……。分かりました」

 

「良かったわ。美樹さんが聞き分けの良い子で」

 

そう巴さんは言った後、僕の方に向き直り、再びお弁当のおかずを箸で摘んで僕に差し出す。

 

「夕田君。はい、『あ~ん』」

 

オンオフ切り替え早いな!

頼れる先輩モードは早々に終了し、またぽやぽやお姉さんモードへと巴さんは移行していた。

 

 

 

 

まあ、そんなことがあって、今僕と美樹はデートしている上条君と暁美を追跡していた。

なぜ、僕までこうなったかというと、こいつの強引さに押され、しぶしぶ付き合うことになった。じゃあ鹿目さんは一緒じゃないのかと美樹に聞くと、「こんな事にまどかにさせるわけにいかないでしょ!」と怒られた。

じゃあ、僕はいいのかよ!

 

「政夫、さっきから集中力ないよ?ちゃんとしてないと見つかっちゃうから、もっと真面目にやってよ」

 

僕の横で美樹がそう僕に文句をつける。

だが、残念ながら暁美の方には最初から僕らに気付いている。さりげなく、横目でこちらを何度も見ていた。

あいつはストーキングのプロなのだ。素人の追跡など、暁美の前では児戯(じぎ)に等しい。

 

それにしても、松葉杖を突きながら、暁美と談笑している上条君はどこかシュールだ。好きな人と早く話がしたいという心理は分かるが、デートは足が治ってからにするべきだったと思う。

 

「あ、二人が喫茶店に入っていくわ。追うわよ!」

 

「はいはい」

 

どこまでも追いかけていくその根性は認めよう。将来、マスコミ関係の仕事にでも就いたらいかがですか?

 

窓から上条君と暁美が店内の奥の方の席に座ったのを見計らい、僕らも店に入った。

店員に声をかけられる前に上条君たちの死角になる席に座った。

そして、彼らの話に美樹と僕は耳を傾ける。

 

「こうやってじっくり話すのはこれが初めてだよね?」

 

「ええ。初対面ではいきなり……その……告白されたから……」

 

戸惑いと照れの混じった暁美の声に、上条君が謝罪した。

 

「ごめん。それはちょっと気が動転しちゃってて、いきなり告白を……。あ、でも、もちろん冗談でもないよ。こういうの一目惚れっていうのかな?」

 

ナチュラルに口説く上条君。

やっぱりショウさんの影響か、台詞にはホスト臭がする。

 

「……私に聞かれても困るわ」

 

暁美は、本当に困ってるようなトーンの声で返した。

まあ、一目惚れと言っても、『自分がバイオリンに対するイメージした女性像』という常人ならまず意味の分からない惚れ方だ。しかも、暁美はそれを聞いてしまっている。素直に喜べないのも理解できる。

 

「く~!恭介があそこまで言ってるんだから、ちゃんと返してあげなさいよ!ほむらのヤツ……」

 

そんなことを知らない美樹は暁美の対応に不満のようだった。

というか、こいつは二人にはうまくいってほしいのか?

この機会に聞いてみるか。

 

「ねえ、美樹さん。君は上条君に本当に暁美さんと付き合ってほしいの?」

 

「え!?そりゃ……まあ、恭介が幸せなら私は」

 

「じゃあ二人が抱き合ってたり、キスし合ってても平気なの?」

 

そう僕が言うと、美樹の顔色が変わった。いきなり頭に冷たい水でもかけられたような顔。今初めてそんな想像しましたと書いてあるようだった。

結局のところ、こいつは覚悟したつもりになっていただけで、何一つ深くまで考えていなかった。何もかもが中途半端。本人は至って本気になっていたと思い込んでいるのが致命的だ。

 

「それは……」

 

「答えられないの?でも彼は君のこと親友だと思っているから、暁美さんと恋人になったら、嬉しそうに報告してくると思うよ。『聞いてよ、さやか!僕、暁美さんと付き合うことになったんだ!』ってね」

 

僕は上条君の声真似をして、美樹に聞かせた。恐らく、上条君ならこんな感じで答えるだろう。彼にとっては美樹はあくまで『幼馴染』の『親友』なのだから。それ故に自分に好意を抱いているなんて欠片も考えていない。

 

「嫌……そんなの……そんなの聞きたくない!」

 

美樹のヒステリックな声が静かな喫茶店の中に響き渡る。

当然ながら、それは近くにいる上条君の耳にも入った。音楽家の耳っていうのはわずかな物音にも反応してしまうらしいから、なおのことだろう。

 

「さやか?君もこの店に来ていたの?」

 

上条君がこちらに気付き、話しかけてくる。

だが、

 

「……ッ」

 

そんな上条君を無視して美樹はかばんをつかむと、逃げるように店から出て行ってしまった。

 

暁美は席を立ち、僕の方までやってくる。

 

「政夫。……さやかに何をしたの?」

 

その目は明らかに非難の色がこもっていた。この状況下じゃ無理ないが、僕より美樹の味方らしい。名前で呼び合うようになるとは、お互いにかなり仲良くなっていたのか。

僕が思うことではないけれど、ちょっと嬉しいな。

 

「ちょと現実を突きつけてみただけだよ」

 

「そう」

 

次の瞬間、思い切り暁美に顔を(はた)かれた。

頬に異常な熱さにも似た痛みが同時に訪れる。

 

「追いなさい」

 

「言われなくてもそのつもりだよ」

 

とは、言うものの僕が行ってどうにかなるものなのだろうか?しかし、放っていくわけにもいかないのもまた事実だ。

 

「上条君。デート邪魔しちゃってごめんね」

 

僕は呆然としている上条君に謝った後、美樹と同じようにかばんを拾い、店から出て行く。

周囲の他のお客様の目線が頬の痛みの同じくらい痛い。きっと僕が二股でもかけた最低な男とでも思われているのだろう。暁美に引っ叩かれたせいだ。

けれど、僕は暁美に対しては、恨みは少しも感じない。むしろ、美樹のために怒ったことについて、感動すら覚えている。

 

それにしても、何も頼まず飲食店を出て行くのがデフォルトになりつつあるな、僕。

 

 




恭介×ほむら、は個人的に有りだと思います。


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番外編 とても苦いコーヒー

~ほむら視点~

 

 

政夫がさやかを追って、喫茶店から出て行ったのを見送った後、私は上条恭介の向かいの席に座り直した。

 

「えっと、さやかどうしたのかな?あんなに泣きそうな顔して……。暁美さんは何か知ってる?」

 

上条恭介は、心配している表情で私に聞いてくる。

いきなり飛び出して行った幼馴染を心配しているのは私でもわかる。

でも、間違いなくその原因の一つであるこの男が言うと何故か白々しく感じられてしまう。

本人に非がないのは百も承知。実際に上条恭介は、さやかに異性として好意を向けられていることに気が付いていない。

 

それでも納得がいかないのは、きっと私が女だからだろう。

言葉にしていなくても、想いは伝わってほしいと思ってしまうのが女という生き物だ。

 

「大丈夫よ。政夫が追いかけて行ったから」

 

私がそう言うと、上条恭介は少し驚いたような表情を浮かべた。

私、何か変な事を言ったかしら?

 

「……どうしたの?」

 

「いや、夕田君の事を信頼してるんだなと思って」

 

信頼。

確かに私は政夫を信頼しているのかもしれない。

彼ならどうにかしてくれる気がする。現に私にはできなかった巴マミの説得に政夫は成功している。

私が何度も失敗して結局できなかった事を政夫は一回で成功させた。

 

……本当に人の心に入り込むのがうまい男だ。

 

「そうね。私は政夫を信頼しているわ」

 

「…………」

 

その言葉に上条恭介は、押し黙った。

会話が途切れ、しばらく沈黙がこの場を支配した。

残念な事に私には、この沈黙を打ち破って会話を始めるほどのコミュニケーションスキルはない。

しかし、先に声を発したのは上条恭介だった。

 

「……あの、ひょっとして暁美さん。夕田君の事が好きだったりする?」

 

「…………………………………………な、え?えぇ!?」

 

私は上条恭介の言葉を理解するのにほんの少し時間を要した。私の口から出たとは思えないほどの間抜けな声を吐き出してしまった。

い、いきなり何を言い出すのだ、この男は。

顔が紅潮していくのがわかる。言葉では表現できない感情が私の身体の中を駆け巡っている。

 

「……言っている意味がよくわからないわ」

 

声が裏返らずにきちんと言えたのは自分でもすごいと思った。

意識を集中させ、赤面した顔を元に戻す。普通の人間なら意図的にやるのは無理なのだろうが、私は魔法少女だ。自分の身体なら魔力を通して大抵の事はどうにかできる。

 

「言っている意味って……そのままの意味だけど?」

 

「それは私が政夫の事を異性として好意を抱いているかどうか、という事!?」

 

「う、うん。そうだけど」

 

少し声を荒げてしまったせいで、上条恭介は引き気味になっていた。

それにしても、なんて事を聞くのだろう。

私の心の中の柔らかい部分に(えぐ)り込むような発言だ。

 

私が、ま、政夫の事が好きかどうかなんて……。

また顔に血液が上がってきそうになったが、それを何とか押さえる。

 

そもそも、私にとって『夕田政夫』という人間はなんなのだろう。今まで深く考えた事もなかった。

最初に会った時は、イレギュラーとして現れた嫌な男だと思った。

 

『さっきから、君は他人を突き放したような態度ばかりだ。そんなんじゃ君が言うところの『大切な友達』もできなければ、『貴い人生』も送れないよ』

 

私がまどかに忠告をしているのに、横から茶々を入れてきた。私が舌打ちまでしてしまったほどだった。

 

二回目に会った時は、私は彼に銃を向けていた。

 

『だって、運命的じゃない?同じクラスに同じ日に転校してくるなんてさ。普通ないよ。だからさ、暁美さん。君のこと、もっと教えてくれないかな。君と友達になりたいんだ』

 

今、思えば政夫はただ私を落ち着けるために言っただけの言葉だとわかるが、あの時の私は本当にその言葉が嬉しかった。

そういえば、初めて同級生の男子に手を握られたのはあの時だ。ループで心が磨耗(まもう)していた私にはあの温かい手が心地よかった。

 

そして、この時間軸で私に涙を流させたのも政夫だった。

 

『君にとって『鹿目まどか』はみんな同じに見えたのかい?』

 

あの一言は私にとって、今までやってきた事を全否定するようなものだった。

でも考えてみれば、政夫の言うとおりだった。

 

私に友達だと言ってくれた最初の『まどか』。私が一緒に戦おうと言った『まどか』。そして、その他大勢の『まどか』。

私は『まどか』達の笑顔を思い出す。

彼女達は、本当に寸分違わずみんな同じだったわけじゃなかった。私が勝手に同じだと思い込んでいただけだった。

自分の失敗をなかった事にしようとしていたのかもしれない。私には『次』があっても、彼女達には『次』なんてなかった。

私が何度世界を巻き戻そうと、『そこ』にいるのは『世界で一人だけ』の『まどか』だったのに。

 

 

『暁美さん。本当に『鹿目さん』を救いたい?何人もいる『鹿目まどか』の一人じゃなく、一人しかいない人間として』

 

その政夫の言葉に私は答えた。

この世界の『まどか』を守ると。もう二度と逃げないと決めた。

 

『だったらできる限り協力するよ。これから一緒に頑張ろう』

 

政夫はそう言って、私の手を優しく握り締めてくれた。その(ぬく)もりは私がずっと求めていたものだった。

 

 

ソウルジェムの秘密を、魅月ショウやまどかに実演する時、ソウルジェムを預ける事を渋った私は政夫に逆の立場なら、信用できるのかと聞いた。

政夫は平然と信用できると答えた。

 

『だって逆の立場ってことは、僕が君に命を預けるってことだろう?それなら信用できる。君は理由もなく僕の命を奪うようなことは絶対にしない』

 

誰にも信用されてこなかった私を当たり前のように信じてくれた。

今までそんな事を言ってくれた人なんかいなかった。

人に信用されるのがどれだけ嬉しい事なのか教えてくれた。

 

あの時に、私は――。

 

 

「私は……」

 

「言わなくてもいいよ」

 

「…え?」

 

戸惑う私に上条恭介は寂しそうに笑った。

 

「気付いてなかったかもしれないけど、暁美さん、今すごく幸せそうな顔してたよ」

 

幸せそうな顔?私が?

私は自分の顔に手を添える。特に変わりない。

いつも通りの顔をしていたつもりだったが、上条恭介にはそう見えたらしい。

 

「夕田君の事を考えてたんじゃないかな?」

 

その言葉は尋ねるようだったが、確信がこもっているように聞こえた。

私は何も言えずに黙り込む。

顔を紅くしないようにすることで精一杯だった。

 

「僕には多分、暁美さんをそんな顔にできないだろうね……」

 

彼の笑顔が私の心を痛める。きっと政夫に会う前の、ただひたすら『まどか』を助けようと世界を巻き戻し続けていた私だったら、気にも留めなかっただろう。

 

「最後に一つだけ聞かせてもらっていいかな?」

 

「……何かしら」

 

「もしも……もしも夕田君より先に僕が君に出会えていたら何か変わったかな?」

 

「何も……変わらなかったと思うわ」

 

ここで奇麗事を述べれば、私も上条恭介も傷つかずに済んだかもしれない。

でも、嘘は吐きたくなかった。そんないい加減な答えを私を好きになってくれた人に言いたくはなかった。

 

「そうか、僕じゃ駄目だったのか……。でも、今日のデートだけは最後まで付き合ってくれない?」

 

「ええ。最後まで付き合せてもらうわ」

 

私達は同じコーヒー注文して飲んだ。私の人生の中で一番苦いコーヒーだった。

上条恭介の方はどんな味だったのか、私にはわからない。

 

 




騙されないで、ほむほむ!
政夫、それほど君のことを信頼してないよ!


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第三十九話 妹想いのお兄さん

「どうしたもんだろうかな?」

 

喫茶店から出た僕は、通りを見渡すがすでに美樹の姿はどこにもなかった。

当然といえば、当然か。今、魔法少女になった美樹は暁美と同じくらい足が早い。その美樹が走って逃げたわけだから、視認できるほど近くにいるはずがない。

 

もっとも見つけたところで僕では美樹に追いつけるはずもない。

ここは美樹が行きそうな場所に目星をつけて先回りするべきだろう。

 

最初に思い浮かぶのは美樹の家。

だが、可能性は薄いと思う。

美樹の両親は共働きだと美樹自身が言っていた。今のあいつは誰かに慰めてもらいたいと考えているはずだ。誰もいない自宅はより一層孤独感をかき立てる。

美樹が強がっているのは、弱いメンタルを隠すためのもの。巴さん以上に孤独には弱いだろう。これまでのあいつを見れば一目同然だ。

 

と、すれば、だ。次に可能性があるのは鹿目さんの家。

しかし、これもこれでない気がする。美樹は鹿目さんの前だけでは格好を付けたがる。多分、頼れる親友を演じていたいのだろう。そういうところが逆に心配や迷惑をかけるのがあの馬鹿には分かっていない。

 

ふいにぽつりと僕の頬に何かが触れた。

上を見上げると、いつの間にか空は曇っていて、雨がぽつぽつと降り始めていた。

僕が風邪をひく前には美樹を見つけ出さないといけないな。

 

そう思った矢先、僕のズボンのポケットにしまってあった携帯が突然鳴り出した。

美樹ではないだろうな、と思いながらも、(わず)かに希望的観測をしつつ、通話ボタンを押して、携帯を耳に当てる。

 

『政夫!俺だ。魅月ショウだ!いきなりで悪いが、杏子を見てないか!?』

 

大音量の声が僕の耳から脳に送り込まれる。思わず、僕は携帯から耳を離してしまった。

しかし、気を取り直してすぐに声の主に返事を返す。

 

「残念ながら見てませんね。学校にも来てませんでしたし。それよりもショウさん、そんなに慌ててるってことは……」

 

『……ああ。昨日の夜にな。その、話したんだ。お前から教えてもらったことを。それで……口論になって……畜生!!俺が……!俺が!杏子に………』

 

ショウさんの声のトーンは暗く沈んでいた。話し方も鹿目さん並みにたどたどしい。電話の向こうにいるのは、あの頼りになる大人の代表のようなショウさんではなかった。

 

仕方ない。ここはショウさんを落ち着かせよう。

一呼吸置いた後、僕はショウさんに呼びかける。

 

「ショウさん」

 

『え?何だ?』

 

「好きです。結婚して下さい」

 

『…………………………………………は?』

 

少しの間、ショウさんが電話の向こうで硬直していたのが分かる沈黙があった。

ショウさんが今どんな顔をしているか、容易に想像できる。

 

「どうですか?落ち着きました?」

 

『……あ、ああ。今、本気で頭が真っ白になったぜ』

 

「今、どこに居ますか?取り合えず、合流しましょう。話はそれから、ということで」

 

『お、おう。今は………そうだな。昨日お前らと行ったファミレスの近くだ』

 

また、あのファミレスか……。もう僕、ブラックリストに載せられてる可能性があるから行きたくないのだが、(いた)し方あるまい。

 

「それじゃ、そのファミレスに入ってて下さい。僕もそこに行きます」

 

『……政夫、お前スゲーな』

 

急にショウさんが意味の分からないことを言ってきた。

 

「何がですか?」

 

僕が聞き返すと、ショウさんは恥ずかしそうに答える。

 

『いや、俺よりも(はる)かに年下なのにしっかりしてるからよ。何つーか、大人として立場がねぇ……』

 

「そう感じられるのは、ショウさんがまともな責任感を持つ大人の証拠ですよ。本当に駄目な大人はそんなことを考えたりしません。あの手の大人は、他人に責任を押し付けることに思考を巡らすことだけしかしませんから」

 

ショウさんが本当に無責任な大人なら、杏子さんが出て行った責任を僕に押し付けて(わめ)くこともできた。それをしなかったのは、ひとえにショウさんがまともな大人であるからだ。

僕は、父親が医者だから病院関係の後ろ暗い話をいくつか知っている。父さん(いわ)く、医者というのは腐った大人の宝庫だとか。

 

『本当にお前中学生かよ?』

 

「ピッチピチの十四歳ですよ。それじゃ、後はファミレスで話しましょう」

 

ショウさんとの通話を終えると、僕は携帯をポケットに押し込み、ファミレスに向かう。

当然、美樹のことを忘れたわけではないが、ショウさんの件の方が重大に思えたので、そちらを優先させる。

 

どこにいるか分からない美樹を(しらみ)潰しに探すよりも有意義だろう。

そもそも、自業自得の美樹にそこまで同情してるかと言えばNOだ。こんなことになることが分かっていたから、あれだけ必死に止めたのだ。それにも関わらず、魔法少女になったのはあいつの責任以外の何者でもない。

僕は、そう考えながら、ファミレスに向かった。

 

 

 

ファミレスに着いて、店内に入ると、ウェイトレスさんに警戒された表情で見られた。

やっぱり、ブラックリスト入りしてるのか僕。

軽くショックを受けつつも、ショウさんを見つけて、座席に座る。

 

「おお。来たか」

 

軽く手を上げて、僕の方を見たショウさん顔には、大きな(くま)ができていて、いつもは整えている髪型もボサボサだった。

見るからにくたびれた様子が読み取れる。

ひょっとして、昨日の夜からずっと杏子さんを探していたのか?

 

「ショウさん、いつから杏子さんのことを探していたんですか?」

 

「え?いつからって、杏子が家から出て行ってから探してるに決まってるだろ?」

 

当然そうに答える。むしろ、僕の質問の意図が分からないと言った顔をしている。

どれだけ妹想いなんだ、この人。

 

「食事とかは……」

 

「もちろん、食ってないぞ。昨日から杏子だって何も食べてないかもしれないんだから、俺だけ飯なんか食えるわけねぇよ」

 

……筋金入りの妹想いだ。

ここまで徹底してると、ため息すらでない。

 

 




政夫が酷いように思えますが、忠告したのに聞かなかったさやかにも問題があります。
ぶっちゃけ、そこまでさやかと親しいわけじゃないので・・・。


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第四十話 ファミレスデビュー

話はそんなに進んでいません。

ゴメンナサイ。


「『とろふわ卵のオムライス』。一つお願いします」

 

僕は『初めて』、このファミレスで料理を注文した。

そう『初めて』。来店三回目に初注文だ。これで店のブラックリストからの除名をされることを願うが、たった一回の注文でそこまで要求するのは虫が良すぎるだろう。

 

「ショウさんは何注文します?」

 

僕と顔を合わせるように反対の席に座っているショウさんに尋ねる。

だが、ショウさんは首を横に振った。

 

「俺はいい。さっきも言ったが、飯なんか食ってる場合じゃ……」

 

「それじゃあ、ウェイトレスさん。この『あっさり野菜チャーハン』ていうのを一つお願いします」

 

「おい、政夫!」

 

ショウさんの制止を無視して、僕はウェイトレスに注文を頼むんだ。ウェイトレスも素晴らしい営業スマイルを浮かべつつ、さっさと厨房の方に行ってしまった。

流石だ。きっとこれが接客業のプロって奴か。

 

「俺は杏子を見つけるまでは何も食わないって、さっき言っただろ!」

 

ショウさんは周りの客も気にせずに、僕に怒鳴った。

顔が驚くほど整っているせいで、不良なんかよりも余程怖い。こんな状況でもなければ、すぐにでも謝ってしまいたくなるほどだ。

僕はその怒りで釣りあがった目を見返しながら、ショウさんに(さと)すように言った。

 

「駄目ですよ。それじゃ身体が持ちません。こう言っては何ですが、そんなことをしてもショウさんの自己満足にしかなりません」

 

テーブル越しにショウさんの腕が伸びてきて、僕の制服の胸倉をつかんで、ショウさんの方に引き寄せられた。

ズルッと僕の上半身がテーブルの上に引っ張り出される。

 

「政夫……。お前、舐めた口利いてんじゃねぇぞ?」

 

「冷静さを欠いたままの今のあなたが杏子さんに会ったところで、何を言ってあげられるんですか?何をしてあげられるんですか?僕を殴って多少落ち着いてもらえるのであれば、好きなだけどうぞ」

 

一瞬たりとも、ショウさんの目から視線を離さない。まっすぐに見つめ返す。

杏子さんと何があったのかは詳しくは分からないが、大体の見当はつく。今のショウさんじゃ、杏子さんに伝えたいことも、うまくまとめられていないだろう。そんな状態なら、(あせ)るだけ空回りをするだけだ。

 

「…ッ!お前に何が!」

 

「分かりません。だから、話して下さい。杏子さんと何があったのかを。そしたら、僕も何かショウさんの力になれると思いますけど?」

 

暁美にも同じようなことを言ったなあ、と思いつつも、ショウさんの顔を見ながら、返答を待つ。

ショウさんはしばらく僕を睨んでいたが、やがて手を離した。

 

「お前、ホント根性ある奴だな。それでいて落ち着きがありやがる。どういう人生歩めば、中坊でそんなになるんだか……。分かったよ。俺の負けだ」

 

呆れたようにため息を一つ吐くと、それから、昨日の話をし始めた。

話をまとめると、ショウさんが昨日僕らと別れて、自宅に帰った後、杏子さんが魔法少女の格好のまま、玄関の前で力尽きたように倒れていた。

杏子さんの身体には傷がいくつかあったが、家の中に入れてベッドで寝かせていると見る見る内に傷口が(ふさ)がっていったらしい。それを見たショウさんは、杏子さんが人間でないことを改めて思い知らされてしまう。

杏子さんが目を覚ますと、何があったのか聞いたが、結局何も答えてくれなかった。

しょうがなく、その話を後回しにして、ショウさんは杏子さんに『魔法少女の秘密』を話した。

 

「あいつは何度も嘘だと(わめ)いたよ。俺は杏子を抱きしめて、『お前が例え人間じゃなくても、俺の妹であることに変わりはない』って何度も叫んだ。そんな理由であいつに苦しんでほしくなかったから」

 

視線を何も乗っていないテーブルの上に落とし、ショウさんはどこか自嘲(じちょう)気味に笑った。

分からないな。どこに杏子さんが家から飛び出す理由があるんだ。少なくても、魔法少女に対して、理解ある最上級の対応だと思うんだけれど。

 

ショウさんは、そんな僕の思考を態度で読み取ったらしく、自嘲の色をより濃くして笑う。

 

「杏子は俺に……『アンタは、アタシを本当の妹の代わりにしてるだけだ。アタシの事は少しも見てない』って突っ放されたよ」

 

「はあ!?そんなの言いがかりもいいところじゃないですか!?」

 

杏子さんのその行為は、ただの八つ当たり以外の何物でもない。うまくいかない幼児が駄々をこねてるのと大差ない。

 

だが、ショウさんは、首を左右に振った。

 

「俺はその時、否定できなかった。少なくても、杏子を拾ったのは間違いなく妹の、カレンへの贖罪(しょくざい)のためだった。あの工場の魔女に見せられた映像で気付いたんだ。…………俺は、カレンが自分のせいで死んだ事を、杏子に優しく接することで帳消しにしようとしていた屑野郎だって。俺がしていたのはただの『兄妹ごっこ』だったんだ」

 

 

ショウさんの万感の詰まった言葉。きっとその言葉に、『杏子さんをカレンさんの代わりにしたていた』ということに嘘はないのだろう。

打算があって、杏子さんの面倒を見ていたと言えなくもない。

 

でも。

 

「それでもあなたは今、『杏子さん』のためだけにヘトヘトになりながらも、杏子さんを探している。この事実にも、何の(うそ)(いつわ)りもないでしょう」

 

僕がそう言うと、ショウさんは顔を上げた。その表情は驚きに満ちていた。何でそんなことを自分は今まで気付かなかったんだというように。

 

「あの工場で僕はショウさんに言いましたよね?『カレンさんの死とちゃんと向き合って、受け止めなきゃいけない』って。『今』のあなたが探している『妹』は、誰ですか?」

 

「杏子だ!魅月杏子!決まってるだろ!!」

 

ショウさんの顔に活力が戻る。

目元の隈や、ボサついた髪は相変わらずだが、その目の輝きはいつもの頼り甲斐(がい)のある大人の瞳だった。

 

「じゃあ、杏子さんを見つけ出して、言ってあげてください」

 

「ああ。てか、お前マジですげぇ奴だわ」

 

「褒めても何もでませんよ。僕が調子に乗るだけです」

 

僕らの会話が終わるや否や、すぐにウェイトレスさんが注文した料理をテーブルの上に置いていく。

この人、聞いてたな。いや、空気を読んで待っていてくれたのか。律儀な人だ。美樹にも見習わせたいくいらいだ。

 

「そうと決まれば飯だ、飯。これから馬鹿な妹連れ戻しに行かないといけねぇからな」

 

そう言いながら、『あっさり野菜のチャーハン』を数十秒で食べ終えた。

余程お腹が空いていたのだろう。一応、胃に何も入れてなかったから、胃が(いた)んでいる可能性も考慮して、あっさりしたものを選んだのに。どうやら、余計なお世話だったらしい。

 

「それもくれ!!」

 

ショウさんの食べっぷりに目を奪われていると、チャーハンに付いてきたレンゲを僕のオムライスにまで手を伸ばす。

冗談抜きで、あっという間に、ショウさんは僕の注文した『とろふわ卵のオムライス』までぺろりと(たい)らげた。

……少し元気になりすぎた気が否めない。

 

自分だけ満腹になるとショウさんは伝票をつかんで、会計をするためにカウンターへ向かう。

 

「何ぼうっとしてんだ。政夫。飯を食ったら、杏子の捜索を開始するぞ」

 

僕は何も食べてないんですけど!、という抗議の叫びも無視され、無情にも僕のファミレスデビューは果たされることはなかった。

 

 



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第四十一話 これぞ文明の利器

ファミレスで結局何も食べられなかったまま、僕は何とも言えない思いで歩道を歩いている。

途中でショウさんがコンビニでビニール傘を二本買って来てくれた。僕はその内の一本を受け取って差す。これで雨に濡れずに済む。オムライスの恨みは水に流そう。

僕はお礼の言葉を述べつつ、ショウさんに尋ねた。

 

「昨日から杏子さんを探していたって言ってましたけど、どこら辺を探してたんですか?」

 

この答えによって、まずどこから探していくか、どこを重点的に探すべきなのかを考えなくてはいけない。

だが、ショウさんの答えは意外なものだった。

 

「ぶっちゃけると見滝原はあんまり探してない。ずっと風見野で探してたからな。見滝原に来たのは二時間前くらいだ」

 

一瞬、何故風見野で?と思ったが、そういえば杏子さんは自己紹介の時に風見野に住んでいるとか言っていた気がする。

自宅があるのが風見野なら、まずそこを探すのはある意味当然だ。

 

気を取り直して、僕はショウさんへの質問を変える。

 

「つまり、見滝原はそこまで探していないということですか?」

 

頬を軽く()きながら、ショウさんは少し言い辛そうに答えてくれた。

 

「まあ、そうだな。風見野をそこら中探し回ったが、杏子が見つからなかった。今も知り合いに手伝ってもらって風見野探してもらってんだが、ひょっとしたら見滝原に行ってるんじゃねぇかと思ってよ。あいつは昔、こっちに住んでたっつってたからな」

 

昔は見滝原に住んでた?

それは初耳だ。暁美には、そこまで詳しく教えてもらってなかった。

ならば、どこかに彼女の家、もしくはその跡地のような場所があるかもしれない。人間は、例えもう居場所がなくなっていたとしても、地元に戻ってきてしまう。帰省本能とでもいうのか。

自分が生まれ育った場所というものはそれほどまでに特別なものだ。まあ、僕はそうでもなかったけど。

 

「杏子さんが昔住んでいた場所のこと、何か聞いてませんか?」

 

僕がそう聞くと、ショウさんは両腕を組んで、難しい顔で考え込んだ。

杏子さんは、ショウさんにもあまり自分のことを語りたがらない人間なんだろうか。

僕自身は杏子さんのことをまったくと言っていいほど知らないので、ショウさんが知らないとなるとどうしようもない。

 

「あ!そういや、あいつ、教会に住んでたとかボソッと言ってたような気がするぞ」

 

「教会……ですか。では、彼女の父は神父さんか、牧師さんですね」

 

特徴的だな。これで検索範囲がグッと(せば)まる。

自分で言っといてなんだけど、牧師はプロテスタントだから結婚や妻帯者はありだけど、神父はカトリックでは妻帯者は不可じゃなかったか?

 

いや、確かカトリックの派生の東方正教会なら神父でも妻帯できたとか本で読んでことあるな。

そんなことを考えながら、僕は携帯を出して検索サイトに繋いだ。

 

「杏子さんの名字って、『魅月』になる前は何だったんですか?」

 

暁美に聞いたおかげで本当は知っているが、怪しまれないように一応聞いておく。

何で知ってるのか聞かれたら、暁美の事情を話さなくちゃいけなくなる。それは流石に駄目だろう。もしショウさんたちにも知られることになるとしても、僕が勝手に話して良いことじゃない。

 

「佐倉だ。佐倉杏子。それがどうしたんだ」

 

「いえね。ただネット世代の子は、知りたい情報をこうやって調べるんですよ」

 

検索欄に『見滝原』『教会』『佐倉』と入力して、検索を開始する。

すると、トップに出てきたのは、とある事件についてだった。

 

「一家焼身心中、ね」

 

恐らく、杏子さんだけは生き残ったんだろうな。魔法少女はソウルジェムが砕かれないかぎりは死なないらしいし。

それにしても、杏子さんはよくこれで魔女にならなかった。それともあるいは、家族を殺したのが…………止めよう。これは流石に邪推が過ぎる。

 

「佐倉一家って……これ杏子の家族のことじゃねぇか!!」

 

僕の携帯を無理やり取り上げると、ショウさんは声を荒げた。

自分が想像していたよりも杏子さんの境遇が悲惨なことに衝撃を受けているようだった。

 

確かに悲惨は悲惨だが、父さんの患者にはもっと悲惨な人生を歩んで心を壊した人を、僕は何人もいるのを知っている。実際に会って会話したこともある。そのおかげでそれほどショックは受けなかった。

聞いてるだけでこっちが死にたくなるようなあの人たちの壮絶な過去に比べると、幾分マシにすら思える。

 

「取り合えず、教会の跡地の場所は分かりました。行ってみましょう。もしかしたら、杏子さんがいるかもしれません」

 

「……何でお前は、そこまで平然としてられんだよ」

 

僕の淡白な物言いが(かん)に触ったのか、ショウさんが僕に突っ掛かってくる。本当に『(きょうこさん)』のことになると冷静でいられなくなるんだな。

それだけ、大切に思ってるってことは、伝わってくるがこう何度も興奮状態になられると(いささ)か面倒くさい。

 

まあ、僕が淡々としてるのも、また事実だ。

ぶっちゃけてしまうと僕は『魅月杏子』という人物をほとんど知らない。知ってることを挙げるとするなら、髪が紅いことと、社交性が暁美以上あることくらいのものだ。

これで感情移入しろと言われても、無理だ。面と向かって会話もしたことのない相手に同情できるほど、僕は博愛主義者じゃない。

 

 

とにかく、ショウさんを落ち着かせて、教会に行ってみなければ、話にならない。

 

「ショウさん。ここでそんな言い合いなんかしても何の解決にもなりません。本当に杏子さんを大切に思っているなら、今一番しなければならないことを忘れないでください」

 

「……お前って、わりと上から目線だよな。つーか、俺も変にムキになって悪かった。そうだな、教会に行こう。もし、杏子が居なくても杏子の気持ちに少しでも近づけるかもしれねぇ」

 

少し僕に対して思うところがあるみたいだったが、そこは大人の精神で納得してもらえた。これが美樹とかだったら、もっと面倒なことになっていただろう。

 

 

 

 

僕たちは携帯から見たマップに(のっと)って歩くと、少し街路から遠ざかると、大きな並木道を見つけた。

並木道は結構長く、雨が強くなっているせいで酷くうっとおしく感じられた。

そして、ショウさんも、僕も口数は少なく、会話と言えるほどの会話もないことも一つの要因だろう。ショウさんの方は完全に相槌(あいづち)を打つだけで、心ここに在らずといった風情(ふぜい)だった。

 

ようやく、並木道が終わると、教会が現れた。

教会の外装は、確かにやや朽ちてはいたが、屋根もちゃんと付いていて、思ったより原型を留めていた。

俄然(がぜん)、杏子さんがここに居る可能性も高くなってきた。

 

「この教会、それほど酷くはないですね……ってショウさん!?」

 

僕はショウさんに話を振ろうとしたが、ショウさんはそのまま無言で教会の中へと飛び込んで行った。

……本当に困った人だ。でも、好感は持てる。

血の繋がった家族を平然と殺す人間がいるこのご時世で、血も繋がらない家族のためにここまで必死になれる人間が一体どれくらいいるのだろう。

 

僕も続いて教会の中に入っていく。

 

「杏子!」

 

先に入ったショウさんは叫ぶように、杏子さんの名を呼んだ。

 

「ショ、ショウ!?何でここに!?」

 

探していた杏子さんは、やはりここに居た。

彼女は驚きを隠せずに戸惑った様子で顔だけでこちらを見ている。

杏子さんは紅い服に槍を構えて立っていた。だが、その槍を向けているのは僕らではない。

 

「……奇遇だね、美樹さん」

 

「……政夫」

 

やたら露出度の高い青い服装にマントを(まと)い、剣を握った美樹が杏子さんに向かい合うように立っていた。

 

 




本当はもっとストーリー変えようと思ったんですけど、後々のことを考えるとにじふぁんで書いてたのと変えすぎるのもよくないと思ったので、あんまり内容変わってないです。


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第四十二話 こいつってホント馬鹿

さて、どうしたものだろうか。

現状をまとめると、ショウさんと一緒に杏子さんを探すために、僕たちはこの朽ちた教会へとやって来た。そして、探していた杏子さんを見つけることができたものの、そこには美樹も居た。

と、こんなところだ。

 

「それで、美樹さんはこんなところで何してるの?コスプレ大会か何か?」

 

僕は美樹の方を見ながら、からかうような調子で聞く。

にしても何て格好してるんだ、こいつ。

肩やお腹を露出させて、胸元を強調するようなデザインの衣装。マントを羽織(はお)っているせいで、さらに変態度が上がっている。

魔法少女というか『魔法痴女』だな。羞恥心とかないんだろうか?両親が見たら泣くぞ。

 

「……そんなわけないでしょ。アンタこそ何でこんなとこにいるのよ?私を追いかけて来たってわけじゃないんでしょ」

 

「そんな格好で凄まれてもシュールなだけだよ、美樹さん。ちなみに僕は君を探してここに来たんじゃないよ。そこの人の手伝いってところかな」

 

僕を睨みながら、低いトーンの声で聞く美樹を適当にあしらいつつ、ショウさんの方を親指で指差した。

嘘を吐いて『君を追ってきたんだ』と歯の浮くような台詞を(ささや)いてやっても良かったが、自暴自棄になりかけている今の美樹に言っても、効果は薄そうだったので止めた。

何よりこいつは変なところで勘が鋭い。下手なことを言ってもすぐにばれるだろう。

 

まったく美樹を探すつもりがなかったわけではないが、この教会まで来たのは美樹を探すためじゃなかったのは変わりようのない事実だ。

 

「手伝い?……あ。恭介にお見舞いに来てた人」

 

「ああ!お前は恭介の幼馴染の子!」

 

美樹はショウさんに目を向けると、冷めた顔にほんの僅かに驚いたような表情を浮かべた。ショウさんも美樹と面識があるらしく、驚いていている。

そういえば、二人とも上条君のお見舞いに来ていた。顔を合わせていてもおかしくはない。

それが吉と出るか、凶と出るかは分からないが。

 

「ショウさん。取り合えず、こっちは僕に任せて、杏子さんの方に専念してください。そのためにここまで来たんでしょう?」

 

二人に面識があろうとなかろうと、今、ショウさんは美樹に構ってる場合じゃない。

余計な懸念などせずに自分のしなければいけないことをしてもらわないと。

 

「……そうだな。何だかそっちはそっちで因縁がありそうだし、その言葉に甘えさせてもらうぞ」

 

そう言うと、ショウさんは杏子さんの方へ駆け寄って行った。

向こうは任せておけばいいだろう。どうせ僕は杏子さんのことは詳しくない。それに、彼女のために何かするほど親しいわけでもない。

 

僕は睨みつけるような冷たい表情をした美樹を見る。

僕がどうにかしなきゃいけないのは、こいつの方だ。美樹の方へとゆっくりと近づく。

 

「政夫……いきなり割り込んできて邪魔しないでよ!あたしは今あいつと戦ってんの!!」

 

美樹の一人称が「私」から「あたし」に変わった。

一人称を変えるという行為は、自分を奮い立たせるため、もしくは、嫌な現状からの逃避するために使われるものだ。この場合は、恐らくは両方だろう。

杏子さんと争っていたのは、巴さんのことを侮辱された辺りだろうか。いや、ひょっとしたら八つ当たりに近いものかもしれない。

 

まあ、とにかく、ショウさんと杏子さんの会話を邪魔されるのは困る。注意を僕に集めさせないといけない。

僕は美樹のことを馬鹿にするような声音で、美樹に言葉を返す。

 

「戦う?実に勇ましい物言いだね、美樹さん。とても自分の本心から目を背けて、逃げ出した人の口から出た台詞とは思えない」

 

「……ッ!」

 

その言葉を聞いて、美樹の顔が一気に歪む。苦虫を噛み潰したような表情になり、視線も僕から自分の足元に泳ぐ。

本当にメンタル弱いな。攻撃的な性格のわりに打たれ弱い。というか、いつもの強気な性格は、こういう弱さを隠すためのものなのだろう。

 

この隙に、僕はズボンのポケットの中にある携帯を操作して、GPS機能を使い、現在地情報を出す。そして、その現在地情報をメールに添付して巴さんに送る。件名は『この場所に来てください』。

廃工場の一件から巴さんには携帯は切らないでくださいと言い含めているので魔女の結界内に居なければ多分届くはず。

これで『最悪の最悪』の状況は回避できると思う。それにこの際に、できるなら巴さんと杏子さんとの不和も解消しておきたい。

ちなみにこの間、僕は美樹から一瞬たりとも目を離していない。ポケットの中で操作していることにも気付かせないように最大限の指の動きで文字を打っている。

 

送信完了!これでよし。

 

後は、美樹との対話で僕がどこまでやれるかだ。

流石に巴さんに頼るのは最後の手段にしておきたい。仮にも僕は美樹の友達なんだから。

 

 

 

 

美樹さやかという人物に対する僕の感想はすこぶる悪い。

初対面からいきなり馴れ馴れしかった上に、やたらと僕を巻き込みたがる。直情的でよく考えもしないで突っ走り、周囲の人に迷惑をかける。そもそも、僕が『魔法少女』なんてものに関わりを持つはめになったのは、こいつが原因だ。

 

僕が転校して来たあの日、もし美樹にCD屋に誘わなかったら、もし美樹に立ち入り禁止の場所に連れて行かれなかったら、もし美樹に魔法少女体験コースに参加させられなかったら、僕は平穏な学園生活を送れていただろう。

 

さらに美樹は、僕が魔法少女になることのデメリットを教え、散々説得したにも関わらず、契約して予想通りに魔女への道のりを進んで行こうとしている。

 

こいつは一体何を考えているんだ。馬鹿か?馬鹿なのか?……馬鹿なんだろうな、きっと。

 

「ねえ。美樹さん。君は一体何がしたいの?いや、結局何がしたかったの?」

 

僕は目の前にいる美樹に尋ねる。

僕が聞きたいのは美樹が杏子さんと戦っている理由じゃない。美樹が自分に振り向いてくれない上条君の腕を治し、上条君と暁美をくっ付けようとしていることについてだ。

 

美樹は片刃の西洋刀を構えているが、顔は(うつむ)いており、視線は足元に落としていて、勇ましさの欠片もない。

本当にただのどこにでもいる中学生そのものだ。

 

「それは……恭介の事について?」

 

「そうだよ」

 

美樹は僕が何を聞いているのか分かったようだ。相変わらず、考えが致命的に足りないだけで頭自体は悪くない。

 

「あたしはただ恭介に幸せになってほしいだけだよ。ただそれだけ」

 

顔を上げて僕を見る美樹の顔には、それ相応の覚悟の色が見て取れた。

だが、僕はそれを見た上で、なお言い切れる。

 

「それは嘘だよ。美樹さん」

 

取り繕ったところで、何の意味もない。美樹の本心はそれじゃない。

誰かのためだけに頑張ると言えば聞こえがいいかもしれないが、そんなことは普通の人間には無理だ。何の得もなく、損をするだけのことを自ら進んでするのなんてのは、まともな精神をしていたらとてもじゃないが耐えられない。

 

「嘘じゃない!あたしは……恭介が幸せならそれでいいんだ!自分が不幸でもいい!だってあたしは、マミさんと同じ正義の魔法少女なんだから!!」

 

まくし立てるような早口で美樹は僕に叫んだ。まるで自分にそう言い聞かせるように。そう言うことで納得させるように。

自分の心が壊れてしまわぬように。

 

でも、僕はその悲痛な心の防壁を崩す。

そんな脆弱な壁に寄りかかっていたら、そう遠くない内に美樹は破綻するだろう。

 

だから、崩す。

 

まだ取り返しの付く内に、僕がなんとかできる内に、完膚なきまでにその防壁を崩壊させる。

 

「じゃあ、何であの時喫茶店から逃げたの?」

 

「そ、それは……」

 

「見たくなかったからだよね。上条君が暁美さんと恋人同士になるところが。そして、それを嬉々として自分に報告してくる上条君が」

 

「ちがッ……そうじゃ、なくて……」

 

僕の言葉に押されて、美樹は顔を歪めながら一歩ずつ後退していく。僕はそれに合わせて、美樹の方に近づいていった。

逃がさない。距離を取らせない。自分の殻に閉じこもらせない。

僕は美樹のすぐ近くに接近していく。

 

後ろに下がっていく美樹の背中が教会の壁に当たった。これ以上は下がれない。

僕は美樹の腕をつかみ、まっすぐ彼女の目を覗き込むように見て言った。

 

「君が望んでいたのは上条君の幸せじゃない。君自身の幸せだ。良い子でいれば、ご褒美がもらえると期待していたんだろう。我慢していれば、幸福の方から来てくれると、そう思っていたんだろう」

 

「あたしは……わたしは……」

 

美樹は嫌々をするように首を振る。目をつむり、西洋刀を捨てて、両手で耳を塞いでいる。

美樹にとって自分の正義が、善意が、まがい物だったことが、それほどまで耐えられないことなんだろう。

 

はあ。まったくもって、こいつは馬鹿だ。ここまで来ると呆れてくる。

 

「美樹!!よく聞け!それが普通なんだ!」

 

「……え?」

 

「頑張ったら、頑張った分だけ褒めてほしいと思うのは当然だ!誰かに親切にするの下心があるのは当たり前なんだ!むしろ、思わない方がおかしい!僕が通っていた柔道の道場の師範代は、こう言ってたよ。『『人の為の善』と書いて、『偽善』と読む。所詮、どこまで人のためだと言っても、それは結局自分のためだ。だが、それの何が悪い?何かも他人のためじゃなくて何が悪いというのだ。自己満足?大いに結構じゃないか。自分一人満足にできない人間が一体誰を満足できるんだ』ってね」

 

要するに美樹は潔癖すぎるんだ。人間っていうものは、そんなに綺麗じゃない。自分の嫌なところや、悪いところもちゃんと認めてなくちゃならない。

友達の成功を祝福しながらも、心の中で嫉妬することくらい誰しもある。肝心なのは、自分の中のそういった汚くて嫌な部分と向き合えるかどうかだ。

 

「でもッ、私は……そんなの嫌。嫌われちゃう。恭介にも、まどかにも、仁美にも、マミさんにも、誰にも……」

 

「だから、それは美樹だけに限ったことじゃないって。みんな、そうなんだよ。『人のため』って言いながら、自分のためにもなることをやってるんだ。少なくとも、今お前が挙げた人たちは、自分のことを棚に上げて、お前を糾弾するような人たちじゃない。それくらいお前の方が分かるだろう。巴さんはともかく、他の人は僕よりも美樹の方が付き合い長いんだから」

 

「……政夫も?政夫も私の事、嫌いにならない?」

 

消え入りそうなか細い声で、美樹は僕に目の端に涙を溜めた上目遣いで聞いてくる。

しおらしすぎて、一瞬どこの美少女かと思った。

 

「この程度で嫌いになるくらいなら、そもそもお前の友達やってないよ」

 

力強く断言してやると、美樹は僕に抱きついてポロポロと涙をこぼし始めた。

 

「わたし……馬鹿だよ」

 

「知ってる」

 

「迷惑とか……たくさん掛けるよ」

 

「もう散々掛けられてる」

 

「それでも……友達で居てくれるの?」

 

「今更すぎる発言だね、それ」

 

僕は、制服を涙で汚してくるこの馬鹿を頭を軽く叩いた。

まったく、こいつは本当に馬鹿だ。

 

「大体『友達』って、そもそもそういうものだろう。むしろ、何で鹿目さんたちに相談しなかったの?」

 

自分が無能だと理解しているなら、素直に周りの人間に助力を求めればいいことだ。

能力が足りないなら、その分誰かに補ってもらえばいい。それでこその友達だろう。

 

美樹は嗚咽(おえつ)交じりに僕に言い訳をする。

 

「だって……仁美には魔法少女の事……隠してるし。まどかには心配かけたく……なかったし」

 

志筑さんのことに関しては分かるが、鹿目さんのことはそれが一番理由ではないな。

美樹と鹿目さんの関係は一見互いに立場が同じに見えるが、気の強い美樹が鹿目さんを(かば)うようにしていることが多い。

つまり、美樹は鹿目さんのことを妹分扱いしている(ふし)がある。

 

溜息を吐きつつ、僕は呆れた。

 

「鹿目さんの前では格好いい『頼れる親友』でいたいの?」

 

「…………うん」

 

ほんの少しの沈黙の後に美樹は頷いた。

 

まったく。どうしてこいつは馬鹿のくせに格好付けたがりなんだ。

 

「じゃあ、次から僕に相談して。少なくても、一人勝手に暴走してわけ分からないことし出すより有意義だと思うよ」

 

「……わかった」

 

美樹は僕の制服に顔を埋めたまま、小さく答えた。

美樹にしては殊勝な態度だ。普段からこうならば楽なんだけど、それじゃ美樹らしさに欠けるな。

早く元の元気で陽気なこいつに戻ってほしい。

 

「……政夫」

 

「ん?」

 

「……ありがと」

 

「どういたしまして」

 

 

 




さやかに関する設定

この小説では、杏子とさやかの一人称を分けるために、さやかは普段人と話したりする時は『私』で、激昂したりすると『あたし』になります。


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番外編 情けない兄貴

 

「ようやく見つけたぞ、杏子。ずいぶん、心配したんだぜ?」

 

「……ショウ。何でだ?」

 

近づこうとする俺を牽制(けんせい)するように、杏子は槍を俺の喉元(のどもと)に突きつける。

 

俺は、喉元に付き付けられた槍をなるべく気にしないようにしながら、杏子の目を見つめる。

ファミレスでの政夫は、胸倉をつかんだ俺の目から目を逸らすことなく、まっすぐ見て話していた。それをみて、俺は杏子が出て行った時にちゃんと杏子の目を見て話していなかった事に気付かされた。

杏子をカレンの代わりにしていた事を後ろめたく思ってたからだ。

あの時、杏子にお前はカレンの代わりじゃないと言ってやれば良かったんだ。

 

 

最初、杏子に協力したのは、本当にただの贖罪(しょくざい)のためだった。

カレンに何もしてやれなかったから、境遇が似ている杏子に親切にして、自分の情けない過去を帳消しにしようとしていただけだった。

 

でも、それは違った。

ようやく気付けた。今度は手遅れになる前に分かる事ができた。

カレンはカレンで、杏子は杏子だ。二人とも、俺の大事な大事な家族だ。代わりなんかじゃない。

 

 

こんな単純な事に気付くのにどんだけかかってんだ俺。

情けねぇ。ホント、駄目な大人、いや、駄目な兄貴だ。

だから、もう今度こそ何があろうと杏子から目を逸らさない。絶対に逃げたりしない。

 

「何でって……何がだよ?」

 

「何でアタシの事、探してたんだよ!アタシはアンタの妹じゃない。ただのゾンビだ!化け物だ!魔女になるしかないだけの存在なんだ!」

 

「違う!」

 

杏子の自虐的な台詞に、俺は間発入れずに否定した。

絶対に杏子はゾンビなんかじゃない。化け物でもない。

 

「どこが違うんだよ!ソウルジェムがアタシたち魔法少女の本体で、ソウルジェムが濁りきれば魔女になるって教えたのはショウだろ!それにアタシはいつも使い魔を見逃してた。そのせいで人が死ぬのも知ってながらな!アタシは自分の事しか考えてない、人でなしさ!」

 

杏子は、俺に吐き捨てるように言う。でも、その声にほんの少し涙がかすれている事が伝わってくる。

辛くて、悲しくて、助けてほしいって、俺に訴えかけてくるかのように。

 

それなのに俺は、杏子になんて言ってやればいいのか思いつかない。こんなに自分が馬鹿である事を悔やんだ事は今まで一度だってなかった。

 

どうすればいいんだ?

俺はなんて言えば、杏子を救ってやれる?

考えても、考えても、そんな言葉は出てこない。

 

焦ってようがいまいが、結局俺は、杏子に何も言ってやれない。

女を(たぶら)かす甘い台詞はいくらでも持っているくせに、傷ついた妹を救うための言葉は一つもない。

 

 

だったら。

 

 

言葉じゃなく、行動で示せばいい。

 

 

「杏子……」

 

「何だよ……今更アタシに何を言おうって……」

 

杏子が台詞を言い終わる前に、俺は向けられた槍先を握り締める。指先に鋭い刃が食い込み、ポタポタと血が流れ出した。

 

「ショ、ショウ!アンタ何やって……!」

 

杏子はそれを見て、顔を青くさせたが、俺はそれに構わず、自分の胸に浅く突き刺した。

 

「痛ッッ……!」

 

(そば)で見ているから分かっていたが、この槍は本当に鋭いぜ。浅く刺したつもりが思ったよりも深く刺さっちまった。

 

「ショウ!?」

 

「どうした、杏子?化け物なんだろ?自分の事しか考えてない人でなしなんだろ?だったら、俺がどうなろうが構わねぇんじゃねぇのか?」

 

杏子の震えが槍を通して俺の傷口へと伝わってくる。この痛みは杏子が今感じている痛みの何分の一くらいなんだろうか。

こんな事をしても杏子を苦しめるだけかもしない。だが、妹に何にも言ってやれない馬鹿な兄貴には、こんな事ぐらいしかできない。

 

「ッ馬鹿か!!……こんな事して何になるんだよ!」

 

俺が握っていた槍が突然、消えてなくなった。

杏子が消したのだと理解する前に、ガクッと床に膝を突いてしまった。

昨日から杏子を探し回っていた疲れが、とうとう溢れやがった。

徹夜は慣れてると思ってたんだが、走り回っていたのと、座って酒を飲んでるのじゃ、疲れ度合いが全然違う。

 

「そうだなぁ……。何にもならないかもな」

 

ふらつく頭を押さえながら、目だけは杏子から離さないで俺は話を続ける。

 

「でも、そのおかげで気付けた事があるぜ」

 

「何にだよ……」

 

問い返してくる杏子の顔を見ながら、俺はかすかに笑った。

 

「こんな馬鹿な事する奴を傷つけたくらいでお前は泣いてる。少なくても、それができる奴は人間だ。化け物や人でなしは他人のために涙なんか流せねぇ……」

 

「!何だよ……それ。意味分かんねぇ……」

 

一ヶ月くらい杏子と一緒に過ごしてきたが、こいつの泣き顔なんて初めてみたぜ。そんなこいつが俺のために泣いてくれてる。兄貴冥利に尽きるってモンだ。

顔をくしゃくしゃにした杏子が俺に抱きついてきた。だが、膝を突いてるせいで、逆に杏子の胸に抱きこまれる形になったのは何とも格好が付かなかった。

 

やっと捕まえたぞ、この家出娘。ホントに心配かけやがって。

杏子をぎゅっと抱きしめ返すと、胸の傷が痛んだ。でも、この痛みだって無駄じゃない。もっと賢い方法があったのかもしれないが、馬鹿な俺にはこんな冴えないやり方の方がちょうどいい。

 

 

「ア、アタシは、魔法少女だ……」

 

「知ってるぜ、そんな事」

 

「魔女に、なっちまうんだぞ。傍に居たら、ショウまで殺しちまうかもしれない……」

 

「構わねぇよ。大事な妹の傍に居れんなら、命なんか惜しくねぇ」

 

「でも……」

 

何だ。こいつが俺から離れて行ったのは、自分が魔女になった時に俺を殺しちまうかもしれなかったからだったのか。自分が魔女になって死ぬ事よりも俺の身を案じてくれてたわけだ。

ホント、優しい奴だ。

でもな、杏子。そいつは兄貴ナメすぎってモンだ。

 

「もしお前が魔女になっちまったら、そん時は俺も一緒に死んでやる」

 

「え?」

 

「お前はたとえ魔女になったって、俺はお前の兄貴だ。死んでも独りなんかにさせやしねぇ。……覚悟しろよ?」

 

(せき)が切れたように本格的にしゃくり上げて泣き出した杏子の頭をなでながら、俺の元に返ってきてくれた妹を迎えの挨拶を言う。

 

「お帰り」

 

「……た、だいま」

 

カレンとは違う、この意地っ張りでワルぶってる、でも同じぐらい優しいこの妹と共に生きて、そして死のう。

そう改めて俺は心に誓った。

 

 




言葉で教える政夫と、行動で分からせるショウさん。
ちゃんと対比はできているでしょうか?

もうそろそろで大学が始まるので、更新速度が著しく下がると思いますが、完結はさせるつもりなので、よろしければ読んで下さい。


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第四十三話 先輩乱入

僕にしがみ付いて泣いている美樹の頭を軽く撫でている。

一応、こちらはこれで一見落着だろう。

 

ショウさんの方を見ると、膝立ちで杏子さんを抱きしめていた。どうやら、向こうも向こうで元の(さや)に収まったようだ。

こちらと構図が似ているのは、ちょっと面白い。

 

「ショウさ……」

 

いや、もう少しだけ二人を(ひた)らせてあげておくべきだろう。

ショウさんの愛がようやく伝わったのだ。しばらくは余韻に浸っても罰は当たらないはずだ。

それに家族の間に土足で入るのは野暮だしね。

 

美樹も空気を読んでか、僕から離れた後も杏子さんに再び剣を向けることもなく、無言でただショウさんたちを眺めている。美樹も美樹で杏子さんに対して思うところがあるのだろう。

鹿目さんの話によると、初対面ではマミさんに喧嘩を売っていたらしいし、今まで杏子さんに良いイメージを持っていなかったとしても無理はない。

特に美樹はちょっと独善的なところがあるからな。

 

兄妹(きょうだい)か……。僕は一人っ子だったから、そういう関係は(うらや)ましい。もし、母さんが生きていたら、僕にも妹か弟がいたのかもしれないな。

 

 

「夕田君!今駆けつけたわ!!何があったのか分からないけど、私が来たからにはもう安心よ!!」

 

 

大きな声と共に辛うじて付いていた教会の扉を蹴り倒し、巴さんが颯爽(さっそう)と現れた。

傘も差さずに走ってきたのか、前髪が額に張り付き、特徴的なドリル部分も雨で(しお)れていた。

意気揚々と黄色を基準とした魔法少女の格好でマスケット銃を構えてポーズをとっている。

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

何とも形容しがたい空気が教会内を支配していた。

 

 

 

ショウさんと杏子さんの周りにあった余韻は、巴さんの登場により完膚(かんぷ)なく破壊されてしまった。

自分で呼んでおいてなんだが、せめて、もっと静かに登場してほしかった。何でそんなテンション高いんですか。

ショウさんと杏子さんは、「空気読んでくれよ」と言わんばかりの冷めた視線を投げかけていた。空気を読まないことに定評のある美樹ですら絶句している。

 

「えっと……あれ?わ、私何か、変な事でもしたかしら」

 

周囲に漂う空気の温度差に気付いたらしく、巴さんは戸惑い出した。巴さんからしたら、満を持しての登場のつもりだったのだろう。

 

「いえ、こんなに早く来てくださってありがとうございます。巴さん。ですが……その、タイミングが良くなかったとしか言えないです」

 

本当に呼んでおいて申し訳ないが、間が悪すぎた。

僕は美樹に放してもらうと巴さんの方に近寄った。魔法少女の服装はそれほど濡れていないが、髪は水滴が垂れるほど濡れている。

 

「本当にすみません、僕のせいで。こんなに濡れてまで来てくれたのに……」

 

僕はポケットからオレンジのレースのハンカチを取り出すと、巴さんの顔に付いている水滴を(ぬぐ)う。これが僕にできるせめてもの誠意だ。

 

「ゆ、夕田君。()いてくれるのは嬉しいけど、ちょっとこれ恥ずかしいわ。みんな見てるし」

 

巴さんは恥ずかしそうに照れているが、どこか満更でもなさそうにしている。

大丈夫ですよ、巴さん。今さら周りの目を気にしたところであなたはもっと恥ずかしいことをすでにやらかしてしまっています。

額から耳の方まで拭くと、僕はハンカチを巴さんの顔から離す。

 

「あ……」

 

他人に顔を拭かれるのが心地よかったのか、ハンカチを離した時に巴さんは名残惜しげに声を漏らした。

 

「大分、水滴は拭えましたね」

 

髪の方は流石にハンカチではどうしようもない。これ以上は吸水性のあるタオルか何かで拭かないと駄目だ。

 

「あ、ありがとうね。それで夕田君。私をここに呼んだ理由ってもしかして……」

 

巴さんは僕から視線を外すと、教会の奥の方でショウさんと抱き合ってこちらを向いている杏子さんを見つめる。

流石は巴さんだ。僕の言わんとしていることをすでに理解している。

 

「ええ。多分、巴さんが思っているとおりです。巴さんにもう一度、魅月杏子さんと話し合いをしてもらいたくて来てもらいました」

 

僕は実際のところに立ち会ったわけではないが、昨日杏子さんと話し合いが成立せずに争いになってしまったらしい。

巴さんの話を聞いた限りでは、お互いに感情的になりすぎたせいだと感じた。

だから、今度は僕と美樹、ショウさんが外野として立ち会うことで、二人に冷静に話し合ってもらう場を作る。第三者に見られているという状況下では、人間は冷静であろうとするものだ。

 

人は誰かに見られているからこそ、恥ずかしくない振る舞いをしようとする。これは父さんの教えでもある。

『人の目を気にせず、自分が楽しければいい』で生きている人間は堕落の一途を辿(たど)る。人間は決して一人だけで生きているわけじゃない。社会の中で生きるということはそういうものだ。

 

 

巴さんは、僕のことに振り向くと困ったような笑みを浮かべた。

 

「夕田君って、かなりのお節介さんね」

 

確かに、巴さんたちの仲も聞きかじった程度の僕が二人の仲立ちをするのは、大きなお世話だ。そこまで干渉する権利なんて僕にはないだろう。

巴さんもいきなりこんなことをされても複雑な心境になるのは当然と言える。

 

でも……。

 

「差し出がましいとは思います。でも、感情って心に溜めていると時の流れで風化してしまいます。話し合えるのなら、少しでも早い方が良いと思います」

 

やっぱり、友達には後悔してほしくない。

母さんの死に目に会えなかった僕は、しばらくの間ずっと後悔していた。もっと言葉を交わせばよかったと。話したいこともたくさんあったのにと。

 

巴さんも両親を事故で失ったせいで、伝えられない悲しさを知っている。何の前触れもなかった分、僕よりもずっと辛かったはずだ。

 

「自分が言葉を伝えたい時、伝えたい相手は元気とは限りません。できる時にできることをしないと確実に後悔します。だから……」

 

「もういいわ、夕田君」

 

「巴さん……」

 

怒らせてしまっただろうかと思ったが、それは僕の杞憂(きゆう)だった。

 

「ありがとう。夕田君の気持ち伝わったわ。そうよね、言いたい事はちゃんと口に出さないと言えなくなっちゃうわ」

 

吹っ切れたように微笑みを浮かべる巴さんには、迷いの色はすでになかった。

 

「魅月さんとも仲直りしたいしね」

 

かつての僕に見せた弱さはもうここにはない。いや、これこそが巴さんの本来の姿なのかもしれない。

 

 




大学が忙しくてほとんど書けていませんでした。
もっと書いてから、投稿しようと思ったのですが、時間がうまく取れないので短いけどさっさと投稿しました。

すみません。


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第四十四話 だから彼女は人助けができない

今、僕は教会の座席の一つに座っている。

右隣の座席にはショウさん、左隣には美樹が僕と同じように座って壇上の方を向いている。ちなみにショウさんは胸に刺し傷(ショウさんは誤魔化していたが恐らく杏子さんの槍によるものだと思われる)があったが、巴さんがソウルジェムを(かざ)して治療してくれた。

 

そして、壇上に立っているのは巴さんと杏子さんの二人。互いに緊張した面持ちで向き合っていた。

だが、二人とも複雑そうな表情をしているものの険しい顔はしていない。一触即発という状況にはならないだろう。

 

巴さんと杏子さんが二人で腹を割って話し合いをし、僕ら外野はその成り行きを見守るという形になった。もし、二人が戦いを始めた場合、仲裁に入れるようにこのようにしたのだが…………何処かシュールだ。

 

 

 

「……マミ」

 

最初に口を開いたのは以外にも杏子さんの方だった。

 

「ショウの傷を治してもらった事は取り合えず感謝しとく。アタシはああ言う風に魔力を使うのは苦手だから、その……ありがとな。で、でも、それでアンタのやっている事全部認める理由にはならないからなっ」

 

素直に巴さんに感謝した後に、ちょっと恥ずかしくなったようでテンプレートのツンデレめいた発言をした。

巴さんが屋上で言っていた利己的で凶暴な人物というよりは、教室で見たような普通の女の子にしか見えない。むしろ、社交性がある分、暁美よりも良い子に見える。

 

「……驚いたわ。まさか、あなたが他人のためにお礼を言うなんて。ふふっ、それほどあのショウって人が大切なのね」

 

巴さん自身も杏子さんの対応は意外だったらしく、驚いているものの、そんな杏子さんの態度を好ましそうに微笑んだ。昔は仲が良かったそうだし、杏子さんを心のどこかでは信じていたのかもしれない。

 

きっと、巴さんの知っている利己的な杏子さんもまったくの間違いというわけではないのだろう。

でも、それはあくまで一面でしかなかったのだ。そして、一面しか持たない人間なんてこの世にはいない。好感を抱く一面もあれば、嫌悪感を抱かせる一面もある。

漫画のキャラクターとは違う現実の人間には、善人や悪人なんて言葉では測れない。

 

僕も暁美のことを一面でしか(とら)えられていなかった。

巴さんのことをただの戦力としか見なしていない心ない人間かと思えば、美樹のことをきつい言葉で傷つけた僕を美樹のために引っ叩いた。

暁美は感情をひた隠しているだけで、本来は誰かのために怒ったりできる優しい女の子だった。

本当に情けない。

自分で思っているよりも、僕は視野が狭かった。暁美の第一印象に(とら)われすぎていた。

これからは暁美にもう少し親切に接しよう。

 

 

杏子さんの方を見ると、さらに恥ずかしくなったようで、顔が髪と同じように紅くなっていた。

 

「わ、わりぃかよ!」

 

「いいえ、とっても素敵な事だと思うわ」

 

二人の間には最初にあったわだかまりのようなものはすでに影も形もなく、ただ普通の女の子同士のおしゃべりのような(なご)やかさだけがあった。

 

隣に座っているショウさんが、僕にこっそりと耳打ちする。

 

「これ、俺ら居なくても良かったんじゃねぇか?杏子も何か楽しそうだし」

 

「そうですね。思ったよりも簡単に済みそうです」

 

元々、ちょっとしたボタンの掛け間違いだったのだろう。お互い、仲直りの機会がなかなか見つからなかったり、時が経ちすぎたせいで妥協点を見失ってしまっただけで歩み寄れなかった。

 

美樹も和やかな二人を見て、ぽつりと呟いた。

 

「マミさん、私たちと一緒にいる時よりも楽しそう」

 

いや、流石にそれは気にしすぎじゃないか?最初の頃はともかく、今じゃ結構はっちゃけているよ、あの人。

 

「う~ん、そうかな?まあ、昔、仲が良かったって巴さんも言ってたから、気心の知れた間柄なんじゃないかな」

 

「そう、なんだ。あいつ、マミさんを馬鹿にしたよう事ばっか言ってたのに……」

 

あまりこの状況に納得していないといった表情の美樹。

今の言動から察するにやはり杏子さんと戦っていたのは、巴さんを馬鹿にされたかららしい。こいつは巴さんのことを妄信(もうしん)している節があるから、分からなくもない。

だが、半分くらいは上条君の件の八つ当たりが原因だろう。

 

「とにかく、今は成り行きを見守ろうよ。後に禍根が残らないことに越したことはないんだからさ」

 

「うん。……分かってる」

 

妙に素直になっているのが逆に怖い。嵐の前の静けさみたいなものを感じるが、美樹もこの場をめちゃくちゃにしようと考えるほど愚かではないはずだ。

 

 

 

「魅月さん。……この呼び方慣れないわね」

 

「だったら、杏子で構わねーよ。で、何だよ。改まって」

 

巴さんは今までしていた穏やかな顔を引き締めて、神妙な顔つきで杏子さんを見つめる。

ベテランの魔法少女たる所以(ゆえん)か、巴さんはこういった切り替えが非常に早い。微笑を瞬時に消して、きりっとした真面目な表情を浮かべている。

 

「あなたが急に人助けに対して否定的になった理由を聞かせてほしいの。私とあなたが対立するようになってしまった原因を」

 

その言葉を聞いた杏子さんはあからさまに目を背けた。(はた)から見ても、何か後ろめたいことを隠していることが分かる素振(そぶ)りだ。

 

「……別に理由なんて――――」

 

「杏子!!」

 

否定しようとしていた杏子さんの言葉を(さえぎ)り、座っていったショウさんが声を上げて立ち上がる。

 

「俺も聞きたい。お前に辛い過去があるなら、俺が全部一緒に背負ってやる。だから、隠し事はなしにしようぜ」

 

「ショウ……」

 

杏子さんは不安そうな顔をショウさんに向ける。

巴さんに言うのが嫌というよりも、ショウさんに聞かれるのが嫌なのだろう。

だが、ショウさんはそんなことは構わず、力強い笑みを浮かべながら、ドンと自分の胸を叩く。その時、胸の傷は内側までは完全に治っていなかったようで顔をわずかに(しか)めた。

 

(つう)ッ……安心しろよ、杏子。お前のお兄ちゃんはお前のためなら結構無敵だぜ?」

 

台詞と共に白い歯を見せ付けて、ショウさんは不敵な笑みをした。元々、顔が整っているせいもあり、驚くほど絵になった。

 

僕とは違い、打算しているわけでも、相手の反応を見ながら分析をしているわけでもない。ただストレートで裏のない本心をさらけ出すその様は、とても美しいものに感じられた。

とてもじゃないが真似できない。杏子さんを心の底から信頼しているからこそできる芸当だ。

それを見つめる杏子さんも覚悟を決めたように大きく頷く。

 

「……分かった。ううん、聞いてくれ、アタシの過去を」

 

そして、杏子さんは自分の過去を語り始めた。

 

 

 

 

「ここまで探しに来てくれたショウ達ならもう分かってるかもしれないけど、ここはアタシの親父の教会だった。親父は正直過ぎて、優し過ぎる人だった。毎朝新聞を読む度に涙を浮かべて、真剣に悩んでるような人でさ。 新しい時代を救うには、新しい信仰が必要だって、それが親父の言い分だった」

 

何かちょっと怖い人だな、杏子さんのお父さん。

新聞の内容を読んで涙を流すなんて、年齢の割りに感受性が強すぎないか。僕は感受性はそれほど高くない方だが、ちょっと杏子さんのお父さんの感受性は異常だと思う。

どのくらい前か知らないけど、娘の杏子さんが物心ついているなら、若くても三十台半ば程度ぐらいだろう。その年でそこまでいくと情緒不安定と言っても過言ではない。少なくとも、僕の父さんが新聞記事を読む度に涙ぐんでいたら、かなり嫌だ。

それに、情報社会において、新聞に書いてあることを何でもかんでも鵜呑みにするのはメディアリテラシーの観点からいっても(あや)うい気がする。わざと悲劇を脚色して彩る記事や、スポンサーの意向によって都合よく書かれている記事なんてよくあるものだ。

 

「だからある時、教義にないことまで信者に説教するようになった」

 

ええぇ!?

 

「もちろん、信者の足はパッタリ途絶えたよ。本部からも破門された。誰も親父の話を聞こうとしなかった。当然だよね。傍から見れば胡散臭い新興宗教さ。どんなに正しいこと、当たり前のことを話そうとしても、世間じゃただの鼻つまみ者さ」

 

そうでしょうね。

そもそも、教会にわざわざ足を運ぶような信者は、親や祖父母の代からその宗派に属している人達や、生活の基盤として何かを絶対的に信じていないと生きていけない人達ばかりだろう。

要は、背中を支えてくれる柱が欲しいのだ。教義を守ることによって、大規模な宗教に『正しい人間』という太鼓判を押して欲しいわけだ。

にもかかわらず神父自らがそれを曲げるようなことをすれば、信者は離れていくのは当然だ。

お金を出している以上は、正しい、正しくないは信者が決めることであり、求めていたものと違うものを寄越(よこ)されれば怒って当たり前だろう。

 

「アタシたちは一家揃って、食う物にも事欠く有様だった。納得できなかったよ。親父は間違ったことなんて言ってなかった。ただ、人と違うことを話しただけだ。5分でいい、ちゃんと耳を傾けてくれれば、正しいこと言ってるって誰にでもわかったはずなんだ。なのに、誰も相手をしてくれなかった。悔しかった、許せなかった。誰もあの人のことわかってくれないのが、アタシには我慢できなかった」

 

飽食の時代で食べ物に困るって、相当やばいな。

もうそこまで貧困を極めていたなら、生活保護を受けても良かったんじゃないだろうか。信者にどうこう言う前に市役所に行く方がずっと建設的な気がする。

 

「だから、キュゥべえに頼んだんだよ。みんなが親父の話を、真面目に聞いてくれますように、って」

 

そこで杏子さんは言葉を区切った。振り返って、教会の砕けたステンドグラスを仰ぎ見ている。

その時、支那モンに願った自分を思い出しているのだろう。携帯で調べたあの心中事件がこの話の結果なのだから、どう転んでもハッピーエンドにはなるはずがない。この話をすること自体、杏子さんの心の古傷を自ら(えぐ)り返しているようなものだ。

こちらに向き直ると、杏子さんは再び話を再開する。

 

「翌朝には、親父の教会は押しかける人でごった返してたよ。毎日おっかなくなるほどの勢いで信者は増えていった。アタシはアタシで、晴れて魔法少女の仲間入りさ。いくら親父の説法が正しくったって、それで魔女が退治できるわけじゃない。だからそこはアタシの出番だって、バカみたいに意気込んでいたよ。アタシと親父で、表と裏からこの世界を救うんだって」

 

杏子さんは自嘲気味な笑みを浮かべる。夢破れた大人が夢を追っていた子供頃の自分を(さげす)むような、そんな顔。

 

「……でもね、ある時カラクリが親父にバレた。大勢の信者が、ただ信仰のためじゃなく、魔法の力で集まってきたんだと知った時、親父はブチ切れたよ。娘のアタシを、人の心を惑わす魔女だって罵った。笑っちゃうよね。アタシは毎晩、本物の魔女と戦い続けてたってのに」

 

まあ、杏子さんの気持ちも分からなくもない。自分がやってきたことが、訳の分からない力による洗脳だと知れば、どんな温厚な人間でも切れる。

宗教家としての誇りも、家庭を支える大黒柱としての誇りも、同時に失ってしまったのだ。感受性が強すぎたのも、原因の一つだろう。

 

「それで親父は壊れちまった。最後は惨めだったよ。酒に溺れて、頭がイカれて。とうとう家族を道連れに、無理心中さ。アタシ一人を、置き去りにしてね。アタシの祈りが、家族を壊しちまったんだ。他人の都合を知りもせず、勝手な願いごとをしたせいで、結局誰もが不幸になった。その時心に誓ったんだよ。もう二度と他人のために魔法を使ったりしない、この力は、全て自分のためだけに使い切るって。……これがアタシが人助けが嫌いな理由だよ」

 

なるほどね。誰かを助けようとして手酷く失敗したから、自分で責任を背負えない『人助け』はもうしないということか。

利己的なのではなく、経験則から来る失敗を恐れての回避行動。これを責めるのは流石に(こく)だ。

 




またも更新が遅くなってしまいました。まだ読んでくださる方がいるのか分かりませんが、頑張って書かせて頂きます。


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第四十五話 怒りの咆哮

「あなたにそんな過去があったなんて知らなかったわ……。なのに私は……」

 

「……私、アンタの事、誤解してた」

 

杏子さんの話を聞き終えた僕らの感想は、(おおむ)ね同じようなものだった。

巴さんも美樹も杏子さんへの同情から悲しそうな表情を浮かべている。時に巴さんの方はほとんど泣きそうだ。

 

()してよ。別に同情してほしくて話したんじゃないんだ。そんな顔すんなって」

 

杏子さんは、気遣うように苦笑いしながら、巴さんを(なだ)める。

口調こそ淡々としていたが、自らの辛い過去を語ったのだ。杏子さんの心の中では、そう穏やかではないだろう。

それにも(かかわ)らず、他人を気遣えるのは立派だ。

 

だが、きっとそれができるのは、彼女が優しい女の子だからというだけではないだろう。他人を気遣うことができる人間は、心に自分のこと以外を考える余裕がある人間だけだ。

彼女にその心の余裕を作ったのは(まぎ)れもなく――――ショウさんだ。

 

そこまで考えて思考が一旦止まり、疑問が浮上した。

なぜそのショウさんは今、一言も口を()いていなんだろう、と。

ショウさんなら、真っ先に杏子さんを(なぐさ)めの言葉でもかけるはずじゃないのか、と。

 

 

ショウさんは、僕のすぐ近くで顔を(うつむ)かせ、杏子さんに駆け寄りもせずにその場で立ったまま身動き一つしていなかった。

ショウさんの周りだけ妙に張り詰めたような気配すら感じられる。破裂寸前の風船をイメージさせる、そんな不安になる静けさ。

 

「あの……ショウさん?」

 

僕が思わず、微動だにしないショウさんに恐る恐る声をかけた。

 

その瞬間、

 

「ふざっけんじゃねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!」

 

凄まじい怒声が教会に響き渡った。

 

 

 

あまりの唐突さに驚き、僕は呆然とショウさんを見つめる。

それはショウさんを除くみんなも同じようで、何が起きたのかも理解できないといった風情(ふぜい)だった。

 

しかし、ショウさんはそんなことは気にも止めずに、(せき)を切ったように言葉を(つむ)ぐ。

 

「おかしいだろッ!何で杏子が責められて、挙句にそんな想いしなきゃなんねぇんだよ!(わり)ぃのはどう考えても杏子の親父の方だろ!!」

 

ああ……、そうか。

ショウさんは杏子さんのお父さんに対して怒ってるのか。

 

「『人の心を惑わす魔女』?馬鹿か!?自分の大事な娘だろうが!!何トチ狂った事ほざいてんだよ!たかだか、人に言う事聞かせられるようになっただけじゃねぇか!むしろ、杏子に感謝するのが筋ってモンだろ!?くっだらねぇ!そんな事で家族を道連れに無理心中なんかしてんじゃねぇよ!!」

 

教会のひび割れて砕けたステンドグラスを睨みつけながら、ショウさんは怒りを声に込めて吐き出して続ける。

その言葉は杏子さんでも、僕らでもなく、亡くなった杏子さんのお父さんに向けられていた。

 

うーん。ショウさんが、杏子さんのことを何よりも大切にしていることは分かるが、いくらなんでも杏子さんのお父さんを責めすぎな気がする。

奇跡なんて得体の知れないもので人の心が操れるようになったら、誰しも平然としてはいられないだろう。

責めるところがあるとすれば、そこではなく、教義にないことまで説教するようになったことだと僕は思う。

それほど杏子さんのお父さんを擁護する気もないが、あまりにもショウさんが感情的なので(なだ)める意味合いも兼ねて、おずおずと発言した。

 

「あの……ショウさん。でも、ある程度杏子さんのお父さんにも同情の余地はあると思いますよ?いきなり人の心が操れる得体の知れない力が手に入ったりしたら、常人なら恐ろしいと感じるのは当然だと思いま――――」

 

「ねぇよッ!!」

 

最後まで僕が言い切る前に、ショウさんが言葉を(かぶ)せる。

僕に(つか)()からんばかりの剣幕だ。

 

「同情の余地なんかねぇよ!!俺だって、カレンの魔法少女の『願い事』のおかげで女の心をある程度操れる力をもらったけど、絶望なんかしちゃいねぇ!カレンが俺のためにしてくれた事だ!俺はこの力をもらった事はカレンに感謝してる!今、杏子の手助けができてるのもカレンのおかげだ!」

 

そうか……。

ショウさんがここまで怒っているのは、杏子さんのお父さんとショウさんの境遇が似ているからだったのか。

というか、ショウさんの妹さんが魔法少女だったんだ。初めて知った。使い魔を操る能力もカレンさんの『願い事』の副産物なのか?

 

「俺はカレンが魔法少女だった事も、俺が女を操れるのもカレンのおかげだって事も、最近になるまで知らなかった……!カレンが何も言わずにいなくなってからも、ずっと自分がどれだけカレンに助けられてたのかも知らないで生きてた。でも、杏子の馬鹿親父には、娘と……杏子と話し合うチャンスがあった!なのに、なのに何で杏子を傷つけるような事ばっかすんだよぉ……!!」

 

最後の方は涙を流しながら、ショウさんは叫んだ。

その叫びに含まれているのは、『悔しさ』と『憤り』だろう。

 

今までの断片的な情報から察するに、ショウさんの妹のカレンさんは魔法少女になり、女性の心を操る力(これのおかげでナンバー1ホストにまで上り詰めたのだろうか)をショウさんに与えた。そして、カレンさんは恐らく魔女との戦闘で命を落としたか……もしくは、魔女となってしまい、他の魔法少女に駆逐されたか、どちらにしてもすでに亡くなっているらしい。

最近になるまで知らなかったという発言からみて、『魔法少女』や『奇跡』のことは杏子さんと出合ってから知ったのだろう。

 

多分、いや間違いなく、ショウさんなら、カレンさんが『魔法少女』に関することを打ち明けていれば、全て受け入れていただろう。

だからこそ、その和解のチャンスがあったにも(かかわ)らず、杏子さんを拒絶した彼女のお父さんにショウさんは憤りを感じているのだ。

 

悔しくないはずがない。許せないはずがない。

自分がどうしても得られなかったチャンスを、汚らわしい物のように捨てた男の話を聞かされたのだから。

 

「すみません……。僕の見解だけで物を述べてしまって」

 

僕はショウさんに頭を下げて謝罪した。

失敗したな。知らなかったとはいえ、その人物にとっての背景の事情も省みなければ、一般論を説いても何にもならない。

 

まあ、だからって言って杏子さんのお父さんが何でもかんでも悪いとは思わないが、少なくてもショウさんにとっては、杏子さんのお父さんの境遇なんて『大したことないもの』以外の何物でもないのだから、ショウさんにまで僕の意見を押し付ける気は起きなかった。

 

物事を客観的に見すぎてしまうのは、僕のくせだな。これからは、ほどほどの度合いを見極めなければないないな。

 

「…………いや、俺もちっとばかし柄にもなく、取り乱しちまった。悪い……」

 

感情を吐き出して大分落ち着いた様子でショウさんも、謝ってきた。バツが悪そうに乱れた前髪を手櫛(てぐし)で整えている。

 

「杏子や他の嬢ちゃん達にも見っとも無いところ見せちまったな。すまねぇ。こん中で一番年上なのに、何やってんだか……」

 

「い、いえ、最初は驚きましたけど、それだけあなたが杏子さんを大切に思っている事を知れて良かったと思います。何でここまで杏子さんが素直になったのか、少しだけど分かりました」

 

ショウさんに頭を下げられ、巴さんは少し恐縮したように首を横に振った。

そういえば、この二人は面識がなかったな。今の叫びが、第一印象だとちょっと戸惑うだろう。

だが、ショウさんがいかに杏子さんのことを大切に思っているかを聞けたから、元友人として巴さんも安心できるだろう。

 

「こんなに優しいお兄さんを持っているなんて、ちょっと(うらや)ましいわ。杏子さん」

 

巴さんはそう言って、からかうように微笑みながら杏子さんに話を振る。

 

「…………」

 

杏子さんの答えは沈黙だった。

 

なぜなら、彼女は必死でこぼれ落ちそうになっている涙を押し留めることで精一杯だったから。

 

「杏子……」

 

ショウさんは、杏子さんの元へ歩いていく。

対照的に、そっと巴さんが空気を読んで二人から離れていった。先ほどの汚名を見事に返上する空気の読みっぷりだ。

僕の方を向いて、「どう今度はちゃんとやったわよ」と言わんばかりのどや顔で巴さんはウィンクをした。……それがなければ綺麗に決まってたのに。だが、そのお茶目なところが巴さんらしさでもあるけれど。

 

「……アタシがやった事は……家族を……親父を苦しめて、傷付けただけだった……」

 

「絶対に違う。杏子は、自分の親父の夢を叶えようとしただけだ。杏子の親父がそれを受け入れられなかったのは、度量が狭かったからだ。お前のせいじゃねぇ」

 

「でも、アタシのせいで……」

 

ショウさんからすれば杏子さんの行動は間違っていないのだろうけど、杏子さん自身は自分のせいで家族が心中したという思いが強いのだろう。ショウさんの擁護の言葉に納得できていないようだった。

 

そんな簡単に罪悪感は拭えないのは仕方ない。これは流石のショウさんでも無理だろう。

時間をかけてゆっくりと杏子さん自身が納得していかなくてはいけない問題だ。

 

「うるせぇよ」

 

ショウさんは杏子さんを深く抱きしめて、言葉を遮る。

 

「ぁ……」

 

「俺が良いっつってんだから良いんだよ!杏子に文句付ける野郎がいたら、俺がぶっ飛ばしてやる。だから、もう自分を責めんな。いいな?」

 

感情だけで作られたような凄まじい理論で杏子さんでやり込める。

むちゃくちゃも良いところだ。だが、ショウさんの中では筋が通っているのだろう。

 

「でも……」

 

「でももクソもねぇよ。ほら、返事」

 

「う、うん。分かった」

 

戸惑いながらも勢いに押され、杏子さんは頷いてしまう。

それを聞くとショウさんは嬉しそうに笑って、杏子さんの髪をくしゃくしゃにするように撫でた。

 

「おし。じゃ、この話は終わりだ。(うち)に帰んぞ。腹減っただろ?」

 

「え……うん」

 

「リンゴでも買ってくか。お前がいっつも食うせいで、もうなくなっちまってたし。アップルパイ作ってやるよ。大好きだろ、アレ」

 

荒業(あらわざ)荒療治(あらりょうじ)

理屈も正当性もないごり押し問答だけで、無理やり解決させてしまった。

絶対に僕には真似できない方法、というより、ショウさんと杏子さんの信頼関係だからこそなせる業だな。

 

(むつ)まじい兄妹(きょうだい)を祝福するかのように、砕けたステンドグラスから漏れ出した夕陽の光が差し込み、彼らを包み込む。

 

「おお……」

 

(はか)らずしも、その光景は宗教画のような神々しさを感じられた。

いつの間にか晴れて、教会の外に広がる空は夕焼け色に彩られていた。

 




ようやく、杏子編が一旦終わりました。
途中、どうやって収拾つけるか悩みましたが、最終的にはショウさんが全てを持っていく感じにまとまりました。

というか、政夫以上に主人公してますね、ショウさん。


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第四十六話 燻った想い

皆で教会から出て、並木林を抜けると、ショウさんは改まって僕や巴さんにお礼を言った。

 

「政夫、お前には世話になったな。多分、俺一人じゃ杏子を見つけられなかったと思う。ありがとな。マミだっけ?胸の傷治してくれて助かったぜ。何かあったら、今度は俺が力貸すからな。んじゃ、俺らはそろそろ帰るぜ……ほら、杏子も別れの挨拶ぐらいしろよ」

 

教会からずっとショウさんに手を握られながら、照れくさそうにそっぽを向いていた杏子さんはショウさんに促されて喋りだす。

 

「分かってるよ。マミと、えーと……」

 

「学校では話さなかったし、まともに会話する前に戦いになっちゃったから、自己紹介まだだったね。私は美樹さやか。さやかでいいよ」

 

美樹も杏子さんの過去を知って、完全に打ち解けたのか、持ち前の人懐っこさで杏子さんを受け入れている。

こいつも結構コミュニケーション能力高いよな。そういえば、転校したての僕に一番最初に自発的に話しかけてきたのは美樹だったか。

 

「分かった、さやかだな。アタシの事も杏子でいいぜ。そっちのアンタは?」

 

「僕?」

 

「アンタ以外に誰がいんだよ。それでアンタの名前は?」

 

急に僕に話が回って来たせいでちょっと戸惑ったが、よく考えれば僕も杏子さんと会話したのはこれが最初だ。僕の方は、ショウさんや巴さん、暁美からある程度のパーソナリティを聞いて知っていたために一方的に知っているだけだ。

 

「ああ、ごめん。僕は夕田政夫。よろしく」

 

「ていうかアンタは何者なんだ?見たとこ、魔法少女でもないし……ひょっとして、ショウみたいに魔法少女の奇跡の恩恵を受けた人間か?」

 

「いやいや、違うよ。僕はただの何の変哲もない中学生だよ。しいて言うなら、偶然巻き込まれただけの一般人だ」

 

実際、それが僕の実状だ。

本当に何の因縁もなく、たまたま見滝原に引っ越して来たら、魔法少女や魔女なんていう訳の分からないものに巻き込まれた被害者でしかない。改めて考えると、結構可哀想な状況にいるんじゃないか、僕。

 

「はあ!?じゃあ、アンタ、魔法少女に何の関係もないのに魔法少女とつるんでるのかよ?」

 

「う~ん……、ちょっとそれも違うかな」

 

まったく何の関係もないのなら、僕はこんなにも深入りなんかしやしない。

正直に言わせてもらえるなら、僕は魔法少女関係のことには関わり合いになりたくはない。

過酷な運命を背負っている魔法少女には同情はするが、それだけで自分の平穏な日常を捨てて非日常に飛び込むほど、ウェットな性格もしていないし、自分が可哀想な彼女たちを助けてあげたいなんてヒーロー願望も持ちあわせてもいない。

 

「美樹さんや巴さんが僕の友達だからだよ。友達として、最低限やってあげられることをしてたら、ここまで付き合うはめになっちゃったんだ」

 

僕がこうして訳の分からない非日常に関わっている(さい)たる理由はそれだ。

友達になったから、最低限、僕が友達としてするべき義務を行ってるだけ。

鹿目さんを命懸けで魔女の結界から逃がしたのも、巴さんを命を張って説得したのも、友達としての義務感からやったことだ。

感動的な理由も、格好の良いヒロイズムもない、ただただ一人の人間として恥ずかしくない生き方をするために、学んだ倫理に沿って行動しているだけだ。

 

「要するに自分が納得できる行動とっていたら、こうなった、ってことかな」

 

「……よく分かんねーけど、アンタが納得してやってる事だってのは分かったよ」

 

「そこさえ、分かってもらえれば十分さ」

 

やや(あき)れの入った表情で杏子さんは僕を眺める。

まあ、こればっかりは僕の個人的な主義みたいなものだから、完全に理解してもらうことは不可能に近いだろうな。

 

「じゃあ、マミ、さやか、政夫。またな」

 

「ええ、さようなら。今度は家に紅茶でも飲みに来てね」

 

「うん、じゃあね」

 

「また明日、学校でね」

 

僕との会話を終えると、ショウさんに手を引かれて、帰って行った。

本当に仲の良い二人だ。あの調子なら、杏子さんは当分平気だろう。

 

 

 

 

 

「私も今日は取り合えず、パトロールを切り上げて家に帰る事にするわ。雨で身体も冷えちゃったから、お風呂に入って温まりたいし」

 

そうだ。巴さんは雨の中、傘も差さずに駆けつけてくれたため、濡れ(ねずみ)状態のまま、今までずっと過ごしていたのだ。

すっかり失念していた。

相当不快な思いをしただろうに、巴さんはそんなことは一言も口に出さず、我慢していたのだ。

僕は巴さんに頭を深々と頭を下げて謝罪をした。本当に申し訳ないことをしてしまった。

 

 

(かさ)(がさ)ねすみません。僕のお節介のせいで」

 

「ううん、いいの。おかげで大切な友達と仲直りができたから。じゃあね、夕田君、美樹さん」

 

軽く手を振って、巴さんは颯爽と(きびす)を返して立ち去っていく。

最近はお茶目な行動が目につくが、実は巴さんって相当格好良い人なんじゃないだろうか。

 

「さて、僕らも帰ろうか。そろそろ夕飯も近い時間だ」

 

今日は僕が夕飯の当番なのに結構な時間を浪費してしまった。今から、お米()いで、夕飯まで炊き上がるだろうか心配だ。最終手段として、サトウのごはんを買っていくべきか。

僕が夕飯のことで頭を悩ませていると、美樹は真面目な顔で僕に話しかけてきた。

 

「ねえ、政夫」

 

「何?」

 

「私さ、ショウさんって人の叫びを聞いて、自分の想いがどれだけ軽いものか気付いたよ」

 

「もう少し詳しく話してもらえる?」

 

それだけじゃ、いまいち美樹の言いたいことがよく分からない。

まず、美樹の抱いていた想いがどういうものなのか教えてもらわないと、文字通り話にならない。

 

「私は例え、恭介が私に振り向かなくても、恭介がバイオリンをまた弾けるならそれでいいと思ってた……私は無償でもいいって、思い込んでた」

 

だが、それは思い込みでしかなかった。

僕が美樹に言った通り、無償の愛なんて中学生には無理だ。それは夢見がちな女の子の地に足の着いていない故に生まれた空想のようなもの。

余程の人格者でもなければ、無償の愛は抱けないだろう。

 

「政夫に否定された通り、私の想いはそんな立派なものじゃなかった。見返りがない事にあたしは耐えられなかった」

 

美樹の一人称が『あたし』に変わった。これはかなり精神にキてるな。

 

「でも、ショウさんのは違った。あの人の杏子への想いは……無償の愛は本物だよ。あたしなんかじゃ、絶対にあんな風になれない」

 

まあ、そうだろうな。あんな人はそうはいない。

ショウさんのは正真正銘の無償の愛だった。あそこまで人を愛せる人間は現実では見たことがない。フィクションの世界から飛び出して来たような人だ。

 

「それに比べて、あたしの想いは薄っぺらくて軽いものだった」

 

自嘲の笑みを浮かべて、自分の想いをちっぽけなものだと吐き捨てる。

 

「それはおかしいだろう。ショウさんと君を比べる理由がどこにあるの?」

 

「え?」

 

美樹は(ほう)けた顔をこちらに向ける。外界から刺激を受けて、鈍い反応をするのは完全に自分の世界に浸りきっていた証拠だ。

 

こいつは、良くも悪くも繊細でメンタルが実に中学生的だ。ネガティブな自分だけの世界にすぐ没頭したがる。表面的には明るく振舞っていても、鬱屈としたものを溜め込むのはもうくせみたいになっている。

間違いなく、見滝原にいる魔法少女の中で一番最初に魔女になるだろう。この調子じゃ、暁美が言っていたワルプルギスの夜とかいうド級魔女を抜きにしても、中学を卒業する前には魔女になってしまう。

だから、あれだけ魔法少女になることを止めたんだ。こうなるだろうことが簡単に予測できたから。

 

「君は君で、ショウさんはショウさんだ。薄っぺらだろうと、軽かろうと、そんなことは関係ない。それは君の、君による、君だけの想いだ。他人と比較してどうなるの?何の意味も持たないよ、そんなこと」

 

「でも、それでもあたしはあたしが情けないよ……。こんな気持ちで恭介の事、好きだなんて思ってたなんて」

 

情けなく呟く美樹。

ショウさんの無償の愛を見せ付けられたせいで、卑屈になっている。さっきまで平気だったのに、躁鬱が激しすぎる。

今、こいつを家に帰すのは危険だ。きっと確実に一人でうじうじ悩むことは目に見えている。

 

仕方ない。かなりの荒療治になるが、ここは腹を(くく)ろう。下手を打てば、状況はさらに悪化するかもしれないが、このまま放っていても危険だ。

僕は覚悟を決めて、美樹に言った。

 

 

 

「美樹さん。君には今日中に上条君に告白してもらう」

 

 

 

「……は?ど、どういう事?」

 

僕の発言が美樹の中で認識されるまで数テンポかかったようで、遅れてリアクションが返ってきた。

その反応は予想した通りのものだった。

だが、分かりきったことを言うなというような態度で押し通す。

 

「どういうことって、そのままの意味に決まってるじゃないか」

 

「告白したって……恭介の気持ちはほむらに向いてるの!!今さら、あたしが告白したって意味ないじゃない!」

 

「意味ならあるよ。決着をつけるためさ。君の中にある『片想い』と決着をね」

 




今回は早く、書き終わりました。
いえ、というより、書いている内に書こうとしていた話の内容とは異なり、私の構想を外れる話となってしまいました。

一体どこを目指しているんだ、この小説は……。


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番外編 スイミーと僕

政夫の過去、というか独白です。

まどマギキャラは完全に出てきません。


かつて僕は五歳の時、母さんを亡くした。

内向的で人付き合いが大嫌いだった僕は、完璧に母さんに『依存』していた。

母さんさえ居れば、他に他者なんか要らないと本気で思っていたのだ。

それほどまでに母さんが僕に与えてくれた『愛』というものは、暖かで、心地よいものだった。

 

だからこそ、その愛を失った僕は壊れた。

人込みを嫌い、自分以外の他者を拒絶し、父さんすら(うと)ましく思っていた。幼稚園にも通おうとせず、家からも一歩も出ようとしなかった。

 

母さんの部屋の片隅で、母さんの形見のオレンジ色のレースのハンカチを握りしめて楽しかった思い出に浸り、そして、それが母さんがこの世に存在しないことを思い出し、泣き喚いて物を壊した。

所謂(いわゆる)、引きこもり、廃人そのものだった。

今、思い出しても、自分の幼稚さに腹が立つ。

 

『政夫はいつまでそうやっている気なんだい?そんな生き方をしていて、弓子が喜ぶとでも思っているの?』

 

精神科医の父さんは、僕に淡々と落ち着いた声で、軽く質問するように対話をしてきた。

『叱る』のでも、『怒鳴る』のでもなく、筋道立てた正論を僕に投げかけ続けた。

 

「……ぼくにはなしかけるなっ、このひとでなしが!おまえなんかおとうさんじゃない!なんでおまえがいきて、おかあさんがしんでるんだよぉ。しねよ!おまえがしね!!しねしねしねしねしねしねしねしねしねぇっ!!!!!」

 

だが、当時の僕は、そんな父さんが大嫌いだった。

母さんの死を受け止め、涙一つ流さずに葬式の喪主を務め、その後も特に変わらず悠然としていた父さんは、当時の僕には、母さんの死に悲しみを抱いていない冷血な人間にしか見えなかったのだ。

精神を病んだ人を治療する父さんの仕事の性質上、自分が取り乱している暇なんてなかったわけだが、当時の僕にはそんなことを考える余裕なんてなかった。

 

錯乱気味だったとはいえ、父さんには信じられないくらい酷いことを何度も言ってしまった。よくもまあ、こんなどうしようもないガキを見捨てずに育ててくれたなと関心する。

 

『政夫、今日は君に会ってほしい人たちが居る』

 

父さんには珍しく、僕が抵抗しても放さしてくれず、強引に引きずるように連れて行った。

着いた場所は当時の父さんが勤めていた大手の精神病院だった。

 

『さあ、中に入って』

 

その診察室の中には、十数名の男女が椅子に座って、僕を見ていた。年格好は大体高校生か、中学生くらいだったか、その全員が皆どこか陰のあるような人たちだった。

なぜか、父さんに渡された洗面器を持って、僕はその人たちの前にある小さな椅子に腰掛けた。

 

『じゃあ、さっそくだけどこの前頼んだとおり、皆の身の上話を僕の息子に聞かせてあげてほしい。いいかな?』

 

全員が頷き、一人づつ自己紹介をした後、彼らの話が始まった。

 

 

不幸、という言葉が陳腐な表現に聞こえるほど、悲惨な話の数々だった。

グロテスクで、インモラルで、救いようのない過酷な身の上話。話はどれも淡々としていたが、生々しく、臨場感に満ち溢れていた。

 

親に兄弟共々虐待を受けて、死んだ弟の肉を食べされられたお兄さんの話。

 

再婚してできた義父に性的虐待を受け、無理やり妊娠させられてしまったお姉さんの話。

 

不良に脅されて、不良が殺した死体を埋めさせられたお兄さんの話。

 

かつて差別を受けていた人間の家系だから、という理由で地域の住民すべてに迫害され、家を燃やされたお姉さんの話。

 

これらは『まだ』比較的何とか耐えられたが、他の話は聞いているだけでこちらが死にたくなってくるほどの(むご)い話ばかりだった。

 

 

そして何より、彼らがその辛い過去を背負い、その過去を克服しようと努力して、どれほど頑張って生きているのかを事細かに話してくれた。

 

 

感受性の強い幼稚園児に聞かせるべき話ではなかったが、当時のクズそのものだった僕には良い薬だったと思う。

 

僕は、何のために父さんが洗面器を渡したのか理解した。

堪えきれずに胃の中に入っていた物をすべて、その中にぶちまけた。

胃液しかでなくなっても、吐き気が止まらず、カエルのような声を出しながら、吐き続けた。

 

吐きながら、自分の愚かさを知った。

この世で一番不幸な人間のような顔しながら、自分はするべき努力を何一つしてこなかったことを痛感した。

父さんの少々スパルタな『治療』のおかげで、僕は母親の死を努力して乗り越えようと決意することができた。

 

「おとうさん……」

 

『何だい?』

 

「ぼく、おかあさんのこと、のりこえてもういちどがんばってみるよ」

 

『うん。政夫なら、そう言ってくれると思ってたよ』

 

父さんは僕の頭を撫でながら、優しく微笑んだ。

 

 

 

 

それから、僕は自分の弱さに向き合うことを決めた。

だが、その道のりは口で言うほど簡単なものではなかった。

 

人込みに入っていく覚悟をするのに二週間かかった。

人の話し声が耳に入ってくるたび、それがすべて自分の悪口に聞こえ、胃が締め付けられる痛みを感じられた。

 

他人に話しかける覚悟をするのに一ヶ月かかった。

それまでは、同い年のクラスメイトにすら、拒絶されるのが怖くて、傍に寄っても話しかけることができずに縮こまっていた。

 

どもらずに話すのに二ヶ月かかった。

それまでは、うまく言いたいことが表せず、笑われてはしないかと不安でいっぱいだった。

 

人の目を見て話せるようになるまで四ヶ月かかった。

それまでは、相手の目を見るとどうしても言葉が詰まってしまい、いつも目を泳がせてしまっていた。

 

相手に合わせて、話ができるまでには一年以上かかった。

それまでは、話に着いていけずに場を白けさせてしまっていた。

 

もちろん、排他的で仲の良い友達も居なかった僕に好意的だったのは先生くらいのもので、クラスからはほとんど()け者扱いで(くじ)けそうになった。

泣きそうになった時は、唇をかみ締めて一人で耐えた。自分よりも辛い境遇で頑張っているお兄さんやお姉さんのことを思い出し、己を叱咤(しった)して奮起させた。

 

 

 

 

小学生になってからは、幼稚園児だった自分がどれだけ父さんや先生に守られて生きて来たかを知るはめになった。

 

片親だからという理不尽な理由で虐めてくる虐めっ子たち。

 

自分がターゲットにされることを恐れ、露骨に見て見ぬ振りをするその他のクラスメイト。

 

責任を押し付けられることを嫌がり、僕の受けている仕打ちを虐めじゃないと言い張る担任教師。

 

幼稚園で仲良くなったが、保身のために僕に嫌がらせをするようになった元・友達。

 

小学校に入学した僕には、笑えるくらい味方が居なかった。

傷を付けられ、裏切られ、人間の汚さと弱さをまざまざと見せつけられた。

 

それでも、僕は周囲の人間と仲良くなろうと努力した。自分を生んでくれた母さんと、自分を立ち直らせてくれた父さんへ少しでも報いることができるならと、頑張った。

 

例え、大人数で一方的に殴られようと。

 

例え、上履きや筆箱を隠されようと。

 

例え、給食に虫の死骸を入れられようと。

 

例え、買ってもらったばかりのランドセルを画鋲で穴だらけにさせようと。

 

泣き出しそうになりながらも、どうしてこんなことをするのかと自分を虐めてくる連中に聞いた。自分に非があるならば、直そうと思っていた。

 

『でしゃばりなんだよ。かあちゃんいないくせに』

『それにおまえ、からだひょろくてヨワソーだし』

『ザコならザコらしくしてろよな。ウッゼーんだよ』

 

好きなだけ理不尽な言葉を投げつけた後、彼らは笑いながら僕に暴力を振るった。

意味などなかった。理由など不要だった。

彼らは、ただ単純に弱者である僕を虐め、(えつ)に浸りたかっただけだったのだ。

僕は彼らとの対話を諦めた。

 

学校に行くのが嫌で嫌でたまらなくなった。父さんに相談して助けてもらおうかとも思った。

けれど、それはできなかった。

父さんに情けない台詞は吐きたくなかった。もう一度頑張るという台詞を嘘にしたくはなかった。

僕は虐めっ子たちが虐めに飽きるまで耐え続けようと決心した。

 

 

逃げ場がなく、精神的に追い詰められた僕だったが、そんな僕にたった一人……いや、一匹だけ心を許せる友達ができた。

 

ある日の放課後、追ってくる虐めっ子たちから逃げていた僕は、川原の背の高い雑草が群生している場所に逃げ込んだ。そこでじっと息を殺し、虐めっ子たちをやり過ごすことに成功した。

ほっとしていると、ミャーミャーという鳴き声が僕の耳に届いた。声のする方へ、行くとそこには小汚いダンボール箱の中に入った小さな黒猫を見つけた。

僕が恐る恐る子猫を撫でると、嬉しそうに鳴いて、僕の手にじゃれついてきた。

その時、僕は涙を流した。ただ僕を許容してくれる存在がいることが嬉しかった。

 

それから、僕は放課後になると子猫と遊ぶために川原に行くようになった。家で飼えれば一番良かったのだが、父さんが重度の猫アレルギーだったため断念した。

学校の図書室で猫の飼い方について調べて、子猫には牛乳ではなく、粉ミルクの方がよいこと学んだ。

僕が赤ん坊の時に飲み残した粉ミルクの粉をお湯で戻し、哺乳瓶(ほにゅうびん)に入れて人肌程度に冷まして子猫に飲ませて育てていた。

 

いつまでも名前がないと不便だったので、国語の授業で習っていた『スイミー』という小さな黒い魚が仲間と協力して大きな魚を撃退する物語から取って、スイミーと名付けた。

スイミーは僕によく懐いていて、ゴロゴロと喉を鳴らして足元に擦り寄ってくるところが可愛かった。

 

 

 

 

『なあ、まさお』

 

今まで僕に嫌がらせや無視をしていた元・友達の一人、アキラ君が教室で僕に急に話しかけてきた。

 

「……なに?あきらくん」

 

『おまえ、なんでさいきんそんなにたのしそうなの?おれにもおしえてくんね?』

 

小学校に入ってすぐ僕を裏切ったアキラ君に軽蔑していたが、その頃の僕はまたアキラ君たちとも仲直りして、友達に戻りたいという思いがあった。

だから、簡単に教えてしまった。スイミーのことを。

 

 

 

その日から二日後、僕は学校に登校して自分の下駄箱の中に変なものが入っているのを見つけた。

赤茶けた色をしたビニール袋だった。

散々、虐めを受けていた僕は、虐めっ子たちが入れた芋虫の死骸か犬のフンだろうと思ったが、ビニールの中を開いた。

 

僕が甘かった。

 

奴らの悪意の大きさを見誤っていた。

 

中に入っていたのは、スイミーだった。

手足がおかしな方向に曲げられて、血にまみれ、顔には大量の画鋲が突き刺さっていた。

 

「……え?…………う、うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

一瞬、自分が見ているものが理解できなかった。その場にへたり込み、袋の中のスイミーを抱きかかえ、僕は絶叫していた。

 

『あはははははは!だいせいこー!』

『いやー、おもしれー!』

『ほーんと、おまえのおかげでさいこうにおもしろいもんがみれたぜ。さんきゅー、アキラ』

 

『そーだろー。あはははは!』

 

下駄箱の陰から僕を指差して出てきたのは虐めっ子たちと、アキラ君。

それを見た僕は、スイミーの時とは違い、即座に理解できた。

アキラ君が虐めっ子たちにスイミーのことを教えて、四人でスイミーを惨殺したのだ。

 

『いやー、まさお。ごめ~ん。そのねこ、ビニールにつめてサッカーしてたらしんじゃってさー』

『だから、わるいとおもってがびょうでトッピングしたんだぜ』

『あははは!トッピングってなんだよー』

 

楽しそうな下劣な笑い声が響いた。

 

僕の中にある感情が爆発しようとしていた。

悲しみではなかった。そんなものは当の昔に越えてしまっていた。

 

絶望でもなかった。そんな大人しいものとはかけ離れているものだった。

 

憎悪ですらなかった。そんな矮小(わいしょう)なものでは収まりきらないものだった。

 

脳髄を焼き、思考が真っ白になっていた。

拳が握り締めすぎて、いつの間にか変色していた。

虐めっ子たちが何やら僕に言っていたが、そんなものは耳に入っていなかったので覚えていない。そして、覚えている必要もないほど下らないものだっただろう。

 

僕の中にある感情は殺意だった。

取り合えず、こいつらを殺そう。

それが当時の僕の最後の思考。

 

無言で僕は飛び掛り、殴りかかった。誰を殴ったかは覚えていない。

ただそいつの顔面に自分の指の骨が折れるほど威力で、何度も拳を振り下ろした。

 

殺そう、と。ただただ殺そうと。

後先も考えず、脳内から湧き出る殺意に身を任せて。

 

 

その後はまったく記憶に残っていない。

霧がかかったようによく思い出せない。

 

ただのその小学校、というかその地域に居られなくなり、父さんも職場を移るはめになったのだけは覚えている。

 

 

 

 

ただ、僕はこの一件から人間の悪意というものが存在しているということを身を持って知った。自分自身も感情に身を任せれば、理性のないケダモノのに変わるということも。

 

だから、僕はそれ以来、柔和な笑顔の仮面を付けて、周囲の人間を観察して生活するようにした。

いつ、誰が、どのように、僕に対して悪意を向けてきても、事前に対処できるようにするために。

 

僕は人間不信に……いや、人間の根底にある悪意という存在を誰よりも信じるようになった。

 

 

<信じる者はすくわれる>

 

神様や人の悪意を信じた僕が『すくわれた』のは足元だけだった。

 

 




政夫の幼少時代の話ですが、本当はもっと長いです。
何度も何度も人の悪意に押しつぶされそうになって、今のひねた少年になってしまったわけですが、後は本編に絡められる形で書きたいと思います。

政夫が孵化寸前のグリーフシードを握っても、おかしくならなかったのは絶望に多少耐性があるからです。


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第四十七話 踏み出す勇気

「ちょっ、ちょっと政夫!」

 

僕は美樹を手を引いて、上条君と暁美がいた喫茶店に向かっていた。

まだ店に残っているか分からないが、一応行ってみて、居なかった場合は上条君の家の前で待たせてもらうつもりだ。

 

理由は美樹の中の上条君への想いに何らかの決着を着けてもらうためだ。ずっと不安定な躁鬱(そううつ)状態のままだと、いつ魔女化するか分かったもんじゃない。地面に埋まった不発弾のようなものだ。

 

「私まだ……告白するなんて言ってないよ。勝手に決めないで!」

 

僕の手を振り払うようにして、美樹は立ち止まった。

睨みつけるように僕を見るが、まったく覇気のない表情なので少しも怖くない。むしろ、心配になってきさえする。

 

「じゃあ、いつまでも解消できない片想いを続けていきたいの?それとも『もしも告白してれば、振り向いてくれたかもしれなかった』なんていう仮定に(おぼ)れていたいの?」

 

「そんな事っ!……そんな事しないよ。ただ――――」

 

「ただ?」

 

自信の無さそうな不安げの顔を手で覆い、美樹は悲痛な声を出す。

 

「本当に私が好きだったのは『恭介』だったのか、もう分からないの……」

 

相変わらず言葉が足りていないせいで何を言いたいのか掴めない。

音楽家の少年に惚れただけあってか、美樹の発言には詩的な表現が多すぎる。生憎(あいにく)と僕は芸術性が皆無なので美樹の発言の意図を読み取ってあげることはできそうになかった。

 

「頼むから、僕にも分かるような言い方で言ってくれない?」

 

「恭介はさ、ほむらと会ってすごく元気になってた。もうバイオリンの事を口に出さなくなるくらいに」

 

美樹が語り出した事は、僕の質問に沿っていないように感じられたが、僕はそのまま口出しせずにいた。

自分の中に(こも)るための言葉ではなく、僕に何かを伝えようとしている美樹の意思を感じたからだ。

 

「あの時、私はもの凄くいやだった。恭介がほむらの事を楽しそうに話す事だけじゃない……恭介がバイオリンから離れていくのが嫌だった。憧れだった恭介が普通の中学生になるのが嫌だったんだよ。……政夫。私、ショウさんの叫びを聞いて気付いちゃった。私は『ただの恭介』じゃなくて、『天才バイオリニストの恭介』が好きだったんだって」

 

なるほどね……。

だから、あれだけ止めても美樹は魔法少女になったのか。

美樹は上条君がバイオリニストじゃなくなることに耐えられなかった。

だったら、僕が当初予定していた上条君と美樹をくっ付けて、奇跡なんかに頼らずに二人で支え合って、生きていってほしいという未来は元からあり得なかったってわけだ。

 

実に笑えるな。

ピエロだったのは美樹ではなく、この僕だった。

それじゃあ、うまく行くわけもない。絵空事を追いかけていたようなものだ。

 

「だからさ、政夫。私に恭介に告白する資格なんてないんだよ。私の想いは『薄っぺら』なものだったんだから…………」

 

「じゃあ、何もせず諦められる?」

 

「うん……大丈夫だか、ら……」

 

「嘘だね。だって君、今にも泣き出しそうだよ」

 

「っう……うう……」

 

ポロポロと涙腺から水の玉が押し出され、瞳の淵に溜まっている。

それは美樹が胸の内に抑え付けている感情を表しているかのようだった。

 

美樹は、自分の想いが単なるエゴによるものだと言った。

でも、やっぱりそれだけじゃないはずだ。

そんな薄っぺらなものだけでは、人は動けない。

美樹の言っていることに嘘はないだろう。だが、他にも表に出していない真実が絶対に隠れている。

 

「美樹さん。君が上条君を好きだって気持ちは、本物だと思う。君が上条君を好きになったのは、バイオリンが上手に弾けるからだけじゃない」

 

「なんっ……で、何で、そう……言い切れるの?」

 

言葉を詰まらせながらも、美樹は僕に問う。

嗚咽(おえつ)を堪えた声は、僕に助けを求めるようにも聞こえた。

 

「『恭介が私から離れて行っちゃうのが嫌で嫌でしかたがない』。君は病院の屋上で、そう僕に言ったよね。あの時の言葉にだって嘘はなかったはずだよ。それなりに大勢の人間を見てきた僕が太鼓判を押してあげたっていい」

 

記憶力には僕は自信がある。

あの時、美樹の剣幕も叫びもしっかりと覚えている。だからこそ、僕も柄にもなく熱くなって口論してしまったのだ。

あの言葉に含まれた想いはエゴだけではなかったと断言できる。

 

「………………うう……」

 

「さて、もう一度だけ聞くよ。君は上条恭介君のことをどう思っているの?」

 

「す……き……だよ。大好きだよおおおおぉぉぉぉっ!!」

 

今まで必死に抑えてきた感情が涙と共に溢れ出したかの如く、美樹は号泣した。

決壊したダムのように、涙腺から次から次へと涙が噴き出す。

今まで言えなかった悲しさや悔しさ、それ以外にも沢山の感情がない交ぜになっているのだろう。

ただのその感情の群れは、すべて上条君への好意に起因するもののはずだ。

 

街中で大声で泣き喚く美樹は、夕暮れ時という時間帯もあり、酷く目立っていた。うるさそうにこちらを睨む人もいたが、僕は彼女を泣き止ませる気はなかった。

美樹にとって、この涙はとても重要な涙だと思ったからだ。

 

 

 

美樹が自然に泣き止むまで僕は、何もせずにずっと傍に居続けた。

眼球を紅くさせ、泣き()らし、しゃくり上げる美樹の顔を僕はオレンジ色のレースのハンカチで拭いた。少し前に雨に濡れた巴さんの顔を拭いたのでハンカチはまだ少し湿っていたが、それでも涙でグショグショのままよりは幾分マシだ。

 

うーむ。本当はずるずると引き延ばしにならないように今日中に()き付けて告白させようと思っていたのだが、流石にこの泣き腫らした顔で告白させるのは少々(こく)か。

鉄は熱い内に打つべきなのだろうが、少しだけ時間を取ることにしよう。

 

「美樹さん、今日中になんて言った手前、アレだけど告白は少し延期しようか」

 

「ううん、ダメ。ようやく覚悟が決まったんだもん。私、今日、恭介に告白する」

 

「でも……」

 

そんなに涙で腫れた目の顔で良いの、と言おうとしたが、美樹はその前に首を振り、そして、笑顔を作った。

今までの吹っ切れたような爽やかさを秘めた、美樹らしい微笑み。その笑みは、かつて病院の屋上で見せたものよりも、大人っぽく、深みがあり、何よりずっと美しいものだった。

 

「大丈夫。こういう顔の方が私らしいよ。それに今じゃなかったら、私、また泣いちゃうと思う」

 

「そっか……。じゃあ行こうか」

 

「うん」

 

 

 

 

 

 

喫茶店に入ると六時過ぎにもかかわらず、喫茶店には暁美と上条君は未だに居てくれた。というか、僕らが出て行ってから、いつまで喫茶店で喋ってたのだろうか。彼是(かれこれ)(ゆう)に二時間ほど経っているのだが……。

まあ、こちらとしては好都合なので早速、接触させてもらおう。

 

上条君を前にして、美樹が怖気づくかと思ったが、本気で告白する覚悟を決めたらしく、僕に促させる必要もなく自ら進んで上条君たちの方へ近づいて行く。

 

い、勇ましい。

これがあの女々しいことを言いつつ泣いて逃げた美樹なのか……。

杏子さんの過去を聞いたり、ショウさんの叫びが美樹を短期間でこうも成長させたのだろう。傍で見ていた者としては非常に感慨深い。

 

このまま、すべて美樹自身に任せて、僕は静かになりゆきを見守るべきかとも考えたが、ここまで付き合ったのだから責任を持って関わろう。

 

上条君たちは、僕らが近づいていくと、こちらに気付き、手を振ってくれた。

 

「あ……さやか!さっきは急に飛び出して行ったから心配したよ。やっぱり、夕田君は連れ戻してきてくれたんだね。ありがとう」

 

「『やっぱり』?」

 

上条君の発言がいまいちよく分からなかったので聞き返す。

追いかけるとは言ったが、まるで美樹を僕が連れ戻すことを確信していたかのような物言いだ。

 

「暁美さんが夕田君がさやかを追いかけて行ったから大丈夫だって――――」

 

「よ、余計な事は言わなくて良いわ!!」

 

上条君の台詞を(さえぎ)るように暁美は上擦(うわず)った声を上げた。

暁美は頬を僅かに紅潮させ、僕と目が会うと、とっさに顔を背けた。何だ、こいつ。

 

どうやら、二人は僕が美樹を連れ戻すまでここで待っていたらしい。上条君の今の発言によると暁美が僕が連れ帰るから、美樹は絶対平気だと吹き込んでいたようだ。

信用してくれるのは良いが、根拠のない期待をされるのはあまり好きじゃない。度が過ぎた期待や信頼はたやすく妄信へと変わる。人を信じすぎると足元を(すく)われる。

今の暁美は、ちょっと危ういな。必要以上僕を頼るようにならないといいが……。

 

「恭介。……大事な話があるんだけど、いい?」

 

真剣な表情で美樹が静かにそう言った。

美樹の瞳には、もう迷いはなかった。クラスの男子なんかよりも男らしさを感じる。

 

「え?良いけど、急にどうしたの?さやか」

 

一方、相対する上条君は美樹がどんな話をこれからしようとしているのか、少しも分かっていないようだ。心底不思議そうな顔で美樹に返事をしている。

今まで、僕は真っ向から告白しようとしない美樹に呆れていたが、上条君の鈍感さも美樹に踏ん切りが着かなかった理由の一つだったのだろう。まるで恋愛アニメかギャルゲーの主人公だ。

 

「という訳なそうなので、僕と暁美さんは席を外そうか。良いよね、暁美さん?」

 

「……まさか、貴方、さやかに――――」

 

勘のいい暁美は、美樹がこれからしようとしていることに気付いたようだ。

だが、そこから先は言わせない。それは美樹だけが言う資格のある台詞だ。

椅子に座っている暁美をこの場から引き離すように、強引に腕を掴んで立ち上がらせる。

 

「じゃあ、僕達は店から出てくよ」

 

「ま、待ちなさい。いきなり何を……」

 

ぶつくさと文句を垂れる暁美を、ここに来るまでの美樹と同じように手を引いて、喫茶店から退出した。

美樹の告白まで居合わせるのは流石に野暮すぎる。今の美樹ならば、上条君の答えがどんなものでも受け入れられるはずだ。

 

外に出ると、暁美の手を離して、彼女と向き合った。

暁美は無表情ながら、瞳に怒りを(とも)して、僕を睨み付けている。凄い剣幕だ。

 

「政夫。貴方、自分がさやかに何をさせているのか分かっているの?」

 

「もちろん」

 

「……信じられない。貴方がこんな軽率な行動を取るなんて。それとも、さやかがどうなろうと構わないとでも思ってるの!?」

 

声を荒げて僕を糾弾する暁美を見て、僕は思わず笑みがこぼれた。

そのせいで、さらに暁美は僕に詰め寄って、怒りを(あらわ)にする。

 

「何がおかしいの!?」

 

「違うよ。嬉しいんだ。鹿目さんさえ無事ならそれでいいと言っていた君が、美樹さんのためだけに怒ってる。それがたまらなく微笑ましいんだよ」

 

「………………」

 

僕のその言葉で冷静になったのか、暁美は恥ずかしそうに目を逸らした。

照れと戸惑いがない交ぜになった複雑な面持ちの暁美を見ながら、僕はやはりこいつが心の優しい女の子であることを再確認した。

そして、僕が暁美を嫌いだった理由をはっきりと理解した。

 

『シャドウの法則』。父さんに教わった心理学の用語の一つだ。

これは、自分自身の嫌いな性格と同じ性格をしている他人を嫌いになるというものだ。

人は自分の中で認めたくない部分を他人に見出すと、その相手を嫌いになる。早い話が同属嫌悪だ。

僕は自分が、どこまでも冷酷になれる人間だということが嫌いだった。だから、同じように冷酷に見えた暁美のことが嫌いだったのだ。

 

「暁美さん」

 

「な、何よ」

 

「君は優しいね」

 

「……っ。私はたださやかが魔女になられると困るから言っただけよ。ワルプルギスの夜と戦うための貴重な戦力なんだから、こんなところで死なれると困るのよ」

 

僕が暁美を褒めると、突然、暁美はツンデレめいたことを言い出した。

さらにそれが墓穴を掘っている気がするが、面白いので話に乗る。

 

「じゃあ、その『貴重な戦力』を信じてあげなよ」

 

そう言って暁美に、にまっと笑いかける。

 

「くっ……、貴方って本当に性格悪いわね」

 

「そうだね。心優しい暁美さんと違ってね」

 

不機嫌そうにそっぽを向く暁美は、出合ったばかりの頃とはまったく違う印象しかなかった。

 

 




ようやく長かったさやか編も終わりそうです。

ですが、私はこれから大学のサークル活動が忙しくなるので、投稿が遅れてしまいます。
できれば気長に待って頂けると嬉しいです。


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第四十八話 受け入れられないもの

~さやか視点~

 

私、美樹さやかは今好きな人の前に座っている。

理由はただ一つ。その私の一番好きな人に……恭介に告白するためだ。

心臓が高鳴る。指先が(かす)かに震える。目の奥が熱くなる。

覚悟を決めて、ここまで来たはずなのにどうしても不安な気持ちは消えてくれない。

 

「それでさやか、話って何だい?」

 

恭介はそんな私の態度にも気付かず、いつものように落ち着いて様子で私に尋ねる。

まあ、恭介が敏感だったら、私もここまで苦労はしてないか。

ふう、と息をゆっくりと吐いて、気を落ち着ける。そして、私は口を開いた。

 

「恭介………………ほむらとはどんな事話したの?」

 

くぅっ……。何でそこでヘタれるのよ、私!

本来なら、告白の台詞が出るはずだったのに、私の口から出たのは、ほむらとの会話の事についてだった。

 

「え?暁美さんと?」

 

恭介にとっても私の台詞は意外だったのか、面食らったように聞き返す。

でも、これは逆にファインプレーだったかもしれない。

ほむらとどこまで話したかを聞けば、少しは安心して告白ができると思う。

 

「……さやかならいいか。実はね、暁美さんに告白したんだ」

 

……………………聞かなければ良かった。

これで私の告白へのモチベーションはガクッと下がった。正直に言えば、この喫茶店から駆け出てしまいたいくらいだ。

だけど、政夫の前で啖呵(たんか)を切った手前、逃げ出すわけにもいかない。

私にだって、プライドがある。ここで逃げ出したら、格好悪いどころじゃない。背中を押してくれた政夫に顔向けできなくなる。

 

「へ、へえ、そうなんだ。それでほむらの返事はどうだったの?」

 

顔に出ないように心がけて、恭介の言葉を促す。

この程度で(くじ)けたら話にならない。

 

「見事に振られたよ。彼女には、もうすでに好きな人が居たんだ」

 

そう言った恭介の顔は、言葉とは違ってどこかすっきりした顔をしていた。

それが気になって、ついわざわざ聞かなくてもいい事を聞いてしまう。

 

「なんで、なんでそんな顔してられるの?!ほむらの事好きだったんじゃないの?!」

 

「好きだよ。告白して、振られた今でさえ、僕は暁美さんの事が好きだ」

 

「っぅ……」

 

私にとって、一番聞きたくない言葉を恭介は容易(たやす)く放った。

心が痛い。

痛くて、痛くて、死んでしまいたいとすら思えた。

でも、胸元を強く握り締めて、その痛みにじっと耐える。

これはツケだ。ずっと幼馴染という位置に居て、何もしようとしていなかった私の大きなツケ。

 

恭介は、何処か遠くを見つめるような目で言う。とても悲しげな笑顔をしながら。

 

「でもね。僕は暁美さんが幸せなら、それで良いんだ。彼女の隣に居るのが僕じゃなくても、彼女が笑顔で居さえすれば、僕はそれで構わない」

 

「あたしは!……あたしは嫌だよ!!そんな風に思えない!ううん、思えなかったよ!!」

 

「さ、さやか?」

 

恭介は突然私が声を荒げた事に驚いて、遠い目を止めて、呆然と私を見る。

私も一度は身を引いて、恭介とほむらの仲を取り持とうと思った。自分の幸せを我慢して、恭介の幸せを願えると思った。

でも、できなかった。

政夫に、恭介がほむらが付き合ったりしても平然としてられるのかと聞かれた時、答える事ができなかった。実際に、抱き合って、キスをしている二人を想像したら、胸が張り裂けそうになった。

結局、私は考えないようにしてただけ。現実から目を背けてた、ただの馬鹿だった。

 

だから、もう後悔したくない。

例え、振られるとしても、最後まで自分を突き通したい。

 

「恭介!あたしはアンタの事が好き!あたしと、あたしと付き合って!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、出てきた。おーい、美樹さん」

 

「さやか……」

 

暁美と一緒にすぐそばのバス停のベンチに腰かけていた僕は、一人で喫茶店から出てきた美樹に声をかける。

僕の隣で缶コーヒーをちびちびと飲んでいた暁美も、美樹に何かを言おうとしたが、言葉が続かず、複雑そうな顔を浮かべただけだった。まあ、君からしたら、何言ったらいいか分からないよな。下手なこと言って余計に美樹を傷付けるかもしれないわけだし。

 

「政夫……ほむらも、ひょっとして待っててくれたの?」

 

「うん。僕は帰ろうかと思ったんだけど、暁美さんがどうしても美樹さんを待ちたいって言うもんだから」

 

「さらっと捏造しないでくれるかしら!私はそんな事は一言も言ってないわ!」

 

事実をありのまま美樹に伝えたところ、暁美が不機嫌そうに僕に怒鳴った。

どこまで不器用なんだか……。そんなだから、コミュニケーション能力がいつまで経っても身につかないんだよ。

 

「はあ……。暁美さん、もうそういうツンデレいいよ。要りません。お腹いっぱいです」

 

「ツンデレじゃないわよ!大体政夫、貴方ねぇ……」

 

どうしても、クールを気取りたいツンデレがごちゃごちゃと言っていたが、それらを全て聞き流し、美樹に聞く。

 

「それで『決着』は着いたの?」

 

「うん。一応、ね」

 

美樹は泣きそうではなかったものの、嬉しそうな表情とは、とてもじゃないが言えたものではなかった。上条君からの返事を察するのは難しくない。それに一人で喫茶店を出てきた時点で予想はついていた。

それでも、美樹の中では何かが片付いたようで、前までは顕著だった張り詰めたものがなくなっていた。

 

「そう、でも後悔してない?」

 

「それはしてないかな。踏ん切りがついたって感じ」

 

「なら良かった」

 

受け答えもしっかりしていて、まるで陰を感じさせない美樹。無理に取り繕うとせず、自然体のままだ。本当に一皮向けたというか、成長したなあ。

今の美樹には失恋を乗り越えたからか、どこか大人びて見える。

 

「……綺麗になったね、美樹さん」

 

しみじみとした感想が思わず声に出してしまった。

美樹はビックリしたような目をした後、軽く笑った。

 

「なら、政夫が私と付き合ってくれる?」

 

「僕じゃ役者不足だよ。とても今の君にはつり合わない」

 

「そんな事ないと思うけど……」

 

「政夫、さやか。さっきから私を無視して二人だけで話さないでくれるかしら?……」

 

美樹が何かを言い掛けたが、話に入ってきた暁美に邪魔をされて最後まで聞くことは叶わなかった。

まったく最近はかなりアグレッシブになってきたな、こいつ。いや、ひょっとしたら今まで自分を抑え、我慢してきただけなのかもしれない。

暁美の過去をよくよく考えれば、抑圧されて生きてきたのだから、無理もないな。

 

「ごめんごめん。じゃあ、二人は仲良くガールズトークでもしながら、先に帰っててよ。そろそろ、お家の人が心配する時間帯だからね」

 

「貴方は?」

 

「ちょっとね」

 

「……何となく読めたわ。貴方は本当にお節介焼きね」

 

暁美には僕が何しようとしているか、分かったようで呆れている。少し腹が立ったが、暁美の予想は多分合っているので、何とも口惜しいが、言い返せなかった。

 

 

二人と別れた後もしばらく待つと、松葉杖を突いて上条君が店から退出して来た。

上条君と目が合うと、すぐさま僕は話しかける。

 

「やあ、上条君。良かったら一緒に帰らない?」

 

 

 

 

「僕を殴るために待ってたのかと思ったよ」

 

川の近くの道を上条君と一緒に歩いていると、ぽつり上条君がそんなことを漏らした。

 

「あはは、どんな野蛮人だよ。僕は」

 

小さく笑いながら手を振って僕は否定する。けれど、上条君は真顔で続けた。

 

「いや真面目な話だよ。僕が暁美さんに振られた事とさやかを振った事は聞いてるだろう?」

 

「本人の口から聞いていないよ。多分そうなったかなとは思ってたけど」

 

やっぱり暁美は上条君を振っていたようだ。

暁美に直接聞く時間は合ったが、面白半分聞くような話題でもなかったのであえて気かなったのだが……もったいないな、こんな将来有望なイケメンを振るとは。だが、あいつはレズだからそもそも相手が男の時点でアウトだろう。

 

「暁美さんは好きな人が居るらしくてね」

 

「へー」

 

上条君には悪いが、正直心底どうでもいい話なので自分でも驚くほど適当な返事をしてしまった。

 

「気にならないの?」

 

「うん、まあ」

 

そんなの鹿目さんに決まってるだろうしね。

あいつは鹿目さんを救うために並行世界を渡り歩いている。言わば、世界を越えたストーカーだ。鹿目さん一筋の女だ。

暁美が鹿目さん以外の人間に恋愛感情を抱く光景は想像できない。

 

「そんなことより、上条君。僕が何を聞きたいのか本当はもう分かるだろう?」

 

お互いに目を合わせずに僕と上条君は並んで歩く。もっとも、上条君は松葉杖なので僕が上条君のペースに意図的に合わせているのだが。

 

「『何で暁美さんに振られたのに、さやかの告白を受けなかったか』という事かな?」

 

「そうだよ。だからこそ、最初は僕に殴られるかと思ったんだよね」

 

僕が上条君を待ったのは、そこを尋ねるためだ。

だが、別に好きな女の子に振られたからといって、自分を好きだと言ってくれる女の子に鞍替(くらが)えすればいいなんて言うつもりは毛頭ない。

そんなものはむちゃくちゃだ。体育の授業で組む二人組みじゃないんだ。誰でも良いってわけじゃないことぐらいは理解している。

 

「上条君。ぶっちゃけると美樹さんに告白された時、満更(まんざら)でもなかっただろう?」

 

ただ上条君が美樹のことを振るほど嫌いだとは、どうしても思えなかった。恋愛感情ではなかったとはいえ、それなりに好意を持っていたことは間違いない。

上条君が病院に入院していた頃、美樹がCDを持ってきて自分に聞かせてくることが苦痛で仕方がなかったのに、それでも美樹を気遣って耐えていた。

美樹にある程度好意がなければできないことだろう。

 

「……そうだね。夕田君の言うとおりだよ。もし暁美さんに出会う前だったら、喜んで受け入れたかもしれない」

 

上条君は足を止めると、暗くなった空を仰いだ。

僕も彼に合わせて、立ち止まる。

ほんの(わず)かの沈黙の後、上条君はゆっくりと語り出した。

 

「さやかの事は好きだよ。もちろん、友人としてだけど、恋人になっても良いと思えるくらいには好きだ。でもね、それ以上に僕は暁美さんが好きになってしまったんだ。もしも、さやかと付き合っても僕は暁美さんの事が諦められるか分からない。そんな気持ちでさやかとは付き合えない。……他ならない、大切な幼馴染だからこそ、そんなことはしたくないんだ」

 

美樹のことが大切だから、なおさら付き合えないか……。

何と言うか、不器用なところも含めて、上条君は美樹と似ている。まっすぐで律儀で、楽に生きられないところなんかそっくりだ。

でも、その実直さは人間として立派だと感じられた。

 

「本当にもったいないことしたね、暁美さんは」

 

ここまで自分を本気で愛してくれる人を振るとは、愚かとしか言いようがない。これを機会にノーマルになるチャンスを(のが)してしまったな。

 

「え?」

 

「こんな格好良い男を振ってしまったことがもったいないってことだよ。美樹さんじゃないけど、大抵の女の子だったら放っとかないのに。絶対いつか後悔するだろうね、逃がした魚はでかかった、って」

 

「夕田君……。君にそう言ってもらえると嬉しいよ。否定されるかと思ったから」

 

上条君は僕の方を向くと安堵(あんど)したように顔を緩ませた。やっぱり美樹を振ったことを気に病んでいたようだ。一人で抱え込もうとするところまで美樹と同じだ。

 

「そんなことしないよ。君が本気で美樹さんを大事にしていたから振ったことに関しては、むしろ、男として君を尊敬するよ」

 

上条君。君は男の中の男だ。

美樹が彼を好きになったもバイオリンだけではないだろう。もしも、僕が女性だったら上条君に惚れていた自信がある。

 

「だから、君が負い目を感じる必要なんかないからね」

 

「……もしかして、夕田君、その言葉を僕にかけるためにわざわざ付いて来てくれたの?」

 

上条君の問いにどう答えようか迷ったが、正直な彼には正直に答えるのが一番いいだろう。変に気を使うのはむしろ失礼に当たる。

 

「……うん。実はそうなんだ。そのままだったら、上条君だけが誰にも打ちあけられずに、悪者みたいな扱いになっちゃうんじゃないかと思って」

 

自分のお節介ぶりを声に出して再確認すると、かなり恥ずかしい。それほど上条君とは親交が厚いわけでもないのに、流石に差し()がましすぎる気がしてきた。

 

「夕田君……。今さ、僕が暁美さんに振られた理由が本当の意味でやっと分かったよ」

 

ええ!?つまり、暁美が女の子にしか興味がない人間だということが分かっちゃったということか!?一体どの件で?そしてなぜこのタイミングで言うんだ?まるでわけが分からない。

僕が上条君の『謎はすべて解けた』的発言に愕然としていると、上条君は優しげに微笑むと左手を差し出してきた。

 

「握手、してもらってもいいかな?」

 

「うん?いいけど、急にどうしたの?」

 

いきなり握手を求めてきた上条君に、取り合えず従い、僕も左手を差し出す。

ぎゅっと僕の手を握った上条君は目を(つむ)って、お願いごとでもするかのように神妙な表情をする。

数秒ほどした後、上条君は目を開けて、手を離した。

 

「うん。これでよし」

 

「何が?」

 

「この僕の左手って、本当はもう動かないはずだったんだ。でも奇跡が起きて急に治った。だから、不思議な力が宿ってる気がしてね。それを夕田君にもお裾分(すそわ)けできないかなって」

 

魔法少女のことについて何も知らない上条君にとっては、『奇跡』というものが都合の良いもののように思っているのだろう。

聞いていて、少しだけやるせない気分になったが、顔に出ないように気をつけて上条君にお礼を言った。

 

「ありがとう。奇跡を分けてもらえたかは分からないけど、上条君の優しさは伝わって来たよ」

 

彼が善意で僕にそうしてくれたのは確かだ。それに関しては素直に嬉しい。

でも、僕は奇跡なんていらないと思うし、ない方がいいと思う。そんな都合のよいものは受け入れられそうにはなかった。

 

 




何ということでしょうか。レポートの期限もぎりぎりだというのになぜか投稿をしている自分がいました。

そんなことは置いておいて、今回でようやくさやか編が終了しました。
長かった~。
上条君とさやかはこの物語ではくっ付きませんでした。
しかし、報われない恋と決着を着けたさやかは、登場人物の中で成長することができました。


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第四十九話 穏やかな学園生活

「ふわあぁ~、眠い……」

 

大きなあくびと共に僕は眠い目を(こす)り、起床する。

一昨日から昨日にかけて色々あり過ぎて疲れていたせいで、眠りが浅く、目覚まし時計が鳴る前に目を覚ましてしまった。

だが、それを理由に学校を休むのは気が引ける。

二度寝する気にもならなかったので、僕はパジャマから制服に着替えて自分の部屋を出た。

洗面所で顔を洗った後、リビングに向かう。

 

「おはよう、政夫。疲れているようだけど大丈夫かい?」

 

リビングにはすでに父さんが居て、朝食の用意をしてくれていた。

 

「おはよう。父さん」

 

父さんは僕より遅く起きてきたことが一度もない。ちゃんと睡眠を取っているのか不安になってくるほど、早起きだ。それでいて、常にしゃっきとしていて、疲れた様子など微塵(みじん)も感じさせない。

 

父さんの作ってくれたベーコンエッグとほうれん草のソテーをトーストに乗せて、端の方から(かじ)り付く。ベーコンの塩気と半熟気味の焼き加減の卵の黄身のまろやかさが合わさり、さらにその味をトーストが見事に引き立てている。うん、美味しい。

 

グラスに注いだオレンジジュースを飲みながら、今日の朝刊に目を通す。

大々的に書いてあるのは、政治家の汚職問題くらいで、自殺があったとかそういう記事は極端に小さく書かれている。

一昨日の工場の件も新聞に載ったが、本当に申し訳程度の小さな記事だった。あの程度のことは見滝原市では大した事件ではなかったらしい。

 

魔女だの、魔法少女だの、のせいで見落としそうになるが、僕にはこの街自体がどこか狂っているように思えてならない。

自殺事件が僕が前に住んでいた街と比べても極端に多いのにも関わらず、メディアがそれほど着目していないのだ。まるで『そんなことはこの街では珍しくありませんよ』とでも言いたげのように見える。

 

そんなことを考えながら朝食を食べていると、玄関のチャイムが鳴った。

父さんが玄関に向かっているのを横目で見つつ、噛み砕いたトーストを嚥下(えんげ)する。

誰だ、こんな朝っぱらから、人の家に訪ねてくるのは。新聞の押し売りとかじゃないだろうな。

 

「政夫、お友達が迎えに来てくれたみたいだよ」

 

「友達?」

 

誰が来たのか一瞬だけ疑問に思ったが、よく考えれば僕の家を知っている知人はまだ一人しかいない。

オレンジジュースを飲み干して、ティッシュで口を(ぬぐ)った。父さんに促され、玄関に行くとそこには予想通り暁美が立っていた。

 

「おはよう、暁美さん。君がちゃんと玄関から入ってくるところ初めて見たよ」

 

僕は若干の皮肉を込めた挨拶を送る。

これを(さかい)に僕の部屋の窓を入り口代わりにしなくなってくれるとありがたい。

 

「私だって、その程度の常識くらい持ち合わせているわ」

 

ファッサっと髪をかき上げて、暁美はいかにも心外そうな顔を僕に向けるが、まるで説得力がない。

というか前から思っていたが、そもそもどうやって僕の住所を特定したのだろう?

 

「で、今日はどういったご用件で?」

 

「見た通りよ。一緒に登校しようと思って貴方を迎えに来たの」

 

迎えに来た?一緒に登校?一体どういう風の吹き回しだ?

いまいち暁美の意図が分からなかったが、わざわざ来てくれたのを無碍(むげ)に断るのは悪いと思ったので、僕は承諾した。

 

「分かった。取り合えず、歯を磨いてくるから、五分ほど待ってて」

 

「ええ、ここで待たせてもらうわ」

 

 

 

 

 

 

「それで何で急に一緒に登校しようだなんて考えたの?」

 

歯を磨き終わった後、学生鞄を片手に僕は暁美と共に待ち合わせの場所へ向けて歩いている。

まだ朝早いせいで、僕ら以外に見滝原中の生徒は見かけない。

いつもよりかなり早い時間だから、ひょっとすると鹿目さんたちはまだ待ち合わせの場所に着いているか分からない。まあ、いつも僕が一番遅く到着するから、今回は待つ側になってもいいけど。

 

「理由は……その、あれよ。上条恭介の事よ」

 

「上条君のこと?……ああ」

 

妙に歯切れの暁美に聞き帰してしまったが、すぐに何を言いたいのか気付いた。

そうか。こいつもこいつで上条君を振ったことを気に病んでいるのか。

ずいぶんと優しくなった、いや、素直になったという方が適切だろう。一週間ほど前の暁美とはもう別人だ。

 

「大丈夫だよ。彼も完全に君のことを割り切れてはいなかったけど、そこまでナイーブにはなっていなかったよ」

 

「そう。良かったわ。……それで政夫はその事についてどう思ったの?」

 

どう思った?意味がよく分からない質問だ。

僕が、『暁美が上条君を振ったこと』に対してのどのような感想を持ったのかを述べろ、ということでいいのだろうか?

 

「上条君を振るなんて暁美さんはもったいないことしたな~、と思ったよ」

 

僕が素直に感想を述べると、暁美はなぜかガッカリしたような顔で肩を落とした。理解ができない。今のどこら辺に落ち込む要素があったのか教えてほしいところだ。

 

「……つまり、貴方は私と上条恭介が付き合ったとしても何も思わない、という訳ね」

 

平静を装うとしているが、明らかに暁美の声のトーンはいつもより低かった。多分、本人は常時ポーカーフェイスを保っているつもりなのだろうが、少しでも観察眼に長けた人間なら一目で分かるほどしょんぼりした表情をしている。

 

落ち込んでいる理由はさっぱり分からないが、暁美の発言には誤りがあったので訂正させてもらう。

 

「おかしなこと言わないでよ、暁美さん。暁美さんと上条君が付き合って、僕が何も思わないわけないだろう?」

 

「え?……それは本当!?」

 

一瞬で暁美の瞳に輝きが(とも)る。

ちょっと心配になるレベルのテンションの上下具合だ。美樹ほどではないが、躁鬱(そううつ)病の()があるんじゃないだろうか。

僅かに引いてしまったが、僕は真面目に答える。

 

「うん。もちろん、ちゃんと友達として祝福するに決まってるじゃないか!」

 

自分で言うのもなんだが、僕はそれなりに友達思いの人間だ。

ある程度親しい友達同士が付き合ったのなら、笑みをもってお祝いするだろう。身銭を削って、ささやかながらパーティを開くのもやさぶかじゃない。

 

「はぁー……」

 

だが、僕の答えを聞いた暁美は額に手をやり、深いため息を()いた。

おおよそ、ため息を吐きそうにない暁美が、だ。

 

なぜだ……。その反応は理不尽すぎやしないだろうか。

別に褒めてもらおうなんて思ってなかったが、ため息を吐かれるのは流石に傷つくぞ。

 

 

 

 

 

暁美と謎に満ちたやり取りをしながら歩いていると、いつの間にか待ち合わせの場所に到着していた。

一番乗りかと思ったが、そこにはすでに先客が待っていた。

 

「あら、政夫さんとほむらさん。おはようございます。ご機嫌いかかがですか?」

 

「おはよう、志筑さん。身体は大丈夫だったの?それと、機嫌は良いかと言われると、そんなに良くないと答えざるを得ないよ」

 

 

一体何時に起きているのか聞きたくなるほど早いな、志筑さん。

昨日は学校を大事を取って休んでいたくらいなので、もう少し身体を(いた)わった方がいいと思う。

 

「大丈夫です。昨日だって両親が心配するから休んだだけであって、身体には問題ありませんでしたから。むしろ、ほむらさんの方が体調が優れないようですけど」

 

心配そうな表情で志筑さんは暁美を見る。

先ほどの僕との会話から、暁美はどこか落ち込んだ雰囲気を(まと)ったまま、志筑さんに挨拶もせずに僕らより少し離れて、突っ立っていた。

 

「あー、そうだね。何かさっきから調子悪いみたいで。……暁美さーん、志筑さんに挨拶ぐらいしたらどう?」

 

「……それぐらい貴方に言われなくてもするわ。おはよう、志筑さん」

 

今度は不機嫌そうになる暁美。一体どうしたというのだろう。

『女心は秋の空』というが、仮にも空を(かん)するのなら広さの方もそれ相応にしてほしいものだ。

 

「ふふっ。お二人は仲が良いのですね。羨ましいですわ」

 

上品に口元を隠して志筑さんは笑うが、僕としては特に仲の良いコミュニケーションを取ったとは思えない。もしかすると、羨ましいという発言は、最近鹿目さんたちと妙な距離感ができてしまったことに対しての無意識の発露かもしれない。

 

そうこうしている内に、ちらほらと登校する生徒の影も見えてくる。

しばらく、志筑さんと会話をしていると鹿目さんと美樹が来た。今日は何事もなく平穏であるといいな。

 

 

 

 

 

午前の授業を終わり、昼食の時間になった。

今日も今日で早乙女先生の英語の授業は、どうでもいい彼氏との別れ話が大半を占めていた。この調子でやってて中間テストの範囲まで終わらせられるのか心配だ。

 

「政夫、屋上行こう。マミさんが待ってるよ」

 

美樹がお弁当を片手に持って、僕の席へやって来る。後ろには鹿目さんと暁美も一緒だ。ドラクエを彷彿(ほうふつ)とさせる行儀の良い一列に軽く苦笑した。

 

「そうだね。でも、もう二人だけメンバーを増えてもいい?」

 

「え、中沢とか星とか男子を連れてくるの?それはちょっとやだな」

 

僕も男子なんだけど、と突っ込みを入れたくなったが面倒なのでそのまま話を続ける。

 

「志筑さんと杏子さんの二人だよ」

 

「……ああー!」

 

むしろ、後者の杏子さんはともかく、志筑さんはいつもハブっていたことに気付いたようで、やってしまったと言わんばかりの顔になる。

今まで上条君のことで頭がいっぱいになっていたようだから、完璧に失念していたのだろう。鹿目さんも同じような様子だった。

 

「わ、私、仁美ちゃん誘ってくる」

 

鹿目さんが列から離脱して、志筑さんの席の方まで行く。

良かった。最近、魔法少女関連のせいで志筑さんが孤立することを危惧していたが、これで少しは持ちなすはずだ。

 

「じゃあ、杏子の方は私が誘うね」

 

「うん。頼んだよ」

 

美樹も杏子さんを誘いに離れていく。

杏子さんも、せっかく巴さんと仲直りができたのだから、食事を共に取った方が良いだろう。

 

「ちょっと政夫、これはどういう事?何時(いつ)の間にさやかと魅月杏子は仲良くなったの?いえ、そんな事よりも彼女を巴マミと会わせるのは危険だわ」

 

「それについては屋上に来れば分かるよ」

 

 

 

 

 

何時になく大勢で集まった屋上。

鹿目さん、志筑さん、美樹、巴さん、杏子さん、暁美。そして、僕。

男女比6:1。(まご)うことなく、ハーレム状態だ。実際、教室を出る際にスターリン君に物凄い形相で「ブルジョワジーが!ふざけんな!美少女独り占めしやがって!!フラグを共産化しろ、バッキャロォォォ!!」と叫ばれた。

 

「おっす、マミ」

 

「こんにちわ、杏子さん」

 

元々友人だったらしい二人は、仲良くベンチに腰掛けて、談笑し始めた。

それを見た暁美は唖然として固まっている。

 

「ど、どういう事?一昨日はかなり険悪な雰囲気だったのに」

 

無理もない。お互いに確執があったのを知っている暁美なら、(なお)のこと、この状況は簡単には受け入れがたいことのはずだしな。

 

「和解したんだよ、巴さんと杏子さんは。いいよね、こういうの。まさに『仲良きことは美しきかな』ってやつだよ」

 

「政夫、一体貴方どんな魔法を使ったの?」

 

魔法、ね。まさか本物の魔法少女にそんな台詞を()かれるとは思いもしなかった。

今目に映る景色は暁美にとっては魔法と呼ぶほど受け入れがたいものなのか。

ただほんの少しだけ歩み寄ってみれば、そう難しくなく起きる必然なのに……。

 

「僕は特別なことは何もしてないよ。ただきっかけを作っただけ」

 

巴さんが渡してくれた重箱の一段に入っているアスパラのベーコン巻きを頬張る。

うん。美味しい。このアスパラ新鮮でベーコンと相性バッチリだ。

毎回、巴さんが重箱でお弁当を作ってきてくれるので、自分でお弁当を作らずに済んでいる。最初こそ、遠慮したが巴さんの押しに負けて、昼食をご馳走になっている。いつかお礼しないといけないな。

 

「そう、取り合えず貴方のお陰という事は分かったわ」

 

「いや、全然分かっていないよね」

 

暁美は、まるで僕が何かしたから二人が和解したと思っているようだが、それは買い被りすぎだ。彼女たちがお互いに歩み寄ろうとして成功したから、和解できたのだ。僕は本当に何もしちゃいない。

 

「それよりも政夫、一番聞いておきたい事が残っているわ」

 

「何?」

 

暁美は真剣な顔付きで、僕の顔を睨むように見つめる。

何だ?そんなに重要なことなんてあったか?思考を巡らせてみるが、思い当たらない。

 

「何故貴方は魅月杏子の事を名前(・・)で呼んでいるのかしら?」

 

「はあ?」

 

暁美の質問に対して、自分でも驚くほど間抜けな声が出た。

 

 




今回は、物語の繋ぎ部分なのでそれほど進展しませんでした。
ほのぼの感を少しでも味わって頂けたのなら、嬉しいです。


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第五十話 本当の気持ちと向き合いました!

「だから、『魅月さん』だとショウさんも該当(がいとう)しちゃうし、昨日からずっとそう呼んでるからであって、別に他意はないよ」

 

「……本当にそれだけかしら?」

 

 急におかしなことを言い始めた暁美に僕は辟易(へきえき)しつつも、律儀に答える。だが、暁美は釈然としない表情のままだ。

 大体、僕が誰を名前で呼ぼうがどうでもいいだろうに。さっぱり理解できない。女心は複雑怪奇だ。

 

「魅月杏子は可愛らしい容姿をしているから、大抵の男なら誰でも好意を抱いてもおかしくないわ。大方、貴方だってそうなんじゃないの?」

 

 妙にとげとげしく発言する暁美。

 杏子さんに対して何か思うところがあったのだろうか。仮にあったとしても、いつも合理的な暁美が気に入らないからという理由でこんなことを言うとは考え(がた)い。

 

 ……ふむ。ひょっとすると暁美は、『可愛い』という表現にコンプレックスでも持っているのかもしれない。確かに暁美は可愛いというよりも綺麗と言った方が適切な顔立ちをしている。

 思い返せば、前に僕が暁美に可愛いと言った時も過剰な反応を示していた気がする。

 なるほど。繋がった!つまり、暁美は『可愛い女の子』と思われたいわけだな。女子中学生なんだから綺麗とか美しいよりも、可愛いと呼ばれたいのも頷ける。

 

 すべてを理解した僕は暁美に最上級の笑顔を持って、彼女の欲しているだろう言葉を送った。

 

「大丈夫。君だって十分可愛いよ」

 

「なっ……!何言い出すの貴方は!馬鹿なんじゃないの!?」

 

 暁美は急激に頬を紅く染め上げ、上擦った声で僕を罵倒する。こういう風に照れたところは、素直に可愛いと思う。まあ、『微笑ましい』という意味合いでの『可愛い』だが。

  

「何々?さっきから二人だけで話して。私らも混ぜてよ」

 

 美樹が軽いノリで話に加わってくる。

 私ら、というのだから、鹿目さんと志筑さんのことも入れてだろう。

 巴さんと杏子さんは(つも)る話があったのか、二人だけで盛り上がっていた。今までずっと仲違いしていた旧知の友達同士なら無理もない。彼女たちはそのままにしてあげるのが優しさだろう。

 

「いや、別に大したことは話してないよ。それよりごめんね、志筑さん。いきなり知らない人たちと、昼食食べるはめにしちゃって」

 

 僕は志筑さんに会話を振って、彼女の様子を観察する。

 多少強引だったが、放って置くと鹿目さんたちとの接点が薄くなってしまう。『魔女の口付け』が付いていたくらいだから、原因が友情かどうかは分からないがある程度ストレスが溜まっていたことは確かだ。

 

「大丈夫ですよ、政夫さん。私、こう見えても人見知りするタイプではないですから」

 

「そう?なら良かったよ」

 

 顔色は悪くないし、目も不自然に()らしたりしていない。気を使って嘘を吐いているわけではなさそうだ。少し安心した。

 

「政夫ってわりと女の子には優しいよね。あ、それとも仁美狙ってるとか?」

 

 悪戯っ子のような笑みを浮かべて美樹が僕に聞いてくる。女の子は本当に色恋沙汰(ざた)が好きだな。

 というか、お前つい昨日振られたばっかだろうが。よくそういう発言ができるな。下手をすれば自分の傷口抉るような話題だろう。

 

「えー!?政夫くんて、仁美ちゃんの事好きだったの?」

 

 鹿目さんは箸を持つ方の逆の手で口元を押さえて、ビックリしたような真似までしていた。

 温和で優しいけど、年相応におちゃめというか、少しSっ気があるんだよな鹿目さん。そんなところも含めて可愛らしいけど。

 

「鹿目さんまで乗ってくるとは……。あのね、志筑さんにはちょっと失礼だけど、僕の好きな女の子はもっと地味なタイプの女の子だよ。野に咲く一輪の花のような感じの」

 

「じゃあ、具体的にはどんな女の子がタイプなんですの?」

 

 三人ともぐいぐい来るなぁ。僕を(いじ)ることで三人の溝が埋まるなら、それで良いけどね。

 

「具体的には――――」

 

「三つ編みで眼鏡の女の子、だったわよね」

 

 志筑さんの質問に答えたのは僕ではなく、なぜか暁美だった。

 そういえば、病院で上条君と好きな女の子のタイプについて話してた後に、暁美には教えていたっけ。どうでもいいこと過ぎて忘れていた。

 

「何でほむらが知ってるの?」

 

「……ちょっと小耳に挟んだだけよ。それだけよ。ええ、本当にそれだけ」

 

 暁美はちょっと早口で何かを誤魔化すように喋る。まっすぐ人の目を見て話す暁美が珍しく目を泳がせていた。

 

「その様子……怪しいですわね」

 

「な、何がかしら、志筑さん」

 

 テンションの高い志筑さんが意地の悪い笑みを浮かべて、ずいっと暁美ににじり寄る。その様子が不気味だったせいもあり、ちょっと暁美は身を引いていた。

 

「ひょっとしてほむらさん…………」

 

 志筑さんが何かを言う前に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 やばい。今日はいつもより大人数のせいか、喋ってばかりで全然箸が進んでいなかった。急いで重箱の中身をかき込み、むせつつも片付けをする。

 僕ら二年生はともかく、三年の巴さんは今の時期に遅刻は洒落にならない。前期試験で行くのかは知らないが、教師からの評価が下がって良いことなどないのだから。

 

「はぐ、むぐ……ご馳走様でした。さあ、早くしないとまずいですよ。重箱は僕が洗っときましょうか?」

 

「平気よ、夕田君。それよりも教室に戻らないと。三年の教室は向こうだから、悪いけどもう行くわね。今日は楽しかったわ。杏子さんたちは……そうね、放課後でまた」

 

「おう。じゃあーな、マミ」

 

 重箱を回収すると巴さんは、駆け足で階段の方へ向かった。巴さんも巴さんで結構変わった気がする。前に比べて僕らに無理に取り繕っている感がなくなった。

 それに今の会話から察するに今日は杏子さんも含めて『魔女退治』をするのか。杏子さんとは完全に打ち解けたとみていいだろう。

 『魔女退治』か……。懸念事項があるとしたら、美樹や杏子さんもそうだが、巴さんが今まで正義のためにやってきた『魔女退治』が元同族狩りだと知って、それを平然と行えるのか心配なところだな。

  

 

 

 

 

 

~さやか視点~

 

「さやかさん、少しお時間をよろしいですか?」

 

 放課後、まどかと政夫と別れた後、ほむらや杏子と一緒にマミさんと合流して、魔女退治に向かおうとしていると思って教室を出ようとした時、ふいに仁美が私にそう言ってきた。

 

「え?うーん。でも……」

 

 親友だし、恭介の事で頭がいっぱいだった時はあんまり話せなかったから、仁美に付き合ってあげたいのはやまやまだが、今日は私に取って本格的に魔女退治に参加するからなるべくサボりたくはない。 どうすればいいか分からず、ちらっと横目でほむらたちを見る。

 

「行って来たら?巴マミには私から言っておくわ」

 

「そうだな。友達優先してやれよ。こっちは三人も魔法少女がいるんだから、さやか一人が来なくても平気だしな」

 

 二人とも素っ気なく私にそう言って、先に行ってしまう。

 昨日までの私なら、ほむらたちの態度に腹を立ててたと思うが、今は違う。ほむらの優しさや、杏子の過去を知った私には、二人が気を使って言ってくれた事が分かる。

 

「ごめーん。あと、ありがとう」

 

 二人の後ろ姿にそう言って、私は仁美に向き直る。

 

「いいよ、話。それじゃどこで話す?」

 

 

 

 仁美と一緒に来たのは、いつもまどかと仁美と私の三人でお喋りする行き付けのファーストフード店だった。適当に飲み物を買った後、席に仁美と向かい合って座った。

 ここに来るまで今まで見た事ないほど仁美は真剣な顔をしていて、話を振る雰囲気ではなかったのでどうしようか困惑していたが思い切って聞いてみた。

 

「それで…話って何?」

 

「恋の相談ですわ」

 

 一瞬、仁美の冗談かと思ったが、仁美はこんな真面目な顔して冗談を言うような人間ではない。それは親友の私が一番良く知ってる事だ。

 

「私ね、前からさやかさんやまどかさんに秘密にしてきたことがあるんです。ずっと前から……私……上条恭介君のこと、お慕いしてましたの」

 初耳だった。仁美が恭介の事を好きだったんだなんて、まったく知らなかった。そもそも、二人が話しているところも私は見た事なかったし。

 これが私が恭介に告白する前だったら、多分こんなに落ち着いた気持ちではいられなかったんだろうな。

 

「へぇー、そうだったんだ。全然気付かなかったわ。まさか仁美がねえ」

 

 思ったままの事をそのまま口に出すと、仁美は一気に複雑そうな顔になった。

 

「え、あの、さやかさんは上条君とは幼馴染でしたわね」

 

「うん。そうけど」

 

 Mサイズのコーラをストローで飲みながら、仁美に返事をする。私は恭介に振られたが、それで幼馴染という関係性は消えてなくならない。

 どうでもいい事だが、このコーラ氷の量がちょっと多すぎる気がする。ストローが氷に邪魔されて飲みずらい。

 

「本当にそれだけ?……私、決めたんですの。もう自分に嘘はつかないって。あなたはどうですか?さやかさん。あなた自身の本当の気持ちと向き合えますか?」

 

「え、どうしたの?仁美。何の話をしてるの?」

 

 時々、仁美はふざけてわけの分からない事を言うが、今回は輪をかけて分からない。もっとはっきりストレートに言ってほしい。

 

「あなたは私の大切なお友達ですわ。だから、抜け駆けも横取りするようなこともしたくないんですの。上条君のことを見つめていた時間は、私よりさやかさんの方が上ですわ。だから、あなたには私の先を越す権利があるべきです」

 

 ああ。そういう事か。私にとってはもう既に終わった事でも、仁美はまだそれを知らないんだ。

 決着がついた事を知ってるのは……政夫とほむらだけ。まどかにさえもまだ言ってなかった。

 

「仁美……」

 

 私が仁美に台詞を言う前に、仁美は宣言するように言い放った。

 

「私、明日の放課後に上条君に告白します。丸一日だけお待ちしますわ。さやかさんは後悔なさらないよう決めてください。上条君に気持ちを伝えるべきか――――」

 

「ごめん。私恭介にもう告白した」

 

 私がそう言った瞬間、空気が微妙になった。でも、これは私が悪いんじゃなくて、仁美が私の台詞を(さえぎ)ったせいで、私のせいじゃない……はず。うん、多分。

 

「……どういう事ですの?」

 

「昨日、色々あって恭介に告白したの」

 

「そ、それで結果は?」

 

「振られちゃった」

 

 苦笑いと一緒に自分でもあっさりするほど簡単にその言葉が出た。心も落ち着いていて、まるで大した事じゃないみたいだ。本当にすっきりとしている。

 今日だって、恭介の事はほとんど考えなかった。もう私の中では割り切りができているみたいだ。我ながら薄情な気もするけど、いつまでもずるずると引きずってて良いものでもない。

 

「何で、何でそんなに平然としてられるんですの?さやかさんは、ずっと上条君をお慕いしていたんじゃありませんか!」

 

 仁美はまるで自分の事のように怒ってくれてる。今回の事だって、私と親友だからこそ、こうやって面と向かって正々堂々と言ってくれた。

 心に余裕ができたから、こんな風に見れるんだろうな。ちょっと前の臆病な私だったら、仁美の事を恨んでいたかもしれない。

  

「う~ん。何でって言われてもね……。あえて言うなら、背中を押してくれた奴にこれ以上みっともない姿は見せたくなかったから、かな?」

 

 政夫の前で散々泣いたからか、恭介に振られた後も涙も出なかった。あれだけ言葉をかけてもらったら、情けないところなんか見せられない。

 

「その背中を押してくれた奴って、まどかさんじゃないですわよね?」

 

「うん。まどかじゃないよ」

 

 まどかだったら、あんなきつくて厳しい言葉絶対に言わない。まどかなら、優しい言葉で私を(はげ)まそうとして、私もそれに甘えて、結局何もせずに諦めてしまったかもしれない。

 

「とにかく、恭介に告白するのは仁美の自由だよ。まあ、好きな人がいるから無理って答えるだろうけど」

 

「え!?上条君にそんな相手が」

 

「大丈夫。振られるのもそんなに悪くないよ。もしそうなったら、まどかと私で慰めてあげるから」

 

 

 

 




何かさやかばかりをプッシュしている気がします。次はまどかをメインに据えた話にしたいです。じゃないとタイトル詐欺になってしまいますから。


……にしても、本当にデレる気ゼロだなこの主人公。


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マミ編
第五十一話 とあるコンビニにて


 今日は本当に穏やかなまま一日を過ごせそうだ。はあ、何て安心できる気分だろう。この街に来て、少しも休まることはなかった僕の心が今こんなに安らいでいる。

 魔法少女の皆さんはお互いにそれなりにうまく行っている。もう、遺書の必要があるデンジャラスな非日常は遠退(とおの)いた。というか、僕みたいに何の力もないごく平凡な男子中学生が関わってこと自体が既におかしかった。

 これぞ、本来あるべき日常なんだ!

 

 だが、僕の隣を歩いている鹿目さんは、(うつむ)いて、後ろめたそうな表情をしている。十中八九、考えていることは分かる。

 『自分だけ何もせず、こうしていて良いのだろうか』とでも思っているのだろう。親友の美樹が魔女との戦いに足を踏み入れることになったのだから、理解できなくもない。

 

「鹿目さん、どうしたの?具合でも悪いの?」

 

 自分でも白々しいと思うが一応念のために鹿目さんに直接聞く。万が一だが、純粋に体調が悪いという可能性もある。

 

「大丈夫、平気だよ。心配してくれてありがと、政夫くん。ただね……」

 

「みんな魔法少女になって魔女と戦うのに自分だけは何もしなくて良いんだろうか、ってことかな?」

 

 目を一瞬だけ大きくさせて、驚いたように鹿目に言った。

 

「すごいね、政夫くんは。私の考えてる事何でも分かっちゃうんだ」

 

「何でも、は流石に無理だけどね。大体のことは顔を見れば分かるよ。特に鹿目さんは顔に出やすいしね」

 

 人間観察は僕のちょっとした特技だ。昔……といっても小学校低学年の頃だが、人の悪意というものに触れてから人間不信になった僕は、信用できる人間かどうかをよく観察して(はか)るようになった。それが今ではどんなことを考えているかまで読み取れるように成長した。

 一言で言えば『環境』に適応したのだ。人が悪意を隠して、笑顔で詰め寄ってくるような『環境』に。

 

 そうなんだ、と鹿目さんは少し恥ずかしそうに小さく笑った。

 こういう育ちの良さを感じさせるような態度を見ると、自分がどれだけ汚れてしまった人間かを改めて思い知らされる。

 

 僕は鹿目さんのように綺麗には笑えない。

 自分がどの程度の笑みを、どんなタイミングで、見せればどういう反応が返ってくるのか常に頭の隅で考えてしまう。

 すべての行動は打算へと繋がるばかり。可愛げのない薄汚い所作だ。そして、そんな自分の所作を僕は受け入れてしまっているから性質が悪い。

 

「鹿目さん。取り合えずさ、魔女のことは巴さんたちに任せて、他のことを考えた方がいいんじゃない?」

 

「他の事?」

 

 首を傾げる鹿目さんに僕は続けて言う。

 

「やりたいこととか何かない?例えば……ほら。恋愛とかだよ」

 

 具体的なものに何を挙げるべきか悩んだが、恋愛関係なら鹿目さんも興味があるだろう。むしろ、女子中学生で恋愛に興味がなかったら、かなり不健全だ。

 

「ええ!?そ、そんなの急に言われても、まだ分かんないよ。私、初恋だって、まだした事ないもん」

 

 鹿目さんは恥ずかしそうに、わたわたと慌てる。

 視線が(せわ)しなく動き、挙動が少しおかしくなっている。

 

「そうなの?でも、鹿目さん可愛いから、結構男子にモテそうだけどな」

 

 僕がそう言うと、顔の前で手をぱたぱた振りながら、鹿目さんはちょっと大げさに見えるほど否定した。

 

「可愛いなんて、そ、そんな事ないよ!私は、マミさんやほむらちゃんや仁美ちゃんみたく美人じゃないし、地味だから……」

 

 …………地味?

 あれ、おかしいな。少なくとも『地味』という言葉は、ピンク色の髪の女の子を形容する言葉ではなかったと思う。

 あと、さり気なく美樹が(ハブ)かれている。鹿目さん的には美樹は美人のカテゴリーには含まれないらしい。

 

「それはないよ。鹿目さん(の髪)は地味なんかじゃない。それどころか目立つくらいさ」

 

 この街はカラフルなヘアカラーの人間が数多く居るが、ピンク色の髪の人間は未だ鹿目さん以外見たことがない。もし居たとしても、大した数じゃないはずだ。というか、そんなにピンク色の髪の人間が大量に居るとこなんか想像したくない。

 

「そ、そうかな……?でも、私なんて」

 

 鹿目さんは自分に容姿に自身がないのか、いまいち納得していない様子だ。

 大丈夫だよ、鹿目さん。君は、君が思っている以上にファンキーで反社会的なヘアカラーしてるから。まあ、色も薄くて淡いし、色としてのインパクトとしては杏子さんの赤髪の方が断然上だけど。 

 

「鹿目さんにとって、僕の言葉はそんなに信用できないものなんだね……。そうだよね、まだ知り合って日も浅いし……。何か、今までなれなれしくしちゃってごめんね……」

 

 寂しそうな表情と声色を即座に作って、僕は(うつむ)く。人が泣き出す一歩手前のような独特の雰囲気を意図的に(まと)わせる。

 暁美辺りなら冷たく「そうね」とか言いそうだが、心の優しい鹿目さんなら確実に否定してくれるだろう。

 

 案の定、鹿目さんは慌てて、近づいて慰めようとしてくれる。

 

「違うよ!そんな事ないよ!私、政夫くんの事、すっごく信頼してるよ!」

 

 ……背中を優しく撫でながら、そんなことを言ってくれてもらえると、冗談でやったと言い出しずらくなるので、止めてもらって良いでしょうか、鹿目さん。

 

「じゃあ、もう『私なんて』って言うのは止めて……。鹿目さんが自分のこと卑下するたびに僕は悲しくなってくるから……」

 

 さり気なく、鹿目さんにネガティブな発言をしないように釘を刺す。

 普通なら、話が微妙に繋がっていないことに気付くと思うが、僕を元気付けることに必死な鹿目さんはそれに気が付いていない。

 

「うん。もう言わないから、政夫くんも元気出して!」

 

「そっか。それは良かった」

 

 声のトーンを戻して、あっけらかんと鹿目さんに言うと彼女は無言で固まった。

 そして、その直後自分がからかわれていたことに気付いたらしく、怒って頬を膨らませる。

 けれど、性格上怒るということが苦手なようで、その表情から僕が本気で落ち込んでいないことへの安堵が見てとれた。

 

「政夫くん、酷いよ。私は本気で心配したのに……」

 

「ごめんね。ちょっとした悪戯(いたずら)だったんだよ。まさか、鹿目さんがそこまで心配してくれるとは思わなくて」

 

「ふんっ」

 

 そっぽを向かれてしまった。それにしても仕草(しぐさ)がいちいち可愛いな。暁美が夢中になるのも頷ける。

 しかし、怒らせてしまったのは僕の落ち度だ。どうにかご機嫌を取らねばなるまい。

 ふと、近くを見るとコンビニを見つけた。

 ここで何か鹿目さんに(おご)ろう。別にファミレスや喫茶店でもいいのだが、なぜかこの街に来て飲食店に入ると僕は何も口にできないというジンクスができてしまっているので、今回は避ける。

 

「お詫びに そこのコンビニで何か奢るから許してよ」

 

「え?それは何か悪いよ」

 

「いや、いいよ。コンビニにそこまで値が張るようなもの置いてないだろうし」

 

 鹿目さんを連れてコンビニに入る。

 自動ドアが開き、お馴染みの音楽が流れる。

 思考を魔法少女関連のことから、()らすことには成功したな。正直、僕はこのことに関して、鹿目さんはできれば蚊帳(かや)の外にいてほしいのだ。

 暁美が言っていた『魔女になった鹿目まどか』は世界を滅ぼすほどに脅威的で恐ろしいらしいので、魔法少女にはなってもらうわけにはいかない。

 

 いや、本当にこの街を護ることだけなら、鹿目さんに魔法少女になってもらい、あと二週間と少しの後に来るワルプルギスの夜とかいう巨大な魔女を倒してもらってから、ソウルジェムを砕いて死んでもらうのが一番被害の少なくて済む方法なのだろう。最大多数の最大幸福というヤツだ。暁美も『他の世界の鹿目まどか』は簡単にワルプルギスの夜を倒したと言っていた。

 

 だが、そんなことをすれば、僕は支那モンと変わらない。いや、それ以下の犬畜生に成り下がるだろう。何より、鹿目さんと仲良くなってしまった僕には到底選べない選択肢だ。

 

「どうしたの?政夫くん」

 

 少し思考に浸っていたため、コンビニの入り口付近でぼうっとしていたようだ。

 何でもない風を装って、軽く笑う。

 

「いや、何を買おうかな~と思ってさ」

 

 いけないな。僕の方が鹿目さんよりも魔法少女関連のことを考えるとは本末転倒だ。取り合えず、鹿目さんと一緒にジュースでも選ぼう。

 

 そう思って口を開こうとした時、チャリーンと小銭が落ちる音がすぐ(そば)で聞こえた。

 見ると、この街ではかなり珍しい黒髪で短髪の女の子が、レジの前で財布の中身をぶちまけてしまったようで、落としたお札と小銭を拾い集めていた。

 

 この時間帯は僕らのように学校帰りの生徒が多いらしく、レジには中高生くらいの男女の列ができていた。「おせーよ」とか「ふざけんなよ」などの小声で悪口が聞こえてくる。

 その人たちを擁護するつもりはないが、お金を落とした女の子はのろのろとした緩慢な動きでまるで急いでいない。正直言って、見ててイライラするレベルだ。

 

  別に僕は困ってる人を見過ごせないほどお人好しな人格はしていないが、それほど急いでいるわけでもない時に困っている人を無視するほど冷たい人間でもない。

 仕方ない。同じ黒髪の人間のよしみとして手伝うか。

 

「鹿目さん。ジュースとかお菓子とか先に選んどいてよ」

 

「あの人の手伝いするんでしょ?私も手伝うよ」

 

 鹿目さんはそう言ってにっこりと優しく微笑んだ。流石は元祖お人好しと言ったところか。本当に優しい性格をしている。

 

 二人でレジの前に散乱したお札と小銭を集めている女の子に近づくと、無言で一緒にしゃがんで彼女を手伝う。

 意外にも鹿目さんはテキパキしていて、思ったよりも簡単に片付けることができた。

 

「これで全部かな?」

 

「レジの下の隙間に挟まってた小銭も取り出したから多分そうだと思うよ。はい、どうぞ」

 

 鹿目さんが拾ったもまとめて、僕の分と合わせて女の子に渡す。

 なぜか僕らを見て呆然としていたが、お金を渡す時に僕の指先が僅かに彼女の指に触れるとビクっと動いた。

 

「あの、えっと……ありがとう」

 

 しどろもどろで小さな声だったが、女の子は僕らにお礼を言った。

 

「どういたしまして」

 

 近づいた時に気付いたが、この女の子も見滝原中の制服を着ている。同じ見滝原中の生徒のみたいだ。仕草が幼かったから『女の子』と表現したが、ひょっとしたら先輩かもしれない。まあ、そんなことはどうでもいいか。

 

 立ち上がって膝の汚れを落とすと、女の子はまだこちらを見たままぼうっとしている。

 何だ?僕の顔に何か付いてるのか?

 

「えっと、取り合えずは会計早く済ませた方がいいんじゃないですか?」

 

「え?あ、うん。そう、だね」

 

 レジで精算が始まり、やっと僕から女の子の視線が外れた。

 にしても、何で僕を見て呆然としたのか、いまいちよく分からない。親切されたことがなかったから、びっくりしたとか?いや、ないだろう、そんなこと。

 

「鹿目さん、僕の顔になんか変な物付いてる?」

 

「別に付いてないけど、どうしたの?」

 

「いや、ならいいんだ。じゃあ、何を買おうか?」

 

 多分、僕の顔が知り合いにでも似てたとか、そんな下らない理由だろう。

 そう言って僕は短い黒髪の女の子のことを思考の外に追いやり、買い物に気を向けた。

 




短い黒髪の女の子……一体誰なんだ!?
多分、大体の人は察しがついたと思いますが、ネタバレはしないで下さると幸いです。

よろしければ、感想とか書いて頂けると嬉しいです。


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番外編 その名はロッキー

ストーリーはまったく進んでいません。ギャグパートみたいなノリです。


 ロッキー。

 この単語を聞いて大抵の人間は、何を思い浮かべるだろうか。

 僕なら、「エイドリアーン!」と叫ぶボクサーか、ドラクエⅤのばくだんいわだ。

 

「はい、政夫くん。……どうしたの?政夫くんが買ってくれたお菓子なんだから一緒に食べようよ。おいしいよ、『ロッキー』」

 

 僕の隣に並んで歩いている鹿目さんが箱から一本取り出して、ぱくりとそれを(くわ)えてた。

 鹿目さんが僕の方に差し出した赤い長方形の箱型のパッケージには『Rocky』と大きく表記されている。一瞬、僕の見間違いかと思ったがそうではなかった。

 

 ロッキー……?ポッキーじゃなくて、ロッキー?

 商品登録とか、大丈夫なのか、これ。訴訟大国日本で、まさかこんなことをする企業があるとは到底思えない……。き、きっとどこか明確な違いがあるはずだ。そうでなければ許されない。

 

「……じゃあ、一本もらうね」

 

 紙でできた長方形の赤い箱の内側に収まった白地に赤で『Rocky』といくつも描かれた袋から、僕はすっと棒状のお菓子を引き抜く。そして、それを様々な角度から眺め回す。

 真横から、斜めから、上から、真正面から、じっくりと目で()め回すように。

 

 

 観察の結果から述べよう。

 ポッキーだ、これぇぇぇェェェーーー!?

 手を汚さないで食べれるように考案された、棒状のプレッツエルの三分の二だけをチョコレートでコーティングして、三分の一を持つ部分のあるチョコステック。

 「てくてく歩きながら食べるチョコスナック」ということで大好評し、今ではどこのコンビニでも見られるポピュラーなお菓子、Pocky。

 もはや、言い逃れはできない仕上がりだ。むしろ、ここまでポッキーそのものだと、ある種の潔ささえ感じられる。

 まさか、見滝原でこんなパチモンが存在していたとは。

 

 そこまで考えて、ふと僕はある疑問を抱いた。

 なぜ鹿目さんはこのパチモン製品を平然と受け入れているのだろう、という疑問だ。

 この疑問を納得させる答えは、僕の仮説の中でたった一つだけある。だが、この答えが正解だった場合、僕の中の常識が音をたてて崩れ去ることになるだろう。魔女や魔法少女など(かす)むほどに。

 

 しかし、僕は聞かなくてはならない!例え、自らの常識を危険にさらすことになろうとも、はっきりさせなければいけないことがあるからだ!

 

「鹿目さん……ポッキーって知ってるよね?」

 

 質問というより、そうであってほしいという願いを込めた確認だった。

 だが、そんな僕の懇願など知らない鹿目さんは首を僅かに傾げて一言言った。

 

「え?知らないよ?」

 

 その瞬間、僕の中の常識が完膚なきまでに破壊されてしまった。

 見滝原……流石は魔境と呼ばれる群馬県(グンマー)の都市なだけはある。

 前の中学の友達、大和(やまと)武蔵(むさし)、通称むっさんが「まっさんよ、お前はグンマーを知らな過ぎるぜ……」と遠い目をして僕を見送った理由が今分かった。いや、カラフルなヘアカラーのクラスメイトを見て、もっと早く気付くべきだった。

 

 ここは、見滝原市は魔境だったのだ!!

 人知を超越した場所に僕は今居るということが頭ではなく、心で理解できた。

 むっさん、僕はようやく辿(たど)り着いたよ……これが君の言っていた『グンマー』なんだね!

 

 僕は新たなる常識の門出(かどで)として、持っていたポッキー、否、ロッキーに思い切り(かぶ)り付いた。

 ガツッと鈍い音が口の奥でくぐもって響いた。歯に激痛が走り、脳にロッキーに対する形容詞が膨れ上がる。

 耐え切れず、声になる。

 

「かっ……てえぇぇぇェェェ~~~!!?」

 

 意味が分からない。ただ分かったことは、このロッキーというお菓子が信じられないくらいの硬度を誇っているということと、歯が欠けたかもしれないほどの痛みが口の中で(ほとばし)っていることだけだ。

 

「ま、政夫くん、大丈夫?」

 

「つぅ…………何これ?」

 

 落としかけたロッキーに目を落とすと、さらに信じられない情景が僕の目に飛び込んできた。

 僕が(かじ)ろうとしたロッキーは――――折れていなかったのだ。

 唖然とする僕に、心配して僕を覗き込むように見る鹿目さんは理解不能なことを言い出す。

 

「駄目だよ。ロッキーはちゃんとこうやって口に咥えて溶かさないと、歯が折れちゃうよ?」

 

 歯が折れる?お菓子で?何それ怖い。

 

「ちょっと箱見せて」

 

 ロッキーのパッケージには、注意書きとして『特殊な飴でコーティングされておりますので、咥えてよく柔らかくしてからお召し上がりください』とちゃんと明記していた。

 

「……ふ……ふふ、ふふふふ――――――」

 

 なぜか暗い薄笑いが込み上げてくる。

 そうか……。

 Rock=岩。

 つまり、Rockyという名前には『岩のように硬いお菓子』という意味が込められていたのか。

 完敗だ。僕の負けだ。

 ポッキーのパチモンなんて言って悪かったよ。本当に恐れ入る。これはロッキーだ。まったく別のお菓子だ。

 そういえば、Rockはスラングで『すごい』という意味も持っていたな。

 

「ふふ、鹿目さん。Rockだよ。このお菓子……」

 

「何言ってるの政夫くん!?大丈夫!?」

 

 




アニメで杏子がずっと加えてても一向に折れる気配がなかったお菓子の「Rocky」をネタにして書いてみました。映像を見る限りあのロッキー冗談抜きで硬いですよね~。

というか、この小説の最初のコンセプトこんな感じで政夫が見滝原市のものに突っ込みを入れる物語でした。
政夫は性格とか特になくて、常識をボロボロにされていくだけの狂言回しだったですが、どうして今の彼になってしまったんでしょう?
キャラが勝手に動き始めて、今の物語に変わっていってしまいました。


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第五十二話 不安の萌芽

主人公の政夫は今回出てきません。ほむら視点です。


~ほむら視点~

 

 暗く、どこまでも陰気臭い世界。

 白と黒しか存在しないのではないかと思うほどに色彩の欠いた場所。

 まるで影絵のようなこの場所は当然ながら、普通の場所ではない。魔女の結界の中だ。

 

 魔女の結界は基本的にカラフルなものが多い。きっと、魔女になった魔法少女の意識が反映しているのだろう。

 だとしたら、この気が滅入(めい)るようなモノクロームな結界を作った魔法少女はどんな女の子だったのか。そして、私がもし魔女になったとしたら、どんな結界を作るのだろうか。

 ……一人でこんな暗いところに居ると、次から次へとマイナス思考が浮かんできそうだわ。

 

 そう。いつものように一人(・・)だったら。

 

「おい。ほむらっつったか?お前、一人で先行くんじゃねーよ。危ないだろうが!」

 

「まあまあ、杏子さん。落ち着いて。暁美さんはそれなりに経験を積んでるようだから、そんなに心配しなくても平気よ」

 

「し、心配なんかしてねーって」

 

 私の後ろから、魅月杏子が文句を言いつつ現れた。彼女を(たしな)めるように巴マミもやって来る。

 一人じゃなく、自分と一緒に戦ってくれる仲間がいる。まるで魔法少女の秘密さえ知らなかった昔のようだ。

 でも、その頃とは決定的に違う事が一つ。それは彼女達二人はすでに魔法少女の秘密を知っている事だ。秘密を知って、なおも協力し合えている。

 

「……ごめんなさいね、魅月杏子さん。前はいつも一人で魔女と戦っていたから」

 

「ま、まあ、分かればいいんだよ。……アタシも一人で戦ってたからその気持ちも分かるしな。あと、呼ぶときは杏子でいいぞ」

 

 少し照れたようにそっぽを向き、頬をかく杏子。

 

「そうよ。暁美さんたら、いつもフルネームで呼ぶんですもの。私の事もマミでいいわ。本当は先輩だから『さん』付けで呼んでほしけどね」

 

 本当は『さん』付けしてほしいのか、ちらっと私に期待した視線を向けるマミ。

 

「分かったわ。これからはそう呼ばせてもらうわね」

 

 和気藹々(わきあいあい)とした会話。魔女の結界の中だから用心しなければいけないのだけれど、自分を押し殺して戦っていた時と比べてずっと心地が良かった。

 不思議な気持ちだ。どうしても届かなかったものが今当たり前のように手元にあるような、そんな感覚がある。

 

 これも政夫のお(かげ)ね。本人に言ったら絶対に否定するだろうけれど、マミと杏子の仲を取り持ったのは間違いなく彼の功績によるものだと思う。ううん、それだけじゃない。私が彼女達にこうして心を開けている事も政夫が居たからだ。

 

 今まで私はまどかに執着するあまり、まどか以外の人間の事を考えていなかった。でも、それではまどかを救える訳がない。

 まどかの周囲の人間も護らなければ、まどかは救われない。人間は一人だけでは生きている訳ではないのだから。

 結局のところ、私がしてきた事はまどかのためなんかじゃなく、全部自分の都合のためだった。私もさやかと同じように、『他人のため』って言い訳して現実から目を背けていたのだ。

 最近、政夫達と一緒に過ごして、その事がようやく理解する事ができた。

 何時の間にか人の心に土足で上がり込んで、現実を突きつけて、そして、当たり前のように解決してくれる。……本当にずるい男。

 

 

「それじゃあ、そろそろ気を取り直して奥に行きましょうか」

 

 マミがこの中では最年長らしく、場を仕切り、私達は結界の奥へと進んで行く。

 薄暗い結界内で不定形の影でできた蛇のような使い魔が道中私達に襲い掛かって来るが、魔法少女が三人も居るとそれほど脅威ではなかった。

 まず杏子が先陣を切って、槍で影の蛇の使い魔を粗方(あらかた)切り裂き、マミと私で生き残った使い魔を銃で打ち抜く。

 

 もしも、これが私一人なら、墨汁で満たしたような地面に巧妙にカモフラージュされた黒い影の蛇の使い魔は厄介な存在だった。

 けれど、私達は三人、つまり都合三対の目がある。誰かが地面に擬態した使い魔を見落としたとしても、他の二人がそれをカバーして対処する事ができる。特に杏子とマミのコンビネーションは素晴らしく息が合っていた。

 

 杏子の槍を避けるために身をくねらせて、迂回して飛び掛って来る影の蛇の使い魔をマミが狙い済ましたかのように打ち抜いていく。杏子はマミの援護射撃を疑いもせずに、さらに使い魔が密集しているところに突撃する。お互いにお互いを信頼しているから成せる技だ。

 杏子はマミが取りこぼした使い魔を倒してくれると信じているから、振り返らずに前へと進む事ができ、マミは杏子が大多数の使い魔を切り裂いてくれると信じているから、落ち着いて敵へ狙いを定めて撃つ事ができる。

 

 私も負けてられない。自然と胸の中が熱くなっていくのを感じる。意識が高揚しているのが分かる。

 まどかの事だけを考えて一人ぼっちで戦ってきた時にはなかったものだ。これが『仲間』がいる喜びなのだろう。

 私はマミの隣に並び、拳銃を構えて、使い魔を迎え撃つ。

 

 

 

 

 時間にして、十分もかからなかっただろう。

 この結界の最深部、魔女が居る場所まで私達は辿(たど)り着いた。

 

 相変わらず暗くて陰気なところだが、今まで黒と白しかなかった世界に一色だけ違う色が目に映った。

 太陽を模したような赤いオブジェ。それだけがこの空間で文字通り異彩を放っていた。

 

「あれがこの結界の魔女か……」

 

「まるで祈りを捧げている女の子みたいね」

 

 その太陽のオブジェのすぐ下に、こちらに背を向けて膝を突き、マミの言う通りオブジェに祈りを捧げる黒い女の子のような存在がいた。この場所の主、(すなわ)ち魔女だ。

 

「早いところ片付けましょう。いつまでもこんな場所に長居はしたくないわ」

 

「そう、だな……」

 

「……ええ。暁美さんの言う通りね」

 

 二人とも、ここまで来る時と違い、どこか歯切れが悪かった。どうしたのだろう?

 

 どこか疑問を感じつつも、先ほどと同じように近距離格闘が主体の杏子がフォワード、私とマミがバックアップで魔女の元へ詰め寄っていく。

 魔女の居る場所は、やや坂道のようになっており、近付くと影の蛇の使い魔が行く手を(さえぎ)るように地面から現れる。

 

 攻めづらい。使い魔がカーテンのように規律正しく並び、直接狙撃する事ができない。

 まるで凄まじい鉄壁の布陣だ。

 魔女自身は動く気がないのか、それとも動けないのか微動だせずに祈るように留まっている。

 

「くっ……こいつら、次から次へと。キリがねぇ」

 

 杏子が影の蛇の使い魔を切り飛ばし、隙間を作って少しずつ足を進めるものの、その隙間を補うように地面から使い魔が這い出してくる。

 驚くほどに防御に特化した魔女だ。

 

「杏子さん!暁美さん!一瞬だけでいいから、使い魔の壁をこじ開けてもらえないかしら。直接、魔女に『ティロ・フィナーレ』を当てるわ」

 

「分かった!」

 

「ええ、分かったわ」

 

 私は右手に付いている盾からサブマシンガンを取り出し、同時に時間を停止させる。動きの止まった影の蛇の使い魔の壁目掛けて乱射する。もちろん、杏子が射程圏内に入らないように使い魔に近付いてだけれど。

 近距離で乱射したサブマシンガンの威力は凄まじく、氷柱をへし折っていくように使い魔を打ち砕いていく。

 十分、一掃できた事を確認すると、盾を(いじく)り、再び時間を動かす。

 

「ん?え!?おい、これどうなってんだ!いつの間に使い魔が……」

 

 時間を止めた事を知らない杏子は一瞬の間もなく倒された使い魔を見て、何が起きた分からず混乱していた。

 停止した時間を知覚できるのは、私が触れているものだけだ。今の杏子やマミなら私の手札を見せても構わないが、お互いに手を繋いでいたら杏子は槍を満足に振るえず、私もサブマシンガンを撃てない。

 今度、さやかも一緒の時にワルプルギスの夜対策も兼ねて、(みんな)に話す事にしよう。

 

「マミ!使い魔が復活する前に早く決めて!」

 

「わ、分かったわ」

 

 杏子ほどじゃなくとも、混乱していたマミだが、流石といるべきかすぐさま正気に返り、黄色いリボンを(まと)めてあげて巨大な銃を作り出す。

 マミが持つ一撃必殺の魔法。本来ならセットでリボンの拘束が必要だが、あの動かない影の魔女なら問題はないだろう。

 

「ティロ…………ッ」

 

 だが、何故かマミは『ティロ・フィナーレ』を放とうとしない。

 辛そうな表情を浮かべるばかりで、銃を構えたまま硬直している。

 

「どうしたの!何故早く撃たないと――」

 

「……彼女も魔法少女だったのよね」

 

 ぽつりとマミが言った。

 

「あの子も私達と同じ魔法少女だったのよね?私達と同じように魔女と戦って、そして……魔女になった魔法少女」

 

 苦悶(くもん)に歪むマミの表情。

 それを見て、私は理解してしまった。マミはあの魔女に同情しているのだ。最初にこの場所に足を踏み入れた時からずっと。

 

「ええ、そうよ!でも、あれは魔女よ。もう魔法少女ではない、ただの化け物なのよ!」

 

 駄目だ。いけない。それは踏み込んではいけない思考だ。

 

「私達だって、彼女と同じようになるかもしれないのに、そんな事が言えるの?私達のやっている事は……」

 

 私ですら、いつも考えないにしていた禁忌。マミは自分がやってきた事を全否定するような台詞を吐こうとしている。

 止めさせなければ。それだけは言わせてはならない。

 だけど、マミに対して何を言ったらいいのか、まったく浮かび上がってこない。

 

「ただの人殺し(・・・)なんじゃないの?」

 

「だったら……。だったら、どうすれば良いの!?どうすれば良かったの!?」

 

 怒りと悲しみが(のど)の奥から()り上がって、声になった。

 今までずっと一人で溜め込んできた言いようのない負の感情が抑え切れなくなっていた。

 

「魔法少女が人殺しだと言うなら、皆そうよ!貴女も私も!皆……!」

 

「おいッ!お前ら、話してる状況じゃねーぞ!!」

 

 杏子の声でハッと我に返り、魔女の方を向くと黒い地面から、使い魔とは違う影の津波がこちらに向かって押し寄せて来る。

 

 しまった!これじゃあ、避けられない!

 時間を止めたところで、あの黒い津波から逃げる場所がない。攻撃の手段がない魔女だと侮っていた付けがきた。

 使い魔に気を取られている間に向こうは虎視眈々(こしたんたん)と魔力を溜めていたのだ。

 

「ッちぃ!しゃあねーなぁ!!」

 

 杏子が魔力で柵のような防壁を作り上げる。

 だが、これだけで巨大な津波を防ぎ切る事は不可能だ。実際に勢いは()がれたものの防壁を圧迫して、(ひび)が入り始めている。

 

「マミ!アタシの防壁が砕ける前に『ティロ・フィナーレ』を使え!そうすれば、押し返せるかもしれねー!」

 

「……でも」

 

「早くしなさい!このままじゃ、三人とも死ぬ事になるわよ!」

 

「……分かったわ。『ティロ……フィナーレ』!」

 

 マミの抱える巨大な銃の銃口から、白黒の世界を破壊するかのように輝く黄色い閃光が(ほとばし)る。

 杏子の防壁が砕け散り、影の津波が押し返された。影の魔女が居る崖のような場所まで到達する。

 しかし、影の魔女は無傷ではないもの、まだ健在だった。

 

 私は再び、時間を止めて、影の魔女の元に近付いていく。

 影の津波を放ったからか、周りには魔女を守護する使い魔は一匹も居ない。

 

 今まで『魔女退治』と言ってやってきた事が、殺人のように思えてきた。いや、正確にはまどかを免罪符代わりにして、誤魔化してきた事を初めて意識しただけなのだろう。

 

 私はサブマシンガンをしまって、普通の拳銃を取り出した。弾の無駄遣いがしたくなかったのか、それともこのボロボロの魔女を蜂の巣にして殺す事に罪悪感を感じたのか自分でも分からなかった。

 

 

「…………死んでもらうわ」

 

 止まった時間の中で私は何を言っているのだろう。聞こえたところでもう意味など理解できるとは到底思えない。

 二、三発、弾丸を撃った後、時を再始動させる。

 

「魔女は、私が倒したわ」

 

 結界が消滅して、周囲の光景が元の見滝原市に戻っていく。

 二人は私がグリーフシードを拾うのを無言で見ていたが、やがてマミの方が口を開いた。

 

「……何でそんな簡単に殺せるの?」

 

「おい!マミいい加減にしろよ!やらなきゃアタシらが死んでたんだ!」

 

 杏子が私を擁護してくれるが、マミは杏子に視線だけを向けて言った。

 

「杏子さんだって、あの魔女に同情してたんじゃないの?」

 

「ッ、それは……」

 

 図星を指されたみたいに杏子は言葉に詰まる。

 そういえば、杏子の父親は神父だった事を思い出した。同情してたのはマミだけではなかったのだ。

 

「……ごめんなさい、酷い事言ったわ。先輩失格ね。少し頭を冷やすわ」

 

 マミはそう言い残すと、背中を向けて去って行った。私はマミに何も言えずにただ(うつむ)(ほか)なかった。

 

「ほむら。マミも別に本気でお前の事責めてるんじゃないんだよ。うまく言えねーけど、ただあいつには……正義だけが全てだったから」

 

「分かってるわ。大丈夫、ありがとう」

 

「そうか……。アタシももう帰る。じゃあな」

 

 杏子も私の事を心配そうに見ていたが掛ける言葉が見つからなかったようで、複雑な表情で帰って行った。

 

 どうして……。どうして、こうなるの?

 いつもこうやって、皆離れていく。この世界ならうまく行くと思ったのに。

 心細くて、どうしようもない。不安が思考を覆い尽くす。

 

 こんな時に、彼が傍に居てくれたら。飄々(ひょうひょう)とした笑顔でどうにかしてくれるのに。

 

「政夫……」

 

 




折角、うまく行きそうだった時間軸。しかし、物事はそううまくは行かない。
主人公の知らないところで不和が起こると、対処の使用がありません。

ほむらは政夫のおかげでうまく行っていると思っているで、ちょっと依存度が高くなっています。政夫もそれを危惧していましたが……。
本人からしたら、「別に僕はヒーローでも特別な人間でもないからね!」って言いそうです。

というか、やはりバトルのある展開は難しいですね。
これから、二月の六日までにサークルで書いている小説に取り掛からなくてはいけないので次に投稿できるのは、早くても二月くらいになりそうです。


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第五十三話 公園カウンセリング

「それじゃあ、またね。政夫くん」

 

「うん。じゃあ、また学校でね」

 

 鹿目さんと別れて、僕は自分の家に向かう。

 それにしても、本当に今日は何の危険や苦労もなく平和に終わったな。きっと日頃の行いが良いだろう。明日は土曜日で休日だし、のんびり過ごそう。

 

 

 そう思って歩いていると、曲がり角で見覚えのある人物を見かけた。

 先ほどローソンで会った見滝原では珍しい黒髪の女の子。……珍しいと表現するのは本来おかしいことなのだが、もうこの街では僕の常識が通用しないというのは『岩石菓子(ロッキー)』で教わった。

 

「え?あ!さっきの……」

 

「どうも。また会いましたね」

 

 相手も驚き具合からいって、僕の方が先に気付いたのだろう。だが、僕のことはしっかり覚えていたらしい。まあ、さっき会ったばかりだから当然と言えなくもないが。

 

 この辺りに住んでいるのだろうか?

 いつも僕は鹿目さん達と一緒に待ち合わせして学校に向かうので、行きはこの辺りの道を通らない。そのせいであまりこの辺の中学生とは基本的に会わないのだ。

 取り合えず、こちらから話しかけたのだから、先に名乗るのが礼儀だ。

 

「僕は見滝原中、二年の夕田政夫です。貴女は?」

 

「ボ、ボクは呉キリカ。三年生……」

 

 僕から目を逸らしながらも、ボソボソと小さな声で自己紹介をしてくれた。かなり内向的な人だな。確かに先輩だという可能性は考えていたが、本当に先輩だったとは……。念のために敬語を使っていて良かった。

 だが、この人、コミュニケーション能力が暁美とは別のベクトルで低い。正直、年下と言われた方がしっくりくる。

 それにしても、一人称が『僕』って女の子現実にいたのか。アニメやゲームの中だけの存在かと思っていた。

 

「じゃあ僕の先輩ですね。呉先輩はこの辺に住んでいらっしゃるんですか?」

 

「……いや、今日はたまたまこっちの道を通っただけで……本当はあっちの方」

 

 そう言って呉先輩は、僕から見て右側を指差した。この街に詳しくない僕には「あっち」とか言われてもいまいちピンとこない。ひたすらコメントに困るばかりだ。

 

「へえ、そうなんですか。僕は最近この街に越してきたから、あんまりこの辺の地理に詳しくないんですよ」

 

「そうなんだ……」

 

 遠回しに、「貴女の説明だとさっぱり解りません」という意味を込めて伝えてみるが、呉先輩は文字通りにしか伝わらなかったようで、小さく頷いただけだった。

 

 何と言うか……仮にも年上の相手を捕まえて、こう言うのもなんだが、暗めの小学校高学年くらいの子と会話しているようだ。話をしてても、こちらの意図を()んでくれない上に、あっさりと話題を切ってしまうため、驚くほど盛り上がりに欠ける。

 

 このくらいで話を終えて帰るとしよう。呉先輩もこんな退屈な会話を繰り返していても面白くもなんともないだろうし。

 

「それじゃあ、僕はこの辺で」

 

 僕は軽く頭を下げて、家に帰ろうとした。

 だが――。

 

「あ……。もう少しだけ……話したりしない、かな?」

 

 呉先輩は僕を呼び止めた。会って間もない僕と何を話したいというのだろうか。

 僕としてはもう話す話題もないので帰りたかったのだが、飼い主を必死で呼び止めようとする子犬のような目で見てくる呉先輩を無下(むげ)にあしらうのはできなかった。

 

「いいですよ。じゃあ……立ち話もなんですし、そこにある公園のベンチででも話しましょう」

 

 

 

 丁度近くに公園があったので、そこに呉先輩と一緒に入った。

 まだ三時半を過ぎた程度の時間だが、子供の姿は少なく、老人がゲートボールに興じているのをちらほら見かけただけだった。こういうのを見せられると少子高齢化が刻々と進んでいる様子を目で感じられる。最近というほどでもないが、小学生が外でスポーツをして遊ぶよりも、家に集まってゲームで遊ぶ方が多くなったのもこの光景の原因かもしれない。

 いずれにせよ、公園が酷く物寂しく思えることには変わりない。

 

 割りと綺麗なままのベンチが逆に利用する人の少なさを訴えているようで、微妙な気分にさせられる。呉先輩が無言で腰掛けた後に、僕は隣に座って話しかける。

 

「で、何か話したい話題はありますか?何でも構いませんよ。相談事でも平気です。僕、口は(かた)い方なので」

 

 まあ、そうは言ってみても、まだちゃんと挨拶して数分の僕に相談事なんかするはずもないだろう。呉先輩が好きな話題を振りやすいように言ってみたようなものだ。

 

「何でもいいの?」

 

「ええ。昔からよく相談事を受ける性質(たち)なんで」

 

 ……そのせいで友達のヘヴィーな家庭事情をよく聞かされたな。親と血が繋がってないとか、母親が愛人のせいで私生児だとか、正直僕に言ってどうするんだと思うような事柄ばかりだったが、悩んでいることを人に話すだけでもそれなりに胸の(つか)えを和らげることができるということを僕はその時学んだ。

 思えば、それは父親が精神科医をやっている影響かもしれないな。

 

「じゃあ、言うけど……ボクさ、ずっと学校がつまらないって感じるんだ。クラスの皆もどうでもいい事ばかり話ばかりしてて、それが下らなくて……」

 

 呉先輩は(うつむ)きがちにぽつりぽつりと悩みごとを吐き出した。

 ほとんど初対面の僕に話すくらいだから、恐らくは悩みを打ち明けられるような親しい友達はいないのだろう。ただ下らない話する程度にはクラスメイトとの交流がある分、巴さんよりはマシな気がする。

 

「なるほど。分かりますよ、その気持ち。何でそんな話題で盛り上がれるのって思う時ありますよね」

 

 まずは自分の感想を交えつつ、呉先輩を肯定する。最初から否定的な意見を述べてしまうと、相手が悩みを言い出しづらくなってしまうからだ。

 だが、多分、呉先輩が悩んでいるのはそのこと自体ではない。なかなか口に出せないからこそ、人は思い悩むのだ。簡単に表に出せるなら、そうそう困ったりはしない。

 

「そうなんだよ。それなのに、あいつらはまるでその輪に入って行けないボクが間違ってるみたいな目で見てくる。間違ってるのはボクの方じゃないのに」

 

 僕が共感をしたのが嬉しかったのか、呉先輩は最初よりもなめらかに言葉を(つむ)ぎ出した。

 ほんの少しだけ呉先輩の悩みの片鱗が見えてきた。

 この人は寂しいのだ。本心では人と語らいたいと思っている。けれど、どうしても冷めた目でその人たちを見下してしまう。その証拠に「クラスの皆」と呼んでいたのが、「あいつら」に変わっている。

 

 ならば、軽く揺さぶりをかけてみるか。

 

「一つ聞かせてほしいんですけど、呉先輩としてはどんな話題を皆で話したいんですか?」

 

「え……?」

 

 僕の問いに呉先輩が言葉を失う。僕の顔を向いたまま固まってしまったようだ。

 十中八九、何も考えていなかったのだろう。ただ批判をしていただけで、具体的な案はなかったと思われる。

 

 やっぱり、この人は寂しいだけなのだ。

 人の輪に入っていくことに恐れを感じている。迫害されることを怖がって近づけない。だから、下らないものだと決め付けて見下す。そうすれば、心の平安を得ることができるからだ。

 呉先輩は、イソップ童話の『狐とブドウ』に出てくる狐と同じで『クラスの輪』という名のブドウが手に入らないから、侮蔑することで自分を納得させている。心理学でいうところの『防衛機制・合理化』だ。

 

「質問を変えましょう。呉先輩はクラスメイトの皆さんと仲良くなりたいですか?」

 

「それは……わからない」

 

 僕の顔を見上げていた呉先輩は、また俯いてしまう。嘘ではなく、本当に分からないのだろう。

 クラスメイトに複雑な感情すぎて、自分でも把握しきれていないようだ。ほとんど無意識の内に合理化して逃げていたのかもしれない。

 僕は構わず、続ける。

 

「人と仲良くするのは嫌ではないですか?」

 

「嫌じゃ……ないかな。でも」

 

「でも?」

 

 両腕で自分の身体をかき抱くような姿勢で呉先輩は縮こまる。

 自分の足元を見つめながら、辛そうな表情で震え出す。

 

「怖いんだっ!人と親しくして裏切られるのが……!あの時みたいな思いをまたするのかと思うと……足がすくんで……」

 

 過去に人に手酷く裏切られたことがあるのだろう。呉先輩の声には悲壮感が満ちていた。

 小学校一年だった自分を思い出す。『スイミー』を殺されたばかりの僕もこんな感じだった。

 

 僕は呉先輩の手を優しく握りしめる。

 驚いたようにこちらを向く呉先輩に、僕は微笑みながらゆっくりと言った。

 

「大丈夫です。呉先輩はこうやって、僕と話せているじゃないですか。怖がりながらも、ちゃんと前に進めていますよ」

 

「……そう、なのかな」

 

 呉先輩は自信なさげに聞いてくる。

 気持ちは痛いほど分かる。その痛みや不安は僕も小学生時代は飽きるほど味わった。

 

「そうですよ。自信持ってください」

 

 けれど、乗り越えられないものではなかった。どれほど辛くても苦しくても、人は努力する意思さえあれば前に進んで行くことができるのだ。

 

「じゃ、じゃあ、もう少しだけ頑張ってみようかな……。えっと、政夫君?」

 

 ごそごそとポケットを漁りながら、呉先輩は携帯電話を取り出す。頬を紅く染めて、どこかもじもじとしている。

 

「何ですか?」

 

「アドレス、交換してもらえないかな?」

 

 そうか、呉先輩……。

 また一歩踏み出そうと頑張っているんですね。良いでしょう。そういうことなら、同じ辛さを知るものとして協力します。

 

「はい。喜んで」

 

 




本当は二月まで書くつもりはなかったのですが、つい時間を押して書いてしまいました。

はい。ということでおりこマギカのキャラ、呉キリカを出してみました。
ちなみに、作中で言っている「あの時」は公式の『魔法少女おりこ☆マギカ~noisey citrine』で幼少時代に「まるで双子の姉妹のように仲の良かった友達から、万引きの濡れ衣を着せられる」という過去のことです。
詳しく知りたい人は調べてみてください。


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第五十四話 蝋燭と名前

 風呂にゆっくりと(つか)った後、ドライヤーで濡れた髪を乾かす。パジャマに着替えて寝る準備を一通り終え、ごろりと僕は自分のベッドに横たわった。

 この瞬間が僕は(たま)らなく好きだった。

 身体がまだぽかぽかと温かく、それでいて一日の疲労が(ほど)良く抜けて、筋肉が緩んでいる。最高の気分だ。

 

「ん~~~……」

 

 寝転んだまま、大きく伸びをする。これがまた気持ち良い。

 風呂上りで血行が良くなり、背筋が(ほぐ)されている。

 こんなに良い気分で居られるのは今日は平和な一日だったからだろう。このところ僕は、危機的状況に(おちい)ることが多かった。

 そのおかげで、改めて安全のありがたみを身をもって知った。

 

 平穏な日常が、こうも貴重なものだったなんて今まで考えていなかったな。

 さて、幸せな気分のまま、ぐっすりと眠るとしよう。最近は疲れすぎて良く眠れなかったからな。

 

 電灯の明かりを消そうと、上体を起こしてベッドから降りた時、ふいに誰かの視線を感じた。

 視線を感じた先へ顔を向けると、そこには物憂(ものう)げに僕を見つめている髪の長い少女が窓の外に立っていた。人形めいた整った顔立ちが、より一層と不気味さを(かも)し出している。

 僕は窓に無言で近づき、閉めていた鍵を開ける。

 そして、亡霊のように(たたず)むその少女に向かって一言言った。

 

「…………何してるの?暁美さん」

 

 前にやられた時は本当に心臓が止まるかと思うほどビックリしたが、インパクトが強かった分、逆に一度やられると慣れが(しょう)じてしまう。

 

「政夫……」

 

 小さく搾り出すような声で暁美は僕を呼んだ。

 外が暗いせいなのと無表情気味なのが合わさり、暁美の表情が明確に読み取れない。

 

「……政夫ですけど?」

 

 よく分からないが、一応恐る恐る答えてみる。

 何だろう、この独特の何をしでかそうとしているか予想できない恐怖は。

 

「まさおぉ……!!」

 

 暁美はいきなり、窓枠を(また)いで部屋の中に飛び込んで来たかと思うと、僕を押し倒すように抱きついてきた。押されて尻餅を着いた僕の腋下(わきした)に、暁美は両腕を通して、背中に爪が()い込む程の力でしがみ付いてくる。

 痛い!すごく痛い!風呂上りでまだ皮膚が柔らかいから簡単に破ける!というか突然何すんだ、こいつ!気でも()れたのか!?

 

【挿絵表示】

 

 

「いきなり何をすっ――!……暁美、さん?」

 

 僕に抱きついている暁美の身体は小刻みに震えていた。両目を(つむ)り、僕の胸に顔を押し付けて、涙さえ流している。

 明らかに只事(ただごと)ではないのが一目瞭然だった。

 

「落ち着いて、暁美さん。理由も聞かずに『大丈夫だ』なんて軽々しく言えないけど、でもちゃんと僕は君の(そば)に居るから。だから、ほんの少しだけ安心して、ね」

 

 できるだけ優しく丁寧に、暁美の頭をかき抱くように撫でる。

 震えが徐々(じょじょ)に治まり、暁美は僕の顔を見上げる。その瞳には大粒の涙が溜まっていた。

 

「政夫……!」

 

「うん、政夫ですけども……。取り合えず、君が泣いている理由を教えてくれる?あと、いい加減痛いんで背中に爪立てるのも止めて下さい」

 

 

 

 

 

「急に取り乱したりして、ごめんなさい。私らしくもなかったわ」

 

 大分、落ち着きを取り戻した暁美をベッドに座らせて、真正面から話を聞くために僕は椅子に腰掛ける。

 

「それで、今日は一体どうしたの?」

 

 正直、十時過ぎの時間帯に家に押しかけられるのは非常に迷惑で、文句の一つも言ってやりたいところだが、今はそんな状況ではないので我慢する。むしろ、それよりも、背中に爪を立てられたことの方が重大だ。自分の指で背中を触るとビリッと電気が走るような痛みがする。思った通り、傷になってしまった上に、(わず)かだが出血までしていた。

 はあ、今日は何事もなく終われると思ったのに……。

 

「それは……」

 

 暁美が本題に入ろうとして口を開いた。だが、途中で何かに気付いたようにそれを止めて、まじまじと僕を見つめる。

 

「……貴方、随分(ずいぶん)と可愛らしい格好をしてるのね」

 

「そんな超どうでもいいことは、ほっときなよっ!」

 

 今、僕の格好は、デフォルメされたペンギンの絵柄があちこちに描かれたオレンジ色のパジャマだ。別にこのパジャマを特別気に入ってるわけでもなく、ファッションセンターのバーゲンで大安売りをしていたから買ったものだ。

 パジャマなんて、自分と父さんくらいしか見る人も居ないと思って適当に着ていたので、こうやって他人にそれを指摘されるとかなり恥ずかしかった。

 くっ、油断していた。顔が熱くなってくる。しかも、同級生に見られているというのが、これまた辛い。ダメージはさらに加速する!

 

「ふふ、貴方も照れることがあるのね。初めて見たわ。でも意外に似合っているわよ?」

 

 さっきまでの泣きそうな表情はどこへ行ったのか、暁美は口元に手を当てて軽く笑っていた。最近、と言っても付き合いがまだ浅いので何とも言えないが、出会った頃より格段によく笑うようになっていた。

 それに(ともな)い、性格もおちゃめになってきているような気も否めないが……まあ、良い方向に向かっているとは思う。

 

「うるさいよ。それで、まさか僕のパジャマ姿をからかいに来たのが君の目的なの?」

 

「いえ、残念ながら違うわ。……マミのことで相談に来たの」

 

 微笑みが()がれて、暁美の表情に再び影が差す。それでも、俯かずにまっすぐ僕の顔を見ているあたり、こいつはしっかりしていると思う。失礼な話だが、呉先輩を見て改めて暁美の芯の強さを確認できた。

 そんなこいつが僕に相談事をしにくるのは、余程(よほど)困っているからだろう。

 どうでもいいが、さらっと美樹に引き続き、巴さんの呼び方が変わっているのもこいつの心境の変化なのか?

 

「巴さんのこと、と言うと……魔女を倒すことに忌避し始めたとかかな?」

 

 僕の中で最も可能性のある理由を述べてみると、暁美は頷いた。

 僕の言葉に暁美は、喜んでいるようにさえ見える。

 

「本当に貴方は鋭いわね。その通りよ。マミは魔女退治を……人殺しなのかもしれないと言ったわ」

 

「人殺し、か」

 

 魔法少女にとって、魔女退治は元同族殺しだとは思うが、人殺しだとは僕には思えない。あそこまで変質しまったなら、もはや化け物以外の何者でもない。

 恐らくは巴さんにとっては、「人」と「魔法少女」と「魔女」が全てイコールで繋がってしまったのだろう。だとするならば、巴さんの中では自分のやって来た魔女退治への後悔と罪悪感が渦巻いているはずだ。

 懸念はしていたことだが、実際に現実になってしまうとは……。

 

「暁美さんは、巴さんのその意見をどう思っているの?肯定してるの?それとも否定してるの?」

 

 しかし、まずは暁美個人の意見を聞かせてもらうとしよう。同じ魔法少女として魔女を倒すことに対して、どう考えているのか参考にしたい。

 

「私は今まで考えないようにしていたわ。まどかを救うことだけを支えにしてね。……でも、今はマミの言いたい事も理解できる。けれど……」

 

「それを肯定してしまったら生きて行けない、ってところ?」

 

「何でもお見通しなのね」

 

 自分への理解が嬉しいのか、暁美は口元が僅かに(ほころ)ばせた。

 こいつは今まで、その程度のものすら与えてもらえなかったのだろうか?だが、必要以上に頼られても正直困る。

 僕は極々(ごくごく)普通の一般人なのだから。

 

「さて、巴さんの件だけど、やはり一番の問題は倫理的なものだね。魔女を倒す理由が自分が生きるためでは巴さんの性格上納得できないんだと思う」

 

「じゃあ、どうすればいいの?」

 

「大義名分が必要だ。元は自分と同じ魔法少女だった魔女を倒しても納得できるだけの大義名分が」

 

 巴さんは今まで孤独な戦いの日々を『正しいこと』だからという考えの(もと)に生きてきた。とても立派な所業だ。僕にはまねできない。

 しかし、だからこそ、『魔女=絶対的な悪』という定義が崩れてしまった今、巴さんは『正義』という肩書きを失ってしまった。

 

 ならば、新しく免罪符を与えればいい。

 名前も知らない赤の他人だけではなく、僕や鹿目さんを守っているという自覚をもたせる。

 

「要するに『自分のしていることは絶対的な正義ではないけれど、身近な友達を守るためだから仕方がない』という言い分を巴さんの中で納得してもらうんだ」

 

「具体的には?」

 

「具体的にはね――」

 

 暁美の聞かれて、僕は言葉を一度切った。

 何も考えていなかったのではなく、これから言う台詞は僕もそれなりのリスクが必要とされることだからだ。

 

「僕が魔女退治に同行して、巴さんに自分が戦うことによって魔女から人を守っているということを実感してもらう。ちなみに暁美さんと杏子さん、美樹さんは来ないで。じゃないと巴さんが止めを刺さなくても何とかなってしまうから」

 

 まあ、一言で言うなら、魔女と僕の命を天秤に掛けさせて選ばせるということだ。

 しかし、これはまた僕が命の危機に陥る可能性があるから、乗り気ではないのだが……放っておけば巴さんは立ち直れずに魔女になるかもしれない。

 

「……貴方、またわざわざ危険に首を突っ込むの?もしもマミが魔女を殺すのに躊躇(ちゅうちょ)したら死ぬかもしれないのよ?」

 

「いや、命のありがたみなら人一倍知ってるよ。でもね、やっぱり身体を張らないと、得られないものもあるよ」

 

 ましてや、巴さんに無理やり魔女の殺害をさせてるんだ。僕だけ何も賭けないのはフェアじゃない。僕なりに、彼女に友達としてやってあげられることをするだけだ。

 それが僕にとっての『正しい人間像』だ。

 

 だが、暁美はそんな僕を心配そうにしている。

 

「政夫、相談しに来ておいて、こういうのはなんだけど、何も貴方が全て背負う必要はないのよ?」

 

 暁美が僕の心配か……。本当にこいつは内心は良いやつだな。

 人間の多面性のことを忘れていた僕は偏見と初対面の印象だけで、暁美という人間を見ていた。自分の視界の狭さに呆れてしまいそうだ。

 

「ありがとね。君も今日の魔女退治ご苦労様」

 

 お礼と(ねぎら)いの言葉をかけた後、一つ良いことを思いついた。

 僕は机の引き出しから、ライターと薄紫色のアロマキャンドルを取り出して机の上に置く。

 

「それは何?」

 

「アロマキャンドルだよ。ちなみに香りはラベンダーだ。僕はこれを疲れた時に使うんだ」

 

 そう言って、アロマキャンドルにライターで火を(とも)した。そして、椅子から立ち上がって、部屋の電灯のスイッチをオフにする。

 ふわっと、優しく穏やかなアロマキャンドルの明かりが広がる。

 

「綺麗でしょ?」

 

「本当ね。こんなに小さいのに明るくて綺麗……」

 

 まるで明かりが(にお)いを運んできたように、ラベンダーの香りが鼻腔(びこう)に届いてくる。

 僕は椅子に座り直すと、暁美の方を向いた。

 暁美の瞳はアロマキャンドルの光が反射して、きらきらと宝石のように輝いて見えた。

 

「僕はね、この炎が好きなんだよ。自分をすり減らしながら、周囲を明るく照らそうとする様が人間の生き方みたいでさ」

 

「私は……そんな立派な生き方できてないわ」

 

「そんなことないよ。少なくても今の君は、美樹さんや巴さんのことをちゃんと気遣ってる。必死に照らそうとしてるよ」

 

「そうかしら?」

 

 こちらを向いた暁美の頬はアロマキャンドルの明かりで紅くなって見えるため、照れているのかいまいち分からない。

 それが面白くて、少し笑えた。

 

「それに君の名前の『(ほむら)』って、このキャンドルの上で燃えているような炎って意味だろう?」

 

「ええ。そうだけど」

 

 怪訝(けげん)そうな表情の暁美に僕は言った。

 

「鹿目さんは格好いい名前って言ってたけど、もしかしたら君の両親はこの炎のように美しいイメージを込めて付けたのかもしれない。だとしたら、君の名前はこれ以上にないくらい女の子らしい名前だな、と思ってさ」

 

「私の名前が、女の子らしい?……そんな事、初めて言われたわ」

 

 僕から顔を隠すように暁美はそっぽを向いた。

 その様子から見て、怒らせてしまったのかと思ったが、どうやら喜んでいるらしい。意外に乙女チックですね。

 

「ねえ、政夫」

 

 顔をこちらに見せないようにしながら、暁美は僕の名を呼んだ。あえて、僕も暁美の方に視線をやらず、アロマキャンドルをじっと見つめた。

 

「何?」

 

「今日は随分私に優しいわね。一体どうしたの?」

 

「僕はツンデレだって言っただろう?デレてるんだよ。どう僕って萌えキャラ?」

 

 若干、僕も恥ずかしくなったので、ちょっとふざけて誤魔化(ごまか)す。

 くすっと小さな笑い声が聞こえた。

 

「なら一つ、お願いを聞いてもらえないかしら?」

 

「種類によるね」

 

 僕がそう言うと、少しの間の後に恥ずかしそうに搾り出した声が僕の耳に届く。

 

「今度からは……その、名前で呼んでもらえない?」

 

 




政夫、ついにデレる。

いや、恋愛感情はもってないんですけどね。

感想お待ちしております。


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超番外編  もし政夫が最初の世界に転校していたら

これは決して、ありえないIFの物語。


転校生。それが今、僕を一番端的に表す言葉がそれだった。

出会う物や人が新鮮で柄にもなく、どきどきする。

この見滝原中学校がかなり特徴的なせいもあるだろう。

何せ『教室の壁が全てガラス張り』という頭のおかしい設計をしている。体育の時とかどうするのだろうか?本気で気になる。

 

「夕田君。暁美さん。それじゃあ、教室に向かいましょうか」

考えごとをしていたら、担任の眼鏡を掛けた先生に呼ばれた。

僕ともう一人の転校生が黙って、先生の後に続く。

 

そうそう、僕が一番不思議に思ったのが、このもう一人の転校生、暁美ほむらだ。

転校生が同じ日に入ってくる。これはまだいい。あり得ないことではない。

問題は、なぜ二人とも『同じクラス』なのかだ。

普通は二人転校生が入ってきたら、人数調整のためにクラスを分けるのではないだろうか。

 

まあ、そんなことはどうでもいい。

重要なのは僕と同じ転校生の『暁美ほむら』という少女のことだ。

なかなか変わった名前をしているがそれはこの際おいて置こう。職員室で僕は彼女と出会った瞬間に、 身体中に電撃が走ったかのような感覚になった。

 

一言で表すなら、『彼女は天使だった』と言えばいいかもしれない。

 

三つ編みに眼鏡(めがね)。これほど最高なコンビネーションは僕は他に知らない。可愛いとか、可愛くないとかそういう次元じゃあない。

 もはや、テロ。犯罪的可愛らしさ。必死に(こら)えなければ、僕は鼻血を噴き出して倒れていたと思う。

 職員室で暁美さんと少し話をしたが、見た目だけでなく中身も素晴らしい女の子だった。

 自分も緊張しているだろうに、僕に気を使って「一緒に頑張りましょう」と笑いかけてくれた時は、感動で泣きそうになってしまった。

 君はどこまで可愛くなればすむのかと問いたくなるぐらいの可愛さ。

 もうね、彼女を形容できる言葉は『可愛い』以外にありえない。むしろ、『可愛い』という概念を具現化した存在と言っても過言じゃないね。

 

 そうこうしている内に教室に着いた。

 担任はちょっと待っててね、と言った後、教室に入っていった。

 当然、僕と暁美さんは廊下に取り残される。

 何と言うか……対応に困る。

 こんなかわいい子が(そば)にいると心臓が胸の中で暴れまわってしまう。く、くるし~。

 思いがけず、僕は挙動不審に胸に手を当てながら、もがいてしまう。

 そんな僕を気にしてか、暁美さんが僕におずおずと話しかけてきてくれた。

 

「えっと、夕田さんも、き、緊張しちゃいますよね。転校初日は……」

 

 少々強張(こわば)った笑みも、彼女の愛らしさを前面に押し出すようなエッセンスにしかなりえない。

 あ~、もう、可愛いなぁ!畜生!

 

「そ、そうですね。第一印象は人間関係を築く上で重要ですから」

 

 僕が緊張しているのは主にあなたと二人っきりでいるせいですけどね。

 ああ、先生!早くしてくれ!こんな僕のストライクゾーンをピンポイントで狙ってくる女の子と長い間お喋りできる機能なんて、僕には付いてないんだから。

 内心、早くしてくれと担任に念じるが、当人は透けた扉の向こう側では、目玉焼きの焼き加減について盛大に語っていた。おい、あんたマジふざけんなよ!

 

 ようやく、先生の下らない愚痴のようなやり取りが終了した。

 『いい年こいてるんだから、公私を混同してるんじゃねーよ!』と声高に叫んでやりたかったが、ここはぐっと言葉を飲み込むのが本当の意味での”大人”というもの。

 先生の指示に従って、頭をぺこりと下げて教室に入る。

 暁美さんは教室に入る前に、むんと口を引き締めて握りこぶしを作って意気込みをしていた。……どうして君はそこまで僕の好みのツボを的確に突いてくるかなー。もしかして、僕を(もだ)え死にさせる気なのか!?

 

 

「ッ!……初めまして。夕田(ゆうた)政夫(まさお)です。僕はこれからこの見滝原中学校で皆さんと一緒に学生生活を楽しんで行きたいと思います。皆さん、どうぞ(よろ)しくお願いします」

 

 頭髪の色がヤバい人たちがわんさか居て、一瞬ギョッとしたがここで僕が自己紹介をしくじれば、連鎖的に暁美さんにまで迷惑をかけてしまう。

 目から入ってくる視覚情報を気合で受け流し耐え切った。

 特にヤバいのはピンクの髪のツインテールの子だ。

 あれは何だ?ギャグか?この中学校では頭髪指導を行っていないのか?

 絶え間ない疑問が僕に襲いくるが、次は暁美さんの自己紹介だ。そんな疑問は頭の片隅にでも放置しておこう。

 先生に(うなが)され、暁美さんはおっかなびっくり自己紹介を始めた。

 

「あ、あの…あ、暁美…ほ、ほむらです…その、ええと…どうか、よろしく、お願いします…」

 

 畜生!可愛いなあ~、もう!守ってあげたくなる。いや、むしろ保護したくなるよ!

 

「暁美さんは心臓の病気でずっと入院していたの。久しぶりの学校だから、色々と戸惑うことも多いでしょう。みんな助けてあげてね」

 

 先生は当たり前のことをクラスのみんなに言う。

 そんなもの言うまでもないだろうに。こんな可愛い女の子を助けてあげない奴は、間違いなく鬼の血が流れてるよ。悪魔だよ、悪魔。滅される立場の存在と言ってもいいね。

 

 

 

「暁美さんって、前はどこの学校だったの?」

「部活とかやってた?運動系?文化系?」

「すんごい長い髪だよね。毎朝大変じゃない?」

 

 やたら、クラスの女子が暁美さんの席の周りに集まって、彼女を質問攻めにしていた。

 

「あの、わ、私、その…」

 

 当然、暁美さんはどう答えていいか分からず、おろおろとしている。

 聖徳太子じゃないんだから、そんなにいっぺんに聞かれて答えられるわけないだろうが!少しは自重しようよ、クラスの女子!

 天然記念物である暁美さんに対して、もっと(つつし)みある行動をしてほしい。

 

「夕田はどこの学校にいたんだ?」

「なんか部活には所属してたのか?」

「お前は髪染めたりしねーの?」

 

 こちらも男子の連中から、質問を一気に投げかけられたので、それに対応する。

 

「神奈川の中学校だよ、って言っても親の都合でよく引越ししてたから、別に地元ってわけじゃないけどね」

「部活は入ってなかったかな。小学校の時に柔道習ってたけど、引越した時にぱったりと止めちゃったんだ」

「僕は親からもらったこの黒い髪が好きだから、染めたくはないかな。まあ、僕がそうってだけで、髪を染める人を侮辱してるということじゃないよ。誤解しないでね」

 

 まったく一度に聞かずにこちらが答えてから、新しい質問を出してほしいところだ。

 ふー。暁美さんの方はどうなっただろうか。クラスの人たちも少しは慣れない環境で戸惑ってる転校生に配慮してくれないものかな。

 

 その時、ピンク色の髪の子がそっと暁美さんに近づいて行くのが見えた。

 女の子にしては随分としっかりした歩き方。自分に自信のある人間しか(まと)えない雰囲気を持っている。

 恐らく、あの子が女子グループのボスだ。つまり暁美さんはボスに目をつけられようとしている。

 仕方ない。僕が間に割って入ろう。

 男子のみんなに席を外すことを許してもらい、暁美さんの席へ向かう。

 

「あけ……」

 

「暁美さん。確か、そろそろ薬飲まなきゃいけない時間だよね?保健室の場所、さっき見て覚えたから一緒に行かない?」

 

 女子のボス、名前が分からないから、ボスピンクと呼称しよう。そのボスピンクが暁美さんを毒牙に掛ける前に話しかけた。

 

「え?じゃ、じゃあお願いします」

 

 暁美さんは、驚いていたが僕の呼びかけに答えて、こちらに来てくれた。パタパタという擬音が似合いそうな少しだけ慌てた足音だ。

 

「あ、ごめん。楽しげに話してたみたいなのに」

 

 空気を乱してしまったことに、まるで今ちょうど気付いたように女子のみなさんに謝る。もちろん、嫌味に聞こえないよう、ごく自然なイントネーションで。

 

「私達こそ、ごめんね。気が付かなくて……」

 

 バツの悪そうに謝る女子たちに、僕は安心した表情で笑いかける。

 

「良かったぁ。優しい人たちみたいで僕はクラスにすぐなじめそうだよ」

 

 そう言って、僕は暁美さんを教室から連れ立って廊下へと出た。

 転校初日なら上々の出来かな。

 僕は自分の対応を頭の中で反芻(はんすう)する。

 

「その…ありがとうございます」

 

 僕は案内をするために暁美さんの前を歩き始めると、ぽつりと暁美がお礼を言った。

 

「いいよいいよ。気にしないで。クラスメイトなんだしさ」

 

 まあ、下心がまったくなかったとは言いがたいところだから、本当にお礼を言われると少し後ろめたい気もしなくわない。

 

「さっきも自己紹介したけど、僕は夕田政夫。気軽に政夫と呼んでくれると嬉しいな」

 

「え?そんな……名前でなんて」

 

「あ、嫌だった?じゃあ……」

 

「いいえ!そうじゃなくて……なら、私もほむらって呼んでもらって……」

 

 途中まで言いかけて暁美さんは口ごもった。

 内心、こんな可愛い子と名前で呼び合えるなんて最高だと思ったが、それよりも暁美さんの様子が気にかかった。

 ひょっとして、変わった名前だから気にしているのだろうか。

 

「もしかして自分の名前が嫌いなの?」

 

 単刀直入に聞いてみる。何気なく遠回りに聞く方法もあったが、僕はあえて正面から尋ねた。

 

「あんまり好きじゃないです。すごく、変な名前だし……名前負け、してます」

 

 ふーん。大方(おおかた)、暁美さんのかわいさに嫉妬した女子にでもからかわれたのだろう。だが、実際、変わってるという部分は否定できない。

 

「いいんじゃないかな、人がどう思おうが」

 

「えっ?」

 

「肝心なのは自分はどう思うか、だよ。僕が柔道を習っていた道場の師範代はね、いつもこう言っていたよ。『誇りを持て。誰かに誇る誇りじゃねぇ。自分自身に誇る誇りを持て』ってね。格好良いだろう?」

 

「誇り、ですか。でも私に誇れる部分なんて……」

 

 何を言っているのだろう、この人は。

 こんなにも人より(ひい)でた部分があるというのに。

 

「あるだろう?」

 

「どこが、ですか?」

 

 僕らは保健室の前まで着く。

 そこで僕は暁美さんの方を振り返って言った。

 

「とびっきり可愛いところ」

 

「え……あ、ええっ!?」

 

「……じゃ、じゃあ、僕は教室に戻ってるから」

 

 自分で言っておいて、非常に恥ずかしくなったので、教室の方へと戻る。

 後ろで暁美さんが何か言ってたが振り返ることはできなかった。

 いつから僕はあんなことを言えるような性格になったのだろう。ガラス張りの渡り廊下には、自分の赤くなった顔が映っていた。

 

 




これ眼鏡状態だったら、政夫べた惚れでしたね。というか軽く別人ですよ。
しかし、中学二年生だったら、むしろこっちが自然ですけど。


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第五十五話 私の戦う理由

今回はマミさんオンリーです。主人公は出てきません。


 ~マミ視点~

 

 (ほの)暗い空間。(いびつ)出鱈目(でたらめ)で不快な背景。それなのに乱雑に周囲に訳の分からない物体ははっきりと見える。

 そして、その空間の中央に鎮座している巨大な化け物が居る。

 

 そうよ。何をぼんやりしているの?

 ここは魔女の結界の中。そして、私は魔法少女。『悪い魔女』と戦わなければいけない『正義の魔法少女』だ。

 

 魔法少女の姿に変身した私は、マスケット銃を黄色いリボンで作り出す。ずっと扱ってきた私が『悪い魔女』と戦うための心強い武器。これで多くの『悪い魔女』とその使い魔を倒してきた。

 今日もこの銃で『悪い魔女』を…………。

 

 悪い……魔女? 『倒す』? 『殺す』のではなくて?

 そうだって、私は……『正義の魔法少女』だから。

 これは正しい行い。私は間違っていない。これは見滝原の人を守るための正義の戦いなのだから。

 

 魔女は何もして来ない。使い魔すら生み出す様子もない。

 何故? 私が攻撃しようとしている事は理解しているはずなのに。

 銃を持つ手が僅かに震えたが、それを押し殺して、マスケット銃を構える。

 

 魔女は私を見ている。ただじっと私のしている行為を眺めている。

 もしかして自分の防御を過信している? それとも、私のマスケット銃の威力を侮っているのかしら?

 前者だとしたら、私の攻撃を反射される可能性もある。用心しつつも、私は様子を見るためにマスケット銃の引き金を引く。

 魔女がとっさに攻撃してきても、弾丸を反射されようとも対応できるよう全身に神経を張り巡らせる。

 

 だが、結果は私の予想と異なり、魔女はあっさりと倒された。

 私の放った弾丸は魔女の大きな巨体を貫通し、断末魔すら上げることなく、床に横たわる。

 

 あっけない。そう思って魔女を見つめていると、その醜い巨体がぼろぼろと崩れた。

 

「……えっ?」

 

 崩れた魔女の中から出てきた女の子だった。私と同じようにどこか衣装めいた格好をしている。

 すぐに彼女が私と同じ魔法少女だという事に気がついた。

 

 出てきた少女は、私を冷たい目で睨み、低い声でこう言った。

 

「……人殺し」

 

「え……わた、し…は『悪い魔女』を……」

 

「人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺しひとごろしひとごろしひとごろしひとごろしひとごろしひとごろしヒトゴロシヒトゴロシヒトゴロシヒトゴロシヒトゴロシ……」

 

 憎しみと怨嗟(えんさ)のこもった少女の口から次から次へと吐き出される。

 

「ちが、う。だって私は正義の……」

 

 だって知らなかった……。そんな事キュゥべえは一言も教えてくれなかった。

 私はずっと人のために、自分を殺して頑張ってきたのに。

 

「ヒトゴロジ……ビトゴロジ……ビドゴロジ……ビドゴオボジィ……」

 

  血の混ざった唾液が言葉と共にこぼれて、言葉を(つむ)ぐたびに少しずつ聞き取り難くなっている。けれど、言葉に込めた私への悪意だけは変わらない。むしろ、徐々に強くなっているようにさえ思う。

 

「いや……嫌よ」

 

 私を責めないで!私を非難しないで!私を傷つかないで!私を苦しめないで!私に触れないで!

 私に私に私に私に私に……。

 

「嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ァ――――――!」

 

 

 

 

 

 はっと目が覚めて、私は自分がどこにいるのか確認する。

 見覚えのある天井。15年間見てきた私の部屋の天井。

 

「あれは……夢だったのね」

 

 ポツリと一人(つぶや)く。

 安堵が私の中に広がる。人心地が付くと、自分が寝汗をかいている事に気が付いた。

 今見た光景は夢だった。でも、魔女が元魔法少女であり、魔女を私が殺してきた事は紛れもない現実でしかない。

 知らなかったとはいえ、私の犯した罪は決して消えない。夢の中のあの魔法少女のような存在から幾度も命を奪っていた。

 

 私はこれからどうすれば良い? 何を指針にして生きていけばいいのか、さっぱり分からない。

 今までは正義のためにと思って行動していたのに。(ふた)を開けてみたら、同族殺し以外の何物でもない。

 私は今まで何のために戦ってきたのだろう。

 

「お父さん……お母さん……」

 

 ずっと、堪えてきた自分の弱さをもう隠す事ができない。

 ベッドの近くに置いてある大きな熊のぬいぐるみを抱きしめる。自分の顔を隠すようにぬいぐるみに顔を埋める。

 

 助けてほしい。

 誰でもいい。私をこの苦しみから救ってほしい。

 甘えたい。縋りたい。泣き付きたい。

 

 どうしようもなく情けない想いが私の頭の中をぐるぐると駆け巡る。

 

 

『随分と元気がないようだね? どうしたんだい、マミ』

 

 急にかけられたその声に反応して、私はぬいぐるみに埋めた顔を上げ、ベッドの脇に目を向けた。

 当たり前のようにそこに居たのは、私が友達“だと思っていた”キュゥべえだった。

 

「キュゥべえ……」

 

『おはよう、マミ。今日は顔色が優れないようだけど大丈夫かい?』

 

 私の体調を気遣うような優しい台詞。

 けれど、私にはもうその台詞から白々しさしか感じられなかった。首を傾げた可愛らしいポーズにさえ、機械的に見えてしまう。

 

「しばらくぶりね。夕田君から、魔法少女の秘密は聞いたわ」

 

 何故教えてくれなかったのという抗議の意味を込めて、私はきつい口調でキュゥべえに言った。

 もうキュゥべえを信じる事はできなかった。でもせめて、キュゥべえの口から言い訳が聞きたかった。謝罪の言葉がほしかった。

 

『ああ、政夫は君にもその事を教えたのか。一体どこから手に入れた情報なのか言っていなかったかい? 本当に不思議な人間だよ、彼は。魔法少女としての素養もなく、ボクがわざわざ姿を現さなければ、視認する事さえできないのに何故そんな情報を知りえたのか非常に気になるよ』

 

 けれど、キュゥべえは少しも悪びれる様子もなく、私にそう返した。それどころか私の事には興味がないような素振(そぶ)り。

 私は理解してしまった。キュゥべえにとって私はただの道具でしかなかったという事に。

 私たちの間には友情なんて欠片も存在していなかった。

 自分の中の何か大切なものが突然ガラクタだと知ったような救いのない気分になりながらも、私は震える声でキュゥべえに尋ねた。

 

「……最後に一つだけ聞かせて。お父さんが運転していた車が急に事故を起こしたのは、あなたが原因だったの?」

 

『どうしてそう思うんだい?』

 

 キュゥべえには何の動揺も見られない。紅いガラス玉のような瞳に険しい顔をした私が映りこんでいるだけ。

 

「今までは考えた事もなかったけれど、あの時のあなたの登場はどう考えても都合が良すぎるわ。これも夕田君が言っていた事だけど、もしも急に『キュゥべえが運転中のお父さんの前に姿を現した』としたらあのいきなり起きた事故にも、都合の良いあなたの登場にも納得がいく」

 

『マミは長年一緒に過ごして来たボクよりも、会ってそう日も経っていない政夫の言う事を信じるのかい? ボクとマミは友達だっただろう?』

 

 否定するわけでも、肯定するわけでもなく、話を()らそうとする。

 その様子に私の苛立(いらだ)ちと不信感はさらに募っていく。

 

「話を逸らすのはやめて! 私がほしいのはそんな台詞じゃない!」

 

『今更そんな事を知ったところで一体何の意味があるんだい? ボクの答え次第でマミの両親が生き返るわけでもないだろう? 終わった事を何時までも気にするなんて訳が分からないよ』

 

「キュゥべえっ!!」

 

『確かにマミの父親に姿を見せたのは事実だよ。でも、それが直接の事故の原因になったかなんて、もう誰にも確かめる(すべ)はない。それが答えだよ』

 

 誤魔化しから一転して、開き直ったようにあっさりとキュゥべえは私に話し出す。

 

『あの時のマミは特に明確な願望を持っていなかったから、ボクとしては君が事故に合ってくれたおかげで契約ができて良かったけどね』

 

 空々しい声がどこか遠く頭に響く。

 怒りや悲しみよりも、空しさが心を圧迫する。

 

「そう……やっぱりあなたが……」

 

 いつの間にか握り締めていたソウルジェムから、マスケット銃が飛び出す。

 無意識の内に殺意が形になっていた。

 

 私が今こんなにも苦しんでいるのは『コレ』のせいか。

 私が今こんなにも傷つかなければいけなかったのは『コレ』のせいか。

 

『ボクを殺すのかい? 無駄だよ。マミだって見ただろう? 代わりなんていくらでも……』

 

 何時になく、落ち着いた気持ちで構えて、そして、引き金を引いた。

 

 キュゥべえの頭が()ぜて、フローリングの床にキュゥべえ“だった”何かがぶちまけられた。胴体の部分は空気が抜けたようにその場で潰れた。

 それをぼんやりと見つめて一つだけ頭に()ぎった。

 

 ああ、絨毯(じゅうたん)を敷いていなくて本当に良かった。

 




これはもう駄目かもしれませんね。本当は明るい話にしようかと思っていたのですが……。

というか、キュゥべえさんがまったく出てこないので書かなきゃいけないなと思って書いた話なのでご容赦してください。

ちょっとぐらいシリアスなのもいいですよね!


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第五十六話 正義の味方の味方

 ヒーロー。英雄。正義の味方。

 大抵の子供は皆、最初はこういったものに憧れる。

 そして、大人もそれを許容する。なぜならば、善悪の判断があいまいな幼い子供に道徳心を植え付けるのに、勧善懲悪はこれ以上にないくらい手っ取り早いものだからだ。

 具体的に例を挙げるなら、ウルトラマン、仮面ライダー、ヒーロー戦隊辺りがメジャーだろう。けれど、僕が憧れたヒーローはそのどれでもない。僕の中のヒーロー像は『戦う者』ではなく、『与える者』だった。

 

 アンパンマン。

 それが幼い僕が見たヒーローの中のヒーロー。

 ウルトラマンが怪獣を倒したとして、仮面ライダーが怪人をやっつけたとして、果たして彼らはお腹を空かせた子供に己の顔をちぎって食べさせてあげることができるだろうか。

 無理だろう。というより、それを映像化したらグロテスク極まりないものになるので止めてほしい。

 話が逸れたが、僕はアンパンマンほど献身的で、自己犠牲に溢れるヒーローは存在しないと思う。僕には敵を倒すよりも、誰かが傷付けた傷跡を癒す方が偉大に感じられた。こう考えるのは、きっと心が傷付いた人たちを癒す仕事をしている父さんを見てきたからだろう。

 

 幼い僕はアンパンマンに憧れて、困っている人に優しくした。自分の持てる限りのものを隣人に分け与えてきた。

 

 しかし、ある程度年齢を重ねると子供は皆ふと気付く。いや、この言い方は卑怯だ。

 虐めっ子に虐められ、クラスメイトに裏切られ、大切なたった一匹の友達を殺された幼かった僕が気が付いた、が正確だ。

 都合の良い正義の味方などに成れはしないことに。リスクを背負ってまで見知らぬ他人を助ける人間を人は馬鹿と呼ぶことに。悪事を見ても、見て見ぬ振りをするのが最も安全な方法だということに。

 他人に優しくして、何かを分け与えても感謝の言葉など一言も言われず、偽善者だと罵倒されることの方が多い。一歩引いて、冷めた目で自分の周囲を見回せば、そんな光景ばかりが目に付いた。

 

 アンパンマンが自分の顔を食べさせても、代わりの顔を焼いてくれるジャムおじさんは居ない。そして、顔をなくしたアンパンマンに世間は何もしてくれない。

 『正義の味方』がどれだけ『正義』のために行動しても、『正義』は決して『正義の味方』の『味方』にはなってくれないのだ。

 

 巴さんは事故で両親を亡くし、そして、魔法少女になって『正義』のために魔女と戦って今まで生きてきた。

 でも、それは巴さん自身が望んでそうなった訳じゃない。選択肢がそれしかなかったからそうなっただけだ。

 初めに会った時、僕は僕や鹿目さんたちを助けてくれた巴さんに感じたのは感謝ではなく、恐怖だった。使い魔を軽やかに一掃する巴さんを自分と同じ『人間』だと思わなかった。

 異常な力を持つ異常な存在。それが僕の巴マミという人物に対する印象。ある意味、その印象は合っていたが、同時に間違いでもあった。

 彼女の身体は支那モンとの契約によって、普通の人間とは異なるものに変えられていた。だが、彼女の精神はごく普通の女の子とさほど変わらないものだった。

 そう、普通の女の子。

 本来なら、両親の愛に(はぐく)まれ、友達と遊び、恋愛に夢中になる権利がある。断じて、化け物と戦うだけの都合の良い『正義の味方』なんかじゃない。

 だが、巴さんは生き続けるためにはグリーフシードが必要不可欠だ。生きるために魔女と戦わなければならない。

 だから、せめて納得して戦ってほしい。戦うための理由を巴さんにあげたい。

 命を救われた身として、巴さんの友達として、彼女に生きる理由を作ってあげたいのだ。

 僕は『正義の味方(アンパンマン)』には成れなくても、『正義の味方の味方(ジャムおじさん)』には成れるかもしれない。

 

 

 

 

 土曜日の午前九時を少し過ぎた頃、僕は巴さんの様子を見るために彼女が住んでいるマンションの前に来ていた。

 僕がまず今しなければいけないことは巴さんの心理状態を確かめることだ。これが分からない内は巴さんと共に魔女の結界に行くどころじゃない。別に僕は自殺がしたい訳じゃないのだから。

 一度、携帯で連絡してから来るという手段も考えたが、携帯での連絡だと「そっとして置いてほしい」などと言われた場合引き下がらなくてはならない。

 だが、直接会いに行けば、巴さんの性格上無下(むげ)にはしないはずだ。必要なら、デリカシーに欠けた人間を演じてみせて少々強引に粘ればいい。

 

 マンションの中に入ろうとした時、僕の携帯がなった。見滝原中の制服の時はズボンの右ポケットに入れているのだが、今はジーンズなので携帯はジャンパーのポケットに入っている。ジーンズのポケットは狭いので携帯を入れておくと、ポケット部分が出っ張る上に取り出すときに面倒だからだ。

 携帯を取り出すと画面には『暁美ほむら』と表示されている。僕はそれを耳に当てて通話ボタンを押した。

 

「もしもし、暁美さん。そっちで何かあったの?」

 

 暁美は今日は鹿目さんと出掛けにいく予定のはずだった。これは僕が暁美に提案したことだ。

 今日の僕の予定は巴さんの心理状況を確認した後、彼女の話を聞いてある程度彼女を精神的に安定させて、魔女退治に僕と二人だけで行き、巴さん自身に『身近な人間』を守っているという免罪符を肌で感じてもらうことだ。

 なので、巴さんと生活圏内の近い暁美と美樹が魔女退治に来られない理由を作る必要があった。ちなみに杏子さんはそもそも風見野の魔法少女だから関係ない。

 美樹の方は杏子さんの方で戦い方を教わりに風見野のへ行くとのメールがあった。昨日は魔女のところに行けなかったと文章に書いてあったので、巴さんの「魔法少女は人殺し」発言を知らないようだった。

 

『……………………』

 

「ん? 暁美さん?」

 

 まったくの無言。一瞬、通話が切れているのかと思って画面を見るが、ちゃんと通話状態のままだ。

 

『………………名前』

 

 ぼそっと暁美の声が聞こえた。音声自体は何の問題もなく繋がっているらしい。

 名前? 頭を傾げそうになったが、暁美の発言の意図を察した。

 

「ごほん……もしもし、ほむらさん」

 

『何かしら?』

 

 ……こいつ、予想以上に面倒くさい女だ。昨日の夜以来、名前で呼ばないと反応してくれない。

 それにしても、電話かけて来ておいて、「何かしら」はないだろう。むしろ、それはこっちの台詞だ。

 

「ご用件は何でしょうか?」

 

『いいえ。ただ、政夫はマミの事で休日を潰しているのに、私はまどかと一緒に遊びに出掛けるのは本当にいいのかと思っただけよ』

 

 暁美の少し申し訳なさそうな声色が聞こえてくる。いつもと同じ物静かな口調だが、自分だけ楽しい時間を過ごすことに罪悪感を抱いていているのが伝わってきた。

 せっかく(いと)しの鹿目さんと二人きりで遊ぶのだ。僕を気にすることなく、楽しめばいいのに。まあ、無理もないか。

 ならば、具体的な理由を付け足してやろう。

 

「あのね、ほむらさん。これは昨日も言ったけど君は『この世界での鹿目さん』とはあまり仲良くしていないだろう?」

 

『そう、かしら。いつもの時間軸に比べれば……』

 

「それじゃ駄目だよ。『他の世界の鹿目さん』と比べること自体間違っている。『この世界の鹿目さん』が君にとってどんな存在なのか改めて確認しなきゃ。それによって今後のモチベーションにも影響があるだろうしさ」

 

 もちろん、これも建前だけのつもりではないが、それ以上に仮にも友達の暁美に少しくらい楽しい思いをさせてあげたいという僕のわがままだ。

 

『私にとっての、この世界のまどかの存在……?』

 

 今まで深く考えたことがなかったのか、暁美は少し怪訝(けげん)そうな声だ。きっと暁美は真面目すぎて、思考が鹿目さんを救うこと一色で染まっていたのだろう。

『画用紙に定規を使わず、まっすぐな線を書け』と言われて、まっすぐ線を書くことに集中しすぎて画用紙をはみ出していることに気が付かない子供のようだ。柔軟性が足りていない。

 

「さらに鹿目さんも自分だけ魔法少女になっていないことに負い目を感じている。それを魔法少女である君が解消してあげるのも今回のデートの目的の一つだ。つまりは遊ぶためだけじゃなく、必要なことでもあるんだよ」

 

『デートって……』

 

 やや納得のいかなさそうだったが、マンションの前でずっと電話しているほど僕は暇な訳じゃない。

 

「それじゃ、今日は楽しみなよ。あ、でも鹿目さんにエッチなことはしちゃ駄目だからね?」

 

 そう言って通話を切り、再び携帯をジャンパーのポケットに入れる。

 さて、僕も僕で自分のやれることをしないといけない。マンションの中に入り、巴さんの家まで向かう。

 前に一度来た限りだが、僕は物覚えがいいので難なく巴さんの家の番号も覚えている。

 

 

 だからこそ、戸惑いを隠せなかった。

 巴さんの家のドアが半開きのままになっていたからだ。鍵はもちろん、チェーンすら掛かっていない。

 強盗? 不法侵入者? ――有り得ない。何故なら、そんな奴らよりも巴さんの方が遥かに強い。

 疑問が次から次へと沸いてくるが、ここで立ち往生している訳にもいかない。僕はそっとドアを開けて中へと忍び足で入る。これでは僕の方が不法侵入者のようだ。

 だが、ここで巴さんの名前を呼んでも、にこにこしながら巴さんが出迎えてくれるイメージは想像できなかった。

 不気味で、不安で、まるでホラー映画の登場人物になったような心境だ。学校の先輩の家に来ただけなのに、どうして僕はこんな思いを抱いているのだろうか。

 巴さんの家は静寂に満ちており、人の気配が微塵もしない。カーテンが締め切っており、朝だというのに薄暗かった。

 

「巴さん? 居ますか?」

 

 無言でうろうろしていても(らち)が開かないので、周囲を警戒しつつも巴さんの名前を呼んだ。妙な緊迫感のせいか、思ったよりもずっと小さな声しか出なかったが、無音の空間ではそれが大きなものに感じられた。

 けれど、返事はない。この家には居ないのか。だとしたら、それもそれで一大事だ。

 試しに携帯で巴さんの電話番号にかけてみた。

 携帯の電子音のすぐ後に、近くの部屋から急にくぐもった格調高いメロディが流れてくる。恐らくは巴さんの携帯の着信音だろう。

 とすると、巴さんの携帯はこの家にある訳だ。

 超希望的観測をするなら、家のドアが開いているのは閉め忘れただけで、携帯が鳴っているのに出ないのは、巴さんはぐっすりと眠っているため。部屋に向かえば巴さんの素敵な寝顔が待っている。

 ……有り得ないだろうな。それはもう現実逃避のような考えだ。

 多分、この家に巴さんは居ない。携帯を置いて、鍵も掛けず、ドアすら閉めずに飛び出して行ったと考えるのが自然だ。

 ではなぜ? ――分からない。分からないことが多すぎる。

 

 取りあえず、携帯が置いてある部屋に何か手がかりがあるかもしれない。

 僕はこそこそとするのを止めて、携帯をかけたまま、格調高いメロディのする方へとまっすぐ進んで行く。

 ドアにMAMIとローマ字で書かれている部屋、きっと巴さんの部屋だろう。メロディはこの部屋から聞こえてくる。人の部屋に無断で入ることにほんの少しだけ躊躇(ちゅうちょ)があったが、今さらだと思い直してドアを開けた。

 一番最初に目を奪われたのは真っ白い床だった。まるで雪が降り積もったようなその光景に、北海道にでも来たような錯覚を覚えた。

 

「何だ……これは?」

 

『おや? どうして君がここに居るんだい、政夫』

 

 むくりと白い床と同化していた何かが動いた。紅い二つのビー玉のような眼が僕に向く。

 そこに居たのは、ある意味全ての元凶とも言える存在、支那モンだった。

 

「……君こそ何でここに居るの? いや、それよりもここで何をしているの?」

 

『見ての通りさ。回収しているんだよ』

 

 そう言いながら、支那モンは白い床を食べ始めた。

 それを見て僕は、かつて暁美が銃殺した支那モンが崩れた豆腐のような姿になったのを思い出した。そして、それを当たり前のように食べる別の支那モンを。

 

 その瞬間、僕はこの白い床の正体に気が付いた。気が付いたが故に今の状況が僕の想像を超える最悪なものだということを理解した。

 この白い床の正体は……支那モンの残骸だ。

 つまり、床を覆うほどの量の残骸が出るほど、支那モンがこの部屋で殺されたということだ。

 それを行えるのは――――。

 

『まったく。マミにも困ったものだよ。いくら替えがきく身体とはいえ、こんなに殺されるとは……暁美ほむら以上だ』

 

 呆れたように支那モンは己の残骸の山を頬張り続ける。

 僕は巴さんのメンタルを過信しすぎていたのかもしれない。

 

 

  




(次回予告)

消えた巴マミ。
彼女の心は政夫が思っていた以上に病んでいた。
傷付いた彼女に政夫の言葉は届くのか?

次回『五十七話』


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第五十七話 最期の言葉

 状況は最悪と言っても過言ではない。

 部屋の床にぶちまけられた大量の支那モンの残骸を見るに、巴さんの精神状況は『かなりキている』。早急に見つけ出さないといけない。あるいは、もう取り返しの付かないところまで行っているかもしれない。

 

 ……他の魔法少女たちに連絡をすべきだろうか。そうすれば少なくても一人で探すよりも効率が良いはずだ。

 そう思い、ジャンパーのポケットから携帯を取り出した。暁美に電話をかけようとして、手が止まる。

 

 いや、この状況下で暁美を呼び出せば今ちょうどデート中の鹿目さんまで付いて来てしまう恐れがある。その場合、この支那モンが巴さんを見つけ出すことと引き換えに鹿目さんに契約を迫ってくるだろう。

 

 しかし、友達思いで意外に行動力のある鹿目さんがこのことに首を突っ込んでくるはずだ。暁美に巴さんのことを誤魔化して戻って来れるほどの話術も期待できない。

 逆に考えよう。暁美が一緒にいるから、鹿目さんはこの件に関わってこない。巴さんを(えさ)に鹿目さんが勧誘されない。そう考えれば、むしろこれは行幸。

 となると、美樹と杏子さんに手伝ってもらうか。だが、彼女たちは今風見野に居る。わざわざ呼び出しても時間がかかるだけ…………ん?

 

「支那モン君、一つ聞いてもいいかな?」

 

 はぐはぐと床に散らばった同胞の残骸を食す地球外生命体は、一時その動作を止めて僕の方に向き直る。

 

『ボクの名前はキュゥべえだよ。一体何が聞きたいんだい? 政夫』

 

「巴さんが今どこに居るか分かる?」

 

『分かるよ。魔法少女の反応なら、すぐに特定できるからね』

 

 思ったとおりだ。こいつは何匹も居る。それこそ、これだけ殺されても何の問題もないくらいに。けれど、いつも魔法少女に密着しているわけではない。

 にも(かかわ)らず、穢れを溜め込んだグリーフシードを回収する時にはいつも魔法少女の前に現れる。

 魔法少女を探知できる能力があるのは明白だ。

 

「なら、その場所を教えてくれない?」

 

『ボクがそれを教えて何のメリットがあるんだい? このままにして置けばマミが魔女になってくれるかもしれないのに』

 

 支那モンは当然のごとく、僕の頼みを突っぱねる。理解はしていたが、巴さんが魔女になることを心待ちにしているような物言いを聞くと、こいつを友達だと思っていた巴さんに同情するしかない。

 まあ、ここら辺は予想の範疇(はんちゅう)だ。逆に素直に教えてくれる方が、裏がありそうで怖い。

 

「そうだね。じゃあ取り引きと行こう。僕がなぜ魔法少女の秘密を知っていたか気にならない? 君が教えなかった情報をどこで手に入れたのか知りたくはない?」

 

 知りたいはずだ。必ず支那モンは食いついてくる。何せ、向こうは巴さんの居場所を教えるだけでいいのだ。交換条件としては破格と言っても過言じゃない。

 さあ、どう出る!

 

『それはつまりボクがマミの居場所を教えたら、君が魔法少女の秘密を知っている理由を教えるという事と考えて良いのかい?』

 

 支那モンはまるで、僕に言質を取るような言い方をしてくる。まさか、僕が「気にならないか」と言っただけで別に「教える」とは一言も言っていなかったなんて、子供じみた言い訳をするとでも思っているのだろうか。

 まったくもって心外だ。僕はいつだってフェアな男なのに。騙すことばかり考えているから、そんな思考しかできないのだ。

 

「最初からそう言っているだろう。でも巴さんが現在進行形で移動中かもしれないから、ナビゲート付きで頼むよ」

 

『……分かった。交渉成立だ。マミの居場所まで案内しよう』

 

 ほんの僅かな無言の間の後、支那モンは僕との取り引きを受諾(じゅだく)してくれた。もう少しごねられるかと思っていたが、あっさりと話がまとまった。

 多分、もう僕が巴さんの元に行ってもどうにもならないと踏んだのだろう。最悪すでに魔女になっている可能性も十分ある。

 

「ありがとう、キュゥべえ君。じゃあ、早速頼むよ」

 

 今の状況は大体こいつのせいだけど、今はそんなことを気にしている暇はない。利用できるなら、利用してやる。

 だが、僕はそんなことは顔に出さず、余裕の笑みを浮かべる。

 僕は受けた恩は必ず返す人間だ。かつて命を助けてくれた巴さんに報いるためにもここで引くわけにはいかない。

 

 

 

 

 

 

『ここだよ』

 

 図々しく、僕の肩に乗った支那モンがそう(つぶや)いた。

 支那モンのナビゲートで僕がやってきた場所は、ショッピングモール。より正確に言うなら、関係者以外立ち入り禁止されていた未改装のフロアだ。

 僕が転校初日に、突然走り出した鹿目さんを追って……いや、半ば強制的に美樹に連れて行かれた場所。そして、初めて巴さんと出会った場所でもある。

 それにしても、この場所はいつまでこのままなんだろうか。もう二週間も経っているのに未だに未改装のままだ。

 

「本当にこんなところに巴さんが居るの?」

 

『間違いなく、マミのソウルジェムの反応があるよ。それにボクは嘘は吐かない』

 

「必要最低限の真実も話さないけどね」

 

 肩に乗った支那モンがいい加減鬱陶(うっとう)しくなってきたので、床に降りてもらった。

 支那モンがここまで言い切っている以上、巴さんは恐らく近くに居るのだろう。ならば、こいつごと巴さんに狙撃される可能性も考慮しなければならない。

 

『政夫、約束どおり情報を教えてもらうよ』

 

「ああ、僕がどうして魔法少女の秘密を知っているかだったね」

 

 僕はフェアな人間だ。多分、暁美あたりならこいつとの約束など堂々と破り、木曜洋画劇場の主役のように支那モンの頭を弾くだろうが僕は違う。支那モンが元凶だろうが何だろうが、約束はきっちりと守る。

 

「暁美さんに聞いたから。以上」

 

 分かり易く、それでいて聞き取り易いように一言でまとめてあげた。

 支那モンは無言でガラス玉のような目で僕を見上げた後、尋ねてくる。

 

『……それだけなのかい?』

 

「それだけだよ。暁美さんが僕に話してくれたから知ってる。これ以上何とも言えないよ」

 

『どうして暁美ほむらが知っているかは……』

 

「さあ? それは約束の範疇じゃないからね。僕が答えるのは『魔法少女の秘密を知っている理由』だけだよ。――まさか騙されたとか、ホザかないよね?」

 

 足元に居る支那モンに向けて冷笑を浮かべる。

 僕は何一つ嘘は言っていない。全て真実だ。支那モンが期待していたほど情報量ではなかったというだけだ。それでも十分つり合いは取れているだろう。

 もはや、こんな奴に付き合っている理由はない。早く、巴さんを見つけないと。

 

 心底どうでもいいナマモノを後にして僕はフロアの奥へと進んで行く。

 そして。

 

「巴さん!」

 

 壁に寄りかかって、座っているパジャマ姿の巴さんを見つけた。

 膝を抱え込むようにして体育座りをしていた巴さんは、僕が声を掛けると俯いていた顔を上げてこちらを見つめる。その顔は暗い表情に包まれていたが、僕が現れたことへの驚きが見て取れた。

 

「夕田君……!? 何でここに……」

 

「探しましたから。ちょっとズルしましたけど」

 

 僕は巴さんの無事な姿を見て、内心安堵した。支那モンがまだ『ソウルジェムの反応』と言っていたので、魔女にはなっていないと思ったが、やはり自分の目で安否を確認しなければ安心はできなかった。

 

「それより、どうしてこんなところに居るんですか? 今日は僕、巴さんを遊びに誘おうかと思って家まで行ったのに……」

 

「駄目よ!!」

 

 僕の言葉を(さえぎ)るように巴さんは大声を上げた。

 壁に背中を擦り付けながら立ち上がり、巴さんは僕を拒絶する。そして、指輪をソウルジェムの形に変えて僕に突きつけるように見せた。

 

「見て! 私のソウルジェムはもうこんなに黒く(にご)ってる。多分、あと少しで私は魔女になるわ。理屈じゃなく感覚で解るの……」

 

 巴さんの言うとおり、黄色く輝いていたソウルジェムは前に学校の屋上で見た時よりもはるかに黒ずんでいた。

 きっとこんなところ来たのは、人気のないところを探してのことだろう。マンションの中で魔女になるよりは幾分マシだ。もっとも、すぐ傍にショッピングモールがあるのでベストな答えとは言い難いが。

 短時間で来られる人気の少ない場所を考えて来たんだろうが、うまく思考が回っていない。支那モンをあれだけ殺すほど精神状態だから仕方ないと言えば仕方ないか。

 

「そうですか。ただ何でそこまでソウルジェムが濁ったのか教えてもらえませんか? そのくらいなら時間あるでしょう。わざわざあなたを探し回った駄賃だと思って答えてくださいよ」

 

 さも、余裕そうな顔で巴さんにそう尋ねる。と同時に気付かれないように、少しずつ()り足で近づいて行く。

 普段だったら気付かれると思うが、今の冷静さを欠いた巴さんならば問題はないだろう。

 

「……夕田君。あなたは私に魔女になるその時まで魔法少女として生きていけばいい、そう言ってくれたわね」

 

「言いましたね」

 

「でも駄目だった。……私はもう魔法少女として生きていけない。改めて魔女を()の当たりにして、自分と同じだと思ってしまったわ。彼女たちを殺して、『正義』なんて名乗れない」

 

 泣きそうな顔で巴さんは悲しげに微笑んだ。その表情には『魔法少女』、いや、『巴マミ』にしか分からない思いが込められているのだろう。

 

「夕田君、あなたから杏子さんや暁美さんにはごめんなさいって伝えてもらえないかしら……」

 

 それが巴さんの最期のお願い。彼女らしい言葉だ。その台詞は僕に早く立ち去れという意味も含まれている。

 僕は巴さんのその想いを、優しさを、言葉を。

 

「嫌ですよ」

 

 ()んであげない。

 

 巴さんが喋っている内に少しずつ近づいていたので、それほど距離は離れていない。(ふところ)にしまってあった暁美からの(あず)かり物を取り出して、巴さんに一気に距離を詰める。

 

「なっ……!」

 

 巴さんの顔が驚愕の色に染まる。まさか僕が突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。普通の感性なら、巴さんの意図を()んで涙ながらに立ち去るところだからだ。

 だが、僕は取り出した両端が鋭く(とが)ったソレをソウルジェムに思い切り押し当てる。

 

「伝えたかったら、自分で伝えてください」

 

「それは……グリーフシード!?」

 

 昨日の内に切り札として、暁美から受け取っておいて正解だった。念には念を入れといたおかげで本当に良かった。暁美には感謝しておかないといけない。

 巴さんのソウルジェムから、(よど)んだ濁りが吸い出され、元の美しい黄色の輝きを取り戻す。完全に、とまではいかなかったものの黒ずんだ部分がかなり減った。

 手元にあるグリーフシードはこれ以上穢れを吸い取ってくれないようで、奇怪な光を明滅させている。これで最悪の結末は避けられたな。

 

『そのグリーフシードは孵化(ふか)寸前だね』

 

 置いてきた支那モンが呼んでもいないのに颯爽と現れ、背中の(ふた)を開いてこちらに擦り寄ってくる。

 

『ボクが回収するよ』

 

「キュゥべえ、あなた……!」

 

 予想外の僕の行動に一時停止していた巴さんの顔が怒りに歪む。巴さんからすれば、どの面下げて自分の前に現れたって感じだろうからな。気持ちは分かる。

 僕は支那モンの背中の穴を一瞥(いちべつ)した後、無言で孵化寸前のグリーフシードを壁に思い切り突き刺した。

 

「ふん!」

 

『な!?』

 

「ええ!?」

 

 僕の咄嗟(とっさ)の奇行の支那モンも巴さんも、驚きの声を上げる。

 グリーフシードの光の明滅は激しくなる。まるで心臓の鼓動のようにも見えた。

 

『何をしているんだい、政夫!? そんなことをしたら、ここで魔女が(かえ)ってしまうんだよ!』

 

 叱責(しっせき)するように僕に向けて大きな声をあげる支那モンを無視して、巴さんの真正面に立ち、瞳の奥を見つめる。

 

「さて、巴さん。ここで魔女が出現すれば、ただの人間の僕は一溜まりもありません。――さあ、『正義の魔法少女』はか弱い一般人を救ってくれますか?」

 

「夕田君……あなた、まさか……」

 

 グリーフシードは一際大きく光ると、周りの空間が歪み、世界が塗り替えられた。




最後の方の政夫、何かもうギャグですね。一応構想ではかなりシリアスで緊迫した状況だったはずなんですけど。


宜しければ感想お待ちしております。


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第五十八話 半分の罪

前回までのあらすじ

第五十七話を見てください!


 周囲の光景が一瞬の内に薄暗い未改装のフロアから不自然な闇の中に変わった。

 『不自然』というのは地面は足元が見えないほど暗いのに、上の方は驚くほど明るいからだ。多少見づらい程度で周囲も十分視認することができる。

 まるで作り物のような“調整された闇”。ここが僕の知る常識を超えた場所であることをまざまざと見せ付けてくる。

 近くに支那モンが居ないところを見ると、奴は魔女の結界に取り込まれる前に咄嗟(とっさ)に逃げたらしい。もっとも別に居なくても何も問題はないし、むしろ鬱陶しい発言をされないだけありがたい。

 

「さて、どうしましょうか? 巴さん」

 

 隣に居るパジャマ姿の巴さんに問いかける。

 自分で口にしておいて何だが、びっくりするぐらい白々しい台詞だ。こうなることを見越してやったのだから。

 

「どうしましょうかって……この結界の魔女を倒すしかないじゃない」

 

 僕の発言にどこか複雑そうな顔で巴さんは、あのどこぞのウェイトレスのような魔法少女の姿に変身する。魔女になるのを(まぬが)れたとはいえ、流石に魔女を倒す覚悟はできていないようだ。

 だが、ここで巴さんに魔女を倒す覚悟を決めてもらわなければ、どの道彼女は魔女になってしまう。いや、それ以前に僕が死ぬことになる。

 こうなることは分かっていたが、せめて遺書ぐらい書いてきた方が良かったかもしれないな。

 

「それじゃあ、お願いします。か弱い僕を守ってください」

 

「最近気付いたけど、夕田君って食えない人ね」

 

「よく言われます」

 

「……ふふ」

 

 巴さんは呆れたような笑みを僕に浮かべる。さっきまでの何もかも諦めた笑みよりはずっと良い。少しは活力が戻ってきている証拠だ。

 ここで一番恐ろしいのは、巴さんが不安定になって恐慌状態に陥ることだ。もちろん、ここは魔女の結界の中だから慎重にならなくてはいけないが、それ以上にしなくてはいけないのは『ライン引き』だ。価値観の変動といってもいいかもしれない。

 巴さんの中で『魔女を倒す』という行為を許容のラインまで引き上げる必要がある。

 

「じゃ、早速エスコートして頂けますか?」

 

「そういうのは普通、女性が男性に言うものよ?」

 

「ジェンダーフリーって奴ですよ。僕、男女共同参画社会主義者なんで」

 

「……本当にあなたって口がうまいのね」

 

「恐縮です」

 

 そんなふざけた会話をしつつも巴さんは僕の前に立って、しっかりと守ってくれている。

 僕が普通の人間だということが分かるのか、僕を狙って飛び掛ってくる黒い影でできたような蛇の使い魔を一発も撃ちもらさずに倒していく。

 思考を切り替えているのか、その姿には一片の迷いもない。そこら辺は歴戦といったところだ。

 しかし、使い魔を倒すのは許容範囲なのか。魔女は駄目なのに。一般人の僕としてはちょっと理解に苦しむ。

 

 

 しばらく、この結界内を歩いた後、難なく最深部らしき場所に着いた。

 それにしても、魔女の結界というのは魔女によってかなり違うようだ。僕が入った結界は蝶の(はね)が生えたナメクジの魔女のものと、デフォルメされた羽根の付いたテレビの魔女のものと、ここで三つ目になる。前者の二つはカラフルで毒々しい印象があった。

 けれど、この結果は暗くて色が極端に少ない。ほとんど全てが白と黒だけで、あとは奥の方に見える太陽の塔が辛うじて赤色をしている。

 

「あれが……この結界の魔女よ」

 

「へえ、あれが……」

 

 太陽の塔のすぐ近くにこちらに背を向けるようにして、黒い人影があった。

 あれがこの結界を作り上げた魔女か。今まで一番人間の形に近いな。仮に『影の魔女』とでも呼んでおこう。

 影の魔女は僕らに反応する様子もなく、太陽の塔に祈りを捧げるかのように(ひざまづ)いている。もしかしたら動かないのではなく、下半身が床と融合して動けないのだろうか。

 

 しかし、それよりも重要なのは巴さんがあの影の魔女と戦えるかどうかだ。このグリーフシードは昨日の戦いで得たものだと暁美は言っていたし、最終的に影の魔女に止めを刺したのは巴さんだとも聞いた。つまりは交戦経験というアドバンテージがある。

 初見の魔女よりは戦い易いはずだ。もっとも、向こうの魔女にもひょっとしたら巴さんと戦ったことを覚えている可能性もあるので楽観はできない。

 

「………………」

 

 巴さんは複雑そうな表情で影の魔女を見つめながらも、マスケット銃をベレー帽から地面に何本か出現させて臨戦態勢を取る。

 影の魔女も微動だしないが、魔女を守るように影の蛇が数匹横一列になって真っ黒い床からぬっと生えた。襲い掛かろうとせずにこちらの様子を探っている。

 

「巴さん」

 

「夕田君、悪いけど今は喋っている余裕は……」

 

「そんなに魔女と戦いたくないですか?」

 

「っ……!」

 

 魔女と使い魔から目こそ逸らさなかったが、巴さんの顔に動揺が走る。

 今の状況がどれだけ危険かは理解している。自分の発言で巴さんがどういう反応を示すかも承知の上だ。

 けれど、それでも言わなくちゃいけない。今のままの巴さんが変わる転機はこの時を()いて他にはないだろう。

 

「だったら、僕を置いて逃げればいいじゃないですか」

 

「そんな事できる訳ないでしょ!?」

 

 巴さんが後ろに居る僕に振り返って怒鳴った。

 その瞬間、影の蛇が一斉に僕ら目掛けて飛び掛って来る。巴さんは軽く舌打ちをしてマスケット銃を地面から引き抜いて、飛んできた影の蛇を一匹一匹精確に打ち落としていく。

 影の蛇はマスケット銃の弾丸に当たると砕け散るように四散して、煙状になって消えた。全ての蛇を撃破すると巴さんは安心して肩を落とした。

 

 危なかった。巴さんの戦闘技術を信用していたとはいえ、一歩でも間違えたら巴さんも僕もあの影の蛇に食いちぎられていたかもしれない。分かっていたが本当に命懸けだ。

 物理的な脅威に肝を冷やしつつも、僕は恐怖など微塵も感じていないかのように淡々と喋る。

 

「どうしてですか? あなたは『正義の味方』じゃないんでしょう。僕を助ける理由なんてありませんよ? 今だって僕のせいで命を落としかねなかったじゃないですか?」

 

「どうして!? そんなの私が夕田君に死んでほしくないからに決まってるじゃない!!」

 

 巴さんは僕が見たことないほどの剣幕で怒っていた。穏やかで取り乱した時ですら、ここまで大きな声をあげたりはしなかった。

 ここまではっきりと言い切ってもらえると正直嬉しい。巴さんの中では僕の存在はそれなりに大きいようで何だか気恥ずかしくも感じる。

 

「その理由は、巴さんが魔女を殺す理由に足りえますか?」

 

「!……夕田君……。まさかそれを言うために……」

 

「答えてください。巴さん」

 

 巴さんに詰め寄り、瞳の奥を覗き込む。

 ここが正念場だ。戦う理由を与えてあげられるかどうかで彼女の行末(ゆくすえ)が決まる。

 

「私は……――っ、魔女が!」

 

 巴さんが言葉を(つむ)ごうとしていた時、突如今まで静観していた影の魔女が動きを見せた。

 何と言い表せばいいのか正しいのか分からないが、しいて言うならそれは真っ黒い巨大な大木のようだった。こちらに目掛けて巨大な真っ黒い大木が早送り映像のような速さで迫って来ている。

 

「夕田君は私の後ろに!」

 

 そう言うと巴さんは僕から魔女へと向き直り、黄色いリボンを出現させる。そのリボンが寄り合わさり大きな銃の姿に構成された。

 かつて、蝶の(はね)が生えたナメクジの魔女を一撃で粉砕した巨銃。巴さんの必殺の武器。

 恐らく、あの影の魔女を一撃で葬り去ることが可能だろう。だからこそ、今の巴さんにそれが使えるのか疑問だ。

 

 だが、影の魔女が伸ばす巨大な影の樹木はそうこうしている間にもこちらへと距離を縮めてくる。魔女の方もこの一撃で終わらせる気なのだろう。

 巴さんは巨銃を支えながらも、弾丸を発射させる様子はない。

 よく見るとその肩は小さく震えていた。まるで臆病な幼い子が悪いことをする一歩手前で良心が痛み出したようなそんな震えだ。

 こうしている瞬間も巴さんの中では『魔女を殺す』ということに葛藤があるのだろう。

 

「巴さん」

 

 僕は彼女を後ろから抱きしめた。

 

「夕、田くん?」

 

 唐突な僕の行動に巴さんは戸惑う素振(そぶ)りをする。けれど、僕はそれを無視して喋る。

 

「あなたが魔女を殺すことが罪だと言うのなら今は僕も一緒に背負います。僕には戦う力はありませんから全部は無理ですけど、せめて半分だけは背負わせてください」

 

 酷い男だと自分でも思う。今、僕は罪悪感に(さいな)まれている女の子に『殺し』を強要させている。

 半分背負うから、お前も半分背負えと共犯者に仕立て上げている。

 

「だから、巴さん。あなたも背負ってください」

 

「……夕田君。あなたって本当に食えない人ね。いいわ、私も背負う。だから一緒に」

 

「はい。一緒に」

 

 迫りくる黒く巨大な影の樹木が僕らの目と鼻の先ほどの距離まで近づいてくる。回避はもはや不可能だ。直撃すれば死は免れないだろう。

 

「ティロ……」

 

 しかし、避ける必要なんてない。

 

「「フィナーレ!!」」

 

【挿絵表示】

 

 

 巴さんと声を合わせて僕は叫んだ。

 銃口から黄色に輝く弾丸が発射されて、影の樹木を縦に引き裂いて飛ぶ。弾丸は輝きを増して、薄暗い闇を切り裂いて空間に黄色の軌跡を描いた。

 まったく勢いを殺さないどころか、弾丸はさらに加速をして影の魔女へと狙いを定める。

 影の魔女を守るように無数の影の蛇が現れ、壁状に固まるが、黄色の軌跡はそれを容易(たやす)く打ち砕いた。

 

 影の魔女が最期に一瞬だけ僕らの方に振り向いたように見えた。真っ黒でのっぺりと目も鼻もないその顔がなぜか僕には巴さんを(うらや)んでいるみたいに思えた。

 

 周囲の空間が歪み、不気味な世界からショッピングモールの未改装のフロアに戻っていく。

 (ほこり)っぽい不衛生な空気が無性に安心感を(かも)し出してくれた。今ならゴキブリすら愛おしく……いや、流石に無理だな。

 

 魔法少女の衣装から、再びパジャマの格好に戻った巴さんは僕に深々と頭を下げた。今気付いたが、履いているものも靴ではなくサンダルだ。どれだけ混乱していたかがよく分かる。

 

「ごめんなさい。私が不甲斐ないばっかりに、夕田君を危険な目に合わせてしまって……」

 

「それは僕が勝手にやったことですよ。それに初めて会った時に命を助けてもらった恩もありますし」

 

「でも、先輩として、魔法少女として、とても恥ずかしい行為だと……」

 

 申し訳なそうにする巴さんだったが、クゥ~と可愛らしく彼女のお腹が鳴った。真面目な話をしていた途中のことだったので、そのギャップが微笑ましくてつい笑ってしまう。

 

「くっ、あはははは」

 

「ち、違うの。今のは。ちょっと、そんなに笑わなくたっていいじゃない! 夕田君のいじわる」

 

 恥ずかしそうに怒る巴さんは、いつもよりも幼く見えて可愛らしく感じた。年上然としている彼女よりも(しょう)に合っているのかもしれない。

 ジャンパーから携帯を取り出してジーパンのポケットにしまうと、ジャンパーを巴さんに羽織(はお)らせる。冬ではないが、パジャマのままでは流石に寒いだろう。

 

「ごめんなさい。お詫びに昼食(おご)りますから機嫌直してください」

 

「ずるい人ね。夕田君は」

 

 巴さんに謝りながら、床に落ちていたグリーフシードを拾ってじっと眺める。

 今回は巴さんが助かっただけじゃなく、思わぬ収穫があった。

 それはグリーフシードがリサイクル可能だということだ。このことをうまく使えば、魔法少女の魔女化の可能性をある程度減らせるかもしれない。

 あとで暁美とも相談する必要がありそうだ。

 




今回でマミさん編終了と言ったところでしょうか?
本来ならここで政夫は死んでいたかもしれませんが、皆様が意外と政夫に好意的だったので死にませんでした。

あと、今更なんですが、政夫のキャラ設定出した方がいいでしょうかね?
多分、読んでれば大体想像できると思いますからなくていいと思いますけど……。

ちなみに「みてみん」というイラスト投稿サイトに政夫のイラストを絵凪さんに描いてもらったことがあるので良かったら見てください。すぴばるにあるのの拡大版ですが。


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第五十九話 隣に並んで

すいません、今回政夫出ません。
ていうかキャラが多いせいで政夫視点だけだと書ききれないので、このような感じになってしまいました。


~ほむら視点~

 

 

 私は本当にこんな事をしていていいのだろうか?

