帝国貴族はイージーな転生先と思ったか? (鉄鋼怪人)
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帝国身分階級制度・文化に対する基本概論


適当な書き殴りなので矛盾や可笑しいところ多いかも


・【銀河帝国における貴族・階級制度・文化についての基本情報】

 

・銀河帝国における貴族制度は帝国暦9年6月12日に制定された「神聖不可侵たる初代銀河帝国皇帝ルドルフ1世陛下の御名により制定される遺伝子学に基づく帝国臣民の義務とそれに附属する各種社会的役職及びその名称に対する諸法」、通称を「銀河帝国身分法」により公式化された制度である。

 

 この時点において貴族・平民区分が設けられるが、下級貴族(帝国騎士・従士階級等)、士族、奴隷階級等は設定されず、また貴族特権も細やかで儀礼的な物が多いものであった。現在の強固な階級統制、経済・政治的特権の成立は後年複数回行われたの法律改訂により為される事となる。

 

 

 

・【貴族特権】

 銀河帝国における貴族階級において付与される特別権利の事を指す。正確に言えば門閥貴族階級に付与される『上級貴族特権』と下級貴族に付与される『下級貴族特権』に分けられるが、両者の差異の理由は領主としての義務、それに付属する領主として必要な権利が必要であるか否かである。『上級貴族特権』の主な特権として以下の内容が挙げられる。

 

・領内不輸権(地方財政・行政を管轄するために門閥貴族歳入=地方自治体税収への中央政府による課税を拒否する権利)

 

・決闘権(私戦権放棄の代償として付与された権利)

 

・名誉裁決権(重犯罪に際して名誉ある死刑方法ないし自裁を選択する権利、またそれによる罪刑の親族への連座回避権)

 

・身体保護権(拷問・労働刑を受けない権利)

 

・身体自由権(軽犯罪による懲役刑を罰金で代替する権利)

 

・貴族裁決権(領地における領民・臣下に対する民事・刑事裁判権)

 

・報復権(親族の死亡・負傷に関して帝国法の一定の範囲内で加害者に対して殺害を含む報復を行う権利)

 

・階級秩序権(帝国法の一定の範囲内にて領内の下級貴族以下の身分階級の変更・剥奪を行う権利)

 

・就学推薦権(帝国法の一定の範囲内及び能力の一定の範囲内で士官学校・官吏学校・帝国大学・神学校・女学院・ギムナジウム等への親族・臣下・領民の入学推薦権)

 

・領内不入権(帝国法の一定の範囲内で領内での内政・政治運営の自由権)

 

・武装権(治安維持・領地防衛・軍役のための私兵軍編成及びそれに伴う予備役将官階級保持の権利)

 

・爵位継承権(爵位と家紋、宮中席次の保持と継承の権利)

 

・帝室通婚権(皇族との通婚権)

 

・分家擁立推薦権(典礼省にて分家擁立を推薦する権利)

 

 

 

【門閥貴族】

 銀河帝国における貴族階級の内、『諸侯』ないし『諸侯家』、『帝国諸侯』等とも称される階級。「本物の貴族は門閥貴族だけ」とも言われる。

 

 約四三〇〇家、人口にして一〇万前後、奴隷・自治領民を除く帝国総人口二五〇億の〇・〇〇〇四パーセントのみが該当し、各自が所領及び貴族特権を有する。帝国領土・人口の約五割を支配しており、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五階級に分類が可能となっている。

 

 凡そ考え得る限りにおいて最高レベルの教育環境が整えられ、帝国の各方面の指導層としての徹底的な帝王教育・エリート教育を受け帝国の文化・政治・経済活動の根幹を為している(しかし同時にその特権とエリート意識が過剰な平民蔑視・腐敗の温床となっている側面も否定出来ない)。

 

 尚、大公家は帝室の分家であるが、多くの場合名ばかりであり、宮廷席次上は皇帝に次ぐものの領地等は殆ど保有しないほか枢密院議員(元老院議員ともいう)に指名された大貴族は『選帝侯』と呼ばれる場合もある。

 

 

【大貴族】

 前述の門閥貴族の内、伯爵位以上の爵位を有する者達を指す。約二〇〇家余りが授爵されており全門閥貴族の上位四・八パーセントに当たる支配階級の中の支配階級と認識される。所領・領民の規模も子爵・男爵位とは隔絶しており、長年帝国における上級役職を独占してきた層でもある。尚、この中で最も多いのが伯爵位であるが、後述の権門四七家とそれ以外の伯爵位とでも権威が隔絶しているため、権門四七家に列挙される伯爵家はほかの伯爵家とは区別して方伯、ないし辺境伯と呼ぶ例も存在する。

 

 

【権門四七家】

 大貴族の内、ルドルフ大帝時代に伯爵位以上を授けられた名家中の名家を指す。主に連邦末期の戦乱の軍功により授与された『武門十八将家』(例リッテンハイム侯爵家、エーレンベルク伯爵家等)。政治家・閣僚としての功績により授与された『宮中一三家』(例ブラウンシュヴァイク公爵家、アイゼンフート伯爵家等)。地方に強固な基盤を持ち、ルドルフの帝政成立に強く協力した旧銀河連邦の名家由来の『地方一六爵家』(例カストロプ公爵家、アイゼナッハ伯爵家等)の三つに分類される。五世紀に渡る歴史の中で半分近くが断絶、没落、亡命しているが、ブラウンシュヴァイク公爵家、リッテンハイム侯爵家等未だに幾つもの家が帝国国政を左右する影響力を保持する。

 

各門閥貴族の規模の例

 

・公爵位

  ・基本的に三つ以上の有人惑星のほか、数十から百近い無人星系、人工天体、鉱山を保有する

  ・人口は最低でも八〇〇〇万前後を有し、そのほか奴隷階級も多数保有

  ・私兵軍の数は数十万名、平均三〇〇〇隻前後の大型艦艇を保有する(別に大型戦闘艇を多数保有)

  ・多くの場合当主は帝国軍予備役上級大将の階級を保有する

 

・侯爵位

  ・基本的に二つ以上の有人惑星のほか、数十の無人星系、人工天体、鉱山を保有する

  ・人口は最低でも五〇〇〇万前後を有し、そのほか奴隷階級も多数保有

  ・私兵軍の数は数十万名、平均二〇〇〇隻前後の大型艦艇を保有する(別に大型戦闘艇を多数保有)

  ・多くの場合当主は帝国軍予備役大将の階級を保有する

 

・伯爵位

  ・有人惑星の過半ないし一から複数を保有、そのほか十数の無人星系、人工天体、鉱山を保有する

  ・人口は最低でも一〇〇〇万前後を有し、そのほか奴隷階級も多数保有

  ・私兵軍の数は十数万から数十万、一個戦隊(五〇〇隻)以上の大型艦艇を保有する(別に大型戦闘艇を多数保有)

  ・多くの場合当主は帝国軍予備役中将の階級を保有する

 

・子爵位

  ・有人惑星一州あるいは一大陸以上を保有、また場合によれば無人星系、人工天体、鉱山を保有する

  ・人口は最低でも三〇〇万前後を有し、そのほか人口相応の奴隷階級も保有

  ・私兵軍の数は平均数万から十万前後、大型艦艇は数十隻余りが基本、その他大型戦闘艇を保有する

  ・多くの場合当主は帝国軍予備役少将の階級を保有する

 

・男爵位

  ・有人惑星の一郡から数郡、あるいは人工天体、ドーム型都市、鉱山の領主

  ・人口は最低十数万から最大数百万、そのほか人口相応の奴隷階級も保有

  ・私兵軍の数は数千から数万前後、大型艦艇は数隻から十数隻、多くの場合大型戦闘艇が主力

  ・多くの場合当主は帝国軍予備役准将の階級を保有する

 

 子爵・男爵位は伯爵位以上に比べ大きく経済力・軍事力・権威面で劣り、また同じ爵位の中でも格差が大きい。凡そ門閥貴族約四三〇〇家の七割が男爵家、二割近くが子爵家であるとされる。この格差は少なくない数の男爵・子爵家が大貴族の分家である事が要因である。

 

 そのほか特に小諸侯の中には殆ど領地や領民を持たず代わりに企業や航路管轄権、傭兵団(ランツクネヒト)等を保持しそこからの利潤や関税を持って生活する一族も存在する。

 

 また中小門閥貴族の私兵軍の宇宙戦力が弱小なのは複数星系を領地としていないため航路防衛の必要が少ないためであり、そのためにワープ能力を持つ大型艦艇は殆どなく、大型戦闘艇が宇宙戦力の主力となっている。一方で貴族私兵軍はその性質上比較的地上戦力は充実しているとされる。

 

  

 

【下級貴族】 

 門閥貴族の下に位置する所領を(少なくとも帝室から直接)授けられていない階級。所謂下級貴族階級に含まれる人口は約四〇〇〇万前後(帝国臣民人口二五〇億の約〇・一六パーセント)とされる。大きく分けて「帝国騎士」と「従士」に分けられる。

 

・帝国騎士

 下級貴族の中において従士の上に(形式上)位置する階級。但し実際は帝国騎士内部に更に階層があり、上位は従士階級より格上であるが下位は従士階級に比べ身分的に劣位に置かれる場合が多い。大きく分けて四階位がある。即ち

 

  ・騎爵帝国騎士位 主に帝国開闢以来続く帝国騎士位を持つ家、宮廷席次においては男爵家に匹敵する権威を持つ

 

  ・上等帝国騎士位 主に門閥貴族の分家の内、男爵以下の家

 

  ・一等帝国騎士位 主に国家に対する功績により叙任された家

 

  ・二等帝国騎士位 主に金銭にて購入して叙任された家、最も多い帝国騎士位

 

の四階位であり、二等帝国騎士及び一部の一等帝国騎士は多くの場合従士階級よりも劣ると見られている。また経済的にも没落した家から門閥貴族に匹敵する家まであるなど格差も大きい

 

 

・従士

 下級貴族の内、主に門閥貴族階級に代々仕えている階級。家人とも呼ばれる。主家の庇護下に置かれ、その絶対的従属下にある代わりに多くの既得権益を得ており、主家からの俸禄が支払われている。また祝儀等に際しては資産の下賜があり、代官として主家領地の一部経営等を請け負う例もある。そのためその生活水準はおおむね平民の上位中流層から富裕層に類し、様々な面で下位帝国騎士に比べて優位にある。中にはアンスバッハ従士家本家、シュトライト従士家本家等、門閥貴族に匹敵する権勢を有する家も存在している。

 

 

・一代貴族

 何等かの理由により一代に限り貴族(門閥貴族)に叙せられる個人を指す。準男爵とも言い、多くの場合本人は準男爵に叙せられ(これにより宮中や社交界での参加が容易になる)、その子孫は帝国騎士(一等ないし二等)に列せられる場合が多い。

 

 

 

【平民】

 所謂銀河帝国臣民二五〇億の大半が所属する階級。しかし実際はその内部において出自・経済状況、社会的立場等で大きな差異があり「平民という階級は貴族でも奴隷でもない物を一括りにしただけの略称に過ぎない」とも言われる。幾つか代表的な階級について触れると

 

 ・士族  所謂銀河連邦時代から続く軍人家系等に与えられた準特権階級。軍・警察等での優先雇用権、人事における優遇、専科学校・地方警察学校における推薦・被推薦権、若干の特別手当の授与等が挙げられる。但し三代以上に亘って軍人・警官・消防隊員等がいない場合「一族の義務を怠った」として士族特権を剥奪される場合がある。自由惑星同盟との慢性的戦争が続く中で特権剥奪・断絶する家が増加し空洞化しつつある階層でもある。

 

 ・奉公人 門閥貴族等に代々仕えている平民階級を指す。正確に言えば身分というよりも役職であり奉公人として仕える士族や富裕市民という形を採る事が多い。従士家に昇格する可能性があるほか、多くの場合従士家と同じく主家の保護下にあるため社会的信用が高く、俸禄のほか祝儀等で一時金等も与えられる。概ね中流平民レベルの所得水準であるが、食費・家賃等を主家に負担してもらえる事、仕事柄の役得等があるために、中流市民の中でも上層レベルの生活をする者も多い。

 

 ・富裕市民 文字通り平民階級の内で貴族との血縁・主従関係を持たずに社会的上層に位置する階級。多くの場合、社会的には生まれながらの特権に浴する貴族階級と対立しているが、高度な教養を備えるために文化的には貴族社会のそれに近い複雑な立場にある階層である。富裕層の一部は金銭、あるいは功績を上げる事で二等ないし一等帝国騎士階級、一代貴族に叙せられる者も存在する。

 

 

 

【農奴階級】

 平民階級の下位に存在し、多くの場合帝室ないし門閥貴族による半国有・私有資産であるが、人権面で奴隷階級とは一線を画している存在でもある。その成立は複雑であり、軽犯罪者・難民・浮浪者、後には反乱勢力の眷属の大半がこの階級に所属する事となる。元々は犯罪者や難民の管理費用増大に対応して更生・自立のための農業組織から成立した経緯がある。その出自により同じ農奴階級でも待遇が大きく異なり、最上位の農奴の場合は平民階級よりも豊かである場合もある。大きく区分して四区分があり

 

    ・金納農奴……主に先祖が反帝国派眷属、生産物を販売し金銭として上納する。生活が厳しい農奴階級

   

    ・労務農奴……主に先祖が軽犯罪者ないし難民、公共事業等の賦役に従事する代わりに農地を借用している。比較的生活が厳しい階級

 

    ・軍役農奴……主に先祖が軽犯罪者ないし難民、私兵軍の下級兵士等に家族が従事する代わりに農地を借用している。比較的平民に近い生活水準にある農奴階級

 

    ・貢納農奴……難民等、主家に保護を求めて農奴となった階級。主家等の消費する食物の生産・献上の代わりに農地を借用している。農奴の中では最も生活が豊かな階級であり、殆んど平民と同じ生活水準と権利を保有している

 

等に分けられる(代表例であり、一部ではそれ以外の階層が成立している場合もある)

 

 

 

【非臣民階級】

 帝国人口二五〇億に数えられない階級。制度上は平民・農奴の下位に位置するが、自治領民は帝国平民階級と変わらない生活をする者が殆んどである。大きく三階級に分けられる。

 

・奴隷階級

 反帝国思想を有する者達の直系の子孫及びその眷属。多くの場合流刑地惑星等での強制労働に従事している。その成立は反帝国・反体制思想保持者の一律処刑に反対した穏健派ファルストロングが提案したものであり、モットーは「生かさず、殺さず、考えさせず」である。生活水準は過労死や餓死をしないレベルであるが、反乱を起こす事は不可能なレベルに、また余分な思考を行う時間を与えないように調整されている。推定一六〇億前後が存在しているともされる彼らは、帝国における最も下等な単純作業・危険作業の従事者であり、帝国における最も過酷な生産者階層でもある。

 

・自治領民

 主に旧銀河連邦の主要惑星に生活する人民。帝政成立と共に旧銀河連邦中央宙域の主要構成国に帝国が妥協した結果成立し、後には反帝国派の内、武力抗争を放棄した層が流入した。約一〇〇余りの自治領惑星に推定一八〇億前後の人口を内包していると言われている。自治領は自治領主を主体として帝国からの監督官の助言より運営され、その自治権については全五等階級があり、等級が上がる事により広い自治権が下賜される事になる。各等級はそれぞれ

 

・第一等帝国自治領

・第二等帝国自治領

・第三等帝国自治領

・第四等帝国自治領

・第五等帝国自治領

 

 の順である。大半の自治領は第三・第四等帝国自治領であり、平均的な第三等帝国自治領を引き合いに出せばその自治権は

 

・内政については限りなく自由な裁量(政治体制の自由)

・言論の自由

・一定の範囲内での関税自主権

・自治領内の帝国軍駐留部隊の制限

・独自の治安維持組織の運営

 

 等が保証されているがその一方で

 

・宇宙戦力の保持禁止

・地上治安維持戦力の上限設定

・宇宙艦艇建造能力の放棄

・少額の貢納義務

・外交権の放棄

・銀河帝国及び銀河皇帝に対する形式的臣従

 

 等が義務付けられている。地球を含む太陽系も地球教徒(正確には地球自治委員会)の下に自治を許された第三等自治領であり、第二等帝国自治領は現在アルデバラン・プロキオン両星系、第一等帝国自治領はフェザーンのみがそれに該当する。また各自治領内部においても更に自治区(ソル星系第三等帝国自治領内部における火星自治区・月自治区等)も存在する。

 

・流民階級

 主に銀河連邦末期から帝政初期にかけてルドルフの統治に反発して帝国領内の辺境・無人地域等に独自の社会コロニーを構築したグループ、後に逃亡奴隷等も合流した。最盛期には数十億人存在したとされるが元々居住環境が過酷であり、内部分裂や帝国の弾圧、宇宙海賊の襲撃、帝政中期以降は人間狩りの対象にもなり帝国政府に恭順するか全滅する例が続出、現在はその人口は数億人前後とされている。

 

 

・【帝国文化・政治体制の成立についての歴史的経緯に対する基本理解】

 元々銀河帝国の前身である銀河連邦は、シリウス戦役以降勃発した「銀河統一戦争」の休戦に伴い旧植民諸惑星国家が「汎人類評議会」の仲裁・発展により成立した国家であるために、各構成国の影響が強い国家体制であった。

 

 また各構成国は銀河連邦成立による好景気により表面的な軍事的対立こそ無いものの、領土問題のほか宗教・民族・文化・経済対立が議会に頻繁に持ち込まれ、しばしば連邦の政治行政に悪影響を与えていた。

 

 とは言え銀河連邦前期から中期にかけての好景気は連邦の制度的欠陥を覆い隠すに十分であり、市民もまた活力を持ってフロンティアの開拓に精力を注ぐ事となった。

 

 しかし制度的欠陥による歪みは次第に無視し得ぬものとなり、人類史上最大の大不況である「銀河恐慌」の始まりと、それによる失業者の増加および科学振興予算のカット、議会の制度的欠陥や地域対立による不況対策の遅延、宗教権威の衰微や同胞意識欠如に伴う失業者等による犯罪組織の増加や不況にあえぐ企業による反道徳的行為、更にはそれによるフロンティア開拓予算の減少や航路治安悪化、その帰結による辺境植民地放棄により銀河連邦は一気に全土が混乱状態となる。

 

 無論、政界においては幾度かの連邦再建の試みはあったが、派閥や辺境と中央の対立、犯罪組織による実力阻止、各行政組織や連邦軍・連邦警察の腐敗と汚職により失敗。末期の銀河連邦はテオリアを始めとした初期構成国を中心とした中央宙域以外を事実上統治不可能となり、その中央宙域すら治安の悪化の一途を辿っていた。

 

 この危機的状況において幾度もの暗殺を凌ぎきり銀河連邦首相となったルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、この人類社会の危機に対して幾つかの制度改革により解決を目指した。一つは国家元首就任による中央集権(事実上の独裁政治)とそれによる基本的人権の部分的停止である。これにより連邦政府職員の半ば強引な綱紀粛正や有能な人材の重役登用に成功。再編成した軍・警察による苛烈なテロ組織・犯罪組織・地方軍閥・カルト教団の弾圧・制圧に成功し、急速に連邦中央領域内の秩序と治安の回復に成功した。

 

 一方で辺境宙域においては中央から搾取され見捨てられたという意識が強く、また荒廃したフロンティアの中央への再編入は経済的にもリスクのある選択であった。そのため辺境平定に置いてルドルフは地方分権的な手法を利用した。

 

 即ち、現地を平定・管理する軍人や官僚を総督として任命し、現地の独立統治を命じたのである。そしてこれは次第に帝国辺境を統治する門閥貴族と貴族領の母胎となる。

 

 連邦の再建を進める中で、ルドルフは銀河連邦の腐敗と混乱の一因を文化に求めた。歴史を紐解けば分かる事であるが、広大な領域を持つ国家が一つの同胞意識を保持するのは極めて難しく、時としてそれが内戦の引き金になり得た。さらに、銀河連邦の多様的過ぎる文化や議会政治がそれを助勢した。

 

 それに対して、中央集権によって終身執政官、次いで銀河帝国皇帝に即位したルドルフは、国家統一のためゲルマン文化とオーディン教の奨励を推進した。これは同時に帝政の権威を高める事にも繋がる。

 

 それでも完全な国家の統一には困難を伴う。それ故にルドルフは国家権力の血統による継承、という手段を講じる。

 

 即ち皇帝と門閥貴族による婚姻と政治権力の世襲により中央と地方の指導者層の連帯・同胞意識を深め、それにより中央と辺境の対立を回避する、という思想である。

 

 このような理由から行われた強権政治と血統主義、文化的同化政策、宗教政策は曲がりなりにもオリオン腕における人類文明の長期に渡る安定化に寄与した側面があるのは事実であるが、それが国家内部の多様性と流動性の欠如、思想の固定化、極度の前例主義、権威主義によって国家運営の硬直化をもたらし、その後の政治・経済改革の困難化をもたらした事も否定出ない。

 

 また歳月が経るに従い特権階級の下層階級に対する蔑視意識の肥大化、勃興する富裕市民層等との階級対立が表面化。自由惑星同盟との接触と長期に渡る戦争状態は軍事費用の増加、軍組織の中堅層を為すべき士族階級の衰微、民主主義思想等の伝播による下層階級の帝国に対する懐疑心の醸造と反乱の頻発、帝国直轄領の疲弊と貴族領の相対的な肥大化による皇帝権縮小を齎し、帝国の政治体制を現在進行形で揺らがせつつある。

 

 しかし、逆説的に言えばルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの実施した諸政策による帝国の硬直化は強固な体制基盤の構築という側面も有り、長期に渡る戦争に耐えしのぐという成果を齎したこともまた事実である。

 

 自由惑星同盟の弱点である文化的多様性と歴史的経緯による国内文化・政治的対立は帝国では殆んど存在せず、民主主義政治とは異なる中央権力の権威と安定、それによる長期的政策の実現は、自由惑星同盟との戦争により幾度か発生した国家崩壊の危機の回避に寄与している(特にダゴン星域会戦以後発生した同盟軍による帝国国境への侵攻に対する、帝国臣民の「大祖国戦争」への積極的な志願はその好例である)。

 

 強権と分権、権威と伝統、階級間の断絶と連帯、相反する要素が複雑に統合しており、故に五世紀に亘り存続し続けている人類史上最も稀有な専制国家。それがゴールデンバウム朝銀河帝国と論評する事が出来るだろう。

 

 

      フェザーン中央大学社会政治学科教授ダニエル・ヤマモト「帝国社会基本概論」より

 

  




歴史上の貴族制度調べていると思ったこと、あれ?門閥貴族数千家って滅茶少なくね?

日本の華族……1011家(1945年時点で総人口7300万人)
英国貴族……1500家(同総人口5000万人)
仏国貴族……2212家(ナポレオン帝政期、総人口3000万人)
独国貴族……約2万家(ワイマール以前総人口4000万人)

上は多分下級貴族を含んだ場合、それでも人口比から見て多分少なすぎる。なので本作では帝国騎士と従士で相当水増ししました


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銀河帝国官庁・行政組織図

本当に今月忙しく、多分四月中は一話か二話しか進められません
代わりに後一つだけ設定集(帝国軍組織図)を投稿するので許してください。4月10日9時に投稿する予定です


【銀河帝国官庁組織概略図】

皇帝 

  ┗枢密院 枢密顧問官長(元老院長)

     ┗枢密院事務局 

  ┗オーディン教皇庁

  ┗皇帝政務秘書官

  ┗帝国宰相(通常国務尚書が代行)

     ┗内閣書記官長

     ┗国務省(国務尚書)

      ・玉璽局

      ・帝国統計総局

      ・フェザーン高等弁務官事務所

      ・帝国国営テレビ局

      ・帝国報道局

      ・帝国臣民保護局

      ・帝国外縁域巡視隊

      ・各帝国直轄領(皇帝領)行政機関(長)

        ・オーディン市庁(帝都市長)

        ・オーディン総督府(惑星オーディン総督)

        ・各帝国直轄都市(市長)

        ・各帝国クライス大総督府(大総督)

             ┗各惑星総督(総督)

                ┗各州知事 

                  ┗各郡・市・町・村長

      ・各帝室荘園代官

      ・各貴族領巡察官

      ・各司教府監督官

      ・各自治領監督官

      ・各流刑地監督官

     ┗軍務省(軍務尚書)

     ┗財務省(財務尚書)

      (内局)・帝国主計局

          ・帝国主税局

          ・帝国関税局(対帝国直轄領・貴族領・自治領)

          ・帝国理財局

          ・帝国証券管理局

          ・帝国銀行局 

          ・辺境金融統制局(対同盟・フェザーン)

       ┗帝国造幣工房

       ┗帝国印刷工房

       ┗帝国中央銀行(ライヒスバンク)

       ┗帝国商標庁

     ┗内務省(内務尚書)

      (内局)・(内務省)帝国警察総局

          ・(内務省)帝国航路警察局

          ・(内務省)帝国社会秩序維持局

          ・(内務省)帝国麻薬監督総局

          ・(内務省)帝国星間通商監査局

       ┗帝国農務庁

         ・帝国農業局

         ・帝国食糧流通監督局

         ・帝国畜産検疫局

         ・帝国食品衛生局

         ・帝国林野局

         ・帝国水産局

       ┗帝国厚生庁

         ・帝国就労監督局

         ・帝国医政局

         ・帝国公害衛生局

         ・帝国疾病衛生局

         ・帝国思想衛生局

         ・帝国保険局

         ・帝国年金局

         ・帝国労働監査局

       ┗帝国消防庁

      (外郭機関)

         ・帝国郵便公社

             ┗帝国郵便警察隊

         ・帝国鉄道公社

             ┗帝国鉄道警察隊

         ・帝国通信公社(ライヒスネッツ公社)

         ・帝国星間運輸公社

         ・帝国鉱物資源・エネルギー公社

         ・帝国電力公社

         ・帝国水道公社

         ・帝国林業公社

         ・帝国製塩公社

         ・帝国穀物公社

         ・帝国製糖公社

         ・帝国住宅公社

         ・帝国星道公社

 

     ┗司法省(司法尚書)

         ・帝国大法官府  

         ・帝国貴族裁判所

         ・帝国上級裁判所

         ・帝国中級裁判所

         ・帝国下級裁判所

     ┗学芸省(学芸尚書)

      (内局)・帝国工芸局

          ・帝国義務教育総局

          ・帝国体育教育局

          ・帝国健全思想指導局

          ・帝国公文書館

      (施設等機関)

          ・各帝立大学

          ・各ギムナジウム

          ・各帝立女学院

          ・各帝立神学

          ・各帝立習剣士学校

          ・帝立教育研究所

          ・帝立学芸協会

          ・帝立健康文化協会

        ┗文化庁

          ・帝国公用語教育局

          ・帝国文化・映画芸術局

          ・帝国出版局

         (施設等機関)

           ・帝立歴史博物館

           ・帝立文化博物館

           ・リヒャルト一世帝立美術館

           ・ゲルマニア文化財保護研究所

     ┗科学省(科学尚書)

      (内局)・帝国航空宇宙技術局

          ・帝国工学技術局

          ・帝国情報技術局

          ・帝国通信技術局

          ・帝国生化学技術局

          ・帝立科学技術研究所

       ┗帝国特許庁

     ┗宮内省(宮内尚書)

          ・皇宮事務総局

          ・皇宮警察局 

          ・警衛局

            ┗近衛軍団

          ・猟園管理局

          ・帝室博物館

    ┗典礼省(典礼尚書)

          ・儀典局

            ┗儀典局儀仗隊

          ・紋章院

          ・貴族年鑑編纂局  

 

 

 

【帝国国内の行政区分について】

 銀河帝国の国内区分の類別に関しては大きく分けて三つがある。即ち帝国(皇帝)直轄領と男爵以上の爵位を有する門閥貴族の統治する貴族領、旧銀河連邦加盟国の自治領である。

 

 内、帝国直轄領は旧銀河連邦中央宙域及び比較的安定していた辺境部、及び辺境・外縁部の一部の要害惑星・人工天体、主要星間航路、皇帝領の流刑地・荘園がそれに当たる。

 

 貴族領は主に銀河連邦末期に混乱状態にあったフロンティア地域がそれに当たる。貴族領は小額の朝貢が求められるが、基本的に各領主がほぼ完全な自治権の下に統治を行う。

 

 自治領は旧銀河連邦中央宙域の惑星の内、銀河統一戦争時代からの独立国である連邦加盟国を指し、帝政成立後、帝国政府との妥協の末設立されたものである。内政及び政治体制の自由権と引き換えに、軍備の制限、特に宇宙戦力保持の禁止と一定額の朝貢が求められる。また自治領内部に更に自治区がある場合(地球自治領内の火星自治区、月自治区等)もある。

 

 上記の例外として司教府があるが、これは帝国政府から教皇庁に寄進された領地であり、規模としては極めて細やかなものでしかない。

 

 帝国国内は『帝国クライス』という大区分により分けられる。これは帝国直轄領・貴族領・自治領を航路・宙域により区枠したものであり、各帝国クライスには大総督府(多くの場合その方面の帝国直轄惑星等)が置かれ、国務省から派遣された大総督が赴任する。

 

『帝国クライス』の最大の役目は各方面における意見調整である。大総督府には諸侯議会があり、大総督を主宰者として各貴族領貴族、自治領主、司教、総督、帝国都市市長等が集まり中央が干渉するレベルでない治安・経済・政治・宗教・文化問題等の調整を行うほか、必要に応じて宇宙海賊や反乱勢力に対する辺境部隊の派兵や災害派遣、飢饉地域への食糧放出、中央への上奏も行われる。帝国国内には全一〇個の帝国クライスが設けられている。

 

 また中央(国務省)から貴族領には巡察官が、流刑地・司教府・自治領には監督官が派遣される。彼らは所謂中央からの監視役であり、帝国中央政府に対する叛意が無いか、統治状況に対して問題がないか等を監視する役割を担っている。

 

 

【帝国政府の社会保障・福祉政策について】

 銀河連邦の崩壊と帝政成立により「行き過ぎた弱者救済を排除し社会保障制度を大幅に縮小した」とされる銀河帝国であるが、その説明は必ずしも公平な論評とは言えない。

 

 現実の所、銀河連邦末期の政府機能不全は深刻で、治安の維持はもとより、食料供給や義務教育制度、失業者対策、医療制度の多くが破綻しており、文化的生活を享受しえていたのは中央宙域に住まう一部の富裕層のみに限定されていた。

 

 寧ろ、中抜きが常態化して有名無実化していた社会保障制度の撤廃と、より現実に即した新しい福祉システムの構築は、少なくとも銀河連邦市民の絶対的多数派の支持を得るに十分なものであったと言える(逆説的に、そうでなければ建国期のまだ基盤が脆弱な帝国は市民の暴動で崩壊していただろうことは疑いない)。

 

 財政赤字の中で、銀河帝国はより効果的かつより低コストの社会保障・社会福祉政策を実施した。難民・失業者の農奴階級への斡旋や業務の世襲化奨励は人権の部分停止や職業選択の自由の縮小を齎したが、生活の安定化とノウハウ蓄積によるスペシャリスト育成・人材投資コストの低減に一定の役割を果たしたと言える。

 

 帝国政府は臣民の健康と生存のために第一に強大な警察権力による監視体制を構築し、刑罰の重罰化を推し進めた。特に連邦末期から猛威を振るったサイオキシン麻薬、オハギ、バリキドリンク、エンジェルダスト等は利用者は当然として売人・生産者までもが処刑という厳しい罰を課せられる事となる(各種電子ドラッグも同様の処置を受けた)。また煙草・酒類に対しても階級ごとの販売規制や依存性・毒性を緩和した代用品の開発が急速に実施された。

 

 食料の安全性に関しても大いに心血が注がれる事になる。遺伝子組み換え・化学薬品の利用禁止、治安機関・軍による流通航路の安定、奴隷・農奴を利用した天然食品の価格低減、防疫体制の強化、安全な水道水の安定供給等がそれに当たる。

 

 社会保障費用の内訳で特に大部分を占めるのは医療費である。連邦末期の不健全文化の蔓延や公害・食害は市民の健康寿命の低下を招き、それに伴う医療費の増大が財政を大きく圧迫した。この問題を解消するため、前述の食料の安全性向上に加えて厳しい自然保護政策や公害対策が取られたほか、抜本的な改革として特に重視されたのが医療体制の刷新である。

 

 帝国においては疾病は基本的に予防・早期発見・早期治療がモットーとされている。臣民の食事・就寝時間にまで干渉し、運動・身体鍛錬の推奨、予防健康診断の義務化、早期治療に秀でた保険制度の設立、国家功労者や一部の不可抗力な状況を除いた末期患者に対する積極的安楽死政策など、数々の施策によって帝国は社会保障予算の低減とサービス向上、健康寿命の長期化を同時に達成した(対して平均寿命は低下した)。銀河帝国は同盟・フェザーンに対して平均寿命では劣位にあるが、健康寿命では優位にある事で知られている。

 

 

【国務省の優越】

 帝国国務省の前身は銀河連邦の複数の加盟国間の意見調整機関である。凡そ現在の国務省の役割は銀河帝国における外交全般及び人事がそれに該当する。

 

 国務省の業務は基本的に帝国国内の帝国直轄領の行政官の任命・派遣、そして貴族領・自治領・外縁域、後にはフェザーン、自由惑星同盟との外交交渉・意見交換の任務を遂行、また貴族領・自治領・流刑地。司教領の監視要員の派遣も行う。

 

 その職務内容から帝国領域内外にその影響力を有するために主要官庁の筆頭とされ、席次としては帝国宰相に次ぐ役職と見なされている。

 

 

【銀河帝国における官僚制度および身分制度とその実体】

 銀河帝国における各行政組織の最上位層が門閥貴族を中心とした貴族階級により占められているのは事実であるが、それは必ずしも才覚・実務能力に劣る人材によって帝国行政が牛耳られている事を意味するものではない。

 

 銀河帝国における公務員は国家公務員・地方公務員に分けられる。更に前者のうち中央行政に関わる各省・庁・局等の基幹職員等、後者のうち大総督・総督・州知事・市町村長等の職員を上級職(所謂官僚、更にその中でも幹部を指定職とする)とし、その他下級公務員を一般職として取り扱う(軍部においては将官を指定職、その他士官を上級職、下士官兵士を一般職として扱う)。

 

 所謂一般職においてはその要求能力は高いものではなく、貴族階級の保有するコネクションにより比較的容易に就労が可能ではあるが、現実問題として貴族階級の外聞もあるため宮内省・典礼省を除けば下級貴族も含めて一般職に就く貴族は決して多くは存在しない。

 

 実際のところ、門閥貴族の内で領地経営に専念する者を除いた圧倒的多数派は帝国軍、あるいは行政組織の上級職、即ち官僚に出仕する事になるが、その場合は門閥貴族であろうとも無制限・無条件での出仕は許されない。

 

 上級職に採用されるには「帝国高等文官試験」(帝文)に一定以上の水準かつ定員内で合格する必要がある。これは教養(学力)・専門試験・三度に渡る面接・適性検査・人格検査・身体能力検査・健康検査・遺伝子疾病検査などから構成され、特に教養(学力)・専門試験・身体能力検査に重点を置いて極めて厳しい水準を要求されるものである。

 

 この試験は全帝国臣民階級(貴族のみならず、平民、自治領民、農奴、更には奴隷階級にすら)に対して門戸を開いており、ほぼ全階級構成員に対して公平な内容で実施される。門閥貴族階級には一部試験の免除があるが、それは主に面接・人格検査・遺伝子疾病検査であり、学力・身体能力に関してはそれ以外の階級と遜色ない水準を要求される。

 

 門閥貴族の上級職合格率、人口比構成比率は他階級に対して隔絶しているが、これは寧ろ幼少時代からのエリート教育の成果であり、実務能力の差である。また上級職においてはルドルフ大帝の掲げた弱肉強食の実力主義が徹底されており、多少の門閥貴族間のコネクションのみで昇進を重ねる事は困難を極める。

 

 実際、上級職に着任する平民階級(特に富裕平民)の絶対数は全階級の中で最も高く、また歴代の指定職に関しては平民や奴隷階級出身の者も存在する。この点から考えた場合、帝国官僚制度は階級制度社会を布く銀河帝国にあって、軍部と共に比較的階級制度に関して寛容かつ実力本位の組織であるといえる。

 

 




一応例として日本・米国・英国・ロシアの官庁組織を参考にしました

国務省は米国だと所謂外務省なんですよね……帝国の場合貴族領や自治領の監視、地方人事に関わる部署としました

内務省は農務省や国土交通省、厚生労働省等等内政全般を担当(戦前日本内務省参考)

学芸省は文部省を参考としています

殴り書きなのでおかしい所もあるのでちらほら修正するかも




因みに帝国の官僚が身体能力を重視されるのはひ弱だと激務で過労死するためです

また原作で尚書とか貴族ばかりなのは基準の問題です。平民は上級職になるだけで一族の英雄でちやほやされ燃え尽きますが門閥貴族は寧ろ上級職に出仕出来て当然、指定職で一人前扱い(寧ろなれなければ周囲から笑われる)ために大半は試験合格後もガンガン仕事します。結果、出仕後も働きまくる門閥貴族出身者ばかりが尚書や局長になります(ですので平民で花形な社会秩序維持局局長だったハイドリッヒ・ラングは化け物エリートです、小物扱いしないで……)。








尚、日本政府における指定職(官僚の中でも最高幹部)は2018年時点で929名、帝国臣民の人口比で比べると単純計算で帝国には19万3000名余りの指定職がいる計算、キャリア官僚(本設定の上級職に当たる)を含めると軽く十倍以上となります。

尚原作では門閥貴族は数千家です。一家20名として4300家程度(門閥貴族の大半が参加したリップシュタットが3700家前後)で計算して本作の門閥貴族人口は10万程度、半分は女子、子供と老人を除けば5万程度………やっぱり門閥貴族数千家って少な過ぎません?


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銀河帝国軍組織図

感想は次の更新の前に返信します、次の更新は……多分今月中には可能だと思いますのでお待ち下さい


【銀河帝国軍大本営】

総司令官(大元帥・銀河帝国皇帝)

  ・軍務尚書

  ・統帥本部総長

     ・宇宙軍幕僚総監

     ・地上軍総司令部長官

     ・宇宙艦隊司令長官

     ・地上総軍司令長官

  ・帝国大本営報道部

  ・野戦機甲軍総監

  ・狙撃猟兵団総監

  ・装甲擲弾兵総監

  ・各帝国クライス司令官

  ・帝都防衛司令官

(また、文官として原則帝国宰相・内閣書記官長・皇帝政務秘書官・国務尚書・財務尚書・内務尚書・枢密顧問官が無条件で出席可能なほか、必要に応じてその他の文官も認可により出席可能)

  

 

【中央国衙】

軍務省

 :軍務尚書(元帥)

 :軍務次官(上級大将)

  ・軍務局(大将)

  ・兵備局(中将ないし大将)

  ・軍需局(中将ないし大将)

  ・人事局(中将ないし大将)

  ・教育局(中将ないし大将)

  ・経理局(中将ないし大将)

  ・医務局(中将ないし大将)

  ・法務局(中将ないし大将)

  ・査閲局(中将ないし大将)

  ・帝国軍広報部(少将)

 (付属機関)

  ・帝国軍最高将官会議

  ・予備役総監部(大将)

  ・科学技術総監部(大将)

      帝国兵器工廠(少将)

  ・憲兵本部(大将)

  ・帝国軍士官学校(中将)

  ・帝国軍幼年学校(中将)

  ・帝国軍機関学校(中将)

  ・帝国軍専科学校(中将)

  ・帝国軍経理学校(中将)

  ・帝国軍法務学校(中将)

  ・帝国軍軍医学校(中将)

・帝国軍兵学校(少将)

 

統帥本部

  :統帥本部総長(元帥)

  :統帥本部次長(上級大将)

   ・第一部(中将ないし大将)

      統合総務課(少将) 

      統合教育課(少将)

   ・第二部(中将ないし大将)

      外縁域課(少将)

      辺境域課(少将)

      サジタリウス腕課(少将)

      フェザーン課(少将)

   ・第三部(中将ないし大将)

      統合作戦課(少将)

      統合編成動員課(少将)

   ・第四部(中将ないし大将)

      統合兵站課(少将)

      統合通信課(少将)

   ・第五部(少将)

      戦略戦術課(准将)

      帝国軍戦史編纂・総括課(准将)

   ・その他特務機関

 

 

【銀河帝国宇宙軍】

・帝国宇宙軍幕僚総監部

  :幕僚総監(元帥)

  :幕僚副総監(上級大将ないし大将)

    ・第一部作戦担当(中将)

      第一課作戦・編成(少将)

      第二課教育・演習(少将)

    ・第二部軍備担当(中将)

      第三課軍備・兵器(少将)

      第四課出動・動員(少将)

    ・第三部情報担当(中将)

      第五課・対外縁宙域(少将)

      第六課・対辺境宙域(少将)

      第七課・対サジタリウス腕(少将)

      第八課・対フェザーン(少将)

    ・第四部通信担当(中将)

      第九課・通信計画(少将)

      第十課・暗号(少将)

    ・宇宙軍戦史部(大佐)

    ・その他特務機関

   ・帝国宇宙軍要塞総監部(上級大将)

   ・帝国宇宙軍大型戦闘艇総監部(上級大将)

   ・帝国宇宙軍陸戦隊総監部(大将)

   ・帝国宇宙軍単座式戦闘艇総監部(大将)

   ・帝国宇宙軍航路部(少将)

 

・宇宙艦隊司令本部

 :宇宙艦隊司令長官(元帥)

 :宇宙艦隊副司令長官(元帥ないし上級大将)

 :宇宙艦隊総参謀長(上級大将ないし大将)

 :宇宙艦隊副参謀長(大将ないし中将)

    ・各司令部直属部隊・独立部隊

    ・各要塞守備隊

    ・白色槍騎兵艦隊(中将以上・階級指定なし)一万六〇〇〇隻

    ・黒色槍騎兵艦隊(中将以上・階級指定なし)一万六〇〇〇隻

    ・第一重装騎兵艦隊(上級大将)一万四〇〇〇隻

    ・第二重装騎兵艦隊(上級大将)一万四〇〇〇隻

    ・第三重装騎兵艦隊(上級大将)一万四〇〇〇隻

    ・第四重装騎兵艦隊(上級大将)一万四〇〇〇隻

 

    ・第一竜騎兵艦隊(大将)一万二〇〇〇隻

    ・第二竜騎兵艦隊(大将)一万二〇〇〇隻

    ・第三竜騎兵艦隊(大将)一万二〇〇〇隻

    ・第四竜騎兵艦隊(大将)一万二〇〇〇隻

    ・第五竜騎兵艦隊(大将)一万二〇〇〇隻

    ・第六竜騎兵艦隊(大将)一万二〇〇〇隻

 

    ・第一軽騎兵艦隊(中将)一万隻

    ・第二軽騎兵艦隊(中将)一万隻

    ・第三軽騎兵艦隊(中将)一万隻

    ・第四軽騎兵艦隊(中将)一万隻

    ・第五軽騎兵艦隊(中将)一万隻

    ・第六軽騎兵艦隊(中将)一万隻

 

    ・有翼衝撃重騎兵艦隊(イゼルローン駐留艦隊・大将)一万二〇〇〇隻

 

    ・第一弓騎兵艦隊(大将ないし中将)

    ・第二弓騎兵艦隊(大将ないし中将)

    ・第三弓騎兵艦隊(大将ないし中将)

    ・第四弓騎兵艦隊(大将ないし中将)

    ・第五弓騎兵艦隊(大将ないし中将)

 

    ・宇宙軍陸戦隊

 

【銀河帝国地上軍】

・地上軍総司令部長官(元帥ないし上級大将)

 ・人事局(大将ないし中将)

 ・兵器局(大将ないし中将)

 ・徴兵局(大将ないし中将)

 ・管理局(大将ないし中将)

 ・地上軍参謀本部(上級大将ないし大将)

   ・第一部(中将)

     ・第一課作戦(少将)

     ・第五課輸送(少将)

     ・第六課補給(少将)

     ・第九課地図測量(少将)

     ・第十課築城(少将)

   ・第二部(中将)

     ・第四課教育訓練(少将)

     ・第十一課将校教育(少将)

   ・第三部(中将)

     ・第二課編成(少将)

     ・第八課技術(少将)

   ・第四部(中将)

     ・第三課対サジタリウス方面(少将)

     ・第十二課対帝国外縁部方面(少将)

     ・第十三課対フェザーン方面(少将)

   ・第五部(少将)

     ・第七課戦闘記録(准将)

     ・その他特務機関

  ・陸上軍(ライヒス・ヘーア)総監部(上級大将ないし大将)

  ・水上軍(ライヒス・クリークスマリーネ)総監部(上級大将ないし大将)

  ・航空軍(ライヒス・ルフトヴァッフェ)総監部(上級大将ないし大将)

  ・工兵総監部(大将ないし中将)

  ・野戦衛生総監部(大将ないし中将)

  ・地上兵站総監部(大将ないし中将)

  ・郷土臣民兵団総監(大将ないし中将)

  ・海兵隊総監部(中将)

  ・空兵隊総監部(中将)

  ・アスカリ軍団総監部(中将)

 

・帝国地上総軍司令部

 :地上総軍司令長官(元帥ないし上級大将)

 :地上総軍副司令長官(上級大将ないし大将)

 :地上総軍総参謀長(大将ないし中将)

 :地上総軍副参謀長(中将ないし少将)

     ・各司令部直属部隊・独立部隊

     ・各駐屯地守備隊

     ・第一野戦軍(大将ないし中将)

     ・第二野戦軍(大将ないし中将)

     ・第三野戦軍(大将ないし中将)

     ・第四野戦軍(大将ないし中将)

     ・第五野戦軍(大将ないし中将)

     ・第六野戦軍(大将ないし中将)

     ・第七野戦軍(大将ないし中将)

     ・第八野戦軍(大将ないし中将)

     ・第九野戦軍(大将ないし中将)

     ・第十野戦軍(大将ないし中将)

     ・第十一野戦軍(大将ないし中将)

     ・第十二野戦軍(大将ないし中将)

 

【地域軍】

・オーディン帝国クライス本部:上級大将

  ・帝都防衛司令本部:大将

    ・帝都防衛艦隊(中将)五〇〇〇隻

    ・帝都守護軍団(中将)

    ・その他部隊

  ・第一胸甲騎兵艦隊(中将)六〇〇〇隻

  ・第一親衛野戦軍団(中将)

  ・その他部隊

  ・現地私兵軍

 

・バイエルン帝国クライス本部:大将

  ・第二胸甲騎兵艦隊(中将ないし少将)五〇〇〇隻

  ・第二親衛野戦軍団(中将ないし少将)

  ・その他部隊

  ・現地私兵軍

 

・ニーダーザクセン帝国クライス本部:大将

  ・第三胸甲騎兵艦隊(中将ないし少将)五〇〇〇隻

  ・第三親衛野戦軍団(中将ないし少将)

  ・その他部隊

  ・現地私兵軍

 

・フランケン帝国クライス本部:大将

  ・第四胸甲騎兵艦隊(中将ないし少将)四〇〇〇隻

  ・第四親衛野戦軍団(中将ないし少将)

  ・その他部隊

  ・現地私兵軍

 

・シュヴァーヴェン帝国クライス本部:大将

  ・第五胸甲騎兵艦隊(中将ないし少将)四〇〇〇隻

  ・第五親衛野戦軍団(中将ないし少将)

  ・その他部隊

  ・現地私兵軍

 

・ヴェストファーレン帝国クライス本部:大将

  ・第六胸甲騎兵艦隊(中将ないし少将)四〇〇〇隻

  ・第六親衛野戦軍団(中将ないし少将)

  ・その他部隊

  ・現地私兵軍

 

・オーバーザクセン帝国クライス本部:中将

  ・第七胸甲騎兵艦隊(中将ないし少将)三五〇〇隻

  ・第七親衛野戦軍団(中将ないし少将)

  ・その他部隊

  ・現地私兵軍

 

・クールライン帝国クライス本部:中将

  ・第八胸甲騎兵艦隊(中将ないし少将)三五〇〇隻

  ・第八親衛野戦軍団(中将ないし少将)

  ・その他部隊

  ・現地私兵軍

 

・ブルグント帝国クライス本部:中将

  ・第九胸甲騎兵艦隊(中将ないし少将)三五〇〇隻

  ・第九親衛野戦軍団(中将ないし少将)

  ・その他部隊

  ・現地私兵軍

 

・オーバーライン帝国クライス本部:中将

  ・第十胸甲騎兵艦隊(中将ないし少将)三五〇〇隻

  ・第十親衛野戦軍団(中将ないし少将)

  ・その他部隊

  ・現地私兵軍

 

 

【その他部隊】 

・野戦機甲軍総監部(上級大将ないし大将)

  ・各装甲軍団

・狙撃猟兵団総監部(上級大将ないし大将)

  ・各猟兵軍団

・装甲擲弾兵総監部(上級大将ないし大将)

  ・各装甲擲弾兵軍団

 

 

 

 

【宇宙艦隊編成の分類】

 基本的に帝国軍主力一八個艦隊は三種類の編制に分けられる。即ち

 

 ・重騎兵編成:大規模艦隊戦想定の重装艦隊

 ・竜騎兵編成:多種多様な任務に適応可能な柔軟な編成

 ・軽騎兵編成:哨戒任務・回廊内での艦隊戦に秀でた軽装編成

 

の三種類である。それ以外に

 

 ・白色槍騎兵艦隊:帝国宇宙軍第一艦隊とも呼ばれる皇帝直属艦隊、司令官は皇帝の信任の厚い者が選ばれる

 ・黒色槍騎兵艦隊:武門貴族・士族・軍役農奴のみで編成された精鋭艦隊

 ・有翼衝撃重騎兵艦隊:イゼルローン駐留艦隊とも、常時最新鋭艦艇と熟練兵で充足された精鋭艦隊

 

の三種の特殊編成艦隊が存在するほか、主力艦隊ではないのものに

 

 ・弓騎兵編成:超光速移動手段を持たない大型戦闘艇より編成、輸送艦艇で恒星間移動を実施する

 ・胸甲騎兵編成:地方駐留艦隊、旧式艦艇主体であり担当地域の哨戒・警備・掃討任務に従事する

 

の二編成が存在する。

 

 

【帝国軍における宇宙軍・地上軍の対立】

 軍事史上、軍種による対立はどのような国家においても常に存在し、それは当然銀河帝国軍においても例外ではない。銀河帝国軍においてはその建国期より宇宙軍と地上軍による予算と指揮系統の対立を孕んできた。

 

 銀河帝国宇宙軍においてその第一任務は恒星間航路の治安維持、それによる物流網の安全保障である。後年、自由惑星同盟との慢性的戦争状態に陥るものの、それでも帝国軍においては対同盟戦争よりも治安維持にその第一存在意義を置いており、特に地方駐留の胸甲騎兵編成、宇宙艦隊司令本部所属の竜騎兵編成・軽騎兵編成、大型戦闘艇からなる弓騎兵編成艦隊は、艦隊戦より寧ろそちらの訓練に重点が置かれているほか、陸戦訓練も盛んである。

 

 一方、地上軍は自由惑星同盟との接触以前は寧ろ宇宙軍よりも多くの実戦を経験した経緯がある。

 

 帝政初期の地方平定や対宇宙海賊・軍閥・ゲリラ掃討作戦では地上軍が主体であり、宇宙軍はその支援として運用された。ジギスムント一世公正帝時代初期の大反乱では宇宙軍も数度に渡り大規模艦隊戦を経験したとはいえ、百万規模の地上戦を幾度も経験した地上軍に比べてはその戦歴は微々たるものであった。

 

 その後も『フランケン帝国クライスの反乱』、『シリウスの反乱』等の地方反乱、外縁宙域の平定、アウグスト二世流血帝時代のエーリッヒ救国軍による帝都解放作戦等で地上軍は実戦の洗礼を受け、同時に研鑽を重ねてきた。

 

 そのような状況にありながら、例年の国防予算が宇宙軍・地上軍の間で6・4である事(宇宙艦艇の建造・維持費が高額のため)、軍縮時代における宇宙軍ポストの維持のための陸戦部隊の増設、軍事作戦における主導権争い等、宇宙軍と地上軍の対立は流血こそ伴わぬものの熾烈なものであったと言える。

 

 その代表例が『帝国軍三長官』と呼ばれる標語であろう。この言葉は帝国軍において宇宙軍・地上軍で別の意味を持つものである。

 

 三長官といいつつも、銀河帝国軍において現実には『元帥』が任じられる事が可能なポストは計八個存在する。

 

 軍務尚書は文字通り軍務省の長官であり、帝国軍全軍の軍政を司る。大元帥たる皇帝を除けば帝国軍の頂点に立つポストである。

 

 序列第二位は統帥本部総長である。即ち軍令を司るポストであるが、より正確には宙陸両面における軍令を司る部署であり、宇宙軍・地上軍の調整機関であると言える。

 

 というのも、宇宙軍・地上軍には更にそれぞれ宇宙軍幕僚総監部、地上軍総司令部と呼ばれる元帥が着任可能な軍令部が存在するためである。宇宙軍・地上軍それぞれの運用に特化する、という面では決して間違った編成ではないが、それ故に閉鎖的であり、両者の意思疎通・意見調整のために序列第二位として統帥本部の存在が必要とされる。

 

 軍務尚書、統帥本部総長、そして宇宙軍・地上軍の軍令部の次が実戦部隊の最高司令官である宇宙艦隊司令本部と地上総軍である。それぞれ広範な実戦部隊の精鋭を有している。両軍の副長官も元帥が着任可能であるが、多くの場合は上級大将以下の者で占められる傾向がある。

 

 以上八つの元帥ポストがある訳であるが、ここまで記述すれば分かるように、宇宙軍・地上軍の序列は対等と見なしてよいものである。

 

 『帝国軍三長官』の呼び名はその点から考えた場合、極めて好戦的な呼び名である。

 

 宇宙軍においてはそれは軍務尚書・統帥本部総長・宇宙艦隊司令長官であり、地上軍においては軍務尚書・統帥本部総長・地上総軍司令長官を指す(双方の軍令部は統帥本部総長と役職が重複するために除かれる傾向にある)。軍務省等では『帝国軍三長官』の呼び名を忌避する傾向があるが、これは宇宙軍・地上軍の対立を招くためである。

 

 対同盟戦争は宇宙軍と地上軍の対立をより熾烈なものとした。ダゴン星域会戦では宇宙軍の敗北の結果、地上軍は揚陸前に同盟艦隊の餌食となり、その後は同盟軍の辺境侵攻において地上軍は宇宙軍の支援を得られないまま国境防衛を強いられる事となった。コルネリアス帝の親征時には宇宙艦隊は大規模会戦は二度しか行わなかった事と対照的に激しい地上戦が継続、撤退時には多くの地上部隊が同盟領に取り残される事となった。

 

 地上軍と宇宙軍の対立はイゼルローン要塞建設計画で頂点に達した。要塞の建設により帝国本土への同盟軍侵攻の可能性が無くなると地上戦の重要性・緊急性が低下、対照的に艦隊戦が激増し、宇宙軍が地上軍に対して優越しつつある傾向にある。

 

 予算面でも地上軍予算が削られ宇宙軍予算が増額されつつあり、軍務省・統帥本部の配慮が行われているものの、宇宙軍・地上軍の溝は埋めがたいものとなりつつあると言えるだろう。

 

 

【銀河帝国軍における貴族私兵軍の歴史と存在意義】

 銀河帝国軍において門閥貴族が私有する私兵軍は、辺境宙域における治安維持・物流航路維持戦力の一端を担う存在である。その存在により帝国正規軍は現地貼り付けの辺境・外縁部警備戦力を大幅に削減し、即応展開・遠征能力に優れた機動戦力(正規艦隊・野戦軍)を充実させる事を可能としている。

 

 門閥貴族の保有する私兵軍のルーツは銀河連邦末期から帝国初期において中央から派遣された辺境平定軍であるが、当時の内実は銀河連邦軍正規部隊をコアとしつつも中央政府の人員不足、予算不足もあり、現地司令官ないし責任者(後の門閥貴族)が私財を投じて傭兵や義勇兵を召集、更には現地の自警団や降伏・恭順した現地敵対勢力の中から規律面や思想面で厳選した兵士・部隊を途中で加入させる等様々な手段による戦力・人材確保が行われている寄せ集め部隊というべきものであった。

 

 帝政の安定と貴族所領の復興・発展に伴い私兵軍は大きく改革された。長年従軍した士官・下士官・兵士を従士や奉公人、軍役農奴等に封じて臣従させ私兵軍の中核を形成、そこに領民からの志願兵を加え、外部からの教官や食客の登用、購入・製造した兵器の導入により、寄せ集め部隊から洗練された軍組織へと進化した。

 

 私兵軍の第一目的は所領の治安維持であり、領主である主家の守護である。第二の目的が星間航路の維持と領民の生命・財産の保護であり、第三の目的が帝国正規軍と皇帝に対する軍役である。

 

 第一・二の目的のために、また門閥貴族の大多数が複数惑星からなる所領を持たないために、多くの私兵軍は地上軍を中核とした編成であり宇宙軍の保有艦艇はワープ能力を持たない大型戦闘艇を主力としている。遠距離まで進出できる大規模な宇宙軍を保有するのは多数の星系を保有し、その治安維持の義務がある伯爵位以上の大貴族に限定される。

 

 第三の目的は現実には殆んど行われる事はない。正規軍が私兵軍に求める存在意義は後方の治安維持と航路維持であり、それは第一・二の存在意義と重複しているためである。また、前線での軍役も、多くの場合は部隊で、というよりも主家や家臣の一族が正規ルートで士官学校等を卒業して帝国正規軍軍人に志願する形が多く、私兵軍が部隊として正規軍と同行する事は少ないためである。

 

 とは言え、私兵軍が正規軍に劣るか、と言えば必ずしもそうとは言えない。私兵軍は正規軍に比べて戦闘での損失は然程生じないために常に練度を高い水準で維持可能であり、ノウハウの面でも予備役に転じた帝国正規軍所属の家臣や臨時で食客とした士官から最新の戦略・戦術のフィードアップが可能であるためである。

 

 また所領での戦闘を主眼に置いてあるために地理に詳しく、要塞化された領内で潤沢な補給と地の利を得た状態で交戦する事になるため、侵攻する敵勢力に対して優位に立つ事が可能である。

 

 また、私兵軍は士官から兵士まで代々役職を継承する者が多く、その点でも私兵軍全体としてノウハウの蓄積と結束力が強い傾向がある。

 

 何よりも兵士の愛郷心と領主への(半ば刷り込みに近いものの)忠誠心から高い士気と特筆すべき勇敢さを発揮する傾向がある。私兵軍は領外への攻勢に関しては必ずしも有力とは言えないが、領内での守勢に回った場合には少ない戦力でも恐ろしいまでに粘り強く戦う事で知られている。

 

 自由惑星同盟においては私兵軍を門閥貴族の平民支配の手先とみる事が多いが、実際の所は私兵軍と領民の距離は多くの場合極めて近いものである。

 

 平時においては領内での労働支援や災害派遣、式典等に動員され、また領民にとっては一種の安定した就労先としても人気である。多くの場合は士官・下士官は門閥貴族子飼いの従士・奉公人・食客に独占されるものの、領民からの志願兵は軍役農奴と並んで私兵軍兵士の出自の大きな割合を占める。

 

 徴兵は殆んどの領地で形骸化している。平均して選抜徴兵制で簡単な訓練を二年から三年程実施するが、徴兵対象者の内実際に徴兵される確率は極めて低く、また実戦参加は志願兵が優先されるため、多くの場合は訓練と警備のみを経験して後即応予備役・予備役・後備役に編入されているのが現状である。

 

 

【銀河帝国軍正規軍設立経緯及びダゴン星域会戦までの歴史概略】

 銀河帝国正規軍の前身組織は銀河連邦軍である。銀河連邦軍自体は元を正せばシリウス政府崩壊後の群雄割拠時代である「銀河統一戦争」時代に覇権を争った列強諸国の正規軍及び旧「黒旗軍」残党、各地の自警組織を糾合して成立したものであり、建国期は特に中央政府よりも各惑星への帰属意識が強い「星系軍」の集合体と呼ぶべきものであった。

 

 宇宙暦106年頃より行われた銀河連邦軍の大規模な増強に際し、地方固有の所謂星系軍に対して機動展開能力に秀で、特定の担当宙域を持たない真の意味での連邦軍(当時としては銀河連邦中央軍と称された)が設立される。ミシェル・シュフラン、クリストファー・ウッドといった諸提督は主にこの中央軍による宇宙海賊退治により功績をあげた軍人である。

 

 とは言え、かつての地球統一政府が植民諸惑星を軍事力で威圧していた前例もあるため、連邦軍中央による要求が幾度も行われてもなお大幅な増員は行われなかった。最盛期の中央軍ですら各星系軍に対して質は兎も角物量の合計では大きく劣り(最大時でも3:7の比率であったとされる)、依然として中央政府による連邦加盟諸惑星やフロンティアに対する完全な治安維持体制の構築には困難を伴った。これだけ不均衡な状況でも連邦の支配体制が揺らがなかったのはあくまでも最盛期の銀河連邦が好景気にあり、犯罪行為に手を染める絶対数少なかったからに過ぎない。

 

 銀河恐慌とその後の政治・経済的混乱、それによる急速な技術力低下、治安悪化に実力を持って対応出来るのは銀河連邦軍だけであったが、諸惑星が有する星系軍は自惑星外における動乱に対する介入に消極的であり(能力的にも不足だった)、対応の意志と(最低限とは言え)能力を有する中央軍の派遣は議会の混乱により幾度も延期、それどころか財政悪化のあおりを受けて、装備の整備・更新の停滞、給金の滞納等寧ろ予算削減の憂き目に遭う事になる。

 

 幾名かの連邦軍人は少ない予算の中で装甲擲弾兵団、狙撃猟兵団等の前身組織を編成、現地司令官の裁量権の範囲内での小規模な軍事作戦の実施等努力を重ねるが、大半の幹部はこの不況と政治混乱、それによるこれまでにないレベルにまで達した犯罪や紛争の凶悪化に対してたじろぎ、あるいは道徳意識の低下により腐敗と不正蓄財に励むようになる。  

 

 宇宙暦280年代前半頃には長期に渡り中央からの給与支払いが滞る、あるいは通信網の老朽化・寸断により連絡が途絶えた事で遂に地方に派遣されていた中央軍の不満が爆発、宇宙海賊化や軍閥化、あるいは独自に収入を確保するために傭兵となる部隊まで現れる等、市民保護の義務を怠る事例が多発、連邦加盟諸惑星の中には連邦体制を離脱するもの、星系軍を持って周辺諸国を侵略するものまで現れる。

 

 連邦最末期には一部の有力軍人、青年将校による連邦再建のためのクーデター未遂事件、更には辺境艦隊が軍事独裁政権樹立のためにテオリア中央政府制圧を目論み反乱を起こす例すら発生する。

 

 宇宙暦288年、銀河連邦軍士官学校を首席卒業した宇宙軍法務士官ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム少尉はリゲル星系にて上官の不正追及・部隊の風紀粛清を行い、それを疎んだ上層部によりアルデバラン星系に追放、現地で暗殺されかける憂き目にあうが、一部の部下と共に現地の宇宙海賊を壊滅させ生還、長年にわたり連邦軍の腐敗と宇宙海賊の跋扈に苦しめられたテオリア市民は彼を英雄として賞賛する事になる。

 

 その後も幾度にも及ぶ暗殺を切り抜け、同時に昇進を重ねたルドルフは遂に宇宙暦296年3月を迎える。連邦辺境部を制圧し中央政府占領による軍事政権樹立を画策していた『救国市民議会軍』約二万隻を前に多くの上官が戦闘前に逃亡したがために、急遽特務中将として(当時准将であった)迎撃部隊五〇〇〇隻を率い、これを撃破する。

 

 ルドルフの率いた艦隊が敵の四分の一に満たぬ戦力であったこと、中央宙域に『救国市民議会軍』が侵入しないように外縁域ぎりぎりの宙域で撃破した等の理由もあり、これにより中央宙域市民によるルドルフ支持は決定的なものとなった。

 

 同年10月、ルドルフは銀河連邦軍少将昇進と共に退役(この時予備役中将に昇進)、同時に中央議会議員として地元プロキオン星系選挙区にて圧倒的投票率で当選した。

 

 当時の銀河連邦議会に席を占めた腐敗政治家はこの反骨精神の塊と言うべき若手議員のテオリア議会出席に反対し、時として暗殺者まで送りこまれたが、これらの魔の手から逃れ、宇宙暦297年5月にはその後の政局を決定的なものとする『テオリア行進』が実施される。

 

 暗殺者から逃れ着の身着のままテオリアのスラム街に逃れたルドルフは現地で幾度も演説活動を行い現地市民の圧倒的支持を得る事に成功、その後「市民の窮状を議会に伝える」との言葉の下に、支持者たる現地のスラム住民達を率いてテオリア中央議会行進を開始した(ルドルフの名言「強力な政府を、強力な指導者を、社会に秩序と活力を!」はこの時の演説で初めて発せられたものである)。

 

 途中次々と各階層の支持者が合流、最終的に六十万にも及ぶ市民による大行進は、議会からの鎮圧命令を受けた警察部隊および軍隊の兵士がテレビカメラの前で現地の指揮官の命令を放棄して行進に参加する様子までもが撮影され、全銀河に報道される事態に発展する。これにより警察・軍部の特に下級兵士のルドルフ支持が印象付けられ、議会はルドルフに対して警察・連邦軍を利用した排除が不可能である事を悟らされた。

 

 こうして市民の圧倒的支持を背景に連邦政界進出を政治家達に認めさせたルドルフは、国防通政治家として連邦安全保障会議に席を占めると数度の選挙の中で同じ国防族議員や革新派官僚、交易・金融関連大企業グループ、中央集権派若手政治家等をその手腕の元に集結させ新政党「国家革新同盟」を設立させる。

 

 その後、宇宙暦298年連邦議会選、宇宙暦300年のハービック事件等を通じて銀河連邦議会最大勢力を形成、宇宙暦301年に国家元首に就任した。宇宙暦302年には首相を兼任、宇宙暦304年の終身執政官就任を以て事実上の独裁体制が確立される。

 

 ルドルフによる大規模な風紀粛清と人事異動、部隊再編により銀河連邦中央軍は短期間の内にその能力を向上させ、その軍事力によって中央宙域の治安改善、星系軍の部分的統合、更には帝政初期にまで続く辺境平定作戦が実施される事となる。

 

 この一連の風紀粛清と人事異動の中で銀河連邦軍上層部は軍人時代のルドルフの同志、部下、有望視された若手将校によって占められるに至り、連邦中央軍は星系軍の大部分を吸収した新体制に移行、宇宙暦310年・帝国暦1年を以て銀河帝国軍に組織再編が為される事になる。

 

 かつての銀河連邦軍に比べ軍事力の拡充と中央集権化がなされた軍隊は、その後大規模艦隊や野戦軍すら保有したジギスムント一世公正帝時代の反乱勢力をも鎮圧、長期に渡り巨大な武力により帝国国内の体制維持に寄与する事になる。その後、リヒャルト二世忌血帝時代の『領内平和令』の布告後は貴族間の『私戦』や反乱の減少も合間ってダゴン星域会戦まで緩やかな軍縮が行われる事になり、同盟との全面戦争が始まるまで宇宙軍の主力は大型戦闘艇と陸戦隊、地上軍の主力は即応展開可能な旅団単位の独立部隊となる。

 

 

【銀河帝国軍徴兵制度】

 銀河帝国正規軍における徴兵制度は一八歳から二一歳までの平民階級以上成人男性を対象としたものである。これは皇帝直轄領における奴隷人口を除いた帝国臣民人口一三〇億人、そこから農奴階級を除いた一一〇億人の約三パーセント前後であり対象人口は例年三億九〇〇〇万前後である。実際の所この対象者の中から全員が徴兵される事はない。

 

 最も優先的に徴兵される対象は基本的には貴族階級及び士族階級である。この階級は各種の特権付与の代償として帝国に対する奉仕が求められるためである。

 

 とはいえ現実には帝国の徴兵令には階級ごとに複数の特例が存在する。各階級の特例については下記のものが挙げられる。

 

・全階級共通兵役免除特例

 ・士官学校等の軍学校ないし神学校・医学校・理工系学校・官吏学校その他学芸省の認可した学部学生である者

 ・体力検査・知力検査等において基準に満たぬ者

 ・懲役刑以上の前科犯

 

・貴族階級兵役免除特例

 ・家督を継ぐべき直系男子が一名のみ、ないし兄弟の中で二名以上の戦死者がいる場合

 ・特に下級貴族階級においては習剣士学校通学者

 ・自領の私兵軍に所属する者

 

・士族階級兵役免除特例

 ・家督を継ぐべき直系男子が一名のみ、ないし兄弟の中で二名以上の戦死者がいる場合

 ・三等親内で職業軍人・警察・消防士等の職業に就く者が四名以上いる者

 

・平民階級兵役免除特例

 ・一〇万帝国マルクの兵役代人料を支払う者

 

 現実においては貴族階級の多くはエリート教育を受けているために学力水準が高く各種軍学校、官吏学校等に通学する者が多いほか自領の私兵軍に所属する者も多くその点において特に門閥貴族階級は殆どの場合徴兵対象から除外される事となる。また士族階級の場合も多くの場合は軍学校ないし志願兵として帝国軍に所属する者が多いために実際に徴兵される者は少数に留まる。平民階級の中では富裕市民階級において兵役代人料を支払う者は少なくないが同時に兵役代人料による免除は不名誉なものであるという認識も存在する。

 