 ふと、そんな考えを脳裏に()ぎらせながら、テーブルの前のコーヒーカップに目を落とした。

 今頃、政夫は土曜日だというのにマミのために時間を潰して、彼女を再び立ち上がらせるよう尽力している。それも私が相談したせいで、だ。

 なのに、当の私はこうやって喫茶店でコーヒーを飲んでいる。自分のやっている行為が酷く無責任な事に感じられてならなかった。

 

「このお店初めて来たけど雰囲気が良いお店だね……どうしたの、ほむらちゃん?」

 

 私の目の前に座って店内を興味深そうに眺めていたまどかが、私の顔を見て急に心配そうに声をかける。いけない。今はまどかと一緒に居るんだった。彼女の前で心配させるような顔をする訳にはいかない。

 大体、政夫も電話で自分よりまどかの事を気にしろと言っていた。ここでまどかを余計な事で悩ませるなんて本末転倒もいいところだ。

 

「何でもないわ、大丈夫よ」

 

 内心を悟らせまいとしたせいで必要以上に冷たい声が出てしまった。表情もいつもより硬くなっているかもしれない。

 

「そ、そう……ごめんね」

 

 やってしまったと思った時にはもう遅かった。私のきつく聞こえてしまう言い方にまどかは申し訳なさそうに俯く。

 まどかに余計な心配をさせないための台詞が逆に彼女を傷つけてしまう。本当に私は相変わらず、どうしようもない程コミュニケーション能力が低い。

 重火器や爆発物の扱いは上達していっても、これだけは一向にうまくならないままだ。何か言って今の発言を補おうとしても何を言ったらいいのか、まるで浮かんできてくれない。

 

 最近は学校の昼休みでも皆と喋っているから多少はマシになってきたと思っていたが、振り返ってみれば私は大抵受け答えするだけで能動的に会話に入っていっていなかった。それも大抵が政夫が振ってきたものばかり……。

 今まで気付かなかったけれど、私が会話に入っていきやすいように政夫が話の流れを調整してくれていたのだろう。どこまでも気遣いばかりの男。きっと政夫の半分は気遣いでできているに違いないわ。

 もし彼が私の立場だったら、今のまどかにどんな事言うのだろうか?

 きっとこんな感じだ。

 

「気にしなくていいわ。でも心配してくれてありがとうね」

 

 そう言いながら、私はまどかに少し嬉しそうに笑みを浮かべて見せた。

 “魔法少女の秘密”を知ってからはいつの間に笑い方を忘れていたけれど、今では自然と浮かべる事ができる。誰も信頼できなかったあの頃と違う。私には心を許せる人が居る。

 

「よかった……。怒らせちゃったかと思ったよ」

 

 ほっとしたようにまどかも顔を上げて、私に笑い返してくれた。この笑顔は多分いつも通りの私だったら向けてもらえなかったものだ。そもそも、まどかが私に(くも)りのない笑顔を向けてくれたのは何時以来だっただろうか。

 私は忘れていた。この笑顔を守るために私が魔法少女になった事を。

 知らない間にまどかを救う事だけに必死になって、理由や目的を見失っていた。私にとってまどかがどんな存在なのか改めて理解できたような気がする。

 

「そんな事ないわ。ただ心配されるのになれてなくて、つい言い方がきつくなっただけよ」

 

「そっか。学校でもあんまり喋ってくれないから嫌われてるのかと思ってたよ。こうやってほむらちゃんと話せて本当によかった」

 

 そんな風に思われていたのね……。いつもの時間軸よりはずっと仲良くやれている、なんて考えていた私は何にも分かっていなかった。

 政夫はここまで理解して、まどかと一緒に遊びに行く事を進めたのかしら。

 

「それで今日は何で急に遊びに行こうって誘ってくれたの? あ、もちろん、嫌とかじゃなくて、ほむらちゃんがこういう風に誘ってくれるの初めてだからちょっとびっくりで」

 

「分かってるわ。誤解なんてしないから安心して」

 

 ちゃんと向き合って初めて分かる事がある。私はまどかの事を理解していたつもりで実際のところは分かっていなかった。

 ずっと目を背けて逃げていた。どうせ信じてもらえないと諦めていた。

 でも、それでは前へ進めない。私の事を理解してもらうにはまずは話さなければならない。

 私はまどかに全てを話した。私が魔法少女になった理由と私が見てきた絶望を。

 

 

 話し終わった後、コーヒーカップを取って、口元へ持っていく。中身はすっかり(ぬる)くなっており、あまり美味しくはなかった。

 まどかは今にも泣き出しそうなほど、悲痛に表情を歪ませていた。

 

「そんな……あんまりだよ。そんなのってないよ……」

 

「本当に信じてくれるの? こんな話を」

 

 全てを吐き出した今でもまどかに信じてもらえるか不安だった。仮に信じてもらえたとしても受け入れてくれるか分からない。

 どれだけ取り繕ったとしても、私は魔女になった『まどか』をずっと見捨て続けたのだから。

 

「信じるよ……。ほむらちゃんのこと、嘘つきには見えないもん」

 

 まるで当然のようにまどかは私にそう言った。

 ずっと聞きたかった言葉が私の胸に染み込んでくる。視界が(にじ)んでいると思ったら、知らない間に涙を流していた。

 

「確証なんて何もないのよ……説得力だって」

 

「『魔法少女にならなくたって、できることぐらいいくらでもあるよ』」

 

「え?」

 

 私の言葉を(さえぎ)ってまどかは脈絡もなくそんな事を言い出した。意味が分からず、私はハンカチで目元を拭いながらまどかの方を見る。

 しっかりと私を見据えて話すその姿が、最初の世界でのまどかを思い出させた。

 

「政夫くんがね、上条君が入院してた病院のグリーフシードを抜いてキュゥべえの背中に入れた時に私にそう言ってくれたの。だから、ずっと自分にもできることを今日まで考え続けて、ようやく答えが出たよ」

 

「答え……?」

 

「うん。私って鈍くさいし、何の取り柄もないし、私できることなんてほとんどないけど……それでも友達を信じることくらいはできる。だから、ほむらちゃんのこと絶対に信じるよ。それが私が魔法少女にならなくてもできることだから」

 

 まどかは手を伸ばして私の手を取って握ってくれた。手のひらから温かさが伝わってくる。

 優しく包み込むのではなく、ただただ真摯(しんし)に握ってくるその手には『最初のまどか』とはまったく違う印象を感じた。

 きっとこれが『この世界のまどか』の強さなんだろう。魔法少女としてではない、人間の強さ。

 

「……ありがとう、まどか」

 

「私の方がお礼を言う方だよ。守ってくれてありがとうね、ほむらちゃん」

 

 

 

 

 

 

「もうそろそろ映画上映する時間だよ」

 

 まどかが携帯を開いて時間を確認する。

 もうそんなに時間が経っていたのね。全然気が付かなかった。

 もともと、この喫茶店に居るのは映画館での上映時刻まで時間があり、まどかが入りたそうな顔をしていたからだ。内装がピンク系統の色で統一されているファンシーな喫茶店だったので、正直に言うと私のような人間にはちょっと居心地が悪かった。

 

「それじゃあ、そろそろ行きましょうか。映画館は確かショッピングモールの方だったかしら」

 

「うん。あ、そうだ。映画見終わったら、お昼どうしようか?」

 

「まどかの行きたいところでいいわ」

 

「じゃあ、いつも皆で言ってるハンバーガー屋さんでいい?」

 

「構わないわ」

 

 まどかと二人で並んで歩くのは、何故だかとても嬉しく感じられた。

 『彼女(まどか)』の後ろをついて行くのでもなく、『彼女(まどか)』の前を歩くのでもなく、隣に並んで歩いている。

 私は今初めて、本当の意味でまどかと友達になれた気がした。

 




杏子とさやかたちの方は……書かなくてもいいですかね。じゃないと話が進展しなくなってしまいますし。
今回はまどかを書かないとタイトル詐欺になる恐れがあるので出しただけです。

おりこ出したいんですけど、これ以上キャラ増やしたら話が破綻しそうです。
ハッ、その場合は政夫に退場してもらえばいいですね!


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第六十話 川原で稽古

まさかの一日での連続投稿。
今回も政夫出ません。番外編扱いでも良いレベル話ですね、これ。


~杏子視点~

 

 

「ほら、何やってんだ! 動きがトロくなってるぞ! 教会でアタシに()み付いてきた時の勢いを見せろ!」

 

 アタシは手に握った木刀を左斜めに振るう。

 

「くっ! ちょ、ちょっとタイム……!」

 

 さやかはそれを自分の木刀で受け止めようとして、足を必要以上に開いてしまう。そこをアタシは見逃すほど甘くはない。

 さやかの右足にアタシの足を引っ掛けて、内側から外側に払った。右足の靴が地面から離れて、さやかは当然バランスを崩してひっくり返る。

 仰向けに倒れたさやかの顔に木刀の先を突きつけて、アタシは頬を吊り上げた。

 

「これで二十三勝目だ」

 

「杏子ずるいよ。私、ちゃんとタイムって言ったのに……」

 

 さやかはアタシを睨みながら、不満そうに文句を言う。

 

「何言ってんだ馬鹿。少しでも強くなりたいからってアタシに稽古(けいこ)つけてって言ったのはアンタだろ。それに魔女との戦いにタイムなんてないんだよ」

 

 マミの事で頭を悩ませていたアタシの元に電話してきて、いきなり「稽古つけて!」とか言い出してきた時は何事かと思った。

 しかも、アタシの家が風見野にある事しか知らないのに駅前までに来て、「杏子の家どこ? 今駅前なんだけど」なんて言ってくるし。

 見滝原の教会でやりあった時はアタシも冷静じゃなかったけど、こいつは素で考えなしのヤツだ。信じられないくらい馬鹿だ。放っておくと間違いなく早死にするタイプだ。だからこそ、マミの件を後回しにしてさやかの稽古の手伝いをしている。

  

 ただ魔法少女になって行うと魔力が消費されるから、物置にしまっていた木刀を引っ張り出して近くの川原で稽古をする事になった。

 何で木刀が二本も物置にしまってあったかを聞くと、「男には中学生くらいの時はやんちゃしちまう生き物なんだぜ……」とどこか遠い目をしたので詳しく聞くのは止めといてやった。聞いてほしくない過去の一つくらいショウにだってあるんだと思う。

 

「でも、さっきからずっと木刀の打ち合いしてたんだから、流石にここら辺で休憩させてよ……」

 

「しっかたねーな。んじゃ、ちょっと早いけど休憩にしてやるよ」

 

「う~、杏子スパルタすぎる」

 

 文句言うなら他のヤツにやってもらえと思ったが、アタシ以外は遠距離武器ばかりだから無理だな。まあ、て言ってもアタシの得物は槍だから剣が得意ってわけじゃないけど。

 近くに置いてあったリュックから水筒を取り出して、中の冷えた麦茶をあおる。キンキンに冷えた麦茶は運動で体温の上がった身体に染み込んでくる。家を出る時ショウが持たせてくれてホント良かった。

 

「っぷはー!」

 

「あ! ずるっ! 私にもちょうだい」

 

 川原の斜面に仰向けで倒れていたさやかが、がばっと起き上がって水筒を奪おうとしてくる。飲み物すら自分で用意してこなかったらしい。こいつはマジでどうしようもないヤツだな。

 

「ずるくねーよ。何で自分で用意してきてないんだよ」

 

「いや~、思い立ったらすぐ行動が私の信念だからさ」

 

「じゃあ、その信念に(もと)づいて、そこで(かわ)いていけ」

 

「すいません調子こきました! (のど)カラカラなんです。飲ませてください」

 

 ったく。最初からそう言えばいいんだよ。

 呆れながら水筒をさやかに渡すと、直接水筒の飲み口を開けて逆さにしてグビグビと飲み始めた。……アタシがいうのも何だが、こいつ結構女捨ててるよな。

 

「ふ~。気分爽快! 魔法美少女さやかちゃん復活! 」

 

 テンション高く叫びながら、さやかは水筒片手に訳の分からないポーズをする。

 

「ほー。じゃあ稽古再開するか?」

 

「いや、……それはちょっと休ませて」

 

 アタシが木刀を自分の肩にトントンと当てて言うと、引きつった笑顔で首を振る。

 アタシもさやかに(なら)って斜面に寝そべる。背の低い草が背中を優しく包んでくれるおかげで思った以上に寝心地がいい。

 さやかに至ってはもう目をつぶって、今にも昼寝を始めそうだ。ホントこいつは自由気ままだ。

 

「なあ、さやか。お前がここまでする理由って何だ?」

 

 わざわざアタシに稽古を頼んできた時は魔女退治に参加できていない負い目かと思ったが、どうも見ているとそこまで切羽詰ってるようには思えない。

 

「ここまでって? 杏子に稽古つけてもらってる事?」

 

「ああ。魔女と戦いたいとでも思ってんのか? アンタだって魔女の正体知らないわけじゃないんだろ?」

 

「そうだね、私は魔法少女になる前に政夫から『魔法少女の秘密』教えてもらった上で魔法少女になったから……」

 

 は? こいつ今なんて言った? 

 秘密を知った上で魔法少女になった、だと?

 

「おい。魔法少女になった時の事、詳しく話せ」

 

「え……うん。別いいけど。私が魔法少女になろうと思ったのは幼馴染の――」

 

 

 

「――ってわけよ」

 

 さやかから話を聞き終えた後、アタシは頭を抱えた。

 馬鹿だ馬鹿だと思っていたがここまで馬鹿とは思いもしなかった。

 こいつの友達やってるヤツは仏様か何かか? 今更だから別に切れるつもりなんかないが、もしアタシがその時こいつの傍に居たらぶん殴っていた自信がある。

 

「さやか……」

 

「ん? 何?」

 

「アンタ、馬鹿だろ」

 

「うん。よく言われる」

 

 さやかはどこか自慢げに笑った。ここまで呆れを通り越して、尊敬の念すら()いてくる。

 馬鹿と天才は紙一重とか言われているから、ひょっとしたらこいつは天才なのかもしれない。絶対にまねしたくないけど。

 

「で、アンタの戦う理由って結局何なんだ? そのバイオリニストの坊やのためか?」

 

 意外にもさやかは首を振った。

 

「いや、恭介はもう完璧に振られて諦めた」

 

 ますますさやかの戦う理由が分からない。てっきり他の女に惚れた男のために健気にも陰で戦うのが、こいつの理由かと思ったけど違うみたいだ。

 

「じゃあ、何だよ?」

 

「恭介に振られる前にさ、迷惑かけちゃった奴が居るんだ」

 

 さやかはアタシから視線を外すと、静かな口調で語り始める。その横顔はいつものハイテンションな明るい笑顔とは違い、どこか憂いを含んだ大人びた笑顔だった。

 

「みっともないところ散々見せちゃってね。泣き喚くとこなんか二回もだよ? だから今度はそいつに……」

 

 そう言いながらさやかは起きて立ち上がり、

 

「カッコ良いとこ、見せたい! あなたのおかげで私はこんなに強くなれましたって、さ」

 

 身体ごと振り向いてアタシを見る。

 その顔にはふざけた軽いイメージのさやかはどこにもいなかった。一瞬、アタシが驚くほど真剣な表情をしていた。

 

「ま、今は全然駄目駄目だけどね」

 

 そう言ってまたいつもの明るい笑顔に戻る。

 でも、今ので分かった。こいつは行動こそ考えなしで、でたらめだけど、ふざけ半分なんかじゃない。

 どこまでも真面目に『魔法少女』をやるつもりなんだ。

 仕方ない。だったら、こっちも本気で付き合ってやろう。

 木刀を再び握って、起き上がるとさやかに声をかける。

 

「ほら、休憩終了だ。稽古再開するぞ」

 

「うん。大分休めたし、準備オッケーだよ」

 

「ところでその格好良いところ見せたい相手って誰だ?」

 

「えっ、それは……ねぇ、ほら、アレよアレ」

 

「結局男かよ。わりと不純な動機じゃねーか!」

 

 




すいません。杏子、さやかの方を書かないのもなんだったので書いてしまいまいした。

それと、イラスト投稿サイト『みてみん』にて、絵凪さんに何と二枚もイラストを描いて頂きました。
二枚とも、政夫と魔法少女のツーショットでよく描かれています。良かったら見てください。

しかし、パジャマまで徹底してるとは……。絵凪さん恐るべし。


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続・超番外編 もしもの恋

これが七十話目になるので特別に書き上げました。この話は超番外編の政夫が最初の世界に居たらというIFの物語の続きです。

本筋からそれて真に申し訳ありません。どうかご容赦を。


 胸が高鳴るこの気持ちを一体どんな言葉であらわせばいいのだろうか。

 

 ――幸せ? ああ、確かに幸せだ。好きな人がこんなにも近くにいる。ここまで満たされた思いをしたのはきっと今日が初めてだ。

 でも違う。その言葉ではまだ足りない。

 

 ――では、恋? そうだ。間違いなく僕は彼女に恋をしている。女の子と付き合ったことはあるが、正真正銘これが初恋だ。

 でも違う。非常に惜しいがこの言葉でも表しきれない。

 

 ――ならば、愛? 多分、今のこの気持ちに一番近いのはこの言葉だろう。彼女に何かしてあげたいと心の底から思う。笑っていてほしい。幸福でいてほしい。そして、許されるなら彼女に僕のことを好きになってもらいたい。

 

「えっと、あの……政夫、くん」

 

 黒く(つや)のある黒髪を三つ編みにした眼鏡の似合う素敵な美少女こと暁美ほむらさんは、僕の名前を呼んだ。

 その鈴の音のような可憐な声を聞いているだけで僕の幸福指数は軽く100を超える。生きていて良かったとすら思えた。

 このまま少しの間余韻(よいん)に浸っていたいが、僕の返事を待つほむらさんを待たせる訳にもいかない。

 

「何かな? ほむらさん」

 

 顔を崩さない程度に笑みを浮かべて尋ねた。ちゃんと意識しないと顔がにやけてしまいそうになる。

 

「今日は、その、わざわざ私に付き合ってもらってありがとうございました……」

 

 ほむらさんは下を向いて申し訳なそうにして僕の隣を歩く。

 もう四日も経ったのだから、もっとフランクに接してもらって一向に構わないというか、むしろウェルカム状態なのだがほむらさんは基本的にこんな調子だ。未だに敬語なのは流石に悲しい。

 ほむらさんがいつにも増して落ち込んでいるのは、今日の教室掃除の際に教卓にあった花瓶を割ってしまったことが原因だ。

 オロオロするほむらさんを(なだ)めて、割れた花瓶の破片を全て集めて捨てた後、早乙女先生への報告をしていたおかげでいつもよりも大分遅い下校になってしまった。けれど、そのおかげでこの幸福タイムを味わえるのだから余裕でお釣りが来るレベルだ。

 

「そんなに気を遣わなくてもいいよ。僕が好きで手伝った訳だし。友達なんだからさ」

 

 気遣いなどさせないようにいつも以上に軽い感じで言う。

 まあ、僕としてはもっとステディな関係になりたいが、無理にそういう関係に迫る気は毛頭ない。時間をかけてゆっくりと仲良くなれればそれでいい。

 

「でも、私がドジだったせいで政夫くんの時間を削らせてしまって……」

 

 しかし、ほむらさんの顔は晴れない。相変わらず、済まなさそうにするばかりだ。なぜこの子はこんなにも自分に自信がないのだろうか。クラスにまだなじめないながらもちゃんと頑張っているのに。

 

「別に僕は仕方なくほむらさんと居るわけじゃないよ。むしろ、ほむらさんと一緒に居たいと思うから今ここに居るんだ。そんな言い方しないでほしいよ」

 

 口に出すとかなり恥ずかしい発言だが、こうでも言わないとほむらさんは納得してくれない。女友達の一人でもできれば少しは変わるのだろうが、今のところほむらさんが学校で会話しているのは僕か担任の早乙女先生だけなのでその可能性は極めて低い。

 いつもは僕から話しかけないと置物のように黙って机に座っているか、小動物のように周囲の目を気にしてビクビクしているばかりだ。それすら、ほむらさんの魅力を引き立てるエッセンスになってしまうが、好きな子が悩んでいるならどうにかしてあげたいところだ。

 

 ほむらさんは立ち止まり僕の顔を上目遣いで見上げる。彼女の頬は紅潮していて、可愛らしさを最大限まで押し上げていた。

 

「…………私、そんな事言われたの……初めてです」

 

 僕の脳髄を『可愛らしさ』という名の電流が走った。心臓への血流が加速して、心拍数が1.5倍に跳ね上がる。

 なんだこの可愛らしい女の子は! 天使か君は! エンジェルだったのか!?

 ほむらさんを思い切り抱きしめたいという邪な欲求が鎌首(かまくび)をもたげるが、持てる全ての理性をフル稼働させ、どうにか肉体を制御する。

 

「……僕も、こういうこと人に言ったの初めてだよ」

 

 僕の(ほほ)が急激に熱くなり、自分の顔が真っ赤になっていることを自覚する。ほむらさんの顔を直視できなくなって、人差し指で頬をかきながら視線を泳がせる。

 だが、ほむらさんの可愛らしさは留まることを知らないらしく、恥ずかしそうにしながらも真面目な表情でキュッと僕の右手を握り締めてくれた。

 

 「いつも政夫くんは私の事気遣ってくれて、本当に優しいです……でも私はしてもらうばっかりで……。政夫くん、何か私にしてほしい事ありませんか?私のできる事なんか限られてますけど」

 

「し、してほしいこと!?」

 

 ほむらさんの上目遣いの表情と柔らかい手のひらの感触、そして何とも魅力的な台詞のおかげで邪な思考が脳裏を駆け巡る。

 駄目だ。落ち着け、夕田政夫。これはあくまでほむらさんが真面目に恩返しをしてくれようと言ってくれた言葉だ。意味を取り違えてはいけない。

 性的な意味などまったくもって含まれてはいないのだ。ほむらさんの純粋な思いをいやらしい思考で汚すなど言語道断だ。

 ――しかし。

 

「……な、なんでもいいの?」

 

 ちょっとくらいはそういうことを考えても罰は当たらないのではないだろうか。好きな女の子がこんなにも魅力的なことを言ってくれているのだ。考えるなという方が酷だ。

 

「はい。私にできる事なら何でも」

 

「じゃあさ、その……い、一回だけぎゅって抱きしめてもらってもいいかな?」

 

 僕は何を言ってるんだー!! 寝ぼけているのか!?

 自分で言っておいて、何て発言をしたんだと頭を(かか)えたくなった。つい封印している欲望が(のど)から這い出してしまった。

 僕がどれだけほむらさんのことを好きだろうと、ほむらさんからすれば出会って四日しか経っていない異性の友達でしかない。そんな相手が図々しくも抱擁をねだってきたら流石に引かれるに決まっている。

 

「…………」

 

 ほむらさんはとんでもない要求に言葉を失ったようで、瞳を大きく見開いて無言で僕を見つめている。

 当然の反応だ。むしろ、露骨に嫌な顔をされないだけでもほむらさんの優しさに感謝するべきだ。

 

 落ち着くんだ、僕。まだ何もかも終わった訳じゃない。冗談を言ったことにして誤魔化すんだ。

 硬直した表情筋を気合で動かして、瞬時に軽い感じの笑みを必死で作る。決して引きつらないように、口の端を上に吊り上げて同時に目を細める。

 よし、大丈夫。鏡がないので完璧かは確認できないが誤魔化しは十分に可能だろう。

 

「なーんちゃっ――」

 

 僕がほむらさんに笑いかけようとするその瞬間、身体に軽い衝撃を受けた。

 

 そして、現状を把握して精神に重度の衝撃を受けた。

 今、僕の身体にほむらさんが密着している。

 

「こ、こんな感じでいい、ですか……?」

 

 超近距離でほむらさんの真っ赤な顔が僕を真下から見上げている。彼女の両手は僕の背中に回され、学ランを優しくつかんでいた。

 あまりにも近すぎて、ほむらさんの髪の香りすら鼻腔に届いてくる。

 頭の中が漂白されていく。うまく思考が回らない。

 ただ僕の今の心境は例え思考が回っていたとしても、僕の語彙力(ごいりょく)では言い表すことはできないと思う。

 

「……ほむらさん」

 

「な、何ですか?」

 

「――君が好きです。僕と付き合ってください」

 

 僕の中の想いが爆発を起こした。

 「もっと時間をかけてゆっくり仲良くなって行こう」なんて思って考えていたけれど、もう無理だった。とてもじゃないけど抑えられない。

 せっかく積み上げた友達という関係に戻れなくても構わない。振られたとしても、絶対にこの想いは嘘にしたくはない。

 

「え……」

 

「絶対に幸せにします。どうか付き合ってください」

 

 戸惑った顔を間近で見つめながら、僕は彼女の華奢(きゃしゃ)で可憐な背に手を回した。

 きっと僕は十四年間の中で最も真剣で、最も余裕のない表情を浮かべていることだろう。実際、余裕なんて微塵もない。断られたら、確実に泣くと思う。

 

「……何で、私なんかがいいの?」

 

 この四日間ずっと敬語だったほむらさんが口調を変えた。恐らく、彼女自身気付いてはいない。それだけ僕の言葉が『暁美ほむら』の核心に届いたということだろうか。

 だったら僕も心の底からの声で話そう。

 

「一目見た時から好きだった。ほむらさんの見た目が好みだったから」

 

「私の見た目……?」

 

 自信のなさそうな顔つきになる。もっと内心的を褒めるような言葉が欲しかったのだろう。

 詰まるところ、「あなたの顔が好きです」と言ってるようなものだ。自分でも酷く不真面目で軟派な台詞と思う。

 

「うん。でも今はそれだけじゃない。君の奥ゆかしさが好きだ。優しいところが好き。恥ずかしがりやなところも好き。臆病なところも好きだ。自信がないところも好きだ。泣き虫なところだって好きだよ」

 

「臆病なところや、自信がないところは……欠点だよ」

 

「直したかったら直せばいいよ。でも、僕はほむらさんの良いところも悪いところも皆好きだよ」

 

「……私、もっと嫌なところいっぱいあるよ?」

 

「全部好きになるから安心して。どうしても直したいところがあるなら僕も手伝うし」

 

 ほむらさんのことなら、どんなことでも愛せる自信がある。彼女のことをもっと知りたい。ほむらさんには欠点にしか見えないことだって、僕にとっては美点になる。

 ……一応全部本音だが、もう告白というか拝み倒しみたいだな。

 

「私で……良かったら」

 

「それは僕と付き合ってくれる、と取っていいんだね?」

 

「うん……」

 

 目を逸らしてほむらさんは頷く。顔だけじゃなく、耳まで完全に真っ赤になっている。

 

「っっぃやったああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁ!!」

 

 やった。やりました。告白してよかったぁ!

 脳内で鳴り響くファンファーレ。世界の全てが僕に祝福しているように感じられた。

 生まれてきて本当に良かった。小学校時代に二、三回本気で自殺したくなるようなことがあったけど、死ななくて良かった。

 

「政夫くん! は、恥ずかしいよ」

 

「ごめん、本当に嬉しくて。それじゃ改めて、これからよろしくね」

 

 密着状態から離れて、僕はほむらさんに挨拶する。

 

「こ、こちらこそよろしくお願いします」

 

 それにほむらさんはぺこりと頭を下げて礼儀正しくお辞儀して返してくれた。微笑ましいその光景に思わず笑いがこぼれてしまう。

 

 

 

 

 下校時刻としては少し遅めだったとはいえ、告白した場所が学校から遠くない場所だったせいでクラスメイトの美樹とかいう青髪の女子に聞かれていたらしく、次の日にクラスで死ぬほどからかわれることになった。

 しかし、そのおかげでほむらさんがクラス女子との接点を持つようになったので結果オーライ……なんだろうか?




よし。これで本筋で政夫がどんな酷い仕打ちにあっても同情的にならずに住むぞ!

IFとはいえ、番外編でこれだけ幸せなら本筋で誰ともくっ付かず最終話近くで死んだとしても許されますよね?

追記

これは仮に死んだとしても読者の方々は許してくれますか? という意味であって作者の殺人予告ではないです。
生き残る可能性は一応あるので、必ず死ぬ訳ではない…………はずです。きっと。


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おりこ☆マギカ編
第六十一話 掛け替えのない恩人


 懐かしい夢を見た。六年ほど前の過去の記憶の夢だ。

 スイミーの件で小学一年生にして暴力沙汰を起こしてしまい、僕は転校を余儀なくされた。

 顔が()れ上がるほど殴り続けた虐めっ子の母親がPTAの会長をしていたのが転校の決め手になったらしい。自分の息子のことも管理できなかったくせに、人を糾弾するのには()けていたようだ。

 大事にしたくなかった学校側は僕一人を凶暴で危険な生徒として処理し、僕への虐めのことは欠片も触れられることはなかった。

 怒りも憎しみも感じられなかった。ただこいつらに何を言っても無駄だと諦観し、父さんにすら真実を話さなかった。

 母さんを失った時の絶望とは違い、心の中には氷のように冷えた失望だけがあるだけだった。

 

 そうして、違う学校に転校して二年生に進級した僕は、もう他人を信用することはできなくなっていた。自分を取り囲む環境そのものが僕を傷付けようとしているように感じられ、教師やクラスメイトを冷めた目で見ていた。

 人間不信に陥った僕はもうかつてのように人に歩み寄ろうとは思えなくなっていた。

 

 そんな中、父さんの高校時代の友達だという人が僕の家へ訪ねてきた。顔はよく覚えていない。興味がなかったので多分当時の僕は視界に入れてなかったのだと思う。

 覚えているのは、その人の娘。当時八歳だった僕の一つ上だというその女の子は老婆のように真っ白い髪をしていた。

 ぎょっとして、他人を遠ざけていた僕は、思わず凝視をしてしまったほどだ。まあ、今はピンクやら青の髪をした女子を知っているので、それほど驚けないと思うが。

 

「おばあちゃんみたい……」

 

 思わずそう口にしてしまった僕は、その女の子に激怒された。なんでも白い髪は亡くなった母親譲りのもので誇りだったらしい。

 最初の方はお互いに険悪だったが、『母親を早くに亡くしている』という共通の境遇のおかげですぐに打ち解けることができた。

 彼女は僕を「まー君」と呼び、僕は彼女を「おねえちゃん」と呼んだ。

 

『私のお父様はたくさんの人を助けるお仕事をしているの』

 

「……すくったところで何のいみがあるの?」

 

『えっ?』

 

「だれかのためにがんばったって、みんなすぐにうらぎるよ。こっちがこまってもだれもたすけてくれないよ?」

 

 それが当時の僕の心理だった。他人に受け入れてもらおうと努力したが、そんな僕に向けてきたのは悪意か、無関心だけ。片親という理由だけで(つば)をかけられ、罵倒され、殴られ、あまつさえ大事に育てていた猫を最悪の手段で殺された。

 直接的な表現は一切しなかったが、僕よりも遥かに聡明だったおねえちゃんは僕がどんな仕打ちを受けたのかを理解してくれたらしく、黙って僕を抱きしめてくれた。

 悲しそうに顔を歪めて、おねえちゃんはポロポロと涙を流した。僕もなぜだか涙が出てきて、不思議な温かさを感じながら二人で一緒に泣いた。

 母さんの死を乗り越えると誓ってから、声を上げて泣いたのは初めてのことだった。

 

「まー君。どれだけ辛くても、家族や友達を、自分の周囲の人を大切にしてみて。きっとその事がまー君を幸せにしてくれるから……」

 

 そう言っておねえちゃんは僕の頭を撫でてくれた。父さんとはまったく違う、母さんを思い出させるような女性らしい優しい撫で方だった。

 その時から、僕は友達のために頑張れる人間になった。たとえあまり好きな相手でなくても、自分の周囲の人を自分のできるかぎり助けようと思えるようになった。

 おねえちゃんの父親の仕事が忙しくなったらしく、それ以来会うことはなかったが、それでも僕は悲しくはなかった。

 あの時、僕は間違いなくおねえちゃんに救われた。

 

 

 

 

 

「今は……十時か」

 

 目を覚まして枕元にある目覚まし時計を確認すると短針は10の数字を指していた。いつもに比べてかなり遅い起床時間だ。昨日は昼食に僕にケーキバイキングを奢ったお礼として巴さんが晩御飯をご馳走してくれたので家に帰ってきたのは八時を過ぎていた。

 今日は日曜なので別に構うことはないのだが、昔の夢を見たせいかあまり眠気がしなかった。

 リビングに行くと父さんが椅子に腰を下ろして新聞を読んでいるところだった。

 

「おはよう、父さ――」

 

 声をかけようとして、父さんの表情がいつになく険しいことに気付く。常に柔和な笑顔をしている父さんがこんな顔をしているのは滅多にない。

 

「ああ、おはよう。政夫」

 

 僕に気が付いて笑顔を作る。とても自然な笑顔で何の違和感も感じないほど見事だった。さっきの険しい顔が見間違いだったのではと思えるほどだ。だが、血の繋がった僕には分かる。

 間違いなく良くないことが起きたということに。

 

「……何があったの?」

 

「あまり良い事じゃないよ。……これさ」

 

 読んでいた新聞のページを僕の方へ向けた。それは今日の朝刊ではなく、昨日の夕刊だった。そこに書いてあった記事の見出しは『美国久臣議員自殺! 原因は汚職か! 』というもの。

 よくある話でしかない記事に僕は逆に戸惑った。読み進めても、見滝原市在住の地方議員が経費改ざんの不正を苦に自殺した、としか書かれていない。

 

「これがどうしたの?」

 

「ん? 政夫は覚えていないかな? この美国議員って僕の高校時代の友人でね」

 

 父さんの説明に心臓が鷲掴(わしづか)みされたような嫌な錯覚を覚えた。

 まさかそんなはずないと、懇願じみた思い沸きあがってくる。

 体感時間が早まり、言葉がゆっくりと聞こえ始めた。

 

「政夫が小学二年生くらいに――」

 

 嘘だろう。違うはずだ。彼女の父親ではない。

 父さんは友達が多いから、きっと別人だ。『たくさんの人を助ける仕事』なんて政治家以外にも……。

 

「娘を連れて訪ねてきてくれたんだけど、覚えてないかな? ほら白い髪で、織莉子ちゃんて言ったかな?」

 

 世の中が都合よく回っていないことくらい知っていた。けれど、ここまで酷いなんて思ってなかった。

 心地よく目を覚ました僕に、今日の世界は最悪の気分を与えてくれた。

 

「今度時間が取れたら会おうって約束していたんだがね……」

 

 そう悲しそうな父さんに、僕は今かけてあげる言葉が見つからなかった。自分の中にある感情を整理するだけで精一杯だったから。

 数十秒経った後に出てきた言葉は父さんへの慰めの言葉ではなかった。

 

「美国さんの住所って分かる?」

 

 

 

 

 父さんに教えてもらった住所は僕の家からはかなり離れたところにあった。

 鹿目さんの家よりも大きな、白く綺麗な塀に囲まれた家……だったのだろう。

 窓ガラスは割られて、塀には見るに耐えない低俗な罵倒がスプレーでところ狭しと書き込まれていた。直接人が居ないことを見ると、恐らくは昨日の夜の内にこっそりとされたものだろう。

 『汚職議員に正義の鉄槌!!』などと書かれていることから、これをやった人間は自分の行いが正義だとでも思っているようだ。人目を(はばか)らなければできもしないくせに。

 不快感を感じながら、僕は玄関のインターホンを押す。

 しかし、まったく反応はない。居ないのだろうか? 

 割れた窓の中は電気はついておらず、引きちぎられたカーテンの残骸だけが風になびいている。

 どうしたものかと思いながら立ち往生していると、後ろから声をかけられた。

 

「この家に何かご用ですか?」

 

 振り返ると、そこには白く長い髪をポニーテールに束ねた美しい女の子が立っていた。両手には買い物袋を提げていることから買い物の帰りだと思われる。

 幼さはまったく感じられなくなっていたが、まぎれもなく僕に周囲の人を大切にすることを説いてくれた『おねえちゃん』その人だった。

 

「あの、僕は夕田政夫と申します。覚えていらっしゃらないかもしれませんが、六年ほど前に一度お会いした者です」

 

 僕にとって掛け替えのない恩人なので必要以上に緊張して口調が固くなってしまった。

 

「夕田……? 六年前……? ひょっとしてあなた、『まー君』?」

 

 彼女は僕の顔をじっと見つめながら、怪訝(けげん)そうにしていたが得心いったように目を見開いた。

 覚えていてくれた、その嬉しさが僕の胸を打った。

 

「そうです! 覚えていてくれましたか!?」

 

「随分大きくなったわね。あの時は私の方が背が高かったのに」

 

「六年も経ちましたからね、背も伸びますよ。おねえちゃ……、織莉子さんはとても綺麗になりましたね」

 

 あの頃から、利発そうで可愛らしい顔立ちをしていたが、今では凛とした美しい女性にまで育っていた。正直、気後れしてしまいそうだ。

 織利子さんは上品そうに優しく微笑む。

 

「まー君はお世辞が上手になったのね。そんなに(かしこ)まらないで、昔のように『おねえちゃん』で構わないわよ」

 

「いや、流石にもう『おねえちゃん』は……恥ずかしいですよ」

 

「あら、それは残念。口調だって敬語のままだし」

 

「年上の人には敬語は基本ですよ」

 

「そう……」

 

 それ以上に僕個人が織莉子さんを尊敬しているというのもある。敬語を外すなんて論外だ。

 だが、織莉子さんは少し寂しそうにしていたので仕方なく呼び方は譲歩した。

 

「じゃあ、間を取って『織莉子姉さん』と呼ばせてください」

 

「ええ、私の方は『まー君』のままでいいかしら」

 

「はい。構いませんよ」

 

 少し気恥ずかしいが、それで織莉子姉さんが喜んでくれるならそれに越したことはない。

 けれど、意外だった。父親が自殺して、二日も経っていないのに織莉子姉さんからはまったくそういった感じが受け取れない。

 普通ならもっと暗くてもいいはずだ。まして周囲の人間からは家を攻撃されているのだから、ここまで落ち着いているのはどう考えてもおかしい。

 でも、こうやって落ち着いている織莉子姉さんを見て、安心している僕も確かにいる。

 もやもやした複雑な感情を胸に秘めていると、織莉子姉さんは玄関の方へ移動して僕を呼んだ。

 

「まー君、立ち話も何だから中で話しましょう」

 

「はい。あ、その袋、僕が持ちますよ。鍵を取り出す時邪魔でしょう?」

 

「ありがとう。助かるわ」

 

 そう言って、織莉子姉さんは僕に買い物袋を僕の方に渡そうとした。

 その時、僕は彼女の指に指輪が(はま)っていることに気付いた。

 もしそれが、高価なものであれ、普通の指輪であればそこまで気にすることはなかっただろう。

 しかし、その指輪に僕は見覚えがあった。

 それは魔法少女の魂、ソウルジェムが形を変えた指輪だった。

 

 




はい、とうとうおりこ出してしまいました。
この物語のおりこは政夫にとって、大切な恩人です。
彼が出会って大して時間が経ってない女の子のために命を張って行動する理由を作った人物。
謂わば、間接的には魔法少女を助けた人物でもあるわけです。

というか普通に原作のまま出したら、「周囲の状況に耐えられず、世界を守るという理由で現実逃避をする魔法少女」になってしまうので、糾弾して終わってしまいかねないので、こういう立ち位置にさせて頂きました。

というか、政夫に精神的にダメージを与えたかったからという理由もあります。(初期設定では政夫の従姉という設定でした)


それとダイレクトマーケティング、『特別コラボ  魔法少女まどか?ナノカとIS×GAROのクロスオーバー』
これは何と『IS GARO』の作者navahoさんが書いてくれたコラボ作品です。
私が書く政夫とはまた別の政夫が読めます。
面白いです。少なくても私の作品よりは!! 


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第六十二話 彼女の目的

「? どうかしたの? まー君」

 

 織莉子姉さんの指輪を見て呆然としていた僕だったが、彼女の声にハッと我に返る。

 ここで慌てふためいても何も事態は好転しない。まずは、それとなく聞き出してみなければ判断のしようがない。

 瞬時に何とか気持ちを落ち着かせて、表情を取り(つくろ)った。

 

「いえ、ただ織莉子姉さんのしている指輪がとてもお洒落なので見蕩(みと)れてしまって。どちらで購入されたのですか?」

 

 僕は不自然なイントネーションにならないよう気を付けて、買い物袋を受け取りながら極自然な感じで聞き出す。

 目線は当然、織莉子姉さんに向けている。軽い笑みを浮かべながら、瞳孔の動きを注意深く観察した。

 

「ああ、これね。これは……昨日買ったものよ」

 

 家の鍵を開けながら、一瞬だけ言いよどみながらも特に何でもなさそうに答えた。

 だが、僕は見逃さなかった。僕の言葉に織莉子姉さんは僕から目を逸らした。嘘を吐いた人間の反応だ。

 大体、自殺した父親の汚職が発覚したのが昨日だ。仮に午前中はまだニュースなどで知らされていなかったとしてもまともな精神回路を持つ人間なら、父親が自殺して大して経っていない内にアクセサリーを購入する意欲など沸く訳がない。

 けれど、ここでそれを指摘したところで意味がない。織莉子さんと支那モンが契約したのは明白なのだ。

 聞き出さなければいけないのは、彼女の『願いごと』だ。

 僕はニコっと微笑んで、織莉子姉さんの言葉を納得したふりをした。後のことは家の中で聞かせてもらおう。

 

「へえ、そうなんですか。良かったらその指輪を買った店に連れて行ってください。僕、最近そういうアクセサリーに目がなくて」

 

「……今度、時間があればね」

 

 玄関のドアを開けて織莉子姉さんは先へ入っていく。僕はその背中に続くまえに郵便受けの中をちらりと確認する。

 嫌がらせを受けていることから猫の死体が詰め込まれている可能性も考えていたが、別にそこまではなかった。どうやら織莉子姉さんに嫌がらせをしてきた奴らの人間性は、小学校の頃僕を虐めていたクズどもよりはまだマシのようだ。ちょっとだけ安心した。

 しかし、新聞までないところを見ると、織莉子姉さん自身が回収したのだろうか?

 そんな疑問を持ちながら、僕は玄関先で靴を脱いで中に上がらせてもらった。 

 

 窓のガラスが砕かれていたから中も荒れているのかと思っていたが、ちゃんと綺麗に整頓されていて、砕け散ったガラス片一つ落ちていない。落ち着いてよく考えてみれば、別に住居の中まで侵入された訳でもないから当然か。

 窓の方に目を向けていると、織莉子姉さんは特に気にした様子もなく言った。

 

「ああ、気にしないで。割れた窓は業者の人に頼んでいるから、明日のお昼には直るわ」

 

 割られたのは昨日ぐらいのはずなのに、どうしてこうも平然としてられるのだろう。それに新しくガラスを入れてもまた割られる可能性だってあるのに。

 ひょっとして、支那モンに頼んだ『願いごと』は心の安定だったのかもしれない。

 織莉子姉さんに案内されて、僕は客間に着いた。

 大きな部屋に高級そうな革張りの長いソファが向かい合うようにガラスのテーブルを挟んで二つ、一人がけの革張りのソファが一つ並んで置いてあった。我が家のリビングにあるソファとは値段の桁が違うことが一目で分かる。

 他にも高そうな絵画が壁にいくつか掛けてあり、至るところにブルジョア感が漂っている。何だか気後れしてしまいそうだ。

 

「私は紅茶を入れてくるから、まー君はソファに掛けて少し待ってて」

 

「そんな、気にしなくていいですよ。僕は水道水で構いませんから」

 

 昨日、危険な目に合わせてしまったお()びなのか、巴さんは僕に紅茶を嫌というほど()()ってくれたので、ぶっちゃけるともう紅茶は飲みたくなかった。

 あの人はしっかりしている時と、はっちゃける時の落差が激しすぎる。たまにしか会えない孫が遊びに来てくれた時のおばあちゃんのようになっていた。

 

「まー君こそ、そんな遠慮しないで平気よ。それじゃ、すぐ戻ってくるわ」

 

 無論、そんなことを知る(よし)もない織莉子姉さんは僕が遠慮しただけと思い込み、微笑みながら部屋から行っていまう。

 せめて、コーヒーが良いと言えばよかった。

 内心、切実に後悔しつつも、僕はソファに腰掛け、部屋の中をぐるり見渡す。

 高そうなオブジェが目に入るだけで別段おかしなところはない。こういうものは政治家でだった織莉子姉さんの父が見栄(みえ)を張るために買ったのだろう。

 それなりに格好を付けないと味方が作れないのが政治の世界だとは理解できるが、こんなものを買ってるせいで汚職に手を染めたのかと思うと正直呆れしか出てこない。

 織莉子姉さんの父親で、父さんの友達の久臣さんのことを悪く言いたくはないが、どうにも好感は持てそうになかった。

 

 そんなことを考えていると、織莉子姉さんがこれまた高そうなティーカップと陶器でできたポットと角砂糖の入った小さなガラスケースをお(ぼん)に乗せて帰って来た。

 そのお盆をテーブルに置くと、テキパキとお茶の用意をし始める。

 

「まー君はお砂糖はいくつ?」

 

「じゃあ、三つでお願いします」

 

 できるだけ甘くして、少しでも味を変えようという僕のささやかな悪あがきだ。あまり糖分を取りすぎるも嫌なので角砂糖三つに抑えているから、大した効果は得られそうにないが。

 織莉子姉さんは僕の分と自分の分の紅茶を用意すると、僕の正面にあるソファに腰を下ろす。

 

「それじゃあ、改めて。久しぶりね、まー君。静岡からわざわざ私に会いに来てくれたの?」

 

「静岡県に居たのは四年前までです。それからは神奈川県に引っ越して……二週間ほど前に見滝原市に来ました。まさか、織莉子姉さんがこの街に住んでいるなんて今日まで知りませんでしたよ。でも、今日織莉子姉さんに会うために来たのは確かですけどね」

 

「……え。見滝原に、越してきて来てしまったの?」

 

 僕の言葉を聞いて、織莉子姉さんの表情が急に強張(こわば)る。カップを持つ手が微かに震えているのが分かった。

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 明らかに不自然だ。今の台詞のどこにそんな表情をする部分があったんだ?

 

「まー君……。いえ、何でもないわ。ちょっと驚いただけ」

 

「そうですか。驚かせてしまってすみません」

 

 嘘だ。いくらなんでもその言い訳はお粗末すぎる。……魔女のことについて僕に説明しようとしたが、信じてもらえそうにないので諦めた。そんなところだろうな。

 しかし、このままじゃ(らち)が開かない。そろそろこちらからカマを掛けてみるか。

 

「あ、そうだ。これは学校で噂になっている話なんですけど――『何でも願いごとを叶えてくれる不思議な白い生き物』の話って知ってます?」

 

「え……っ?」

 

 織莉子姉さんの顔色が変わった。

 僕はそのその挙動をじっくりと見ながら、話を続ける。

 

「話によるとですね、その生き物は女の子限定で願いを叶えてくれるらしいんですけど、その見返りとして日々化け物と戦う運命に巻き込まれるとか。なんともまあ、ジュブナイルじみた話ですよ。一体誰がこんなの最初に考えたんでしょうかね? それに女の子限定って男女差別も(はなは)だしいと思いませんか?」

 

「……ええ。そうね」

 

 多少、言葉に詰まりながらも織莉子姉さんは平静を装っている。まあ、この程度なら、さほど揺らいだりしないか。

 ならば、さらに踏み込んでみるまでだ。

 

「しかも、その願いを叶えてもらった女の子は宝石を渡されて魔法を使えるようになるっていうんですよ。宝石ですよ、宝石。中学生が持ってていいものじゃないですよね」

 

「そうね。取られちゃったりしたら……困るもの」

 

「ですよね。だから、女の子はその宝石を――――」

 

 ティーカップを脇に退けて、織莉子姉さんの方へ手を伸ばす。僅かに震えている左手をそっと包み込むように握り、親指で彼女の指輪をなぞる。

 

「指輪に変えて肌身離さず身に付けているって話です」

 

 一瞬だけ硬直していたが、次の瞬間にはどこか観念したような顔で僕に聞く。

 

「……知っているの? 魔法少女の事を」

 

「まあ、ある程度は」

 

「その理由、聞かせてくれるかしら?」

 

「織莉子姉さんがどうして『そんなもの』になってしまったのかを教えてくれるのなら構いませんよ」

 

 

 

 

 

 織莉子姉さんの話を要約すると、尊敬していた父・久臣さんが自室で首を吊って自殺、さらにニュースや新聞で自殺の原因が汚職だと知った。ただでさえ精神が参っていたところに通っているお嬢様中学校から電話で、品位を落としかねないからという理由で自主的に転校をするよう言われ、学校の友人から着信拒否、言わば所属していた全てのコミュニティから強制退去させられた訳だ。

 そこで今までの自分の存在が「議員の娘」でしかなかったと思い絶望していたところにあの似非マスコットが現れて契約を持ちかけられ、自分自身の価値を知りたいと願った――ということらしい。

 相変わらずあのケダモノは弱っている人間の心に付け込むのがうまい。

 だが、僕がもっと早く織莉子姉さんが同じ街に居ることを知っていれば防げたかもしれない。そう思うとやるせない気持ちになる。

 

「そうだったんですか……」

 

「そんな顔しないで。私は別に魔法少女になった事を後悔なんてしてないわ。むしろ、多くの人を救えるかもしれないんだもの」

 

 僕を安心させるために織莉子姉さんは優しく微笑む。僕はそんな彼女らしい利他的な台詞に嬉しさを感じた。

 昔、僕のために一緒に泣いてくれた織莉子姉さんは変わっていなかった。いや、辛い思いをしていても他者を思いやれるその姿は僕が憧れたあの頃より立派だ。

 

「……でも、救世を行うには犠牲が必要だと知ったわ」

 

 文脈が繋がらなかった。

 突然、何かのスイッチが入ったかのように俯きながら織莉子姉さんは語り出す。

 

「まー君。貴方がどこまで知っているかは分からないけれど、魔法少女は最終的に魔女(バケモノ)になってしまうの」

 

 そこまで知っているのか。昨日、魔法少女になったばかりだというのにどうやって、その情報を手に入れたのだろう。支那モンにうまいこと聞き出したのか?

 

「私は最悪の未来を見たわ。一人の少女が魔法少女となり……そして魔女と化して世界を滅ぼす未来を」

 

 未来? 未来を見ることができるのが織莉子姉さんの魔法なのか。

 いや、それよりもその魔法少女っていうのは……。

 

「だから、私はその少女がキュゥべえと契約して魔法少女になる前に――殺さなくてはならないの」

 

 




あまり話が進んでいませんが展開上飛ばすと、訳が分からなくなるためこういう風になりました。次回からはもっとテンポよくなると思うので……。




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第六十三話 唐突な凶行

 ショックだった。

 織莉子姉さんが「殺す」なんて言葉を使ったことに、その対象が鹿目さんだということに。

 そして何より織莉子姉さんが見た未来では鹿目さんが支那モンと契約していたということが、僕にはとてもショックだった。

 今までやってきたことは全部無駄だったと告げられたような気分にされた。言葉ではうまく表せない脱力感が胸の中でわだかまる。

 それでも、織莉子姉さんにそんな思いを気取(けど)られぬように注意して質問を投げかける。

 

「その女の子の名前って分かるんですか?」

 

 ここで名前が知られているかで鹿目さんの置かれている状況の危険度が変わる。

 僕は内心で緊張しながら、織莉子姉さんの答えを待つ。

 

「いいえ。私が視る事ができるのはあくまで『未来の映像』のみよ。音声も聞こえれば名前を知りえたのに……残念でならないわ」

 

 その答えに僕は表情に出さないようにしながらも、心の中で安堵の吐息を漏らした。

 よかった。なら、すぐさま織莉子姉さんが鹿目さんを狙うことはないだろう。

 だが、次の台詞で僕の安堵はいともたやすくかき消された。

 

「でも、特徴的な色の髪をしていたから見つけ出すのにそう苦労はしないと思うわ」

 

 そうだったー! 鹿目さんの色はピンク。この見滝原市でもそうはお目にかかれないヘアカラーだ。一瞬でも視界に入れば見間違うことはまずありえない。

 でも、十代で白髪の織莉子姉さんも人のこと言える立場じゃないと思う。

 

「へえ。ちなみにどんな色しているんですか? その子」

 

「薄いピンク色だったわ。髪型は両サイドをリボンで束ねていたと思う」

 

 ああ、やはり鹿目さん本人なのか。紙のように薄い確率だったが、別人という可能性は完全に消えた。

 僕が思考を巡らせていると今度は織莉子姉さんが話を切り出してきた。

 

「そろそろ、まー君が魔法少女について何故知っているのか教えてくれないかしら?」

 

 まあ、ここまで話してもらったからには僕の方からも情報を開示するのが筋だろう。

 頭の中で織莉子姉さんに聞かせても良い情報だけを抽出して喋る。

 

「僕が魔法少女について知っているのは、転校初日にショッピングモールの奥で使い魔に襲われていたところを魔法少女に助けたもらったからです。その僕を助けてくれた魔法少女に少しだけ教えてもらいました」

 

 嘘は決して吐いていない。ただ鹿目さんと美樹の存在、あと暁美の話をまるまる端折っただけだ。

 もともと、魔法少女のことを最初に教えてくれたのは巴さんだけだったのだから何の問題もないだろう。

 

「その魔法少女の名前は?」

 

 当然この質問が来ることは想定内だが、果たして本当に言ってもいいのか悩みどころだ。だが、下手に嘘を吐くと後々厄介になってしまう。

 ここは誤魔化さず、正直に教えておくとしよう。名前を伝えることで織莉子姉さんが何らかの反応を示すかもしれないしな。

 

「巴マミ、と名乗ってました」

 

「巴マミね……覚えておくわ」

 

 織莉子姉さんには別段変わった反応はなく、どうやら初めて聞いたという印象だ。恐らくはこの街の魔法少女については知らないと見える。

 そういえば、前にファミレスで暁美に魔法少女について聞いた時にあいつは「私の知らない魔法少女が居たこともあった」と言っていた。その魔法少女とは織莉子姉さんのことである可能性が高い。

 もし僕のこの推測が正しいのなら……織莉子姉さんが実際に鹿目さんを殺した世界もあったのかもしれない。

 

 その後、紅茶を無理して飲み干し、お互いのメールアドレスと電話番号を交換して織莉子姉さんの家から出た。

 もっとゆっくりしていくよう言われたが、これ以上居ると(さと)い織莉子姉さんに僕が情報を隠していることに気付かれかねない。僕自身一人で考えたいこともあったので早々にお(いとま)させてもらった。

 あと、これ以上紅茶を飲まされると紅茶が嫌いになりそうだったせいもある。

 

 

 

 バス停にちょうど良く到着していたバスに乗る。

 日曜日だということもあり、それなりに人も乗っていたが席に座れないというほどではなかった。

 僕は一番後ろの窓際の座席に座ると、窓の外を眺めながら思考に没頭する。

 果たして僕はあそこで鹿目さんのことを言わなくて本当によかったのだろうか?

 もしもどうやっても鹿目さんが『最悪の魔女』になることが決定付けられているのなら織莉子姉さんの主張の方が正しいのではないか?

 いや、そもそも僕は鹿目さんの味方に付きたいのか? それとも織莉子姉さんの味方をしたいのか?

 そんな疑念が脳の奥から次々と沸いてくる。

 いつも自分の意見が絶対的に正しいなんて思ったことはないが、納得できる選択肢を選んできたつもりだった。でも、今度はどうすればいいのか具体的な選択肢すら浮かんでこない。

 複雑な心境を抱えながら最寄のバス停で降りると隣から声をかけられる。

 

「あの……」

 

「え? ああ、呉先輩じゃないですか。偶然ですね」

 

 振り向くとそこには呉先輩が立っていた。

 紺の色のカーディガンに黒いスカートという全体的に暗めのファッションをしていた。好みの服装までとやかく言うつもりはないが、表情が基本的に暗い印象があるから個人的には服装は明るくしていた方がいいと思った。

 

「ボクの事……覚えててくれたんだ。嬉しいな」

 

 少し恥ずかしそうに呉先輩は、はにかんだ笑顔を見せる。

 

「いや、一昨日会ったばかりなんですから流石に忘れませんよ。記憶力はいい方ですしね」

 

「そっか。政夫君、頭良さそうだもんね」

 

「そうですか? 少なくても僕は今まで自分が賢いなんて思ったことはないですけど……」

 

 呉先輩は前に会った時よりは多少だが確実に明るくなっていた。いい傾向だと思う。きっとこの調子でクラスの輪に入って行けるだろう。

 魔法だの何だのと関係のない呉先輩と話していると気が休まる。休日なのに少しも落ち着けなかったから、ちょうどいい気分転換になりそうだ。

 うーん、ホッとしたら急にお腹が減ってきた。織莉子姉さんのことが心配になって朝ご飯も食べずに飛び出して来てしまったからな。

 

「それで今日はどうしてこんなところに? どこかにお出かけですか?」

 

 バス停の近くに居たからどこかに行こうとしているのかと思ったが、呉先輩は首を横に振った。

 

「ううん。ちょっとお昼を外で食べようと出掛けたら、たまたま政夫君がバスから降りるところを見かけたから声をかけたんだけど……ダメだったかな?」

 

「いえ、そんなことないですよ。そうだ、よかったら昼食をご一緒しませんか?」

 

 自分で言っておいて軟派のような発言だと思ったが、今は魔法少女のことと関係ない人と少しでも長く過ごしたかった。

 今後のことを深く考えるためにも気分がリフレッシュすればいい打開策も浮かぶかもしれない。

 

「え……。い、いいよ!うん、喜んで!」

 

 急すぎる誘いなので断られるかもしれないと思っていたが、予想以上に歓迎されてむしろ僕の方が面食らった。

 ここまで喜ばれるということは、相当人に飢えていたのかもしれない。クラスで孤立していると自分で言っていたしな。

 なら、少しでも呉先輩が明日クラスに打ち解けられるように、僕が会話の練習台になってあげたいところだ。

 

「ありがとうございます。じゃあ、どこに行きましょうか?」

 

 興奮気味な様子の呉先輩に苦笑いを返しつつ、行き先を聞く。

 

「うんと……、まだ決め手ないけど……ファミレスでいい?」

 

 ファミレスか……。この近くのファミレスっていうと、暁美と最初に入ったあそこのことだよな。

 あのファミレスには何の因果か、『一口も料理を食べられない』というジンクスがあるから正直行きたくないのだが……。

 

「いいですよ」

 

 まあ、大丈夫だろう。今回はいけるはず。何より、呉先輩が自分から提案したことを無下(むげ)に却下してしまうと、拒否されるのを恐れて自分から案を出すということができなくなってしまうかもしれない。これはコミュ障の人間にありがちなことだ。

 今日は呉先輩に自信をつけさせてあげるためにも可能な限りは彼女の意思を尊重してあげたい。

 

 

 

 ファミレスに着いて中を外から覗くと、日曜の昼前だけあって相当混み合っていた。

 想定はしていたとはいえ、実際に()の当たりにするとげんなりせざるを得ない。家族連れが多いせいかなかなか席が空かない。

 会計の前にある待ち合いゾーンすら、人がぎっしりと詰まっている。早くても二十分は確実に待たされそうだ。

 

「混んでますね。どうします?」

 

「ごめん……ボクがここがいいって言ったせいで」

 

 しょんぼりした風に俯いて謝る呉先輩に僕は軽く笑って、手を横に振った。

 

「気にしないでください。こういうのよくあることですし」

 

 だが、流石に僕のお腹の方も本格的に空いてきている。近くにハンバーガーショップでもないかと見渡すと、今はあまり会いたくない奴を見つけてしまった。

 向こうは最初から僕を捕捉していたようで真っ直ぐこちらに向かってくる。

 

「こんにちわ。あけ……ほむらさん」

 

 なぜか後ろの方で戦闘機の羽のように二股に分かれた黒髪の顔立ちの整った女の子、暁美ほむらが僕の前に来る。

 珍しく制服じゃなく、無地のレースの付いたブラウスと薄紫色のキュロットスカートを着ている。こいつの私服を見たのはこれが初めてだ。

 なかなかいいファッションセンスだ。常に制服を着たきりの暁美のセンスとは思えない。多分、昨日鹿目さんとデートした時に選んでもらったものだろう。

 

「政夫。今、また『暁美さん』って言おうとしたわね」

 

 一見無表情のように見えるが微妙にムッとした表情で暁美は僕に文句をつけた。

 本当に呼び方に拘るなぁ、こいつ。前は自分に似合ってない名前とか言っていたのに。

 けど、出会ってからずっと苗字で呼んでいたせいで、僕の中ではもう苗字呼びで固定化されている。今更名前呼びにしろと言われても慣れないのだからしょうがない。

 

「いや、そんなことないよ? それより可愛い格好だね。よく似合ってるよ」

 

「……この服は昨日まどかに選んでもらったのよ」

 

 やはりそうか。こいつに年頃の女の子らしいお洒落をするような思考回路を持ち合わせてはいなさそうだからな。

 暁美は大好きな鹿目さんが選んだ服を褒められてか、やや照れて顔を逸らしつつも嬉しそうだった。張り詰めた顔をしているより女の子らしい表情をしている方がいいな。

 

「……政夫君? その子は?」

 

 呉先輩が僕の後ろで暁美について聞いてきた。

 そうだった。暁美に反応していたせいで呉先輩と話が途切れてしまっていた。キャラの濃さでは同じ黒髪コミュ障でも段違いだ。

 

「僕の友達の暁美ほむらさんです。僕と同じ転校生で、転校してきた日まで一緒なんですよ。ちょっと凄いですよね」

 

「……ふーん」

 

 少し面白くなさそうな顔で呉先輩は暁美を一瞥(いちべつ)した。

 その気持ちは分からなくもない。友達が自分の知らない友達と仲良く喋っているのを見ると疎外感をどうしても感じてしまうものだ。

 

「ほむらさん、こちらは呉キリカ先輩。僕らの一つ上の――」

 

 暁美に対しても紹介しようとしている途中、暁美がいきなり魔法少女の格好に変身した。

 あまりのことに僕と呉先輩が唖然としていると暁美は強張(こわば)った表情で、手に付いた盾状の物体から一丁のハンドガンを取り出した。

 

「え?」

 

「なっ……」

 

 銃口を呉先輩に向けて、構える。呉先輩を撃とうとしているようにしか見えなかった。

 意味がまったく理解できなかったが、とっさの判断で呉先輩を(かば)うように前に立つ。

 

「退きなさい、政夫。そいつを殺せない……!」

 

 気が触れたとしか思えない暁美の行動に着いていけず、僕はただ呉先輩を守るように立ち(ふさ)がることしかできなかった。

 




ヤンデレ魔法少女に愛されてお昼も食べれない政夫ちゃん。

……ギャグになっていませんね。
おりこマキガを読んでいる人はほむらの行動の意味が分かると思います。でも、読んでいない人と政夫には気が触れた行為にしか見えません。




感想お待ちしております。


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第六十四話 偽装と傷心

今回は時間がなかったのでかなり短いです。話もほとんど進んでおりません。


「ほむらさん、端的に聞くよ。……何がしたいんだお前」

 

 僕は今、この状況に酷く困惑していた。

 暁美が僕に向けて……正確には僕の後ろで身を(すく)ませている呉先輩に向けて、拳銃を突きつけている。

 ファミレスの前の人通りの多い歩道で、何の罪のない女の子を殺害しようとしているのだ。

 とてもじゃないが正気の沙汰とは思えない凶行。理解のする余地がまるで介在していない。

 

「……政夫。もう一度だけ言うわ。“そこを退きなさい”」

 

 意図を知るために暁美に問いかけたが、質問に答える気は少しもないようで、ただただ鋭い目付きで僕を睨み付けるのみだった。

 当然ながら、そんな意図不明の要求を飲むつもりはない。

 僅かに顔を後ろに向けて横目で一瞥する。呉先輩は僕の上着の(すそ)を掴んでガタガタ震えていた。暁美の気迫と銃に完全に怯えている様子だ。

 例え、どんな理由があるにしてもこんなに怯えている女の子を差し出すなんて絶対に間違っている。

 

「退く訳ないだろう。今の君は正気じゃない。とにかく、まずはその『モデルガン』を仕舞(しま)うんだ」

 

「その女は危険なのよ!」

 

 危険なのはお前だ。鏡を見て、ものを言え。

 まったく建設的な会話をしようとしない暁美にイライラしてくるが、ここで下手に刺激すれば銃の引き金を引きかねない。

 それにこんな人目に付くような場所で目立つようなことをしていたら人が寄ってきてしまう。現にこちらを凝視している人たちが、ちらほら見受けられる。

 誰もコスプレした痛い女の子が本物の銃なんて持っているとは考えていないだろうが、暁美が持っているのは紛れもない本物だ。これ以上騒ぎが大きくなれば、警察を呼ばれるかもしれない。まあ、そうなったところで暁美自身は大して困らないかもしれないが……。

 となると、目下一番危険なのは暁美が痺れを切らして、呉先輩に襲い掛かること。

 暁美が前に話してくれたことによると、暁美は自分に触れたもの以外の時間を止めることができるらしい。これを使えば僕が(かば)っていようが呉先輩は一瞬で『どうとでも』できるだろう。逆にまだ使っていないということはまだ辛うじて理性が残っているという証でもある。

 

 早急にこの場を収めなくてはならない。……仕方ない。多少の恥は覚悟するか。

 

「ほむらさん! 誤解なんだ!」

 

 僕は声を張り上げて、周囲の人間に見せ付けるように暁美に言う。

 

「僕が愛しているのは君だけだ!」

 

「なっ……!」

 

 突拍子のない僕の台詞に面食らったようで、暁美は口を開いて硬直した。誰しも自分が予想だにしないことに直面すると思考はフリーズする。その隙を僕は見逃さない。

 一瞬で距離を詰めて、銃を向ける暁美を思い切り抱きしめる。こうすれば、暁美は時間を止めても邪魔をすることができる。僕の上着の裾を握っていた呉先輩の手を引き離す結果になってしまったが、それを気にしている余裕はなかった。

 

「ま、政夫。一体何を……」

 

「ごめんね。恋人に勘違いさせちゃうなんて彼氏失格だよ」

 

「か、彼氏!?」

 

 そして、この状況を周囲の人たちには「コスプレ少女が痴話喧嘩していただけ」と印象付けることができる。路上での下らない恋愛のいざこざだと分かれば、まともな感性をした人間ならよほど下世話でもない限りは興味など失せるだろう。

 暁美の肩越しに周囲を見渡すと、近くに居た人たちは呆れたような表情をして興味を失ったように僕らから視線を外していく。常識ある人たちでよかった。

 あとは暁美(こいつ)だけだ。

 

「ほむらさん」

 

 ぼそっと暁美の耳元で(ささや)く。

 

「な、何かしら……」

 

 上ずった声で暁美は答える。心なし、頬が朱に染まっていた。見た目にそぐわず、こういうところはこの街で知り合った女の子の誰よりも乙女らしい。

 ――だが、そんなことはどうだっていい。

 

「……この凶行の真意、ちゃんと聞かせてくれるんだろうな」

 

 自分でも驚くほど低いドスの利いた声が出てきた。

 今、僕はかなり頭に来ていた。ゲーム機のコンセントを引き抜かれた時の比じゃない。暁美の背中に回した腕が怒りでわなわなと震えている。

 今、こいつは人を殺そうとした。およそ人畜無害そうな女の子を、だ。

 

「え……」

 

 まるで僕の言っている意味が分かっていないかのような暁美の態度にさらに怒りが込み上げてくる。

 お前は自分のやろうとしていたことの意味が分かっていなかったのかと。

 暁美に対して信頼し始めていたからこそ、裏切られたという思いが強かった。

 いや、それだけじゃない。織莉子姉さんのこともあったせいだろう。誰もかれも皆、人を簡単に殺そうとしているように見えて、それが無性に腹が立った。

 どうしてそんな平然と命を奪おうすることができるのか、理解ができなかった。

 

「場所、変えようか」

 

「待って、まだ呉キリカを……」

 

 暁美は右手で握った銃を再び、呉先輩に向けようとする。

 

「ほむらさん……僕を幻滅させないで。お願いだから……」

 

「………………」

 

 僕の頼みを聞いてくれたのか、暁美は無言で銃を下ろして、手に付いた円状の盾に銃を仕舞いこんだ。

 ずっと抱きしめていた身体を離して、暁美から少し距離を置いた。

 振り返り、呉先輩の様子を見ると、瞳に大粒の涙を溜めて僕の方を見ていた。無理もないだろう。僕はもう慣れたが、暁美の凄んだ時の雰囲気と表情は中学生とは思えない迫力がある。そんな暁美に銃まで向けられれば泣きたくもなる。

 

「いや~、ほむらさん。ちょっと『成りきりごっこ』が好きだから、ついついこんな悪戯を……」

 

 もはや、手遅れだとは思ったが、それでもこの状況の言い訳をしようと呉先輩に笑いかけるが、彼女は僕に何も言わずに背を向けて走り出してしまった。

 追いかけようかと迷ったが、暁美から話を聞かなければいけないので断念する。それに彼女も今の状態では冷静ではいられないだろう。後で時間を置いて、電話で謝っておこう。

 せっかく、魔法少女と関係のない交友関係が築けたと思ったんだけどな……。

 気落ちしながらも、暁美の方に向き直ると、いつの間にか格好が元の私服に戻っていた。

 

「じゃあ、僕の家で話そうか……」

 

 空きっ腹を抱えながら、僕は暁美を連れて僕は自宅に向かった。

 それにしても、僕はいつになったらゆっくりできるのだろうか。

 




大学が忙しくて投稿ペースが遅れています。今月は投稿できるかどうかわかりません。
ゴールデンウィークになったら時間が取れるのでそれまで待って下さると嬉しいです。


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第六十五話 間違った方向

 僕は暁美を連れて自宅へと戻ってきていた。

 玄関から中を軽く覗くと父さんはリビングには居ないようだった。鍵が掛けられていないので外出はしてないはずだ。十中八九、自室で今担当している患者の資料を読んでいるのだろう。

 あまり関係ないが、父さんは基本的に患者一人ひとりに合った治療法を自分で考えて作っている。

 その間は絶対に騒いではいけないのが我が家の唯一の家訓だ。

 本当に仕事一筋の人間なので趣味や娯楽の(たぐい)をしない。本人に聞いたところ、人を理解してく精神科医という仕事自体が楽しみのようなものだと語っていた。

 幼い頃は自分に構ってくれないそんな父さんが嫌いで、母さんにべったり甘えていたが、いくらか見識が広まった現在の僕はそれが誇りに思えるようになった。

 

 僕としては暁美を家に上げる説明をしなくて済むので、むしろよかった。

 父さんのことだから変な勘ぐりなどは決してせずに軽い挨拶程度で済ませてくれるだろうが、逆にそれが返って恥ずかしい。

 まあ、当然ながら僕は暁美に対して『そう言った気持ち』は欠片も抱いていないが。

 

「上がって」

 

「お邪魔するわ……」

 

 いつになく、しおらしい暁美がおずおずと僕に促され、家の中へ入ってくる。僕の表情が怒ったままなのが効いているようだ。

 玄関から家に侵入するのは初めてなせいか、少しぎこちない。

 来客用のスリッパを出してやろうかと思ったが、そんなことを気にするタイプの人間じゃないだろう。

 

 無言で自分の部屋まで行き、暁美が入るのを待って部屋のドアを閉めた。

 椅子に座って、暁美を睨みつける。空腹なのを抜きにしても、僕は暁美にイラだっていた。

 別に命令したわけでもないのに暁美は黙って正座をする。

 

「それで……聞かせてくれるんだろうな。さっきのふざけた行動の理由を」

 

 語調を強めて、普段はあまり使わない喋り方で暁美を問い詰める。

 少しの逡巡した後にゆっくりと暁美は語り始めた。

 

「かつて、私が巡った時間軸の世界に美国織莉子という女が居たわ」

 

 その一言は呉先輩と繋がりがなく、また不意打ち気味で織莉子姉さんの名前が挙がったことで僕の内心を動揺させた。

 だが、意識的に押さえ込んで、その動揺を顔に出さずに暁美の話を促す。

 

「続けて」

 

「彼女は未来を視る魔法でまどかが魔女になり世界を滅ぼすという未来を予知して、まどかがキュゥべえと契約して魔法少女になる前に殺害しようと目論(もくろ)んだ」

 

 やはり、他の世界の織莉子姉さんも鹿目さんを殺そうとしたのか。予想はしていたが実際に聞かされると不快な気分にさせられる。

 しかし、それは呉先輩とは何の関係もない。

 (いぶか)しく思いながらも黙って耳を傾ける。

 

「その美国織莉子の協力者……いえ、手下と呼んだ方が合っているかしら。それがあの呉キリカよ。奴らは徒党を組んでかつての時間軸のまどかを殺したわ」

 

 よほど織莉子姉さんと呉先輩に恨みがあるのか、暁美の言い方には侮蔑と憎悪がこもっていた。

 苦々しく表情を歪めて吐き捨てるように言葉を(つむ)ぐ。

 

「だから、あの女はさっさと殺しておくべきだったのよ」

 

 他の世界の呉先輩と織莉子姉さんにそんな接点があったのか……。そして、違う世界の呉先輩は魔法少女なんかになってしまったのか……。

 非常に残念な気持ちになるが、それをひとまず置いておいて暁美に聞く。

 

「魔法少女になって、鹿目さんに牙を()く『可能性がある(・・・・・・)』から?」

 

 あえて『可能性がある』の部分だけを強調するように言った。僕の言葉に含まれる意味に気付いてくれると信じて。

 だが、暁美はそれに気付く素振(そぶ)りを見せず、むしろようやく解ってくれたのかと喜びの表情さえしていた。

 

「そうよ。まどかを殺すかもしれない呉キリカは魔法少女になる前に始末しておいた方が……」

 

「どう違う?」

 

「え?」

 

 僕の疑問をまるで理解していない暁美に冷めた目で僕は尋ねた。

 静かな怒りが低い声となって声帯を振るわせる。

 

「それは『最悪の魔女になって世界を滅ぼすかもしれないから』という理由で鹿目さんを殺した美国織莉子とお前のやろうとしたことは、どのくらいの差があるのかと聞いているんだ」

 

「ち、違う。私は……美国織莉子とは違う!?」

 

 その暁美の見苦しい弁明に留まっていた僕の感情が爆発した。

 脳のどこかががりがりと嫌な音を立てているような錯覚すらした。

 

「どこが違うんだ! 『かもしれない』で人の命を奪おうとするその理不尽な行いのどこに正当性がある!? ふざけるんじゃない!」

 

「私は、私はただ……まどかを守ろうと――」

 

 本人にはそのつもりはなかったかもしれない。だが、鹿目さんに責任を押し付けるようにしか聞こえなかった。

 僕ももう完全に冷静さを欠いていた。感情に任せて、暁美の頬を叩いてしまった。

 やってしまった後に、思考が落ち着きを取り戻す。

 

「その先は言わないで。僕はほむらさんのことを軽蔑したくない」

 

「政夫……」

 

 驚いたような目でこちらを見つめる暁美に僕は頭を下げた。

 

「ごめん。君の顔を叩いたことは謝るよ。でも、僕が言ったことについては謝る気はないから」

 

 その後、暁美に帰ってもらってから、熱くなって暴力を振るってしまった自分に自己嫌悪をした。

 自分をコントロールできなくなることが嫌いだったはずなのに。今の僕は人として失格だ。

 それでも僕は織莉子姉さんがやろうとしていることも、暁美がしようとしたことも間違っているとしか思えなかった。

 

 

 

 

 

~キリカ視点~

 

 

 なんで。なんで。なんで。

 なんでボクがこんな思いをしなきゃならないの? ボクが何をしたっていうの?

 訳が分からない。理不尽すぎる。

 瞳から(こぼ)れ落ちる涙が視界を歪める。でも、ボクは足を止めずに走り続ける。

 一歩でもあの場所から離れたかった。政夫くんに顔を見られたくなかった。

 

 今日政夫くんと会って時は胸の中が喜びでいっぱいだった。

 彼はボクの事を初めて理解してくれた人だから。ボクの事を本当の意味で見てくれた人だったから。

 そんな彼に一緒にお昼ご飯を食べようと誘われた瞬間は舞い上がるほど嬉しかった。夢なんじゃないかって疑ったほどだ。

 それなのに……それなのに!

 急に変な女が現れて、何もかもぶち壊して行った。

 ――暁美ほむら。 

 ……あの女だ。全部あの女が悪いんだ。

 いきなりボクに銃を突きつけてきて、それで……。それで――。

 

『僕が愛しているのは君だけだ!』

 

 政夫くんの声が頭の中で再生される。一番聞きたくない台詞が鼓膜に張り付いて離れてくれない。

 

『ごめんね。恋人に勘違いさせちゃうなんて彼氏失格だよ』

 

 やめて! その女にそんな言葉を吐かないで! その女にそんな優しい声で(ささや)かないで!

 自分の心が引き裂かれていくのが解る。胸の奥を痛みが蹂躙しているのを感じる。

 消えてなくなってしまいたいほど辛い。苦しい。悲しい。

 こんな痛みを感じるくらいなら、あの女に銃で撃ち殺された方がずっとマシだった。

 

 顔を下に向けて、何も見ないようにひたすら前へと走り続ける。

 肺が痛みを(うった)えても構わない。そんな痛みなんかボクの心を駆け巡る激痛に比べたらどれほどのものでもない。

 道中、何人か人とぶつかったが、気にしている余裕はなかった。ただ今居る場所から逃げ出したかった。

 

 どれくらい走っただろうか。ボクは今まで来た事のない場所に立っていた。

 薄汚れた路地裏の一角。汚くて、臭くて、ジメジメとしている。周りには誰も居ない事だけが救いだった。

 乱れた呼吸を元に戻そうとするが、しゃくり上げてくる嗚咽がそれを邪魔する。

 

「ひっく……ひっく……」

 

 こんな所で一人ぼっちで泣いている自分が酷く惨めに思えた。

 政夫くんに相談して、ようやく嫌いな自分(ボク)から変われると思っていたのに、結局全部駄目だった。

 

「変わりたい……変わりたいよ……」

 

 誰に言うでもないボクの情けない台詞が(のど)の奥からあふれ出してくる。

 

「こんな惨めなボクから変わりたい……」

 

 薄汚い地面を泣きながら見つめて、馬鹿みたいに大きな声を上げた。

 

「変わりたいよぉ!!」

 

「そう。なら手を貸してあげるわ」

 

 思わぬ返事にボクは驚いて顔を上げる。さっきまで誰も居なかったはずなのに、いつの間にか白い衣装を纏った女の子が傍に立っていた。

 円柱状の帽子とドレスのような衣装が漫画で見るような聖職者に似ている。

 

「だ、誰……」

 

 音もなく現れた真っ白い少女にボクを後退(あとず)らせる。

 

「私は美国織莉子。貴女の味方よ」

 

 どこか憂いを含んだような優しげな表情が、なぜか政夫くんを思い出させた。

 突然出てきたよく分からない相手だったけど、今のボクには『味方』というフレーズが心地よく聞こえた。

 

「ど、どういう意味?」

 

「言葉どおりの意味よ。貴女の願いを叶えてあげる。……キュゥべえ」

 

 織莉子と名乗った女の子は後ろを向いて呼びかけると、白くて丸っこい猫のような不思議な生き物がどこからともなく出てきた。

 

『へぇ、本当に織莉子の言ったとおりだ。なかなか良い素質を持った少女がこんなところにも居たなんて気が付かなかった』

 

「何これ……て、今言葉、喋った?」

 

 ボクが驚いて目を丸くしていると、その白くて丸い生き物は当たり前のように自己紹介をしてきた。

 

『おっと。自己紹介が遅れたね。ボクの名前はキュゥべえ。魔法少女になってもらう代わりに、何でも一つだけ君の願いごとを叶えてあげるよ!』

 

「何、でも?」

 

 今のボクにはその言葉はまさに魔法だった。

 ずっと待ち望んでいたものが向こうからやってきてくれた。魔法少女という単語が少々引っかかったが、そんなものはささいな事だった。

 小さい頃に信じていたサンタクロースが欲しかったプレゼントを持ってきてくれたような、現実味のない夢のようなありがたさ。

 

『うん。何だって構わないよ。さあ、君の願いごとを言ってごらん?』

 

 キュゥべえ、白くて背中に丸が書いてあるし、呼びやすいから内心では『しろまる』と呼ぶ事にしよう。

 ボクはそのしろまるに促されるようにボクは口を開く。

 自分じゃない誰かに動かされるように。でも、もう止まれない。

 

「ボクは……変わりたい。こんな情けないボクを変えて欲しい。もしもこの願いを叶えてくれるなら、魔法少女にだって何にだってなってあげるよ」

 

 じっとそのやり取りを見ていた織莉子がボクに一際優しく微笑んだ。

 

「素晴らしい願いね。きっと……叶うわ」

 

 けれど、どこかその笑顔にはほんの僅かに薄暗い陰があるように感じた。もしかしたら、ボクの気のせいだったかもしれない。

 しろまるが耳から飛び出している耳毛のようなものがニュッと伸びて、ボクの胸の中に吸い込まれていく。

 

「うっ……」

 

 一瞬だけ電流が走ったような痛みを感じた後、

 

『おめでとう。君の願いはエントロピーを凌駕した。さあ、受け取るといい。それが君の運命だ』

 

 ()は変わった青紫色の宝石を握り締めていた。

 

 不思議な気分だったさっきまで泣いていた自分が嘘のようだ。何が楽しいわけでもないのにはしゃぎ出してしまいそうだ。

 今なら何でもできそうな気がしてくる。もう惨めな『ボク』はどこにも居なかった。

 ここに居るのは強く生まれ変わった『私』だけだ。

 

 

 

 




さて、一体誰の選択があっていて、誰の選択が間違っていたのでしょうか?
そればかりは終わってからしか分からない気がします。


それはともかく、なかなか筆が進まず投稿できません。スランプ気味なのでしょうか? まあ、趣味で書き始めたものですからこんな程度のものかもしれませんけれど。

追記、キリカの一人称間違っていたのですが、魔法少女以前は『ボク』だったという事で許してください。


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第六十六話 芽生える友情

今回、政夫でません。


~ほむら視点~

 

 

 

 私はまどかたちとの待ち合わせの場所に一人で立っていた。

 現在の時刻は午前六時半。登校時間にはまだ早い時間帯と言えた。余程の理由がない生徒はまだ眠っていてもおかしくはない。

 こんな時間に私が一人で待っている理由は、昨日ほとんど寝付けなかったせいだ。結局、あれから政夫に電話をする事もなく過ごしてしまった。

 何度も電話をしようと携帯を開くが、電話を掛けた後になんて彼に言葉をかければいいのか分からず断念した。

 政夫の家に迎えにいこうかとも思ったけれど、二人だけで顔を見合わせるとうまく話せる気がしなかった。

 私は自分がした行いが誤っているとは思わない。呉キリカはどう考えても殺した方がいい。私の行動は間違っていない。

 

 政夫は優しいけれど、甘い。世の中には死んだ方がいい人間が居る事を理解していないのだ。

 美国織莉子や、呉キリカのような人間は死んだ方がいいに決まっている。

 あんな奴らに優しさなど向けるべきじゃない。あいつらに向けるのなら、もっと私に……。

 そこまで考えて、自分の呉キリカへの感情に多少なりとも嫉妬が含まれている事に気が付き、途端(とたん)に恥ずかしさが込み上げてきた。

 私はここまで嫉妬深い女だったのかしら。今まで異性に好意なんて向ける余裕なんてなかったから、どうにも勝手が分からない。

 

「おはようございます、ほむらさん。今日は随分とお早いんですわね」

 

 一人で悶々と考え事をしていると、挨拶をしながらこちらへと近づいて来る。

 顔から表情を消して、彼女に挨拶を返した。

 

「おはよう、志筑さん。貴女もいつもどおり早起きね」

 

「時間にだらしない人間にはなるなと、常々(つねづね)父に言われていますので」

 

 事もなさげにそう微笑みながら言う志筑仁美からは育ちの良さを感じざるを得なかった。飄々(ひょうひょう)として人に弱みを見せないようにしているその姿はどこか政夫に通ずるものがある。

 

「今日は政夫さんと一緒ではないんですの?」

 

 今ちょうど考えていた彼の事を指摘され、言葉に詰まりながらも答えた。

 

「……ええ。そうよ」

 

「どうなさいました。喧嘩でもされたのですか?」

 

 喧嘩……。確かにあれは喧嘩の内に入るのだろう。

 けれど、それを志筑仁美に言う必要はない。詳しい内容を聞かれても彼女に教える訳にはいかないからだ。

 

「……別にそういう訳じゃないわ」

 

 私の答えに納得がいかなかったらしく、じっと私の顔を至近距離で見つめてくる。親しくなって、そう長くもないのにぐいぐい来るところはさやか以上かもしれない。

 

「嘘、ですわね」

 

 断定するような物言いと力強い目力に負けて、観念したようにため息を吐く。

 

「どうして分かるの?」

 

「女の感ですわ!」 

 

 志筑仁美は自信満々で腰に手を当て、得意げな表情をする。

 これでも本心を隠す事においては自信があったのだけれど……。そういえば、以前政夫にも「君は自分が思っているほどポーカーフェイス上手くないよ」と言われた気がする。

 

「ほむらさんは政夫さんの事をお慕いしているのでしょう?」

 

「なっ……」

 

 あまりにも直球すぎる志筑仁美の言葉に言葉を失う。忘れていたこの女は、他の時間軸では真正面からさやかと上条恭介を取り合った人間だった。

 お嬢様然とした見た目との違い、これ以上にないほど直情的な少女だという事を今更ながら思い出す。

 私が取り繕う時間さえ渡さず、畳み掛けるように志筑仁美は言う。

 

「よく見ていれば分かりますわ。この前屋上で皆でお昼を食べた時も政夫さんが杏子さんの事を名前で呼んだ事を露骨に不機嫌になっていましたし、やたら政夫さんの好みの異性のタイプを詳しく知ってましたし、何より目線がいつも……」

 

「そ、それ以上は言わなくていいわ」

 

 羞恥心に頭を焼かれながらも、彼女を何とか止める。

 顔が熱い。きっと今の私の頬はリンゴのように赤くなっているだろう。

 自分を落ち着けるために一呼吸置くと、志筑仁美をしっかりと見据える。そこまで分かっている相手にもう隠す事もない。

 

「ええ。そうよ。貴女の言うとおり私は彼に……好意を抱いているわ」

 

「やっと素直になりましたね。でも、ほむらさんはそれなりに政夫さんと親しいのですから、恥ずかしがらずにその想いを伝えればいいのではないでしょうか?」

 

「無理ね。政夫は私にそういう感情は少しも抱いていないわ」

 

 私と上条恭介が恋人同士になったら祝うと笑顔で言っていた政夫が、私に特別な感情を抱いてくれているとは思えない。

 それにも関わらず、あの男はこちらがどきりとするような事を平然としてくる。勘違いしてしまうほどに優しい言葉をかけて微笑むのだ、政夫は。

 

「それは違うと思いますわ」

 

 志筑仁美は私の言葉を否定するように表情を引き締めて、静かにだが力強く断言した。

 

「先ほどほむらさんは政夫さんと喧嘩したと(おっしゃ)いましたね」

 

「ええ」

 

「政夫さんはいつも私たちやクラスの男子の皆さんにも愛想のいい笑顔で受け答えをしています。……悪く言えば人の顔色をいつもうかがっていますわ」

 

 その言い方に僅かに私は不快感を感じ、(とが)めようとするが志筑仁美はそれを制するように喋り続ける。

 

「私も昔はそうでしたからよく分かるんです。まどかさんとさやかさんに出会う前はずっとそうやって自分を押し殺して生きてきました。だから、私は彼女たちと会うまで喧嘩というものをした事がありませんでしたわ」

 

 そこまで言われて、ようやく彼女の言いたい事を理解した。

 感情を抑えずに喧嘩ができる相手、つまり政夫にとって私は十分に特別だと彼女はそう言ってくれている。

 

「面と向かって喧嘩ができる相手って貴重ですよ。だって本音で語り合える間柄じゃないといけませんから」

 

 すべてを語り終えたように志筑仁美はふっと表情を弛めて笑う。私はいつになく彼女を親しく感じられた。

 他の時間軸でも、さやかを魔女に変える不安要因にしか思ってこなかったせいで志筑仁美に対して好意的な感情を抱けなかったが、それは私がちゃんと彼女と話しもしないで心の中で彼女を……志筑さんを悪者に仕立て上げて遠ざけていたのかもしれない。

 

「ありがとう、志筑さん」

 

「お気になさらず。少し出過ぎた真似をしましたわ」

 

 本当にこの時間軸の皆は私に優しくてくれる。いや、きっと私が今まで無意識に避けていただけなのだろう。

 人と関わる事を諦めて、勝手に絶望していた自分が酷く愚かに思えた。世界を悲観して誰にも頼らないと誓った私は世界が見えていないだけだった。

 素直にこう思えるのも政夫のおかげなのだろう。

 

「そうです! ほむらさん。私、良い事思い付きましたわ」

 

「え?」

 

 自分の中の想いに浸っていた私は志筑さんの声で意識を現実に戻される。

 いつの間にか満面の笑みを浮かべる志筑さんが目の前に立っていた。

 

「ちょうど髪を留めるためにヘアゴムを持って来ているのでほむらさんの髪型を三つ編みにしましょう。きっと政夫さん、喜びますわ」

 

「み、三つ編み? 私が?」

 

 妙な気迫に負けてじりじりと後ろへ下がるが、志筑さんはヘアゴムを取り出して指を怪しげに動かしながらゆっくりと私に近付いて来る。

 

「はい。あれだけ三つ編みが好みだと仰っていたんですもの。それを利用しない手はありませんわ! ああ、こんな事になるなら伊達(だて)眼鏡も用意しておけばよかったですわ!」

 

 何故かもうすでに三つ編みにする事は志筑さんの中で決定事項になっているようだった。

 流石に今更髪型を戻す気にはなれないので、断ろうとするが妙に舞い上がっている今の志筑さんを止められる気がしない。

 

「さあ、ほむらさん後ろを向いてください!」

 

「……わ、わかったわ。だから落ち着いて、志筑さん」

 

 私は観念して志筑さんに髪を(ゆだ)ねた。さっきの話のお礼代わりになるなら構わない。

 それに三つ編みの私を見た政夫の顔が気になったというのもある。……いや、むしろそっちの方が大きいかもしれない。

 政夫はちゃんと気付いてくれるかしら……。

 




アニメではまったくなかったほむらと仁美の絡みを書いてみました。
私の小説では仁美の出番がほとんどなかったので救済措置として今回出したわけです。これで仁美ファンの方が喜んで下されば何よりです。


~次回予告~

 信じていたものに裏切られた人間はどこへ行くのだろう。
 「絶望」という言葉は「望みが絶たれる」と書くが、未来だけではなく、現在と過去さえも否定された少年は生きていく事ができるのだろうか。

「もう……何も信じない……」

 次回、『砕かれた信念』 ご期待下さい!


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第六十七話 砕かれた信念

大分、遅い投稿になってしまいました。申し訳ありません。


 朝、僕は目覚まし時計の音ではなく、携帯電話の着信音で目を覚ました。

 目を擦りながら、二つ折りの携帯電話を開くと『呉キリカ』と画面に表示されている。その瞬間、後悔の念で目が冴えた。

 昨日は呉先輩にお詫びの電話を入れるつもりだったはずなのに、暁美の話のせいですっかり忘れてしまっていた。

 最悪だ。あれから何のフォローもないままでは、呉先輩は相当不快な思いをしたはずだ。本来ならこちらから電話掛けるべきだったが、こうして電話を掛けてきてくれたことに感謝しよう。

 罪悪感を感じながら、僕はすぐに通話ボタンを押して電話に出る。

 

『あ~、もしもし? 政夫?』

 

 いきなり聞こえた呉先輩の不自然なほど高いテンションの声と僕への呼び方が変わっていたことに一瞬だけ驚いたが、気を取り直し、挨拶をしてから当初の予定通り謝罪をする。

 

「おはようございます、呉先輩。すみません。昨日は僕の友達が失礼なことをしてしまって……」

 

『平気平気。()はそんな事、全然気にしてないよー』

 

 何か良いことでもあったのか、呉先輩は楽しげな声で返してくる。

 …………。おかしい。僕の知っている呉先輩と電話の向こうに居る声の主が一致しなかった。それに呉先輩の一人称は『ボク』だったはずだ。

 本当にこの人は呉先輩なのか?

 そんな考えが脳裏を()ぎったが、単に機嫌がいいだけかもしれないと思い直す。恐らく、一人称を変えたのもクラスの輪に溶け込むために意図的に直したのだろう。

 所謂(いわゆる)、イメチェンという奴だ。一歩踏む出すに当たって、心機一転するための儀式のようなものだ。僕も同じようなことをした記憶がある。

 (ゆえ)にあえて、そのことには深く言及しなかった。

 

「それで、今日はいったいどう言ったご用件ですか?」

 

『用がなかったら電話したら駄目だったかい!? それとも私と会話するのはきみにとって苦痛だったかい!?』

 

 今まで楽しそうに浮かれた声が一転して、不安そうな声音に変わる。

 

「いえ、そういう訳ではないですけど……」

 

『良かったぁ……。私はてっきり、きみに嫌われたかと思って焦ってしまったよ! 危なく、腐って果てるところだった!』

 

 僕が否定すると、今度は逆に大げさな台詞で明るい調子でそう語る。

 

「あはは……そんな簡単に嫌いになったりしませんよ」

 

 軽く笑って流すが、呉先輩のこの躁鬱(そううつ)振りは異常だ。いくら何でも不安定すぎる。またジョークでふざけてやっているようにも聞こえない。

 変な薬にでも手を出した……いや、まさか……。

 『呉キリカはかつての時間軸では魔法少女だった』

 暁美のその台詞が脳内でリフレインする。自分の中で嫌な想像が膨らんでいくのを感じた。

 僕は不吉な思考を首を振って否定する。まだそうと決まった訳じゃない。第一、発言がおかしいからという理由で断定するのはいくら何でも早計過ぎる。

 まずは会って確認しなければ。

 

「では、どこで待ち合わせをしましょうか?」

 

『う~ん、そうだね……。じゃあ、あの時の公園に来てよ』

 

 あの時の公園というと、呉先輩と話したあの公園か。鹿目さんたちの待ち合わせ場所とは逆の方向になるな。

 分かりました、と呉先輩に返事をして通話を一旦切った。そして、携帯のディスプレイを見ながら僕は熟考する。

 悩んでいる内容は、呉先輩の急激な変化を暁美に報告すべきか否かについてだ。

 ある程度、可能性があるとはいえ、流石に神経質になりすぎな気がしてならない。

 大体、昨日の今日でいきなりあの胡散臭いマスコットと契約を結んだりはしないはずだ。何せ基本的に考えなしで猪突猛進なあの美樹ですら、数日間悩んだほどのことだ。そんな簡単に承諾できるはずがない。

 それに今の暁美は冷静な判断力を失っている。昨日の醜態を(かんが)みれば、「魔法少女になった可能性がある」と伝えただけで呉先輩を殺害しに行きかねない。

 しばらく悩んだ末、暁美に伝えるのは止めた。

 その代わりに美樹と巴さんにメールを出しておく。

 美樹へのメールは、今日は『他の人』と登校するので僕のことは待たずに学校に行ってくれという内容。巴さんへのメールは、ホームルームの前の暇な時間に最近知り合った三年生の『呉キリカ』という子がクラスになじめず困っていることについて少し相談をしたいという内容だ。

 両方とも返信は必要ないと末尾に添えておいた。

 

 これでいい。

 こうすることで、もし仮に何らかの理由で呉先輩が魔法少女になっていた場合、僕が学校に行けなくなったとしても(さと)い暁美なら美樹と巴さんの情報を共有することで、僕が呉先輩と会っていたという事実に行き着くことができるだろう。

 もちろん、何事もなければ文字通りのただの軽いメッセージで通る。純粋に呉先輩には巴さんを紹介してあげたいというのもある。

 にしても、知り合いの先輩のテンションの高い電話一本でここまで悩んでいる僕は馬鹿なんじゃないだろうか。

 自分を客観視するとただの考えすぎのアホにしか見えない。

 

 

 

 

 着替えを済ませ、父さんと一緒に朝食を取った後、僕は待ち合わせをした公園に向かう。

 そういえば、今日暁美は家に来なかった。まあ、来たら来たで呉先輩と登校することを説明しなければいけなくなるので、僕としてはありがたかったが。

 ひょっとしたら、僕が怒ったことを気にしているのかもしれない。だとしたら少し面倒だ。

 叩いたことに対しては僕が悪いと思っているが、発言に対しては間違ったことを言ったつもりはないのでフォローのしようがない。

 ため息を一つ吐きつつ、公園の入り口を抜けて中央で公園内を見渡す。

 朝の日差しを浴びた錆びの目立つ鉄棒が日光を反射し、ただでさえ寂れたイメージがあった公園がなおさら寂しげに僕の目に映った。

 もっとも、忙しいこの時間帯にわざわざ公園などに来る僕の方が異端なのだから仕方ない。

 

「あ、来た来た。待ってたよ、政夫!」

 

 僕の後ろの頭上から声がかかった。

 振り返るとジャングルジムの頂上に居る呉先輩が見えた。片足を投げ出し、もう片方の足を抱えるようにして、どこか子供のような無邪気な笑みを浮かべて頂上に座っている。その様がどこか猫のようでスイミーを僕に思い出させた。 

 呉先輩は立ち上がるとバランス感覚が問われる足場から危なげなく、軽やかに飛び降りた。

 そして、嬉しそうな表情でこちらに寄って来る。

 

「呉先輩。いきなりで申し訳ないんですが、少し手を見せてください」

 

「手? いいよ……あ」

 

 不躾(ぶしつけ)だったがいきなり呉先輩の手を取って観察する。

 

「大胆だね。でも、私は構わないよ。むしろ、もっと乱暴に扱われてもいいくらいさ!」

 

「――――ッ」

 

 できれば違っていてほしかった。僕の早とちりであってくれればよかった。

 けれど、彼女の指に()められていた指輪が魔法少女であることを証明していた。

 胸を焼くような後悔が競り上がって来る。昨日、涙を流していた呉先輩を追いかけていれば未然に防げたかもしれない。

 ――あの時ならまだ間に合ったかもしれないのに。

 その思いがもはや無意味でしかないが、しかし、そう思わずにはいられなかった。美樹の時の過ちを繰り返してしまった自分に歯噛みする。

 

「どうしたんだい、政夫!? そんな辛そうな顔をきみには似合わないよ?」

 

 心配する呉先輩の顔にハッとなる。どうやら顔に出ていたらしい。意識的に注意すれば、表情を隠すくらいわけないのだが今回はそんな余裕はなかった。

 気を取り直して呉先輩に魔法少女についてどこまで知っているのかを聞く。

 

「呉先輩はこの指輪の、いえ……魔法少女のことをどこまでご存知なんですか?」

 

 もう回りくどく話している暇はなかった。単刀直入すぎる物言いだったが気になどしていられない。

 

「え? あー、実は……」

 

「それについては私が話すわ」

 

 呉先輩の台詞を(さえぎ)って、僕の背中から声が聞こえた。

 涼しげで、たおやかで、優しげなその声は聞き覚えのあるものだった。

 振り返る必要すらなかった。今、僕の後ろから近付いている人物は――。

 

「織莉子姉さん……」

 

 美国織莉子。

 他者に失望して生きる意味を見出せなくなっていた僕に生きる指針をくれた恩人。僕の中の倫理や道徳、いや、正義そのものと言っても過言ではない人物。

 

「おはよう、まー君。良い天気ね」

 

 僕の脇を通り、呉先輩の隣に並び立つと織莉子姉さんは微笑と共に朝の挨拶をした。

 その表情を見て、なぜ呉先輩が短期間で魔法少女になったのかという謎が氷解した。してしまった。

 

「あなたが呉先輩を(そそのか)したんですか……?」

 

 疑問ではなく、答えの確認。接点のなかったはずの二人が一緒に居る理由。突然の呉先輩の変貌。そして、暁美から聞かされた『別の世界の美国織莉子と呉キリカ』の関係。

 すべてを繋ぎ合わせれば、それ以外の可能性はないに等しい。

 

「唆したなんて人聞きが悪いわ。私はただキリカの背中を後押ししてあげただけよ」

 

「あなたは知っていたはずだ! 魔法少女になるデメリットを! 化け物になるかもしれない未来をっ!」

 

 さも親切な行いをしたような態度に、僕は声を荒げて織莉子姉さんに(つか)みかかる。

 けれど、織莉子姉さんは一瞬だけ目を背けた後、僕の瞳を射抜くような視線で見つめ返す。

 

「まー君。大勢の人を救うためにはキリカの力が必要なのよ。それに事後承諾だったけれど、そのことには彼女も納得済みよ」

 

「そうだよ、政夫」

 

 織莉子姉さんの言葉に呉先輩が追随(ついずい)する。

 

「まあ、ちょっと驚いたけど大した事じゃないしね。それよりも私は政夫と織莉子が知り合いだったって事の方がびっくりしたよ」

 

 あっけらかんと言う呉先輩は本当に気にした様子はなく、魔女になることへの恐れは見られない。

 信じられない。朝起きてから信じられないことばかりだ。

 何より、あの他人を大事にすることを教えてくれた織莉子姉さんが支那モンとの契約を教唆(きょうさ)したという事実を僕は信じたくなかった。

 実はまだ眠っていて悪夢でも見ているだけと、そう思いたかった。

 

「織莉子姉さん……あの言葉は嘘だったんですか?」

 

「あの言葉?」

 

「『どれだけ辛くても、家族や友達を、自分の周囲の人を大切にしてみて』。そう教えてくれたあの言葉は何だったんですか!?」

 

 それは僕の心の底から()き出した声だった。信じていたものへ憤りだった。

 今の織莉子姉さんは呉先輩を唆し利用して、鹿目さんの殺害に加担させようとしている。それはあの言葉から最も遠い行いだ。

 涙で目が(にじ)んで、織莉子姉さんの輪郭がぼやけてくる。

 怒りと、悲しみと、苦しみが()い交ぜになって身体中を駆け巡る。

 

「ああ。ごめんなさい、まー君。そんな小さな事(・・・・)を教えてしまって」

 

「え……?」

 

「『大きなもの』を守るには『小さなもの』を差し出さなければならない。そんな『小さな事』を大切にしていたら世界という『大きなもの』は守れないわ」

 

 当たり前のように、常識を知らない幼い子供に諭すように織莉子姉さんは言う。

 

「最悪の未来を防ぐためなら、私は何もかもを捧げるわ。例え、それが自分の周囲の人間を犠牲にする事になったとしても」

 

 僕の中で何かが砕ける音を聞いた。

 六年間、信じてきた信条をそれを教えてくれた人に否定された。

 どれだけ辛くても、嫌なことがあった時も守り続けた自分の核が一瞬にして価値を失う。

 織莉子姉さんの制服を掴んでいた手から力が抜け、そのまま崩れ落ちるように両膝を地面につける。

 呆然としている僕に織莉子姉さんがまだ何かを言っているが、それを言葉として認識できなかった。

 

 今まで過ごしてきた六年間は一体何だったのだろうか?

 

 絶望ではなかった。

 未来への『望』みが『絶』たれることを絶望と呼ぶのだから、未来だけではなく、現在と過去まで否定された僕は……何と言い表せばいいのだろうか。

 ただ悲しみはなかった。あるのは底知れぬ虚無感だけだった。

 




よし、政夫を絶望させたぞ!
いつまでも余裕で居られるほど人生は甘くはない事を知らされましたね。
彼、どうなってしまうんでしょう?
まあ最悪、主人公交代すれば構わないですし、平気でしょう。


次回予告
打ちひしがれる少年にさらなる苦悩が待ち受ける。
負けるな政夫! 作者の悪意を打ち砕け!




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第六十八話 剥がれた鍍金

一ヶ月もお待たせして申し訳ありませんでした。


 僕は今まで何のために生きてきたのだろう……。

 少なくても一時間前の僕はその問いに胸を張って答えることができた。

 でも、今はもうできない。分からなくなってしまった。まるでドラマの中の特に好きでもないキャラクターを(はた)から眺めているような感覚さえする。

 自分自身に感情移入ができない。共感ができない。理解ができない。

 『家族や友達や周囲の人をを大切にする。そうすれば自分もやがて幸せになる』。その言葉をずっと信じて生きてきたのに……。

 それを否定されてしまった。他ならぬ、その言葉を僕に与えてくれた織莉子姉さん本人に。

 

「政夫~。そんなところに座り込んでいたら服が汚れてしまうよ? ほら、立って立って」

 

 呆然としたまま、地面に膝をつけてへたり込んでいる僕を横から呉先輩が引っ張り起こす。

 顔を動かさずに目だけ動かして呉先輩を見ると、彼女は僕がショックを受けていることが理解できていないようで不思議な顔を向けている。

 その様子はまるで死にかけの虫が苦しんでいるのを興味深そうに見つめる無邪気な子供のようで気持ちが悪かった。

 

「それよりもまー君。私に隠し事をしていたでしょう?」

 

 織莉子姉さんは僕に詰め寄るようにそう言った。

 僕の頬に手を当て、瞳の奥を覗き込むようにして聞いてくる。

 

「キュゥべえから聞いたわ。巴マミとまー君の関係について尋ねたら、他にも二人の魔法少女たちと面識があるみたいね。特に暁美ほむらというキュゥべえが契約した覚えのない魔法少女とは親密な間だそうね? 何故、黙っていたのかしら?」

 

 責めるような台詞とは裏腹に、織莉子姉さんの表情は笑顔だった。

 ただ、昨日会った時のような柔和で優しげな微笑(ほほえ)みではなく、蟲惑(こわく)的で(あで)やかなとても中学生とは思えない魔性の女の笑み。

 

「…………」

 

 僕はその笑みを呆然と眺めていた。

 答えたくないのではなく、言葉を紡ぐ気力すらなかった。鹿目さんの名前を出されても僕の心は凍てついたまま何も感じることはなかった。

 映像として知覚することはできても、それが心に響かず、自分に話しかけられている実感がない。

 

「そう……何も答えてくれないのね。まあ、いいわ。それよりも場所を変えましょう。――キリカ」

 

 僕から視線を外した織莉子姉さんは、呉先輩に呼びかけた。

 

「はいはい」

 

 呉先輩の指輪が黒紫色に光り、見滝原中の制服から黒地の燕尾服のような裾が長く胸元の大きく開いた上着とミニスカの衣装に変わる。顔にはなぜか黒の眼帯を付けていていた。一見黒に覆われているように見えるが純白のブラウスとハイソックスとで綺麗に白と黒に分かれており、唯一タイだけが真っ赤な色をしていた。

 これが呉先輩の魔法少女としての衣装なのだろう。

 

「じゃあ政夫、ちょっとだけ失礼するよ」

 

 呉先輩は断りを一つ入れると僕の(わき)の下から片腕を入れて背中をかき抱き、もう片方の手を膝下を持ち上げる。所謂(いわゆる)、お姫様抱っこと言うやつだ。

 中肉中背だが当然ながら普通の女の子が軽々と持ち上げられるほど僕の体重は軽くはない。もうこの人は人間じゃないのだと改めて思った。

 糸の切れた操り人形のように脱力した僕は特に抵抗らしいことはせず、他人事のようにただぼんやりと成り行きを眺めていた。

 そんな僕の顔を見て、呉先輩は笑みを一つ浮かべた。

 

「う~ん。(ほう)けた顔もとても可愛いよ、政夫。それじゃあ、取り合えず織莉子の家に行こうか」

 

 

 

 

 

 

 呉先輩に連れて行かれた僕は白く整頓された部屋の革張りのソファに座らされていた。 

 織莉子姉さんに聞かされた話によると、僕の支那モンから巴さんのことを尋ねた時にこの街には複数の魔法少女が居ることを知ったらしい。そして、その魔法少女たちと僕が親しいことも。

 魔女になる可能性のある彼女たちは障害になる(おそ)れがあるから、一人ずつ始末していくと言っていた。

 口ぶりからいって、まだ鹿目さんのことは知らないようだった。

 呉先輩は何度も暁美の名を口にしていたので、恐らく一番最初に襲われるのはあいつだ。

 僕の携帯電話を取り上げると別に僕を縛るわけでもなく、部屋の一つに入れられて家から出ないよう言われただけだった。携帯電話を取り上げたのは暁美たちに連絡をさせないためと、僕を巻き込まないようにするためのものだろう。

 昨日までの僕だったらすぐこの家から出て暁美や巴さんたちに連絡を取って危険を伝えていたと思う。

 だが、彼女たちが出かけて行った後も、僕は身動きもせず天井を見上げて呆然としていた。  

 改めて思えば、僕が暁美や鹿目さんたちと出会って二週間と少ししか経っていない。本当に浅い間柄だ。

 にも関わらず、僕は彼女たちのために命を懸けてまで頑張ってきた。

 普通に考えれば明らかに異常だ。たかだかそんな僅かな付き合いで命が投げ出せるわけがない。

 

 だったら、その理由は?

 

 ――義務感。

 

 ただそれだけ。

 仕方なく、嫌々、我慢しながらも、人として生きるためにしなければいけないことだと思っていたからやっていただけだ。

 では、なぜ僕はそんなことをしていたのだろう?

 倫理や道徳上、そうすることが当たり前だと教えられたから。そして、そうしていればやがて自分も幸せになれるとも。

 ならば、それは誰から教えられたことだったか?

 もちろん、他でもない織莉子姉さんに。

 

「クッ、アハハハハハハ!」

 

 なるほど。そうか、そうか。そういうことか。

 全てが理解できた。出会って間もない鹿目さんを命懸けで逃がしたのは、嫌っていた美樹にあそこまで世話を焼いたのは、誰にも頼らず一人で苦しんでいた暁美に手を貸していたのは、泣いている巴さんを慰めたのは全部織莉子姉さんの受け売り。

 本当は彼女たちは別に好きでも大切でも何でもない。

 鍍金(めっき)()がれ落ちた。

 彼女たちを助けていたのは織莉子姉さんの言葉があったからだ。その言葉を織莉子姉さんから否定された以上、もう彼女たちを助ける道理はない。

 疲れた。今の僕の思考は本当にそれだけだった。

 何もかもがどうでもいい。もう何もしたくない。どうなろうと知ったことじゃない。

 目を(つむ)って、僕はソファに身を預けた。

 

 

 

 

~暁美視点~

 

 

 結局、政夫は待ち合わせ場所に来なかった。

 後から来たさやかに『今日は他の人と登校するから先に行っておいて』という内容のメールが送られてきたので、仕方なく私たちは政夫抜きで学校へ向かった。

 ……せっかく、彼の好みの三つ編みにしたのに。それにメールを送るならさやかの前に私に送るのが筋なんじゃないかしら。

 私ではなく、さやかにメールが来た事に軽い嫉妬を覚えつつも、まどかやさやかに三つ編みに結った髪の事に言及されてそれどころではなかった。

 

「ほむらちゃん。その髪型可愛いね。でも何で急に変えたの?」

 

「あ~、それ私も気になったわ。いきなり三つ編みとか……まさか、アンタ……」

 

「な、何でもないわ。ちょっとした気紛れよ。ねえ、志筑さん?」

 

 まどかはともかく、さやかが(いぶ)しむように聞いてくるので誤魔化すために志筑さんに話を振る。

 

「ええ、そうですよ。さやかさん。ほむらさんたら政夫さ……」

 

「ちょっ!?」

 

 誤魔化すどころか、嬉しそうにさやかに報告しようとする志筑さんの口を急いで押さえて止める。

 口を押さえられた志筑さんは残念と言わんばかりに、悪戯(いたずら)っ子のような悪びれない笑みを浮かべた。

 反省の「は」の字もない。むしろ、あっけらかんとしているその態度に私は怒るよりも先に呆れてしまう。

 

「今、政夫って言ったよね? ねえ?」

 

「聞き間違えじゃないかしら?」

 

 志筑さんの口から手を離して、追求してくるさやかに素知らぬ顔でそう答えた。

 内心は落ち着かせるために後ろ髪をかき上げようとするけれど、三つ編みに結った事を思い出して途中で止めた。

 

「最近、ほむらちゃん可愛いよね。そういうところ」

 

「ま、まどかにそう言われると照れるわね」

 

 ふわっと花のような笑みをまどかは私に向ける。その笑みを見て、直視できずに顔を逸らして頬を()く。

 ずっと見たかった光景が今目の前にあるのにどこか私の心は浮かない。

 楽しい事が起きた後は、嫌な事待っていた。そんな考えが私に染み付いてしまったのかもしれない。

 

 四人で教室に行き、私は政夫の姿を探すがどこにも居ない。ひょっとしたら、まだ登校していないのかしら。

 首を傾げていると、廊下の端から見覚えのある顔がこちらに来るのが見えた。こういう時、ガラス張りの壁は便利だと思う。

 

「マミ。どうしたの? 二年の教室まで来るなんて」

 

 教室の扉まで歩いてきたのはマミだった。

 三年の教室は一つ上の階なので、昼休みに屋上の時以外、校内で顔を見合わせる事はほとんどない。だから、マミがここに居るのが意外だった。

 

「あ。マミさんだ。おはようございます」

 

「どうしたんですか?」

 

 まどかたちもマミの来訪に気付き、教室に出入り口に集まってくる。志筑さんは二人と違い、あまり面識がない事を気にしてか声を発さずに礼儀正しくお辞儀をしただけだった。

 

「おはよう、みんな。……夕田君はまだ来ていないかしら?」

 

「まだ来ていないわよ。どうかしたの?」

 

 私が答えると、マミは少し困ったような顔をした。

 

「いえ、今日夕田君が相談したい事があるからメールが来てね。朝早くから教室でずっと待ってたんだけど全然来ないからどうしたのかなって」

 

 相談事……? 何かしら? ひょっとして私と口論したのを気に病んで、マミに相談しようとしたのだろうか。

 もし、そうなら政夫にも可愛げがあるのだけれど。

 

「内容については何か聞いてるんですか?」

 

 まどかが質問するとマミは言い忘れていたらしく、付け足すように言った。

 

「私と同じ三年の呉キリカって子がクラスに馴染めないからどうしたらいいかって内容だったわ」

 

 呉、キリカ……?

 その名前をまさか学校で聞くとは思いもしなかった。そもそも、この学校の生徒だというのが初耳だ。

 ふ、と頭の中で線と線が結びつく。

 このタイミングで呉キリカの名前。未だに登校していない政夫。そして、政夫がメールで言っていた一緒に登校する『他の人』。

 スカートのポケットから携帯を取り出すと、急いで政夫の携帯番号を入力する。

 耳に当て、通話が通じるのをじっと待つ。

 

「ほむら。いきなりどうし……」

 

 話しかけてくるさやかを横目で睨みつけて黙らせる。今は悠長に話している余裕はない。

 この嫌な推測がどうか外れであってほしいと思う反面、間違いないと心のどこかで確信していた。

 

 




政夫が命を懸けて魔法少女たちを助けてきた理由が明かされました。
普通の人間だったら、日も浅い相手にここまで頑張りません。でも、政夫はそれをやってきた。
お人よしだからでしょうか? 違います。むしろ、政夫の心は狭い方です。
正義の味方ではなく、ごくごく普通の一般人な彼はただひたすら織莉子の言葉を信じてきただけでした。



すべてが義務感だと理解した政夫。彼に立ち直る術はあるのか?
次回―絶望の果て―


なお、タイトルは気分次第で変わると思います。


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第六十九話 極めて稀な精神疾患

~ほむら視点~

 

 

 何度目かのコール音の後、政夫の携帯電話が繋がり、通話状態になった。

 少し声が上ずりそうになるのを(こら)えて、できるだけ落ち着いて声を出す。

 

「もしもし。政夫、貴方今どこに……」

 

『やあ、泥棒猫の魔法少女。昨日はどうも』

 

 最悪の予想が見事に的中した。

 電話から聞こえてきた声は最も聞きたくない人物、呉キリカのものだった。

 そして、魔法少女と私に向けて言った事からキュゥべえと契約したと見ていい。やはり、政夫に止められようともあそこで殺しておけば良かった。

 握っていた携帯電話に力がこもり、腕が僅かに震える。歯を食いしばり過ぎて、頬が強張(こわば)った。

 周りでまどかたちが私の様子がおかしい事に気づいて心配そうな顔をするが、それを片手で制して何も喋らないようにしてもらう。

 

「……呉キリカね。何故貴女が政夫の携帯を持っているの?」

 

 十中八九、政夫と接触して奪ったものだとは思うが、理由を聞き出す過程で政夫の安否が確認できるかもしれないのでわざわざ聞く。

 

『へぇー、私の名前を覚えていてくれたのかい? まあ、お前なんかに覚えられても嬉しくないけど。この携帯は政夫から預かったものだよ』

 

「政夫は無事なの?」

 

『当たり前だろう? 私が愛する政夫に危害を加えるわけがない。むしろ、全力で政夫を危険から遠ざけたのさ』

 

 その言葉に一先(ひとま)ずはほっと胸を撫で下ろす。呉キリカが嘘を吐いている可能性もありえなくはないが、多分それはないはずだ。

 嘘を吐くメリットが大してないのと、もう一つは……政夫に対して呉キリカが好意を寄せているからだ。

 昨日会った時から呉キリカの政夫を見る目は恋する女のそれだった。不本意ながら、あの女の政夫を見つめる眼差しは私に似たものを感じた。どんな経緯があったかは詳しく知らないが、そこだけは間違いないだろう。

 

「……そう。なら、貴女の目的は?」

 

『私としては、私と政夫の間を邪魔するお前が切り刻んでやりたいんだけだよ』

 

 声のトーンを変えずに軽く放たれた言葉だったけれど、だからこそ恫喝(どうかつ)ではなく本音だと私は思った。

 だが、昨日魔法少女になったばかりなら、呉キリカの戦闘経験は皆無。おまけにこちらは相手の手の内を知っている。

 私、一人で十分に対処できる。

 なら、こちらから挑発してさっさと倒してしまった方が早い。政夫の居場所を聞き出した後に今度こそ息の根を止める。

 

「随分な物言いね。力を手に入れて舞い上がっているのかしら?」

 

『……やっぱり私はお前が嫌いだ』

 

「私も貴女が嫌いよ。それでどこに行けばいいの? お望み通り、相手をしてあげるわ」

 

『ッ、廃工場跡に一人で来い。……刻んでやる』

 

 怒りを抑えた低い声を最後に通話が切れた。電話の向こうで相手がどんな表情をしているのか容易に想像ができる。

 それにしても廃工場か。政夫とまどかが魔女に襲われた場所ね。まさかまた訪れるはめになるとは思わなかった。

 携帯電話をスカートのポケットに再びしまい込み、周りを見ると不安そうな顔が並んでいた。

 

「ねえ、ほむらちゃん。政夫くん、大丈夫なの?」

 

「今、無事かって聞いてたよね? ひょっとして政夫、(さら)われた!?」

 

「ゆ、誘拐事件ですの?」

 

 三人とも私に詰め寄ってくるが、私としてもどう説明していいか分からない。

 まず志筑さんには魔法少女の事を話せないし、まどかには心配を(あお)らせたくない。さやかに伝えると暴走して余計な事をする可能性がある。

 

「三人とも、落ち着いて。政夫は無事よ。ただ……ちょっとしたトラブルに巻き込まれたみたい」

 

 (なだ)めながら、政夫が安全だという事のみを伝え、後は適当に誤魔化す。

 

『トラブルっていうのは……魔法少女関係の事? 会話から考えて呉キリカって子が魔法少女になって夕田君を誘拐したって事かしら?』 

 

 唯一、冷静な態度を崩さないマミは、志筑さんの事を気遣ってテレパシーを使い、直接私の脳内に尋ねてくる。ここら辺はやはりベテラン魔法少女故の状況判断だ。

 

『ええ。その通りよ。だから、私が何とかするわ』

 

『一人で何とかなるの?』

 

『大丈夫よ。任せて』

 

『分かったわ。でも、ほむらさん。何かあったら迷わず私に連絡して』

 

 金曜日に険悪な別れ方をした時は心配だったけれど、立ち直ってからはマミは本当に頼りになる先輩になった。これも政夫のおかげなんでしょうね。

 

『頼りにしてるわ』

 

 その後もまどかたちは当然ながら納得していなかったが、マミがそれを取り成してくれたおかげで取りあえずは落ち着いてくれた。

 私は呉キリカが指定した廃工場に向かうために学校を出た。

 途中の廊下で早乙女先生と遭遇したが、具合が悪いために早退させてもらうと言ったら認めてくれた。まさか心臓が弱いという肩書きを持っていた事に感謝する日が来るとは思いもよらなかった。

 

 

 ******

 

 

 僕が目を伏せて何もかも投げ出してソファに身を(ゆだ)ねていると、不意に足元に気配を感じた。

 目を開けて足元を見やると、お馴染みの白い似非マスコットがいつの間にかそこに鎮座していた。

 

「支那モンか……。何の用?」

 

『ボクの名前はキュゥべえだよ、政夫。いい加減で間違えないでほしいな』

 

 相変わらずの無表情の可愛げない顔でそう言うが、その様子はどこか楽しそうに見えた。愉快なものを見てはしゃいでいるが、それを表に出さずにうずうずしている子供みたいな印象があった。

 

『不思議だね。魔女の結界内でも毅然としていた君がこうも沈んでいる。まるで魔法少女の真実を知った女の子たちのようだよ。もっとも、魔法少女でもない君がいくら絶望しようともボクらには何の特にもならないんだけどね』

 

 尻尾を振り子のように軽く左右に振りながら、いつになく饒舌(じょうぜつ)に語る支那モン。

 

「…………」

 

 僕は無言でそんな支那モンを眺める。

 

『どうしたんだい、政夫? 何も反論しないのかい? 今までボクに何度もしてきたように』

 

「随分と楽しそうだね。そんなに僕が絶望しているのが面白い?」

 

 僕がそういうと、今まで動かしていた尻尾がピタリと止まった。

 

『ボクが楽しそう……? あり得ないね。ボクらインキュベーターは君たち人類とは違って感情なんてものは存在しない。そもそも感情なんていう現象は極めて稀な精神疾患でしかないんだよ』

 

 まるでムキになって反論する子供のように支那モンは()くし立てる。その言動がすでに感情的であることに気付いていない。

 支那モンの言葉を(もち)いるなら、もうこの固体は『極めてまれな精神疾患』に陥りかけているのではないだろうか。

 だが、そのことにも特に僕の心を動かすようなものではなかった。

 

「そうかい。だったら、僕の勘違いだよ。怒らせちゃってごめんね」

 

『……わざと言ってるのかい? ――まあ、いいよ。君にはもう何の用もない。じゃあね、政夫』

 

 声のトーンは変わっていないが、その台詞は吐き捨てるようだった。

 支那モンは僕から見て右側にある窓の方へと歩いて行き、白いカーテンの窓の隙間に入る。姿がカーテンに映ったシルエットとなり、どんどんと遠ざかりって、やがて消えた。

 風にたなびいていないことから、窓は開いてない。多分、支那モンには障害物をすり抜ける能力があるのだろう。神出鬼没なのもそれが一因か。

 それにしても、宇宙から来た知的生命体様も随分と可愛らしくなったものだ。語彙力はともかく、やってることが僕らと大差ない。

 

 再び目を瞑ろうとした時、コンコンと小さな音が聞こえた。窓の方を見るとカーテンに支那モンよりも大きなシルエットが映っていた。

 ソファから立ち上がって、カーテンを開くと杏子さんが窓の向こうに立っていた。

 

 

 

 ******

 

~ほむら視点~

 

 

 

 あの一件の後、立ち入り禁止になった廃工場の前に着いた。

 シャッターは閉じられていたが私がそう言うと重量感のある音を立てて徐々に開いていく。その様はまるで巨大な生き物が口を開くようだった。

 魔法少女の姿になった私は拳銃を盾から取り出すと、堂々とその中に入っていく。手榴弾を投げ込んでやってもよかったが、万が一、政夫が中に囚われている可能性を考えて断念した。

 

「お望み通りに来てあげたわ。顔くらい見せたらどう?」

 

 いつも通りに戻した髪をかき上げながら、挑発すると薄暗闇の中から黒いの燕尾服のような格好をした魔法少女が顔を出した。

 

「うわ。本当に一人で来たよ。馬鹿なんじゃないの、お前?」

 

 眼帯を付けた顔で(あざけ)りの笑みで満たすその女は紛れもなく呉キリカだ。

 むしろ、馬鹿は貴女の方だと言ってあげたい。私には時間停止の魔法があるから、躊躇(ちゅうちょ)なく姿を(さら)したのだ。

 それに付き合って、のこのこ出てきてくれたこいつこそ、本物の愚か者だ。

 すぐさま、時間を止めるために手首に装着してある砂時計の(たて)に手を伸ばす。この距離なら飛び掛ってこられても瞬時に時間停止可能だ。

 無防備になったところを蜂の巣にしてやる。

 呉キリカはそんな私を見て、先ほどよりも笑みを深くした。

 

「ここまで予定通り……いや、予知(・・)通りだと笑っちゃうねぇ」

 

 言葉の意味が分からず、一瞬だけ思考が止まった。

 そして、言葉の意味を理解した時には背中に激痛を感じながら、呉キリカの方に吹き飛んだ。

 意識の外からの不意打ちは、実際のダメージよりもずっと痛みを感じた。衝撃のせいで持っていた拳銃が手から離れて床を滑っていってしまう。

 工場の床に這い(つくば)りながら、自分の背中を確認する。

 私の背中に放たれたのは、無数の水晶球。殺傷能力こそ低いが一度に複数個出現できることが厄介だった。

 かつて、上手く行きかけた世界を……救えたかもしれない『まどか』を殺した絶対に許せない魔法少女の武器。

 

「美国、織莉子ッ!!」

 

「あら。どうやら私の名前をご存知のようですね。まー君が話した? ……いえ、武器の種類までは教えていないはず……。それにまー君が私を裏切る事なんてありえない」

 

 開いたシャッターから、薄暗い工場内に差し込む日の光と共に悠々と入ってくる白い衣装の魔法少女。世界のためだと謳いながら、かつての時間軸でまどかの命を奪った悪魔、美国織莉子。

 

「どうして貴女が……」

 

「その様子だとやっぱり、まー君が話した線はなさそうね」

 

「まー君? ひょっとして政夫の事……、がっ!」

 

 美国織莉子に気を取られていた私の顔が思い切り勢いをつけて、床に押し付けられた。口内のどこかが切れて、口の中に血の味が広がる。呉キリカに踏みつけられたことを理解するのに数秒要した。

 

「お前が政夫の名前を気安く呼ぶなよ! 不愉快だ!!」

 

 私の髪を後ろから掴んで上に引っ張り、首元に魔力で生み出したかぎ爪を突きつける。

 ヒステリックなその声を聞けば、どんな顔をしているのかは想像に(かた)くない。

 

「泥棒猫は首を切られて、死ね!」

 

 完璧に出し抜かれた。美国織莉子にしてやられた。

 呉キリカだけだと思い込んでいた私が愚かだった。心の中で美国織莉子が存在したのはあの時間軸だけだと、そう願っていたのかもしれない。

 髪を掴まれているこの状況では、時間を止めても呉キリカは止まられない。

 

「別に、貴女のものじゃ……ないでしょう?」

 

 最期になるであろう言葉は何とも、私らしくないものだった。

 

 

 




まだ政夫はレイプ目状態のままです。
ですが、この固体のキュゥべえも政夫に翻弄されてきたせいでインキュベーターとして壊れかけています。
お互いぎりぎりですね。


そんな事より、ほむらはこのまま殺されてしまうんでしょうか? だとしたら、ストーリー上詰みますね。


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第七十話 拳と言葉

 窓の外に立っている人物があまりも意外すぎて少々言葉を失ったが、黙っている訳にもいかないので窓を開けて僕の方から声を掛けた。

 

「杏子さん、どうしてこんなところに居るの? 学校は?」

 

「そりゃ、アンタの方だろうが。見慣れない魔法少女が朝っぱらから誰か抱えてんのを見つけて、後を着けてみればアンタがここに連れ込まれんのが見えたんだよ」

 

 面倒くさそうに説明をすると、窓の(ふち)に足を掛けて室内に上がって来た。そう言えば、杏子さんは電車で隣の駅から通っているから、見滝原中に登校するのに、あの公園の近くを通る。その時に呉先輩を見かけたのだろう。

 どうでもいいが靴をちゃんと脱いでいる辺り、暁美より常識があるなと思った。その際に軽くスカートが(めく)れそうになったので視線を逸らしたが、どうやらスパッツを穿()いているようなのでその危惧は必要なかった。

 

「で、政夫は縛られているわけでもねーのに、何でここにまだ居るんだ。周囲から確認したが、この家にはもうアンタしか居ないんだろ? さっきキュゥべえが出てきたのと何か関係あんのか?」

 

「いや、特に関係はないよ。僕がここに居る理由は……ちょっと疲れちゃったってだけ」

 

 ソファに座り直して、杏子さんから視線を逸らす。

 後ろめたい訳ではなく、単に自分の身の上から話さなければいけなくなるのが面倒だった。

 

「疲れたってどういう……」

 

「そうだ、杏子さん。今、君ら魔法少女、特にほむらさんが君が見た『見慣れない魔法少女たち』に命を狙われている。気を付けた方がいいよ」

 

 もう手遅れかもしれないが、一応杏子さんに伝えておく。これは彼女たちに対する僕の最後の義理だ。それ以上のことはする気はないという決別でもある。

 彼女たちのために何かしようとする意志は僅かも()いてこない。元々、そこまでするほど親しい訳でも、好意を抱いていた訳でもなかったのだ。

 これが普通。今までの行動こそがおかしかった。たかだか二週間ほどの付き合いでしかないのだから。

 

「は? おい! それはどういう事だよ! ほむらが命を狙われてるって……だったら、なおさらお前はこんなとこで何やってんだよ!!」

 

 激昂して眉間(みけん)(しわ)を寄せて杏子さんは叫ぶ。

 でも、もう僕には関係のない事だ。いや、元から僕は無関係だ。ただ織莉子姉さんの言葉に従って、手を差し伸べていただけだ。

 

「僕は何の変哲もない普通の中学生だよ。僕には何の関わり合いのない話だ。僕がどこで何をしていようと自由だろう? もう巻き込まれたくないんだ、魔法少女だの魔女だのに」

 

「ふざけんなっ!」

 

 杏子さんは僕の胸倉を掴むと片足をソファの肘掛に乗せて、座ったままの姿勢の僕に顔を近づける。怒りに満ちた表情と胸倉を掴むその様子が、怒った時のショウさんとそっくりだったのが少しだけおかしかった。

 だが、あの時と違って僕の心は欠片も恐怖を感じない。杏子さんに迫力がないのではなく、今恫喝(どうかつ)されている自分が遠くにいるような感じがして実感が湧かない。

 

「ほむらやマミ、さやかたちが死んだって自分には関係ねーって事かよ!」

 

「まあ、そういうことだね」

 

 僕の返答に杏子さんの拳が飛んできた。右頬に強烈な衝撃が走り、次の瞬間には痛みが(ほとばし)る。

 それでも僕は他人事のようにしか感じられず、杏子さんを冷めた目で見返しただけだった。

 

「……アンタさ、アタシが『魔法少女に何の関係もないのに魔法少女とつるんでるのか?』って聞いたの覚えてるか?」

 

 僕を殴ったことで少しは怒りが和らいだのか、ほとんど無反応だった僕を見て思考が冷めたのか、先ほどより多少落ち着きを取り戻した声で杏子さんは僕に尋ねてくる。

 だが、目付きだけはさっきよりもずっと鋭くなっていた。

 

「覚えてるよ」

 

 痛みが鈍くなった代わりに頬が熱を持ち始めたことを感じながら、間を空けずに答える。

 

「あん時、アンタは『自分が納得できる行動とっていたらこうなった』って、そう答えたよな」

 

「答えたね」

 

 ギリッと音が聞こえるほど歯をかみ締めた後、彼女は(せき)を切ったように言葉を吐き出す。

 

「納得して関わってたんじゃなかったのか!? 責任持ってあいつらと一緒に居たんじゃなかったのかよ!?」

 

「……っ!」

 

 殴られた痛みとは比べられない衝撃が胸の中にずしりと来た。

 他人事のように聞いていた僕は初めて、実感の(ともな)った『痛み』を感じる。

 

「さやか、言ってたぞ。今までカッコ悪い自分を支えてくれたって! マミの事だってそうだ! 昨日電話で聞いたよ。アンタ、魔女に成りかけたマミを自分の命を危険に晒してまで助けたらしいじゃねーか。それなのに……! そんな簡単に放り出しちまえるもんなのかよ!! なあ!」

 

 (つば)が飛んできそうになるほど勢いで、次々と言葉が僕に投げつけられる。

 そのどれもが激しく僕の心を揺さぶる。遠くに感じられた自分自身が再び、戻ってきたように臨場感が伝わってくる。

 

「ほむらもだ! あいつとはまだそこまで仲良くなってねーけど、アンタと居る時のほむらが安心してるって事ぐらいは見てて分かる。それだけ頼りにされてんだよ、アンタは!」

 

「でも、僕はどこにでも居るただの中学生だよ」

 

「ここまで魔法少女助けてきたヤツがただの中学生な訳ねーだろうが! 十分、特別なんだよ。少なくてもマミたちにとってはな!」

 

 そこまで言うと胸倉を掴んでいた左手が離されて、僕の肩に杏子さんの両手が置かれた。

 杏子さんは表情を歪め、辛そうな顔を浮かべる。

 

「頼むよ……。あいつらを裏切らないでやってくれよ。信じてたヤツに見捨てられるって……言葉にならないくらい苦しいんだ……。アタシと同じ痛みをあいつらには味合わせたくはないんだよ」

 

 そうか。杏子さんは実の父親の教えを守ろうとして魔法少女になったんだった。そして、それを当の本人に否定された。

 今の僕と同じ……、いや、死なれた分だけ彼女の方がずっと辛かったはずだ。

 だからこそ、彼女の言葉は心に響く。実際に体験した感情が言葉を通して僕に届いてくる。

 

「アンタは必要とされているんだ。だから答えてやってくれ、その想いに」

 

 一拍、間を空けてから、静かに僕は答えた。

 

「……本当に魔法少女って面倒くさいなぁ、もう」

 

「っ、こんだけ言ってもまだそんな……」

 

「面倒くさくて、おちおち一人で絶望に浸ってることさえさせてくれない」

 

 ため息を一つ吐くとソファから立ち上がり、傍に置いていた学生鞄を拾う。

 

「政夫、アンタ……」

 

 杏子さんには返答として苦笑いを向ける。この人にはそれで伝わるはずだ。

 必要としてくれるなら、答えてあげなければいけない。借り物の信念だろうと、ハリボテの安心感だろうと、それを待ってくれている人が居るなら与えるだけだ。

 せめて、もう要らないと言ってくれるその時までは――。

 

 

 

 

 

~ほむら視点~

 

 

 髪を掴まれ、首筋に魔力のカギ爪を突き付けられながらも、私は呉キリカに不敵な笑みを向けていた。

 絶体絶命のこの状況下で私は一体何をやっているのか。

 昔の私なら恐らくは唇を噛み締めながら絶望にでも染まっていたはずだ。それが普通の反応だ。

 ここで虚勢を張るなんて馬鹿げている。きっと、彼の悪い癖が移ってしまったのだと思う。困ったものね。

 

「……死ね!」

 

 呉キリカのカギ爪が私の頚動脈を()き切ろうと動く瞬間、美国織莉子の声が飛んだ。

 

「――ッ! キリカ、そこから右に飛び退いて!」

 

「……チッ」

 

 私の髪を掴んでいた手を瞬時に離して、美国織莉子の言葉に従って呉キリカは右に跳躍した。

 呉キリカが立っていた場所には一、二秒遅れて黄色の銃弾が通過して、工場の奥へと消えていった。少ししてから鈍い音が聞こえてきたので壁に激突したのだと思う。

 

「いくら不意打ちをするためとはいえ、シャッターを開いたままにしたのは間違いだったわね……」

 

 忌々しそうに言う美国織莉子の後ろの入り口のシャッターから、逆光でシルエットに包まれた人間が三人見えた。

 一人が先頭に立ち、ゆっくりと工場内に長銃を構えながら入ってくる。

 それは魔法少女の姿になったマミだった。その後ろには同じく魔法少女の格好になったさやかと、制服のまどかが追随している。

 

「大丈夫!? 暁美さん」

 

「マミ。来てくれたの? でも、どうやってここに?」

 

 助かったという安堵の思いよりも、何故彼女がここに居るのかという疑問が先立った。

 私がこの廃工場に行く事はマミには伝えていない。いくらなんでも都合が良すぎる。

 私の疑問に答えたのはマミではなく、その後ろで剣を構えている居るさやかだった。

 

「ごめん、ほむら。実はほむらが教室から出て行った後、やっぱり納得できなくてマミさんに無理やりお願いして、ばれないように距離取って後着けて来ちゃった。まあ、用心して距離を取りすぎて、途中見失ったんだけど……」

 

 いつの間にか、マミたちに尾行されていたらしい。政夫が誘拐されたせいで頭がいっぱいになっていたのか私らしくないミスをしてしまった。けれど、今回はそのおかげで命拾いした。

 でも、一つだけ看過できない事がある。

 

「……何でまどかまで連れて来たの!?」

 

 最悪だった。その一点がなければ私は素直に喜べた。さやかの行動に感謝できた。

 だが、その一点が致命的だった。

 (かも)(ねぎ)を背負ってきたようなものだ。こいつらの、美国織莉子の目的はほぼ間違いなく、まどかの殺害なのだから。

 

「さやかちゃんを責めないで。私がどうしてもってお願いしたから……」

 

 申し訳なさそうな表情のまどかが私に弁明をするが、そんな事はもうこうなってしまえば関係ない。一刻も早くまどかを避難させなければ。

 

「……見つけた。見つけたわ。世界に破滅をもたらす少女を」

 

 壮絶な笑みを浮かべて、一瞬で無数のソウルジェムにも似た意匠の水晶球を出現させて、まどかに目掛けて降り下ろすように撃ち出す。

 マミもさやかも突如現れた数十の水晶球に対応できず、唖然としている。

 数の水晶球が信じられない速度でまどかに迫る。その数や速度から、ありったけの魔力を使っている事が分かった。

 早く時を止めないと最悪の事態になる!

 私は時間停止の魔法を使うとするが――。

 

「おっと、お前の相手は――私だよ!」

 

 楯に触れようとした私の手の甲に黒のブーツが降って来る。

 

「――――――っ!!」

 

 手の甲に付いているひし形になったソウルジェムごと踏み付けられ、言葉にならない激痛が脳を焼く。 

 飛び退いて離れたはずの呉キリカは、私が美国織莉子の大量の水晶球に気を取られていた隙に乗じて接近していた。

 

「何でそんな痛がって……ああ、お前のソウルジェムこんなところに付いているのか。無用心だねっ!」

 

 体重を掛けながら踏みにじるように呉キリカはブーツを動かす。

 直接ソウルジェムにダメージを与えられているので、痛覚を遮断する事もできない。体内の臓器をそのまま傷付けられているような激しい痛みが意識を支配する。そのせいで聴覚すらまともに機能してくれない。

 猫がネズミを甚振(いたぶ)って遊んでいるみたいに、呉キリカは弱者を苦しめる愉悦に浸っている。

 まどかがどうなっているのかも、確認する事ができない。

 

「ま、まどか……」

 

 自分が死にかけた時なんかと比べ物にならない絶望があった。

 

 




政夫を叱咤した相手が最も政夫と関連性の薄い杏子である理由について言い訳を一つさせて下さい。
正直に言いますと最初はまどかにする予定でした。まどかに本当に義務感だけで手を貸していたのかと問われて、最初はそうだったけれど次第に彼女たちに友人として好意を抱いていた事に気付いて立ち直るという話にするつもりでした。

でも、書いていく内にシチュエーション的に織莉子の家にまどかを出すのが不可能な事に気付き、途中で変更しました。
なので、政夫は結局のところ開き直っただけで、人間として成長する事はできませんでした。
本来ならメインヒロインとしか思えないほどまどかを前面に押し出すつもりだったのですが……本当に残念です。


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第七十一話 躊躇なき嘘吐き

「それでこれからどうすんだよ? このままじゃ、ほむらがヤべーんだろ?」

 

 僕が開き直りに近い思いを抱いて、意識を改めた僕に杏子さんが今後の方針を聞いてくる。

 だが、僕はその問いには答えずに頼み事をした。

 

「それなんだけど、ちょっと杏子さんの携帯貸してくれないかな?」

 

「構わねーけど、ほむらに電話すんのか?」

 

 怪訝(けげん)そうな顔をしながらも、杏子さんは紅い二つ折りの携帯電話を渡してくれた。

 取りあえずは今、僕の手元にある有益な情報は二つだけ。

 一つは、織莉子姉さんたちが狙っているのは暁美だということ。二つ目は織莉子姉さんか、呉先輩のどちらかは僕の携帯を所持しているということ。

 まだ僕が拉致されてから一時間も立っていないが、織莉子姉さんたちの行動力を考えるとすでに暁美と接触している可能性が高い。

 ならば、電話をかける相手は暁美ではなく、僕の携帯。すなわち、織莉子姉さんか呉先輩のどちらかだ。

 しかし、その前にやって置かなければならないことがある。

 

「杏子さん」

 

「何だよ。電話しないのか?」

 

 当然、事態は一刻を争う。暁美がそんなに早くやられるとは思わないが楽観するのは危険だ。

 だが、まずは杏子さんに今やろうとしていることを教えなければ話にならない。これには彼女の協力が必要不可欠だからだ。

 さらっと概要だけ説明すると杏子さんは僅かに顔を(しか)めた。

 

「政夫……アンタ、意外に(こす)い男だな」

 

「どう見てたのかは知らないけど僕は元々こういう人間だから」

 

 微妙そうな表情をしながらも状況が状況だけに杏子さんも承諾してくれた。……そこまで抵抗のあることだとは思わないが、これは多分杏子さんの価値観によるものだろうな。

 軽い打ち合わせの後、杏子さんの携帯電話に僕の携帯の電話番号を入力する。何度目かのコール音がして後に電話が繋がる。

 

『誰!? 今、いいところなのに……』

 

 耳に響いてきたのは呉先輩の声だった。どうやら、僕の携帯電話を持っているのは呉先輩の方だったようだ。好都合だ。

 すかさず、僕は声を上げる。

 

「た、助けてっ!! 呉先輩! ……ぼ、僕……こ、この、ままじゃ、殺されちゃう!」

 

 恐怖に怯えた嗚咽(おえつ)の混じりの声で叫ぶ。軽く息を荒くして臨場感を高めながら、やや早口で()し上げた。

 

『ま、政夫!? その声は政夫だね。何があったの、一体!?』

 

「呉先輩たちが出て行った後……紅いま、魔法少女が……家の中に入って来て――――あがっ! ……ご、ごめんなさい! 殴らないで……ぃぎっ! 痛い痛い痛い痛い痛いぃ――!! 許してください許して――」

 

 痛みに苦しむ振りしながら携帯電話を杏子さんに渡す。当然ながら、杏子さんは僕に暴力は加えていない。全部演技だ。

 特に痛い痛いと叫ぶところは(やすり)で顔を削られているイメージで演じてみた。我ながら中々の迫真だったと思う。

 携帯電話を受け取った杏子さんは僕を引いた目で見ながらも、それを耳に当てて喋り出す。

 

「……聞いた通りだ。お前らがほむらを殺そうとしてんのはこの坊やから教えてもらったよ。アタシはあいつの仲間でね。今、どこに居やがる? さっさと言わねーと……」

 

「『こいつの眼球を(えぐ)り出すぞ』だよ」

 

 台詞に詰まった杏子さんに僕が耳に小声で(ささや)く。

 そう。僕が彼女に頼んだことは狂言誘拐、いや、この場合は狂言強請と言った方が正しいのだろうか。

 表情を引きつらせながらも僕の言葉に従って杏子さんは言い切った。

 

「……こいつの眼球を(えぐ)り出すぞ」

 

『や、止めろ! 政夫に指一本触れるな!!』

 

 電話の音量を上げた訳でもないのに僕にまで聞こえてくるほどの声量で呉先輩が(わめ)いた。耳を当てていた杏子さんはかなりのダメージが鼓膜に響いたようで、耳を塞いで少し(うめ)いた。

 思った通り、織莉子姉さんは「この街の三人の魔法少女と僕が親しいこと」を支那モンから聞いたと言っていた。つまり、隣町の魔法少女である杏子さんのことは知らない。そして、織莉子姉さんが知らないということは呉先輩も当然知らないはずだ。

 これは織莉子姉さんが支那モンに「この街の魔法少女と僕の関係」のみを聞いたためだろう。あの似非マスコットは「聞かれないこと」には基本的には言わないせいだ。

 

「構わず『そんな態度を取るなら、こっちはこいつの指を一本一本切り落としてやってもいいんだよ。がたがた言わずにとっとと居場所を教えろ』と返して。あ、『もし、ほむらがそこに居るなら危害は加えるな』とも付け足して」

 

「……そんな態度を取るなら、こっちはこいつの指を一本一本切り落としてやってもいいんだよ。がたがた言わずにとっとと居場所を教えろ。それと、もし、ほむらがそこに居るなら危害は加えるんじゃねーぞ」

 

『わ、分かった。暁美ほむらにはこれ以上何もしない! だ、だから、政夫には何もしないでっ! ……私たちが居るのは寂れた工業地帯の廃工場だ』

 

 寂れた工業地帯の廃工場……。恐らくは僕が前にテレビの魔女に殺されかけたあの工場、もしくはその周辺だ。

 詳しい位置情報ではなかったが、僕は大体の居場所は把握できた。

 そして、やはり呉先輩は暁美と接触して、尚且(なおか)つ、今まで暁美が危害を加えられていたということまで分かった。

 事態は思ったよりも悪い。他ならぬ僕のせいで、だ。

 僕は下唇を強く噛むと、最後にすぐ行くからそこでじっとしている旨を杏子さんに言ってもらい、通話を終えてもらう。

 

「政夫。アンタ、見た目と違って実は結構あくどい奴なんだな……。かなり引いたわ」

 

「それは悪かったね。謝るよ。それより、廃工場の場所はある程度知ってるから急いで向かおう」

 

 呆れた目で僕を見る彼女を尻目に僕は学生鞄を持って玄関に向かう。杏子さんが入ってきた窓は閉めたが、玄関の鍵は渡されていないので施錠は諦めた。

 家から出た後、表の通りでタクシーを拾い、工業地帯まで向かってもらった。僕も杏子も学生服の上にまだ朝だったため、運転手のおじさんは僕らを怪しんだが『社会科の授業で工場見学があったけれど、僕ら二人は寝坊してしまった』という嘘を丁寧に話すと納得してくれた。

 恥ずかしげに頭を掻きながら苦笑いをする演技が良かったのかもしれない。

 隣で黙って話を聞いていた杏子さんがぼそっと「政夫って嘘付くのにホンット躊躇ないな……」と呟いたが無視する。

 今はそんなことを気にしていられる状況ではない。嘘くらい、いくらでも吐いてやる。

 

 

 

 目的の場所に着くと、僕は運転手のおじさんに財布から今月のお小遣いの大半になる金額を渡してタクシーから降りる。財布に多少の痛みを感じたが、そんなことはどうでもいい。

 タクシーが居なくなると杏子さんは魔法少女の紅い衣装に変わる。

 

「どう?」

 

「ああ、前の黒い魔法少女とまた知らねー魔法少女のソウルジェムの反応がある。ほむらのもあるし、……おいおいマミとさやかの反応まであるぞ!」

 

 知らない魔法少女というのは十中八九、織莉子姉さんだとして、巴さんや美樹まで居るのか?

 だったら、僕らが急いで来たのは取り越し苦労だったかもしれない。

 そう思ったが、次の杏子さんの発言で僕のその考えは霧散した。

 

「おい! さやかのソウルジェムの反応がおかしい。魔力が極端に弱まってやがる。クソッ、何だ、こりゃ! ――とにかく急ぐぞ!」

 

 青ざめた杏子さんに急かされ、彼女の後を追い、僕は見覚えのある廃工場に着く。

 シャッターが開かれた工場内では膝を突く魔法少女姿の巴さんとしゃがみ込んでいる鹿目さんの後姿が真っ先に見えた。

 

「巴さん、鹿目さん!」

 

「おい! 大丈夫か!」

 

 僕と杏子さんは薄暗い工場内に入ると、中に居た四人の視線が集中するようにこちらを向いた。

 全員の中で一番奥に居るのは呉先輩。最後に見た時と同じ眼帯に燕尾服に似た衣装を纏っていた。僕の姿を見て、ほっとした笑みを浮かべている。

 その足元にうつ伏せの姿勢で顔だけを上げて少し呆けたような表情で僕を見ていた。

 二人から少し手前に立っているのは純白の格好をした織莉子姉さん。きっとこれが魔法少女としての姿なのだろう。見たこともないほど怖い表情をしていたが、僕に気付くと途端にいつもの穏やかな顔に変わった。

 そして、僕らに一番近い巴さんと鹿目さん。

 巴さんは身体にいくつかの傷を負い、血を流して苦悶の形相だった。鹿目さんの方はボロボロと涙をこぼしながら、しゃがみ込んで床を『赤い何か』を抱きしめている。彼女の制服は赤い液体で汚れていた。

 

 ……一人足りない。

 

 そのことに気が付いた僕は一瞬遅れて、工場内を漂う強烈な鉄の臭いを感じた。

 いや、わざと目を逸らしていたのかもしれない。

 鹿目さんが抱えている『赤い何か』。

 

「か、鹿目さん……君が触れているそれは――」

 

 何、という言葉は声にならなかった。

 顔を僕の方に向けると、鹿目さんはしゃくり上げながら答えにならない答えを返してくれた。

 

「ひっぐ……ひっぐ……さ、さやかちゃんが、さやかちゃんが……わ、私を守るために……」

 

 質問の答えではなく、彼女の頭の中の言葉を口に出しただけだった。

 だが、僕には伝わった。

 ぐったりと横たわる人の形をしている真っ赤なそれが、僕の良く知る青い髪の少女だということを。

 




テスト期間だというのに私は何をしているのでしょうか?
息抜きのつもりが割りと時間を持っていかれました。


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第七十二話 嘆きの種

いつの間にかお気に入りが1000件を超えていました!
私の小説などをお気に入りに入れてくださって本当にありがとうございます。


「美、樹……」

 

 (うずくま)っている鹿目さんの隣に膝を付くと、僕は血に(まみ)れて真っ赤な水溜りに横たわる美樹に触れる。

 べた付く粘性のある鉄臭い液体が指先に付着する。生暖かいその感触はこれが現実だということを否応もなく僕に教えてくれた。

 返って、その絶望感が僕の脳を冷静にさせた。

 ここで(わめ)いたところで何もならない。落ち着いて、現状を把握することに(つと)めろ。

 隣の鹿目さんの泣き声が遠く聞こえ始める。美樹の名前を叫んでいる杏子さんの声も、巴さんの悲痛な謝罪の言葉も全てが遠ざかっていく錯覚に陥る。

 自分の中で思考のスピードが急激に上がっていくのを感じた。

 改めて、美樹を見る。

 酷い有様だ。身体の方はもちろん、顔まで紅に染め上げれている。血で顔が塗りたくられているのではなく、顔の皮膚(ひふ)自体が(けず)られているようだった。

 辛うじて、特徴的な青い髪が美樹さやかの原型を留めている。

 身体の方は魔法少女の衣装も引きちぎれ、顔以上に肌が抉られていた。

 見ているこちらにまで痛みが伝わってきそうなほどの状態のも関わらず、美樹自身はピクリとも身動きしない。ぐったりとしたまま、仰向けに倒れ付したままだ。

 普通の人間ならまず助からないだろう重症だろう。

 

 ――だが。

 

 諦めるのはまだ早い。

 彼女の腰辺りにベルトのバックルのように付いている宝石、変形したソウルジェムを見る。

 青く澄んでいたその石は今や赤黒くなっていた。付着した血液が固まってそうなったのか、魔力の使い過ぎでそうなったのか判別がつかない。

 指で触り、確認すると亀裂のようなものは見つからなかった。

 よかった。不幸中の幸いだ。これなら――可能性はある。

 片手に持っていた学生鞄を開くと手を突っ込んで中身を乱暴に(あさ)る。美樹の血の付いた指が教科書やノートを汚したがどうでもよかった。

 ――あった。

 暁美に返す予定だった『影の魔女』のグリーフシードを引きずり出す。

 誰かに見られても困らないように念のために覆っていた布を引き剥がすとそれを美樹の腰のソウルジェムに軽く押し付けた。

 ソウルジェムが本体なら、逆に言えばソウルジェムさえ無事なら美樹は助かるはずだ。確証などない。

 だが、やれることを全部やっていないのに諦めるなんてできるはずもない。

 奇跡を祈るつもりはない。でも、実際に存在する可能性を否定するつもりはさらさらない。

 ――助かってくれ、美樹。

 グリーフシードを強く握りしめた手が震えていること気付く。自分でも思った以上に美樹のことを大切に思っていることを初めて知った。

 前は(うるさ)くて、デリカシーがなくて、迷惑をかけてくる存在としか思えなかったのに……。いつの間にか僕も変わっていたということか。

 そんな思いが通じてか、ソウルジェムがグリーフシードに反応をしてほんのりと青く輝きを放ち始める。

 ソウルジェムを中心にして淡い光が広がっていき、美樹を包み込む。

 

「政夫……くん、……何、したの?」

 

 集中しすぎてまったく気が付かなかったが、鹿目さんの泣き声が止んでいた。

 そういうえば、鹿目さんはグリーフシードがソウルジェムの魔力を回復させることを知らないんだった。確か、魔法少女体験コースの時に巴さんが説明しようとしたけれど、暁美が銃を構えて現れたから途中で話を聞きそびれてたんだよな。

 

「ちょっと説明に手間が……! 見て、鹿目さん!」

 

 美樹に纏わり付いていた光が徐々に薄れていくと、抉れていたザクロの様に赤い中身を露出していた皮膚が元の傷一つない綺麗な肌に戻っていた。

 破れた上に血を吸ったせいで赤色のボロ切れと化していた衣装まで直っている。余裕なんて欠片もなかったせいで、すっかり頭から抜け落ちていたが、服まで直らなかったら美樹はあられもない姿になっていたと思う。

 付き合っても居ない女の子の裸を見るのは気が引けるので、服まで直っていて本当によかった。

 顔の方も血で汚れてこそいるものの傷跡一つ残っていない。血溜まりはそのまま消えたわけではないのでそのまま修復された衣装をじんわりと赤く染めていた。まあ、これはしょうがない。

 

「う……うん?」

 

 穏やかな寝顔のように目を閉じていた美樹が目を開く。

 寝ぼけたような間抜けな顔が今は心から嬉しかった。

 

「さやかちゃんっ!!」

 

 目を覚まして上体を起こした美樹に感泣(かんきゅう)極まった鹿目さんが抱きつく。

 美樹は戸惑いつつも、それを受け止める。

 

「お!? ま、まどか!? あれ? 私、水晶球が迫ってきて、いきなり爆発して……そ、そうだ。まどか無事だった?」

 

「うん。さやかちゃんのおかげで怪我してないよ」

 

「そっか。じゃあ、よかった」

 

 二人だけの雰囲気になっているな。杏子さんも巴さんもほっとした顔をしているが、声をかけられずにどうしたものかと思案しているようだった。このままにして置いてあげたいのもやまやまだが、事態が事態だ。悪いけど、水を差させてもらおう。

 グリーフシードが大分穢れを吸い取ったのを確認すると一旦ポケットにしまい、美樹に話しかける。

 

「親友同士で語り合ってるところ、悪いんだけどまだ危機的状況を脱してないから集中してね」

 

「政夫、いつの間に居たの!? たしか、(さら)われたとか何とか聞いたけど」

 

「あー、それについては詳しくは後で話すよ。それより――」

 

 視線をずらし、僕を鋭く睨みつけている織莉子姉さんの方へ目を向ける。

 

「先にどうにかしなくちゃいけないことがあるからね」

 

 彼女の表情は一見微笑んでいるように見えるが、その目は一切笑っていなかった。

 通常、自然な笑顔というものは頬の表情筋が上に吊りあがるため、必然的に「への字型」に細まる。

 けれど、今彼女が浮かべているものは瞳だけはいつもと変わらないまま開いていた。

 

「……どういうつもりなの、まー君?」

 

「見ての通りですよ、織莉子姉さん」

 

 片膝立ちから、すくっと立ち上がると僕は美樹たちから離れ、織莉子さんの近くへ歩いていく。

 そして――――織莉子姉さんの脇を通り過ぎる。

 

「――え?」

 

 疑問符の付いたような彼女の声を背中に聞きながら僕は進む。そして、斜め後ろに居た呉先輩の目の前で足を止めた。

 呉先輩はこの状況下で安心しきった笑顔を浮かべていた。僕の無事が確認できたことが彼女をそうさせたのだろう。

 それほどまでに僕の身を案じてくれていた彼女に対して、僕は本来ならば感謝と謝罪の言葉をするべきなのかもしれない。

 だが、呉先輩の裏には服と顔を汚して横たわっている暁美が居た。うつ伏せの姿勢で見上げた顔には傷だらけで、口の端からは血が垂れている。

 さっきの電話から聞こえてきた内容からも、暁美を傷付けたのが誰かなど考えるまでもなかった。

 自分の中で、形容し難い黒い感情が這い上がってくる。

 

「無事、だったんだね、政夫。あんな電話の後だったから、私心配し……」

 

「呉先輩。退()いてください」

 

「えっと……どうしたんだい? そんなに怖い顔をして。私、何か政夫を怒らせるような事して……」

 

「退いてください」

 

 淡々とした声で再びそう言うと、納得していない様子で身を横に引いた。

 僕は片方の膝を突いて、暁美の前でしゃがみ込んで顔を覗く。

 暁美は少し呆けた顔で僕を見上げていた。状況をまだ把握できていないのだろう。

 

「政夫……」

 

「ごめんね。ほむらさん……」

 

 ポケットからオレンジのレースの付いたハンカチを取り出して、暁美の口に付いた血をふき取る。

 申し訳なさで胸が張り裂けそうだ。暁美がここまでボロボロにされているとは思っていなかった。

 それもこれも、僕が見捨てようとしたせいだ。

 

「っ、まどかは! まどかはどうなったの!?」

 

 ハンカチが頬に触れた時に痛みが発したのか、はっと正気に返ったように暁美は表情を険しいものに変えた。

 

「大丈夫。美樹さんが身体を張って守ったから、鹿目さんは無傷だよ。美樹さん自身も一命を取り留めた」

 

「そう……よかった……」

 

 暁美の頬から涙がこぼれた。

 そっと僕は暁美の左手を持ち上げる。手の甲に付いている菱形(ひしがた)のソウルジェムは紫の色から濁り、黒に近付いていた。

 どれだけこいつが鹿目さんのことを心配して、不安になっていたかが手に取るように分かった。

 ハンカチを取り出した方と逆のポケットからグリーフシードを出して、暁美のソウルジェムに押し付ける。美樹の分で大分容量が溜まっていたようだが、何とか元の紫色に見える程度には穢れを除去できた。

 だが、グリーフシードも限界のようで、ちかちかと点滅を始める。魔女が孵化する直前といったところだろう。このままではまた影の魔女が生まれてしまう。

 

「支那モン。居るんだろう? 出てきなよ。君の大好きな感情エネルギーだよ」

 

 点滅するグリーフシードを見せびらかすように掲げると、工場の奥の暗がりから支那モンが現れる。

 

「キュゥべえ……!」

 

「あ、しろまる」

 

 緊迫した声の暁美と、のんびりした声の呉先輩がほぼ同時に聞こえた。

 「しろまる」というのは呉先輩が支那モンに付けたあだ名だろうか。まあ、正式な名前で呼んでいないのは僕も同じだが。

 

「居ると思ったよ。こんなおいしいシチュエーション、君が放って置くはずがない。大方、美樹さんが死んで、ほむらさんが魔女になった後にもったいぶって出てきて、鹿目さんに契約を取り付ける予定だったんじゃないの?」

 

 僕の嘲るような調子で言うと、支那モンはやや不服そうな様子で答えた。

 

『……そうだよ。政夫のおかげで台無しにされたけどね』

 

「君の邪魔になれて何よりだよ」

 

 支那モンを挑発をしながらも、気付かれないよう横目で織莉子姉さんを観察する。

 織莉子姉さんは現れた支那モンに注意を奪われている。未来視ではここまで見なかったのだろうか。

 僕としては支那モンが登場したせいで鹿目さん殺害をしようと暴走する可能性を危惧したが、杞憂(きゆう)だった。

 いや、美樹のダメージから察して織莉子姉さんは思ったよりも魔力を消耗していると考えるのが自然だ。杏子さんが援軍として来たおかげもあって、現状では鹿目さんには手を出せないと踏んだのだろう。

 だから、支那モンを鹿目さんに近付かせないよう気を張っている訳だ。

 

 だったら、この場を打破するいい方法がある。

 頬を吊り上げて腹立たしい表情をしながら、こっそりと暁美の左手の楯をとんとんと人差し指で叩く。

 怪訝そうな顔をする暁美に視線は向けずに支那モンに語り出す。

 

「僕が落ち込んでいる()は、よくもまあ調子に乗って挑発してくれたよね。結構頭に来てるんだよねぇ、僕。君の息の根を()()()()くらいにはさ」

 

 「時」と「止めたい」の部分だけ、ほんの僅かに語意を強める。

 暁美は僕の意図を察してくれたようで、小さく頷いた。

 

『解らないね。ボクを殺したとしても、大して意味がない事ぐらい知ってるだろう?』

 

「チッ。ムカつくけどその通りだよ。ほら、孵化しかけのグリーフシードだ。背中の(ふた)開けなよ」

 

 これ見よがしに舌打ちをして、手の中のグリーフシードをアピールする。支那モンだけではなく、織莉子姉さんと呉先輩からも注目を集める。

 

『そのグリーフシードは君のおかげで回収し損ねたものだね。ありがたく頂かせてもらうとするよ』

 

 支那モンはくるっと後ろを向けて、背中に付いた蓋を開き、グリーフシードを投げ込むように催促する。

 

「それじゃ――はい、どうぞっ!」

 

 僕はその催促に応え、グリーフシードを投げた。

 支那モンとは()の方向に。

 工場の床を転がり、一際大きく点滅したグリーフシードは空間を包み込むように変質させようとする。

 

「ほむらさん! 今だよ!」

 

 僕の合図に呼応して暁美は左手の楯に触れる。

 ガシャリと金属質の音が聞こえたと思うと、不自然な色合いの世界が目の前に広がっていた。

 




「あそこまで延ばしておいて、普通に助かるのかよ!」と言われそうですが、そこはまあ許してください。
なかなか展開が進みませんが、次は早めに投稿する予定なので……。
4000文字くらいを目安に書いているので下手に長くしても、読者の方が飽き飽きしてしまうと思いますし。


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第七十三話 決定的な対立

 不思議な感覚だった。今まで聞こえていた小さな物音が急に途切れて、織莉子姉さんや呉先輩も口を僅かに開けたまま微動だしない。

 さっきまであった色彩が白と黒に取って代わられたような光景。落ちているグリーフシードからは周囲を包むように黒い霧状のものが途中半端に広がり、動きを停止している。

 僕がそんな空間に目を奪われていると、突然ぎゅっと手のひらを握られる感触がした。

 振り返ると暁美が僕の手を握っている。

 

「政夫。楯に触れているだけじゃ手が離れてしまうかもしれない。ちゃんと掴まって」

 

「ああ、うん。……それにしてもこれが時が止まった世界なんだね」

 

「そうよ。どうかしら? 初めて見た感想は」

 

「何か漫画みたいだね! 空気とか重力とかはどうなってるの? あと時間が止まっていたら光や音もないから真っ暗で何も見えも聞こえもしなくなるんじゃない?」

 

 状況が状況だけにはしゃぐつもりはないが、正直に言うと興味津々だった。今までの魔法は武器を作り出したりするようなものばかりだったから、こういうあからさまなファンタジーのような魔法は心(おど)る。

 空気の分子が止まっていたら呼吸なんかとてもじゃできないだろうし、重力や大気圧も止まるなら真空状態になってしまうだろう。

 そもそも、空気が止まっているなら音が伝わらないので声が聞こえるわけもない。白黒ながらも目が周りが視認できるも不思議で堪らない。

 不謹慎とは思いながらもわくわくしながら疑問を投げかけるが、対する暁美の返答は冷めたものだった。

 

「知らないわ。そこのあたりは魔法だから詳しく理解するのは不可能じゃないかしら」

 

 ここら辺の発想は女の子だ。ロマンの欠片もない。僕ならこの世界をもっと分析して理解しようとするのに。

 

「それより、これからどうするつもり? 時間だって、何時までも止めていられるわけじゃないのよ」

 

「分かってるよ。とにかく、結界が工場内を覆う前に皆を連れてこの場から撤退しよう」

 

 そのためにあえて『影の魔女』のグリーフシードを孵化させたのだ。織莉子姉さんと呉先輩の二人掛かりなら負けないと思うが、結界内に足止めできれば少なくてもこの工場から離れるくらいの時間は稼げる。

 ところが、暁美は僕に異見を唱えた。

 

「今なら、美国織莉子と呉キリカを同時に始末できるわ」

 

 暁美は二人を射抜くような目で睨み付ける。僕と繋いだ手が強く握り締められた。

 自分を実際に甚振(いたぶ)っていただろう呉先輩よりも、その後ろに居る織莉子姉さんの方を見ているようだった。

 それほどまでに織莉子姉さんを憎んでいるのだろう。

 事実、美樹が命懸けで(かば)っていなければ、確実に鹿目さんの命を奪っていた。暁美の怒りは正当なものだ。どんな言葉を並べても擁護することはできない。

 だが、この場ではその怒りを納めてもらわなくてはならない。

 

「駄目だよ、ほむらさん。ここには鹿目さんも居るし、美樹さんは一命を取り留めたとはいえ、死に掛けたんだ。巴さんだって怪我をしてる。深追いせずに逃げるべきだ。いつまでも時間を止めてられないんだろう?」

 

「……分かったわ」

 

 暁美は渋々ながら引き下がってくれた。僕が説得するまでもなく、現状を理解していたのだと思う。ただ、それが感情では納得できなかったのだろう。

 僕と暁美は、織莉子姉さんたちの脇を抜けて、巴さんたちの方へ行く。その際、暁美の織莉子姉さんに向けた表情は憎悪に歪んでいた。

 僕はそれに何も言わず、彼女と繋いだ手を握り返した。

 巴さんたちも当然ながら織莉子姉さんたちと同じように硬直していた。おまけに背景と一緒で白黒写真のようなモノトーンのカラーリングになっている。織莉子姉さんや呉先輩と違って、巴さんも杏子さんも髪や衣装の色が派手な分、一層違和感があった。

 

「これはどうすればいい?」

 

「政夫はマミの方の手を握って。私は杏子の方を握るわ」

 

 暁美の指示に従い、巴さんの手に触れる。

 すると、彼女に本来の色が戻り、彫像のように固まっていた身体動き出した。

 

「え!? 夕田君っ!? どうして、さっき奥の方に居たのに……? それに周りの景色も……」

 

「すみません。今は十分な説明をしている暇がないんです。でも、僕を信じて行動してくれませんか?」

 

 ほんの僅かに間の後、巴さんは頷いてくれた。

 

「そう、分かった。夕田君がそう言うのなら聞かないわ。ちゃんと後で説明してくれるんでしょう?」

 

「ありがとうございます」

 

 そう言って僕は頭を軽く下げた。

 この状況下で、説明なしで信用してくれるのは本当にありがたかった。

 巴さんには支那モンが説明をしてくれなかったせいで深く傷付き、絶望しかけた過去がある。『説明をしてもらえない』というのは巴さんにとってトラウマになってもおかしくない。

 にも関わらず、黙って僕を信じてくれるのは彼女が強くなった証だと思う。

 

「それで私は何かしなくてもいいのかしら?」

 

「ああ……、なら鹿目さんに触れてあげてください」

 

 巴さんは黙って頷くと、(うずくま)った姿勢で美樹を抱きしめて硬直している鹿目さんの肩にそっと手を掛けた。

 モノトーンの世界に特徴的な桃色(ピンク)水色(ブルー)が追加される。

 

「ふぇっ? マミさん? あれ、政夫くんまで」

 

「ど、どうなってんの?」

 

「二人とも。私にもよくわからないけど、とにかく今は夕田君を信じましょう!」

 

 鹿目さんと美樹は戸惑いを隠せない様子だったが、先輩の巴さんの力強い()つ、どこか無責任な言葉に押されて従ってくれた。

 巴さん、凄いのだけれど、どう褒めたらいいのか僕には検討が着かない。

 一方暁美の方もどうにか杏子さんを説得したようで、お互いに手を握っていた。これで左から、杏子さん、暁美、僕、巴さん、鹿目さん、美樹の順に手を繋ぎ合っていることになる。

 

「全員しっかりと手を握り合って。さっさとこの工場から出るわ」

 

 暁美はそういうと僕から見て左側に居る杏子さんを先頭にして手を繋いだまま駆け足でシャッターまで走り出す。

 美樹は少し前まで重症だったのでちゃんと走れるか心配だったが、杞憂だったようで平然としていた。むしろ、足をもつれさせて転びかけた鹿目さんを支えていた。

 僕らは開いたシャッターを抜けて外に出る。外の景色も白黒だったが、広さがある分開放感を感じた。

 前に聞いた金属音が再びしたかと思うと、世界に色彩が完全に戻ってきた。

 

「もう手を離しても大丈夫よ」

 

 暁美の言葉を聞いて、全員がお互いの手を一旦離した。

 僕は振り返り、シャッターの開いた工場の中を見る。一瞬だけ、顔だけ振り返った織莉子姉さんと視線があった。

 すぐに『影の魔女』の結界が織莉子姉さんたちを覆い隠してすぐに見えなくなったが、彼女の表情はしっかりと目に焼きついていた。

 

「――――っ」

 

 その顔は目の笑っていない笑顔ではなく、とても冷たい目で僕を睨んでいた。

 これできっと、織莉子姉さんの敵と認識されてしまっただろうな。けれど、後悔はない。今の織莉子姉さんの行いは絶対に許容できない。

 

「ていうか、さっきの何? 色がなくなってて、それに何かあいつら止まっていたように見えたけど……?」

 

「あ、ああ。それはほむらさんの魔法だよ」

 

 美樹のもっとも過ぎる疑問に答えるため、できるだけ解り易く簡潔に説明する。丁度いいので織莉子姉さんが鹿目さんを狙っていることも一緒に話した。

 それは彼女に敵対されたことに予想以上にダメージを負った自分を落ち着ける意味合いも兼ねていた。

 説明を終えると、美樹が手を挙げて質問する。巴さんあたりなら分からなくもないが、美樹が質問してくるのは意外だった。

 

「あのさ、政夫。一つ聞かせてもらってもいい?」

 

 美樹は見たことないほど真剣な顔をしていた。

 

「何か分からないことあった? まあ、僕も何もかもを答えられるわけじゃないから、詳しくはほむらさんに聞いて欲しいんだけど」

 

「いや、それよ。それ。何でほむらの事、名前で呼んでるの? この前まで苗字で呼んでたじゃん」

 

 まさか、数分まで死に掛けていた人から、こんなクソ下らない質問が飛んでくるとは思いもしなかった。

 馬鹿なんじゃないか、こいつ。ひょっとして、あの時の怪我で頭のどこかがおかしくなってしまったのか?

 おかげで真面目な雰囲気が霧散していくのが分かる。

 

「……それ、わざわざ聞くようなこと?」

 

「聞くような事だよ。ねえ、まどか」

 

 意味もなく、鹿目さんに同意を求める美樹。……鹿目さんまでアホな話に巻き込むなよ。

 

「うん、まあ。そうかも」

 

「そうなの!?」

 

 しかし、予想外にも鹿目さんは乗ってきた。親友の血塗れ姿を見た後だから元気に立ち直ってくれるのは嬉しいが、この状況でこんなアホな話題に食いついてくるとはちょっとどうなんだろうか。

 もっと他に聞くべきことがあるだろう。特に鹿目さんは織莉子姉さんに狙われているんだから。

 とにかく、まだ危機を完全に退けたわけじゃない。ほんわかし始めた雰囲気を振り払い、僕は真面目な表情をする。

 

「というか、そんなことよりもまずはここから離れようよ。魔女の結界に閉じ込めたとはいえ、きっとすぐに彼女たちは出てくると思うよ。それと鹿目さんはこれを」

 

 取り合えず、鹿目さんは制服が美樹の血を吸って真っ赤に染まっているので、僕は学ランを脱いでをそれを羽織(はお)らせる。

 流石に血塗れの女の子をそのままにしておくのは忍びない。それにここから移動するのにあまりにも目立ちすぎる。

 

「あ、ありがと、政夫くん……」

 

「あ! 誤魔化した! 今、誤魔化したよね!」

 

 しつこいなぁ。何がそこまで美樹を拘らせているのか、僕には理解ができない。

 大体、友達の命が狙われているんだから、もっと真剣になってほしいものだ。

 溜め息を吐きつつ、どこに逃げればいいのかを熟考する。

 どこに逃げても織莉子姉さんには未来を視ることができるため、完全に()くことは不可能だ。

 ならば、身を隠せる場所ではなく、少しでも僕らにとって有利な場所に移動することが良いだろう。

 

 

 

 

~織莉子視点~

 

 

 まー君がグリーフシードをキュゥべえに投げる瞬間に工場の外に彼が居る未来を視た。あまりにも突然の事だったせいで私は何の対応もできなかった。

 すぐさま、シャッターの方を振り返れば、視えた光景と同じようにまー君や魔法少女たちは既に外に逃げていた。床に転がったグリーフシードが孵化して魔女の結界が周囲を覆っていく。

 景色が完全に魔女の結界内に取り込まれる中、最後に一瞬だけ外に居るまー君が振り返り、視線が絡み合う。

 その目には若干の罪悪感と――強い覚悟が見て取れた。

 そう。貴方もお父様と同じで私を裏切るのね。

 深い失望と胸の中を焼け付くような怒りが湧き上がる。

 私はまー君、いえ、夕田政夫を睨みつける。

 

 

 

 自分の生きる意味を知るためにキュゥべえと契約した私は、この世界の滅びを視せられた。

 私はこの世界を護る、そのためだけに生きようと決めた。それだけが私の存在理由だと定めた。

 でも、この街で六年ぶりに彼に会って、その決心が鈍りかけた。

 まー君。

 私と同じように、幼くして母親を失った痛みを共有した大切な弟のような存在。

 最初に彼に会った時は戸惑いと、嬉しさを感じた。誰もが、お父様の付属品をしか見ていなかった私を彼だけは個人として見てくれた。私を名前で呼んでくれた。

 世界のためだけに全てを捧げようと誓ったはずなのに、いつの間にか世界よりも貴方の未来を守るために動いていた。

 

 ――でも。

 

 貴方が全てを知った上で私の敵になるのなら、私の救世を阻むのなら。

 もう貴方なんて要らない。

 私は世界の滅びを防ぐだけの装置でいい。私は孤独で構わない。

 誰にも、何にも、期待などしない。

 

 私の名前は美国織莉子。願いは唯一つ。

 世界を救う。

 ただそれだけ。

 




何だかんだ言って予定より投稿が遅れてしまいました。
次か、次の次ぐらいには決戦になると思います。織莉子編長い……。


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第七十四話 決戦の準備

「こことかどうだ?」

 

「そうだね。ここが良さそうだ」

 

 僕たちが逃げてきた場所は、とある廃ビルだった。

 何でも、前に巴さんと杏子さんが戦った場所なのだという。二人とも、そのことについて聞くとバツが悪そうに言葉を濁した。

 まあ、もうお互い和解しているし、別にそこまで掘り下げることでもないので問い詰めるような真似はしなかった。

 逆に巴さんの方が僕に尋ねてきた。

 

「というより夕田君。鹿目さんも連れてきたら、あの廃工場と変わらないんじゃないの?」

 

「いいえ、彼女たちの目的は鹿目さんの殺害です。それに鹿目さんをどこかに逃がしても、織莉子姉さんの予知の魔法で探されるとすぐに捕捉される可能性が高いです」

 

「織莉子()()()、ね」

 

 僕と巴さんの会話に割り込むように暁美が言った。

 彼女は責めるような口調で僕を(とが)める。

 

「政夫。さっきも美国織莉子の事をそう呼んでいたけれど、貴方とあの女はどういう関係なの? あの女の魔法の事だって政夫が知っているのはおかしいわ」

 

 暁美のその意見はもっともだ。呉先輩のことについて話した時には、織莉子姉さんのことは知らない振りをしていた。

 僕と織莉子姉さんの関係について洗い(ざら)い話しておこう。もう隠す理由も必要性もない。

 

「中に入ってから話そう。色々としなきゃならない準備もあるしね」

 

「ちゃんと教えてもらうわよ。私は……貴方の事を疑いたくはないわ」

 

 上目遣いで暁美は僕を見つめる。その瞳には僕への信頼が一目で見て取れた。

 こんなに重要なことを隠していた僕をまだ信じていてくれるのか。信頼されるということがここまで嬉しいと思ったのは初めてだ。

 自然と頬が笑みを形作る。

 

「ありがとう。信じてくれて」

 

「うわー! まーた二人だけの空間作ってるよ。私やまどかも話に混ぜてよ」

 

 美樹が僕の肩に寄り掛かるようにして、ずいっと話に入ってくる。

 

「もちろん。美樹さんたちにもちゃんと話すよ」

 

 『どれだけ辛くても、家族や友達を、自分の周囲の人を大切にしてみて。きっとその事がまー君を幸せにしてくれるから……』

 織莉子姉さんが言ってくれたあの言葉は満更嘘でもなかった。

 僕は今、確かに幸せを感じている。僕の生き方は決して無意味ではなかった。

 

 

 

 

 廃ビルの中は当然の如く荒れていて、夜は不良たちの溜まり場にでもなっているのか、そこら中に空き缶やビン、ビニール袋などが散乱していた。

 スプレーで書いた色取り取りの落書きが目に付く。幸い、この時間帯には居ないようで安心した。流石に不良とはいえ、できることなら無関係の人間は巻き込みたくはない。

 念のため、屋上まで行って見てみるが、人っ子一人居なかった。

 

「それでここまで来て何しようってんだ?」

 

 杏子さんは屋上の真ん中辺りの床に胡座(あぐら)を掻く。

 スカートが汚れるとか気にしないんだろうか。年頃の女の子とは思えないワイルドさだ。見習いたいとは思わないが。

 

「そうだね。……取り合えず、巴さん」

 

 僕は巴さんの方へ向いた。

 

「何かしら? 夕田君」

 

「巴さんのあのリボンって、衝撃を吸収できたりしませんか?」

 

「魔力で作り出したものだから、ある程度は可能だと思うわ」

 

 そうか。なら、命綱代わりにさせてもらおう。

 僕はYシャツのボタンを外し、脱ぎ捨てる。

 

「ゆ、夕田君いきなり、服を……脱ぐなんて。破廉恥よ。そういうのはもっとお互いの事を知って、段階的に……」

 

 顔を赤く染め、わたわたと慌てる巴さんに僕は頼み込む。

 

「巴さん。僕の身体にそのリボンでテーピングしてもらっていいですか?」

 

「え?」

 

「そうすれば僕も少しは無茶できますから」

 

 織莉子姉さんももはや僕を見逃したりはしないだろう。下手をすれば僕を優先的に狙ってくるかもしれない。

 ここまでくれば少しでもリスクを減らす準備をして置きたい。

 

「ああ、そ、そう。そうよね。ええ、分かってたわ」

 

 何の説明もなしに急に服を脱ぎ出した僕が悪いのだが、巴さんも巴さんで反応が過剰なんじゃないか?

 僕はまだアンダーシャツを着ているし、大した露出なんてしていない。杏子さん以外の女の子は一様に目を逸らしたり、手のひらで顔を隠して恥ずかしがっている。何だかんだ言っても、皆、結構初心(うぶ)らしい。

 ただ美樹だけは「うわー」とか言いつつ指と指の隙間からしっかりと見ていた。……こいつは何なんだろう。

 

「じゃ、じゃあ、巻いていくわね」

 

 恥ずかしそうにしながらも、巴さんは魔力でリボンを作り出し、僕の身体に丁寧に巻いてくれた。

 脱いだYシャツを再び着直していると、なぜか冷めた目で僕を睨む暁美が切り出してきた。

 

「それで聞かせてもらえるわよね。貴方と美国織莉子との関係を」

 

「分かってるよ。でも、関係っていうほど大したものじゃないけどね」

 

 それから、皆に六年前に僕が一番弱っている時に織莉子姉さんと出会ったこと、彼女から僕の信念というべき生き方を教えてもらったこと、そして、この街に来て魔法少女となってしまった彼女に再会したことを包み隠さず全て話した。

 話し終えて、しばらく経った後も、誰も何も言わず沈黙が流れた。

 

「それで……政夫くんにとって美国さんはどういう人物なの?」

 

 一番最初に口を開いたのは鹿目さんだった。

 彼女が気になるのも当然だろう。現在進行形で自分の命を狙っている相手にお世話になったと友達が話しているわけなのだから。

 鹿目さんの心中はさぞ複雑なはずだ。

 

「僕にとって、か。一言で言うのは難しいね。でも、言うならば……僕を救ってくれた人かな」

 

「そうなんだ……。だったら、政夫くんはその人と敵対しちゃって辛くないの?」

 

 心配そうな表情で僕の顔を覗き込む。

 本当にこの子は優しい。人に命を狙われているという、下手をすれば心の均衡を崩してもおかしくない状況で、僕のことを気にしてくれている。

 いくら世界が滅ぼす可能性があるしても、こんな心優しい女の子を殺そうとしている織莉子姉さんは間違っている。

 僕の選択はやはり間違っていなかった。そう確信できた。

 

「でも、今の織莉子姉さんは絶対に間違ってる。だから安心して。鹿目さんは殺させたりなんかさせないから」

 

「……だったら、政夫は当然、美国織莉子や呉キリカを殺す事を推奨してくれていると思っていいのね?」

 

 冷や水を掛けられたような台詞が僕に浴びせられる。

 腕を組んで屋上の手摺(てすり)に腰掛けた暁美が僕を見つめていた。

 暁美が魔法少女になる前の呉先輩を殺そうとしたのを止めた時のことを言っているのだろう。

 僕はその問いに首を振って答える。

 

「ううん、違うよ」

 

「なら、政夫は一体どうしようというの? あいつらは……まどかを殺そうとしているのよ!?」

 

 僕のどちらにも就かないような発言に声を荒げた。いつになく、暁美は感情的だった。それほどまでに織莉子姉さんに恨みを抱いていることが容易に想像できる。

 

「鹿目さんは殺させない」

 

「それなら……」

 

「でも、織莉子姉さんたちも殺させない」

 

 僕は暁美の顔を正面から、堂々と告げた。

 それが許せなかったようで暁美は苛立ちを含んだ声で一蹴した。

 

「無理よ! そんな事できる訳がない!!」

 

「『する』さ。してみせる」

 

 満面の笑みで返すと、暁美は片手で顔を覆い、深く溜め息を吐いた。

 片手が顔から離れるといつも通りの無表情が戻っている。

 

「…………随分と分からず屋なのね。『二兎を追う者、一兎も得ず』って言葉を知っている?」

 

「二兎を追う者に心強い仲間が四人も居るのなら、三兎だって四兎だって得られると思わない?」

 

 僕の言葉で今まで黙っていた巴さんが笑い出す。

 

「ふふっ、暁美さんの負けね。ここまで言われたらもう何も言い返せないんじゃない?」

 

「……人事みたいに言わないで。さやかや杏子は何か言う事はないの!?」

 

 暁美がまだ何も発言していない二人に振る。

 

「私はそれでいいよ。何かまた政夫には助けられちゃったみたいだし、今度こそは名誉挽回したいからね」

 

「そいつに舌先で相手したら勝てねーよ。キュゥべえ以上のペテン師だぞ?」

 

 美樹は快活に、杏子さんは呆れ気味にそれぞれ態度に差異はあったが、二人とも僕に協力してくれるようだった。

 それにしても支那モン以上のペテン師とは……凄まじい言われようだ。これでも僕はフェアな人間だと自負しているのに。

 

「多数決でもする?」

 

「もう、いいわ。私の負けよ」

 

 諦めたようにそう言うと、いつもより少々乱暴に髪をかき上げた。

 こいつもこいつで物分りが良くなったと思う。少し前の暁美なら絶対に納得しなかっただろう。

 

「仕方ねー。こうなりゃアタシも本気を出さねーとな」

 

 座っていた杏子さんが立ち上がり、首を曲げて音を鳴らす。

 注目を集めたかと思うと、にっと笑って僕に言った。

 

「アタシの魔法を見せてやるよ。アンタの方が上手い使い方考えてくれそうだからな」

 

 

 

 

 

~さやか視点~

 

 

 階段を一段一段上ってくる足音が聞こえてくる。

 私が今居る階は屋上の下の階の踊り場だ。まるでゲームの中ボスみたいな気分になってくる。

 バケツみたいな帽子の白い服の魔法少女と、眼帯を着けた黒い服の魔法少女が私の丁度真下にある階段から見えてきた。

 白い方は私に、正確にいうと私の後ろに居たまどか目掛けて、水晶の球をぶつけて来たので顔を覚えている。こっちが美国織莉子。

 政夫の恩人で、まどかの命を狙ってて、実際に私を殺しかけた人。こう言い表すととんでもないなぁ、この人。

 

「貴女は確か、あの時の魔法少女の一人の……」

 

「……一応、覚えててくれたんだ。美国さんでいいかな? そっちは呉さんだっけ?」

 

 ぞっとするような冷たい目で私を睨むその顔は魔女なんかより、ずっと恐ろしく見えた。

 ただ対面してるだけで思わず、背筋が凍りつき、汗が滲んでくる。

 

「一度しか言わないわ。――退きなさい。今は貴女なんかに構っている暇はないの」

 

 両目をかっと開いて私を恫喝(どうかつ)してくる。凄み、としか言えない迫力が彼女にはあった。

 私はごくりと生唾を飲み込んだ。知らない内に口の中がカラカラに渇いている。

 私は魔力で作っておいた剣を構えて言う。

 

「……いいよ。でも、そっちの呉さんは駄目」

 

「はあ? 何言ってるの、こいつ」

 

 呉さんの方は美国さんよりも迫力が劣るけれど、チンピラみたいな粗暴な怖さがあった。

 私は怯えを押し殺し、精一杯の虚勢を張る。

 

「上で政夫が待ってる。でも、二人で来られるのは困るから、……悪いけど呉さんの方は足止めさせてもらうよ」

 

「お前、ふざけて……」

 

 私に怒鳴ろうとした呉さんを、一歩前に出た美国さんが制す。

 

「分かったわ」

 

「ちょっと織莉子、何勝手に決めてるのさ!」

 

 噛み付くように怒る彼女に美国さんは淡々とした口調で返した。

 

「キリカがこの子に負けるとは思えないわ。あの魔女を倒したように、さっさと倒して上がってくればいいだけよ。――それともこの子に勝てる自信がないの?」

 

「っ! そんな訳ないだろう! いいさ、ならやってやる」

 

 私から見ても都合良く乗せられたようにしか見えない呉さんは、階段から離れて、フロアの方を指差した。

 

「そこじゃ、狭すぎてやり難いからこっちにしようよ。お望み通り、ぐちゃぐちゃにしてやるからさ」

 

 私もそれに連なり、広いフロアへと移動していく。

 踊り場を通って、階段を上がっていく美国さんの背中に私は声を掛けた。

 

「政夫を、悲しませないで下さいね」

 

 どうしても言わずにはいられなかった。あの余裕の雰囲気をいつも纏っている政夫が、美国さんの事を話していた時だけは酷く悲しそうに見えて仕方がなかった。

 表情は普段通りにだったけれど、それが逆に無理をしているように感じた。

 

「分かったような事を言わないで」

 

「え?」

 

 返事が返ってくるとは思わなかったので、びっくりした。

 美国さんは振り返りはしなかったが、足を一度止めて、そう言うとまた階段を上り始めた。

 気になったが、ここから先は政夫たちが頑張るところだ。私はフロアの中央に立っている呉先輩へと向き直り、剣を構える。

 私は、私にできる事をするだけだ。

 




次回、さやかVSキリカ!
似た者同士はぶつかり合う。


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第七十五話 恋する権利

今回はさやか主役です。政夫とか出てきません。


~さやか視点~

 

 

 

 私が一人で呉さんを足止めすると言った時は、皆が必死で止めた。特にほむらの焦りっぷりっていったら、今まで私のイメージをぶち壊しかねないくらいだった。

 でも、私はそれでも呉さんの前に立ちはだかる事に決めた。

 

「ねえ、一つ聞かせてもらってもいいかな?」

 

 目の前に立つ呉さんが、両方の手に藍色のカギ爪を作り出しながら私に聞いてくる。

 

「何で、わざわざ一人で私の前に立ち塞がろうとしたんだい? お前は魔法少女の仲間がまだ三人も居るだろう?」

 

 そりゃまあ、聞きたくもなるはずだ。私が同じ事をされたら、まったく同じように尋ねると思う。

 けど、理解してくれるか分からない。

 この気持ちは多分、『今』の私だから分かるものだから。

 

「呉さん、アンタさ、政夫の事好きでしょ?」

 

「好き? そんなに軽々しいものじゃないぞ! 私は政夫を愛してる! 愛は全てだ! 好きだの大好きだの愛を単位であらわすようなやつは愛の本質を知らない!!」

 

 落ち着いたような態度から打って変わって、弾けたように両方の手を広げて演説みたいに喋り出す。そのテンションの落差が少し前の自分を思い起こさせる。

 恭介に夢中になってた私もこんな感じだったのかな? いや、流石にここまでではなかったと思う。多分だけど。

 でも、やっぱり思ったとおり、この人は少し前の私にそっくりだ。廃工場での政夫への対応を見て分かった。

 

「……本当にそう言える?」

 

 私がそう聞くと、呉さんは言葉を止めて眉根を寄せた。

 

「は? どういう事? 私が政夫の事を愛していないとでも言いたいの?」

 

 トーンの低い、脅すような声が静かに部屋に響く。

 それに萎縮しないで、むしろ、はきはきとした口調で私は返す。

 

「だって、アンタは政夫の事、全然考えてあげてないじゃん。ほむらの事だって殺そうとしてたし。ほむらが政夫の友達だって知ってたんでしょ? だったら、友達をそんな目に合わさせた政夫がどんな気持ちになるか、少しも考えなかった?」

 

「あんな女は政夫には要らない! 居ない方がいい汚らしい害虫だ! だから、私が駆除してあげようとしてるんだよ!!」

 

 興奮して叫ぶように言う彼女の姿はまるで言われたくない事を指摘された小さな子供みたいだった。

 多分、分かっているんだと思う。自分のやってる事が正しくないって事を。でも、必死にそれを誤魔化そうと、暴れている。

 ホント、過去の自分を見せられているような気分だ。

 違うところがあるのは、自己犠牲の振りしてご褒美を待ってるか、ワガママに(わめ)いて欲しいものをねだるか。それだけの違い。

 「誰かを愛してる」なんて口ずさみながら、相手の都合なんて、ちっとも考えてない。

 本当に好きなのは『誰か』じゃなくて、その誰かに恋して、良い気分に浸ってる『自分自身』。

 

「ホント、子供みたい……」

 

 呉さんと昔の自分に対してポツリとそう呟く。

 

「こ、ここここ子供ぉ!?」 

 

 すると、呉さんは眼帯に覆われていない方の目がカッと見開き、口の端を引きつらせて、私目がけてロケットのように飛び掛って来た。

 

「殺してやる! 殺してやるゥゥ!!」

 

 その右手の甲に付いている長いカギ爪を横薙(よこな)ぎに振るった。

 一応、警戒はしていたけれど、突然の攻撃に少し面食らう。辛うじて、剣でそのカギ爪をいなす。

 もう片方の手のカギ爪が私の脇腹を抉りに斜め下に潜り込んでくる。

 

「っ!!」

 

 私は左足を使い、攻撃のためにやや前のめりになった体勢の呉さんの顎を膝で蹴り上げる。狙った訳ではないが、眼帯で死角になってる箇所からの攻撃になった。

 しかし、当たる直前に彼女は身体を捻ってそれを難なく避ける。

 私も軌道がずれたおかげでカギ爪は当たらずに済んだけど、相手が一筋縄では行かないという事を改めて理解させられた。

 杏子との修行がなかったら、今の一撃で勝負が決まっていたかもしれない。「武器だけじゃなく、足もちゃんと使え」と教えてくれた杏子に心から感謝した。

 ……それにしても、今の言葉そこまで切れるような台詞だったかな? いくらなんでも沸点低すぎると思うんだけど。

 

「……思ったよりはヤルみたいだね。うん、でも、まあ、やっぱり大した事ないよっ」

 

 体勢を立て直し、一瞬だけ屈んだかと思うとバネの要領で呉さんは再び、私に突撃しながらカギ爪を振るう。

 流石に二度も同じ技は食らわない。政夫から聞いた話ではこの人が魔法少女になったのは昨日らしい。

 だったら、技量の方は杏子やマミさんに及ばないはずだ。

 そう思って向かえ討つためにこっちも剣を振るうが、何故かさっきと比べられないほど呉さんのカギ爪が早い。

 

「えっ?」

 

 間抜けな声が聞こえた。

 それが自分の声だと気付いた時には肩に激しい痛みを感じて、真横に吹き飛ばされていた。

 思い切り、床に叩きつけられ、呻き声を漏らす。剣を手放さなかったのはほとんど根性だった。

 よろめきつつも即座に私は立ち上がり、横目で肩の傷を見た。

 そこには抉り取られたような三本の傷痕があり、真っ赤な血がどくどくとこぼれている。

 痛みはあったが我慢できないほどのものじゃない。

 

「あはっ! 調子に乗ってた割には弱いねっ」

 

 いつの間にか上に跳んでいた呉さんのカギ爪が私に振り下ろされる。私は後ろに引き下がるようにジャンプして、何とかそれをかわした。

 攻撃を避けられた呉さんは私が元居た場所に着地して、獰猛な笑顔を浮かべると、私を小馬鹿にしたように眺める。

 図星を突いた私をじわじわと痛めつけるのが楽しいのか、追撃をしてくる様子は今のところない。

 すっかり、忘れていた。ほむらが言っていた呉さんの魔法の事。

 ほむらが時間を止める魔法を持っているように、呉さんは相手の動きをスローにする魔法を持っているらしい。

 何でこんな事をほむらが知っているのかは、話すと時間がかかるし、うまく話せる自信がないって言っていたので深くは聞かなかった。

 ほむらの事を嫌っていた頃の私なら、信用しなかったと思う。

 けど、あいつの事をよく知った今なら、絶対に私が損をするような嘘は吐かないって知っている。

 

「……都合の悪い事を言う相手はすぐに黙らせようとするんだね」

 

「っ! ふふ、いいさ。そんなに早く死にたいっていうなら、殺してやる」

 

「……負けたくないからよ。昔の自分にはね」

 

「? どういう意味?」

 

 訳が分からない風な表情をした呉さんに私は、自分を奮い立たせるように言う。

 

「最初に私に、一人で立ち塞がったのって聞いたよね? あれの理由はさ、アンタがちょっと前のカッコ悪い私にそっくりだったから」

 

 残念ながら、頭の悪い私にはスロー化の魔法を破る手段も思い付けそうにない。

 でも、諦めるつもりもない。

 馬鹿な私にできる事は真正面からぶつかっていく事だけだ。

 

「自分の事しか考えられないアンタに恋をする権利なんてないよ。アンタに政夫は――絶対にあげない!」

 

「言わせておけばぁ! ナニサマだよ、お前ぇぇーー!!」

 

 両手をこっちに向け、呉さんは手から生やしたカギ爪を打ち出してくる。

 遅くなった私にこの攻撃は避けられない、そう思って、私はあえて避けずに飛んでくるカギ爪に対して、逆に突っ込んでいく。

 ダメージは気にしない。剣で弾けるのは弾いて数を減らして、残りは大人しく食らう。

 太もも、脇腹、腕、肩、頬。さっき斬られたのよりも威力の高いカギ爪が私の身体を襲った。肉を抉られ、剣を落としかけるほどの激痛が走る。急所に来るのだけは絶対に弾くようにしているけれど嵐のような猛攻に身体を削られていく。

 呉さんのカギ爪はいくらでも作り出す事ができるようで、尽きる事はなさそうだった。その代わりといっては何だけど、知らない間に私の速さが元に戻っていた。

 多分だけど、威力のある攻撃をすると、スロー化の魔法は使えなくなるみたいだ。

 それでもなかなか彼女には近付けず、一歩一歩亀のように進んでいくのでせいいっぱいだった。

 泣き出したいほど痛い。

 今すぐ逃げ出したほど辛い。

 何にも考えたくなくなるほど苦しい。

 でも。

 立ち向かわなきゃ、駄目だから。

 

「う、あああああああああああああああああああああっ!!」

 

 剣を振りながら、私は前へと走り出す。

 もう、なりふりなんか拘ってられない。私は最低限の急所だけを守りながら雄叫びを上げて突進した。

 傷や痛みは一層激しさを増す。

 その代償に私と呉さんの距離が縮まっていく。

 ――痛い。

 知らない!

 ――辛い。

 我慢しろ!

 ――苦しい

 諦めるな!

 

「あああああああああああああああああああ!!」

 

 すぐ目の前。まさに目と鼻の先に呉さんが見えた。

 

「っう!?」

 

 私は完全に守りを捨てて、剣を上段に振り上げて、振り下ろす。

 狙ったのは頭。全身全霊を込める。

 ガッと鈍い音がして、呉さんの額が割れて血が垂れた。

 そのまま、彼女は後ろへと崩れるように倒れた。

 私も勢いに乗ったまま、血に塗れた傷だらけな身体が前のめりに転ぶ。

 

「―――――――――――――――――――――っ!?」

 

 傷口が床とキスをして、頭の中で激痛が大合唱を奏でた。言葉に絶叫が口からこぼれた。

 しばらく、ぜいぜいと息を荒くしていると、出血が収まり始め、少しずつ傷が治り始めていく。

 私の勝ち、でいいのだろうか?

 最後は無我夢中だったので、勝った実感が持てなかった。

 

「……何で、(みね)の方を振り下ろしたんだい?」

 

 仰向けに倒れたままの姿勢で私のすぐ横に転がってる呉さんが口を開いた。

 

「刃の方なら……私を殺せていたのに」

 

 その問いに私は当たり前の答えを返した。

 

「だって、そしたら政夫悲しむでしょ?」

 

 私はそんな真似は絶対にしない。本末転倒もいいとこだ。

 何のために辛い思いまでして戦ったのか分からなくなる。

 

「くっ、あはっ! あはははっははははははは!」

 

 呉さんは笑い声を上げながら……泣いていた。

 天井を向いたその横顔からは大粒の涙が止め処なく流れている。

 

「はははははは……私の、負けだよ。完敗だ」

 

 その涙の意味が私には理解できた。それはかつて私が流したものと同じ気持ちが詰まっている。

 だから、何も言わずに黙って彼女の乾いた笑い声を聞いた。

 ホント……恋をするのも、楽じゃない。

 




次回 織莉子編最後にしたいです。


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第七十六話 粘着質の政夫 前編

今回は前編後編に分けることにしました。


 屋上の扉がゆっくりと開き、白い魔法少女、織莉子姉さんが姿を現した。

 美貌と言っても過言ではないその顔は、こちらを睨み付ける鋭い眼光のせいで台無しになっている。

 中央に立つ僕を視認すると、真一文字に引き結ばれた彼女の口が開いた。

 

「最悪の魔女になる、あの少女は何処に居るの?」

 

「そんな怖い顔していたら、せっかくの美人が台無しですよ、織莉子姉さん」

 

 このビルの屋上には僕と織莉子姉さんの二人しか人影がなかった。

 にこりと笑顔を浮かべて僕が飄々と返す。

 織莉子姉さんの瞳が一層鋭くなった。

 

「……もう、貴方に『姉さん』なんて呼んで欲しくないわ」

 

「じゃあ、なんて呼べばいいんですか? ああ、『汚職政治家のお嬢さん』なんてどうです?」

 

 彼女に取って、最も言われたくない呼称をあえて吐いた。ついでにおどけたようにクスクスと笑い声を滲ませる。

 苛立たせ、思考を乱し、会話の主導権を握る。

 

「――黙りなさい」

 

「おや、お気に召しませんでした? なら、『現実逃避のメンヘラさん』はどうですか?」

 

「……私の何処が現実逃避をしているというの? 私は誰よりも現実を見ているわ」

 

 会話に乗って来た。流石に現実逃避は聞き捨てることはできなかったようだ。

 でもね、織莉子姉さん。わざわざ反論するってことは、それだけ貴女の中でその言葉が突き刺さった証拠なんですよ。

 当初の予定通り、話を脱線させて織莉子姉さんを意識を僕に向けさせることに完璧に成功した。

 

「何を言っているんですか? 貴女は誰よりも逃げ続けているでしょう?」

 

 ねっとりと絡み付くような視線を送りながら、僕はさも大仰に語る。

 まるでこの場の主役のように振舞うことで、周りの雰囲気を支配していく。

 

「だから、私の何処がっ……!」

 

「『殺人の汚名を被ってでも世界が滅ぶ未来を回避する』。それが織莉子姉さんの目的でしたよね?」

 

「……………………」

 

「いや~、実に格好がいい! まるでファンタジー漫画か何かの主人公みたいだ! 少年週刊誌に載ってたら、毎回楽しみにしてしまいそうですよ!」

 

 視線を上に向け、両手を広げ、いかにも愉快だと言わんばかりに声を張る。

 

「言いたい事があるならはっきり言いなさい……!!」

 

「では、お言葉に甘えて――織莉子姉さん、貴女に取って世界って何ですか? 信じていた父親に裏切られて、周囲の人間には見放され、挙句の果てには住居を破壊されるような貴女が何の罪もない女の子の命を奪ってまでこの世界を護る理由があるんですか?」

 

 意地悪な質問だと自分でも思う。そもそも、現実に居る人間が『世界』のために命を懸けることなど出来はしないだろう。

 世界を救うだなんて、あまりにもスケールが大きすぎてピンと来ないのが正常な人間の反応だ。

 漫画やアニメの主人公じゃないのだ。自分が見たことも会ったこともない大勢の人たちのために命が張れる人間が本当に居るとしたら、そいつは確実に狂ってる。少なくても正気の人間じゃない。

 ましてや、織莉子姉さんは周囲の人々に見放された人間だ。にも関わらず、頑として世界を護ろうとするのは、なぜか?

 答えは自然と一つに絞られる。

 鋭くこちらを睨みつけていた織莉子姉さんの瞳がここに来て、初めて揺らいだ。

 けれど、すぐに僕をまっすぐと見つめ直し、堂々と言い放った。

 

「それは……世界を救うことが私の使命だと、生きる意味だと思ったからよ! それがお父様の夢でもある!」

 

 凛々しく、神々しいと言っても差し支えない姿だった。恥ずかしげもなく正義を叫ぶその様は正しく英雄のよう。もしも、この世界が漫画だったら本当に主人公を張れてしまいそうとすら思える。

 それなら、僕は主役に論破された悪役のように惨めな台詞の一つでも言って退場するのが正しいのかもしれない。

 だが、生憎とこの世界は現実だ。

 

「違いますよ。貴女のそれは現実逃避です」

 

 あくまでも平然と、当たり前のように彼女の言葉を否定した。

 

「え……?」

 

 愕然とする織莉子姉さんを前に僕は言葉を紡ぐ。

 もう、僕の顔には最初に付けていた笑顔の仮面はなかった。変わりにあるのは同情と憐憫の表情のみ。

 

「貴女は『世界を救うために行動する』という大義を得ることで、父親が汚職に走って自殺したことや周囲の人間が自分から離れていったことを無意識に忘れようとしている。僕に言ったでしょう? 『自分の価値を知るためにインキュベーターと契約した』って。詰まるところ、それが本心です」

 

 要は、織莉子姉さんが語った美しい台詞は自分の行動を合理的に納得させるための後付に過ぎない。

 失礼な物言いだが、端的に言ってしまえば中二病という奴だ。

 汚職政治家の父親に死なれ、世間からバッシングを受ける惨めな少女よりも、自分の手を汚してでも世界を救おうとしている悲劇の魔法少女の方が格好がいい。

 もちろん、それが全てとは言わないが、根本にあるのは現実逃避だ。

 でなければ、これほどまでに虐げられた中で『世界を救う』なんて発想が出る訳がない。

 

「ち、違う……私は世界を……」

 

 一気にさっきまで彼女が纏っていた絶対的な気迫が収縮していた。

 かつての恐ろしい眼光も頼りなく震えている。今の織莉子姉さんは、救世を成し遂げようとする魔法少女ではなく、歳相応のただの一人の女の子だった。

 

「なら、貴女が罪もない女の子を殺してまで護りたいその世界には――誰が居るんですか?」

 

 止めを刺すように僕は言う。

 彼女にそんな存在が居ないと知っていながら、彼女から戦意を奪うために容赦なく言葉の刃を放つ。

 鹿目さんを殺せば一番苦しむのは彼女だ。だから、絶対に止めてみせる。例え、彼女を傷付けてでも。

 それが僕に手を差し伸べてくれた六年前の織莉子姉さんへの恩返しだ。

 

「それ、は……」

 

 居るはずがない。

 母親は既に死別している。父親も自殺した。友人は父親が汚職に手を染めた途端に手の平を返した。

 呉先輩は、出会ってまだ一日しか経っていない。そこまで友情は築けていないと考えるのが妥当だ。

 これで織莉子姉さんも理解したはずだ。鹿目さんを殺してまで、この世界を護るほどの意味がないことに。

 彼女は間違いなく、戦意を失うだろう。

 

「もう、止めて下さい。貴女には戦う理由なんてないんですよ」

 

「……くせに」

 

「え? 何て言ったんですか?」

 

 織莉子姉さんの小さな呟きがうまく聞き取れず、(はか)らずも難聴系主人公のようになってしまった。

 

「私がっ……一番辛かった時に傍に居てくれなかったくせに、どうして! どうして、今更、そんな事言うの!?」

 

 織莉子姉さんは泣いていた。

 僕の方へ早足で歩み寄ると、胸倉を掴むように服を引っ張る。こぼれた涙がYシャツに染みを作った。

 

「魔法少女なんか! ならなかったわよ! まー君が傍に居てくれたら!」

 

「……っ」

 

 胸の内側を金槌か何かで叩かれたような気分になった。

 

「独りじゃなかったら! ここまで思い詰める事もなかった! 仕方ないじゃない! 誰もっ、誰も助けてくれなかったのよ!? 縋るしかなかった、ただの幻想だとしても!」

 

「織莉子姉さん……ごめん。ごめんね」

 

 愚かだったのは僕の方だ。織莉子姉さんのことを分かった気になって、彼女の辛さに気付くことができなかった。

 彼女をできるだけ優しく抱きしめる。ただ、静かに想いを込めて。

 癒すことができなかったその時の贖罪も兼ねて、強く強く抱きしめた。

 

「……もう、遅いわ。まー君」

 

 腕の中に居る織莉子姉さんが呟く。

 その言葉の意図に気付いた僕は、上を見上げる。そこには水晶の球が数十個ほど浮かんでいた。

 その球がそれぞれ『何もない』ビルの隅に向かって勢いよく飛んでいく。

 

「チッ!」

 

 僕でも織莉子姉さんでもない第三者の舌打ちが『何もない』場所から聞こえた。

 蜃気楼のように水晶の球が飛んで行った場所が揺らぎ、赤い槍が振るわれ、マスケット銃が弾丸を放つ、マシンガンが飛び出して乱射する。水晶の球は全て打ち落とされ、代わりに隅から魔法少女たちが姿を現す。

 

「……幻覚の魔法ね。今まで気付けなかったわ」

 

「大したもんだろ? ま、できれば最後まで気付かないでもらえりゃよかったんだけどな」

 

「確かめるために攻撃なんて、本当に容赦ないわね」

 

「まどか、大丈夫? 怪我はない?」

 

「うん。大丈夫。ありがとう、ほむらちゃん」

 

 今まで杏子さんの魔法によって、姿を隠していた皆がそれぞれの武器を構えた。

 しくじった。本来なら、織莉子姉さんの戦意を()いだ後、隠れていた巴さんがリボンで拘束するという手筈だったのだが、僕が合図を出す前に織莉子姉さんに勘付かれてしまった。

 

「その涙も嘘だったんですか? すっかり騙されましたよ」

 

 僕から身体を離して、涙を(ぬぐ)う織莉子姉さんに非難するように言うと彼女は首を振った。

 

「いいえ。私の涙も言葉も嘘偽りない私の本心よ。ただ、私はこの世界を救いたい。それだけよ」

 

 その言葉に思わずカッとなり、声を荒げた。

 

「まだそんなことを! 貴女が言う世界は……」

 

「確かに私が言った言葉はただの現実逃避かもしれない。私が言う世界が空っぽだというのも否定しないわ」

 

「だったら!」

 

「でもね、まー君。私は貴方に生きて欲しい。例え、貴方の大切な友達を殺してでも私はまー君に未来を歩んで欲しい。これは心からの想いよ」

 

 どこか晴れやかなその顔は、六年前に僕が見た織莉子姉さんと同じ温かさを持っていた。

 偽らざる彼女の本心なのだと理解できた。だからこそ、僕はそれが容認できない。

 

「織莉子姉さん、それは……」

 

「政夫、もういいわ。その女の言いたい事も分かる」

 

「な! ほむらさん!?」

 

 意外にも僕の言葉を止めたのは暁美だった。

 この場で最も織莉子姉さんを憎んでいる彼女が、あろうことか鹿目さんを殺害しようとすることを認めるようなことを言ったのだ。

 意味が分からなかった。矛盾しているにも程がある。

 しかし、暁美はそんな僕には取り合わず、織莉子姉さんに視線を向けた。

 

「だから、美国織莉子。決着を着けましょう」

 

 




自動車の免許を取るにために教習所に通い始めました。
後編がいつ書けるのか分かりません。

しかも、サークルの小説も終わらせなければいけないのでちょっと間隔が空いてしまうかもしれません……。


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第七十七話 粘着質の政夫 後編

前編のあらすじ

政夫は言葉巧みに織莉子の矛盾を指摘し、心の拠り所を壊し、戦意を圧し折ろうとした。しかし、その結果、逆に彼女の本当の目的を見つけさせる切欠となってしまった。
意志と覚悟を持った織莉子の前にほむらが立ち塞がる!

負けるな! 織莉子!



 「美国織莉子。私は貴女の事が少しだけ分かった気がするわ」

 

 暁美はマシンガンを構えてながら、織莉子姉さんに話しかける。

 少し前までの憎しみに満ちた表情ではなく、どこか哀れみを込めたような(うれ)いた顔だった。

 口調もまるで労わるようなもので彼女の理解と共感がありありと読み取れた。

 

「貴女も……守りたい人のために動いている。それ以外を全て投げ出してでも」

 

「知ったような口を利かないで頂戴(ちょうだい)。何も知らないくせに!」

 

 対する織莉子姉さんは敵意のある瞳で睨みつける。

 

「知ってるわ、貴女の目的は。本心を知ったのはこれが『初めて』だけれどね」

 

「……なるほどね。つまり、貴女は『知っている』のね。あの最悪の結末を……」

 

「ええ。嫌というほど見てきたわ」

 

 織莉子姉さんの顔が歪み、激昂した。

 

「なら、何故分からないの!? その少女一人のせいで、世界の……まー君の未来が滅びかねないという事に!!」

 

 鹿目さんに指を差し、暁美を糾弾する。

 鹿目さんは織莉子姉さんの気迫に怯えるが、暁美の陰に隠れる事はせずに織莉子姉さんを見つめ返した。

 巴さんと杏子さんはよく分かっていない様子だったが、黙って、ことのなりゆきを静観している。僕が彼女たちに話したのは「織莉子姉さんは鹿目さんが魔法少女になり、やがて強い魔女になる未来を知り、それを恐れているから鹿目さんの命を狙っている」ということだけだ。

 暁美のことを話さなかったのは、それが僕が言うべきことではないと判断した故だが、そのせいで巴さんたちには暁美の発言の意味が理解できないだろう。

 

 暁美はさらりと怒声を受け流し、落ち着き払った様子で言い返す。

 

「もしも、政夫のせいで世界が滅ぶとしたら……美国織莉子、貴女はどうする?」

 

「………………」

 

「つまりはそういう事よ」

 

 答えられない織莉子姉さんに対し、暁美は口元を弛めた。

 優しい自然な微笑み。そして、お互いのことが分かり合えても、決して和解ができないという諦念の笑みでもあった。

 再び、表情を口を真一文字に引き結ぶと今度は巴さんに顔を向けずに言葉をかける。

 

「マミ、杏子。貴女たちはまどかと政夫に危害が及ばないようにして」

 

「暁美さんはどうするつもりなの?」

 

「さっき言ったとおり、彼女との決着を着けるわ。勝負が着くまで貴女たちは手を出さないで」

 

 

 

 僕と鹿目さんが屋上の隅に集められて、それを守るように武器を構えて巴さんと杏子さんが立っている。

 僕らの目の前に双方向き合うように立っているのが、暁美と織莉子姉さんの二人。

 彼女たちの表情に怒りや憎悪の色はない。ただそこにあるのは意志のこもった瞳があるだけだ。

 一体どうしてこうなったのか。もっと穏やかな方法はなかったのだろうか。

 そんな益体もないことが頭を()ぎる。

 僕の目の前で繰り広げられようとしている戦いを歯痒い思いをしながら黙って見守るしかなかった。

 

 先に動いたのは織莉子姉さんの方だった。

 その場で跳び上がると、空中で足の下に無数の水晶の球が作り上げられる。

 暁美が手に持ったマシンガンの銃口から弾丸を放つが、織莉子姉さんは乗っている無数の水晶球を動かし、さらに上へと浮かび上がる。

 距離を離しつつも無言で下に居る暁美を見下ろしながら、いくつも水晶球を空中に作り出し、狙い撃つ。

 果敢にも暁美はマシンガンの弾丸でそれらを迎撃しようとするが、水晶球は弾丸に当たる前に爆発した。

 いや、爆発()()()のだろう。

 

「……っう」

 

 砕けた破片が暁美の肩や腕に突き刺さり、彼女は苦しげに呻き声を上げる。

 

「ほむらちゃんっ!!」

 

 隣に居る鹿目さんが心配のあまり、暁美の名前を呼んだ。

 巴さんも杏子さんも不安げな表情で二人の戦いを見ている。特に杏子さんの方は手を出したくて悔しそうに槍の柄をギュッと握り締めた。

 当然の事だが、皆は暁美が勝利することを望んでいる。それは即ち織莉子姉さんの死に繋がっている。

 なら、僕はどうだろう?

 確かに織莉子姉さんは鹿目さんを殺そうとしている。説得にも応じてくれなかった。もうどうすることもできない。

 でも、死んでほしくないと思わずにはいられない。

 今、僕が生きているのは紛れもなく、六年前の織莉子姉さんの言葉があったからだ。

 しかし、暁美もまたこの街で出会った大切な友達だ。

 出会った時の印象は最悪で、鹿目さんに執着する理由を聞いた時には軽蔑すら感じた。

 けれど、暁美ほむらという人物を少しづつ知っていく内に、その感情は徐々に変わっていった。

 友達のために怒り、友達のために涙を流せる優しい女の子だと気付かされた。

 どちらにも死んでほしくない。

 わがままな思考のまま、僕の中で答えは出てきそうになかった。

 

 傷付き、動きを止めて(うずくま)った暁美に追い討ちをかけるかの如く、水晶球が襲う。

 だが、今度は爆発する前に水晶球が砕け散った。

 見ればいつの間にか暁美は織莉子姉さんの後方の位置に移動していた。とても、一瞬で動ける距離ではない。

 十中八九、時を止めたのだろう。

 水晶球は任意で爆発させることができるようなので、爆発もせずに砕けたということは暁美が打ち落としたということだ。それにも関わらず、僕らにはマシンガンの銃声が聞こえなかったのも証拠の一つだ。弾薬の装填もその時に行ったのかもしれない。

 

 今度は背後を取った暁美が攻勢に周り、マシンガンの雄叫びが空気を揺らす。

 普通のなら、いきなり目の前から標的が消えたことで動揺が走ってもおかしくはないと思うが、織莉子姉さんは知っていたように後ろに振り向き、水晶球を壁になるように生み出す。

 多分、とっさに未来視を使って一瞬前にこの光景を視たのだと思う。

 それにしても、これだけの水晶球を作れるということは恐らくは『影の魔女』のグリーフシードによって、魔力を全回復でもしたのだろう。時間稼ぎに使ったグリーフシードだが、それは返って良くない結果を引き出してしまったかもしれない。

 

「くぅ……」

 

 だが、水晶の球で作った壁である以上、どうしても隙間ができてしまう。そこに飛び込んでいく弾丸を織莉子姉さんは腕を使って防ぐ。

 純白の衣装の袖に赤い斑点が一つ、また一つ増えていく。

 足場になっている水晶球を動かして、弾丸の嵐から逃れようとするが、暁美は僕の知らない間に持っていた楕円形の物体を織莉子姉さん目掛けて投げつける。

 

「っ!!」

 

 それは手榴弾だった。

 僕がそれを視認した瞬間、爆発を起こして、煙が織莉子姉さんを包み込む。

 割れた水晶の破片が地面に落ちてさらに音を立て細かく砕ける。それと同時に鈍い落下音が聞こえた。

 煙が霧散していくと、そこには衣装が破れ、傷だらけの織莉子姉さんが倒れていた。

 

「織莉子姉さっ……」

 

 自然と口に出してしまい、僕は気まずくなって鹿目さんの横目で見た。

 彼女は何も言わずに僕の手を取って、優しく包み込む。

 その優しさが今の僕には申し訳なく感じさせた。

 暁美はマシンガンを構えて、ゆっくりと近付き、織莉子姉さんの傍まで来ると宣言するように言った。

 

「勝負は着いたわ。私の勝ちよ」

 

「……冗談じゃ、ないわ」

 

 被っていた帽子は吹き飛び、整えてあった白い髪は乱れていながらも、織莉子姉さんは気丈にも腕を使って起き上がろうとする。

 

「私は負けられないのよ。ここで諦めたら……まー君はあの破滅をもたらす少女と心中する破目(はめ)になる。それだけは、それだけは絶対にさせない」

 

 暁美はトドメを刺そうとはせず、ただ無言でそれを見ていた。

 震える手足を動かし、織莉子姉さんは生まれたばかりの動物の赤ん坊のように立ち上がる。

 その目には強い意志と覚悟が伝わってくる。

 そこまで、織莉子姉さんは僕のことを大切にしてくれていたのか……。

 涙が滲んで僕の視界が霞んできた。

 僕は声を上げて叫んだ。

 

「織莉子姉さん! だったら、僕らで協力して鹿目さんを魔法少女にしなければ良いだけのはずです! 織莉子姉さんが手を貸してくれれば……」

 

 暁美を睨んだまま、彼女は僕に答えた。

 

「まー君。それはできないわ」

 

「どうして!?」

 

「まー君はあの絶望を、恐ろしさを知らない。万が一でもあの厄災の芽は摘み取って置かないといけないの……あれはあまりにも救いがなさ過ぎる。それに……」

 

 そこで一呼吸置いた後に静かに言った。

 

「あれはもう決定事項のようなものなんでしょう? 暁美ほむら」

 

「………………」

 

 暁美は何も答えない。

 

「貴女の正体に合点がいったわ。時間遡行者、それが貴女の正体よ。それなら私の名前や能力を知っていた事も、あの滅びの未来を知っていた事にも説明が付く」

 

 喉から搾り出すような怨嗟のこもった声を吐きながら、じっと暁美を見つめる。

 

「一体何度あの地獄を見たの? 一体何度繰り返したの? 一体何人の命を犠牲にしたの? ……いえ、そんな事はどうだって構わない。ただ許せないのはこんな愚かな行為にまー君を巻き込んだ事」

 

 織莉子姉さんの周りに水晶球が次々と出現する。

 その数は今までの比ではない。十や二十ではなく、下手をすれば百を越すかもしれない。

 無数の水晶球は太陽の光を浴び、きらきらと宝石のように輝いている。その美しい光景と満身創痍の織莉子姉さんは、皮肉にも傷付きながらも困難に立ち向かう、神に祝福された救世主のように見えた。

 

「私は護る。護ってみせる。まー君の未来を!」

 

「似てるわね、貴女と私。でも――」

 

 そこで暁美は一層悲しげに目を細めた。

 

「貴女は私と違って、まだ孤独なままなのね」

 

 暁美に向かって、大雨のように降り注ぐ水晶球。

 そこに(おど)り出たのは黄色と赤の二人の影。

 赤黒い柵状の壁が突如暁美の目の前に出現し、水晶球の猛威から暁美を護る。

 

「なっ……!」

 

 この戦いの中で初めて驚いた顔を見せた織莉子姉さん。

 その彼女の後方から黄色いリボンがうねる様に巻きつき、身動きを封じる。

 

「やはり、その水晶球を出すので精一杯で、未来予知の方まで割く魔力はなかったようね」

 

「貴女たち……!」

 

「おっと、ずるいだなんて言わせねーよ。なあ、マミ?」

 

「ええ。私たちはちゃんと聞いたわ。『勝負は着いた』って。私たちが手を出さないのは勝負が着くまでの間だけよ。その後は何も約束はしてないわ」

 

 織莉子姉さんが非難するように睨みつける中、杏子さんと巴さんは悪戯っ子みたいな笑みを浮かべていた。

 僕が織莉子姉さんに叫ぶ前から、杏子さんと巴さんは割り込もうとしていた。僕はそれを察し、二人が注意を逸らすように声を上げたのだ。

 もう未来予知もできない織莉子姉さんは、目の前の暁美に完全に意識を取られていたので成功するのは目に見えていた。

 水晶球は数を増やしたせいか、威力は先ほどものより格段に劣っており、全て柵状の壁に阻まれた。隙間を通過してきた破片は、杏子さんが槍をバトンのように回して吹き飛ばす。

 

「美国織莉子、もう一度言うわ。貴女の負けよ」

 

「くぅうう……」

 

 唇を噛み、悔しそうな表情で声を押し殺し、織莉子姉さんは嗚咽を漏らした。

 ぐうの音もでないほどの完全なる敗北だった。もう、織莉子姉さんには打つ手はない。

 これで鹿目さんの殺害を諦めてくれる。

 僕がそう思った時、屋上の扉が開いた。

 現れたのは呉先輩だった。

 

「キリカ!? 良かった。今すぐ、このリボンを切って! 貴女が居るならまだチャンスは……」

 

 織莉子姉さんの顔に光が戻る。

 呉先輩が来たということは、美樹は殺されてしまったのかと不安が競りあがったが、すぐにそれは要らぬ心配だったと知った。

 呉先輩の後から、ふらふたした足取りで疲れた様子の美樹が顔を出した。

 

「呉さん、私、血抜きすぎて貧血気味なんだから……というか、おんぶしてくれてもいいぐらいだよ……」

 

「嫌だよ。何で私がそんな事しなくちゃいけないのさ。私に乗っていいのは政夫だけだよ」

 

「え!? 諦めたんじゃないの?」

 

「愛は無限大。永久に不滅なんだよ」

 

 なぜか、親しげに会話を繰り広げていた。下の階で一体何があったというのだろうか?

 

「キリカ……どういう事?」

 

 織莉子姉さんが最もな疑問を投げかけると、呉先輩はあっけらかんとして答えた。

 

「織莉子、私はこいつに負けた。だから、政夫の本意じゃない方法で政夫を助けるのももう止めるよ。……嫌われたくないしね」

 

「何を……何を言ってるの!? 本当にまー君の事を愛しているなら、心を鬼にしてでも止めなさい!」

 

「それ、独りよがりなんだってさ、こいつに言われてしまったよ」

 

 隣に立った美樹が「こいつじゃなくて、さやかですって」と訂正をしているのが、場違いで気が抜けそうになった。

 でも、これで完全に雌雄は決した。

 もう、織莉子姉さんには万に一つの勝ち目もない。

 僕は鹿目さんと繋いでいた手を離して織莉子姉さんに近付いていき、彼女の前に立つ。

 

「織莉子姉さん。僕の友達は凄いでしょう? 彼女たちが居れば、未来だって変えられます。だから、もうこんな事は止めてください」

 

「それはできないわ。私は死ぬまで足掻き続けるわ。もし……止めたいなら私を殺しなさい」

 

 駄目なのか。ここまでしても織莉子姉さんの心を変えることはできないのか?

 彼女の言う通り、命を奪わない限りは止められないのか……?

 もし、そうなら、せめて僕が手を汚したい。

 

「ほむらさん。僕にも扱える銃はある?」

 

「政夫……分かったわ」

 

 暁美に聞くと、意図を察して楯からハンドガンを取り出して、僕に手渡してくれた。

 そして、織莉子姉さんの方に向けようとして、手を掴まれた。

 

「駄目だよ! 政夫くん!」

 

 それは鹿目さんだった。

 僕の傍に近付いていた彼女は両腕でしっかりと僕の手にしがみ付く。

 彼女の目には涙が浮いていた。

 

「絶対にそんな事したら駄目だよ! 美国さんは政夫くんにとって大切な人なんでしょ!?」

 

「でも」

 

「でも、じゃないよ! こんな事したら政夫くん絶対後悔する!」

 

 鹿目さんは織莉子姉さんにも言った。

 

「美国さん。もしも、私がキュゥべえと契約しようとしたその時は殺しても構いません。だからっ、大切な人同士で傷付けあうのは、止めてください!!」

 

 一気に畳み掛けるように言う鹿目さんに毒気を抜かれ、織莉子姉さんは唖然として固まった。

 僕は向けかけた銃を下ろして、苦笑いをこぼす。

 

「ねえ、織莉子姉さん。僕らのためにここまで言ってくれる女の子が本当に世界を滅ぼすのか、確かめませんか?」

 

 織莉子姉さんは、何も言わなかった。それが僕には肯定にしているように思えた。

 今日、改めて知ったことは『女の子は強い』。その一言に尽きた。

 僕のつまらない小細工など、本当の強さの前では意味を成さない。

 非力な両手で僕を押さえ込もうとしている鹿目さんがとても力強く見えた。

 




やっと織莉子編終了しました。想定していたストーリーと全然違ってしまったのはご愛嬌。


さて、突然ですが『活動報告』にてアンケートを実施しています。
内容は政夫のパートナーキャラを誰にするかです。詳しくは『活動報告欄』に書き込んであります。
アンケートは、『活動報告欄』に書いてください。

もちろん、感想の方もお待ちしております。


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第七十八話 崩壊する常識

 あの後、まず最初にあったのは織莉子姉さんの謝罪だった。

 鹿目さんに対してはもちろん、瀕死の重傷に追い込まれた美樹や他の面々にも深々と頭を下げて謝った。

 とても許されない事をしてしまったと、心の底から搾り出すような懺悔(ざんげ)だったが、それを途中で美樹はあっさりと一言で終わらせた。

 

「うん。じゃあ、許します」

 

 驚くほど軽いその台詞に僕は流石に思わず口を出した。けれど、美樹は平然とこう言った。

 

「被害者の私がこう言ってるんだから別にいいでしょ。これでこの話はお終い。まどかもいいよね?」

 

 一番実害を食らった美樹が簡単に許しを出してしまったため、暁美ですらこの件に対して文句を言えなくなり、しぶしぶと引き下がる。

上条君への失恋を経験してからは美樹は本当に竹を割ったようなさっぱりとした性格になった気がする。そこらの男よりも余程男前だ。こういうところはお世辞抜きで格好いいと思う。

 ちなみに呉先輩は僕には謝ったが、(がん)として暁美に謝らなかった。

 何でも、「政夫の嫌な事をしてしまった事は反省しているけど、あいつには謝る義理はない」だそうだ。暁美も暁美で前に銃を向けて殺害しようとした負い目もあり、そこで手打ちとなった。

 

 一旦、ここでその話が終わった後、次に暁美が今まで隠していた違う世界から来たこと、そして鹿目さんを助けるために今まで戦ってきたことをここで皆に話した。

 織莉子姉さんに言い当てられていたし、もう隠す理由も特になくなっていたから当然と言えば当然だった。

 僅かだが、緊張したした様子で語り出した暁美に皆が黙って耳を傾けた。

 そして、暁美の話が全て言い終えると美樹、巴さん、杏子さんは口々に感想を述べる。

 

「違う時間軸ってあんまりよく分からないけど、ほむらはほむらだし。『実は未来からやって来たまどかの娘だった!』ぐらいじゃないとインパクト薄いよ」

 

「……にわかには信じ難い事だけど、今更暁美さんを疑う気はないわ」

 

「なるほどな。それで色々詳しかった訳か。ていうか、もっと早く話せよ」

 

 それぞれ言っていることは違うが、三人とも暁美の話を少しも疑っていなかった。鹿目さんは何も言わなかったところを見ると前に暁美とデートをした時にでも聞いていたのだろう。

 暁美が繋いできた絆はこの程度のことで揺るいだりはしない。それを改めて自覚した暁美は潤んだ瞳でありがとうと繰り返し、お礼を言った。

 もう一人で頑なに無表情を貫いていた彼女はそこには居なかった。そこに居るのは当たり前のように泣いて、当たり前のように笑える友達に囲まれた普通の女の子だった。

 それに加え、織莉子姉さんたちもこれから協力する旨を約束してくれた。

 一時はどうなることかと思ったが、最後には皆が笑って終われる、後に残る禍根もない素敵な終焉と相成(あいな)った。

 廃ビルから出た後は解散した後は、美樹は傷こそ治っていたが血を抜きすぎたために杏子さんに負ぶわれて帰宅、鹿目さんは制服を美樹の血で真っ赤に染めているので自分の家に真っ直ぐ帰る訳にもいかず、僕の学ランを羽織ったまま、巴さんの家へ服を貸してもらいに向かった。もう落ちないとは思うが巴さんの家で制服を洗濯するのだという。まあ、制服の方は織莉子姉さんが弁償すると言っていたので平気だろう。

 僕は今回迷惑をかけてしまった彼女たちにお礼を述べて、見送った。

 織莉子姉さんも呉先輩を引き連れて家に帰って行った。

 最後に僕は彼女に他の人たちに聞こえないような小さな声で聞く。

 

「まだ鹿目さんを殺したいと思っていますか?」

 

「意地悪な事を聞くのね。……もう、そんな事できそうにないわ。あんなに優しい子なんだもの」

 

「それを聞いて安心しました」

 

 元々、織莉子姉さんが鹿目さんに殺意を向けることができたのは、彼女が鹿目さんのことを知らなかったからだ。ただの危険物としか認識していなかったから排除しようとできた。でも、それが普通の……いや、心優しい女の子だと知ってしまえば、殺意や害意など浮かべることはできるはずもない。

 織莉子姉さんもまた、本来は優しい人なのだから。

 

 

 

 

「で、何で僕はここに連れて来られた訳?」

 

 僕は家に帰ってゆっくりと休みたかったのだが、暁美に付いて来て欲しいと言われ、なぜか彼女のマンションのドアの前まで来ていた。

 僕も僕で彼女に話さなければいけない案件があったので都合が良かったとも言えなくもないけれど、呼ばれた理由について思い当たる節がなかったので気になった。

 

「取り合えず、中に入ってから話しましょう」

 

 暁美がドアを開いて中へと入っていく。僕もその後ろに付いて行った。

 部屋の中は筆舌に尽くし難い珍妙な空間が広がっていた。

 白を基準とした明らかに広大な部屋の奥には巨大な(いかり)のような振り子が左右に動いている。

 中央には床から直接生えた丸いテーブルとその周囲を囲うように婉曲したソファのようなものが置かれていて、その近くにはどこの国かも分からない文字や奇妙な絵が映された画面状の物体が宙に浮いていた。

 

「……ほむらさん、ちょっと言わせてもらってもいい?」

 

「何かしら?」

 

「この部屋借りてるんだよね!? こんなに魔改造しちゃっていいの!?」

 

 このマンションの大家さんは貸した部屋がこんなイカれた空間に魔改造されているのを見たら普通は発狂する。間違いなく、正気は一瞬で削り取られるだろう。

 というか、この光景を見て割りと平然としていられる自分がちょっと嫌だった。慣れとは本当に恐ろしい。

 

「家賃はちゃんと払っているわ」

 

 僕に背を向けつつも、顔だけ振り返り、斜め四十五度くらいの角度に傾けた不自然極まりないポーズで暁美は答えた。

 

「いや、そういう問題じゃないよね、これは」

 

 そして、何だ、そのポーズは。首を痛めるぞ。

 頭痛を感じつつ、僕はこの件について暁美にとやかく言うことを諦めた。

 こいつにはちょっと常識が欠けているのは今に始まったことじゃない。人の家に窓から無断で侵入する人間に何を言っても、馬の耳に念仏でしかない。

 困るのは暁美に部屋を貸してしまったマンションの大家さんだ。僕は何一つ困らない。

 

「まあ、いいや。……それで改めて聞くけど、僕を連れてきた用件は何?」

 

「用、というほどものじゃないのだけれど……ただ、その、改めてお礼が言いたくて」

 

 照れくさそうに視線を逸らしながら暁美は僕に身体ごと向き直った。

 だが、僕にはお礼を言われるようなことはしていない。むしろ、僕が捕まったと聞いてわざわざ助けに来てくれようとしたことに対して、僕がお礼を言うべきだ。

 

「どういうこと?」

 

「今まで事、全部よ。貴方に会わなければ私は今も誰にも頼れないまま一人きりで過ごしていたわ。心から信じられる仲間もできなかった。美国織莉子や呉キリカと和解できたのだって政夫のおかげよ」

 

「いや、それはいくらなんでも言いすぎだよ。ほむらさんが皆と仲良くなれたのは自分の意志で努力した結果だよ。織莉子姉さんのことも皆の助けがあったからだしね。僕は別に少し手を貸しただけさ」

 

 謙遜ではなく、本心からの言葉だった。これは暁美の努力が実を結んだだけで、僕は大したことは何一つしていない。

 しかし、暁美は首を横に振った。

 

「いいえ、それは貴方が私にきっかけを与えてくれたからよ。政夫が私に人との絆の意味を教えてくれた。本当にありがとう」

 

 暁美らしくもない丁寧で心のこもったお礼にむず(がゆ)くなったので、ちょっと話を逸らす。

 

「そ、そうかな? ほら、あれだよ。ほむらさんの鹿目さんへの愛が僕を動かしたんだ」

 

 すると、暁美は一瞬で周囲の雰囲気を氷点下に変えた。

 顔をやや俯かせ、垂れ下がった前髪が彼女の目を覆い隠す。口の端をひくひくと小刻みに動かしているのだけが見えた。

 

「……政夫。貴方は何時までそんな勘違いをしているの?」

 

「勘違い? どういう意味?」

 

 意味が分からないので、聞き返すと語調を強めて暁美は言った。

 

「私がまどかに恋愛感情を抱いているという事よ!」

 

「え? それのどこが勘違いなの?」

 

 ますます意味が分からない。暁美が鹿目さんに度を越した好意を持っているというのは、もはや常識だ。

 確かに僕は同性愛者ではないし、それについて深い関心がある訳でもないが、別にそれを貶すつもりは毛頭ない。

 だが、暁美は僕の態度が気に入らなかったようで、さらに怒気を荒げる。

 

「私は確かにまどかの事を大切に思っているけれど、それはあくまで友達としてよ! それ以上の感情は持っていないわ!!」

 

 僕は数十秒間の間、ポカンとした顔で暁美を見た後、彼女の肩を掴んで前後に力の限り揺すった。

 

「ど、どうしちゃったの、ほむらさん!? あの、まどかまどかと気の触れたように連呼していた君がそんなこと言い出すなんて……。らしくないにも程があるよ!? 自分のアイデンティティを投げ捨てる気!?」

 

 呉先輩に痛めつけられた時に脳のどこかを傷付けてしまったのか?

 それとも、度重なるストレスでとうとうおかしくなってしまったのか?

 何にしても今の暁美は正常な判断力を失っている。恐らくは自分の言動すら理解できていないのだろう。

 そうでなければ、暁美がこんなことを口にするはずがない。

 

「……政夫が私の事をどう認識しているのか、よく分かったわ。はっきりと言ってあげる。私はまどかに恋愛感情は抱いていないわ! そして、同性愛者でもない!!」

 

 やさぐれた表情で口からひり出した暁美の台詞は、僕の中の暁美ほむらの人間像を一瞬で破壊せしめるものだった。

 あまりの衝撃に尻餅を突き、後方に後擦(あとず)さる。

 

「ば、馬鹿な……あり得ない……」

 

「あり得ないのは貴方のその態度よ!」

 

「こんなの絶対おかしいよぉ!!」

 

「政夫はどこまで私を怒らせれば気が済むのかしら……?」

 

 僕は頭を抱えて現状の理解しようと努力する。

 考えに考えを重ね、僕はある一つの仮説に辿り着く。

 それは意味不明の暁美の言葉の謎を究明できうるものだった。

 

「これは僕が見ている夢、か?」

 

 そう呟くや否や、僕に駆け寄ってきた暁美が僕の右頬を掴み、凄まじい握力で捻り上げる。

 頬から伝わる激痛の電気信号が瞬時に僕の脳に届き、絶叫を上げさせた。

 

「いっひゃあああーー!」

 

「どう? これでも夢だと言い張るつもり?」

 

 紛れも泣く僕は痛みを感じている。しかし、夢だというの可能性は決して(つい)えた訳ではない。

 

「ふぁんふぁふむほいふかほうへいほ……(訳・感覚夢という可能性も……)」

 

 そう。夢の中でも痛みを感じることはある。

 身体に受けたダメージだけが痛みとして知覚される訳ではないのだ。

 例として、四肢を切断すると起きる幻肢痛という症状がある。これは例えば肘から先を切断した後、ないはずの手があたかも存在するように感じ、手首や指が痛むという感覚に悩まされるというものだ。

 脳が前腕の切断前の痛みの記憶を残していて、その痛みを切断後にも起こしてしまう。

 つまり、夢の中であろうとも痛覚は存在する。故にこれが現実だという証拠にはならない!

 

「なら、もう片方も」

 

 暁美の容赦のない頬抓(ほほつね)りはあろうことか、左頬まで及んだ。

 さらなる激痛が僕の脳を襲う。

 痛みによる整理反応を起こし、涙腺から雫が流れ出した。

 

「ひゃめへ! ひゃめへふへえぇぇぇーー!!(訳・止めて! 止めてくれぇぇぇーー!!)」

 

 ようやく手を離した暁美は髪をかき上げながら、氷柱のような鉄面皮で僕を見下ろしている。

 

「これで夢じゃないって分かってくれたかしら?」

 

「はい……分かりました」

 

 真っ赤になった頬を押さえ、僕は正座をしながら、涙を拭った。

 ここまでやるか、普通。悪魔のような女だ。

 しかし、こんなにも過剰な反応をするのは逆に怪しい証拠なのでは……?

 

「今また、私が同性愛者だと考えたわね?」

 

「い、いえ、滅相もございませんっ! 貴女様はノーマルでございます!」

 

 こいつ、なぜそんなに僕に詳しくなっているんだ? コミュニケーション能力の上昇により表情から相手の思考を読み取れるようになったのだろうか?

 これが僕のせいだというのなら、僕はとんでもない化け物を世に生み出してしまった。

 恐怖を感じながら、土下座をして機嫌を取る。これ以上、頬を抓り回されたら冗談じゃなく、頬の肉が引きちぎられてしまいそうだ。

 

「何でこんな事を伝えるのにここまで労力を使わないといけないの?」

 

 疲れたように暁美は溜め息を吐くが、それは僕の方が言いたい台詞だ。

 暁美が同性愛者だろうと何だろうと、どちらにしろ僕にはそれほど関係ないことだ。

 けれど、暁美がレズビアンじゃないとすれば、上条君を振った理由は何だったのだろうか?

 そこだけ腑に落ちなかった。

 

 

 

 お互いが一先ず落ち着いたところで、僕と暁美はソファに腰掛けて話を始めた。

 まず、僕が前から暁美に話そうと思っていたグリーフシードのリサイクル方法を彼女に聞かせる。

 

「グリーフシードは穢れが溜まれば魔女が(かえ)る。だから、一度倒した魔女のグリーフシードを支那モン……インキュベーターに回収させずにさっきの工場でやったように周囲に人の居ない場所で孵化させ、再び倒す。一度交戦経験がある魔女なら初見で戦う魔女よりも効率よく倒せると思うんだけど、どう?」

 

「グリーフシードをキュゥべえに渡さないという考えはなかったわ。でも、そううまくいくかしら? 途中で魔女を孵化させても私たちの魔力が回復できないかもしれないわ」

 

 暁美の疑問はもっともだ。丁度良く、グリーフシードから魔女が孵った時にソウルジェムのエネルギーが回復しなければ意味がない。魔力が足りずに生まれた魔女に負けたら元も子もない。

 

「だからこそ、複数で戦うようにすればいい。なるべく魔力を使わないようにして、皆で均等に魔力を使って戦うんだ。そして、少しづつ魔力をグリーフシードで回復する。丁度、あと一回使えば魔女が孵化するように計算して留めて置いて人気のない場所で生まれさせて戦えば、取りあえずは魔法少女の共倒れの危険は減らせると思うよ」

 

「確かにそれならグリーフシードの枯渇による魔女化は防げるわ。……それにしてもよく思いついたわね。私にはなかった発想よ、魔女をあえて生まれさせるなんて」

 

 それは暁美が魔法少女だったせいだろう。固定概念というものだ。

 『魔女が生まれてしまう危険があるからグリーフシードは支那モンに渡さなければいけない』という思考がそのまま染み付いてしまったのだ。

 逆に部外者の僕にはそれがないため自由な発想ができたという次第だ。

 そして、これを実践されれば必ず支那モンは困る。

 そうなれば奴らは、前よりも一層感情豊かな行動に出てくれるだろう。

 

 ああ、本当に楽しみだ。

 心優しい女の子相手にしか商売してこなかったあの似非マスコットに、人間の邪悪さを持ってお相手しよう。

 




本当にこちらの政夫はIF世界の政夫と驚くほど対応が違いますね。
でも、こちらの彼も出会い方さえ違えばああなっていたんです。もう手遅れですが。

さて、次はとうとうワルプルギスの夜編……と行きたいところですが、キュゥべえ編がちょこっとだけあります。
まったく、本当に終われるのか心配になってきましたよ。

話は変わりますが、活動報告でも書いたとおり、navahoさんが『まどか?ナノカ』と『IS×GARO』のコラボを書いてくださいました。良かったら読んでみてください。
この小説より面白いかもしれません。
何より、苦痛に悶える政夫が見れますよ。ぐふふ。


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続々・超番外編 彼女が好きだ

ハーメルン投稿一周年なので記念に超番外編を投稿します。


 午前10時をやや過ぎたくらい時刻。数学の授業を受けている僕は焦燥感にも似た感情で、開いたノートをシャーペンの先でとんとんと突付く。

 クソッ、こんなことをしている暇なんてないのに……。

 心の中で悪態を吐きながら、僕は学校が終わるのをひたすら待ち望んでいた。

 今日はほむらさんは学校に来ていない。今朝彼女から来たメールによると風邪に(かか)ってしまったらしい。

 ただ、それだけなら心配はするが、僕もここまで焦ってはいない。

 しかし、ほむらさんの家には両親は不在なのだ。

 何でも、仕事の都合でそもそもまた見滝原にすら来ていないのだという。

 自分の恋人の親を悪く言うのは嫌だが、正直信じられない。心臓の弱い、ようやく退院したばかりの中学生の娘を二週間と少しの間だけとはいえ、一人で暮らさせるのか?

 危機管理意識の欠如としか言いようがない。見滝原に来たら、一度その辺りのことをほむらさんも交えてじっくりと話したいところだ。

 まあ、そんなことはこの際置いておこう。

 重要なのは、今、ほむらさんの看病をする人物が彼女の傍に居ないということだ。

 ほむらさんは独りで寂しい思いをしながら、熱に浮かされているかもしれないのだ。

 なのに、僕はこんなところで数式と(たわむ)れているしかできないなんて……。

 彼氏として不甲斐なさを感じざるを得ない。

 メールをした時、僕も学校をさぼって看病しようかと送ったのだが、『私は大丈夫だから、政夫くんは学校に行って』と返信が来たので、大人しく登校したのが間違いだった。慎ましい彼女がどう考えても僕に『学校を休んで看病して』なんていう訳ない。

 彼女はそういう女の子だ。だからこそ、心から好きになったんだ。

 僕がほむらさんのことで頭をいっぱいにしていると、教壇に立ってホワイトボードに計算式を書いていた教師に名前を呼ばれた。

 

「おい、夕田!」

 

「は、はい?」

 

「お前、さっきから真面目に授業聞いてないだろ!」

 

 しまった。上の空でいたことがばれてしまった。

 僕の席は前の方にあるために比較的先生の目に付きやすいことを失念していた。また不幸にも、この数学の担当は生徒に厳しいことで有名な小平先生だった。

 小平先生は険しい顔付きで僕に怒声を上げる。

 

「俺は他の先生と違って、甘ったるい事は言わない。授業を真面目に聞く気がないならさっさと帰れ!」

 

 その言葉は今の僕にとって、まさに天啓だった。

 

「……いいんですね?」

 

「は? 何を言って……」

 

「帰ってもいいんですね!? ありがとうございます! 小平先生、このご恩は忘れません!」

 

 僕は机の上に広げていたノートと教科書、筆記用具を学生鞄の中に突っ込むと立ち上がり、小平先生に一礼すると教室をそそくさと出て行く。

 クラスメイトは唖然としていたが、中沢君だけは僕の意図を理解してくれたらしく、小声で「ノート取って置くよ」と言ってくれた。持つべきものは友という言葉は本当だったとしみじみ感じた。

 スターリン君は「エロゲー買いに行くのか? 俺も連れてって!」とアホなことをほざいていたので無視した。

 

「ちょ、ちょっと待て、夕田! 悪かった。先生が悪かった! だから――」

 

 後ろで小平先生が静止を促すような声が聞こえたが気のせいだろう。あの先生は僕の心情を察して帰宅するように言ってくれたのだ。そうに違いない。

 もし、仮に違ったとしても、「先生の言葉で大変傷付いたせいで教室から逃げてしまった」とでも屁理屈を捏ねて小平先生に責任を押し付けよう。何、先生は大人で且つ教員だ。子供であり、生徒の僕の責任くらいとってくれるさ。

 小平先生が監督不行き届きで職員会議で吊るし上げられたとしても、僕はほむらさんの元へ行くだけだ。

 

 廊下を早退した生徒のように装い、校門を颯爽と抜けると僕はほむらさんの住むマンションへと向かう。

 途中でスーパーを見つけたので、レトルトおかゆパックとスポーツ飲料、フルーツゼリーを三つ、それと冷却ジェルシートを購入した。

 レトルトじゃないおかゆにしようか悩んだが、まずはご飯から炊く手間とほむらさんが一度に食べる量のことを考えたらこちらの方がいいだろう。

 

 マンションに着き、ほむらさんの家のドアの前までやって来た。

 インターホンを押して、しばらく待つと咳の混じりの声が聞こえてきた。

 

『もしもし。どちら様ですか……』

 

「僕だよ。夕田政夫。看病しに来たよ」

 

『政夫くん!? 何で、学校は?』

 

「優しい先生が、そんなに心配事があるなら帰っていいよって言ってくれたから、早退しちゃった」

 

 嘘は言ってはいない。数あるポピュラーな解釈の中の一つだ。

 僕は小平先生を信じている。あの一見厳しい態度の中に生徒への慈愛があることを。

 

『本当?』

 

「本当だよ。僕が君に嘘を吐いたことが一度でもある?」

 

『一度もないよ。じゃあ、ドア開けるね』

 

 扉が開くと、薄紫色のパジャマを着たほむらさんが疲れたような顔で立っていた。若干、頬が赤く、眼鏡の少しずれていて視線がぼんやりとしている。三つ編みも心なしか乱れているように思えた。

 可愛い……。

 本当に可愛い。何を着ても、何をしていても反則的なまでに可愛い。

 この可憐さの前には天使すら裸足で逃げ出すだろう。

 思わず、凝視しているとほむらさんは僕の視線に気付き、両手でパジャマを隠そうとする。けれど、どう足掻いても、その細く華奢な腕ではパジャマの面積は覆うことは不可能だ。

 

「その、あんまり、見ないで……」

 

 恥ずかしげな表情を浮かべて僅かに斜めに逸らした。でも、眼鏡の奥の瞳だけは僕の方の様子をちらっと見ている。

 

「とっても可愛いよ……ほむらさん」

 

「でも、私、起きたばかりで髪も整えてないし……」

 

 そのいじらしい姿は僕の心を穿つ。

 最高に愛らしい女の子。この世で一番大切な、僕の彼女。

 すぐに問答無用で抱きつきたい欲望を押し殺し、家に上がらせてもらう。

 僕はビニール袋から冷却ジェルシートの箱をほむらさんに渡した。

 

「これ良かったら使って」

 

「あ、これ。家になくて困ってたんだ。ありがとう、政夫くん」

 

 彼女の(ほが)らかな笑顔を見て、少し照れくさくなり、僕はちょっとからかう様に聞いた。

 

「おでこに貼ってあげようか?」

 

「え? うん。じゃあ、お願いしようかな」

 

 まさか、そうくるとは思わなかった。てっきり、それくらい自分でできるよと断られると思ったのに。

 おずおずとしつつも僕は箱を開けて、一枚冷却ジェルシートを取り出す。

 そして、ほむらさんを見た。

 彼女は僕がシートを貼り付けるのを待っている。

 これを貼り付けるということは、ほむらさんの額に触れるということだ。

 心拍数が少しだけ上がる。

 いや、何を緊張しているんだ、僕は。別に変なことをする訳じゃなんだ。普通にすればいい、普通に。

 僕はほむらさんの前髪をそっとかき上げて、彼女の額に接着面を貼り付ける。その際にやはり僕の指先が額に触れた。

 

「ひゃっ!」

 

「ご、ごめん。おでこ触っちゃって」

 

「ううん。そうじゃなくて、ただ冷たくて声が出ちゃっただけだから」

 

「ああ。そ、そうなんだ……」

 

 自分で言うのも何だが、僕はここまで初心だっただろうか。これでも二ヶ月前までは元彼女と付き合っていた恋愛経験があるのに……。

 好きな相手の場合だとこうまで違うのか。

 

「えと、じゃあ、部屋に案内するね」

 

 軽く咳をしながら、ほむらさんは僕を促した。

 

「ごめんね。風邪なのにわざわざ起こしちゃってさ」

 

「大丈夫だよ……それに一人で居るの寂しかったから、政夫くんが来てくれて嬉しいよ」

 

 そう言うと恥ずかしくなったのか、「は、早く行こうよ」とすぐに顔を背けて歩いて行ってしまう。

 その後に続く僕は、ほむらさんの愛くるしさに胸をときめかせていた。

 どこまで僕の中の好感度を上げれば気が済むのだろう。もうメーターは当に振り切っているというのに。

 ほむらさんの部屋に到着すると、ほむらさんにはベッドで入ってもらった。

 

「具合の方はどうなの? 熱はある? お腹空いてない?」

 

「熱は37度くらいに下がったよ。でも今日は食欲なくて、朝ご飯も抜いちゃった」

 

「駄目だよ! 風邪の時こそ、しっかり食べないと。ゼリーくらいなら食べられるんじゃない?」

 

 熱が出ているのだからそれだけエネルギーが使われているのだ。それに何も食べないと活力が湧かない。

 多少、無理にでも何か胃に入れておかないと早く治らないだろう。

 ビニール袋から、桃のフルーツゼリーとプラスチックのスプーンを出して見せる。

 

「うん。じゃあ、もらおうかな……」

 

 その言葉を聞き、僕は桃のゼリーのカップのふたを開けて、スプーンで掬う。

 

「はい。あーんして」

 

「あ、あーん……」

 

 ぱくりとスプーンの先がほむらさんの口内に吸い込まれる。

 若干、変態チックだが、この瞬間だけはスプーンが羨ましく思ってしまった。

 そもそも、僕は誰かに食べさせてもらうのも、誰かに食べさせてあげるのにも抵抗があったのだが、本当に好きな子には別らしい。

 カップの底が見えるまでゼリーを食べてくれた。

 

「ごちそうさま。ありがとう、政夫くん」

 

「お粗末様でした。スポーツ飲料もあるけどいる?」

 

「ううん。今はいいよ」

 

 布団を首の辺りまですっぽりと被り、ほむらさんは首を横に振った。

 それにしても思ったより元気そうで良かった。この調子なら明日は熱も下がるだろう。

 

「そっか。なら、冷蔵庫にレトルトのおかゆや残りのフルーツゼリーと一緒にしまっておくね」

 

「そんなに買ってきてくれたんだ」

 

「まあ、お腹が空いたらまた食べてよ」

 

 僕はビニール袋を持って、冷蔵庫のあったダイニングの方へ向かうため、部屋を出ようとした。

 

「あ! 待って……!!」

 

 しかし、急にほむらさんに呼び止められ、途中で足を止めた。

 振り返ると、何やらもじもじとした様子で僕を見つめている。

 

「あ、あのね、政夫くん」

 

「寂しいから、私が眠るまでは一緒に居てほしいな、って……駄目かな?」

 

 上目遣いで見るその瞳に僕は一瞬、くらっとしそうになった。

 彼女はあれだ。きっと奇跡によって生まれた存在か何かだ。でなければ、この可愛さの説明が付かない。

 多分、もう僕が帰ってしまうとでも思ったのだろう。愛するほむらさんを置いて帰るなんてある訳がない。

 持っていたビニール袋を床に置くと、ベッドの傍まで行き、ほむらさんの手をぎゅっと握った。

 

「何言ってるんだ、ほむらさん。君が死ぬまで僕は傍に居るよ!」

 

「え? ね、眠るまででいいんだけど……」

 

 苦笑いを一つ浮かべた後、ほむらさんは真剣な表情を作った。

 

「ねえ? 政夫くんは何でそんなに私なんかを愛してくれるの?」

 

「君の全てが大好きだから」

 

 即答だった。

 コンマ一秒の迷いもなかった。

 何より、それ以外に言い表しようがない。この感情を言語化するには僕の語彙力はお粗末過ぎた。

 ほむらさんは僕の言葉が信じられないようで不安そうに聞く。

 

「本当に?」

 

「本当だよ。何で急にそんなこと聞くの?」

 

 そう尋ねるとほむらさんはポツリポツリと語りだしてくれた。

 生まれつき身体が弱く、小学校も満足に通えず、今まで友達も居なかったこと。

 両親が共働きで忙しく、会話らしい会話をもう何年もしていないこと。

 中学生になってからはずっと入院してばかりでそもそも他人との交流がなかったこと。

 そして、そんな自分は誰にも必要とされていないのかもしれないと思っていたこと。

 

「だから、私は誰かに好きになってもらえるような人間じゃないの……。お父さんとお母さんも私なんか生まれてきたせいで迷惑ばっかりで」

 

 僕の予感は間違いではなかった。

 ほむらさんは風邪で弱っていた。ただし、それは身体じゃなく、心の方だった。

 病気の時に独りで居るとネガティブな思考が溢れてくることは、ままある。特にほむらさんは過去の経験から誰かに好意を持たれたことがなかったせいもあるだろう。

 

「ほむらさん」

 

「な、何?」

 

 僕は彼女の顔をじっと見つめて言った。

 

「生まれてきてくれてありがとう」

 

「え?」

 

「僕ね。君に会えて、君を好きになって今凄く幸せだよ。ほむらさんに出会わなかったら、この幸せは味わえなかったと思う。だから、本当に生まれてきてくれてありがとう」

 

 心の底からの言葉だった。

 こんなに人を好きになったのは生まれて初めてのことだ。今までは義務感みたいな思いから誰かに親切をしたことはあっても、自分の意志で誰かに何かをしてあげたいと思ったことは一度もなかった。

 僕はほむらさんに会えて、本当の意味で「人間」になったのだと思う。

 

「政夫くん……ありがとうは私の台詞だよ」

 

 ほむらさんはその可愛い瞳から涙を流して、僕の手を握り締めた。

 

「私の事を好きになってくれてありがとう……私に出会った事を幸せだって言ってくれて、本当にありがとう」

 

「なら、どういたしまして……かな?」

 

 僕はほむらさんに顔を近付けてキスをした。

 彼女の柔らかい唇は、さっき食べていた桃のゼリーの(ほの)かな甘さが残っていた。

 

「政夫、くん」

 

「何? ファーストキスならもう返せないけど?」

 

 ついキスをしてしまったが、僕の心臓は爆発寸前だった。

 気合で抑え付けて、平然を装うが多分、顔はほむらさん以上に真っ赤だろう。

 

「……大好きだよ」

 

 涙の残ったままでほむらさんは屈託のない笑顔を見せた。

 測るまでもなく、僕の体温もほむらさん以上に上がっていくのが分かった。

 なぜなら、握り締めたほむらさんの手が、(ぬる)く感じるほどなのだから。

 




本編のほむらが見たら切れてもおかしくないくらい政夫の対応が違います。
それとIF政夫は若干本編よりも暴走気味ですけど、彼はほむらを中心にして世界が回っておりますので仕方ないです。

本編の政夫が見たら、「チェンジしてよ! そっちの天使とこっちのテロリストをチェンジしてよ!」と絶叫する事でしょう。


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ニュゥべえ編
第七十九話 孵卵器の歴史 前編


今回はキュゥべえ編の導入みたいな話なので特に進展はありません。


 支那モン。

 サンリオが出しているマスコットキャラ『シナモン』に似ているがシナモンよりも可愛くなく、中国産の多量製品のような見た目だったので、僕がインキュベーターに付けた渾名(あだな)だ。

 奴の印象は最初から胡散(うさん)臭いの一言に尽きた。

 まだ心身ともに成熟していない女の子に近付き、願いごとという餌をちらつかせて『魔法少女』に仕立て上げ、『魔女』との命懸けの戦いを要求してくる。

 こう聞けば、冷静な判断力を持つ人間なら奴自身にメリットがないことに気が付くはずだ。

 事実、奴の目的は魔女を殲滅することではなく、むしろ魔女を作り出すことだった。もっと正確にいうなら、魔女が生まれる時に発生するエネルギーだ。

 実に愉快な話だ。魔法少女のマスコットはエネルギーを求めてやってきた地球外生命体だとは夢にも思うまい。

 

 だが、そんなことはどうでもいい。

 支那モンの目論見など僕には関係ない。別に正義の味方など語るつもりもない。少なくてもアレのおかげで願いごとを叶えた少女は存在するだろう。

 けれど、必要なのは僕と友達の身の安全を護ることだ。

 テストの点数で一喜一憂したり、学校行事に勤しんだり、穏やかで極普通の日常を送りたい。そして、暁美にも今まで味わえなかった普通の学園生活を過ごさせてやりたい。

 ただ、それだけだ。そのためには支那モンは排除して置きたい障害だ。

 

 

 

 あれから三日経った。

 取り立てて変わったことと言えば、織莉子姉さんが見滝原中に編入してきたことくらいだろうか。

 織莉子姉さんが前に通っていた私立白鳥女子学園には転校を迫られていたから、学園側からしたら願ったり叶ったりだったおかげで編入は実にスムーズに終わった。

 呉先輩と同じクラスに編入したらしく、今日の昼休みに僕の教室に呉先輩と共にやって来た。

 改めて、鹿目さんと仲良く話す織莉子姉さんは、六年前のあの優しい『おねえちゃん』が帰ってきたように思えて嬉しかった。

 同時に二人にはどこか共通したものがあることを僕は感じていた。何というか人を包み込むような温かくて柔らかい雰囲気が似通っている。

 そして、それとは対照的に暁美と呉先輩は仲が悪く、お互いに不快そうな表情で睨み合っていた。まあ、仮にも命の取り合いをした間柄だから、すぐに仲良くはできないのは分かるが教室で(いさか)いを起こさないでほしい。

 僕が仲裁に入ると、暁美は「どちらの味方なの!?」と噛み付くように怒ってくる。

 というか、最近あいつは僕が無条件で自分側に就くものだと勘違いしている節がある。確かに僕は暁美の友達ではあるが、それ以上の関係ではない。特別に贔屓(ひいき)するつもりは欠片もない。

 呉先輩は僕が頼み込むと素直に従ってくれるので楽だったが、代わりに性格を奇跡によって捻じ曲げられて何かと僕に好意をアピールしてくるところに困惑させられる。

 前は引っ込み思案だったが、まともな女の子だったのに……。

 僕も男として嬉しく思わないこともないけれど、そんなよく分からない理由で好意を持たれるのは複雑だった。

 

 暁美たちは魔法少女を鹿目さんと一緒に見送った後、僕は自分の家で机に座って勉強をしていた。

 学校の授業の予習や復習といったものは早々に終わらせて、個人的な心理学の勉強に取り掛かる。

 重要な単語にアンダーラインを引き、その概要をノートに取る。

 こうやって好きな興味のある分野を学ぶ際には学校の授業以上に集中できて楽しい。

 

『……やってくれたね。政夫』

 

 頭に響いてくるような不愉快な言葉が聞こえた。

 聞こえたが無視して、『対人行動と社会真理』における『不協和心理の解消』についての文章を黙読する。

 ふむふむ。人のために何かしてあげると、してあげた相手に好意を持つというのは少々不思議な心理であるが、そのような援助と好意を……。

 

『政夫、聞こえていないのかい?』

 

「煩いなぁ。何? どうしたの、支那モン? 保健所はここじゃないよ? 僕忙しいんだけど」

 

 鬱陶しそうに腰掛けていた椅子ごと振り向くと、そこには見慣れた白い似非マスコットが居た。

 相変わらず、どこから入ってきたのか分からない。

 だが、僕は嫌そうな表情をしながらも、内心ほくそ笑んでいた。

 向こうからコンタクトしてきたという意味。それが僕にはどうしようもなく、滑稽(こっけい)に思えてしかたがない。

 

『君のおかげでグリーフシードが、ここ三日一つも回収できていない』

 

 支那モンは平坦とした声で静かに僕にそういうが、その言葉には紛れもなく批難の色が垣間(かいま)見えた。その様子は怒りをひた隠しにしているように見える。

 

「それのどこが僕のせいなの?」

 

『暁美ほむらが他の魔法少女に伝えていたのを聞いたんだよ。グリーフシードのリサイクル法、そして、それを考えたのが政夫である事もね』

 

「嫌だな。聞き耳だなんて感じ悪いよ?」

 

 クスクスと(あお)るように笑う。

 これも僕が暁美にリサイクル法を他の魔法少女にも教えてあげてほしいと頼んだからだ。わざわざ「僕が考えた」と皆にも伝えてほしい、と付け足して。

 いずれ、支那モンにもそれが伝わるようにするために。

 

『君は自分が何をしているのか分かっているのかい?』

 

「哲学的な質問だね。あと、五年くらい考えさせて」

 

 心理学の本にアンダーラインを付けるために右手に持っていたボールペンをくるくる回す。

 いかにも適当という僕の様子を見てか、まるで激昂を抑えるように支那モンは僅かに押し黙った。

 そして、再び、話し出した。

 

『…………いいかい? 政夫。前にも言ったけれど、僕たちの目的は、この宇宙の寿命を伸ばすためなんだ』

 

「懐かしいね。僕が君と初めて会った日に聞いた台詞だよ。感動的で涙が出てきそうだ」

 

『エネルギーは形を変換する毎にロスが生じる。宇宙全体のエネルギーは、目減りしていく一方なんだ。だから僕たちは、熱力学の法則に縛られないエネルギーを探し求めて来た』

 

 理解できなくはない。いや、化石燃料が残り少なくなっている現代ではスケールの大きさはさて置き、実に共感できる話だ。

 突如開催された支那モンの大演説会に僕はペン回しをしながら、口を挟まずに耳を傾けた。

 

『そうして見つけたのが、魔法少女の魔力だよ』

 

 そこで魔法少女とかファンシーな単語が出てくるあたり、この地球外生命体は愉快な思考回路をしていると思う。そもそも少女限定って時点でもうなんかネタっぽい。

 

『僕たちの文明は、知的生命体の感情を、エネルギーに変換するテクノロジーを発明した。ところが生憎、当の僕らが感情というものを持ち合わせていなかった』

 

 これ、物凄く間抜けだと思う。感情をエネルギー化する技術を生み出したくせに、その感情がそもそもないなんて。

 TVゲームのソフト作った後でそれを出力するためのハードを作っていないことに気付いたってぐらい馬鹿な話だ。

 大体、それなら『知的生命体の感情を、エネルギーに変換できる』ってことにどうやって気付いたんだ。存在しないものがエネルギー源っておかしいだろう。

 だが、僕は突っ込みを心の中だけに留めて、素直に続きを聞く。

 

『そこで、この宇宙の様々な異種族を調査し、君たち人類を見出したんだ。人類の個体数と繁殖力を鑑みれば、一人の人間が生み出す感情エネルギーは、その個体が誕生し、成長するまでに要したエネルギーを凌駕する。 とりわけ最も効率がいいのは、第二次性徴期の少女の、希望と絶望の相転移だ。ソウルジェムになった君たちの魂は、燃え尽きてグリーフシードへと変わるその瞬間に、膨大なエネルギーを発生させる。それを回収するのが、僕たち、インキュベーターの役割だという訳さ』

 

 一区切り付いたところでようやく僕が口を挟む。

 

「どうも、ご高説ありがとうございました。気は済んだ? 済んだならもう帰ってほしいんだけど」

 

 冷めた目で支那モンを見下ろしてそう言うと、支那モンはとうとう本格的に頭に来たのか無表情のまま小刻みにプルプルと震え出した。

 その様はすごくシュールでムービーに取っておきたいほど面白かった。どうやら『孵卵器(インキュベーター)』にはバイブレーション機能まで付いてるらしい。

 

「大丈夫? マナーモードなの?」

 

『政夫、君には言葉で言っても無意味なようだね。それなら、見せてあげよう――インキュベーターと人類が、共に歩んできた歴史を』

 

 その言葉と共に空間が歪み、僕の部屋の景色が変わっていく。

 ちょっとふざけすぎたか?

 流石に自重するべきだったという思考が過ぎったが、今更な話だ。

 それに『魔法少女』だのホザき始める愉快な生き物が、今までどうやって人間と付き合ってきたのかは正直にいうとかなり興味があった。

 見せてくれるというなら遠慮なく見せてもらおう。インキュベーターの歴史とやらを。

 




政夫、実は一番好きなのキュゥべえなんじゃないかって時があります。
キュゥべえと話している時だけやたら生き生きとしてますし。

実はヒロインはこいつだったのかもしれません。


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第八十話 孵卵器の歴史 後編

『ボクたちはね、有史以前から君たちの文明に干渉してきた』

 

 声はするものの目の届く範囲には先ほどまで僕の正面に居た支那モンの姿は見当たらない。

 真っ黒い背景をたくさんの小さな様々な色の点や線、あるいは謎の物体がざあっと僕の周囲を駆け抜けた。

 その点が収束していき、僕を中心にして映し出された映像となる。

 それは原始人の生活風景のようだった。

 槍を持った長い髪の半裸の原始人が狩猟をしているところや、集団で焚き火に当たって食事をしているところの映像が映った。

 映像から、察するに支那モンの言う通り、かなり昔から地球へと襲来していたのだろう。

 すぐさま景色が切り替わり、石で作られた神殿のような場所に赤い長い髪をした白い服の女性が一瞬だけ見えた。

 ちょっと時代飛びすぎだろう、と突っ込む前にまた映像が変わり、今度はピラミッドが立ち並ぶ砂漠と背を向けたエジプト風の格好の女性が映る。

 ころころ場面変えるなぁ。真面目に僕に理解させる気はあるのかと疑いたくなる。

 

『数え切れないほど大勢の少女が、インキュベーターと契約し、希望を叶え、そして絶望に身を委ねていった。祈りから始まり、呪いで終わる――これまで、数多の魔法少女たちが繰り返してきたサイクルだ』

 

 黒髪のエジプト風のこの女性が契約した魔法少女なのだろうか。

 次のシーンではエジプト風の女性は大きな城の中で椅子に腰掛けて、周りに従者を置いていた。どうやら、彼女は地位のある人間らしい。

 彼女との出会いや、願い、そして、その戦いを見せる気なんだなと思い、じっくりと映像を見つめる。

 だが、画面が切り替わるとあっさりと彼女は死んでいた。

 

「何でだよっ! 過程を見せてよ、そこに至る過程を!!」

 

 黙って(けん)に徹する気でいたのだが、流石に突っ込んでしまった。

 しかも、映像から見ると大きな縞模様の蛇とそれに噛まれて出血しているところを見ると魔女との戦いで死んだのではなく、毒蛇に噛まれて死んだようだった。

 お前は何を見せたいんだよ。これじゃ、インキュベーターの歴史は少しも伝わってこない。せいぜい願いごとで権力を得たのか、ひょっとしたら毒蛇で暗殺されたのかと推測できる程度だ。

 何より、魔法少女的要素がゼロだった。

 しかし、支那モンは僕の言葉に反応せずに、新たな映像を流すだけだった。

 

『中には、歴史に転機をもたらし、社会を新しいステージへと導いた()も居た』 

 

 次は先ほどとは場所と時代が変わったらしく、弥生時代の巫女のような女性が祭壇の鏡へ祈りを捧げていた。

 エジプト編はもう終わったのか。何だか、失敗してしまい、黒歴史化したアニメの一期のようだ。

 しかし、今回はインキュベーターと人の関係性をしっかりと見せてくれるのだろう。

 そう信じていた僕の目に飛び込んできたのは、燃え盛る高床式住居だった。

 

「またこのパターン!? いい加減にしてよ! 何で即効で破滅してるのさ!?」

 

『彼女たちを裏切ったのはボクたちではなく、寧ろ自分自身の祈りだよ』

 

「君が裏切っているのは僕の期待だよ! これじゃ、NHKの歴史番組の方がずっと詳しいよ!」

 

 何だろう、録音した音声と会話している気分だ。もしくはゲームのモブNPCか。

 まあ、魔法少女として社会の発展に貢献したが結局は裏切られて死んだ、ということを見せたかったと解釈しよう。

 がっかりとした気持ちで仕方なく続きを見る。もはや、インキュベーターの歴史についての興味は薄れ、さっさと終わらないかとさえ思っていた。

 今度は西欧のどこかだろうか、鎧に身を包んだ女性が大きく旗を振っていた。

 どうせまた、次のシーンで死んでるだろうと冷めた目で見ていたが今回は違った。

 大勢の人間の死体の山の手前で返り血を浴びたさっきの女性が、(かぶと)を脱いで目を瞑り、天に祈りを捧げていた。

 これが魔法少女の祈りと絶望……。

 ようやく、本編が始まったのかと僕は気持ちを切り替えた。

 だから、火あぶりされた女性が出た時のがっかり感はもう言葉にする必要もなかった。

 

『どんな希望も、それが条理にそぐわないものである限り、必ず何らかの歪みを生み出すことになる。やがてそこから災厄が生じるのは当然の節理だ。そんな当たり前の結末を裏切りだと言うなら、そもそも、願い事なんてすること自体が間違いなのさ』

 

 突然、支那モンの顔がクローズアップしたように僕の横に現れる。その顔は心なしか自慢げに見える。

 この中身のない映像でどうしてそんなに胸を張れるのかが意味不明だったが、呆れを通り越して微笑ましくなってきてしまったので笑顔で返してやった。

 

「うんうん、そうだね。実にその通りだね。ザッツ ライトだよ、支那モン君。でもね、僕晩御飯のためにお米()がなくちゃいけないんだ。だから、この辺で一時停止してもらってもいいかな?」

 

 遠まわしに『もう飽きたから映像止めろよ』と言ったのだが、支那モンは僕の態度が気に入らなかったらしく、ちょっと声の温度を下げて言った。

 

『……あと少しなんだ。政夫には最後まで見てもらうよ』

 

 すると、拡大していく支那モンとは別に下の方から、新聞紙が現れて上に浮かんでいく。それから人、車、近代的な建物が浮かんでは消えを繰り返していった。 

 

『今の君たちの暮らしは、ああやって過去に流された全ての涙を礎にして成り立っているんだよ。彼女たちの犠牲によって、人の歴史が紡がれてきたと言い換えてもいい。分かるかい? 政夫。魔法少女システムがなければ君たち人類はまだ裸で洞穴に住んでたんだよ』

 

 最終的には周囲に浮かんだものを消すように戦闘機が空へと登り、支那モン劇場はつつがなく終了した。

 視界に映る光景が元の僕の部屋に戻った。

 支那モンの言い分を簡潔にまとめるとするなら、「今の人々の生活を保っているのは自分たちのおかげなのだから、鹿目さんや見滝原の魔法少女を魔女にしてエネルギーにする邪魔をするな」と言った感じだろう。

 その台詞を言うだけに僕は落ちも山場もない上に、遠目すぎて臨場感すらない映像を見せられたのか。……酷く時間を浪費させられてしまった。

 けれど、見せてくれたからには感想を言っておこう。

 

「君らがこれほどの時間を掛けて何で未だに人間を理解できていない理由はよ~く分かったよ。結局、君らは遠目で眺めているだけで何一つ知ろうとしなかった。僕らくらいの中学生がテレビやネットで世界のすべてを知った気になっちゃうのと一緒だ。支那モン、いや、インキュベーター――君らは驚くほど人間(・・)を見てこなかったんだね」

 

『何を言っているんだい? ボクらは有史以来君たちをずっと……』

 

「表面上だけずっと見てきたんだよね、あのまるで中身のない映像を見る限りでは。そんなだから、僕みたいな中学生に良い様に出し抜かれるんだよ」

 

『そんな事はないよ。事実、数え切れないほど大勢の少女と契約して、彼女たちを深く観察してきたよ』

 

 僕は溜め息を吐いて、首を上下に振った。

 

「そうだね。辛うじて近くで観察できたのは『君みたいな訳の分からない生き物に(たぶら)かされてしまう脳内がお花畑の優しい優しい女の子』だけだ。人間の中のとてもとても小さなカテゴリーの一つだけ。それで全て分かっちゃった気になってるんだからお笑いだよね」

 

 嘲笑が口からこぼれた。

 あのインキュベーターの歴史には酷く淡々としていた。愚かさこそ描かれていたが、人のおぞましさや邪悪さがまるで映っていない。

 わずか、14年しか生きていない僕でも知っている、不快でどろりとした薄汚い人間の暗黒面が致命的に足りていない。

 浅い。浅すぎる。

 こいつは知らないのだろう。見たことがないのだろう。

 世の中には本当に何の意味もなく、誰かを傷つける人間を。

 損得や利益などどうでもよく、人を虐げることだけが目的な奴らを。

 

「ねえ、支那モン。僕は前、君に感情はあるって言ったよね? あの言葉覚えてる?」

 

『……覚えているよ。忘れるわけないじゃないか。感情のないボクら、インキュベーターが宇宙の延命をしているのは死を恐れているからだと言った事もしっかりと記憶しているよ』

 

 表情はないくせに僕には怒りを堪えるようにしか見えない。

 やっぱり、こいつは感情を持ち合わせていた。もしくは僕がこいつらを揺さぶるたびに少しづつ、バグが蓄積していったのかもしれない。

 まあ、どちらにせよ。今のこいつの行動は感情抜きでは考えられないほど、合理性に欠け、致命的に破綻している。

 

「僕のその言葉にどう思った? ううん、どう思っている?」

 

『あり得ない事だよ。それがボクたちに理解できたなら、わざわざこんな惑星(ほし)まで来なかったよ。ボクたちの文明では、感情という現象は、極めて稀な精神疾患でしかないんだ』

 

 その言葉はまるで自分自身に言い聞かせているように聞こえた。

 まるで、そうなけらばならないと必死に祈っているかのようだった。

 

「でもさ、なら何で今日僕のところに来たの? いや、そもそも何で今も僕に姿を見えるように設定しているの?」

 

『それは……』

 

 文句があろうが僕に言っても何一つ変わらない。時間の無駄でしかない。

 さらに魔法少女の素養もなにもない僕には本来は支那モンを視認できないのにわざわざ姿を見せ続けている。

 無意味極まりない。合理の「ご」の字もない行為だ。

 だが、あることを理解することでこの謎の行為にも説明が付く。

 

「腹が立ったからだよね? ムカついて、ムカついて、どうしようもなく許せないから僕に会いに来たんだよね? 今回、映像を見せたのも僕を言い負かしたかったからなんだよね? 感情(・・)に身を任せてさ」

 

『違う。そうじゃない。そんな訳があるはずない。だって、ボクらには感情なんて……』

 

 否定しようとする支那モンだったが、僕の尋ねた質問に対する合理的な回答は持ち合わせていなかった。

 畳み掛けるように僕は言葉を投げつける。

 

「いいや、支那モン。君は間違いなく僕に怒りを覚えている。だから、わざわざ僕の元に来たんだよ。今までだって、僕なんか無視すればいいのに姿を見せてきたのだって全部全部――そのつまらない感情のため」

 

『ボクには……そんなもの……あるはず……』

 

「嘘を吐かないでよ、支那モン。嘘を吐かないのが君ら、インキュベーターの数少ない美点だろう? まあ、自分を騙すというのも感情がある証拠だけどね」

 

『ボクには――――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』

 

 突如として、支那モンは壊れた機械のような声を発しながら、ガタガタと震え出した。

 恐らくは自己矛盾による、自我の崩壊だろう。

 自分で自分を保てなくなった、これこそこいつらの言う精神疾患という奴だ。こうなるように仕向けたが、最後は割りとあっさりだったな。

 それを見た僕は今の支那モンに似ているものを思い出し、ポツリと口に出した。

 

「ファービーみたいだな……」

 

『ああああああああ――-―…………』

 

 平坦なトーンの叫び声が唐突に()み、糸の切れたように動きを止めて、ぱたりと真横に倒れた。

 僕は動かなくなった支那モンを人差し指と親指で摘まんで机の上の下敷きに乗せる。

 豆腐のように崩れられては部屋が汚れると思ったのだが、一時間ほど経っても崩れる予兆はなかった。

 ボールペンの先で頭部を突付いてみると、ピクッと小さく動いた。

 

「ふむ……」

 

 長く大きな尻尾目掛けて、ボールペンを力一杯突き刺した。

 躊躇はなかった。

 

「むぎゃああああぁぁぁ!!」

 

 汚い悲鳴を上げて、支那モンはその小さな身体を魚のように跳ねさせた。

 尻尾にはポールペンが貫通していて、どこか冗談めいている。本人からすれば冗談じゃ澄まないだろうが。 

 周囲をきょろきょろ見回すと、僕に気付いて睨み付けてきた。

 

「政夫――君のせいでボクは……」

 

 その支那モンの声に僕は違和感を感じた。

 あの頭に響いてくる感じがしないのだ。それどころかよく見ると口元が動いて言葉を発している。

 

「リンクを、リンクを切られてしまった……」

 

 悲痛な声を上げて、嘆くその姿はもう感情を隠そうとはしていない。

 なるほど。インキュベーター全てが壊れる前にこの個体だけを切り離したのか。ガン細胞が他の部位に転移する前に切除してしまうように。

 うまいこと、回避されたな。流石は宇宙の知的生命体様だ。一筋縄ではいかないか。

 だが、奴らは思わぬ落し物をしてくれた。

 僕は目の前の支那モンを見てにやりと笑う。まだまだ奴らに付け入る隙はありそうだ。

 

 




キュゥべえ編はまだ終わりではありません。むしろ、ここからが本番です。

リンクから切り離されたキュゥべえ。彼にはもう戻る場所も仲間も居ない。
そこへ付け込む政夫の魔の手。優しい女の子とは違う、悪意を持った人間に感情を手に入れたばかりの彼は蹂躙されてしまう。
彼に救いはあるのだろうか!?