 また逆に生命の危機を伴う兵役を勤め上げる事は社会における公共の利益を重視する帝国社会において重要な社会貢献であると認識され、兵役従事者及び経験者は地元社会で英雄として扱われるほか在郷軍人会会員加入権、公共施設の優先使用権が与えられるほか縁談や就職において厚遇される傾向にある。また兵役全う後は二年間の即応予備役、六年の予備役の後に後備役に編入され『郷土臣民兵団』加入が義務付けられている。

 

 帝国軍における徴兵による兵員補充は決して主要な兵士供給源ではない。元々帝国正規軍は職業軍人と志願兵を主体として高級士官を貴族、下士官及び下級士官を士族、兵士を軍役農奴で編成するのが基本であり、その補助として徴兵制度があるに過ぎないためである。現実に徴兵対象者から徴兵されるのは全体の約四パーセント、一二〇〇万名前後に過ぎず、その中から最前線の対同盟戦争に投入されるのは更に一部に留まる。

 

 銀河帝国正規軍は平均して年間約七二〇〇万前後の兵力を保有するが先の通り徴兵比率は全体の一七パーセント前後となる。一五〇年に渡る対同盟戦争による軍拡と士族・軍役農奴人口が急速に減少する以前は更に徴兵率は低く、ダゴン星域会戦以前の帝国正規軍における徴兵構成比率は六パーセント前後でしかないものであった。

 

 帝国軍を構成する各階級において特異な存在は名誉帝国人からなる『アスカリ』が挙げられる。帝国地上軍のアスカリ兵団総監部により監督される彼らは自治領民・奴隷階級からの志願兵からなり二五年の兵役を務めるか戦死した場合本人及びその三等親までを帝国臣民平民階級に昇級させる制度である。但し厳しい思想検査・体力検査・知能検査等が為されるために倍率は高く、その総戦力は年間して平均六〇万から七〇万前後、帝国正規軍の一パーセントに満たぬ比率を占めるに過ぎない。

 

 

【銀河帝国軍における貴族階級と平民階級の軍役従軍比率の公平性】

一般的に銀河帝国軍において「貴族階級は平民を前線で戦わせて自らは宮廷の祝宴にばかり出席する特権階級」という風説が語られるがそれは正確ではない。

 

 私兵軍を除いた銀河帝国正規軍七二〇〇万の内、軍役と引き換えに特権ないし土地の領有を認められている士族階級・軍役農奴階級は全体の半数近い三五・六パーセントを占める事実がまずあり、また下級貴族を含む帝国正規軍所属の貴族軍人は約一〇〇万名、帝国正規軍全体の一・四パーセントを占めている(この数字は私兵軍所属の貴族は含まない)。

 

 これらを除外した場合、本当の意味で特権・財産的見返りがなく従軍する平民階級兵士は志願兵・徴兵合わせて全帝国正規軍の六〇パーセント、約四三二〇万名に過ぎない。

 

 帝国臣民(奴隷・自治領民を除く)総人口二五〇億の内、貴族階級(門閥貴族・下級貴族老若男女全てを含む)は約四〇〇〇万名、人口比率は総人口中の〇・一七パーセント以下であり士族階級は約五億人、全体の約二パーセントである。一方、帝国正規軍に所属する権利・義務を有する皇帝直轄領の平民階級は約一〇〇億名でありその内帝国正規軍に所属するのは四三二〇万人、総人口の〇・四三二パーセントである。

 

 これは帝国貴族の内、正規軍に所属する割合(約一〇〇万名が所属・私兵軍所属・予備役軍人は含まない)二・五パーセント、士族階級の内正規軍に所属する割合(約一二〇〇万名が所属・私兵軍・予備役軍人は含まない)二・四パーセント、皇帝直轄領における軍役農奴(全皇帝直轄領の農奴階級二〇億名の内、軍役農奴は三億名前後)からの兵員供出割合である一五八〇万名、五・二六パーセントよりも遥かに低いものであり相対的に富裕市民を含む平民階級の軍役負担は軽いものであると言える。

 

 無論、高級士官比率が相対的に高い貴族階級・士族階級ではあるが彼らの多くは正規の試験・訓練を受けた職業軍人である。貴族軍人を揶揄する「二、三回の戦闘で将官になる貴族軍人」とは基本的に出向している私兵軍出身の貴族軍人であってこの中の比率に含まれないものであり、その多くは文官貴族出身の予備役軍人でもある。帝国正規軍所属の貴族軍人の大半は軍功を基に昇進しており、彼らの昇進速度の速さはあくまでも士官学校等でのエリート教育及び人事における軍功の上げやすい部署に対する優先異動の結果に過ぎない。

 

 

【帝国正規軍と貴族私兵軍比率と対同盟戦争による軍備拡張】

宇宙暦780年代において銀河帝国正規軍の一個艦隊定数は最低一万隻、野戦軍の定員は最低二〇〇万名に及ぶがこれは約一世紀半に渡る対同盟戦争の結果による軍備強化の結果である。

 

 銀河連邦末期において銀河連邦中央軍の宇宙軍一個艦隊の定数は五〇〇〇隻、地上軍の諸兵科による統合機動軍の定員は八〇万名でありそれぞれ一〇個艦隊・統合軍が設けられていた。これらの戦力の多くは連邦政府と連邦軍の腐敗と予算不足により定数不足或いは幽霊部隊が多く存在していたがそれでも尚、相対的に見れば銀河系最大最強の軍事力を有していたと言える。

 

 銀河帝国建国により宇宙軍は一八個艦隊、地上軍は一二個野戦軍体制に増強されたものの、定数は変わらず、それは三世紀以上経た対同盟戦争の始まりまで変化はなかった。

 

 ダゴン星域会戦以前において、帝国軍正規軍の総兵力は四〇〇〇万前後、私兵軍の総兵力は三五〇〇万前後であったとされる。ダゴン星域会戦に投入された恒星間航行能力を持つ大型戦闘艦艇五万隻は帝国正規軍の一〇個艦隊に相当しており、実際帝国軍はこの会戦において九個艦隊、及び一部貴族私兵軍と独立部隊を投入していた。

 

 ダゴン星域会戦直前の時点で銀河帝国宇宙軍の保有する宇宙艦艇は正規軍・私兵軍ともにワープ能力を保有しない大型戦闘艇が主力であり全艦艇戦力の七割を占めていたとされる。元来治安維持・航路維持を主眼としていた銀河帝国軍にとってこの時代は軍縮時代であり、また任務の性質から恒星間航行可能である代わりにコストが高い大型戦闘艦艇よりもコストが遥かに安く、軽快で数を揃えられる大型戦闘艇の方が配備を優先されていた傾向があった。

 

 数少ない恒星間航行能力を保有する艦艇もまた戦艦は全体の五パーセント程度を占めるに過ぎず、殆どの艦艇は航路維持のために快速性能や航続性能重視であり、装甲や火力等の能力は大きく制限され、しかも艦齢三〇年以上の艦艇が多数を占めていた。それらを指揮する諸提督もまた反乱鎮圧や治安維持任務の経験は豊富であったが正規艦隊戦の経験は大きく不足し、それを想定した訓練も殆ど行わずノウハウ不足に陥り、それは帝国軍史上でも五本の指に入る大敗の遠因となった。地上軍もまた治安維持任務が主体のために戦車や火砲等の重装備が不足しており主力は軽歩兵や装甲車両、迫撃砲等の小口径砲が中心であった。

 

 ダゴン星域会戦以降、特に帝国正規軍は急速に軍備拡張を開始する。正規艦隊総数こそ変化はないものの独立部隊の増強、艦隊・野戦軍の定数の増量を行った。また艦隊における戦艦比率の増強や艦艇自体の艦隊戦機能の向上、高級士官の再教育、地上軍の重武装化が図られる事となる。

 

 銀河帝国の豊富な人的資源と巨大な工業生産能力は歴史的大敗であるダゴン星域での敗戦による損失を急速に回復させ、帝国軍の戦闘能力は五年余りで戦前のそれを凌駕した。それは当時の同盟政府の予想を遥かに上回っており後にコルネリアス一世時代の帝国軍の過小評価から来る『コルネリアス帝の親征』とその軍事的惨敗の遠因となる。

 

 第二次ティアマト会戦時代には艦隊定数は八〇〇〇隻前後、野戦軍定数は一五〇万前後に拡張された。帝国正規軍の総兵力は一五〇年継続する戦争から宇宙暦630年代の四〇〇〇万から宇宙暦780年代には七二〇〇万にまで増強された。だが余りに長く続く戦争により多くの武門貴族・士族・軍役農奴の一族が断絶した影響から平民の徴兵率は緩やかに上昇傾向にある。

 

 一方、貴族私兵軍の総兵力は三五〇〇万から殆ど増強はなされていないとされている。理由としては治安維持のための領域は殆ど変化しておらず国境地域の諸侯を除けば私兵軍の増強の必要がない事が挙げられる。また私兵軍の増強よりも各門閥貴族の子弟・臣下の従軍を帝国政府が求めたために私兵軍の中核を担うべき士官・下士官になるべき人材が正規軍に流れているためでもある。

 

 

【帝国軍における予備役制度など】

銀河帝国軍において正規軍に所属していない門閥貴族階級男子はその全員が予備役軍人の階級を保持している。これは門閥貴族階級が私兵軍を保持・指揮するための儀礼的なものであると共に『全ての門閥貴族は帝室の藩屏として軍務を持ってこれを守護するべきもの』、『門閥貴族は神聖なる国家に対する奉仕のために全てが軍人たるべき』という帝政・階級制度における建前からのものである。とは言え門閥貴族階級男子はその大半が幼年学校に入学する慣習こそあるがその教育内容は軍事教練の中では基礎中の基礎であり現実の軍務においては基本的理解・知識としては十分ではあるが実際に軍を率いるには不足気味の内容である事実は否定出来ない。

 

 全ての帝国軍人は志願兵・徴兵問わず退役後は即応予備役・予備役・後備役に編入される。即応予備役は退役後二年・年間四十日の訓練を、予備役は退役後六年・年間二十日の訓練を、後備役は退役後十二年・年間十二日の訓練を課せられる事になるが特に定年退職者の場合は訓練の一部が免除の場合も存在する。

 

 『郷土臣民兵団』は帝国軍における補助戦力の一つである。在郷軍人会の傘下にあり加入資格として各地方自治体に居住する貴族階級・士族階級・軍役経験者・その他志願者の内訓練及び試験通過者を対象としており一種の準軍事組織であり自警団とも呼ぶべきものである。小火器等を保管しており、基礎的な軍事教練も行われているこの組織は軍・警察の補助として機能しており平時と有事の治安維持、巡回、消防活動、地上戦等を行う事を想定している。特に帝国国境や主要拠点等の軍役農奴や退役軍人の多い地域は『軍役属領』とも称されており、そこに置かれる『郷土臣民兵団』は実戦志向の本格的な組織と保管装備を保有している。

 

 在郷軍人会は地域社会における徴兵管理と地元市民に対する啓発活動、広報、『郷土臣民兵団』の編制、傷痍軍人・戦死者遺族の生活保護、慰霊祭の協力、講演会、退役軍人の親睦会のために郡単位で設立されている。責任者は現地の予備役で最も階級の高い者、軍歴が長い者から選出される。特に地域の徴兵適齢者の簡易検査や徴兵令状の送付、兵役忌避者の確保、徴兵対象者の歓待・誘導等は最も重要な役目である。

 




旧日本海軍、ドイツ国防軍等を参考に作成しました
原作クラーゼンの幕僚総監が役職的に統帥本部総長と被っている?ように思えたので本設定ではクラーゼンの幕僚総監は正確には宇宙軍幕僚総監である、という解釈を行いました

尚、リップシュタットのシュタインメッツの辺境を土産にした発言は本人が中将であった事から帝国クライスの司令官(あるいは司令官代理)であったと解釈します

また原作一巻の時点で元帥が四名のみ(ラインハルト含めて五名)記述は当時の地上軍の総司令部・総軍司令部が上級大将であったため、と解釈します



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第一章 幼年学校は貴族の道楽と思ったか?
第一話 帝国貴族が帝国に生まれるとは限らない(後書きにキャライラストまとめあり)


思いつきで書きました。続くか分かりません。


 さて諸君、一つお訊ねしたい。諸君は「銀河英雄伝説」と呼ばれる文学作品を知っているだろうか?

 

 そう、日本で最も有名なSF小説の一つである。略称を銀英伝、銀河を二分する銀河帝国と自由惑星同盟の永遠の様に続く戦争、そこに現れる二人の英雄の物語だ。

 

 かくいう私も当作品の大ファンだ。まぁ、私の場合OVAからだが……。そこから漫画、小説。そして二次創作と手を出していった口だ。リメイク版アニメの出来が怖いぜ。

 

 さて、私はある日死んだ。事故死だ。まぁ、細かいところは語る必要もあるまい。そして私はそこで俗にいう転生をする事になった。

 

 さて、ここまで言えば大体の人々は察しがつくだろう。そう、私が転生したのは銀英伝の世界だ。

 

 うん、青空に宇宙戦艦が浮いていたのを見た時は唖然とした。真上を戦艦が通り過ぎるってかなり怖い。全長600メートルだからな。米空母の2倍の大きさだぞ?

 

 転生したのはまぁいい。問題はどこに転生したかだ。所謂最高の展開はフェザーンの一般家庭だ。原作介入?いやいや、あんな小競り合いで万単位が戦死する世界で介入とか無理だって。確実に名無しのモブとして死ぬ。あの世界下っ端の内はマジで運ゲーだぞ?

 

 だが、態々このように長々しく書くだけで分かると思うが私はフェザーン生まれでは無い。

 

 で、残るは帝国か同盟だ。次点でいえば帝国貴族に生まれる事だろう。二次創作の御約束パターンだ。上手く貴族社会を渡り歩いてリップシュタットでラインハルトに味方すれば後はヌルゲーだ。

 

 え?うん、なったよ。帝国貴族だ。帝国開闢以来の伝統を持つティルピッツ伯爵家の長男だ。名をヴォルター・フォン・ティルピッツ。宇宙暦763年帝国暦454年7月14日生まれ。この歳4歳。当然門閥貴族だ。やったぜ、勝ち組だ。勝ち組の……筈だったんだけどなぁ。

 

「見よ、ヴォルター!あの艦隊を!我らが誇る帝国亡命政府軍の勇ましい姿をっ!此度の遠征でも、我らが精兵達が必ずや賊軍共を殲滅させて見せる事だろう!!」

 

 幼い私を抱き上げる金髪碧眼の屈強な男性が叫ぶ。その姿からわかるだろうが、ゲルマン系だ。私の父である。つまり帝国貴族だ。だが、着ている軍服は同盟軍の深緑色のそれにベレー帽。

 

……ああ、父の言葉で御分かりかな?そういう事だ。

 

 自由惑星同盟の帝国との国境近いアルレスハイム星系、そこに居を構える同盟構成国の一つ、銀河帝国亡命政府……通称は亡命政府の主星ヴォルムスが私の生まれ故郷だ。

 

 つまりだ……私は亡命貴族の子として生まれてきたわけだ。

 

 

 

 

 さて、私の生まれ故郷について少し語ろう。

 

 銀河帝国と自由惑星同盟の接触は宇宙暦640年、帝国暦331年2月に両軍の辺境警備艦隊の遭遇戦、アルレスハイム遭遇戦が始まりだ。アルレスハイム星系の第4惑星は当時惑星改造の必要無しに入植可能な第1級居住可能惑星だった。

 

 遭遇戦から遡る事10年前に帝国の探査船団がこの星系を調査、アルレスハイム星系と命名、第4惑星は極めて環境の整った惑星、周辺の他の惑星もハイドロメタルを始め多くの資源に恵まれた有望な星系だったが、当時帝国領域から余りにも遠すぎたために開発が後回しにされていた。

 

 7年前には同盟の探査船団が調査、同じく当時の同盟領域から離れていたためすぐさま開発される事は無かった。 

 

 帝国暦330年9月帝国の移民船団がアルレスハイム星系に入植を開始、同年10月、同盟の移民船団が惑星シャンプールから進発。当時同盟の移民船団は、帝国や宇宙海賊との遭遇に備え同盟軍が護衛について入植するのが常識だった。

 

 後は御分かりの通りだ。両者の移民船団の護衛艦隊が遭遇、戦闘。これにより帝国と同盟は戦争状態に移った。

 

 で、ダゴン星域会戦の結果、イゼルローン回廊の同盟側出口にあるこの星系は同盟の有望な入植地に……ならなかった。

 

 ダゴン星域会戦で帝国軍が歴史的大敗を喫し、帝国宮廷が混乱状態になった際、多くの共和主義者や権力闘争に敗れた帝国貴族が回廊から同盟領に雪崩れ込んだ。その数コルネリアス1世の大親征までの約20年間に十億人近い数に上ったらしい。

 

 当然ながら当時の同盟にそれ程の数の帝国人を受け入れる余裕は無かった。人的資源は喉から手が出るほど欲しいがさすがに短時間の間に大量に雪崩れ込み過ぎた。しかも亡命者の大半は貧しく、財産も無く、言葉も通じない下層階級だ。後々になると回廊の帝国側に侵攻して農奴や奴隷を解放するようにもなるが、この頃の同盟には雪崩れ込む亡命者の受け入れすらその国力の限界ギリギリだったのだ。

 

 さて、そんな彼らを一時的に隔離するために居留地が出来たのだが、それがアルレスハイム星系第4惑星に置かれる事になった。と、いうのも既に帝国の入植地があったためである。

 

 さらに、大量の亡命者が犇めく事で混乱が起きると、当時の亡命者の中の知識階級であり有力者、つまり皇族や貴族階級が一時的に彼らを管理・指導する事になった。

 

 当初、同盟政府は愉快な感情を持たなかったが背に腹は代えられない。彼らに一定の自治権を与えた。同盟としては自国に移住させる間にワンクッション置く事で帝国の間諜がいないか調査すると共に語学を始めとした教育を与える準備段階とするつもりだったらしい。

 

一方、亡命貴族達にとっても悪い話では無い。この新天地で仮初であろうとも再び貴族としての権力を振るえるならば同盟に頭を下げるなぞ安いものだ。

 

そうしてこの奇妙な自治区は20年に渡り続いた。

 

 そしてコルネリアス1世の親征によって同盟と自治区の関係は一気に深化した。

 

 帝国軍の大軍の侵攻に対してこの自治区の取った選択は徹底抗戦だった。当然だ。彼らは帝国軍や社会秩序維持局が反逆者をどう扱うかをよく知っている。コルネリアス1世自身は恩赦を約束したが信用出来る筈が無い。星系全体を舞台に自治区の住民はゲリラ戦を開始した。

 

 元々帝国に近いのだ。惑星全体が帝国軍の侵攻に備え20年の時間をかけて要塞化されていた。貴族の私兵と元共和派テロリスト、現地警備兼監視役だった同盟軍が協力して帝国軍を迎撃した。小惑星帯に同盟軍と貴族軍の戦艦、共和派の武装輸送船が潜み奇襲攻撃を繰り返した。地上では地下に、森林に、山岳地帯に何百万と言う兵士が潜み降下してきた帝国軍と戦った。

 

 窮鼠猫を噛む、というがその余りにも必死の抵抗についに帝国軍は牽制のための部隊を残しこの星系を放置し、同盟本領を目指す程であった。冗談抜きで特攻攻撃がそこら中で実施されていたらしい。地球教もびっくりの規模で、だ。

 

 オーディンのクーデターによって親征が失敗した後、同盟と自治区の信頼関係は頂点に達した。自治区から帰った同盟軍兵士達は口々に自治区の兵士達の勇敢さを、悲壮な覚悟を民衆に語った。自由のために戦う亡命者とその子孫、兵士達の先頭で指揮する元貴族達、その姿は同盟市民を熱狂させた。

 

 親征の2年後には、同盟政府はアルレスハイム星系を自治区から同盟加盟国に昇格させた。同盟加盟国は自治区と違い同盟の保護区では無く対等な惑星国家である。同盟議会への議員を送る権利があれば住民には選挙権もある。つまり完全に同盟の一部として、同盟国民として認められた訳だ。

 

 そしてここに銀河帝国の正当な後継者として帝国領の奪還と民主化を目指す共和派貴族と亡命市民からなる銀河帝国亡命政府が成立した、という訳である(銀河帝国亡命政府公式パンフレット年表欄より)。

 

 以来、我らが銀河帝国亡命政府、そして我らの保有する亡命軍は政治的には同盟議会の主戦派の急先鋒としてロビー活動に勤しみ、軍事的には同盟軍の一部として毎年の如く帝国軍と戦いを繰り広げている。私の生家ティルピッツ家は最初期から亡命政府に参加した貴族軍人の名家。私も将来父や戦死した祖父のように軍を率いて帝国軍と砲火を交える事になるだろうって……。

 

「……嘘、まじ?」

 

 ……すみません、凄い死亡フラグしかない転生先な気がするのですが?

 

 




c.m.先生様から素敵なイラストを頂けました。差分含めてここに公開致します。
主人公・表紙絵

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以下差分

艦隊司令官

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統合作戦本部所属

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艦長勤務

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参謀勤務

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後方勤務

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宇宙軍陸戦隊勤務

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宇宙艦隊司令長官

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統合作戦本部長

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略章類無し

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以下、主人公以外のキャラについて作者がAIで制作したイメージ画像です、ネタバレになるので気にしない方のみご覧下さい

ベアトリクス・フォン・ゴトフリート(若干イメージより幼い?)

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テレジア・フォン・ノルドグレーン

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アナスターシア・フォン・ティルピッツ(妹様)

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イングリーテ・フォン・レーヴェンハルト(変態様)

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アイリスディーナ・フォン・ナウガルト(家主様)

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ツェティーリア・フォン・ティルピッツ(お母様)

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シルヴィア・フォン・ヴァイマール(従妹様)

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ディアナ・フォン・ユトレヒト(再従妹様)

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グラティア・フォン・ケッテラー(婚約者様)

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女性キャラばっかとか言わないでぇ、ダンディな男性キャラを作成出来るAIの需要がないんや……仕方ないんや……(死んだ目)

(追記)
OVAなどを下敷きにして本作銀河の地図を作製しました

同盟・サジタリウス腕星図

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同盟・帝国星図(帝国側は制作途中)

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2020/6/18
主人公の故郷の地図を作製してみました

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第二話 どう見ても同盟では無くて帝国です

 アルレスハイム星系第4惑星ヴォルムス北大陸は、かつての地球で言う所の欧州地域を思わせる冷涼な気候帯に属している。惑星ヴォルムスの経済の中心地でもあり惑星人口の半分が集まり、金融街、歓楽街、工業地帯、宇宙基地も置かれている。特に惑星首都のアルフォートは人口800万を数え、それだけで周辺のほかの辺境惑星の総人口を越える。これだけでイゼルローン回廊同盟側出口宙域におけるこの惑星の重要性は分かろうものだ。

 

 十歳になった私は首都アルフォートにある亡命軍幼年学校に入学した……いや、させられた。

 

 まぁ、原作を知っていれば分かると思うが軍人になるなんて正気じゃない。原作では銀河帝国正統政府はともかく、銀河帝国亡命政府なんて出てきていないからパラレルワールドの可能性もある。だが、もし原作主人公、常勝の天才ラインハルトが現れたらどうなるか?

 

……うん、死ぬわ。

 

 唯の同盟軍人ですらかなりの確率でラインハルトに屠殺される(特に帝国領侵攻作戦で)。

 

しかもだ。我らが亡命軍の実態を見るとさらにやばい。

 

 まず常に最前線でやばい。そもそも拠点が前線だ。エルファシルあるだろう?帝国軍の侵攻受けている癖によく300万人も住んでいるんだよなんて思ってごめんなさい。あれの御隣さんだ。30光年ぐらい天頂方向だ。遭遇戦が日常だ。

 

 次に装備がやばい。装備の大半が帝国軍の鹵獲品だ。傷んでいる物とか旧式多すぎだ。2線級部隊とか第2次ティアマト会戦時の帝国軍旧式戦艦が普通にいる。モスグリーンに塗っているけどそれだけだ。ふざけてんのか?

 

 最後に任務がやばい。亡命軍は同盟正規軍と共に帝国軍と戦闘するのだがその仕事が地味に過酷だ。防衛戦ならまだいいんだよ。後方警備とかが仕事だ。攻める側の時?最前線だよ?帝国人だから同盟人より道を知っている、という論理で露払い役だ。ほかにも現地の帝国軍や住民の宣撫や工作員の派遣、同盟軍地上部隊の通訳やらとにかく前線の危険な地域で仕事させられる。ブラック過ぎる。はい、亡命軍は笑顔溢れる職場環境です。

 

……これ、帝国領侵攻作戦でも最前線だよな、多分。帰れるのか?

 

 幼年学校入学に反対したら家族一同驚愕された。父は怒り、母が号泣した。親不孝者だと嘆かれた。

 

 私は命惜しさに10歳で家出を決め、家出の30分後に近所の元農奴と帝国騎士に拘束された。この惑星では元貴族から元農奴まで、帝国との戦いから逃げる者は非国民扱いしてきます。

 

 そのまま両親に丸まる2日に渡り言葉責めを受けた。歴代の帝国軍との戦いで戦死した御先祖様の遺品や遺影を持ち出して、帝国軍の蛮行を記録したドキュメンタリー映画を飲まず食わずで延々と見せつけてきた。洗脳かな?

 

 私はついに逃亡は不可能と確信し、幼年学校に入学するといった。10歳児の精神にはこの責め苦はえぐ過ぎる。

 

 

 

 

「……で、来てしまったんだよなぁ」

 

 どう考えても民主国家のそれとは思えない煌びやかな装飾の為された建物の門前で私は呟く。

 

「銀河帝国亡命政府軍幼年学校」、同盟公用語と帝国公用語の両方でそう表記された看板が目に映る。

 

 宇宙暦773年帝国暦464年4月1日、入学試験を見事合格し……というか合格しないと命が無かった……私は妙に煌びやかな制服に身を包みながら正に幼年学校の入学式を迎えていた。

 

「ついにですね、若様!名誉ある幼年学校に入学出来るなんて……しかも若様の御傍仕えをしながらなんて私、感激ですっ!」

 

 私の傍に控えるように佇むのは少女だった。ゲルマン系を表す金糸のような金髪、紅玉のように美しく瞳は太陽の光に輝いていた。小柄で可愛らしい顔立ちは、今はまだ幼いが成長すればきっと美女に化ける事間違いない。

 

 ベアトリクス・フォン・ゴトフリート、愛称はベアト。ティルピッツ家開闢以来5世紀近くに渡り仕えてきた従士、ゴトフリート家の長女だ。

 

 従士、と聞いてもピンと来ない人も多いだろうがどうやら帝国貴族の中でも代々特定の貴族に仕える最下級の隷属貴族の事らしい。ラインハルトの家、ミューゼル家は帝国騎士だったがそのさらに下だ。

 

 従士の家は主家に代々文官や武官として仕えるらしい。例えば文官ならば主家の領地の代官や市長、武官ならば私兵艦隊の参謀や艦長、特に盾艦の艦長なぞ確実にこの階層の出らしい。さらに下級の職務となると執事やら使用人の中にも従士階級の者は多いと言う。

 

 彼女の家はティルピッツ家従士団の筆頭であり、彼女の父は私の父の副官を長らく勤めていた。因みに彼女の伯母と伯父はそれぞれ今は亡き私の伯父の妾と付き人を、曾祖父は私の祖父の盾艦の艦長を務めていた。彼女自身長女かつ私と同い年のために七歳の頃から私に献身的に仕えてくれている。

 

 まぁ、彼女も他の人と同じく賊軍殲滅フリークさんなんですけどね?

 

「はぁ、……ここで若様と共に戦いを学び、将来若様の下で卑劣で野蛮な賊軍共を滅ぼし故郷を奪還すると思うと……」

 

 凄いな、涙流してるぞ。皆さん見たかね、信じられるか?これ、この惑星の住民のデフォなんだぜ?

 

「あ、そう……ベアト、とにかくそろそろ式が始まるから、行こうか?」

「あっ……申し訳御座いません若様。私、一人で感動してしまい……」

 

 私が苦笑いを浮かべながら催促するとはっと我に返った彼女が恐縮しながら答える。悪い娘では無いんだけどなぁ……。

 

 幼年学校の式典場の上位合格者席に私達は座る。うん、天井シャンデリアだし、壁が金箔塗りだ。会場の傍らには煌びやかな軍楽隊が控えている。凄く……帝国です。

 

 着席する教官達こそ同盟軍の深緑の軍服にベレー帽だが、よく見るとところどころ独自の装飾が為されている。原作を知る身からすると違和感しかない。

 

 入学生の保護者席なんてもっと違和感しかない。皆豪華絢爛なスーツとドレスだ。見る限り殆どが亡命貴族の出だろう。

 

「マジでこれ帝国だろ……」

 

一応同盟領なんだけどなぁ。この星。

 

 そんな事を考えていると軍楽隊の演奏が始まる。つまり、入学式の始まりである……。

 

 

 

 

「春麗かなこの季節、この幼年学校に諸君達、若く、理想と情熱に溢れる戦友を迎え入れる事が出来た事、真に光栄に思う」

 

 式典場の壇上では恰幅の良い軍人が演説を続けていた。幼年学校校長たるエアハルト・フォン・レーンドルフ中将は元同盟軍少将、同盟軍を早期退役後、帝国亡命政府軍名誉中将として校長に就任した人物だ。

 

 だが、それよりも重要なのはあの「薔薇の騎士連隊」の元連隊長である事だろう。

 

 原作のうろ覚えでは元連隊長の内退役したのは2名……だった筈だ。第2代連隊長たる校長はその片割れの一人らしい。

 

「諸君達に私は事実を伝えねばならん。知っての通り、第2次ティアマト会戦以降、回廊の向こう側の賊軍共は大規模な軍の改革が進んでおる。新兵器の導入だけでは無い。軍制の変更に人事評価の変更……賊軍共の上層部に少なくない実戦派将校が就任している。それだけでなく奴らはアルテナ星域に巨大要塞を築きよった。同盟軍の攻略軍がどうなったかは……ここで語る必要もあるまい」

 

 場が静まる。式典出席者達の表情は揃って深刻そうであった。

 

 帝国軍の築いた要塞……イゼルローン要塞の存在が発見されたのは凡そ2年前の事だ。先年同盟軍は2個艦隊を持って要塞に攻撃を仕掛け、不用意な接近の果てに要塞主砲の前に消し飛ばされた。恐らく後世、第1次イゼルローン要塞攻略戦と称されるだろう戦いである。

 

 この要塞の存在は衝撃的な物であった。特に回廊付近の有人惑星群にとっては。

 

 コルネリアス1世の親征以来、同盟は回廊国境線に強固な防衛網を設けた。警戒地帯としてシヴァ星系やアルトニウム星系に偵察衛星や哨戒艦隊を展開、ダゴン星系を始めシャンダルーア、フォルセティ等を迎撃地に、その後方のエルファシルやこのヴォルムス等有人惑星を迎撃部隊・警備部隊の拠点としたのだ。同盟主力艦隊はこれら有人惑星で最終補給を受け帝国軍を迎え撃つ。

 

 だが、イゼルローン要塞の建設によりその防衛体制が維持不可能になった。警戒地帯は帝国の勢力圏となり事前察知が困難になった。会戦の舞台はティアマトやアスターテといった有人惑星に近い星系となった。これまで同盟有人惑星が帝国軍の攻撃対象になる事は極めて稀であったが、今後は国境有人惑星の周辺でも戦闘が起こる事になるだろう。

 

そしてそれはこの惑星の住民にとって他人事では無い。

 

「諸君、これから戦争の様相は変わるだろう。我々はこれまでよりもより苦しく、より激しい戦いをする事になる」

 

 幼い顔立ちの新入生達が緊張しながら校長を見上げる。ごくり……誰かが唾を飲む音が響く。

 

「諸君、戦いに備えよ!諸君、一刻も無駄にせず学び鍛えよ!諸君、我らの先祖の無念を思い出せ!我らが先祖の故郷を、権利を、誇り、財産を取り戻すために戦うのだ!我らこそが回廊の向こう側の正当な統治者なのだ!我らが友邦自由惑星同盟と共にオーディンの堕落した偽帝と誇りと義務を忘れた馬鹿貴族共を追放するのだ!そして帝国全土の臣民を解放し、正当なる皇族と我ら臣民の範たる真の貴族の下、民を保護し、帝国を正しき道に導くのだっ!」

 

 校長の声はいつしか猛り声に変わっていた。大きく腕を振り情熱のままに叫ぶ。

 

「亡命政府万歳!自由惑星同盟万歳!民主主義万歳!帝国に自由と解放を!」

 

 校長の叫びと共に教官達だけでなく生徒も保護者達も立ち上がり万歳と叫ぶ。私?一応合わせるけど内心ドン引きだよ?

 

 御分かりと思うがこれが亡命政府の思想であり方針だ。彼らはいつか帝国に帰還するのを夢見ている。目指すのは立憲君主制、皇帝の下に貴族院と庶民院を作り、同盟と講和、回廊の向こう側を統治するつもりらしい。

 

 恐らく立憲君主制は同盟の支援を受ける口実だったと思う。だが、いつしか世代が下るにつれ支援の建前を亡命貴族達自体が信じ切ってしまったようだ。少なくとも我が家に伝わる御先祖様の手紙とか見る限り初期の者達は確実に内心共和制を馬鹿にしていた。

 

 それにしても凄い情熱である。これ原作だと絶対帝国領侵攻作戦支持してただろ。絶対先鋒に立って侵攻してたよ。絶対帝国軍の反撃で壊滅していただろ。

 

続いて幼年学校の首席合格者の答辞である。

 

 新入生席の先頭にいた少年が歳に似合わぬ毅然とした表情で立ち上がると惚れ惚れするような動きで壇上に上がり式典参加者達を見渡し、口を開いた。

 

「まず、この日、この場所で、私が答辞を読み上げる事が出来る事を大神オーディンに感謝致します。歴史と伝統ある帝国亡命政府軍幼年学校に入学出来る事は私の人生最大の名誉です」

 

 端正に整えられた茶髪に海のように鮮やかな瞳の持ち主は会場全体に響き渡るような声で語り始める。凄い演説慣れしているな。到底同い年とは思えん。というかどこかで見た覚えがあるな……。

 

 そんな事を思っていると隣のベアトが目立たぬように耳打ちしてくれた。ああ、アイツか。

 

「私の胸の高まりをここで言葉にするのは難しい事です。これから始まる幼年学校での日々に不安を、そしてそれ以上に興奮を感じずにはいられません。私はこの学校で多くを学ぶ事になるでしょう。そこには喜びと、そして多くの苦難もあります。当たり前です。我々はこの学校で戦う術を学ぶのですから」

 

一呼吸を置いて少年は再び演説を再開する。

 

「その苦難は決して生易しい物では無いでしょう。しかし、私はそれを乗り越え栄誉ある亡命軍の一員となれる事を確信しています。なぜならば私は一人では無いからです。そう、ここで巡り合った300名の同級生、未来の戦友達、彼らと協力し、肩を並べ、支え合えばどのような苦難も乗り越えられるからです」

 

少年は胸に手を当てる。

 

「私はここで同席して頂いた教官方、保護者の方々に宣言致します。我々は一人として欠ける事無く、名誉と伝統を固持し、帝国臣民の模範となる軍人となる事を」

 

 そこで少年は私の姿に気付く。少しだけ口元に笑みを浮かべる。

 

「そして私の同輩達にお願いしたい。どうか私を支えて頂きたい。そして私に君達を支えさせて頂きたい。戦友として、同胞として。共に先祖の悲願を叶えるために。帝国亡命政府幼年学校第114期生代表アレクセイ・フォン・ゴールデンバウム」

 

 頭を下げ答辞を読み終える。同時に割れんばかりの拍手が巻き起こる。

 

 同時に軍楽隊が帝国公用語での同盟国歌の演奏を始める。

 

 出席者全員が立ち上がりまるでオペラ歌手の如き声で歌い始める。

 

 私もまた彼らと共に歌う。だが、同時に退席する学年主席殿をからかうような目配せをする。彼は、それに苦笑しながら席に戻っていく。

 

歌は式典会場にいつまでも鳴り響いていた。

 

 



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第三話 特大のフラグは大体近くにあったりする

 さて、諸君一つ説明しよう。それは自由惑星同盟における亡命者達についてだ。

 

同盟において亡命者は大きく3つの派閥に分かれている。それぞれを共和派、鎖国派、帰還派と呼ぶ。

 

 まず最初の共和派、この派閥は主に帝国国内の元インテリや中流階層、共和主義者とその子孫である。方針として主戦派。暴虐なゴールデンバウム王朝を打倒し、同盟が帝国を併合するまで戦いを止めない主戦派だ。

 

 2つ目は鎖国派、彼らの多くは貧民階層だ。政治的理由というよりも経済的理由から亡命した者達が多い。方針としては非戦派(反戦派では無い)……帝国との戦争は防衛戦のみとし、可能ならば講和も認めるものだ。彼らからすれば帝国との戦争で死ぬのも福祉予算が減るのも嫌なのだ。

 

 さて、最後にして最大の勢力……それが帰還派だ。御分かりの事だが銀河帝国亡命政府の事である。

 

 主な支持者は亡命貴族、方針としては主戦派であるが帝国の滅亡……というよりは帝国の体制の変換、つまり立憲君主制への移行を目指す団体だ。だからといって共和派より穏健、というわけでも無い。帰還派の最終目標は現存の帝国皇族、貴族の排斥、そして自分達亡命貴族による政治体制確立を目指しているためである。下手したら共和派以上に現在の帝国政府と和解不可能な存在だ。

 

 帰還派の権勢は凄まじい。亡命者三大派閥の内惑星を保有するのは帰還派のみである。アルレスハイム星系及びその周辺星系の人口は約8千万人、この人口は同盟加盟惑星の上位1割に入る。保有する亡命軍は亡命貴族私兵とその子孫、帝国軍投降兵を中心に地上軍100万名、主力戦闘艦艇6000隻に及ぶ(別途支援艦艇・戦闘艇がある)。そのほかその出自のため同盟軍の情報部と同盟政府外務省に大きな勢力を持つ。

 

 選挙基盤も盤石だ。帝国亡命者は世代を問わず亡命政府に好意的な者が多い。

 

 一つには帝国文化を強く保護しているためだろう。亡命政府の主星ヴォルムスを見れば一目瞭然。帝国風の街並みの看板には帝国公用語の表記、街で話されるのは帝国語、居酒屋にいけば帝国の味を味わえる。田舎にいけばそこにあるのは牧歌的な放牧場だ。

言葉が分からず、文化も違う地に逃れた亡命者の多くがこの星でかつての故郷を思い出す。年間9000万人訪れる観光客の7割は帝国亡命者第1世代だ。

 

もう一つの理由としてはより素朴な理由だ。つまり帝国貴族による組織だからだ。

 

 共和派の亡命者はともかく、多かれ少なかれ帝国亡命者達は帝国貴族に一種の畏敬の念を抱いている。特に第1世代は貴族に頭を下げるのは当然、という考えが脳に刷り込まれているし第2世代以降……つまり同盟に生まれた帝国亡命者も貴族に優美で気品がある、という憧れの感情を抱いているのだ。

 

 帝国亡命者の同盟に占める人口割合は語る必要は無いだろう。亡命政府に掛かれば億単位の票を搔き集める事なぞ容易だ。

 

結果、亡命政府は歴代の同盟政権に小さくない影響力を有していた。

 

そう、それこそ同盟軍の出征に影響を与えるほどに……。

 

「その結果がこの様か」

 

 ヴォルター・フォン・ティルピッツ帝国亡命軍幼年学校3年生、つまり私は、昼の休憩時間に学校内の電子端末から先月の会戦の結果についての記事を読み込んでいた。

 

 宇宙暦776年帝国暦467年11月、同盟軍3個艦隊からなる遠征軍はイゼルローン要塞攻略に失敗、ここに第2次イゼルローン要塞攻略戦は同盟軍の敗北に終わった。詳しい経過こそ不明だが同盟軍はイゼルローン要塞の主砲「雷神の槌」の有効射程を警戒し、予測される射程のさらに2倍の距離を保った。

 

 イゼルローン要塞の主砲がその真価を発揮する事こそ無かったが同盟軍、帝国軍共に遠距離からの砲撃戦に終始し悪戯に犠牲者を増やす結果となった。

 

 特に帝国軍と違いすぐ近くに大規模な補給拠点を持たぬ同盟軍は次第に艦隊の稼働率が低下、行動不能となる前に撤退を開始し、帝国軍の迫撃を受け少なくない犠牲を出した。原作でいう所の第6次攻防戦のラインハルトがいない版みたいなものだ。戦死者数こそ帝国軍とほぼ同程度だが、世間一般の見解は敗北だ。

 

 そして同時に世間は出征を強く推した帰還派……即ち帝国亡命政府ロビーを激しく非難した。当時、主戦派の派閥は幾つかあったが第1次イゼルローン要塞攻略戦における大損害の前にその多くが要塞攻略に及び腰だった。その中で1人出征を推進すれば悪目立ちもしようものだ。

 

尤も、亡命政府にも言い分がある。

 

 当然ながらイゼルローン要塞の存在により最も不利益を被るのは国境有人星系である。そして亡命政府の座する惑星ヴォルムスは国境有人星系の盟主とも言っていい立場だ。自身のため、そして周辺の惑星政府の懇願を受ければ出征ロビー活動もしたくもなる。

 

 それに別に無策で出征を指導したわけでも無い。亡命政府は帝国国内に広範な諜報網を有している。父がいうには此度の攻略作戦においては事前に要塞司令官、駐留艦隊司令官の名前と大まかな戦力、さらには要塞主砲射程や内部構造、要塞運用マニュアルの情報までほぼ正確に収集していたという。

 

 問題は前線司令官達がこの情報を信用せず戦った事だ。おかげで貴重な情報が殆ど生かされず、ついには敗北の原因となってしまった。全て「長征派」のせいだ、等と送られた手紙には長々と罵倒の言葉が帝国貴族らしく婉曲と修飾詞に彩られながら記されていた。

 

「重ね重ね残念です。我らの同胞が命に代えて集めた情報が生かされる事無く敗北なんて……」

 

 椅子に座る私の傍で直立不動の姿勢を取るベアトは、苦虫を噛むような表情で答える。此度の遠征でも亡命軍は艦隊を派遣していた。さて、今回はどれだけの同胞がヴァルハラに旅立ったのだろうか?

 

「考えたくも無いな……。ベアト、行こうか?」

 

そろそろ午後の講義が始まる。はて、次の講義は何だったか?

 

「確か、艦隊運用学であったと記憶しておりますが……」

 

恐る恐ると言った表情でベアトが答える。凄いよな。口にしてないんだぜ?

 

「物心ついてから肌身離さずお仕えさせて頂いているおかげです」

誇らしそうに答える少女。私に仕えてくれた従士は他にもいるがここまで長く、身近で仕えてくれたのは確かに彼女だけだ。決して出来の良くない私に愛想を尽かさずに支えてくれたのは感謝してもしきれない。

 

 

 

 宇宙暦8世紀において1個宇宙艦隊の規模は凡そ1万隻から1万6千隻に及ぶ。1個艦隊の定義は主たる戦略単位であり宙域的に、或いは期間的に独立して一方面の作戦を遂行出来る戦力を指す。転生以前のイメージでいえば陸軍の師団と思えばいい。原作では艦隊があっという間に溶ける事が多いが正直あれはやばい。

 

 1個艦隊は複数の分艦隊からなる。陸軍でいうところの旅団だ。一戦線を支える戦略単位だ。と、いうより基本的に艦隊の中で同時に戦うのは基本的に1,2個分艦隊だけらしい。残りは後方に待機し、機を見て前線と交代、もしくは予備戦力として温存されるという。今まで1万隻全て同時に戦っていると思ってたぜ。

 

 1個分艦隊は複数の戦隊からなる。陸軍でいう所の連隊だ。特別編成でない限り、独力であらゆる任務に対応出来る最小単位であり、戦艦、空母、巡航艦、駆逐艦は当然として工作艦、病院艦、補給艦、揚陸艦等を自前で持つ。部隊管理の単位でもあり基本的に戦隊毎にまとまって基地に駐屯、艦隊の動員と共に集まって1個艦隊を編成する。また恒星間航行に際しても艦隊規模での移動は混乱するため基本的に戦場の直前までの星系には戦隊規模で分散進撃するのが基本だという。

 

 戦隊はさらに細かく分ける事が出来るがここでは割愛させてもらおう。さて、ここまで説明した理由は御分かりだろうか?そう、これはあくまで正規軍の編制である。当然ながら我ら亡命軍には1個艦隊を編成するだけの戦力なぞ無い。というか帝国軍の分艦隊相手でも正面からぶつかるのは苦しい。予備戦力が少ないからね。兵器も雑多だし。

 

 そうなると我らが亡命軍の宇宙艦隊がいかにして強大な帝国軍に対抗するか?それはゲリラ戦以外に無い。

 

 我らが亡命軍宇宙艦隊の基本戦略はこうだ。正面から帝国軍とは戦わない。正規軍の相手は同盟軍だ。我らは帝国の偵察艦隊や哨戒艦隊、あるいは敵勢力圏の後方に浸透して補給艦隊等を待ち伏せ、奇襲して反撃の暇を与えず殲滅する。しかる後全力で現宙域を撤退。これを繰り返す事で同盟正規艦隊の決戦を補助する。コルネリアス1世の親征以来続く戦法だ。

 

 例えば小惑星帯に戦艦・巡航艦群を潜ませる。奇襲で敵艦隊が離脱を試みるところで別動隊の駆逐艦群が退路を塞ぐように展開、敵艦隊が躊躇したところを後方から火力を叩きつける、といったようにである。

 

 そのため亡命軍では戦隊すら禄に組む事は無い。惑星防衛のため増強戦隊が2個配備されているが亡命宇宙軍の基本編成は単一艦級十数隻に数隻の補給艦からなる群が基本だ。

 

 そのため、艦隊運用のノウハウもまた、同盟宇宙軍とも、帝国宇宙軍のそれともかけ離れたものである。

 

「ううん……あぁ、疲れたぁ」

 

 艦隊運用学講義が終わり私は教室の最後尾席で背筋を伸ばす。栄誉ある帝国門閥貴族の末裔としては余り褒められた態度では無いがこれくらい勘弁して欲しい。精神は日本の庶民なのだ。しかも学習内容が独特なものが多く参考にできる資料に限りがある。

 

「若様、肩が御疲れでしょうか?よろしければおもみ致しましょうか?」

 

ベアトが、私を慮って提案する。

 

「ん?そうだね。頼むよ」

「はい。では失礼致します」

 

 どこで学んだのかプロ並みの手捌きで私の凝り固まった肩を解しにかかる従士。やべえなこの娘。使用人としてハイスペックじゃん。いや、学業成績も私より上なんですけどね?

 

 入学試験こそ家で徹底的にしごかれたから上位につけたが寮暮らしになると成績はじりじりと下がる一方だ。辛うじて上位組に入っているが少し油断すれば一気に追い抜かれそうで怖い。いや、成績が落ちるのが怖いんじゃない。成績が落ちたのが実家に発覚した時が怖いのだ。この前手紙に剃刀の刃だけ入っていたのはどういう意味なんですかねぇ?

 

「ああ、ベアトそこ最高。うう……お前だけだよ。私の真の味方は……」

 

 困ったときはベアトに頼めば大体どうにかなる。講義の宿題やり忘れた時とか、期末試験の勉強でどこから手を出せばいいのかすら分からない時とか。

 

「はい。ベアトはいついかなる時も若様の忠実な家来で御座います」

 

 にこりと嫌な顔一つせずにそう言ってのける。なにこの抱擁力。信じられるか?こいつ13歳なんだぜ?え?死ねよ紐男って?だって、仕方ないだろ?幾らでも甘えさせてくれるんだぜ?帝国門閥貴族の坊ちゃんが駄目になる理由が分かろうものだ。

 

……はい、ごめんなさい。一人立ち出来るよう努力します。

 

「やれやれ、仲が良いのは結構だけど余り2人の世界でべたべたしないで欲しいんだけどねぇ」

 

 そんな私達の姿を見て穏やかそうな少年……私のこの幼年学校における友人は苦笑しながらやってきた。

 

「それは不正確な表現じゃないか?馬鹿貴族が家臣にあやしてもらっている、というのが正しい」

「それ、表現酷くなってないかい?」

 

亡命軍幼年学校の現状主席学生は肩を竦める。

 

 短めの茶髪に優しそうな碧眼、一目で優しそうな人物だと分かる。だが、この銀河において彼の顔立ちを見ればそれ以上に驚愕する者が多いだろう。彼の顔はある歴史上の人物によく似ていた。

 

 アレクセイ・フォン・ゴールデンバウム亡命軍幼年学校3年生の造形は映像記録におけるルドルフ大帝のそれに非常に似通っていた。違いがあるとすれば彼には彼の皇帝と違い他者を威圧する覇気が無く、代わりに見る者に安心を与える微笑を称えている点だろう。

 

 黄金樹の血脈の末端に座を持つ彼の血筋を遡れば第一八代皇帝フリードリヒ二世に辿り着く。

 

 フリードリヒ二世の次男の子供であり、第二〇代皇帝『敗軍帝』フリードリヒ三世の弟でもあるユリウス・フォン・ゴールデンバウムは、ダゴン星域会戦以前において兄の信任厚く、北苑竜騎兵旅団旅団長として皇帝を守護する立場にあった。

 

 だが、知っての通り彼の敗軍帝は猜疑心の塊のような人物だった。そもそも皇帝を守るべき近衛師団を信頼出来ない時点で相当に病んでいた。ダゴン星域会戦の大敗で帝国の威信が失墜するとこれを機として不平貴族や共和主義者の反乱が各地で発生した。これ自体は、解決は時間の問題だったがこの経験が敗軍帝の人間不信を一層増長させたようだった。

 

 数人の皇族の不審死の後、ユリウスもまたその生命の危機に晒された。二度の不審な事故を奇跡的に切り抜けると彼は付き従う家臣と財産を手に同盟に亡命した。

 

 皇族、しかも皇帝の弟である。当時のアルレスハイム星系に押し込まれていた帝国貴族、帝国臣民にとっては文字通り心の拠り所であり、団結の象徴であったし、本人も少なくとも無能では無かったらしい。自身の役目を大過無く果たして見せた。

 

 彼の子孫達もまた、代々その役目を果たし銀河帝国亡命政府の精神的支柱の一端を担っている。

 

 そして現アルレスハイム=ゴールデンバウム家当主の次男が彼、という訳だ。皇族の末裔と言う事もあり帝王学こそ学んでいるが本人は亡命貴族にも元奴隷にもかなりフレンドリーだ。

 

 私としては無駄に硬い亡命貴族社会においてさほど礼儀を気にせず話せるだけ気楽ではあるが……て。

 

「ベアト~、手が止まっているぞ~」

「も、申し訳御座いません若様っ!!」

 

 先ほどまでアレクセイに臣下の礼……つまり跪いていたベアトが慌てて肩もみに戻る。まあ仕方ないね。従士にとっては皇族なんて神に等しいからね。

 

「ティルピッツ伯爵家の次期当主も人が悪い。家臣に自身と皇族を天秤にかけるような事を言うなんてね」

「おいおい、よしてくれよ?この星の法律には不敬罪は無いぜ?元貴族も元農奴も裁判の判決は同じだぞ?」

 

 とはいうものの、法律的に問題無くても精神的に気にしないでいられるかは別問題だ。ベアトは皇族への不敬で青い顔をしている。

 

「ははは、冗談だよベアトリクス。ここは自由の国だ。私も君達と同じ同盟市民に過ぎないんだ。気にしないでくれ」

「は…はい……」

 

 会釈しながら心から恐縮したように、しかしはっきり聞こえるように返答するベアト。

 

「そうだぞ?お前だって知らない間柄じゃあないだろうに」

 

 小さい頃アレクセイの屋敷にお邪魔した事も、その逆も良くあった。銀河の半分を支配する最も尊い血筋の一族の末裔と亡命政府を構成する貴族でも一〇本の指に入る名門の仲が良好なのはむしろ当然だ。

 

「唯なぁ、ヴォルター。私達が良くても人の目がある。余り彼女に意地悪するのも良く無いぞ?」

 

そこには身分制に今一つ気が利かない私への心配がありありと見える。

 

「分かってはいるんだけどなぁ。なかなかふざけで済む境界線が分からん」

 

 前世が身分制なぞ形骸化している日本だったためにその意識に引きずられているのだろう。或いは自身が上流階級のため上に礼をかいて問題になる事が滅多に無いためか、身分間の作法が今一つ掴みづらい。同盟に亡命して1世紀半、文化と伝統を後世に伝えるのは宜しいがこんな事まで伝えなくてもいいだろうに。しかもその癖民主主義万歳と叫ぶことが出来る亡命貴族達の思考回路が分からん。

 

「それはそうと、アレクセイ。一体何の用があってこっちに?お前は雑談一つだって周囲に気を配らんと行けない身だろ?まさか私が美人な幼馴染に甘えているのが妬ましい訳じゃああるまい?」

 

 まぁ、こいつはこいつでそれこそ命令すれば躊躇無く命捨てる忠臣なんてダース単位で集められる身だ。こんな冴えない放蕩息子を妬む訳無いだろう。

 

すると待ってましたとばかりにアレクセイが笑みを浮かべる。

 

「よくぞ本題を突いてくれたな?ほら、さっきの講義で課題が出ただろう?『暗礁宙域における艦隊機動と展開について』のレポート」

「ああ、全く糞教官だぜ。幼年学校の生徒に書かせる内容かよ」

 

 数が無いので質を上げようと言うわけか。我が帝国亡命政府軍幼年学校の講義レベルは帝国の幼年学校のそれを上回る程レベルが高く、濃密で実戦的だ。この幼年学校で上位3割で卒業出来ればペーパーテストに限ればほぼ確実に同盟軍士官学校入学試験を突破出来る。元来の頭が良くない私からすれば文字通り地獄だ。ふざけているように見えるが自由時間の大半は予習復習で消えて遊んでないんだぜ?

 

「そのレポートだけど、いいカンニング法がある」

「陛下、私は貴方様の忠実な僕で御座います」

 

私は実家で身に着けた完璧な作法で目の前の御方に頭を下げる。

 

「凄い掌返しだ。君はオーディンの宮廷でもきっとやっていけるね」

「それ褒めて無いよな?」

 

むしろ庶民でもいいからオーディンに生まれたかったよ。

 

「それで、そのカンニング法ってのは?」

 

私は身を乗り出し声を静めて尋ねる。

 

「今度、実家に義兄さんが里帰りしに来るんだ。現役の同盟軍士官に教えてもらうのはどうかってね」

「ああ。義兄さん、出征帰りか」

 

 私の遠い親戚にもなる彼の義兄は同盟軍中佐として若い頃から将来を嘱望される逸材だ。……悪い人では無いが……正直余り会いたい人物では無いんだよなぁ。唯今回のレポートの助言を受けるには丁度良い人物である事も確かだった。

 

「う~ん、……分かった。仕方ない。私も会おう」

 

数分悩んだ末に私が答えるとアレクセイは感じの良い笑みを浮かべる。

 

「よかったよ。義兄さんもヴォルターに会いたがっていたから。それじゃあ詳しい話は夕食の時に」

 

笑顔で手を振りその場を退出する友人。

 

「……若様は苦手で?」

「いやぁ……ねぇ」

 

だって原作的に近くにいるだけで死にそうなんだよなぁ。

 

はぁ、と溜息をつく。

 

 アレクセイと私の又従姉の息子、自由惑星同盟宇宙軍中佐ラザール・ロボス、それが話題の人物の名前だった。

 



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第四話 姉に会うのにこんなに面倒ならそりゃあラインハルトも切れますわ

 ラザール・ロボス同盟宇宙軍中佐について語るには幾つか前置きがいる。

 

それは、所謂同盟の見えざる階級社会だ。

 

 え、同盟は民主主義国家だろうって?建前はそうでも内情は複雑なんですよ。

 

同盟社会は3つの出身者から形成される。

 

 1つは、同盟の政財界の主役、アーレ・ハイネセンと共にアルタイル星系を脱出した強制労働者の子孫だ。俗に「ハイネセンファミリー」と称される彼らは政治、経済、軍事、報道……同盟のあらゆる分野において強固な団結力を持って富裕層を形成している。

 

次に挙げられるのが旧銀河連邦の忘れ形見達である。

 

 原作でも触れられているが銀河連邦末期は閉塞感が銀河を支配していた。多くの有望な入植地が放棄された。

 

 この中には頑固にもそのまま惑星に残る選択をした者もいたのだ。割合としては少ないがそれでも当時の人口は3000億に登る。1%としても30億人だ。あるいは帝国成立時に厳しい取り締まりを受け辺境に逃亡した宇宙海賊達、同盟拡大期には彼らの文化、技術レベルは衰退していたがむしろ同盟に併合するには好都合だった。

 

 これら旧銀河連邦市民の末裔は一応ちゃんとした生活基盤と財産を保有していたため現在でも同盟において厚い中流階級を構成している。また、元宇宙海賊からは同盟の星間交易商人に鞍替えした者も多い。多分ヤン・ウェンリーの生家はこの出自だ。彼の国家への帰属意識の低さはあるいはこの出自からだろうか?

 

 最後はお分かりだろう。我ら帝国からの亡命者組だ。この集団は実のところ社会階層としては3つの中で最弱だ。

 

いや、正確にいえば貧困層が集中している層なのだ。

 

 無論我ら貴族階級は基本的に資産ごと亡命したために生活に困る事はない。だが、亡命者の亡命理由で最も多いのは政治理由ではなく経済的理由なのだ。つまり都市部の低賃金労働者に農奴だ。 

 

 文字通り体一つで帝国を脱出した彼ら、同盟に亡命したのは豊かな生活のためだ。同盟政府は情報戦の一環で宣伝戦に力をいれていた。同盟にいけば今の救いのない生活から抜け出せると考えたのだろう。まぁ、そんなうまくいくはず無いんですがね。

 

 まず、言葉が違う。しかも学歴が低い。前世の米国のヒスパニックの立場だと思えばいい。録な仕事もない。安い賃金で長時間労働当たり前のブラック企業行きだ。

  

 そんなわけで亡命者とその子孫は経済的には負け犬扱いされる事が多い。そして、臣民を守護し、導く事を旨とする亡命政府と亡命貴族がその状況を座視する筈もない。

 

 亡命者の権利と生活を守るため、帰還派は同盟政財界に進出した。帝国から持ち込んだ資産を運用し、事業を計画し雇用を産み、同胞の生活を守る。少なくとも帰還派が帝国帰還を目指した最初の理由は同盟での亡命者市民の境遇を鑑み、現在の帝国を打倒、改革して豊かに生まれ変わった故郷へ同胞と帰る事を目指したためだ。

  

 一方、帰還派と共に亡命者の代表を自称する共和派は、亡命者の同化と信頼こそが重要と考え、多くの同胞を志願兵として同盟軍に送り込み、また「ハイネセンファミリー」に接近した。

 

 「ハイネセンファミリー」もまた、急速に同盟政財界に進出し、自分達の権益を侵す亡命貴族を敵視し、これに対抗すべく共和派と連携をとる。

 

 これに対し帰還派は、同盟における立場をより磐石にすべく極めて古典的で、門閥貴族的で、そして伝統的な手法を使った。

 

 同盟における非主流派の有力者との婚姻と吸収である。

 

 バルタザール・ロボス同盟宇宙軍中将は、新進気鋭の同盟軍の将官だった。宇宙暦738年のファイアザート星域会戦では参加者の中で最年少の戦隊司令官として参戦、宇宙暦742年にはドラゴニア会戦においてブルース・アッシュビー率いる第1艦隊第1分艦隊第16戦隊司令官として帝国軍元帥ケルトリングの息子ヘルマン・フォン・ケルトリング准将を敗死させるなど、多くの武功に恵まれた人物だ。730年マフィアの影に隠れて目立たぬものの、まず名将と呼んで差し支えない人物だ。

 

 だがこの人物、軍内では決して厚遇された訳ではない。今でこそ改善されているが当時は今よりも「ハイネセンファミリー」が幅を利かせていた時代だ。旧銀河連邦系の血筋の彼は、「ハイネセンファミリー」のサラブレッドである730年マフィアと近い世代であったこともあり実力のみではこれ以上の出世は望めなかった。

 

そしてロボス提督と帰還派は接近した。

 

 帰還派の後押しを受け更なる栄達を遂げた彼は現在同盟宇宙軍の精鋭、ナンバーフリートが一つ、同盟軍第6艦隊司令官の地位にあり、その息子ラザール・ロボス中佐もまた将来を属望される若手士官であった。   

 

 

 

 ヴォルムス北大陸星都アルフォートから大陸内陸部に約800キロ、そこには、俗に星民から「御料地」と称される土地が広がる。広さにして約60万平方キロメートルのその領域においては一般人では子供ですらその中の物を外に持ち出す事はない。

 

 アルフォート空港から私有旅客機で両親とベアトと共に乗った私は亡命軍地上軍の大気圏内戦闘機のエスコートを受け「御料地」内の私有空港に降り立った。

 

 そこからさらに貴族用特別鉄道に乗る事1時間、終着駅を堂々と、内心へとへとで降り立つとそこには黒い軍服に金色の飾緒を吊るした軍人の一団が直立不動の姿勢で敬礼し出迎える。父、そして私とベアトは敬礼し、母は最敬礼する彼らを路傍の石を無視するかのように悠々と通り過ぎる。そのまま私達は目の前の豪華な装飾の為された馬車に使用人に扉を開けてもらい乗り込んだ。

 

「……相変わらずですが、時代錯誤ですねぇ。父上」

 

馬車の外の景色を胡乱気に見ながら私はボヤく。

 

「これも伝統だ。これでも相当簡略化されているのだ。これでは「新無憂宮」に参内する時が思いやられる」

 

 亡命軍上級大将の軍服を身に纏う父が心から情けない、とばかりに答える。父上、多分私達そこに参内する事一生無いと思いますよ?いや、ラインハルトがフェザーン遷都した後なら博物館になっているから行くことは可能か?

 

 紅葉が鮮やかに彩る道を馬車が進み続ける。それを守るのは何と騎兵隊だ。近世風の華やかな軍服を着た近衛兵が装備するのがブラスターライフルで無ければこの場が西暦の地球では無いかと錯覚するほどだ。

 

  1時間に渡り外苑を通り過ぎるとようやくお目当ての建物が目に映る。おい……ここに辿り着くまでに丸一日経ったんだけど?馬鹿なの?死ぬの?

 

 門の前に馬車が止まり明らかにカツラを被っているだろう使用人が駆け寄る。父が手紙を渡すと使用人はその内容を確認、優美に一礼をすると懐からベルを取り出し、それを鳴り響かせながら叫ぶ。

 

「ティルピッツ伯爵家一同、及びその従士一名、御入場で御座います!」

 

その声と共に警備の近衛兵達がきびきびとした所作で門を開く。

 

そこは正に宮殿だった。

 

 『新美泉宮』……それがこの宮殿の名前だった。亡命皇族と貴族がかつての宮廷を偲んで築いたこの宮殿は政務・式典のための東苑、居住地たる南苑、女官や使用人の住む西苑、広大な狩猟場のある北苑からなる。10の大宮殿と32の小宮殿、部屋の数は19万、敷地総面積は36平方キロ、廊下総延長は180キロに達する。近衛兵1個旅団が常時警戒態勢を敷いており総合病院、動物園、植物園、水族館にスタジアム、舞踏場、劇場、美術館、博物館、図書館まで存在する。また地下にも多数の通路と部屋が設けられており有事には臨時の軍司令部としても機能する。

 

……うん、普通に奢侈の限り尽くしてね?

 

新無憂宮にこそ見劣りするが十分過ぎる程に豪華だ。翡翠の間とか琥珀の間とか名前通りな部屋あるからな?

 

さて、宮殿の話はここまでにしておく。

 

 宮殿の東区画、つまり東苑の大宮殿の廊下を私達は、進む。廊下の両端には数メートル間隔で装甲擲弾兵が最敬礼を持って佇む。装甲服のデザインこそ帝国軍のそれだがカラーリングは同盟軍陸戦隊と同じホワイト、備える戦斧もまた同盟軍のそれと同じ片刃だ。

 

 余りにも長い(恐ろしい事にこれでも新無憂宮に比べかなり短いらしい)廊下の先に一際豪華絢爛な扉が現れる。

 

 タキシードに身を包んだ使用人が2人がかりで扉を開くとそこは謁見の間である。

 

えっ?誰の?いやいや、分かりきった事じゃないですか。

 

 謁見の間……そこには礼服に身を包んだ尚書達、8名という人数は銀河帝国のそれと同じだ。

 

 そして、彼らの立つ場所から更に奥、一段高い場所にある至高の玉座にその老人はいた。

 

父に続けて私達は跪く。

 

「ティルピッツ伯爵家当主アドルフ、妻ツェツィーツィア、息子ヴォルター、及び従士ベアトリクス、参上致しました」

 

 玉座の老人は、小さく頷く。白髪に帝冠を被るその姿は皴まみれで一見弱弱しく見える。だが、その威厳に満ちた表情は決して無為に歳を重ねてきたものでは無い事を物語っていた。

 

「うむ……よくぞ来た。ティルピッツの一門よ。……ははは、そう肩肘張らずとも良いわ!楽にせい!」

 

 老人はその威厳に満ちた表情を飄々とした笑みに変えた。えっ?ああ、この爺さんこれが素だよ?

 

 アルレスハイム星系政府第8代首相兼銀河帝国亡命政府第8代皇帝グスタフ・フォン・ゴールデンバウム(グスタフ3世)、この星の全住民の精神的支柱だ。私の(というかこの星の有力な亡命貴族全員にとってだが)遠い親戚でもある。限られた皇族貴族同士で婚姻するともう皆親戚だよね?

 

「ふむ、ヴォルターも、ゴトフリートの娘子も随分と大きくなったのう。確か今年で……」

「13で御座います」

 

私が答える。

 

「おお、そうじゃったな。時が過ぎるのは早いものよ。のう、アドルフ?」

「はっ、その通りで御座います」

 

 深々と頭を下げ肯定する父アドルフ・フォン・ティルピッツ伯爵。

 

「そう固くならんでよいわ。長旅で疲れたじゃろう?向こうの休憩室に行くと良い。他の者達も既にサロンに興じておる」

 

 にこやかにこちらの(というか多分私の)疲労に配慮してそう進めるグスタフ爺さん。まぁ、この人が一番大変だけど。スーツ着てハイネセンポリスの同盟議会出て、すぐさまアルフォートの星系議会出て演説し、ここで親戚を迎えたらこれからすぐに着替えてハイネセンに戻るからね?過労死するぞ……。

 

「は、陛下、それでは失礼させていただきます」

 

 爺さんの過労を見越して父がそう言い私達家族を連れ退出する。

 

 父はこのまま軍務尚書である叔父との話があるので別れ、私は母に連れられ、ベアトを控えさせながらサロン行きだ。

 

「私、感激で御座います。皇帝陛下に御声を掛けて頂けるなど……子々孫々に伝えられる栄誉です!」

 

 ベアトが涙を流し感動する。え?門閥貴族はともかく下級貴族や平民はこの態度がデフォだよ?マジで帝国的価値観やべぇな。

 

 この日は、同盟軍から休暇を取って帰省している亡命貴族軍人達をもてなすために縁ある貴族達で細やかパーティーが予定されていた。

 

 サロンには既に主だった貴族が集まり軽食やゲームに興じながら談笑をしていた。

 

「あ、遅かったじゃないかヴォルター!」

 

 私の姿を確認し、リスナー男爵との談笑を切り上げたアレクセイがこちらに駆け寄る。

 

「私のせいじゃない。余りにも長々しい伝統のせいだよ」

 

 宮殿の近くに空港を建設出来ない上、入殿に際して機械製の乗り物を使えない糞ルールのせいだ。

 

「随分と辟易しているみたいだね。まぁ、甘いものでも食べて落ち着きなよ」

 

 そういうや早く若いメイドが頭を垂れながら菓子の乗った皿をこちらに差し向ける。凄いなぁ。雑談の内容ちゃんと聞いているんだね。尚、仕事の後は聞いた内容は全て忘れる模様。

 

「ん、ありがとさん。ベアト、お前にもやる」

 

 差し出すのはアプフェルシュトゥルーデル。まぁ、簡単にいえば林檎パイの親戚だ。

 

「全くはしたないね」

「お褒めの言葉ありがとう」

 

 素手で食べる私に友人が感想を述べ、感謝の言葉をかける。

 

「ははは、全く。ヴォル坊はやんちゃ坊主だな!」

 

 後方から聞こえた声に私の食事の手が止まる。悪寒。そして……。

 

「ほれっ!」

「ちょっ……待っ……」

 

 腰を掴まれそのまま上下に振り回される。あれだ。父親が赤子にやる高い高いだ。……あれよりもかなり激しいが。

 

「ちょっ……止めっ……」

 

 私の制止の声は届かず1分近く振り回される。え、誰も止めないのかって?ああ、アレクセイは楽しそうに見てたし、母上は御婦人方と談笑に華を咲かせてた。ベアトは責めないで。立場的に止められないの。

 

「ひく……酷いわ。こんなに弄んで。もうお婿さんにいけない」

 

 蹂躙された私は部屋の端でしな垂れて泣く。ベアトが「申し訳御座いません若様、無能なベアトを御叱りください」と嘆きながら慰めてくれた。

 

「ふむ、ほかの子達にはなかなか人気なんだがなぁ」

 

私を弄んだ人物は野太い声で不思議そうに呟く。

 

「いやいや、そのほかの子ってせいぜい5、6歳くらいですよね……?」

 

私は恨みたっぷりの口調で尋ねる。

 

 着ているのはモスグリーンの同盟軍正式軍装にベレー帽。少し低めの身長は、しかしその四肢はトレーニングで良く鍛えられていた。

 

 薄い金髪の脂肪と筋肉の程よく張り付けた顔はふくよかといっていい。何よりもその人好きのする笑みは子供には人気がありそうだった。

 

 同盟宇宙軍中佐、宇宙艦隊司令本部艦隊運用部付きラザール・ロボス……私の記憶が正しければ四半世紀後に自由惑星同盟の滅亡の遠因となった人物がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五話 まぁ、住めば我が家だし多少はね?

Youtubeで丁度良い動画があった。
亡命軍地上軍イメージは幼女戦記よりLOS!LOS!LOS!ナチス映像との合わせ技なイメージです。
「皇帝陛下と民主主義のために服従と忠誠と命を捧げろ!」
……民主主義とはなんだろう(哲学)


 私がロボス中佐に会ったのはかなり早い。具体的には生後2カ月くらいだ。

 

 産後、母が体力を回復したところでこの新美泉宮のグスタフ爺さんのもとに参拝に出掛けた時に会った。

 

 外見こそ若いため、一目では分からなかったが次の瞬間に父が名を呼んで驚愕した。しかも次の瞬間にはこの親類に凄くエクストリームな高い高いをされて気絶しかけた。一瞬私が転生者だと気付いて殺りに来たのかと思ったがどうやら素であれらしい。

 

 しかも、この人結構私を可愛いがって来る(彼基準だが)。正直色んな意味で地雷な方なので御遠慮したいのだがそうもいかないのがこの狭い亡命貴族社会なのである。

 

 ラザール叔父さんはグスタフ爺さんの従姉妹の子供だった。アレクセイの親族であり、しかもその母が私の母の叔母にも当たる。一般家庭はいざ知らず、貴族社会においてはそれくらいの血縁関係は身内扱いだ。式典やパーティーもある。会わないのは不可能に近い。

 

 当然ながら、原作の彼は読者から同盟滅亡の原因トップ3にはいる事間違いないと言われる人物だ。帝国領侵攻作戦の総司令官であり同盟軍将兵2000万人を壊滅させたのだから当然だ。正直あれで同盟は死亡したといっていい。残りは完全に消化試合だ。

 

 同盟滅亡の大戦犯……逆にいえばこの人をどうにかすれば私の生存率は飛躍的に上がる筈だ。

 

だが……。

 

「む、ヴォル坊、そこは違うぞ?恒星間航行において気を付けるべきは周囲の天体質量だ。宇宙嵐よりも重力異常に気を配りなさい。超光速航行で計算外の重力にかかると虚数の海行きだぞ?公式の求め方は分かるな?」

「……アイアイサー」

 

 この太っちょ叔父さん、普通に私より優秀なんだよなぁ。

 

 そもそもコネの影響があったとしても同盟軍のしかも元帥に無能が成れる訳がないんですよね。原作ですらかつては優秀と書かれていたのだ。この人同盟軍士官学校次席だぜ?化け物かな?

 

 正直、私が今何を言おうとも仮定の、しかも穴だらけの話になるので語るのは得策ではあるまい。今は只、大人しく課題の答えを教えて……助言を受けるにまかせるのが正解だ。

 

 ちなみに今回の課題にこの人はベストマッチングだ。同盟軍での部署が宇宙艦隊司令本部の艦隊運用部だ。端的にいえば艦隊の航行や陣形変更に関わる部署である。私の課題を正に実戦で対処している身だ。

 

「ほう、それにしても幼年学校ではもうこんな課題をやっているのか?士官学校の2年相当の課題だぞ?」

 

 私の課題を見ながら感心したように語るラザール叔父さん。あの糞教官くたばれ!

 

「ヴォル坊は確か幼年学校の成績は……」

「はい、若様の御成績は上位でとても優秀でございます!さすがは誉れ高き帝国始まって以来の名門ティルピッツ家の跡取りでございます」

 

 はい、ベアト。要らんこと言わない。私ギリギリ上位だからね?毎回期末試験死ぬ気で勉強してこれだからね?お前さんいなかったら私リタイアしているからな?

こいつ、私よりも成績良いのに何で此処まで私を持ち上げられるのか謎だ。今だって本気で私の事讃えているのだぜ?目を輝かせて語っているんだぜ?門閥貴族と従士の関係これが普通なんだぜ?怖いわぁ。

 

「ほう、それは結構なことだ。どうだね?ヴォル坊は幼年学校卒業後はどうする?私としてはハイネセンの士官学校にいくのも良いと思うが」

 

 帝国亡命政府軍幼年学校の先の進路は大きく分けて3つある。

 

 1つはこのまま亡命軍に入隊する道だ。この場合准尉として入隊する。組織こそ違えどラインハルトとキルヒアイスパターンだ。尤も、せっかく幼年学校卒業したのにこのまま入隊するのは余程の物好きくらいだ。

 

 2つ目の選択肢、これが一番多いが、亡命軍士官学校入校である。幼年学校卒業者には無条件で推薦枠がある。ここに入校、卒業して少尉として亡命軍に入隊するのが殆んどである。

 

 最後の選択肢が同盟軍士官学校への挑戦だ。曲がりなりにも亡命政府は同盟加盟国でありこの星の住民は同盟市民、同盟軍士官学校に受験する資格は当然ある。むしろ幼年学校上位卒業者は積極的に受験する事が求められる。

 

 当然だ。亡命政府の同盟軍への影響力を拡大させるために軍上層部に人を送る必要があるのだから。

 

 ちなみにだが、同じように同盟軍への影響力拡大や宣伝のために亡命者中心の部隊の設立もある。有名な例では同盟宇宙軍陸戦隊独立第501連隊、別名『薔薇騎士連隊』や宇宙艦隊指令本部直属同盟宇宙軍第4機動戦闘団別名『聖ゲオルギウス竜騎兵艦隊』等がそうだ。まぁ、例の『薔薇騎士連隊』は不祥事続きで最近は亡命政府との交流が疎遠らしいが。

 

 話を戻そう。そういうわけで同盟領全域から年間3000名から5000名の秀才が集う同盟軍士官学校には少なからず帝国亡命政府軍幼年学校から受験・合格者が入校している。多い年には100名に迫ろうかと言う数の入校者がいる。ラザール叔父さんの言はその事を言っているのだろう。 

 

 尤も私としてはごめん被りたい。

 

「いやいや、無理ですよ。今の所でも辛いのにハイネセンの士官学校なんて」

 

 ぶっちゃけな話勉強こそ辛いがそれ以外の面では私は相当恵まれている。

 

 何せ私は門閥貴族だ。それだけでかなり教官の目は甘い。流石に限度はあるが逆にいえば大した事でなければ然程厳しく罰は受けない。

 

 それに他の生徒から悪意を向けられない。幼年学校生徒の内貴族出身が3分の2、3分の1が平民だ。しかも貴族の大半が帝国騎士や従士階級、門閥貴族としても伯爵以上なんてほぼあり得ない。というか私の年で身分が上の奴がアレクセイだけだ。つまり階級的には私は神に等しい。他人に気兼ねする必要なく気楽だ。これが同盟軍士官学校ならこうは行くまい。

 

 そもそも、同盟軍にいったら部署が怖い。いきなり回廊の哨戒艦隊の駆逐艦な?すらあり得る。少なくとも人事に関しては亡命軍のほうが融通が利く。……大丈夫だよな?父上、いきなり私を最前線に送らないよな?

 

「そんなところ行きたがるのなんて次席のホラント位だよ」

 

 私は肩を竦めて答える。あの向上心と反骨精神に溢れた平民なら喜んで行くだろう。貴族相手ですら平気で噛みつくような奴だ。むしろここより快適だと考えそうだ。成績的にも問題あるまい。

 

「そうか。残念だのう……。私としてはせめてヴォル坊だけでも、と思ったのだがなあ。アレク坊は行けんだろう?」

「残念ながら……」

 

 心から残念そうにアレクセイは答える。こいつは血筋が血筋だ。単純に警備上の不安があるし、ゴールデンバウムの末裔が同盟軍士官学校に通うのは虐めの原因になりかねない。同盟軍の反ルドルフ教育は民間教育以上だ。

 

 ちなみに我らが星で大帝陛下がどういう扱いを受けているかというと……前世の例で近いのは中国の毛沢東評価だろう。

 

「神聖なる大帝陛下は銀河連邦の不正・腐敗・怠惰・堕落から人類社会をお救いになり秩序を再建為された偉大な御方であらせられるが人の肉体の身、その上それを取り巻く利己的な肝臣の陰謀により少なからず過ちを犯してしまわれたのだ!」

 

 要は、皇帝として人類社会を安定させた偉大な功績があるが愚かな取り巻きと身体の衰えにより幾つかの失政もあった。劣悪遺伝子排除法や社会秩序維持局は正にそれで例えば前者はより漸進的にすべきであり、後者は実行者共が陛下の威光を傘に着て暴走した結果である、帝政初期の共和派議員は大帝を正しき道に引き戻そうとしたが君側の奸により阻まれ、議会を解散させられたのだ、と言うわけだ。

 

 そして、今の帝国の皇帝と貴族は大帝から課せられた人類社会と臣民の守護者たる義務を放棄した逆賊に過ぎず、我らこそが大帝陛下の教えに基づき議会を復活させ立憲君主政により人類の平和と秩序を取り戻すのだ!と言うことらしい。

 

 当然ながら同盟の一般的な価値観から見た場合限り無く黒に近い灰色だ。尚、これは建前なのでこの星の純朴な一般星民に大帝陛下について語ってもらうと限り無く灰色に近い黒になる。これはもう駄目かも分からんね。

 

「ふむぅ……私としてお前さん達の雄姿を間近で見てみたいのだがなぁ」

 

しょんぼりとした表情を作るラザール叔父さん。

 

「私もです。この生まれ育った星と民を守るのも大切な勤めではあります。しかしやはり願わくば大軍を率いて祖国に帰還し、臣民を解放したいと常々考えております」

 

 静かに、拳を握りしめ幼馴染が答える。あ、私は良いです。臣民の解放はローエングラム侯にでも任せますわ。

 

「私も……いつか若様の御傍で先祖の地を……!」

 

 おーい、ベアト、凄いシリアスな表情で呟かないでくれる?お前さんまでフラグ建てに勤しむのかい?

 

 この凄い私にフラグを言わせようという空気(抑止力かな?)を止めたのはこのサロンに参加しているちびっ子達であった。

 

「ラザールじじさま、もういーい?」

 

 声の方向を見ると5、6歳位だろう。ポニーテールに纏めた茶髪、ユトレヒト子爵家の姪っ子が海色の可愛いらしい瞳できょとんとラザール叔父さんを見上げていた。その両手は万歳の体勢だ。超エキサイティングな高い高いを御所望らしかった。

 

「ぬ、今はヴォル坊の課題を見て……」

 

 ラザール叔父さんが困った声を出す。そしてその言葉に潤っと表情を歪ませる幼女。あかん。その子泣き虫なんだぞ。

 

「いいよ、叔父さん。正直少し休みたいし」

 

フラグからも逃げたいので。

 

「ぬ、そうか?すまんな。ほれ、いくぞい」

 

 そういうやいなや笑顔で粗っぽく貴族令嬢を持ち上げるラザール叔父さん。一方子供の方は待ってましたとばかりにきゃっきゃとはしゃぐ。

 

「あ、ディアナぬけがけずるい」

 

 事態に気付いて最初に駆け寄るのは気の強いヴァイマール伯爵の長女だ。釣られてほかの子もより集まる。

 

「ははは、人気だね。叔父さんは」

「……ああ、そうだなぁ」

 

 なにも知らずに純粋に笑う親戚の子供と、同じ位に純粋に相手をする叔父を見て思う。

 

「……先祖からの悲願なんて、どうでもいいんだけどな」

 

 正直こんな立場に生まれたのは仕方ない。帝国の農奴より遥かに恵まれている。問題はこれから先だ。これから先原作の通りなら二人により銀河は嵐の時代がやってくる。   

 

 これまでの戦争が子供の遊びのように見える戦争が始まる。私にそれを止める情熱も実力も無いのは仕方無い。転生しただけの一般人に期待しないでくれよ。

 

 だが、せめて……自分の身内と故郷だけは守りたいとは思う。こんなネジのイカれた奴ばかりの故郷でも私を軍隊に入れる以外では大切にしてくれていた。それを捨てて逃げるほどには誇りは捨てていない。

 

「誇り?……私も毒されてきたかな」

 

 そんなことを思い苦笑する。正直怖いが……やれること位はやってみてもいいかな、などと私は皿の上の菓子を口に放り込むと、はしゃぐ親戚達を見つめつつ密かに思った。

 

 

 

 

 

 

 



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第六話 船酔いに備えて酔い止めは準備しておこう

 沈黙が一帯を支配していた。私の見える視界は辺り一面真っ白な雪に覆われた大地のみだ。仮に動くものがあるとすればせいぜいが1世紀半も前に初期入植者が持ち込みそのまま野生化した山兎位の物だろう。

 

 私は、静かにスコープの解析度を調整する。帝国軍の主力ブラスターライフルであるモーゼル437を基に亡命軍が作ったゲーベル17は大量生産前提のモーゼルシリーズをコストと引き換えに再設計したものだ。当然性能はこちらが上だ。

 

 殊、宇宙戦艦等の大型兵器はともかく、個人携帯装備に限れば実は亡命軍の装備の質は悪くない。

 

 大量生産が必要かつ艦艇等より重要な装備があるために帝国も同盟も個人装備にかけられる予算が限られている。一方兵力に限りがあり地上戦の機会も少なくない亡命軍はこの手の装備に比較的贅沢な予算をかける事が出来た(艦艇の新規開発は諦めて鹵獲品と同盟製を使っている)。むしろ一部の装備には同盟地上軍に輸出する逆転現象が起こったものすらある。

 

 ゲーベル17もまた基になった帝国軍の、それの4割増しの値段だがそれ以上の性能を有する逸品だ。 

 

 私は対赤外線コーティングの為された雪原戦用迷彩服に身を包みうつ伏せの状態で目標を狙う。大昔ならもっと難しい計算がいるのだろうがデジタルスコープは、風量や温度、湿度、重力計算を自動でしてくれる。人間が行わなければならない計算は遥かに少ない。

 

まぁ、それでも滅茶面倒なんだけど。

 

 私は、西暦時代の狙撃手が聞けば跳び膝蹴りされそうな事を考えながら再び目標に神経を集中させる。

 

 スコープの中の目標がぼやけたそれからクリアになるのに合わせ私は深く呼吸する。……教官曰く呼吸も狙撃の精度に影響するとか。

 

「……!」

 

引き金を引くと共に青白い熱線が目標を貫いた。

 

 私は立ち上がり首もとの防寒用マスクから口元を見せると呟いた。

 

「あー、こりゃ駄目だね」

 

 約250メートル離れた人形の的、その横腹に弾痕が刻まれていた。つまり、致命傷ではない。減点対象と言うことだ。

 

 

 

 ヴォルムス北大陸北部降雪地帯、私達帝国亡命政府軍幼年学校4年生はこの地で修学旅行(と言う名の課外講習)を受けていた。

 

 因みにに去年は東大陸の砂漠地帯だった。サバイバル術の実習とコルネリアス1世の攻撃で廃墟になった旧星都(というか東大陸自体この攻撃で砂漠化したわけだが)の見学という糞内容だったが。

 

 修学旅行すら娯楽性皆無とか笑えますよ。勤勉過ぎるわ。

 

「流石若様です!総合得点715点、尊敬致します!」

 

 狙撃試験を終えた私のもとに駆け寄る従士さん。この点数は学年の上位3割に辛うじて入る点数だ。

 

 え、ベアトは?おう、総合点数904点、学年19位だそうだよ?

 

 一見嫌みのようにも思えるベアトの態度、しかし知っての通り真性だ。どういうフィルターかかっているんだろうね?

 

「思いのほか良い点じゃないか?」

 

 ライフルを肩に乗せたアレクセイが感心した表情でこちらに来る。

 

「昨日教官にみっちりしごかれたからな」

 

 私は昨日一人カプチェランカ帰りの教官の特別講習を受けた身だ。帝国と違い亡命軍では貴族の面子を守る事は点数評価を甘くするのではなく恥をかかないレベルまで指導する事を意味していた。

 

「で?お前さんは?」

「974点」

「おう、知ってた。どうせ1位だろう?」

「いや、私とした事が、負けたよ」

 

 肩を竦めて自虐する旧友。

 

「負けた?となると1位は……」

 

次の瞬間教官の叫び声が響く。

 

「ヴィルヘルム・ホラント4年生、総合点数986点!」

 

 その点数に周囲の生徒が驚愕と畏怖の表情でその偉業の達成者を見やる。

 

 防寒帽とマスクを脱いだ同僚はお世辞にも気の優しそうな雰囲気ではなかった。

 

 短く切り揃えた金髪に碧眼は典型的なゲルマン系の造形、鋭い眼光ときつい口元のせいで端正な顔立ちだが近寄りがたい。その体は普段から自主的に鍛え上げているのだろう、同僚に比べても逞しい。

 

 ウィルヘルム・ホラントは西大陸の地方都市ナイメーヘン出身の平民階級である、事くらいしか私は知らない。ただ、向上心の強い努力家で、この星の住民にしては珍しく貴族相手にもへりくだらない性格の人物だと言うことはこれまでの経験で分かる。私達の場合、他の同僚は爵位を気にして良くて敬語、一番見てられなかった時は膝まで付いて話しかけてくるのだ(しかも周囲の同僚どころか教官すらそれを気にしないというね)。

 

 そんな中、淡々と軍人らしく直立不動で、呼び捨てで呼ばれれば印象にも残る。ちなみに元来小市民な気質の抜けない私には非常に好感が持てた。隣にいたベアトが激怒しかけて宥めなければならなくなったが。

 

「さすがだね、ホラント君。素晴らしい射撃センスだ。私も頑張ったんだけど、敵わなかったよ」

 

 アレクセイはにこやかに微笑んで駆け寄ると握手を求めるように手を差し出す。それは心から相手の成績を称賛しているようであった。

 

「……大したことではない。基本を何度も忠実に復習すれば誰にでも出来る事だ。わざわざ誉めてもらう事なんかじゃない」

 

 アレクセイの差し出す手を一瞥すると興味無さげに淡々とその場を去る。

 

「おい、貴様……!」

「余りに無礼じゃないのか……!」

 

 周囲の生徒がホラントを呪い殺さんとばかりに睨み付ける。

 

 だが、ホラントは足を止め、それを一瞬見ると、すぐ興味を無くしたように歩き始めた。

 

「なっ!貴様……!」

「よせ、止めるんだ」

 

 数人の生徒が殴りかかろうとしたところでアレクセイが静止を命じる。

 

「し、しかし……!」

「いいから。止めてくれないかい?」

「はっ……ははっ!」

 

 姿勢を正し頭を下げ了解する生徒。アレクセイはそれを見て慣れたような苦笑いを浮かべる。本人としては対等の同僚と見ていても大半の生徒にとって彼は尊い大帝陛下の血筋として見ている事をまざまざと見せつけていた、等と隣でホラントの背中を今にも襲いかからんとばかりに凝視するベアトを見ながら考える。こういう時は取り敢えず仕事をやるに限る。

 

「ベアト、メンテ宜しく」

「了解致しました」

 

 狙撃試験に使っていたブラスターライフルを適当に投げつける。直ぐ様キャッチして敬礼するベアトをおいてアレクセイに近寄る。

 

「あ、悪いけど殿下とお話があるからどっか行ってくれる?」

 

 私が済まなそうに聞くと狼狽しつつも先程の同僚達が礼をして退散する。

 

「ははは、振られたか?」

「残念ながら、ね」

 

私の冗談に肩を竦めながら答えるアレクセイ。

 

「艦隊運用学と航路選定概論の試験も負けてたな」

 

 この前の中間試験の結果について指摘する。これまで全ての課題で首席だった旧友が今年の半ばから部分的に次席に成績で負けていた。

 

「素晴らしい才能だよ。私だって首席になるために努力はしているつもりだ。その上で越されたんだ。どれ程の苦労をしたのか……称賛の言葉しかないよ」

 

 その言葉には負けた事への蟠りは感じられない。負けたのなら勝てるよう努力する、旧友はそういう人物だ。

 

「向こうは恐らく嫌っているようだがね?」

「そのようだね。本当に残念だよ。将来共に賊軍と戦うだろう戦友に嫌われるのは少し悲しいよ」

 

 こいつ、本当優しいな。大帝陛下の顔で言われると違和感しか無いけど。

 

「戦友ねぇ。そう言ってもあいつ、卒業したらハイネセン行くつもりだぜ絶対」

 

皮肉気に語ってやる。

 

「同じ事さ。同盟軍にも同胞は沢山いる。それに亡命者でなくとも賊軍と戦う者はすべからく戦友だ。第一それだとヴォルターを戦友と呼べなくなる」

「おーい、私一度としてハイネセンにいくなんて言ってないぞー?」

「え、君の父上が手紙で書いてたよ?」

「はっは!ワロス」

 

外堀から埋めに行くパターンかな?

 

「若様、メンテナンス完了致しました」

 

敬礼と直立不動の姿勢で報告するベアト。早ぇよホセ。

 

「ありがとさんよ。さて、この課外学習もだるいが……ラスボスが控えているんだよなあ」

 

 この課外学習の一月後、亡命軍幼年学校4年生の最後の講義が控えていた。即ち、宇宙航海実習……実は何気に生まれて初めての宇宙行きであった。

 

 

 

 

宇宙暦778年2月1日ヴォルムス北大陸星都アルフォートに西150キロの沿岸地帯、北ワデン海に面したそこにこの惑星最大の宇宙基地がある。

 

 アルフォート宇宙港は軍民共用の最重要施設の一つだ。

 

 年間利用客は3000万人、星系航路としてはシャンプールの他エルファシル、ヴァラーハ、グレナダ等11有人星系との直通便があるほか日に1便だがハイネセンへの特急便も開通している。国境に近い辺境星系の宇宙港としては破格の規模だ。

 

 民間用敷地の北側、にその3倍の規模の軍用地が鎮座している。

 

 亡命宇宙軍の主力部隊の駐留するそこは鹵獲した帝国軍主力艦艇を中心に1200隻が置かれ、ひっきりなしに出入港していた。警備のために周囲には地上軍1個師団が展開、対空ミサイル・レールガン・ビーム砲搭からなる陣地のほか攻撃ヘリ、大気圏内戦闘機の待機する航空基地が併設される。

 

 装甲車に前後を護衛されたバスに乗り込み私を含む幼年学校4年生は軍用地に入場する。

 

「列を乱すな!粛々と隊列を維持してついてくるように!」

 

 教官が注意をするため一見整然と進むが実際のところ私を含め殆んどの者がそのスケールに圧倒されていた。

 

 港内に係留される巡航艦の列、300メートルに及ぶそれが何十隻と並ぶ姿は凄まじい威圧感を与える。戦闘においてはたかだか1隻の巡航艦なぞとるに足らない存在だろう。だがそれは艦隊戦における話で地上に這いつくばる人間にとっては正に城と呼ぶに相応しい。

 

 というか怖い。これ艦がバランス崩したり事故で爆発したら終わるな。デカイものはそれだけでヤバイ、はっきりわかんだね。

 

 帝国軍標準型戦艦を改装した練習艦『イェリング』が私達の乗り込んだ艦であった。

 

「各員シートベルト締めろ。いいか、発進後、チェックポイントにつき次第護衛と共に超光速航行に移る。ワープ酔いに気を付けろ。無理に我慢せずそこの従兵に洗面器をもらう事、分かったな?」

 

 全天周囲モニターの研修用室で席に座りシートベルトをつける生徒に注意する教官。言うには大体学年で最低一人はリバースする方がおられるらしい。うえぇ、汚ねぇ花火だぜ。

 

「つーか、怖いんだけど」

 

 冷静に考えろ。宇宙だぞ?外でたら普通に死ぬよ?原作で普通に宇宙航海しているけどよく考えてるとよくノイローゼにならないな?何でほかの生徒共はわくわくしているんだよ?そんなにエクストリームスポーツ好きなの?

 

「ん?」

 

次の瞬間、隣に座っていたベアトが私の手を握った。

 

「若様、とても緊張しておいでです。御無理せず、何か不安があればこのベアトにご相談してください」

 

 私の顔、そんなに不安そうだった?心底心配そうに従士が尋ねる。

 

「………ベアト」

 

 従士の顔を見て、私に触れる手に視線を移し、再びベアトの顔を見やる。

 

「凄く情けないんだけど不安だから今だけこのまま手握ってもらっていい?」

 

 ベアトには本当に情けない姿を見せる事になるが恥を忍んで頼み込む。

 

「……はい、ベアトでよければ何なりと」

 

 一瞬きょとんとした表情を見せる、がすぐにこの幼なじみは慈愛に満ちた声で答えてくれた。ははは、本当に情けねぇ。

 

『これより本艦は出港する。各員衝撃に備え!』

 

 艦橋からのアナウンス。同時に小さい揺れと共に浮遊感が発生する。

 

「うおっ……凄いな」

 

 全天周囲モニターから見える景色は急速に今乗っている船が上昇している事を示していた。地表の都市は急速に小さくなり船は雲海を貫き高度を上げる。空は青色から瞬く間に薄暗くなっていった。

 

そして、私はそれを見た。

 

 暗黒の世界……そこに輝くは千億の星。宝石を散りばめたような美しい世界。

 

「我が征くは……星の大海」

 

 誰の台詞だったか?あるいは題名だったか?原作の言葉が脳裏によぎった。……成る程、ラインハルトが宇宙に出たいと言うわけだ。これは余りに……美し過ぎる。

 

 護衛であろう2隻の巡航艦が距離を取りながら並走する。再びのアナウンス。

 

『これより本艦は短距離超光速航行に入る。総員用意』

 

「ベアト」

「……何でございましょう?」

「案外、良いものなんだな。宇宙は」

「……お気に召して何よりでございます」

 

心から喜ばしそうに彼女は答えた。

 

『ワープ……開始!』

 

 揺れる船内で私は思う。少なくとも宇宙航海自体は悪くないな、と。

 

 

 

 あ、やっぱり今の発言無しで。凄く気持ち悪い。……うえええ。 

 

 おい、もし転生する機会があれば覚えておけ。宇宙船に乗るときは酔い止め常備は必須な?

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第七話 仕事は慣れると雑になるもの

 ライナルト・フォン・バッセンハイム中佐が艦長を勤める練習艦『イェリング』は護衛艦2隻の庇護の下アルレスハイム星系から14.9光年の位置にあるパランティア星系第6惑星オスギリアス近縁を航行していた。

 

 パランティア星系といえば宇宙暦751年帝国暦442年のパランティア星域会戦が有名であろう。730年マフィアが一人ジョン・ドリンカー・コープ提督の指揮する同盟軍は帝国軍に対して30万人もの戦死者をだす惨敗を喫した。

 

 この会戦の結果第2次ティアマト会戦以降企画された帝国領への大侵攻作戦の中止が為された原因としても有名である。フレデリック・ジャスパー提督の黒い噂も当時の侵攻作戦の可否におけるコープ提督との意見対立から来たものだった。

 

 実際のところそれは、ゲスの勘繰りと言えた。会戦後の敗因研究を行った特別委員会の公表文によるとパランティア星域会戦の敗因は想定外の星域での戦いだったからだ。

 

 実のところ当時のパランティア星系は決して最前線という訳ではない。むしろ補給基地があり艦隊の集結先としてこれまで度々使われた星系だった。

 

 正面決戦では勝てぬと考えた帝国軍首脳陣は当時構想されていた高速戦艦の試作艦艇を中核とした特務艦隊を編成し同盟勢力圏の哨戒網をすり抜け集結途中だった同盟軍に奇襲攻撃を実行したのだ。

 

 初撃で艦隊副司令官が戦死、艦隊の内集結していたのは6割強、混乱する艦隊をコープが纏め上げる時間は無かった。コープ提督はその軍事的才覚を発揮させることすら許されず戦死した。

 

 むしろ救援要請に応えジャスパー提督がパランティア星系に急行した時間は帝国軍の想定よりも遥かに早かった。少なくとも彼は戦友を見殺しにするつもりは無かった筈だ。

 

 さて……そんなパランティア星系は基本的に危険な宙域ではない。同盟航路局の発表する注意レベルは5段階の内2、パランティア星域会戦の例こそあるが通常帝国軍と遭遇する事はあり得ない。尤も近年はイゼルローン要塞の完成とそれに伴う帝国勢力圏拡大により注意レベルの引き上げ検討が為されている事も事実ではある。

 

「まぁ、そんなことは今はどうでもいい。取り敢えず腹痛いから実習休んでいい?」

 

宇宙服を着た私は後ろに控える旧友に笑顔で尋ねる。

 

「諦めなよ。さあ、順番がきたよ?行って」

「嘘だ!」

 

 憐れむような表情で答える旧友に私は心からの否定の言葉を叫ぶ。具体的に某超大作映画の二部で敵に父親だと告白された主人公のごとき慟哭を叫ぶ。しかし現実は無慈悲だ。

 

乾いた音と共にエアロックがしまり私は一人閉じ込められる。

 

「はいはい、さぁ排出だ」

「鬼!悪魔!地獄に堕ちろ!」

 

 吸引器により室内の空気が抜かれ真空状態になったと共に極寒の闇に続く扉が開いた。

 

「ははは、ペーター!覚えていろ!私は何度でも甦る!はは!ははは!」

「私はペーターじゃないよ?」

 

私は怨みつらみを呪詛にして吐きながら練習艦から放出された。

 

 

 

 

「うーん……駄目だ。胃の中気持ち悪……」

 

 無重力遊泳体験で無重力酔いして艦の休憩室のベンチでダウンする私である。ベアトが膝枕してくれているが残念ながらその膝の柔らかい感触を味わう余裕なんてゼロです。

 

 良く良く考えろ。無重力空間で胃の中の物がどうなるかを。休憩室のほかの同僚達の大半はけろっとしている。私の状態を物珍しそうにすら見ていた。なぁ、何でお前ら平気なの?これが宇宙暦のスタンダードなの?私だけ重力に魂を縛られているの?

 

「流石に情けないね。ワープ酔いと無重力酔いで両方吐く生徒は初めてだって教官が困惑していたよ?」

 

 宇宙遊泳実習を終わらせ着替え終えたアレクセイが心底呆れたようにいった。うるせぇ。

 

「うーん……悪いけど昼食いらないって教官にいっておいてくれる?」

 

項垂れながら私は頼む。

 

「それは良いけど、本当に大丈夫かい?入港まで持つかい?」

「持たせるしかなくね?」 

 

 予定としては昼食の少し前の時間……確か1200時頃にパランティア星系第5惑星衛星軌道上の同盟軍の補給基地に入港、基地見学をする事になっていた筈だ。当然ながら宇宙船より宇宙要塞の方がより安定した重力発生装置を備えている。そちらにいけばこの吐き気も多少はましになるだろう。

 

「ううう……畜生め。何でお前ら元気なんだよ。ふざけんなよ」

 

 勤勉な奴なんてこの休憩室で腹筋や腕立て伏せしてるしな。どんだけだよ。お前ら軍人よりボディビルダーでも目指せよ。

 

 特にホラントはその筆頭だ。すげえよな、もう10分以上黙々と片手で高速腕立て伏せしてる。苦しい顔一つしてねえ。

 

 まぁ、帝国人は元来筋トレ好きが多いのだが。大帝の遺訓だ。健全な魂は健全な肉体に宿る、等と大昔の哲学者は言ったそうだが、大帝が仰るには「他者に勝つにはまず自身に勝たなくてはならぬ。なぜ自身に勝てぬ者が他者に勝つ事ができようか?」と言うことだそうで。

 

 その上でこう言った。「肉体を頑健に保つには日々自らを律し、苦しみに耐え抜かねばならぬ。即ちそれに耐え肉体を研磨出来る者こそが他者に打ち勝ち、人類種の繁栄に貢献出来るのだ」と。 

 

 逆にいえば健全な肉体を持たぬ者は人類の繁栄に貢献出来ない。即ち障害者は不要な存在、不健全な生活を続ける貧民は健全なる貴族に従うのが当然、という意味の裏返しでもある。無論それは、建前であり大帝陛下が晩年痛風だったりラードの塊こと流血帝が即位してたりしている点でお分かりの事だが実際は自堕落な生活を送っていた王侯貴族もかなりいた。むしろ下級身分の者ほど純粋にその遺訓を守り伝えている傾向がある(盲信しているとも言う)。

 

 そんなわけで帝国人……特に純朴な平民層は筋トレが趣味……というか本能になっている者が少なくない。亡命政府の統治領域は特にその気風が強い。元貴族から農奴までナチュラルに鍛える。私も半強制的に鍛えさせられた。まぁ、筋力は平均より下だけど。おい、アルレスハイム星系の高等学校のスポーツテストの成績、何で同盟平均点数の2割増しなんだよ。ふざけんな。

 

「お痛わしい……若様、どうぞ御安静にしてください。必要な事は何なりとこのベアトに御命令を。可能な限り御応え致します」

 

 私の頭を撫でながら沈痛そうな面持ちで話しかける従士。凄く……重いです。

 

 いや、いい子なんだけどね?本当上の階級への盲信具合ヤバイよね、この子。私この子の将来心配だよ。

 

 と、思ったけど良く良く考えたら重いのはどちらかというと従士階級全般だった。

 

従士階級について調べたら代表例がブラウンシュヴァイク公家のアンスバッハ家や晴眼帝の皇后ジークリンデだからな。……重いわ。

 

 5世紀近く主従関係が続けばこうもなろう。常人には到底理解出来まい。私だって理解し難い。

 

『連絡致します。本艦は現在、パランティア星系第5惑星の周回軌道に入りました。まもなく、入港準備に入ります。総員入港準備に入ってください』

 

艦内放送が終わるとアレクセイがこちらを見る。

 

「だそうだよ。後長くて1時間といったところだね」

「そう……だな……」

「持ちそう?」

「どうに……あ、やっぱり無理かも」

 

旧友は黙って洗面器を渡してきた。

 

 

 

 

 

「管制班、ゲストの航行は順調かね?」

 

 指令部に副官と共に入室した自由惑星同盟宇宙軍所属、パランティア星系第5惑星アモン・スールに二重の輪を形成する小惑星帯、その中で3番目の大きさを誇るそれの内部をくり貫いて建設されたアモン・スールⅢ補給基地の基地司令官カディス・ジャック・ロワール大佐は司令部要員にそう尋ねた。

 

「はっ、現在アモン・スール衛星軌道上に到達、当基地とのアプローチは1100時と想定されます」

「予定通り、だな」

 

 管制班の返答に対して安堵と呆れの綯い交ぜになった溜息を漏らすロワール大佐。この歳55歳の彼の顔にはありありとした疲れの感情が見て取れた。そのくたびれた表情には歳と階級による責任から来るものだけではない。

 

「ぼんぼんの遠足ですか」

 

 皮肉気に語る副官のハワード中尉。この歳26歳の彼は、ハイネセンのテルヌーゼン同盟軍士官学校こそ出ていないがパラス予備士官学校を上位で卒業、同盟屈指の大企業の一つヘンスロー社の事務職として入社していた経歴の持ち主だった。そして2年前の第2次イゼルローン要塞攻略戦による兵員損失補填として3年期限の後方士官として入隊している身であった。

 

 宇宙暦778年の時点で同盟軍の中央・地方を伏せた現役兵力の総数は4600万名に及ぶがその多くが正面戦力の戦闘要員であり後方支援要員は決して多くは無い。これは防衛戦中心であるために比較的補給が容易である事もあるが最大の原因は同盟の国力の限界から後方支援体制まで人員と予算を振り向けられないためでもある。特に希少な士官学校卒業生はその大半が前線の正面戦力……将来の参謀職や提督職になる事を期待して配置され、後方勤務に回されるのは学生時代に適性を認められた一部の者である事が大半である。

 

 そのため、同盟軍では特に後方勤務要員養成のために複数の予備士官学校を設立していた。卒業後は基本的に民間企業(最も軍需企業の割合が多いが)に就職するものの大規模作戦や大損害に際して臨時動員される予備士官は現役士官に比べ能力はともかく数とコストの面で遥かに利便性があった。

 

「そういうな。大切な客人だ。丁重に扱わんとならん。下らん事でトラブルを起こすわけには行くまい」

 

副官に注意するロワール大佐は、しかし本人も嫌々といった雰囲気で語っていた。

 

 銀河帝国亡命政府、そしてそれを擁するアルレスハイム星系政府は数多ある同盟加盟星系国家の中ではかなり異質な部類だ。確かに星系国家の中には権威主義の傾向の強い星系政府や一党独裁とはいかないまでもヘゲモニー政党制の星系議会も存在する。だが、それでもあくまで民主主義と共和制を標榜し、反帝国の思想では中央と一致した見解を有している(少なくとも今のところは)。

 

 そんな中で民主主義を標榜しながら限りなく専制国家の如き価値観を政府から市民までが共有している亡命政府はその内情を知る者には違和感を感じざるを得ないものだ。歴代首相が世襲化し、星系議会の与党が議会成立以来一度も政権交代した事が無いのは異常でしかないのだから。

 

 同時にその性質から同盟政府からも同盟軍から腫物に近い扱いを受けているのも確かだ。特に前線における亡命軍の戦いぶりは畏怖を通り越して恐怖すら感じられる。友軍である同盟軍から見てすら、だ。

 

 それだけに、直接関わる身としては気苦労が絶えない。同盟人の一般的感性からかけ離れた彼らの逆鱗がどこにあるのか、地雷処理作業をするような感覚だ。

 

「粛々と見学をしてもらって、丁重にお帰り頂こう。幸いこの星系は安全だ。将兵達にさえ訓令を与えておけば問題あるまい」

 

 だといいが、と内心で再度ため息をつく。そんな状況だから司令部要員も皆、肩をすくめて呆れる。

 

「ん?」

 

 レーダー索敵要員が一瞬レーダーサイトにあった反応に気付く。だが数秒もせずにそれはすぐ消え去る。

 

「……ゴーストか?」

 

 レーダーにバグや誤作動により存在しない目標が表れる事自体は宇宙暦の御時世でも良くある事だ。大概はコンピューターのソフトウェアによりすぐに処理される。

 

「報告は……まぁ、大丈夫だろうな」

 

 気難しそうにする司令官に報告するのは気が引けるし、大規模な出征の情報もないのにこんな後方に帝国軍が進出しているとは思えなかった。

 

 専科学校を卒業し数年、そろそろ仕事での手の抜き方を弁えてきた時期の彼は普段の経験に基づきそのまま任務に戻る。

 

宇宙暦778年2月3日1200時、練習艦『イェリング』は予定通り補給基地アモン・スールⅢに入港した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第八話 ルーチンワークもクリエイティブな仕事もどちらも面倒なもの

「では皆さん、これより見ていただくのは基地のロジスティック部門についてです」

 

 同盟宇宙軍モーリス・サックス大尉は亡命軍教官と共に学生を引率しながら饒舌に説明を続ける。

 

「兵站については世間一般では単に補給の事くらいしか思い浮かばないと思います。しかし、皆さんも講義で知っての通り実際はそれだけではありません」

 

 兵站は平時・有事における軍の活動・機関・施設の総称だ。平時に置いては各基地・各部隊への武器・弾薬・燃料・食料・医療品・日用品の輸送・配給の手配や兵器の定期点検等、有事においては事前の計画や前線への要望に応え迅速かつ過不足無く物資を各部隊に輸送するほか、前線への後方支援基地の構築・維持、負傷兵の後送や戦死者の遺体回収、兵器の修繕等が挙げられる。

 

「知っての通り同盟軍においては兵站は後方勤務本部の管轄です。しかし、同時に忘れてはならないのは実際に物資を集積する補給基地の存在でしょう。」

 

  巨大な扉が自動開閉される。サックス大尉は膨大な物質が収容されたコンテナに足を踏み入れ再びニュースキャスターのごとき説明を再開する。

 

「現在同盟宇宙軍は53個の宇宙要塞型補給基地を有しております。これらは主にハイネセンから帝国国境に構築されております。理由はナンバーフリートを始めとした宇宙艦隊の素早く、長期に渡る展開のためです。当然ながら補給物資の積み込みには時間がかかり艦隊の航行速度にも影響を与えます。そのため同盟宇宙軍の艦隊においては最低限の物資のみを貯蔵し、会戦前に物資を各基地で補給、万全の状態になってから艦隊戦に移ります」

 

 同盟軍の宇宙要塞型補給基地はその多くが航路の辺境にある。元来距離の防壁による防衛戦を想定していた同盟宇宙軍は帝国軍に対してこれらの基地を拠点に戦隊単位でのゲリラ戦・漸減戦を構想していた。そしてこれら補給基地の分散の結果、同盟宇宙軍艦艇は航続距離を犠牲にして小型化・低コスト化を実現する事にも成功していた。

 

 実際のダゴン星域会戦では当初の想定とは違い艦隊決戦となり、以後これが同盟宇宙軍のトレンドになったもののこの補給基地の分散配備により同盟宇宙軍は帝国軍に比べ艦隊の即応化に成功したほか、後方支援の面で周辺に多くの補給基地があるためより迅速に、より柔軟に対処出来るというメリットを受けていた。

 

「これにより帝国軍の出征後にでもこちらの優位の星系での決戦を強制出来る事になった訳です」

 

 サックス大尉が質問が無いか尋ね、幼年学校の生徒達ははきはきした声と模範的な体勢の挙手で疑問をぶつける。

 

「同盟軍の主力艦隊はハイネセンに駐留していますが国境への常時展開を実施しない理由はなぜでしょう?」

 

少し幼さの残る女生徒が質問する。サックス大尉は笑みを浮かべて返答する。

 

「はい、そうですね。一つには主力艦隊の練度維持と損失回避が挙げられます。ナンバーフリートは兵員と装備の質の面で同盟軍の精鋭部隊と言えます。国境展開によりそれらに不必要な犠牲を生むことによって会戦時に帝国軍に対して不利になり得る点がまずあるでしょう」

 

生徒達の様子を見て話を続ける大尉。

 

「また、予算の面もあります。一個艦隊の艦艇は1万隻を越え兵員は100万を越えます。これらの駐留する基地の建設と維持、部隊の展開、これらのローテーションを想定すると現状に比べ多くの予算が必要となります。予算は有限、ならば現状の国境警備部隊の増強で十分と判断されたためです」

 

 そもそも帝国軍にしても距離の防壁の効果で哨戒艦隊の規模は決して大きくない。わざわざ正規艦隊を雑務に就かせるほどのものではない。

 

 もっとも、イゼルローン要塞の建設により同盟軍でも国境へのナンバーフリートの常時待機させるべきと言う意見も出ている。だが、一方そのための予算で要塞攻略のための艦隊増強、具体的には現状の11個艦隊体制を12個艦隊体制に増強した方がよいと言う意見もあり未だに答えは出ていない。

 

「私達からすれば艦隊の駐留の方がいいのだろうけど……」

 

 アレクセイは説明を聞きつつ小さな声で呟く。単に自分達の星の安全を考えればその方がよいだろう。彼の友人もそう宣う筈だ。だが亡命政府の国是としてはそんな事認められる筈もない。廻廊の向こう側の奪還は惑星住民5000万人、いや同盟領全域に離散する帰還派市民数億人の悲願だ。そのために1世紀以上戦い続け、多くの資金を費やし、同胞の協力を得てきたのだ。それを我が身可愛さで方針転換なぞ許される筈もない。同胞の犠牲を無駄に出来ない。

 

「ヴォルターは肩を竦めるんだろうな」

 

 ベアトに肩を借りて今にも死にそうな表情で医務室に向かっていた友人の情けない顔を思い浮かべる。案内役の同盟軍軍人も半分呆れ果てた顔をしていた。その様子を思い浮かべ思わず小さく笑ってしまった。

 

 決して優秀とはいえない。門閥貴族として多くの指導を受けている事もあり無能では無いが秀才とはいえる程際立っている訳でも無い。貴族としても最低限の礼儀こそ実践出来ているがそれだけだ。精神面では誇り高き貴族というより小市民に近い。父親に矯正されているがなかなか根っこは変わらないようだ。

 

 名門貴族であるが、それだけな筈の人物をしかしアレクセイはとても気に入っていた。幼馴染である事もあるが、恐らく彼が一番気に入ったのはその無頓着なところなのだろう。

 

 少なくとも彼の前ではゴールデンバウムのアレクセイではなく、普通のアレクセイとして話せるからだろう。少なくとも彼の態度は自分をさほど神聖不可侵たる皇族の一員として扱っていない事を物語る。敬語で話そうともそこに本当の意味で敬意はさほど含まれていないだろう。

 

 だからこそ気が楽だ。同時にそんな彼の事を羨ましくも思う。出自に縛られず本音を言える図太い……抜けているともいう……性格を。

 

「まぁ、他所は他所、家は家、か」

 

 当然自分がそんな事をしていい筈もない。同盟においても自身の言葉の重さは理解している。だが……だからこそ、せめて自分の近くにはあんな友人が居て欲しい。

 

「はぁ、本当に大丈夫かな。ヴォルターの奴……」

 

 呆れつつもアレクセイは再び、同盟軍人の説明に耳を傾けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 補給基地アモン・スールⅢ司令部にて警戒配置についていたオペレーターがそれに気付いた。

 

「ん?これは……おい、どう見る?」

 

そのオペレーターは隣の同僚に尋ねる。

 

「うん?これは……イレギュラーか?」

 

レーダーは、補給基地に近付く隕石を捉えていた。

 

 巨大ガス型惑星であるアモン・スールの環を形成する衛星軌道上の隕石群の総数は推定120万個に達する。当然ながらその軌道は宇宙船の航行のみならず補給基地の安全にも影響を与える。そしてその全ての軌道をデータ化・記録出来ている訳でもない。

 

「このサイズだと放置は危険だな。距離があるうちに焼いてしまうか」

 

 そう判断しオペレーターは基地守備隊の要塞砲部隊に連絡を入れる。

 

「こちら司令部索敵班、イレギュラーを発見。そちらに処理を頼みたい」

 

『イレギュラー?分かった。観測データを共有したい。送信を頼む』

 

 基地守備隊からの返答に従い観測データを送信するオペレーター。

 

『……あー、確かにこれは念のため焼いた方がいいな。全く軍人にもなってやるのが万年石の掃除とはなぁ』

 

呆れるように愚痴を言う守備隊の隊員。

 

「ははは、そういうもんじゃないさ。こんな補給基地で座っていれば給料貰えるんだ。楽でいいじゃないか?」

 

 比較的後方であり、治安も悪くないこの星系の補給基地は正直気楽な職場だ。帝国軍も、宇宙海賊やテロリストとの戦闘もない。戦死の心配が無いのはこの時代の軍人としては楽園だ。

 

『違い無いな。さて、一仕事しますかね』

 

 その通信と共に補給基地の中性子対空ビーム砲搭の一つが起動する。観測されたデータに基づき角度を調整した砲搭は次の瞬間一筋の光線を撃ち込む。

 

 基本的に動力の関係で『雷神の槌』のような要塞主砲でなくとも、通常の要塞砲は対空用のそれでも戦艦の中和磁場すら貫通するほどの高出力を発揮する。無論、機動力の関係で要塞砲はなかなか艦艇に命中しない、しかもこのアモン・スールⅢの砲台は後方の補給基地のため旧式のまま更新されていない代物だ。だが、相手が隕石相手ならばその性能は十分だ。

 

 数秒の沈黙……次の瞬間遠方で小さな爆発の光が観測される。

 

「敵を撃破。任務完了、だな」

 

オペレーターは、ふざけるように報告する。だが……。

 

「ん?またイレギュラー?」

 

再びレーダーにデータに無い軌道を進む隕石を捉える。

 

「おい、こっちにも反応があるぞ!?」

 

別のオペレーターが報告。

 

「こっちもだ。数5……いや、6、7個……いやまだ増える!?」

 

また、別のオペレーターが驚くように叫ぶ。

 

「こっちに来ている!?」

「速い……これは自然の動きじゃないぞ!?」

「何をしている!?早く迎撃しろ!?」

 

 慌てて司令部の基地司令官代理が叫ぶ。オペレーター達は急いで守備部隊に迎撃指示を出した。

 

 幾条もの光線が暗黒の宇宙に向け撃ち込まれる。同時に遠方からの爆発の光が照らし出される。

 

「L-25宙域、M-16宙域の目標撃破!」

「Q-52宙域、V-34宙域、N-40宙域にも隕石が!」

「D-14、C-11もです!」

 

 次々と来る報告。既に補給基地に向かう隕石の数は50を越えていた。

 

「狼狽えるな!たかが石ころだ!一つ一つ撃破すればいい!」

 

 司令官代理は叫ぶように命じる。隕石迎撃の歴史はそれこそ西暦の太陽系の開発時代から続いている。その迎撃技術もノウハウも既に一種の極北に達している。たかが隕石攻撃程度、無力、とはいかぬまでも十分迎撃可能であった。

 

 実際、対空ビーム砲の迎撃で隕石の数は確実にその数を減らしていく。

 

「ふんっ、このような安い攻撃、帝国軍では無くどうせ宇宙海賊だ!この程度の攻撃で同盟軍の基地を破壊出来るものかっ!基地司令官に回線を繋げっ!」

 

 司令官代理は相手の正体を正しく看破していた。今時特殊な状況でもない限り隕石による質量攻撃なぞ簡単に無力化される。艦隊であれば回避は容易だし、要塞等の固定施設でも多数の迎撃システムがある。何なら基地の姿勢制御装置で公転速度を少しずらしてもいい。機動要塞となると大袈裟ではあるが衛星軌道を回る施設の公転速度を多少ずらす程度ならばそこまで大がかりな設備はいらない。広い宇宙ではその程度のずれでも無誘導の質量攻撃の回避には十分だった。

 

 司令官代理が鼻で笑いながら自室で休息をとっている上官に報告を入れようとした次の瞬間、基地司令室を震動が襲う。

 

「うおっ……!?何事だっ!?」

「ミ、ミサイルですっ!ミサイル攻撃が命中しました!」

「馬鹿なっ!索敵班、なぜ気付かなかった!?」

 

 後方支援要員と旧式装備中心の補給基地とはいえ、宇宙海賊程度の所有するミサイルが命中するほど同盟軍の迎撃態勢は脆弱では無い筈だ。

 

「レーダーに反応なし……恐らく新式のステルスミサイルと想定されます!」

「馬鹿なっ!?宇宙海賊程度がかっ!?」

 

 宇宙暦のミサイルはレーダー透過装置とレーダー吸収塗装が為されているのが普通だ。だが同時に150年近く続く戦争でレーダー等の索敵機器も絶えず性能向上のために改良を受け、ミサイルもそれを受け改良を続ける鼬ごっことなっている。

 

 これが帝国軍の第一線で使用されるミサイルならばまだ理解出来る。後方のこの基地の索敵網を抜く事もあり得る。だが、相手は宇宙海賊の筈だ。奴らの保有する装備は大概が同盟と帝国に比べ2,3世代は遅れたものだ。同盟軍の索敵網をこんなに易々と抜けるとは思えなかった。同時に帝国軍とも思えない。強行偵察艦ならともかく、少数とはいえ艦隊が一切の感知を受けずこんな星系まで奴らが侵入するとは思えなかった。

 

「げ、迎撃だっ!レーダーが駄目なら光学機器を使え!」

 

 光学機器はレーダーに比べて古典的で非効率的な索敵方法だが、逆に対ステルス的索敵手段としては確実だ。だが……。

 

「くそっ!A-7,D-2砲塔破壊されました!」

「C-2砲塔大破っ!奴らこちらの迎撃手段を潰しに来やがった」

 

 対空ビーム砲塔は光学手段で発見したミサイルの迎撃を始める。だが、光学手段は発見の効率……特に発見可能距離の面で圧倒的に不利であり、1つ、2つとビーム砲塔は破壊されていく。

 

「おのれ……!」

「司令官代理っ!敵艦隊発見っ!」

 

 怒りに震える司令官代理にオペレーターの報告。司令室の液晶画面が敵艦隊の姿を映し出す。司令官代理の推測は正解だった。敵艦隊の艦艇は武装民間船や同盟や帝国軍の旧式戦闘艦艇やスクラップの継ぎ接ぎだ。御丁寧に艦首に髑髏まで書いてくれている。

 

「海賊風情が舐めた真似をっ……!!防衛部隊に連絡!対艦ミサイルでデブリにしてやれっ!」

「隕石、至近……来ますっ!」

 

 司令官代理が反撃命令を下そうとすると同時にオペレーターが悲鳴に近い声で報告する。

 

「さっさと撃ち落とせっ!」

「砲塔の死角です!」

 

 補給基地の対空砲塔は死角が出来ないように、それぞれの砲塔が援護出来るよう計算され設置されている。だが、当然の事だが砲塔が破壊されれば迎撃の死角はどうしても出来る。ミサイル攻撃により砲塔が破壊されたため生まれた死角に縫うように突入する隕石を破壊するのは簡単ではない。あるいは海賊側は迎撃網の、相互に援護する砲塔の射線を観測するためにわざと最初に隕石群を突入させたのかも知れない。

 

「駄目ですっ!迎撃間に合いませんっ!衝突まで30秒!」

 

 補給基地各所のスラスターを起動させ公転速度を変更する時間的余裕は無かった。たかが海賊の質量攻撃と考え事前にその準備をしていなかったからだ。

 

「馬鹿な……こんな時代遅れの攻撃で……」

 

 唖然とする司令官代理。だが、すぐに我に返り行うべき指示を出す。

 

「っ……衝突箇所を予測しろっ!対象ブロックから兵員を退避させろっ!エアロックの準備!通信士!基地全域に衝撃の警告をっ!」

「り、了解っ!」

 

 動揺しつつも命令を素早く実施する司令部要員。腐っても彼らは同盟宇宙軍の軍人、戦争のプロだ。与えられた命令には迅速に対応する。

 

「け、計算結果でましたっ!これは……基地Dブロック、第3コンテナ倉庫外壁付近です!」

「同ブロック要員に連絡!避難命令をっ!」

「隕石衝突、来ます!」

 

 その報告とほぼ同時にアモン・スールⅢに直径112.4メートルの隕石が衝突する。補給基地全体を地震のような揺れが襲う。司令部要員は悲鳴を上げ倒れ込んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ミサイルの下りはカプチェランカでラインハルトとキルヒアイスの会話を元に考えました」(ハードウェアのいたちごっこ)。


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第九話 多分アッシュビーは造船所の社員に嫌われていた

 夢を見た。物心がついた頃……正確には思考が纏まり自身が転生した事に気付いた頃の事だ。  

 

 当時の私を表すならそれは内気で無愛想な臆病者だろう。

 

 転生した私は恐怖し、怯えていた。この世界が何処なのかを理解したから。自身の立場に待ち受ける運命を理解したから。

 

 銀河帝国、ルドルフ大帝、自由惑星同盟……これらの単語が耳元に響き渡る。そして自身の置かれた世界を自覚する。

 

 絶望なんてものじゃない。無意味だ。無力だ。どうしようも無かった。

 

 同盟における亡命した門閥貴族の長男……それが何を意味するのか分からぬほど私も無能ではない。

 

 私は自身に待ち受ける過酷な運命を理解してしまった。由緒ある名門貴族?笑える。助かる見込みが一つもない。

 

 獅子帝が門閥貴族をどう遇するのかなぞ分かりきったことだ。いや、いっそ本物の門閥貴族ならまだ生存の道もあろう。

 

 だが、私の生まれたのは自由惑星同盟である。同盟の門閥貴族……しかも軍人の家系と来ている。ここまで盛られたら逆に笑えてくる。完全に私を殺す気としか思えない。

 

 彼の獅子帝に降る事すら許されない身だ。降った所でろくな目に合わない立場だろう。

 

 あるいは人材コレクターの獅子帝に自分の才覚を売り込む事が出来ればまだ希望もあったか。チートの一つもない只の一般人が獅子帝のお眼鏡に叶うかどうか考えるまでもない。

 

 故に私を支配したのは運命への諦観であり、無力感であり、無気力感であった。

 

 八方塞がり、それを変えるだけの才覚は無い。破滅を回避する手段はない。諦めずに抗うべきだ、等と第3者がみれば宣うだろうがそれは実際に私の立場に無く、ただの傍観者だから言える事だ。

 

 私の生まれたこの同盟の中の帝国は完全な保守社会であり身分社会であり年功社会だ。変わらぬ価値観、変わらぬ伝統、変わらぬ制度。まず、改革が許される筈が無ければ戦争を停める事なぞ論外だ。

 

 それに門閥貴族だからと言っても好きに出来る訳でもない。むしろ貴族であるが故柵により不自由な身の上だった。非才のこの身では貴族として指導される教養を身につけるだけで精一杯だ。その上貴族社会の硬直的文化を学べば学ぶだけ自身の無力さを一層理解するだけだった。

 

 貴族社会は血縁と伝統と慣習の支配する社会だ。敷かれたレールをひたすら進む事しか許されない。停滞と沈滞そのものだ。貴族はそのレールを先祖達と同様に進む事を求められる。変化を許さない。異分子は排斥される。変わらない事が貴族に求められる価値だから。その権威の源泉だから。

 

 立憲君主政を奉ずる私の故郷もその面ではオーディンの門閥貴族と変わらない。むしろ一面ではより厳しい。

 

 帝国に比べ国力で圧倒的に不利であるが故の門閥貴族、下級貴族、平民の三者の鋼鉄のごとき結束は、異端者の存在を許さない。其々が与えられた義務を果たす事が求められる。それが大帝と先祖の犠牲を背負う立場の者であれば尚更だ。

 

 だからこそ、私は全てを諦めた。唯、決められたレールを無感情に進み、そして最後、乗艦を爆沈させられるかギロチンにかけられる日まで貴族軍人としての役目を義務的に、機械的に遂行するだけ……そう、諦めていた。

 

 ある日の事、私はいつものように一人宛がわれた自室で玩具の山に囲まれていた。

 

 笑顔を見せず、人付き合いを嫌う当時の私に対して両親はしかし少なくとも物質的には過剰に愛情を注いでくれた証拠だ。

 

 尤も、両親には悪いが少しとして嬉しくは無かったが。

 

 どうせ皆死ぬのだ。長年に渡る伝統も慣習もそう遠く無い未来に消え去る。友も家臣も家族もどうせ皆いなくなる。

 

 ならば敢えて失う物を自身で増やしてどうする?失う苦しみが増えるだけではないか。

そんな考えが私の非社交的な性格を形作っていた。

 

 そんな私に父が駆け寄る。無感動に見上げる私に父は新しい付き人を紹介する。以前にも何人か任命されていたが皆、子供の癖に何も話さず、何も関心を示さない私に手を焼いて困惑していた。すまない事とは思うがどうせ私と親しくなっても死ぬ確率が高くなるだけだ。疎遠でいてもらった方が彼らのためだ。

 

 どうやら父は私のこれまでの臣下への態度から怖がっていると思っているらしい。今回はそれに配慮して同い年の女性を選んだらしい。よく見ると父の足下に隠れる女の子がちらちらとこちらを覗いていた。あぁ……面倒だ。今回はどのように距離を取ろうか?あからさまに嫌う態度を取ると相手の立場が悪くなる。

 

父の催促と共に少女が飛び出す。

 

 酷く緊張した面持ちで、しかし同時に期待するように目を輝かせて、彼女は目の前に立つ。

 

 スカートをつまみ上げ、腰を僅かに曲げて臣下の礼を表す会釈。

 

「ごとすりーとけのちょうじょ、べあとりくすでございますっ!!わかさまのおそばづかえとしてさんじよーいたしました!どうぞよしなにおねがいもーしあげます!」

 

 拙くも懸命に口上を垂れる従士に、しかし私は胡乱気に見やる。一方、私に意識して貰えたのがそれだけで嬉しいかのように屈託の無い純粋な笑みを浮かべる幼女。

 

その態度を見て私は顔を僅かにしかめる。

 

 それを幼いながらも認識した彼女は一瞬不安な表情を表し、次に私に駆け寄った。そして私の手をとり………。

 

 

 

 

 

 

 

「わ……ま……若……ぶ……です……」

 

 白濁とした意識が急速に戻る。輪郭のぼやけた視界はゆっくりとクリアになっていき、五感が四肢に戻ってくる。

 

「若様!?ご無事で御座いますか!!?御返事をっ!!」

 

私の網膜がよく知る従士の姿を映し出す。

 

「あっ……べ…アト……か?」

 

 未だにはっきりとしない意識を強引に覚醒させて私は従士の声に答える。

 

「……!!はいっ!従士ベアトリクスで御座います!」

 

 私の返答に必死の形相だった表情は安堵に包まれ、すぐに再び表情を引き締める。

 

「非礼を御許し下さい。事は緊急を要します。まずは御起立を」

 

 今更気付いたが彼女は私に覆い被さる体勢であった。素早く立ち上がり周辺警戒に移る従士。

 

「つ……何があった?確か私は……」

 

 地味に痛む体を持ち上げながらも私は記憶を辿る。同盟の補給基地に辿りついた後、そのまま再度リバースしそうになりベアトに支えられながら基地の医務室のベッドで呻き声を上げていた筈だ。

 

「そうだ……その後基地の緊急放送か何かがあった筈だ。そしてすぐに地震があって……つ!!」

 

ここに来てようやく私は周囲を観察する余裕が生まれた。

 

 大地震の直後の室内、そうとしか形容出来ない様相だった。医務室はあらゆる機材が散乱していた。本や資料、救命キットの中身はぶちまけられていた。机やベッドが信じられない事に巨人にでも投げ飛ばされたように横倒しになっていた。

 

「これは……ひぃ!!?」

 

 私は、情けない悲鳴を上げていた。机の下敷きになった同盟軍軍医を発見したからだ。いや軍医だった、か。頭から今も出血している姿は恐らく生きてはいまい。頭部陥没、といったところだろう。恐らく即死だっただろう事が救いか……。

 

 初めて死体を見た私は後ずさりして震える。今更ながら私は命の危機を感じていた。軍人になるのは最早抗いようはないにしてもまさか幼年学校から死体を見ることになるとは流石に考えてもいなかった。

 

「ベアト……一体全体これは……っ!!おい、大丈夫か!!?」

 

 情けない事にここに来て初めて私は彼女の怪我に気付いた。額から流れる血筋に私は驚きながら詰め寄る。一方、彼女は気にした様子は見せない。

 

「先ほどの振動で何かにぶつけたようです。傷は浅いので問題はございません」

 

むしろ心配させた事を申し訳なさそうにする従士。

 

「問題はって……いや、いい。それより治療が先決だ」

 

 彼女の態度で私は察した。恐らくあの地震の際に彼女は私を抱き締めて盾になったのだろう。怪我の原因は私だ。恐らく彼女は認めないだろうが……。この話は詰め寄るだけ時間の無駄だと知っているのでそれよりも治療の方が重要だ。

 

「若様、治療でしたら自分で……」

「いいから、一人ではやりにくいだろう?私の治療中の警戒頼むよ?」

 

彼女に私の望みを実行させるには合理的に語るに限る事はこれまでの経験で知っている。

 

「……了解です」

 

渋々ながら、ベアトは承諾して椅子に座りつつ周囲を警戒する。

 

「それではやりますか」

 

 死体を見ないようにしながら私は慣れた手つきで散乱した医療品から必要なものをかき集め、ベアトの治療を始める。自身の生存率を上げるため救護技術の講義は一際力を入れ学んでいた。おかげで学年4位の成績だ。

 

 消毒と、傷口への異物が無いかの確認……傷は深くない。この分だと縫う必要も、傷跡も残るまい。麻酔を塗るとガーゼで傷口を抑え、包帯で巻く。10分もかからずに治療は終わる。

 

「これで、終わりだな」

「若様、御手数をおかけして申し訳御座いません」

 

誇らしげに治療の終了を伝える私に恐縮しあがら礼をするベアト。

 

「気にするな。お前が傷物になると親父さんに合わす顔が無い」

 

 冗談半分で私は答える。ベアトの父にとって彼女は唯一の娘だ。歳の離れた息子2人に末っ子のベアト、彼女の父ゴトフリート大佐にとっては死んだ妻に似ている事もあり、一際可愛らしい子供の筈だ。それを預かっているだけあって責任は果たさなければなるまい。

 

「それよりも……一応記憶はあるが咄嗟の事で曖昧だ。知っている事を教えてくれないか?」

「はい、現状把握出来ている事はこの補給基地が敵性勢力の攻撃を受けた事、その結果この辺りの区画が重大な損傷を受けた事、また。少し前に途絶え気味のアナウンスでしたが恐らく敵性勢力の陸戦部隊が侵入しているだろう事です」

「それはまた……間の悪い」

 

 ベアトの正確な報告に感心しつつも、私は運命を呪う。これは本気で時の女神に嫌われていると思った方がよさそうだ。ラインハルト達ですらせめて幼年学校は卒業しているぞ?

 

「その拳銃は?」

 

ベアトの手に持つブラスターを見て指摘する。

 

「大変失礼ながら武器が無ければ若様を御守り出来ないと愚考致しました。医務室より銃器を探し、これを」

 

恐らく死んだ軍医の護身用だったのだろう同盟宇宙軍正式採用ブラスターを持って警戒するベアト。

 

「いや、いいさ。的確な行動だ。丸腰で戦うなんて無謀過ぎるからね」

 

私達は北斗神拳伝承者じゃない。己の肉体だけで銃に対抗出来る訳もない。

 

「それで、問題はこれからか。どうする?ここに留まって助けが来るのを待つか、それとも助けを探すか」

 

少ない情報でどう選択するか、それが生存の分かれ目だ。

 

「私としましては移動を具申します」

 

すぐに、はっきりとベアトは答える。

 

「理由は?」

「一つには敵勢力の存在です。正体不明ながら陸戦部隊の揚陸を行っている以上本施設の全体ないし一部の占拠が目的でしょう。アナウンスによれば隕石の衝突箇所に揚陸しているようです。基地の見取り図を確認しましたが本区画と4フロアしか離れていません。ここに留まるのは戦闘に巻き込まれる恐れがあります」

 

室内から探しだしたのだろうタッチパネル式の同盟軍汎用事務端末から基地見取り図を表示するベアト。

 

「次に空気の問題です。基地に侵入口が出来た以上空気の流出も始まっている筈です。エアロックが為されているとは思いますが戦闘による破壊もあり得ます。この場にいると空気の消失による窒息の可能性もあります」

 

そして最後に最大の理由もベアトは指摘する。

 

「最後に、この襲撃の目的がこの基地の占領である可能性があるためです。その場合、周到な準備が為された訳であり、基地の陥落の危険が付きまといます。そうなるとここに留まるより基地からの脱出を試みる方が良いかと」

 

ベアトの指摘に対して私は頷く。

 

「完璧だな。いやはや、私なんかよりよっぽどしっかりした理由だ。……そうだな。その方が良い。最悪を想定して動こう」

 

 私達はこうして基地脱出のための行動に移る。医務室から必要になり得る物資だけ頂戴し、廊下に警戒しながら出る。先頭がブラスターを構えたベアトで後ろで端末の地図を見るのが私だ。射撃の腕は情けないが彼女が上なのは客観的に明らかである。

 

廊下を進んでいく。気味の悪いくらいの静けさだ。

 

「人がいないな……」

 

避難したものもあるのだろうが、それを差し引いても静かすぎる。

 

「同盟軍の後方支援部門は人手不足なのは本当だな」

 

 オートメーション化を推し進めていても、国力でも人件費でもコストの嵩張る同盟軍の人手不足は深刻だ。正確には予算と専門技術を有する者が不足している。

 

 予算面でいえば馬鹿高い宇宙戦艦を何万隻も揃えなければならないのだ。普通に考えて駆逐艦ですら呆れる値段だ。戦闘の主力たる宇宙艦艇に予算の多くが重点的に配置されているためそれ以外の方面、とくに人件費が圧迫されているのが現状だ。ナンバーフリートですら宇宙艦艇の乗員は定員の7割前後で稼働させるオーバーワークだ。

 

 しかも、その人員の多くが専門技術が必要とされる。単純作業はあらゆる方面で機械化されているため必要なのは資格や技術を持つ軍人。そしてそんな軍人は1年2年では育たないし、それを取得出来る程度に能力が高ければ軍に入るより民間の大企業か公務員になる。同盟は民間も軍も人手不足というが正確にいえば専門知識・技能を有する者が常に不足していた。

 

 辺境、と言わぬまでも後方のこの補給基地も恐らくはかなり人員が削減されているのだろう、等と私は逡巡する。

 

「この通路を右折……糞、エアロックか」

 

 私は舌打ちする。安全な区画に入るための通路は特殊合金製の厚い扉に閉ざされていた。

 

「開けるのは……無理だな。」

 

 扉は自動開閉式、基地の異常に対応して自動でしまる。まだ兵士がいてもお構い無しのマキャベリズム精神に溢れた仕様だ。パスワード入力かハッキングすれば開ける事も可能だろうがどちらも今の私達には無理だ。

 

「仕方ない。迂回するしかないな」

 

来た道を一旦引き返す。

 

「まるで迷路だな……こうしていると昔を思い出す」

「昔……ですか?」

 

怪訝そうにベアトが答える。

 

「新美泉宮だよ。アレクセイとかくれんぼして遭難したこと事があっただろう?」

 

 7歳くらいの頃だ。二人揃って迷路のような宮廷を逃げ回り最終的には庭(狩猟場)で道が分からなくなった(大体私が調子に乗ったせいだ)。夕方になっても使用人一人見つからず堪り兼ねて狩猟用の小屋の一つに転がり込んで、そのまま飲まず食わずで二人で一枚の毛布を使い1日過ごした。

 

 次の日の朝、寝ぼけた自分達を泥まみれになりながら必死の形相で捜索していた近衛兵の一隊が発見して保護された。後から狩猟場の中の立ち入り禁止区域にいた事が分かった。母が泣きながら抱きつき、親戚一同から心配され、父に取り敢えず殴り飛ばされた。アレクセイは謝っていたがあれ明らかに私一人が悪い。

 

「確かに……そのような事も御座いましたね」

 

思い出したようにベアトは答え、小さく笑う。

 

「まさか、この年になってこんなところでまた迷路をするとは。ほんの48時間前には予想してなかったな」

 

肩をすくめて呆れ気味に笑う。

 

「仰る通りで御座いますね」

 

エアロックのかかった通路を通り過ぎながらベアトも同意する。

 

「全くだな。この道は……」

 

そう話していた次の瞬間だった。

 

 光が背後から注いだ。同時に衝撃と熱波が背後から襲いかかる。

 

「うおっ!?」

 

私とベアトは壁際に張り付き爆発の衝撃から身を守る。

 

「ちい……本当タイミングが悪いな!私はハードラックと踊っちまったか?」

 

キンキンと耳鳴りのする中、私は皮肉気に答える。

 

 爆風に包まれる通路にうっすらと浮かぶ人影……それをよく見るとよれよれの帝国軍歩兵のそれであった。その横の者は薄いシャツの私服、その奥にいる者は装甲擲弾兵の装甲服に同盟宇宙軍陸戦隊のヘルメット。

 

「こりゃ……ある意味予想通りだな」

 

なぁ、ラインハルト。お前さんは初めての戦場が地上戦だと言うことに腹立ててただろう?けど贅沢言うなよ?正規軍なだけ私よりはましさ。

 

私の初めての敵、それは無法者同然の宇宙海賊とのものだった。

 

 

 

 

 

 



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第十話 その歴史は一繋ぎの大秘宝から始まったらしい

 西暦2706年8月16日午前6時55分、ラグラン・グループの一員にしてシリウス政府の国防相の地位にあったジョリオ・フランクールはウィンスロー・ケネス・タウンゼント首相へのクーデター実行直前にシリウス政府公安警察特殊部隊により射殺された。

 

 射殺する直前、特殊部隊はフランクールにある情報を問い質したという。それは黒旗軍の地球総攻撃の際、軍が発見・隠匿したと言われる地球政府の秘密基地に眠る莫大な資産の在処についてである。

 

 受話器から決起の連絡を入れようとして撃ち抜かれた腕を握りしめがらフランクールはその時不敵な笑みを浮かべ死に際にこう叫んだ。

 

「黒旗軍の遺産か?欲しければくれてやる。探してみろ!この世の全てをそこに置いてきた!」

 

 その一言に触発され、銀河の荒くれもの共が夢を追いかけ、宇宙を駆ける!世はまさに大海賊時代………!