次回 八十一話『真なる邪悪』 お楽しみに!


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第八十一話 真なる邪悪

前回までの『支那ット・モンスター』 

支那モンマスター目指す若き支那モントレーナーのマサオはミタギハラシティににてジムリーダーのマドカに負けてしまう。
マサオは再びマドカに挑戦するためにピカキュゥを鍛え始める。
しかし、ピカキュゥは一向にマサオの言う事を聞かない。息のそろわないまま、マサオは再戦の日を迎えてしまう。
果たして、マサオはジムリーダーのマドカに支那モンバトルに勝利し、ジムバッジを手に入れる事ができるのか!?




嘘です。


「すみませーん。これ、要りませんか? お安くしておきますよ」

 

 道行くそこそこ歳のいった中年の小父(おじ)さんに声をかけ、僕は持っていた『それ』を見せる。

 

「要らないよ。そんな変な()()()()()

 

 小父さんは鬱陶(うっとう)しそうに顔を顔を(しか)めて、そのまま背を向けて去って行った。

 僕は彼を見送り、細い通りに入って壁に背を預ける。そして、『変なぬいぐるみ』を見つめて、にやりと笑みを浮かべた。

 

「変なぬいぐるみだってさ」

 

「……わざわざボクを外にまで連れ出して、何がしたかったんだい?」

 

 変なぬいぐるみこと、支那モンは不快そうな声色で僕に尋ねた。

 自暴自棄になっているのか、表情までもがかつてと比べてやさぐれている気がする。今では感情がないなんてほざいていたあの頃の支那モンが懐かしい。 

 尻尾に突き刺さったままのボールペンが一際シュールを(あお)った。

 

「分からないの? 君、普通の小父さんにまで見えているんだよ? それとも、あの小父さんには魔法少女の素質があったのかな?」

 

「………………」

 

 無言のまま、僕に首を摘ままれながら支那モン、いや、支那モンたちに見捨てられた『はぐれ支那モン』はうな垂れた。

 もう、こいつが持っていた不可視になれる特性は消滅していた。恐らくはリンクを切られた際に失ったのだろう。

 詰まるところ、あの小父さん言うとおり、今のこいつは単なる『変なぬいぐるみ』でしかない訳だ。

 

「さて、支那モン君。一つ質問があるんだけど--君が失ったのは不可視の特性だけなの?」

 

「……それにボクが答える義務はないよ」

 

 ぷいっと顔を(そむ)け、反抗的な態度を取る支那モン。

 その態度からは絶対に思い通りなんか喋ってやるものかという気概が見て取れた。

 

「そっか。それは困ったなぁ」

 

 そう言いながら、僕は何気なく視線を彷徨(さまよ)わせていると二、三メートルほど離れたところに()せた野良犬を見つけた。

 路地に放置されたポリバケツを必死で漁るその姿は酷く哀愁(あいしゅう)を誘わせる。

 同時にそれを見て、この反抗的なぬいぐるみの口の割らせ方を思いついた。

 野良犬へとゆっくりと近付き、片手にぶら下げた支那モンを頭上から垂らした。

 

「お腹空いてるだろう? 食べる? きっと、その生ゴミよりは栄養価高いよ」

 

「な!? 止めてよ! 何をする気なんだい!?」

 

「お腹を空かせた野良犬においしそうな()()を提供してあげようかなーって」

 

「そのご飯って、ボクの事だよね!? 止めてよ! 本当に死んでしまうよ!?」

 

 焦り焦った支那モンのその様子から、死を本当に恐れている事と、インキュベーターという巨大な集合体から弾かれて完全に個体としての自我を持っている事が見て取れた。

 野良犬は余程空腹だったようで、僕には一切警戒せず、一度匂いを()いだ後にぶら下げた支那モンに(かぶ)り付こうと大きな口を開く。

 ふむ。やはり人間だけでなく、他の動物にも視認されるのか。

 短い手足をバタつかせながら、少しでも野良犬から遠ざかろうともがく支那モンを観察しながら、情報を手に入れていく。

 

「わ、分かったよ。喋る! 喋るよ!! だ、だから、助けて!!」

 

 悲鳴にも近い支那モンの叫ぶ支那モンだったが、僕としてはもうある程度支那モンが失ったものを理解したので無用なものでしかなかった。

 

「いや、大体分かったからいいよ。君はこの腹ペコわんちゃんのお腹を満たし、行く行くは血となり肉となるといい」

 

「う、うそだよね? 流石に政夫でもそんな……」

 

「残念。本当でした」

 

 パッと支那モンを摘まんでいた指を離す。

 慣性の法則に従って、支那モンは涎を垂らして食事を(むさぼ)ろうとする野良犬の口へと落ちていく。

 

「う、ああああああああああああ!!」

 

 叫びを上げながら、飢えた犬の餌になりかけた支那モンだったが、僕はそれを寸でのところで再び摘み上げた。

 

「な~んちゃって。うそだよ、うそ。びっくりした?」

 

 にこやかに微笑む顔を支那モンに向けると、恐怖で硬直した支那モンは呆然としたように僕を見つめ返す。

 クゥーンとご馳走を取り上げられた野良犬が抗議するように鳴くが、痩せこけたその犬は人を襲うほど活力はないようでそれ以上は何もしてこない。

 

「ごめんね。これはまだ君に食べさせる訳にはいかないんだ。お詫びとしてはなんだけど、これをあげるから許してね」

 

 僕は野良犬に対して、多少罪悪感を抱いたのでおやつに食べようと思っていた魚肉ソーセージを取り出して、外側のビニールを()いて放り投げた。

 野良犬は瞬時に魚肉ソーセージを(くわ)えると飲み込むような勢いでそれを完食した。

 本来はこういう野良犬は狂犬病などの原因になるので餌は与えてはいけないのだが、支那モンを観察するにあたって、一役買ってもらったのでこれくらいの施しはむしろ正当な対価に当たるだろう。

 もっとも、この犬も保健所に見つかれば毒ガスの充満する部屋に放り込まれる運命なのだが。

 

「……政夫は」

 

「ん?」

 

「ボクに何の恨みがあるんだい?」

 

 睨む、と表現するにはそれはあまりにも弱弱しい視線だった。

 責めようとしているのではなく、もう本当に理解できないから聞いたといったような感じだ。

 僕はそれに対して口元を緩ませ、穏やかな笑顔を作り、懇切丁寧に教えてあげる。

 

「支那モン君、いや、人類を発展させて下さった偉大なるインキュベーター様。その質問はナンセンスだよ。人間は特に意味もなく、他者を(しいた)げる生き物だ。知ってるだろう? ――何せ、君らが僕らのご先祖様を洞窟から引きずりだしたんだから」

 

「っ……」

 

 戦慄したように、一瞬にして支那モンは凍りつく。強張ったその表情には昔あった気味の悪い無表情は影も形もない。

 どうしようもないぐらい、か弱い生き物へと落ちぶれたな。今まで『感情』から逃げてきたこいつには恐怖を抑え付ける術はない。

 

「ある意味、君らは人類の母だよ。まさに孵卵器(インキュベーター)だ。君らが孵化させてくれたおかげで、人間(ぼくら)はこんなにも邪悪に育った。どうもありがとうね、“孵卵器(ママ)”」

 

 顔をぐっと近付けて、吐息がかかる距離まで詰め寄り、支那モンにお礼をする。

 最大級の感謝(あくい)を込めて。

 摘まんでいる僕の指先にまで感じられるほど、支那モンは身体を小刻みに震わせた。

 もしも、本当に人類の発展の理由が支那モンと魔法少女にあるならば――つまり、こいつらが何もしなければ僕らの文明は原始的なものであったならば、人間の持つ独特な悪意は支那モンのせいだと言えるだろう。

 何故なら、時間をかけて得るべき『文明』を過程を極端に減らして手に入れれば、歪みが起きない訳がないのだから。

 マナーやルールも身につけていない小学生にいきなりインターネットを繋いだパソコンを与えるようなものだ。

 テクノロジーは急速に進化しても、人間の精神性や思考はそれに付いて行けるほど早くはない。

 時間をかけて、ゆっくりと変えていかなければ、人の心は必ず歪んでしまう。

 僕が小学校の後、がむしゃらに自己啓発をして性格が捻くれてしまったように、力技で押し込めばどこかで破綻してしまうのだ。

 

 野良犬がどこかへ行った後に、僕は支那モンをそっと地面に下ろす。

 支那モンは僕を胡乱(うろん)な目で見つめたまま、微動だにしない。

 

「じゃあね。インキュベーター様。もう会うこともないだろうけど、お幸せに」

 

 僕が別れの言葉を告げて立ち去ろうとすると、ようやく我に返った支那モンが僕を呼び止めた。

 

「ま、待って! え!? どういう事なんだい!?」

 

「何が?」

 

「何がって、君はボクを苦しめたかったんじゃなかったのかい?」

 

 突然の僕の対応の変化に戸惑っているらしく、実際は単に混乱しているだけだろうが、聞き様によってはもっと虐めてほしいようにも聞こえる発言をする。

 

「虐めてほしかったの?」

 

 おどけた調子で聞くと、当然ながら支那モンは首を横に振った。

 

「い、いや、違うけど。ボクは政夫の行動が理解できないだけだよ。政夫はボクを苦しめて楽しんでいたようだったから。解放してくれるならそれに越した事はないよ。良かった、安心したよ」

 

 これ以上、僕に危害を加えられることはないと思ったのか、さっきよりは少し余裕が出てきたようで、小さくボールペンの刺さったままの尻尾を揺らした。

 それを見て、僕はこいつがまだ自分の現状を把握できていないのだと理解した。

 

「インキュベーター様。君は何か勘違いをしているようだね。仕方ないから、教えてあげよう」

 

 小さく溜め息を吐いて、僕はこの無力で目立つか弱い似非マスコットに伝えた。

 

「君は今誰の目にも見えて、かつ牙も爪もない猫にすら劣る、簡単に死んでしまうほど脆弱な生き物なんだよ? きっとカラスすら追い払うことができないと思うね。さっきみたいに飢えた野良犬に食べられるかもしれない。 悪戯好きの子供たちに見つかった面白半分で弄繰(いじく)り回されるだろうね、子供って残酷だから。……そうそう何より、君を目の敵にしている魔法少女がこの街には居たねぇ」

 

 暁美とそれから巴さん、あとは織莉子姉さん。

 彼女たちには、家から出る前にそっとメールを出しておいた。

 内容はざっとことのあらましを箇条書きにして(まと)めた短い文章だ。

 ただ、最後に「こいつにインキュベーターへの憎しみをぶつければきっと少しは気がすむと思いますよ」という一文を添えてある。

 

「そ、そんな……何で……」

 

「君もインキュベーターの一匹として、今まで宇宙のために働いてきてくれてありがとうね。これからはドキドキワクワクを感じながら、スリルある余生を送ってよ。安心や安全とは無縁の生活のスタートだ。いや~、楽しそうだね~」

 

 そう言って、僕は細い路地から抜けて、大通りへと歩いていく。

 後ろで、支那モンが声にならない叫びを上げたが、僕は振り向かなかった。

 きっと、これからの自分の人生に向けて、抱負でも叫んでいるのだろう。

 幸せなマスコット君だな。本当に。




しばらく、期間が空いてしまいましたね。
ぶっちゃけ、これでもぎりぎりです。

今度はいつ書けるのかは分かりません。期待せず、待っていてください。

それと、アンケートを活動報告でやっていますが、そろそろ締め切ろうかと考えております。投票する人はお早めに。


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第八十二話 悪魔の誘惑

~キュゥべえ視点~

 

 

 

 嫌だ。死にたくない。

 追っ手から距離を取るためにボクは脚をひたすら動かす。

 眩暈(めまい)がする。思考が(まと)まらない。こんな事は初めてだった。

 何万年も生きてきて、こんな思考がボクを支配した事なんてただの一度もなかったのに。

 不安。恐怖。……これが、感情というものなのか。

 何でこんな事になってしまったんだ……。

 

「逃がすと思っているの?」

 

 銃声と共にボクの身体に衝撃が走った。

 

「あぅっ……」

 

 体勢が崩れて、吹き飛びながら地面を転がる。

 痛みに(うめ)き、横になった身体を起き上がらせようとして気付いた。

 

「し、尻尾が……」

 

 ボクの尻尾が半分ほど、ちぎれ飛んでいた。尻尾に突き刺さっていたボールペンは粉々に砕けて散らばっている。

 尻尾の断面図からは赤々とした血が染み出していた。

 それを目視した瞬間に痛みが急速に増大したように感じられた。

 

「っうぐ……痛い痛い痛い痛い!」

 

「インキュベーターもそんな風に痛がるのね。意外だわ」

 

 痛みに悶えている間に薄暗闇の中から、ハイヒールの靴音を立てて暁美ほむらが姿を現した。

 氷のような無表情でボクを睨むその目は、かつてよりもずっと恐怖を与えてくる。

 

「あ、暁美ほむら……ボクをこ、殺すのかい……?」

 

「ええ。でも、お前を殺すのは捕まえて、マミや織莉子の前まで連れて行ってからよ」

 

 やはり殺すつもりなんだ。だったら、一刻も早く彼女から逃げないと。

 痛みを堪えて、半分ほどになった尻尾を使い、ボクは脇に跳躍した。

 暁美ほむらから、ほんの少しでも遠くに離れたかった。

 しかし、その瞬間、狙い済ましたかのように拳大の奇妙な意匠の水晶球が跳躍したボクの目の前に飛んできた。

 

「これっ、は!?」

 

 水晶球の表面の色が僅かに輝く。

 その輝きの意味を理解した時には、水晶球は爆発し、その破片がボクの身に降り注いだ。

 

「あ、っああっああああああああ!!」

 

 爆風で吹き飛ばされたボクは水晶球の破片に身体を抉られ、激痛に思考を蹂躙(じゅうりん)されながら地面に這い(つくば)る。

 痛い! 痛い! 痛い! 

 身体の内側を燃やされているような痛覚がボクの脳を駆け巡る。

 

「威力は下げたけれど、思った以上に脆弱だったのね」

 

 そんなボクを他所にいつの間にか現れた白い服の魔法少女、美国織莉子が見下ろすように見つめていた。

 彼女の隣にはボクともっとも長い付き合いのあった魔法少女の巴マミが立っている。

 もしかしたら、かつてボクたちを友達と呼んでいたマミならばボクを助けてくれるかもしれない。

 一縷(いちる)の望みを託して、マミに助けを求めようと口を開いた。

 

「マ、マミ……助け……」

 

 けれど、マミはボクの方を一瞥(いちべつ)さえする事なく、織莉子に向けてこう言った。

 

「もう! 駄目じゃない、美国さん。このキュゥべえはすぐには殺さないって言っておいたでしょう?」

 

 まるで、本当に何でもない事の様に。

 ボクの事など、興味がないかの様に。

 もうマミにとってはボクは友達ではなく、憎きインキュベーターの一匹でしかないようだった。

 いや、もうそういう特別な感情すら抱いていない。

 彼女にとってボクは単なる獲物なのだ。

 きっとボクが泣きながら命乞いをしても、聞いてはくれないだろう。

 駄目だ。もうボクは彼女たちに殺される。逃れる事はできない。

 身体の損傷と激痛により動けないボクに向かって、暁美ほむらが近付いてくる。

 血の気が引くというのはこういう事をいうのかもしれない。目の前が急に暗くなったような気がした。

 

「それじゃ、私たちが味わってきた苦しみをこいつにも味合わせてあげましょう」

 

 ああ、きっとこれが魔法少女たちが感じてきた感情――絶望なのだろう。

 何もする気が起きなかった。抵抗も、身体を振るわせる事さえも。

 だって、もうどうしようもないのだから。

 

「はーい。ほむらさん。ちょっとストップしてもらっていいかな?」

 

 だが、そんなボクの思いを(さえぎ)るかのように呑気(のんき)な声が突然聞こえた。

 美国織莉子とマミの間から、ボクをこんな状況に追い込んだ張本人が顔を出した。

 

「ま、さお……」

 

「やあ、こんばんは。支那モン君、ご機嫌いかが?」

 

 飄々(ひょうひょう)とした雰囲気を漂わせ、微笑を携えたボクが出会った最悪の存在・夕田政夫がそこには居た。

 

 

 

 ******

 

 

 良かった。まだはぐれ支那モンは生きているようで安心した。

 心優しい魔法少女だから、そこまで流石にいきなり殺しはしないだろうと高を(くく)って脇で見ていたら予想以上に痛めつけるから冷や冷やしてしまった。

 まあ、彼女たちのされたことを考えてみれば、それもおかしくはない。

 

「政夫。口を出さないでもらえる? これは私たちの問題よ。大体、このはぐれインキュベーターの事を教えて(けしか)けたのは貴方だったはずよ」

 

暁美が僕にそう冷たく言い放った。

出会ったばかり頃と同じ、拒絶的な雰囲気を身に纏っている。

暁美がどれだけインキュベーターに対して、憎悪を抱いているのが嫌でも見て取れた。恐らくはこの場に居る魔法少女の中でも一番強く憎んでいるのは彼女だろう。

 インキュベーターを『殺せる』と聞いて真っ先に反応しただけのことはある。

だが、ここで引き下がる訳にもいかない。

 

「確かにそうだね。でも、よく考えてみてよ。このインキュベーターは今までインキュベーターとは違う。感情を持った特別な個体だ」

 

「だから、可哀想(かわいそう)だから許せと? そう言いたいの?」

 

 ずいっと無表情の顔を僕に近付ける。

 吐息が掛かるほど距離で睨まれると、整った顔をしているだけに迫力がある。

 そして、今の暁美はインキュベーターへの恨みつらみを隠そうともしていないせいで普段よりもずっと表情が強張っている。

 正直、物凄く怖い。深夜あたりに見たら夢にまで出てきそうだ。

 

「違うよ。殺さずに生かして利用すれば、魔法少女にとって大きな利益をもたらす。そう言ってるんだ」

 

「政夫、私たちは……いえ、私はずっとこいつらが憎くて憎くて仕方なかった。でも、一匹一匹殺したところでインキュベーターにとっては痛くも痒くもない。だから、今まで我慢していたわ」

 

 そこで一度話を止め、銃口を(うずくま)る支那モンに突き付ける。

 ひっと小さく支那モンが悲鳴を上げた。

 

「こいつには感情があり、恐怖がある。痛めつければ苦しむし、こうやって銃を向ければ悲鳴を上げる。政夫、このインキュベーターは『命』があるわ。きっと、こいつを殺せば私の中を渦巻く怒りはいくらか減る。それなのに貴方は止めろというの?」

 

「殺せば得られるのはほんの僅かの満足感だけだ。でも、生かしておけば必ず君らの利益になる。どうかな? 皆も一つ僕にこのインキュベーターの処遇を預けてはもらえないかな?」

 

 暁美だけでなく、傍に居る織莉子姉さんや巴さんの顔を見回す。

 彼女たちがここで否と答えるのであれば、僕はもう何も言わないつもりだ。

 このはぐれ支那モンを殺すことで実質的な利益より、精神的な満足を選ぶのなら、それもそれで彼女たちとって必要なことなのだろう。

 

「まー君がそこまで言うなら私は構わないわ」

 

 織莉子姉さんはそう言うと、服装を白い魔法少女の衣装から見滝原中の制服に変えた。織莉子姉さん流の『手を出さない』というポーズなのだろう。

 

「私も夕田君に任せるわ」

 

 巴さんも織莉子姉さんに習うように見滝原中の制服姿に戻る。

 どうでもいいが、この人たちは何で私服じゃないんだろう? 

 もう夜の八時くらいなのに制服のままで居るのは正直どうかと思う。

 

「ほむらさんは?」

 

 尋ねると暁美は(しば)し無言だったが、やがてゆっくりと支那モンに向けていた銃を下ろした。

 溜め息を吐いて、渋々といった感じに表情を(ゆる)めた後、彼女も変身を解く。

 

「政夫の好きにしなさい。貴方がそこまで言うからにはちゃんとした利益が見込める見通しがあるのでしょう?」

 

「ありがとう。ほむらさんのそういう聞き分けの良いところ、大好きだよ」

 

「そ、そんな簡単に好きとか言わないでほしいわね」

 

 僕が感謝の意を表明すると、暁美は急に顔を(そむ)けた。その後姿からはどこか慌てている様子が分かる。

 人に好意を述べられたことが少ないから照れているのだろう。微笑ましい限りだ。

 

「それで! 夕田くん、このキュゥべえをどうするつもりなの?」

 

 僕と暁美の間を割って入るように巴が支那モンの聞いてくる。

 そうだった。肝心なことを忘れるところだった。

 

「まあ、僕に任せてください。待たせたね、支那モン君」

 

 支那モンに近寄って、目線を合わせるためにしゃがむ。

 支那モンをじっくりと眺めると身体が小刻みに震えている。

 尻尾から流れる体液は思った以上に出ておらず、もう体液の流出も止まっていた。これなら、すぐさま死ぬってことはなさそうだ。

 

「ボ、ボクをど……どうするつもりなんだい?」

 

「逆に聞こう。どうしてほしい?」

 

 にこやかな笑顔を浮かべて、質問を質問で返す。

 この質問にどう答えるかで、この支那モンが自分の立場を理解しているかが(はか)れる。

 

「……身の安全を保障してほしい。ボクはし、死にたくない」

 

「だろうねぇ。その気持ち凄く分かるよ」

 

 野良犬に(かじ)られかけるとは訳が違う、追っ手に追われて殺されかけるという具体的で原始的な死への恐怖。

 感情を得て間もないこいつには気が狂いそうなほどのストレスだったことは容易に想像できる。

 

「な、何だい、その態度は!? 元はと言えばボクがこうなったのは君のせいじゃないか!?」

 

 思考が安定していないしていないのか突然、支那モンはヒステリックに怒り出す。

 良い感じにヒートアップしているようで念入りに追い込んだだけのことはあった。

 

「何を言っているの、支那モン君? 僕は君と会話しただけだろう? 君がそうなったのは君自身の責任だよ。それなのに責任を人に押し付けるなんて……」

 

 両方の手のひらを天に向けて、首を傾げ、ありったけの悪意を込めてこう言った。

 

「訳 が 分 か ら な い よ」

 

「……そ、んな」

 

 わなわなと震えて、支那モンは搾り出すような情けない声を発した。

 後ろで「うわー」とか「酷いわね」なんて暁美たちの声が聞こえたが無視して続ける。

 

「でもね、支那モン君。君の境遇には同情できないこともない。そこで、僕は君にチャンスを与えてあげたいって思ってる」

 

「チャ……チャンス?」

 

 チャンスという言葉から希望のニュアンスを得たのか、心なし支那モンの言葉に張りがあった。

 食いついてきた。内心、邪悪な笑みが漏れそうになるのを堪え、さも親切そうな調子で語る。

 

「そう。チャンスだ。今までの禍根をお互い水に流し、僕は君を『友達』として迎えたいと思っている。どうかな?」

 

「と、友達?」

 

「うん。君ら風に言うなら『僕と友達になって仲良くしようよ』って感じかな?」

 

「政夫と友達になったら、もう魔法少女はボクに危害を加えたりしなくなるのかい?」

 

「もちろん。君の身の安全は約束するよ」

 

 支那モンはその小さな前足で頭を抱え、一生懸命考えている。

 僕の言葉を信用していいのか、本当に命を奪われずに住むのか、そもそも僕がこんなことを提案してきた理由は何なのか、と言ったところか。

 ちょうど三分間悩みに悩んだ後、支那モンはおずおずと喋り始めた。

 

「分かったよ。政夫。ボクは君の友達になるよ」

 

 僕の真意が量れないが、背に腹は変えられないと決意したようで支那モンは釈然としていないことが分かった。

 これでは駄目だ。心をへし折れていない。思考が正常に戻れば報復される可能性すらある。

 まあ、想定内の範囲だ。

 

「そうか。でも、残念なことに時間切れなんだ」

 

 なので、僕は無常にもそう言ってのけた。

 希望が戻りかけた支那モンの顔に再び絶望がやって来る。

 

「え、あ? え!?」

 

「本当に残念だよ。君が後、一分早く決断してくれれば皆笑顔で終われたのに……」

 

 いかにも悲しそうな表情を浮かべる。

 支那モンは身体を引きずるように詰め寄り、僕の靴に縋りつく。

 

「うそ、だよね」

 

「悲しいことに真実なんだ」

 

「だ、だって、言ってなかったじゃないか!! 時間制限があるなんて一言も聞いてないよ!?」

 

 本当にこいつは言ってほしい台詞を言ってくれるな。

 泣き付く支那モンに用意していた台詞を投げつけた。

 

「聞かなかったじゃないか。時間制限があるかどうかなんて君は一言(・・)も尋ねてないよ」

 

「…………」

 

 絶句する支那モンに僕は続ける。

 

「もし君に一言でも時間制限について聞かれたなら、僕は懇切丁寧に一字一句余すことなく伝えていただろうね」

 

「……そうか。これがボクら、インキュベーターが魔法少女にしていた仕打ちなんだね。ようやく理解したよ」

 

 ぐったりと耳を垂らし、力なく僕の靴からずり落ちる。

 

「そう。それは良いお勉強になったね。でも、それが次に生かされることはもうないだろうけどね。それじゃあ、支那モン君、さようなら」

 

 会話を終わらせ、立ち上がろうとすると、最後の力を振り絞って支那モンは起き上がる。

 

「お願いだよ、政夫。もう一度……もう一度だけボクにチャンスをくれ!」

 

「駄目だよ。君は僕の好意を不意にしたんだ。破格の条件を前に僕の慈悲を疑った。大体、君を助けたところで何のメリットもないしね。もう知らない。好きに生きて、好きに死になよ。さあ、ほむらさんたち、もう帰ろう。こんなの時間を費やしてたら青春の無駄遣いだ」

 

「お願いします。どうか、あと一度だけ……チャンスを……」

 

 支那モンの言動が要求から懇願に変わる。

 こうなればこっちのものだ。どれほど理不尽な条件でも喜んで飲むはずだ。

 

「分かったよ。支那モン君。友達になる気はなくなっちゃったけど、ペットぐらいになら、してあげてもいいよ。どうする?」

 

「なる! なるよ! ならせてください!!」

 

 間発入れずに、喜び勇んでこの劣悪な条件に飛びついてくる。

 もはや、まともに考えてすらいないだろう。

 これでいい。

 僕は地べたを這い蹲る支那モンをそっと優しく持ち上げ、包み込むように抱きしめた。

 

「ごめんね。酷いことばかりしちゃって。ペットじゃなくてやっぱり友達になろう」

 

「ううん。そんなことないよ。ボクが悪かったんだ。政夫は全然悪くないよ」

 

 支那モンの方からも僕にしがみ付いてくる。

 限界まで心をズタボロにして優しくすれば、例えそれが自分を追い込んだ張本人だとしても縋らずにはいられない。

 家庭で暴力を振るう夫とそれを(かば)う妻の関係と同じだ。

 完全にこの支那モンの心は掌握した。

 

「……まるで悪魔ね」

 

「ゆ、夕田君って、結構黒いのね」

 

「まー君、昔の素直で優しい貴方はどこに行ってしまったの……?」

 

 外野の三人が好き勝手言ってくれていたが、少なくてもここにいる女子はインキュベーター狩りに嬉々として参加した訳だから、この人たちも大概だと思う。

 

「そうだ。せっかく、友達になったんだ。記念に君に名前を送ろう」

 

「名前? ボクのかい?」

 

 ふと思いついた風を装ったが、実はここに来る前から決めておいたことだった。

 いつまでも支那モンだと、種族名なのか個体名なのか分からなくなってくる。

 

「『the new base of incubator(インキュベーターの新たなる基盤)』という意味を込めて、『ニュゥべえ』というのはどうかな?」

 

「ニュゥべえ……? うん! いい名前だよ。ありがとう!」

 

 喜んでくれるはぐれ支那モン改め、ニュゥべえに僕はもうひとつプレゼントを渡す。

 オレンジ色のレースの付いたハンカチをポケットから取り出し、一旦広げて、三角に折る。そして、それをニュゥべえの首にスカーフのように巻き付けた。

 

「これもあげる。僕の大切な宝物だ。君がこのハンカチよりも僕にとって大切な存在になってくれるよう願いを込めて、ニュゥべえに送ろう」

 

 後ろで溜め息を吐いていた織莉子姉さんが驚いたような声を上げた。

 

「いいの!? そのハンカチ、まー君のお母さんの形見だったはずでしょう? 六年前に見せてもらった記憶があるわ」

 

「はい。だからこそ、信頼の証にちょうどいいかなって。大事にしてね」

 

 それに僕もいい加減、このハンカチを手放さなければいけない年頃だ。いつまでもこういう品物に縋っているのは止めないといけない。これがちょうどいい頃合いだ。

 ニュゥべえはその首に巻かれたハンカチを前足で触りながら、感動したように頷いた。

 

「そんなに大事なものをボクに……分かったよ。政夫の信頼に応えてみせるよ!」

 

「期待してるよ、ニュゥべえ」

 

 これでようやく第一段階は無事終了できた。

 後のことはどうなるか分からないがやれるだけやってみよう。ただの人間として。

 




キュゥべえ編が一応終了しました。

ワルプルギス編まで後、少しと言ったところでしょう。
まだまだ私生活が忙しすぎてなかなか投稿できない日々が続くでしょう。それでも付き合ってくれる読者さんが居てくれるなら、私は暇が出来次第書き続けます。


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第八十三話 まさかの答え

今回は次の話の繋ぎのような話です。


 不思議だな、とこの頃ふと思うことがある。

 それは暁美ほむらについてのことだ。

 僕は暁美と初めて出会った日、最初の印象は『これ以上にないほど感じの悪い女』だった。

 そして、二回目に会った時は、何と鹿目さんに銃を向けているというバイオレンス極まりない状況だった。その印象は『イカれた危険人物』そのもので絶対にこいつとは相容れないだろうと感じていた。

 それから、暁美の過去や鹿目さんと関係性を聞いた時、僕の中の暁美への感情は嫌悪から軽蔑へと様変わりした。暁美の言い分がまるで鹿目さんを記号か何かと勘違いしているように聞こえたからだ。

 だから、僕はせいぜい自分の身や鹿目さんたちを危険から守るために利用してやろうと思った。

 支那モン……いや、ニュゥべえが生まれた今は名称を改め、『旧べえ』とでも呼んでおくとしよう。その旧べえよりはまだ思考回路が人寄りなので幾分マシだと考えたからだ。

 本当に当初は打算めいた協力関係でしかなかった。

 その考えが改まったのは、美樹を傷付けるような発言をした僕に対して、喫茶店であいつが思い切り引っ叩いた時だった。

 鹿目さん以外に興味はない……鹿目すら自分の罪悪感を消すための道具としか見ていないと思っていた暁美が美樹のために怒ったあの時、僕は心から彼女のことを見直した。

 美樹や上条君への気遣いを見て、僕が暁美を見誤っていたと気付かされた。暁美は酷く不器用なだけで、優しい思いやりある女の子だと知った。

 あれ以降は、僕は暁美のことを大切な友達として見るようになった。

 

 これが二週間と少しの間に起きたことだ。

 人の心なんて、そうそう簡単に変わらないと思っていた僕がこうも短期間で変わったことに僕自身が驚きを隠せない。

 ちょうど今も僕は暁美を自分の家に招き、僕の部屋まで来てもらっていた。

 ほんの少し前までは暁美が僕の家に入ってくるのが嫌だった僕が自分から彼女を誘ったのだ。まったくもって世の中どうなるのか分からない。

 

「さて、今日、ほむらさんにご足労頂いたのは他でもない。グリーフシードのリサイクル使用についてどうなっているのか聞かせてもらいたかったからなんだけど……あれ? 聞いている?」

 

 椅子に座る僕に対面している暁美は僕のベッドに腰掛けている。

 だが、明らかに視線が低い。僕の顔ではなく、膝辺りを凝視していた。

 

「ええ。聞いているわ、政夫」

 

「そう? なら、いいや」

 

 何にそんなに注目しているかは大体検討は付いているが、それよりも優先したいことがあるので、取りあえずは放って置こう。

 僕は勉強机の上にノートを一冊広げ、右手でシャーペンを走らせながら暁美に質問をしていく。

 

「グリーフシードから、生まれる魔女の強さには変動はある? 前よりも強くなっているとか、賢くなっているとかは?」

 

「ないわ。むしろ、こちらが魔女の攻撃パターンや特性を理解できるおかげで弱くなっているように感じられるくらいよ。魔法少女の集団戦の練習相手にもなるから良いこと尽くめね」

 

 暁美の返答を受け、僕はこのリサイクル計画が順調であることをノートに書き込む。

 実のところ、同じグリーフシードが何度も使用されることによって、魔女が強化されるかもしれないと懸念していたが、要らぬ心配だったようだ。

 

「次に、グリーフシードの穢れの吸収率についても変化はある? 前よりも吸収してくれる穢れが少なくなったなんて感じはしない?」

 

「それもないわ。さっきも言ったけれど効率よく魔女を倒せるから、魔力を必要最低限に抑えて戦えているわ。マミは、使い魔まで倒す余裕ができたと喜んでいたわね」

 

 嬉しそうにマスケット銃を構えるポーズの巴さんがありありと想像できた。あの人ならそうだろうな。人を守ることに誇りを感じているようだったからな。

 この点もクリアと。

 ここまで順調だと少し不安になってくる。いつもいつも僕の与り知らないところで良くないことが起こるせいで、上手く行っていない方が安心できるようになってしまった。

 

「最後に一番重要なこと、何度も再利用しているグリーフシードに(ひび)及び、亀裂(きれつ)の類はない? 横に振ると変な音がするとか僅かに破片みたいなものが飛び散るようになったとはあったりしない?」

 

「大丈夫よ。魔女を倒した後に皆でチェックするようにしてるけど、今のところ、そういった点は見られない。貴方が考えた再利用方法は、貴方が思っているよりも完璧よ」

 

「そっか。それを聞いて安心したよ」

 

 何度も使うことによってグリーフシード自体が磨耗して行っていないかが最も気がかりだったが、本当に何の問題もないらしい。

 こうまで便利なら、旧べえたちがわざわざ文句を言いに来たのも頷ける。

 暁美に使っているグリーフシードを書いてもらい、形状や大きさを絵も交えてノートに細かく書き込んだ。

 グリーフシードを返そうとすると、暁美は我慢の限界が来たといううように僕に聞いてくる。

 

「あの、政夫。さっきから、ずっと言いたかったのだけれど……貴方の膝の上に乗っている『それ』……」

 

「ニュゥべえがどうしたの?」

 

 先ほどから僕の膝で丸くなっているニュゥべえを左手で優しく()でながら聞き返す。

 言いたいことは分かるが、何を疑問に思ったのかをあえて聞き返してみる。

 

「……まるで愛玩動物(ペット)ね」

 

 呆れたと感心と困惑が交じり合った何とも複雑な表情を浮かべた。

 気持ち良さそうに目を細めていたニュゥべえが突如、不機嫌そうに反論する。

 

「その発言は撤回してもらいたいね、暁美ほむら。ボクと政夫は友達(・・)同士だ。言わば、お互いをお互いが尊重し合っている訳だ。断じてペットなんかではないよ。ね? 政夫」

 

 くるっと暁美の方を向いていた身体を反転させて、僕を(つぶ)らな瞳で見つめる。

 

「その通りだよ、ニュゥべえ。ほむらさん、今の発言はちょっと良くないね。謝らなくっちゃ」

 

 半分ほどになった尻尾を軽く触りながら、僕は暁美に謝罪をするよう(うなが)した。

 無言で空気を読んでくれという意味合いを込めて、ウィンクをする。

 そうすると、釈然としない表情をしながらも、暁美は謝った。

 

「悪かったわ。それにしても、完全に手なず――いえ、何でもないわ」

 

 余計な発言をしそうになりながらも、暁美は自重して言葉を()み込んでくれた。

 まったく、暁美はまだまだだ。そういうことは心の中だけで(つぶや)けば良いものを。ここら辺がコミュニケーション能力の低さを露呈している。

 せっかく、僕が二日かけてじっくりと懐柔したのに、こんなところで台無しにされたら(たま)ったものじゃない。

 僕が家に連れて来た時は、若干、僕に対する怯えが残っていたものの、それを完全に消し去り、好意を刷り込むのにはなかなか手間暇をかけたのだ。

 

「分かってくれればいいよ。ボクも少しムキになりすぎたよ。ごめん、暁美ほむら」

 

 素直にぺこりと頭を下げるニュゥべえ。

 それを見て、暁美は戦慄したように僕の顔に視線を移動させる。

 

「……政夫。貴方、こいつに何をしたの?」

 

「何って、優しくしてあげただけだよ。やさ~しく、それはもうやさ~しく、思考まで(とろ)けてしまうほどね。……フッフッフ」

 

  まあ、簡潔に言えば、魔法少女たちにボロボロにされたニュゥべえに普通に優しく温かく接してあげただけなのだが、暁美の反応が面白いので無意味に含みのある笑いをした。

 

「……貴方を敵に回さなくて本当に良かったと思ってるわ」

 

「お褒めに預かり、光栄だよ。あ、ほむらさんもしてほしい?」

 

「え、遠慮するわ」

 

「それは残念」

 

 そう言いながら、僕はニュゥべえの頬をぷにぷにと指で突付く。

 

「もう、政夫、くすぐったいよ~」

 

 言葉とは裏腹に喜んでいるニュゥべえを可愛がりながら、一つしなければいけないことを思い出す。

 

「そうだ。ほむらさん、前回というか今も継続中だけど、僕のわがままを聞いてくれた君に何かお礼をしようと思っているんだけど、何がいい? と言っても、僕が普通の中学生だということを考慮したものにしてね」

 

 織莉子姉さんや今回のニュゥべえの事件の際には、暁美に過去の怨嗟(えんさ)や憎悪を我慢してもらっていた。

 割り切れない感情や納得のできない思いもあっただろうがそれを無理に抑えてもらい、僕は自分の意見を通してきた。

 そのことに対する負い目がある。

 だから、暁美のやりたいことやほしいものがあれば、可能な限り与えてあげたいと思っていた。

 

「ほしいもの……それは政夫にしてほしい事でもいいの?」

 

「もちろん、僕にできることなら何でも」

 

 その瞬間、部屋の蛍光灯のせいか、暁美の目が光ったように見えた。

 なぜだか、取り返しのつかないことをしてしまったような嫌な感覚に襲われ、言葉を付け足そうと口を開くが、それより先に素早く暁美が喋り出した。

 

「何でも? それは『貴方が物理的にできることなら何を頼んでも良い』、そういう事ね?」

 

「いや、あの……」

 

 流石にその言い方だととんでもないことをさせられそうなので、訂正をしようとした。

 しかし、暁美はいつもの口数の少ないお前はどうしたと聞きたくなるほど勢いで話を続ける。

 

「そうね。じゃあ、何をしてもらおうかしら。考えているだけでも楽しくて仕方がないわ。政夫にしてほしい事は数えれば切がないけれど、まずは私と二人で……」

 

「ふ、二人で?」

 

 戦車を盗みに行きましょう、とかは止めてくれよ。僕はまだテロリストにはなりたくない。

 順法精神に基づいて、生活しているんだ僕は。

 

「二人きりで……ど、どこかへ遊びに出掛けましょう……」

 

 意気込んでいたわりに最後の方が尻すぼみになっていた。見れば頬に朱も差していて、視線を横に逸らしている。

 ひょっとして、恥らっているのだろうか?

 

「もし間違っていたら遠慮なく訂正してもらっていいんだけど、それはつまり――デートしようってこと?」

 

 否定されると思いつつも、そうとしか取れなかったので聞き返す。

 しかし、暁美は僕の問いに、こくりと小さく頷いた。俯きがちのその顔は前髪で隠されて表情が読み取れない。

 

「……ええ、そうよ」

 

「そ、そうなんですか……」

 

 空気が流動をやめ、何もかもが硬直したように感じられるこの部屋の中で短くなったニュゥべえの尻尾だけが、柔らかく動いているのが、目の端に映っていた。

 




はい。次話はデート回です。
恋愛っぽい絡みがほしいとのリクエストがあったので、それを描いてみようと思います。

これ、閑話でもよかったですね。


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第八十四話 デート・ザ・タイム 前編

思ったよりも長くなりそうなので前編後編に分けました。
一括で書けず、すみません。


~ほむら視点~

 

 

 

 デートを政夫に要求したものの私は恋愛経験など皆無に等しかった。けれど、誰かに相談しようにも身近な友達に政夫への恋心を知られるのも嫌だった。

 それに明らかにマミも政夫に対してある程度好意を持っている事が分かっているというのもある。最近はさやかまでも言動が怪しいので(あなど)れない。

 まどかも何だか、政夫を見る目が少し変わってきた気がする。二人で映画を見に行った時の帰りにした話題の八割が政夫についての事だった。

 織莉子も姉のように振舞ってはいるが、この前政夫に見滝原中の制服姿を褒められた時に赤くなって喜んでいた。当然、キリカは論外だ。

 杏子だけ唯一はそんな素振りを見せないが、絶対にありえないとは言い切れないので一応、除外する。

 こう考えると政夫はとんでもない女(たら)しだと思う。というより、ここだけ抜き取ると最低な男性に分類されてもおかしくはない。

 しかしながら、私が好きなのはその女誑しなのだから始末に終えない。腹立たしいが、これが『惚れた弱み』というものなのだろう。

 ともあれ、私は相談相手として、魔法少女たちとまどか以外の人間を選ぶ必要があった。

 そして、その条件に該当する人物に一人だけ心当たりがあった。

 志筑仁美。

 彼女にはすでに政夫への恋心を看破されているので、もうその点に関しては気にする必要はない。さらに、恋愛方面において恐らくは私の知り合いの中で最も長けていると思われる。

 これらの事情により、私は志筑さんにこの案件を相談する事を決めた。 

 

 

 

 放課後、いつもならマミのところに魔法少女全員で集まり、魔女退治に(おもむ)くのだが、今回だけは彼女たちとは後で合流すると約束し、学校の近くのカフェで志筑さんに相談する時間をもらった。

 

「政夫に、その……デートを申し込んだわ」

 

 恥ずかしくなり途中どもりつつも私は志筑さんに相談も兼ねてそう教えた。

 

「やりましたね! ほむらさん! とうとう政夫さんに告白する決心がついたのですね」

 

 私以上に嬉しそうにする志筑さんにする圧倒されそうになったが、取りあえず、流石にまだそこまで決心はできていないので控えめに否定した。

 

「いえ、まだそこまでは……」

 

 すると、志筑さんは笑顔をそのままに身に(まと)う雰囲気を瞬時に変えた。

 

「いけません」

 

「え?」

 

「それでは政夫さんとの関係は何一つ変わりません」

 

「あの、志筑さん……?」

 

 溜め息を一つすると、志筑さんは真面目な顔になり、人差し指を立てた。

 

「いいですか、ほむらさん。恋愛とは戦争なのですわ」

 

 言い表しようのない威圧感が志筑さんから放たれる。そこには女性特有の恋愛にかける強い情熱を感じた。

 自然と視線が天を向いている志筑さんの指に引き寄せられる。

 

「戦、争?」

 

「そう。戦争ですわ」

 

 重々しくゆっくりとした動作で志筑さんは頷く。

 

「特に女性にとっては避けられない戦いです。今の殿方は待っているだけでは何もしてくれません。自分の方から積極的に行かないと意中の殿方は決して振り向いてはくれません」

 

「っ! 確かにそれはあるわね」

 

 政夫は何も言わなければ、向こうからデートに誘ってくるなんて事は絶対になかっただろう。そもそも、彼は私の事をずっと同性愛者と勘違いしていたせいで、恋愛対象としてすら見てくれていなかったと思う。

 志筑さんは私の手を強く掴み、真面目な表情を崩して微笑んだ。

 

「分かってくれましたか!?」

 

「ええ。それくらいの気持ちでぶつかっていかなければ何も得られないわね」

 

「なら、早速装備を整えないとなりません」

 

「装備?」

 

「デートのためのお洋服を買いに行きましょう! 今日は金曜日ですから……よし。生け花のお稽古まで時間があります。さあ!」

 

「え。い、今から?」

 

 何故か私以上に張り切っている志筑さんに、引きずられるようにして、私はカフェを出た。

 ちなみにその店の会計は志筑さんが一人で払っていた。自分の分は出すと言ったのが、まったく聞き入れてもらえない。こういう頑固なところは、まどかやさやかに通じるものがあるわね……。

 

 ショッピングモールの洋服店のに入る前まで来ると、店内に入る前に私は志筑さんに尋ねた。

 

「ねえ、志筑さん」

 

「何ですの? ほむらさん」

 

「どうして、ここまで私に手伝ってくれるの?」

 

 確かに相談を持ちかけたのは私だけれど、正直言ってここまでしてくれるとは思いもしなかった。

 思えば、彼女とは大して交友もなく、最近少し話すようになった程度だ。私にこんなにも世話を焼く理由などどこにもない。

 志筑さんは一指し指を(あご)に当てて、少し考え込むような仕草(しぐさ)をした後、こう言った。

 

「自分のため、でしょうか?」

 

「自分のため? 私のデートを手伝う事が?」

 

「はい」

 

 にっこりと微笑むと、志筑さんは語り出した。

 

「ほむらさんは知らなかったでしょうけど、私はある殿方の事をお慕いしております」

 

 十中八九、上条恭介の事だ。そう言えば、この時間軸では彼と志筑さんは結局どうなっているのか分からず(じま)いだった。

 他の時間軸と同じなら……いや、こんな事を考えるのは二人に失礼だ。この世界に居る上条恭介も志筑仁美もただ一人だけの人間だ。

 別の時間軸の彼らと同じような発言は、彼らの価値を貶めているようなもの。政夫にあれだけ言われたのに、まだ別の時間軸の人間を同一視しようとした自分に嫌気が差す。

 

「それと私の手伝いがどう関連しているの?」

 

 内心を誤魔化(ごまか)すために志筑さんに聞いた。

 

「せっかちですのね。順を追って話しますので少し待ってください。――それで私はその殿方に告白をしようとしたのですが、彼にはすでに意中の女性が居ました」

 

「それって……」

 

 もしかして、私の事だろうか。そう言いかけたが、口には出さなかった。

 黙って、話の続きに耳を傾ける。

 

「その女性というのが、ほむらさん、あなたです。つまりはほむらさんと政夫さんが付き合ってくだされば、私にもチャンスが巡って来るという事です。これが私がほむらさんを応援する理由です……単なる打算的なものですので、あまり気になさらないでくださいませ」

 

 そう言うと、志筑さんは再び前へ向き直り、先導するように洋服店に入って行く。

 私も後を追って店内に入った。

 今し方の発言は、まったくの嘘という訳ではないだろう。

 しかし、あれが彼女の本音ではないという確信があった。きっと、散々嘘吐きな男と一緒に居たせいだと思う。

 今のは、志筑さんが考えて思いついた『後付の理由』だ。私に気を遣わせないための優しい理由。

 彼女が私に親切にここまでしてくれる本当の理由は――。

 

「志筑さん」

 

「どうかなされました?」

 

「私たちは……友達かしら?」

 

「当たり前ですわ、ほむらさん」

 

 一瞬、志筑さんはきょとんとした後、嬉しそうに笑った。

 きっと、これが本当の理由なのだと私は思う。

 

 

 

 ********

 

 

 

 僕は二日前にお詫びとして暁美に何かしてほしいことはないかと尋ねただけなのに、なぜか土曜日の午前十時に駅前にて私服で暁美を待つはめになっていた。

 いや、理由は分かっている。奴が僕とのデートを所望(しょもう)したからだ。

 分からないのは暁美がデートを望んだ目的だ。

 本当に皆目検討が付かない。さっぱり、訳が分からない。暁美は何を考えているのだろうか。

 純粋に異性とデートをしてみたかったのか? でも、それだと僕である必然性がまったくない。

 ひょっとして、万が一、まずあり得ない、限りなくゼロに近い可能性なのだが、暁美は僕に対して恋慕(れんぼ)しているとか…………?

 うん。ちょっと想像してみたが、これはないな。特別に好意を持たれるようなことをした覚えがない。

 仮に。本当に仮にだが、暁美が恋愛感情を持っていたとしても、僕は彼女を友達としか見ていない。

 むしろ、異性としての見た目で言えば、暁美は苦手なタイプに入る。

 僕はあのいかにも美少女然とした女の子がどうにも苦手なのだ。何というか、あまりにも顔立ちが整いすぎていて、そういった感情が少しも()いてこない。

 もっと地味で手の届きそうな女の子の方がずっと好みだ。僕が美少女と言っても過言ではない女の子たちに囲まれても、さほど嬉しくないのはそこら辺が理由だったりする。

 だから、もしも暁美にそういう気があったとしても、「ごめんなさい。これからもずっと良いお友達でいましょう」と言う他にない訳だ。

 まあ、ありもしないことに思考を巡らすのはこの辺にしておくとして――。

 

「いつまであいつは僕を待たせる気なんだ……」

 

 時計を見ながら、イライラする気持ちを抑えて軽く右足で足踏みをする。

 現在時刻、十時十四分。待ち合わせの時刻は九時ちょうど。

 そして、約束事で人に待たせることが嫌いだった僕は待ち合わせよりも早い八時には既に駅で待っていた。

 計二時間十四分、僕はここで待っていることになる。別に約束の時刻よりも早く来たので一時間待つのは僕の自己責任だ。

 しかし、約束の時刻を一時間以上過ぎておいて、連絡の一つもよこさないのはいくら何でも失礼だ。

 行けなくなったのなら、電話なりメールなりで連絡しろよ。おかげで帰ることもできない。

 僕から二、三度電話をかけたが、どうやら電源を落としているのか通じやしない。

 もう、このまま帰ってしまおうかと考え始めた時、後ろから声をかけられた。

 

「ご、ごめんさない。大分、遅れてしまったわ」

 

 暁美の声だった。

 静かに溜めていた僕のフラストレーションが(つい)に爆発する。

 

「遅い! 遅れるなら遅れるで連絡を……」

 

 僕が怒気を(たぎ)らせて振り返った先には――僕の好みをそのまま具現化したような女の子が立っていた。

 三つ編みにした髪に、太めのフレームの眼鏡。

 恥じらい気味に視線を逸らした奥ゆかしさ。

 派手すぎず、目立たないながらも可愛らしさのツボを押さえたワンピース。

 思わず、僕は数秒間ほど見蕩れていた。

 

「……あ! す、すいません。知り合いの女の子とあなたの声が似ていたもので……」

 

 正気に戻った僕は頭を大きく下げて、女の子に謝罪する。

 とんでもないことをしてしまった。こんなに可愛い女の子とあの暁美を間違えるなんて、一生の不覚だ。

 しかし、頭を下げて地面を眺めている僕に女の子は信じられない台詞を口にする。 

 

「私よ。暁美ほむらよ」

 

 ――アケミホムラ? 

 

「……あのおっしゃっている意味がよく理解できないのですが……?」

 

 脳内を疑問符で埋め尽くされた僕は顔を上げて、可愛い女の子の顔を見る。

 可愛い。想像を絶するほど可愛い。見ているだけで気が狂いそうなほど可愛い。

 

「だから、政夫。私は暁美ほむらよ」

 

 だが、その桜色の形の良い唇から流れ出る台詞は相変わらず僕の理解を超えていた。

 

「…………………………………………何だって(パードゥン)?」

 

「私の名前は暁美ほむら」

 

 僕の精神が、僕の魂がその言葉の意味を理解することを拒んだ。

 けれど、僕の脳の言語中枢は無情にもその意味を正しく理解してしまった。

 

「君は……ほむらさん、なの?」

 

「さっきからそう言っているでしょう」

 

 僕の前に存在するこの可愛い女の子は暁美だった。

 こんなに可愛いのに、暁美だった。こんなに好みなのに、暁美だった。

 この異常な事態に僕の精神は崩壊しそうになるも、持ち前の根性でどうにか持ち直す。

 

「そ、そう。それで、今日は何でそ、その……そんな格好を?」

 

 暁美に震え声でそう聞くと彼女は両手を自分の後ろに回し、もじもじとした動作をする。

 

「貴方が……こういう格好が好きだって言うから、してみたのだけれど……似合ってないかしら?」

 

 自信なさそうに上目遣いで僕を見上げる。

 くらっとした。意識が比喩ではなく飛びかけた。

 犯罪的だ。犯罪的な可愛さだ、それもテロリスト級の。

 

「似合ってない訳ないよ。むしろ、その、ほら、うん。あ、あれだよ」

 

 うまく言葉が紡げず、何を言いたいのか自分でも分からなくなってくる。

 

「あれ?」

 

 怪訝(けげん)そうに首を傾げるその姿さえ、言葉にならないくらい可愛い。

 一呼吸置いて、ようやく言いたいことをまとめながら僕は言う。

 

「か、可愛いってことだよ。すごく」

 

「そ、そう? なら頑張った甲斐(かい)はあったわ」

 

 照れつつも、暁美は柔らかく微笑んだ。

 

「うぐっ!」

 

 僕の心臓の拍動のスピードが物凄い勢いで跳ね上がった。まるで全速力でマラソンをしているようだ。

 心臓が痛い。何だ? 何なんだ、これは?

 胸を押さえてあたふたしている僕の暁美は心配そうに見つめた。

 

「大丈夫? 急に胸を押さえてどうしたの?」

 

「いや、だ、大丈夫。そのちょっとびっくりしただけ」

 

「それなら良いのだけれど……何かあったら遠慮なく言って。政夫の体調の方が大事だから」

 

 くっ。何で今日に限ってそんなに優しいんだ。

 やばい。本当に可愛い。惚れてしまいそうだ。

 

「じゃ、じゃあ、取りあえずはどこかに行こうか? 駅前でずっとこうしているのも時間が惜しいし」

 

 このままではいけないと思い、僕は会話の主導権を握り、自分のペースに持ち込もうと試みる。

 

「私はこうやって二人で話している時間も楽しいわよ?」

 

 さも平然そうに暁美は僕の心をかき乱す。

 体温が確実に一度ほど上がったのをのぼせそうな頭で感じた。

 

「でも、遅れてしまったのは私の責任ね。やはりここは移動しましょうか?」

 

「そう、だね。うん」

 

 完全に手綱を持っていかれた。

 当分、巻き返しもできそうにない。

 いつの間にここまでの話術を身に付けたのだろうか? これは確実に暁美に入れ知恵した人間が居ると見ていい。誰だ? 誰が暁美にこんなことを……。

 暁美と並んで歩きながら意識を内側に入れて思考することで冷静になろうとした。

 すると、隣を歩く暁美が僕の名前を呼んだ。

 

「あの、政夫」

 

「ん? 何?」

 

 左手をそっと僕の方へ伸ばして、ぽつりと呟く。

 

「……手を握ってもいいかしら?」 

 

 その瞬間、もう僕の右手は思考と解離し、暁美の手のひらを握り締めた。

 考えるよりも先に肉体が反応してしまった。

 

「あ……」

 

 暁美はその速さに僅かに驚いたものの、すぐに指を絡めて握り返してくれた。

 

「ありがとうね、政夫」

 

「……………………」

 

 駄目だ。僕もう、今日死ぬかもしれない。

 僕の隣に居る女の子が可愛すぎて今にも心臓が破裂しそうだ。

 




次回 後編

頑張りますけど、更新はお待ちください。

ちなみに私は結構、仁美のキャラ好きだったりします。
わかめは身体に良いのです! 好き嫌いは駄目ですよね!


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第八十五話 デート・ザ・タイム 後編

前編のあらすじ

政夫デレる


 これは暁美これは暁美これは暁美これは暁美これは暁美これは暁美これは暁美これは暁美これは暁美これは暁美。

 

「この前にまどかと一緒に行ってみたそこの通りにあるお店にしようかと思っているのだけれど、……政夫?」

 

 僕が今、手を繋いでいる女の子は暁美だ。暁美なのだ。ほんのりと甘い香りが漂ってくるが気のせいだ。

 もう何回も手を握り合った仲だ。故に今更、変に意識する必要も照れる必要もない。皆無だ。

 お互いの手のひら同士を密着させ、指を絡め合う所謂(いわゆる)『恋人繋ぎ』と呼ばれる握り方だが、何の問題もない。

 なぜなら、相手は暁美だからだ!

 人の家に無断で窓から侵入し、平然と鹿目さんにストーキング行為をしてくる上に、僕に数回ほど銃を向けてきた女だ。

 脳内でひたすら自分に言い聞かせていると、自然と揺らいでいた精神が統一される。

 ほ~ら、こう考えればさっきまであたふたしていたことが嘘のようだ。心に平静が戻ってくる。

 

「政夫!」

 

 ぐいっと腕を引かれて、僕は身体ごと横を向かされた。

 

「ちゃんと私の話聞いていたの?」

 

 薄紫色のワンピースに三つ編みと眼鏡が飛び切り似合う女の子が、僕の身体にぴったりとくっ付いていた。

 責めるような上目遣いと僅かにむっとした口元は男心をくすぐる小悪魔のようで非常に魅力的だった。

 正常に戻り始めていた僕の思考は再び、急激にかき乱れる。

 

「き、聞いてたよ。鹿目さんと一緒に行ったお店、だったよね? うん、い、いいね。行ってみよう」

 

 言葉自体は耳にしていたので何とか答えられたが、僕の心臓は爆発的に心拍数を増やす。

 

「聞いているのなら反応してくれないと分からないわ」

 

「ごめんね。ほ、ほら、女の子とデートしているから緊張しちゃってさ」

 

 去年は彼女と付き合っていたのでデート経験はあるが、ここまでタイプの女の子とするのは初めてだ。

 それに元彼女とデートする時はいつも僕がリードしていたので、主導権を握られているデートもまた初体験だった。

 

「……まどかと二人だけでカラオケに行ったって聞いたけれど?」

 

「あ、あれはそういう(つや)っぽい感じなかったから。それに落ち込んでいた鹿目さんを元気付けるためでもあったし……」

 

 何だろう。まるでこれでは恋人に浮気を誤魔化している彼氏みたいだ。……全然違うのに。

 というか、そもそも僕が弁明する必要なんてないんじゃないだろうか。

 

「そうかしら? まどかからは貴方もとても楽しそうだったって聞いたのだけれどね」

 

「それはまあ、僕も僕で色々疲れてたし、いい気分転換にはなったけどさ。でも……」

 

 じっとした視線を僕に向けていただが、僕が本気で否定し始めると暁美は小さく笑みを漏らすと元の柔らかい表情を戻した。

 

「冗談よ。本気にしたかしら?」

 

「……酷いな。こっちは真剣に君の機嫌を損ねたのかと心配したのに」

 

「あら、それは貴方が私の話に無反応だった理由を言い訳したからじゃない?」

 

 そう言って、僕の胸板にこつんと頭を預けた。

 僕は何も言えなくなり、素直に謝罪の言葉を述べる。

 

「…………すいませんでした」

 

「よろしい。じゃあ、行きましょうか?」

 

 ……この人、僕が今まで出会った中で最強なんじゃないかと思えてきた。

 

 

 

 暁美に連れてこられた店の店内は内装のカラーリングがピンク系統で統一されており、ぬいぐるみが所狭しと並んでいた。

 第一感想は、中高生くらいの女の子が好きそうだな、だった。一応はカフェのようだが、少なくても僕はこの店には一人なら絶対に入らなかったと確信できる。

 暁美も普段のストレートでむっつり顔だったのなら、この店には合わなかっただろう。

 普段の暁美ならば。

 対面する席に座るとメニューを眺めている暁美をじっと見つめる。

 三つ編みで眼鏡をかけており、かつ表情の柔らかい今の彼女は見事にこの店にマッチしていた。

 すごく可愛いと素直に思う。今回が初対面だったら、一目惚れしていたかもしれない。

でも、何だろう。今日の暁美はどこかぎこちないというか、少し無理をしているように見える。不自然なまでに僕好みの女の子を演じているような感じがどうにも否めない。

 

「このお店は少し変わっていてね。メニューに……」

 

「ほむらさん」

 

 店の説明をしてくれようとした暁美の言葉を(さえぎ)り、彼女に尋ねる。

 

「無理してない?」

 

「え……?」

 

 驚いた表情。けれど、それは予想外なことを言われたというよりは、悟られないようにしていたことを指摘されたような顔だった。

 

「む、無理なんかしていないわ。変な事を言うのね、政夫」

 

 すぐに取り(つくろ)うとしたが、もう遅かった。

 自惚(うぬぼ)れているように聞こえるが、きっと今日の暁美は僕とのデートのためにわざわざ僕の好みの女の子を演じてくれていたのだろう。 

 正直に言えば、それは嬉しい。

 僕の好みの女の子になってくれたことについてではなく、僕を喜ばせるためにそこまでしてくれた暁美の心意気が嬉しかった。

 だが、一方的に彼女が気を遣って楽しめないのなら、デートの意味がない。それではただの接待だ。

 

「ほむらさん」

 

 僕は手を伸ばして、暁美の眼鏡を優しく外した。

 

「あ……」

 

 テーブルの上に眼鏡を置いて、にっこりと笑いかけた。

 

「僕は普段のほむらさんとデートがしたいな」

 

「……いいの? いつもの私で」

 

 柔和な、でもどこかぎこちなかった暁美の微笑みの仮面が眼鏡と同時に()がれ落ちていた。

 普段の無愛想なむっつりした表情が懐かしく感じられた。

 

「うん」

 

「可愛くないわよ」

 

「それを決めるのは僕だよ」

 

「愛想もないわ」

 

「君が不器用なことくらいとっくに承知さ」

 

「眼鏡とこの髪型、好きなんじゃなかったの?」

 

「好きだよ。はっきり言うと心奪われた。顔を合わせてからどきどきしっぱなしだよ」

 

「なら……」

 

 何でそれを止めさせようとするのか。そう聞きたいのだろう。

 言わなくても手に取るように分かった。だから、僕はこう答えることにした。

 

「僕は今日、『暁美ほむら』とデートをしに来たんだ」

 

 無理に僕の好みに合わせている君は『暁美ほむら』じゃないと、そういう意味合いを込めた台詞。

 好き嫌いではなく、僕は暁美とデートがしたかった。

 彼女が望むような楽しいデートを過ごさせてあげたかった。

 

「……せっかく、貴方の好きそうな仕草を勉強して来たのに無駄になったわね」

 

「無駄じゃないさ。すごく嬉しかった。でも、君が楽しめないデートなら僕はここに来た意味がない」

 

「頑固ね」

 

「知らなかった?」

 

「知ってたわ」

 

 諦めたように溜め息を吐くと三つ編みに編んでいた髪を普段のストレートに戻した。

 ファサっという擬音語が似合うほど、豪快に髪をかき上げる。

 

「場所も変えましょうか。政夫、着いて来て」

 

 座っていた椅子から立ち上がるとテーブルの上の眼鏡と髪を結っていた紫色のリボンを掴み、暁美は店の出入り口の扉へときびきびとした動作で歩いて行く。

 これが暁美だよなと思う反面、もったいないことしたなと後悔する自分が居た。

 そんな自分の内心に苦笑いをしながら、暁美の後ろを歩いて、店内から出た。

 それにしても、入るだけ入って何も注文せず、店から出ることが本当に多い。もうこの店には来ないと思うが、店員さんにそういう傍迷惑な客だと思われるのは嫌だな。

 

 

 

 次に入った店はある意味で僕と暁美に馴染みのある、あのファミレスだった。

 この店にはいい思い出がない。何より、ここに来ると何一つ料理を食べられないというジンクスが生まれてしまった。

 けれど、暁美とのデートにここほど『らしい』店はない。

 このファミレスは、暁美と初めて面と向かって会話した場所だ。もう少し言葉を彩れば、暁美の内心に触れた場所とも言える。

 

「この店、覚えている?」

 

「覚えていない訳ないでしょう? 私、ここで貴方に泣かされたのよ?」

 

「……その言い方には語弊があると思うよ」

 

 暁美は、さっきの眼鏡姿とは打って変わって、僕の家に来る時のように自然体でリラックスしていた。

 やはりこっちの方が彼女らしい。下手に媚びているよりもふてぶてしいくらいの方がしっくりくる。

 ……ただ不適切な発言のせいで、他の客に僕が白い目で見られてしまったが。

 一番奥の窓際の席に腰掛けると、暁美は思い出したようにふっと笑った。

 

「ちょうどこの席だったわね。あの時の貴方は私をおちょくっているとしか思わなかったわ」

 

「実際、君から情報を聞きだすためにわざと挑発的に言ってたからね。ここなら銃も取り出せないと思ったから、少し(あお)りが過ぎちゃったんだよ」

 

「人を危険人物みたいに言わないで」

 

 不本意だと言わんばかりに暁美は口を僅かに(とが)らせる。

 だが、僕がこいつに銃を向けられた回数って結構多かった気がする。いや、そもそも一回だけでも十分おかしいのだけれど。

 ストーキング、住居不法侵入、銃刀法違反、爆発物所持、殺人未遂……。犯罪行為だけ箇条書きすると、相当危険な人物であることは紛れもない事実だ。

 自分でも、なぜ友達をやってられるのか不思議に思えてくる。

 二人とも適当にメニューから注文して、ウェイトレスさんが立ち退いた後、僕らは再び話し始めた。

 

「あの時の話、ちょっとしていいかな?」

 

「構わないわ。私と貴方が面と向かい合って、言葉を交わしたのがあれが始まりだったわね」

 

 思い出と言うには少し新しすぎるが、間違っている気はしなかった。きっと、それはあの時と暁美への感情があまりにもかけ離れたからだろう。

 まず、最初に暁美に言っておかなければならないのはこれだ。

 

「ほむらさん。僕は君のことが――心の底から嫌いだったよ」

 

「………………え゛?」

 

 聞いたことないほど濁った暁美の声を聞いた。口を半開きにしたまま、凍りついたように硬直している。

 そんな声も出せるのかと感心しつつ、僕は言葉を続ける。

 

「同じ空間で呼吸をすることさえ、嫌で嫌で仕方がなかった。ほむらさんが初めて僕の部屋に来た時なんかは、君が帰った後に消臭剤を部屋にぶちまけたよ」

 

 あの後は部屋中、消臭剤の臭いが充満して眠れなかった。勢いで行動すると悲劇を招くと学ばせてもらった。

 

「あの、政夫……私、ひょっとして貴方に嫌われていたの?」

 

 愕然とした顔から、徐々に正気を取り戻してきた暁美が尋ねてくる。

 その問いに、僕は問いで答えた。

 

「逆に聞くけど、ほむらさんはあの頃一度でも僕に好かれるようなことしたっけ?」

 

 両手を顔の前で組んで五秒ほど考え込んだ暁美は、渋い表情で悔しそうに声を絞り出す。

 

「…………ないわね」

 

「だろう?」

 

 僕が暁美の容姿に好感を持つような男だったら違ったのかも知れないが、残念ながら僕は暁美の容姿には苦手意識しか持たなかった。

 むしろ、容姿がいいからこそ、何をしても許されると勘違いしているんじゃないかと思っていた。

 数値で表すならば、『-500』くらいだろうか。とにかく蛇蝎(だかつ)のように嫌っていた。

 

「でも、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないかしら……?」

 

「銃口向けてきた人に好意を持つのは流石にちょっとね……。あの時だけで二回はされてたし」

 

「それは……その、ね。は、話を変えましょう。ほら、ここに来て私が別の時間軸から来た事やまどかとの関係について話したじゃない?」

 

 強引にも、無理やり話題を変更してきた。よほど嫌悪を持たれた話が聞きたくないと見える。ならば、いいだろう。

 

「あの話を聞いて僕は君に対する感情が変わったよ」

 

「そ、そう?」

 

「うん。嫌悪から軽蔑に変わった」

 

「酷くなっているわよね、それ!?」

 

 珍しく素っ頓狂(すっとんきょう)な声で僕に突っ込みを入れる暁美。なかなかレアな光景だ。

 だが、そんなことを言われても事実に暁美への印象が下方修正されてしまったのだからどうしようもない。

 

「いや、違う世界の鹿目さんのことをすべて同一視していたから、『ああ、こいつ。鹿目さんのためとか言いつつ、この世界の鹿目さんも自分の罪悪感を晴らすための記号のように扱っているんだな』って思っちゃって」

 

「……まあ、それについては私も反省すべき点だと思ったけれど。でも、軽蔑って……」

 

 暁美はがっくりと肩を落として溜め息を吐く。

 思った以上に落ち込んでしまったので、ここらで評価を上げたエピソードを挙げるとしよう。

 

「その軽蔑が変わったのが美樹さんと上条君の件だよ。あの時の君は、僕に美樹さんを傷付けたことに対して本気で怒ってた。鹿目さん以外がどうなろうが構わないって言っていた君がだよ? あのビンタは心に響いたね」

 

 左頬を撫でながら、しみじみに回想に(ふけ)る。

 友達のために本気で怒れる人間は素晴らしいと思う。もっとも、あくまで僕の価値観だが。

 

「あれは、ただイライラしていただけよ」

 

「その後も、美樹さんの告白が終わるまで心配そうにじっと待って……」

 

「も、もうその話はその辺でいいわ!」

 

 恥ずかしそうに慌てる様は素直になれない子供そのもので可愛らしい。

 優しい心を人に看破されるのが本当に苦手なようだ。クール振っているくせにこういう時だけ乙女らしい。

 本音を言えば、眼鏡と三つ編みの彼女には未練はあるが、こっちの暁美との会話も十分楽しい。

 

「あれから、僕はようやくほむらさんのことが分かり始めたんだ。本当は優しい女の子なんだ、ってね」

 

「政夫……」

 

 しんみりとした穏やかな雰囲気が僕と暁美の周りを流れる。

 何だか少し気恥ずかしくなったので、それをあえてぶち壊す。

 

「まあ、この前、いきなり呉先輩に銃を向けたのを見て、再び君の株価は大暴落したんだけど」

 

「……政夫」

 

「いや、本当にあれはないよ。本気で気が狂ったのかと思ったし」

 

「仕方ないじゃない。私にも事情があったのだから」

 

 言い訳するように呟くと、暁美は僅かに(うつむ)いてしまった。

 少しいじめ過ぎたか。でも、何一つ嘘は吐いていない。すべて偽らざる僕の本音だ。

 どうしようかと考えていると、ウェイトレスさんが注文した料理を運んできた。

 僕の方はトマトのパスタで、暁美の方はリゾットだ。昼前なのでお互い、軽めのものを頼んでいた。

 二つの皿が僕らの前に置かれると、ウェイトレスさんは去って行った。恐らくは雰囲気で何か察したのだろう。空気の読める人だ。

 

「じゃあ、食べようか?」

 

「……ええ」

 

 僕はフォークにパスタを巻き付けるとそれを自分の口元ではなく、暁美の方へ向ける。

 

「はい。あーん」

 

「え……え!? ど、どういう事なの!?」

 

 軽く落ち込んでいた暁美は大げさなほどうろたえた。

 上条君とのデートしているところを見たから分かってはいたが、暁美は男に本当に免疫がない。今まではずっと鹿目さんのことだけを考えて右往左往していたらしいから無理もないか。

 

「どういうことって……デートらしい食事作法?」

 

「それにしたって、は……恥ずかしすぎるわ!!」

 

 真っ赤になって大きな声を上げる暁美。

 しかし、そのせいで他の客の視線が集中することになっていまい、返って恥ずかしい思いをするはめになる。

 まったく。そこまで騒ぐことかと呆れて、ふと窓に目をやると外の見知らぬ人までが僕ら凝視していた。

 否、知り合いだった。

 呉先輩が窓の外で噛り付くようにこちらを見ていた。よく見ると巴さんと織莉子姉さんも居た。

 何でこんなところにと驚愕したが、呉先輩が掴んでいる物体が目に入った。

 先輩が掴んでいるぐったりとしたそれは、最近僕の家で保護しているマスコット、ニュゥべえだった。

 

 

 

「政夫。暁美ほむらと今何をしていたんだい?」

 

 ファミレスの店内に入ってきた三人は僕の隣に呉先輩が、暁美の隣に巴さんと織莉子姉さんが席が座ると、呉先輩が開口一番僕にそう尋ねた。

 笑顔ではあったが、貼り付けたような不自然極まりない笑みで正直に言って、ものすごく不気味だ。他の二人も似たような表情を無言で浮かべている。

 ニュゥべえは尻尾を呉先輩に握り締められながら、僕に申し訳なさそうに俯いていた。

 その様子から察するにデートの件を呉先輩に流失させてしまったのはニュゥべえのようだ。

 

「……俗に言う『あーん』ですかね?」

 

 ここで嘘を吐く意味はなかったので素直に答えると、呉先輩は小刻みに震えながら再度質問をしてきた。

 

「それは、何でかな?」

 

「何でと聞かれましても……。デートしているので、それらしいことをしようかと」

 

「まず、それだよ! 何で暁美ほむらなんかとデートをしているのかを聞かせてよ!! こいつは政夫の彼女じゃないって……あの時の話は私を守るために吐いた嘘だって言ってたじゃないかっ!?」

 

 火山が噴火を起こしたかの如く、猛烈に激昂する。

 暁美が僕の彼女という嘘は、織莉子姉さんたちと和解した後に解いておいたのだが、それが逆に今回悪い方に作用してしまったようだ。

 順を追って、今回のデートのことを伝えようと僕は口を開くが、言葉を発する前に暁美が喋り出す。

 

「貴女に何の関係があるの? 呉キリカ。私と政夫が付き合っていようといなかろうと口出しされる(いわ)れはないわ!」

 

「な……な……何をぉぉ!? 関係ない事あるか! 私は、政夫の事をこの世で一番愛してる! 誰よりも誰よりもだ!」

 

 暁美が要らない挑発をし、呉先輩がそれに乗る。

 険悪なムードが形成され、二人を包むが、今まで黙っていた織莉子姉さんが会話に加わる。

 

「キリカ」

 

 この場をまるく収めてくれるのかと思い、僕は安心した面持ちで聞いていると織莉子姉さんは静かに語り出した。

 

「まー君を一番愛しているのは他でもない私よ。考えてもみて。貴女はまー君を異性として愛しているけれど、私は弟として愛しているわ。つまり、家族愛よ。恋愛感情とは比べものにならないわ」

 

 堂々とそう話す織莉子姉さんに僕は落胆と羞恥(しゅうち)と頭痛を覚え、頭を押さえる。

 何を言ってるんだろう、この人。久しぶりに会った時は大人びて見えたんだけどな。

 

「まあまあ、皆落ち着いて。ほら、夕田君が困っているじゃない」

 

 混沌とし始めていたところ、織莉子姉さんの隣の巴さんが取り成してくれた。

 やはり、困った時に頼りになるのは巴さんだ。

 

「言い争って喧嘩するよりも、ここはひとまず皆で楽しくどこかに遊びに行きましょう。ね、暁美さん」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。私と政夫は今……」

 

「暁美さん、ここは皆で仲良くした方がずっと楽しいと思うわ。美国さんも呉さんもそう思うでしょう?」

 

 暁美の静止の声をやんわりと受け流し、巴さんは二人へと会話のバトンを回す。

 

「いいですよ。そうしましょう」

 

「私もマミにさんせー。じゃあ、どこにする?」

 

 織莉子姉さんも呉先輩も賛同し、今度はどこに行くかをすでに話し始めていた。

 三人の勢いに押されて、暁美は諦めたように溜め息を一つ吐く。

 

「分かったわ。なら、今日のデートはこれで……」

 

「あの、すみません」

 

 そう言いかけた暁美の言葉を遮り、僕は三人に言った。

 

「今日は僕とほむらさんはデートしているんですよ」

 

「ええ、そう聞いたけど。でも、せっかく集まったのだから、ここは五人で遊びましょうよ?」

 

 巴さんの言葉を聞いて、僕は頭を下げる。

 

「それは大変嬉しい申し出なのですけれど、このデートは二日前から約束していたものなんです。だから、今日一日はほむらさんだけのために使いたいんです。申し訳ないですけど五人で遊ぶのはまた今度ということにお願いできませんか?」

 

 巴さんたち三人はお互いに顔を見合わせた後、小さく頷くと了承してくれた。

 巴さんは苦笑い、織莉子姉さんはどこか昔を懐かしむような顔、呉先輩は露骨に不機嫌そうな表情をそれぞれ浮かべて、店を出て行った。

 ニュゥべえも尻尾を掴まれたまま、逆さまに連行されて行ったが、僕に小さく手を振っていた。

 

「はぁ、何だかちょっと疲れちゃったね」

 

 椅子に掛け直して笑いかけると暁美は、さっきよりも俯いていた。

 理由が分からなかったので尋ねようとしたが、その前に暁美が顔を上げた。

 注文したパスタに入っている完熟トマトのよりも、顔を朱に染めた彼女は悔しそうに呟く。

 

「貴方って……本当にずるい男ね」

 

 パスタを巻きつけたフォークを暁美の口元まで差し出して、その台詞ににやっと笑ってこう答えた。

 

「――知らなかった?」

 




いや、何と言うか結構長くなりましたね。でも、それなのにあんまりデートシーン多くないという状態……。

それと、政夫って狡猾なくせに無駄に誠実なところがあるせいで、もっと楽に幸せになれる道があってもそれを選べないんだろうなと書いていて思いました。

IF政夫「外見で選んで何が悪い!」


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第八十六話 朱に交われば赤くなり

超ギャグ回です。今まで一番書いていて楽しかったです。


 暁美とのデートを終えた次の日の日曜日、僕は見滝原市の隣にある風見野市へやって来ていた。

 理由は(ひとえ)には言い表せないが、目的は一つ。ちょっとした相談というヤツだ。

 駅から数分ほど歩き、目的地に辿り着く。

 少々年季の入っているが、僕の家よりは大きい一軒家。

 表札には『魅月』と書かれてある。

 玄関のチャイムを鳴らすと、中から赤毛のポニーテールの女の子が出てくる。インターホンの意味が皆無だった。

 

「お! 政夫じゃないか。わざわざ、訪ねて来てどうしたんだ? アタシに何か用?」

 

 急に訪ねてきたというのにフランクな対応で魅月杏子さんは僕を笑顔で迎え入れてくれた。

 ここまで社交性が高いと将来有望だろうな。

 

「いや、ちょっとショウさんに相談したいことがあってね。今日は家に居るって言ってたけど……今大丈夫かな?」

 

「まあ、基本的には仕事は夜だけだから、午前中は大体寝てるよ。とりあえず、上がって来なよ」

 

 そう言って上げられたリビングは綺麗に整頓されていて清潔感があった。

 シックで落ち着いた感じの家具が、部屋としっくりきていて好感を覚えた。

 杏子さんに起こしてくるから座っといてと言われたので、ソファに腰を下ろしてしばらく待っていると、僕の後方にあったドアが開いてショウさんが入ってくる。

 髪に寝癖が付いてある辺り、寝起きなのだろう。悪いことをしたなと思ったが、ショウさんは嫌な一つせず、むしろ嬉しそうに笑った。

 

「おう、政夫。今日はどうしたんだ?」

 

「どうもお邪魔しています、ショウさん。今日は折り入ってご相談したいことがありまして」

 

「かしこまんなよ。そんな堅苦しい間柄じゃねぇだろ?」

 

 僕の隣に背中を預けるように深く腰掛けると、ショウさんは僕に尋ねた。

 

「そんで、何を相談しに来たんだ? 何でも聞いてやるよ。ホストはそういうのにも慣れてんだ」

 

 正面じゃなく、隣に来る辺りがホストらしい。

 パジャマ姿なのに膝を組んで両手を広げて座っていると非常に絵になるから困る。

 僕はそんなショウさんに苦笑いをしつつ、話し始めた。

 

「実は僕昨日、デートをしたんですよ」

 

「まどかとか? いいじゃねぇか、青春してるね」

 

 ショウさんは軽く僕の脇を小突く。

 それをくすぐったく思いながら訂正した。

 

「いえ、鹿目さんじゃなく、ほむらさんとです」

 

「おいおい、その歳でもう二股かよ。やるじゃねぇか」

 

 なぜか、ショウさんは僕と鹿目さんが付き合っていると思い込んでいる節があったので、その誤解を解いておく。

 

「あの、前にも言いましたけど僕は鹿目さんと付き合ってませんよ?」

 

「あれ? そうなのか? でも、政夫。お前、廃工場ん時にあの子命懸けで逃がしたんだろ? それなのに特別な感情持ってねぇの?」

 

 そうショウさんに聞かれ、返答に困った――――なんてことはなく、僕は平然と答えた。

 

「性格の良い優しい女の子で、大切な友達だとは思っていますが恋愛感情はないですね」

 

 確かに鹿目さんは僕の理想の女の子像に近いが、どうにもそういう感情は持てなかった。

 彼女の見た目がやや年齢より幼いことと、何より内面が純粋で優しすぎるせいだ。

 鹿目さんのような心の清らかな女の子を見ていると、自分の汚さを再確認させられて何とも言えない気持ちにさせられる。

 それに僕のような人間があまり近付きすぎると、彼女が汚れてしまいそうで怖くなる。鹿目さんは僕のようにはなってほしくない。優しい世界を見ていてほしい。

 

「まどかの方は多分、お前の事好きだと思うぞ?」

 

「それは勘違いじゃないですか? 仮にそうだとしても、それはあの工場の一件での吊り橋効果のようなもので一過的なものだと思いますよ」

 

 吊り橋効果。恐怖心を(あお)るような状況下で興奮状態になると、恋愛時に起きる生理的興奮と取り違えて傍に居る異性に恋心を覚えてしまうというアレだ。

 あの工場の一件で鹿目さんが僕に対して恋愛感情を持ったとしても、それはただの勘違いによるものでしかない。時間が経てばやがては薄れていくだろう。

 ショウさんは呆れたような表情になって僕を見た。

 

「……政夫。お前って、超ドライなのな。ホントに中学生かよ」

 

「そうですかね?」

 

 自分でも冷めたところがあるのは自覚しているのだが、恋愛面に関してはそこまでではないと思うが。

 取り合えず、話を元に戻そう。

 

「まあ、鹿目さんのことは置いておいて、ほむらさんの話なんですけど」

 

「おう。あの黒髪の子だろ。覚えてるぜ」

 

「さっきも言ったとおり、デートをしたんですよ。それでですね……」

 

 そこまで言った後で、僕は口ごもった。この感情をどう説明したらいいか、よく分からなくなったからだ。

 昨日までの暁美への印象は、ちょっとぶっ飛んでいるけど本心は優しい女友達だった。彼女への感情も友情の域を出ていなかった。

 だが、昨日のデートの後から僕の中の暁美への印象が、感情が変わりつつあった。

 それを言葉にするのが難しい。

 

「惚れたのか?」

 

「惚れた、とはまた違いますね。彼女の思いがけない一面を見たというか……」

 

 僕が好きな格好して来てくれたこと。そして、僕を喜ばせようとしてくれたこと。

 嬉しくて、恥ずかしくて、心が揺れた。

 でも、今まで何とも思っていなかった暁美に対して、たった一日で感情を(ひるがえ)すのは失礼だと思った。

 それはつまり、一昨日まで見てきた暁美への全否定と同義だ。

 恋愛感情ではなかったが、僕が見てきた『一昨日までの暁美』も嫌いではなかった。だからこそ、今の僕が酷くもどかしい。

 正面を向いて唸りながら、ショウさんは僕に尋ねた。

 

「だがよ、デートしたって事はお前もほむらも満更でもねぇって事だろ? お互いによ」

 

「それなんですよ。まず彼女が本当に僕のことが好きなのかが分からないんです」

 

「は? デートもした後でそれはねぇだろ、政夫。大体、あの子、一時的とは言え、お前にソウルジェム預けるくらい信頼してたじゃねぇか」

 

「それは僕がそうなるように誘導したからですよ」

 

 ファミレスでソウルジェムが魔法少女の本体であることを証明をするために、暁美からソウルジェムを預かった時、僕は彼女に信頼させるように誘導し、見事そのとおり動かした。

 そのおかげでショウさんや鹿目さんに契約の危険性を伝えることができた。

 では、なぜ暁美は僕にそこまでの信頼を寄せてくれたのか?

 決まっている。僕しか居なかったからだ。

 暁美に手を差し伸べる存在が僕を除いて居なかった。孤独に(むしば)まれていた彼女は僕を信じる他なかった。

 かつて聞かされた暁美が一番最初に出会った『鹿目まどか』の話と同じだ。あそこまで鹿目さん、いや『鹿目まどか』という存在に(すが)りついたのも、恐らくは転校したてで頼る相手の居なかった時に『鹿目まどか』が優しく接してくれたからだろう。

 暁美は孤独に弱いのだ。美樹や巴さんや織莉子よりもずっと。

 もしも……。

 もしも、暁美の孤独の過去を聞き、手を伸ばしたのが僕以外の誰かだったら。

 そもそも、一番最初の世界で優しくしてくれたのが『鹿目まどか』でなかったのなら。

 彼女はきっと、その別の誰かに好意を抱いていたのではないかなんて、そんな風に思ってしまう。

 僕は昨日のデートを思い出す。

 

 ファミレスから出て行った後、カラオケに行った。

 妙な音程のバラードが気に入ったのか何曲も歌ってマイクを離してくれなかった。

 その後、ボウリングに行った。

 始めてやると言っていたので投げ方を教えると、僕よりも遥かに高いスコアをたたき出してくれた。

 最後にゲームセンターへ行った。

 ガンアクションゲームでうまく焦点が合わず、僕に得点で負けると「本物の銃より軽いからやりづらいのよ」と悔しそうに言い訳していた。

 クレーンゲームの景品の猫のぬいぐるみを物欲しそうに見ていたので、取ってあげると恥ずかしかったのか「要らないならもらってあげるわ」と受け取ってくれた。

 プリクラを撮った時、いつもの暁美と三つ編み眼鏡の暁美の二パターン分撮ってご満悦な表情を浮かべていた。

 暁美は僕が思った以上に、普通の女の子だった。

 不器用で、口下手で、視野が狭くて、頑張り屋で――そして、デートの終わりで「ありがとう」と笑ってくれる優しい女の子だった。

 

 僕はそんな彼女とデートして申し訳なく思った。

 この世界で最初に出会ってしまったことに対して。好意を刷り込んでしまったことに対して。

 深い罪悪感と同情と憐憫(れんびん)を感じた。

 暁美が最初に出会ったのが例えば、上条君だったのなら、相思相愛の幸せな関係を築けていたのかもしれないと思うと胸が痛んだ。

 

「ほむらさんが……暁美が僕のことを好きだと思ってくれているのなら、それは間違いなく僕が刷り込んでしまった勘違いなんです」

 

 僕の言葉を聞いたショウさんは、僕の額を指で弾いた。

 少しだけ怒った表情で僕に諭すように言葉を掛ける。

 

「政夫が何を言ってるかよく分からねぇがな。もっと簡単に考えろ。お前は何でも小難しく考えすぎなんだよ」

 

「ショウさん……」

 

「いいか。中学生の恋愛なんてもっと簡単なんだよ。具体的に言うとだな、セックスしたいかどうかで考えろ!」

 

 もっともらしいことを言ってくれるのかと思ったら、結構最低な発言をかましてくれた。

 感動していた心がピタリと止む。

 

「アホか! 真面目な顔で何言ってんだよ!!」

 

 コーヒーカップをお盆で運んできて来てくれた杏子さんが器用にも直立しながら、(かかと)落としをショウさんの頭に決めた。

 ショウさんはソファからずり落ちるが、杏子さんはお盆を持ったまま、揺れ一つしなかった。

 余談だが、杏子さんはミニスカートだったが鉄壁の黒スパッツのおかげで下着の露出は(まぬが)れていた。

 

「いっつぅ~! 何すんだよ、杏子! お兄ちゃんはお前をそんな乱暴な子に育てた覚えはねぇぞ!」

 

「知るか、どアホ! 悪いね、政夫。ショウが変な事言ったみたいで。はい、これコーヒー」

 

「あ、ありがとうね」

 

 頭を押さえながら涙目になっているショウさんを他所に杏子さんはテキパキとコーヒーカップを僕に手渡してくれる。

 この家の力関係が一目で分かる構図だった。

 

「でもさ、ショウの言ってる事もあながち間違いじゃないんじゃないの?」

 

 杏子さんも僕の話を聞いていたらしく、自分の分とショウさんのコーヒーカップをサイドテーブルに乗せた後に助言をくれた。

 

「ほむらがアンタの事どう思ってるかなんて一先ず置いといて、アンタがほむらの事好きかどうかを考えなよ」

 

「そうなんだよね。でも、今まで何とも思ってなかったのにこんな風に意識するのは不誠実な気がして」

 

 コーヒーに口を付けながらそう言うと、ソファから落ちて床で転がっていたショウさんが再び会話に舞い戻って来る。

 その顔にはすでに涙はなく、どこか自信そうな表情を浮かべていた。

 

「だからな、そういう時には男は性欲に判断を(ゆだ)ねりゃいいんだよ。下半身は嘘を吐かないからな。ちなみにこれは経験談な」

 

「だ~か~ら、そういうのは……」

 

 半目で呆れ顔で拳を握り、突っ込もうとする杏子さんだが、僕はそれを制した。

 

「いや、ある意味真理かもしれません」

 

「政夫。この馬鹿に感化されなくていいから」

 

 杏子さんは否定的だったが、恋愛に性欲は付きものだ。僕だって、自慰すらしたことがないほど幼い訳ではない。

 改めて、暁美を脳裏で描いてみる。

 さらさらした長い黒髪、スレンダーな体型、怜悧(れいり)と言っていいほど端正な顔付き。衣装は魔法少女のあの格好。

 ……駄目だ。驚くほどそういった感情が湧き上がって来ない。

 

「政夫、脳内で服を剥ぎ取っていけ。そうすれば大抵の男は興奮するはずだ」

 

 僕はショウさんの助言に従い、頭の中の暁美の衣服を外していく。

 最初は靴。上着、ストッキング。格好が下着に近付いていった。

 

「どうだ、政夫? 興奮するか?」

 

「駄目です! なんか猛烈に死にたくなって来ました!」

 

 ショウさんの問いに僕はコーヒーカップの取っ手を持っていない方の手で顔を覆う。

 性欲が沸き起こるどころか、居た(たま)れない気分になってくる。ある種の拷問だった。

 

「ひょっとして、政夫はそういう風に性的な目で女の子を見れないのかもな。じゃあ、試しに今度は杏子でやってみろ」

 

「はあ!? アタシ!?」

 

 冷めた目付き僕らを眺めて、コーヒーに角砂糖を八つほど入れていた杏子さんが驚いて声を上げた。

 僕は小さく頷き、その新たな試みに挑戦してみる。

 

「やってみます!」

 

「やるな馬鹿!!」

 

 杏子さんが騒いでいたが、僕はそれを無視して杏子さんを脳裏に浮かべた。

 彼女の場合、魔法少女服より制服の方が見慣れているためか、格好は見滝原中のクリーム色の制服だった。

 赤いポニーテール。暁美よりややメリハリの付いた体型。快活な笑顔にちらりと覗く八重歯。

 脳内で彼女の姿を固定化すると、今度も丁寧に脱がしていく。

 徐々に衣服がなくなっていくに連れ、妄想内の杏子さんが恥らうように身体を隠し始めた。

 

「!? これは!?」

 

 僕の脳内で変化が起こりつつあった。

 それを見たショウさんはにやりと笑う。

 

「その反応……何か掴めてきたようだな。構う事なんかねぇ。そのまま行け!」

 

「はい!」

 

「何なんだよ、このノリは……」

 

 呆れてぐったりとする杏子さんを他所に、僕はYシャツ一枚になった妄想上の杏子さんを観察する。妄想杏子さんは頬を赤らめ、身を(よじ)ると(うる)んだ瞳で一言呟いた。

 

『……いいよ』

 

 脳内を電流が流れ、幾千万の星が(またた)いた気がした。

 そして、現実に戻ってくると万感の思いを込めて、ショウさんに気持ちを伝えた。

 

「ショウさん……僕、杏子さんならちゃんと興奮します!」

 

「アホか、てめぇ!! 何トチ狂った事、笑顔でほざいてんだよ!?」

 

「やったじゃねぇか、政夫」

 

 杏子さんは大きな声で怒鳴っていたが、ショウさんはそれをまったく意に介さず、僕の頭を誇らしげな笑みを浮かべてポンと叩く。

 僕もつられて笑みをこぼした。

 和やかな空気に包まれながら、僕はこう思った。

 

 ――相談しに来たこと、何一つ解決してねぇ。

 




言い訳はしません。記念すべき通算100話目がこんな話でなんですが、ショウさんを出せたのでそれだけで満足です。

ぶっちゃけ、ニュゥべえ関連でもっと書かなければいけない話があるんですけれど……ショウさんに比べたら些細な事でしょう。
ついでに杏子も書けて、今まで書けなかった部分を書いた気になり喜んでいます。

政夫のキャラ? 知りませんよ。元からこうだったんじゃないですかね?


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第八十七話 水色の純情とホストが語る真相

~さやか視点~

 

 

 

 今日は美国さんの家にお呼ばれして、美国さんの家の庭でちょっとしたお茶会を開いていた。

 集まったメンバーは私、まどか、マミさん、ほむら、呉さん、そして、当然ながら美国さんの六人。

 杏子は休みの日は家族と過ごしたいからと言って参加しなかった。政夫も用事があるからと言って来なかった。二人ともノリが悪い。

 色々合ったが今日は親睦会の意味も込めてのお茶会だったので、美国さんは「仕方ない事だから」と笑っていたけど本当はできれば皆参加してほしかったんだと思う。

 お茶会は、美国さんと呉さんが私たちへのこの前戦った時の事の正式な謝罪から始まり、最初は皆少し堅苦しくなってしまったけれど、次第に柔らかい雰囲気に包まれて和気藹々(わきあいあい)に会話ができるまでになった。

 美味しいケーキと紅茶を皆で食べてながら話していると、自然と話題が政夫の事ばかりになっていく。

 政夫がどうした~とか、政夫にこんな事をしてもらった~とか、こういうのを聞いていると私たちが全員共通の話題って大体政夫の事なんだって思わされる。

 そして、私の言った何気ない一言でその空気が変わった。

 

「でもさ、政夫って絶対私の事好きだと思うんだよね?」

 

 一瞬でほのぼのとして温かかった空気が凍る。

 皆の笑顔まで時が止まったように固まっていた。

 

「美樹さん……ちょっとあなたの言っている意味がよく分からないのだけれど」

 

 一番最初に私に言葉を返したのは私の左隣に座っているマミさんだった。

 いつものように優しげに微笑んでいるけれど、指を絡ませているティーカップがこれ以上にないってくらいに揺れていた。今にも中の紅茶をこぼしそうになっている。

 

「そうよ。急に何を言い出すの? さやか」

 

「も、もう、さやかちゃんたら。お、驚いちゃったな」

 

 ほむらにまどかも続いて、話し出す。

 ほむらは無表情でよく分からないけど、いつもよりも声のトーンが低く聞こえた。まどかの方も取り繕った笑みを浮かべている。

 

「さやか……だったよね、名前。墓石にはそう彫ればいいのかな?」

 

 右隣に座っていた呉さんは暗い笑みをしながら、私の首筋にケーキ用のフォークを当てている。

 じんわりと冷や汗が(にじ)み出てくる。

 ……やばい。私、今思いっきり失言したかも。

 

「いや、あの、でも……な、なんかごめんなさい」

 

 取りあえず、場の雰囲気を元に戻すために謝るが、私の正面に座る美国さんはお茶を一口飲んだ後にこう言った。

 光の反射具合のせいだと思うけれど、美国さんの瞳の光彩が消えたように見えた。

 

「美樹さん。別に謝らなくてもいいわ。――ただ、何故そう思うのか、その理由を聞かせてもらえないかしら」

 

 ただ一人だけ冷静に見えたが、多分この人がこの中で一番私の発言に怒っている。女としての直感が私にそう(ささや)いていた。

 

 

 

 

「えっと、ですね。政夫は私がキュゥべえと契約するって言った時、必死で止めようとしに来てくれたんですよ。その時、私は病院の屋上に居たのに政夫は息切らせて、ふらふらになってまで私の元まで来てくれたんです。そこで私が魔法少女なろうとするのを止めるように本気で説得してくれました」

 

 全員が無言でそのまま続けろという目で見ているので、私は話を止めずに喋り続ける。

 喋りながらも、あの時の事が頭の中で(よみがえ)っていった。

 奇跡で恭介に好きになってもらおうと考えかけた私に政夫は本気で怒ってくれた。そのおかげで私は道を間違えずに済んだ。

 あのまま、恭介が私の事を好きになるように願っていたら、私は絶対に後悔していたと思う。

 まあ、結局契約自体はしちゃったんだけどね。

 

「その後も、私が恭介……好きだった人に告白できなかった時に政夫は背中を押してくれました。キツイ事もたくさん言われましたけど、それも全部私のためで……あはは。自分でこんな事言うの、何だか恥ずかしいな」

 

「美樹さん。そういうのはいいので、続きを」

 

 照れくさくなって恥らう私を絶対零度の瞳で睨み付けて、美国さんは話を()かす。ほむらと違って表情だけは笑顔の分、笑っていない目が怖い。こういうところは何となくだけど政夫に似ていると思う。

 気を取り直して、話に戻る。

 

「恭介は私じゃなくて、他の女の子が好きだったんですけど……私はそれを納得した振りをして誤魔化していました。ずっと本心を嘘を吐いてて……」

 

 ちらりとほむらを一瞥すると、複雑そうな顔を浮かべていた。多分、ほむらは恭介とデートした事を思い出している。恭介はほむらに告白していたって聞いたから、その事について私に負い目みたいなものを感じているのかもしれない。

 

「それを政夫は見抜いて、私にちゃんと失恋できるように支えてくれました。見っともなく泣き出しても傍に居てくれたんです」

 

 そんなに格好悪いところ見せても、迷惑かけても、絶対に嫌いにならないから自分に話せとそう政夫は言ってくれた。あの言葉で私がどれだけ救われた事か、自分でも分からない。

 思い出しただけで涙が出てきそうになるけれど私はそれを抑え込む。

 

「勇気が出るまで、覚悟ができるまで、ずっと一緒に居てくれました。大声で泣き喚いて涙で濡れた私の顔をハンカチで(ぬぐ)ってくれました。……こんなあたしを、政夫は信じてくれました」

 

 我慢したつもりが込み上げてきた感情のせいで最後だけ声が震える。

 記憶と一緒に思い出したあの嬉しさが涙腺を揺らした。

 おかしいな。政夫が私の事を好きな理由を話してるのに、これじゃまるで私が政夫を好きな理由を話してるみたいだ……。

 

「ありがとう、美樹さん。貴女がどれだけまー君の事を真摯(しんし)に想ってくれているのか分かったわ」

 

 美国さんは立ち上がると、手を伸ばして白いハンカチを私に差し出した。それを受け取ると目尻を軽く拭いた。

 お礼を言って、ハンカチを返すと美国さんはさっきとは違う目の笑った優しい笑顔をする。

 

「まー君の事をそこまで大切に想ってくれて嬉しいわ。キリカもそう思うでしょう?」

 

 美国さんが話を振ると、呉さんは今まで私の首筋にフォークを当てていた手をそっと下ろした。

 

「ま、まあ、ある程度は認めるよ。で、でも、私だって負けてないんだからな!」

 

 ()ねたような言い方に私は、つい笑ってしまう。

 

「何だよ。笑うなよ! 失礼じゃないか!」

 

 その態度が可愛くて、私以外の皆も連られて笑った。

 きっと、私以外も本気で政夫の事が好きなんだろう。でも、逆に言えばそれはこの中の誰があいつの恋人になっても、政夫は本気で愛してもらえるという事だ。

 私の大切な人を本気で愛してくれる人なら、私はその人の事を心からお祝いできる。

 私が好きなあいつには、幸せになって欲しいから。

 

 

 政夫。アンタ、幸せもんだよ。こんなに大勢の美少女に好きになってもらってさ。

 

 

 

 

 

~ショウ視点~

 

 

 政夫が帰った後、俺はソファの上に寝転がると杏子に話しかける。

 

「杏子」

 

「何だよ。変態ホスト」

 

 もの凄く冷たい目で俺を(さげす)む杏子。

 砂糖とコーヒーフレッシュを入れまくったせいでカフェオレのようになったコーヒーをちびちびと(すす)っていた。

 こいつ、兄貴に向かってその呼び方は酷すぎないか? 一緒に暮らし始めた二ヶ月前くらいにはもっと俺に対して遠慮とかがあった気がするんだが……。

 そんな益体もない事を思いながら、俺は杏子に言う。

 

「まあ、聞け。……さっきの政夫の発言の理由、分かるか?」

 

「分かんねーよ! というか、いい歳して下ネタではしゃぐんじゃねーよ!! ショウ、もうそろそろ二十台後半だろ!」

 

 真っ赤になって切れる杏子に俺は溜め息を吐いた。

 全然分かってないみたいだ。こいつもまだまだ色恋沙汰には疎いらしい。

 あの程度の下ネタで反応するのはガキの証拠だな。

 

「あのな、杏子。政夫が何でまどかやほむらが駄目でお前には興奮できたって事について、もうちょっと考えてみろよ」

 

「何言ってんだよ!? そんな事に大した理由なんてある訳……」

 

「あるぞ。それも結構真面目な理由がな」

 

 言葉を遮り、肯定すると杏子は口を開いたまま固まった。

 しかし、すぐに復活するとムキになって聞いてくる。

 

「はあ!? あの馬鹿話のどこに真面目な理由があるんだよ? 言ってみなよ」

 

 これだけ言ってもまだ考えようとしない杏子に仕方がないので教えてやる。

 俺は上半身を起こすと、サイドテーブルに置いてあったコーヒーカップを手に取った。

 

「政夫はな。簡単に言っちまえば、まどかやほむらを保護者目線で見てんだよ」

 

「……どういう意味だよ? 父親とか兄貴みたいな目で見てるって事か?」

 

「父親や兄貴……つーよりはあいつの場合、教師みたいな目付きだな。ようは手間のかかる幼い生徒みたいに世話を焼く相手って認識なんだよ。言い方悪いが目下の相手って見てるんだろな。本人は気付いてねぇけど」

 

 簡単に言えば、俺が杏子の半裸を見ても性欲を抱かないとの一緒だ。完全に自分よりも幼い相手として意識していなければ恋愛感情も抱かないし、性的な目で見れば罪悪感を持つ。

 俺の話に納得ができていないようで、難しそうな顔で杏子は首を捻る。

 

「なら、何でアタシならいいんだよ?」

 

「お前の場合は、直接的に政夫が世話焼いた事がないからだろうな。だから、素直に同級生として対等に見られるつー訳だ」

 

 政夫も難儀なヤツだ。あいつにとっては面倒見ている女の子から告白されたところで、学校の教師に生徒が「せんせー、だいすきー」と寄って来ただけに過ぎない。

 真面目な分、父性的な感情がデカいんだろうな。精神年齢が中学生とは思えないほど高いのも関係しているのもありそうだが。

 ようやく納得がいった杏子は、今度は(いきどお)るように顔を(しか)めた。

 

「だったら、何でそれを政夫に教えてやらねーんだよ? あいつはそもそもそういうのを聞きにショウに会いに来たんだろうが!」

 

 本当にこいつは色恋沙汰について何も分かってない。

 そういうモンは理屈で考えちまったら駄目な領分だってのに。

 

「杏子。人に教えてもらうだけじゃ駄目なんだよ。自分で気付かないと意味がねぇんだ。まして、政夫は真面目だから余計に悩んじまう」

 

 だから、あえて興奮だの、少年よ性欲を抱けだの大分ぼかして伝えた。

 理屈っぽい政夫が混乱しないように馬鹿っぽく茶化して話してやったのにはそこに理由があった。

 俺が語り終え、コーヒーを一口飲むと、杏子は不機嫌そうな顔付きで俺をじっと見つめていた。

 

「な、なんだよ?」

 

「面倒見てもらってる奴は、世話してくれる奴の事好きになったらいけないのかよ……」

 

「いや、誰もんな事言ってねぇだろ。政夫が真面目だから恋愛対象として見られてないだけっつー話だ」

 

 俺がそう答えると、杏子は付け足すように聞いてくる。

 杏子の目は何かに(すが)るように震えていた。

 

「だったら……ショウは、ショウはどうなんだよ? アタシの事、そういう目で見てくれないのか?」

 

 俺は杏子が何を伝えたいのか理解した。

 きっと直接言葉にはできないから、遠回しに聞いているんだろう。拒絶されたら離れて行っちまうかもしれないから。

 元々、薄々は気付いていた。『カレンの願い事』のおかげとは言え、これでもナンバー1ホストの座に座り続けている俺だ。色恋沙汰には人一倍鼻が利く。

 杏子の俺への感情が父親や兄弟に向けるものとは違うって事くらい知っていた。

 だが、杏子の事を「カレンの代わり」として見ていた俺はずっとその事から目を背けていた。

 今はもうカレンにも、杏子にも代わりなんて居ない事が分かっている。なら、そろそろ格好悪い真似は止めにしよう。

 俺は杏子の例に(なら)って、遠回しに答える。

 コーヒーカップに目を落としながら気軽にぼんやり呟くように。

 

「そうだな、あと二年経って、お前がイイ感じに発育して、そんでもってお前に好きな男が居なかったらそういう目で見ちまうかもしれねぇなぁ」

 

「……ホントか?」

 

 不安と期待の入り混じった、確認するようなか細い杏子の声が耳に響く。

 『妹』としての生意気な声じゃなく、『女』としての艶のある声。それを聞いていると、今まで杏子は俺に合わせて、そういう感情を押し隠してくれたのだと理解させられる。

 

「ああ、ホントだ。ホスト嘘吐かない」

 

「……アンタ、保護者失格だな」

 

「はっ! 俺の台詞ちゃんと聞いてたか? 今はお前の事なんかケツの青いガキとしか見てねぇって事だよ」

 

 元気になって生意気な事を言い始めた杏子に俺は小馬鹿にするように笑うと、コーヒーカップをサイドテーブルに置いた。 

 

「そろそろ飯でも食いに行くか?」

 

 時計を見ると昼も近く、腹も空いてきたので杏子に尋ねると杏子は首を横に振った。

 

「ショウが作ったアップルパイがいい」

 

「ええー。今から俺が作るのかよ。そして、アップルパイは飯じゃねぇ。菓子だ」

 

 今からパイ生地から作ったら結構時間がかかる。何より、あんな甘いもので腹を満たすのは嫌だ。

 だが、家の可愛い妹サマはそんな事を考慮してくれるほど優しくない。

 

「アタシの主食はお菓子全般だから。頼むよ、あ・に・き」

 

 悪戯っぽくにやにやと杏子は笑う。

 まったく、兄使いの荒い妹だ。こういう時だけ、妹ぶるこいつは結構な悪女に成長するだろう。まだ見ぬ杏子の彼氏が不憫(ふびん)でならねぇ……。

 俺は腕まくりをするとご要望の品を作る準備を始めた。

 




ショウさんの発言を聞けば分かると思いますが、政夫は自分の庇護下に置いた人間を子供扱いする傾向があるので、政夫に世話を焼かれている人間は恋愛対象外となります。
つまるところ、政夫に「あなたの助けはもう要らない」と言える人間だけがちゃんと対等な相手として見てもらえる訳です。
実は政夫が前の中学で付き合っていた女の子、「穂波かえで」という子なのですけれど、この子と別れた原因の一つが政夫が庇護対象と見ていたからです。恋人同士でしたが、あくまで「手のかかる友達」という目で見てしまっていたのです。

超番外編のメガほむは……好みのタイプだったから、ノーカウントだったんじゃないでしょうかね?


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第八十八話 最後の鍵

前回が年内最後の更新と言ったが……スマン。ありゃ、嘘だった。


~ニュゥべえ視点~

 

 

 

 

 ボクは今の生活が気に入っている。

 まだ四日ほどしか経っていないから、『生活』というには(いささ)か短いけれど、間違いなくかつてよりも心地良いと感じていた。

 落ち着いた色で統一された部屋の窓の(ふち)から、ボクは外に広がる夜空を眺めていた。

 目に映る星空。

 これを『美しい』と思うようになったのはつい最近だ。それまでは何の感慨すら()かなかったものが急に意味あるものに変わった事で、ボクは自分の思考の変化を実感した。

 これが『感情ある生き物』の見る世界なのだろう。

 目に映るもの全てが、ボクに新たな発見をさせてくれる。

 こんなボクになったのは彼のおかげだ。今はこの部屋に居ない彼がボクを変えたのだ。

 

「窓の外なんか見てどうしたの? ニュゥべえ」

 

 ドアが開く音と共に黒い髪の少年が入ってくる。

 穏やかな雰囲気と柔らかな笑みが特徴的な彼の名前は夕田政夫。ボクをインキュベーターのリンクから切り離した人間であり、ボクの生命の安全を保障してくれる大切な友達だ。

 

「夜空を眺めていたんだ。星はこんなにも綺麗に輝いているものだったんだね。初めて、そう思ったよ」

 

 へえ、と面白そうに目を細めた政夫はボクの(そば)に近付くと、優しく頭を撫でた。

 そして、ふざけたような調子でボクに笑って言う。

 

「もしも君が女の子だったら、『君の方が綺麗だよ』と言ってあげられたのに……残念だよ」

 

「政夫。そういう冗談、本当に好きだよね。そういう事ばかり言うから、君の周りの女の子たちは勘違いしてしまうんだよ」

 

「あはは。大丈夫。こういう冗談は場の雰囲気に合わせてしか言わないから」

 

 茶目っ気たっぷりの笑顔でウィンクする。今日はどうやら、いつもよりも感情が昂揚(こうよう)しているようだ。午前中に出かけていたが、そこで何かあったのかもしれない。

 政夫は笑みをふざけたものから元の落ち着いたものに戻すと、ボクにそっと手を差し出した。

 

「お風呂に入ろう。今、ちょうど()いたところだから」

 

「いいね。今日も政夫が洗ってくれるのかい?」

 

 この家で保護されるようになってから、入浴は政夫と一緒であり、彼はボクの体を丁寧に洗ってくれるのが(つね)だった。

 最初こそ、若干の恐怖があったが、優しい手付きで尻尾の毛まで()くように洗ってくれる事が癖になるのに時間はかからなかった。

 

「もちろん。トリートメントもしてあげるよ」

 

 ボクは政夫の手のひらに飛び乗り、腕を伝って肩まで上ると、彼の頭の上で体を弛緩させた。

 ここが一番落ち着く場所だ。男性の割りにつやつやした感触の髪は僅かな温かさと相まって、ボクに安堵感を与えてくれる。

 廊下に出て、壁に掛かっている姿見(すがたみ)でボクを見た政夫は「たれニュゥべえだね」と笑っていたが、何の事を言っているのかよく分からなかった。

 風呂場の脱衣所で衣服を脱いだ政夫は、今度はボクの首に巻いてあるレースの付きのオレンジ色のハンカチを取った。

 このハンカチは昨日政夫が洗濯してくれた時と、入浴する時以外は外さないのでまじまじと見る機会は少なかった。

 『Y.Y.』とイニシャルが縫い付けれているところが目に止まる。たしか、政夫が話してくれた母親の名前は夕田弓子だった。

 疑っていた訳ではないが、これは本当に母親の形見の品なのだろう。そして、それをボクにくれた政夫の「この形見よりも大切な存在になってほしい」という言葉もまた本物なのだろう。

 ボクが視線をハンカチから、政夫の顔に移すと彼は不思議そうな顔になる。

 

「ん? どうしたの?」

 

「……いや、何でもないよ」

 

 胸の内側に広がる奇妙な高揚感を誤魔化すように、ボクは政夫に先んじて、脱衣所の曇ったガラスの引き戸の隙間から風呂場に入った。

 政夫はボクの様子に言及する事なく、引き戸を大きく開けて入ってくる。

 引き戸を閉めるとシャワーの(せん)を捻り、温かいお湯を浴び始める。

 ボクも彼の足元に行き、共にお湯の雨を浴びた。

 体を包む、毛皮が濡れてしんなりと(しお)れていく。

 少しすると栓を再び捻る音が聞こえて、降り注いでいたシャワーが止んだ。

 

「それじゃあ、綺麗に洗っちゃうよ」

 

 政夫がボディーソープではなく、シャンプーを手に垂らして、ボクの体に擦り付ける。すぐに泡立ち、ボクは泡で出てきた鎧に覆われる。

 

「目はつむってて。目に入ると痛いから、これ」

 

 政夫の言葉に従い、目を(つむ)る。視界を暗闇が支配し、耳からは泡立った毛が擦られている音しか聞こえてこない。

 体には彼の指先が程よい強さで触れているのを感じた。

 前の総括された意識の集合体だったボクなら、想像も付かない体験だろう。

 かつてのボクにはそもそも自分というものが存在してないかった。人間に例えるならボクは手足、いや……髪の毛の一本に過ぎない存在だった。

 大きな意識のほんの一部に過ぎなかったボクが今、個体として自分だけからしか情報が入ってこない事が一種の奇跡のように思えて仕方がない。

 それにしても心地がいい。神経が(ほぐ)されて行くのが分かる。血液の流れが促進されそうだ。

 ぼうっとしていると水を(おけ)で汲むような音が聞こえた。

 シャワーとは違う緩やかな勢いで掛かるお湯がボクの泡の鎧を流していった。

 

「はい。お疲れ様。目にシャンプー入らなかった?」

 

「平気だよ。ありがとうね、政夫」

 

 政夫も身体を髪を洗い終わると、一緒に湯船に浸かる。ただ、ボクは足が浴槽の床に付かないため、政夫に抱えられるようにして入浴している。

 ちょうど人肌よりも数度高めの水温はとても体に染みた。

 

「いいお湯だね」

 

「うん。そうだね」

 

 この時間がボクの至福の一時(ひととき)だった。

 どうにもボクは入浴という行為が好きらしい。これもリンクを切り離されて見つけた発見の一つだ。

 いや、ひょっとすると彼と一緒に入浴しているからここまで気分がいいのかもしれない。

 ボクは首をずらして、政夫の顔を見つめる。

 

「どうしたの? ニュゥべえさん。さっきも僕の顔を見てたけど」

 

「特に意味はないよ。何となく、政夫の顔を見たくなっただけさ」

 

「嬉しいこと言ってくれるね。ニュゥちゃんは。どう? 感情エネルギーは君の中で生まれそうかな?」

 

 政夫はどこか期待するような目でボクを見るが、彼の望んでいるであろう答えは今のボクには渡す事ができなかい。

 

「ごめんね。感情というもの自体は理解してきたけど、この感情をエネルギーに変換する方法がまだ解っていないんだ」

 

「そっか。仕方ないね。君にすれば初めての試みなんだから」

 

 感情をエネルギーに変える技術の習得。それは政夫がボクに頼んだ事だった。

 魔法少女システムは人間の少女の感情をエネルギーに変換させるシステムだ。インキュベーターは感情をエネルギーに変えて、宇宙の寿命を延ばしている。

 なら、元インキュベーターだったボクが感情を獲得すれば、魔法少女と同様にそれをエネルギーに変えられるのではないか。

 そう考えた政夫の提案だったのだが、実際はうまくいかなかった。

 感情はある。感情エネルギーの運用方法も解る。しかし、肝心の感情をエネルギーに変換するその工程が解らなかった。

 それはインキュベーターと契約した魔法少女が独自に行っている、()わば、ブラックボックスのようなものだからだ。

 ボクらは出来上がったものを運んでいるだけで、魔法少女が行っている独自のプロセスまでは解析できていなかった。

 

「頑張ってチャレンジしてもらっていいかな?」

 

「うん。もちろん諦めるつもりはないよ。時間はあるんだから」

 

 だって、政夫がボクを頼ってくれているのだから、その思いに応えたい。

 でも、政夫の表情はボクが「時間はある」と言った瞬間にほんの僅かに焦りを帯びた気がした。

 すぐに笑顔に戻り、焦ったような顔は消えたので気のせいかも知れない。

 湯船から出て、脱衣所でバスタオルで体を拭いてもらった後、政夫は腰にそのバスタオルを巻きつけて二人で部屋へと戻った。当然、ボクは定位置である政夫の頭に乗っている。

 部屋のドアを開けると、何故か我がもの顔でほむらが政夫のベッドに腰掛けていた。

 

「遅かったの、ね……」

 

 半裸だった政夫の姿を見て、目を大きく見開いたまま硬直した。

 政夫は僅かに震えながら、声を無理やり抑えるように不自然に静かな声で語った。

 

「……なんで部屋の中に居るかはもう今更だから問わない。取り合えず、出て行け」

 

 顔は頭上からでは見えないが、間違いなく政夫の頬は引きつっている事が声から簡単に想像できた。

 

「ちがっ……別に私は……それに窓だって開いてたから……」

 

「いいから出て行け。――今すぐに」

 

 硬直から解放されたほむらが必死に言い訳をしようとするが、政夫は低めの声で一蹴する。

 恐らく、窓が開いていたのはボクが星を見ていたせいだ。

 だけど、口を挟む事はしない。ほむらには尻尾を銃で引きちぎられた恨みがあるし、何よりこうなった政夫に刃向かうつもりは毛頭なかった。だって、怖いから。

 ほむらは逡巡(しゅんじゅん)した後、この状態で何を言っても無駄だと諦めて、窓から外に出て行った。

 今度から、窓の鍵は開けないようにしようとボクは心に誓った。とばっちりでボクまで怒られたら、とてもじゃないからね。

 

 

 

 ******

 

 

 

「それで何の用ですか。ほむらさん」

 

 パジャマに着替えた僕はニュゥべえの体毛をドライヤーで乾かしなら、窓が開いていれば勝手に侵入してきてしまう困ったちゃんに話しかけた。

 窓の外の庭から、いつもよりも威勢のない暁美の声が聞こえる。

 

「もう、入ってもいいかしら?」

 

「…………」

 

 僕の質問をことごとく無視した彼女の意見に少しだけ腹が立ったので、無言のままでニュゥべえを一昨日買った猫用のブラシでブラッシングする。

 すると、暁美はその無言を肯定の意と受け取ったらしく、またも窓から部屋へと入り込んできた。多分、暁美は僕の部屋の窓を自分専用の入り口とでも思っているのだろう。もう何も言う気が起きない。

 

「……さっきのあれは不可抗力よ。そういった(やま)しい意図はないから安心して頂戴(ちょうだい)

 

 何を言ってるんだ、この人は。あってたまるか、そんなもの。

 

「それに一番大切な部分はタオルに包まれていたし、隙間の部分も僅かだったから、あまりよく見えなかったわ」

 

 うん? 暁美の言い訳がどんどんおかしな方向に向かっている気がするのは僕の気のせいだろうか。

 

「そう……一瞬だけチラリとその暗がりの隙間から、突起物のようなものが目に焼きついた。本当にそれだけだから」

 

 僕にブラッシングされていたニュゥべえがのそりと体を起こして、暁美に言った。

 

「目に焼き付けたって、それは、しっかり見たって事だよね」

 

 僕の気持ちを代弁する台詞を言ってくれたニュゥべえをお礼の意味も込めて撫でた後、冷めた目で暁美を見つめる。

 

「……言いたい事があるなら言えばいいじゃない。大体、あんな格好で部屋に入ってくる貴方にだって落ち度が……」

 

 開き直って逆に僕を糾弾し始めた暁美を何も言わずに責めるように見つめ続けた。

 最近、彼女の態度は目に余るものがある。僕との時もだが、人との対話の際、少しばかり遠慮が足りない。

 鹿目さんと分かり合え、目下の敵とも和解している現状、テンションが舞い上がってるのも無理ないが、物事には限度というものがある。ある程度は自重していただきたい。

 

「……悪かったわ。もうこんな事が起きないようにするから許して」

 

「これに懲りたら不法侵入は止めてね。それでさっきも言ったけど何しに来たのさ?」

 

 僕は自分の髪をドライヤーで乾かしながら最初の質問を再度問い直した。

 内心、またデートとかだったらどうしようとか考えていたが、顔には一切出さなかった。

 それに冗談抜きにもうそんなことをしている時間もない。

 

「ワルプルギスの夜について、貴方の意見をもらいたいの。一週間後に来る最悪の魔女の事を」

 

 そう。僕も暁美に聞いただけだが、あと一週間後に見滝原市に巨大な魔女が来るのだという。

 見たことがないから、具体的なスケールが想像できないが、とにかくこの街の住民を皆殺しにできるほどの圧倒的な質量を持っているらしい。

 

「ワルプルギスの夜が見滝原に来る!? 何でそんな事を君が知っているんだい!?」

 

 僕よりも過剰に反応したのはニュゥべえだった。暁美が時間遡行をしていることをしらない彼には理解不能な話だろう。

 しかし、暁美はニュゥべえには一瞥しただけで身の上話をする気はないようだった。

 

「今日、集まった杏子と貴方以外にはワルプルギスの夜の話は伝えたわ。美国織莉子が居たおかげで話がスムーズに纏まった」

 

「そうなんだ。皆何か言ってた?」

 

 分かっていたが、あえて聞いた。こんなことを聞かされてノーコメントで居られる奴など、限りなく少ないはずだ。

 

「私に協力してくれると言っていたわ。……あんな温かい申し入れは初めてだったわ」

 

 暁美は目を伏せて、柔らかい表情を浮かべた。

 他の世界ではこのことを打ち明けた彼女への反応は相当なものだったことは容易に想像できた。

 

「良かったじゃない。それで今の総戦力なら勝てるの?」

 

 僕がそう聞くと暁美は表情を曇らせた。

 

「分からないわ。あいつは物凄く強い魔女だから」

 

 そうか。やはり今のままでも不安なのか。

 なら、やはり――第二段階はクリアしなければならないようだ。

 僕は話について行けず、困ったような表情を浮かべたニュゥべえを見つめた。

 




ニュゥべえ編始まります。その後でワルプルギスの夜との決戦があるので、舞台装置の魔女を心待ちにしている人はもうちょっと待ってくださいね。


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第八十九話 この世で一番最低の告白

前回までの支那モンアドベンチャー

「ボクはこのままでいい。ずっとこの姿のまま、君のそばにいる!」
「うん! 約束だよ。僕たち、ずっと友達だからね!」
 赤ちゃん支那モンたちが暮らす「はじまりの町」で永遠の友情を誓ったマサオとキュベモン。しかし そんな二人を運命は残酷にも引き裂こうとしていた……。
 襲い来る敵支那モンたちから、赤ちゃん支那モンとマサオを守るためにキュベモンは立ち向かう。
 しかし、キュベモンでは手も足も出せず、とうとうマサオまでが怪我を負ってしまう。
「どうして……どうしてボクは……どうしてボクだけ……進化できないんだよ!」
 キュベモンの叫びが悲しく響き渡る。
 あたりを絶望が支配した次の瞬間……マサオが握り締めた支那バイスの中からまばゆい光が溢れ出した!!
「キュベモン進化~~っ! ニューインキュべーモン!」
 敵支那モンを押し戻し、光の中で進化するキュベモン。キュベモンは大型支那モン・ニューインキュべーモンへと進化をとげたのだ。
「キュベモンが……進化した……」
「すまないマサオ……約束を破ってしまって……」
 呆然と見上げるマサオに、ニューインキュべーモンモンが悲しげに語りかける。
「だが進化してようやくわかったのだ! 奴らを倒せるのはこのボク……ニューインキュべーモンだけだということが!」
 毅然と叫ぶニューインキュべーモンにマサオは支那バイスを掲げる。
「分かったよ。キュベモン…・・・ううん、ニューインキュべーモン。一緒に戦おう」
 たとえ進化しても、キュベモンの優しさが消えない限り、二人の友情に変わりはないのであった。


 残り時間は少ない。今日を含めてたったの七日しかもう残っていない。

 それにも関わらず、まだ『the new base of incubator計画』はまだ第二段階で足踏みしているままだ。

 ニュゥべえが感情をエネルギーを魔力に変える方法を理解してくれるまでは進展は見込めない。

 逆に言えば、ニュゥべえがその方法さえ理解してくれれば、第三段階まではあっという間なのだが、如何(いかん)せんここが最大の難関だ。

 悩んでいても時間は刻々と過ぎて行く。

 ここから先は頭だけではなく、身体も張らないといけないところなのだろう。

 頭痛がするような難題だが、昨日暁美の表情から見て、魔法少女のみの『ワルプルギスの夜攻略』は勝算が怪しいようだった。

 それに彼女たちのワルプルギスの夜以降のことも考えれば、『the new base of incubator計画』は必要になる。

 まだニュゥべえと僕、正確には計画の全容を知っているのは僕しかいない。暁美や織莉子姉さんには伝えておきたいところだが、下手にアウトプットして旧べえどもに知られたらそれこそ取り返しが付かなくなる。

 少なくても当分は彼女たちに教えることはできないだろう。

 

 そんな他愛(たわい)もないことを考えながら、僕は数学の授業を受けていた。

 担当教員は小平先生と言ってこの見滝原中でも厳しい教師だ。授業中、ぼんやりとしている生徒はこの数学の時間に限っては一人もいない。

 あのスターリン君でさえも、真面目にノートを板書している。いつもは自分が主人公の異能力バトルものの小説を書き(つづ)って悦に浸っているのに。

 前に感想を聞かせてくれと読まされたことがあったが、序盤から絵に描いたような『最強の異能力』なるものを常備しているので苦戦どころか、ほとんど一行で敵が粉砕されていた。敵の名前もこの見滝原中の先生と同性同名だったことから、嫌いな先生に対して憂さ晴らしも兼ねているようだった。

 文章の方は擬音が大半の内容を埋め尽くしているので非常に読みづらく、さらに思い出したように数行に一人づつヒロインを増やしていくので終盤に行くにつれて誰が誰なのか分からなくなっていく物語だった。

 

 

 午前最後の授業も無事終わり、僕は伸びを一つしながら廊下を見渡す。

 この一面ガラス張りの壁も『誰かに見られている』という感覚を生徒全員に持たせることで、恥ずべき行動を未然に減らす意味合いがあるんだろう。教師が通れば一瞬で教室内が見渡せるため、いじめの早期発見にも繋がる。

 そう考えると、案外理に(かな)った構造なのかもしれない。

 

「政夫くん」

 

「あ、鹿目さん」

 

 声をかけてきた鹿目さん、そして彼女の後ろには美樹、志筑さん、杏子さん、暁美とカラフルな髪のいつもの愉快な皆が並んでいた。

 こちらは毎日見ているが完全になれる気はしない。というより、何も感じなくなったらその時は僕の中で大切な何かが壊れてしまった時だろう。

 しかし、最近はメッシュとかじゃないだけマシかなぁ、などという感想も持ち始めているのでもう末期かもしれない。

 

「お昼、食べに行こうよ。マミさんたちももう屋上で待ってるよ」

 

「そうだね。じゃあ、早く行こうか」

 

 相変わらず、僕は男女比がおかしな昼食タイムを送るべく、彼女たちに連なって屋上へ向かう。

 最初の頃こそ、やっかみや嫉妬の目線などもあったが、今では茶化した笑みで手すら振ってくれる男子が多い。

 これも僕が同性のクラスメイトにも嫌われないように、昼休み以外の休憩時間に積極的に会話に参加し、困っていそうなら手を貸して、じっくりと印象操作をしたおかげだ。

 そうでなければ、こんなにも可愛らしい異性に囲まれている僕は虐めの標的になっていたと思う。もっとも、このクラスの男子は気立てがいいことは確かだ。これも教室一面ガラス張り効果なのだとしたら、文部科学省は見滝原中のような構造の学校を増やすべきだな。

 

 屋上へ上がると三年生の面子はすでに揃っていて、僕らを待っていてくれた。

 

「まー君。こんにちは」

 

「こんにちは、織莉子姉さん。巴さんも呉先輩もこんにちは」

 

 挨拶を交わすと、呉先輩がたたっと近寄って来て僕の手を引いてベンチの方に乗ってるバスケットを指差した。

 

「政夫! 政夫! 今日ね、私頑張って政夫のためにお弁当作ったんだよ!」

 

「お弁当と言ってもサンドイッチだけどね。……おにぎりよりはうまくできていたから安心できるはずよ」

 

 元気よく喋る呉先輩と、ちょっとくたびれた様子で補足する巴さん。それを見る限り、巴さんが呉先輩と一緒にお弁当を作ってくれたのだろう。仲良くやれているようで心がほっこりとした。

 特に呉先輩は他の人とやっていけるか不安だった故に安心ができた。

 

「ありがとうございます、呉先輩。じゃあ、今日はいっぱい食べちゃうかもしれないです」

 

「うん! たくさん作ったからどんどん食べていって」

 

「……はい」

 

 きらきらとした瞳で呉先輩は満面の笑みを僕に向ける。

 ……この笑顔を魔法少女になんかならないままで見たかった。

 あの人の輪に入っていくことを怯えていた呉先輩が自分の勇気と意志だけで、この楽しそうな笑みを手に入れていたなら僕は心の底から祝福できた。

 でも、『下らない奇跡』なんぞのせいで性格を捻じ曲げてしまった今の彼女を見るとどうしても悲しくなる。

 もう少し僕がうまくやれていたら防げたのかもしれないと思うと、無意味だと分かっていても後悔の念が湧いてしまう。

 今の呉先輩が幸せそうに見えるからこそ、あの引っ込み思案だった彼女の幸せを夢想して止まなかった。

 

 大きな長方形のベンチを外側に輪を描くように座ると僕らは昼食を取り始めた。

 「どうかな?」、と期待に満ちた視線を向けてくる呉先輩の前でサンドイッチを口に運ぶ。

 中はベーコンとトマトとレタスの一番オーソドックスな具。どの具も不揃いでトマトに関しては完全に潰れていた。そして、マーガリンかバターのようなものが具の隙間にこれでもかと塗られている。

 それでもこのサンドイッチを呉先輩が僕のために作ってくれたのだと思うと、嬉しさが味に付加されて、美味しさが感じられた。

 

「美味しいです。……ただマーガリンみたいなのはもうちょっと控えてもらえるとなお美味しくなると思いますよ」

 

「あ、そうだね。気をつけるよ」

 

「呉さん、あれだけ言ったのにまだ塗りこんでたの!? ちゃんと全部チェックしたのに……」

 

「まあまあ、巴さん。キリカが私やまー君以外の人の言う事を素直に聞くわけがないのだから、そう気を落とさないで」

 

 呉先輩の隣でがっくりと肩を落とした巴さんを慰めるように織莉子姉さんが紙コップに大きめな水筒の中の液体を注いで渡していた。色と香りからして紅茶だろう。……それにしても織莉子姉さん。分かっているなら、巴さんに協力してあげればよかったんじゃないのか。

 呉先輩は二人の台詞は聞こえていないのか、わざと聞き逃しているのか、僕に次のサンドイッチを勧めてくる。

 

「……政夫さんは本当に女性に好かれるのですね?」

 

 志筑さんが何か含みのある雰囲気で微笑みながら、僕にそう呟いた。

 表情は笑っているのだが、明らかに目や雰囲気が怒っていると告げている。

 

「あの、志筑さん? 僕、……何か君にした?」

 

「私『には』していません。ですが……」

 

「ですが?」

 

 恐る恐る聞いてみると、志筑さんはくわっと目を見開いた。

 

「ほむらさんに対してあまりにも失礼な行いなのではありませんかっ!?」

 

「ほ、ほむらさんに?」

 

 どういうことか分からず、暁美を見ると慌てたように志筑さんを止めようとしていた。

 

「ちょっと! 志筑さん、貴女!?」

 

 しかし、志筑さんはそれを気に留めることすらせず、僕をまっすぐ見据えて話を続ける。

 

「政夫さんは一昨日、ほむらさんとデートをしたそうですね。にも関わらず、他の女性の手作りのお弁当を召し上がっているのは、いささか節操がなさすぎるのではありませんか!?」

 

 最低の男だとでも言うように志筑さんは強い憤りを僕へとぶつけてくる。ある意味において魔法少女だの魔女だのよりも怖い、女の怒りだった。

 僕はそれに押され気味になりながらも、志筑さんと暁美が親交を深めているらしいことを知り、ほのかな嬉しさを感じた。

 暁美はこういったプライベートまで志筑さんにさらけ出し、志筑さんは暁美のためにこうして僕に怒っている。

 僕の知らないところで新たな友情の絆が芽吹いていたらしい。そういえば、この前のデートは暁美に妙な知識を入れ知恵している人物の存在を感じたが、恐らくこの様子から見て、あれは志筑さんだったのだろう。

 そうか。鹿目さん以外どうなろうと知ったことではないと言っていた暁美が、魔法少女とは関係なく新たな交友関係を築いたのか。

 出会ったばかりの独りでだった彼女と比べると本当に感慨深い。

 僕は志筑さんの腕を引いて発言を止めさせようとしている暁美の顔を見つめた。

 恥ずかしそうに慌てている彼女にはもうこびり付いていた孤独な雰囲気はどこにもない。

 

「何で笑っているのですか、政夫さん!! 私は怒っているんですよ!」

 

「え? 今僕笑ってた? ごめん。気が付かなかった」

 

 知らぬ間に頬が緩んでいたようだ。志筑さんには失礼なことをしてしまった。

 

「政夫さんはほむらさんの好意に胡座(あぐら)をかいています。いつまでも優柔不断な態度でいるのは不誠実ですわ!」

 

「……さっきから言わせておけば、好き放題言って……。何なんだ、お前? 私と政夫が仲良くしているのがそんなに気に食わないのか?」

 

 呉先輩が怒りのこもった目付きで志筑さんを威圧する。

 

「そ、そういうわけでは……」

 

「じゃあ、どういうつもりなのさ! 不愉快だよ、こっちはせっかく愛する人と触れ合ってるっていうのに」

 

 今にも噛み付きそうな勢いだ。流石に志筑さん相手に魔法なんて使わないとは思うが、呉先輩は本格的に気分を害している。

 これはまずいな。すぐに(いさ)めなくては。

 僕は呉先輩の肩に手を置いて、自分の方を向かせた。

 

「呉先輩。そう怒らないであげてください。彼女も自分の友達が(ないがし)ろにされているように感じて、僕にどういうつもりなのか聞いただけなんです」

 

「……でもさ」

 

 納得できないといった様子で呉先輩は口を尖らせる。

 別に彼女も志筑さんに対して攻撃的な言葉を吐きたいのではなく、楽しい気分を邪魔されたのが気に食わなかっただけなのだ。

 

「それに僕の態度も悪かったかもしれません。好意を向けられていながら八方美人な行動を取り勝ちでした」

 

 ここに居る女の子を見渡す。

 誰に対しても一定の優しさを振りまいていた僕は確かに優柔不断と言われても仕方がないだろう。

 特別、誰から好意を向けてもらおうとなどは考えてもいなかったせいで、積極的にそういったアプローチには応えるつもりがしなかったのは事実だ。

 

「志筑さんは僕にはっきりしてほしいんだよね? ほむらさんのこと」

 

「……はい。ほむらさんに好意を持たれている事を自覚しながら、他の女性に目移りしている政夫さんはあまり見ていて楽しいものではありません。もし、私がほむらさんの立場だったら耐えらないと思います」

 

 そう言って、志筑さんは暁美を横目で見つめる。

 暁美はその視線を受けた後に、思い切ったように僕へ顔を向けた。

 

「私も……、私も聞きたいわ。貴方の私への気持ち」

 

 他の女の子は誰も口を挟まず、にぎやかな雰囲気は霧散されて屋上に厳かな静寂が訪れる。

 美樹ですら茶化すことはせず、無言で僕を見ている。

 これはある意味において公開処刑に近いものを感じる。人目に(さら)されながら、他人へ想いを伝えるのは拷問だ。

 恥ずかしさが心中渦巻く中、僕は暁美への想いを口に出す。

 

「僕はほむらさんのこと……好きだよ」

 

 えっ、と小さな声が耳に届いたが、か細すぎて誰の声だか判別がつかなかった。

 

「でも、愛してはいない。僕の君への感情は恋愛ではなく、親愛だ」

 

 嘘偽りのない言葉は、きっと暁美を傷付けるだろう。それを分かって僕はなお語る。

 彼女の想いに応えられないと。

 自分などを好きにならないでほしいと。

 そして、最後にこう付け足した。

 

「僕は、多分人を本気で愛したことのない人間なんだと思う。これからもずっと、誰のことも掛け替えのない存在だとは思えない。だから、僕なんかじゃなくもっと素晴らしい人を好きになって」

 

「……そう」

 

 暁美は小さく呟いただけだった。

 彼女の瞳を伏せて、それ以上の言葉を発しなかった。

 千の罵倒の言葉よりも、その無言が僕を責め立てた。

 

「……ごめんなさい」

 

 頭を下げた後、僕はベンチから腰を起こす。すぐに屋上から去ろうと思った。

 居た堪れなくなったのもあるが、僕がここに居ると彼女が涙を流せない。

 後ろから、美樹が僕の背中に鋭い台詞を投げつけた。

 

「今の政夫……最低だよ」

 

「知ってるよ」

 

 ドアノブを捻り、中の階段へと歩いていく。

 言われなくても僕が一番知ってるさ。自分を最低じゃないと思ったことなんて一度もない。

 この世で一番僕が嫌いな人間は、他ならぬ僕なんだから。

 




キャラの人数が多すぎると動かしづらいですね。
織莉子編は自重するべきだったか……。しかし、織莉子編がない場合だと変わりに政夫の性格が「ああなった」原因の話をかかなくてはいけないので、さらに陰鬱な過去話を挟まなければいけなくなったから、どっこいどっこいってところです。

最初は面白半分で入れた恋愛要素がここまで後を引くとは……。
まあ、元を正せば、この物語は、まどマギの世界観に一般人視点で突っ込みを入れるギャグストーリーだったんですけど。
キュゥべえが姿を政夫が視認させてしまった……いや、ショッピングモールでまどかを探しに行った時点ですでに崩壊していたのでしょう。


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第九十話 ダイブ・トゥー・ブルー

まさかこんな早く更新するとは思っても見ませんでした。


 午後の授業が終わった後、いつもなら鹿目さんが一緒に帰ろうなど言ってくれるのだが、そそくさといつもの皆は僕を置いて帰って行ってしまった。

 最低な僕を除け者して暁美を慰める会でも開くつもりなのかもしれない。

 まあ、無理もない。僕はそれだけのことをしたのだ。

 僕も一人で学校を出て、学校の近くにある公園に行く。空いているベンチに学生鞄を抱えて座ると一息吐いた。

 

「君らしくないミスをしたね、政夫。君ならもっとうまくほむらたちを誤魔化せる台詞くらい持っていただろう」

 

 学生鞄の中から白い猫のような生物が顔だけぴょこんと飛び出した。

 首に巻きつけてあるレースの付いたオレンジ色のハンカチがアクセントになっている。

 

「……ニュゥべえさん。今、あなた普通の人にも見える状態なんだから、こういうところで出ないでって言ったでしょ」

 

「大丈夫だよ。今はほとんど人が居ないし、声も小さくしている。遠目で見られても政夫が鞄に入れたぬいぐるみを持ってきて話しかけている変人にしか見えないさ」

 

「それは僕がすごく困るんだけど」

 

 また一つ、溜め息を吐くと僕はニュゥべえの頭を撫でた。

 今日、僕はニュゥべえを学校に連れて来ていた。理由は放課後の魔女退治に僕とニュゥべえを一緒に連れて行ってもらうためだ。

 感情エネルギーを魔力へ変換しているところをニュゥべえに間近で観察させて分析させる予定だった。

 だが、その予定は昼休みでの僕の告白により中止を余儀なくされた訳だ。

 

「でも、本当に何であんな事言ったんだい?」

 

 昼食の際に屋上に鞄ごとニュゥべえを持ってきたいたせいで、ばっちり彼にも聞かれてしまっていた。

 教室に置いたままにするのが不安だから持って行ったが、こんなのことを聞かれるはめになるなら置いておけばよかったと思う。

 

「本心からの台詞だよ。僕はさ、今まで人を本気で好きになったことがないんだ」

 

 気がついたのは織莉子姉さんに大事にしていた信念を否定された時だった。

 僕は人間が嫌いだった。薄汚くて、自分勝手で、すぐ人を裏切る。

 嫌いで、嫌いで、嫌いで仕方がなかった。

 でも、それをぐっと堪えて織莉子姉さんに教えられたことを実践し、生きてきた。

 鏡の前で友好的で好感を持たれる笑顔を気が狂いそうなるほど練習して、何を言えばどういう反応を示すのか絶えず人の顔を(うかが)いながら研究し続けた。

 その過程でたくさんの友達ができた。その友達に僕はできる限りのものを与えてきた。

 困っていると言われれば、何を困っているのかを懇切丁寧に聞き、一緒に改善策が見つかるまで考えた。

 助けてくれと()われれば、可能な限り尽力し、問題解決に明け暮れた。

 求められるだけ、与えてきた。

 最後には本人だけでどうにかできるように調整して、傍で手を貸さなくても平気なように安定させてきた。

 

「僕はさ、見下していたんだと思う。『仕方ないから面倒を見てやる』ってね」

 

「それの何が問題なんだい? 実際に頼りにばかりされていればそう考えるのも無理はないだろう?」

 

「人間は与え合いだよ。相互関係が成り立ってない一方的なものじゃ破綻する」

 

「でも、政夫の交友関係は破綻しなかったんだろう?」

 

 首を傾げて聞くニュゥべえの一言に僕は自嘲の笑みがこぼれた。

 

「そうだよ。僕が彼らに何一つ求めなかったからね」

 

 僕は彼らに助けを欲しなかった。向こうから何かをしてもらおうとは毛ほども思わなかった。

 与えるのが自分の役目だとそう信じていたから。それをずっと信じていればやがて幸福になると思っていた。

 だから、気がついたら他人を必要としなくなっていた。

 義務で正しい行いなんだから、それをすることに何の疑念も抱いていなかった。

 多分、僕は父さんが死んでも絶望しない。

 涙を流して心を痛めることはあっても、しばらくしたら当たり前のように立ち直って親類に後見人になってもらって黙々と生きていくだろう。

 そして、それはこの街で仲良くなった彼女たちも同じだ。

 傷付くことはあっても、絶望などはしない。彼女たちが居なくなったとしても僕は生きていける。

 生きていけて『しまう』。彼女たちの死は僕を死に至らしめるものにはならない。

 そういう風になってしまった。

 

「僕は誰かも愛せないし、誰かに愛される気もない。だから、ほむらさんの気持ちには応えられないんだ。まあ、正直に言っても傷つけていること変わりないんだけど」

 

「……難儀な性格しているね」

 

 ニュゥべえまでも僕につられてしょんぼりしてしまった。

 参ったな。これだから、自分のこと他人に聞かせるのは嫌なんだ。

 こんなことを聞かせて、それでまた誰か落ち込ませてたら世話がない。

 

「あ、でも。僕今、ニュゥべえに頼みごとしてるからニュゥべえのことは愛せるよ!」

 

「無理に明るく振舞わなくていいよ、政夫」

 

 心配そうに見上げてくるニュゥべえ。彼の目には僕はそんな風に心配されるほど酷い表情をしているのか。

 本心を隠す演技だけが得意だったのだが、今はそんな余裕もないらしい。

 暁美を振ったことで予想以上に傷付いている自分に驚いている。

 ――彼女が世界で一番大切だとすら思えないくせに。

 自分が自分で腹立たしい。辛いのは暁美の方なのに、まるで自分も辛い思いをしていると主張するように痛む心が憎らしい。

 加害者のくせに被害者のように傷付いている僕が不愉快だった。

 

「難しいんだね、感情って」

 

「そうだね……本当に、そうだね」

 

 ニュゥべえの感想に相槌を打った。

 しばらくすると小さな子供たちとその母親らしい女性が数人、公園にやって来た。夕食の食材を買い終えた奥様方とその子供たちだろうか。

 僕はニュゥべえの入った鞄を再び閉めて追い立てられるように公園から去っていく。

 小さな子供たちの楽しそうな声を聞きながら、ふと思う。

 もしも母さんが死ななかったら僕もここまで歪まなかったかもしれない、と。

 

 

 

 さて、どうしたものか。

 再び、暁美たちと出会ったところで、魔女退治にご同行させてもらえるとは思えない。

 かと言って、残り少ない時間を無為に過ごす訳にも行かない。

 ポケットから携帯電話を取り出し耳に当てる。

 誰かに電話する訳ではない。鞄の中に居るニュゥべえと会話しても不自然に見せないためだ。鞄から返事が発されるのはご愛嬌。歩きながら独り言をぶつぶつ言う中学生よりはマシだろう。

 

「ねえ、ニュゥべえ。君の元同胞はあれ以来見てないけどどうしたの?」

 

「ボクもリンクを切られて以来会っていないけど、政夫との接触を恐れて姿を見えなくした後は、魔法少女たちの前にも現れてないみたいだね」

 

「僕を恐れている?」

 

「君との自己矛盾による自我の崩壊が怖いのさ。何せ直接対峙していたボクを切り捨てたぐらいだったからね」

 

 恐怖を感じている時点でもうすでに感情の一端を得ているのにね、とニュゥべえは馬鹿にするように言った。

 確かにニュゥべえの言うとおり、あいつらは感情を得ている。それを頑なに認めようとはしていないけれど、それは紛れもない事実だ。

 「訳が分からないよ」という台詞はもう本心からは言えなくなっただろうな。

 まあ、いずれ奴らとはまた対峙することになるだろうが、それは計画が第三段階に入ってからだ。

 今はとにかく、第二段階を突破することが先決だろう。

 

「ねえ、ニュゥべえ。話は変わるけど魔法少女には『願いごと』が必要不可欠って話だったよね?」

 

「うん。そうだよ。魔法少女の魔法は願い事がベースになっているからね」

 

「へえ」

 

 ならば、願いごとが停滞している第二段階を突破する鍵になりえるかもしれない。

 強く何かを願うことが感情をエネルギーに変えるのだとしたら、ニュゥべえにそれを行ってもらうのが手っ取り早い。

 

「なら、ニュゥべえも何か強く願うことがエネルギー変換技術を得るのに必要なんじゃない?」

 

「『願い事』か。確かにそれがブラックボックスだという可能性は高いね。でも、ボクには今のところそこまで強く願う事なんてないよ」

 

「そっか。まあ、いきなり願いなんて聞かれても困るしね~、ニュゥべえ」

 

 僕がわざとからかうような声音で言うと、僕の言わんとすることを察したらしくニュゥべえは()ねたような返事をした。

 

「……政夫はいじわるだよ」

 

「ごめんごめん」

 

 謝罪をするがニュゥべえは機嫌を悪くしたままでしばらくは無言状態が続いた。

 あの腹立たしい似非マスコットと違い、ニュゥべえはわりと繊細な神経をしているのでちょっとからかうとすぐに拗ねてしまう。そこら辺も含めて可愛いと思うけど。

 しばらく、歩いた後、僕は人通りのない裏路地を通り、薄暗く(さび)れた区画に入っていく。

 そこで大きなビルの手前に来ると僕は鞄を開けて、ニュゥべえの顔を露出させる。

 

「……なんだい?」

 

「もう、そんなに拗ねないでよ。ほら、このビル覚えてる? 『魔法少女体験コース』で巴さんに連れられて来て……」

 

「魔女の口付けにあった女性が飛び降りそうになったところをマミが助けた」

 

「そうそう。やっぱりちゃんと記憶は共有されてるんだ」

 

「リンクを切られる前はだけどね」

 

 自分はもうインキュベーターとは縁を切ったのだから一緒にするなとでも言いたげな目で僕を見つめてくる。

 僕はそれに答えるように彼の頭を撫で回した。

 

「懐かしいから入ってみようよ」

 

「政夫が良いならいいよ。ボクが自分で歩いている訳でもないからね」

 

 ニュゥべえの許可を取ると、僕はビルの中を見回す気もなく階段を上がって屋上へ行く。

 外だというのにどこか(よど)んだ空気を感じながら、フェンスに近付き、鞄を近くに置くと網目から真下を見下ろした。

 

「高いね。屋上は」

 

「そんなの上がるまでもなく分かってた事だろう?」

 

 学生鞄からぬるりと這い出したニュゥべえが僕の隣に鎮座した。

 それを横目で確認すると僕はフェンスをよじ登り、外側の縁の部分に足を乗せた。幸い、フェンスはそれほど高くなく、網目が細かいこともあって指を掛けやすく、中学生の僕でも簡単に越えられた。

 程よい高さといい、フェンスの乗り越え安さといい、このビルは本当に自殺しやすそうな造りをしている。

 

「あ、危ないよ。何しているんだい政夫!?」

 

 慌てるニュゥべえを他所に僕は彼に尋ねる。

 

「ねえ、ニュゥべえ。君は僕のこと、好き?」

 

「好きだよ! それがどうしたっていうんだい!? 危ないからさっさと戻って来てよ!」

 

 フェンスの網目に顔を押し付けて必死に僕に戻れと叫ぶ彼は、もうインキュベーターとはまったく異なる存在だった。

 最初は利用するためだけに捕まえたのに、今では鹿目さんたちと同じぐらい大事に思えるようになった。

 僕はそんなニュゥべえの様子を見て、温かい気持ちになりながらもう一つだけに問いかける。

 

「じゃあ、ニュゥべえ。僕がここから飛び降りたら――助かるように心の底から願ってくれる?」

 

 フェンス越しのニュゥべえの顔が恐怖と驚愕で歪んでいく様子がありありと見て取れた。




目の前で友達が飛び降りようとしている。でも、ボクには彼を止める術を持っていない……。
自分がこれほどまで無力だと思った事は、魔法少女たちに追い回された時でもなかった。
どうか、ボクに彼を止めさせてください……どうか、ボクに友達を救わせてください……。

〈次回~たった一つの願い事~〉


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第九十一話 たった一つの願い事

今回のストーリーは……これはありなのかと自分でも疑問になる話です。


~ニュゥべえ視点~

 

 

 

「っ……! まさか、君はボクに強く願わせる事のために自分の命を懸けるつもりなのかい……? それで本当にボクが感情をエネルギーに変えられるようになる保証はどこにもないんだよ!?」

 

「いや、危険な賭けだとは思うけど満更確信がないってわけじゃないよ」

 

 ビルの屋上のフェンスの向こう側で政夫は優しく微笑む。

 髪を風に(なび)かせながら、彼は自信に満ちた眼差しでボクを見つめた。

 

「僕はニュゥべえを信じてる。君が僕を助けてくれるってね。確証はないけど……確信してるよ」

 

「できる訳ないよ! ボクはもうインキュベーターでもない……ただのか弱い生き物だ。そんな力はないんだよ」

 

 政夫の言葉をかき消すようにボクは声を荒げて喋った。

 彼の期待には応えられない。今のボクは何の力もない存在だ。

 魔法も使えなければ、奇跡も起こせない。

 政夫がボクを信じてビルから飛び降りたとしても、ボクには彼を助ける事なんてできはしない。ただ、政夫の命が無意味に散るだけだ。

 政夫はそんな情けないボクを見て、なおも力強く、穏やかに言う。

 

「ニュゥべえ。願いっていうのは、強い祈りのことだと思うんだ。祈るだけで願いが叶うとは思わないけど、祈らないことにはスタート地点にも立てない。人間は何かを成し得る時、祈ることから始めてきたんだと僕は思ってる」

 

 その台詞にボクは首を振って小さく答えた。

 

「人間がそうだったとしても、ボクは人間じゃないよ……」

 

 しかし、政夫はにんまりと笑って、事も無げにボクの言葉を否定した。

 

「いいや、君は人間だよ」

 

「……何を言っているんだい? そんな訳ないじゃないか。訳が分からないよ」

 

 困惑するボクに向けて彼はフェンスの網に指を掛けながら、静かに語り出す。

 ボクの目を見て、思いを伝えるように。淡々とだけど、一言一言に思い込めるように。

 

「確かに君は生物学的にはホモ・サピエンスじゃない。それどころか、ヒト科に属する動物ですらない。でもね、『ヒト』であることと『人間』であることは別だよ。これは僕の個人的な考えだけど、『人間』っていうのは心の在り方だと思ってる」

 

 それをボクは黙って聞く。

 彼の言いたいことを一言一句聞き漏らさずに受け止めたいと思っていた。

 政夫の声を聞くたびにふつふつと胸の中で何かが生まれてくるのを感じた。

 うまくは言えないけど、とても温かくて、優しい名前の分からない感情。

 

「君は僕を理解しようと努力してくれている。僕のことを信じてくれている。僕のことを好きだと言ってくれる。他者を理解しようと試み、信頼し、愛せるのならそれはもう僕の定義では『人間』だよ」

 

「人間……? 元孵卵器(ボク)が人間……?」

 

「少なくても僕はそう思ってる」

 

 今、ようやく理解できた。政夫と共に居て感じたものが何だったのか。

 胸に宿る感情の名前をボクはこの瞬間知った。

 ああ、きっとボクの心の中にある感情の名前は――。

 

「『人間』は『人間』を信じるもの。この見滝原市で僕が学んだこの世で一番大切なことだよ。だから、僕は君を信じてる」

 

 その言葉を言い終わると同時に、政夫はフェンスから手を離してビルの縁を蹴った。

 重力に身を任せて、彼は下へと落ちていく。

 僕の中の感情が一つの指向性の元、収縮を始めていくのを感じた。

 

 想いは、一つ。――『彼を愛してる』。

 

 祈りは、一つ。――『彼を助けたい』。

 

 願いは、一つ。――『彼を守れる存在に……魔法少女になりたい』。

 

 これがエントロピーを凌駕した力の正体か。

 やっとボクは知る事ができた。

 魔法少女の力とは。魔力とは。感情エネルギーとは。

 

「どうにもならない何かをどうにかしたいと心のそこから思う事!」

 

 (まばゆ)く光に包まれながら、ボクはフェンスを駆け上がり、真下へと落ちていく政夫の元へと近付いていく。

 手が、足が、身体が、自分の姿が変化していく事をボクは文字通り肌で感じていた。

 首に巻かれた彼から譲り受けた大切なオレンジ色のレースのハンカチもそれに応じるように形状を変えて再び、ボクの身体を覆う。

 

「政夫!」

 

 絶え間なく位置エネルギーを感じ、死への恐怖にその身を震わせていてもおかしくないというにボクの愛する彼は不敵な笑顔をボクに投げかけた。

 

「信じてたよ、ニュゥべえ……にしても、随分と見た目が変わったね」

 

「ほっといてよ、そこは」

 

 彼を抱き寄せて、ボクは感情を魔力へと変換する。

 ボクと政夫の周りだけ重力がなくなったようになり、ボクらはゆっくりと地面へと降り立つ。

 二本の足で大地を踏みしめるのはこれが初めてだが、特別に不便は感じなかった。

 

「これが君の魔法?」

 

「いや、これはただの魔力の操作だよ。ボクらは感情エネルギーを生み出す事はできなかったけど、感情エネルギーの運搬はずっと昔からやってきたんだ。これくらいは余裕さ」

 

 政夫を離して、自分の身体を見回す。

 さっきは時間がなかったから、自分の姿をまじまじと見る暇がなかったけど、こうやって改めて見ると感慨がある。

 レースの装飾がされたオレンジ色のファンシーな衣装。先にインキュベーターだった名残の模様と飾りの付いたツインテールの白い髪。

 頭に触れるときめ細かい髪が指先に絡み、びくっと驚いてしまった。さらに上の方まで指を持って行くと何故か頭部にインキュベーターだった時の耳は残っていて衝撃を受ける事となった。

 隣に居る政夫はボクをまじまじと観察すると一言呟いた。

 

【挿絵表示】

 

 

「なんというか……非常にあざとい見た目だね」

 

「それが命を救ったボクへの言葉なのかい!?」

 

「いや、だって猫耳とかさ、こう秋葉原のメイド喫茶的なイメージを感じるんだよ」

 

 何の断りもなくボクの頭へ手を伸ばして、頭頂部に起立しているボクの耳を摘まむ。くすぐったいから止めてほしい。でも、もっと触れていてほしい気もする。

 感情をエネルギーにするプロセスを理解した事で自分の中の感情がより複雑になった気がした。

 

「でも、本当にありがとうね。ニュゥ……」

 

「どうしたんだい?」

 

 急に歯切れ悪くなった政夫にボクが尋ねると、彼は微妙な表情をしながら頭をかいて目を逸らした後もう一度ボクの顔を見る。

 

「もう『ニュゥべえ』って呼んでいいものかと思ってさ」

 

「え? 何故だい? 今までどおり呼んでくれればいいじゃないか」

 

 すると彼は少し言いづらそうに述べた。

 

「今はもう見た目が完全に女の子になっちゃったから、『ニュゥべえ』だと違和感があるんだよ」

 

「元の姿にはいつでも戻れると思うよ。政夫が嫌ならこの姿だって変えるけど……」

 

 政夫が付けてくれた「ニュゥべえ」という名前はボクにとって何よりも掛け替えのないものだ。彼が名前を呼んでくれなくなる事は絶対に嫌だった。

 不安な気持ちで彼を見上げていると、政夫はくすりと小さく笑って、前と同じように頭を撫でてくれた。

 

「嫌じゃないよ。とっても可愛いくらいだよ。まあ、君が望むなら『ニュゥべえ』のままでいいよ」

 

「ボクは可愛い、かな?」

 

 ボクだって、感情理解している身だ。前の姿の時に言われていた「可愛い」と今の姿で言われている「可愛い」が違う意味合いを持つ事ぐらい分かる。

 うまく言葉にならないくすぐったい気持ちになりながら、ボクはこの多幸感を感じていた。

 

「でも、まだ他の魔法少女たちには内密にしておきたいから、普段は元の姿のままで過ごしていてほしいかな。それと、後一つやってほしいこともあるしね」

 

 政夫はそう言うと思案に(ふけ)るように目を細めた。

 例え、彼が何をボクに要求しようともそれに応じるつもりだ。政夫に「与えてあげられる」のはボク以外にいないのだから。

 

 

 

 ******

 

 

 

 ニュゥべえは僕の信頼に応え、見事感情エネルギーの変換プロセスを理解してくれた。これは大きな一歩だ。

 計画の第二段階までもがクリアできた。残るは第三段階だけだ。

 しかし、そのためには旧べえに接触する必要がある。

 ニュゥべえの感情エネルギーの変換プロセスを餌に(おび)き出せるだろうか?

 難しいところだな。餌としてはまだ弱い気がする。

 もっと奴らの気を引きそうな旨味のある話はないか。

 目を(つむ)り、あいつらにとって最も欲するものを考える。

 鹿目さんとの契約。これだろう。

 彼女がさらに魔女になることで得られる莫大な感情エネルギー…………魔女? そうだ、魔女だ。

 

「ニュゥべえ」

 

「何だい?」

 

 いかにも魔法少女ですと言わんばかりの姿の猫耳ツインテール少女が反応する。……駄目だ、慣れそうにない。

 面影が耳とツインテールの髪の毛先に付いた飾りと真っ赤な目ぐらいしか残ってない。

 まさか、見た目まで少女になるとは正直予想外だ。もう彼ではなく、彼女と呼んだ方が適切だろう。

 

「普通の女の子が魔法少女に至る感情のプロセスが理解できたのなら……魔女についても分かったりする?」

 

「魔女かい? 今のところは、絶望してはいないから分からないけど、感情エネルギーの本質を理解したボクなら魔女について完全に理解する事は可能だろうね」

 

「それなら魔女を魔法少女に戻すことって、できると思う?」

 

 きっと、これは暁美や旧べえですら知らないものだ。

 なぜなら、あれば使うはずだ。魔法少女にした魔女をさらに魔法少女にし、また魔女にする。

 鹿目さんほどじゃないにしても、それなりに強い魔法少女だって居たはずだ。それを何度もそうやって使い回せるなら、新しく素養がある子を探すよりもずっと楽だろう。

 

「それはボクらですら知らない試みだね……できると断言するのは難しいよ」

 

「なら『できるかもしれない』と思わせることは可能かな?」

 

 ニュゥべえは僕の意図に気が付いたようで、真っ赤なルビーのような瞳を大きく開くと返答してくれた。

 僕はそれを聞き、にやりと笑う。

 あの臆病者どもをもう一度、僕の前に引きずり出そう。

 今まで育てていた家畜(・・)がどれほど凶暴な生き物だったのかをあの間抜けな畜産業者たちに教えてあげなくてはならない。

 人類(ぼくら)悪意(きば)がどれだけ鋭いものなのか奴らはそろそろ知るべきだ。

 




ニュゥべえがヒロイン過ぎてヤバイです。
もう他に女の子とか要らないんじゃないかとすら思ってしまいました。
大丈夫なのか、これ。
何にしても、ニュゥべえ編ももうそろそろ終わりです。

次回は出なかった女の子たちの視点の話を書きます。じゃないとあまりにも彼女たちの活躍がないので。


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まどか編
番外編 不思議な少年


まどか視点は書けませんでした。すみません。
ママ視点が難しすぎたのが敗因です……。

ちなみにこれは第七十八話と第七十九話の間の日の話です。


~詢子視点~

 

 

 

 この頃なんだか、まどかの様子がおかしい。

 朝、寝癖を整える時に丹念に髪を()いているし、前までよりずっと鏡の前で自分がどう見えるのか、角度をずらしてチェックするようになった。

 最近はリボンの結び方や色合いまで気にしている。要するにまどかが色気づき始めている訳だ。

 何より、知久によると帰りが遅くなっているとか。

 これは間違いない。これは男だ。

 まどかに気になる男ができたのだ。

 

「ふ~ふ~んふ~ん」

 

 今もこうして、鏡の前で鼻歌を歌いながら身嗜(みだしな)みを整えている。

 浮かれているというか、我が娘ながらふわふわしているなあ……。可愛いけど、少し不安になってきそうだ。

 

「まどか」

 

「ん? 何? ママ」

 

 反応はするもの、まどかは鏡の方を見たままアタシの方を向かない。髪を()くのに集中している。

 ここは思い切って、聞いてるか。

 

「好きな男でもできたのか?」

 

 アタシの言葉をかけると、まどかは持っていたヘアブラシをぽろりと落とす。

 (しば)しの間、硬直した後、まどかは硬い動きで首だけをアタシに向ける。

 

「へ、変な事言うね、ママ。私に好きな人とか……あは、は」

 

 ぎこちない引きつった笑顔のまどかは必死で誤魔化しているようだが、その言動がすでに全てを物語っていた。

 まどかはヘアブラシを拾うと、カクカクと出来の悪いロボットのようにアタシの横を通り過ぎて洗面所から出て行った。

 そうか。まどかもとうとう、恋を知る歳になったのか……。

 いつまでも子供だと思っていたが、アタシの知らない場所で少しずつ大人への階段を上っていっているんだろう。

 それが寂しくもあり、嬉しい。

 ただ、まどかの惚れた男がどんな奴か見ない事には安心ができない。

 まどかに男を見る目がないとまでは言わないが、外面に騙されている可能性も否めない。

 機会があれば一度くらいまどかの意中の相手に会ってみたいところだ。

 

 

 

 そう思っていたのが一週間前の事。

 今日は珍しく仕事が早めに片付き、久方ぶりに定時に家に帰る事ができた。

 ここのところ、残業続きで夕食も(ろく)に食べられなかったから、ようやく家族での団欒も取れそうだ。

 

「ただいま~」

 

 玄関から家の中に声をかける。

 すぐにまどかが迎えに出てきてくれた。

 

「おかえり、ママ。今日は早いんだね」

 

「ほんと、久しぶりだよ……」

 

 と、言いつつ、まどかの格好を見て、アタシは尋ねた。

 

「珍しいね。まどかがそんな服着てるなんて。今日、何かあったの?」

 

 ピンク色のチュニックにチュールミニスカートとなかなかお洒落な服装をしている。

 普段はだいたい制服のままかパジャマくらいしか見ないから、こういう風に着飾っているまどかは珍しい。

 

「あ、あははは、えっとね、ちょっと今……お友達が来てて」

 

 照れながら説明をするまどかの顔を見て、アタシはピンと来た。

 今、家に来ているその「お友達」というのはまどかの意中の男だ。女が着飾る理由なんか、十中八九、男を物にする時ぐらいなものだ。ちなみに言うと残りの一、二は対立した相手への示威(しい)行為だ。

 大体、さやかちゃんや仁美ちゃんならアタシには名前で言うはずだしな。

 

「へえ、じゃあアタシもまどかのお友達に挨拶しなくちゃいけないね」

 

「あ、ちょっとママ……」

 

 まどかの制止を求めるような声を聞き流し、アタシは靴を脱ぐとリビングの方へ顔を出す。

 どれ、どんな男か品定めしてやろう。まどかに釣り合いそうな男だといいんだが……。

 そう思ってリビングを覗くとキッチンに立つ知久と和やかに話している少年が椅子に座っている。

 男の子にしては(つや)のあるさらさらした黒髪に綺麗な濁りのない純粋そうな瞳。顔立ちは特筆するほど整ってる訳ではないが、爽やかで柔和な表情は十分に好感を抱かせる。

 彼の膝の上に居るタツヤは頭を撫でられてご満悦そうだ。

 何というか、家族と打ち解けているというか、完全に溶け込んでいる。あまりにも自然体すぎるので、帰ってきたばかりのアタシの方が戸惑ったほどだ。

 黒髪のその子はアタシに気が付くと知久との会話を中断して、膝に乗っていたタツヤを椅子に座らせて、立ち上がって頭を下げた。

 

「どうも初めまして。僕は夕田政夫と申します。鹿目まどかさんとは友人付き合いをさせて頂いています」

 

「あ、これはどうも。アタシはまどかの母の鹿目詢子です」

 

 思った以上に丁寧な挨拶に少々面食らいながらも、アタシは挨拶を返す。

 夕田政夫君は今時の子には珍しく、礼儀正しい子のようだ。ポイント高いな。

 

「もうママ、勝手に行っちゃわないでよ」

 

 パタパタと足音を立てて、まどかが戻って来る。

 その表情は少し不満げだった。

 

「あー、ごめんごめん」

 

「もう……」

 

 まどかが溜め息を漏らすと、それを(なだ)めるように知久が柔らかく笑った。

 

「まあまあ、まどか。お帰り、ママ。夕食はまだかい?」

 

「うん。今日もたくさん仕事して来たからね。もうお腹ペコペコだよ」

 

 軽く腹を(さす)る動作をする。

 だけど、今は食欲よりも興味のある対象があるせいで、言うほど空腹感は感じていなかった。

 

「あ。僕、手伝いますよ」

 

 夕田君はそういうとカウンターの脇を通り、知久が居るキッチンの方へ回っていく。

 

「え? いいよいいよ。政夫君はお客様なんだから」

 

「いえいえ。夕食をご馳走になったのでこれくらいは手伝わせてください。こう見えて、僕意外に家事得意なんですよ。まあ、さして、今更やることはないでしょうけど」

 

 知久は断ろうとするが、夕田君は案外押しが強いのか手伝う気満々だ。というか、知久は「夕田君」じゃなく「政夫君」と名前で呼んでいるんだな。会ってそれほど時間が経っているとは思えないが、そこまで親交を深められているのは恐らく夕田君の社交性の高さ故だろうか。

 

「じゃあ、お願いしようかな。まずはそこのボール取ってくれる」

 

「任せてください」

 

 知久はああ見えて、専業主夫である事に誇りを持っているのでキッチンに自分以外の人間をあまり入れたがらない。アタシが昔、勝手にキッチンを使って料理をし出した時なんかは、直接口では言わなかったものの不満そうな表情をしていた。

 だから、知久が夕田君がキッチンで手伝いをする事を許可したのは驚きだった。

 

「あ、じゃあ私も」

 

「かな……まどかさんはタツヤ君を見てて。眠そうにしてたから、もう寝かせてあげた方がいいかも」

 

「うん。分かった……じゃあ、たっくん。お姉ちゃんと一緒に向こうの部屋行こっか」

 

 まどかはうとうとと船をこぎ始めたタツヤを抱っこして、リビングを後にする。

 ……夕田君、馴染みすぎだろう。違和感がないせいで会ったばかりのアタシでさえ、夕田君がずっと前から家に居たような錯覚に(とら)われそうだ。

 

 アタシが夕食を取り終えた後に食器洗いまで手伝うと申し出た夕田君だが、これは流石に知久も断り、今はアタシと向かい合ってテーブルに着いている。

 不思議な子だと思う。この家の雰囲気に溶け込み、尚且(なおか)つ、その存在感を失わない。それでいて、嫌味がないというか、完璧に調和を保たせている。一種のカリスマ性すら感じさせる。

 才能ではなく、多分、経験によって(つちか)ってきたものなんだろうな。

 アタシがじろじろ見ていると、夕田君は少し恥ずかしそうにしながら話しかけてきた。

 

「そんな見つめられると照れちゃいますよ」

 

「あ、不躾(ぶしつけ)に見ちゃってごめんね。ただ、まどかが男の子を家に連れてきたのが珍しくて」

 

「ああ、確かにそうですね。年頃の娘を持つ母親としてはどこの馬の骨か分からない男は心配ですし」

 

 夕田君は悪戯(いたずら)っ子のような笑みを浮かべた。

 

「馬の骨って」

 

 自分で言うか、普通。そんな台詞が出てくるのは余程の馬鹿か、大物のどちらかだ。

 この子は前者ではないのは確かだ。アタシが話したいタイミングを見計らって、わざわざ彼は話しかけた。

 こちらが観察しているよりも、夕田君の方がずっと細かくアタシを見ていたのだろう。

 

「まどかさんみたいな気立ての良い純粋な女の子と比べたら、僕なんて馬の骨です」

 

「変わった子だね、君は。でも、嫌な感じはまったくしない」

 

「僕がどんなに嫌な人間だったとしても、友達のお母さんに故意に嫌われるような一面を見せたりしないですよ」

 

 僅かにおどけた調子で言う夕田君にアタシは笑いをこぼした。

 

「あははは。そりゃそうだ」

 

 掴み所のない少年だと思う。今の台詞で組み立てていた人間像がまた変化した。

 真面目で大人しい子かと思えば、随分とユーモアセンスに溢れた面白い子のようだ。

 クラスでもこんな感じなんだろうか。だとしたら、女の子にもモテそうだ。

 でも、そろそろ本題に入らせてもらおう。

 

「まどかとどういう関係なの?」

 

「僕自身は良い友人関係を築けていると思っています」

 

 まどかさんにはどう思われているかは分かりませんけどと彼は最後に付け足した。

 そこに引っ掛かりを感じたが、(おおむ)ね模範解答だったので言及はしない。

 だから、アタシは夕田君に少し意地悪な問いを投げかける。

 

「君は本気で男と女の間で友情が成立すると思ってるの?」

 

 大人気ない質問だ。中学生に言うような事じゃない。

 でも、アタシは彼ならどう答えるのかが気になった。

 夕田君は不敵な表情で当たり前のように答える。

 

「成立します」

 

「成立したとしても、お互いの距離が近付いていけば友情の範囲から逸脱するかもしれない」

 

「そんなこと言い出したら、同性同士でも同じことが言えますよ」

 

「まあ、そうなんだけどさ」

 

 こう話していると中学生っぽくないな、この子。

 (しゃ)に構えている訳でもなく、かと言って何もかも許容している訳でもなく、自分が思うことをこちらに伝えてくる。

 のらりくらりとアタシの質問の意図を分かった上で余裕を持って(さば)いていく。

 こうなりゃ、回りくどい言い方はなしにして真正面から聞くか。

 

「ずばり聞くけど……まどかの事どう思ってる?」

 

「そうですね。優しくて純粋で可愛らしくて、――そして、何よりとても芯の強い女の子だと思ってます」

 

 アタシの聞いた意味合いとは違っていたが、夕田君がまどかの事をよく見ていると言う事は伝わってきた。

 まどかの芯の強いところなんかは傍に居ないと知りえないだろう。

 

「きっと、彼女があれだけまっすぐに育ったのは両親の教育の賜物(たまもの)でしょうね」

 

 夕田君はアタシに向けて微笑む。

 アタシはどこか照れくさい気持ちになって、誤魔化すように言った。 

 

「アタシは大した事なんかしてないよ。あの子が優しく育ったのはあの子が努力したおかげだよ」

 

「それもあるけど、やっぱり詢子の影響も強いと思うよ」

 

 名前を呼ばれて振り返ると、いつの間にやら食器洗いを終わらせた知久がアタシの後ろに立っていた。

 ああ、なるほど。夕田君が「両親」と言った時にはもう後ろに居たのか。

 知久がアタシの事を「ママ」ではなく、名前で呼ぶのは久しぶりだ。

 

「知久さんもですよ。背中で語る格好いいキャリアウーマンのお母さん、いつも傍で面倒を見てくれる優しい専業主夫のお父さん。貴方方(あなたがた)お二人に手塩に掛けて育てられたから今のまどかさんが在るんだと思います」

 

「ゆう……政夫君。君は本当に掴み所のない子だね」

 

 本当に不思議な男の子だ。

 知らない内に人の心に入り込んで来るようなそんな感じだ。

 多分、まどかもこんなところに惹かれたのだろう。

 

「まどかをこれからもよろしくね」

 

 




まどか視点の話も見たいという意見があれば書くつもりですが、そろそろ本編に戻った方がいいでしょうかね?
見返すと、まどか視点の話は書いた事ないと気付きました。タイトルなのに! 詐欺ですね、これは。


ダイレクトマーケティング
navahoさん作『呀 暗黒騎士異聞(魔法少女まどか☆マギカ×呀 暗黒騎士鎧伝』の十九話に政夫をモデルにした邪悪なキャラ「柾尾優太」が登場しました。
これ、私のオーダーしたキャラなんですよ! いや、政夫と似て非なる邪悪さがいい。

ついでに、私が並行して書いている『魔法少女かずみ?ナノカ~the badend story~』も良かったら読んでみて下さい。人気がなさ過ぎてやばいです!


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番外編 輪に囲まれて

前回の番外編の続きみたいなものです。


~まどか視点~

 

 

 

 私が自分の部屋で待っていると、政夫くんはドアを開け、少し遠慮気味に部屋に入ってきた。

 いつも着ている白い制服の上着じゃなくて、Yシャツ姿だったので私は少しドキリとした。

 

「お待たせ。それじゃあ、僕の学ランを返してもらえるかな」

 

「ああ、うん。昨日から借りたままでごめんね」

 

 頑張って手で洗濯した政夫くんの制服の上着を本人に返す。

 政夫くんは、それを受け取ると早速Yシャツの上にそれを着た。当たり前だけど、学校で会う時はいつも白い学ラン姿なので、やっぱりそれを着ている政夫くんの方がしっくりくる。

 今日、政夫くんが私の家に訪ねてきたのは、借りていた制服の上着を返すためだった。

 美国さんとの一件が終わった後、私の制服がさやかちゃんの血で染まってしまったので、それを人目に付かせないように政夫くんの制服の上着を羽織 (はお)らせてもらっていた。

 そのまま、制服に付いた血を落とすためにマミさんの家に行った後、私は上着を返すタイミングを逃してしまったために政夫くんが今日家に来る事になった。

 

「制服の上着。ありがとうね」

 

 私が改めてお礼を言うと政夫くんは首を振った。

 

「お礼を言うのは僕の方だよ。昨日、君が居てくれなかったら僕は織莉子姉さんを……大切な恩人をこの手で殺すところだった」

 

 言葉と一緒に政夫くんはベッドに腰かけていた私に深々と頭を下げた。

 真剣で、どこか痛々しさを感じる彼の声に私も辛くなる。

 

「そんな事ないよ。私は特に何もしていなって。ほら、それよりも立ったままじゃつらいでしょ? 政夫くんも座って、ね?」

 

 私は隣のスペースをポンポンと軽く叩いて、座ってくれるように促す。

 政夫くんは少し考えるような顔をした後、私の隣に座ってくれた。

 表情は微笑んでいるように見えたけれど、私には分かった。

 これは彼が私に気を遣って浮かべてくれている笑顔だ。

 前まではそれに気付かなかったけど、美国さんと話していた時のあの今にも泣き出しそうな表情を思い出せば、政夫くんが浮かべている顔が『作った表情』かどうかが判断できた。

 きっと、政夫くんは泣く事ができない。……ううん、違う。泣く事ができても、それを慰めてもらう事ができないんだと思う。

 

「本当にありがとう、鹿目さん。織莉子姉さんを撃とうとした時、僕は……仕方ないって思っちゃんだ」

 

 政夫くんの作った微笑みにほんの僅かに影が差す。

 淡々とした口調だけど、だからこそ、返って彼の痛みが私に伝わってきた。

 

「仕方ないってどういう事……?」

 

 一度、政夫くんの目が私を見た。

 私に話してもいいのかどうか迷っている、そう私は感じた。

 

「いいよ、政夫くん。大丈夫だから話して」

 

 私がそう言うと、政夫くんは視線を前の方に戻し、言葉を続けた。

 

「あの時、僕は織莉子姉さんを殺す事を許容したんだ。ここが『妥協点』だと思った。鹿目さんの命を奪われることもなく、織莉子姉さんが殺人を犯すないこともない、一番マシな終わりだってね」

 

 自嘲するような言い方に私は何か言いたくなったけど、それをうまい言葉が見つからなくて、私は黙り込んだまま、政夫くんの話を聞いた。

 

「汚らしいだろう? 僕は人殺しをしようとしたんだ。織莉子姉さんやそれからほむらさんには殺人を否定したくせに、自分が必要に迫られれば言い訳しながら人の命を奪える。そういう人間なんだ、僕は」

 

「違うっ!!」

 

 今まで出した事のないくらいの大きな声が出た。

 隣に居た政夫くんはもっと驚いたと思う。私を見つめたまま、口を開いて固まっていた。

 私はそんな彼の手をぎゅっと掴んだ。

 

「政夫くんは汚くなんかないよ。政夫くんが美国さんを銃で撃とうとした事だって、ほむらちゃんに美国さんを殺させたくなかったからでしょ!? 誰かが汚れるくらいなら、自分の手を汚そうって、そう思ったんだよね……」

 

「そんな綺麗なものじゃないよ。仮にそうだとしても、僕は鹿目さんの言葉がなかったら織莉子姉さんを殺していたんだ。お世話になった人を、尊敬していた人を簡単に諦めて殺そうと……」

 

 政夫くんの言葉を私は(さえぎ)って言う。

 

「でも、それだって、私の事を護るためだったよね」

 

「……大層な理由があれば人を殺してもいいって考えは間違ってるよ」

 

 そう呟くと政夫くんは押し黙った。

 ようやく、私は彼の心に触れられたような気持ちになった。

 政夫くんは人に厳しい。けど、それ以上に自分に厳しい。

 常に正しくあろうとする。そして、少しでも間違えた自分を(さげす)んで絶対に許さない。

 誰かに許してもらおうと考える事さえできない。

 だから、政夫くんはほむらちゃんよりも、マミさんよりも一人ぼっちなんだ。

 嫌だな、と思った。

 私が悩んでいた時には平然と、話しかけてきて当たり前のように一緒に考えてくれたくせに自分の事だけは隠して誤魔化そうとする政夫くんは見ていて、とても嫌だった。

 

「ねえ、政夫くん。辛かったらさ、もっと話してよ。私なんかじゃいい答えでそうにないけど……でも」

 

「鹿目さんまた『私なんか』って言葉使ったね。もう言わないって約束してたのに。あ~あ、約束守ってくれない人には相談できないなぁ」

 

 私の言葉のあげ足をとって、政夫くんは話をうやむやにしようとする。

 私はそれが許せなかった。

 

「政夫くん!!」

 

 声を上げて怒ったけれど、政夫くんはそんな私を見て、小さく笑うだけだった。

 

「強くなったね、鹿目さん。前はここまで踏み込んでくることはなかったのに。でも、僕は平気だからさ。そういう優しさは僕以外の誰かに向けてあげて」

 

 立ち上がって、私に背を向けた彼は無言でこの話は終わりだと語ってくる。

 私は何も言えなくなり、仕方なく続きの言葉を飲み込んだ。

 でも、絶対に私は政夫くんを一人ぼっちのままにはさせてなんかあげない。

 

「政夫くん……じゃあ、また明日ね」

 

「うん。また明日、学校でね」

 

 こちらを振り向いた政夫くんの顔には、いつもどおりの柔和な笑顔が乗っていた。

 弱さを覆い隠す彼の仮面は、引き剥がそうとした私の手を跳ね除けて去っていく。

 政夫くんが居なくなった後、私はベッドに背中を預けて倒れ込んだ。

 溜め息を吐きながら、電灯が(とも)っている天井を見上げる。

 『魔法少女にならなくてもできる事がある』。

 彼が教えてくれた言葉が頭の中でリフレインした。

 そうだ。諦めちゃ駄目だ。私にできる事がある限り、それを頑張るって決めたんだ。

 政夫くんが心を開いてくれるまで何度だってぶつかって行けばいい。

 

「負けないよ、私」

 

 だって、この想いは政夫くんが私に教えてくれたものなんだから。

 ベッドから、起き上がると私は椅子に座って、机と向かい合う。

 私は机の上に一冊のノートを広げた。

 中に描かれているのは私が考えた『魔法少女の衣装を着た私』。

 その次のページには魔法少女の姿のマミさん、さやかちゃん、ほむらちゃん、杏子ちゃんの絵。

 さらにその次のページには美国さんと呉さんの絵。

 私はもう一枚ページを()くった先には制服姿の政夫くんの絵が描かれている。

 全部私が描いた絵だ。

 それを見ながら、鉛筆と色鉛筆を取り出し、絵を描き足してく。

 政夫くんの絵を中心に魔法少女姿の皆を描いた。今度は皆笑顔の表情をしている。

 そして、最後に制服姿の私の絵を彼の絵の隣に描き込んだ。

 不思議と制服姿の政夫くんが最初の時よりも嬉しそうな顔をしているように感じた。

 皆に囲まれている彼はどこにも逃げ場がない。一人ぼっちになんてなりようがない。

 この輪を作ったのは政夫くんだ。

 だから、政夫くんが中心に居なくっちゃ駄目。

 私はこの絵を現実にするように頑張ろう。

 

「一人でなんか、抱え込ませないんだからね。政夫くん」

 

 




いや、まどかの視点だけ書いてないのはあれだったので書きました。
短いのはご愛嬌という事で。

彼女も彼女で強くなりました。きっと、まどかが一番政夫の核心に触れている気がします。

大学のサークルでの小説執筆に本腰を入れているので当分は更新できないかと思います。


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第九十二話 私は彼を知らな過ぎた

~ほむら視点~

 

 

 

 

 

「……まー君は昔と変わらず、誰も必要としてないままだったのね」

 

 前を歩いている美国織莉子のぽつりと呟いたその一言に、(うつむ)いていた私は無言で彼女を見つめた。

 今、まどかを含めた私たち魔法少女は見滝原市を魔女退治を兼ねてパトロールしていた。

 ちょうど、昨日グリーフシードのリサイクル法を使い、孵化させた魔女を倒してソウルジェムを浄化し終えて間もないから魔力には余力があったからだ。

 とは言え、流石に大人数で動き回るのは目立つ上に、使い魔や魔女の討伐の効率が悪いため、二グループに別れている。

 私が居るグループは、私、さやか、美国織莉子、そして今回だけ付いてきているまどかの四人。残りのマミ、杏子、呉キリカは私たちとは他の場所を見回っている。

 私たちは街の西側の工業地帯がある場所を転々と見回していた。

 美国織莉子の言葉に、どういう意味かと問いかけようとしたが私よりも先にまどかが尋ねた。

 

「……政夫くんは昔から、あんな風に人を遠ざけていたんですか?」

 

 美国織莉子はまどかを一瞥すると、一旦足を止め、悲しそうな横顔で話し出した。

 

「ええ。でも、今よりもずっと酷かったわ。この世の全てに裏切られて、何も信じられない……そんな顔をしていた。初めて会った時は、一つ年下とは思えないほど疲れ果てた目をしていた」

 

「そうだったんですか……」

 

 まどかはそう言って小さく相槌を打って受け入れたが、私には政夫にそんな過去があったとは到底信じられなかった。

 常に笑顔を浮かべて、誰にでも近付いて行き、そして、当たり前のように問題を解決してしまう彼に弱い部分があるとは思えなかった。

 政夫が私にしたあの告白でさえ、私の方に落ち度があったのではないかと思ってしまうほど、彼は強い心を持っている。とても暗い一面がある人間には見えない。

 

「そんな風には見えないですけど。政夫って明るいし、社交性あるから」

 

 私の心の声を代弁するかのようにさやかがそう言う。私も彼女の意見に追随した。

 

「私もそう思うわ」

 

「今のまー君しか知らない貴女たちには想像しにくいでしょうね。あの頃と比べたら、もう別人と言っても過言じゃないほどあの子は変わったわ。事実私もそう思えるもの」

 

 再び、前を向いて美国織莉子はアスファルトで舗装された道路を歩き出した。

 けれど、会話自体は止める気がないようで私たちに聞かせるように静かだけどはっきりとした声音で話す。

 

「あの頃の弱々しく、(もろ)そうなまー君は居なくなった。確かに昔よりも明るくなったし、話術も巧みになった。積極的に人と付き合い、周囲の人を大事にするようになっていた」

 

 少しだけ嬉しそうな声を出した後、勢いが()げるように硬質化していく。

 

「……でも違ったようね。あの子の本質はあの頃とまったく変わっていなかった。むしろ、昔よりも自分を偽る事が上手になった分、今の方がずっと痛ましい」

 

「政夫の、本質?」

 

 彼は秘密主義なところがあって、必要な局面になるまでは情報を秘匿する事はままあるけれど、普段から自分を偽っているようには見えない。隠し事があっても、それは周りの人間を気遣ってのものばかりだ。

 ……だからこそ、そんな彼に拒絶された事が私の心を締め付けている。

 しかし、美国織莉子は私を見透かし、まるで哀れむように目を細めた。

 

「暁美さん……。貴女はまー君に好意を向けていたのに、あの子の事をまるで理解してないのね」

 

 それは軽蔑ではなく、本当に心の底から出たような憐憫(れんびん)の台詞だった。

 けれど、私にはどんな(あざけ)りの言葉よりも許せなかった。

 心の中に怒りの炎が(とも)る。その炎は瞬く間に私の思考を焼いた。

 

「貴女には政夫の何が分かるというの!? 過去の彼を知っていようが今の彼は私の方がずっとよく知っているわ!!」

 

 気が付いた時には声を荒げ、美国織莉子に掴みかかっていた。

 制服の襟を引っ張り、見上げるように睨みつけるが、そのまま哀れみの視線を一層強くし、表情を変えずに私を見つめたままだった。

 

「ほむらちゃん! 止めて!」

 

「美国さんも煽るような言い方しないであげてくださいよ! ただでさえほむらは今……落ち込んでるんだから」

 

 まどかとさやかが私たちの間に入り、仲裁をする。

 美国織莉子は私からさやかへと視線を移し、言葉の矛先を彼女に向けた。

 

「美樹さんも暁美さんと同じく、まー君の傍に居たようだけれど、あの子の本質を理解してあげられていたの?」

 

「私ですか……私は……、多分政夫の事、何でもできる奴だって勝手に思ってました。困っている時には当たり前に手を貸してくれて、何が起きても余裕そうに解決しちゃうそんな奴だって」

 

 やはり、さやかも私と同様のイメージを政夫に持っているようだった。

 美国織莉子が言うような本質など、きっと彼女の言いがかりだ。さも自分だけが彼を知っているかのような発言をしたかっただけに過ぎない。

 分かっていないのは彼女の方だ。

 

「そう。貴女も暁美さんと一緒な……」

 

 失望したと言外に言うように言葉を投げかけようとした美国織莉子に、間発入れずにさやかは台詞を被せた。

 

「美国さんとの件がなければ」

 

「どういう事?」

 

 私はさやかの言っている意味が分からず二人の会話に入り、さやかに尋ねた。

 彼女の中の政夫へのイメージは私と違わないはずだ。

 私たちがどうにもならないと思っていた事を、飄々とその身一つでどうにかしてしまう男。それは私たちの中で共通の認識だったはずだ。

 さやかは私の目を一瞬だけ見た後、少しだけ申し訳なさそうに話し出す。

 

「あいつはさ。多分、余裕そうに頑張ってただけなんだよ。私たちが心配しないように平気な顔でいただけ。美国さんと敵対してた時の政夫は特別心が強い訳じゃない、普通のどこにでも居る中学生だった。辛い事があったら辛いって思うし、悲しい事があったら悲しいって思う。でも、自分よりも他人を気にするから、表に出さないようにしている。今ではそういう風に思ってる」

 

 私は唖然とした。

 あの時の私はそこまで彼を見ていただろうか。

 政夫は言葉では止めれなかった美国織莉子を最終的には命を奪ってでも止めようと、彼は私に銃を求めた。

 それは彼の強さによるものだと思っていた。

 彼は元から強いのだと、何の根拠もなくそう信じていた。

 例え、過去に大切な人であろうとも、割り切って私たちの事を優先してくれる強さだと。

 何があっても自分の中の正しさを曲げなかった彼が、自分の最も嫌っている殺人を私たちの手を汚させまいとして選ぼうとした時、私は内心で尊敬すらしていた。

 でも、それはさやかにはそれがやせ我慢にしか見えなかったのだろう。

 私と同じ光景を見ながら、私とはまったく違う感想を持っていたなんて……。

 

「及第点ね。それもまー君の一部だけど、本質ではないわ」

 

 心に感じた余韻を断ち切るように美国織莉子の声が耳に届く。

 思考が現実に引き戻され、自分が思った以上に深く意識を回想に割り裂いて事に気付かされた。

 それと同時にさやかの意見を自分から聞いておきながら値踏みする彼女に不快感を持った。

 文句を言おうとしたけれど、私が口を開く前にまどかが喋った。

 

「一人ぼっち、ですよね。政夫くんは」

 

 視線を僅かに下に下げ、悲しそうにそう言ったまどかは美国織莉子に向かって言った。

 

「誰かに頼ろうって気持ちがないのに人の事は助けようとする。他の友達には助け合えって言ってるくせに、自分が甘える事は悪い事みたいに思ってる。だから、政夫くんは一人ぼっちなんです」

 

「え? そんな事は……」

 

 まどかのその意見にはとてもないけれど、肯定できるものではなかった。

 明るく人に囲まれている事の方が多い政夫が一人ぼっちなどという印象は少しも抱けない。むしろ、彼は孤独などという概念から最も遠い人間だ。

 

「正解よ。鹿目さんだけはまー君をちゃんと見ていてくれたようね」

 

 けれど、美国織莉子はまどかの言葉を肯定し、その表情を柔らかく口元を弛めた。

 理解が追いつかない。二人とも嘘を吐いているようには到底見えないが、私には二人の言っている事が正しいなんて思う事ができなかった。

 私の方が政夫と共に過ごした時間は多いのだ。彼女たちよりも彼の事を知っているという自負がある。

 

「そんな事はないわ。政夫はいつだって、そんなところは見せなかったわ。私たちだけじゃなく、学校でもたくさんの友達と一緒に仲良く話したりしていた。決して寂しそうになんてしていない。大体、彼の傍には私がいつも居たわ」

 

「それだから、じゃないかな?」

 

「え……?」

 

 まどかがはっきりと私を見据えて言った。

 口調こそ尋ねるようでありながら、声ははっきりと断言するようだった。

 

「ほむらちゃんは政夫くんの一番近くに居たから、政夫くんのそういうところが逆に見えなかったんだと思うよ」

 

 鋭利な刃物に胸を貫かれたかのような激しい痛みが胸を襲った。

 言葉にならない強烈な悲しさと悔しさが心の中に蔓延(まんえん)する。

 そして、その中心に一つの納得が生まれた。

 どうして私が政夫に好意を拒絶されたのか、その答えを嫌というほど思い知った。

 

 私は政夫の事を何も知らなかった。知ろうともしていなかった。

 

 背筋が寒くなるほど、私の好意は身勝手で、一方的で、どうしようもなく無知だった。

 こんなものを政夫に向けていた事が恥ずかしくて(たま)らない。彼に申し訳ないとすら思えてきた。

 

「だ、大丈夫? ほむら、ちょっと顔色悪いよ」

 

「ほむらちゃん……。少し言い過ぎたよ、ごめんね」

 

 横から聞こえた二人の声が現実感薄く、ぼんやりとして脳に響いた。

 私はそれに答える事はできずにただ無言で頷く事が精一杯だった。

 

「……今日のパトロールはこの辺りで止めて解散しましょう。もう巴さんの方には私から伝えておくわ。美樹さんは鹿目さんを送ってあげて」

 

 美国織莉子のその号令を聞きながら、私は一人家路に着く。

 足取りはいつもと変わらなかったが、思考だけは酷く乱雑にかき混ぜられていた。

 

 私は彼の何を見ていたのだろう。彼に何を求めていたのだろう。

 分からない。

 当てはまる単語が見つからない。

 こんな私は彼を好きでいる資格があるとは思えない。

 きっと、まどかの方が政夫を理解してあげられるのかもしれない。

 

「……それでも私は政夫が好き」

 

 それでもこの胸の浅ましさは政夫を求めて止まない。

 彼に笑いかけてもらえば、心が高鳴る。

 彼と言葉を交わせば、胸の中が満たされる。

 彼が手を繋いでくれれば、勇気が自然と湧き出てくる。

 もう、無理だった。彼の……政夫のいない生活に戻る事は耐えられない。

 人に心を(ゆだ)ねる心地よさを知ってしまった。

 

「彼が自分の隣にいない事を我慢したくない」

 

 自分勝手な物言いだとは分かっている。

 それでも、生き物が酸素を求めるように私は彼を求めている。

 




マミさんサイドは書かなくてもいいですかね?
流石に女の子側ばかりを描いていると話が進みませんので。
ちなみに今回は四人しか出なかったのは、七人全員書いているとテンポが悪くてしょうがないからです。
キャラが多すぎると一人称では処理し切れません!

追記

活動報告にて、アンケート実施しています。


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第九十三話 循環の理

 目覚まし時計のアラームが部屋の中で鳴り響く。

 不快なその音が僕の意識を夢から現実へと導いてくれた。

 まだ頭がぼんやりとしたままだが、枕元にある目覚まし時計のアラームを止めて起き上がろうとした。

 その時、突いた左手が柔らかい何かに触れる。

 

「んっ……!」

 

 くぐもった女の子の甘い声が聞こえ、僕はぎょっとして、その何かを注視した。

 見れば、その場所だけ掛け布団がこんもりと盛り上がっている。大きさとシルエットから見て、恐らくは人間だ。

 

「……え? な、何これ……?」

 

 自分以外の誰かが知らない内にベッドに潜り込んでいるという異常な状況に、先ほどまでの眠気など完全に霧散した。

 見なかったことにして部屋から出て行きたいくらい怖かったが、ここは僕の部屋である以上そんなことはできない。覚悟を決めて少しづつ、ゆっくりと掛け布団を(めく)る。

 まず最初に見えたのはツインテールに結われた真っ白の髪と猫のような耳、続いてレースの意匠が施されたオレンジ色の服とスカート、最後に白くて大きなリスのような尻尾。

 布団を取り払われても未だにすやすやと寝息を立てているその少女に僕は見覚えがあった。

 そして、僕は思考が落ち着きを取り戻し、今起きている状況を全て把握することができた。

 溜め息を一つ吐いた後、寝ているその子の肩を揺すって起こす。

 

「べえ子さん。朝ですよー」

 

「ううん……ん? あ、おはよう、政夫」

 

 顔を丸めた拳で猫のように擦りながら、ニュゥべえが目を覚ました。

 すぐに表情が嬉しそうな笑顔に変わって、頭部から生えている猫のような耳をピコピコと動かす。

 

「何で人型になってるの? 昨日、僕のベッドに入って寝てた時はいつものマスコット型だったのに」

 

「政夫も第二次性徴期の少年だからね。こっちの姿の方が嬉しいかと思って」

 

「最高に余計なお世話だよ」

 

 呆れて僕がそういうとニュゥべえは少しでしょんぼりとして「そうかい……」と呟くと、一瞬光に包まれた後に元のマスコット型の姿へ戻った。

 彼女は良かれと思ってやったことなのだろうが、あいにくと僕はそういうことはあまり好きじゃない。スターリン君辺りなら嬉々として喜ぶシチュエーションかもしれないが、僕は友達に欲情するなんて絶対に嫌だった。

 そんなことになったら、僕は自分を一生軽蔑し続けるだろう。

 まあ、僕のためにやってくれたことらしいので、それ以上ニュゥべえに小言を言うつもりはないが、お礼を言う気にはなれない。

 昨日のあれ以来、ニュゥべえは感情エネルギーの変換方法を理解し、魔法少女へとなった。

 しかし、厳密に『魔法少女』をインキュベーターに願いを叶えてもらった存在と定義するなら、ニュゥべえはそれに当てはまらないだろう。

 むしろ、インキュベーターの独自進化系と言った方が適切だ。

 彼女は既存のインキュベーターと違い、ソウルジェムを持たない。ニュゥべえによれば、体内にソウルジェムに変わる魔力の貯蔵器官があるそうだ。

 

 だが、そんなことは些細(ささい)なことでしかない。

 彼女と既存の魔法少女との決定的な差異は魔女にならないという点だ。

 昨日、家に帰った僕はニュゥべえに何をどこまでできるのかを確認するため、一通り実験をした。

 そこで分かったことは魔法少女が魔力を使った際に出る、『濁り』がニュゥべえには存在しないという事実だった。

 これもまた正確に言うならば、存在しないのではなく、処理することが可能という意味だ。

 『濁り』とはそもそも魔力を使った時にソウルジェム内に発生する、魔法少女には処理しきれない負のエネルギーのことだ。

 あくまでこの『濁り』も感情エネルギーでしかない。つまりは魔法少女には使用できないだけであって、エネルギーとして使用することは可能なのだ。

 インキュベーターは元々この負のエネルギーを回収することが目的なのだから、使用できなければ魔法少女システムの意味がない。

 ニュゥべえは元インキュベーターにして魔法少女だ。

 故に魔法少女ではエネルギーとして転用できなかったこの『濁り』をエネルギーとして使用可能なのだ。

 簡単に言えば、ソウルジェムに内包されているものが『正のエネルギー(まりょく)』、その正のエネルギーを使用した時に発生するのが『負のエネルギー(にごり)』。

 『負のエネルギー(にごり)』がソウルジェム内から除去されると『正のエネルギー(まりょく)』が回復する。

 ニュゥべえは、『正のエネルギー(まりょく)』と『負のエネルギー(にごり)』を循環して使うことができる。

 つまり、事実上の永久機関だ。

 この永久機関を仮に『循環の理』とでも名付けておく。

 循環の理によって、ニュゥべえは魔女になることは、ほぼ確実にない。

 既存の魔法少女からすれば、とんでもない裏技のようにしか見えないだろう。

 ニュゥべえ曰く、「政夫を永久に守るために魔法少女になりたいと願ったから、絶対に魔女にならない特性を得た」だそうだ。……そこまで深く想われていると流石に僕も照れる。

 魔力に制限がなく使えるので既存の魔法少女よりも魔法を使えるが、一度に使用できる魔力の量は大して違いがないらしい。いくら、水が永久に出せるからといって、蛇口の大きさは規定のサイズということなのだろう。

 これほどまでに反則じみているにも関わらず、魔法少女になった鹿目さんやワルプルギスの夜には遠く及ばないだろうとニュゥべえは言っていた。

 鹿目さんがどれだけ規格外の存在なのかを改めて思い知らされる。

 

 

 

 

 父さんとの朝食を終え、身支度を整えた僕は家を出た。

 頭にはニュゥべえが乗っている。魔力を使い、支那モン時代と同じように僕や魔法少女たちにしか見えないようになっている。

 

『政夫』 

 

 ニュゥべえが僕の脳内に直接語りかけてくる。

 ニュゥべえのテレパシー能力も魔力を使うことによって復活していた。昔は人の心に土足で踏み込んでくるような冒涜的な能力だと思っていたが、使用するのがニュゥべえだからか前よりも抵抗はなかった。

 僕も同じように喋らず、脳内で返事をする。

 

『昨日言ったとおり、魔法少女になったことは皆には内緒にしておいて』

 

『いや、その事じゃなくて……いつものあの待ち合わせ場所に行くのかいって聞こうと思ったんだよ。昨日の昼からほむらとは連絡取ってなかったから、顔を合わせづらいんじゃないかと思ってね』

 

 ニュゥべえのその台詞で僕の足がピタリと止まる。

 忘れていた。ニュゥべえが手に入れた力で何ができるかをずっと考えていたから、暁美のことを考えている暇がなかった。

 どうしよう……いや、ここで会わないのも間違ってるな。

 昨日の告白には僕ははっきりとした答えを返した。

 それで暁美がまた前のように友人付き合いしてくれるならそれでいいし、もう僕の顔を見たくもないというなら極力近付かないようにしてあげればいい。今の暁美には仲のいい友達がたくさん居る。僕が彼女から離れて行っても平気だろう。

 どちらにしても、きちんと彼女に会ってから決めるべきことだ。

 

『取り合えず、待ち合わせの場所には行くよ。……美樹さんか志筑さん辺りには引っ叩かれるかもしれないけど』

 

『政夫がそこまでされる必要はないと思うけど』

 

『好意をあんな形で拒絶したんだ。そのくらいのことは甘んじて受け入れるよ』

 

 一拍ほど空いた後に、しみじみとしたニュゥべえの声が僕の頭の中で響いた。

 

『……政夫は身内には呆れるくらい優しいね。その優しさはきっと政夫を傷付けるよ』

 

 僕はその言葉には返答せず、待ち合わせの場所を目指して足を動かした。

 

 

 待ち合わせの場所まで着くと鹿目さんと美樹、志筑さん、そして暁美の四人が既に待っていた。

 志筑さんを除いた三人は僕の頭上で脱力したように寝そべっているニュゥべえを見て、言葉を失っている。

 暁美だけはニュゥべえの存在は知っていたが、ニュゥべえが普通の人に見えるようになっていたことまで知っているから、この場に連れて来るとは思っていなかったのだろう。

 

「おはよう、四人とも」

 

「……今日は来ないと思ってましたわ」

 

 志筑さんが僅かに僕を睨むような目で見る。

 それに僕は安心感を感じた。

 暁美のことでそこまで怒ってくるのは彼女を心から大切に思ってくれている証拠だ。志筑さんは魔法少女のことは知らないが、だからこそ、普通の女の子同士の友情を持ってくれている。

 僕が居なくても暁美は大丈夫そうだ。

 

「もう来て欲しくないなら、これ以降僕は顔を出さないよ。まあ、同じクラスだから嫌でも顔を合わせなきゃいけないけど」

 

 申し訳なさそうにそう言うと、志筑さんはますます怒ったように声を大きくした。

 

「そういう言い方が駄目なんです! まるで自分は孤立しても一向に構わないように聞こえますわ。政夫さんにとって、ほむらさんは何なんですか!?」

 

 僕としては、このコミュニティ内できちんと相互扶助が成り立っているのなら、別に彼女たちと疎遠になっても構わない。

 男子の友達もクラスにはたくさん居るし、必要なら交友関係の幅を増やせばいい。鹿目さんたちのグループと疎遠になっても多分僕はそれほど困りはしない。

 『大切』ではあっても、『必要不可欠』ではないのだ。彼女たちが僕を拒絶するなら、それもそれでいい。

 それにしても、暁美とは僕にとって何なのか、か……。随分と哲学的な問いだ。

 けれど、僕の中の答えは最初から決まっている。

 志筑さんではなく、暁美の目を見て答えた。

 

「友達だと、少なくとも僕は思ってる。ほむらさんさえ良ければ、僕は君と友人関係を続けていきたいとも思ってる」

 

「私がそれ以上を貴方に求めたら……?」

 

「昨日と同じだよ。失礼な言い方だけど、僕は君に友達以上の好意はもっていない」

 

 きっぱりと暁美に告げた。

 僕は暁美が他の誰かを好きになり、恋人同士になったとしたら、間違いなく喜んでしまう。

 彼女の幸福を心の底から祝福できる。彼女の過去を知っているからこそ、彼女の成長を嬉しく感じてしまうだろう。

 暁美に対して僕は友達以上の感情は抱くことができない。出会い方が違ったら、変わったのかもしれないけれど、少なくても僕の意思は変化しそうになかった。

 暁美は一瞬だけ顔を俯けた後、顔を上げて僕を見つめた。

 

「……それでいいわ。今はまだそれで」

 

 今の暁美は昨日よりもずっと落ち着いているようだった。

 志筑さんもそんな暁美を横目で見て、口を(つぐ)んだ。本人が納得したのだから自分が脇から何か言うのは場違いだと思ったようだ。

 ただ暁美は口下手なところがあるから、志筑さんの口出しもそこまでずれたものだと思わない。

 暁美の件はここで終わりにしておいて、ニュゥべえに戸惑いを隠せない二人の方に視線を移す。

 

『ニュゥべえ。二人にも念話を送れるようにしてくれる』

 

『任せてよ、政夫』

 

 ニュゥべえを介して鹿目さんたちに念話を送る。

 鹿目さんと美樹がインキュベーターの本性を知らなかった時とは立場が真逆なのが、少しおかしかった。

 

『この子は旧べえのやり方に嫌気が差して、僕たちの仲間になってくれた魔法少女の味方の心優しい旧べえなんだ』

 

 僕がそう紹介すると、ニュゥべえは僕の頭から肩の上に降りて、片方の前足を上げて二人に挨拶した。

 

『やあ。まどか、さやか。ボクの名前はニュゥべえ。政夫の友達で君たちの味方だよ。よろしくね』

 

 にこりと目を細めてマスコットらしさを前面に押し出して愛らしく笑みを浮かべた。

 

『えっと……初めまして。よろしくね、ニュゥべえ』

 

『そ、そんなキュゥべえが居たんだ……』

 

 二人とも今まで、旧べえに良い感情を抱いていなかったため少々面食らっているようだったが、性格にあまり険のない鹿目さんたちはニュゥべえを友好的に受け入れてくれるようだった。

 暁美は念話を送ってこそこなかったが、一応聞こえてはいるらしく旧べえのやり方が云々(うんぬん)(くだり)のところは微妙な表情を浮かべた。

 会話に参加して指摘しないあたり、暁美も分かってきたようだ。

 

『あれ? その首に巻いてるのって……』

 

 鹿目さんがニュゥべえの首に巻いてあるレースが付いたオレンジ色のハンカチを見た後、僕の目に視線を移動させた。

 

『うん。僕のハンカチだよ。信頼の印にニュゥべえにあげたんだ』

 

『ボクの宝物さ』

 

 やや顔を上に逸らして、ハンカチを自慢げにニュゥべえは見せ付ける。

 本当に喜怒哀楽が分かりやすくなったな、この子。旧べえと顔のパーツが同じなのにまるでまったく違う見た目のように感じる。

 

『そうなんだ。……信頼してるんだね、ニュゥべえの事』

 

『う、うん。信頼してるよ』

 

 鹿目さんはどこか複雑そうな表情をした。

 僕は彼女のその顔の理由が分からなかったが、取り合えず肯定しておいた。

 詳しく、聞き出そうかと思ったが、ずっと蚊帳(かや)の外のままの志筑さんを放置する訳にもいかず、一旦ここで念話を止めて、学校に登校するべく皆で軽い会話をしながら歩き始めた。

 




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それにしても、本当に政夫は他人を必要としない人間ですね。

感想の方もどうぞよろしくお願いいたします。


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番外編 政ニュゥ

今回は番外編というか、補足説明の回です。
時系列的には九十二話と九十三話の間の話です。

大体の事は読んでれば分かると思っていたのですが、疑問に思っている方がいたので今回の話を書きました。分かりづらかったようなのですみません。


 僕が魔法少女となったニュゥべえについて分かったことを部屋でノートにまとめていた時、ふとグリーフシードリサイクル方法について疑問に思ったことをニュゥべえ尋ねた。

 

「そういえば、ほむらさんの報告によるとグリーフシードのリサイクルで魔女が一度もグリーフシードを落とさなかった事例がないんだけど、最初の時グリーフシードが貴重品みたいなこと言ってよね?」

 

 グリーフシードから生まれた魔女は、その中心部にグリーフシードを保持している訳だから、当然倒せばそれを落とすだろうと僕は思っていた。

 だが、旧べえや巴さんは魔女はグリーフシードを落とすことは少ないという言葉を思い出して、不思議に思ったのだ。

 ある程度データが取れたので、猫耳ツインテールの少女の姿からマスコットの姿に戻ったニュゥべえが机の上に飛び乗って、僕に近寄る。

 

「ああ、それは魔女全体から見て、グリーフシードが希少という事だよ」

 

「ふうん。というと?」

 

「確かに魔女はグリーフシードから生まれるけれど、使い魔から成長を経て魔女に至るケースもある。というか、そっちの方が多いかな。使い魔まで倒す魔法少女はあまり居ないからね」

 

 その言葉だけで、僕はニュゥべえの言いたいことが大体読めた。

 グリーフシードから生まれた魔女は現状100%グリーフシードを落としたことと、ここでわざわざ使い魔から変化した魔女の話をニュゥべえが持ち出したということは、(すなわ)ち――。

 

「使い魔から成長した魔女はごく稀にしかグリーフシードを落とさない、ということかな?」

 

 尋ねるような言い方をしたものの、それ以外の答えはないだろう。

 ニュゥべえはにっこり笑って尻尾を左右に振った。

 

「正解だよ。使い魔から成長した魔女は体内にグリーフシードを保有していない。だから、人を食べてさらに時間を経ないとグリーフシードを生成しないんだ」

 

「一方、グリーフシードから……魔法少女から変異した魔女はソウルジェムがグリーフシードに変化するから必ずグリーフシードを落とす」

 

「それが倒されたグリーフシードからまた再び生まれた魔女にも、当然グリーフシードを落とすという訳さ。まあ、100%ってほどじゃないけど九割方はグリーフシードを出すだろうね」

 

 なるほど。なら、最初に言っていた全体の魔女から見て、グリーフシードが希少だと発言は使い魔から成長した『ほとんどグリーフシードを落とさない魔女』を含めてのことか。

 だったら、グリーフシードのリサイクル法を旧べえどもがあれだけ怒った理由も納得がいく。

 まあ、もっともグリーフシードのリサイクル方法は複数の魔法少女が居て、初めて安全性が確立する方法だ。

 なぜなら一人の魔法少女が行う場合だと、丁度よくソウルジェムの魔力が回復したと同時にグリーフシードの濁りを満たすことが難しいからだ。

 ソウルジェムが完全に回復し切らないのに、魔女が孵化すれば安全策どころか自殺行為でしかない。

 濁りを少しづつ吸わせて行くという方法もあるが、それも魔女が孵化するタイミングを計らなければいけない。ソウルジェムの秘密を知る魔法少女ならいざ知らず、普通の魔法少女なら孵化させようと思っている魔女以外とも戦うことになるだろう。

 魔女の結界内でさらに新たに魔女が孵化したら、とてもじゃないが勝ち目がないはずだ。ただでさえ、グリーフシードは負の感情を吸って孵化しようとするのだから、細心の注意の元扱わなくてはならないだろう。

 故に複数の魔法少女が少しづつ濁りを吸わせる方式の方が、孵化のタイミングを合わせることができるのだ。

 濁りが多い方の魔法少女を優先的にして、濁りが少ない魔法少女は最後の方にしておけば仮に途中で魔女が孵化した場合でも、回復した魔法少女が積極的に戦い倒すことによって、戦闘後に出たグリーフシードで濁りを回復させることができる。

 魔法少女が複数居て、なおかつお互いに信頼関係ができている巴さんたちだから可能だと言えるだろう。

 しかし、同じことを考える魔法少女たちが居てもおかしくはないはずだ。

 再び、ニュゥべえに質問すると彼女は思いがけない答えを返した。

 

「そういう事は考えられないようにソウルジェムを取り出した時に刷り込ませているんだ。ボクらを目の敵にしていたほむらでさえ、孵化寸前のソウルジェムをボクに回収させていただろう?」

 

「ソウルジェムって思考回路まで影響を及ぼしているんだ……。もしかして、巴さんや美樹さんがやたら躁鬱(そううつ)が激しかったのも?」

 

「個人差は当然あるけど、ある程度感情が(たかぶ)り易いようにさせているね。何せ『感情エネルギー』だから」

 

 聞けば聞くほど嫌になるシステムだ。理に適ってるとは言えるだろうが。

 あの聡い暁美まで僕に言われるまで思いつきもしなかったところを見ると、かなり精度のセーフティなのは予想は付いた。

 それもそうか。仮にも武力を与えるのだから、首輪くらい付けるのは当然の話だ。

 ニュゥべえの頬を指でつつく。さっき、お風呂に入れたばかりだから、もっちりとした弾力性がする。

 当たり前の話だが、一緒に入浴した際にはこのマスコット形態をとってもらった。ニュゥべえは「せっかく人型になったんだから、背中を流してあげるよ!」と意気揚々と魔法少女姿で服を脱ぎ始めたので慌てて止めたのだ。その時に、偶然僕の手が彼女の胸に触れてしまい複雑な心境となった。

 ちなみに言うと衣装の方は、僕があげたハンカチを魔力で変質させているだけなので着脱は可能なのだそうだ。むしろ、全裸の方が通常らしい。……勘弁してほしい。

 

「もう、政夫。あまりほっぺつつかないでよ」

 

 そう言いつつも満更ではないようで、嬉しそうに尻尾を振っている。喜怒哀楽を全身で表してくれるので、人間相手より感情の読み取りが楽だ。

 可愛い奴だと心から思う。だからこそ、僕の『計画』につき合わせていることに少しばかり罪悪感を抱いた。

 明日、鹿目さんたちに紹介して、彼女たちとも仲良くさせてあげよう。

 僕の汚らしい『計画』に加担させているのだから、せめて、罪滅ぼしに可能な限り、幸福を与えてあげたい。

 

「ごめんごめん。ニュゥべえがあんまり可愛いものだから、つい」

 

「そ、そう言われるとボクも悪い気はしないね」

 

 照れたように耳をピコピコと動かす。最近、分かったことだが、ニュゥべえは照れると耳を動かす癖がある。

 

「にしても、ニュゥべえを観察対象として旧べえたちは回収しないものかね? 今や、魔法少女システムの集大成とも言える存在になったのに」

 

 それを聞くとニュゥべえはいつもより少しだけ冷たい笑みを浮かべた。

 

「……かつての彼らならそうしたかもしれないね。でも、彼らは政夫に突きつけられた『何故、魔法少女システムなんてものまで作ってまで宇宙の寿命を延ばしているのか』という命題のおかげで歪み始めたんだ。精神疾患と言ってきた『感情』が自分たちにも存在するかもしれないと恐れているんだよ。だから、政夫やボクに近付いて来ない……『感染(うつ)る』かもしれないからね」

 

 それを聞いて僕もつられて嘲笑をこぼす。

 

「それは何とも、笑える話だね。感情のない『自称健常者』のインキュベーター様は随分と臆病なのか」

 

「政夫が言った事だよ。『そこまで必死に宇宙の寿命を延ばしている君らに感情がない訳がない』って」

 

 二人で笑いながら、宇宙からやって来られた人間より高度な知的生命体様を扱き下ろして楽しんだ。嫌いな奴の陰口をたたいて盛り上がるのは、宇宙共通なのかもしれない。

 一頻(ひとし)り、二人で盛り上がった後、歯を磨き、部屋の電気を消して、僕らは同じベッドに入った。

 

「それじゃあ、お休み。ニュゥべえ」

 

「うん。お休み。政夫」

 

 枕元で丸まるニュゥべえにお休みを言うと、目を瞑り、弛緩する。

 ニュゥべえの手前、表には出さなかったが、ビルの屋上から飛び降りる時は死ぬほど怖かったのだ。

 魔法少女のプロセスに必要なものが祈りだと確信に近いものを感じていたが、正直言って冷や汗ものだった。

 空中に落下していくまで感じるあの感覚は心臓を握り潰さんばかりの恐ろしさ。

 声を出さないように堪え、表情に怯えが出ないようにするのはかなりの精神的労力を要した。

 僕がこの街で一番うまくなったのは間違いなくやせ我慢だ。

 そのせいか、ベッドに入って数十秒だというのにもう意識が飛びそうなほど眠い。だが、その甲斐あって目的の第二段階は見事クリアできた。

 明日から、最後の決め手となる第三段階に挑むとしよう。

 

 

~ニュゥべえ視点~

 

 

 

 ボクは政夫が寝息を立て始めたのを確認すると、姿を人型に変えて、掛け布団の中に潜り込む。

 起こさないように注意しながら、政夫の身体にゆっくりと抱きついた。

 風呂上りで温かい温もりと、薄っすらと柑橘系のボディーソープの香りが漂う政夫の匂いがボクを迎え入れる。

 これはいけない。思考が(とろ)けてしまいそうだ。

 パジャマ越し政夫の政夫の胸板に顔を押し付ける。

 筋肉質ではないが、余計な脂肪も付いていない中肉中背の身体だ。

 触れているだけで安堵感が溢れ出してくる。

 

「はぁ……」

 

 決して(やま)しい気持ちなんかじゃない。もっと純粋で原始的な感情に満たされる。

 酩酊する意識の中で確信する。これこそが、『幸せ』という感情なのだろう。

 素晴らしい。本当に素晴らしい……。

 自分でも気付かない内に政夫の背中に手を回していた。

 

「う、うん……」

 

 政夫の口から声が漏れた。驚いて手を離し、一瞬でベッドの中から退避して、反対側の壁に張り付く。

 起きてしまったのだろうか……。

 緊張しながら、政夫を見つめているとすぐにむにゃむにゃ言いながら寝返りを打っただけだった。

 よかった。どうやら、目を覚ました訳ではないようだ。

 ほっと安心するボクだったが、考えてみれば別に悪い事をしているのではない。

 いつも、時折掛け布団の中に潜り込む事はやっていたし、それを政夫に咎められた事も一度だってない。

 ただ、今のボクは人型で女の子の姿をしていて、そして、政夫に対して恋愛感情を持っているに過ぎない!

 何だ。何一つ問題はないじゃないか。

 納得をした後、再び政夫のベッドに侵入する。スカートの下から生えた尻尾を器用に動かして、掛け布団を持ち上げたまま、ゆっくりと潜っていく。

 それに、ボクは別に野蛮な生殖行為に及ぼうとしているのではない。純粋に政夫の温もりをこの姿で感じたいだけだ。今日のボクの努力を(かんが)みればこのくらいの報酬はあって(しか)るべきだ。

 ほむらのように政夫の生殖器官を見て興奮する少女とは違うのだ。

 政夫だって、第二次成長期に差し掛かる少年として、同年代くらいの姿のボクと共に就寝するのも嫌ではないだろう。

 これはまさに利害の一致したwin-winな関係と言えるはず。

 自分の行いの正当性を改めて確信したボクは政夫の身体にくっ付くように目を瞑る。

 幸せだな~、そう思ってうとうとと眠りに就いていく。

 

「む……また髪の色が。今度は『金の赤』!?」

 

 そう言えば、政夫は時々変な寝言を口に出すけど、どんな夢を見ているのだろう。

 そんな事がぼんやりとした頭に浮かんだが、今はどうでもよかった。

 (しぶ)い表情で寝言を語る政夫の声を聞きながら、幸福感に包まれてボクは意識を手放した。

 




一口キャラ紹介


名前 夕田政夫

年齢 十四歳

血液型 O型のRH-

星座 おとめ座

好きな食べ物 ハンバーグ

好きなヒーロー アンパンマン

概要 リアリストのような発言をするが実はかなりのロマンチスト。幼少時代のスイミーの事件が原因で人間不信に陥り、世の中に失望していたが、織莉子との出会いのおかげで『周囲の人間を大切する』という信念を得て、友達のために頑張る人間になった。

だが、同時に強い人間であろうと自己啓発の結果、他者を必要としない人間になってしまった。これは自分が心から大切にしていた母親やスイミーを失って絶望した昔の自分と決別したためである。
相手の心理を読み解き、詐術で周りを翻弄することが得意だが、実はそういった裏技じみた行動が嫌いだったりする。
人の汚い悪意の存在を強く感じながら育ったため、自分の事を「汚い人間」と認識している。そのため、まどかたちのような「純粋で綺麗な人間」を自分や汚い人間よりも上等な人間として見ている。
だから、そういった「純粋で綺麗な人間」を守るためなら、命すら簡単に掛けてしまう。

昔から、仮面ライダーやウルトラマンといった格好いい「戦うヒーロー」より、自分の顔をお腹を空かせている子供に食べさせるアンパンマンのような「与えるヒーロー」の方が好きだったのだが、織莉子の言葉もあり、他人に自分を削ってでも分け与えるような人間になってしまった。
一言で言い表すなら、『善人でありたかった少年』。


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第九十四話 優しい世界 前編

 これはどういう状況なんだろうか?

 

 今日、僕はニュゥべえを連れて学校に向かい、授業を真面目に受け、昼食をいつものメンバーと取って、放課後に魔女退治へ僕とニュゥべえを連れて行ってもらえるように皆に頼んだ。

 ニュゥべえに魔女を近くで観察し、新たに得たエネルギーでより詳細に魔女を研究するという目的があったからだ。

 そのことを巴さんたちは承諾してくれたが、代わりに少しだけ付き合ってもらうと言われ、やってきたのがここ、織莉子さんの自宅だった。

 細長く大きなテーブル……恐らくは来賓と食事を取るためのものであろうが、そのテーブルとセットのお洒落なデザインの椅子の一つに座るよう促された。

 内心で小首を傾げながらも、言われるがままに僕はその椅子に座ると、他の皆も椅子に無言で座った。

 そこにはうまく言葉にできない怖さがあった。

 唯一、僕の味方であるニュゥべえはテーブルの上に鎮座して、僕と同様に皆を怪訝そうに見つめている。

 これに近いものを僕はテレビで見たことがある。

 裁判だ。犯罪者を裁く法廷での裁判。まさにそんな雰囲気だ。

 

「あのさ、これはどういう……」

 

 僕が言葉を発した時に、それに被せるように正面に居る織莉子姉さんが口を開いた。

 

「ねえ、まー君」

 

 その声は穏やかで静かだったが、有無を言わせない圧力を含んでいた。

 

「率直に聞くわ。――貴方は私たちを頼りにしていないでしょう?……いいえ、もっと言うなら、まるで庇護者のような目で見ている。違う?」

 

 僕を見つめる凛々しい織莉子姉さんの顔には、悲しげな瞳が(きらめ)いた。

 シャンデリアを模した電灯の光の反射したものだろうが、彼女のなかなか表には出さない感情が映像になったような錯覚をさせる。

 

「……言っている意味がよく分からないです。僕は皆のこと頼りにしてますよ」

 

 嘘だ。意味は理解している。

 本当に織莉子姉さんたちを信頼しているなら、そもそも一人で黙ってニュゥべえを作ったりはしていない。

 彼女たちに何もかも知らせずに、全てを自分の内に秘めて『ワルプルギスの夜の日』へ向けて準備を整えようとしている。

 それが一番だと思うし、そうしなければいけないとも思っている。

 

「嘘だよ」

 

 よく通る中学生にしては幼さの残る声が僕の心を言い当てた。

 僕は内心を覗かれたような気がして、とっさにその声を上げた彼女へ顔を向けた。

 

「……鹿目さん」

 

 その声の主、僕の右隣の席に座る鹿目さんはまっすぐな目で僕を見て、怒っているような声で言う。

 

「政夫くんはいつも私たちを優しい言葉をかけてくれるよね……? 私の事もたくさん助けてくれた。病院にグリーフシードを抜いた時も、あの工場で大勢の人に襲われそうになった時だって、政夫くんは自分の命を懸けて私を逃がしてくれた。ほむらちゃんから聞いたよ。マミさんやさやかちゃんも支えてくれたって……でも」

 

 強い感情を吐き出すように一度言葉を区切って、僕に向けてぶつけてくる。

 

「政夫くんが自分を(ないがし)ろにしてまで、そんな事やってほしくないよっ!!」

 

 感情的で力強く、優しい鹿目さんらしい台詞だ。

 そして、そんな彼女を見て、彼女たちが何のために僕をここに連れてきたのか理解した。

 ずっと僕のことを気にしていてくれたのだろう。鹿目さんだけじゃなく、ここに居る他の女の子たち全員が。

 皆の顔を見回すと、鹿目さんと同じように僕のために怒ってくれていることが表情から読み取れた。

 皆、優しくて、温かくて……そして、お節介だ。

 

「ほむらさんも口が軽いな。何でそこまで鹿目さんに話したの? ……そんなに人のこと、ぺらぺら喋るような性格だったっけ?」

 

 右隣の鹿目さんのその言葉には何も返さず、左隣に座っている暁美を責めるように言う。

 鹿目さんに余計なことを喋れば喋るだけ、要らない心配させることぐらい暁美なら理解していると思ったのに。

 

「……それについては謝るわ」

 

「それで、皆もこんな風に集まって何がしたいのさ。あと一週間もしない内に大きな魔女がこの見滝原市にやって来るって話は聞いているんだろう? こんなことに使う時間なんてないと思うけど」

 

「こんな事って……政夫、私たちはアンタの事思って……!」

 

「それが余計なお世話だって言ってるんだよ。美樹さん」

 

 鹿目さんの隣に居た美樹が僕の言葉に反応して椅子から立ち上がるが、僕はそれに冷ややかな視線を送る。

 美樹の勢いが止まり、熱を持ち始めていた場の雰囲気が一気に冷却していく。

 それらを見回して、さも馬鹿馬鹿しいと言外に滲ませながら言う。

 

「ねえ。君らは僕に頼んでもいないお節介をしていられるほど暇なの? この街で多くの人間が死ぬかも知れないって時に、ここまで僕一人に構っていていいの?」

 

 この場において、年長者の一人である巴さんに顔を向ける。

 真正面に座っている織莉子姉さんの隣に居る巴さんは、気まずそうな顔をしながらも、僕から視線を逸らさなかった。

 

「巴さん。あなたはこの街で多くの人を護りたいって言ってたじゃないですか? それが街を護る正義の魔法少女の役目だと。今、僕にかまけていることがあなたの正義なんですか? 答えてくださいよ」

 

 一番このメンバーの中で魔法少女の役目に責任感を持っている巴さんならば、責任を強調させる言い方をすれば負い目を感じて、引き下がってくれると踏んでいた。

 しかし、巴マミという女の子の芯は僕の想像よりも強くなっていた。

 

「夕田君。……私は心が圧し潰れそうだった時、あなたに助けてもらったわ。そして、同時に教えてもらったわ。自分が都合のいい正義の味方なんかにはなれないって事を。私は自分が護りたい、助けたい人のために戦うわ。その一人が夕田君なの。だから、今こうやって皆で集まって夕田君のために話す事が無駄だなんて思っていないわ」

 

 それは、僕がかつて彼女に言ったことだった。

 『魔法少女としてではなく、一人の人間として戦えばいい』と言ったあの言葉を彼女は大切にしてくれていた。

 胸の中で温かさを生まれそうになるが、それを振り払うように言った。

 

「巴さんのお心遣いは大変嬉しいですが、僕は助けてもらう必要があるほど困っていません」

 

「そうは思えねーな」

 

 口を挟んだのは杏子さんだった。

 僕は杏子さんに目だけ向けると、彼女は語り出した。

 

「アタシの目には政夫は人を無理やり壁を作って遠ざけてるように見える。でなきゃ、わざわざショウを尋ねて来てまでほむらの事で悩んでたアンタがあそこまで下手くそな振り方する訳ない」

 

「内心まで語られるほど杏子さんと親密になった覚えはないんだけど……?」

 

 杏子さんの発言で僅かに自分の目がきつく細まるのを感じた。

 

「アタシもそうだったから分かるんだよ。政夫、アンタは自分が嫌いなんだ。だから、そんな嫌いな自分を好きだって言ってくれてる奴を認められない。そうだろ?」

 

「否定はしないよ。僕は自分が嫌いだし、こんな自分のことを好きだっていう人の気がしれない……」

 

 ちらりと隣に座る暁美の横顔を見た。

 下唇を浅く噛み締める暁美は今何を思うのか。想像はついたが、意識させずに杏子さんとの会話に戻る。

 

「皆、男を見る目がないよ。はっきり言ってあげる。僕は君らが思ってるような人間じゃない」

 

 この子たちの目を覚まさせてあげよう。彼女たちは僕を仲介せずともお互いに絆を作っている。

 もう彼女たちは、僕が居なくなっても平気だ。それどころか、こんな(つど)いまでさせてしまっている今では目を曇らせる存在でしかない。

 僕は彼女たちと縁を切ってもそれほど困らない。そして、彼女たちもそれは同じはずだ。

 ――ここらで思い切り嫌われよう。それが彼女たちのためだ。

 

「僕は君らが大切だから手を貸していたと思っているようだけど、そうじゃない。僕は自分の世界が護りたかっただけ」

 

「政夫くんの世界……?」

 

 鹿目さんがぽつりとそう言った。

 

「そうだよ。僕が信じたい、そうであってほしいと思う『優しい世界』だ。道徳的で倫理観に溢れていて、真面目に清く正しく生きている人間が正当な報酬を得られるそんな世界。それが僕にとって何にも代え難いもの」

 

 母さんがまだ生きていた時、当たり前のように信じていた世界。

 スイミーを殺された時にそんなものはどこにもないのだと理解させられた世界。

 

「でも、そんな優しい世界は児童向けの絵本の中にしかないってことに気付かされた。真面目に生きていてもそれを足を引っ張り邪魔する人間が居るし、清く正しく生きていてもそれを騙して貶める人間が居る。道徳的で倫理観に溢れた人間は正当な報酬を得られない」

 

 世の中は驚くほど理不尽だ。何の落ち度もない人が脈絡もない悪意に当然のように踏みにじられる。

 現実は理解不能なまでに醜く、視界に入れたくないほど(おぞ)ましい。

 そんな世界で生きていくことが辛くて辛くてしかたなかった。

 そして、その醜悪さにじわじわと慣らされていく自分が何よりも耐え難かった。

 

「だから、僕は自分で作ることにしたんだ。『優しい世界』を」

 

「どういう事……?」

 

 尋ねてくる暁美に僕は笑顔で答えた。

 

「自分の周囲に居る人間の行動を『清く正しい選択肢』へ誘導して行ったんだよ。その人間の性格や行動を調べて、『清く正しい行動』を取らざるを得ないように仕向けるんだ。……大変だったよ、ねえほむら(・・・)さん」

 

 ぞっとしたような強張った表情を暁美は浮かべた。

 気付いたのだろう。暁美も僕にそうなるように変えられていったということに。

 大抵の人は自分のことしか考えていない。自分の幸せに飢えてるからだ。

 ならば、満たしてあげればいい。他者に優しくする余裕ができるまで。

 アンパンマンが顔をちぎって、お腹を空かせた子供を満たすように。

 優しくなるまで。清く正しい行動に出るように『調整』してやればいいのだ。

 利己的な意見や行動を正論で否定して叩き潰し、利他的な行動に出た時のみ褒めて、報酬を与えてやる。

 基本的にはそれの繰り返しで、人は『善良』になっていってくれる。

 

「本当に大変だったよ。どうしようもなく利己的で、欲深で、情けない人たちに『清く正しい選択肢』を選ぶようにさせるのは。そのために心理学を必死に学んだし、コミュニケーション能力を上げる努力をしてきた」

 

 会話に必要な話題を一つでも多く得るために人気な漫画、ゲーム、スポーツ、ファッション、芸能人……他にもたくさんの流行しているものを周囲の人間に合わせて調べたり、どういう表情をすればどういう反応を取るのか研究した。比喩ではなく、死に物狂いでだ。

 『好意的な印象を得る笑顔』なんか、本当に気が狂ってしまいそうになるほど鏡の前で練習した。

 

「そして、僕自身『清く正しい選択肢』を選びながらね。でも、人の行動を誘導している人間が『清く正しい』訳がない。自分が見たい世界を作るために生きていたら、気が付いた時には自分が見たくなかった汚い世界の一部になってたよ」

 

 笑える話だ。純粋で善良な人間が勝利する世界が見たくて頑張っていたら、自分が一番それから程遠いものになっていた。

 だから、諦めた。自分を勝利するべき人間の欄から除外した。

 ただの『優しい世界』を作るためのパーツでいいと思うようにした。

 

「鹿目さん。自分を命を懸けて逃がしてくれたって言ってたけど、あれは鹿目さんのためにやった訳じゃない。あそこで君を見捨てたら僕が僕自身の『優しい世界』を否定しちゃうからだ。他の皆もそう、君らが大切だから命を懸けて助けたんじゃない。そうしなければ『優しい世界』が保てないからだ」

 

「……じゃあ、私に優しくしてくれたのも」

 

 いつもハイテンションな様子とは違って、おずおずと聞いてくる呉先輩に僕は容赦なく、言葉を返した。

 

「そうですね。普段は『友達』認定した人以外は面倒を見ないんですけど、たまたま見滝原では珍しく僕と同じ髪色だったから『優しい世界』に入れただけです」

 

「……そ、んな……」

 

 肩を落とす呉先輩を他所(よそ)に僕は再び、織莉子姉さんに視線を移す。

 

「さっき、織莉子姉さんが僕に言っていたこと大体当たってます。でも、それは織莉子姉さんたちだけじゃありませんよ。『友達』と認識した周囲の人間全てです。僕はただの中学生ですから、手の届く場所はそれほど多くありません。だから、限界を作りました」

 

「それがまー君の言う……『友達』なの?」

 

「はい。僕が責任を持って面倒を見れる範囲に居る周囲の人間、それが僕の『友達』です」

 

 平然とそう答えると、織莉子姉さんは唇を震わせて微かに言った。

 

「……貴方、歪んでるわ」

 

 言われなくてもそんなことは自分が一番よく知っている。

 だから、嫌いで嫌いで仕方がないんだ。

 僕は内心で毒づくと、椅子から腰をあげて、テーブルに両手を付き、体重をかけて皆を見下ろした。

 

「これで分かった? 君らが僕にどんな幻想を抱いていたかは知らないけど、僕は聖人君子とはかけ離れた人間だ。僕は自分が見たい『優しい世界』を護るために何度も命を懸けてきたんだ。君らのためなんかじゃない」

 

 そこで鹿目さんをあえて真似するように言葉を区切る。

 

「だから、僕なんかにそこまで(こだわ)るな! この馬鹿女どもっ!!」

 

 部屋一杯に広がった僕の大声が響き渡った。




ようやく政夫の歪みっぷりが魔法少女たちに伝わりましたね。
いやー、これで彼女たちがどうするのか見ものです。

政夫を聖人君子な主人公だと思っていた方々、残念な展開ですね(まあ、そんな読者は居ないと思いますが……)
政夫って、下手をすると世界創造系のラスボスみたいな思考ですよね。やっている事が穏やかなだけで、今の現状の世界が醜くて仕方ないって彼の心の叫びは結構危険です。


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第九十五話 優しい世界 後編

 静まり返った部屋の中、僕は無言で(うつむ)く彼女たちを見て僕は一人ごちる。

 ――これでいい。

 もう彼女たちに僕の助けは要らない。そして、僕は彼女たちの優しさを必要としていない。

 目を曇らせるだけの存在になった僕は、裏方に引っ込もう。

 そう思って、この部屋から出て行くために、机から両手を離し、前のめりに体勢を元に戻す。

 ニュゥべえを呼び、この部屋から出て行こうと口を開こうとした時、隣に座っている鹿目さんが僕に話しかけてきた。

 

「ようやく、政夫くんの本音が聞けたよ。ありがとう」

 

 彼女の浮かべている表情は微笑だった。

 優しく、柔らかな純真な鹿目さんらしい笑み。

 だが、明らかにこの場に沿わない顔付きだった。

 

「……鹿目さん。僕の話を聞いていたの? 僕は君の、君たちの優しさを拒絶したんだよ?」

 

 思わず、そんな疑問が(のど)から這い上がってきた。

 ここは僕の暴言に対してショックを受けるか、怒るか、悲しむかするのが普通だろう。

 そんな優しい笑顔を僕に向けるのは場違いもいいところだ。

 そうさせるためにここまできつい言葉を放ったのだから。

 しかし、鹿目さんは変わらぬ笑みを見せ付けて言う。

 

「聞いてたよ」

 

「だったら……」

 

「前の政夫くんは気を遣って、優しく笑顔で遠ざけるだけだった。でも、今ははっきりと面と向かって私たちに感情を見せて、思いを伝えてくれてる。それが嬉しいの」

 

「ば、馬鹿馬鹿しい。何を言い出すのかと思えば」

 

 冷めた目で嘲笑しようとしたが、声が僅かに震えた。

 予想外のところから、衝撃が飛んできたような感覚を感じながら、それらを抑え込み、言葉を紡ぎ出す。

 

「君のそういうところは相変わらずだね。何でも好意的に取る。――だから、旧べえなんかに騙されるんだよ。脳内お花畑のメンヘラ女」

 

 優しくて純粋で、僕はそういう鹿目さんの優しさに憧れていた。

 そういう人間になりたかった。そういう人間で居たかった。

 でも、彼女のような優しい人間は悪意に付け込まれ易い。人間という種にとって、純粋さは美点であり、欠点なのだ。

 その年齢まで純粋で優しい心を保ててきたのは、それこそ一種の奇跡と言えるだろう。

 護りたいと、汚させたくないと心の底から思う。

 だからこそ、僕は鹿目さんを拒絶する。彼女が僕の心に触れたら、彼女の優しい心が汚れてしまうから。

 

「そういう優しい言葉をかければ、僕が(ほだ)されるとでも思ったの? ……下らない」

 

 僕が侮蔑の言葉を投げつけると、暁美が僕に怒りを(あらわ)に睨む。

 

「政夫! 貴方、まどかになんて事を……!」

 

「黙ってろ、暁美。今、僕は鹿目さんと話しているんだ」

 

「…………」

 

 静かな口調と共に睨み返し、黙らせると僕は鹿目さんに向き直る。

 

「ここまで言われてもまだ君のお優しい意思は変わらないの?」

 

「変わらないよ。私は政夫くんと本当の意味で初めて向き合えている気がする」

 

 まっすぐな綺麗な薄桃色の瞳には僕の冷たい表情が映っている。

 僕の酷薄な言葉に少しも揺らがない鹿目さんの視線は彼女の芯の強さを物語っていた。

 ……本当に。本当にこの女の子は強くなった。

 頼りないイメージはもう今の鹿目さんには残っていなかった。

 見惚れてしまいそうな彼女を僕は、奥歯を噛み締めて睨み付ける。

 

「政夫くんはやっぱり私の思ったとおりの優しい人だった」

 

「……どこがだよ。僕は自分が見たいもののために君らを利用してただけだ」

 

 むきになって否定するが、鹿目さんは首を横に振る。

 

「自分の事を嫌いになってまで、政夫くんは周りの人たちのために頑張って来たんでしょ? やっぱり政夫くんは優しくて、思いやりのある人だよ」

 

「何でそういう好意的に僕を評価するんだっ!! 馬鹿じゃないのか!? 優しくて、思いやりがある? 本当に優しい人間なら、人の心を思い通りに動かそうとする訳ないだろう!? 本当に思いやりがある人間なら、嘘なんか吐いたりする訳ないだろう!?」

 

 鹿目さんの優しい言葉に耐え切れず、声を荒げて怒鳴りつけた。

 僕と鹿目さんを見つめる皆の視線がより一層強くなったことを肌で感じ取りながら、それを無視するように鹿目さんと対峙する。

 

「……政夫くんはそれが許せないんだね。自分が周りの人を幸せにする時に、その人たちを自分の思い通りに動かしちゃった事や嘘を吐いちゃった事が」

 

「…………」

 

「自分に厳しくて、誰よりも『正しさ』を求める政夫くんだから、そういうちょっとでも綺麗じゃないところを認めてあげられない。――でも、私は政夫くんのそんな潔癖なところは間違ってると思うよ」

 

 断定するように。断言するように。彼女はぴしゃりとそう言い切った。

 鹿目さんは僕の心の中に踏み込んできた。

 かつて、誰にも入れさせたことのないほどの深部へと足を踏み入れていく。

 

「どこが……それのどこが間違っているっていうんだ!」

 

 僕の根源的な部分を否定する鹿目さんに問い詰める。

 もう嘲笑も浮かべる余裕もない。不敵な仮面も取れていた。

 ありのままの、等身大の夕田政夫がそこに居た。

 

「だって、政夫くんは私や……さやかちゃんたちの弱さはちゃんと理解して、許してくれるのに何で自分のそういうところは許してあげないの? そんなのおかしいよ!」

 

「おかしくない! 世界や他人に妥協しても、自分自身に妥協したら終わりだろうが!? 自分の汚さを許したら切がない! 絶対に完璧になれなくても、自分に完璧を要求することは止めちゃ駄目なんだ!!」

 

 目の前に居る鹿目さん以外のものが見えなかった。

 自分と彼女の声以外の音を耳が遮断した。

 この瞬間だけは僕の世界は二人だけしか居なかった。

 

「それが間違ってる!」

 

「どうして!」

 

 お互いの思いを声に乗せて、相手にぶつけ合う。

 間違いなく、それは戦いだった。

 手に武器はなく、相手を害する意思もない。

 しかし、どうしようもなく自分の心を相手に理解させて、屈服させようとするこの議論は戦争と形容する以外に他なかった。

 

「それじゃ、政夫くんが救われないよ! 政夫くんのいう『優しい世界』は政夫くんには優しくない!」

 

「僕はそれで構わない! ううん、それで『正しい』んだ」

 

「正しくないよ! 清く正しく頑張った人間が報われる世界が政夫くんの『優しい世界』なんだよね……。だったら、周囲の人たちが幸せになるように頑張った政夫くんが報われないのはおかしいよ……!」

 

「前にも言ったけど、大層な理由があれば何をやってもいいって考えは間違ってる! 報われていいのは『正攻法』で頑張った人間だけだ! 嘘を吐いたり、人を騙したりする奴が報われていいはずがない!」

 

 いつの間にか僕も鹿目さんも椅子から立ち上がって口論していた。

 自分が立ち上がったことすら知覚できないほど、思考が熱くなっていたらしい。

 周りのことはもちろん、自分のことも見えなくなっていた。

 視界に映るのは桃色の髪の分からず屋の女の子の顔だけだった。

 声を荒げていたせいか、顔は紅潮し、瞳も(うる)んでいる。

 けれど、強い意志のこもった視線だけは健在だった。

 

「そんなの嫌だよ!! 政夫くんが報われないなんて嫌っ!!」

 

「どうして! 何でそんなに僕に拘るんだよ!!」

 

 いくら、彼女が優しい女の子だからといって、ここまで噛み付いてくるのは想定外だった。

 他の女の子は僕に対して、諦めさえ見せていたのに、鹿目さんだけはこうして僕の歪んだ信念を否定してくる。

 

「そんなの……政夫くんが好きだからに決まってるでしょ!」

 

 途中で息を止めてから、吐き出された鹿目さんのその言葉は僕の思考を一時的に止めるほどの破壊力を秘めていた。

 好き?

 僕を? 

 こんな嘘とはったりくらいしか能のない僕を好き?

 暁美の時は、彼女の心が孤独で弱っていたところに僕が手を差し伸べたから好意を持たれたという理由が分かっていた。

 しかし、鹿目さんにはそれがない。

 せいぜい、工場で二人して追い詰められた時の吊り橋効果が尾を引いているくらいしか思い当たらない。

 でも、それだって時間が過ぎて、とっくに効果は解けているはずだ。

 硬直する思考と身体。

 

「政夫くん」

 

 傍に寄ってくる鹿目さんを呆然と見つめることしかできない。

 言葉すら思いつかず、無言で立ち(すく)んでいると、鹿目さんの両手が僕の頬を挟み込む。

 

「私は好きな人が幸せになってくれない世界なんて認められない」

 

 身長の低い彼女は爪先立ちになり、そう言って僕の顔を前に引いた。

 鹿目さんの顔がクローズアップされていき、僕の唇に柔らかい感触とほんのり甘い香りが広がった。

 キスをされたと自覚するのに、およそ一分ほどの時間を要した。

 そして、理解した瞬間、弾かれたように彼女から後退し、後ろにあった自分の椅子に(つまず)き、盛大に転倒した。

 上半身だけを辛うじて起こして叫ぶ。

 

「ばっ……馬鹿じゃないの、お前!?」

 

 素だった。

 かつてないほど、素の自分の発言だった。

 頭の中を真っ白にされた僕は自分の部屋の中でさえ出さない、本当に何も考えない無地の自分が出た。

 

「それが……皆にも見せない政夫くんなんだね」

 

「あ……」

 

 指摘されて口元を覆う。

 だが、吐いてしまった言葉が消える訳でもないので、その行為は何の意味ももたらさなかった。

 鹿目さんは上半身だけ起こした僕の傍に膝をついて、正座をするように座った。

 

「政夫くん」

 

 彼女は優しく僕を抱き締めた。

 僕の腋の下から両手を通して、背中に回す。

 柔らかくて、温かい感触が身体を包み込んだ。

 

「私は政夫くんが自分にも優しくなってほしい」

 

 穏やかな僅かに甘い女の子特有の香りが鼻腔に届く。

 自然に涙が涙腺から、滲み出してきた。

 誰かを抱き締めることはよくあった。でも、誰かに抱き締められるのは六年ぶりだった。

 だから、忘れていた。

 抱き締めてもらえると、どれだけ心が安堵するのかを。

 

「う……うう……」

 

 ひょっとしたら、僕はずっと誰かにこうしてもらいたかったのかもしれない。

 嫌いになってしまった自分を許してもらいたかったのかもしれない。

 

「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 涙が止まらない。

 声が抑えられない。

 感情が止め処なく、(あふ)れ出して来る。

 僕は六年ぶりに人前で声を上げて泣いた。

 鹿目さんは泣き叫ぶ僕を嫌な顔せず、ぎゅっと抱き寄せる。

 僕も彼女の背にしがみ付くように腕を回した。

 幼子が母親に抱き付くような、何もかも(ゆだ)ねる抱き付き方だった。

 

 

 

 どのくらいそうしていただろう。

 涙が止まり、呼吸が元のテンポを取り戻す。

 思考も落ち着くと、同級生の女子の胸で号泣したという事実に急激な恥ずかしさを覚え、抱き付いていた鹿目さんから離れる。

 

「あの、鹿目さん……ごめん。泣き出しちゃって」

 

「ううん。政夫くんの素顔が見れてよかったよ!」

 

「素顔って……」

 

 にこっと目を細めて笑う鹿目さんにたじろぎながら、周囲に目を向けると椅子に座っていたはずの皆は知らぬ間に僕と鹿目さんを囲むように立っていた。

 一番僕の傍に居た織莉子姉さんが、僕に尋ねるように聞く。

 

「まー君。他にも謝るべき相手がたくさん居るんじゃないかしら?」

 

 僕はもう一度皆の顔を眺め回した。

 誰もがまっすぐな瞳を僕に向け、俯いている人は一人も居ない。

 

「酷いことを皆に言いました。……本当にごめんなさい」

 

「まだ言葉が足りないわよ? 夕田君」

 

 今度は巴さんが僕に発言を促す。

 一瞬、それが何だか分からなかったが、すぐに気が付く。

 そして、頬を掻きながら口に出した。

 

「これからも……僕の友達で居てください」

 

 一斉に異口同音の答えが僕に返ってくる。

 (しぼ)り出したはずの涙がまた目を濡らす。

 今まで一歩離れて見ていたはずの『優しい世界』は気が付かない内に僕を取り囲むように存在していた。

 ――もう少しだけ自分に優しく生きてみよう。

 

 憧れていた『優しい世界』はここにあった。

 




いやー、まどかがメインヒロイン度高いですね。
でも、これ残念ながら、ほむらルートだから、何があろうと政夫とくっ付く事はありませんけど。

政夫の歪んだ信念は、まどかの愛に完膚なきまでに叩き潰されました。
政夫的にはもうこれ以上にないハッピーエンドですね。ここで終わった方が彼にとっては幸せでしょう。
でも、これ、ほむらルートだから仕方がないですね。うん。


それと活動報告にも書きましたが、『第九十一話 たった一つの願い事』にニュゥべえの挿絵が付きました!
やったね! ニュゥちゃん! 挿絵が増えるよ!
すごく、あざと可愛いのでぜひ見てあげてください。

書いてくれた絵凪さんには心から感謝を申し上げます。


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第九十六話 彼と彼女の幸福

 ニュゥべえと共に魔女に関するデータを得るために巴さんたち魔法少女に同行して魔女退治を見学させてもらうともりだった僕だったが、あれだけ泣き喚いたせいなのか、あるいは心理的な心の(かせ)が外れたせいか、精神的に溜まっていた疲労が一気に出てきて、気力を完全に奪われてしまっていた。

 ニュゥべえの「ボクだけでマミたちに着いて行くから政夫はそのまま帰った方がいい」という言葉に甘え、鹿目さんと一緒に家に帰っている最中だ。

 ニュゥべえだけに全てを任せることに少し気が引けたが、今の僕が同行したところでまともに頭も働かないので意味がないと思い、諦めた。

 

「あの、政夫くん、大丈夫? まだ、その目が()れているけど……」

 

「大丈夫、平気だよ。少し泣きすぎただけだから」

 

 隣に並んで歩く鹿目さんが心配そうな顔で覗き込んでくる。

 僕はそんな彼女を見つめて、軽く笑みを返す。ならいいけど、とまだ心配そうにしつつも、鹿目さんはそれ以上の言及をせずに口を閉じた。

 ――愛しい。

 素直にそう感じた。

 自分を案じてくれる鹿目さんがとても愛しく思えた。

 彼女の言葉が僕を縛っていた信念や理想をこれ以上にないほど、優しく否定してくれたからだろうか。

 彼女の傍に居るだけでこんなにも幸福な気持ちになる。心の中が温かくなり、嫌でも気分が高揚する。

 ここまで幸せを実感したのは母さんを失ってから初めてのことだ。

 幸せすぎて、自分の気持ちをうまく表すことさえ難しい。

 そして、同時に何だか気恥ずかしい。口元に未だに柔らかいあの感触が残っている。

 ちらりと鹿目さんを一瞥する。

 彼女は僕に告白し、キスまでしたのにそれについてのことは一切言って来なかった。

 ただ耳や頬が赤くなっているところを見るに、彼女も彼女で僕が余裕がないことを察して、あえて聞かないようにしているようだ。

 

「えっと、な、何かな?」

 

 僕の視線に気が付くと、鹿目さんはちょっと緊張した風に髪を指で(いじ)る。

 可愛い仕草に自然と笑顔にされてしまう。これが彼女の魅力なのだろう。

 

「いや、鹿目さんは意外に大胆な女の子なんだなーって眺めてた」

 

「あ……えっと、それは……」

 

 かあっとさらに頬をリンゴのように赤くする鹿目さん。

 そんな彼女が可愛くて調子に乗ってしまう。追い討ちをかけるべく、僕は芝居がかった言葉を投げた。

 

「情熱的なキスと抱擁だったな~。もう、初心(うぶ)な僕はドキドキしっぱなしだったよ!」

 

 自分の唇を指で撫でながら、ちょっといやらしい笑みを浮かべながら鹿目さんを見つめる。

 すると、彼女は羞恥(しゅうち)に身体を振るわせながら、小さく言った。 

 

「あうぅ……あれはその、勢いで……」

 

「ええー!? じゃあ、僕に告白してくれたのも勢いで言っただけで本意じゃないんだ……。嬉しかったのになぁ……」

 

 さも残念そうにそう言うと、一転して目に強い意志が宿り、あの時と同じように力強く答えてくれた。

 

「そ、その言葉は本心からの言葉だから!」

 

「……あ、ありがとうございます」

 

 からかっていたのは僕の方だったはずなのに、僕の方が恥ずかしさにやられてしまった。

 恥ずかしすぎて、目を背けてしまう。こんな真っ直ぐな好意を向けられて照れない方が無理だ。

 異性に好きだと言われた経験なら何度かある。実際に付き合ったこともある。

 けれど、その人たちは僕の本質を何一つ知らない人ばかりだった。

 上っ面だけの優しさに(なび)いてもらったところで、(むな)しさしか感じられなかった。

 お腹を空かせた人に食料を渡して好意をもらっても、それは食料を渡してくれたから好きになっただけであって、代わりはいくらでも居るような好意でしかない。

 『夕田政夫』としてではなく、『優しくしてくれた誰か』として愛されても、嬉しいとは思えなかった。

 だから、僕は恋愛に対して、一時的な意味合いのものでしかないと軽んじていた。

 でも、鹿目さんは違った。

 僕のことをちゃんと理解してくれた上で、それでも好きだと言ってくれた。

 駄目なところは駄目だと否定した上で、僕を肯定してくれた。

 生まれて初めて、僕を正しく認識してくれた女の子だった。

 今まで、初恋もしたことのなかった僕だから、人を好きになるという気持ちが理解できていなかったけれど、鹿目さんに対するこの感情は暁美や巴さんたちに向けるものとは明らかに違うことぐらいは分かる。

 これがひょっとして……恋なのか。

 だとすれば、僕は自分の気持ちに素直になっても許されるのだろうか?

 

「鹿目さん……一つだけお願いしてもいいかな?」

 

「え? お願い……?」

 

 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでいい。自分のためだけに行動していいのなら……。

 

「これからは鹿目さんのこと、名前で呼んでもいい?」

 

 一瞬だけ、鹿目さんはきょとんとした後に嬉しそうに微笑を見せてくれた。

 

「もちろん、いいよ! 今からそう呼んで」

 

「今からここで?」

 

 こくりと盛大に頷く彼女の勢いに押され、僕は照れそうになりながら、口を開く。

 

「……ま、まどかさん」

 

「なあに? 政夫くん」

 

 悪戯っ子のような表情でまどかさんは僕にそう返事をした。

 何と言われても名前を呼んでみただけなので実際に言いたいことがある訳でもない。もっとも、そんなことはまどかさんも分かっているだろう。

 からかったお返しなのか、にこにこしながら僕の言葉を待っているようだった。

 ならば、僕もさらに調子に乗らせてもらおう。

 僅かに戸惑った後、僕は手のひらを差し出す。

 

「じゃあ……手を握って帰らない?」

 

「ふぇ!? ……うん」

 

 そう来るとは思っていなかったようで、少しだけ驚いた後に照れた顔で僕の手を握ってくれた。

 柔らかな温もりが右の手のひらを包む。

 まどかさんの手から、まるで僕の心を満たすために幸せが流れ込んでくるような錯覚をした。

 ――彼女に出会えて良かった。

 僕はまどかさんの横顔を見ながら、心からそう感じた。

 

 

 

~ニュゥべえ視点~

 

 

 

 政夫とまどかに帰ってもらった後、ボクは魔法少女たちに連れ立って魔女退治のためのパトロールに向かっていた。

 三人一組で別れて散策するらしく、ボクはマミ・杏子・キリカのグループの方に着いて来ていた。特に理由はないが、しいて言うのなら、ほむらの雰囲気があまりにも異質だったので着いて行きたくなかった。

 大方、政夫がまどかとキスしたのが面白くなかったのだろう。

 ボクにも、多少胸にもやもやした感情があるのは否定しない。(ねた)み、(そね)み、きっとそんな感情を持て余している自覚はある。

 ボクだけが政夫に与えてあげられる、彼が何をボクに求めてきても応えてあげられる、そう自惚(うぬぼ)れていた。

 愚かだったとしか言いようがない。

 確かに求めた事をしてあげられるだろう。けれど、逆に言えば、ボクは求めてくれたものしか与えられない。

 政夫が本当に求めるものは、政夫自身にも分からないものだったのだ。

 それをまどかが政夫に与えた時に、気付かされた。

 政夫に必要なのはボクではない。まどかだ。政夫に幸せと安らぎを与えてあげられるのは彼女を置いて他にはいないだろう。

 悔しいというのが本音だが、それ以上に政夫が救われた事が嬉しかった。

 

 ボクが個としての自我を確立してから、ボクは人を好きになるという事を知った。

 最初は死ぬ事が、自我の消滅が恐ろしくて政夫に(すが)り付いていただけだった。けれど、彼はただボクを利用する事はせず、思いやりを持って接してくれた。

 そんな優しい彼にボクが惹かれていくのに時間は掛からなかった。

 同時に政夫の悲しさと弱さを知った。

 他人に優しくしながらも、自分へは一切にその優しさを向けられない政夫を助けたいと心の底から思った。

 だから、ようやく彼がその苦しみから解放された事が何よりも嬉しい。

 ……マミたちはどう思っているのだろうか。

 ふと疑問に思い、ボクの前に歩いているマミに尋ねる。

 

「マミ」

 

「何かしら? キュ……ニュゥべえ」

 

 マミが振り返って、ボクを見る。その視線はかつてほどボクに好意的ではない。

 魔法少女の秘密を隠していたインキュベーターへの不信感がまだ根強く残っているようだった。

 ボクもまた、その事に対しては罪悪感は覚えていない。何故なら、それは今の『ニュゥべえ』としての自我が確立する前の、インキュベーターの端末でしかなかった時の事だ。

 今のボクではなかった時の所業まで、責任を迫られても困る。政夫を好きになったのも、ボクがニュゥべえという名前をもらってから、インキュベーターの端末だった頃の事を穿(ほじく)り返して責めなかったからだ。

 

「君は政夫とまどかについて、思うところはないのかい?」

 

「思うところ……そうね」

 

 マミは目を細めて、寂しげな笑みを浮かべた。

 どこか遠い目をして、顔を上げる。

  

(うらや)ましい、とは思うわ。私も夕田君の事は好きだったから。でも、私は鹿目さんほど彼に踏み込めなかった。あそこで勝敗は決まっていたわ」

 

 上を向いたまま、マミは目を擦った。涙が(にじ)みそうになったのかもしれない。

 ボクよりも先に好意を抱いていたマミの気持ちは、ボク以上に割り切れないものがあるのだろう。

 自分の弱さを理解してくれた上で、自分の事を命懸けで助けてくれた政夫はまどかよりもずっと強い恋愛感情があったはずだ。

 その思いと向き合い、決別を着けようとしているマミは立派に映った。

 

「……私はまだ認めないぞ」

 

 うう、と小さく(うめ)きながら、肩を揺らすキリカは、じっとりした目で呟いた。

 

「私の愛は……愛はぁ……」

 

「アンタもしつこい女だな。あそこまで見せ付けられたんだから、いい加減諦めろよ」

 

 溜め息交じりで呆れた視線をキリカに向ける杏子。

 マミと比較するとキリカのその有様は見苦しいとしか言えなかった。

 

「だって、だってぇ……初恋だったんだもん」

 

 両手両膝を地面に突けて、キリカはがっくりと崩れ落ちる。

 往生際の悪い発言をしているものの、自分が割って入れない事はちゃんと理解しているようだった。

 振り切るまでに時間は必要そうだが、彼女も彼女で現状を受け止めようとしているのだろう。

 

「まあ、男は政夫だけじゃないから、な?」

 

 しゃがんで目線をキリカに合わせた杏子が、キリカの背中を軽き、慰めの言葉を掛ける。涙交じりの呻き声をあげながら、キリカは地面と顔を合わせている。

 マミはそれを見て、苦笑いを浮かべるとキリカの傍に近付いていく。

 

「ほらほら、呉さん。手と膝が汚れちゃうわ。立って立って」

 

 面倒見のいいマミはキリカの身体を引っ張って起こす。

 ボクはキリカやマミから目を外し、杏子に話しかける。

 

「杏子はまったくショックを受けてないみたいだね」

 

「ああ。まあ、あいつに対してそういう感情抱いてなかったしね」

 

 実際に他の魔法少女たちと違い、杏子だけは平常運転だった。

 

「アタシとしちゃあ、ちょっと嬉しいくらいだ」

 

「嬉しい? 何故だい?」

 

 ボクがそう尋ねると、杏子は頬を掻きながら少し言いづらそうに話し出した。

 

「似てるんだよ、アタシの親父にさ。現実に失望して、理想の世界を目指すところがね。ま、政夫は親父よりも現実に折り合いつけてると思ってたけど……自分への厳しさはあいつのが上だったかもな」

 

 そう言えば、確か杏子の父親は神父だったか。

 彼女の願いは父親の話を多くの人に聞いてもらうようにする事だった。

 結果的に彼女の父親は信者が自分の話を聞いているのが魔法による効果だと知り、絶望して死んだが、彼もまた本気でこの世を(うれ)いていたようだ。

 

「だから、政夫が親父みたいにおかしくなっちまう前に救われてよかったと思ってる。……魔法や奇跡なんかじゃなく、人の優しさで救われた事が」

 

 最後の一言に含まれていたのは、悔恨か、羨望か、あるいはもっと別の感情なのかボクには分からない。

 けれど、政夫の事を心から祝福している事だけは伝わってきた。

 

「ありがとう、杏子。政夫の幸せを喜んでくれて」

 

 感謝の言葉を告げると、杏子は不思議そうにボクを見つめた。

 

「アンタ……本当にキュゥべえとは違うんだな」

 

「ボクの名前はニュゥべえだよ」

 

「いや、それは知ってるよ。アタシが言ってんのは……」

 

 言いかけた杏子は自分の手に持っていた赤いソウルジェムに目を向ける。脈動するように一定のテンポでソウルジェムが光を放っている。

 どうやら、魔女の結界が近くにあるようだ。

 

「こっちが当たりの方みたいだな。おい、マミ、キリカ」

 

「分かってるよ。この感情を魔女にぶつけてやる……」

 

 暗い笑みを浮かべて、のっそりとキリカが歩き出す。

 隣に居るマミはそんなキリカに呆れたように声をかけた。

 

「あんまり無茶したら駄目よ」

 

 ボクは杏子に拾い上げられて、抱きかかえてもらった。

 

「そんじゃ、行くぜ。すぐ近くみたいだ」

 

 あまり人気のない裏通りのへと足を速める。

 どんよりとした淀んだ空気が立ち込めているのを肌で感じた。

 ボクもまた気を引き締める。

 ここからだ。政夫が求める事さえできないものはボクでは無理だけれど、政夫が求めてくれたものは絶対に与えてみせる。

 インキュベーターを表に引きずり出すための餌を得る。そのために感情エネルギーを理解した今のボクの観点から調べ尽くす。

 ボクはボクにできる全てを政夫に与える。それだけだ。




いや、政夫くん幸せそうですね。まあ、彼のこんな幸せなシーンはこの回で見納めだと思うと少し悲しいです。
次回から、ほむらが前面に来ると思うので、本格的にほむらルートと言えるのは九十七話からでしょう。
マミさん、キリカ、杏子が今後は出番がほぼなくなるだろうと思って書きました。
登場キャラが多いとどうしても見せ場があるキャラは限られてしまうから難しいです。


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ほむら編
第九十七話 魔法少女の口付け


今回はR-15かもしれません。


 夜も更けてきた午後十時、僕はパジャマ姿で勉強机に向かってノートへシャーペンを走らせる。

 最初は、明日の授業の予習と前回までの復習のためにやっていた。……やっていたのだが。

 

「いくら何でも色ボケ過ぎだろ……」

 

 ノートに描かれていたのは、まどかさんの似顔絵だった。

 目を細めて僕に笑いかけてくれたあの笑顔が忘れられず、さっきからずっとこうやって彼女の絵ばかりを描いてしまう。

 考えごとをすると、どうしてもまどかさんの顔が浮かんできてしょうがない。

 そして、何よりそんな自分が嫌ではなかった。誰かのことを同情でも、義務感でもなく、想い馳せることが今の僕が嬉しかった。

 初めての感覚だから、どうにも感情を持て余してしまう。頬が緩むほど幸福に包まれているのに、同時にほんのりと切ないようなそんな気持ちだ。

 仕方ない。今日は一旦、勉強は終わりにしてもう寝よう。

 勉強机のスタンドライトを消して、まどかさんの似顔絵で溢れている予習・復習用のノートを閉じた。

 椅子の背もたれに寄りかかり、身体を反らせて大きく伸びをする。

 

「うう~ん」

 

 小さく(うめ)き声を上げていると、窓を外側からノックするようなくぐもった音が聞こえてきた。

 多分、ニュゥべえだろう。今日は彼女だけは当初の予定通り魔女退治に付き合い、魔女を調べに行ってもらったからいつもと違ってしばらく会って居なかった。

 しばらく会って居なかったと言うのも変な言い方だな。たった七時間程度の話なのに。

 この五日間は父さんと食事をする時を除いて、四六時中ずっと一緒に居たからそんな風に感じてしまうのかもしれない。

 椅子から立ち上がって窓の鍵を開けるべく、そちらに近付く。

 

「今日は随分と遅かっ……」

 

 窓の外に居る人物を見て、言葉が途切れた。

 そこに居たのはニュゥべえではなく、思い詰めたような顔をした暁美だった。

 ……ものすごく既視感(デジャヴ)を感じるのは僕の気のせいだろうか。

 嫌な予感がしたが、無視する訳にもいかず、鍵を解除をして窓を開いた。

 

「君は本当に玄関から入りたくないんだね。まあ、取り合えず、上がりなよ」

 

 相変わらず、僕の部屋の窓が入り口か何かだと勘違いしている愉快な友達を部屋の中に招き入れる。

 靴を外で脱いで窓の(さん)(また)いで、無言で部屋に上がるとそのまま僕のベッドに腰を掛けた。何かもう暁美の定位置とかしてきたな、そのベッド。

 少しだけ呆れながらも、深刻そうな彼女を表情をじっと見つめる。

 僅かだが目が赤くなり、目蓋(まぶた)も腫れている。明らかに涙を流した跡だった。

 

「何があったの?」

 

 僕がそう聞いても、暁美は何も答えない。

 俯いた彼女の顔は前髪のカーテンに遮断され、表情が隠された。

 何も言ってくれないのでは僕も手の出しようがない。

 少し話でもして誘導してみようかと考え始めた時、暁美はようやく言葉を発した。

 

「……隣に来てくれる?」

 

「隣? うん、いいよ」

 

 唐突なその一言に疑問を持ちつつも、彼女の隣に座った。

 そう言えば、まどかさんとも一緒にベッドに並んで座ったな。あれは彼女のベッドだったけれど。

 ひょっとしたら、あの時からまどかさんは僕の核心の一端を理解していたのかもしれない。

 

「政夫……今、まどかの事考えていたわね?」

 

 暁美は僕の方に向かずにそう言った。

 低く、どろりとしたよく分からない感情を含んだような粘性のある声だった。

 一瞬だけ言葉に詰まったが、ここで隠すのもおかしな話だと思ったのではっきりと答える。

 

「うん、ちょっとね。織莉子姉さんの一件で貸した制服を返してもらいに行った時も、まどかさんとこんな風に並んでベッドに座ったなって」

 

「……まどか(・・・)、さん?」

 

 静かにこちらを向いた暁美はまるで幻聴でも聞いたのように再度聞き返す。

 

「名前で呼ぶようになったのね」

 

 責められているようなその言い方に少しだけ、心を痛めつつ、僕は理解した。

 暁美がなぜ今日僕の家を訪ねてきたのかを。

 ――この子はまだ僕に異性としての好意を持ち続けている。

 あれだけ決定的に振った僕をまだ愛してくれているのだ。

 真っ直ぐで健気で、同時にとても哀れで悲しく映った。

 

「杏子さんやほむらさんのことだって名前で呼んでるだろう? ……それほど変なことじゃないよ」

 

「いいえ。杏子や私の時とは明らかに違う」

 

「どこがどう違うって言うのさ?」

 

 言いがかりにも近い暁美のその台詞に僕は少しだけムキになって尋ねる。

 すると、暁美は口の端を引いて小さく笑った。

 

「……呼び方に()められた意味が違うわ。まどかのだけ、特別な想いが籠められている」

 

 酷く悲しげで、自嘲気味な笑みに僕は言葉を失った。

 いや、答える意味がないから口を開かなかったと言う方が近いだろう。

 彼女の言葉は何一つ間違っていないのだから。

 

「何も言ってくれないのね」

 

「何か言う必要があるの?」

 

 言ったところで余計に暁美を傷付けるだけでしかない。

 そんな言葉に意味はない。肯定も否定も今の彼女にとっては心に突き刺さるナイフへと変わる。

 僕は黙って暁美の瞳から視線を逸らさずにじっと見つめた。僕にできることは彼女の言葉を真正面から受け止めることだけだ。

 

「政夫。貴方は本当に優しいわね。よく嘘を吐くくせに呆れるくらい誠実だわ」

 

 不意を突かれて、いきなり押し倒され、暁美は僕の腰辺りに馬乗りになる。彼女の制服のスカートが(すそ)が広がって、潰れたくらげのように見えた。

 両腕の手首を握られて、身動きを取らせないように押さえ付けられていた。

 

「殴りたいなら殴られてあげるし、死なない程度ならどんな暴力だって受けてあげてもいい。……でも、何で僕を押し倒したの?」

 

 暁美の気持ちを結果的に踏み(にじ)ってしまったことについては、謝罪のしようもない。彼女の気の済むまでサンドバッグになることも覚悟はしていた。

 だが、押し倒されることは(いささ)か予想外だった。

 

「そんな事はするつもりはないわ」

 

「じゃあ何を」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 暁美は顔を寄せ、僕の口を自分の口で(ふさ)いだ。

 彼女の唇の柔らかな感触が僕の唇と触れ合う。

 まどかさんの時とは違い、貪るような激しい口付けだった。

 それはまるでまどかさんとの口付けの記憶を塗りつぶそうとするかのようだった。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

 僕の口内に濡れたような感触の温かく柔らかいものが侵入して来た。

 それが暁美の舌だと気付いた瞬間、目を見開いて驚愕し、僕はもがくが彼女は僕の両手の手首を握ったまま離さない。

 暁美の舌を追い出さそうと、自分の舌を使って押し返すが、逆にそれがかえって舌を絡ませ合う結果になってしまう。

 お互いの唾液を交換するようなディープキスに脳のどこかが熱を上げて、気が狂いそうな気分に(おちい)る。

 呼吸も忘れて、お互いの舌が擦れ合う湿った音だけが耳に響いた。

 あまりにも脈絡のないキスは現実離れしているように感じられ、頭がぼんやりとしてくる。

 

『そんなの……政夫くんが好きだからに決まってるでしょ!』 

 

 そんな曖昧な意識の中で、まどかさんの告白が頭の中でリフレインした。

 はっと正気に返った僕は暁美の舌を噛み付いてでも止めさせようとして――彼女が涙を流していることに気が付いた。

 頬からこぼれたその雫はきっとまどかさんへの罪悪感なのだと僕は感じた。

 この行為がどれだけ罪深いことかは僕以上に分かってやっているのだろう。

 ならば、彼女の気が済むまでさせてあげればいい。

 僕は目を(つむ)り、暁美が満足するまで彼女の要求するがまま、与え続けた。

 

 ようやくお互いの唇が離れた時、僕の口内に恋しかった酸素が雪崩(なだ)れ込んで来る。

 僕と暁美の舌を結ぶ唾液の糸がつうーと伸びて、途切れた。同時に両腕の手首から暁美の手が離れ、拘束が解かれる。

 

「はぁ……随分とワイルドなキスだったね。最近の魔法少女の口付けって皆こうなの?」

 

 暁美が気に病まないように、あえて少しふざけた言い回しで笑う。

 しかし、彼女は沈んだ表情で俯くと、言った。

 

「怒らないの? 私は無理やり貴方を……」

 

「……怒れないよ。君をここまで依存させてしまったことは多分、僕のせいだから」

 

 ずっと一人でまどかさんを救うために生きてきた暁美。彼女は限界まで張り詰められた一本の糸のような人間だった。

 視野が狭かったのも、他人を拒絶していたのも、ひとえに自分の心を守るための防衛手段だった。

 言ってしまえば、『暁美ほむら』という人間はそうしなけらば戦えないほど、普通の弱い女の子でしかなかった。

 暁美がまどかさんに執着していたのは、依存させてくれる居場所がそこしかなかったからという悲しい理由だ。

 もしも、違うなら今僕に感情の矛先を向けているなどありえないだろう。

 

 そして、彼女のアイデンティティを壊してしまったのは間違いなく僕だ。

 『鹿目まどか』は暁美の中で「自分を理解してくれる依存先」と言う名の偶像だった。

 人間ではなく、ある種の記号のようなもの。個として死にはしても、存在としては決して消えない暁美が目指す目印のようなもの。

 だが、僕は『鹿目まどか』が、一人一人が「限りなく似ているだけの別人」であると言ってしまった。

 その瞬間、偶像としての『鹿目まどか』は壊れてしまった。

 なぜなら、彼女の憧れた『一番最初の世界の鹿目まどか』も彼女と友達になった『次の世界の鹿目まどか』もこの世界に居るまどかさんを助けたところで助けられないということなのだから。

 求める依存先がもう絶対に戻ってこないと理解した暁美は、あろうことか、その時に暁美の抱える秘密を共有した僕に依存先を変更した。

 

 これが今やっと分かった「暁美が僕にここまで執着してしまった理由」だ。

 暁美が求めていたのは、まどかさんでも僕でもない。

 ――都合の良い依存先なのだ。

 そして、これを暁美に伝えたところで意味がない。これ以上、依存先が潰れたら、それこそ彼女は絶望してしまう。

 言える訳がない。

 君は『鹿目まどか(ともだち)』を救うためではなく、依存先を取り戻すためだけに戦ってきただけだ、なんて。

 

「ほむらさんは……まだ僕のことが好きなの?」

 

「……ええ。貴方の事が諦め切れないほど好きよ。誰よりも……誰よりも政夫の事を愛している。まどかにも負けないくらいに」

 

 僕の頭の後ろに手を伸ばし、身体を密着させて抱きついてくる。

 暁美のその抱擁は、親に見捨てられないようにしがみ付く幼い子供のように見えた。

 この子は巴さんが比較にならないくらい、孤独に耐えられない人間だ。

 僕が半端に手を差し伸べてしまったがために、僕に依存してしまった。

 だったら、責任を取らなくてはいけない。

 

「なら、いいよ」

 

 言葉と共に暁美の背に優しく腕を回して、抱きしめる。

 

「君の恋人になってあげる」

 

 にこっと可能な限り楽しげに笑ってみせる。

 

「本、当……本当にまどかよりも私を選んでくれるの!?」

 

 不安そうな表情を浮かべる暁美に力強く鷹揚(おうよう)に頷いた。

 

「もちろん。大事にしてよね」

 

 頭の中でちらつくまどかさんの顔を振りきり、胸の中で輝いていた初恋を握り潰した。

 強く、強く、強く握り潰す。

 この想いが二度と顔を出さないよう念入りに。

 ――ごめんね。まどかさん。

 誰にも聞かれない心の底で謝罪した。

 ――僕はこの子を突き放すことなんてできない。

 ここで暁美を見捨てるような人間は、それこそ誰かを愛する資格なんてない。

 きっとこれで正しい。きっとこれでいい。

 

「ほむらさん」

 

「な、何?」

 

 少し涙混じりの声で暁美は僕に聞き返す。

 どうやらまた涙腺の防波堤が崩れそうなようだ。最初に会った頃の鉄面皮は影も形も残っていない。

 

「さっきのあれってまさかとは思うけど、ファーストキスだったりしないよね?」

 

「……私は貴方以外に唇を許した事はないわ」

 

 僅かにむっとしたように答える暁美。

 僕はそんな彼女に内心で頭を抱えた。

 あんな強引で乱雑なのが、女子中学生のファーストキスなんてあんまりだ……。

 いくら何でももっとソフトで歳相応の女の子らしいものにしてあげたかった。

 

「あれが最初なんて悲しすぎるよ……。もうファーストじゃなくて、セカンドだけど、改めてキスをし直そうよ」

 

 そう僕が言うと暁美は急にもじもじし始めて、忙しなく髪を弄り回す。

 

「その……いいの? キスしてもらって」

 

「いきなり押し倒して、舌まで入れてきた女とは思えない発言頂きましたー。……大丈夫か、君。主に頭とか脳とか精神とかが」

 

「あれは、その」

 

 言い訳を始める暁美の頬を両手で挟み込むように触れる。

 何をしようとしているのか察した暁美は恥らうように視線を逸らした後、両目を閉じた。

 僕は彼女の顔に自分の顔を近付け、優しくそっと口付けをした。

 あの貪るような悲しいキスが、罪悪感しか感じられない不快なキスが暁美の記憶から少しでも早く取り除けるように願いを込めて。

 せめて、この子が幸せになれますように、と。

 




はい。という訳で今回は皆様がアンケートで選んだほむらルートに入りました!
どうだったでしょう? ほむらルートに投票して下さった方々は楽しめましたでしょうか?


そして、政夫は結局、自分の幸せよりもほむらの幸せを優先してしまいました。
あそこで「知るかボケー!」と突き放せば自分の幸せを守れたでしょうに。まあ、それができないから政夫なんですけど。


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第九十八話 辛い笑顔

 日差しが目蓋(まぶた)の上から差し込み、眠っていた意識が強制的に覚醒を促される。

 朝日がいつになく眩しいと思って、薄目を開いてそちらを見ればカーテンが開かれていて、窓から直接光が侵入していた。

 何であんなに開いているんだと、中途半端な半覚醒の意識の僕にほんのりと甘い香りが鼻腔(びこう)に漂ってきた。

 それは黒い綺麗な髪を惜しげもなく放射線状に広げて、僕の隣ですやすや寝息を立てている整った顔立ちの女の子から漂ってくる香りだった。

 見滝原中指定の制服姿のまま、(しわ)が付くのもお構いなしで心地良さそうに夢の中に居るそいつを見て、僕は呆れの混じった笑みを浮かべる。異性と同じベッドで寝ているのにそういったことをまったく考慮していない。

 昨日までの強張った表情はどこへ行ったのか、歳相応の少女らしい寝顔だった。心なしか、嬉しそうな笑顔にも見える。

 昨日の夜に僕の部屋に襲来してきた暁美は家に帰らずに僕の部屋に泊まり、あろう僕のベッドで一夜を過ごした。

 いや、別に変なことは一切していない。誓ってもいい。……ディープキス以上のことは何も。

 暁美の告白を受け入れてから、以前の彼女からは想像もつかないほど甘えられ、仕方なく添い寝をしただけだ。そう、仕方なく!