 

……と、このような事を叫んだかについては諸説あるが、ともかくフランクールの死後、タウンゼントは黒旗軍の隠匿資産を探していた事、そのために十提督を初め多くの黒旗軍の幹部が処刑や拷問にかけられたのは事実だ。

 

 そして首都ロンドリーナ中心街で中性子爆弾で彼が派手に爆発四散した後、分裂した黒旗軍や地球軍残党、各星系政府は其々に相争いながらこの遺産を探し回った。

 

 この戦乱の中でシリウス戦役時の仮装巡航艦を利用した私掠船による通商破壊戦術が模倣、大々的に実施されそしてその中から各国の統制から外れ独自に略奪や黒旗軍の遺産探しを始めた者達が最初期の宇宙海賊だと言われている。

 

 西暦2707年から2801年の銀河連邦成立までの1世紀……『銀河統一戦争』の時代は宇宙海賊の黄金時代だ。

 

 プロキシマ通商同盟、テオリア連合国、レグルス=カペラ人民共和国、プロキオン=オーディン教国……列強諸国の戦争と策謀の中でこの時代の宇宙海賊は肥え太り、銀河通商航路に強大な影響力を与えていた。

 

 最終的にこれら列強諸国は長期に渡る戦争で疲弊、全銀河的国際会議による妥協と打算の末アルデバラン星系第3惑星テオリアを首都とした星間連合国家『銀河連邦』が成立、これに合わせて各国で下請けで私掠船として働いていた宇宙海賊組織は解体、銀河連邦通商航路安全管理局の一部に再編され、銀河連邦の決定に従わない一部海賊は各国軍を再編した銀河連邦軍により殲滅された。

 

 『銀河連邦』はその体制の初期こそ抗争に明け暮れたものの宇宙暦20年を過ぎる頃にはその統治は安定化、同時に軍事技術の民間移転、兵器開発のリソース・資本の民需移転により恒星間航行技術は急速に発達、所謂宇宙開拓時代の到来を迎える事になる。

 

 だが、同時にそれは新たな宇宙海賊の時代を告げる事にもなった。

 

 宇宙開拓時代を支えたのは連邦内の各財閥群だ。当然だ。惑星開発を個人レベルで行える筈もない。そしてそれら財閥の多くがかつての戦争中の列強諸国の指導層でもあった。

 

 連邦成立以前より敵対関係にあった彼らは辺境開拓による富の生産の傍ら、かつての敵への妨害活動を当然の如く実行した。

 

 この敵対財閥の企画する事業移民団への襲撃のための企業の私兵部隊が銀河連邦時代前半の宇宙海賊の主力となった。ハイネセン記念大学歴史学科シンクレア教授が著書『銀河連邦史』にて、そして後に銀河連邦議員に選出されたクリストファー・ウッドが自伝で指摘するところの『政治と海賊の癒着』である。当時の有力者が宇宙海賊と癒着していればそりゃ根絶出来る筈もない。

 

 尤も、銀河連邦初期から中期の宇宙海賊はある意味では行儀の良い集団でもあった。あくまでも事業妨害のために海賊行為を行うのであって移民船団の住民を人質にする事はあっても殺人や人身売買をするような凶悪犯は殆んどいなかったのだ。中にはウッド提督の永遠の宿敵にしてエンターテイメント映画のスターにもなったフィリッポス海賊団等、所謂義賊として市民の人気を博した者達もいた。

 

 それに変化が訪れるのは連邦後期である。銀河経済の停滞と相次ぐ大不況が統一国家の屋台骨を揺るがした。社会不安は多くの犯罪組織を産み、当然その一部は宇宙海賊に合流した。

 

 宇宙海賊の犯罪行為の凶悪化した時期である。古き善き時代の海賊は急速に駆逐され、残るのは文字通り盗賊集団だけであった。

 

 その凶悪さに長らく温い戦いしか知らなかった連邦軍や連邦警察は摘発にたじろぎ、同時に不況によるこれらの組織の縮小が能力とモラルの低下も招いた。

 

 そこに現れたのが後のルドルフ大帝であり、これまで多くの利権と残虐な報復により名前を馳せたベテルギウス方面の宇宙海賊を容赦なく撃滅する勇姿は連邦市民に希望を与えるものであった。

 

 銀河帝国成立から現在までのそれを後期宇宙海賊と呼ぶ。この時代の宇宙海賊の特徴は高い練度と重武装を伴う事だろう。

 

 帝政初期、帝国軍はその圧倒的武力を持って旧来の宇宙海賊を壊滅させた。

 

 だが、同時に帝政に反発する銀河連邦軍共和派の一部勢力が分離、辺境で対帝国抗争を始めることになる。

 

 また、止血帝の時代には前皇帝の横暴に加担して一部爵位剥奪を受けた貴族が反逆、以後も権力抗争に敗れた貴族を中心に帝国の体制に対立・挑戦する宇宙海賊が辺境で跋扈する事になった。無論、それは帝国の支配体制を屋台骨から揺るがすものではなかったが、それでも帝国軍にとって軍用艦艇や元軍人を中心に構成された宇宙海賊は決して軽視出来る存在ではなかった。

 

 そして、事態はダゴン星域会戦以後急速に悪化する。銀河を二分する星間国家同士の戦争は特にこれまで厳しい制約を掛けられていた宇宙船造船の分野で巨大な需要と艦艇の値崩れを発生させた。

 

 同時に長きに渡る両国の戦争は少なくない逃亡兵の発生と大量に遺棄された武器の山を産み出した。それのために宇宙海賊はその勢力を肥大化させ、両国は宇宙海賊に対して弾圧を加えつつ一方敵国に対する工作の一環として両国は相手側の宇宙海賊に様々な援助をしていた。

 

 特に帝国側は拿捕した宇宙海賊に対して極刑と引き換えに同盟領への島流しが行われていた。彼らは武器を持ち、言葉が通じず、まして帝国政府側から同盟に対して極度に歪曲された情報を与えられていた。島流しされる彼らの多くは宇宙海賊の中でも特に重罪者であり、その殆どが同盟領においても多くの重犯罪行為に手を染めていた。

 

 以上が宇宙暦8世紀末における宇宙海賊の現状である。さて、そろそろ私がこんな長々と説明する理由は御分かりだろう。

 

 ようは、私達が遭遇したのは宇宙海賊の中でも特に質の悪い種類だと言う事だ。

 

 

 

 

 

「畜生っ!ふざけんなっ……!?禄でもねぇ!?」

 

 曲がり角に飛び込み私達は海賊共の銃撃を避ける。通路の向こう側から数条の青白い光線が発射される。通路角に掠れ焼け焦げる臭いと共にプラズマの光が弾け飛ぶ。

 

「若様っ!御下がりをっ!!」

 

 ブラスターを構えたベアトが通路の曲がり角に身を伏せながら応戦する。

 

 ベアトの応戦に海賊側もブラスターと実弾銃で反撃を開始する。互いに物陰に隠れながら銃撃戦が始まる。

 

「ベアト、構うなっ!逃げるぞっ!」

 

遭遇戦に備えていてよかったよっ!

 

「これでも食らいやがれっ!」

 

 銃撃の間隙をついて私は火炎瓶を投げつける。医療用高純度アルコールを硝子瓶に入れてライターで発火させたものを通路のど真ん中にぶちまける。案の定、通路に硝子が四散し、アルコールが通路を燃え上がらせる。学生運動でもしている気分だ。

 

 海賊共が炎に一瞬怯む。宇宙暦8世紀になろうとも火は相変わらず危険な存在だ。ましてこんな狭い通路で火炎が燃え上がれば容易に突入は出来ない。

 

 と、帝国と同盟の装甲服をニコイチにして装着している海賊が正面から消火器を持ち出す。ただちに消火剤を撒く海賊。……ですよねぇ。これくらい対策出来ますよねぇ。

 

「くそ、どうせ邪魔になるんだ。全部くれてやる!」

 

 足止めに残りの火炎瓶をがむしゃらに投げつける。そしてそのままベアトと共に通路の奥へと走る。

 

「若様っ!」

「分かってる!」

 

 走りながら私は通路に設置されている消火器を引き倒して後ろに蹴りつける。すかさずベアトが走りながら消火器に数発発砲。海賊が曲がり角を曲がり我々と後方から見て直線状に出たところで消火器が小さな爆発と共に中の消火剤が鉄片と共に撒き散らかされる。尤も、相手の視界を一時的に潰す程度の効果しか無かった。

 

 あいつらと戦うのは御免被りたい。奴らは文字通りの盗賊集団だ。武器・麻薬・人間、金になるならどんな犯罪にも手を染めるし、軍事基地だって襲うだろう。報復や見せしめのために捕虜の惨殺くらい普通にするメンタルの集まりだ。中南米やロシアのマフィアを狂暴にしたと思えば想像出来る筈だ。この前もライガール星系方面で同盟軍が同盟警察と共に宇宙海賊の掃討作戦を実施していたが、その報復として捕虜の同盟警官の指と耳を切り落とし皮を剥がされた動画がアライアンスネットワークの大手インターネット動画サイトに投稿された程だ。奴らの精神を日本人は当然として、現代同盟人の価値基準で考えてはいけない。武器だけ未来的だが思考は世紀末モヒカンと思った方がいい。

 

後方から銃声。閃光が私達のすぐ横を通り過ぎる。

 

「ひっ……!?」

 

 私は少しでも命中率を下げるために体を低くして全力で走る。文字通り命がけで走る。

 

「ベアト、左だっ!」

「はいっ……!」

 

 海賊共に数発ブラスターを撃ちながら叫ぶように返答するベアト。御返しとばかりに撃ち込まれる熱線の洗礼を辛うじて潜り抜けて私達は殆ど滑りこむように左側の通路角に入る。既に緊張と疾走で息絶え絶えだがまだ休めない。そのままさらに通路を数度走り、曲がる。

 

そして………。

 

 

 

 

廊下を走る足音が響き渡る。

 

「あの餓鬼共どこに行きやがった……!」

 

 非常に訛りの強い……それは、辺境の下層民らしい荒く,また癖の強い帝国語の叫び声だった。恐らくはシャンタウ方言であろう。

 

「糞がっ、撒かれたぞっ!?」

「ドジがっ……!逃げられやがって!だからさっさとぶち殺してやればよかったんだよ!」

 

 私服姿の海賊が苦虫を噛み、伸びきった帝国軍歩兵の軍装の者が罵りながら舌打ちをする。

 

「仕方ねぇだろうがっ!まだ若かったんだ!とっ捕まえりゃあ良い売り物になるんだぞ?特に雌の方は結構磨けば上玉になったぜ?ありゃあ」

 

 トマホークを肩に乗せだるそうに語るのは装甲服の男だ。

 

「はっ……それで逃げられたらざまあねぇなぁ」

 

私服姿の海賊が嘲笑うように鼻を鳴らす。

 

「遠くにはいってねぇ筈だ。てめぇら、探すぞっ!」

 

 足音が遠ざかる……それを私達は通路のすぐ下の配線口で耳を澄ませて聞いていた。

 

 私達は基地の配線設備の保守点検用のシャフト内で身を寄せあって息を潜める。上の通路にあるハッチを開いて少々強引に入った。さすがに子供とはいえ、本来なら大人一人が辛うじて回線点検出来る空間である。根本的には狭い空間内で隠れるのは一種の賭けに近かった。

 

「行った……」

「まだ、お静かに……!」

 

 私の言葉をベアトが低い声で遮る。すぐ、後に足音が私達の上を通りすぎる。

 

「………」

「………」

 

 沈黙が場を支配する。聞こえてくるのは自身の心臓の高鳴りと互いの呼吸のみだった。緊張感からかやけに心臓の鼓動が騒がしい。

 

 見つかれば録な事にならない。命の掛かった状況……その事が分かるから私は臆病にも震えるような息継ぎをしていた。手元がかすかに震える。

 

 逃げるよりも隠れる間の方が一層恐ろしいものだ。体を動かさない分、思考の余裕があり、それだけ恐ろしい未来を考えさせられる。

 

 宇宙服無しで生きたまま宇宙に蹴りだされる、核融合炉に投げ込まれる、裁断機でスライスにされる、流血帝の注射器で狂死させられる……恐ろしいのは全て実際に海賊が捕虜に実行した前例がある事だろう。身代金目当てでも、見せしめの拷問を受ける事もある。当然だがそんな事ご免だ。

 

「………」

 

 恐ろしい未来を幻視して顔を青くする私をベアトは心配そうに見つめる。そして思い立ったような表情を浮かべると……ぎゅっと抱きついた。

 

「………!?」

 

 鼻腔から微かな、爽やかな香水の匂いが感じられた。多分、柑橘系のそれだった。突然の事に体を震わせる私に、しかし忠実な従士は小さく、しかし優しい声で耳元で囁く。

 

「ご安心くださいませ。若様の御身はこの私が一命に賭けてお守り致します」

 

慈愛と優しさに満ちたその言葉に私の震えはゆっくりと止まる。

 

「………ああ、済まない」

 

 未だに心に余裕の無い私はそう、短くしか答えられなかったがベアトはそれで満足したのか優しげな微笑みで返す。

 

 本当に情けない。主人として失格だ。内心呆れられていても文句は言えない。正直、性別逆転すべきだなんて思ってしまう。私、ベアトが男だったら男同士で掘られてもいけると思う。イケメン過ぎるもん。……こんな冗談を考えられるのも目の前の従士のおかげだ。

 

暫し共に身を寄せあって隠れ続ける。

 

「……私が先行致し……!?」

 

再び足音が響き私達は止まる。

 

「………」

 

足音がこちらに近付く。恐らく2名。私達は微動だにせずやり過ごそうとする。……だが。

 

ガタガタ、といった乾いた音と共にハッチが震える。それは決して振動によるものではない。

 

「………!」

 

気付かれたか………私達は同時にそう考えた。

 

「………必ずや、御守りします」

 

 盾になれるように私を抱き寄せながら、決死の形相でブラスターを構えるベアト。何も出来ないまま私は見ている事しか出来ない。

 

上部のハッチの蓋が開く。照明の光が注ぐ中、ベアトはブラスターの引き金に指を添え………!

 

「あっ………」

 

ブラスターを構えるアレクセイと目が合った。

 

「………」 

「………」

「………」

 

三者共に沈黙。そして………。

 

「ごめん、取り込み中か」

 

そっとアレクセイが蓋を閉めた。

 

私は急いで蓋を開けて弁明を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




主演 ジョリオ・フランクール(役・大塚 周夫)
提供歌 「ウィーアー」


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第十一話 まぁ、適材適所というからね?

 宇宙海賊の襲撃を受けたと同時に補給基地に訪問していた銀河帝国亡命政府軍幼年学校生徒は直ちに基地の安全区画への避難が実施された。

 

 だが、そこにさらに基地の物資強奪を図る海賊集団の陸戦隊が揚陸を開始した。

 

 その場にいた同盟軍兵士達の援護を受けつつ避難する生徒達。

 

 アレクセイは学年首席の身として生徒の纏め役として避難を主導した。

 

 だが、大半の生徒が避難を終え、自身も退避しようとした所で宇宙海賊側の艦艇による基地への更なる攻撃が行われ、避難しようとした通路が自動封鎖された。

 

 アレクセイは、このままここに居ては区画ごと吹き飛ばされると考え急いで別ルートからの脱出を計り、数度の海賊の襲撃を撃退、あるいはやり過ごした。

 

「そして、海賊から隠れて移動しようとこの電源シャフトに入ろうとしたと」

「そして、抱き合ってる友人を見て退場しようとしたわけだよ」

「殺せ!殺せよ!どうせ私は生きている限り永遠に黒歴史を産みだし続けるんだっ!!」

 

 私は有らん限りの慟哭を叫ぶ。こんな恥(怖くて女子に抱きついて震えていた)を他人に知られるくらいなら今すぐ毒をあおって自裁した方がましだ!誰か帝国暦410年物の赤ワイン持ってこい!

 

「も、申し訳ございません!若様の名誉を辱しめたのはこの無能なベアトでございますっ!どうぞ自身を御責めにならず私に罰を御下し下さい……!!」

「五月蝿い。死にたくなかったらお前達、少し黙ったらどうなんだ?」

 

 ベアトが懇願し、ホラントは心から下らなさそうに注意する。ん?何でホラントの奴がいるかって?ああ、こいつアレクセイと共に避難を主導していたんだよ。しかも、射撃の腕が学年一だからな。同盟軍兵士の死骸からブラスターライフルを拾って銃撃戦までしやがった。今はこの狭苦しい点検用シャフト通路の最後尾でライフル持って警戒している。

 

「ははは、済まないね。迷惑ばかりかけて……」

 

 本当に心苦しそうにアレクセイは謝罪する。話によるとホラントは実戦でも殆んど動揺せず、的確に判断して行動していたらしい。おかげでアレクセイの方も危うく命を助けられたらしい。

 

「口を動かす暇があったら今後の事を考えたらどうだ?これから向かう場所は?」

 

不愉快そうにホラントは尋ねる。

 

「ああ、それならヴォルター達が地図を手に入れているよ。だろ?」

 

アレクセイが私に確認するような質問をする。

 

「ああ、同盟軍の事務携帯端末に基地の見取り図が記録されているよ。この点検用の通路から少し遠回りだが、第16区画に入れる筈だ」

 

端末のタッチパネルを操作しながら私は答える。

 

「そういう事さ。早く合流しよう。海賊側もその内ここを調べるかもしれない」

 

アレクセイの言葉に一同で頷き足を早める。

 

「それにしても……まさか基地を襲うとはな」

 

 私は呆れ半分に愚痴る。今時の宇宙海賊は過激で重武装とはいえ、一国の正規軍に正面から襲えるほどのものではない。大胆不敵と言うべきか後先考えない蛮勇というべきか……。同盟軍にしても宇宙海賊に簡単にこうもやられるとは……。いや、帝国軍から支援でも得ていればあり得るか?

 

「ここを……右だな。20メートルほど進めば換気口がある。そこで一旦地上に出よう」

「では……行きます!」

 

 ベアトが先頭に立ってブラスターを構えて進む。その次が私、アレクセイ、ホラントの順だ。アレクセイがブラスター、ホラントはライフルを装備しているが私は地図の確認役なので非武装だった。

 

「………」

 

 換気口の前に立ち、ベアトが耳を澄ます。地上に誰もいないか確認しているのだろう。

 

 一応の確認と共にベアトは背伸びをして地上側の蓋を持ち上げる。私達は警戒しながらそれを見守る。

 

「………」

 

 蓋を僅かに持ち上げ、確認をするとそっと蓋をずらして、勢いをつけて昇る。

 

 彼女が登りきり、警戒体制を取る間に私が続けて登る。続いてアレクセイの腕を掴んで地上に上がるのを手伝う。

 

 最後にホラントが仏頂面で私の手を借りずに登ってきた。

 

「おいおい、つれないな?」

「他者の助けは必要ない」

「あっそ」

 

 淡々としたホラントの返答に肩をすくめて私は答える。

 

「さて、と………」

 

私も周囲の警戒に移る。

 

 そこは、無線室だった。正確にいえば第16区画報告室、第3重力発生装置や基地中枢に向かう3箇所の通路等を管轄する区画司令部を兼ねた施設だ。尤も、ここも酷い荒れ模様だ。

 

「放棄されているな……」

 

人っ子一人いない部屋を見てぼやくように私はいう。

 

「そのようだね。……通信記録を見られるかやってみよう。今の状況が分かるかも知れない」

「じゃあ、無線が使えるかやってみるわ。ベアト、警戒頼む。ホラントも、やってくれねえか?お前さん射撃がこの中で一番だろう?」

 

 私の頼みにベアトは教科書の見本のような敬礼で答える。一方ホラントは一瞬不快な表情を見せるがあぁ、と短く答え同じく部屋の出入口で警戒に移った。

 

「あー、糞。担当の奴ら放棄前にシステムにロック掛けたな?少し面倒だな………」

 

 安易な通信の傍受をされないように一時的にシステムのシャットダウンがされていた。完全に破壊しないのは最終的にこの区画を取り戻すつもりだからだろう。完全放棄の場合は破壊される筈だ。

 

「アレクセイ……そっちはどうだ?」

 

 液晶画面及びキーボードとしかめっ面でにらめっこしながら私は旧友に尋ねる。

 

「こっちもだね。復旧に少し時間がかかりそうだ」

 

困ったようにアレクセイが言う。

 

「いやいや十分よ。こっちは復旧出来るかすら分からん」

 

 こういった電子系やソフトウェア系の技術は苦手なんだ。電子戦基礎理論とソフトウェア運用概論Ⅰは毎度赤点ギリギリだ。ラインハルトとキルヒアイスは化け物だな。敵装甲車のデータを1日でハッキングしやがったんだよな?こっちは味方の機材の復旧すら悲鳴を上げそうだ。

 

「あー、違う違う………こう、こう、こう……やべ、こいつの処理は………」

 

 私が文字通り、液晶画面に身を乗り上げながら復旧作業をしていると横合いから人の気配が近付く。

 

「………見てられん。どけ。この手の技能は俺の方が上だ」

 

 ライフルを私に押し付けて機器の操作を始めるホラント。

 

「うお、早っ……」

 

 凄まじい速さでキーボードを操作してシステムを復旧させていく同僚。到底同い年には見えん。

 

「これくらい、講義内容を理解していれば難しくも無いだろう。ましてこいつのプログラムは760年型だ。アップデートもしていない中古もいい所だぞ?」

「ソフトウェア関連の成績が軒並み3位内の奴が言う台詞か」

 

 ホラントの言葉に嫌な顔で答える。頭良い奴はこれだから困る。

 

「……うん。こっちは部分的だけど記録が出てきたよ」

 

アレクセイが安堵した声で伝える。

 

「マジか。内容は?」

 

私は、アレクセイの方に移動し成果を催促する。

 

「慌てないでくれよ。……ふむ。87番通路、104番通路封鎖……ああ、ここは飛ばしていいね。……うん。海賊は第9から14区画辺りに侵入しているね。ここの区画のメモを」

「ああ、分かってる」

 

 私は既に通信記録から基地内の占領区画についてメモ帳に走り書きをしていた。

 

「増援は……エルゴンでの演習中の第4辺境星域分艦隊の即応部隊に第11星間航路巡視隊の分遣隊か。随分と豪勢な事だな」

 

それは、素直な驚きだった。

 

 同盟宇宙軍のナンバーフリートは帝国軍の大規模会戦に備えるため辺境の小競り合いや宇宙海賊との戦闘に派遣されることは滅多にない。それは地方部隊の仕事だ。

 

 同盟の辺境域の防衛と維持には主に3つの地方部隊が担当する事になっている。

 

 1つは星系警備隊だ。有人惑星を有する星系に置かれ、同盟の辺境警備部隊の基本だ。司令官は准将から少将、バーラト星系のみ首都防衛軍という名称で中将が指揮官に任じられる。

 

 基本的に星系警備隊には、軍管区の人口・経済規模に応じて艦隊と地上軍……平均して1個戦隊に1、2個師団……が編成されている。装備は駆逐艦や旧式艦艇、軽装備が中心で国境星系か富裕星系以外は宇宙海賊は兎も角帝国軍正規艦隊と戦えるものではない。人員の半数以上が地元出身であるのも特徴で、徴兵された者は大抵地元の星系警備隊に配属される事になる。任務としては駐留星系の治安維持と防衛であり、外征部隊として派遣される事は基本的にない。我らが銀河帝国亡命政府軍も一応これにカテゴリーされている。尤も暫定的扱いなのでほかの星系警備隊と様々な相違があるが……。

 

 次が星間航路巡視隊だ。これは、自由惑星同盟の星系間航路の維持を任務にしている。司令官は少将、全24個隊が編成されており艦艇は巡航艦を中心に少数の戦艦・空母等平均して1000隻弱保有、また宇宙軍陸戦隊等を複数個師団保有している。同盟の物流網の守護神だ。

 

 最後が方面軍である。前記の星間航路巡視隊を複数統括する地方部隊の最高指令部であり、全7個方面軍が編成されている。司令官は中将。その直属部隊としては平均1、2個の辺境星域分艦隊と十数万単位の地上軍を有する。

 

 特に全12個編成されている辺境星域分艦隊は艦艇数にして1000隻から3000隻程度、流石にナンバーフリートには一歩譲るものの、その装備の質と練度は星系警備隊や航路巡視隊とは比較にならない。帝国軍正規艦隊相手にも互角の戦闘が可能だ。

 

 実際独立部隊や臨時編入を受けナンバーフリートと共に外征に投入される事が珍しくない。

 

「あー、大体予想が付くな。こりゃお客さんへの考慮だな」

 

 無線記録を辿ると途中から口論になっていた。相手は補給基地司令部と軍港内の亡命軍艦艇だ。亡命軍側が独自に海賊の迎撃と生徒の救出を提案……というかごり押ししようとして同盟側と相当な押し問答になっていたらしい。まぁ、同盟側からすれば海賊相手に正規軍が格下の亡命軍に助けを求めるのは御免被りたいのだろう。国境ならいざ知らず、同盟統治星系で下手にお客さんに戦闘での死者を出させれば良い恥さらしだ。

 

「……!こちらも繋がったぞ!」

 

イヤホンを頭部に装着したホラントが連絡する。

 

「こちら、第16区画報告室、銀河帝国亡命政府軍幼年学校所属、ウィルヘルム・ホラント4年次生です……」

 

 ホラントが何度も雑音の鳴り響く無線に呼び掛ける。4度目の呼びかけに雑音の中から同盟公用語による呼びかけが返ってくる。

 

『……こちら、アモン…スー……こちら、アモン・スールⅢ補給基地中央司令部……この通信は……第16区画報告室……?』

「はい、こちらは……」

 

 ホラントが所属と名前、ほかの生存者名、現在までの経緯の詳細、現在の状況を端的にかつ正確に報告する。

 

『……り、了解した。……こちらから救援部隊を送る。

貴官達はその場で救助を待って欲しい。可能か?』

 

 少しばかり驚いた雰囲気で、恐らく上官であろう、誰かと相談する囁き声がして、最後にそう尋ねられる。

 

ホラントは私とアレクセイに視線を向ける。

 

「……いけそうか?」

 

ホラントの質問に私はアレクセイを見つめる。

 

「彼方から救援が来るのならこちらとしても動かずに済んで都合が良い。どれ程の時間になりそうか聞いてくれ」

「……ああ、救援の到着はどの程度かかるか分かりますか?」

 

 再度の相談し合う囁き声が漏れる。急いだような口振りで通信士が報告する。

 

『今、19番通路と35番通路から陸戦隊を進出させている所だ。激しい戦闘が続いていて断定は出来ないが1440時までにはそちらに到達する予定だ』

 

私達はその通信を聞いてすぐさま現在時刻を確認する。

 

「1354時……40分と言った所か」

 

 その程度ならば行けるか?と私が考え……その楽観論はすぐに裏切られた。

 

「……!?」

 

 ブラスターの発砲音が鳴り響く。すぐさま後方を見れば

室内から通路を伺うベアトがこちらを振り向く。

 

「敵陸戦隊です……数、少なくとも10名以上っ!!」

 

 叫ぶような報告。その間にもブラスターの青い閃光が次々と通路を通り過ぎて行く。ベアトが応戦のため発砲を開始した。

 

『どうした!?状況を応答されたし!』

 

 基地司令部から呑気な通信が入る。ホラントが何か言おうとしたが私はイヤホンを奪うと悪態をつくように叫んだ。

 

「状況かっ!?ああ、いいさ!教えてやる!今地獄に就活する面接中だよ馬鹿野郎!陸戦隊に教えてやってくれ!さっさと来ないと餓鬼の死体の山と御対面する事になるってな!」

 

 其だけ叫ぶと私はブラスターライフルを掴んで銃撃戦の場に向かう。私達が陸戦隊に救助されるか死神の馬車に乗るか……客観的に考え非常に分の悪そうな賭けだった。

  

 

 

 

「おい、ライフル返せ」

 

 ホラントが私から自然にライフルを取り上げると応戦を開始する。

 

「………」

「ヴォルターは、この中で射撃が一番下手だから無線とバリケードを頼むよ?」

 

アレクセイが私を通り過ぎて銃撃戦に参加する。

 

「……ベアトー?」

「若様、危険ですので後方に御下がりください」

「あ、はい」

 

………うん、ちょっと。格好つけたの恥ずかしいわ。

 

 私は先程言い捨てた無線士に気まずい声で連絡を取った。仕方ないね。銃が3丁しかないからね?

 

調子に乗ってすみません。

 

 

 



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第十二話 フラグの回収はまだ早いと思うんだ

 自由惑星同盟宇宙軍、補給基地アモン・スールⅢの一室における銃撃戦はその激しさを増していた。

 

「くっ……エネルギーパックが切れそうだ!済まない、給弾の援護を頼む!」

 

 苦々しくそう連絡しながらアレクセイが一旦戦線から後退する。

 

「了解致しました……!」

「ちぃ……分かった、早くしろ!」

 

 ベアトが礼節を持って、ホラントが舌打ちしながら了承し、アレクセイの抜けた分一層激しくブラスターを発砲し、弾幕を形成する。

 

「……!隠れろ!」

 

 海賊の一人が無骨な大型銃を持って飛び出す。ホラントは直ぐ様その正体を理解して叫んだ。

 

 同時にブラスターとは比較にならない騒音と共に重機関銃が薬莢を吐き出しながら鉛弾をばら撒いた。

 

「くっ……!?実弾銃なんて古びたものを……!」

 

 身を伏せながら、ベアトが吐き捨てるように言った。

 

 所謂個人携帯型ブラスターが開発されたのは、宇宙暦80年頃の事である。

 

 無論、それ以前にも所謂レーザー兵器は存在していた。原始的な殺傷能力の無いレーザー兵器が実戦配備されたのは西暦の20世紀後半、後の三大陸合衆国の母体となるソヴィエト社会主義共和国連邦であると言われている。

 

 21世紀の13日戦争直前には低脅威目標迎撃用に海上艦艇用レーザー砲の配備が開始されていたし、地球統一政府軍においても恒星間移住時代を迎える頃には、大型宇宙戦艦の主砲として利用されレールガンを仕様とする小型艦艇に対して命中精度・威力・弾薬数等あらゆる面で圧倒していた。

 

 だが、それでもシリウス戦役時には地上戦の主役は実弾兵器であり地上軍の保有するレーザー兵器は基地施設等の防空用等に限定されていた。それは単純に小型化が容易で無いこともあったがそれ以上にコスト・機械的信頼性の問題があったと思われる。

 

 シリウス政府崩壊後の動乱の最中の技術革新で大型艦艇の主砲は緩やかに中性子ビーム砲に移り変わり、レーザー砲は小型艦艇の装備や対空兵装へと格下げされた。

 

 それでも歩兵の装備は実弾兵器のままであり銀河連邦発足から暫く立ってもそれは変わらなかった。

 

 ブラスターが実弾銃に代わり歩兵の永遠の友の座を獲得したのは宇宙開拓時代の始まりと共である。この時代、宇宙海賊と連邦警察・連邦軍との衝突や植民地の自衛用として対人用低出力レーザー兵器……つまりブラスターが急速に広まった。

 

 技術的に対人殺傷可能なレベルのレーザー照射器の携帯可能な程の小型化に成功した事もあるが、やはり最大の理由としては仮想敵の宇宙海賊の特性によるだろう。

 

 宇宙海賊との戦闘は艦艇同士の砲撃戦よりも艦内での白兵戦や辺境での戦闘が主な舞台であった。

 

 艦内での実弾兵器の使用は時に艦への大きな被害を与えるのに比べブラスターは威力の調整が容易であり、また無重力空間での戦闘では火薬式銃の衝撃は運用上大きな問題となった。そのほか、弾薬補給の面でも実弾に比べエネルギーパックで済み、充電による再使用可能な点はいつでも補給の出来ない辺境にとっては大きな利点であった。

 

 これらの理由からブラスターの急速な普及が始まり、生産が軌道に乗ればそれは機械的信頼性向上とコストダウンも招き、それが更なる普及に繋がった。

 

 斯くしてブラスターは火薬式銃から主力小火器の座を奪い取った訳である。

 

 だが、それは実弾兵器の没落を意味した訳ではない。

 

 実弾兵器……特に重火器は重量が嵩張るが対人戦闘に限ればその破壊力・衝撃力はブラスターよりも強力だ。

ブラスターは貫通力では優れるもののその分傷口が綺麗に出来、破壊される細胞面積も少ない。人体の急所や動脈を狙わなければ案外即死しないのだ。

 

 また、装甲服に対しても対レーザーコーティングされている事もありブラスターよりも実弾銃の方が効果は高い(ゼッフル粒子の散布下では念のためクロスボウを使う場合も多いが)。

 

 それら以外にも、高い技術が不要で構造が単純な点も過酷な戦場での使用に適している。

 

 そのため、現在でも宇宙海賊や過酷な環境で活動する特殊部隊の一部、対装甲部隊用に少なくない実弾銃が戦場で散見されている。

 

 ブラスターと違い威力と連射性の高い機関銃弾の嵐の前にベアトとホラントの射撃が止まる。

 

「よし、行くぞ野郎共!!」

 

 怒鳴り声に近い声を上げる海賊。防盾を持った装甲服装備の海賊達がゆっくりと接近を試みる。

 

「ち……舐めるなよ。海賊風情がっ!」

 

 ホラントが銃撃の嵐の中、ブラスターライフルで狙撃。青い光条が先頭の海賊の頭部を撃ち抜いた。

 

 装甲服も無敵の存在ではない。トマホークでなくとも重火器ならばさすがに貫通するし、そうでなくとも関節部分の稼働やヘルメットの視界確保のためにはさすがに隙間なく装甲で包む事は不可能だ。

 

 無論ノーガードと言うわけではなく、関節部分は対熱性と防刃性に優れた超硬特殊繊維、ヘルメットには対衝撃性を重視した特殊プラスチックを使用しているもののさすがにブラスターライフルの狙撃の前には敵わないようだった(つまり原作のブラスターの雨の中突撃する薔薇騎士達はクレイジーだ)。

 

 先頭の海賊が殺られた事に動揺したのか、海賊集の足が止まる。恐らくは立場として分隊長のような立ち位置だったのだろう。

 

 そこに給弾の済んだアレクセイが戦列に復帰して3名が再び攻勢を掛ける。

 

「糞っ!怯むんじゃねぇたかが餓鬼相手だぞ!」

「しかし、こいつら……思いのほか射撃の腕が……がっ!?」

 

 不用意に防盾の影から出た若い海賊が肩の関節部分を撃ち抜かれ悲鳴と共にのたうち回る。その姿に一層海賊側の動揺が広がる。

 

「いいぞ……騒ぎ立てる痛がりは好都合だ」

 

 ホラントが小さく呟きながら再び狙撃……次は装甲の無い踵を撃ち抜かれた海賊が防盾を落として倒れこむ。

 

「ナイスだホラントっ!流石狙撃評価1位なだけある!!」

 

 笑みを浮かべ賞賛の声をかけながらブラスターを連射するアレクセイ。

 

「当然だっ!そちらこそ無駄弾撃つなよ!!?」

「ホラント……貴様無礼だぞ!」

 

 悪態をつくホラント、そしてそれに噛み付くベアト。険悪な空気が流れるが、その体は両者共海賊への射撃を止めない。正確な射撃が海賊の進軍を阻止していた。

 

 問題は弾薬だろう。ブラスターのエネルギーパックの予備は殆んど無い。弾が切れる前に陸戦隊が到着しなければ待ち受けるのは死だ。

 

「……おい、ティルピッツ!後どのくらいだっ!?」

 

 ブラスターライフルを撃ちながらホラントは怒気を強めて問い質す。

 

「まだ少しかかるとよ!!どうやら通路の途中でバリケードが出来ているらしい!!」

 

 私はイヤホンからの基地司令部の連絡を聞きながら答える。

 

「えっ!?こっちの状況!?最悪ですよ!!弾切れになったらすぐにでも獰猛な海賊一家が雪崩れ込んできて全員の頭がトマホークでカチ割られる事請け合いだ……!!」

 

 司令部から状況報告を求められイヤホンマイクに半分泣き言を叫ぶように報告する。

 

「畜生、糞みてぇな初陣だ……!!」

 

 せめて幼年学校くらい卒業させてくれよ!!ラインハルト達でもそれくらいは許させていたぞ!?……いや、まぁあの二人は初っぱなの任地で暗殺されかけるけどさぁ。

 

「泣き言言う前にやる事をやれ!!」

「分かってるわい!!」

 

 ホラントが吐き捨てるように叱責し、私はぶっきらぼうに言い返す。ホラントを睨み付けるベアトを諫めながら私は自身の仕事を再開する事にする。

 

「糞……重いなこの野郎!!?」

 

 私の役目はこの荒れた室内の備品でバリケードを作る事だ。机や椅子を運んで室内に第2次防衛線を構築する。今もまた机を引き摺ってそのための作業の途中だ。

 

 既に銃撃戦は40分……本来ならばもう救援が来てもいい筈の時間だが世の中上手く行かないものだ。彼方も戦闘中だ。糞、海賊位で怯むなよ税金泥棒め!!

 

「本当……マジで情けねぇな」

 

 すぐ傍で戦う同僚達を見て苦虫を噛む。だが、内心戦わずにいられる事に安堵しているのも事実だ。

 

 これは遊びではない。相手が帝国軍では無いだけでれっきとした殺し合いなのだ。これ迄最低限戦う訓練はしてきたがいざその場に立つと……。

 

「ははは、止まれよ。この野郎」

 

震える腕を強く握り締めて、私は呟く。

 

「……強いよなぁ。この世界の奴らは」

 

 戦争が当たり前の世界だとやはり覚悟が違うのだろう。ラインハルト達程でないにしろベアトもアレクセイも、ホラントだって内心はともかく外面では冷静に戦いを続けている。信じられるか?14、5歳なんだぜ。

 

「所詮は小市民か……」

 

 だとしても、少なくとも今は自身の役目を果たすのが先決か。自身の境遇を嘆いて悲劇のヒーローやる暇なんて有りやしないのだから……。

 

 

 

 

 

「く……っ!申し訳御座いません!弾切れですっ!」

 

ベアトが遂に最悪の報告をする。

 

「っ……!ホラント!そちらの残弾はっ!?」

「もう、こいつが最後だっ!」

 

 急いでブラスターライフルのエネルギーパックを交換しながらホラントが答える。

 

「ヴォルター、救援はっ!?」

「上手く行けば、後10分かそこらだそうだ……!どうするっ!?バリケードはこしらえたが……!?」

 

 首で指し示す先には机や椅子、棚、その他の備品で作った即席のバリケード。

 

「上出来だっ!私が殿になる。皆先に後退してくれ!」

 

アレクセイが私達に先に後退するように勧める。

 

「し、しかし……!」

 

 ベアトが渋るような表情をする。当然ながら皇族を置いて逃げるなぞ従士にとっては想定する事すら有り得ない。

 

「いや、俺が殿になろう」

 

そこにホラントが進言する。

 

「しかし……!」

「勘違いするな。お前の立場を考慮したわけじゃない。ライフルのこちらの方が足止めに適しているだけだ。射撃の腕もこちらが上だしな」

 

むすっ、と顔を顰めながらホラントが補足説明する。

 

「………分かった。じゃあベアト、最初にバリケードに」

 

アレクセイが隣のベアトに指示する。

 

「いえ、それならば若様の方を……」

「いや、ベアト。お前が行け」

 

私の方を見やる従士に、しかし私は否定の言葉を吐く。

 

「ですが……」

「いやいやいや、ここで真っ先に避難とかさすがに恥ずかしいからな?こっちは戦闘してないから疲れても無い。余り情けなくさせてくれるなよ?」

 

 実際ベアトは女子の分疲労も溜まっている。一番先に後退させるべきだ。

 

「……御命令承りました」

 

暫しの逡巡、がすぐにベアトは指示に従い後退する。

 

「……んじゃ、行くか私達も」

「そうだね。……走ろう!」

 

 ベアトがバリケードの中に入ると共に私とアレクセイは駆ける。飛び込むようにバリケードの内側に入ると私は最後の一人に叫ぶ。

 

「いいぞ!お前も早く来い!」

 

 その言葉と共に身を翻したホラントがこちらに向け走り出す。既に海賊が部屋の入り口に右折して入り込もうとしていた。

 

 ホラントの背にブラスターの銃口を向けようとした所で私が医務室から拝借した薬瓶が顔面に命中する。柊館宜しく本当なら女神像が良かったのだが仕方ない。

 

 さすがに予想外の痛みだったのかのけ反って折れた前歯を抑えたところにアレクセイのブラスターから照射された光線がその首を貫通した。

 

「よし……」

「間抜けっ!さっさと頭を下げろ!」

 

 バリケードに躍りこんできたホラントが私の頭を押し込む。同時にレーザーの嵐が私の頭上を通り過ぎる。

 

「痛えだろ!?」

「死ぬよりマシだろ!馬鹿貴族が!?」

 

そこからはバリケード越しの銃撃戦だ。

 

「うわぁ、この場面凄い既視感あるわ……」

 

具体的には某作品全体で最大の衝撃回……つーか魔術師死亡回。あれ……今私フラグ建てた?

 

「もう少しだ!押し込め!!」

 

ある海賊がそう叫びながら防盾を構えて突進する。

 

「ちぃ!!」

 

 ホラントのブラスターライフルが火を噴くが対レーザーコーティングの成された盾に弾かれる。

 

「うおおお!!!」

 

 バリケードに乗り掛かり海賊は盾を捨ててトマホークを振りかざす。

 

「……!!」

 

 ホラントは頭を伏せる事でそれを回避し、ブラスターライフルの銃底を逆にその頭に叩きつける。怯んだ所に近距離から胸に一撃をくれてやる。

 

だが、次の瞬間ホラント自身が頭部に衝撃を受ける。

 

「ぐっ……!?」

 

 撃ち殺された者の後ろにいた新手が持っていたブラスターライフルで正に先程のホラント同様に殴りつけてきたのだ。

 

 額から流血してよろめくホラントに向け海賊はブラスターライフルの銃口を向け残虐な笑みを浮かべ引き金を引く。

 

「ちぃ……!!この餓鬼が!!?」

 

 撃たれる直前に銃口を掴み上に向ける事で辛うじて射殺されるのを防ぐホラント。だが、このままでは寿命が数十秒伸びる程度でしかない。

 

 そのまま揉み合いになる二人……が、ホラントの体力は既に疲労し尽くしておりすぐに押される。

 

 海賊は腰のナイフを抜きホラントの喉元に突き立てる。それを寸前の所で受け止める状況。

 

「ホラント……!?くっ……!?」

 

 アレクセイはホラントを助けようにもほかの海賊相手に精一杯だ。ベアトもまた最後の悪あがきで向かって来る海賊に室内の投擲出来るものは何でも投げつけていた。即ち……。

 

「……私が殺るしかない、よな?」

「あがっ……!?」

 

 ホラントを襲っていた海賊が小さい悲鳴と共に息絶える。

 

 ホラントが、倒れこむ海賊をどける。そして……ブラスターを手に持つ私を見た。

 

 私は、ホラントの危機に、バリケードに乗り掛かり死んだ海賊の腰にあったブラスターを拝借した。そして震える手で、ホラントにも当たらないように狙いをつけて……引き金を引いた。そして次の瞬間には呆気なく海賊は死んでいた。

 

暫し私とホラントの間に沈黙が支配する。

 

「あっ……」

 

 次の瞬間、私に雷を打たれたかのような衝撃が走る。同時に胸に焼けるような痛み。

 

「………?」

 

 私は、痛みの疼く場所に手をやる。……触れた手は真っ赤だった。

 

「………はは、マジかよ」

 

次の瞬間、私は生温かい何かを吐き出した。

 

「若様っ………!!?」

 

 どこからかベアトの声が聞こえた。それに対して、しかし私は一切の返答の余裕は無かった。

 

 激痛からか、動悸と吐き気が私を襲う。……ブラスターの傷は実弾より痛みは少ないと聞いていたが、何だよこれ。普通に死ぬ程痛えじゃねぇか。

 

膝をついて私はそのまま倒れこむ。再び血液を嘔吐。

 

 視界がぼやけ、耳が遠くなる。……あ、これ普通にヤバいな。

 

 次の瞬間、視界の端から多数の人影が現れる。同盟宇宙軍陸戦隊の姿だった。プロ染みた動きでブラスターライフルを発砲しながら海賊を制圧していく。……遅えよ、税金泥棒め。

 

「……!!?………!!」

 

 ベアトが見えた。何か騒ぎながらこちらに向かうのを装甲服の集団に止められていた。

 

どんどんぼやけて行く視界の中で私は周囲を見やる。

 

 アレクセイは……無事か。ホラントも怪我を負っているが大丈夫そうだ。ダセェ……私だけ重傷かよ。

 

 急いでこちらに駆け寄る陸戦隊員、何か話し掛ける。わるいけど耳聞こえねぇよ。あ、これ……本当にヤバい。眠くなってきた。あぁ、糞。これは駄目かも知れないな………。

 

 ああ……本当、死亡フラグしか無い世界だよ。クソッタレめ。

 

 そして、私は睡魔に襲われそのまま意識を失ったのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十三話 目覚めたら知らない天井はお約束

「目覚めたら知らない天井だった」

 

 某新世紀なロボットアニメのシチュエーションの中、私は目覚めた。

 

「……?」

 

 頭がぼんやりとして思考が纏まらない。私はどうしてここに………?

 

「………!そうか、確か海賊に撃たれて……」

 

 意識を失う前の最後の記憶を思い出す。確か私が気を失う直前に救援が到着した筈だ。と、なるとここは………。

 

「病院、か?」

 

 視線を動かすとお約束のように直ぐ真横にベッドサイドモニターがピッピッ、と私の血圧や心臓の鼓動をモニターしていた。

 

「誰か……痛っ……!?」

 

 起き上がろうとすると共に激痛が体を襲う。堪らず私は再び横になる。

 

「おいこら、未来の医療の癖に痛すぎだろが……!!」

 

 と、文句を言っても仕方無い。宇宙暦8世紀となると時間さえあれば手足が千切れようが内臓が零れようが大体どうにかなる(即死や手術不可能な状況が多い事は言ってはいけない)。それどころか場合によっては人体の器官を交換しないような、自然治癒に任せるような中途半端な怪我の方が長期入院しないといけない程だ。

 

 恐らく、人工細胞等も使わない、自然治癒に任せた処置が為されたのだろう。にしても麻酔が切れてるぞ。この野郎。

 

「ぐっ………はぁ、……こりゃ動けんな」

 

 あれから何日たった?ここはどこだ?皆はどうなった?様々な疑問が私の脳裏に過る。

 

「うっ……うん………?」

 

 意識が覚醒し、身体の感覚が戻り始めた所でようやく私はその感触に気付いた。

 

 左手に触れる温かさ。と、同時にそれが何かを想像をつける。

 

私は体の痛みに耐えながらそちらに首を動かす。

 

「……あぁ、やっぱりか」

 

 そこにいたのは、照明の光で金色の髪を鮮やかに輝かせる可愛らしい少女だった。椅子に座り、私の左手を握り締める従士は、しかし小さな吐息と共にベッドに上半身を倒すようにして深い眠りについていた。そこには普段の鋭い目付きと緊張感は感じられず年相応の子供の寝顔をしていた。

 

「大方……寝ずの番していて居眠り、といった所か」

 

 あれから何日たったかは不明だが、彼女も肉体的にも精神的にも相応に疲労していた筈だ。そんな中で多分、私がいつ目覚めてもいいようにずっと控えていたのだろう。そりゃ居眠りもしよう。私なら数時間も持つまい。

 

「要らぬ気遣い何だけどなぁ……」

 

 苦笑しつつ、私はその寝顔を拝見させてもらう。こう、見ると案外幼い顔立ちなのか……。大体私より先に起きて準備等をしてくれるので寝顔を見るのは本当に久し振りだ。最後に見たのは宮廷の狩猟場で遭難したときか……。深夜寝るときは私を必死に慰めていたが早朝に起きると寝言で寂しげに父親を呼んでいたのを覚えている。あの時の罪悪感といったら………!!

 

「……済まんな、いつも」

 

 主人として至らないために迷惑かけてばかりなのが情けない。

 

「ぐっ……あー、駄目だな。これは……」

 

疼くような痛みと共に疲労と睡魔が襲いかかる。

 

「もう一眠り……する、か………」

 

視界がぼやけ、意識が遠退く。

 

「若……様……?」

 

 小さな、音色のような声が響く。あぁ、起こしてしまったな。悪いな。だが……この分では……返事は………。

 

睡魔に敗北し、私は再び意識を失った。

 

 

 

「うふふふふ!!ここにいるのは意識の無い若様と私めのみ!即ちここでどんな事が起ころうとも知る者はいないと言う事!!ぐへへへへ……睡姦プレイと言うのも乙ですなぁ!!」

「………」

 

 目覚めると、目の前に涎を垂らした栗毛の女性がいた。

 

「では、さっそく……あれ、若様起きました?」

 

 私に手を伸ばそうとした所で私の瞼が開いている事に気付き彼女の表情は凍りつく。

 

「おう。イングリーテ、何しようとしてた?」

「いえ、随分と苦しそうでしたのでシーツを御変えしようと……」

 

目の前の女性は凍りついた表情で口だけを動かす。

 

「そうか。貞操の危機を感じたのは気のせいか?」

「はい、気のせいでございます」

 

爽やかな笑顔で堂々と宣う目の前の女。

 

「そうか。……命令だ、そこを動くな」

「はい?分かり……」

 

 次の瞬間私は無表情でピースした手で彼女の目を目潰しした。

 

響き渡る悲鳴が室内を満たした。

 

宇宙暦778年2月5日午後2時15分の事であった。

 

 

 

 

 

「若様……!?」

 

 悲鳴の声に反応して直ぐ様扉が開いて入室する人物がいた。

 

 一人は私の信頼する従士、もう一人は亡命軍の軍服を着た壮年の男性だった。

 

「うごごご……目が…目があぁ……!?」

 

 滅びの言葉を受けた後の某特務機関の大佐のごとき声を上げて床で悶絶する女性を見て、一瞬唖然とする二人。

 

「若様、これは……」

 

 壮年の軍人が室内の状況を見て困惑する。

 

「あ、そいつはそこに捨て置いていいから」

 

 私は淡々とそう言い放つ。当然だ。

 

「はぁ……」

 

 そう気の抜けた声を出した後、すぐに改まった彼は姿勢を正すとベレー帽を脱いで胸元に置き、恭しくひざまづく。

 

「若様、御命に別状無く何よりでございます。このゴドフリート、若様の危機に際して不出来な娘共々お役に立てなかった事深く反省しております。この上はどのような処罰も甘んじてお受け致す所存でございます」

 

 四〇歳前後の屈強な男性が心から誠意と悔恨を含んだ声で深々と謝罪する。隣を見れば同じように深々と沈痛そうな面持ちで頭を下げる従士の姿が映り込む。

 

 鋭い目付きと金髪、品格のある口髭……ルトガー・フォン・ゴドフリート亡命軍宇宙軍大佐はティルピッツ伯爵家の筆頭従士家の一つ、ゴドフリート家の当主でもある。父とは幼年学校・士官学校の同期であり随一の忠臣の一人だ。当然ながら私の従士の親父殿である。どうやら、今回の騒動で娘がいながら私が撃たれた事に対してかなり思い詰めているようだった。

 

 正直、父親と同じ程に年上の人物にこんな態度を取られるのは小市民な私には居心地が悪い事この上無い。だが、ここで簡単に赦すわけに行かないのが貴族社会と言うものである。

 

 そう易々と赦せば門閥貴族としての自身の立場を貶める事になる。それはひいては自身だけでなく家臣や領民の権利や誇りまで他家から軽く見られる事を意味する。

 

 流石に亡命政府の門閥貴族は皆親戚みたいなものであるためそんな事は無いが、オーディンだとその貴族は小心な臆病者として笑われる。いや、それだけならかなりましで下手すれば一族から家臣、オーディンの出稼ぎ領民まで周囲にたかられるそうだ。

 

 その上、家臣団の中でも失態を犯した者を簡単に赦すとほかの者との間に不公平が生じる。真面目に間違いを犯さずに働く者がやる気を無くす程度ならまだ良い。それが元で家臣団同士で対立や陰口が起きる事もあるのだ。

 

 実の所、主人の与える叱責や罰はある種けじめをつける行為であり、主人が既に対処したのでもうこれ以上誰もこの問題を掘り返すな、と言う意味を持っている。

 

 むしろ叱責や罰が無い方が家臣に取っては困る事で暗にお前は不必要だと言うメッセージであり、何時まで経っても他の者から(下手すれば何代も)その事で笑われ、機会あれば蒸し返される。

 

 ……いや、大体の門閥貴族家臣団の仲は(少なくとも亡命政府の門閥貴族では)ギスギスしてないしフレンドリーだよ?けど、オーディンではそれが普通の文化だからその伝統が続いているの、分かる?

 

 ちなみにその相手が同じ門閥貴族だと大昔は一族朗党領民まで巻き込んだ「名誉をかけた戦」……ようは私戦に発展し、どこかの段階で両家の親戚家が仲裁に入り停戦するそうです。我が家の場合ジギスムント2世の頃にヒルデスハイム伯爵家との私戦が有名だ。父が見せてくれた写真は見ていて引いたよ。

 

 まず、背景は炎上する屋敷。時のヒルデスハイム一族が縄で縛られ、その足元にはヒルデスハイム家の従士達の死体の山、その周囲にサーベルを持った当時のティルピッツ伯とブラスターライフルを抱えるその愉快な従士団が返り血まみれで笑顔浮かべているんだぜ?(ヒルデスハイム家の者を傷つけたり従士家の女子供は殺していないだけ当時としては寛容だったと聞いて更に戦慄した)

 

 この私戦文化に対して帝国政府は最初の内は門閥貴族の力を削ぐ意図もあり黙認していたそうだが、運悪く当時帝国を二分するほどの大貴族2家が遠戚の貴族達まで巻き込んだ大戦争を起こしかけたため慌てて帝国政府が仲裁、最終的に第11代皇帝リヒャルト2世の時代の布告により所謂一対一の決闘を持って私戦に替えるよう制度が出来たそうです。

 

 話しが逸れすぎたな。兎も角そう言う貴族文化があるためにここで私は寛大な態度を取ることが許されない、と言うわけだ。

 

「……悪いが目覚めたばかりで考えが纏まらん。ここはどこだ?あの後どうなった?」

 

取り敢えず状況把握に努める事にしよう。

 

「は、仰る通りでございます。申し訳御座いませぬ」

 

 深々と頭を下げ謝罪した後ゴドフリート大佐は説明を始める。

 

 どうやら同盟軍に救助された後、幼年学校の生徒は治療の必要のある者は治療を受け、亡命軍の救援部隊の到着と共に同盟軍の制止を無視して半ば無理矢理アルレスハイム星系に帰還したらしい。同盟軍の救援部隊が海賊艦隊の掃討を開始すると同時の事であったと言う。この間に両軍の間でどれだけの言い争いが起きたかはここでは割愛する。

 

 亡命政府は相当激怒した事だろう。よりによって幼年学校生徒が訪問中の失態、しかも皇族が殺される寸前だったのだからマジギレだっただろう事は想像に難しくない。

 

 この事については同盟政府からの全権代理権を受けた同盟議会特使が星系議会と新美泉宮の謁見の間で謝罪したためどうにか暴動寸前だった世論は沈静化したらしい。代わりに海賊への報復を求めるデモが星都で起きているらしいが。今は逮捕された海賊の裁判にアルレスハイム星系警察も関わる事を亡命政府はハイネセンに要求している所だと言う。

 

 余り騒いで欲しく無いんだけどなぁ……唯でさえ亡命者コミュニティは肩身が狭いし疎まれているんだから。……まぁ、無理だろうけど。

 

 私に関しては運良く、ブラスターのレーザーが血管や内臓を傷つける事が無かったのでそこまで大きい怪我ではないらしい。一週間もすれば退院出来るそうだ。

 

「そうか……報告ご苦労だ」

 

 ゴドフリート大佐に労いの言葉をかけた後、私は考える(ここは軍病院なので本来ならば階級として軍規に違反するが軍人ではなく私人としてこの場に大佐は参上……態々休暇をとったらしい……しているので問題無い)。

 

「ふむ……そうだな。ゴドフリート、貴方に対しては私が処断する立場にない。その場にいなかったからな。だが、子の監督責任はある」

「はっ……!」

「よって、貴公の沙汰は父が決める事だ。分かったな?」

「はっ!」

 

 続いて私はベアトを見る。こちらを見る目は不安に満ち満ちている。

 

「ベアトリクス、お前は私を守れなかったな?」

 

問いただすような質問。

 

「……はい、相違有りません。このベアトリクス、どのような罰を受けようと御怨み申し上げません」

 

深々と、自責の念がありありと分かる御辞儀。うん、知ってた。そんなに怖れなくていいから。別に怒って無いからな?あれ、明らかに私の責任だからな?

 

「罰、か。そうだな。余り無意味な罰を与えても仕方ない。ここは合理的に考え……そうだな。私の怪我が完治するまで介護を頼みたい。出来るな?」

 

 そんなとこらが落とし所だろう。私としても余り恨まれるような……というか後で気まずくなる罰なんてしたくない。

 

「はっ!ベアトリクス、誠心誠意介助をさせて頂きます!」

 

 心から決心するように完璧な礼して返答するベアト。いや、そこまで覚悟完了しなくていいからな?

 

 互いに普通に会話しているけどこれ、ほかの星の奴が見たら腰抜かすな。連座制とかマジかよ。

 

 しかもこれ法律ではない。互いに当然といった態度だけど、ようは私刑だからな?法律的に一切従う義務も無いからな?やべぇな、帝国的価値観。

 

「さて、この話は一旦此処までにしよう。さて……お前はどうしてここにいやがる?」

 

 私は未だに床でのたうち回る女性……イングリーテに向け声をかける。

 

 同時に飛び上がるように立ち上がると教養と品性を感じさせる動作で敬礼する。

 

 黒色のジャケットに金の飾緒、シャコー帽の出で立ちは近世の騎兵隊のようだ。

 

そして、堂々と宣う。

 

「イングリーテ・フォン・レーヴェンハルト亡命軍宇宙軍軍曹、若様のお目覚めまで、誠心誠意込めて警護しておりました!!」

 

 ティルピッツ伯爵家に代々仕える飛行士の末裔の一員は、いけしゃあしゃあとそう叫んで見せたのだった。

 




従士階級が黄金樹は終わりなんていえば即処刑は残当。
ブラウンシュヴァイク公がアンスバッハを即殺せず拘禁したのは帝国社会では寛容さを意味するというね。


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第十四話 悪いな、勘の良い国家錬金術師は嫌いなんだ

 銀河帝国における貴族は世代で分けると大きく2種類に分別出来る。つまり旧貴族と新興貴族である。

 

 前者は開祖ルドルフ大帝時代の功臣達……具体的には大帝の軍人時代の同僚や部下、国家革新同盟の議員、党を支持した連邦の官僚や大企業経営者、有力投資家、文化人、学者等、それ以外に例外として懐柔策で貴族に列せられた野党議員や軍幹部もいる。その多くが男爵以上の門閥貴族であるために旧貴族=門閥貴族といっても実質的に問題は無かろう。

 

 一方、新興貴族は大帝以降に功績のあった優秀な平民に与えられた地位である。特に帝国騎士の地位が与えられる場合が多いがこれは帝国騎士が旧来の貴族社会的柵とは距離を置いた、貴族としては比較的独立した地位である事が大きい。

 

 つまり門閥貴族のように血縁や社会的な繋がりが薄く、従士のように主人としての大貴族がいない、帝国と皇室にのみ忠誠を誓う地位だからである。だからこそ帝国の騎士……皇帝に忠節を誓う騎士と呼ばれているのだ。そのような意味合いからか大帝時代は皇帝の身辺警護や政治から距離を置いた大帝の個人的な友人等に、それ以降は門閥貴族への牽制の意味もあり前述のように帝国のため功績を上げた平民に騎士の称号が与えられていた。……まぁそんな経緯のある帝国騎士の末裔に黄金樹の王朝が滅ぼされるのは歴史の皮肉だな。

 

 只、この新興貴族の地位は旧貴族からは軽く見られている。なんせ時代が下るにつれ皇帝が帝国騎士の地位を金銭で売り払うようになったためだ。

 

 帝政初期においては決して帝国騎士は軽んじられる存在では無かった。この頃はそもそも貴族制度自体が出来たばかりであり其処まで明確に貴族間に隔絶した差は無かったし、本人達も銀河連邦の平等社会の意識の残滓が残っていた(貴族間の平等と言う意味だが)ためだ。

 

 恥愚帝のジギスムント2世の時代に帝国騎士における細分化が生じた。これまで唯「帝国騎士」と称された彼らに差異が設けられた。

 

 非公式であるが帝国騎士は四階級に分けられるようになった。即ち帝国建国以来の歴史を持ち、家名としては門閥貴族にも匹敵し得る「騎爵」を頂点とし、門閥貴族の分家筋の多くが分類される「上等騎士」、国家に対する功労に与えられる「一等騎士」、多額の献金により与えられる最下位の「二等騎士」である。無論、正確に区分されたわけでなく帝国騎士内で様々な理由で昇格した者も多い。

 

 ジギスムント二世の代にこのように帝国騎士階級の制度を変更した事で最下級の「二等騎士」に分類される帝国騎士家が数千家も乱立し、最近でもドケチなオトフリート5世が財政難への対策でさらに帝国騎士の数を増やしやがった。此処まで来ると二束三文で売り払っているのと同じだ。そりゃあ大貴族が新興貴族を馬鹿にもしますわ。帝国騎士=平民同然の貧乏人扱いになるのも納得だ。それどころか従士階級と立場が逆転する現象まで起きている。

 

 それも当然で、従士階級は門閥貴族に仕えている。つまり何かあれば主人に泣き付く事が出来るわけだ。就職の心配はないし、他の貴族とトラブルになれば主人も自身の名誉に関わるため放置しない。それどころか主人の使いとして場合によっては大きな権威すら与えられる。

 

 更にいえば門閥貴族と従士家の繋がりは密接である事も理由だろう。

 

 そもそも従士家は皇帝が発案し任命したものではない。大帝時代に門閥貴族に列せられた者達が推薦したものだ。

 

 例えば企業経営者から爵位を受けた者は自社の役員や常務を、政治家から爵位を受けた者は秘書や支持団体幹部を、軍人から爵位を受けた者は自身の信頼する部下を推薦し、皇帝の許可を得て正式に大貴族に仕える従士家が出来る事になった。

 

 ルドルフ大帝も自身があらゆる分野に精通する万能の存在とまでは自惚れてはいなかったようで(少なくとも帝政初期は)、帝国の各分野の権威である門閥貴族達に、その分野において才覚があり帝国行政の手足として優秀だと思われる存在を選ばせて宛がう事で帝国貴族の基盤を磐石にしようとしたのだろう。

 

 従士階級は其ゆえに自分達に特権を与えた主家に固い忠誠を誓い、主家もまた自身の手足として何代にも渡り仕える彼らを信頼していた。

 

 さて、我が家……つまりティルピッツ伯爵家は当然旧貴族の一員だ。元を辿れば「銀河統一戦争」から続く続く地方の名士兼軍人家系であったという。銀河連邦中期には英雄ミシェル・シュフラン提督の副官として宇宙海賊掃討に従事、後に第五方面軍司令官から議会の国防政治家にまで栄達した。連邦中期から末期にかけて数名の提督も輩出している。

 

 宇宙暦293年、御先祖様が偶然、当時銀河連邦宇宙軍大佐であったルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの部下となった。その才覚を気に入ったのか後の大帝陛下はこの御先祖様を海賊討伐作戦において必ず連れていったという。

 

 ルドルフが政界に転じると銀河連邦軍における革新派十八提督の一人として活動し、310年の銀河帝国成立時には少将として辺境の反乱勢力を鎮圧し、後に長年の功績を讃えられ伯爵位を得る事になった。

 

 御先祖様もまたほかの門閥貴族同様に自身の部下達を皇帝に推薦し、自身を守る従士家を幾つも作り上げた。

 

 レーヴェンハルト家は元銀河連邦軍宇宙軍第8方面艦隊、司令部直轄航空隊司令官ヘルマン・フォン・レーヴェンハルト大佐を開祖とするティルピッツ伯爵家の古参従士家であった。

 

 

 

 

「ベアト、悪いがそこの新聞をくれないか?」

「了解致しました、若様」

 

 私の命令に反応し、恭しく礼をした後、距離の離れた机に置かれた新聞を差し出す。

 

「若様~、私も御命令とあらば何なりとお受け致しますよ~?」

「おう、そこで黙って立っとけばいいから」

「あ、はい」

 

 しょぼーん、と入院室の端っこで起立したままでいる軍曹。可哀想などと思う必要はない。あれにはこの態度で十分だ。と、言うか油断したらヤバい。あれにはパーソナルスペースの概念がないらしい。無頓着な程距離を詰めてくる。こいつが警護に来たことに悪意を感じる。

 

 レーヴェンハルト家はティルピッツ伯爵家の典型的な従士家らしく代々が軍人だ。現当主が士官学校の航空教練の教官で中佐の地位にあり、祖父は准将、元地上軍航空部隊副司令官であり、当主の兄弟は南大陸の航空基地防空隊司令官と第18独立空戦大隊副隊長。当主の3人の息子は長男が宇宙軍空戦隊中隊長、次男が伯爵家の私有機の副操縦士、三男が専科学校航空科学生である。

 

 部屋の端で萎びている彼女は当主が2人持つ娘の内の長女である。イングリーテ・フォン・レーヴェンハルト宇宙軍軍曹、専科学校航空科出身……私の3歳上の筈なので17歳だった筈だ。何度か従軍経験もある、軍人としては先輩に当たる筈なのだが………うん、尊敬なんて無理無理。

 

 彼女の事は実は小さい頃から知っている。まだ私が荒れていた頃に付き人候補の一人として対面した。その日の内に実家に送り返してもらったが。

 

 何があったか?言いたくねぇよ。取り敢えず半日の間家の箪笥の中に隠れていた、とだけ言っておく。

 

 宇宙暦778年2月11日午後1時過ぎ、昨日から味気のない集中治療室から一般病棟に移動した私は部屋の隅にいる護衛を牽制しつつ午後の暖かい日向の差し込む部屋のベッドで暇を潰していた。

 

「と、言っても本当やること無いよな……」

 

 ベアトから受け取った新聞の表紙に目を通す。新聞名は、ノイエ・ヴェルト新聞、アルレスハイム星系の保守系地方紙であるが帝国公用語で書かれているがために同盟領全域に居住する多くの亡命者にも読まれ、購読者数は2億7000万世帯にも及ぶ。4大全国紙には及ばぬものの地方紙としては同盟第7位の発行部数を誇っている。

 

 第1面に出ているのは、来月の南大陸のクロイツベルク州選挙の情勢についてと国境宙域に置ける同盟軍の海賊掃討作戦の経過についてだ。

 

 南大陸クロイツベルク州は惑星ヴォルムスにある全14州において最も共和主義的であり貧しい州である。共和派が中心に開拓した農業州なのだが、所謂元農奴や被差別身分が多いために教育水準が低く、貯蓄も少ない。よって自己資本が無く自給自足に近い経済状況だ。

 

 富裕な州や企業の投資を受け商品作物の栽培でも始めれば良いのだが、そういうものは大抵貴族の息がかかっており共和派で固められた州政府は積極的ではない。

 

 だからと言ってほかの惑星に頼もうにも近隣で一番金があるのがこの惑星なのである。それより遠くとなると投資のリスクもあって企業も星系政府も及び腰になる有り様だ。

 

 州議会の現与党である自立党と星系議会与党にしてこの惑星最大勢力を誇る立憲君主党が相争う選挙、星系警察や同盟軍中央政界は支持者同士の衝突や暴動を心配しているらしい、と言う記事だ。何せクロイツベルク州は前例がある。

 

 もう一つの記事に目をやる……同盟軍の海賊掃討作戦については順調らしい。第6辺境分艦隊を中核に、第2機動戦闘団や星間巡視隊から抽出された戦力からなる特務艦隊はグラエム・エルステッド中将指揮の下数百隻の海賊船を撃沈又は拿捕していた。

 

 捕虜とした海賊の取り調べからパランティア星系における襲撃に於ける事情も見えてきた。

 

 やはり宇宙海賊の多くは帝国から流刑された者が中心であった。それ自体は幾らでも前例があるのだが問題は帝国軍が海賊に対して大掛かりな援助を行うようになったことだ。

 

 特にミサイルや電子戦装備、レーダー透化装置といった精密機械の多くで帝国正規軍の第一線で使用されるそれが多数回収された。

 

 旧来の帝国軍の援助が旧式装備中心であったことを考えるとこれは大きな変化だろう。

 

 同時に同盟軍にとっては大きな悩みが生まれた事を意味する。原作ではハードウェアの優位を軽視する場面が多いが実際の所ハードウェアの差は戦局に大きな影響を与える。場合によっては電子装備の差によって一方的な戦闘に追い込まれることすらあり得るのだ。これ迄は後方基地や地方部隊の装備は治安維持や自衛のための最小限の予算が当てられていたものの、帝国軍の最新兵器に対処するためには地方部隊の近代化に着手せざるを得ない。

 

 そしてそれはイゼルローン要塞攻略のための主力艦隊の予算増加を阻むものでもあった。

 

 同盟軍は第3次イゼルローン要塞遠征計画の中断を決定した。国境の治安維持のため今後2年間は特設艦隊を派遣し国境航路の巡視・警備を強化するという。

 

 元同盟軍宇宙艦隊司令長官にして10年に渡り国防委員会議長を務めるアリー・マホメド・ジャムナ議員が最高評議会でこの事態への対策として国防予算の7%増加と今後5年間で現役兵力の150万人の定数増加を要求した事が記事の最後に記されていた。

 

 中を見てみれば経済欄は同盟政府とフェザーンによるトリプラ星系第9惑星の液化天然ガスの共同開発合意にテルヌーゼン株式市場の貿易関連企業株式の同時安について、政治欄では相変わらずの亡命者社会の今後についての各派閥の有識者対談コラムだった。

 

 そして止めは特別欄の皇族動向についてだ。ハイネセンポリスの亡命者街を訪問するアルレスハイム星系政府首相グスタフ・フォン・ゴールデンバウムの写真を見出しに主要皇族の一日の動向がみっちり記述されていた。信じられるか?ページ数が経済欄や政治欄、それどころかバラエティ欄より多いんだぜ?ここだけ紙質が明らかに違うしな。

 

「あ、アレクセイの奴載ってる」

 

 にこやかに人当たりの良さそうな笑みを浮かべる旧友の姿を新聞欄に見つける。幼年学校学生服に胸元には同盟軍名誉戦傷章・亡命軍戦傷者章が輝いていた。

 

「あー、一応戦傷だったな」

 

 記事の内容は旧友への取材記事だ。まぁ、幼年学校学生の身で実戦参加と勲章授与されればこのガチガチの保守新聞ならば当然取材するだろう。

 

「恥ずかしい限りだよ。私は別に負傷していないのにね。心苦しいばかりだ」

「まぁいいさ。貰えるもんは貰っとけばな。どうせ貰う分にはタダなんだ………うん?」

 

真横から知っている声が聞こえて……。

 

「何でここいるんだよ!?」

 

 真横を見ると当然の如く話題の人物が立っていた。と、いうか全く気付かなかったぞ!?ベアトー礼をするのは良いけど教えてくれー(レーヴェンハルト軍曹は緊張しながら敬礼していた)。

 

「ははは、悪いね」

 

 頬を掻きながら誤魔化すように笑うアレクセイ。止めろ鋼鉄の巨人な顔でやられると凄い違和感しかないから。

 

「全く、さっさと用を済ませて帰るぞ」

 

 アレクセイの後ろから詰まらなそうな顔をしたホラントが現れる。その後ろには直立不動の姿勢で近衛兵が立っていた。

 

「……おいおい、何用だよ?面倒な内容じゃなかろうな?」

 

取り合えず私は邪険に扱うようにそう言う。

 

「安心してくれていいよ。ここに来たのは個人的な見舞いとそれと……」

 

 アレクセイが指を振って指示すれば近衛兵の一人が恭しく進み出て無意味に装飾の為された小箱を見せる。

 

「勲章?」

 

 中にあるのはアレクセイの受け取っていた物と同じ戦傷章が2枚。

 

「機嫌取りと箔付け、と言ったところだね」

 

 同盟側のそれは機嫌取りで亡命政府側のそれは箔付けである事は間違い無い。ちなみに近衛兵がもう一つ箱を持っていたが、ベアトの分らしい。

 

「うわぁ、いらねぇ」

 

条件反射的に私は口を開いた。

 

「おいおい、酷いなぁ。貰える物は貰っておけと言ったのはヴォルターじゃないか?」

「いや、だってなぁ……」

 

 勲章の管理なんて面倒だ。年金やら特権があるなら関心があるが、私の受け取ったそれは名誉はともかく経済的価値は皆無に近い。

 

 同盟軍名誉戦傷章は同盟で最も一般化している勲章だ。記録にある限り同盟軍初の戦傷者ピエール・ルブラン上等兵の横顔が刻まれたこの銅製メダルは総授与者数は建国以来22億6000万名に及ぶ。同盟軍兵士の3人に1人はこの勲章を授与されるとも言われている程だ。一応戦傷経験がある事を意味し名誉ある勲章とされるが実質的価値は皆無だ。デザインが無駄に俊逸な亡命軍のそれも特に特典がある訳でもない。

 

「軍人にとって栄えある勲章をそんなぞんざいに扱うとはな」

 

 呆れた、とばかりの口調のホラント。幼年学校制服の胸元には小奇麗に磨かれた勲章が2つ輝いていた。

 

「君達は少し外にいてくれ」

 

 近衛兵のホラントを見る視線に気づき、アレクセイは退出を命じる。

 

「……おいおい、流石に時と場所を考えろよ。近衛に冗談は通じないぜ?」

 

近衛が退出すると同時に私は口を開く。

 

「ふん、貴族だろうと何だろうと軍人である以上はそれに相応しい振る舞いが求められるのは当然だ」

 

それに対して蔑むような視線を向けるホラント。

 

「貴様、毎回の事ながら無礼だぞ……!」

 

ベアトがきっ、とホラントを睨む。

 

「あー、ベアト気にするな。こいつの性格はもう分かったから。全く連れない奴だな。そうイライラしてたら頭の傷開くぞ?」

 

 カルシウム不足か?等と内心で思いながら私は言った。まぁ、後で聞いた話だと同じ勲章授与者であると言うことで半強制的に連れてこられたから残当だ。

 

「ふん、お前と同じにするな。お前の傷こそぼさっとしてなければ受ける事が無かっただろうが」

 

 噛みつくようにホラントは答える。本当愛想がない奴だ。

 

「へいへい、悪うございましたよ」

 

へらへらと笑って返す。が、内心はそう気楽でもない。

 

 ぼさっと立っていたのは事実だ。……あぁ、そうだよ。ぼさっと突っ立っているしか出来なかった。

 

 人間撃ち殺すのなんて初めてだったんだよ、馬鹿野郎。……嫌な記憶を思い出せるなよ。

 

「………若様~?御気分悪うございますか?」

「……取り敢えず、顔近づけるな。ベアト?」

「はい」

 

 いつの間にかめり込むように私に顔を近づけていた警備を取り敢えずベアトに撤去するよう指示する。

 

「えっ?ちょ……私はただ可愛い若様のお顔を拝見させ……痛っ……ベアトちゃん?お姉さんの耳ちぎれ……あ…がちですみません。止めてください」

 

 無表情で軍曹の耳を引きちぎらんばかりに引っ張るベアト。半泣きで軍曹はベアトに許しを乞う。

 

「………」

「……いいのかい?あんな雑に扱って?」

 

引っ張られて連行されるその姿を見て唖然とするホラントと苦笑いを浮かべるアレクセイ。

 

「へーき、へーき」

 

 私は手を振ってノープロブレムであることを伝える。あれは結構やらかして親兄弟に連行される事が多いので。知る人にとっては見慣れたものだ。やっぱあれだね。ショタコンは劣悪遺伝子排除法の適用範囲だね。ロリコン・ショタコン・ブラコン・シスコンを排除対象に入れていた大帝陛下は正しかったんや!