 (やま)しいことは何一つなく、ただ横で眠っていただけに過ぎない。始終抱きついて、というかしがみ付いてきて、少しばかり意識してしまい、あまり眠れなかったが、それは些細なことだろう。

 ……些細なことだと思う。多分。

 それにしても、暁美は眠っている時は本当に素直な顔をしている。

 

「…………」

 

 何となく頬を軽く指先で突付いてみた。

 

「う、ううん……」

 

 口元から小さな寝言を漏らしただけで、起きる気配はまったくない。思った以上に柔らかな感触に僕の方がびっくりしたくらいだ。

 明らかに男性の肌とは別の素材でできているとしか思えない張りのある肌に、人間の神秘を感じつつ、今度はおふざけなしで暁美を起こす。

 

「ほむらちゃーん。朝ですよー。起きなきゃ駄目ですよー」

 

 肩を掴んで揺すっていると、ゆっくりとした動作で両目が開き――――何事もなかったかのようにまた閉まった。

 

「何で二度寝しようとするんだよ! 今、目開けてただろう! 起きろ、とっとこホム太郎! ひまわりの種を食べさてあげるから!」

 

 さっきよりも強く揺すると、ようやく目が覚めたようでパチクリと盛大に瞬きをして僕の顔を見つめる。

 次第に表情が驚愕に彩られていき、震える口元から言葉を吐き出した。

 

「……ゆ、夢じゃなかったの……? え、じゃあ昨日の……」

 

「君の激しいファーストキスも夢ではございません。現実です。あれも現実」

 

 冷めた目で淡々と答えてあげると、頬へ急激に赤みが差して暁美は掛け布団を頭から被り、僕の視線から逃れようとする。

 昨日の暁美のテンションは色々とおかしかったから、勢いでやってしまったことに対してようやく冷静になり、羞恥心が()いてきたといったところだろう。

 正直、あそこまではっちゃけてしまったら、今更どうあがいたところで変わりないと思うが。

 

「あ、あれは……その一時の気の迷いよ! あれは普段の私ではなかったわ!」

 

「え? じゃあ、昨日の告白も気の」

 

「そこは本心からの言葉よ!!」

 

 再び、布団の中から顔だけ浮上させ、激しく言った。何なんだ、この子は。

 苦笑いをしながら、目覚まし時計を見るとまだ五時半だった。どおりでアラームも鳴り響かなかった訳だ。

 

「もう朝なんだし、ほむらさん家に帰った方がよくない? いくら何でも家から登校するつもりじゃないだろう?」

 

「そうね。シャワーも浴びてないままだから家に帰った方がいいかもしれないわ」

 

 制服を着たままだから多分そうだとは思ったが、十四歳の少女が入浴もせず、男の家に一晩泊まるのはいかかがなものだろうか。幸い、彼女の両親はまだ東京に居て、暁美は一人暮らし状態なので、親御さんは心配していないと思うが道徳的によくない。

 

「というか、ほむらさん。お風呂まだだったんだ……女の子なのに汚いなー」

 

 ちょっとからかいを混ぜて、笑って言うと、暁美は憤慨したような目で睨む。

 

「そこまで汚くないわよ。汗もほとんど()いてないし。何なら()いでもらってもいいわ」

 

「いや、それはちょっと遠慮します……」

 

 僕が少し身を引くと、さっきまでの恥じらいはどこかにやったのか暁美は掛け布団を離して、僕に詰め寄ってくる。

 

「変な臭いなんてしないわ」

 

「そういう問題じゃなくてね……」

 

 男が女の子の身体を嗅ぐなんて色々と倫理的にまずいだろう。なぜそれが分からない。僕に変態のレッテルを貼るつもりなのか!?

 じりじりと距離を詰めようとしてくる暁美から離れるために、後退(あとずさ)りしているとベッドの縁からずり落ちて頭をしこたま床に打ちつける。

 

「っつぅ……」

 

「だ、大丈夫? ごめんなさい、そこまで嫌がるとは思ってなかったわ……」

 

 頭を押さえて(うずくま)る僕に申し訳なさそうに謝る暁美。

 別に嫌がるという訳ではなく、女の子の匂いを嗅ぐという行為が変態的だったから拒絶したのだが、それを説明するのは恥ずかしかったので止めた。

 代わりに暁美に気にしないでと言って、軽く笑いかけた。

 僕が彼女の告白を受け入れたことで暁美は前にも増して自分を取り繕わなくなった。あの他人を寄せ付けない雰囲気を纏っていた少女はもうここには居ない。

 居るのは、寂しがり屋で不器用で、そして甘えるのが下手な可愛い女の子だ。

 

「そうだ。ほむらさん、家に帰ったらしてきてほしいことがあるんだけど」

 

「してきてほしいこと?」

 

「うん」

 

 暁美にそのことを話すと、彼女は少し照れながらも了承してくれた。

 きっと僕の真意を勘違いしてくれているだろう。それでいい。

 まどかさんと暁美の間に亀裂が入らないようにするには、暁美に落ち度がなかったことを証明しなくてはいけない。

 僕が嫌われることになろうとも、暁美が友達をなくすよりは百倍マシだ。

 それにしても、ニュゥべえは帰って来なかったな。いざとなれば、基本的に何でもできる彼女のことだ。心配はいらないと思うがどこで何をしているのかは気になるところだ。

 

 

 

 

 着替えて父さんと共に食事を取り、歯を磨いて、いつもの待ち合わせの場所に歩いて行く。……暁美と手を繋ぎながら。

 僕の家に今度はちゃんと玄関から訪ねて来てくれた暁美と一緒に待ち合わせの場所に着くと、先に来ていたまどかさん、志筑さん、美樹の三名がこちらを一斉に向く。

 美樹が僕の隣に居る暁美を見て、怪訝そうに顔を歪めた。

 

「おはよう、政…………えっと、その子(・・・)、誰?」

 

「私よ。さやか」

 

「……え? その声って、まさか……ほむらぁ!?」

 

 暁美は平然と何事もないかのように語るが、美樹は目を限界まで見開いて驚く。

 無理もない。暁美はいつものストレートヘアを三つ編みにしており、眼鏡まで付けている。加えて、表情もいつもよりも明るく柔和だ。

 僕だって一度見たから暁美だと分かるが、初めて見る人には別人のように映るだろう。

 

「本当に、ほむらちゃんなの?」

 

「……ええ。おはよう、まどか」

 

 負い目があるせいか、暁美はまどかさんからそっと目を逸らした。

 結果的にまどかさんから僕を取ってしまったことに深い罪悪感を感じているようだった。

 僕は暁美の手をぎゅっと握る。

 僕の方に顔を向けた彼女を安心させるように微笑んだ。

 ――大丈夫。仲違いなんてさせないから。

 声には出さなかったが、心の底でそう囁く。

 

「それよりも、政夫さんはどうしてほむらさんと手を繋いで仲良く来たんですか?」

 

 こころなしか、志筑さんは棘のある言い方で言った。暁美の変貌を驚いていないところから見て、この前のデートに手を貸していたのは彼女で間違いないようだ。

 それなら、ここまで志筑さんが暁美贔屓(びいき)なのも頷ける。きっと彼女は僕よりも早く暁美の恋心に気付いて協力していたのだろう。

 だから、あれだけ手酷く暁美を振った僕が、こうやってまた暁美と仲良さそうにしているのがあまりにも身勝手に見えてしまうようだった。

 

「それはもちろん、ほむらさんと付き合い始めたからだよ」

 

 (にご)すことなく、はっきりと正面から今居る三人に伝えた。

 三人とも程度の差はあるが、皆驚いた顔を浮かべた。

 

「ほ、本気で言ってるの? 何で?」

 

 美樹が震える声で僕に尋ねる。まどかさんを横目で一瞥してから、再度僕の顔を見る美樹は言外に「何でまどかじゃないの?」と言っているように思えた。

 それに僕はやや軽薄にも見えるように頬を緩ませて、暁美を引き寄せて言った。

 

「ほら前にも話したよね。僕の理想のタイプの女の子って、三つ編みで眼鏡の似合う女の子だってこと。今のほむらさんの見た目がまさにそれ! 前にデートした時に一度見たんだけど、この格好のほむらさんが本当に僕好みで可愛くてさぁ、それを思い出して、この前は断っちゃったけどやっぱり付き合ってもらえないかってお願いしたんだ」

 

 まずは交際を申し込んだのが、暁美ではなく僕の方からということにする。

 理由としては少し弱いかもしれないが、満更嘘と言う訳でもないし、前から皆知っていた理由ならある程度は道理が通っている。

 もっとも、こんな理由で女の子を振ったり、寄りを戻したりする男は最低だが。

 そして、デートのことを知っているだろう志筑さんなら、ここまで言えば確実に『デートの件』について僕を声高に糾弾するはずだ。

 

「最低ですね、政夫さん。前にほむらさんを(そで)にしておきながら、デートの時の格好が可愛かったから、やっぱり付き合おうだなんてあんまりです! ……こんな事になるならあの時にほむらさんにその格好を勧めなければよかったです」

 

 予想通りにその話をしてくれる志筑さんに内心で感謝しつつ、僕は黙って口を(つぐ)んでいる。

 僕が直接何かを話すより、第三者から最低な烙印を押してもらった方が『暁美は悪くなかった』という雰囲気を作りやすい。

 後は志筑さんに暁美を擁護するようにさせつつ、全ての泥を僕が被れば、まどかさんと暁美の友情に(ひび)は入らないだろう。

 

「政夫さんがそんな軽薄な殿方だったとは思いませんでした。私、あなたを心底軽蔑致します!」

 

「仕方ないだろう。見た目が好みなら飛びつくのが男だよ。美樹さんはどう思う?」

 

 蔑みの目を受け止めながら、美樹にも話を振る。

 美樹の想い人だった上条君も暁美に一目惚れしていたことを考慮すれば、恐らく美樹は僕の意見に肯定し、そして性格上志筑さんに同調して僕を責めるはず。

 

「政夫……ほんとにそんな理由でまどかよりもほむらを選んだの?」

 

 しかし、美樹は怒りではなく、真面目な表情で僕に尋ねてきた。

 意外な反応に思えたが、彼女も彼女できっと成長しているのだ。いつまでも周囲に考えなしに義憤を振りかざしがち美樹は、冷静に物事を見つめられるようになっていた。

 嬉しい反面、少しだけやりづらさを感じた。

 

「そうだよ」

 

「嘘だよ。私には……ううん、私でも(・・)分かる。アンタはそんな事で女の子を選ぶような奴じゃない」

 

「何でそう言い切れるの?」

 

 そう切り返すと、美樹は僅かに押し黙り、答えた。

 

「政夫は見た目とかじゃなく、ちゃんと中身を見てくれる奴だから。私はそれを知ってる」

 

 断言するような物言いに僕は美樹への尊敬と、込み上げてくる嬉しさを感じた。

 出会った時よりも、ずっと強く、賢く、しなやかに成長した美樹がとても美しく見える。

 

「だったら、僕が意外と頑固だってことも知ってるよね。例え君の言ってることが正解だったとしても、僕がほむらさんを選んだ事実は変わらない」

 

 それに敬意を表して、嘘ではない正直な言葉で美樹にそう返した。

 すると、美樹は諦めたような寂しげな顔でまどかさんに目を向ける。

 それは自分ではどうしようもないから、まどかさんに後を任せるような視線だった。 

 

「……政夫くんは、ほむらちゃんの事が好きなの?」

 

 今まで何も言わずにじっと黙っていたまどかさんが、美樹の無言のバトンに応えるかのように口を開いた。

 他意のない、純粋に僕の本心を聞いてくるような声。千の罵倒よりも僕の心を抉ってくる。

 その声を受けて、たじろがずに真正面から、言葉を返した。

 

「好きだよ。傍に居て、支えてあげたいと心から思ってる」

 

「そっか……。なら仕方ないね」

 

 何かを堪えるように下を向き、すぐに顔を上げたまどかさんは笑顔を浮かべた。

 まどかさんは僕ではなく、暁美に視線を移す。

 

「ほむらちゃん!」

 

「……何かしら?」

 

 暁美はその真っ直ぐな視線から逃げそうなるのを耐えて、まどかさんの目を見返す。

 

「政夫くんをよろしくね」

 

 見えない手が暁美の顔を下げされるように俯きそうになる暁美は搾り出すような声音で答えた。

 

「……ええ。任せて」

 

 そのやり取りの後、僕らは肩を並べて見滝原中学校に登校した。

 まどかさんの笑顔が酷く痛々しく見えて、僕はその間、何度も彼女から目を逸らしてしまいそうになった。

 本当にこれでよかったのかと、頭のどこかで問いかける自分を無視して、僕も笑顔を浮かべる。

 こんなにも辛い思いをする笑顔は久しぶりだった。

 




今回は大きな転機はありませんでした。あるとすれば次回です。
まどかの役目は辛いですね……。作品タイトルだというのにこの扱いは酷いです!

次回は早めに更新できる気がします。


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第九十九話 姉の怒り

 いつも通りに真面目に授業に取り組み、昼休みにいつものメンバーが集まる屋上へと足を運ぶ。

 ただ、志筑さんだけは「今日は体調が優れないので」と言って着いて来なかった。間違いなく、これ以上僕と顔を会わせていたくないからだと思ったが、気持ちは理解できるので止めはしなかった。

 先に屋上に居た巴さんの横にニュゥべえの姿を認め、少し安心した。どうやら、昨日は巴さんの家に泊まったらしい。

 僕は巴さんが作ってきてくれたお弁当をありがたく頂いて、それに舌鼓(したづつみ)を打っていると、三年生組みが何かに気になっているらしく、代表して織莉子姉さんが僕に話しかけてきた。

 

「ねえ、まー君。その三つ編みの子は……ひょっとして?」

 

 隣でアンパンを小さな口でちょこちょこと(かじ)っている暁美を見て、織莉子姉さんは眉を(ひそ)めた。

 確かに織莉子姉さんたちには説明していなかったから戸惑うだろう。同じクラスの杏子さんには既に話したのでこの説明は三度目になる。

 

「ああ、ほむらさんです」

 

「……え!? この大人しそうな子が!?」

 

 織莉子姉さんではなく、巴さんが驚きの声を上げた。

 その反応は大変理解できるが、(いささ)か聞き飽きた反応だった。

 苦笑いをしていると、織莉子姉さんは目敏く何かに気付いたかのように、さらなる質問を投げかけてくる。

 

「そう。それじゃあ、何故、暁美さんはそんなにもまー君に身体を密着させているのかしら……?」

 

 流石は織莉子姉さんというところか。色恋沙汰には男性よりも女性の方が聡いようだ。

 そこまでべらべらと話すようなことではないけど誤魔化す理由もないので、他の皆にも話しておく。

 

「付き合い始めたんですよ、僕ら。ねえ、ほむらさん?」

 

「ええ。ちょうど昨日の夜からね……」

 

 少しだけ照れたように暁美はそう言うと僕を見る。こういうところは本当に可愛いのだが……。

 しかし、暁美と逆に織莉子姉さんの目は冷たく細まった。

 

「……暁美さんと? 鹿目(・・)さんではなくて?」

 

 傍に居るまどかさんにも聞かせるようにあえて強調するような言い方で僕を見つめる。

 困ったように眉根を寄せるまどかさんが、織莉子姉さんに声を上げる。

 

「美国さん……それは」

 

「鹿目さんは少し黙っていてちょうだい。ねえ。まー君、どうして暁美さんを選んだのか教えてくれないかしら?」

 

 織莉子姉さんはそれの声には耳を貸さずにただ僕の目を凝視して、静かな口調で問いかけてくる。

 声には硬質で凍えるような響きを持っていた。細められた目以外が笑っているのが恐ろしい。

 この人は僕のことを弟のように可愛がってくれたから、今なお過保護な視点で僕を見ている節がある。まったく嬉しくないと言えば嘘になるが、もう僕はあの時ほど幼くはない。

 隣で不安そうな眼差しを送る恋人のためにもここはびしっと言ってあげるべきだな。

 故に僕ははっきりと織莉子姉さんに向かって告げた。

 

「主に『情が湧いた』からですね! 基本的にそれ以外の理由はありません!」

 

 屋上の緊迫しかけていた空気が一瞬にして霧散する。

 隣に座っている暁美や、目の前に立っている織莉子姉さんはもちろん、それ以外の周りのまどかさんたちまで硬直した。

 

「…………それはつまり、一緒に居たから愛着が生まれただけという事……?」

 

 硬直から一番早く復活した織莉子姉さんの言葉に頷いた。

 

「まあ、身も(ふた)もない言い方をすればそうなりますね」

 

「いや、政夫の方が遥かに身も蓋もなかったと思うよ」

 

 僕の膝の上に居たニュゥべえが突っ込みを入れる。

 確かにそうかもしれないが……実際にそれしかないのだから仕方ない。

 ぶっちゃけしまえば、ここまで一緒に居る時間が長くなければ、付き合ってない。

 基本的には、僕は見た目よりも中身を重視する人間だし、何より性格的な部分はむしろ嫌いなタイプですらある。

 

「でも、一緒に居ることに慣れると、これがまた不思議と可愛く思えてくるんですよ」

 

 雷にでも打たれたような顔をして未だに固まっている暁美の頭を撫でる。

 仕方ないだろう。これが僕の本心からの言葉なんだから。今更、暁美を見捨ててまどかさんを選ぶには、ちょっとばかり暁美に肩入れし過ぎていた。

 すぐにハッとなった彼女は恨みがましい瞳で睨むが、気にせず笑顔で頭を撫で続けた。

 歪んでいるところも、弱いところもまとめて、愛してあげたいと本気で思っている。暁美の語る『愛』が依存や執着ではなく、本物の『愛』に変わるまで僕は傍で支えてあげたいのだ。

 

「……まー君の言い分は分かったわ。暁美さん、今日は放課後に貴女と二人きりで話がしたいのだけれど……いいかしら?」

 

 織莉子姉さんは暁美へと話し相手を代えた。

 それに暁美は応じて、頷く。

 

「構わないわ」

 

 この二人は色々因縁めいたものがあったが、それなりにうまくやっているように見えた。

 個人的には二人とも、思い詰めて何でも一人でやってしまおうとするところがよく似ていると思う。

 いつの間にか、膝の上のニュゥべえが丸くなって眠っていた。

 帰って来なかったあたり、夜遅くまで魔女について詳しく観察と調査をしていてくれたのかもしれない。

 僕はニュゥべえを労い、そっと優しく撫でた。

 

 

 

~ほむら視点~

 

 

 

 放課後になり、政夫やまどかたちとも一旦別れ、私は美国織莉子と共に人気のない橋の下の川原へと足を運んでいた。

 ここはかつて、私が魔法少女になった二回目の時間軸の時に魔女と戦うためにまどかやマミに魔法を見てもらっていた場所だ。あの頃の私は銃器や爆弾ではなく、ゴルフクラブに魔力を付与して振り回していたのをよく覚えている。

 今から見かえせば、なんて滑稽な絵面だったのだろう。あの頃の象徴だった眼鏡や三つ編みを再び付けている自分がふとおかしく思えて、口元が(ほころ)んだ。

 

「それで美国織莉子。貴女は私とどんな話をしたいの?」

 

 共にこの川原までやってきた美国織莉子はここに来るまで一言も口を開く事はなく、沈黙を貫いたままだった。

 

「……ねえ、暁美さん。まー君と別れてもらえないかしら?」

 

「嫌よ」

 

 想定していた台詞が来たので、当然の事のように一蹴する。

 文字通り、話にならない。論ずるまでもなく、そんな事が()める訳がない。

 

「馬鹿にしないでもらえる。私は伊達や酔狂で政夫と付き合っている訳じゃないわ」

 

「ええ。そうでしょうね。貴女の大切なお友達から無理やり奪ってまで手に入れたのだから、そう簡単に諦めてくれるはずもないわね」

 

 嫌味たらしく、そう(あげつら)う彼女の瞳は私への軽蔑で溢れていた。

 自覚はあったとは言え、真正面から指摘され、言葉に詰まった。

 言い訳するつもりはないけれど、それでも私には政夫が必要だった……。

 何も言い返さない私に美国織莉子はさらに言う。

 

「暁美さん。まー君は優しいから貴方を選んだけれど、貴女はまー君に何をしてあげられるの?」

 

「それは……」

 

「まー君の事を何一つ理解できていなかった癖に、何でまー君を一番理解していた鹿目さんをあの子から引き離したの? 分からないなら言ってあげる。貴女は自分の事しか考えていない。まー君の隣に居る資格なんてないわ」

 

「違う!! 違うわ……私は、私は政夫の事を愛してるわ」

 

 それだけは何があっても確かだ。私は誰よりも政夫の事を愛している。

 何があっても、彼だけの事を考えている。

 けれど、美国織莉子は冷めた表情で首を横に振った。

 

「いいえ。貴女はまー君の優しさに甘えているだけ。本当にまー君を愛しているのなら、まー君と鹿目さんの間に割って入ろうとなんてしないわ。――貴女はあの子の幸せを吸い取る寄生虫よ!」

 

「貴女にそこまで言われる(いわ)れはないわ! 政夫は貴女の弟じゃない!」

 

 寄生虫とまで言われ、あまりにも頭に血が上った私は髪を振り乱して、彼女に詰め寄り、反論した。

 そう……。そうだ。美国織莉子は所詮、政夫とは『他人』なのだ。ここまで深入りしてくるほどの存在ではない。

 まどかが言うならまだしも、この女に遠慮する理由などない。

 自分の言った言葉が私を勇気付ける。

 何故なら、美国織莉子は部外者なのだから。

 くすりと笑みすら漏れ出てきた。

 

「関係のないのない貴女は引っ込んでいなさい。これは私と政夫だけの問題よ。無関係な部外者が口を出さないで」

 

 美国織莉子は私の言葉に悔しげに歯を噛み締める。

 良い気味だ。自分の立場を思い知ればいい。

 一度燃え上がった敵意が(おさ)まりが付かず、珍しく私の口が回る。美国織莉子にさらに(とど)めの一言を浴びせた。

 

「いつまでもお姉さん気分でいるのは止めた方がいいわ。……政夫にも愛想を尽かされるわよ?」

 

「……私には今までに心から後悔した事が三つあるわ」

 

 急に美国織莉子は話を変えて、語り出した。

 私ではなく、自分の手のひらに目を落として、遠くを見るような目をしている。

 

「一つは、まー君に私の価値観での『正しい生き方』を押し付けてしまった事。このせいであの子は自分のために生きる事ができなくなってしまった……」

 

 寂しげな彼女の声には、罪悪感と後悔が感じられた。

 政夫について、ここまで私に噛み付いてくるのは自分の責任だという事も関係しているのだろう。

 

「二つ目は、お父様の自殺を止められなかった事。私はお父様の本質をまるで知らなかった。知っていれば自殺を止められたかもしれない……」

 

 そう言えば、少なくてもこの時間軸の美国織莉子が魔法少女になったのはそれが原因だった。一緒にお茶会も兼ねて話した時に聞いたのを思い出す。

 もしかしたら、その時の自分を私と重ねているのかもしれない。

 

「そして最後は……」

 

 美国織莉子の指に(はま)っている指輪がソウルジェムに変化する。

 独白のような彼女の話に耳を傾けていた私は、とっさに動けずに嫌な予想を脳裏に浮かべる事しかできなかった。

 

「――貴女をあの時に殺しておかなかった事よ」

 

 純白の修道女のような格好の衣装に身を包んだ美国織莉子が殺意を向けて立っていた。

 私も急いで魔法少女の姿になるが、その隙を彼女が生み出した数十個の水晶球が私を拘束するように纏わり付く。

 

「くっ……」

 

 身体にめり込むほどの力で押し付いてくる水晶球のせいで腕に付いた楯から取り出そうとしていた拳銃を手放してしまった。

 砂利の上に落ちた拳銃は小さな音を立てて、空しく転がる。身体に水晶球が密着して押し付けられているので、時を止めて逃げる事もままならない。

 それに目もくれず、美国織莉子は拘束する水晶球を私ごと動かして、無理やり私を浮かせる。 

 そして川原から、深い川の中央側へと私を移動させる。

 

「まさか……」

 

 最悪の想像をした私を凍てつくような視線で一瞥した美国織莉子は吐き捨てるように言った。

 

「暁美さん。私はまー君を不幸にする貴女の事が前から大嫌いだったわ」

 

 がくんと下に引っ張られるような強い力を感じ、抵抗らしい抵抗もできず、水中に吸い込まれる。

 人気のない川原に最初から呼び出した時から、こうするつもりだったのね……。

 鼻や喉から呼吸気管に入り込んでくる水の冷たさと、酸素が吸えない苦しさが同時に襲い掛かってきた。

 水底に落ちていく自分を感じながら、身体を(よじ)るが張り付いている水晶球はその拘束を弱めるどころか、ますます身体を押し潰そうとするかのように力を強めてくる。

 残っていた空気さえ、吐き出させる水晶球に美国織莉子の執念を感じた。

 けれど、こんな状況になってまでも、私は政夫に恋した事を後悔していなかった。

 ただ、こんなところで死にたくはない。彼と一緒に生きていたい。

 かつての私とは、まったく違う想いが私を動かしていた。

 政夫……、私はまだ貴方の傍に居たい……。

 この想いだけでは冷たい川底の水の中でも、決して温もりを失う事はなかった。

 




ほむらはどうなってしまうんでしょうね。本当にほむらルートは波乱万丈です。
ワルプルギスの夜まであと五日だというのに、空中分解寸前です。


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第百話 白と黒のアンサンブル

「心配だなぁ……」

 

 織莉子姉さんと暁美が二人で学校からどこかに出かけた後に、僕は帰り道でぽつりと独り言を吐き出してしまった。

 似たもの同士というか、二人とも自分の価値観で平然と倫理や道徳を金繰(まなぐ)り捨てる帰来(きらい)があるから物騒なことにならないか不安で仕方がない。

 とは言え、僕が同伴しては二人だけで話をする意味がなくなってしまう。お互いに腹を割って話がしたい時には僕が首を突っ込むべきではない。

 

『ほむらが心配なのかい? それとも織莉子の方?』

 

 僕の頭の上に乗ったニュゥべえが気を遣って、テレパシーで脳に語りかけてくれる。他人には視認できないようにしているニュゥべえに平然と話していたら、頭のおかしな人に見えてしまうので、こういった配慮は大変ありがたかった。

 ちなみにいつもは一緒に帰っているまどかさんは美樹や志筑さんと久しぶりに寄り道して下校しているらしい。

 志筑さんが僕に幻滅したようで、さりげなく僕だけ拒絶されてしまったのだが、まだ少し気まずさがあったので逆にありがたかった。

 僕も声に出さずに答える。

 

『どっちもかな。どちらも僕にとって大切な人だからね』

 

『……それじゃあ、もし二人が争いを始めたら政夫はどっちの味方をするの?』

 

 急にそんなことを聞いてくるニュゥべえに僕は嫌な予感を感じながらも迷わず答えた。

 

『ほむらさんだよ。もちろん、最終的には和解させたいけど恋人と恩人なら、僕は恋人の味方をする』

 

 そうでなければ、いくら何でも暁美があまりにも可哀想だ。これから、たとえどんなことが起きたとしても僕は彼女の味方で在り続けてあげたい。

 それが暁美を選んだ僕の彼氏としての義務だと思う。

 

『なら、やっぱり急いだ方がいいかもしれない』

 

『どういうこと……?』

 

『今、ここから少し離れた川の方で二人とも魔法少女に変身した』

 

「なっ! どういうこと!?」

 

 思わず、直接に声が出てしまった。

 道行く人たちが怪訝そうな顔で僕に視線を向けたが、そんな些細なことはどうでもよかった。

 

『正確な理由は分からないけど……政夫にもだいたいの検討は付くんじゃないかな?』

 

 ああ、嫌と言うほど心当たりはある。十中八九、僕との交際についての件のことに決まっている。

 舌打ちをすると、僕はニュゥべえに詳しい場所を問おうとした。

 しかし、後ろから唐突に大きな声で名前を呼ばれた。

 

「政夫!」

 

 振り向くと十メートルほど後ろに呉先輩が居た。

 

「呉先輩……。巴さんと一緒に帰ったんじゃ……」

 

 確か、呉先輩は巴さんと杏子さんに連れられて、すぐに魔女退治に行けるように帰ったはずだった。

 こちらに走って飛びつくように僕の元へ来ると、いつもとは違い、少しバツが悪そうな表情を浮かべた。

 

「政夫。暁美ほむらの事を本当に愛している? あいつがこの世界で一番大切?」

 

 ()くし立てるような早口の物言いに面食らったが、僕は申し訳ない思いをしながら謝った。

 

「すみません。今、そんなことを悠長に話していられる余裕が」

 

「今、織莉子が暁美ほむらを殺そうとしているんだろう? 私にも分かるよ」

 

 切羽詰って、呉先輩の問いをおざなりにして、暁美の元へ急ごうとしていた僕はその言葉で思考を止める。

 どういうことだ。呉先輩も知っていたということは織莉子姉さんとグルで暁美を害そうとしているのか。

 けれど、呉先輩の表情には今まで見たことのないような必死な色があった。

 

「答えてくれ、政夫! 暁美ほむらを愛しているのかを!?」

 

 理由は分からない。だが、どうしようもなく、呉先輩がその答えを必要としているのだけは分かった。

 だから、僕は彼女に恥ずかしげもなく告げた。

 

「はい。僕はほむらさんを愛してます。少なくても誰よりもほむらさんを大切にするつもりです!」

 

 偽りのない真摯な意思を込めて、そう答えた。それは欺瞞ではなく、心からそうでありたいと願いでもあった。

 

「……そっか」

 

 泣きそうな笑みを浮かべて、一度俯いた後、再び呉先輩は僕を見上げた。

 切なさや悲しげな色彩は表情から取り除かれ、口元を引き締めた真面目な顔が僕に向く。

 

「政夫。私も連れて行って。――織莉子たちのところへ」

 

 

 

 

 僕と呉先輩はニュゥべえのナビゲートにより、目的地の川原へと走って移動していた。

 

「私も他の奴らも、政夫がまどかとくっ付くなら、それはそれでいいって思っていたんだ。政夫の事を一番理解しているのはまどかだったからね」

 

 走りながら呉先輩は前を向いたまま、隣に居る僕に話し始めた。

 

「織莉子に(いた)っては喜んでさえいたよ。『これでまー君は自分の幸せを手に入れられる』ってね」

 

 それを聞いて、複雑な思いが胸中に広がった。

 織莉子姉さんはそこまで僕の幸せを案じていたのか。

 気付けなかった。いや、気付こうとさえしなかった。

 僕が周りの人のために身を削ることで、傷付く人のことなど頭の片隅にも考えていなかった。

 僕は僕が思っている以上に、周囲の人に愛されていた。自分のことはいくらでも粗末に扱っていいなんて思っていた僕はとんだ思い上がりだ。

 自分の至らなさに悔しさが込み上げてきて、唇を噛み締める。

 

「だから、分かったよ。織莉子は、政夫の幸せの邪魔をした暁美ほむらを絶対に許さない。今日、暁美ほむらを呼び出したのは殺すためだって事に私は気付いた」

 

 気付いたけれど、僕や他の誰かに伝えなかったのは呉先輩も暁美の事を憎んでいたからだろう。

 元々、暁美と仲が悪かった呉先輩はむしろ、喜んで織莉子姉さんに加担してもおかしくない。

 ――でも。

 

「呉先輩はこうやって僕にそれを伝えに来てくれたんですよね。黙ってれば責任なんて問われないのにも関わらずに」

 

 横顔に自嘲するような笑みを浮かべて、呉先輩は僕の顔を見た。

 

「本当に政夫の事を愛しているなら、そんな方法はしてはいけないって思ったんだ……。たとえ、どんなに暁美ほむらが憎くても、政夫が悲しむような事はしたくない。さやかに前に言われた言葉を思い出したよ。『アンタは政夫の気持ちを全然考えてない』って言葉を」

 

「美樹さんがそんなことを……」

 

 多分、前に美樹が呉先輩と戦った時に言った台詞だろう。

 あの時は美樹が一人で呉先輩を足止めすると言ったのは、そのことを伝えるためでもあったのかもしれない。

 本当に知らないだけで、僕は『友達』に支えられていたのだと思い知らされる。

 

「だからさ、私は政夫が悲しむような結末は絶対にさせない。そのためなら、大嫌いな暁美ほむらでも生かすよ」

 

 その台詞を僕は聞きながら、人に愛されることがどれほど嬉しいことかを改めて理解した。

 「ありがとうございます」と呉先輩に言うと、彼女は笑顔で返した。

 「どういたしまして」と。

 そうして、僕らは暁美と織莉子姉さんが居るという川原へと辿り着いた。

 大きな橋があるせいでほとんど人目に付きにくいその場所は、工事でもしていた名残か、ドラム缶がいくつも放置されてあり、余計に退廃的に映った。

 

「あそこだよ。政夫」

 

 ニュゥべえが僕の肩から降りて、先導するように土手を駆け下りる。

 僕らはその後ろを走って着いて行くと、白い修道服にも似た衣装と縦長の円筒のような帽子を被った織莉子姉さんの姿が見えた。

 

「……まー君。来てしまったのね」

 

「織莉子姉さん。――ほむらさんはどこ?」

 

 織莉子姉さんを視界に入れたまま、暁美を探して見渡すがどこにも姿が見当たらない。

 それが心の中にあった不安を盛大に煽る。

 

「政夫! ほむらのソウルジェムの反応は川の中だ!」

 

 ニュゥべえの声に僕は川を見る。

 水上にはもがく暁美の姿はおろか、気泡すら浮かんでいなかった。

 脳内で最悪の映像がいくつも流れ出しそうになるのを堪えて、川の中へと飛び込もうと走り出す。

 

「止めなさい。まー君!!」

 

 僕の行く手を遮るように、水晶球が四つほど目の前に飛来してきた。

 いきなり飛んできたそれを見て、反射的に動きを止めて硬直してしまう。

 水晶球は僕を囲うように円を描くと、ぐるぐると高速で回り始めた。

 瞬時に理解した。これは僕が川の中へ入らないようにするための輪だ。無理にこの輪から逃れようとすれば死なないまでも骨が砕けるだろう。

 

「邪魔をしないでください!」

 

 振り返って後ろに立っている織莉子姉さんをキッと睨みつけるが、織莉子姉さんはどこ吹く風のようにまるで意に介した様子もない。

 ただ、僕を平然と冷えた眼差しで見つめ返すだけだった。

 

「彼女は貴方を不幸にするだけよ」

 

「だから、殺すと!? ふざけるのも大概にしろ!!」

 

 怒鳴り声をあげるが、織莉子姉さんはまるで聞き分けない幼い子供見るような目を向けただけで悲しそうな表情をするばかりだ。

 

「まー君……。私は誰よりも貴方の幸せを願っているのに、分かってくれないのね……」

 

「――分かってないのは織莉子の方なんじゃないのかい?」

 

 僕の行く手を遮る、輪のように回り続ける水晶球の一つが砕けて散った。

 驚いて織莉子姉さんから目を離すと、傍にはいつの間にか呉先輩が燕尾服に似た魔法少女の衣装を纏っていた。

 眼帯の着いていない方の目で僕にウインクをすると、続けて他の水晶球をその両手首に付けた紺色のカギ爪で叩き割っていく。

 あまりにも、あっさりと簡単に僕を行動を阻んでいた拘束は破壊された。

 

「政夫。行きなよ、愛する人を救いにさ」

 

「呉先輩……。ありがとうございます」

 

 僕は呉先輩の横を通り抜け、川の中に飛び込む。ニュゥべえも僕に続くようにして水中へと入っていった。

 織莉子姉さんのことは呉先輩に任せて、僕は僅かに濁った川の水の中を泳ぎながら川底を見回す。

 白っぽくぼやけた視界は酷く見辛く、暁美を捕捉できない。

 焦りが暴発しそうになった時、一緒に飛び込んだニュゥべえがテレパシーを送ってきた。

 

『政夫! あそこだ! 右斜め前方の奥にほむらが倒れている』

 

 言われるがまま、そちらを向くと白い水晶球が数珠のように繋がって、白い光を明滅させているのが見え、それに押さえ付けれて沈んでいる暁美を見つけた。

 すぐさま近付いて助けたかったが、酸素が足りなくなってきた僕は一度呼吸のために頭を水中から出す。

 水が入り込んだせいでくぐもって聞こえる耳に織莉子姉さんと呉先輩の声、それと重たいガラスが砕けるような激しい音が聞こえてきた。

 向こうも向こうで、戦いが起きているのだろう。

 だが、僕にとってはこちらの方が重要だ。

 川原の方には目を向けず、僕はもう一度水の中に潜る。

 

 

 

~キリカ視点~

 

 

 

「まさか、貴女が邪魔しに来るなんて思いもしなかったわ。――キリカ」

 

「私もそう思うよ。織莉子」

 

 私はカギ爪を生やした両手を構えて、織莉子と向かい合う。

 織莉子の顔には余裕の二文字はなく、苦いものでも食べたような顔付きをしていた。

 未来予知は非常に強力な魔法であるが、絶対ではない事を私は知っている。

 動きが読めても、反応できなければ意味がない。

 特に「速度低下」の魔法がある私にとっては恐れるに足りない。

 

「分からないの? まー君の幸せを阻む事になるのよ」

 

 織莉子は私を説得するように声を荒げる。

 でも、それは油断を誘うためのものだと私には分かった。

 左斜め後方から音もなく近付いていた水晶球を、振り返らずにカギ爪を後ろに振るって弾き飛ばそうとした。

 しかし、織莉子もその程度の反応は『予知』していたようで、水晶球がカギ爪に接触する前に水晶球を破裂させた。

 爆発して水晶球から(ほとばし)る魔力と破片を速度低下の魔法で防ぎ、右に移動する。

 

「そのせいで政夫を悲しませてたら話にならない!」

 

「そう。キリカも理解してくれないのね」

 

「っ!?」

 

 知らない間に接近していた織莉子の数十個の水晶球が避けた先に配置してあった。

 ちょうど私の眼帯をしている方からの攻撃。

 速度低下すら掻い潜る絨毯(じゅうたん)爆撃が襲い掛かる。

 可能な限り、速度低下させて避難するが頭を狙う水晶球の爆発に気を取られていたせいで、脇腹に水晶球の破片が突き刺さった。

 

「まー君は優しすぎて、暁美ほむらに何もかも食い潰されてしまうわ。『あれ』はそういう女よ」

 

 (まばゆ)い光のせいで目が(くら)み、転がったところに背後から頭に蹴りを入れられた。

 身体の重心が取れなかったので、予想外にダメージが入る。

 

「がっあ!!」

 

 すぐに攻撃を受けた方にカギ爪を振るうが、避けられたようでまるで手応えが感じられない。さっきの衝撃で速度低下の魔法を解いてしまったようだ。

 

「自分の事しか考えていない。まー君の事なんか少しも配慮してないわ。そんな女にあの子を任せられる訳がない」

 

 視力が回復する前に片を付けようとしているようで、水晶球が傍で一つ二つと爆発を繰り返し、私はその衝撃でもんどりうつ。

 倒れ状態で転がり、閃光に目を焼かれ、目を開けているのか瞑っているのかも分からない。分かるのは身体に負った火傷と水晶球の破片が食い込んだ傷口だけだ。

 平衡感覚さえ曖昧になりながらも、私は何とか背中を丸めるようにして起き上がり、暗闇の中どこかに居る織莉子に叫んだ。

 

「なら、織莉子は政夫の事を考えているのかい!?」

 

「何を当たり前の事を……」

 

 攻撃の手が一旦緩み、織莉子が呆れるような声で答えた。

 

「政夫が暁美ほむらを失って感じる痛みを考えた事はあるのかい!?」

 

 きっと、それは織莉子自身が意図的に無視している事だ。

 私よりもずっと頭がよく、ずっと政夫の事を考えている織莉子が気付いていない訳ないのだから。

 

「……あの子は間違えているだけよ。暁美ほむらはまー君を不幸に導く悪魔よ! あの女さえ居なければ、まー君が魔法少女や魔女に関わる事もなかった!」

 

 悲痛なその叫びは、今まで溜め込んできた織莉子の怒りだ。

 魔法少女たちから政夫がこの街に来てから、どれだけ危険な目に合って魔法少女たちを支えてきたかを聞いた織莉子の憤り。

 

「ようやく自分の幸せに手を伸ばしたあの子にしがみ付き、台無しにした自分勝手なあの悪魔を私は許さない……」

 

 でも。

 でもさ……それは。

 

「それは政夫自身が自分で選んで決めた事だ! 織莉子が決めて良い事じゃあないよ!」

 

 声のする場所は完全に掴んだ。

 私は全身をバネのように(かが)めて、声のした場所に向けて飛びついていく。

 

「しまっ……」

 

 両腕を広げて、目が見えないまま私は織莉子にタックルして、押し倒した。

 背中に手を回して、私は叫ぶ。

 

「悔しかったんだよね。分かるよ。私もそうだから!」

 

 一番許せないのは我慢したのに横から奪われたと思ってしまう自分自身だ。織莉子が『姉』ではなく、『異性』として見ていたのを私は知っている。

 でも、織莉子は政夫の思い出の記憶の『立派な姉のような女性像』を崩したくなかった。

 だから、自分以上に政夫を大切に思ってくれる女の子を探すために、政夫の周囲の女の子をお茶会に集めて何度も観察した。

 そして、ようやく織莉子の目に適うまどかを見つけて、大人しく諦めようとした。

 それを邪魔されたから、織莉子は苦しんでいる。

 織莉子は失恋したかっただけだった。

 

「でも政夫は、私に言ったんだ。『暁美ほむらを愛している』って。ちゃんとそう言ったんだ」

 

 やっと視力が戻ってきた私の瞳に映ったのは、珍しく泣き出しそうな織莉子の顔だった。

 そして、同時に初めてできた友達がずっと浮かべたかった「失恋」の顔。

 

「私だって……私だって好きだった。あの子が私の言葉をずっと大切にしてくれたって知った時、どれほど嬉しかったか! 『美国議員の娘』じゃなく、『美国織莉子』として慕ってくれた時、どれほど救われたか!」

 

 ボロボロと涙をこぼす親友を私も泣きそうになりながら抱きしめる。

 

「どうして、まー君の隣に居るのが私じゃないの……ねえ、どうしてっ!」

 

 辛いよね、織莉子。私も同じ気持ちだよ。

 それでも、受け入れなくちゃいけないんだ……。

 暁美ほむらを選んだのは――私たちの愛する政夫なんだから。




いつもより、1,000文字くらい多めに書きました。
いやー、登場させるの誰にしようか悩みましたが、やはり織莉子と因縁があるのはキリカだと思ったので、キリカにしました。
さやかにしようと、考えた事もありますが、何だかんだで見せ場があった彼女は止めました。さやかファンの方はすみません。


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第百一話 選択した理由

まさか、24時間も経たずに次話投稿する事になるとは思ってもみませんでした……。
まあ、あそこで終わるもの先延ばしすぎかなと思った次第です。
前の話を見ていない人はそちらから読まないと話が分からなくなります。気を付けて下さい。


 早く。一刻も早く、彼女を助けなくては!

 両手で水を掻き分け、足をひれの様に動かして水底の暁美へと近付く。

 急いでいたせいで脱ぎ忘れた学ランを水中で脱いで、少しでも抵抗をなくして下へと潜り続ける。

 急激な気圧変化で耳が痛くなるが、そんなことはどうでもいい。

 傍によると暁美が口や鼻からは気泡の一つもなく、呼吸が完全に止まっていることが見て取れた。

 ――暁美!!

 近付いて、彼女に張り付く水晶球を掴むが、まるでびくともしない。よく観察すれば、服越しから皮膚に抉りこむように密着している。

 これは僕には引き剥がすことは不可能だ。僕には。

 

『ニュゥべえ……できる(・・・)!?』

 

 隣に浮いているニュゥべえの瞳を見て、尋ねた。

 

『任せて、政夫』

 

 頼もしい返事と共にニュゥべえは一瞬で白髪のツインテールの女の子に姿を変える。

 首に巻きついていたオレンジのハンカチは少女然としたファンシーな衣装へと形を変化させた。

 人間態、いや、魔法少女態になったニュゥべえは暁美に張り付く水晶球に触れると、目を閉じた。

 

『なるほど。これが織莉子の魔法か。うん、大丈夫。魔力の構成パターンは把握したよ』

 

 その言葉と共にニュゥべえが触れた水晶球が粒子状の光に分解されて、ニュゥべえに吸い込まれていくように削られていった。

 僕はその光景を見て、改めてニュゥべえの恐ろしさを実感した。

 今のニュゥべえには感情エネルギーを魔力に変換する事はもちろん、逆に魔力を感情エネルギーに戻すことも可能なのだ。

 そして、分解できるということは当然ながら、再構築も可能ということ。

 恐らく、魔法少女にできることならば、何でもニュゥべえにはできる。

 

『政夫。織莉子の水晶球は全て消したよ』

 

 そのニュゥべえの言葉を聞き、僕は暁美の肩を掴んで再び、浮上していく。

 誰かを抱えて泳ぐ時は、抱えられている方が混乱して暴れるために非常に危険だが、今の暁美は意識がないのでそこだけは助かっていた。

 もっともだからこそ、余計に不安を煽っているのだが。

 比較的に僕が水泳が得意でよかったと心から思った。前の中学で性格の悪い体育教師に潜水で二十五メートル泳がされた経験が今まさに活きていた。

 ニュゥべえも後ろから押して泳いでくれたおかげもあり、すぐに水面に出ることができた。

 酸素が鼻から入ってくるこの感覚がここまでありがたいと思うのは久しぶりだった。

 ニュゥべえは水面が近付くと元のマスコットの姿に戻っていた。僕が前に皆には隠しておいてと言ったことを忠実に守ってくれているのだろう。

 川原に上がり、暁美を砂利の上に寝かせようとした時にニュゥべえが心の中で声をかけた。

 

『政夫、これ』

 

 見れば、ニュゥべえは水中で脱ぎ捨てた学ランを咥えて引きずっていた。

 人型だった時に川の中から持ってきてくれたのだろう。

 

「ありがとう。ニュゥべえ」

 

 僕は感謝の言葉を述べて、ニュゥべえから学ランを受け取ると砂利の上に敷いて、その上に暁美を寝かせた。

 口元に手をやるとやはり呼吸は止まっていたが、胸元に耳を押し付けて聞くと心音も微弱にながら聞こえてきた。

 良かった。心臓はまだ止まっていない。

 涙が出そうになるほど安堵したが、呼吸をしていないということは脳に酸素が行っていないということだ。

 早く回復しないと、脳や身体に障害残る危険性がある。

 早急に心臓マッサージが必要だ。

 胸の真ん中に手の付け根を置き両手を重ねて、肘を真っ直ぐ伸ばし、三十回ほど継続出来る範囲で強く圧迫を繰り返す。

 人工呼吸は気休め程度にしかならないと聞いたことがあったが、今は気休めでもよかった。

 暁美の鼻を押さえ胸部がふくらむよう息を約一秒ほど吹き込む。

 そして、また三十回心臓マッサージを繰り返す。

 今日ほど、保健体育の授業を真面目に聞いておいてよかったと思うことはない。体育で筆記試験なんて馬鹿らしいと言っていた奴らはこういう事態を想定していないのだろうか。

 手が疲れてきても、休まずに心臓マッサージの手は弛めない。

 頬に張り付いた髪から水滴が流れ落ちてくるのが不快に感じたが、今は余計なことなどしている暇がない。

 心臓マッサージと人工呼吸を三十対二の割合で数十セットほど繰り返していると、暁美がゴホゴホと咳き込み始め、口から川の水を吐き出した。

 身体を横にして、水を吐き出させやすくしてやると、暁美は僕に気付き、名前を呼んだ。

 

「ま、さお……?」

 

「ああ……政夫だよ。大丈夫? 意識ははっきりしてきた?」

 

 背中を擦りながら、ゆっくり一言一言聞くと暁美は弱々しくもこくりと小さく頷いた。

 

「苦しくはない? 痛いところとかは?」

 

「大丈夫よ……魔法少女はそんなに(やわ)じゃないわ……」

 

「柔かどうかなんてどうでもいいんだよ。彼氏が彼女を心配するのは当然だろう?」

 

 水底ですっかり冷えてしまった暁美の手を握り締める。

 この温もりが消えてなくならなかったことに心から安心している僕が居た。

 同情でも、憐憫でもなく、ただ純粋に暁美の無事が嬉しかった。

 ニュゥべえは僕の足元で、そんな僕を無言で眺めている。

 

「随分と嬉しい事言うのね。まだ夢の中に居るのかしら?」

 

「現実だよ。否が応でもね」

 

 どこにも異常がないかを再三聞いて、ソウルジェムにも変わったことがないかを確認した後、僕は織莉子姉さんと呉先輩が居る場所を見る。

 ふつふつと湧き上がってくる怒りを胸に織莉子姉さんに文句が口から噴出した。

 

「貴女は自分が何をやったのかを理解しているんですか!?」

 

 織莉子姉さんは何も言わずにうな垂れてこちらを見つめるばかりで、何も言おうとしない。

 代わりに傷だらけの呉先輩が喋り始めた。

 

「政夫。織莉子のやった事を許してあげてくれないか?」

 

「できません。呉先輩には今回のことで大変ご迷惑をかけてしまいましたが、それとこれとは話が別です」

 

 それだけ、見た目が傷付いているということは織莉子姉さんとの激しい戦闘があったのだろう。

 僕のために傷付きながらも戦ってくれたことについてはとても感謝している。

 けれど、今回の織莉子姉さんの行動はそれを差し引いても許せるものではなかった。

 織莉子姉さんは、暁美を殺そうとした。

 比喩でも冗談でもなく、命を奪おうとしたのだ。

 

「呉先輩に喋らせていないで、自分の口から聞かせてください。織莉子姉さん、なぜこんなことをしたんですか?」

 

「政夫……織莉子は」

 

「『おねえちゃん』!!」

 

 昔の呼び方で織莉子姉さんを呼んだ。

 呉先輩の隣に立っていた織莉子姉さんが、ビクッと弾かれたように顔を上げて僕を見た。

 その顔は涙に濡れていて、何があったのだろうかと一瞬心配しそうになるが、それを振り払いに怒りを持続させる。

 

「答えて、おねえちゃん。何でほむらさんを殺そうとなんてしたの?」

 

 敬語を止めて、静かな口調で再び問う。

 呉先輩ではなく、織莉子姉さんと話しているんだと教えるために昔の呼び方であえて使った。

 

「……暁美さんがどうしても許せなかったから」

 

 織莉子姉さんらしくない、覇気のない声に僕は耳を傾けた。

 後ろでは横になっていた暁美がよろよろと起き上がって来ようとしているので、顔をそちらに向けずに手を貸した。

 水から上がったせいで気圧がまだ慣れておらず、三半規管の調子がおかしいようで僕に寄り掛かるようにして立つと彼女も織莉子姉さんを見つめた。

 

「それは、私が……まどかと政夫の間に割って入ったから、かしら」

 

「ええ。そのせいでまー君はまた他人を優先して、自分の幸せを諦めた」

 

 暁美に返答した織莉子姉さんは複雑な表情でこちらを睨んだ。

 確かに僕はまどかさんへの想いを捨てて、暁美の恋人になった。

 だが、僕は暁美のことを完全に同情だけで選んだ訳でもない。

 

「もう一つ。もう一つだけほむらさんを選んだ理由を思い出したよ」

 

 二人の会話を遮るように僕がそう言い出す。

 織莉子姉さんも暁美も、呉先輩さえも唐突な台詞に不思議そうな顔をした。

 構わずにそのまま続けて話し出した。

 

「ほむらさんは大切な友達のまどかさんまで押し退けて、僕を好きだと言ってくれた。誰よりも好きだと。だから、僕は彼女を選んだんだよ」

 

 寄り掛かる暁美の腰に手を回して、ぎゅっと抱きしめる。

 「ふわぁっ」と暁美の口から出るには珍しい言葉を聞きながら、僕は宣言するように力強く言った。

 

「彼女が今までずっとまどかさんのことだけ考えていたほむらさんが、まどかさんよりも僕を選んでくれた。これほど冥利に尽きることがある?」

 

 横目で暁美を見ると、ほんのり頬を朱色に染めて、そっぽを向いた。

 酸素が供給されて、血行の流れがよくなっている。取りあえずは本当にどこにも問題はないようだ。

 

「それは友達よりも、男を優先する最低な女である証ではないの?」

 

「そうかもしれない。でも、僕は彼女がまどかさんよりも僕を選んでくれたことが嬉しいと感じたんだ。それだけ真摯に求められたら応えない方が失礼ってものだろう?」

 

 自分勝手な意見かもしれないが、それだけ僕を必要としてくれている暁美に応えてあげたいと思った。

 自分を必要としてくれる人を嫌いにはなれない。それだけ、本気ならなおさらだ。

 だが、僕の言い分に納得できない織莉子姉さんは反論する。

 

「たとえ、まー君がそう思っていても、暁美さんはまー君を不幸にするわ! なぜなら彼女は自分の事しか考えられないもの!」

 

「だったら、僕は不幸でいい」

 

「なっ!!」

 

 開き直ったような発言に織莉子姉さんはうろたえて目を見開く。

 その隣に居る呉先輩も、僕に寄り掛かる暁美も驚いた顔をしている。

 何だ、その表情は。僕はそこまでおかしなこと言っているつもりはないぞ?

 

「自分で選んで納得した不幸なら、降って湧いたような幸福よりもよっぽど上等だよ。一緒に居たい女の子くらい自分で選ぶさ」

 

 平然とそう断言する。

 そして、最後にこう付け足す。

 

「文句があるなら僕に言え! 気に入らないなら僕に矛先を向けろ! だから、――僕の彼女に手を出すなっ!!」

 

 織莉子姉さんの瞳の奥まで睨みつけながら、そう大きく叫んだ。

 織莉子姉さんは諦めたように言葉を返した。

 

「分かったわ……」

 

 それ以上僕には何も言わずに暁美に謝罪の言葉を述べた。 

 流石にここまでされた暁美はそう簡単に許さないだろうと思っていたが、思いの外あっさりとそれを許した。

 正直に言うと、まどかさんや美樹のこともあるために殺人未遂についてはあっさりと許して欲しくはなかったが、原因が僕にある以上あまり強く出られずに言葉を飲み込んだ。

 

 川原からの帰り際に暁美が僕にそっと囁くように言った。

 

「織莉子の言う事も間違っていなかったわ。私は自分の事しか頭になかった」

 

「最初は誰しもそんなものだよ。そうそう他人のことまで気が回らないよ」

 

 慰めにそう言って笑うが、僕が言っても説得力に欠けると自分でも思った。

 しかし、暁美はその台詞を冗句として捉えたようでくすりと小さく笑う。

 そして、表情を固めて僕に言った。

 

「今度からは私はもっと政夫に何かしてあげられるように頑張るわ」

 

 その真人間のような言葉に僕はちょっと感動した。

 最初にあった頃は平然と銃を付き付けて来るようなイカレポンチだった暁美が、ここまで更生するとは誰に予想がついただろう?

 よくぞ成長してくれたと盛大に褒めてあげたい。

 

「その言葉だけで十分だよ。ほら、いつまでも濡れたままだと風邪引いちゃうからさっさと帰ろうよ」

 

 身体に張り付く水滴と寒さのせいにして、照れた気持ちを誤魔化した。

 そういうに思ってくれるだけで十分すぎるほど嬉しかった。

 僕の傍に居たニュゥべえはふるふると身体を震わせて、水滴と飛ばす。

 

「ニュゥべえもお疲れ様。今回は助かったよ」

 

「どうしたしまして。なら、今日は(ひのき)の入浴剤で頼むよ。それと、このお気に入りの一張羅(ハンカチ)も洗ってもらわないと」

 

 耳から生えた触腕(しょくわん)で首に巻かれたハンカチを指したニュゥべえに苦笑した。

 




織莉子にはきついかもしれないけど、やった事を考えると政夫の言い方も妥当な気がします。

追記

活動報告にて、超番外編のアンケートを実施しています。良かったら、投票してください。


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超番外編  反論の物語

今回の超番外編はもしも魔獣世界に政夫が居て、リボほむと出会っていたらという話です。


 見滝原市という群馬県のとある街に越してきて早二週間。僕こと夕田政夫はこの変わった街にも慣れが生じてきた。

 最初こそは無駄にお洒落で機能性に欠けたデザインの街並みや、まず他の都市では見られないようなカラフルな色彩を放つ現地の人たちに圧倒され、内心では突っ込みの嵐だった。

 もはや、見滝原中の透明な教室の壁にも見慣れ、教室の壁を透明にするようによって発生する効果や作用について個人的に論文を書いているほどだ。

 タイトルは『常に監視されることによる人格成形について』。完成したら父さんにも読んでもらおうと思っている。

 学校ではコミュニティを広げることに尽力したおかげで同学年はもちろん、委員会や部活を通して一年や三年にも大勢の友達ができていた。

 順風満帆。むしろ、不安になるほど毎日充実している。

 ただ最近、一人の女の子となぜかよく顔を会わせることが多い。

 その女の子の名前は暁美ほむら。

 一週間違いで同じクラスへ転校してくるというまるで漫画のような出来事のせいもあり、ある種の因縁めいたものを感じてしまいそうだ。

 まあ、転校生という立場で、この街ではあまり見かけない黒髪だということもあり、僕も彼女にはシンパシーのようなものを持っているのは間違いない。

 驚くほど整った顔立ちをしているので、そこだけは少し距離を離してしまいそうになる。

 あからさまな美人は苦手だ。偏見かもしれないが、そういった顔の整った女の子はカースト制度を好み、いじめや迫害をしたがる傾向にある気がするからだ。

 僕が居た小学校ではそういうことがままあり、見た目は華のようでも中身は産業廃棄物のような美少女を腐るほど見てきた。

 そいつらが起こしそうになった胸糞悪い行いを何度か邪魔したことがあるから、余計に印象がよくない。

 もっとも、彼女は性格は悪くないようで、落ち着いた雰囲気のする子なので特に悪印象はなかった。

 

「ナァ~オ」

 

 僕の膝の上で喉を鳴らす子猫を撫でた。

 天気が良かったために近くの川の堤防で陽に当たりながら読書を楽しんでいたのだが、やたら人懐っこい黒い子猫がじゃれ付いて来たので読書を中断し、抱き上げていた。

 

「よしよし」

 

 色や大きさ、人懐っこいところも合わせて、僕が小学校時代にこっそり飼っていた子猫・スイミーによく似ている。

 スイミーを失ったあの事件がトラウマになり、しばらくは猫を見ると「あの光景」がフラッシュバックするようになっていたが、四年生の時にペットショップに通い詰めて無理やりトラウマを克服した。

 今もまったく思い出さない訳ではないが、吐き気や震えが止まらなくなるほど酷いものではなくなっていた。

 人間、努力すれば大抵のことは乗り切れるようだ。本来はそういった力づくのトラウマ克服はよくないのだけれど、いちいちゆっくりと直していくには時間が無さ過ぎた。

 この程度のことをいつまでも苦しんでいたら、前に進めやしない。

 目を瞑って腹を見せる子猫をくすぐりながら、ふと顔を上げると堤防の上から(くだん)の暁美さんがこちらを向いて歩み寄って来ていた。

 

「こんにちは、暁美さん。いい天気だね」

 

 苦手意識はあれども、嫌悪の感情は持っていないのでにこやかに会釈した。

 

「ええ。えっと夕田君で良かったかしら」

 

「うん。夕田政夫だよ。一応、クラスメイトなんだけど……僕って印象薄いかな?」

 

「……ごめんなさい。あまり人の顔を覚えるのが得意でなくて」

 

 申し訳なく頭を下げて謝る暁美さん。頭に付いているリボンがその際に軽く揺れた。

 そう。なぜか彼女は赤いリボンをカチューシャ(・・・・・)のように髪に巻いている。

 普通、リボンというものは髪を束ねるために使うものだと思うのだが、どうやら暁美さんの中では違うらしい。

 指摘するのも野暮だし、何よりお洒落として付けているなら気まずくなること受け合いだ。

 

「いやいや。地味な顔立ちだからね。仕方ないよ」

 

 とは言ってももう二週間も経っている上に、初めて話す訳でもないのでそろそろ覚えてもらいたいところだ。

 

「そう言ってもらえると助かるわ」

 

 暁美さんは小さく微笑んだ。

 もし、僕が美少女に弱い男なら舞い上がってしまうかもしれないが、生憎と地味で目立たない女の子が好みの僕は照れの一つもしなかった。

 しかしながら、彼女のその微笑が酷く(はかな)げで弱々しく見え、それが不思議と気になった。

 

「それで僕に何か用事でも?」

 

 暁美さんが寄って来た理由が分からないので尋ねると、彼女は子猫に視線を向けた。

 

「エイミーが随分貴方に懐いているようで驚いたわ」

 

 エイミーというのは多分、この子猫の名前だろう。

 まさか、見た目だけでなく名前まで似ているとは……。つくづく、変な縁だ。

 

「もしかして、君の猫? 首輪はしていないようだけど」

 

 そう聞くと、暁美さんは少し悲しげな表情をして視線を逸らした。

 

「私のじゃないわ。……友達が可愛がっていたってだけよ」

 

「そうなんだ」

 

 表情と言葉から察するに、その友達とは何かしらの形で会えなくなってしまったのだろうか。

 恐らくは死別と言ったところか。

 そう珍しくもない話だ。

 出会いがあれば、別れもある。それが生きていくということなのだから。

 僕は暁美さんに穏やかに笑いながら、気分を害さないそうに注意を払い、聞いてみた。

 いつもならここまで踏み入ることはしないのだが、ちょっとだけに気になっていた。

 

「大切な友達なんだね。どんな人?」

 

「……優しい子だったわ。私の最高の友達よ」

 

 遠くを見るようなその目はきっと、その子を映そうとしているのだろう。

 僅かに自慢するような笑みが混じったが、やはり彼女の顔には陰があった。

 そして過去形を多用しているところからして、もうすでに亡くなっているようだ。

 僕は膝元のエイミーを撫でながら、暁美さんを見つめた。

 ――良くない笑顔だ。

 それが暁美さんの笑い方に対する僕の感想だった。

 こういう笑い方をする人間を僕は何人か知っている。

 未来に対して何の希望も見出してない目は生きていたくない人間のものだ。

 「死にたい」ではなく、「生きていたくない」というのが肝だ。

 積極的に死への衝動がある訳ではないが、ふとした拍子に死へと転がり落ちてしまいそうになる危ない状態。

 この小学四年の時にこの笑い方をしたクラスメイトは翌日には電車の通過する踏み切り内にダイブしていた。

 このままでは十中八九、彼女も(ろく)な最期は迎えないだろう。

 

「行きたい? その子の傍に」

 

「えっ?」

 

 一瞬で現実に戻ってきた暁美さんは弾かれたように僕を見た。

 僕がそんなことを言い出したことよりも、自分の内心が見透かされそうになったことに対して驚いているようだった。

 暁美さんは髪に括りつけてある赤いリボンに触れながら、少しだけ震えた声で尋ね返してきた。

 

「……どうしてそんな事を聞くの?」

 

「いや、君の言い方がまるでそういう風に聞こえたから」

 

 友達のことを言われた時に急に触れだしたところから見て、その妙な巻き方のリボンもその友達とやらにもらったものなのだろう。道理で付け方がおかしい訳だ。

 間近で見れば見るほど、この子の心はガタガタだ。いつ均衡が崩れてもおかしくないほど不安定なバランスをしている。

 ()び付いた歯車を無理やり、動かしている機械のようでもある。 

 

「夕田君……貴方はもしも帰る場所もなくなって、大好きな人たちとも離れ離れになって、一人ぼっちで永遠に過ごさなきゃならなくなったらどう思う?」

 

 急に暁美さんが話題を変えた。

 僕の隣に腰を下ろして、じっくりと話をする用意を始めている。

 ……確かに僕から会話を続けたけれど、ここまで明確に『長話します』という態勢を取られるのはちょっと嫌だな。それだけ誰かに聞いて欲しかったことなのだろうけど。

 夕方までには終わってくれるといいなぁ、と思いながら暁美さんに返答する。

 

「随分と壮絶な仮定だね。ちょっと考えさせて」

 

 いきなり話を変えたとは言え、その質問が他界した友達のことであることくらいは察しが付いた。

 だから、自分が死んだ後に意識あることを仮定して、考えた上で答えなければならない。

 そうだな……。

 

 ――もしも、僕が死んだとしたら、きっと帰る場所など求めない。

 

 天国も極楽も輪廻転生も要らない。死ねば終わりでいい。一度しかないからこそ誰もが必死になって生きている

のだから。

 

 ――もしも、僕が死んだとしたら、きっと大好きな人たちと離れ離れになっても構わない。

 

 元より、人の出会いは一期一会だと考えているから、そこまで他人に執着したことはない。故に傍に居られる時間を大事にして過ごすようにしている。

 エイミーに視線を落とす。仰向けで不思議そうに首を傾げるエイミーにスイミーを重ねる。

 ……ちょっと目を離した隙に一生の別れになってしまうことなんて珍しくもないのだから。

 

 ――もしも、僕が死んだとしたら、きっと一人ぼっちで永遠を過ごすことになっても困らない。

 

 他人を生きるためには必要不可欠だが、精神的に必要かと言われたらそうでもない。

 何かを為すこともないなら一人もそれはそれでいい気がする。

 人間関係はあくまで生活するためのしがらみであり、前提条件が崩れたら孤独でもいいのではないだろうか。

 僕、社交的だけど、あんまり人付き合いが好きな訳ではないしな。正直に言うと一人で居る方が好きだ。

 ……あれ? おかしいな。そんなに困らないぞ。

 

「まあ、突然そうなったら悲しいけど、仕方ないって納得できればそれでもいいんじゃないかな?」

 

 意外とそれほど困らないような気がしてそう答えると、隣に座った暁美さんが見る見る内に怒りだし、大きな怒声を上げた。

 

「どうして、そう思えるの!? 本当に貴方、真面目に考えたの!?」

 

 僕の膝の上に居たエイミーがその声に驚き、膝の上から転げ落ちるように逃げ出してしまう。それを追いかける訳でもなく、見送ると暁美さんに顔を向けた。

 

「君、わりと激情家だね」

 

 ほむら。(ほむら)か。名は体を表すとはよく言ったものだ。

 危うい均衡に居る人間だと認識していたので、どれほど驚きはしなかった。

 むしろ、今までまともに生活できていたことにびっくりだ。

 とはいえ、勝手に質問して、答えたら激昂するとは何とも傍迷惑なお嬢さんだ。

 

「ふざけているの? そんな事になったら誰だって辛いに決まってる! 報われない! 死ぬよりも酷いわ!!」

 

 支離滅裂なその台詞は僕ではなく、自分に言っているようにも聞こえた。

 死ぬよりも酷い? 死後の世界のことを言っていたのではないのか?

 それにしても、最小限しか情報を提示しないくせに、自分の思い通りの答えが返ってこないと怒るのか……ワガママな子だな。

 この子の友達に同情しそうだ。

 

「まるで『不幸であるのが当然』みたいな口振りだ」

 

「当たり前じゃない。幸せである訳がない!」

 

「それは君個人の価値観だろう? 幸せじゃなくても必ずしも不幸とは限らない」

 

「……っ!?」

 

 熱気のこもった紫色の瞳を僕は冷静な視線で見返す。

 暁美さんの瞳に映った僕の顔は酷く冷ややかなだった。

 何でこんなに冷えた気持ちになるのだろうか。自分でも不思議なほど呆れたような感情が湧き上がってくる。

 別に暁美さんの友達のことを知っている訳ではない。けれど、彼女の口振りが自分の価値観しか認めないと言っているようで、どうにも気に入らなかった。

 

「暁美さんの友達の話を聞かせてくれない? もしも、それで君の言ってることの方が正しいと思ったら謝るから」

 

 

 

 暁美さんは最初こそ口ごもっていたものの、一つ息を吐くとゆっくりと語り始めた。

 絶望の振り撒く魔女。希望をもたらす魔法少女。エネルギーを求めて暗躍するインキュベーター。

 ソウルジェム。グリーフシード。最悪の魔女、ワルプルギスの夜。最強の魔法少女鹿目まどか。

 円環の理。魔獣。

 それらの単語を大真面目に淡々と話す暁美さんはとても嘘を吐いているようには見えなかった。

 日も落ちていき、夕焼けが川の水面をオレンジ色に染め上げる頃、ようやく暁美さんの話は終わった。

 

「これが私の友達の……まどかの物語よ。どう? 謝る気になったかしら?」

 

「うん。ごめん。謝るよ……ところで話は変わるんだけど僕の父親は精神科の医師をやっているんだ。良かったら紹介し……」

 

「貴方、私が頭のおかしい人間だと思っているでしょう!?」

 

 いや、だって……魔女とか魔法少女とか、(しま)いには神とか言い出すし。正直な感想を言えば、正常な思考回路を持っている人には見えない。

 暁美さんの言う『まどか』もただの空想上の存在なんじゃないかとさえ思えてきた。

 

「こ、心の病は本人の責任じゃないから」

 

「私は正常よ!」

 

「……酔っ払いは自分のことを『酔っている』とは言わないものだよ」

 

 可哀想な人を見る目で優しく諭すと、キッときつい目付きで睨まれてしまった。

 これは失言だったと後悔しつつ、暁美さんへの対応を考える。

 この手の症状の患者は対人関係に敏感になっていて、そこからのストレスが再発の引き金のひとつとなる場合がある。

 特に患者が苦手なのは、身近な人から「批判的ないい方をされる」「非難がましくいわれる」、あるいは「オロオロと心配されすぎる」ことの三つだ。

 重要なのは小さなことでも患者のよい面を見つけ、それを認めていることを言葉で表現することだ。困ったことについては、原因を探すのはひとまず脇に置いて、具体的な解決策を一緒に考える、というのがベターな接し方だろう。

 こほん、と一つ咳払いをして僕はできるだけ安心感を持たれるような穏やかな表情を浮かべる。

 

「ねえ。暁美さんは友達は居るかな? 『まどか』さん以外でね。あ、少しでも交流がある人なら友達としてカウントしてもらって構わないよ」

 

 具体的には『目に見えるタイプの友達』が居てくれるといいのだが。

 心中でそんなことを思いながら尋ねると、暁美さんはむっつりとした不機嫌な顔で言った。

 

「さっきから随分と失礼ね、貴方。ちゃんと居るわ。二人も」

 

「そっか。それは良かった」

 

 ……二人しかしないのか。ゼロよりは遥かにマシとは言え、少ないな。

 そして、この答えさえも真実かどうか分からないのが怖い。『まどか』の派系で『みどか』とか『むどか』とか架空の存在だったらどうしよう……。

 話せば話すほど心配になってくる女の子だ。こんなに不安な気持ちにさせられるのは初めて!

 

「あのさ、良かったら、僕とも友達になってくれないかな?」

 

 この子をこのままにさせておくのは危険だと僕の第六感が囁いている。というか、一応多少なりとも言葉を交わしたクラスメイトとして見捨てて置けなかった。

 

 暁美さんは怪訝(けげん)そうな目で僕を見つめて、尋ねる。

 

「……一体どういう話の流れでそうなったの?」

 

「こう、何ていうか、暁美さんて(頭の中が)ユニークだから、話していると(心配で)もっと一緒に話していたなって感じるんだ」

 

「何か、言葉の外に悪意を感じるのは私の気のせいかしら……」

 

 無駄な勘の鋭さを発揮する暁美さんに僕は今日最高の笑みを向けてこう言う。

 

「気のせいだよ。僕はただ君と友達になりたいだけだよ」

 

 放っといて自殺でもされた日には寝覚めが悪くて仕方ない。それにここで見放してしまったら、僕の目指す『優しい世界』からかけ離れてしまう。

 幸いなことに暁美さんは多少妄想癖があるようだが、学校での彼女を見る限り集団生活を送れる程度には協調性と社交性がある。

 これならば、薬物療法よりも心理社会的治療をしていけば症状が改善していくだろう。

 

「……まどかは……本当に居たのよ」

 

 僕がまったく『まどか』について信じていないことを感じ取ったようで、暁美さんは悲しげにそう呟く。

 しかし、僕はそこに関しては正直、それほど重要に感じては居なかった。

 なぜならば――。

 

「そうかもしれない。でも、もう(・・)居ないんだろう」

 

 そう。真実だろうが、妄想だろうが、世界にはもう『暁美さんの友達のまどか』という人物は存在していない。

 それだけは変わらない事実だ。

 

「……それは」

 

「『まどか』さんは概念になって、人としての彼女は今はもう居なくなってしまったんだよね? だったら、『まどか』さんに固執するべきじゃない」

 

 僕の言葉に暁美さんは激昂する。

 

「あの子を覚えているのは私だけなのよ!? そんな事できるわけが……」

 

「誰も忘れろなんて言っちゃいないよ。ただ必要以上に居なくなった人間を固執するなって話だよ。……それとも君は愛する人間を失って生きてる人間が自分一人だけだとでも思ってるの?」

 

「…………」

 

「あまり平凡な日常を舐めないでね? 君が言う非日常と違って『魔法』も『奇跡』もないし、『魔獣』も『魔女』も居ないけど、理不尽も悲劇も、絶望だって腐るほど転がってるんだよ?」

 

 大切な人を失っても歯を食いしばって生きている人は五万と居る。

 その上、こっちは絶望したくらい(・・・)では死なせてくれないのだ。僕らの心臓は希望がないだけじゃ止まってくれない。

 わざわざ命を絶つ行為をしなければ死ねない分、『魔法少女』とやらよりも遥かに悪質で辛くて苦しくて、そして何より馬鹿馬鹿しい。

 

「辛いのは日常だって同じだよ。皆、一度くらいは死にたいと思うほど絶望してるよ。でも、生きてる。生きることが楽しいからじゃない。それが生命に対する義務だからだ」

 

 僕は生きていることが必ずしも幸福であるとは思わない。

 死んだ方が絶対にマシだと思えるような悲惨としか形容できない人生を歩んだ人たちと言葉を交わしたことがあるし、実際にそのことが原因で死んだ人も知ってる。

 だけど、それが人生なのだ。

 

「大切な人とずっと一緒に居ることなんてできない。必ず別れがやってくる。それは理不尽だけど、同時に当然のことでもある。それを不幸と呼ぶのなら、その不幸は『人が、人として生きるために必要不可欠な不幸』だよ」

 

 それを排除したら人生など茶番だ。辛いことや苦しいことに塗り潰して「めでたしめでたし」なんて言うのはふざけてる。

 

「……なら、まどかのことはどうすればいいの!?」

 

 つかみ掛かるように僕の胸倉を両手で掴み、()し掛かるように僕へ寄る暁美さん。

 僕はそれにされるがままで、ただ彼女の顔を眺めた。

 道に迷った幼い子が切羽詰って、道を尋ねているような、そんな今にも泣き出しそうな顔だった。

 

「頭の片隅にでも置いておいて、時折思い出してあげればいい。ひたすら君が引きずり続けてもそれで『まどか』が何か得する訳じゃないんだろう?」

 

「…………」

 

 黙りこくったままで僕の胸倉を掴んでいる暁美さんの手を、上からそっと握った。

 

「話を聞く限り、『まどか』さんという人は、君が頑なに固執し続けることを望むような人間には思えなかったけど?」

 

 それからしばらく、両者共に見つめ合い、数分ほど間が空いた後に暁美さんは口を開いた。

 

「……そうね。まどかはそんな事は望まないわ」

 

 その言葉と共に僕の胸倉から手を離し、立ち上がる。

 暁美さんの瞳は沈む夕日が反射して輝いているせいか、彼女の決意が色になって表れているように見えた。

 あまりにも絵になる映像に見蕩れていると、彼女は未だに座ったままの僕に手を差し出した。

 

「夕田君……いえ、政夫。私と友達になってくれるかしら?」

 

「喜んで。よろしくね、暁美さん」

 

 いきなり、呼び捨てで名前を呼ばれるようになるとは思わなかったが、暁美さんが手を掴んで僕は微笑んだ。

 彼女の手のひらは少しひんやりしていて心地よく感じた。

 こうして、僕らは友達になった。

 

「ここまで私に踏み込んで来たのはまどか以外では貴方が初めてよ」

 

「それは光栄だね」

 

 どうやら『まどか』のという枕詞が彼女の口から聞こえなくなるまでには、しばらく時間が掛かりそうだ。

 

「あ、そうだ。最後に一つ言わせてもらっていい?」

 

 友達として一つだけどうしても言っておきたいことがあった。

 

「何かしら?」

 

 カチューシャのように巻き付けたリボンに指を差して指摘する。

 

「そのリボン、付け方おかしいと思うよ」

 

「え!?」

 

 




予想よりもちょっと長くなりました。
ちなみに本編より政夫がドライな人生観持っているのは、まどかたちに会わなかったからです。
本編の政夫もまた、彼女たちとの出会いで人として成長したという訳です。

え? IF世界の政夫は明るい? あの政夫は恋愛に現を抜かして、頭のネジが二三本飛んでいるので仕方ありません。

ちなみにアンケート上位の織莉子とニュゥべえの番外編も妄想していたりしました。
織莉子の場合は、魔法少女になり前に政夫と再開して、政夫の父が彼女の後見人になって同棲する、ありきたりなラブコメでした。
これに決まった場合、かなり甘い話になったと思います。

ニュゥべえに決まった場合はちょっと変化球なお話にするつもりでした。
内容はニュゥべえがパワードスーツ状に変身して政夫がそれを身に付けて、魔女と戦うちょっと変わった物語になっていたと思います。
タイトルは『孵卵器装甲インキュベイド』。
政夫が身体を張ってニュゥべえと共に直接戦う変身ヒーローもののような感じにする予定でした。


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第百二話 僕のD4Cな彼女

 僕は誰よりも暁美を大事にしたいと思っている。何に変えても彼女を第一に考えて生きていき、彼女を幸せにしてあげたいと心から感じる。

 もちろん、僕自身だって暁美を居ることで幸せになるつもりだ。

 何だかんだで、彼女ほど放っておけない女の子も居ないし、一緒に居たからか、彼女の良い所もたくさん知っている。

 人付き合いが下手だけど、他人に思いやりがない訳ではない。感情を表情に出すのが苦手なところがあるが、よく観察すればむしろ感情豊かな人間だと分かる。

 恥ずかしがり屋だが、時々思いもよらないほど大胆なことをする。

 嫌いじゃない……というか今では結構好きだ。

 たとえ、織莉子姉さんが何と言おうとも、僕は暁美の味方であり続ける。

 

「政夫、私は明日見滝原市の自衛隊駐屯地に押し入って、武器を取りに行くわ」

 

「よっし! 別れようか」

 

 昨日の夜から、付き合い始めた恋人に僕は笑顔でそう言った。

 自分でも意外なほど、明るく元気なトーンだった。心には爽やかな一陣の風が吹いているようだ。

 あれほど暁美に対して思っていた感情が一気に氷点下まで下がっていくのが分かる。

 何で僕はこんな奴と付き合っているのだろうか。光の速さで後悔が駆け抜ける。

 

「……待ちなさい。これには理由があるの」

 

「どんな理由があった自衛隊へのテロ行為が許されるんだよ!」

 

 テーブルを丸めた拳でどんと叩き付けた。

 川に飛び込んで暁美を助けたあの後、家に帰りシャワーを浴びて着替えてから、僕は暁美の家に来ていた。

 一応、あの場で確認してものの、時間を置いて身体に何らかの異常が出てないか心配だったからだ。

 背景で巨大な振り子が踊る、実にイカれたコーディネイトのされた部屋で、僕は丸いテーブルを中心に輪になるように置かれたソファに座り、暁美の言動に頭を抱える。

 どう考えてもおかしいだろう。何で「明日のデートコースを決めました」みたいなテンションでテロ予告をするんだ、こいつは。

 犯罪者か? ……そういえば犯罪者だった。

 一時間に織莉子姉さん相手にあれだけの啖呵(たんか)を切った僕がとても哀れに思える。

 織莉子姉さん、僕が間違ってました……。政夫ははとんでもない地雷女に引っ掛かってしまいました。

 こいつは地雷の中の地雷、クレイモア地雷女です……。

 暁美と付き合い始めたことを内心で後悔しながら、改めて聞く。

 

「で、それは本気で言ってるんだよね? 弾丸が一発足りなくなっただけで総出で一晩中探すような自衛隊の皆さんから、日本国民が汗水垂らして払った血税で作られた武器を盗んでくると――君はそう言ってるんだよね?」

 

 あえて嫌味を踏まえて言うと、暁美は眉の端を下げて表情を渋くする。

 眼鏡を外し、三つ編みを止めて、いつも通りのストレートロングヘアになっていた。服装は白いブラウスと膝丈くらいの薄紫色のスカートだ。

 

「そこまで悪意を込めて言う事ないじゃないない……。私だって好き好んでこんな事する訳ないのよ」

 

「だからって、自衛隊にテロテロしちゃうの?」

 

「『テロテロ』って……」

 

 ちょっとでも可愛く言って、やろうとしていることを穏やかにしたつもりだったが、暁美は呆れている。

 僕はお前のやろうとしていることに呆れているけどな。

 責めるような視線を返すと、暁美は髪をファサッと盛大にかき上げて誤魔化した。

 

「それはともかく、必要なのよ……『ワルプルギスの夜』と戦うにはね」

 

 それを言われると僕も何も言えない。

 顔も知らない自衛官より、自分の命の心配をしなくてはいけないのは当然と言えば当然だ。

 手の届かない人の不幸よりも明日の我が身か。自分の手の届く範囲外のことは気にする方が無駄かもしれない。

 それに……。

 暁美の顔をじっと見つめる。怪訝そうに首を傾げる暁美がちょっと可愛かった。

 

「仕方ないか。まあ、知らない自衛隊の人たちよりも、ほむらさんたちの方が今の僕には大切だしね」

 

「政夫……!」

 

 パッと明かりが点いたように輝く笑顔を見せる暁美。

 この子はこういう甘い言葉に(ほだ)されるところがあるよなぁ……。

 自分を肯定してもらえるのが途方もなく嬉しいのだろう。境遇故に酷く歪んでしまった彼女の感性が僕の目には切なく映った。

 

「でも、最低限罪悪感くらいは持とうね」

 

「そ、そうね」

 

 暁美は目を背けて相槌を打つが、本当に分かってくれているかは(はなは)だ疑問だ。

 そもそも法の精神が存在しているのかどうかすら怪しい。ぜひともモンテスキュー先生に謝って欲しいところだ。

 しかしながら、もう僕の中で暁美の存在は大きなものになっていた。今更、この程度のことで嫌いになれそうもない。

 仮に今この場で暁美に殺されたとしても、こいつを嫌いになれる自信がなかった。

 なぜここまでこの迷惑を掛けられていても嫌いになれないのだろうか?

 疑問を解消すべく、目の前に居る暁美を眺めて回してみる。

 すると、その視線をくすぐったそうにして暁美は耳に掛かった髪をいつもよりも大人しく弄り出す。どうやら恥らっているようだった。

 不安な時や照れている時は暁美は髪に触る癖があった。自分の感情を抑える一種の精神安定のようなものだ。

 しばらく、不躾(ぶしつけ)に視線で穴が開くほどじっと見つめる。

 無言のままで髪を指で絡ませて視線を逸らす暁美は次第に頬を朱に染めていく。

 そして、ふっと僕の脳裏に一筋の光明が差し込む。

 ――そうか。そういうことだったのか。

 僕が暁美を嫌いになれない理由は……。

 

「ナイチンゲール症候群だ」

 

「え?」

 

 突然の僕の言動に暁美は髪から指を離して、(いぶか)しげにこちらを見た。

 そんな暁美に僕は人差し指をピンと真っ直ぐに立てて説明を始める。

 

「こんなにも僕がほむらさんを好きでいる理由だよ。看護提供者が患者に対して、基本的なケア以上の関係がないにもかかわらず、恋愛感情を抱いてしまう状況のことだね」

 

 ナイチンゲール症候群とは、端的に言えば献身的に自分が尽くしている相手のことを必要以上に信頼や愛情を感じるようになることをいう。

 この効果は、十九世紀後半の看護先駆者フローレンス・ナイチンゲールに因んで名付けられた。

 ナイチンゲールさんの名誉のために付け加えると、ナイチンゲールが患者に対して恋に落ちたという記録は全くない。実際、複数の求婚者が居たにもかかわらず、看護学の探求の妨げになると恐れ、結婚をすることは無かったそうだ。

 

「前から不思議に思ってたんだ。何でこんなにも僕はほむらさんのこと嫌いになれないんだろうって」

 

「……それは私の内面や隠れた人間性に惹かれたとかでは」

 

「それは本気で言ってるの?」

 

 おずおずと切り出して来た暁美に真顔で突っ込む。

 それだけはない。客観的に暁美に対する僕の印象は最悪とまではいかないが、かなり悪い。

 確かにある程度、見直した部分はあったが、そのどれもが僕に好意を持たせるほどのものではなかった。せいぜい、マイナス分がゼロになるのがやっとだ。

 

「思い出しても見てよ、君が僕にしてきたアプローチを。夜に家に来て、押し倒して唇を奪うなんて軽い性的暴行ものだよ?」

 

「性的暴行って……」

 

 ショックを受けたように声を上擦らせるが、あの行為に対する私的な意見は変わらない。

 むしろ、客観的に思い返せば普通に犯罪的行為以外の何物でもない。

 

「だって、第三者視点で見れば、ほむらさん相当嫌な女だし」

 

「た、確かに私のやり方は正しくはなかったわ! そこは認める。でも、そこまで酷かったかしら?」

 

 慌てたように弁明する暁美を見ながら、再度頭の中で昨晩の出来事を反芻(はんすう)する。

 夜更けに男の家に侵入し、その男が自分の友達と相思相愛だったことを知った上で押し倒し、あまつさえ無理やり舌まで入れて接吻(せっぷん)する。

 驚くほど自分勝手で道理に反する行いだ。僕が第三者だったなら、間違いなく暁美を批判する側に立っていただろう。

 

「うん。やっぱりほむらさんの行いは改めて考えると酷いね。我ながら、よくあれで彼氏になったなと思うよ」

 

「政夫は私の事、好きなのよね!? 愛しているのよね!?」

 

 若干、暁美への愛が揺らいできた僕を、正面から移動して隣に来た暁美がシャツを掴んで揺する。

 うーん。魔法少女関連でここまで暁美と行動を共にして、理由や過去を知って同情しなかったら間違いなく好きにはならなかった気がする……。

 流石に今更、別れる気は毛頭ないが。

 

「もちろん、ほむらさんのことは愛してるよ」

 

「そう。よかった」

 

 ほっと一息吐いて、僕のシャツから手を離した暁美に、続けて言葉を付け足す。

 

「でも、ほむらさんは客観的に見て、間違いなく酷い女の子だと思う」

 

「そんなに酷い……?」

 

「酷いよ。『Dirty(汚くて) Dark(凶悪で) Disgusting(最低で) Devil(悪魔のように) Crazy(イカれた)』、略してD4Cな女の子だよ」

 

「政夫、貴方実は私の事嫌いでしょう!?」

 

 暁美は半分泣きそうな顔でそう叫んで僕の胸板を両手でぽかぽかと叩いてくる。

 少々、虐めすぎたようだ。二人きりで居る時は暁美はたびたび感情を露にするのでついつい、からかい過ぎてしまう。

 僕は苦笑いを浮かべて、暁美のその言葉に対して首を大きく横に振って否定した。

 

「このくらいで嫌いになれないから困ってるんだよ」

 

 汚かろうと好きだ。

 凶悪であろうとも愛してる。

 最低だろうと手放したくない。

 悪魔であろうとも一緒に居たい。

 イカれてようが僕の彼女だ。

 僕を叩く暁美の手首をそっと握り、困ったような笑顔を浮かべた。

 

「好きになった経緯が心理操作でも、どれだけ嫌なところ羅列(られつ)しても僕は君が好きなんだ」

 

 涙で縁取られた紫の瞳が驚いたように広がって、僕の顔を映し出す。

 その自分の表情は予想以上に幸せな顔をしていた。

 改めて感じる。僕は暁美……いや、ほむらが心から好きなのだということを。

 たとえ、過去に戻って昨日からやり直せるとしても、何度だって彼女を選ぶだろう。

 本当にどうしてこんなにも女の子の趣味が悪くなってしまったのか見当も付かない。

 

「政夫……」

 

 僕の名を呼ぶ『D4Cな彼女』の口を自分の唇で塞いだ。

 女の子にしかない、特有の甘い吐息が口内に入り込んでくる。

 お互いに目を瞑ると、示し合わせたかのように柔らかい舌先が巡り会う。

 昨夜の時とは違って激しいものではなく、お互いの形を確かめ合うような揺るやかなものだった。

 唾液と唾液が混ざり合い、循環するように流れ出すその行為は生命の営みを感じさせた。

 ほむらが女であること。僕が男であること。そして、どこか深いところで求め合っていることを強く理解した。

 時の流れさえも止まったような長い長いキスの後、僕はほむらから顔を離す。

 舌と舌を結ぶ透明な唾液の糸がぷつりと途切れた。

 

「ねえ。覚えてる? 僕と君があのショッピングモールで出会った時のこと」

 

「……忘れはしないわ。あの時に政夫を強く記憶に刻み込んだのだから」

 

 僕を見つめるほむらは上気した頬と潤んだ瞳が十四歳とは思えないほどの色気を放っていた。

 人形のように整った美貌に、人形では表せない生命の輝きを放つ彼女に身体の中の芯が熱くさせられる。

 

「『君と出会ったのは運命』だって、僕はそう言った。あの時は口から出任せだったけど、今は違う。君に出会えたことを心の底から運命だと信じてる」

 

「私もよ、政夫」

 

 両腕を背中に回して、ほむらを抱きしめる。彼女もそれにあわせて僕の首に手を回した。

 服越しから伝わる体温を心臓の鼓動を噛み締める。

 身体に染み込むその温かさが心へじんわりと収束していく。

 きっと、これが――『愛』というものなのだろう。

 




今回はいちゃいちゃ回でした。それと政夫が内心でほむらを名前呼びするイベントでもあります。
あと、政夫自体はほむらの事好きだと思ってないのではという意見があったのでこの話を書きました。
何だかんだ文句や皮肉は言いますが、政夫はほむらの事を気にいってます。
織莉子によって、ほむらが死に掛けたからこそ、改めてほむらの存在を体感でしょう。

何が言いたいかと言うと、「織莉子さんのおかげ」という事です。

残り八話くらいで終わらせる予定なので皆さん、もう少しお付き合いを。


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第百三話 紫色の回想

今回はリクエストにお答えして97話辺りのほむら視点を回想シーンのようにして入れてみました。


~ほむら視点~

 

 

 

「ほむらさんの身体に何の異常もなかったことも確認できたし、僕はもうそろそろ帰るよ」

 

 私の身体を抱きしめてくれた政夫はそっと身体を離してそう言った。

 服の上から感じ合っていた体温が急に()がされ、触れていた彼の温度が遠ざかる。

 それが無性に寂しさを(あお)り、呟きが漏れた。

 

「え……もっとゆっくりしていけばいいのに」

 

 酷く甘えた幼い声色に自分でも僅かに驚く。しかし、政夫と離れるという事の方が私にとっては遥かに重要だったため、そんな瑣末(さまつ)な事はすぐに意識から外れた。

 政夫の前では冷たい仮面は被る必要はない。普通の歳相応の女の子として居られる。押し潰れそうになる不安から解放される。

 私は、私で居られる。

 

「まあ、僕もそうしたいのはやまやまだけどね。……織莉子姉さんとも話しておかないといけないし」

 

「……それは。確かにそうだけど……」

 

 美国織莉子との件は取りあえずは収束したけれど、何もかも解決した訳じゃない。

 彼女は一時的に諦めたが、根本的なところでは私を許していないだろう。私と彼女の立ち位置が逆ならば、同じ事をしていたかもしれない。

 

「大丈夫。また前のように皆でお昼ご飯を食べられるようにするから」

 

 柔らかく微笑む政夫の顔を見つめながら、私は思った。

 ――別に貴方以外の人なんか要らないのに。

 

 

 彼を玄関まで見送った後、私は寝室にある椅子に背を預け、天井を仰ぐ。

 酷く幼稚で我侭(わがまま)で狭量な考えに自分でも嫌気が差す。それでも、紛れもなく本心からの言葉だった。

 広がらない、狭いコミュニティの中で政夫が私だけに向けて笑ってくれるだけで十分過ぎるほど満たさせる。

 それを口に出して言えば、きっと政夫は悲しむだろう。誰よりも私が友達を作る事を望んでくれた彼は、まどかや美国織莉子たちともっと交流を深めさせようとしている。

 本当に……お節介なくらいに彼は優しい。 

 ベッドの枕元に置いてあったぬいぐるみを視線を向ける。

 どこか表情が固く、むっつりとしたデフォルメ調のジト目の黒猫のぬいぐるみ。

 椅子から降りて私はそれを手に取り、そっと抱き締めた。

 このぬいぐるみは私が政夫とデートした時に彼からもらったものだ。もらってからはずっと枕元に置いて、大事にしている。

 私は政夫が好きだ。彼の事をこの世で一番愛しているのは自分だと胸を張って言える。

 きっと他の誰よりも……そう。まどかよりも私の方が政夫の事を愛している。

 まどかには悪いけれど、私の方が政夫を必要としているのだから仕方がない。

 あの時に諦めないで本当に良かった。もしも、あの夜に私が政夫の部屋に行かなければ、今ある幸せはありえなかったかもしれない。

 まどかが政夫の心を救ったあの時――私は心底まどかに嫉妬していた。

 

 

 

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 何でまどかなの……? 

 どうして私では駄目だったの……?

 胸の中でそんな言葉が何度も何度も湧き上がる。

 まどかへの強烈な羨望と嫉妬が脳裏で嵐のように渦巻き、止まる様子を見せない。

 

「よかったですよね、ホント……」

 

 私の前を歩いていたさやかがそう言った。私にではなく、ここに居るもう一人に向けての言葉だった。

 その「もう一人」。美国織莉子が返事をする。

 

「ええ、そうね。まー君がようやく自分を縛る鎖から解き放たれた。これであの子ももっと幸せに生きられるわ」

 

 私たちは巡回兼魔女退治のためにいつもの三人一組で夕方の街を歩いていた。

 さやかと美国織莉子は互いに少し嬉しそうな顔で私の前で談笑しながら、足を動かしている。

 さやかは安堵した笑みを浮かべ。美国織莉子の方は明るく穏やかに微笑んでいた。

 この二人は何故平気で居られるのか私には理解ができなかった。二人とも、政夫へ好意を抱いていた事を私は知っている。

 彼女たちは思わないのだろうか……政夫が私たちを突き放そうとした時、彼を抱き締めていたのが自分であったらとは。

 その役目をまどかが持っていってしまった事に何の悔しさも抱かないのだろうか。

 そうなのだとしたら、私だけが――――。

 

「ほむら。どうしたの? 急に立ち止まったりして」

 

 ハッとなって、顔を上げるとさやかが振り返って私を見ていた。いつの間にか、さやかたちと私の間には十メートルほどの距離が離れていた。

 思考の海に埋没していた意識を浮上させると、私は表情を固めて答える。

 

「……何でもないわ」

 

「いや、何でもないって事はないでしょ。……それに、ほむらの気持ちも解らない訳じゃないし」

 

 少しだけ目を逸らして、頬を指先で引っかくさやかは小さく言い(よど)んだ。

 そうだ。彼女は私と同じ、いえ、私よりも明確に失恋をしているのだった。今回の事も合わせれば、二度もだ。

 辛くない訳ではないはず。けれど、その痛みに耐えている。

 私にはとても真似できそうにない。

 

「暁美さん」

 

 美国織莉子も私へとゆっくりと近付いてくると、私の数歩前で止まった。

 

「私はまー君に恋愛感情は持っていないから貴女の痛みは解らない。でも、本当にまー君を愛していると言うのなら、自分の気持ちを堪えてあの子を祝福してあげてくれないかしら?」

 

 私の顔を正面から覗き込む美国織莉子はそう言って、真っ直ぐな視線を向ける。

 そこには私への申し訳なさも僅かに混ざっているが、有無を言わさぬ絶対的な圧力があった。決してきつい物言いではなかったが、懇願ではなく命令のように響いた。

 

「祝福……?」

 

「そうよ。あの子がやっと掴んだ自分のための幸せだもの。喜んであげなきゃいけないわ」

 

 まるで自分にも言い聞かせるようなその言葉に違和感を感じたが、それ以上に到底私には受け入れられない事だった。

 さやかや美国織莉子とは私は政夫への想いが違い過ぎる。

 私にはもう政夫は隣居てくれないと満足できない。彼が私以外の誰かへ愛を向けるところなんて想像すらしたくない。

 例え、まどかでもさえも許せそうにない。

 嫌だ。嫌だ。絶対に嫌だ。政夫は私の……私だけの拠り所なのだ。

 

「私は……私は」

 

 胃がきゅっと締められた巾着袋のように縮小して痛む。視線が定まらず、ふらふらと身体の重心が揺らいだ。

 とても冷静では居られそうになかった。今まで自分を支えていた足場が今にも崩れ落ちそうになっているのを感じる。

 

「……ほむら。今日はもう帰った方がいいんじゃない? 顔色悪いよ。パトロールは私と美国さんだけやっておくから」

 

「そうね。私たちの魔法は感情や精神と密接に関わっているから、不安定な時は休んでいた方がいいわ」

 

 同情を含んだ二人の言葉。

 どこかそれが遠くから聞こえてくるような、臨場感のないぼんやりとしたものに響いた。

 私はそれから彼女たちと二三言葉を交わした後に、一人家に帰った。

 二人に何を言ったのかは覚えていなかった。別れの挨拶すら、ちゃんとしたか記憶にない。ただただ湧き上がる言語化できない濁った暗い感情が思考を満たしていた。

 ふらつく足で家の中に入ると、一直線に寝室に向かい、薄暗い暗闇に包まるようにベッドに倒れ込んだ。

 どうして。

 どうして、まどかは政夫を好きになってしまったの?

 いいじゃない。貴女には他にもたくさん大切な人が居るのだから、政夫一人くらい私に譲ってくれたって……。

 私にはもう政夫しか居ないのよ?

 それなのに何でそれすらも持って行こうとするの?

 

 ――貴女なんて私が居なかったら、すぐにキュゥべえに騙されて死んでしまうくせに。

 

 ぞっとした。

 自分の思考のあまりの身勝手さに恐怖した。私はこんな事を心のどこかで考えていたという事に衝撃を覚える。

 

「……違う。そうじゃないでしょう……まどかは悪くない。悪いのは政夫に踏み込めなかった私」

 

 ――放っておけばよかった。こんな風に横から好きな人を奪われるくらいなら。

 

「違う、違う。まどかは私の大事な友達なのよ? 憎むなんて間違ってる」

 

 首を振って否定しようとするが、私の中の汚い部分が囁く。

 

 ――まどかは友達……? それは一体どの『まどか』なの?

 

「それは……」

 

 とっさに反論できなかった。暗く濁った私の思考はなおも私に語りかける。

 

 ――『まどか』は何もなかった私にとっての最後に残った道標だった。それしか縋るものがなかったから。それを追い求める以外に希望を抱く事ができなかったから。

 

 淡々と冷静に述べる私の思考は聞きたくなかった、無意識に目を背けていたものをまざまざと私に見せ付ける。

 

 ――最初とその次、さらにその次の時間軸の『まどか』は確かに私に色んなものをくれた。でも、それ以降(・・)の『まどか』は私に何をしてくれたというの? 

 

「……そ、そうよ。その二人のまどかは私に優しくしてくれた。そして、三つ目の時間軸のまどかは私に騙される前の自分を助けて欲しいと」

 

 ようやく反論の糸口を見つけて、声に出して言う。

 しかし、私の中の身勝手な思考はそれすらもたやすくかわす。

 

 ――それが何になるの?

 

「……え?」

 

 ――騙される前のまどかを助けたところでもう魔女になってしまった『友達だったまどか』は救えない。政夫が前に言ったとおり限りなく近いだけ(・・)の別人でしかない。ずっとそれに気が付いていない振りをしていただけ。私がいう『まどか』は、助けたかった『まどか』はどれ(・・)

 

 やめて。聞きたくない。

 目を瞑り、両耳を塞いで拒絶するが、心の闇は饒舌(じょうぜつ)な語りを止めてくれはしない。

 

 ――結局、私にとって『まどか』は絶望しないための、魔女にならないための、単なる記号でしか過ぎなかった。

 

 決定的な一言を述べる。私の行動指針を根本から否定する残酷な一言を。

 

 ――もう昔ほど『まどか』に(こだわ)っていない。私はもう(・・・・)まどか(・・・)なんて居なくても困らないほどに(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 急激に身体から体温が奪われていくような錯覚に陥った。

 自分自身のずるさに失望のあまり何も考えられない。

 こんなにも醜悪で利己的な性格をしていた事に涙すら滲んでくる。

 そして、それと同時に一つの納得があった。

 私が昔ほどまどかの事を考えなくなった事に対する答え。

 それは元々、心の奥底でまどかの事を都合のいい偶像として見ていたからだった。

 ただ自分に優しくしてくれる『友達』の象徴。

 

「……ふふ」

 

 思わず、自嘲が漏れた。

 それはそうだ。こんな自分の事しか考えていない私があの時、まどかのように政夫を諭せる訳がない。

 自分の事しか考えてこなかった私が政夫の気持ちを理解するなんて無理な話だ。

 なら、政夫の事はまどかに任せるべきだ。

 きっと優しいまどかなら、政夫ともうまく行くはず。

 さやかや美国織莉子のように諦めて……。

 

 ――絶対に嫌だ。やっと普通の女の子のような幸せを掴んだのに手放すなんて嫌。

 

 納得して、諦めてこのまま身を引こうとする私を邪魔するようにまた(ずる)い利己的な思いが顔を出す。

 理性ではどうにもならない本音が頭の中で荒れ狂う。

 

 ――政夫をまどかに譲りたくない。自分のものにしたい。諦めたくない。

 

 駄目だ。どうしてもその自分勝手な思いを抑え込む事はできそうにない。

 目の前に光る希望に手を伸ばしてしまう癖は昔から変わっていないようだった。

 

「最低ね。私は……」

 

 こんなにも私は我慢弱い人間だっただろうか。

 こんなにも私は欲しがりな人間だっただろうか。

 私がこんな風になったのはきっと彼のせいだ。

 

「政夫……貴方が悪いのよ。優しくするから、心地よくするから。だから、好きになってしまった」

 

 外から差し込む光は知らない内に消え失せ、完全に真っ暗な寝室でそう呟くとベッドから降りて、床に足を着ける。

 一人問答を続けている間に体感時間よりも時が経ってしまったようだった。

 私は寝室を出て、廊下を渡り、玄関のドアから外へと出る。

 足取りは先ほどよりもずっと確かなものだったが、私の気分はどこか見えない何かに導かれるような不確かなものだった。

 ただ頭の中にあるのは政夫の顔が見たいという簡潔な欲求だけだった。

 

 彼の家の庭まで着くと、いつもの如く彼の部屋の窓の前に立つ。

 そして、政夫が私に気付いて窓を開けてくれるのを待った。

 

 

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 思い出しても自分の身勝手に辟易(へきえき)する。何故、政夫はこんな私を選んでくれたのか自分でも分からない。

 けれど、自分の行動の結果、今の幸福があるのだから否定する気にはならない。

 まどかの幸せを奪ってしまった事には罪悪感はあるけれど、それでも私は自分の幸せを取った。

 美国織莉子の言うとおり、私は最低の人間だ。もうまどかに友達として顔向けできないかもしれない。

 でも、私は政夫に想いを告げ、彼はそれに応えてくれた。

 ならば、私は迷わない。

 こんな私を好きだと言ってくれた政夫に何か返せるような人間になる。

 自分の事ばかりでいっぱいになりそうな自分勝手な愛はもう止めにしよう。

 抱き締めていた黒猫のぬいぐるみを再び枕元に置き直した。

 

 

 

 *******

 

 

 

「それでまー君は私の家に来たのね……」

 

「はい。あのまま別れてほむらさんとの溝が消えないのも織莉子姉さんの望むところではないでしょう?」

 

 織莉子姉さんの家に訪れた僕は客間で織莉子姉さんと向かい合って対話する。

 透明のサイドテーブルを挟んで、お互いに革張りのソファに腰かけていた。

 織莉子姉さんは呆れの滲んだ笑みを浮かべて僕を見つめる。

 

「あの別れでよく私と顔を合わせる気になれたわね」

 

 あれだけの啖呵を切った後、日も(また)がずに僕の方から訪ねて来るとは思ってもみなかったらしい。

 まあ、無理もない。あの時は僕もかなり気が立っていた。

 

「言い過ぎたとは言いませんよ。あなたはそれだけのことを僕の彼女にしました」

 

「……そうね。私はまた自分の都合で人を(あや)めようとした。釈明の余地もないわ」

 

 俯き、目を伏せる織莉子姉さん。

 その顔には罪悪感と後悔が浮き出ていた。故にそれ以上に責める気は起きなかった。

 何より被害者であるほむらがそれを望んでいない。それに今回の事件の原因の僕だ。

 

「今回の……いえ、前回のことも含めて織莉子姉さんが僕の身を案じての行動だということくらい分かってます。……織莉子姉さんが優しいってことはちゃんと分かってますから」

 

「まー君……」

 

 僕の言葉に弾かれたように顔を上げて、そして、緩やかに微笑を漏らした。

 

「本当に優しくて(さと)い子に育ったわね。泣いてばかりいたあのまー君は見る影もないわ」

 

 昔の自分を引き合いに出されて、少し恥ずかしくなり、ちょっとおどける。

 

「泣いてばかりだと女の子にモテないので努力したんですよ」

 

 それに僕もこの街に来たばかりの頃はもっと斜に構えていた。今のように他人のことを心から大事にしたいと思えるようになったのは、ほむらやまどかさんたちとの交流があったからだ。

 表面上だけでコミュニケーションを取っていればいいと思っていた僕は本当に浅はかな子供だった。

 

「まあ」

 

 口元を手で隠して、織莉子姉さんはクスクスと笑った。

 良かった。川原で別れた時の織莉子姉さんは遠目でも分かるくらいに落ち込んでいたからな。少しでも気分が良くなってくれたなら何よりだ。

 話を再び、元に戻して僕は続ける。

 

「ほむらさんは確かにちょっと……かなり……いや、もの凄く困ったところのある女の子ですけど、それでも僕がずっと傍に居てあげたいと思うのは彼女だけなんです。幸せにしてあげたいと心から思ってます。でも、それには僕だけでは足りません。あの子にはたくさんの仲間が必要なんです」

 

「だから、私も暁美さんと仲良くしてあげて欲しいって言いたいのね。ワルプルギスの夜を倒すための魔法少女としてだけではなく、彼女の友人として」

 

「話が早くて助かります」

 

 織莉子姉さんの頭の回転が早いというのもあるのだろうが、前からほむらに何が必要かを考えてくれたのだろう。

 でなければ、ここまであっさりとこの回答は出ないはずだ。

 この人も本来は無条件で他人に悪意を向けるような人間ではないのだから。

 

「まー君。暁美さんの歪みや心の闇は根深いわよ。いつかそれが貴方に牙を向く事になるかもしれないわ」

 

「分かってます。その時は彼氏として可能な限りどうにかしますよ」

 

 僕がそう言うと、織莉子姉さんは目付きを鋭く変えて再度尋ねる。僕の本心に直接語りかけるような真摯で冷徹な瞳だった。

 

「……どうにもならなかったら?」

 

 その問いに一拍空けて、にっこり笑って答えた。

 

「彼女と一緒に絶望して死んであげます」

 

 他に方法がないのならせめて最期まで彼女に寄り添おう。

 あの孤独に怯えるほむらを僕は絶対に一人にはさせない。

 

「覚悟は固いのね……」

 

「それくらいしか、してあげられませんから」

 

 織莉子姉さんは「ならもう私は口を出さないわ」と諦念の溜め息を吐いた。

 どうやら、僕の意思の固さに折れてくれたようだった。

 

「まー君の言うように私もこれからは友人としても、暁美さんを支えようにするわ」

 

「ありがとうございます」

 

 頭を下げて、お礼を言うと織莉子姉さんは少しだけ寂しそうにぼそりと呟いた。

 

「……もしも。もしも私の方が先に自分の想いに素直になっていたら……」

 

 羨むような、後悔を引きずるようなそんな声音に僕は目を(つむ)る。

 自惚(うぬぼ)れかもしれないが、織莉子姉さんは……『おねえちゃん』は僕のことを異性として思っていてくれたのかもしれない。

 もしそうだとしたら、正直に嬉しいと思う。尊敬していた人に好意を持たれて不快感など湧くはずもない。

 しかし、その好意に応えることはできない。

 だから、代わりにこの言葉を送る。

 

「織莉子姉さんにはきっと僕なんかよりもずっと素晴らしい男性(ひと)に巡り合えますよ。断言してもいいです!」

 

「……未来が視える訳でもないまー君が何でそう断言できるの?」

 

 確かに僕には織莉子姉さんと違い、未来なんて視ることはできない。けれど、織莉子姉さんが素敵な人と出会えることは断言できる。

 

「それは織莉子姉さんが素敵な女の子だからですよ。素敵な人には自然と素敵な人が引き寄せられるものです」

 

 力強く笑顔で僕はそう言う。お世辞でも誤魔化しでもなく、正真正銘本音だった。

 すると、織莉子姉さんは両手で顔を覆い、僕の目から自分の表情を隠すようにした。

 その謎の行動を怪訝(けげん)に思い、尋ねようとするが、その前に彼女のくぐもったような声に(さえぎ)られる。

 

「まー君……貴方はもっと自分の発言に気を付けた方がいいわ……」

 

「言っておきますけど、嘘偽りのない本音ですよ?」

 

「それが分かるから困るよ!」

 

 覆っていた手のひらをサイドテーブルに付けて身を乗り出す織莉子姉さんの顔は朱色に染め上げられていた。

 ひょっとして今照れていたのか? 顔を隠さなければならないほどに?

 気付いた瞬間、胸の内から妙な笑いが込み上げてきた。

 

「織莉子姉さんて、か、可愛いですね……」

 

 僕が噴き出しそうになるのを堪えながら感想を述べると、織莉子姉さんはさらに赤みを増して僕に叫ぶ。

 

「ま……まー君の馬鹿っ!!」

 

 その様子がまた可愛らしくて、とうとう堪えきれずに声を上げて笑い出してしまう。

 そういうところも含めて、ほむらにそっくりだ。

 怒る織莉子姉さんの声を聞きながら、大笑いの中で僕は確信した。

 ほむらと織莉子姉さんは絶対に仲良くなれる。

 なぜなら、彼女たちはこんなにもよく似ているのだから。

 




長らくお待たせしたわりに話が進展していなくてすみません。
本当はもっとシリアスな話を入れようとしていたのですが、最後の方のほのぼのしたシーンの余韻をぶち壊したくないので止めました。


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第百四話 孵卵器交渉

前話の回想シーンが面倒でなかなか書けなかったのですが、本来なら先にこちらの話を書く予定でした。ストーリー的には遥かにこちらの話の方が重要ですから。


 人通りの少ない裏路地の一角、普段ならあまり近寄りたくない街の暗部とも言える場所に僕は居た。

 ただでさえ、明かりの少ないその場所に夕暮れの薄暗い時間帯、汚れて灰色の壁には何に繋がっているのか分からない大量のパイプがびっしりと植物の(つた)のようにこべり付いている。

 不良の溜まり場、あるいはヤクザが薬の売買に使っていそうなこの路地裏は陰鬱な負の雰囲気が留まっており、そこに立っているだけで呼吸をするのも(はばか)れそうだった。

 そんな場所になぜわざわざ訪れたかというと、それは僕の頭の上に鎮座している頼れる友達の言葉が理由だ。

 

「ここに居るんだね、ニュゥべえ」

 

「そうだよ、政夫。すぐ近くに彼ら(・・)の反応がする」

 

 ぴょんと僕の頭上から飛び降りたニュゥべえは首に巻いたオレンジ色のレースのハンカチを揺らしながら、しなやかに地面に着地してそう言った。

 それに呼応するかのように影で死角となっていた路地の角からニュゥべえに良く似た、けれど致命的に愛嬌の足りない猫ほどの白い四足獣が現れた。

 

『彼ら、なんて随分他人みたいな言い方をするんだね。元はボクらと同じだったのに』

 

 頭に直接響いてくるような声を出すその生き物はかつて僕が支那モンと呼んでいた存在だった。

 今ではニュゥべえと対比させるために「旧べえ」と呼ぶことにしている。

 旧べえはニュゥべえと違い、肉声とは別の頭に響くようなテレパシーのようなもので話しかけてくる。

 

「……ボクをあんなにもあっさり切り捨てておいてよく言うよ」

 

 普段は見せないような拒絶的な冷えた声でニュゥべえは吐き捨てた。

 対する旧べえはまるで珍しいものでも観察するような奇異の視線を投げかけている。

 

『君は本当に感情を手に入れたようだね。精神疾患になって、リンクから切り離された個体は他にも居たけれど、ここまではっきりと感情を持った個体は恐らく君が初めてだよ』

 

「まあまあ、同窓会はその辺にしておいて本題に入ろうじゃないか。君だってそのつもりでわざわざ僕にも見えるように姿を現したんだろう? 臆病な旧べえ君」

 

 ニュゥべえが不快そうにしているため、僕は一歩前に出て割って入り、本題に話を持って行く。

 こいつらは僕には姿が見えないようにして、さらにまどかやさんや魔法少女とも接触を取らずに遠くからこちらを見ていた。ニュゥべえによると、僕を危険視して姿を眩ませていたそうだが、今回はそれにも関わらず僕にも視認できるように現れた。

 向こうとしてもニュゥべえのようになる危険を冒してでも、ニュゥべえ――インキュベーターでありながら魔法少女になった稀有な存在が気になったようだ。

 僕を見上げる旧べえは無表情ながら、一瞬だけ視線に不愉快そうな雰囲気を(ただよ)わせた後、僕に同調した。

 

『そうだね。そのためにまた君にも見えるようにしたんだよ、政夫』

 

「ご配慮痛み入るよ。君らはかくれんぼが上手なようだから」

 

 薄笑いで皮肉を言うと、旧べえは静かに返す。

 

『……その手にはもう乗らないよ、政夫。君の言動はボクらを精神疾患へ導く病原体だ』

 

 病原体とは言葉選びがなかなかに愉快だ。ただの皮肉にここまで言えるのはある意味凄い。

 感情のない振りをしているが、もう既にこいつらは十分過ぎるまでに感情豊かだ。後は、ニュゥべえのようにそれを認めるかどうかの違いでしかないのではないだろうか。

 しかし、この様子からいって認めることは無理だろう。

 

「そう。なら、カルシウムが足りていない旧べえ君の好きそうな話題にしようか。――例えばニュゥべえが独自に獲得した『感情エネルギー変換能力』とか」

 

 僕はニュゥべえに目配せをすると、彼女はそれに応じてこくりと一つ頷いた。

 ニュゥべえの身体からオレンジ色の光が放たれ、次の瞬間には一人の少女の姿に変わっていた。

 先の方に不思議な輪のような装飾品が付けられた真っ白なツインテール髪。その二本の束ねられた髪の根元には猫のような耳が生えている。ファンシーな女の子らしいオレンジ色の衣装の胸元には大きな蝶結びのリボンが目立っていた。極めつけはスカートの腰辺りから顔を覗かせた白く大きな尻尾。

 口元を小動物のように丸めた柔らかい無表情を浮かべるその少女はニュゥべえの人間態だった。

 袖のない衣装からは綺麗な二の腕が剥き出しになっていて、下の方もスカートの(すそ)から見える生足には靴下を纏っていない。

 毎度見る度に思うが、その容姿は何と言うか、非常にあざとく見える。

 人間態になったニュゥべえはその場でくるりと回った後に顔だけをちらりと僕に向けた。

 表情から察するに僕の感想を聞きたいのだろう。

 

「うん。いつ見ても可愛いよ」

 

「政夫にそう言ってもらえるとやっぱり嬉しいね」

 

 両目を細めて本当に嬉しそうに笑う彼女に連れられて僕も顔が(ほころ)んだ。

 普段はマスコットの姿でいるから、あまり感じないがニュゥべえもこの姿を獲得してからは女の子らしくなっていた。容姿を褒めてもらえるのは嬉しいようだ。人前でこちらの姿にさせてあげられなかったのが少し申し訳なくなる。

 

『なるほどね。これが昨日ボクらが感じた異質な反応の正体か。確かにソウルジェムとは大分異なっているようだね』

 

 淡々と分析するようにニュゥべえを眺める旧べえ。その目には抑えてはいるがしっかりと好奇の色が垣間見える。

 当然ながら、一度は見捨てた仲間に対する後悔の念は欠片さえも見て取れない。

 つまらない苛立ちは感じる癖にニュゥべえに後ろめたさも感じていないのか……。

 デリカシーが微塵もない旧べえに僕は侮蔑を覚えた。

 だが、ここでそれを表に出して、ようやくやって来た好機を無駄にするほど愚かではない。

 

「これがニュゥべえが感情に目覚め、身に付けた力だよ。そして、君らも彼女のようになれる可能性を秘めているんだ。この能力に目覚めれば、今まで魔法少女から得るだけだった感情エネルギーが自ら生み出せるようになる。どう? 君らもニュゥべえのようになる気はない?」

 

 これが僕とニュゥべえが旧べえに会いに来た理由であり、そして、『the new base of incubator(インキュベーターの新たなる基盤)計画』の第三段階だ。

 この結果で三日後のワルプルギスの夜での未来が大きく変わるだろう。

 

「ボクには、通常の魔法少女と違って、負の感情エネルギー(けがれ)もエネルギーとして使用できる。ソウルジェムとはシステムの構造が違うみたいだからね。全てのインキュベーター自身がボクのように魔法少女化すれば、今在る『魔法少女システム』は過去のものになるはずだよ」

 

 アピールするようにニュゥべえはオレンジ色のリボンを右手から出現させて、それをマスケット銃へと変化させる。表面の装飾や色こそ違うが、巴さんのリボンの魔法と同じものだ。

 作ったマスケット銃を放ると、この度は反対の左の手から槍を作り出す。色はこれもオレンジ色をしている。僕はあまりじっくりと眺めたことはないが杏子さんの持っていた槍に似ている。

 宙に投げ出されたマスケット銃は重力に従って落ちてきた。解けて、空中で元のオレンジ色のリボンへと戻っていく。

 それをニュゥべえは構えた槍で華麗な手捌きで細かく切り裂いて、散らした。

 最後に両手の甲からカギ爪を生成して、切り裂かれたリボンの無数の欠片が舞う空間にかざす。これは昨日も見た呉先輩の魔法だ。

 重力に従って緩やかに落ちていたリボンの切れ端はさらにその落下速度が遅れ、まるでスロー映像のような様を見せた。

 

「ボクが魔法少女になった後に至近距離で詳しく観察できたマミ、杏子、キリカはもう完全にコピーできるよ。ああ、ちなみに昨日解析した織莉子の水晶も再現可能だよ」

 

 鮮やかなマジックショーのような手捌きで行われた一連の本物の魔法に僕も内心で舌を巻いていた。

 なるほど、ほむらが家に襲撃したあの日に家に帰って来なかったのはその三人の魔法をじっくりと観測するためだったのか。働きもの過ぎて、頭が下がる思いだ。

 

『理解したよ。元インキュベーター、いや、君らに習ってニュゥべえと呼ばせてもらおう』

 

「別に君らに名前を呼んでほしいとは思わないけど」

 

 ニュゥべえのパフォーマンスを見た旧べえは出だしを挫かれながらも、何ごともなかったように話を続ける。

 こいつらは基本的にこちらの話よりも自分の語りを優先するところがあるからなぁ。重要なことは聞くまで絶対に教えない癖に。

 

『つまり、君たちはボクらもニュゥべえのように感情を獲得して、独自に感情エネルギーを生成できるようになってほしいという事なんだね? そして、今ある魔法少女システムを――魔法少女の勧誘を止めてほしい。これであってるかい?』

 

「平たく言えばそういうことだね。これからはいたいけな女の子を化け物にせず、自家発電してくださいってことさ」

 

 こちらからの提示はこれくらいのものだ。今更、道徳的な説得を試みる気は毛頭ない。

 そんなことで揺れるような存在ではないことなどとっくに分かり切っている。

 だから、利益になることをアピールして、理屈でこちら側に就いてもらう。

 本来、『魔法少女システム』は自分たちに使う予定だったようだから、ある意味で原点回帰したと言ってもいいだろう。

 僕とニュゥべえは旧べえが出す結論を耳を澄ませてじっと待つ。

 日も次第に沈んでいき、ただでさえ薄暗い路地裏が一層暗さを増していく。

 その薄暗がりの中で真っ赤に旧べえのビー玉のような目が光る。単三電池で動く安っぽい玩具のような奴だ。

 時間にしておよそ数十秒程度だが、体感時間はその十倍ほどに感じられた。僕にしてみればこれは今後の旧べえとの関わりを大きく変えるほどの大事な懸案なのだ。

 

『政夫』

 

 旧べえが僕の名を呼ぶ。

 僕はそれに答えず、ただ黙って結論を待った。

 

『ボクらは――ニュゥべえのようにはならない』

 

 ニュゥべえの努力も空しく放たれたのは、交渉決裂の言葉だった。

 

『インキュベーターという種全体が精神疾患になるのはリスクが高すぎる。まともなサンプルが一体しかいない現状、危険な賭けに出たくはないからね。何より、今の魔法少女システムを止める理由がない。それに君らのいう新しい魔法少女システムが今よりもエネルギー回収率を上げてくれるという確証もどこにもないよ』

 

 要約すると、「自分たちが感情を得るのは怖い。人間の女の子がこのまま化け物になって死に続けてくれた方が安全で確実だから、これかもずっと死に続けろ」ということらしい。

 どうやら、(はな)から折り合いを付けてくれる気はなかったようだ。

 

『ただ珍しいものを見せてくれた事には感謝するよ。精神疾患になった固体の末路なんて今まで詳しく調べていなかったからね。今まで見落としていたものにも新たな発見がある事が分かったよ。それじゃあね』

 

 好き放題台詞を吐いた後、旧べえは(きびす)を返して路地の角の暗闇へと帰ろうとする。

 そんな奴をみすみす帰すほど僕はお人よしではない。

 旧べえを見つめたまま、後ろに居るニュゥべえにお願いする。

 

「ニュゥべえ。頼むね」

 

「任せて、政夫」

 

 僕の脇を駆け抜けたニュゥべえは帰ろうとしていた旧べえの頭を鷲掴みにして拘束した。

 クレーンキャッチャーに掴まれたぬいぐるみのように無抵抗の旧べえは呆れたようにニュゥべえの肩越しに僕を見つめている。

 

『政夫。もう君のやり方は種が知れている。ボクはもう乗らないよ』

 

「知ってるさ。間抜けな外観のわりに君らは賢いからね。同じ手は効かないだろう」

 

『なら、ボクを殺すのかい? それが何より無意味な事は分かり切っているはずだよ?』

 

 だから、さっさと放せと言外に述べてくる旧べえに僕は告げた。

 

「残念だよ。これからは手を取り合って生きていけると思ったのに」

 

 できるだけお互いを尊重して差し伸べた手が払われたことに怒りはなかった。ただもう完全に決別するしかなくなったことがニュゥべえに悪いと感じていた。

 元とはいえ、同族と決別するはめになってしまったは気分がよくはないはずだ。

 だが、もう仕方がないことだ。

 

「ニュゥべえ。――当初(・・)のプランを実行して」

 

「分かったよ」

 

 僕の言葉にニュゥべえは応じて、旧べえを握った手を背中に回した。

 

『何を……』

 

 旧べえのその台詞は最後まで言い終えることはできなかった。

 ニュゥべえの背中に薄っすらと赤く丸い模様が浮かび上がり、その部分が服ごとハッチのように開いた。破れたのではなく、まるで機械の機構の一部だというかのように開いたのだ。

 開いた先は暗闇が広がっていて、とても人型に付いているとは思えない奥行きを見せている。旧べえはその中に放り込まれた。

 落ちていく闇の中にはもう姿さえ見えなくなっていた。

 そしてニュゥべえの背中のハッチは閉まり、模様ごと消え失せて、まるで最初からなかったように見えなくなった。

 

「ご苦労様。今日はありがとうね。疲れただろう?」

 

 労いの言葉を掛けると、ニュゥべえは軽く首を横に振った。

 

「ボクが政夫の役に立ちたくてやってる事だから、むしろ嬉しいくらいだよ」

 

 頭に付いている猫耳がピコピコと小刻みに動いた。その動作が可愛らしくて僕は小さく笑いながら彼女の頭を撫でた。

 ニュゥべえは心地が良いようで、撫で易いように頭を僕の方に突き出す。

 微笑ましい気持ちになりながら、僕はそっと思考の波に意識を落とした。

 これで『the new base of incubator計画』は最終段階へと移行した。

 後は完全にニュゥべえ頼みで、時を待つしかない。

 

「労った直後で悪いんだけど、これからもお願いね」

 

「任せてよ。ボクは政夫が望むなら何だって叶えてみせるよ」

 

 頼もしい台詞と共にニュゥべえは自分の胸をどんと叩いて見せた。

 最初は利用するだけのつもりだった彼女は、本当にいつの間にか誰よりも頼りになる相棒になっていた。

 




ニュゥべえ回であり、久しぶりのキュゥべえが出てくる話でした。
恋愛で政夫が振り回されているせいで全然この話を書けなくて実は結構困ってました。


随時感想お待ちしています。


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第百五話 初恋にお別れを

「それにしても向こうから姿を現してくれたのは行幸だったね」

 

 ニュゥべえは再び、人型の姿からマスコットの姿に戻り、僕の肩に飛び乗った。

 

「本当にね」

 

 僕らから姿を隠した旧べえたちを表舞台に引きずりだすために、頭を巡らせていたのが馬鹿みたいに思えるほどあっさりと現れてくれた。

 ニュゥべえだけでは足りないだろうと考え、『魔女の戻し方』なんてものまでニュゥべえと研究していたのが無駄になってしまった。

 いや、無駄にはなっていないか。

 

「ねえ、ニュゥべえ。『魔女の戻し方』の方は無理だったけれど、『魔女の弱体化』なら可能だって話だったよね?」

 

 昨日の夜、織莉子姉さんの家から自宅に帰った後に僕は、ニュゥべえが魔女退治に参加して、魔女を改めて間近から観察した時に得られた情報を報告してもらっていた。

 その際に聞かせてもらった一番重要な話が『魔女の弱体化』だ。正確に言うなら、魔女の穢れを吸うことが可能だということ。

 織莉子姉さんの水晶球を感情エネルギーに変換して吸収したように、穢れを分解して取り込むことができるのなら、穢れの塊である魔女の体積を削ることができるだろう。

 これが『ワルプルギスの夜』にも有効であればいいのだが……現在そこまで確証がない。

 

「そうだね。でも、あまり期待しない方がいいで。まだそこまで検証をした訳じゃないから、効果のほどは分からないんだ。……もっと時間を掛けれたらよかったんだけど」

 

「まあ。君の努力が無駄じゃないって分かっただけでもいいさ」

 

 申し訳なさそうにうな垂れるニュゥべえに「気にしないで」と小さく笑いかける。

 彼女は誰よりも僕のために頑張ってくれていることは、僕が一番分かっている。感謝することはあっても、貶すなんてことはあり得ない。

 

「……ありがとう。政夫」

 

「それはこっちの台詞だよ、ニュゥべえ」

 

 感謝の言葉と共に僕の頬に顔を擦り付けるニュゥべえに僕はそう返した。ニュゥべえが頬擦りする度に軽く触れるハンカチのレースが少しくすぐったかった。

 

 

 

 

 ニュゥべえを連れて、薄暗い路地裏から出ると、沈みかけながらも赤く輝いている夕日の日差しが飛び込んできて、僕の目を焼く。

 急激に明度が変わったからか、少しだけ眩暈(めまい)を感じた。それとも僕がこれから向かおうとしている場所のせいかもしれない。

 肩の上から頭の上によじ登っているニュゥべえを微笑ましく思いながら、内心では沈んで行きそうになる思考を打ち払い、僕は歩を進める。

 どこかへ向かうのがこんなに辛いのは、虐めに合っていた小学校一年生の時の登校以来だ。いや、ひょっとすると、それ以上かもしれない。

 そうして歩いていくと、土地の狭い日本ではあまり見ないレベルの大きな家の前に辿り着く。

 

「やっと着いたね、まどかの家に」

 

 今まで黙っていたニュゥべえが僕の頭上で言う。

 僕としては『もう着いてしまったか』というネガティブな心境だった。できるだけゆっくりと歩いて来たのだかが、夕日が沈み切る前に到着してしまった。

 今日、僕がまどかさんの家の前まで来た理由は一つ。

 告白してくれたまどかさんを正式に振るためだ。

 

 僕はまどかさんに告白され、紆余曲折あって、結局はほむらと付き合い始めた。そのことをまどかさんには告げたが、未だに告白の返事を返していないままだった。

 まどかさんももう理解していると思うが、それでもケジメというものがある。

 真正面から想いをぶつけてもらったのだから、同じように真正面から返答するのが礼儀だろう。

 玄関口の前で大きく息を吸い込み、そして、ゆっくりと吐き出す。

 深呼吸を数回繰り返した後、僕は言った。

 

「良し…………帰りたい」

 

「駄目だよ。何のためにここまで来たんだい? まどかに返事を返すためだろう」

 

 僕の情けない発言にニュゥべえが突っ込む。

 まったくもってニュゥべえの言うとおりなのだが、信じられないほど気乗りしなかった。

 携帯電話でまどかさんとこのことを話すのは流石にあまりに誠意がないと思ったから、こうやって直接足を運んだ訳だが、正直に言うともう帰りたくて仕方がなかった。

 あの優しくて、穏やかで、僕のことを深く理解した上で、好きだと言ってくれたまどかさんを振るのが死ぬほど辛かった。

 彼女に落ち度は何一つないのだ。この一軒に関しては全て僕が悪い。

 それにも関わらず、彼女が傷付かなくてはいけないこの状況が例えようもなく理不尽に感じられる。そして、その理不尽を作り出しているのが他ならない自分だということが辛い。

 

「良し…………行くよ!」

 

 気合を込めてインターホンに一指し指を伸ばそうとした。

 すると、そうする前に唐突に玄関のドアが開いた。

 

「あ」

 

「あ……」

 

 顔を出したのはピンク色の髪の女の子。僕が今一番会いたくない相手であり、僕が今一番会わなくてはいけない相手、鹿目まどかさんその人だった。

 お互いに「あ」の形に口を開いたままで硬直している。

 さっきまで入れていた気合が砂時計の砂のようにさらさらと心の外側に落ちていくのを感じた。

 まどかさんの顔を見た瞬間に何を言おうとしていたのかさえ、朧気(おぼろげ)になってしまった。

 どうしようという単語で思考が一杯になりかけたその時、救いの手、あるいは無責任な一押しが僕に差し伸べられた。

 

「やあ、まどか。今日は政夫がまどかに話があるそうなんだ。聞いてあげてくれないかな?」

 

 頭の上のニュゥべえがまどかさんにそう声をかけた。

 第三者のその一言で僕とまどかさんの硬直は解け、止まっていた思考が放り出された。

 何とか、持ち直してぎこちないながらも笑みを浮かべて、僕はニュゥべえに追随する。

 

「そ、そうなんだよ。ちょっとまどかさんに話があって……」

 

「わ、私に? 政夫くんが……?」

 

「うん。そう……」

 

 上擦った声で尋ねるまどかさんに僕は頷いた。

 緊張の二文字が周囲の全て覆い尽くすこの状況に胃袋がきりきりと締め上げられているのが理解できる。

 体温は下がって行きそうなのに背中にはじんわりと汗が滲む。辛い。この状況が凄く辛い。

 

「その、立ったままだと話できないし、家の中に入らない……?」

 

 まどかさんはまだ少し戸惑った様子で僕を家の中に招き入れようとしてくれる。

 本当のことを言えば、ここで立ち話で終わってくれた方が精神的には嬉しいが、まどかさんが望むのなら断ることなどできるはずもなく、

 

「それじゃあ……お邪魔しようかな」

 

 覚悟を決めて入れてもらうことにした。

 

 

 

 まどかさんの部屋に上がらせてもらうと僕は部屋のドアの傍で正座をする。その隣にニュゥべえも座り込む。

 丁度対面するようにまどかさんが僕に習ってか、同じく正座をしている。

 気まずさ以外の空気が感じないこの部屋にひたすら耐えながら、僕は最初に口を開いた。

 

「二回目だね。この部屋に上げてもらうの」

 

「そうだね。一度目は政夫くんに学ランを返した時だったっけ」

 

 まどかさんも幾分落ち着きを取り戻したようで会話に乗ってくれた。思えばあれからそんなに経っていないのだが、随分昔のように感じられる。きっと、僕とまどかさんの関係が変わってしまったからだろう。

 ただの友達とはもう思えない。けれど、恋人にはなり得ない。そんなどっちにもなれない複雑な関係。

 

「あの時からまどかさんは僕のこと分かってたんだよね。誰にも(すが)れない独りぼっちな情けない僕のことを」

 

 あの時は『優しい友達』として突き放したが、きっとあそこでまどかさんは本当の僕の姿が見えていたのだろう。

 

「またそうやって自分に酷いこと言うんだね、政夫くんは」

 

「え?」

 

「頑張っていた自分の事、情けないなんて言うのは止めてよ……。誰にも縋れなかったのは政夫くんが自分にそうやって厳しい目で見ているからだよ」

 

 今までの雰囲気とは一転して少し悲しそうな目で僕に怒り出す。

 それが堪らなく、僕の心に響いた。この子は本当に『僕のため』に怒ってくれているのだと嫌でも伝わってくる。

 

「誰かに優しくできるんだから。自分自身にも同じようにしてあげて。じゃないと……政夫くんのことを好きな人が悲しんじゃうよ」

 

 そっと僕の内面を撫でるような、それでいて(たしな)めるような言葉に想いが揺れる。

 握り潰した初恋が再び、溢れ出さないようにぐっと堪えて、想いを捻じ伏せた。

 熱くなりそうな目頭を指先で摘まみ、目を一瞬だけ(つむ)る。

 小さく吐息を吐き出して気分を落ち着けた後に、にこりと笑顔でまどかさんにお礼を言う。

 

「心配してくれてありがとうね。でも、大丈夫。今は……彼女が、ほむらさんが傍に……居るから」

 

 舌が上手く回らなくなり、最後の方は酷くたどたどしい発音になってしまった。

 心が痛い。まどかさんの顔をまっすぐに見られない。

 自分の選んだ選択肢を後悔している訳ではない。でも、胸が詰まるような苦しみはどうしたって滲み出る。

 

「政夫。大丈夫? 顔色悪いよ」

 

「大丈夫だよ。心配しないで」

 

 ニュゥべえが心配そうな目で見つめてくるのを笑顔で制した。

 そして、まどかさんの方を見て、乾燥し始めた口の中で舌を動かし、整えてから喋り出す。

 

「まどかさん」

 

「……うん。何? 政夫くん」

 

 僕がこれから言おうとしている内容が分かっているようで、まどかさんの相槌は穏やかで優しかった。

 声が震えないように細心の注意を払い、僕は言う。

 

「告白してくれてありがとう。おかげで僕は……独りじゃないって本気で思えた。嬉しかった。本当にありがたかった」

 

「……うん」

 

「君に縋って泣いた時、心の底から安心できた。誰かの手を掴んでもいいんだって思った時、抱えていたものが一気に軽くなった」

 

「……うん」

 

「でもっ」

 

 一旦、ここで言葉を区切って、勢いを付ける。そうでなければ、途中で止まってしまいそうになるから。

 安らぎ、喜び、幸せ、そして愛しさ。その四つをくれた女の子の好意を僕は踏み(にじ)る。

 

「僕はまどかさんとは付き合えない。傍に居てあげたい女の子がいるから……僕はほむらさんが好きだから」

 

 全てを言い終えた僕はまどかさんの瞳を逸らさず見つめる。

 髪と同じピンク色の瞳は僕のことを好きだと言ってくれた時と同じ輝きを放っていた。

 

「……政夫くん」

 

 まどかさんが僕の名前を呼んだ。

 目を逸らさないようにして、次の言葉に耳を傾ける。

 どれほどの罵倒が来ても甘んじて受けるつもりだ。好意をもらっておきながら、救ってもらっておきながら、それを踏み躙ったのは紛れもなく僕なのだ。

 彼女には僕を傷付ける権利と資格がある。

 

「ちゃんと返事をしてくれてありがとう」

 

 けれど、まどかさんが言ったのはその一言だけだった。

 台詞の続きを待ち、彼女を見つめても優しい微笑み以外は返って来ない。

 数分間、言葉の続きを待っていたが、痺れを切らして僕は聞いた。

 

「それだけ、なの……?」

 

「うん。付け加えるなら……ほむらちゃんを大事にしてあげてって事くらい、かな?」

 

 僕は(あなど)っていた。自分の初恋の女の子を。この世で初めて好きになった女の子を。

 そうだ。まどかさんは僕の心の壁を、どうしようもなく優しい言葉で壊した女の子だった。

 魔法や奇跡なんてものよりも、ずっと尊くて、素晴らしいものを見せてくれた人間だったことを忘れていた。

 

「まどかさん。僕は君に会えたことは本当に、本当に良かったと思ってる」

 

「私もだよ、政夫くん。きっとこんな風に思えるのは政夫くんが居たからだと思うの」

 

「まどかさん……」

 

 ついさっきまで胸を締め付けていた痛みが静かに緩んでいくのを感じた。

 まどかさんが納得できるように、ケジメを着けに来たはずなのに僕の方が救われていた。

 もう何があってもまどかさんとは恋人同士にはならないけれど、まどかさんを好きになったことは絶対に間違いではなかったと胸を張って言える。

 ――この人が僕の初恋の人で良かった。

 

 そう思った瞬間、ふとさっきからニュゥべえが黙って窓の外を眺めていることに気付き、僕もそちらを向いた。

 夕日が完全に沈んだ外は暗く、何も変わったものは映らなかった。

 

「どうしたの? ニュゥべえ」

 

「いや、何でもないよ。それより、顔色が大分良くなっているよ」

 

 そう言われて、自分の顔に触れる。顔色は当然分からないが、強張っていた頬の筋肉は先ほどよりも緩んでいた。

 

「政夫くんって、真面目で誠実だから自分の事必要以上に追い詰めちゃうんだよ」

 

「そうかな? これくらいは普通だと思うけど」

 

「これだから政夫は……。まどかももっと言ってあげてよ」

 

 窓の方を向いていたニュゥべえはまどかさんの方へ寄って、短い前足で僕を指差して呆れたように言う。

 まどかさんもまどかさんで「ニュゥべえも大変だね」と謎の意気投合を見せていた。

 しかし、この二人が仲良くしているのは不思議な感じがする。

 まあ、でも、きっとそれはいいことなのだろう。

 




一言で言い表すとまどかの事をちゃんと振る回でした。
思ったより長くなったのでびっくりしています。


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第百六話 嫉妬の苦しみ

次の日に更新とは……やればできるものですね。


 今日も今日で濃い一日だった。というより、まどかさんの家に行くまでが見滝原市に来て、一番精神的に疲れた。

 夕食を作り、父さんと食べ、入浴して、明日の授業の予習を終わらせて、僕は少しぼうっとしていた。

 普段ならこんな時はニュゥべえと喋ったりしているのだが、今日は彼女は僕の家には居ない。何でもまどかさんと話したいことがあるとのことで今日はまどかさんの家に泊まるらしい。

 ゲームや本を読んで時間を潰すという手もあったが、どうにもそんな気分にはなれなかった。

 少々早めにベッドに入って、目を瞑っていようかと考えたところで、窓が外から小さく叩かれた音が耳に入った。

 多分、ほむらだろう。

 今日は学校を休んで自衛隊の駐屯基地から重火器を盗み出すという、どこに出しても恥ずかしくないテロ行為に勤しんでいたようだが、ようやく帰って来たようだ。

 カーテンを開いて、外を見やると思ったとおり、ほむらだった。

 

「お疲れ様、ほむらさん」

 

 僕は窓の鍵を開けて、彼女を招き入れると、そのままフラフラとした足取りで僕のベッドの上に倒れこんだ。

 僕の枕に顔を(うず)め、うつ伏せの姿勢で微動だすらしない。

 かと思いきや、自分の隣のスペースを無言でバンバン叩いた。どうやら、僕に隣に来いということらしい。

 

「何? 声も出したくないほど疲れてるの?」

 

 返事代わりにほむらはまたベッドを叩く。その勢いはさっきより強い。

 

「はいはい。分かりましたよ」

 

 僕は座っていた椅子から降りて、ベッドに近寄ってほむらの横のスペースに腰掛ける。

 顔だけをほむらの方に回して見つめるが、愛しのテロ姫様はまだお気に召さないようで僕のパジャマの袖を摘まむように引っ張った。

 

「横になれってこと?」

 

「…………」

 

 相変わらず、枕に顔を埋めたままの姿勢で何も喋らなかったが、それは無言の肯定に見えた。

 この行動を面倒くさいと取るか、可愛らしいと取るかは人によるだろう。僕も出会ったばかりの頃なら前者だったが、今では後者だ。そういうところが彼女らしいとさえ思えている。

 微笑ましさにクスっと笑みをこぼし、僕はほむらの隣に寝転がる。

 そうすると、彼女はようやく枕から顔を上げて、僕に抱き付いてきた。今度は僕の胸に縋り付くように顔を押し付ける。

 色々と疲れているのだろう。ほむらを労うために頭を優しく撫でた。

 

「今日一日頑張ったね。そうだ、マッサージでもどう?」

 

「マッサージ? ……それは胸、とかもかしら?」

 

 僕を見上げて、恥らうように胸元を押さえるほむらを笑いたくなるのを我慢した。明らかに揉めるほどない大平原をどうマッサージしろと。『無い袖は振れない』という言葉の類義語で『無い胸は揉めない』とう言葉ができそうだ。

 口に出せば確実に激昂すること間違いないので絶対に言わないが、巴さんや織莉子姉さんと並ぶと格差が如実に現れていて思わず可哀想になるほどだ。

 

「……今、失礼な事を考えたわね」

 

「いや~、僕はこんな可愛い彼女を持てて、なんて幸せなんだろうと思っただけだよ」

 

 睨むような目付きになってきたので唐突に褒めて誤魔化す。

 しかし、あの反応だけで自分に失礼な事を考えていることが察せる辺り、本人も自覚しているのではないだろうか。

 

「でも、お願いしようかしら」

 

 深く追求するつもりはないようで、すぐに目付きを戻すと気を許した猫のようにうつ伏せの姿勢になる。恋人同士になったとはいえ、本当に何もかもされるがままになったな、こいつ。

 僕は彼女に体重を掛けないようにして、腰元を(また)ぎ、膝立ちになった。

 まずは肩甲骨の辺りから筋肉を解すべく、手のひらで円を描くように押していく。背骨の方に一瞬だけぎゅっと体重乗せて押すのがポイントだ。

 一度パキッと軽い骨が同士が擦れ合う音がするくらいが丁度いい。無論、やりすぎには注意だが。

 

「んっ……んっ……あ……」

 

 嬌声のような甘い声がほむらの口から漏れて、少しだけ変な気分に陥りそうになりながらも、マッサージを続ける。

 徐々に下の方に手を移動させて行き、背骨の横と沿うように手のひらで揉む。指先は外を向くようにして手のひらの腹を使い、強すぎず、弱すぎず、ゆっくりと力を入れて押した。

 

「ぅんんっ……んっ……」

 

「君、わざとやってない!?」

 

 押し殺した声があまりにも艶やか過ぎて、『そういうこと』を連想させるためにわざと色っぽい声を上げているようにしか聞こえなかった。

 ベッドでほむらに跨って身体に触れているのも相まって、嫌でも性的なものが頭に浮かんでくる。……血液が下の方に行かないように気を付けないと。

 

「そう、じゃない……んっ……わ。ただ、声が……出てしまうのよ」

 

 途切れ途切れに、甘く上擦るほむらの声を耳に届かせながらも、僕の方から提案したことなので中断することもできず、背中の筋肉を解すように揉み続ける。

 けれど、しなやかで柔らかいほむらの背中を触っているのもあり、どうしても色欲を煽られてしまう。

 これ以上、妙な気分にさせられるのもまずいので早く終わらせるためにマッサージのペースを上げた。

 それに比例するようにほむらの声もまた声の(つや)を上げていく。

 

「んんぅ……こうやって……政夫の手の温かさを感じているとっ……安心、するわ」

 

「そ、そうですか」

 

「何で、急にっ……敬語になっているの?」

 

 恥ずかしいんだよ! 色々と!

 声に出して言ってやりたくなったが、それによりさらに羞恥するはめになるのは僕の方なので止めた。

 思春期の男子の前でそんないやらしい音質の声を出さないでもらいたい。

 ちょっと前までほむらにこんな気持ちにさせられるなんて思ってもみなかったのに。

 

 頬が紅潮する前に取り合えず、背中全体を揉み終わることができ、マッサージを終了させる。

 もう少し長かったら、色々とやばかったかもしれない。内心で安堵の溜め息を漏らし、ベッドの(へり)に腰掛けて首だけ曲げてほむらを見つめる。

 

「もう少し、貴方に触れていてほしかったわ……」

 

 うつ伏せのまま、顔を上げて、流し目で僕を見るほむらにどぎまぎしつつも、何でもないことのように流す。

 

「また今度ね」

 

 正直、変な気持ちになるから、できればあまりやりたくなかったが、リクエストがあればまたやるかもしれない。

 ほむらが僕に心を許しているように、僕もまたほむらに心を許していることに今更ながら気付かされた。

 

「……また今度、ね」

 

 僅かにトーンを落としたその声と不安の浮かぶその瞳に、僕はあえて能天気に返した。

 

「何? まさか、もう失敗した時のことでも考えているの?」

 

 何度も何度も辛酸を()めさせられた『ワルプルギスの夜』という魔女の影に怯えていることは傍から見ても分かっていた。その不安や恐怖は必要なものでもあることも分かる。

 だが、考え過ぎると視界が狭まってドツボに(はま)ってしまうのが暁美ほむらという女の子だ。

 できる限りは前向きな思考にさせてあげた方がいいだろう。

 

「大丈夫だよ。今はもう君は一人じゃない。たくさんの仲間が居る」

 

 そして、今はまだ言えないが飛び切りの『隠し玉』もある。少なくとも最悪の状況にはならないように計画している。

 

「それにまどかさんだって、魔法少女にはもうならないよ」

 

 彼女は僕の想像を遥かに超えて、強い女の子になった。奇跡や魔法の誘惑などには決して負けないだろう。

 あの子がきっと僕が理想とする『優しい世界の住人像』のそのものなんだろう。

 特別なものに縋らず、ただの人間として物事と対峙する姿勢は眩しく思えるくらいだ。

 

「……まどか、ね」

 

 苦虫を潰したような表情でほむらは呟いた。

 意外、いやというより、なぜほむらがそんな顔をするのか意味が分からなかった。

 

「どうしたの? まどかさんのことは君が誰より気にしていただろう?」

 

「そうね。確かに私はまどかを魔法少女にしないために今まで戦ってきたわ」

 

 視線を逸らして喋り続けるほむらに言い知れぬ不安を感じていく。この話を最後まで聞きたくないという思いがふつふつと湧いてきたが、同時に絶対に聞かなくてはいけないものだと悟った。

 

「……ねえ、政夫。私は今日本当はもっと早くに見滝原市に戻って来たの」

 

 急に話題が変わり、ほむらの声のトーンがまた一段下がったような気がした。

 僕は何も言わない。今すぐにほむらの話を遮りたい衝動を抑える。

 

「丁度日が落ちて暗くなる頃、私はまどかの家に向かったわ」

 

 その時間帯は僕がまどかさんの家にお邪魔していた時だ。

 まどかさんの部屋でケジメを着けるために僕は彼女と話をしていた。

 

「謝ろうと思ったの。政夫を横から(かす)め取った事を……」

 

 そこでほむらは自嘲するような口調に変わり、僕の顔に視線を合わせた。紫色のアメジストのような瞳が僕の目を見つめる。

 

「そうしたら、まどかの家の中から政夫の声がしたわ……。窓から覗いたら、まどかと向かい合って話していた……」

 

 今やっと理解した。あの時にニュゥべえが黙って窓の外を見ていた意味を。

 ニュゥべえは外に居たほむらに気付いていた。気付いていて、あえて、僕に言わなかった。

 あの場でそれを知っても意味がないと考えて黙っていた。まどかさんの家に残ったのも、こうしてほむらが向こうから訪ねて来ることを想定してのことだろう。

 野暮ではないが、粋というには少々不親切過ぎる気もしないでもない。

 

「それで僕が浮気でもしていると思ったの?」

 

 誤解をしているのだろうと思い、そう尋ねるが、ほむらは首を横に振った。

 

「それはないわ。貴方はそんな不真面目な事は絶対にしない」

 

 断言するような言い方に僕はむしろ逆に困惑した。

 

「なら、どうしてまどかさんを」

 

 そんなに憎々しげに呼ぶのか、と。そう言おうとした。

 だが、それを言い終わる前にほむらの台詞に飲み込まれた。

 

「政夫がまどかの告白をちゃんと断るために行ったのも話を聞いていて分かったわ。でも、私は政夫の表情を見て、不安になったわ。……私と居る時より、ずっと安らいでいたから」

 

「そんなことは!」

 

「絶対にないって言えるの!?」

 

 鋭い刃のように尖った言葉に僕は口を(つぐ)まされた。反論しようとも、何も言えなかった。

 まどかさんとの会話はきっと他の誰とも違う、穏やかで胸の中の芯がじんと温かくなるようなものだ。それはほむらとの会話とはまったく別の感情を抱かせる。

 

「でも、僕が好きなのは……僕の恋人は君だよ。ほむらさん」

 

「……分かってるわ。政夫が私の事を愛してくれている事ぐらい分かってる。それでも、まどかの方に行ってしまうんじゃないかって不安になるの……」

 

 ほむら自身、理性では理解しているのだろう。

 僕に愛されていることも。まどかさんに向ける嫉妬が筋違いであることも。

 それでも、感情が納得してくれない。その気持ちが痛いほど伝わってくる。

 嫌いになりたいはずがない。まどかさんのことを誰よりも大切に思っていたのは他でもないほむらなのだ。

 自己嫌悪の中、必死に僕に思いを吐露して、助けを求めている。

 僕は傍に寄り、ベッドの上でほむらを抱き締める。

 

「政夫……」

 

 強く、強く、力の限りぎゅっと抱擁した。

 少しでもほむらが安心できるように。少しでもまどかさんへの嫉妬の思いが消えるように。

 

「僕は君の傍にずっと居るよ。離れてなんかやらないから安心して。こう見えて粘着質なんだよ、僕」

 

「でも、私はそれでも……」

 

 パジャマの生地を握り締めるように掴んだほむらに僕は笑いかける。

 

「感情として納得できないならそれでいいよ。まどかさんに嫉妬する必要がないくらい、愛してあげる」

 

 だから、そんなに辛そうな顔はしないでいいから。

 ほむらは何か言おうとして、口を僅かに開いた後、結局何も言わずに僕の胸に顔を埋めた。

 今はそれでいい。『ワルプルギスの夜』を乗り越えたら、二人がまた何の(てら)いもなく友達同士に戻れるように僕がしよう。

 二人の関係に(ひび)を入れてしまったのが僕なら、それを修復するのも僕の役目だ。

 何より、彼氏として彼女の笑顔を守りたい。

 




ほむら編終了です。
次からはワルプルギス編に突入致します。
恐らく、更新速度は落ちると思いますが、取りあえずは完結はさせますのでご安心を。

……あと、四話で終わるだろうか心配ですが。


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ワルプルギスの夜編
第百七話 死ぬ覚悟と生きる覚悟


 ワルプルギスの夜。

 本で調べたところ、それは4月30日か5月1日に中欧や北欧で広く行われる行事のことらしい。

 元々は古代ケルトで暖季を迎える5月1日を季節の変わり目として祝っていたバルティナあるいはケートハブンと呼ばれる春の祭りの前夜がヴァルプルギスの夜などと呼ばれ魔女たちがサバトを開き跋扈するなどと伝えられていたそうだ。

 祭りの名前は、710年にイングランド七王国の一つ、ウェセックスで生まれた聖ワルプルガという聖人にちなんで名付けられたと書いてあった。

 だが、彼女が聖人に格上げされる、『列聖式』の日が5月1日だったから彼女の名前が祝祭と結びついただけであって、聖ワルプルガと魔女には何の関連もない。

 簡単に言ってしまえば、日本でいうところの『お彼岸』程度のものだ。

 確かにワルプルガ本人は女性だが、列聖されており、当然ながら魔女ではない。

 それにも関わらず、今日この見滝原市に来るという魔女の名前にまでされてしまった聖ワルプルガさんには同情を禁じえない。

 しかし、絶賛風評被害中の聖ワルプルガさんのことは一先ず置いておいて、現状のどうにかしないといけない。

 

 僕は今、見滝原市にある避難所に居る。

 『ワルプルギスの夜』という巨大な魔女の接近によって、暗雲が立ち込め、暴風が吹き荒れている状態だ。

 スーパーセルの前兆だと市長は警報を出し、大規模な避難が行われ、今に至る。

 避難所の窓の外から見える光景は本当に嵐のようにしか見えないが、不自然なほど湿気がなく、雨は一粒も降って来ない。

 それが僕には異様で、歪で、何より不気味に感じられた。

 

「政夫」

 

 後ろを振り返ると、白衣姿の父さんが立っていた。

 

「父さん。患者さんたちの方、見てなくて平気なの? 皆、ただでさえ怯えてるのに精神病の人たちなんかなおさら怖がってるんじゃない?」

 

「そうだよ。すぐ戻らないといけない」

 

 父さんの表情はいつものような穏やかな笑みはなく、引き締めた固い顔をしていた。

 父さんは僕が何か危険なことに足を突っ込んでいることを察しつつも、あえて聞かずにおいてくれた。他人ならどう思うか分からないが、僕としては理想的な放任教育だったと思う。

 子供としてではなく、一人の人間として接してくれたおかげで責任というものや自分の意志で行動することを学べた。だから、美樹や巴さんたちを手助けできるような人間に育つことができた。

 今回もまた、僕が何をしようとも放って置いてくれると思ったのだが……。

 

「ねえ、政夫。君が隠している事を教えてくれないか?」

 

 その問いには有無を言わせぬ強制力のようなものを感じた。

 詳しく説明をするには少しばかり難問すぎるので、惚けてかわしてみようと試みる。

 

「どうしたの、急に? 隠してることって言われても……」

 

「僕には今の政夫の顔はまるで死地に(おもむ)く兵士のように見えるよ」

 

 誤魔化しは効かないか。元々、相手の心理を探るテクニックを教えてくれたのは父さんだ。小細工など通用しない。

 

「……そんな顔に見える?」

 

「死を覚悟した悲痛な顔に見えるよ。少なくても僕にはね」

 

 誰が見ても平然としているように鏡を見て頑張ったつもりだったが、父さんには無意味だったようだ。

 長らく精神科の医師を勤めているせいか、それとも親故にの()せる(わざ)か。どちらにしてももはや隠し通せることではないようだ。

 

「分かったよ。……ニュゥべえ、出てきて」

 

「それは政夫の父親にも姿を見せる、という意味でいいんだね?」

 

 すっと部屋の端からオレンジのハンカチを首に巻いた白い小動物が姿を現す。小走り程度の速さで僕に近付くと、ひょいと大きくジャンプして僕の肩の上に乗った。

 父さんはほんの僅かに驚いた表情をした後にニュゥべえの首に巻いてあるハンカチに目を留めた。

 

「それは弓子の形見のハンカチだね。あげたのかい?」

 

「喋る小動物よりもそっちを気付く辺り、政夫の血筋を感じるよ」

 

 呆れと関心がない交ぜになった声でニュゥべえが言う。僕も同意見だ。喋る珍妙な生物が現れたことに対しては、さして驚きを見せてないのは凄い。ちなみに僕は旧べえを見た時は驚いて叫んでしまたので、そこら辺は父さんの方がおかしいと思う。

 

「初めまして。政夫の父の夕田満です。君は政夫の友達、でいいのかな?」

 

「そうだよ。ボクの名前はニュゥべえ。政夫の一番の友達さ」

 

 僕が呼んだ手前、ある程度友好的な存在だとは理解できるだろうが、よく分からない人語を解する小動物に平然と挨拶できるところは凄まじいと言える。

 ニュゥべえの方が会話の主導権を奪われそうになって困っているくらいだ。

 僕にどうしたらいいかと視線を送ってきたニュゥべえに僕は大丈夫と言うと話し始める。

 

「父さん。ニュゥべえを見てくれればで分かってくれると思うが、僕がこれから話すことは普通じゃ考えられないようなことなんだ。そこを理解して聞いて欲しい」

 

 

 魔法少女、魔女、インキュベーターについて。そして僕に起きた出来事をできる限り簡潔にまとめて話した。

 とは言っても時間にして一時間もかかっていない。()い摘んでそれとなく分かるように流れだけを説明しただけで、魔法少女が魔女になるということなどは言わずにおいた。

 父さんも間は黙って聞いてくれたおかげで想定よりも早く済んだのも要因の一つだ。

 

「今日、この異常な天気も魔女という異形の化け物のせいなんだ。下手をするここも襲われるかもしれない」

 

 今日のワルプルギスの夜の話まで言い終えた僕に父さんは尋ねてきた。

 

「……それで?」

 

「それで、って何が?」

 

「僕が聞きたいのは今、政夫が決死の表情をしている理由だよ。それ以外の事はどうでもいい」

 

 自分の住んでいる街に巣食う怪物やこれからやってくる危機のことを聞いても「どうでもいい」で一蹴して、核心を突いてくる。

 普通ならここで意識が逸れて、話題がずれていくだろうに……。本当にやりずらい。

 話を変える気など一切なく、僕の顔付きの理由……いや、僕がしようとしていることまで気付いているのだろう。

 それをあえて僕の口から言わせようとしている。恐らく、僕を止めるために。

 

「今、僕の友達の魔法少女たちがワルプルギスの夜を止めるために戦おうとしてる」

 

「それで政夫は今――何をしようとしているんだい(・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 父さんは僕の目を射抜くような鋭い眼光を僕に向けている。ニュゥべえはそれを少し不安そうに見つめながら黙っていた。

 無理だ。話を逸らすことなどできない。父さんが聞こうとしているのは僕の真意だ。

 小さく息を吐いて僕は行った。

 

「彼女たちのために僕にできることをしに行こうと思ってる。……その際に、今日僕は死ぬかもしれない。でも、それは別に今日に限ったことじゃ……」

 

「僕が見てきた政夫の顔には余裕があった。リスクがあっても死なない勝算があったんだろう? 今回はどう?」

 

 それも見抜かれていたのか。確かに今までは命を落とすリスクがあっても、自分の中にそれ以上に自信や勝算があった。

 危険な博打だとしても、勝ち目があった。生き残る可能性が十分に残されていた。

 今回は、それがない。

 策はもちろんある。

 だが、それが上手くいっても、それでも僕が生き残れるかは分からない。

 

「勝算なんてないよ。でも、ここで何もしなくても危険なのは変わらない。だったら、せめて――命を懸けても僕の大切な人たちの力になれるように行動したい」

 

 僕が今日死ぬとしても、少なくともこの街でできた友達の命は守ってみせる。自分の命を粗末に扱うのだけは人より秀でている自信がある。

 

「誰のために政夫はそうまでしているんだい?」

 

「誰のため……?」

 

 急に変わった質問の方向性に戸惑い、オウムのように繰り返してしまった。

 自分の行動の根幹に誰が居るかを尋ねられるとは思っていなかった。思考の海から、これまでこの街であった友達の顔が浮かび上がる。

 まどかさん。美樹。志筑さん。巴さん。杏子さん。織莉子姉さん。呉先輩。ニュゥべえ。それから、中沢君。上条君。あと、まあ……スターリン君。

 そして――ほむら。

 皆が皆、僕に色んなことを、色んな思いを抱かせてくれた。

 自分がどれだけ無知だったのか、思い上がっていたのかを教えてくれた。

 人と関わるということを、人を本当の意味で好きになることを伝えてくれた。

 全員、掛け替えのない人たちだ。

 けれど、僕が命を懸けているのはきっと……。

 

「僕自身のためだよ、父さん」

 

 『誰かのため』ではなく、自分自身がそうしたいと望むから僕はどれだけ恐れていても死地に向かえる。この覚悟や意志を他の誰かのせいにはしたくなかった。

 例え、死ぬとしてもそれは全て僕の責任だ。

 

「そうかい。なら、僕に言う事はもうないよ」

 

 諦めたような悲しげな、でもどこか誇らしげな笑みをこぼすと僕の頭に手を置いて優しく撫でた。

 父さんに頭を撫でられるのはこれで二度目だ。普段はまったく子供扱いしないから、こういったスキンシップはほとんどない。

 視線を僕からニュゥべえに移し変えると、頭を下げ、静かに言った。

 

「ニュゥべえさん。今更ですが息子の事を頼んでも宜しいでしょうか?」

 

「任せてよ。何があろうと僕は政夫の味方であり続けるよ」

 

 頼もしいその言葉に僕は胸が熱くなるのを感じた。顔を上げた父さんも僕の思いを読み取ったのか優しげに笑った。

 

「いい友達を持ったね、政夫」

 

「うん。自慢の友達だよ」

 

「この街に来る前は表面的にしか友達を作らなかったようだけど、安心したよ」

 

 気付いていたのか、僕が結局誰にも心を許していなかったことを。

 それでも何も言わずに僕が自分で気付くまでずっと待っていたのだろう。

 こればかりは誰かに教えられても意味がない。自分自身で気付いて理解しなければ何の意味も持たないから。

 僕が思っていた以上に心配をかけていたようだ。自分では一人で何もかもこなしていたつもりだったが、実のところ父さんの放任主義に甘えていたのかもしれない。

 周りの人間のことを見透かしているような気になって、実の父親のことすらちゃんと分かっていなかった。

 父親にすら心の壁を張っていたことにやっと気が付いた。一体、僕はどこまで愚かだったのだろう。

 

「ねえ、父さん。僕さ、彼女ができたんだ。帰ってきたら紹介するよ」

 

「それは知らなかったな。どんな子なのか楽しみだよ」

 

 ようやく、僕は父さんと本質的な意味で家族になれたような気がした。

 本当はもっと早く理解できていればよかったのだが、頭の悪い僕にはこれがやっとのようだ。

 

「それじゃあ、父さん――行って来るね」

 

「ああ――政夫、行ってらっしゃい」

 

 

 

 

 父さんと別れ、風が吹き荒れる外へ出て行くために避難所の階段へ向かった。だが、その階段の手前に人影が見えた。

 そこに居た彼女は僕を見つけると、待っていたかように微笑んだ。

 

「ここで待ってれば、必ず来てくれると思ったよ」

 

「まどかさん……。家族の人たちはどうしたの? 一人でこんなところに来たら心配するよ?」

 

 そこに居たのはまどかさんだった。彼女は階段の傍にある壁に背を預けている。

 

「それは政夫くんだって同じ事でしょ?」

 

「僕はちゃんと許可をもらったからいいの。ほら、早く戻らないと」

 

 避難民が大勢集まっている中央の広場に帰るように僕が言うと、まどかさんはそれを遮るように喋り出す。

 

「政夫くんはほむらちゃんたちのところに行くつもり何だよね? それなら……」

 

「君は連れて行けないよ、まどか」

 

 まどかさんの台詞に被せるようにそう言ったのは僕ではなく、ニュゥべえだった。

 ずっと僕の肩に乗っていたニュゥべえは、肩から飛び降りるとまどかさんを見上げた。

 

「ここからは命の保障はできない。まどかは外へは連れて行けない」

 

「ニュゥべえ……」

 

 同行を拒否され、悲しげにまどかさんはニュゥべえの名前を呟く。それでもニュゥべえは頑として意見を変えるつもりはないようで、凛とした態度を崩さない。

 当たり前だが、僕もその意見には賛成だ。わざわざ、まどかさんを渦中の最中に連れて行くなど狂気の沙汰だろう。

 皆が戦うのに自分だけ避難所で安寧を貪っていることに耐えられないのは、彼女の性格を知っている僕にはよく分かるが、それでも彼女はここに居るべきだ。

 目線を上げてニュゥべえから僕に移したまどかさんの瞳は、訴えかけるように僕を映す。

 

「政夫くん……。私も一緒に連れて行ってほしい。何もできないかもしれないけど……それでも何も知らないまま安全なところでじっとしてるのはっ!」

 

「まどかさん」

 

 強い調子ではなく、静かで穏やかな口調で僕は彼女の言葉を打ち切らせ、拳の形に握っているその手をそっと包むように両手で握った。

 

「まどかさんは僕やほむらさんが無事に帰ってくることを信じて待っていてほしいと思ってる」

 

「でも……でも……!」

 

 今、まどかさんを支配しているのは不安だ。自分の身に迫る不安ではなく、大切な友達が自分の目の届かないところで死んでいってしまうのではないかという不安。

 それは知らない内に自分の世界が壊れていくような恐怖だ。ただただ、何もかも取り返しの付かなくなった最悪の結果だけを押し付けられる辛さは僕には痛いほど分かる。

 

「不安だよね。僕も同じだよ。きっと悪い結果になる可能性の方がずっと高い。でもね、だからこそ、まどかさんはここで皆の無事を信じていてほしい」

 

 綺麗事を吐いているという自覚はある。しかし、この綺麗事は決して無意味だとは思わない。

 

「普通ならとても信用できそうにないことだからこそ、不安を堪えて信じて待ってくれる人が居るだけで力になる。少なくても、僕はまどかさんが信じてくれていれば心強く感じられる。だからさ、お願いできるかな?」

 

 この街に来たばかりのことでは絶対に思わなかった。何もかも乾いた目で見ていた僕には絶対に分からなかった。

 けれど、今なら思える。今なら分かる。

 人に信じてもらえることは大きな力なのだ。目には見えなくても確かに存在する偉大なものだ。

 

「まどかさんにしか頼めないことだ。どれだけ無謀で、確証のないことかを理解しているまどかさんが心の底から信じてくれるなら、きっとそれは現実に変えられる」

 

 僕の手のひらの中にあるまどかさんの拳が次第に力が抜け、広がっていくのが分かった。

 それから、再び力を込めて僕の手を握り返してくれた。

 

「信じるよ……。私にそうすることで政夫くんの――皆の助けになるなら、私はここでずっと信じて待ってる」

 

 桃色の瞳には不安よりも、強い意志が如実に現れていた。そして、それに呼応するようにそこに映る僕の顔も希望に満ちていく。

 

「だから、絶対に帰って来て。ほむらちゃんたちと一緒に!」

 

 やっぱり、この子は強い女の子だ。初めて好きになったのがこの子で良かった。

 恋をしたことを誇りに思えるほど、素晴らしい。

 今はもうほむらの方が大切だけど、まどかさんを好きになったことは後悔していない。

 

「うん。約束するよ。絶対に皆と帰って来る」

 

 こんなに自信を持って、守れるか分からない約束をしてしまうほどに僕を変えたのは確実にまどかさんだ。

 人を愛せるようになったのはまどかさんを好きになったからだ。

 ならば、この恩は約束を果たすことで変えそう。

 僕はそう思い、彼女を背にして階段を下りて行く。

 あれだけ重たく心に()し掛かっていた死ぬ覚悟はまどかさんとの約束によって生きる覚悟に変わっていた。

 希望を振り撒くのが魔法少女だというのなら、今の彼女は僕にとっては間違いなく、『魔法少女』と言えるだろう。

 




……まどかのヒロイン力が高すぎて困ります。

今回はずっと出せなかった政夫の父親との会話がメインです。人に頼ることが下手くそな政夫はようやく父親との本当の意味で語らうことができました。
本来は上条君や中沢君たちとも話させたかったのですが、テンポがあまりにも悪くなそうなので止めました。ちょっと、残念です。

次回は魔法少女たちの視点で書くと思います。あと、三話では終了は無理ですね。多分五話くらいは必要になりそうです。


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第百八話 もう一人じゃないから

~ほむら視点~

 

 

 

 風にたなびく後ろ髪を払い、私は宙に浮かぶ巨大な物体を睨みつけるように見上げる。

 歯車から伸びる紺色のドレスを纏った逆しまの魔女。

 私にとって、絶対に越えられない壁であり、絶望の象徴そのものである最悪の存在。ワルプルギスの夜。

 見滝原へとやって来た奴は、すぐにこれから嘲笑にも似た泣き声と共にビルや家々を破壊し始めるだろう。私がこれまで見てきた時間軸のように。

 今度は……今度こそは何としても倒さなければいけない。この時間軸は私にとって掛け替えなのないものだ。絶対に負ける訳にはいかない。

 もしも今回負ければ、私が失うのはまどか。そして――。

 私の、誰よりも大切な……。

 

「ほむら」

 

 胸が締め付けられるような想いに思考が支配されていた私の肩が叩かれた。一瞬にして意識を戻すとすぐ隣にさやかが立っていた。

 

「さやか……」

 

「気張りすぎだよ、アンタ。戦う前からそんなんじゃ身が持たないよ」

 

 水色の露出が多い魔法少女の衣装を身に着けたさやかは両手を頭の後ろで組んで笑顔を浮かべた。

 気楽そうに見えるその顔に僅かに怒りが込み上げてきそうになるが、次の言葉で私の怒りはよりも遥かに安堵を覚えた。

 

「何たって、アンタは一人じゃないんだからさ」

 

 一人じゃない。そうだ。今は私は一人ではなく、仲間が居る。

 私と共に肩を並べて戦ってくれる頼りになる仲間が。

 

「そうよ、暁美さん。あなた一人が何もかも背負ってる訳じゃないのよ?」

 

 さやかの後ろから顔を出したマミはその言葉に同調する。

 誰よりもしっかりしているように見えて、臆病で、不安定だった彼女。

 しかし、今ではそんな弱さはなく、初めて出会った時間軸よりもずっと頼もしく映った。魔女になるかもしれないという恐怖や一人で抱え込んでいた孤独を乗り越えて、マミは私の前に居る。

 さやかもそうだ。上条恭介の失恋から立ち直り、再び歩き出した彼女はその真っ直ぐな心根を自分の武器に変えた。

 この時間軸での精神的成長具合はマミよりも上だと思う。

 二人ともかつては私が見捨てていた魔法少女だった。絶望に耐え切れず、暴走したり魔女になるような弱い女の子だとずっと見ていた。

 彼女たちを変えたのもやっぱり政夫なのだろう。

 何か特別な力を持っている訳でもない彼は彼女たちの心に踏み入り、そして、悩みや苦しみを解決に導いた。

 その行いは私たち、魔法少女が使う魔法なんかより余程魔法のように感じられる。

 

「まさかもう負けた時の事、考えてるんじゃいだろうね? 暁美ほむら」

 

 小馬鹿にするような笑みを(たた)えて嫌味を言ってきたのは呉キリカだ。

 美国織莉子と一緒に私の方へ歩み寄って来た呉キリカは、嫌味な笑みを消すと眼帯の着いていない方の目で私を睨むとこう言った。

 

「本当に。本っ当に不本意だけど……お前は政夫の彼女なんだから。……しっかりしろよ」

 

「呉キリカ……貴女……」

 

 呉キリカとはかつての時間軸では言葉さえ(ろく)に交わす事なく敵対し、この時間軸でも仲良くなれた訳ではない。むしろ、政夫を取り合い、殺し合いまでしたほどだ。

 一応の和解をした後も露骨な喧嘩こそなかったが、お互いに嫌い合い、不快に思い合っていた。

 けれど、今の彼女は私を政夫の恋人と認めてくれている。その事実が私の心を震わせた。

 うまく言葉にできない不思議な思いが胸の内側から込み上げてくる。

 

「そうね。ちゃんとしてもらわないと未練が残りそうだわ」

 

 追随するようにその隣に居る美国織莉子も呉キリカに続いて私にそう言った。

 

「貴女までそんな事を言い出すなんて……どういう風の吹き回し?」

 

 一番、私が政夫と交際する事を反対していた人間がいきなり肯定的な意見を吐かれると何かあるのかと勘繰ってしまう。

 しかし、私の言葉に気分を害した様子も見せずに美国織莉子は苦笑を漏らしただけだった。

 

「そう言われるのも無理ないわね。今でさえ暁美さんの事は好きになれそうにないもの」

 

「だったら……」

 

 何故、と私が問うよりも早く美国織莉子は答えた。

 

「まー君が選んだのが貴女だって納得できたからよ」

 

 寂しげに私を見つめる彼女の瞳は、私の網膜を通して、私の中にある政夫への愛を羨んでいるように思えた。

 ああ。そうか。

 その瞳だけで美国織莉子という少女の本心が理解できた。

 美国織莉子は、政夫へ異性としての好意を告げる事すらできなかったのだ。私と違って自分勝手に政夫を求める事を抑制していたのだ。

 自分の立ち位置に縛られ、手を伸ばす事も許せなかった。

 だから、身勝手に思いをぶつけて、政夫の恋人の座を手に入れた私の事を認められなかった。認めてしまえば、我慢していた自分が馬鹿らしくなってしまうから。

 

「後悔は、ないの?」

 

「まったくないって言えば嘘になるわ。でも、本当にまー君の事を想うなら、信じてあげるべきだと思えるようになったの」

 

 そう言って、美国織莉子は微笑む。

 とても真似できそうにないその強さを前に私は眩しさを感じた。

 堪らなくなり、叫ぶように言葉が喉を突いて出てくる。

 

「約束するわ。……政夫は私が絶対に幸せにしてみせる!」

 

 美国織莉子が言いたかったに違いない、この誓いの台詞を言い放つ。

 それを聞いた織莉子は一度目を瞑った後、私の手を掴み、自分の胸の前まで持って行く。

 

「信じるわ。その言葉」

 

 それまで黙っていた周りに居る他のメンバーが見守る中、私は――キリカや織莉子と本当の意味で和解する事ができた気がした。

 

「これからは政夫にならって私も貴女の事を『お姉さん』と……」

 

「それだけはやめて」

 

「…………」

 

 微笑を浮かべたまま、平坦なトーンの声できっぱりと拒絶された。……こういう容赦のないところはよく政夫に似ている。

 それなりに勇気を出して歩み寄ったのにも関わらず、無下にされた事がショックだったけれど、先ほどまでの胃の(ふち)が痛くなるような緊張は幾分(ほぐ)れていた。

 

 もう一度心構えをして、空を見上げる。

 あれだけ恐ろしかったワルプルギスの夜に今なら勝てるような気が湧いてくる。

 大丈夫。もう私は繰り返さない。今日、ここで絶望の輪に歯止めをかけてみせる。

 私が心にそう誓うのと、それを嘲笑うかのように同時にワルプルギスの使い魔たちが大量に地上へ投下された。

 道化師の格好をした少女のようなシルエットの使い魔。一体一体が他の魔女の使い魔とは比べ物にならない強さを持つ奴らが数十体。耳障りな笑い声に似た、不愉快な泣き声を放ちながら私たちを襲いに向かってくる。

 

「キャハハッ」

「キャハハハハハハ」

 

 しかし、私たちはそれに迎撃する必要すらない。

 

「『止まれ』っ!!」

 

 拡声器で放たれた成人男性の声が周囲に響き渡ると、こちらへと距離を詰めていた使い魔たちがぴたりと動きを止めた。

 まるでその声に従うか(・・・)のように。

 

「『反転して、魔女を接近。囲め』!」

 

 使い魔たちはくるりと背を向けて、元来た道を引き返し、ワルプルギスの方へと帰っていく。そして、命令通りにワルプルギスを取り囲むように浮かび上がる。

 

「『攻撃しろ』」

 

 使い魔はその言葉に従い、己を産み出した母たる魔女へと牙を向いた。黒色の光線をワルプルギスに向けて撃ち出していく。

 通常なら絶対にありえないその様を私たちはその目に映していると、近くの建物の屋上に一組の男女が声が聞こえた。

 

「おっと……。うまく行ったみたいだな」

 

 片方は杏子。そしてもう片方は――魅月ショウ。政夫と同じように私がこの時間軸で初めて出会ったイレギュラーな人間。

 彼は使い魔を操る事のできる力を持っていた。政夫から聞いた話によると彼女の妹だった魔法少女の願い事による恩恵の副作用みたいなものだそうだ。

 魅月ショウは杏子に抱きしめられるようにして一緒に屋上から飛び降りると拡声器で自分の肩を軽く叩きながら、空を見渡す。

 

「それにしても三日前に杏子に言われていたが……ありゃスゲエな。昔見た怪獣映画みてぇだ」

 

暢気(のんき)な事言ってんなよ、ショウ。これは紛れもなく現実なんだ」

 

「分かってるよ。だが、実際に目で見ても実感湧かねぇよ、あんなもん。――でも、まあ、あの時言っちまったもんなぁ、政夫に。今度は俺が力を貸すって」

 

 溜め息交じりでそう言って、屋上から私たちに顔を向けて苦笑気味の笑みを見せた。

 魅月ショウがこの戦いに参加してくれているおかげで『使い魔』の事は気にせず、ワルプルギスの夜と戦える。

 ただ彼は私たちと違って普通の生身の人間のため、飛んできた瓦礫(がれき)の破片一つで致命傷を負いかねない。

 だから、その補佐として魔法で防壁を作り出せる杏子と組んでもらっている。これは魅月ショウを戦線に立たせる条件として、杏子と政夫が提示した事だった。

 政夫は最後まで肉体的にただの人間である彼を戦いに参加させる事に良い顔をしなかったが、逆に魅月ショウの方が政夫に恩を返したいからと言う理由で頼み込み、この事が決まった。

 私は二人に無言で軽く会釈をすると、手筈どおり他のメンバーを三つに裂いた。

 一組目はワルプルギスを撹乱する杏子、魅月ショウのペア。二組目は近距離から攻撃を仕掛けてもらうさやか、キリカペア。そして、最後が私とマミと織莉子の遠距離射撃して止めを刺す三人組みだ。

 私はマミと織莉子を引き連れて、ワルプルギスの夜の狙撃ポイントへと向かった。

 

 

 

~キリカ視点~

 

 

 暁美ほむらたちと別れ、私はさやかと共にワルプルギスの夜を挟み込むように目的の場所へ向かっている。

 ビルの谷間を駆けるように跳び跳ねて進んでいると、後ろから着いて来るさやかが不意に口を開いた。

 

「不思議ですね」

 

「何が?」

 

 振り返らず、私は白々しく答える。頭の悪い私でもさやかが何についての事を言っているのかは察しが付いていた。けれど、その話題を自分から言うのはどうしても嫌だった。

 

「私もですけど、ほむらをあれだけ嫌っていた呉さんがあんな風に勇気付けるなんて……ちょっと意外でした」

 

「そうだね。本当に……自分でもよく分かんないよ」

 

 さやかがあまりにも嬉しそうに語るものだから、私もつい答えてしまう。

 私はあいつが――暁美ほむらが嫌いで嫌いで仕方がなかった。もっとも厳密には今でも相変わらず嫌いなのだが。

 初対面の時の暁美ほむらの印象は、政夫との一時を邪魔する泥棒猫だった。おまけに私の顔を見るなり、拳銃を突き付けてくる最悪な女だったし。

 ムカつく。本当に心の底からムカつく奴だ。一度は本気で殺そうとしたくらいだ。

 でも、一つだけあいつにも認められる部分がある。

 それは、政夫の事を本当に愛しているというところだ。

 どれだけ私が痛めつけても、傷付けても、あいつは絶対に政夫への愛を曲げなかった。

 私はあいつのそこに不愉快に感じると同時に憧憬していた。根底にある感情が自分よりも強いものだと本心では気付いていたからかもしれない。

 事実、暁美ほむらはその強靭な愛をもって、政夫の心を勝ち取った。

 その事を聞いた時、私の頭を支配した感情は嫉妬心でも後悔でもなく、純然たる敗北感だった。

 私は鹿目まどかの政夫への想いを目にして、諦めて引き下がった。本当に政夫を愛しているなら、そうすべきだと当たり前のように思ったからだ。

 けれど、暁美ほむらはそうじゃなかった。諦めず、挫けず、自分の愛を政夫に向け続けた。

 正しく事じゃなかったかもしれない。政夫の事を考えたら間違っていたのかもしれない。

 それでも、その想いを政夫に突き付け続けたから、あいつは政夫の彼女になれた。

 悔しいけど、それが全てだ。

 

「まあ、何て言うか……政夫が幸せならそれでいいかなって思えるようになったんだ」

 

 そう呟いて顔だけで振り返ると、さやかは少しだけ悪戯っぽい表情をして笑った。

 

「ほう。呉さんも失恋の味を知りましたか。これからは失恋仲間ですね」

 

 その笑顔に多少イラっとしたので、私はさやかに嫌味ったらしく言う。

 

「ふん。さやかの方こそ、それでいいのかい? 政夫の事愛していたんだろう?」

 

「私はいいんですよ。失恋には慣れっこですし、それにこうやって笑って一歩引く方が……格好いいでしょ?」

 

 さやかの顔に浮かんだ笑みは少しだけ悲しげで、そして誇らしげに変わった。

 その笑みに含まれた感情は今の私にはよく理解できた。

 ああ。そうか。そういう事か。

 私が暁美ほむらの命を奪おうとした織莉子を邪魔した理由。そして、今日暁美ほむらを励ました理由。

 それは――政夫を悲しませたくないからだ。

 私の後ろに居るこいつにかつて教えてもらった事だった。自分の中の気持ちが分かった途端、すっきりとした爽快感が胸の中に生まれた。

 今なら分かる。

 私はようやく、誰かを愛する権利を得たのだと。

 ならば、私のやる事は一つだ。

 何としてもワルプルギスの夜を倒す。――大っ嫌いな暁美ほむらに政夫を幸せにさせるために。




本当は戦闘シーンまで行きたかったのですが、語りだけになってしまいました。
やはりクライマックスは難産です。
しかし、キリカの独白は書きたかったので今回満足しています。この小説内でのキリカはさやかのおかげで精神的成長を遂げる事ができました。


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第百九話 メーデーの朝

「政夫。あれが最悪の魔女とも呼ばれているワルプルギスの夜だよ」

 

 マスコットの姿から、魔法少女の姿になったニュゥべえが虚空を指差し、物憂げな顔でそう僕に告げた。

 隣に居る僕はニュゥべえにこう答える。

 

「ごめん、ニュゥべえ……僕には見えないんだけど」

 

 ニュゥべえが指し示す方向には暗雲が渦巻いているようにしか見えず、魔女らしき物体の姿は確認できない。

 緊迫した状況とそれを語るニュゥべえだが、生憎と僕には彼女と同じものを観測できていないので温度差が生じてしまう。端的に例えるなら、コントのワンシーンのようだった。

 

 

 街路樹を揺らすほどの強風が街中に吹き荒れる中、避難所から出てきた僕はとあるビルの屋上に来ていた。

 ここはかつて巴さんが羽の生えたナメクジのような魔女が結界を張っていた場所であり、ニュゥべえが魔法少女になった場所でもある、僕らに縁のあるビル。

 そこで僕とニュゥべえは空を見上げていたのだが、僕にはワルプルギスが視認できず、盛り上がっていたニュゥべえに水を差す形になってしまった。

 僕の困惑した様子を見て、ニュゥべえは少し恥ずかしそうに頭を掻いた。

 

「そ、そういえば政夫は普通の人間だったね。いつも平然と魔法少女の出来事に介入して解決していたからすっかり忘れていたよ。……それじゃあ、少しだけ目を瞑ってて」

 

「いいけど何をするつもり? まさかとは思うけどキスとかじゃないよね?」

 

 目を瞑るように言うニュゥべえに、僕はそんな冗談を口にしながら言うとおりに従う。

 

「……その、してもいいのかい?」

 

「いや、ほむらさんに殺されちゃうんで簡便してください」

 

 期待した声音が耳朶(じだ)に響いたが、流石に遠慮しておいた。ふざけている暇はないし、何より僕はこう見えて一途な男だからだ。

 

「……そうかい。まあ、それは置いといて」

 

 目蓋(まぶた)に何かが押し付けれた感触がした。大きさと形から言って、恐らくはニュゥべえの手のひらだろう。

 密着した手のひらから、目蓋に、そしてその下の眼球に何か熱のようなものが送り込まれてくるような錯覚がする。時間にすると十秒くらいだ。

 手のひらが離された後にニュゥべえの声が聞こえた。

 

「もういいよ。目を開けて」

 

「うん。……なっ、これ!」

 

 

 言葉に従い、目を開くと空に巨大なドレスのようなものを着た逆さまの物体が映った。ドレスのようなもの(すそ)からはこれまた巨大な歯車が見えている。

 

「あれがワルプルギスの夜だよ」

 

 ほむらから前に話で聞かされていたが実際にこの目で見るとやはり壮観だった。今まで見てきた魔女よりも明らかに巨大で、比較的姿が『魔女』らしい。

 

「なるほどね。あれはすごい。ほむらさんが不安になる訳だ」

 

 やはり命を懸けても『ここ』に来ておいて正解だった。今まで計画していた『あれ』を使うために。

 

『夕田政夫。こんな場所に来たりしてどういうつもりだい?』

 

 屋上の隅から頭に響くような不自然な声と共にゆっくりと現れたのは旧べえこと魔法少女のマスコット、インキュベーター。

 その不快で可愛げのない無表情には「何の特別な力も持たないお前が何をするつもりだ」という嘲りが含まれているのように僕の目には映った。

 

「君に会いに来たんだよ、旧べえ」

 

『ボクに? 一体何の用だい?』

 

 笑顔で応対しつつ、横目でニュゥべえを見やる。ニュゥべえは僕に黙ってこくりと頷く。

 準備は万端という様子だ。三日も時間を掛けていたことが功を奏したのだろう。ならば、僕らも始めよう。

 最も重要な――前哨戦を。

 

 

 

~ほむら視点~

 

 

 

『皆! 今すぐ、ワルプルギスの夜の周囲から退避して!!』

 

 比較的近くに居た織莉子が肉声ではなく、脳にテレパシーとして入ってきた。唐突過ぎる内容だが、私には分かった。

 織莉子はワルプルギスの夜が反撃を始めた未来を予知したのだ。

 それを理解した私は、構えていたRPGを担いで、織莉子に続き、皆に退避を伝えながら私自身も動こうとした。

 しかし、次の瞬間、私の足元はアスファルトの大地ではなく、暗雲の渦巻く空だった。

 ただ一際大きな暴風が吹き荒れたかと思ったら、周囲の風景ががらりと変わっていた。そう表現するしかないほどあまりにもあっけない出来事だった。

 自分の身体が舞い上げられていたと気付いた時には、瓦礫の海と化した地面に叩き落された後だった。

 

「……――ぐぅっ!?」

 

 咄嗟に魔力で全身で覆い落下の衝撃を少しでも和らげようとしたが、それでも殺しきれない衝撃が私の内臓を襲う。痛みが電流のように脳髄に流れ込む。

 痛みをシャットアウトしたい衝動に駆られたが、身体のどこにどのくらいのダメージを受けたか確認していない内にはそれはできない。

 口元から漏れ出した血のせいで(むせ)ながら私はどうにか立ち上がる。少なくとも立ち上がる事が不可能なほどではないようだ。

 

「そ、そうだ。み、皆は……?」

 

 私の周囲でマスケット銃で弾丸を撃ち出していたマミや水晶球で未来を視ながらオペレートしていた織莉子。それから、直接近距離武器で応戦していたさやかとキリカ。少し後ろの方で使い魔でワルプルギスの夜を撹乱していた魅月ショウと彼を護衛していた杏子。

 彼女たちの安否を知るために周囲を見回すが、目に付く範囲には誰も居ない。

 皆今の一撃で吹き飛ばされてしまったのだろうか。中距離に居たマミや織莉子は私と同程度のダメージで済んだかもしれないが、近距離に居たさやかたちは無事では済まない。

 

『皆、無事!? もしも意識があるなら返事をして!!』

 

 テレパシーを飛ばすが誰も反応してくれない。強烈な不安が脳裏を()ぎる。

 何故こうなるの……? 私たちはほんの少し前まで優勢だったはずなのに……。

 己の使い魔の思いがけない裏切りに撹乱され、その隙間を縫うように私とマミが銃で狙撃していた。そして、織莉子が未来視でワルプルギスの夜の動きを読み切り皆にそれを伝えて、離れた魅月ショウは杏子を通して使い魔を援護させ、さやかとキリカが剣とカギ爪で直接攻撃していく。

 皆が皆がそれぞれの役目をこなし、ワルプルギスの夜にダメージを与えていたはずだった。少なくとも、私が今まで時間軸での交戦よりも遥かにうまくやれていたという確信があった。

 それなのに……たった一撃で見事にひっくり返された。前回のワルプルギスの夜以上だ。

 

『……暁、美さん』

 

 (かす)れたような思念が私に届く。この声は織莉子だ。

 私はその声に希望を抱いた。

 

『織莉子? 無事なの!? マミはまだ傍に……?』

 

『上から……ビル……そこから逃げ、て』

 

 私は言葉をすぐにその意味を理解し、上空のワルプルギスの夜を確認して反対方向に全力で走り出す。数十秒後に私が居たその場所に折れたビルが突き刺さる。

 織莉子が伝えてくれていなかったら間違いなく直撃してただろう。

 

『ありがとう。助かったわ。それで、そちらの状況はどうなってるの?』

 

 お礼を言うが向こうからの反応はもう既になくなっていた。念話ももう通じていない。

 

『織莉子!? 返事をして!!』

 

 叫ぶように思念を送るが伝わってくるのものは何もない。

 愕然とした気持ちにさせられたその時、私の傍に人影が舞い降りてきた。

 

「無事だった……?」

 

 メンバーの内の誰かだと思い、振り返って見ると、そこに居たのはワルプルギスの夜の使い魔だった。

 魅月ショウが支配し、操っているはずの使い魔。それが何故私の前に降り立ったのか。

 その疑問は使い魔のステッキのような武器を私に向けた瞬間氷解した。

 

『キャハハハハッ』

 

 使い魔が支配から解き放たれたのだ。恐らく、魅月ショウの身に何かあって。

 使い魔のステッキから黒い魔力が(ほとばし)る。

 私は応対しようとするが持っていたRPGは既に手元にはなかった。吹き飛ばされた時か、地面に落下した時に無意識に手放してしまったようだ。

 

「くっ……なら」

 

 時間を止めようと手の首に付いた楯を弄るも、楯の中の砂時計は全て落ち切っていた。

 

「そんな……」

 

 言葉をこぼすのと同時に黒い魔力に吹き飛ばされ、私は地面を無様に転がった。

 直撃したせいでただでさえ、ダメージを負っていた内臓に更なる負荷がかかり、酸素と共に血液が口から漏れ出す。

 意識すら揺らされた私は瓦礫の海へと頭から突っ込んでいった。ガラスの破片や鉄の棒が手足に突き刺さる。

 仲間とは連絡も取れず生死すら確認できない。ワルプルギスの夜どころか、その使い魔さえも解き放たれてしまった。事態は最悪だ。

 しかし、時を止める力すら残っていない私には希望が潰えていた。

 痛みよりも絶望が脳を染め上げていく

 ――これだけ頑張ったのに無駄だったの?

 無力感と絶望感がない交ぜになった感情が胸の内で膨らむ。気が付けば私は涙を流していた。

 

「ごめん、まどか。ごめん、政夫。……私は今回も――」

 

 手の甲に嵌められたひし形のソウルジェムが静かに端から黒く濁っていく。

 

 

 

 ******

 

 

 

「ねえ、旧べえ。おかしいとは思わなかった? 君らインキュベーターにとってこの状況はまどかさんを魔法少女に勧誘するのに絶好の機会のはずだ。にも関わらず、君はまどかさんの傍ではなくこんなところに居る。まったく何のメリットもないのに」

 

 僕の言葉に旧べえは下らないなそうに淡々と言う。

 

『何を言ってるんだい? 別にボクの身体は一つだけじゃない。まどかの傍にだって――』

 

「そうだね。君らはたくさんの身体を持ってる。でも、やっぱり今この場で居る理由はないよ」

 

『……政夫は何が言いたいんだい?』

 

 そこで僕は一度話を変えて、カマキリとハリガネムシの話を始めた。

 

「知ってる? ハリガネムシっていう寄生虫は寄生したカマキリやバッタを操って水辺に行かせてお尻を水に着けさせるんだ。水辺で繁殖するためにね。宿主のカマキリは自分が操られていることなんてきっと気付いていないんだろうね」

 

 まったく関係のない話に「だから、何?」という疑問を浮かべている旧べえ。僕はそれに哀れみを覚えて親切に教えてあげた。

 

「この場合も同じ。可哀想なカマキリちゃんは君で、賢いハリガネムシちゃんはニュゥべえだ。君はね、ここに来るように仕向けられたんだよ」

 

『政夫、君はまさか……』

 

 ようやく気付いたようで声に恐怖が過ぎるのが分かった。でも、もう遅い。致命的に遅すぎる。

 ニュゥべえは自分の背中のハッチから見覚えのある物体を取り出した。それは三日前にニュゥべえが取り込んだインキュベーターだ。もっとも、もう意識は持っていないが。

 

「ハリガネムシは酷いよ、政夫」

 

 文句を言うがそれほど怒っていないことは一目で分かった。

 小さく「ごめんね」と謝ると、再び旧べえに目を落とす。いや、正確にはもう『旧べえ』ではなくなりつつあるインキュベーターに。

 

『そ、ゥか、あのととととときに……ボクらを君らは』

 

 ノイズ交じりに台詞を痙攣(けいれん)しながら語る旧べえに僕は冷めた目で見つめる。

 

「そのとおり。コンピュータウイルスのようなものと考えてもらえばいいよ」

 

 あの時にニュゥべえは旧べえの一個体を取り込み、その個体を通してインキュベーターの集合意識にこっそりとアクセスした。そして、慎重に慎重に三日間の時間をまるまる使い、ニュゥべえの意識を広げていった。つい先ほどすべての下準備を終えた。

 だからこそ、インキュベーターの意識がワルプルギスの夜に集中している今日この瞬間まで待っていたのだ。

 これが『the new base of incubator(インキュベーターの新たなる基盤)計画』。旧べえがリンクからニュゥべえを切り離した時に僕が考えた――一番冴えたインキュベーターの殺し方。

 

「今までよく頑張ってくれたね、旧べえ君。いや、『オールド』・インキュベーター。けれど、僕は新しいもの好きなんだ。過去の遺物はもう要らない。今、この時を持ってインキュベーターの基盤はニュゥべえになる」

 

 元々のインキュベーターの意識をニュゥべえの意識で上書きする。

 感情から逃げ続けた旧べえと、エントロピーすら凌駕する感情を取得したニュゥべえ。どちらの自我の方が強いかなど論じる必要すらない。

 殺せないなら乗っ取ればいい。ご大層な魔法少女システムもこうすることで丸ごと掌握できる。生憎と愛と勇気で勝つような真っ当な戦い方はできそうにないので、悪意と小細工で勝利させてもらう。

 

『ボクららららは――?』

 

 言葉足らずな旧べえの言葉だが、僕には何を言いたいのかしっかりと理解できた。

 故に僕はにっこりと笑顔を浮かべて答えた。

 

「ああ。当然、君の意識は掻き消えるだろうね。ある意味、君らの『死』と言っても過言じゃない。要するにお勤めご苦労様、永遠に休んでいいよってこと」

 

『そそそそそ、んな』

 

 ニュゥべえと違い、存在してから初めて感じる絶対的な死に旧べえは怯えたような声を出す。ニュゥべえの感情が流れ込んでいるから、それに呼応して恐怖が刺激されているのかもしれない。

 けれど、それには同情も憐憫も沸いてこなかった。

 

「安心して。君らが作り上げた魔法少女システムは僕らが有効に使ってあげるよ。宇宙のためのエネルギー集めも引き続き行うつもりさ。良かったね、オールド・インキュベーター。大好きな宇宙のための(いしずえ)になれるんだよ。……幸せだろう?」

 

 なぜなら、宇宙の寿命のためなら、こいつらは年端もいかない女の子を燃料にしても、心を痛めない高潔な存在なのだ。自分が宇宙のためのエネルギーを生み出す燃料になれるのならさぞ本望だろう。

 

『わ、けが――――』

 

 お決まりの台詞が出る前にそれを潰して、人差し指を突き付ける。表情はにこやかなまま、目だけを皿のように開いて恫喝するかのように言い放つ。

 

「大丈夫。訳なんて分からなくていいよ。理解する必要なんてない。僕が君ら要求するのはたった一つだ。――『くたばれ』」

 

 僕の最後の一言を聞いた後、痙攣していた旧べえの身体はピタリと動きを止めた。首が前にかくんと下がり、数秒後に顔を上げた。

 

「同期完了したよ、政夫」

 

 その言葉は隣に居る魔法少女姿のニュゥべえではなく、目の前に居るマスコット姿のニュゥべえ(・・・・・)の口から聞こえた。

 

「ご苦労様、ニュゥべえ。後のことは段取りどおりでお願いね」

 

「「「うん。分かってるよ」」」

 

 僕らが居るビル屋上に今までどこに居たのかと疑うほど大量のニュゥべえがぞろぞろと現れる。その誰もが眩い光を発しながら僕の隣に居るニュゥべえと同じ魔法少女の姿へと変わっていく。唯一つ、違う部分があるとしたら着ている服がオレンジではなく白というところだけだ。

 これがほむらにも秘密にしておいた対ワルプルギスの夜用の秘密兵器、魔力消費することで穢れをも還元することのできる魔法少女部隊『メーデーの朝』。

 祭りの名称の方のワルプルギスの夜の次の日にある「五月祭(メーデー)」から名付けた彼女たちならきっとこのほむらたちを明日へと導けるだろう。

 僕の隣に居たニュゥべえは魔法少女の姿からマスコットの形態に変化する。ただし、大きさは虎ほどもある。

 

「せっかくのお披露目の姿がそれでいいの?」

 

「政夫を乗せて運べるならボクは姿なんて気にしないよ」

 

 どこまでも頼りになる相棒の言葉に甘え、僕がニュゥべえの背に(またが)ると、首に巻かれたオレンジのハンカチは形状を変えて手綱の形になった。

 僕はそれを掴むとニュゥべえは羽根もないのに軽やかに屋上から飛び上がる。

 今もほむらたちが攻撃を与えているワルプルギスの夜を強く睨んだ。

 

 さあ、いつまでも居座り続ける『夜』にはいい加減退場してもらおう。明けない夜など、ないのだから。

 




ようやく、この回が書けました。実は結構前から政夫がキュゥべえを掌握する話は考えていたのですが、ここまで来るまでが非常に長かったです。
ニュゥべえもこのために存在したようなものですね。次回が本編最終回になると思います。


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第百十話 私たちの最愛の恋人 前編

長くなりそうなので前編後編に分けました。それにしても連日投稿するのは思ってませんでした……。


~さやか視点~

 

 

 

 頭がぼーっとする。視界では火花が瞬くようにチカチカと光が点いたり、消えたりと忙しい。

 私、どうちゃったんだろう? 何が起きたのかさっぱり分からない。

 頭の中でほむらの声が何度か響いた後、私は朦朧とする意識を手繰り寄せる。 

 確か、いきなりワルプルギスの夜が大きな声で笑ったかと思ったら虹色の炎みたいなものが私に飛んで来て、それで呉さんが私を突き飛ばして……。

 そうだ――呉さんが私を庇ってそれで、あの後私はその後に突風に吹き飛ばされたのだ。

 ようやく視界が回復してくると、自分が顔だけ横に向けてうつ伏せの姿勢で倒れている事に気が付いた。

 

「呉さん! 近くに居ますか!? 呉さん! ……あれ、身体が」

 

 身体を持ち上げようとするが背中にビルの瓦礫かどこかの看板のようなものが()し掛かっているようで起こす事ができない。

 幸い、私は他の魔法少女よりも治癒力が高いらしく、身体的なダメージはそれほどなかった。これはほむらから聞いたのだが、願い事の内容が魔法少女が持つ固有の魔法になると言っていたので今私が平気なのは恭介のおかげであるとも言える。……そう言えば、恭介とは振られてからはあまり話していなかった。無事に避難してるのかな。

 そんな事を考えながら、背中の重しの隙間で身体を捩るがどうにもがっちり(はま)ってしまっているようで抜けられそうもない。

 一旦、落ち着くためにも動きを止めて、一つ溜め息を吐いた。

 何をしてるんだろ、私。あれだけ格好いい自分になるために息巻いていてそれがこの様か。

 ホント――馬鹿みたい。結局、私は何もあの時と変わっていない。

 美国さんのテレパシーが聞こえた時も、逃げる事よりも少しでも自分が何とかしなきゃって気持ちが先走ってしまった。そのせいで呉さんが……。

 不甲斐なさで込み上げて、泣きそうになる。

 こんな事してる場合じゃないのに。今こそ、頑張らなくっちゃいけない時なのに。

 不思議と頭に浮かんだのは、私が恭介に告白できずに泣き出した時に抱きしめてくれた事だった。

 

「政夫……。やっぱり私はあの時と同じ弱くて、情けなくて、格好悪いままだよ……」

 

 自嘲気味の呟いたその言葉。虚勢の皮が剥がれた情けない台詞。

 でも、私のその呟きに思いがけない返事が返ってきた。

 

「そんなことないよ。君はとっても僕が知る中でトップクラスに格好いい女の子だよ、美樹さん」

 

「――え?」

 

 ありえない。だって、政夫はここには居ないんだから。

 幻聴まで聞こえてきたのかと思ったその時、背中が急に軽くなった。

 試しに身体を起こそうとすると、覆い被さっていた瓦礫がなくなったようだった。

 見上げると、手が差し伸べられている。

 

「うそ……何で?」

 

 見慣れた見滝原中の白い男子制服。男子にしては艶のある綺麗な黒い髪と優しげなのにどこか不敵な黒の瞳。

 私が人生で二人目に好きになった男の子、夕田政夫がそこに居た。

 

「助けに来たんだよ。ちょっと遅くなっちゃったけどね」

 

 いつまでも伸ばさない私の手を強引に掴むと、ゆっくりと引き起こしてくれる。

 その感触でやっと政夫のその姿が幻覚ではない事が信じられた。

 

「……ホントどこまで格好付けんのよ、アンタは」

 

 ふらふらの身体が政夫に寄り掛かる。安心感と勇気が補充させるように心に満ちていく。

 諦めを抱いていた数秒前の自分が政夫の温もりに掻き消されていくのが分かった。

 

「……さやか。いつまで政夫に抱きついているつもりなんだい? せっかく助けたのに後悔しそうだよ」

 

「呉さん! と、でっかいニュゥべえ!? ……あとそれ誰?」

 

 恨みがましく目で睨むのは私を庇ってワルプルギスの夜の攻撃を直接受けた呉さん。そして、彼女が寄り掛かっているのはいつもよりも遥かに大きなニュゥべえだった。

 その後ろに白いツインテールの髪の見た事のない魔法少女が何人も立っている。それも格好も顔も皆同じだ。

 大きなニュゥべえは片方の耳から生える毛で呉さんの腰に付いたソウルジェムに押し当てていた。もう片方の耳の毛は瓦礫の塊を器用に掴んでいる。多分、さっきまで私に乗っていた瓦礫を撤去してくれたのはこの大きなニュゥべえなのだろう。

 

「って近く居るなら早く応えてくれてもいいじゃないですか!?」

 

 色々言いたい事はあったが、まずは呉さんへの文句が口から漏れた。

 

「気を失ってたんだよ!! お前を守ったせいで!」

 

 声を張り上げたせいで身体に響いたらしく、僅かに呉さんは(うめ)いた。よくよく注意してみれば魔法少女の衣装もところどころ破けていて、そこから血が滲んでいる。

 

「あ、すみません……」

 

 私が謝ると、呉さんに代わって政夫が説明をしてくれた。

 

「僕らがこの場所に到着した時に傷付いて倒れていた呉先輩を発見したんだ。今、ニュゥべえに治療してもらってるけど最初に見つけた時はいつかの美樹さん並みにボロボロで意識すらなかったんだ。こうやって話せるまで回復したのは本当に今さっきなんだよ」

 

「そうなんだ……っていうか、政夫。そのニュゥべえは何!?」

 

「ああ。ニュゥべえには僕をここまで連れて来られるように大きさを変えてもらったんだ。いつも通りという訳じゃないけど別の存在じゃないから安心して」

 

「へえー……」

 

 呉さんがいつまでも私を睨むものだから、名残惜しいけれど渋々ながら政夫から離れ、ニュゥべえを眺める。

 確かに政夫の言うとおり、首に巻かれているオレンジ色のハンカチが首輪と手綱に変化していること以外は大きさしか違いがないように見えた。

 そして、さっきから気になっていたが言い出すタイミングが掴めなかった白い髪の魔法少女について私はついに尋ねる。

 

「それでその見たことない魔法少女の六つ子さんたちは……?」

 

「僕らの新しい仲間さ」

 

 政夫はそう言って一層不敵な笑みを強めた。

 

 

 

 ******

 

 

 僕らが進軍を始めた時とほぼ同時に、ワルプルギスは周囲一体に大規模な攻撃を仕掛けた。

 距離的にはかなり離れていたのとニュゥべえが僕を乗せて飛ぶ時に僕の身の安全のため、魔力で膜を張っておいてくれたおかげで被害は一切なかったが、近くで戦っていた魔法少女の皆はただでは済まなかった。僕は散り散りに吹き飛ばされて行くのをニュゥべえの背中から黙って見ている他になかった。

 攻撃が止んですぐ、僕らはある程度魔法少女化したニュゥべえを分散させて、ソウルジェムの反応を頼りにそれぞれの魔法少女たちを助けるべく向かうことにした。

 僕とオリジナルのニュゥべえは美樹と呉先輩が瓦礫に埋まっているのを見つけて、助けたと言う訳だ。

 流石に急いでいる今、インキュベーターの顛末などから話す訳にもいかず、ニュゥべえの正体を細かく話している暇もなかったので、取り合えず、僕らの仲間だと美樹と呉さんに言うと二人はそれ以上聞くことはなかった。

 美樹曰く、「政夫が仲間だと言うなら信じる」だそうだ。呉先輩も同様の答えだった。

 

「それにしても……まさかグリーフシードなしでソウルジェムを浄化してくる魔法少女が居るなんて驚いたわ。予備のグリーフシードもなくなっちゃってたからホント助かったよ」

 

 魔法少女のニュゥべえにソウルジェムから穢れを吸い出してもらった美樹が目を丸くさせ、そう言った。

 正確に言うなら、浄化ではなく、穢れを感情エネルギーに分解して吸収しているだけだ。それにニュゥべえは魔法少女でもあり、インキュベーターでもあるイレギュラー中のイレギュラーなので通常の魔法少女の枠で話すのは間違っている。

さらに魔法少女システムを完全に掌握したおかげでソウルジェムについては触れさえすれば大抵のことはできるようになったというのがでかい。もちろん、説明すると非常に時間がかかるので口には出さないが。

 

「政夫。別働隊Bが杏子と魅月ショウを捕捉できたよ。二人ともある程度怪我をしているようだけど、十分治癒可能なレベルだ」

 

「分かった。治療と保護をお願い。引き続き、B以外の別働隊は他の皆を探して」

 

「了解したよ」

 

 別れた他のニュゥべえたちはショウさんと杏子さんを見つけられたようだ。ここに来る前に使い魔が攻撃していたことから、ショウさんの身に危険が起きたと分かっていたから心配していたが、生きていてくれてよかった。恐らくは杏子さんが必死に守ったのだろう。

 先ほどの攻撃のせいか、ワルプルギスの夜が手を休めている間に一刻も早く他の皆も見つければいけない。

 ……特にほむらのことが心配だ。

 

「取り合えず、その魔法少女たちと一緒に居ればソウルジェムが濁っても回復ができるよ」

 

「……政夫はもう行ってしまうのかい?」

 

 呉先輩が寂しげに尋ねてくる。最大戦力で望んだのにも関わらず、大敗しかけたこの状況なら無力感に襲われて、不安になっているのだろう。

 けれど、僕には傍に行ってあげなくてはいけない人が居る。きっと今、一番を僕を必要としている人が。

 

「すいません。でも、行ってあげないといけませんから」

 

 頭を下げて、再びニュゥべえの背に乗ろうとした時、美樹が背中から声を掛けてきた。

 

「政夫!」

 

「どうしたの?」

 

 振り返って美樹の方を向こうしたその瞬間、僕は頬に柔らかい感触を感じた。

 そして、何をされたのか瞬時に察して硬直する。

 

「美樹さん! 今!?」

 

「あはは……キスしちゃった」

 

 僅かに朱に染めた頬を指で掻きながら、美樹は照れながら笑う。

 いきなり、何をしているんだ、こいつは。死地に居るせいで壊れたのか!?

 

「あー! さやかだけずるい。私もする!」

 

「え、ちょっと!?」

 

 対抗心を燃やした呉先輩が僕の反対側の頬にキスをする。少し強引にされたせいで美樹よりも激しかった。

 二人の唐突な接吻に戸惑っていると、美樹は優しい穏やかな大人びた笑みを浮かべる。

 

「私さ、実は政夫の事……好きだったんだ」

 

「ぇ……?」

 

 美樹が好きだったのは上条君だったんじゃなかったのか。いつの間に僕に変わったのか分からない。

 ただ、表情から嘘でも冗談でもないことは読み取れた。

 

「あー、やっと言えたよ。今回も周回遅れだったけど……スッキリした」

 

「美樹さん……」

 

 その告白がもう何もならないと一番知っているのに美樹の顔は晴れやかで格好良かった。

 もしも、ほむらと付き合う前だったら、ころっと落ちていたかもしれない。そう思わせるほど素敵な笑顔だった。

 

「私も政夫の事、変わらず愛してるよ。例え、誰かの恋人になろうとも」

 

「呉先輩……」

 

 堂々と胸を張って自慢げに笑う呉先輩は美樹と対照的に力強い意志が感じられた。

 本当に僕の周りの女の子は揃いも揃って男を見る目がない。

 なのにそのくせ、飛びっきり魅力的だ。

 

「ほむらの事、頑張って」

 

「……うん。任せて」

 

 僕はそう言った後、ニュゥべえの背に跨って手綱を掴む。

 ニュゥべえはそれに合わせて、空へと浮かび上がる。そして、ぼそっと呟く。

 

「……政夫、この事はほむらに話すからね」

 

「やめて! 僕、殺されちゃう!?」

 

 何だかとても不機嫌なニュゥべえの爆弾投下予告に僕は戦慄した。

 しかし、そんな風に怯えるためにも早くそのほむらの元に急がなくてはならない。

 




あともう一話だけ続きます。何と言うか、さやかだけ贔屓してしまったようで申し訳ありません。
実はさやかだけはなく、織莉子の元に行く話も考えていたんですが……ほむらが後回しになりすぎるので止めました。


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第百十一話 私たちの最愛の恋人 後編

「政夫。別働隊Aがマミを捕捉、別働隊Cが織莉子を捕捉したよ。二人とも命に別状はないみたいだ」

 

「そっか、よかった。なら、後はほむらさんだけだね」

 

 ニュゥべえに乗って、空中を飛び回りながら瓦礫に満ちた街並みを見回す。どうにもほむらのソウルジェムの反応が微弱になりすぎてニュゥべえにも捕捉するのが難しいらしく、ほむらだけが見つかっていなかった。

 おまけにショウさんの支配から外れたワルプルギスの夜の使い魔に狙われたせいで、多少時間を食ってしまった。

 内心、焦りが胸を焼く。ただ、まだ『ソウルジェム』の反応が微弱ながらある以上、死んだり、魔女になったりしていないという確定している分マシだ。

 しかし、悠長なことはしていられない。ワルプルギスの夜は未だ健在のまま、空に鎮座している上、先ほどからワルプルギスの夜の使い魔もニュゥべえが合間合間に片付けているが、まだ僅かに残っている。

 

 

「キャハハハッ!」

 

「邪魔だよ」

 

 鬱陶しく、襲い掛かる使い魔をニュゥべえは耳から生える触腕で()ぐ。一撃で腹部にあたる部分を貫通させて倒し、一体、また一体と数を減らしながら、空を泳ぐようにニュゥべえは移動する。

 僕はその背中で忙しなく、真下の瓦礫の中からほむらの姿を探す。

 

 ――見えた。

 瓦礫の山の中、ニュゥべえに目を弄られたせいか視力まで上がったようで、黒髪を大きく乱したほむらの姿を確認する。

 遠目から見ても分かるほどに傷だらけで額からも血を流していた。その顔には絶望の色が浮かび上がり、肉体以上に精神が疲弊しているのが分かる。

 すぐにでも抱きしめて安心させてあげたい衝動に駆られ、手綱を握りこんだ僕はニュゥべえを急かす。

 

「ニュゥべえ」

 

「分かってるよ、政夫。――――政夫! あれ!」

 

 急に声を荒げたニュゥべえの声に、弾かれたように僕は顔を上げる。

 そちらを見れば、倒れているほむらの上空にビルの残骸が浮いていた。今まで不気味な沈黙を保っていたワルプルギスの夜が再び攻撃を開始したのだ。

 さあーっと血の気が引いていく音を僕は感じた。

 

「ニュゥべえ! 急いでっ!!」

 

 僕がそう言う前に既にニュゥべえは加速を始めていた。展開された風圧や重力などから僕の身を守ってくれる魔力の膜があるおかげで振り落とされずに済むものの、周りの景色が急激に移動して見え、猛烈な眩暈(めまい)を感じた。

 巨大なビルの残骸はほむらの小さな身体を押し潰すために振り下ろされる。落下するしていくその塊の隙間を掻い潜るようにニュゥべえは進む。

 加速したニュゥべえがほむらの元に辿り着くと、瓦礫に埋まっている彼女の両脇に耳から生える触腕を突っ込み、器用に動かして僕の方へ差し出す。

 僕は即座に手綱から片手を外し、魔力の膜の内側に引き込むべく、渡されたほむらを片腕で強く抱きしめた。

 すぐさま、再加速してその場から離脱と僕らの後ろでビルの残骸が瓦礫の海にめり込む音が響く。

 腕の中のほむらはしばらく現状が把握できていないようだったが、生気のない弱々しい瞳に僕の顔が映りこんだ瞬間、その紫の瞳は驚愕に彩られた。

 

「ま、さお……? どうして、ここに……?」

 

「助けに来たんだ。白馬に乗った王子様じゃなくて、ごめんね」

 

 おどけて軽口を叩くと、ほむらは涙腺の堤防が決壊したように大粒の涙をこぼす。

 

「……私にとっては同じよ。貴方は私の王子様なんだから」

 

「こんな性格の悪い王子様がいる国があったら嫌だよ」

 

 両方の腕で僕の首をかき抱くほむらの背中を優しく叩く。傷だらけの身体を労うように愛を込めて。

 彼女の小さくて細い身体は震えていた。辛かったのか、不安だったのか、心細かったのか、それともそれら全てなのか。

 どれが理由だとしても、僕はほむらの心をそれらから解き放ってあげたい。そのために僕はここに来たのだから。

 

「ニュゥべえ……ほむらさんのソウルジェムを」

 

「うん」

 

 そっと触碗がほむらの手の甲の菱形のソウルジェムに触れる。すると、そこから黒ずんだ不定形の(まや)が沸きあがり、ニュゥべえの中に吸い込まれていく。

 

「え? これは……」

 

「ソウルジェムの穢れの『分離』だよ。原理はグリーフシードと同じ、負の感情エネルギーを吸収する。その相手がニュゥべえになっただけ」

 

「ニュゥべえ……? 」

 

 僕が説明するとほむらは怪訝そうな表情を浮かべ、ばっと自分が乗っかっているものをまじまじと凝視した。 

 

「!? この白いもの、インキュベーターだったの……!?」

 

「ほむら。ボクをまだその呼び方で呼ぶ気なら、この場で振り落とすよ?」

 

 不機嫌そうに首だけを動かして、背中に乗っているほむらを睨んだ。ニュゥべえは『インキュベーター』という呼び方を心底嫌っているから無理もない。

 ほむらの方はニュゥべえの顔を見たおかげで本当に自分が乗っている存在がニュゥべえなのだと理解したようで呆然としている。

 僕が背中を叩くと、正気に返り、ニュゥべえに謝罪した。

 

「ごめんなさい。つい、前の癖で……」

 

「もう言わないでよ」

 

 殊勝に謝るほむらとニュゥべえの組み合わせは前にも一度見たものの、いつ見ても新鮮に見える。ニュゥべえになった後も、ほむらは彼女のことをインキュベーター扱いしていたせいで二人の仲が良くなかったからだろう。

 非常に心温まるシーンだが、そうも言ってはいられないようだ。

 僕らを睥睨(へいげい)するワルプルギスの夜が動き出した。

 

「政夫……ワルプルギスの夜が正位置に戻ろうとしている」

 

 ニュゥべえのその台詞に戦慄を覚える。

 『逆さまになった人形が上部になるように回転したとき、地表の文明はひっくり返される』――ニュゥべえに前に聞かされていた最悪の展開。

 もしもそうなってしまえば、見滝原市だけではなく、文字通り世界が滅ぶだろう。

 

「政夫……」

 

 ほむらは不安な顔で僕を見つめる。彼女が文明の滅んだ光景を見たのかは知らないが、ワルプルギスの夜の行動で何もかもが壊されるということは理解しているようだ。

 僕は背中を撫でながら安心させるように微笑んでから、浮かべる笑みの種類を変えた。

 微笑から、牙を剥くような獰猛な不敵な笑みへと。

 

「……これを待っていたんだ。ニュゥべえ――『メーデーの朝陽(あさひ)』を行うよ」

 

「そう言うと思って、既に『アンカー』は手配していたよ。あとは政夫の号令次第だ」

 

「流石だね」

 

 本当に頼りなる相棒だ。以心伝心のやり取りが非常に心地良い。

 それでは気遣いに甘えさせてもらい、僕はニュゥべえに伝える。

 

「それじゃ……アンカー射出!」

 

 僕の言葉と共に突如として、宙に浮かぶワルプルギスの夜の真下の砕けた建造物から巨大な(いかり)のようなものが五本ほど飛び出し、ワルプルギスの夜の巨体に突き刺さる。

 碇は槍のような穂先に、その両脇にカギ爪のような反りの付いた部分が付属してあり、刺されば容易に抜けはしないだろう。鎖にあたる部分はリボン状になっており、ピンと張ってワルプルギスの動きを完全に封じていた。

 それは杏子さんの槍と呉先輩のカギ爪と巴さんのリボンをニュゥべえが模倣し、無理やり結合させた混合物。ワルプルギスの真下に待機していた別働隊のニュゥべえが生み出した複合魔法だ。

 この『アンカー』には三つの役割がある。

 一つはワルプルギスの夜が反転するのを防ぐこと。二つ目は付加してある呉先輩の速度低下の魔法をワルプルギスの夜に当て続けることによって、動きや行動を遅くすること。

 そして、三つ目は――。

 

「ニュゥべえ。ドレイン開始」

 

 ワルプルギスの夜が文明をひっくり返すために使おうとしていた魔力を、そのまま、そっくり吸収すること。

 ソウルジェムの穢れの吸収と何ら変わりはない。何せ、ソウルジェムの穢れも、魔女の魔力、ただの感情エネルギーなのだから。

 これにより、相手の行動の制限、相手の弱体化、こちらのエネルギー補充の三つを同時に行うことができる。

 見れば、ワルプルギスの夜はアンカーに繋がれてから急激に動きが緩慢になり、傾げたままの状態で風船のように吊るされている。

 アンカーを外そうと暴れようとしているようだが、速度低下の魔法のせいで動きが遅くなっているのとエネルギーが吸われているので思うような効果は出せていなかった。

 纏っていた紺色の衣服のようなものは端の方から僅かに削られて行っている。

 

「一体、どうなっているの?」

 

「僕らが下準備をしていた『ワルプルギスの夜対策』が功を奏したんだよ」

 

 ひたすら唖然とワルプルギスの夜を見つめるほむらに僕はそう言った。

 するとほむらは視線をばっと僕に移すと、驚愕に満ちた声で尋ねてくる。

 

「まさか……政夫はたった一人でワルプルギスの夜を打倒する気でいたの!?」

 

「ドレイン完了したよ。砲台(・・)の方も」

 

 ほむらの疑問に答える前にニュゥべえの報告が入った。僕はほむらに苦笑を一つ落とし、ニュゥべえに最後の号令をかける。

 

「『メーデーの朝陽』――……一斉射!」

 

 見滝原市に居る全ての魔法少女の姿のニュゥべえがワルプルギスの夜を中心にするように空へと飛び上がる。その誰もが巴さんの巨大な『ティロ・フィナーレ』を模倣した巨大な銃を構えていた。

 今のニュゥべえは全ての個体がリンクしている。即ち、魔法少女から吸収した穢れも、ワルプルギスの夜から吸収した魔力も全ての個体に行き渡っている。

 

 ――世界を滅ぼすほどの自分のエネルギー、そっくりそのままお返ししよう。

 

 全方位から向けられた銃口は寸分の狂いもなく、標的へと真っ白い弾丸を放つ。

 白く、白く、どこまでも真っ白い……暗闇に差し込む朝陽のような無数の弾丸たちはワルプルギスの夜を抉り取る。

 僕にはそれが世界中の陽光が集約されたかのような激しい光が『夜』を食いちぎっているように見えた。

 

「キャ――ハハ――……ハハハ――!!」

 

 嘲笑のように聞こえた鳴き声は今や悲鳴のようにしか聞こえない。

 眩い光のカーテンが剥がれた後には、ドレスにも似た衣服は消滅しており、中央の歯車が惨めに剥き出しになっていた。

 その歯車さえ、(ひび)が入っていて、回転するのもやっとのようで今にも砕けそうだ。

 

「そんな……あのワルプルギスの夜が……」

 

「何をぼうっとしているの? ほむらさん」

 

「え?」

 

 呆けているほむらに僕はそう言うと、ニュゥべえに合図をする。

 ニュゥべえはこくりと頷き、尻尾でずっと持っていたものをほむらに渡した。

 

「これ……あの時に落とした私のRPG」

 

「これはおまけだ。と言っても放出できる魔力はもう微量だけどね」

 

 ニュゥべえの耳から生える触腕がほむらの手にあるロケットランチャーに触れた。一瞬で黒かったその砲身は純白に変わる。多分、魔力を付加してあげたのだろう。なかなか粋なことをする。

 それを持ったまま、僕へ(うかが)うように見つめるほむらに言った。

 

「最後は君が決めるべきだ。魔女を倒すのは魔法少女の使命なんだろう? ぽっと出のエキストラに何もかも持って行かせないでよ」

 

 僕らで決めては意味がない。これはほむらの因縁の相手なのだ。彼女の手で決着をつけなければ、それこそ茶番だ。

 ほむらはそんな僕の意図を酌んでくれたようで決心した目をすると、僕の腕から離れ、白くなったロケットランチャーを構えた。

 

「政夫。……支えていてくれるかしら」

 

「……うん」

 

 僕は彼女を背中から包み込むように抱きしめる。

 強く、強く、愛を込めて。

 ワルプルギスの夜と呼ばれた魔女に引導を渡すべく、ほむらは引き金を引いた。

 歯車は砕け散り、無数の黒い少女の影のような姿になり、そして、掻き消えるように消滅して行った。

 

「――キャ――ハ――…………」

 

「さようなら……」

 

 ほむらの頬を水滴が滑り落ちる。その涙の意味は僕には分からない。

 ただ複雑で言語化できないような万感の思いが込められていることだけは読み取れた。

 彼女にとって、ワルプルギスの夜はただの敵ではなかったようだった。

 持っていたロケットランチャーを手放し、ほむらは振り返り、僕の胸に縋り付いた。

 黙って僕は彼女の頭をそっと撫でる。

 

「よく……今日まで頑張ったね」

 

 最初の『鹿目まどか』との約束をほむらはようやく果たすことができた。それは彼女が迷い込んでいたどこまでも長い迷宮からの帰還を意味していた。

 今まで空を覆っていた暗雲が少しずつ、(ほど)け、太陽の光が顔を出す。

 まるで一人の少女の長い旅路の終わりを祝福ように、涙を流す横顔を照らした。

 

 

 しばらくした後、僕らはニュゥべえに近くの地面に降ろしてもらった。そこにはショウさんを含めた魔法少女の皆が既に待っていてくれた。

 

「終わったんだな。アタシらは結局あんまり役に立たなかったけど」

 

「そんなことないよ。杏子さんたちが居たから、僕はここまで大規模な計画が立てられたんだ」

 

 ふざけて拗ねたような口調で言う杏子さんに僕はそう笑いかけた。嘘偽りのない、僕の本心だ。

 一人で何でもできるなんて思っていた頃の僕にはとてもここまでできなかっただろう。誰かに支えてもらっていると思っていたからこそ、ここまでやり遂げることができた。

 

「ワルプルギスの夜が倒せたのはここに居る皆のおかげよ。本当にありがとう」

 

 僕に追随するようにほむらも言う。他人を拒絶していたあのほむらが労いと感謝を述べられるようになるとは、ほむらを嫌っていた時の僕では考えもしなかっただろう。

 皆はそれを聞き、微笑を浮かべた。

 ニュゥべえがすっと僕らの前へやって来て、僕に尋ねる。

 

「政夫。……いいかい?」

 

「うん。やってあげて」

 

 魔法少女システムを完全に掌握した本当の目的を実行してもらうよう、ニュゥべえに頷いた。

 ニュゥべえはそれを聞くと再び前に向き直り、皆への話を始める。 

 

「最後にボクから魔法少女の皆にプレゼントを一つあげるよ。皆、ソウルジェムを出して」

 

「俺はねぇぞ」

 

「ショウさん。そういうボケは後にしてください」

 

 片手を上げて、真面目な表情で寝ぼけた発言をするショウさんを(たしな)めつつ、僕は一歩下がって脇に逸れる。

 皆、ニュゥべえを信用しているのか、ほむらさえも渋るそぶり見せず、次々に自分のソウルジェムを預けていく。

 ニュゥべえは魔法少女たちのソウルジェムを全て受け取ると、器用に尻尾で包むように持つ。

 そして巴さんの前に来て、彼女の黄色のソウルジェムを耳から生えた触碗で持って向けた。巴さんはよく分からないと言った表情でそれを見守る。

 

「じゃあ、まずはマミからだ」

 

 ニュゥべえは両の触腕で挟み込んだソウルジェムをぐっと巴さんの身体に触腕ごと押し込んだ。

 

「え!? これ……まさか」

 

 黄色い光を輝かせながら、ソウルジェムは巴さんの中へ吸い込まれるようにして消える。それと同時に巴さんの魔法少女の衣装は見滝原中の制服に変わる。

 驚いて、自分の豊満な胸を触るが、そこにはあの黄色い宝石はなかった。

 ニュゥべえは今度は巴さんではなく、他の魔法少女の前へと行き、また同じようにソウルジェムを体内に押し込んでいく。

 最後にほむらのソウルジェムを入れたニュゥべえは大きさをいつも通りのマスコットサイズに戻って僕の肩に飛び乗る。

 僕は両手を広げて、少しだけおどけるように言った。

 

「奇跡も魔法もない世界にお帰り、元・魔法少女の皆さん」

 

 数秒間誰も口を開かずに僕を見つめた皆の中、代表するように巴さんが僕に尋ねる。

 

「私たちは……もう魔法少女じゃないの?」

 

「ええ。もう貴女たちは魔女と戦わなくていいんです」

 

「普通の女の子みたいに遊んだり、楽しんだりしても……?」

 

「もちろんです。恋なんかも自由ですよ。命懸けの戦いなんてしなくていいんです」

 

 それを聞いて、顔を覆って泣き出す巴さんの肩に僕は優しく、労うように手を置いた。

 

「今まで街を守ってきてくださって本当にありがとうございました」 

 

「夕田君、ニュゥべえ……ありがとう。本当にありがとう」

 

 この人も、ずっと魔法少女たらんとしていた重責からようやく解き放たれた。これからは自由に楽しく生きて行ってもらいたいと思う。

 杏子さんはショウさんと嬉しそうに抱き合い、呉先輩と美樹は驚いたままお互いの腰元を触り合い、織莉子姉さんは静かにそれを見て微笑んだ。

 そうして、横を向くとほむらがまた泣きそうな潤んだ瞳で僕に抱きついてくる。

 

「政夫……貴方はどこまで私を救えば気が済むの?」

 

「何言ってるの? ほむらさん。僕は救ったつもりなんかないよ。大切な人には幸せになってほしいっていう、僕のわがままを満たしただけさ」

 

 愛する彼女を抱きしめ返し、頬にキスをする。

 

「帰ろう。まどかさんも待ってる」

 

 世界中に散らばるニュゥべえたちはこれと同じことをしてもらう手筈になっている。ただ、もう既に魔女になってしまった人たちはニュゥべえに処理してもらう他ない。

 可哀想だが、別にそれについて僕は思い詰めたりはしない。なぜなら、僕は神様じゃない。手の届くこと以外はするつもりなんてない。

 世界中の魔法少女がまた普通の戻ることも、彼女たちを助けたかったという訳じゃなく、ただのお裾分けのようなものだ。

 生憎と僕は普通の人間だ。必要以上のものを背負うことはしない。

 魔法少女も魔女もいずれこの世界から居なくなるかもしれない。世界には奇跡や魔法もそれと同時期に消えてしまうだろう。

 それでいいと僕は思う。

 この世界に奇跡も魔法も要らない。

 そんな都合のいいものに人はいつまでも縋り続けていい訳がないのだから。

 

 こうして、僕が関わった魔法少女の物語は幕を閉じる。

 そして、明日から――ただの普通の女の子たちとの日常が始まるのだろう。

 




多少端折った部分はありますが、最低限書きたい部分は書けました。これにて本編終了です。
今まで読んでくださった方々ありがとうございます。


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特別編
特別編 神との対話


今回はa0oさんのリクエストの話を書きました。


 ワルプルギスの夜をどうにか退け、この街の魔法少女を「普通の女の子」に戻した僕らだったが、街が半壊され、水浸しになり、当然のことではあるが、住居を失ってしまった。

 こればかりは今後の街の復興を待つしかないだろう。ニュゥべえの力を借りればどうにかなるかもしれないが、都合の良い奇跡や魔法に頼らず、人の力だけで一つ一つ直していくべきだと思った僕はそれを彼女に頼まなかった。

 ……ただ、ほむらが自衛隊から盗んだ重火器だけは発見されると困るので、それだけは回収してもらった。

 ほむらたちをまどかさんに引き合わせた後、ニュゥべえとも一旦別れ、避難所の一スペースに横になる。実は昨日の夜から計画に穴がないかニュゥべえと何度も練り直していたため、徹夜をしていた。

 一応の目的が達成できたので、気が抜けて疲労と眠気が僕を襲ってきて仕方がない。耐えられずに、僕はそっと目を閉じた。

 一休みしたら、ほむらたちにニュゥべえのことをちゃんと説明してあげないと……。

 そう思いながら、耐えられないほどの眠気に身を任せ、夢の中へと落ちて行った。

 

 

 

「……うん? あれ……?」

 

 気だるい思いを抱えながら僕が目を覚ますと、両腕を枕にして顔を埋め、机の上に座っていることに気付く。

 

「え!? 何で? 学校に居るの!?」

 

 顔を上げて見回すと、そこはワルプルギスの夜によって瓦礫に変えられたはずの、見滝原中の透明なガラス張りの教室の中だった。

 在り得ない光景を目の前にしながら、机から立ち上がって、呆然としていると隣から声を掛けられた。

 

「政夫くん」

 

 横を向けると隣の席にまどかさんが座っている。にこにこと柔和な笑みを浮かべる彼女に僕は強張った表情で名前を呼ぶ。

 

「まどかさん……?」

 

 言ってから、何か違和感を感じすぐに言葉を撤回する。

 

「いや――貴女は『誰』だ?」

 

 うまく言葉に言えないが目の前に居る『鹿目まどか』からは僕の知る『まどかさん』とは違う異質なものを感じたからだ。

 雰囲気というか、纏うオーラのようなものがまどかさんとは違う。妙に自信満々というか自負に満ち溢れているような、成功して莫大な資産を築いた事業家や有名になった映画俳優などが纏うような常人とは多少ずれた浮世離れしたものを笑みの中に漂わせている。

 それが悪いとは言わないが、僕がかつて恋をした彼女にはそんなものは持ち合わせていなかった。

 いつも自分の力でできることをしようと健気に前を見据えて、一歩一歩たどたどしくも進んでいった彼女だからこそ、僕は憧れ、尊敬した。

 目の前の彼女にはそういったものとはまったく違う、「何か大きなことを成し遂げた人間」の表情をしている。

 

「すごいね。やっぱり分かっちゃうんだ……」

 

 僅かにピンク色の瞳を大きくさせ、そして、口の端をより一層優しく引き上げ、目を閉じる。再び、その目を開いた時にはその瞳はピンクではなく、黄金に輝いていた。

 ツインテールだった髪も足元まで伸びるロングヘアに変わり、身に纏っていた見滝原中の女子制服から白いワンピースタイプのドレスに変わっていた。

 

「うわっ……足元まで」

 

 目の前の彼女の変化だけに目を奪われていた僕は周囲の光景まで変化していることに気付き、声を上げた。

 教室の映像が書き換えられていくように、宇宙のような背景へと姿を変えていく。元々、教室なんて存在しなかったのように背景の星々が光っていた。

 足元には床のようなもの痕跡は跡形もなく、宙に浮かんでいるような浮遊感に包まれる。夢のよう、というには五感がはっきりし過ぎていて落ち着けそうにない。

 そんな僕の心を読んだかのように目の前の彼女は微笑んだ。

 

「大丈夫だよ。ここは政夫くんを傷付けたりはしないよ。私が政夫くんの夢に繋げさせてもらって、ちょっとお邪魔させてもらってるって感じかな?」

 

 夢と繋げさせてもらって? 

 ということはつまり、この目の前に居る彼女は僕の夢の中で作り出されたあやふやな幻想ではなく、確固たる存在が僕の夢にアクセスしてきたということか。

 敵、というには目的が今一理解できない。もし敵であるならば、この状況では手も足も出ない。まずは僕に接触した目的を聞き出して見極めた方が良さそうだ。

 

「……先ほどの言葉を繰り返すようですが、どちら様でしょうか?」

 

「『魔法少女になった鹿目まどか』って言えば、頭のいい政夫くんなら分かるんじゃないかな?」

 

「……!」

 

 ほむらから聞いた話によれば、『魔女になった鹿目まどか』が僕の居る世界とは別の世界に今もなお存在し続けている。ならば、鹿目まどかが魔法少女になったままの状態で居た場合は……。

 

「あり得ない。もしそんな世界があるなら僕の世界にほむらさんが居ることが矛盾してる。『鹿目まどか』が魔女にならずに居られたのなら、ほむらが世界移動する必要なんてなくなっているはずだよ」

 

 もしも、目の前に居る彼女が『魔女になった鹿目まどか』ならば話は別なのだが……。

 俄然、目の前の存在が怪しく見えてくる。

 

「まあ、私はもう魔法少女ではないからね」

 

「じゃあ……」

 

「魔女でもないよ。うんと……これ自分で言うのちょっと恥ずかしいんだけど……神様になったの」

 

 目の前の彼女はそのどこか大人びた表情に似合わない子供ような照れを浮かべた。

 神様という突拍子もない単語と、その照れた顔に毒気を抜かれ、僕は呆れた目をする。

 これがほむらや織莉子姉さんの言っていたワルプルギスの夜さえ凌駕する最悪の魔女だと言うのなら、これによって滅ぶ人類は非常にシュールだ。

 

「神様、ですか……」

 

「簡単に信じられないのは分かるけどその反応はちょっと酷いよ、政夫くん」

 

 ちょっとショックを受けたようで微笑みが苦笑いへとランクダウンした。こういう表情は僕の知っているまどかさんに酷似している。

 それにしてもこの神様、当たり前のように僕の名前を呼んでくる。非常になれなれしい神様だ。

 

「私じゃなく、政夫くんの世界の方が本来はあり得なかった世界なの。本当だったら、その世界でも私……『まどか』は魔法少女になって魔女になってしまうはず(・・)だった」

 

 『はず』だった?

 色々と聞きたいことはあったが、話を途切らせることなく、黙って話を聞く。

 

「そして、次の世界……私の、今ここに居る『まどか』の世界で「過去と未来の全ての魔女を消し去りたい」って願いで魔法少女を超えて神様になったんだよ」

 

 僕の隣の何もない空間から突如として、お洒落な装飾のされた額縁が出現し、その額縁の中でモニターように映像が流れ出す。

 その映像にはファンシーな魔法少女の衣装になった『鹿目まどか』が弓矢を空に向けて打ち出し、空に巨大な紋章を描いた光景が映し出されていた。

 そして、過去の魔女になりかけていた魔法少女の元に現れ、魔女になる前にそのソウルジェムを消滅させていく様子が克明に映る。

 僕は映像を見たまま横を向いていたが、彼女は構わず話し続ける。

 

「私の願いは私だけの世界じゃなく、ほむらちゃんが私を助けられなかった世界にも及んだの。その時に私はたくさんの魔女になる(まどか)を見た。そして、その私のせいで死んで行った人たちを」

 

 額縁の中の映像は切り替わり、巨大な歪んだ円錐を引き伸ばしたような複雑な形状をした魔女が街や都市を飲み込んでいく様に変わった。

 建物を壊し、人間を己の中に流し込むようにして進む魔女はワルプルギスの夜よりも恐怖と嫌悪感を感じざるを得なかった。

 見ているだけで背筋が凍り、息が苦しくなる。これと対面したらなど想像もしたくない。

 もしもこれが夢の中でなかったのなら、胃液の中身をぶちまけていたかもしれない。

 

「魔女になった私に取り込まれた人は、その人が最も望むものを与えてもらえるようだった。まるで天国のような世界で全てを飲み込んでいったよ」

 

 これが天国だというのだろうか。

 例え、喉から手が出るほど渇望しようと、こんな訳の分からない存在に与えられた幸せなんてお断りだ。

 言葉には出さなかったが、僕の嫌悪の表情は彼女には伝わったようで、懐かしむような瞳を僕に向けた。

 

「そんな中で取り込まれても『天国』を拒む人が一人だけ居たんだ。その人は亡くなったお母さんや友達の子猫を与えられてもその幸福を、救済を否定したの」

 

「それって……まさか」

 

「うん。その世界の政夫くんだよ。魂が押し潰されるその一瞬まで政夫くんは「こんな天国なんて要らない」って都合のいい幸せを拒絶したの」

 

 きっとその世界の僕も思ったのだろう。失ったものは戻ってこないからこそ尊いのだと。

 だからこそ、そんな奇跡を許してはいけないのだと。

 

「まさか、私と同い年の男の子がそんな風に天国に耐えられるなんて思ってもみなかったから驚いたよ」

 

「へそ曲がりなのが幸いしたんでしょうね」

 

 軽口を口にすると、彼女はくすりと笑みを一つ漏らした。

 

「どの世界でも政夫くんは天国を拒絶したよ。私はそれを見て思ったの。もしこの男の子が居たら私は魔法少女になったのかなって……」

 

「…………ひょっとして僕の父さんが、いや僕が見滝原市に来たのって……」

 

「ごめんね。全ての世界の魔女を消し去る前に、人の手で起こした奇跡が見たかったの。神様にならなくてもただの人間のままで何かを変えてくれる光景が見たかった。もしもどうにもならなかったら、その時は他の世界と同じように私がどうにかするつもりだったけどね」

 

 この話が真実であれば、僕が何度か死ぬような思いをしたのはこの神様のせいということになるのか?

 いや、どっち道、どこに居ても結局は死ぬのなら、チャンスをくれただけありがたいか。

 取り合えず、疑問を述べておかないといけない。

 

「あの、だとすると僕が今居る世界ってどういう扱いになるんですか?」

 

「政夫くんの世界は『円環の理』から、私のルールから切り離された唯一つの世界になると思うよ。……そのせいでその世界の魔女は消せないけど」

 

 僕はその言葉を聞いて、ほっと安心して息を吐く。

 よかった。皆で頑張って手に入れた結果が塗り潰されてなくなってしまうのではなかと冷や冷やした。

 

「仕方ないですよ。もう『なってしまったもの』まで面倒を見る気はありませんよ。そんなことまで背負う気はないですから」

 

 顔も知らない相手のためにそこまでする気はない。言ってしまえば、僕は奇跡に頼った魔法少女という存在のことをあまり好ましくすら思っていない。

 どんな理由があろうと、訳の分からないものに縋れば、その時点で自業自得だとも思う。

 この街の魔法少女とは仲良くなったから、助けたいと思っただけで、『魔法少女』という存在全ての境遇に同情するつもりもない。

 現存する魔法少女を普通の女の子に戻してくれるようニュゥべえに頼んだのは助けられる手段があるのに助けないのは気分が悪いからと、魔女を新たに発生させないためでしかない。

 僕は昔から手の届かないところのものまでは背負おうとはしない。僕が手を伸ばすのは自分の命を担保に入れて届く距離だけだ。

 逆に、目の前の彼女には、手が伸びすぎてしまった故に背負わなくていいものまで背負ってしまったのだろう。

 

「ううん。別に責めた訳じゃないよ。政夫くんは私の想像よりもすごい事をやってくれたんだもん。むしろ、お礼を言いたいくらいだよ。ありがとうね、政夫くん」

 

「いえ、自分のためにやったことですので。神様からお礼をされる謂れはありませんよ」

 

 僕の知るまどかさんのような普通の女の子ような仕草でお礼を言うが、そんなことをしてもらう義理はない。

 頼まれてやったのではなく、僕が自分の意志でやったことだ。

 

「あの、政夫くん。何でさっきからずっと敬語なの? 余所余所しいよ? あとずっと私の事を「まどか」じゃなくて「神様」って呼んでるのも……」

 

「神様は目上の存在ですからね……名前の方は僕にとっての「鹿目まどか」はまどかさん一人だけですので」

 

 余所余所しいも何も普通に他人だから仕方がないだろう。それに僕が神様という存在があまり好きではないのも起因している。

 恐らくはこんな人間だからこそ、天国とやらを拒絶したのだろう。

 

「私も一応、まどかなんだけどな。そこだけは政夫くんの世界の私が羨ましいよ」

 

 寂しげにそう言う彼女に僕は逆に聞きたくなった。

 

「僕なんかにどうしてそこまで拘るんですか?」

 

 すると、超越的な雰囲気にそぐわない恥ずかしげな表情を僕に向けた。

 

「最初に政夫くんの事を好きになったのは『まどか』は私だから、かな?」

 

「……え!?」

 

 この場所に来て何度か驚くことがあったが、ここまで衝撃的な驚愕は初めてかもしれない。

 まさか、神様から好意を向けられる日が来ようとは……。人生何があるか分からない。来週あたり、阿修羅に告白されても僕は驚かなくなっているだろう。

 

「どの世界でも都合のいい奇跡を拒否し続ける政夫くんを見て、私は政夫くんに憧れたんだよ。見滝原市に呼んだのも『まどか』と引き合わせたかったって意味合いもあったんだ」

 

「ひょっとして、ですけど。まどかさんが割りと出会ったばかりの頃から僕に好意的なのも、神様の影響だったりするのでしょうか?」

 

 それなら、何だかんだでまどかさんが僕に告白してくれたことも彼女本人の意思ではない可能性がある。

 もしも、そうだったら嫌だ。あの告白はまどかさん本人のものであってほしい。

 紛れもなく、あの時に僕は初めて人を好きになれたのだから。

 

「最初の頃は影響してたかもしれないけど、あの世界の私が政夫くんへの告白する頃にはもう関係なくなっていたと思うよ」

 

「そうですか。それなら良かったです」

 

 胸を撫で下ろした僕を少しだけ見つめた後、彼女は聞いてきた。

 

「ねえ、政夫くん。何でほむらちゃんの事を選んだの? 別に責めてる訳じゃないよ。ただちょっと知りたくて」

 

 言葉どおり、責めている風もなく、単純に不思議だから尋ねていると言った様子だった。僕はそれに答えるべきか悩んだが、結局素直に話すことにした。

 

「あの時、まどかさんは僕にとって、『一緒に居たい人』でした。ほむらさんの方は『一緒に居てあげたい人』だったんです。二人ともとても大事で大好きだったけど、まどかさんの方は僕が居なくても平気だと思ったから、ほむらさんを選びました」

 

 してもらいたいという欲求よりも、してあげたいという欲求の方が僕の場合強くなってしまった。詰まるところ、もらうよりもあげる方が好きなのだ。そういう人間なんだとほむらが家に駆け込んで、僕に泣きついてきた時に理解した。

 

「後悔はしていないの? 『まどか』の事も好きだったんでしょ?」

 

「自分で選んだんですよ。後悔なんてしてません。もし、あの瞬間に戻って選び直せるとしても僕はほむらさんを選びますよ」

 

「そっか。政夫くんらしいね」

 

 そう言って彼女は微笑むが、知らない相手に「らしい」などと言われても困る。向こうは一方的にこちらのことを知っているが、こちらにはまったく関わり合いがないのだから。

 この人が好きになった僕は、今ここに居る僕ではないのだ。

 

「貴女は神様になったことを、自分の選択を後悔していますか?」

 

 僕ならば神になるなど、絶対に御免だ。ただの人間であることを僕は誇っている。

 特別なものに起因しない、平凡な生き方が何よりも尊いということを知っている。

 彼女はそうだろう? 本当に神様であることを心の底から肯定できるのなら、魔法少女にならずに済んだかもしれない自分など想像するだろうか?

 だから、つい聞いてしまった。自分の選んだ選択に納得しているのかと。

 彼女はほんの少しだけ押し黙った後、こう答えた。

 

「後悔なんてあるわけないよ。私が自分で決めたことなんだから」

 

 ああ。この人は強い人だ。

 僕の知るまどかさんよりも気高く、高潔で、神々しい。

 それでも、人間であることを、僕を信じて魔法少女にならないと言ってくれたまどかさんの方がずっと好きだ。

 この人の思いを否定する気はない。けれど、この人の強さは常人には着いていけない(たぐい)の強さだ。

 ――だからこそ、神様などになってしまったのだろう。

 

「……そうですか。なら、最後までやり通してください。絶対に弱音なんか吐いては駄目ですよ」

 

 本人が納得をしているのなら、部外者が口を挟むことではない。だったら、せめて哀れみの言葉ではなく、叱咤激励の言葉を送ろう。

 僕の言葉が意外だったようで少し驚いた顔を覗かせた後、今まで見た笑顔の中で一番まどかさんらしい笑顔を浮かべた。

 

「政夫くんとこうやって話ができてよかったよ。……ひょっとしたら誰かに肯定してほしかったのかもしれない。本当にありがとう、政夫くん」

 

 感謝の台詞と共に周囲の宇宙が収束していくように形を変え、消えていく。眩く光る星々やその後ろの広がる暗黒の宇宙が解けていくように消滅する。

 最後に僕は彼女に一言だけ述べた。

 

「頑張って、もう一人の『まどかさん』」

 

 もう彼女の顔は見えなかったが、僕には彼女が嬉しそうに微笑んだように思えた。

 

 

 

 

「さお、ん……政夫くん、起きて」

 

 目を覚ますと片手を枕に横になっている僕の周りを皆が取り囲んでいた。目を擦りながら、視線を動かすと僕が居る場所は避難所のスペースの一角だった。

 眠気が完全に取れないままで前を見ると、そこには怒った表情のまどかさん。

 

「政夫くんたら、私には何も言わずに一人寝ちゃうなんて」

 

「あ。ごめんね。眠くて仕方がなかったんだ許してよ」

 

 申し訳なく手を合わせて拝むと、いつもの可愛らしい表情に戻ってくれた。

 そして、僕にずっと言いたかったであろう言葉をかけてくれた。

 

「お帰りなさい、政夫くん」

 

「うん。ただいま、まどかさん」

 

 僕が見たものが本当に夢じゃなかったのかは確かめる術がない。本当はただ単に疲れて変な夢を見ただけかもしれない。

 それでも僕が守りたかった笑顔はここにある。それだけで十分だ。

 




番外編なので深く考察すると矛盾しているところがありますがご容赦下さい。


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特別編2 チェンジリング政夫 前編

今回はトクケンさんのリクエストの話です。
書いている内に長くなってしまいそうなので前編だけまず上げます。
※特別編なので色々とパラレルなので時系列は気にしないでください。一応はワルプルギスの夜編の二日前という設定で書いておりますが、気にしだすとそもそもif世界自体が矛盾そのものになってしまうのですが。


 今日、僕はとても幸せな気分に満ち溢れていた。

 正直に言えば、今日だけじゃなく、昨日も、一昨日も愛する彼女に出会えたその日から幸福が続いている。

 可憐な三つ編みに厚めのフレームの眼鏡を掛けたこの世で最も可愛い僕の恋人、ほむらさんと出会った時から僕の人生は絶頂期を迎えていた。

 ほむらさんの家に向かい、一緒に学校に登校し、一日を共に過ごす。これほど満ち足りた生活はない。僕はきっと世界一、いや、宇宙一幸せな男だろう。

 そんなことを考えながら、僕はほむらさんを迎えに彼女のマンションへ向かっていた。

 浮かれて鼻歌すら歌いながら、軽くスキップまでしてしまっている。クラスメイトに見られてしまったらどうしようとかなどは一切考えていない。もしも道中に会ったら、思い切り惚気話をしてやろうとすら思っていた。

 そんなルンルン気分の僕だったが、すぐ傍の道端に大きな姿見のようなオブジェが設置していることに気が付いた。

 

「鏡……? こんな道の端に?」

 

 不思議に思ったものの、この見滝原市は無意味に装飾に拘った外観のものが多いため、このオブジェもその一環だろうと結論付けた。未だに近くの公園の数色のライトが出る噴水なども電力の無駄使いにしか思えていない。

 ちょうど良いのでほむらさんに会う前にもう一度髪型をセットし直して身嗜みを整えよう。

 姿見の前に立ち、髪を弄ろうとして――僕は動きを止めた。

 硬直と言い変えてもいいだろう。僕は目を見開き、鏡に反射した自分の虚像を凝視した。

 ……あり得ない。虚像ならば僕と左右対称に映っているはずなのに鏡の中の僕はまるで正対称に映っている。

 否、それだけでなく、僕が止まっているにも関わらず、鏡の中の僕は動いていた。まるでもう一人の僕が姿見の内側に別個の存在として居るかのように。

 

「なっ……!」

 

 驚いているのは鏡の中の僕も同じようだった。こちら側の僕を見て唖然としたように見つめている。

 よく見ると向こうの僕の頭の上には見たことのない白いマスコット染みたぬいぐるみのようなものが乗っている。

 これは一体どうなっているのだろうか。驚きつつも、鏡の鏡面に触れる。

 向こうに居る僕も恐る恐る同じように反対側から鏡面に触れようとしていた。

 そして、一瞬だけ、手のひらと手のひらが触れ合う感触がした。

 同時にずるりと鏡の方に引き込まれるような感覚に苛まれ、まるで開いた窓の外にでも転げ落ちるように前のめりで倒れ込む。

 

「ぬぁっ……」

 

 無駄に凝った模様のタイルが散りばめられた地面に顔を激突しようになりながら、どうにか地面とキスすることだけは避けようと、両手で踏ん張った。

 今一体何が起きたというのだろうか? 

 立ち上がって後ろを振り向くとそこにはもう先ほど姿見のオブジェは影も形もなかった。

 あれは幻覚か何かだったのか。地面に手を突いた時に擦った手を見つめる。

 しかし、紛れもなくあの感触は手のひらを合わせた時の感触だった。

 周りを見回すがやはり姿見はどこにもない。あれは僕が見た幻覚だったと思うより他ない状況だ。

 浮かれすぎて、脳内麻薬が分泌され、幻覚と幻触を体感した。それ以外に今僕が味わった現象を説明できない。

 ………………。

 これはもう、きっとあれだ。

 ほむらさん成分が僕の脳に足りなかったのだ。

 『ほむらさん成分』。それは僕の脳を司る栄養素の一つ。定期的に摂取しないと脳や身体に異常をきたしてしまう、絶対不可欠の栄養素のことである。

 そうと決まれば、早く彼女に会いに行こう。これ以上幻覚を見るのはまっぴらごめんだ。

 現世に舞い降りた天使のような彼女に会えば、つまらない幻覚などを見ることはないだろう。

 倒れ込んだ時に突いた砂埃(すなぼこり)を払うと、再びほむらさんの自宅のマンションに向かった。

 

 ほむらさんの家の部屋のドアの前に辿り着くと、いつものように玄関のインターホンを押す。

 軽快なチャイム音がした後、ドアが開かれて、一人の女の子が現れた。

 それは僕の見たことない(・・・・・・・)女の子だった。

 長いロングの黒髪はどういう訳か真ん中辺りから二つに別れ、流線型のカーブを両サイドに描いている。顔立ちは整っているが、表情そのものに愛想がないせいで冷淡なイメージを纏っている。

 凛とした雰囲気を醸し出しているせいで年齢以上に大人びて僕には映った。

 その女の子は僕を見ると冷淡な表情を崩し、僅かに嬉しそうに微笑んだ。

 

「政夫? 貴方の方から私の家に来てくれるなんて珍しいわね。でも、嬉しいわ」

 

 呼び捨て、さらに下の名前でなれなれしく呼んでくるが、僕は目の前の女の子に見覚えなどない。

 

「あの……ほむらさんの親類の方でしょうか?」

 

 まじまじと観察すれば目や鼻といった顔のパーツはほむらさんとそっくりだった。ただ顔付きがほむらさんとはまったく違うので一見するとまったくそうは思えない。

 ほむらさんの親類なら僕の名前を彼女から聞いていても何らおかしくないが、明らかに僕への心理的な距離感が近すぎる。

 

「え……? 何を言っているの? ほむらは私よ」

 

「……は? ……あの僕のことをからかっているんですか?」

 

 目の前の黒髪の女の子は美少女と言っても過言ではなかったが、僕の愛するほむらさんには遠く及ばない。少なくても彼女のような可憐さも愛くるしさも持ち合わせていない。

 いくら、ほむらさんの親類でも不愉快な気持ちにさせられて軽く睨むように見つめる。

 

「政夫、さっきから貴方どうしたの?」

 

「政夫、政夫って、さっきから貴女、初対面の僕に対して少しなれなれし過ぎるんじゃないですか? 親しくもない相手に名前で呼んでほしくないんですけど」

 

 相手は困惑したような表情を浮かべるが、困惑しているのはこんな悪戯をされている僕の方だ。

 

「親しくもない相手って……。私は暁美ほむらよ?」

 

「いい加減にしてください。僕の恋人のほむらさんはあなたみたいな人じゃない! 顔付きが百八十度違いますよ」 

 

 苛立つ思いを言葉にして自称暁美ほむらにぶつける。

 例え、冗談でもほむらさんの名前を(かた)るなんて最悪だ。絶対に許せない。

 

「私は……」

 

「もういいです。あなたと話していても(らち)が空かない」

 

 自称暁美ほむらを押し退けて、玄関に入って、家の中に居るはずのほむらさんを呼ぶ。

 

「ほむらさん。いつも通り、迎えに来たよ」

 

 だが、返事はなく、人の気配もまた感じられなかった。

 おかしい。朝の弱い彼女はこの時間帯は僕が迎えに来るまで眠そうにしながら呆けているのが常なのに。

 もう既に学校に行っているというのは考えにくいが、少なくとも家には居ないようだった。

 

「一人で学校に行っちゃったのかな? ほむらさん」

 

「だから、ほむらは私……」

 

「しつこいなぁ。……いい加減にしてくれよ。不愉快だ」

 

 敬語も使う気も失せて、乱暴な言葉遣いで相手の話を遮る。

 ここまで不愉快なことをされたのは小学一年生の時以来だ。この女を視界に入れることさえ嫌で仕方がない。

 

「政夫? どうして……」

 

 縋り付いて来ようとする自称暁美ほむらの手を避けて、僕は学校に向かうことにした。そこに行けばきっとほむらさんに会うことができるはずだ。

 内心に(くすぶ)る得体の知れない不安な感情を押し殺し、あえて楽観的な思考を保とうとする。

 大丈夫、ちゃんとクラスに行けばほむらさんが待っていてくれる。

 後ろから、自称暁美ほむらがショックを受けた顔で見ていて、少しだけ罪悪感を感じたが、それもこれもあの人が性質の悪い冗談を言い続けているのが悪い。

 僕は無視して、マンションから出て行き、見滝原中学校へと足を速めた。

 いつもとは違い、一人で登校する通学路はとても寂しく、物悲しいように思え、俯きがちに歩んでいく。

 ガラス張りのケースのような教室に着き、床から嵌めこみ式の机と椅子を引っ張り出す。そして、ほむらさんの席がある場所を見るが、机も椅子も床に嵌めこまれたままで取り出された形跡はない。

 ほむらさんの隣に位置する席の中沢君はもう既に来ていたので、挨拶のついでに念のために聞いた。

 

「おはよう、中沢君。あの、ほむらさんてまだ学校に来てない?」

 

「暁美さん? 来てないと思うよ。っていうか、いつも夕田君のグループと一緒に登校してるのに今日はどうしたの?」

 

 いつもほむらさんと一緒に登校しているから分かるが、『グループ』という言い回しが気になり、僕は再度尋ねた。

 

「グループってどういうこと?」

 

「いや、どういうことって、鹿目さんたちとのグループだよ。あ、ほら来たよ」

 

 そう言って中沢君は教室の後方を指差す。教室の透明なガラスの向こうにピンク、青、緑、そして黒のカラフルな女の子たちが並んで歩いてくるのが見える。

 前から鹿目まどか、美樹さやか、志筑仁美、そして今日会ったばかりの自称暁美ほむらの四名だ。前から三人はさほど話したりはしないがクラスメイトなので分かるが、自称暁美ほむらがこの学校の制服を着て登校しているのが腑に落ちなかった。

 教室の後ろのドアを開いて彼女たちはこちらに向かってくると、その中の美樹が僕に怒鳴りつけるように言った。

 

「政夫! アンタ、ほむらに何言ったの!?」

 

 美樹は基本的には人懐っこい性格なので呼び捨てで話しかけてくるのはよくあることだったが、こんな風に話しかけてくることは稀だった。

 いや、そんなことよりも聞き捨てならない台詞に僕は驚く。

 

「え? 今日は僕はまだほむらさんに会ってないよ?」

 

「嘘仰らないでください、政夫さん!」

 

 志筑さんが美樹と一緒にずいっと前に出てくる。

 彼女はクラスで一番の人気を誇る女子なのだが、あからさまな美少女が苦手な僕は彼女とはあまり接点がなく、喋らないのでこれほどはっきりと物を言われてびっくりとした面持ちをした。

 戸惑う僕を他所にこのクラスで一番苦手な『ボスピンク』こと鹿目まどかが自称暁美ほむらを連れて、僕を責めるように言う。

 

「ほむらちゃんは政夫くんに酷い事言われたって言ってたよ」

 

「ちょっと待ってよ。まさかその「ほむらちゃん」って言うのはそこの人のことじゃないよね?」

 

 鹿目まどかの隣の自称暁美ほむらを見て、尋ねると彼女は信じられないもの見るように言った。

 

「政夫くん。そんな事言うなんて……どうしちゃったの?」

 

「いや、どうしちゃったのも何も君らがおかしいよ。今までそんなに話したこともないのに急になれなれしく話して来て……それにその人のこと、ほむらさんだって言い始めて」

 

 本当にさっきからずっと意味不明だ。鹿目まどかを含めたこいつらのなれなれしさも自称暁美ほむらの存在も、寄って(たか)って僕をからかっているようにしか思えない。

 

「そんなに話した事もないって……政夫本気で言ってるの?」

 

「見損ないましたわ、政夫さん」

 

 美樹と志筑さんまで訳の分からないことを言い出して、責めたててくる。さっきからずっと溜まっていたフラストレーションがとうとう爆発する。

 

「人をからかうのもいい加減にしろよ! 何なんだ、自称暁美ほむらといい、僕に文句があるならこんな悪戯みたいな真似するんじゃなくて真正面から言え!」

 

 そう言って大声で吐き捨てると、僕の前に集まった四人だけじゃなく、教室内に居たクラスメイトまでも黙り、しんと静まった。

 特に自称暁美ほむらは泣きそうな瞳で見つめてきたが、今はそれさえも僕の怒りを煽っているように感じられた。

 鹿目まどかは何かを言おうとしたのか口を開いたが、校内チャイムが鳴り響き、僕はむっつりとした顔で自分の席に座った。

 すぐに担任の早乙女先生が教室に入ってきてホームルームを準備を始める。

 鹿目まどかたちも席に座るが、あろうことか、ほむらさんの席にこちらを気にするような表情をしながら自称暁美ほむらが腰を下ろした。

 

「なっ……お前、ふざけるなよ! そこはほむらさんの席だろうが!!」

 

 血管が切れそうなほどの怒りが込み上げて、糾弾するがクラスメイトは僕を異様なものを見るような瞳を向けるだけだった。

 

「夕田君……何を言っているのですか? ほむらさんは彼女でしょう?」

 

 早乙女先生までも訳の分からない冗談を言い始める。あまりの事実に耳を疑った。

 担任までもこの性質の悪い嫌がらせに参加しているとでもいうのだろうか。

 溜まらず、僕は椅子から立ち上がり、自称暁美ほむらを指差して怒りを込めて叫ぶ。

 

「そいつのどこがほむらさんなんですかっ!? 先生は本気で言ってるんですか!?」

 

「夕田君、あなた……大丈夫ですか?」

 

「っ……!」

 

 心配そうな目で僕を見る早乙女先生やクラスメイトに耐え切れず、僕は教室から逃げるように出ていく。制止を求める声が後ろから聞こえたが、無視した。

 この場所に居たら、本当に狂ってしまいそうだと思った。

 まるで僕の知るほむらさんが掻き消されたかのようだった。他のクラスをガラス越しから見るが、どのクラスにもほむらさんの姿はない。

 絶望感に苛まれ、泣きそうになりながら、僕は学校から出て、本物のほむらさんを探しに行く。

 きっと、居るはずだ。人が消えるなんてありえない。

 あの黒髪の女がほむらさんな訳がない。

 胃液が逆流しそうになるのを堪え、僕は彼女とデートした場所へと駆けて行く。

 ほむらさん、待っていて。必ず、会いに行くから……。 

 




思ったよりもシリアスになってしまいましたが、if世界の政夫は魔法も奇跡も知らない正真正銘の一般人なのでしょうがないです。
さて、後編は本編の政夫の方を書いていきます。


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特別編2 チェンジリング政夫 中編

予想以上に話が長くなり、三分割となりました。ご容赦ください。


 一体これはどうしたということなんだろうか?

 疑問と焦りと――そして、途方もない幸福感に包まれている僕は発熱しそうなぐらい(のぼ)せ上がっている頭で考える。

 

「政夫くん。今日は何で迎えに来てくれなかったの? 一人で先に行っちゃうなんて酷いよ」

 

 天使、と形容するしかないほど可愛らしい女の子が僕を見て、可愛らしく怒っている。

 上質な絹のような髪は三つ編みにされ、純朴さを前面に押し出したようなフレームの厚い眼鏡に、ちょっとだけ怒気を見せつつも愛くるしさを失わない僕好みの女の子。

 

「えっと……変なことを聞くようだけどさ、君は……ほむらさんだよね?」

 

「? 本当に変な事聞くね。そうだよ。私は暁美ほむらだよ。付き合って三週間も経つのに忘れちゃったの」

 

「そうか。うん……そうだよね。変なこと聞いてごめん」

 

 

 学校に行く途中、僕は不思議な姿見のオブジェにを見つけ、その中に虚像でない僕そっくりの存在を発見し、鏡面に触ってしまい、その鏡面の中にニュゥべえと共に入り込んでしまった。

 その時にまるで鏡面の中に映る僕が向こう側に入り込むような、性格に言えば、『この僕』と『鏡面の中の僕』がまるで入れ換わってしまったように見えた。

 どうやら、ニュゥべえによるとあの姿見のオブジェは魔女の使い魔だったようだが、どうやらこの世界は魔女の結界ではないようだった。

 しかし、当然ながら僕の居た見滝原市という訳でもないようだ。

 僕の知る見滝原市と同じ外観をしているのであの姿見の使い魔を探すため、探索しようとしていた時にばったりと出会ってしまったのが目の前の『ほむらさん』だった。

 前にデートした時と同じ三つ編みと眼鏡だったが、彼女から発せられる雰囲気が僕の知る暁美ほむらとは百八十度違う上に顔付きまでも柔和でまったくの別人のように感じられた。

 どうやらこの世界でも彼女は僕と付き合っているようなのだが……非常に羨ましい。

 

「学校始まっちゃうよ。早く行こうよ」

 

「ああ……うん。そうだね」

 

 歯切れ悪く答えて、肩の上に居るニュゥべえに視線をやる。

 このほむらさん……取り合えず、(アナザー)・ほむらさんとでも呼称しよう。A・ほむらさんにはニュゥべえの姿は見えていないようだったので、テレパシー能力を使ってもらい内心だけで聞く。

 

『この子は僕をここに引き込んだ魔女とは関係ないの?』

 

『そうだね。そう感覚はないよ。ソウルジェムの反応もないから魔法少女でもないみたいだ。普通の女の子のようだね』

 

 普通の女の子。僕からしたらこの世界が普通じゃないから、この世界に元から存在しているだけで「普通」とは思えなかった。

 

『まずはこのほむらについて行って、この世界がどういった場所なのかを調べるのはどうだい?』

 

『なら、そうみてようか。他に当てがある訳でもないし』

 

 A・ほむらさんと一緒に学校に向かおうとしたところ、唐突にA・ほむらさんは手を僕に向けて差し出した。その白魚のような指にはやはりソウルジェムを変化させた指輪も爪にある変な模様もない。

 意図が読めずに僕は首を傾げると、A・ほむらさんは困ったように上目遣いで僕を見上げた。

 

「どうしたの? いつもみたいに手を繋いでくれないの……?」

 

「いつもみたいに!?」

 

 この世界の僕はこんな可愛い子と手を繋いで学校に登校していたというのか!? 許せない、どれだけ幸せものなんだ!

 本物の世界かどうかも分からない世界だが、そんな幸せな生活を僕とそっくりの存在が過ごしていたかと思うと憎さが湧いてくる。

 僕の方は、重火器をさも当たり前のようにパクってくるテロリストだと言うのに……!

 あまりにも羨ましかったので、求められるまま手のひらをぎゅっと握り締める。

 

「ふふ……政夫くんの手、やっぱり安心するね」

 

 そう言って嬉しそうに、はにかむA・ほむらさん。

 脳内に高圧電流が走るような凄まじい衝撃が僕を襲う。

 可愛い。可愛い可愛い可愛い可愛い!!

 最高に可愛い。

 何だこの子。天使か? ……いや、間違いなく天使だ!

 

『政夫……君は今の状況を正確に理解しているのかい?』

 

 怒りと呆れの入り混じったニュゥべえの声が脳に響いてくる。ニュゥべえの発言はもっともだ。けれど、悲しいことに男というのは好みの女の子の前では欲望に素直になってしまうものなのだ。

 かくして、僕はかつてないほど幸せな気分で学校へ登校した。

 ニュゥべえは僕が授業を受けている間、校内を調べてみると言って、僕から離れて単独で捜査を始めてくれた。

 教室の近くに来ると、流石に気恥ずかしくなったのかA・ほむらさんは手を離して両手で学生鞄の持ち手を握った。

 柔らかくて心地のいい感触を名残惜しみながらも、僕も教室の方へと向かっていく。

 その時、廊下の端からまどかさんが歩いて来るのが見えた。

 

「おはよう。まどかさん」

 

 ついいつもの癖で挨拶をしてから、この世界が僕の知る世界とは違うため、まどかさんとの関係が同じであるとは限らないことに気が付いた。

 案の定、この世界の僕とまどかさんはそれほど親しくなかったようで少しだけびっくりした表情で僕を見た。

 だが、それも一秒ほどのものですぐに破顔して挨拶を返してくれた。

 

「おはよう。夕田君、暁美さん」

 

 僕はともかく、A・ほむらさんまで苗字で呼ぶまどかさんにとても違和感を覚えたが、それは僕の知るまどかさんとは違うから仕方がないのだろう。

 

「おはようございます……鹿目さん」

 

 他所他所しく、目を逸らしながらA・ほむらさんも挨拶する。何やら、この世界での二人はあまり仲が良くないようだった。

 にこにこしながら、この世界の鹿目さんは一足先に教室内へと入っていく。彼女も混同しないようにA・まどかさんと呼称しよう。

 

「僕らも教室に入ろうか」

 

 A・ほむらさんにそう提案するが、彼女はむくれたようにそっぽを向いた。

 

「どうしたの?」

 

「鹿目さんはちょっと苦手だから、あまり仲良くしないでって言ったの政夫くんなのに……今日は嬉しそうに名前で呼ぶなんて」

 

 拗ねた口調に僕は彼女が焼きもちを焼いているのだと理解した。

 そして、理解した瞬間に打ち震えた。

 彼女の可愛さに。

 耐えられず、足までもがくがくと痙攣したかのように震え出す。

 可愛い、可愛すぎる。もうなんか抱きしめたくて堪らない。

 両腕を広げて抱き付きたい衝動に駆られたがそれは流石に僕の世界のほむらへの裏切りなので精一杯の理性を動員させて持ち堪えた。

 

「ご、ごめんね。でも、僕はほむらさんが一番だから」

 

「……本当に?」

 

 またもや上目遣いで見てくるA・ほむらさんにどきどきしながら、壊れた人形のようにコクコクと何度も頷く。

 

「じゃあ、許してあげるね」

 

 華のように可憐な笑顔を見せられて、内心でこの世界に永住してもいいのではないかと本格的に考え始めそうになる。

 この子と添い遂げられるなら、それはそれで幸せなのではないかと。

 だが、そんな風に考えようとも、どうしてもあの面倒くさいテロリストのことが気になってしまうのだ。

 

「じゃ、教室に入ろう」

 

 僕の推測が正しければ、あの時交差したこの世界の僕が向こうの世界に行っているはずだ。彼の方はこの状況下を認識しているのか分からない。

 泣いてないといいんだけどな、僕の世界のほむらは。

 

 

 早乙女先生のやたらと私情の入った連絡事項を聞いた後、午後まで授業を真面目に受けた。その際に気付いたことは二つほどあった。

 一つは僕の世界と授業の教科の担当教師が同じこと。これだけならばさほど気にするが、授業の内容が僕が僕の世界でやっているところの続きだった。

 まるで僕の世界と同期しているように感じられる。僕の世界に後、二日後にワルプルギスの夜が来ることを考えるとこの世界でも奴が来るのかもしれない。

 もう一つはクラスに魅月杏子さんが居ないことだ。もしかしたら、この世界ではショウさんと杏子さんは出会っておらず、『佐倉杏子』のまま隣町に居るのかもしれない。

 元の世界との差異について頭を悩ませていると、A・ほむらさんはお弁当を二つほど持ってやって来た。

 

「はい。政夫くんのお弁当」

 

 そして、大きい方のお弁当箱を僕の机に置いた。

 僕はそれを見た後、A・ほむらさんに尋ねる。

 

「まさか……これって僕のお弁当? ほむらさんが作ってくれたの!?」

 

「え? いつも私が政夫くんの分まで作ってるでしょ?」

 

 きょとんとした顔をして、僕の隣の席に座るA・ほむらさん。

 まさか、手作りお弁当までくれるとは……僕の世界のほむら完敗じゃないか。何一つ彼女として勝っている部分がない。唯一上げるとしたら、犯罪スキル程度のものだ。

 

「で、では失礼して」

 

 お弁当の(ふた)を取ると、その下にはハンバーグやエビフライ、コーンとほうれん草のソテーなどが綺麗に並べられている。巴さんの豪勢な重箱には流石に(いささ)か見劣りするもののお弁当としては実にうまくできている。

 それに何より。

 

「ハンバーグだ! やった!」

 

「政夫くんの大好物だもんね。頑張って作り方学んだんだよ」

 

 少しだけ自慢するように言うA・ほむらさんに僕は涙を流して求婚したくなった。好みの食べ物まで知ってくれているとは……僕の方のほむらは聞いてくることさえしないのに。

 

「食べていいかな?」

 

「政夫くんのために作ったんだから、食べてくれないと困るよ」

 

「それじゃあ、頂きます」

 

「うん。召し上がれ!」

 

 早速、お弁当箱の蓋に付属してある箸入れから箸を抜き取り、ハンバーグを一口サイズに切り取り口に入れる。

 しっかりとやかれたひき肉が何とも言えない美味しさを僕に提供する。

 頑張って、丹精込めて作ってくれたことが分かる味わいだ。込められた愛情が伝わってくる。

 そこまで考えたところで、このハンバーグは僕ではなく、この世界での僕へのものであったことに気が付いた。

 すると、おいしさが途端に申し訳のない感情に変わっていく。

 ……どうしよう。悪いことしちゃったな。

 このハンバーグを心待ちにしていたのはこの世界での僕だ。そして、A・ほむらさんが食べてもらいたかったのも僕ではなく、この世界の僕だ。

 

「美味しくなかった……?」

 

 罪悪感が顔に出てしまったようで心配そうに聞いてくるA・ほむらさんに僕は首を振って答えた。

 

「ううん。凄いおいしいよ。このハンバーグ、僕好みの味」

 

「よかった。今日ね、いつもよりも早起きして頑張ったんだよ」

 

「ありがとうね。ほむらさん」

 

 この美味しいハンバーグを僕が食べてしまったことに罪の意識を感じながら、顔には一切出さないようにして仲良く食事をした。

 お弁当が美味しければ美味しいほど、謝りたくなった。

 食事を終えた後はA・ほむらさんと他愛もない話をして昼休みを潰した。

 午後の授業はほとんど上の空で、どうにか早くA・ほむらさんにこの世界の僕を返してあげられないかと考えていた。

 

 放課後になると一緒に帰えろうと言ってきたA・ほむらさんに頭を下げて、一人で帰ってもらった。

 悲しげな顔をさせてしまったが、彼女をもっと悲しませないためにも本来居るべき僕を帰してあげなくてはならない。

 

『政夫』

 

 廊下を歩いていた僕の前にニュゥべえがぬっと顔を出す。周囲に人目があることを考慮してかテレパシーを使って脳内に話しかけてくる。

 

『どうやら、ざっとこの学校に居る魔法少女を調べてみたが二人だけだったよ』

 

『二人?』

 

 授業中に美樹の指先を見ようと覗き込んでいたが彼女の指には指輪はなかった。とすると、巴さんと呉先輩だろうか。

 

『巴マミと――もう一人は鹿目まどかの二人だ』

 

「っ……」

 

 一気に冷や汗が身体から噴き出してくる。ワルプルギスの夜以上の最悪の魔女へとなりえる魔法少女。

 無意識の間に選択肢から外してあったが、そうなる可能性は十分あったのだ。

 頭を抱えたくなるなったが、ニュゥべえは対照的に冷静だった。

 

『悲観することはないよ。どういう訳か、この世界のまどかの魔法少女としての魔力はそこまで強くない。せいぜい、マミの少し上くらいのものだ。最悪の魔女にはなりえないだろう』

 

 A・まどかさんの魔力は僕の世界のまどかさんが魔法少女になった場合より、遥かに弱いということだろうか。

 だとしたら、それはなぜだ?

 疑問を口にするよりも早くニュゥべえは答えてくれた。

 

『これは僕の予想なんだけど、まどかがあれほど素養を手にしたのはほむらが魔法少女になって彼女を中心に何度も時間軸をずらしたことが原因だと思うんだ』

 

『つまり、ほむらさんが余計なことをしなければ、まどかさんは規格外の魔法少女にはならなかったってこと?』

 

『その通りだね。ほむらのせいでまどかが因果を溜めることになり、ボクらが居た元のまどかは魔法少女として莫大な素養になったんだろう』

 

 とんでもない疫病神だな、ほむらの奴。まあ、本人は知らないようだし、元の世界に帰ったとしてもこのまま教えないでおこう。

 ならば悪いが無視させて、僕は元の世界に戻ることだけに集中させてもらうとしよう。元々、自分の世界のことだけで精一杯なのだ。こっちの世界まで面倒は見られない。

 

『鏡の魔女については何か分かった?』

 

 僕が聞くと待ってましたとばかりに、嬉しそうに報告してきた。

 

『うん。ちょうどさっき、この学校の校舎にそれらしきものを感じ取ったよ。案内してもいいけど……』

 

 そこで言葉を濁したニュゥべえに僕は不思議に思いながらも続きを促した。

 

『どうしたの?』

 

『この世界のマミとまどかがその魔女の傍に居る。この世界のインキュベーターもね』

 

 それは少し面倒くさいことになった。魔法少女の魔法を解析したようにニュゥべえが鏡の魔女の魔法を解析して模倣すれば帰れると考えていたが、もしも彼女たちが魔女を倒してしまったら、下手をすると僕らは帰れなくなる恐れがある。




次で特別編は終わらせて頂きます。出ないと後日談にいけないのでお許しください。


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特別編2 チェンジリング政夫 後編

今回はいつもの二倍ほどの長さになってしまいました。
しかし、これでも結構短くした方なんですよ?

追記

最後の本編政夫の部分少しだけ加筆しました。


 僕はニュゥべえと共に校舎裏のすぐ傍の校舎の端からそっと(うかが)うと、(アナザー)・巴さんと(アナザー)まどかさんが魔法少女の姿になり、姿を消した。

 恐らくは魔女の結界内に入っていたのだろう。

 僕は彼女たちが消えた場所の傍に立って、ニュゥべえに尋ねる。

 

「それにしてもあの魔女は何でこんな訳の分からないことをしたのだろうね」

 

「それは政夫とこの世界の政夫を入れ替えた事かい?」

 

 もちろん、それもある。だが、それ以上に分からないのは……。

 

「僕らを自分の結界内に連れ込まなかったことだよ」

 

 もしも、鏡の魔女の使い魔が僕を襲うためにこの世界に連れ込んだのなら結界内に直接繋げればいいだけの話だ。にも関わらず、この魔女は僕らを野放しにした。まるでこの世界に引き込むこと自体が目的のように。

 いや、もしかしたらこの世界の僕と入れ替えることが目的だったのではないだろうか。

 だが、だとするならばその理由は一体何だ?

 深く考え込もうとすると、ニュゥべえが僕を急かす。

 

「確かにそれは気になるけど、早くしないと魔女がマミたちに倒されてしまうよ」

 

「ああ、そうだね」

 

 取り合えず、この謎は置いておいて一刻も早く彼女たちの後を追わなくてはならない。

 しかし、そうなるとまた一つ問題点が生まれてしまう。

 

「あのさ、ニュゥべえ。この世界での僕のこともあるし、僕がまどかさんたちと顔を合わせたら面倒なことになると思うんだけど」

 

 A・ほむらさんがまだ魔法少女ではなく、逆に魔法少女であるA・まどかさんとは親しくしていなかったことを考えると、この世界の僕は魔法や奇跡との関わり合いがないようだ。

 そんな僕が彼女たちと鉢合わせた場合、色々と面倒くさいことになるのは馬鹿でも分かる。もしこの世界の僕が戻った時にややこしいことになる可能性もある。

 

「それについて何だけどね、実はボクにいい考えがあるんだ」

 

 首に巻かれたオレンジ色のレースのついたハンカチを揺らして、ニュゥべえは楽しげにそう言った。

 その様子は面白い試みを思いついた子供のようで僕は少しだけ嫌な予感を感じた。しかし、急ぎの用件でもあったためにニュゥべえに一任する。

 

「それじゃあ任せるけど……どんな考えなの?」

 

「それはね……」

 

 数十秒後、僕はニュゥべえに任せたことを内心で後悔しながら魔女の結界に突入するはめになる。

 しかし、同時になかなかベストの案だと思うので文句は口には出せなかった。

 ただただ、ニュゥべえの興味がおかしなところにあるということを思い知った。

 魔女の結界内に所狭しと並べられている鏡に僕の姿が映り込み、嫌というほどその姿を見せつけられる。

 その鏡面に映し出されている僕の姿は真っ白いカラーリングの特撮ヒーローのような格好だった。

 ボディはスマートながら外部にパワードスーツのような鎧を纏い、顔は頭部から婉曲を描いて垂れ下がっている先の方に輪の張り付いた角と真紅の大きな複眼が特徴的な仮面に覆われている。

 身体に付いた背中の方に付いている模様や触腕のような角の装飾などはしっかりとニュゥべえの面影が残っているのがまた何とも言えない。

 

「まさか、十四にもなってこんな格好をするとは思ってもみなかったよ……」

 

『魔法少女の格好にされるよりはマシだっただろう?』

 

 少々、げんなりとしている僕の脳内にニュゥべえの声が直接響く。

 その声は心なしか楽しんでいるように聞こえた。

 

「それはそうだけどさ……僕の身体に鎧として姿を変えるのはいいとして、何でこんなデザインなの?」

 

 ニュゥべえの言い出した「いい考え」とは、自分が鎧として僕の身を覆い、僕の姿を隠そうというものだった。

 

『この前の日曜日の朝に政夫が寝ている間にテレビを点けたら、こんな姿で戦う番組を見てね。デザインはそれを参考にさせてもらったんだ』

 

 ……一人で朝の特撮番組なんか見てたのか、ニュゥべえ。もしかして、はまったのだろうか。それはそれで何だか可愛いな。

 

「でも、それにしたってちょっと気恥ずかしいよ」

 

 幼稚園くらいの頃は見ていたとはいえ、とっくのとうに卒業したヒーロー物の格好をさせられるとどうも自分の幼児性が露出したようで羞恥が沸いてくる。

 元々、あまりそういった特撮ヒーローに憧れを抱いていなかったというのも恥ずかしさを増大させている理由の一つだ。

 

『政夫、わがままを言っては駄目だよ。これなら、政夫の顔は隠せるし、政夫の安全も完全に守れる。一石二鳥だよ』

 

「まあね。そこは素直にいい考えだと思うよ」

 

 これならばまどかさんたちに仮に出会っても正体がばれないと思う。

 しかし、だ。

 

「こんな姿のまま出て行ったら攻撃されかねないと思うんだけど」

 

『それは政夫の話術の腕の見せ所だよ。最悪、敵対したとしてもあの二人だけが相手なら負けることはないしね』

 

「それの最悪は起きてほしくないね」

 

 いくら別の世界の住人だとしても見知った顔と敵対するなんて、できれば御免(こうむ)る。

 

『それじゃ、そろそろ行こうか。まどかたちのソウルジェムの反応を辿って、彼女たちが歩いた道を通れば使い魔も倒されているはずだから』

 

「うん」

 

 白いマスクとボディを纏った自分にはまだ慣れていなかったが、ニュゥべえのナビゲート通りの道を僕は走り抜ける。

 ニュゥべえの鎧に纏われているおかげか、脚力も体力もいつもの比ではなく、難なくA・まどかさんたちへ追いつくことができた。

 A・まどかさんたちは既に最深部へと辿り着き、この結界の魔女と対面していた。

 鏡の魔女は姿見の使い魔から大体の姿は想像していたが、思った以上に巨大で不可解な姿をしていた。

 全身にさまざまな形の小さな鏡を配置したミラーボールに腕とも脚とも見分けが付かない黒い部分を生やし、天井に張り付いている。

 僕はそれを結界内のオブジェの鏡をむしり取って、少し離れた場所から反射させて見ていた。

 

『それでどうするつもりだい? 彼女たちがピンチ陥るまで待っている訳にもいかないよ?』

 

「分かってるよ。……取り合えずは素直に出て行くしかないよ」

 

 僕は覚悟を決めて、A・まどかさんたちと鏡の魔女が戦っている場所へ割って入る。

 最初に僕の存在に気付いたのは鏡の魔女――ではなく、やはりA・巴さんだった。

 ここでもベテラン魔法少女なのは変わりがないようでマスケット銃を僕の足元に何発か打ち込み、威嚇する。

 即座に攻撃しない分、理性的な対応と言えるだろう。僕ならこんな姿の奴が目の前に出てきたら迷わず撃つ自信がある。

 両手を上げて敵対の意志がないことを伝え、ニュゥべえに声質を変えてもらい話しかける。

 

「僕がもの凄く怪しい人物だというのは自分が一番よく分かっていますが、あなた方と事を構えるつもりはありません」

 

「……あなたは一体何者? 一応、使い魔じゃないみたいだけど」

 

 マスケット銃を構えたまま、僕に問う。だが、天井の鏡の魔女の方もしっかりと意識を向けているようでその戦士としてスキルはとても中学生とは思えない。

 A・まどかさんもこちらに気付いてはいるものの、A・マミさんに対応を任せ、桃色の弓矢を天井に張り付いた鏡の魔女に向けている。

 

「僕は……」

 

『政夫! 魔女の攻撃が来るよ!』

 

 自身の立ち位置をどう説明したものかと思った瞬間、ニュゥべえの声が脳に飛んでくる。

 即座に意識を切り替えて上を見上げると、鏡の一枚一枚から一瞬輝き(ほとばし)ろうとしていた。

 素人目にも予想できるほど分かりやすい範囲攻撃の合図だった。

 A・まどかさんもA・巴さんもそれを見て顔色を変える。恐らく、ここら一帯は余裕で範囲内に入るだろう。今から回避したところで逃げ場などどこにもない。

 

『ニュゥべえ! 杏子さんの防壁を! それと巴さんのリボンも!』

 

『任せて!』

 

 テレパシーでニュゥべえに再現してほしい魔法を伝え、僕はニュゥべえに生み出してもらった白いリボンを両腕から伸ばし、二人の足に巻き付け、僕の方に引っ張る。

 

「きゃっ」

 

「っ……!」

 

 鏡の魔女の攻撃動作に目を奪われていた彼女たちは抵抗する間もなく僕の足元へと引きずられてやってくる。その際にスカートの裾が(ひるがえ)って大変あられもないことになったが、僕はそれどころではなかった。

 すぐに柵のような防壁が組み上がり、魔女の放つ攻撃が周囲に広がる。

 しかし、柵状の防壁には当然ながら隙間があり、その隙間からも光線が差し込んでくるのは明白だった。

 

『ごめん! ニュゥべえ。ちょっとだけ堪えて!』

 

 故に僕はA・まどかさんとA・巴さんの二人を庇うように抱きしめ、防壁に背を向ける。

 (うめ)くようなニュゥべえの声が僅かに聞こえたが、すぐにその声は止み、安心させてくれる声が響いた。

 

『ふぅ……。この魔力も分解すれば感情エネルギーとして取り込むことが可能だったよ』

 

 降り注ぐ魔女の光はまだ止んでいないものの、ニュゥべえは持ち前の魔力を分解してエネルギーに変換する能力で攻撃を吸収し始めたようだ。

 

『ごめんね。苦しい痛みを君一人に押し付けちゃって』

 

『政夫を守れるなら、これくらいの事は何でもないよ』

 

 謝罪の言葉など要らないというように平然とそう言うニュゥべえ。

 ……本当に頼りになる僕の可愛いパートナーだよ、君は。

 光が止むと僕は抱きしめていた二人を放し、すぐに謝った。

 

「すみません。とっさのことだったので荒っぽいことをしてしまって」

 

 二人は僕の対応のせいか、ちょっと戸惑っているようだったがA・巴さんはすぐに立ち直って頭を下げてきた。

 

「いえ、助かりました。あの、あなたは私たちの敵ではないんですね」

 

「まあ、そうですね。ただあの魔女に用があってここにやって来た訳であなた方を害する気は一切ありません。信じてもらえるかは分かりませんけれど……」

 

 自分でも今一信憑性に欠けていると思うので「信じろ」とは言えなかった。

 A・巴さんもそう思っているらしく、助けてくれたことに関しては感謝をしているが、完全に信用はできないと言った様子だった。

 しかし、そこに意外にも助け舟が出た。

 

「マミさん。この人信用しても大丈夫だと思います」

 

 それはA・まどかさんだった。

 

「でも、鹿目さん」

 

「自分を犠牲にして私たちを守ってくれたんですよ? 大丈夫です」

 

 なぜか、僕のことを(えら)く信用してくれたようで彼女は僕に向けて微笑んだ。

 それが僕の世界のまどかさんと重なり、少しだけ、ほっとした気持ちにさせられた。

 

『政夫。攻撃をして魔力を消耗している今がチャンスだよ』

 

 緩みかけた気持ちがニュゥべえの一言で引き締まる。そうだ。こんなところで弛緩している暇はない。

 早く、あの魔女をニュゥべえに解析してもらって、元の世界に帰れる手立てを手に入れないと。

 

「すみません。色々言いたいことはあると思いますが今は待ってください」

 

 立ち上がって鏡の魔女を見つめる。確かにニュゥべえの言ったとおり、身体に付いている鏡には光がなく黒ずんでいて、どこかくたびれた印象があった。

 とにかく、天井に張り付かれたままでは手出しができない。

 マスケット銃を作り出して落とすかと考えていると、後ろに居たA・まどかさんが僕に聞いてきた。

 

「あの、もしかして、魔女を天井から下ろしたいんですか?」

 

「はい。あの魔女を少し調べないといけないので……。邪魔してしまった僕がこんなことを言うのは筋違いだと分かっていますが、手伝ってもらえないでしょうか?」

 

「はい! もちろんいいですよ。ね、マミさん?」

 

「ええ……それはいいのだけど……」

 

 僕をまだ怪しんでいるA・巴さんもA・まどかさんに連れられるようにして、僕の手伝いを許諾してくれた。

 振り回すような結果になってしまい、申し訳なく思いつつも僕は彼女たちの善意に甘えることにする。

 二人には鏡の魔女の脚を狙い、引き剥がしてくれるように頼んだ。

 A・まどかさんは桃色の弓を構えると、ピンクのエネルギーが矢の形状を取り、放たれる。

 矢は四本ある鏡の魔女の脚を的確に狙い撃ち、ダメージを受けた魔女は身体をぐら付かせるが、すぐに脚の先を天井に食い込ませ、安定させる。

 A・巴さんもマスケット銃をリボンから生成して、同じように脚を穿って行くが、なかなか落ちて来そうにない。

 多分、天井で再び魔力を溜めようとしているのだろう。

 だが、そうはさせない。

 

『ニュゥべえ。呉先輩のカギ爪と巴さんのリボンを組み合わせたものって作れる?』

 

『可能だよ。任せて』

 

 要望通りの品物を簡単にニュゥべえは生み出してくれた。僕はそのリボンの部分を持ち、上部のカギ爪部分に遠心力がこもるように振り回す。

 十分勢いがついたところでそれを鏡の魔女目掛けて天井の方へ放った。

 カギ爪の切っ先は鏡の魔女の丸い身体に突き刺さる。

 

「ギギギィ――」

 

 鏡の魔女は痛むのか、どこから発声しているのかも分からない奇妙な声を漏らす。

 リボンを軽く二三度引き、深々と突き刺さった手応えを感じると、A・まどかさんたちの攻撃が脚に当たり巨体を揺らした瞬間を狙い、躊躇(ちゅうちょ)なく引っ張った。

 奇妙な鳴き声を発しながら、鏡の魔女は僕らの居る地面へと落ちて来る。

 

「よし!」

 

 ぐっと軽くガッツポーズをすると、A・まどかさんは少しだけ引いたように「容赦ないんですね」と苦笑いしていた。

 逃げようともがく、鏡の魔女をリボンを手繰り寄せて、逃亡を阻止する。

 

『政夫。魔女の身体の体内を調べる必要がある。手を魔女の中に入れてみて』

 

『え!? どうやって?』

 

『抉り込むようなパンチで』

 

『……実際に抉り込むんだね。分かったよ』

 

 言われたとおり、鏡の魔女の身体に思い切り拳をめり込ませた。腕力も相当上がっていたようで簡単に僕の拳は魔女の外殻を突き破る。

 全ての表面の鏡が一斉に割れ、一際大きな絶叫を上げる魔女の内側に腕を突き入れていく。ビクビクと痙攣している魔女の脚を見ていると何と残酷なことをしているんだと嫌な気分になった。

 後ろで魔法少女の二人が「うわー……」とは「あそこまでやるなんて……」と非道な人間を見る目で見てくるのが辛かった。

 

『……なるほど。こういう原理でボクらはこの世界に来たのか』

 

『元の世界への帰り方が分かったの!?』

 

『うん。この魔女の使い魔は同列の並行界世界を繋げて、並行世界上の同一個体を入れ替わらせるようにしているみたいだね』

 

『何のために?』

 

『そこまでは分からないよ。何かしらの目的はあると思うけどね』

 

 目的……?

 魔女の体内から腕を引き抜いた僕は、結界に入る前に考えていた思考を再び持ってくる。

 並行世界の同一存在を入れ替えることでこの魔女が一体何を得するというのだろう?

 こちら側に居る僕らには何もして来なかったというのに……。

 そこで僕はある一つの仮定を考えた。

 目的はこちら側に引き込んだ僕ではなく、向こう側に行ったこの世界の僕なのではないか。

 そう思った瞬間、ふとあることに気が付いた。

 それをニュゥべえに尋ねる。

 

『ねえ、ニュゥべえ……『僕らを入れ替えたあの使い魔』はどこに行ったか分かる?』

 

『分からないよ。だってもうあの場には居なかったんだから』

 

 こちらには居ないということは元の僕の世界の方――即ち、この世界の僕の方に行ったということ。

 理解した。この魔女の魔女の目的が何であるのかを。

 ――タンポポの綿毛。いや、寄生蜂の方が近いか。

 この鏡の魔女は自分の使い魔を並行世界に飛ばしたのだ。()と共に。

 『入れ替える』というの恐らくは副次的な効果だろう。

 この魔女の真の目的は……並行世界という新天地に使い魔を飛ばし、そこで魔女に育てあげること。

 だったら、今危険なのは……。

 

「向こう世界に居る『僕』だ」

 

 

 

 

 

 ********

 

 

 

 

 どこにも居ない。

 愛する彼女がどこにも居ない。

 彼女と過ごした場所は全て回った。

 

 一緒に遊んだゲームセンター。

 病院生活の長かった彼女ははしゃいでいたのをよく覚えている。僕がクレーゲームで取ったぬいぐるみを宝物にすると笑ってくれた。 

 一緒に映画を見た映画館。

 恋愛映画のキスシーンで恥ずかしくなりながらも、暗がりの中でキスをした時は心が躍った。

 一緒に行ったファッションショップ。

 お小遣いを溜めて、彼女がショーウィンドウから見ていたワンピースをプレゼントした。

 一緒に食事したファミリーレストラン。

 ハンバーグが大好物だと話したら、上手になったら食べさせてくれると約束してくれた。

 他にも彼女と過ごした場所をひたすら回った。

 もしかしたら、彼女がそこに居るかもしれないと願いを込めて。

 でも、彼女の姿は影も形もなかった。

 まるで最初からそんな人間なんて居なかったかのように。

 

「どうして……どうしてどこにも居ないんだよ……」

 

 最後に彼女と過ごした公園に来て、崩れ落ちるように膝を付いた。

 夕暮れ時の公園には人影はなく、赤い陽の光が遊具を照らしている。

 その綺麗な光があまりにも僕の今の心情とかけ離れていて、現実感を損なわせていた。

 

「ほむらさん……ほむらさん……」

 

 会いたい。僕を好きだと言ってくれたあの女の子に。

 幸せを教えてくれた彼女に。

 今感じている途方もない絶望感を拭い去ってほしい。

 涙で滲んでくる網膜に彼女の笑顔を映したい。

 

「……政夫」

 

「ほむら、さ……」

 

 ほむらさんと似た声色に僕は首を大きく振り返えらせてた。

 そして、ほむらさんとは似ても似つかない忌々しい女が視界に入ってきた。

 一瞬でもほむらさんと間違えてしまった自分を殺してやりたくなった。

 そこに居たのは長い黒髪のあの自称暁美ほむらだった。

 

「お前は何なんだよ。僕を苦しめてそんなに楽しいのか!?」

 

 立ち上がって、そいつの前へ行き、襟首を右手で掴む。

 冷たい印象のするその整った顔は悲しげに歪んでおり、ほむらさんと同じアメジストのような紫色の瞳には僕が映っていた。

 

「政夫……。貴方がどうしてそうなったのか分からない。でも、私は……私は暁美ほむら。貴方の恋人よ」

 

「まだ言うのかああああぁぁぁぁ――!!」

 

 熱された憎悪が僕の理性を焼き切ろうとする。強烈な殺意が心臓を突き破り這い出てくるような錯覚がした。

 胸の奥に今まで潜んでいた感情が体温に変わったかのように、身体中が熱くなる。左手で自分の学ランのボタンを乱暴に引きちぎるようにして外す。

 

「貴方、その首……魔女の口付け!」

 

 僕を見て訳の分からない単語を口に出し、自称暁美はいつの間にか持っていた楕円形の紫色の宝石を取り出した。

 けれど、そんなことはどうでもよかった。

 殺したい。目の前に居る僕の恋人を名乗るおぞましい女を今すぐにでも殺してやりたい。

 激しい衝動に突き動かされるようにして、自分の中の理性の紐が切れ、(たが)が外れた。

 力が入りすぎて白くうっ血した右手が襟首から細い首筋へと移動する。左手もそれに沿うように首へと伸びた。

 そして――。

 

「ぐっ……ま、ざ……」

 

 絞めた。

 憎悪と殺意とそれから堪えきれない絶望感を込めて首を絞めた。

 ぽろりとそいつの手から宝石がこぼれ落ちて公園の地面を転がる。

 

「返してよ。お願いだから僕のほむらさんを返してくれよ……!」

 

 涙を流しながら、血が出るほどを下唇を噛み締めて、僕の愛する彼女を冒涜し続ける女を殺そうとする。

 両腕には力が入りすぎて痛みを発したがそれすらもどうでもよかった。目の前のこの絶対に許せない存在さえ消すことができればきっと本物のほむらさんは帰ってくる。

 ミシミシと音を立てて絞まっていく首を見ながら思った。

 きっとそうに違いない。なぜなら、こいつが現れてから本物のほむらさんが居なくなったのだ。

 苦しそうに顔を苦悶に染め、汚らしい涎と涙を流している偽者。

 この偽者が諸悪の根源。この女が害悪。許されない汚物。

 こいつさえ消えてくれれば……。

 

「止めなさい! 夕田君!」

 

 声と共に黄色いリボンが僕の身体に巻き付き、手や足を縛り上げていく。

 反応さえする暇もなく、あっという間に雁字搦めに拘束された。

 リボンのせいで首から手が離れ、地面をものように転がる偽者。

 ああ。駄目だ。もう少しで消せたのに。

 

「暁美さん、大丈夫?」

 

 現れたのは黄色いロール髪の女だった。髪と同じ黄色い衣装を身に纏っている。

 こいつも偽者をほむらさんの名で呼ぶのか。どれだけ彼女を愚弄すれば気が済むのだ。

 この女は敵だ。彼女を汚し、偽者で彼女の存在を塗り潰そうとしている魔女だ。

 黄色い女は偽者を抱き起こし、落ちていた紫色の宝石を握らせると僕を見た。

 

「魔女の口付け!? それもこんな大量に……」

 

「ごほっ……政夫は今、魔女の口付けのせいで正気じゃないわ。どうにかしないと」

 

 (むせ)ながら立ち上がる偽者はふざけたことを口にする。

 僕は正気だ。この殺意は正当なものだ。愛するほむらさんを助けるための正当な殺意だ。

 でも、身体が動かないせいで殺せない。こんなにも殺したいのに。

 今すぐにでも亡き者にしたいのに。

 どろりと胸の中から熱気を持った殺意が口から吐き出される。

 

「ぁ、ぁ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 殺意が音になり、それが実体を持って収束した。

 まるでそれはディスコにあるミラーボールのようなものに数本の脚を生やしたような不恰好な異形。

 だが、これは僕の殺意に応じて出てきたものであることが分かった。

 空間が歪み、夕焼けに照らされた公園から鏡のオブジェが所狭しと並ぶ、おかしな場所へと変化する。

 

「そんな魔女が夕田君の中に潜んでいたなんて!」

 

 黄色い女が何かを叫ぶ。だが、どうでもいい。殺さなくてはならないのは一人だけだ。

 鏡の破片が津波のように雪崩(なだ)れ込み、黄色い女と偽者を分断する。破片は僕の方にも飛び散り、縛っていたリボンをシャツや皮膚ごと切り裂いた。

 血は少し出たが、痛みは感じられなかった。殺意で頭が一杯になっているせいだろう。

 

「政夫!!」

 

「僕の名前を呼ぶな! 偽者!」

 

 見れば偽者はいつの間にか見滝原中の制服から薄紫の衣装に変わっていた。鏡の津波に巻き込まれて死んでいればいいものを。

 

「ミラーボール! 早くあの偽者を殺せ!」

 

 僕がそう叫ぶと、ミラーボールの化け物はその身体に付いた鏡面を輝かせ、始めた。

 恐らくは光線のようなものを撃ち出してくれるのだろう。

 そうだ。それでいい。あんな偽者は鏡にも映してはいけない。汚らわしい。

 光が大きくなり、攻撃の予兆を感じた。

 偽者との間の距離は十五メートルといったところだ。もう逃げられないだろう。

 元より逃げ場なんて存在しないが。

 そう思い、嘲笑を浮かべた瞬間に偽者は僕のすぐ前に来て、あろうことか僕の手を握っていた。

 

「政夫! 早く逃げないとここも魔女の攻撃で危険よ!」

 

「なっ、何でお前がここに」

 

 あの一瞬で瞬間移動でもしたのか。だが、驚愕したのは僅かな間だけだった。

 すぐに偽者が自分の手に触れている嫌悪感が思考を支配し、振り払うように蹴りを入れた。

 

「離せ! 僕に触れるな、偽者!」

 

 けれど、偽者は頑として僕の手を離そうとしない。それどころがより強く僕の手を握ってくる。

 クソッ、ミラーボールの奴は何をしているんだ!

 苛立ってそちらを見るとまるで時が止まったように微動だにせずに止まっていた。

 

「今、私から手を離したら時が動き出して貴方も魔女の攻撃に巻き込まれて死んでしまうわ!」

 

「うるさい! お前みたいな奴に触れられているくらいなら死んだ方がマシだ!」

 

 僕の台詞に傷付いたように唇を噛むも、それでも偽者は譲らない。

 

「政夫が私を嫌いになってもいい。それでも、貴方には死んでほしくないわ」

 

 僕の目を見つめる偽者の……自称暁美ほむらの眼差しが僕の恋人のほむらさんと重なった。

 その僅かな隙に足と背中に腕を回され、身体を抱き上げられて、その場から連れ去られてしまった。

 

「な、にを離せ!」

 

「離さないわ。絶対に離さない」

 

 必死で歯を食い縛って走り、そう呟く自称暁美ほむらは、僕の知るほむらさんとはまったく違うにも関わらず、ほんの少しだけ見蕩れてしまった。

 しばらく走って進んだ後、自称暁美ほむらは手首に付いた円盤のような楯を見て、顔を歪める。

 

「駄目っ、もう時間が……!」

 

 カチリ、と小さな音が響いたかと思うと、強烈な光が自称暁美ほむらの後ろからやって来る。

 僕は自称暁美ほむらの腕を振り払って、飛び出した。

 眩いあの光から彼女を守るように。

 

「!」

 

 無意識での行動だった。考えてやったことではない。

 本当に自分でも分からないが、ただ当たり前のように彼女を守らなくてはいけないと、そう思ったのだ。

 僕の愛するほむらさんとは似ても似つかない自称暁美ほむらのことを。

 

 光が僕を焼き尽くそうと迫るその時に、目の前に白く縁取られた一枚の姿見が現れた。

 そこには白いマスコットを抱いた僕が映っている。

 今日の朝に見た鏡の中の『僕』と同じだった。

 その『僕』が手を伸ばしてきた。僕の手もそれに引き合うように手を出す。

 そして――。

 

 

 

 

 ********

 

 

 

『ニュゥべえ!』

 

 僕が声に出さずに心の内で叫ぶと、瞬時に僕の身体を真っ白の鎧が覆う。

 そして、煌々(こうこう)と輝きを放つこちら(・・・)の世界の鏡の魔女の攻撃を真正面からその身に浴びる。

 ニュゥべえは呻くこともなく、全てを光をむしろ飲み込もうとするように吸収していく。

 

『日に二度も魔女の魔力を吸うなんて思いもよらなかったよ』

 

 誰に似たのか減らず口を叩きながら、魔女の攻撃を吸収しきったニュゥべえは僕の頭に声を響かせた。

 

「え……政夫?」

 

 振り向くとほむらが膝を突いてこちらを見上げていた。

 ニュゥべえに頼み、僕はマスクの部分だけ装甲を解除してもらう。

 

「政夫ですよ」

 

「……何よ。その格好は……」

 

 なぜだか泣きそうな顔で僕の格好に突っ込む。僕の格好が泣けるほど似合わなかったとかではなく、どうやら僕が来る前に泣きたくなることがあったようだ。

 衣装の端々から小さな傷跡がいくつも見られた。すうっと胸の中に怒りが込み上げてくる。

 マスクの装甲をを閉じて、鏡の魔女へと向き直る。

 あと一歩遅かったら、ほむらや向こうの世界の僕は消し炭にされていただろう。

 

「ニュゥべえ……一番威力の高そうな武器って何かな?」

 

『慣れない武器を使うより、魔女の攻撃から得たエネルギーを今の政夫を覆っているボクの鎧の一部に集中された方が威力が出ると思うよ』

 

「そっか。じゃあ……足で!!」

 

 その場で思い切り走り出し、壁に張り付いている鏡の魔女の元へと駆け寄って行く。

 助走を付け、加速。

 さらに加速。

 加速。

 そして、最高速のスピードを乗せたまますぐ傍まで寄って行き、跳ね飛んだ。

 勢いを殺さないまま、右足に集中したエネルギーを鏡の魔女に向ける。

 鏡の破片が魔女を守るように巻き上がるが、そんな小賢しいものは壁にすらなり得なかった。

 最大限まで上げた蹴りは軽々と鏡の破片の防壁を意図も容易く突き破り、そして、その下に守られていた鏡の魔女の丸い巨体に抉り込まれた。

 奇しくもそれは見た目通りの由所正しき特撮ヒーローのようでもあった。

 しかし、僕の頭は正義なんて小奇麗なものではなく、大切な恋人を害そうとした存在に対する私的な怒りだった。

 僕の右足は魔女の胴体を貫通させて、結界の壁すらもぶち抜いていく。

 悲鳴も上げる暇さえなく魔女は砕け散った。

 連動するように結界内の鏡は一つずつ割れて行き、空間さえも砕けるように消えていった。

 結界の外は街灯の明かりと噴水に付属した数色のライトだけが照らす夜の公園だった。

 それを見届けると、ニュゥべえは鎧から元のマスコットの姿に戻り、僕の肩にひょいっと乗る。

 一応、グリーフシードが落ちていないか探すが、やはり使い魔から成長したものであるため、グリーフシードは持っていなかったようでどこにもない。

 

「政夫」

 

 振り向くとほむらと、その少し後ろに巴さんが立っていた。

 

「私が……誰だか分かる?」

 

 ほむらは震える声で僕にそう尋ねる。

 具体的に何があったのかは理解できないので、その問いの意味はよく分からなかったが、僕は笑顔でこう答えた。

 

「ほむらさんだよ。僕の恋人の」

 

「政夫っ!!」

 

 感極まったように瞳から大粒の涙を流しながら、ほむらは僕に抱きついてくる。学ランを涙で濡らして胸板に頬擦りする彼女に少し戸惑ったが、優しく頭を撫でてあげることにした。

 

「政夫、政夫、政夫政夫政夫!」

 

「あの、大丈夫? ほむらさん」

 

 幼子のように縋り付き、僕の名前を連呼するほむらが心配になって尋ねると、ほむらは顔を上げた。

 

「もっと……」

 

「え?」

 

「もっと呼んで……『ほむら』って」

 

「ほむらさん、ほむらさん、ほむらさん。……これでいいの?」

 

「もっと……続けて何度も何度も呼んでほしいの。百回でも二百回でも」

 

「格ゲーのラッシュ音みたくなるよ!?」

 

 頭の中で『オラオラ』とか『無駄無駄』みたいな感じでほむらの名前を呼ぶ自分を想像する。

 ……凄いシュールだ。

 

「政夫……」

 

「分かった、分かったよ」

 

 捨てられた子犬の目で見つめるほむらに耐えられず、僕はラッシュ音ばりに連続でほむらの名前を夜の公園で唱えるはめになった。

 傍に居る巴さんやは微笑ましそうにそれを見ているばかりで助けてくれない。ニュゥべえもやれやれと呆れるだった。

 その後、僕のことを探し回っていたらしいその他メンバーに、よく分からない理由で責めたてられて、最終的には土下座を強要された。

 あまりにも不条理なので、理由を教えてほしい頼んだところ、「口答えするな」とばかりに美樹とまどかさんに一発ずつ引っ叩かれた。

 威力的には美樹の方が上だったが、精神的ダメージでいえばまどかさんに叩かれたのが効いた。

 ほむらと巴さんがあの時の政夫は「魔女の口付け」のせいで正気を失っていたから許してあげてほしいと、僕にもよく解らない弁明をしてくれたおかげでそれ以上の追撃はなく、叩いた二人はちゃんと感情に任せて手をあげたことについては謝ってくれたが、結局向こうの世界の僕が何をしたかは彼女たち内でのタブーになっているようで誰も教えてくれなかった。

 ニュゥべえが僕が入れ替わったことを説明しようとしてくれたが、この話題を掘り返すことも嫌なようでまともに聞いてくれなかった。推測だが、皆余程あちらの僕のせいで傷付いたのだろう。僕は彼女たちのことを気遣い、この話はここで終わらせた。

 

 しかし、このせいで翌日、クラスで志筑さんにほむらに謝るよう再び、公開土下座させられたのは言うまでもない余談だ。

 

「一体僕が何をしたって言うんだああぁぁぁぁ!!」

 

 絶叫する僕に答えてくれる者は一人も居なかった。

 

 

 

 *******

 

 

「あれ? ここは……」

 

 僕は気付くとうつ伏せで倒れるように寝転んでいた。起き上がって周りを確かめる。

 するとそこは見慣れた見滝原中学校の校舎裏だった。

 何が起きたのか思い出すために記憶の中を探る。確か、僕はほむらさんの居ない世界に放り出されて……。

 

「そうだ。ほむらさん。ほむらさんはどこだ!」

 

「私がどうかしたの?」

 

「え?」

 

 振り返るとそこにはずっと会いたかった彼女が立っていた。

 じんわりと涙が滲む。

 

「言われたとおりに一人で家に帰ろうかと思ったけど、やっぱり政夫くんの用事が終わるまで待って一緒に帰ろうって思って……って、何で泣いてるの?」

 

 突然僕が泣き出したことに戸惑っているほむらさんに僕は無我夢中で抱きついた。

 良かった。本当に良かった。

 

「政夫くん、どうしたの!?」

 

「何でもないんだ。ただちょっと怖い夢を見て」

 

「こんなところで寝ているからだよ。もう」

 

 そう言って怒ったようにしながら僕を抱きしめ返してくれるほむらさん。

 彼女の温もりがそれだけ大切なものかを改めて認識させられた。

 僕は彼女を絶対に手放さないと心に誓う。

 

「ほむらさん。大好きだよ」

 

「……私もだよ。政夫くん」

 




if世界の政夫も無事に愛する恋人のほむらの元に帰る事ができました。
彼の凶行は少し目に余るところがありましたが、根本的な原因は使い魔に取り憑かれ、凄まじい濃度の魔女の口付けを受けて精神が暴走状態にあったので、仕方ない事だったのです。許してやってください。
本体の魔女が倒された事により、if世界の政夫も正気に戻ったため、向こうでは「変な夢を見た」程度の認識になっていると思います。

今後のif世界の話ですが、きっとワルプルギスの夜はまどかとマミさんが命を引き換えにして倒してくれるので、犠牲は最小限になると思います。


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後日談 僕と彼女と僕の父

後日談はこれ以降は特に書きたい話がないので、まどかルートの方を書いた方がいいかもしれません。


「ほむらさんに紹介したい人が居るんだけど……って大丈夫?」

 

 僕はそう言って歩みを止め、後ろを振り返ると、ほむらは産まれたての小鹿のように足を震わせながら抱えたダンボール箱の重さによろめいていた。

 

 あれから数日後、未だワルプルギスの夜が残した傷跡が見滝原市には克明に刻まれており、何もかも元通りの日常生活は当分送れそうにない状態だった。

 とはいえ、被害度合いとは裏腹に被害範囲はそれほど大きくないおかげで半年くらいである程度は回復する見込みは立っている。見滝原市議員の手際が良いこともあって、復興速度は順調と言って良かった。

 避難所の周りには仮設住宅がいくつも建てられ、一応のすし詰め状態から解放されつつあった。

 僕らは支援物資のペットボトル飲料やお握りといった食糧の入ったダンボール箱を配るために運んでいるのだったが……。

 

「くっつ……」

 

「はあ。だから、僕だけでいいって言ったのに」

 

 近付いて彼女の持っているダンボール箱をひょいと奪って、僕の持っていたダンボール箱の上に乗せる。

 

「あ……」

 

 荷物を取り上げられて、ほむらは少し悲しげな顔をした後、不本意そうに僕を睨む。

 だが、僕はそれに対して諭すように優しい口調で言った。

 

「ほむらさん。君はもうただの女の子なんだよ? こういう力仕事はするべきじゃないよ」

 

 ワルプルギスの夜と決戦終結後、魔法少女だったほむらたちは『魔法少女システム』の応用により、再び元の普通の女の子へと戻っていた。

 魔法はもちろん、身体能力や運動神経までも元に戻ったせいでほむらは『虚弱少女☆ほむらちゃん』と化していた。

 魔力で上げていた視力も戻ったので、今は眼鏡を掛けている。借り物のため、ほむらには少し大きく不恰好だが、逆に僕としてはそれが可愛らしく思えた。

 ただ、心臓の方は魔法少女として活動していた影響かは不明だが、定期的に薬を飲まなくてはいけないほど不安定ではなくなったらしい。

 

「馬鹿にしないで、政夫。荷物持ちくらい私にだって……」

 

 元々負けん気の強いところがある彼女はなおも僕に食い下がろうとするが、僕は首を横に振った。

 普通の女の子に戻った今でも特にほむらは魔法少女でいた時の身体の使い方が抜けておらず、体力や筋力が落ちた今でも同じように頑張ろうとしている。働き者なのはいいが、自分の身体の貧弱さをいい加減自覚してほしいところだ。

 

「美樹さんから聞いたよ? 君、この前まどかさんにも腕相撲(うでずもう)で負けてたらしいね」

 

 少し前にいつもの女子連中で腕相撲をしたらしく、その中で一番盛り上がったのがまどかさんとほむらの最下位争い対決だったそうだ。しばらくは拮抗したもののまどかさんが勝利し、負けたほむらはショックで愕然としていたという話を美樹から聞かせてもらった。

 

「あ、あれはちょっと油断しただけで……」

 

「ほむらさん」

 

 見苦しく言い訳をするほむらに僕は持っていたダンボール箱を一度横に下ろして、彼女の鼻の上からずり落ちそうになっている眼鏡を直してあげながら言った。

 

「僕は別にほむらさんのことを馬鹿にしてる訳じゃないんだ。ただ君が今の自分の身体のことを理解せずに無理をして、身体を壊すのが心配なんだよ」

 

「政夫……」

 

「こういう時は彼氏を頼ってよ。たまには可愛い彼女にいい格好見せたいんだから」

 

 眼鏡のレンズ越しのほむらの目が僕を見つめる。それに僕も見つめ返すと、恥ずかしそうに顔を視線を逸らした。

 

「……貴方はいつだって格好いいわよ」

 

「うん? 聞こえなかった。もう一度言ってよ」

 

「何でもないわ。じゃあ……お願いするわね」

 

 ぼそりと告げられた言葉がかなり嬉しかったので、聞こえなかった振りをしてもう一度言ってもらおうとしたが、ほむらは赤くなってそっぽを向いてしまった。

 男なんて女の子に褒めてもらいたくて格好付けているような馬鹿な生きものなのだから、力仕事なんか褒めてやらせればいいのだ。

 彼女のたった一言だけでこんなにも嬉しくなってしまうのだから。

 

 

 食糧を配給し終えた僕は腰に片手を当て、大きく伸びをする。

 

「取り合えずはこんなところかな。ほむらさんもお疲れ様」

 

 僕と一緒に配給を手伝ってくれたほむらに労いの言葉を掛ける。

 

「私は配っただけで疲れてないわ。それより、さっき言いかけていた話の続きを聞かせて」

 

「さっきの話? ああ、紹介したい人がいるって話だね」

 

 さっきの話と言われて思い出した僕は、意外とほむらが僕の話を聞いてくれていたことにに少し感激した。人の話を聞かないことに定評があったポンコツコミュ障な彼女がここまで成長してくれていたとは……僕は彼氏として嬉しい。

 

「……政夫。何だか私のことを心の中で馬鹿にしていないかしら?」

 

 じっとした半目の恨みがましい視線を僕に向ける。……馬鹿な。僕の思考が読まれている。顔には出してないのに。

 しかし、そんなことはおくびにも出さず、さらりとかわす。

 

「さて、何のことやら。それでその話に戻すけど、ほむらさんに会ってほしい人が居るんだ」

 

「今、明らかに話を逸らしたわね。まあ、いいわ。それでその紹介したい人っていうのは誰の事かしら?」

 

 半目を止めて僕の話に流されてくれたほむらに照れを織り交ぜた笑みと共にこう言った。

 

「精神科のお医者さんだよ」

 

 言うや否や、すっと伸びてきた両手が僕の両頬を摘まみ、(つね)り上げる。

 同時に先ほどの比ではない怒りを込めた瞳が僕を突き刺してきた。

 

「私の頭がおかしいから医者に診てもらえと、つまり貴方はこう言いたい訳ね? 私に喧嘩を売っているのよね? 筋力が落ちたからといって私を舐めているのね?」

 

「ひ、ひはふひはふ、ほはいはっへ。つへたてはいへぇ! ひはいひはい!(訳 ち、違う違う、誤解だって。爪立てないでぇ! 痛い痛い!)」

 

「ふふふ。こうやって重心を後ろに下げて、ぶら下がるように引っ張れば、今の私にもそれなりのダメージが……」

 

「ひはいよ! ふっほひひはい!! ははふぃへっ、ははふふぃへふははい!!(訳 痛いよ! すっごい痛い!! 離してっ、離してください!!」

 

 抓りに加え、爪を立てて、僕の両頬を襲うほむらに許しを請い、攻撃を止めてもらう。重心をかけて引っ張ってくるのでなかなかの痛さだった。

 ちょっと恥ずかしかったのでぼかした言い方をしたのがまずかった。

 だが、ほむらの方も暗黒の微笑を浮かべて楽しんでいた気がする。実はこいつ結構暴力的だよな。やっぱり、そういう意味でも診てもらった方がいいのかもしれない。

 ひりひりする頬を押さえて、誤解の訂正をする。……ああ、爪の(あと)が頬にしっかりと刻まれている。

 

「精神科の医師をしている僕の父さんに紹介したいって意味だよ。……そのまま言うのはちょっと気恥ずかしかったから遠回しに言ったんだ」

 

「そ、そうだったの……。ごめんなさい。政夫は時折私の頭がおかしいって言ってくるから、ついに本格的に医者に診せようとしているのかと思ったわ」

 

「まあ、僕は口悪いからね。ごめんね、本当に怒らせる気はなかったんだ」

 

 謝罪を述べるものの、奇行に走る時のほむらは本気で思考回路を疑うようなものばかりなので、個人的には「ナチュラルに頭のおかしい人」に分類されている。実際に言うと頬の肉が捻じ切られる恐れがあるので絶対に口には出さないが。 

 そんな僕の内情を知らないほむらは乙女のように視線を右往左往させて、途切れ途切れに小さな声で僕に聞く。

 

「その、つまり……父親を紹介するって事は、あれ、よね? 政夫の……か、彼女として私を紹介すると、そういう訳なのよね?」

 

「そうなっちゃう感じですね」

 

「そうなっちゃう感じなのね?」

 

 正常に思考が稼動しているのか非常に怪しいほむらは普段絶対に使いそうにない喋り方をしている。

 忙しなく、開閉するその可愛らしい口は一昨年に縁日で買った金魚のチャッピーを彷彿とさせた。そういえば、チャッピーは一ヶ月も経たずに死んでしまったのだったな。やはり縁日の金魚は弱っているから長生きできなかったのだろう。

 

「わ、分かったわ。その、政夫のお父さんに会ってみる」

 

 今は亡きチャッピーに想いを馳せているといつの間にか決意が決まったようで、ほむらは意気込むように拳を握る。

 

「じゃあ、チャッ……じゃなかった、ほむらさん。さっそくだけど一緒に来てもらっていいかな?」

 

「……チャ? 今から会えるの?」

 

 チャッピーと言いかけたのが気になったのか、ほむらは怪訝そうな表情を浮かべたが、それを誤魔化して着いて来てもらう。

 

 

 

 既に父さんの方には前以て言っておいたので、避難所のホールの方で待っていてくれている手筈だった。

 避難民の人たちは家を失い、絶望のどん底に落ちているような精神状態の人たちばかりだったので、カウンセリングもできる父さんはその人たちのことに懸かり切りで余裕などなかったが今日だけは時間を取ってもらっていた。

 ホールに着くと人が乱雑にごったがいしていたが、白衣を着た父さんはその中でも目立っていた。

 すぐに見つけてほむらを連れ立ってそちらに向かって行く。

 

「父さん。お待たせ」

 

「ああ、政夫。大丈夫、そんなに待っていないよ。話し相手も居たからね」

 

「話し相手?」

 

 父さんから視線を下げると、そこには黄緑色の髪の小学生低学年くらいの女の子が傍に立っていた。

 見たことのない女の子だった。髪型はツインテールだったが、まどかさんよりも短く、ヘアゴムで結われている。

 

「見滝原児童養護施設にカウンセラーとして訪れた時に知り合った千歳ゆまちゃんだよ。ゆまちゃん、彼がさっき僕が話していた自慢の一人息子の政夫だ」

 

 児童養護施設……保護者のない児童や虐待されている児童などの環境上養護を必要とする児童を入所させて、養護し、退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設。

 つまり、この子は元の保護者から何らかの理由で引き離された子ということだ。

 何人かそういう友達を知っているが大抵の場合は家庭環境が悪く、虐待を受けていたというのが理由だ。

 僅かに同情の思いが滲みそうになるが、意識してそれを掻き消してにっこりと笑顔でゆまちゃんに接する。

 

「ご紹介にあずかりました夕田政夫です。よろしくね、ゆまちゃん」

 

「わたしはっ、ゆまです。よろしく、えっと……マサオ!」

 

 養護施設の子と聞いて、もっと内向的な女の子を想像していたが、意外にも溌剌(はつらつ)としていて微笑ましく思えた。

 いけないな。偏見を持って相手と接すれば、相手のことを正しく見えないということはこの街で嫌と言うほど学んだはずなのにまたやってしまった。

 

「お! まだ小さいのに元気な挨拶ができるなんて偉いね」

 

「でしょっ。施設の皆にも言われるの! ゆまは元気だねって」

 

 楽しそうに笑うゆまちゃんの頭をついと突き出してくるので、僕は彼女の頭を撫でた。

 そして、感触で気付いた。前髪に隠れているが、おでこに火傷の痕があることを。

 

「っ……!」

 

 ケロイド状に焼けた小さく凹んだ痕。同じようにされたものをかつて見たことがある。これは……煙草を押し付けられた時にできる根性焼きの形跡だ。

 嫌でもゆまちゃんの過去が脳裏で想像できた。決して愉快ではない、想像が。

 やはり、この子にも辛い過去がなかった訳ではない。それを乗り越えて、今こうして微笑んでいるのだ。

 強い子だ。こんな傷があるのにそれでも人を信頼して頭を差し出せるのは、人間不信を乗り越えた証拠だ。

 

「どうしたの? マサオ」

 

「いや、ゆまちゃんが可愛くてついつい見蕩れちゃった」

 

「むう。それは駄目。いくらゆまがミリョク的でもゆまには心に決めた人が居るから!」

 

 そう言って、後ろに立っている父さんの足をぎゅっと抱きしめる。

 

「ゆまは夕田センセと結婚するの!」

 

 そして、熱烈なラブコールを父さんに浴びせる。それを苦笑気味の笑みで受け止め、ゆまちゃんの頭を優しく撫でる。

 彼女はマタタビを嗅いだ猫のように頬を緩ませて、喜んでいる。

 なるほど。この子をここまで元気にしたのは父さんだったのか。

 すっと僕は顔を上げて父さんを見上げる。

 凄い人だな。流石は僕は目標とする人だ。身内贔屓ではなく、本当にそう思う。

 僕はそれが少しだけ誇らしく、同時に憧れと僅かな嫉妬を抱いた。

 

「へえ。じゃあ、ゆまちゃんは僕のお母さんになるかもしれないね」

 

「そうだねっ! これからマサオはゆまのこと、『ママ』って呼んで甘えていいからね」

 

「あはは。頼もしい小さな『ママ』だね」

 

 ゆまちゃんの微笑ましさに当てられて、僕は笑みをこぼす。

 すると、シャツを後ろから小さく引く感覚がした。

 振り返ると、ほむらがむっとした表情で僕を睨んでいる。ゆまちゃんとの会話で、ほむらのことを忘れて放置してしまっていた。

 申し訳なく、頭を掻きながらようやく当初の目的に立ち返る。

 

「父さん。紹介するね、こちら暁美ほむらさん。僕の彼女です」

 

「あ、暁美ほむらです。政夫……くんとは交際して頂いています」

 

 ほむらは紹介されると綺麗なお辞儀を一つしてみせる。普段、巴さんや織莉子姉さんたちともため口で話しているので、こうやって敬語がちゃんと使えることに驚きが隠せない。

 思い返せば、転校初日は使っていたのでおかしなことではないが、何となく不自然に聞こえてしまう。何より、ほむらが「君付け」で僕を呼ぶのが似合わなすぎて気持ちが悪い。

 

「どうも、政夫の父の夕田満です。一度だけお会いしたことがありますね。あの時は長い会話はできませんでしたけど」

 

 確か、二人が顔を合わせたのはほむらが僕を迎えに朝、家に訪ねて来た時のことだったな。ほむらが僕の部屋の窓を入り口代わりにしなければもっと接点があったのだろうが。

 

「あの時は……ろくに挨拶もできずにすみませんでした」

 

 いつもの横柄な態度とは違い、まさに借りてきた猫状態になっている。垢抜けない眼鏡と相まって非常に僕好みの外観だった。

 ずっとこうなら良いのにと思う反面、いつもの堂々とした盗人猛々しいテロリストさがないと不安になる自分が居て、調教されてしまったようで悲しかった。

 

「気にしていませんよ。その代わり、と言っては何ですが、一つだけ質問をさせて下さい」

 

「はい。何でしょうか?」

 

 そんな大人しいほむらに父さんは質問をする。

 

「政夫のどこが好きですか?」

 

「ぶっっ!!」

 

 単刀直入すぎる問いに横で聞いていた僕は噴き出す。いきなりなんて質問をするのだ、この人は。

 直接聞かれた訳でもない僕がこれだけの衝撃を受けたのだから、ほむらの方も相当だろうと一瞥する。

 しかし、予想に反してほむらは平然としていた。

 

「全てです。彼が私に向けてくれる全てのところが好きです」

 

「げふっっ!!」

 

「政夫。煩いから、少し黙ろうか」

 

 ほむらの返答に言葉では言い表せない精神的なものが口から這い出そうとして、再び噴き出すと、父さんは穏やかな顔で騒ぐなと釘を刺してくる。

 頬が熱い、喉の奥が何とも言えない痛みを発してきた。さっきまで緊張していたくせに何でそう恥ずかしげな発言を臆面もなく言えるのだ。

 

「私は政夫、くんに出合って初めて自分を見直す事ができました。時には嘘を、時には皮肉にさえ、彼の優しさが滲み出ていて、私はそれに何度も助けられました」

 

 今まで大人しかったほむらが水を得た魚の如く喋り出す。ひょっとして、こいつはチャッピーだったのか。

 何だかもの凄く恥ずかしくて、吐血しそうだった。

 

「ずっと他人を信用できなかった私は彼だけは心を許せるようになりました。それだけでも十分過ぎるのに、彼は私が遠ざけていた人たちとの間も取り持ってくれました。おかげで大嫌いだった世界が今では愛しく感じられるようになったんです」

 

 もう聞いてられない! 何なんだ、これ! 凄く恥ずかしい!

 僕は顔を両手で押さえて、身体を左右に揺する。

 ゆまちゃんは僕を横目で見つつも、ほむらと父さんの話に黙って耳を傾けていた。

 

「彼は私が抱えていた全ての悩みをこの一ヶ月で取り払ってくれました。絶望に満ちていた日々は彼のおかげで希望に敷き詰めれていたんです。政夫、くんは私にとって希望そのものでした。今の私が居るのは政夫、くんのおかげなんです。そんな彼の全てが心から愛しいと思っています」

 

「ここまで息子を好いてくれる人が居るのは、親としてこれほど嬉しい事はないよ。……それじゃあ、政夫。今度は君の番だ。暁美さんの好きなところを挙げてみて」

 

 褒め殺しのような目に合わされて、悶えていた僕に父さんは話題を振る。

 助かったのか、それともこれ以上の責め苦を僕に与える気なのかはその穏やか過ぎる仏のような笑みからは読み取れない。

 ほむらのどこか期待する視線を真横から浴びつつ、僕はゆっくりと口を開く。

 

「そうだね、ほむらさんの好きなところか……」

 

 …………………………………………――どこだろう?

 いや、ふざけているのではなく、本当に見つからないのだ。

 考えれば考えるほど、どこが好きになったのか分からなくなってくる。

 暁美ほむらの好きなところ……実に哲学的な質問だ。後、二年くらい考える時間が欲しい。

 

「……政夫?」

 

「ちょっと待って、考えさせて」

 

 期待から怒りを薄っすらと露にし始めたほむらを宥めて、思考の海へとダイブする。

 嫌いなところなら100万個くらい挙げられるのだが、好きなところというと難問だ。

 織莉子姉さんに言ったあの台詞は、言わば開き直りにも似たものだからな。この場で述べるのには相応しくない。

 ここは一つ。

 

「……僕もほむらさんの全てが好きです!」

 

「嘘ね!? 絶対、その台詞は嘘ね!? 私のを真似ただけでしょう!」

 

 ほむらは詰め寄って上着の胸元を引っ張って揺すってくる。

 僕は目をそっと逸らしつつ、傍に居たゆまちゃんに助けを求める。

 

「う、嘘じゃないよ。ねえ、ゆまちゃん、僕嘘吐いているように見える?」

 

「マサオ……施設のセンセが言ってたけど、うそをつくより、ごめんなさいした方が苦しくないよ?」

 

 養護施設には素晴らしい先生が居るようだ。おかげでそこで育っている少女はこんなにも聡明に成長している。

 日本の未来は明るい。

 

「まあ、正直に言うとまったくの嘘って訳でもないんだ」

 

「ある程度は嘘だって今認めたわね!?」

 

「シャラップ、ほむらさん」

 

 手をさっとほむらの口元へ持って行き、沈黙を強制する。

 真面目な話を始めるにはちょっと今の彼女のテンションは場違いだったので、落ち着いてもらう必要があった。

 小さく息を吸い込むと、僕はゆっくりと語り始めた。

 

「僕はほむらさんのことが最初は嫌いだったんだ。顔も合わせることも嫌で視界に入れたくもないって思ってた」

 

「…………」

 

「でも、ほむらさんのことを知る内にそれは僕の偏見がそうさせていたことに気が付いた。困ったところも、嫌なところもあったけど、それ以上に彼女のいいところを僕は見落としていた」

 

 父さんも黙って静かに話を聞いている。周りの人々が出す喋り声も小さくなった訳でもないのに不思議と耳に入らなくなる。

 

「そうして、彼女を同じ時間を過ごしている内に困ったところも、嫌なところも嫌いじゃなくなっていった。ううん、嫌いになれなくなったんだ。そういうものもひっ包めて『暁美ほむら』だって思えるようになった。だからさ、全部好き――いや、『全部嫌いになれなくなっちゃった』んだよ。そう思ったら、彼女以外の女の子は選べなかった」

 

 まどかさんのことを思い出す。彼女に惹かれ、初めて恋をしたけれど、ほむらの方が放って置けなくなっていた。

 もしも、まどかさんと付き合っていたとしても、ほむらが不安そうにしていたら、僕は彼女を置いてほむらの方に向かうだろう。

 『恋』というよりも『愛』の方が近い。理屈じゃないのだ、この感情は。

 

「そうかい。くくっ、政夫。君は僕の若い頃にそっくりだ。まったく同じように女性を愛する」

 

 おかしそうに目を細めて、いつもとは違った笑みを父さんは浮かべた。

 それは一体どういう意味だろうか。

 問いを挟む必要もなく、父さんは話してくれた。

 

「僕も弓子……君の母さんとはそう風に付き合い始めたんだ」

 

「えっ?」

 

「母さんにはね、僕が精神科の研修医だった時に出会った患者だったんだけど……これが傍迷惑な人でね。話している内に僕の事が好きなったなんて言い出して、どうやって知ったのか住所にまで押し掛けて来て交際を求めてきたんだ」

 

 凄い似た覚えをここ最近した覚えがある。たらりと冷や汗が僕の背中を流れ落ちる。

 僕の中にあった「立派で優しい母親」の像にぴしりと小さな(ひび)が入っていく。

 

「最初は辟易としたよ。誰がこんな人好きになるかって思ってた。でもね、慣れてしまうとそういう部分も可愛く思えてきてしまうんだよね。いつの間にか、患者ではなく、放っておけない女性になっていた。それから何だかんだで結婚して、子供まで生まれた」

 

 嘘だ。そんなの嘘だ。

 僕の母さんは優しくて、思いやりがあって、とても素敵な女性のはずだ。

 なのに、父さんのその説明では、僕の横に居るテロリストと非常によく似た存在のようではないか。

 

「……僕が部屋の窓の外に立っていた弓子を引き入れてしまった時に全部決まっていたんだと思う」

 

 僕の中に存在していた「優しく素敵な母親・夕田弓子」という美しい概念は粉々に打ち砕かれた。

 ショックで立って居られず、ガクッと膝を床に突いてホールの天井を見上げる。

 僕の母さんはほむらと同じレベルの迷惑な女性だったのか。

 

「マ、マサオ。だいじょうぶだよ。わたしがママになってあげるから!?」

 

 ゆまちゃんにまで慰められる始末に僕はさらに落ち込んだ。

 隣に立っているほむらだけはなぜか勝ち誇ったような表情を浮かべているのがとてもムカつく。

 父さんは僕の態度を見て、大体のことを察したようでポンと僕の肩に手を置いた。

 

「と、父さん……」

 

「大丈夫だよ、政夫。その道は十七年くらい前に通った道だから」

 

「うわあああああ!!」

 

 頭を両手で抱えて情けない声を上げる。

 人生で一番輝いていた思い出を汚された気分だった。

 何と言う残酷な真実を打ち明けてくれたのだろう。下手をすると心に傷を負うほどの出来事だぞ、これは。

 

「政夫。私たち、うまく行きそうね」

 

 とても楽しそうに微笑むほむらの横顔が母さんとダブって見えて、僕は凄まじい絶望感を感じた。

 だが、母さんもほむらも今では掛け替えない存在には変わらない。

 むしろ、これは良い方に考えるべきことだ。

 ほむらのように破天荒で傍迷惑だった母さんも父さんとの恋愛を経て、まともで優しい母親にまで成長できたのだ。

 いや、待て。つまりその理論で行くと、こいつも子供産むまでこんな感じなのか……?

 

「ほむらさん。……早く大人になってね」

 

 社会性と十分な道徳を持った人間になってくれと願いを込めて言うと、何を勘違いしたのか頬を紅潮させた。

 

「政夫の変態……」

 

「そういう意味じゃない!! でも、まあ……」

 

 彼女と過ごすこれからの人生を想像して、呆れと、疲れと、諦めと、それからその三つ以上の喜びを感じて僕は立ち上がる。

 そして、微笑みを浮かべて、愛する困った彼女の手を握った。

 

「あ……」

 

 小さく漏らすほむらの声を聞きながら、最初に会った時のほむらの顔と今の表情を見比べる。

 笑顔が似合うようになった彼女と共に過ごすのなら、――悪くない人生だと思う。

 




超特別編予告


 そこは神様の居た世界。けれど、一人の少女の願いによって、神様は二つに引き裂かれてしまいました。
 引き裂いた少女は悪魔を名乗り、神様が願ったルールを破いてでも、神様を少女の友達へと戻したのです。
 しかし、神様は引き裂かれる寸前に、その世界に一人の少年を呼びました。
 自分を守るにためにではありません。その少年に悪魔――友達を救ってほしいと思ったからです。
 その少年には何の特別の力も宿っていません。
 奇跡を起こす力はありません。
 魔法を使うこともできません。
 けれど、少年は神様と違う方法で世界を守りました。
 神様はそれに賭けたのです。
 ただの人である少年の武器の知恵と勇気に。

「貴方は……何者なの?」

「サンタクロースにでも見えるなら眼鏡でも掛けた方がいいよ。まあ、僕の彼女ほど似合わないだろうけど」

 悪魔はただの少年との邂逅により、何を思い、何を得るのでしょうか。

「都合のいい人形遊びがしたいなら、地獄の底で一人でやりなよ。悪魔さん」

「『私の世界』から消え失せなさい! 目障りなのよ!」

 それはきっと、神様にも分かりません。

「お前が愛しているのはあの子じゃない。あの子を愛していると悦に浸ってる自分自身だよ。いい加減認めなよ、大好きなのは自分ですって」

「貴方に私の何が解るっていうの……」

 けれど、それでも少年は何かを変えてくれるでしょう。

「そんな事で私のまどかへの『愛』は揺らがないわ」

「お前が言う『愛』って言うのは、現代国語辞典では『妄執』って呼ぶだよ。良かったね、また一つ賢くなったじゃないか」

 なぜならその少年は――。

「もう……どうにもならないわ……」

「へえ、なら、どうにかなったら『どうしてくれる』?」




嘘です。やりません。
だって、めちゃくちゃ長くなりそうですから。

追記

これは冗談でふざけて書いたものなので本気で書くつもりはありません。期待しないで下さい。


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特別編 もしも××が幼馴染だったら

今回は人気投票アンケートの一位と二位のキャラの話です。
話をぶった切ってしまう事になり、申し訳ありませんがお付き合い下さい。


~さやか視点~

 

 

「……やか……さやか……」

 

 うとうとと夢現(ゆめうつつ)の意識の中、誰かが私を呼ぶ声が聞こえてきた。

 呆れたような、けれど優しげな声の男の声。

 誰だろう? 恭介……? 

 

「ほら、さやか。そんなところで寝てると風邪引くよ? 馬鹿は風邪引かないなんて迷信なんだよ?」

 

 違う。全然違う声だ。さり気なく、失礼な発言をしながら私の肩を揺するこの声は……。

 そう、そうだ。思い出した。この声は――。

 

「ま、さお……?」

 

 目を開くと、私を横から覗き込んでいる政夫の顔が九十度傾いて映った。

 腕を枕にして寝ていた私はそれを見て、急速に意識を覚醒させる。

 そして、すぐに自分がどうしていたのかを思い出した。私は机で勉強をするつもりがつい退屈で途中、寝てしまったんだ。

 そこまで思い出すと急いで背筋を伸ばして、口元を拭う。やばい。寝顔、思いっきり見られた。涎とか垂らしていたかもしれない。

 政夫は私の反応から思考を読み取ったらしく、くすりと小さく笑った。

 

「大丈夫だよ。涎は垂れてなかったから」

 

「それはよかった……って何で政夫がここに居るの?」

 

 確認のために周囲を見回すが、私が今居る空間は学校の教室ではなく、私の部屋の中だ。

 ここに政夫が居るのはどう考えてもおかしい。それとも私はまだ寝ぼけているんだろうか?

 

「何で居るのって……呼んだのはさやかだろう? もうすぐテストだから勉強見てほしいって」

 

「え? あれ……そう言えばそうだったっけ」

 

 そう確かに私はそう言って政夫に家に来てもらって、……いや、さっきから政夫は私の事なんて呼んでる?

 『さやか』!? いきなり呼び捨て!? それは私だって政夫の事、昔から呼び捨てで呼んでるけどさ。

 そこまで考えて私はふと自分の思考に引っ掛かりを覚えた。

 別にそれは変な事じゃない。だって、私と政夫は昔から名前で呼び合っていたはずだ。

 何故なら、私たちは。

 

「でも、幼馴染同士とはいえ、もう少し気にした方がいいよ? 性別違うんだから」

 

 そう、昔からの幼馴染なんだから。

 

 *

 

 私が小学三年生の時に隣の家に越してきた同年代の男の子。それが夕田政夫だった。

 最初は社交的で温和な温室育ちの男子のように思っていたけれど、交流するにつれて案外度胸がある皮肉屋な奴だと知った。

 けれど、思いやりがあり、誰よりも周りの人間を気に掛けているところもあって、嫌な相手とは感じなかった。

 むしろ、そういう嫌味なところがあるからこそ、他人のことを本気で大事にしている部分が余計に光って見えた。これもギャップ萌えというやつなのかな。

 何にせよ、私にとって長い付き合いの相手だ。

 今更、異性として戸惑う事なんて……。

 

「あ、さやか。寝癖付いてるよ?」

 

「えっ、どこ?」

 

「ここ」

 

 政夫の手が伸びてきて、私の髪に触れる。

 その指先が私に髪を撫でる感触がした途端、かあっと身体が熱くなった。

 は、恥ずかしい。駄目だ、ドキドキしてる。

 心音が急激に大きくなる。緊張したように身体が硬直し始めた。

 堪らなく恥ずかしいのに、この時間が永遠に続いてしまえばいいのにとも思う。

 

「やっぱり手じゃ無理だね。机で居眠りなんかするからこうなるんだよ」

 

 すっと髪に触れていた指先が私から離れていく。

 あ、と呟きそうになるのをどうにか堪える事ができた。名残惜しい思いで政夫の手を見送る。

 自分を誤魔化そうとしても無理だった。私はこいつに恋をしてる。

 いつからかは分からない。でも、いつ好きになってもおかしくないほど私は政夫に助けれてきた。

 道に迷って迷子になった時も私を迎えにきてくれた。学校でクラスの男子にいじめられた時は私の味方をして助けてくれた。仁美と喧嘩をして悩んでいた時は相談に乗ってアドバイスをしてくれた。

 他にも挙げれば切がないほど、私は政夫に助けれた。

 今だってそう。勉強が苦手な私のためにテスト勉強を手伝ってくれている。

 ちらりと教科書を開いている政夫の顔を顔を見つめた。

 目立つほど美形ではないけれど、顔立ちだって整っている。格好いいというよりは、可愛らしいと言った方が正しい。

 でも、真剣な顔はきりっとしていてか弱いようなイメージはまるでない。優しげだけど頼り甲斐のあるそんな感じのする顔だ。

 少しだけ見とれていると、それに気が付いた政夫は私の方を向いた。

 

「どうしたの? 僕がちょっと出かけてる間に寝てたんだからもう休ませないよ?」

 

「いや、そうじゃなくて……えーと、政夫は何しに出かけてのか気になって」

 

 見とれていたなんて口が裂けても言えないから、とっさに誤魔化して思いついた事を口に出す。

 政夫はそれに少し言い淀むようにすると、視線を僅かに逸らした。

 

「それは……ちょっと野暮用だよ」

 

 とっさに聞いただけの言い訳だったが、嘘を吐く時でさえも視線を逸らさない政夫の珍しい態度に私は食いついた。

 

「野暮用って何?」

 

「そんなのどうだっていいだろう? ほら、勉強しようよ」

 

「気になって勉強に手が付かない! ねえ、教えてよ」

 

 握っていたシャーペンを手放して、聞かせてくれるまで勉強しないという態度を取る。

 自分から頼んでおいて勝手だとは思うけれど、政夫の隠し事の方がテストよりも私にとっては重要だった。

 渋るような様子の政夫だったが、私が一度言い出したら聞かない性格である事を誰よりも知っているので、大人しく折れて話し出た。

 

「まどかさんと出かけてたんだよ。ちょっと買い物を付き合ってもらってたの」

 

 政夫からまどかの名前が出て、少しだけショックを受けた。

 まどかは私にとって親友と言ってもいいほど仲が良く、小学校時代からの友達だ。

 政夫とも仲がいい事は知っていたけれど、それは友達としてで異性としての間柄ではないと思っていた。

 ……少なくても私はそう思っていた。

 

「そっかー。二人っきりで出かけるなんて政夫もやるね~。まどかの事好きなの?」

 

 あえて明るくそう聞いた。笑顔を作ってからかうように政夫を見る。

 もちろん、虚勢だった。でも、虚勢を張らなければ耐えられないくらいの事だった。

 幸せだったさっきまでの気持ちが冷えていくのが分かった。

 まどかの事は大好きだし、とても優しくて良い子なのは私が一番知っている。

 だからこそ、辛かった。

 

「いや、そういう意味じゃ……」

 

 政夫の言葉を遮って、話を続ける。

 

「いやー、浮いた話のなかったけど、まさかまどかを狙ってたとはね。まあ、まどかは可愛いから仕方ないね。うんうん、何たって私の大親友だし」

 

 言えば言うほど、自分の心に爪を立てるような痛みが広がるのに言葉が止まらなかった。

 喋り続けていないと傷付いた顔をしてしまいそうになる。

 私の政夫への気持ちを知っていたまどかの事を恨みそうになる。

 何より、そんな情けない自分が堪らなく嫌になる。

 

「ちょっと僕の話を……」

 

「でも、隅に置けないね、政夫も。私に一言相談してくれてもよかったのに。まどかの好きなものとは趣味とかさ。それともずっと前から付き合ってたりした……」

 

「さやか!」

 

 政夫が私の名前を大きな声で呼んで無理やり会話を断ち切らせた。

 

「ちょっと一人でヒートアップしないで僕の話を聞いてよ」

 

 嫌だ。聞きたくない。

 

「この際だから全部話すけど、僕とまどかさんは……」

 

 絶対に聞きたくない。聞いた瞬間、私は親友も大好きな幼馴染も同時に失ってしまう。

 政夫が決定的な言葉を言う前に私は椅子を倒して、逃げ出すように部屋から出た。

 

「待って! さやか!」

 

 後ろで政夫が私を呼ぶ声がする。

 けれど、私は立ち止まらずに階段を駆け下りた。

 そのまま、玄関の方に向かうと、置いてあった靴に爪先を入れて、(かかと)を潰してドアから出て行った。

 走って、走って、走り続けた。どこかに行くというよりも、一刻も早くその場から逃げ出したかった。

 視界が涙でぼやけたまま、私はずっと足を動かし続けた。

 しばらく、走り続けた後、私は立ち止まって呼吸を整える。体育の授業でもここまで走った事はなかった。

 息が苦しく、横腹が痛くて堪らない。それに靴下も穿()いて来なかったせいで靴ズレで足が痛かった。

 荒い息を吐きながら、周りを見回すと自分が今居る場所が川の土手である事が分かった。

 私はいつの間にか川の傍に来ていたらしい。隣の街の風見野の方だろうか。あまり見覚えのない場所だった。

 その時、ぽつりと頬に何かが触れた。

 それは小さな雨の雫だった。

 最初の一滴を皮切りに急に雨が降り出してくる。そう言えば、今日は雨が降ると天気予報で言っていた事を思い出す。

 弱かった雨は少しずつ強くなり、私は雨宿りするために近くの橋の下に避難する。

 あまり大きくない水道管を通すための橋だったが、それでも私一人が雨宿りするには十分な大きさだった。

 振りし切る雨が川の水面にたくさんの波紋を作る。

 その雨音を黙って俯いたまま聞きながら、私は昔の事を思い出していた。

 そう言えば、迷子になった日もこんな雨の日だった。

 小学三年生の九月ごろ、遠足の帰り、私は浮かれて皆とはぐれてしまった。途方に暮れ、その時も今と同じように雨に降られ、一人で雨宿りしていた。

 寂しくて、怖くて、見っともなく泣きそうになっていた時に政夫が見つけてくれた。

 

『よかった。やっと見つかった。もう、勝手に一人で行くから迷うんだよ』

 

 文句を垂れながらも、その顔は優しげで、それを見た途端に私の中の不安が掻き消えていったのを今でも覚えている。

 それから政夫と手を繋いで家に帰って、お父さんとお母さんに怒られた。何故か、迷惑を掛けられた政夫がそれを宥める事になっていたのを今でもよく覚えている。

 ああ。やっぱり、私、政夫の事好きなんだ。

 昔の事を思い出して、なお更自分の中の想いが強い事を自覚できた。

 まどかの事は大好きだけど、それでも政夫を取られるのは堪らなく嫌だった。

 それが自分がもっと早く自分の想いを伝えなかったせいだと分かっているのも辛かった。

 惨めで、情けなくて、また涙が染み出してくる。

 

「……まさお。……好きだよぉ」

 

「それ、面と向かって言ってよ」

 

 俯いていた顔を見上げると、傘を差した政夫が私を見下ろしていた。

 呆れたような、ほっとしたようなそんな表情で私を見ている。

 

「……どうして、ここに?」

 

「全力疾走で駆け回る青髪の女の子って目立つんだよ。知らなかった?」

 

 私の姿は色んな人の目からも止まったいたらしく、政夫はその証言を聞いてここまで辿り着いたのだと教えてくれた。

 それでも、こんなに早く着いたのは走って追いかけてくれたからだろう。

 語り終えると、政夫は額を押さえて疲れたように溜息を吐いた。

 

「まったくもう、君の早とちりに振り回される身にもなってよ」

 

「早とちりって……」

 

「まどかさんと買い物に出かけてたのは君に渡すプレゼントを一緒に選んでもらってたから」

 

「え!?」

 

 驚いたまま、固まる私に政夫は傘を持つ手の反対側の手で掴んでいた小さな紙袋から、音符のようなデザインのヘアピンを取り出した。

 そして、その可愛いそのヘアピンを私に渡す。

 

「本当は君の勉強を教えた後に渡そうと思ってたんだけどね」

 

「で、でもプレゼントって、何で急に?」

 

 自分が早とちりで逃げ出した事が分かって恥ずかしいやら、急にプレゼントをもらって嬉しいやらで思考が纏まらなかったけれど、それの疑問だけは口から出た。

 その問いに政夫は少し恥ずかしそうな顔をした後に私に言った。

 

「今日は記念日だから。僕が始めて、さやかに会った日。覚えてない?」

 

「あ」

 

 そうだ。政夫が隣の家に越してきた日は六年前の今日だ。

 あまり記憶力はよくない私だから、言われるまで気が付かなかった。

 

「後ね、僕もさやかのこと、好きだから」

 

「え? あ? ええ!? ちょっと待って、そう言えばさっきの……いや、今なんて言ったの!?」

 

 私が政夫の事好きって言ったのを聞かれた事を思い出し、そして、さらりと告白された事で私の脳の情報を処理できなくなり、オーバーヒートしそうになる。

 

「駄目。僕はそういうの一度しか言わないから。ほら、帰るよ」

 

「ええ~!? 何それ!?」

 

 もの凄いクールな対応にさっきの言葉は聞き間違い何かのように思えてくる。

 でも、傘を差し出してくる政夫の頬は少しだけ赤かったのを見るとさっきの言葉が幻聴でないと分かった。

 向こうもそれなりに照れている事が分かると、こっちも少しだけ落ち着いてくる。

 私は買ってもらったヘアピンを早速付けて、政夫に聞いた。

 

「どうかな、似合ってる?」

 

「うん。値段分は元取れるくらいには」

 

 普段はさらりと恥ずかしい事をやってのける癖にこういう時は照れるようで視線を逸らす。

 こうなってくると私の方も反撃ができるくらいになってきて、政夫の腕を抱くようにくっ付く。

 

「ちょっとくっ付きすぎじゃない?」

 

「こうしないと雨で濡れるから」

 

 クラスではそこそこ大きい方の胸をぎゅっと政夫に押し付ける。

 政夫はそれ以上何も言わなかったが、確実に顔の赤みはさっきよりも増していた。

 

「政夫」

 

「……何?」

 

「私の胸、どう?」

 

「……ノーコメントで」

 

 潔癖症の政夫はそういうのが苦手だと前から知っていたけど、これを期にもっとアプローチするのもいいかもしれない。

 

「さっき、政夫も好きって言ってくれたから……これで恋人同士だよね?」

 

「まあ、そうなるね」

 

「じゃあさ、私の胸とか触りたくならない」

 

「話そこに持って行くのやめない!? 大体、さやかはね……」

 

 雨の降る中、アイアイ傘で帰る私の心は人生で一番幸せだった。

 隣で私に文句を言いながらも、こうやって助けてくれる大好きな幼馴染が居る。

 好きな人に好きだと言ってもらえた。それが何よりも嬉しくて仕方がない。

 きっと、私は今この地上で一番幸せな女の子だと思う。

 

「政夫」

 

「何?」

 

「大っ好きだよ!」

 

 僅かに黙った後に政夫はこう返した。

 

「僕もだよ」

 

 




一位の政夫と二位のさやかのお話でした。
どんな話にしようか悩んだ結果、パラレル世界の話にしました。
上条君も出そうか悩んだんですが、それだと一話に収まりきらなくなってしまうので泣く泣く諦めました。

クソっ、絶対に本編で上条君書いてやる!


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番外編 衝撃と驚愕

時系列的にはおりこ☆マギカ編のすぐ後くらいのお話です。


 あり得ない。そんな訳がない。脳みそが聞かされた内容を全力で否定する。

 奥歯が噛みあわず、がちがちと不協和音を奏でる。目はこれでもかというほど見開かれ、部屋の空気に触れていた。

 

「嘘……だ。そんなこと、あり得るはずがない……」

 

 か細く漏れた僕の呟きは静まり返った空間に響いた。

 同じ部屋に居た織莉子姉さんも、巴さんも僕と同様の反応で、この部屋に居るもう一人の人物を見つめ、驚愕の表情をこれでもかと晒している。

 衝撃を受けた僕らの視線を一身に受け止めるその少女、暁美ほむらは俯き、肩を震わせていた。前髪が彼女の顔をカーテンの如く隠し、どのような面相を呈しているのか分からない。

 女の子座りをする暁美の膝に置かれた手が拳の形をしている様子から察するに決して笑っている訳ではないことだけははっきりと読み取れた。

 

 *

 

 それは数十分前の巴さんの一言から始まったことだった。

 僕たちは一度争った織莉子姉さんと暁美の二人の仲を良好にするため、巴さんの家で小さな交流会をすることにしていた。

 三角形のテーブルの周りをぐるりと四人で囲み、巴さんの淹れてくれた紅茶などを啜りながらのちょっとしたお茶会。

 いきなり全員を一同に介するのはまだ難しいということで、今回はまずもっとも因縁のある暁美と織莉子姉さん、そして一番年長者にしてリーダー的ポジションとして巴さん、そして、門外顧問として僕が抜擢された。

 最初は皆、何を話せばいいのか分からなかったようだが、僕が合間合間に話題を提示するとそれなりに会話が弾み、場の雰囲気は温かくなっていく。それに少し安心しつつ、僕は発言を控え、彼女たちのお喋りを聞いていた。

 そんな時、巴さんは何気なくこう言った。

 

「美国さんも随分胸が大きいみたいだけれど、ブラのサイズっていくつくらいなの?」

 

 もしも、普段だったら女子特有のデリケートな発言に僅かに苦笑いをして、巴さんに「男もここに居るんですよ?」なんて軽く冗談めかして(たしな)めていただろう。

 だが、今回はそういう訳にはいかなかった。

 巴さんの服の袖をテーブルの下で引っ張り、彼女に小声で耳打ちをする。

 

「……巴さん。ちょっと今のは酷すぎますよ」

 

「……? どういう意味?」

 

 僕の言葉に怪訝そうに小首を傾げる巴さん。駄目だ。この人、今の発言の意味が分かっていない。

 僕はできるだけ小さく声を絞り、他の二人に聞こえないように喋る。

 

「……ここにはほむらさんも居るんですよ? それなのに、その、ブラの話をするなんて……母親の居ない人の前で、母の日のカーネーションの話をするような残酷な行為です」

 

 この話は経験談だ。前の中学で友達が、母の日に自分の母親にカーネーションを贈るか贈らないかで話していた時、既に母親が他界している僕は酷く疎外感を感じたことを今も覚えている。

 持てる人は持たざる人の気持ちを考えていない。何気ない話題が持たざる人を傷付けてしまうことは意外とよくあるのだ。

 僕がそこまで言ったところで、巴さんは暁美の貧相な胸元を一瞥して、やっと自分の犯した非道な行為に気付いたらしく、表情を歪めた。

 口元を押さえ、己の発言の罪深さに心の底から打ちひしがれる。

 

「……ご、ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ……」

 

「……僕に謝っても無意味ですよ。ここは自然な感じに話を変えましょう。僕が協力しますから」

 

「――聞こえてるわ、二人とも」

 

 怒り、否殺意を湛えた声色で暁美はそう呟いた。

 珍しいことに明確に頬の端を引きつらせた笑みにも似た怒りの形相を浮かべている。

 ……思った以上に暁美の耳は精度がよかったらようだ。

 巴さんも僕と顔を見合わせ、慌てて取り繕う。

 

「ご、ごめんさいね、暁美さん。わざと言った訳じゃないの。あなたを傷付けるとは思わなかったから……」

 

 それに同調して僕も大げさに頷いた。

 

「そ、そうだよ。別に巴さんは、暁美さんを(あげつら)うような意図はなかったんだ。……ただちょっと間が悪かったんだ、間が」

 

 暁美の心を気遣いながら、巴さんを擁護する。織莉子姉さんも何も言わなかったが、暁美の方を向いて哀れみのこもった目を向けている。

 小刻みに肩をわなわなと震わしながら暁美は宥める僕らにこう叫んだ。

 

「私だってブラくらいしているわっ!!」

 

 その瞬間空気を(つんざ)く怒声が彼女の口から(ほとばし)る。

 到底信じがたい内容に暁美を除く全員は時が止まったかのように硬直した。今し方耳にした発言が理解を拒み、思考の自由を奪い取る。

 こうして話は冒頭へと舞い戻る。

 

**

 

「さっきから黙って聞いていれば、言いたい放題言ってくれるわね……」 

 

 ゆらりと顔を上げる暁美は屈辱のあまり、顔を歪んだ笑みの形に固定して僕を睨む。

 口元はこれでもかというほど笑っているのに目は細まっておらず、鋭い眼光を放っている。

 怖い。相当怖い顔だ。元々顔立ちが整っているせいで、暁美の目の笑っていない笑顔は凄絶な迫力を物語っていた。

 

「あり得ないですって? 私がブラをしている事がそんなにおかしいっていうの……?」

 

「いやさ、だって」 

 

 今まで見たことのない形相で逆上している暁美だったが、己の発言に何ら間違いはないと確信している僕はきっぱりと答える。

 

「それはいくら何でも無意味過ぎるよ。永久脱毛したスキンヘッドの人がヘアコンディショナーを使うようなものだよ?」

 

 女性らしい起伏のない更地のような暁美の胸元を見てそう言った。

 豊かな胸を持つ巴さんや織莉子姉さんに挟まれているせいで、彼女のその貧相なバストはその平坦さが強調され、格差社会をまざまざと描いている。

 それは胸というにはあまりにも小さ過ぎた。小さく、平たく、なだらかく、そして水平過ぎた。正に絶壁だった。

 どう考えても、これにブラなど不必要だ。猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏に並ぶ(ことわざ)として、『暁美にブラ』というのができてしまいそうなくらいだ。

 正直に言って、聞いていてここまで切なくなる話はそうそう有りはしない。

 僕の発言の後を次いで織莉子姉さんも喋る。

 

「そうね。流石にその大きさならまだブラジャーは必要ないと思うわ。トップとアンダーの差がなさ過ぎるもの」

 

 自分の胸と見比べて、座っている暁美の肩の辺りから腰までに視線を這わせる。同情的というよりは客観的な意見をオブラートに包まず、正確に口にしたという感じだ。

 

「見栄を張る必要はないのよ、暁美さん。こういうものは身体付きにメリハリが付いてから着ければいいんだから」

 

 優しく諭すように巴さんは暁美の肩に手を乗せる。

 慈愛に満ちたその表情は、大人が背伸びをして無理をする幼児に対して向ける類のものだった。

 

「……そう。貴方たちはそこまで私を虚仮(こけ)にしたいのね……」

 

「いやだから、虚仮にしたいとかじゃなくて、事実としてね」

 

 懇切丁寧に語って聞かせようとしたところ、遂に暁美は堪忍袋の緒を切らして、正面にあった三角形の背の低いテーブルを拳で叩いた。

 

「それが馬鹿にしているって言ってるのよ! いい? 私は! ブラを! 着用しているの!! それが事実よ!」

 

「う、うん。わ、分かったよ。シュレーディンガーの猫の理論でいくと観測できないものの確率は重なり合っている訳だから……ほむらさんがブラを着けている確率と着けていない確率は五十パーセントずつある。つまり、ほむらさんは五十パーセントブラを着けている。これでいいね?」

 

 僕の中で可能な限り譲歩して、暁美がブラをしている確率を認めてあげた。

 これで取り合えず、満足して引き下がってくれるだろうと期待していたが、満足どころか更に彼女は激昂して喚く。

 

「いい訳ないでしょう!? 五十パーセントってどういう事よ!? 私はちゃんと百パーセントブラを着けているわよ!!」

 

 僕はいつにない暁美の剣幕を見て、悲しくなってくる。どうしてこの子は真実を捻じ曲げようとするのだろう。それによって傷付くのはこいつの方だと言うのに。

 無意味な見栄は返って、自分を貶めることに繋がる。なぜそれが分からないんだ?

 

「ほむらさん……。どうしてそうやって自分を(いじ)めるの? いいじゃないか、半分の確率でブラを着けていることを認めているんだよ? ここで良しとしておくのが賢い落としどころじゃないのかな?」

 

「今、私を虐めているのは紛れもなく貴方たちよ!」

 

 半分、泣きそうな顔で暁美は叫ぶ。ここまで見っともなく、取り乱した暁美を見るのは初めてだ。

 まったくもって訳が分からない。一体、何がそこまで彼女を駆り立てているのだろうか。

 

「落ち着きなよ、ほむらさん。君らしくないよ? ほら、深呼吸深呼吸」

 

 叫び過ぎたせいで軽く酸欠状態になり、暁美はぜいぜいと荒い息を吐いた。

 巴さんと織莉子姉さんはそんな彼女の顔を困ったものを見る目で見つめている。

 ようやく、少し落ち着きを取り戻した暁美はぽつりと低いトーンで言葉を紡いだ。

 

「……いいわ。貴方がその気なら、証明してあげる」

 

 そして、据わった目で見滝原中学校指定のクリーム色のセーターを脱ぎ始める。

 

「私がブラをしている事をその目でよく確かめなさい!」

 

 セーターを自分の後ろに放ると、その下にあった真っ白いブラウスのボタンに指を掛け、一つ一つ外していく。

 

「きゃあああああああああああああああああああ! いきなり脱ぎ始めたよ、この人! 誰か誰かとめて!!」

 

 唐突にストリップを始めた暁美について行けず、僕は顔を手で隠して絶叫した。

 すぐに傍にした巴さんと織莉子姉さんが、狂った痴女と化した暁美の暴走を途中で止めてくれたことで事態は最悪の状況を回避することができたものの、場の空気はすでに混沌となっていた。

 

「離しなさい! この失礼な男に私がちゃんとブラを着けていることを見せ付けてやるのよ!」

 

「お、落ち着いて、暁美さん」

 

「こら! まー君の前で変態的行為に及ぶのはやめなさい!!」

 

「きゃああああああああああああああああ!! このストリッパー女子中学生を何とかして!!」

 

 小一時間ほどこのおかしな状況が続き、初めての交流会は散々な結末に終わった。

 しかし、織莉子姉さんはこの交流会の後、暁美に対する見識を改めて、苦手意識がなくなり、それなりに付き合って行くことができそうだと語ってくれた。

 姉さん曰く、「おかしな子だけれど、もう対立する気は起きない」とのこと。あのアホみたいな行動を見た後には、真面目に戦うことなどできないだろう。気持ちは分かる。

 とにかくこうして、織莉子姉さんと暁美の溝は見事埋めることができたのでよしとしておこう。暁美がブラをしているかどうかなど些細なことでしかない。

 ひょっとすると、これを狙って暁美はあえて道化を演じてくれたのかもしれない。視野が狭い帰来(きらい)はあるが聡い彼女ならあり得ない話でもないだろう。

 

「待ちなさい、政夫! 私はちゃんとブラを着用しているわ!! ほら、見なさい!」

 

「暁美さん、落ち着いて! 私の家からはだけた格好のまま、出て行こうとしないで! ご近所さんの間で噂になっちゃうから!!」

 

 ……うん。そういうことにしておこう。

 巴さんに取り押さえられて、ずるずると家の中に引きずり込まれていく痴女の喚き声を聞きながら、僕は織莉子姉さんと共に巴さんの住むマンションを後にした。

 




ほむらの扱いが完全に敵のようになっているため、番外編でコミカルな彼女を描きました。
政夫もほむらに対して、多少失礼なくらいがちょうどいいのでしょうね。

これににて、今年の更新を終了します。
どうでもいいことですが、この話が通算150話目になりますね。何だかちょっとおめでたいです。


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まどかif√編
第九十七話 意味が分かるよ


絶望のまどかifルート、ようやく始まりました!
こちらでは本編よりもハードモードなっておりますので「死亡」するキャラが出るかもしれません。ご了承下さい☆

本編の九十六話からの分岐した感じになっております。


~ニュゥべえ視点~

 

 

 

 ボクはマミたちに同行して魔女退治へ向かい、改めて魔女の存在を分析し、魔法少女へと戻せるのか調べていた。

 魔女の方はやはり魔力は怒りや嘆きといった負の感情エネルギーで構成されているようだった。エネルギーとしての還元なら可能だけれど、これほど変質してしまった存在を再び魔法少女に戻すことは不可能だろう。

 ただ、魔女の魔力が感情エネルギーに変換して使用することはボクならできると思う。これが政夫の計画していた『ワルプルギスの夜攻略法』に大きく役立てられる。

 ボクが思考に没頭していると、魔法少女の格好から元の見滝原中学校の制服に戻っていたマミが話しかけてくる。

 

「ニュゥべえ。私たちはもう家に帰るけど、あなたはどうするの?」

 

「どうするって言うのはどういう事だい?」

 

「ニュゥべえは……前のインキュベーターとは違うってよく分かったから、仲良くなりたいの。良ければ今日は私の家に泊まっていってくれないかしら?」

 

 マミはどうやらボクの事を好意的に受け入れてくれたようだ。

 かつてはマスケット銃を片手に追い回してきたほどボクの事を目の敵にしていた彼女だが、今ではボクと再び親しくなろうと言ってくれるほど心を開いてくれている。

 一度はインキュベーターに徹底的に裏切られた彼女がもう一度同じ姿のボクと仲良くなろうとするのは勇気が要るはずだ。

 本当にマミは強くなった。まだインキュベーターだった頃の記憶の中の泣き虫で臆病な彼女とは比べ物にならないほど成長していた。

 

「嬉しいお誘いだけど今日は政夫の家に戻るよ。心配しているかもしれないからね」

 

 マミの家に泊まって交友を深めるのも悪くなかったが、それよりも政夫の顔が見たかったのでボクは誘いを断った。

 

「そう? それは残念ね」

 

 マミは本当に残念そうな顔をしていたが、それ以上ボクを引き止めるつもりもないらしく、杏子やキリカと一緒に帰っていた。

 ボクは彼女たちと別れると夜の街を歩きながら政夫の家まで向かった。

 そして、その途中――。

 

「あれは……ほむら?」

 

 政夫の家へと向かうほむらの姿を見つけた。

 夜の街灯に照らされた彼女の表情はどこか空ろでまるで何かを求めているかのように瞳だけが鈍く輝いて見えた。

 それがボクには酷く危険なものに映った。

 故に足を速めて駆け寄り、ボクは声を掛けた。

 

「ほむら」

 

「政夫のインキュベーター……何の用?」

 

 ほむらは焦点の合っていないような胡乱(うろん)な目でボクを見る。

 その目はいつもとは違い、濁った不快感の沸き立つようなものだった。

 

「君こそ、こんな夜更けに政夫の家に何の用だい?」

 

 今のほむらを政夫に近付けてはいけない。直感的なボクの中の感情がそう訴える。

 

「お前には関係ないわ。私は政夫に会いに来たのよ」

 

 底冷えのするような声で言う彼女にボクは確信した。ほむらは政夫によくない影響を及ぼすと。

 ようやく、まどかによって政夫の心が救われたのにそれがほむらの行動によって台無しにされてしまう。

 

「悪いけど、今の君は政夫に近付けさせる訳にはいかないよ」

 

「お前に許可なんか求めるつもりはないわ」

 

 魔法少女の格好になったほむらはボクに銃口を突き付けた。もはや、その姿にはいつものような冷静さはなく、負の感情に支配された浅ましい少女が一人居るだけだった。

 

「そうかい。君がそういうつもりなら……ボクも容赦しない」

 

 ふっと自分の中の意識を集中させると、ボクも魔法少女の姿に変身する。

 

「なっ……その姿は一体!?」

 

「魔法少女だよ。見て分からないかい?」

 

 長く伸びたツインテールの髪をボクは払った。そのポーズはほむらがよくやる仕草で、それをすることにより挑発する。

 政夫には皆には隠すよう言われていたが、今の暴走気味のほむらを野放しにするよりは遥かにいいと思う。

 ボクの変身に目を奪われていた隙に伸ばしていたマミのリボンの再現した『白いリボン』でほむらの足に巻きつけた。

 

「これはマミの魔法と同じ……っ」

 

「場所を移そうか、ほむら」

 

 リボンをほむらの足に巻きつけたまま、ボクは大きく跳び上がり、近くの噴水のある公園までほむらを引っ張って向かって行く。

 

「くっ……」

 

 弾丸でリボンを引きちぎろうとするほむらだったが、ボクは杏子の幻影の魔法を模倣してリボンを透明に変えた。

 仕方なくほむらはリボンを切るのを諦めて、ボク本体を狙い、銃口を向けた。

 放たれる魔力の付加された弾丸。

 これがただの魔法少女であれば容易く、柔らかな肌を抉る威力は秘めているだろう。

 しかし、ボクの身体はそもそも人間とは材質が違う。ある意味においてボクの肉体そのものが魔力で変化させられたものだ。

 ツインテールの髪を硬質化させて、飛んでくる弾丸を弾く。

 普段のほむらであればもう少しマシな戦法を思いつくのかもしれないが、今の状態ではボクに傷一つ付けることさえ不可能だ。

 空中で引き寄せられるようにして、ボクによって公園まで連れて来られたほむらは鋭い刃のような視線を向けてくる。

 

「政夫のインキュベーター……どういう原理かは知らないけれど、マミや杏子の魔法を使えるみたいね」

 

「そんな事は今はどうでもいいよ。ボクは君が政夫に何をしようとしていた方が気になるよ」

 

「……お前には関係ないわ」

 

「関係あるさ。ボクは政夫の幸せを誰よりも想っている。それを邪魔するなら、ほむらでも容赦しないよ」

 

 ただのインキュベーターの一端末に過ぎなかったボクに感情を、愛を、教えてくれた政夫。

 その彼の幸福を邪魔しようというのならボクは、持てる全てを持って障害を滅ぼし尽くす。

 ほむらはそんなボクが気に入らないようで()め上げる。

 

「私の幸せを(ことごと)く邪魔しておいて、よくそんな事を言えるわね」

 

「インキュベーターだった時はまだ『このボク』の意思は生まれていなかったから、そう言われても困るよ」

 

 彼女の憎しみも悲しみも今では理解できるし、共感もできるが、それはほむらの行動を許す理由にはならない。

 ほむらは激昂してボクに向かって叫ぶ。

 

「私は政夫の傍に居たいだけよ! それのどこが悪いというの!?」

 

「……政夫の隣にはもうまどかが居る。君の居場所はそこにはないんだ」

 

「先に政夫と一緒に居たのは私よ! まどかじゃないわ!! あの子はずっと……守られていただけじゃない!」

 

 今まで溜め込んでいた思いを勢いのまま、言葉としてほむらは吐き出す。

 

「支えてくれたのに、助けてくれたのに、信じさせてくれたのに! 今更、私じゃなくてまどかを選ぶなんて勝手過ぎる!!」

 

 それは政夫へのほむらの想い。身勝手で(ずる)くて、だからこそ、紛れもなく純粋な感情の発露だった。

 けれど、ボクはそれを許せない。

 

「ほむら。やっぱり君じゃ政夫を幸せにできないよ。そこで自分の事しか出ないから、まどかに先を行かれたんだよ」

 

「お前に何が分かるの!?」

 

 ほむらは拳銃ではボクを倒せないと考えたのか、手の甲に付いている円形の楯からサブマシンガンを取り出す。

 そして、その楯をかちりと回した。

 その瞬間視界に映る街灯の光や噴水に付いた色取り取りのライトまでもがモノトーンのカラーに変わった。

 夜空に浮かぶ雲も落ちようとしていた木の葉さえその場で縫い付けられたかのように止まっている。

 これが政夫から聞いたほむらの時間停止の魔法。インキュベーターの端末だった頃にされた不可思議な攻撃がよくやく肌を通して理解できた。

 複雑な魔力の構造で時間そのものを固定化して留めている。

 だが、不可視のリボンで繋がれている以上はほむらに接触しているボクも停止した時間の中を動ける。加えて、魔力で付加しただけの銃弾ではボクを殺し切れない。

 圧倒的に有利さがボクにはあった。

 けれど、そう高を括ったのは(あやま)ちだった。

 ほむらはボクではなく、自分の足元へサブマシンガンの銃弾をばら撒いた。不可視のリボンを引きちぎるためだ。

 ……しまった。

 すぐさま、杏子の槍を作り出して、ほむらに投げるが遅かった。

 油断していたせいで咄嗟(とっさ)の行動が致命的に遅れた。今のほむらにそんな思考ができる余裕があると思っていなかったのも原因だ。

 銃弾の一つが透明なリボンを捉え、引きちぎられた瞬間にリボンの色が見えるようになる。

 そして、投げた白い槍はほむらの眼前で止まり――。

 

「ごほっ……」

 

 次の瞬間にはボクは喉奥から赤い体液を吐き出していた。

 いつの間にか身体には複数の銃弾が撃ち込まれていて、立っていることもできなくなり、公園の地面に前のめりに倒れ込む。

 冷たい地面が出血により体温の上がっていた身体に僅かに心地よく感じた。

 けれど、それも一瞬で痛みが身体に迸る。

 

「うぐっ……」

 

 すぐに痛覚をシャットダウンして、状況を確認するべく、顔を動かした。

 前方にはほむらの姿は見えない。もうどこかへ行ってしまったのか。

 その時、後頭部に何かが当たる。

 

「これで終わりよ」

 

 ほむらの声が後ろから聞こえた。

 そして、後頭部に触れているものが銃口であることに気が付く。

 

「……わざわざ、時間停止を何故解いたんだい?」

 

 さっきの時間停止の理由は周囲に発砲音を聞かせないためだ。こんな住宅街にも近い公園でサブマシンガンなんて使おうものならすぐに警察に通報されるだろう。

 ならば、どうしてほむらはわざわざ時間停止外でこんな事をしている?

 ――決まっている。迷っているからだ。

 

「自分が正しくないって理解しているから、時間停止を解いてこんな真似をしているんだろう?」

 

「っ……黙りなさい」

 

 銃口がなおさら強く押し当てられる。

 ほむらが苛立った表情をしているのが後ろを見なくても容易に想像できた。

 

「『お前に何が分かるの』……ほむらはそう言ったよね? ボクには分かるよ、君の気持ちが」

 

「ふざけないで!」

 

「ふざけてはいないよ。ボクもほむらと同じで政夫の事を愛してる」

 

 感情が生まれて、そして、『心』が生まれてからずっと彼の事だけを想い続けている。

 誰かを想い慕う事がどれほど幸せで、同時にこんなにも切ないなんて知らなかった。こんなにも複雑な精神活動があるとは思ってもみなかった。

 

「インキュベーターが愛を語らないで! 感情エネルギーを集めるだけのお前たちが!」

 

「君の言う通り、ボクらはずっと『そういう感情』を訳が分からないと一蹴していたよ。でも、教えてもらったんだ、政夫に」

 

「…………」

 

 押し黙ったほむらにボクは血で汚れていく地面を見ながら話を続ける。

 

「最初は自我の消滅が恐ろしくて政夫に(すが)り付いていただけだった。でも、彼はただボクを利用する事はせず、思いやりを持って接してくれた」

 

 『ニュゥべえ』というボクに名前をくれた。頭を優しく撫でてくれた。お風呂に一緒に入って、身体を洗ってくれた。傍に居てたくさん可愛がってくれた。

 インキュベーターとしてではなく、ニュゥべえとしての存在を尊重してくれた。

 

「政夫は優しいよ。優しすぎて自分だけのために生きる事ができないほどに。傷付いて損してばかりなのに彼は文句を言いながらもずっと君ら魔法少女のために頑張って来た」

 

 誰にも見返りを求めないのに他人には可能な限りのものを与える彼の所業はとても愚かで、とても哀れで、そして……とても愛しく思えるようになった。

 

「だから、ようやく自分のために生きようとしてくれた事が嬉しい。政夫が与えてもらえる側になった事が」

 

「それは自分でなくとも……構わないの?」

 

 黙っていたほむらはやっと一言ぽつりと漏らした。

 言葉足らずだが、ボクには彼女のその台詞に込められた意味が分かった。

 

「最初はその役目が自分でなかった事が悔しかったよ。でも、政夫が幸せになってくれればボクはそれで十分だ。ボクはボクできる方法で政夫に与える。だから、ボクにできないものはまどかにお願いするよ」

 

「それが貴女の……」

 

「うん。ボクの愛だよ」

 

 その答えを口に出した後、後ろでまたかちりと音が聞こえた気がした。

 それと同時にボクの後頭部からは銃口の感触が消えていた。

 振り返った時にはもうほむらの姿はそこになかった。

 

「ほむら……君は政夫に何を与えるつもりなんだい?」

 

 夜の公園は何も答えてくれない。街灯はただボクを照らすだけだった。

 




今回のお話は、本編でニュゥべえがほむらの政夫宅への襲撃を防いだ場合の話でした。
いやー、暴走するほむらはどこへ行くのでしょうか?
最悪の展開にならないといいのですが、それは政夫の頑張り次第ですね。


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第九十八話 昨日の答え

 不思議な気分だった。目に映る自分の部屋や耳に入ってくる小鳥に(さえず)りがとても素晴らしいものに感じる。

 昨日までの自分から生まれ変わったような、そんな新鮮な気持ちが胸の内いっぱいに広がっていた。

 時間がとても穏やかに流れていき、僕の心も凪のように静かだ。けれど、温かい想いがその中で明かりを(とも)している。

 幸せというものはこのような感覚なのだろうか。

 世界が変わったと言うより、自分の見方が変わったと言う方が正しい。

 うーん、と伸びを一つした後、ベッドから出ようとして、枕元に白い生き物が丸くなって眠っているのに気が付いた。

 昨日、巴さんたちに着いて魔女退治に同行したニュゥべえだ。いつの間にか帰って来たらしい。

 いつもは僕が起きる頃には既に目を覚ましているので、朝まで寝ている姿を見せることは珍しい。

 すやすやと寝息を立てて寝ている様子はとても心が癒される。

 僕はそっとニュゥべえの身体を撫でた。そして、あることに気が付く。

 

「ハンカチの端が破けてる……」

 

 僕があげた、母さんの形見でもあるオレンジ色のレース付きのハンカチが端が抉られたように削れていた。

 見れば、それは一箇所どころではない。十、二十もちぎられた後がいくつもあり、レース部分が所々なくなっている。

 魔女に襲われたのか? いや、護衛してくれる魔法少女が居た以上それは考え難い。

 取り合えず、怪我はないかとニュゥべえの身体に触れるが傷の方は見られなかった。少なくとも目に見える外傷はない。ひとまず、ほっと安心する。

 「ううん……」と小さく(うめ)くが起きる様子はまるでなかった。疲弊しているのか、相当深い眠りについているようだ。

 昨日何があったのかは気になるところではあるが、今は寝かしてあげておいた方がいいだろう。事情はニュゥべえが後で聞けばいい。

 僕はニュゥべえから手を離すと、静かにペンギン柄のパジャマから制服姿に着替えて、音を立てないように部屋のドアを閉めて出て行った。

 

 リビングに行くと父さんは椅子に腰掛けて新聞紙を読んでいた。

 すぐに僕に気が付いて、穏やかな笑みで挨拶をしてくれる。

 

「おはよう、政夫。何だか機嫌が良さそうだね」

 

「おはよう。……そんな風に見えるかな?」

 

 まどかさんに告白されて少し浮ついていることをあっさりと看破されて、恥ずかしくなり、誤魔化した。

 優しい眼差しで僕を僅かに見つめた後、それ以上は何も聞かずに朝食の用意をしてくれた。

 その気遣いが逆に気恥ずかしくなり、部屋に引き篭もりたい思いに駆られつつも、黙って用意された朝食を食べた。その間、ずっとどこか嬉しそうにしている父さんから目を逸らしながら御飯を掻き込んだので、味の方は分からなかった。

 

 家を出て、いつもの待ち合わせ場所に、そわそわと浮ついた気分で足早に歩いて行く。

 これから僕はまどかさんに会う。僕のことを僕以上に理解してくれた彼女に……。

 そう思っただけで胸から込み上がって来るものがある。頬が赤くなりそうだ。あるいはもうなっているかもしれない。

 ……やばい。本当に凄く嬉しい。

 こんなに胸が(たかぶ)るのは一体何年振りだろうか。知らず知らずに僕は走っていた。

 早く顔を見たい。声を聞かせて欲しい。

 いつもの並木林の近くの待ち合わせ場所まで駆け付けると、そこには会いたかった人がもう既に待っていてくれた。

 上擦りそうになる声を抑え、深呼吸してから彼女に掛ける。

 

「……おはよう! まどかさん」

 

 僕の方へ顔を向けると華のような可憐な笑顔を見せてくれた。

 

「おはよ! 政夫くん!」

 

 抱き締めてしまいたくなるような可愛さだ。

 ピンク色の髪の毛もツインテールを結んでいる赤いリボンも全てが輝いて見えた。誰だ、こんなに可愛い子を初対面で不良と勘違いした馬鹿は。

 まどかさんが不良なら、優良な人間などこの世のどこにも居やしないだろう。

 

「いい天気だよね。日差しもぽかぽかと暖かくて」

 

「そうだね。気持ちいいよね」

 

 一番ぽかぽかしているのは君を前にした僕の心なのだが。

 それとなく自然に傍に近付いて、まどかさんの隣に行った。

 まどかさんも僕を見て、少し頬を染めている。何でこの子はこんなに可愛いのだろう。

 そのまま、じっと彼女を眺めていると前髪を弄って、恥ずかしそうに僕から視線を逸らそうとする。

 僕はそれを見て、自分の幸福が彼女から発生されたものだと実感した。

 

「あのさ……政夫。私らの事は無視してる訳?」

 

 不意に傍で美樹の声が聞こえた。

 振り返るといつの間にか、後ろに美樹や志筑さんが立っていた。

 二人とも、なぜか微妙な表情を浮かべている。

 

「二人とも……いつから居たの?」

 

「最初からだよ!」

 

「最初から居ましたわ!!」

 

 びっくりして二人に尋ねると、怒気を露に()える。

 二人には申し訳ないが、本当に視界に入っていなかった。ここに着いてからまどかさん以外見えてなかったようだ。

 それくらい完全に浮かれていたみたいだ。……悪いことしたな。

 

「ごめん。本気でまどかさんしか見えてなかったよ」

 

「いきなり、惚気られちゃったよ……ていうか、『まどか』さんって呼び始めたんだ」

 

「随分と仲が宜しくなったようですけど、何があったんですの?」

 

 呆れと驚きの入り混じった表情で二人は僕とまどかさんを交互に見た。

 まどかさんは照れて、頬を染めたまま無言で亀のように首を縮める。大変可愛い反応ではあるが、僕にキスをしてくれた時の大胆さは影も形も見られない。あの時は彼女も僕のために勇気を振り絞ってやってくれたことだったようだ。

 昨日のことを知っている美樹はまだしも志筑さんからしたら、唐突に急接近したようにしか見えないだろう。

 どう説明すればいいのか、頭を悩ませていると一人足りない人間に気付き、図らずも話題を逸らした。

 

「それは……あれ? そういえば、ほむらさんは?」

 

「うわっ、このへタレ、思いっきり誤魔化したよ」

 

「でも、確かにいつもなら大体一番にここで待っているはずですのに……」

 

 美樹は僕に対して失礼なことを言って糾弾するが、志筑さんの方は心配そうに眉を(ひそ)めた。

 ここに暁美への友好度の違いが如実に現れた気がする。

 まどかさんも照れた顔から、不安げな表情へと変わった。

 

「ほむらちゃん……大丈夫かな?」

 

「大丈夫かって、どういうこと?」

 

 暁美とは織莉子姉さんの家から出た時に別れたが、それからあいつは魔女退治に皆と一緒に出かけたはずだ。

 僕とまどかさんと正反対の方へ向かったので顔はよく見て居なかったが、まどかさんの方は何か気付いたのだろうか。

 

「私が……その、ほら、政夫くんにしちゃったでしょ?」

 

「あ、ああ。あれね」

 

 キスのことを言っていることに気付いて、あの柔らかな感触を思い出す。まどかさんも僕がそれを思い出していることが分かったらしく、「そ、そうじゃなくて!」と赤くなってちょっと怒った。

 それから済まなさそうに顔を俯かせて静かに言う。

 

「それで、ほむらちゃん……傷ついちゃったんじゃないかな?」

 

「え? でも、僕はほむらさんを……」

 

 僕はちゃんと暁美の好意を断ったはずだ。彼女の方もそれを理解して、受け入れてくれたと思っていた。

 真正面から振った以上、きっぱりと諦めてくれたと考えていたのだが、まどかさんの見解では違うらしい。

 まどかさんは首を横に振ると言葉を続けた。

 

「ほむらちゃんはまだ政夫くんの事、完全に諦めきれてないと思うの……」

 

 それはまだ暁美が僕に好意を寄せているということか。

 一途なのは分かるが、あれだけ決定的に振ったのにまだ好意を持ち続けるというのは相当なものだ。

 正直に言えば、そこまで僕に固執する理由が理解できない。酷い言い方だが、僕がたまたま優しくしたから好意を持っただけだと思っていたが……。

 

「あー……昨日ほむら、何かちょっと顔色悪そうだったし、今日は休むんじゃないかな?」

 

 美樹が悩む僕とまどかさんに気を遣ってそう言うが、その顔色が悪そうだった理由が僕の責任かとも聞こえる台詞だった。

 その後遅刻するか否かの時間まで待ったが、結局暁美は待ち合わせの場所には現れなかった。

 僕は胸にしこりを残しながらも、急いで学校に向かった。浮ついていたはずの気分はその時にはすっかり霧散していた。

 

 学校に着いて、教室に飛び込むとチャイムの音が僕ら四人を出迎えてくれた。

 辛うじて遅刻は免れたが、早乙女先生にはもう少し早く登校しなさいと咎められてしまった。

 別れて各々自分の席に座り、僕は周りを見回して暁美の姿を探すがやはり教室にも彼女は居なかった。

 

 全ての授業が終わっても暁美は来ないまま、僕らは放課後を迎えた。

 昼食はせっかく、まどかさんが僕のためにお弁当を作って来てくれたというのに、暁美のことが気がかりで素直に味わえず、完食はしたものの申し訳ないことをしてしまった。

 それはまどかさんも同じのようで、授業中も暁美の席の方を何度か眺めて、ずっと浮かない表情をしていた。

 気を利かせてくれたのか、それとも上手い気休めの台詞が思いつかなかっただけなのか、皆は揃って放課後は魔女退治へと早々に出かけて、僕とまどかさんを二人きりにさせてくれた。

 僕らは二人並んで家路へと向かう。お互い何も言うことができず、自然と無言になってしまう。

 暁美のことは確かに気になるが、それで今傍に居るまどかさんを悲しませたままでいるのは間違っている。

 そう思った僕はまどかさんに静かに切り出した。

 

「あのさ、まどかさん」

 

「どうしたの?」

 

「こんなタイミングで言うのも何かと思ったんだけど、ずっと返事しないのも駄目だと思うから言うね」

 

 まどかさんの告白の返事をいつまでも待たせて置く訳にはいかない。本当は会った時にすぐ言っておきたかったのだが、暁美のこともあり、言い出し辛かった。

 けれど、これは僕が彼女の傍に居るに至って必要なことだ。

 

「う、うん」

 

 僕の言おうとしたことが分かってくれたようで、まどかさんは緊張した面持ちで僕を見つめて、次の言葉を待っていてくれる。

 それにつられ、僕の方も緊張して心臓の鼓動が大きく脈動していく。(のど)の奥が乾き、身体中がほんのりと熱を持つ。

 だが、その強張りに負けないように真剣な眼差しを彼女に向けて、ゆっくりと一言一言紡ぎ出す。

 

「僕も、まどかさんのことが、好きです。こんな僕でよかったら、ぜひ付き合ってください」

 

 噛まずに言い切ると、目を瞑って大きく息を吐く。

 そして、まどかさんの反応を知るために目を見開いた。

 僕の視界に飛び込んできた彼女は瞳を潤ませて、頬を上気させている

 

「本当に……私なんかでいいの?」

 

「忘れちゃったの? まどかさん。『私なんか』ってもう言わないって約束したよね?」

 

 いつもの調子が戻ってきた僕は少しだけ悪戯っぽい表情で笑う。

 すぐに、また真面目な顔に戻ると今度は彼女の手を取って握り締めた。

 

「君は僕が知る中で一番優しくて、一番芯の強い魅力的な女の子だよ。……正直に言うとここまで人を好きになったの初めてなんだ」

 

「私もだよ……ここまで男の子を好きになったの」

 

 寄り掛かって僕を抱き締めてくれた。

 彼女の髪からふんわりと良い香りが匂う。そっと愛しい温もりを抱き返した。

 幸せが胸の中で膨れ上がって、痛みすら感じられた。

 人を好きになるということは、こんなにも切なくて、温かなものだったのか。

 

「大好きだよ。まどかさん」

 

「私も……私もだよ」

 

 お互いの存在を確かめ合うように僕らは身体を引き寄せ合った。

 今度は昨日と違い、僕の方からまどかさんの唇に自分のそれを押し当てる。彼女の顔が僕の瞳にクローズアップで映り込む。

 僕ら二人の影法師は重なり合い、一つになる。

 そして、――二人の想いも今一つになった。

 




本格的にまどかルートらしくなりました。
爆発してほしいくらい彼は幸せの絶頂期です。

……しかし、一つの懸念事項が二人の恋に影を落としそうな予感がします。

かずみ?ナノカの方を進めていましたが、こちらの方も時折進めて行こうと思っています。


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第九十九話 楽しい食卓

「ほーら、タツヤ君。たかいたかーい」

 

「たかいたかーい!」

 

 嬉しそうにするタツヤ君を僕は掲げて楽しませる。

 三歳の男の子となるとそれなりに体重も増えてくるが、まだまだ中学生が持ち上げられるくらいには軽い。

 こうやってじっくりとタツヤ君の顔を観察すれば、まどかさんと姉弟(きょうだい)だということがすぐに分かるほど顔立ちが似ている。目鼻立ちなんかまさにそっくりだ。

 

 告白に返事して、晴れて恋人同士となった僕とまどかさんは彼女の家にお邪魔させてもらっていた。改めて、まどかさんの両親に挨拶がしたかったからだ。

 彼女の両親に挨拶、というと凄く大それたことに聞こえるが、娘さんと交際することになりましたと単純に報告としに来ただけだ。

 前にこの家に来た時はわりと僕のことを気に入ってくれていた様子だったし、僕の方も好感持てる人たちだったので積極的に親密になりに来た。

 何より、まどかさんがそれを望んだので僕としては断る理由がなかった。

 

「タツヤと遊んでくれてありがとうね、政夫君」

 

 専業主夫をしているまどかさんのお父さん、知久さんがお茶をテーブルに出してくれた。

 

「どうもありがとうございます」

 

 僕はタツヤ君をそっと傍のソファに下ろしてからテーブルの椅子に着く。

 知久さんも向かいの席に座り、正面から対面することになる。流石に緊張して僅かに背筋に汗が滲んできた。

 ソファに座っているタツヤ君だけが不思議そうに僕を見守っている。

 どう切り出して行こうかと悩んでいると、先に口を開いたのは知久さんの方だった。

 

「まどかから聞いたよ。付き合い始めたんだってね」

 

 優しげな笑みで穏やかに語る知久さん。親子なだけあって醸し出す雰囲気はまどかさんに通ずるものがある。

 それに緊張しながら、一つ頷いた。

 

「はい。まどかさんと今日から清い交際をさせて頂くことになりました」

 

「政夫くんみたいな子で良かったよ。まどかは少し純粋なところがあるからね」

 

 そういう風に褒めてもらえると、少し照れくさくなる。それだけ信用されているのだと思うと嬉しいが、自分がそれほど立派な人間には思えないので、ちょっと複雑だ。

 だが、その前に一つだけ確認したいことがあった。

 

「えっと、そのまどかさんは今は……?」

 

 肝心のまどかさんの姿が見えないので実はさっきから気になっていた。僕がタツヤ君と遊んでいる間にいつの間にかどこかへ消えていたのだ。

 尋ねると「ああ」と知久さんはくすっと笑みも漏らして声を潜めた。どんなに若く見積もっても三十台後半にも関わらず、若々しいその顔はさらに歳若く映る。

 

「まどかには黙っているよう頼まれたんだけど、実はね……今、政夫君のためにまどかが一人で夕食の準備をしているんだ。ちょうどさっき、レシピを決めて食材を買いに出かけたところなんだよ」

 

「え!? そうだったんですか? ……言ってくれれば僕も手伝うのに」

 

「駄目だよ。まどかはね、政夫君に自分の料理を食べてもらうと張り切ってるんだ。僕さえもキッチンに入らないでって言われてるくらいだなんだよ?」

 

「へえ……そうなんですか」

 

 意外だな。知久さんは子煩悩のところがあるから手伝うって言いそうなのに。

 ひょっとして、まどかさんは材料調達から調理まで全部一人でやるつもりなのか?

 もしかして、それは僕が昼に暁美のことがあったせいで、まどかさんが作ってきてくれたお弁当をしっかり味わえなかったことを気にしてのことかもしれない。

 だとしたら、嬉しい。そこまで僕のことを想ってくれている人なんて今まで居なかったから。

 

「凄く、嬉しいです。僕のためにそこまでしてくれてるなんて」

 

 僕がテーブルに置いてあるティーカップに目を落として呟くと、知久さんはテーブルの上に自分の両手を重ねて置いた。

 

「政夫君。君は知らないみたいだけど、前からまどかは君の話をよく話していたんだよ。自分を考えを変えてくれた男の子が居るってね」

 

 知久さんの話によると、まどかさんは前から結構僕の話をしていたらしい。その話の中では僕が最終的には人を遠ざけていたことまで含まれていて、耳が痛かった。

 恥ずかしい限りだ。ここまで人に心配をまどかさんに掛けていたとは想像もしていなかった。

 『優しい世界』の舞台装置になってつもりで、その実、当事者になったとは何とも愚かで情けない。

 

「僕は……僕が思っていた以上に周りの人に……大切に思われていたんですね」

 

 自分が一方的に与える側だと自惚れていた。だから、好意を明確に表してもらわないと気付けない。

 まどかさんにもあそこまで言ってもらって、ようやくそれが理解できた。だが、そのせいで暁美を傷付けてしまう結果になってしまった。

 知久さんはそんな僕を気遣うように言う。

 

「周りの人ばかりの事を気にしていると、返って自分の事に目が行かなくなってしまうものだよ。たまには自分の事だけ考えるのも重要なんだ。まどかの話を聞いていると政夫君はそういうところが足りてないと思う」

 

「そうですね。……まどかさんにも自分にも優しくしろって怒られました」

 

 僕の言葉に知久さんは少し遠い目をした。

 それは子供の成長に想い馳せるような、懐かしむような複雑な憂いを帯びた瞳だった。

 

「まどかも随分と変わったよ。前はもっと自分の行動に自信が持てていなかった。これも政夫君のおかげかな?」

 

「違いますよ。彼女は元々芯の強い女の子でした。それにまどかさん自身が気付くの時間が掛かっただけだと思います」

 

 少しの間があった後、知久さんは優しく、けれど僅かに寂しげに僕に告げた。

 

「……もう、あの子も大人になろうとしているんだね」

 

 大人として、そして父親としては自分の娘が手から飛び立とうしているのは寂しく感じるようだった。

 僕はそれには答えず、ティーカップの中の紅茶に口を付ける。

 思った以上に話し込んでいたせいで、舌先に触れた紅茶は温く感じた。

 

 *

 

 まどかさんが帰って来て、キッチンで料理を作り始めて数十分。

 僕は手持ち無沙汰の時間を知久さんと話をしたり、タツヤ君と遊んだりして潰していた。

 タツヤ君は特にお馬さんごっこが気に入ってくれたようで、四つん這いになった僕の背中でキャッキャと楽しそうにはしゃいでいる。

 そうしていると、まどかさんが僕らに夕食が完成したことを告げる。

 

「パパ、政夫君。ご飯の用意できたよー」

 

「あ、うん。分かったよ。タツヤ君、ちょっと降りてね」

 

 背中に居るタツヤ君を降ろして配膳の手伝おうとしたが、タツヤ君は僕の背中がよほど居心地よかったようで張り付いて降りてくれない。

 先に配膳をしていた知久さんが見かねて引き剥がそうとする。

 

「こら、タツヤ。お兄ちゃん困ってるだろう? そろそろ離れてあげなさい」

 

「や~!!」

 

「たっくん。政夫くん、困らせちゃだめだよ?」

 

 しかし、剥がれずに首を横に振って駄々を捏ねる。

 まどかさんも困った顔をして窘めるが、僕としてはここまで好いてくれると困惑よりも、嬉しく思えてしまう。

 

「じゃ、タツヤ君。僕の膝の上でご飯たべよっか?」

 

「うん!」

 

「それじゃ、一旦背中から移動しようね」

 

 そう言うとタツヤ君は素直に手を離してくれた。

 テーブルに着いて、膝にタツヤ君を乗せた僕は座った状態で料理の配膳をし始める。少し動きづらいものの不都合なく手伝いができた。

 膝の上にちょこんと乗っているタツヤ君も邪魔をしなようにして、僕のお腹に背を預けてリラックスした顔をしている。

 

「政夫くんはたっくんにちょっと甘すぎるんじゃないかな?」

 

 まどかさんはほんの僅かに怒った調子で僕に苦言を(てい)すが、それに飄々と返した。

 

「まあ、僕の義弟(おとうと)になるかもしれない子だからね。ちょっと甘くなるのは仕方ないよ」

 

 すると、見る間に頬を赤く染めて、ぷいっと顔を背ける。実に愛らしい反応だ。知久さんも近くにいるのについ軽口が口を突いてしまった。

 

「はは。それなら、仕方ないね」

 

 当の知久さんはそれに対して平然と笑っていた。それでも手だけはテキパキと料理の乗った皿をテーブルの上に並べていくのは主夫暦が長い故か。

 テーブルに置かれた夕食の献立はクリームシチューだった。

 ほど良いクリーミィな香りが鼻腔をくすぐり、食欲をそそる。

 皆が席に着くと、一斉に食事時の号令をし、木製の丸いスプーンを皿へと伸ばした。

 白いとろりとした濃厚なシチューを掬い、何度か息を吹きかけて冷ますとそれを膝のタツヤ君の口に運ぶ。

 

「はい。タツヤ君、あーん」

 

「あーん」

 

 開かれた小さな口へ優しくシチューを食べさせる。

 口元にこぼさないようにあげたつもりだったのだが、意外に食欲の旺盛な彼はスプーンに乗ったシチューを全部(すす)った。

 小さい子が嫌うにんじん等の野菜までもぐもぐと咀嚼(そしゃく)する。

 きっと大きな子に成長するだろうことを予感させる食べっぷりだ。

 僕がそれに目を奪われていると、正面に座っているまどかさんが何やらもじもじしながらこちらを(うかが)っている。

 

「どうしたの? まどかさん」

 

「政夫くん、えっとね。ほら」

 

 自分のスプーンにシチューを乗せて僕に差し出してきた。

 

「あ、あーん……」

 

 僕がタツヤ君に食べさせてあげるのを見て、自分もやりたくなったようだ。

 照れながらも、僕にスプーンを伸ばすまどかさんは正直、かなりぐっと来た。

 

「それじゃ。好意に甘えさせてもらって……あーん」

 

 まどかさんのスプーンに口を付ける。通常のキスに引き続き、間接キスまで頂いてしまった。しかも、本人の父親と弟の前でだ。

 だが、まどかさんは特別それに気にしたようなそぶりはなく、嬉しそうに尋ねてくる。

 

「美味しい、かな?」

 

「凄く美味しいよ。コクがあるのにしつこくなくて……これなら毎日でもいけるね」

 

「ま、毎日って。もう! 政夫くん!」

 

 素直に褒めたのに怒られてしまった。別段変な意味合いではなく、文字通りの意味で言ったつもりだったが、まどかさんは別の受け取り方をしたらしい。

 首を傾げていると、知久さんが納得したように頷いた。

 

「ああ。だから、告白まで時間が……」

 

「もう、パパもそれ以上言っちゃだめ!」

 

 和やかな食事はまどかさんのお母さんの詢子さんが帰ってくるまで続いた。

 それから詢子にも付き合い始めたことを話すと、どこが好きになったのかやどこまで関係が進んでいるのかと質問攻めに合い、色々と困惑することになった。

 しかし、その際に見せたまどかさんの恥じらい顔の数々はとても眼福至極だったのは言うまでもない。

 

 **

 

「それじゃ、夕食ありがとうね。まどかさん」

 

「おや? 帰るのかい? 泊まっていけばいいのに」

 

 詢子さんはふざけて僕にそう言うが、流石に付き合い始めた女の子の家に泊まるほど常識知らずの人間ではない。

 明日も学校があることだし、素直にまどかさんの家からお(いとま)した。

 玄関先まで僕を見送りに来てくれたまどかさんとタツヤ君に手を振ってドアを開ける。

 

「じゃあ、また明日ね。まどかさん」

 

「うん。じゃあね、政夫くん」

 

「タツヤ君もまたね」

 

「ましゃお~……」

 

 寂しげに僕を見送るタツヤ君に名残惜しく思いながらも、外へと出た。

 今日一日は楽しかった。まどかさんの家族は皆、僕を温かく出迎えてくれたのが本当に嬉しかった。

 夜の(とばり)が下りている空を見上げて、充足感に身を浸していると、ポケットの携帯電話が鳴り響いた。

 誰だと訝しみながらも携帯電話を取り出す。

 父さんには今日、友達の家でご馳走になると連絡していたので多分違うだろう。とすると……暁美だろうか。

 携帯電話を開いて画面の名前を見る。しかし、そこに表示されている名前は『美国織莉子』だった。

 

「もしもし、織莉子姉さん? どうしたんですか? こんな時間に」

 

 受話口を耳に押し当てて尋ねると、そこから聞こえてきた織莉子姉さんの声は酷く緊迫していた。

 

 

「まー君……落ち着いて聞いて。これから話す事は嘘でも冗談でもないわ……」

 

「……何があったんですか?」

 

 間違いなく吉報の知らせではないと理解し、声を潜めて織莉子姉さんの次の言葉を待った。

 織莉子姉さんは一拍だけ空けた後に静かに話し始めた。

 

「今日の暁美さんの事が気掛かりで、私は魔法で彼女の未来を予知してみたの……。そしたら、思いもよらない未来が見えたわ」

 

「どんな未来ですか?」

 

「暁美さんが鹿目さんを……殺す未来よ……」

 

 耳に入ったその言葉を理解するのに僕は数秒の時を必要とした。

 否、それを理解することを感情が拒んだ。

 あの暁美がよりにもよってまどかさんを殺す……?

 あり得ない。絶対にそれだけはあり得ない。

 あいつはまどかさんとの約束のためにずっと一人で戦っていたはずだ。例え、この世界のまどかさんが暁美と約束をした『鹿目まどか』ではなくても、二人の間には明確な友情が芽生えていたはずだ。

 無意識の間に首を振っていた僕に、織莉子姉さんは強張った声で言葉を紡ぐ。

 

「私の水晶に映し出されていた光景は……暁美さんが鹿目さんに向けて拳銃の引き金を引く映像。そして、銃弾に撃ち抜かれ、倒れて血に塗れる鹿目さんの姿よ……」

 

 決して虚言の類ではないことが、言葉の隅々から滲む真剣さから読み取れた。織莉子姉さん自体その予知が信じがたいと思っていることも感じられた。

 僕は震えそうになる声を抑えて、織莉子姉さんに聞いた。

 

「……その映像の詳しい場所と日時を教えてください」

 

 絶対にその未来は現実にしてはならない。何があろうとも変えてみせる。

 奥歯を噛み締めて、胸に誓う。

 暁美にまどかさんは殺させない。

 ――例え、僕の命に代えても。

 




よくやく不穏な展開の形が見えてきましたね。
ああ、一体これから、『誰』が殺し、『誰』が死ぬのでしょうか?
ほむらルートでは円満に終わりましたが、こちらはそうなってくれるのか!?



ハッピーエンドは本編で書いたので……ifルートくらいはどんな結末しても許されますよね?


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第百話 歪んだ愛

今日でちょうど最初の登校日から二年目になります。
さらにまどかルートで百話目にあたるので、二つの意味で記念ですね。


 次の日、暁美は何ごともなかったように林道沿いの待ち合わせの場所へ現れた。

 小さな微笑みすら浮かべて、志筑さんや美樹と和気藹々(わきあいあい)と談笑すらしている。

 もしも、織莉子姉さんが昨夜電話がなければ、素直に安心できた光景だったのだが、今の僕にはそこからは不気味さしか感じられなかった。

 まどかさんの家に迎えに行き、彼女と共に来た僕に暁美が気付くと、にこりとこちらに笑顔を向けて近付いてくる。

 

「おはよう。政夫、まどか。いい天気ね」

 

「……おはよう。ほむらさん」

 

 暁美をまどかさんに近付けないようにさり気なく二人の直線上に立った。背にまどかさんを庇うようにして挨拶を返す。

 まどかさんはそれに怪訝そうに見つめるが、彼女も暁美があまりにも穏やかにしているのが不自然に感じられたようで、僕の後ろから出ることはなかった。

 

「おはよう。ほむらちゃん。……昨日は学校に来なかったけど、どうしたの?」

 

「昨日は体調不良で休んだだけよ。少し具合が悪かったの。心配させてごめんなさいね」

 

 心配していたまどかさんに暁美は眉を下げて申し訳なさそうに謝る。

 それにほっと安堵したまどかさんは表情を明るくさせて、僕の脇から暁美に駆け寄ろうとした。

 暁美がふっと笑った。今までに見てきた彼女の笑みとは本質的に何かが違う、不穏な表情だった。

 いつもの紫色の瞳が、ほの暗く濁って映って見えた。背筋に冷たいものが走る。

 その顔を見た僕はまどかさんの手を思わず、握って引き止めてしまった。

 

「政夫くん?」

 

 きょとんとして振り向くまどかさんに僕は説明することもできず、彼女の手を握り締め、少しの間黙る。自分の表情筋がいつになく強張っているのを感じた。

 暁美の後ろに居る志筑さんと美樹も僕の反応がおかしいことに気付き、視線だけでどうしたのかと尋ねてくる。

 

「……早く登校しようよ。昨日は遅刻ぎりぎりになっちゃったし」

 

「う、うん。そうだね」

 

 有無を言わせない真剣な表情でそう言うと、まどかさんは取り合えず相槌を打ってくれた。

 ただならない様子をしていたが、昨日遅刻しそうになったのは事実。皆も僕に従って学校へ向かい始めた。

 暁美もそれを気にした風もなく、共に歩き出す。

 僕は暁美の動向に気を配りながら、まどかさんと繋いだ手をしっかりと握って足を動かした。まどかさんは暁美を気にかけていたが、何も言わずに僕に着いて来てくれた。

 

 *

 

 授業中は担当の先生の声すら耳に入って来ないほど暁美を凝視していたが、昼食時は屋上に大勢集まっていたために少しだけ気を弛められた。

 ……気を、弛める? 暁美に対して?

 そう考えて、自分がそこまで暁美を恐れていることを実感して、嫌悪感を覚えた。

 これではまるで得体の知れない人間に対して危惧しているようで、嫌でも暁美を差別しているような気にさせられる。

 暁美は友達だ。少なくても好意を振って悩むほどには大切に思っている。

 出会ったばかりの頃は軽蔑していた相手だったが、今では掛け替えのない存在だ。

 だというのに、これでは敵対している相手のようではないか。

 

「政夫くん、大丈夫? 気分悪そうだよ?」

 

 すぐ隣に居るまどかさんが僕の顔を覗き込む。その表情は不安そうだ。

 (しか)めた表情を消して、楽しそうな顔に変え、彼女の不安を払拭させる。僕が陰鬱にしていれば、まどかさんが悲しんでしまう。そんなことは絶対に避けたい。

 

「大丈夫だよ。それより、このマッシュポテト美味しいよ」

 

「それ、私が作ったんだよ?」

 

「凄いね。いいお嫁さんになれるよ。いや、まどかさんはお母さんみたいなキャリアウーマンになりたいんだっけ?」

 

 昨日、まどかさんと話した時に母親のようなキャリアウーマンに憧れていると言っていたのを思い出す。父親が主夫をやっていることもあり、結婚すれば女性は必ず家庭に入るとは考えていないようだった。

 それなら、今の発言は少しばかり失礼だったかと内省して頬を掻く。

 けれど、まどかさんの反応は少し違った。

 

「そう思ってたけど……家庭的なお嫁さんもいいなって、思うようになったの」

 

 上目遣いで見る乙女らしい視線に僕はどきりとする。

 それは僕と結婚したら、支えてくれるという意味で受け取ってもいいのだろうか。

 どれだけ僕の中の好意を肥大させれば気が済むのだろう。本当に、本当にどこまでも可愛い女の子だ。その愛らしさは留まることを知らない。

 箸を咥えて、まどかさんへの想いに頭を膨らませていると、冷ややかな瞳が僕の意識を現実に引き戻す。

 少し離れた場所で巴さんと会話していた暁美の目がこちらを、より正確には僕を捉えていた。

 頭から冷たい水を浴びさせられたような気分だった。

 心地よい温かさを孕んでいた思考が一瞬にして冷却され、胃の縁が引き締まる。

 視線が合っていたのは五秒にも満たない時間だったが、僕にはその二十倍以上に体感していた。

 

「まー君」

 

 暁美と視線が逸れても硬直していた僕に織莉子姉さんが小さな声で話しかけてきた。

 まどかさんと反対側の隣に座ると、落ち着かせるように手を僕の肩に置いてくれた。じんわりと纏わり付く嫌な空気を追い払うために僕は務めて明るく振舞った。

 

「どうしたんですか?」

 

「……あまり近付かない方がいいわ。彼女……」

 

 ちらりと暁美を一瞥して織莉子姉さんは呟いた。

 

「普通には見えない」

 

「…………」

 

 僕はそれに何も告げられず、無言で口元を引き結んだ。

 まどかさんはそんな僕たちの様子が理解できないようだったが、暁美のことを言っていることは何となく察せたようで聞いて来る。

 

「あの、美国さん。ほむらちゃん、何かあったんですか?」

 

「いえ。ちょっと様子がおかしいというだけよ」

 

 当事者とは言え、予知で暁美があなたを殺す光景が見えましたとは言えずに織莉子姉さんは誤魔化した。

 無理もない。暁美はまどかさんにとっても信頼する大切な友達なのだ。

 もし、本当にそのことを直接言ったところで到底信じられるものではないし、近くに暁美が居る状況で口に出すことなど不可能だ。

 それに織莉子姉さんが見た光景については事細かく僕に伝わっている以上、ここで話すことはないに等しかった。

 僕も織莉子姉さんも口を噤んでいたが、逡巡の後織莉子姉さんはまどかさんに提案をする。

 

「ねえ、鹿目さん。話は変わるのだけれど……今日、貴女に家に来て欲しいのだけれどいいかしら?」

 

「え? 美国さんの家にですか?」

 

「そう。ぜひとも、まー君とどこまで仲良くなったのか教えてほしいわ」

 

 からかうような声音でそう言うとまどかさんは真っ赤になって俯いた。

 

「も、もう。美国さん!」

 

「ふふ。それにいい紅茶の葉が手に入ったの」

 

 楽しげに言うと、まどかさんに笑いかけた。

 どうやら、織莉子姉さんはまどかさんを暁美から隔離しようとしているようだ。

 予知のことももしかしたら話すつもりなのかもしれない。

 少々強引な誘い方だったが、織莉子姉さんとも仲良くなっていたまどかさんはその誘いを受けてくれた。

 

 **

 

「政夫」

 

 放課後に教科書を学生鞄に詰めていた僕に暁美が声をかけて来た。

 振り返ることなく、僕は尋ねる。今、彼女の表情を見ていて平然を装うことができるか分からなかったからだ。

 

「どうしたの? ほむらさん。魔女退治のパトロールには向かわなくていいの?」

 

「病み上がりだからってマミが休みをくれたのよ。この後時間、あるかしら?」

 

 今の暁美と一対一で話すことに恐怖を覚えずにはいられなかったが、対話をすることで暁美を思い留まらせることができるかもしれないと思い、僕は頷いた。

 

「うん。あるけど」

 

「そう、よかった。……避けられていると思っていたけど安心したわ」

 

 目を細めて頬を薄く引き上げる暁美に形容しがたい妖しいさを感じて、身震いしそうになる。制服の袖の下にはふつふつと鳥肌が沸き立った。

 だが、臆した様子は一切外には出さずに、暁美に近付いて堂々と笑顔を浮かべた。肩に手でも回しそうな気安さで暁美に言う。

 

「何言ってるのさ。ほむらさんたら、被害妄想強いんじゃないの?」

 

「そうかもしれないわね。気を付けるわ」

 

「それじゃあ、どこに行こうか?」

 

「そうね……」

 

 形の良い唇に一指し指を置いて、思案すると暁美は思いついたように言った。

 

「コーヒーが飲みたいわ」

 

 それは僕には最初から決まっていたことを考えて思いついたように見せているように見えた。嘘の下手な彼女には似合いもしない白々さを感じさせるその様は、酷く歪に思えて、胸の奥に不快が生まれる。

 気取ったような艶かしさに溢れた暁美は、まるで僕の知っている彼女とは別人のように映った。

 

 僕は暁美に連れられるままに彼女が行きたがっていたカフェへとやって来た。

 その店は前に上条君が暁美をデートに誘ったカフェだった。美樹と一緒に彼らを着けて入ったからよく覚えている。

 僕としてはここで美樹に自分を直視させるためとは言え、少しばかりきつい発言をした上にそれを暁美に咎められて頬を叩かれたので、あまりいい思い出のある場所ではない。

 店の入り口で暁美はエスプレッソを頼み、僕の方を見る。

 苦いものが得意でない僕はレジにあるメニューに目を落としてカフェ・ラテを注文した。

 バイトであろう高校生くらいのお姉さんが店内を案内してくれようとした時、暁美は急に「外の席に座りたいのですが」と言い出した。

 オープンテラスに案内してもらうことに僕たちは代金を支払った後、注文した飲み物を持って、テラス席に座った。

 薄暗く空が曇っているためか、テラス席には僕と暁美以外に客の姿はなかった。天気予報は見ていなかったが、もうしばらくすれば一雨来るかもしれない。

 暁美はそんなことは気にも留めていないようでエスプレッソに口を付けた。

 僕の方から何かを話す気にもなれず、こちらもカフェ・ラテを一口(すす)る。

 すると、暁美は何がおかしかったのか、クスクスと僕を見て笑う。

 

「苦いのは嫌いなのかしら?」

 

「甘いものが好きな男子だって居るの!」

 

 恥ずかしくなり、ちょっと抗議するように語尾を強めた。

 暁美があまりにも楽しげで浮ついているに見えて、違和感を味合わされる。

 いつものむっつりしがちな彼女とは180度違う、精神的に余裕に満ちた年上の女性を相手にしているような感覚だ。

 僕はペースを握られないように、とぼけた風を装い彼女に尋ねた。

 

「随分とご機嫌だね。いいことでもあったの?」

 

「そうね。考えて悩み抜いていた事に自分なりに答えを出したからかしらね」

 

「胸の大きさが増えないとか?」

 

 軽口を叩いて怒らせて会話のペースを握ろうと画策するが、暁美はそんな安い挑発には乗ってこない。

 首を横に振って、艶然な笑みすら滲ませ、こちらの一番聞きたくなかった言葉を放り投げてくる。

 

「そんな事じゃないわ。……好きな男の子にどうアプローチすればいいのか、よ」

 

 肘を突いて両手を組み、そこに自分の顎を乗せて、暁美は僕の目を覗き込むように見つめた。

 胃の縁がまた締め上げられるような痛みを発する。膝の上に置いていた手は知らない間に拳を作っていた。

 やはり暁美は未だに僕に好意を寄せているようだった。あれだけ決定的に振られて、まどかさんと手を繋いで仲良くしているところを見ても、変わらない恋愛感情を向けてくる。

 言葉に詰まりそうになりながらも、何かを言わなければと思い、口を開いた。

 

「そうなんだ。それで、どうアプローチする気なの?」

 

 ここで逃げる訳にもいかず、逆鱗に触れるつもりで地雷原へと足を踏み入れた。

 しかし、暁美はそれには答えず、一方的に韜晦(とうかい)にも似た話を話し始めた。

 

「とある女の子が居たわ。その女の子は迷路の中で一人の男の子に出会ったの。女の子はその男の子の優しさに触れて恋をした。けれど、男の子は別の女の子が好きになった。優しい男の子にぴったりの思いやりのある女の子にね」

 

 童話の一節を語るように滑らかな台詞は耳に程よく通った。それが返って、僕の胸を抉り取るような罪悪感を与える。

 針のむしろに立たされた心情になるが、彼女の話を遮る気にはならなかった。

 

「迷路に居た女の子はそれに耐えられなかった。大好きな彼が自分以外に愛を向けることがどうしても我慢できなかった。どうして自分では駄目だったのか、考えて悩んだ女の子は自分の浅ましさに気付いたわ。思いやりのある子とは大違いの身勝手な自分なんかに振り向いてくれる訳がなかったと知ったの」

 

 湿り気のある空からぽたりと小さな雫が僕の頬に落ちて来た。

 次第にぽつぽつと雨がまばらに降り始める。まるで暁美が語る物語の中の「迷路に居た女の子」が自嘲の涙を流しているかのように。

 

「迷路に居た女の子は自分が愛されない人間だと理解したわ。けれど、それでも優しい男の子の事がどうしても諦められなかった。迷路の女の子はどうしたと思う?」

 

「思いやりのある女の子が憎くなって、彼女を銃で撃ち殺そうとした――とか」

 

 お前の目論見は既に分かっていると、暁美の目を見て答えた。

 ここまで言えば、何らかの反応を見せると――首を静かに横に振った。

 

「違うわ、政夫。貴女は迷路に居た女の子の事を分かってないわ。迷路に居た女の子は憎しみなんて抱いてない。それは逆恨みだもの」

 

「え……?」

 

 その言葉に僕は呆気に取られて、疑問符を吐き出す。

 暁美はまどかさんに憎しみを抱いてない? ならば、織莉子姉さんの予知は……?

 もしかしたら、何かの間違いだったのか?

 そんな希望的観測が脳髄から湧き出してくる。

 しかし、その希望は次の言葉で見事に打ち消された。

 

「でも、半分は正解。迷路に居た女の子は思いやりのある女の子を殺そうとしている」

 

「な、何で!? 恨みも憎しみもないなら何で!?」

 

 思わず、立ち上がって暁美に問う。

 意味が分からなかった。理解が追い着かない。

 それなら、どこに暁美がまどかさんを殺す理由があるというのだ。

 艶かしい瞳で僕を眺める暁美は自分の唇を指でなぞりながら、こう告げた。

 

「優しい男の子に憎まれるためよ。思いやりのある女の子を殺す事で、迷路に居た女の子は誰よりも憎まれる。愛する女の子を奪われた優しい男の子は他の誰よりも迷路に居た女の子を憎み続ける。誰よりも誰よりも想い続ける……そうでしょう? 政夫」

 

 理解ができた。

 そして、すぐに理解したことを後悔した。

 目の前に居る少女が自分の想像の範疇から逸脱した存在だと思い知らされた。

 暁美は僕に憎悪されてまで一番想われていたいのだ。

 それが愛とは真逆の感情であろうとも、自分だけを見ていてほしいと、本気でそう言っているのだ。

 今まで自分が『恋愛』に対して軽く考えていたと思う時が何度もあった。けれど、これは今まで以上だ。

 暁美がここまで僕に執着しているなど考えたことすらなかった。

 もう、異常の域に達した暁美の僕への想いにおぞましさしか感じられない。

 怯えを含んだ僕を見ながら、暁美は席から立つと丸いテーブルを歩き、すぐ隣に来る。

 顔を見上げて妖しく微笑む暁美は硬直する僕の唇に自分のそれを押し当てた。

 一昨日、まどかさんにされたキスと構図もまったく同じだった。

 

「――愛してるわ」

 

 その言葉を最後に暁美の姿は僕の目の前から消失した。

 正気に戻り、急いで周りを見回すが、彼女の姿はどこにもない。

 黒い雲が覆う空からは小雨だった雨が急激に勢いを強くして、テラスを濡らす。

 僕に向かって落ちてくる冷たい大粒の雨は、これから起こる最悪の状況を予感させるには十分すぎるものだった。

 




いやー、まどかルートは政夫に対して優しくないですね。
彼が何をしたというのでしょうか?

大学のサークルで執筆する作品を書き上げなくてはいけないので、次の投稿はしばらく先になりそうです。

それと『かずみ?ナノカ』の方も良かったら、読んでみて下さい。


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第百一話 誰よりも守りたい人

推薦を書いて頂いた嬉しさで思わず更新してしまいました。
暇もないというのに……何をやっているのでしょうか、私は。


 僕は走りながら制服のポケットから急いで電話を取り出して、織莉子姉さんに繋ぐ。

 用件は二つ。まどかさんの安全の確保と暁美の凶行を伝えることだ。

 眩暈(めまい)がしそうなほど不安な気持ちを押し殺し、頬に感じる雨水の冷たさをも無視して、呼び出し音を聞く。

 焦燥感で気が触れそうになる。まだか、まだなのかと心の中で問いかけた。

 携帯に耳を押し当てたまま、街中を顔を歪めて、奔走する僕をすれ違う人は奇異の目で見るがそれを気にかける余裕はない。

 幾度目かのコール音の後、やっと繋がった電話先に織莉子姉さんの声も聞かず、矢継ぎ早に言う。

 

「もしもし、織莉子姉さん!? 今、そっちにほむらさんが向かっていると思う! 目的はやっぱりまどかさんの命を奪うことだっ!! 僕も織莉子姉さんの方に向かってるけど、とにかくまどかさんを連れて今すぐ家から離れた方がいい!」

 

 しかし、通話先から返って来た返事の主は織莉子姉さんではなかった。

 

『政夫くん……今の話どういう事? ほむらちゃんが私の事、殺そうとしてるって……』

 

 聞こえて来た声は現在暁美が命を狙っているまどかさんだった。

 

「なっ! まどかさん!? 何で織莉子姉さんの携帯を持ってるの? ……いや、それよりも織莉子姉さんは今どこに居るの?」

 

『美国さんは私と話してた時、急に何かに気付いたみたい怖い顔して……携帯を私に預けて、ちょっと出かけて来るって……』

 

 その言葉を聞いて、織莉子姉さんは暁美が襲撃を仕掛けてくる光景を予知したのだと理解した。そうでなければ、自分の携帯電話をわざわざまどかさんに預ける道理がない。

 織莉子姉さんは一人で暁美と事を構えるつもりなのだ。

 ――自分が視た最悪の未来を回避するために。

 こんなことになるなら、他の魔法少女の皆にも暁美のことを話しておけばよかった。

 今回の予知が暁美の一時の迷いだと思い、説得できた時に彼女の居場所がなくなることを想定してあえて黙っていたのが裏目に出た。

 まさか、ここまで暁美が思い詰めているとは考えていなかった僕の落ち度だ。初めての恋に浮かれていたのだとここに来て実感する。

 

「まどかさん、取りあえずは織莉子姉さんの家を動かないで。僕もそこに行くから。……一旦通話切るね?」

 

 織莉子姉さんが置いて行ったのなら、下手に外に連れ出すよりは待機してもらった方が安全だ。

 今は他の魔法少女を電話で連絡して、織莉子姉さんの家に応援に来てもらおう。織莉子姉さん自身も心配だが、まどかさんの最悪の予知を変える方が先決だ。

 

『待って、政夫くん!』

 

 まどかさんの声が受話口から外しかけた耳に飛び込んでくる。

 

『ほむらちゃんが私を殺そうとしてるってどういう事なの? 美国さんも何も教えてくれなかった……もう、私だけ蚊帳の外にされるのは嫌なの!』

 

 悲痛なその叫びに僕は唇を噛み締めた。

 そうだ。まどかさんはいつも当事者であるにも関わらず、事態を知ることさえままならなかった。

 暁美や僕が彼女に隠して裏で動いていたから、魔法少女関係のことはいつだって終わった後に知らされるだけ。

 そこに何も感じないはずはない。僕たちのことを信頼しているとはいえ、自分だけが訳も分からないまま、周囲に助けられっ放しなんて嫌に決まっている。

 自分で考え悩む機会も選択する権利も与えられずに結果だけ渡されて誰が納得できると言うのだ。

 

「……分かった。じゃあ、今起きていることの成り行きを簡潔に話すね」

 

 まどかさんは強い女の子だ。僕なんかよりもずっとしっかりした芯を持っている。

 織莉子姉さんの予知、暁美の目的、現状の全てを走りながらまどかさんに伝えた。

 話を聞き終えると、それまで黙っていたまどかさんが口を開いた。

 

『やっぱりほむらちゃん……一人でそんな風に抱え込んじゃってたんだ。私が政夫くんに告白したせいで……』

 

「違う! まどかさんは悪くない! 悪いのは……悪いのは僕だ。好きでもないくせに中途半端な気持ちでほむらさんに優しくした僕が悪いんだ」

 

 こうなることを考えもせず、愛する気もないのに無責任に手を差し伸べた僕が原因に他ならない。

 恋愛感情を軽んじ、向けられる好意に気付くことさえできなかった己の失態だ。

 もっと前に暁美の僕に向ける恋慕を理解していれば、暁美もここまで思い詰めることもなかったはずだ。

 言葉にするほど自分の無能さに嫌気が差す。顔が俯き、足が重くなるのを感じた。

 それは決して振りし切る雨のせいだけではない。

 

『それこそ違うよ! 優しくする事が間違ってたなんて私は絶対思わない!』

 

「まどかさん……」

 

『私だって政夫くんの優しさに助けられてきたから、それだけは分かるよ。だから、そんな事言わないで! もう自分にだけ厳しくしないって約束したでしょ?』

 

 まどかさんのその言葉が僕に速度を失っていた足に力が入る。罪悪感のせいで削られた活力が再び舞い戻って来た。

 自分はこんなにも単純な人間だったのかと思うほど、心が温められていくのが分かった。頬に当たる雨の冷たさなど話にならない。

 ああ、僕はこんなにもこの子が好きなのだな。

 たった二、三言肯定の言葉を掛けられただけで自分の生き方が間違っていなかったと思えるくらいに。

 

「ありがとう、まどかさん。……自罰的になって背負い込むのはもう止めるよ。だから、待ってて」

 

『政夫くん……うん! 私、待ってる!』

 

 待つ、ということは何もせずにそのままでじっとして居るということだ。

 何が起きるか分からない状況で彼女は何度それを強いられたことだろう。けれど、今回、まどかさんは自らそれを選んでくれた。

 僕を信頼して待つと、考えて、そして選択してくれたのだ。

 ならば、何があろうとその期待に応えなければ男ではない。

 僕は通話を切り、思考を切り替える。

 暁美から囁かれた歪んだ愛のせいで冷静さを欠いていた脳が、いつもの落ち着きを取り戻す。

 焦っているせいでわざわざ走っていたが、ここからならばタクシーを捕まえた方が断然いい。ちょうど向こうから来るタクシーに手を上げて呼び止める。

 タクシーに乗り込むと、織莉子姉さんの住所先を運転手に告げた。まどかさんに贈り物をするために、一昨日の夜に財布に貯金していたお年玉を入れておいてよかった。

 車に乗っている間に携帯電話で巴さんたちに一人ずつかけるが、電波が届いていない場所か電話を切っているらしく連絡が通じない。

 恐らくは魔女の結界内に居るのだろう。普段は二グループに別れてパトロールをしているそうだから、どちらか片方には連絡が付くと思ったのだが、織莉子姉さんと暁美の二名が欠員のために四人とも一グループで行動している可能性が高いな。

 ……ひょっとするとこれも暁美の計算通りなのかもしれない。突発的な正常ではない行動と思っていたが、もしかしたら昨日学校を休んで計画を練っていたのだろうか。

 とりあえず、電波が戻った時のために四人に簡潔に今の状況を書いた文を送った。だが、今は四人には期待できそうにない。

 切り札(・・・)こそ残っているが暁美のこの行動に油断をするのは危険だ。

 僕の勘が正しければあいつは今誰よりも『冷静に狂っている』。

 

 *

 

 織莉子姉さんの自宅前に着くと、お金を払ってタクシーから降りた。

 窓ガラスなどが割れたりしていないところを察するに暁美はまだこちらに訪れてはいない様子だ。

 織莉子姉さんが自ら暁美の方へ出向いたことと、タクシーを飛ばしてきたおかげだろう。

 僕はインターホンの前に行く前にまどかさんに電話をかける。いきなりチャイムを鳴らせば誰か分からないために不安にさせると思ったからだ。

 

「もしもし。僕だよ。今、織莉子姉さんの家の前に着いた」

 

 すると、玄関のドアが開かれて、携帯電話を片手に握り締めたまどかさんが飛び出して来た。

 僕を確認すると夢中で抱き付いてくる。

 

「政夫くん……」

 

 制服の胸元をきゅっと掴むように見上げた顔には安堵の色が滲んでいた。

 先ほどの電話では気丈にしていたが、内心不安でいっぱいだったのだろう。

 急に自分を守ってきてくれた頼りになる友達が、自分の命を狙い出したのだ。まともな神経をした人間なら平静など保っていられる訳もない。

 僕は彼女の背中に手を回して抱き締めた。少しでも彼女の不安を和らげられるように。

 

「大丈夫、僕が何とかしてみせる」

 

 

 **

 

 

~織莉子視点~

 

 

 

 人間は大きく別けて二種類あると私は思う。

 善人と悪人。よくある曖昧な二元論に聞こえるが、私の中ではこの二つの境界は明確なものだ。

 それは、「目的のために他者を害す事を肯定できるか否か」。

 どれだけの大義があるかどうかは関係ない。ただ自分の意志で殺人を犯し、それを肯定できるか。

 つまりは殺人を受け入れる人間かで善悪が決まる。少なくとも私はそうだと思っている。

 その括りで言えば、まー君は善人だ。

 口では何とでも言えるけれど、彼の精神は絶対に殺人を肯定する事はないだろう。あの子は正当性が認められる状況にで殺人を犯したとしても、絶対に自分がやった行いを間違っていたと判断する。

 人の命の重さをきちんと理解しているからだ。

 悪辣に振る舞ったところでまー君は害する人間には向いていない。その心根はどうしようもないくらいに優しい。

 鹿目さんもそちら側の人間だ。今日一日、彼女と話して改めてそれが分かった。

 彼女なら、まー君を安心して任せられる。きっとまー君を支えてくれるだろう。

 対して、私や暁美ほむらのような人間は悪だ。

 命を奪うという手段を選んでしまえるような、自分の都合で他人を傷付ける人間はあの子に――まー君に相応しくない。

 だから、私は暁美ほむらが大嫌いだった。

 身勝手で他人を(かえり)みない。己の感情に囚われて、大事な事を見落とす。

 まるで鏡写しの自分を見ているようで、常々不快にさせられていた。

 結局のところ、今回の事も起こるべくして起こった事だ。

 まさか、自分で守ってきた鹿目さんを手に掛けようとするほど愚かだとは思ってもみなかったけれど、そう遠くない内に自分勝手な彼女が周囲を巻き込んで傷付ける事は何となく予想が付いていた。

 予知ではなく予感。女の勘と言ってもいい。まー君が彼女を選ばなかったのは本当に正解だった。

 彼女は邪悪だ。私と同じ愛する人をその好意で傷付ける邪悪。

 何故、暁美ほむらはそれを理解してできなかったのだろう?

 分かっていれば、身を引くべきだと、その想いは押し隠すものだと思うはずだ。

 私たちは(・・・・)まー君にその恋をする権利もないのだと。

 

 家から出た私は物陰で魔法少女の衣装に変身して、水晶球を傍らに召喚する。

 そこには暁美ほむらが私の家に近所を走る映像が映った。背景の明るさから見て、それほどそう先の時刻ではない。恐らく、一時間……いや三十分以内の未来だ。

 彼女は鹿目さんを殺しにこちらにやって来る。

 そちらがそのつもりなら、私も容赦はしない。私も彼女と同じ種類の悪人だ。

 まー君の幸せを踏み(にじ)る気なら、殺してでも阻止してみせる。

 そう考えた時に嘲るの感情が頬を吊り上げた。

 鹿目さんを守ろうとした暁美ほむらが今度はその彼女を殺そうとし、逆に彼女を殺そうと画策した私がその命を守ろうとしている。

 何という皮肉なのだろうか。まるでそっくり立場が入れ替わってしまったようだ。

 

 *

 

 私が予知に見た場所に暁美ほむらが現れた。

 近くのビルの上から見ていた私は、彼女のすぐ真下に設置しておいた水晶球を爆発させる。

 その数、二十。足元のマンホールの下に隠しておいた水晶球が魔力を放ちながら弾け飛ぶ。

 ――殺せる。

 そう思ったのは脇にある水晶球に暁美ほむらの無傷の映像が映る前の短い間だった。

 ひしゃげて原形を留められなくなったマンホールの残骸が吹き飛んで、跳ね上がり、地面を転がる。

 縁の部分が砕け、コンクリート片がばらばらと散らばった。

 眼下を見下ろしていた私は予知の光景に従い、その場から飛び退く。

 私が居た場所は無数の弾丸で穿(うが)たれ、コンクリートの床には弾痕が刻まれた。

 

「随分な事をするのね。美国織莉子」

 

 笑みすら浮かべた暁美ほむらは傷一つなく、とんと靴音を立てて、優雅にビルの屋上に降り立つ。

 魔法により爆発する寸前に時間を止め、私の攻撃を回避したのだろうが、あまりにも手腕が鮮やか過ぎる。

 とっさのタイミングで時を止め、なおかつ、私の居場所を特定するなんて、常に警戒していないとできる芸当ではない。

 

「……随分な事? それは貴女のやろうとしている事でしょう? 暁美さん」

 

「政夫がおかしいと思っていたけれどやっぱり貴女が教えたのね。これだから未来視の魔法は厄介なのよ」

 

 まー君の反応から、私に目的を知られている事を予想していたようだ。泳がせて真意を知るつもりが、逆に泳がされていたらしい。

 

「優しい政夫の事だから、私が心変わりした時に帰る場所を失わないように、他の皆には口外しないようにしておいたんでしょう? それにマミや杏子だけならまだしも、さやかや呉キリカまで何も知らない演技をしていたとは思えない。障害になるのは美国織莉子、貴女だけと考えていたわ」

 

 にやりと口角を上げる暁美ほむら。

 想像以上に冷静に周囲を観察していた事に背筋が凍る。

 彼女は嫉妬や逆恨みによる一時的に魔が差した訳ではなく、計画的に鹿目さんを殺そうとしていたのだ。

 予想以上に狂気に私は吐き気を抑える。こんな人間が一時でもまー君の傍に居た事に嫌悪感を感じた。

 

「まー君の優しささえ踏み躙って貴女は何がしたいの? 鹿目さんの命を奪っても、あの子は貴女なんかに振り向かないわ。いえ、それどころか……」

 

「憎まれる、でしょうね。私の事以外誰も目に入らなくなる」

 

 粘性のある歪んだ感情が彼女の瞳を通して私にも届く。

 自分の認識が甘かった事を思い知らされた。今、目の前に居る人間は邪悪など言う言葉では生温い。

 暁美ほむらはまー君の思考を自分で埋め尽くすためだけに鹿目さんを殺そうとしている。かつては自分が命を懸けて守ろうとした友達を……たったそれだけのために。

 もうまともな人間の思考回路とは完全に解離した、異質なおぞましい考えに指先が震えた。

 

「貴女は……そこまでまー君に執着しているのね」

 

「執着? 違うわ、美国織莉子」

 

 蔑むような視線を私に向け、首を横に振る。

 

「これは――『愛』よ……」

 

 艶然と微笑を(たた)え、宣言する彼女を見て、私は確信した。

 この女は何があろうともここで殺さなければいけない。絶対にまー君や鹿目さんに近付けてはいけない。

 

「そんな薄汚い感情が愛な訳がないでしょう! まー君たちにその狂った妄執を向けさせない!! ここで私が貴女を終わらせるわ!」

 

 私は声高に言い放つが、対する暁美ほむらは侮蔑するような目を向けて嘲笑った。

 

「貴女一人じゃ、私に勝てないわ。せめて呉キリカでも居れば話は変わったのでしょうけど」

 

 確かに不利有利で述べるなら、私の方が語るまでもなく圧倒的に不利だ。未来が見えたところで回避する事ができなければ何の意味もない。

 弾丸の軌道を予知しても、それを避ける術が私にはない。せいぜい、水晶球で防ぐ程度が関の山だ。

 しかし、それにしても彼女の方が戦闘経験に秀でていて、大した成果を上げられなかったのは前回の戦いで分かっている。

 勝算はない。返り討ちにされる可能性の方が高いだろう。

 それでも、構わない。

 やっと掴んだまー君の幸せをこんな奴に汚されて(たま)るものか。

 

「暁美さん。貴女に教えてあげるわ。本当の愛をね」

 

 何故なら、この世で誰よりもまー君を……夕田政夫を愛しているのは他ならない私なのだから。

 




凄いですね、ほむら。これでも彼女、本編ではメインヒロインだったんですよ?
R18の小説の方で『ほむら√アフター』を書いてしまうほど、ヒロインしていたんですよ?
なのにこのifルートではこの扱い。完全に敵側の存在ではないですか。

ちなみに政夫が二人とも選べばこんな事にはなりませんでした。
ほむらもここまで固執する事なく、「他の子ならまだしもまどかなら……」という感じに受け入れていたと思います。
要約するとこの事件は政夫の頭が固いせいで起きた事です。多分。


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第百二話 最後の一手

つい続きを考えてしまい、書いてしまいました……。


~織莉子視点~

 

 

 

 この世の全てに期待していない、ぞっとするほど荒み切った目をしている陰鬱な男の子。

 それが私が初めて、まー君を一目見て抱いた感想だった。

 お父様の友人の家に遊びに来ていた私は、そこであの子に出会った。

 私より一歳年下の八歳の男の子。お父様の友人の息子さん。名前だけは聞いていたが、姿を見るのはその時が初めてだった。

 彼は言葉すら掛けるのに躊躇していまうほど暗く、他者との繋がりを完全に拒絶していた。

 私の方からもできれば近付きたくなかったけれど、彼の父親の夕田満さんからも頼まれ、渋々と話かけようとした。

 

『ねえ……ひっ……』

 

 声を掛けようとしたが、俯いていた顔が上がり、その瞳が私の方に向いた瞬間、小さな悲鳴を上げてしまった。

 人形のよりも生気が欠けているのに、無機物には出せない絶望の色だけが生々しく塗りたくられた濁った目。

 自分に向けられたその視線は私が九歳の私が知り得ないような暗い感情を凝縮したものだった。

 逃げ出したいと思った。この眼差しをこれ以上向けられてはいたくなかった。

 けれど、他人を救うようなお父様のような人間に憧れていた私はそんな見っともない姿は晒したくないと、心を奮い立たせて彼の目を見返した。

 ぼんやりと虚ろな表情をしていた彼は私を見て一言呟いた。

 

『おばあちゃんみたい……』

 

 その言葉を聞いた私は烈火の如く、彼に怒り狂い、文句言った事をよく覚えている。

 亡きお母様譲りの白髪は私の誇りだった。それを老婆のようだと侮辱され、耐えられるはずもなかった。

 しかし、それを皮切りにお母様の事を話したおかげで彼と打ち解ける事ができた。

 お互いに幼くして母親を失っているという共通点もあり、会話はそれなりに弾んだ。私は彼の事を「まー君」と呼び、彼は私を「おねえちゃん」と呼んで慕ってくれた。

 まー君は私が思っていた人物像とは違い、穏やかで優しい子だった。ただ辛い事が原因で心をボロボロにされてしまったのだと知った。

 詳しい事は語ってくれなかったが、酷い仕打ちを周囲の人から受けたという事は会話の節々から伝わってきた。

 悲痛な気持ちになり、私はまー君を抱き締めた。ずっとその苦しみを抑えていた彼は私の胸で声を上げて涙をこぼした。

 

「まー君。どれだけ辛くても、家族や友達を、自分の周囲の人を大切にしてみて。きっとその事がまー君を幸せにしてくれるから……」

 

 私は腕の中に居る彼にそう言って、慰めた。

 そして、同時に心の中で静かに誓ったこの子がこれ以上苦しむ事のない、そんな世界を作れる人間になろう、と。

 お父様の選挙の事もあり、それ以降は会う事はできなかったけれど、私は自分をより一層他人を救える強い人間であろうと努力するようになった。

 その結果がお父様の威光でしか見てもらえない張りぼてのような人間だったのは笑い(ぐさ)だったが。

 

 再会した時のまー君は印象ががらりと分かっていて一目では気付く事ができなかった。

 気弱そうだった顔も凛々しく引き締まり、身長は私を優に超えて、飄々とした雰囲気を纏わせたあの子は私以上に自分を鍛え上げた事が見ているだけで伝わってきた。

 口も上手くなり、度胸もついて、年下とは思えないほど立派に成長していた。

 何より、昔よりもずっと優しい子に育った。

 それが私の残したあの言葉を頼りにしたものだと知った時には嬉しさと恥ずかしさがない交ぜになった感情が生まれた。

 そして、そんな彼を見ている内に『弟』ではなく、『異性』として眼差しを向けている自分に気付いて動揺した。

 強く立派に成長したまー君を想うと胸が熱くなる。容姿を褒められると舞い上がってしまいそうになる。

 間違いなくこの感情は恋愛感情だと理解したのは、鹿目さんがまー君の唇を奪った時だった。突き放した彼の態度に平然と足を踏み入れた鹿目さんに私は内心で嫉妬の炎を燃やした。

 だからこそ、気付いた。

 この世界で最も大事な人が苦しみから救われた時に嫉妬をするような人間が彼の隣に並べる訳がないと。

 自分の感情を優先するような浅ましい女はあの子に相応しくないと。

 鹿目さんなら私よりもずっとまー君を幸せにできる。そう思って静かに彼を諦めた。

 それが正しい最良の選択だと思ったから。本当に愛しているなら、自分よりも相手を優先すべきだと信じたから。

 

 しかし、暁美ほむらはそれができなかった。あの子が自分の隣に居てくれない事実を受け止められなかった。

 そして、我が侭で身勝手で自己中心的なおぞましいその感情を『愛』と呼び、まー君のようやく掴んだ幸せを壊そうとしている。

 絶対に認められない。断じて私が赦さない。

 この世界で一番愛する私の彼から幸せを奪おうとするのなら、命に代えても殺してみせる!

 

 *

 

 私は動きながら、水晶球を出現させては高速で撃ち出して行く。

 目的は暁美ほむらではなく周囲に弾幕を張り、こちらの姿を隠し、常に爆発した状態を維持する事で光と水晶球の破片を空間に留める。

 私なりの付け焼け刃の時間停止対策だ。

 一度、時を止めた世界を見せてもらった事があるので知ったが、時間が止まってもそこで発生した光は色こそ反転するが眩さ自体は失わない。

 こうする事で隙を与えず、また轟音でこちらの位置を気取られないように移動する事ができる。逆にこちらは未来視を使い、向こうの動きを知る事ができる。

 けれど、そのための魔力の消費は馬鹿にならない上に決定打を与える事ができないという欠点がある。

 こちらの水晶球を彼女に押し当てる事に成功すれば、時間停止の魔法を封じられるのだが、それを見越して接近せずにビルとビルの間を最低限の時間停止で跳ねるようにして、時たま銃を放ってくるだけだ。

 明らかに私がソウルジェムを濁らせて、魔女になる事を狙っている節がある。

 加えて、ここが街中と言う事もあり、下には消防車や警察が押し掛けてくるのも時間の問題だ。

 長期決戦は私に対してあまりにも分が悪すぎる。

 そうかと言って弾幕を止めれば、すぐさま時間停止の餌食になるだろう。

 一層の事、魔女になる事で暁美ほむらを葬ろうかとすら考えるが、それでも時間停止を抜けられるかが疑問だ。

 確実にここで仕留めなければいけない以上、おいそれと玉砕攻撃にも移れない。

 そう、確実に……。でなければ……。まー君が……。

 首元に付いたソウルジェムを見る。パールホワイトだった色は大半が濁った黒で覆われていた。

 時間はもう残り少ない。生み出せる水晶球の大きさが最初と比べて一回り以上小さくなっている。地面を敷き詰める水晶の残骸に反比例して私の魔力は減り続けている。

 弾幕は薄れ、消えていく。もう未来視に割り裂く魔力もない。

 あと一撃。それが私に残された最後の一手だ。

 

「政夫を愛していると語った割りに大した事ないのね……」

 

 閃光と煙のカーテンが晴れ、現れた暁美ほむらは水晶球の破片を音を立てて近付いてくる。その衣装はところどころ破れ、白い肌と裂傷を見せていた。

 あれだけの攻撃は致命傷に至らなかったとは言え、彼女にダメージを与える事には成功していた。

 嘲りの笑みを浮かべているものの彼女には最初の時ほど余裕は感じられない。やせ我慢をしているのはお互い様だ。

 いや、避けに徹していたが、あれだけの猛攻を受けて、そうして立っている事自体異常だ。まー君への気の触れたような執着心のなせる業なのか。

 けれど、私はそれを『愛』と呼んであげるつもりは欠片もない。

 

「強がりね。貴女の今の格好を見れば分かるわ。結局、暁美さんの『愛』なんて口先だけの身勝手な妄執よ」

 

「言ってくれるわね、美国織莉子。ソウルジェムは大分穢れている。魔力ももうろくに残っていないのが一目瞭然よ。……そして」

 

 サブマシンガンを持った手の反対の腕で、手首の楯からからマガジンを取り出して換装する。

 

「――貴女を守るものはなくなった。ここで終わるのは貴女の方だったわね」

 

 自分の手の甲で口元を拭うようにして、私に侮蔑の笑みを投げ掛ける。追い込んだ鼠を前に毛繕いをする猫のように映った。

 しかし、退かされた手の下の口は真一文字に引き締められており、歪んだ笑みは跡形も残っていなかった。

 向こうもこれで決める目算なのだ。

 銃口は私を逃さないようにしっかりと向けられ、銃身の下に左手を添えて、右手の指を引き金に掛ける。

 万事休す。王手詰み。

 抵抗のできない私に凶弾が放たれる数秒前。

 

 ――今だ……!

 

 水晶球の破片で作られた絨毯(じゅうたん)の下から、暁美ほむらの左手の甲を狙い、一際小さな水晶球が飛び出した。

 

「……!」

 

 彼女もそれに気付くが遅い、時間を止める暇さえも与えない。

 左手の甲、即ち暁美ほむらのソウルジェムが付いた箇所に水晶球を爆発させる。あの位置ならば確実にソウルジェムを砕いたはずだ。

 このために魔力が完全に力尽きたように装ったのだ。最後の最後で油断を誘発させるためだけに。

 持っていたサブマシンガンが床に転がり、左手を砕けた破片と共に血に汚して、暁美ほむらは表情を(しか)める。

 私は安堵の表情を作ろうとして、違和感を感じた。

 ――表情を顰める……?

 魔法少女はソウルジェムを砕かれれば即座に死に至るはずだ。痛みなど感じる時間などある訳がない。

 逆転したと思った私は理解不能な状況に思考を停止させられる。

 その間に右手で左手首に付いた楯から拳銃を取り出していた暁美ほむらが私に弾丸を放つ。

 抉れた左手の甲ばかりに目を奪われていた私はそれに避ける事もできず、身体に無数の鉛弾を埋め込まれた。

 前のめりで倒れ込む身体に現実感を感じられず、仕留めたはずの彼女が生きているという事実に理解が追い着かなかった。

 

「がっふ…………なんで、確かに……私は……」

 

 這い(つくば)り、暁美ほむらの顔を見上げる。

 彼女は自分の口から紫色の尖った物体を僅かにちらつかせた。

 それは彼女の左手の甲に付いていたソウルジェムだった。

 

「ま、さか……」

 

 あの口元を拭った時にソウルジェムを口の中に移していたというのか……。

 暁美ほむらは油断していたどころか、あそこでさらに慎重になっていた。私に対して一切の隙を見せず、対策を取っていた。

 もうこの女には勝つ事など不可能だ。

 それを認識した時、絶望が私の心を包み込む。だが、同時にせめて魔女になってでも、目の前の怨敵を殺さなければならないと誓った。

 魔女になる事を渇望した魔法少女などきっと私ただ一人だろう。

 暁美ほむらは拳銃を楯に戻すと私に近寄ってくる。自分の血だらけの左手など気にも留めずに一歩一歩歩いてきた。

 止めて。まだ来ないで。このままでは魔女化する前にソウルジェムを割られてしまう。

 早く、魔女に……殺される前に魔女にならなくてはいけないのに……。

 無常にも私に傍に来た彼女は動く体力もない私の首からソウルジェムを引き千切る。

 これだけ絶望に駆られても魔女になれなかった私に心底失望した。

 不甲斐なさに涙が滲む。

 ごめんね、まー君。私は貴方の幸せ……護れなかった。

 暁美ほむらは私のソウルジェムを握った手で、再び楯に手を近付けるとグリーフシードを取り出した。

 口に咥えていて唾液に塗れた己のソウルジェムを取り出すとそれを浄化した。

 そして、あり得ない事に私のソウルジェムまでも浄化し始める。

 

「……な、何故? 私のソウルジェムまで……」

 

 さっきのトリックよりもよほど理解を超える行動に私は目を奪われた。

 

「魔女になっては困るからよ。貴女は大事な大事な人質なんだから」

 

「人、質……そんな……」

 

 最悪だった。

 彼女は私をまー君に対する人質にする気なのだ。

 ソウルジェムさえ無事なら魔法少女は死なない。逆に言えばソウルジェム一つで私たちは簡単に命を落とす。

 この女は最初から私を殺さず、生きて捕らえるつもりだったのだ。

 駄目だ。それだけはまー君の足枷にだけはなりたくなかった。

 けれど、暁美ほむらはそれを許さない。

 浄化された私のソウルジェムを弄びながら、禍々しい笑みを口元に湛える。

 

「待っていて、まどか。私が貴女を――」

 

 殺すから――そう彼女は言う。それはとても甘い聞いた事もない陶酔した声だった。

 




今回は織莉子メインの話でした。
一番政夫の事を理解していたのはまどかですが、一番政夫の事を愛していたのは織莉子かニュゥべえのような気がします。
素直に政夫に愛を向けるには……少し遅すぎたのでしょう。

ともあれ、織莉子が生き残ってよかったですね。本人的には人質にされるくらいなら死んだ方がマシだったでしょうが。


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第百三話 残された手札

 織莉子姉さんの家の応接間に僕は一人用のソファに腰掛けて、待っていた。

 傍にあったドアが乱暴に開かれ、暁美が姿を現す。僕を見て、彼女は静かに問いかけた。

 

「……政夫、まどかはどこ?」

 

「素直に教えると思う?」

 

 目の前のガラス張りのサイドテーブルに置いてあったティーカップを手に取り、紅茶を一口含む。

 しばしの間、両者無言になり、部屋は緊迫した雰囲気に包まれた。

 先に沈黙を破ったのは暁美の方だった。

 

「美国織莉子を殺したわ」

 

「ダウト。場のペースを握ろうとしているのがバレバレの見え透いた嘘だね」

 

 暁美には目も向けず、座ったままでそう言った。

 対面するソファ歩いて行き、腰掛けた暁美は僕に尋ねる。

 

「何故そう言い切れるの? 私にまだ良心が残っているとでも思っているのかしら?」

 

「いいや。僕は今の君の冷静な狂気を信用しているだけだよ。織莉子姉さんを殺すなら確実に僕の目の前でやるはずだ。だって、目に付くところで殺した方が一層僕に憎悪を抱かせやすくなるからね……そうだろう? ほむらさん」

 

 暁美の目を睨み付けるように視線をぶつけると、彼女は嬉しそうに頬を綻ばせた。

 その笑みの理由さえ、今の僕には手に取るように分かった。

 嬉しいのだ。自分のことを僕が理解してくれていることが。

 思えば、ずっと暁美は他人に自分のことを理解してもらいたがっていた。最初に出会った時から心の奥底では共感されることを望んでいた。

 今もそれは変わらない。自分の狂気に歪んだ想いを僕に押し付けるためだけに壮大な茶番を繰り広げている。

 

「やっぱり政夫は私の事を一番理解してくれているのね。ええ、美国織莉子は殺していないわ。まだちゃんとここに持っている」

 

 そう言って、サイドテーブルの上にパールホワイトのソウルジェムを置いた。紛れもなく織莉子姉さんのものだ。色合いも正常で濁っている様子もない。

 内心で安心した後、再び暁美に視線を戻す。

 すると、彼女は意図を察したように腕に付いた円形の楯を軽く叩いた。

 

「身体の方も大事に保管してあるから安心して。この楯の中では時間が止まっているから肉体が腐敗する恐れはないわ」

 

「返せ、と言っても返してくれはしないんだろう?」

 

「大事な人質よ。そう簡単には渡せないわ。……ただ、まどかを差し出してくれるというなら話は別だけど」

 

 楯の中から拳銃を取り出して、織莉子姉さんのソウルジェムに銃口を向ける。

 手馴れた手付きだ。仲良くなっていた相手の命に脅かしていると言うのにまるで良心の呵責を感じさせない。

 僕が頷かなければ撃つかもしれない、そう思わせるには十分なそぶりだった。

 

「とんだクソ女になったね、ほむらさん。今の君はインキュベーター以下の畜生だ」

 

「自覚はあるから心配しないで。でもね、政夫。私をこんな風にしたのは間違いなく貴方よ? あれだけ私に与えてくれたせいで貴方に依存してしまった。もう元には戻れないほどにね」

 

 濁った暁美のその瞳は穢れたソウルジェムを彷彿とさせた。だが、実際の彼女のソウルジェムは濁ってはいないのだろう。

 吹っ切れた態度は前よりもどこか楽しそうにすら見える。それだけが僕が追い込んでしまったということか。

 

「なら、取り引きだ。僕の全てをあげる。髪の毛の先から爪先まで全部だ。煮るなり焼くなりは自由にしていい。……だから、この馬鹿げた茶番を即刻止めろ」

 

 睨み付けていた眼光をより強めて、暁美に詰め寄る。

 だが、彼女はそれに応じようとはしなかった。

 

「嬉しい申し出だけど、それは駄目よ。それじゃ、貴方の心にはまどかが居るわ。私は政夫に一番想われていたいだけよ。憎しみでいいから政夫の思考を私で満たしたいの」

 

 歪んだ好意を見せて彼女は笑った。それは見たくない笑顔だった。

 もう彼女は僕の言葉の届かない場所に行ってしまったことを裏付けるような、少なくとも僕には醜悪にしか見えない代物だった。

 その笑みが説得など無意味だと物語っている。

 思わず、僕は歯噛みをした。

 そして、ポケットに手を入れて、そこからカッターを取り出した。

 刃を押し出してみせると暁美はそれを嘲笑った。

 

「まさか、それで私に立ち向かうなんて言わないわよね?」

 

「ああ、言わないよ」

 

 僕はカッターの刃を自分の手首に滑らせる。真っ赤な血が傷口から流れ出した。

 

「なっ……!」

 

 貼り付けていた笑みが砕け、驚愕と焦りの表情になった暁美は僕を硬直する。

 その致命的な隙に手首から流れ落ちる血液を暁美の大きき開いた瞳に手を振って飛ばす。

 意表を突いたおかげで血の目潰しは見事に彼女の視界を奪った。

 魔法少女であろうとも人間の反射的行動には逆らえないようで両目の血を拭うために手を顔に寄せる。

 その瞬間、カッターを投げ捨てて、テーブルにあった織莉子姉さんのソウルジェムをポケットに入れ、確保すると暁美を突き飛ばして押し倒した。

 

「くっ、この……!」

 

 暁美はその際に銃の引き金を引くが、弾丸はテーブルの上に置かれていたティーポットを砕いて、中身の紅茶をぶち撒けただけに済んだ。

 今もポタポタと血を流す腕を無視して、柔道の押さえ込みの要領で暁美を床に固定させる。仰向けの相手の胴に両脚でまたいで馬乗りの状態から更に胸を密着させて抑え込む、いわゆる『縦四方固(たてしほうがため)』と呼ばれる柔道の固技(かためわざ)の一つだ。

 僕の片方の腕を暁美の首の後ろに、もう片方を暁美の脇の下に回し、首の後ろでしっかりと組み、抱きつくような体勢で上半身の身動きを固めた。

 上体をしっかりと固定させると、必然的に暁美の顔が横向きになり、一層に逃げにくくなる。さらに、自分の両足を相手の足の下で組み、暁美の下半身も抑え込み、完全に外せないようにした。

 魔法少女は筋力においても常人より上だが、人体の構造上重心が定まらなければ立ち上がることも不可能。これが決まれば自分よりも身体能力が高くとも脱出はできない。

 昔取った杵柄という奴だ。こんなところで小学三年生の時に習っていた柔道が役に立つとは思いも寄らなかったが。

 

「僕がただの人間だからって油断したね。でも、これが全てだ。魔法少女だの何だの言っても僕如きにいいように翻弄される程度なんだよ。どれだけ粋がっても君は僕と同じ中学生の子供だ」

 

 怒りを含んだ声に横を向いた状態の暁美の耳元へ響かせる。

 

「さっき巴さんたちとも連絡が付いた。あと十分もせずに皆がこの家に集まる。交渉のカードとして織莉子姉さんのソウルジェムを使うつもりだったんだろうけど、もうそれも不可能。……王手詰み(チェックメイト)だ、ほむらさん」

 

 お前はもう何もできないから諦めろと言葉を投げ付けるが、暁美は無言で僕を横目で見る。その瞳は先ほどの余裕はないが、諦めの色は欠片もない。

 

「……流石ね。まさか、貴方一人でひっくり返されるとは思ってもみなかったわ。でも……詰めが甘いのはお互い様よ!」

 

 ゴッと音を立て、暁美の楯から何かがこぼれ落ち、一メートルほど僕らから遠くに床を転がった。

 反射的に僕はそちらに目を向けると、それは筒状の黒い物体だった。そ

 その直後、その筒状の物体から真っ白い煙が噴射され、僕と暁美を包み込む。息を止めるが、むせ返るような煙は鼻や口から瞬時に滑り込んでくる。

 催涙ガスだと気付いた時には、既に喉からは咳が、目からは涙が、止め処なく溢れてきた。

 極めつけは強烈な吐き気。胃の中の内容物を引きずり出されるかのような感覚に、拘束が緩んでしまう。

 暁美はその隙を狙い、僕を突き飛ばした。

 身体中の目や口の中に焼け付くような痛みを感じながらも、暁美を再度捕まえようとするが、正常に身体が動かない。

 乱暴にドアが開く音がした後、足音が遠ざかって行く。

 粘膜を焼く激痛と激しい嘔吐感に苛まれながらも、ふらつく足取りで僕は暁美を追った。

 呼吸をする度に咳が出て、眼球からは涙が止まらず、走ることができない。

 だが、ふらつく原因は催涙ガスだけではない。さっきから流れる手首から出血も眩暈を引き起こす原因になっていた。

 意表を突くためとはいえ、高い代償だったと言える。

 一旦、煙が充満する部屋を閉めて、ドアに背を預けた。ポケットから前もって用意しておいた包帯とガーゼを取り出して傷口に突けて止血をする。

 あそこで押さえ付けられなかったのは痛いが、織莉子姉さんのソウルジェムは無事取り返すことができた。

 あと数分で皆も集まってくれば、暁美を捕まえることはそうそう難しいことではない。

 問題は、その間に僕がまどかさんを守りきれるかどうかにかかっている。

 取り合えず、まどかさんを隠している場所に暁美を辿り着かせないようにしなければ……。

 催涙ガスのダメージの残る身体で僕は暁美を追った。

 

 *

 

 まどかさんは奥の織莉子姉さんのお父さんの久臣さんの部屋に匿っている。

 その部屋の壁の中に隠し部屋があることを織莉子姉さんからまどかさんが聞いていたのでそこに隠れていてもらっている。

 恐らく、納税申告を誤魔化すためのお金の隠し場所として使っていたようだが、人を隠すにはちょうど良かった。

 トイレで一度胃の中のものを全て吐き出して、吐き気も最高潮から徐々に下がっていき始めた時、暁美を背を追いかけていた僕は彼女がその久臣さんの部屋に侵入するのを見た。

 あの短時間で広いこの家の部屋を全て調べたとは思えないので、多分当たりを付けての行動だろうが、嫌なほどピンポイントだった。

 これが一人で戦ってきた彼女の魔法少女としての勘だろうか。

 すぐに僕も久臣さんの部屋へと乗り込む。

 部屋の中に立つ暁美の顔には涙の後もなく、催涙ガスのダメージは少しも見られなかった。

 僕を振り返ると、暁美は尋ねた。

 

「ここにまどかを隠しているわね?」

 

 僕の反応を伺い見るように観察するその目に一目で、こちらにカマを掛けているのが分かった。

 だが、心理戦を僕に持ちかけるのはあからさまに無意味だ。

 

「そう思うなら探してみれば?」

 

「ええ。そうさせてもらうわ」

 

 すると、サブマシンガンを楯から取り出して、部屋の中で乱射した。壁にいくつもの穴が穿たれ、多少の置かれていた調度品の類が砕け散り、宙に舞う。

 僕は予想だにしなかった派手な行動に息を呑む。

 銃声がぴたりと止むと、ぱらぱらと崩れていく壁の破片が床に置いていくのが見えた。

 そして、壁の塗装が剥げ落ち、ある一部の場所だけ壁の材質が異なることが露見する。

 そこは大きなクローゼットの後ろにある壁だった。

 

「見つけたわ。ここね」

 

 壊れて粗大ゴミと化したクローゼットを暁美は蹴って退かすと、隠し部屋へのドアを見つけ出した。

 まずい。暁美を止めないと……。まどかさんが危険に晒される。

 僕は暁美が隠し部屋への侵入を阻止すべく、駆け出すが彼女の行動の方がずっと早かった。

 暁美は走り寄る僕を一瞥した後、また退廃的な笑みを浮かべて、手の甲にある砂時計の付いた楯に触れる。

 

「……次に会う時は政夫は私の事以外考えられなくなっているわね」

 

 止めろ――そう声も上げる間もなく、ガチャリと砂時計のギミックが音を立てた。

 

 **

 

~ほむら視点~

 

 

 時間を停止させて、制止の声でも上げようとしていた政夫が途中で硬直する。

 苦しかったループする時の迷宮の中で私に幸せを与えてくれた愛しい彼。皮肉屋で、意地悪なところもあるけれど、誰よりも優しくて温かかった。何より、誰にも理解されないと思っていた私を理解してくれた。

 まどかという道標以上に大切になっていた私の恩人。

 私の誰よりも……誰よりも大切な人。

 でも、彼の中にはまどかが居る。まどかと共に居た彼は私と一緒に居た時よりもずっと幸せそうだった。

 悔しかったが、同時に納得ができた。

 私は、私の都合でしか政夫を見れなかったけれど、まどかは彼の弱いところまで理解した上で想いを告白した。

 まどかの方が相応しいのは思考では理解できる。けれど、感情では受け入れることなど到底できなかった。

 だから、せめて……政夫の心に私を刻み付けたい。決して、消えない私の跡を。

 ――そのためにまどかには犠牲になってもらう。

 

 引き戸になっている扉を開けて、隠していた部屋の中に入る。

 そこには怯えた表情で固まっているまどかが座っていた。

 壁は分厚かったので弾丸こそ突き抜けてはいなかったが、ここにも銃声は響いただろうからそのせいだろう。

 私はマミたちが来た時のためにサブマシンガンは楯に戻し、代わりに拳銃を取り出した。

 停止したまどかの姿を眺めながら、その拳銃を向ける。

 不思議な感覚だった。今まで、まどかを守るために戦ってきたというのに、こうやって自分がまどかを殺そうとする日がやってくるなんて……。

 そして、自分がそれに対して何の抵抗も躊躇も感じていないことに気付いてさらに驚いた。

 

「結局、まどかに対する私の執着は絶望しないための……仮初の希望でしかなかったのね」

 

 思い返せば、私がインキュベーターと契約をした時の台詞が全てを語っていた。

 『私は鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい』。

 あそこでまどかの蘇生ではなく、出会いをやり直したいと願った。

 つまりは満足がほしかっただけ。他人に守られていた自分から脱却がしたかっただけ。

 本当にまどかの事を大切に思っていたのなら、『次』があるなんて思う訳がない。

 

「ごめんね、『まどか』。……私、貴女のことを友達として見ていなかったみたい」

 

 目の前に居るまどかだけでなく、今まで見殺しにしてしまった全ての『まどか』に謝った。

 罪悪感はあった。けれど、昔感じた胸を焦がす後悔はもう私の中には存在していなかった。

 私の中で希望と同義だった『まどか』は政夫に恋をした途端に陳腐化してしまっていた。

 きっと、まどかを殺しても私の心は痛まない。そんな確信めいた思いだけが胸の中にあった。

 大切な親友だと思い込んでいた相手に向けた引き金は軽かった。

 放たれた弾丸はまどかの左胸に吸い込まれるように飛んで行き、空中で停止する。

 そして、楯に付いた砂時計を弄り、時間の流れを元にも戻した。

 

 ***

 

 目の前に暁美が居なかった。代わりに空け放たれたドアだけが取り残されている。

 時間を止められたと察しつつも、僕は部屋の中へと急いで走っていく。

 そこに居たのは、拳銃を構えた暁美と、奥の壁に背中を預けるようにして座っているまどかさん。

 双方共に驚愕に彩られた表情をしていた。

 まどかさんの着ている制服の上着から起立した白い二本の触腕。それが放たれたと思わしき弾丸を摘まむように受け止めている。

 

「やっぱり切り札(ジョーカー)を備えておいてよかったよ」

 

 僕の声に答えたのはまどかさんでも、暁美でもない第三の声だった。

 

「まどかの服に擬態しておいて、なんて難しい注文だったけどね」

 

 まどかさんの着ていた制服の上着がぐにゃぐにゃと形状を変えて、一人の少女の姿へと変化した。

 白い髪の中間にリング状の飾りの付いたツインテール、真っ赤なルビーのような瞳、小動物のような口元のその少女の名は――。

 

「本当にありがとう。ニュゥべえ(・・・・)

 

 僕が持つ最大の戦力にして、最高の相棒。元インキュベーターのニュゥべえだった。

 




今まで出なかったニュゥべえが最高にいいタイミングで登場しました。
ニュゥべえってヒロイン的な立ち位置には立てませんが、誰よりも頼れる女の子ですよね。
まどかルートでもほむらルートでも輝いています。

まあ、ニュゥべえルートはないんですけど……。


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第百四話 政夫、死す

「……やってくれるわね、政夫」

 

 暁美はニュゥべえを睨み付けながら、後ろに居る僕へと言葉を放った。

 緊迫した状況に息苦しささえ覚えるが、それを打ち破るようにまどかさんが制服の上着から変化したニュゥべえに話しかける。

 

「え……? あなた、ニュゥべえなの?」

 

「この姿で君の前に姿を現すのは初めてだったね、まどか。そうだよ、ボクはニュゥべえだよ」

 

「でも、その格好、まるで魔法少女みたい……」

 

「みたい、じゃなくて魔法少女なんだよ。まあ、詳しい説明はほむらさんを大人しくさせてからゆっくり話すよ」

 

 まどかさんにそう言ってから、僕はニュゥべえに目配せをする。

 彼女には昨日の夜の家からまどかさんの制服の上着に変身して待機してもらっていた。このことはまどかさんにはもちろん、織莉子姉さんにも秘密にしていた。

 いざと言う時の切り札として配置していたのが、功を奏した結果になった。

 ニュゥべえは僕の意図を汲み取り、小さく頷くと白いリボンを生み出して、暁美の手足を縛り上げる。ちょうど手首と足首を絡め取り、|磔《はりつけ)のように身体を大の字に固定した。

 そして、ニュゥべえは白い刀身の剣を生み出す。暁美に死なない程度に傷を負ってもらうためだ。

 彼女はもうまともではない。それに織莉子姉さんやまどかさんにしたことは許されない。

 ソウルジェムまで破壊する気はないが、ある程度衰弱させて完全に拘束をさせてもらうつもりだ。

 同情はしない。それほど暁美のやったことは責任が重いことだ。人を殺そうとしておいて、おいそれと許すほど僕は甘くはない。

 ニュゥべえの振るい上げた剣が両手を広げた暁美に袈裟懸けに振り下ろさせる。

 

「待って! ニュゥべえ! ほむらちゃんを……!」

 

 まどかさんの制止の声が言い終わる前に部屋には真っ赤な血飛沫(ちしぶき)が舞った。

 刀身は深々と胸に刺さっている。そこから潰れたトマトのように血液が滴っていた。

 物言わぬマネキンのように床に仰向けで横たわる一人の少女。

 ――だが、それは暁美ではなかった。

 身体に剣を付きたてられたのは白い髪の少女……織莉子姉さんだった。

 

「なっ……」

 

「ううっ……!?」

 

 一瞬の間、暁美の腕に付いた楯から織莉子姉さんの身体が飛び出したのだ。暁美以外の全ての人間が今起きている状況を処理することができず目を(みは)って硬直した。僕も思考がフリーズしかけたその時、まるで世界がスローモーションのようにゆっくりと映った。

 恐らくはこの状況下で脳内のアドレナリンが分泌されて思考速度が極限まで速められているのだろう。脳が急激な速度で回転を始める。

 自分のものとは思えないほどクリアになった頭が、ソウルジェムと切り離した織莉子姉さんの肉体のことを思い出す。

 そうだ。彼女は織莉子姉さんのソウルジェムだけでなく、肉体の方も保有していたのだ。その腕に付いた楯の中に。

 本来なら、暁美の身体をほんの少し切り裂くだけに終わっていたニュゥべえの剣は前に飛び出るように現れた織莉子姉さんの身体をとっさに貫いてしまった。

 そして、その織莉子姉さんの胸から飛び散った血はニュゥべえの目にべったりと付着している。

 血の目潰し。さっき僕が暁美にやったことと同じだ。違うのは自分の血ではなく、人の血を使ったこと。

 ニュゥべえが目に血を掛けられた怯み、拘束するリボンが緩んだ隙に暁美はまどかさんを撃つつもりなのだ。

 思考がさらに加速する。検索エンジンに単語を入れてEnterキーを入れたかのように、何をしなければしたらいいのかが分かる。

 僕は急いで入り口から、奥の壁際に居るまどかさんと暁美の射線に躍り出る。

 その際にポケットの中にあるホワイトパールカラーのソウルジェムを倒れている織莉子姉さんの身体の上に放った。これで織莉子姉さんの肉体とソウルジェムが再びリンクして目を覚ますはずだ。

 身体を捻って振り返るといつの間にか、暁美が銃を構えていた。その顔は驚愕の表情を浮かべている。暁美の手元までじっくり見る余裕なんてなかったが、多分織莉子姉さんを取り出した時に一緒に銃を出したのだろう。

 彼女の指は既に引き金を引いていた。

 ……引いていた(・・・・・)? ならば、弾丸はどこに……。

 ふと、自分の胸を見下ろす。見滝原の真っ白い制服はちょうど心臓付近に赤い染みを一つ作っていた。

 ああ、そうか……弾丸はもう僕の胸の中に……。

 気が付いた瞬間から意識が薄れていく。痛みはなかった。ただ耳の音が急速にくぐもり、視界がブラックアウトしていった。

 最後に聞いたのはまどかさんの泣き叫ぶ声だった。

 よかった。泣いているということはまどかさんは生きているということだ。織莉子姉さんの予知を変えることができた。

 必ず護るという約束も守れた。それだけで十分だ。

 その思考を境に、僕の意識は部屋の明かりのスイッチを切るようにあっさりと消えた。

 

 

~ほむら視点~

 

 

 これは嘘だ。何かの間違いだ。

 そうでなければ夢に決まっている。悪い夢だ。早く起きなくては。

 きっと、ベッドから起きたら消えてくれるはずだ。

 だって、だって……そうでなかったら、私が彼を殺してしまったという事が現実になってしまう。

 

「ま、さお……? うそよね? ねぇ……」

 

 胸元に真っ赤な染みを作って床に沈みこんでいる政夫に問いかける。

 自分が何を言っているのかもよく分からない。私が撃とうとしたのは彼ではなく、まどかだったはずだ。

 なのに何故、彼が撃たれているのか理解が追い着かない。

 

「政夫くん! 政夫くん、しっかりしてっ!!」

 

「政夫! 意識は……ない。最悪だ。出血も多い……」

 

 まどかとニュゥべえは私の事など見向きもしないで政夫に縋り付いて呼びかけている。

 私も傍に近付こうとして、足を動かした時、足首を唐突に掴まれた。

 下を見ると美国織莉子が鬼神のような形相で私を睨み付けていた。その手には政夫が持っていたはずの彼女のソウルジェムが握り締められている。

 何故、貴女が目を覚ましているなどと問う間もなく、美国織莉子は私に叫んだ。

 

「どうして! どうして、今あそこでまー君が倒れているの!? 答えなさい! 答えろっ!!」

 

 凝縮された彼女の憎悪と殺意に私に尋ねているのではなく、確信を持って責めているのだと一目で分かった。

 

「私は……ちがう。わたしは……」

 

 政夫を撃ったという事実は理性では分かっていたが、感情では認める事ができなかった。自分が起こしてしまった事実そのものを否定するために首を振る。

 意図せず涙が頬からこぼれ落ちた。情けなくも私は今泣き出していた。

 

「もういいっ! ……っ、ぐっうう!!」

 

 怒りすら向ける価値がないと判断したのか、私から目を離し、美国織莉子は胸に刺さった剣を引き抜く。

 刀身を赤く染めあげた剣を放り捨てて、未だ血の滴る傷口を押さえながら立ち上がって政夫の傍へと歩いて行った。

 私も彼女と一緒に政夫の傍に行こうとしたが、視界の端から現れた白い小動物に気が付いて動きを止めた。

 

「インキュベーター……」

 

『やあ。暁美ほむら。君のおかげで最高のタイミングで現れる事ができた。御礼を言うよ』

 

「何を、言って……」

 

『もう少し早く登場する事もできたんだけど、機を待って正解だったよ』

 

 そう言うとインキュベーターはするりと私の前を通りすぎて、まどかの方ににじり寄る。

 政夫の手を握り締めて泣いていたまどかはそれに気が付いて、顔をインキュベーターに向けた。

 

「……キュゥ、べえ」

 

『やあ、まどか。久しぶりだね。そっちの元同胞には改めて会うのはこれが初めてだね』

 

「……向こうへ行っててくれるかい。生憎と今は取り込み中なんだ」

 

 政夫を魔法で止血しようとしているニュゥべえは横目で不愉快そうにインキュベーターを追い払おうとする。

 しかし、インキュベーターはそれを小馬鹿にするかのように聞いてくる。

 

『いいのかい? このままじゃ政夫は助からないよ。この致命傷は魔法じゃ、どうにもならない。君だって元はインキュベーターなら分かるはずだ。今必要なのは奇跡だって事が』

 

 ニュゥべえは唇を噛み締めて何も言わなかったが、それこそがなにより肯定の証だった。

 

「鹿目さんが起こす軌跡なら、まー君を確実に救える……そう言いたいのね」

 

 インキュベーターに尋ねたのはまどかではなく、美国織莉子だった。

 

『もちろんだよ、織莉子。まどかの起こす奇跡なら何だって叶えられる。政夫の命を救う事くらい、簡単な事だよ』

 

 私と同じく、いや、私以上にまどかの契約を恐れていた美国織莉子はそれを聞くと口を(つぐ)んだ。そして、まどかに縋るような目を向ける。

 私もまどかを見つめた。

 彼女ならきっと政夫を救うために魔法少女になってくれるはずだ。

 あれほど拒絶して、まどかの契約を願う日が来るなんて思いもよらなかったが、今はそれ以外に頼りはなかった。

 

「まどか……お願い」

 

 どれだけ恥知らずだと言われようとも、私はまどかに頼るしかない。

 まどかは思い切ったようにインキュベーターに向かって頷いた。

 

「わかったよ。私はあなたと契約して、魔法少女に……」

 

「――駄目だ!」

 

 声を上げて否定したのはニュゥべえだった。

 まどかはニュゥべえに抗議するように名前を呼んだ。

 

「でも、ニュゥべえ……」

 

「それを認めたら、これまで政夫がやってきた事が全部無駄になる。それだけはさせられない」

 

『なら、どうするんだい? このまま政夫を見殺しにするのかい?』

 

 無表情と平坦な声で嫌らしく、ニュゥべえを追い詰めるようにインキュベーターは聞く。

 すると、ニュゥべえはそれに首を振って答えた。

 

「そんな事はいないよ。……ボクだってインキュベーターだったんだ。一か八か、やって見せる」

 

 ニュゥべえは白いツインテールの穂先を横たわる政夫の胸の中にゆっくりと沈めていく。

 その光景に私は見覚えがあった。インキュベーターが魔法少女の胸からソウルジェムを作り出す製造工程。

 

『無理だよ。精神的に成熟しかけている政夫には魔力はほとんどない。それに何より、意識のない政夫には願い事を言う事ができない』

 

 ニュゥべえはそれに対して何も言わない。きっと、インキュベーターの言い分は間違いではないからだ。

 彼女は額に汗を浮かび上がらせて、集中して政夫のソウルジェムを作り出そうとしている。

 

『可能性はゼロに近いね。仮に魂を肉体から分離させる事ができたとしてもソウルジェムを形成できるかは天文学的数字だよ。まどか、いいのかい? 政夫がこのまま死ぬ確立の方がずっと高いんだよ?』

 

「それは……」

 

「まどか。ボクを信じて……。必ず、政夫を助けてみせるから……」

 

 皮肉な光景だった。あれほどまどかを魔法少女にする事を阻止していた私が今ではそれを肯定し、まどかを魔法少女にしようとしていた元インキュベーターがそれを否定する。

 まるで立場が逆転してしまった。

 けれど、それに対してもう何も感じる事もできない。

 今の私に大切なのは……目を覚ましてくれない政夫だけ。それ以外はどうでもよかった。

 もしも、ニュゥべえが政夫を助けられなかったら、まどかを攫ってでもインキュベターと契約させて政夫を救ってみせる。

 私は無言で手の中の拳銃のグリップを強く握り締めた。

 




ふう。無事宣言通り、政夫を殺害できて安心しております。
やはり政夫は不幸系な感じが気に入ってるので、ほむらルートで死ななかったのが心残りですが、こうやって機会が回ってきてよかったです。
政夫に毎回爆発しろと言っていた方も、これを見て溜飲が下げて頂けたのなら嬉しいです。

次回、ショウさん、上条君、スターリン君の視点を予想しています。
ちなみにスターリン君を主役にした『インフィニット・スターリン?』が特別コラボでnavahoさんが書いてくれているので興味がある方は一読どうぞ!


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第百五話 儚い人

~上条恭介視点~

 

 

 

 僕は発表会に出るために課題曲の『アヴェ・マリア』を奏でていた手を止める。

 瞑っていた目を開けると窓から見える景色は夕暮れになっていた。学校から帰ってからずっと休みなしでバイオリンを弾いていたせいで時間の感覚がずれてしまったようだ。

 一度集中を切ると急激に疲れが出てきて机の上にバイオリンと弓を置いて、椅子に腰掛けた。

 左腕に怪我をして入院以来体力が落ちてしまったのを感じる。リハビリこそしていたが、やはり一日の大半をベッドで過ごしているとどうしてもそうなってしまうのだろう。

 部屋の窓から見える沈み行く夕日をぼうっと見つめていると、ふと一人の友人の事を思い出した。

 夕田政夫。彼と出合った時もこんな夕暮れ時だった。

 社交的で話しやすい感じがしたが、どこか大人びていて落ち着いた物腰のクラスメイト。

 左手が動かなくなった事について思い切り弱音を吐いたのは家族以外では彼だけだった。さやかの持ってくるバイオリンのCDが苦痛になっていた事を話したのも彼だけ。

 不思議と夕田君の前では溜め込んでいたものが自然と吐き出す事ができた。同い年とは思えないほど思慮深く、そして誰よりも優しい人間だと思う。

 だから、暁美さんが好きになったのも納得できた。

 暁美さんに振られた時、それほど悔しいとは思わなかったのは多分相手が彼だからだろう。

 僕がカフェでさやかの告白を断った時も、僕が罪悪感に苛まれないようにわざわざ店の前で待って元気付けてくれた。

 

『君が本気で美樹さんを大事にしていたから振ったことに関しては、むしろ、男として君を尊敬するよ』

 

 ちょっとお節介のように感じたが、あの時の僕は間違いなく救われた気分になれた。

 それと同時に、やっぱりこの人には敵わないなと思い知らされた。

 親しくなって間もない相手に僕はこんな風に言葉を伝える事はできない。男として尊敬するのはこちらの方だ。

 きっと彼ならば、僕よりもずっと暁美さんを幸せにしてくれる。負け惜しみではなく、本当に心からそう思える。

 今の僕には女の子よりもバイオリンだ。そう思って、自分の左手をきゅっと再び握り締め、拳を作った。

 

「……そうだ!」

 

 退院前にバイオリンを弾いた時には政夫には来てもらえなかったから、今度彼にも僕の演奏を聞いてもらおう。暁美さんも一緒に来てくれたら、なおの事いい。

 二人のために演奏しよう。何がいいかな?

 途切れていた集中力がまた、ふつふつ湧き上がってくる。

 自分が好きだから弾いていたバイオリンを、誰か個人に聞かせたいと思ったのはこれが始めてだ。

 きっと今までは自分の事しか見えていなかったのだと思う。だから、さやかの好意にも気付かないで傷付けてしまった。

 この事が分かるようになったのももしかしたら彼のおかげかもしれないな。

 そんな事を考えながら、僕はまたバイオリンを机から取ろうとして、その隣に置いてあった花瓶に肘が当たった。

 

「あ……」

 

 花瓶は机から落ちて床へと転がった。

 差してあった花が水と一緒に床に撒かれる。

 幸い、花瓶は割れる事はなかったが、花の方は落下の衝撃で花弁がほとんど散ってしまっていた。

 床に散った、夕日のような綺麗なオレンジ色の花弁がまるで何かを暗示させているようで、僕はそれに言い知れない不安を感じた。

 

 

星凛太郎(スターリン)視点~

 

 

「う~む……。物語も佳境だからな。ここは主人公が全てを解決する前にちょっと苦戦シーンなんか入れてみるか。前に夕田に見せたら『主人公がチートすぎて何のカタルシスもない作業みたいな戦闘シーンだね』って言われたし……」

 

 つい最近親に買ってもらったノートパソコンに俺は二次創作小説の文章を打ち込んでいく。

 内容は、本来死ぬはずがなかったが神によって殺され、お詫びにとある異世界に転生を果たすという今まで誰も考えつかなかったような斬新なストーリーだ。

 銀髪オッドアイの超絶イケメンの転生者・リンタロウが『fate/stay night』の英霊・ギルガメッシュの王の財宝を駆使して戦うヒーローもの。

 リンタロウは最強で、天才で、格好いいからいつも女の子に囲まれてしまうという、ハーレム設定完備で非の打ち所がない。

 まだ小説サイトアップするのは怖いから、夕田の奴に見てもらったところ、設定を見ただけで頭を抱えていた。

 どうやら、奴にはこの設定は斬新すぎたらしい。

 もうちょっと普通の物語にしないかと再三聞かれたが、そこだけは譲れなかったから突っぱねた。小説家は自分の考えた物語に妥協しないのだ!

 何だかんだで面倒見のいいあいつは物語を読んで率直に意見したり、誤字脱字の修正なんかをやってくれている。突っ込みはしてくるが俺が小説を書く事は馬鹿にしたりはしなかった。 恥ずかしいから面と向かってお礼なんて言った事はなかったが、夕田には内心凄く感謝している。今度、オススメのエロゲーを貸してやろう。

 今は『事件の収拾に来た“卑劣で傲慢な巨大組織”』との全面戦争をしているシーンなのだが、ここで戦っているのは最強に格好いい主人公・リンタロウではなく、その親友のサマオだ。

 サマオは文句を言いながらもリンタロウと協力してくれるキャラで、リンタロウの次の次の次くらいに気に入っている。

 ちなみにモデルは夕田だったりする。

 

「えーと、サマオはリンタロウが駆けつけるまでの時間を稼いでて……。で、その時、敵の攻撃のモロに食らって……食らって……」

 

 ――死亡してしまう。

 

 その一文を打って、手が止まった。

 

「おっかしいな。鬱展開とか嫌だから、俺の作品の中では味方キャラは絶対に死なないようにしてるのに」

 

 書いた一文をデリートキーで消して、俺はまた書き直しを始める。

 今度はサマオは敵の攻撃を避けて、そして……。

 ――巻き込まれた少女を庇って死亡してしまう。

 

「お、おいおい。何でそうなるんだよ……だから、味方が死ぬ展開とかなしだから」

 

 また一文を消してやり直しをする。

 でも、何度も、何度も書き直そうとしてもサマオが死ぬシーンが頭に浮かんでくる。

 まるでそうなる事が正しいみたいに展開を変えても、また別の死に方をするサマオが脳裏から消えてくれない。

 とても。

 とても嫌な予感がした。

 俺はその予感を無視するようにシャットダウンもせずにノートパソコンの電源を無理やり落とす。

 保存していなかったデータが消えてしまったがそんな事はどうでもよかった。

 

「大丈夫、だよな……夕田の奴」

 

 嫌な事なんて起きるはずがない。これはあれだ。エロゲーのやりすぎのせいでちょっと頭が変になってるだけだ。

 明日になれば、クラスに何事もなく夕田は居るはずだ。

 そこで俺がまた原稿データを見せて、超展開が満載だの、心情描写がおかしいだの文句を付けてくるに決まってる。

 

「あー。エロ漫画でも読むかー。うん。そうだな。そうしよう」

 

 自分に言い聞かせるように俺はそう言って、俺はノートパソコンを机に置いてベッドの中に潜り込む。

 さっきまでキーボードを叩いていた指先が震えているのも、きっと指が疲れているからだ。

 

 

~魅月ショウ視点~

 

 

 大きな欠伸をして、俺は軽く首を回す。時計を見るともう午後五時を過ぎていた。

 いつもよりもずっと寝ていたみたいだ。寝すぎて身体がダルい。

 俺はベッドから起きて、キッチンの冷蔵庫からリンゴジュースを出して、パックに直接口を付けて飲む。

 喉の潤いが取れたら、リビングのソファに腰を掛けて天井を仰いだ。

 こんなにだらけていると普段なら杏子が蹴りでも入れてくるんだが、まだあいつは帰ってきてない様子だ。

 あいつは女の癖に乱暴なところがあるから、マジで困る。

 男の政夫の方がずっと大人しくて、淑やかだ。

 でも、あいつは少しばかり大人ぶり過ぎてるから、杏子くらいの方がちょうどいいのかもしねぇな。

 目を瞑って、最近出来た年下のダチを思い浮かべる。

 それに必要以上に優しすぎる。他人に思いやりがあるのはいい事かもしれねぇが、度が過ぎてるように思う。

 ほむらの事で俺に相談に来たのだってそうだ。

 向かうが勝手に惚れてるだけなら、こっちがわざわざ気にしてやる必要なんてない。

 面と向かって、コクって来たならまだしも、相手の気持ちまで汲み取って悩むなんてアホらしい。

 いくら親しかろうが、コクる覚悟もないような女にそこまでしてやる義理なんてある訳がねぇ。

 政夫は何ていうか、馬鹿が突くほど誠実な奴だ。

 好きでもない女のために平気で命懸けようとするくらい馬鹿だ。自分の命なんて顧みない。

 それを俺なんかよりもよっぽどよく分かってんのに止めようともしない。

 危なっかしい……いや、違うな。『儚い』って表現するのが近いな。

 その内、本当に誰かのために死んじまうような、そんな風に感じる。

 前に来た時、『下半身で考えろ』ってのは半分は冗談だが、もう半分は政夫に自分勝手に生きろっていう想いを込めて言った言葉だ。

 あいつが誰かのためにばっか行動するのは自分の事を大事に思ってないせいだ。

 恋の一つでもすりゃ、自分の事を考えるようになんのかもしれねぇが、政夫の性格じゃそれでも変わらないかもしれねぇな。

 そこまで考えて、俺は首を傾げる。

 何で急にそこまで政夫の事を思い浮かべたのか分からない。

 今のじゃ、まるで故人を(しの)んでるみたいじゃねぇか。縁起でもねぇ。

 止めだ。止め。頭が寝惚けてるからこんな事を考えちまう。

 さっさと着替えて、仕事場に行く仕度でもしよう。

 

 

~ニュゥべえ視点~

 

 

 駄目だ。政夫はこのままでは助からない。

 因果が足りない。感情値も不足している。何より願い事がない。

 これでは魂を固定できず、ソウルジェムが作れない。

 

「政夫! 起きて、願い事を言うんだ! 一言でいい! 『生きたい』とたった一言呟いてくれればそれでいいんだ!!」

 

 傷口を魔力で押さえて、ボクの二本の髪を政夫の胸の中に沈めて叫ぶが、政夫からの返事はない。

 心臓の動脈が切れているせいで出血が酷すぎる。呼吸ももう止まっている。ほとんど死んでいるようなものだ。

 今、ボクの二本の髪が触れている胸の中の魂も少しずつ、端の方から削れているのが分かった。

 

「政夫くん……お願い、目を覚まして」

 

 まどかが政夫の手を握って呼びかけているが、効果は現れていない。

 状況は最悪だ。せめて、マミと契約したように朦朧とした意識でも残っていてくれれば違ったのだろうが、ないものねだりでしかなかった。

 

『ほら。ボクの言った通りだっただろう? まどかがボクと契約してくれれば政夫は今すぐにでも助かるのに。こんなにも非効率な事をするなんて訳がわからないよ』

 

 元同胞(インキュベター)がボクに無表情で侮蔑するように言葉を投げ掛けるが、そんなものは気にもならなかった。

 凄まじい焦燥感と、常軌を逸するような不快感。脳髄が焼けそうなほど熱を持ち、眼球には何の異常もないのに目が眩む。

 ああ。そうか。絶望という感情なのか。

 もしも、これがボクがインキュベーターだった頃に魔法少女に契約をしていた報いだというのなら十分過ぎるほど味わった。

 だから、政夫を救わせてくれ。彼には何の落ち度もないのだから。

 それどころか、会って数週間しか経っていない女の子のために今まで頑張って来たのだから、報いというのなら彼を幸せにするべきだ。

 神に願う人間の気持ちが嫌と言うほど理解できた。そして、自分の無力感も。

 どうか、お願いだから、政夫を救わせてくれ。

 触れている政夫の魂は刻々とその質量を減らし続けている。

 絶望で涙がこぼれて来た。

 

『まどか、もう数秒で政夫の魂は消滅してしまうよ。だから、ボクと契約……』

 

「……このまま、魂を引きずり出すよ」

 

 ボクはそう元同胞(インキュベーター)に宣言した。

 彼はボクの顔を覗きこむと、奇妙なものを見るように尋ねてくる。

 

『正気かい? そんな事をすれば、政夫の魂は大気に霧散するかもしれないんだよ?』

 

「それでもやるよ。ボクは政夫の願いを叶えるために魔法少女になったんだ」

 

 確率などもう気にしない。政夫が無事に助かる事だけを考えて、ボクは彼の魂を肉体から引き剥がす。

 

「教えてあげるよ、元同胞(インキュベーター)。エントロピーを超えた力がどこからやってくるのかを……」

 

 少しずつ、精密に、自分の政夫の魂を自分の魔力でコーティングしながら、肉体の外へと引っ張っていく。

 肉体から分離させ、魔力で外側を丹念に固めた政夫の魂をボクは引きずり出した。

 

「誰かのために何かをしたいという気持ちが時には大きな力になるって事を!」

 




地味に今回は話が進んでおりません。
いつもの女の子たち以外で政夫の事を大切に思ってくれている人を出したかったので書きました。
中沢君も書きたかったのですが、あまりにも政夫との接点が少ないために諦めました。
流石に「どっちでもいいよ」宣言されても困るので……。


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第百六話 別れの挨拶

「政夫……政夫!」

 

 誰かが僕を呼ぶ声がすぐ傍から聞こえた。

 驚いて、顔を上げるとそこには少し心配そうな眼鏡を掛けた利発そうな女性が僕の顔を覗き込んでいる。

 

「どうしたの? 急に黙り込んでぼうっとし出したりして」

 

 光沢のある濡れ羽色の髪に整った目鼻立ちのその人を見て、僕は(しば)し言葉を失い、そして震える声で尋ねた。

 

「お……母、さん?」

 

「え? ええ、お母さんだけど……一体どうしたの?」

 

 僕の反応に不思議そうにするお母さんを見て、なぜだか突然目から涙がこぼれた。

 胸の奥から強烈な感情が押し寄せてきて、縋りつくように僕はお母さんに抱きつく。悲しいのか、嬉しいのか、それすらも判断することができなかったが、言葉に形容できない感情が僕を突き動かしていた。

 

「ど、どうしたの、政夫? 急に泣き出したりして。幼稚園で何か嫌な事でもあったの? 何あったならお母さんが何とかするから教えて、ね?」

 

 お母さんは膝を突いて、小さな僕の身体を優しく包み込むように抱き締めてくれた。右手で頭を撫でて、左手で背中を(なだ)めるように優しく叩く。

 僕が泣いた時にいつもやってくれるその仕草が堪らなく心に染み込んだ。

 どうしてだろう。お母さんの顔を見たら急に胸が切なくなって涙が止まらなくなった。

 しがみ付くようにお母さんが着ていたオレンジ色のエプロンを掴み、顔を押し当てて声を上げて泣き続けた。

 

「何があったってお母さんが解決してあげるから安心して、政夫。あなたはお母さんが守ってあげる」

 

 心を落ち着かせるその静かで優しい声で慰められて、次第にしゃくり上げながらも僕の涙は少しずつその量を減らし、やがて完全に止まった。

 呼吸が落ち着くと僕はお母さんのエプロンに埋めていた顔を離し、周りを眺める。そこは何一つ変哲のない僕の家のキッチンだった。

 火にかけられたお鍋から、いい匂いが漂ってきて、今が夕飯前だということを思い出す。それに気が付いたせいか小さくお腹が鳴った。

 

「……ひょっとしてお腹が空いて泣いての? もう、心配させないでよ。すぐにできるからもうちょっと待ってて」

 

 少しだけ呆れたようなお母さんにそう言われて、僕は恥ずかしくなって俯く。

 すると、近くでチリンと小さな鈴の音が聞こえてきた。それに続けてニャアという鳴き声が耳に届く。

 そちらを向くと、リビングの方から黒い小さな子猫がとことこと僕の方に近付いて来るのが見えた。

 

「ほら、スイミーも政夫の事心配して来ちゃったじゃない。大丈夫だよって、安心させてあげなさい」

 

 お母さんは僕の背中を優しく、ぽんと叩くと再びキッチンで料理を作り始めた。

 スイミーは僕の足元にまでやって来ると、そのふわふわした身体を僕に擦り付けて甘え始める。

 その小さくて身体を危なげな手付きで頑張って抱きかかえると、首輪に付いた小さな鈴がまた音を立てた。

 

「心配してくれて、ありがとう。スイミー」

  

「ニャァ」

 

 僕の言葉に応答するように鳴くスイミーに僕は頬をくっ付ける。そうすると、スイミーは嫌がるどころか嬉しそうに尻尾を揺れ動かした。

 そんな僕らを見て、お母さんは鍋をお玉でかき混ぜながら、温かな笑顔で微笑んだ。

 優しくて、幸せな世界を体感して胸の中がいっぱいになる。

 

 ――政夫くん!

 

 その瞬間、どこからか声が聞こえた。そして、同時に頭の中で一人の女の子の顔が思い浮かぶ。

 ピンクのツインテール髪の中学生くらいの……背の低い穏やかそうな女の子だ。

 

「うっ……」

 

 激しい頭痛がして、僕は抱えていたスイミーを放してしまう。

 スイミーは軽やかな足取りで難なく着地すると僕を見上げて心配そうに一声鳴いた。けれど、僕はそれに気を配る余裕もなく、思い浮かんだピンク色の髪の女の子のことで思考がいっぱいになる。

 僕は知っている。この女の子のことを知っている。

 とても、とても大切な人だったことを覚えている。

 

 ――政夫くんっ! お願い、目を覚まして!!

 

 そうだ、この子は僕のことを好きだと言ってくれた女の子。

 そして、僕が心の底から好きになった、ただ一人の女の子。

 

「政夫!? どうしたの!? 大丈夫? 頭が痛いの?」

 

 お母さんが鍋の火を止めて、僕の方に心配そうに寄り添う。

 僕はお母さんを見上げる。幼い僕にはとても大きくて、頼り甲斐のあるお母さん。

 四歳の夏に病気が発症する前の、一番美しい時のままの姿だ。きっとこの頃のお母さんが僕の中で一番大きかったのだろう。

 ああ。何もかも思い出した。嫌なことも、嬉しかったことも、何もかもを。

 僕は、屈んで僕の額に手を当てていたお母さんへ目を向けて話し出す。

 

「お母さん……僕、思い出したよ。全部、お母さんがもう居なくなちゃったことも」

 

 僕の言葉にお母さんは僅かに顔を強張らせた後、それを誤魔化すかのように捲くし立てるように喋り出す。

 

「政夫? 何を言っているの? そんな変な事言い出すなんて……熱はないみたいだけど一応、念のために病院に行きましょう。待ってて、すぐに車を……」

 

「母さん!!」

 

 ぴしゃりと母さんを強く呼ぶと、母さんは台詞を途切れさせて目を逸らした。

 足元に居るスイミーは僕の声にびくりと驚いた後、弱々しい声で小さく鳴く。

 

「今、見ているこの光景は天国なのか、僕が作り出した都合のいい光景なのかは分からない……けどさ、どちらにしたってそんなところ(・・・・・・)へは逃げ込めないよ」

 

「政夫……もういいじゃない。あなたは十分過ぎるほど頑張った。ここに居れば、もうこれ以上辛い思いなんてしなくて済むのよ?」

 

 僕を労わってくれる母さんのその言葉はとても優しくて、僕のことを慈しんでくれているということが感じ取れた。スイミーも一緒に居てよ、とでもいうように足元に纏わり着く。

 確かにここに居れば、もう僕は傷付くことも、苦しむことも、裏切られることもないのだろう。

 でも、それは『夕田政夫』の生き方じゃない。

 辛い現実から目を背けて、優しい幻想に縋るなんて生き方は僕の一番許せないものだ。

 

「母さん。あなたが産んでくれた息子(ぼく)はもうあの頃みたいに弱くはないよ」

 

 一度目を瞑り、もう一度開くとさっきの低い目線から、僕の知る『いつもの高さ』の目線に切り替わる。

 幼く小さかった僕の姿も、14歳の僕に戻り、今では着慣れた見滝原中の白い学ランを身に纏っていた。

 目の前に居た母さんは今の僕よりも身長が低かった。あの頃は安心感の塊のように見えていた母さんは思ったよりも小柄で、かつてよりもずっと頼りなく見えた。

 きっと、昔の母さんは幼い僕に立派な母親であるように頑張っていたのだろう。頼りになる、優しくて包容力のあるように努力していたのだろう。

 他ならない……僕のために。

 我が母ながら素晴らしい女性だと思う。こんな人に産んでもらい、愛してもらった自分を心から誇りに感じる。

 

「母さんに聞いてほしいことがあるんだ」

 

 これがただの都合のいい幻想だとしても、母さんに聞いてもらいたいことが一つだけあった。

 

「……何かしら?」

 

 少しだけ悲しげで、諦めたような表情を浮かべる母さんに僕はこう宣言した。

 

「僕、好きな女の子ができたんだ」

 

 僅かに驚いたようで少しだけ目を見開いた後、目蓋(まぶた)を閉じ、そして開いた時にはいつものあの朗らかな笑顔を浮かべていた。

 

「そう、そうなの。おめでとう、政夫」

 

「うん!」

 

 母さんの反応は知らなかったことを聞かされたというよりは、この場でそんな言うとは思わなかったという驚きに見えた。

 人見知りで他人との間に壁を作っていた頃の僕を知っている母さんからすれば、面と向かって誰かのことを好きだと発言する今の僕は感慨深いものがあるのだと思う。

 僕たちが居た場所が次第に少しずつ、砂のようにこぼれ落ちて形を失い、端から消滅していく。

 周囲が広大な真っ白い世界へと変わると、スイミーを抱き上げて、母さんは僕に向けて別れの言葉を投げ掛けた。

 

「政夫。さようなら」

 

「うん。さようなら、母さん、スイミー」

 

 それは九年前に僕と母さんが交わせなかった最期の別れの挨拶だった。

 消えていく世界の中で、母さんの腕の中のスイミーが悲しそうにニャアと鳴いた声だけが最後まで耳に残った。

 僕に安らぎをくれた大切な存在に別れを告げて、僕の意識は闇の中に落ちていく。

 

 

 *

 

 

「……ぅ……」

 

 薄目を開くと世界がぼやけて見えた。

 熟睡していたのを無理やり叩き起こされたかのように頭が回らない。身体全体の感覚が鈍っていて、背中からの感触がほとんど伝わって来なかった。

 気分が悪い。意識が曖昧で、夢と現実の境界があやふやだ。

 

「政夫くんっ!」

 

 誰かの声が僕を呼ぶ。顔を動かすとピンク色の髪をした女の子が僕の手を握って、涙を流している。

 

「ま、どか……さん?」

 

「そうだよ! 私だよ!! ……よかったぁ。本当に、本当によかった……」

 

 まどかさんだ。僕の、大好きなたった一人の恋人。

 その瞬間、急激に脳が活性化して思考が回転を始める。

 思い出した。僕はまどかさんを庇って暁美に銃で撃たれて、それで……それで確か……。

 死んだはずだ。心臓を撃たれたのだ。生きているはずがない。

 とっさにまどかさんに握られていない方の手で心臓の辺りの胸を触る。すると、胸の上に置いてあった何かを掴んだ。

 それを顔に近付けて見つめる。それは見覚えのある宝石だった。この街に来て何度も見ることになった魔法少女の変身アイテム。魔力の塊。魔法少女にされた女の子の魂。

 ――ソウルジェム。

 今まで見てきたどれよりも一回り小さいそのソウルジェムは黒い色をしていた。

 一瞬、濁って孵化寸前なのかと思ったが、どうも色の質感が違う。

 あの不快感のある穢れた黒ではなく、透明感のある清潔な黒。クリアブラックと言った方が分かりやすいだろうか。

 濁ったのではなく、元からこの色だったということがその美しさから見て取れるほど見事な黒色だった。

 

「それは『君』のソウルジェムだよ。政夫」

 

 そう言ったのは、僕を挟んでまどかさんの反対側に居たニュゥべえだった。

 まだ魔法少女の姿で女の子座りをして酷く疲労困憊(ひろうこんぱい)の顔をしている。

 

「は? これが、僕の? それはどういう……」

 

 寝ていた上半身を起こして、ニュゥべえに問いかけようとした時、不愉快な頭に直接響くような声がそれを遮った。

 

『まさか、願い事も聞かないままでの魂の分離に成功するとは思わなかったよ。自力で奇跡を起こしたという訳だ。そう言えば君は魔法少女でもあるんだったね、独立個体』

 

 視界にちらりと映ったのは可愛いさの欠片もない無表情の似非マスコット、旧べえ。

 見つけ次第、ニュゥべえに捕獲してもらいたいと思っていた相手だが、今はそれよりも奴の聞き捨てならない台詞が気になった。

 魂の分離? そうか、段々見えてきた。死ぬ寸前にニュゥべえは僕の魂……即ち、ソウルジェムを生成することで僕の命を文字通り繋ぎとめたということか。

 

『でも、随分と小さくて不安定なソウルジェムだ。ちゃんとしたプロセスを無視したせいだろうね。恐らく、魔法も使えないほどの欠陥品だよ。劣化ソウルジェムとでも言えばいいかな』

 

「…………」

 

 旧べえの発言にニュゥべえは無言で俯いた。奴の発言を肯定しているのだろう。

 僕にとってはそんな瑣末なことはどうでもいい。彼女が僕のために頑張ってくれたというのは状況を見れば理解できる。

 旧べえがまどかさんに契約を持ちかける最高のタイミングを邪魔するために無理をしてくれたのだろう。

 

「ありがとう。僕のために頑張ってくれたんだね、ニュゥべえ」

 

 黒いソウルジェムを持った手で彼女の頭を労うために軽く撫でた。

 ニュゥべえは僕に撫でられると俯いていた顔を上げて、疲れの残る顔で微笑んだ。

 

「政夫……。うん! ボク、頑張ったよ!」

 

「まどかさんも契約をしないで耐えてくれたんだね」

 

 ニュゥべえから、まどかさんの方に顔の向きを変えると、まどかさんは涙で腫れた顔でこくりと頷く。

 

「うん……私にできる事は信じる事だけだから」

 

「それは誰にでもできることじゃないよ。ニュゥべえを信じてくれてありがとう」

 

「まさお、くん。本当によかった」

 

 まどかさんをぎゅっと強く抱き締めて背中を軽く二、三度叩く。

 そして、彼女の後ろに居る織莉子姉さんにもお礼を言った。

 

「織莉子姉さんもありがとうございます。まどかさんを守るために一人で無茶させてしまいました」

 

 織莉子姉さんは僕のその言葉に首を横に振って答えた。

 

「いいえ、私は結局何にもできなかったわ。暁美さんも止められず、そのせいでまー君に命に関わる大怪我をさせてしまった……」

 

 うな垂れる彼女に僕は穏やかに笑いかけた。

 

「それは違います。織莉子姉さんが頑張ってくれなかったら、僕が到着する前にまどかさんは死んでいたかもしれません。僕がまどかさんを守れたのは織莉子姉さんのおかげですよ」

 

 それに暁美が織莉子姉さんとの戦いでソウルジェムを強奪して、邪魔者は完全に倒したと慢心していたからニュゥべえの擬態が成功したという部分もある。

 暴走していたとはいえ、隙のない暁美はこうでもしなければ僕の細工に気付いていたかもしれない。

 

「まー君……」

 

 見れば胸元の制服はぱっくりと裂け、その下からは黄色いリボンが包帯の如く巻かれている。血が滲んでいないことから傷の方は大分治っているようで安心した。

 僕がそれをまじまじと見つめていると、織莉子姉さんは恥ずかしそうに両手で胸元を隠す。僕の方はまったく、そういった意識はなかったが、よく見れば結構際どい格好をしているので織莉子姉さんからしたら羞恥を抱くのは当然だ。

 

「あー……ご、ごめんなさい」

 

「い、いいのよ。まー君にだったら見られても……」

 

「えっ?」

 

 頬を赤く染める織莉子姉さんの思わせぶりな台詞に一瞬どきっとしたが、抱き締めていたまどかさんがむっとした表情で僕を抓ってくるため自重する。

 

「もうっ! 政夫くんのスケベ」

 

「ええ!? いや、僕はまどかさん一筋で何も(やま)しいこと考えてないよ!?」

 

「……本当?」

 

 少しだけ疑るような視線を僕に向けるまどかさん。

 こんな時だというのにそれが酷く可愛くて堪らなくなる。

 

「うん、本当。まどかさん以外の女の子の身体に興味ないから安心して」

 

 さらにぎゅっとまどかさんを抱き締める力を強める。ふわっとした女の子独特の甘い香りがして、僕の心音を早めた。

 

「ほら、まどかさんのおかげでさっきまで止まってた心臓こんなに脈打ってるよ。聞こえる?」

 

「う、うん。……政夫くんって意外に大胆だよね」

 

 お互いに密着した身体のせいで、頬が上気してきて、艶っぽい雰囲気になりかけたが、そうは問屋が卸してくれない。

 部屋の後ろにて、黄色いリボンが拘束具のように身体に巻きついている暁美とそれを囲む魔法少女が視界に入り、僕は思考をピンク色から模様替えする。

 手の中にあるソウルジェムと同じ黒色に変えた思考で僕はそちらを見つめる。

 完全に身動きを封じ込められ、顔以外に黄色いリボンでできた拘束具を付けられた暁美。

 そして、それを美樹、巴さん、杏子さん、呉先輩がそれぞれの武器を持ち、少しでも変な動きを見せたら対処できるように剣呑な表情で監視していた。

 まどかさんを一度身体から引き離して、立ち上がり、僕は暁美の方へと近付いていく。

 

「ほむらさん……」

 

 暁美に声をかけると、彼女は僕を見て安堵したように頬を弛めた。

 

「よかった。政夫……。助かったのね」

 

「……自分でやっておいてよくもそんな事が言えるな」

 

 怒気を露にそう言い放ったのは僕ではなく、呉先輩だった。

 呉先輩は織莉子姉さんとも仲がよかったから、暁美の所業にはこの中で一番頭に来ているのだろう。今にでもそのカギ爪で斬りかからんばかりの眼光をしている。

 だが、彼女が暁美への憎悪を抑えていたのはきっと僕が目を覚ますまで待っていたからだ。

 この部屋に居る全ての人間が僕へと視線を集中させる。

 ――暁美ほむらをどう裁くのか。

 それを皆が僕に無言で尋ねている。いや、判決を委ねているのではなく、処刑法を聞いているといった方が正しいだろう。

 ここに居る暁美以外の人間が全員暁美を許す気など微塵もない。まどかさんでさえも、暁美に明確に敵意を持っているのが見て取れる。

 ならば、僕は被害者として、答えなくてはならない。

 彼女の所業に対するその罰を。

 




ここまで引っ張ってしまうとは私自身も思っていませんでした。
でも、どうして政夫ママとシーン書き足したかったので、延びてしまいました。
政夫のお母さん、夕田弓子は若干ほむらっぽい性格をしています。


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第百七話 罪を断つ刃

 やらなければならないことは分かっていた。

 それは、目の前に居る最悪の少女へと処罰を行うこと。

 僕は暁美の前まで近付いて、顔を無言で睨み付ける。

 身体を巴さんのリボンで拘束されている暁美は僕に向けて、なおも微笑を崩さずに言った。

 

「政夫に殺されるなら構わないわ。殺人を何より忌避する貴方は私を殺せば、確実に心を痛める……一生消えない傷を付けられる。ずっと、私の事を想い続けてくれる」

 

 暗い、どこまでも暗い光に満ちた瞳には言葉通りに僕しか映っていない。

 艶やかな笑みは病んだ台詞と一緒でなければ、見惚れるほど美しく、一種の退廃的な美術作品のように見えた。もっとも、これが美術作品だと言うのなら作者はまともな人間性は既に保っていないだろう。

 そして、その少し離れた床には紫のソウルジェムが転がっている。暁美はそれを僕が砕くことを望んでいる。暁美を除く、他の女の子また言葉にせずとも許容していることが容易に感じ取れた。

 だから、僕は彼女のアメジストのような瞳から一切、目を反らずに――思い切り殴った。

 握り締めた拳が柔らかな頬を撃つ感触は僕をとても嫌な気持ちにさせる。

 整った桜色の口元から朱色が一筋流れ落ちた。大きく見開いた目の中には無表情の僕の顔があった。

 

「……え?」

 

「……何を意外そうな顔してるの? ほむらさん。こんなことを仕出かして殴られないとでも?」

 

「何故、そんな事しなくたってソウルジェムを……っ」

 

 暁美は言い終わる前に反対側の手で殴る。

 二度目の方がより一層不快感を抱かせた。女の子の顔を殴るという行為はとてもじゃないけど慣れそうにはない。

 

「黙れ。お前に言葉を話す権利なんてない」

 

 そう言って、続け様に何度も何度も執拗なまでに暁美の顔を殴り続けた。

 

「まずは、君が傷付けた織莉子姉さんの分だよ」

 

 傍に居るまどかさんも、暁美に武器を向ける巴さんもそれを唖然とした表情で眺めている。

 殴り続けたせいで、拳の先が暁美の歯に当たって皮膚が切れる。痛みと共にじんわりと赤く染まるが、僅かも力を緩めはしない。

 

「っぐ……うっ……!」

 

 暁美は痛みを切り離すこともせずに黙って暴力に甘んじている。

 

「これは君が裏切って殺そうとしたまどかさんの分」

 

 皆は何も言わずに見ているだけだったが、目の前で起こる生々しい暴行に顔を背けようとしている。

 

「まどかさんも、他の皆も何で目を逸らそうとしてるの……? ほむらさんのことを許せないと思っているんだろう? こうやって殴られても当然だって思ってるんだろう? だから、誰も止めようとしないんだろう?」

 

 淡々と横目で周囲を見回しながらそう言うと、視線を外そうとしている皆の動きが止まった。

 これでいい。彼女たちに人を傷付けることのおぞましさから目を背けさせてはいけない。

 あのまま、僕が暁美のソウルジェムを砕いてしまえば、きっと人を殺すという意味さえ仕方のないものと思わせてしまっただろう。

 暁美もまた、僕の行いを喜んで受け入れてしまったはずだ。

 それでは駄目だ。どれだけの理由があろうとも、人を殺すことが正当化されていい場合なんて存在しない。

 誰かを生命を一方的に奪うという行為の醜さを覆い隠してはいけないのだ。

 

「暁美さんも僕に恨まれたかったんだよね? どうお望み通りに憎まれて殴れる気分は。楽しい? 気持ちいい? 幸せ?」

 

「……ええ。この痛みが政夫の私への想い。私に向けられた感情。それなら愛おしいさしか感じられないわ……」

 

 血の滲む唇から流れ出した言葉は、まだ恍惚の色が色濃く、後悔の思いは微塵も感じられない。これだけやっても暁美は僕への歪んだ執着心に染まったままだ。

 まだ、罰が足りないのか……。自分のやったことに対する悔恨は持ってくれないのか……。

 ――だったら、僕も心を鬼にする必要がある。

 

「美樹さん」

 

 僕は呆然とこちらを見つめる美樹に手を差し出す。

 

「その剣を僕に貸して」

 

 彼女の握る西洋風の片刃剣を渡してくれるように頼んだ。

 

「……え?」

 

「君が持っているその剣を僕に貸してほしいんだ」

 

「わ、分かった。……はい」

 

 驚いた表情で僕の要求に戸惑う美樹だったが、おずおずと己の獲物たるサーベルに似た西洋剣を差し出した。

 僕はそれを受け取ると、暁美の後ろへ回った。

 そして、暁美の長く綺麗な黒髪を一纏めにして握り、自分の手元に引っ張る。

 

「うっ……政夫、何を。まさか……」

 

 髪を強く引っ張られた暁美は僕に質問をするが、僕はそれに言葉では答えず、行動を持って真意を伝えた。

 即ち、彼女の美しい髪を無慈悲に刃で切り裂いていく。

 

「嫌ぁっ! やめてっ、政夫!!」

 

 引っ張られて、張り詰めた髪がちょうど暁美の肩口より少し上の位置で引きちぎられるように切り離されていった。

 それまでは超然と笑っていた暁美も女性の命である髪を切り落とされるのには抵抗があったらしく、悲痛な叫びを上げて首を捩る。

 

「嫌ぁ……いやぁっ!!」

 

 周りにそれを見続ける他の皆も、さっきよりも一層痛ましい目をしていて、暁美を眺めていた。

 僕はそれら全てを一切無視し、固めた無表情で暁美の髪を断ち切った。

 腰くらいの長さを保っていた濡れ羽色の髪は短く乱雑に切り揃えられて、見るも無残な姿を晒している。

 切り取った髪を暁美の顔の前に持ってくる。

 

「あ、ああ……私の、私の髪……」

 

 悲しそうに涙を浮かべる彼女は自分の髪をどれだけ大事にしていたかが、はっきり受け取れた。

 握った手のひらを開き、暁美の目の前で切り落とされた髪の残骸をヒラヒラと床に舞い落ちていった。

 

「殴られるのは受け入れても、髪を切られるのはそんなに辛い? ……馬鹿みたいだね。笑えるよ」

 

 さらにその床に撒いた髪の毛を踏み付ける。まるでタバコの吸殻でも潰すように念入りに足の裏で擦った。

 

「これは君に撃ち殺されかけた僕の分だ。どう? これでも愛おしさを感じられる? 何ならもっと髪を……」

 

「政夫くん、もうやめて!」

 

 とうとう黙って見ていられなくなったまどかさんが僕の腕を掴む。

 彼女の顔にはさっきまでの暁美への敵意はもう影も形もなく、あるのはひたすら同情と義憤だった。

 元来、心の優しいまどかさんはこの光景に口を挟まずには居られなかったのだろう。

 

「もう、これだけやれば十分だよ。政夫くんだって満足したでしょ?」

 

「まどかさんは一方的に理不尽な理由で殺されかけたのにこれだけで許せるの?」

 

「私はこれ以上は見てられないよ……。ほむらちゃんだってこれだけ罰を受ければこんな事は二度としないはずだよ」

 

 この言葉を待っていた。僕以外の誰かがもうこれで十分だと、許してやれと、そう言い出すのを待っていた。

 何の罰もなく、僕が許せば、返って暁美への反感は強くなる。

 だから、傷付け、苦しめて、これだけやればもう十分だと止めさせる必要があった。

 僕はまどかさんから視線を移し、周囲の皆の顔を見回して問いかけた。

 

「まどかさん以外の皆はそれでいいの? これだけの悪事を働いたほむらさんを許せる? もっと苦しめてやりたいとは思わない?」

 

「私は……いいわ。もうこれだけされれば」

 

 織莉子姉さんは真っ先にそう言った。

 

「ボクもこれ以上の報復は要らないと思うよ」

 

 それを皮切りに他の皆も次々に暁美への赦してやっていいとの旨が挙がっていく。

 一番の暁美の被害にあった織莉子姉さんは、この中で誰よりも暁美の危険性を熟知している。

 その彼女が赦しを述べたのだ。他の皆からも次々に同意する意見があがるのは当然の帰結だった。

 もはや、彼女たちに暁美への憎悪の感情は一片も残っていない。殺した方がいいと目で語っていた彼女たちは暁美に対して同情的な眼差しすら向けている。

 これで暁美を殺した方がいいなどとは思えなくなったはずだ。後は最後の仕上げをするだけ。

 美樹へ剣を返してから、侮蔑に満ちた目で僕は暁美を見る。

 

「よかったね。優しい皆は君のこと、赦すってさ。……でも、僕は君が僕らにしたことを絶対に忘れないからね」

 

 憔悴(しょうすい)した暁美の顔に僕は唾を吐きかけた。飛んだ唾液は彼女の頬を汚し、より一層惨めさを演出する。

 

「……政夫くん!」

 

「巴さん。ほむらさんを縛っている拘束を解いてあげてください」

 

 僕を批難するように叫ばれたまどかさんの声を無視し、巴さんへと話しかけた。

 一連の暴行を見て、少し唖然としていた巴さんは僕の言葉を聞いてようやくハッとした後に躊躇い気味に頷いた。

 

「え、ええ。分かったわ」

 

 その後、もう一度周りへと目を配るといつの間にか、旧べえは忽然と姿を消していた。

 余裕があれば『計画』の最終段階に移るために捕獲しておきたかったのだが、状況が状況のために今回は致し方ないと諦めた。

 

 *

 

 僕はマスコットの姿に戻ったニュゥべえと共に薄暗い夜の中、帰路に着いていた。

 他の皆とは織莉子姉さんの家で解散し、僕はまどかさんも家まできちんと送り届けた後に分かれた。だが、その際にはまどかさんとは一言も会話を交わさなかった。

 僕に対して言いたいことがあるようだったが、彼女はそれをうまく尋ねる方法が分からなかったのだと思う。

 最後に彼女の家の前で僕に向けた視線はとても悲しげな思いが含まれたものだった。

 

「政夫」

 

「何? ニュゥべえ」

 

 ずっと何も喋らずに僕の肩の上に乗りかかっているニュゥべえが唐突に口を開いた。

 

「君は悪くないよ。全てはほむらが招いた事だ。君の対処は決して批難されるべきものじゃない」

 

 どうやら、ニュゥべえはまどかさんとの溝ができてしまったことを慰めようとしてくれている様子だった。

 かつてのインキュベーターとは思えない人情味のある配慮だ。

 僕はそれに僅かに頬を弛め、彼女の頭を優しく撫でた。

 

「ありがとうね。でも、気にしなくていいよ。僕がやったことは全部こうなることまで考えてやったことだから」

 

「でも……」

 

「大丈夫だよ……ぐっ!?」

 

 心配そうにするニュゥべえに笑いかけようとした、その時、身体中に激痛が走る。

 今まで生きてきた中で感じた痛みとは質があまりにもかけ離れている痛みだった。全身の身体の脳、内臓、筋肉、皮膚、その全てに均等に削られていくような常軌を逸した感覚を感じた。

 直立していることさえもできなくなり、アスファルトの大地に膝を付ける。

 

「政夫っ! どうしたの!?」

 

 崩れ落ちる前に僕の肩から飛び降りたニュゥべえが僕にそう叫ぶが、答えることもできずに身体をくの字型に折り曲げてもがく。

 

「あぐぁ……ぐぅづぅ……」

 

 食い縛った歯の隙間から、苦悶の声と唾液が漏れ出す。

 無意識に顔の前に持ってきた両手を見て、僕は指に嵌った指輪へと視線を向ける。

 織莉子姉さんの家から出る時に魔法少女たちと同じく、指輪状にしたソウルジェムだ。

 その指輪から、まるで気化していくドライアイスのように黒い光の粒のようなものが立ち昇っている。

 

「これは……まさか、政夫のソウルジェムが……」

 

 ニュゥべえの言葉を理解する前に指輪状だったソウルジェムが、宝石の形状に戻る。

 クリアブラックの宝石はその体積を僅かに減らしながら、夜の大気に変えるように黒い粒子を舞い上げていた。

 

「ソウルジェムが削れている。そんな、そうして……?」

 

『それはきっと、政夫のソウルジェムが劣化品だからだろうね』

 

 ニュゥべえの問いに答えたのは傍の塀の上に現れた旧べえだった。

 旧べえは塀から飛び降りて、(うずくま)る僕の近くに寄ると、僅かに楽しげに聞こえる声で僕らに言う。

 

『政夫のソウルジェムは本来の工程を無視して、無理やり生み出されたものだ。はっきり言って、従来の魔法少女システムから完全に外れている。ボクたちの見立てによると、魔力を使う事はおろか、その魂を維持する事もできないだろうね』

 

「そんな……。じゃあ、政夫は?」

 

『恐らく、そう長くは持たないんじゃないかな? あと、五日、いや三日持てばいい方だね。ただ、ソウルジェム自体が消滅して行ってるから残念だけど魔女化する事はないと思うよ』

 

 大きな尻尾を左右に振りながら、無表情に答える旧べえ。

 この激痛の正体は僕のソウルジェムが消滅しつつあるからだと親切にも教えてくれる。いや、あえてそれを教えて僕に話を持ちかける気なのだろう。

 いつもよりも声のトーンに起伏があるように聞こえる声で旧べえは思った通り僕に尋ねる。

 

『ねえ、政夫。このままじゃ、君は魂があと三日程度で消滅して死んでしまう。でも、一つだけその滅びを回避する方法がある。賢い君なら分かるだろう?』

 

 ずいと顔を近付けて、一拍空けた後に言った。

 

『まどかにソウルジェムの安定を願ってもらう事だ。そうすれば、君の命は助かる……もっとも、最初から君を救えるようにまどかが願っていればこんな手間が省けたんだけどね』

 

 僕は旧べえの言葉を聞ききながら、激痛に支配される思考の中で視線をニュゥべえに向ける。

 

「ニュ……べ、え。ほ、かく……」

 

「……分かったよ」

 

 僕に罪悪感を感じて俯くニュゥべえにそう伝えると、彼女はその役目を思い出し、旧べえのすぐ隣に移動する。

 

『何をする気だい? ボクに頼らなければ、政夫はどの道死ぬんだよ?』

 

「……そうだろうね。それはボクの責任だ。でも、今は政夫がボクに願った事をするだけだ」

 

 旧べえの半分くらいしかない尻尾を伸ばし、ニュゥべえは旧べえを捕まえる。すると、背中の(ふた)を開き、その背中の穴の中に旧べえを押し入れた。

 蓋が閉じると、あの忌々しい声は一旦消え去る。

 それを終えると、ニュゥべえは僕に申し訳なさそうに小さく萎んだ声で謝った。

 

「ごめん、政夫……ボクが力不足なばかりに……」

 

「構わ、ない……よ」

 

 激痛が少しだけ治まり、地面に手を突いて立ち上がる。

 強烈な眩暈を感じながら、ふらふらつく身体を傍の塀に傾けながら、どうにか再び真っ直ぐに立つと顔を引き締めた。

 

「僕はあそこで死んだと思えば、三日も寿命が延びたんだ。お礼を言うことがあっても、責める理由なんてないよ」

 

 元より、奇跡なんていらないと僕は思っている。

 人間は死ぬ。それは避けようのない道理だ。それを覆そうなんて、真面目に死んでいった先人たちに失礼以外の何物でもない。

 やるべきことをやった後に死ぬのなら、それでいい。

 例え、僕に未来がなくても、まどかさんたちの未来は守ってみせる。

 




読者の方々は私が政夫を嫌っていると思っている方もいるようですが、私は彼の事を嫌っておりません。むしろ、思い入れのあるキャラクターです。
好きだからこそ、苦難に合わせてしまうのです。嘘ではありません。

次回『理解されぬ少年』

作者の悪意を打ち払え!


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特別番外編 if百話『歪んだ関係』

これはもし第百話『歪んだ愛』でまどかが別の選択をしていたらというifの分岐です。
かなりギャグなので本編のノリとは全然違いますのでご注意ください。


 次の日、暁美は何ごともなかったように林道沿いの待ち合わせの場所へ現れた。

 小さな微笑みすら浮かべて、志筑さんや美樹と和気藹々(わきあいあい)と談笑すらしている。

 もしも、織莉子姉さんが昨夜電話がなければ、素直に安心できた光景だったのだが、今の僕にはそこからは不気味さしか感じられなかった。

 まどかさんの家に迎えに行き、彼女と共に来た僕に暁美が気付くと、にこりとこちらに笑顔を向けて近付いてくる。

 

「おはよう。政夫、まどか。いい天気ね」

 

「……おはよう。ほむらさん」

 

 暁美をまどかさんに近付けないようにさり気なく二人の直線上に立った。背にまどかさんを庇うようにして挨拶を返す。

 まどかさんはそれに怪訝そうに見つめるが、彼女も暁美があまりにも穏やかにしているのが不自然に感じられたようで、僕の後ろから出ることはなかった。

 

「おはよう。ほむらちゃん。……昨日は学校に来なかったけど、どうしたの?」

 

「昨日は体調不良で休んだだけよ。少し具合が悪かったの。心配させてごめんなさいね」

 

 心配していたまどかさんに暁美は眉を下げて申し訳なさそうに謝る。

 それにほっと安堵したまどかさんは表情を明るくさせて、僕の脇から暁美に駆け寄ろうとした。

 暁美がふっと笑った。今までに見てきた彼女の笑みとは本質的に何かが違う、不穏な表情だった。

 いつもの紫色の瞳が、ほの暗く濁って映って見えた。背筋に冷たいものが走る。

 その顔を見た僕はまどかさんの手を思わず、握って引き止めてしまった。

 

「政夫くん?」

 

 きょとんとして振り向くまどかさんに僕は説明することもできず、彼女の手を握り締め、少しの間黙る。自分の表情筋がいつになく強張っているのを感じた。

 暁美の後ろに居る志筑さんと美樹も僕の反応がおかしいことに気付き、視線だけでどうしたのかと尋ねてくる。

 

「……早く登校しようよ。昨日は遅刻ぎりぎりになっちゃったし」

 

「政夫くん、ちょっと私、ほむらちゃんと話してもいいかな?」

 

 有無を言わせない真剣な表情でそう言うが、まどかさんは何故かそれを無視し、ほむらと話をさせてくるように頼んできた。

 

「え? ……うん。分かったよ」

 

 釈然としない思いを抱きつつも、暁美を警戒しながら、僕はまどかさんの手を握っていた手を離す。

 まどかさんは暁美の目の前まで来ると、真剣な表情で口を開く。

 

「ほむらちゃん」

 

 不穏なものを感じさせるほどに優しげな笑みを(たた)えた暁美が聞き返した。

 

「何かしら?」

 

「私、政夫くんと付き合う事になったんだ」

 

「そう……それはおめでとう」

 

 僕とまどかさんを交互に見比べて、より一層笑みを強くする。僕にはそれが爆発寸前の爆弾を表しているように思えて胃の(ふち)が締め上げられた。

 暁美に対して鞭を打つかの如き行為に、僕は流石に止めさせようとまどかさんの肩に手を伸ばす。

 だが、次にまどかさんはこう言った。

 

「それでね。よかったら、ほむらちゃんも政夫くんの彼女にならない?」

 

「はいぃ!?」

 

 凄まじい提案がまどかさんの口から飛び出す。

 あまりの驚きに僕は素っ頓狂な声を上げざるを得なかった。

 直接言われた暁美はもちろん、その後ろに居る美樹も志筑さんも絶句している。

 どうか、復帰した暁美は既にあの不気味なくらいに穏やかな笑みは完膚なきまでに粉砕され、僕と同じくらい戸惑いの色が隠せていない。

 

「……ど、どういう事?」

 

「言葉通りの意味だよ。ほむらちゃんも私と同じように政夫君の恋人になって、一緒に政夫くんを支えてほしいなって」

 

 意味を尋ねる暁美にまどかさんは嬉しそうに微笑みながらそう述べる。

 突如、自分の彼氏を友達にシェアしようとにこやかに持ちかける僕の彼女に、言葉を失い、ただただ唖然とする。

 何を言っているんだ、この子は……。とてもではないが、理解ができない。

 

「『ほしいなって』……ってまどか、それ本気で言ってるの!?」

 

 突っ込みの役目を見事果たしてくれたのは暁美の後ろに居た美樹だった。

 第三者的立ち位置に居たおかげで、当事者の僕よりも早めに立ち直ったようだ。

 

「そ、そうですわ! まどかさん、いくら何でもそれは男女交際として不純すぎます!」

 

 さらにその隣の志筑さんまでが言葉の援護射撃を行い、どうにか僕も言葉を発せられるくらいには思考が回復した。

 

「二人の言う通りだよ。まどかさん、それは正気の発言じゃないよ?」

 

「でも、私は本気だよ」

 

 僕らの言葉を振り払うようにはっきりとした口調でまどかさんは言葉を紡ぐ。

 

「私ね、昨日から一人で考えてみたの。どうしたら、これからもほむらちゃんとも仲良くしながら政夫くんと付き合っていけるのか……。そしたら、ほむらちゃんも政夫くんの彼女になれば皆上手く纏まるって思ったんだよ!」

 

 ……何その超とんでも理論。いくら何でもムチャクチャ過ぎる。第一そんな提案、暁美に対する侮辱だ。

 暁美だって、了解する訳が――。

 

「……いいの? まどか……私も、私も貴女たちの間に入っていいの?」

 

 ええ!? 意外に乗り気だ、この人!

 泣き出しそうなほど瞳を濡らして、震える声でまどかさんに尋ねている。

 

「うん。二人より、三人の方がずっと楽しいよ」

 

 よくないよくない全然よくない。

 二人の女の子と同時に付き合うなんて、馬鹿げている。普通じゃない。性質の悪い冗談か何かだ。

 僕としてはそんな不誠実極まりない関係なんて、絶対に受け入れられない。

 

「あのさ、二人とも」

 

 僕がそれは駄目だと言おうとするが、それを遮って志筑さんが喋り出す。

 

「素晴らしい友情ですわ。愛する殿方を友達同士で共有する……そんな考え方もあったのですね」

 

 ない! そんな考え方は少なくても現代日本には存在しない!

 だが、言葉に出す前に感動したように語り出した志筑さんのテンションに負けて言葉がでなかった。

 止めてくれるように美樹に期待して視線を向けるが、彼女は目を(つぶ)って腕組みをし出す。

 

「そうか。そうなんだ。それが一番正しい道だったんだ」

 

 何を納得しているんだ、お前は。人としてのまともな判断力さえ失ったのか。

 まさかの外野の裏切りに合い、愕然とした僕にまどかさんが顔を向ける。

 

「政夫くんもそれでいいよね!」

 

 自信満々の有無を言わせない表情だった。真っ直ぐな澄んだピンク色の瞳が僕を射抜く。

 ……駄目だ。とても嫌だとは言い出し難い。

 だが、それでも僕は首を横に振らなければいけない。これは間違ったことだと声に出して説得しなればならない。

 覚悟を決めるために息を吸い込み、拒否の旨をは答えようとする。

 すると、暁美までもが僕の方に目を向ける。

 

「政夫……私も、私も貴方の恋人になっていいかしら?」

 

「…………」

 

 雨の日に捨てられた子猫のような、庇護を求めて縋り付く目で僕を見つめる。

 やめろ。そんな目で見るな。大体、お前はちゃんとあの時振ったはずだろう?

 暁美の潤んだ瞳は頼りなさげに揺れる。

 

「駄目、かしら……?」

 

「…………いい、よ」

 

 僕の中の正常な恋愛観が敗北した瞬間だった。

 自分の背中に自分で『最低な男』のレッテルを心の中で貼り付ける。

 父さんにも亡くなった母さんにも、もう顔向けできない人間になってしまった。

 けれど――。

 

「やった。まどか! 私もまどかと同じ彼女になれたわ!」

 

「おめでとう、ほむらちゃん!」

 

 目の前で嬉しそうに手を握り合う暁美とまどかさんを見ていると、これもこれでよかったのかなと思えてしまう。

 そんな惰弱で不埒な自分が困ったことに嫌ではなかった。

 そうした経緯があり、本日僕、夕田政夫は二人目の彼女を作った。

 

 *

 

「てな訳で、まどかとほむらに頼んで私も政夫の彼女になったから」

 

 一時限目の後の五分休憩の時にそっと僕の席に近付いてきた美樹が僕にそう耳打ちした。

 

「ちょっと待てぇぇぇえええい!?」

 

 椅子から勢いをつけて立ち上がり、喉がおかしくなりそうな声を僕は上げた。

 教室に居たクラスメイトは一斉に僕へ視線を突き刺したが、今はそんな些細なことはどうだってよかった。

 

「え? え!? どういうこと?」

 

「おっきな声出さないでよ。びっくりするでしょ?」

 

 びっくりしたのはこちらの方だと返してやりたかったが、とにかく、美樹の発言の真意を聞く方が重要だったので無視した。

 流石に教室内でせきららに話していい内容ではなかったので、美樹の手を掴んで廊下の端まで連れて行く。

 その際に「もう急に手を握るなんて……」と照れた声で美樹が呟いたが、これも同じく無視した。

 

「冗談だよね? 今なら笑って許すよ? かなり笑えなかったけど、それでも許すよ?」

 

 頬肉が痙攣しているのを感じながらも、どうにか笑顔を作り、美樹に詰め寄る。

 頼むから冗談だったと言ってほしかった。冗談でも悪質極まりないが、それはこの際問わないから嘘だと答えてほしかった。

 しかし、無常にも美樹の答えは僕が求めたものとは対極にあるものだった。

 

「いや、本当だよ。私も政夫と付き合いたいってまどかに言ったら、許可してもらえた」

 

「許可もらえたって……というか、そもそも君は上条君のことが好きだったんじゃないの?」

 

 美樹は上条君のことが昔からずっと好きだったから、彼の手を『願いごと』で治したのではなかったのか。

 だからこそ、上条君が暁美に好意を抱いた時にあれだけ苦しんだのではなかったのか。

 僕はその思いを込めて、美樹に尋ねるが彼女はそれに呆れた風に返した。

 

「あのさ、政夫。私結構前からアンタの事好きだったよ? 恭介の事はとっくに諦めてるって」

 

「……ええー!? そんな簡単に振り切れるものじゃないだろう、恋心って」

 

「まあ、政夫が居なかったらもうちょっと引きずってたかもね。でも、今は政夫の事が好きなの。弱いとこ見ても、私の事元気付けて背中押してくれたアンタの事、好きになっちゃったの!」

 

 言いながら、恥ずかしくなって来たらしい美樹は僕の鼻先に指を突き付ける。

 僕もまた真っ直ぐ過ぎる彼女の告白に頬が熱くなってきた。今日は本当に何なんだ。

 そして、こほんと小さく咳払いして改まったように美樹は僕に言い放つ。

 

「順番が逆になっちゃったけど、あなたの事が好きです。私と付き合ってください」

 

「……でも、既に拒否権ないんだろう、それ」

 

「雰囲気壊さないでよ。政夫だって、何だかんだ言っても私の事嫌いじゃないでしょ?」

 

「それはまあ嫌いじゃないけどさ。もう僕には彼女居るし……二人も」

 

 自分で言っておいて二人彼女が居るって状況の異常さに戦慄する。ここは本当に平成時代なのか。

 

「二人も居るなら、三人に増えても変わんないよ。……それともほむらとは付き合えるのに、私とは付き合えない?」

 

「それを言われると何も言い返せないね……。けど、いいの? 僕なんかよりもずっといい男なんて、それこそ星の数だけ居るんだよ」

 

 すると美樹は僕に顔を寄せて、そして、柔らかい唇を僕の頬に当てた。

 バッとその場を一メートルほど飛び退いて、唇の触れた頬を押さえ、硬直する。

 その様子を見て、小さな声で笑うと美樹は言った。

 

「私にとっては、政夫以上の奴なんて居ないわ」

 

「……あのヘタレだった君がこんな大胆なことするなんて」

 

「私をこういう女にしたのは政夫だよ?」

 

「誤解を呼ぶような言い回しをするな!」

 

 大きな声で突っ込むと美樹はまたも楽しげに笑い声を上げる。

 それを見て、僕は顔を片手で覆って溜め息を吐いた。

 こうして、僕に三人目の彼女ができた。……彼女とは連鎖するようなものだっただろうか。知らなかった。そして、できれば知りたくなかった。

 

 **

 

 午後の授業が終わり、昼食のために僕はまどかさん、美樹、暁美、志筑さん、杏子さんを連れて屋上に向かった。この五人の女の子の内、三人が僕の彼女と言うあり得ない状況に眩暈を禁じえない。

 屋上には既に巴さん、織莉子姉さん、呉先輩の三年勢が待っていた。

 正直、もうある意味お腹の中はいっぱいなので昼御飯は入りそうになかった。ただ、急激に痛くなった頭を何とかするための頭痛薬がほしい。

 屋上の中心にあるベンチに座るとすぐさま、僕の隣をまどかさんと暁美が陣取る。まどかさんの隣は美樹だ。

 まるで美少女ゲームの主人公になった気分だ。それも飛び切り開発者の頭の緩んだ感じの奴だ。

 

「今日は随分と夕田君に密着するのね、三人とも」

 

 巴さんがなぜか少し棘のある口調で言うと、その隣に居た志筑さんが嬉々として言った。

 

「巴さん、実はですね、あのお三方は皆、政夫さんの恋人になりましたの!」

 

 志筑さんには美樹が追加されたことも知っているのは仕方ないし、それに隠し通せることとは思っていなかったが、ゴシップ記事を語るように話すのは勘弁してほしかった。

 

「え? それってどういう……」

 

「最初はまどかさんだけが政夫さんとお付き合いしていたのですが、ほむらさんやさやかさんとも仲のよい関係を築きたいと(おっしゃ)って、政夫さんに好意を持っていた二人を迎え入れたのです!」

 

「うぇっ……マジかよ、それ」

 

 巴さんの反対隣に座っていた杏子さんが嫌悪の混じった声を上げた。

 ようやくまともな感性を持っている人物が登場してくれたことに軽く涙が出そうになる。

 杏子さんに引き続き、反応したのは呉先輩だった。

 

「何それ、ずるい! 私も入れてよ! ……ねえ、まどか、いいよね?」

 

「いいですよ」

 

「軽っ!?」

 

 呉先輩のこの反応は予想していたが、それに対するまどかさんの応えの軽さは想像を超えていた。

 小学校のドッヂボールだって、人を交ぜる際はもっと悩むのではないだろうか……。

 

「やった。じゃあ、これで私も政夫の彼女だね?」

 

 嬉しそうにする呉先輩を見て、一人だけ仲間に外れにするという訳にもいかず、僕は頷くしかない。

 膝上に置いてあったまどかさんが作ってきてくれたお弁当箱をそっと退かして、呉先輩は僕の膝の上に座った。

 

「えへへー。彼女彼女ー」

 

 子犬のようにじゃれ付いてくる呉先輩の頭を撫でながら、僕は脳内のメモに『彼女+1』と書き込む。これで僕の彼女は合計四人になった。ぷよぷよなら四つくっ付けると消えるのだが、これはぷよぷよなので彼女たちは消えない。

 素で変なことを考えている僕はもう大分正常ではないようだ。

 

「政夫くん。お弁当、私が食べさせてあげるね」

 

 右隣に居るまどかさんが呉先輩が退かしたお弁当を自分の箸で摘まんで食べさせてくれる。

 普通なら嬉し恥かしのワンシーンだったのだが、今は普通じゃないため、口の中に運ばれた料理の味すら分からなかった。

 「美味しい?」と聞いてくるので取りあえず、「まどかさんの愛情の味がするよ」と答えたら、素直に喜んでくれた。

 その後、膝に乗っている呉先輩にも料理を食べさせてあげている光景を見て、「何だこれ」と素直に疑問を漏らした。

 

「おかしいわ。鹿目さん!」

 

 僕の謎ハーレムに織莉子姉さんがそう叫ぶ。

 流石は織莉子姉さんだ。この崩壊した男女間に物申してくれるのは貴女だけだ。

 そう思って、次の言葉を待っていると織莉子姉さんは真剣な眼差しと共に語った。

 

「それならそうと、まー君の血の繋がらない姉である私に一言連絡してくれないの? 当然、私もまー君の恋人になるわ」

 

 あはははははは。この人、頭おかしい。

 一瞬日本語に聞こえる発音のポルトガル語か何かなのかとも考えたが、無理があるので諦めた。

 この人はもう駄目だ。駄目なお姉ちゃんだ。昔の方が知的に見えたなぁ……。

 頼りにならない織莉子姉さんに早々に見切りをつけて、巴さんを見つめる。

 頼りない部分も歳相応にあるが、一番しっかりしているのは他のでもない巴さんなのだ。

 

「鹿目さん……私も加えてもらっていいかしら?」

 

「ぴゃああああああああああああああぁぁぁぁ!!」

 

 どこからか奇声が聞こえた。見滝原市近隣に生息する未確認生物の雄叫びかと思ったが、それは僕自身の喉から発せられたものだった。

 

「二人ももちろん、いいですよ」

 

「ぴゃあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!」

 

「政夫、煩いわ。食事の時は静かに食べなさい。彼女として恥ずかしいわ」

 

 さも常識人然として非難してくる暁美に、言いようのない不条理を感じたが、黙って引き下がる。

 これで僕の彼女はまどかさん、暁美、美樹、呉先輩、織莉子姉さん、巴さんの六人になった。ポケモンの最大手持ちメンバーと同数だ。これで彼女たちを連れて、ジムリーダーに挑戦に行けばいいのだろうか。

 若干、心が病み始めてきたせいか、楽しくなってきてしまった。脳内ではポケモンのライバルが登場する時のテーマが流れ出す。

 

「これから宜しくね。(まー)(夕田)君!」

 

「あ、はい」

 

 最後の希望として、僕たちの関係に嫌悪を表してくれた杏子さんに頼る眼差しを向ける。

 視線が合致した杏子さんは五秒ほど、同情の目で見つめ返してくれた後――静かに十字を切った。

 

「無言で十字を切るなぁ! ほら、元・教会の子として何か言うことがあるだろう!?」

 

「……アーメン」

 

「違う! そうじゃない!!」

 

 杏子さんはそれだけ言うと、そそくさと自分の弁当箱片付け、屋上から逃げるように去って行く。

 それを見た志筑さんも要らない気を遣い、全て分かっていると言わんばかりの笑顔で返って行った。

 僕の右隣のまどかさんはそれを見送った後、僕の目を見て、優しくはにかんだ。

 

「政夫くん、恋人に囲まれてとっても嬉しそうだね!」

 

 屋上で自分に好意を持つ女の子たちに囲まれた僕は大きな声で慟哭を上げた。

 

「こんなの絶対おかしいよぉっ!!」

 

「「「「「「おかしくない(わ)(よ)(って)」」」」」」

 

 こうして、その日から僕は六人の彼女を持つようになった。

 




ちなみにこの選択を選んでおけば、政夫は死ぬ事はなかったでしょう。
その代わり、政夫の精神はズタボロボンボンになります。
これが読者さんの期待していた「優しい世界」です。

政夫「ぴゃああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」


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第百八話 彼女の役目

~まどか視点~

 

 

 どうしてなんだろう。

 私はリビングの椅子に一人座って、何もないテーブルの上を見つめながら、今日あった事を思い出す。

 何で政夫くんはあんな事をしたんだろう? わざわざ、嫌われるほどあからさまにほむらちゃんを傷付けたのは何でなんだろう?