 

「それに……」

 

 余り勘の良い奴も、ずけずけと人の心に入り込む奴も好きではないんだ、とは言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十五話 獅子帝のフラグ回避能力は異常だと思うんだ

 森林地帯用野戦服を着た私は苦虫を噛みながら机の上の地図を凝視する。

 

「A-16防衛線突破されました!」

「D-3より1個分隊、K-5より2個分隊が浸透中です!」

「第10分隊より定時連絡途絶えました!」

 

 天幕内の通信士が絶望的な戦況を通達し、それに合わせて地図上の駒が移動し、あるいは撤去される。

 

「右翼からの攻撃は陽動だったな……」

 

 舌打ちしつつ私は思考を巡らせる。折角教本に忠実な防衛陣地を構築したがこう浸透されてしまったらな……。

 

「おい、このままだと各個撃破されるぞ。参謀長としては後退と再編を進言するが……」

「それが至難の技、て事だな?だが、やるしかねぇよ。多少の犠牲は覚悟の上だ」

 

 私は同席する参謀長ホラントの進言に同意を示す。背に腹は代えられない。このまま実働部隊を殲滅されて司令部をゆっくり料理されるよりはマシな筈だ。

 

「方針を決めたならさっさと命令しろ。上が優柔不断だと下が困る」

「分かっているさ。各部隊を後方に下がらせろ!場所は……この丘陵地帯なら防衛に適している筈だ。防衛線を再構築するんだ!ホラント頼む」

「了解した」

 

 舌打ちしつつホラントが資料や戦況状況を整理し、通信士越しに各部隊へ具体的な後退指示を出していく。後退といってもただ引けばいい訳でもない。後退時が追撃によって一番損害を受けやすいのだ。つまり敵味方の位置から追撃進路を予測し、各部隊が連携して敵軍を牽制しつつ後退しなければならない。

 

「そこを細かく詰めるのが参謀の役割なんだよなぁ」

 

 複数人でやるとはいえ、私にはそんな短時間の間に分析して細やかな作戦を詰める能力はない。戦場で、追い込まれれば尚更だ。正直そんな中で冷静に対処出来るホラントは普通にヤバい。

 

「さて、問題はどれだけ守り切れ………」

 

 其処まで言って、私は口を止める。そして事に気付いたホラント以下、天幕内の人員に目配せすると懐のブラスターを抜き取る。

 

 え、どうしてかって?そりゃ天幕の外で警備していた奴の影が無くなっているんだから残当よ。

 

 私とホラントを含む天幕内の十数名がブラスターを構える。

 

 数秒の沈黙。皆が緊張の中その時に備える。そして………。

 

「ちぃ!!セオリー通りかっ!!」

 

 天幕の入り口に投げ込まれたスタングレネードに悪態をつく。

 

「目を瞑れっ!入り口に発砲っ!」

 

ホラントが叫ぶ。

 

 皆、体を伏せるなり物陰に隠れるなりして被弾面積を減らすと共に目を瞑ったままブラスターを乱射する。命中させる必要はない。相手の侵入と狙撃を防ぎ、視界が回復するまで時間稼ぎ出来ればいいのだ。

 

発砲音が次々と響き渡る。これで牽制出来れば……。

 

「ぎゃっ!?」

 

 小さな悲鳴と共に人が倒れる音……その声に聞き覚えがあった。こちらの後方参謀のそれであった。

 

「ちぃ!!全員屋内戦闘用意っ……!」

 

 スタングレネードの閃光がおさまると共に私は叫ぶ。私が目を開けた時には既に数名の部下がバラクラバを被った侵入者達と近接戦闘に入っていた。

 

「うがっ……!?」

「は、早っ……!」

 

 侵入者の先頭の者が私を守ろうと人壁になる部下に襲いかかる。一人の頭部と腹部にブラスターを撃ち無力化するとそのまま首もとを掴んで盾にする。そして弾除けにすると共に手榴弾を投げ込む。

 

「伏せろ!」

 

 手榴弾の存在に護衛達は慌ててしゃがむ。爆発音。護衛が体勢を建て直す前に先程の侵入者によって一人また一人と無力化されていく。

 

「まだ生きているかっ!?」

 

ブラスターを構えたホラントが駆け寄る。

 

「こ、ここだっ!!」

 

私が手を振って答える。……同時にどつかれた。

 

「痛え!?」

「目立つ行動するな!馬鹿野郎め!」

 

 同時に後方から襲いかかる敵の頭部にブラスターをお見舞いして無力化するホラント。

 

「裏口から急いで逃げろ!司令官が生きていればまだ建て直せる!!」

「っ……分かった!後ろ頼む!」

 

背中撃たれたら堪らないからな。

 

 と、ホラントに守られながら逃亡を図ろうとした所でホラントが身を翻す。同時に先程まで立っていた場所にレーザー光が通りすぎる。

 

「……やはり避けますか。小賢しい……!!」

 

 その声に聞き覚えがあった。綺麗な女性の声。相手はブラスターを再びホラントに向けさらに発砲しようとするが……。

 

「………!!」

 

 早打ちではホラントの方が上だった。ホラントのブラスターの弾が相手のそれに命中する。使用不能になるブラスターをしかし、相手はすぐにそれをホラントに向け投げつける。

 

 ホラントのブラスターに命中させ第2撃の射線を逸らすと共に腰のサバイバルナイフを抜き踏み込んで接近する。

 

「舐めるなよ……!!」

 

 ブラスターの第3射線を発砲のタイミングに合わせ咄嗟に腰を下げて回避した相手はそのまま襲いかかる。

 

「ちぃ……!!おい、ティルピッツ!!さっさとそのケツ捲って逃げろ!……早くしろ!」

 

 その声に私は素早く反応して天幕の裏口に向け走り出す。

 

 天幕を出る前に一瞬振り返った。そこに有るのはナイフを構え合い互いに牽制し合う2人の軍人の姿だった。

 

 

 

 

「糞っ……はぁはぁはぁ……此処まで来れば安全か!?」

 

 息を切らせながら私は呟く。10分以上森の中を走り回った。一応、足跡で追跡されないように欺瞞しながらの逃亡だ。さすがにすぐには見つけられまい。

 

「と、思ったかい?」

 

旧友の声に私は振り向く。

 

 そこにはバラクラバを被りブラスターライフルを構える1個分隊の兵士。そして彼らに守られるように立つアレクセイ。

 

「アレクセイ、お前……」

「ヴォルター、こんな結末になったのが残念だよ……」

 

沈痛そうな表情をするアレクセイ。

 

「ははは……だったら見逃してくれないか親友?」

 

私はおもねるように命乞いをする。だが……。

 

「それは許されない。分かるだろう?親友だからと言って許せる事と許されない事がある」

 

首を振って私の命乞いを却下する旧友。

 

「……糞っ!」

 

私は悔しさと無念さにそう吐き捨てる。

 

「……私も辛いよ。どこで間違えてしまったんだろうね?私達は」

 

その言葉に私は怒気を込めて答える。

 

「何処でだと!?他人事のように言うなっ!教えてやる!何処で間違えたか?それはな……!」

 

そして私は叫ぶ。

 

「何でお前、敵チームの籤引いてんだよっ!畜生めぇぇ!」

 

 心の底からそう叫びながら私は懐からペンを取り出し地面に叩きつけた。

 

 宇宙暦778年12月4日、亡命軍幼年学校5年次生実技試験総合野戦実演……学年生徒を2分しての大規模陸戦演習、そのチーム分けで私は指揮官として目の前の学年首席と戦う事になり……この様だよ!!

 

「この馬鹿っ!てめぇ少し位容赦しろよ!余りにも結果が悲惨過ぎるわ!!」

 

 こちとら何週間かけて参謀役の奴らと作戦考えたと思ってやがる!?それを戦線崩壊・司令部強襲・指揮官包囲だと!?ここまで酷い結果はさすがに辛すぎる!

 

「知っているかいヴォルター、獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすんだよ?」

「私は兎!?」

 

 そもそもなんで私が指揮官役なんだよ!!ほかにも成績上の奴いただろう!?家か!?家柄だなっ!?おう、知ってたよっ!!ホラントの奴愚痴ったもんな、私の指揮が遅すぎるってな!!

 

「そろそろ、終わらせよう。私もチームの皆の成績に責任があるからね」

「ガッデムっ!」

 

 そういってアレクセイは腕を振り下ろす。同時に訓練用非殺傷レーザーの雨が私を襲ったのだった。

 

 

 

 

「お前のせいで野戦実習の成績評価が8だ。どうしてくれる?」

「おう、良かったな。こちとら5だ」

 

 その日の夜、幼年学校食堂で対面に座るホラントの文句にそう返答してやる。ちなみに10段階評価だ。どうやら私の補佐で随分と点を稼いだらしい。まぁ、こいつは自分が指揮すれば勝てたと思っているのだろう。勝てたかは兎も角相当良い勝負をしただろう事は認める。

 

「貴様、毎回の事ながら礼儀がなってないぞ。そんな非常識な事では到底軍務なぞ満足に出来まいに」

 

 私の隣に座るベアトが鋭い視線で睨み付ける。その手には銀製のフォークが握られ今にも投擲しそうだ。

 

「ふん、隣の間抜けに救われたな。後20……いや、10秒もあればお前を戦死させてやったものを……」

 

 戦闘の終盤、この二人は訓練用ナイフで壮絶な近距離戦闘を演じていたらしい。その激しさから周囲のほかの生徒が手を出せなかったとか。

 

「よせベアト。飯食っているときに人体からトマトケチャップが出るところなんざ見たくない」

 

 そっとフォークを掴むベアトの手を押さえる。今にもフォークを投擲しそうだったからだ。まぁ正面の次席は普通に避けてくると思うが。どちらにしろ私の近くで殺し合いするな。巻き込まれて真っ先にケチャップ出して私が死ぬ。

 

「ご安心下さい。若様は私が命に代えて御守り申し上げます」

「おう、ナチュラルに心読むな。後、曇り無き眼で言うな」

 

見ているこっちが怖いわ。

 

「ははは。まぁまぁ、落ち着いて。そろそろ昼食時間が終わる。早く食べてしまおうじゃないか」

 

 微笑みながら口を開くアレクセイ。おまえ、本当に動じないな。すげえよ。あんだけお前嫌っているホラントの隣座れるとか。

 

 何の因果かこの4人で飯を食うことが多くなってしまった。いや、正確にはアレクセイが勝手に引き合わせている訳だが。アレクセイからすれば伯爵家の跡取り(プラスその従士)と学年次席と食事を共にするのは当然らしい。

 

「おかげで毎回飯の度に胃に穴が開きそうになる訳だ」

 

 そう愚痴って食事に戻る。主食はライ麦パン(おかわり自由だ、やったぜ!)、ジャガイモスープ、添え物にマスタード付きソーセージ3本、チーズ、ザワークラフトとオニオン・ベーコン入りジャーマンポテト、飲み物にホットミルク……まぁドイツ風料理の夕食だ。質として貴族として実家やパーティーで食ってきた物には及びもしないが一般人の食べる内容としては適正な質だ。多分原作の帝国軍幼年学校のそれよりは上だと思う。

 

 尤もカルテス・エッセンの文化があるのならあちらの方がゲルマン文化としては正しいのだろうが。

 

「どちらにしろ飽きるな。ジャガイモと酢漬けキャベツばかりだ」

 

 帝国人はジャガイモで百種類の料理を作れる、と同盟では言われている。実際はそれ以上なのだが、逆説的にいえばそれだけジャガイモばかり食っている事を意味する。

 

 ルドルフ大帝の遺訓の結果所謂ドイツ系料理が推奨されたからだ。一応理由としては銀河連邦末期、貧困の増大に対して憐れんだ大帝が価格の安いジャガイモで飢えを満たせるようにジャガイモを多く利用出来るドイツ系料理を奨励したそうな。

 

 まぁ、絶対嘘だろうけど。だったら何で宮廷料理が殆んどジャガイモ使ってないんだよ。何で晩年痛風なってんだよ。

 

「贅沢言うものじゃないさ。前線だと食べたくても食べられない、なんて良く有ることだよ。それに栄養価は計算されているからね。寧ろこの時期の食事としては下手に豪奢なもの何かよりも余程体作りには良い物だよ?」

「いや、分かってはいるんだよ、分かってはな。だがなぁ……」

 

 たまにはドイツ料理以外食べたいの。と、いうか洋食以外食べたいの。この際和食じゃなくていいから。アジアンなら何でも良いよ?

 

「だから同盟軍士官学校に行くのかい?あちらはこっちと違って食事のジャンルが豊富だし」

 

 亡命軍幼年学校や亡命軍士官学校と違い多文化主義の同盟軍士官学校では食事のジャンルはやけに豊富だ。さすがに民間に劣るがそれでもジャガイモパラダイスではない。逆に亡命軍幼年学校から入る奴がジャガイモ欠乏症になるけど。嘘か本当か、希に士官学校から血文字で「ジャガイモ」の単語ばかり書いた手紙が送られてくるという。

 

「いやいや、飯のためだけに士官学校行くとか意味分かんないんだけど?」

「けど、それだとこっちの士官学校に行く事になるよ?」

「あれ、選択肢が士官学校しかない?」

 

 士官学校に行ったらそれこそもう逃げ場なんかないだろうが!私はまだ死にたくない!!

 

「と、いうかだからって何?凄く嫌な予感するんだけど」

 

恐る恐る私は旧友に尋ねる。

 

「ああ、この前の進路選択に同盟軍士官学校って記入されてたから。てっきり覚悟決めたのかと……」

「え、何それ知らないんだけど?」

 

ニート、と書いてたんだけどなぁ。

 

「それ、教官が書き直していたぞ」

 

ホラントが横合いから補足説明。はは、ワロス。

 

「若様がハイネセンに行かれるのでしたらこのベアトもどこまでも御供致します!」

 

目を輝かせて言うな。行きたくねぇよ。

 

「ティルピッツ、貴様の成績だとギリギリだろう?同盟軍士官学校はそんな簡単に入れるような場所じゃないぞ?」

「そういうホラントはハイネセンに?」

「……そうだ。文句あるのか?」

 

アレクセイの質問にむすっとした顔で答える学年次席。

 

「いや、むしろ尤もさ。もちろん、亡命軍で共に戦うのも良いけど、同盟軍に入ればここに残るよりより大局に影響を与える地位につける。ホラントのような英才ならそちらの方が活躍出来るだろうしね」

 

心からそう思っているかのように答えるアレクセイ。

 

「……ふん。口ばかり達者な奴だ」

 

 不愉快そうにフォークでヴルストを突き刺し口に放り込む学年次席。

 

「はぁ……気が滅入る」

 

それを見ながら私は溜息をつく。

 

「本当、どうしようかねぇ……」

 

 優柔不断と思われるかも知れないが何だかんだ言いつつ私は自身の将来を決断出来ないでいた。私自身命は惜しい。死にたくない。だが……将来の故郷や身内がどうなるのか、原作に記述は無いが余り愉快な未来は予想出来ない。

 

 私のおぼろげな記憶から考えて帝国領侵攻作戦、皇帝亡命、ラグナロック作戦……細やかな内容は忘れかけているがこの辺りのイベントが危険そうだ。リヒテンラーデ侯の事実上の族滅or島流し、レムシャイド伯爵の自決……ほかの銀河帝国正統政府メンバーの運命は知らないが身内のリヒテンラーデ一族であれならば愉快な目に合っているとは考えにくい。

 

 さて、我ら亡命政府(皇族及びその血縁者ばかりな門閥貴族)が獅子帝に寛大な処遇で遇されますか?味方のリヒテンラーデ一族基準で考えてね?ああ、黄金樹嫌いの義眼さん事、オーベルシュタインもいるね。

 

……いや、これ駄目だろう。

 

 万一にも獅子帝が恩赦を与えると言っても信じる訳無いわな。リップシュタット連合軍とか、最低でもリヒテンラーデ一族より寛大な処置が為されているとは思えない。焦土戦術やヴェスターラント見殺し(疑惑であろうとも信じそうだ)も含めると、最後の一隻、最後の一兵、住民の最後の一人まで徹底抗戦選びそうだ(というかさその前例有りだし)。

 

 獅子帝に許しを請う事が許されない。そして身内を守るためには……。

 

「殺るしかないよなぁ……金髪の小僧さんを」

 

 故郷と家族の説得なぞ無理に決まっている以上、破滅を回避する手段は一つ。金髪の小僧……もとい、ローエングラム侯、あるいはその部下共を階級の低い内に抹殺するしかあるまい。特にローエングラム侯は何度も暗殺の手が伸びているし、昇進のため結構無茶な行動もしている。先に生まれた優位を生かし階級を上げて権限を高めたところで新兵同然の小僧をどさくさに紛れて暗殺、取り合えずあいつを殺れさえすれば大体破滅を回避出来る筈だ。

 

 ……返討ちに遭いそうな気がするのは言ってはいけない。

 

「……やるしか無いのかねぇ」

「?何でしょうか?」

 

私の小さな呟きにベアトが尋ねる。耳いいね君。

 

「いや………。ベアト、もし危なくなったら、無理しない範囲でいいから助けてくれる?」

 

 私が質問する。嫌らしい質問だよな。答えがどう返ってくるかぐらい知っているのに。

 

「はい、若様の御命はこの私が御守りします。……必ず」

 

優美な礼と共に予想通りに答えてくれる従士。

 

「……行くか、士官学校」

 

私は小さく決意を固めたのだった。

 

 

 

 

「で、学力的にはいけそうかい?」

「それを言うな」

 

旧友の指摘に私は真顔で答えた。

 

 

 



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第二章 士官学校入学は簡単な事だと思ったか?
第十六話 ヤンって結構リア充な青春を送っている気がするんだ


 自由惑星同盟軍……宇宙暦778年12月時点において星間連合国家『自由惑星同盟』における最大の予算と人員を有する行政組織である。現役兵力4600万名・予備役兵力6200万名、保有艦艇約34万3000隻(後方支援艦艇・警備艦艇・予備役艦艇含む)、年間国家予算の平均40%を割り当てられる超巨大組織である。

 

その人員の収集先は大きく3つ存在する。

 

 一つは徴兵である。元来同盟政府は来るべき帝国との遭遇に備え国民の盾たらんと軍備を増強していた(ダゴン星域会戦以前はその筒先は宇宙海賊や地方の旧銀河連邦植民地に向いていた事は言ってはいけない)。そして物量で劣る同盟軍は国民皆兵によって予測される帝国の大軍勢に対抗する事を想定していた。尤も、宇宙暦778年時点で実際に根こそぎ動員が為されたのはダゴン星域会戦時とコルネリアス帝の大親征の頃のみである。

 

 実際問題軍人に必要なのは技術力と士気である。人口の少なかった開戦初期はともかく、現在の徴兵では数こそ集められるが技術についてその教育にかかるコストと人員の目途は立たないし、かつてのように国家存亡の危機、なんてものは無いから士気も劣悪にならざる得ない。特に同族意識の希薄だった開戦初期の旧銀河連邦植民地出身者はアーレ・ハイネセンの長征組の子孫のために戦う事に否定的な者も少なくなかった。

 

 その事もあり現在では徴兵は選抜徴兵制を採用、しかもその大半は地元の星系警備隊に所属する事が暗黙のルールとなっていた。

 

 二つ目が志願兵である。徴兵と違い自主的に兵士として志願、教育を受けて正規軍に所属する者達だ。徴兵に比べ士気が高いが、志願である事もありより危険の高い前線勤務の比率が非常に高い。つまり戦死率も高い。

 

 だが、当然ながら徴兵と違い各種の手当てが厚く、社会的名誉という点でも評価されやすい。能力によっては下士官・士官に至る道もあり、特に低所得者や低学歴者、あるいは周囲からの差別に対して国家への忠誠を証明するために亡命者とその子孫が多く志願し、少なくない数が夢見果てて毎年宇宙の塵と化すがね。

 

 最後が各種教育機関で専門教育を受けた士官・下士官である。ハイネセンのテルヌーゼン同盟軍士官学校、あるいは領内に8つずつ(首都星及び方面軍司令部のある惑星)置かれた予備士官学校と専科学校、入学するのにも高い学力を必要とするこれらの学校から輩出される人材は正に同盟軍の質の中核であり、高度な教育を受けたエリートの集まりである。その出身者は「ハイネセンファミリー」、あるいは地方星系の名家の子弟が殆どだ。

 

 特に同盟軍士官学校は正に同盟領全域からエリートの集まる登竜門。国立自治大学、ハイネセン記念大学と並ぶ三大学校だ。正直ヤンが凄いその場のノリで士官学校入学していたけどどう考えても化物だ。というかあいつ事故の前に親父にハイネセン記念大学行きたいって言ってなかったか?ノリとしては興味あるから東大入学していい?といっているものだぞ。

 

 思うに多分ヤンの学力だと大学の奨学金普通に取れた気がする。士官学校に誘導した役所の受付嬢は絶対軍の回し者だ。多分成績の良い奴は士官学校に行くように勧める裏マニュアルがあったに違いない。

 

 つまり何が言いたいかと言うと……お前ら、転生しても軽いノリで原作介入しようと思うな。士官学校に行くための苦行は辛いぞ?

 

 

 

 

 

 

「おいお前ら、知っているかね彼のオトフリート1世の奴は本当にスケジュールが神聖な奴だった。どれくらい神聖かって?エックハルト子爵のスケジュール通り、予定の寵姫を予定の日に懐妊させるくらいにさ。おかげで次代皇帝の選出には苦労しなかったらしいぜ?ただし1つだけスケジュール通りに行かなかった事がある。カスパーをホモに育ててしまった事さ!」

 

 門閥貴族の中でも特に名門の間でだけ伝えられるジョークを紹介して爆笑する私。ちなみに名門の間でも帝国では親密な身内同士でしか話しません。同盟の言論の自由は素晴らしいね(尚この惑星では噂する者が平民の場合、同じ平民の自警団が私刑か吊し上げするかも知れないから気を付けてね)!

 

「おい、現実からにげるな。そこの教本をよこせ」

「あ、はい」

 

 ホラントの命令に従い「宇宙空間における有機的艦隊運用の考察と変遷」(著ハウザー・フォン・シュタイエルマルク)を差し出す私。

 

 宇宙暦778年12月14日、雪の降り積もる中、亡命軍幼年学校図書館の一角を占拠した私達は黙々と(正確には私だけ辛い現実から逃げて)士官学校受験勉強中である。

 

「私は神聖な皇室の醜聞なんて聞いていません……私は神聖な皇室の醜聞なんて聞いていません……私は神聖な皇室の醜聞なんて聞いていません……」

 

控えるベアトがぼそぼそと自己暗示をかけていた。

 

「勉強が辛いのは分かるけど、現実逃避は良くないよ?」

 

アレクセイが苦笑いしながら私に指摘する。

 

 机の上には無数の参考書の山。軍事関係の参考書だけでなく語学(これはバイリンガルの私には余り問題ではないが)、理化学、数学、物理学、歴史学、天文学、地学、一般教養等々の科目、ペーパーテストだけでこれだけある。これに更に体力テストと面接が控えているというね。

 

 幼年学校に入学しており、さらに帝国公用語・帝国文化への理解が深い点は一般受験者よりも優位だ。だが、そこは前世の受験戦争同様に甘くない。一般受験者は富裕層に代々軍人家系が基本だ。こいつらは当然のように生まれた頃から士官学校入学を目指し専用予備校通い(同盟の民間大手塾は当然のように士官学校コースがある)、体力作りにジムに行っていると来ている(さらに上流だと専用トレーニングルームを自宅完備のようですよ?)。

 

「今の成績だとギリギリだな。しかもこの時期だ。他の受験者が急激に追い上げして来るっていうね」

 

 唯一の救いは恐らく今年の士官学校の募集人数が拡充されるだろう点だ。ジャムナ国防委員会議長の提案と有象無象の各派閥のロビー活動の結果、同盟軍の再編計画の大まかな枠組みが出来そうだった。

 

 俗に各新聞やニュース、週刊誌でいう所の「780年代軍備増強計画」の概要はこうだ。

 

 まず目玉はレギュラーフリート、つまり常備艦隊を11個艦隊から12個艦隊への増強だろう。ただし、ここは数字のトリックがあり新造艦艇は全体の三分の一に過ぎず残りは解体した第6辺境星域分艦隊及び他の常備艦隊からの部隊抽出によって編成する。

 

 これに関連して常時艦隊の定数の変更が実施される。戦争の大規模化と技術革新に比例して常時艦隊の定数はこれまで際限なく肥大化を続けてきた。ダゴン星域会戦時は1個艦隊5000隻程度、第2次ティアマト会戦時は9000隻前後、そして現在は1万5000隻に及ぶ艦艇数を誇る。

 

 だが、イゼルローン要塞の存在もあり、回廊の狭隘な宙域では大艦隊の展開はむしろ艦隊の運動を阻害するものになりかねないと言う意見が出され、艦隊規模の縮小が図られた。

 

 より正確には艦隊を規模と目的により甲乙丙の区別をつけた訳だ。

 

 甲艦隊は艦艇1万4000~1万5000隻前後艦隊決戦に重きを置いた重装備艦隊だ。帝国軍迎撃を主任務として第2、3、5、9、10、12艦隊をその任に着ける。

 

 乙艦隊は、所謂軽量高機動艦艇を中核としたイゼルローン要塞攻略作戦用艦隊である。艦艇数は1万2000~3000隻、後方支援艦艇の比率も上げて補給・継戦能力も強化されている。第4、6、7、8、11艦隊をその任務に着ける。

 

 第1艦隊は丙艦隊である。この艦隊は教育・国内警備・即応展開・首都星防衛・他の艦隊への補填等多様な任務に着く。そのため規模は最大、またバランスの取れた編成になっている。艦艇数は1万6000隻だ。

 

 無論、其々の主任務があるがそれ以外でも艦隊のローテーションもあるので専門外の任務にも対応する。

 

 また、宇宙暦773年に正式採用された単座式戦闘艇スパルタニアンの常備艦隊への全面配備、国境治安維持・海賊対策のために各星間巡視隊から抽出した艦艇を持ってエルファシル、ヴァラーハ、シャンプール等に艦艇1000~1500隻程の駐留艦隊を設置する。

 

 これらの再編に合わせて同盟軍士官学校の定員が増加した。新編成では新造部隊の設立や部隊分割による数の増加(特にイゼルローン要塞攻略作戦に備えた繊細な艦隊運動を実施するため中堅指揮官の需要が高まった)による士官需要により前年3670名だった定員は4350名に増加していた。つまり入りやすくなったわけだ。推定倍率60倍だけどね!

 

「はあ……能天気に進学を決めたこの前の自分に飛び膝蹴りしたい」

 

いや、希望はあったんだよ?

 

 ラザールおじさんを始め、親戚一同や学校の先輩方には士官学校学生や現役士官もそれなりにいる。士官学校教官までいるのだ。まぁ……あれだ。カンニン……ではなく助言を貰おうとしたわけだ。

 

 皆さんにメールしたら何が返って来たと思う?おう、参考書の題名がA4用紙にみっちり印字されてたよ?……いや、欲しいのはそうじゃなくてですねぇ……!!イングリーテ、お前までこんな時に限って真面目になるな馬鹿っ!

 

「はぁぁぁ……」

「自業自得だな。そんな上手い話があるものか」

 

 机の上に突っ伏した私に毒を吐くホラント。うるせーバーカバーカ!!

 

「諦めて真面目に勉強したら?」

「南無……」

 

 旧友よ、私に過酷な現実を突きつけないでくれ……私死んじゃうよ。

 

「若様、こちらの教本を整理したファイルが出来ました。多少なりとも理解の助力になれるかと……」

 

 色ペンや罫線、図解付きのファイル文章を差し出すベアト。お前神かよ。

 

「ふむ、随分と分かり易いね。よくもまぁここまで内容を単純に纏め上げたものだよ」

 

感心するように内容を見るアレクセイ。

 

「おい、この鼠ぽいキャラクターお前が描いたのか?」

 

 胡乱気にホラントが尋ねる。指差す先には無駄に上手く書けている可愛らしい夢な鼠なキャラクター。犬ぽいのとアヒルっぽいのもセットだ。

 

「何か問題でも?」

「いや、これお前……」

「何か問題でも?」

「……いや、何でもない」

 

 真顔のベアトの前にたじろぐホラント。さすがに宇宙暦8世紀には特許切れてるだろうからヘーキヘーキ。

 

「ベアト~、やっぱり味方はお前だけだ~」

 

 うーうー、半泣きになりながらベアトに縋りつく。情けないって?うるせー馬鹿野郎。

 

「はい、私で出来得る事であれば若様の御望みのままに」

 

 優し気な笑みを浮かべ頭をよしよし撫でる金髪美少女。ははは、羨ましいかい?私の従士なんですよ。

 

 ……はい、自分のような蛆虫にはもったいない出来た娘です。

 

「これだから貴族の馬鹿息子は度し難いな」

 

 カップを持ち上げ、コーヒーを一口飲みながら塵を見る目でこちらを見る学年次席。

 

「ははは……まぁ、ヴォルターはあれでも結構根は真面目で真剣だから……多分」

 

おーい、フォローするなら最後までしようぜ?

 

「それにしても、寂しくなるな。三人共ハイネセン行きなら私一人か。たまにこの身が悩ましく思えるよ」

 

寂しそうにアレクセイがぼやく。

 

「そうはいってもなぁ。お前さんだってまだ親しい従士なり門閥貴族なりいるだろう?」

 

同学年にも先輩後輩にも近しい者は少なくない筈だ。

 

「別に彼らに不満がある訳じゃあ無いけどね。唯やっぱり地を出すのは少し憚られる所があってね」

 

複雑な笑みを浮かべ答えるアレクセイ。

 

「ふん、貴様と親しくなった覚えなぞない。こっちはおかげで良い迷惑だ」

「私はアレクセイ様に懇意にして頂ける事、身に余る光栄でございます。この事は一族、子々孫々に伝える名誉で御座います」

 

 悪態をつくホラントをジト目で見た後、完璧な所作で礼をするベアト。

 

「気持ちは分かるがな。まぁ、向こう行ってもたまにテレビ電話位してやるよ」

 

 と、いうかまず受かるか分からんからとんぼ返りするかも知れないけど。

 

「……さて、最後の追い込みをかけるか」

 

 ふざけるのはこれくらいにして、気を取り直し参考書とペンを持つ。2月の受験日までもう時間がないのだから。一年として浪人は許されない。今の私にとって時間はエメラルドより貴重なのだから……。

 

 

 

「あ、そうだった。ハイネセンって4000光年以上離れているんだったね?」

 

 宇宙暦779年1月末、アルレスハイム星系よりバーラト星系に向け、亡命軍の人員輸送船が出立、私はダイヤモンドより貴重な最後の数週間を呻きながらベッドで過ごす事になった。

 

……これは駄目かもしれないね。




貴重性を宝石類に例えるのは帝国文化


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第十七話 ハイネセンもきっと自分の名前を星に付けられて恥ずかしいと思う

 バーラト星系、アーレ・ハイネセンに率いられたアルタイル星系の強制労働者の子孫が半世紀の時間と半数以上の犠牲(実は殆どは老衰だったりする。物資の節約のため出産抑制したため人口が減っただけなのは言ってはいけない秘密だ)の果てにたどり着いた「約束の地」である。

 

 サジタリウス腕と130億の人口を支配する星間連合国家『自由惑星同盟』の首都星系に相応しくバーラト星系の活気と繁栄は驚嘆の一言だ。

 

 特に栄える第4惑星ハイネセンは言わずと知れた同盟首都星だ。極めて安定した居住可能惑星であり10億人もの人口を有する銀河第3の人口を有する惑星でもある。

 

その地表に築かれた都市もまた圧巻の一言だ。

 

 ルデディア市は惑星第3の都市、同盟中の大企業本社と銀河第2位の金融センターを有する経済の中心地である。スパルタ市は統合作戦本部ビルを始めとした軍の最重要施設が軒を連ねる軍都、南大陸の芸術の都ヌーベル・パレには地球・銀河連邦・銀河帝国・自由惑星同盟の歴史的芸術作品が鎮座し、その種類と華やかさはオーディンのリヒャルト1世帝立美術館に匹敵する。ハイネセン最古の都市ノアポリスは古都にして観光名所、学園都市パルテノン・シティは国立自治大学を始めとした有名大学が軒を連ねる学問の都だ。

 

 そして惑星ハイネセンの星都、ハイネセンポリスは正に国家機能の心臓部である。

 

 人口3500万に及ぶこのメガロポリスには最高評議会ビル、各行政庁舎ビル、同盟最高裁判所といった行政の中心である第1区を始め全27の区画が放射線上に設けられた計画都市である。歓楽街、ビジネス街、飲食街、工業街、電気街、高級住宅街……サジタリウス腕の政治と金融、物流、ファッション、メディア、ありとあらゆる方面の最先端の情報の発信地である。「ハイネセンポリスは世界の半分」、と言ったのは同盟出身のフェザーン商人にして第3代自治領主ユーリ・ハミルトンだったかな(残りの半分はフェザーンだそうだ。おいオーディンの立場……)?

 

「で、今まさにそこに降りようと言うわけだが……」

「大丈夫ですか、若様……?」

 

 ダース単位のワープによりベッドの上で死にかけていた私は、ベアトに支えられながら艦橋の貴賓席に腰を据える。

 

「若様、御安心くだされ。後は大気圏への突入のみで御座います。これ以上は御気分を害するような事は無いでしょう」

 

 亡命軍宇宙軍、人員輸送船「ラーゲンⅣ」艦長エメリッヒ・フォン・ウルムドルフ少佐が微笑みながら私を安堵させようと説明する。従士ウルムドルフ家の軍人、御歳68歳の白髪のじいさんだ。座右の銘は「生涯現役」、良い歳なんだから無茶しないで……。

 

「うー、よりによって何で代表なのかなぁ……?」

 

 そもそもなんで私が艦橋に座っているかというと私が受験生代表として引率者役だからだ。うん、伯爵家の跡取りですからね。先導者たる門閥貴族として航海の責任があるのだ。生徒として艦長の指導下にいるのに伯爵家の跡取りとして艦長の上にいて航海の責任を取るらしいですよ?何これ意味わかんない。事故ったら?艦長の責任で自決するよ?無事終わったら?選ばれし門閥貴族たる私の功績らしいですよ?ははは、毎度思うが平民や下級貴族に刺されないのが不思議だぜ!!

 

「若様……」

 

 ベアトの耳打ち。それを伝えられ視線を移動すればそこには亡命軍広報部の兵士がカメラを向ける。私の背後には照明を持った兵士。私は死にそうな顔を涼しげに誤魔化し頬杖し、足を組む。え、格好つけるな?いや、目の前のカンペに書いてあるんだもん。

 

 パシャパシャとフラッシュが眩しいなぁ。きっと明日の亡命軍ネット広報記事に出るんだろうな、と私は遠い目をして考える。文章の中身に到っては考えたくもない。

 

「まぁ、そう言わずに。若様は伯爵家の長子として堂々としていただけば良いのですから~。さささ、御帽子が御ずれしておりますのでこの不肖レーヴェンハルト軍曹、御直しさせ……」

「ベアト~?」

「はい、直ちに」

 

 私の目の前に現れた劣悪遺伝子排除法適用対象者をベアトが速やかに私の視界から排除する。

 

「ちょっ……ギブギブ!ベアトちゃん?うぐぐぐ……お姉さんの関節が抜けちゃう……!?」

「御許しください。レーヴェンハルト軍曹。若様の御命令は従士の命に優先致しますので」

 

 悲鳴を上げる軍曹を床に押し付け淡々と関節技を実行するベアト。容赦の言葉は無いらしい。

 

 え、レーヴェンハルト軍曹が何でここにいるか?護衛部隊の一員として乗り込んでいるのだよ。パランティアの一件以来亡命軍上層部は随分と神経質になったようで要人輸送等の護衛を増やしている。今回も輸送船一隻に対して帝国軍型戦艦12隻の護衛が警護を固めていた。おかげで先行く先で目撃した民間船がパニクったり通報受けた同盟軍が迎撃に出たりと大変だった。特にレサヴィク星系の警備隊との交渉が大変だった。軍使役のマスカーニ大尉とか言う人相当疲れた顔していたし。なんかすみません。

 

 まぁ、同盟領のド真ん中で帝国軍艦艇を見ればこうもなろう。ちゃんと敵味方識別信号出ているよな?それとも出ていても欺瞞かもと思うのかね?

 

「一応聞くがさっき何しようとしていた?」

 

私は冷たい表情で軍曹に尋ねる。

 

「若様の御帽子を……」

「主家の長子として命じる。本音を言え」

「はい、若様は可愛いからこのまま座位でもいけるかと……」

「……一層清々しいな。やれ」

「はい」

 

私の命令と同時に年下食いが獣に近い悲鳴を上げる。

 

「さてと……艦長あれ、こっち撃ってこないよな?」

 

悲鳴をBGMにして私は一応先導者としての仕事をする。

 

「は、航路局からも確認を取りましたので御安心くだされ」

「そうは言うがなぁ……」

 

 輸送船がハイネセン衛星軌道を回る人工衛星のすぐ隣を通る。鏡のような表面装甲は恒星の光を反射して虹色に輝いていた。

 

「……案外、でかいんだな。あれ」

 

 ちらりと横目で見る全長1キロ近いそれの名は俗に「アルテミスの首飾り」と呼ばれている。

 

 帝国領遠征派だったコープ中将がパランティアで戦死した後、遠征用に積み立てられた予算を官僚的思考で使いきるために建設されたのがハイネセンを守る12個の無人防衛衛星だ。

 

 尤も、裏の理由として第2次ティアマト会戦の結果、帝国の脅威減少による旧銀河連邦植民地の分離独立や内戦に備えたものだという暗い噂もあるが……。

 

 さて、ハイネセンポリス港湾部の人工島に建設された民間のハイネセン宇宙港には流石に戦艦を入港させる訳には行かないため大気圏突入するのは輸送船のみである(軍事宇宙港はスパルタ市に置かれている)。

 

 大気圏を突破した輸送船がハイネセン民間宇宙港に辿り着く。帝国系のデザインの輸送船と言う事で職員や一般客が物珍しそうに見ている事だろう。尤も、大半の人々はフェザーン商人が帝国軍から盗んだか買った物と思うだろうが。いえ、これは血みどろの白兵戦の果てに亡命軍陸戦隊が占拠した奴です。

 

「よくぞ、おいで下さいました。私はハイネセン亡命者相互扶助会のエーリッヒ・フォン・シュテッケルです。ティルピッツ殿、どうぞ宜しくお願い致します」

 

 引率の教官と共に100名を超える生徒を引き連れた私が宇宙港を出ると20代前半だろうか、スーツを着た若いはつらつとした男性が佇み、自己紹介をした。

 

「ヴォルター・フォン・ティルピッツだ。受験期間中は宜しく頼む」

 

 私は貴族として相手に頼みこむ。え、敬語使え?相手は上等帝国騎士だからね。仕方ないね。

 

「はっ、それではこちらに車を用意しております。どうぞ」

 

 微笑みながら案内する先には黒塗りの乗用車とバスの車列。周囲にはいかついグラサンに黒スーツの護衛が佇む。

 

 ……いや、別にそちらの方の御兄さんじゃないよ?亡命軍の兵士だよ?ハイネセンで戦闘服着て市街地に出る訳にはいかないからね。仕方ないね。

 

 生徒をバスに誘導し、私自身はベアトを従卒につけてシュテッケル氏と共にリムジン風の車に乗車する。

 

「申し訳御座いません。近年は予算不足でして……手狭ですが御容赦下さい」

 

 社内で向き合うように座るシュテッケル氏が済まなそうに語る。

 

「いや、別に気にしていないから構わんよ」

 

 ……いや、広いよ。中に使用人が控えているのにまだスペースに余裕あるとか。無駄にインテリア凝っているし、テレビモニターとカクテルキャビネットが当然にあるんだよね。

 

「御寛大な対応ありがとうございます。……領事館までは1時間程になります。その間どうぞ御寛ぎ下さい。可能な限りご要望にお応え出来るよう対処致します」

 

 貴族らしい完璧な所作で礼をするシュテッケル氏だった。

 

「あ、そう。じゃあ取り敢えずこいつ摘まみだして?」

「ちょっ……若様、冗談はほどほどに……ちょっ…シュテッケルさん窓開けないでください……落ち……マジすみま……!?」

 

 なぜか同席しているレーヴェンハルト軍曹がシュテッケル氏と格闘している所を尻目に外の風景を見る事にする私だった。

 

「これがハイネセンポリスか……」

 

宇宙港と市街を繋ぐ全長2キロに及ぶ鉄橋を走破するとそこは文字通りの摩天楼だ。

 

 帝国風の赤煉瓦の屋根や大理石、木造の屋敷ばかり見てきた身としては近代的ビル街がとても懐かしく思えた。立体モニターの看板、テレビモニターがCMを垂れ流し、地上では大量の車が行きかい、スクランブル交差点にはビジネススーツを着た男性や日傘を指したマダム、学生の群れがお喋りしながら繁華街を回り、極稀に奇抜過ぎる服装の通行人もいた。尤も、帝国的感性ではこういった街並みは混沌として、雑多過ぎる、不健全文化の極みに思えるだろうが。実際ベアトが不快そうな表情で外を見ていた。

 

 当然ながら向こうの同盟人達もこちらを見て似たような事を考えているだろう。黒服黒塗りの車の群れ、まるで機械のように表情を表に出さない(同盟人基準、帝国人にとっては普通にしているつもりだ)姿は気味が悪かろう。実際今隣の車の窓から子供がこっちを見ていた。手を振ったら怖がって隠れたよ。……悲しいなぁ。

 

 1時間ばかり走行するとハイネセン郊外に出る。高級住宅街である第17区(メイプルヒルとも呼ばれている)を抜けた先の第21区……そこに入ると同時に街並みが変わった。赤煉瓦の屋根に、帝国語表記の看板、街を歩く住民の服装は古風なものに変化していた。

 

 第21区……別名シェーネベルク区は惑星ハイネセンにおける最大の亡命者街だ。

 

「ティルピッツ様、御着き致しました」

 

老運転手が豪奢な屋敷の門前で車を停める。

 

「ああ、ありがとう。シュテッケルさん、もういいですよ。ありがとう」

 

 1時間以上に渡りもみ合いをしていたシュテッケルさんにそう言って車を降りる。同乗していた使用人が恭しく車の扉を開けてくれた。感謝の言葉は言いたいが言えない。それが当然の事だからだ。

 

「よーし、集合しろよー」

 

 同じように停車していたバスから降りる受験者達が整列していく。流石幼年学校生徒だ。あっという間に並んで見せる。

 

「若様……」

「ん、分かっているよ」

 

さて、嫌だがこれが引率者としての最後の仕事だ。

 

 懐から古風な手紙を取り出すと門前の執事に上から目線で渡す。恭しく執事が受けとると優美な所作で手紙を拝見、読み終えると共に懐からベルを取り出す。

 

おう、様式美だな。

 

ベルを鳴らしながら執事は叫んだ。

 

「ティルピッツ伯爵家長子、ヴォルター様及びその随行人の御入来で御座います!」

 

大声で叫ぶな。恥ずかしい!

 

 こうして私達はクレーフェ侯爵邸兼ハイネセン亡命者相互扶助会本部に入場したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第十八話 宇宙に出た人類は進化してても可笑しくない

銀英伝のリメイク版を見ました。1度見て、2度見て、3度見て、これもありかなと思い至りました。


 ハイネセン亡命者相互扶助会は、文字通り惑星ハイネセンの亡命者の相互扶助コミュニティだ。

 

 ハイネセン全土に1500万人住む亡命者とその子孫達の7割が加入するそれは、会員からの会費や寄付金を運用した投資や教育活動、広報活動、政治活動、文化活動、生活補助、情報共有といった活動を実施している。

 

 その組織理念は「同胞の生活・財産・安全の保護及び伝統文化の存続」である。ハイネセン移住初期、少なくない同胞が差別や不当逮捕、私刑を受けた事とこの組織の成立は無関係ではない。

 

 現在の会長の名前はゲオルグ・フォン・クレーフェ侯爵、銀河帝国文官貴族の名門にして最初期の亡命貴族の子孫である。

 

 

 

 

 

 

「うひっ……ヴ、ヴォルター君どうかね?今度のハイネセンスタジアムでのリーゼたんのコンサート、一緒に見に行かないかい?」

「あ、すみません。受験が近いのでお断りします」

 

 荒い鼻息をしながら尋ねる豚……ではなくクレーフェ侯に私は礼節を持って機械的に断る。

 

「そうか……とても残念だ。リーゼたんの情熱的な歌声を聞けば元気ルンルン100パーセントなのに……」

 

 ライトスティックとファンクラブ特注シャツを着た侯爵がしょんぼりとする。

 

 彼が言っているのはハイネセン亡命者相互扶助会の押す若きアイドル、リーゼロッテである。公表されている限り12歳、亡命者の子孫でその愛らしい美貌と天性の歌声で一躍スーパーアイドルとなった少女だ。持ち歌「しゅくせーしちゃうぞ?」は「365日スパルタニアン」、「ワルキューレで誘って?」を抑えサジタリウス腕オリコンチャートで3カ月連続1位、フェザーンソングランキング第2位、銀河総ダウンロード数は10億回突破した。新曲「ごーるでんばーむくーへん」は見事に社会秩序維持局で不健全文化、反体制歌の栄冠を得て摘発対象に指定、既に30万人が矯正施設に連行されたらしい。最近では謎の社会現象になった深夜アニメ「べすてぃー・ふろいんと」において声優としても高い評価を受けている。

 

 クレーフェ侯爵はその銀河有数の人気新人アイドルのファンらしかった。

 

……なにやってんだこいつ。

 

 クレーフェ侯爵は私達、亡命軍幼年学校学生のために援助を提供してくれているハイネセン最大の支援者だ。会長としても投資家としても無能ではないが……どうしてこうなった?

 

「あの……すみません。勉強中ですので退出してくれませんか?」

「ぶひっ……うう、ヴォルター君は連れないなぁ。儂は寂しいのぅ」

 

 しょんぼりしつつ退出する侯爵。まぁ、あの豚は後で繁華街の菓子でも持っていけば大丈夫だろう。

 

「おい、あれをどうにかしたらどうなんだ?騒がしくて迷惑だ。後汗臭い」

 

直球で罵倒するホラント。

 

「そう言うな。こっちの世話役として色々してくれているんだ。これくらい大目に見ろよ?」

 

 士官学校受験者のための家と食事、さらには学習のための図書館に各種資料、トレーニングルームにリラクゼーション施設まで用意している以上可哀想だ。それにあの人も遠縁でも身内だし。

 

「というか、もう数日後かよ……ああ、ヤバい。行けるか、これ?」

 

 ひたひたと迫りくる試験日に対して弱った声を上げる私。全く侯爵もこんな時期に誘うな。暇な時期でも行かんけど。

 

「あかん、物理と天文学がマジであかん。過去問正答率が6割だぞ……?」

 

 最低でも7割は合格に必要だ。やばい。本格的にやばい。

 

「わ、若様、ベアトも助力致します!諦めないでください!」

 

 必死の表情のベアト。うん、お前最早自分の学習時間より私への指導の時間の方が多いよね?なんかマジでごめんね?

 

「……こうなったら最後の手段だ」

「ん?」

「……山を張る」

「……正気か?」

「正気に思えるか?」

 

 ホラントに向け死人のような表情を向けて私は答える。ははは、正気じゃあやってらんねぇよ!

 

「あの~、良いですか~?」

「ああ、パトラッシュ……もう疲れたよ……」

 

私は、ベアトにもたれかかる。もう無理です。

 

「あの~若様~」

「ああ……おいたわしい、このベアト、力不足を嘆くばかりです」

 

 良いんだよ。ベアト。知ってる。私が頭悪いからだよね?

 

「あの~お姉ちゃん、寂しくて死んじゃいます~」

「……おい、ティルピッツ、さっきからあれが呼んでいるぞ」

 

 ホラントが顎で図書館の隅で縛られている(ベアトがした)レーヴェンハルト軍曹を指す。

 

 私はその指摘に対してすっと立ち上がると真顔で答えた。

 

「奴はショタコンだ」

「お、おう……」

「時が時ならば劣悪遺伝子排除法で処分される筈だったドブネズミだ。ドブネズミの分際で人間の言葉らしきものを捲くし立てているが耳を貸す必要は皆無だ。分かったな?」

 

 某ヘテロクロミアのような台詞を真顔で口にする。実際問題耳を貸す必要はない。大体必要価値の薄い内容しか口にしないのだ、こいつは。

 

「あ、ああ……」

 

 呆気にとられた表情を見せるホラント。お、レアな表情だな。

 

「う、うぅ……その語り口、まるで大帝陛下のようです。ああ、若様は確かに度重なる賊共の反乱に対して大帝陛下の雷意を代弁した栄誉あるティルピッツ伯爵家の跡取りで御座います!」

 

 ……ベアト、斜め上の感動するな。止めろよ、帝国にいた頃の実家のあれな行為の数々を掘り返すな。

 

「罵倒されてすごーくお姉さん傷つきましたよぅ……?けど……なんかすごくゾクゾクしてきました。伯爵家を守護する立場でありながら自身の存在自体が大帝陛下の国是から見て誤っている……なぜか言葉に出来ない背徳感が……あの~若様、縄を追加してくれませんか?」

 

 ……マジかよ。こいつ放置プレイしていたら勝手に新しい世界を切り開きやがった。早くどうにかしないと。

 

「……レーヴェンハルト軍曹、私が悪かった。話を聞くから新世界への門を開くな」

「いえ、縄を………」

「伯爵家の長子として命じる。さっき何を言おうとしたか吐け」

 

 仕方ないので命令形で要求する。この言葉を言えばうちに仕えているどんな従士でも迅速に指示に従ってくれる。実際軍曹も恍惚の表情から現実に意識を戻し直ぐ様真面目な表情となる。いつもこんな風にしてくれたら良いのに。

 

「はい、若様。私、此度の試験について若様の需要を満たせると愚考致しました」

 

敬礼しながら、出来る女の顔になり具申する軍曹。

 

「おう、一体どうやってだ?」

「はい!私、昔から試験は一夜漬けの山勘で受けてきたのですが大体範囲が合っておりました!此度の試験の範囲も何となく分かるかもです!!」

「よろしい、我が忠臣レーヴェンハルト軍曹、言いたまえ」

「調子良い奴だな」

 

 軍曹はきらきらと目を輝かせ、私はこれ程に無いほど優しげな声をかけ、ホラントは蔑みと呆れをない交ぜにした視線を向ける。

 

 ……まぁ、実際問題こいつ変な所で勘が良い奴だ。専科学校を出た後のレグニッツァの実戦でいきなり帝国軍のワルキューレ3機を撃破しやがった。現場にいた飛行士曰く「後ろに目があるようだ」との事。全面的に期待はしていないがどうせ残り数日である。試しに使って見るのも手であろう。

 

「恐らくですがこれまでの出題範囲から推測すると『揚陸作戦の基礎理論』と『電子戦下における通信連絡方法の展望』、『サルガッソースペースにおける航行の未来的可能性』、『宇宙暦8世紀における宇宙要塞発展史』が怪しいと思われます!」

 

書物の山から抜き取った論文と参考書を差し出す軍曹。

 

「ふむ……『サルガッソースペースにおける航行の未来的可能性』はノーチェックだったな。ほかには?」

 

熟考と同時に先を促す。

 

「そうですね~、これとかどうでしょうか?」

 

 軍曹の差し出すのは『艦隊運用における通信と部隊編成の提言』と『艦艇の自動化あるいは無人化技術の戦術的活用』だ。尚参考書の最後を見てみたら著者はそれぞれエドウィン・フィッシャー宇宙軍少佐とシドニー・シトレ宇宙軍大佐だった。

 

「ふむ……よろしい。これでいってみよう」

 

 少なくともこいつの参考書を見る目は確かだという事は分かった。

 

「おい、マジでやるのか?」

 

 正気か?といった表情を向けるホラント。ベアトも口出しこそしないが懐疑的な表情だ。

 

「いや、これは……もしかしたらもしかするかも知れん」

 

 ここに来て思いがけない希望が出てきたかも知れなかった。

 

「私は残りの全ての時間をこれにかける……!!」

 

 

 

 

 

「と、調子に乗っていた時期が私にもありました」

 

 テルヌーゼン同盟軍士官学校第3試験会場の一角に座る私は頭を抱える。

 

「あかん……これ詰んだろ。マジ他の分野覚えていないんだけど?」

 

 あれだ、あの時は徹夜明けのノリだったんだ。常識的に考えて山勘とか無理だろ?常識的に考えて範囲どんだけやばいんだよ?よりによってあのショタコンの甘言を真に受けるなんて……。

 

「自己責任だ。諦めろ」

 

 ホラントからの一言。私には勿体ない素晴らしい同僚だよ。

 

「若様、まだです……!まだ試験まで15分時間があります!」

 

 悲壮な決意で参考書の重要箇所を開き説明するベアト。お前、いいから自分の勉強しろ!情けなくなるだろっ!?え、自分はほぼ確実に行けるからお気になさらず?あ、はい……。

 

 周囲を見れば多くの学生が文字通り最後の最後の追い込みをかけていた。ある学生はデスクの上にチェックを入れた山積み参考書を血走った目付きで見つめ、ある生徒は電子書籍を死んだ目で睨みつける。ある生徒は帝国公用語の辞書を見ながらぼそぼそと呟く。やばいな。この地獄のような試験会場を見ていると入学式で飄々とした表情をしていた魔術師がどれだけ異質なものか分かろうものだ。

 

「そろそろ時間だっ!各員そろそろ資料類は片付けるように!当然知っている事であろうがカンニングの類を行った者は再試験は永年禁止だ。くれぐれもそのような馬鹿な行為はしないように!」

 

 試験監督員の一人がデスクを回りながら叫ぶ。若く、逞しい黒人種の中尉だった。胸の名刺にはアブー・イブン・ジャワフと名前が記入されていた。はて、聞いた事があるような気がするが気のせいか?

 

 士官学校試験におけるカンニング行為はある種風物詩だ。毎年15万~20万名が受ける試験は全4日間にわたり続く。記念受験や併願をしている者もおり、ガチ勢となると少し減るがそれでも10万名は降るまい。

 

 士官学校に入学出来るだけでもエリート中のエリートだ。代々軍人の家系や名家の子供はそれこそ物心がついてすぐそのための勉強をしているのだ。そうなると古代中国の科挙よろしくありとあらゆる手段で合格しようとする。毎年新たなカンニング用アイテムが開発され、あるいは教官に賄賂や脅迫して試験を事前入手しようとしたり、学校に潜入して答えを書き換えようとする者までいる。ネットを漁れば衣服にみっちり帝国語単語を記入したシャツの画像が出てくる(当然バレた)。

 

 尤も学校側もそんな事想定済みだ。一部では対帝国用防諜体制よりも厳しいと半分冗談で言われるほど対策が為されている。試験会場では1時間に一人くらいカンニングのバレた生徒が逞しい軍人達に両脇を掴まれて泣きながら御退場する。……というか今私の前の奴が摘まみだされた。

 

「嫌だあぁぁぁ!3浪なんだっ!もう後が無かったんだぁぁぁ!」

 

 泣きわめく生徒をいつもの事とばかりに連行する兵士達。周囲はそれに反応せず黙々とペンを走らせる。

 

そして私はというと………。

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 1か月後、テルヌーゼン同盟軍士官学校の門前に合格者番号が公表される。

 

「あったぁぁぁぁ!!」

「カツる!これでカツる!」

 

歓声が上がる。

 

「ブッタファック!」

「ノオオオォォォ!!」

 

その隣では絶望に満ちた悲鳴が上がる。

 

 悲喜こもごもの物語が展開される中、私は妙に冷静に番号を探していた。

 

「……あったし」

 

喜びより先に唖然とした。理由?そりゃあ簡単さ。

 

「いや、全部ドンピシャとか……マジか?」

 

 あのショタコン、ニュータイプかな?と私はその時疑ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




刻が見える……!


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第十九話 パシリの焼きそばパンは様式美

 自由惑星同盟軍士官学校……惑星ハイネセン第2の都市テルヌーゼンに置かれたこの施設は同盟自治大学、ハイネセン記念大学に並ぶエリート学校であり、基本的にここを卒業すれば将来は安泰、と呼ばれるほどだ。

 

 同じく軍人教育施設である同盟軍予備役士官学校、幹部候補生養成学校、専科学校、兵学校、練兵所と併設されたこれらの総面積は訓練施設や生活寮等も合わせると3万平方キロメートルの面積となる。また、教官や警備、職員に学生向けの娯楽施設や飲食店の従業員、その家族の生活のため周辺市街地とインフラが整えられている。

 

 宇宙暦779年4月2日、桜吹雪が舞う中、士官学校多目的ホールに純白の礼服に着こなした新入生4670名が背筋を伸ばし、沈黙を守りながら席に座る。

 

 観客席を見れば多くの保護者が緊張した面持ちで生徒達を見据えていた。その中には軍服姿の者も少なくない。

 

 また、マスコミだろうか?ビデオカメラを構えたり電子端末で何やら作業をするものも少なくない。一世紀以上戦争を続けている国である。士官学校の入学式は市民にとってある種の話題の種だ。

 

 貴賓席を見れば、テルヌーゼン市市長を始め地元有力者や国防族政治家、軍の高官、軍需産業の上役も参列している。

 

 今は、学校長カイル・ヒース中将が挨拶を行っている。皆真面目に聞いているが私にとっては長々しい話と春の麗かな暖かさとのコンボで死ぬほど眠い。

 

話が終わったのか出席者が一斉に拍手するので私も適当に合わせて手を叩く。

 

「続いて、新入生代表からの答辞です!」

 

 同時に今期の新入生の最高得点合格者たるフロスト・ヤングブラット士官学校1年生が立ち上がり壇上に上がる。

 

 ダゴン星域会戦において国防委員長を務めた事もある「ハイネセンファミリー」の中でも名門中の名門に属するヤングブラット家の優等生ははつらつとした表情で当たり障りのない答辞を読み上げる。

 

「ふん……」

 

隣のホラントが不快感を隠さずに鼻息を荒げる。

 

「おいおい、そう怒りなさんなや。負けたんだから仕方ないだろう?」

「分かっている。別に怒ってなぞいない」

 

刺々しくそう答えるホラント。いや、怒ってるだろう。

 

 相当に自信があったのだろうが、残念、こいつ僅差で次席落ちした。

 

 席次1477位(山勘が当たったおかげだ。奇跡だ)の私より百倍恵まれている筈なのだが、上の奴の気持ちが分からん。

 

 ちなみにベアトは397位、相当上位だが、逆にあれだけ出来るベアトの上に400名近く上がいるというのも狂気だ。まぁ、女子であるのと私の世話のせい(特に後者)もあるのだろうが。原作のミス・グリーンヒルは化物かな?

 

「余り喧嘩売るなよ?戦略研究科で顔合わすだろうからな」

 

 同盟軍士官学校においては通常のカリキュラムとは別に特別授業がある。所謂大学のゼミのようなものだ。

 

 「戦略研究科」はその中でも特に最優秀の生徒だけが加入を許される三大研究科の一つだ。加入している生徒の大半が学年の席次100位以内、卒業者は優先的に宇宙艦隊司令本部や統合作戦本部、或いは国防委員会や常備艦隊の艦隊・分艦隊司令部などに配属される。彼のリン・パオとユースフ・トパロウル、ブルース・アッシュビーを筆頭とした730年マフィアもこの科の卒業生だ。

 

 原作に出てくる近年の卒業生ではシドニー・シトレ大佐、ラザール・ロボス大佐(去年昇進した)が、後は3か月前シヴァ星系での戦隊規模での遭遇戦において功績を挙げた情報参謀ジャック・リー・パエッタ少佐、先月の第3次フォルセティ星域会戦において第5艦隊第2分艦隊の作戦参謀として活躍したウジェーヌ・アップルトン少佐が話題に上がる。

 

 席次が第2位のホラントも当然ながら相手からオファーがかかる事だろう。そうなれば毎週主席様と顔を合わせるわけだ。馬鹿な事して退学処分にならなければ良いが。

 

 式典の終了後、我々はランダムに500名程ごとのクラスに別けられる。当然ながら5000名近い数で全員同じ授業受けるのは効率が悪すぎる。こういう風にある程度分けて、其々ローテーションしながら授業を受ける方が教官も生徒を指導しやすく効果的なのだ。さらにこの中から管理・報告のために50名単位の小隊、生活指導のために10名単位の分隊が結成される事になる。

 

 小隊、分隊は各自で結成可能ではあるがクラスは抽選だ。私は運良くベアトと同じクラスだが、ホラントははぐれた。まぁ、ホラントの奴は全く気にしていないが。

 

「まぁ、生き別れと言うわけじゃあ無いしな」

 

 クラスが別れてもそれほど会うのが困難と言う訳でもない。所詮は同じ学校内だ。

 

そして問題は……。

 

「各員、集合せよ!」   

 

 ベアトの号令と共に数十人の生徒達が集結し、整然と整列する。

 

その顔には見覚えがあった。

 

「あー、ですよね」

 

半数以上が亡命軍幼年学校生徒だった。つまりだ。

 

「ハイネセンに来ても特に変わらんという事か」

 

 私は溜め息をついた。おい、こんな事原作に書いて無かったぞ?