 ……分かってる。本当は理由なんて分かりきってる。

 それが分かっちゃうから、悲しくて堪らなくなる。

 政夫くんはほむらちゃんを助けようとしたんだ。ううん、私たちの事も皆まとめて助けてくれた。

 あの時は私もほむらちゃんが居なくなればいいって本気で思っていた。人を殺す事がどんな事になるのか深く考えもせず怒りだけに突き動かされていた。

 他の皆も同じように考えていたと思う。それだけ、ほむらちゃんのやった事は許せなかったから。

 でも、政夫くんだけは違った。死んでしまいそうになったのに、殺されかけたのにほむらちゃんを憎んでなかった。

 やった事に対して罪を償わせなくてはいけないってそう思っただけ。

 だから、政夫くんは殴って、髪を切って、私たちがやめるように言い出すまで見せ付けるようにほむらちゃんを傷付けたんだ。

 自分が悪者になるのも構わずにそうやって丸く治めた。

 政夫くんは優しい。優しすぎて見ていて、悲しくなってくる。

 彼の吐く嘘はいつだって誰かのためのもの。自分の事よりも周りの人たち事を優先する。

 そんな風に振る舞う政夫くんが見たくなかったから、彼女として支えようって誓ったのに結局私は何もできないままだった。

 私は今回もただ守られてただけで何一つ政夫くんの助けになれなかった。それが悔しくてしょうがない。

 自分の不甲斐なさに泣きそうになる。……駄目だ。こんな風に悩むだけじゃ、私は政夫くんの彼女を名乗れない。

 唇を噛んで俯いている私の前に突然マグカップが一つ置かれた。

 中には湯気を立てているミルクが入っている。

 顔を上げると、いつの間にか、隣にパパが穏やかな表情で私を見ていた。

 

「まどか」

 

「……パパ」

 

 パパはテーブルを挟んで私の向かい側の椅子に座ると、優しい口調で聞いてくる。

 

「夕食の時からずっとそんな顔してたけど、何かあったのかい? 僕でよかったら話を聞くよ?」

 

 正直に言えば、パパの申し出は嬉しかった。誰でもいいから話を聞いてほしいほど、私の中で色々な感情がひしめいていた。

 でも、それはできない。パパには話しようがないし、話したところで信じてもらえない事が多すぎる。

 うまく、魔法の事をぼかして伝えるには私の頭ではとてもできそうになかった。

 私はマグカップに入ったホットミルクに口を付けて、黙り込む。

 パパは話す気配のない私を少し見つめた後、静かな声で話し出した。

 

「まどかがそうやって、暗い表情するのはしばらくぶりだね」

 

「え?」

 

 パパのその言葉に私は顔を上げた。

 それを見たパパはくすりと小さく笑う。

 

「少し前もそんな顔をしてたけど、すぐに立ち直ってたね。……ひょっとしてあれは政夫君のおかげかな?」

 

 パパが言っているのはきっとさやかちゃんがキュゥべえと契約してしまった時の事だ。

 そう。あの時はまだどうしたらいいか分からなくて、一人で悩んでいた。

 そんなところに政夫くんが気分転換にカラオケへ誘ってくれて、その帰り道、魔女の口付けをされた人たちの自殺に巻き込まれた。

 私は政夫くんが逃がしてくれたおかげで一人だけ工場から脱出できたけれど、代わりに政夫くんがピンチになって……偶然出会ったショウさんに、政夫くんを助けてもらった。

 その時。

 その時に、自分の力では何もできなかった私にボロボロで傷だらけになった政夫くんはこう言ってくれたんだ。

 

『自分にとって都合の良い偶然を、人は『奇跡』って呼ぶんだよ。鹿目さんは奇跡を起こしたんだ。支那モンに頼らずにね。自信を持って』

 

 あの言葉が私を立ち直らせてくれた。

 悩んでいるだけで自分から行動する事のなかった私に勇気を与えてくれた。

 だから、私は前よりもずっと頑張れるようになれた。そして、政夫くんに本格的に恋をした。

 思い出せば心がじんわりと温かくなり、くすんでいた心が途端に色付いていく。

 

「そうだよ。政夫くんが私を助けてくれたの!」

 

「まどかは本当に政夫君の事が好きなんだね」

 

 私が頷いて答えると、パパはまた穏やかに微笑む。

 政夫くんへの想いを見透かされ、少しだけ照れくさくなる。

 そんな私を見て、少しだけ不思議そうにパパは尋ねた。

 

「今回は政夫君にも相談できない事なのかい?」

 

「……うん」

 

 他ならない政夫くんの事を悩んでいるのだから、本人に相談する訳にもいかない。

 それに話したところで、政夫くんは本当の事は言わないはずだ。自分が悪者になって何もかも背負おうとするに決まってる。

 何もかも勝手に持っていて、私たちには触らせてもくれない。私には自分の事を大切にしろと言うくせに自分自身は大事にしない。

 パパは私の反応を見て何か納得したような顔をする。

 そして、急に話を政夫くんの事に変えた。

 

「政夫君。彼は不思議な子だよね。年齢よりもずっと大人びて見える」

 

 パパが何で政夫くんの話を振ったのかよく分からなかったけれど、私もそれに頷いた。

 

「そうだね。私と同じ歳とは思えないよ」

 

 とても十四歳とは思えないくらいに賢くて、責任感が強くて、何より面倒見がいい。だから、政夫くんは――。

 

「だから、彼は必要以上に他人の事を気にするんだろうね」

 

「!」

 

 その言葉に私は驚いてパパを見つめた。それは私の考えていた事とまったく同じだった。

 パパはそんな私に優しくこう言う。

 

「僕もね、初めてこの家に来てくれた時、政夫君と話した事があるから分かるよ。彼は周りが見えすぎているんだろうね。最初は世間話をしてたつもりだったのに、知らず知らずの内に専業主夫としての悩みを聞いてもらってたよ」

 

 恥ずかしいよねと照れたように笑った。

 多分、今ではなく、昨日か一昨日くらいに聞いていれば私もパパと同じように笑えていたかもしれない。けれど、今は政夫くんの悲しい生き方を思わせるものしか聞こえなかった。

 

「そんな僕のつまらない話を最後まで真面目に聞いてくれた政夫君を見て、僕はふと思った。なら、彼は誰に自分の悩みを誰かに聞いてもらう事はあるんだろうかって」

 

「それは……」

 

 私が、と言いかけて押し黙った。

 私は政夫君の事を分かっていたつもりだった。優しくて、自分に厳しい彼を誰よりも知っている気になっていた。

 でも、政夫君は一度でも自分から私に心の内を話してくれた事があっただろうか。

 彼は言わない。自分が辛くても一人で抱えて、誰にも手伝わせてもらおうとはしない。

 結局、政夫くんは一人のままだ。

 

「まどか」

 

 パパは一旦そこで政夫君の話を止めて、私の名前を呼んだ。

 そして、私の瞳を覗き込むようにして尋ねる。

 

「まどかは政夫君の彼女になったんだったね?」

 

「……うん」

 

「だったら、彼を積極的に支えに行ってあげないといけない。彼は昔のママと同じで自分の弱さを見せないように生きてる人だ。自分から助けを求める事なんてきっとないと思う」

 

 そうだ。きっと政夫くんは人に甘えるのが下手な人だ。

 助けるのは慣れていても、助けてもらい方が分からない男の子だ。

 

「一つ僕からアドバイスできる事があるとしたら、そういう弱さを見せない人には自分からぶつかって行く事だよ。待ってるだけじゃ、何もさせてくれないからね」

 

 そう言って、パパは過去を懐かしむように遠い目をする。

 昔のママの事を思い出しているのか、その顔は見た事もないくらい複雑で、それでいて、ひどく優しい表情をしていた。

 ママも昔はもっと隙のない人だったのかな……。でも、それでも今はママはパパに支えられている。

 だったら、私にも政夫くんにそうやって支えていけるのかもしれない。

 

「パパ。私も、私にもできるかな?」

 

「できるよ。まどかはとっても優しい子だからね」

 

 パパの言葉に勇気付けられて、気落ちしていた心がまた前を向き始める。

 話している間に温くなってしまったホットミルクをきゅっと目を瞑って、一気に口の中に流し込んだ。

 

「ま、まどか?」

 

 驚いた様子で目で瞬きするパパを余所(よそ)に私はごくごくと息継ぎなしでホットミルクを飲む。マグカップの底が見えるほど飲み干すと、テーブルの上にどんとそれを置いた。

 口元をテーブルの中心に置いてあったティッシュで拭いてから、溜め込んでいた空気を大きく吐き出す。身体の中にあったモヤモヤが呼吸と一緒に出ていたように感じた。

 

「パパ。ありがとう。パパのおかげで何をすればいいのか分かった気がする」

 

 今までにないくらいしっかりとした声が自分の奥から出てきた。

 パパはそんな私に少し戸惑っていたけれど、すぐに元の調子を取り戻して微笑んだ。

 

「そうかい。お役に立てたなら何よりだよ」

 

 おやすみと夜の挨拶を交わした後、私は部屋に戻り、ベッドの中に潜り込む。

 落ち込んでいた気分がもう完全に晴れていた。明日になったら、政夫くんに何をしてあげればいいのかももう分かっている。

 今までよりもずっと政夫くんに積極的に話してみよう。

 今度は何もかも一人で抱え込ませないように。

 勝手に責任を持っていかせないように。

 自分の弱さを隠させないように。

 そして、彼の支えになってあげられるように。

 私は守られているだけのお姫様になんかなってあげない。例え、特別な力なんてなくても、政夫くんと痛みや苦しみを分かち合えるそういう存在になりたい。

 だってそれが『彼女』というものなのだから。

  




今回は話は進んでおりませんが、どうしても必要な回でした。
まどかの内心がないと次回の話が薄っぺらくなってしまうのと、何よりまどかルートなのに出番が少ない事が理由で書きました。


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第百九話 理解されぬ少年

 朝の学校。担任の早乙女先生はまだ着いておらず、喧騒(けんそう)が鳴り響く教室内。

 そこで僕はガラス張りの壁に寄り掛かり、一人のクラスメイトを待っている。

 いつもの待ち合わせ場所には行かずに先に学校へ来たために、まどかさんたちはまだ教室にはいない。代わりと言っては何だが、珍しいことにいつもホームルームの時間ぎりぎりに登校するスターリン君が教室に入ってきた。

 彼は僕の姿を見つけるなり、安堵したように肩の力を抜き、ほっと溜め息を吐いた。

 

「おお、夕田。よかった~。そうだよな。やっぱ、そんな事あるはずないもんな」

 

「おはよう、スターリン君。でも、いきなり、意味不明なこと口走られても対応できないんだけど……」

 

 挨拶をする僕の前に来ると、ぽんぽんと両手で肩を叩いてにこやかな顔をするスターリン君。一体全体どうしたというのだろうか。いつも以上に気安い彼に僕は戸惑いを見せる。

 

「いや、何。ちょっと嫌な予感がして、お前の身に何か起きたんじゃないかと心配してたんだよ。いや、マジ安心したわ」

 

「それは、ありがとうね」

 

 いまいち要領が掴めなかったが、スターリン君は僕を心配してくれれいたらしい。彼らしくない気遣いだが、それはちょっとだけ嬉しく思えた。

 何だかんだ言っても、それなりに交流のある彼は僕のことを友達だと思ってくれていた。

 少々、お調子者で空気が読めないところのあるスターリン君だが、今ではそれほど嫌いじゃなかった。彼の中学生らしい純真な部分は考えがちな僕には少し羨ましく見える時がある。真似したいとは欠片も思わないが。

 

「そうそう。今書いてる『最強無敵チート・リンタロウ列伝』の事なんだけどさ、リンタロウが登場する前にサブキャラのサマオをどう動かすかについて相談したいんだけど……」

 

 スターリン君が自作二次小説のことを話そうとした時、教室に上条君が現れる。

 彼もまた、僕の姿を見るとすぐさま近くに駆け寄ってきた。

 

「夕田君、よかった……」

 

「上条君、やっと杖なしで歩けるようになったばかりなんだから走っちゃ駄目だよ。で、その『よかった』っていうのは……」

 

「何だか、夕田君に良くない事が起きたような予感がして」

 

「お前もか、上条」

 

 話を聞くと上条君もスターリン君のように、僕に何か不吉な予感を感じて心配してくれていたのだという。

 もしも、これが何もなければ心配してくれた二人に気にしすぎだと笑ってあげられたのだが、生憎とその予感は見事に的中していた。

 僕はもう、そう長くは生きられない。ニュゥべえの見立てでは明後日には確実にソウルジェムは消滅する。

 はっきり言ってしまえば、今の僕はサッカーでいうところのロスタイムを享受しているに過ぎない。本来ならば、昨日暁美に胸を銃弾で貫かれ、命を絶っていたのだ。

 言わば、ズルをして僅かな時間だけ寿命を延ばしているようなもの。

 僕を心配してくれた目の前の二人には決して教えられないが、もう僕は人間としての人生は昨日の時点で終わっている。

 それでもいい。ワルプルギスの夜には辛うじて間に合う。

 

「二人とも、僕のこと、そこまで心配してくれてありがとう」

 

 そして、ごめん。僕は君らに本当のことを言う訳にはいかない。

 

「でも、ほら。こうしてピンピンしてるから安心して」

 

 僕のことを気にかけてくれた彼らを、僕は騙す。何でもない顔をして、彼らの好意を欺瞞(ぎまん)で浸す。

 でも、大丈夫。二人とも僕のことなど綺麗さっぱり忘れたくなるだろう。

 これから、僕がする行為を見て、嫌悪と軽蔑を持つことになるはずだ。

 そうなれば、僕の死に悲しむ必要なんかない。

 ガラス張りの壁の向こうから歩いてくる暁美の姿を視界の端で捉え、静かにそう思った。

 

 *

 

 教室に居たクラスメイトは暁美の姿を見て、唖然となり、皆言葉を失ったように黙り込んだ。

 おずおずとした所作で教室にやって来た暁美には長く艶やかだった髪は見る影もなくなっていた。彼女の髪は、美樹よりもさらに短い髪型になっており、さらにその切り口も杜撰(ずさん)で不揃いという酷い有り様をしている。

 暁美の表情も暗く、僅かに俯いていて、目元には泣き腫らした形跡がまざまざと残っていた。もはや、かつての美しい長髪の凛とした彼女の姿からは、想像もできないほど惨めな面持ちをぶら下げている。

 他ならない僕がやったことだ。

 外側も内側も傷付け、痛め付け、正面を向いて歩けないほど心を圧し折った。

 本来なら学校に来ることさえできなかっただろうと思わせるくらいに暁美は傷心(しょうしん)している。

 そんな彼女がわざわざ、一人で登校して来た理由は一つだ。

 

「……ちゃんとメールに書いた通りに登校してくれたようだね。ほむらさん」

 

 僕が明日必ず学校に来るように書いたメールを彼女の携帯電話に送ったからだ。

 暁美は僕に負い目を持っている以上は来ないなどという選択肢は彼女の中には存在しない。どれだけ辛かろうともそこだけは絶対に曲げられないだろう。

 

「……政夫、昨日はごめ……」

 

「誰が喋っていいって言った?」

 

 謝罪の言葉を口にしようとした暁美を高圧的に遮り、黙らせる。

 ゴミを見るような蔑みに満ちた目で睨みつけると、彼女はただでさえも俯きがちだった顔はさらに下を向く。

 傍に居たスターリン君は困惑した表情で僕らのやり取りを止めた方がいいのかと迷っている様子だった。上条君も同様の表情をしていたが、こちらは積極的に僕に事情を尋ねてくる。

 

「あのさ、夕田君。暁美さんと喧嘩でもしたの? よかったら何があったのか教えてもらえる?」

 

「ああ。こいつが何かと僕に付き纏って来るのが、鬱陶しくてね。もう近付かないで言ってるのに……同じように転校生だからたまたま優しくしてやってただけなのに、彼女にでもなったつもりで居るみたいなんだ」

 

 ――気持ち悪くてしょうがないよ。

 心底不快そうに僕はそう吐き捨てた。

 上条君はまるで僕が何を言っているのか分からないといった顔で目を見開き、愕然としている。

 彼の中の『夕田政夫』の人物像と今の台詞はそれほどまでに乖離(かいり)していたようだ。友達の信頼を踏み(にじ)ってしまったことに僕の胸の奥がちりっと焼けるような痛みを発した。

 けれど、これでいい。僕の望む状況になるまで、あともう一押しだ。

 僕は顔を彼から暁美に戻すと、彼女は泣いていた。

 拒絶され、嫌悪され、頬から涙を流す暁美は昨日のような妖艶で底知れなさを放っていたとはとても思えないほど弱々しく見える。

 髪と一緒にその怪しげな精神の強さを削ぎ落とされたかのように、今の暁美は脆弱で矮小だった。

 そんな彼女の胸倉を掴み上げて、俯く顔を無理やり覗き込む。

 

「何、被害者面してるの? 本当に汚らしいね、君は。同情でも誘いたいの?」

 

「ち、違う。違う、わ ……悪いのは、悪いのは私の方、だから」

 

 しゃっくりあげるせいで暁美の台詞は途切れ途切れに聞こえる。

 内気で卑屈な、今まで見せたことのない普通の少女としての一面を露わにしていた。

 僕は怒声をあげて殊更弱った彼女を追い詰める。クラスメイトの前で、いや、上条君の目の前で。

 

「当たり前だろう!? 君が悪いんだから。だったら、見っともなく泣かないでよ!」

 

「ご、ごめん。ごめ、なさ……」

 

「やめなよ……夕田君」

 

 彼女の胸倉を掴んだ手とは逆の腕で、殴り付けようと振り上げる。上条君が低い声で制止を訴えるが、僕はそれに耳を貸さない。

 暁美は目を瞑って、僕の拳が来るのを受け入れていた。これが単なる暴力であれば、彼女は痛みなど恐れはしない。目を瞑ったのは、僕に糾弾されているのが辛いからだろう。

 だが、次の瞬間。

 

「やめろっ!!」

 

 鋭い声が僕の鼓膜に飛び込んだ。

 それと同時に誰かの左拳が僕の右頬を殴り付ける。

 即座に僕は暁美の胸倉を手放し、頬に走る痛みと共に床に無様に倒れた。

 暁美はそれを驚いた顔で見つめている。

 

「夕田君……僕は君に幻滅したよ」

 

 はっきりとした声が転がった僕に届く。歪めた顔で僕を見下ろしている上条君。隣に並んでいるスターリン君はおろおろと僕と上条君を交互に見つめている。

 僕を殴り飛ばしたのは上条君のようだった。

 彼は暁美を庇うようにして前へ出ると、僕に低い声で言う。

 

「君たちに何があったのかは知らない。でも、女の子に暴力を振るおうとするのは最低の行為だよ」

 

 殴られた頬をそっと押さえ、彼らを睨みながら、内心で苦笑する。

 上条君。やっぱり君はまっすぐで誠実な男だよ。僕が見込んだ通りの人間だ。

 これなら、暁美のことを安心して任せられる。

 

「何だよ……君はそいつの味方をするの? 振られたくせにまだ未練がある訳?」

 

 挑発に見せかけた彼の覚悟を問う。

 ここで揺らがずに、「そうだ」と暁美の味方をしてくれるなら、暁美もまた彼に惹かれるはずだ。

 暁美は止まり木を必要としている。心を預けて寄り添える存在を求めているのだ。

 生半可な気持ちではそれを支えることはできない。彼女は誰かに依存しなければ生きていけないほどに弱い人間なのだから。

 

「好きだよ。振られた今でも僕は彼女に好意を抱いてる」

 

「そうだろうね、何せほむらさんは見た目『だけ』はいいから」

 

「違う! 最初は確かに見た目や雰囲気に惹かれてた。でも、ちゃんと話をして彼女の内面が好きになったんだ!」

 

 揶揄(やゆ)する僕の言葉を、上条君は力強く否定する。

 

「暁美さんは正直で、繊細で、優しさを持ってるそんな女の子だって知ったから、もっと彼女に惹かれたんだ!」

 

 教室の中だと言うことさえ、気にも留めず、暁美への想いを大きな声で吐露した。

 暁美はその言葉を聞いて、自分が彼を振ったことを思い出したのか、申し訳なさそうに視線を伏せる。

 

「それは、上条君がほむらさんの嫌なところや嫌いなところを見てないから言えるんだよ! 嫉妬深くて、しつこくて、重たい自分勝手な女なんだよ、そいつは!? それでも好きで居られるの?」

 

 起き上がりながら、暁美を指さして僕は最後の質問をする。

 彼ならこれに答えてくれることを信じて、さも激昂した振りをして叫ぶ。

 暁美の都合のいい部分だけではなく、駄目な部分を受け入れてくれるのかと。

 彼女の闇まで愛してやれるのかと。

 

「ああ、もちろん平気だよ! だってそれが――人を好きになるって事だろう!?」

 

 最高だ。最高の答えだ。

 期待していたよりも、ずっと詩的で、温かく、誠実で上条君らしい答え。

 これなら、もう心配する必要はない。きっと彼なら暁美を支え、導いてあげることができるだろう。

 静まり返った、しかし視線だけが僕らを注視している教室の中で、僕は暁美の顔をそっと一瞥する。

 彼女の目はしっかりと上条君を見据えていた。戸惑いの色はまだ残っているが、それでも彼を映している。

 昨日までは、まるで世界に僕しかないかのような考えに囚われて、他の誰かへ関心を向けていなかった彼女が、だ。

 僕よりも上条君の方を見つめていた。狭まっていた視界はようやく開けたようだ。

 それを見届けた僕は言い負かされた惨めな敗者として、その場から退場する。

 これで懸念事項はなくなった。暁美はもう大丈夫だろう。

 

「あ……ゆ、夕……」

 

 去り行く僕の背中にスターリンの中途半端な呟きがかかって、消えた。

 僕に何か言おうとして、言葉が思いつかず、諦めたのだろう。それでいいと思う。無理に僕の味方をする必要などない。教室内での立場が悪くなるだけだ。

 入り口のドアまで行くと、その脇にはまどかさん、美樹、志筑さんが立っていた。

 どこから見ていたのか分からないが、少なくとも僕の最後の問いとそれに対する上条君の答えくらいは確実に聞いていたはずだ。

 まどかさんや美樹は何も言わない。昨日の一件を知っている彼女たちは、僕を責めることができなかった。

 だが、志筑さんは違う。彼女はそんなものは知らないし、暁美の味方として僕を糾弾する権利がある。

 志筑さんは怒りのこもった瞳で僕を見据え、強く頬を叩いた。

 

「本当に……本当に見損ないました」

 

 その言葉を投げ付けると、もう僕には見向きもせず、暁美へと駆け寄った。美樹も一瞬だけ僕を気にしたように目配せをしたが、すぐに志筑さんに続いて暁美の下へ行く。

 それを無視して僕は教室を逃げるように出て、階段の方に向かった。

 階段を降る途中、早乙女先生に出会い、どこへ行くのかと問われたが、それに応答せずに無言で横切る。後ろから呼び止める声が聞こえた気がしたが、反応しないで足だけを動かした。

 

 *

 

 学校を出て少し歩いた場所に着いた時、急激な痛みが全身を襲った。

 呻き声すら上げることもできずに、僕は傍にあった壁にもたれかかる。

 手のひらの中に、指輪から宝石の形状に戻したソウルジェムを出現させる。透明感のある黒い宝石は昨日の夜よりもさらに小さく磨り減っていた。

 痛みだけではなく、視界にもノイズのようなものが走り、耳鳴りまでもが鳴り響く。

 壁に寄り掛かって居なければ、立っていることさえできそうにない。

 

「政夫……」

 

 上着の内側から這い出たニュゥべえが僕を心配げに覗き込む。

 激痛で引きつる顔を何とか、笑顔の形に整え、ニュゥべえの頭を撫でた。

 

「大、丈……夫。平気、だよ」

 

「平気な訳ないよ。ソウルジェムが……政夫の魂が削れていってるんだよ? 身体の機能だって徐々に衰えているはずだ」

 

 ニュゥべえの言うとおり、激痛だけはそのままなのに時折、感触が消えたり、目に映る景色がチカチカ点滅を繰り返している。

 肉体とソウルジェムの繋がりが危うくなっている証拠だ。味覚に至ってはもう完全になくなっていた。嗅覚も大分怪しくなり始めている。恐らくは、明日には視力か、聴覚のどちらか、あるいは両方失っているかもしれない。

 

「どうせ、明後日には……死ぬ身だ。今更気に、したって……しょうがないよ……」

 

「……何で政夫は残り少ない時間をほむらのためなんかに費やしたんだい? 元はと言えば、彼女のせいで政夫が今こうして苦しんでいるっていうのに……」

 

「…………」

 

 それに対する合理的な説明はできなかった。

 ただ、もう見捨てるには近くに居すぎたというだけだ。

 あったばかりの頃は嫌いで仕方のなかった暁美は、今では手の掛かる妹のように思っていた。

 だから、好意に応えることはできなかったし、これだけの仕打ちをされても不思議と恨みは湧いて来なかった。

 

「僕の命は、もう……残り僅か、だ。その間に……やれることを、やった、だけだ……よ」

 

 その言葉を言った直後、どさりと何かを落とすような音が聞こえた。

 音がした方を振り向くと、そこには知らぬ間にまどかさんが立っていた。足元には僕の学生鞄が転がっている。

 さっと自分の顔から血の気が引いて行くのが感じ取れた。

 ――しまった。今の言葉を聞かれた……。それも一番黙っておきたかったまどかさんに。

 恐らくは、僕が鞄を教室に置いて来てしまったから、渡すために追いかけてきたのだ。

 学校で発作を起こさないために早々に帰ったのが裏目に出た。

 

「い、今の話、本当なの……? 政夫くんの命があと僅かって……」

 

「本当だよ。もう政夫は明後日までの命だ。助かる方法は……ない」

 

 ニュゥべえは僕と違って慌てることもなく、彼女に返答する。最初からまどかさんが近くに来ていたことを知っていた様子だった。

 

「ニュゥ、べえ……まさか」

 

 聞かせるつもりでわざわざここで話し出したのか。

 言葉にしないで目だけで問い詰める。

 すると、ニュゥべえは当たり前のように頷いた。

 

「そうだよ」

 

「何で……聞かれたら!」

 

「まどかには知る権利がある。恋人がもうすぐ死ぬという事実を隠すのは彼女に対して不誠実だよ。……かつてインキュベーター(ボクら)がやっていた事と変わらない。違うかい?」

 

 ニュゥべえのその台詞に僕は何も言えなくなる。

 代わりにまどかさんが僕に言う。

 

「知ったら、政夫くんを助けるために私がキュゥべえと契約しちゃう……そう思ったんだね?」

 

「…………」

 

 黙り込んで、無言の肯定をする僕にまどかさんは詰め寄って声を荒げた。

 

「馬鹿にしないでよ! 私だって……何も考えてない訳じゃないよ。ずっと奇跡や魔法に政夫くんのために何ができるか考えてきたよ! それなのに、それなのにどうして政夫くんは私のこと信頼してくれないの!?」

 

 切なく悲しげに響く彼女の声は僕の心を引っ掻いた。

 魂が削れていく痛みなどこれに比べれば児戯(じぎ)も同然だ。

 

「ごめん……本当に、ごめん」

 

 まどかさんの手が僕の頬に労わるように触れる。その際にさっき、上条君に殴られた頬が少し腫れていることにようやく気付いた。

 彼女は目を瞑り、薄ピンクの柔らかい唇が僕のそれを重ねる。痛みで鈍った感覚の中、ほんの少しだけ癒された心地になった。

 

「決めたよ。政夫くんが自分の味方をしないで他人のために尽くすなら、私は政夫くんだけの味方になる」

 

「どう、いうこと……?」

 

 尋ねる僕に向けてまどかさんは決意に満ちた、けれど柔らかくて優しい笑顔でこう続けた。

 

「政夫くん。私と――駆け落ちしよっか」

 

 




上ほむはジャスティス。異論は認めなくもないです。


大学のサークルでの小説を優先するため、これから少し更新が滞ります。
もしかしたら、暇を見つけて投稿するかもしれませんが、期待しないで下さい。


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特別番外編 if百六話『そして誰も居なくなった』

一日、遅れてしまいましたが唐揚ちきんからのクリスマスプレゼントです。

最初は『輪になって踊ろう』というタイトルにしていたのですが、合わない事に気付いて『そして誰も居なくなった』に変えました。


~まどか視点~

 

 

「教えてあげるよ、元同胞(インキュベーター)。エントロピーを超えた力がどこからやってくるのかを……誰かのために何かをしたいという気持ちが時には大きな力になるって事を!」

 

 そう叫んだニュゥべえが政夫くんの魂をソウルジェムに作り変えて、身体の外側へと引っ張っていく。

 身体の中から取り出されたソウルジェムは澄んだ黒色の輝きを放ちながら引きずり出された。

 私は彼の手を強く握って、祈った。

 ――お願い、政夫くん。戻ってきて!

 体温が少しずつ冷めていくその手のひらに温もりが帰ってくる事を願う。

 もう一度目を開けてほしい。いつもみたいに笑いかけてほしい。

 こんなにも何かを祈った事なんて今までなかった。そして、これからもないと思う。

 

「これで……政夫の魂は…………っ!? な、何で!?」

 

 ニュゥべえのツインテールの髪の先に包まれた黒いソウルジェムは煌々(こうこう)と光を放っていたかと思うと突然、その輝きを点滅させ始めた。

 

「ニュ、ニュゥべえ!? どうしたの!? 政夫くんのソウルジェムに何か起きたのっ!?」

 

 顔を引きつらせたニュゥべえに私は不安になって尋ねるが、彼女が答えを返してくれるその前に――政夫くんの黒いソウルジェムが跳ねた。

 ニュゥべえの髪から離れたソウルジェムは政夫くんの胸のちょうど真上の空中まで跳ね上がると、そこに固定されたようにピタリと動きを止める。

 そして、まるで空気を入れられた風船のようにその大きさを膨らませていく。

 十倍、百倍そのさらに上の倍率まで膨れ上がった黒いソウルジェムは政夫くんよりも遥かに大きくなり、目を瞑ったままの彼の身体をその卵型の球体の中へと引きずり込んだ。

 

「政夫くん!?」

 

 私が声を声を上げた瞬間、美国さんの家の中だった周囲の世界が一変した。

 そこは黒と白で統一されたモノクロの世界。私やニュゥべえたちが居る場所には、真っ黒い床に白い座席がいくつも置いてある観客席のように変わっていた。

 目の前にあるのは白い幕を下ろされた舞台のように見える。

 私はこれに似た光景を知っている。そうここは……。

 

「魔女の結界……何故っ?」

 

 胸に怪我を負った状態で美国さんが戸惑った声を出した。その後ろに居るほむらちゃんも呆然とした顔をしている。

 

「嘘だ……」

 

 ぽつりと私の目の前にしゃがみ込んでいたニュゥべえが呟いた。

 

「ニュ、ニュゥべえ……これって」

 

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだ……」

 

 私の声も聞こえておらず、壊れたラジオのように同じ言葉をぼそぼそと紡ぎ出し続けている。

 

「ニュ、ニュゥべえ!!」

 

 肩を揺すって正気に戻ってもらおうとするけれど、ニュゥべえは見開いた目を濁らせて同じように喋り続けるだけだった。

 

『無駄だよ。まどか』

 

 振り向くと私のすぐ近くの座席の上にキュゥべえが尻尾を揺らして座っていた。

 心なしか、私の目には今の状況を喜んでいるように見えた。

 

『彼女は失敗したんだ』

 

「失敗……?」

 

『ああ、そうだよ。ボクに任せておけばこんな事にはならなかったのに。意地を張ったばかりに……見なよ、ほら』

 

 ニュゥべえが尻尾で指した方を向くと、白い幕が上がって、その奥にあった白い舞台が露出した。

 スポットライトに照らされた舞台には真っ黒い何かがこちらを向いて待っていた。

 それは手足の生えた卵型の真っ黒い生き物だった。

 その身体の色よりも少しだけ濃い燕尾服とズボン、それからシルクハットを被っている。白い手袋で覆われた手には飾りのないマジシャンが使うようなステッキが握られていた。

 テレビでももうなかなか見られない古典的な手品師の格好に私の目には映った。

 

『あれは、政夫だったものだよ』

 

「え……え?」

 

 初めは言われた意味が分からなかった。

 政夫くんと目の前の舞台に立っている手品師姿の化け物とが繋がらなかった。

 キュゥべえの言葉に反応できたのは後ろの方の座席に居た美国さんとほむらちゃんだ。

 

「それは……まー君が魔女になってしまったという事?」

 

「嘘、そんなはずはない。だって政夫は!?」

 

『魔女、ではないね。通常の魔法少女システムではなく、無理やりソウルジェムを造り出したために起きた暴走だから、あれには新しい名前が必要だ』

 

「そんな事を聞いているんじゃないわ!?」

 

 叫ぶ美国さんにキュゥべえは取り合わず、私を静かに見つめる。

 

『どうする? まどか。ボクと契約してくれれば政夫を元に戻せるよ』

 

 私はその言葉を聞き、人ではなくなってしまった政夫くんを見た。

 のっぺりとした顔には目も口もなく、ただ光沢のない曲線だけがこちらに向いている。

 攻撃してくる様子はなかったけれど、そこに友好的なものも感じられない。まるで中身の人が抜け出した着ぐるみのような無機物感を漂わせている。

 ニュゥべえを一瞥するが、今も身体を震わせ、呆然と「嘘だ」と呟きを吐き続けていた。

 もう、魔法少女になるならないなんて言っている場合ではなかった。政夫くんを一刻も早く元に戻してあげたい。それ以外の事は頭になかった。

 

「……分かったよ。キュゥべえ、私の……」

 

 私は覚悟を決めて、キュゥべえと契約しようとしたその時。

 結界の後ろの方、観客席の後ろにある扉が砕かれ、そこからマミさんが姿を現した。

 マミさんはこちらを向いたと、ほとんど同時にほむらちゃんに黄色いリボンを飛ばして、身体を縛る。舞台の方に完全に気を取られていたほむらちゃんは成す(すべ)なくそれに捕まった。

 

「マミ……!?」

 

 マミさんが私の元に降りてくると、それに続くようにして扉からさやかちゃんや杏子ちゃん、それに呉さんも皆、魔法少女の格好になって武器を構えている。

 そして、私の前に来て安心したようににっこりと笑いかけてくれた。

 

「遅くなっちゃったけど、鹿目さん無事? 暁美さんが貴女を殺そうとしているってメールが来たけれど……」

 

 そう言いながら、マミさんはほむらちゃんを怖い顔で睨む。

 

「くっ、早くこれを解きなさい! 今はこんな事をしてる場合じゃないのよ!?」

 

 ほむらちゃんはマミさんを睨み返すが、それに取り合わず私を守るにように立つと、視線も向けずに冷たくあしらった。

 

「そうね。……あなたの処遇は後で決めるわ。今はあの魔女をどうにかしないと。行けるかしら、皆?」

 

 さやかちゃんと杏子ちゃんがそれに頷いた。

 

「大丈夫です。連戦ですけど、ソウルジェムもまだほとんど濁ってませんから」

 

「任せなよ。ちゃちゃっと終わらせようぜ?」

 

 呉さんもそれに続く。

 

「そうだね。もっとも私は魔女よりもその馬鹿を切り刻みたいけど」

 

 三人の答えに満足したマミさんは小さく微笑んで、リボンをマスケット銃の形状にしてそれを構える。

 

「それじゃ、行くわよ!」

 

「ま、待って、それは……」

 

 マミさんたちの登場で一瞬忘れかけたけれど、あの化け物は政夫くんなのだ。止めないといけない。

 しかし、私のそんな思いも空しく、マミさんたちは化け物になった政夫くんが居る舞台まで観客席から跳んで行ってしまう。

 

「ま……待ちなさい、くぅっ……」

 

 美国さんも呼び止めようとするが、胸の傷が深すぎて立ち上がる事さえできずに膝を突いた。持たれかかった白い座席に垂れた血液が滴り落ちて、赤い染みを作る。

 

「美国さん!?」

 

 近付こうとする私を美国さんは手で制して、舞台を指差した。

 息も絶え絶えな顔で私に向けた瞳には、政夫くんへの攻撃を止めさせてほしいという想いが込められている。

 

「……分かりました。政夫くんは必ず私が助けます」

 

 その言葉を聞くと美国さんは安心したようにその場に倒れ込んだ。

 私はマミさんたちに声を届かせるため、舞台の方まで走り出そうとしたところ、それをほむらちゃんに呼び止められた。

 

「待って、まどか」

 

 ほむらちゃんは私の顔を泣きそうな顔で見つめて頼み込む。

 

「貴女に頼み事を言う資格がない事は十分に分かってる。けれど、このままじゃ政夫がマミたちに倒されてしまうわ……。この拘束を外してくれれば私なら時間を止めて向こうにまで行ける」

 

 私を殺そうとしたほむらちゃんのその言葉に複雑な気分が湧き上がってくるのを感じた。

 はっきり言えば、こうなったのも全部ほむらちゃんが原因だ。恨んでいるし、憎んでいる。

 もう友達とも思えない。信頼もできない。

 けれど、その政夫くんを助けたいという思いだけは信用できた。

 今は迷っている場合じゃない。ここはほむらちゃんと一緒に行った方が確実だ。

 

「分かった。でも、どうすればいいの?」

 

「ありがとう。そこに私がさっきまで持っていた銃が転がっているはずよ。探してみて」

 

 ほむらちゃんに従って、足元を見ると拳銃が落ちていた。私の命を奪おうとした、そして、政夫くんを撃った銃。

 恐る恐る拾い上げると、ほむらちゃんは私に次の指示を出す。

 

「その銃でこのリボンの中心にある、錠前を撃って」

 

 見れば、ほむらちゃんを縛っているリボンの真ん中あたりに装飾の施された錠前がぶら下げられていた。

 これを壊せば、リボンの拘束が解けるのだとほむらちゃんは言う。

 

「で、できないよ。私銃なんて……」

 

「早くして! 政夫が助からなくなってもいいの!?」

 

 そうだ。早くしないと政夫くんがマミさんたちに倒されちゃう。

 その事を思い出した瞬間、銃を人に向けて撃つ恐怖もなど心の奥から消し飛んだ。

 手には震えもなく、私は集中して引き金を引く。

 初めて撃った弾丸は見事に錠前の中心に命中した。

 錠前は砕け、それと同時にほむらちゃんを拘束していたリボンは溶けるように消えていく。

 解放されたほむらちゃんは私の手を掴むと、彼女の手に付いている楯を弄った。

 周囲の動きが何もかも停止し、音さえも聞こえなくなる。

 ほむらちゃんと一緒に私は観客席の座席を跨いで駆けて、舞台の方へと進んで行った。

 舞台では今まさに化け物の姿になった政夫くんとマミさんたちが相対しているところだった。

 私とほむらちゃんは政夫くんとマミさんたちの前に立つと、ほむらちゃんは楯を再び弄り、時の流れを戻した。

 

「なっ、鹿目さん!? それに暁美さんも!?」

 

「どうしてこっちに来たの、まどか!?」

 

 マミさんとさやかちゃんは私たちが来た事に驚いていた。杏子ちゃんも呉さんも同じように目を見開いている。

 私はそんな皆に声を上げて叫ぶ。

 

「待って! 待ってください!! これは、この魔女は政夫くんなんです!!」

 

「え? それってどういう事……?」

 

「ニュゥべえが……あそこに居る白い魔法少女が死にかけた政夫の魂をソウルジェム化した際に暴走してしまったのよ」

 

 ほむらちゃんが補足するようにそう付け足した。

 それを聞くと、マミさんたちの顔色が見る見る内に変わっていく。

 

「じゃあ、これは……」

 

「政夫、なの?」

 

「嘘だろ……?」

 

「そ、そんな……」

 

 ニュゥべえと同じように茫然自失になった皆はそれぞれの武器を舞台の上に落とした。

 今まで微動だにしなかった化け物になった政夫くんはゆっくりと動き出し、ステッキを持っていない方の大きな手でそっと私を抱き上げた。

 

「あ……」

 

 僅かに驚いたが、その手付きは優しげで安心感が持てるものだった。黒い身体に柔らかく押し付けるように私は抱えられる。

 

「ほら見てください。姿は変わっても政夫くんの心は変わっていませ――」

 

 そう言って、下のマミさんたちを向こうした時にぐしゃりと何かが潰れる音が聞こえた。

 音のした先には黒いステッキが振り下ろされて、その下に潰れた赤い水溜りができていた。

 

「えっ?」

 

 その場所にはさっきまでマミさんが居た『はず』だった。けれど、そこには赤い水溜りと黄色いひしゃげた何かがあるだけだった。

 

「ま、マミ、さん……?」

 

 マミさんのすぐ隣に居たさやかちゃんが震える声で、潰れたそれに声をかける。ぐちゃぐちゃに潰れて、元の形も分からなくなったそれを……マミさんと呼んだ。

 赤い水溜りの上には金色のロールが浮いている。頼りになる、先輩のトレードマークの髪型に似ていた。

 

「う、うそ……?」

 

 マミさんが政夫くんに――殺された。

 その事実が脳に染み込むまで一分ほどかかった。

 

「政夫、お前……マミを、マミを殺したのか!?」

 

 杏子ちゃんが政夫くんに怒声を浴びせる。

 政夫くんはそれに何も答えない。ただ、マミさんを潰したステッキを軽く振り上げただけだった。

 

「お前ぇぇぇぇえええ!!」

 

 槍を構えて、宙へ跳んだ杏子ちゃんの姿が一瞬にして数十人に増えた。

 叫びながら、その槍の穂先を全て政夫くんに向ける。

 それに慌てる事なく、政夫くんはステッキを持つ方の手でパチンと指を鳴らした。澄んだ音が舞台に響き渡る。

 空中に居た杏子ちゃんの姿は一人になっていた。

 

「なっ……ロッソ・ファンタズマが!?」

 

 驚愕してバランスを崩した杏子ちゃんに政夫くんはステッキを振り降ろす。

 

「呉さん!」

 

「分かってる!」

 

 そのステッキをさやかちゃんが剣で受け止めた。その隙に杏子ちゃんの身体は呉さんが抱きとめて助ける。

 だが、政夫くんの握っていたステッキは黒い大きな布へと変化し、さやかちゃんの身体に覆い被さった。

 

「何、こ……」

 

 さやかちゃんに被さられた布はひらひらと舞台へ落ちていく。何の凹凸もなく、床に広がった黒い布にはさやかちゃんの姿は影も形もなくなっていた。

 

「さ、さやか!?」

 

「消えた……?」

 

 さやかちゃんが姿が見えなくなった事で動きを止めてしまった二人へ、政夫くんは被っていたシルクハットを取って投げた。

 宙を滑るように飛ぶシルクハットは杏子ちゃんと呉さんを一纏めにして、すっぽりとその中に吸い入れてしまう。

 布と同じように舞台へ落ちたそれを政夫くんは持ち上げ、逆さまにすると中から出てて来たのは吸い込まれた二人ではなく、赤と黒の二羽の鳩だった。

 飛び出た二羽の鳩は観客席の、ニュゥべえと美国さんの方へそれそれ飛んで行き、彼女たちの肩に停まるとそこで爆発した。

 爆風と煙が晴れた先には誰も居ない観客が客席だけが残されている。二人の姿も二羽の鳩ももう居ない。

 

「……何なの、これ……」

 

 やっと、私が搾り出した言葉はそれだけだった。

 皆、消えていなくなっていく。もう、ここに居るのは私と……そうだ。ほむらちゃんがまだ居るはずだ。

 

「ほむらちゃん!」

 

 政夫くんの手の中から下を見つめると、そこにはほむらちゃんが居た。

 ほむらちゃんは政夫くんの足に縋りつくようにして涙を流している。

 

「ごめんさい。私のせいで貴方はこんな姿になってしまって……でも、大丈夫よ。私は貴方がどんな姿になっても愛しているから」

 

 政夫くんの黒い革のような靴にそっとキスをした。そして、うっとりとした様子で頬擦りををする。

 私はそれを見て、心底ぞっとした。

 信じられなかった。理解ができなかった。

 ほむらちゃんは皆が居なくなった事なんか、心からどうでもいいと思っている事が伝わってきたからだ。

 ほむらちゃんは政夫くんの事以外見えていない。マミさんの事も、さやかちゃんの事も、杏子ちゃんの事も、呉さんの事も、美国さんの事も、ニュゥべえの事も、見てすらいなかったのだろう。

 そうでなかったら、あんなに穏やかな顔はできる訳がない。

 ――狂ってる。まともじゃない。

 私は魔女や今の政夫くんよりもよっぽどほむらちゃんの事が恐ろしく感じられた。

 

「政夫、私は貴方の事を……」

 

 ほむらちゃんが最後まで言い終わらない内にその言葉は途切れた。

 いつの間にか新しいステッキを握っていた政夫くんがその杖先でほむらちゃんを潰したからだ。

 これで私以外の皆が政夫くんに殺されてしまった。

 もう恐怖も感じられなかった。脳のどこかがそのまま、切れてしまったような不思議な気分。

 これ以上に狂っているのに、私は自分の家に居るかのような安心感に満たされたいた。

 

「あはっ、あはははははは」

 

 笑い声が聞こえた。

 女の子の笑い声だ。

 とても近くから聞こえる。

 聞き覚えるその笑い声。

 ああ、私だ。

 笑っているのは――私だ。

 どこからか聞こえたそれは私の口から吐き出されたものだった。

 

「あはははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 もうどうでもいい。何も考えたくない。何もかもなくなってしまえばいい。

 正気じゃない。誰も彼も。嫌嫌嫌嫌。

 

『まどか、ボクと契約すれば皆助けられるよ』

 

 舞台に居たキュゥべえが何か言っている。でも、私の心には響かない。

 

『ボクと契約し……』

 

 黒いシルクハットがキュゥべえの上に降って来た。

 その上から、ステッキが突き刺さる。

 キュゥべえの声も舞台の上からなくなると、私の笑い声だけがこだまする。

 政夫くんに抱き締められたまま、私は目を瞑って笑う。

 それなのに目から流れているのは涙だった。

 

「あはははは、ねえ、政夫くん……私も、わたしも殺して……」

 

 政夫くんはそれを聞き入れてくれたように、燕尾服のボタンを外し、胸元を開いた。

 そこには黒々とした大きな穴が広がっていた。奈落の底のような、この世界の何よりも黒い穴。

 私はそこへ喜んで飛び込んで行く。

 深い深い闇のような黒は私を優しく迎え入れてくれた。

 




バッドエンドの一つです。誰も幸せにならないエンドですね☆

政夫の魔王になった姿。
『エリックヤンハヌッセン』。奇術師の魔王。その性質は『必然』。

使い魔を持たず、人間を食べない。そのために『魔女の口付け』のシンボルはない。
魔法や奇跡を許さない魔王には魔法は効かない。こいつに殺された魔法少女の奇跡はその時点で消滅する。(さやかの願った奇跡が消えて、上条君の左手は再び動かなくなる)さらに魔女もまたその憎悪の対象であり、こいつに倒された魔女はグリーフシードごと消える。
『魔女』ではないため、女神になったまどかの奇跡では消し去る事ができない。


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第百十話 悪魔の囁き

「駆け落ち……って、まどかさん何言い出すのさ?」  

 

 突然の台詞に僕は戸惑いを隠せずに彼女に問い返す。

 駆け落ちというと、意味するところは両親や周囲の人間から離れ、二人で遠い場所へ行くということだろうが、なぜ彼女がそんなことを言い出したのか皆目検討が付かなかった。

 しかし、まどかさんの口から出てきたのは質問への返答ではなく、確認のような問いだった。

 

「政夫くん、もう時間がないんだよね……? あと、ちょっとで死んじゃうんでしょ……?」

 

「……そうだよ。僕の魂はあと二日で完全に消えてなくなる」

 

「それなのにまだ皆のために頑張ろうとしてる……そんなのっておかしいよ! 政夫くんが何もかも一人で背負わないといけないなんて間違ってる!」

 

 まどかさんのその言葉に僕は(かぶり)を振るった。

 

「別に何もかも背負おうなんて考えちゃ……」

 

「違うよ。政夫くんはいつもそう……美国さんの件から、ううん……本当はもっと前から……病院で孵化寸前のグリーフシードを抜いた時から思ってた。この人は何もかも自分で解決しなきゃいけないと思ってるって」

 

 真剣な彼女の視線は僕の瞳のさらに奥に問いかけているかのように深くに突き刺さってくる。声もいつもの穏やかな声音と違い、叱る付けるような厳しさを伴っていた。

 僕はそれに何も反論できず、じっと彼女の顔を見返すことしかできない。

 

「政夫くんは誰かに一方的に親切にされた事がないんじゃないかな? 甘えたり、自分を(ゆだ)ねたりした事が……」

 

「それは……」

 

 幼い頃は母さんにしてもらった。けれど、母さんが亡くなってからはそう言ったことには縁がなかった。

 泣き言を言っていた弱い自分と決別するために、人に甘えるようなことは極力避けて生きてきた。友達にはもちろん、父さんにさえ何か頼み事をしたのは二度か三度程度だった。

 甘えず、頼らず、自分で物事を捉え、その中で信じられるものを選択して今まで歩んできた。

 

「今は……ない、けど。でも、それが何だって言うのさ?」

 

「だからだよ。だから、政夫くんは自分が辛くたって誰かに助けを求めたりしない! 全部自分で片付けちゃおうとするの! ……それなのに、政夫くん自身は周りの人のために身を削ってる!!」

 

「別にそんなつもりはないよ。自分にできることをできるだけやってるだけだから」

 

 別に聖人君子になろうなんて思ってはいない。それに自分の限界だってちゃんと理解している。

 僕がするのはいつだって手の届く距離にあることだけだ。身の丈に合わないことには端から手を出したりはしない。

 だが、まどかさんは僕の答えに納得してはくれなかった。

 

「違う。政夫くんは周りに困ってる人がいれば、余裕がなくても助けようとする。自分のことは守ろうともしないのに、傍に居る人たちを命懸けで守ろうとする。だから、皆が周りにいるだけで政夫くんは幸せになれないよ……」

 

 ようやく、最初の僕の質問の答えが分かった。

 まどかさんは僕を連れて行きたいのだ。傍に困っている誰かが居ない場所へ。自分の友達や家族を捨ててまで。

 僕がこれ以上命を他人のために使わないように、ここから離れようとそう言っているのだ。

 理解した瞬間、目の奥が熱くなるのを感じた。それは今まで感じたことのないうまく言葉にできない感覚だった。

 泣いているのかも分からない。ただ、ひたすらに胸を突くの温かい感情の波だけ。

 

「馬鹿じゃ、ないの……だから駆け落ちだなんて……」

 

「馬鹿でもいいよ。私はさやかちゃんやマミさんたちよりも、パパやママよりも、政夫くんがずっと大切なんだから」

 

 そう言ってまどかさんは僕を抱き締めてくれた。

 

「やめてよ……そんなこと言われたら……」

 

 今まで抑え込んでいた気持ちが堪えきれなくなる。

 我慢していた想いがマグマのように噴き出して止め処なく溢れ出てくる。

 

「政夫くん……私は何があっても、政夫くんだけの味方だよ」

 

 もう駄目だった。彼女に縋りつく自分を抑えられない。

 母さんが死んでから、初めて僕は弱音を誰かにぶち撒けた。喉から流れる死の不安と恐怖をまどかさんへと吐き出す。

 自分よりもずっと背の低い小さな身体にしがみ付き、寄り掛かった。

 

「……死にたくないよぉ……」

 

 それを彼女は黙って受け止めてくれる。優しい慈母のような微笑で僕の顔を見つめながら。

 

「もっと、君と一緒に居たい……。寄り添いたい。抱き締めていたい……明日も明後日も、明々後日も君と一緒に過ごしたいよ……死にたくない。初めて誰かを好きになったのに……別れたくないよ」

 

 怖くなかった訳じゃない。本当は誰よりも死ぬのが怖い。

 でも、弱音を聞いてくれる人なんて僕には居なかった。だから、胸の中に押し込んで何でもない振りして誤魔化していた。

 甘えられる相手は誰一人として居なかった。不安も怯えも皆、自分で解決して次に進むしかなかったから。

 本当はずっと彼女のような存在を求めていたのかもしれない。

 

「私も政夫くんと一緒に居たい。最期の時まで……ずっと」

 

「まど、かさん……」

 

「二人で居ようよ。政夫くん誰よりも頑張ったもん。もう、誰かのために苦しまなくていいよ」

 

 与えるだけだった温もりが、僕を包む。

 心の中を常に占拠していた圧迫感が溶けるように霧散していくのが分かった。

 ここまで穏やかな気持ちになったのは何年ぶりだろうか。

 ただ頭にあるのは自分の目の前にいる女の子への愛しさだけだった。

 

「いいの、かな……?」

 

「うん」

 

 柔らかく、けれど誰よりも力強いまどかさんの笑みが僕に安らぎをくれる。

 ほんの僅かな残りの時間を自分のために使ってもいいのだと、彼女はそう言ってくれた。

 僕もそんな彼女の思いに答えたいと心から思う。

 ――僕は何もかも捨てて、彼女と共に駆け落ちすることを決めた。

 

 

 

~ほむら視点~

 

 

 これで良かったのかしら……。

 何度目かになる自問自答を繰り返す。

 その度に「彼」は心配そうに私の顔を覗き込む。

 

「大丈夫? 暁美さん……」

 

「ええ。平気よ、大丈夫」

 

 私は彼――上条恭介にそう答えた。

 彼は先ほどからずっと私の事を気にかけてくれていた。いつもなら名前を呼ばれた瞬間に答えられる問題にも詰まってしまうほど、私の心は上の空だ。

 空虚と言い換えてもいい。政夫とまどかの席、その二席が教室から喪失してしまったように感じる。

 

「でも、あんまり食欲もなさそうだし……」

 

「元々、食は細い方だから」

 

 まどかを救うためにループしていた時は不安とストレスで食べ物が喉を通らなかった。まともに食事を取るようになったのはこの時間軸からだ。

 政夫と出会ってから、彼と共の屋上で学校で……。

 食事だけじゃない。睡眠も碌に取れなかった。いえ、そもそも時間が経つ事さえも政夫と出会う前は不安で胸が一杯だった。明日が来る事が怖くて仕方がなかった。

 その恐怖から解放されたのは私の隣で一緒に考えて、問題を解決してくれる政夫が居てくれたおかげ。

 駄目……。考えれば考えるだけ彼の事が頭の中を駆け巡る。

 身勝手にも裏切って、傷付けた癖にまだ彼への未練が捨て切れない。

 

「暁美さん!」

 

「……え?」

 

「また、ぼうっとしてたよ? 今日は午後の授業は受けずに早退した方がいいんじゃない? 僕、送っていくよ?」

 

 気遣ってくれる上条君に私は何も言えずに視線だけを返した。

 こんな私を好きだと言ってくれた彼にまだ答え出せずに、一方的に優しさを受けている自分自身に嫌気が差す。

 上条君だけではない。彼に思慕している志筑さんも私を気遣って、何も追及せずに黙って教室から姿を消してくれている。

 政夫のあの態度や、上条君の告白も耳にしただろうに授業中は慰めの言葉を掛けて、昼休みには私と上条君を二人きりにしてそっとしておいてくれた。

 マミたちもそう。私を許した訳ではないはずだけど、これ以上責めたりせずに不干渉を貫いてくれている。

 私は可哀想な女を装って、周りの温情に縋っている。

 何の償いもしないまま、弱さを許され続けている。

 まるで、魔法少女になる前の私のようだ。

 

「……そうね。今日は早退させてもらうわ。でも一人で帰れるから大丈夫」

 

 そう言った後、食べかけの惣菜パンを袋に入れて片付け、帰り支度を始めた。

 上条君は何か言いたげに私を見つめていたが、目を一度閉じた後に再び、瞳を開くと優しく言ってくれた。

 

「分かったよ。でも、無理はしないでね」

 

「ええ。それじゃあ、さようなら」

 

「うん。さようなら」

 

 別れの言葉だけを交わして私は教室から出て行った。

 彼は無理に私を追おうとはしなかった。きっと、彼も分かっていたのだろう。

 私の心の中に居るのが誰なのかを……。

 一人廊下を歩き、靴箱まで進むと見慣れた白い動物がふらりと姿を現した。

 キュゥべえ……インキュベーターだ。

 

『随分と暗い顔をしているね。何かあったのかい?』

 

「失せなさい。今は貴方の相手をしていられる気分じゃないの」

 

 インキュベーターを無視して靴箱から自分のローファーを取り出す。

 

『ひどい言われようだね。ボクは君に一つ情報を教えてあげようと思って来たのに』

 

「情報……?」

 

 インキュベーターはその忌々しい顔を私に向け、頷いた。

 

『政夫はまどかと二人でこの街を出て行くつもりらしい』

 

「え……!?」

 

 指先で摘まんでいたローファーの踵から驚きで指が離れ、スノコの上を転がった。

 呆然とする私にインキュベーターはさらに私に追撃をかけるように驚愕の発言を続ける。

 

『残り僅かな時間を政夫はまどかと共に逃避行に費やす気のようだね。ボクとしては、まどかに魔法少女と契約して延命を願うように頼んでほしかったんだけど』

 

「それ、どういう事!?」

 

 目の前で緩やかに尾を振るインキュベーターを掴み上げ、声を荒げた。

 政夫の時間が残り僅か? 延命? 意味が分からない。

 けれど、胸の中で(くすぶ)っていた不安の種が大きくなっていくような気がした。

 久しく感じていなかった最悪の状況が近付いてくるような、嫌な感覚。

 

『ああ。その様子だとやっぱり知らなかったようだね。政夫のソウルジェムには重大な欠陥があったんだよ。本来と違う方式で作られたものだから仕方ないと言えば仕方ないけど』

 

 赤いビー玉のような眼が私の顔を反射して映している。映り込んだ顔は徐々に怯えて歪んでいく。

 

『政夫の劣化ソウルジェムは少しずつ磨耗していっている。あと、二日もすれば完全に消滅するだろうね。つまり――政夫は』

 

 死ぬだろう、とインキュベーターは言った。

 目の前が暗くなっていくのが分かった。足から力が抜け、スノコの上に膝を突く。

 政夫が死ぬ。その事実は私から急速に活力を奪っていく。

 彼がそうなったのは紛れもなく私のせいだ。あの時にまどかを庇った彼を撃ってしまったせいで彼は死ぬ。

 後悔などという言葉では到底生温い悔恨が脳髄を焼く。胃の縁が締め付けられたような痛みを感じた。

 

『暁美ほむら。ボクは君と頼み事をしにここに来たんだ』

 

「頼み、事……?」

 

 強烈な悔恨の念に押し潰さそうな私にインキュベーターは話し出す。

 こいつの語る、頼みなどという言葉がどれほど信用ならないかは分かっていたが、今はそれを聞く以外にできなかった。

 

『まどかが魔法少女になるように彼女を追い込んでほしい』

 

「なっ……! それは」

 

『君にとっても悪い話じゃないはずだよ? まどかの契約時の願いで政夫の延命を願わせれば、彼は助かるんだから。それとも……それ以外に政夫を助ける方法があるのかい?』

 

 私はずっとまどかを魔法少女にさせないために戦ってきた。インキュベーターとの契約を邪魔し続け、彼女が最悪の魔女になる要因を潰してきた。

 その私にあろう事か、彼女を魔法少女にする手伝いをしろと言う。

 

「……正気なの? 私にそれを頼むなんて」

 

『君以外に適役は居ないよ、暁美ほむら。それで、どうする? 頼まれてくれるかい?』

 

 私が断るとは微塵も思っていないようなその口ぶりに私は笑った。

 感情がないと(うそぶ)きながら、私の心を理解している。それとも政夫との交流のせいで多少なりとも感情を理解したのか。どちらにせよ、今の私にはどうでもいい事だった。

 返答は決まっている。私はもうまどかではなく、政夫を選んだのだ。もはや、天秤に掛ける必要さえない。

 

「いいわ。やってあげる」

 

 もしも過去の私が今の私を見れば、絶叫をあげて殺そうとするかもしれない。

 それでもいい。私は魂を売り払ってでも生きていてほしい人が居る。

 嫌われても、憎まれても、生きてくれていさえば十分だ。

 

「私がまどかを魔法少女にしてみせるわ……」

 




政夫の最大の過ちはほむらを殺さなかった事ですね。彼の優しさはいつだって、自分の役に立った事はありませんでした。


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第百十一話 親子の絆

まさかの次話!


 何かもの凄く気恥ずかしい気分だ……。

 恋人とはいえ、今までは吐いたことのない弱音を女の子に聞かせてしまった。

 おまけに現在進行形でその相手と手を繋いで歩いているなんて。

 

「ん? どうしたの、政夫くん」

 

「いや、何でも……」

 

 人が周りに居なかったとはいえ、あれからまどかさんに抱き締められ、涙が止まるまで頭を撫でてもらっていた。

 十分ほどそうしてもらった後、思考が平常に戻ると無性に恥ずかしくて堪らなくなったが、これから自分が何をしたいのかがすんなりと理解できた。

 少しでも彼女と共に居たい。同じ時間を過ごしたい。

 この街や魔法少女たちのことがどうでもよくなった訳じゃない。けれど、それよりもずっと大事なことだった。

 だから、僕はまどかさん以外の全ての諸々を捨てることにした。この街のことは魔法少女たちに任せよう。

 とまあ、まず駆け落ちをすることは決めたが、そのためにはある程度は纏まった金銭が必要不可欠だ。

 旅行というのも少し変な気もするが、それ相応の旅仕度はしなければならない。

 だから今、僕はまどかさんとニュゥべえと共に家に戻ろうとしていた。

 

「私、そういえば政夫くんの家に行くの初めてだね」

 

「本当だね。逆ならあるのに」

 

 付き合ってから日が浅いからということもあるが、僕はあまり友達を自分の家に呼ばない。あまり深く考えて来なかったが、それは多分僕が誰かに近付き過ぎないように壁を作っていたせいだろう。

 家に入れたというか、侵入してきたのは……あの迷惑なテロリストだけだ。

 今、学校では朝のホームルームが終わり一時間目が始まったくらいの時刻だ。美樹たちはもう暁美と元通りの関係を築くことはできないだろうが、彼女には上条君が付いていてくれている。

 ちょっと変なところがある上条君だが、芯が強く、人のことを思いやれる彼なら暁美とも何とかやっていけるだろう。

 そうこうしている間に僕たちは家の前に着いた。

 

「ちょっと鍵開けるから待ってて。あと、ニュゥべえはまどかさんの方に」

 

「うん。分かったよ」

 

 僕の肩の上に乗っていたニュゥべえはそこからぴょんと飛び跳ねて、まどかさんの腕の中へと飛び移る。

 羨ましいと、若干ジェラシーを感じつつもドアの鍵穴に鍵を差し込んで回した。

 

「……あれ?」

 

 本来ならば、鍵が開く時のがちゃりという音が聞こえるはずなのにそれどころか、まるで鍵が掛かったかのような手応えがした。

 いや、「ような」ではなく、間違いなく鍵が掛かっていた。その証拠にドアを捻っても一向に開く気配がない。

 ということはつまり、最初の段階でドアに鍵が掛かっていなかったことになる。

 もう一度鍵を使い、今度こそドアを開けるとそこにはこれ見よがしに革靴が玄関の足場に揃えて置いてあった。

 

「どうしたの?」

 

 まどかさんが不審がって僕に聞くが、それにどう答えていいか分からずに悩んだ末、正直に述べた。

 

「……なぜだか分からないけど父さんがまだ家に居るみたいなんだ」

 

「え? 政夫くんのお父さん?」

 

 父さんは今日は別に休みでもなく、いつも通り仕事のある日だ。精神科医という職業柄、休みはそう多くはないのだが、これはどういうことのなのだろう。

 戸惑う僕にまどかさんは何かを決意したように頷くと、一言「お邪魔するね」と断りを入れた後、家に上がって行く。

 

「え、ちょっと……」

 

 いつになく強引な行為に虚を突かれたが、僕もまた彼女の後を追い、家に上がった。

 廊下を通り、リビングまで行くと父さんが椅子に腰を掛け、テーブルに両手を両手を置いて待っていた。

 

「……父さん」

 

「お帰り、政夫。朝の様子が妙だったから必ず帰ってくると思ってたよ」

 

 確かに朝食時に味覚がなくなっていたせいで食事を取る仕草が少し不自然になっていたかもしれない。だが、それだけで僕が必ず帰ってくるとまで読み切れるのは普通ではない。

 その並外れた洞察力に思わず、息を呑む。この人には一体、どこまで気付いているのか。

 

「そちらの方は……彼女かな?」

 

 僕からまどかさんに目を移すと、父さんは目を僅かに細めた。そして、当然の一発でぴたりと当てる。

 まどかさんは僕が紹介する前に一歩進むとお辞儀を一つした。どこか表情が硬く、怒っているいうにも見える。

 

「初めまして。鹿目まどかです。政夫くんとはお付き合いをさせてもらっています」

 

 物怖じしそうなのにまったくそんなところは見せず、むしろ毅然として父さんを見つめている。

 ニュゥべえはいつの間にか彼女の腕の中から僕の足元まで移動していた。

 

「こちらこそ初めまして。政夫の父の夕田満です。息子と仲良くして頂いているようで、とてもありがたいです」

 

 まどかさんのその態度にも気分を害すことなく、優しげに父さんは微笑む。

 僕は彼女のいつになく頑な態度の理由が分からなかったが、父さんの方は何かに気付いている様子だった。

 

「まどかさん。何か、僕に伝えたい事があるように思えますね。どうぞ、遠慮なさらずに聞かせください」

 

「それじゃあ、言いますね……どうして満さんは政夫くんを甘えさせてあげなかったんですか!」

 

 抑えていた息を吐き出すようにまどかさんは怒気の混じった台詞を放つ。

 初対面の相手にいきなり怒るなどおおよそ彼女らしくない対応だが、その言葉は非常に彼女らしかった。

 

「今日初めて会いましたけど、満さんは政夫くんの事よく見ているお父さんだっていう事は何となく分かります。でも、だからこそ、満さんが政夫くんに甘えさせてあげなかったのが余計に分からなくなりました」

 

「まどかさん……」

 

 そんな風に考えてくれた自分の恋人に僕は温かい気持ちにされると同時に複雑な気分になる。

 父さんにそれを求めなかったのは僕の方であり、父さんは僕の意思を汲んで、子供扱いしないでくれたのだ。それを責めるのはお門違いだろう。

 それを言おうとして口を挟もうとした時、父さんがまどかさんに答えた。

 

「それは僕が政夫の事を避けていたからだよ」

 

 その言葉に思わず、聞き返す。

 

「え、それ……本当?」

 

「そうだよ。僕は君の事を遠ざけていた。もちろん、親として最低の世話はした上で、だけどね」

 

 知らなかった。いや、気付けなかった。

 誰よりも自分の傍に居た人なのに、僕は父さんのそんな気持ちを汲み取ることもできていなかった。

 父さんはゆっくりと僕とまどかさんを眺めてから、過去を見つめるような遠い目をして滔々(とうとう)と語り出す。

 

「僕はね。政夫が生まれてくるのを反対した人間なんだ」

 

 そう言って始めた話は僕の知らない父さんの一面だった。

 身体の弱い母さんが僕を身篭ったと知った時、父さんは母さんの事を心配して堕胎するように勧めた。元から心臓に疾患のある母さんに出産は耐えられないという見解だったそうだ。

 しかし、子供を産むことが夢だった母さんはそれを拒絶し、一時は離婚してでも僕を産むかどうかで揉め、最終的に母さんの意思を認めた。

 それでも、いざ臨月間際になると母さんの体調が一変し、生死の境をさまようほどの重態にまで発展してしまった。

 その時、父さんは今からでも僕を堕ろすように何度も何度も説得した。子供など居なくてもいいけれど、君が死ぬ方が堪えられない、と。

 その時、母さんが父さんに返した答えが「もし、この子を殺そうとするなら、私が貴方を殺す」という台詞だった。

 

「奇跡的に無事、生まれた政夫を僕は抱き締めることができなかった。一度は死を望んだ子供に愛を向ける自分がどうにも身勝手に思えてならなかったんだ……」

 

「それで……僕の小さい頃は家に居なかったの?」

 

 申し訳ない顔で僕の顔を見つめた父さんは静かに頷いた。

 

「政夫の顔を見る度に自分の汚さを直視させられているようで、仕事の量を増やしてもらって少しでも合わないようにしていたよ。……弓子が死んでからはそうもいかなくなったけどね」

 

 今、思い返せば幼い時は母さんと居た記憶はあるが父さんと交流した記憶はなかった。父さんが僕を早く一人立ちさせるように育てていたのもきっと僕と離れたかったからだったのだろう。

 親と仲の悪かった友人の相談は何度か受けたことはあるが、こうして自分が親に敬遠されていたのだと知ると少し辛い気分だ。

 

「……でも、政夫くんの事が嫌いって事じゃないんですよね?」

 

「……………」

 

 まどかさんの問いに父さんは俯いて沈黙する。自分には何も言う資格はないというように甲斐のように口を噤んだ。

 その様子を見て僕は理解した父さんはずっと僕のことを疎んでいたのだ。別にそれに対して責めようなどとは思わない。むしろ、嫌いな相手をよくもここまで育ててくれたと感謝したいくらいだ。

 父親との間に溝があったことは悲しいが、今更それで心を痛めるほど幼くはなかった。

 

「まどかさん、……もういいよ」

 

「……好きだよ。大切な息子だ」

 

「え?」

 

「嫌いな訳がないだろう……! こんな育てられ方をしても、誰かのために頑張れる子になってくれた、自慢の息子だっ!」 

 

 顔を上げた父さんは涙を流していた。常に微笑を絶やさなかったのに、今はいつになく必死な表情を僕らに向けている。

 

「でも、そういう風に接する事ができなかった! 抱き締めてあげることができなかった! 顔を見る度に息子の死を願ったあの頃の自分を殴り殺したくなるよ! だから、せめて、模範にできるように人間として強くなるように見守っていた!」

 

 超然とした有名精神科医としての夕田満はそこには影も形もなかった。そこに居るのは真面目で、少し情けない、不器用な父親の姿だった。

 ああ。そうかと納得ができた。

 この人は本当に真面目なのだ。愚かしいまでに真面目だからこそ、欺瞞の愛を向けることができなかったのだ。

 自分の醜さが許せなくて、ずっと自分を律していた。嫌になるくらい僕とそっくりだ。

 

「何かに政夫が巻き込まれている事は分かってた。でも、僕には見ている事しかできなかった! どうやって接すればいいのか分からなかったから……!」

 

「もういいよ。父さん」

 

 僕は父さんに近寄ると父さんは、僕の顔を見上げた。そこに強さはなく、叱責されることを怯える弱々しさだけを感じた。

 馬鹿だった、僕も父さんも。勝手に在り方を決定して、そのせいで容易に動かせないようになっていた。

 親子揃って頭でっかちにも程がある。

 座っている父さんを抱き締める、僕がまどかさんにそうされたように……。

 

「政夫……?」

 

「父さんに育てられたから今の僕が居るんだよ。だから、そんなに自分を責めないで」

 

 感謝と労いを籠めた抱擁。

 今ほど僕は父さんとお互いの気持ちを語り合ったことはなかった。

 例え、ずっと一歩引いていてもそれでも愛を育んでいてくれたからこうして僕は生きていられる。

 まどかさんたちの手助けをできたのも父さんに教えてもらったことがあったからだ。

 

「だから、今、こうして飛び切りの恋人ができた」

 

 後ろに居るまどかさんを横目で見る。

 僕にはもったいないくらいの強くて、優しい最高の女の子だ。

 

「口に出したことはなかったけどさ……育ててくれてありがとう。父さん」

 

 涙を流す父さんを強く抱き締めた。

 擦れ違っていた時間は戻らないかもしれない。だが、僕と父さんはこれ以上ないほど近くでお互いの存在を感じた。

 

「政夫……ちゃんと愛してあげられなくてごめん……優しくしてあげらなくてごめん……」

 

「愛してもらったよ。十分過ぎるくらいに。だから、もう自分を責めなくていいよ」

 

 今日、父さんと話せて良かった。もしも、このまま何も語らず、去ってしまっていたら何も知らないまま死ぬところだった。

 十四年間のあった父子(おやこ)の溝は綺麗に埋まった気がした。

 

 ***

 

 ニュゥべえの姿を現してもらい、僕は父さんに全てを話し終えた。

 最後まで父さんは口を挟まずに聞いてくれたおかげで話はすんなりと終わった。

 

「だから、僕はまどかさんと一緒に駆け落ちしようと思ってる」

 

「そうか。そんな事があったのか……」

 

 息子があと二日の命で、駆け落ちするなど言われれば、反対させることは確実だ。

 例え反対されても僕はまどかさんと共に全てを投げ出す覚悟だったが、意外にも父さんはそれを了承した。

 

「今まで何もしてやれなかった僕が止めろなんて言わないよ。ただ、後悔しないように生きなさい」

 

「父さん……うん。分かったよ」

 

 力強く答えると父さんは頷いて、今度はまどかさんの方を向いた。

 

「まどかさん。どうか、息子をよろしくお願いします」

 

「はい。分かりました。政夫くんは私が幸せにします!」

 

 それは本来僕の言葉だと思うが、まどかさんはそれを受け取って力強く答えた。

 父さんは僕の方を見ると、小さな声でこっそりと僕に伝える。

 

「(良い子だね、彼女。絶対に手放しちゃ駄目だよ)」

 

「(分かってるよ。それくらい)」

 

 嬉しそうに笑うとニュゥべえにも頭を下げた。

 

「ニュゥべえさん……でしたっけ? 政夫をよろしくお願いいたします」

 

「うん。任せてよ」

 

「政夫が弓子の形見のハンカチを渡すくらいですから、よほど頼りにしているんでしょうね」

 

 余計なことを漏らす父さんに僕は肘で突付いて黙らせる。

 お互いの溝が埋められたせいで少々、父さんがフランクになっている気がした。

 いや、元々はこう性格だったのを僕のせいで変えていたのかもしれない。

 父さんの変化に苦笑いをすると、父さんは戸棚から二つの茶色い封筒を取り出してその内の分厚い方を手渡した。

 

「はい。政夫」

 

「何これ?」

 

「政夫が高校生になった時に手渡そうと思ってた一人暮らし用の資金。百万ほど包んである」

 

「ええー!?」

 

 封筒の中を確認すると本当に中身は一万円札が百枚ほど入っていた。

 そんな大金を銀行に預けるでもなく、戸棚の奥にしまわれているとは思ってもみなかった。

 

「持っていきなさい。お金が必要になる時もあるだろうから」

 

「いや、もらえないよ。こんな大金……」

 

「もうすぐ死んでしまう息子に与える小遣いとしては少な過ぎるくらいだよ」

 

「でも……」

 

 それでも受け取れないと突っぱねようとするが、父さんには首を横に振った。

 父親としての命令だと絶対に曲げるつもりはないようだ。

 

「それよりも時間がないんだろう。すぐに旅支度をしておいた方がいいんじゃないかな?」

 

「ううー……」

 

「もらっときなよ、政夫。お金はあっても困らないよ」

 

 ニュゥべえにもそう言われ、ここで突き返すのも失礼に思い、ありがたく懐に入れることにした。

 若干、後ろ髪引かれる思いがしたが本来の目的は旅支度をすることなので、大人しく自分の部屋でその用意をしに行く。

 

「じゃあ、まどかさん。ちょっと待ってて」

 

「うん。待ってるね」

 

 僕はニュゥべえと共に自分の部屋に行き、旅支度をし始める。

 

 

~まどか視点~

 

 

 政夫くんとニュゥべえが自分の部屋に行った後、私と満さんだけがリビングに残る。

 今更になって、ちょっと言い過ぎたと自分に反省して謝ろうとしたが、それよりも早く満さんが私に話しかけてきた。

 

「まどかさん」

 

「……はい! あの、さっきは少し……」

 

「これを受け取ってほしい」

 

 そう言って、渡されたのは薄い茶封筒だった。

 謝罪を遮られて出鼻を挫かれつつも、その封筒を受け取った。

 

「これは?」

 

「弓子……政夫の母親の最期の手紙です。政夫に彼女ができたら、渡してほしいって頼まれていたんですよ」

 

「政夫くんのお母さんの……」

 

 政夫くんのお母さんが亡くなったことはさっきの会話から分かっていたけど、その人から手紙を自分に渡されると、物悲しい気分になる。

 生きている時に会いたかったと思わずには居られなかった。

 

「読んで良いですか?」

 

「どうぞ」

 

 一応、許可を満さんに取った後、私は封筒を破って中の便箋を取り出した。

 書かれた文字は少し雑に見えたがそれ故に想いは籠められているように感じた。

 

『この文章を読んでいる政夫の恋人へ。貴女には必ず、しなければいけない事があります』

 

 丁寧に一文字一文字噛み締めるように私は読んでいく。

 

『政夫は甘えん坊で、泣き虫で、我がままな子だから、何があっても優しく接しなさい。常に愛を持って抱き締めてあげなさい』

 

 ……甘えん坊で、泣き虫で、我がまま?

 ここに書かれている政夫くんは私の知る政夫くんとは百八十度違う気がする。今の政夫くんとは真逆と言ってもいい。

 そして、何より書いている政夫くんのお母さん、弓子さんの書き方がちょっと高圧的過ぎるように思えた。

 

『もしも、あの子を不幸にするような事があれば、呪い殺します。比喩でも冗談でも、言葉の文でもなく、殺します』

 

「ええっ!?」

 

 あまりの怖さに私は思わず声をあげてしまう。そんな私を見て、満さんは小さく笑った。

 この手紙を読むのが怖くなったけれど、託されたからには最後まで読むのが礼儀なので大人しく読み進めた。

 

『P.S. 流石に上のそれは冗談ですが、そのくらいの気持ちで政夫を愛しなさい。夕田弓子より』

 

 非常に短い文章だったが、弓子さんの政夫くんへの愛情を感じられる手紙だった。

 きっとこの人は誰よりも政夫くんを愛していたのだと、強い気持ちが伝わってくる。

 

「弓子さんって……とても強い人だったんですね」

 

「そうだね。政夫の前では慈母を演じていたみたいだけど、気が強い女性だったよ。でも……」

 

「政夫くんの事は誰よりも大切にしていた……」

 

「うん。そういう女性だったよ。彼女は」

 

 この手紙を書いた人が政夫くんを産んだお母さんだと思うと少し、不思議な気持ちになる。

 もし、生きていて、私と会ったらどういう反応をしたのか想像も付かない。

 でも、きっと好きになれるような気がした。

 

「……政夫くんの事は私が幸せにします」

 

 あなたの分まで、絶対に。

 そう心の中で小さく呟いた。

 




この話がやりたいと思っていましたが、ほむらルートではできなかったのでまどかifルートでやりました。

政夫の父親とは伏線があったのですが、なかなか回収できなかったのでちょっとすっきりしました。


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特別番外編予告 『復活の物語』

本編ではありません。ご注意下さい。


 見滝原市を守る魔法少女たちは見事、一人も欠ける事なく『ワルプルギスの夜』を乗り越える事ができた。

 しかし、彼女たちの顔には喜びの色が帯びる事はなかった。

 何故ならば、彼女のたちと共にこの一ヶ月を過ごしてきた少年の姿はもうこの世に居ないからだ。

 

「政夫……」

 

 ほむらがそっと彼の名を呟いて空を見上げた。

 暗雲が立ち込めていた空は太陽の光が顔を出し、蒼く澄んだ景色が浮かんでいたが、彼女にはそれが酷く暗く映った。

 夕田政夫はその黒い不完全なソウルジェムが消えてなくなるまで、友人のために尽力し、そして朽ち果てた。

 ニュゥべえの特性を利用し、全てのインキュベーターの意識をニュゥべえの意識で上書きする事で、対ワルプルギスの夜用兵器『メーデーの朝』を生み出し、ワルプルギスの夜を倒す事に成功した。

 だが、無常にも彼の残りの余命もその時に終わっていた。

 魔法少女たちと一人の普通の女の子を残して、政夫はこの世を去った。

 享年十四歳。人生と呼ぶにはあまりにも短すぎる命だった。

 

 ――そして、政夫が死んでから一年の時が流れた。

 

 半壊した見滝原市はその傷を着実に癒していたが、七名の少女たちの心に付いた傷は未だ癒えて居なかった。

 

 これは最悪の物語。生まれてはいけない命の、孵してはいけない卵のお話。

 

 

 ***

 

 

「やあ、久しぶりほむらさん。元気にしてた?」

 

「嘘……そんな……本当にあなたなの……――政夫」

 

 暁美ほむらの前に現れたのは死んだはずの少年、夕田政夫。

 一年前と同じ優しい声と穏やかな表情を湛えたその姿は紛れもなく彼だった。

 

「……本当に、本当にごめんなさい。政夫……私」

 

「いいんだよ、ほむらさん。僕は恨んでなんかないんだから。それよりも僕に手を貸してくれないかな?」

 

「ええ、もちろん。私にできる事だったら、何だって……!」

 

 けれど、彼はかつての彼なら絶対に言わなかった事を口走る。

 

「本当? ありがとう。じゃあ、僕と一緒にこの街の魔法少女を殺してくれるかな」

 

 帰って来た政夫はほむらと共に魔法少女を狩り始めた。

 一人、また一人とソウルジェムを奪われ、物言わぬ抜け殻となっていく魔法少女たち。

 

 

 ***

 

 

「あなたは政夫くんじゃない。誰なの……あなたは!?」

 

「僕は夕田政夫だよ。正確にはニュゥべえがオリジナルの夕田政夫の魂の残り滓から復元した、記憶と性格を模写した完全な複製だけどね」

 

 唯一の友を亡くした心を持った孵卵器は己の身を使い、最悪の卵を孵してしまっていた。

 

 

 ***

 

 

「ニュゥべえ! どこ!? どこに居るの?」

 

「探したって無駄だよ、まどかさん。ニュゥべえは僕の中だ。いや、もう僕がニュゥべえと言っても過言じゃない」

 

「何を、言ってるの……?」

 

「この身体はニュゥべえが自分の身体を素体にして作ったものなんだ。だから、ある意味、彼女は僕のお母さんだね」

 

「じゃあ、ニュゥべえはもう……」

 

「彼女の意識なら僕がもうとっくの昔に上書きしてしまったからね。死んだ、と言い換えてもいい」

 

 記憶の中の彼とまったく同じ顔で笑うソレは何よりも冒涜に彼女の瞳に映った。

 

 

 ***

 

 

「政夫。もうこれ以上は……」

 

「駄目だよ。全員殺すんだ。じゃないと『ノイズ』が消えないからね」

 

「偽者野郎……てめえ、何企んでやがんだ……!」

 

「夕田政夫が幼い頃から望んだものさ」

 

「まー君が望んだもの……?」

 

「うん。『優しい世界』だよ」

 

 政夫は語り始める。狂気のようなその夢を。

 

「全ての人間が持つ集合無意識に接続する事で僕は全人類を無意識下で制御する。自分でも自覚できないレベルで人間が善行を行うようにするんだ。戦争も、差別も、虐待も、虐めも起こらない優しい世界が完成する」

 

 全人類を無意識下で支配し、世界から悲劇を駆逐しようとする政夫。

 

「じゃあ、何で皆を魔法少女を殺すだなんて……」

 

「ソウルジェムが発する魔力がノイズになって、僕が全人類の集合無意識の邪魔になるんだ。だから、可哀想だけど魔法少女たちには死んでもらうよ」

 

 全世界に散らばるニュゥべえを全て、自分に上書きした政夫によって魔法少女が刈られてゆく。

 

 

 ***

 

 

「あなたは間違ってる。政夫くんならこんな事、絶対にしなかった」

 

「僕は夕田政夫にできなかった事をしているだけだよ? オリジナルの代わりにね」

 

「ほむら! アンタ、いつまでそんな偽者の言う事聞いてるつもりなの!? いい加減目を覚ましなよ!」

 

「黙りなさい! 私はもう二度と政夫を裏切ったりしないわ」

 

 

 ***

 

 

「最後に言い残す事はある?」

 

「アンタなんか、アンタなんか政夫じゃない……」

 

「ああ、そう。それじゃあね」

 

 

 ***

 

 

「これで、やっと優しい世界が始まるよ」

 

 

 ***

 

 

 残酷で、理不尽な、魔法少女たちの最後の戦い。

 夕田政夫が遣り残した『優しい世界』とは……。

 

 『劇場版風 魔法少女まどか?ナノカ~復活の物語~』

 

 

 

 

 

 

 

 

 嘘です。

 かなり遅れましたが、エイプリルフールの嘘予告でした。

 




就職活動が立込んでいて、四月一日に投稿できなかったのが残念でなりません。もっと映画のPV風にしたかったのですが、時間が足りず雑になってしまいました。
申し訳ありません。

ちなみにこれは没案なので実際に書くつもりはありません。


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第百十二話 静かに燃える瞳

しばらく、期間が空いてしまいましたが取りあえず、続きです。
特別編はもう少し待ってください。それよりも本編を書いておかないと物語忘れてしまうので……。


「それじゃ、父さん。……行って来ます」

 

 支度を済ませ、制服から私服に着替えた僕はリュックを背負って玄関で父さんに別れを言う。

 

「うん。行ってきなさい、政夫。それからまどかさん、ニュゥべえさん。僕の息子をよろしくお願いします」

 

 父さんは今まで見たことのないほど朗らかな顔を浮かべ、僕たちを見つめた。

 どこか寂しげでいて、肩の力が抜けたような安堵しているように僕の目には映った。

 

「ありがとうございます。それから……政夫くんの事、任せてください」

 

 真剣な表情で厳かにそう父さんに返答するまどかさんとニュゥべえ。まるで嫁を貰いに来た婿のような物言いに僕は苦笑した。

 そして、心が軽くなった感覚を自覚する。どうやら僕も父さんと同じでずっと親子間のわだかまりを持っていたようだ。

 初めて本当の家族として、僕は父さんの笑顔に見送られ、まどかさんたちと玄関を出て行く。

 後ろ髪を引かれる思いはなかった。もう二度とこの場所には戻って来れないというのに、僕の胸の内は凪いだ海のように静かだった。

 きっと、隣に彼女が居るからだろう。僕はまどかさんの顔をそっと横目で一瞥した。

 

 

 

 駅前まで辿り着くと僕はまどかさんの見滝原中の制服姿を見て、一つ思い付いた。

 

「ねえ。まどかさん、服買ってあげるよ。平日の昼間から制服でうろうろしてると目立つし」

 

 父さんから餞別(せんべつ)として、到底三日では使い切れない額のお金をもらっている。

 せっかくなので旅費として使うだけではなく、お礼も兼ねてまどかさんに洋服でもプレゼントしようと思い、彼女にそう言った。

 

「ええ、でも……」

 

「まあ、親からのお金じゃ格好付かないけど、プレゼントさせてよ。それにどこに行くにしても制服一着って訳にもいかないだろう?」

 

「そう、だね。じゃあ、お願いしようかな。ありがとうね、政夫くん」

 

 最初は渋っていたまどかさんも僕の言葉に納得して、少し申し訳なさそうにしながらも洋服を買うことに了承してくれた。

 駅前にあるデパートの洋服売り場のフロアに場所を移すと、まだ僅かに申し訳なさそうにしていたまどかさんも普通の女の子らしく楽しそうに可愛らしい洋服を選び出す。

 それが微笑ましくて、つい笑みが零れた。僕の右肩に乗っているニュゥべえも少し羨ましげに彼女を見ている。

 

「ニュゥべえも服買っていいよ」

 

「いや、ボクはその気になれば服装なんて魔力でいくらでも変えられるから構わないよ。それに人の姿を取る必要もないから……」

 

「うーん……中学生の男女だけじゃ、お金があってもどこも泊めてくれない。『保護者』として大人の女性が居てくれると助かるなぁー」

 

 強情なニュゥべえに白々しく僕が困った風に言うと、彼女はその真意を理解したらしく、ぴょんと僕の肩から飛び降りた。

 

「……政夫がそこまで言うならしょうがないな。ちょっと待っててよ」

 

 声色に微かな喜色を混ぜた彼女は一旦、僕の傍を離れた後に二十歳くらいの女性の姿となって戻って来た。

 白いツインテールを少女姿の時よりも短くして、可愛らしいながら大人びた風貌となっている。しかし、オレンジ色のレース刺繍の魔法少女姿は浮いて見える。

 ニュゥべえは仕方ない風を装いながら、僕に尋ねてきた。

 

「この姿なら洋服が必要かな?」

 

「そうだね。普通の服が必要だね」

 

「じゃあ、ボクも政夫の好意に甘えるとするよ」

 

 人型に変身できるようになってから特に女の子らしくなった彼女はやはり女物の服が欲しかったのか、レディース服売り場へと速足で行ってしまう。

 今まであまり考えていなかったが、ニュゥべえもおめかしや着替えが好きだったのだろう。そちらの方に気が行かなかったことに少し罪悪感を覚えた。

 しかし、意外と乙女チックなニュゥべえの一面に口角が弛んだ。

 

「政夫くん、政夫くん」

 

 そんな僕に近くで服を選んでいるまどかさんが声を掛けてきた。

 振り向くとピンク色のフェミニンなワンピースと白い落ち着いたシックな感じのワンピースを両手に持った彼女が映った。

 

「こっちのピンクの方とこっちの白い方、どっちがいいかな?」

 

 予算としては両方買ってもいいくらいなのだが、まどかさんが聞いているのはそう言うことではないのだろう。

 どちらが自分に似合うか、ひいては僕が好みの方を尋ねていると考えるのが妥当だ。

 しばらく、二着を見比べた結果、僕はピンク色のワンピースを選んだ。

 理由は素直にそちらの方が彼女らしいと思ったからだ。別に彼女が子供っぽいというつもりはないが、無理に背伸びをしたようなシックな服は彼女らしさに欠けている気がした。

 

「ピンク色の方かな。そっちの方がまどかさんに似合うよ」

 

「本当? じゃあ、着て来るね」

 

 顔を綻ばせてピンク色のワンピースを持った彼女は試着室へと向かって行く。

 つい目でそちらを追うと、まどかさんが「見ちゃだめだよ」と恥ずかしそうに試着室のカーテンを閉じた。

 考えてみれば距離は多少あるとしても、布一枚向こう側にはまどかさんがあられもない姿になっているということだ。

 一瞬だけ不埒な想像が脳裏を過り、無意味だとは知りつつも反対側を向いて試着室に目が行かないようにする。

 そう言えば今までまどかさんの私服を見る機会はなかった。いつも制服ばかりの印象があるので、今日は貴重な彼女の私服姿が見られる。

 少しだけ胸の中がそわそわとして落ち着かなくなってきた。ニュゥべえもまだ帰って来ていないので手持無沙汰になり、ポケットにしまっておいた携帯電話を取り出して弄る。

 皆に僕の異常を知られないために朝から電源を切っていたが、もうあまりその必要性を感じなくなったのでオンにする。

 起動すると、一通のメールが届いた。電源を切っている間に誰が送っていたようだ。

 僕はそのメールを開く。差出人は見覚えがなかったが、本文に名前が書いてあった。

 上条恭介――上条君からのメールだ。アドレスは教えていなかったから、恐らく美樹か、暁美に聞いたのだろう。

 僕はメール本文に目を落とし、文章を追った。そして、その文章の内容に不穏な印象を覚えた。

 『暁美さんを止める事は僕にはできなかった。彼女はきっと今、君の方に向かってると思う。――――彼女の瞳に映っているのは夕田君、君だけだ』

 ……この文は何のことを書いている? 『君の方に向かっている』? 今の時刻は昼の一時を少し過ぎたくらいだ。まだ授業は残っている。

 これを送ったのはそれより前なのだから、なおさらおかしい。

 嫌な感覚が電流のように身体に走り、僕は急いで試着室の方へと近付いた。

 

「まどかさん。何かさ、ほむらさんが僕を探しているらしいんだ……あんなことがあって。まだ……僕に執着してるみたいで、こっちに来るかもしれない」

 

 カーテン越しに静かな声で僕はそう言った。あんなことがあった後だ、まどかさんは暁美に恐怖心を抱いているだろう。すぐに会計を済ませ、彼女を連れてこの街から出て行った方が良さそうだ。

 

「だから、早く……」

 

 そこまで言ってから僕は違和感に気が付いた。

 まどかさんが何の反応も返してこない。いや、それどころか、彼女が入っていったこの試着室から人の気配がない。

 さあーっと自分の血の気が引く音を僕は幻聴した。

 

「まどかさんっ……!」

 

 声を荒げてカーテンを剥がすが、そこには想像したまどかさんの姿は影も形も残っていなかった。

 自分が如何に気を抜いていたのか、改めて認識させられた。

 ……まどかさんは暁美に連れ去られたのだ。

 先ほどまでの浮ついた感覚が、冷や水を浴びせかけられたように急激に失せていく。

 呆然とした僕の後ろから洋服を抱えたまま、歩いてくるニュゥべえに気が付いても反応できなかった。

 僕の血の気の引いた横顔を見て、驚いた様子でニュゥべえは聞いてくる。

 

「どうしたんだい、政夫!?」

 

「……連れ去れた」

 

 ぽつりと吐いた呟きと僕の表情から何が起きたのか察したニュゥべえは声を上げた。

 

「そんな、あり得ない。魔法少女が魔法を使えばボクが気付かない訳が……」

 

『その通りだよ。ボクたちがジャミングを掛けなれば、元インキュベーターである君は暁美ほむらが時間停止の魔法を使った事に気が付いていただろうね』

 

 ニュゥべえに限りなく似た、そして限りなく遠い声が頭に直接響くように聞こえた。

 もはや、振り向くまでもなく、そこに居る奴が何者なのか分かる。

 

「旧べえ……」

 

『やあ、夕田政夫。欠陥ソウルジェムの調子はどうだい?』

 

 不愉快極まりないその声の持ち主は僕に何気ない口調でそう聞いてきた。

 

 

~まどか視点~

 

 

 薄暗くて埃っぽいどこかに私は身体の自由を奪われ、座らされていた。

 周囲には積み上げられた段ボールや布で覆われた家具などが置いてあるところから、デパートの倉庫か何かなのかもしれない。

 手錠で両手と両足を縛られ、身動き一つ取ることができなかったけれど、目の前にいる彼女がそんなことをする必要がないくらいの存在だと私は知っていた。

 口には何も詰められてはいなかったが、彼女が持つ黒い銃はきっと私が叫ぶ暇さえ与えない。

 

「……ほむらちゃん」

 

「手荒に連れてきてしまって御免なさい、まどか」

 

 暗がりの中でも妖しく光るアメジストのような瞳を細めて、ほむらちゃんは微笑んだ。

 口調は穏やかで静かだったけれど、前よりも激しい感情は渦巻いていることはその目を見ればよく分かる。

 

「なんで、って顔をすると思ったのだけれど、まどかは私の言いたいことを分かっているみたいね」

 

 ほむらちゃんがまた私の目の前に現れたその理由……それはたった一つ。私も一度は考えた事。

 

「政夫くんのソウルジェムの事だよね……」

 

「話が早くて助かるわ。でも、分かっているなら、どうして早くしてくれないの?」

 

 政夫くんのソウルジェムを直して、彼を助ける事。ほむらちゃんの狙いはそれだけだ。

 少しも楽しそうじゃない笑顔でほむらちゃんは私に聞く。

 

「貴女が魔法少女の契約をして願ってくれさえすれば、政夫は助かるのよ? それとも自分が犠牲になる事が嫌になってしまったの?」

 

「違うよ!? そうじゃないよ、そうじゃない……」

 

 ほむらちゃんは分かっていてわざとそう言う。私が魔法少女になる事に躊躇(ためら)いがない事を分かっているからこそ、私をそこに誘導して行こうとする。

 

「政夫くんが、そんな事絶対に望まないから。だから……」

 

「だから、何?」

 

 私の声を遮って、微笑みを止めた彼女は責めるように私を睨み付ける。

 ほむらちゃんは怒っている。私に。そして多分、自分にも。

 

「望んでいないから? だから、政夫を見殺しにするの? 私なら……私なら躊躇わないわ」

 

 静かだけど、燃え上がるような感情が込められた声。

 

「私なら例え、魔女になっても政夫を救うわ」

 

 ほむらちゃんの目は彼女の中で燃える紫色の炎の灯りのように映る。

 紛れもなく本心から出た、強い意志を感じさせる言葉。きっと、私の立場にほむらちゃんが居たら、本当にそうしていたんだと思う。

 でも、その言葉を聞いた私は改めて確信した。

 

「私ね、本当はほむらちゃんが政夫くんの恋人になってもいいって思ってたよ」

 

 話題を替えて、誤魔化したと思ったのかほむらちゃんは何かを言おうと口を開く。

 けれど、それよりも早く、私は言葉の先を紡いだ。

 

「でも、間違ってた! やっぱり、ほむらちゃんは政夫くんの事、何も分かってないよ!?」

 

「な……何を根拠に」

 

「ほむらちゃんは自分の事しか考えてない! 政夫くんの事を少しも考えてないよ!」

 

 ずっと言いたかった台詞が私の中から出て行く。想いを溜め込んでいたのはほむらちゃんだけじゃない。

 私だって同じだ。

 

「救う、とか……助ける、とか……そんな事言いながら結局自分の都合しか考えてない! 政夫くんの事が本当に好きだったら、何をすれば一番悲しむかくらい分かってよ!?」

 

 叩き付けるような私の言葉に一瞬だけ、ほむらちゃんは言葉を失ってから、怒りを隠そうともせずに言い返してくる。

 

「言わせておけば……まどかはいつだって守られるお姫様の癖に、自分で戦った事もない癖に偉そうな事ばかり言わないで! 私は貴女よりもずっと前から彼と一緒に居たの! ずっと前から想っていたよ! それを横から奪って行って……!」

 

「ずっと前から好きだったなら、何で政夫くんの事を分かってあげようとしないの!? それに私だって何も知らずにお姫様なんてしたくなかったよ!」

 

 大きな声でそうやって叫んで、私は気が付いた。

 初めてだ。出会って初めて、ほむらちゃんと喧嘩をしている。

 今までは友達って言いながら、一度も喧嘩なんてした事なかった。お互いにどこか遠慮をして付き合っていたんだ。

 意見が合わなくなっても、それを彼女に突き付けようとした事がなかった。

 でも、こうやって私たちは喧嘩をしている。無遠慮にお互いに思った事をそのまま相手にぶつけている。

 ほむらちゃんも、今まで取り繕った笑顔も無表情も捨てて、普通の同い年の子みたいに怒っている。

 

「まどかは優しい家族や友達が居る! どの時間軸でもそう! だから、政夫の事は私にくれても……!」

 

「あげない! 絶対にほむらちゃんだけには政夫くんは渡せない! 欲しがるだけで分かろうとしないほむらちゃんだけには!!」

 

 そこまで吐き出すと、叫び過ぎて息が途切れた私は呼吸を整える。ほむらちゃんも私ほどではなかったけれど、取り乱した心を再び冷静にするために大きく息を吐いた。

 

「どうしても……キュゥべえと契約してくれないの?」

 

「絶対にしないよ。契約して助けたとしても政夫くんは絶対に喜ばないから……」

 

『強情だね、まどか』

 

 ほむらちゃんの後ろに置いてある段ボールの小山からすっとキュゥべえが降りて来る。

 私はそれをキッと睨んだ。ほむらちゃんを焚き付けたのは間違いなくキュゥべえだ。

 

「キュゥべえ、私は絶対に魔法少女にはならないよ」

 

 きっぱりとそう告げるとキュゥべえは首を振って、呆れたような声を出した。

 

『やれやれ、仕方ないね。じゃあ、最後の手段だ。……暁美ほむら』

 

 キュゥべえはほむらちゃんに何かを命令するように視線を向けた。彼女はそれを見て、手に持った銃を私のお腹に突き付けた。

 びくりと私の身体が硬直する。

 

「まどか。これから貴女の身体に銃弾を撃ち込むわ……すぐには死なないようにするから、その間に政夫の寿命を延ばすように願って」

 

「え……?」

 

 一瞬何を言われたのかうまく呑み込めず、聞き返してしまう。

 すると、彼女の代わりにキュゥべえが答えた。

 

『つまりね、まどか。暁美ほむらに撃たれた後、出血死したくなかったらボクと契約して魔法少女になる必要があるって事だよ』

 

 私は無言でほむらちゃんの顔を見返す。

 彼女の瞳には有無を言わせない、紫色の炎が静かに燃えていた。

 




取りあえず、ラストシーンは決めていますが、途中の話はあまり固まっていなかったりします。


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第百十三話 最後の決別

 ……自分の迂闊さに苛立ちが隠せない。

 完全に気を抜いていた。僕がもっとしっかりしていれば事前に防げたはずだ。

 ちゃんとまどかさんの傍に居たら守れたはずだ。

 自責と後悔で思考が取り乱れ、今まで感じたことのないほどの絶望が心の底から噴き上がる。

 駄目だ。こうしている間にも事態は悪くなるだけだ。

 僕は頭を振って、冷静さを取り戻す。

 この最悪な状況だからこそ、思考を乱している場合ではない。

 目の前に居る旧べえのことに意識を戻す。

 こいつがここにいてなおかつ、暁美の手助けをしたということは両者は手を組んでいると見て間違いない。

 まどかさんを魔法少女にすることに尽力しているこいつが、まどかさんをそのまま死なせるとは考えられない以上、暁美による彼女の殺害に手を貸しているという線はないだろう。

 ならば、逆に暁美がこいつらに協力して、まどかさんを魔法少女にしようと画策していると考えるのが妥当だ。

 だとするなら、こいつや暁美は僕たちを少しでも時間稼ぎをするのが目的。

 逃げるためではないだろう。もしそうなら、わざわざ姿を現す必要まではない。十中八九、まどかさんが契約をするための時間稼ぎだ。

 暁美の時間停止の魔法も万能ではない。時間を止めていられるのはそれほど長くはないことを僕は知っている。

 ――近くだ。まだ近く……恐らくはこのデパート内にまどかさんは居る。

 デパート内で、かつ人目に付かず、まどかさんが騒いでも気付かれない場所。

 そこまで限定すれば、大体察しは付く。

 倉庫。在庫を置いておくための倉庫だ。

 

「ニュゥべえ。着いて来て!

 

「ま、政夫、どこに行く気なんだい⁉」

 

 僕はニュゥべえに一声かけた後に急いで近くのエスカレーターを駆け下りて、一階にある倉庫へと走っていく。

 

『この数秒にも満たない時間でまどかの居場所を推理したのか……でも』

 

 視界の端で旧べえが僕を見つめながら呟いたが、それをすべて無視して駆けた。

 すぐさま隣まで追いついて来たニュゥべえが尋ねてくる。

 

「どこに向かってるんだい?」

 

「一階に在庫を置いておくための大きめの倉庫フロアがあった。そこだよ」

 

「なら、ボクに任せて」

 

 走りながらニュゥべえは僕の手を握ってきた。それの行為の意味に理解できず、怪訝な顔で見返すと彼女は笑った。

 その瞬間、見覚えのある感覚と共に白い『(たて)』がニュゥべえの左手に生み出される。

 楯の形状を見て僕はニュゥべえのやろうとしていることを理解した。

 

「……できるの?」

 

「模倣再現するのに時間がかかったけどね」

 

 世界の色がモノクロに変わる。

 僕とニュゥべえ以外を除くすべてのものが動きを止め、完全に静止した。

 暁美の時間停止の魔法とほぼ同じ魔法が僕らに掛かっている。今までは使えなかったはずだから、きっとこの前のあのまどかさんが攫われた一件から暁美の魔法を解析して身に着けていたのだろう。……ニュゥべえのことだから、あの時僕を死なせたことを後悔して、そのために僕を守る術を研究していたのかもしれない。

 そんな思考を滲ませながらも、僕らは止まった時間の中を駆け抜けた。

 

 

 目的の倉庫の扉をニュゥべえが蹴破る。

 扉を開けた数メートル先には手足を手錠で縛られたまどかさん、そして、彼女に銃口を向けて立っている暁美が居た。

 暁美は驚いた顔でこちらを見つめている。その近くに旧べえも居る。先ほど置いて来た奴とは別個体だろう。

 

「どうして、政夫たちが……まだ時間を止めているはずなのに」

 

 ニュゥべえは白のマスケット銃を作り出し、引き金を引いた。

 弾丸は暁美の握っていた拳銃を弾き、それを手から零させる。地面に落ちる数センチ手前で拳銃は宙に固定された。

 

「っう……」

 

「生憎とその魔法のせいで後手に回る事が多かったからね。君のそれも解析して、模倣させてもらったんだよ」

 

 新たなマスケット銃を生み出しながら、静かにニュゥべえはそう告げた。

 モノクロで静寂だった世界は、再び色と音のある世界へと戻る。宙に留まっていた暁美の拳銃がカツンと鈍い音を立てて、倉庫の床に転がった。

 僕は黙って、彼女たちへと近付いた。

 

「政夫くん⁉」

 

 時の止まっていた時間を知覚できなかったまどかさんには突然、僕とニュゥべえが出現したように見えただろう。

 僕はそっと彼女に微笑みかけた後、落ちていた拳銃を拾い上げる。

 そして、その銃を片手を押えている暁美へと向けた。

 

「政夫……」

 

「ここで時間を止めても無駄だよ。ニュゥべえも君と同じ魔法が使えるようになった以上、お前は逃げられないし、僕やまどかさんを人質取る前に彼女がお前は仕留められる」

 

 暁美を前にしても僕の心には燃え上がる怒りはなかった。あるのは凍てついた氷のような殺意だけ。

 もう目の前の少女が人間には見えなかった。

 人の形をした、ただの魔女。異形の姿をしていないだけで、中身は救いようのない化け物だ。

 話し合いの段階は既に通り過ぎていた。もはや殺す以外にない。

 

「お前は終わりだ、暁美」

 

 冷たく吐き捨てるように言うと、暁美は悔しそうだった表情を次第に弛め、笑みを浮かべた。

 

「……ふふ、あの時とは逆ね」

 

「何を言って……ああ」

 

 暁美の言うあの時とはきっと転校してきたあの日のことを言っているのだと理解した。

 銃口を向けていたのは彼女で、銃口を向けられていたのは僕だった。

 冷たい目で睨んでいたのは彼女で、笑みを浮かべていたのは僕だった。

 一か月前なのに遠い昔のように感じる。

 

「『君のこと、もっと教えてくれないかな。君と友達になりたいんだ。君に何があって、なぜこんなことをしたのかは知らない。でも僕達は友達だ。辛いことが合ったらいつでも頼ってよ』……政夫はそう言ってくれたわね?」

 

 あの日、僕が暁美に言った言葉を彼女は微笑みながら、口ずさんだ。

 懐かしむような悲し気な瞳でこちらを見つめている。

 それにすら僕の心は揺れ動くことはなかった。

 

「あの時の言葉を私は忘れた事はなかったわ。そして、貴方はそれを守ってくれた」

 

「……それで?」

 

「思えばあの瞬間から、私は貴方に恋をしていたのだと思うわ」

 

 それに僕は殺意の籠った眼差しで返す。

 彼女はその反応を見て、何も言わずに魔法少女の姿を解き、見滝原中の制服姿となった。

 紫色のソウルジェムを手のひらに乗せて、僕に見せびらかすように持つ。

 何のつもりかと僕が聞くよりも早く、彼女が口を開いた。

 

「もう、戻れないのなら、せめて、貴方の手で終わらせてほしいの」

 

「分かったよ」

 

 ソウルジェムへと銃口を向ける。銃を撃つ経験なんてなかったが、この距離なら外す方が難しい。

 安全装置は外れていた。少し前まで暁美が『使う』つもりだったのだから、掛かっている方がおかしいか。

 人の命を奪う、僕のもっとも嫌うこの道具はなぜか今だけはそれほど重くは感じなかった。

 

「駄目ぇ!」

 

 縛られたままのまどかさんが僕に向けて叫ぶ。

 けれど、それは聞けない頼みだった。暁美を殺さなかった僕の選択が今の状況を作ってしまった。

 だから、ここは僕がけじめを付けなくてはいけない。

 

「政夫、貴方は本当にいいの? まどかと逃げてもせいぜい二日の命なのよ?」

 

「それでいいよ。僕は残りの時間を大切な人と過ごすって決めたから。だから、そのために彼女を傷つけるお前の存在を僕は許さない」

 

「そう。……これでよかったのかもしれないわ。私は、もう自分は止まれないから。貴方が助かるなら私は何だってやってしまう」

 

 知ってるよ。ずっと、暁美はそうやって生きてきたのだから。

 結局は自分で何もかも台無しにしてしまうとしても、足を止めて立ち止まることのできない女の子。

 これ以上、放っておいたら、こいつはまどかさんを殺してでも、僕を延命させようとするのだろう。

 

「駄目だよ! 政夫くん! ほむらちゃんを殺しちゃったらきっと政夫くんは残りの時間を幸せに過ごせないよ‼」

 

 静止の声を振り切り、引き金を引いた。思ったよりも引き金を引く指はすんなりと動く。

 だが、弾丸は暁美のソウルジェムを貫くことはなかった。

 僕と暁美の間に立ち塞がったニュゥべえがその手に持った白い剣で弾丸を弾いていたからだ。

 

「……なぜ貴女が……」

 

「ニュゥべえ……」

 

「政夫。まどかの言う通りだよ、君が幸せにならない選択肢ならボクはそれを許容できない」

 

 彼女は僕を見つめて、そう言った。

 まどかさんはほっとしたような顔を浮かべ、暁美は怒りを浮かべて、ニュゥべえに叫ぶ。

 

「余計な事をしないで!」

 

 憎悪に燃える暁美をニュゥべえは一瞥すらしなかった。

 

「……政夫、ほむらは政夫が手を掛けるほどの存在じゃないよ。ボクが君とまどかを何があっても守るから、君はそんなものを使う必要はないんだ」

 

 そう言って、僕の手から拳銃を優しく奪い取った。

 そこまで言われれば僕も言うことはない。ニュゥべえは宣言通り、まどかさんと僕を守り切るだろう。

 

「分かったよ。そこまで言うなら、ちゃんと守ってよ?」

 

「うん。任せてくれていいよ」

 

 ニュゥべえの返答をすると一旦屈み、まどかさんを縛っている手錠を剣で切り裂き、器用にも外していく。

 いつの間にか旧べえは姿を消しており、呆然と暁美はこちらを見つめ、立っていた。

 

「暁美。悪いけど、僕はお前を殺さない。後は好きにすればいい。でも、僕らのボディーガードを出し抜くとはできないと思うけど」

 

 拘束から解放されたまどかさんとニュゥべえが立ち上がると、僕は彼女たちと共に入って来た出口から出て行こうとする。

 

「ま、待って……」

 

「暁美」

 

 振り返らずに彼女へと言葉を放った。

 

「僕たち、出会わなければよかったね」

 

 短い、けれど決定的な決別の言葉を。

 彼女は何も言わない。何も言えないだけかもしれない。

 それでも、僕は暁美に対するそれ以上の言葉を持ち合わせてはいなかった。

 

『だって、運命的じゃない?同じクラスに同じ日に転校してくるなんてさ。普通ないよ』  

 

 あの時に僕はそう言った。確かに運命だったのかもしれない。

 でも、彼女のと出会いは起きなかった方が良かった運命だった。

 まどかさんが何も言わずに僕の手のひらを握ってくれる。その優しさに僕は甘えた。

 人との出会いが幸福な結果をもたらすとは限らない。そんなことは分かっていたつもりだった。

 それでもこうやって、まざまざと見せつけられると思わずにはいられない。

 

 僕らは電車の切符を買い、この街から出て行った。

 色んな思い出を僕にくれた見滝原市は遠ざかっている。隣に居るまどかさんの温もりを感じながら、僕はたくさんの知り合いの居るこの街を捨てた。




これでほむらとの話は一応、終了しました。あっさりでしたが、長引かせると話し終わらないので。
次回は、多分まどかとのイチャイチャな話です。なお、どうあっても政夫に未来はありません。


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特別番外編 if第百十三話 永遠の部屋

前回の話の分岐バッドエンドです。


~ほむら視点~

 

 

 

 止まった時間の中、私の放った弾丸はまどかの脇腹の数センチ手前で静止する。彼女は怯えた顔を固め、私を見つめていた。

 再び、時が動き出せばきっとその可愛らしい顔は苦悶に歪められる事が容易に読み取れる。けれど、私は躊躇わない。

 留めていた楯に付いた砂時計が動かす。さらさらと止まっていた砂が落ちる。

 その瞬間、予想していた事が前の前で起きた。

 悲鳴はではなかった。潰れたカエルのような声が一つ。それから、むせ込んだような咳が連続で聞こえた。

 

「あぐぁ……づぅ……」

 

 赤い血がまどかの身に着けている制服を汚した。太い動脈が破れたのか、流れ出る血は止まらず、すぐに床に血溜まりを作る。

 口からも唾液の混じった血を吐き出しながら、苦しむ彼女にキュゥべえが語りかける。

 

『まどか、早くしないと死んでしまうよ? そうなる前にボクと契約して魔法少女になってよ』

 

「そうよ。まどか、魔法少女になりなさい。ああ、当然、願い事は『政夫の延命』よ。焦って間違えないでね」

 

 あれだけ、阻止していたまどかの契約をキュゥべえと共に促している私自身に自嘲するが、心は既に痛みはしなかった。

 本当に私の心の中は政夫を救う事しか残っていない。ずっと助けようとしていた親友を手に掛ける事に罪悪感を抱かないほどに。

 激痛で喋れないまま死なれると困るので、まどかにソウルジェムを近付け、魔力で痛みを和らげる。

 

「まどか、これで痛みは和らいだでしょう。早く、キュゥべえと契約して魔法少女になりなさい」

 

『そうだよ、まどか。このままだと君は出血多量で死んでしまうよ?』

 

「……しない、よ。契約なんて、しない」

 

 気丈にもまどかは契約を拒絶する。やはりまどかはこのくらいでは折れる素振りさえ見せない。

 私が政夫の存在によって変わったように、まどかもまた彼の存在で変わった。一番最初の時間軸と同じくらいに、いや、ひょっとしたらあの時間軸のまどか以上に強くなった。

 でも、私はそれを許す訳にはいかない。

 

「そう……なら、もっと必要ね」

 

 また魔法で時間を止め、今度は彼女の太腿(ふともも)に弾丸を放つ。そして、再び魔法を解く。

 数ミリの鉛の塊はまどかの柔らかい足を容易く食い破る。真っ赤な花が咲いて、冷たい床に零れ落ちた。

 

「ひっぐぅ……」

 

 涙を流して耐える彼女に私は諭すように言った。

 

「まどか、このままだと貴女、本当に死んでしまうわ。それでもいいの? もう、政夫と一緒に過ごす事もできなくなるのよ?」

 

 だから、早くキュゥべえと契約をしてと、まどかに詰め寄る。けれど、彼女は首を振る。

 ――絶対に魔法少女にはならない、政夫くんと約束したから。

 想いの籠ったその台詞に政夫との絆を見せつけられたような気がして、私の心は嫉妬の炎が勢いを増して燃え上がる。

 私の方が彼の事を想っているのに……私の方が先に彼に愛していたのに……。

 意図せず、奥歯をぐっと強く噛み締めた。

 

「……このままだと、その政夫が死んでしまうのよ⁉ それでもいいと言うの?」

 

 横たわるまどかに私は再度叫ぶ。しかし、彼女は首を頑として縦に振らない。

 馬乗りになり、彼女の首を締め上げた。

 

「どうして助けられるのに、契約してくれないの? そんなに魔女になるのが怖いっていうの? ねぇ、まどか! 答えてよ!」

 

「がっ、ぐが……」

 

 自然と彼女の首に回した手に力が入る。苦しそうに私の手首に爪を立てて、まどかはもがくが私は力を弛めたりはしなかった。

 

『暁美ほむら、それ以上やると……』

 

 傍でキュゥべえが話しかけたような気がしたが、まるで意識の外側を流れ落ち、頭の中に入って来なかった。

 どうして、この女は私の欲しいものを持っている癖に、それを大切にしないのだろう。

 許せない。悔しい。耐えられない。

 もはや、私の目の前でもがくこの女は友達でも何でもなく、憎らしい妬みの対象でしかなかった。

 じたばたと暴れ続けるまどかを押え付け、衝動のままに白い喉元に指を食い込ませる。

 思考は苛立ちと嫉妬、悔しさを煮詰めたような、ドス黒い感情に支配されていた。

 

『暁美ほむら。暁美ほむら……』

 

「……何よ」

 

 ようやく、隣に居たキュゥべえに私は関心を示し、視線を向ける。

 視界に映り込んだキュゥべえは感情がないはずなのに呆れたような目を向けているように見えた。

 

『君と協力したのは間違いだったようだね。もう、彼女は死んでいるよ?』

 

 言われて下をよく見ると既にまどかはもがき苦しんではいなかった。目蓋を大きく開き、涙が滴り落ちて、口元からは涎が垂れている。

 薄桃色の瞳孔には光彩がなく、キュゥべえ以上に感情のない瞳が私の顔を映していた。

 

「ふ……ふふ、あはっあはははははははははは」

 

 それを見た瞬間、何故だか笑みが溢れ出して止まらなくなった。

 嬉しさも、楽しさもまるで感じないのに笑い声だけが、意志とは関係なく喉から漏れ出た。

 

「あははははははははははははははははははははははははは」

 

 思い付いた。

 そうだ。そうすればいいのだ。

 どうして、もっと早く考え付かなかったのか。私は自分の愚かさを実感する。

 ちょうど、その時に倉庫の扉が壊される音を耳にする。傍に居たはずのキュゥべえは既に姿を消していた。

 笑うのを止め、歩いて来た彼の顔へと眼差しを向ける。凍てつくようなその眼光が私を捉えた。

 私は彼に向けて、大きく両腕を開いて出迎える。

 

「ああ、政夫。ちょうど良かった。今、貴方に会いたかったところだったの」

 

 政夫は私にはまったく反応せず、床に横たわるまどかに視線を落とす。声を掛けようともせずに黙っているのは一瞬でここで何が起きたのか理解したからだろう。

 

「政夫、私ね。貴方を救う方法を……」

 

「……ニュゥべえ……」

 

 俯いている政夫は私の話を遮り、後ろに居る彼のインキュベーターに冷え切った声を掛けた。

 

「……あいつを殺せ(・・)

 

「分かったよ、政夫」

 

 その瞬間、時間が止まった。私は楯をを弄っていないのに、魔法を使った時と同じように世界から色が消えた。

 白いツインテールをなびかせた魔法少女がサーベル状の剣を構え、一切の反応を許さず、私の片手を手首から切り離す。

 菱形に変化していたソウルジェムごと、切り落とされた手首から卵型になったソウルジェムが分離したのが見えた。

 世界が元に戻った。私の姿は見滝原中の制服へと戻り、ソウルジェムとちぎれた私の手首が床に落ちている。

 意外な事に驚きもそれほどなかった。予想していた訳ではないが、薄々とは予感していた事だった。

 そして、白い魔法少女は私の床に転がったソウルジェムへ剣の切っ先を突き刺す。

 ぐらりと私だった身体は力なく、床へと崩れ落ちていく。

 私のソウルジェムは、あっという間に砕け散った。

 

「せっかちね。でも、『遅かったわ』」

 

 濁り切っていた――私の黒いソウルジェムは。

 

「な! このソウルジェムは!」

 

 気が付いた白い魔法少女は自分の犯した過ちを理解し、『私』に吹き飛ばされ、倉庫の奥の壁まで叩き付けられる。衝撃で積んであった大きな段ボールの山が崩れ、彼女はそれに埋まった。

 『私』はすぐに政夫へと近付く。彼は『私』を見上げ、低く声を上げた。

 結界が倉庫を覆い尽くし、周囲は『私』の邪魔なものをすべて遮断する。

 

「……この魔女め」

 

 ――ふふ、可愛いわ。政夫。

 愛する人を奪われ、味方もいない状況にも拘らず、この期に及んでなお屈しない彼の精神には驚嘆する。

 けれど、貴方はもう何もできない。政夫、貴方は私だけのものよ。

 両手を伸ばし、『私』の中へと彼をしまい込む。

 ずっと、欠けていたピースが嵌ったパズルのように、政夫を得た『私』は完成した。

 心地よい充足感が全身を満たす。胸の中が温かく、救われた気持ちになれた。

 

「……待って! 政夫を返して!」

 

 『私』の結界の中に入り込んで来た、白いツインテールの魔法少女は『私』へと飛び掛かる。

 しかし、『私』は彼女の方を振り返らずに、魔女となった己の力を遺憾なく発揮し、この時間軸からさっさと出て行く。

 魔法少女だった時よりも遥かに使い勝手のよくなった魔法は、二日後を待たずに時間遡行可能にしてくれた。

 

「政夫を返……」

 

 邪魔者が『私』の身体に触れるよりも早く、この世界から『私』は姿を消した。

 

 

 ***

 

 

 もう誰も、政夫との時間(・・)を阻害される事はない。

 『私』の中に元の姿の私を作り出し、愛しい彼へと会いに行く。

 彼が居るのは小豆色のカーテンと、それよりも濃い紫色の絨毯(じゅうたん)に彩られた部屋。

 所狭しと大小様々な時計が壁に埋め込まれているが、そのどれもが針を止めている、時間の停止した空間。

 その部屋の一番奥にある柱時計。その柱時計に繋がるように設置されている玉座に政夫は座っている。

 階段を上り、玉座の目の前まで辿り着くと私は彼の頬に手を添えた。

 手のひらから柔らかさと温かさが伝わって来る。

 嬉しさに心が震え、政夫の身体にしな垂れかかった。

 目を瞑り、彼の胸に耳を当てて、心臓の鼓動の音を聞く。とくん、とくんと聞こえる。

 

「ずっと一緒よ、政夫。何があろうと貴方の命は奪わせないわ」

 

 『私』の中なら時間は止まったまま。彼の欠陥があるソウルジェムも、これ以上摩耗する事もない。

 頬擦りをしていても政夫は微動だしない。何も言わずに薄く目を開き、小さな呼吸だけを繰り返している。

 

「誰よりも愛してるわ……まどかよりもずっと、ね」

 

 『私』と政夫は永遠の迷路の中で愛し合う。ずっと、ずっと二人きりで、失われる事のない世界で生き続ける。

 魔法少女に見つかれば、また他の時間軸へと逃げればいい。

 繰り返す。私は何度でも繰り返す。この幸福を守るために。

 ――政夫、私とっても幸せよ。

 彼の唇にそっと口付けをかわす。何故かその時、雫が一滴、彼の頬から流れたような気がした。

 




これで前回、ほむら分が足りなかった人も多少満足できたでしょうか。
次こそ、本当にまどかとの逃避行を描きます。残り、四話くらいです。

まどかの方が政夫を幸せにはできますが、ほむらに追い回されて苦しめられる政夫の方が個人的には好きだったりします。




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第百十四話 素直な瞳の甘えん坊

~まどか視点~

 

 

 

「あーさだよー、政夫くん。もう起きないと駄目だよ」

 

 先に起きていた私はまだ布団で眠っている政夫くんを起こそうと身体を揺する。彼は小さく「うーん」と呟き、寝返りを打って私から逃げるように反対を向いた。

 ちょっとかわいい。いつもの毅然とした政夫くんと違って、子供っぽい仕草が新鮮で微笑ましかった。

 ずっと見ていたい気もしたけれど、そういう訳にもいかない。私はよくても政夫くんに残された時間は限られている。

 

「政夫くん、起きて」

 

「……してくれたら……れそう」

 

「え?」

 

「ほっぺにキスしてくれたら起きれそう」

 

 政夫くんの言葉に私の頬が少しだけ熱くなった。何度か、彼とはキスをしたけれど彼の方からそれをねだってきたのは初めてで、気恥ずかしくなる。

 私は周りを見回して、ニュゥべえが傍に居ない事を確認してから、横になっている政夫くんの頬に唇をそっと押し当てた。

 柔らかい政夫くんの頬に口付けすると、いきなりかばりと身体を起こして座っていた私に抱き着いてくる。

 私もそれに応じるようにして抱きしめ返した。彼の体温と匂いが服越しに伝わってきて、胸の中がぽかぽかと温かくなる。

 

「おはよう、まどかさん」

 

「おはよう、政夫くん」

 

 彼はいつになく素直に私に甘えてくれるようになった。

 それは昨日の電車の中からの事だった。

 

 

 ***

 

 

 昨日、電車を何本も乗り継いで見滝原市を遠く離れた後、隣に座る政夫くんはずっと無言のままだった。私の方に目線も向けず、ひたすら電車の窓の外を見つめている。

 物憂げな横顔から彼の疲れが読み取れた。ほむらちゃんの件もあるだろうし、明後日『ワルプルギス』の夜この街から逃げていく事に罪悪感を感じているのだと思う。

 でも、それはいけない事じゃない。政夫くんはもう十分過ぎるほど誰かのために戦った。それに明後日には生きていられないのに自分以外のために時間を使うべきじゃないはずだ。

 それは膝の上に乗ってじっとしているニュゥべえもきっと同じ気持ちだと思う。

 

「ねえ。政夫くん」

 

 話しかけると、窓の外を疲労した目で見ていた政夫くんは、初めて自分が一人で居る訳じゃない事に気付いたようにはっとしてこちらを向いた。

 

「何かな? まどかさん」

 

「もう誰かに気を遣うのはやめよう? 政夫くんは政夫くんのためだけの事を考えていいんだよ」

 

「……そうだね。うん」

 

 困ったように俯く彼は台詞とは裏腹に納得していないように見えた。

 これじゃ駄目だ。何のために政夫くんを見滝原市から連れ出したのか分からない。

 きっと、彼は慣れていないのだ。自分だけの幸せを考える事に。

 だから、少しだけ悩んだ後、私は彼にこう言った。

 

「政夫くんは私の彼氏だよね?」

 

「え? うん、そうだけど……」

 

 怪訝そうな面持ちで政夫くんは私を見た。

 そっちがその気なら、私にだって考えがある。

 

「じゃあ、これからずっと私の事だけを考えてよ」

 

「まどかさんのこと?」

 

「うん。私は政夫くんと恋人らしい事したい。だから、そういう風に暗い顔をしないで……もっと私に甘えて」

 

「甘える、か。実はあんまり分からないんだ、そういうの。僕は誰かに委ねないようにしてたから」

 

「じゃあ、練習しようよ」

 

 頬を掻いて、困惑したように目を向ける政夫くんに膝を叩いて、膝枕を促した。ニュゥべえは気を遣って、ぴょんと横に退く。

 政夫くんは少しだけ躊躇してから『私の事だけを考えて』という言葉が過ぎったみたいで、大人しく頭を私の膝に頭を乗せた。

 

「どうかな? 甘えられそう?」

 

「う、うん。何だろう……心が落ち着く。それにまどかさんの匂いがする」

 

 恥かしい事をさらりと言う政夫くんにどぎまぎしたが、それよりも彼がリラックスしているのを見て、嬉しくなった。

 これからはもっともっと政夫くんに優しくしたいと思う。辛い事や苦しい事を忘れさせてあげたい。

 

 その後、県を一つ二つ離れた街の、それほど大きない旅館を見つけて、私たちはそこに泊まった。ニュゥべえが大人の女の人の姿になり、保護者として同伴してくれたので問題なく、チェックインできた。

 

 

 ***

 

 

 そして、今。

 しばらく、抱き合った後、私と政夫くんは旅館の女将さんが作ってくれた朝ご飯を食べている。パパの料理は洋食が多いので、さっぱりとした和食は新鮮だった。

 少しだけ、パパやママ、たっくんの顔が頭に浮かんだけれど、首を横に振ってそれを打ち消す。

 隣に座る二十歳くらいの女の人の姿になったニュゥべえは私よりも上手にお箸を使って、焼き魚の骨を外しているのが映った。人間の姿でご飯を食べるのは初めてだったようで、どことなく楽しそうに見える。

 一方、向かいに座る政夫くんはご飯を美味しくなさそうに飲み込んでいた。

 ニュゥべえから聞いた話では政夫くんは味覚を失っているのだと言っていたのを思い出す。昨日の夕食もちゃんと食べていたので、一応お腹は空くみたいだった。

 

「政夫くん、朝ご飯食べたら、お風呂入りに行こうよ」

 

「お風呂、そうだね。ニュゥべえ……確か、この旅館混浴あったよね?」

 

 政夫くんがニュゥべえに尋ねると、彼女はこくんと頷いた。

 

「露天風呂が混浴だったはずだよ。平日のこの時間帯にボクら以外の宿泊客は居なかったから、貸し切り扱いだね」

 

 その言葉に政夫くんの瞳がきらりと一瞬輝いた気がした。

 それを見て、私は慌てて自分の台詞を訂正をする。

 

「いや、お風呂に入りに行こうって言ったのは、そういう意味じゃなくて……」

 

「僕はまどかさんと一緒に入りたいなぁ」

 

「ええ~……」

 

「入りたいなぁ」

 

 戸惑う私に容赦なく、期待した眼差しを向けて政夫くんは言った。

 流石に生まれたままの姿を彼に見せるのは恥ずかし過ぎる。それに一緒に入るという事は見られるだけじゃなく、私の方も彼の裸を見る事になるのだ。

 けれど、昨日あれだけ私に甘えてほしいと言っておいて、ここで突き放す訳にもいかない。

 かつてないほどきらきらとした瞳に押されるがままに私は政夫くんのお願いを受け入れてしまった。

 

「えっと、……じゃあ、一緒に入ろうか?」

 

「ありがとう。まどかさん」

 

 心なしか、さっきよりも美味しそうに食事を続けて答えた。

 ……期待されるほど、私の身体は立派じゃないのになぁ。

 お箸を持つ方とは反対の手で自分の胸元をペタペタと触る。マミさんや美国さんたちと比べると平面と言ってもいいくらいなだらかだった。

 

 三人とも食事を終えると、部屋に戻った政夫くんはバスタオルと浴衣一式をせっせと用意している。……やっぱり、今更断れる雰囲気じゃなかった。

 ニュゥべえの方は人型からいつものマスコットの姿に戻って、部屋にある新聞を小さな手でめくっていた。

 

「あれ? ニュゥべえは来ないの?」

 

「ボクは後にするよ。流石にここまでほむらが追いかけて来るとは思わないけど、用心するに越した事はないからね」

 

 それじゃあ、本当に政夫くんと二人きりでお風呂に入るの!?

 ニュゥべえが居るからと多少安心していた部分があったからこそ、政夫くんとお風呂に入る事を決めたのに、そんなのってあんまりだ。

 裏切りにあった気分になり、恨みがましくニュゥべえを見るが、きょとんとしている様子で見返す彼女に毒気を抜かれてしまう。

 

「準備が終わったなら、行こうか」

 

「……そうだね」

 

「行ってらっしゃい。政夫、まどか」

 

 二人で並んでお風呂場に着くと、男湯の方の暖簾(のれん)を押し退けた政夫くんは、中で待ってると言って入って行った。

 心の準備はまだできていなかったが、とりあえず、私も女湯の暖簾を潜る。

 着替えの浴衣を置いてから、中に設置されている籠に脱いだ服をしまっていく。

 下着まで脱ぎ終えると、手拭いを握り締め、バスタオルを身体に巻いて脱衣所から出た。少し肌寒い空気に触れた後、覚悟を決めて政夫くんが待っている露天風呂へと歩いて行く。

 既に湯船に入っていた彼は私を視界に収めると、僅かに非難するように言った。

 

「まどかさん。風呂にバスタオル巻いて入るのはマナー違反だよ」

 

「うう……政夫くんの意地悪」

 

「意地悪で言ってるんじゃないよ。ほら、脱いで脱いで」

 

 バスタオルを剥ぐように私に言う政夫くんに促されるが、彼の前で裸を見せるのはやっぱりまだ抵抗がある。

 

「政夫くん、目、(ふさ)いでてね……?」

 

「分かったよ、ほら」

 

 両手で政夫くんは手で顔を隠して、何も見ていないジェスチャーをした。

 

「……ほんとに見てない?」

 

「見てない見てない。ばっちり見てないよ」

 

 文法のおかしな日本語で答える政夫くんを信じ、バスタオルを剥いで湯船の手前に置いた。手で足の付け根と胸元を手拭いで覆い、足先からお湯に浸かる。

 首まで湯船に入ると同時に政夫くんは手のひらを顔から外して、こちらをにこやかに見つめた。

 

「……眼福でした」

 

「やっぱり指の間から見てたんだね! もう!」

 

 しみじみと語る彼に私はちょっと怒るが、薄々見られている事が分かっていたので、実際のところはそれほど怒ってはいなかった。

 むしろ、ごめんねと小さく笑う政夫くんの顔を見て、心がほっとしたくらいだった。

 

「私の小さな胸なんて見ても面白くないでしょ?」

 

 手拭いを頭に乗せながら政夫くんに聞くと、彼は首を横に振った。

 

「とんでもない。好きな女の子の裸見たくない男なんていないよ。大きさなんて関係ない。まどかさんの裸だからいいの!」

 

「そ、そう?」

 

 力説されて嬉しいようにも感じたが、冷静に考えると凄い変態的な事を言われている気がする。普段が真面目過ぎる政夫くんだから、こういう発言をしても素直に受け入れてしまう自分が居た。

 

「特に僕の視線を感じて恥じらっているのがもうね、何とも言えないんだよ」

 

「……見かけによらず、政夫くんって、えっちだよね」

 

「僕だって男の子だからね」

 

 湯船の中で伸びてきた政夫くんの手が、私の手を握った。

 私の手よりも少し男の子の大きな手のひら。愛しい人の優しい手のひら。

 二人で見上げた露天風呂の空は雲一つない晴天だった。

 その後、お互いに背中を洗い合った。「前の方も洗ってあげようか」と冗談めいた事も言われたが、「じゃあ私も同じ事をするね」と返したら、流石に恥ずかしかったようで引き下がってくれた。

 お風呂を二人で満喫してから、それぞれの脱衣所に別れ、私は浴衣を身に着ける。

 長い髪を乾かすのに時間が掛かってしまったけれど、外に出て行くとフルーツ牛乳の瓶を二本持って待っていてくれた。

 

「はい。まどかさん」

 

「ありがとう」

 

 温まっていた手で受け取ると、冷えたフルーツ牛乳の瓶が心地よく感じた。蓋を開けて、口を付けると甘い味が口内に広がっていく。

 

「こっちこそ、ありがとうだよ」

 

 そう言って、政夫くんは私に微笑んだ。

 

「……政夫くんのえっち」

 

「いや、そっちじゃなくてね……まあ、いっか」

 

 きっと見滝原市から連れ出した事を言っているのだとは気付いていたけれど、それを素直に受け取りには少し気恥ずかしかった。

 それにこうしている事は私のしたかった事でもある。政夫くんだけが感謝するのはちょっとだけ嫌だった。

 部屋に戻ると待っていたニュゥべえが政夫くんの肩に飛び乗る。

 

「どうだったんだい? 二人っきりの入浴は」

 

「あー、やっぱりニュゥべえ、そのつもりで部屋で待ってんだね」

 

「ごめんよ、まどか」

 

 故意犯だったニュゥべえに私が怒ると、尻尾を振って謝る。

 そんなやり取りを見て、政夫くんがまた嬉しそうに声を上げて笑った。人を気遣うような笑みではなく、子供らしい無邪気な笑顔だった。

 私も嬉しくなって連れられて笑い声を漏らす。

 幸せだと思った。

 この幸せがずっとずっと続けばいいと思った。

 




次回は政夫視点に戻ります。


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第百十五話 僕の最高の恋人

今回のみ、15禁表現があります。


 楽しい。こんなに楽しいのは生まれて初めての経験だ。

 好きな人と一緒に居て、こうやって他愛もない話をして、当たり前のように笑う。

 幸福を感じる反面、今まではずっと重い感情を抱えていた自分の人生が途轍もなく愚かだったように思えた。

 一瞬だけ、街に残して来た人の顔が脳裏にちらついたが、まどかさんの笑顔を見ていると、それすらも洗い流されていく。

 今日は何をしよう。まどかさんとニュゥべえを連れて、このあたりの街で買い物でもしようか。

 そう考えた時、ぐらりと視界が(かし)いだ。平衡感覚を失った身体が強風でも煽られたように崩れ落ちる。

 

「政夫くん!?」

 

「政夫っ!」

 

 近くに居るはずのまどかさんとニュゥべえの声がやけに遠く、耳に響いた。大丈夫だと笑い、上体を起こそうとするが、身体の中身が焼け付くような強烈な激痛が走る。

 

「がづっ、ぐぅ……」

 

 この痛みは覚えがあった。僕の不完全なソウルジェムが少しずつ消滅していく時の痛みだ。

 指に嵌った指輪をまた卵型の宝石に変化させる。透き通るような黒の宝石は前に見た時よりも一回り小さくなっていた。

 ……ああ、やっぱり。

 もう既に僕の半透明のソウルジェムは親指の第一関節くらいの大きさにまで縮んでいる。この感覚で小さくなっていけば明日の昼までには完全に消滅しているだろうことが察せた。

 視界がまた揺らいだ。ジーンと鈍い耳鳴りが脳裏に響いている。激痛と眩暈で自分で立ち上がることはできなかった。

 まどかさんが部屋の隅に畳んであった布団を広げ、ニュゥべえが僕を担いでそこに寝かせてくれる。

 ありがとうと口に出そうとしたが、痛みが滲んでうまく声にはならなかった。

 

「政夫くん、しばらく横になって」

 

 その言葉に頷き、僕は少しだけ目を伏せた。いつの間にか、じっとりと浮かんできた汗をまどかさんが手拭いで拭ってくれる。

 

「ごめんね。せっかくの遊びに来たのに」

 

 申し訳ない気分が沸いてきたが、まどかさんは僕に怒った調子で尋ねた。

 

「もし、倒れたのが私の方だったら、どうする?」

 

「それは……まあ、看病するけど」

 

「その時に申し訳なさそうにしていたら?」

 

「気にしないでほしいと思う」

 

「なら、そういう事だよ。政夫くんは人に優しくするのに、自分には厳し過ぎるよ」

 

「…………」

 

 すっかりやり込められてしまった。二の句が継げない。

 部屋にあった冷蔵庫からニュゥべえが氷を取り出し、ビニール袋に入れて持ってくる。

 持ち手の辺りを縛ったそれタオルで覆い、僕の額にゆっくりと乗せてくれた。

 

「ニュゥべえもありがとうね」

 

「気にしないで。ボクが好きでやってることだから」

 

「政夫くんはゆっくり休んで」

 

 二人とも僕を気遣ってくれる。優しい子たちだ。お言葉に甘えて、少しだけ眠るとする。

 すぐに僕の意識は手から離れ、眠りの中へと落ちていった。自分の身体が溶けて夢の中に沈んでいくように感じる。

 

 

 目を開くと、窓から差し込んで顔を照らす日の光は白から、オレンジ色へ変わっていた。

 ほんの一、二時間だけ眠るつもりだったのに思った以上に長く寝ていたらしい。少し、残念な気持ちで外の景色を眺めていると傍に居たまどかさんが気付いて、僕に話しかけた。

 

「起きたんだね。気分は大丈夫?」

 

「うん。ゆっくり眠ったから随分楽になったよ」

 

 上半身を起こして、まどかさんに微笑んだ。

 彼女の後ろからニュゥべえも顔を出し、僕の方にぴょんと飛び付いて来た。

 膝の上で丸まって甘えてくるニュゥべえの顎の下を撫でてあげる。くすぐったいよと無邪気な声で喜んでくれた。

 二人ともどこにも行かず、僕が目を覚ますまでずっと傍に付き添っていてくれたようだ。お礼と言っては何だけど、今からでもどこかに連れて行ってあげたい。 

 

「そうだ。僕ももう元気になったし、どこかに遊びに行こうか?」

 

 僕が提案すると、彼女たちは喜んで応じてくれた。

 近くにある僕のリュックから携帯電話を取り出して、この旅館の周辺にある施設を調べる。

 マップの中に目を落として探すと、水族館があることに気が付いた。

 

「科学博物館と水族館が近くにあるけど……」

 

「水族館か。私、行った事ないから行ってみたいな!」

 

 まどかさんの弾んだ声を聞き、水族館に決定した。僕としては若干、科学博物館の方が気になっていたのは秘密だ。

 

 

 ***

 

 

「わあー、見て見て。政夫くん、お魚さんがいっぱい居るよ!」

 

 いつになくはしゃぐまどかさんの後ろを僕はゆっくりと追いかけた。ニュゥべえはマスコット形態のまま、僕の頭の上に乗って(くつろ)いでいる。水槽の中を泳ぐ魚には興味がなさそうだった。

 

「こう見ると壮観だよね」

 

「海の中に居るみたい」

 

 トンネル型の大水槽では小さな回遊魚がゆったりとした動作で泳いでいる。百八十度、魚の放っている水槽は初めて生で見るとなかなかに神秘的だった。それを眺めるまどかさんの瞳はきらきらとしていて、ここに来てよかったと素直に思える。

 テレビでしか見たことのない大きなサメやエイが凄まじい速度で水の中を駆け抜ける様などは僕も見ていて楽しい。

 海の中と言ったまどかさんの言葉は的を得ていた。ふわふわと自分の足が地面の上に立っていることさえ、不思議に思える。

 薄暗く、厳かで神秘的だが、魔女の結界の中とは違う、人の作り出した温かさの感じる場所。

 

「政夫くん」

 

 ぼうっと魚たちの動きを目で追っていた僕の手をまどかさんが引いた。

 

「薄暗いからはぐれないように手を繋いでいようよ」

 

 握った手のひらから感じる彼女の小さく優しい感触に心の奥がじわりと熱くなる。緊張や動悸が起きるような浮ついた感情ではなく、もっと自然に嬉しくて救われた気持ちになった。

 ああ、本当に僕はこの子が好きなんだと思わされる。

 

「うん。一緒に行こう」

 

 どこまでも。彼女となら。

 君が僕の手を握ってくれる限りはずっとそうして居たいと願った。

 

 水槽の中の魚を眺めながら、まどかさんと共に奥へと歩いて行くと世界中のクラゲを集めたというコーナーに着いた。

 一際暗い部屋の中で水槽を舞う、色とりどりのクラゲたちは僕の目には宝石のように映る。

 美しさからか、まどかさんは小さく感嘆の声を漏らしていた。

 彼女の横顔を見ていると、悪戯心がくすぐられて、冗談めいたことを口にする。

 

「あ、あのくらげ、まどかさんに似てるよ」

 

「え? どのクラゲ?」

 

「あのピンクの奴」

 

 ふよふよと水中を泳ぐ大きめのクラゲの一匹を指差すと、まどかさんはちょっとだけ頬を膨らませた。

 

「それ色だけだよね? 私のアイデンティティって政夫くんにとって色だけの?」

 

「うん」

 

「もー!」

 

「嘘だよ。あはは」

 

 からかうと思ったとおりの反応をしてくれるのが嬉しくて、つい声を出して笑ってしまう。

 怒っていたまどかさんもそれにつられたのか、次第に僕と同じように口元を弛めた。

 そして、水槽に目を戻すと、今度は彼女が青色のクラゲを指差した。

 

「それなら、こっちの青色のクラゲは……」

 

 そこまで言いかけて、次の言葉を放つ前に口を閉ざしてしまった。

 ……まどかさんは本当にとても優しい女の子だ。その言葉を言えば僕が気にすると思ったのだろう。

 だが、彼女の配慮を無視して言葉を継いだ。

 

「美樹さんみたいだね。その隣の水槽の黄色い奴は巴さん。お、こっちのベニクラゲっていうのは杏子さんかな?」

 

 捨てて来た街に居る友達の名を口に出す。隣のまどかさんはそんな僕に顔を強張(こわば)らせた。

 

「白いオーソドックスなのは織莉子姉さんで、紺色のは呉先輩……それで、向こうにある水槽の薄紫のクラゲは……」

 

「政夫くん!」

 

 強い声で名前を呼ばれ、押し黙った。

 彼女の顔を見れば、僕に何を言いたいのか簡単に理解できた。

 けれど、それはこちらも同じだ。

 

「まどかさんは残してきた皆が気になる?」

 

「……ならないって言ったら嘘だよ。でも……」

 

 僕の方が大事だと彼女の瞳は訴えている。それでも、そんな風に割り切れているようには僕には見えなかった。

 この優しい女の子が置いてきた友達や家族を本心から見捨てられるはずがない。

 目的を失った暁美はもう見滝原市を守ろうとはしないだろう。他の魔法少女は徹底抗戦するかもしれないが、それでも『ワルプルギスの夜』を彼女たちだけで倒せるとは思えなかった。

 ならば、街はどうなるのか。そこで戦う魔法少女たちはどうなるのか。

 簡単な話だ。

 誰も助からない。大勢の人間は意味も分からずに死んでいくだろう。見滝原市の先にある街や施設に住む人たちも同じように命を落とす。

 それを知りながら、彼女は僕と過ごしていて耐えられるのだろうか。

 

「もう、出ようよ……」

 

 まどかさんのその提案に僕は頷いた。彼女はその後、俯いたままでいた。

 無言で手を繋いだまま、出口へ向かうそんな僕らに頭に乗っているニュゥべえは一言も口を挟もうとはしない。

 

 

 ***

 

 

 味のしない夕食を食べ、温泉に浸かった後、僕は部屋でずっと考えていた。

 考えて、悩んで、想いを巡らせて、そして、その上で答えを出した。

 布団を引き直していた浴衣姿のまどかさんに向き直り、話しかける。

 

「ねえ、まどかさん」

 

「何? 政夫くん」

 

「明日さ、僕と一緒に死んでくれる?」

 

 さも軽い口調で飛び出した台詞にまどかさんは首を縦に振ってくれた。

 

「うん」

 

 元々、そのつもりで僕と一緒に来たようで、彼女の返答には逡巡(しゅんじゅん)はない。

 込み上げて来る熱い想いを堪えて、努めて冷静に僕は話を続けた。

 

「それなら明日、この近くにある崖から飛び降りよう。なんでも自殺の名所らしいから」

 

「いいよ。政夫くんと一緒なら私、どこにでも行くから」

 

 そう答えたまどかさんの表情はあまりにも優し過ぎた。堪えていた感情を抑えきれずに、僕は彼女を布団の上に押し倒した。

 彼女の髪を結っていたリボンを解くと、布団の上に桃色の髪が流れ、広がる。肌蹴(はだけ)た浴衣の肩口から白い肌が見えていた。

 

「……どうして、そんなに君は僕のことを想ってくれるの?」

 

 僕の問いには答えず、まどかさんは僕の頬を撫でた。

 

「私ね、自分の事が嫌いだった」

 

 穏やかな表情でとつとつと話し出す彼女に僕は黙って耳を傾ける。

 

「私って鈍くさいし、何の取り柄もないし。だからね、魔法少女にならないで誰かのために何かをするなんてできないって諦めてた」

 

 そんなことないと口を挟みたかったけれど、彼女の話を遮ることはせずに視線だけで否定した。

 それに気付いて、まどかさんはクスリと小さく微笑む。

 

「そう思ってたから、政夫くんに憧れた。魔法とか奇跡とか、そういうものに頼らずに自分の力で誰かのために頑張る政夫くんが格好良く映った……すぐに好きになったよ」

 

 彼女の瞳に反射して映る自分の顔を見る。その表情はとても居心地が悪そうだった。

 

「でも、政夫くんはどんなに傷付いても、自分が損する事になっても全然に気にしなかった。誰にも言わないで独りで全部抱え込んで、持ってちゃう。それを見て、私は思ったの」

 

 そこで言葉を区切り、目を細めて慈愛に満ちた眼差しで僕を見つめた。

 

「この人だけのために何かしたい、自分ができる事なら何だってあげたいって」

 

 ああ、本当にこの子は……。

 どこまで僕の心を締め付ければ気が済むのだろう。

 

「じゃあ、まどかさんの全部を……僕に下さい」

 

「はい。喜んで」

 

 

 ***

 

 

 一組の布団の中、僕は旅館の天井を眺めて、穏やかな声で呟いた。

 

「不思議だな……」

 

「何の事?」

 

 隣に寄り添ってくれているまどかさんがそれに反応して尋ねてくる。お互いに生まれたままの姿を晒しているが気恥ずかしさはあまり感じなかった。

 そのせいか、いつもよりも口が軽くなったようで彼女にもあっさりと答える。

 

「僕はね、昔色々あって他人を信用できなかったんだ。優しさとか慈しみとか、そういうのに憧れながらも現実にはどこにもないって思ってた。だから、例え見返りがなくても自分が他人に親切にすることで世界がちょっとだけ優しくなったらいいなって考えて生きてきたんだ」

 

 それが今ではこんなにも心を許せる人が居る。横目でまどかさんの顔を覗き込むとくすぐたそうにはにかんでくれた。

 満ち足りている今なら分かった。僕は『人間』が嫌いだったのだ。その人間が寄り集まった『社会』が嫌いだった。そして、社会を大きく纏めた『世界』が大嫌いだった。

 欺瞞や悪意が蔓延(はびこ)るこの世界を心の奥では常に憎んでいた。

 だが、それが嘘のように思えるほどこの世界が好きになっている。

 

「まどかさんにあって、僕はこの世界が好きになったよ。君が居る世界が、君を育んでくれたすべてが好き」

 

「政夫くんにそう思ってくれて嬉しいよ」

 

 布団の中で肌と肌が触れ合う。彼女の体温が僕の身体に()み込んでいくような、そんな心地にさせられた。

 僕たちは寄り添った。夜が明けるその時まで、互いの存在を確かめ合うように。

 

 やがて、窓の外に光が差し込む頃にはスウスウと小さな寝息を立てる愛する人の姿があった。

 彼女の桃色の柔らかい髪を二、三度撫でると、彼女を起こさないようにして、静かに布団から抜け出す。脇に置いてあった服を身に纏うとリュックから札束の詰まった茶封筒を枕元にそっと置いた。

 そっと窓を開くと、ベランダにずっと居たらしいニュゥべえがこちらを向く。

 

「行くのかい? まどかを残して」

 

「うん」

 

 頷いて答える僕にニュゥべえは呆れとそれから優しさを滲ませた声で言う。

 

「政夫。君は頭がいい癖に愚かだよ。でも、君がもし利己的で冷徹な人間だったら、ボクは好きになっていなかっただろうね」

 

「ありがとうね」

 

 ニュゥべえはその身体を僕が背に乗れるほどの大きさになると、それに乗るよう促した。

 再び、頷くとそれに従い、彼女の大きな背に搭乗する。うっすらと白い魔力の膜が僕を覆い、風や光から守るように張り巡らされる。

 そして、窓の中で眠るまどかさんに心の中でお別れを呟いた。

 

 ――さようなら、まどかさん。この世で一番大切な女性(ひと)

 

 ニュゥべえは僕が窓から顔を戻したのを確認すると、ゆっくりと飛翔を始める。気圧や空気抵抗は感じなかった。

 雲の上までやってくると、ニュゥべえはまっすぐ一つの目的地を目指して加速する。

 目指す場所は当然、見滝原市。『ワルプルギスの夜』が降りる街。

 そして、僕の愛する人の『明日』がある場所。

 

 まどかさんには明日を生きてほしい。色んなものを見て、色んなことを知って、色んな人たちと出会ってほしい。

 もし、君がいつか命を落とすとしても、魔法や奇跡なんて馬鹿馬鹿しいもののせいじゃなく、ありのままの世界を感じてからにしてほしい。

 君は僕の出会った中で最も素晴らしい人なのだから、こんなにも早く最期を決めていいはずがない。

 たった一つの我儘(ねがい)のために僕は行く。

 

 ――彼女のための明日がほしい。例え、そこに僕が居なくても。




残り三話くらいです。多分、忙しいですが、どうにかこうにか暇を見つけて書いていきます。
それにしても、まどかのヒロイン力が高いですね。


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第百十六話 それぞれの想い

~ほむら視点~

 

 

 何もない。私にはもう何もない。

 空っぽになってしまった私は当てもなく街を彷徨(さまよ)っていた。

 どれくらいの時間、そうやって過ごしただろう。気が付けば、雨粒の付いた携帯のディスプレイの表示は二日を(また)いでいた。

 雨と風が頬を打つ。短くなった髪が濡れてうなじに貼り付いて、不快な感触がした。

 頭の中で響くのは政夫と交わした最後の会話。

 

 ――僕たち、出会わなければよかったね。

 

 彼は振り返りすらしなかった。私はあの時、完全に彼の中から排除されてしまったのだ。

 悲しさよりも虚無感の方が強かった。暁美ほむらという存在を構成している、中心部を丸ごと抉り取られてしまったような感覚があれからずっと続いている。

 私は歩く。また歩く。当てもなく、意味もなく。足を止めてしまえば、きっともうその場に蹲ってしまうから。

 

「こんなところに居たの? 探したわよ、暁美さん」

 

 不意に声を掛けられ、私は首だけ僅かに動かしてそちらを見た。

 立っていたのは傘を差したマミと美国織莉子の二人だった。

 

「……何の用?」

 

「何の用、じゃないでしょう? あと数時間でワルプルギスの夜がやって来るのよ?」

 

 私を(たしな)めるようにいうマミに、忘れかけていたその事実を思い出す。

 『ワルプルギスの夜』。最強にして最悪の、舞台装置の魔女。

 上を見上げればその前兆たる嵐のような暗雲が立ち込めていた。

 そういえば、そんな事もあった。もう、私にはどうでもいい事だったので記憶の片隅に追いやっていた。

 

「そう、だったわね。……それで?」

 

「それでって……あなたも一緒にワルプルギスの夜とこの街を守るために戦うのよ」

 

 マミの言葉に私は笑った。嘲るような、冷めた笑いが口の端から零れ落ちる。

 守る? この街を? 何故?

 何故、そんな事をしなければいけないの?

 何の価値もないこの街を、彼の居ないこの街を守れと?

 冗談じゃない。

 

「お断りよ。私はそんな事に助力する気はないわ」

 

「暁美さん、あなた……」

 

 激昂しかけたマミを隣に居た美国織莉子が肩に手を置き、抑えるように止めた。

 それから、酷く冷たい眼差しを私に向ける。

 

「勝手になさい。今の貴女に助力を求めるほど落ちぶれてはいないわ。行きましょう、巴さん」

 

「でも、美国さん……」

 

 マミは美国織莉子に何かを問うように見つめたが、彼女は無言でマミを見返す。

 そこで会話は終わり、マミは一度だけ諦めたような視線を私に向けると、美国織莉子と共に去って行く。

 それでいいと思う。あれ以上、話しても平行線のままだ。

 もはや、私にワルプルギスの夜と戦う理由はない。勝ち目のない勝負に出る必要などなかった。

 彼女たち、『まともな魔法少女』はあれと戦い、そして命を落とすだろう。

 けれど、私には関係のない事だ。

 彼女たちを別れた後も、歩き続ける。街頭だけ道を照らす薄暗い夜の道を、ひたすら歩く。

 こうして、歩いていれば、もしかしたら彼が迎えに来てくれるかもしれない。

 あり得ない妄想が疲れた頭の中で湧き出る。

 彼のあの、少し呆れたような優しげな笑顔を浮かべて、小言と文句を引き連れて、現れてくれるかもしれない。

 

『ああ、もうこんなに雨で濡れちゃって』

 

 彼の声すら脳内では容易に再生できた。

 どれほど彼を欲しているのか、自分でも把握できないほど恋い焦がれている。

 

「暁美さん、探したよ」

 

「政夫!?」

 

 男の子の声に名前を呼ばれ振り返った先に居たのは恋い焦がれた彼ではなかった。

 思えば、彼は私を苗字では呼ばない。私の名を美しいと言ってくれたあの日から、彼は私を下の名で呼んでくれるようになったのだ。

 傘を差して、私を見ている少年は上条恭介君だった。

 さやかが魔法少女になった原因を作った男の子で、私を好きだと言ってくれた少年。

 失望が顔に浮かんだのだろう。上条君は申し訳なさそうに頬を掻いて、持っていた傘を私に傾けた。

 

「夕田君じゃなくて、ごめんね……」

 

「……別に貴方が謝る必要なんかないわ」

 

 政夫が私の元の戻ってきてくれる訳がない。彼はまどかを選んで、この街を出たのだ。

 ありもしない希望を追いかけて、何を期待していたのだろう、私は。

 

「暁美さん、外に居るのは危ないよ。凄い嵐が来るみたいだから」

 

「知っているわ」

 

「でも……」

 

 上条君は何故ここまで私に構うのだろうか。自分を振った女にそれほど未練があるのだろうか。

 私を探していたと言っていた彼はよく見れば、雨水と泥で酷く汚れていた。

 そうなるほどに一生懸命探してくれていたのかと思うと、多少なりとも罪悪感が湧く。

 

「私は平気よ。大丈夫、気にしないで」

 

「それでも、やっぱり今の暁美さんを放っておく事なんてできないよ」

 

 なおも食い下がる上条君に私は溜息を吐く。小奇麗な顔に似合わず意外としつこい男だ。

 

「だったら、貴方の家にでも連れて行ってくれるの?」

 

 突き放すための言葉だったが、彼はそうとは受け取らなかった。

 

「うん。いいよ。じゃあ、行こうか」

 

 台詞を額面通りに理解したようで私の手を引いて、傘の中に無理やり入れた。

 驚く間もなく、彼は照れたように微笑んだ。

 

「女の子を家に招くなんて、さやか以外では初めてだよ」

 

「…………」

 

 今更、断る事もできず、行く当てのなかった私は黙ってされるがまま、彼に着いて行く。

 ……どうせ、もうこの街は終わりだ。そして、私も。

 だったら、少なくても私に優しくしてくれた彼に付き合ってあげても構わないだろう。

 

 

~杏子視点~

 

 

 そろそろ、来るのか。ワルプルギスの夜が見滝原市に……。

 窓の外を見れば、見た事もないほど真っ黒な雲が浮かんでいる。

 隣の街の事なのにアタシたちが住む風見野の方までも風も強くなってきていて、カタカタと窓ガラスにぶつかって揺れていた。

 ショウはそわそわと始終落ち着かない様子で、家の中で座ったり立ったりを繰り返している。

 

「どうした、ショウ? ひょっとして今更ビビッてんのかよ?」

 

「当たり前だろ。今までとは比べものにならないような魔女と戦うんだ、そりゃビビるさ」

 

 アタシの顔を見て真剣な表情で言うその姿には自分の命への恐怖でなはく、きっとアタシの事を心配している様子だった。

 心配性だな、こいつは……。

 ただ、嫌という訳ではない。むしろ、嬉しいとさえ思う。今までアタシの事をそういう風に心配なんてする奴は居なかった。

 

「ショウ。覚えてるか? アタシがアンタのところに転がり込んだ時の事」

 

「なんだ? いきなり、昔話なんて縁起でもねぇ……」

 

 眉根を寄せるショウに構わず、アタシは勝手に話し始める。

 この家に初めて来た時の、アタシはまだショウの事を完全信用してはいなかった。

 よく分からない変わった奴。それがショウの印象だった。

 それが変わったのは、ある日街の商店街でアタシが前に万引きした店の店主に咎められた時。

 ショウは、アタシの代わりに代金を払って、頭を下げて怒られて……。

 

『俺の妹が大変ご迷惑掛けました。申し訳ありません』

 

 それを見た時に無性に、泣きたくなった。自分のやった事の責任を誰かが代わりに謝るのがとても申し訳なく感じた。

 散々文句を言われた後、何とか許してもらったショウはアタシに向かってこう言った。

 

『他にも盗んだ店あるか? まあ、全部は無理かもしれねぇができる限りは謝りに行くぞ』

 

 何で、そんな事をするのかとアタシが聞くと、ショウは当たり前のように返した。

 

『お前が大手を振って、この街で過ごしていくのには必要だろ。つまんねぇ過去で負い目なんか感じてほしくないしな』

 

 アタシはそれを見て、心の底からショウを信じようと思った。信頼できると確信した。

 小遣いやるからもう盗みなんてすんなよとショウは軽く笑ってアタシの頭を叩いたが、それ以来盗みは一度もやっていない。そんなもの見せられてやれる訳がない。

 語り終えると、まだあれから半年も経っていないのに凄く昔の事のように感じた。

 恥かしそうにショウは視線を逸らして襟足を弄る。

 

「ああ、まあ、そんな事あったな……」

 

「このくらいで照れんなよ、ホスト。店ではもっと恥ずかしい事、客に言ってんだろ?」

 

「素で言うのと、商売でやるのは別なんだよ」

 

 誤魔化すようにアタシの頭を乱暴に撫でて、髪をくしゃくしゃにしてくる。年上ながら、こういうところは可愛いと思う。

 店で一番人気なのもこういう素の部分が見え隠れするからなんじゃない?

 撫で回されるのも悪い気はしないから、しばらくされるがままに撫でられていると、ショウは手を止めて顔を引き締めた。

 

「……本当な、お前だけ連れて逃げちまおうかと考えてた」

 

「おい、それ本当かよ!?」

 

 とんでもない事さらっとしやがって。

 非難の一つもしてやろうかと思ったが、過去形で語っているので許してやる。

 

「もう二度と妹を失いたくないって思ってな……」

 

 ショウの妹の事を出されるとアタシも少し心が痛む。カレンと言う名前の今はもう居ない風見野の魔法少女。結果的にショウに使い魔を操る力を与えてしまった優しい妹。

 だけど、アタシは……。

 

「でも、それは違うよな。大切な友達が居る街見捨てて、逃げたって杏子はそれじゃ幸せになれねぇよな……だって、お前は――正義の魔法少女なんだから」

 

 ああ。もう、よく分かってんじゃねーか。

 

「たりめーだよ。今更、分かったのか。高校中退馬鹿ホスト」

 

「ハッ、万引き食い逃げ少女が言うようになったじゃねぇか」

 

 二人して罵りあって、笑う。こいつはどこまでもアタシと一緒に来てくれるんだろう。

 ……大好きだ、ショウ。

 

「そろそろ、電車も止まっちまいそうだし……行くか」

 

「じゃあ、一丁やってやろうぜ」

 

 アタシはショウと居れば最強だ。ワルプルギスの夜なんか怖くない。

 けちょんけちょんにして、それで明後日もその次の日も、楽しい毎日を続けてやる!

 そう胸に誓って、アタシとショウは風見野を出て、見滝原に向かった。

 

 

~織莉子視点~

 

 

 雨が一層を強くなり、暴風は街に落ちている雑誌や空き缶のようなゴミを転がした。

 本来ならば、日が昇り明るくなっていてもおかしくない時間にも関わらず、辺りは一向に暗い夜空が終わらない。

 いや、きっと夜は『これから来る』のだ。

 この見滝原市を壊し、人々を容易く死に追いやる最悪の夜が。

 既に災害警報が出て、街のほとんどの住民は避難所へと移動している。

 だから、ここに居るのは魔法少女と例外たる人間のみ。

 

「集まってもらった理由は既にご存知だと思います」

 

 キリカ、巴さん、美樹さん、魅月杏子さん、魅月ショウさんの五名に私は言った。

 

「これよりこの街に最悪の魔女、『ワルプルギスの夜』がやって来ます。それを私たちで倒さなければ、この街に居る多くの人たちが命を落とす事になるでしょう」

 

 深々と頭を下げて、懇願する。

 これ以上にないほどの低姿勢で私は彼らに頼まなければならない。

 命を()した、勝ち目の薄い戦いを。

 

「どうか、お願いします。私に力を貸してください」

 

「ねえ、織莉子。それに私たちはなんて答えればいい?」

 

「え?」

 

 顔を見上げればキリカの呆れた目が私を捉えた。

 

「今更だよ。それに嫌だって答えるようなら、そもそもこんなところに集まってないと思わない」

 

 確かにキリカの言う通りだ。それを理解してもなお、言わなくてはいけない事だ。

 これは私の我がままなのだから。皆には選ぶ権利がある。

 そう口にしようとした時、巴さんが私の唇を人差し指で押えた。

 

「もしも、水臭い事を言おうとしてるなら、それは言いっこなしよ。美国さん」

 

 彼女に追随するように美樹さんが快活に笑った。

 

「そうですよ、美国さん。私たち、もう仲間なんですよ?」

 

 魅月兄妹も顔を見合わせ、それに頷いてくれた。

 

「まあ、俺は魔法少女じゃねぇがな」

 

「アホが空気読めない事言ってるけど、無視しろ。織莉子、アタシもここに命賭けに来たんだ。今更、そんな事言われても反応に困るって」

 

 温かかな言葉を掛けてくれる皆に自分の思い上がりを恥じた。

 何様のつもりだったのだ、私は。傲慢な己を心底自嘲する。

 彼らに掛ける言葉はそうではないだろう。

 

「皆さん、私と一緒に今日を乗り越えて明日を目指しましょう!」

 

「なんか、選挙活動みたいな台詞だね」

 

 キリカの言葉にくすりと笑みが零れた。選挙と聞いて議員だった御父様を思い出す。

 きっと御父様も、天国で今の私たちを応援して下さるだろう。

 そして……今はこの街には居ない彼の事を思い浮かべた。

 満さんから聞いた話では鹿目さんと一緒にこの街から出て行ったという話だ。それでいいと思う。

 今まで彼は何の力もないのに関わり過ぎていたのだ。すべてが終わった後にこの街にでも帰って来てくれればいい。

 まーくん。貴方はゆっくりと心の傷を癒せばいい。何もかもが解決した後で元気な顔を見せて。

 そのためにもワルプルギスの夜などにこの街は蹂躙させない。

 

 




今回は政夫は出てきませんでしたが、ほむらルートでは書けなかったキャラの心情を描きました。
次回はいつになるか分かりませんが、マミさん視点で描きたいかなと考えています。

最期に『魔法少女かずみ?ナノカ~the Badendstory~』も良かったらご覧ください。政夫の人生に影響与えた彼が主人公の邪悪な物語が繰り広げられています。


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アンケート特別編 眼鏡の魔法少女の憂鬱 前編

アンケートで一番投票されたメガほむの特別編です。
至って普通のお話なので過度な期待はしないで下さい。


~暁美ほむら視点~

 

 

 

『今回も駄目だった』

『次こそは必ず……』

 そんな言葉を何度繰り返したのか、もう解らなくなっちゃった……。

 どうしてそこまで助けたかったのかも覚えてない。でも……でも、諦めたら私には何もなくなっちゃうから、だから私はまどかを助けなくちゃ……。

 でも、私の言う事を信じてくれる人なんて居ない。私の事を助けてくれる人なんて居る訳がない。

 誰にも……頼れない。私だけでまどかを救わないと……。

 そう思っていた私に、この時間軸で出会った彼はこう私に告げた。

 

「信じるよ、暁美さんのこと。僕は信じる」

 

 幼さの残る顔立ちに大人びた表情を浮かべる不思議な男の子。

 もう何回目になるのかも分からない『転校初日』、彼は私の抱いていた絶望を拭い去るかのように現れた。

 そして、魔法少女の世界を……世界の裏側を知ってなおも彼は私を信じて、手を差し伸べてくれた。

 これはそんな彼と過ごした時間を断片的に書き綴った短い物語。

 

 

 

「……あの日は凄まじく濃い転校初日だったなあ」

 

 初めて出会った時の事を思い浮かべて私がそう呟くと、目の前に座っている彼、夕田政夫君は何についての事か分かったようで苦笑した。

 

「カラフルなクラスメイトが勢揃いしているガラス張りの教室に転校してきたかと思ったら、幼児の落書きみたいな化け物に襲われ、挙句の果てには魔法少女に助けられるなんて……とんだジュブナイルだよ」

 

 今、私は政夫君に相談するために、彼の部屋を訪れていた。

 政夫君はこの時間軸での私が転校してきた当日、今までのループでは見た事さえないイレギュラーだった。校舎に潜んでいた凱旋門のような姿をした『芸術家の魔女』に襲われていたところを私が助け、それから色々とあって今では私を支えてくれている。

 最初の頃から繊細そうな顔立ちとは似合わず、何かと肝が据わっていて適応力が異常なほど高い。多少慌てたりする事もあるけれど、すぐに冷静さを取り戻して事態を収拾してくれる。

 魔法も奇跡も特殊な力もないけど、彼のその常に超然としているところは尊敬している。

 ……それに尊敬だけじゃなくて……。

 ちらりと政夫君の顔を改めて見つめる。

 

「どうしたの、暁美さん? もしかして、僕の顔に何か付いてたりする?」

 

 澄んだ黒の瞳が私を見つめ返し、恥ずかしさが頬をほんのりと熱くした。

 ……これはまだ明かさなくてもいい事だ。うん。そうしよう。

 頭の中で自己主張してきた感情の一つを片隅に追いやって、自分を誤魔化した。

 政夫君は自分の顔をぺたぺた触って、何もおかしなものが付いていない事を確認して、怪訝そうに顔を傾げている。

 ちょっと可愛いなと思ったが、それを男の子に言うのも失礼な気がして黙っていた。

 すると、彼は何か別の話題を思い出した様子で話を再開し始めた。

 

「ああ、そうだ。美樹さんの件だけど何とかなったよ」

 

「美樹さんの件っていうと……上条君の左手の怪我の事?」

 

 美樹さやかさんはまどかの友達で、上条君というのは彼女の幼馴染の男の子の事だ。彼女は事故で動かなくなった上条君の左腕を治すため、魔法少女になる。

 挙句に告白できないまま、志筑さんが先に上条君に告白し、絶望して魔女に……というのがどの時間軸においても共通の彼女の末路だった。

 

「うん。彼女、結局上条君に告白したよ」

 

「え、美樹さんが!? 一体どうやって……?」

 

 あれだけ自らの想いを伝える事に怯えていた美樹さんに、一体どんな方法で告白を促したのだろう。私にはとても想像も付かない。

 けれど、戸惑う私に政夫君は「そんな大したことはしていないよ」と苦笑いして、首を横に振った。

 

「『十年以上秘めたままの想いなんて、後何年経ってもどうせ告白できない。だから、ちゃんと胸を張って想いを伝えられる志筑さんに譲ってあげればいい』。そう言ったんだ」

 

「それで告白するって流れになったの?」

 

「凄い剣幕で怒ってたけどね。昨日は一日頬に赤い紅葉が付いてたよ」

 

 簡単そうに彼は言うが、きっと話さないだけでそれ以外も苦心して美樹さんを説得したのだと思う。今日、学校で 会った彼女は微塵もそんな印象抱かなかったのがその証拠だ。

 

「それで上条君は、美樹さんの想いを受け入れてくれたんだね」

 

 あの躁鬱の激しい美樹さんが普段通りに過ごせているのだから、当然告白は成功したのだと納得したが、政夫君はそれにも残念そうに首を横に振って答えた。

 

「それが……上条君、自分はバイオリンに集中したいからって、美樹さんだけじゃなく、志筑さんも振ったんだ」

 

「ええー……」

 

 それでは何故美樹さんはあそこまで平然としていたのだろう。落ち込みやすい彼女なら確実に次の日は学校を休むはずだ。

 そして、魔法少女として魔女退治に逃避して、魔力を使い切り、魔女化という一連の流れすら容易に想像できる。

 だけど、そうはならなかったという事は……。

 

「また、政夫君が何とかしたの?」

 

「暁美さんの中では、どれだけ凄い存在なの……。違うよ。僕はしばらく傍に付き添っていただけさ。美樹さん自身が自分で失恋を乗り越えただけだよ」

 

 彼は私が過大評価し過ぎだと言うが、決してそうではない。私は現に『そうなった場面』を何度も見てきた。

 ただ傍に居るだけでは親友であるまどかだって、彼女の心を癒す事はできなかった。

 当たり前のように、政夫君は付き添ったと言うけれど、自暴自棄になった美樹さんがどれだけ人を拒絶するかは私の方が知っている。

 やっぱり彼の存在は魔法少女なんかよりよっぽど魔法めいていた。

 美樹さんの事だけではない。私と巴さんの関係も取り持ち、お菓子の魔女に殺されてしまう運命だった彼女も救ってくれた。

 キュゥべえの企みを暴き、いつものように私が孤立するのも防いでくれた。

 何より、まどかに信用されず、拒絶されてしまう私にもう一度彼女との友情を作り直してくれた

 失敗続きだった私に彼はどれだけのものを与えてくれたのか、分からない。

 目の前で優しく微笑む少年は私にとって救世主そのものだった。

 

「本当に、政夫君にはなんてお礼を言ったらいいのか分からないよ」

 

 無償で危険を冒してまで私を助けてくれる彼に、私は何一つ返せていない。それどころか、迷惑を次から次へと押し付けているだけだ。

 自分で自分が恥ずかしくなる。

 だけど、政夫君は申し訳なく思う私の手を優しく取って、言ってくれる。

 

「いいんだよ、お礼なんて。僕は暁美さんの役に立てるならそれだけで満足だから。これからも僕を頼ってよ」

 

「でも、迷惑ばかり……」

 

 自己嫌悪で落ち込んでいると、駄目押しのように彼が畳みかけた。

 

「僕は暁美さんに迷惑かけてもらえるの嬉しいよ? だって、それだけ、僕のことを信頼してくれているってことだろう。君の中で僕がそういう存在になれていることを誇らしく思うよ」

 

「政夫君……」

 

 彼はどこまで私の心を救ってくれる気なのだろう。

 触れた手からまるで政夫君の優しさが伝わって来るように、熱が灯る。

 油断していると泣いてしまいそうだ。こんなにも幸せな気持ちで涙が流れそうになるなんて、知らなかった。

 もう、抑えていた感情を留めていられない。胸の奥に隠していた気持ちが顔を出してくる。

 

「政夫君。あのね、私、貴方の事が……」

 

 想いを伝えようとしたその時、彼の部屋の扉を叩く音が聞こえた。同時に政夫君を呼ぶ声が部屋に入って来る。

 

「まー君、ただいま。今夜の夕食は何が……あら?」 

 

 喉元まで出て行きかけた言葉が、そのせいで詰まり、彼に届ける事ができずに萎んだ。

 私は少しだけ恨みがましい目をそちらに向けると、白い髪をポニーテールに束ねた綺麗な女の子が僅かに驚いた風に見つめている。

 

「暁美さん、遊びに来ていたのね。ごめんなさい、気が付かなかったわ」

 

 ……絶対に嘘だ。玄関に私の靴があるのに、後から帰って来たこの人が気付かない訳がない。

 露骨に疑いの眼差しを飛ばすが、彼女は悪びれる様子もなく、余裕を感じる笑みで受け流す。

 

「……お邪魔しています。美国織莉子さん」

 

 彼女の名前は美国織莉子さん。見滝原中学校の三年生で、私たちより一つ年上の先輩……そして――。

 

「お帰りなさい、織莉子姉さん」

 

 政夫君にとって、お姉さんのような存在だ。

 苗字が違う通り、二人は姉弟という訳ではないが、彼女のお父さんと政夫君のお父さんが親しい友人らしく、詳しい事は知らないが今は一緒に暮らしている。

 政夫君に近付く、私を快く思っていないようで、表面上は好意的に接してくれるが、明らかに私を彼から遠ざけようとしてくる。……正直、苦手な人だ。

 

「そうそう、まー君。夕飯のリクエストは何かあるかしら? 何でも構わないわ、お姉ちゃんにどんと言ってみて」

 

「織莉子姉さんの作る料理なら何でもいいですけど、うーん……強いて挙げるなら、カレーが食べたいです」

 

「カレーね。任せて。美味しいのを作るわ」

 

 美国さんは完全に私の事を眼中に入れておらず、政夫君と話を始める。

 完全にのけ者扱いされている。政夫君の方はそういう意図はないのだろうけれど、美国さんの方は私を居ない人間として故意に無視している。

 でも、嫌われている理由は分かっているので何も言えない。

 美国さんがここまで私を嫌うのは、彼が私と関わるようになってから生傷を作って帰って来るようになったからだ。

 非戦闘員だとはいえ、政夫君も魔女の使い魔や、魔女の口付けで操られた人に攻撃を受ける事もあり、何度か怪我をする事があった。

 幸い、軽症で済む程度には留まっていたが、その傷を見た時の彼女は尋常ではないほどに政夫君を心配していた。

 魔女や魔法少女についての話を説明できないため、美国さんにとって私は『政夫君を危険な事に巻き込む人間』と認識されている。

 それでも、直接近付くなとは言われないのは、彼の意志を尊重しているからだろう。

 政夫君に言いそびれた事は少し心残りだけれど、これ以上美国さんの目の敵にされるのは嫌なので、帰宅しようとする。

 

「えっと、私はそろそろ帰るね」

 

「あら、せっかくお客様にも手料理を振る舞いたいと思っていたのに残念ね」

 

 少しも残念そうに見えない美国さんに、ちょっとだけ文句を言いたくなったが、何も話さず政夫君を危険な事に合わせている負い目もあり、ぐっと堪えた。

 

「それはいい考えですね、織莉子姉さん。暁美さん、良かったら家で一緒に夕飯食べていかない?」

 

 帰ろうと立ち上がった私に政夫君はそう提案した。

 優雅な微笑みを浮かべていた美国さんの顔にぴしりと一筋の(ひび)が入る。

 

「政夫君の家でお夕飯……」

 

 それはとても魅力的な提案に聞こえた。

 両親はまだ東京の仕事に区切りが付いていないので、現在は一人暮らしを余儀なくされている。

 家に帰っても自分で簡単なものを作るか、コンビニで菓子パンを一人で齧る事の方が多い私にとって、夕食のお誘いは非常にありがたかった。

 何より、彼とまだ一緒に時間を過ごせるのが魅力的に感じられ、胸が高鳴る。

 

「私が一緒でも……いいのかな?」

 

 ちらりと美国さんの方を一瞥すると、僅かに口の端が引きつっていたのだが、笑顔を留めて答えた。

 

「そうね、ええ。大歓迎よ……ただ、満さんもいらっしゃるから」

 

 さり気なく、政夫君のお父さんを口実に却下しようとする彼女だったが、それは政夫君の一言で一瞬にして崩れ去る。

 

「あれ? 今日、父さんって遅くなるから夕食は要らないって朝に言ってなかったっけ?」

 

「そう、だったわね。忘れていたわ。それなら、今日は三人で食卓を囲みましょうか」

 

 辛うじて、嘘が暴かれた美国さんだったが、態度を即座に取り繕った。決して、致命的なボロを出さないのは流石だと思う。

 ただ、少し肩が落ちていたので、内心ではそれなりにダメージを負ったのかもしれない。

 

 

 *****

 

 

「今日はごちそうさまでした。カレーライス、とても美味しかったです」

 

 夕食後、政夫君の家から帰る私を二人揃って見送りに来てくれる。

 

「喜んでもらって何よりだわ。またいらっしゃい!」

 

「うん。また来てね、暁美さん。それよりも本当に送っていかなくて平気?」

 

 夜道を帰る私を心配して私に確認するように政夫君が尋ねてくる。彼は私が魔法少女であり、戦う術がある事を知っているにも関わらず、普通の女の子に接するように心配してくれる。

 それはとても嬉しい気遣いだったが、帰り道に彼に何かあれば、それこそ美国さんは私を許さないだろう。

 

「大丈夫だよ、政夫君。それじゃあ、美国さんもどうもありがとうございました」

 

 何より、これ以上政夫君を独占するのも悪い気がした。見送る美国さんを見て、ぺこりとお辞儀をする。

 彼女もまた、私と同じように政夫君を必要とする女の子なのだろう。どんなに美国さんに嫌われても、彼女を嫌えないのはきっと私に似ている想いを持っているからだ。

 

「さようなら。また明日」

 

 ライバルが多くて困るけど……それでも私は譲りたくないと思う。

 手を振る彼に微笑み返して、別れを告げた。

 

 

~美国織莉子視点~

 

 

「うぅー、今日も本当に可愛かったなー。暁美さん!」

 

 暁美さんが居なくなった後、まー君は弾けるようにそう述べた。

 赤らめた頬を両手で隠して、興奮を抑えられないように身体を動かす。

 彼女はまだ気が付いていないだろう。まー君が自分に恋慕している事に。

 

「そんなに好きなら想いを伝えたら?」

 

「そうしたいのはやまやまなんですけど、暁美さんから相談事を受けている状況なので」

 

 まー君の言わんとしている事は分かる。自分を頼ってくれている相手に好意をひけらかすのは、頼み聞いている関係上相手にとって脅しのようなものだと言いたいのだろう。

 何の相談なのかは知らないけれど、まー君が一方的に手を貸している事は傍から見ても理解できる。

 そんな相手に好意を伝えれば、向こうは立場上断り辛くなる。結果として、相手を追い詰めてしまうかもしれない。

 それがまー君には嫌なのだ。

 律儀というか、誠実過ぎるというか……呆れるくらいに優しい。

 そんな彼だから、私も救われたのだろうけれど。

 

「まー君、今日暁美さんを呼んだのは、私との関係を良好にしようという意味合いもあったのでしょう?」

 

「……ばれてましたか。まあ、流石に露骨過ぎましたね」

 

 少し罰が悪そうに笑う彼を見て、やはりどこまでも彼らしいと思った。

 まー君が怪我をするようになってから、私が暁美さんを快く思っていないのを気にしての事だろう。

 何やら、まー君が彼女と一緒に行っている事は私に話せない理由あるらしかった。だから、彼女を夕食に招き、どういった人間か、私に教えようとしたのだ。

 

「どうでしたか、暁美さんは? 僕に危険なことを無理やりやらせるような子に感じました?」

 

「いいえ。そういう子には見えなかったわ」

 

 ただ、話してみて分かった。暁美さんは私に似ている。

 彼女がどんな境遇にあったかまでは知らないけれど、酷く鬱屈とした辛い過去を背負っていた事だけは何となく感じ取れた。

 そして、その濁ったような辛い過去をまー君によって洗い流されている事も。

 私もまたそうだったからこそ、彼女の話し方や周りの見方でよく分かる。

 暁美さんは――誰も信用できない状況で過ごしてきたのだ。

 ……私と同じように孤独で絶望に満ちた夜を知っている。

 

 少し前、政治家をしていた私の父・美国久臣は汚職の発覚が原因で自殺した。

 そこからの私の人生は流れるような転落の一途を辿った。

 学校を追われ、家を追われ、唯一の肉親だった衆院議員の叔父からも拒絶された。

 見た事のない人たちからの罵倒、中傷の言葉を雨のように浴びせられ、悪意の籠った嫌がらせの中、一人毛布を被って眠れぬ夜を過ごしていた。

 何より、辛かったのが私を慕ってくれた人たちが、手のひらを返したように冷たくなった事だった。

 自分という存在の価値が父の七光りによるものだと気付いた時、心が壊れそうになるほど深く絶望した。

 そんな絶望の中から私を救い出してくれたのが、まー君だった。

 見滝原市に越して来た彼は私の事を知ると、すぐに私を訪ねて、抱きしめてくれた。

 六年も前に数回あったのだけの私の価値を認めてくれた。

 『美国』としか呼ばれなかった私を名前で呼んでくれた。

 間違いなく、あの時私は救われた。生きる事に希望を見出した。

 

「……まー君。覚えている? 六年ぶりに再会した時に私にくれた言葉を」

 

 過去に想いを馳せていた私は、現実に戻ると隣に居る彼に聞いた。

 唐突な質問にも関わらず、困った様子も見せないまー君は当たり前のように答えてくれる。

 

「『あなたの価値なら僕が誰よりも知っています。あなたの言葉があったから今、僕は胸を張って生きているんです』……忘れるほど軽い気持ちで言った言葉じゃないですから」

 

 私を見つめるまー君の眼差しはびっくりするくらいに真っ直ぐで、あの時の出会いを彷彿とさせた。

 温かさと優しさと強さを兼ね備えた黒の瞳は、玄関の電灯の光を反射し、黒の宝石のように私の目には映る。

 この目が私に向けられるたびに、否定されていた自分の存在が許されたような気がして、言葉にならない安堵感が胸に広がっていく。

 

「暁美さんにも、そういう『本当に求めている言葉』を与えてあげたのでしょう?」

 

「織莉子姉さんまで、そういうことを……。僕はただの何の変哲もない中学二年生ですって」

 

 呆れるような彼を見て、私は思う。仮に摩訶不思議な力が私にあったとしても、そんなものより、まー君の言葉の方がずっとずっと価値あるものだと。

 まー君は自分の存在がどれだけ他人に大きな影響を及ぼすのか分かっていない。

 だから、気付かないのだ。――自分に向けられている好意を。

 暁美さんもとっくにまー君に恋している。配慮や危惧なんてする必要などどこにもない。

 けれど、私の口からその事を教えてあげるつもりはなかった。

 何故ならば。

 

「まー君」

 

「何ですか?」

 

 私もまた彼に恋しているのだから。

 

「何でもないわ。さ、食器洗うの手伝ってくれる?」

 




メガほむ視点だと、政夫のデレがまったく見えませんね。
内心デレまくりなのですが、メガほむが政夫にとって『困っている女の子』なので、自分の恋愛感情を優先する事はまずありません。本当に損な性分ですね。


>「僕は暁美さんに迷惑かけてもらえるの嬉しいよ? だって、それだけ、僕のことを信頼してくれているってことだろう。君の中で僕がそういう存在になれていることを誇らしく思うよ」

まどか√ほむら「……言質取ったわ。やはり、政夫は私に迷惑を掛けられて喜んでいたのよ!」

まどか√政夫「言っておくけど、言ったのは『僕』じゃないし、言われたのも『君』じゃないからね……」


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アンケート特別編 眼鏡の魔法少女の憂鬱 中編

予想よりも長くなった上に、終わりませんでした。すみません。


「政夫君、今日暇あるかな?」

 

 すべての授業が終わった放課後、帰り支度をいていた僕に暁美さんがそう尋ねてきた。

 僕の脳はその言葉を認識した瞬間、猛烈に思考速度を上げる。世界の思考が切り離され、まるで世界が停止したように映った。

 これは……これはつまり、デートへ誘われているのではないか!? いや待て、慌てるな、僕。ただの相談事の可能性が高い! ぬか喜びはしてはいけない。油断は禁物だ。

 ここはナチュラルな感じで聞き出すべきだろう。

 

「特に用事はないけど、何か相談事でもあるの?」

 

「そういう訳じゃないんだけど、政夫君にはいつもお世話になってるから、お礼に甘いものでもご馳走できたらって思って……」

 

 少しだけ照れた様子ではにかむ暁美さん。その愛くるしさは人智を超越したと言っても過言ではなかった。

 比喩ではなく、天使が降臨したと見紛うばかりの可愛さに僕の心は熱膨張を起こしかける。

 ああ、宇宙一可愛いよ……暁美さん。

 あまりの可愛らしさに見惚れていていたが、そこでようやく彼女の発言を理解し、筆舌に尽くし難い幸福が僕の芯を駆け抜ける。

 暁美さんと一緒に甘いものを!? 何ということだ! それは……、それは紛れもなくデートの誘い!

 日頃の行いが良かったのだろうか。それとも、今まで悪かった運が一気にここで巡って来たのか。

 そんなことは、この際どちらでもいい。重要なのは今、僕に幸福が舞い降りようとしていることのみ!

 かつてない熱量が体内でうねりを上げている僕に、暁美さんは心配そうに上目遣いで聞いてくる。

 

「駄目、かな?」

 

 いけない。あまりの歓喜を処理できずに、しばし無言になってしまった。

 顔に変なテンションが溢れ出さないように細心の注意を払って、穏やかに僕は答える。

 

「駄目じゃないよ。もちろん、大歓迎さ。でも、暁美さんに奢ってもらうのは気が引けるから、お礼は一緒に甘いものを食べるだけでいいよ」

 

「えっ。でも、それじゃあ、お礼にならないよ」

 

「何言ってるの、暁美さん。君が一緒に居るだけで十分、お礼になってるよ?」

 

 しかし、それだけでは気が済まなそうに暁美さんは眉根を寄せる。ああ、困り顔も愛らしい……。

 こんなにも可憐な女の子と一緒に放課後デートできることは、それだけで十分過ぎるほどのお礼なのだが、彼女には伝わらないようだった。

 

「じゃあ、こうしようよ。暁美さんがあーんして僕に食べさせてくれるとか……なーんて」

 

 自分で言っておいて、少しそれは高望みし過ぎていると思い、途中で冗談の振りをして引っ込めようと笑って誤魔化そうする。

 しかし、意外にも彼女はそれを受け入れてくれた。

 

「いいよ。じゃあ、私が政夫君に食べさせてあげるね!」

 

 むしろ、暁美さんの方が乗り気なように見えるほど、快活にそう述べる。小さく拳を作って意気込む彼女は、非常に魅力的で、見ているだけ心が癒された。間違いなく、暁美さんからはマイナスイオンが出ているはずだ。

 

 先導するように歩く彼女に連れられ、学校を出ると僕の心躍る放課後デートが始まった。

 歩きながら、暁美さんが聞かせてくれた話には、学校の付近にケーキバイキングの店が開店したとのことらしい。

 出会ったばかりの彼女は、それこそ鹿目さんを魔法少女にしないことだけで頭がいっぱいで張り詰めていたが、今はこういう普通の女の子らしい楽しみまで考えられている余裕がある。

 それが堪らなく僕には嬉しかった。

 

「それでね、そのお店が評判良くって一度行ってみたかったの」

 

「へえ、僕も甘いもの好きだから楽しみだな」

 

 仕入れた情報を嬉しそうに話す彼女に、僕も笑顔になって相槌を打つ。

 こんな時間がいつまでも続けばいい。そんな風に穏やかな気持ちで二人で歩いていると、視界の端に見知った色が映り込んだ。

 異彩を放つ、ピンク色の髪。僕の知る限りそのカラーリングの髪の人間は一人しか知らない。

 

「鹿目さん……」

 

 口から漏らした名前に反応して、暁美さんもそちらを視線を向けると驚いた顔をした。 

 

「え。あ、まどか?」

 

 鹿目さんは僕たちの存在に気が付いた様子もなく、表通りから裏路地へと駆けて行く。

 嫌な予感をひしひし感じた。何かよくないことに巻き込まれる予兆のような感覚に突き動かされるようにして、僕は暁美さんを見つめる。

 彼女もまた、僕の同じものを感じているようで、楽しそうにしていた表情を引き締めて僕の名前を呼んだ。

 

「政夫君、申し訳ないけど」

 

「二人でスイーツっていう訳にはいかなそうだね。鹿目さんを追おう」

 

 暁美さんはこくりと頷き、僕たちは鹿目さんが消えていった裏路地の方へ向かう。

 二人きりの楽しいデートは名残惜しいが、そうも言ってはいられない。友達を捨ててまで、遊び呆けるつもりは毛頭なかった。

 

 

~暁美ほむら視点~

 

 

 一体まどかはどうしたのだろう。少なくとも、彼女はこんな路地裏に入り込んで何かをするようなタイプの人間ではない。

 もしかして、またキュゥべえに(そそのか)された……?

 いや、それはないと思う。脳裏に浮かんだ考えをすぐに否定する。

 キュゥべえの目論見も政夫君に暴かれた今、積極的に魔法少女の事に首を突っ込む気は失くしていたはずだ。

 それに魔法少女の秘密を知ったまどかなら、キュゥべえに何かを言われてもまずは政夫君か、私に相談するだろう。

 とにかく、すぐに彼女の元に駆けつけて何があったのか詳しく聞いた方がいい。

 幸い、まどかは足が速い方ではなく、魔法少女の身体能力を持つ私は当然ながら、政夫君もすぐに追いついた。

 

「まどか!? 何があったの?」

 

「ほむらちゃんと政夫くん!? どうして、ここに」

 

 後ろから追いついた私と彼に驚いている様子のまどかだったが、すぐに彼女の一メートルほど先に居たキュゥべえが彼女を急かした。

 

『まどか。急がないと、さやかが危ないよ?』

 

「あ……でも」

 

 その台詞を受けた、まどかは困った表情を浮かべる。私たちに説明はしたいが、時間がなく焦っているのが見て取れた。

 ここで何があったのか聞きたいが、どうもそういう訳にはいかない状況のようだ。私もまた彼女に何から言えばいいのか分からず、言葉を詰まらせる。

 焦燥感のある沈黙を破ったのは、私の隣に居た政夫君だった。

 

「とりあえず、切羽詰まってることは分かったよ。詳しいことは走りながらでも聞かせてもらうとして、今は目的の場所に向かうことを先決にしようか」

 

「う、うん。そうだね」

 

 一言、二言で場をまとめ上げて、会話を終わらせると、無意味な膠着(こうちゃく)がすんなりと消えた。

 彼の冷静さと状況把握能力は才能と言ってもいいと思う。口下手な私では逆立ちしたとしても、こうはならないだろう。

 私たちはキュゥべえの後を追いながらも、走りながら喋るまどかの説明に耳を傾ける。

 慌てている事はこれ以上に伝わって来るが、途中で途切れたり、何度も重複する彼女の話はいまいち要領を掴みづらく、美樹さんに何かあったとしか伝わって来なかった。

 けれど、政夫君は何度か頷いたりしながら、まどかの説明を整然と並べ直して教えてくれる。

 

「つまり、美樹さんが魔女の使い魔と追っていた時に、新たな魔法少女が割り込んで来て、使い魔をわざと逃がした。そこで美樹さんが激昂し、その魔法少女と交戦中……という話をキュゥべえから聞かされて、鹿目さんはその現場に向かおうとしていた。こういうことでいいのかな?」

 

「うん……、そうなの。私、だから急いでキュゥべえにその場所まで案内してもらって……」

 

 あの説明でそこまで完璧に理解できる政夫君に心底私は驚いた。同じ話を聞いたとは思えないほどの理解力だ。

 だが、それを聞いて私はまずまどかの迂闊さに怒りが湧いた。

 

「それなら……どうして私や巴さんに話してくれなかったの? まどかが行っても解決にはならない事くらい」

 

 キュゥべえの企みに乗っているのも同然だ。美樹さんの戦いを止めるために、契約を突き付けられるのは目に見えている。

 俯いて走るまどかはそれに答えようとしなかったが、政夫君が私の言葉を制して代わりに答えてくれた。

 

「鹿目さんは美樹さんの親友だ。できることなら自分で何とかしたかったんだと思うよ」

 

「……うん。でも、ほむらちゃんの言ってる事は正しいよ。やっぱり、私には何もできない……さやかちゃんは私の親友なのに」

 

 彼の言葉にまどかは僅かに頷く。申し訳なさそうに私を見つめる彼女を見て、ようやく気付かされた。

 ……そうか。まどかは自分の力で美樹さんを助けたかったのだ。

 これはきっと理屈ではなく、彼女の意地。美樹さんの親友としての意地だ。

 考えてみれば、まどかは上条君の事で悩む美樹さんに何もしてあげる事ができなかった。その悔しさも少なからず関係しているのだろう。

 まどかに守られる自分から脱却しようと思い、魔法少女になった私にはその気持ちは痛いほど分かる。

 自分の事ばかりで、彼女の事を考えられなかった自分が恥ずかしくなって、足を止めずに謝った。

 

「……ごめんね。まどかの気持ち、考えてなかった」

 

「ううん、いいの。私に何も力がないのは本当だし……」

 

『そろそろだよ。まどか』

 

 キュゥべえのその声に私は気を引き締め直して、前を向いた。

 そこには青色を基準とした肩の大きく広いた衣装の魔法少女と、赤色の基準としたチャイナ服に少し似た衣装の魔法少女がそれぞれの武器をぶつけ合い、火花を散らしていた。

 美樹さんと……それから、佐倉杏子さんだ。

 佐倉さんの方は、この時間軸では初めて会うけれど、別時間軸でなら面識があり、どんな魔法少女なのか知っている。

 彼女はかつて見滝原市に住み、巴さんに師事してもらっていたが、価値観の違いに仲違いをして隣街の風見野市に渡っていた。

 ほとんどの時間軸では、巴さんが死ぬまでは見滝原市には訪れないはずなのだが、今回はどういう考えでこちらへ来たのだろうか。

 いや、考えるのは後だ。まずは彼女たちの戦いを止めなくては……。

 私が一歩踏み込むよりも早く、まどかが美樹さんに叫んだ。

 

「さやかちゃん、止めて! 魔法少女同士で争うなんておかしいよ!」

 

 唐突に横から現れた私たちに気を取られたのか、驚愕した表情で美樹さんがこちらを見る。

 

「ま、まどか? ……ほむらと政夫まで何でここに……?」

 

 僅か一瞬だけ美樹さんの注意が逸れた。だが、その一瞬の油断を佐倉さんは見逃さない。

 

「アタシ相手に余所見してんじゃねーよっ!」

 

 彼女の握っていた槍の柄が突然バラバラに分かれたかと思うと、その隙間から鎖が生まれ、多節棍のような武器になる。

 一気に射程距離の伸びた関節のある赤い槍は、風を切り、美樹さんの身体を弾き飛ばした。

 

「しまっ……!?」

 

 吹き飛ばされた身体は傍にあった路地の壁に大きく叩き付けられて、衝撃の反動で跳ねる。両目を見開き、唾液を吐き出しながら美樹さんは地面に崩れ落ちた。 

 

「さやかちゃん!」

 

「美樹さん!?」

 

 とっさに駆け寄ろうとした私とまどかの前に小さな菱形を繋げたような柵が現れ、行く手を阻む。

 前に一度見た事がある。これは佐倉さんの魔法によるものだ。

 

「誰だか知らねーけど、怪我したくないんなら下がってろ。部外者は黙ってそこで……」

 

 私たちに向かって、そう喋る佐倉さんの隣を立ち上がった美樹さんがサーベルのような剣で斬り付ける。

 美樹さんの願い事は上条君の腕の治癒。魔法少女の願いに対応する、彼女の魔法もまたそれにより、治癒能力だ。

 魔力による自然治癒力を持つ、魔法少女の中でも美樹さんのそれはずば抜けている。

 だが、そんな事を知る由もない佐倉さんには、それが驚異的に映ったようで、経験で培った判断力でその斬撃を受け止めるものの、浮かべていた余裕は消え失せていた。

 

「もろに入ったはずなんだがな……アンタ、頑丈だ、ねぇ!」

 

 即座に反撃の態勢に入り、伸ばしていた槍を元の長さに戻して、身体を捻って前進しながら槍を振るう。

 美樹さんも背中の白いマントをはためかせて、後ろに僅かに後退すると、身体を屈ませて、槍を掻い潜るように剣で刺突をした。

 経験や魔力の使い方は佐倉さんの方が上なのに、それでも美樹さんは負けじと喰らい付いている。

 今までの時間軸でも二人は対立する事はあったが、ここまで拮抗した戦いになったのは始めた。

 恐らくは、美樹さんの方は上条君の一件を完全に吹っ切っているせいで、精神的に余裕があるせいだろう。

 

「二人とも止めて! お願い、キュゥべえ。やめさせて。こんなのってないよ‼」

 

 まどかの悲しげな声で私はハッと我に返る。そうだ、二人を止めなくては。

 あまりにも白熱した戦いに戦いに見入ってしまったが、こうして呆けている暇などない。今、この場で割って入れるのは魔法少女である私だけなのだ。

 

『ボクにはどうしようもない。でも、どうしても力づくでも止めたいのなら、方法がないわけじゃないよ』

 

 キュゥべえがお決まりの台詞を吐く前に、私は魔法少女の姿になり、銃を構える。

 佐倉さんの柵が邪魔で割って入る事はできないが、威嚇射撃を柵の隙間から撃って彼女たちを止めよう。戦いに熱中している二人にどこまで効果があるか分からないけれど、早くしないとキュゥべえがまどかに契約を持ちかけてしまう。

 だが、その行為は行う前に、さっきまで黙っていた彼は私とまどかに話し出した。

 

「僕にいい案がある。二人とも協力してくれる?」

 

「どうする気なの?」

 

「暁美さんは、まずはその銃を僕に貸して。それから鹿目さんは何があっても僕を信じて、じっとしていてほしい」

 

 頭は私よりも上だけど一般人である政夫君にこの状況をどうにかする方法があるのだろうか。ただ、このまま私が横から銃弾を撃つだけで、二人が止まってくれるとは思えない。

 政夫君の言葉を信じ、私は拳銃を手渡した。彼はそれを確認すると、今度はまどかの方に向き直る。

 彼女もまた、私と同じように政夫君を信じた様子で信頼の眼差しを向けていた。

 

「準備はいいかな?」

 

「うん、大丈夫。政夫くんに任せるよ」

 

 ありがとう、と微笑むと彼はまどかの背後に立ち、彼女の首に拳銃を持っていない方の腕を回した。

 そして、私が渡した拳銃を彼女のこめかみにそっと押し当てる。

 

「二人ともこっちを見ろ! この子の命が惜しかったら、両者とも武器を置いて、即座に戦闘を止めるんだ!」

 

「ぶふっ!」

 

 想像もしていなかった凄まじい発言に私は思わず、噴き出した。

 まどかも彼の行動に度肝を抜かれて、呆然と背後の彼を目の端で捉えている。

 だが、私たちよりも、驚愕しているのは戦いを繰り広げていた二人の魔法少女だった。

 

「はぁ!? おま、そいつ、仲間じゃなかったのかよ!?」

 

「政夫、アンタ、しょ、正気……!?」

 

 意味不明過ぎる政夫君の凶行に佐倉さんも美樹さんも揃って目を剥く。

 しかし、彼は不敵な笑みを浮かべて、彼女たちに語りかけた。

 

「正気だとも。さあ、二人とも武器を手から放して地面に置くんだ。それともこの子の脳味噌が飛び散る様が見たい?」

 

 平然と行われる悪役めいた脅迫に先ほどまでのぶつかり合いはどこへ行ったのか分からないほど二人は慌てていた。特に政夫君と初対面である佐倉さんに至っては狂人を見る目で彼を眺めている。

 

「お前、頭おかしいんじゃないのか!? どこの誰とも知らないそいつを人質にしてアタシが素直に従う理由がないだろ!」

 

「そうだよ、政夫! こいつはグリーフシードのために使い魔を逃がして、魔女を増やそうとしているんだよ!? そんな奴がまどかの命なんて気にする訳ないでしょ!?」

 

「いいや、その子は従うね。理由はこの柵」

 

 顎で政夫君は目の前にある魔力でできた柵を指し示した。

 

「本当に他人の命がどうでもいいなら、何でわざわざ魔力を使ってまでこんなものを作ったの?」

 

「そ、それは余計な邪魔が入らないようにするために決まってんだろ!」

 

 佐倉さんの答えに政夫君は薄く笑って否定する。細まった両目はまるで彼女の心を見通しているように向けられていた。

 

「それは違うね。確かに暁美さんは魔法少女だけど、最初は変身もしていなかった。彼女が変身したのは君が柵を張った後だ。とするなら、君はなぜ魔力を無駄にしてまでこんなものを作ったの?」

 

 そこまで聞いて、私は彼の発言の意味を理解する。

 言われてみれば、彼女が柵を作ったのは私が魔法少女の姿になる前だ。ソウルジェムも指輪状にしているため、この距離、まして戦いの僅かな間隙で私が魔法少女だと気付くのは不可能だ。

 ならばどうして、彼女はわざわざ魔力を消費してまで柵を作ったのか。

 

「答えは簡単、僕らが巻き込まれて怪我をするのを避けるためだ。この柵がなければ不用意に突っ込んで来るかもしれないからね」

 

「こいつがそんな事、考えてる訳……」

 

 反論しようとする美樹さんに政夫君は証拠とばかりに僅かに持っている拳銃をちらつかせた。

 

「現にこうして、見知らぬ女の子を人質にしているだけでその子は戦いの手を止めている。本当にどうでもいいと思うなら、いますぐ美樹さんに襲い掛からない理由がない。違うかな?」

 

 思わず、私は息を呑んだ。戦っている二人も、まどかも、キュゥべえさえも政夫君の一挙一動に気圧されている。

 この場を完全に支配しているのは政夫君一人だった。

 まるで、それは舞台の上で行われているショーのようにすら見える。

 路地裏に居る彼以外の存在は誰もが観客でしかない。政夫君という主役の行動に目を奪われ、言葉を失う。

 

「さあ、二人とも武器を捨てるんだ。早く!」

 

「…………」

 

「ああ、そう。そんなにこの子の飛び散った脳漿(のうしょう)が見たいんだ。――いいよ、見せてあげる」

 

 笑みを顔から消し、氷のような冷徹に染まった表情を浮かべ、まどかの頭に拳銃の銃口を強く押し当てた。

 ひっとまどかが青ざめて、怯える顔を見せる。演技ではない、本当に死の恐怖を感じる人間の姿だった。

 焦った様子で美樹さんは剣を手放して、政夫君に叫んだ。

 

「わ、私はちゃんと捨てたよ! だから、まどかから銃を離して!」

 

「駄目だよ。まだそっちの子が武器を捨ててない。僕は言ったよね? 『二人とも』武器を捨てろって」

 

 温度を感じさせない絶対零度の眼差しは美樹さんから、佐倉さんへと横にずらすように向けられる。

 早く武器を捨ててと美樹さんは、身を削るような戦いを繰り広げていた相手に懇願するように頼んだ。

 佐倉さんは、顔から戸惑いを隠せない状態で自分の槍と政夫君を交互に見つめる。数秒間だけ、視線を向けていた政夫君は両目を伏せ、心底残念そうに銃口を押し付けているまどかに言った。

 

「ごめんね、鹿目さん。分からず屋な魔法少女のせいで君の命が失われることになっちゃって」

 

「う、嘘だよね、政夫くん。冗談でそう言ってるんだよね……」

 

「ごめん。僕、嘘は嫌いなんだ」

 

 足の震えが止まらないまどかに政夫君は酷く冷めた調子でこう言った。

 ひたすら冷酷に、何の躊躇もない別れの言葉を。

 

「――じゃあね、鹿目さん」

 

「わ、分かった。分かったから、もう止めろ!」

 

 カランと硬い路地裏の床に何かが落とされる音が響く。

 落ちた反動で少しだけ転がるそれは赤の槍。佐倉さんの魔力が生み出す武器だった。

 呆然とする観客たちに向けて、主役は冷徹な仮面を外し、不敵な笑みを浮かべ直す。

 

「ほらね」

 

 それは即ち、彼の勝利宣言に等しいものだった。

 政夫君がまどかを離すと緊迫していた空間が、緩やかに解きほぐれていく。

 目の前にあった柵も佐倉さんは無意味だと思ったのか、赤い粒子状の魔力に分解されて消えた。

 

「ごめんね、鹿目さん。怖い思いさせちゃって」

 

「本当に殺されるかと思ったよ……」

 

「でもね、君がやろうとしていたことは、本来それくらいの覚悟を持ってやらないといけないことなんだよ?」

 

 まどかはその言葉の意味に気が付き、唇を噛み締めた。

 道理で彼にしては酷すぎる行動だと思っていたが、迂闊だったまどかの危機管理意識に対する矯正も兼ねてのことだったらしく、ようやく納得がいった。

 

「それで二人とも……頭は冷えた?」

 

 少しだけ怒気を織り交ぜた語調で、ゆっくりと二人へと近付いていく政夫君。

 彼の持つ怖さは魔女などよりも、よほど上らしく、引きつった表情で硬直している魔法少女二人。

 

「特に美樹さんは一回、上条君の件で散々鹿目さんに心配かけたよね? 立ち直ったと思ったら、今度は殺し合い?」

 

「えー、あー……これはあっちが仕掛けてきたから、私は悪くない……と……おもったりなんかしちゃったり……」

 

 じわじわとにじり寄る政夫君の圧力に押され、美樹さんの言葉尻がどんどん小さくなっていった。白い手袋に包まれた両の人差し指を突き合わせて、必死に言い逃れようとしていたが最後には「……ごめんなさい」と素直に謝罪した。

 

「それは僕じゃなくて、鹿目さんに言うべき台詞だよ」

 

 しょんぼりする美樹さんを置いて、政夫君は佐倉さんの方にも見つめる。

 初めて見るほどの警戒をした彼女は、彼から逃げるように距離を距離を取った。

 

「政夫とか言ったな……次は覚えてろよ!」

 

 路地裏の壁の方に走って行くと、壁にある突起を足場にして、跳ねて上へと逃げて行く。漫画に出てくるやられ役のような捨て台詞を吐いて敗走する彼女に私は本気で同情した。

 だが、政夫君の一言でさらに同情の色を濃くする事になる。

 

「……悪いけど次はないよ」

 

 逃げようと壁を蹴った彼女の足元から『黄色のリボン』が発生し、即座に彼女に巻き付いて、拘束具となる。

 

「な、このリボン……まさか!?」

 

「さっきの茶番は時間稼ぎの意味もあったんだ。メールで呼んだその人がここに到着するまでの、ね」

 

 私は政夫君への認識を改める必要があると切に感じた。

 さっきの凶行は、戦っていた美樹さんと佐倉さんを止めるためであり、まどかに危機管理能力に警鐘を鳴らすためであり、そして、現状この街最強の魔法少女が来るまでの時間稼ぎでもあったという訳だ。

 一体どこまで計算しての行動なのだろう。たった、数分の間にここまでの策略を考え付くなんて私には到底不可能だ。

 

「久しぶりね。佐倉さん」

 

「マ、マミ……クソッ、完全にやられた」

 

 文字通り、屋上から降って湧いた巴さんはトレードマークのマスケット銃を片手に壁に縫い付けられた佐倉さんに挨拶をする。

 その隣で同じように彼女を見上げる政夫君が頼もしく、そして恐ろしい存在に目に映る。

 頭がいいだけの一般人などとんでもない。彼には特別な力なんて必要ないのだ。

 その知略とそれを実行に移すだけの度胸、人を動かすカリスマ性。それだけで彼は魔法少女を完全に手玉に取っていた。

 




政夫が何故特別な力を持たずに魔法少女と関われるのかを描いた話でした。
これで彼が特別な能力を持ってたら、魔法少女の活躍が必要なくなってしまいます。


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アンケート特別編 眼鏡の魔法少女の憂鬱 後編

取りあえず、この特別編だけは年内に終わらせたく書き上げました。


~佐倉杏子視点~

 

 

「さあ、お喋りしようか。魔法少女の佐倉さん」

 

 身体を壁に貼り付けられるようにリボンで固定されたアタシに穏やかにそう言って、政夫とか言う一般人は微笑む。

 魔法とも無関係そうな中学生くらいのこの男は得体の知れない恐怖を放っていた。

 マミも、さやかとかいう新米も魔法少女も、眼鏡を掛けた魔法少女も、すべてこいつに従っているように見える。

 本当に何者なんだ……こいつ。

 何もかもを透かして見ているかのように言い当て、都合よく状況を動かした。アタシはまんまとそれに乗せられ、今や文字通り手も足も出ない。

 けど、それでも大人しくこいつの言う事を聞くのが嫌で顔を思い切り、背けた。

 誰が素直に従ってやるもんか。

 

「佐倉さん!」

 

 すっかり政夫の犬に成り下がったマミはアタシの態度が気に入らないようで、叱るように声を荒げる。

 だが、当の本人は気にした素振りもなく、勝手に話し始めた。

 

「まあまあ、巴さん。こうも一方的に接してこられれば、(かたく)なになるのもしょうがないですよ。じゃあ、彼女が話しやすくなるように拘束を解いてあげてください」

 

「はあ?」

 

 こいつ、馬鹿じゃねーの? そんな事したら、アタシは逃げるに決まっている。

 今、アタシを縛るこの拘束を解いて得する事なんか、何一つない。マミも同じ事を思ったらしく、政夫の頼みを断ろうとする。

 

「夕田君。それは聞けないわ。今、リボンを解除すれば佐倉さんに逃げ出してしまう」

 

「話をするには対等な状況下で行わないといけません。それに、彼女としても僕に聞きたいことがあると思いますし」

 

 けれど、政夫はそう説得するしながら、こちらをちらりと見上げて言った。

 確かに色々と聞きたい事はあるが、こいつの思惑通りに動くのは癪だ。絶対に頷いてやるもんか。

 マミも納得していない様子だったが、アタシを縛っていたリボンを消した。拘束の解かれた身体は地面に落ちていくが、持ち前の身軽さで着地する。

 

「佐倉さんもそれでいいかな?」

 

「やだね。誰がお前なんかと……」

 

 べーっと舌を出して、拒絶の意志を示すが政夫はそれに気にした風もなく、とぼけた口調でさらに一言加える。

 

「お腹空いてない? 近くにスイーツバイキングのお店で話そうと思ったんだけど」

 

「……まあ、話だけは聞いてやるよ」

 

 別に甘いもんに釣られた訳じゃない。こいつの話を少しだけ聞いてやってもいいと思っただけだ。

 腹が減っていたのも確かだし、奢らせてたらふく食ったら、さっさとおさらばしてやる。そう考えて、取りあえずに政夫の提案に従う事にした。

 

 ***

 

 モンブランとチーズタルトを両手に持って、交互に一口ずつ頬張る。

 うめぇ……! これで食い放題だっていうんだから、最高だ。やっぱ、お菓子は甘い方がいい。

 つい綻ぶアタシに隣に座っている政夫は、穏やかなあ笑みを浮かべて尋ねてくる。

 

「甘いもの、好きなんだね?」

 

「うるせーな、文句あるのかよ」

 

 むっとして言い返すが、それをさらりと受け流すように奴は答えた。

 

「いや、そんなことないよ。女の子らしくて可愛いと思う」

 

「ば、馬鹿か……可愛いとか舐めてんのかよ!」

 

 何なんだよ、この野郎は。飄々とした態度でこっちのペースを乱してくる。

 ただの優男のようでいて、度胸が据わっていて抜け目がない。この発言だって何か裏があるに決まってる。

 アタシは政夫の提案通り、スイーツバイキングの店に着いて来ていた。六人で来たが、開店祝いとかで安くなっているせいで店内は混んでいて、三人ずつに別れて座っている。

 隣には政夫、そして向かいの席にはマミが来る……と思っていたのだが、来たのはさっき見たばかりの黒髪眼鏡の見知らぬ魔法少女だった。

 なんだか知らないが、僅かに不機嫌そうな眼をアタシに向けているがまったく身に覚えがない。

 その視線に困惑していると、それに気が付いたらしい政夫が紹介してくる。

 

「彼女は暁美ほむらさんだ。一応僕も自己紹介しておくね。夕田政夫、よろしくね」

 

「ああ……アタシは佐倉杏子だ」

 

「へえ、いい名前だね」

 

 向こうに名乗られたからにはこっちも名乗っとくの礼儀だろう。決して、可愛いとか言われていい気になっているせいではない。アタシはそんなに軽い女じゃない、はず。ただ名前を褒められた時は少しだけ照れを感じた。

 眼鏡の奴も続けてぺこりと頭を下げて挨拶をしてくる。

 

「……暁美ほむらです。よろしくお願いします」

 

 相変わらず、身に覚えのない敵意に似た感情を向けられていて、居心地が悪かった。さっきの青髪の奴なら分かるんだが、ほぼ初対面のこいつに恨まれる謂れがない。

 意味の分かんねぇ確執を持たれて、どうしようかと考えていると政夫が単刀直入に話を始める。

 

「じゃあ、そろそろ本題に入ろうか。佐倉さんはどこまで魔法少女のことに知ってる?」

 

「杏子でいいよ。……どこまでって、言われてもキュゥべえに言われた事は大体知ってるけど、それがどうかしたのかよ」

 

 政夫は「ふーん」と意味深な反応をした後、アタシに再度確認を取るように聞く。

 

「なら、自分からあいつに聞いたことはないって認識でいいかな?」

 

 質問の意図が読み取れなかったが、取りあえず、首を縦に振って答えると奴は少しだけ目を伏せ、躊躇いがちに言う。

 

「今から言うことは君にとってショッキングかも知れないが、聞いてほしい」

 

「何だよ、急に改まって……」

 

 それから政夫はアタシの知らなかった魔法少女の秘密について語り出した。

 まず、魔法少女のソウルジェムは文字通り魔法少女の魂である事。契約により、魔法少女になった少女は魂をソウルジェムに変えられて、肉体と分離させられる。

 心臓が破れても、ありったけの血を抜かれても、その身体は魔力で修理すれば、すぐまた動くようになる代わりに魔法少女が身体をコントロールできるのは、せいぜい百メートル圏内が限度だと奴は話してくれた。

 

「ふざけんじゃねぇ! それじゃアタシたち、ゾンビにされたようなもんじゃないか! そんな事、信じられる訳ねぇだろ!?」

 

 声を荒げて、アタシは叫ぶ。それじゃあ、自分が人間じゃないと言われたようなもんだ。

 周りの客がアタシの声に驚いて、こっちを振り向く。少し離れた席に座っているマミたちも視線を向けて、立ち上がろうとしていた。

 政夫はそれを見越していたように彼女たちを挙げた手で制し、周囲の奴らに頭を下げて場を収めた。

 それから、テーブルの下に隠していた方の手をアタシに見せる。

 

「じゃあ、聞いてみるといい。何でも『聞かれれば』何でも答えてくれるらしいからね、こいつは。……そうだよね、支那モン?」

 

『ボクの名前はキュゥべえだよ。政夫』

 

 政夫の手にぶら下げられるように掴まれていたのは、話の中心に居たキュゥべえだった。

 さっきの裏路地に置いて来たとばかり思っていたが、移動する際にきっちり捕まえていたらしい。

 

「おい、キュゥべえ、今の話は本当なのかよ!」

 

『そうだよ。何一つ、間違いはないね』

 

 当たり前のように淡々と答えるキュゥべえに、アタシは心底目の前に居る生き物にぞっとした。こいつは魔法少女にした仕打ちを何とも思っていない。

 それから、猛烈に怒りが胸の内から込み上げてくる。

 

「テメェ……」

 

「怒るのはまだ早いよ。佐倉さん」

 

 頭に血が上りかけたアタシを政夫は止めた。思わず、睨み付けるが、気にした風もなく、また話を再開する。

 今度聞かされたのは魔女が魔法少女の成れの果てである事。魔力を使い過ぎて、ソウルジェムを完全に濁らせてしまえば、ソウルジェムはグリーフシードへ変わり、魔女が生まれる。

 怒りよりも言葉を失った。何だそれは……。それじゃ魔法少女は魔女になるために作られたっていうのか!?

 

「これも、本当なのかよ……キュゥべえ!」

 

『紛れもない事実だね』

 

 キュゥべえの言葉を聞いた瞬間、怒りで頭の中が真っ白になったアタシは立ち上がってソウルジェムから槍を取り出そうとする。

 だが、それは対面していたほむらの腕に掴まれて、邪魔される。いつの間にか、周りからは色と音が消えて、静まり返っていた。

 色があるのはアタシとほむらだけで、他の白と黒だけになった奴らは固まったように動かない。

 

「な……これは」

 

「止めてください、佐倉さん。ここで暴れれば、他の人たちにも被害が出ます」

 

 落ち着いた表情でいうほむらに、この現象を起こしているのがこいつだと理解する。

 まさか、時間を止める魔法……? そうか、だから政夫はマミではなく、この魔法少女を同席させたのか。

 止まったまま、動かずにキュゥべえを持ち上げている政夫に、どこまで計算ずくなんだと呆れた。

 そのおかげか、冷静に戻ったアタシはソウルジェムから取り出しかけた槍を収めて、ほむらに謝る。

 

「アタシが悪かったよ」

 

 魔法少女の格好になっていたほむらが服装を制服に戻すと、さっきまでの静寂が嘘のようにざわざわした音が蘇ってくる。

 何事もなかったように腰を下ろすほむらを見て、こいつもなかなか強かな女だと感じた。

 

「ちなみにこの支那モン、複数個体が居て、その個体すべてが意識を共有しているらしいから殺したところで大して気分は晴れないと思うよ」

 

「もっと早く言えよ、それ」

 

 どうにも政夫の思う通りに動かされている気がして、自分がとんでもないアホのように思えた。

 だが、今知った情報のおかげでこいつに言うべき言葉が見つかる。

 

「じゃあ、魔法少女が魔女にならないために、使い魔を魔女に育てるのも正しい事だよな? グリーフシードがなきゃ、アタシたちが魔女になっちまう」

 

 綺麗事を行ってられる余裕なんかない。魔女になるくらいなら、使い魔に人を襲わせて魔女にする事の方が正しい。魔女が落とすグリーフシードがなければ、それこそアタシら魔法少女は破滅だ。

 

「そう思うよね? でも、佐倉さん。君、グリーフシードを落とさない魔女と出会ったことってない?」

 

「そりゃあるけど……それが今の話と何の関係があるんだよ」

 

 魔女が全部、グリーフシードを落とす訳じゃない。魔女の中にはソウルジェムを落とさない奴も居る。

 魔法少女をやってれば遅かれ早かれ、気付く事だ。だからこそ、一匹でも多くの魔女を……。

 

「グリーフシードは魔女の卵。魔女はソウルジェムがグリーフシードになると生まれる。これは分かりやすいよね。魔法少女だった魔女にはソウルジェムだったグリーフシードを落としても何の不思議もない」

 

 流れるように語る政夫の弁舌はアタシの思考を中断させ、耳の奥まで言葉を送る。そこでようやく、何で政夫がこの話題を振ったのか理解した。

 そんな、まさか……それじゃ今までアタシがやって来た事は一体何の意味が……。

 

「じゃあ、使い魔から成長した魔女は――一体どこからグリーフシードを持ってくるんだろうね?」

 

「使い魔から成長した魔女は、グリーフシードを落とさないっていうのかよ……?」

 

 愕然とするアタシにキュゥべえが答えた。

 

『基本的にはそうだね。まあ、自分のグリーフシードを使い魔に入れて飛ばす魔女や、そもそも本体を持たない魔女も居るから一概には言えないけどね。それにソウルジェムから生まれた魔女も稀にグリーフシードを落とさない個体も居る』

 

 今まで魔女を生み出すためにわざと使い魔を逃がしてきた。その割にグリーフシードを落とさない魔女でも外れくらいにしか思っていなかったけど、ただの間違いだったっていうのか?

 思い返せば、グリーフシードを落とす魔女と落とさない魔女の違いをちゃんと理解していなかったかもしれない。

 魔女になるのだから、グリーフシードを落とすだろう。そういう固定概念がアタシの中にはあった。

 

「別に責めようっていう気はないよ。これを聞いて君が他人の命をどう思っているのか知りたかっただけさ」

 

 政夫はそう言って、カップに入った紅茶を一口含んだ。

 冷めているというより、アタシを気遣っているような素振りが少しだけおかしかった。

 数拍空けた後、政夫はアタシに眼を向けて尋ねてくる。

 

「僕はこれだけ情報を提供したんだ。今度は君の話が聞きたいんだけどいい?」

 

「……話せる事なんか詰まんねー身の上話くらいしかねーぞ」

 

 そう前置きを置いてから、昔を思い出しながら語り出す。

 

 

 *****

 

 

~暁美ほむら視点~

 

 

 それから佐倉さんが話してくれた彼女自身の過去は、別の時間軸でも聞いた事のないほど込み入った内容だった。

 巴さんと(たもと)を別った事は知っていたけれど、彼女の家族の事や契約の願い事については初めて聞かせてもらった。

 最初はあまり乗り気ではなかったせいか、ぽつりぽつりと話していた佐倉さんだったが、政夫君が相槌や軽い質問などを交えて聞いていると、段々とより深くまで語ってくれる。

 すべてを聞き終えると、政夫君は彼女に言った。

 

「君のすべてを肯定することはできないし、それは君自身望んではいないと思う。だけどね、これだけは言わせてほしい。――『よく、頑張ったね』」

 

 それは私もかつて言われた労いの言葉だった。

 きっと、心の奥でひっそりと絶望を抱える魔法少女なら誰もが待ち望んでいた、優しい言葉。

 佐倉さんも例外ではなく、一際目を大きく開くとそこの涙の雫を溜め込んだ。

 本当はその言葉は彼女のお父さんに言われたかっただろう。けれど、それはもう叶わぬ願いだ。

 泣きそうな顔を隠すように目元を服の袖でごしごじと擦る佐倉さんに、政夫君は制服のポケットから取り出したハンカチを差し出した。

 オレンジ色のレースの付いた女物のハンカチ。それは彼に母の形見だと前に聞いた事があった。

 差し出されたそれを佐倉さんは引っ手繰るように受け取ると、後ろを向いて自分の顔に押し当てる。

 時間にして十分くらい経った後、彼女はぐしゃぐしゃに濡れたハンカチを政夫君に返して言った。

 

「お節介だね、アンタ……」

 

「あはは。よく言われるよ」

 

「だろーな」

 

 相変わらず、誰にでも優しくする彼にやっぱりやきもきする。

 ほぼ誰にでもこういう対応するので、好意を持たれてしまうのに政夫君はそれに気付いていない。

 

「カップが空だね。喉乾いただろう? 飲み物持ってくるよ、何がいい?」

 

「……何でもいい」

 

 持っていたキュゥべえをぽいっと捨てて、彼は彼女のカップを手に取った。解放されたキュゥべえはさっと逃げ出してどこかに消える

 続けて、私にも同じように尋ねてきた。私も佐倉さんに倣って、同じように彼にお任せをした。

 政夫君が空のカップを二つ持って、席から離れると目元を僅かに腫らした佐倉さんは私に話しかけてくる。

 

「おい。アンタ」

 

「何ですか?」

 

「ひょっとして、政夫の彼女か?」

 

 その問いに一瞬だけ硬直してから、顔を真っ赤に染めて俯いた。

 私が政夫君の彼女に……。傍からだとそういう関係に見えるのかな? もしそうだったら凄く嬉しい……。

 恥じらっている私だが、何とかか細い声で彼女に返事をする。

 

「まだ、違いますけど……」

 

「そうか。妙にアタシの事睨んでいるから、もしかしたらって思ったけど」

 

 さっき、政夫君に可愛いって言われたのを嫉妬していたのを見抜かれていたらしい。

 別の意味で恥かしい。他の人からはお似合いに見えているのかなんて考えていた自分の思い上がりを振り払った。

 けれど、佐倉さんは私に突き刺す言葉の刃を止めない。

 

「そうだよな。そんな縁の大きなダセー眼鏡に、今時見ない三つ編みなんかしてるアンタじゃ釣り合わないし」

 

「だ、ださい……私の格好ってそんなにダサいですか……?」

 

「うん。すごい芋っぽいっていうか、垢抜けてないっていうか……昭和っぽい?」

 

「昭和!?」

 

 私の格好は昭和なの……。かつてない衝撃に打ちのめされる。

 政夫君とは釣り合わないほど、自分のファッションセンスは壊滅的だった事を今、初めて知った。

 落ち込む私に慰めるように佐倉さんが声をフォローの声をかける。

 

「いや、ごめん。言い過ぎた。そうだな、ほむら。アンタ、顔立ちはすごく綺麗なんだから、眼鏡外して髪下ろせば結構イケるって」

 

「そう、ですか?」

 

「うんうん。そうすりゃ、政夫もイチコロだよ」

 

 そこまで褒めれれば悪い気はしない。言われた通りに三つ編みを解いて、眼鏡を外す。

 視力の問題で周りがぼやけたけれど、ソウルジェムの魔力を使って視力を上げた。寝る時も結っているので、髪が解けていると違和感が残っている。

 一度、後ろ髪を大きく手で払うと、髪がふわりと浮いてそれになりに心地がよくなった。

 

「お待たせ、二人と……」

 

「あ、政夫君。どうかな? 眼鏡外して、髪も解いてみたんだけど」

 

 二つのカップを両手に持ってきた政夫君にイメージを変えてみた私を見てもらう。

 こちらに視線を向けている彼はその場に縫い留められたように立ち止まると、持っていたカップを床に落とした。

 入っていた飲み物が床に敷いてあるカーペットを濡らす。

 

「政夫君……?」

 

「ごふっ……」

 

 思いがけない反応に驚いて立ち上がると、彼は口から泡を吹いて仰向けに倒れた。

 

「ま、政夫くーん!?」

 

 急いで倒れた彼に近付くが、まるで途轍もないショックを受けたように気絶をしている様子だった。

 何度か揺すり動かすと、うーんと呻きながら声を上げる。よかった、いきなり倒れたから心配したけれど意識は戻りそう。

 

「だ、大丈夫?」

 

「ああ。うん。いや、今僕の苦手なタイプの美人が居た気がし――がふぁっ!?」

 

 そう言いながら起き上がろうとした彼だったが、傍で顔を覗き込む私の顔を見た瞬間、また奇声を発して気絶してしまう。

 佐倉さんや、別の席に居たまどかたちも駆けつけるが、今度こそ彼は完全に意識を失っていた。

 ……そんな、私の素顔が気絶するほど嫌いだったなんて……。

 

「こんなのって……あんまりだよ!」

 

 これ以降、私は決して眼鏡と三つ編みを止めない事を心に誓う。

 私の受難は魔女も魔法少女も関係のないところで、まだまだ続きそうだった。

 

 




諸般の事情により、こちらの方の更新はこれよりしばらくは遅くなりそうです。

代わりと言っては何ですが、よろしければ、見滝原市より少し離れた場所にあるあすなろ市の魔法少女を描く小説『魔法少女かずみ?ナノカ~the Happyend story~』もよろしければ見てやって下さい。
政夫とはまた別の、人のために戦う主人公。一樹あきら君が活躍しています!


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番外編 ゲームは一日一時間

正月なので特別に一話だけ更新しました。ただのギャグ話なので見なくても大丈夫です。


「夕田ー」

 

 授業を終えた僕に珍しくスターリン君が声を掛けてきた。

 いつもは鹿目さんや暁美たちが周りに居るから、あまり近寄っては来ないが時折、こうやって会話をすることもある。内容は主に彼が書いている二次創作小説の小説の相談や編集作業を押し付けられていたりと面倒なことばかりなのだが、今回は様子が少し違った。

 

「どうしたの?」

 

「アレやった? アレ」

 

「アレって?」

 

 聞き返すと、周囲に他の生徒が居ないことを確認した彼は、声を潜めて耳元に囁くように言う。

 

「貸したエロゲーだよ。お前の感想聞かせてほしいんだけど」

 

「……あー」

 

 そう言われて、少し前に無理やり渡された十八禁ゲームのことを思い出す。

 これは本当に面白い奴だからやってみてくれと、押し付けれたそのゲームソフトだが、ベッドの下に隠したまますっかり存在を忘れていた。

 

「ごめん。やってない」

 

「じゃあ、今日やってくれよ。周りにやってる友達居ないから、生の感想が聞きたいんだ」

 

 嫌だなと思ったが、仮にも渡されたのに無下にするのもどうかと思い、仕方なく了承する。

 ちょうど魔法少女の件も一段落して、時間もできたことだし、趣味のゲームに余暇を潰すのも悪くない。

 

「分かったよ。帰ったらやってみる。でも、多分、今日一日では終わらないと思うよ?」

 

「それでいいよ。攻略にも色々口出しできるしな」

 

 にんまりと笑って喜ぶスターリン君に僕は少し同情をする。

 よほど共通の話題を持つ相手に飢えていたのだろうか。ここまで待ち望まれていたなら、応えてやるのが情けというもの。

 家に帰ったら、すぐにやってみよう。確かいくつかルートがあったと思うが、その内一つくらいならギリギリクリアできるだろう。

 そう意気込んで帰宅した僕だったが、ベッドの下から取り出したゲームソフトのパッケージを見て、意欲を減退させる。

 『魔法少女まゆみラディカル』と銘打たれたタイトルと一緒にヒロインらしき少女のイラストが描かれているのだが、何というか……非常に知り合いにそっくりだったからだ。

 ピンク色の髪のツインテールの少女、水色の髪のショートカットの少女、黄色の髪の縦ロールの少女、赤色のポニーテールの少女……そして、黒髪のロングヘアでクールな表情を浮かべた少女。

 どのヒロインも知っている女の子たちに似ていて、思わずパッケージごと窓から投げ捨てたくなった。さらに魔法少女物というのも相まって、否が応でも彼女たちを想起させてくる。

 

「……どうしよう。プレイするの嫌だなぁ……」

 

「何をプレイするの?」

 

「うわっ……!?」

 

 さも当然のように開いていた窓から侵入してくる犯罪者こと暁美に僕は声を上げて驚く。

 その拍子に手からゲームソフトのパッケージがころりと落ちた。

 

「それは……」

 

「何でもないよ、君には関係のないもの。っていうか勝手に他人の部屋に侵入してくるな!」

 

 落としたそれを背中に隠して、正当な怒りを露わにするが彼女はそれを聞いている様子はなく、僕が背中に回したものに興味津々だった。

 窓枠に足を掛けてするりと入って来た暁美は、一歩一歩僕に忍び寄って来ると背中に方を覗き込んでくる。

 

「今、何を隠したの? 見せなさい」

 

「嫌だよ。帰れってよ。ゴー・ホーム」

 

「私に隠すほどのものなのね。いいから見せなさい」

 

 お前、僕の何なんだよ。色々あったけど単なる女友達の一人だろうが。

 背中に隠した十八禁ゲームを絶対に見せまいと、必死に足掻くが身体能力で遥かに勝る彼女にフェイントを掛けられて、まんまと出し抜かれてしまう。

 僕から十八禁ゲームのパッケージを奪い取った暁美はそれを眺めると、頬を朱に染めた。

 こんな奴でも女性としての恥じらいがあるだろうから、見せないように配慮していたのにそれを無にするとは愚かな奴だ。

 数秒ほどじっと見つめていた彼女は、視線を僕へと移す。紅潮した顔で上目遣いをして、戸惑うように問いかけてきた。

 

「……このゲーム。貴方のものなの?」

 

「いや、友達に借りたというか、押し付けられたものだけど」

 

「そう。……このイラストの子、私に似ていないかしら……?」

 

 だから嫌だったんだよ。女友達に似たキャラクターが登場する十八禁ゲームをプレイしようかと悩んでいた僕が変態みたいじゃないか……。

 好きでやろうとした訳ではないし、それが理由でこのゲームのプレイを止めようとしていたのだが、当の本人から言われると精神的ダメージは計り知れない。

 軽く死にたくなってくるレベルだ。

 

「……そうだね」

 

「これをやろうとしていたのね、政夫は……」

 

 止めろ。これ以上僕を追い詰めるな……死んでしまう。自己嫌悪で死んでしまう~!

 倒れ込みたくなる苦痛の中で、苦悶の表情を浮かべていた僕の真横を通り、暁美は部屋に置いてあるノートパソコンを起動させる。

 滑らかな動作でパッケージを開くと、中に入っていたディスクを取り出して、ノートパソコンの内部に入れた。

 あまりのもスムーズな一連の流れに言葉を失っていたが、どうにか回復して彼女に尋ねた。

 

「……あなたは何をしているんですか?」

 

「見ての通り、ゲームを起動しているのよ」

 

 いや、それは見て分かる。聞いているのはそこではない。その所業の理由だ。

 まさか、これ以上を僕を貶めて悦に浸ろうというのだろか……悪魔かこの女。

 ゲームのスタート画面がノートパソコンに液晶に映る。椅子を引いた暁美はそこに座るように促した。

 

「さあ、政夫。ここに」

 

「ここに、じゃないよ! 何が目的なの!? 怖いよ、今の君」

 

「いいから座りなさい」

 

 暁美に無理やり椅子に座らされ、なし崩し的に十八禁ゲームと向かい合うこととなる。

 こいつは何がしたいのだ。というより、僕になぜこんな酷い仕打ちをするのだろう。

 

「暁美さんは僕を虐めているのかい?」

 

「何を言っているの? とにかく、始めるわよ」

 

 半分心が死にかけていたが、横に立つ彼女は勝手にマウスを動かして、ゲームを開始させた。

 ゲームが始まった後も、僕の心はボロボロでかつてないほどに精神が摩耗していた。だが、暁美はそんな僕に鞭を打つように容赦なく、マウスを握らせる。

 泣きそうになりつつも、逃げる場所もなく、仕方なくクリックしてゲームを進めた。

 序盤から結構な量の情報が流れたが、整理すると主人公の『夕日マサト』は平凡な高校生だったが、転校してきた高校で魔法少女と呼ばれる存在と出会い、魔獣と呼ばれる人類の敵と戦う彼女たちに協力していくというストーリーのようだ。

 物語まで僕を取り巻く状況に似ていて、吐きそうになったが、一緒に画面を見ている暁美はふんふんと小さく何度も頷いていた。物語に興味が出たのか、完全に没頭しているのが傍からでも分かる。

 ……もう、お前が自分でやれよ。

 内心でそう思ったが、口出すとややこしいことになると感じたので、無言でクリックを繰り返す。

 さらに物語が進むと、五人のヒロインの誰かと一緒に帰るという選択肢が出てきた。恐らくはルート分岐のための選択肢の一つだろう。

 よし。この選択肢は――。

 

「『彼方(かなた)まゆみ』にするかな。この子が一番メインヒロインっぽい立ち位置だし」

 

 ピンク色のツインテールの少女の彼方まゆみという少女と一緒に帰るという選択肢にマウスポインターを乗せる。

 彼女はタイトルに名前を冠しているし、この子のルートが一番安定していると思い、選んだのだが暁美はそれに難色を示した。

 

「何を言っているの、政夫。ここは『朱乃(あけの)ほのか』一択でしょう?」

 

 朱乃ほのかというのは黒髪ロングヘアのクールな顔の少女だ。最初出会いでは主人公のマサトに銃口を向けて襲って来たヒロインで、僕の中の好感度はすこぶる低かった。

 正直、このヒロインを選ぶくらいなら、さっき出会ったばかりの『冴木(さえき)清子(きよこ)』の方がまだいい。

 

「えー……ほのかは絶対、初プレイ向きじゃないよ。何か印象も悪いし……」

 

「そんな事は関係ないわ。ほのかは辛い過去のせいで心が傷付いているから、周りに冷たく接してしまうだけよ。誰よりも愛を求めているのは彼女のなのよ!」

 

 まるで我がことのように力説する暁美に僕は辟易した。

 何一つ好感度の上がるシーンのない段階で、ここまで感情移入するとは製作者も思っていなかっただろう。

 嫌だなと思いつつも、彼女の気迫に気圧され、『朱乃ぼのか』と一緒に帰る選択肢をクリックする。

 ほのかは主人公の提案を断ろうとしたものの、主人公の説得により、渋々といった様子で共に下校することを承諾した。

 ……やっぱり好きになれそうにないキャラだな、ほのか。

 

「良かったわね、ほのか……」

 

 隣で意味不明なレベルで入れ込んでいる人のせいで、さらにほのかや主人公への感情移入がし辛くなっているせいもあるが。

 そのまま、目に見えてルート分岐に関わりそうな選択肢はほのかに絞っていくと、次第に他のヒロインの出番が減っていく。

 ゲーマーの勘では明らかに、ほのかルートに入ったのが分かった。

 進めていけば行くほど主人公とほのかの仲が深まり、序盤では「あなたには頼らない」と拒絶の意志を向けていた彼女は「あなたが居てくれて良かった」と好意を隠さなくなっていた。

 暁美が言っていた通り、過去に別のヒロインのまゆみと出会いと別れにより、人を信じることができなくなっていたという背景が明かされ、暁美はますます感情移入している。代わりに僕は現実の類似点に微妙な気分にされていた。

 出現する選択肢もどんどん恋愛色を強めたものになっていき、新たに出たのが『キスをする』、『冷たくあしらう』、『今は止めておく』という三つの選択肢だった。

 

「政夫、分かっているわね?」

 

「うん。今は魔獣に憑依された人を探すのが先決だから、無難に『今は止めておく』を……」

 

「違うわ! 貴方は何も分かってない。ほのかは心細いのよ! ここは『キスをする』を選びなさい!」

 

 凄い剣幕で怒る暁美だったが、下手にそういう選択肢ばかり選んでいると、死亡する可能性もあるのだ。あまり、恋愛部分ばかりを重視し過ぎるのは如何なものだろうか。

 もっとも、本音を言わせてもらえば、暁美に似ているキャラに自分が操るキャラでそういうことをしたくなかったというのがでかい。

 

「早く、キスしなさいよ。私に」

 

「ほのかに、でしょう!? 何言ってんの!?」

 

 やばい。この人。ゲームのヒロインを自分と完全に重ねている。

 現実とゲームを混同している様子の暁美に僕はドン引きしていた。

 だが、ゲームをクリアするためにも、どれかの選択肢を選ばなければいけない訳で……。

 悩んでいる僕を余所にマウスを握っている僕の手を上から掴み、勝手に選択肢を押させた。

 ゲーム画面では一枚絵が展開されて、ほのかと主人公の濃厚なキスシーンが液晶に広がる。

 

「いいわ……政夫」

 

「マサトだから! 主人公の名前、夕日マサトだからね!?」

 

 恍惚とした表情で一枚絵を眺める彼女に僕は身の危険をひしひしと感じ始めていた。

 やがてストーリーも中盤まで差し掛かると、選択肢も十八禁ゲームらしく過激なものへと変わっていく。

 出された選択肢は『ほのかを胸を揉む』、『ほのかのスカートの中に手を入れる』、『ほのかの服を脱がす』の三つ。

 どれを選んでも、主人公が暁美似のヒロインにいやらしいことをするのが決まっているという究極の選択肢だった。

 

「さあ、政夫。どれを……選ぶの?」

 

 プレイしている僕以上にこのゲームを楽しんでいる暁美が期待を秘めた瞳を向けてくる。

 最高に嫌な気分にさせられる。これは拷問と呼んでも過言ではないだろう。もしも、僕が何処ぞのスパイで暁美が尋問官だったなら背後関係を喋るから、この羞恥プレイを終わらせてくれと泣いて頼んでいたと思う。

 

「うう……僕は今、拷問に掛けられている……」

 

「ほら、早く政夫は私に何をさせたいの?」

 

 泣きそうな顔でほのかへの選択肢の方へマウスポインターを動かす。あまりにもやる気満々な主人公の心理描写が描かれたテキストに、僕は欠片も感情移入できなかった。

 どれだ……? どれが一番マシな選択肢なんだ……?

 胃が押し潰さるような感覚をしながらマウスを握る。脂汗が背中から滝のように滲んで服を湿らせた。

 画面の光を反射して妖しく艶やかに笑う暁美の横顔がさらに僕を苦しめる。

 おお、神よ。僕になぜこのような罰を与えたもうた……?

 はあはあと荒い暁美の息遣いが僕の鼓膜を汚す。

 目をぎゅっと瞑り、マウスをクリックする。それはもはや僕が自分の意志で選ぶことを放棄したに他ならなかった。

 

「そう、政夫はそれを選ぶのね……」

 

 その声に僕は根源的恐怖を懐きつつも、少しづつ目を開く。

 眼前に広がる画面にはほのかが赤らんだ顔と瞳を向け、下着姿を晒す一枚絵が表示されていた。

 『ほのかの服を脱がす』の選択肢を選んだようだ。直接的ではないが、視界的には一番の悪い手を引いてしまった。

 後悔はないが、暁美に似たヒロインを脱がしてしまったことで精神的なダメージはさらに加速する。

 興奮する暁美を無視して、クリックをして進めると今度は先ほどよりも凶悪な選択肢が飛び込んできた。

 『ほのかを胸をしゃぶる』、『ほのかのスカートの中を舐める』の二択の問い。

 さっきよりも、息遣いが荒くなった暁美は蕩けそうな呆けた顔で画面を認めて聞いてくる。

 

「さあ、政夫はどちらがしたいの……?」

 

「うう……何なんだよ、もう……」

 

 涙がぽろぽろと零れ、机に上に小さな雫を落としていく。

 ここまで精神を凌辱するような行いを受ける謂れなどあっただろうか。これほどまでに人間性を踏みにじる方法に特化した拷問は人類史上初なのではないか。

 身体を捩らせて、一人悦楽に浸る暁美は僕の魂を蝕む如く、再度問いかけてくる。

 

「……どちらを私にしたいのかしら?」

 

 楽園の蛇がアダムたちを唆すように禁断の選択肢を突き付け、僕を苦しめる。

 

「さあ、早く選びなさい」

 

「う……」

 

 マウスを握る手が震えた。画面に映るマウスポインターが選択肢の間をさまよう。

 誰かに助けを求めるように、部屋のドアを見つめるが当然誰も現れることがなく、救いの手は伸びて来ない。

 代わりに悪魔の手が僕の手に伸びてきて、マウスの主導権を奪った。

 耳元に吐息交じりの声が触れる。

 

「そう。選べないのね……じゃあ、私が代わりに」

 

「い、嫌だ……やめて」

 

「選んであげる」

 

「嫌ああああぁー!?」

 

 それからのことは思い出したくない。

 もっと過激な選択肢や一枚絵があったのは覚えている。だが、僕の心は襲い来る羞恥と苦痛に耐えきれず、具体的な映像の記憶を心の奥に封印させてしまったのだ。

 意識がはっきりとした頃にはエンディングが流れ、(えら)く機嫌のいい暁美が僕の手を握っていた。

 

 後日、スターリン君が感想を聞いて来たので「心を蝕まれるようなハードな内容だった」と答えると、とても喜んでくれたのでそれなりに内容の濃いゲームだったようだ。

 それ以来、僕はゲームの一切を断つのだが、それはまた別の話。

 




やっぱり、政夫はほむらに苦しめられている時が一番輝くと思います。


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第百十七話 最後の射撃

長い間、お待たせしました。短いですが、今はこの程度が限界です。


~マミ視点~

 

 

 

 あのね、夕田君。今だから言えるけど、本当は私ずっと怖かったの。

 ワルプルギスの夜だけじゃない。魔法少女として魔女と戦う事がずっと怖くて仕方がなかったわ。

 でも、お父さんとお母さんを失って独りぼっちになってしまった私には、魔法少女としての使命に務めて寂しさを紛らわすことしかできなかった。

 戦う事で自分を誤魔化して、悲鳴を上げ続ける心から目を逸らしていた。魔女退治の日々が恐ろしくて、夜中一人ベッドに入って声を殺して啜り泣く毎日を繰り返していた。

 名前も知らない人たちのために、何の感謝もなく頑張る事は辛かったわ。高潔な理想を片手に取り繕っていても、時折、無償に寂しさが込み上げて来るの……。

 それが変わったのはあなたと出会ってからだった。

 夕田君。あなたが私の心に命を懸けて何度も踏み込んで、答えをくれた。戦うための理由をくれた。

 見知らぬ誰かのためではなく、大切な人たちのためなら、私は戦う事ができた。魔女になってしまうかもしれない運命と戦う覚悟を与えてくれた。

 成り行きで魔法少女になってしまったけれど、あの時に誓った明確な願いが私を本当の意味で魔法少女にしてくれたのだと思う。

 だから、私は今、戦う。恐怖がなくなった訳じゃないけれど、それでも私を支えてくれる願いがあるから。

 この街にあなたが居なくても、私の胸にはあなたからもらった大切な宝物がある。

 怖くても、魔女と戦える。

 ――だって、私は『魔法少女』なのだから。

 

 暗雲と暴風雨が渦巻く、ビルの屋上で私と美国さんは近距離で戦う他の子たちを援護するべく、遠距離でワルプルギスの夜の注意を引く。

 魔力の消費を抑え、マスケット銃での射撃に専念する。ある程度、杏子さんのお兄さんが使い魔を支配権を奪って戦っているので戦況は優位だけれど油断はできない。

 美国さんの未来予知の魔法を駆使して常に先を読んでいるため、突然な反撃にも対応は可能だったけれど、それでも相手は最強の魔女。これだけ不安要素を排除しても意識は張り詰めておくに越した事はなかった。

 ビルの屋上にある手擦りに乗り、立ってマスケット銃を召喚しつつ撃つ。

 弾丸は一発しか出ないので一発撃つ度に銃を投げ捨て、間髪入れずに新たな銃を生み出さなくてはならない。

 弾幕を絶やせば近距離で戦っている美樹さんたちの危険が増す。けれども大技を使えば彼女たちも巻き込みかねない上に、魔力を使い果たしてしまう可能性もある。

 一先ず、私たち後衛のするべき行動は前衛の援護だ。美国さんも水晶の球を飛ばし、ワルプルギスの夜をじわじわと削り、前で戦う人たちだけに攻撃がしやすいように隙を作らせている。

 ……暁美さんが居れば心強かったんだけど。

 一瞬だけ、そんな思いが脳裏を過りかけた自分を叱咤する。

 余計な事を考える暇があるのなら少しでもワルプルギスの夜を倒す努力をするべきだ。

 そう考えた私は表情を殊更引き締め、前を見据える。

 逆さまに浮かぶ極大の魔女、ワルプルギスの夜。

 

『キャハハハハハ……キャハ……キャハハハハ……!』

 

 楽しげな少女のような笑い声を上げるそれに引き金を引き続ける。

 彼女もまた、元々は魔法少女だった時代があったのかもしれない。誰かのために何かを祈ったのかもしれない。

 希望を振り撒いていたのしかもしれない。

 ――でも。

 

「容赦なんか、しないわよっ……」

 

 黄色い弾丸は螺旋を描き、薄暗い空に亀裂を入れるかのように宙を舞う。

 群れを成した鳥たちのように黄色の連弾は遠く離れたワルプルギスの夜へと着弾。

 直後、明るい光がいくつも上がり、魔女のドレスに焼き跡を付ける。

 逆さまの巨体が揺らぐ。それに乗じて美樹さんの剣が、呉さんの鉤爪が、杏子さんの槍が三方向からワルプルギスの夜を斬り裂く。

 反撃とばかりに魔力で玉虫色の炎を吐き出し、近くに居る三人にぶつけようとしてくるが、それを杏子さんのお兄さんが支配した少女のシルエットのような使い魔たちを操り、四方に散らす。

 攻勢。けれど、まだ優勢とは言い難い。

 並みの魔女相手なら十分過ぎるが、ワルプルギスの夜を相手取るにはやはり火力に欠けている。

 じわじわと避難所に近付いて来ている事からも考えて、持久戦に持ち込まれるのはまずい。早急に倒さないと困るのは私たちの方だ。

 ここは一度皆には下がってもらってから、私がティロ・フィナーレで大きな一撃を与え、一気に距離を詰めて全員で畳み掛けるしかない。

 

『ワルプルギスの夜の近くに居る皆は、一旦下がって……』

 

 黄色のリボンを寄り合わせて巨大な砲台を作りつつ、念話を送って前衛で戦う美樹さんたちに距離を取るように伝えようとした寸前。

 

『巴さんっ、大きな一撃が来る。早くそこから離れて!!』

 

 ソウルジェムを介して、美国さんの声が頭の中に響く。

 前方を見れば、ワルプルギスの夜の前に大きなビル群を持ち上げている光景があった。

 未来予知の魔法が使えない私にすら容易に目に浮かんだ。

 直撃すれば、自分が命を落としてしまう光景が。

 咄嗟に砲台をリボンに戻して、ビルの屋上から離脱しようと考えた後、ふと気が付く。

 もしも、宙に浮かんだあの無数の高層ビルが一斉にこの場所に向けて放たれれば、私の後ろに建つ避難所にどれ程の被害が及ぶのだろうか。

 一応は数キロメートルは距離がある。直撃は免れるだろう。けれど、この周囲一帯の建物と衝突し、衝撃と揺れが避難所を襲うはず。

 何より、砕けた瓦礫が弾け飛べば、想像したくもないほどの被害が出る。

 ……逃げる訳にはいかない。

 解きかけた砲台を再び結び直し、私はこれから放たれる高層ビルの群れを迎え討とうと覚悟を決めた。

 ソウルジェムから美国さんの声が引き続き、頭の中へと雪崩れ込んで来る。

 

『何をしているの!? これからあなたがしようとしている事は』

 

『自殺行為かしら……でも、ここで逃げたら避難している人たちに被害が及ぶわ』

 

 いいえ、この言葉はきっと正確じゃない。本心はもっと単純で、ちっぽけで、でも何にも替え難いもの。

 

『ここで逃げたら、私はもう魔法少女を名乗れなくなる』

 

 成り行きでキュゥべえから言い渡された肩書きじゃなく。

 投げ出しかけた私に夕田君がもう一度名乗らせてくれた『魔法少女』の肩書き。

 私の誇り。私の生き様。今も震えるこの指先に力をくれる魔法の言葉。

 

『美国さん。あなたは離れて他の皆と一緒に戦って』

 

『巴さん、あなた……』

 

 私のやろうとしている事が彼女にも伝わったのだろう。頭に響く美国さんの声は悲しげな思いが込められているように聞こえた。

 嬉しい。こんな私を大切に思ってくれている人が居る事が。死を選ぶ私を悲しんでくれる人が居る事が。

 堪らなく嬉しかった。

 

『美国さん……あなたとはもっと紅茶の事、語り合いたかったわ』

 

 高層ビルの弾頭が一斉に私の居る屋上目掛けて飛んで来る。ミサイルのようなそれらには無機物にも関わらず、私を食べようと泳いでくる巨大な鮫のように見えた。

 

『…………。私もよ、巴さん』

 

 一瞬だけ押し黙ったような間の後、美国さんの声が聞こえた。

 空気をつんざく音を携え、凄まじい質量が私を殺そうと落ちて来る。

 怖い。けれど、震えを抑え込み、私は砲台の銃口に有りっ丈の魔力を流し込んで、弾丸の威力を高める。

 これが私にできる魔法少女としての最後の役目。

 そう。魔法少女、巴マミとしての最期の使命。

 ――最後の射撃。

 

『ティロ……』

 

 視界に広がっていく高層ビルの弾頭を目に収め、私はめいっぱい叫びを上げる。

 

『フィナーレッ‼』

 

 想いと共に噴き出した叫びは巨大な砲台の引き金を動かす。

 覆いかぶさるように視界を遮るビルの群れに黄色の砲弾が射出された。

 今までで一番大きなその黄色の砲弾は落下してくるビルの群れを次々に穿っていく。

 一つ、二つ、三つ、四つ……。標的を粉々に砕いて進む黄色の砲弾。半数以上を打ち砕いたおかげで、避難所への被害はほとんど抑える事ができた。

 しかし、それでも削り切れずにいくつかの高層ビルは私の居る屋上へと辿り着いていた。

 逃れられない死が目の前に迫る。静かに目を瞑ると目蓋の裏に両親の顔が浮かんだ。

 不思議。魔女と戦っていた時には全然思い出さなかったのに。

 ……ねえ、お父さん。お母さん。

 目蓋の裏の浮かぶ両親に私は語り掛ける。

 あの時、私だけ生き延びちゃってごめんね。でもそのおかげで、素敵な友達がたくさんできたわ。

 皆、とっても優しくて、頼りになる子たちでね。

 お喋りしたり、一緒にお弁当食べたり、力を大変な事を乗り越えたりしたの。

 二人が生きてれば、紹介したかったくらいよ。

 それから……それからね。

 好きな人もできたのよ。片思いの挙句、失恋しゃちゃったけど、それでも恋をした事を後悔してないわ。

 年下なのに頼り甲斐があって、しっかりしてて、時々怖いところもあるけれど、とても優しい男の子。

 その人の名前はね……。

 名前は……。

 

「夕田、政夫君」

 

 口から漏れた小さな小さな最期の呟き。

 声に出すつもりはなかった。なのに不思議と口から出てしまった好きな男の子の名前。

 だから、私は考えもしなかった。

 

「何ですか? 巴さん」

 

 まさか、返事が返ってくるなんて。

 目を開くと落ちてきた高層ビルが、時間が止まったように宙に縫い留められていた。

 時が、止まる? 私は知っているこの光景を……いや、この魔法を。

 白と黒のモノトーンに染められた世界。これは暁美さんの時間停止の魔法。

 顔を動かせば、白い巨大な四足の動物が私の後ろで背中を支えるように立っている。

 

「ニュ、ニュゥべえ?」

 

 それは虎ほどの大きさになっているが、間違いなく私の知るニュゥべえの姿だった。

 私を魔法少女にしたキュゥべえと瓜二つの外観をしているが、その顔に浮かぶ明確な感情の色は紛れもなくニュゥべえに相違なかった。

 そして、その背にはさっき私が口にした名前の男の子、夕田君が乗っていた。

 

「おはようございます。巴さん」

 

 まるで学校で出会った時のように平然と、飄々と、僅かに笑みを含んだ彼は私に挨拶を述べた。



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第百十八話 彼に求めていたもの

久しぶりの投稿です。長らくお待たせしてすみませんでした。


~ほむら視点~

 

 

 ……何故、私はこんなところに居るのだろう。

 

 不安げな表情の人々がごった返す見滝原市にある大規模な市民ホールの中で、疲れ果てた思考がぼんやりとした疑問を浮かべた。

 

「大丈夫だよ、暁美さん。嵐なんかすぐに止むよ」

 

 私の傍に立つ上条君が私を勇気付けるように笑顔を見せた。

 上条君に手を引かれた私は一度彼の家に招かれた後、市内で流れた緊急避難警報に従い、今朝方上条君の家族と共にこの見滝原市民ホールへと非難していた。

 異常気象によるスーパーセルの接近。表向きにはそうなっているが、これがワルプルギスの夜という魔女の仕業だと知っている私にはすべてが茶番じみて見えた。

 この嵐は奴を倒さない限り消えない。ここで避難していたところで集まった市民は奴によってこの見滝原市ごとは滅ぶ。

 そう。助からない。ここに集まった人たちも、今戦っているだろう魔法少女たちも、誰も彼も皆――。

 早々にこの街を捨てたまどかと政夫の二人を除いて。

 

「……もう関係ないわ」

 

「え? 今、何て?」

 

 ぼそりと呟いた私の呟きに上条君が聞き返したが、答える気はなかった。

 ふと何気なく視線を視線を彷徨わせると、見知った顔が目に留まる。小豆色の髪の女性と明るい茶髪の男性。それと幼い男の子。

 まどかのお母さんとお父さん、それとまどかの弟のタツヤ君だ。

 耳を澄ませれば、彼女たちの剣呑な会話の内容が聞こえて来る。

 

「まどかがまだ見つかってないんだ! あの子がまだっ……!」

 

「だからって君が今飛び出して行って何になるんだ。頼むから一度落ち着いてくれ」

 

「まどかが今、危ない目にあってるのかもしれないのに落ち着いていられる訳ないだろ!?」

 

 今にも避難所から飛び出して行ってしまいそうなまどかのお母さんを、まどかのお父さんが必死に押し留めようとしているが、まるで説得に聞く耳を持っていない。

 まどかのお父さんの胸に抱き抱えられたタツヤ君が泣きそうな表情で両親の顔を交互に見ている。

 穏和な家族としての姿を知っているからこそ、どれだけ彼らが切迫しているのかが窺えた。

 その光景を見ても私の心は何ら揺らぎを見せなかった。むしろ、冷え切った疑問が湧く。

 

 ――『まどか』にそれほどの価値があるかしら。

 

 思わず、湧いた思考に自嘲が零れた。

 『まどか』の価値。昔の私だったら絶対に懐かなかったであろう考え。

 政夫に会う前の私はただただまどかを救うためだけに時間を何度も繰り返し、奔走していたというのに。

 今ではそれが激しく愚かな行為だったとしか思えない。

 私にとって彼女は都合のいい道標でしかなかったと気付いてしまったから。私が絶望しないためだけの、いくらでも代わりの利くものだと理解してしまったから。

 あの時に交わした約束が、自分の偽るためのものでしかないと納得してしまったから。

 別に『まどか』でなくともよかったのだ。たまたま独りぼっちだった私に手を伸ばしてくれたのが彼女だったから執着しただけ。

 もしも私を助けてくれた相手が、約束をした相手が、マミだっとしても。

 さやかだったとしても。

 杏子だったとしても。

 きっと私は同じようにその相手を助けようと時間を繰り返し続けただろう。

 特別じゃないのだ、私にとって『まどか』は。いつか政夫が言ったように本当に特別なら失う事に慣れてしまう訳がない。

 繰り返せるから、また会えるから、だから、救えない彼女は見捨てていいなんて思える時点でそれはもう特別なんかじゃない。

 それが気が付かなかった私は愚かで、滑稽で、何て可哀想だったのだろうか。

 酷く下らないものを眺める目でまどかの両親を眺めていると、不意に彼らに近寄る一人の男が視界に入る。

 見覚えのあるその男は切迫した雰囲気の彼らに向けて言葉を掛けた。

 

「鹿目まどかさんのご両親ですね?」

 

「ええ……まどかは私たちの娘ですが。あなたは?」

 

 比較的落ち着きを見せているまどかのお父さんが返答すると、男は二人に軽く一礼をした。

 

「失礼しました。私は夕田政夫の父の、夕田満と申します」

 

 その男――政夫の父親はそう名乗ると、冷静さを失っていたまどかのお母さんが僅かに正気を取り戻す。

 

「政夫君のお父さん……?」

 

「ええ。お初にお目にかかります」

 

 穏やかなで物腰の落ち着いた態度と、柔和な表情。それは政夫が普段やっているものに近いが、彼よりも遥かに洗練され、自然と周囲の雰囲気を軽くした。

 表情や声のトーン。言葉を紡ぐテンポ。視線の動きさえもが、相手を鎮めるために工夫し尽されている。

 一瞬、まどかのお母さんもまた、政夫の父親のそういった態度に呑まれ、しばし毒気を抜かれていたが、やがて口を開くとやや棘のある口調で言う。

 

「……どういったご用件でしょうか? 私は今……」

 

「娘さん。まどかさんを探しに外へ出て行こうとしていたんですよね?」

 

 相手の言おうとしていた台詞を先に言い、会話のペースを握る。政夫もよくやっていた手口だった。これをされると一旦、言葉を噤まざるを得ない。

 

「だからこそ、こうやってお話をしに来ました。単刀直入に言わせて頂きます。まどかさんはもう既にこの見滝原市には居ません」

 

「居ないって……どういう事ですかっ!? あなたは何を知って……」

 

 掴みかかろうとせんばかりの気迫で政夫の父親に詰め寄ったまどかのお母さんだったが、彼の次の言葉で愕然とした表情を浮かべる事となった。

 

「まどかさんは政夫と共に、二人でこの街を出て行きました」

 

「……出て行った?」

 

「ええ」

 

「じゃあ、なんだ……あんたはそれを見送ったっていうのか!? 自分の子供が駆け落ちするのを黙って見送ったのか!?」

 

 怒気を露わにしたその問いにさえ、政夫の父親は穏やかに、平然と、当たり前のように肯定した。

 

「ええ。その通りです」

 

 まどかのお母さんはそれに対してもう何も言わなかった。言葉の代わりに握り締められた拳が政夫の父親の右頬に飛ぶ――その前に既に彼は殴り飛ばされていた。

 あれだけ激昂していたまどかのお母さんも、少し離れた場所から眺めていた私もその光景を見て、驚愕を隠せなかった。

 目を大きく開いて驚く彼女は自分よりも早く手を出した相手の名を呆けたように呟く。 

 

知久(ともひさ)……」

 

 政夫の父親を殴ったのはまどかのお母さんではなく、彼女の夫。そして、まどかのお父さんの方だった。

 暴力とは無縁の優し気な彼の姿はそこにはなかった。代わりに今し方、政夫の父親を殴った拳を震えるほど握り締め、静かに彼を睨み付けている男が立っていた。

 殴られた拍子に後ろに尻餅を突いた政夫の父親は頬を撫でるように軽く触れる。

 

「……こういうものなんでしょうね。正しい親の在り方というものは」

 

 どこか羨むように漏らした感想は今までの落ち着いた態度とは違う、素の言葉のように聞こえた。

 

「どうして、まどかや政夫君を行かせたんですか?」

 

 対するまどかのお父さんは声は静かなもの、泡立った感情を押えられずに怒りが声に滲んでいる。

 その姿を見て、理解した。この人はずっと耐えていたのだ。

 まどかのお母さんと同じように感情を露わにすれば、押さえ役が居なくなってしまうから。

 だから、自分を律して、押さえ役に徹していた。

 

「あなた、政夫君の親でしょう!? どうして、そんな無責任な事をしたんですかっ?」

 

 足元に降ろしていたタツヤ君は恐らく初めて目にする父親の怒りに身を竦ませていた。

 最初に怒気を発していたまどかのお母さんの方が、激昂する夫の姿を前に正気を取り戻している。

 

「と、知久……まずはその、落ち着いてよ。タツヤが怖がって……」

 

「親、だからですよ」

 

 起き上がった政夫の父親はそんなまどかのお父さんの様子にも臆する事なく、答える。

 誤魔化す事も、言い訳する事もせずにむしろ誇らしげにすら聞こえる語調で語りながら起き上がった。

 

「恥ずかしながら私は息子に、政夫にまともに愛情を掛けてやる事ができませんでした」

 

 滔々(とうとう)と語る彼の言葉には先ほどまでとは打って変わっていた。

 彼の言葉に私の知る表現では上手く言い表す事のできない『何か』が加わっている。

 後悔と悲哀と苦痛と、そして愛情を混ぜ合わせて生まれたような酷く歪でそれ故に激しい想いが鼓膜を通して心の中に伝わって来た。

 

「親、と呼ぶ事さえ烏滸(おこ)がましいほどあの子を遠ざけてきました。近くに居て、言葉を交わしても一歩引いた距離感で対話していました。自分自身、あの子をどう思っているのかすら解らないほどに」

 

 でも、と彼は一度台詞を区切り、強い熱の籠った視線をまどかの両親に放って語り出す。

 

「あの時にお宅の娘さん――まどかさんと話して初めて分かりました。私は自分の息子を……政夫を心から愛している事を。政夫が幸福な最期を遂げられるなら、私は喜んで大人として間違った選択を選びます。例え、その結果誰にに恨まれる結果になったとしても」

 

 ――子供の幸せを一番に願うのが親なのだから。

 身勝手な理屈をその言葉で締め括った彼に、まどかのお父さんは思わずたじろいだ様子で視線を返していた。

 政夫の父親の異様な気迫に気圧されていたまどかのお母さんは彼の言葉から一つの結論を導き出したようではっとした顔で呟く。

 

「幸福な最期……それってまさか」

 

「ええ。詳しい理由は省きますが、政夫の命は今日中に尽きてしまいます。だから、まどかさんはそれに付き合って政夫と心中するためにこの街を出て行きました」

 

「それを許したのか、あんたは……息子とその彼女の心中をする事を!?」

 

「ええ。それが私の政夫に対する最初で最後の親としての行いだと思いました」

 

「狂ってる……」

 

 はっきりと首を縦に振る政夫の父親にまどかのお母さんは血の気の引いた顔で吐き捨てた。

 だが、それに対する彼の反応は実に晴れやかなものだった。

 

「貴方がたには申し訳ない事をしたとは思っていますが、後悔はありません。詰られようとも殴られようとも、例え殺されたとしても私は親として息子にできた事を悔やむ事はないでしょう。すべての罪は私が取るつもりで貴方がたに会いに来ました」

 

 それを聞いた私は「親が子に向ける無償の愛」というものを感じた。同時に私が政夫に求めていた感情が何かも理解できた。

 私は政夫に父親を……『父性』を求めていたのだ。

 何がっても自分の味方をしてくれて、困った時には当たり前のように助けてくれて、誰よりも私を第一に考えて見守ってくれる――そんな身勝手で幼稚な感情をいつの間にか彼に向けていた。

 だからこそ、それが誰かに奪われるのが耐えられなかった。

 子供(わたし)にとって、(かれ)は掛け替えのない存在だったから。

 顔さえ思い出す事のできない本当の両親なんかよりもずっとずっと私を助けてくれる政夫に依存していた。

 でも、ここに来て。

 彼の父親を見て。

 ようやく気付けた。

 政夫もまた親に守られる子供だったのだ。

 自分がどれほど愚かで幼稚な感情を向けていたのか思い知った途端、頬から涙が零れ落ちてきた。

 心のどこかで正当化していた今までの行いが、いかに罪深く、いかに恥ずべき行為だったのか。

 捨てられたなどと思っていた自分が許せない。勝手に依存しておいて、理不尽に迷惑をかけていれば当然だ。

 政夫は私の父親ではないのだから、そこまで付き合う義理も責任もない。

 挙句の果てに彼の命を残り一、二時間足らずにまで縮めてしまった。

 謝っても謝り切れない。

 なのに身勝手にもこの唇は動き出す。

 

「ごめん、なさい……政夫。本当にごめんなさい……」

 

 嗚咽(おえつ)と共に罪悪感が言葉になって噴き出してくる。

 許されるはずも、許されていいはずもない私は厚かましくも許しを乞おうとする。

 ここにはもう居ない彼に向けて。

 この街には居ないはずの彼に向けて。

 そのはずだった。

 しかし、その瞬間にソウルジェムを通して脳内に彼の声が響いた。

 

『見滝原に居る魔法少女全員に告ぐ。ニュゥべえを介して言葉を送っている。もしもまだ健在で今、この声が届いているのなら、僕に力を貸してほしい』

 

 嘘だ。これは幻聴だ。何故なら、今この街に彼は居ないはずなのだから。

 けれど、頭に響く恋い焦がれた人の叫びは止まらない。

 

『僕は君らのために戻ってきた訳じゃない。好きな女の子の未来のために戻って来た。その子が好きな街が、好きな人たちが、好きな明日が失われるのが嫌でここに戻って来た。どうか、そんな僕に力を貸してくれるというのなら……いや。もっと素直な言葉で言うよ』

 

 今まで何度も魔法少女(わたしたち)を無償で助けてくれた彼は、初めて口にする。

 

『どうか僕を――助けて下さい』

 

 ……ああ。そうか。そうなのか。

 私はまだ、貴方に今までもらっていたものを返す機会が残っているのね。

 涙はもう止まっていた。

 足はただ、真っ直ぐに出入り口へと動き出す。

 やるべき事は決まっていた。自分が何をしたいのか、何をするべきなのか。

 心に浮かぶすべての感情が私を動かす燃料になっていく。

 市民ホールの一階へ降りる階段へと出た時、背中に誰かの声が掛かった。

 

「待って、暁美さん。……どこに行くつもりなの?」 

 

「私の行かなくてはいけない戦場(ばしょ)よ」

 

「それは暁美さんじゃないと駄目なのかい?」

 

「ええ。私が行かないと駄目なの」

 

「そうか。僕じゃ、彼の代わりにはなれなかったんだね」

 

「……優しくしてくれてありがとう。私にここまで親身になってくれた男の子は貴方で二人目よ」

 

 私は振り返る事なく、彼に答えると階段を駆けて一階へと降り立った。

 出口から暴風の吹き荒れる外へ出る直前、彼の紡いだ小さな言葉が耳へと届いた。

 

「君の一人目に、なりたかったな……」

 

 私はそれには答えず、薄闇の中へと飛び出した。

 一人目にもらったものを少しでも返すために。

 




明日か、明後日にもう一話投稿できたらいいななんて思っていますが、あまり期待せず待って下さると嬉しいです。


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第百十九話 頼れる仲間

「どうか僕を――助けて下さい」

 

 ニュゥべえを通して僕は声を送る。

 自分でもどれだけ都合のいいことを要求しているのは分かっていた。それ以前に彼女たちがワルプルギスの夜との戦いで疲弊している事も知っている。

 下手をすれば戦闘続行不能なほどの重傷を負っているかもしれない。

 現に巴さんは僕らが来なければ確実に死んでいただろう。そんな彼女たちに今更のこのこやって来て、僕は言う。

 僕のために戦え、と。

 一体、どれだけ傲慢なのだろう。拒否されても文句は言えない。

 しかし、それでも彼女たちに頼む他手段はないのだ。

 本来の計画では三日前から旧べえの一個体をニュゥべえが取り込み、インキュベーターの集合思考ネットワークにアクセスし、三日間じっくりとニュゥべえの感情で染め上げ、最終的にインキュベーターという種全体を乗っ取る手筈だった。

 思考を知ら知らずの内に、ハリガネムシに寄生されたカマキリのように動かして、対ワルプルギスの夜用の最終兵器『メーデーの朝陽』のために見滝原市周辺地域からインキュベーターを街中に配置する。それが、『the new base of incubator(インキュベーターの新たなる基盤)計画』。

 当初の予定であれば、ニュゥべえと同等の力を持った特殊な魔法少女が最低でも三百人は戦力として存在していた。

 けれど、アクシデント、及び一時的に計画自体を中断したせいで、インキュベーターの掌握こそ辛うじてできたものの集められた数は十も満たない。

 およそ、予定の三十分の一の戦力。これではワルプルギスの夜を倒すどころか足止めにも不十分だ。

 一度は見滝原を……何もかも捨て、まどかさんと逃げ出した僕だが、これ以上この街の魔法少女たちに負担を掛けるのは心苦しかった。

 だが、もうそんなことを言っていられる余裕はない。彼女たちの助力がなければ何もできないのだ。

 恥も外聞捨て、僕は彼女たちの返答を待つ。

 脳裏に浮かぶのはニュゥべえに意志を塗り潰される前に言った旧べえの末期の台詞。

 

『……君の、時間は……もうないのに……何故こん、な無意味な事、を……する、んだい……? 何もかも見捨てて、逃げ、出した君が……この街の、魔法少女を……見捨てた君、が』

 

 お前には分からないさ。インキュベーターに死後の概念なんかないと思うけど先にあの世で待っててよ。僕もすぐにそっちに行くから――。

 

『訳が……分からない、よ……』

 

 あの時は話を逸らして冷ややかに笑ってやったが、少なくとも僕がこの街で戦う彼女たちを見捨てたのは事実だ。

 曲げようない事実。そして、それは彼女たちへの裏切りに違いない。

 きっと彼女たちはこの見滝原がワルプルギスの夜に滅ぼされるから、僕はまどかさんと二人で安全な場所へ逃げたと思っているはずだ。

 そんな僕に今更力を貸してくれるだろうか。

 

「大丈夫よ、夕田君」

 

 僕の背中に柔らかな身体が触れた。

 びくりとして僅かに首を捻って後ろを見ると、巴さんが僕を後ろから抱きしめていた。

 

「巴さん……」

 

「皆の事、もっと信じなさい。夕田君が考えているよりも皆、夕田君の力になりたいって思っているわ」

 

 その声は穏やかで、年上らしい包容感が含まれていた。まるで小さい幼児を落ち着かせるような優しい口調と巴さんの服越しに伝わる体温がいつの間にか張り詰めていた緊張を解きほぐしてくれる。

 

「ありがとうございます」

 

「先輩だもの。助けられてばかりじゃないのよ?」

 

 自分も体力が回復しきっていないのにも関わらず、悪戯っぽく微笑む巴さんに僕は改めて思う。

 やっぱり頼りになる先輩だと。

 少しだけ心が弛んだのも束の間、ワルプルギスの夜は瓦礫(がれき)飛礫(つぶて)を僕らの居る位置まで投げて寄こす。

 僕と巴さんを乗せて飛ぶニュゥべえは縦にではなく、横に身体を滑らせるようにして避けていった。

 脇を流れるように飛んで行く瓦礫は残っていた建造物やコンクリートの地面に突き刺さる。その衝撃で電柱がへし折れ、こちらへと傾いだ。

 

「っ、ニュゥべえ!」

 

「それには及ばないよ。政夫」

 

 声を出して回避を促す。だが、ニュゥべえはそれをかわそうとする気配はなかった。

 代わりに僕の脳に声が届く。それはニュゥべえのものではなかった。

 

『ようやく、だよ。ホント』

 

『もっと早くそう言ってくれれば良かったのに』

 

 倒れて来る電柱が綺麗な断面図を見せ、切り裂かれた。切れ間からするりと銀色の輝きが顔を覗かせる。一つはサーベル状の剣。もう一つは鉤爪のような三又の刃。

 (すす)けた衣装を身に纏い、得物を振るって笑う黒と青の衣装の少女が二人。僕らの真横に立っていた。

 

「美樹さん! 呉先輩!」

 

「二人だけじゃないわよ、まー君」

 

 彼女たちの頭上から水晶球を数個集めて作った足場に乗っていたのは純白の修道女。

 

「織莉子姉さんも、来てくれたんですか?」

 

「当然でしょう。私はいついかなる時だってまー君の味方のつもりよ?」

 

 ふんと胸を張る織莉子姉さんは珍しく子供っぽい態度で、こんな状況だというのに表情が綻んでしまう。

 これを狙っての行為だろうが、いつもよりもずっと彼女を身近に感じられた。

 

「おいおい。アタシら最後かよ。ショウの野郎が遅いから出遅れちまった」

 

「そりゃねぇだろ、杏子。それに文句はこいつらに言ってくれ」

 

 軽やかな足捌きで崩れた建物の残骸の上を八双跳びで向かって来るのは杏子さん。自分の身長よりも長い槍を担いでいるというのにバランス一つ崩す様子はない。

 彼女に続いてこちらに来るのは……何だろう。珍妙な行列としか形容できないものがぞろぞろと足並みを揃えて近付いてくる。

 デフォルメしたぬいぐるみのようなキリンやロバらしきものはまだしも、何を(かたど)っているのかすら訳の分からない動物がパレードのように行進していた。

 その先頭に立つのは装飾品を身に付けた黄緑色の象。その背にはワインレッドカラーのスーツ姿のショウさんが悠々と腕を組んで(またが)っていた。

 ……え? どちら様ですか、この方? インドの王様か、何かですか?

 

「おう、政夫。重役出勤とは随分な御身分だな」

 

「……そのパレードみたいなのは何ですか?」

 

 僕に気さくに話しかけるショウさんに思わず尋ねた。あまりにシュールレアリズムに満ちた光景を無視するほど、僕には無頓着にはなれなかった。

 

「ああ、こいつらか。こいつらは……」

 

「ワルプルギスの夜の使い魔たちだよ。あれがぽこぽこ上から生み落として来る度にショウが操ってを繰り返してたら、いつの間にかこんなに大量になってたのさ」

 

 ショウさんの代わりに杏子さんがさらりと質問に答えてくれた。

 俺が今説明しようと思ってたのに先に言うなとショウさんは怒ると、杏子さんは悪戯っ子のようにべーっと赤い舌を出した。

 

「とまあ、そんな感じだ。最初の頃は魔法少女のシルエットみたいなのも居たんだが、ワルプルギスの夜の攻撃でほとんどが消えちまった。ま、そのおかげで俺も杏子も大した怪我はしてねぇんだけどな」

 

「そうだったんですか……」

 

 ……何だろう。すごく真面目な経過からの結果なのに、光景だけ見ると冗談みたいだ。

 傍に擦り寄って来たピンク色の大きなプードルがなぜか咥えていた風船を僕に差し出すように首を突き出してくる。どうやら僕にくれるらしい。これはどうもと苦笑いを浮かべて、僕はそれを受け取った。

 

「杏子から聞いたぜ。助けてほしいんだってな」

 

 そのショウさんの言葉を聞いて、僕は表情を引き締める。

 

「……はい」

 

 一度は安全な場所に避難していた僕にどんな言葉を投げられようとも、今彼女たちの協力は必要不可欠。

 見渡せば、ショウさんも含めて魔法少女の皆も擦り傷や切り傷が散見している。前線で戦っていた美樹や呉先輩に至っては額に付いた血を拭った跡が一層顕著だった。

 綺麗だった髪も華やかな衣装も黒っぽく汚れ、(すす)けている。

 それでも、僕は言わなくてはいけない。

 

「僕だけではあれを倒せそうにありません。だから、申し訳ないですけど僕に力を……」

 

「あほか。お前」

 

 台詞を最後まで紡ぎ終わらない内にショウさんは遮って僕に言う。

 

「何で、申し訳ないなんて付けんだよ。てか、お前が自分一人でやらなきゃいけなかったような口振りはなんなんだよ? 政夫……お前、何か勘違いしてないか?」

 

 呆れたように僕を見るショウさん。

 彼の眼差しの理由が分からずに困惑していると、周りに居る魔法少女たちは顔を見合わせて各々溜息を吐いた。

 後ろで僕を抱き締める巴さんが彼女たちを代表したかのように口を開く。

 

「夕田君は何でもできるからって、全部一人で背負い過ぎよ」

 

「そうそう。政夫ったらちっとも私らを頼ろうとしないんだから」

 

 美樹が追随して頷いた。

 呉先輩がずれていた眼帯の位置を弄ってから言う。

 

「私たちはさ、政夫――その言葉をずっと待ってたんだよ」

 

「まー君。困った時にはちゃんと頼りなさい。貴方はもう、一人じゃないでしょう?」

 

 織莉子姉さんの言葉に僕は自分の考えが思い上がりだったことに気付かされた。

 ずっと僕は一人で戦っているつもりになっていた。

 困った時に助けを求めることを放棄していた。

 不思議と今なら実感できる。僕は自分で思っていたよりも周りに好かれていたのだと。

 

「で、アタシらは何をすればいんだ? 何か考えがあるんだろ?」

 

 杏子さんの声に僕は頷いてから、今度は力強く答えた。

 

「これから――僕の言う作戦通りに動いて下さい。いいですか?」

 

 異口同音の答えが皆から返って来る。

 それに僕は再度頷いた。罪悪感はもうなかった。ただ、まっすぐに視線を返してくれるこの人たちに頼ろうとそう素直に思えたからだ。

 さあ、これから反撃の狼煙を上げよう。

 

 ***

 

 

『作戦は至ってシンプルなものだよ。ワルプルギスの夜の頭上に僕が行くのを援護してほしいんだ』

 

 一か所に集まっていると瓦礫の散弾攻撃の餌食となってしまうため、すぐに散開して別れた僕らはまたニュゥべえの念話を通じて連絡を取り合う。

 

『そんなのでいいの?』

 

『さやか、お前、そんな簡単な事みたいに言ってるけど、あいつの注意を引くのがどれだけ大変か分かってんのか?』

 

『つまり、その後に何か秘策があるって事ね』

 

『ここまで来ても秘密主義を押し通すのはある意味、まー君らしいわ』

 

『私はそういうところも政夫の魅力だと思うよ』

 

 一気にそれぞれの声が脳内で響く。ほぼノータイムで意思の疎通ができるものの、一度に複数人の声が入ってくるために頭の中は大変騒がしくなる。

 実際の声とは違って音が重ならないのが救いだが、矢継ぎ早に送られてくる声にそれぞれに反応するのは難しい。

 取りあえず、僕は全員に個々の返答を送るほど時間に余裕もないので、一、二言だけ言葉を返す。

 

『……僕を信じてほしい。皆で生きて帰ろう』

 

 少しの間の後、口々に肯定の返事が頭の中で響いた。

 彼女たちの言葉に自然と口元が綻びかけたが、それを引き締めて僕は正面を見据える。

 視界は狭く、明度も暗い。右目に至っては既に失明していた。時折、耳鳴りもする。指先も感覚が鈍くなっていくのを感じる。

 完全に五感が切れるまでそう時間はないだろう。

 ここからが本番だ。気を引き締めないといけない。

 僕は頼りになる仲間たちに援護を任せ、ニュゥべえに乗って、ワルプルギスの夜の上空に向かう。

 

「ニュゥべえ。僕は後、何分持つ?」

 

「政夫に残された時間は……既に十五分を切ったよ」

 

「ふふ。カップ麺が五個も作れるね」

 

 嵐の中を駆け抜けながら魔力の膜の中で僕は軽口を叩く。

 ニュゥべえはそれには答えず、僕に聞いてきた。

 

「言わないのかい? 彼女たちは君の事を……」

 

「言ってどうするのさ。動揺されて、たださえで少ない時間を減らさちゃ敵わないよ」

 

 それに、と僕は区切って言葉を紡ぐ。

 

「多分、話したら僕自身、冷静で居られるか分からないしね」

 

「政夫……」

 

「お喋りは終わりにしよう。彼女たちには掌握したニュゥべえたちの増援を向かわせて」

 

 最後までこの想いを貫こう。僕の愛するただ一人のために。

 胸を張って、絶望して死ぬために。

 




次回か次々回で多分、まどかルートは完結します。
……執筆時間取れるといいなぁ。


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第百二十話 私たちの希望

~キリカ視点~

 

 

「はてさて、どうしたものだろうね」

 

 持ち上げていた両腕をだらりと垂らし、厚い雲で覆われた空を仰ぐ。

 政夫の手前、かっこ付けたけど、身体の方は結構ガタが来ていた。

 手足が重い。血を流し過ぎたせいか気分も気怠(けだる)い。速度低下の魔法の連発で魔力もそんなに残っていない。相方は自己再生だけが取り柄の馬鹿さやか。

 なのに、口元に浮かぶのは笑みだった。

 政夫が、愛する人が自分に助けを求めてきた。そして、それに応えるための力が自分にはある。

 昔のおどおどしていた頃の私には到底不可能な事だった。

 何もできない。誰も信用できない。そんな自分が嫌だったから、私は魔法少女になったんだ。

 

「……不思議だよ。ふらふらなのに気分がいい」

 

「それはきっと呉さんが『恋する権利』を得たからですよ」

 

 得意げな顔で聞いてもいない事を答えたさやかが何かムカついたので、私は無言で鳩尾(みぞおち)に膝蹴りを入れた。

 うぐっと小さく悲鳴を上げて、身体をくの字型に折り曲げて悶えているさやか。とてもいい感じに打撃が入ったらしく、ぷるぷると震える足は生まれたての小鹿のようだった。

 

「何するんですか……」

 

「いや、訳知り顔が腹立たしかったのでつい」

 

 私は悪くない。悪いのはこいつ。うん、多分それで間違いない。

 

「で、何だって?」

 

「あれ、覚えてませんか。私と呉さんが前に戦った時に……」

 

「そんな下らない事、覚えてる訳ないだろう。私の記憶は政夫の事以外はすべて必要ないから」

 

 本当は覚えているけれど、それを正直に言うのは何となく(しゃく)だったので否定した。

 こっちの内心を知ってか知らずか、さやかは続ける。

 

「今の呉さんは政夫の事を考えて戦おうとしているじゃないですか。あいつの気持ちが自分に向いていないのも分かった上で」

 

 理解していたけれど、こうやって他人からその事実を聞かされると胸がじくりと痛んだ。

 知っている。政夫がまどかを選んだ事くらい、私にだって解っている。

 昔の私なら喚き散らしてでも認めなかっただろう事が、今の私にはどこかすんなりと受け入れられているのが不思議でしょうがない。

 

「……それが政夫にとって一番幸せな事だって思ったんですよね? 私も同じ気持ちです」

 

「訳知り顔で言ってくれるね。お喋りするほど余裕なのかい? ……子供(・・)じゃないんだ。無駄口ばっか叩かずに目の前の敵に集中しなよ」

 

 私の台詞にさやかは気付いた様子で僅かに驚いた後、少しだけ笑った。

 

「なんだ。やっぱり覚えてるんじゃないですか」

 

「うるさい、馬鹿」

 

 私はそれだけ言うと崩れたビルの群れを足場にして、正面に浮かぶドでかい魔女へと向かって跳ねた。

 さやかもまた同じように飛びあがってくるのが見なくても音と気配だけで分かる。

 瓦礫の破片を矢のように飛ばして来る魔女だが、私は速度低下の魔法を周囲に展開し、その瓦礫すら踏み台にして魔女の元まで進んでいく。

 疲労度はさっきよりも上なのに、魔法の効き目が前よりも遥かにいい。胸の内から力が湧き出してくるような錯覚を覚える。

 空を切り裂き、

 天露を吹き飛ばし、

 砕けた瓦礫の粉すら蹴散らして、私は飛ぶ。

 

「はああああああああああああああああああああああっ!」

 

 腕を振り上げて大きな歯車状の部分に袖口から飛び出した鉤爪を突き立てる。目一杯の速度低下の魔法を打ち込んだ。

 狙ったのは一番大きな歯車。

 激しく回っていた歯車が比べものにならないほど遅くなる。

 

「さやかあぁっ!」

 

「はい!」

 

 余計な言葉は要らない。

 私もこいつも頭で考えて戦うタイプの魔法少女じゃない。心の思うがままに身体を動かして戦う魔法少女だ。

 何より、きっと今の私ならこいつと同じ気持ちを共有しているから。

 だから。

 分かる。信じられる。

 目の端に映るさやかが空中で背中のマントを(なび)かせた。

 その内側から大量の剣を生み出して、歯車同士の隙間へと次々に投げ込んでいく。

 

「たあああああああああああ!」

 

 魔女の歪な笑い声すらも、どこか苦し気に聞こえるほどに、隙間と言う隙間に剣の刃で埋め尽くす。

 これで少しは動きを封じる事ができたはず。そう思ったその時、逆さまの魔女の顔から玉虫色の炎が噴き上がった。

 

「……あ」

 

 宙に浮かんだ状態のさやかは避ける事もできない。

 目を見開いたまま落下し、迫り来る炎を眺めているだけだ。

 本当に馬鹿だな。――私は。

 突き立てた鉤爪を即座に引き抜き、玉虫色の炎の中へとダイブした。

 速度低下の魔法を炎の中で使えば、さやか届くのを防げる。

 その代わりに私は魔女の炎で焼かれて死ぬだろう。

 馬鹿のために命を落とす。昔なら絶対に、それこそ死んでも選ばない選択肢。

 だっていうのに今は嫌じゃなかった。

 炎が私を焼き焦がす。そう思ったその前に私の身体は下から押し上げられたような感覚に襲われた。

 

「何が起きたのかって顔してるね。キリカ」

 

 声が聞こえた先に目を向ければそこに居たのはさっき政夫が乗っていた大きな……。

 

「しろまる!?」

 

「ニュゥべえだよ」

 

 名前は正直どうでもよかったのだけれど、今こいつは確か政夫を乗せて運んでる最中のはずだ。

 何でここに居るんだと聞く前にしろまるは言う。

 

「僕は意識は繋がっているけど、さっき政夫を乗せていたオリジナルとは別の個体……まあ、詳しい事は言っても理解できないだろうから端的に言うけど、今もちゃんと別の僕が政夫を乗せて飛んでるから安心して」

 

「そうなんだ……あ。そうだ、さやかは!?」

 

 炎に巻かれて落下したのかと下を見るが、そこにはさやかの姿は見えなかった。

 

「さやかは? さやかはどうなったっ!?」

 

 私を乗せて魔女から距離を取るように飛ぶ大きなしろまるに叫ぶ。

 事と次第によっては許さない。

 

「落ち着いてよ、キリカ。もっと周りを見てから言って欲しいね」

 

 怒りを露わに問い詰めると、しろまるは淡々とした様子で、右を向くように促してきた。

 それにつられて、そっちの方を向くとそこにはバツが悪そうに笑うさやかが私と同じようにしろまるに乗って浮いていた。

 

「あー……心配してもらってすみません。でも、なんとか助かりました。私の事、命懸けで助けてくれようとしてくれたんですよね?」

 

 さやかの顔を見て一瞬だけほっと安心した後、自分の狼狽振りを思い出し、強烈な恥ずかしさが込み上げて来る。

 こいつ、私が今心配していたのを見てたのか! この馬鹿が……この馬鹿を! 私が!