 

 

 

 

 学校という物もまた社会の一部だ。内部にはカーストと派閥がひしめき合う。まして同盟社会における階層や出自の対立は思ったよりも根深い。

 

 同盟軍士官学校も例外ではない。例えば「ハイネセンファミリー」と「旧連邦植民地」と「亡命者」という出自の区別、あるいはハイネセンやパラス、パルメレント、といった出身惑星による区別、あるいは軍人家系かそれ以外か、主戦派か非戦派か反戦派か、あるいは艦隊勤務や後方勤務といった親の軍での役職や科による区別……それらの派閥は主要なそれだけで二十近い。派閥内派閥を含めたら3倍近くなるだろう。それぞれの派閥が牽制し合い、身内で集まって身を守る。

 

 無論。フェザーン系や星間交易商人の血の濃い者、あるいは派閥色の薄い土地やコミュニティ出身の者も少なからず在籍しているし、教官達も連帯感と同胞意識を植え付けるように注意して指導している。それでも親から子に引き継がれるこういった価値観や社会意識を矯正するのは容易なものでは無い。

 

 帝国亡命者コミュニティの中でも保守的、帰還派出身の亡命軍幼年学校より入学した者は今年64名、そのうち私と同じクラスになったのは19名である。ここに他の惑星出身の帝国系保守移民家系から入学した者12名……それが集合した者達の正体だ。

 

「口が悪い奴が宮廷ごっことか言いそうだよなぁ……」

 

 そうはいっても実際問題派閥を作り、身を寄せ合って守らなければ下手すれば冗談では済まなくなる。1世紀半前、亡命者が士官学校や専科学校に入学をするようになった初期は絶好のいじめの的になり自殺者まで出して問題になった事もある。マスコミを騒がして逮捕者が出たどころか一部ネットユーザーが加害者の住所を晒して亡命者の自警団がその家を焼き討ちした。その頃に比べれば学校側も改善して相当マシになったものの軽視出来るものでも無い。

 

「さて、問題は残りをどう集めるかだな」

 

 50名で一個小隊だ。私とベアトを含めても最低後17名集める必要があるわけだ。

 

「ほかの同胞でまだグループに入っていない者を優先し、捜索致します」

 

 ベアトが傍らで礼をして答える。派閥色の薄い亡命者出身者、その次は親類に亡命者がいる者、それで駄目なら比較的関係の悪くない派閥と合併する形で組む事になる。全く平等な民主国家の士官学校と聞いて笑えて来るな。

 

 原作で魔術師様はこの事に触れていなかったが、多分気にしてなかったんだろうなぁ。こういう事にこだわる性格じゃあ無さそうだし。もしかしたらこう言った派閥色と無縁……というか無頓着な面も原作で評価されなかったり疎まれた理由かも知れない。良く気付かずに地雷踏み抜いていたんじゃ無かろうか?逆にいえばそんな状態であの昇進スピードと考えるとガチの英雄様だったと言えるかも知れん。

 

「あー、取り敢えず、組分けは一週間以内迄に出来ればいいらしいからまずは部屋に行こうか?」

 

私としては何時間も待機して少し疲れた。休みたい。

 

「はっ!各員行進だ!」

 

 ベアトの号令に従い無表情の生徒の集団が私を中央において(すぐ守れる体勢だ)行進を始める。

 

いや、だから……まぁいいや。

 

「まぁいいか。では、行こう……あ、ちょっと待て。小腹空いたな。あそこで少し買うぞ」

 

 学内の売店を指差し私は指示する。そこは、士官学校内に置かれた有名なベーカリーで彼のリン・パオもこのベーカリーのイギリスパンが好きだったらしい。

 

 小ネタだが、ダゴン星域会戦に先だって彼はこのベーカリーのイギリスパンを買い占め(学生達のブーイングをガン無視していたらしい)、決戦に際してトーストにしてバターとオーバーミディアムの目玉焼きとで食いまくりながら指揮を取ったという。

 

「はっ!ただちに購入致します。どれがよろしいでしょうか?」

 

敬礼しながらベアトが尋ねる。

 

「おう、焼きそばパン買ってこいや」

 

 ファン・チューリンが在学中毎日一人で買い占めていたと言われる海鮮焼きそばパンの入手を命じる。理由?一番和食に近いパンだからさ。いやマジ毎日ジャガイモと酢漬けキャベツは辛いんです。

 

「焼きそば……?り、了解致しました!」

 

 一瞬焼きそばの料理そのものが思い浮かばなかった(帝国人はせいぜいパスタくらいしか縁が無い)ベアトは、しかしすぐさま命令を実行する。ベーカリーに向け駆け足で向かい勢いよくベルを鳴らして入店する。

 

 そのまま決死の表情でベーカリーの棚を見回り、引き返してもう一度見回り、困惑した表情でベーカリーの店員(恰幅の良いおばさんだ)に慌てて何事かを尋ねる。

 

 店員は苦笑いを浮かべて店の外のテーブルに座る学生を指差す。

 

 同時に弾丸の如きスピードでそちらに向かい早口で何事か捲くし立てるベアト。一方学生(同じく新入生だろう)は背中しか見えないが何か返答したらしい。ベアトが何事かを言う。

 

 尚もその学生は何かを言い、それに対してベアトは財布から100ディナール札を数枚テーブルに叩きつける。どうやらあの学生が買い占めたらしい。よく見るとテーブルの上に焼きそばパンで埋まったバケットがある。

 

「て、あかんな。あれは……」

 

 新入生が穏やかな口調で何か言うのをベアトが怒りに顔を赤くして睨みつけ何か叫ぶ。

 

「おい、お前達、ここを動くな。命令があるまで手を出すな。分かったな?」

 

 命令口調でそう言って私はベアトの方に向かう。いやいや、焼きそばパン欲しいけどそんな情熱かけなくていいからね?

 

私が向かうとようやく話しがはっきり聞こえてきた。

 

「だから言っているだろう!そこのパンを2,3個でいい!1つ200ディナールで買うとっ!」

「値段の話では無いんだけどなぁ……。君が食べる訳ではないんだろう?本人が自身の金で、自分で買うべきじゃ無いのかなぁ?それではパシリだよ?」

「馬鹿なっ……!そんな失礼な事申せるかっ!」

 

あー。話が見えてきた。

 

「そこの、済まん。私が頼んだんだ」

 

私は駆け寄って答える。

 

「あ、本人登場か。いや、この娘、焼きそばパンに200ディナール払うなんて言ってね。パシリに会っているんじゃないかと思ってね」

「いやいや、そんな訳じゃないんだ。というかそんなに払うと言ったのか。そりゃあ疑うな」

 

 どこの世界に焼きそばパンに2万(日本円換算)払う奴がいるんだよ。必死過ぎだ。

 

「いやぁ、私も一人で買い占めちゃったからなぁ。あの郷里の英雄ファン提督の愛した焼きそばパンには憧れていたんだ」

 

 目を輝かせて新入生は語る。その口元は子供のようにソースで汚れている。

 

「ベアト、手間かけさせて済まないな」

「い、いえ。私は……っ!」

 

 慌ててベアトは頭を下げる。主人の手間を取らせた事に罪悪感を感じているようであった。

 

「気に病むなよ。それで、どうだ?そんだけ買っているんなら2,3個分けてくれねぇ?1個2ディナールで」

 

1ディナール硬貨数枚をテーブルにおいて頼み込む。

 

「いやいや、別に良いよ。君と……そこの美人さんにもタダで上げよう。パン好きに悪い人はいない」

 

 ニコニコと素手で焼きそばパンを持って差し出す新入生。

 

「悪いな。私はヴォルター、ヴォルター・フォン・ティルピッツ、こっちはベアトリクスだ」

 

 受け取った焼きそばパンをほおばりながら私は名前を口にする。

 

それに対して新入生も人当たりの良い笑顔で答える。

 

「そうか。私はチュン、チュン・ウー・チェンさ。名前はE式だから気をつけて欲しい。君達も新入生かい?」

 

 まさしく、パン屋の跡取りのような新入生は私にそう尋ねたのであった。

 

 

 

 

 

 

 



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第二十話 認めたくない物だな、自分自身の低能故の過ちというものは

計算したらパン屋の歳が合わない事が発覚した。
対策として
パン屋を一浪させる+生年月日を761年の年末にする、で一応対応。多分どうにかなるはず?駄目ならまた考えます。

取り敢えず責任取ってリオグランデに一人で乗ってブリュンヒルトに特攻してきます。

決別電 キャゼルヌ先輩は今3年生でOK?


 同盟軍士官学校の朝は早い。まだ空の薄暗い0530時頃、学校全域のスピーカーから録音されたラッパ音が鳴り響く。同時に生徒達は一斉に起きねばならない。分隊単位で住み込む若人達は二段ベッドから起き上がり(1,2年生は分隊共同部屋、3年生は2人部屋、4年生は完全個室、女子は希望の場合専用部屋が与えられる)、布団をたたみ、シーツを伸ばす。少しでも皴があったり汚れていたりすると見回りの教官や上級生から情け容赦なく罰則が与えられる。

 

 尤も、私にはその心配は無かった。あ、別に私が早起きが得意ってわけではないよ?

 

「若様、時間で御座います」

「え、マジ?」

 

 ベアトに体を揺すられて私は慌てて起き上がる。時間は0525時である。既に室内の分隊員は全員……正確には私を除く……は起き上がり寝室の整理をして整列していた。

 

「あー、ヤバい。整理しないと……」

「すでに完了しております」

「あ、はい」

 

 どうやらベアトが私を起こさないように既に整理してくれていたようだ。全く気付かなかった。と、いうかそれ私の義務だよね?さらに言えばお前何時に起きたんだよ?

 

「若様……大変失礼ながら、そろそろ見回りが来ますので……」

「あ、おう。分かった」

 

 私はベッドから起き上がり背筋を伸ばして扉の前に立つ。その数十秒後、勢いよく扉が開かれた。

 

「よし、起きているなっ!分隊長、報告しろっ!」

 

入室してきた教官が鋭い目つきと大きな声で尋ねる。

 

「はッ!第4大隊(クラスの事だ)、第3小隊、第1分隊全員起床、欠員ありません!」

 

敬礼しながら私は報告する。

 

 教官は、室内に入りベッドのシーツやら家具やらを睨み付け念入りに見る。

 

「……よろしい。分隊長、隊員を率いて0545時までに第4グラウンドに集合せよ!分かったな?」

「はっ!」

 

 私は力強く返事する。教官は頷くと敬礼して部屋を出て隣の部屋に殴り込む。私達は教官が部屋を退出するまで敬礼して見送る。

 

 ……危ねえ。もう少し起こされるの遅かったら鉄拳制裁だったぞ?毎回ベアトは絶妙なタイミングで起こしてくれる。しかも私の仕事を代わりにやってくれるとか……神かな?

 

「よし……各員、洗顔その他を終え次第第4グラウンドに向かう。良いな?」

「はっ!」

 

分隊員達が一斉に敬礼で答える。凄いハモってます。

 

 10分で洗顔と洗口、着替えを迅速に終えると整列して行進しながらグラウンドに向かう。ここでほかの小隊メンバーとも合流する。

 

 0545時、500名近い学生がグラウンドに集まる。私は小隊長として5個分隊に欠員が無いのを確認すると教官に連絡。全大隊員がいるのが分かったところで国旗掲揚、国歌斉唱、軍隊体操、朝礼の4点セットが実施される。

 

 0630時、大隊教官オスマン中佐による朝礼終了と共に漸く学生達は朝食にありつける。

 

 第4食堂は800名以上に同時に食事を提供する事の出来る大食堂だ。メニューはアライアンス(同盟の伝統的な食事、つまり長征組が航海中に食べていた物が元であり糞不味い)、ライヒ(帝国風)、フェザーン風、旧銀河連邦植民地に残されていたアメリカン、フレンチ、イタリアン、インディア、チャイニーズ、ジャパニーズといった伝統料理など20種類を越える中から選ぶ事が出来る。

 

「はあああ……漸く朝食か。毎度の事ながら脱力するな」

 

 朝食J定食(ジャパニーズ・白米飯、豆腐と大根入り味噌汁、焼きサーモン、ミニトマトと千切りキャベツのサラダ、白菜浅漬け)の盆をテーブルにおいて着席。

 

「あれも一つの鍛練さ。空腹の中でも出来うる限り耐えられるように耐性をつけるためらしいよ?」

 

 答えるのは対面に座っていたチュンだ。その手元にはパン……ではなく中華粥。但し油条がこれでもかとぶちこまれどろどろになっていたが。

 

「……失礼ながら少し品の無い食べ方では御座いませんか?」

 

 私の隣に座るベアトが明らかに嫌な表情を浮かべる。従士とはいえ貴族は貴族、食べ方のマナーは完璧……いや、むしろ従士だからこそ品の無い食べ方は主家の格も落とすと考えて注意は怠らない。そんな彼女にとってチュンの食べ方は論外であった。

 

「いやぁ、けどこうやって食べると油が粥に絡まって美味しいんだよ」

 

 ニコニコと笑みを浮かべ食べるチュン。いい顔だが、それは既に油条入りの粥ではない。粥入りの油条だ。粥入りの油条だ。大事な事なので二度言う。この二つは似ているがその実態は1万光年の開きがある。

 

「それにしても珍しいな。ジャパニーズなんて随分とローカルなメニューを選んだものだね」

 

私とベアトの盆を見て心底物珍しそうにチュンは語る。

 

 実際、亡命者……特に共和派以外の者達は帝国料理以外を好んで口にする者は少ない。貧困層がジャンクフード中心のアメリカンを口にする事こそあるがそれ以外は相当珍しい。大帝陛下が制定された帝国料理以外は堕落したものとでも思っているのだろうか?

 

「好んで食べているわけではありません。ですが、同盟軍に入ればライヒ(帝国料理)を得られない事もあります。ただその場合に備えて舌を慣らしているだけの事です」

 

 ベアトは真面目にそう答える。……あ、いえ、実はただの私の言い訳です。

 

 私が漸くジャガイモパラダイスから救済されると思ったら皆で何が入っているかもわからない料理を口にするのはお止め下さいと止められた。そこで慌てて即興で言い訳したんだが……皆ガチで信じやがった。涙ぐんで自身の思慮の浅さを謝罪する奴もいた。

 

……ええ、信じるの?

 

 臣民を正しき道に導く使命を持つ門閥貴族が我欲のために大帝陛下のお決めになった料理以外食べる訳無いもんね。仕方ないね。はは、ナイスジョーク!

 

 この言葉を鵜呑みにして最近は舌を慣らすため様々なジャンルの料理をローテーションで食べている。私だけに苦労させる訳にはいかないと皆修行するように食べているよ。いやいや、お前達まで無理してやるな。食事が苦行とか娯楽皆無の癖にまだストイックさを追求するつもりか?

 

 但し、アライアンスだけは無理だ。あれは豚の餌だ。さすが半世紀も宇宙を放浪している間食っていた飯だ。最高水準の消化効率と栄養価を含み最低レベルの味に仕上がっている。食材を産業廃棄物に変える錬金術かな?

 

 それでありながら今でもハイネセンファミリーの中にはアライアンスをソウルフードとして日常で食べている家庭は少なくないという。野望を持った男がハイネセンファミリーの女性と結婚してエリートの仲間入りして飯で離婚した、なんて話は決して少なくない。

 

 多分だが、ミンツ大尉が同じハイネセンファミリーと結婚しなかったのはあの糞料理を毎日食いたく無かったからに違いない。

 

「ははは、なるほど。面白い理由だね。これは君の小隊に入って正解だ」

 

 ベアトの説明を受け、チュンは笑う。こりゃあ、私の本音を見透かしたに違いない。

 

チュンは、私の小隊(別の分隊だが)に所属していた。

 

 周囲からは亡命者でないために反対意見も出た。だが、そこは私も比較的上手く言い訳が出来た。

 

「我々が士官学校に来た理由を思い出せ!我々は同盟軍での影響力拡大のために入学したのではないか!ならば、同胞でなくとも優秀な人材と今のうちに縁を結ぶ事は将来の亡命政府にとって決して不利益ではない筈だ!」

 

 チュン・ウー・チェン士官学校一年生の入学席次は375位、トップエリート、とはいかないまでも十分秀才と言える。一年浪人(試験前日に食べたクリームパンに当たったらしい)しているものの、一浪二浪程度なら士官学校では珍しくない(ストレート合格者なんて毎年半分もいやしない)。士官学校歴代卒業生の前例で考えれば少なくとも退役前に中将には昇進する筈の成績だ。

 

 しかも出身は旧銀河連邦系市民が開拓した惑星スワラジである。惑星の英雄ファン・チューリンはハイネセンファミリーのサラブレッド、730年マフィアの一員であるが両親は早くに離婚、母方の故郷スワラジで育ち、母方の姓を使用していた(本人は自身をハイネセンファミリーの一員と呼ばれると嫌な顔をしていたらしい)。そんな歴史もありハイネセンのエリートに余り良い感情を持つ者は少ない惑星だ。亡命者達からすれば親近感を持てる星の出身であった。

 

 まぁ、本音言えば生存率上げるためにコネつくるためだ。優秀な方にはお近づきしたい。金髪の小僧を仕止めるために人材はいくらいても多すぎる事はない(下手したら返り討ちで全滅しかねない)。

 

 問題は最後に動く軍事博物館さんと民主主義に乾杯するようなお方が門閥貴族な私と小隊組むつもりがあるのか?という事だが……案外簡単に説得出来た。毎回ベーカリーの数量限定パン購入に協力するといったら即落ちした。マジか?

 

 恐らくはこの時期のパン屋の倅は、そこまで信念を持って軍人になるつもりではないらしい。よくよく考えたら当然だ。16、7の内からあれほどの覚悟を持っている訳無いんだよな。この頃は取り敢えず気楽(?)にパンライフ……ではない、学生ライフを送るただの少年だ。

 

「別に数量限定パンのためだけじゃあ無いんだけどなぁ……」

 

困ったような表情をして不本意だ、と答えるチュン。

 

「と、いいますと?」

 

懐疑的な表情で尋ねるベアト。

 

「うん、私が志望している研究科は情報分析研究科なんだけどね。そこでは集めた情報を元に相手の目標や作戦を予測するんだ。そこで、大事なのが……」

 

と、私達を指差すチュン。

 

「私達?」

「そう、君達帝国人、正確には帝国人の考え方だね」

 

その言葉でようやく私は彼の考えが分かった。

 

「どんな情報でもそれが何を意味するか理解しないと意味がないからね。相手の動きがなにを意味しているのか、帝国人の価値基準が分からないと狙いが分からない。と、なると直接聞くのが良いんだが回廊の向こうの人々に聞いてもブラスターを向けられるのがオチさ。だからと言ってこっちの亡命者といえば、言っては悪いが帝国文化を徹底的に嫌う人か、身内でしか話さない人ばかりだからね。なかなか本当の帝国人の見ている世界観が分からない」

 

 その言葉を私は肯定する。実際、同盟と帝国の価値観の違いは相当なものだ。しかも、同盟で出版されている帝国文化の説明本は結構違和感がありありだ。まぁ、書いているのが同盟人か共和派亡命者くらいだからなぁ……。

 

 なぁ、皆さんギロチンによる死刑は残虐だと思いますか?同盟では帝国の非道な処刑方法として有名だが、あれ、実は貴族階級に行う人道的処刑方法なんですよ。罪人を楽に殺すなんてとんでもない。つまり平民相手に電気鞭やギロチン使うといっていたフレーゲル男爵は帝国基準で人道主義者です。帝国において平民への拷問のデフォは指摘めや耳削ぎ落とし、処刑方法は錆びた斧や火炙りらしいですよ?

 

「その点、私みたいな保守派の癖に積極的に余所者と話す帝国人物は珍しい訳か?」

「そう言うことだね。しかも門閥貴族と来れば相当珍しいだろう?言い方が悪いけど研究対象としては丁度良いかなってね」

 

失望しているかい?と尋ねるチュン。

 

 それに対して私は少し不快そうにするベアトを宥めて、答える。

 

「いやいや気にするなよ。世の中ウィンウィンの関係が一番さ。チュンが私達を観察対象にしたいならいくらでも観察してくれれば良いさ。尤も私も大概ほかの保守派に比べれば軟派の変わり者だけどな。その代わりエリート様には私の定期試験の学習に御協力してもらいたいが、構わんね?」

 

 実際その程度であんたと御近づきになれるなら安い物だよ。パン屋の二代目。いや、英雄様。

 

 私は不敵に笑い、チュンは子供のように微笑んで、ベアトはどこか不満げにする。

 

 まぁいいさ。今のところはこれで。焦る必要はない。今は、な。

 

 

 

 

「まぁ、実のところ一番の理由は君の小隊にいれば本場の帝国風パンが食べられると思ったからなんだけどね」

「おい、待て。最後のボケの出番を私から奪うな」

 

私は急いで突っ込み役に回った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ファン・チューリンの設定ついては
本人が寡黙=不遇な子供時代
家庭に恵まれない=幸せな家庭を知らないから、で連想しました。

尚730年マフィアについては小ネタ(捏造)として

ヴォリス・ヴォーリック=名門軍人と亡命者(平民)のハーフ、バロンの渾名は幼少時代半分虐めで呼ばれた事がきっかけ。成長後は本人は皮肉に皮肉で返していた。

ジョン・ドリンカー・コープ=ハイネセンファミリーの名門出身、学生時代はユリアン祖母な性格、ブルースと愉快な仲間達と夕日をバックに殴り合いでマブダチになり性格が丸くなる。
第2次ティアマト会戦での「あんたは変わったな」は昔の自分のように高圧的なブルースに失望した台詞。尚、戦後はブルースの仇討ち(帝国侵攻)を計画していたが翌年戦死。


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第二十一話 学歴社会は弱肉強食

同盟軍士官学校において三大研究科と呼ばれる物がある。

 

 唯でさえエリートばかり贅沢に取り揃えた士官学校生徒を、さらに振るいにかけた文字通りエリート中のエリートだけが加入出来る研究科である。それに入れば将来の将官は約束されたも同然、宇宙艦隊司令長官、後方勤務本部長、統合参謀本部長の三聖職に至っては歴代長官の9割は三大研究科出身と来ている。

 

 1つは言わずと知れた戦略研究科だ。文字通り戦略を研究する科であり、国家の兵力、軍事予算、経済動向、政治動向、人口増減、外交関係、技術開発……様々な情報から同盟軍に可能な選択、取るべきドクトリンについて研究、さらには帝国側の予測される対抗策を推測し、それへの対応策まで研究する科である。研究科の花形であり、彼らの作るレポートは同盟軍の最高指導部の方針にすら影響を与える。

 

 2つ目は統合兵站システム研究科である。同盟軍の兵站体制全般についての評価、一層の効率化を追求する研究科であり、同盟軍の後方支援系の研究科の最高位である。兵站と言っても様々な分野があり、通常ならばこれらは細分化、専門化して研究されている。統合兵站システム研究科はそれら専門化、細分化された各後方支援の研究・ノウハウをすり合わせ、統合する事で一元化された兵站組織の概念を組み立てていく。近年の卒業者では第1方面軍補給科燃料部門部長シンクレア・セレブレッゼ中佐、在学者ではアレックス・キャゼルヌ2年生が有名だ。

 

 3つ目が、艦隊運用統合研究科である。戦術面における宇宙艦隊の運用……航海や通信、戦列、陣形変更、砲戦、航空戦、揚陸戦等の実戦における戦闘及びそれに付随する各分野について研究、それによる次世代の艦隊の運用と戦闘について開拓する事を目的とした研究科である。

 

「まぁ、そんな所入るのなんて無理ですわ」

 

 私は、学生獲得のために勧誘活動をする上級生たちを尻目に廊下を歩きながら、各研究科の紹介パンフレットを投げ捨ててぼやく。所詮席次1000位台の私には縁の無い事だ。この3つの中で一番格下の艦隊運用統合研究科ですら最低でも学年の上位300位台でなければ十中八九門前払いだ。ヤンが学年平均の順位で戦略研究科に入れたのは奇跡だ。それだけ研究科の教授達がワイドボーンを高く評価し、それを破ったヤンの指揮能力を高く買っていたと言う事なのだろう。

 

「順位の問題でしたら仕方ありません。非常に……非常に不満ですが、若様に相応しく、実力を正当に評価して頂ける研究科を探しましょう」

 

 傍に控えるベアトが心底不満そうに、苦渋に満ちた顔で答える。当初は先ほどの三大研究科に所属する事を勧めていたベアトだが、私が丸3時間説明する事でようやく納得してくれた。いや、多分正当に評価しても駄目だと思うよ?

 

 尚、ベアトには艦隊運用統合研究科から招待状が来た。順位的にはぎりぎり合格点を下回る席次だがなぜか来た。多分士官学校学生の中では珍しい女子だったからだろう。今期学生の中で女子は全体の6%、300名にも満たない(下士官兵士にはそれなりの女性もいるが基本後方勤務や星系警備隊所属だ。やっぱり婚期を逃しやすいのと地元志望がネックなのだろうか?)。その中でもベアトの上の席次となると10名もいない訳だ。後、身内の身で言うのもなんだが結構な美人さんだ。男ばかりの研究科に華が欲しいのだろう。私が行けないから行くつもり無いらしいけど。

 

 実際、笑える話だが研究科紹介ホームページに女子学生がいるだけで学生収穫率はかなりアップする。何年か前に統合兵站システム研究科に相当な美人が入った事があるらしいが、彼女が所属している間研究科に申し込む学生数が例年の2割増しになったらしい。おかげで残り二つの研究科を抑え優秀な学生の確保に成功していた。こんなエピソードを聞くと、やっぱり男所帯だと辛いんだろうなぁ、等と思う。

 

 あ、因みに戦史研究科あったよ?相当不人気な研究科だ。150近くある科の中でも予算・人員共に最下位に近い。別に戦史を軽視している訳では無いんだ。唯、似たような研究科が後5,6個くらいあってね。戦史研究科はその中で相当やる気が無い研究科なんだよ。良く言えば学生の自由を重んじる伝統があると言えるが、実態は学生が戦史以外の分野でもかなり趣味に走った研究ばかりしている。対してほかの戦史関係の研究科はガチガチの規則と軍事に集中した研究ばかりしているガチの集団だ。

 

科の廃止も納得だ。似たような物が他にもあり、その中で一番下だからなぁ。さらに言えば他の歴史関係の研究科があるのにヤンがそちらに行かないのも納得だ。魔術師の気風には到底合わんだろう。

 

 私としては戦史研究科に行くのは無しだ。まぁ、元よりそんな三下の研究科に行くのを同胞が許すとは思えん。それに下手に首を突っ込んで魔術師が入学しなくなったら私の死亡フラグが確定する。魔術師無しで金髪の小僧とバトるのはマジで勘弁願いたい。

 

「と、なるとどこの研究科に行くかだよなぁ……」

 

 150近い数の研究科の中で私が行けそうで、出来れば生き残るのに役立ちそうな物といえば……。

 

「陸戦技能研究科に、空戦戦術研究科、海上戦闘研究科、惑星気候分析科……どれもなぁ」

 

今一つ士官になった後に役立つイメージが想像出来ん。

 

……いや、待て待て。よく考えろ。最大の目的は金髪の小僧を仕止めて同盟の、故郷と一族朗党の終了を回避する事だ。

 

 そうなると帝国領土侵攻作戦以前にラインハルトを殺らなきゃならん。蛇は卵のうちに殺らんとね?それまでに仕止められる機会といえば……初陣のカプチェランカ、アルトミュール星系での戦闘、へーシュリッヒ・エンチェンの単独任務、第6次イゼルローン要塞攻略戦前哨戦の包囲、第4次ティアマト星域会戦の艦隊横断辺りか……。無論私の記憶違いやバタフライエフェクトもあり得る。OVAオリジナルの内容が起きるか、等の問題もあるが、これくらいが小僧を討ち取るチャンスだろう。

 

 最初のカプチェランカ以外は宇宙戦だ。そしてカプチェランカは同盟軍基地が壊滅するので現地に行って介入はリスクが高すぎる。そうなると艦隊指揮官か参謀として役立つ研究科が良かろう。金髪の小僧相手に通用しないとしても、奴が台頭する前に艦隊にある程度影響力が与えられる立場に立つのには役立つ。

 

「そうなると……航海技術研究科に砲術技能研究科、通信技術研究科辺りかね、私でも行けそうな所は」

 

 どれも成績中堅層が多数在籍する大手研究科だ。順位1000位台ならば門前払いされる事はあるまい。……まぁ半分ズルして取った成績だけど。

 

「私は若様の行かれる場所でしたらどこでも構いませんが……」

「うーん、私としては勿体ないとも思うんだけどねぇ」

 

 艦隊運用統合研究科から招待されているなんて他所様が聞けば羨ましいの一言だ。出身の研究科によって昇進や人事異動に大きな影響がある事を考えれば是非とも行くべきなのだがなぁ……。

 

「しかし、若様から離れて行動となるといざ何かあった際に御守り出来なくなります」

 

 深刻そうに語るベアト。いやいや、何かって何がだよ。ここは士官学校だぞ?テロや襲撃なんてねぇよ?まぁ虐めはあるだろうが。去年も帝国系の新入生が虐めの対象になってちょっとした事件沙汰になった(尤も昔に比べて相当穏当になったが)。

 

「おいおい、私も子供じゃ無いぞ?何時までもベアトにおんぶに抱っこと言う訳には行かんさ」

 

それにベアトのキャリアの足を引っ張りたく無いしなぁ……。

 

「ですが……」

「いやいや、打算的な理由もあってな。いざという時に優秀な参謀なり相談役がいればこっちとしては大助かりだからな。それが信頼出来る奴ならなお良しだ」

「………なるほど。若様の御考えは分かりました。……そう仰るのならまずは検討させてもらいます」

 

 まだ納得し切れない、と言った様子だが私の意見が道理に合うために検討、と言う形で答えるベアト。門閥貴族に生まれると忠誠心過剰な部下の扱いが手慣れてくるようになるよなぁ。下手に思いやりの言葉かけるより、命令形か、自分のためにと頼み込む方が良い。

 

「おう、よくよく検討しておけ。さて、では私は……」

 

ベアトと話しつつも思案していていた私は宣伝の置き看板を見て足を止める。

 

「丁度良く、だな」

 

私は希望する研究科を決心する。

 

 看板にはこう記されていた。『艦隊運動理論研究科 新入生歓迎致します 研究科室長エドウィン・フィッシャー少佐』と。

 

 

 

 

 

 生きた航路図の事、エドウィン・フィッシャー宇宙軍少佐はこの年51歳、現在同盟軍士官学校航海科教官、個人講義としては3年生向けの「長距離航行における分散進撃理論」を指導している。

 

 出身は惑星ネプティス、元々は民間の客船会社の航海長であったらしいが予備役士官であった事もあり第4次ファイアザート星域会戦における大消耗戦後の予備役動員で3年任期の後方の輸送艦隊に配属された。その後元の会社が経営難に陥った事、航海士としての長年の経験を買われた事によって軍に残る事になり地方での輸送任務や海賊掃討、国境哨戒任務で少しずつ功績を積み重ね昇進を果たした。

 

 その間にこれまでの船乗りとしての経験を基に幾つかの論文を執筆、その内容を評価され同盟軍士官学校の教官の末席に名を連ねる事になった。

 

 尤も、生来の地味さに加え、講義も軍歴も華の無いために今一つ有名とはいえない。紳士的で物静かな人物だが軍人というよりも民間船の船長のようだ、ともっぱらの評判だ。

 

 直接この目で見ればその評価は極めて適切であった事が分かる。髭を蓄えた品の良さげな初老の紳士。研究室も英国風の穏やかなインテリアを為された部屋であったが、軍人の書斎、と言われても違和感がある。

 

「ふむ、私の研究科に関心があると言ってもらえるのは嬉しいものだよ。名前は……ティルピッツ一年生か。余り誇れる物の無い研究科だが、どうぞ気が済むまで見てくれると嬉しい」

 

 クラシックな椅子に座り、優し気に微笑むジェントルマン。確かに軍人というよりは豪華客船の船長に近い雰囲気だ。軍服よりもスーツや白い船長服が似合いそうだ。

 

「はい。フィッシャー教官、それでは見学させて頂きます」

 

私は敬礼して答え、研究所を見せてもらう。

 

 所属する学生は30名程度、成績は300位台から3000位代程度と幅広い。これは研究科としては質量共に平均的なものだ。予算も際立って額が多い訳でも少ない訳でもない。研究科も教官同様地味だ。

 

 学生の受け入れは年中可能、成績による制限は無い。研究科によっては入学後1か月以内といった期限や席次のボーダーを決めている所も少なくない事を思えば良心的、悪く言えば競争性の無い研究科といえるだろう。

 

 丁度、上級生達が立体シミュレーターで仮想空間内での艦隊の陣形変更を実施し、その手順を評価している所だった。

 

「この手順だと正面からの攻撃を受けると艦列に穴が開きかねない。やはり戦艦群を前に押し出した方が良いんじゃないか?」

 

 学生の一人が神妙な表情で意見する。立体ホログラムを見れば敵艦隊の砲火を受けて自軍艦隊の隊列は乱れ切っていた。巡航艦を前に出していたらしいが陣形変更の際の敵砲火を受け止めきれずに最前列は崩壊しつつあった。

 

「だがなぁ……戦艦を前に出すと火力と防御は問題無いが足がなぁ。小回りが利かんし陣形再編の後隙をついて後退出来んぞ?」

「やっぱり中距離砲戦中の陣形変更はリスクが高すぎる。一旦遠距離砲撃戦の位置まで下がるべきじゃないか?」

 

それに対して反対意見と代案を出す学生達。

 

「待て待て、大事な事を忘れるな。このシミュレーションは防衛戦なんだ。これ以上の後退は後方支援基地の危機を招く」

「あー、そうだったな。これ以上後退は厳しいか?」

「おいおい、しゃきっとしろよ。ほれ、新入生が見てやがる。御眼鏡に適うよう努力しろよ?」

 

上級生の一人が顎で私を指す。数人の上級生がこちらを振り向いたので会釈しておく。

 

「やば、ここでヘタレたら先輩の沽券に関わるぞ?」

「貴方、失うような沽券あったの?」

「ほれほれ、真面目にやるぞ?まず、前提条件を変えるべきじゃないか?この攻撃を正面から受け止めるのではなく受け流すんだ」

 

和気あいあいと研究を続ける学生達。

 

「どうかね?御感想は?」

 

横から尋ねる室長。

 

「とても良い雰囲気と感じます」

 

 それは偽りの無い本音だった。学生の雰囲気は良好、上下の関係も円満そうだった。成績による差別も無さそうだ。何よりも生徒の中には帝国訛りや銀河連邦訛りの強い生徒もいた。つまり出自に偏りが少ないと言う事だ。いや、マジで中には同じ出自の奴だけで固まっているのまであるんですよ。

 

「そうですね。これまで見た中ではかなり志望度が高いですね」

 

正直な話、もうここに所属する事は決めていた。

 

 私には参謀として獅子帝に勝てる能力は無い。同時に、艦隊戦において陣形の崩壊は部隊の破滅を意味する。そうなると私の生存率を上げるために必要な技能は艦隊運動の技能だ。その点で原作でこの教官の右に出る者はいない。原作に出てこない人物を含めても最高水準に近い。何より凡庸だが堅実、基本に忠実な指導で定評があるところが私の能力的に非常にマッチしていた。

 

この数日後、私は艦隊運動理論研究科に入室志望書を送った。志望書は問題無く受理された。

 

 



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第二十二話 赤信号も皆で渡れば怖くない

 同盟軍士官学校において日曜日は、原則休日だ。無論朝に教官が乗り込んで来るがそれを誤魔化してしまえばその後は二度寝しても構わない。

 

「つまり!日曜日は労働者にとって天国っ!二度寝の時間っ!一日14時間睡眠だイェイ!!」

「それでは若様、親睦会の御支度を致しましょうか?」

「………はい」

 

 休日はだらけて過ごせる?残念、休日の貴族も普通に働くんだよ?

 

 

 

 

 士官学校内には幾つもの多目的ホールが存在している。特殊な講義や討論会と言った真面目なものから学生達の私的なパーティー等でも、予め学校職員に申請すれば比較的簡単に使用可能だ。

 

 同盟軍士官学校北第7校舎第4多目的ホールにおいて細やかな……とは言えないパーティーが行われていた。パーティー主催者は「士官学校亡命者親睦会」である。

 

「招待状はお持ちでしょうか?」

 

 ホールの入り口に士官学校学生服を着た少女が恭しく尋ねる。

 

 先輩に当たるのだが、そこで私は口を開かない。応対するのは傍らの従士だ。

 

「代表からの招待状です。ご確認ください」

 

 学生服の懐から手紙を差し出すベアト。相手はそれを丁重に受け取ると中身を確認する。

 

 そして次にこちらを見据えると心から歓迎するような表情で会釈し、扉を開く。

 

 ホールの中は同盟軍士官学校内とは自信を持って言える物ではなかった。

 

 洋画の飾られた室内、床にはレッドカーペット、純白のテーブルクロスの上には鮮やかな銀食器や陶磁器に盛られた料理。当然ながら添えられる料理は学生が馬鹿騒ぎするときに頼むピザやフライドチキンといったジャンクフードではない。部屋の端では音楽を嗜む学生達がピアノやバイオリンでクラシックな演奏会を始めていた。

 

 ここまでならば「はは、またかよ。贅沢自慢しやがって貴族のぼんぼんめ」と言われるのがオチだ。だが、同盟軍士官学校の中に大帝陛下の肖像画があるのはたまげたなぁ。

 

 グスタフじいさん、アーレ・ハイネセン、ルドルフ大帝の順番でホールに飾られる肖像画。おい、皇帝にサンドイッチにされているハイネセンが少し悲しそうだぞ?なんかこっちを見つめて何か訴えようとしてね?

 

 以前に話した通り民主主義の守護騎士を育成する同盟軍士官学校内において学生達は派閥間で軽い……とは言えない冷戦関係にある。同じ出自同士でより集まり身を守る訳だ。そしてその関係は横だけでなく縦にもある。

 

 各派閥は新しく入学した同胞を温かく(それ以外には冷たく)迎え入れる。

 

 ここまでいえばこのパーティーの意図も分かるだろう。ようは身内同士の結束を固めるイベントである。「士官学校亡命者親睦会」は帰還派が同盟軍士官学校に作り上げた相互扶助組織だ。定期的に学生間でこういったパーティーを行うだけでなく卒業して軍人になった者も講演等のイベントで訪問してくる。場合によってはそこで卒業予定者の人事での取りなし等も相談される。

 

 え?士官学校学生が政治活動はあかんって?ヘーキヘーキ、どこもやっているから。今頃ほかのホールで共和派とか長征派(ハイネセンファミリーの中で一番話の通じない奴らだ)も盛大にパーティーしているって。ははは、シトレが軍人が政治に関わらない方が良いと思うのも納得だ。ちなみにあの人はハイネセンファミリーですよ?

 

「それにしても、一応士官学校内だろうに」

 

 帰還派の学生達による親睦会、とはいうが扉を潜ったここでは士官学校の常識は通じない。さっきの入り口にいた先輩は平民階級(富裕市民ではあるが)だ。

 

 ようはここでは学年や年は関係無い。家柄で上下関係が決まる。さっきから召し使い同然に働いている生徒が何人もいるが実際、文字通り彼らは召し使いなわけだ。私の先輩なのにね。

 

 さて、ここでぼさっとするわけにはいかない。ここは最早自由と民主主義の息つく士官学校ではなく帝国の宮廷とお考えください。

 

「つまり、礼儀からいって会長に会わんと行けなくてだね」

 

 ベアトを控えさせて私は堂々と人混みを進む。何人かが頭を下げて礼をするが私は爵位、あるいは身分的に上なので手を上げて軽く答えるだけだ。因みに大抵先輩だ。あとで顔合わせるのが辛い。目上の人に下手に出られる側の気持ち位わかってくれよ。彼方は一切葛藤なんて抱いていないだろうけど。

 

 パーティー会場を回り目的の人物を発見した私はそちらに向けて駆け寄る。

 

「ここにおられましたか。会長、いえ、伯爵。ティルピッツ伯爵家の長子ヴォルター、参上いたしました」

 

 私は、にこやかに貴族的な微笑を浮かべ優美に一礼。側に控えるベアトも深々と会長に頭を下げる。

 

 それに対してワイングラスを手に持つ(アップルジュースだけど)会長は妙に印象に残る某映画の警官のごとき声で答える。

 

「これはこれは……武門の誉れ高きティルピッツ伯爵家の御入来とは、誠に名誉なこと。士官学校亡命者親睦会会長として、いや、同じく武門の家門たるリューネブルク家の当主として心から歓迎致しますぞ?ティルピッツ殿」

 

 ヘルマン・フォン・リューネブルク士官学校4年生が恭しくそう答えた。

 

 ………いや今、死亡的なフラグ的な物が立つ音しなかった?

 

 

 

 

 

 

 

 

 リューネブルク伯爵家が自由惑星同盟に亡命したのは、宇宙暦708年帝国暦399年、マンフレート2世、別名マンフレート亡命帝の死去の直後の事である。

 

 前皇帝ヘルムート1世の庶子の1人であったマンフレート亡命帝は幼少期を同盟で育った事で有名だがその際に亡命を手伝ったのはリューネブルク伯爵家を始めとした帝国宮廷内の和平派であり、匿い育てたのがアルレスハイム星系政府……つまり銀河帝国亡命政府であった。

 

 当時苛烈な暗殺合戦の様相を帯びていた帝室の現状を機会と見た同盟政府、亡命政府、和平派は水面下で協力体制を取った。皇室内での闘争に油を注ぎつつ財務官僚や軍役に苦しむ帝国貴族達がマンフレート2世の即位のための工作を開始する。

 

 同時に同盟と亡命政府はその間、後のマンフレート亡命帝になる少年を丁重に持て成し、立憲君主として入念に帝王教育を施すと、当時の亡命政府代表ゲオルグ・フォン・ゴールデンバウム(ゲオルグ2世)の長女と婚約させた。

 

 帝国に帰還したマンフレート亡命帝は三者の期待通りの行動を始めた。彼は帝国に帰還するやいなや5つの方針を宣言した。1つ目に自由惑星同盟との和平、2つ目に亡命政府に対してアルレスハイム星系からイゼルローン回廊帝国側出口を下賜し帝国に従属する藩王国として帝国・同盟間の緩衝地帯・交易地帯とする事、3つ目にアルレスハイム=ゴールデンバウム家から皇妃を迎える事、4つ目に同盟に亡命した帝国臣民への全面的恩赦と帰還の許可、5つ目に帝国への議会設立・憲法公布による段階的な立憲君主制への移行である。帝国諸侯は長年の皇位争奪戦で疲弊し、マンフレート亡命帝の後援には帝国の和平派・亡命政府・同盟政府がついていた。叛旗を翻そうとすれば同盟軍と亡命軍が国境に展開した。

 

 長年の抗争で諸侯間の不信感は根深く、一丸となって対抗は不可能。さらには同盟政府は抗争で疲弊した帝国に対して人道主義の面から援助も申し出るという飴も使った。ここについに長きに渡った戦争は終わりを迎えようとするかに見えた。

 

 宇宙暦708年帝国暦399年4月1日、同盟政府、亡命政府からも代表団を迎えた帝国再建会議の最中マンフレート2世は喉の渇きを癒すために一杯の白ワインを口にした。

 

 直後、彼はワイングラスを落して苦しみだした。議会に集まった同盟政府・亡命政府の代表団、帝国の官僚、各地の貴族達の前で大量の血を吐いて倒れたマンフレート2世に会議場の一同が唖然とし、次に騒然とした。

 

 誰が言ったのかは不明だが一人の同盟使節が叫んだ。「狡猾な貴族共の陰謀だっ!奴らは我々をここで皆殺しにするつもりなのだっ!」と。

 

「馬鹿なっ!?貴様ら賤民共こそ我らを陥れるつもりか!?」

 

帝国貴族は反論する。

 

 言い争いはすぐに乱闘になった。マンフリート2世の死体に誰も目もくれずに騒ぎは大きくなる。そして悲鳴が上がった。

 

 若い帝国貴族の一人が頭から血を流して倒れていた。傍には水晶と黄金で出来た置物が血に濡れて落ちていた。誰かに殴られたらしかった。

 

 彼はその時まだ死んではいなかったが頭部の傷口からは血を垂れ流し、気を失っていたため傍から見たら息絶えているようにも見えただろう。

 

 この事態に際して帝国保守派貴族の私兵と代表団護衛としてオーディンに来ていた同盟軍・亡命軍の地上部隊が議場に突入し、それぞれの主人を守るように前に立つ。すぐに発砲音と悲鳴が上がる。時の帝国貴族の盟主リンダーホープ侯アルベルトが叫んだ。

 

「この者共を殺せっ!彼奴らの甘言に乗った我々が愚かだった!」

 

 この言葉が本格的な戦端を開いた。オーディンの地上では社会秩序維持局武装治安維持隊と帝国貴族の私兵が代表団と和平派貴族、護衛の同盟軍と亡命軍に襲い掛かる。衛星軌道でも宇宙艦隊同士の戦闘が始まっていた。

 

 この時点では皇帝の意を受けていない帝国正規軍は出動していなかったが、それでも多勢に無勢。同盟側の代表団団長ロバート・サンフォード上院議会議長を始め同盟使節28名と亡命政府の使節16名が死亡、軍人の死者はその千倍に達した。

 

 和平派の貴族も粛清対象だった。混乱の中、貴族邸宅が襲撃され、女子供、家臣も、只の使用人まで貴族平民の貴賎も問わず和平派の縁者は殺された。略式裁判があれば幸運な方で殆どがその場で処理された。その数は2万名に及ぶとされる。襲撃者の中には騒ぎに便乗した貧民階級の強盗や暴徒も少なくなかった。

 

後に言う「イースターの大虐殺」だ。

 

 時のリューネブルク伯爵は会議場から辛くも抜け出すと自宅に文字通り裸足で向かい家族や家臣達を連れて帝都脱出を図ろうとした。

 

 そこに社会秩序維持局武装治安維持隊と暴徒に屋敷を包囲された。リューネブルク伯爵家は武門の家柄、従士や警備の私兵達は主人一家を逃がすために文字通り包囲網に殴り込んで血路を開き、そこに同盟軍特殊部隊からの救援が来た事で辛うじて伯爵は脱出に成功したものの家臣団は文字通りほぼ壊滅していた。

 

 4月2日、事態を把握した同盟政府はただちに宇宙軍4個艦隊及び地上軍3個遠征軍を投入して使節団救助に向かう。

 

 4月5日、オーディンの貴族達の間で何等かの交渉がまとまり皇族の末端であるウィルヘルム1世が第28代銀河帝国皇帝に即位、ウィルヘルム1世は脱出した使節団の捕縛を帝国正規軍に命令、3個艦隊が迫撃に向かう。

 

 4月27日、数度に渡る襲撃を切り抜けたものの最早艦隊の体も為していない使節団を乗せた同盟・亡命軍部隊はレージング星系で同盟軍救援部隊と合流、そこに帝国軍の追撃部隊と会敵し、第1次レージング星域会戦が勃発する。7日間の間に両軍とも100万近い犠牲を払ったこの戦いの後、両国の間で和平を口にする者は皆無だった。

 

 同盟に亡命した和平派貴族の多くは亡命政府に合流した。リューネブルク伯爵家もまたその一つ。そして当時の当主から3代経たヘルマンが現在のリューネブルク伯爵家の当主として今現在同盟軍士官学校に在籍していた。

 

「ん、どうかしたのかねティルピッツ殿?」

 

 ソファーの上でシロン製茶葉を使った紅茶を一口口に含むとリューネブルク4年生、あるいはリューネブルク伯爵は怪訝な表情で尋ねる。

 

「いえ、伯爵。少々物思いに耽っていたようです。御容赦ください」

 

 同じくパーティー会場に置かれたソファーに座る私は宮廷帝国語で軽く会釈しながら答える。

 

 リューネブルク同盟軍士官学校4年生……いや、伯爵は銀色の髪に端正な顔立ちの青年であった。一見細く見える体は、しかしその制服の下には無駄のない鍛えぬかれた一種の芸術作品がある。原作では性格が悪そうだが、意外なことに少なくともこの時点では、なかなかの好人物だった。

 

 リューネブルク伯爵家の当主、という立場からも分かるが彼は身内がいない。元々限りなく身一つで亡命した立場だ。親類は殆んど脱出出来ず、臣下も壊滅状態、亡命後は武門の家柄らしく前線で戦い多くの一族の者が戦死した。今となっては親代わりに育ててもらった母方の叔母に当たる老男爵夫人が一人いるだけで他の親族はいない(というか大抵戦死した)。御家断絶一歩手前である。

 

 そんなわけで何事も自分で行う独立独歩の気風の強い人物、それでいて武門のお家柄に相応しい威風と高潔さを兼ね備えている。

 

その名声を確固たるものにしたとは去年の事件だろう。

 

 去年、新入生の亡命者が深刻な虐めに合っていた。派閥色の薄い人物であるがために報復の危険が無いと考えたのだろう。

 

 ある日、リューネブルク伯爵が学内のトイレで集団で虐めの的になっていた同胞を見つけると直ちにその解放と教官への自首を相手方に提案した。その態度は決して尊大なものではなかった、といっておく。

 

 だが、学生はそれに怖じ気づくどころか自身の家柄を盾に反発した。どこぞの政治家やら軍人の家庭だったという。それどころか却ってリューネブルク伯爵を脅迫した程だ。

 

 そしてリューネブルク伯爵がその脅迫を拒否すると彼らはそのまま襲いかかった。

 

事態が教官達に知れるまで1時間がかかった。

 

 教官達が来た時、そこにいたのは全身怪我をした伯爵とトイレの床に倒れる10名ばかりの学生(武器持ち)だ。

 

 取り調べの結果分かった事はリューネブルク伯爵はエコニアの捕虜収容所に赴任しても反乱を心配しなくて良い、と言うことだ。

 

 この事件の結果として伯爵と襲いかかった学生達の両方が指導対象になり(教官曰く、やり過ぎであるためだと言う)、全員が一年留年という結果となった。

 

 余りに不公平な対応ではないか、との意見も出たが学校側はこの指摘に対して黙殺している。顎を砕かれた学生の中に国防委員会議員の子息がいたからだ、という噂がどこまで真実かは不明である。

 

 当然ながら士官学校や同盟軍に対して亡命者とその師弟の抗議が襲いかかった。一方、リューネブルク伯爵に対しては文字通り拍手喝采である。

 

「いや、遠慮する必要はありませんよ。去年の事については皆気になるみたいでしてな。いやはや、面倒な事態を引き起こして多くの同胞に迷惑をかけてしまったと考えると恥るばかりです」

 

 マクレーンな声で話す伯爵のそれはしかし、決して遠慮してでも、演技臭いものでもなかった。心底そのように思っているように見える。

 

「いえ、お気になさらず。むしろあの件は我々同胞を勇気づけるものでした。伯爵はただ正義を成しただけの事、誰が伯爵を非難出来ましょうか?」

 

 しかし、リューネブルク伯爵は複雑な笑みを浮かべ苦笑いをする。

 

「いえ、実の所個人的な事なのですが……ザルツブルク男爵夫人にあの件で随分と叱られましてな。伯爵家の当主として自覚が足りないと説教されてしまいましてな」

 

 その声は少しばかり気落ちしているように思える。え、マジ?あんたお婆ちゃん子だったの?

 

「それとて伯爵の身を案じての事でしょう?仕方ありませんよ」

「そうは言いますが、我が家は武門の家、戦場に出て祖国と同胞のためにこの身を捧げる以上、あの程度の事から逃げる訳にもいきません」

 

 祖父はカプチェランカの雪原で戦死、叔父はイドリスの沼地で戦死、父はフォルセティ星系の第3惑星において薔薇騎士連隊の2人目の戦死した連隊長だ。代々陸戦隊に所属して来た先祖同様、彼もまた陸戦士官を目指す身である。将来、直接身一つで敵兵と戦うのだ。この程度に臆しては貴族として先祖に申し訳が立たない、と言うわけだ。

 

「あの人は過保護な所がありまして、この前も文官の席が余っていると資料を送られましてな。武門の者が文官等と、余りに恥ずかし過ぎますな。あの人とて昔は女性の身で戦斧片手に突撃していたような御人だというのに」

 

 困ったような笑い方をする伯爵。自分の筋を曲げられないが叔母を心配させたくもないらしい。

 

「その点ではティルピッツ殿は羨ましい。御家族も前線で戦う事を誉れとして軍人となるのをお喜びであると聞きます。同じ武官の身として羨ましい限りです」

 

 おう、欲しいなら代わるよ?私好きで学校入った訳じゃないよ?限りなく強制だよ?

 

「いやはや、身に余る御言葉ですよ。私こそ伯爵のような才覚が羨ましい限りです」

 

 士官学校席次107位、研究科は地上戦の権威である陸戦略研究科である。地上戦部門に限れば学年でも五指に入るだろう実力者だ。学内対抗格闘戦競技会では二度準優勝、一度優勝と来ている。そりゃあ薔薇騎士連隊長にもなれますわ。

 

「ははは、地上戦の才児などと持て囃す方もおりますが、所詮は地上戦です。艦隊戦の才能はからっきしでしてな。その点では提督職を受け継ぐティルピッツ伯爵家が羨ましい。確かもう研究科はお決めに……?」

「ええ、お恥ずかしい事に席次が決して高いとは言えないものでして三大研究科はさすがに不可能でした。艦隊運動理論研究科に所属しております。こちらのベアトリクスは艦隊運用統合研究科です」

 

私が伝えると傍らで直立不動で立つベアトが再度頭を下げる。

 

「おお、今期の同胞から三大研究科にいった者がいると聞いていましたが彼女ですか。流石ティルピッツ伯爵家の家臣団は人材の層も厚い」

 

感心したように頷くリューネブルク伯爵。

 

「今期の人材の層は悪くは無いですよ。特に平民ですがホラント……失礼、ウィルヘルム・ホラント一年生は優秀ですよ。何せ学年次席ですから」

「ああ、話は耳にしている。ふむ……優秀ではあろうが少し気性の荒い人物らしいな。此度のパーティーでも席を用意したのだが……」

 

周囲を見渡し肩を竦める。

 

「欠席のようだな。ティルピッツ殿はそれなり仲が良いと聞いたが誘ってもらえなかったのかな?」

「あれは、こういうイベントを好まない人物ですから。決して悪い人物では無いのです。どうぞ御容赦を」

 

 私は複雑な表情で答える。あいつは所謂貴族様が御嫌いだからなぁ。別にそれでも良いんだが時と場合を考えて必要な時は隠して欲しいものだ。有能な人物が詰まらん理由で退学とか御免だぞ?私の生存率的に。

 

「……ティルピッツ殿がそこまで仰るなら仕方あるまい。それだけ彼を買っているという訳か」

 

やれやれ、とばかりに首を振る伯爵。私はそれに対して苦笑いするしかなかった。

 

同時に私は頭の片隅で思う。これ程人当たりが良く、同胞意識の強い人物がどうして逆亡命したのだろうか、と。

 

宇宙暦779年5月21日の事であった。

 

 

 




「国父アーレ・ハイネセンはどう思っているでしょうか?」
「泣いているさ。墓の下でな」


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第二十三話 中の人の経歴から見て肉弾戦も強いのは当然

前半については原作者の短編集にあった作品が元ネタです



 宇宙空間における初の大規模な戦争が発生したのは西暦2689年に勃発したシリウス戦役……より正確にいえば同年12月7日に開始された地球統一政府軍によるシリウス星系第4惑星ロンドリーナへの奇襲攻撃である。そして、宇宙暦8世紀に至るまで技術的要因や地理的要因で若干の修正こそ為されているものの大規模宇宙戦闘のセオリーはこの一連の戦闘で既に確立してしまった。

 

 植民星連合軍は、地球統一政府軍を過小評価していた。より正確には地球統一政府軍の人材の厚みを甘く見ていた。

 

 良く言われるのが、シリウス戦役開戦時に植民星連合軍は地球軍の奇襲攻撃で壊滅的被害を被った、と言う説明である。

 

だが、この説明は正確ではない。

 

 そもそも、万単位の艦艇と惑星一つを制圧するだけの地上軍が動いてその動向が掴めない、ましてや奇襲攻撃を許し主力部隊が壊滅するものだろうか?シリウス側とて当時の緊迫した情勢は理解していた筈であるのに。

 

 答えは否だ。植民星連合軍は地球軍の攻撃の意図は把握していた。そしてそれに勝利する計画も建てていた。

 

 植民星連合軍は地球軍の攻撃に対して焦土戦術で対抗するつもりだった。

 

 当時の航海術では未だに大兵力を支えるだけの物資を他星系に送るだけの能力が無かったのだ。しかも地球軍は少なくとも建前上では外征軍ではなく治安維持軍であり規模こそ強大ではあったが殆どが歩兵部隊や小型哨戒艦艇、補給能力も不足していた。植民星連合軍首脳部は地球軍の攻勢と同時にロンドリーナの放棄と物資の収奪、そして補給線へのゲリラ戦を実施する予定だった。例えるならば原作の帝国領侵攻作戦に対してラインハルトのとった作戦に近い。或いはこの前例からラインハルトは迎撃作戦を組み立てた可能性もある。

 

 仮にこの作戦が成功していれば地球軍は数百万の兵士が捕虜となり、膨大な兵器が鹵獲されていた事だろう。

 

 植民星連合軍の首脳部は無能ではなかった。しかし問題は当時の地球軍に傑出した三名の名将がいたことだ。

 

 航海術のコリンズ、砲術のシャトルフ、揚陸戦のヴィネッティ……後世に地球軍三提督と呼ばれる彼らの手によって地球軍は植民星連合軍の作戦を打ち砕き、現代にまで残る宇宙戦闘の基本が確立された。

 

 特に初期の奇襲攻撃におけるコリンズの働きは素晴らしいの一言だ。彼によって地球軍2万隻の大艦隊(それ以前で地球軍の最大の動員は3000隻であった)は当初1カ月かかるとされた大航海の日程表をその半分で走破して見せた。

 

 彼の編み出した航海術、艦隊運動理論は正に天才と呼ぶに相応しい。近年ですらその戦術の研究は続いており、昨年にも帝国軍士官学校教官にして新進気鋭の戦術理論家として知られるエルンスト・フォン・シュターデン少佐が500ページに及ぶ論文を発表している。

 

 あの頑固で有名だったジョリオ・フランクールが遂に自身の手で討ち果たすのを諦めて、チャオ・ユイルンに謀殺を頼む程の才能、多分今甦ってても双壁辺りと互角の勝負をしかねない。こいつら転生者じゃなかろうな?

 

「ともかくも、艦隊運動の基本を学びたければコリンズの理論を学べ、というわけか」

 

フィッシャー教官の講義を受けながら私は小さく呟く。

 

 艦隊運動にとって最も重要な事はいかに簡単な指示で艦隊を望みの動きをさせるか、である。戦場では目前の敵との戦闘に集中してしまうだけでなく敵艦の砲火、友軍艦の航路や爆発等の妨害などのアクシデントにより訓練中ならば簡単に行える運動もスムーズに実施出来ない。

 

 其ゆえに艦隊運動の指示は簡略かつ最小限の動きで速やかに実施しなければならない。

 

「流動的な戦局においていかに最短の手順で艦隊を動かすか、それが艦隊運動の速度を決め、ひいては戦闘の主導権を握る事になります。攻撃であればこちらが絶えず敵の急所を狙い、あるいは火線を集中出来る位置を取ろうとし続ける場合に相手はそれに対応を続けなければならず、その攻撃を抑える事にもなります。あるいは防備に徹する場合は戦線の穴を如何に防ぐか、敵の火点を受け流すか、それによって戦線の破綻を防げるかが決まります」

 

 フィッシャー教官は、スクリーンに写し出される荒れのある第1次ヴェガ星域会戦の戦闘記録映像を別の戦闘記録に変えて説明を続ける。

 

「そしてもう一つ大事な事は艦隊間の連携です。陣形の変更や移動においてはこれは極めて重要です」

 

 当然ながら全艦が一斉に動けば敵に隙を与える。特に同盟軍の場合はその隙を衝かれ実弾兵装に優れる帝国軍の接近戦に巻き込まれる訳にはいかない。艦隊の陣形変更や部隊間の交代、方向変換に際しては戦隊以下の部隊の連携は必要不可欠だ。

 

「第2次ティアマト会戦時のカイト艦隊に対する第5艦隊の戦闘、カルテンボルン艦隊に対する第4艦隊の戦闘が代表的な対照例でしょう。カイト艦隊、第4艦隊共に敵前で反転したもののその結果は正に正反対の結果となりました。カイト艦隊は強引な方向転換を狙い打ちされ戦列が崩壊、司令官が重症を負うと言う結果に終わりました。一方第4艦隊はカルテンボルン艦隊の火力の限界点に合わせて個々の部隊が絶妙な連携をしつつ反撃したために反転時の混乱も損失も殆んど出る事はありませんでした。ここからも各部隊間の連携が艦隊運動の結果に大きな影響を与える事が分かるでしょう」

 

 教官がそういっている間、スクリーンには第2次ティアマト会戦時の記録映像が流れる。反転中のカイト艦隊はしかしそこに第5艦隊の集中攻撃を受け次々と爆散して火球と化す。そしてその爆発が隊列に更なる混乱を生み出し不用意に隊列から外れ味方の援護を得られなくなった艦艇は中性子ビームの集中砲火を受け宇宙の塵となった友軍艦の後を追う。

 

「うわっ……エグいな」

 

 艦列が崩壊した艦隊は悲惨だ。下手にビームを避けるとほかの艦艇に衝突する(双方とも高速で動いているため結構距離があると思ってもすぐに衝突するほど距離が近付くのだ)。あるいは、シールドのエネルギーが無くなっても交代部隊がいないために持ち場から離れられない部隊が蜂の巣にされる。先程まで互角の戦いをしていたのがあっという間に入れ食い状態だ。

 

 均衡していた戦局が次の瞬間には一方的な蹂躙にジョブチェンジする。それが宇宙における艦隊戦の現実だ。

 

「さて、次は……おや、もう時間のようですね。ふむ……では、次の講義までに課題を出しましょうか。第2次ティアマト会戦最終局面におけるアッシュビー提督の帝国軍背部からの強襲について、その艦隊運動の合理性と効果について各員レポートを提出して来てください」

 

 英国紳士的な、教官はポケットの懐中時計の針を見やると微笑を浮かべ課題を出した。

 

 私は他の学生と共にうげっと小さな悲鳴を漏らす。当然ながらその声が考慮される事はなかった。

 

 

 

 

「と、いう悲劇があったんだ」

「レポートをお貸しください」

「普通の事じゃないのかな?」

 

 食堂に座る私の真横と正面から同時にそんな言葉が響く。

 

「チュン慰めてくれても罰は当たらないと思うんだ。後ベアトはそこまでしなくていいから」

 

愚痴いっているだけだから。

 

「従士ちゃんも甘やかしすぎだと思うんだけどね~。君こそ課題が随分と出ている筈じゃないかい?」

 

 腐っても艦隊運用統合研究科は三大研究科の一角だ。複数分野の専門知識を要求する程のレベルとなると、課題の質量共に馬鹿にならない。まぁ、追い付けない奴は要らんと言うことだろう。ベアトの成績的にはギリギリ追いすがっている状況だろう。私の手伝いをする暇なぞある筈がない。

 

「何も問題有りません。私の成績より若様の健康の方が遥かに重要です」

「いや、健康を害する程ではないから」

「私としては従士ちゃんの健康の方が心配だよ。そんなにジャーマンポテトとザワークラフトばかりで栄養大丈夫かい?」

「いや、お前も大概だからな?」

 

 従士の盆を見ればライ麦パンにオニオンとベーコン入りジャーマンポテト、豚の血入りヴルストの添え物に山盛りのザワークラフト。典型的かつ伝統的なライヒの献立である。私に見習って様々な料理を口にしているがさすがに耐えられないのか週一でライヒを頼むベアトである。本当に楽しそうに食べやがって……どんだけ苦行していやがる。いや、アライアンスとイングリッシュの時は共感するけど。

 

 因みににライヒ以外で気に入っているらしいのがアメリカンのフライドポテトとジャパニーズのトンカツ定食だった。前者はじゃがいもだから、後者はシュニッツェル(ドイツの子牛のフライソテーだ)に似ているのと千切りキャベツのおかげだ。白飯と味噌汁への拒否反応が凄いが。

 

まぁ、チュンに比べれば随分とまともだが。

 

「何でしょうか、その禍々しい物体は?本当に食べ物なのですか……?」

「いやぁ、慣れると結構美味しいんだよ?」

 

 チュンが困った表情で答える。彼の盆に置かれているのは納豆トースト(納豆・マヨネーズ・シーチキン・チーズ乗せ)、ニシン入りエイブルスキーパー、コオロギパン……おい、誰だよ宇宙暦8世紀までメニュー伝えたの。もっと伝えるべき文化あったと思うんだけど!?

 

「お前、ゲテモノ好きだったのか?」

「いやぁ、私もメニューにあって驚いたのだけどね。恐る恐る食べてみたら結構いけるみたいだよ。一ついるかい?」

 

 私とベアトは息ぴったりで首を振った。当然ながら縦にではない。

 

「連れないなぁ。そう悪い味でもないんだけどね」

「パンばかり食べて味覚が逝ってないか?」

 

 そもそもパンだったらヤバそうでも手を出すのか?一体何があったんだよお前の食生活に。パンの神にでも転生させられたのか?

 

「酷い言いようだなぁ。この分だと次の陸戦格闘講義の実技は手加減出来ないよ?」

 

冗談とも本気ともつかない口調でチュンは語る。

 

「おいおい、無理するなよ?こっちは陸戦格闘戦は結構自信あるんだぜ?」

 

 地上戦の機会が多い事もあり、亡命軍は陸上戦闘を重視しており、幼年学校でも戦斧術に狙撃、砲術、爆発物、野戦通信、車両運転……どの分野もそれなりに嗜んでいる。簡単に負けるつもりはない。

 

「それはやってみないと分からないよ?」

 

しかし、チュンは妙に自信ありげに語った。

 

 

 

 

 

 

 同盟軍の装甲服といえば原作の白色基調の重装甲服が思い浮かぶだろう。しかし、同盟軍の中においてあれを使用しているのは宇宙軍陸戦隊と地上軍の機動歩兵隊くらいの物だ。実はあれ結構高級品なんですよ。低出力ブラスターを弾き真空を含めた全地形対応型の重装甲服は一部の精鋭部隊用だ。大抵の歩兵部隊は西暦時代と同じく防弾着に迷彩服、鉄帽、あるいは熱帯や寒冷地用にそれぞれ特化した軽装甲服だ。戦斧振り回しているのはエリートなんだぜ?まあ、そうでもなければあんなグロい斬り合いなんて出来ねぇしな。

 

 そしてこの重装甲服……地味に重いし着心地悪い。原作で2時間程度が装着の限界と言っていたのも納得である。

 

「よおし、次のペア上がれっ!」

 

 重装甲服に身を包んだ陸戦技の若手教官、ジャワフ中尉が訓練用トマホーク片手に命令する。

 

 訓練場では重装甲服を着た学生達が訓練用トマホークで楽しく戯れていた。訓練用のためフリカッセが生産される事こそ無いが先端には電流が流れる仕様だ。死亡は当然として怪我する程では無いが、静電気で痺れるくらいには痛い。まして静電気と違い攻撃を受ければ連続でその痺れが襲い掛かってくるので、地味に皆本気だ。

 

「はっ、チュン、本気か?いや、正気か?これでも幼年学校での戦斧術は28位なんだぜ?」

 

 私は相対するチュンに尋ねる。亡命軍幼年学校では、数少ない私の戦績上位の科目だった。実家に装甲服と戦斧が完備、現役の装甲擲弾兵が子供の私にガチ目で訓練相手していたからな。厳しくて涙目だったぜ。

 

「私自身が馬鹿にされるのは別に構わないんだけどね。ゲテモノは承知でもパンが馬鹿にされるのは許す訳にはいかないさ」

「お前出る作品間違えてね?」

 

 東洋の島国で最高のパン職人を目指す漫画に出た方が良いぞ?

 

戦斧を構え私はチュンと相対する。

 

「まあいいさ。この訓練の結果も成績に反映されるんだ。精々私のポイント稼ぎの相手になってもらうぜ!」

 

 そう言って私は戦斧を振り上げ襲いかかる。帝国軍の地上部隊の精鋭装甲擲弾兵にみっちりしごかれた私の格闘戦技術を存分に見せて……。

 

「や……る…?」

「遅い」

 

斧を振り下ろした先にチュンの頭は無かった。

 

「はっ!?」

 

 横合い、ヘルメットの死角から襲いかかるチュン。アレっ?ちょっと動き早すぎ……。

 

「うおっ!?」

「良いセンスだ」

 

襲い掛かる戦斧の連撃を私は紙一重で受け止めていく。

 

「うおっ!?ちょっと待て、早、いやガチで…!?」

 

私は咄嗟に後退して距離を取ろうとする、が……。

 

「スネエエエェェク!」

「あかん!それ以上はあかん!」

 

本人だけど本人がじゃないから!?

 

「ふっ、タフな男よ……」

 

 嵐の如き攻撃を防ぎきる私に斧を振り回しながら語るチュン。いや別のキャラならいいわけでもないから!

 

「だが……甘いっ!」

 

足技を使い押し込まれる私の姿勢を崩すチュン。

 

「うおっ!?」

 

 転んだ私に振り下ろされるトマホーク。体を回転させてギリギリで避ける。

 

「それで良く10年も生き残ってこられたな」

「ちょっ……それ以上は無しで!世界観壊れる!」

 

そんな私の懇願は聞き入られる事は無い。

 

「沈めェ!」

 

 どこぞのソロモンの悪魔な台詞と共に顎に衝撃を受けた私は気を失った。

 

 

 

「いやぁ、実は酔拳を嗜んでいてね。訓練の前にウィスキーボンボン食べまくって良かった。どうだい?記憶無いけどなかなかの腕だっただろう?」

「ガチで次元が曲がるから止めて下さい」

 

 一つだけ分かった事はチュンに陸戦をやらせるな、と言うことだ。実力では無く世界観的に。

 

 

 

 

 




「オケアノスにいってもいいのだぞ?」
「ドーピングコンソメスープだ」


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第二十四話 安請け合いで頼まれ事してはいけない

 宇宙暦8世紀における宇宙戦闘の命は艦隊陣形である。

 

 その理由の説明する前に前提の知識がいる。それは、宇宙空間において艦隊同士の戦闘は遠距離・中距離・近距離の三段階の局面に大別出来る事だろう。

 

 全艦隊の1割に満たない戦艦と3割を占める巡航艦の主砲、中性子ビーム砲が主力となるのが遠距離戦である。此処での戦闘は実の所さほど損失は出ない。

 

 なんせ遠距離戦においては唯でさえ10~20光秒の距離で開始されているのだ。主砲の角度が1度ずれるだけで狙いはまず当たらない。それに宇宙船は双方とも凄まじい速度で動いているため未来位置の推定は難しい。それをコンピューターで計算しても相手もそれを察知して回避行動を取る。それらの条件を突破しても中和磁場によるシールドに弾かれる。シールドを無力化するまで狙い撃ちしようにも中和磁場の低下した艦艇は後方に下がってしまう。良く言われるのが中性子ビーム砲を1万発撃って1隻沈む、だ。

 

 さて、中距離に入ると同盟軍は帝国軍に対して優位に立つ。それは駆逐艦の性能差から来る。

 

 艦隊の6割近い数を占める駆逐艦、しかし同盟と帝国でその性能は違う。同盟軍のそれは主砲にレーザー砲を使用しており、出力はともかく中距離戦において戦列に参加可能だ。対して帝国軍の駆逐艦の兵装はレールガンとミサイルである。中距離戦に参加出来ない。ここで両軍の火力が一気に同盟軍に傾く。帝国艦隊は大型艦の利点である強力なエネルギー中和磁場で耐えるしかない。

 

 だが、近距離戦になるとその戦力の天秤は再び帝国軍に傾く。帝国軍の駆逐艦がその強力な瞬間火力を解放するからだ。いや、帝国軍艦艇は個艦単位でも実弾兵器が充実している。単座式戦闘艇の絶対数でも帝国側が優位だ。同盟軍が帝国に比べ空母の配備に熱心なのは、個々の艦艇の艦載機搭載数の差をカバーするためだ。この近距離戦で双方の損失が加速度的に増加する。

 

 単純に距離での勝敗を決めるのなら同盟軍はいかに中距離戦を維持するか、帝国軍は近距離戦に持ち込むか、であろう。

 

 ここで陣形が重要になる。戦闘距離の変化に対して火点の集中、あるいは各艦種戦線の交代、疲労した部隊の迅速な後退と予備部隊による前線維持……艦隊陣形の目的はいかに各艦を迅速に交代させられるか、敵のシールドを突き破る火力集中点を生み出せるか、といった点で重要なのだ。

 

「つまり、宇宙戦闘で大事なのは艦隊運動を持って戦闘の主導権を取り続ける事、と言うわけで……」

「おい、説明する時間があるならさっさと指示を出せ」

 

ホラントが冷たく言い捨てる。

 

 私の目の前では戦略シミュレーションの作る仮想戦場がある。そこでは私の艦隊が文字通り溶けていた。

 

「ふざけんなこの野郎!虐殺かっ!?虐殺なんだなこれ!?」

 

 持久戦に備えた重層な防御陣形を構築した私の艦隊はホラントの機動部隊に艦列の隙につけられ、内部から蹂躙されつつあった。戦艦が駆逐艦のゼロ距離射撃で大破し、空母が単座式戦闘挺の群れによって格納庫が吹き飛ばされる。モニターで自軍の艦船数を確認すれば物凄い速さで撃ち減らされているのが一目瞭然だ。

 

「ふざけんな!こんなのありか!?」

 

 ホラントの戦術自体はすぐ理解した。これは散兵戦術と各個撃破戦術の発展型だ。

 

 小型艦艇の小集団を一斉に多方向から突撃させることで敵火力を分散させるとともに相手が部隊を交代する前に接近戦に持ち込み前衛の大型艦艇を削り取っていく。

 

 同時に混戦に持ち込む事で帝国軍駆逐艦の強みである面制圧を不可能にするわけだ。レールガンとミサイルの一斉射は恐ろしいが同時に混戦では味方を巻き込みかねない。

 

 前衛大型艦艇と後方の小型艦艇をそれぞれ連携不可能にし、かつ各個撃破する、それが彼の作戦だ。

 

 同時にそれには艦隊迅速な展開と進撃が必要不可欠だ。そのため恐らくそのエネルギー消費率は通常のそれとは比較にならない。極めて短期決戦向きの戦法だった。だからこそ持久戦の構えを取ったが………。

 

「想定しても対応出来るかは別、か!!?」

 

 相手の動きに対応するための艦隊の移動、その際ほ一瞬の艦列の乱れを狙って襲いかかってくる。

 

「そっちがその気ならこちらとて……!」

 

 艦隊単位の抵抗はこの小賢しい敵艦隊には無意味だ。ならば……!

 

「各部隊、百隻単位の小集団に別れろ!密集して部隊単位で距離をとって牽制に撤するんだ!!」

 

 大艦隊で動けば中側から蹂躙されて出血死するだけだ。むしろ小部隊で密集して方陣を組み、相互に火点を補い合う事で防御に徹する。狙うは敵のエネルギー切れだ。エネルギー切れの艦艇は鈍足でシールドも張れない。そこまで耐えきれば後は総反撃だ。

 

 

 

「と、まだ逆転出来るかもと思っていた時期が私にもありました」

 

 宇宙暦780年1月27日の昼頃、エドウィン・フィッシャー少佐の研究所内で私は悟りを開いた表情をして円卓で塞ぎ混む。

 

 一年生年度末対抗戦略シミュレーション試験の3回戦にて学年次席ホラントと当たった私は完敗した。酷いや酷いや。旗艦・分艦隊旗艦全滅なんて酷いや。

 

「ふむ。後輩君が艦艇1万3000隻中4207隻撃沈、6798隻大破、戦隊以上指揮官30名中18名戦死か。一方、秀才ホラント君が同数の艦隊で艦艇の撃沈2107隻、大破3309隻、指揮官が6名戦死か……まぁ、残当だな」

 

 結果表を見てそう語るのは正面に座る先輩のダグラス・カートライト2年生だ。少し長めの赤毛に鋭く青く光る瞳、端正な顔立ちも相まってホストのようにも見えるがれっきとした士官学校学生だ。少々人をからかう所があるが後輩にはちょろ……案外優しい性格をしている。ちなみに席次589位という結構上位組だったりする。

 

「うー、せっかく2連勝したのになぁ。よりによって次席は無いですよ!?」

 

 いや、これまでの練習試合から見て上位300位以上になるとほぼ勝機ゼロですけどね!?

 

「ははは、ワロス」

「後輩がしょげているのに酷くないですか?」

「後輩の不幸で今日も飯が旨いぜ!」

「鬼悪魔!!」

 

半泣きで人の不幸が旨いといった表情の先輩を罵る。

 

「はいはい、カートライト、後輩を虐めない。ティルピッツ君、気にしなくていいわよ?そいつこの前の戦略シミュレーションで格下に惨敗したから八つ当たりしているだけよ?」

 

 湯気の上がるティーカップを2つ持ってやって来るのは黒髪のロングヘアーをした女性だった。

 

 同じく士官学校2年生のフロリーヌ・ド・バネットだ。学年席次1103位である。

 

 私とカートライト先輩の前に紅茶の入ったカップを置くとすぐ近くの席に腰を降ろす。

 

「あれは事故だよ!本当なら俺が勝ってたんだよ!」

「言い訳は無用、追撃にかまけて物資の残量を確認しないなんて……実戦に出たら5分で死ぬ奴のパターンよ?」

 

 肩を竦めて心底呆れたとばかりの表情をするバネット先輩。

 

「だってよう……」

「試験で良かったわね。実戦だと後悔する前にこの世とお別れよ?」

 

 ばっさりそう言い捨てられカートライト先輩はぐうの音も出ないようだった。

 

「ははは、まぁ、迫撃に夢中になって味方の状態に目がいかない、という事例は実際珍しくないですから、カートライト君はそう気落ちしなくて良いと思いますがね」

 

 そう言って微笑を浮かべ研究所の奥にある炊事場から出てくるのはロシアンティーのカップと紙箱を持った教官……つまりフィッシャー少佐だ。

 

「ティルピッツ君も、シミュレーションの推移は見せて貰いました。1、2回戦は私から見ても大変宜しいと思います。堅実な指揮でした。3回戦は運が悪かったですね。あの動きは私としてもなかなか対応は難しい」

「教官でもですか?」

 

カートライト先輩が尋ねる。

 

「お恥ずかしい事ですが。今はまだどうにか出来るでしょうが3年後には手に負えないでしょうね。流石学年次席です。ティルピッツ君は十分健闘したと思いますよ?」

「恐縮です」

 

私は苦笑いを浮かべて頭を下げる。

 

「さて、詳しい評価は後にするとして、今はアフタヌーンティーの時間を楽しみましょう」

 

 そういって紙箱を円卓の上に置く。カートライト先輩が遠慮を一切せずに中を開く。そこに入っているのはアライアンスと並び悪名高いイングリッシュ料理の中で数少ない例外であり、紅茶の供でもあるヴィクトリアスポンジケーキだ。

 

「これ、この前西校舎で開店したケーキ店のですか!?」

 

バネット二年生が笑顔で尋ねる。

 

「教官の特権ですよ。生徒の皆さんが講義中に買いに行けますから」

 

小さな笑い声をあげる紳士。

 

「頂いても!?」

「もちろんですとも。全員分購入しています。他の方が来るのはもう少しかかりそうですし先に頂きましょう」

「教官殿、皿を用意して参ります!」 

 

敬礼と共に台所の皿を取りに行くバネット先輩。

 

「たく、あいつ食い意地汚いなぁ」

 

ふざけるようにカートライトが毒づく。

 

「ははは、スイーツ好きとは淑女らしくて良い事ですよ。ブラスターや軍艦好きよりは、ね」

 

 そう言って教官は紅茶を一口口に含む。その発言はある意味では滑稽だ。何せここは士官学校であり彼は生徒に戦争を教える立場なのだから。あるいは元々客船の航海士であった事が教官の軍人感に影響を与えているのかも知れない。

 

「アルーシャのサフラン茶も良いものですね。これまでシロンのニューダージリンばかりでしたが飲まず嫌いは駄目ですな」

 

 教官は紅茶を優しく見つめながらそう言う。私とカートライト先輩は教官を見つめ、静かに沈黙する。

 

「お皿持って来ました!カートライト、ほらケーキナイフ渡すから切り分けて!」

 

バネット先輩がご機嫌そうに帰ってきた。

 

「え、俺か?かったるいなぁ」

 

 面倒臭そうにカートライト先輩がケーキナイフを受け取る。

 

「全員大きさ平等よ?ここは平等な民主国家なんだから!」

「それ関係無くね?」

 

 張り切ってケーキを見るバネット先輩にカートライト先輩が突っ込む。

 

「いいからさっさと切りましょうよ。大きさに不満があったらカートライト先輩の分を削ればいいんです。」

「後輩君、君天才!」

「いや、どこが!?」

 

ギャーギャーと切り方でもめる私達。

 

 私と先輩達が馬鹿騒ぎに興じてフィッシャー教官がそれを面白そうに見守る。それがこの研究所の日常であった。

 

 ようは、士官学校とは言え、私は私なりに平穏にこの生活を楽しんでいるということだ。

 

  

 

 

 

 アフタヌーンティーの後、雑談をしているとふと携帯端末からの呼び出しベルが鳴る。

 

「ん?教官、先輩方。すみません、呼び出しがあるので少し失礼致します」

 

 そう言って私は一旦席を外し、研究所の外で携帯端末の呼び掛けに出る。

 

携帯端末からホログラム映像が現れ……。

 

『ぶひっ……ヴォルター君、見てる?実は来週のリーゼちゃ』

「さて、戻るか」

 

 通信を切って私は研究所に戻ろうとする。醜いオークのような映像が一瞬見えたが気のせいだろう。

 

『ヴォルター君!れ、連絡を切らないでくれないかい!?私寂しくて死んじゃう!』

「豚は豚らしく家畜小屋に行きな。人類の言葉を話すなよ」

『酷くないかね!?』

 

 豚……ではなくクレーフェ侯爵の懇願に私は渋々会話をする。

 

「冗談はこの程度にして、侯爵様、何用で御座いましょう?失礼ながらコンサート等に行くほど私も暇ではないのですが?」

 

気を取り直し、要件を尋ねる。

 

『冗談ではなく本気だった気もするのだが……。ぶひ、実はの、頼み事があるのだが……』

「頼み事、でしょうか?」

 

 私は尋ねる。侯爵は私よりも身分が高く、財もある。何より立場的に学生の私よりも自由だ。わざわざ一学生に過ぎない私に頼む事はあり得るのか?

 

『おお、そうなのだよ。実はの。説得して欲しい人物がいての』

「説得、ですか?」

 

私は詳細を聞く。

 

 聞くところには、今年の同胞達の中から同盟軍士官学校入試試験合格者が発表されたらしい。そう言えば少し前に試験していたな。

 

 それで、だ。問題はアルレスハイム星系出身の合格者の中に入学辞退をしようとしている者がいるらしい。そいつを言いくるめて士官学校に放り込め、と言う訳だ。

 

「内容は分かりますがどうして私なのでしょうか?説得でしたら侯爵方が行った方が宜しいのでは?」

 

 権威に弱い帝国人に対して説得するならば爵位、年齢共に上の侯爵が行った方が遥かによい筈だが……。

 

『いやのう、その者が随分と性格に難があるのだよ。……私の部下達の言葉にも皮肉で返して来てなぁ』

 

聞く耳持たない、と。侯爵様相手に豪気なものだ。

 

『士官学校の校風が肌に合わん等と言ってな。困ったものだよ。よりによってあんな者が最優秀とはな』

 

 よりによって今期のアルレスハイム星系出身者で成績が最高らしい。

 

「成る程、校風が問題だから学生である私を、と言う訳ですか」

 

 強いていえばその中でも家柄の良い者の言葉なら無下に出来ないだろう(正確には本人ではなく家臣が使いとして行くわけだが)と言う訳だ。帝国人らしい考えだ。侯爵の使い相手にからかうような性格の人物に効果あるとは思えんが。

 

 それにしても亡命者とはいえ、大貴族の命令に従わないとは珍しい。私に頼むと言うことは共和派ではないのだろうが……。

 

「うーん、侯爵が頼まれるのでしたら私としても無下には出来ません。いいでしょう。資料を頂けますか?」

 

ここでわたしは自身の軽率さを後悔する。

 

「あ、これあかん奴だ」

 

私の表情はひきつる。

 

その生徒の氏名はこう記入されていた。

 

『ワルター・フォン・シェーンコップ 16歳 アルレスハイム星系ヴォルムス クロイツベルク州バーデン在住』

 

 

 

 

 

 

 



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第三章 不良学生のスカウトは簡単な事だと思ったか?
第二十五話 マナーは大事、古事記にも書いてある


 ワルター・フォン・シェーンコップは宇宙暦765年帝国暦455年7月28日に銀河帝国皇帝直轄領惑星ハイルブロンにて帝国騎士シェーンコップ家の次男として誕生した。

 

 シェーンコップ家は元を辿れば第2代皇帝ジギスムント1世の御世まで出自を遡れる。

 

 ルドルフ大帝死後、銀河帝国全土で勃発した2年にも及ぶ大反乱。帝都オーディンにもその戦火は及び帝都に対して旧銀河連邦軍残党に帝国軍内の共和主義者、民兵や武器を持った奴隷や農奴による反乱軍300万が侵攻を開始した。

 

 帝国軍60万はノイエシュタウフェン侯ヨアヒムの指揮の下近衛軍を中核に反乱勢力を迎え撃つ。

 

 ルドルフ大帝に選ばれた貴族達は精神性はともかく、少なくともこの時代においては確かに優秀であった。ノイエシュタウフェン侯は冷静沈着な判断力で反乱軍の攻撃を7度に渡り粉砕し3ヵ月の間帝都を維持する。そこに地方反乱を鎮圧して救援に来たエーレンベルク伯爵率いる宇宙艦隊の艦砲射撃とリッテンハイム伯爵率いる地上軍100万の降下によりオーディンにおける反乱の勝敗は決した。

 

 勝利に湧く帝国軍、ノイエシュタウフェン侯は帝都を守り抜いた兵士達を賞賛し、自ら前線に足を運び兵士達に慰労の言葉をかける。

 

 だが、そこに反乱軍の残党が帝国兵に紛れ侯爵に襲いかかった。銃口を向けられた侯爵は死を覚悟した筈だ。

 

しかし……銃声と共に倒れたのはその場にいた一少尉だった。

 

 咄嗟に侯爵の盾になり撃たれた少尉。下手人を射殺した侯爵はすぐにこの士官を治療するように命じた。

 

 反乱集結後、新無憂宮で行われた論功式の場には煌びやかな礼服に身を包む若い少尉も参列していた。神聖不可侵なる銀河帝国皇帝の父にして帝国宰相をその身を挺して守った功績に帝国は褒賞を惜しまなかった。

 

 式典において新たに帝国貴族に任じられたのは500名に及ぶがその殆どは帝国騎士や従士等の下級貴族か一代貴族、爵位を持つ門閥貴族に任じられた者は僅か7名、シェーンコップ男爵家はその名誉ある家の一つであった。

 

 しかし、代々武門の家柄として帝国に厚く仕えるシェーンコップ男爵家も時代が下ると共にその武門の家としての矜持は失われ、歴代当主は芸術的な肉体の代わりに弛んだ脂肪の塊を備えるようになった。

 

 だが、何事にも例外はある物だ。あるいは遺伝子の突然変異か、シェーンコップ男爵家一門に新たな、そして優秀な分家が生まれた。第29代当主ディートリヒの庶子ミヒェルから始まるのが上等騎士の階位を持つ帝国騎士家のハインブロン=シェーンコップ家である。

 

 ミヒェルは本家の権威やコネがあったのを考慮しても優秀な軍官僚であったのは間違いない。軍務省経理局次長の地位は帝国騎士の地位から言えば望み得る最高位の地位と呼んでいい。

 

運が悪かった、としか言いようが無い。

 

 時代はオトフリート5世からフリードリヒ4世の御世に移り変わる頃である。皇帝への後継者レースを競っていたリヒャルトとクレメンツ権力闘争の直後である。

 

 フリードリヒ4世の即位と前後して粛清が始まった。尤も、両派閥の内強硬な一部の貴族家十数家の当主が殉死または自裁を命じられたほかは貴族達の血が物理的に流れる事は無かった(貴族達も血縁関係があるので族滅等の過激な処理は一部例外を除き忌避されている)。

 

 だが、官職を解任、あるいは閑職に回される者、辺境に島流しされた者、領地を没収される者、社交界から追放を受けた者は門閥貴族だけでも百近い数に上った。

 

 そして、ミヒェルの下にも一連の事件の余波は押し寄せた。

 

 

 マールバッハ伯爵家は元々2代続けて放蕩癖のある当主を輩出していたが決して無能と言う訳でも無く、蓄財こそしなかったものの官職と領地からの税収で貴族としては十分な生活を送っていた。

 

 しかし、クレメンツ皇太子を支持していたがためにミヒェルを軍務省経理局次長に推薦した伯爵は領地の大半を没収、官職も失い困窮していた。ある日、マールバッハ伯爵はミヒェルに商人への借り入れの連帯保証人となるように頼み込んだ。

 

 士官学校時代の同期であり自身の官職の推薦者であり元上司、何より貴族としての地位は格上と来ている。そんな人物に足に縋りつかれそれを振り払うなぞ帝国人にとって有り得なかった。

 

 実際、マールバッハ伯爵も返す望みはあったらしい。可愛い娘を成り上がりの下級貴族に嫁がせてでも借金を返済しようとしたのだから。門閥貴族にとってはそれは相当の覚悟がいる選択だった。

 

 だが、どうした事か。その資産家でもある下級貴族の男は嫁に迎えた娘が自殺した事を切っ掛けにマールバッハ伯爵家への送金を止めてしまった。元より政略結婚ではあったが、それは貴族社会ならばいつもの事。婿殿からすれば出来て当たり前の事すら出来ず挙句に自殺などと言う外聞の悪すぎる事をした嫁に立腹したのかも知れない。

 

 伯爵は抗議したが婿側は聞く耳も持たなかった。これが普通の門閥貴族であれば宮廷でも問題視され、婿が貴族達に連名で告訴されていた事だろう。

 

 しかし、マールバッハ伯爵家は没落しつつある家だった。縁者の貴族達も似たような困窮下にあり、長女、次女の婿は既に自裁を命じられこの世にいない身である。家臣達も必死に伯爵家を支えるが遂には従士家の中には餓死する者や絶望して自害する者、娘が身を売る所まで出ていた。

 

 そんな中でシェーンコップ家に連帯保証についた金を返せるか?出来る訳がない。

 

シェーンコップ家に商人達が返済を求めに来た。

 

 それでも、それでも唯の商人ならば貴族としての立場を使い返済の減額なり期間延長も不可能では無かった。商人の後ろ盾にカストロプ公爵さえいなければ。

 

 当時帝国の政財界で急速に力を伸ばしていたカストロプ公オイゲンは皇室の一連の事件により没落した貴族達の財産を禿鷹のように貪っていた。その魔の手がシェーンコップ家にも伸びていたのだ。

 

 本家たるシェーンコップ男爵家も家の名誉にかけて分家を守ろうとしたが公爵と男爵の差は隔絶していた。男爵家で2ダースの使用人の事故死と1ダースの従士が病死した後では男爵家は分家を助ける事を諦めざる得なかった。

 

 土地も、屋敷も、収集した美術品や工芸品も、家の婦人に代々伝わる装飾品や衣装も、縋りついてでも守ろうとした皇族から賜った家宝まで奪われた。

 

 怒り狂った息子が数名の部下とカストロプ邸に抗議に向かったきり帰らず、息子の嫁は恥辱に耐えきれず毒を煽って自決した。

 

 ここに来て最早失う物の無くなったミヒェルは年老いた妻と息子夫婦の二人の子供を連れて同盟に亡命した。

 

尤も、そこも楽園とは言い難かったが。

 

同盟の入国管理官達は冷たい視線で彼らを迎えた。

 

 当然の事だ。同盟では昔から人種や宗教、思想による弾圧を受け亡命してきた者は比較的好意的に出迎えた。だが、政争に破れた貴族、あるいは借金取りや警察から逃げる債務者や犯罪者はその限りではない。

 

 ましてシェーンコップ家の経歴と亡命理由(経済的理由と判断された)から見て温かく迎え入れられる筈もなかった。

 

 入国後、貴族社会に嫌気が差したのか、あるいは社交界に参加する費用すら無かったためか、ミヒェルは亡命政府と距離を置いて共和派の多いクロイツベルク州の小都市バーデンに引きこもった。自立党と立憲君主党の支持者の衝突に巻き込まれ投石を頭に受け死亡したのは5年前の事だ。

 

 シェーンコップ家の長男アルブレヒトは誇り高く、騎士道精神に溢れた男だった。堕ちた家名の名誉を取り戻すため彼は亡命軍に入隊し、惑星ティトラの地上戦で壮烈な戦死を遂げた。

 

 一族で残されたのは老いた祖母と次男ワルターのみ。その祖母も昨年風邪を拗らせて病院にも行かずそのまま病没した。

 

 シェーンコップ家の困窮具合を見かねた州の役人が取り計らいクロイツベルク州の郷土臣民兵団(ランドヴェ―ア)の事務職を得て一年。そこから先週自費で同盟軍士官学校第一期試験を受け見事314位の席次で合格したワルターはしかし、何を考えたのかその直後に士官学校を辞退しようとしていた……。

 

 

 

 

 

「と、いう訳なんです。背景からして口の回らない私一人では少し説得が難しそうなんですよ」

 

 休日の昼頃、士官学校の野外練習場で戦斧格闘術の個人レッスンを受けていた私は休憩時間が来ると共に重装甲服のヘルメットを脱いでベンチに座る。

 

 横合いからベアトが恭しくスポーツ飲料を差し出すのでヘルメットを置いて受けとる。

 

「ふむ、成る程な。クレーフェ侯の使いを宜のなく追い返した事も踏まえると到底我ら門閥貴族を快く思っていないだろう、と言う訳ですな?」

 

 指南役のリューネブルク伯爵(どこからか私がチュンにノックアウトされた事を聞いて個人レッスンに誘うようになった)は、同じく重装甲服のヘルメットを脱ぐと従士に渡して濡れたタオルを受けとる。

 

「まぁ、そう言うことです」

 

 私は苦笑いを浮かべて返答する。リューネブルク伯爵に私はレッスンを受けながら先程まで相談をしていたところだ。その中で話題の人物の面倒な背景が見えてきた。

 

 ……実際は亡命政府や貴族そのものを嫌っていそうだが口にしない。口にした所で同胞の大半は理解出来るとは思えない。

 

 ワルター・フォン・シェーンコップ、今でこそ16歳のただの学生だが、私はその将来を知っている。「薔薇騎士連隊」第13代連隊長、同盟軍最強の兵士、イゼルローン要塞を陥落させた男、不良中年、正真正銘の英雄であり、原作で関わりたくない人物のトップ5に入るだろう御仁だ。

 

「若様、汗をお拭き致します」

 

 恭しく濡れたタオルで私の額や首元を丁寧に拭くベアト。しかしその表情は少し不快そうであった。

 

「その者は、帝国騎士で御座いますね?由緒正しきクレーフェ侯の命に背くなぞ……信じられません。同じ帝国下級貴族として恥じ入るばかりです。まして若様に御手数をお掛けさせるなどと……」

 

 ベアトは、口調からすらその怒りが滲み出ていた。良くもまぁ会ってもいなければ危害を加えられた訳でも無い奴をそこまで敵視出来るものだ。後、豚の奴は敬わなくてもいいよ?

 

「ふむ……確かに名誉ある帝国貴族としては少々非礼な御仁らしい。だが、才覚は確かである事も事実。才覚有る者が不遜な態度を取るなぞ古今東西珍しくも無い事だよ。そう過分に反応する事もあるまいよ、ティルピッツ伯爵家の従士殿?」

 

 窘めるようにリューネブルク伯爵がベアトに語りかける。ベアトはそれに対して小さく頭を下げて応じた。

 

「しかし旦那様、家格を考慮致しますと唯でさえクレーフェ侯の誘いの後、伯爵家の本家筋二名でたかが帝国騎士を訪問するのは……」

「同意です。両家の家格が軽んじられる事になりはしませんでしょうか?」

 

そう口にするのはリューネブルク伯爵の従士達だった。

 

 この年21歳のライナー・フォン・カウフマン士官学校4年生と20歳のエッダ・フォン・ハインライン士官学校4年生は共にリューネブルク伯爵家に古くから仕える、そして最早数少ない従士家の末裔だった。

 

 カウフマンは金髪の逞しい偉丈夫だ。硬い表情をしているが決して気難しい人物では無い。むしろ動物に好かれる事からも分かるが優しい気性の人物だ。装甲擲弾兵の家柄で伯爵家の護衛として代々仕えてきた者だった。

 

 ハインラインは逆に細身の女性だった。少し癖のある黒髪に同色の瞳は鋭く光る。表情は硬いというより乏しいというべきか。無論、こちらも別に他意がある訳では無い。以前一人でクレープを食べている姿を見つけたが相当惚けていた(言ったら多分泣き叫ぶから言わないが)。こちらは狙撃猟兵の家出身だ。

 

 双方共忠誠心の厚い人物だ。リューネブルク伯爵家の従士家の多くが断絶しただけに彼らの役目は一層重要であり、その分伯爵家の家名に関わる事には敏感のようだ。

 

「そうは言うが折角のティルピッツ殿が頭を下げて頼み込んでいるのだ。無碍にも出来まい?」

「それはそうで御座いますが……」

 

 ハインラインが歯切れの悪そうに答える。従士家ならば何よりも主家の利益のために動くべきだがこの場に頼み事をしている御本人がいるので余り非難めいた事は口に出来ないらしい。別に私が嫌いなわけでは無いのだろうが。

 

「それに聞くところによれば陸戦技術の成績が随分と高いそうだ。そうでしたな?」

「ええ、運動系の評価科目は全て受験生で20位以内です。総合では10位以内に入るのは確実です」

 

あの不良中年、この頃から規格外かよ。

 

「だ、そうだ。相当に優秀な男だ。いずれ間違いなく将官になるだろう。先行投資としてはなかなかの優良株では無いか?」

 

リューネブルク伯爵が冗談気味に尋ねる。

 

「それは一理御座いますが………」

「それに……有能な陸兵の存在は今の我々には望ましい」

 

その表情には微かな憂いがあった。

 

 リューネブルク伯爵が「薔薇騎士連隊」への入隊を希望している事は承知の事実だ。そして士官学校の教官達からも、亡命政府の同胞からも反対されている事も。

 

「薔薇騎士連隊」の別名で有名な独立第501陸戦連隊は亡命者とその子弟で構成されている陸戦部隊として有名だ。

 

 しかし、亡命者子弟や投降兵からなる部隊はほかにも同盟軍内では幾らでもある。独立第64山岳連隊「帝旗連隊」、独立第108機甲旅団「鉄衛騎士団」等は人員の7割、戦闘部隊に限れば完全に帝国系の者のみで編成されている。これらの部隊は亡命政府のロビー活動で編成された部隊であり一種の軍への影響力拡大、あるいは政治宣伝を目的で結成された経緯がある。

 

 「薔薇騎士連隊」の隔絶した勇名はあくまでその比類なき戦果と消耗率から来たものだ。帝国系部隊は宣伝目的もあり危険な戦線への投入自体は一部の例外部隊を除いて当然である。だが「薔薇騎士連隊」はそんな帝国系部隊の中でも群を抜いている。

 

 半世紀の間に受章された名誉戦傷章は全同盟宇宙軍陸戦隊最多、年度末最優秀陸戦部隊賞に21回受賞、自由戦士勲章受章者は108名(死後受章含む)、戦死率は同盟地上部隊の2倍、帝国系部隊の平均でも4割増しだ。

 

 なぜそこまで激しく戦うのか?その理由は「薔薇騎士連隊」の構成員に求めることが出来る。

 

 「薔薇騎士連隊」は同盟社会における亡命貴族のイメージ向上を目的に結成された部隊なのだ。

 

 そのため構成員の多くがフォンの付く貴族階級出身者からなっていた。特に帝国騎士や従士階級が多いこともあり、文字通り騎士道精神に溢れた戦士の集団として激しい戦場でも怯まず、恐れず、戦い抜くその姿はまさに誇り高い帝国貴族の高尚な精神の体現者だった。少なくとも当初は。

 

 その戦果から同盟軍は積極的に危険な戦線に「薔薇騎士連隊」を投入した。イメージ戦略用の宣伝部隊としての役割を理解しているとしてもその扱いに隊員の中で不満が溜まるのは必然であった。しかも協同する他の同盟軍部隊から亡命貴族出身者の宣伝部隊である事、待遇や補給の面で厚遇を受けている事から敵視される事が多かった。

 

帝国軍情報部の付け入る隙がそこにあった。

 

 惑星カキンで5倍の敵に包囲された薔薇騎士連隊第1大隊は第3代連隊長ディーター・フォン・アードラー大佐以下311名が降伏、その後亡命した。亡命の理由は同盟軍司令部による度重なる危険任務への酷使と慢性的な他部隊からの嫌がらせ行為、そして帝国軍情報部からの帝国貴族復帰も含めた恩赦であったと思われる。

 

 当時両軍の壮絶な係争地であったカキンにおいて薔薇騎士連隊は何と28か月に渡り前線勤務に貼り付けられていた。それは現地司令部が彼らをそれだけ頼りにしていた事であり、同時に酷使していた事を意味する。

 

 その後は雪崩現象だった。暫定的に第4代連隊長となったデニス中佐は2週間後に逃亡、次のカスパル中佐は1個小隊の部下と共に帝国軍陣地に駆けこんだ。既に薔薇騎士連隊の士気と軍規は誇りや名誉だけでは立て直せない所にまで来ていたのだ。

 

 同盟軍上層部が事態を察して憲兵隊が監察に来た時、部隊の状況は悲惨の一言だった。派遣当初2570名を数えた連隊員の内負傷者を含めた生存者は僅か997名だった。2年以上も砲弾が雨のように降り注ぐ前線の地下基地に潜み、食事はレーションばかり、夜襲に備え睡眠は禄には取れず人員の3割がPTSDに掛かっていた。最早部隊として機能しているのが信じられない状態であった。

 

 同盟軍司令部は現地司令部を入れ替えると共にすぐさま連隊の本国帰還を命じた。戦死者は全員2階級昇進、生存者は1階級昇進、勲章の授与は惜しまず、一時金の給付が行われ、スパルタ市にある同盟軍第1軍病院で最高の待遇で療養を受けた。

 

 同盟軍としては出来得る限りの厚遇と配慮をしたのだろうが、この時点で同盟市民の連隊への疑念、そして連隊員の同盟軍への不信感は後戻り出来ないレベルであった。

 

 その後も数度の亡命事件を始めとしたスキャンダルで亡命政府の後ろ盾も消え部隊は廃止寸前の危機にあった。

 

 第7代連隊長コンラート・フォン・リューネブルク大佐が連隊の名誉を取り戻した。隊内の軍規を正し、卓越した指揮能力と政治力、そして超人的な勇気で功績を立て続けに上げ連隊を再び同盟軍有数の精鋭に、そして騎士道精神に溢れた高潔な戦士団に鍛えぬいたのだ。

 

 尤も、そのリューネブルク大佐は9年も前に戦死したが。

 

 今の薔薇騎士連隊は再び弱兵の集団に堕ちつつあると言う。連隊長席は事実上の空席、部隊は大隊や中隊単位で分割され、連隊司令部は名目上のものになりつつあるらしい。

 

「私は「薔薇騎士連隊」を再びかつての誇り有る騎士団に戻したい。父上が仰っていた。同盟市民にとってあの連隊は亡命者の象徴だと。同胞達のために私はあの連隊を同盟市民に認められる高潔な部隊にしたいのだ。そのためには優秀な陸兵は一人でも多く欲しい」

 

リューネブルク伯爵は従士達の方を向く。

 

「カウフマン、ハインライン、貴官らの危惧は理解する。だが、私は自身の名誉では無く同胞の名誉のために彼のシェーンコップと言う者を招きたいと思う。どうか分かって欲しい」

 

従士達を力強く見つめるリューネブルク。何こいつ、イケメンかな?

 

「そう仰られるのでしたら私が言う言葉は御座いません」

「は、はい!旦那様の高潔な志、感服致します!どうか、我々の浅慮な考えをお許し下さい」

 

カウフマン、ハインライン両従士は深々と心服するが如く頭を下げる。

 

「うむ、そういう訳だ。少なくとも私はティルピッツ殿と共にシェーンコップ氏を説得する用意がある。卿が家格から見て気が進まないのならばもうすぐ卒業する身であるが私一人で行っても良いが、どうかね?」

 

リューネブルク伯爵が私に話を振る。

 

「え?あ、はい。私としても伯爵の御協力を得られたら幸いの事です。どうぞよろしくお願い致します。良いな、ベアト?」

 

 私は、先程まで不満気だったベアトに聞く。尤もベアトの答えは既に決まっていた。

 

「はい、全ては若様の御考えのままに」

 

 品のある声で微笑みながら礼、そして次にリューネブルク伯爵に向け頭を下げる。

 

「リューネブルク伯爵様。このベアトリクス・フォン・ゴトフリート、大変安直な考えで反対していた事をお詫び申し上げます。どうか、若様に御助力して頂けないでしょうか?」

「そう、気落ちせずに良い。従士殿。ティルピッツ殿の申し出はむしろ僥倖です。私からもどうぞティルピッツ殿には頼って頂きたい」

 

 微笑みながら伯爵は私に向く。私は少しだけ顔を引き攣らせつつ、笑みを浮かべ答えた。

 

「はい、ティルピッツ伯爵家の跡取りとして改めてリューネブルク伯爵の助力、感謝致します」

 

門閥貴族的に私は完璧な礼節で答えた。

 

………門閥貴族間の約束事って面倒臭いなぁ、等と思いました。

 

不良中年に会う前に胃に穴空きそう。

 

 

 



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第二十六話 お出かけ前に言付けはしておこう

何となく新作はローエングラム朝期に作られた史実を基にした大河ドラマ感がある。


 ワルター・フォン・シェーンコップは現在テルヌーゼン郊外、ベルヴィル街の借家に住んでいる。ベルヴィル街はテルヌーゼンの中では比較的古い住宅街で、昔から同盟軍士官学校を始めとしたテルヌーゼンの各軍学校を受験する学生……特に苦学生向けの低家賃の借家が多い事で良く知られる。

 

 因みに昔から同盟軍士官学校の受験生は受験期間中どこを借りているかで出自が分かると言われている。ブルーチャペル街ならばハイネセンファミリー(古い財閥系のビジネスホテルが多い)、グロデンラーデ街なら帝国系(帝国人街がある)、クロートヌィ街ならばフェザーン系(フェザーン領事館がある)、無論大昔の事であるから今はもう少しばらつきがある。それでも実際に今でもそういう傾向がある事は否定出来ない事は事実であり、自由惑星同盟の社会が見えない壁で分断されている事の証明でもあった。

 

 先程の言に従う場合、ベルヴィル街ならば銀河連邦系の低所得世帯の者が多い。ワルター・フォン・シェーンコップが態々帝国系でありながらベルヴィル街に借家を借りている事実が表す事実は二つ。一つは経済的に困窮している事、もう一つは帝国人コミュニティと距離を取っている事だ。

 

「さて、この辺りですね」

 

宇宙暦780年2月のとある休日、私とリューネブルク伯爵はそのベルヴィル街に来ていた。……二人だけで。

 

 理由?ああ、シェーンコップとかいう人物は恐らく権威嫌いの人間だからね。ぞろぞろと随伴者がいると鼻白むだろうからね。それに家臣が同席していると相手の非礼に激怒するしこちらも目上として尊大にならざる得ない。これじゃあ説得出来る訳無いよね、常識的に考えて!

 

 ……はい、嘘つきました。伯爵を連れだして二人だけで向かうための嘘だよ馬鹿野郎!なんでかって?原作知っていれば言う必要もねぇよ!

 

 いやな?別にシェーンコップ氏が漁色家である事は別に良いのよ。英雄色を好むともいうからね?私とは生きている世界違うからね?19、20の頃の御乱行なんか別に私に危害が来なきゃあどうでも良いのよ?

 

 ヘテロクロミアなヤリ逃げ野郎に比べたらマシでしょうが……うちの従士とは会わしたくないなぁ。

 

 いや、別に私の所有物というわけではないし、誰と付き合おうと、結婚しようと構わないけれど……不良中年は家庭持つつもり無いだろう?それ知っていると付き合ってしまっているところ見るの複雑だし、別れた後とか凄い話しにくくなる。無論、付き人から外してしまえば解決だがそれだと私の生存率が……。

 

 だったら不良中年と会うな?いや、侯爵から頼まれてるし……それに陸戦の切り札な奴はコネが出来れば私の生存率向上に使える。主にしたっぱのうちに金髪の小僧や赤毛の子分や双璧のキルするのに。

 

「では、行きましょうか?確か件の人物は昼頃に同じ店で食事するらしいですから」

 

 私が先導してシェーンコップが昼食を取る店に足を運ぶ。当然ながら事前のアポイントメントは取っていない。従士を行かせる訳にはいかないし、そもそも素直に待ち合わせしてくれるか怪しい。奇襲攻撃で心理的に揺さぶりをかけるのがこの場合は良いだろう。

 

「本日は申し訳ありません。御迷惑お掛けしてしまって……」

 

 どこか古くさい街道を歩きながら私は同盟公用語で謝罪する。門閥貴族である以上移動は運転手付きの高級車、礼服に身を包み、護衛付きが基本の筈なのに、今回は公共鉄道に直前に適当に買った市販の私服、当然我々二人での移動……故郷ならば論外である。キレられても文句は言えない。だが……。

 

「気にしなくていいのですよ。私としても肩肘張らずにいられてそう悪くないですからな。カウフマンもハインラインも私には過ぎた忠臣ですが……あの二人がいると外食も簡単には行きませんからな」

 

 太陽のような笑みを浮かべ思い出し笑いをするリューネブルク伯爵。途中で食べた屋台の立ち食い蕎麦を思い出したらしい。

 

 門閥貴族が買い食いや屋台で食事なんて帝国では論外、そしてその文化は当然こちらでも引き継がれている。

 

 しかも帝国料理以外への距離感もそこにプラスされる。門閥貴族としては食事一つでも気が抜けない。と、いうか毒味してくる。どんだけ信用してないんだよ。屋台のおっさんは全員ヒットマン扱いなの?

 

「あ、申し訳御座いません。やはりライヒ(帝国風)の方が良かったですか?」

 

 駅構内で立ち食い蕎麦の店を見つけついつい入ってしまった。月見蕎麦美味しかったです(シチュー蕎麦とかトマトソース蕎麦があったのは気にしてはいけない)。リューネブルク伯爵の口にあったか微妙だ。

 

「いやいや、別に他意はないのです。寧ろ懐かしい。子供の頃、変装して屋敷を抜け出し、叔母と屋台で食べた事を思い出します。あの時は色々食べましたな。ピザにピロシキ、フィッシュアンドチップス……それにおでんも食べましたな。帰った後母に拳骨を食らいましてな」

 

ははは、と表裏無い笑い声を出す伯爵。

 

「今ではそんな事出来ませんからな。いやはや、あれだけでも今回同行した価値があるというもの」

「はぁ……」

 

 私は半分呆けるように返答していた。えっ?貴方そんなキャラなの?

 

「さて、見えましたな?」

 

 その声に私は正面を振り向く。「ザ・ボーダーレス」の安っぽい姿がそこにあった。

 

 

 

 「ザ・ボーダーレス」は正に低所得者向けのダイナーレストランだった。中年の女性が店長のようでガスコンロで大雑把な調理をした料理を安物の皿にどっさりと盛り付ける。メニューは、ボーダーレスの名前の通り雑多な種類の簡易料理やジャンクフードを提供しているようだ。前世でいえば一昔前の米国映画に出てきそうな雰囲気に思えた。

 

「大味で安っぽい、値段と量は文句無し。まぁ、苦学生や労働者向けというものですね」

 

 店内端の窓際席に座りコニードックとグリークサラダを半分乱暴に口に入れ私は同盟公用語で呟く。どうやら元庶民の癖に貴族生活をして舌が肥えたらしい。料理に使われる調味料の種類を私の舌は正確に把握していた。かつてなら普通に食えただろうが今となっては雑過ぎて正直余り美味しいとは言えない。不味い訳ではないが……。

 

「ははは、仕方あるまい。任官すればもっと大味のレーションが待っていよう。大衆食堂なだけまだマシというものですよ」

 

 そういって手元のフォークで切ったハッシュドポテトをフォークで突き刺し口にする伯爵。

 

「うむ、やはりじゃがいもはどこで食べても外れは無いな」

「一番マシに思えるのがハッシュドポテトと林檎パイとは……」

 

 私の舌も随分とルドルフの支配に慣らされてしまったらしい。

 

「それにしても……そろそろだと思うのですが」

 

 店の入り口に掛けられた丸時計を見やる。今時電子時計が一般である事を思えばその存在が一層店のクラシック具合を助長していた。時計の針は1430時を回った頃だ。店端の旧型テレビは冬季サジタリウスカップのフライングボールの実況放送が流れている。

 

「遅いですね……普段ならとっくに来ている筈でしょうに……」

 

 シェーンコップの監視員から彼の生活パターンは知らされている。とっくにここに来ている筈なのだが。

 

「……お客様、御注文の指南役で御座います」

「ん?ああ、ご苦労」

 

 ウェイターがこちらに来て注文した品をテーブルに置く。私は窓から不良中年が来るのを監視しながら軽く返事をした。

 

「ん?済まないが私の頼んだのは珈琲だ。紅茶じゃない」

 

 ふと、テーブルに置かれたティーカップを見て私は指摘する。

 

「おや、そうでしたかな?可笑しいですなぁ。『育ちの良い門閥貴族様がランチティーではなく珈琲を頼むとは、新美泉宮の新しい流行ですかな?』」

「へっ……?」

 

 バリトンボイスで響く流暢な宮廷帝国語に私は間抜けな声を上げる。

 

 ぎこちなく首をウェイターの方に向ける。そこには白地のコックの服装をした男が慇懃無礼な表情を浮かべこちらを見ていた。

 

 

 

『では、改めて自己紹介と参りましょうか、伯爵様?私はワルター・フォン・シェーンコップ、見ての通りしがない苦学生ですよ』

 

 ずけずけと、当然のように私の隣に腰かける不良中年……いや、今の所は不良学生か。

 

 私は改めてその姿を見る。掘りの深い顔立ちに私よりも高い身長、多分服を脱いだらギリシャ彫刻のような鍛え抜かれた肉体をお目にかかる事になろう。知性……というより悪知恵のありそうな企み顔でこちらを見る帝国騎士。……うわぁ、学生の癖にもうこんな覇気を纏っているのかよ。

 

 正直胃が痛くなりそうだが仕方ない。まずは自己紹介から始めようか。

 

「私達は………」 

『おや、同盟公用語で宜しいので?私は宮廷語でもお話出来ますが?』

 

 機先を制するようにシェーンコップは答える。惚れ惚れするような宮廷帝国語での事だった。

 

 私は、ちらりと対面側のリューネブルク伯爵を見やる。伯爵が小さく頷いたのを確認して私は答える。

 

「別に構いませんよ。ここは新無憂宮でなければオーディンでもない。郷に入れば郷に従え、貴方がその言葉でお話ししたければ配慮致しますが?」

 

 私は半分皮肉を込めて答える。帝国人は身内同士だと帝国語で会話する。特に貴族階級以上は宮廷帝国語で話す事を好む。シェーンコップの言は頑固なお前さん達に合わしてやろうか?という挑発に近い。

 

「おや、随分と御上手な事で。これは、失礼致しました」

 

 私の帝国訛りの無い同盟公用語に一瞬意外そうな表情をして、すぐにわざとらしく謝意を表す不良学生。そう言う本人も相当に綺麗な標準的な同盟語を口にしていた。

 

「さて、ではこちらも自己紹介が必要ですね。私はティルピッツ、ヴォルター・フォン・ティルピッツ。士官学校の一年生です。こちらが……」

「ヘルマン・フォン・リューネブルク四年生だ。よろしく頼む」

 

リューネブルク伯爵が小さく礼をする。

 

「これは驚きましたな。まさか、たかが帝国騎士一人の下に名家の跡取り様が御二人も御来賓になろうとは、子々孫々まで言い伝えられる価値ある珍事ですな」

 

明らかにからかうような口調で語る不良学生。

 

「それは喜ばしい言ですな……さて、本題に入る前に……シェーンコップ殿のそのお姿について尋ねても宜しいか?」

 

リューネブルク伯爵が腕を体の前で組みながら尋ねる。

 

「おや?何か可笑しな点でも御有りでしょうか?何の変哲も無い料理人の制服ですが?」

「卿はここで働いている、と言う事かな?」

「御明察ですな。何せ苦学生の身、アルバイトでもしなければ到底今日の食事にもありつけぬ哀れな境遇でしてな」

 

 嘘つけ、と内心で私は突っ込む。シェーンコップがここで仕事していない事位話で聞いて知っている。この店の店長と仲が宜しいのは知っているが。おい、もしやそんなに守備範囲広いの?ご乱行していた頃何していたの?

 

 尤もそれを突っ込んでものらりくらりと誤魔化されるだろうが。

 

「……まぁ、良いでしょう。なぜ、私達が貴族だと分かったのですか?」

 

 私の疑問に対して不良学生は、にやりと不敵な笑みを浮かべる。

 

「これだから行けませんな。伯爵様は御自身の常識を当然のもののように思いすぎている」

 

 やれやれ、と言うように首を振り、一つ指を立てて答えを口にするシェーンコップ。

 

「まずは時間ですな。言っておきますがここのアップルパイは確かに旨いですが到底ハニーキッシュ街の百貨店並みの格式はありませんからな。来る者と言えば労働者と苦学生程度ですよ。休日の労働者はアルコールを頼みますし、学生はこの時間に店に来る程に暇ではありませんからな。これが一つ」

 

中指を立ててシェーンコップは続ける。

 

「この店の客はお里が知れる者ばかりです。到底ご行儀良く料理を頂戴する者はおりません。貴方方のように時間をかけてフォークとナイフで丁寧なお食事会なぞ致しませんよ。これが二つ」

「あっ……」

 

 当然かのように私の目の前にあった紅茶をとりあげて口に含む。無駄に優美に飲みやがって。

 

「そう怒らなくても良いでしょう?貴方の頼んだのは珈琲の筈、私は責任取って誤注文の品を処理致しているのですぞ?」

 

いけしゃあしゃあとそう口にするシェーンコップ。

 

「さて、最後がその所作ですな。貴方方はね。食事の動作一つ、注文の動作も、雑談の動作もあからさまに動きが優美過ぎるのですよ。育ちの良さが染々と分かりますな。……同盟公用語に帝国訛りが無い所は評価しますが、ここでは少々文法が御上品に過ぎますな」

 

 キプリング街のエリートさんの話し方です、とつけ足す。

 

「……ようは状況証拠のみで判断したと?」

「……この自由の国でも、存外外面のみでも人の価値が判別可能なようでしてな」

 

 私の質問に皮肉気に答える不良学生。本当に皮肉だった。

 

 帝国は、俗に外見で人を判断しなければならない、と言われる。

 

 強固な身分社会である帝国では各身分事に言葉も、習慣も、食事も、衣服も、所作も……文字通り何もかも区別されている。「帝国語では身分事に自己紹介の種類が3ダースの区別がある」、等と冗談半分で言われるがそれは間違いで実際は6ダース分ある。自身と相手の身分毎に紹介する際に使う単語や文法、アクセントが違うのだ。宮廷帝国語とか最早庶民の使うそれとは別言語に近い。

 

 そんな帝国社会では初対面の相手の外面から正確に互いの身分と関係を把握して対応しないといけない。自己紹介の言い回しを間違えるとスゴイ・シツレイになる。宮廷の社交界に出るためには最低限覚えよう。帝国人には肌でわかる自明のマナーだ(もしかしたら金髪の小僧が門閥貴族に嫌われた理由の一部はこれか?)。

 

 さて、自由惑星同盟はそんな帝国の反面教師……というよりは憎しみ合う双子である。この自由の国に置いても口にこそ出さないが所謂ステレオタイプというべきか……出自や階級、ルーツ事に区別と言うわけでは無いがかなり言葉遣いや食事、習慣やマナーも違う。そしてそれを見れば大概相手のお里が知れてしまう。

 

 そして同盟市民の中にもそれを過剰な程に意識する者は決して少なくは無いのだ。

 

「帝国人街でも無いのにそんなに貴族の匂いを醸し出すのは宜しく有りませんな。この街は特段帝国人に敵対的では有りませんが、懐具合の良い者を見抜く輩は少なくないですからな」

 

 どうやら他所のボンボンは油断したらスリに合うらしい。

 

「ご忠告痛み入る。シェーンコップ殿。そこまで頭が回るのならば我々の目的は察しがついていると思うが……どうかな?」

 

 謝意を示した後、リューネブルク伯爵が本題について尋ねる。

 

「さて、私はエスパーではありませんので。門閥貴族様に目をつけられる行いをした記憶はないのですがね?」

 

嘘つけペテン師め。

 

「貴方が士官学校を受験し、合格したにも関わらず辞退しようとしているとお聞きしています。私達としては貴方にこのまま入学して頂きたいと考え参上した次第です」

 

 私は、不良学生にはっきりと要件を伝える。本来ならば、もう少し雑談してから本題に入るのが貴族的マナー(がつがつした貴族は嫌われるのだ)だが……目の前の人物はそんな事は望んでいまい。

 

「それはまた御苦労な事ですな。ですがもう決めた事でしてな。御断りさせて頂く」

 

 紅茶を一口含んだ後、意地の悪い笑みを浮かべて断言する不良学生。

 

「失礼ながら理由を御聞きしても?」

「士官学校の校風が私を嫌った……という所でしょうな」

 

 帝国騎士は、複雑な笑みを浮かべティーカップに映る自身を覗く。

 

「校風……とは具体性が無いですな。士官学校の合格は決して簡単な物では無い筈、卿は苦労して手にした入学の権利を容易く捨てるつもりですかな?」

 

リューネブルク伯爵は訝るように指摘する。

 

「まぁ、確かにこの私にしても鼻歌交じりに……とはいきませんでしたな。しかし、私としては無理して窮屈な空気を吸うような真似は好きではありませんのですよ。私は温室での純粋培養された野菜は苦手でしてな」

 

 残る紅茶を飲み干すと椅子を半分浮かせながらティーカップを取手で遊ぶそうに回す。

 

「……窮屈な空気、とは校則の事ですか?それとも………ん?」

 

 ふと、シェーンコップが心底驚いた表情を浮かべる。同時にリューネブルク伯爵に視線を向けるとこちらも口を小さく開き、茫然として窓辺を見つめていた。

 

「何が……あ、うん」

 

窓を振り向いて私は事態を察した。

 

「はっはっはっ、ワンワン!ぐへへへ、やっと発見致しましたぞ若様ぁ……!この不肖レーヴェンハルト曹長、臭いを辿って若様を見つけさせていただきました!御褒美?うへへへ。そうですなぁ、箪笥の中にあるした……」

「日差しが強いな」

 

私は真顔で窓のカーテンを閉める。

 

「……何ですかな、今の美貌と尊厳を溝水にぶちまけたような淑女は」

「はて、何の事でしょうか?私には見えませんでしたが」

 

 不良学生の言に私は即座に返答する。多分日光が硝子に屈折して幻影でも見たのだろう。騎兵将校軍服に涎垂らしながら恍惚の表情を浮かべる物体……いや物質なんて私は見ていない。断じて見ていない。見ているわけが無い。

 

 次の瞬間に仮想世界のエージェントみたいな出で立ちの屈強な男達が店の扉を蹴飛ばして侵入する。

 

「手を上げろ!」

「こちらⅣ、クリア!」

「Ⅱ、Ⅲ、保護対象2名の救出をっ!」

「動くな!動くと撃つ!」

 

 ブラスターを構えながら叫ぶように店員と客に警告する黒服。当然ながら訳の分からない一般人は小さな悲鳴を上げて固まって手を上げる。

 

「……伯爵様、貴方少々過保護に育ち過ぎでは無いですかな?」

「誤解……といっても駄目だよな?」

「駄目ですな」

 

不良学生が呆れ果てた表情で答える。ですよねぇ。

 

 横を見るとリューネブルク伯爵が鼻根を摘まみ眩暈のしそうな表情を浮かべる。

 

「はぁはぁ……若様っ、お許し下さい!不肖ベアトリクス、ただいま若様を御救い申し上げました!」

 

 同じくグラサンに黒服を着たベアトが屈強なボディーガード2名を引き連れて駆け寄ってくる。ああ……うん。

 

「なぁ、早速で悪いが命令していい?」

 

疲れた表情で私は尋ねる。

 

「はいっ!我々に可能な事であればなんなりとっ!」

 

敬礼して目を輝かせて即答する従士に私は引き攣った笑みを浮かべ命じた。

 

「私のポケットの財布から1000ディナール、カウンターに置いておいてくれない?」

 

……扉の修理代足りるかなぁ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一応不良中年の学生時代の外見は新アニメ版と仮定


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第二十七話 困った時は相談するのが定石

軍靴のバルツァー10巻を読んでいたら最後の南部貴族大掃除がリップシュタット連合の末路とダブって見えた


 原作におけるワルター・フォン・シェーンコップは大胆不敵にして慇懃無礼、人を嘲るようで、子供っぽい所があって、皮肉家で……どこか憮然とした表情を浮かべた人物だった。

 

 そんな彼を大抵の軍人は疎んでいたし、恐れていたし、信用していなかった。

 

 彼が……本人は肩を竦めて否定するかも知れないが……忠義を尽くしたのはどこか眠たげな表情を浮かべる不敗の魔術師と、生真面目で健気な魔術師の養子だけだった。

 

 それを知る身として思う。……なぜ彼は律儀に魔術師の騎士を演じたのだろうか?

 

「そんな訳でさぁ、少し助言を欲しいんだよね。頭回らない私にそこら辺の思考の機微についてさ?」

『久しぶりの通信かと思ったらこれだよ』

 

 士官学校内の寮、自身の住む共同部屋に据え置かれたテレビ電話、その液晶画面の前で私は安っぽいベッドに腰掛けて尋ねる。

 

 一方、超高速通信により4700光年離れた地から返ってくるのは溜め息交じりの呆れ声だ。

 

 画面の中では、赤地に黄金色の飾緒を纏う学生服、そこに銀糸の縫い込んだマント……亡命軍士官学校学生制服姿のアレクセイ・フォン・ゴールデンバウムが映し出されていた。優美に椅子に腰かけた後に肩を竦める。その所作一つとっても育ちの良さがありありと分かる。

 

「いやいや、それは心外ですよ殿下。私としましては心から信頼して、嘘偽りなくお話しの出来る貴方様だからこそこうして御伝えしているのですがねぇ?」

『今の言葉を訳そうかい?一々形式や礼儀を気にせず明け透けと愚痴れるから付き合えよ、って所だろう?』

 

 頬杖しながら苦笑すると、私の発言を適切な訳語に翻訳する旧友である。

 

「いやいや、そんなことは………多分無い?」

『疑問形の時点で認めたも同然だね』

 

そうバッサリ切り捨てるアレクセイ。

 

「おいおい、そう言うなって。マブダチだろ?私達?」

『え、友人だったの?』

「はは、ワロス」

 

 止めてくれない?友人と思っていたの自分だけとかトラウマになるから。

 

『ははは、安心しなよ、ちゃんと友人だと思っているからさ。……さて、冗談も程々にしようか』

 

本当だよな?私ガチで泣くぞ?

 

『妙な所で疑るね……。えっと……確かその帝国騎士をどう丸め込むか、て事だったね?』

 

アレクセイはこれまでの説明から確認する。

 

「ああ、聞いての通りの経歴だ。お前さんなら奴の内心について幾らか察しがつくところもあるだろう?」

 

私は確認するように尋ねる。

 

『確かにね。……こういってはあれだけど、下手な貴族や平民に比べたらある程度は察しが良いと自負しているよ』

 

半分皮肉を込めてアレクセイは答える。

 

 皇族であることは必ずしも自由を意味しないし、巨大な権限を持とうとも無遠慮にそれを振るう事は許されない。皇帝を始めとした皇族の発言や思想、行動はそれだけで周囲に影響を与えるし、それを利用しようとする者は少なくないからだ。最近の例では帝国のフリードリヒ4世の女性趣味が上げられるだろう。豊満で妖艶な美女を求め大貴族達が我先に該当する平民を養子に入れ、かと思えば皇帝が少女趣味に走っててんてこ舞いになる姿は帝都の平民達の物笑いの種だそうな。

 

 尤もこの程度なら可愛いもの、アウグスト2世の時代なぞ狂気と脂肪の塊に悠々と取り入り政敵を次々と勅命や皇帝の娯楽として殺処分してみせた猛者までいる。良く言われる事が「長く皇帝として君臨するのに尤も必要な才能は政治でも軍事でもなく、想像力」らしい。

 

 つまり相手が事象や発言をどう受け止めたか、或いは利用しようとしているか、それを相手の立場に立って考えを巡らせなければならないのだ。自身の権威を他人に利用されないために。

 

 その点、実は皇帝の方が常識や伝統、慣習といったものに懐疑的であったりする。少なくとも一般的な帝国人よりは自由な発想力がある(元々、ルドルフは優秀であり選ばれた皇帝や貴族が無知蒙昧で責任と自立を忌避する平民の代わりに思考し、指導する、という建前の下に身分制度を建てたのだから当然ではある)。

 

 まぁ、前置きが長くなったが帝国的価値観を持ちつつ、それ以外の思想にも理解があり、かつ私が心おきなく話せる相手を探すと消去法でこのご仁しか残らない訳だ。

 

「さてさて、たかだか帝国騎士のお話しに皇族に御相談するという贅沢の仕様なわけだが……どうだ?」

 

私は本題を尋ねる。

 

『ふむ……そうだね。ヴァルターの話しを聞く限り、分かっていると思うけど貴族、特に門閥貴族への憎悪があっても不思議はないね』

 

 考える仕草をしながらゆっくりと話し始めるアレクセイ。

 

『いや、それだけじゃない。……多分だけど帝国文化、気風そのものを嫌っているのかも知れないね。少なくとも母と兄はそれがなければ死ぬことはなかった筈だ』

 

 不良学生の母は、毒を飲んで自殺した。無一文で平民以下の生活を送る位なら毒をあおって帝国貴族らしく自裁してやる、という訳だ。……特に名誉を重んじ、独立独歩の気風の強い古い帝国騎士の家らしい考えだ。

 

 一方兄は、最早再興の見込みもない家の名誉のために志願兵として危険な任務を率先して引き受け戦死した。

 

 どちらも貴族としての名誉なぞ気にしなければ少なくとも現世と別れを告げる事はなかった筈だ。まして、亡命したのが6歳の頃の筈、かつて本当に貴族としての生活をしていた頃の記憶なぞ無かろう。家名の重みも、貴族としての在り方も、その権勢も覚えてはいまい。そんなもののために命を捨てる理由をどこまで理解出来ようか?

 

『尤も……』

「だからといってそれを完全に捨て去る事も出来ない、か?」

 

アレクセイの声に私は続けるように口を開く。

 

『そうだね。宮廷帝国語もかなり流暢だったのだろう?マナーも含めて祖父母殿に良く指導されたのだろうね。それこそ、捨てたくても捨てられない位にね』

 

 人間は、共同体で生きる以上アイデンティティー、その集団への恭順意識がどうしても必要だ。国家、と言えば魔術師は鼻じろむだろうから文化、社会と言ってもいい。自身の価値観の核となる存在、自身の立場を、利害関係をはっきりさせるために所属意識は必要不可欠だ。

 

 当然ながら、祖国を捨てた亡命者、特に実際に帝国に住んでいた第一世代の者はこの所属意識が非常に不安定になる。

 

 共和派ならこれまでの全てを捨て去って同盟と民主主義を新たな心の主人にすればいい。帰還派ならば古き善き帝国の伝統が絶対的な精神的支柱となってくれるだろう。鎖国派は同盟にも帝国にも忠誠を持っているか怪しいものだが少なくとも彼らは国家は兎も角帝国文化は伝えているし、家族という最小にして原始的な社会集団への所属意識くらいはある。

 

では……不良学生はどうだろう?

 

 帝国という国家と文化により家族を失った彼が心からそれに忠誠を尽くせるのだろうか?

 

 同時に自分達を排斥し、否定する同盟と民主主義を心から信ずる事が出来ようか?

 

 最後の支えである血縁も、天涯孤独の身では意味もない。

 

 ワルター・フォン・シェーンコップは恐らく年齢から見て両親を殆ど覚えていないのだろう。彼にとって記憶に強く残る家族は祖父母と兄だ。そして貴族としての生活を覚えているからきっと厳しく貴族として躾られた筈だ。幾ら不良中年とはいえ、さすがに家族との唯一といっていい繋がりであり、自身の精神的骨格は捨てきれないのだろう。

 

『フォンを捨てて無いことが証明だよ。少なくとも帝国人である事を完全に捨て去りたいのなら貴族としての証明は捨てるさ。それこそ名前を同盟風に改名する者だって少なくないしね』

 

 共和派、あるいは迫害を受け、かつ同盟への同化を選んだ者の中には帝国風の姓名を捨てた者も多い。シェーンコップが心底帝国貴族の血筋であることを、帝国文化を憎んでいるのなら改名している筈だ。

 

「同盟人にも帝国人にもなりきれない身という訳か」

 

 彼の原作における慇懃無礼な態度を思い出す。あの態度は一種の自己防衛の面もあったのだろうか?……少なくとも彼は帝政も、民主主義にも拘りはないように見えた。帰属意識或いは忠誠を持っていたといえるのは「薔薇騎士連隊」と、魔術師と、その弟子くらいのものだ。

 

 「薔薇騎士連隊」に入隊した理由は何となく察する事が出来る。国家に忠誠心を抱けないのだから代わりの社会的拠り所が欲しかったのかも知れない。推測に過ぎないがそこまで間違った判断では無かろう。誰しも帰る場所が必要なのだから。本当に根なし草でいられる人間はそういない。

 

「……問題はそれがどう繋がるか、か?」

 

 問題は彼が士官学校を辞退する理由だ。士官学校を受験した理由は「薔薇騎士連隊」に入隊するためだろう。志願兵では部隊異動の自由は士官よりずっと少ない。どこぞの陸上部隊に配置されそのまま訳のわからないまま戦死、あるいは忘れられたような辺境で数十年放置何て事もあり得る。彼にとっては論外だろう。

 

 経歴から言って生活も苦しかった筈だ。武門の貴族とはいえ財産もなく、働き手も殆どいない、兄の戦没者遺族年金と自身で働く位か……文字通り苦学生だ。亡命政府と距離を取っていたためにハイネセンに行くのも自費だろう。到底気に入らない、なんて理由で入校辞退するだろうか?……いや、あのひねくれ者ならしそうだけど。

 

『合格後に何か考えを変える出来事でもあったのか、だね。どう思う?』

 

 画面の中のアレクセイは使用人だろう、画面の切れ端から紅茶のティーカップを受けとると一口含んだ後そう尋ねる。

 

「どうだかな。うちの身内が横槍入れたのかね?」

 

 成績上位組、それでいて亡命者、一応貴族、そして亡命政府と距離を取っている。同胞の中に要らぬお節介をかけた者がいてもおかしくはない。そして、あの不良学生がそれに愉快な表情をするか、と言えば……。

 

『その辺りは調べて結果待ち、といった所だろうね。次に考えるべきはどうやって彼を引き留めるか、だよ』

「そうは言ってもな。あれは物で釣れるような御仁かね?」

 

むしろ不愉快に思いそうだ。

 

『そうだね。身一つで生きてきたような人だ。今更人にすり寄るような性格でも無いだろうね』

 

ティーカップを受け皿に置きながら尋ねる旧友。

 

「それじゃあ、どうするべきだと思う?」

 

 私の質問に少しばかり熟考するように考えこむアレクセイ。そして難しそうな表情で口を開く。

 

『……これは主観的な考えなのだけれど、嫌悪と好意は表裏一体だと思うんだよ。嫌うのは期待があるだけ、理想とかけ離れているだけ、憧れがあった分だけ、それに裏切られたからじゃないかな?何を抱いて彼が受験したのか、ハイネセンに来たのか、その辺りが肝要だろうね』

 

 口調からしてアレクセイは私に分かるのはここまで、といった様子だ。まぁ、情報が少なすぎるから仕方ない。

 

「……そうか。悪いな、無茶な事を尋ねてしまって」

 

会ったことも無い人物について尋ねたのだから当然だ。

 

『いや、それはいいんだよ。私もそう忙しい訳でもない。それより……そっちは大変だね?聞いたよ、抜け出した後の事は……』

 

画面の中で苦笑いを浮かべる旧友。

 

「止めろよ。嫌なことを思い出させるなって」

 

私は頭を抱えて困り果てる。

 

 レストランでの一件は面倒だった。私がリューネブルク伯爵を連れ出し単独で外出した後、ベアトが私がいない事に気付いて慌てて亡命者コミュニティに捜索願いを出したらしい(教官に対してでないことがポイントだ)。しかもリューネブルク伯爵もいない事が発覚するとその情報は伯爵の叔母であるザルツブルク男爵夫人の耳まで届いた。

 

 取り敢えずクレーフェ侯爵の下に両家の親戚一同一族郎党から5ダースの抗議(保護責任についてらしい)が来たのでグエン・キム・ホア広場でのアイドルコンサートに向かっていた侯爵は泣く泣く亡命者相互扶助会の本部に戻って捜索指揮を執らされた。

 

 どうにか見つけて相互扶助会傘下の警備会社(に偽装した民間軍事会社、に偽装した私兵集団)社員が突入したわけだが、あの後騒ぎに急行したテルヌーゼン市警察とまた一悶着あり大変だった。おい、警察相手にブラスター向けるな。お前達は帝国版憂国騎士団か。いや、あいつらは実は過激派の中では(恐ろしい事に)穏健派らしいけど。

 

「警備人員動かすほどかよ。只でさえ同盟警察に目をつけられているのに」

 

 完全武装の亡命軍をハイネセン等同盟中枢宙域に配備するのは問題が多すぎるためにダミーの警備会社を建てて亡命軍兵士をそこに出向させているわけだが当然同盟警察は良い顔しないんだよな。テーザー銃に警棒、拳銃程度なら兎も角、装甲車やヘリまで備えていれば(武装は別枠で外して保管しているが)そりゃ危険団体扱いも残当だ。

 

『仕方ないさ。大昔は本当にそれくらいしないと危険だったからね』

 

 苦笑しながら答えるアレクセイ。コルネリアス帝の親征の頃のトラウマはハイネセンに住む帝国系市民には未だ強く印象に残っている。帝国軍がハイネセンの目と鼻の先に迫る中、一部の暴徒や自警団がパニックを起こして帝国移民をスパイとして私刑や虐殺した事件が散発した。同盟警察が介入して事態を沈静化した頃には死傷者は数千人に上っていたという。アルレスハイム星系の同盟加盟国への昇格の一因である(同盟議会の国内帝国系住民への配慮だ)。

 

 実際、必要以上に重武装な警備会社が限りなくグレーに近いのに摘発されず監視対象に留まるのは、法律の穴を突いている事もあるが、過去の事件で同盟警察の対応が精細を欠いた事もある。

 

「と言ってもそれこそ爺さん方が生まれる前の話だからなぁ。そこまで警戒しなくても良いだろうに」

 

 年寄りは保守的で身内や同胞以外に排外的な所があるんだよなぁ。今のハイネセンはそこまで危険じゃないぞ?……いや、流石に極右やハイネセンファミリーの根城は絶対いかないけどな?