 色々と感情が噴き出しそうになるのをぐっと堪え、それを胸の中に収めた。

 ……私は子供じゃない。そんなに喚かないんだ、うん。

 

「……さやか」

 

「えー、はい」

 

「忘れろ」

 

「えっ?」

 

「いいから今の忘れろ! いいな!」

 

「……はい。でも、ほんとありがとうございます」

 

「ふん!」

 

 ムカつくのでそっぽを向いていると、下の方で使い魔の行列とその背に乗る魔法少女と男の姿が見えた。

 杏子とかいう魔法少女とたしか……ホストの--。

 

 

 

~魅月ショウ視点~

 

 

 お願いしますなんて頼まれちまったら、格好付けねぇといけないよな。

 年長者として、そこまで言わせたなら答えてやるのが男ってもんだ。さやかたちもいい感じにチャンスを作ってくれた。

 -―お次は俺らの番だ。

 

「行くぜ。使い魔ども! ぶちかましてやれ」

 

 ぞろぞろと列を成して行進する使い魔どもに俺は号令をかける。今までは囮と牽制をやっていたために思う存分暴れられなかったが、今は別だ。守りに入るのは俺の性に合わねぇ。

 俺の声に応じて軍勢は速度を上げて駆け出していく。

 ちょうど倒れて斜めに倒れたビルをスキー場のジャンプ台のようにして、使い魔どもは自分の生みの親へと突進を決める。

 軽そうなプードルはもちろん、鈍重そうな象の使い魔までが次々に華麗な放物線を描き、派手にタックルをかまいた。

 歯車の隙間にしこたま剣をぶっ刺したおかげでどうにも動きが鈍くなっているらしく、かわすどころかお得意のビル投げもできずに直撃を受け続けている。

 

「仕上げだ、杏子! 串刺しにしてやれ」

 

「言われなくともやってるよ!」

 

 怒涛の突進撃で浮いていた巨体のバランスが崩れたのを機に俺のすぐ前に居る杏子は両の手の指先を絡めるように合わせる。

 普段は粗暴な癖に教会のシスターのような清廉な仕草が妙に似合っていた。杏子は黙って目を瞑って祈るような動作を続ける。

 すると、それに呼応すようように突如ワルプルギスの夜の真下から巨大な赤い槍が三本ほど、生まれて、よろけていた奴の身体に突き刺さった。

 

「どんなもんだい、ショウ!」

 

 両目を見開いた杏子は振り返って、俺に自信満々で言ってくる。

 大した奴だ。俺なんぞよりもずっと活躍してやがる。

 それが嬉しくて、誇らしくて俺はついぽろりと言葉が出た。

 

「ああ。お前は本当に可愛くて、頼りになる妹だよ」

 

「はっ、あったりまえだろ? でも、流石に魔力を使い過ぎたみてーだ」

 

 立ち眩みでもしたかのようにふらっとよろめく。

 

「……おい。大丈夫かよ?」

 

 危うく、使い魔の上から転げ落ちそうになった杏子を抱き留めると、珍しく照れたようにはにかんだ。

 魔力を使い過ぎたって平気なのかと心配して顔を覗き込むと、人差し指で生意気にも俺の額を突く。

 

「心配すんな。アンタを残して魔女なんかにならねーよ。ま、後はマミたちに任せるさ」

 

 

~マミ視点~

 

 

 美樹さんや杏子さんたちはうまくやってくれた。後は私たちだけだ。

 私の最大火力でもワルプルギスの夜は倒せない。けれど、夕田君ならあの最大最悪の魔女を倒してくれる。

 そのために私は少しでも彼の秘策を行ないやすいように場を整えておくだけ。

 けれど、先ほど大半の魔力を籠めてティロ・フィナーレを撃ったせいか、もう魔力消費の大きな技を使う事はできない。

 希望が見えてきたからこそ、一抹の不安が私の胸に(よぎ)る。

 

「大丈夫よ、巴さん。まー君ならきっとやってくれるわ」

 

 隣に立つ美国さんは微笑を湛え、安心させるように私の肩に手を乗せた。こういう何気ない仕草は夕田君に似ている。

 いや、多分、彼が美国さんを参考にしたのだろう。

 

「随分、落ち着いているのね。ひょっとして……私たちがワルプルギスの夜を倒す未来が見えたの」

 

 期待を込めた視線で彼女を見ると、残念そうな顔で首を横に振った。

 

「いいえ。でも、勝算はあるわ」

 

「どうしてそう言い切れるの?」

 

 そう尋ねるといつになくお茶目な様子で、逆に問い返すように私に返した。

 

「まー君は今、私たちの、この街の魔法少女の希望になっているわ。魔法少女が『希望』を信じなくてどうするの? あの子に前に言ったらしいわね。魔法少女は希望を振り撒く存在だと」

 

 懐かしい。彼や鹿目さんたちと出会った時に私は彼にそんな風に魔法少女を説明をした。

 本当は怖くて怖くて、心の奥では震えていた癖に格好付けて、誤魔化していた。

 あの頃はそう思うしか、自分を奮い立たせる事ができなかった。

 でも、今は--。

 

「そうね。私たちは魔法少女なんだから希望を信じない理由はないわ」

 

 誤魔化しでも、欺瞞でもなく、胸を張って魔法少女を名乗れるのはあなたのおかげよ。夕田君。

 だからこそ、彼を信じてやれる事をやるだけ。

 魔力をどうにか練り合わせて、リボンを創り、それを砲台の形に形成していく。

 想いを籠めて、祈りを籠めて、希望を籠めて、魔法を編み込む。

 けれど、それでもまだ足りない。弾丸になる部分の魔力までは補填しきれない。

 

「くっ……魔力が足りない。グリーフシードももうないのに……」

 

「あと足りないのは弾だけなのでしょう? だったら」

 

 美国さんは片手を天にかざして、大きな水晶球を宙に創り上げる。

 

「これで、私も未来を予知する分の魔力も尽きたわ。でも、これなら代わりの弾丸にはなるでしょう」

 

 疲労の色を見せ、額の汗を拭って彼女はそう言った。

 自分の仕事だけに集中していたから気が回らなかったけど、未来を予知しながら戦況を全員に知らせていた彼女の負担は私以上のはずだ。

 常に最悪の未来を見ながら、それを回避する方法を進言してくれたから私たちは一人も欠ける事なく戦えていたのだ。

 そんな彼女へ労いの言葉が浮かぶ。でも、今は労いよりも力強く肯定する言葉の方が先。

 

「ええ。十分過ぎるくらいにね」

 

 彼女の魔法(いのり)と私の魔法(いのり)。その二つを合わせた今、最高の射撃の準備は整った。

 美国さんの水晶球が砲身へと吸い込まれ、ワルプルギスの夜へと向けられる。

 

「行くわよ、美国さん」

 

「ええ。いつでもいいわ」

 

 二つの祈りを織り込んだ砲台は希望を守るために、夜を穿つ一撃に変わる。

 

「ティロ……フィナーレ!」

 

 今度こそ、最後の射撃を撃ち鳴らす。

 絶望の最後を砕き、希望の始まりを告げる弾丸。

 砲弾から発射された白い水晶球は身動きも取れず、地面に縫い付けられたワルプルギスの夜へと激突する。

 魔力の奔流が着弾とともに舞台装置の魔女の表面を覆い尽し、歯車に差し込まれた大量の剣や真下から貫いている三本の巨大な槍の魔力と反応し、激しく爆発。

 真っ白い煙を上げた逆さまの巨体は地面へと叩き付けられた。

 間違いなく、戦いの中で最大のダメージを与えた手応えがあった。

 

「やっ……」

 

 万感の思いを籠めた一撃の凄さに歓喜の声を上げかけたその次の瞬間、煙の中から浮かび上がった巨体には、僅かに焼け焦げた跡が点々と見られるだけだった。

 あれだけやってもこの程度。

 絶望的なほどの頑強さ。

 でも、私には希望が残っている。

 

「夕田君。後は……頼んだ、わよ」

 

 力が抜けて、その場に崩れ落ちながら希望を託し、空を見上げた。

 旋回しながらタイミングを(うかが)っていたニュゥべえはワルプルギスの夜のすぐ真上まで来ていた。

 




今回、大分急いで書いたので誤字が多いかもしれません。
次で終わらせようと思い、主要キャラの見せ場っぽいものを今回で書きました。



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第百二十一話 王子の像とツバメたち

『ねぇ、政夫くん。〈しあわせの王子さま〉って童話知ってる?』

 

 ワルプルギスの夜の頭上に向かう最中、最後に交わした愛しい人との会話が脳裏に浮かぶ。

 あの夜、一つの布団でお互いの体温を感じ合った後に、まどかさんは不意に僕にそう尋ねてきた。

 上がって息も、激しく動いていた鼓動も穏やかになって来た頃に唐突に投げられた問いについ質問で返してしまった。

 

『それってオスカー・ワイルドが書いた短編小説の〈幸福な王子〉のこと?』

 

 すると、すぐ隣で横になっている彼女は天井を仰いでうーんと一つ唸ってから答えた。

 

『絵本で読んだからよく分からないけど、黄金や宝石でできた王子さまの像がお金に困ってる人やお腹が空いて悲しんでいる人たちのために自分の身体を少しずつあげちゃうお話』

 

 当時の彼女はその絵本を知久さんに読んでもらった時、あまりにも救いが無さ過ぎて泣いてしまったのだと話してくれた。

 王子の像に同情して泣き出す幼いまどかさんと、いきなり泣き出した娘を困惑しながらも慰める知久さんの情景が容易に想像できて、つい笑ってしまう。

 

『ああ。じゃあ、やっぱり〈幸福の王子〉のことだね。絵本化される時に名前も分かりやすく変えたんだろうね。それで、その童話がどうしたの?』

 

『その王子さまの像が政夫くんにそっくりだなって』

 

『えっ。僕のそんなに金ぴかなの!?』

 

『違うよ。もう』

 

 当然、ふざけての発言だったが、僕の桃色のお姫様はからかわれたと思って少しだけ頬を膨らまして否定した。

 とても愛らしいむくれ顔を見せてくれた後、まどかさんは少し悲し気な表情を作り、僕の顔を見つめる。

 

『……誰かのために自分を削っていって最後には報われる事もないまま一番辛い目に合っちゃうところ』

 

『僕はそんな……』

 

 大したことはしないよと冗談っぽく続けかけようとして、止めた。

 まどかさんの瞳がとても真剣だったからだ。

 僕のことを本気で心配して、本気で悲しんでくれている。だから、誤魔化すように否定するのは失礼だ。

 だから、僕もまた彼女に真面目に答える。

 

『でも、本当に〈しあわせの王子さま〉は報われなかったのかな?』

 

『え?』

 

 僕の言葉に疑問符を浮かべるまどかさんに、優しく微笑みかける。

 

『絵本ではどうだったかは知らないけれど原作の王子の像はその国の若くして死んだ王子の魂が宿ったという背景があるんだ。生前は幸福しか知らなかった王子が世界の醜さを知り、心を痛め、そして我が身を削って貧しい人たちを助けたいと思った』

 

 綺麗なことや楽しいことしか知らないというのは確かに楽ではあるだろう。だが、世界の本当の姿を知り、辛い思いをしている人々に少しでも幸福を与えることができた王子の像は充足感を懐いたはずだ。

 そして何よりも……。

 

『そんな自分を愛して、協力してくれたツバメが彼には居た』

 

 宝石や黄金が剥がれ落ちてみすぼらしい見た目になっても、王子の像の傍に居てくれた存在。

 ツバメは自分の命まで捨ててまで、王子の像を最後まで見守ってくれた。自分の持っていた全てよりも、王子の像を選んでくれた。

 

『報いがないなんて嘘だよ。ちゃんと報われた。少なくとも僕はそう思うよ』

 

 そう言ってみせるとまどかさんは少しだけ嬉しそうに、そして少しだけ寂しげに口の端を弛めた。

 

『そっか。ちゃんと、報われてたんだ』

 

『うん。十分、幸せだったと思う』

 

 そこでお互いは会話を一度止めて、しばし天井を眺めた。

 布団の中で繋いだ手のひらを握り直す。穏やかな時間の過ぎていく優しい沈黙が心地よかった。

 感じたことのない安らぎだけが胸の奥まで満ちる感覚。ずっとこの気持ちを味わっていたい。そう心から思えた。

 ――このまま、僕はまどかさんと一緒に死のう。きっと、王子の像のように幸せな気持ちでこの世を去れるはずだ。

 だが、そこでふと一つの疑問が(しょう)じた。

 王子の像は果たしてツバメが自分のせいで死んでしまうことに何を感じたのだろうか。

 もしも、ツバメが暖かい南へ行けるチャンスがあるとしたら、王子の像は……。

 目の端でまどかさんの横顔を見つめる。

 優しく、思いやりがあって、行動力があって、心の芯の強い素敵な女性(ひと)

 すると、見つめていた彼女の唇が付け足すように呟く。

 

『でも、政夫くんがそういう人だったから好きになったんだけどね』

 

『え?』

 

『誰かのために損をしてでも手を差し伸べるところが、政夫くんの素敵な部分だから』

 

 僕の方へ顔を動かして、柔らかい愛おしげな笑みを溢す。

 ああ、そうか……。

 その笑顔を見て、気付いた。最後に王子の像が望んだことを。

 ――生きてほしい。

 自分の分まで。

 その優しさが報われるまで。

 少なくとも、僕が王子の像ならば絶対にそう思う。

 

 

 だから、僕は見滝原市に帰って来た。彼女が生きていくこの場所を守るために。

 惨めに死んでいくことを選んだのだ。

 

 ワルプルギスの夜の上空。

 ニュゥべえの背に乗った僕は、ほんの十数メートルまで彼我距離を詰める。

 ここまで近付けたのは、巴さんたちのおかげだ。僕らだけではここまで無傷で接近することはできなかっただろう。

  

「政夫。……ここまで来たけど、どうするつもりなんだい?」

 

 ニュゥべえが心配そうに僕に尋ねる。

 彼女もまた僕が何をしようとしているか知らない。それにもここまで僕に付き従ってくれた。

 本当に感謝の気持ちしかない。

 こんな僕のためにたくさん苦労を無償で請け負ってくれた。

 

「ニュゥべえ、今までありがとうね。君もまた僕のもう一羽の〈ツバメ〉だったよ」

 

 質問への返答ではなく、感謝の言葉を述べた。

 

「政夫、一体何を……」

 

「後は僕だけの仕事だから、君とはここでお別れだ」

 

 彼女が訝しげに疑問を呈する前に僕は彼女の背から飛び降りる。

 魔力の膜から出た身体は暴風と寒気に晒された。浮遊感を感じながら、指に嵌った指輪を掲げる。

 もう最初の三分の一程度の大きさになった、薄く透けた黒いソウルジェムが姿を現す。

 自分の願いに気が付いた時、僕はなぜこのソウルジェムが不完全なのか理解した。

 決してニュゥべえがミスをした訳ではなかった。

 僕のソウルジェムが消滅していくのは――それが僕の『願い事』だからだ。

 僕はまどかさんに恋をした時から、ずっと魔法のない世界を祈っていた。

 まっすぐに生きる彼女が、魔法なんてつまらないものに邪魔されないように、と。

 自分にできることを必死で頑張る彼女が、奇跡なんて下らないものに汚されないように、と。

 だから、僕は許さない。

 魔法を。奇跡を。都合のいいまやかしを。

 例え、それが自分自身だったとしても。

 黒のソウルジェムが輝き出し、僕の身体を包み込み、密着するように纏わり付く。

 

「僕の魔法(ねがい)は魔法の否定」

 

 一瞬にして衣服が魔力によって変形し、黒い燕尾服へと様変わりする。ふわりとシルクハット落ちて、頭の上に落ち、ソウルジェムが首元の黒い蝶ネクタイの中心部で鈍く輝いた。

 白い手袋で覆われた手には黒のステッキが握られている。

 古典的な手品師のコスチューム。その姿に籠められたのは恐らくタネも仕掛けもない魔法などなくていいという僕の思想だろう。

 片目しか見えなかった視界が両目とも良好に戻り、あれだけ煩かった耳鳴りから解放された鼓膜は嘘のように収まっていた。手には鈍くなっていた感触が帰ってくる。

 代わりに時折訪れるだけだった激痛が全身を隈なく蝕んだ。

 全身の皮膚を剥いで熱湯を被せられたような、あるいは内側からヤスリ状のもので削り取られるような痛み。

 僅かでも気を抜けば、意識すら奪い取られかねない激痛の中、歯を食い縛って真下に浮かぶ魔女へと着地すると同時にとステッキを振り下ろす。

 先端がワルプルギスの夜の歯車に触れた瞬間、薄い氷を踏んだ時の如く衝突部分を中心に四方八方亀裂が入った。

 そして、あれほど強固さを誇っていた最悪の魔女の外殻は――呆気ないほど簡単に砕け散る。

 散った破片は黒い塵のようになり、瞬く間に消滅。まるで最初からなかったかのように消えてしまう。

 消失の手品(マジック)の如く消えた歯車。途端、ワルプルギスの夜が吠えた。

 先ほどまでの笑い声とは違う。怒り狂う感情が伝わるほどの咆哮。

 

『ァ、アァ――――アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――――』

 

 空間が破裂する。既に崩れた砂の城のような様相をしていたビルの残骸の辛うじて残っていた窓ガラスが一斉に割れた。

 身体を激しく揺らして、僕を纏わり付いた虫か何かのように弾き飛ばすと、玉虫色の火炎を噴きかける。

 邪魔なものを無造作に払うような魔法少女たちとの戦闘とは明らかに威力と規模が違う、明確な敵意を懐いた目も眩むような灼熱の劫火(ごうか)

 ……だが。

 

「そんな魔法(もの)は許さないよ」

 

 燕尾服に付いたポケットから黒い布を引きずり出し、劫火をひらりと被せるように(あお)ぐ。

 布が僕の視界から劫火を覆い隠した次の瞬間には、玉虫色の火炎は跡形もなく消滅していた。

 これが僕の魔法、僕の願い。

 魔法を壊すためだけの魔法。

 玉虫色の火炎を消した即座にステッキで追撃を放り込む。

 紺色のドレスにも似た外皮が剥げ落ち、失せた。その下にある大小の歯車もまた同じように砕けて散る。

 息継ぎすら止めて、力の限り何度となく打ち据える。打擲(ちょうちゃく)に次ぐ打擲。その都度、ワルプルギスの夜は砕け、削られ、体積を徐々に失っていく。

 同時に否定の魔法を行使する度に僕のソウルジェムの損耗も加速する。文字通り、命を削る連撃だ。

『―――――――――――――――――――――――――――っ‼︎』

 

 悲鳴にも似た絶叫がワルプルギスの夜から(ほとばし)った。

 懐いている感情は痛みか、恐怖か、あるいは慟哭だろうか。

 それに対して哀れみを感じる余裕も必要性も僕には持ち合わせてはいない。

 僕にある感情は二つ。

 それは後悔と絶望。

 死にたくない。もっとまどかさんと一緒に居たかった。彼女と同じ時間を過ごしたかった。

 魔法など使いたくなかった。例え、死んでもこんな都合のいい力に手を伸ばしたくはなかった。

 死が確定している事実と魔法などというふざけたものに頼らなければいけない状況への絶望。

 愛しい人が居て、その人が自分を愛してくれているのにもう二度と会うことのできない後悔。

 その二つが激痛よりも苛んでいる。心が砕けそうなほど負の感情が僕の中を駆け巡っていた。

 皮肉なことにその負の感情エネルギーが僕の魔法の出力を上げている。頭がおかしくなるような絶望が僕を強くする。

 脅威だった巨体は今や単なる当てやすい的とかし、魔法少女に恐れられていた伝説の魔女は一方的に(なぶ)られていた。

 

『アア、アアアアアァァァァァァァ――――――――!』

 

 見滝原の空に悠々と鎮座していたワルプルギスの夜は後方へと身体を揺らして移動した。とうとう後退してまで、僕から逃れようとし始めたのだ。

 

「逃がさないよ。こっちには時間がないんだ……」

 

 身体中を駆け巡る激痛を押して、追い縋ろうと僕は高く跳ね上がる。

 直後にコンクリートやアスファルトの残骸が宙に舞い、追跡をしようとしていた僕へと念動力で今にも振り降ろさんばかりに浮いた。

 

「なるほどね。それなら僕にも有効だよ」

 

 確かに魔力によって持ち上がった瓦礫は物質。直撃すれば僕の魔法では消すことは不可能だ。

 しかし、それも当たればの話。

 

「でもね、それを浮かしている魔力はやっぱり魔法の一部なんだよ?」

 

 すっとステッキの先端を上に翳し、円を描くようにくるりと回す。

 念動力が消え、持ち上げられていた瓦礫は力を無くしたように元あった場所に落下した。

 ワルプルギスの夜は自分の攻撃が通用しないことを理解したのか、もはや叫びすら上げない。

 先が二股に分かれた道化師のような帽子は片側が剥げ、身体の方は小さめの歯車が三つ四つ、鈍い動きで回っているワルプルギスの夜。

 満身創痍と言った風情を晒している。かつての迫力はそこにはなく、貧弱さしか伝わって来ない風体だ。

 ――あと、一押しで勝てる。

 そう思い、僕は奴のすぐ傍まで接近し、狙いを定め、ステッキを振り上げる。

 その時、ごぽりと水気を含んだ何かが排出される音が耳に入ってきた。

 ワルプルギスの夜からではない。音を発したのは僕の口だった。

 真っ赤な血の塊が唐突に喉から競り上がり、口内と鼻腔から胃液と混じって零れ出る。

 空中でバランスを崩した身体が、重い(かせ)でも付けられたように真下へと墜落した。

 瓦礫片が散乱し、凸凹に隆起した地面に身体を打ち付けるが、最初から痛みが激し過ぎて、どれが激突による痛みなのか判別できなかった。

 ――時間切れ。タイムリミット。限界。

 最悪の単語が脳裏に浮かぶ。急激に重力が増したように立ち上がることもできず、不格好な姿勢のままで地面に手を突き、這い蹲った。

 

『政夫、今すぐボクが助けに……』

 

「ごふっ……ぐ、来るなっ……」

 

 ニュゥべえの声がソウルジェムを通して聞こえたが、即座に拒絶の意を示す。

 僕の身体からは魔力を打ち消す魔法が滲み出ていている。ワルプルギスの夜の劣勢になっているのも僕の近くに居るだけで魔力が削がれているからだ。

 当然、この魔法の影響は魔法少女はもちろんのこと、ニュゥべえにまで及ぶ。

 僕の傍まで飛んで来れば、足手まといどころかそれだけで死にかねない。

 敵味方構わず、今の僕は魔法を使うものにとって猛毒以外の何物でもないのだ。

 魔法の武器を生み出すこともできず、己の命を磨り減らすだけにしかならないだろう。

 この状況を打破できるのは自分一人。身体中の骨という骨を熱した鉄に置換したような激痛に焼かれる身体に鞭を打ち、立ち上がろうと足掻く。

 しかし、口と鼻からは信じられない量の血液が溢れてくるだけで一向に腕に力が入らない。恐らくはいくつかの(けん)がちぎれ、関節が機能しなくなっている。加えて、吐いた血液の量から察するに重要な臓器の数個は破裂したと見ていい。

 僕の魔法は、死んだ自分が生きているという状態すら許せないらしい。……我ながら強情だ。

 だが、それでもここで死ねば、すべてが水の泡だ。

 何のために最後の幸福な時間を捨てて来たのか、分からなくなる。

 動け。動いてくれ。あと、一分、いや四十秒でいい。その後ならお望み通り、ゴミのように死んでやる。

 だから……。

 

「うご、けえええぇぇぇぇぇぇ!」

 

 手足に力を入れて吠えるが、全身が鉛になったように鈍く碌に動いてくれない。

 

『―――――――――――アハッ』

 

 沈黙を保っていたワルプルギスの夜が(わら)った。

 事態が好転したことを理解した、押さえきれない喜びを籠めた声だった。

 

『アハハハハハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ‼』

 

 逆さまの道化師を模した姿の魔女は愉悦に満ちた笑い声を上げながら、その場で中空で縦に回ろうと動き出す。

 即ち、逆位置から正位置に。

 ここに来る前にニュゥべえから聞いていた。ワルプルギスの夜が正位置になった時、文明が終わるほどの破壊を(もたら)すと。

 ワルプルギスの夜は自身の持つ最大の力で僕を滅ぼすつもりなのだ。天敵たる僕を完膚なきまでに滅ぼし尽すために。

 

「やめっ……げほッ……」

 

 声すら出なくなった喉からは血の混ざった咳だけが外へ流れた。

 最悪の魔女はそれを見下ろすように頭を上に上げようとして――吹き飛ばされた。

 飛来した何かが着弾した瞬間、爆発を起こし、ワルプルギスの夜の巨体を弾き飛ばしたのだ。

 

「魔力で武器を生み出せない魔法少女だった事をこんなに感謝したのは初めてだわ」

 

 声が聞こえ、辛うじて首を動かして視線を後方に向ける。

 そこにはロケットランチャーを肩に担いだ暁美が姿があった。

 

「暁美……。お前……」

 

「言いたい事は山ほどあると思うけれど、それでも今は」

 

 僕の傍まで来ると、手を差し伸べて言う。

 

「貴方を助けに来たわ」

 

「僕に触れれば、お前のソウルジェムも磨り減る。この距離まで近付いているだけでも激痛が走ってるはず……」

 

 直接、魔法を行使する僕ほどではないだろうが、弱っているとはいえ、否定の魔法によって暁美の命を削ることになる。

 だが、暁美はそんな僕の言葉には耳も貸さずにロケットランチャーを捨て、地面に這い蹲っている僕を無理やり引き擦り起こした。

 

「っぐ……」

 

 予想通り、触れた途端に彼女は苦悶に表情を歪め、小さく(うめ)く。

 

「ほら、だから……」

 

「関係、ないわ……貴方はずっとこの痛みを抱えて戦っていたのでしょう?」

 

 暁美は僕に肩を貸すように抱くと、そのまま、ワルプルギスの夜の元まで跳躍する。

 その間も彼女の左手に付いた紫色に輝く菱形のソウルジェムが端から粒子にとなって天へ上がっていく。

 ソウルジェムに直接来る痛みは、痛覚を遮断しても直接雪崩れ込んでくる。だというのに彼女は弱音一つ吐かずに僕を運び続ける。

 だから、僕はもう彼女に何も言わない。そんな時間はお互いにとって無駄だ。

 最悪の状況を打破する三羽目のツバメが舞い降りた。

 残り寿命はあと数十秒。僕らは標的の眼下に迫る。

 最後の足掻きとばかりにワルプルギスの夜は瓦礫を散弾のように放ってくる。僕に触れた状態では暁美も魔法を使えない。

 

「暁美。僕を投げろっ!」

 

 ほんの一瞬だけ肩を貸す彼女の瞳が僕の瞳と絡み合う。

 すれ違ってばかりの想いが今だけはお互いに届く。

 彼女は迷わず、渾身の力で僕を放り投げた。

 ステッキを掲げた僕は散弾を浮かす魔力を打ち消しながら、ワルプルギの夜へと突貫。

 黒い先端が割れた歯車の隙間に潜り込む。

 

『――――ァア……』

 

 僅かな静寂の後、巨大な魔女は影も残さず、その身を散らした。

 

「さようなら。僕の……僕らの勝ち、だ」

 

 僕は慣性の勢いを殺せぬまま、地面へと転がり、大きな瓦礫に背をぶつけてようやく静止する。

 いつの間にか、身に着けていた衣装は見滝原中学校指定の白い制服へと戻っていた。

 魔法を使った反動だろうか、耳はまだどうにか最低限の機能を残していたが、両目は完全に光を失っていた。もう目蓋を開いているのか、閉じているのかさえ分からない。

 水溜まりを踏む足音が聞こえる。きっと暁美だろう。

 

「政夫」

 

「な、に……?」

 

 喉が潰れたのか、耳がおかしいからか、それとも両方か、自分のものとは思えないほど罅割れた低い声が出た。

 数秒にも満たない逡巡の後に暁美は言い放つ。

 

「私にはもう……貴方なんて要らないわ」

 

 溢れ出しそうな感情を必死で押し留めたような震える台詞。

 

「私にはもう上条君が居る。貴方よりも優しくて、ハンサムで、ずっと私の事を想ってくれる。だから! ……だから、私は貴方が居なくなっても平気よ。……何も、問題は、ないわ……」

 

 振り切るような叫びは、僕への謝罪でも、感謝でもなく、拒絶の言葉。

 あの僕に依存するばかりだった彼女が、今僕と決別しようとしているのが感じ取れた。

 だから、僕はつい口元が綻ぶ。

 暁美が僕のことを考え、自分にできる精一杯をしようとしているのが分かったからだ。

 

「そっか……安心、したぁ……」

 

 遠退く意識の中、複数の足音が近付いてくる。

 魔法少女たちだろう。彼女たちにも世話になった。何か二三言くらい残してあげたいが、全員には無理そうだ。

 ニュゥべえに手筈通り、ソウルジェムを肉体に戻してもらっているだろうか。

 皆、普通の女の子として生きていけるといいな。

 駄目だ。思考が上手く纏まらない。ぼんやりとしてちぐはぐになっていく。

 まどかさんは……どうしているだろうか。起きたら一人になっていてさぞ心細いだろう。

 ああ、会いたいな……彼女の顔を最後にもう一度……………………ま、どか……さん…………………………………――――――――――――――――――――――――――――――――――――――。

 

 

 

 

~ニュゥべえ視点~

 

 

 すべてが終わった。

 この見滝原という街にとっての、魔法少女たちにとっての、ボクにとってのすべて。

 瓦礫に背を預け、政夫は目を見開いたまま、動かない。口元は真っ赤な血で汚れ、微かな息遣い一つ聞こえてこない。

 僕や残りの魔法少女たちが彼の前に来た時、ほむらだけが彼の前に既に居り、顔を押さえて声を押し殺すように泣き崩れていた。

 魔法少女たちは彼女を除いて、目の前に広がる光景に理解が及ばず呆然としている。

 

「嘘だよね……だって、政夫言ってたもんね。皆で生きて帰ろうって……」

 

 瞳に涙を溜めてさやかが声を震わせた。

 

「……美樹さん」

 

 沈痛な表情のマミが彼女の肩に手を乗せると、さやかは振り返って皆に言う。

 

「な、何かの冗談ですよね……? ほら、マミさんも政夫に何か言ってやってくださいよ。こんなところで寝てるなんて……」

 

「夕田君は……もう」

 

 目を伏せて、頬から涙の雫を流すマミだが、さやかはそれに気付かない振りをして政夫の方に歩み寄る。

 

「ほら。起きてよ、政夫。もう皆で帰るよ」

 

 無理をして明るい調子で政夫の肩を揺する。

 

「い、いい加減にしないと、私怒るよ……ホントだよ?」

 

「さやか」

 

 キリカが彼女の傍に近寄って声を掛ける。

 振り向いたさやかはキリカにおどけた風に尋ねた。

 

「呉さん。酷いんですよ、政夫。私の事、無視してるんです。いつだったか、前に怒らせたちゃった時もこんな風に……」

 

「政夫は、死んだんだ……もう政夫の目は覚めないんだよ!」

 

 ボロボロと涙を流してキリカは彼女に決定的な言葉を発した。

 

「嘘、ですよ。だって約束、したんですよ? 呉さんだって聞きましたよね? 皆で生きて帰ろうって」

 

 台詞とは裏腹に溜めきれなくなった涙が決壊して、目の端から流れ落ちる。

 キリカは抑えきれなくなった感情をぶつけるようにさやかを抱き締めた。さやかもそれで残酷な現実をとうとう認めたように声を上げて泣き出した。

 声だけは挙げなかったマミと織莉子も限界だったようで彼女たちの抱き合って泣く姿を見て、同じように(むせ)び泣いた。

 杏子は一緒に来た魅月ショウの胸板に顔を押し付けて、彼の服を落涙で汚した。

 だが、ボクだけは涙を流すことは許されない。やるべきことがまだ残っているからだ。

 泣き出している彼女たちから、人型に戻ってからボクはソウルジェムを奪うように引っ手繰る。

 

「政夫との最後の約束、果たさせてもらうよ」

 

 彼女たちが何かを言う前に、それぞれのソウルジェムを持ち主の胸の中に押し込んでいく。

 聞かれなかったから懇切丁寧に説明はしなかったが、彼女たちは自分の身に何が起きたのか感じ取ったようで、ソウルジェムが消えた胸を触っていた。

 

「これで君らはただの少女だよ」

 

「もしかして、もう魔法少女には……いえ、魔女にはならないの?」

 

「そうだよ。どれだけ絶望してももう君らは人間のまま、変わる事はない」

 

 問いかけたマミに返すが、彼女たちは誰一人喜びを表す者は居なかった。いっそ、あのまま、絶望のあまり魔女化した方が本人たちは幸せだったのかもしれない。

 魔女になれば、何も考えずに済むのだから。

 ボクは空を仰ぎ見る。重厚に立ち込めていた暗雲は切れ間ができ、青空が顔を覗かせていた。

 太陽の光と共に、一匹の獣形態の『ボク』が飛び込んで来るように現れると傍に降り立つ。その背中には桃色の髪の少女が乗っていた。

 彼女は『ボク』の背から降りると、政夫の方へと進む。

 後ろからでは彼女の表情は推し量る事はできなかったが、足取りはしっかりしていた。

 ほむらやさやかたちの間を通り、政夫のすぐ前まで来ると膝を曲げて彼の首に優しく抱き着いた。

 優しく彼の頭を撫でて、囁くようにこう言った。

 

「よく頑張ったね。政夫くん」

 

 その声を聞いた瞬間、ボクは理屈でしか納得できていなかった事実が、すとんとパズルのピースが嵌るように受け入れられた。

 政夫は死んだのだ。ボクの愛した彼はもうどこにも居ないのだと。

 

 この日、夕田政夫はこの世を去った。

 享年十四歳。人類の寿命から見ても短すぎる一生だった。

 




これで書きたい事は大体書けました。あとは多分短いエピローグでも書いて終わりになると思います。


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エピローグ

二日で二話投稿。これでまどかルートは終了です!


~まどか視点~

 

 

 あれから十日間が経った。

 復興のために自衛隊さんたちや工事の人たちがたくさん街に来たりして、色々と騒がしくなっている。

 世間では見滝原市は超大型台風による災害にあったという風に報道されているらしい。国から援助のお金が出ても倒れたビルや壊れた家はすぐには戻らない。

 私たちは今、仮設住宅に住んで暮らしている。後、数か月はこのままの生活が続きそうだとママは嘆いていた。

 ニュゥべえのおかげで街に戻って来た後、避難所に向かった時にはママにもパパにも散々叱られたし、頬っぺたを叩かれたりもしたけれど、「生きていてくれてよかった」と言われた時が一番辛かった。

 本当は……私は政夫くんと一緒に死ぬつもりだったから。

 政夫くんのお父さんは彼を受け取り、最期を聞いた後。

 

「息子らしいね……ありがとう」

 

 そう言って横たわった政夫くんの頭を撫でていた。

 死傷者は政夫くんしかいなかったために大々的なお葬式は行われず、自衛隊の人と共に小さなお葬式をあげただけ。

 ほむらちゃんはそれには出なかったけど、きっとまだ政夫くんのことを引きずっている。

 そういう私も政夫くんの死に納得できているかは分からない。時々、彼が夢に出て枕を濡らす事があるくらい。

 けれど、彼が私のために手に入れた日常を大事にしなきゃって思うから、私は前を向いて頑張って生きてる。

 今日もまた炊き出しのお手伝いをさやかちゃんたちとしている。

 

「はい。どうぞ。熱いから気を付けてください」

 

 三角巾とエプロンを身に付けて、大きな寸胴鍋からお玉で豚汁を掬って列に並んでいる人に渡していく。

 ドジな私は最初の頃こそ、(こぼ)したり火傷したりして失敗してばかりだったけど、今ではそれなりに上手に(よそ)えるようになっていた。

 

「おい。俺のが先に並んでただろ! 横入りすんなよ!」

 

「うるせーな。テメーがちんたらしてんのか悪いんだろうが!」

 

 列の真ん中くらいで男の人の言い争いが聞こえてくる。炊き出しを待つ皆がその人たちに視線を向けるが、誰も仲裁に入ろうとはせず、その人たちも止まらない。

 住む場所や仕事がなくなって、不安で気がピリピリしているのは分かる。そういうイライラが積み重なって爆発したんだと思う。

 

「ごめん、さやかちゃん。ちょっと出て来る」

 

「あ、まどか。ちょっとあんた……」

 

 後ろで調理の後片付けをしていたさやかちゃんに一言謝ってから、三角巾を取って喧嘩をしそうな二人の方へと向かった。

 お互いに胸倉を掴みかかって今にも取っ組み合いを始めそうな人たちに私は勇気を出して言う。

 

「ちゃんと」

 

「あ? 何だよ。ガキ!」

 

「失せろや!」

 

「ちゃんと皆の分、装いますから喧嘩しないでください」

 

 私よりもずっと大きい男の人に睨まれながらも、勇気を出してはっきり言った。

 

「イライラするの、すっごく分かります。家がなくなったり、明日の事とか考えると不安になりますよね? 私もそうです。でも、それで喧嘩をしても痛い思いするだけだと思います」

 

 はっきりと自分の意見を言うのはとても緊張した。一か月前の私なら絶対に震えて見ていただけだと思う。

 でも、それじゃあ駄目だから。

 政夫くんと一緒に居て学んだ事や気付いた事、それを実践しなかったら彼と居た時間が無駄になる。

 それだけは嫌だった。

 

「じゃあ、お前が痛い思いするか!? ああ?」

 

 突然、私みたいな中学生の子が自分たちに文句言って来たせいか、喧嘩をしていた片方の男の人が私に寄ってきて腕を掴んできた。

 (あざ)になりそうなほど強く握られて、私を脅すように大声を出す。

 怖い。でも、もうずっとそれ以上に怖い事は経験してきた。

 殴られても構わない。思っている事を伝えないと昔と何も変わらないままだ。

 

「ここで、喧嘩するのは止めてください。お願いします。皆、怖がってますから」

 

 周囲の人を見る。皆、この身体の大きな人の声と態度に怯えて身を竦ませている姿が映った。

 声には出していないけど、止めてほしいと切実に願っている目があった。

 

「ガキのくせに生意気言ってんじゃねーよぉ!」

 

 男の人の握った拳が私に向けて振り被られた。

 ……殴られる。

 そう思ったその時、その人の肩越しに人影が見えた。

 

「おい。そこまでにしとけよ」

 

「あん?」

 

 男の人の人は振り返ろうとした瞬間、振り被っていた腕を人影が掴んで背中の方に捻じる。

 

「いででで……」

 

 男の人は顔を歪ませて悲鳴を上げると、私の手を掴んでいたその人の力が弛み、解放された私はその場に尻餅を突いた。 

 

「根性ねぇな。この程度で弱音かよ、情けねぇ。俺の知り合いのガキはもっと痛い思いをしても悲鳴一つ上げなかったぜ?」

 

 聞き覚えのある声に私は見上げると、そこには杏子ちゃんのお兄さんのショウさんがつまらなそうな表情で男の人の腕を捻じり上げていた。

 

「そっちのあんたも痛い思い……するかい?」

 

 もう一人の男の人をショウさんが目を細めて、低い声で聞いた。

 男の人はその視線に睨み返すが、ふんと鼻を鳴らして列に並び直す。

 

「ざっけんな、ゴラルァ!」

 

 腕を捻られていた人は怒声を上げて、拘束から逃げようとショウさんを反対側の肘で殴ろうとした。

 危ないと言いかけたその時、ショウさんは無造作に男の人の両足の間に自分の足を差し込んで、それを払う。

 

「おっ……!?」

 

 ぱっとショウさんが捻っていた手を離すと、バランスを崩して男の人は後ろに転んだ。

 そして、後頭部をぶつけて痛そうに押えている、倒れた男の人を覗き込むように見る。

 

「……もっと痛い思いしてぇか?」

 

 目だけ笑っていない獰猛な笑顔を見せて、革靴でその人の顔の横を思い切り踏んだ。

 男の人はすぐに青ざめていく。私は流石にやりすぎだと思って、ショウさんを止めた。

 

「もういいですよ。ショウさん。それくらいにしてあげてください」

 

「まどかは優しいな。ウチの妹とは大違いだ。おら、さっさと起きろ」

 

 起き上がった男の人はよほどショウさんが怖かったみたいで、すぐに走ってその場から去ろうとした。

 私はその人の背中に声を掛ける。

 

「待ってください」

 

 びくっと動いてからその男の人は恐る恐る私の方に振り向いた。

 

「横入りするくらいお腹空いてるんですよね? 豚汁まだありますから、ちゃんと並んでくれたら私装いますよ」

 

 私がそう言うと自分のやった事が恥ずかしくなったのか、そそくさと列へ戻って行く。

 ショウさんはそれを半笑いで見送りながら、ポケットに手を差し込んで言う。

 

「まどかは優しいなぁ。ウチの妹とは……」

 

「ほお。アタシが何だって? 続き言えよ?」

 

 ショウさんの脇から食材の入った段ボールを持って、杏子ちゃんがぬっと顔を出した。

 段ボールから長ネギを一本取り出して、冷たい目でペチペチショウさんの頬っぺたを叩く。

 

「……ウチの妹は超可愛いなと」

 

「嘘吐け! 荷物、アタシに押し付けて走り出したと思ったら、たく」

 

 ショウさんに文句を言った後、杏子ちゃんは私の方に目を向けると心配した顔つきで聞いた。

 

「大丈夫か、まどか。怪我しなかったか?」

 

「うん、大丈夫。ショウさんが助けてくれたから。さっきはどうもありがとうございます、ショウさん」

 

 感謝の気持ちを伝えるとショウさんは軽く人差し指で鼻の下を軽く擦って照れくさそうに笑った。

 

「まあ、大事な妹の友達だからな」

 

「調子いい事言いやがって」

 

 ぶつくさ言いながらもショウさんの言葉に少しだけ嬉しそうにして、そっぽを向いた。

 

「それよりも勇気あるな、まどか。だが、あんまりああいう危ない事すんなよ」

 

「はい。すいません。でも、また必要だったらやっちゃう気がします」

 

 あのままショウさんが来てくれなかったら、私は怪我をしていたかもしれない。でも、やっぱり黙って見過ごす事はできなかったと思う。

 ショウさんはそんな私を見て、呆れたように言葉を零した。

 

「そういうところは政夫に似て……あ」

 

「馬鹿ショウ!」

 

 悪い事言ってしまったと申し訳なそうな表情をするショウさんと、、それに怒る杏子ちゃんに私は首を横に振って答えた。

 

「大丈夫だよ。政夫くんの事はちゃんと乗り越えていくから」

 

 二人は私の顔を見て、そして、視線を逸らしてから杏子ちゃんが小さく言う。

 

「無理、すんなよ」

 

「無理なんかしてないよ。じゃあ、お仕事に戻らないと」

 

 二人に別れを告げた後、私は炊き出しに戻る。案の定、さやかちゃんや仁美ちゃんには危ない事するなと怒られた。

 それからしばらくして、豚汁の配給を終えた後、一旦仮設住宅に戻る途中、数日ぶりにほむらちゃんを見かけた。

 上条君と連れ立って歩いている彼女は私と違って、物資の持ち運びをしているようだった。

 ちらりとほむらちゃんが私の方に顔を向ける。僅かに視線がすれ違い、――そして何事もなかったように視線を戻して上条君との会話に戻る。

 私もそれに何も言わず、反対の方向へ足を動かしていく。

 きっともう、私と彼女は前のように言葉を交わす事はない。

 憎んでる訳でも、恨んでいる訳でもないけれど、それでもほむらちゃんのやった事を許しちゃいけないと思う。

 だから、私たちの道は交わる事はない。

 

 

 

~ニュゥべえ視点~

 

 

 やっぱりまどかとほむらは決別した様子だった。

 ボクは仮設住宅の屋根の上からそれを眺めて、地面へと飛び降りる。

 どうでもいい事だ。少なくとも当人同士が納得しているなら第三者が物申すべきではない。

 地面を歩くと、上からぽつりと小さな水滴が落ちて来た。

 上を見上げるとしとしとと小雨が降り注いでくる。

 今は魔法少女形態でよかった。四足歩行だと手足が汚れてしまう。

 もっとも今日もまた、日が落ちる頃に魔女退治を始めなくてはいけないので、どの道服は多少汚れるだろう。

 軽く周囲を見回して魔女に魅入られた人間が居ないか調べていると、後ろから声を掛けられた。

 

「あら、ニュゥべえ。雨の中なのに魔女退治のためのパトロール? 精が出るわね」

 

 視線を後ろに向ければ、マミとそれに織莉子とキリカがビニール傘を差して立っていた。

 珍しい組み合わせ、ではない。最近だとこの三人はよく見かける。

 

「そうだね。それがボクの役目だからね」

 

「感情エネルギーを自分たちで生み出せるようになったから魔女はもう要らないって訳ね」

 

 皮肉気な織莉子の言葉がボクに飛ばされるが、それを気に病むほど繊細でない。現存するすべての魔法少女のソウルジェムを戻した今でもボクに悪感情を懐いている元・魔法少女は五万といる。

 

「ちょっと美国さん、そんな言い方……」

 

「いいんだよ、マミ。事実、その通りだからね」

 

 マミが織莉子を咎めるように口を出すが、僕は首を緩く左右に振った。

 

「ボクはね、今途方もない感情エネルギーを自分で発生できるようになったんだ。何故なら、ボクは……いや、ボクらは今途方もなく絶望しているからね」

 

「絶望……? どうして?」

 

「政夫が死んだからだろう?」

 

 マミが尋ねた問いにボクより先にキリカが沈んだ答えた。

 恐らく、ボクの懐いているものに一番近い想いを懐いているキリカなら言わなくても解るのだろう。

 一つ頷いてから話し始める。

 

「ボクは元々、政夫のためだけに魔法少女システムに介入した。政夫を守りたかったから、少しでも政夫の助けになりたかったから。でも、彼の死んだ今、存在理由を失ったと言ってもいい」

 

 絶望して魔女になるという魔法少女システムはある意味に置いて、慈悲深かったのかもしれない。

 これほどまでに絶望しても、意識を保っていなければならないというのは拷問に等しい。

 

「それでも、ボクらは彼が守ったものを守り続けないければならない。きっと、彼ならそれを望むだろうから」

 

 だから、ボクはこの感情エネルギーを宇宙に注ぎ続ける。

 この最高に無意味な宇宙を存続させるために。

 

「……ニュゥべえ」

 

「ボクは君らが羨ましいよ。あと、百年もしないで政夫の居ない世界から消える事のできる君らが」

 

 無駄な話を聞かせてしまった。ひょっとしたら誰かに聞いてほしかったのかもしれない。

 ボクは三人から目を逸らすと、この世界を守るために残った魔女を排除するために動き出す。

 けれど構わない。この胸に宿る絶望が彼の残したものを守れるのなら本望だ。

 きっとボクはいつまでも生き続けよう。この無意味な世界で。

 

 

 

 *******

 

 

 ここはどこだろうか。

 妙な浮遊感を感じながら、僕は目を開く。

 視界には真っ暗な背景に光る小さな天体がいくつも映り込む。

 夜空の星……? いや、これは宇宙空間だろうか。

 そこで僕は気付く。失ったはずの視力が元に戻っていることに。

 

『気が付いたの 政夫くん』

 

 まどかさんの声が聞こえ、思わずそちらを見る。

 だが、そこに居たのは僕の知るまどかさんではなかった。

 ピンク色の長い髪を垂らし、黄金色の瞳を持った白いドレスのような衣装を着た少女。

 顔立ちはまどかさんに似ているが、顔付きは別人と言ってもいいほど違っていた。

 溢れるばかりの絶対者が持つ余裕と、神々しさが表情から感じ取れる。格好だけではなく、雰囲気からも浮世離れしたものが伝わってきた。

 

 ――あなたは誰ですか?

 

 僕が尋ねると、そのまどかさんに少しだけ似た少女は困ったように微笑んだ。

 

『私は鹿目まどかだよ』

 

 その答えに僕は思考を巡らせた後に一つの可能性に思い至る。

 前に暁美が居た並行世界の内のどれかで魔法少女になってしまった『鹿目まどか』だろうか。

 しかし、確かそのどれもが魔女になって暴れ回ったとも聞いた。

 ならば、目の前のこの人物は一体……。

 

『政夫くんの考えは半分当たりで、半分外れ。私は時間軸の世界の……政夫くんと出会ったほむらちゃんとは別のほむらちゃんが居る世界で自分なりの答えを見つけて魔法少女になった鹿目まどか』

 

 僕が知る暁美とは別の『暁美ほむら』? どういう事だ?

 暁美自身は世界を越えても同じ記憶と精神が上書きされるのではなかったのか。

 目の前の人物が嘘を吐いている可能性もあるが、その嘘を吐く理由がまるで見当たらない。

 そもそも僕は死んだはずだ。ここに存在していること自体が既におかしい。

 僕が考え込んでいると、彼女は少しだけ申し訳なさそうに言った。

 

『混乱させてごめんね。簡単に言うと政夫くんの居た時間軸って本当は存在しなかったの。でも、私が魔法少女になった後にちょっとだけ弄って作った世界なんだ』

 

 彼女は僕に語った。

 自分がただの少女だった世界で起きた出来事を。自分が一介の魔法少女を超え、神と呼ばれる存在にまで昇華したことを。

 

『政夫くんの事を知ったのは私が神様になった後だった。色んな世界の私が魔女になって全てを天国に呑み込む最中、君だけが最後まで天国が見せる心地いい世界に抗ってた。だから、その時思ったの』

 

 神々しさの中に初々しい少女のような淡い感情を織り交ぜて言う。

 

『もしもこの男の子が私の近くに居たら、私は神様にならなかったんじゃないかって』

 

 ――だから、僕を渦中に入れるように仕向けたということ?

 

『う、うーん。その言い方だと私が凄い悪い事をしたみたいに聞こえるね。まあ、そう言われても仕方ないか。でも、私の思った通り、政夫くんは神様なんて居なくても見滝原を救ってくれた』

 

 少し困ったような表情は僕の愛した人に似ていて、ちょっとだけおかしかった。

 

 ――いや、僕はあなたに感謝しているよ。おかげで大切な人ができた。大事なことを知れた。

 

『そう言ってくれると嬉しいな。それで、政夫くんに会いに来たのはお詫びとお礼のためなの』

 

 ――お詫び? お礼?

 

 僕が問い返すと、彼女は頷いた。

 

『うん。政夫くんだけは生きている間に幸せになれなかったから。だから、せめて私の作る魔法少女の世界に来てくれないかなって』

 

 彼女の話によれば、自身が神になった後、魔女になる前の魔法少女のソウルジェムを回収して、自分が作り出した世界に連れて行っているということだそうだ。

 魂がソウルジェムになった僕も、魔法少女と同じ扱いでそこに連れて行けるのだと言う。

 そこで僕は目の前の彼女の決定的な勘違いに気付いた。

 

 ――二つほど勘違いをしているようだから言っておくよ。一つは僕は幸福になれなかった訳じゃない。後悔も絶望もあるけれど、それでも自分の意志で胸を張って絶望して死んだんだ。これ以上のものは要らない。

 

 ――そして、二つ目はあなたにお礼をされる謂れはない。僕が戦ったのはまどかさんのためだよ。あなたのためじゃない。

 

『……私も鹿目まどかだよ』

 

 ――かもしれない。でも、『僕の恋した鹿目まどか』はあなたじゃない。

 

『私があなたと一緒に居たまどかの記憶を持っていても?』

 

 ああ。やはり分かっていないのだ。彼女も。

 だから、神様などになってしまったのだろう。

 

 ――僕の好きな彼女はね。人間なんだ。失敗もするし、間違いだってする。でも、だからこそ、僕は彼女がまっすぐ生きようとする姿勢に恋をしたんだ。

 

 僕の知る『鹿目まどか』よりも目の前に居る神様の方が神々しくて、ずっと立派だ。

 けれど、僕の知る『まどかさん』の方が何百倍も素敵だ。

 

 ――悪いけど、あなたが言う幸せは僕には要らないよ。

 

『でも、このままだと政夫くんの魂は完全に消えてしまうんだよ?』

 

 ――それのどこが悪いの?

 

 普通の人間は死ねば、普通に消える。それでいい。それが当たり前だ。

 天国も、神様も、ただの人間には必要のないものだ。

 少なくても僕は要らない。欲しくない。

 

『……本当は私の方が政夫くんに来てほしかったんだ』

 

 悲し気な口調で彼女は僕に言った。

 

『政夫くんの事を一番最初に好きになった鹿目まどかは、私だよ。私が政夫くんの心を、生き方を好きになったから、見滝原市に来る世界を作ったの』

 

 それは愛の告白だった。

 けれど、それも『僕』へのものではない。

 

 ――あなたが最初に好きになった『夕田政夫』は僕じゃない。この意味が分からないのならやっぱりあなたは僕が好きになった『まどかさん』じゃないよ。

 

 彼女が好きになった『夕田政夫』は滅んだ世界の僕だ。ここに居る僕ではない。

 一か月間だけとはいえ、違うものを見て、聞いて、学んだ人間を何もかもが同じに思えるというのなら、それはもう血の通った人間の考え方ではない。

 それはもう神の視点での見方だ。対等な目線ではなく、遠くから小さなものを大雑把に眺めるようなもの。

  

『そっか。振られちゃった。じゃあ本当に来てくれないんだね』

 

 未練の残った声で尋ねてくるが、僕の答えは何一つ変わらない。

 

 ――魔法少女の世界は魔法少女だけで住めばいい。生憎と僕は普通の人間だからね。

 

 名残惜しそうな眼差しを僕に向けていた彼女だったが、やがて諦めたように背を向けた。

 

『じゃあ、私はもう行くよ。実はこれから私の友達を迎えに行くところだったんだ』

 

 友達か。人間の重要なミクロの部分をマクロな視点でしか見れなくなってしまった彼女に果たしてその友達がちゃんと見られているのだろうか。

 いや、よそう。これは僕には関係のないことだ。

 

『さようなら。政夫くん』

 

 ――さようなら。どこかの世界の女神様。

 

 別れの挨拶をして僕は自分が完全に消滅していくのを感じていた。

 これでいい。やるだけのことはやった。最後にまどかさんの顔が見られなかったのが心残りだが、十分だ。

 そして、僕は今度こそ意識を手放した。

 

 

 




長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
これでまどかifルートは完結です。もっとも、私的にはこちらが正史なのですが、どちらが正史かは読者の皆様にお任せします。

では、次は『崩壊の物語』でお会いしましょう。


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完結記念特別編 入れ替わる青と紫 前編

 -―ピーンポーン。

 来訪を知らせるチャイム音がリビングに響く。

 ああ、もう来たのか。壁に掛けられたアナログ時計を見れば、一時を指し示している。

 僕は玄関の方へ向かい、ドアを開いた。

 外には見慣れた女の子が立っている。

 一人は人懐っこい笑顔、もう一人はむっつりとした無表情。クラスメイトであり、友達でもある暁美と美樹だ。

 

「ほむらさんに美樹さん、こんにちは。まあ、取りあえず、上がってよ」

 

 僕がそう言って迎えて、来客用のスリッパを渡すと彼女たちはそれに履き替えて、家に上がり込む。

 

「おっ邪魔っしまーす」

 

 陽気な口調で『暁美』が言う。

 

「失礼するわ」

 

 落ち着いた口調で『美樹』が言う。

 事前に何が起きたのか聞いている僕でさえ、彼女たちの態度に途轍もない違和感は拭えなかった。

 思わず、彼女たちの顔をまじまじと眺めていると、視線に気付いた『暁美』が悪戯っぽく笑う。

 

「あれあれ、どうしたのー?。政夫。まさか、私の美貌に見惚れちゃった?」

 

 すると、隣で自分の靴を揃えていた『美樹』が呆れたように言う。

 

「『貴女の顔』じゃないわ、さやか。それは私の身体なんだから」

 

 僅かに不機嫌さを含んで『美樹』は水色のショートカットヘアを掻き上げる。それはいつも暁美がやっている仕草だったが、今の冷めた表情の『美樹』には妙に様になっていた。

 

「今は私の身体なんだからいいでしょ。ほらほら、政夫見て。私、暁美ほむらでっす!」

 

 玄関先でくるっと一回転して、ふざけたように立てた二本指を自分の片目に当て、茶目っ気のあるポーズを取る『暁美』。ちょうどプリクラでも撮るような馬鹿っぽいウインクまでしている。

 

「止めなさい、さやか。私の身体で頭の悪そうな事しないで」

 

 怒る『美樹』にそれを見て、キャーとからかうように僕の後ろに隠れる『暁美』。

 そう。現在、彼女たち二人の中身は入れ替わっていた。

 こうなった原因は昨日の金曜日の夜にまで(さかのぼ)る。

 

 昨日の夜、学校の帰りに巴さんたち魔法少女一行は日課の魔女退治のためにパトロールに出かけていた。

 巴さんに聞いたのだが、その日は一塊になって魔女の捜索に当たっていたところ、ちょうど街外れの公園にて、魔女の結界を見つけて襲撃をしたらしい。

 結界の最深部に居た魔女は奇妙な少女のオブジェを二つくっ付けたようなデフォルメされたシャム双生児のような姿をしていた。

 その魔女は六人もの魔法少女を前に圧倒的戦力差を感じたらしく、すぐに結界を消して逃げ出そうとした。すぐに戦闘に移ろうとした一行だが、その際、僅かな隙を突いて魔女は暁美と美樹の両名にひも状の触手を伸ばし、二人のソウルジェムに何かをしたそうだ。

 その後、突如、二人は気を失い、巴さんたちは大事を取って、魔女の追跡を中断。巴さんの家まで気絶した二人を運んだところ、目を覚ました時には二人の意識は入れ替わっていた。

 全て聞いた話なのでひょっとしたら実際の状況とは細部に違いはあるかもしれないが、概ねこんな感じのことらしい。

 魔法少女たちは知恵を借りるために元インキュベーターだったニュゥべえに相談すると、

 

「魔女を倒せば恐らくは入れ替わった魂は元に戻るはずだよ。ただ、それまでに別の肉体に入れられた魂は安定しないから安心できる場所で休ませた方がいいだろうね。肉体と魂の齟齬が自我に多大な負荷を掛けるはずだから」

 

 とのことだったため、二人はなぜか土日の二日間僕の家に滞在することに決まっていた。

 僕の知らないところで、僕の知る由もないところで!

 勝手に話が進められ、僕に情報が回ってきたのはつい数時間前の話だった。

 

「あのさ、今更だけど何で僕の家に泊まるって話になったの?」

 

「貴方のインキュベーターが一番心の落ち着ける場所と言ったからよ」

 

「それに休みの間だと、ウチには親居るし、怪しまれるじゃん」

 

 美樹(あけみ)暁美(みき)が口々にに答える。

 だが、それは僕の質問の答えになってるようで、なっていなかった。

 

「僕の家以外にも落ち着ける場所くらいあるでしょ、ほら」

 

「ないわ」「ないよ」

 

 二人して被せるようにほぼ同時に返答する。こういう時だけ、足並みが揃っている辺りがムカつく。

 しかし、まあ僕もニュゥべえから、事情を全て知った上で不測の事態に対応できる人間は君くらいだからと言われいたので仕方ないと、既に現状を諦めていた。ちなみにいうと、ニュゥべえは魔女の捜索に手伝うために今は外出している。

 

「それにしても僕の父さんが居たらどうするつもりだったの?」

 

「だって、ほむらが政夫の親なら今週の土日居ないって言ってたから」

 

 暁美(みき)の言葉に僕は美樹(あけみ)を睨む。

 確かに今日と明日、僕の父は知り合いの法事のために見滝原を出ており、帰って来るのは明日の夜だと聞いている。

 だが、それを誰かに伝えた記憶はない。ましてや、暁美がそれを知る由もないはずだ。

 僕の家の庭くらいの位置で耳を澄ませて、僕と父さんの話を聞いていなければ、の話だが。

 

「ほむらさん……君、家の近くまで来て、あの時盗み聞きしてたな?」

 

「……今の私は美樹さやかだから」

 

 そっと目を逸らして誤魔化す美樹(あけみ)。プライベートを土足で荒らしまわるこの女は、こんな自体にならなくても休日に僕の家に押し掛ける算段だったらしい。

 

「まあまあ、立ち話も何だからさ、取りあえず政夫の部屋にでも行こうよ」

 

 暁美(みき)がそう言って話の流れを強引に変える。

 僕としても異存はないが、その台詞は客が言っていい台詞ではない。

 その上に普段、低い声で話す暁美が高めの可愛らしい声で喋るので、その都度背中に鳥肌が立ちそうなほどの気色悪さを感じる。

 

「ほむらさんが陽気な声で喋ると何か気持ち悪いね」

 

「うん。私も自分で喋ってるとすごく変な気分になる」

 

「え?」

 

 若干、美樹(あけみ)が心外そうな顔をしたが、僕らはそれに取り合わず、僕の自室へと二人を招き入れた。

 部屋に入るや否や、自分の指定席とばかりに美樹(あけみ)は僕のベッドに腰掛ける。

 こういう著しく、社会的常識のしている行動を見ると、やはりこちらの方が本来の暁美なのだと悲しい納得をしてしまう。

 

「座布団でも出すよ」

 

「あ。ありがと、政夫」

 

「私は要らないわ」

 

「だろうね……」

 

 僕は押し入れから青い座布団を一つ取り出して、暁美(みき)に渡すと、それに腰を下ろして座る。

 僕も机の傍にある椅子へと腰を下ろすと、二人を改めて眺めた。

 明るくなった暁美と、冷徹な表情の美樹。本当に正反対な二人が入れ替わったと思い知らされる。

 

「それで二人とも体調の方は平気なの?」

 

 一応、一晩経っているので身体の方には何か異変はないかと尋ねてみた。

 暁美(みき)はそれに頷く。

 

「うん、私は平気。ただ……」

 

「ただ?」

 

「動くと胸の辺りが凄いスカスカする」

 

 薄紫色のワンピースの胸元を自分でぺたぺたと触り、苦笑い気味にそう話す。

 酷いことを言うなとは思ったものの、多分身長以上に二人のサイズ差があるところだから、一番気になる部分かもしれない。

 当然、彼女の胸元スカスカ発言に美樹(あけみ)は口元を引きつらせて、怒気を露わにした。

 

「何を言っているの? ふざけて言っているなら許さないわ」

 

「いや、ふざけてる訳じゃないんだけど……身体動かしてて違和感があるっていうか。ブラもAAA(トリプルエー)カップとかいう見た事ない……」

 

 ベッドから腰を離した美樹(あけみ)が彼女に拳を振り上げたところで、僕はどうどうと宥める。

 この話題はデリケートなので細心の注意が必要だ。これ以上続けると美樹(あけみ)が何をしでかすか分からないので話題を逸らす。

 

「ほむらさんの方は? 何かある?」

 

「今のところは……ああでも、この身体、無駄(・・)に脂肪が付いているから動き辛いわね」

 

「こらこら。喧嘩しない。どの道、巴さんたちが件の魔女を倒すまでは入れ替わったままなんだから、しばらくは仲良く頼むよ」

 

 当てつけを言う美樹(あけみ)にそう言って(たしな)めたが、それでも何だかんだ言って、巴さんたちは有能だ。しばらくとは言ったが、早ければ今日中には終わるかもしれない。

 それまでこの二人の面倒を見なければいけないが、小学生でもあるまいし、そこまで手間もかからないだろう。

 

 ……そう思っていられたのはそこから約四十秒ほどの短い時間だけだった。

 

「それにしても政夫の部屋って初めて来たよ。恭介の部屋は上がった事あるけど、中学に入ってからはほとんどなかったし……どれどれ、ベッドの下にはえっちな本とかは」

 

 無断で他人のベッドの下を物色しようとする暁美(みき)

 

「そこには特に雑誌の類は入っていないわよ。それより、政夫。何か飲み物を出してくれないかしら。紅茶はマミのところでよく飲まされるからコーヒーがいいわね。砂糖とミルクは要らないわ」

 

 偉そうにベッドに腰掛け、踏ん反り返って、遠慮なく人に飲み物を要求する美樹(あけみ)

 やっぱり追い出そうかと本気で考えたが、その場合このマナーも知らないボケナス二名を鹿目さん家に押し付けることになってしまう。

 それは流石に頂けない。この傍迷惑な奴に彼女の平穏な休日が蹂躙されてしまう……。

 額に青筋が浮かびそうになるのを僕は堪え、暁美(みき)に部屋を勝手に漁るなと注意をしてから、二人にコーヒーを出すためにキッチンへと向かった。

 内心、醤油でも温めて出してやろうかと半ば本気で思ったが、万が一、口に含んでから吐き出された場合、部屋が醤油で汚される未来を想像し、止めた。

 電気ケトルでお湯を沸かし、インスタントのコーヒーをマグカップに注ぐ。

 美樹(あけみ)の方は要らないと言っていたが、暁美(みき)の方はどれだけ砂糖やミルクを入れるか分からなかったので、シュガースティックとコーヒーフレッシュをいくつか載せた小さな籠をマグカップ三つと共にお盆に置いた。

 それを持って自室へと戻ると、両名は僕の衣装ケースからトランクスパンツを何枚か床に広げてじっくりと観察をしていた。

 

「……おい、馬鹿ども。……そこで何をしている?」

 

 ドスの利いた低いトーンの声で尋ねると、二人は急に弁解をし始める。

 

「ちが、いやあ、ほら。その、たまたま服がケースからはみ出てて。せっかくだから、泊めてもらうお礼に綺麗に畳んで整頓してあげようとおもって、ね?」

 

 暁美(みき)美樹(あけみ)に同意を求めるような目で見る。

 

「ええ、そうよ。だから一度、全部取り出してから整理しようとしていたのよ。決して好奇心からの行動ではないわ」

 

 絶対に嘘だ。こいつらにそんな殊勝な精神は芽生えない。

 何より百歩譲って真実だとして、それで友達とはいえ、勝手に異性の下着に触れていいことにはならない。

 ゴミでも眺める目でしばらく見下ろしていると、彼女たちはそそくさと僕の下着をケースへと畳んで戻していく。

 ……一応、後で何枚かなくなっていないかチェックしよう。

 ぞんざいにお盆を床の上に置くと、マグカップをそれぞれに無言で手渡す。

 二人ともバツが悪そうに視線を彷徨わせていたものの、渡されたカップを受け取り、口を付けた。

 

「まあ、取りあえず、少しの間だけだと思うけど、大人しくしてね」

 

「うん」「ええ」

 

 本当に信用していいのだろうかと思いつつ、僕も自分の分のコーヒーにシュガースティックとコーヒーフレッシュを混ぜてから口に含む。

 どうにも疲れる休日になりそうだ。

 




長くなりそうなので、ここら辺で一旦区切ります。


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完結記念特別編 入れ替わる青と紫 中編

「そら、ほっ、はっ」

 

「甘いわね」

 

「それはどうかな?」

 

 夕食後、僕たちはリビングにあるTVゲームに勤しんでいた。

 やっているのはそこそこ有名なレースゲーム。液晶画面には三名のキャラクターがそれぞれ乗用車に乗って曲がりくねったコースを疾走している。

 暁美(みき)は車体が左右に動かすたび、コントローラーを握った身体も一緒に動いてしまっている。幼い子がよくやる癖の一つだが、やはり暁美の見た目をしているせいで横から見ていてすごく違和感がある。

 一方、美樹(あけみ)の方は淡々とやりつつ、華麗にコース内に設置されているアイテムを取り逃していた。冷静に振る舞っても、厚くなって視界が狭まっている辺り、やっぱり暁美らしかった。

 当然、ゲームの持ち主である僕は彼女たち二人よりも熟知しているため、余裕で一周以上の差を付けて何度も勝利を重ねていた。

 初心者相手に大人げないと言えるが、手加減しなくていいと言ったのは彼女たちなので僕も一切容赦はしない。

 

「バナナ!? 政夫のバナナが私に」

 

「くっ、せっかく赤甲羅が出たのに……政夫のバナナでいってしまうわ……」

 

「……いや、何で二人とも僕のバナナって部分強調するの?」

 

 コースの大幅ショートカットを決めて、僕のキャラクターが一位でゴール。その後、二週ほど遅れて美樹(あけみ)、逆転しようとしてコースアウトを連発した暁美(みき)のキャラクターがNPCにすら抜かれて最下位でようやくゴールイン。

 画面ではマンマミーアとテンションの高いボイスを上げ、僕の操作する赤い帽子の髭おじさんが勝利のポーズを決めていた。

 

「さて、三人の内、一番順位が下だった人が夕食を作るって話だったけど……どうする?」

 

 曲りなりにも、客として来た相手に一人で夕食の支度をさせるのは非常識なので、手伝おうかというニュアンスを込めて暁美(みき)に尋ねたが、彼女はむしろ妙に張り切って答えて見せた。

 

「ふっ、任せて。私、こう見えて料理とか意外にできるから」

 

 自信気な表情を浮かべた暁美(みき)にいつもの五割増しで不安を覚えたが、隣に居た美樹(あけみ)は我関せずとばかりに髪を弄っている。

 本当に大丈夫なのだろうか。自分とは別の肉体で使い勝手も違うだろうに。

 不安を懐いた僕を余所に彼女は意気揚々とキッチンに向かい、調理の準備を行うために冷蔵庫の中身を物色し始めた。

 夕田家はそれなりに食材は備蓄している方だと自負しているが、足りないものがあれば買い物にも付き合う必要があるかもしれない。

 そう思い、僕もキッチンの方へ向かうと立ち上がるが、服の袖を引っ張られた。

 目をやれば美樹(あけみ)が僕の服の袖を座ったまま摘まんでくいくい引いている。

 

「放っておきなさい。自分で言い出した事なのだから。それより、政夫……この恋愛趣味レーションっていうゲームをやってみたいわ。特にこのパッケージに描かれているこの女の子。私に似ているからこの子を攻略していってほしいわね」

 

 やってみたいという割りに僕にプレイさせる気満々なこいつはスターリン君から借りたエロゲーを一緒にやって以来、自分に似た容姿のキャラを攻略させるという謎の遊び方に嵌っていた。

 

「君のギャルゲーの楽しみ方は新し過ぎて着いて行けないよ……」

 

「ほら、早く」

 

 はいはいと大人しく従い、パッケージを受け取り、その中からソフトを取り出してゲーム機に挿入する。

 キッチンの方は心配だが、それはそれとして美樹(あけみ)の方を一人放置するのもどうかと思い、彼女の方とゲームを続けることにした。

 前にやったセーブデータの真下に新たなセーブファイルを作り、ゲームを始める。隣の美樹(あけみ)は正座をしているが、やや身体を前に乗り出して画面を見ていた。

 その少しガサツな仕草が本物の美樹のようで微笑ましくクスっと小さな笑みが漏れる。

 

「何かその仕草、本当に美樹さんみたいだね」

 

「え? そう、かしら……」

 

 自覚がないようで、彼女は首を傾げた。

 それだけなら僕も気にも留めなかっただろう。

 しかし、次の美樹(あけみ)の一言に言い知れぬ危機感を懐いた。

 

「普段の私ってどういう風にしてたんだっけ?」

 

 口調や声のトーンまでも美樹そのもののような台詞に、僕はゲーム画面から目を離し、彼女を凝視する。

 ぼんやりとした瞳で液晶画面からの光を受け止めていた美樹(あけみ)はどこか虚ろに見えた。

 

美樹(ほむら)さん? ……大丈夫?」

 

「………………」

 

 不安を覚え、声を掛けてみるが返答がなく、うわの空で画面を見つめている。

 

美樹(ほむら)さん!」

 

「え……ああ、私? 大丈夫よ、ええ」

 

 再度声を大きくして、ようやく反応を返すが、様子がおかしいのは明白だった。

 聞こえていなかったというよりは、自分のことを呼ばれているのか分からなかったような態度。

 不自然な彼女の様子に理由を尋ねようとした時、キッチンの方で食器が割れるような音が聞こえた。

 

暁美(みき)さん! どうしたの!?」

 

 コントローラーを床に置いて、キッチンに急いで向かうと、そこには割れて散乱した皿らしき食器の破片と呆けたようにしゃがみ込む暁美(みき)の姿があった。

 彼女もまた先ほどの美樹(あけみ)と同じように自分の名前を呼ばれているのか分からないといった表情を貼り付けている。

 これは……まずいな。うまく説明はできないが、非常に嫌な予感をひしひしと感じる。

 とにかく、僕は彼女に手を貸して立たせてあげると、ざっと割れた食器の破片を纏めて適当なビニール袋に詰めた。

 

「怪我はない? 指とか切ったりしてたりは?」

 

「え、ええ。大丈夫よ、政夫」

 

「……!」

 

 今の口調、明らかに暁美が普段使うような少しトーンの低いものだった。

 僕は暁美(みき)の手を引いて彼女をリビングの方に連れて行き、ソファに座らせてから携帯を操作して巴さんに連絡をする。

 だが電話が通話状態になるその直前に頭の中にニュゥべえの声が響き渡る。

 

『聞こえるかい? 政夫』

 

「ニュゥべえ!? そうだ。今、二人の様子が……」

 

『分かってるよ。ちょうどそれを伝えに来たんだ』

 

 ニュゥべえの話によれば、人間の肉体と魂はそれぞれ一括りで活動しているものであり、魔法少女システムは魂をソウルジェムという形に分けることで魔力、即ち感情エネルギーを外部に物質化させている。

 だが、今回はそのソウルジェムが本来の肉体ではなく、別の人間の肉体に入れられている極めてイレギュラーな状況が起きた。その結果、肉体側の脳にある記憶とソウルジェムに記憶の齟齬が発生した。

 そして現在、彼女たちはソウルジェムにある記憶が別の身体の記憶と混線し、ソウルジェム側の自我が徐々に肉体側に引きずられ、自我意識が不安定な状態になっているのだという。

 そこまで話を聞き、僕はなぜニュゥべえがそこまで彼女たちの状況を理解しているのか、疑問に思った。

 そして、すぐ最悪の予想を脳裏に浮かべた。

 

「……ニュゥべえ。巴さんたちは?」

 

『その質問をするって事は政夫にも予想が付いているんじゃないのかい? 彼女たちもほむらたちと同じようにソウルジェムと肉体を入れ替えられてしまったよ。さらに付け加えるなら、こっちの四人の方が進行が速い。……恐らく、入れ替えられた回数が多いせいだろうね』

 

 予想は的中した。四人とも僕の家に居る美樹(あけみ)たちとのようにソウルジェムを入れ替えられ、既に自我が不安定なところまで進行している。

 いつの間にか染み出ていた冷汗が頬を伝って顎まで流れた。

 

「巴さんたちはどうなっているの?」

 

『ソウルジェムを入れ替えられて自我が不安定になってからはボクがどうにか誘導して、魔女の結界からは連れ出したよ。何だがぼんやりしているからマミの家まで送るつもりだよ』

 

 とにかく、魔女の結界から離脱したことを確認できると僕は少しだけほっとした。

 そんな状態なら魔女退治どころの話ではない。現状はこちらの二人と同様に魔法もまともに使えないだろう。

 次に聞くべきは……。

 

「魔女の方は?」

 

『逃げられた、というよりも一旦、どこかへ向かったように思えたよ。急に現れたかと思えば皆のソウルジェムを入れ替えてすぐに姿を消したんだ』

 

 するとその「入れ替えの魔女」には何らかの行動ルーチンがあるのか。

 魔法少女たちのソウルジェムだけ入れ替えて何を企んでいる? ただ逃げるにしては随分と手間を掛けているが、さりとて追い打ちを仕掛ける訳でもない。

 ならば、その意味とは一体――?

 

 

~■■■視点~

 

 

 何だろう? すごく頭がぼうっとする。

 目蓋が重い。意識が緩やかに(とろ)けていくような眠気が私を襲う。

 その内、すとんと落ちるように意識が途切れた。

 

 ふと気が付くと私はどこかに座っていた。

 いや、「どこか」じゃない。ここは……病院だ。

 あれ? 何で病院に居るんだっけ? 疑問を浮かべるがその答えはすぐに『思い出せた』。

 入院していたんだ。生まれつき心臓が弱くて、身体が弱かったら小学校もあまり通えずに中学に上がって、それで――。

 視界に映る景色が急にがらりと変わり、私は見滝原中学校の廊下を歩いていた。

 そうだ。両親の仕事の都合で東京から引っ越しを機に転校する事になって……あれ? じゃあお父さんとお母さんは……確か、そう。東京での仕事の引継ぎが上手くいかなくて、『私』だけ先に群馬の見滝原市に来たんだ。

 友達ができるか不安でそんな時に現れたのが……「まどか」。

 その途端に隣にまどかの姿が現れて、当然のように『私』に楽しそうに話しながら歩いている。

 それから、そう『魔法少女』だ。

 まどかが魔法少女だと知って、でもまどかは見滝原を守るために死んでしまって。だから、キュゥべえと契約して『私』も魔法少女に。

 目の前の映像が映画のカットシーンのように連続で映っては切り替わりを繰り返す。

 辛い。とても辛い嫌な記憶の連続。まどかを助けようとして、失敗して、そして時間を戻してやり直す。

 苦しみと後悔だけを募らせながら、ゴールの見つからない見飽きた迷路を『私』は歩き続ける。

 誰か助けて。そんな言葉も言い出す気持ちも削れて、薄れていって、『私』は誓う。もう誰も信じない、と。

 そこまで『思い出して』、断片的に早回しで見せられる映像はぴたりと止まる。

 映ったのはまた見滝原中の廊下と、黒い髪の男の子。名前は――そうだ、政夫。夕田政夫。

 映像が再び、動き出すが視界に映る景色はさっきまでと違い、楽しくて、安らぎがあって、何より幸せだった。

 政夫と出会って、『私』は誰かを信じる事を知った。誰かに頼ってもいいと教えてもらった。

 誰よりも大切で、頼りになる、『私』を暗闇から救い出してくれた……愛しい人。

 ああ。そっか、『私』は大好きなんだ。政夫の事。だから、誰かに渡したくないんだ。

 だって、彼の差し伸べてくれる手が自分以外に向けられるのが嫌で嫌で仕方ないんだから。

 

 

~●●●視点~

 

 

 思考がどうにも回らない。意識が鈍化して、世界が自分と遠く感じられる。

 何をしていたのかもあいまいになる。何日も徹夜を続けたような、それでいたふわふわとした浮遊感のある気分。

 強烈な睡魔が私の意識を根こそぎ、奪い取る。それに抗おうという気すら起きず、私は睡眠欲に身を委ねた。

 

 何気なく、視線を上げれば『私』はどこかに座っていた。

 隣には着飾った『私』の両親が前方を同じように眺めて腰掛けている。

 『思い出した』。ここはバイオリンの演奏会。

 ちょうど目の前の舞台には小学生くらいの薄い灰色の髪の少年が黒いタキシードを着て、バイオリンを奏でている。名前は恭介。上条恭介。

 『私』の幼馴染で、バイオリンが好きな初恋の人。

 ここでバイオリンの音色を響かせる彼に、『私』は恋をした。

 そこまで『思い出した』ところで、視界の映像が切り替わる。

 今度は病院に向かって、浮かれた『私』が走っている。見滝原中学校指定の鞄には帰り道で買ったバイオリンの楽曲が入ったCD。

 左手を怪我した恭介に聞かせるために。少しでも彼に元気を出してもらうために。

 『私』はほぼ毎日、彼の病室まで通っていた。

 その日も良かれと思って恭介の気に入りそうなCDを聞かせてあげようと訪れ……残酷な失恋の知らせを聞いた。

 いつもよりも明るく浮かれて話す恭介は『私』に言った。好きな人ができたと。

 左手の怪我から塞ぎ込みがちだった彼はまるでそんな事を忘れてしまったように嬉しそうに話すのだ。

 恭介が自分から離れて行く事が耐えられないくらいに苦しかった。やめてと、聞きたくないと叫ぶ事ができたのならどれだけ楽だっただろう。『私』は必至で笑顔を取り繕って、幼馴染の言葉に相槌を打った。

 そうして、奈落の底に突き落とされた気分になった『私』は、奇跡と魔法に飛び付いた。

 『私』はキュゥべえの契約による奇跡によって、恭介の心を手に入れようと思った。 また景色が変わる。今度は病院の屋上。立っているのは『私』とキュゥべえだ。

 けれど、それを否定する人が一人だけ居た。そんな奇跡に頼るべきではないと必死になって止めようとした。

 節介にも、彼は『私』のために息を切らせてまで駆けつけてくれた。

 屋上にある階段の扉から出てきた黒髪の少年、夕田政夫。

 政夫は出会ってまだ日も浅い『私』のために、恭介のために本気で怒ってくれた。

 そんな方法で自分の恋心を成就したところで得るものなどない。罪悪感と後ろめたさに縛られるだけだと彼は叫んだ。

 それでも『私』は契約して魔法少女になった。願ったのは恭介の左腕の完治。

 例え、自分の事を愛してくれなくても、彼には自分が愛した姿でいてほしかったから、そう願った。

 映像が切り替わる。そこはとある喫茶店のすぐ近くの通り。

 政夫は『私』に告白するべきだと言った。その想いが成就するかは否かよりも、その燻った感情を抱え続ける事が君にとって為にならないと。

 でも、もう『私』には恭介を好きだったのか、彼の弾くバイオリンの演奏が好きだったのか分からなくなっていた。

 自分の想いがとても不純で軽薄なものに感じられて、愛や恋と呼べるほど上等には思えなかった。

 そんな『私』に政夫は言ってくれた。

 君の想いは不純なんかではない。君が病院の屋上で叫んだ言葉は紛れもなく、本物だったと背中を押してくれた。

 堪え切れない感情が涙となって零れた。苦しくて、でも、自分でも自信が持てなかった感情に彼は名前を付けてくれた。政夫はどんなに脆い部分を見せても、傍に居てくれた。

 だから、恭介に告白して振られた時、自分の心に整理をつける事ができたのだ。

 それからだろう。『私』が政夫に対して、恭介の時とは少し違う恋心を懐いたのは。

 何故なら『私』は彼に格好が付けたかったからだ。支えてくれた分、こんなに強くなれたと見せつけたいと思うようになれた。

 

 

 *******

 

 

暁美(みき)さん! 美樹(ほむら)さん! 僕の声、聞こえてる!? しっかりして」

 

 ソファに座っていた二人に視線を向けると、二人はいつの間にか眠っていた。

 だが、額に滝の汗を浮かべ、苦悶の表情を浮かべている寝顔はどう見てもうなされているようにしか映らない。

 これも自我が不安定になっているせいなのだろうか。服越しに身体に触れると僅かだが熱っぽい。精神が肉体にも影響している様子だ。

 このまま、寝かせてもいいものかと悩んでいると、二人はうわ言のように何かを呟いた。

 

「まさ、お……」

 

「……ま、さお」

 

 小さくて聞き取りずらいもののすれは僕の名前だった。

 普段よりずっと熱い二人の手を片方ずつ手に取ると、僕は語り掛けるように言葉を掛けた。

 

「そうだよ。政夫だよ。暁美(みき)さん、いつもみたいに元気で明るい、君を見せてよ。美樹(ほむら)さん、僕の部屋の窓を玄関代わりにしても怒らないから早く元に戻ってよ」

 

 僕の言葉にどれくらいの影響力があるのかは分からないが、それでも名前を呼ばれた以上話しかけない訳にはいかない。とにかく、一旦、客間に布団でも引いて寝かせよう。

 そう思って、彼女たちの手を離し、振り返ると異様な雰囲気を感じ取る。

 いつものリビングと同じなのにどこかがおかしいと感じさせる何かがあった。この雰囲気を僕は知っている。

 その時、さっきニュゥべえと話していた時に懐いた疑念に一つの回答を思い付く。

 入れ替えの魔女がソウルジェムだけを取り換えてすぐに逃げる理由。それは己が狩れるレベルまで獲物が弱るのを待っていたのでないだろうか。

 まるで毒が回り切った後のように、弱り果てたその時を狙う、そのためだけに逃げたように思わせていたのではないだろうか。

 最悪の想像を採点するように壁がぐにゃりと歪み、別の空間が塗り替えるように広がっていく。

 何度か見たことのある、魔女の結界が生まれる瞬間だ。

 カラフルな色が点滅を繰り返す。カラオケのライトに似ているが比べものにならない速さで光が切り替わる。

 足元には巨大な積み木のような台座がいくつも置かれ、それぞれ別の色に発光している。

 天井からはぬるりと降りてくるそれは話で聞いたシャム双生児のような腰のあたりでぴったり貼り付きあったキューピー人情のような魔女。

 

『『ljfesjnfrenfrjgjes.fnerasnvlernfn』』

 

二重になったような鳴き声を上げると、入れ替えの魔女は地面に着地した。

 




もう少しだけ長引きそうなのでまた三つに分けました。後編はしばらくかかりそうです。


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完結記念特別編 入れ替わる青と紫 後編

 ……これは死ぬかもしれないな。 

 前方には実力ある魔法少女の面々でも敵わなかったシャム双生児のような見た目の「入れ替えの魔女」。

 味方は意識不明の美樹(あけみ)暁美(みき)。ニュゥべえも今すぐには来れそうもない。おまけに僕の家は魔女の結界内。

 孤立無援で、逃げ場はなく、身動きの取れない守るべき対象も居る。

 とりあえず、魔女の姿を視界に収めたまま、傍の二人を目の端で眺めた。

 美樹(あけみ)暁美(みき)もソファの代わりに菱形の台座の上で仰向けに倒れて込んでいる。

 この場で唯一、行動できるのは自分だけという最悪な状況。自然と額から汗が滲むのを感じた。

 

『ニュゥべえ。まだ繋がってる?』

 

『聞こえてるよ。今、政夫の家に向かう……』

 

『それは駄目だよ。先に入れ替わった巴さんたちを自宅まで連れて行って。可能なら鹿目さんを呼んで見張るように頼んでほしい』

 

 記憶が混ざり合った彼女たちが、混乱した意識のまま出かけるのを阻止するには誰かに見ていてもらう必要がある。巴さんの自宅から出て交通事故等に巻き込まれる危険性は可能な限り排除したい。

 

『でも、それじゃあ……』

 

 心配そうなニュゥべえの声が頭の中で響く。

 彼女を安心させるべく、僕はなるべく明るい感情が伝わるように念じた。

 

『大丈夫。それまでどうにかして二人を守るよ』

 

『……十分。いや、五分で政夫の居る結界内に行く。だから、それまで持ち答えて』

 

 僕のわがままを素直に聞いてくれるニュゥべえに心から感謝する。これが暁美や美樹ならはこうはいかない。

 

『ありがとう。君は本当に可愛くて、頼りになる友達だよ』

 

 念話は打ち切られると、共に意識を切り替える。

 魔女は意識なく、床に寝かされた美樹(みき)暁美(みき)へと近付こうとにじり寄って来ていた。

 まるで僕など眼中にないといったその様子にやはり狙いは二人なのだと確信する。

 とにかく、無防備な彼女たちから注意を逸らさなければならない。身体を数十センチほど宙に浮かばせて移動する、入れ替えの魔女の側面に体当たりした。

 大きな風船に体当たりするような、ほとんど手応えのない感触の後、入れ替えの魔女は弾かれたように後退する。

 軽い。あまりにも軽すぎる感触。

 暖簾に腕押しという言い回しが当てはまるようなこの手応えからいってダメージは与えられなかったことはすぐに分かった。

 だが、それでいい。

 元々、魔法少女ではない僕では魔女には物理的な干渉はほとんどできないことは承知の上だ。

 目的は――。

 

『dffmelocnrhoakshcok!!』

 

 意味があるかも解らない奇怪な鳴き声を上げて、奥の二人から僕へと興味を移したように視線を向ける。

 いや、果たして視線と言っていいのだろうか。

 ビーズのような眼球は生物感はなく、ぬいぐるみのそれに近い。

 どうしてこうも魔女というのは無機物めいたものが多いのだろう。

 注意を向けてきた入れ替えの魔女から僕は殊更大きな動きで逃げる。

 魔法少女の方が獲物としては格上だろうが、目の前で自分に攻撃をしてきた無力な獲物が逃げ出して、素直に見逃す訳はない。

 

『jfjielkrreierf;ld,dkekvmejtn!』

 

 雑音のような叫びを上げて、距離を取る僕を追い掛けて来る。

 掛かった。

 結界の中で引き延ばされたリビングはそれなりの大きさを誇っている。

 追いかけっこでニュゥべえが来るまで時間を稼ぐ。それが僕の狙いだった。

 地面から生えた角ばった台座のような障害物が生えているが、それでも走り回るのに問題はない。

 問題はどれくらいこの魔女がこのお遊びに付き合ってくれるかというところだが、無力なただの人間を侮っているのか、それとも純粋に移動速度が遅いのか、魔女の速度はゆるやかだ。せいぜい早歩きくらいの速さしかない。

 ――これなら、どれだけ最低でも二分は稼げる!

 後方の魔女を都度確認しながら僕は大きく走り出した。

 しかし、その確信が崩壊するのに二分もかからなかった。

 一定の距離を取って逃げていた僕の脚に何かが巻き付いてくる。

 魔女が僕への興味を失って、伏している二人の方へ行かないように一定の距離を保ちつつ、逃げているはずだった。

 事実、魔女は僕の後方におり、触れられる距離ではない。

 脚を掴んでいるのは魔女ではない。足元にある台座から伸びていた。

 結界の一部の障害物だと思っていたそれは……その台座を二枚貝のように開き、内側から紐状の触手のようなものを吐き出して僕の足首に絡み付いている。

 ……やられた。この結界内にあった台座は入れ替えの魔女の使い魔だったのだ。

 この魔女が無力化した魔法少女の二人を襲わずに僕を追い掛け始めたのは必要がなかったからだ。彼女たちが背を預けて眠っている台座も恐らく使い魔だ。

 知性を感じない幼稚な落書きめいた顔が嗤った気がした。

 ゆったりとした速度で獲物を恐怖で焦らすように接近する入れ替えの魔女。

 明らかに僕の反応を愉しんでいる……。考えてもみれば、この魔女は魔法少女のソウルジェムを入れ替えて弱ったところに再び現れるほど狡猾なのだ。

 それを僕は愚かにも侮ってしまった。できることが限られていたとはいえ、致命的過ぎるミスだ。

 入れ替えの魔女の、二つの顔が互いに縫い付けられたような顔が動けない僕のすぐ前に来る。

 その顔が近付くにつれ、落書きのような二つの口がぽっかりと開いた。奥行きが見えないほど真っ暗な口内はまるで深淵そのものだった。

 ……僕を食べようとしているのか……。

 魔女が人をどうやって捕食するのか見たことがないため、物理的に丸かじりにされるのか、それとも魂や生体エネルギーのようなものを吸われるのかは解らない。だが、少なくとも挨拶のキスではないことは確かだ。

 双子のように見えたその顔が、僕の顔の十数センチ手前まで寄る。息がかかってもおかしくない距離だが、呼吸はしていないようで吐息のようなものは感じられなかった。

 

「……前からね。思ってたんだ」

 

 その不気味にお互いの頬を溶け合わせた気味の悪い顔に向けて言った。

 

「君らの卵……あるいは核である嘆きの種(グリーフシード)の形ってさ、上部と下部がすごく尖っているよね?」

 

 ――その並んだ顔の一つに僕はズボンのポケットに入れていた奥の手、預かっていたグリーフシードを容赦なく入れ替えの魔女の額へ突き立てる。

 油断していた魔女は避ける暇もなく、ずぶりと刺突の感触を感じさせ、グリーフシードの棘は深々と突き刺さった。

 

『kdfnflrsfjse;i;jf;iersjfijer;ijーー!?』

 

「ほら、やっぱり――グリーフシードはよ く 刺 さ る!」

 

 前にニュゥべえから聞いた。グリーフシードは魔女の卵……故に魔女に対して物理的な干渉を可能とする。

 そして。

 

『dfkldcnlsnflijrlfha;ejfluhealっーー!!』

 

 顔に刺さったグリーフシードを取ろうとしてもがく入れ替えの魔女。

 だが、その刺さった部分から急速に黒い気体が発生しては、グリーフシードへ吸い込まれていく。

 グリーフシードは穢れ……いわば負の感情エネルギーを吸う。

 それを魔法少女のソウルジェムではなく、魔女に使えばどうなるのか。

 答えはもちろん、一つだ。

 魔女の二つの顔の内、一つが萎んでいく。水気を含んだ果実が乾燥して、干からびるかのように。

 

「魔女は弱る。まあ、新たな魔女が生まれる危険性はあるだろうけど、それでも助けが来るまでは持つだろう」

 

 預かっていた彼女たちの戦いの成果であるグリーフシードを使うのは嫌だったが、そうも言ってられない状況だった。それに実際のところ、ニュゥべえと話しただけで試したことはなかったし、ニュゥべえもまたそういった事例は知らないと言っていた。

 ぶっつけ本番でやるには少々リスクが高かったが、どうやら何とかなったらしい。

 足元に居た使い魔もグリーフシードに穢れを吸われたのか、弱り果てやがては消えた。直接、刺された魔女の方は見る影もないほどに痩せ細り、水気の抜けた果実のように萎み続けている。

 

「さて、使い魔自体には攻撃手段は見受けられなかったし、これで当面の危険からは……っ!」

 

 萎んでいく魔女の様子が突如変わった。

 先ほどまで、刺さったグリーフシードを抜こうともがいていたそれはぴたりと動きを止める。

 そして、シャム双生児のようにぴったりとくっ付いていた接合部分がミチミチと音を立て、ちぎれ始めた。

 

「まさか、分離……いや」

 

 額に突き刺さっていた方の身体は萎みながら引き剥がされると、そのまま消滅して、地面にグリーフシードを落とした。――最初に刺したものとは別のグリーフシードを。

 グリーフシードは魔女の核。ならば、その核を捨てて形を保っていられるはずがない。

 

「二対の魔女が一体になっていたのか……」

 

 文字通り半身を捨てて、身軽になった魔女は落ちているグリーフシードから離れるために一旦宙へと舞い上がる。

 結界の天井らしき場所まで到達すると、その落書き染みた顔を僕へと向け、見下ろした。

 浮かんでいた表情は変わっていない。だが、間違いなく僕へと向けられた感情は憎悪だった。

 半身の魔女は天井付近に浮いたまま、その腕を鞭のように伸ばす。しなった腕はどこまでも伸縮し、僕へ向けて飛んで来る。

 まずいと思った時にはもう遅く、その先端は僕の頭の数センチ上まで届いていた。

 脳裏に浮かんだのは恐怖でも後悔でもなく、今、この結界内で無防備に倒れている二人への心配だった。

 

「……ごめん。二人とも」

 

「いや、政夫が謝る理由ないでしょ」

 

「そうね。でも、申し訳ないと思うなら何かしてもらおうかしら?」

 

 聞き覚えのある二人の声が、背後から聞こえた。

 そうかと思うと、目の前に迫っていた魔女の腕が二発の弾丸が抉り込む。

 僕から軌道がそれたその腕は錐もみ、その後、一本の剣に斬り落とされた。

 切り離された腕は霧散し、消滅する。

 

「二人とも……元に戻っ……」

 

 僕を庇うように背後から来た二人の魔法少女は躍り出た。

 白のミニスカートに青いチュートップ。背中には長いマントをなびかせ、腰元にはベルトのような物を嵌めた黒いロングヘアの少女。

 紫と白を基準としたどこぞの制服のようにも見える衣装に、スカートから伸びる足をストッキングで包んだ青いショートヘアの少女。

 

「ってないのかよ!」

 

 『暁美』と『美樹』。それぞれ、魔法少女としての衣装がいつもとは真逆だった。

 腰や手に着いたお互いのソウルジェムすらもあべこべだ。てっきり、入れ替えの魔女が弱ったせいで魔法が解けたかと思いきや、相変わらず戻った様子はない。

 

「まあ、それはちょっとね」

 

 いつも表情にレパートリーに(とぼ)しいむっつりとした顔の『暁美』は朗らかに笑って剣を握り締める。

 胸元はいつもより起伏が小さいが、しなやかな腰の細さはいつも以上に激しく僕は僅かに視線を逸らす。

 

「無駄口は終わってから叩いてちょうだい。……さやか」

 

 顔から表情を消し、真面目というよりも気を張っているといった表情の『美樹』は両手に拳銃を構えて、隙なく魔女へと対峙している。着ているのがいつもと違うせいか、スカートの短さやストッキングを穿いた脚が妙に気にかかり、また少し目を逸らす。

 思考のピントがずれてきそうなので、自分の懸念事項をあえて口にすることで誤魔化した。

 

「二人とも大丈夫なの? どっちも相手の身体で魔法少女になるのは初めてなんだろう?」

 

 そうだ。二人とも別の人間の身体で、武器を扱っている。通常と同じように戦えるとは到底思えない。

 動くですら違和感があると言っていた彼女たちが、まして命をかけた戦闘などできる訳が……。

 

「あー、そのことなんだけどさ。不思議とそんなに違和感ないんだよね」

 

 長い黒髪を揺らして『暁美(みき)』が跳躍する。跳ね飛んだ先の障害物を踵で蹴ってさらに移動。

 すぐさま、天井付近を浮遊していた魔女に斬りかかる。

 

「身体が違っても、心が……感情は似通っているならそれほど問題はないみたいね」

 

 跳ねるように移動して近接攻撃をする『暁美(みき)』を地上から弾丸を放って援護する『美樹(あけみ)』。その物言いはどこか少しだけ喜んでいるような響きを含んでいた。

 

『,sdmseljfejijwijfjillfi4!?』

 

 入れ替えの、いや、片割れの魔女はもはや弱った獲物とは呼べない彼女たちへ残った手足を伸ばして攻撃を試みる。

 しかし、そのたびに弾丸によって、軌道を逸らされ、リズムを狂わされる。長く伸びる手足は地面を殴るか、空を切るのみ。

 そこへ容赦なく飛び込んで来る刃。防御へと移ることもできずに二度三度と切り付けられ、後ろを向いたまま、エビのように宙を地上へと退く。

 その瞬間、三弾の弾が魔女のがら空きの背中へ放たれた。

 地上から援護射撃をしていた『美樹(あけみ)』に向けて大きく開いた口で噛み付こうと接近する。

 

「……さやか」

 

「がってん!」

 

 さきほどまで魔女が居た辺りの天井蹴った『暁美(みき)』はわざと自分を囮に使った彼女の意図を読み取り、致命的な隙を見せてしまった魔女の背中を深々と斬り裂いた。

 

『kdjnflejflijflijwe;ifjij……!!』

 

 背中から斬られた傷。そして、身体を痙攣させた片割れの魔女へ、僕たちが知らぬ間に装填していた弾丸を浴びせる。苦悶の鳴き声を上げて魔女は塵のように細かく分散して消えていく。

 その核たるグリーフシードを落として。

 

「政夫を虐めた罰!」

 

「これでも足りないくらいだけど」

 

 地面へと降り立ち、『暁美(みき)』はにかっと僕の方を向く。

 「どうかっこよかった?」とでも聞きたそうなその表情に苦笑を返した。

 一方、平然としている『美樹(あけみ)』の方も何かを期待しているように僕を見つめる。

 

「ありがとう。助かったよ」

 

 二人はその言葉を聞くとお互いに顔を見合わせて息の合った一言を述べた。

 

「「どういたしまして」」

 

 そういうと二人はまた糸が切れたように身体を揺らし、僕の方へ倒れ掛かってくる。

 慌てて両手で彼女たちを抱きとめると、彼女たちの服装は魔法少女の衣装から普通の服に戻っていた。

 二人の身体から紫色の光と青色の光が入れ替わって身体に吸い込まれるのを見た後、魔女の結界から戻ったリビングのソファに再び彼女たちを横たわらせた。

 その後、すぐに駆け付けたニュゥべえに事情を話すと、すぐに入れ替わった皆は元に戻るだろうと教えてくれた。

 これで厄介な入れ替わり事件は幕を閉じた。

 そう思って、眠った彼女たちの顔を見つめる。本当に助かってよかった。

 その後、二人はなぜか身体が戻ったにも関わらず、図々しくも家に泊まり、客間ではあるが夜遅くまで騒いで、朝早くに帰っていた。

 規則正しい生活を送る僕としては「寝てください」と何度か頼みに行くたびにゲームやトランプに突き合わされることとなった。

 わざと僕を呼ぶために騒いでいた節さえある。

 次の朝になればもうこの面倒くさいことは終わる。そう信じて、眠気と共に彼女たちとの夜を過ごした。

 

 だが、まだ入れ替わりの魔女の置き土産は残っていた。

 

「まー君。おはよう」

 

 赤いポニーテールを下げた杏子さんがそう僕に上品な笑みを浮かべて挨拶をする。

 

「にしても変な気分だな。あと、肩も凝るしさぁ」

 

 乱暴な言葉使いをして肩をぐるぐると回す巴さん。

 

「ちょっと変な気分だけどそんなに悪くはないね」

 

 人懐っこく僕にハグをしてくる織莉子姉さん。

 

「ふふ、皆いっぺんに喋ると夕田君だって混乱するわよ」

 

 どこかぽやぽやとした雰囲気の呉先輩。

 

 僕はそんな皆を見つめて、肩に乗った友人へと視線を移す。

 

「どういうこと……? 魔女は倒されて戻ったんじゃ……」

 

「どうやら個人差はあるみたいだね。時間が経てば戻る。うん、戻ると思うよ、多分……まあ、ちょっとは覚悟しておいた方がいいかもしれないけど」

 

 すごく曖昧な発言をして、視線を逸らすニュゥべえに僕は本気でこの状態が続いたらどうしようかと冷や汗をかきながら、寝不足の頭で思考を巡らせていた。

 余談だが、これを機会に暁美と美樹は仲良くなった。お互いの思考を覗き見たせいかもしれないが、時折、僕の方を二人で見つめ、真顔で「平等に半分に分けあってもいい」などと意味不明なことを言う時がある。

 ……何かしらの後遺症かもしれないが、僕の中の第六感はなぜか今までにない恐怖を感じ取っていた。

 

 




随分時間が掛かりました。


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新編 崩壊の物語
新編・第一話 黒い卵と記憶喪失


『崩壊の物語』の序章です


 ――さようなら。どこかの世界の■■■。

 

 誰かとの別れの挨拶。酷く愛しくて切ない声。

 私はこの人の事を知っている。とても強くて、優しい男の子……。

 誰だっけ、ちゃんと呼んでいたはずなのに何故か思い出せない。

 名前は……。彼の名前は……。

 

「何やってるの、まどか!」

 

 急に前に居るさやかちゃんの声が響き、意識が唐突に引き戻される。

 はっとして周りを見回すと、傍で魔法少女姿のさやかちゃんが少し怒ったような顔で私を見つめていた。

 

「鹿目さん、どうしたの? ナイトメアを追っている最中に急にぼうっとしたりして」

 

 隣で心配そうな声でマミさんも私に聞いてくる。

 そうだ。私たちは今、『ナイトメア』を追っていたんだった。

 駄目だ、私。しっかりしないと。

 首を思い切り強く左右に振って、頭をしっかりと覚醒させる。

 私たちは魔法少女。人を悪夢へと追い込む存在……ナイトメアを退治して、誰にも知られず、この見滝原市を守っている。

 夜の街でビルとビルの隙間を縫うように建物の外壁を蹴って跳び上がり、遥か前方で宙を飛んで逃げようとするナイトメアを追っているところだった。

 

「大丈夫かよ? 疲れてるなら、今日はアタシらに任せて帰った方がいいんじゃねーの?」

 

 私の後ろでビルの壁を蹴って跳ぶ杏子ちゃんも、口調はぶっきら棒だけれど心配して私に帰るように勧めてくれる。

 私は首を振って答える。

 

「大丈夫だよ。ちょっとぼうっとしちゃっただけ」

 

「まどかは結構そういうとこあるよねー」

 

「さやかちゃん!」

 

「ごめんごめん」

 

 あははと笑うさやかちゃんにつられて私も思わず顔が綻ぶ。

 和やかな空気になったおかげで返って、考えを纏められた。今はナイトメアを追う事に集中しなきゃいけない。

 マミさんも微笑んだ後、表情を引き締めてマスケット銃を構え、ビルの合い間を駆け抜けながら引き金を引いた。

 前を飛ぶナイトメアはその黒くて丸い大きな卵のような巨体を器用に動かしてそれを避ける。

 黒い卵から手足が生えてテールコートを着たような姿のナイトメアは、マザーグースの童話に出てきた「ハンプティダンプティ」という登場キャラクターに似ていた。

 でも、童話の中のハンプティダンプティと違って、そのナイトメアの顔には目も鼻も口もなく、のっぺりとした黒い部分だけが広がっている。

 代わりに大きなシルクハットが乗っていて、古い映画に出てくるような手品師のような格好をしていた。

 卵のナイトメアは私たちからずっと逃げるように飛び去って行く。

 時折、私やマミさんが遠距離から魔法を撃って、攻撃を当てようとするけれど、まるでその行動を読んでいたように最小限の動きでかわして飛んで行ってしまう。

 

「そろそろ川の方に出るわね。高いビルもなくなるし、追うのが難しくなりそうだわ」

 

「ちっ、めんどくせーナイトメアだな。ずっと逃げ続けやがって……このままだと撒かれちまうぞ!」

 

 マミさんも杏子ちゃんも卵のナイトメアを追い続けて少し疲れを見せていた。

 このままだと本当に逃がしてしまうかもしれない。追跡してからだいぶ時間が経っているのにまだ一回も魔法を当てられてさえいない。

 

「あーもう! どうにかならないかな、まどか」

 

 もどかしそうに言うさやかちゃんに私は覚悟を決めて、一度追うのを止めて跳ねるのを止める。

 

「マミさん!」

 

 私は下へ落下しながらマミさんを呼んだ。

 それだけで私のやろうとしていることを理解してくれた様子で力強く頷いてくれた。

 

「分かったわ」

 

 マスケット銃を空中にいくつも作り出したマミさんはわざと弾丸を卵のナイトメアに向けて出鱈目に撃つ。

 卵のナイトメアはそれを平然とかわす。だからこそ、かわす時の方向は弾丸のない隙間に限定される。

 私は弓を構えて地面へ落ちながら、空中で魔法の矢を放った。

 狙ったのは卵のナイトメアが避けた先に行くだろう、まだ何もない空間。

 卵のナイトメアはマスケット銃を正確に避けて逃げる。でも、だから。避けた先はある程度予想できた。

 桃色に輝く矢が当たらないなら、ナイトメアの方に当たる場所に行ってもらえばいい。

 思った通り、弾丸を完全に避け切った卵のナイトメアは私の矢の放たれた場所に動いた。

 

『………………』

 

 卵のナイトメアはその迫る矢にも途中で気付いたみたいで避けようとする。

 けれど、それは滑らかに飛んでいたその動きを止めるのには十分だった。

 その僅かな隙にさやかちゃんと杏子ちゃんは建物の側面を思いきり蹴って距離を詰めていた。

 

「ナーイス、まどか! マミさん!」

 

「美味しいとこはいただきっ、てね!」

 

 卵のナイトメアに大きく振りかぶったさやかちゃんと杏子ちゃんの剣と槍が突き刺さる。

 刃が当たった黒い身体は本物の卵のように罅を入れて、衝撃によって吹き飛ばされ、離れていく。

 川の方へ飛んでいった卵のナイトメアは罅の隙間から黒い煙を噴き出しながら、激しい水音を立てて沈んでいった。

 

「あ」

 

「やり過ぎだ! 馬鹿さやか! べべに喰ってもらう前にどこまで飛ばしてんだ!」

 

 地面に叩き付けられる前に身体のバランスを取って着地した私は二人の喧嘩しながら降りて来る二人に苦笑いする。

 

「まあまあ、力を合わせて退治できたんだからそんな喧嘩しないで。それよりも落ちたナイトメアを探しましょう」

 

 降りて来たマミさんが仲裁し、二人を宥めると私たちは川の傍へと走っていく。

 川沿いは整備されていて、街灯なども付いている上に、何より街からそれほど離れていないせいでビルの明かりが届いていて、暗くはなかった。

 さやかちゃんたちの魔法を受けて、身体に罅まで入れていた卵のナイトメアなら弱っているはず。

 そう思って私たちは四手に別れて川の方に隈なく探してみるが、あの大きな丸いシルエットは見つからなかった。

 

「……おかしいな。絶対にこの辺りに落ちたはずなのに」

 

 明かりが反射して輝いて見える水面に動くものがないか目を凝らすが、ナイトメアの姿はどこにもなかった。

 

「ん。あれ……?」

 

 代わりに水面に浮いているものが私の視界に入った。二、三メートルはあったナイトメアに比べれば随分小さいけれど、それでも私の身長よりも大きなもの。

 それは……人だった。

 仰向けで目を瞑ったまま、川の中で辛うじて浮いている中学生くらいの男の子の身体。

 顔は濡れた黒い髪がぺったりと貼り付いていてよく見えなかったけれど、背格好からみて間違いなく男性だということは見て取れた。

 

「え……え!? たっ、助けないと!」

 

 何かを考えるよりも早く、私は慌てて川に飛び込んでいた。

 魔法少女の私には自分よりも大きな男の子を抱えて泳ぐ事はそれほど難しくなかったけれど、ずっと水に浸かっていたせいなのか、触れた彼の身体が思ったよりも冷たくて思わず泣きそうになる。

 ……死んじゃってるの? 何で、川に? もしかして、自殺?

 頭の中でそんな言葉がぐるぐる回りながら、男の子を川から引きずり出して岸に上げる。

 他の場所を探していた皆を呼ぶ事さえ忘れて、横に寝かせた彼の口元に手を当てた。

 

「息、してない……」

 

 ナイトメアと戦うよりも遥かに恐怖を感じながら、濡れた服の上から男の子の胸に耳を押し付けた。

 すると、トクントクンと小さいけれど確かに心臓の音が聞こえてくる。

 その音を聞いて崩れ落ちそうなほど安心を感じて、胸を撫で下ろしそうになった自分を叱咤した。

 ダメ。息をしてないなら早く何とかしないと。

 すぐに私は彼の唇に自分の唇を押し当てた。息の止まった人には人工呼吸が必要だと水泳の授業で習ったことを思い出しながら拙い人工呼吸を続ける。

 薄く開いた冷えた唇から私の息を流し込む。

 その時、不思議な感覚が芽生えた。

 キスなんてした事ないのに、どこかで私はこの感触を知っている。

 難しい言葉でいえば、『既視感』だったかな? 覚えていないのに、同じような事をしたような奇妙な感覚。

 ――いけない。余計な事考えている場合じゃないのに。

 彼の鼻を摘まんで何度も何度も自分の息を入れ続けると、数回目で彼の身体が動き、口から水を吐き出しながら咳き込み出した。

 

「げほっがふっ……」

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 身体を折り曲げてむせ込んでいた男の子だったけれど、彼は呼吸のペースを取り戻すと上体を起こして私を見た。

 思わず顔を覗き込むように見つめる。元々人工呼吸をするために近くにいたせいで、顔がくっ付きそうなほど近くに寄ってしまった。

 

「え? 誰ですか、あなたは……。まあ、取りあえずは大丈夫です……何とか。なぜか身体中びしょびしょで、肌寒いですけど」

 

 顔に貼り付いていた髪を拭うように前髪を掻き上げた。こちらを安心させるために男の子は少しおどけた様な口調で笑ってみせた。

 

「あ!」

 

 彼の顔を見た瞬間。既視感が再び、頭の中を埋め尽くす。

 その墨のように黒い髪と瞳も。他人を気遣うような眼差しも。心の底から安心させてくれるような柔らかい微笑みも。

 私は全部見え覚えがあった。

 知っている! 私はこの男の子を絶対に知っている!

 そうだ。夢の中で見た。あの、男の子にそっくりなんだ。

 気づけば、次第に胸が苦しくなってくる。顔が熱い。頬も火照ってきた。

 

「どうかされたんですか? 顔、真っ赤ですよ?」

 

 すぐ近くに顔を寄せた顔がある。ますます体温が上がっていく。身体まで熱い。頭の中が纏まらない。

 えっと、うーんと……何か言わなくちゃ。

 

「ゆ、夢で」

 

「はい? ……夢?」

 

「夢で会いませんでしたか!? 私と……!」

 

 口に出してから自分でも何を言っているのか分からなくなり、頭を抱えたくなる。

 これじゃ変な人だよ! 夢で会ったっていきなり言われても困らせるだけなのに!

 恥ずかしさで今すぐに消えたくなる。口の中がカラカラに乾いて、砂漠の真ん中にいるみたいな暑さを感じて、意識が遠退きそう。

 顔を合わせていられなくなり、視線を逸らして、横を見るとそこに少し離れたところで皆が面白そうに眺めて立っている姿が見えた。

 三人とも既に魔法少女の衣装から、見滝原中学の制服に戻している。

 

「あ、気付かれた」

 

「さやかちゃん!? マミさんたちも! ……い、いつから見てたの?」

 

 恐る恐る聞くと、杏子ちゃんが悪戯っぽく笑って言った。

 

「まどかがそこの坊やを逆ナンしてたとこから」

 

「鹿目さん。なんて言えばいいのか分からないけど……程々にね」

 

「ちがっ……そう言うのじゃないんです!」

 

 完全に誤解されてる!

 助けを求めてさやかちゃんの方を見る。一番付き合いの長いさやかちゃんなら、きっと解ってくれているはずっ!

 期待を込めて見つめるとさやかちゃんは妙に感激したような顔で何度も私に頷いた。

 解ってくれたんだ……!

 

「さやかちゃん……」

 

「うんうん。あの奥手のまどかが……ここまで積極的になろうとは。お母さん、嬉しい……」

 

「さやかちゃん!?」

 

 少しも解ってくれてなかった。多分、一番酷く誤解してる……。

 確かに私の言い方は変だったけれど、それでもナンパだなんて考えが飛び過ぎだよ。

 

「あのー、すみません。ちょっとよろしいですか? いくつか、お聞きしたい事があるのですが」

 

 しばらく、黙り込んでいた男の子は片手を挙げて、私たちにそう言った。

 いけない。皆の方に気を取られ過ぎて、ついそっちのけで話し込んでしまった。

 

「はっ、はい。なんですか!」

 

「ここはどこでしょうか? とりあえず、言葉は通じてますし、日本……ですよね? 皆さん、随分とカラフルなご様子ですけど」

 

 何故か彼は私たちの頭を見上げて急に自信なさそうになる。

 それよりもここがどこだか分からないってどういう意味なんだろう。もしかして、流されて見滝原市に着いた……なんてあり得ないと思うし。

 疑問に感じながらも、県と地名を教えると彼は「そうですか」と呟いて顎に指を添えて考え込む素振りをした。

 

「アンタ、一体どこから来たんだよ?」

 

「それが……覚えてないんです」

 

 杏子ちゃんの質問に男の子は困った様子で答えた。

 

「覚えてないって、ひょっとしてあなたは記憶喪失なの? 自分の名前は分かるかしら?」

 

「名前も思い出せません。何一つ自分に関する事柄が思い出せない以上、記憶喪失なのかもしれないですね」

 

 マミさんも彼に聞くけれど、彼は申し訳なさそうにそう言った。

 どうしよう。もう川に落ちたナイトメアを探すどころじゃない。この人を放っては置けない。

 何より、私はこの男の子の事をもっと知りたかった。

 

「仕方ないわね。もう夜も遅いし、そんなずぶ濡れの格好でいたら風邪引いちゃうわ。行く場所がないなら私の家に来ない?」

 

「だ、ダメですよ! マミさん、一人暮らしじゃないですか!? 男の子を連れ込むなんて絶対ダメです!」

 

 マミさんが彼を自宅に招待しようとするを必死で止める。

 

「べべも居るから一人じゃないわよ」

 

「それでもダメですって! ねえ、さやかちゃん」

 

 味方をしてくれるようにさやかちゃんに話を振ってみる。 

 

「うーん。それなら間を取って、私の家で引き取るよ。杏子もそれでいいよね?」

 

「まあ、アタシは構わないけど。そこの坊やも草食系っぽいしね」

 

 さやかちゃんは味方をしてくれるどころか、何を勘違いしたのか勝手に自分の家に彼を連れて行こうとする。一緒に暮らしている杏子ちゃんもそれを変然と受け入れていて、私は背中から斬り付けられたような気分になる。

 

「あの、僕、一言も口を挟めないまま、処遇が決められている気がするんですが……」

 

 男の子は困ったように眉根を寄せて、立ち上がる。川から引っ張り上げた時にも思ったけれど、背が高く私はもちろん、この中で身長が一番高いマミさんよりも大きい。

 濡れたモスグリーンの長袖のシャツとジーンズパンツを着ている彼は派手さはないものの、それなりに纏まった印象を受けた。

 

「まあまあ。アンタとしても他に行く当てがある訳でもないんでしょ? なら、素直に提案を呑んだ方がいいんじゃない。それにこんな美少女二人と一つ屋根の下で寝られるんだよ。嬉しくない?」

 

 いつものようにお調子者のような笑みを浮かべて誘うさやかちゃんの提案に、男の子は少し考えた後に頷いた。

 

「……嬉しいかどうかは置いておいて、身体を濡らしたまま交番に向かうよりはありがたいですね。じゃあ、お言葉に甘えて……」

 

「だ、ダメー! 泊まる場所がないなら家に来てください! パパとママにも事情を話して説得しますから!」

 

 自分の中の名前を付けられない複雑な感情に支配された私は思わず彼の腕を浮かんでそう叫んでしまう。

 さやかちゃんはそれに対して文句を言う訳でもなく、にんまりと意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「まどかがそこまで言うなら、譲るしかないなー。うんうん」

 

 絶対に私がこういう発言をするだろうと見越した上で焚き付けられたのだと気付いたのはもう既に手遅れだった。

 明らかに面白がっているさやかちゃんと杏子ちゃんと、少し驚いたような様子のマミさん。

 それに困惑気味で私を見つめる記憶喪失の男の子。

 私はそんな皆に囲まれて、何も言えなくなり、ただただ頬をより一層赤く染め上げる事しかできなかった。

 




久しぶりに書いたのでかなり雑です。


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新編・第二話 居候と転校生

 早く、授業が終わってほしい。早く、学校が放課後になってほしい。

 こんなにも家に帰りたいと思うのはいつ以来なんだろう。

 登校して数分から私は今すぐにでも家に帰りたい気持ちでいっぱいだった。

 嫌な事があった訳でも、学校が嫌いな訳じゃない。

 むしろ、その逆で家に帰るのが楽しみでどうしても気が急いでしまう。

 

「今日はみなさんに大事なお話があります。心して聞くように」

 

 ホームルームが始まり、早乙女先生がいつものような前置きを語り出す。

 こういう時は大抵、自分が付き合っている相手とうまくいっていない愚痴をこぼすので、私はそれをぼんやりと聞き流した。

 ――早く、学校終わらないかなぁ……。

 今、私の家には――新しく増えた居候の男の子が居る。

 それは昨日の夜から始まった事だった。

 

 ***

 

 あの夜、私は勢いだけで川で溺れていた記憶喪失の男の子を家に連れて帰った。

 さやかちゃんは能天気に「がんばれ、まどかー」と応援してくれていたが、皆と別れた後、とぼとぼと服を濡らしたまま男の子と歩いている急に思考が冷静になってくる。

 どうしよう……パパとママ。許してくれるかな……?

 普通に考えて、素直に知らない男の子をしばらく居候させてと頼んで了承してくれるとは思えない。

 それに加えて、自分の名前も分からない記憶喪失の男の子だなんて……。

 ちらりと隣を歩く男の子の顔を見る。

 

「あ……」

 

「うん?」

 

 男の子の方も私を見ていたようで一瞬目が合って、思わず顔を逸らしてしまう。

 またもじもじとしてしまう私に彼は少し申し訳なさそうな顔で言った。

 

「すみません。命を助けていただいた上にそのご迷惑をお掛けてしてしまって」

 

「い、いや、大丈夫ですよ? 迷惑なんて」

 

「いえ。やっぱり今日を明かす場所は自分で探しますよ。鹿目さん、でしたっけ? これ以上困らせる訳にはいきませんから」

 

「え……ま、待って! 待ってください」

 

 彼は一礼した後、私から離れて行こうとする彼の腕をとっさに掴む。

 困った顔をしていた私を見て、気を遣っての判断だと判った。だから、尚のさら、ここで放って置く訳にはいかない。

 腕を掴まれた彼の困った顔が視界に広がる。違う、そんな顔させたい訳じゃないのに……。

 

「一緒に……一緒に来てください」

 

「でも……」

 

「必ず、何とかしますから!」

 

 必死に拙い説得を続けていると、根負けしたのか彼は苦笑いして一つ溜息を吐いた後、諦めたように近付いてくれた。

 

「じゃあ、もう少しだけご迷惑をおかけしますね」

 

「はい!」

 

 悩んでいても仕方ないがない。例え、何と言われても絶対に説得しよう。

 そう誓って、彼を連れて家の前まで連れて行き、玄関のドアノブを捻る。

 

「お帰り、まどか。随分遅いお帰りだね」

 

 スーツ姿で仁王立ちしているママの姿が見えた。

 静かな口調だけれど明らかに怒っているのが私には分かる。

 うう……とても男の子の同居を頼める雰囲気じゃない。

 

「まどか……別に遅くなるならそれでもいいよ。でも、こんな時間に帰って来るなら家に連絡ぐらいしなって言ってるだろ。パパだって……って何でそんなに濡れてんのさ? それにそっちの子は?」

 

「あー、えっと……」

 

 どう説明したらいいか分からず、しどろもどろになる。

 その時、横からさっと彼が私を庇うように一歩前に踏み出した。

 

「すみません。お宅のお嬢さんに助けて頂いた者です。どうやら何かのショックで記憶を失くしてしまった僕のために彼女はこんな夜遅くまで時間を使ってくださいました。連絡ができなかったのも僕のせいです。どうか、彼女を責めないであげてください」

 

 言い淀みのなく、流れるように彼はそう言い切った。

 確かに私が彼を助けたのは事実だけれど、遅くなっていたのはナイトメア退治のせいだし、何より連絡をしなかったのは私が忘れていたからだ。

 私のせいで彼に嘘を吐かせてしまった。少し罪悪感を懐きつつも、ママの方を気まずい思いで見つめた。

 ここで違うといえばきっと、余計に彼を困らせるだろうし、何よりその間にやっていた事を聞かれれば答えられない。

 

「……なるほど。理由は分かったけど……記憶喪失なの? 君」

 

「はい。どうやらそうみたいなんです。それの上、先ほど川から足を滑らせてしまって川で溺れかけてしまいまして。一緒に居た彼女に助けてもらい、事なきを得ました」

 

 あれ? 何で川から助けた話を別にしていんだろう?

 疑問に思ったものの、次のママの言葉で納得する。

 

「それで今、こんなに濡れている訳か」

 

 ああ。そうか。

 彼の記憶喪失のせいで今日遅くなったって事になっているから、服が濡れている原因を別に作らないとずっと服が濡れたままの状態って事になってしまう。

 表情にすら現れないほど自然な嘘を数秒で考え付く彼の頭の速さに私は感心した。

 程なくしてママは私たちに上がるように言った後、バスタオルを出してくれた。

 

「早く入って来なよ。あ、もちろん一人ずつね」

 

「もう、ママったら……!」

 

 からかうママに怒った後、パパへママに彼の事を説明してくれるように頼んで部屋で濡れたままの制服から、新しい着替える。

 川の中に浸かっていた彼の方が身体が冷えているので、先に入ってもらった。

 その後、部屋をエアコンで温めてから明日の授業に使う教科書やノートを鞄に詰めていると、ドアをノックする音が聞こえてくる。

 ドアを開けるとまだ五分程度しか経っていないにも関わらず、お風呂上がりの男の子姿があった。

 洋服はパパに借りたようで少し(そで)や裾《すそ》が余っているように見える。さっきまで白かった肌はほんのりと上気して桜色になっていた。

 

「すみません。お先にシャワーをいただいてしまって」

 

「いや、そんな事ないですよ。シャワーだけじゃなくてゆっくりお風呂に入ってもらってよかったのに」

 

「十分、温まりましたよ。それじゃ、お風呂どうぞ」

 

「は、はい……」

 

 パパ以外の湯上りの異性、まして年齢が同じくらいの男の子がすぐ目の前に居る事に意識がいって、急に胸がどきどきと心音を鳴らす。

 僅かに水分を含んだ髪。血色の良くなった地肌。それらがひどく色っぽく見えて、恥ずかしさが込み上げて来る。

 

「じゃあ、お風呂行ってきます!」

 

「え? ああ……はい、行ってらっしゃい……」

 

 恥かしさを誤魔化すようにパジャマを掴んで、部屋から出て行く。

 そんな私にどこか怪訝そうな顔を浮かべた彼は見送ってくれた。

 お風呂に入っている間も彼の事が頭から離れる事はなく、湯船の中で悶々としながらも、自分の感情と改めて向き合おうとする。

 何でこんなにも彼が気になるんだろう……。

 夢で、見た男の子だから? 本当にそれだけ?

 そもそも何で夢に出た男の子が目の前に現れたのだろう。

 お湯の中で指を曲げたり広げたりしながら考える。

 そもそも彼の夢は一体いつから見始めたのか。それも思い出せない。

 ただ、同じシチュエーションの夢は一度もなかった気がする。どんな夢か明確に覚えている訳ではないのに、それだけは確かだと思えた。

 そんな事を考えながら身体を洗ってお風呂から出ると、パジャマに着替えてからリビングに向かった。

 そこにはテーブルに着いたパパとママと、その向かいに座る男の子の姿があった。

 

「まどか。あんたもちょっとそこに座りなさい」

 

「はい……」

 

 こうなる事は分かっていたのでそれほど緊張はなかった。

 私は彼の隣に座って向かいのパパとママの顔を見つめる。二人とも表情は硬く、悩んでいるような表情をしていた。

 隣の彼も明らかに戸惑った顔をしていて、雰囲気が重かった。

 これはもしかして、彼が家に泊まるのに反対しているって事なのかな……。

 何か聞こうとして、どう切り出していいか分からずにいるとママが先に口を開いた。

 

「……まどか」

 

「な、何? ママ……」

 

 ごくりと生唾を飲んで、私はママに聞き返した。

 ママは真剣な顔で言った。

 

「まどかは……『ごんべえ』と『ジョン』どっちがいいと思う?」

 

「……へ? 何の話をしてるの?」

 

 意味が分からない質問に混乱する私にずっと黙っていたパパが小さな笑みをこぼしながら言う。

 

「彼の名前だよ。これから居候するのに名前は必要だろう?」

 

「え、それって……。居候するの許してくれるのっ!?」

 

 思わず大きな声が出た。身体の方も自然と、椅子から立ち上って二人の方に身を乗り出して聞いてしまう。

 ママもパパもお互いに顔を見合わせると、すぐに小さく噴き出した。

 

「ふふ。まどか。僕たちは反対するなんて最初から言ってないよ」

 

「あはは、何でそう早とちりするかなー。そんなにこの子の事、気になってるの?」 

 

「えー!? だってそれは二人とも何か悩んでたからだよ! 皆、雰囲気だって暗かったでしょ!?」

 

 笑う二人に反論するけれど、私の心には安心感の方が大きかった。

 隣の男の子は私に軽く謝った。

 

「いやー。自分の名前がその二つしか候補がないって言われたのでかなり動揺してました。『名無しの権兵衛』と『ジョン・ドゥ』って確か、身元不明の死体に付ける名前ですよね?」

 

「あー、記憶喪失でも知識記憶は残ってるんだっけ。そういう話も聞いた事あるけど身元が解らない相手に付けるけど死体かどうかは……そうか。川ね。川で溺れて……」

 

「……『ドザエモン』とかは本当に止めてくださいね」

 

「冗談だよ。流石にそんな笑えない名前は付けないよ」

 

 私がお風呂に行っている間に随分打ち解けたのか、ママと男の子は冗談を言い合えるくらいには仲良くなっていた。

 思ったよりもあっさりと決まってしまい、拍子抜けした気分だったけれど、これでようやく胸を撫で下ろせた。

 

「それでまどかはどっちがいいと思う? 『ごんべえ』と『ジョン』」

 

「ええ!? 本当にその二択なんですか? 他に選択肢はないんですか!?」

 

 今まで大人びて見えた彼の慌てる姿が面白くて、ついつい私もママの言葉に乗ってしまう。

 

「うーん、そうだね……どっちかっていうと――」

 

「ちょっと待ってください。本当に確定する段階に入ってませんか!? 別の名前! 別の名前を希望します!」

 

 

 ***

 

 昨日の彼の慌てぶりは面白かったな。

 名前が決まった後はすんなりと受け入れてくれたけれど。

 今日に帰れば、彼が家に居る。こそばゆくて、どこか嬉しいそんな気持ちが膨れ上がる。

 

「ふふっ」

 

「あの」

 

「え?」

 

 急に声を掛けられて顔をあげると、隣に黒髪を三つ編みにした眼鏡の女の子が立っていた。

 誰だろう? こんな子、クラスに居たかな?

 困惑している私にその子はぺこりとお辞儀をする。

 

「初めまして。このクラスに転校してきた暁美ほむらです」

 

「え、はい。初めまして、鹿目まどかです」

 

 転校生だと名乗った彼女はおもむろに私の手を掴んで来る。

 

「色々とお世話になるのでよろしくお願いします」

 

「はあ、よろしくお願いします」

 

 まったくホームルームの内容を聞いていなかったけれど、どうやら転校生の紹介があったらしい。

 妙に私に対して、積極的なところがよく分からないけど、悪い子ではなさそう。

 そう思って、彼女の手を見るとその指には指輪が嵌っていた。

 魔法少女の証である、ソウルジェムを変化させた指輪が。

 

「え……その指輪」

 

「はい! だから、これからよろしくお願いしますね」

 

 朗らかな笑みを彼女は私に浮かべてそう言った。




本当はもっと書く予定でしたが、これ以上続けると話の切りどころが解らなくなるのでこの辺りで投稿しました。


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新編・第三話 名無しの少年とクローバー

「ただいまー!」

 

 学校が終わり次第すぐに帰って来た私は玄関の扉を元気よく開けた。

 

「お帰り。鹿目さん」

 

 返事は家の中からでなく、庭の方から帰って来る。

 振り返った先には、昨日の夜から訳あって居候になった記憶喪失の男の子が居た。

 

「ただいま、ゴンべえ君!」

 

「その名前、まだ違和感あるね……」

 

 パパが作った家庭菜園で野菜を収穫していたらしいゴンべえ君は手を止めて、苦笑を浮かべた。

 近くには小さな籠にプチトマトが山盛りになっているのが見える。

 服装はパパのものを借りているようで、余った裾や袖を捲っていて、手には軍手をはめていた。

 昨日の夜、どうしてもゴンべえ君の敬語が余所余所しく感じられて、同じくらいの年齢だろうからとお互いに敬語を使うのを止めた。

 

「知久さんなら今、タツヤ君と一緒に買い物に出て行ったよ。というか、不用心だよ? 知久さんも詢子さんも素性の分からない相手に家の鍵渡すなんて」

 

「パパやママはゴンべえ君の事、いい子そうだから信用してくてたんだよ」

 

「僕が記憶喪失の振りしているだけだったらどうするのさ」

 

「ゴンべえ君が悪い人なら、今こうやって庭でプチトマト取ってないよ」

 

「いーや、分からないよー? プチトマト泥棒かもしれない」

 

 ふっふっふっ、とわざと漫画に出て来るような悪役の笑い方をしてプチトマトを摘まむ彼の姿がおかしくて、私は噴き出した。

 絶対に彼が悪い人である訳がない。それは夢で彼そっくりの人を見た事があるからじゃなく、ここで『ゴンべえ』としての彼を少しだけだと知ったからだ。

 朝、パパの手伝いをして料理を運んだり、たっくんの世話を手伝ったりするゴンべえ君はとてもじゃないけれど、悪い事をするような人間には見えなかった。

 

「それでプチトマト泥棒さんは一休みして、お茶でも一緒にどうかな?」

 

「嬉しいお誘いだけど、収穫したこれを洗って冷蔵庫に入れる作業が残ってるからね。それに草むしりもしてたから少し汚れてるし」

 

「うーん。あ、じゃあ私も手伝うよ!」

 

「なら制服から着替えてきた方がいいよ」

 

「うん!」

 

「あと、それからー……そっちの子はお友達、でいいのかな?」

 

「え?」

 

 言われて顔をゴンべえ君の向いている方に動かすと、そこには転校生の暁美ほむらさんが居た。

 家の敷地へ続く門から少し離れた場所でA4サイズの紙を持って立ち竦んでいる。

 

「あれ? 暁美さん?」

 

「あ、すみません。鹿目さんが配られているプリントを忘れていたようなので届けようと思って……追い掛けたんですけどなかなか追いつけなくて。鹿目さん、足早いんですね。全然追い付けませんでしたよ」

 

 困ったように笑ってから、門を潜って暁美さんは私にプリントを渡してくれた。

 ああ。そう言えば、帰りのホームルームで早乙女先生が何か配っていたような気がする。

 放課後のチャイムが鳴ったと同時に急いで帰って来たので、後ろから追い掛けてくれた彼女に気が付かなかったらしい。

 

「うそ、ごめんね。それから持って来てくれてありがとう」

 

「いえいえ。それから私の事は名前で読んで下さっていいですよ」

 

「じゃあ、私もまどかって呼んで。あ、ゴンべえ君も!」

 

 名前の話になって思い出した。ゴンべえ君は何故か私だけ名前で呼ばずに『鹿目さん』と苗字で呼んでいる。

 できれば、私もパパやママのように名前でほしい。

 

「いや、年頃の女の子の名前を呼ぶのは恥ずかしいんだよ。だから僕は今まで通り『鹿目さん』と呼ばせてもらうよ」

 

「えー、パパもママもたっくんも名前で呼ぶのに?」

 

「じゃあ、僕も『名無しの』という苗字で呼んでもらっても構わないよ」

 

「それ、苗字じゃないでしょ?」

 

 どうにも彼の譲れない一線らしく、私も諦めてこの話題を打ち切る。

 プリントを持って来てくれたほむらちゃんも、せっかくなので家に招待しようかと思って彼女の方に顔を向ける。

 すると、ほむらちゃんは驚いたような表情でゴンべえ君を見ていた。

 

「……ほむらちゃん?」

 

「あの、失礼ですが貴方は?」

 

「初めまして。僕の名前はゴンべえ。昨晩から鹿目家に厄介になっている者です」

 

「そうですか……私は、今日まどかさんと同じクラスメイトに転校してきました暁美ほむらです」

 

「よろしくお願いしますね」

 

「はい。よろしく……」

 

 ほむらちゃんはどこか釈然としないような顔でゴンべえ君を眺めた後、すぐに表情を切り替えて私たちにお辞儀を一つした。

 

「それじゃあ、プリントも渡せましたし、私はもう帰りますね」

 

「せっかく来てくれたんだから飲みものでも出すよ?」

 

「いえ。押しかけてしまったようで申し訳ないですし」

 

 どうしちゃったんだろう?

まだ会って間もないけど、ほむらちゃんは何だか様子がおかしかった。

 同じくらいの歳の男の子が居るから緊張したのかもしれない。

 

「居候になったばかりの僕が言うのもあれだけど、わざわざ忘れたプリントを届けに追いかけて来てくれたんだから、少しくらい上がってもらってもいいんじゃない? ねえ、鹿目さん」

 

「う、うん。そうだけど……」

 

 私も同じようにほむらちゃんを誘ったのに、ゴンべえ君が誘うと何だか無性に嫌な気分になってしまう。

 ひょっとしてほむらちゃんみたいな子が好きだったりするのかな……。

 

「ん? どうしたの?」

 

「ゴンべえ君って……好みの女の子ってどういう子?」

 

「え、好みの女の子? うーん。記憶がなくなる前はあったかもしれないけど今は特にないなぁ。強いて言うなら、思いやりがあってちゃんと相手のことを理解しようと努力してくれる子、かな?」

 

 よかった……。初対面のほむらちゃん事をの気に掛けるから、ああいう大人しそうな可愛い子がゴンべえ君の好みなのかと思った。

 結構踏み込んだ質問をしたつもりだったけれど、不思議なそうな表情で私を見つめる彼はもう鈍感というよりも、異性として認識されてない気さえする。

 ほむらちゃんの方は少し考え込んだ後、「少しだけお邪魔します」と私たちの提案を受け入れてくれた。

 玄関に靴を置き、リビングへ案内すると彼女は鞄を置いて、窓の外から庭を眺めた。

 窓からはゴンべえ君が家庭菜園の野菜を黙々と採り続けている。時折、菜園に生えた雑草を引き抜いたり、水を撒いたりしながら庭を綺麗にしていく。

 ほむらちゃんはそんな彼の姿を見ながら、ぽつりと呟いた。

 

「……あのまどかさん。あの人はご親戚の方だったりするんですか?」

 

「え、ううん。ゴンべえ君は……実は昨日出会ったばかりなの。川で気を失ってたのを助けたら記憶がないらしくて、それで家に居候してるんだ」

 

「記憶がないって、じゃあ、まったく知らない人と暮らしてるんですか?」

 

「うん。そうだけど……」

 

「失礼ですけど、本当に信用できる方なんですか? ゴンべえさんって」

 

 心配そうに言うほむらちゃんの言葉に私は一瞬、頭に血が上るのを感じた。

 

「何でそんな酷い事言うの!?  どうしてゴンべえ君の事、何も知らない癖に!」

 

 普段ならここまできつい事は言わない。ほむらちゃんの言っている事も私の事を本気で心配しての言葉だと受け止められただろう。

 でも、今はそんな心の余裕はなかった。

 自分が好きだと思う人を疑われて、私の思考は怒りで一杯になっていた。

 ほむらちゃんはとても驚いた顔をした後、目を伏せて素直に謝ってくれた。

 

「……ごめんなさい。怒らせるつもりじゃなかったんです」

 

「……私も、ごめんね。少し言い方がきつかったと思う」

 

 それ以上何かを言う気にもなれず、お互いに気まずい沈黙が流れた。

 その沈黙を破ったのは話題の中心だったゴンべえ君だった。

 彼はリビングに面した窓を外からコンコンと小さく叩いた。

 

「ん? どうしたの?」

 

 リビングの大きな窓の鍵を開くと、彼は軍手を付けたその手に黄緑色の何かを摘まみ上げるように握っていた。

 それはクローバーだった。だけど、その葉の数はよく見かける三枚ではなく、四枚。

 

「四つ葉のクローバー!」

 

「うん。今雑草抜いてたら偶然見つけてね。よかったら要る?」

 

「え。いいの? ありがとう」

 

 にこやかに四つ葉のクローバーを窓から差し出してくれたゴンべえ君にお礼を言う。

 受け取ってから気が付いた。私、男の子から物をもらったのは人生で初めての事だ。また、胸がぽかぽかと温かくなるのを感じる。

 彼は暁美さんの方にも軽く微笑むと手招きをした。

 

「暁美さん、でしたね」

 

「え。は、はい」

 

「実は四つ葉のクローバー、二つあったんです。よろしかったらどうぞ」

 

 ほむらちゃんにも当然のように四つ葉のクローバーを差し出す。

 それを少しためらいがちな様子で窓の傍に寄った彼女も受け取った。

 内心クローバーのプレゼントが私にだけじゃない事にがっかりしたのは内緒だ。

 

「よかったね、ほむらちゃん」

 

「あの、ありがとうございます」

 

「いえいえ、幸せの四つ葉のクローバーも家庭菜園に生えていては雑草扱いになってしまいますからね。……それと差し出がましいですけど、あまり暗い表情をしていると幸せが逃げてしまいますよ?」

 

 ゴンべえ君はほむらちゃんを冗談めかして、そう言ってまた微笑んだ。

 彼女は渡された四つ葉のクローバーを人差し指と親指で摘まみ、俯いて眺める。

 

「そうですよね。……すみません」

 

「うん? どうして僕に謝るんですか?」

 

「私はまだゴンべえさんの事、よく知りもしないのに……色々疑ってしまいました」

 

「あー……記憶喪失で居候していることを聞いたんですね。別に構いませんよ。むしろ鹿目さんたちが人が良すぎるというか、疑わなさすぎるので暁美さんの方が普通だと思います」

 

 申し訳なさそうに謝るほむらちゃんに気にした風もなく、ゴンべえ君はさらりと答えた。

 少し私やママたちが騙されやすいみたいな言い方が気になったけれど、それも彼なりの軽口なのだろう。

 

「暁美さんくらい鹿目さんたちも警戒心を持った方がいいね」

 

「もう! 人を考えなしみたいに言わないでよ……ゴンべえ君だから信じてるだけだよ」

 

「あはは、でも、鹿目さんはもっと疑った方がいいよ。色々とね」

 

 ゴンべえ君が気まずい雰囲気を変えてくれたおかげでいつの間にか、ほむらちゃんも和やかに笑っていた。

 そう言えば、今と似た光景も夢の中で見た気がする。

 夢の中のゴンべえ君はいつだって会話の中心に立って、皆を仲良くさせようとしてくれていた。

 頭の中でぼやけた情景が浮かびそうになる。だけど、あくまで何となくしか思い出せない。夢の中の事だからちゃんと覚えていないのは仕方ないけれど、はっきり思い出せないのはもどかしい。

 そうこうしている内に玄関の方からパパとたっくんの「ただいまー」という声が聞こえてきた。

 

「知久さんたち帰って来てきたみたいだね」

 

「それじゃあ、私はもう帰りますね。これ以上お邪魔するのは悪いですし」

 

「あ。全然お持て成しできなくてごめんね。ほむらちゃん」

 

 お茶も出さずに話し込んでしまった事に謝りながらも、ゴンべえ君とほむらちゃんの会話がここで終わった事にどこか安心していた。

 心の中ではゴンべえ君とほむらちゃんが仲良くお喋りをしているともやもやしてしまう。

 自分が案外やきもち焼きだったなんて思わなかった。心が狭いと思うけど、どうしても嫌なものは誤魔化せない。

 立ち上がってお辞儀を一つしたほむらちゃんにゴンべえ君は別れの挨拶をする。

 

「また来てくださいね。暁美さん」

 

「もっと砕けた口調でいいですよ。鹿目さんと同じようにしてもらって構いません」

 

「うん? それじゃあ、暁美さんも僕や鹿目さんにも敬語を止めてもらってもいい。こっちだけタメ口だと何か申し訳なく感じるから」

 

「はい、解りました……じゃなかった。……わかった、よ?」

 

 ぎこちない口調でたどたどしく私たちに確認を取るほむらちゃん。

 私はその様子があまりにも可愛くてくすりとつい笑ってしまう。

 

「その調子。まあ、もうちょっと打ち解けたら慣れてかもね。それじゃあ、僕は詰んだ野菜を家の中で洗わないといけないから」

 

 ゴンべえ君はそう言ってから、窓の傍から野菜の入った籠を持って離れて行く。

 誰とでも自然体で話せる彼に私は感心する。あれだけ物怖じせずに話ができるなら、記憶がなくなる前は友達がたくさん居たのかもしれない。……もしかしたら恋人も居たかもしれない。

 ふとそんな考えに至って胸が少し痛くなる。

 ひょっとしたらほむらちゃんも私みたいにゴンべえ君の事を気になってないかと不安になって、廊下の方へ歩いていく彼女を横目で追った。

 え……?

 けれど、去りゆく彼女の横顔は何故とても悔しさを堪えたような表情だった。

 



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新編・第四話 去った少年と手品師

 センスのいいインテリア。明るいオレンジ系統のライトに照らされたマンションの一室。

 ティーカップに注がれた紅茶の水面に私の沈んだ暗い顔が反射して映る。

 こんなにも落ち込んだ気分になったのは一体いつ以来なんだろう。前とは別の理由で胸が苦しい。

 

「鹿目さん……どうしたの? そんなに浮かない顔して」

 

 正面に居る部屋の主であるマミさんが声を掛けてくれたけれど、表情を取り繕う元気は今の私にはなかった。

 三角形の背の低いガラステーブルの周りに座った他の皆も心配して私の顔を覗き込んでくれている。

 

「どうしたのさ、まどか。何か悩みがあるなら聞いてやるよ?」

 

「そうそう。恋の悩みならこのさやかちゃんにまかせたまえ!」

 

 自信満々で胸を張るさやかちゃんに、テーブルの上からお茶請けのクッキーを摘まんだ杏子ちゃんが目を逸らしてぼそりと言う。

 

「幼馴染に告る事もできずに失恋した奴が何言ってんだか……」

 

「ちょっ、それはもう言わない約束でしょ! 杏子のバカっ。ね、酷くない? こいつ、酷いよね? まどか」

 

 大袈裟な手振りでショックを受けたポーズを取ったさやかちゃんは隣にいる杏子ちゃんの肩をぽかぽか叩く。

 杏子ちゃんとさやかちゃんもわざとふざけて明るく振る舞って場を和ませようとしてくれるのが分かる分、どうにか笑顔で応えたいと思うのに表情が言う事を聞いてくれない。

 

「う、うん」

 

 頷いてみせるが、自分でもそれがどれだけぎこちないのが分かる。

 私の隣で最近この輪に加わったほむらちゃんが戸惑うように尋ねてきた。

 

「それで何があったの?」

 

「……ゴンべえ君が家から出て行っちゃったんだ」

 

「ゴンべえって、少し前に川で拾ったあいつの事か?」

 

 そう聞きながらクッキーを頬張りながら、紅茶を一気に流し込む杏子ちゃん。

 事実だけど、そう言われると微妙な気持ちになる。

 マミさんもそう思ったようで、何とも言えない顔で空いた杏子ちゃんのカップに新しい紅茶を注ぐ。

 

「佐倉さん。間違ってないけど、その言い方はあんまりだわ。犬や猫じゃないんだから」

 

 興味津々でさやかちゃんがテーブルに身を乗り出して聞いてくる。

 

「でもでも、出て行ったって事はまどかなんかしたの? お風呂覗くとか、下着盗むとか」

 

「そんな事して…………なくもないけど」

 

「え? 私、冗談で言ったんだけど……」

 

 さっきまで私の方に寄っていたさやかちゃんはさっと身を引いて、引きつった顔で私を見る。

 あ、誤解されてる……。

 前に一度だけ、ゴンべえ君がたっくんをお風呂に入れてくれている事を知らずに、歯を磨こうとして洗面所に入ってしまって色々見てしまった事があるけれど、それと今回の事は関係ない。……多分。

 

「いや、偶然ちょっと裸見ちゃった事はあるけど、それが理由じゃないの」

 

 ゴンべえ君と出会って数日後、唐突に私たちへ別れを告げた。

 このまま、いつまでもこの家でお世話になっている訳にもいかない。それにひょっとしたら家族が自分のことを捜索しているかもしれない。

 警察署で捜索願が出されているかもしれないから自分は市の警察署へ行く。

 最後にお礼の言葉で締め括られた置手紙が今朝、リビングの上に残されていた。

 一方的な別れにしばらく理解が追い付かなかった。ただ、彼がこうして手紙だけの別れを残したのはもしも面と向かって別れを告げられたら私たちが引き留めかねなかったからだと分かった。

 実際、何度かゴンべえ君が警察署へ行こうとした事はあった。でも、それを無理やり引き留めていたのは私だった。

 記憶が戻るまではここに居てほしいと無理に頼んで、別れを引き延ばしていた。

 そのせいで彼はこういう方法でしか私たちに……私に告げる事しかできなかったのだと思う。

 悲しいというよりも、強い喪失感だけが胸に残った。同時に彼が私の事を迷惑に感じていたのかと思うと自己嫌悪で息苦しくなった。

 

「ゴンべえ君は……自分の本当の居場所を探しに出て行ったんだよ……」

 

 パパやママも一目で分かるくらいに悲しそうにしていたが、決してそれを口に出す事はしなかった。

 彼を「にーちゃ」と呼んで懐いていたたっくんは家中を歩き回って、彼の姿を探していた。私がゴンべえ君はこの家には居ないと教えると声を上げて泣き出してしまうほどだった。

 私はママたちのように仕方のない事だと割り切る事も、たっくんのように感情を曝け出す事もできず、沈んだ顔で喪失感を抱えるしかなかった。

 

「それにゴンべえ君の記憶が戻っても、見滝原市に住んでいるならまた会えると思うし……身元が分かったら知らせに来てくれるかもしれないから……」

 

 自分でも強がりにしか聞こえない言葉を並べても、気分は明るくはならなかった。

 周りにいる皆も何と反応すればいいのか分からずに困っているのが感じられた。

 そこへふよふよと部屋の中を舞っていたもう一人が私の膝に降りて来る。

 

「マスカルポーネ! カマンベール! モッツレラ?」

 

 チーズの名前を連呼しながら私にその小さな手足を振る、赤い頭巾を被った小さな人形のような彼女。

 魔法少女ではないけれど、私たちと一緒にナイトメアを浄化してくれる掛け替えのない仲間の一人だ。

 

「きゅー」

 

 さらにいつの間にか傍にやって来た白い猫のようにも見える小動物が私の肩にひょいっと乗る。

 言葉を喋れない代わりに、私の頬に自分の顔を擦り付けて慰めてくれた。

 

「べべ。それにキュゥべえもありがとうね。皆も」

 

 二人ともその態度や素振りでどうにか私を元気づけようとしてくれているのが分かった。

 駄目だな。私は。

 別にもう二度とゴンべえ君と会えなくなった訳でもないのに。

 落ち込んで皆に心配を掛けて、これじゃ魔法少女失格だ。

 自分の顔を両手で叩いて、気分を無理やり切り替える。

 

「ごめんね。心配かけちゃって。でも、もう大丈夫」

 

「本当に大丈夫なの?」

 

 ほむらちゃんが不安げに見つめてくる。

 そうだ。私は少なくともほむらちゃんより魔法少女としてちょっとだけ先輩なんだからしっかりしたところ見せないと。

 

「うん。平気だよ」

 

 元気よく頷く。できるだけ明るい表情で口の端を柔らかく曲げてみせた。

 それに同調するようにテーブルの向かい側のマミさんも大きく頷いてくれる。

 

「それでこそ、見滝原ホーリークインテットよ。鹿目さん!」

 

「ゴルゴンゾーラ!」

 

 膝の上に居たべべはその小柄な体をすうっと浮かして、空中で片手を大きく上げてまたチーズの名前を力強く叫んだ。

 その可愛い仕草がおかしくて、皆も口元が弛んでしまう。

 ひとしきり、皆で笑った後、マミさんが手を叩いて立ち上がった。

 

「さあ、それじゃあ、今夜も街をナイトメアから守りましょう!」

 

「はい!」

 

 マミさんの号令に皆が口を揃えて答える。

 ソウルジェムを出して、それぞれ魔法少女に変身すると部屋の窓を開いて夜の見滝原市へと飛び出して行く。

 ゴンべえ君が居なくなって悲しいけれど、それでもまた会えると信じて私は今日もこの街のために頑張るよ。

 だから、きっとどこかでまた会ったらお話しようね。

 心の中で彼にそう言って、私は皆と一緒にナイトメアを探しに夜の街へパトロールに出かけた。

 

 ***

 

「暁美さん。ナイトメアの浄化の方法は覚えてる?」

 

 マミさんがまだ魔法少女になって日の浅いほむらちゃんにそう尋ねた。

 

「はい。ナイトメアを捕まえたら、歌を歌って……べべに食べてもらうんですよね?」

 

 一指し指をピンと立てて前の浄化の光景を思い出しているらしいほむらちゃんにマミさんは首を縦に振る。

 

「ええ。そうよ。一緒に食べて歌ってナイトメアを満足させたうえで浄化させる。それがナイトメアを浄化するのに必要な儀式なの」

 

「どっかの馬鹿はいきなり殴って逃がしちまったけどな~」

 

「アンタも一緒にやったでしょうが。一人に責任擦り付けないでよ」

 

「はいはい。そこ、喧嘩しない」

 

 マミさんは軽くさやかちゃんと杏子ちゃんを窘めるものの、二人が本当に喧嘩している訳じゃない事は皆分かっていた。

 むしろ、二人は仲が良く、姉妹みたいに見える。

 微笑ましく思いながら、夜の街を歩いていると建物の屋上で何かが飛び跳ねる姿が目に入った。

 ビルからビルへ飛び移る姿は人間くらいの大きさだった。けれど、その跳躍力と速さはとても普通の人間に出せるようなものには見えない。

 私たちよりも少し大きいくらいの人影を小さな子供のようないくつかの人影が追っている。

 

「マミさん、あれ!」

 

「……ナイトメア? ううん、違うわね。取りあえず、近付いて確認してみましょう。佐倉さん」

 

「分かってる。まずはアタシとマミが見て来る。全員で行ってこの前みたいに逃げられんのは困るからね。残りは回り込むように進行方向から近付いて……」

 

「すみません。その役、私にやらせてください」

 

 杏子ちゃんの台詞を遮った。

 何故だか分からないけれど、どうしても人影が気になって仕方なかった。

 

「なら、私も一緒にいいですか?」

 

 私に続いて立候補したのはほむらちゃんだった。

 

「私の魔法なら、時間を止めて動きを止められますし、一人くらいなら手を握って移動すればその間、私と同じように止まった時間の中を動けます」

 

 ほむらちゃんが自分からこう言った積極的な発言をするのは少なかったので皆驚いていた。

 魔法少女になってから日が浅い彼女は裏方から皆をサポートする事が多く、矢面に立つのは珍しい。

 

「……まあ、アタシは構わないけどさ」

 

 杏子ちゃんがマミさんにアイコンタクトで窺う。

 マミさんは私とほむらちゃんの顔を見つめた。

 危険に飛び込む私たちの覚悟を問うような瞳と視線が合う。

 私が頑として譲りそうにないと納得すると静かに頷いた。

 

「分かったわ。じゃあ、ここは二人に任せて、美樹さんと佐倉さん、それとべべは私と一緒に先回りするように動きましょう」

 

 それだけ言うと他の皆を連れて人影が向かっている方向へと走り出す。

 内心でマミさんに感謝をしているとほむらちゃんが私へ左手を差し出して来た。

 

「まどかさ……まどか」

 

「うん。行こう、ほむらちゃん」

 

 ほむらちゃんの手を握ると、彼女は右手で左手の手首に着いた小さな円形の盾を弄る。

 私たちを除いたすべてがモノクロ写真のように白と黒で表わされた。音がなくなり一瞬で静けさがやってくる。

 これが初めてではなかったけれど、ほむらちゃんの時間を止める魔法は本当に凄い。遠ざかっていた人影や走り出したマミさんたちまでぴたりと動きが止まっている。

 

「あまり長い時間は持たないけど、使わないよりは早く追い付けると思う」

 

 謙遜だと思ったけれど、私はそれに応えず彼女と息を合わせて、ジャンプを繰り返してビルの壁を駆けあがる。

 建物の凹凸に足を掛けてながらも、ほむらちゃんとタイミングを合わせて一気に上に跳ぶ。

 時間を止める魔法は一旦途切れてしまうが、屋上まで登り切ってからまた再びほむらちゃんが魔法を発動させ、時間を止めた。

 前を行く人影たちはとても速かったが、ほむらちゃんの魔法を何度か繰り返して追い掛けるとどうにか目で相手の姿を確認できる距離まで近付く事ができた。

 

「ありがとう。ほむらちゃん」

 

「どういたしまして……でも、これ以上の連続使用は」

 

 ほむらちゃんの自分の手の甲に着いた紫色の菱形のソウルジェムに目を落とす。

 さっきよりも少し穢れが溜まってしまった様子だ。相手がナイトメアじゃなければ、ソウルジェムは浄化できないし、これ以上の時間停止の魔法はさせるべきじゃない。

 

「もう魔法は使わなくていいよ。何かあっても、ほむらちゃんは私が守るから」

 

「まどか……ありがとう」

 

「ふふ。お互い様だよ」

 

 お礼を言うのは私の方だった。もしもほむらちゃんの魔法がなければ、こんなに早く人影に近付く事はできなかった。

 ほむらちゃんの魔法が解けると、世界に色が戻り、音が再び耳の中に入って来る。

 動き出した人影が街の明かりに照らされて姿を現す。

 大きい方の影は黒いテールコートにシルクハットを被っていた。

 前に見失った卵のナイトメアに似た手品師の格好だったけれど、今目の前に居るのは人型をしている。

 背格好は私たちよりも大きく、服の上からでも肩や腰の形から男の人だと見て取れた。

 追い掛けていた小さい方は子供のように見えた。でも、明らかに普通の子供には見えない。

 現実味のない子供の書いたような頭が異常に大きく、身体の細いデフォルメされた体形の子供。

 鼻がない代わりに眼球と口が大きいアンバランスな顔をしている。

 彼女たちもそれぞれ違った黒い服装をしていたけれど、手品師と違い、立体感のない絵本から飛び出して来たような質感の服だった。

 数は四名ほど居たそれはナイトメアにも、人間にも見えない。

 顔立ちからは判別しにくかったけれど、服装や髪形からみて全員女の子のようだった。

 

「あなたたちは……何なの?」

 

 恐怖よりも困惑が先に出た。ほむらちゃんを庇うように一歩前に出て、彼女たちに話しかける。

 絵本のような子供たちは四人ほど居て、その内、二人がちらりと横目でこちらを見た。

 けれど、興味がなくなったのかすぐに手品師の方へ向かっていく。

 手に持ったのは細長い棒状の武器。先が丸くなった長い杖のようだった。

 手品師もまた手に杖を持っている。子供たちの杖よりも短く、上下ともに先が白くなっている。

 魔法使いが使うような魔法の杖というよりも、本当に手品師が使うステッキに見えた。

 子供たちが長い杖で手品師目掛けて振り下ろす。小さな身体から想像もできないほど速い殴打だった。

 風を切るような音を立てて、手品師の頭を潰そうとしている。

 とっさに弓矢を構えて、それを止める間もなく、杖は手品師を襲いかかる。逃げる事を止めた手品師はそれを自分のステッキで弾いた。

 

「だ、駄目……え?」

 

 ステッキが子供の一人の杖にぶつかった瞬間、子供の持っていた杖が消えた。

 弾かれて飛ばされたのではなく、一瞬にして消滅したようにしか見えなかった。

 離れた場所で見ていた私よりも子供の方が驚いた様子で自分の手元を見つめた。その隙に手品師のステッキが手首を返して、子供に当たる。

 その瞬間、手品師の前に居た子供が消えた。杖と同じように跡形もなく、消滅した。

 

「また、消えた……」

 

 私はいつかテレビでみた消失のマジックを思い出した。

 消えた一人を除いた残りの三人の子供が今度は一斉に杖を槍のように持って手品師へ飛び掛かる。

 彼はそれを待っていたかのように前へに踏み込むと円を描くようにステッキを横薙ぎに振るった。

 ステッキの先端に触れた順に杖を持った子供たちは消え、持っていた杖がカランとビルの屋上に落ちた。

 手品師が落ちた杖を一つずつ無造作に踏むと、杖もまた子供たちのように消え去った。

 

「あ、あの……あなたは?」

 

 手品師は私の方へ顔を向ける。

 シルクハットのつばに隠れてちょうど顔が見えなかった。

 

「…………」

 

 手品師は無言で私を見つめた後、身を翻して屋上の落下防止の金網の上に跳ぶと、何も言わずにそこから後ろへと倒れるように落ちて行く。

 

「え、ま、待って」

 

 急いで金網の網目越しに手品師の姿を探すが、落ちたはずの彼の姿はどこにもなかった。

 

「鹿目さん。暁美さん。無事かしら? 追っていた人影もいつの間にか消えているようだけど」

 

 代わりにマミさんたちが私の背後にある金網を越えて屋上へと辿り着いた。

 今起きた事をありのまま皆に伝えるものの、絵本の住民のような子供たちもそれを消した手品師の事も私自身何者なのか判断ができなかった。

 

「ほむらちゃんは何か気付けた?」

 

「ううん、何も。何も分からなかった。けど……」

 

「けど?」

 

 ほむらちゃんは怯えた様な顔で自分の身体を抱き締めるようにして、言葉を絞り出す。

 

「あの、手品師の格好をした方……怖いと思う。まるで……まるで何もかも消してしまえるように、見えた」

 

 恐怖の滲んだ声で彼女は俯いた。

 私は彼が消えていったビルの下を金網越しにを見つめる。

 確かに彼の力は怖いものだと思う。けれど、私には何故だか彼自身がそれほど恐ろしい存在には思えなかった。

 




べべをようやく登場させる事ができました。
ナイトメアに関してはあの浄化シーン(まあるいケーキ)は面倒なのでやらないつもりです。文章で書いても映えそうにないので。


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新編・第五話 落ちる葉と還る記憶

 絵本の中から出てきたような子供たち。それを簡単に消してしまった手品師。

 ナイトメアとは絶対に違う、新たな存在。

 自分の部屋の机の上にノートを広げてイラストと一緒に昨日あった事を一人で纏めていた。

 あの子供たちは私やほむらちゃんにはまったく興味を持っていないように見えた。……という事は魔法少女の敵ではない?

 昨日見た子供たちのイラストの近くにハテナマークを付ける。

 それなら、あの子供たちと敵対していた手品師はどうなんだろう。

 ほむらちゃんはあの人を酷く怖がっていた。けど、私にはどうしてもそうは思えない。

 顔はよく見えなかったけれど、私たちに危害を加える様子はなかった。何でも消す力があるなら、きっと魔法少女でも相手にならないはずなのに何もせずに姿を消した。

 

「あー。もう、分かんないよ……」

 

 鉛筆を置いて、イラストの周りに考えを書く作業を止めて、机の上に置いてある押し花を見つめる。

 平らに広げられたそれは四つ葉のクローバー―—ゴンべえ君にもらったあのクローバーだ。

 乾燥させて、今では本のしおりとして使っている。

 結局、ゴンべえ君は今日も帰って来なかった。

 パパもママもそれについては何も言わない。でも、それが返って、無理に触れないようにしているように思えてならなかった。

 いつも明るく無邪気なたっくんはゴンべえ君が出て行って以来元気がない。食事時になっても彼が座っていた椅子を寂しげに眺めていた。

 ゴンべえ君のために空けた部屋は綺麗に掃除されている。元々は物置に使っていた部屋だったけれど、彼が居なくなった後もそこに物が戻される事はなかった。

 決して、パパは口に出しては言わないけれど、ゴンべえ君がいつでも戻って来て使えるようにしてある事は私でも分かっていた。

 彼が出て行って寂しいと感じているのは私だけじゃなく、家族みんなが思っている事だった。

 

「……よし」

 

 私は四つ葉のクローバーのしおりを服の胸ポケットにしまう。

 カーディガンを羽織り、お財布をスカートのポケットに入れて、部屋の外へと出て行った。

 ――ゴンべえ君を探しに行こう。

 流石にパパに正直に言うと止められてしまうかもしれないので、黙って足音を立てずにそっと玄関から出る。

 玄関の扉を開けて、家の外へ出ると、夕暮れの空には沈んでいく赤い夕陽が見えた。

 ふわりと風が頬を撫でる。まだ寒くもぬるくもない心地良い温度の風だ。

 私は警察署まで行くバスが出る停留所へ向かう。停留所にはちょうどバスが停まっていて、待たずに乗る事ができた。

 バスの中は平日の夕方なのに私以外にお客さんの姿は見かけなかった。

 窓際の席に座ると外を眺めながら、警察署前のバス停に着くまでどうやってゴンべえ君の事を聞こうかと頭を悩ませる。

 素直に警察署で彼について聞いてもプライバシー情報を教えてもらえるものなのか分からない。かと言って、他に彼が向かった場所は知らない。

 しばらく家に居候していた事を話せば、もしかしたら何か話してもらえるかもと淡い期待をしながら、私は目的地でバスを降りた。

 停留所から少し歩いて、警察署の前に辿り着くと建物を眺めた。

 大きな警察署を前にすると、改めて本当にゴンべえ君の事を尋ねて教えてもらえるか不安になってくる。

 私のやってる事ってストーカーなんじゃないかな……?

 そんな気持ちが湧き出してくるけれど、首を振って、居なくなった友達を探しているだけなんだからと自分に言い聞かせる。

 勇気を持って正面の入口の自動ドアへ向かって歩き出す。

 

「あれ……?」

 

 ガラス張りの自動ドアはいつまで立っても動かない。

 反応しなかったのかと思って、おもむろにドアの前でぴょんぴょん跳ねてみる。

 けれど、警察署の自動ドアは開かない。

 

「やってない、訳ないよね……? 平日の夕方なんだから」

 

 ガラスの向こうに顔を近付ける。そこからは見える光景はがらんとしていて、人の気配は一切なかった。

 それどころか何もなかった。

 電気は点いているものの、階段やエレベーターといった二階に続くためのものすらない、空っぽの空間。

 

「え……」

 

 警察署に入った事のない私でも分かる。

 こんなのはあり得ない。まるでこれじゃ外見だけ取り繕った張りぼてだ。

 ナイトメアの仕業? いや、違う。これはこれは……。

 頭の中で何かが引っ掛かっている。私はこれを知っている。

 警察署から離れて、近くにある建物や店の中を覗き見た。

 どれもこれも中身のない、ドラマの書き割りのような見せかけだけの建物ばかりが並んでいる。

 

「そうだ、周りの人に……あの、すみま……」

 

 近くを通行人を呼び止めようとして、途中で気が付く。

 ……顔がない。目や口の代わりにあるのは模様のよう、あるいは仮面のような『何か』。

 一人だけではなく、道を行きかう人たちは同じように顔がなく、呼び止められた事にすら反応せず、機械的に道を歩いている。

 この人たち人間、じゃない……。

 胸元のポケットに入れてあったクローバーの葉っぱの一枚がはらりとちぎれて、ひらりと宙を舞った。

 

「あ、」

 

 ちぎれたクローバーの葉っぱは溶けるように消えていく。

 その瞬間、頭の中で記憶を塞き止めていたものがなくなった。

 

「思い、出した……」

 

 こんな事ができるのは、ナイトメアなんかじゃない。

 新たに不思議な異空間を作り出し、人を誘う存在は――。

 

「そうだ。私たちが……私が戦っていたのはナイトメアじゃなくて……」

 

 魔女。

 そして、ここは魔女が生み出す。異なる世界、『魔女の結界』……。

 思い出した同時にぞっとした。そうだ、私は家族や友達以外の人の顔を見ていなかった。

 ゴンべえ君という、たった一人の例外を除いて私は知り合いとしか会話をしていない。

 さっき、バスに乗った時にお金を渡した運転手さんの顔すらも。

 何で私は当たり前のようにここで過ごしていたのか。

 私が自分の異様な状況に気が付いた瞬間、少し離れた場所に誰かが立っていた。

 黒いスーツを来た男の人。それも一人ではなく大勢。

 それぞれが全員、仮面を付けていた。私やほむらちゃん、それに他の魔法少女の皆を模した仮面だった。

 顔のない住人たちとは違って、明確に私を見ている。

 両手をぶらんと下げ、膝を曲げた仮面の人たちは無機質な眼差しを向けているのが感じ取れた。

 

「な、何? あなたたちは」

 

 それらは決して私へ近寄って来ない。でも、無言で訴えている。

 忘れろ。それ以上思い出すな。そうすれば何もしない。

 言葉には出していないのにも関わらず、視線だけで伝わってくる。佇まいや雰囲気から得体の知れない気持ち悪さだけが滲んでいた。

 ソウルジェムを握り、ここで戦うべきか考える。ここが魔女の結界内ならこの人たちはきっと使い魔だ。

 でも、私はまだ何か忘れているの……?

 状況が分からないまま、ここで一人で戦うのは危険だ。何より、ママたちだってこの街に居る。

 もしもここで戦えば、私の大切な人にまで手を伸ばしてくるかもしれない。

 魔女の目的は分からないけれど、今まで何もしなかったのならここは戦わずに逃げよう。

 私は目の端で彼らを警戒しながら、バスの停留所へ戻った。仮面の人たちは微動だにせず、私をずっと無言で眺め続けていた。

 バスはまた停留所に停まっていた。まるで最初からそこに停まっているかのように、停止していた。

 乗車する時、今度は運転手の顔を見る。

 やはりそこには顔の代わりに模様のようなものが貼り付いてるだけだった。

 

 ***

 

 ~ほむら視点~

 

 

 

 思い出したくない、忘れていた方が心地よかった記憶。

 それでも思い出さなければいけなかった記憶。

 いくら心地よくても戦わなければならない。ここが魔女の作った結界の中なら、それは私の大切な人への冒涜だから。

 私は階段を上り、それが居る屋上へと辿り着く。

 格子状の金網に囲まれたそこは見滝原市中学校の屋上。

 眼鏡を外し、三つ編みにしていた髪を解くと、夜風が髪を撫で、長い髪がなびいた。

 私は崩れた髪を払うように掻き上げ、屋上から校舎を見下ろしている人影を睨む。

 金網に白い手袋をした手で指を掛けていた男は私に気付いていながらこちらを向かない。

 黒いシルクハットとテールコートを身に着けた手品師のような格好の男。

 

「……ここが魔女の結界内という事は分かっているわ。分からないのは貴方が何なのかという事」

 

 両手で拳銃を構え、後ろを向いたまま動かない手品師の背に突き付けて問う。

 

「貴方がこの結界の魔女? ……いえ、それならおかしい点がいくつかあるわ。一つはこの結界内で使い魔のようなものと戦っていた事」

 

 手品師は振り向く事もせず、私の話を黙って聞いている。

 

「二つ目はこの四つ葉のクローバーを渡した事。これのおかげで思い出したわ。魔女の事。私が魔法少女になった理由と願い。インキュベーターの事。そして……円環の理の事」

 

 クローバーの葉が欠け落ちる度に私の記憶は戻って来た。

 この街が偽物で、私たちやまどかの関係者以外が作られた存在でしかない事も分かった。

 ならば、この目の前に居る男は何者なのか。

 

「答えなさい。貴方は何者なの? ――ゴンべえ」

 

 名前を呼ぶと手品師、否、まどかの家に一時期居候していた記憶喪失の少年、ゴンべえは振り返る。

 朗らかな笑顔を浮かべていたあの時とは違い、酷く冷めた眼差しで私を射抜く。

 

「葉は何枚落ちた?」

 

「何……?」

 

「クローバーの葉は何枚落ちたの?」

 

 銃を降ろし、盾に入れていたクローバーを取り出して、彼の前に突き出す。

 

「三枚よ。それがどうしたの?」

 

 四枚あった葉は一枚を残して、溶けるように消滅した。心なしか渡された時よりも葉の大きさが縮んでいるように見える。

 

「それじゃまだ全部じゃないね。何か重要なこと、まだ忘れているんじゃない?」

 

「重要な、事?」

 

 今、思い出した以上に重要な事なんてある訳がない。

 ここは紛い物の世界で魔女が作り出した結界の中。概念化したはずのまどかや円環の理の世界でも浄化されたさやかが何故この世界に居るのかは分からないが、それでもこれ以上忘れている事はない。

 

「誤魔化さないで貴方は何なの? この結界の魔女の事を知っているの? 答えなさい」

 

 記憶喪失だと語っていたが、仮にあの時はそれが真実だったとしても、今目の前に居るこの男は何も知らないようには見えない。

 落ち着き払った様子からは、少なくとも私よりはこの結界について知っているように思えた。

 

「僕、か。僕はただの残骸だよ。昔、魔法少女たちに縁があって関わって死んだ、ただの男子中学生の残りカスさ」

 

「……ふざけているの?」

 

「いいや? この上なく真面目に答えたつもりだけど」

 

 煙に巻かれたような言い方に怒りを覚えた。思えば、この男は出会った時から嫌いだった。

 当たり前のようにまどかの傍に居て、彼女から大切に思われている。

 確かな確証もないのに私以上にまどかからの信頼を勝ち得ているこの男が、どうにも気に入らなかった。

 

「ならこれだけは答えて」

 

「僕に答えられるものなら何でも」

 

「貴方は……私たちの敵?」

 

 それだけは聞かなくてはならない。正直に答えてもらえるかは分からないけれど、それでも尋ねない訳にいかない。

 ゴンべえは私の質問を受けて、すぐに答えを返した。

 

「ああ。それなら答えられるよ。僕は君ら、魔法少女の敵だ。それだけは間違いない」

 

 悪びれもせずにそう言った彼に、躊躇う事なく引き金を引いた。

 彼はそれを予測していたように銃口から身体を逸らして、弾丸が発射される寸前に回避の姿勢を取る。

 昨日の奴の身のこなしは既に把握している。魔法少女に匹敵する身体能力と、相手を消滅させるステッキ。

 ステッキの間合いに入らず、遠距離から時間を止めて弾丸を撃ち込めば向こうに為す術はない。

 十分に距離を取ってから、腕に付いた円形の盾に埋まっている砂時計を止める。

 カチリと硬質な音を立てて、世界から色と音が消失した。

 これで拳銃を撃てば、時間が動き出した時に弾丸は奴の身体を穿つだろう。

 だが、引き金を引く直前。

 

「……!? 何故!?」

 

 止まったはずの時間の中で彼は当然のように手に持ったステッキを振るった。

 モノトーンの世界はその一振りでひびが入り、水溜まりに張った薄い氷のように砕け散る。

 

「残念。時間は『止まらない』」

 

 砕け散ったモノトーンの世界は跡形もなく、消え失せ夜の色が返って来る。

 月明かりに照らされた手品師は当たり前のように私に(うそぶ)く。

 

「時計の針が止まることはあっても、流れる時間は止まらない。過ぎた時間は戻らない。終わった過去は戻せない。知ってるだろう? それが常識だよ」

 

 そうか。昨日初め見た時に感じた言葉にならない恐怖が腑に落ちた。

 私の魔法を平然と消し去ったこの男は。

 きっと、魔法少女の天敵だ。

 




次の話もほむら視点になりそうです。


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新編・第六話 消える魔法と拒絶の言葉

~ほむら視点~

 

 

 魔法を意図も容易く消失させた『魔法』。

 これが奴の魔法の性質だというのなら、あのクローバーも記憶を取り戻さないように掛けられていた魔法を消滅させるものだったのだろう。

 目的は分からない。しかし、敵だと明言するからには倒しておく必要がある。

 この男の魔法は魔女よりも遥かに厄介だ。特にまどかの傍に居た事も考えると、何を企んでいるにせよ、一刻も早く排除したい。

 距離を取って、睨みを利かせている私にゴンべえは薄笑いを浮かべる。

 

「どうしたの? 威勢がいいのは最初だけ? 十八番(おはこ)の魔法が通じない程度でもう降参?」

 

 細めた瞳とつり上がった口の端からは侮蔑が色濃く表れていた。

 安い挑発。

 だが、その後に続く言葉は激しく私の心を揺さぶった。

 興が削がれたと言いたげに溜息をすると、シルクハットの(つば)を弄りながら視線を逸らしてぽつりと言う。

 

「……つまらないなぁ。それじゃあ、君の代わりにピンク髪の彼女に『遊んで』もらおうかな」

 

 にたりと笑う奴の顔が加虐に染まる。

 背筋が凍った。この男は私がどれだけまどかを大切に思っているのか分かって言っている。

 そして、何もしないなら彼女に手を出すと、そう言っているのだ。

 まどかには指一本触れさせない!

 拳銃を捨てて、即座に腕に付いた盾から、重火器を取り出した。

 この奴の反射速度を上回るためには拳銃などでは無理だ。連射性のあるアサルトライフルを手に取り、横に走り出す。

 近付かれたら消されてしまう可能性がある。一瞬で終わらせることは出来なくとも確実に距離を離して、弱らせてから殺すべきだ。

 

「……っ」

 

 アサルトライフルを抱えて引き金を引く。後方へ飛んで距離を取りながらの射撃する。

 魔法少女の頑強な肉体だからこそできる銃の反動を無視した動き。いくら相手が魔法を打ち消す事ができても実弾は消す事はできない。

 弾丸の雨にゴンべえは僅かに回避行動を取ろうとして、何かに気付いたようにして立ち止まる。

 何に足を止めたかは分からなかったが好都合だ。まともにアサルトライフルの弾丸を浴びれば、無事で済む訳がない。

 

「……どうして?」

 

 棒立ちで立つ彼に向って飛んでいった弾丸はちぎれた昨日の戯画のような子供やクローバーの葉のように掻き消えた。

 彼が虚空から生み出した黒い布によって。

 

「あらゆるものを消す、魔法……?」

 

 もしもそうなら勝ち目などない。

 魔法も銃もすべてを消せるというなら、目の前の男に傷を付ける方法さえ思い付かない。

 けれど、ゴンべえは私の言葉に首を真横に振った。

 

「いいや。僕に消せるのは魔法しか……魔力で作ったものしか消せないんだ」

 

「嘘を吐かないで! それが本当なら実弾を消せるはずない!」

 

「嘘なんか吐いてないよ。僕の魔法は『否定』の魔法。あり得ない、不条理であるものしか消せない」

 

「だったら、何故!」

 

「理由は一つだよ。黒髪の魔法少女さん」

 

 彼は一瞬で離れた私へと距離を詰め寄る。時間を止める魔法を使い、銃弾をばら撒くもそれら両方を意図も容易く掻き消して、にじり寄る。

 息がかかるほど近くに彼の顔が来る。視界一杯に映された彼の表情は侮蔑ではなく、憐憫が乗っていた。

 

「……君の銃が。いや、君を構成するすべてが魔力で作られた偽物だからだよ」

 

 トン、と彼の持つステッキがアサルトライフルの側面に触れる。その途端に(とろ)けるように掻き消えた。

 握っていたグリップの感触や銃の重さが腕の中から瞬く間になくなる。

 

「何を、言って……」

 

 ゴンべえの言っている言葉の意味が理解できない。

 偽物? 私が?

 そんなはずはない。私は暁美ほむら。

 まどかを助けるためにキュゥべえと契約して、同じ時間を何度もワルプルギスの夜と戦い、そして、まどかを魔法少女に……神様にしてしまった弱い魔法少女。

 それでも私は、私だ。彼女が愛した世界を守るために戦う、魔法少女。

 だから、私は彼女の弓を……。

 

「あ、……?」

 

 弓? そうだ。まどかが改変した世界で私は弓で魔獣と戦っていたはずだ。

 銃で戦っていたのは魔女が居た世界での、まどかが円環の理になる前の私だ。

 まだ、忘れている。私は何か大切な事を……。

 

「本当は自分で思い出してほしかったよ。でも、君は視界が狭く、都合のいい夢に溺れる事が好きみたいだから野暮だけど――教えてあげる」

 

 彼は呆然とした私の手の甲に着いた菱形のソウルジェムをそっと外す。

 痛みはなかった。滑らかで優しい手つきだが、非常に正確で素早かった。

 卵型になったソウルジェムを私の目の前に持ってくる。

 次に彼が何をするのか分かった。だから、自分のソウルジェムを取り戻り返そうと手を伸ばす。

 

「やめっ……」

 

 彼はその言葉に一切耳を傾けずに、手のひらに乗せた紫色のソウルジェムを思い切り握り潰した。

 薄いガラス細工のように、硬質な音を立て、彼の指の端から砕けた小さな破片が零れ落ちる。粉々になった破片は、地面に落ちる前に細かい紫色の光の粒になって消えた。

 けれど、私の意識は消える事なく、そこにあった。

 本来、魔法が解ければ元の服に戻るはずの衣装すら身に着けたままだ。

 

「な、ぜ……?」

 

「君、この結界を作り出した魔女を知りたいって言ってたよね? いいよ。教えてあげる」

 

 数センチで身体が密着しそうになる距離で、彼は淡々と私に語る。

 彼の表情には憐憫の色は消え、冷徹な断罪者のような凍るような無表情だけが残った。

 

「それは――」

 

「暁美さん! 跳んでっ!」

 

 その言葉に私は弾かれたように顔を上げ、地面を蹴って後方へ飛ぶ。

 足が屋上の地面から離れた瞬間、私を掬い上げられるような感覚に囚われ、身体が空へと舞い上がる。

 

「マスカルポーネ!」

 

「べべ……?」

 

 足元を見下ろせば、黒く細長い巨体にピエロのような顔をした奇怪な生き物が私を乗せて飛んでいる。

 ナイトメアを浄化する時以外では見せない、小さな人形のような外見に隠されているべべの本体だ。

 まどかが世界を改変する前の世界では『お菓子の魔女』と呼ばれていた魔女であり、私がループの中に居た頃、巴マミを殺した事のある凶悪な魔女。

 

「ティロ・フィナーレ!」

 

 掛け声と共にゴンべえへ目掛けて黄色い弾丸が放たれる。

 見上げれば、屋上の金網に足を乗せたマミの姿があった。器用に細い足場の上で巨大な銃を全身で抱えている。

 避ける事も暇さえ与えないマミの必殺の射撃。しかし、ゴンべえに直撃する寸前、彼は大きな漆黒の布を魔力で作り上げる。

 弾丸は大きく広げられた布に包まれて、勢いを失い、形状を崩してばさりと地面へ落下した。

 彼は地面に落ちた丸まった黒い布から、弾丸だったそれを取り出す。

 

「リボンは弾丸にはならないよ。黄色髪の魔法少女さん」

 

 布の中心部に纏まっていた黄色のリボンの束をこれ見よがしに見せ付けた。

 そのリボンの束を纏めて握って拳を揺らす。すると、次に手を開いた時にはリボンは完全に消失していた。マジックショーのようにリボンを消した手を開閉してアピールする。

 マミは僅かに驚いたように瞬きをした後、持っていた砲身を消して、新たにマスケット銃を一丁生み出した。 

 

「……ゴンべえ君だったわね。鹿目さんの家へ居候していた記憶喪失の男の子」

 

「そうだね」

 

「何故魔法を消せるの? あなたは何者なの?」

 

 面倒そうにステッキを肩で担ぎ、呆れた様な口調で言った。

 

「その質問、さっきもされたよ」

 

「じゃあ……」

 

 マミではない声がした後、彼を拘束するように伸びて来た鎖で繋がれた多節昆(たせつこん)が彼の身体に巻き付けられる。

 

「何回だって答えてもらうよ」

 

 ほぼ同時にまた別の声がして、ゴンべえの背後からすっと刃が彼の首元へ突き出された。

 杏子とさやかだ。マミが会話で自分に注意を向けさせている隙に、二人とも死角から忍び寄っていたのだ。

 彼の正面の金網の上に立つマミも合わせれば、ちょうど三人で取り囲んだ陣形となる。

 

「はあ、いいよ。答えてあげる。僕の名前はゴンべえ」

 

 返答と共に身体に絡み付く杏子の多節昆が瞬時に消えて、彼は冷めた目で首に突き付けられたさやかの剣の切っ先を何でもないように摘まむ。

 剣もすぐさま、多節昆の後を追うように消えた。

 

「君らの敵だよ。よろしくね」

 

 マミのマスケット銃が火を噴く。だが、それも彼が指先で摘まんで、揉み消すように潰した。

 圧倒的な振りを悟って、マミはべべへ叫んだ。

 

「べべ。暁美さんを連れて早く逃げて!」

 

 急速な勢いで、私を乗せたべべは屋上から離れて発進する。

 マミたちを置いて、私はべべと共にその場から逃げ出した。けれど、私のためにあそこに残ってくれた三人へ心配をする余裕は持ち合わせていなかった。

 ひたすら、頭の中ではゴンべえが言いかけた言葉が頭の中で反響していた。

 『この結界を作り出した魔女』。

 そして、ソウルジェムが砕けても何ら変わりのない自分。

 盾から取り出した彼が渡したクローバーの最後の葉はもう残っていなかった。

 残された茎もすぐに夜風へ溶けて、見えなくなる。

 気付けば、私は忘れていた最後の記憶を取り戻していた。

 

 

 ***

 

 

 私は急いでそこへ向かっていた。

 向かった先は夜の学校。

 バスで帰って来た時には既に陽は沈んでいた。停留所に降りた時、自分がこの街を見ていなかった事に気付かされた。

 私が見ていた場所はせいぜい自分の家と、マミさんの家。そして、見滝原中学校くらいだ。

 けれど、私が知っているのは朝から夕方までの学校だけ。もしも夜になれば何か変わっているかもしれない。

 私が忘れている何かはそこにあるかもしれない。そう思ったら自然と足が学校に向いていた。

 校門の前に着くと、校門は僅かに開いていた。

 紛れもなく、それは誰かが夜に敷地内に入った形跡だった。

 胸騒ぎがした。言いようのない嫌な予感を感じに急いで敷地内に入る。

 その時、屋上で動くものが視界に映った。

 迷わず魔法少女に変身して、校舎の窓枠や凹凸を足場にして駆けあがる。

 金網越しにほむらちゃんを除く皆が手品師と戦っているのが見えた。

 

「……ロッソ・ファンタズマ!」

 

 脱臼したのか、片方の肩を庇うようにして槍を構える杏子ちゃんは、魔法で幻影の自分を何人も作り出す。五人に増えた彼女は同時に手品師へ飛び掛かる。

 

「それはさっき見たよ」

 

 冷めた声と一緒に手品師はステッキを横薙ぎに振るう。

 すると、直接触れた訳でもないのに杏子ちゃんの幻影は掻き消えて、本物の一人だけが残る。

 その杏子ちゃんが持つ赤い槍を反対側の手で握り、消し去ると彼女の腹部へ膝を突き入れた。

 

「うっぐ……」

 

 深く減り込んだ膝を引き抜いて、くの字型に折れ曲がった杏子ちゃんの腕と胸倉を掴み上げる。同時に杏子ちゃんの変身が解けた。

 

「杏子! アンタ……」

 

 膝を突いていたさやかちゃんは剣を杖にして覚束ない足取りで立ち上がると、背を向けていた手品師に向かって駆け出した。

 それを予想していたように彼は身体を捻って、掴んだ杏子をさやかちゃんへ向けて投げ飛ばす。ちょうどテレビでみたような柔道の背負い投げのようだった。

 

「そんなに大事な友達なら受け止めてあげるといい」

 

「うわぁっ」

 

 投げ飛ばされた杏子ちゃんは走り出していたさやかちゃんへと衝突する。途中で剣を手放して抱き止めようとするが勢いが強すぎて、受け止めきれずに彼女共々屋上の地面に転がった。

酷い。二人が彼にここまで痛めつけられる理由なんてない。

 

「青髪さん。やっぱり君は『生身』じゃないんだね」

 

 さやかちゃんの方を見て、よく分からない事を呟いた後、視線を向けずにステッキを後ろへ振る。

 彼を狙って放たれていた弾丸は彼のステッキに当たって消滅した。

 

「意識の外からの攻撃ならどうにかなると考えたのか。友達が痛めつけられているのに、虎視眈々(こしたんたん)と隙を伺っているなんてクレバーだね。でも、残念」

 

 険しい表情で荒い息をしているマミさんはたった今使ったマスケット銃を落として、向かいに見える金網に背を預けていた。その様子から杏子ちゃんやさやかちゃんよりも疲弊している事が見て取れる。

 

「涙ぐましい努力だね。でも、あまり魔力を使うとソウルジェムが濁って魔女になっちゃうよ?」

 

「『魔女』? あなた何を、言って……いるの?」

 

「君ら魔法少女が戦っていた敵であり、君ら魔法少女の成れの果ての事だよ」

 

「魔女なんて知らないわ。だって、私たちが戦っていたのは……」

 

「戦っていたのは?」

 

 私は屋上の金網を乗り越えて、私も屋上へ足を着ける。

 それとほぼ同時にマミさんが手品師に促されるままに答えた。

「『魔獣』……どういう事なの? じゃあ、ナイトメアって一体……?」

 

「マミさん……」

 

 自分の顔を片手で覆い、狼狽え始めたマミさんに心配した私は声を掛ける。

 彼女の目が手品師から、私に向けられた。

 

「鹿目さん……。あなたは誰?」

 

 聞かれた質問の意味が分からなかった。

 何かの聞き間違いかとさえ思った。

 でも、それは聞き間違いなんかじゃなかった。

 

「マ、マミさん。どうしちゃったんですか? 私はまどかです。マミさんの後輩で、魔法少女の……」

 

「 いいえ……、『私が知っているあの見滝原市』には鹿目まどかなんて名前の魔法少女は居なかったはずだわ」

 

 あり得ないものを目の当たりにしたかのような眼差しでマミさんは私を眺めている。

 どういう事? マミさんは何を言っているの?

 その手品師に何かされた?

 彼をきっ、と睨む。彼はその視線に応えるようにゆっくりと私の方を向いた。

 月明かりに照らされた彼の顔は私のよく知る人物だった。

 ずっと会いたいと思っていた男の子。

 

「ゴンべえ、君?」

 

「そうだね。この名前は君が選んでくれた名前だったね」

 

 そう言って浮かべたゴンべえ君の表情は、今まで見た事のない冷たい笑顔だった。

 どうしてあなたがと思う反面、妙な納得があった。

 私は彼を知っている。靄が掛かったような記憶から取り出す事はできないのに、それは夢なんかじゃない事だけははっきり理解できた。

 

「まだ思い出さない? 自分が何のためにこの場所に居るのか」

 

「思い出すって、何を? ゴンべえ君は私が何を忘れているのか知ってるの?」

 

「知ってるよ。でも今は先約が居るから、自分で思い出して」

 

「記憶喪失だったのはゴンべえ君の方じゃ、なかったんだ……」

 

「僕は君らと違って一度だって、大切な記憶を手放したことはないよ」

 

 嘲るような口調でそういうと彼は私に背を向けて歩いていく。

 

「待って!」

 

 まだ一番聞きたい事を聞いていない。

 それを聞かないと私は引き下がれない。

 

「何? 僕が何者か聞きたいの? それとも自分の思い出せない記憶の内容? それとも何で君らと敵対しているのかかな?」

 

 横目で見る彼の顔には軽蔑めいた呆れが浮かんでいた。

 私に対して向けられた嫌悪の瞳にきゅっと胃の縁が摘ままれたような痛みを感じる。

 辛い……苦しい……。ここから逃げ出したい……。

 思わずに下を向いて、彼から視線を逸らしたくなった。

 それでも勇気を出して、ゴンべえ君に聞いた。

 

「私と一緒に居た時、ゴンべえ君は楽しくなかった……? 私やパパやママ、たっくんたちと一緒に居た時間、ゴンべえ君は何を感じていたの?」

 

 一縷(いちる)の望みを託した問い。

 彼が何者だろうと構わない。自分の記憶が思い出せなくたっていい。

 でも、これだけは聞かなくてはいけなかった。

 

「ああ、そんな事か」

 

 下らない事を聞かれたような、そんな投げやりな口調だった。

 

「何を感じていたかって? 知りたいなら教えてあげるよ。――君らと過ごした時間はとてもとても……不愉快な時間だったよ」

 

 彼の声に明確な怒気が混じる。

 飄々とした態度が一変して、静かな怒りに彩られた。

 

「人生の中で一番大切な記憶に、汚物でも擦り込まれている気分だったよ」

 

「え……」

 

「紛い物の街で、僕の大切な人たちと見た目だけがよく似た君らと過ごす茶番は、演技でも耐えられないくらいの屈辱の日々だった。これが僕の答えだよ。満足した?」

 

 大好きだった彼から、向けられたその言葉に私はそれ以上言葉を紡ぐ事はできなかった。

 辛いとか、悲しいとか、そういった説明できる類のものじゃなかった。

 自分の感じていた感情がただの独り善がりだと思い知らされた。

 瞳から涙が滲む。ガラガラと今まで感じていた浮ついた気分が音を立てて崩れていく。

 幸せだと思っていたのは私だけだった。

 私は彼の心を何一つ理解できていなかった。

 

「それじゃあね。僕はやるべき事を最後までやるよ」

 

 彼は黒い布を頭から被ると、一瞬で跡形もなく姿を消した。

 凹凸のなくなった布が屋上の地面へ広がり、やがてその布さえ消えてなくなる。

 残された私は膝を突いて、自分の胸を押さえる事しかできなかった。

 




これが今年最後の更新になりそうです。


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新編・第七話 崩壊の序曲

~ほむら視点~

 

 思い出した。

 私が何者なのか。

 何になってしまったのか。

 

「あはっ」

 

 笑みが。自嘲の笑みがこぼれた。

 

「チェダー、チェダー、エメンタール?」

 

 私をその背に乗せたべべが怪訝そうに上目遣いで、突如噴き出した私の様子を伺う。

 かつて魔女として立ち塞がったこいつが何故魔法少女の仲間として、この偽物の見滝原市に居るのかは知らない。

 だが、この結界を作った魔女ではない事は確かだ。

 

「あははっあははははははは」

 

 何故なら。

 この結界の主は、……私なのだから。

 手のひらを広げて、魔力を集め、欲しいものを想起する。

 その途端に手の上には一丁の拳銃が置かれていた。

 やはり私はこの中なら何だって都合よく変化させられる。

 それもこれも私が魔女だから。

 身に着けていたソウルジェムも、この盾もただの偽物。いや、言ってしまえば、今の私も本体ではない。

 私を乗せて飛行しているべべの背に、銃口を突き付けて乱射する。

 

「パルメザン!?」

 

 明らかに装填できる弾丸よりも多い発砲にも拘らず、弾切れは起こらなかった。

 突然、背中で走った痛みにべべは大きく身動ぎして、私を振り落とす。

 

「ロマーノ リコッタ ゴルゴンゾーラ!?」

 

 落とした私を追って、べべは下を向く。

 私は急速に真下へ落下していく心地に身を委ねながら、べべの開いた口に今し方生み出したそれを投げ込んだ。

 投げ込まれたそれ――破片式の手榴弾はべべの口内で爆発し、口の隙間から無数の破片を飛び散らせる。

 その一片が真下に居た私の額を切り裂いた。

 傷口は片方の目に流れ込む。けれど、傷を負った痛みも、血が目に入った痛みも感じなかった。

 まるで覚醒夢のようだった。意識ははっきりしているのに、本来あるべき感覚が何も感じない。

 ただ、ぼんやりと自分の血が未だ赤いという事が無性に笑えてきた。

 

「あはははっ……あ――――」

 

 地面に激突する瞬間。

 一番自分の叶えたかった願いが響く。

 『まどかを守れる私になりたい』。

 ずっと願い続けて、結局叶わなかった願い。

 まどかはもう届かない。彼女の願いは……自分以外のすべての魔法少女を救うために自らを犠牲にして、希望になる事だった。

 なら、もう私には何も残っていない。

 ――いいえ、まだよ。

 地面に激突し、衝撃が身体を叩く。巨大な金槌で全身を殴打されたような激しい感覚に目眩がした。

 しかし、やはり痛みは生じない。これだけ他の感覚は感じるのに痛覚だけが抜け落ちたような奇妙な違和感があった。

 ひしゃげた身体を起こす事もできず、私は私を俯瞰する。仰向けに倒れた自分の身体を遥か上から眺めている。

 切り替わった俯瞰視点の私は、落ちて潰れた私の思考を継ぐ。

 ――まどかはこの街で思ったはず。もっと生きたいと。幸せを感じていたいと。

 そうでなければ恋などしない。あの男を想って過ごした日々をこれからも続けていきたいに決まっている。

 そうだ。まどかは幸せにならないといけない。奪われた当たり前の日常を、取り返してあげなくてはならない。

 取り返さないと。取り返さないと。取り返さないと。

 私はそうして、目を醒ます。

 自分のあるべき姿に戻るために。

 意識が一度暗転し、水底から上に浮上していくような感覚が意識を包む。次に目を開けるとそこは不思議な空間だった。

 白いシーツを掛けられたベッド。そこは寝室を模している様子だった。だが、部屋というよりは蛾か何かの繭の中と言った方が似つかわしい。

 円形のドーム状に膨らんだ空間は太い繊維状のものが幾本も張り巡らされている。ところどころに深い穴が穿たれているが、その穴からは何の景色も見渡せなかった。

『真実なんて知りたくもないはずなのに、それでも追い求めずにはいられないなんて、つくづく人間の好奇心というものは、理不尽だね』

 

 聞き覚えのある、けれど聞きたくない声。

 それは私が居る寝室へと扉の隙間から侵入して来た。

 

「インキュベーター……やっぱり、何もかも、あなたの仕業だったのね」

 

『まあ、君ならいずれはきっと、答えにたどり着くだろうとは思っていたよ、暁美ほむら。僕らの事も思い出してくれたようで何よりだよ』

 

 白い小動物。耳から長い触腕を生やした猫のようにも見えるそいつはベッドの前までやって来ると、何の感情も映していない赤いガラス玉のような眼球で私を見上げた。

 結界の中に居た紛い物と違い、知性のある仕草で動き、人の言葉を操っている。もっとも口を動かしているのではなく、頭に直接言葉が流れ込んでくる訳だが。

 私は身体に掛かっていた白いシーツを剥がし、両の足をベッドの上から投げ出す。

 身に付けている衣服は見滝原中学指定の制服でもなければ、魔法少女の衣装でもない初めて見るゴシックなドレス。

 

「これも私の身体も……」

 

『君の命と魂が、今どこにあるのか気になっている様子だね。教えてあげるよ』

「それは興味深いね」

 

 インキュベーターではない別の声がした。

 いつの間にか、奴の後ろに黒い何かが置いてあった。音も気配も、予兆すらなかったものの、それは一瞬にしてそこに出現したものだと解った。

 そうでなければインキュベーターの身体よりも一回り大きい上、色も対照的なそれに気が付かない訳がない。

 形は円柱状で上部の縁だけが外側に薄く伸びている。

 逆さまになったシルクハットだと判別するのに僅かな時間が掛かった。

「僕にも聞かせてよ」

 

 シルクハットの中から、ぬっと一本の腕が突き出した。

 逆さまになった帽子の内側から這い出して来たその腕は白い手袋と黒い袖に包まれている。その構図は趣味の悪い絵画か、コラージュされた画像のように映った。

 奴が存在を感知して振り返るよりも早く伸びた腕は、獲物に触れたイソギンチャクのように俊敏な動作でインキュベーターを掴み取る。

 

『君は……』

 

「初めまして。この世界の孵卵器さん」

 

 声と共にシルクハットから腕だけではなく、頭や身体が這い出して来る。

 どう見たって帽子の内側を通れる大きさのものではないが、途中で詰まる様子もなく、するすると出て来る様は格好も相まってマジックショーのように見えた。

 最後に残った片足を抜くと、今しがた入口として使ったシルクハットをインキュベーターを掴んだ方とは逆の手で拾って頭に乗せる。

 

「ゴンべえ……」

 

 どうして、この場所に来られたのか。疑問を言葉にする前に彼は何でもない事のように答えた。

 

「何でここに居るのかって顔してるね。答えはこれさ」

 

 彼は空いている片手を一度握り込み、私に見せるように開く。

 白い手袋の上にあるのは細かな破片。小さく砕けたそれは僅かに紫色に輝いている。

 

「それは、私の」

 

「そう。君の『偽』ソウルジェムの断片だよ」

 

 そうか。何故、彼がソウルジェムを消さずに砕いた理由は私に分かりやすく見せ付けるためだけはなかった。

 砕いたソウルジェムの……私の一部を手に入れて私を追うための材料にするためだったのだ。

 どこまでも抜け目ない男。私はこの男の追跡を避けるためにわざわざ前の身体を捨てたのに、それすらこの手品師の格好をした男には無意味だったらしい。

 

「ある程度街の中で手抜きの場所と異常に作り込んでいる場所の範囲を調べていたけど、出口になりそうな場所が見つからなくてね。君がすべての記憶を思い出せば道が開けるかと思ったんだけど、これはビンゴってことでいいのかな?」

 

 その結果、黒髪さんの使い魔に追い回された訳だけど、と疲れたように彼は呟いた。

 

『イレギュラーな人物。ゴンべえ、だったかな。君はこの宇宙と一切の因果関系がない“二人目”の存在。暁美ほむらですら予測不能だったようだけど、君は一体何なんだい? 僕らの事も知っている様子だけど』

 

 ゴンべえに捕まっているインキュベーターは首だけを辛うじて動かして、彼に問いかける。

 それについては私も聞きたい。だが、それ以上にさっきの話の続きが気になる。

 彼もまた私と同じ気持ちのようで、インキュベーターに催促する。

 

「その質問はそっちが種明かしをしたら答えてあげるよ」

 

『……まあ、いいさ。元々、暁美ほむらには伝えようとしていた事だからね』

 

 前置きをしてからインキュベーターは壁に向けて、一つの映像を映し出した。

 そこにはどこまでも続く広大な砂漠。その一角で幾何学図形のようなものがいくつも空中に浮かび、円形に展開されている。

 中心には台座のようなものと、横たわって眠る――私の姿があった。

 胸の上で組まされた手の上には黒ずんだソウルジェムが無造作に置いてある。

 

『これがこの偽物の見滝原市の外側、現実世界の君の姿だよ』

 

「そんな……」

 

「ふうん」

 

 見せられた現実の私の姿に衝撃を受けた。他人事でしかないゴンべえはさして驚きもせずに眺めている。

 その態度に少し腹が立ったが、そのおかげでショックを必要以上に受けずに済んだ。

 インキュベーターは構わずに説明を続ける。

 

『僕たちの作り出した干渉遮断フィールドが、君のソウルジェムを包んでる。すでに限界まで濁りきっていたソウルジェムを、外からの影響力が一切及ばない環境に閉じ込めた時、何が起こるのか』

 

 あの、現実の私の肉体を覆うように展開されている幾何学図形のようなものはインキュベーターが作り出したものだと言う。

 そのせいで私のソウルジェムは濁り切っても円環の理に導かれる事なく、留まっているのか。

 インキュベーターはこれを実験と称した。

 魔法少女を浄化し、消滅させる力。私たちが“円環の理”と呼んでいる現象から隔離された時、ソウルジェムはどうなるのか。

 それを観測するためにこの大掛かりな事をしたのだと。

 遮断フィールドに保護されたソウルジェムが、まだ砕けていない以上、私は完全な形で、魔女に変化できなかった。

 卵を割ることができなかったヒナが、殻の中で成長してしまったように、自らの内側に結界を作り出すことになった。

 それがこの偽物の見滝原市。

 ここまで教えられれば嫌でも分かる。この偽物の街はソウルジェムの中にある世界なのだ。

 しかし、その説明だけでは説明の付かない点がある。

 

「外部と遮断されているなら、この結界に誰かが迷い込んでいるのはおかしいわ」

 

『そこはボクたちが調整してるのさ』

 

 淡々としているが、どこか得意げにインキュベーターは言った。

 フィールドの遮断力は、あくまで一方通行。

 外からの干渉ははじくけれど、内側からの誘導で、犠牲者を連れ込むことはできる。

 

『魔女としての君が、無意識のうちに求めた標的だけが、この世界に入り込めるんだ。ここまで条件を限定したうえで、なおも“円環の理”なる存在が、あくまで暁美ほむらに接触しようとするならば、その時は、君の結界に招き入れられた、犠牲者という形で、この世界に具現化するしかない』

 

 そうして、僕たちインキュベーターはこれまで謎だった、魔法少女消滅の原因をようやく特定し、観測することができたよ。奴はそう言った。

 

『それが“鹿目まどか”。君が以前から呼んでいた“円環の理”の別名。君のおかげで探す手間が省けたよ、暁美ほむら』

 

「そんな、じゃあ、これは……」

 

 私のせいだ。

 今、この街に私の知り合いが取り込まれているのは皆、私が招いた事……。

 

『過去の記憶にも、未来の可能性にも存在しない、一人の少女。この宇宙と一切の因果関系がない一人目の存在。彼女については暁美ほむらからの情報から推測はできた。でも、ゴンべえ。君は違う』

 

 インキュベーターはゴンべえに視線を向けた。

 私もまたつられて彼を見た。

 

『暁美ほむらとの関係性も見出せなかったにも関わらず、違和感もなくこの世界に紛れ込んできた。その上、神であるまどかさえ掛かった記憶操作を一切受けていなかった。一体、君はどうやってここに入って来たんだい?』

 

「誰もこんな場所に好き好んで来た訳じゃない。巻き込まれたのさ。どこぞの女神様がここに引き擦り込まれる時に消え失せる直前の僕の魂の残滓を掴んだ。意図的かどうかは知らないけど、そのせいで僕も引っ張られてここに落ちた」

 

 いい迷惑だよ、と吐き捨てる。

 概念化した後のまどかを知っている素振りだったが、彼の表情から決して好意的な感情を持ち合わせていない事だけがありありと読み取れた。

 

「まあ、僕のことは別の宇宙から来た魔法を使える少年Aとでも思ってくれればいいよ。それより孵卵器さん。僕なんかに構うよりも彼女にまだ言い足りないことがあるんじゃないの?」

 

『そうだね』

 

 インキュベーターは再び、私の方へ向き直る。

 

『さあ、暁美ほむら。まどかに助けを求めるといい。それで彼女も思い出す。自分が何者なのか、何のためにここに来たのかを』

 

 もはや聞く必要はない事だった。こいつがここまでする目的など一つに決まっている。

 いつだってそうだった。インキュベーターは世界が変わる前から同じ事を繰り返す。

 それでも私は尋ねた。

 

「インキュベーター、貴方たちの狙いは何?」

 

『もちろん、今まで仮説にすぎなかった“円環の理”を、この目で見届ける事。そして、干渉し、制御下に置く事だよ』

 

 こいつは抜け抜けとそう言った。

 

『観測さえできれば干渉できる。干渉できるなら、制御もできる。いずれ僕たちの研究は“円環の理”を完全に克服するだろう。そうなれば、魔法少女は魔女となり、さらなるエネルギーの回収が期待できるようになる』

 

 駄目だ。やっぱりインキュベーターの目的はまどかの支配。

 絶対にそんな事をさせる訳にはいかない。まどかには指一本触れさせる訳には……。

 胸の中で渦巻くどす黒い感情の奔流が周囲に流れ出す。繭状に広がる空間の穴からは眼鏡を掛けていた頃の私を模した使い魔達が這い出て来た。

 ここは私の結界の中。この中なら私は何だってできる。

 インキュベーターを掴んでいるゴンべえごと始末しようとした時。

 

「ああ。それは無理だね。孵卵器さん」

 

 ゴンべえが突如、口を挟んだ。

 

『どうしてだい? 円環の理でも観測できれば、いずれ……』

 

「だって、この偽物の街も、そこの黒髪の彼女も、その円環の理も。皆、僕が壊すから」

 

 使い魔達も、私も、インキュベーターも、彼の言葉を呑み込めず、無言で目を向ける。

 周囲の場が停止した。爆発寸前だった感情が困惑で塗り潰されいく。

 ゴンべえは逆にそんな私たちに対して、冷酷な笑みで返答した。

 

「何を驚いているの? 僕は早くこの場所から出て行きたいんだ。だから壊す。黒髪の魔法少女さんの願いも、孵卵器さんの野望も、円環の理の祈りも全部纏めて叩き壊して、僕はこの吐き気のする世界からさっさと出て行くよ」

 

 握っていたインキュベーターを無造作に握り潰し、その手にステッキを生み出すと頭上に掲げた。途端に現れた使い魔は溶けるように消え去る。

 (うた)うように彼は高らかに宣言する。

 

「それじゃあ、始めようか――魔法と奇跡の崩壊の物語を」

 

 そうだ。彼は最初から言っていたではないか。

 自分は魔法少女の敵なのだと。

 




やはりこのキャラは味方より、敵の方が似合いますね。


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新編・第八話 悪意の王様

~ほむら視点~

 

こいつだけは。

こいつだけは何があってもまどかに近付けてはいけない。

得体の知れない魔法を打ち消す魔法使い、ゴンべえ。こいつの目的はまどかの消滅……インキュベーターなど比べものにならないほど危険な存在だ。

前に腕を突き出して、奴に向けて振る。

床から魔力で編み上げた巨大な紐状の突起物を幾本も生成し、そのすべてをゴンべえ目掛けて差し向けた。

奴は避ける動作すらも取る事なく、掲げたステッキを指揮棒の如く振るった。

巨大な紐状に伸びた突起物はゴンべえに掠る事なく、彼の頭上で全て掻き消える。

 

「どうしたの? 急に手を突き出したと思ったら振り下ろしたりして……創作ダンスの練習でもしてるの?」

 

 嘲笑う手品師は未だ健在。傷一つ付けるどころの話ではない。

 奴を倒す術がない。インキュベーターだけでも厄介なのにこの男はそれ以上だ。

 もっと。もっと魔力を……穢れを集めないと。

 自分の中の絶望を加速させる。早く、魔女になりたい。こいつを倒せる強い魔女に。

 じゃないと、まどかを守れない。

 周囲の空間が歪む。四方から樹木の成長映像を早回ししたかのように建造物が生え、そこから使い魔が卵から孵った幼虫の如く湧き出てくる。

 私に似た兵士のようなもの、鳥のようなもの、私やまどかたちを似せた仮面を被ったもの、それから前にゴンべえに消された戯画化された少女のようなもの。

 隠れていたらしいインキュベーターも空間の歪みに押し出されて、猫に追い立てられたネズミのようにバラバラと逃げ出して行く。

 少女のような使い魔は投げ縄のようなものでインキュベーターを捕まえ、縄で締め付けるように潰して一匹ずつ圧殺していった。

 これなら私の結界内のインキュベーターは始末できる。

 問題は……。

 

「よくもまあ、こんな大量に作り出したもんだね。まあ、何匹居ても僕にとっては案山子も同然なんだけど」

 

 ゴンべえはシルクハットを摘まんで逆さまに持ち上げた。

 内側からばさばさと羽音を立てて、何羽も白い鳩が翼を広げて、私の繭の中へ舞い上がる。

 ひらりと舞った白鳩たちは私の使い魔に追突すると、白い煙を上げて消え失せる。

 代わりに大量の紙吹雪が現れ、宙でばら撒かれる。粉雪のように舞う紙吹雪は触れた場所から熱された氷の膜、あるいは炙られた薄い紙のように溶けて崩れていった。

 私の怒りも絶望も嘲笑うかのように奪っていく残酷な紙片は、白鳩が割れる度に数を増していく。安っぽい見た目に反して、効果は絶大だった。

 使い魔や新たに生えた建造物どころか、この空間にも穴を一つ、また一つと穿ち、繭の中は次第に崩壊し始める。私の中の激しい感情を奪い去っていくように。

 

「ねえ、お代わり……もうないの?」

 

 シルクハットを被り直し、料理でも催促するかのように私へ尋ねる。

 待っているのだ。次の私の攻撃を。

 

「馬鹿に……しないで!」

 

 生き残っている使い魔を一斉に奴目掛けて襲わせる。

 手品師はステッキを指先だけでバトンのように回した。使い魔はそれだけで空気を入れ過ぎた風船のように膨張。

 次の瞬間には一斉に破裂して同時に居なくなる。

 もはやステッキで直接触れさえしない。

 私は戦慄した。私やマミたちと戦った時、こいつは手加減していたと理解したからだ。

 遊んでいた。いや、今もなお加減し続けているのだろう。

 何故なら、この期に及んで手品師は私に近付いても来ていない。

 残虐な猫が、逃げ場の無くなった鼠を殺さないように(なぶ)るようなもの。

 興味を失ったのか、私へ視線も向けなくなった奴はステッキを弄びながら、片手間に私に尋ねた。

 

「ねえ、君さ。そもそも何がしたいのさ?」

 

 ステッキがゴンべえの人差し指の上で回る。バランスを崩さずに回転したステッキを弾いて、ペン回しの要領で中指、薬指と順に動かしていった。

 

「……貴方に言われたくないわ。私は、まどかを守るために戦って……」

 

 言い終わる前に奴は口を挟む。

 

「じゃあ、守るって何?」

 

「え……?」

 

「何を()って守ったことになるのさ?」

 

 何を、言っている? 

 こいつは何を……?

 そんなもの、決まっている。

 

「『まどか』の生命さえ守れればいいの? それとも『まどか』の平穏な生活ごと守るってこと?」

 

「後者に決まってるでしょう。私はまどかの幸せを願ってる! だから!」

 

「それなら何で僕がピンクの彼女の家に居た時、あんなにも不機嫌だったの? 彼女、あんなにも楽しそうにしていたのに」

 

 不機嫌……? そんな事はあり得ない。

 まどかが幸せなら私はそれ以上望まない。

 そのために、ずっと独りで何度も時間を繰り返してきた。

 最初に誓った想いが。魔法少女としての願いが蘇る。

 死んだまどかを前にして、魔法少女との契約の際に言った願い事。

 

「私は……。私は、まどかとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい。そう願って魔法少女になった。まどかが幸せなら何も要らない!」

 

「嘘だね」

 

 ステッキを弄るのを止めたゴンべえは冷めた表情で私の言葉をあっさりと否定する。

 淡々としている声色には呆れさえも滲んでいない。嘲笑もなく侮蔑もない。ただ当然の事を述べるだけというような態度。

 故に先程までの侮辱めいた台詞よりも鋭く胸に突き刺さった。

 

「君の想いはそんなに純粋なものじゃないだろう? 君の願いはもっと利己的で、一方的で、粘着質だ」

 

 踏み込むような大きな一歩で、私の前に跳ぶ。

 奴の黒い瞳孔の眼差しが身体をその場に縛り付け、氷柱のような言葉が思考の自由を奪う。

 息苦しさを感じさせる強烈な圧迫感。

 出鱈目に腕を振り上げ、使い魔を呼び出すが、それらはステッキ一振りで跡形もなく片付けられた。

 

「嫉妬したんだろう? こんなにも頑張っている自分を差し置いて、彼女に好意を易々と手に入れた僕に」

 

 違う、と唇を動かすが声にならない。

 大仰な身振り手振りと、演劇じみた感情表情の露骨な抑揚の付け方で奴は語る。

 

「見ればすぐに解ったよ。そりゃあ腹立って立つよね? 自分には彼女しかいないのに、当の本人は自分なんかそっちのけで知らない男に首ったけ……悔しいし、何より哀しい」

 

 止めろ。言うな。言わないで。

 それ以上、私の心に入って来るな。

「なぜなら、向ける想いの違いを見せ付けられるから。自分に向けられた好意とは別種の好意。そして、ふと気付いてしまう」

 

 言うな。

 喋るな。

 私の心に踏み入るな。

 

「『ああ、彼女にとっての私は特別ではなかったのか』と」

 

 身体から力が抜けていく。真っすぐに立っていられずにその場に座り込んだ。

 黒の手品師はそれを黙って見下ろしている。

 壊される。こいつの言葉を聞き続ければ、私は私で居られなくなってしまう。

 逃げなければ……少しでもこの男から距離を取らないと。

 声が聞こえないほど遠くに。

 足元が私を中心に歪む。亀裂が入り、縦に、横に、斜めに割れていった。

 天井が崩落し、壁は剥がれ落ち、床は下へと分解して落下していく。

 外層の割れた隙間から、黒く濁ったコールタールに似た液体が噴き出し、内側へ流れ込む。

 漆黒の液体は私を瞬時に呑み込むと、手品師から逃がすために流動し始めた。

 

「まだ話は終わってないよ。逃がすと思う?」

 

 白い手袋に包まれた手が私の腕を掴もうと伸びた。

 

「ちっ」

 

 しかし、奴が掴んだ腕は私に似せた使い魔のものだった。

 黒の流動する液体は身代わりの使い魔をいくつも作り出して、奴の目を撹乱させる。

 その隙にもっと深いところに私は逃げ込む。

 黒い液体の中でひたすらに下へと流れ落ちて行く。

 もっと、もっと、深い場所へ……。

 

 ***

 

 優しい風が顔を撫でる。

 目を開くとそこは広い野原だった。

 ベンチに腰掛けた私は見滝原中学校の制服を着ていた。

 垢抜けていない眼鏡を掛け、三つ編みに髪を結い上げている。

 隣には同じく制服を着込んだまどかが座っていた。

 空は青く、穏やかな日の光が暖かい。

 嫌な夢でも見ていたと思ってしまうほど平穏で長閑な景色に私はしばし呆然とする。

 

「あ、れ……私。何だか変な夢を見ていたみたい」

 

 いや、きっとそうだ。こちらが現実で今まで見ていたものはただの夢。

 思い返そうとしてももうどんな夢だったのかも覚えていない。

 

「えーと。何か話してたんだっけ、私たち」

 

 隣に座るまどかさんに話しかける。

 学校帰りに二人で立ち寄ったこの野原があまりにも居心地が良くてうとうと微睡んでいたのだろう。

 ひょっとしたら私が起きるまで彼女を退屈させていたのかもしれない。

 そう思って尋ねるが、まどかさんは答えてくれなかった。

 

「…………」

 

「ごめんね。怒ってる?」

 

「ああ。もうカンカンだよ」

 

 座っていたまどかさんの頭が爆ぜた。

 消失した首の上には黒いステッキがベンチの後ろから伸びている。

 

「あ……」

 

 頭を失った彼女の身体がベンチから転げ落ち、溶けるように消えていった。

 最愛の友人が目の前で無残に消えていく光景に思考が付いて行かず唖然とする。

 そんな私にベンチの後ろから声が浴びせられた。

 

「都合のいい夢に逃避するのは魔法少女の専売特許なのかなぁ?」

 

 強烈な侮蔑の籠められた悪意ある声の持ち主。

 私はその声の持ち主を知っている。

 ベンチの背もたれの上に座っているのは手品師の衣装を着込んだ中学生くらいの男子。

 

「ゴン、べえ……」

 

「話の途中で離席なんて、君、学校で何学んで来たの?」

 

 後ろを向いた彼は呆れたように呟いた。

 その途端に記憶が戻る。夢などではなかった。ここは私の逃げ込んだ空間。ここに居るまどかも偽物。

 この男は私を壊しに追って来た敵で、およそ勝てる方法さえ思い付かない化け物。

 

「さて、お話の続きをしようか。魔女さん」

 

 逃げ出そうとする前に伸びてきた手に髪の毛を掴まれた。

 

「いたっ……」

 

 ベンチの後ろへ無理やり引っ張られて、ベンチの背もたれに後頭部を殴打する。

 逆さまになった視界には冷酷な笑みを浮かべた手品師が映った。

 

「まどかまどかと気の触れたように口ずさんでいるけど、君が好きな『まどか』って誰?」

 

「何が、よ……」

 

 これこそ質問の意味が分からない。

 本気でこの男が何を言っているのか分からず、戸惑いの声が漏れた。

 私の髪を掴んだ手とは逆の手でステッキを軽く回す。

 

「君は何度も繰り返して『まどか』との出会いをやり直したんだって? それはつまり、繰り返す度に前の『まどか』と出会って来た訳だ」

 

 じゃあさ、とゴンべえは区切る。

 

「最初に出会った『まどか』と次に出会った『まどか』も同じだった? 次の『まどか』もその次の『まどか』も全員寸分違わず同じに見えた?」

 

「当たり前じゃない。同一人物なのよ。違いなんて、あるはずないわ」

 

 私がそう答えると、奴は瞳を細めて笑った。

 今までの中でも最も悪意の載った笑い方だった。

 

「あはははははははははぁっ。そうか、うんうん、そうなんだぁ。あはははははっ」

 

「何がそんなにおかしいの!?」

 

 (かん)に障る哄笑に、思わず声を荒げた。

 力の差など関係ない。この男が何者だろうと私のまどかへの想いまで(はずかし)められる謂れはない。

 だが、ゴンべえは嘲りの態度を変えず、続けて言う。

 

「おかしいさ。だって、替えが利くんだろう。君のだぁいすきな『まどか』は」

 

 頬の端を吊り上げ、両目を皿のように見開いた凄絶な笑みを私へ向ける。

 悪意を眼球を通して脳にそのまま流し込まれているような、悍ましい感覚が思考を侵す。

 激しい吐き気を感じるのに、息ができず、視線すら逸らせない。

 凍った思考が流れ込む悪意に汚れていくのに拒絶する事も許してはくれない。

 違う……。まどかは替えの利く存在なんかじゃない。

 そう言いたいのに邪悪な笑みは否定もさせずに言葉のナイフを突き刺す手を止めてはくれない。

 

「君と築いた友情も、君に懐いた感情も受け継げない。それなのに同じと言うんだね、君は。なるほどなるほど、じゃあ仕方ない。同じものがいくらでも手に入るんだもん。駄目(・・)になった奴はさっさとゴミ箱に捨てて、新品に交換にしちゃうよねぇ?」

 

 繰り返してきた時間の中で出会ったまどかたちの最期の顔が思い出される。

 私はそれを何度見て、何度諦めてきたのか。

 それでも。

 

「それで、も……」

 

「うん?」

 

「それでも私は彼女を、救いたかった! 永久に繰り返し続けるとしても、ループする時間の迷宮に閉じ込められたとしても!」

 

 そうだ。流されるな。

 私の想いはこんな奴の言葉に揺らぐような脆弱なものではなかったはずだ。

 まどかを救う。それだけを目印に私は戦ってきたのだ。

 

「楽だよね。悲劇の主人公を演じるのは」

 

 けれど、その想いすら汚される。

 

「可哀想な自分を正当化するためなら、何だって許されると本気で思い込める。分かる。分かるよ、黒髪さん。僕も幼稚園児だった時に母を亡くしてね。その頃は本気でこう思ったものさ。『ああ、自分は世界で一番不幸な存在なんだ』って」

 

「そんなものと一緒にしないでっ! 私のまどかを救うために何度だって戦い続けたわ!」

 

「もっと上等だって言いたいの? くくっ、そうだったね。黒髪さんは大切な『まどか』のために頑張ったんだもんね。何人死のうと、見切り(・・・)を付けて、代わりの『まどか』を見付けては守ろうとしたんだっけ? 」

 

 でもまあ、と一拍置いてゴンべえは私の鼻先に顔を近付けた。

 

「詰まる所、君にとっての『まどか』というのは記号だってことの証明じゃあないのかな? 自分が頑張るための記号。マラソンのゴールラインや高跳びのバーのような判り易いクリア条件のための記号」

 

 ねえ、本当は安心してたんじゃない?

 脳を冒す猛毒の言葉。

 

「同じだってことにすれば、自分が見捨てたこと自体帳消しにできるからね。繰り返す度に『まどか』の存在は大きくなった。代わりに時間ごとの『まどか』の命は軽くなっていく。残るのは可哀想で健気な自分。頑張っていることで、見捨てた『まどか』を忘れることの許される自分。自分、自分、自分……!」

 

 繰り返してきた時間。やり直してきた戦い。

 そのすべてを否定された。

 メスで切開され、内部に詰められていたものを晒され、一つずつ丹念に叩き潰していく。

 私を構成する要素を(けな)し、(おとし)め、どこまでも台無しにする。

 この男は、私からどこまで奪えば気が済むのだろう。

 どれだけ私を傷付ければ満足するのだろう。

 こんな奴にここまで言われる筋合いはない。しかし、言い返せなかった。

 心の中でこいつの物言いに納得している自分が居た。

 目頭が熱くなり、涙が滲む。後ろ髪を掴まれているせいで、涙滴は頬ではなく、眼鏡の内側にこぼれ、さらに額へと伝う。

 歯を食いしばらなければ嗚咽が(ほとばし)っていただろう。

 泣きたくない。ここで泣き喚いてしまえば目の前の男に屈した事になる。

 

「あー……ごめんごめん。言い過ぎたよ。泣かないで、黒髪さん」

 

 ゴンべえは私の髪から手を離し、攻撃的な嘲笑を止めた。

 私の掛けていた眼鏡をずらすと白い手袋で涙を優しい手付きで拭き取る。そして、柔らかい微笑みを浮かべた。

 まどかの家で見た時のような、穏やかで人の良さそうな笑顔。

 だから一瞬、不覚にも心が弛んでしまった。

 

「そこまで君が気にすることなかったね。うん、どうせ替えの利くものなんだから。君が出会って来たピンク色の髪で、心の優しい優しい女の子ならみーんな『同一人物(まどか)』なんだもんね」

 

 残酷な最後の一刺しの予備動作だという事に気が付けなかった。

 

「大した友情だね。ひょっとしたら、愛情なのかな? ……まあ、どっちでもいいか。どちらにせよ、その程度のものなんだから。ね、『暁美ほむら』さん」

 

 ミシミシと軋む音が聞こえた。罅が入っていく。

 野原はいつしか荒れ地へと変わっていた。気付けば腰掛けていたベンチは奇妙な動物の骨で構成されている。

 青空は暗く澱み、気温は背筋が凍るほど冷え込んでいた。

 楕円形の三日月が顔を出し、その月の内側から肉のない骨だけの指が湧き、穴でも裂くように月を縦に破いた。

 亀裂は広がり、夜空の壁紙を剥がし、その巨体を露わにしていく。

 頭部の大部分から彼岸花を生やした大きな魔女。

 ああ、と一目で理解する。

 あれは私だ。魔女としての私。呪いを集めた私。

 絶望した私。

 

「ようやくお出ましか。それにしても大胆なヘアカットだね。夏休みデビューに失敗したの?」

 

 既に立ち上がっていたゴンべえはステッキを構え、魔女へと対峙する。

 空間ごと競り上がっているのか、荒れた地面と濁った夜空は激しく揺れながら外側に崩れていった。

 剥げた空間の外には見滝原市の街並みと濁りのない見慣れた夜空。

 まどか。ごめんね……。

 どういう意味合いでの謝罪なのかもう自分でも分からない。

 彼女に謝らなければいけない事はもう数えきれない。

 それでも、私はやるべきを事を見つけた。

 倒さなければならない敵を知った。

 

「死になさい。手品師……」

 

 すべてを壊し尽くそうとするこの破壊者が、貴女を手に掛ける前に――必ず殺す。

 

 




なんて邪悪な奴なんだ……ゴンべえ。


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新編・第九話 蘇る記憶

 ゴンべえ君は最初から私を騙していた。

 記憶喪失でもなければ、行く当てに困っても居なかった。

 それどころか、魔法少女のことも最初から知っている様子だった。

 

――お帰り、鹿目さん。

 

 演技だったんだ。あの笑顔も。優しい声も。穏やかな眼差しも。

 全部……嘘だった。全て偽物だった。

 彼は私の事を嫌っていた。私と一緒に居た時間を不快とさえ思っていた。

 その事がとてもショックだった。

 ゴンべえ君が私の事を嫌っていた事にじゃなく、ゴンべえ君に嫌われていたなんて考えてもいなかった自分自身に。

 私は何も見えていなかった。……ううん、違う。

 見ようとすらしていなかったんだ。誰かを好きでいる気持ちが心地よくて、相手にどう思われているかなんて知ろうともしなかった。

 彼が跳び去った夜空を眺める。薄暗い学校の屋上を照らす無数の星と月の光は酷く寒々しく映った。

 私はこの空が魔女の結界で、造られたものだと知っている。偽物の空。偽物の街。それなら……。

 それなら、演じていたゴンべえ君に惹かれた私のこの想いも偽物なのかもしれない。

 いや、そもそも私がいう『ゴンべえ君』というのは一体何を指していたのだろう。名前も覚えていないと言った彼に名前を付けて、ほんの少しの間一緒に居ただけで、何を解ったつもりになっていたのだろう。

 夢で見た少年と似ていたから……それだけであっさりと心を許し、信じていた私。思えば、裏切られたなんて言葉を使うにはあまりにも拙い関係だった。

 迂闊で考えなしな自分が嫌いになる。今もなお、自分の心の痛みだけで思考が一杯になっている。

 駄目だ。意識を切り替えないと。

 傷付いて、ふら付きながら立ち上がろうとしているさやかちゃんと杏子ちゃんに手を差し伸べる。

 

「皆、大丈夫……?」

 

 ここに来た時に一番最初に言わないといけなかった言葉がこんな遅くに出てきた事に呆れてしまう。私の手を取って、立ち上がった二人はまだ身体が痛むのか顔を(しか)めつつ、頷いた。

 

「っつぅ、何とかね。さやか、アンタの方は?」

 

「大丈夫。まあ、杏子ほどコテンパンにやられた訳じゃないからね」

 

「なんだと、こら! アタシがさやかの分まで庇ってやったおかげだろうが」

 

 さやかちゃんの軽口に反応して杏子ちゃんが拳を振りかぶるが、それをフェンスに寄りかかっていたマミさんが(いさ)めた。

 

「喧嘩なんてしている暇はないわ。それよりもここで確かめないといけない事がある」

 

 マミさんはさやかちゃんたちを黙らせると、私を射抜くような目で見つめた。

 

「鹿目さん。鹿目まどかさん……あなたは一体どこから来たの? 私が知る見滝原市にあなたは居なかった」

 

 私へ一歩一歩詰め寄り、すぐ前まで来たマミさんは私に尋ねた。

 

「あなたもまた、ナイトメアと同じようにこの世界で生み出された存在なの?」

 

 責めるような静かな声音と口を引き結んだ彼女の表情には普段の穏やかなマミさんと違って、他者を委縮させるような圧力が籠められていた。

 怖くなって思わず、私は後退りしてしまう。

 

「悪いけど、逃がさないわ」

 

 すると、足元から黄色いリボンが這い上がり、身体を包むように巻き付いてくる。

 拘束された私にマミさんは瞳だけで尋ねた。

 ……私が何者なのか。

 ゴンべえ君も言っていた。私は何かを忘れていると。

 自分の正体もここに居る理由。私はまだ思い出せない。

 それがときどき思い出す夢と関係しているの?

 

「おい。マミ! どうしちまったんだよ! 今、そんな事している場合じゃねーだろ!?」

 

 杏子ちゃんがマミさんに怒鳴るが、彼女はそれに平然と返した。

 

「佐倉さん。あなたは魔獣と戦っていた時の事、本当に思い出さないの?」

 

「魔獣と戦っていた? アタシらは……」

 

 そこまで言って、何かに気付いたようにはっとした表情になる。

 それからすぐに戸惑ったように視線を彷徨わせて、自分の顔を片手で覆った。

 

「どういう事だよ、おい。じゃあ、ナイトメアって何なんだ? いや、そんな事どうでもいい……。おかしいだろ、だって、何でこんな事忘れてたんだよ。さやか……アンタ」

 

 震える声で指の端から隣に居るさやかちゃんの顔を見た。

 今にも泣き出しそうな表情と一緒に言葉を絞り出す。

 

「アンタが死んだって事を……」

 

「………………」

 

「でも、さやかは実際にここに居る! 夢だよな……? それともあっちが現実なのか?」

 

「…………」

 

 その眼差しを受け止めてもさやかちゃんは何も言わなかった。自分が死んだと言われても彼女は杏子ちゃんに否定も肯定もせずに黙って見つめ返している。

 私と違って狼狽えた様子もなく、杏子ちゃんの言葉を受け入れていた。

 しばらく黙っていた後、さやかちゃんは少しだけおどけたように頭を掻いた。

 

「面と向かって言われると結構、辛いものがあるね。その事実」

 

「さやか、ちゃん……?」

 

 何を言っているのと私が聞こうとする前にマミさんが口を挟む。

 

「その様子だとやっぱり、美樹さんは最初から知っていた……いいえ、覚えていたようね」

 

 低く鋭いマミさんの声音を聞いてもさやかちゃんは全く動じた様子もなく、少しだけ困ったように笑った。

 

「すみません、マミさん。それが私の役目なもんで。なんていうか、あれですね。幸せだからっていつまでもゆっくりしてたのが悪かったのかなぁ」

 

「さやかちゃん。もしかして私の忘れていた事も全部覚えているの?」

 

 私がそう尋ねると彼女は済まなそうに頷いた。ごめん、と素直に言われて、なんて返したらいいのか分からず、口篭もる。

 

「まどかは魔女の事、覚えてる? 魔獣じゃなくて」

 

「うん。それは覚えてる」

 

 逆にマミさんや杏子ちゃんが言っている『魔獣』という存在の方は知らない。もしくは覚えていないだけなのかもしれないけれど、心当たりはなかった。

 

「そっか。もうそこまで思い出してるんだ。ゴンべえのせいかな……あいつはホント何なんだろうね? 魔法少女の敵とか言ってたけど」

 

 ゴンべえ君の名前をそこで出されて、胸ポケットに入れていた四つ葉のクローバーが気になった。あのクローバーが私に魔女や結界の記憶を思い起こさせてくれた。

 

「じゃあさ、まどか」

 

 さやかちゃんは私の方まで近付いて、剣を一振り作り出す。それを縦に振るった。

 身体を包んでいたリボンがはらりと剥がれて地面に落ちる。さやかちゃんが拘束していたリボンを斬り落としたのだ。

 

「美樹さん!」

 

 マミさんがそれを咎めるように名前を呼んだけれど、さやかちゃんは手でそれを制した。

 

「『円環の理』って、言葉覚えてる?」

 

 四つ葉のクローバーの残っていた葉がひらひらと舞い落ちる。頭の中でばらばらに穿たれていた点が線で結ばれていく。

 思い出した。忘れていた事を。

 どうして思い出せなかったのかが不思議なくらい鮮明に記憶が脳裏に浮かび上がる。

 そうだ、私の正体は。ここに居る本当の理由。それは……。

 

「自力で思い出してくださったのですか? 神様(まどか)

 

 振り返れば見覚えのない女の子が屋上に着地する姿が見えた。一斉に皆の目がその子に向かう。さやかちゃんだけはそれほど驚いた様子はなかったけれど、他の二人は面識がないようで困惑に近い表情をしていた。

 長い白い髪に猫耳のカチューシャのようなものを付けた小学生くらいの女の子。

 蘇った記憶が鮮明になっていく。そうだ。私はこの子も知っている。

 

「なぎさちゃん……」

 

「はい。お久しぶり、というのは違うですね。ずっと一緒に居た訳ですから」

 

 怪訝そうな顔をしていたマミさんがなぎさちゃんの言葉を聞いて、「もしかして」と小さく呟いた。

 なぎさちゃんはにっこりと笑ってから、この世界でよく耳にしていた彼女独特の言語で喋り出す。

 

「パッパパパパパパパパパパッ!パルミジャーノ・レッジャーノ!!!」

 

「べべ!」

 

「はい、そうなのです」

 

 マミさんが呼んだ名前に嬉しそうに何度も頷くなぎさちゃん。

 その近くに居たさやかちゃんは肩に剣の背を乗せて、聞いた。 

 

「でも、なぎさ。ほむらと一緒に逃げたのに何でアンタだけ戻って来てるのさ」

 

 相好を崩していた彼女はその言葉を聞くとすぐに顔を引き締めた。

 

「そうなのです! 何から説明すればいいのか……もう最初から話すのです」

 

 

 ~なぎさ視点~

 

 

 最初は突然笑い始めたほむらが何をしようとしているのか分からなかった。

 気が付いたら背中に乗っていた彼女は自分の真下へと移動していた。時間を止めたのだと理解した時には、既に私の口の中には爆弾が投げ込まれていた。

 外皮ならいくら傷付いても問題はなかったけれど、私の内側へと放たれた攻撃ではどうする事もできない。

 無防備に開いていた私の口を破裂した爆弾の破片と爆発が襲う。

 その寸前。

 襟首を掴まれ、外側に引き抜かれるような感覚が私を襲った。

 何が起きたのか考える間もなく、私は私の、シャルロッテとしての外皮から引きずり出されていた。

 

「え、えぇ!?」

 

 見えたのは、脱皮した蛹のように背中の部分がくり抜かれた私の外皮。そしてそれが爆風で燃えている様子だった。

 ワイヤーか何かで括りつけた大きな着ぐるみを燃やしたらこういう映像になるのだろうか、なんてまるで他人事のような意識が湧いてくる。

 熱を含んだ風と炎が私の方に流れてくる前に、黒い大きな布が私の鼻先ではためき、布が顔の前から消えると燃えていたはずの私の外皮もろとも爆炎は消えていた。

 僅かな浮遊感の後、私は近くにあったビルの上に降りた。正確にいえば、降ろされた。

 後ろを見れば、白い手袋が私の服の襟首をしっかりと掴んでいる。どうやら感覚ではなく実際に猫のように首根っこを掴まれていたらしい。

 屋上の地面に触れた手を見る。白くて五本の指があり、その先端には小さな爪が付いている。

 どうやらあの大きな魔女でも、小さな人形の姿でもなく、魔法少女をしていた頃の女の子の姿をしていた。

 顔を上げれば、そこにはシルクハットを被り直していた中学生くらいの男の子が居た。

 ゴンべえ。正体はよく知らないが、魔法少女の敵だと自ら名乗っていた人だ。

 

「な、なんで……私を」

 

「へえ。君、普通に喋れるんだ。てっきり、チーズの種類しか言えないんだとばかり」

 

「言葉くらい話せるのです! って、なんでそれ知ってるのですか!?」

 

 あまりに失礼な発言についムキになって返してしまったものの、私はこの人の前に直接現れたのはついさっきの話だ。

 それに普段はマミがべべと呼んでいるあの小さな人形の姿のはず。この人の見た私は魔女の私なのだから「いつも」なんて言葉が出るのはおかしい。

 

「ん? だって、君。よく鹿目家の庭を覗いていただろう? あの汚い赤ちゃんマンみたいな姿でさ」

 

「きたなっ……。ひどい言われようなのです……」

 

 自分でもいうのも何だが、あの人形の姿もそれなりに可愛らしいと思っていたのだが、まさかそんな手酷い評価をさせるなんて夢にも思っていなかった。

 若干マスコットとしてのプライドが傷付き、ショックを受けているとゴンべえは少しだけ慌てたように付け加えた。

 

「あ。でも、恵方巻ピエロよりは全然マシだよ。そこは保証する」

 

「え、恵方巻ピエロ……」

 

 どんどん酷いあだ名が私に付けられていく……。本人はさして悪気がなさそうなのが輪をかけて酷い。

 ネーミングセンスに素で悪意が付加されているような人だ。

 いや、今は傷付いてる暇はない。

 

「気付いたのですか? 私が監視している事に」

 

 マミや杏子と違い、私は最初からこの世界がどういうものなのか把握していて、ここに集められた人たちの事も少なからず知っていた。

 だから、この人、ゴンべえが現れた時にさやかに見張るよう頼まれていた。

 私は身体が小さく、隠密には適していたし、さやかと違って学校に行く必要もないので昼間の間は自由だ。

 神様の家族と一緒に居るこの謎の人物がどういう存在なのか、こっそり監視していたのだが、それが相手に筒抜けだったので恥ずかし過ぎる。

 

「まあね。電信柱の影からちょくちょく頭出てたし。あと、試しに知久さんからもらった御菓子をいくつか置いてみたらいくつか無くなってたし……」

 

「なんと! あのベビーチーズは自然発生したものではなかったのですか!?」

 

 監視のために神様の家の周りをぐるぐる回っていたせいでお腹が空いてしまった時、ちょうどいい場所にチーズが置いてあるので喜んでいたのだが、それはすべて私を嵌める罠だったらしい。抜け目ない人だ。

 やるなと称賛の目を向けると、何故かゴンべえは困ったように眉根を寄せて頬を掻いた。

 

「いや、もうちょっと疑おうよ。どこの世界にチーズが湧いてくる壁があるのさ」

 

「魔女の結界の中ではそうおかしな事ではないのです。私が魔女だった時はチーズ以外のお菓子は結界内で生み出せていたのですよ」

 

「え、そうなんだ……凄いな、魔女の結界」

 

「そうなのです! 勉強不足なのですね!」

 

「ああ。うん、なんかごめんね」

 

 してやったりと胸を張ると、ゴンべえは呆れ半分といった具合で謝ってくれた。

 監視している時も思ったが、先ほどマミたちを襲ったような威圧感はなく、優し気なお兄さんのように思えて仕方がない。

 私に見張られている事に気が付いたというなら、その時は演技だったのかもしれないが、少なくとも今ここで圧倒的な強さをひけらかしておいて今更演技を続ける意味はない。

 

「それで、私を何で助けたのですか? まさか魔法少女に見えなかったから、とかなのですか?」

 

 マミたちを敵に回して置いてわざわざ私を助ける意図がよく分からない。魔法少女に見えなかったから助けたというならまだ納得できそうだが、私のこの姿やさっきの会話を聞いて驚いた反応一つしない点からそれでもない。

 私がそう尋ねると彼はこちらの台詞の意味を理解してくれたようでにやりと笑った。

 

「いいや。僕は魔法少女だけじゃなく、魔法を使うもの全ての敵だよ。親切心で助けた訳でもなければ、懐柔する気もないから安心して」

 

 再び、意地の悪そうな笑みを作り、私へステッキの先を突き付けたが、あの人の良さそうな表情を見てからだとこちらの方がよほど演技に見えた。

 

「君に一つ頼みがある。と言ってもそこまで難しいことじゃない。単なる言伝(ことづて)だよ」

 

「私が断ったらどうするのですか?」

 

「断らないよ。それでもいいけど、困るのは君らだ」

 

 ゴンべえはステッキを握っていない方の手でシルクハットのツバを摘まんだ。

 何かする気なのかと身構えたが、彼はステッキをシルクハットの内側に押し込んで消しただけだった。格好も相まって手品のように見えたが、それは紛れもなくタネも仕掛けもない魔法だ。

 

「『死にたくなければ街の、結界の端へ逃げることだ』。そう伝えてくれればいい。伝えなくてもいいけど、街の真ん中でだらだらして死ぬのは君らだ」

 

 とん、と地面にシルクハットを逆さに投げた。びくっとして四つん這いのまま、後ろに逃げるが彼はもう私には興味を失くしたように視線すら寄こさなかった。

 逆さにしたシルクハットの中に片足ずつ入れる。ゴンべえは内側の穴へとするすると沈むように入り込んでいく。

 

「ま、後は君の自由にしなよ。メッセンジャーガール」

 

 あまりにも突飛な行動に最初は二の句が継げなかったが、シルクハットを門にしてこの場から去ろうとしているのだと気付き、私は声を上げた。

 

「ま、待つのです!」

 

「うん?」

 

「最後に一つだけ……」

 

 聞きたい事は山ほどある。けれど、どこかに移動しようとしている彼には恐らくそれほど時間はない。

 それなら一つだけ。一つだけ絶対に言わなければいけない事がある。

 

「助けてくれてありがとうなのです!」

 

 もう上半身のほとんどがシルクハットの内側に吸い込まれ、肩口すらも見えなくなっていたが、それでも完全にこの場から姿が消える前に言い終える事ができた。

 彼は私のお礼を聞くと少しだけ驚いたように目を丸くした後に微笑んだ。

 

「どういたしまして」

 

 その呟きが聞こえるとほぼ同時に彼を呑み込んだシルクハットもパッとその場から消失する。

 残されたのは私は確信に近い思いが芽生えていた。

 あの人は……決して悪い人ではない、と。

 




騙されないで、なぎさちゃん!
そいつは悪い奴だよ。


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新編・第十話 崩れゆく自我

二話連続投稿です。本当は一話に纏めようと思っていたのですが、思いの外長くなりそうだったので前話と分けました。


~キュゥべえ視点~

 

 

 罅の割れた暁美ほむらの繭の中。亀裂から湧き出した使い魔たちに殺され、ボクらは数を減らしていった。

 大規模な計画だったこともあり、それなりの数を投入していたインキュベーターだったが、見つけ次第に始末してくる容赦のない彼女の使い魔は一体、また一体と自動でボクらを潰していき、最後にはボクだけが残った。

 いや、残ったのではなく、残されたが正しい。

 何故ならボクは別に助かった訳ではなかったからだ。

 ゴンべえという不確定要素がこの結界内に入り込んだ時にもっと警戒すべきだった。

 そうすれば、ボクはまだインキュベーターで居られただろう。

 あの男と対峙しなければ……。

 

 ***

 

 暁美ほむらがボクらやゴンべえを殺すために生み出した使い魔たちを、ゴンべえは意図も容易く掻き消した。

 魔法少女の浄化、ではない。感情エネルギーの転化による浄化とは一線を隔す『消失』という現象。

 生まれた感情エネルギーをまるごと「存在しなかった」ことにする一種の因果改変に近い。長い間、感情エネルギーを研究していたボクらにすら理解不能の魔法。

 どういう過程で生まれたものなのかという興味はあるものの、インキュベーターにとってそれは最も危険な力だった。

 その能力だけでも特筆すべきなのだが、それ以上に彼の精神性の方が遥かに恐ろしい。

 ゴンべえはその暁美ほむらのパーソナリティを理解し、その上で効率の良い精神的な攻撃で彼女を撃退にまで追い込んだ。

 

「まだ話は終わってないよ。逃がすと思う?」

 

 圧倒的に優位にいたはずの彼女は彼から逃げるために、結界の最深部へと下降していった。

 さしもの彼にも結界内の魔女が本気で逃げに徹すれば、自分を見つけ出す事は不可能だと考えたのだろう。

 

「ちっ」

 

 事実、彼女を取り逃がしてしまったゴンべえは舌打ちをして苛立ちを見せた。ここに居る暁美ほむらを探し当てられたのもソウルジェムの欠片から発する魔力の波長を頼りにしたと言っていた。

 であれば、完全に魔力の波長を消せば、彼では無理だ。その状態になった魔女を見つけられるのはインキュベーターだけだろう。

 ちょうどいい。彼がここで足止めをされている間にボクはもう一度暁美ほむらに接触を取る。

 そう考えていた矢先、視界の中に居た居た彼はおもむろにシルクハットを持ち上げ、内側に手を差し込んだ。

 同時に頭上の虚空から白い手袋を嵌めた手が出現する。

 まさか。と思った時にはボクはその手に捕まえられ、虚空の中へと吸い込まれた。

 暗闇の中を潜り、再び視界に光が差し込んだ時には笑みを浮かべたゴンべえの顔が至近距離にあった。

 

「やあ、孵卵器さん。ご機嫌いかが?」

 

『ゴンべえ。そうか、ボクを一度潰したのはボクの肉片から波長を探し当てるためか』

 

 暁美ほむらのソウルジェムの破片から彼女の居場所を突き止めたように、ボクの肉片からボクの居場所を把握し、位置情報を基にして魔法で空間を繋げて捕獲したのだ。

 

「手っ取り早く、単刀直入に言おうか。この結界の天井に張ったお前らの干渉バリアの撤去及び逃げた暁美ほむらの位置情報を寄こせ」

 

『何かと思えば、そういう事か。その要求にボクが素直に応じると思っているかい? わざわざ労力を掛けてまで円環の理を観測するために来たボクらが』

 

 こちらにデメリットしかない要求だ。先ほどのように握り潰される事になっても、ボクら総体からすれば微々たる損失。応じる理由は一つもない。

 本当にボクがその一方的な要求を呑むと思っているなら、彼の知性は想像よりを遥かに下回る。

 しかし、彼はその返答を予期していたように笑みをより深くした。

 

「応じるさ。君らが大事にしているものと引き換えならね」

 

『大事にしているもの?』

 

 彼はボクを掴んだ方と真逆の腕を伸ばし、指先でボクの背中にある蓋を力ずくでこじ開けた。

 普段は感情エネルギーを回収する時以外には開かない部位だが、尋常ならざる筋力には抗えず、蓋はこじ開けられる。

 これがボクの大事にしているものだというのなら見当違いも甚だしい。

 

『ボクの肉体ならいくら壊したところで……』

 

「ああ。違う違う。そうじゃないよ」

 

 ゴンべえは頭を振るった。それから指をパチンと一度鳴らして手の中にステッキを生成する。

 

「君の背中はエネルギー回収のための部位で、奥は溜めた感情エネルギーを貯蓄している。そうだろう?」

 

 こじ開けた蓋の隙間に彼は自身のステッキをすっと差し込んだ。ステッキの先端は何の抵抗もなく、背中の穴を通りエネルギーの回収するための空間へと到達する。

 

「なら、僕の魔力を消失する魔法をこの部位から捻じ込めば、どうなると思う?」

 

 目を細め、酷薄な薄笑いを顔面に引き延ばす。

 理解した。理解した瞬間、この男の思考回路が相手を追い詰める事だけを淡々と弾き出す悪魔の計算機だ。

 

「ねえ、孵卵器さん。『よくばりな犬』ってイソップ童話をご存知?」

 

『知っているよ』

 

 肉を咥えた強欲な犬が橋の上から川面に映った自分の姿を別の犬と勘違いし、咥えた肉を奪おうと吠えて最終的に自分の肉を川の中に落としてしまうという童話だ。

 余計な欲を出したばかりに自分が手に入れたものさえも失うという、教訓話としての側面が強い寓話。

 

「今持っている感情エネルギーだけで満足するか、円環の理に手を出して両方とも失うのか。好きに選ぶといいよ。念のために言っておくけど、僕の魔法に量は関係ない。一瞬ですべて消せる」

 

 彼の言っている事が事実かどうかは分からない。けれど、彼の魔法の性質が魔力――感情エネルギーを完全に消失させるものだという事は嫌と言うほど見せ付けられた。

 集めて来た感情エネルギーの全損の可能性は十分にある。いや、溶け残った彼の魔力が魔法少女システムにさえ致命的なエラーを引き起こす可能性もある。

 だが、ここで彼の要求を全て呑む事はすぐ目の前にあるエネルギーの宝庫を見す見す逃がす事に他ならない。

 

『取引しよう、ゴンべえ。暁美ほむらの居場所を教える。だから……』

 

「そうか残念だよ。でも、仕方がないね」

 

 ため息を一つ吐いてゴンべえはボクにそう微笑んだ。

 良かった。交渉は成立した。ここで暁美ほむらが消えてしまえば円環の理を観測する事が多少難しくなるが、まどかは既に結界内に居る。

 ゴンべえが暁美ほむらを消そうと襲えば、彼女の意思に関わらず何らかのアクションを起こさざるを得ない。

 これで円環の理の観測も今まで集めたエネルギーも失わずに……。

 

「君らがコツコツ気の遠くなるような時間を掛けて集めてきたエネルギーがたった一度のつまらない答えで失われるなんてね」

 

『……うん?』

 

「ああ。可哀想な孵卵器さん。エネルギーの枯渇したさむ~いさむ~い宇宙で惨めに凍えて死ぬんだろうなぁ」

 

 彼は掴んでいたステッキから手を離した。穴へと先端が差し込まれていたステッキはボクの背中の穴の中、感情エネルギー回収機関へと吸い込まれていく。

 

『なっ!? そんな!』

 

「そんな怯えた声を出さないでよ。感情豊かだな、もう」

 

 ステッキが完全に穴の中へ落ちる寸前に彼はその柄尻を指先で摘まんで止めた。

 僅かな瞬間、ボクは自分が集めていたエネルギーがすべて失われる想像をしてしまった。そして、それが現実のものとならなかった事に安心してしまった。

 それはボクらインキュベーターが精神疾患と呼ぶべき状態だったと言ってもいいだろう。

 彼に弄ばれたと理解するのに数秒の時を要した。

 

『ゴンべえ……』

 

「ねえ、孵卵器さん。取引っていうのはさ、ある程度お互いの立場が対等な時にしかできないものなんだよ。そこで聞くよ? 僕と君は対等? 一瞬で君らの大切なもの全てを奪い去る事のできる僕と、僕に対して何ら有効なダメージを与える要素を持たない君は果たして対等なのかなぁ? ねえ、答えてよ」

 

 口元は頬の辺りまで伸びて笑みの形を作っている。だが、頬の筋肉は僅かも弛んでおらず瞳だけは形を変えずにボクを眺めていた。

 感情を理解していないボクらにさえ分かる。それは敵対者を恫喝するだけの笑顔だった。

 獰猛な肉食獣が獲物となる草食獣を喰らう時に見せる、牙を剥く瞬間の顔に似ている。

 この少年はボクが彼の望む答えを吐くまで、彼はボクへ精神的攻撃を止めないだろう。

 ボクはこの目の前に居る存在を形容する言葉を知らない。知りたくもない。

 少なくともこれに類似する少女など出会った事もなかった。

 

「ねえ、孵卵器さん」

 

 彼の発する言葉が、声が、音の波がボクという個体を通してインキュベーター全体に語り掛ける。

 

『……何だい?』

 

「それじゃおまけとして、僕がどうしてこんな力を得たのか教えてあげるよ。君も知りたかったんじゃないかな?」

 

 それは先ほどまでは知っておきたい事象だった。だが、今では何故か聞きたくないとさえ思えてくる。

 分からない。それほどまでこの少年とのやり取りがボクらに影響を及ぼしたとでもいうのだろうか。

 

「この魔法は僕の宇宙に居る孵卵器さんがくれたんだ」

 

『あり得ない。そんなボクらの目的は感情エネルギーの収集だ。それを阻むようなものを生み出す訳がない』

 

 それだけは絶対にない。確かに仮説として魔法少女システムの応用でその力が生み出されたものではないかとは考えていた。だが、そうだとしてもそれをインキュベーターが作り出すはずはない。

 下手をすれば、集めたエネルギーを消失させるような力を、インキュベーターに対して非協力的な人間に渡す訳がない。

 ゴンべえは、ゆっくりと穏やかな声で語る。

 

「そうだね。彼らが君らのようにまともな思考であったなら、そんな暴挙はしなかっただろうね」

 

『まさか……』

 

「孵卵器とだって友達になれる。僕は彼らに仲良くしてくれるように色々(・・)と頑張ったんだ……そしたら、僕の友達になってくれたよ。僕の言うことなら何だって聞いてくれる、従順で、忠実な、お友達にね」

 

『支配したというのかい。ボクらを……人間の君が?』

 

 胸の奥がざわつく。何だ、この感触は。ボクの中で、いや、インキュベーター全体が変だ。

 分からない。分からない。分からないわからないワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイ。

 これは、ナニ……?

 何が起きている?

 大きな双眸(そうぼう)がボクの顔を映している。何だ、あんな表情を、インキュベーター(ボク)は知らない。

 

「そうだ、君も僕のお友達になれば素直に言うことを聞いてくれるようになるのかな?」

 

 ちょっとした思付きの提案でもするような軽い呟き。だが、その台詞の中に内包された意思は魔女が生み出す呪いよりも残酷で救いのないものだった。

 ああ。もう否定できない。ボクの感じているこれは紛れもなく、『感情』と呼ばれるものだ。

 今まで積み上げて来た価値観を完膚なきまでに破壊されている感覚があった。

 

『わ、分かった。要求を呑むことにするよ』

 

 苦しい。辛い。

 声が、視線がボクを刺す。

 

『撤退する。今後、円環の理にも関与しない』

 

 気持ちが悪い。怖い。

 向けられた感情から一刻も早く逃げ出したい。

 

『暁美ほむらの居場所も教える。だから……』

 

 だから。

 ダカラ。

 ダカラダカラダカラダカラダカラダカラダカラダカラダカラダカラダカラ。

 これ以上――ボくヲ壊サなイデ。

 

 ***

 

 彼はボクらに要求すべて呑ませると「ありがとう」と感謝を述べてこの場所から去って行った。

 ボクは……ボクらは知ってしまった。

 感情という概念を。恐怖というものを。

 そして、悪意という(おぞ)ましい精神性を。

 もう二度と近付きたくない。見たくない。聞きたくない。

 あんな存在を認識したくもない。

 言語化する事さえ躊躇われる邪悪な存在。それが彼だった。

 触れてはいけなかった。触れるべきではなかった。

 自分の中に湧き上がる何かを押さえ、ボクは天井を見上げた。

 先ほど大きく結界内が揺れた。きっとゴンべえに遭遇した暁美ほむらが魔女を呼び出したのだろう。

 崩壊し始めた天井の破片がボクへと落ちて来る。その隙間から見えた空にはボクらインキュベーターが作っていたバリアが解体されていく光景が映る。

 大きな破片がボクの身体を押し潰す、その瞬間。

 ――ボクは酷く安堵した。

 




――経験者は語る

Nべえ氏「彼のそこがいいんじゃないか!」(恍惚とした表情)

キュゥべえ「ええ……」


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新編・第十一話 止まらない時間

久しぶりの投稿です。


~ほむら視点~

 

 ……殺す。

 ――殺す!。

 関節に殺意を流す。骨だけで構成された巨大な腕はそれだけで自在に操れた。握り締めた筋肉のない拳は憎い敵へと伸びていく。

 魔女(わたし)の身体を動かす事にもはや何の抵抗もなかった。自分が魔法少女ではなく、魔女になったという感慨もほとんど起きない。

 今はただ、殺さなければならない敵への殺意以外は考えられない。感情を、想いを、呪いをひたすら奴にぶつけ続ける。それだけでいいし、それ以外はもう要らない。

 他のものは見えない。聞こえない。解らない。

 僅かに大切な友達の後ろ姿が脳裏でちらついたが、それすら殺意に塗り潰された。

 こんな汚い私にはもう彼女の傍に居る資格はない。だから、目の前に居る男の事だけに集中する。

 黒いシルクハットのつばを摘んで、ひらひらと舞う紙吹雪のように空中を駆ける手品師姿の少年。魔法少女の……いや、私の敵。

 ……ゴンべえっ!!

 骨身の拳で奴が浮かぶ空間を薙いだ。当たったのか、外れたのかなど気にも留めずに振るったままの勢いで繭の壁に叩きつける。

 繭に表面に映った澱んだ景色に罅が入るが、無視して壁ごと殴りつけた。

 虫を叩き潰すように何度も何度も擦り潰す。何度も何度も執拗なまでに握った拳を擦り上げた。

 死ね……死ね死ね死ねシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ――――ッ!

 ゴリッゴリッと嫌な音を立てて拳を繭の壁に押し付けすぎて、壁の強度の方が限界が来る。割れたテレビの液晶画面のように映像が途切れてブラックアウトして砕け散った。

 壁の破片が落下していく様を眺めながら、殺意で弾けた精神を落ち着かせる。

 ……奴はどうなった?

 砕けた壁の周囲を見回していると、頭上から耳障りな声が流れてくる。

 

「おや? 行き場のないストレス発散のための壁殴りはもう終わったの?」

 

 真っ赤な彼岸花が群生した魔女の私の頭の上。そこに平然とシルクハット片手にステッキを回すゴンべえの姿があった。シルクハットの上部をステッキの腹で擦り、ゴミを払っている。

 何故そこに、という疑問は起きない。こいつにはシルクハットを使って、ワープ移動ができる事を私は一度見て知っているからだ。

 この男はその気になれば好きな場所に転移できる。

 私が腕を薙ぐ瞬間、転移して私の頭部まで退避していた……。それでいて、こいつは私が壁を黙って見ていた。やろうと思えば、いつでも攻撃できる絶好の機会を敢えて見送ったのだ。

 

「気分が晴れたなら、ちょっとお話しようか」

 

 ゴンべえは私の頭の上から軽やかに壁の外にあったビルの屋上まで瓦礫の山に跳躍すると、私の方を仰ぎ見る。

 再び攻撃を放つか。……いや、無意味だ。隙だらけに映るが、この男が一筋縄ではいかない事くらい嫌でも学ばされた。

 衝動のままに動いたところで、ゴンべえは倒せない。それなら今は相手の出方を見るしかない。

 私が攻撃の手を止めたのを見てから、彼は一拍空け、口を開いた。

 今度はどのような侮蔑の言葉が吐き出されるのかと身構えたが、彼の紡いだ言葉は私の予想もしないものだった。

 

「黒髪さん。君は何でこの結界の中でも『魔法少女』なんて厄介な設定をそのままにしたの?」

 

 ――何を言い出すつもりなの?

 魔法少女の設定? そんなものたまたま私の心に刻まれていたものだからに決まっている。

 

「いやね、自分で都合のいい世界を創り出したのなら、化け物と戦う宿命を背負った魔法少女なんて綺麗さっぱり忘れちゃえばよかったんじゃない? それでも『魔女』になった君は『魔法少女』だという設定は残した。ナイトメアとかいう怪物までわざわざ生み出してまで。何でだろうね?」

 

 ――下らない。奴の言葉に耳を貸すな。

 どうせ、私を惑わせ、心を乱そうとしているに違いない。

 ビルの屋上に立つゴンべえに私は構わず、横薙ぎに拳を振り抜いた。鉄塊の如く重さの乗った一撃は大気を切り裂き、凄まじい速さを伴って屋上を削り取る。

 

「それで、僕は気付いた。黒髪さん。君は結局のところ『戦う』という事に拘ってる。没頭するようにしているんじゃないかって。今だって、ほら。戦いにのめり込んで僕の言葉に答えようとしない」

 

 少し離れた別の建物の上に移動していたゴンべえは得意げな顔で、私の内面を勝手に分析して語っていた。

 ――黙れ。黙れ。黙れ。

 苛立つ感情を押し殺し、私はさらにその建物を振り上げた腕で真っ二つに砕き割る。

 けれど、足場を壊す度に奴はまた離れた場所に現れ、訳知り顔で講釈を続けた。

 

「じゃあ、戦いに拘る理由は何だろうね? 闘争心を満たすこと? ままならない現状の憂さを晴らし? ……違う。違うよね、黒髪さん。理由はもっと単純で、矮小で、どうしようもない」

 

 ――気を逸らされるな。あいつを殺す事だけに集中しろ。

 奴の動きだけに注意し、攻撃を続けていけば、いずれは当たる。

 魔法少女の魔法や使い魔が消せてもここまで膨大な魔力の塊である魔女の身体はそう簡単には消せない。

 だから、一撃でも当たりさえすれば奴を殺し切れる。奴が魔法を使って避けているのも、こうやって言葉で私を惑わせようとしているのもその証拠だ。

 ――私は絶対に奴の言葉に耳を貸したりはしない。

 屋上から離れた屋上へと逃げるゴンべえに追い縋り、建物を砕いて回る。

 その際に時間停止の魔法をかけるが、当然のようにそれすら容易く消去し、のらりくらりと逃げて行った。

 別に構わない。奴のワープ移動の魔法の発動がほんの僅かでも遅れてくれればそれでいい。

 奴の魔法の発動が途切れたその瞬間を私は見逃さない。ただただそれだけに全感覚を集中させる。

 魔女の身体にも次第に慣れ、反応速度は上昇していく。

 

「その理由はね……」

 

 シルクハットを使ったワープ移動。だが……!

 今回は、奴の全身が帽子の中に入り込むよりも早く、私の腕は奴を捉えた。

 魔女の片腕が奴の身体をを殴り飛ばす感覚を得る。

 ――やった……私の集中力がゴンべえの魔法の発動に勝ったのだ!

 この機を逃すものか。

 奴に気付かれないように、上空へ浮かべていた魔力で作った飛行船をすかさず投下した。

 表面が激しく燃え、巨大な火球となり、奴が弾き飛ばされた場所を紅蓮の業火で焼き尽くす。

 地上を舐めるような炎の舌が蹂躙していく。油を浸した紙のように炎は一面に広がった。

 ――勝った……。

 如何に魔法を消す力があろうとも面での波状攻撃を防げる訳がない。

 

「今、君が体現していることだよ」

 

 声がした。

 そう思った瞬間には荒れ狂っていた炎の海は中心から渦を描くように消えていく。

 炎が消えた先には瓦礫の山に煤汚(すすよご)れ一つない顔のゴンべえが顔を覗かせる。

 魔女の腕で殴打され、燃え盛る飛行船に激突したはずの彼は、まったくの無傷で私に話しかけてくる。

 

「思考の停止。戦うことに思考を没入させることで君はそれ以外のことから逃げているんだよ。だから、外敵が居ないはずのこの世界でわざわざ倒すための敵を作った」

 

 ――……違う。

 

「僕と戦っているのも、そう。どれだけ相手が強くても、武器を掲げて挑んでいる自分にだけ意識を集めていれば、少なくともその時だけは他のものに思考を割り裂かなくて済む。未来のことを真剣に考えて行動するのは辛いからね」

 

 私の記憶の中で何度も何度もワルプルギスの夜に向かう自分の姿が映し出される。

 あの時の私は何を考えていたのか。次は。次こそはと思いながら、考えることを止めてはいなかったか。

 

「つまるところは現実逃避。誰よりも勤勉な振りをした、どうしようもない怠け者。君は戦うことだけで頭を一杯にして、未来を見ることから逃げたんだ」

 

『ち、違う、私は……』

 

 何とか取り繕うと魔女の声帯を震わせ、か細い声を発した。

 だが、魔女の巨体に比べれば遥かに小さな彼の口から吐き出された声に呑み込まれた。

 

「違わないよ」

 

 決して怒号を挙げた訳でも、声を張り上げた訳でもない。

 平坦な、けれどよく通る彼の声は私の頭の中に直接流れ込んでいるのかと錯覚するほどに明瞭だった。

 

「今。君はこの場所を焦土に変えた。ただ僕を殺すことだけに思考を染め上げてね」

 

『な、にを……?』

 

「まだ気付かないの? ここがどこなのか。この場所にあった建物が何だったかを」

 

 弾かれたように周囲を見渡す。

 喉元から嫌な予感が競り上がってきた。ここを、この場所を知っている。

 意識が点滅する。取り返しのつかない行いをした事に私はようやく理解した。

 忘れるはずがない。何故なら、この場所は……。

 

『まどかの、家……』

 

「ああ。そうだよ。今、お前が我を忘れて一切合切焼き尽くした場所は、鹿目家の家族が住んでいた家だ。お前が連れて来た本物の人間が居た建物だ」

 

 そんな……ではまどかのお父さんは、まどかのお母さんは……まどかの弟は……?

 嘘だ。そんなの嫌……あり得ない。だって、それじゃあ……私が殺したのは……。

 

「それがお前の本性だよ。思考を停止し、手だけを黙々と動かし、挙句の果てには取り返しのつかない事態をばらまく」

 

 冷ややかな言葉には憐れみすらも混じっているように聞こえた。

 呆然と大きな図体を伸ばし、私は焼け野原となったまどかの家を眺めていた。

 

「少しでもこの場所に誘導されていることに気付けば、直前で防げただろうに。お前はそれでも僕を殺すこと以外に思考を裂かなかった。――止めるのが上手なのは時間だけじゃなかったんだね」

 

 吐き捨てられた言葉に消えかけた殺意に灯がつく。

 そうだ……こいつのせいだ! こいつがすべて仕組んだのだ!

 奴の頭部を握り潰そうと腕を伸ばす。

 しかし、その腕は奴の身体に触れることすらなかった。

 

「もういいよ。それ」

 

 ゴンべえは無造作に持っていた杖を投げた。

 放った、という表現の方が適切なその投擲はまるで傘立てに傘でも入れるかのような緩やかな動作だった。

 宙へと放たれた杖は魔女の腕を飴細工のように溶かし、胴体を貫通。

 巨大な魔女の肉体は一秒も経たずに崩れ、すぐに薄れて消えていった。

 その場に残されたのは元の脆弱な私だけだった。足元には彼の投げた杖が無造作に転がっていた。

 ゴンべえはゆっくりとした足取りで近付いてくる。

 両の膝を突き、項垂れる私には後退りをする余力も残ってはいない。

 ――勝てる、勝てないなんて領域じゃなかった。

 最初から彼にとっては戦いですらない。遊ばれていた……。

 私の攻撃を避けていたのは、ただの余興。私の反応を分析していたに過ぎない。

 やろうと思えば最初の時点で私など簡単に消せたのだ。

 その結果、あろうことかまどかの家族をこの手で手に掛けてしまうなんて、ただの道化だ。

 ……ごめんなさい。まどか……。

 ゴンべえは杖を拾って、軽くテールコートを手で払った。

 そして、俯く事しかできない私の顎を摘まみ、無理やり表を上げさせる。

 

「どうしたの? また思考停止? ……ああ。鹿目家の家族が心配なら」

 

 シルクハットの内側を私へ見せた。

 

「当の昔にここから出してる」

 

 帽子の中身は夜の砂漠の情景が映し出されている。

 そこには大きなベッドで目を瞑り、健やかな寝顔を浮かべているまどかの家族の姿があった。

 どうして、と思わず疑問が喉から漏れた。

 

「どうしても何も、彼らは無理やり引き擦り込まれた被害者だ。元の世界に戻すのは当たり前だろう?」

 

 さも当然とばかりに彼は鼻を鳴らした。インキュベーターとは既に話をつけてあるからこの結界のものを送り出す分には問題ないんだよ、と付け加えた。

 心からの安堵が涙となって頬を伝った。彼らはまだ生きている……。燃えてなくなったのは建物だけ。

 

「貴方は……」

 

「うん?」

 

「どうして、まどかを殺そうとするの?」

 

 血も涙もない邪悪の塊に思えた男だと思っていた彼は、まどかの家族を安全な場所に逃がしてくれていた。

 私にはこの男の事が分からない。

 

「さっきから殺すってのは何?」

 

「え?」

 

「円環の理は『物』だろう? あれは感情エネルギーの力場が人型を取っているだけだ。単なる物理現象の一つだ。『物』は壊す、が正しい表現だよ?」

 

 呆れ果てた彼の顔は、出来の悪い生徒に対し、教師が諭すような物言い。

 そこには先ほどまでと違い、何の悪意も籠められてはいなかった。本心からの言葉だということが嫌でもわかった。

 

「『アレ』のせいで僕はこんな場所まで引きずり込まれた。恨みもあるし、また同じことが起きるのは嫌だからね。ここらで早々に消去させてもらうよ」

 

 ゴンべえはそう言って、シルクハットを被り直す。

 杖を片手に軽く、腕を回して空を仰いだ。

 空にはマミたち魔法少女……そして、まどかの姿が見える。

 彼は侮蔑と嘲笑を込めた笑みを私に送った。

 

「お前はいい囮になってくれたね。本当に僕の描いた振り付けどおりに踊ってくれた。ご苦労様」

 

 私が魔女として暴れる事も、まどかの家を壊す事も、すべては奴の手のひらの上だった。

 気付いた時にはもう手遅れ。為す術はない。

 あの時、戦いなど選ばずに結界の奥深くにまどかたちを連れて潜ればよかったのだ。

 ゴンべえのいう通り、私は思考を止めてしまった。

 それが楽だったから。何かをしていれば、先の事なんて考えずに済んだから。

 逃げてしまった。

 違う。逃げ続けて来たのだ。今まで。

 手足に力が入らない。魔女の肉体が消された時にごっそりと感情エネルギーも根こそぎ消失してしまった。

 もう魔法少女の姿になる事もできない。

 

「やめて……。やめて、ください……!」

 

 私には哀れに懇願する以外に何もできなかった。

 

「私はどうなってもいい……だから、まどかを……殺さないで……」

 

 涙を流し、掠れた声で叫ぶがゴンべえは私を視界に入れもしなかった。

 魔法を壊す魔王は振り返りもせず、立ち上がれない私から離れて行く。

 ――また、私は何もできない。

 時は止まってくれない。巻き戻しもない。

 無情にもあの男は進んで行く。

 

「ゴンべえ……」

 

 私は絶望の名を呼んだ。

 



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新編・第十二話 それでも彼は否定する

 黒い手品師衣装に身を包んだ少年が私たちの前に歩いてくる。

 革靴の裏がコツコツと地面を叩く音が鳴る度に、彼の足元のコンクリートの大地やアスファルトの道が音もなく、小さく砕けて散る。空中にふわりと舞った破片は淡い紫色の魔力へと戻り、粒子状に分解されて消えていく。

 彼が歩んだ道は抉れたように消滅して、大きな一本の線のようになっていた。

 昔、パパとママに連れられて美術館に行った時に見た絵画の一枚を思い出す。

 杖を持った老人両手を挙げると、海が割れて一本の大きな道なる絵……。

 幼いながらにその光景がとても神々しく見えた。タイトルは確か、『海割れの奇跡』。

 鉛筆で書いた絵を無造作に消しゴムで消したように、そこだけ床のない空間が開いた。彼が寄れば寄るほどに、私たちへ今まで感じた事のない程の重圧が押し寄せてくる。

 表情が見えるくらいに近寄ると、彼は手持った杖の先端を私たちに向けた。

 

「やあ、いらっしゃい。魔法少女の皆さん。メッセンジャーガールに伝えた通り、結界内の端の方に居てくれたんだね。さっきの余波に巻き込まれていないようで安心したよ」

 

 口の端を緩く吊り上げ、薄笑いを浮かべた彼、ゴンべえ君はそう言った。

 細まらない瞳は言葉以上に私に語る。

 ――お前たちの存在を(ゆる)さない。魔法を認めない。奇跡を受け入れない。

 私たちを完全に否定しようとするゴンべえ君の強い意志が視線を通じて、私に流れ込んでくる。気が付けば、私は知らず知らずの内に一歩後退りをしていた。

 でも……、それでも。

 私には引けない理由がある!

 手のひらに握った四つ葉のクローバーはもうすべての葉が消えている。

 何もかも、全部思い出した。

 私が何者なのか。どうしてここに居るのか。ここで何をしなきゃいけないのか。

「私の……」

 

「パパとママと弟君の安否が心配? それともお友達の黒髪さんの方かな?」

 

 言おうとした事を先に指摘されて、私は虚を突かれて黙り込んでしまった。

 その後に返答の代わりに頷く。

 

「無事だよ。ちなみにここに連れ去られた人たちは先に結界内に返してる」

 

 杖の先を上へ向けて、ゴンべえ君は空を仰ぐように促した。

 壊れ始めた街並みや空から落ちて来た燃える飛行船ばかりに気を取られて、今まで注目していなかったけれど、この偽物の見滝原市の上空は大きく円形に切り開かれていた。

 あそこの外にママたちやたっくんが……。

 私の家の周辺が壊されて、燃え出した時には気が気じゃなかったけど、結界の外に脱出できたんだ。

 

「良かった。ママたち無事なんだ……」

 

 ほっと安心した私を冷めた目で眺めていたゴンべえ君は何気なく、聞いてくる。

 

「お前のじゃないだろう?」

 

「え……」

 

「あの人たちは人間だ。でも、お前はもう違うだろう? ねえ、円環の理さん」

 

「でも、私はパパとママの子供で……」

 

「もう違うだろう。お前は人間という存在から踏み外し、現象に成り果てた。人間から神なんぞに貶められた(・・・・・)。人間に関わる資格はない」

 

「…………………」

 

「汚らしい奇跡()で彼らの人生に触れるな。神様(化け物)風情が」

 

 瞳の笑ってない冷酷な笑顔でゴンべえ君は私に吐き捨てるように言い放った。

 胸の奥にある大事な何かを思い切り鷲掴みにされたような苦しみが私の中で広がった。

 彼に言い返すどころか、呼吸さえもままならなくなる窒息感に支配される。私が、「すべての魔女を生まれる前に消したい」という願いを叶えてから感じた事のない、人としての心の痛み……。

 大好きな彼から、自分の存在を全否定される苦痛。

 眩暈(めまい)や吐き気を感じて、私は一歩たじろぐが、その背中をそっと誰かが支えてくれた。

 振り返るとさやかちゃんが背中をその手で支えるように、立っていた。

 

「さやか、ちゃん……」

 

「大丈夫だよ、まどか。そんで……いい加減にしなよ、ゴンべえ」

 

 私に優しく微笑んだ後、鋭く引き締めた表情でゴンべえ君を睨んだ。

 

「さっきから聞いてれば、何様のつもり? アンタが何なのか知らないけど、まどかにそこまで言う資格はないでしょう! まどかは何も覚えてなかったんだから」

 

 私の代わりに反論してくれるさやかちゃんに心強さを感じ、再び、挫けかけていた心を落ち着かせて、ゴンべえ君と対峙する。ふら付きそうになった脚に力が戻った。

 だが、彼はさやかちゃんが私を庇って出てくる事を予想していたらしく、間髪入れずに言葉を返した。

 

「あるさ。だって、僕は黒髪さんじゃなく、そのピンク髪さんに引きずり込まれてここに居るんだから。それも思い出してくれたんだろう? ねえ、ピンク髪さん」

 

 そう。そうだ……。

 ゴンべえ君、ううん。『彼』をこのほむらちゃんの結界の中に引き込んでしまったのは私だった。

 『彼』が元の世界、元の時間でその命を終わらせた時に私は『彼』に会いに行った。

 不完全だったせいで濁る前に消滅してしまったとはいえ、一度ソウルジェムになった『彼』の魂は円環の理に触れる事ができたからだ。

 けれど、彼は私と一緒に来る事を望まなかった。

 『彼』は最後までどこにも行かず、消滅する事を……人として死ぬ事を選んだ。

 その後に、ソウルジェムを濁らせてしまったほむらちゃんの元に行った私はキュゥべえの目論見通りに、ほむらちゃんの結界に囚われる事になる。

 しかし、私が自分を忘れる寸前に、最後に言葉を交わした『彼』へ手を伸ばしてしまった。

 消えかけた『彼』の魂に私は無我夢中で触れてしまった。

 その時に『彼』はここに引き込まれて、やって来たのだろう。

 

「……私のせい……なんだよね? 『あなた』がここに来たのは……まさ……」

 

「お前がその名前を口にするな」

 

 私が名前を呼ぶ前に、『彼』の声が遮る。

 口調は淡々としていたが、低く籠ったその声には激しい怒りが含まれていた。

 今までも敵意という感情は向けられていたが、一層鋭く発せられた気迫はもう殺意と言ってもよかった。

 

「……まどかのせいでここに来たのは分かったよ。でも、そこまで否定されなきゃいけない理由なんてない。だって、まどかの両親も喜んで……」

 

 ゴンべえ君の態度に気圧されたのか、それとも彼の境遇を理解したせいか、少しだけ語気が弱くなったさやかちゃんはそれでもなお私を庇おうと言葉を紡いでくれる。

 だが、そんな彼女の言葉に呆れるように彼は、薄笑いで一蹴した。

 

「君は弁護しなきゃいけないよね。ピンク髪さんの一部な訳だし、何より最初から分かってこの結界を放置していたんだもんねぇ」

 

「……どこで分かったの?」

 

「気付かないとでも思った? 君の行動の不自然さに」

 

 彼は押し黙ったさやかちゃんにクイズの答えでも教えるような気楽さで続ける。

 

「この世界の『設定』じゃあ、ナイトメアは一定の手順を踏むんだろう? 見てたよ。あの間抜けなお茶会もどきの浄化の光景を。でも、君は僕が黒い卵状の姿で現れた時、一人だけ武器を使って倒そうとしてたよね?」

 

 ゴンべえ君は一瞬だけ顔をシルクハットのツバで隠すと、あの夜にあった黒い卵から手足の生えた異形の姿、卵のナイトメアに変身する。

 

「それはつまりナイトメアでないと認識していた、ということだ。ナイトメア以外の存在だと知って、なおかつ他の仲間には何も言わなかったのは、この仮初(かりそめ)の見滝原市を守ろうとしていたからだよね? この魔女の結界を」

 

 だから最初は君がこの結界の魔女だと思ったよと一言付け加えて、彼は元のゴンべえ君の姿に戻る。

 外したシルクハットをもう一度被り直しながら、彼は話を戻そうと言った。

 

「否定されなきゃいけない理由がないだったっけ? あるさ。大いにある。だったら彼らの人生はどうなる? こんな偽物の街で一生過ごせとでも。ああ、失った娘と居られるから幸せだって? じゃあ、タツヤ君はどうなる? このまま、偽物の街で成長して、大人になれって言うの? それに同じくここに居る他の人たちはどうなる?」

 

 彼は懐から一枚の黒い布を足元へと広げて見せた。

 そこには夜の砂漠でベッドやソファに横たわる、パパとママ、たっくん。それに早乙女先生、仁美ちゃん、上条君の映像があった。

 皆、この結界に囚われた人たちだった。結界内の光景には見えないから、多分、結界の外なのだろう。

 

「外に居る、彼らを大切に思う人はどうなる? 彼らを失って悲しまないとでも思ったの? 居なくなった人を身を粉にして探さないとは考えなかった? それでもこの街で幸せそうならいいじゃないかって?」

 

 (まく)し立てるように言葉を並べるゴンべえ君に、さやかちゃんは首を横に振って、必死に否定する。

 

「違う! そうじゃない!? 私はただ……」

 

 けれど、彼の理屈に反論するための台詞が思い浮かばずに口を止めてしまう。

 さやかちゃんは全部覚えた上でこの街で過ごしていた。だからこそ、もう手に入らない幸せと、心地よさを私以上に感じてしまったのだろう。

 きっとゴンべえ君の言い分は正しい。でも、それだけじゃ割り切れない事だってあるはずだ。

 私が今度はさやかちゃんを擁護しようとした。

 けれど、その前に杏子ちゃんが叫んだ。

 

「何が悪いんだよ! さやかは……さやかは何もかも失ったんだ! ちょっとくらい楽しい思いをして、何が悪いんだよ!?」 

 

「……杏子ちゃん」

 

「杏子……」

 

 彼女に私とさやかちゃんは揃って顔を向けるが、杏子ちゃんはただ前に居るゴンべえ君の方を向き、悔しそうな、悲しそうな表情で続ける。

 

「アタシらが……魔法少女が……ちょっとくらい楽しい思いをするのがそんなに悪いのかよ! そりゃあ、他の奴らには帰る場所や待ってる奴もいるかもしれない。……けどなぁ、それでもアタシはさやかとここで一緒に居られた時間は掛け替えのないものなんだ! それをお前なんかが否定すんな!」

 

 彼女は叫びと一緒にゴンべえ君へ向かっていく。

 彼女の武器であり、魔法でもある赤い槍を構えて、その場で複数人に分身した。

 大して迎え撃つゴンべえ君は表情すら変えずに、無造作に立っている。

 四方八方に散った何人もの杏子ちゃんの幻影は大きく跳び上がり、空中から囲むように槍を突き出した。

 

「別にそう思うならそれでもいいよ」

 

 面倒くさそうな呟きと共に彼は乱雑な手つきで杖を横薙ぎに振るう。

 それだけで間近まで迫っていた杏子ちゃんの幻影は赤い粒子状に霧散した。

 だが、一人幻影が消えた時の赤い粒子を眼くらましにして、背後に回り込んでいた本物の杏子ちゃんが彼の背に槍を突き立てる。

 

「もらった!」

 

 槍の柄の半分くらいがゴンべえ君の身体に埋まったように見えた。

 私たちは言葉を失い、彼と杏子ちゃんの姿に目を奪われている。

 

「でも、それはもう人間の理屈じゃない。人でなくなった化け物の理屈だ。他者を犠牲にして、心地よさを得るなんて……それはもう文字通り、『魔女』だよ」

 

 杏子ちゃんが放った突きは確かに彼を捉えていた。並みの魔女ならその一撃だけ倒せていたかもしれない。

 けれど、相手はゴンべえ君だった。

 彼の本当の名前は『夕田政夫』。

 私の知る、たった一つの魔法少女にならない私が居る世界でその命を引き換えにワルプルギスの夜を一人で倒した男の子。

 

「……な」

 

 杏子ちゃんの槍は彼に触れた槍は、接触した瞬間にその部分を消滅させていた。

 彼女の手元に残った柄もじわじわと侵蝕されるように端から、消えていく。

 自分の背後に居る杏子ちゃんにゆったりとした動作でゴンべえ君は振り返った。私の居る位置からでは見る事はできなかったけれど、浮かべている表情は想像が付いた。

 酷く冷めた、軽蔑的な眼差しだろう。

 杏子ちゃんは驚愕したように両目を開き、硬直している。

 完全に決まったと感じた攻撃を避けられたとしても、防がれたとしても、魔法少女としてベテランの彼女はすぐに距離を取り、立て直しができたと思う。

 しかし、これは違う。

 攻撃をした事自体が無意味だった。

 自分が持つ武器が敵に効かないと知ったのだ。

 

「ねぇ。赤髪さん。一度手合わせした時に気が付かなかったの? 僕がどれだけ君たちに対して加減をしていたかを」

 

 そっと彼女の頬を白い手袋の手が撫でた。

 それは傍から見ているだけでも、優しく穏やかな手つきだった。

 

「まるで産まれたての赤ん坊を抱きあげるように、慎重に、慎重に壊さないようにしてあげていたんだよ? 豆腐のように(もろ)い君たちを、生卵のように割れやすい君たちを」

 

「……い……やめ……」

 

 杏子ちゃんは動かない。

 恐怖で凍り付いた様に、彼の顔を凝視したまま、微動だにしない。

 ゆっくりと彼の手が杏子ちゃんの下に移動する。

 そして、彼女の形状が十字架にも似た形になったソウルジェムの前で止まった。

 ジェムの表面にゴンべえ君の指が伸びた。

 

「やめて! やめてよ……! ゴンべえ君!」

 

 赤いソウルジェムが粒子状になって消滅する――そんな光景が嫌でも想像できた。

 私とさやかちゃんが彼らの方へ走り出す。

 駄目だ。間に合わない。彼ならきっとソウルジェムに触れるだけで魔法少女を殺せる……。

 私たちを弄んでいるのか、急ぐ素振りさえ見せずに彼はソウルジェムへと人差し指を近付ける。

 

「止めて! 待ってよ!? 杏子を殺さないで!」

 

 悲痛な叫びが隣を走るさやかちゃんの喉から漏れた。

 けれど、ゴンべえ君の動きは止まらない。

 杏子ちゃんも動かない。至近距離に居る彼女の方が彼の持つ、圧倒的な恐怖に身体を支配されているからだ。

 白い指が杏子ちゃんのソウルジェムに触れそうになる瞬間。

 その時、彼女の身体を巻き付くように黄色のリボンが伸びた。

 リボンはゴンべえ君――ではなく、杏子ちゃんに巻き付くと、大きく後ろへと戻っていく。

 杏子ちゃんを絡め取るように引き寄せたのは、いつの間にか私たちとゴンべえ君を挟んで反対に移動していたマミさんだった。

 

「マミさん……杏子ちゃんは!?」

 

「大丈夫。無事よ」

 

 大事そうに彼女を抱き上げるマミさんは赤い十字架に似たソウルジェムを指差す。

 杏子ちゃんは荒い息を吐いて、冷や汗を流しながら、痙攣(けいれん)を起こしたように震えていた。

 さやかちゃんはよほど安心したのか、その場でほっと胸を撫でおろした。

 

「でも、何一つ。事態は好転してないわ。それどころか……」

 

 マミさんは顔を顰めた。

 

「効かなかった……アタシの槍……。それだけじゃない……アイツの身体に槍を通して、触れた瞬間……何もかも消えてなくなるような、嫌な気持ちを感じた……」

 

 唇が震えすぎているせいで、途切れ途切れに杏子ちゃんは声を吐き出した。

 ゴンべえ君に魔法は効かない。魔力で生み出した武器は彼に触れただけで消えてしまう。

 そして、あの杏子ちゃんでさえ、戦意を挫かれるほどの存在……。

 顔を上げれば、先ほどの場所から一歩も動く事もせずに、私たちを眺めていた。

 

「君たちがこの『泥で作ったケーキ』を美味しい美味しいと(むさぼ)るのは構わない。好きだけ頬張れよ。でも、それを通りかかかった人たちの口にまで押し込んでいくんだ。……殴られても文句は言えないよね?」

 

 彼は宣言するように杖を振るう。

 

「罪のない人たちを巻き込み、己の快楽だけを求めるのならそれでもいいさ。絶望から逃げるために希望という名の妄想に耽溺する化け物なのは知ってるよ。さあ、来い! 大人になれない少女たち(魔法少女)。――僕がお前たちの絶望だ!」

 

 否定の魔王は私たちの前に立ち塞がる。

 前に彼は私に言った。自分は魔法少女の敵だと。

 

 

 




お待たせしました。
まだまだクライマックスには程遠いですが、台詞シーンが多いです。
次回も台詞ばかりになりそうですが、もう少し場に動きを入れたいと思っています。


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新編・第十三話 白い布、黒い布

 夜空が剥がれていく。

 内側の外装を貼り付けていた接着剤が粘着力を失って重さで下へ落ちるように、はらはらと剥がれて、零れた幕の端々が雨のように振り注ぐ。夜空の破片は落下の途中で擦り切れて影も残さないで消えていった。

 欠けた場所には不自然な空白だけが残されている。

 同時に地面が裂けていく。

 上手に描かれた絵に大ぶりのカッターを走らせて切り刻むように、縦横無尽の亀裂がコンクリートやアスファルトのあちらこちらに入っている。

 辛うじて残っていた建物は砂のお城のように崩れ、地面に投げ出されるとパラパラと風に乗って飛んでいく。

 紫色の粒になったそれは触れる事もできないほどにか弱く見えた。

 何もかもが残酷なまでにあっさりと壊れていった。

 元からそうなる事が運命だったかのように、音も立てずに、とめどなく形を失っていく。

 崩壊していく街の中央に立つのはシルクハットにテールコートを着込んだ少年。

 指揮棒の如く、ステッキを振り上げる彼は音楽指揮者のようにも、手品師のようにも映った。

 抽象画のような現実感の薄いその光景は私には恐怖と共に視界へと広がっている。

 もしもこれが一枚の絵画なら、付けるタイトルはきっとそう……。

 

 ――崩壊の物語。

 

 漠然とそんな考えが脳裏を過る。

 

「まどかっ! 早く、あいつから離れてほむらを見つけよう!」

 

 さやかちゃんの声で私は我に返った。

 そうだ。ママたちがもうこの結界内に居ないなら、ここに居ても仕方ない。

 早くほむらちゃんを見つけて合流しないと……。

 

「う、うん」

 

「マミさん! 杏子連れたままこっちに!」

 

「え……美樹さん? 何をするつもりなの?」

 

 さやかちゃんが背中に付けた白いマントを大きく広げる。

 杏子ちゃんを抱えたマミさんは怪訝そうに彼女を見るけれど、質問には答えずに叫ぶ。

 

「私に任せてください! なぎさっ」

 

「マミ。さやかの事を信じてほしいのです!」

 

 なぎさちゃんはそう言うとマミさんの手を引いて、ほとんど飛び付くようにさやかちゃんのマントの中へと入っていった。

 すべてを思い出した私は彼女が何をしようとしているか手に取るように分かった。

 空間転移。今のさやかちゃんには水のある場所なら、どこにでも移動できる能力を持っている。

 私もまた同じように彼女のマントの中に足を踏み入れた。

 白い暖簾のような布を(まく)るその瞬間、半壊した街の中央に立っていたゴンべえ君は口元だけを酷くいやらしく歪めた。

 遠すぎて声は聞こえなかったけれど、その唇の動きから彼が何を言ったのか分かった。

 ――無駄だよ。

 さやかちゃんのマントがふわりと揺れ、私の視界を覆い隠す。次に開いた時には周囲の様相は工業地帯の一角にある路地裏へと変わっていた。

 配管が側面にびっしりとこびり付いた路地の壁は幾何学的な図形のように見えた。動くと足元でぴちゃりと水溜まりで水滴が跳ねる。

 

「ここ、路地裏? まさか、移動したの? どうやって!?」

 

「話は後なのです。杏子? 大丈夫なのですか?」

 

 場所が急に変わった事に驚くマミさんに説明もせず、なぎさちゃんはマミさんの腕の中の杏子ちゃんへと声をかけた。

 

「うるせーな……大丈夫だよ。ただちょっと気分が悪いだけ」

 

 絡み付いた黄色のリボンをマミさんに解除してもらいながら、杏子ちゃんは彼女の腕から出る。

 声からも覇気は感じられないものの、自分の脚で立つくらいには元気がありそうでほっとした。

 全員が一息吐いたところを見計らって私は彼女たちに言う。

 

「ゴンべえ君は私たちが想像しているよりもずっと手強い相手です。彼とどう戦うかは、ほむらちゃんを見つけ出してからにしましょう」

 

「暁美さんを見つけ出すって……そもそも彼女は無事なの? 考えたくない事だけど……」

 

 言葉を濁しながらもマミさんはほむらちゃんが既にゴンべえ君に消滅させられているのではないか、そう尋ねてくる。

 けれど、これは私の希望的観測から出た言葉じゃない。

 この結界はほむらちゃんが作り出したもの。本当にほむらちゃんが死んでいるのなら、この結界はその瞬間になくなっているはずだ。

 

「大丈夫です、マミさん。ほむらちゃんは無事ですよ。だって、この場所はまだ彼女の結界の中ですから」

 

「結界……? そのあたりがよく解らないけれど、鹿目さんに確信があるのならいいわ。暁美さんを探しましょう!」

 

「ま。案外強かな奴っぽいからな、あいつ。そんな簡単にくたばってねーだろ」

 

「ありがとうございます!」

 

 きっとマミさんや杏子ちゃんは私たちに聞きたい事で一杯だと思う。それでも疑問をぐっと堪えて、ほむらちゃんを探す事に納得してくれた。

 本当に優しい人たちだ。ここで詳しく話せないのが心苦しいけど、今はそこまで悠長している時間はない。

 

「じゃあ、これから……」

 

「これから?」 

 

 どこに行くかを話し合おうと。そう言おうとした私の肩に後ろからポンと手が置かれた。

 真っ白い、皮手袋で覆われた手。

 さやかちゃんのものではない。だって、彼女は今、私の目の前に居る。

 

「どこに行こうというのかな? お・じょ・う・さん」

 

 シルクハットの下で軽口と共に笑みが(こぼ)れた。

 驚愕で硬直した私たちの中で一番最初に動いたのはマミさんだった。

 黄色のマスケット銃の銃口から魔力の光が放たれる。私のすぐ後ろに立っていたゴンべえ君の顔面に躊躇なく、飛んでいく黄色の弾丸。

 けれど、弾丸が彼を傷付ける事はなかった。

 頬に触れた刹那、弾丸は黄色の粒子状に変化して、跡形もなく散る。

 その僅かな隙に、さやかちゃんがまたマントを広げて、私たちごと空間転移する。

 言葉はなかった。必要なかったという意味じゃない。

 言葉を発する余裕もなかったからだ。

 次にマントが揺らいだ時には、私たち恐怖で硬直した私たちは、川沿いの歩道に移動していた。

 

「あいつ、なんで……?」

 

 一番動揺しているのはさやかちゃんだった。

 無理もない。少なくともすぐには追いかけて来れない距離は稼いだはずだった。二、三言話している間に傍まで来る事なんて想像も付かない。

 

「それはね、青髪さん。僕がお前よりも空間移動に長けていて、なおかつ、お前らの位置を特定できる(すべ)を持っているからだよ」

 

 今度は低い位置から彼の声が聞こえた。

 目線を下へと下げると、さやかちゃんの足元にシルクハットが逆さまに置いてある。

 そこからするりと何事もないかのような顔でゴンべえ君は這い出てくると、落ちていたシルクハットを汚れを叩いて落としている。

 のんびりとした、緩慢な動作でシルクハットを被り直し終えると、おや、と不思議そうに動けずにいた私たちを眺めた。

 

「あれ? どうしたの? もう攻撃しないの? また逃げないの?」

 

「……アンタ」

 

「最初に目で見て理解してほしくてね。逃げても無駄だって。ああ、ついでに言うとね。僕はその気になれば本当にどこにでも移動できるし、お前らの魔力の波長も覚えたからどこに隠れても見つけられる」

 

 そう言って彼は、懐から親指ほどの無造作にちぎれた布切れを私たちに突き付けた。

 それぞれ、布の色は赤、青、黄色。それはマミさんたちの衣服と同じ色だった。

 

「学校の屋上で戦った時に、一つまみ拝借してたんだ。お前らの衣装の切れ端さ。魔力の残滓さえ残っていれば、波長を辿って追いかけるなんて、簡単なんだ」

 

 私たちにとって絶望的な事を平然と、まるで簡単な手品のタネでもばらすかのように語る彼。

 魔法は効かない。逃げた先へ簡単に現れる。

 彼が持つ力を知れば知るほど、抗う事さえ無意味に思えてくる。

 

「さて、これで取りあえず、こっちの手札は見せてあげられたかな? 忘れちゃったなら復唱してあげる。一つ、僕に魔法や魔力で生み出したものは消滅する。二つ、僕は空間移動でどこにでも行ける。三つ、お前らの居場所がどこに逃げても追跡できる。……ああ、それと四つ目」

 

 彼はシルクハットを取り、その中に手を入れる。

 同時に、さやかちゃんの目の前の空中に黒い穴が開いた。

 そこから白い手袋で覆われた手が蛇の如く飛び出して、彼女を穴の中へ一瞬で引きずり込む。

 

「さやかちゃん!?」

 

 その場から消えた私の親友の名前を叫ぶと、慌てないでとばかりに彼は手で私たちを制した。

 

「僕は場所が特定できるものなら手元へ引き寄せることができる。こんな風に、ね」

 

 持っていたシルクハットから手を引き抜くと、無造作に彼に首を掴まれているさやかちゃんの姿がその場に(あら)わになった。

 彼女が苦しそうにもがくと、ゴンべえ君は地面に放るように手を離した。

 

「ま。ざっとこんなものかな? どう参考になりそう?」

 

「アンタ……ふざけてるの!? そこまで教えても、私たち何もできやしないってそう思ってる訳?」

 

 憎々し気に喉を押さえて、さやかちゃんは叫ぶ。

 でも、それがただの強がりである事は一番さやかちゃん自身が分かっているだろう。

 彼がその気なら、私たちに勝ち目などない。

 こちらからは何も有効的な攻撃ができないのに、彼は好きな時に好きなようにいくらでも止めをさせる。

 今までは彼の気まぐれで、助かっていたようなものだと思い知らされた。

 マミさんも杏子ちゃんもなぎさちゃんもそれが分かるから動けない。

 動かないのではなく、動けない。何が彼の引き金を引いてしまう切っ掛けになるか判断が付かないのだ。

 

「そうだね。何かできるなら是非見せてほしいけど……じゃあ、まずはお前からにしようか」

 

 彼はそれだけ言うとさっと懐から黒い布を取り出して、地面に倒れたさやかちゃんへと振るう。

 

「させない! 美樹さん!」

 

 今度もマミさんがリボンを生み出して、杏子ちゃんと同じようにさやかちゃんを引っ張ろうとするが、黒い布にリボンが触れると形を維持できないようで、リボンは半ばから断ち切られるように掻き消えた。

 布はすとんと地面に落ちるとさやかちゃんの輪郭(りんかく)を呑み込むようにして広がっていく。

 ゴンべえ君が再び、布を持ち上げるとそこには何もない地面だけが残されていた。

 

「てっめえ、さやかを……!」

 

 激昂する杏子ちゃんを小馬鹿にしたような苦笑を一つ作る。

 

「まだ消滅させてはいないよ。ちょっと移動させただけ。言うなれば……そう。個別面談ってとこだよ。それじゃあ、準備が来るまでお好きにどうぞ。ただし、この結界は少しずつ崩れていってるから足元には気を付けてね」

 

 赤い槍をその場で生成した杏子ちゃんは彼目掛けて、投げ付けた。

 しかし、黒い布が再び、振るわれると槍はもちろん、彼の姿もそこから消え失せていた。

 ひらひらと布が地面へ落ちていくと、そのまま透過していき、最後には何も残らなかった。

 誰も何も口を開かない。

 開けば、情けない弱音か、自分への罵倒の言葉しか出て来ないだろうと分かっていた。

 圧倒的な力の差を見せ付けられた私たちはただ貝のように口を(つぐ)むことしかできなかった。

 




久しぶりの投稿です。


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新編・第十四話 混ざった水

~さやか視点~

 

 まず目に入ったのは噴水だった。

 周りに複数のライトが埋め込まれていて、色とりどりの光を点滅させながら、大きく水を噴いている。

 私はこの場所を知っている。ここは……。

 

「見滝原市中学校近くの公園だよ」

 

 耳に届いた声に振り返れば、公園のベンチにゴンべえが腰掛けていた。

 今まで来ていた手品師のようなテールコートとシルクハット姿ではなく、見滝原市中学校指定の白い男子制服を着込んでいる。

 

「君の自宅からも程よく近いから何回か来たことくらいあるんじゃないかな? もっとも、ここは黒髪さんが作り出した紛い物だけど」

 

 横にはどこから取り出したのか、それとも最初から用意してあったのかティーポットとカップが二つ並んでいる。

 手慣れた手つきで彼は湯気立つポットからカップに薄茶色の液体を注ぐ。

 漂う匂いからそれが紅茶だと分かるまでそれほど掛からなかった。マミさんのせいか、この紅茶の銘柄は何だったか、なんて下らない事まで浮かびそうになる。

 

「突っ立ってないで掛けなよ。せっかく入れた紅茶が冷めちゃう」

  

 ゴンべえは片方のカップを持って、私の方に差し出した。

 理解が追い付かない。さっきまで敵対していた相手に連れ去られたと思ったら座って紅茶を渡してきた。

 字面にするとなおさら意味不明だ。何を企んでいるのかさっぱり分からない。

 

「え……何を、しているの……?」

 

「何って、お茶を飲みながら話そうって言ってるんだよ。見て判らない? 君って日本語が分からないの? それとも僕の喋ってる言葉がポルトガル語にでも聞こえる訳?」

 

 『心底、こいつ馬鹿なんじゃないの』という呆れ気味の表情で私を見つめるゴンべえにイラっとしたけれど、それでもここで怒りだしても話が進まない。

 そもそも魔法少女の敵を公言するこいつの出したものを私が受け取る理由がない。

 拒絶しようと口を開くが、その前にゴンべえは小馬鹿にしたようにせせら笑った。

 

「はは。まさか、毒でも出すと思ってる? まさか、あれだけ彼我の差を解りやすい形で教えてあげたのに、まだ理解してないんだね。加減しないと握り潰してしまうような君相手にそんなことすると本気で思うの? それにもし君に何かするなら近付くでいくらでもできるんだよ?」

 

「う……それは」

 

 彼の言葉に何の間違いもない。魔法は効かない。逃げても無駄。全員で掛かっても傷一つ負わせられなかった。

 おまけに明らかに加減していたからこそ、どうにか戦いの体を保って見えたけど、ゴンべえがあそこで私たちを倒す気があれば、一瞬で勝敗は決していただろう。

 どの道、逃げられない以上、逆らっても無意味だ。

 こいつに会話をする気があるなら、むしろ好都合だ。少しでも私たちが有利になるような情報を引き出してやる。

 

「私、紅茶には少しうるさいよ?」

 

「ふふ。魔法少女の先輩によく淹れてもらうから?」

 

 にこにこと微笑んで、ベンチの空いた場所を軽く叩いてに座るよう促してくる。

 こっちの事は知り尽くしてますって感じだ。恐らく、私たちの内情まで把握した上でゴンべえは行動している。けど、ここで怖気づいてしまっては駄目だ。

 堂々と彼の隣に座って、差し出されたカップを受け取った。

 口元まで持っていき、薄茶色の水面に目を落とす。ふわりと鼻に香る紅茶の匂いには違和感はない。

 何か変なものを入れてはないだろう。彼のいう通り、そんな小細工をする意味がない。

 それでも敵対している相手から出されたものを飲むのは多少抵抗があった。

 ほんの僅かに迷った後、私は意を決して、カップに口を付け、一気に喉へ流し込む。

 熱すぎず、かと言って温すぎない温度の液体が喉を通って胃の中に落ちていく。

 

「……。美味しい」

 

 素直な感想がこぼれた。

 砂糖も入れていないのにさほど苦さもなく、すっきりとした飲み応えの紅茶だった。

 飲み慣れたマミさんの紅茶ほど深みはなかったが、後味がいい。お菓子がない単品の紅茶ならこちらの方が好みかもしれない。

 

「それは良かった。頑張って淹れた甲斐あったよ」

 

 そう言ってゴンべえもちびりちびりと紅茶を啜る。

 こうして制服姿で紅茶を飲んでいるところを見ると本当に普通の男子中学生にしか見えない。

 背丈は百七十以上あるけれど、顔立ちはまだ幼さが残っている。顔立ちは特出するほど美形ではないが、まじまじと見れば目や鼻立ちはそれなり整っている事が分かった。

 だが、格好いいというよりは可愛いと呼ばれるタイプの男子だ。さっきまでの戦いがなければ虫も殺しそうにないほど温和な顔立ちをしている。

 

「僕の顔に何か付いてる?」

 

「いや、違うけど。何ていうか……その、わりと普通の顔してるんだなって」

 

 言葉を選んだ割りに失礼な表現になってしまったものの、そこからどうフォローを入れればいいか分からず、謝る気も起きず、続きが途切れてしまった。

 だが、彼はそれに気分を悪くした様子もなく、笑って返した。

 

「それは普通だよ。君らに比べれば僕は平凡な容姿さ。髪だってカラフルじゃないしね」

 

 私は目の前の存在が魔法の効かない化け物ではなく、ごくごく普通の人間にしか見えなくなり、どうしたらいいか分からなくなった。

 さっきまでは恐ろしくて、得体の知れない存在としか見ていなかったから余計に困惑した。

 

「あのさ……アンタ、何者なの? 魔法少女の敵だって自分で言ってたけど、私にはそう思えない」

 

「何者、ね。質問を返すようだけど、君こそ何者なの?」

 

「私は美樹さやか。円環の理に……まどかに導かれた魔法少女だよ」

 

「本当に?」

 

「え?」

 

 彼は私の方に身を乗り出して尋ねた。

 黒い黒曜石のような彼の瞳孔に私の顔が反射して映っている。無機質な瞳からは、どんな感情が心中で渦巻いているのか読み取る事ができない。

 その顔はあまりにも間抜けで、自分が今浮かべている表情だというのに実感が湧かなかった。

 ゴンべえはすっとベンチから腰を上げると、カップを持ったまま、噴水へ近寄った。

 そして、手に持っていたカップをおもむろにひっくり返す。

 中に残っていた紅茶が噴水の水へと零れ落ちていった。その後、すぐにカップで噴水の水を掬い取る。

 私は一連のゴンべえの奇行に付いて行けず呆然としていると、振り返らずに彼は私へと質問を投げてきた。

 

「ねえ。今、このティーカップの中に入っているのは紅茶? それとも水?」

 

「え……そりゃ水に決まってるでしょ」

 

「何で? 最初にカップに入っていたのは紅茶だったんだよ? 零した後にすぐに掬い直したのに紅茶じゃないの?」

 

「だって、大量の噴水の水の中に混ざったら、もうカップに移したって紅茶じゃなくてただの水でしょ。どう考えても」

 

 私が答えた途端、彼はこちらを振り向いて、意地悪く笑った。

 その瞬間、ゴンべえが何を伝えようとしているのか気付いた。これは、さっきの会話の続きだ。

 背筋に鳥肌が立つ。今、自分の中で浮かんだ彼の答えは私の全てを破壊しかねないものだった。

 

「そう。そうだよね。大きなものに小さなものが混じったら、もう小さなものは呑み込まれてしまう」

 

「…………」

 

 嫌だ。止めて。その先を言わないで。聞きたくない。

 

「たとえ、同じカップに移したとしても大量の水に溶けた紅茶は紅茶ではない」

 

「……私は」

 

 今すぐにこの男の口を閉ざさないと、きっと私は……。

 

「じゃあ、君はどう? 円環の理という大きなものに取り込まれた君は」

 

「わたし、は……」

 

 手に持っていたカップを投げ捨てて、剣を魔法で生み出して、跳ねるように噴水の方へ飛び出した。

 駄目だ駄目だ駄目だ。これ以上、この話を聞いてはいけない。絶対にそれだけは続けさせてはならない。

 

「ふふ。気付いているくせに。君の正体はもう」

 

 刃の切っ先を奴の口の中へと突き出す。声を、言葉を、呼吸を一刻も早く止めないと。

 剣を握る手を捻り、開いた奴の口内にねじ込もうと振り抜いた。

 奴の手の中にあったティーカップが音を立てて、地面に落ちて、粉砕音を響かせる。

 飛び散った破片と共に中の紅茶混じりの水が足元に広がった。噴水の周りのライトがそれを淡く照らしている。

 だが、剣先を押し込んだ瞬間、刃は熱したアイスのように溶けて、奴の口元を汚しただけに留まった。

 

「――人形だよ。与えられた配役を全うするためだけに居る、円環の理の操り人形」

 

 それすら、青い粒子状に分解されるまで数秒もかからなかった。

 何も付いてない口元を当て擦りのようにポケットから取り出したハンカチで拭うと、ゴンべえは私に片手を緩慢な動作で上げる。

 すうっと指先が私の鼻のすぐ前で止まり、人差し指を突き出した。

 

「死んでしまった魔法少女の残骸で作ったの哀れなパペット。円環の理の思い通りに動く玩具」

 

「違う! 私は私。それは円環の理の一部になったって変わってない!」

 

 私は魔法少女。美樹さやか。記憶も感情も、あの頃と同じ。

 そうだ。私は何も失っていない。私は何も変わってない。

 

「じゃあ、この結界の中に入り込んだ異物だと認識していた僕を野放しにしたのは何で? 気付いていたならあの時他の何を置いても排除するべきだったんじゃないのかな? 実際、僕を始末できたのは肉体をろくに生成できていなかったあの時だけだったのに」

 

 ゴンべえは指を突き付けたまま、淡々とした口調で喋り続ける。

 

「円環の理が……あのピンク髪の彼女が僕の存在を気に入ったから見逃した。違う?」

 

「それは、そうだけど。あれはまどかの……まどかがアンタを一生懸命助けようとしてたから……」

 

 確かに最初から私はこいつがナイトメアではなく、ほむらが作った魔女の結界の外部から侵入してきた存在だと知っていたし、得体の知れない存在だと思っていた。

 だから、浄化しようとしていた仲間とは違って、武器で打倒そうとした。

 でも、まどかがゴンべえを必死で川から引きずり上げて介抱していた光景を見て、そのまま見守る事に徹した。

 

「あたしがっ、まどかの幸せな姿が見たかったからだよ!」

 

 まどかは誰かを好きになる前に、全部失ってしまった。自分のためじゃなく、全ての魔法少女のために。

 

「友達に幸せになってほしいのが何がおかしいって言うの!?」

 

 そうだ。惑わされるな。自分の言葉で心が勢いを取り戻していくのが分かる。

 私は操り人形なんかじゃない。私は私の意思で動いている。

 するとゴンべえは数秒間、真顔で私の顔を眺めた。

 

「本当にそう思える? 君は彼女の一部なのに。君、自分の手足が自分の思い通り動くことが友情だと思う訳?」

 

 打って変わって真剣そのものの眼差しに気圧されて、思わず下を向いてしまう。

 当たり前だと力強く答えればいい。そう思ってもこいつが言っている事がまったく的外れな事な訳じゃない。

 円環の理に導かれた私が、その前の自分とまったく同じだとは本当は思ってない。自分の事が客観視できるようになったし、昔よりも落ち着いた目で周りを見る事ができるようになった。

 これはきっと、神様になったまどかと混じったせいだと思う。

 足元に零れた水に自分の顔が映る。一瞬だけ俯いた顔が落ち込んだまどかの顔に見えた。

 

「……思ったよりちゃんと考え込むんだね。もっと脊髄反射で答えるっていうか、直感的に返答する子だと思ったよ」

 

「多分、そういうところがまどかの一部になる前の私だったんだろうね」

 

「でもねぇ、慎重というのは臆病は似ているようで違うんだよ。よく考えることはいいことでも、悩んで最後まで答えを出さないのは間違った答えを出すよりも悪い。答えを出す事が怖くなるからね」

 

 顔を上げればゴンべえはまた意地の悪い表情に戻っていた。

 

「前に直感で動いて手酷い失敗をしたとか、かな?」

 

 かつて、正義の魔法少女を自称していたくせに恭介を仁美に取られて、自暴自棄になって魔女になった記憶がフラッシュバックする。

 あんな風に馬鹿な自分とは決別したつもりだったけれど、結局、私は答えを出す事が苦手なだけだったかもしれない。

 あの時、せめて振られるとしても自分から告白をしにいけば、もっとすっきりした気持ちにはなれたと思う。

 視線を逸らして質問に答えずに居ると、彼は勝手に納得したように頷いた。

 

「なるほどね。結局のところ、君はただの傍観者。痛い目を見るのが嫌で、足踏みばかり。それで自分は慎重になったなんて安心しちゃってる訳だ。肝心要のところは指を咥えて見てるだけ。だから、僕という異物を処理することもできず、こうして最悪の状況まで持ち越した」

 

「…………私、何も答えてないよ」

 

「言葉よりも表情の方が深く教えてくれていることもあるんだよ。ましては君は感情エネルギーの塊だ。反応だけで懐いた感情を雄弁に語ってくれる」

 

 顎先を摘まむようにして私の顔を無理やり上げさせる。

 にやにやと侮蔑の籠った笑みを浮かべているが、何故か無理に作っているような違和感を懐いた。

 

「……そうなのかもね」

 

「本当にそう思ってるの? 納得したつもりになるのと、心から納得するのはまた別だよ」

 

 不思議な気分。口調も表情も心底馬鹿にした台詞なのにまるで、どこか心配しているように聞こえる。

 今までまどかやほむらの事ばかり考えて来たけど、こいつのせいで自分の中の想いを改めて見せつけられたような気がする。

 

「まあ、いいさ。君のことが少し分かった。もう帰っていいよ」

 

 それだけ言うと、何の脈絡もなく、どんと肩を突き飛ばされた。

 

「え? ちょっと……」

 

 受け身も取れずに背中から公園の地面に打ち付けそうになる。

 だが、いつの間にか敷かれていた黒い布へと触れると、目の前が暗転した。

 一瞬の内に周囲の光景が公園から瓦礫の山の街へと変化している。

 

「ここって」

 

 周りを見回すと近くで膝を付いている黒い髪の少女の姿が目に付いた。

 泣いているのか両手を顔に貼り付けて、毛先が汚れるのも気にした様子なく髪を垂らしている。

 

「ほむら!?」

 

 私の声に驚いて、顔を上げた彼女の瞳は泣きはらしたように充血していた。

 

「さやか。何でここに……。いえ、まどかは!? まどかは無事なの!?」

 

 身体を動かす体力もないのか、立ち上がる仕草は見せなかったものの、鬼気迫る勢いで私に向かって問いかけた。

 相変わらず、まどか第一の姿勢にこんな状況だというのに少しだけ口元が綻んでしまう。

 

「少しは私の事も心配してよ。ま、アンタらしいけどさ」

 

 




年越しギリギリで投稿。思ったよりも難産だったので、若干予定と狂いましたが、どうにか更新できました。


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新編・第十五話 蝶と蛾の違い

~なぎさ視点~

 

 

 焼け落ちるネガフィルムのように次々と綻びが増え、黒ずんでいく偽の見滝原市。

 なぎさを含めた魔法少女たちは大きく輪を描くように周囲に目を配らせていた。さやかがゴンべえに連れ去られてから少し経つが一向に彼は姿を見せない。

 ゴンべえは言っていた。これは個別面談だと。

 彼が何を目的としているかは未だに分からないけれど、もしも嘘を吐いていないならまたなぎさたちの誰かを連れ去りにくるはず。

 そこを狙えば、逆にゴンべえを取り押さえる事ができるかもしれない。

 魔法は効かなくても、物理的な攻撃までは彼にも防ぐ術はない。いくら強くたって無敵ではない。

 そう提案したマミの意見に従い、なぎさたちはこうして周囲を観察している。

 集中集中集中——。

 目を凝らし、耳を澄ませ、異変をすぐに察知できるように。

 そんな折、肩を軽く叩かれた。

 肩に添えられた手があまりにも自然だったので、振り向いたのは驚きでも警戒でもなく、単純な反射行動だった。

 音もなく、空気の揺れすら感じさせず、なぎさの後ろに居たのは言うまでもなく、探していた魔法を無に帰す手品師。

 

「僕をお探し? お嬢さん」

 

 男子にしてはやや高く、透き通るような声音。黒く、夜の帳を一点に纏めたかのような瞳孔。背格好のわりに幼い顔立ち。

 

「……っゴンべえ!」

 

 本当に何の前触れもなく、瞬間的に現れた。

 頭と上半身だけを空間からぬうっと突き出している。いや、よく見れば、小さなハンカチサイズの黒い布が宙に浮かび、そこから身体をはみ出していた。

 

「待たせてごめん。次は君の番だよ。白髪さん」

 

 彼がなぎさを自分の方へ引きずり込もうと掴んでくる。黒い布をゲートにして、また空間転移を行うつもりだ。

 だが、さやかの時とは違い、なぎさたちも無策じゃない。

 なぎさを掴もうとしたゴンべえの腕に赤い鎖と黄色のリボンが蛇のように絡み付く。

 絡んだ途端にそれらは泡のように消えてなくなるものの、なぎさが彼の手を振り払って後ろへ跳ぶには十分過ぎる時間だった。

 

「あのさ。そろそろ学ばない? 魔法で作った武器は僕には通じないんだよ?」

 

 はあ、と露骨に呆れた調子で言った後、ゴンべえは隠していた身体をすべて布から抜き出した。

 まどかがなぎさを庇うように前へ出て、ピンクの弓の弦を引き絞る。彼女の指先にピンク色の魔力で作られた矢が三本現れた。

 風切り音もさせない無音の魔力の矢は彼の顔を狙って放たれる。

 しかし、三本ともさっきの鎖やリボンの同じように消滅する。

 ゴンべえは視線さえ揺らさない。自分に魔法が効かないと高を括っているのだ。

 まどかはそれにもめげずにいくつもの矢を発現させては解き放つが、彼の髪一本傷付ける事はできなかった。

 

「言ってるそばから……あれ? 金髪さんと赤髪さんは?」

 

 小雨の雨粒のように意に介する事なく、平然と矢の応酬をその身で受けていた彼はようやくなぎさたちの数が減っている事に気付く。

 でも、それは遅すぎた。

 降り注いでいたまどかの矢はただの囮。彼の意識を上へ向けるためのもの。

 身を屈め、素早く静かに接近していた杏子とマミがゴンべえの左右から両腕に全身で組み付いた。

 

「魔法で作ったもんは効かなくっても――」

 

「体術までは無効化できないでしょう!」

 

 二人ともタイミングを合わせ、彼の腕を後ろに捻じるように体重をかける。

 ぐらりと、ゴンべえの身体が前へ傾く。そこへまどかが接近して駄目押しの足払いを掛け、とうとう彼を仰向けに倒す事に成功した。

 艶のある黒髪の頭に載っていたシルクハットがころりと地面に転がって、なぎさの足元にこつんとぶつかった。

 取り押さえた! なぎさたちに歓喜と安堵の感情が広がる。

 だが、ゴンべえの顔からは口惜しさや焦りは見られない。それどころか、さきほどから変わらない平然とした余裕の表情だ。

 

「いやぁ、可愛い女の子にこう密着されると照れるねぇ」

 

「減らず口叩くんじゃねーよ。魔法にはいくら強くたって、こうりゃもう手も足もでないだろーが」

 

 杏子がさらに彼に腕をギリギリと締め上げるが、それすら効いているのか分からないほど、表情に変化がない。

 痛みがないのか、それともただの強がりなのか読み取れない。

 

「確かに君らの肉体は生身だからね。僕の否定の魔法でも消すことはできない。でもね、忘れてない? 君らの身体を動かしているのが何かを」

 

「っ……! 佐倉さん、離れるわよ!」

 

「はあ? 何でだよ!? ようやく手に入れたチャンスだろ?」

 

 不穏な台詞にマミは気付いたようでとっさに杏子に叫んで、組み付いていたゴンべえの腕を放そうとするが、それよりも早く、マミの目から光が消え、かくりと首が前に下がる。

 

「もう遅い」

 

 同じように杏子も放心したようにぐらりと身体を揺らして、掴んでいた彼の腕にもたれ掛かる。

 二人とも一瞬で意識を失ったようにぴくりとも動かず、脱力したように(うずくま)る。二色の魔力が粒子となって二人の格好がそれぞれ魔法少女の衣装から戻った。

 

「マミ! 杏子! 一体どうしたのですか!?」

 

 なぎさには何が起きたのかさっぱり分からなかったが、前へ立つまどかは状況を理解したようで静かに呟く。

 

「……魔力の循環を止めたんだね」

 

「大正解。魔法少女は結局のところ、ソウルジェムから魔力……感情エネルギーを流すことで肉体を操作している。なら、簡単だ。その流れを阻害してやればいい。結果は――ほら。この通り」

 

 小さな羽虫でも払うように緩慢な動作で取られていた腕を動かす。すると、意識のない二人の身体は彼の背中から落ちて地面に倒れ伏した。

 転がる彼女たちに視線も向けず、彼は立ち上がってズボンを軽く叩いている。

 

「あなた、二人を!」

 

 怒りに身を任せ、飛び掛かろうとするが、それをまどかが制した。

 

「なぎさちゃん。大丈夫。まだ二人のソウルジェムは消えてない。だから、意識を失くしているだけだと思う」

 

 だから、今は我を忘れてはダメだと視線でなぎさに伝えてくる。

 まどかに言われ、マミと杏子のソウルジェムをそれぞれ、卵状の宝石に戻っているものの、彼女たちのすぐ近くに落ちている。

 

「ソウルジェムが百メートル以上肉体から離れた時と同じだよ。一時的に肉体とのリンクを強制的に外しただけ。また肉体にソウルジェムを触れさせて、リンクを繋ぎ直せば、元通りさ」

 

 ほっと胸を撫でおろす。二人は無事だと分かっただけで怒りのボルテージがゆっくりと下がっていく。

 同時にゴンべえの反則染みた強さに改めて脅威を感じた。

 魔法は通じない。直接取り押さえる事も不可能。倒すどころか、ダメージを与える事もできない。

 怖気づいてしまうなぎさと違って、まどかは毅然として一歩踏み出した。

 

「ゴンべえくん……もうやめて。こんな事をして何になるの? 何で魔法少女を殺そうとするのっ!?」

 

「聞いてどうするのさ? 僕がもっともらしい理由を言って納得したら『解りました。私たちは消えて居なくなります』とでも言う訳?」

 

「それは……」

 

 目を逸らすまどかに、ゴンべえはふんと鼻を鳴らした。

 

「聞いたところで何も変わらないなら、言うだけ無駄だろう。それじゃあね。間抜けな女神サマ」

 

 捨て台詞と共に彼の手がテールコートのポケットに無造作に入れられた。

 次の瞬間、なぎさの足首が誰かに掴まれる感触が襲う。

 

「えっ……」

 

 下を向いた時には横向きに転がったシルクハットから白い手袋を付けた手がなぎさの脚を握り締めている光景が見えた。

 まどかが振り返った時にはなぎさの目の前は暗転し、気が付けば古い教会の長椅子に腰かけていた。

 瓦礫の山もまどかの姿もなく、あるのは古ぼけて傷んだ木製の壁と割れて剥がれ落ちたステンドグラス、そしてなぎさが座っている埃まみれの長椅子だけだ。

 瞬く間に別の場所に飛ばされた事に思考が止まったが、教会の奥の壊れかけた説教台の上に脚組みして座るゴンべえを見て、すぐに空間転移で連れて来られたのだと分かった。

 

「……ゴンべえ。なぎさをどうするつもりなのですか?」

 

「何、いくつか質問をさせてもらうだけだよ。本当さ」

 

「質問、なのです?」

 

 尋ねながら、ここがどこか考える。

 当然、ほむらの作った結界の中の偽りの見滝原市からは出ていないはず。

 宙に舞う(ほこり)や壁の染みまで作る込まれているなら、ほむらに取って印象に残っている場所。

 さやかが前に行ったという杏子のお父さんの教会なのかもしれない。ほむらが何度ループを繰り返したのか知らないけど、その内の一つで来たんだろうか?

 

「君は自分のことをどういう存在だと認識しているの?」

 

 組んだ脚をぶらぶらと動かし、行儀の悪い態度でそう聞いてきた。

 ―—どういう存在……なぎさが何者かって事を聞いている?

 それなら、答えは決まっている。

 

「なぎさは円環の理の一部なのです!」

 

「なら、円環の理って何?」

 

「え……?」

 

「君らが言う円環の理って何なのって聞いてるの? お解かりかな、お嬢ちゃん」

 

 長椅子に座るなぎさの目を射抜くように鋭い眼差しを放つ黒い眼差し。

 嘘も欺瞞も許さないという意志が眼光を通して、なぎさの脳髄に抉り込んで来る。

 本来、食事も必要としない魔力でできた身体なのに、口の中がぱさぱさに渇く。出るはずもない唾液をごくりと呑み込むように(のど)が鳴った。

 でも、ここで怯えてはダメ。

 

「円環の理は……まどかの、女神の作った魔法少女を救う法則なのです! 恐ろしい魔女にならずにまどかが連れてってくれる優しい世界なのです!」

 

 喉がつっかえそうになりながらも、語気を強めてゴンべえへと言い切った。

 負けてはいけない。だって、なぎさも女神の一部なんだから。

 

「ふふっ。あははははははは。女神ぃ!? そうかそうか。魔法少女を救う女神ね、うんうん。なるほどぉ……」

 

 片手で自分の顔を押さえ、嘲りをこれでもかと込めた笑みで彼は噴き出した。あまりにもおかしくてつい手で顔を覆ってしまった、そんな感情がありありと読み取れた。

 むっとして何かを言い返してやろうとしたが、それより早くゴンべえが謝った。

 

「いや、ごめんね。僕の方から聞いておいて笑うなんて失礼だったね。ところで白髪さん。君、(ちょう)は好きかな? バタフライの方ね」

 

「蝶、なのですか? ……好きなのです。可愛くて、綺麗で女の子なら皆、好きだと思うのです」

 

 急に話が変わったせいで、怒りが行き場を失くし、不機嫌そうに答えるだけに留まった。

 さっきまでの高圧的な声音と違って、優し気な声になった事も素直に答えてしまった原因だ。

 

「そっか。じゃあ、蛾は好き?」

 

「好きな訳ないじゃないのです! あんな気持ちの悪い虫! 見た目も怖くて、毒があって、誰だって嫌いに決まってるのです!」

 

 思うわず、背中に大きな目玉のような模様のある蛾を想像して、ぞわぞわと鳥肌が逆立つ……ような気持になる。

 なぎさの正直な返答に満足したのか彼は目を細めて、優し気に微笑んだ。

 まどかの家を見張っていた時に、彼女の幼い弟と遊んでいる時のような心がほんわりとする穏やかな笑顔に、目が釘付けになる。

 こんなにも優しく笑う人なのに、なんでなぎさたちの敵なのだろう。

 

「ふーん……でもね。君が好きな蝶と君の嫌いな蛾って生物的な違いはないの知ってた?」

 

「? 何言ってるのですか? 蝶と蛾は全然違うのです! 名前だって……」

 

「いいや。蝶は昼で、蛾は夜に飛ぶなんていうけど、夜に飛ぶ蝶も居るし、逆もあるよ。羽の開き方や触覚の形だって、あまりにも例外が多すぎて両者を明確に分ける違いにならない。蝶と蛾は同じなんだよ」

 

「じゃあ何で名前に呼び方が違うのですか?」

 

「そりゃ、見た人が勝手にイメージで振り分けているんじゃない? あれは綺麗だからきっと蝶。あれは気持ちが悪いからきっと蛾だろうって」

 

「そうなのですか……」

 

 そう言われて、蛾に対して少し可哀想な気持ちになってくる。明確な分け方もないのに、勝手にイメージだけで振り分けられ、綺麗なものと気持ちの悪いものに区別されるなんて……。

 蛾に酷い事を言ってしまった自分が酷く自分勝手に思えて、視線が足元に落ちる。

 ゴンべえはそんななぎさを眺め、変わらない調子で一言続けた。

 

「うん。君らと同じだね」

 

「……え」

 

「君らも勝手に区別してるじゃないか。自分たちは『綺麗なもの(女神)』で、気に入らない奴は『汚いもの(魔女)』だって」

 

 ぞわりと、背筋が凍った。

 彼の穏やかな笑みが仮面のように剥げ落ちて、その下から悪意に満ちた攻撃的な笑みが顔を出す。

 つり上がった口の端を戻さず、彼は言葉を紡ぎ続ける。

 なぎさの心を完膚なきまでに引き裂くために。

 

「女神の一部だという君らも、魔女もただの感情エネルギーの集合体にしか過ぎない。なのに君らは勝手なイメージで区分して、安心している」

 

「ち、違う。違うのです。だって、なぎさたちは……魔女になる前に……」

 

 魔女と一緒? そんな訳ない。だって、なぎさたちは円環の理に導かれて、救われて、その一部になったのだ。

 魔女とは違う。あれと同じ訳がない。あんな救われないものであるはずがない。

 

「君は円環の理の一部になったんだっけ。内側に取り込んで、それを自分の一部に変える。どこかで聞いた性質だね? どこだっけ?」

 

 心が彼の語る言葉を拒絶する。なのに……それなのに。

 耳を閉ざす事も、反論する事もできない。

 心のどこかが彼の言葉を認めてしまっている。

 ゴンべえはパンと大きく、手を叩いてわざとらしく喋った。

 

「あー。思い出したよ。僕らが居る、ここ。魔女の結界だ」

 

「違う、のです。なぎさは……なぎさは……」

 

「そうだね。取り込まれて、結界の中の魔女に服従し、行動している君は魔女じゃない。もっと哀れで、救いのない存在。……——魔女の使い魔だよ」

 

「人をっ、なぎさたちは人を襲わないのですっ! だからっ」

 

「ここの魔女の黒髪さんだって人を襲ってないよ? 人を襲わないことが魔女でないことの証明にならない。何より、人の代わりに魔法少女を取り込んでいるだろう?」

 

 自分たちは蝶だとそう思っていた。

 思っていたかった。

 自分が蛾だった時をなかったことにしたかったから。

 でも。

 

「それがお前だよ、白髪。円環の理という名の『希望の魔女』に喰われ、疑問も持たずに使い魔として働かされている、哀れな犠牲者」

 

 蝶も蛾も、女神も魔女も同じなら、なぎさたちは何のために存在している?

 今まで大切な宝物だと思っていたものが、価値のないものだと気付かされた。

 

「お前はチーズ好きなんだったよね。でも、自分で望んで食べるのと、強制されて食べさせられるのとでは天と地の差だろう? お前はこれからも大好きな女神さまに永遠という名のチーズを喰わされ続ける。顎が砕けようとも、内臓が潰れようともね。だってはお前は女神の『使い魔(いちぶ)』なのだから」

 

 もう、いい。

 気付かなければ、なぎさはずっと変わらない蝶のままでいられたのに。

 身体がびくんと一際大きく(うごめ)いて、口から何かが這い出した。

 蛹から蝶が羽化するように……いや、蛾だろうか。もうどうでもいい。

 なぎさはこの否定の手品師を喰い尽くす。

 

 手品師はなぎさは一瞥して、冷ややかに笑った。

 

「ふふ、その顔。まるで道化師(ピエロ)そっくりだ」

 

 蛹を脱ぎ捨てて、昔の形になったなぎさは男を噛みちぎるべく、大顎を開いて飛び掛かった。

 手品師は説教台に座ったまま無造作に、黒い杖を振るった。

 その光景を見た後、意識はぷつりと途切れた。

 




久しぶりの投稿。内容だけは一応覚えています。


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新編・第十六話 普通の痛み

「マミさん! 杏子ちゃん! しっかりして」

 

 一刻も早く、倒れたままの二人を起こなきゃいけない。さやかちゃんを取り戻すどころか、なぎさちゃんまでゴンべえ君に連れ去られてしまった。

 マミさんたちの手にそれぞれソウルジェムを握らせて、彼女たちのその手のひらを包む。

 私は焦る心を抑えて、意識が戻るまで声を掛けながら懸命に二人の身体を揺さぶった。

 

「ん……鹿目、さん」

 

「マミさん!」

 

 薄っすらと目を開き、私の顔を見つめる。

 よかった。意識は戻ったんだ。ゴンべえ君が言っていたように一時的にソウルジェムとの繋がりを断ち切っただけで、命には別状はないようだった。

 

「! なぎさちゃんは……?」

 

 目を覚ましてすぐになぎさちゃんの安否を聞いてきたが、私はそれに答えられずにいると、すべてを察したように唇を噛みしめた。

 

「……また、負けたのか。アタシらは」

 

 悔しそうにするマミさんに続き、杏子さんも目を覚ましてそう呟いた。

 彼女は仰向けに倒れた体勢で、握りしめた拳を地面に振り下ろす。

 

「ちくしょう! また打ちのめされて、仲間を奪われて、それで呑気に伸びてたのかよ! 何にもできねてねえじゃねえか」

 

「佐倉さん。気持ちは分かるわ。でもここは……」

 

「分かってる! 愚痴ったって何にもならねえ事ぐらい! だけど、アタシらに何ができる!? 魔法は効かねえ! 触れば気絶! その上どこにでも現れたり消えたりしやがる! そんな奴に何ができるってんだよ!」

 

 寝転んだまま、杏子ちゃんはマミさんに怒鳴り付ける。

 私はそれに何も言えない。杏子ちゃんの気持ちが痛いほど分かるからだ。

 怯えてる。誰かに当たらないと耐えられないほどに。

 怖いんだ。ゴンべえ君が、自分の力ではどうしようもない相手が。

 私だって同じだ。

 圧倒的な力を持ち、明確な悪意を向け、それを以って私たち魔法少女を弄んでいる。

 何よりも魔女とは違う、思考して行動する敵。

 ただ、特別な力を持つだけなら、それを無力化する方法を試す事だってできるだろうけど、彼はきっとそんなこちらの考えさえ読んで動く。

 現状、どうやっても勝ち目が見えない。こうして、私たちがまだ生きている事さえ、彼の気まぐれでしかない。

 さっきだって、わざわざ一人ずつ攫って行かなくても、残っていた私たちをあの魔法で消す事だってできた。

 

「おい! 何とか言えよ、マミ! まどかも!」

 

「杏子ちゃん。それでも騒いでいたって変わらないよ。とにかく、皆と合流する事を考えなきゃ。そうですよね? マミさん」

 

「……そうね。けれど、今すぐここから離れましょう。あれを見て」

 

 マミさんが神妙な面持ちで指を指す。

 言われるがままに、そちらへ顔を向けて、私は目を()いた。

 穴。大穴がそこかしこに出来ていた。

 この街を覆う背景だけではなく、地面までも崩れ、地盤ごと下へと落ちていっている。

 地下へではなく、中さえ見えない真黒な奈落の底のような――真下に。

 きっとこの下には何もない。地中も、地下もなく、虚無だけが広がっている闇。

 ここがほむらちゃんのソウルジェムの内側にできた魔女の結界なら、ここが崩れた時に私は外へ出るのか、それとも……。

 

「この結界は完全に綻び始めている。もしも結界が崩壊してしまったら、私たちがどうなってしまうのか見当もつかないわ」

 

「そうですね。じゃあ、早く……あ」

 

 そこまで言いかけて、自分の足元ががくんと沈む感覚に襲われた。

 反射的に下を見ると塗り潰された黒い色が視界に広がる。地面が溶けたように無くなり、落下していく。

 もう崩れたの!? 呼吸も忘れて上へと手を伸ばすが、何も掴めず下へと引っ張られる。

 隣にはマミさんや杏子ちゃんも同じように落下していた。リボンや鎖を伸ばして、上にある瓦礫を絡め取ろうとするが、その端から崩れて消えていくため、何も掴めない。

 だめだ!? 私たちは落ちていくしかない。

 その時、背中にふわりと何か柔らかい布のようなものが触れた様な気がした。その瞬間、自分の身体が何かに包まれる。これは……具現化した感情エネルギーだ。

魔法を許さない。奇跡を認めない。そんなものは存在させない。そういった感情が私の肌を刺すように纏わりつく。

平衡感覚や重力さえもが方向を失う。上も下も、右も左も分からない。浮上しているのか、落下しているのか、留まっているのか、それすら教えてくれない得体の知れない空間。

 首を捻って周りを見ようとした時には、私の身体は硬い地面へ寝そべっていた。

 

「あ、れ?」

 

 身体を起こせば、周囲には焦げたような地面と燃え尽きた様な残骸が散乱している。

 近くには私と同じようにマミさんと杏子ちゃんが困惑と警戒の入り混じった表情で起き上がっていた。

 そして――。

 

「まどかっ!」

 

 名前を呼ばれた先を見るとほむらちゃんがさやかちゃんに背負われて、こっちに向かっている光景が目に入ってきた。

 

「さやかちゃん!ほむらちゃん! 二人とも無事だったんだ」

 

「うん。ゴンべえに連れて行かれた後、ほむらのとこまで飛ばされたみたいでね。って、他人の背中で暴れないでよ、ほむら!」

 

 さやかちゃんが私のすぐ傍まで来ると、背中に負ぶわれたほむらちゃんが私の方へ無我夢中といった様子で手を伸ばしてくる。

 

「まどかっ。まどかぁ!」

 

 ゴンべえ君によっぽど怖い目に合わされたのか、ほとんど半狂乱になっている彼女の姿が痛ましかった。

 ここまで冷静さを欠いた彼女は、私が魔法少女になった時以来だ。

 

「大丈夫だよ、ほむらちゃん。私はここに居る」

 

 伸ばしたその手を握り締めてあげると、安心したように微笑みを浮かべてくれた。彼女の目にはじわりと涙が滲み出す。

 

「まどかぁ……よかったぁ。本物のまどかだぁ」

 

 ほむらちゃんは一人で立つ事もできないほどに弱っていて、私とマミさんたちの三人がかりでさやかちゃんの背中から降ろした。

 私の身体にしがみ付いて辛うじて立っているほむらちゃんを支えてあげると、彼女は自分の身に起きた事をとつとつと語り出した。

 自分が魔女になってしまった事。そして、ゴンべえ君に負けて魔力のほぼすべてを消されてしまった事。

 

「そっか。でも、ほむらちゃんが生きていてくれてよかったよ」

 

「うん……まどかも」

 

「おいおい、アタシらには何にもなしかよ」

 

 場を解すためか、杏子ちゃんが少し不満げに言うと、ほむらちゃんも少しだけ落ち着いたようで笑みを作った。

 

「ごめんなさい。皆も無事でよかった」

 

 和やかな雰囲気が私たちの間で広がる。

 しかし、それは一つの足音の到来と共に掻き消された。

 皆が警戒心を露わにして、この場へと姿を現した男の子へと向き直る。

 

「やあやあ。魔法少女の皆さん、お揃いで何より」

 

 足音など立てる必要もなく、どこにでも現れる事ができる彼はあえて地面を歩き、私たちの前までやって来た。

 片手には、ぐったりと気を失ったように脱力しているなぎさちゃんを襟首を掴むように持ち上げている。

 

「なぎさちゃん!」

 

「ああ。これ? いいよ。欲しいなら、返すよ」

 

 彼女を掴んだ手を乱雑に振って、物でも扱うように放り投げてくる。

 慌ててマミさんがそれを受け取って抱き留めた。なぎさちゃんの顔を覗き込むと目を(つむ)ってぐったりとしているものの、目立った外傷は見当たらない。

 

「あなた、彼女に何を!」

 

「ちょっとお話してたらプンスカしちゃってね。ちょっとお灸を据えてあげただけ。とりあえずは無事さ。僕が本気で何かしてたら魔力の塊であるコレなんか跡形も残らないよ。でも、まあ……これからは全員無事じゃ済まないと思うけど」

 

「どういう意味?」

 

「うん? そのままの意味だよ」

 

 彼の笑みが激しさを増した。

 ――凄絶(せいぜつ)。そう表現する他にないぼど攻撃性を秘めた表情に、血の気が引いた。

 

「僕がお前たちをここに集めてたのは纏めて処理するためだよ」

 

 彼は白手袋に包まれた手でパン、と柏手を打った。

 それだけで私の魔法は完全に消え失せた。

 纏っていた魔法少女の衣装は、見滝原中の制服になり、握っていた弓は影も形も残っていなかった。

 いや、私だけじゃない。

 杏子ちゃんを覗いて、全員が見滝原中の制服へ。杏子ちゃんだけがパーカーとホットパンツへと変わっていた。皆、私が知っている彼女たちの服装に戻っていた。

 

「魔法が……」

 

「嘘だろ……触られてもないのに……」

 

 服装だけじゃなく、身体を巡る魔力の感覚さえ今はほとんど感じない。

 試すまでもなく、分かる。

 魔法を封じられたんだ……。

 

「触れば魔力そのもの流れを消せるのは前に見せたと思うけど、完全に消し切らない程度に減らすだけなら触らなくてもできるんだよ。これでお前たちは魔法を使えないし、身体能力も人間だった頃まで戻ってる。つまりは、ただの女の子。所謂、どこにでも居る普通の女子中学生だ」

 

 ゴンべえ君の姿もまた見滝原市の男子制服に変化していた。

 上から下まで黒かった手品師の衣装から、真っ白い学生服。

 この世界では初めて見る格好。そして、『私』じゃない『まどか』がいつも見ていた姿。

 

「じゃあ、始めようか。ああ、安心して。流石に僕だけ強化された身体能力を振るうのもなんだし、ごく平均的な男子中学生レベルまで落としているから」

 

 言うが早いか彼は駆け出して距離を詰める。

 杏子ちゃんは呆然と立ち尽くしている。

 マミさんは抱えていたなぎさちゃんの重さから重心を崩し、私もほむらちゃんを庇う事しかできない。

 私は首を竦め、次に来る彼の攻撃に身を竦めた。

 ゴッ、と鈍い音がした。

 打撃音。人が、人を素手で殴る音が聞こえた。

 けれど、殴られたのは私ではなかった。

 

「……確か、アンタも弱くなってるんだったよね? どう普通の女の子に殴られる気分は」

 

 私の前に躍り出ていたさやかちゃんが、ゴンべえ君の頬を殴りつけていた。

 殴った彼女の手は震えていた。表情は気丈に取り繕っているが、明らかな怯えの色が見て取れた。

 当のゴンべえ君はそれを淡々とした様子で眺めている。

 

「腰が入ってない。拳の握り方も甘い。肘も伸びていなければ、振り抜いてもいない。それじゃ殴った手の方が痛いだろう?」

 

 彼はお返しとばかりにさやかちゃんのお腹へ拳が下から突き刺さる。

 肺の中の空気がまるごと吐き出されたように多く咳き込む彼女は、身体をくの字型に丸める。

 

「げほッ……あがッ」

 

「さやかちゃん!?」

 

「ソウルジェムの痛覚軽減がないとみぞおちを殴られた時、人間はこんな風に痛がるんだよ。どう? 少しは人間だった頃を思い出せた?」

 

 お腹を押さえて前のめりになったさやかちゃんの頭に、彼は間髪入れずに思い切り肘を落とす。

 それだけであれほど勇敢で頼りになる彼女は膝を着き、地面に座り込んでしまう。

 ゴンべえ君はそれさえも許さず、髪を引っ張って自分の方へ無理やり顔を向かせた。

 

「人間は脆い。肉体も精神も。だから、加減が、配慮が必要なんだ。それが分からない奴は人間に関わる資格なんてない」

 

 前に居るさやかちゃんの顔の陰から見える彼の顔は、明確な怒気に満ちていた。

 

「だが、お前はこの世界に取り込まれた人間を放置したな? ここの魔女は人を喰わないから安全だとぬかして。自分が平気だからと言って、彼らに何の異常が出るかも考えもしなかった。……それはお前が忘れたからだ。人間だった頃、自分が如何に弱い存在だったかを」

 

「止めろ! さやかを放せ! ……ッ?」

 

 杏子ちゃんがとっさに前に出て、蹴りかかるがそれも彼にいなされる。

 彼女の動きがぎこちない……? いや、違う。身体を動かす感覚がズレているんだ。

 私たち魔法少女はキュゥべえと契約した時、性格にはソウルジェムを生み出した時に身体を魔力で動かすようになる。

 それによって、身体能力も飛躍的に上昇する。

 だけど、今は身体能力は元のただの女の子だった頃に戻っているせいで、自分の身体が想像以上に動いてくれない。

 その感覚のズレが杏子ちゃんの動きに現れていた。

 

「赤髪。お前は随分昔から魔法少女やってたみたいだね。身体能力が平均レベルになったくらいで、蹴り一つ満足に出せないなんて重症だ」

 

 さやかちゃんの髪を掴んだまま、彼は杏子ちゃんの脚を払って横転させるとその背中を容赦なく踏み付けた。

 

「うぐッ」

 

「杏子! アンタ、杏子にまで」

 

「痛いだけじゃなく、怖いだろう? 苦しいだろう? でも、その痛みや恐怖は本来なら当たり前のものなんだよ。魔法だの、奇跡だのに頼ってない人間は当たり前に感じるものなんだ。これで少しは他人の痛みって奴を思い出してくれたかな? ねえ、魔法少女さん」

 

 体重を掛けて杏子ちゃんの背中を踏みしめながら、さやかちゃんの髪を掴み上げる。

 くぐもった悲鳴が私の耳に届いたが、それでも彼の行動には一切の容赦も滲まない。

 

「お前たち、魔法少女に足りないものを教えてやろう。それは『分別』だ。自分が触れていいものとそうでないものの切り分けができてない。だから、無関係な人間を巻き込んでも厚顔かましてられるんだよ。そして、なんで分別が付いていないかといえば『自覚』が足りないからだ。自分が人間ではないものになってしまったことへの『自覚』、自分の感覚がただの人間の範疇から逸脱してしまったという『自覚』がない。——なあ」

 

 ――魔法少女っていう存在はそんなに偉いのか?

 ――ただの人間にそれほど興味がないのか?

 怒りの籠った眼差しを私たち、魔法少女全員に配りながらゴンべえ君は言った。

 

「それなら僕がこれからお前らがどれだけちっぽけで無力な存在だったか、その身を以って教えてやるよ」

 

 直後、彼による一方的な蹂躙が始まった。

 



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新編・第十七話 赤色の代用品・黄色の付属品

~杏子視点~

 

 チクショウ……何、やってんだ、アタシは……。

 胸倉を掴まれて、拳が目の前にやって来る。その度に痛みが弾けて、目の奥で白い火花が散った。

 もう何度殴られたのか分からない。最初の内は皆僅かながら抵抗していたけれど、今ではなすがままになっていた。

 顔が熱い。口の中には鉄の味が広がる。痛みが消えない。傷が治らない。

 何だ、これ。怖い。怖いよ……いつもならなんて事ない痛みなのに。

 

「痛いと人間、身体が竦むんだよ。筋肉が必要以上に力んで硬直するんだ。でも、これ普通のことだよ? 普通の人間は痛覚軽減もできなければ、魔力による治癒もない。擦り傷、切り傷、打ち身に打撲。みーんな、よくある軽い怪我。自然治癒はしても不自然に傷が消えたりはしないんだよ」

 

 雑に放り投げられ、思い切りアタシは背中を地面に打ち付けた。肺から空気が叩き出されてむせ返える。

 潰れたカエルのような呻き声が漏れ出る。口の中が苦い。これはきっと胃液だ。

 悔しかった。文字通り、手も足も出ない。反撃の態勢も取れないまま、アタシは無様に転がった。

 涙が溢れ落ちそうになる寸前、腫れ上がったさやかの顔が視界に映った。

 

「さや、か……」

 

 アタシと同じようにゴンべえの野郎に叩きのめされて、倒れている。

 守らないと……。さやかだけは、こいつだけはアタシが守ってやらないと……。

 倒れているさやかを庇うように抱き着く。

 背中を踏まれようが、頭を蹴られようが、さやかにはこれ以上手出しさせるもんか。

 目を固く閉じて、次に来る痛みに堪えようとした。

 

「……?」

 

 だが、いくら待っても次の暴力はアタシに下りて来ない。

 目を開いて、ゴンべえの方を見上げると、奴は屈んでアタシの事を眺めていた。

 

「な、何だよ」

 

「いや、そんなに青髪が大事なんだなぁと思ってね。まるで庇護者を守るようなじゃないか。仲間や友達ってよりは……弟か、妹に対する態度だ」

 

 妹。その単語を聞いて、頭の中にモモの顔が広がる。

 ゴンべえの表情が厭らしく歪んだ。

 

「なるほど。妹の方か。年下の友達って線もなくはなかったんだけど」

 

「……っ!?」

 

 こいつ、アタシの心を読みやがった。

 ゴンべえの魔法は考えてる事まで読み取れるのか!?

 

「あー今、絶対僕が思考まで読む魔法が使える、とか勘違いしてるよね?」

 

「違うって言いたいのか? 今だって……」

 

 すると奴は呆れたように笑った。

 

「違うよ。こんなのただのリーディング。お前の反応を見て、推測しただけさ」

 

 自分の知らない技術を何でも魔法と結び付けるのは魔法少女の悪癖だね、と小馬鹿にした様子で付け加えた。

 反応? じゃあ、こいつはアタシの顔色から読み取ったっていうのか。

 なら、もう何を言われたって顔に出すもんか。

 そう決めた次の瞬間。

 

「うーん……その妹さん、もう亡くなってるね?」

 

 心臓が飛び跳ねるかと思った。

 あっさりとゴンべえの次の一言は簡単にアタシの心を掻き乱した。

 

「いや、驚くようなことじゃないよ。存命だったら、青髪に妹を重ねる必要ないだろう? 植物状態か、生き別れたって線もなくはないけど、お前の青髪に対する必死さからそれはないと思った」

 

 冷めた表情で淡々と説明するゴンべえ。

 他人の心をまるでクロスワードを解くように、何でもない事のように暴いていく。

 クソッ。表情には何も出さない。顔面の筋肉を力ませて、動かないようにする。

 もうこいつに何も知られなくない。 

 

「これはあくまで予想なんだけど、ひょっとして……妹さんが亡くなった原因って、お前の願いごとに起因してたりする?」

 

 表情を無理やり固定して、読み取らせないようにしていなければ、声を上げていたかもしれない。

 それほど的確で致命的にアタシの心を抉る質問だった。

 父さんの願いを叶えたくて。家族に幸せになってほしくて。全部失敗した記憶。

 家も、父さんも、母さんも、モモもみんな炎の消えていった。

 

「ふふ。表情に出すまいって頑張ってるね。でもね、読み取らせないように力むと顔じゃなく、身体に反応が出るんだ。特に肩から肘に掛けての部分がね、揺れるんだ。ビクンって。お前のようにね」

 

 ……自分の行動が無駄な足掻きだと理解した。

 ゴンべえはアタシの顔ではなく、とっさの反応を確認していた。

 アタシは大きな手のひらの上で転がされる虫の気分だ。隠し事なんてするだけ意味がない。

 そう思ったら、感情が爆発した。 

 

「それがなんだよ! お前に関係ないだろ!? 何様のつもりだよ、他人の心に土足で上がってんじゃねぇ!」

 

 怒りと口惜しさが抑えられない。弾けた感情が雫になって頬から流れた。

 ああ。認めるよ! お前は強い。おまけに頭だってアタシよりもずっと良いんだろうよ! 

 でも、だからなんだよ。アタシらに何してもいいって言うのか? 踏み躙って、過去さえほじくり返して、一体何様なんだよ!

 最後の方はまともに言葉にできたか分からない。泣き叫んで、ひたすら喚いて、気付いたらしゃくり上げていた。

 ゴンべえは何も言わずにアタシの言葉を聞いていた。決して目の焦点を逸らさずに、アタシの顔を見つめていた。

 聞き終わった奴は、ぽつりと言った。

 

「そっか。なるほど」

 

「なんだよ! 今度は何が言いたいんだよ!?」

 

「いやね、お前がそこまで青髪に拘るのはやっぱり亡くなった妹の代わりなんだなって思ってさ」

 

「……は?」 

 

「結局のところ、青髪は妹の代用品なんだろう? 守れなかった妹の代わりに守るもの。ようやく得心がいったよ。青髪が死んでいても、大してショックを受けなかった原因」

 

 続きを聞くな。こいつの言葉を聞くな。

 抉られる。壊される。止めろ。止めさせろ。

 心が警鐘を鳴らす。でも、それを止めるだけの力はアタシにはなかった。

 目の前の、人の姿をした魔王が酷薄に笑った。

 

「お前は青髪に求めているのは『守れなかった妹の代用品』。その価値さえ保っていてくれれば、それでいいんだ。死んでようが、円環の理の一部にされてようが気にならない。だって、こいつは代用品……ふふ。良かったね、青髪。赤髪はどんな姿になったってお前を大事にしてくれるそうだよ」

 

 ――都合の良い、妹の代わりとしてね。

 さやかに聞かせるように、奴はそう言った。

 自分の真下に居るさやかが身動ぎした。目を向けなくても、アタシを見てるというのが分かった。

 アタシはさやかの顔を見返す事ができない。

 

「……杏子」

 

 止めろ。違う。違う違う違うんだ、さやか。

 アタシは。

 モモの顔が頭に浮かぶ。

 アタシは……。

 モモの顔が。

 アタシ、は……。

 モモ。

 アタシはあんたの事を……モモの代わりしていたのか?

 あの記憶を、失敗を、後悔をなかった事にするために。

 

「さやか……ごめん。アタシ、最悪だ」

 

「もう、お前はいいよ。代用品と好きなだけオママゴトしてなよ」

 

 上から背中に踏み付けられた。

 痛みはあった。でも、意識を奪ってくれるほど強くはなかった。

 アタシはずり落ちるようにして、さやかから離れた。離れた後も顔を見る事はできなかった。

 足音は離れていく。興味を失ったアタシたちを残して。

 

 

~マミ視点~

 

 

 今は逃げないと。少しでもあの男から離れなきゃ。

 なぎささんが私の背中に居る。意識はまだ戻っていない。

 この子だけでも守りたい。この世界が偽りだとしても……それでもこの子、べべ……なぎささんと一緒に居た時間は本物だから。

 どこまで逃げてもゴンべえの魔法がある限りは無駄だったとしても、それでも希望を持っていたい。

 小学生くらいの女の子一人担いでいるだけで、息が上がる。身体が重い。普通の女の子に戻りたいって思った事もあるのにおかしな話よね。

 

「意外に頑張ってたみたいだけど、100mも離れないよ、金髪」

 

 後ろから声が掛かる。私たちの死神の声が。

 これ以上はもうどうしようもない。背負っていた彼女を降ろして、振り返る。

 真っ白い見滝原中の学生服を纏った少年はすぐ傍まで近付いて来ていた。

 

「この子だけでも、見逃してくれない?」

 

 さっき命までは奪わなかった。もしかしたらなぎささんを殺す気はないのかもしれない。

 そんな淡い期待を込めた最後の願い。

 しかし、ゴンべえは首を左右に振って、拒絶した。

 

「駄目だよ。僕は魔法少女の敵なんだよ? 全部纏めて始末する。例外はないよ」

 

「そう……」

 

 無力な私がどこまでやれるか分からない。

 それでも諦めずに最後まで、魔法少女らしく戦いましょう。

 彼に挑もうと、決死の覚悟で対峙する。

 ゴンべえはそれをつまらないもののように一瞥した。

 

「あのさ、金髪。僕が何でその白髪を壊さずに返したか分からない?」

 

「……私たちを弄ぶためじゃないの?」

 

「もっと考えてみて。実はもう既に何かされてたりとか」

 

 何を言っているの? この男の目的は何?

 分からない。想像できない。私たちにとって天敵以外の何者でもない彼が一体なぎささんに何をしたというの?

 ……嘘だ。一つだけ嫌な予想は付く。

 考えたくない事だけど、彼の目的が私たちの殲滅なのなら、わざわざ攫った相手を返すのは、きっと……。

 

「——やれ、白髪。今すぐ金髪を始末しろ」

 

 手駒にして同士討ちをさせるため。

 私の手はすぐに彼女の首に伸びた。

 ゴンべえの合図よりもずっと早く、なぎささんが意識を取り戻すよりも先に首を締め上げる。

 細く、白い首に親指を掛けて、筒でも握るように絞めた。

 くぐもった呻きが彼女の口から漏れ出る。

 まずい。もう意識を取り戻したの? 魔法少女の時ほど力が出ない。これじゃ、時間が掛かってしまう。

 

「マ、マミ……ど、うし、て……?」

 

 開いた彼女は、怯える瞳で私を映した。

 彼女は私の知る百江なぎさのように見えた。

 え……? なぎささんは、正気のままなの?

 手駒にされたんじゃ、なかったの?

 だって、彼は……。

 だから、私は……。

 

「何をしてるの? 人間レベルまで弱体化してるから、そのまま首を絞め続ければ消滅するよ、そいつ」

 

 手から力が抜けた。同時に私の脚からも気力が抜け、へたり込む。

 なぎささんは、げほげほとむせて、怯えた表情で私から這うようにして距離を取った。

 

「彼女が僕に洗脳されてると思ったね? だから、とっさに身体が反応して彼女が襲い掛かる前に片付けようとした。そうだろう?」

 

 昔話に出て来るようにな意地の悪い悪魔のような笑みを浮かべて、彼は歩み寄った。

 

「あんなに大切にしていた癖に、お前は簡単に彼女を始末しようとした訳だ。あの速さ、あの動き、多分考えてすらいなかっただろう。凄いよ、まるで兵士のようだ」

 

 褒めるような口調。でも、その実、中身は嘲笑だった。

 彼の言う通り、考えるまでもなく、身体が動いていた。襲われる前に襲っていた。

 

「この魔女の結界内で見てたから分かるよ。お前は一番戦闘が上手かった。まさにベテランって感じにね。動きが身体に染みついているっていうのかな? 思考と身体を切り離せる人。でもね、それは良いことだけじゃない。一番日常からずれてるってことだ。分かる?」

 

 ――お前が一番、人でなしってことなんだよ。

 邪悪に吊り上がった口元が呪詛を吐く。

 身体が震えた。自分の手に視線を落とす。

 私、なんて事をしようとしたの? なぎさちゃんを自分で殺そうとしたっていうの?

 

「私、こんな、こんな……」

 

「知ってる? 兵士が機械のようで許されるのは、ちゃんと命令をくれる指令者が居るからなんだよ。自分の代わりに考えてくれる人が居るから、安心して思考と身体を切り離せるんだ。……じゃあ、お前は? お前は誰から命令をもらう? お前のそれはただの思考の放棄に過ぎない」

 

 思考の放棄。

 私はいつも、そうやって来た。

 怖がりで、臆病で、でも、立ち止まらないようにするために、戦うために。

 私はリボンから、マスケット銃へ。少女から戦士へ変わるために。

 ああ、思い返せば、魔法少女になるための願いまでそうだった。

 私は、お父さんとお母さんよりも自分が生き延びるを願ってしまった。

 助けられたかもしれないのに、救えたかもしれないのに。

 私は自分の事で頭がいっぱいだった。

 

「私は、誰かのために戦ってきた。そう思ってた……」

 

「へえ。そうだったの。僕には少しもそうは見えなかったけどね。お前はただの魔法の付属品に成り果てただけじゃないのか? 単なる暴力装置だ。目的なんて何でもよかったんだろう?」

 

 言葉で心は叩き壊す事ができる。私は今、それを痛感した。

 この男は、ゴンべえは、魔法を使えたところで倒せそうもない。

 彼の口から湧き出る破壊と凌辱の鉄槌だけで誰もがひしゃげて、潰れていく。

 

「だってお前は銃だから。的さえあれば、それで役割を果たせるのだから」

 

 もう歯向かう事さえ、頭に浮かばない。

 本当にこの男は私たちに天敵だ。項垂れた頭を汚いものでも払うように裏拳を振るう。

 痛みよりも、虚脱感ばかりが思考を埋め尽くす。

 私は弾丸の切れた銃。引き金を引いても、もう何もできない。

 




一応、端折ろうと思ったのですが、それでも5000文字に到達したのでここで一旦投稿しました。
ここからさらにまどかパート加えるとこの話だけやたら長くなるので切らせていただいた所存です。
なんか、負け展開長くてすみません。頑張れ、魔法少女。華麗な逆転劇決めてやれ!


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新編・第十八話 願いと呪い

「ごめんごめん。随分と待たせちゃったね。埋め合わせはするから許してよ」

 

 デートの待ち合わせの時間に遅刻して謝るような気安さで、彼は私の前と降り立った。

 決して強面ではない、幼さの残る顔立ち。にも拘わらず、その表情だけは酷く老成して見えた。

 大人びている、を通り越し、人生に疲れ切った老人がするような皮肉気なくたびれた笑顔。

 

「ひっ……」

 

 私の身体にしがみ付くほむらちゃんは彼を見ただけで、短く小さな悲鳴を上げた。

 引きつった顔で、左右に首を振り続ける様は、私が知る中でもっとも怯えた仕草だった。

 私と最初に出会ったほむらちゃんでさえ、ここまで自分を取り繕えずに恐怖する事はなかった。

 

「ああ、お前が残っていたね、黒髪。どうする? 大好きなピンクを守るために再度、僕に挑んで来る? 勇ましく、格好付けて有終の美を飾りたい?」

 

 距離が一メートルを切ったところで、ほむらちゃんに今気づいたとばかりに顔を覗き込む。

 彼女の枯れた喉から悲痛な叫びが迸った。

 

「来ないで……! もう、許して! まどかにも酷い事をしないでよぉ……」

 

 泣いていた。

 気丈な彼女が、涙を溢して懇願していた。

 堪らなくって、私はゴンべえ君の前に手のひらを突き出す。

 

「ほむらちゃんじゃなくて、私が目的なんでしょ。だったら、ほむらちゃんを虐めないで」

 

「まどか……」

 

 ぼんやりした焦点の合っていない視線を私に向けたほむらちゃんは、私の名前を小さく呼んだ。

 

「……そうだね。僕だって弱い者虐めがしたい訳じゃない。ただ、お前らに理解してほしいだけだよ。自分たちの愚かさをね」

 

 そう言って彼は、ほむらちゃんをぐいっと足で退()けた。蹴ったのではなく、ただ押し込むように転がす。

 

「う……」

 

 お腹を押されて転がる彼女には抗う余力もない。波打ち際に打ち上げられた流木のように転がってから、やがて緩やかに動きを止めた。

 人をモノのように扱う彼の態度に私は怒りが込み上げてくるのを感じた。

 

「止めて! 私の友達を……そんなモノみたいに扱わないで!」

 

「はあ。それをお前(・・)が言うのか。誰のことも思いやれないお前が……。自覚がないっていうのは、恐ろしい。いや、(おぞ)ましい、だね。この場合」

 

 こめかみを押さえて、ゴンべえ君は不愉快げに私を見つめた。

 綺麗に掃除した部屋で酷く汚れた染みを見つけような、生理的嫌悪の含まれた苛立ち。

 彼の口にした言葉の意味が、表情から滲む嫌悪を向けられる理由が私には何一つ思い当たらなかった。

 

「何を、言ってるの……?」

 

「その台詞をそっくり返してあげたいね。ねえ、お前はこいつが何でこんな大規模な『偽の見滝原市』なんてものを作り上げたか疑問に思わなかった? なぜ鹿目の家族やお前ら魔法少女に縁のある人間が取り込まれていたか考えたことはない?」

 

 偽の見滝原市……ママたちや仁美ちゃんが連れて来られた理由……。

 

「それは……ほむらちゃんが無意識で、自分の記憶を元に結界を作った結果じゃ……」

 

「ほら、これだ。お前は他人の気持ちをまるで斟酌(しんしゃく)していない。……報われないな、お前も」

 

 私の答えにつまらなそうに首を振ってから、地面に横たわるほむらちゃんにそう声を掛けた。

 彼にしては珍しく、同情するような台詞だった。

 ほむらちゃんはその言葉に思うところがあるのか、目を逸らし、汚れた地べたに視線を這わせた。

 そんな彼女を見ながらゴンべえ君は口を開く。

 

「この黒髪は、お前にただの一人の魔法少女として、この偽物の街で穏やかに過ごしてほしかったんだよ。だから、労力を割いてまで規模と形を整え、配役まで招き入れた。ナイトメアなんて都合の良い敵役まで作り出したのは、差し詰め魔法少女としての活動以外、お前たちと接点を作る方法が見つからなかったってところかな?」

 

 合っているか確認を兼ねて、ゴンべえ君はほむらちゃんへ視線を流した。

 彼女は何も答えなかったけれど、その沈黙こそが何よりの肯定の証だった。

 

「ほむらちゃん……私は」

 

 そんな事を考えたこともなかった。

 こうなってしまった(・・・・・・・・・)のは、私が穢れの溜まった彼女の元へ向かう事が遅れたせいだと思っていた。

 そこにほむらちゃんの本心があったなんて思ってもみなかった。

 

「まあ、こいつもこいつで自分自身の願望と向き合えなかった結果でもあるから一概にこの結界内がこいつの心情を完璧に表しているとも言い難い。でも、傍にいた癖に何一つ考えて来なかったお前は言い訳が利かないけどね」

 

 大股で歩きながら、ゴンべえ君は私の胸倉を片手で掴み上げて、冷めた瞳で()めあげる。

 首元が締め付けられ、息が詰まりそうになる。こんな苦しみはいつ以来だろう。

 

「お前はもはや他人をモノ扱いしている……コミュニケーションに必要な共感と理解を行なおうともしない。それでちゃんと相手のことを思いやっているつもりでいるから始末が悪い。神様って奴は本当に人のことを何とも思ってないんだねぇ?」

 

「……ちが、う。私は……」

 

 私はあなたを想っていた。解ろうともしていた。

 悲しむ顔が見たくなくて。

 喜ぶ顔が見たくて。

 自分に何ができるのか、何をしてあげればいいのか考えていた。

 

「私は、あなたの事をずっと……」

 

「そう。それはありがとう。でも、不思議だね? そんなに僕のことを考えてくれたのに、お前の口から『記憶喪失で孤独になった僕』の心情を配慮した言葉は一度だって出なかった」

 

 ……言葉が出なかった。胸倉を掴まれて吊し上げられているからじゃない。

 自分の想定すらしていなかった心の死角を直接殴られたように、私は呆然としてしまった。

 ガラスでできた作り物のような彼の瞳は、もう軽蔑も浮かんでは来ない。淡々とした抑揚の声とともに事務的に私を捉えているだけのように見えた。

 

「お前が本当に僕のことを考えていたなら、慰めや応援の台詞が一度も出ないなんて訳ない。どんな感情を懐いているのか気にならないはずがないからね。少なくとも『僕の好きな人』なら、僕の家族や親類を探すために奔走してくれただろう。——お前は結局、誰の心も知ろうとはしなかった」

 

 ……その通りだ。反論できない。

 私は、何も聞かなかった。尋ねようとする事さえ思いつかなかった。

 一人で勝手に考えて、一人で勝手に納得していた。

 ほむらちゃんの事もそう。彼女の心を解ろうともしていなかった。

 

 

「あぐッ……」

 

 罪悪感と後悔に沈む思考を断ち切ったのは握り締められたゴンべえ君の拳だった。

 胸倉を掴んだまま、彼は私の腹部を殴りつける。

 痛みで呼吸が止まる。嫌な汗が全身から噴き出す。

 その奥で私の意識はどこか他人事のように判断を下す。……これは加減された打撃だ。相手は自分を弄っているのだ、と。

 

「黒髪のことだけじゃない。何より、お前によって永遠にモノにされた哀れな奴らが居ただろう? アレらについては何か思うところはないのか? それともそんな考えさえ頭に過らなかった?」

 

「モノにされた……?」

 

「青髪と白髪のことだよ。僕はアレらを観察し、いくらか言葉を交えた。分かったのは、円環の理の一部された奴らにも人間としての価値観や感性が残っていたこと。お前よりはよほど人間らしかったよ?」

 

 さやかちゃんと、なぎさちゃん……。そうだ、私はあの子たちが居た。

 私が導いた魔法少女。私と共に戦ってくれた人たち。

 彼女たちのことを一瞬でも忘れていた自分が酷く恥知らずな存在に思えた。

 

「アレらには永遠は無理だ。中身が人とさして変わっていないのなら永い時を重ねる内に壊れる。確実に破綻する。……そうなった時にお前はアレらに何をしてやれる? 永遠に消えることすら叶わない道具(モノ)にされてしまった哀れな少女たちに何をくれてやれる?」

 

 私を無表情で見つめる彼の瞳が僅かに悲しみと怒りの光が瞬いた気がした。

 ほんの一瞬だけの時間。けれど確かに私は見た。まるでそれは彼女たちの身を心から案じているような、悲しい眼差し。

 彼は目を瞑り、その面もちを仮面のように剥ぎ取って、笑みの形を作り上げる。

 何度も見せられた嘲笑と侮蔑に満ちた表情。濁った満月の瞳孔。

  

「ああ。そういえば、お前は何でこんなことをするのか僕に聞いてたね? 教えてあげるよ。それはね、——お前の存在が害悪だからだ」

 

 彼の悪意が私の中に接続されたかのように、言葉の暴力が雪崩れ込む。

 聞きたくないのに、耳を閉ざす事はできない。蛇に絡み取られた獲物みたいに身動きができない。

 ――お前は自分の行動がどういった結果を招くのか何も考えていない。お前は自分の触れていいものとそうではないものの違いが分からない。自分の事を制御することもできない。

 詰られる度に、心のどこかが頷いてしまう。納得してしまう。

 ――それなのに、理不尽なまでに強大な力を持ち過ぎた。円環の理(おまえ)は感情エネルギーは巨大な原子炉のようなもの。そんな危険な原子炉を幼稚な中学生に任せておきたいと思う馬鹿がどこに居る?

 否定される。否定される。否定される。

 私の中身をとろかすように彼は熱された鉛のような文言を流し込んでくる。

 ――お前は危険だ。いつ暴発してもおかしくない危険物。魔法少女を永遠の檻に閉じ込める牢獄。女神のつもりの魔女。

 ――希望の魔女。それがお前だ。

 

「私は………私は魔女じゃ、ない。願いから産まれるのが魔法少女……魔女は呪いから産まれる。だから私は……」

 

 ――まだそんなことを言っているの? なら、聞くけど願いと呪いの違いって何? 両者を隔てる境目はどこにある?

 

「正しい想いを叶えようとするのが願い、間違った想いを叶えようとするのが呪い……」

 

 ――それは誰が判断する?

 

「え…?」

 

 ――その正しさは一体どこのどいつが判断するの?

「それは……」

 

 ――じゃあ、想像してみてよ。一人の少女が願う姿を。

暗闇を一点に集めて創ったような黒い瞳に吸い込まれるかのように、私の思考は彼の声に従って、脳裏に一人の少女の像を浮かばせた。

 彼女は両手を組んで目を瞑り、願いを込めて祈っている。

 ――その少女はお父さんやあるいはお母さんを幼い頃に亡くしています。そして最近、仲良しの友人を事故で亡くしました。大切な人が死んでいく世界を嘆き、悲しみ、彼女は願います。『この世界でもう誰も死にませんように』。果たして、これは願い? それとも呪い?

 想像した少女は人の死が世界から無くなる事を願って、天を仰いだ。

 そんなの決まってる。それは正しい想いだ。清らかで優しい、願い。

 大切な人の死を消そうとする彼女の願いは純粋なのだから。

 

「『願い』。『願い』だよ……それが呪いであるはずない」

 

 呆れたように彼は鼻で笑った。

 ――そうか。ではその『願い』が叶ったとしよう。するとどうなると思う?

 

「……どうって世界から死ぬ人が居なくなって幸せに……」

 

 ――まず起きるのが食料問題。貧しい者が飢えることになる。死ぬこともなく、飢餓に苛まれるだろう。

 

「そんな……」

 

 ――それだけじゃない。医療関係者は職を失うし、増え続けるだけの人類が満足に住居を得ることも難しいだろう。さらに考え続ければもっと多くの悲劇を容易に想像できる。

 ――そうして、悲劇に見舞われた人々は少女の願いをどう思うだろうか?

 

「……それは……」

 

 祈る少女の像の傍で飢えてやせ細り蹲る子供たちの像が、白衣を着て頭を抱える男や膝を着く看護師の像が生まれた。

 祈りを捧げる少女は目を瞑り、周りを見ない。自分の願いが正しいものだと確信しているから、その想いで苦しむ人の声が聞こえない。その願いが起こした悲劇に気付かない。

 少女の像は祈り続ける。

 その結果、世界が幸せになると疑う事もなく……。

 

 ―—では、次の例を挙げようか。また想像して、一人の少女が願う姿を。

 また私の頭の中で、少女の像が浮かび上がる。

 ――その少女は通う学校で酷い虐めを受けています。彼女を虐めているグループのリーダーは意地の悪い女の子。その子が命令を下し、周りの女の子は少女を毎日虐めます。少女は憎み、願います。『あの子が苦しみながら死んで居なくなりますように』。果たして、これは願い? それとも呪い?

 

「それは……『呪い』、だよ」

 

 誰を傷付ける事を、害する事を祈るなら、それは呪いだ。

 どんなに辛くても、どんなに苦しくてもやってはいけない事がある。

 人の死を望む行為は呪いだ。正しいはずがない。

 

 退屈そうに彼は頷いた。

 ――そうか。ではその『呪い』が叶ったとしよう。するとどうなると思う?

 

「……虐めていた子のママたちや友達が悲しむと思う」

 

 ――うん、そうだね。どんな人間も大切に思ってくれているだろう。でも、呪った少女は虐めの苦しみから逃れる。少女を惰性で虐めても前ほどの目的意識はもう持てないだろう。ひょっとすると虐めをしていたのはリーダーの女の子の一存で、本当は取り巻きは虐めなんて望んでなかったのかもしれない。何より、呪った少女の復讐心は満たされる。虐げられた少女の心は救われる。

 少女の像の傍に倒れた虐めっ子の像が生まれた。その周りで彼女を大切に思う人たちが顔を押さえて涙を流す像がある。けれど、呪った少女の像は嬉しそうに両手を広げている。

 それは自分の願望が叶った喜びを表しているようだった。

 

「……あなたは逆だって言うの? 人の死を無くそうとした少女の想いが『呪い』で、人の死を望んだ少女の想いが『願い』だって、そう言いたいの!?」

 

 思わず荒げた声を彼はそよ風のように受け流した。

 ――いいや? 死が消えたことで喜ぶ人も居ただろう。虐めっ子が死んだことで悲しむ人も居ただろう。その人たちに置いてはお前の言う通り、正しい『願い』で、間違った『呪い』だっただろうよ。

 

「じゃあ、あなたは何を言おうとしているの?」

 

 ――ここまで言ってもまだ分からない? 『願い』も『呪い』も同じものなんだよ。どちらも個人の利己主義(エゴイズム)でしかない。その利己主義によって得をした側の目から見るか、損をした側の目から見るかでしかない。そこに大した違いなんて存在しないんだ。

 

 ――いいかい? 結局のところ、誰も傷付けない『願い』なんてないし、誰も救わない『呪い』なんてない。

 ――なぜならそれは同じものを違うか角度で眺めただけに過ぎないのだから。

 滑らかな口調と落ち着いた声音は私の内側へと流れ込み、柔らかな部分を引き裂き、固い部分を粉々にしていく。

 自分の中に確かにあった価値観に亀裂が入り、この壊れゆく結界内の見滝原市のように削げ落ちる。

 誰も傷付けない願いも、誰も救わない呪いもない。それらは同じもの……。

 考えたこともなかった。

 ……なら。

 それなら、私の願いは……?

 

「すべての魔女を生まれる前に消し去りたいという私の願いは……呪いでもあるの?」

 

 ――当然だろう? その結果、お前は永久に死ぬ事もできない概念に成り下がった。共に苦しむ奴隷を捕まえながら、ね。

 ――地獄を消したつもりで別の地獄を作っただけ。終わりがあるだけ前の方がマシかもしれないね。

 ――恐ろしいのは自覚がないこと。だから再現なく苦しみの輪を広げる。死ぬこともできずに円環の理として在り続けるのは辛かったんじゃないの? それを他人にも強要している……どう? そろそろ自分が救いようのない害悪だと理解できた?

 強烈に湧き上がる自分への嫌悪。自分がしてきた行いへの後悔。

 じゃあ、私のしてきた事は全部間違っていたの?

 どうすればよかった? 私はただ助けたかっただけなのに……救いたかっただけなのに……。

 それが誰かを苦しめる結果に繋がるなら、何の意味もない。

 

「私は……消えるべき、なの?」

 

「そうだよ。お前は消え去るべきだ。お前の願いは『すべての魔女を生まれる前に消し去りたい』なんだろう? それならお前という最後の魔女を消し去ることで叶う。よかったね、これでお前の願い事は完遂される」

 

 そうか……そうなんだ。

 これが私の願い。これが私の呪い。

 だから、これが正しい事なんだ。きっとこれが報いなんだ。

 不思議な事に少しだけ、心が楽になった。今まで抱えていた重い荷物を降ろしたような気分だ。

 

「じゃあ、あなたが代わりに魔法少女を救ってくれる? 絶望しかない皆を助けてくれる?」

 

 心残りはそれだけ。私が消えた後に魔女になって苦しむ女の子が居なくなるのなら、私は消えたっていい。

 彼が一言、引き受けたと言ってくれれば、私は喜んで彼の言う通りに消滅しよう。

 だから、お願い。

 私に返答をください。

 彼は薄っすらを口の端を引き上げると、私を掴み上げていた手をゆっくりと降ろし、微笑んだ。

 そして、一緒に暮らしていた時のように優しい声音で答えた。

 

「い や だ よ」

 

 その声音とは裏腹に強烈な拒絶が含まれた言葉。

 

「どう、して?」

 

「忘れちゃった? 僕は魔法少女の敵なんだよ。お前らを救う訳ないだろうが。馬鹿か」

 

「だって、それは私を消すのが目的だからって……」

 

「いいや。お前を消すだけなら、それこそ出会った瞬間にできてる。でも、それだけじゃ足らない(・・・・)。苦しませて、痛めつけて、心をへし折って、尊厳を奪ってから『壊す』。ただ、それだけのためにここまで時間を掛けてきたんだ……幸せな終わりなんて許すはずもないだろう?」

 

 今までの彼の言葉や行動から感じていた悪意を殊更膨張させた、極大の悪意。

 肌を焼くような感覚さえさせる熱意を携え、彼は語った。

 ――お前を心の底から絶望させたかった。

 

「でも、お前ら魔法少女は現実逃避が上手だからねぇ。特にその親玉ともなれば、完全に都合の良いようにしか世界を認識しない。それじゃあ、力で押し潰すだけでは絶望までは届かない。だから、丁寧に下地を作ったんだ。お前が自分を否定して、僕に神様としての矜持さえも差し出させて、それを目の前で踏み躙るために」

 

 頬から涙が(こぼ)れた。

 心が痛い。胸が苦しい。

 私の構成するすべてを今、ぐちゃぐちゃに踏み(にじ)られた。

 吐き気がする。頭が割れそうなほど耳鳴りがする。

 空気が吸えない。唾が出ない。瞳が滲む。

 酸素を全て猛毒に置き換えられたような、地面を鉄板にすり返られたような、周りにあるすべてが私を苛む拷問器具なったかのような感覚。

 ……私は今、何をしてしまった。

 願いを。

 あれだけ大事にした願いを差し出して。

 それを無下に捨て去られた。

 

「あ……ああ……」

 

「ちょっとは絶望してもらえたかな? 役目を投げ出した神様(・・)

 

 彼のその呼び名で沸き立つ寸前だった感情が、沸点を越えて内側から競り上がる。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 誰かが叫び声を上げている。

 うるさい。

 凄くうるさい。

 黙って。

 お願いだから叫ぶのを止めて。

 本当に黙ってよ。

 お願いだから……。

 お願い、だから。

 もう黙って、私……。

 無様な叫び声は止まない。喉が潰れそうなほど痛いのに。まだ響き続けている。

 サイレンの音に響き渡るそれを止めたのは自分の意志ではなかった。

 彼が私のお腹を蹴り上げた。

 ぷつりと風船の紐が切れたように、留まっていた感情はふわりと離れていく。

 

「……もういいや。終わりにしようか」

 

 白い見滝原市の男子制服が黒く変色し、典型的な手品師の衣装へと早変わりする。

 振り上げられたその手には黒いステッキが握られていた。

 あ――私、死ぬんだ……。

 恐怖はなかった。驚くほど他人事のような感想しか思い浮かばない。

 でも、もういい。私はもう投げ出しちゃったから……。

 大人しく目を瞑る。

 もう何も感じたくない。ああ、今、思い出した。

 きっとこれが絶望するって事なんだ。

 私は待つ。自分の終わりを。

 私は待つ。下される痛みを。

 けれど、どれだけ待っても私を襲う一撃は訪れなかった。

 

「……へえ。お前が立つのか」

 

 感心したような、呆れたような彼の声が聞こえた。

 薄っすらと瞼を開けると彼の後ろの、少し離れた場所で誰かが立っていた。

 なんで。

 なんであなたが立つの……?

 私はもう諦めたのに。それなのに……。

 

「あたしの友達から、離れろ!」

 

 くしゃくしゃになった青い髪が僅かに揺れた。

 




もうちょっと先まで進むつもりだったのですが、思ったより分量が出そうなのでここで切り上げて投稿しました。


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新編・第十九話 それが私にできること

「さ、やか、ちゃん……なんで……」

 

 痣だらけの腫れ上がった顔。捻挫したのか、立ち方もおかしい。

一目で分かる、満身創痍だ。傷が治癒していない……魔法が封じられたままなんだ。

 それ以上にさやかちゃんの心はボロボロになっているはず。

 なのに……なのに……。

 

「なんで、なんで私なんかのために立ち上がったの!? 私はさやかちゃんのたちの事をずっと……!」

 

 気付かず苦しめていた。知らず知らずに利用してしまった。

 私は――。

 あなたたちを――。

 私の一部に、円環の理にしてしまった。

 自由を奪い、死ぬ事さえもできない存在に堕としてしまった。

 それなのに私はゴンべえ君に唆されて、あなたたちを投げ出そうとした。

 何よりも……投げ出せると、押し付けられると思った時、心が軽くなるのを感じた。

 勝手に背負って置いて、重しのように感じていたなんて、どれだけ身勝手なんだろうか。

 

「なんでって、決まってるでしょ」

 

 たわいない事のように彼女はそう言った。

 

「あんたがあたしの友達で、助けたいって思ったから」

 

「友達なんて言われる資格ない! 私はさやかちゃんの気持ち、考えようともしなかった。私の願いに付き合わせていたのに、それを当たり前のように思ってたんだよ!?」

 

 そんなの友達じゃない。ただの奴隷だ。従僕だ。

 対等な関係じゃない。ずるくて、汚い取り繕いようもない上下関係。

 自分で言っていて悲しくなった。泣きたいのはきっと彼女だ。でも、頬から流れる惨めな水滴は止まらない。

 

「……まあ、本当のところさ。あたしもあんたに甘えてた。円環の理として活動している間は、何も考えずに済んだから」

 

「何も考えずに済んだ……?」

 

「そ。ただ、与えられた役目をこなしていくだけでよかったから、色んな事に悩まずに済んだ。ほら、昔っから、あたしって考えなしのくせによく悩んでたでしょ?」

 

 でも、と彼女は区切った。

 

「悔しいけどそいつに『今の自分』が『昔の美樹さやか』なのかって質問されて、答えられなかった。ずっと楽して悩まなかったツケだよね……それでめちゃくちゃ悩んだよ。こうやってまどかを助けようとしている事も、自分の意志じゃなくて円環の理の末端としての本能なのかもって」

 

 今まで黙って私たちの会話を聞いていたゴンべえ君はそこで初めて口を挟む。

 

「それで答えは出た?」

 

 さやかちゃんは残念そうに苦笑して首を横に振った。

 

「全然だめ。結局、答えはでなかった。でも、その代わり思い出したんだ」

 

 言い終わると同時に、彼女の身体が突然青い光に包まれた。

 見滝原中の制服に纏わりつくように広がった青い光の帯は指先や爪先まで伸びて、形を変えていく。

 私はその光景を知っていた。見覚えがあった。

 胸元を隠す青い装甲にも似た衣装と白いスカートへと変わる。最後に背中に付いたマントが風もないのにはためいた。

 それは魔法少女への――変身。

 魔法を封じられた私たちはできないはずの奇跡。

 彼女の手にはサーベル状の片刃の剣が握られている。

 

「さやかちゃん……それ……」

 

 青いブーツの(かかと)が跳ねた。

 白刃が(きらめ)き、ゴンべえ君へと振り下ろされる。

 体重を乗せて振るわれたその剣を、黒いステッキで平然と受け止めた。

 そう、受け止めた。

 あらゆる魔法を否定する彼が生み出したステッキに触れているにも関わらず、さやかちゃんの剣は消えなかった。

 さやかちゃんの“魔法”は消失しない。

 

「……何を思い出した?」

 

「あたしが――ホント馬鹿って事に」

 

「ほう……? つまり?」

 

「『あたし』が『美樹さやか(あたし)』じゃなくたって、友達を見捨てる理由にはならない」

 

 剣とステッキが交差し、何度も二つの武器は衝突を繰り返す。鍔迫(つばぜ)り合うようにぶつかり、お互いに弾かれる。

 

「それでもやっぱり答えなんて簡単に割り切れないし、これからもずっと悩み続けると思う。アンタ風に言うなら結局、先延ばしにして現実逃避しているって事なのかもね」

 

「いいや。答えが簡単に出ないと理解して、なおも悩み続けることを選択したのなら、それもまた一つの答えだ。そうでなければ、否定の魔法は破れない(・・・・)

 

 大きく薙いだステッキの黒い軌跡をさやかちゃんはその剣で受け止める。勢いが激しすぎて両手で剣の柄を握っているのに力負けして大きく後ろに飛んだ。

 後退したものの、確かな手応えがあった事に驚いた様子で、さやかちゃんはその手に握った剣を眺める。

 あらゆる魔法を崩壊させる彼のステッキの一撃を受けてなお、刀身は溶けていない。砕けていない。壊れていない。

 視線を剣からゴンべえ君に移したさやかちゃんは薄く頬の端を引いた。

「……そっか。なんか今更だけどアンタの魔法っていうのがどういうものなのか、ちょっとだけ分かった気がする。……まどか。悪いんだけど、他の皆の目を覚まさせてやって。戦えるようになったけど、あたし一人じゃこいつに勝てない」

 

「でも、目を覚まさせるってどうすればいいの? それに私は……」

 

 私に彼女たちに何か言う資格はない。神様なんかじゃない、私はただの魔女だ。

 魔法少女を苦しめ続けるだけの檻。それが円環の理(わたし)……。

 さやかちゃんはそれでも私の味方をしてくれたけれど、もう私には皆を導ける気がしない。

 すると、さやかちゃんは厳しい目で私を叱った。

 

「あのさ、まどか。まどかが決めた事なんだよ? 最後まで責任持ってよ。じゃなきゃ、付いてきたあたしら皆、それこそ馬鹿みたいじゃない」

 

「…………」

 

「行ってよ。魔法少女の神様なんでしょ? だったら、神様らしいとこ見せてよ!」

 

 私はその声に答えない。

 答える暇もなく、その場から駆け出した。

 足は動く。まだ走れる。

 私はまだ自分を許せないし、信じられない。

 それでも、信じてくれる友達を裏切りたくない。

 すぐに倒れている皆を起こして、さやかちゃんを助けに行かないと。

 考える事はそれだけでいい。やるべき事は一つだけ。

 走るたびに脚が軋む。息が切れて立ち止まりそうになる。

 力んだ脚がもつれて、地面に倒れ込む。膝小僧を打ち付けて、痛みが駆け抜けた。擦りむいた膝からは血が滲んでいる。

 ああ、こんなにも魔法を使えない私って弱かったんだ。

 これがただの鹿目まどか。普通の女の子。何一つ取り柄のない私。

 でも、立ち止まる訳にはいかない!

 手を突いて、もう一度立ち上がって、皆の下に行くんだ。

 再び、私は走り出す。

 みっともなく脚を動かして、そして。

 ――見つけた。

 

「杏子ちゃん! 起きて! さやかちゃんが一人で戦ってるのっ! お願い、力を貸して!」

 

 

~さやか視点~

 

 

 皆の方へ駆け出したまどかの背を見送って、私は少しだけ安堵する。

 なんだ、まだ心が折れ切っていないじゃない。だったら大丈夫。あんたが強いって事は私が一番よく知ってるから。

 弛んだ気持ちをすぐに引き締め、目の前に立つ敵を見据える。

 魔法を消す手品師にして、否定の魔王。ゴンべえ。

 間抜けな名前のくせに、魔女や魔獣なんかよりも遥かに強くて嫌になる。

 

「……話が終わるまで邪魔せずに待っててくれたんだ? 案外、優しいとこあるじゃない」

 

「愚にも付かない女子のお喋りを待つのも男の務めだからね。まあ、虫けらの悪足掻(わるあが)きくらいは許してあげるよ」

 

 相変わらず、心底相手を馬鹿にした口調で嘲笑うとゴンべえは肩を軽く回す。

 これだけコテンパンにされた後だと怒りも湧かない。むしろ、こいつからの目線で言えば本気で相手にならないと思われても仕方ない。

 だけど、それは好都合。

 

「今のあたし、結構強いよ?」

 

 私の仕事は時間稼ぎ。一分一秒でも粘って、まどかが皆を連れて来るのを待つ事。

 勝利なんて求めない。負けなければいい。付かず、離れず、適度な距離で耐え続ける。

 そしたら、きっと私の頼れる親友が仲間を連れて戻って来る。

 相対するゴンべえはステッキを人差し指の上でペン回しのように回転させて弄ぶ。

 

「じゃあ、少し遊ぼうか?」

 

 ―—来る!

 咄嗟(とっさ)に身構えたが、相手は何の気負いもなく歩いてきた。

 足取りは軽く、警戒のけの字もない。散歩でもしているかのような気楽さで、近付いてくる。

 

「いくら何でも……舐めすぎでしょうがっ!?」

 

 カッと頭に血が上り、一歩踏み込んだ。左下段に構えていた剣を斜め上へと斬り上げる。

 ゴンべえは未だにステッキを指先でクルクルと回していた。ガラ空きの胴を守るものは何もない。

 刃は奴の右脇腹を斬り裂き、左肩まで横断する……はずだった。

 

「まっすぐなのは結構だけど、感情的になると猪突猛進になるのがお前の一番の欠点だよ」

 

 剣の切っ先は脇どころか、膝にも届いていなかった。

 奴の片足が剣の腹を踏み付けている。剣が加速し、遠心力が最大限に達する寸前に勢いを殺され、押し留められたのだ。

 やられた……! 指先でステッキを回していたのは上半身に目を向けさせ、下半身から意識を逸らすため。私はまんまと引っ掛けられた。

 踏み込んだ足に重心を掛けつつ、あえて折らないような絶妙な力加減。上半身を前のめりにして、距離を詰める。

 クルクルと回転していたステッキを握り込み、刀身を真横から踏みつけたまま、真一文字に一撃が振るわれる。

 剣を手放し、思い切り反り返り、どうにか避ける。

 鼻先を風圧が通り過ぎた。数センチ上で黒い一閃が舞う。

 当たっていれば、魔力で頑強になった頭でもスイカみたいに割られていた。

 ぞっとする。血の気が凍るとはこういう事を言うのだろう。

だが、これは攻勢に出るチャンス!

 片方の足を後ろへ運び、倒れないよう地面を踏み締める。

 両手にはそれぞれ一本ずつ剣を魔力で生成し、バネ仕掛けの人形のように上背を起こした。

 狙うは空振りし、隙だらけのその頭上。今度はこちらがかち割る番だ。

 しかし、上半身を起こして見えたのは、黒いステッキを地面に突き立て、それを起点にコマの如く回る奴の身体。

 振り下ろした二本の刃よりも早く、回転により遠心力の乗った奴の蹴りが私の右半身に叩き付けられる。

 

「なっ……ぃぎがぁ!?」

 

 両腕を伸ばしきっていた私には身体を庇う事も、かわす事も不可能だった。

 ゴンべえの両脚蹴りは右腕、右肩、脇腹へと食い込む。肺の中の空気が全て、血と一緒に口から爆ぜた。

 乗用車に衝突したような衝撃に耐えきれない。痛覚軽減が効いているのかと疑うほどの激痛が神経を焼く。

 出来損ないの落書きみたいな宙が回る。いや、回っているのは私の方だ。その事に気が付く頃には受け身も取れずに硬い大地に落とされていた。

 

「がっはぁっ……」

 

 地面に叩かれたみたいに潰れされても、まだ勢いを殺しきれずに転がる。

 呼吸が上手くできない。息の代わりにヒューヒューと隙間風のような音がするだけだ。多分、折れた肋骨(ろっこつ)が肺に突き刺さっているのだろう。

 右腕は肩から下の感覚がない。顔を動かして見てみれば、踏まれた小枝のように歪に捻れて、折れ曲がっている。

 口の中は血で一杯だ。顔を動かした時に電流が走るようか痛みがしたから、頬骨も砕けているかもしれない。

 治癒力が高い私でこれほどの損傷。肉体の再生が間に合わない。

 認識が甘かった。時間稼ぎのつもりが十分も持たないなんて……。

 学校の屋上で戦った時とは、打撃の力加減も動きのキレも違う。

 何より、相手の行動を完全に読み切る洞察力と、攻撃を誘導して戦闘の流れを支配する思考力。

 ハッタリでも何でもなく、私たちは手加減されていた。傷を負わないように細心の注意を払って、弄ばれていたのだ。

 否定の魔法なんて、こいつには必要なかったのだ。

 

「この程度か……。ま、端役にしては頑張った方じゃないかな? そこで傷が癒えるまでしばらく寝てなよ。さて、そろそろ情けない神様でも追いかけるとしようか」

 

 興味を失った様子で奴は背を向ける。まどかを殺しに行くつもりだ。

 駄目! 行かせる話にはいかない。まどかはまだ皆を“助けられていない”。

 肺の治癒は不完全。折れた腕の骨は繋がってすらいない。

 だけど――。

 無事な方の左腕で作った剣を奴の背中へ渾身の力を込めて、投げ付けた。

 ゴンべえは振り返らない。心臓へ目掛けて飛ばされた刃を見ようともしない。

 振り返る事無く、裏手に回したステッキで弾き落とされる。

 

「……何のつもり?」

 

 僅かに顔を動かして、目だけ私を睨む。

 底冷えのする鋭い眼光。瞳だけ相手の心を恐怖で絡め取る悪魔の眼球。

 だけど、私は怯まない。

 縮みあがりそうになる勇気をの握り締め、笑ってやる。

 

「端役だと思った……? 残念、可愛いヒーロー役(さやかちゃん)でした!」

 私の希望(まどか)が居る限り、私は何度だって虚勢を張って、笑ってみせる。

 それが私にできる事だから。

 




もう少し書こうかと思いましたが、区切りが良いので投稿します。


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新編・第二十話 最後に愛と勇気が勝つストーリー

 背後にある少し離れた場所で硬質な物と物がぶつかり合う音が聞こえてくる。

 さやかちゃんがゴンべえ君を食い止めてくれているんだ……。

 直接、目で見なくても響く音でどちらが劣勢か分かる。片方の鋭い摩擦音はさやかちゃんの剣、もう片方の鈍い打撃音はゴンべえ君のステッキ。前者の方が手数は多いけれど、徐々に後者の音のする間隔が早くなっている。さやかちゃんの剣がじわじわと押されているんだ。

 さらに間に挟まれる、“柔らかい、水気の含んだものを叩く音”が薄っすらとし始める。

 (なぶ)っているんだ。

 圧倒的な一撃で倒さず、あえて緩やかにじわじわと弱らせる。猫がネズミを食べる前に、痛め付けるように。

 そして、これは私に聞かせるためにやっている。

 彼の声が耳元で囁かれているかのように、易々と想像できた。

 ――お前のせいで、こいつは嬲られているよ。 お前の愚かさと弱さのせいで、こいつは傷つけられているんだよ。

 駄目、早くしないと……。

 一刻も早く、杏子ちゃんに加勢に行ってもらわないと間に合わなくなってしまう。

 当の杏子ちゃんは、ぐったりと力なく横たわったまま、動かない。両目は薄く開いており、浅い呼吸を繰り返している。

 顔には(あざ)がいくつも付いて晴れているものの、意識はある様子だ。

 

「起きて、杏子ちゃん! じゃないとさやかちゃんが、殺されちゃうの……!」

 

「………………」

 

 杏子ちゃんは返事をしてくれない。

 肉体ではなく、心の方が参っているのだ。さっきまでの私のように気力を完全に奪われている。

 でも、彼女の気持ちに気を遣ってあげられる余裕はない。

 

「杏子ちゃんっ! お願い、立ち上がって!! さやかちゃんが大変なんだよ!?」

 

 ……違う。そうじゃない。これではいけない。

 私はまた相手を見ずに、自分の都合だけを押し付けている。

 身勝手な神様のままだ。何一つ進歩してない。私はまた繰り返すつもりなの?

 ちゃんと。ちゃんと相手の事を考えなくては駄目なんだ。

 まずは、そう。杏子ちゃんの心の痛みを知る事。

 どうして、起き上がれないのか()かせてもらう事から始めよう。

 お腹の底を意識して、深呼吸。すー、はー、すー、はー。焦りと怯えを息と一緒に吐き出して。

 

「杏子ちゃん、教えて。どうして、動けないの?」

 

 相手の心に寄り添って、手探りでも助ける方法を考える。

 それが誰かと対話するって事。他人の心に踏み込む最低限の作法。

 

「私はあなたの力になりたいの」

 

 あなたの心へ、今飛び込む。

 虚ろだった杏子ちゃんの瞳が初めて私が映された。

 

「……アタシは、さやかの事をモモの……妹の代わりにしてたんだ」

 

「さやかちゃんが?」

 

「笑っちまうだろ? 死なせた妹に重ねて世話焼いてたんだ……それが願いによって家族を死に追いやった罪滅ぼしやって誤魔化してた。挙句、その事をあいつに、ゴンべえの野郎に指摘されてみっともなく狼狽(うろた)えて、呆気なく心を折られた」

 

 自嘲気味に笑う杏子ちゃん。その表情には深い後悔と絶望の陰が滲んでいた。

 願いは呪いと同じ。そう言われた事が嫌でも脳裏に再生される。

 杏子ちゃんの願いは家族にとっては呪いだったのかもしれない。

 

「『妹』の代わりのさやか、そして今のあのさやかは『死んださやか』の代わり、ずっとそんなのだ。アタシは結局、代用品が欲しいだけだったんだよ」

 

 そして、その喪失の苦しみを紛らわすために、さやかちゃんを妹の代わりに可愛がっていた。少なくとも杏子ちゃんはそう思っている。

 違うって否定してあげたい。そんな事ないよって慰めてあげたい。

 でも、その行為は私の自己満足だ。私が否定したところで意味がない。

 きっと、彼女の吐露は嘘じゃないのだろう。彼女の心の中では確かな事実なんだろう。

 だからこそ、そこを突いたゴンべえ君の言葉で心まで打ち砕かれたのだ。

 

「あのさやかは『アタシが知るさやか』じゃないんだろ? 本当のさやかはもう死んでる。アタシは嫌になったんだ! 誰かを他の誰かの代用品にしちまうのも! それで結局守り抜く事もできないアタシ自身も! ……まるで“幻覚”だ。アタシの魔法と同じ、見てくれだけあっても肝心の中身がねぇ、空っぽの幻覚」

 

 目元を隠して杏子ちゃんは泣き出した。いつもの気丈で、強気な彼女の姿はどこにもなかった。

 今更、彼女の過去を掘り返したって何もならない。否定はしない。誤魔化しの慰めもしない。

 私はただ、尋ねるだけ。聴いた話を頭で整理して、疑問をぶつける。それだけ。

 

「じゃあ、もし杏子ちゃんの妹さんが生き返ってくれるなら、さやかちゃんは要らない?」

 

「何でそうなるんだよ……モモが生き返ったって、さやかが要らなくなるなんて……」

 

「要らなくならないなら、杏子ちゃんの妹さんとさやかちゃんは同じじゃないよ。たとえ、代わりにしていたとしても、それが全てじゃない。思い出して、さやかちゃんと過ごした時間を。この偽物の見滝原で体験した記憶を」

 

「…………」

 

「幻のように残らないものだとしても、それでも確かに『在った事』だよ。 杏子ちゃんは、さやかちゃんと一緒に暮らしてたんだよね? その笑顔は妹さんと同じものだった? 二人で一緒に交わしたお喋りも、ふざけて遊んでた時も妹さんの代わりにしか映らなかった?」

 

もしも、杏子ちゃんが「同じだった」と肯定するなら私はもう彼女に無理は言わない。

責めるつもりも、失望も起きない。ただ、杏子ちゃんにさやかちゃんを助ける理由がないのだと納得して、マミさんたちの方へ向かうだけだ。

けれど、許されるなら。

杏子ちゃんにはさやかちゃんとの思い出を無意味だと思ってほしくない。さやかちゃん自身には代用品としての価値しかなかったなんて認めたくないから。

 見つめた彼女の顔がくしゃくしゃに歪む。喉から(ほとばし)ったのは。

 

「っ、そんな訳ないだろ? 同じじゃない。同じなんかになるもんか!」

 

 ―—否定だった。

 

「さやかはモモは違った! モモと違って文句をすぐに言うし、モモと違ってアタシに反抗的だった! でも、明るくてうるさくて、友達想いなとこがあって……それから。ああ、チクショウ!! こんなに違うのに、アタシは……アタシは!」

 

 止め処なく溢れる感情を言葉に還元する事ができずに彼女は叫んだ。

 握り込んだ拳をわなわなと振るわせて、まとまらない台詞を涙と共に(こぼ)す。

 私はその拳にそっと手を添えた。

 ハッとした様子で杏子ちゃんは私へと視点を戻した。

 

「……まどか。さやかは一度死んだんだろ?」

 

「……うん。そうだよ」

 

「だったら、今のさやかは何なんだ? 幽霊みたいなもんなのか? それとも同じ姿をしているだけの魔力の塊なのか?」

 

「それは……私にも答えられない。でも、あのさやかちゃんは私の事を友達として助けてくれた。だから、私は友達として助けたいの」

 

「なら、アタシも同じだ。アタシもさやかを助けたい。『友達』、だからな」

 

 そう微笑んだ彼女の瞳にはもう絶望の色彩は残っていなかった。

 その瞬間、握り締めていたその拳の内側から暖かな光が漏れ出す。赤いランプシェードような強くて、綺麗な光。

 私はその光を知っている。

 驚きつつも杏子ちゃんは手を開いた。その手のひらに乗っていたのは。

 

「これは……アタシの、ソウルジェム」

 

 赤い。赤い彼女の魂の形。

 その輝きが頂点に達すると、私の前で横たわっていた彼女の姿は魔法少女の衣装へと変化していた。

 

「立ち上がれる……魔力も、体力も完全に戻った!?」

 

 杏子ちゃんは立ち上がって、自分の姿を眺めまわす。両手を開いたり、閉じたり確認して困惑したように言った。

 

「魔法少女の力が戻ったのはいいけど、都合良すぎないか? 急にうまく行き始めたみたいで実感が湧かないよ」

 

 さやかちゃんに続いて、杏子ちゃんもまた封じられた力を取り戻した。

 彼女の不安は私にも共感できる。まるで御伽話ような用意の良さだ。

 でも、あえて私はこう言う事に決めた。

 

「そういうものじゃないかな? 『最後に愛と勇気が勝つストーリー』、っていうのは」

 

「なんだ、そりゃ? 誰かの台詞か何か?」

 

「……うん。私に諦めず、前に進むように背中を押してくれた人の言葉だよ」

 

 怪訝そうな表情の彼女はそれを聞くと、呆れたように口元を弛めた。

 

「随分、楽天的な奴だったんだね、そいつ。ま、考えてみたらアタシもそういうのに憧れて魔法少女になったんだよね。それじゃ、まどか。行ってくる」

 

「うん。私も頑張ってみるから」

 

「マミたちの方、頼んだ。あいつはアタシよりも(こじ)らせてるから手強いぞ?」

 

 それだけ言うと彼女はその手に愛用の槍を生み出して、戦っているさやかちゃんの元へ駆けていく。

 力強く、格好いい彼女の背は私が契約をする前と変わらない姿だった。

 私もまた、自分にできる事を成すためにその場を後にする。

 今度は、助けてみせるよ。さやかちゃん。

 

 

~杏子視点~

 

 

 身体が変に軽い。地面を擦過する脚が軽やかに動く。油を刺したばかりの機械の歯車がスムーズに噛み合うようになったみたいだ。

 ソウルジェムも輝きが増している。あれだけ魔力を消費したのに穢れがまったく溜まってない。

 一度、魔法を封じ込められた時に穢れも一緒にリセットしたっていうのか?

 あのよくわからねえが、理不尽な魔法もアタシらに有利に働いてくれるっていうなら最大限に利用しない手はねえ。

 一呼吸で腹に力を籠め、大きく地面を踏み込み、宙へ跳ね飛ぶ。

 五メートル以上空へ舞い、滑空。

 目に飛び込んできたのは忘れもしない、シルクハットと燕尾服の手品師の男。ゴンべえ。

 そして。

 ……見つけた。さやかの姿。

 

「っ……」

 

 千切れたマント。本来白いはずのそれは血で真っ赤になり、ボロ布のようにそよいでいた。

 散乱する赤い布切れの真ん中にはゴミ袋のように小さくなって(うずくま)るさやかの姿があった。

 倒れてもなお、そのステッキで何度も、何度も執拗なまでに打ち付ける。もう痛みを与えるための攻撃には見えなかった。単純に音を出すための楽器のように叩くような無機質な正確さだけがそこにはあった。

 それが目に入った瞬間、怒りが弾けた。抑えていたピンが抜け、激しい感情が絶え間なく流れ出る。

 

「おおおおおおおおお!」

 

 空中から握り締めた槍を自分ごと、ゴンべえ目掛けて突き出した。

 頭上からの刺突。高度を力に変えて、刺し貫く!

 しかし、奴は(はな)から気付いていたように、大きく後ろへ跳んで難なく避けきる。

 インパクトの瞬間、シルクハットのツバの下から見えた口元には笑みの形に歪んでいた。

 地面を砕きながら、深々と突き刺さった槍を手放し、アタシはさやかへと飛び付いた。

 

「さやか! 無事か!?」

 

 無事ないことなんて遠目からでも嫌って程すぐに分かったのに、そんな台詞しか出ない自分に腹が立つ。

 

「……ごほッ、きょ、うこ……?」

 

「ああ、アタシだよ! 大丈夫か? まだ意識ははっきりしてるか?」

 

「うん、だい、じょうぶ」

 

「んな訳あるか!? どう見たってボロボロじゃねえかよ!」

 

 こんな時まで虚勢の台詞が出るこいつに泣きたくなった。けど、泣く訳にはいかない。

 一番、泣きたいさやかが頑張っているのだから、アタシが泣いてどうする。

 

「加勢に来た。アンタ少し休んでなよ。ここはアタシが」

 

「駄目。一人じゃ、あいつには絶対に、勝てない。二人でも正攻法じゃ、無理」

 

「チッ、じゃあどうするんだよ!?」

 

 二人でも勝てない。それはアタシにだって分かる。

 認めるのは癪だが、こいつの強さは魔獣とは比較にならない。この野郎なら魔獣の軍勢一ダースでも二分と持たないだろう。

 でも、実際問題、これ以上さやかは戦えると思えない。殺されなかったのは向こうが遊んでいたからに過ぎなかった。

 

「……一つだけ方法がある」

 

 蹲っていたさやかが顔を上げた。

 痣のないところのほとんどない、酷い面構え。治癒だって高いはずのさやかが直し切れないほどの傷。

 さやかはそんな顔をぶらさげて、何か言いたげに見つめている。

 

「何だよ、方法って」

 

「それをしたらさ、あんた。あたしの事、嫌いになるかも」

 

 はあ? 嫌いになる? 何ふざけた事、抜かしてんだ。この馬鹿。

 剥き出しの肩を掴んで、アタシはこう言ってやった。

 

「アタシが、さやかを、嫌いになる訳ないだろ!? 馬鹿も休み休み言え!?」

 

 一瞬だけ驚愕した顔を向けた後、柔らかくさやかは笑う。

 

「そっか。じゃあ、見せるね。とっておき」

 

 自分の剣を杖がわりにして、よろめきながら立ち上がるとその剣を天に(かざ)す。

 青い光がその切っ先を通して、上へと上昇し、そして形を変えていく。

 さやかの身体も伸びる光の渦に巻き込まれ、次の瞬間には見た事のない何かへと変貌していた。

 腰から下は長く伸びあがり、鱗のようなもので覆われている。その先端には二股に分かれたヒレ。

 鎧にも似たごてごてした装飾品のある黒っぽい身体。

 頭部は大きなハートのような形をしていてその中央には人の頭に似た顔があり、目のある位置に三つの黒い穴のようなものが一列に並んでいる。

 巨大な人魚、と言えばいいのか。あるいは仮面を付けた騎士だろうか。うまく形容する単語が浮かばない。

 

「さやか、なのか?」

 

『そう。これがあたし。……どう? やっぱ嫌いになったでしょ?』

 

 くぐもった声だったが、それは紛れもなくさやかの声だった。

 それを聞いた途端、何だか安心してしまい、つい軽口が出る。

 

「何でだよ。いつもよりもよっぽど頼りになりそうじゃないか?」

 

『ええ!? それじゃ、いつものあたしが頼りにならないみたいじゃない!』

 

「だから、そう言ってんだよ」

 

 やっぱりこいつは、さやかだ。馬鹿で、能天気で、その割に傷付きやすい面倒な友達。

 姿かたちが変わったくらいじゃ、アタシたちの関係は変わらない。

 なんだ、こんなにも簡単な事だったのか。

 

『お喋りは後にしよ……奴が来る!』

 

「そうだな。じゃあ、アタシとアンタのコンビプレー、あの野郎にたっぷり味合わせてやろう」

 

 新たな槍を手元で作り上げ、大きく構える。

 墨汁でも零したような黒い、邪悪な人型がアタシたちの前へ立つ。

 さやかが異形でも人間らしい雰囲気を失わないなら、この男は逆だ。

 人の形を保っているのに、人外の雰囲気を醸し出している――。

 

「人数を増やして、的まで大きくして、そこまで構ってほしいの? 困った女の子たちだ。いいよ、付き合ってあげる」

 

 恐怖を振り撒きながら、それは一歩ずつ近づいてくる。

 直視するだけで冷や汗が滲んだ。口の中から水気が無くなる。

 それでも、アタシたちは希望を捨てずに戦う。

 それが最後に愛と勇気が勝つストーリーって奴なんだろう?

 



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新編・第二十一話 魔法少女としての誇り

~マミ視点~

 

 

 私は独り。独りぼっち。

 思えば、魔法少女になった時にはとっくに何もなかった。

 一家で交通事故にあった後、父を失い、母を失い、そうして私は家族を失った。

 死を目前にし、私が願ったのは『死にたくない』だった。朦朧とした意識の中にあったのは生存本能のみ。

 その結果、魔法少女になる事と引き換えに私の命は繋ぎ止められた。

 見滝原市に一人残り魔法少女になって、魔獣と戦うと決めた時、私は付き合っていた友達と離れた。

 魔獣と戦う上で友達を巻き込みかねない。戦闘経験を積むためにも必要最低限の学生生活以外を犠牲にするしかない。

 建前。そんなものは建前だった。

 本当は……もう同じものを見ても共感できないからだった。

 同じ映画を見ても、同じ音楽を聴いても、もう彼女たちとは同じ思いを共感できないと分かった。

 得体の知れない化け物と対峙して、それを討伐する。その行為が私の日常になった瞬間、私の精神はかつての友達とは明らかに違うものへと変容してしまった。

 誰にも話せない孤独、いつ死んでもおかしくない戦闘への恐怖。誰にも理解してもらえない非日常が私の日常。

 どれだけ楽し気に話をしても、この子たちは魔女と戦って明日死ぬかもしれない私とは違う。命の危険と隣り合わせの生活をしている私の疎外感なんて分かる訳がない。

 集団の中に居ても独りだと感じた。いや、集団の中だからこそ、より一層、自分が異物なのだと認識させられた。

 周囲のお喋りが酷く空虚に感じた。日常が絵空事のようにしか見えなくなっていた。

 寂しがり屋な私が考え付いたのは孤高の英雄を演じて、孤独である自分を忘れ去る事だった。

 私は魔獣の脅威から人々を陰から守る戦士。勇気ある強い魔法少女。

 そうあるために私はひたすら魔獣との戦いに明け暮れた。

 リボンを生み出す魔法では火力に欠けると、マスケット銃へと加工する事を思いついた。

 戦闘方法を本で学んだ。戦うための精神の作り方を組み上げた。

 魔獣を効率よく倒せるようになり、魔法少女として強くなるたびに、私は皆からずれていくのを感じた。

 引き金を引く事に怯えていた少女は、いつしか心と体を切り離して動かせるようになっていた。

 そうして、私は「人でなし」になっていた。

 家族のように思っていた相手を脅威になると考えた時には、その首に手をかけるほどに。

 

「……マ……さ……きて、……だ、さい」

 

 声が聞こえる。暗闇の中で誰かが何か言っている。

 女の子の声だろうか。

 

「……さん。マミさん!」

 

 この声は、鹿目さんの声。

 目を開くと、彼女の顔が視界一面に広がる。そこでようやく、自分が目を瞑っていた事に気付いた。

 眠れない夜に目を瞑って眠気が来るまで耐えるように、ひたすら固く目蓋(まぶた)を閉じて、明日になるのを待ち続けるように。

 

 

「鹿目さん……」

 

「マミさん、起きてくれたんですね。よかった。早速ですみません、力を貸してください!」

 

 ホッとして胸を撫で下ろす彼女の姿を見て、私は(おもむ)ろに口を開く。

 

「私には、無理よ……」

 

「どうしてですか?」

 

 期待を裏切る発言をしたつもりだったけれど、鹿目さんは非難一つせずに疑問だけを投げ返した。

 私が意外に感じたのは言葉だけではなかった。その立ち振る舞いや表情からも焦りの色は確認できない。

 差し迫った状況だというのは気が付いたばかりの私でも分かるのに、彼女は穏やかな雰囲気を崩さなかった。

 だから、つい話そうとしていなかった事まで口を突いて出てしまう。

 

「私が、人でなしだから……必要なら仲間でも手に掛けられる非情な人間だからよ」

 

「マミさんは、自分が怖いんですね? 他人を傷付けてしまうかもしれない自分自身の事が」

 

「……そうよ。私は自分が怖くて、嫌いなのよ! 言わせないで……こんな情けない台詞……」

 

 惨めだ。

 こんな脆弱で、矮小で、何より醜悪な内面を他人に吐露してしまう自分がどうしようもなく惨めだった。

 ずっと夢を見ていればよかったのに。そうすれば、何も気付かない振りをしていられた。

 嫌いだ。

 嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだーー。

「私もです」

 

「……え?」

 

 強烈な自己嫌悪に思考が塗り潰される前に鹿目さんが零した言葉で意識が引き戻される。

 彼女は微笑みを崩さずに続けた。

 

「私も自分が嫌いです。自分が嫌いな事についさっき思い知らされました。望んでなったはずなのに、覚悟して背負ったはずなのに、それを重荷だと感じている私が身勝手で、かっこ悪くて、本当に情けない……」

 

 鹿目さんの笑顔は変わらない。それなのに何故かその表情からは深い後悔と羞恥の感情が読み取れた。

 

「それでも。それでも望んでなったからには責任を取らないといけない。だから私はどれだけ自分が嫌いでも、最後までやるべき事をやり通すつもりです」

 

「鹿目さん……それはとても辛い事よ」

 

「そうですね。多分、これから何度も打ちひしがれそうになると思います。逃げ出したいって願ってしまうかもしれません。けど、やっぱり“私が願った私”はそういう存在(もの)だから」

 

 彼女のその一言に――。

 私は過去の自分の姿を思い出した。

 怖くて、辛くて、それでもどうにか魔法少女になろうとする私。

 リボンしか生み出せない、どう考えても戦闘に不向きな魔法で魔女と戦う(すべ)を夜通し考えていた。

 結局、最後に辿り着いたのがリボンを編み込んで別物を作り上げるという結論だった。

 必死で武器や重火器の本を読んで、ようやく決まったのはマスケット銃。

 シンプルな作りで内部構造を覚え、リボンで銃を形作る作業。

 ああ……。願ったのは私だった。

 弱かった私(リボン)を、強い戦士(マスケット銃)にしようと、そう決めたのは私だった。

 

「……鹿目さん。嫌いな自分だとしても、そうなるよう願ったなら責任を取らないといけないのだったわよね?」

 

「はい」

 

「それなら……」

 

 私が最後まで紡ぐ前に、言葉は遮られた。

 

「なぎさは……なりたくてなった訳じゃないのです」

 

 言葉の主は傍で仰向けに倒れている白い髪の少女の乾いた唇から発せられたものだった。

 彼女は上体を起こすことなく、私たちへと言葉を投げかける。

 

「魔女になってしまったなぎさには、もう他に選択する余地はなかったのです……円環の理として戦う。気が付けばそれしかなかったのです。それでもやらないと駄目なのですか? 責任を取らないといけないのですか?」

 

 疲れ果てた問いだった。

 とても小学生くらいの少女の声とは思えない、擦り切れたような声音。

 こちらを見ていない瞳はぼんやりと虚空を眺めている。

 

「魔女じゃなくなる。それだけでなぎさには十分だったのです。呪いを生んで人を食べる化け物の宿命から逃れれられるなら何でもよかったのです。でも、なぎさたちは結局、変わっていない。……まどか。なぎさたちはあとどれくらい頑張ればいいのですか?」

 

 

~なぎさ視点~

 

 

 疲れた。

 終わりにしたい。

 消えたい。消えて綺麗さっぱりなくなりたい。

 なぎさは化け物。醜く、(おぞ)ましい魔女のまま。

 いや、それどこか今は使い魔。円環の理という魔女の使い魔。

 もう願いなんてない。何もしたくない。いっそ、あのまま、ゴンべえが消し去ってくれたなら、どれだけ楽だったか……。

 嫌。何もかも嫌。こう(・・)なってしまった自分が嫌い。こう(・・)し続けるしかなかった自分が嫌い。

 助けてよ……誰か……。

 

「ごめんね。私はずっとあなたたちをわがままに付き合わせてた。それがどれだけ残酷な事かも考えずに」

 

 誰かがなぎさの身体を優しく包み込む。

 桃色の髪が私の横目に移り込む。

 

「まどか……謝ってほしい訳じゃ、ないのです……」

 

 謝罪の台詞が聞きたい訳じゃない。仮にも魔女として人を食べ続ける運命から救ってくれた相手だ。

 何なら感謝さえ感じていた。

 ただ、どうしようもなく、疲れたのだと分かって欲しかった。

 たとえ、人を食べなくなっても、自分が化け物であり続ける事に嫌気が差した。

 本当に、ただのそれだけ。

 

「うん。分かってる。だから、約束するよ」

 

「……約束?」

「必ず。必ず、あなたたちに終わりを与えてあげる。どれだけ時間が掛かっても必ず守るよ」

 

 なぎさの顔をまっすぐに見つめて、まどかはそう力強く宣言した。

 その表情は、なぎさを初めて(・・・)迎えてくれた時よりも大人びて映った。

 

「……なんなのですか、それは」

 

 馬鹿だ、この人……。本当に馬鹿みたいに甘くて……優しい。

 だから。

 だから、なぎさは――。

 

「…………それで、言いたい事はそれだけなのですか?」

 

「ごめんね。ここまで付き合わせておいて言える台詞じゃないんだけど、まだ手伝ってほしいの」

 

 唇を引き結んで、絞り出すように、けれど、はっきりと彼女はなぎさに頼み込んだ。

 誰かを酷使する事を心を(さいな)んでいるのが見て取れた。それでも、ここで自分だけの力ではどうにもならないから葛藤を呑み込んで、協力を要請している。

 まったく、何なのだ。この呆れるくらい優しい神様は。

 

「わがままに付き合わせてた事を謝るくせに、また付き合わせるのですか? 本当にダメダメな神様なのです」

 

「本当にごめん。でも……」

 

「いいのです。仕方ないから、もうちょっとだけ手伝ってあげるのです」

 

 倒れていた身体を起こすと、痛みは残っているものの肉体の損傷はそれほどでもない。

 近くで成り行きを見守っていたマミにもびしっと指を突き付けて、尋ねた。

 

「マミもそれでいいですよね?」

 

「ええ、構わないわ。私も責任を取らないといけないから。魔法少女としてのね……でも、あなたには」

 

「さっき首を絞められたのは忘れてあげるのです。その代わり、あとで美味しいチーズでも食べさせてください」

 

 マミの表情からさっきゴンべえの口車に乗せられた事を咎めているのは分かっていた。

 だから先回りして、許してあげた。

 ここで悩まれたりしても仕方ない。それになぎさ自身拒まなかったのはそれもそれで仕方ないと納得できていたからだ。

 

「なぎさ、さん」

 

「それじゃあ、手品師退治と行くのです」

 

 言うが早いか身体から消えていた魔力をもう一度解き放つ。

 魔法少女の衣装へと姿を変える。

 マミもまだ何か言いたげな顔をしていたが、すぐに同じように魔法少女の衣装へ変身した。

 

「まどかは」

 

 どうするのですか、と聞こうとして自分でもあまりに無粋な質問だったと気付く。

 彼女が今、一番行ってあげないといけない場所はゴンべえの前じゃない。

 

「行ってあげてほしいのです。ほむらの元へ」

 

「うん。ありがとう。なぎさちゃん。マミさん。すぐに私も駆けつけるから」

 

 まどかはそれだけ言うとほむらの元へ駆け出した。

 本当に世話の焼ける神様だ。でも、そんな彼女だからこそ、もう一度手を貸そうと思えた。

 それじゃあ、本命が登場するまでもう一頑張りしないといけない。

 

 

~杏子視点~

 

 

 強い。

 いや、決して侮っていた訳じゃない。

 ゴンべえ(こいつ)が想定していた強さを遥かに上回っているんだ。

 魔女の姿になったさやかが歯車を生み出し、奴目掛けて射出する。避けたり、防いだりするその隙にアタシは槍を突き立てるため、歯車の陰に隠れ飛び掛かった。

 だが、ゴンべえは避けるどころか、その歯車の輪にステッキを刺して掬いあげると、あろうことか“投げ返して”きやがった。

 こいつの強さはスピードだとか腕力だとかじゃない。もちろん、それもなくもないがもっと恐ろしいところは別にある。

 柔軟性だ。

 こっちが一番取ってほしくない行動や思いがけない方法でアタシたちの攻撃を防いでくる。

 だが。

 

「それでもアタシの方が一枚上手(うわて)だ!」

 

 槍を水平に回転させたまま、その勢いを利用して、歯車を弾きながら接近。

 コマ廻しのように回転斬りをお見舞いしてやる。

 アタシの槍と奴のステッキ。その武器の一番の差は間合いの長さ。取り回しが難しい槍だが、距離によっては一方的な得物になる。

 この近さならアタシの一撃が決まる。アタシらの武器も消失させられないのはさっきまでの戦いで確認済み。

 必殺、とは言えなくてもでかいダメージは必須。

 

「リーチが足りないって思ってる? なら、『伸ばそうか』」

 

 すっと、ゴンべえはステッキを“引っ張った”。

 当たるはずだったアタシの斬撃は伸ばされたステッキによって切っ先をずらされる。

 武器が伸びやがった。

 一瞬、その事に気を取られかけたが、アタシの槍だって同じ事。

 槍を節昆(せつこん)状に変え、長くなったステッキを絡め取る。

 これでこいつの攻撃は封じ込めた。

 

「甘ぇよ! さやか!」

 

 アタシの言葉に呼応するように大振りのサーベルが奴の頭上に落とされる。

 ここで即座に武器を手放して後ろに下がるならそれでもいい。

 魔力で武器を生み出す刹那にアタシは十発以上の突きを叩き込める。

 しかし、意外にもゴンべえは得物を放す素振りを見せない。

 奴の頭の数センチ上にさやかの刃が迫る。

 今度こそ、決まった。

 そう思った時、ゴンべえはずるりとステッキを絡んだ節昆から“抜き取った”。

 ステッキは黒い布へと変形していた。

 新たに作り出したんじゃなく、ステッキを布状に変えたのだ。

 抜き取った黒布を迫りくる刃を包んで受け流す。黒布は破れる事なく、巻き付き、最小限の動きをもってさやかの攻撃を()なした。

 

「何!?」

 

 攻撃を避けたついでに、さやかのサーベルに巻き付いていた黒布をもう一度長いステッキへと戻し、アタシを突き飛ばす。

 腹部に重たい一撃を受けて、呻きながら地面を転がった。

 

「ぐほっ……」

 

『杏子!?』

 

 慌てるさやかだったが、それもゴンべえの手の内だったのだろう。

 意識がアタシに移ったさやかの上まで、伸びたステッキを棒高跳びの棒のように使い、跳ね上がる。

 空中で長さを戻したステッキをさやかの頭へと突き立てた。

 

『あぐ!』

 

「大きくなった分、動きが緩慢になったね」

 

 ごりっとステッキを捻じ込むように、突き刺したステッキで抉る。

 黒い血液が噴水のように魔女の姿のさやかから溢れ出す。

 さやかの悲鳴とも絶叫とも付かない声が響いた。

 

「さやかぁぁぁぁ! てんめぇええええ!」

 

 腹部に受けた痛みなど怒りで掻き消えた。地面を蹴って、奴へと怒りの一撃を放つ。

 

「さやかから離れろぉぉ!」

 

「可愛い妹さんを気付けられて激昂……本当に分かりやすいなぁ、赤髪」

 

 侮蔑した目で突き刺したステッキを布状にして引き抜くと、そのまま、アタシに向かって放った。

 黒布が眼前で広がり、視界を遮る。

 

「そんなもん関係ねえ! さやかはアタシの友達だ!」

 

 黒布を切り裂き、視界が開けた先にはゴンべえの姿はなかった。

 

「そう。でも、まあ、冷静さを失ってることに変わりはないんだよね」

 

 後ろに居る。そう気付いた時には背中に衝撃が走り、地面へ叩き落とされた。

 受け身も取れずに地面に激突する。痛みを抑え、腹這いになったアタシの背を奴の脚が踏み付けた。

 

「確かに仲間が居るというのは心強い。一人では超えられない壁も越えられるかもしれない。でも、時として足枷にもなるんだよ」

 

 睨みつけようと上を向いたアタシの目にステッキの先端を突き付ける。

 

「こんな風に」

 

 油断はなかった。致命的な失敗はしていない。

 それでもここまで完敗するなんて。

 口惜しさに歯噛みしたその時、聞きなれた声が耳に届く。

 

「か弱い女の子の背中を踏むなんて、男の子として最低の行為よ」

 

 連続する銃声。どれほどの攻撃をしても決して避けずに、往なしていたあのゴンべえが初めて回避を取った。

 地面に刻まれた銃痕から黄色のリボンが蔦のように生え、宙に跳んだゴンべえの脚を絡め取ろうとする。

 そのまま、空中で横薙ぎにステッキを振るい、リボンを引きちぎるが、その間に声の主はアタシと奴の隙間に割って入っていた。

 颯爽と遅れて来たヒーローのように登場したのは……。

 

「遅ぇよ、マミ」

 

「ごめんなさい。少し見出し身を整えるのに時間が掛かったの。ねえ、なぎささん」

 

「そうなのです。ガサツな杏子と違って立派なレディはお化粧に時間が掛かるものなのです!」

 

 一緒に現れたなぎさと軽快なジョークを飛ばす、かつてアタシが憧れていた魔法少女の先輩だった。

 




大分、遅くなりましたが、投稿です。


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新編・第二十二話 舞い踊る仕掛け杖

~マミ視点~

 

 

「おやまあ、可愛いお嬢さんがまた二人も増えたね。これは男冥利に尽きるってものだよ」

 

 私たちからやや距離を取ったゴンべえは薄笑いを浮かべて、黒いステッキを握る。

 肌に感じるひりひりとした圧力が私の身体を撫で回す。

 戦場に戻って来てしまったという実感が今更ながら感じられた。

 だけど、もう私の胸に諦念の二文字はない。

 ソウルジェムから伝わる魔力はさっきまでとは比べ物にならないほど確かに流れている。むしろ、ナイトメアと戦っていた時よりも出力が上がっているようにさえ思えた。

 魔法は十全に使える。

 戦力は私となぎささんに佐倉さん、そして美樹さん……でいいのよね? あれは。

 王冠のような頭と大きな剣を二本携えた人魚のような異形。魔獣とは姿かたちは異なるものの、雰囲気だけは同質のように思えた。

 一番近いのはべべだった時のなぎささんかしら?

 あれがきっとゴンべえのいう『魔女』。

 少なくとも佐倉さんと共闘していた以上、美樹さんの意思は残っていると考えていい。

 

「佐倉さん。さっそくだけど先に戦っていて分かった事があれば教えてちょうだい」

 

 視線だけは目の前の敵を見据えたまま、後ろで起き上がりつつある佐倉さんに問いかける。

 

「あいつのステッキ。多分、あれはアンタの銃と同じだよ」

 

「同じ?」

 

「マミがリボンを銃に変形させているように、あいつは黒布を杖に変えてる。じゃねぇとあそこまで一瞬で形を変えられる事に説明が付かない……あいつが魔法で生み出せるものはステッキじゃなく、黒布の方だったんだ」

 

 忌々しそうに語る彼女の言葉にゴンべえは嬉しそうに首肯した。

 

「ご明察! よく気付いたね。正解だよ、僕の生み出せるものは」

 

  黒いステッキの両端を指先で摘んでから、軽く振る。

 パッとステッキが“開いた”。

 棒状だったそれは、一瞬にして黒い布へと変化する。

 

「この通り、『ハンカチ』だけ。形は変えられるって言っても、そこの金髪が使うマスケット銃みたいに複雑な内部構造のものは出来やしない。せいぜい、こんな」

 

 喋りながら片手で広げた黒い布の右端を摘み、もう片方の手で握るように対角線上にするすると伸ばしていく。

 

「単純な形状のものくらいだよ」

 

 黒い布、いや彼の言葉を借りるなら『黒いハンカチ』はあっという間に元のステッキへと戻った。

 その光景は彼の格好と相まって、本当に手品のように映った。

 

「もっとも、短期間で壊れる程度でいいなら、動物とかも作れはするけどね」

 

 おもむろにステッキの端を咥えると、そこから息を吹き入れ始める。すると、細長い風船のように膨らんだ。

 器用にそれをバルーンアートの要領で捻り、デフォルメめいた質感の黒いウサギを創造する。

 完成した黒いウサギは本物のウサギのように彼の手から飛び出し、ぴょんぴょんと辺りを駆け回った後、パチンと破裂音を一つ残し、消え失せた。

 簡単にゴンべえがやってのけた魔法に私は息を呑む。

 私がリボンをマスケット銃に変えられるように相当な時間と労力を要した。 

 それ以上の事を意図も容易く行う様はまるで神様のように思えた。

 種も仕掛けもない手品。まさに魔法という単語が相応しいだろう。

 しかし、ここで気圧されてはいけない。ペースを崩されたらそのまま流れを持っていかれてしまう。

 私と同じように固唾(かたず)を呑んで、圧倒されている佐倉さんに再度質問を投げた。

 

「他には何かないの?」

 

 できれば、戦術に組み込めるレベルの情報が欲しい。

 

「……あいつは近接戦闘しか仕掛けて来なかった。マミみたいな遠距離攻撃ならもしかしたら()があるかもしれねぇ」

 

 これは朗報だ。いくらハンカチから飛び道具を形作れたとしても、遠距離戦に慣れていないとなれば私の方に一日の長がある。

 思い返せば、魔法を無効化されていた時も私や鹿目さんの遠距離からの攻撃には打ち消すだけに留めて、反撃はほとんどしてこなかった。

 それなら私を攻撃の起点として、他の皆にはヒット・アンド・ウェイで攪乱してもらえば、勝算はあるかもしれない。

 

「それじゃあ……」

 

 号令を掛けようとしたその瞬間。

 何でもない事のようにゴンべえは口ずさんだ。

 

「そろそろ、頭数も増えたし、ちょっと本気出そうか」

 

 彼の背景が波打つように歪んだ。

 

「……え?」

 

 巨大な黒い布だ。

 数十メートルにも及ぶ大きな布が現れ、風に揺れるカーテンのように(なび)いている。

 その黒い布から気泡の如く、いくつもの点が浮かぶ。

 

「おい、あれ……まさか」

 

 佐倉さんが呆然とした口調で呟く。

 私は可能な限りの魔力をリボンに変え、私たちを覆う障害物を作り出す。

 

「佐倉さん! あなたも協力して障壁を!」

 

「分かっ……」

 

 彼女へ指示を出したが、もう遅かった。最悪の想像に応えるように、最悪の現実が訪れた。

 『黒い雨』が私たちへと降り注ぐ。

 数えることさえ愚かだと思えるほどの黒色のステッキが一斉に発射された。

 どうにか耐えてみせる……。

 けれど、目の前の光景が私の希望を消し去った。

 弾かれたステッキが巻物のように開いて布に――即ち新たなステッキを生み出す門へと変わっていく。

 射出されたステッキ一本がその何倍もの量を生み出す、悪夢のような総射撃。

 地面に、宙に、黒い色がまた一枚広がる度に攻撃の密度が桁違いに上がっていった。

 瞬時に作ったリボンの障壁は衝撃を受けるごとに隙間を生み、その隙間を抉る様に無数のステッキが穿(うが)っていく。

 杏子さんが同じく、壁を外側に張り巡らせるも、付け焼刃にしかならず、障壁が砕け散るのをほんの少し遅らせる結果だけに留まった。

 消失ではなく、破壊。

 圧倒的な物量から生まれる力によって、私たちを守る壁は崩壊した。

 なおも勢いを増して、空を踊り狂うステッキたちは私たちの身体を串刺しにせんと舞い降りてくる。

 明確な死を覚悟した私だったが、とっさに魔女になった美樹さんがその巨体を盾として庇うように立った。

 

「美樹さん! 駄目!」

 

『ここは私がっ、あっああああああああああああああああああああああ!』

 

 降りしきる黒いステッキが彼女のシルエットを削っていく。

 絶え間なく続く粉砕音だけが鼓膜を叩く。墨汁のような黒い血が流れ、彼女の背に守られた私たちの顔へと滴り落ちた。

 佐倉さんやなぎささんが何か叫んでいるが、もはや何を言っているのか聞き取れない。

 絶望的な状況。その一言だけが相応しい惨状が広がっていた。

 唐突に音が止んだ。

 静寂が訪れる。

 砕けた魔女の残骸から、元の美樹さんが零れるように落下する。

 慌てて、受け取った彼女は黒い血をべったりと纏わせていた。

 良かった。か細いけれど息はしている。

 衰弱しているものの、まだ彼女は生きている。

 

「マミ、……!?」

 

「マミ!」

 

 佐倉さんとなぎささんが強張った表情で私を呼んだ。

 

「大丈夫よ。美樹さんは」

 

 安心させるため、彼女の命に別状がない事を伝えようとして、気付いてしまう。

 二人が私ではなく、私のすぐ後ろ見ている事に。

 

「大丈夫じゃないだろう。この程度で全滅しかけたのに」

 

 ほんの数センチ後ろから声が聞こえた。

 

「お前、どう、して……?」

 

 佐倉さんが狼狽えた表情で私の後ろを見つめている。

 背後に居る彼は何を当たり前の事を聞いているのかといった口ぶりで答えた。

 

「どうしてって……まさか、どうやって近付いたか聞いてる? 前に見せたはずだよ。僕がハンカチを使って空間転移できるって」

 

「さっきまで使わなかったじゃねぇか」

 

「使う必要を見出せなかったからに決まってるだろう?」

 

「そんな……ならまどかを直接追う事だって」

 

「できたよ。やらなかっただけで」

 

 佐倉さんに平然と答えた彼は私の脇を通り過ぎ、少し離れた場所で座れそうな大きさの瓦礫に腰掛けた。

 その瞬間、私たちは理解した。この男は戦っていない。同じ土俵に立ってさえいない。

 本当に。本当にただ遊んでいただけだ。

 その気になればいつでも潰せる虫を指先で弄んでいたようなもの。

 

「それで、まだやる? ああ、忘れっぽいお前らに言っておくと、さっきのでここら一体にハンカチを撒いたから」

 

 激昂した佐倉さんがゴンべえの言葉を遮って、飛び掛かった。

 握り締めた槍を奴の懐に突き入れる。

 鮮血の血が彼女の赤い槍を濡らした。

 

「“こういうこと”もできるんだ」

 

 広げたハンカチに彼女の槍が深々呑み込んでいた。

 代わりに、佐倉さんの足元に落ちていた別のハンカチから槍の切っ先が屹立(きつりつ)している。

 彼女の脇腹を大きく抉りながら。

 

「ク……ソが」

 

 膝を落とし、彼女はずるずると滑るように沈み込む。

 

「佐倉さん!」

 

 今、彼は空間を“捻じ曲げた”。

 そんな事までできるなら、もうこの男は神様と同じように何でもできるんじゃ……。

 絶望と諦念が脳裏を過る。

 いいえ。狼狽えて泣き言を言うために戻って来たんじゃない。

 よく考えなさい。マミ。

 何のための、『ひとでなし』なの?

 ここで状況を冷静に分析できなくて、何のための『戦士』なの?

 感情を冷却しなさい。

 抱いている血塗れの後輩の心配を消しなさい。

 脇腹を切り裂かれた後輩を眺めて、なお考えなさい。

 この状況で必要なのは分析力と洞察力のみ。

 優しさも親切心も凍結しなければ、皆殺しにされるだけ。

 そもそも私たちの魔法は一種類。彼もまたそのルールに乗っ取っているならば。

 魔法の無効化と空間転移に何らかの関連性があるはず。

 魔法を、消す。魔力を、無くす。それがゴンべえの魔法。

 幸い、私たちの魔法を無効化する力は、再度変身した時になくなった。

 魔力で作られたものを消す魔法は私たち自身の武器にはもう効かない。

 

「!」

 

 何かが糸口のようなものを引き当てた感覚する。

 そうだ。私たちの武器以外なら消せる。

 それが魔力で作られたものならば。

 そして、ここは。この場所を満たしているものは――。

 

「魔力で作られた空間を消しているのね。間にある空間を消す事で距離をゼロにしているってところかしら」

 

 それがゴンべえの空間転移のトリック。

 転移能力はこの魔女の結界という、魔力で作れた空間だからこそ使える裏技のようなもの。

 周りが魔力でできているからこそできる、彼の魔法の応用。

 聞いてらしいゴンべえは感心した表情で拍手した。

 

「凄いね。大正解。よくできました。じゃあ、もう攻略方法も分かったんじゃないかな?」

 

「本当なのですか、マミ!?」

 

 私の代わりに佐倉さんを助け起こしにいったなぎささんの言葉に私は頷いた。

 ただ、これは暁美さんの協力が必要不可欠になる。

 私たちの封じられた魔法が再び戻ったように、彼女に掛けられた魔法が解除されれば空間転移は使用不可能になる。

 彼女がこの魔女の結界の支配権を取り戻しさえすれば、勝ち目はある。

 鹿目さんが暁美さんを立ち上がらせてくれたなら、私たちは打ち勝てる。

 

「うーん。その反応。何か考え違いをしているね。ひょっとして、僕が黒髪にお前たちと同じように、魔法を封じたとでも思ってる?」

 

「違うとでも言いたいの?」

 

「うん。僕がやったのは彼女に穢れを放出させた上で、それを消滅させただけ。謂わば、彼女は出涸らしだ。でも、彼女がこの空間の核なのは今でも変わらない」

 

 すっと顔から血の気が引く。

 ならば、ゴンべえが言う攻略方法というのは。

 

「あ、気付いたみたいだね。そうだよ、あの黒髪。魔女の結界の主が居なくなれば、この空間を維持できなくなる。当然、魔力もなくなる。それどころか、ここから出られる。やったね」

 

 この男はこう言っているのだ。

 自分に勝ちたければ、暁美さんを殺してみろと。

 こうしてわざわざ止めを刺さずに、種明かしをしたのも、これが目的だったのだろう。

 この男はやはり魔王だ。血の通わない外道だ。

 ただ滅ぼすのでは飽き足らず、人としての尊厳を剥奪して私たちを滅ぼそうとしている。

 

「誰か一人くらいは急いで彼女を殺しに行けば、僕に勝てるようになるかもしれないね。さて、お喋りも飽きたし、二度目のダンスパーティーと洒落込もうか。さっきよりも激しく踊って見せてよ。お嬢さん方」

 

 魔王は瓦礫から立ち上がるとステッキを大きく振り上げた。

 

 

 

~ほむら視点~

 

 

 酷く既視感があった。

 私は何度も何度もこういう場面を見て来た気がする。

 そう、まどかはいつも私を置いて先へ行ってしまう。こうして置いてきぼりを味わうのはいつだって私だ。

 最初の時間軸でも、次の時間軸でも、次も、その次も……ずっと繰り返してきて、最後の時間軸だって同じだった。

 彼女は私を解ってくれたように見えて、いつだって解ってくれなかった。

 私も。私もまたここまで来ても彼女の事も、自分の本心すら解っていなかった。

 結局、解り合えないまま、こんなところまで来てしまった。

 

「ほむらちゃん」

 

「まどか……」

 

 待ち焦がれた彼女の声につい反応してしまう。

 もうどうにもならないと。もうどうでもいいと。そう思ったのに。

 それでも、やっぱり諦めきれないよ。

 

「私ね。ほむらちゃんに聞いてほしい事が合って来たの。聞いてくれる?」

 

 聞きたくない。聞けば、また別離がやって来る。

 少なくともここで終わるのなら、最期までまどかと一緒に居られる。

 

「嫌……嫌だよ……」

 

「ごめん。それでもほむらちゃんにだけは言わなくちゃいけない事だから」

 

 まどかは私に謝ってから感情を落ち着けるためにか、深呼吸して始めた。

 

「私ね。神様が嫌だった。大切な人たちと離れ離れになった事も、やらなきゃいけないって気持ちに押されて突き動かされるのも全部嫌だった。おかしいよね、自分でやるって決めたのに」

 

 恥かしそうに彼女は笑った。

 全然恥ずかしくないよ。それが普通だよ。そう言いたいのに胸に抱えた想いが大きき過ぎて言葉にならなかった。

 

「でもね、それでも何もかも奪われそうになって初めて気付いたの。私にはそれと同じくらい好きなものがあるって」

 

 しゃがみ込んだまどかは横たわった状態の私を起こすように支えてくれた。

 

「私は魔法少女が好きなの。真摯に願いを想う彼女たちが好き。そのために危険を冒して戦う彼女たちが好きなの。その願いが誰かにとって呪いであっても。叶ってほしいって願う彼女たちの祈りは本物だから」

 

 心臓が高鳴る。恐怖だ。恐怖を感じている。彼女を失う恐怖を。

 私は耳を塞ぎたい気持ちで頭がいっぱいになる。

 それでも私は言わずにはいられなかった。

 

「そ……そんなの関係ないよ。私はまどかが好きだよ。誰よりも大切だよ。まどかは私よりも大多数の方が大事なの!?」

 

 まどかはそれを聞いて、少しだけ悩んでからこう答えた。

 

「同じくらい大事。比べられないよ」

 

「顔も名前も知らない人たちと私は同じなの!?」

 

「顔も名前も、願った事まで分かるから」

 

 ほとんど泣きながら訴える私に、まどかは努めて静かに答える。

 ああ、駄目だ。やっぱりまた同じになる。

 もう繰り返せないのに、聞きたくない言葉だけは繰り返し聞かされる。

 

「……まどかぁ」

 

「ほむらちゃん。私、魔法少女になるよ」

 

 何よりも聞きたくないその台詞を口にした彼女は、その手に桃色のソウルジェムを握り締めていた。

 

 

 




後、四話くらいで終わらせます。


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新編・第二十三話 譲れないものを込めて

 理解してもらえないのは分かっていた。

 それでも。それでも言わなきゃいけない事だから。

 たとえ、分かり合えなくても聞いてほしかった。

 これはきっと私のわがまま。

 そして、私のケジメ。

 魔法少女としてじゃなく、ほむらちゃんの友達としてのケジメ。

 

「ありがとう、ほむらちゃん。ここでまた家族や友達に会えた事は嬉しかったよ」

 

「…………」

 

 ゴンべえ君に言われた通り、私は彼女の事をちゃんと考えていなかった。

 勝手に分かってくれるって自分の想いを押し付けて、向き合おうともしてこなかった。

 きっと一番私に振り回された友達だと思う。

 だから、助けてほしいとは言わない。

 だけど、彼女にだけは最後まで私の選択を見届けてほしい。

 これもやっぱり私のわがままだ。

 

「……まどか。あの男に本気で勝てると思う?」

 

 ほむらちゃんは、私の顔を見ずに質問だけを投げかけた。

 私は彼女が不安を感じているのだと思ってわざと明るく言った。

 

「勝つよ。勝って、皆と一緒にここから出ようよ。だから、ほむらちゃんも心配しないで……」

 

「勝てるはずないわ!」

 

 大きな声でほむらちゃんは(さえぎ)った。

 

「……絶対に勝てない。まどかはあいつの恐ろしさを解ってない。あいつは私たちの心の中を覗き込んで来る。そして、一番触れられたくない部分を抉り抜いて見せ付けてくるのよ。『ほら、お前の中にはこんなに汚いものがあるぞ』って」

 

 ぼろぼろと大粒の涙を流しながら、彼女はなおも続けた。

 

「自分の中の、自分でも意識していなかった感情を、私に知らしめたわ。私は、貴女を……独り占めにしたいだけだった。守りたいとか、救いたいとか、そんなのはただの欺瞞! 本当は、本当は……貴女にずっと傍に居て欲しいだけなのよ!」

 

 私の握った手のひらを強く握り返し、思いの丈をぶち撒ける。

 突如、頭を殴られたような気分になった。

 初めて、私は自分がどうしようもなく、他人の鈍い事を思い知った。

 今まで気付けなかった。知ろうとさえしていなかった。ほむらちゃんはそんなにも私を必要としてくれていたのだ。

 ゴンべえ君に言われたとおりだ。

 私は結局、ほむらちゃんの気持ちを理解して来なかった。

 相手の事を考えているつもり(・・・)になっていただけ。

 きっと、私からほむらちゃんへの感情と、ほむらちゃんから私への感情は、温度が違う。好きという感情の種類が違う。

 だから。

 

「私は……私はほむらちゃんの想いに、応えてあげられない」

 

 一度言い淀みかけたけれど、それでもどうにか声に出した。

 愕然とした表情で彼女が私を見つめている。

 罪悪感が喉の奥から()り上がり、今の言葉をなかった事にしたくなる。

 自分に好意を持ってくれている相手を拒絶するのが、こんなにも心苦しいなんて知らなかった。

 でも、ここで誤魔化してしまった。それは彼女の想いを無視するのと変わらない。

 それだけはしたくなかった。

 

「ほむらちゃんがそこまで私を必要としてくれるのは嬉しいよ。でも、私はほむらちゃんだけの味方にはなれない。守らないといけない人たちがたくさん居るから」

 

「……そう。そうなの」

 

 涙がつうっと彼女の頬を流れていった。

 彼女の顔が俯き、目元が前髪で隠れる。今どういう顔をしているのか分からない。

 握り締められた私の手がぐいっと思い切り引っ張られる。しゃがみ込んでいた身体がバランスを崩し、ほむらちゃんの上に覆い被さるように転がった。

 目の前に彼女の顔が視界いっぱいに広がる。

 

「ほむらちゃ……ぐっ」

 

 息が苦しい。一体何が起きたの?

 私の喉を何かが絞め付けている。

 これは、どういう事?

 ほむらちゃんが指が私の首を絞めている。

 

「どう、し……て?」

 

「まどかを独占できないのなら、ここで貴女を私の手で殺すわ。そうすれば、最期まで一緒に居られる。誰にも邪魔されずにね」

 

 彼女は仄暗い笑みを浮かべていた。

 身体を捩って、ほむらちゃんの手を振り払おうとしても駄目だった。

 震える彼女の指には力なんてほとんど籠められないはずなのに、張り付いたように私の喉から離れない。

 ……そうまで私を殺したいの? もう立ち上がる事もできないくらいに弱っているのに。

 

「まどか。死んで! 死んでよ! そうすれば最期まで一緒に居られる! だから! 死んでよ、まどかぁっ!!

 

 駄目だ。彼女の指が離れない。彼女の手が放してくれない。

 だったら、魔法少女になって、彼女を。

 彼女を……どうするつもり?

 一時的に(しの)いで、何になるっていうの?

 彼女は私と一緒に居たいだけ。そして、その想いはきっと変わらない。

 何故なら、それこそがほむらちゃんの願い。

 その願いを叶えてあげる事はできない。

 ……それなら。

 それなら、もう彼女を――殺すしかない。

 一方的に、理不尽に、身勝手に、彼女の願いを否定する他にない。

 だって、私は『皆』の神様なのだから。

 そう理解した私は薄桃色の衣装を纏い、弓をほむらちゃんの胸に押し付けていた。

 右手は既に弦を引いて、その指先に魔力の矢を作っている。

 

「ほむらちゃん…………ごめんね」

 

 零れた謝罪は今から彼女を殺す事についてなのか、それとも彼女の願いを受け入れられない事についてなのか、自分で判断が付かなかった。

 

「…………」

 

 弓を射る。

 その動作をここまで意識したのはきっとこれが魔法少女になって初めてだと思う。

 でも……これで、終わりに――。

 指先で摘まんだ(やじり)を放そうとした時、ほむらちゃんの瞳が微笑んだ。

 それを見た私は、人差し指と親指に挟まれた鏃を消す。

 ほむらちゃんの表情が驚愕に歪んだ。

 

「どう、して……?」

 

「分かっちゃったから。ほむらちゃんがわざと私に殺させるためにこんな事してるんだって」

 

 私の首を絞めていた彼女の手には、もう力は籠められていなかった。

 ほむらちゃんが居なくなれば、この結界は維持できなくなる。そもそも私がここに来た理由もなくなる。

 そうすれば、ゴンべえ君からは逃げられる。

 だから、ほむらちゃんは私を殺そうとする振りをした。私に殺されるために。

 

「でも、それじゃあ、ほむらちゃんが救われない」

 

 彼女は観念したように項垂(うなだ)れて、私の首から手を放す。

 

「……ゴンべえは私の結界を利用しているわ。力を使い果たした私を消さなかったのは、まどかたちをこの結界から逃がさないため。私が居る限り、貴女たちはゴンべえから逃れられない」

 

「逃げないよ。私は逃げない。ここでほむらちゃんを殺す事で逃げる事ができても、それじゃ意味がないんだよ」

 

 ほむらちゃんの背中をそっと抱き締める。

 彼女も同じように私の背に手を回した。

 

「だって、私はそのためにここに居るんだから」

 

 

~なぎさ視点~

 

 

 黒い色が街に広がる。

 夜の(とばり)よりなお黒い闇色の布が、空にいくつも縫い付けられている。

 この世界から色を奪うために舞い降りてくるような漆黒は一切の躊躇なく、なぎさたちへと襲い来る。

 

「さあ、抗ってみせてよ」

 

 膨大な数の黒い布から発射されるステッキの嵐。

 数が増えれば増えるほど、攻撃の密度と範囲が増加する黒の豪雨。

 ……ここで何とかできるのは、なぎさしかいないのです。

 なぎさは意を決して、もう一度魔女の姿になると周囲の皆を口の中へ放り込んだ。

 

「え、なぎささん。何を……?」

 

「おい、何のつもり……!?」

 

 ごちゃごちゃ文句を言う前に全員口の中に収容して、なぎさは空へと飛び上がった。

 身体中に全方位からステッキが突き刺さる。連続で肉を削る衝撃は刺突は想像を超えるものだった。

 景色すら激痛で霞み、ステッキ同士の衝撃音は聴覚を惑わせる。平衡感覚など一瞬にして消え去っていた。

 ただただ、秒数を数える。進んでいるが前でも後ろでもどうでもいい。もうこの街にぶつかるような建物は存在しないのだから、地面に落下しなければそれで十分だ。

 全身を休みなく抉られながら、それでもなぎさはひたすら飛んだ。

 一秒……二秒……三秒……四秒……五秒……六秒……。

 痛みで思考が吹き飛びそうになる中、それだけはしっかり数えていく。

 七秒……八秒……九秒……十秒……十一秒……十二秒……。

 そこまで数えた時、音が一度途切れるのを確かに聞いた。

 その時を聞き逃さず、口を思い切り開く。そこから『新しいなぎさ』を吐き出す。脱皮するように『全身ボロボロのなぎさ』を脱ぎ捨てるとそのまま直進を続ける。

 一秒……二秒……。

 その後、再生したなぎさの身体に再び、大量のステッキの連射が突き刺さる。飛んで来るステッキの数がさらに増え、全身に感じる衝撃も何倍にも膨れ上がる。

 それでも先ほどと同じように身体を抉る嵐は十二秒後、二秒間だけ止まった。

 なぎさも同じようにその間に脱皮を行ない、身体が全損する前に再生する。

 ―—やっぱり、そうなのですか。

 全身を削られながら、確信した。

 この攻撃は範囲や密度という点においては、なぎさの知る限り、どの魔法少女の攻撃よりも優れている。

 飛ばしたステッキから新たに発射台となる布を作り出し、ほぼ三百六十度から標的を狙い続けるこの戦術に逃げ場はない。

 それでも決して攻略法がない訳ではない。

 数を増やした事により一撃の威力は確実に落ちている。そうでなければ、いくら合い間に脱皮による再生を挟んだとしても十二秒もの間、ゴンべえの猛攻を耐えられるはずがない。

 教会でゴンべえにコテンパンにされた経験があるなぎさだから分かる。

 連射と範囲に注力した分、威力は通常の三分の一以下にまで下がっている。それでも魔法少女の肌を抉るくらいは可能だろうし、何よりあれだけの数の刺突を受け続ければ、十二秒もかからず絶命するだろう。

 そして、数を増やし続ける事によって、多人数を一度に相手にできる代わり、一人相手の攻撃は雑になっている。

 どれだけ発射台が増えても、なぎさの身体に刺さるステッキの数には限度がある。ステッキ同士がぶつかり合う事によって返って無駄になるステッキの方が多い。

 何より、十二秒間に打ち出すステッキを生み出すために二秒間の生成時間がかかっている。それだけあれば脱皮による再生で時間を稼げる。

 

『マミ、ここはなぎさが時間を稼ぐのです!』

 

 ソウルジェムの念話で口の中に居るマミにそう伝えると、返事の代わりに彼女の考えた作戦内容が返って来る。

 いきなりなぎさに呑み込まれた後、即座にこちらの意図に気付き、自分のしなければいけない事に専念していたらしい。

 頼もしい、というより少々怖く感じるが、きっとそれが巴マミという魔法少女の在り方なのだろう。

 

『……了解なのです。じゃあ、その作戦で行くのです』

 

 念話を終わらせ、十二秒間の激痛に耐えた後、二秒のクールタイム中に再生を済ませる。

 次の十二秒間に皆がどこまでできるかが、この戦いの鍵になる。その間、なぎさは的になり、時間を稼ぐ事が仕事だ。

 そう覚悟を決めた時、違和感を感じた。

 攻撃が来ない。二秒間の生成時間はとっくに過ぎている。

 その事実に気付いた時、違和感は一気に恐怖へと変わった。

 

「よく耐えたね。いくら再生ができるとしても文字通り身を削る攻撃の中に飛び出るのは勇気が要るだろうに」

 

 すぐ傍で声がした。

 同時になぎさの背中に何かが触れた。

 この感触は靴。革靴を履いた脚が今背中に乗っている。

 振り落とそうと身体を捩ったが、すでに背中には靴の感触はなかった。

 

「驚いてる? 冗談だよね? あれだけハンカチによる空間転移を見せたんだから、当然僕が直接来ることくらい想定できたはずだよ」

 

 

 声は真下から聞こえた。

 視線を向けた先には黒い手品師がシルクハットのツバを押え、宙に浮かんでいる。

 瞬く間に姿は消え、右上から衝撃を味わった。

 蹴られたと認識した時には、衝撃で僅かに開いてしまった口の隙間からステッキを差し込まれていた。

 

「内側からの攻撃には対応できないんだったね。お前は」

 

 歯に挟まったステッキの感触が布状に変化する。

 吐き出そうとする前に口内で大量のステッキが生成される。内側に収まりきらなくなったステッキがなぎさの体内を内側から突き破る。

 

「はい、お終い」

 

 目の前の光景が切り替わり、なぎさは魔法少女の姿でゴンべえの腕の中へ抱き上げられていた。

 一対一で勝負になるなんて、欠片も思っていなかったが、圧倒的な力の差に辟易する。

 

「お友達が出て来なかったんだけど、どこに行ったのか教えてくれる?」

 

「皆、食べてしまったのです」

 

 お腹を擦りながら、そう答えると彼は薄く口の端を吊り上げた。

 

「そっか。なら、お前のお腹を切り裂けば、皆に会えるね」

 

「……脅しのつもりなのですか?」

 

「脅し? それならもっと効果的なのにするよ。そうだね、こういうのはどう? お前のソウルジェムに僕の否定の魔法を直接流し込む」

 

 人差し指でゴンべえはなぎさのソウルジェムをそっと撫でた。

 ぞくりと背筋に冷たいものが走る。

 

「どうなると思う? 僕の魔法は、魔力を消すことができる。ふふ、魂が消えていく感覚っていうのはお前たち魔法少女が体感したことのないほど辛いものだよ? 痛みや苦しみだけじゃない。自分の感情や記憶がどんどん消えてなくなっていくんだ。耐えられると思う?」

 

 ソウルジェムの表面をなぞりながら、楽し気に語る。

 口調は軽いが、その台詞の節々には何とも言えない真実味があった。

 脅し、ではない。この男はきっと、それができるし、事実しか述べていないのだろう。

 言葉に詰まっているなぎさを疑っていると取ったのか、ゴンべえは一つ頷いて喋り出した。

 

「そうだね。確かに脅しにしてはイメージし辛いだろう。じゃあ、もっと分かりやすく、目で見て理解できる拷問に変えようか」

 

 白い手袋に包まれた指先をパチンと鳴らす。

 地面に張り付いていた布や宙に固定されていた布がひらりとその場から“剥がれ落ち”、なぎさの身体に(まと)わり付く。

 

「う゛あ゛!?」

 

 目の前の中空に腕が突然現れた。

 ちょうど肘くらいの長さの、誰かの右腕……。

 違う。気付いた瞬間、血の気が引いた。この腕は――なぎさの腕。

 すぐに自分の右肩の先に目を向けると、そこから先は黒い布に突き刺さっていて、そこから先が隠されていた。

 腕だけではない。両脚も同じように膝の辺りまで布で隠されている。

 何が起きているのか分からない。ただ分かるのは右腕も両脚も痛みはないという事だけ。

 あまりにも目の前の気味の悪い光景に、自然と後退(あとずさ)りして、こつんと頭を何かにぶつけた。

 振り返えると脚があった。

 なぎさの、脚が……。

 恐怖が限界を超えた。

 

「あ……あ、あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

「騒がない、騒がない。落ち着いて、痛みはないだろう?」

 

 顎先を掴まれて、無理やり前を向かされた。

 平然とした表情でゴンべえは言う。

 

「僕の魔法で空間転移ができるのはもう分かるよね。それのさらに応用。物をすべて転移しきらずに中途半端にしただけさ。大丈夫。まだ(・・)お前の腕や脚は繋がってるよ。その証拠に指先は自分の意思で動くはずだ」

 

 そう言われて、恐る恐る右腕の指を動かそうとすると、目の前の腕の指が思った通りに動いた。

 

「良かったのです……いや、よく考えると全然良くないのです、この状況! 何なのですか? 何なのですか!?」

 

「だから、脅しさ。今はまだお前の腕や脚は繋がっている。魔法でハンカチ同士の空間を連結させているだけだからね。でも、この中途半端な状態で魔法を解除するとどうなると思う?」

 

「ど、どうなるって……」

 

 ぞっとした。

 ゴンべえとの戦いで何度も背筋の凍る思いならしてきた。

 でも、これは違う。

 圧倒的な力に対する恐怖とは別種の、言うなれば、残酷なものに対する恐怖。

 この男は、なぎさをバラバラに『切断』するつもりなのだ。

 

「多分、すぐには死なないだろう。というか、お前たちの特性上、まず死なない。ただ、痛いだろうね。すっごく。それにとっても――『怖い』よね? 自分の千切れた身体なんて」

 

 そう言いながら、ゴンべえはさらになぎさの身体を黒い布で分断し始める。

 浮いていた右腕や近くにあった両脚もさらに細かく宙へと浮かぶ。なぎさとゴンべえを取り囲むように各パーツに分かれたなぎさの身体が布と一緒に空間に固定されていく。

 

「さあ、教えて。お友達はどこへ逃げたの?」

 

 怖い。

 こんな残酷な方法で尋問されるなんて誰が考え付く?

 これは駄目だ。無理だ。もうどうしようもない。

 顎が震えて、嚙合わせる事もできない歯同士がカタカタと音を立てている。

 呼吸すらままならない。こひゅうこきゅうと荒い音が喉から聞こえた。

 恐怖で頭がおかしくなりそうなのに、どこか他人事のようになぎさを観察するなぎさが居る。

 

「時間稼ぎか。まあ、『踊る杖(ダンシングケーン)』を単独で突破したお前に敬意を表し、少しお喋りしてもいいか。……うーん。そうだねー、逃げた方法。お前の仲間の青髪の能力だよね?」

 

 ビクっと身体が動く。

 必死に顔を伏せて、感情を見せるのを防ぐがそんな事が無意味な事くらい分かっていた。

 なぎさの行動などお構いなしにゴンべえは推理を続ける。

 

「確か水をゲートにしての転移だったと思うけど、お前の中に都合がよく水があったとは考え難い。水の代わりに即席で用意できる何かを使ったと考えるのが妥当だ。水……液体……例えば、血とか」

 

 ……当たっている。

 あの時、マミが立てた作戦。

 それはさやかの力でなぎさの体内から移動して、体勢を立て直すというもの。

 さやかは杏子の流した血だまりをゲートにして、なぎさの中から脱出した。

 

「この結界内の水場はもう残っていないから、転移先は同じく血だまりでもある場所かな? こっちはいくつあるか分からない。はてさて、僕のアドバイス通りに黒髪を殺しに行ったのか――いや、そんなことできるほど非情になれるならここまで追い込まれてないよね。なら……」

 

 両手を外側に大きく広げて、道化のように笑った。

 

「僕を狙撃しようとしているってとこだ」

 

 その通り。

 マミの作戦はゴンべえを遠距離から仕留める事。

 なぎさが捕まる事も織り込み済みで狙撃を行なう手筈だった。

 けれど……。

 

「できないよね? それをさせないために僕は“弾避け”を、周りに配置したんだもの」

 

 そこまで読まれていたのか。

 なぎさの命懸けの囮も、マミの作戦もほとんどゴンべえは通じなかった。

 これでは何のために頑張ったのか分からなくなる。

 ゴンべえはそっとなぎさの左肩に手を置いた。

 

「さ、これで話しやすくなったよね。お友達はどこから狙っているの? その方角を指で指し示すだだけでいい。簡単な事だろう? それとも一人だけ痛みと恐怖を味わってみる?」

 

 嫌だ。身体を刻まれるのは絶対に嫌。

 痛みを味わうのも、常軌を逸した恐怖を味わうのも嫌だ。

 なぎさは左腕を上げて、人差し指を立てる。

 唯一左腕に何もしなかったのは、なぎさに示させるため。

 なぎさに、友達を売らせるため。

 どこまでも計算高く、心をへし折ってくる。

 それならもう、仕方ない。

 どうにもならないのだから、それしかない。

 

「そう……仕方ないのです……」

 

 人差し指を上げて、思い切り――自分の下目蓋(まぶた)を引っ張った。

 

「……何のつもり?」

 

「み、見て、分からないのですか……? あっかんべー、なのです!」

 

 恐怖も、絶望もある。

 啖呵(たんか)を切ったのに、声が情けないくらいに震えている。

 それでも、友達を売るくらいならバラバラにされた方がマシだった。

 最後の最後の、一番大事なものは渡せない。

 たとえ、涙で滲んだ視界が死に際に見るものだとしても、それでも……。

 

「魔法少女の絆、舐めないでほしいです!」

 

 マミ、さやか、杏子、それからほむら。

 ウチの情けない女神を頼むのです。

 




なぎさの魔法少女の能力がいまいち映画だけだと分からないのでシャルロッテの能力がこんなんだったなーというノリで書きました。


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新編・第二十四話 ダーティガールズ

かつてない更新頻度


~さやか視点~

 

 

 なぎさっ……! 

 目の前で大切な仲間の身体が無数に細切れにされようとしている。

 できる事なら今すぐにでも飛び出して行って助けてあげたい。

 でも、それをしたところで状況は好転しない。それどころか、今よりずっと悪くなる。

 ああ、いつもの考えなしの自分に戻りたい……。

 胸の奥で(ほとば)る衝動を必死で抑え込み、ソウルジェムから流れる魔力の反応を可能な限り弱める。

 ただマミさんからの合図を辛抱強く待つ。

 

『美樹さん。──アマノジャク作戦を開始するわ』

 

 来た!

 私はソウルジェムを通して送られてきた声を聞くや否や、瓦礫の隙間から這い出した。

 彼我距離、およそ三十メートル。ちょうどゴンべえの背後を取る形で陣を構える。

 が、瞬時に射抜くような鋭い目が私の身体に突き刺さった。

 これは、ゴンべえの視線……! 完全に意表を突いたタイミングなのにもう捕捉された!?

 顔だけ振り向いた奴と、視線が絡み合う。

 もうそれだけであいつが何を思っているか伝わってきた。

 私が剣を振り上げ、突撃してくる事を確信している目。

 こいつを助けに来たんだろう? 早く来なよ。

 そう思っているに違いない。

 でもね、ゴンべえ。

 私の目的はそこじゃないんだよ。

 足元に剣を二十本作り出す。そして、深呼吸を一つ。

 震えそうになる指先を一度握り締め、

 ――柄を掴み、奴目掛けて投擲する!

 ゴンべえの目が驚きに染まる。

 何故なら、ゴンべえの周囲には空中に固定されたなぎさの肉体のパーツが浮かんでいる。

 あいつを攻撃するという事は、なぎさの身体ごと傷付けるという事。

 

「うっ……あああ!」

 

 投げた剣の刃が浮かんでいる手足の部位を巻き込み、血飛沫を散らし、なぎさの絶叫が響き渡る。

 くっ、なぎさ……ごめん……。

 私の凶行に一瞬だけ呆けていたゴンべえだったが、弾かれたように動き出す。

 

「……っ」

 

 新たに布を生み出すよりもなぎさの身体を固定している布で身を守った方が早いと判断したようで、彼女の身体を分断している布を剥ぎ取り、それで身を隠した。

 だけど、マミさんの弾丸を封じるために複数になぎさの身体を分けた事が災いし、初撃に対応できず、左手の甲を刃が切り裂く。

 もし、これがマミさんの弾丸だったのなら、密集したなぎさの身体のパーツが盾になっていた。マミさんのティロ・フィナーレなら火力が強すぎてなぎさを殺してしまう。

 そもそも、現れたのが時に容赦のない判断を下せるマミさんであれば、ゴンべえは即座に警戒して、あらかじめ布で自分を覆っていただろう。

 でも、現れたのが私だったら?

 弾丸の『点』でも、大砲の『面』でもなく、私の剣という『線』での攻撃なら?

 私が絶対にやりそうもない“仲間の犠牲を(いと)わない遠距離攻撃”という、予想外の攻撃は防げないでしょ!

 さらに畳みかけるようにマミさんが放った黄色の弾丸が(あられ)の如くゴンべえへ降り注ぐ。

 図らずもなぎさを解放してくれたおかげで、マミさんが手を(こまね)いている理由がなくなったからだ。

 弾丸のほとんどは私の剣と同じようにゴンべえの広げた布へと吸い込まれていくが、その何発かは布の隙間から手足を削る。

 数枚の布を巻き付けるように纏った奴は、すっと姿を消した。

 自分の冷酷な行為に吐き気を感じながらも、私はその光景を目に焼き付けていた。

 直後、私の元へ場所に投げた場所に最初の一本を除き、投擲した剣やマミさんの弾丸が破砕音と共に打ち込まれる。

 

「あ、ぐっ、がはっ……」

 

 ……この街に配置されたあいつの布はすべてがドアになる。遠距離攻撃をすれば、そっくりそのまま送り返される。

 分かってはいたけど、どこにも逃げ場がないなら下手に移動せずに受けた方がダメージはコントロールできる。

 まして、私の魔法が治癒特化。ソウルジェムさえ守りければ、そう簡単にくたばらない。

 あの嵐のような杖の連射に比べたら、この程度通り雨レベルだ。

 背中に刺さった剣を抜きながら、自分の治癒に魔力を回す。

 二十も剣を投擲したのに、なぎさを傷付けてまで、当てられたのは最初の一本だけ。マミさんの弾丸も放たれた内、十分の一も命中しなかっただろう。

 それでも。

 それでも、初めて奴に……ゴンべえに攻撃が入った。

 あれだけ無敵を誇っていたあの魔王が引いたのだ。

 決して、倒せない存在じゃない。

 私はようやく奴に勝てるかもしれないと感じられた。

 ゴンべえの再出現を警戒し、傷を簡単に治療しながら、急いでなぎさの元へ駆け寄る。

 

「痛い思いさせてごめん、なぎさ。傷を見せて。すぐに治すから」

 

「さやか……」

 

 なぎさの様子がおかしい。

 私に対して怒っているのかと思ったが、それにしては声も表情も変だ。

 顔を覗き込むと呆けている、というか、明らかに戸惑った表情を浮かべている。

 そりゃあ、何の情報も与えず、人質ごと攻撃し始めたなら困惑しても仕方ないだろうけど、そういう感じでもない。

 

「ど、どうしたの? なぎさ、私の攻撃が頭とかに当たっちゃった?」

 

「……ゴンべえが、笑ったのです」

 

「は? そんなのいつも事でしょ」

 

 私たちを嘲笑い、冷笑するのは今に始まった事じゃない。こっちの事を見透かして笑うのは飽きるほど見て来た。

 だけど、なぎさは戸惑った顔で私になおも訴える。

 

「そうじゃ、ないのです……あれは、あの笑顔はまどかの弟に向けていたような、優しい顔だったのです……」

 

 

 

~マミ視点~

 

 

 そろそろ彼が来る頃かしらね。

 私は容易しておいたマスケット銃をあらかた撃ち尽くすと、自分から外した『それ』のみを地面に転がして姿を隠す。

 一秒もかからず、『それ』を置いた地点からにほど近い中空にある黒布からゴンべえが現れ、舞い降りた。

 先ほどとは違い、近距離だから彼の姿がよく見える。衣装の袖口や肩の辺りが削り取られたように千切れていた。

 何よりも目を引くのはその左手。

 黒い、タールのように黒い液体が真っ白い手袋に包まれた手の甲から滴り落ちている。

 魔女、と言われる状態になった美樹さんのものよりもさらに濃い血……。

 予想はしていたが、人間ではない。魔王と呼んだのはあながち間違いでもなかったようだ。

 あれだけの連撃を受けてなお、その程度の負傷しか与えられない点でも化け物と呼んで差し支えない。

 だが、そんな化け物が今、目を丸くして(たたず)んでいる。

 解るわ、ゴンべえ。その気持ち。

 だって、あなたの目の前には私のソウルジェムが剥き出しで(・・・・・)転がっているんですもの(・・・・・・・・・・・)

 あなたはきっと今、こう思っている事しょう。

 ――訳が分からないよ、って。

 もしも幻覚なら早々に見破っていたでしょう。ソウルジェムが偽物か分からないならそこまでの混乱はなかったでしょう。

 でも、ソウルジェムの魔力の反応が感知できると言っていたあなたには、『それ』が正真正銘、巴マミのソウルジェムである事を認識せざるを得ない。

 それも、あそこまで生きる事に、魔法少女である事に執着していた巴マミが無意味に弱点を晒している。

 私たちの内面を完璧に分析したあなただからこそ、この状況を呑み込めない。

 教えてあげるわ、ゴンべえ。

 この馬鹿げた自殺行為の理由を。

 私は最後に生み出していたマスケット銃を片手に瓦礫の陰から飛び出した。

 間髪入れずに魔法少女にもなっていない生身の身体で引き金を引く。

 本来であれば、近場に撒かれた黒布の一枚でも手繰り寄せて容易く防いでいたであろう私の弾丸。

 けれど、巴マミがおよそ考え付かないであろう自殺行為を前に、思考と判断が遅れる。

 とっさの思考であれば、近くの空間にある黒布よりも手元に新しく作ってしまう。

 瞬間的に作り出した黒布よりも私のマスケット銃の方が当然早い。

 ゴンべえ、あなたは私に行動と思考を切り離して行動できる人でなしだと言ったわね?

 本当にそうね。私は魔王(あなた)よりもずっと人でなしよ!

 放たれた黄色の弾丸が彼の右腕に風穴を開ける。

 生成途中だった黒布が粒子状に分解されて消えた。

 ……左手を負傷したあなたなら、必ず右手で黒布を作り出すと信じていた。

 後は任せたわよ。佐倉さん。

 私が隠れていた瓦礫が姿を変え、口が悪いけど素直な後輩の姿になる。

 

 

~杏子視点~

 

 

 なぎさ、さやか、マミ。

 ホント、アンタらには感謝するよ。

 こんな大チャンス作ってくれたんだから。

 それなら、期待に応えない訳には、いかないよなぁ!

 マミが言い出したアマノジャク作戦。簡単に言ってしまえば“本来自分では絶対にしない行動をする事”だった。

 『近接戦闘主体で仲間想いのさやか』が『遠距離から仲間ごと攻撃する』。

 『命懸けの博打なんてやりそうもないマミ』が『ソウルジェムを放置して生身で戦う』。

 そして、『直情的でさやかばかり気に掛けるアタシ』が『こそこそ隠れてさやかからまったく別の場所に潜む』。

 ゴンべえ、お前はアタシがさやかの傍に隠れているって思ってたんだろう?

 ああ、悔しいけど今までの佐倉杏子だったらそうしてただろうさ。お前がさやかへ攻撃をそのまま返した時、絶対に助けに行ってたよ。

 頭に血が上りやすいこのアタシがずっとこんな場所で(うずくま)って、石ころの幻影に隠れてたなんて想像もしてなかったよな!?

 だからこそ、この瞬間。

 お前が無防備になるこの瞬間まで待ったんだ!

 魔力で武器を作る暇も、近場の布で逃げる暇も与えない。

 ゴンべえの左手が上に伸びる。素手の殴りかかる気か?

 それでもアタシの方が早い。

 加速した足で距離を一気に詰める。

 握り締めた槍を、奴の首元の蝶ネクタイの中心部に付いたブローチ――黒いソウルジェム目掛けて狙いを付けた。

 左手を顔より上げたゴンべえは、その頭上にあったシルクハットのツバを摘まむ。

 ……野郎!? そいつでこの場から逃げるつもりだ!

 一手欠けていた。奴が持つ、最後の逃走手段がまだ残っていた。

 槍を節昆(せつこん)状に分け、距離をさらに縮める。

 それでもまだ、届かない! もう目と鼻の先なのに、ゴンべえに届かない!

 ここで逃げられたら、終わりだ。反撃の機会は二度と来ない。

 次にあの広範囲の杖の雨を喰らえば、全滅する。

 希望を抱いた分、アタシの中の絶望が色濃くなる。

 悔しくて涙が滲んでくる。

 諦めが過る、その寸前。

 

『負けないで、杏子ちゃん』

 

 ソウルジェムを通じ、まどかの声が脳内に伝わった。

 シルクハットが宙へ舞った。

 空高く、吹き飛ばされたそれには、桃色の矢が突き刺さっていた。

 同時にアタシの心に芽生えていた絶望も消し飛んだ。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 節昆状にした槍を元に戻し、奴のソウルジェムへと突き出す。

 全身全霊の刺突。速度を乗せた必殺の一撃。

 だが、ゴンべえもまた身体の重心をずらし、直撃を避けようとする。

 心臓が脈打つ、この場に居るすべての呼吸音が聞こえる。

 まるで時間が引き延ばされ、スローモーションで映った。

 この速度、この角度、この威力。

 当てられる。

 小さなソウルジェムだって、急所としてはかなりの大きさだ。

 この超近距離で外す訳がない。

 奴のソウルジェムを凝視しながら、槍を突き入れて、気付く。

 小さい……前に見た時よりも明らかに縮んでいる。

 直径五センチはあった黒いブローチ状のソウルジェムは、その半分以下に縮小していた。

 深々突き刺さった槍は、ソウルジェムの真横を通過し、奴の身体に差し込まれた。

 心臓の真上、肉を抉り、肋骨を砕く感触が柄を通して指先に届く。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 

 荒い自分の呼吸音だけが耳に響いている。

 目の前の男は、黙ってその眼差しを向けていた。

 表情からは何を感じているのか分からない。

 攻撃を喰らった怒りも、自分が死ぬかもしれない恐怖も感じ取れない。

 口の端からは粘り気のある真っ黒い液体が流れ出す。

 

「はあ、はあ、はあ、はあ」

 

 奴の目から視線を離せない。槍を握り締めた手に感触が戻って来る前に数秒かかった。

 言葉が出ない。

 ざまあみろ。散々馬鹿にしたアタシらにやられる気分はどうだ。

 そんな台詞を叩き付けてやるつもりだったのに。

 実感が湧かない。爽快感も勝利も感じない。

 あるのは不安。

 これで倒せたのか、これで終わりなのか分からない不安感。

 

「杏子!」

 

「杏子ちゃん!」

 

 視界の端でなぎさを抱えたさやかと、ほむらを()ぶったまどかが見える。

 すると、そこまで何も喋らなかったゴンべえが、ようやく口を開いた。

 

「これで……全員揃ったね」

 

「は……? それがどうしたって言うんだよ!?」

 

 語調が荒くなる。追い詰めたのはアタシたちの方だというのに、こっちの方が焦っている。

 何を言ったらいいか考えている内に、まどかが喋り始めた。

 

「ゴンべえ君。もういいんだよ。こんな事しなくても」

 

「………………」

 

「さっきほむらちゃんと話していて分かったんだ。何でゴンべえ君がこんな事をしているのか。ゴンべえ君もほむらちゃんと同じで私たちの……」

 

 まどかが何かを言い終わる前にゴンべえは刺さった槍を無理やり引き抜いた。

 黒い液体がどろりと零れて、地面を濡らす。

 その行動にここに居る魔法少女全員が硬直する。

 胸から流れ出る血を気にも留めずに、引き抜いた槍を下に転がした。

 

「そろそろ僕の方も抑えるのが限界なんでね。全力で行かせてもらうよ」

 

 その台詞を聞いて、アタシを含めた全員が臨戦態勢に入る。

 皆、各々の武器を奴へと向けた次の瞬間、この街にばら撒かれたすべての黒い布がここへと飛んできた。

 膨大な枚数の布が竜巻のようにアタシたちを弾き飛ばしながら、ゴンべえへと貼り付いていく。

 

「クソッ。今度は何をするつもりなんだ!」

 

 寄り集まり、膨れ上がり、一つの形を作り上げ、やがて見覚えのある姿へと変わった。

 黒い卵のような身体。そこから生えた手足。目鼻もないのにシルクハットとテイルコートを身に纏っている。

 滑稽ささえ感じさせる童話に出てきそうなその見た目は、この世界で初めて見た奴の姿。

 卵のナイトメア……いや、これこそ魔王か。

 その巨体は初めて見た時よりも遥かに巨大で、禍々しさを放っている。

 溢れ出る魔力は人の姿とは比べ物にならない。傍に居るだけで強烈な眩暈(めまい)がする。

 

『さあ、来い。魔法少女ども。お前たちの絶望(てき)はここに居る』

 

 ゴンべえ――いや、否定の魔王はそう宣言した。

  



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新編・第二十五話 消せない想い

かつてない更新ペース

追記
◼️◼️視点を少しだけ加筆修正しました。
何でこんなに強いのかの説明が足りてなかったという、かなり大きな箇所です。


~■■視点~

 

 

 初めてここに来た時の感想は、本当にどうしようもない場所、だった。

 書き割りのような見せかけだけの建物。役割としての動作を繰り返すだけの人形の住民。ごっこ遊びと言っても過言ではないナイトメアとの戦い。

 何より、取り込まれた一般人を放置して、おままごとのような日常に耽溺(たんでき)する魔法少女たち。

 嫌なことから逃げ、作り物の幸せを享受する彼女たちは、まるで泥のケーキを貪る愚者のようだった。

 それでも一度は関係ないと切捨てようと思った。

 この偽の見滝原市に居る魔法少女たちは、僕の友達ではない。何の関わり合いもない赤の他人だ。

 僕は死んだ人間。終わった命。あるのは固形化された魂の残り(かす)

 本物の見滝原市に居た『僕』の消滅しそこねた思念の塊。それが消滅の寸前に“魔法少女の神様”とやらと出会っていたせいで、偶然、ここに引き込まれただけの異物。

 存在するだけで常に否定の魔法に削られ、感情と記憶を摩耗していく哀れな魂。

 そんな存在に何の責任があるだろうか。その存在に何の意味があるだろうか。

 早々に魂に刻まれた幸福な記憶と共に跡形もなく、一瞬で消えてしまおう。

 その時は、そう思った。

 だけど、『君』が愛してくれた『僕』であれば、きっと見過ごさないだろう。

 自分を好きになることも、誰かに恋することもできなかった『僕』のことを好きだと言ってくれた『君』。

 どうしようもなく、自分の命に価値を見出せなかった『僕』の命を、薄汚い本性を知った上で愛してくれた『君』。

 ここに居る魔法少女たちには何の親しみも感じないが、希望と言うなの妄想に逃げ込んだ彼女たちを見て見ぬ振りするのは『君』へ対する裏切りだ。

 『彼女』の愛に対する冒涜だ。

 ならば、最期まで『僕』で居よう。それが、もう二度と会えない『君』のためにできるたった一つの愛の証だから。

 だから、僕はこの歪んだ世界と、そこで幸せに浸る彼女たちを徹底的に否定しようと決めた。

 

 まず、彼女たちの実力を否定した。

 偽りの敵との遊びのような闘争で(おご)り高ぶった彼女たちに、真正面から叩き潰し、力押しでどうにもならない相手が居ることを教えた。

 次に、彼女たちの魔法を否定した。

 特別な力を持つことで得た万能感や、肉体的・精神的に強靭だという自尊心を奪い取り、根本はただの少女と変わらないことを学ばせた。

 そして、彼女たちの願いを否定した。

 清らかで素晴らしいものだと思い、疑わなかった自己の支える信念を、身勝手で醜悪な利己心から来る妄執だと語って聞かせた。

 否定され、貶められた彼女たちは悩み、苦しみ、泣き、喚き……諦めた。

 突き付けられたその否定が、覆しようもないことだと理解し、受け入れたのだ。

 己の願い、言いかえれば希望を抱くことを断った。

 それ即ち――絶望に他ならない。

 諦めなければならないものがあることを知り、その上で勝利という絶対に諦めてはいけないものを選択した。

 希望という名の都合の良い妄想に首元までどっぷり浸かっていた魔法少女たちが、だ。

 これこそが成長であり、大人への階段だろう。

 子供が大人になる絶対条件は、絶望を知ること。

 すべてが思い通りにならないことを受け入れ、物事を取捨選択をし、その上で絶対に譲れないものを勝ち取ること。

 だからこそ、どれほど都合の良い希望を抱いても人は正気で居られるのだ。

 際限なく望みが叶うことなど希望とは言わない。それはただの堕落だ。

 絶望があるからこそ、人は希望を抱いても堕落せずに生き続けられる。

 ようやく彼女たちは少女から大人へと進み始めた。

 一度はもう駄目かと思った。彼女たちは魔法少女として在り続けるにはあまりも弱すぎると感じた。

 でも、彼女たちはもう脆弱な少女ではない。

 自分の希望に我を見失うほど弱くはない。

 死んだ妹の幻影から解放された赤髪。

 永遠の苦しみが続くことを受け入れた青髪。

 兵士のような己を許すことができた金髪。

 女神の奴隷であることを自覚した白髪。

 過去への執着から目を覚ました黒髪。

 希望を妄信することを止めたピンク髪。

 ……ああ、駄目だ。どうしても名前は思い出せない。この街の人々の名前は憶えていたはずなのに欠落している。

 彼女たちがどういう存在か、どういうパーソナリティをしていたかは覚えているのに、その名前が完全に記憶から喪失している。

 自分の名前ももう朧気なのだから仕方ない。

 それが相手に悟られないように彼女たちを髪の色で呼ぶようになった。それでも会話が成立するのは行幸と言ったところか。

 常時感じている全身を内側から(やすり)で削られる痛みは耐えられても、この記憶が消えていく喪失感だけは慣れそうにない。

 自分が何を忘れてしまったのかも分からない恐怖に比べれば、魔力で構成された臓物が溶けていく苦しみなど児戯に等しい。

 記憶が欠けるごとに『君』の容姿や声が思い出せなくなる。あれだけ好きだった『君』のことをだ。

 その度にソウルジェムを握り潰してしまいたくなる衝動に襲われる。

 笑えることに、その絶望が魔法の威力を跳ね上げる。

 記憶を失い、苦しそうになるほど僕は強くなる。そして、魔法が強くなるに連れ、記憶と感情が消えていく。

 絶望が力になり、力が新たな絶望を呼ぶ。負のスパイラル。マイナスの永久機関だ。

 だが、もう魔力でできた肉体も内側から崩れ、維持することもままならない。でも、これで最後だ。

 最後に彼女たちの力を試させてもらう。

 感情エネルギーという膨大な力を支配するだけの器量はあるのか。僕などよりも遥かに強い存在と対峙することになっても勝つことができるのか。

 死に掛けの、今にも崩壊寸前の僕に敗北するのなら話にならない。

 だけど、今の彼女たちなら大丈夫だ。

 きっと、誰にも負けない強さと誇りを見せてくれると信じている。

 これで、いいんだよね……■■■さん。

 ……っ。そうか、もう『君』の名前さえも……。

 ……ううん。いいよ、それでも。

 たとえ『君』の顔を思い出せなくても。

 たとえ『君』の声を忘れてしまっても。

 たとえ『君』と過ごした日々が消えてしまっていても。

 『僕』は忘れない。『君』が僕を愛してくれたことは。

 『君』のことをどれだけ愛しているかだけは絶対に覚えている。

 それさえあれば、十分だ。命の残滓(ざんし)を使い切るには十分過ぎる。

 最後の最期まで僕は、『君』の愛した『僕』であり続ける。

 

『さあ、来い。魔法少女ども。お前たちの絶望(てき)はここに居る』

 

 

 ***********

 

 

 人の姿を捨て否定の魔王になったゴンべえ君を下から眺め、唇を噛みしめた。

 もっと早く気付けばよかった。

 ゴンべえ君の……政夫君の魔法は否定の魔法。それが奇跡も魔法も、それがどんなものであろうとも平等に崩壊させる力。

 なら、肉体が魔力で作られた彼が平気で居られるはずがない。

 魔法を使い始めてか、それともこの結界内に足を踏み入れる前からかは分からないけれど、彼の身体は休むことなく、崩壊し続けている。

 ソウルジェムが削れるほどの苦しみなんて、普通の人はもちろん、魔法少女だって耐えられない。

 それもきっと、自分のためじゃなく、私たちのために戦ってるんだ。

 ほむらちゃんが私のために酷いことをして私に殺されようとしたように、ゴンべえ君も悪役の振りをしている。

 そうじゃなかったら、勝っても何一つ得られない戦いなんてする訳がない。

 私たちを苦しめる意図が合ったとしても、そこにここまで時間を掛ける必要なんてない。

 だって、時間が経てば経つほど不利になるのはゴンべえ君の方なんだから。

 彼の目的は多分、私たちを成長させる事。

 自分自身が障害となり、乗り越えさせる事だ。

 ―—じゃあ、私のやるべき事は決まってる。

 

「皆、私たちの敵を……倒そう」

 

 私の言葉に頷きだけを返し、皆は散開し、私を中心にして扇状に跳び上がった。

 背中に居るほむらちゃんが申し訳なさそうな声で呟く。

 

「まどか……やっぱり私を降ろした方が……」

 

「大丈夫! ほむらちゃん、軽いもん」

 

「そ、そう? でも、足手纏いには代わりないでしょう……」

 

「そんな事ないよ。こうして一緒に居るだけでも力が湧いてくる」

 

 真後ろだから表情までは見えなかったけれど、ほむらちゃんは首を竦めて恥ずかしがっている様子だった。

 それを茶化すようにさやかちゃんとなぎさちゃんが笑った。

 

「うわー、ほむらったら照れてる照れてる」

 

「ひゅーひゅー、なのですー」

 

 ますます恥ずかしくなったのか、ほむらちゃんは黙ってしまう。

 殺伐とした状況に対して、和やかな雰囲気が流れた。

 

「お前ら、余裕か!?」

 

 緊張感のなさに杏子ちゃんが怒ると、ソウルジェムで魔法少女に変身しながらマミも同調する。

 

「そうよ。これが正念場なんだからのんびりしている暇はないわ」

 

「変身しながら言ってるマミが一番のんびりしてるだろうがっ!? さっさと武器出せ、武器!」

 

 突っ込みを入れつつ、杏子ちゃんは構えた槍を振りかぶって、否定の魔王へと投げ付けた。

 避ける素振りさえ見せない彼へ直撃するも、卵状の身体に切っ先がぶつかった瞬間、硬質な音が響いて、弾かれた。

 黒い表面には傷の跡は少しも残っていない。特別な力や何らかの方法で防いだのではなく、単純な頑丈さから攻撃が通っていないのだ。

 

「ありゃあ……相当硬いぞ」

 

 眉間に(しわ)を寄せた杏子ちゃんの漏らした言葉に、軽口を叩いていた皆が口を閉ざす。

 大きく距離を取り、地面に着地した私は、彼がその手に見合う巨大なステッキを作り上げる光景を見た。

 そのまま持ち上げ、乱暴にステッキを下へ叩き付ける。

 単調な動作、しかし。

 轟音と激しい振動が私を襲う。

 これはもう地震だ。飛び上がった訳でもないのに宙に投げ出された。

 ほむらちゃんを落とさないようにするだけで精一杯だった。受け身など考えられず、うつ伏せで地面に衝突する。

 

「ほむらちゃん……大丈夫?」

 

「うそ……崩壊しかけていたとはいえ、こんなにもあっさりと」

 

 呆然としたほむらちゃんの声は私の言葉の返答ではなかった。

 同じく、その景色を目の当たりにして、唖然とする。

 地面が縦に裂かれていた。

 その断面を私たちに見せた後、下へと岩盤ごと落下して消えていく。

 

「これが、全力の否定の魔法の威力」

 

「……違うわ。まどか、これは違う……」

 

 ほむらちゃんの声が震えている。

 

「私はその身であいつの魔法を味わったから分かる。あいつは魔法を……使っていない」

 

 そんな……。

 じゃあ、物理的な威力だけで地面を割ったの……?

 否定の魔法が効くか効かないかなんて、そういう次元じゃない。

 一撃でも当たれば、即死してしまう。

 さやかちゃんの治癒やなぎさちゃんの再生でも耐えられない質量の力。

 火力で言えば、ワルプルギスの夜が起こす高層ビルを使った波状攻撃以上だ。

 とにかく、皆が無事なのか確認を取らないと……。 

 

「皆っ、無事なの!?」

 

「大丈夫、なのです……」

 

 一番近くに居たなぎさちゃんが瓦礫の中から這い出して、答える。

 他の皆もそれほど離れた位置に飛ばされなかったようで、全員が一定の距離を取りながら、立ち上がった。

 

「それにしても、さっきの攻撃……ワルプルギスの夜並なのです」

 

「そうだねって……あんた。ワルプルギスの夜と戦ってないでしょ」

 

「それを言うならさやかも同じなのです! 知ったかぶりすんな、なのです!」

 

 ……なぎさちゃんとさやかちゃんがすごくどうでもいい事で揉め始める。

 この中でワルプルギスの夜と直接戦ったのは私とほむらちゃんだけだけど、今そんな事に拘ってる場合なの……?

 

「ワ、ワルプ……? 何だって?」

 

「聞き覚えのない単語だけど、それはそこまで重要なものなの?」

 

「「魔獣組は黙って(て!)(るのです!)」」

 

「ま、魔獣組……?」

 

 あ、マミさんたちにまで飛び火が。

 だけど、この凄まじい威力の攻撃に気圧されていなくてよかった。

 正直に言えば、もしこの場に居るのが自分だけなら、力の差に参っていたかもしれない。

 

「よく、分からない罵倒だけど……不思議ね。状況はさっきよりも悪くなっているっていうのに、不思議とあんまり恐怖を感じていないの」

 

「アタシもだ。怖すぎて逆に感覚が麻痺ってんのかもな……」

 

「頼りになるね。二人とも」

 

 魔法少女としての経験の差か、マミさんと杏子ちゃんは落ち着いている。

 人型の敵よりも魔獣のような巨大な敵と戦う事に慣れているからだろうか。

 本当に彼女たちは頼りになる。

 

「そうね。でも、いつもより身体が軽い。こんな気持ちで戦うの初めてよ」

 

 ……………………。

 すごく聞き覚えのあるフレーズに思わず、黙り込んでしまう。

 口論していたさやかちゃんたちも微妙な顔でマミさんを見つめた。

 

「な、何かしら? 私、そんな変な事言った?」

 

 困惑するマミさんに何と答えたらいいのか、私にも判断ができない。

 ただ、さやかちゃんとなぎさちゃんは揃って私に何か言ってあげてと言わんばかりの視線を向ける。

 時々、喧嘩をするくせにこういう時だけ仲がいいんだから……。

 

「えーと。……その、大変言い辛いんですけど、言葉のチョイスが……縁起悪いなって」

 

「ええ!? ポジティブな発言のつもりだったんだけど……じゃあ、変えて、もう何も怖くないわ!」

 

「あの、それも……」

 

「これもなの!?」

 

「てへへ……」

 

 魔女が居た世界の記憶が変な形で噴出した、のかも。

 取りあえず、これ以上話しているよくない状況になりそうなので、話を切り上げた。

 ちょっと気分が持ち直してきた事もあり、改めて否定の魔王を見据える。

 十メートルはあるその巨体。反してやや短めな手足。一番似たものを上げるなら、鏡の国のアリスの絵本で見たハンプティダンプティの挿絵だろうか。

 ステッキによる攻撃は、確かに恐るべき威力だけど、攻撃の範囲はステッキの間合いに限られている。

 飛び道具を黒い布を通して反射したり、空間を移動してのワープ攻撃はもう使ってこない。

 それができるなら、あの時杏子ちゃんの槍を撃ち返さない訳がないし、今こうしてのんびり話している間に至近距離に移動しているはずだ。

 あれだけの手傷を負っているゴンべえ君に、もう余力はほとんど残っていないだろう。

 だからこそ、力を一点に集中させてあの姿になったのだ。

 それなら、ソウルジェムが消滅するまで逃げ回れば、私たちが勝つ。

 でも、それだけはできない。

 

「皆、もう一度私に命を預けてくれる?」

 

 何よりも、彼の内心を僅かでも理解している私が彼を倒してあげたい……ううん、違う。これはただの言い訳。

 

「……私の手でゴンべえ君を倒したいの」

 

 彼を乗り越えたい。真正面から勝利したい。

 それは、私が彼を……。

 

「好きだから……」

 

 この世界が都合の良い作り物だとしても、この想いは本物だ。

 彼の心が好き。私たちのために、敵に回ってまで、導こうとしてくれる彼が愛しくて堪らない。

 

「まどか……。私からもお願い! あなたたちがこんな場所に居るのは私のせいだって分かってる。でも……」

 

 背負っているほむらちゃんが身を乗り出して、皆にお願いしてくれる。

 彼女の望みを拒絶した私のために。

 ありがとう……ほむらちゃん。

 そこへ困った調子でさやかちゃんが口を挟む。

 

「あのさ、この状況でまどかの意見聞かない訳ないでしょ。何で断る前提で話すかねー」

 

 それに合わせて残りの三人も口々に言う。

 

「まったくなのです」

 

「アタシはあの化け物に惚れてるってのが分かんねーけど、あいつ倒すんなら付き合うに決まってんだろ?」

 

「満場一致ね。そこまで言うからには勝算があるんでしょう。教えてちょうだい」

 

 晴れやかにそう答えてくれる皆に心から感謝した。感極まって泣きそうになるけれど、それはまだ早い。

 ……見ていて、ゴンべえ君。この世界で繋いだ絆は、あなたの魔法にだって否定させないから。

 




ゴンべえの内心は書くかどうか迷いましたが、ある程度のネタ晴らしは必要かと思い書きました。
結界内で一般人を保護した内容とかも書こうかと思ったんですが、ただの苦労話になると思ったので削りました。


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新編・第二十六話 終わる世界と魔王の凱歌

「すうー……はあー……。すうー……はあー……」

 

 深呼吸をして、心を落ち着ける。

 平常心を維持して、感情の起伏を一度平坦に整える。

 私が持てる限りの最大の力。それを呼び出すためには、今までとは比較できないほどの感情エネルギーが必要だ。

 小刻みの感情では駄目。大きく、強く、激しい、そんな感情を紡ぐには心と気持ちを統一して、集中しないといけない。

 

「まどか……。大丈夫?」

 

 私の斜め後ろからほむらちゃんが心配そうに尋ねてくる。

 これから否定の魔法を倒すに当たって、ほむらちゃんには背中から降りてもらっていた。

 

「うん、大丈夫……って言いたいところなんだけど、私にも断言できそうにないや」

 

 勝つか負けるかだけじゃなく、ゴンべえの事で揺さぶられている。

 私とほむらちゃんだけが一時離脱し、後方に下がる時にゴンべえの魔法が彼の身体を蝕んでいる事と彼が私たちのために敵対している事を皆に話した。

 これだけ命懸けで戦ってきた皆には到底受け入れられない話だと思っていたけれど、予想外に納得してくれた。

 特になぎさちゃんは薄々それに気付いていたようで、腑に落ちた様子だった。

 今回の作戦のために皆と別れる際、なぎさちゃんは私だけにこっそりと話してくれた。

 

『ゴンべえはなぎさを脅す時に言っていたのです。魂が消えていく感覚は痛みや苦しみだけではなく、自分の感情や記憶がどんどん消えてなくものだと。……その言い方が、まるで自分自身で体感した事があるみたいな口調だったのです……』

 

 なぎさちゃんの感じた通り、それはゴンべえ君自身が味わっている苦しみなのだろう。

 私はあらゆる時代、あらゆる場所でたくさんの魔法少女を見てきた。

 種類は違っても、激しい痛みや耐え難い苦しみを味わって、それに耐えて戦ってきた女の子たちを何人も知っている。

 でも、それは確固とした信念や、何よりも大切な記憶が彼女たちの柱となって挫けそうになる心を支えていたからだ。

 大切な思い出も、掛け替えのない想いも消えていくなら。

 自分を支えるものなくなるのなら。

 一体、そんな残酷な仕打ちに誰が耐えられるって言うの?

 そんな絶望……魔法少女どころか魔女にだって耐えられない。

 けど……あなたは耐えるんだよね?

 耐えてしまうんだよね……?

 あなたは、自分の思い出(たからもの)を、私たちのために失っているんでしょう?

 縁もゆかりもない、私たちのために。

 ……酷いよ。本当にどうしようもなく、酷い。

 あなたは、そんな自分を倒せって言うんでしょう?

 あなたの事を、本当に心の底から好きになってしまった私に。

 残酷だ。残酷なほど厳しくて、残酷なほど親切だ。

 これがあなたが出した最後の試練だというのなら、乗り越えるしかない。

 目を瞑る。乱れていた感情が一つに寄り合わさり、一本の矢のように連なっていく。

 これでは駄目。

 彼に刺さらない。もっと鋭さが必要。

 矢の穂先が尖っていく。

 これでは細い。

 彼を砕けない。もっと太さが必要。

 矢が太くなり、丈になっていく。

 これでは短い。

 彼を撃ち抜けない。もっと長さが必要。

 矢は長くなり、盾に伸びていく。

 これでは弱い。

 彼を倒し切れない。

 矢は光を帯びて、眩く輝いていく。

 これだ。これなら彼を打倒せる。

 両目を見開き、心の中で描いた最強の矢を作り上げる。

 矢に合わせ、木製に似た弓が大きく展開、樹木のように大きく成長した。

 その両端から糸のようにしなやかな線が弦となる。後は矢を生み出すだけ。

 不意に言葉が口を突いて零れた。

 

「ほむらちゃん。魔法少女ってこんなにも辛いんだね」

 

「……いいえ、まどか。きっとそれはあなたが恋をしたからよ……」

 

「恋、これが恋なんだ。人を好きになる事は痛くて、苦しいんだね」

 

「ええ、そうね」

 

 

 ******

 

 

~杏子視点~

 

 

 ゴンべえは今にも崩れそうな身体をすり減らしながら戦っている。

 そして、あいつはアタシら魔法少女のために敵を演じている。

 その話をまどかから聞いた時にアタシが懐いた感情は……たったの一つ。

 ――ムカつく!

 何だそりゃ、ふざけんな! 何様だよ、お前……。

 黒く、巨大な卵のような奴を見上げ、睨み付ける。

 道理であいつに一撃喰らわしてやったってのに気分が晴れねー訳だ。

 結局のところ、アタシら魔法少女はお強いゴンべえさんに手加減してもらって、ようやく一発殴らせてもらったって話。

 あの槍で胸を貫く瞬間だったって、黒布を呼んで逃げるなり、防ぐなりできたはずだ。瞬き一つの間で街中にばら撒いた黒布であんな巨体を練り上げるだけの力があれば造作もない事だ。

 何でわざとアタシの槍を受け入れた? 頑張ったご褒美のつもりか? 

 馬鹿にしやがって、あの大規模攻撃だって、まどかたちが来るまでの余興だったんだろ?

 削れていく魔力をあらかじめ布として生成しておくためだけの、目眩まし。でなきゃ何の淀みもなく、あそこまで流れるように次の動作に移行できる訳がない。

 さっきの一撃も当てる気すらない大技ブチかまして見せたのは、アタシらに自分の力を教えるためのもの。

 命中すればこれだけの威力だから気を付けてねってか?

 これが茶番じゃなくて何だってんだ。人をおちょくるのも大概にしろよ。

 まどかはそんなお前が好きなんだと。他の奴らも皆お前に感謝してるみたいだ。あのマミでさえも。

 だけど、アタシはアンタを認めない。

 頭に来る。気に喰わない。癇に障る。

 

「だから、アタシだけはお前をただのムカつく敵としてぶん殴ってやるよ……そういう奴が一人くらい居た方がお前だって嬉しいだろ? ええ? 魔王さんよぉ」

 

 魔力を集める。

 ちまちました通常サイズの槍じゃ話にならねえ。

 あの野郎のドタマかち割るにはデカさが要る。

 幸い、あのデカ物はこっちの出方を待っているのか、余裕かましてんのか知らないが、動きを止めている。

 

『準備はいい? 杏子』

 

 ソウルジェムを通して聞こえるさやかの声に答える。

 

『ああ、派手にブチかましてやろう。さやか』

 

 返答した直後、巨大な人魚の魔女が奴を中心にして、地面から生えるように八体(・・)現れる。

 作戦名なんて考えてる暇はなかったが、差し詰め『人魚姫の姉妹』ってとこだ。

 『人魚姫』は昔寝る前に親父に読んでもらっきりで細部まで覚えちゃいないが、人魚姫を振った人間の王子をやっちまえって人魚姫に短剣を差し出す姉たちのシーンは何でかよく覚えてる。

 多分、人魚姫の気持ちに気付かずに幸せになる王子が気に入らなかったんだろう。

 まあ、まどかを散々(たら)し込んで振ったお前には丁度いい名前だろ? ゴンべえ。

 寸分違わぬ姿の異形たちはその手に持った巨大な剣を一斉に突撃。そのまま、魔王目掛けて振り下ろす。

 魔王は一切の振り返る事もなく、右背後の一体のみにステッキを突き入れた。

 ……正解だよ。そこにさやかが居る。

 何とも無駄のない動きだ。ソウルジェムの魔力反応が分かるお前には簡単な問題だったな。

 でもな、ゴンべえ。さやかはそこに居る(・・)だけなんだよ。

 刺された人魚の魔女は崩れ、大量の黄色のリボンへと変わり、奴のステッキごと右腕に絡み付く。

 崩れたリボンの隙間を縫うように魔法少女の姿のさやかが飛び出した。同時に用済みになった幻影を消す。

 顔のない魔王がアタシには僅かに驚愕したように見えた。

 驚いただろ?

 八体の内、七体はあんたの見抜いた通り、アタシの魔法で作り出したただの幻影さ。でも、残りの一体はマミがリボンで作った偽物。

 それがバレないように内側にさやかを潜ませていた。

 最初から、マミだけの偽物なら頭のいいお前なら一発で違和感に気付いてただろうな。

 でも、偽物の中に一つだけ別の偽物が混じってれば、違和感があってもそれに気付きにくい。木を隠すなら森の中って奴だ。

 これでお前の右腕もステッキも使えない。

 それだけじゃない。

 お前は――さやかの間合いに入ったんだ。

 飛び出したさやかが魔女の姿へと変化し、その剣をもう片方の腕に叩き込む。

 激しい硬質なもの同士がぶつかり合う衝撃音が鳴り響く。

 いいぞ、さやか。こいつで魔王の左腕を奪えば、奴は完全に攻撃手段を失う。

 耳障りな金属が砕けるような重低音が止んだ後、重量感のある何かがアタシの目線へと落下した。

 落ちたそれは瓦礫まみれの地面へ突き刺さる。鈍く銀色に光るそれは……刃!? 折れた剣の刃!

 畜生。腕一本すら硬度は、魔女になったさやかの剣以上なのかよ……。

 

「さやかぁー!? 逃げ……」

 

 もう一度見上げたそこには頭を掴んでいる人魚の魔女の姿があった。

 どこにも逃がさないとばかりに、魔王の白い手が頭部をがっちりと握り締めている。

 

『あっああああああ!』

 

 掴んでいる奴の指が食い込んで、黒い血が人魚の魔女の頭から染み出した。

 藻掻く相手の動きを無視し、鷹の爪のように魔王の指はじわじわと()り込んでいって……。

 

「やめろぉぉぉぉ!」

 

『きょう……子……マミ、さん……』

 

「さやか!? 今すぐ、元の姿に戻って逃げろ!」

 

『いいの……このまま、で……これであいつは、両腕を……使えないっ……だから……』

 

 ああ、分かったよ。やってやるよ。

 これで結果的には目論見通りなんだからな。

 とは言え、奴がさやかの頭を握り潰すまで猶予はない。

 マミにソウルジェムを通して、伝える。

 

『行けるよなぁ!?』

 

『ええ、もちろん』

 

『じゃあ、ブチかますぞ!』

 

 “今の今まで”集め続けていた魔力。有りっ丈かき集めたそいつをすべて纏め上げ、作り出すのは……奴よりも巨大な槍。

 足元から競り上がるように出現させたその槍は節昆状に分断し、蛇の如く鎌首を持ち上げた。

 ほぼ同じタイミングで、魔王を挟んだ向こう側にマミの作ったバカでかい大砲が現れる。

 両手の塞がった奴のがら空きの身体。

 そいつを前と後ろの両側から同時に最大級の攻撃を浴びせる。それがこの作戦の要。

 避ける暇も与えやしない。さやかが身体を張って掴んだこの瞬間に全力を放つ。

 槍の切っ先が奴へと突進し、激突。

 魔王の背後からティロ・フィナーレの砲撃が唸りを上げる。

 

「くたばりやがれぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

 轟音と閃光が広がる。

 黒い巨体が赤い火花と黄色の光で塗り潰された。

 目を開いている事ができず、目を瞑った。

 目蓋の裏からも光が漏れて見える。暗闇さえも駆逐するような光の暴力が脳に染み込んだ。

 全力だ。これ一撃にすべての魔力を練り上げた。正真正銘、佐倉杏子という魔法少女のすべてを。

 網膜を焼くような光と鼓膜を破りかねない音が止む。

 目を、少しずつ、開いて目の前の情報を確認する。

 アタシの全力の槍は。

 ほんのわずかに奴の中心部に傷を付けていた。

 

「…………は?」

 

 それだけ。それだけだった。

 罅ではなく、傷。

 浅く、本当に浅く付けられた短い線状の痕。

 刺さってすらいない。

 表面を流れて、目を凝らさないと分からない程度の、ミミズが這ったような痕があるだけ。

 直撃しただろうマミの砲弾も、背中から焦げたような黒い煙を二、三本上げているくらいで、まるで効いた様子がなかった。

 見なくても分かる。分かってしまう。

 マミの攻撃でも、ほんの少し奴の背を焦がした以上の成果を上げられなかったんだ……。

 無傷ではない。効果がなかった訳でもない。

 だからこそ、思い知らされる彼我の差を。

 絶対的な壁を。

 否定の魔王はアタシたちの力では、どう足掻いても致命傷は与えられない。

 とにかく、最悪の状況に備えて隠れているなぎさと通信して、さやかを助け出さないと。

 

『なぎさ。さやかを……』

 

『——……』

 

 呆然としたアタシの頭に何かが響いた。

 なぎさじゃない。声と呼んでもいいか判断が付かないノイズのような……。

 

「あ、れ?」

 

 ぐらりと一瞬眩暈を感じる。何だ、魔力を一度に使い過ぎたせいで立っていることもできなくなったのか?

 自分のソウルジェムを見やる。

 濁りはあるが、それでも全体を覆うほどじゃない。

 ん? 何だ、これ。赤い粒子がソウルジェムから湧き出ている。

 

『——————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————』

 

「ごほッ……」

 

 口から血が零れた。

 立っていられなくなり、その場で膝から崩れ落ちる。

 この感覚は、奴の、ゴンべえのソウルジェムに触れた瞬間に感じたものと同じ。

 自分自身をも失っていくような、自分自身をも否定し尽くされているような、悍ましい感覚。

 この声は魔王の声……。

 

「がはッげぇああッああああ……」

 

 ソウルジェムが削られて、いや、消えていっている。

 手足の感覚はもうなくなっていた。身体をコントロールする事もできない。

 まともな呼吸もできない。口の中も血で一杯なのに鉄臭さも感じない。

 

『——————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————』

 

 視界が黒ずんでいく。

 さやか、マミ、なぎさ……。

 声も出ない。

 意識が、落ちる。

 

 

 ******

 

 

「何、これ……げほッげほッ」

 

 急に聞いた事もない音が頭の中に聞こえたと思えば、身体から力が抜けていく。

 寒くもないのに体温を奪われているような、奇妙な感覚。

 喉から鉄のような臭いが広がる。これは血の味……?

 どさりと後ろで何かが倒れる音がした。

 振り返えると、座っていたほむらちゃんがうつ伏せで倒れている。

 

「ほむらちゃん!?」

 

 倒れた彼女に寄ろうとしたが視界の端で黒い巨体が動くの見て、思い留まった。

 掴んでいた魔女化したさやかちゃんを乱暴に投げ捨てた。その身から青い粒子が剥がれ落ち、元の大きさまで戻った彼女は地面へと落下する。

 私がさやかちゃんを案じるよりも早く、直立不動を保っていた否定の魔王が、突如こちらへと向かってくる。

 片腕を縫い留めていたリボンの束はそれだけで容易く引き千切れていった。

 そして、その足が地面から離れ、私の元へと突き進んできた。

 

『————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————』

 

 世界が割れていく。ゆっくりと崩壊が加速する。

 地盤ごと闇の中へ沈む。空は完全に砕け散り、光のない暗黒がどこまでも続いている。

 これは否定の魔法……。ありとあらゆる魔法を滅ぼす、彼の声。

 魔力で構成されたこの空間が朽ち果てていく。

 いけない……!

 ここで私が倒さないと、この世界ごと私たちが掻き消えてしまう。

 気を抜くと意識が押し潰れそうになる。そうか、皆、この声を聞いて意識を奪われたんだ。

 魔法を消された時とは比べ物にならない否定の力。まるで頭を上から押さえつけているみたいだ。

 さっき、思い描いた矢を、最強の矢を作りあげないと彼は倒せない。

 

『—————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————————』

 

 否定の魔王は凱歌を歌う。

 彼の声が響く度、世界は恐れをなして跪いて許しを乞う。

 それで彼が許すはずもなく、世界は砕けて消えていく。

 これが彼の言った『全力』。惜しげもない魔力を、否定という性質のままに外へ放出する。

 彼が私に近付く度に意識が朧になる。何もかも消えてなくなりそうになる。

 この歌が、この声が、彼の味わっている絶望だというのなら、私にだって耐えられない。

 終わらせよう、彼の試練を……。

 弓を構え、矢を(つが)える。

 

「さようなら、ゴンべえ君……」

 

 桃色の光が膨張して、爆ぜた。

 線が、帯になり、渦へと成長する。

 否定の魔王を包み込み、その漆黒の外殻を焼き尽くす。

 巨大な楕円の影法師が削れ、縮み、消えていく。

 なのに……。

 

「嘘……」

 

 それでも彼は止まらない。

 身体が崩れ、零れ、溶けているのに光の渦の中を駆け抜けている。

 十メートルはあったはずのその身体はその五分の一ほどの大きさまで縮んでいた。

 卵のような楕円状の身体は溶け落ち、その中で人型の影が飛び出す。

 光の渦を通り抜け、私の元へと。

 左腕は肩まで溶け落ち、右足は太ももまで砕けてなくなっていた。

 それでもなお彼の速度は一切落ちない。

 右手に握ったステッキ一本を武器に私へと向かって走って来る。

 

 駄目だ。

 

 動けない。

 

 逃げられない。

 

 もう余力は残ってない。

 

 目の前にステッキの先端が迫る。

 

 顔の半分が溶けて、黒く焼け落ちた魔王が――笑う。

 

「…………お前の」

 

 私の髪が揺れた。

 

 ステッキは私のソウルジェムの数センチ手前で止まっていた。

 

「お前たちの、勝ちだ……」

 

 彼の黒いブローチには“紫色の矢”が突き立てられている。

 ぐらりと彼の身体が後ろへと倒れ込む。

 私は顔を後ろに向けると、紫の弓を握り締めたほむらちゃんが震える足で立っていた。

 

「……ほむら、ちゃん」

 

「はあ……はあ……まどか。無、事?」

 

「ほむらちゃんが助けてくれたの?」

 

「うん。うん、そうだよ……」

 

 目に涙を潤ませたほむらちゃんが私を抱き締めた。

 

「初めて……初めて、貴女を守れた気がする」

 

 私たちの、勝ち……?

 ゴンべえ君はそう言った。

 でも、私にはまだ、実感が湧かない。

 それでも彼女のおかげで勝てた。それだけは間違いない。

 私はほむらちゃんを抱き締め返す。

 

「ありがとう、ほむらちゃん」

 

「うん。まどか……」

 

 どちらからともなく、私たちはお互いの身体から手を放し、地面に倒れたゴンべえ君へと向き直る。

 彼に言おうと思っていた事が山ほどあった。でも、何も言葉にならない。

 そうこうしている内に、ぐらぐらと足元が揺れ始める。

 この世界が、偽物の見滝市がとうとう限界を迎えたのだ。

 残っていた足元の地面に次々に亀裂が入り、そのまま崩落を始める。

 色の付いていた部分が何もかも呑み込まれ、黒一色が視界を埋め尽くした。

 

「おまけだよ。受け取るといい」

 

 私と同じように落ちていく彼がステッキを上に向けて放り投げた。

 先端がぱっと六つに分かれたかと思うと、真っ白い一輪の花へと変化する。

 六枚の花弁(はなびら)がひらりと宙に舞い、その一枚が私のソウルジェムへと触れた。

 その瞬間、花弁は大きく広がって、黒い布へと形を変える。

 

「これ……ゴンべえ君の」

 

 そう口にした時には私の身体は黒い布へと吸い込まれていく。

 最後に見えたのは、落下していくゴンべえ君の満足げな顔だった。

 




あと一話で終わります。


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新編・第二十七話 彼女の望んだ絶望

ぎりぎり連日投稿ならず……。


~ほむら視点~

 

 

「おまけだよ。受け取るといい」

 

 完全に崩壊した私の結界の中、黒一色で塗り潰された空間に白い花が咲く。

 ゴンべえが投げたステッキから咲いた一輪の真っ白い雛菊に似た花。宙で投げ出されたその雛菊に似た花は六枚しかない細長い花弁を一斉に散らした。

 花弁は奈落へと落ちていく私のソウルジェムに触れ、黒い布へと姿を変えた。開いた布の中には夜の砂漠の景色が広がっている。

 最もゴンべえの近くに居たまどかは、真っ先に黒い布へと包まれた。

 

「まどかっ!」

 

 黒い布は小さく縮小すると跡形もなく、消えてなくなる。

 私も彼女と同じように布の中へと呑み込まれそうになる中、落下を続ける他の魔法少女たちを見た。

 彼女たちもまどかや私と同じように布に包まれ、次々と姿を消していく。

 その中でただ一人だけ底へと落ちていくゴンべえが見えた。

 身体の部位をいくつも失い、ソウルジェムを矢で射抜かれてなお、彼は微笑みを浮かべていた。

 それが私には許せなかった。

 だから。

 彼に手を伸ばした。

 落ち行く彼に残った右腕を、布の中に吸い込まれる前に掴み取る。

 

「……!」

 

 驚いた顔で私を見つめる彼の黒い瞳。

 そこに映った私は必死な形相をしていた。

 彼の手を強く握り締め、残った力を振り絞り、引き擦り上げる。

 ゴンべえは何も言わなかったが、困ったような、呆れたような表情を浮かべていた。

 

 

 *********

 

 

 意識が浮上する。

 目を開くと天井はなく、代わりに星空が映った。

 星々が輝く満点の夜空と見渡す限り、砂で覆われた砂漠のような場所。

 肌寒い空気が顔に触れる度、思い知らされる。

 ここはもう夢の中じゃない。

 現実なのだと。

 身体の上には毛布の代わりに黒い布が覆い被さっている。

 布を跳ね除け、横になっていた上体を起こしてから、胸に置かれていたソウルジェムを掴み上げた。

 手に取ったソウルジェムをしばらく眺めた後、横になっていた身体を完全に起こすと、私は“この辺りに転がっているはず”のものを探す。

 そして、すぐ近くの砂の上に倒れている二人の少女を見つけた。

 佐倉杏子と巴マミ。二人とも黒い布へと包まれ、ミノムシのように転がっている。

 目を瞑り、熟睡したように動かない彼女たちの口にそっと手を(かざ)した。

 呼吸をしている事を確認した後に、巻き付いている布を剥がして、彼女たちのソウルジェムを確かめる。

 ……やっぱり。

 彼女たちも私と同じように(・・・・・・・)穢れが完全に除去されている。

 現実世界の私のソウルジェムは浄化も不可能なほどに穢れ切っていたはずなのに、初めて魔法少女になった時のように澄んだ紫色をしていた。

 剥がした布を戻して、私は自分の周囲を見渡した。

 まどかの家族やさやかの知人、それから学校の先生。

 見知った顔が並んでいたが、皆、マミたちと同じように布に包まれて眠っていた。

 しばらく、捜索を続け、ようやく私は半ば砂に埋もれるような形で転がっているそいつを見つけ出す。

 

「起きなさい。貴方にはまだ聞きたい事があるの」

 

「……ダンスのお誘いかな? ご覧の通り、手も足も出ない。他を当たってくれる?」

 

 そこに居たのは左脚と右腕、そして、顔の半分を欠損した一人の少年の姿だった。

 普通の人間であれば、失血死しているほどの悲惨な状態。挙句に首元のブローチ状のソウルジェムまで二つに割れている。

 けれど、そんな頭陀袋(ずだぶくろ)よりも惨めな姿を晒しているにもかかわらず、飄々とした態度で笑った。

 ゴンべえ。魔法を嘲る手品師。否定の魔王。

 どれも彼を表わす名前でありながら、彼の本質を表わすには足りない。

 

「貴方の本当の名前は?」

 

「さあ。そんなものとっくの昔に忘れちゃったよ」

 

「なら、いいわ。それよりもどうして私のソウルジェムが浄化されているの? 貴方なら知っているんでしょう?」

 

「さあね。お前の結界の中で魔女になったお前を僕が消したせいじゃない?」

 

「それなら私以外の二人のソウルジェムも浄化されている理由は?」

 

「うーん。最後にソウルジェムごとを消してやろうとしたのが、中途半端に終わったからじゃないかな? 濁った部分だけ削れたんだよ、きっと」

 

 (とぼ)けたような態度で答える彼に業を煮やして、私は激昂した。

 

「そんな偶然起こるはずないでしょう! はぐらかすのもいい加減にしなさいっ!!」

 

「おや? 都合の良い偶然を『奇跡』と呼んでありがたがって、はしゃぐのがお前たち魔法少女のトレンドだろうに」

 

 ……くっ、この男は。

 相変わらずの太々しさを見せ、小馬鹿にしたように口の端を吊り上げるゴンべえに歯噛みする。

 そもそもの話として、ソウルジェムが半壊しているにもかかわらず、平然と生存している事が意味不明だ。

 何故、死なないのか全く以って理解できないが、聞いてもはぐらかされるか、馬鹿にされるのが目に見えているので敢えて質問は胸に留めておく。

 それよりも聞いて置かなければいけない事は別にある。

 まどかの攻撃を受け切ったゴンべえが彼女のソウルジェムへと狙いを定め、ステッキを突き出した時。

 あの瞬間、否定の魔法に押し潰されそうな中で、私は自分の本当の願いを思い出した。

 『まどかを守れる強い私になりたい』。

 最初に強く願った想いが空っぽの私に力をくれた。

 願いを思い出した私の手には弓が握られていた。

 そこまではいい。問題はその後。

 残った魔力で矢を放った私をゴンべえは見ていた。

 弓を引き絞る私と目が合った。

 にもかかわらず、この男は――。

 

「何故、私の矢を受けたの? 貴方だったら、(かわ)せていたはずよ」

 

「覚えてないねー。ほら、僕、今頭が物理的に欠けちゃってるから」

 

 溶けて黒ずんだ方の顔を指差したゴンべえは、冗談めかして言う。

 本当にこの男は……。駄目だ、ここで逆上すれば奴の思うつぼだ。

 相手を怒らせて、思考力を奪い、自分のペースで会話を推し進める。それがゴンべえの手口。

 苛立ちが頂点に達しそうになるものの、感情を抑えて、努めて冷静に尋ねる。

 

「なら、あの時、貴方はどうして笑ったの?」

 

「あの時って言われても分かんないよ。多分、お前の顔があんまりにも愉快だったからじゃない?」

 

「どうあっても真面目に答えるつもりはない、と……?」

 

「仕方ないだろう? 覚えてないんだから。それで、消滅しかけの僕をわざわざ結界から引きずり出した理由は、そんな下らない質問のため? それなら僕はもう消え……」

 

「待ちなさい。まだ聞きたい事が残っているわ」

 

 会話を一方的に切り上げて、勝手に消えようとする彼を私は引き留めた。

 彼のその言葉自体には嘘はないのだろう。身体の欠損部分からは常に液状に溶けた魔力が砂の上に零れ続けている。

 砕けたソウルジェムに意識を縛り付けていられるのは、この男の異常な精神力故の事。魔法少女であれば、一秒だって持たない。

 ゴンべえの意識は、いつ消えてもおかしくない。

 その前に必ず聞いて置きたい事だけ、尋ねなければならない。

 

「これは大切な質問だから真面目に答えて。貴方には……心の底から愛した人は居たの?」

 

「『居る』よ。今も愛してる」

 

 懐かしむような目で彼は遠くを見た。

 その眼差しの向こうにどんな人が映っているのか、私には想像も付かない。

 けれど、その人を愛している事だけは私にも分かる。

 

「じゃあ、もう一度その人に会えるとしたら――会いたい?」

 

「……それは言えない」

 

「貴方、またそう風に誤魔化しを!」

 

「あー……ごめんごめん。違うよ、そう意味じゃない」

 

 また韜晦(とうかい)のような答えかと思い、文句を言おうとするが、手で制して謝った。

 ふざけたような態度ではなく、自分の感情をどう表現したものかと悩んでいる様子だ。

 少し額に手を添えて黙り込んでから、とつとつと語り出した。

 

「もし、それを口にして叶ってしまったら。きっと僕も彼女も困ると思うんだ。声に出せば感情が、願いが言葉に宿ってしまうから。だから、それを言うことはできない。どれだけ想っていても……言葉にしちゃいけないんだ」

 

 そう吐き出した彼の顔は、私たち魔法少女を手玉に取って、窮地に追いやった百戦錬磨の魔王ではなかった。

 どこにでも居る幼い少年の、今にも泣き出しそうな弱々しい表情だった。

 その顔を見て、私は初めて彼から納得のいく返答をもらった気がした。

 同時に自分の中で(くすぶ)っていた感情にも折り合いが付けられた。

 

「そう。そうなのね……」

 

 どれだけ願ったとしても。どれだけ望んだとしても。

 決して、叶えてしまってはいけない『願い(ゆめ)』がある。

 そんな当たり前の現実を受け入れられずに、私はずっと悪夢を見続けていたのだ。

 

「聞けて良かったわ。話してくれて、ありがとう」

 

「どういたしまして。それでお前はどうする? 絶望と向き合って、答えを得た今のお前ならソウルジェムも前より濁り辛くなってると思うよ。定期的な浄化を繰り返せば、十年くらいは人として生きていけるかもね」

 

「ふふ……」

 

 思わず、笑みが零れた。

 全くもって、この男は素直じゃない。

 浄化をしたのは偶然だと言い張るくせに、こちらの今後について心配している。

 見ず知らずの赤の他人のために、割に合わない苦労を重ね、今も消えてなくなろうとしている寸前だというのに……。

 本当におかしくてしょうがない。一体誰、こんなどうしようもないお人好しを魔王などと呼んだのは。

 

「大丈夫。もう、私の願いは決まったから」

 

 手のひらに紫色の弓を新たに作り出す。

 この魔女の居ない世界で、私が手に入れた魔法。

 それを握り締め、持っていたソウルジェムをそっと砂の上に置いた。

 紫に輝く宝石は淡い光を放ち、暗い砂の上を明るく照らす。

 

「私のやらなきゃいけない事はこれよ」

 

「……正気なの? 新たな願いを探す猶予だってできたはずだよ?」

 

 ゴンべえは僅かに難色を示すが、私は首を横に振って答えた。

 

「もう決めた事よ。わざわざ穢れを消してくれた貴方には悪いけれど、それでも考えて決めた事なの」

 

「そうかい。じゃあ、好きにするといい。君の選んだ、君の道だ」

 

「ええ……そうさせてもらうわ」

 

 私の言葉に納得したのか、彼はもう口出しはしなかった。

 地面に置いたソウルジェムから数歩だけ離れ、私は弓を射る。

 狙う的は私のソウルジェム。

 弦を引くと、摘まんだ指先の間に紫の発光する矢が生まれた。

 

「これで――」

 

 終わり。

 そう口に出そうとした瞬間、まどかの声が上から聞こえた。

 

 

  *********

 

 

 どうして……。どうして、そんな結末を選ぶの?

 ほむらちゃんも希望を抱いていたのに。

 絶望を乗り越えたのに、自分から死のうとするなんて、そんなのおかしいよ……。

 お願い、ほむらちゃん。目を覚まして。

 

『駄目だよ! ほむらちゃん!!』

 

 驚いた顔でほむらちゃんは、私を見上げている。

 彼女が私を認識しているという事実に私も愕然とする。

 

「まど、か……」

 

『ほむらちゃん、私の声が聞こえるの?』

 

「ええ、聞こえるわ。貴女の姿もはっきりと見える……」

 

 本当に奇跡みたいだ……!

 概念になった私の声は生きている魔法少女には届かないのに、今だけは彼女には私の声も姿も認識できるようだった。

 一度、ほむらちゃんのソウルジェムが孵化寸前まで濁り切ったおかげかもしれない。

 これなら、彼女を止められる。ううん、彼女を連れて行ってあげられる。

 

『ほむらちゃん……。もう生きる事に耐えられなくなったのなら、私と一緒に行こう』

 

「…………」

 

『辛かったんだよね? 大丈夫。もうずっと一緒だよ』

 

 彼女が味わった孤独も、彼女が私と共に居る事を望んでいるのも知っている。

 もう二度と彼女を一人になんかしない。絶望なんて私がさせない。

 ほむらちゃんを理解できなかった頃の私とは違う。今度こそ、本当の意味で彼女の心を救ってみせる。

 

『さあ、手を伸ばして』

 

 私が彼女に向けて手を差し伸べた。

 彼女もまた私の手を握ろうと、手を伸ばそうとして……その手を降ろした。

 

『ほむら、ちゃん……?』

 

 ほむらちゃんは視線を下に落とし、小さく首を横に動かした。

 

「……できないわ」

 

『どうして!? ほむらちゃんはずっと、私と一緒に居たいって、そう思っていたんじゃなかったのっ!?」

 

 彼女の結界の中で零した言葉は嘘だったの?

 あの涙は真実ではなかったっていうの?

 分からない。分からないよ、ほむらちゃん……。

 再び、上を向いたほむらちゃんの瞳は濡れていた。

 

「私も、貴女とずっと一緒に居たいって思ってるよ」

 

『だったら!』

 

「でも、駄目なのっ……私の、望みは……貴女を独り占めにしたいって事なの……」

 

 耐え切れず、しゃくり上げて泣き出す彼女は、私に胸の内を話してくれた。

 

「私の望みは……っ、まどかの願いを踏みにじってしまう! 壊してしまうのっ! だから、貴女とは一緒に行けない!」

 

 それは、ほむらちゃんの偽りのない本心からの声だった。

 すべての魔法少女を救う事、それが私の願い。私の望み。

 彼女はその願いを壊してしまうから、私と一緒にはいけないのだと。

 

「まどかの事が、大好きだから……」

 

『……そんな、そんな事って……』

 

「だから、私はここで終わりにするの……私の、本当の希望とお別れするの」

 

 弓を握った彼女の手が震えている。

 ほむらちゃんにとっても辛い決断なんだ。

 

『でも、こんな結末、私はやっぱり認められないよ……だって、それじゃほむらちゃんが幸せになれない』

 

 だったら、認めちゃいけない。

 ほむらちゃんも私が幸せにしたい魔法少女の一人で、私の大切な友達なんだから。

 彼女の降ろした手を無理にでも掴まえようと、さらに手を伸ばす。

 だけど、私の手が彼女へと伸びるその前に、別の手が遮った。

 

「もう止めてあげなよ」

 

『……ゴンべえ君。邪魔しないで。これは私たちの問題だよ』

 

 ボロボロの今にも崩壊しそうな身体を起こした彼は、残った片目で私を睨んだ。

 かつての圧倒的な強さも今は見る影もない彼は、変わることない意志の籠った眼差しを向けている。

 

「いいや。お前の邪魔をするのが(ぼく)の役目だよ」

 

『今のゴンべえ君にはもう何もできないよ』

 

 全力のゴンべえ君ならまだしも、今の彼はソウルジェムを無理やり固定化し、この世界に辛うじて留まっているだけ。

 結界の中とは力の差は逆転している。どう足掻いても彼に勝ち目はない。

 それが分からない程、彼だって考えなしじゃないはずだ。

 

「随分と舐めてくれるね。確かに消えかけの僕じゃあ、お前を消滅させるほどの余力はない。僕にできるのはちょっとしたゲストを呼ぶくらいだ」

 

『ゲスト?』

 

「インキュベーター! 聞こえてるんだろう? さっさと姿を見せてよ!」

 

 ゴンべえ君が声を張り上げると、周囲の砂が小刻みに震え、もぞもぞと白い小動物が這い出してくる。

 円環の理になった私としては、久しぶりに見る姿。

 

『聞かせてもらってはいたよ。君が消滅するまでは姿を現すつもりはなかったけどね』

 

 赤い眼に、身体と同じくらい長くて大きな尻尾を持つ、真っ白いマスコット。

 キュゥべえ。

 願いと引き換えに魔法少女を作り出す存在。

 一匹じゃない。見渡す限りの砂漠の中から大地を何百もの彼らが次々と顔を出す。

 その中の、一番先頭に居る一匹のキュゥべえに向けて、ゴンべえ君は親し気に喋りかける。

 

「インキュベーター、これから僕がこの円環の理に残りすべての絶望の力をぶつける。どのくらいのレベルの傷を付けられるかは分からないけど、それでもそう簡単に修復できないくらいには破壊できるはずだ。そうなったら、君はどうする?」

 

『決まってるじゃないか。目下、障害であった君が消え、ここまで近距離で観測できた円環の理が損傷したなら、ボクらはそれを支配する。そして、より効率のよくなった魔法少女システムを作り上げるよ』

 

 キュゥべえが私を、支配する……?

 効率のいい魔法少女システム……?

 それが実現してしまったら、また魔女の居る世界に戻ってしまう。

 私の願いが消されてしまう。

 ゴンべえ君は、私の方へと向き直り、頬を引いて笑った。

 

「だ、そうだ。選べよ、女神サマ……たった一人の友達を取るか、それともそれ以外のすべての魔法少女を取るか。選べるのは二つに一つだ」

 

 顔の皮が溶けて崩れ、頬がなくなった顔で、悪魔のように笑った。

 どこまでも残酷で、どこまでも親切な彼はこの局面で選択肢を突き付けた。

 彼の右腕が歪み、大きく膨らみ、黒い巨腕になる。

 あれは、否定の魔王の腕……。

 

「さあ、どうする!? 友達一人のために、インキュベーターの餌になる覚悟はあるかって聞いてるんだよ!?」

 

 ハッタリじゃない。ゴンべえ君は私がほむらちゃんを無理やり連れて行く事を選ぶなら、本当に私をキュゥべえに明け渡すつもりだ。

 忘れていた。彼の強さは魔法の有無では変わらない。

 

『私は……、私には……そんなの……』

 

「選べない? でも彼女は選んだよ。お前の願いと、自分の望みを天秤にかけて、それでお前の願いを取った。それを否定するなら、彼女と同等の覚悟を見せなよ」

 

 気圧される。

 力の差も完全に私の方が上なのに、その気迫に圧倒されている。

 怯えているんだ。彼の覚悟に。

 私は……選べない。どちらも大切すぎて、片方を捨てるなんてできない。

 

「もうやめて、ゴンべえ!」

 

 二言目も紡げなくなかった私の代わりに、ほむらちゃんが会話を断ち切った。

 

「もういいの。まどか、お願いだから、もう私には関わらないで……お願いだから、私のせいで傷付かないで」

 

 もう一度、ほむらちゃんは弓を構え直した。

 

『ほむらちゃん!』

 

「逝かせてやれッ!」

 

『…………っ』

 

 我慢できずに手を伸ばしかけた私に、ゴンべえ君が一喝が飛んだ。

 筋肉が委縮して、伸長した腕が止まる。

 

「彼女は選んだんだ。自分の絶望を。たとえ、お前が神だろうとそれを止める権利はない」

 

 何もできない私に向けて、ほむらちゃんは薄く微笑を浮かべた。

 

「今度は、まどかが私の事を覚えていて。ずっと忘れないで。私が願うのはそれだけだから」

 

 紫色の光が矢の形に形成される。

 視線を私からゴンべえ君へと移った。

 

「貴方は自分の源を“絶望”だと思っているようだけれど、それは誤りだわ。貴方の力の源は……」

 

 輝く矢がソウルジェムへと向かって飛んだ。

 

「……“愛”よ」

 

 砕けたソウルジェムが即座に紫の粒子状の魔力に変換され、風に乗って消える。

 ほむらちゃんの身体が、ぐらりと傾いで倒れていく。

 それを受け止めようとしたけれど、触れる事も叶わずに彼女の身体は私をすり抜けた。

 代わりに受け止めたのは、ゴンべえ君の巨大な腕だった。

 巨腕の指先が被り物のように剥がれ落ちると、たちまち一枚の広い布へと変形する。

 腕を元の大きさに戻した彼は何も言わずにその布で彼女を包むと、私の方へ視線を向けた。

 唖然として立ち竦んでいる私は、ほむらちゃんのソウルジェムがあった場所へと降りて、何もない砂の上に手を置く。

 ……救えなかった。

 大切な友達を、見殺しにしてしまった。

 でも……。

 

『選べないよ……私には』

 

「それでも選び続けなくちゃいけない。それがお前の役目だろう」

 

 容赦のない台詞が私へと突き刺さる。

 これ以上、私に何を望むというのだろう。

 

「まだ、分からないの? お前は今、インキュベーターに狙われているんだよ? 嘆いている暇なんてあると思うの?」

 

 顔を上げた先には大量のキュゥべえが赤い眼を私に向けていた。

 無機質で、無感情のその瞳にはさっき彼が言ったとおり、餌のように映っているのかもしれない。

 彼らはまだ私を支配する事を諦めていない。

 そうなれば、またあの魔法少女が苦しみ続けるシステムが復活してしまう。

 飄々と他人事のようにゴンべえ君は語る。

 

「今はまだ、僕を恐れて近寄って来ないが、僕が消滅した瞬間、狙いを定めた獣のようにお前に群がるだろう。そうなれば」

 

『また、魔女の世界に逆戻りする……』

 

「そう。観測された以上、逃げることは不可能だろうね。であれば選べるのはたった一つ、インキュベーターを寄せ付けない方法を見つけること」

 

『そんな都合のいいもの……』

 

 ある訳ないと言い掛けて、私はやめた。

 理解してしまった。

 ゴンべえ君の言う“キュゥべえを寄せ付けない方法”を。

 ずっと彼は提示し続けていた。ヒントも与えられていた。

 残酷だ……。一体、この人はどこまで残酷なら気が済むんだろう。

 

『あなたを私に……円環の理の中に取り込めっていうの……?』

 

 魔法を打ち消すその魔法が、もしも私に宿るのなら……さやかちゃんたちを永遠から解き放ってあげられる。

 私に従い、どこにも行けない魔法少女の魂に終わりを作ってあげられる。

 でも、取り込まれた彼の魂は……?

 

『ゴンべえ君……。あなたはそれでいいの?』

 

 彼は私の問いに難なく答えた。

 

「嫌だよ。死ぬほど嫌だ。僕は魔法少女が嫌いだ。魔法も、奇跡も、女神(おまえ)も吐き気がする。触れられたくもない。心の底から嫌悪してる。それを永久に味わうなんて絶対に御免だね」

 

 彼の言葉に偽りはない。

 敵として、ぶつかり合ったからこそ分かる本心からの言葉。

 だからこその、選択。

 言わなきゃいけない。言葉を、願いを紡がなきゃいけない。

 膝を突いて、肘を曲げ、両手と額を砂の上に付けた。

 

『お願い、します。……私たち、魔法少女のために、魂をください』 

 

「僕はお前の何? 友達か家族だとでも思ってるの? お願いしたら何でも聞いてくれると、そう考えてるの? 馬鹿じゃない。僕は『敵』。お前の『敵』だよ。それが『敵』に言う台詞?」

 

 虫でも眺めるような冷徹な目で彼は、頭を下げる私を見下ろした。

 ここまで。ここまで彼にヒントを言わせてしまった。

 それなら、私は彼の『敵』として相応しい態度と台詞で示さないとならない。

 選ぶという事。

 選択するその覚悟と意志の重さを。

 立ち上がり、彼を上から見下ろして言い放つ。

 

『あなたは……』

 

 声が震える。

 全身が今から口に出そうとしている言葉を拒絶する。

 

『私に負けたの……! だからっ、私のためにその魂を…………寄こしなさい! 今すぐに! これは命令だよ! もしも、渡さないのなら、力ずくでも奪い取る……!』

 

 生まれて初めて誰かを恫喝する。

 どの時間軸でもした事のない、他者から奪うという行為。

 野蛮で、理不尽で、不愉快な台詞。

 他人を苦しめても、それでも助かりたいから行う最低の理由。

 だけど、私が選ばないといけないただ一つの選択肢。

 

「はははっ。人相が悪くなったね。前より女っぷりが上がったんじゃない? ……外道の顔だ。前の吐き気がするような聖女面よりよっぽどいい面構えだよ」

 

 一頻(ひとしき)り、私を嘲ると彼は答えた。

 

「好きにしなよ。ただ、忘れないことだね。お前は僕を犠牲にして、自分と魔法少女たちを助けたんだ。片方を切捨て、片方を救った。その選択をね」

 

 彼の首元の蝶ネクタイの中心に付いている欠けた黒いソウルジェムを、震える指先で摘まむ。

 私はほんの小さな錠剤程度の大きさにまで縮小したそれを口元へと運んだ。

 不意に彼の右手が私の頬を撫でる。

 

「最後に魔法を掛けてあげる」

 

『……どんな?』

 

「お前がどれだけ罪深い存在なのか忘れないための“おまじない”さ」

 

『うん。お願い』

 

 ゴンべえ君は私の瞳をじっと見つめて、呟いた。

 

「“永遠に呪われろ、魔女め”」

 

 ああ、本当に。

 本当になんて残酷なまでに、親切なんだろう。

 

『……うん。永遠に呪われるよ』

 

 もう私は迷わない。

 誰かを救うという事は、誰かを救わないという事。

 誰かを守るという事は、誰かを守らないという事。

 誰かの女神でいるためには――誰かの魔女になるという事。

 願いも、呪いも同じもの。恩恵を受ける人と、被害をもたらされる人が居るだけ。

 私は誰もかもを救う事はできない。

 だから、選び続ける。

 永遠に。

 そうして、私は彼の魂を食べた。

 ゴンべえ君の身体はその瞬間に黒い液体となり、砂漠の砂に染み込むように溶けていく。

 熱い。

 煮えたぎる鉛を呑み込んだように、焼けるような痛みが喉に走る。

 これがあなたの感じていた痛みなんだね、ゴンべえ君……。

 

『これで邪魔者は居なくなった。円環の理はボクらのものだ』

 

 彼の言っていた通りに、砂漠の上で待機していたキュゥべえたちが動き出す。

 列を成して、白い波のように私目掛けてやって来た。

 でも、遅い。遅いんだよ、キュゥべえ。

 

『これでボクらが新しい魔法少女システムの支配者に……』

 

『残念だったね。それは叶わない望みだよ』

 

 纏わり付いてくるキュゥべえを払いのけ、その内の一匹を捕まえる。

 状況が掴めていないのか、目を見開いたまま、もがく彼にそれを見せた。

 『私』の魔法——黒いステッキ。

 

『これは……ゴンべえの……。君は彼の力を奪って……』

 

 愕然とするキュゥべえにその先端を突き付け、私は言った。

 

『さあ、選んで。私に支配されるか、それとも……』

 

 私は選び続ける。

 すべての魔法少女を救うために。

 たとえ、それ以外のすべてを犠牲にする事になろうとも。

 たとえ、私の中でどれだけ彼の魂が苦痛に(さいな)まれようとも。

 私は彼女たちの女神(ねがい)で、彼女たち以外の魔女(のろい)なのだから。

 どう足掻いても、“幸せの王子さま”の愛する“つばめ”にはなれはしない。

 




最終話です。
これでようやく彼と彼女たちの物語は終わりです。

すごくどうでもいい補足。
新編映画本編のほむらが神に叛逆する悪魔ルシファーだそうなので、ゴンべえは神の敵対者、試練を与える者として悪魔の王サタンをモチーフに据えました。
作中でやたら魔王扱いされるのはそのためです。


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新編・EX話 太極の理

蛇足ですが、さやかたちが見たいという要望があったので、一話だけ書きました。


~マミ視点~

 

 

 ビルの縁に腰掛け、夜の見滝原を見渡す。

 建物から漏れる強い照明は、夜空の星々を見辛くするほど眩く、そこが『あの場所』と『この場所』の違いを如実に表していた。

 『あの場所』——偽の見滝原市の世界。

 そして、そこでの否定の魔王との戦い。

 あまりにも濃密な激動の時間は過ぎてしまえば、ただの夢のように思えた。

 いや、本当にただの長い夢を見ていただけだったのかもしれない。

 あの後、目を覚ました私は佐倉さんと共に自分の家の床で倒れ込んでいた。

 佐倉さんも同じ体験をしたという話を聞かなければ、あの凄絶な経験を単なる夢で片付けていただろう。

 それほどにこの街はいつも通りだった。

 たった一人の少女が消えた事を除いては……。

 暁美ほむら。私と共に見滝原市を守る魔法少女。

 彼女が私たちに姿を見せる事は二度となかった。

 暁美さんの住むマンションにも行ってみたが、帰ってきている様子は皆無だった。

 私は自分の手元にあるソウルジェムを眺める。

 曇りのないオパールのような宝石には、穢れ一つない。

 あれから数日、魔獣退治の日々に戻ったというのに、ソウルジェムの濁り方が変わった。

 魔法の使用を控えるようになった訳でもないのに、濁り難くなっている。

 気のせいではない。長年、魔法少女としてソウルジェムの浄化をしているからこそ分かる。

 自分が最も嫌っていたものを受け止める事ができたからだろうか?

 ―—容赦のない判断を下せる冷徹な自分。

 そんな自分を恐れ、忌み嫌っていたのも懐かしく思えた。

 今となってはあの経験は私にとってかけがえのない思い出になっている。私の醜さが、今の私を支えている。

 改めて、魔法少女としての自分を受け入れられた。

 ぎゅっとソウルジェムを両手で握り締める。

 指の隙間から淡い黄色の光が漏れ、私の顔を優しく照らした。

 

「おい。なーに一人で黄昏(たそがれ)てやがるんだ」

 

 赤いポニーテールを揺らし、背後から声を掛けたのは佐倉さんだった。

 目敏(めざと)く、私の姿を見つけてこっそりと近付いてきていた。

 

「嫌だわ、佐倉さん。後ろからいきなり近付いてくるなんて、びっくりして私が縁から落ちたらどうする気だったの?」

 

「嘘吐け。とっくに気付いていたくせに」

 

 呆れたようにそう言うと、私の隣に胡座(あぐら)を掻いた。

 いつもなら女の子なのに、はしたないと叱るところだが、ここに座る私も人の事をとやかく言えるほどお淑やかとは言い難い。

 

「また、あの時の事思い出してたのか?」

 

 顔をこちらに向けずに、彼女は尋ねた。

 赤い双眸(そうぼう)は夜の見滝原の街並みを見下ろしている。

 

「そういうあなたはもう思い出さない? 美樹さんたちの事も」

 

「さやかの事は今もまだ時々思い出すよ。でも、前ほど落ち込んだりはしねぇ。あいつはあいつで上手くやれてそうだしな。うじうじすんのはアタシの主義じゃない」

 

「それは良かったわ。でも、暁美さんが居なくなって、二人だけになったからこの街のパトロールは大変よね。キュゥべえは新しい魔法少女と契約するつもりはないのかしら?」

 

 佐倉さんの顔に寂しさが垣間見え、強引に話題を変えて、誤魔化そうとした。

 彼女はそんな意図を理解したらしく、肩を竦めて小さく笑った。

 

「マミ……アンタ、話題の転換のしかた下手すぎ。大丈夫だよ、もう湿っぽくなんかならないって。それよりキュゥべえの勧誘だったか、あれなんか自粛してるみたいなんだよ」

 

 話の変更に乗ってくれた彼女は興味深い事を教えてくれた。

 どうやらキュゥべえは魔法少女の勧誘を積極的に行わなくなったらしい。

 魔法少女のソウルジェムが濁り難くなった事が関連しているのだという。

 キュゥべえに詳しく問い詰めようとしたそうなのだが、発言を濁し、そこだけは詳細に話そうとしなかったそうだ。

 

「問い詰められても喋らないのは意外ね。聞かれなかった事は一切話そうとしない代わりに、聞けば大抵の事ははなしてくれるのに……」

 

「まあ、あいつも何かあったって事だろ。アタシら魔法少女にとっては良い事だしな」

 

 そう答えた後、佐倉さんは少し黙り込んだ。

 何か他に話したい事があるけれど、本当に話すべき内容なのか悩んでいる。そういう類の沈黙だ。

 彼女とは長い付き合いになるのに、たまにこういう遠慮をするところがある。

 可愛らしいが、ちょっと面倒くさい。

 

「何かあるんでしょう。話してちょうだい。それが目的で私に会いに来たんでしょ?」

 

「あー……大層な事でもないんだけどさ。……昨日、まどかの家族に会ったよ」

 

「鹿目さんの家族に?」

 

 鹿目まどか。あの偽の見滝原市で出会った魔法少女の仲間。

 そして、私たち魔法少女を取り巻くルール……円環の理そのもの。

 その彼女の『家族』として存在していた人々。

 彼らにとっては、鹿目まどかなどという娘は最初から存在しなかったはずだ。

 私たちのように魔力を持たない一般人である彼らには、私たちと同じように記憶に留めておく事もできないだろう。

 夢の内容がすぐに頭から消えてしまうように。たとえ覚えていたとしても、それは起きてから数秒程度。

 意識が覚醒した途端に忘れてしまう。

 

「何か話したの?」

 

 私の問いに佐倉さんは、首を横に振って答えた。

 

「いいや。夕暮れ時の川沿いの公園で家族団らんしているところを見かけただけだ。向こうはアタシにも気付いてなかったよ」

 

「そう。それなら……」

 

 良かったじゃないと、言おうとしたところを食い気味で言葉を続けた。

 

「でも、まどかの弟……って言っていいのかも分かんねーけど。そいつが地面に木の棒で絵を書いてたんだ」

 

 佐倉さんは私の顔を覗き込み、静かに言った。

 

「ツインテールの女の子の絵。ありゃ、どう見てもまどかの似顔絵だった。親二人はアニメかなんかのキャラだと思ってたみたいだけどな」

 

「たっくん、だったっけ。大人と違って、子供の彼には多少魔力があっても不思議じゃないわ」

 

 幼い子供である彼には第二次成長期を迎える少女たちとは比べ物にならないとはいえ、大人よりも激しい感情エネルギーを持っている。

 まして、あの世界で数日間鹿目さんの近くで過ごしていたのなら、何らかの影響を受けていたとしてもおかしくはない。

 姉弟の絆がほんの小さな奇跡を起こしたというなら、感動的な話だ。いずれ薄れてしまうとしても、確かに彼は鹿目さんとの思い出を感じられるのだから。

 

「それだけなら、別にマミに話そうとは思わなかったんだが、その横にもう一つ、絵があった」

 

 複雑な感情を込めて、彼女は続きを話す。

 

「長い帽子と棒のようなものを持った男の子の絵……。あいつだった。あいつだったんだよ」

 

 彼女の言わんとしている事が察せられた。

 『あいつ』というのは……彼の事だ。

 ゴンべえ。本当に何だったのか、私にも分からない。

 少年にもかかわらず、魔法を操り、最後まで私たちを圧倒した、“魔法少女の敵”。

 

「そう……」

 

「ああ……」

 

 何も言えなくなった私はお互いに二の句を告げずに、沈黙した。

 何気なく、見上げた空に月が顔を出していた。

 街の明るさで気付かなかったけれど、今夜は満月だ。

 

「綺麗な満月ね」

 

「そうだな……」

 

 彼を倒せたのか、私たちはその結末を見届ける事なく、意識を奪われた。

 きっと、鹿目さんは勝利したのだろう。それは分かる。そうでなければ、私たちが今こうして無事に生きている事がその証拠だ。

 円環の理は未だ健在だ。

 それでも彼に対する感情は複雑なのだ。

 憎むべきかもしれない。もしくは感謝するべきなのかもしれない。

 でも、どちらにも傾く事のできない想いが私たちの心にしこりのように凝り固まっている。

 

「複雑ね。でも、もう二度と彼のような存在が生まれない事を願うわ」

 

「同感だ……。それじゃ、そろそろ」

 

「ええ。近付いてきたみたいだし、始めましょう」

 

 魔獣の気配を感じ取った私たちは、変身した後、月に背を向け、夜の闇の中へと足を踏み入れる。

 それが私たちの――魔法少女の役目なのだから。

 

 

~さやか視点~

 

 どこまでも広がる黒い宇宙。

 煌々と輝く星々は己の存在を主張するように光っていた。

 その中で青い巨大な球体が自分こそが真の主役と言うかのように鎮座している。

 地球は青かった。

 人類初の宇宙飛行士がそう言ったと歴史の授業では習った。

 現代では誰もが知っている事実だけれど、こうして肉眼でその事を確かめたのは歴史上でも一握りだろう。

 でも、私はその光景を見ている。

 世界の中でもまだほとんどの人が訪れた事のない、月の上で。

 私は今、月面に居る。

 目の前には、私と同じように彼女(・・)によって、連れて来られた女の子たちが列を成して並んでいる。

 ヘルメットや宇宙服の代わりに、可愛らしい衣装を身に纏った数えきれないほど数の少女たち。彼女たちは全員、円環の理に導かれ、彼女(・・)の元へと辿り着いた魔法少女だ。

 魔法少女たちは、黙って私の(かたわ)らに居る彼女(・・)へと視線を向けていた。

 彼女を挟んだ隣になぎさが立っている。並んだ魔法少女たちの方を静かに見つめている。

 私は横目で彼女(・・)を一瞥した。

 雪のように純白だった一対の翼は片翼を漆黒に染まり、前髪の一房は黒く変色している。

 桃色のソウルジェムはその外側を黒い装飾が纏わり、割れたリンゴのような形状へと変形していた。

 前よりも伸びた伸長と頭髪。全体的に女性らしい起伏が増え、可愛らしいというよりも美しいと表現した方が相応しい容姿になっている。

 金色と黒の左右で異なる瞳を持つその女性は優し気な微笑を(たた)え、語り掛ける。

 

『皆、今まで私に付いて来てくれて本当にありがとう。それから、私の我がままに巻き込んでしまって、ごめんなさい』

 

 子供に無償の愛を注ぐ母親のように柔らかな安心感のある声音で、彼女(・・)は感謝と謝罪の言葉を述べた。

 

『だから、今。この時を以ってあなたたちの魂に終わりを与げる。もう二度と永遠に囚われる事のない、終焉をあなたたちへ』

 

 魔法少女たちは手を伸ばす。

 彼女(・・)が与える終わりを誰よりも先に受け取るために。

 

『本当は一人一人名前を呼んで送ってあげたいけれど、それよりも早くあなたたちの望むものを渡すね? さようなら。ありがとう』

 

 彼女たちの真上に巨大な、とても巨大な一枚の黒い布が現れる。

 膨大な人数の彼女たちを一度に包むほどの大きなその布が、彼女たちを覆い尽くすと、すとんと月面に落ちた。

 絨毯のように広がったその布は凹凸(おうとつ)も揺らぎもなく、平らに敷かれている。

 あれほど密集して両手を伸ばしていた魔法少女の行列は一人残らず、月から消え失せていた。

 跡形もなく、この世から消滅したのだ。

 あらゆる魔法と奇跡を消す、否定の魔法によって。

 私を除けば、この場所に居るのはなぎさ。そして、彼女(・・)だけ……。

 

『本当によかったの? なぎさちゃんやさやかちゃんだって、もう耐えられないと思っていたんじゃなかったの?』

 

 彼女(・・)は私たちの事を思いやるかの様に聞いてきた。

 事実、本当に私たちの事を心配しての質問だろう。

 それでも、私には彼女(・・)の事を信用する気になれなかった。

 喉から出かけていた疑問がとうとう我慢の限界を超えて、口を突いた。

 

まどか(・・・)、あんた……何も感じないのっ!? 今、あんたはあいつの力を使って、魔法少女たちを消したんだよ? あんたが好きだったあいつの魔法で! あいつから奪い取った力で!』

 

 魔力は感情から放たれるエネルギーだ。感情なくしては魔法は使えない。

 否定の魔法が今も使えるという事は、人格すら消滅してなおゴンべえが感情を持っている事の証明だ。

 永遠に続く魔法少女の悪夢を消すために、永遠にあいつは苦しまなくてはいけないのだ。

 それを分かっていて、まどかはこれだけの人数の魔法少女のために、否定の魔法を使った。

 大好きな人の心を削って、それ以外の多くを救う。そんな選択、馬鹿げている。

 だから、まどかはこの光景を見て、悲しむと思った。あるいは嘆くはずだと考えた。

 でも、まどかは一切動じる事なく、彼女たちが消滅する様を眺めているだけだった。

 そのあいつと同じ黒い瞳には僅かな動揺さえ浮かばなかった。

 

『あんたはもう、私の……あたしの知ってるまどかじゃない……!』

 

『うん。そうだね。私はもうさやかちゃんの知ってる(まどか)じゃない』

 

『…………』

 

 言葉を失った。

 私の言葉を否定する事なく、当然の事実を受け入れようにまどかは頷いた。

 否定してほしかった。違うって。私はさやかちゃんの知っているまどかだよって、答えてほしかった。

 申し訳なさそうな顔でまどかは私に諭す。

 

『ごめんね、さやかちゃん。私はもう自分の在り方を決めているの。だから、さやかちゃんが望む私には戻れない』

 

『どうして、そうなったのですか?』

 

 絶句している私の代わりになぎさが尋ねた。

 驚いた事に彼女の眼差しは、私よりも冷静にまどかを見つめている。

 

『……大人に、なったからかな? うまく説明するのは難しいけど、私は綺麗な事だけを言うつもりも、するつもりもない。たとえ、それが正しくない事だとしても、私が目的を成すために必要だと思える事なら、私は躊躇(ためら)わない』

 

『それが、なぎさたちと争う原因になったとしても……?』

 

『うん。そうなるのは嫌だけど、もしそうなっても後悔しないよ』

 

 晴れやかな表情で即答する彼女に私は、何も反論できなかった。

 明確に理解した。

 どうして、他の魔法少女たちのようにまどかに命を委ねられなかったのか。

 どうして、彼女の存在を素直に受け入れられなかったのか。

 私は……。

 

『それなら、なぎさはもう少しだけまどかを見守っていてあげるのです。まどかが道を踏み外さないように』

 

 なぎさはそう宣言をしてから、視線を私へと放る。

 お前はどうするつもりだ。そう尋ねているのが伝わった。

 気持ちは、私も同じだ。

 

『私も! 私もまだまどかと一緒に居る! それでもしもまどかが、誰かを踏みにじるような存在になったら……』

 

『私を退治(・・)する?』

 

 見透かしたように台詞の先をまどかが取った。

 冗談のように言っているが、彼女の瞳は笑っていない。

 それだけの覚悟があって、彼女は言っているのだろう。

 だから、私は真っすぐに、黄色と黒のオッドアイを見つめ返し、言い放つ。

 

『うん。それが私の役目だよ』

 

『ありがとう。それじゃあ、二人とも。もう少しだけよろしくね』

 

 まどかは、ようやく私の知っている笑顔を向けてくれた。

 円環の理は、きっとゴンべえの言葉通り、完膚なきまで壊された。

 うち壊され、解体され、そして、創造された。

 無邪気に奇跡を信じる少女は殺された。

 代わりに生まれたのが、目の前に居る女性。

 黒に染まる事を恐れない、私たちの女神様。

 自分とは対極のあの男を吸収し、変質した理。

 きっと、その理に名前を付けるなら、そう――。

 『太極の理』。

 希望にも、絶望にも塗り潰される事のない、彼女の法。

 新たな魔法少女の理だ。

 




これで本当にまどかナノカの投稿は最後です。


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