 

『まぁ、私から言えるのは気を付ける事、後は周囲の事も考えてくれよ?ヴォルターはその辺り鈍いから。自分は良くても周囲は別だよ?単独行動で下手やって、責任取るのは周囲なんだから』

「ハイネセン来てまで身分が付きまとうのは健全ではないけどな」

 

尤もその恩恵を受けている身であるわけだが。

 

その後も暫く他愛も無い雑談を続ける。

 

『……さて、少し名残惜しいけど、そろそろお開きだね』

 

 時計の針が一周した頃、アレクセイが切り出した。恐らくカンペが出ているのだろう。ちらりと斜め横に視線を移していた。

 

「今日は日曜日だぞ?何か用事か?」

『演劇会の観賞、その後は詩の朗読会と陛下と尚書方との食事会』

「休日ってなんなんだろうな?」

 

怠い行事がてんこ盛りだ。休める日あるのかこいつ?

 

『仕方ないさ。実学も必要だけど芸術への理解もないといけないからね。それにこれでも新無憂宮の偽帝よりはマシだよ』

 

 亡命政府の宮廷は同盟市民から見れば似たようなものだろうが、帝国のそれに比べればそれでも教養や政治の面で実利的で合理的、質実剛健だ(帝国基準で、だが)。

 

 国事行為も簡略化低予算化しているし、芸術や文化方面への予算も削り経済や軍事に振り向けている(同盟人からすれば十分過ぎる程金かけていると言うだろうが)。

 

 一方、オーディンの宮廷なんかキチガイ染みている。国事行為や宮廷イベントで皇帝の一年の三分の一が消えるらしい。園芸会や芸術観賞、パーティー……伝統は分かる。だが明らかに多すぎる。政務はオマケみたいなものだ。後宮に入り浸っているだろう時間を含めたら……正直オトフリート1世の気持ちが分かる。彼のように完全に無心で作業感覚で過ごすか、逆にジギスムント2世やオトフリート4世のようにはっちゃけるかのどちらかだろう。

 

 いやぁ、オトフリート2世やオトフリート3世が精神焼き切れた理由が分かるわ。あいつら宮廷行事こなしながらガンガン政治もやってたからな。どうやって時間作ってたんだろう?そりゃ過労死や発狂しますわ。

 

 現銀河帝国皇帝フリードリヒ4世もやる気無いとか言われているが、正直気持ちも分からんでもない。もうイベントこなすだけで面倒くさくなるわ。残った時間くらい愛妾と薔薇を愛でながらだらだら過ごしたいだろうね。

 

 そこから考えれば、アレクセイは皇族とはいえ次期皇帝では無いし、亡命政府は宮廷行事も減らしているからある意味楽ではある。

 

……どの道禄でも無いけど。

 

『他人事見たいに言うけど、ヴォルターも爵位譲られたら同じ目に合うからね?』

「よし、一生ハイネセンに住むわ」

 

 宮廷に何時間もかけて行くとか嫌です。あれだね、同盟軍人になって正解だね。軍隊入りすれば宮廷行事から逃げられるからね。後方勤務本部の窓際部署で一生昼寝して過ごそう。よし、そうしよう!

 

『禄でも無い事考えているね……言っとくけど、同盟軍も軍拡で予算に余裕無いから窓際部署行く前にクビになると思うよ』

 

 そもそもエリートばかりの後方勤務本部にそんな部署あるのかい?、と続けるアレクセイ。分かっとるわい!現実に戻すな、夢ぐらい見させろ!

 

『それでは。ベアトリクスやホラントにも宜しく言ってくれると嬉しいな』

「前者は頼まれたが後者は本人が嫌がると思うぞ?」

 

 頭を掻いてそう答えると画面のアレクセイが微笑む。鋼鉄の巨人の顔でやるのやめーや。

 

『では……またね(mach's gut)!』

 

 旧友がウインクしながら小さく手を振った所で回線が切れた。

 

「……はぁ、まあ。あいつよりはマシか」

 

色々聞いたが、後は自分でどうにかするしかあるまい。

 

 私は背伸びをして体を解すと立ち上がり退出する。さてさて、どうやってあの不良学生を言いくるめるか……。

 

と、ドアノブに手を掛けようとしたと同時に……一人でに扉が開いた。

 

 ……扉の先には直立不動の姿勢で優し気な笑みを浮かべる従士が背後に十数名の学生を控えさせて待機していた。にこり、と首を傾げながら従士は口を開く。

 

「若様、どちらに御行きでしょうか?不肖ながらこのベアトリクス、御傍で御同行させて頂きます」

 

完璧な所作で御辞宜をして言って見せる少女。

 

「あー、うん。そだね……」

 

……まず、不良学生の所に行くまでが前途多難だなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二十八話 やられたらやり返す、倍返しだ

新アニメ第三話視聴、最大の見せ場は最初の歴史パート。大帝陛下の覇気と気品に溢れた御姿に亡命政府市民達も大満足です。


 遠い、遠い昔の朧気な記憶……恐らく、その頃は幸福であった。

 

 暖かい暖炉に、楓の木で出来たベッド、羽毛の布団にくるまれて、少年は夢心地だった。

 

 朝、日が登り野鳥が囀る頃、着飾ったラッパ手達が街を周り音楽を奏でて人々を起こす。大昔、偉大なる大帝陛下が不健全な生活を送る臣民を哀れみ、正しい生活を指導するために始めた事だ。朝早くと夜に音楽が流れる。人々はその音楽に従って起き上がり、そして帰宅してベッドに潜り込むのだ。

 

 だが、夏は兎も角冬は難敵だった。どれだけ毛布を被ろうとも、いや寧ろだからこそ暖かな布団から飛び出すのは至難の技だった。

 

 けれども、早く出なければならない。特に彼の家族は直ぐ様ベッドから出なければならない義務があったのだ。遅いと鞭で尻を叩かれる。

 

 嫌だなぁ、とは思うが仕方の無い事なのだ。近所の友人達とは違うのだ。自分達は皆の見本にならないといけないのだ。それが我が家が大昔に皇帝陛下に与えられた役割だから、と聞いていた。

 

 だが、冬の寒さはなかなか手強い。ちょっと足をふとんから出すと冷たい空気にすぐに引っ込めてしまう。

 

 ううん、と呻く。困った。早く起きないといけないのに……。また尻を叩かれたくない。そんな事に合うくらいなら巨大なフェンリル狼に丸飲みされた方がずっとマシだ。だってお爺さんは怖い位に的確に痛い場所を叩いてくるのだから……。

 

 この世の終わりのように再び呻く。と、軋む音と共に扉が開く。

 

 ビクッと震える少年。もう来たの?顔を真っ青にする。

 

「あらあら、まだおねむなのかしら?仕方ない子ねぇ」

 

しかし、その優しい声を聞いて少年は安堵する。

 

「ムッター、まだ寒いよ……」

 

 毛布を抱えてようやく起き上がる。毛布の隙間からちょこっと顔を出すとそこには優しげな女性がいた。

 

 薄い紅茶色のふわりとした長髪に青紫の瞳、上品で、しかし何処か儚い雰囲気を醸し出す女性は、微笑みながら少年を抱き締める。

 

「仕方ない子ねぇ。ほら、ぎゅーってしてあげるから立ちましょう?」

 

 そういって強く抱き締めながら少年を持ち上げる女性。仄かな香水の香りがした。甘い、優しげな香りだった。

 

 そして、ちょん、と床に足がつく。ひんやりとした冷たさに身震いがした。

 

 見上げるとくすくす、と笑いを堪える女性に、少年は機嫌を悪くする。

 

 ぷいっ、とそのまま去ろうとして彼女は慌てて少年を引き留めた。

 

「あらあら、ご免なさい。そんなに怒らないで?ほら、スリッパよ。ちゃんと履いて、足が冷えないようにね?」

 

毛皮のついたスリッパを履かせる女性。

 

「さぁ、もういいですよ?……おはよう、ワルター?」

 

 

 

 

 

「………朝、か」

 

 目覚まし時計を殴りつけて黙らせたシェーンコップは目を見開くと小さく呟いた。

 

……ワルター・フォン・シェーンコップの朝は早い。

 

 明朝0700時起床。築50年の歴史を刻む古臭……趣深い室内にはベッドと木製のデスク、同じく木製の本棚には科目やサイズ事に華麗に纏められた参考書が収納されている。床を見れば骨董品を中古と値切って買い取ったキャリーバックが置かれていた。

 

 カーテンと窓を開く。仄かに暖かい恒星バーラトからの日光が室内を照らす、だが同時に未だ残る冬の寒さが襲いかかり彼は僅かに身震いする。

 

 だったら窓を開けなければいいのに、とも思うが彼は毎日殆ど日課のようにこの換気を実行していた。いや、してしまうのだ。バーデンに住んでいた頃、布団にくるまり朝の寒さから立て籠っていた時、厳しい祖父が必ず自分を引き摺り出して臭いが籠ると言って窓を開けていた。

 

 ベッドから起き上がると共にシェーンコップは洗顔と洗口を冷たい水で行う。鏡を見ながら剃刀でうっすらと生える髯を剃る。だらしない姿をする事を祖父は許さなかった。

 

 身嗜みを整えたら軽く運動を行う。ジャージに着替えると僅かに霧がかった市内をランニングするのだ。

 

 約4キロ……それが故郷……正確にはこちら側の宇宙に来てからの彼の朝の習慣だった。

 

 冷えた空気が顔を乾燥させる。体は内側から火照り、呼吸は次第に荒くなる。口の中は鉄の味がした。

 

 軍人を目指して……いや、それは違った。確かに今ではその意味合いもあるが彼は元々軍人を目指してなぞいなかった。体を鍛えるのはそれこそ物心つく前からの習慣であった。

 

 息切れするほど走った所で彼はジョギングに切り替えてゆっくりと歩み始める。日が登り暖かくなる。ジャージのチャックを下ろし、スポーツドリンクを飲みながら行きつけの店で朝食を取るつもりだった。

 

 0900時……安っぽい、庶民風のダイナーレストランのカウンターに座るとそこでシェーンコップはようやく表情を柔らかくする。

 

「おや、また来たのかいワルターの坊や」

「当然ですよ、御婦人。この店はこの街一番のアップルパイがありますからな」

 

 年期の入った皺の目立つ店長に恭しく礼をして答えるシェーンコップ。

 

「煽てたって何も……いや、精々フライドポテトが出てくる位だよ?」

 

 そういってがさつに油からすくいだした湯気の出るホクホクのフライドポテトを安いプラスチック製の皿に載せテーブルに置く。

 

「いやいやマダムの施し恐れ入りますよ。貧乏な苦学生の身にとっては正に女神の恩寵でございます」

 

 きざっぽい言葉で感謝の言葉を口にする学生に店長は肩を竦めて口を開く。

 

「全く口ばかり旨い子だねぇ。ほら、注文は?サービスばかりだとウチは潰れちゃうんだから」

 

そういって笑って注文を催促する店長。

 

「そうですなぁ。……シリアル、ミルクとドライフルーツ入りを一つ。それにオムレツ……添え物は適当に。後デザートにアップルパイ、ミルクティーも頂けますかな?」

 

乱雑に書かれたメニュー表を見て不良学生は注文する。

 

 注文が来るまでの間行うべき事は一つだ。フライドポテトを片手でつまみながら物理学の参考書を片手で読み耽る。7つある陸戦軍専科学校の中でも最難関校として知られるテルヌーゼン陸戦軍専科学校に合格するのは容易ではない。

 

「いいのかい、坊や。お前さん士官学校に合格したんだろう?わざわざそれを蹴って軍専科学校を受験なんて物好きな事よねぇ?」

 

 ミルクティーをカウンターに出した後、フライパンで卵を焼き、挽き肉と刻んだ野菜を入れながら店長はぼやく。

 

 下士官養成機関たる軍専科学校とはいえ、決して同盟社会で軽視されるものではない。陸戦のほか航空、通信、航海、機関、法務、医務、経理等各分野に特化した下士官は高度に分業化の為された現代軍隊において兵卒と同等近い数とそれを遥かに凌ぐ専門知識を要求される。

 

 まして下士官になるには専科学校を卒業する以外には兵卒から兵長に昇進して改めて下士官教育を受ける必要があるが兵卒の大半を占める徴兵組は任期制であることもあって滅多にそこまで昇進しないし、兵学校卒業生は昇進自体は難しくないが積極的に前線に投入される彼らの内どれだけが生きて兵長になるのかを考えれば下士官になることの困難が分かろうものだ。

 

「いやね、確かに合格はしたのですがね、あのお利口さんばかりの空気が妙に鼻につきましてな。人間、自分の身の丈にあった所に行くのが一番だと気づかされましたよ」

 

 そう苦笑する不良学生。その笑みは不敵に見えたが見る者にはほろ苦い感情があることを察したことだろう。

 

 シェーンコップとて内心では決して軽い考えで諦めていたわけでは無かった。飄々とした表面を取り繕うのは生来のものでは無かった。この外面は天涯孤独の身となってから被った仮面に過ぎない。

 

「……ハイネセンまで来て、あんな虚飾に彩られた場所で暮らすのは御免ですよ」

 

苦虫を噛みしめるようにそう吐き捨てる。

 

「……ほら、出来たよ。御食べな」

 

 乱雑にアルミ製の皿に具入りオムレツを入れると、これまた大雑把にとベーコン、ザワークラフト、ベイクドポテトを添えてカウンターに置く。続いて業務用のシリアルを硝子製の皿に流し込み、ドライフルーツとミルクを注ぎ、スプーンを突き刺し置いた。

 

「お、これはまた美味そうですな」

 

 大量生産された業務用食材でがさつに作られた料理、何十年にも渡って職業軍人を目指して学問に励む苦学生の胃袋と財布を支えてきたメニューである。塩味と砂糖、香辛料で強く味付けしたそれは繊細な味付けからは程遠い。

 

 だが、だからこそ彼には好みであった。ハイネセンまで来て、なぜ嫌な故郷の味と二人三脚しないといけないのか?

 

「……にしては、結構美味そうにポテト食うよな?」

「……伯爵様、どうしてここにおられるので?」

 

 したり顔しながらキッチンでコックの服装をする門閥貴族様にシェーンコップは憮然とした表情で呟いた。

 

 

 

 

 

「いやぁ、窓から出ても、換気口から抜けようとしても、塀を登っても普通に先回りするんだよな。で、思った訳よ。もう、これ引き連れたまま行こうってな。」

 

「外にテイクアウトしたフライドポテト片手に見張る奴らが2ダースいる理由は分かりました。で、なんで私の前でコックのコスプレをしておいでで?」

 

 シェーンコップは少し不快そうな表情でオムレツをフォークでつつく。

 

「二点理由が御座います。一点目は若様がこのような店にいるなどと言う事衆目に晒される事を防ぐ目的です。もう一点が貴方様から受けた恥辱を返すのは伯爵家の名誉のため当然です」

 

 尤も、態々若様が着られる必要性は低いのですが……、と淡々と続ける従士。彼女からすればいっそ夜に後ろから闇討ちすればいいのに、等と真顔で考えていた。と、いうか意見していた。私が「受けた恥は同じ方法で報復してこそ意味があるのだ」と偉そうに、そしてこじつけながら演説すると目を輝かせて賛同してくれたけど。目には目を歯には歯を、という考えが普通に肯定される帝国の法曹界と道徳は最高にクールだ(の割に身分毎に処罰が違う事を当然視出来るのは謎だ)。

 

「子供ですかな?態々それだけのためにこんな事を……御婦人も人が悪い。私を裏切ったのですかな」

「いやぁねぇ。坊やは小生意気で可愛いけど、あれだけテイクアウトしてもらったらそう悪い事は出来ないからねぇ」

 

意地の悪い笑みを浮かべる店長。肩を竦める不良学生。

 

「これは参りましたな。まさか包囲殲滅陣を敷かれるとは。伯爵殿、貴方暇人ですかな?」

 

 心底呆れた表情でシェーンコップは尋ねる。ベアトはその態度が気に入らないのか目を細めるが私は手を上げ許すように命じる。

 

「なかなか辛辣だなぁ。傷つくぞ?これでも結構……いや、かなり忙しい人間なんだけどな」

 

 貴族……というだけで忙しいのだ。まして出来の宜しくない私は一層大変なのだ。暇そうだったり遊んでいるように見えるのは気のせいだ。……気のせいだって言ってるだろ!

 

「……まぁそう必死に訴えるのでしたらそういう事にしておきましょう。それで?伯爵様はまた性懲りもなく私を引き留めに来たのですかな?」

「まぁ、そんな所だ。女々しいかな?」

 

カウンターで向き合う私は頬杖をしながら尋ねる。

 

「と、いうよりも高慢といえますな。ここは自由惑星同盟ですぞ?自由・自主・自尊・自律を国是とする民主主義国家です。私がどこに行こうと自由だし、それを引き留める権利は貴方には無い筈だ。そうでしょう?」

 

 試すような挑発的な口調でシェーンコップは私を見据える。

 

「無礼ですよ……!」

 

ベアトがきっ、と睨みつける。

 

「ベアト、いいから下がっていてくれ。いや、その通りだ。私には貴方に命令する権利なんてない」

 

 私の態度を見て、笑みを浮かべるとオムレツを完食してミルクティーを手に取る不良学生。

 

「貴方の従士殿は御顔は宜しいが少々怖い所がありますな。……そこまで分かっていてなぜここに?」

 

ミルクティーを一口飲むとそう尋ねるシェーンコップ。

 

「それでも来ないといけないのが私の辛い立場、て所かな?貴族も大変でね。……そんなに士官学校の険悪な空気が嫌いかね?」

「……調べましたか?」

「まぁ、そこの従士に頼めばこのくらいの話題なら仕入れてくれますので……」

 

私は複雑な表情で答える。

 

 士官学校試験の結果発表の日の事だ。悠々と試験に合格したシェーンコップはそのまま手続きを終えて帰途につこうとしていた。だが、その途中の学校敷地内で少女が複数の学生に絡まれている所を目撃した。少なくとも仲の良い雰囲気では無かった事もあり駆けよれば絡んでいた学生は士官学校の上級生らしかった。一方、絡まれて縮こまる少女はシェーンコップと同じ亡命者系の試験合格者だったらしい。

 

 知り合いから天然……というよりどんくさいと以前から有名だったらしいその少女は士官学校への入学により舞い上がってしまったようだった。子供のようにはしゃいでアプフェルショーレ(帝国の大人気炭酸飲料、アップルジュースの炭酸水割りの事だ)片手にスキップして……案の定コケてペットボトルの中身をぶちまけた。

 

 それだけならまぁ、笑い話で済んだのだろうがその中身が近くを通りがかっていた上級生の頭に盛大にかかった事と彼らが所謂同盟の「良い所の坊ちゃん」だった事が一層事態を複雑にした。

 

 咄嗟に謝ればまだ良かったのだろうがこの少女、見事に(本人は真面目なつもりだったのだろうが)慌てて対応を何度も間違えて相手をキレさせてしまったらしい。しかも亡命者の子孫という事に気付かれたのが止めであった。

 

そうした状況で来た不良学生を上級生達が歓迎する筈もない。そして……。

 

「騎士道精神発揮したわけ、でいいかな?」

 

3歳年上の上級生4名をのした訳だ。

 

「……騎士道精神なぞと言われるとは不愉快ですな。唯ああいった家の格を誇るだけしかしない輩は嫌いでしてな。後、女性に対しては紳士らしく丁重に扱うべき、と指導するべきと思い至っただけですよ」

 

 デザートのアップルパイを齧りながら私を不快な目で睨みつける。家の格を、ね。私も同じ穴の貉扱いなんだろうなぁ……。

 

「それで、貴方が紳士として彼らを指導したわけですか。そして結果は……」

 

 教官達が駆け付けた所で事情を訴えた不良学生。だが、結局全てはうやむやになった。教育された学生達は怪我をしていたし、一対多数で余り誇らしくない結果、しかも亡命者の少女に絡んでいた事情から決して不良学生が弾劾される理由はない。だが学生達は決して無能な輩では無かったし、家の問題もある。双方共に処分する訳には行かなかったらしい。少なくとも駆け付けた教官達は双方不問にする事で落とし前をつけた。

 

 甘い、或いは日和見的な対応だが、仕方ない面もあった。片方のみ処分すると大概処分された方の派閥が抗議なり騒動を起こすなりするのは珍しくないのだ。その意味では同盟の民度は帝国の貴族社会と良い勝負だ。

 

「別にそれについてそこまで失望はしてませんよ。彼のリューネブルク伯爵の事件がありますからな」

「しかし、不愉快だ、と?」

「……柵だらけの学校より、行儀が多少悪くても自分らしくいられる所が好みでしてな」

 

最後のパイを口に放り込み、ミルクティーで流し込む。

 

「マダム、丁度置いておきますよ」

 

 カウンターに96ディナール置くとそのまま出て行こうとするシェーンコップ。

 

「おい、まだ話は……」

「終わりましたよ、従士殿。私はあそこには行きません」

 

 ベアトの抗議にそう答える不良学生。まぁ、そうだよなあ。

 

「……まだ諦める訳には行かないから何度か御邪魔するぞ?」

「どうぞ、御勝手に」

 

 ぶっきら棒に答えるシェーンコップ。そのまま新品になったばかりの扉のドアノブに手をかける。

 

「……後、これだけ言っていいか?」

「……なんですかな?」

「……大事な同胞を助けてくれた事を感謝する。……ありがとう」

 

 私は会釈しながら感謝の意を告げる。臣民の規範にして保護者たる門閥貴族として、同胞を危機から救ってくれた事に感謝するのは当然の義務だ。

 

「……まぁ、貰える感謝は貰って置きましょう。どこぞの宗教ですと徳を積めば来世への貯蓄になるらしいですからな」

 

皮肉気に冷笑を浮かべシェーンコップは出ていく。

 

「……無礼な者です。金を積んで成り上がったのとは違い、由緒ある血筋とはいえたかが帝国騎士が伯爵家にあのような態度……」

 

 心の底から侮蔑するような態度で扉を睨みつけるベアト。

 

「はぁ……振られたな。どうするべきかね。これ……?」

 

 魔術師様さぁ、マジどうやってあれを御していたのかね?

 

私は小さく溜息をついた……。

 

 

 

 

 店の周囲をフライドポテト片手に屯する学生達を一瞥しながら不良学生はふと呟いた。

 

「ありがとう、ね」

 

 鼻持ちならない上級生を黙らした後、怯える同胞を連れてお仲間の下に連れて来た時の事を思い出す。

 

 事情を聴いた合格者の代表は少女を怒鳴った。面倒なトラブルを起こしやがって、と詰った。そして心底困った表情をしていた。

 

 その態度に憮然として半泣きの少女を庇った。まずは同胞の無事を喜ぶべきだろうに。そして理由を尋ねた。被害を受けた同胞に向ける態度とは到底思えなかったから。

 

 その代表は答える。その少女は合格者の中で最下位の成績で合格した者だったらしい。期待されていない半分数合わせのために派遣された者だったそうだ。しかも一応帝国騎士階級であったとはいえ3代も歴史が無い、しかも出自は帝国騎士の階級が投げ売りされていたオトフリート5世の時代に金で買った小金持ちの平民である。そんな人物がハイネセンファミリーとトラブルを起こしたのだ。

 

 後で亡命政府や士官学校亡命者親睦会の幹部……門閥貴族が相手側と面倒な交渉をする事になる筈だ。

 

 大貴族様の御手を煩わしやがって、同じ帝国騎士でも大帝時代からの歴史を持つ血筋を引く代表の学生は蔑みと敵意を持って少女を睨みつけていた。周囲の他の者達もその態度は同様だった。

 

 好意的だった、と言う訳では無い。寧ろ嫌いだった。だが……シェーンコップが軍人を目指したのは心の何処かに騎士としての誇りが残っていたからだ。祖父のその厳しい躾から身に染みた帝国騎士としての感性を不良学生は半分嫌いながらも残りの半分は幻想を抱いていた。

 

 騎士として、貴族として臣民の規範となり、帝室に忠義を捧げ、同胞の盾として生きる……自嘲しつつもそこに一抹の憧れがあった事は否定出来ない。そしての受付で今日の飯のために郷土臣民兵団(ランドヴェ―ア)に宮仕えしていた頃、新聞でその記事に目を通したのだ。

 

 リューネブルク伯爵の起こした小さな事件に半分不貞寝していた不良学生の守護天使が目覚めた。その日その日をただ惰性に生きていた彼はそこに一抹の期待を寄せて似合わない位に勤勉に学習した。

 

そして、ようやく合格して……現実に幻滅した。

 

 士官学校にあるのは……そこを支配するのは仮初の名誉と虚飾に塗れた栄華だ。何が自由の戦士達の家か。士官学校にあるのは唯の醜い差別と縄張り争いだ。そしてそこに一角を占める亡命者の社会は文字通りの階級社会であり、上の者のために下の者が犠牲になる社会だ。上の者が、高貴なる貴族が下の者を守るなんて幻想と建前に過ぎない事を理解した。

 

 代表が不良学生の家名からすぐに出自を理解し好意的に接した時、すぐに士官学校を辞退する事を決めた。ここは自分の求める物はない。いや……自分の追い求めた物それ自体が元から無かったのか?

 

「……民主主義も、貴族の義務も、何も信用出来ないのですよ」

 

 したくても、出来ないのだ。全ては建前に過ぎない。現実は非情で醜悪だ。

 

「伯爵様、貴方はどう思いますかね?貴方は貴族の現実に幻滅していないのですかな?」

 

 どれだけ臣民の規範たれ、と口にしようとそれを果たしている者がどれだけいるか?

 

「………なかなか、尽くすに足りる社会も、国も、人もいないものですな」

 

 この頃、ワルター・フォン・シェーンコップは民主主義にも貴族の誇りにも、全てに諦観を抱きつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




不良中年を書くのがムズイ


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第二十九話 上条さん、同族がこちらにおりますよ?

 クロイツェル家は銀河帝国における帝国騎士家の一つであった。

 

 尤も、帝国騎士とはいえ、その家名は決して誇れるものでは無い。

 

 クロイツェル家はオトフリート5世の皇太子時代に帝国騎士に二等帝国騎士に叙任された家である。

 

 一説では少年時代の不遇な生活から貧乏性になったとも言われるが、ともかく皇太子時代から異様な程にドケチで有名だったオトフリート5世はありとあらゆる手段で国庫の貯蓄に勤めた。

 

 平民に対して十を越える新税をかけただけでなく公共事業費を半分以下に削減、後宮を含む人員と宮廷費用の削減、宇宙艦隊の弾薬消費量にまで制限をかけた。

 

 それでもまだ足りないと考えたらしい。遂にジギスムント2世以来の貴族位大セールまでやった。数千、いや万に届く数の帝国騎士家と従士家が乱立した。

 

 また、この頃から大貴族が勢力を増した事は有名だ。この時に大貴族は自身の家臣達を大量に新しい従士家として登録したからだ。ブラウンシュヴァイク公爵家やリッテンハイム侯爵家は優秀な自領の富裕市民や既存従士家の分家を新たに大量に取り立てた。

 

 クロイツェル家もまた辺境の鉱山開発で財を成した成り上がりの資産家の一族であった。投資家らしく目敏く底値を見定め、たったの150万帝国マルクで宮廷から帝国騎士の地位を購入した。ルドルフ大帝やジギスムント1世の時代ならば帝国騎士とはいえ帝国と帝室を支える家臣として新無憂宮で式典が開かれ、皇帝から直々に家紋と剣を与えられたものだが当然そんな事は無い。貴族であると示す賞状と適当に決められた家紋の刻まれた判子が宅配便で来た。伝統も情緒もありやしない。たかが帝国騎士が(正確には二等帝国騎士が、であるが)、と門閥貴族が馬鹿にするのも納得だろう。

 

 そんなクロイツェル家にも一応……少なくとも当主には成り上がりとはいえ貴族としての誇り、いやプライドがあったらしい。当主の次男は父が探してきた別の新興帝国騎士家の三女との婚約なぞ眼中に無く、親無しの下町の飲み屋の娘に花束を持って求婚した。

 

 どこの馬の骨とも知れぬ小娘との結婚なぞ言語道断ではある。だが一応は自身の血を引く可愛い息子の選択である。これに対して当主は妥協点として妾としてならば関係を持って良いと伝えた。妾ならば大貴族の中にも下町の小娘を拉致してそのまま手込めにするような放蕩者もいないわけではないのだ。

 

 だが、その息子はあくまで添い遂げる相手としてその娘を愛していたらしい。文字通り駆け落ちしてしまった二人に対して当主が取った選択は、警察への通報だった。

 

 腐っても貴族である。薄汚い平民に息子が唆され誘拐されたと当主は警察に訴えた。男が女を誘拐したなら兎も角、女が男を誘拐したと真面目に語る当主に受け付けた帝国警察は半分呆れた。

 

 だが、それでも貴族の訴えである。これがミューゼル家の場合のように相手が門閥貴族なら黙殺されただろうが相手はただの平民である。クロイツェル家の訴えに対して帝国警察は動いた。

 

 貴族の名誉を守るのは帝国警察の義務である……というのは建前で、加害者とされた平民の小娘が思いの外美人であった事が本当の理由だ。帝国警察、特に貴族関係の部署の堕落具合は有名である。貴族様に逆らった平民を問答無用で逮捕し、その資産を無断で接収して、その家族が行方不明になるのは珍しくない。ホフマン警部のように高潔な警察は帝国では少数派なのだ。

 

 警察の捜索を察した男はこれ以上帝国では暮らせない事を確信した。そしてなけなしの貯金を全て使って亡命を決意した。

 

 とあるフェザーン商人に頼み、同盟に輸出する積み荷に紛れこんで無事同盟に亡命する事に成功した。

 

だが、そこで気付いた。同盟公用語が話せない事に。

 

 ……少々この夫婦は後先考えず情熱のままに行動しすぎでは無かろうか?

 

 ……そんなわけで帝国公用語が通用するアルレスハイム星系政府の下に移住した夫婦は、星都ヴォルムスの郊外で現在4人の子供と共に宮廷と距離をおいて気楽に、平和に暮らしている。

 

 ローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェル16歳はそんなクロイツェル家の末妹であった……。

 

 

 

 

 

 

「ふぇぇぇ……どうしようどうしよう!?」

 

 青紫色に光る瞳に肩までかかる薄い紅茶色、と評すべき髪が特徴的なローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェルはクレーフェ侯爵の屋敷(士官学校入学試験を受けるために亡命政府から送り込まれる者は全員宿泊を許されている)の自室のベッドの中で枕で顔を押さえて悶える。

 

「うううう……どうしてこんな事になったのぅ?」

 

半泣きになりながらクロイツェルは自分の運命を呪う。

 

どこから自分は人生の選択を間違えてしまったのか?

 

 彼女は本来軍人になるつもりなぞ更々無かった。実家は名ばかり貴族、自営業を営み、兄弟達も徴兵を受けたが後方勤務や激戦地以外への派遣だったため五体満足で帰還、予備役の身で今ではそれぞれ仕事に就いている。

 

 自分も軍隊とは縁も無く帝都アルフォート郊外の貴族・平民共同の女子校に通っていた。誇る程では無いがそれなりに優秀であったと自覚している。

 

運命の歯車が狂ったのは軍事教練の授業の際だ。

 

 銀河帝国の脅威もあり自由惑星同盟では建国期、予備役軍人等が教員となり学校で民間防衛や重火器の運用、車両運転等の指導が行われていた。建国期の同盟軍は帝国との本土決戦に際して民間企業や町内会、学校ごとに部隊編成し即席地上部隊を編制、予備保管された小火器で武装して、降下してくる帝国地上軍に対して徹底抗戦する事が想定され、実際ダゴン星域会戦時やコルネリアス帝の親征の際に動員されていた。

 

 無論、当時と比べ国力・軍備が遥かに充実している現在、少なくとも同盟の中央宙域や帝国国境の反対側の辺境域では事実上この制度は有名無実化しており、せいぜい予備役軍人が教壇の上で生徒に戦場経験を話したり、ドキュメンタリー映画を視聴する程度だ。あくまで国境宙域以外では。

 

 シャンプール、ヴァラーハ、エルゴン……これら帝国勢力圏に近い星では、未だに武器の取り扱いを始めとした軍事教育が当然のように行われている。最後の同盟有人星系占領から既に70年近い月日が過ぎているが、長年帝国軍の侵略に恐怖してきた彼らの警戒心は未だに解けていない。いや、寧ろイゼルローン要塞の建設以降は却ってかつてのようにより一層警戒し、一世紀近く前の地下シェルターの復旧作業や星系警備隊の増強、民兵部隊の再結成等が企画され、実施された星もあるのだ。

 

 そんな国境星系住民すら絶句するのがアルレスハイム星系で行われている民間軍事教育だ。

 

 特に学校で行われている軍事教育は相当なものだ。体力があり、成長期の学生は絶好の予備戦力である。貴族専用学校や女子校すら例外無く最新の防空シェルターが設置され、生徒達には銃火器の射撃訓練・車両運転訓練・対化学兵器防護訓練、無線通信・基礎的な戦術指導、医療訓練等が1年に計36日分指導される。それどころか銃火器だけでなく旧式の戦車や装甲車まで学校の倉庫に保管され、整備こそ定期的に専門の予備役軍人が行うが普段から教師や生徒が訓練として運用、他学校との交流と称して実戦を意識した対抗演習までしているのだ。

 

 無論、実戦での戦果がどれほど期待出来るかは怪しい。相手は職業軍人であり、冷酷無慈悲で知られる帝国地上軍と宇宙軍陸戦隊、そして泣く子も黙る装甲躑弾兵軍団である。それでも陽動や数合わせ、最悪時間稼ぎの肉壁としては利用出来る。一度文字通り衛星軌道から無慈悲な爆撃の嵐を受け、毒ガスや生物兵器をばら蒔かれ、降下してきた数百万の帝国軍との血みどろの地上戦を経験したのだ。中央宙域の住民は半ば観光名物として見ているが当の亡命軍や星系政府は本気でこれらの指導を行っていた。

 

 彼女もまた学生の当然の義務としてその教練に参加していた。そして運が良いのか悪いのか、普段不器用でとろくさいのに、重要な時に限って平均以上の成績を出してしまった。

 

 機甲部隊の野戦演習にて腐っても貴族と言う事もあり平民の同級生達を率いていたのだが、彼女の部隊は予想外の場所で対抗部隊の車列と遭遇してしまったのだ。

 

 相手部隊は軍人貴族のお嬢様ばかりが入学する事で有名な名門女子校。メンバーは当然軍人貴族の子女で固められた部隊。幼年学校、とまではいかなくと現役軍人ですら貴族のお嬢様、と馬鹿に出来ない程度には優秀だった。 

 

 ……そんな相手に対してクロイツェル達は絶好の位置で奇襲同然の遭遇をした。

 

 魔術師が士官学校の学年首席相手に策に嵌めたのとは訳が違う。道に迷って進んだら鉢合わせして相手の横腹を突く形となっただけの事、完全な偶然だ。そしてそのまま勝利した。してしまったのだ。

 

 そのせいで教師や出向していた予備役軍人の注意を引いてしまったらしい。亡命軍下士官候補生に推薦された。……されちゃったのである。

 

 因みに武門の誉れ高い門閥貴族出身だったらしい相手部隊の指揮官は、涙目で彼女を呪い殺さんばかりに睨みつけていた。直後に余りに散々な結果に怒ったのか、保護者だろう貴族将校に怒鳴られ顔を蒼白にしていた。

 

 徴兵や同盟他星系からの募集、フェザーン人傭兵の雇用、捕虜収容所の帝国軍人から志願兵を集めている亡命軍とはいえ、元の人口と前線での激しい消耗を勘定に入れるとその人的資源は決して余裕があるとはいえない。才能や見込みがある学生を兵士・下士官・士官候補生として特別教育を実施、各軍学校、特に有事に向けた予備役軍学校に入学させるのは良くある事だ。

 

 無論法律上の取り決めは無く、星系憲法で就職の自由は保障されている。強制では無い。だがこの誘いを断ったら大体町内会から村八分される。有力な門閥貴族の子弟ですら逃亡すると元農奴に拘束される事を考えれば当然だ。

 

 本人も家族も最初困った。が、良く考えるとチャンスでは無いかと思い至る。

 

 星系の歴史的に軍人が尊敬される文化がある。しかも予備役とはいえ職業軍人の下士官になれば手当や特典がつくし、結婚の際も箔が付く。案外良い手ではあるまいか(現実逃避と言ってはいけない)?

 

 そんな逆転の発想に辿り着き両親の応援を受け、将来の玉の輿狙いで下士官候補生として努力した。そして……少し頑張り過ぎた。

 

 時に同盟軍の大規模な人員拡大期と重なっていた。一層の影響力拡大を目指し、亡命政府は少しでも同盟軍軍学校入学の可能性がある者をハイネセンに送り付けた。そして彼女も白羽の矢が立ってしまった。

 

 亡命軍予備役下士官を目指すつもりが同盟軍に入る事になりそうになった彼女。更々入るつもりなぞ無い。軍専科学校では無く士官学校を志望した。受かるつもりは無い。士官学校ならばどうせ受からないだろう。受けたが落ちた、そう言い訳して故郷に帰れば良い。

 

 ……クレーフェ侯の屋敷に出向していた曹長さんと仲良くなるんじゃなかった。なんで教えて貰った内容ドンピシャなの?意味分かんないよぅ……。

 

 彼女より成績が上の者が次々落ちた中、ギリギリ、文字通り下から3番目という首の皮一枚で合格してしまった彼女、周囲から祝いの言葉と嫉妬からの僻みの言葉を浴びせられる中、彼女は死んだ魚の目をしていた。

 

 入校受付手続きを受ける間文字通り半泣きであった。受付嬢は嬉し涙と思ったようだが、違う、ガチの絶望からの涙だ。

 

 予備役軍人ならまだ良い、だが現役の……しかも同盟軍士官なんて!?

 

 故郷で慎ましく暮らせればそれで良かったのに!内心で呻きながら慟哭する。

 

 彼女の家はほかの亡命貴族と違い、別に貴族らしい気質なぞ無い。政治的理由で亡命したわけでは無いし、迫害を受けた事もない。戦死した家族がいないし、家の歴史も薄っぺらいので重みなぞ無い。

 

 さらに言えば周囲に比べ帝室への忠誠心は薄い、かといって皇族の馬車を囲んで「貧しき民衆の歌」を合唱する共和派ほど狂信的に民主主義を信奉しているわけでもない。当然オリオン腕に巣くう賊徒共への敵愾心なんか大して抱いていない。固い信念なんかこれっぽっちも無いのだ。

 

それがなぜ士官学校に入学してしまったの!?

 

 半分ヤケクソになっていた。信念も無いのに戦死の可能性のある職業軍人になる事になったのだから。夕陽をバックにアルコールも入っていないのにアプフェルショーレを暴飲して酔っ払い、喚いたりへらへら笑いながら全力で現実逃避を開始する。

 

 大帝陛下は我を忘れる程酒を飲む者やアルコール依存症患者は人類社会の理性と秩序を乱す悪徳の使徒である、なぞと宣わったが知るものか!どうせハイネセンに社会秩序維持局や社会正義擁護委員会の職員はいないのだ。

 

「馬鹿士官学校っ!どいつもこいつももっと死ぬ気で勉強しろ~!私みたいな酔っ払い小娘が合格しているんだぞ~!?情けないと思わないのかこの蛙食い(froschschenkel)共め……ってぇ!!?」

 

ふらふら足でそう叫びながら大股で歩いていると……足が絡まりこけた。

 

 そして掌からすぽっと跳んだペットボトルが……通りがかっていた士官学校の在校生達の頭にぶちまけられた。

 

「あひっ……?」

 

 彼女は唖然とした。そして次の瞬間酔いが醒めると共にパニクッた。

 

「ええええと……!?これはですね、決して故意ではなくて!鬱憤晴らしで!?そして本当やる気なんか無かったんですけど…a……Es tut uns sehrleid……!?nein…a……a……Es tut mir leid!?nein……nein

…Wenn……ich in verschiedenem Alliance official amtssprache!?」

 

 途中から慌てて話すため常用している帝国公用語を口走る。しかも早口で呂律が回らない。正直自分でも何を言っているのか不明である。

 

 アプフェルショーレをダイレクトに被りべたべたになった学生は彼女の言葉が帝国公用語である事に辛うじて気付く。同時に強烈に不快な気分に襲われる。

 

「同盟の寄生虫が……」

 

 長征一万光年(the longest march)……アルタイル星系での偉業を成し遂げた「汚らわしい賎民」を始祖に持つ彼は内心は兎も角、少なくとも下級生に虐待や暴行をして結果的に顎の骨を砕かれた国防委員会の息子程に亡命者に差別的なわけでも、性格が歪んでいるわけでも無かった。

 

 唯、先ほどまで士官学校に落ちて大泣きしていた弟を慰めていた身からすれば合格者用の受付口の方向から来た目の前の小娘の試験結果がどうなのかは分かり切っていた。そして頭から帝国名物の大衆飲料をぶちまけられたのだった。虫の居所が良い筈もない。

 

 そうなると思ってしまうのだ。少し脅して泣かせるくらいならば構わないか、と。

 

 ようは、彼女はどんくさく、何事につけても間が悪く、不幸な少女であった、と言う事だ。

 

「あああ……!私のせいなのぅ!?」

 

 当時のことを思い出して再びベッドの上で呻くクロイツェル。

 

 あの後バリトン調の少年……後で同じ帝国騎士(格式は遥かにあっちが上だけど)に助けられたものの、同僚達からはこっ酷く叱られた。唯でさえ去年「鼻持ちならない賎民の末裔共」とのトラブルがあってデリケートな時期なのだ。それを、式もやってない内からトラブルを起こせばその結果は残当であった。

 

 ……半分くらいは彼女に対する妬みや不満もあるのも事実だが(成績的にも努力量的にも合格した事に納得出来ない同僚も多かった)。

 

「うううぅぅぅ……どうしよう?あの人学校辞退するんだよね?」

 

 屋敷を貸してくれている侯爵様は気にしなくて良い(リーゼロッテ新曲「Lass uns mit mir spielen!」を聞いていた)、と言ってくれるがタイミング的に明らかに自分に責任の一端があるとしか思えない。共にハイネセンに来た同僚の代表は文字通り神経質な顔で関係各所に弁明に行っていた。試験勉強していた頃よりやつれているのは多分気のせいでは無い。

 

「ああぁぁ……なんかお腹痛くなってきた」

 

 うーうーと呻きながら胃薬を飲む。演習でまぐれ勝利してしまってから胃薬は肌身離さず持っている友である。

 

「……これ、やっぱり私がお願いするしかないよね?」

 

 何が気に入らなかったのか不明だが、ここは取り敢えず誠心誠意頼み込むしかない。というかしないと立場的にヤバい。家族が村八分になる。伝統も歴史も無い量産型帝国騎士が門閥貴族の手を煩わせるなぞ論外である。

 

「……よし、行こう!」

 

思い立ったがすぐ行動である。

 

 確か行きつけの店がある事は同僚から聞いていた。士官学校で学生をしている伯爵様……だったと思うが、生徒がその店で例の帝国騎士を説得しに行っているらしい。警備要員で同僚も幾人か出向いているから場所は聞いていた。

 

すぐに上着を着て屋敷を飛び出る。

 

 そのまま市街を走り抜ければ街並みががらりと変わる。赤煉瓦と木製の住宅街がコンクリートと鉄鋼のそれに変わる。建物の個性が無くどこか寂しい街並みに彼女には思えた。

 

暫く街を探索しているとその店を見つける。

 

「あれだ……!」

 

 腕時計を確認、今の時間は1830時、恐らく夕食を取っている頃だろう。すぐさまなぜか店に似合わず真新しい扉に向かいドアノブに触れる。

 

「お邪魔……」

「悪いですが私は大人数で食事は嫌いでしてね。それではお暇させてもらいます」

「ふぇ?……ふんぎゃっ!?」

 

 扉が次の瞬間勢いよく開きクロイツェルの顔面に直撃、小さな悲鳴を上げぶっ倒れる帝国騎士令嬢。

 

「………これは失敬………あー、気絶してますな」

「……そうだな」

 

 突然の事に先ほどまで話していた貴族二人は顔を見合わせる。

 

「………取り敢えず運ぶか?」

「………ですな。御令嬢を外に放置は忍びなさすぎる」

 

 取り敢えず回収作業に入る事にする二人。一方、顔面に直撃を受けた当人は目を回しながら気絶していた。

 

 ローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェルは本当に、本当にタイミングの悪く不幸な少女だった。

 

 

 




「貧しき民衆の歌」はまんまレ・ミゼラブルの「民衆の歌」(youtubeで映画内で歌うシーンが見れます)。銀河帝国皇帝の前で歌っても処刑されない亡命政府はとても民主的(不敬罪の代わりに名誉棄損罪で拘束しないとは言っていない)

クロイツェルの参加した演習は宇宙歴版ガルパン(スポーツでは無くガチ)、相手チームはドイツ繋がりで黒森峰学園服がイメージ。


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第三十話 フラグは誰に立っているのか分からない

少し長くなりました。




「貴方もなかなかまめな人ですなぁ。何度来ようと無駄足だというのに」

「いやいや、試合は最後の5分間が勝負って言葉があってな。諦めたらそこで試合終了なんだよ。諦めなければ希望は残るんだよ」

「薄紙のような希望ですな、子供向けテレビアニメの台詞を言われても説得力がありませんよ?」

「あの~、アップルパイおかわりいいですかぁ?」

「若様、お待ち下さい。毒がないか確認致します」

 

古臭い店内にて夕食を摂る貴族連中である。

 

 交渉からそろそろ一月が過ぎようとしていたとある一日、私は今日も勝算の薄い勧誘を続けながらカウンター席に座り、雑多な料理を食べていく。尚、座席にはじゃがいも料理と肉の腸詰めと珈琲ばかり注文する黒服にグラサンの集団が占拠しているが私達とは関係無い。きっと関係無い。……関係無いって言ってるだろ!

 

「全く、呆れ果てたものですよ。ここまで分かりやすいと逆に滑稽ですな」

「わざとだろう?威圧感凄いからな」

 

ひきつった表情で私は目をそらす。

 

 身長180センチメートル以上、体重75キログラム以上、体脂肪率7%以下が帝国地上軍三大精鋭たる装甲躑弾兵軍団加入の最低条件である。しかも恐らく実戦経験済み、死線を幾つも潜り抜けただろう盛り上がった筋肉体美を有する屈強な男達がダークスーツにサングラスをかけて黙々と食事をしていたらどうする?誰も怖くて近づかないよな?

 

「マダム、良いのですかな?正直これだけ威圧感があるとほかの客が来ないのでは無いのですか?」

 

営業妨害だ、と指摘する不良学生。

 

「まぁねぇ。ただその分あの大人数で料理注文してくれるからどっこいどっこいかねぇ?」

 

 肩を竦める店長。ガチすいません。ここに私が来るための最低条件なんです。

 

 懐にブラスターを仕込み、防弾盾に早変わりするアタッシュケースを装備した実戦経験豊富な地上軍の精鋭、装甲擲弾兵軍団出身の警備員2個小隊、これが私が余所者(帝国系人以外)の下町のレストランに滞在するための最低限の警備だ。

 

え、過保護だって?分かっとるわい!

 

「そんな事は御座いません。ティルピッツ伯爵家は帝国開闢以来の武門の名門十八将家の一角、そして今やバルトバッフェル、ケッテラーと並ぶ亡命軍の中核を担う家です。寧ろ少なすぎる程です」

 

 傍で控える従士が真顔で当然の事のように答える。おい、ナチュラルに心読むな。

 

 因みに十八将家は帝国を代表する武門の貴族家の事だ。

 

 帝国開闢時に18個ある宇宙艦隊の提督に任じられた軍人達はルドルフ大帝の軍人時代の最も信頼する部下達であり、後に帝国の武門の大名門として長らく帝国軍の首脳部を独占した。原作本編に出ている者ではリッテンハイム、エーレンベルク、ヒルデスハイムがそうであるし、ダゴン星域会戦のインゴルシュタット、ミュンツァー家、第2次ティアマト会戦に参加したツィーテンやシュリーター、カイト、カルテンボルン家もそうだ。

 

 尤も、お気づきだろうが権力闘争や当主の戦死で没落した家、ローエングラム、ゾンネンフェルス家のように血脈が途切れ断絶した家も少なくない。ティルピッツ伯爵家のように同盟に亡命して亡命軍の首脳部を構成する3家もある。成立から約5世紀、十八将家の内帝国で権勢を維持する家は半分程度だ。特に第2次ティアマト会戦おける「帝国軍務省の涙すべき40分」では、十八将家やその従士家の優秀な将官・佐官が軒並みヴァルハラに旅立った。

 

 そのせいで知勇に優れた貴族軍人の枯渇した帝国軍は、平民に対して将校の門徒を広げざる得ない事態に陥った。その上残った十八将家の中にも堕落している家もある。そりゃあイゼルローン要塞も作りたくなるわ。

 

「だからと言ってここは戦場ではありませんぞ?装甲躑弾兵まで投入して誰から守るつもりなのでしょうな?過保護は良くありませんぞ?」

 

 皮肉気に笑みを浮かべつつロシアンティーを口にする不良学生。

 

「貴方こそ、もう少し危機感でも持ったらどうですか?例の騒動で目をつけられているかも知れませんよ?それこそ襲撃するような暴徒なぞこのハイネセンには掃いて捨てる程いるではないですか?」

 

 くいっ、と首を振って指し示す先にあるのは店の古いテレビだ。電波が悪いのか少し映像が粗い。

 

『先日のミッドタウン街における騒乱の死者は計11名に登っております。ハイネセン警察は実行犯6名を逮捕、そのほか18名を指名手配中です。背後関係に極右政治団体「サジタリウス腕防衛委員会」が関与しているとされていますが同団体は捜査協力を拒否しており、ハイネセン警察は近くノアポリス及びマルドゥーク星系の同団体施設に対して同盟警察と協力した強制捜査を実施すると宣言しています……』

 

 原稿を読み上げる女性キャスターは深刻な表情でニュースの続報を流す。

 

「いや、まぁ……ねぇ?」

 

歯切れの悪い口調で私は答える。

 

 数日前、ハイネセン東大陸の地方都市ミッドタウン市にて市長が非長征系住民を寄生虫、などと非公式の場で発言した事が切っ掛けに市の連邦系・帝国系住民が小規模なデモ活動を行う事態となった。

 

 数千人に上ったデモ隊は市庁を囲んでシュプレコールを上げた。出自に関する差別発言を少なくとも公人が口にするのはタブーに等しい。

 

 何せ下手すれば多種多様な背景を持つ人々で構成される自由惑星同盟を分断しかねない。そのため、そのような発言をする者は国家の統一と団結を阻害する者として徹底的に非難される。実際、過去の同盟の歴史を紐解けばこの手の出自差別発言をした公人は、例え最高評議会議長ですら議会から解任させられるのだ。

 

そして、そのデモ活動中にデモ隊が武装集団による自動車の突入と発砲により犠牲者を出したのである。

 

 急行したハイネセン警察は数名の実行犯を拘束、その後の調査から実行部隊は自由惑星同盟極右過激派の中でも特に暴力的で危険とされる「サジタリウス腕防衛委員会」関係者であると結論づけた。

 

 原作の同盟の危険団体と言えば憂国騎士団がある。だが前に少し言ったが奴らは右翼の中ではかなり穏健派に類する。

 

 統一派……勢力としては中堅であるが古くから同盟政界に存在し、独特の立ち位置を持つこの派閥は多くの出自の者で構成される星間連合国家「自由惑星同盟」の統一に苦心してきた一派である。構成員の出自は様々であるが目的としては唯一つ、同盟内部の団結と帝国からの同盟体制の防衛である。帝国接触前のハイネセンファミリーと旧連邦系市民の内戦の危機、ダゴン星域会戦後の帝国系住民の流入と同化政策、コルネリアス帝の親征に対する挙国一致体制、この派閥は同盟滅亡の危機に際してあらゆる派閥との協力体制を(薄氷の上であるが)構築し、幾多の国難を乗り越えてきた勢力だ。

 

 憂国騎士団はそんな統一派を支持する支援団体(私兵部隊ともいう)である。国家分裂を煽る人物や団体に対しては左右問わず実力行使(現在の所殺人や傷害事件は出来得る限り避けているが)する事でその活動を妨害するという。髑髏のようなマスクは顔によって出自の区別がつかないように、声が聞き取りにくいために出自による言葉のアクセントを誤魔化すために、何よりもどのような出自であろうと人間は骨になれば同じである、という意味があるらしい。

 

 まぁ、こんな団体がある時点で民主国家としてどうよ?とは思うが、大概ほかの派閥も多かれ少なかれ似た団体を持っているから対抗上必要らしい。実際ほかの派閥の私兵団体に比べたら規模も知名度も小さいし、歴史も浅く、前科も少ない(ほかの団体との比較で、であるが)。

 

 そして話題の「サジタリウス腕防衛委員会」はヤバい。憂国騎士団の百倍くらいヤバい。

 

 ハイネセンファミリーの中でも特に過激な一派が結成したこの組織は御題目こそ「同盟の平和と安寧と民主主義、社会正義を守るための教育を推進する非営利民間組織」と謳っているが、実の所は白色テロ団体みたいなものだ。

 

 そもそも、口の悪い言い方をすれば自由惑星同盟はアーレ・ハイネセンの長征組が内部分裂の危機を抑えるためにそのエネルギーを外に向ける、つまり旧連邦系植民地を侵略しながら拡大した国だ。

 

 まず建国神話からして半分嘘だ。40万の強制労働者が半世紀の時間と半数以上の犠牲の果てに建国した……と建前上は語られるが、実は微妙に違う。

 

確かにバーラト星系に辿りついたのは16万人だ。だが、残りの24万人は別に全員が死んだ訳では無い。

 

 長征中に逸れた者はまだいい方で、途中で指導層に反発して分離した船団、これ以上の旅に耐えられず近隣の惑星にスペースコロニーやシェルター都市を作ったグループもある。あくまで第一級居住可能惑星バーラト星系惑星ハイネセンに辿りついたのが16万人(最大のグループではあるが)であるに過ぎない。同盟建国時の帝国脱出組を合計すると推定総人口は何と48万人である。おい、逆に増えているぞ!?

 

 だからこそ国名がバーラト共和国では無く自由惑星同盟という国名なのだ。途中離脱した者達の入植した星系(フェニキア神話の神々の名が授けられた星系の事だ)とバーラト星系が同盟して結成したのが自由惑星同盟である。

 

 で、彼らが一つに纏まるための大義が必要だった。そのためには敵が必要だった。帝国という半分神話世界の存在ではなく明確な外敵が。

 

 「明白なる使命」の名の下に同盟は侵略的拡張を開始した。サジタリウス腕全域に民主主義の布教を開始する。

 

 その犠牲者になったのが銀河連邦末期から帝政初期の旧銀河連邦植民地や半分流浪の難民になった宇宙海賊……「蒙昧なる非文明人」である。同盟の拡大期、西暦時代程度にまで技術の低下していたこれらの諸勢力を民主主義による教化と帝国からの保護を理由として、かつての北方連合国家宇宙軍宜しく、天空の高みから軍事的に威圧し併呑、民主主義を唱えながら軍事力と技術力・経済力でハイネセンファミリーは彼らを支配していた。その時期に誕生したのが「サジタリウス腕防衛委員会」だ。

 

 専制政治の芽を摘み、自由と民主主義を布教し、サジタリウス腕を守護する……そんなお題目の名の下に同盟に逆らう旧銀河連邦植民地住民の反同盟デモの妨害や指導者の誘拐、殺害等を実行してきた危険組織だ。

 

 最終的にダゴン星域会戦の約30年前に統一派が長征派と旧銀河連邦植民地連合、星間交易商工組合等の諸勢力を説得して、対立は一応表面上解消した。

 

 旧銀河連邦植民地は全て同盟正式加盟国に昇格、各星系政府は独自の自衛組織として星系警備隊を設立し、同盟議会の議席数・選挙法の改革、星間交易関税の引き下げ、各星系政府の協力による同盟警察の設立が行われ、「サジタリウス腕防衛委員会」を始めとした15団体が反民主主義団体として同盟警察の監視対象となった。

 

 所謂「607年の妥協」である。これが無ければ同盟は帝国と遭遇する前にシリウス戦役の焼き直しをして崩壊していた可能性もある。

 

 危険団体指名から173年、「サジタリウス腕防衛委員会」はあの手この手でしぶとく組織の完全解体を潜り抜け(ハイネセンファミリーの一部過激派の支援があったからとも言われる)今でも健在だ。ゴキブリ並みの生命力だな。

 

 流石に拠点はハイネセンファミリーの牙城であるマルドゥーク星系に移動しているが今でも同盟の少なくない星系に支部がある。様々な人道支援や社会活動をしているがその裏で今回のような事件も起こす有様だ(末端の独走、或いは個人的犯行等と指導層は言っている)。

 

「あんな蛮族が今この星に潜んでいるのですよ!若様の身に何かあれば……」

 

 考えたくもない、といった表情を取るベアト。うん、多分「アルレスハイム民間警備サービス」(亡命軍のハイネセンでのダミー会社)の警備員が委員会のハイネセン支部にカチコミに行くと思う。予測では無い。確信だ。

 

「まぁ、大丈夫だろ。ミッドタウンもノアポリスも、テルヌーゼンからかなり離れている。ハイネセン警察がもう警備線を張っているからここまで来る事なんて無いだろうよ」

 

 昔はともかく今のハイネセン警察は一応公明正大だ。時代が進み惑星ハイネセンにおけるかつての先住民の聖域は多くの旧連邦市民や帝国系住民が流入した。先住民の中にも民主主義の名の下に行われたかつての圧政に反発する者も少なくない。結果、ハイネセンは多くの出自の血が混ざり一部地域を除いてはあからさまに過激派が余所者を私刑にしようという空気は薄まっている。そもそも今のハイネセン警察自体様々な出自の者が働いている。

 

 無論、帝国人街がある通り完全に壁が取り払われたわけでは無い。が、少なくとも命を奪おうと考える者は滅多にはいない。

 

「ほう、それは結構な事ですな。そう言えばドラマで良くある展開を知っていますか?周囲を安心させる事を言う頼りがいのある者ほど真っ先に死亡するのですぞ?」

「止めて、フラグ立てないで!?」

 

そんな深淵を覗く瞳で見ないで!

 

「あの~シェーンコップさん、そのアップルパイ貰っていいですかぁ?」

 

 一人だけ空気を読めない娘が朗らかに尋ねる。と、いうかどこか頬を赤く染めてふらふらと語っていた。ソフトドリンクを飲んでいる癖に酔っていた。

 

「ん?そんなにここのパイが気に入りましたかな?良いですぞ、お嬢さんにお願いされたら断る訳にはいきませんからな」

 

 にやり、と笑みを浮かべ、まだ少し湯気の出るパイを皿ごと移動させる。

 

「えへへ、ありがとうございます~!」

 

 にへら、と笑みを零すのはローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェル同盟軍士官学校1年生(予定)。

 

「おい、と言うかお前餌付けされるなっ!何のためにここにいるっ!?」

「ほわっ!?そうでしたぁ!シェーンコップさん!どうか……」

「残念ですが入学する気は無いですぞ?」

「まだ言っても無いのにぃ!?」

 

最後まで言う前にノーを突き付けられるクロイツェル。

 

 以前、不良学生に助けられた彼女はまだ士官学校に入学していないために自由に動ける事からこの一週間の間援軍として不良学生を説得、ないし言いくるめるためのハニトラ要員として活動中だ。まぁ、戦力価値ゼロですがね。ノンアルコール飲料で酔えるだけならまだいいのだが、こいつ……もう餌付けされてやがる。

 

 ローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェル……長々とした名前であるが私はその名に聞き覚えがある。無論亡命貴族であるからでは無い。原作の人物としてだ。まぁ、名前自体は決して独特なものでは無いので本人と断言出来ないわけだが……。というかお前達この時期にもう会ってたのか?それとも地味に私のせいで変わったのか?いや、まぁこの程度で原作時系列に大した影響があるとは思えんが。

 

「ううう……お願いしますよぅ~。このままじゃあ、うちの家村八分ですよ、村八分。それどころか嫁入りも出来ませんよぅ?どうかお願いしますよぅ!」

 

酔いながら半泣きで子供のようにごねるクロイツェル。

 

「私なんかに言うよりそこの伯爵様におねだりした方が賢明ですぞ?ほら、上手く取り入れば遊んで暮らせる愛妾生活ですぞ?」

「う~、伯爵様~?」

「おい、簡単に言いくるめられるな!?それは孔明の罠だ!」

 

けっ、ハニトラ要員にも使えねぇ。

 

「その娘さんで攻略しようなぞと考えん事ですな。どう考えてもその手の事が出来るほど頭が回る娘ではありませんぞ?」

「すぐ酔うようではな……」

 

 ティーカップを持って不敵な笑みを浮かべ指摘する不良学生に私は肯定せざる得ない。

 

「あれぇ?シェーンコップさん、今私罵倒されました~?」

「いやいや、純粋無垢な美少女は見ているだけでも素晴らしいものですな、と言っただけですぞ?」

「え、そうですかぁ?うへへ、照れるなぁ~」

「おーい、即落ちしてんじゃねぇぞ。明らかに鼻で笑われているぞ?」

 

チョロインかよお前さんは。

 

「若様、大変失礼ながら……」

 

恭しく、耳元でベアトが報告する。

 

「ん、もう時間か。そろそろ帰らんと営門が閉まるな。済まんが今日は失礼するよ?次は……3日後に行けるかな?」

 

 時計の針を見れば士官学校営門が閉まる前だ。今から行かないと間に合わないだろう。飲みかけの紅茶をゆっくり飲み干すと紙ナプキンで口元を拭き取る。それが終わると共に背後から従士に恭しく外套を掛けられる。うーん、ここまで阿吽の呼吸になると自分も大分毒されている気がしてくるな。

 

「それはどうも、毎度毎度御苦労様で御座いますな。食事代は自費なのでしょう」

「まぁ、半分私的に動いてもらっているからね。当然だ」

 

 ベアトに指示を出して私の財布から100ディナール札数枚をカウンターの上に置かせる。私とベアト、黒服組、クロイツェルの食事代は今は私の自腹だ。当初は亡命政府の予算に計上されていたが流石にいつまでもそう言う訳には行くまい。そもそも貴族として家臣や私兵、領民に食事を奢るのは決して珍しい事ではない。大貴族としての権威を示すと言う意味で良くある事だ。

 

 どうせ禄に使わずに(使う時間も暇も無い)勝手に利子で増えている株式や債券があるのだ(実家からの小遣いだ)。たかが食事程度奢ってやってもいい。いざという時に肉壁にでもなるのだからこれ位はしてやらんとな。

 

「そこまで懐が深いのでしたら私の分も払ってくれても良いと思うのですがね?」

「ん、払って欲しいか?別にいいぞ?勝手に払うのは面子として宜しくないと思っただけだ。迷惑かけているしそれくらいはしてもいいぞ?」

 

 不良学生の分は勝手に払えば不愉快に思いそうな人物だから控えていた。

 

「いや、結構ですよ。貴方の家臣でも無いのに御恩を貰う訳には行かんでしょうからな」

 

 肩を竦め否定するシェーンコップ。彼は決して経済的に恵まれているわけでは無いが、金や飯のために誰かの下に膝まづくような誇りの無い人物ではない。それが分かるから敢えて彼の分は払わない。

 

「うぇ~、もう出るんですかぁ?私まだ食べ終わって無いですよぅ?」

 

 瞼をうとうととさせながらフォークでベーコンやポテトをつつくクロイツェル。本当、こいつ炭酸飲料で何で酔えるんだ?

 

「やれやれですな。伯爵様、御安心ください。ここは紳士として後から自宅までお見送りして差し上げますぞ?」

「いや、お前に預けると彼女の貞操が危ない気がするのだが……」

「伯爵様、失礼ながら私はそんな好色魔ではありませんぞ?」

 

 心の底から心外だ、という表情を向ける帝国騎士。いや、お前鏡見ろ……という訳にもいかない。

 

 実際問題、今の不良学生は言う程に漁色家ではない。というかそんな暇なぞ無い。その日の食事のために働きながら苦学生をしていた身だ。女を口説く暇も予算も技術も無い。恐らく彼がそっちに目覚めるのは御乱行していたという19、20になってからなのだろう。成程、今は可愛い小僧と言う訳だ。今の所は。

 

……いつ覚醒するか分からんとか怖いわ。

 

「護衛をそちらに回しても良いが……」

「若様、今の護衛でも最低限の人数です。これ以上削るのは失礼ながら承服致しかねます」

 

 これ以上は何を仰ろうと許可出来ません、と答えるベアト。これを見ていたら獅子帝に冷笑されそうだ。あいつ皇帝になってから単独行動していた程だからな。あれはあれで駄目だと思うが。

 

「……分かった。一応言っておくがちゃんと無事に送り届けてくれ。頼むぞ?」

「分かってますとも。このワルター・フォン・シェーンコップ、淑女の御守り、謹んで承りましょうぞ」

 

 皮肉気に、ふざけたように大袈裟に答えて見せる帝国騎士。その態度にベアトは不快そうな表情を見せるが、堪えさせる。

 

「ああ、期待しているよ。同胞を救い出した腕っぷしを見込んで、ね」

 

 私は店を出る。同時にぞろぞろとテーブル席に座っていた逞しいお兄さん達が黙って立ち上がり後を追う。見る者が見れば滑稽な事この上無い。

 

「……彼処まで行くと最早コントですな」

「もう少し注文して欲しかったのだけどねぇ」

 

 不良学生と店長がそれを見ながらそれぞれ呟く。不良学生は冷笑しながらカウンターに置かれたジンジャーエールをあおった。

 

「……一応念を入れてもう一度いうが、酔っているからってノリで喰うなよ?」

「伯爵様、いい加減、何でそこまで疑るか尋ねて良いですかな?」

 

 引き返してもう一度念押しする私に憮然として不良学生は突っ込みをいれた。

 

 

 

  

 

「そんな貴方にぃ……ぽプテ………なにぃ…さてはあんちだなおめぇー……」

「やれやれ……何の夢を見ているのだか」

 

 隣で完全に酔い潰れている(アルコールなぞ頼んでいないのだが)少女を見て呆れ果てた表情を浮かべるシェーンコップ。その癖残った料理を意地汚く食べ切った。自営業している貧乏貴族の身としては奢られた料理を完食しない道理なぞ無い。貴族の誇りなぞ最初から持っていないからこその所業である。 

 

「……全く、毎度毎度御婦人には御迷惑お掛けしまして、申し訳ありません」

 

 涎を垂らして眠りこけるクロイツェルから視線を店長に移すと肩を竦め謝罪する。

 

「いいのよいいのよ。どうせ普段来る客共も昼間からビール注文して騒ぐような連中なんだから。ほれ、さっきの御貴族様が退席したからってもう来た」

 

 鐘を鳴らして仕事帰りだろう土建屋や荷物運び……俗にブルーカラーに類する中年連中が入店する。入店早々安物のアドリアンビールを注文してきた。

 

 大ジョッキにビールを注ぎ、両手で2本ずつ、計4本をがさつに彼らの席に置く。がやがやとした注文をメモすると半分セクハラのような顧客の軽口を躱してカウンターの厨房に立つ。

 

「見事にコスパ重視の安物を狙ってきたね。もっと原価比率低いの注文してくればいいのに!」

 

 目敏く費用対効果の高い品ばかり狙って注文する男共に軽く毒を吐くと店長はせっせと手慣れたように調理を開始する。

 

「だからね、別に私は気にしていないのよ?それに……坊やも思いのほか楽しそうだしね?」

 

 大盛のミートソーススパゲティを大柄なフライパンで炒めながら店長は語る。

 

「……そう見えましたかな?」

 

少しだけ意外そうに不良学生は答える。

 

「そりゃあね。坊やは余り本音は口にしない方だろう?伯爵様に毒吐いている時は結構楽し気じゃあないかい?」

 

 大皿に山盛りのミートソーススパゲティを盛りつけ、横に揚げてしばらくしたフライドポテトを敷き詰めるように横に添える。申し訳程度に付けられたミニトマトが唯一の野菜だ。その間空いている手は次のフィッシュアンドチップスの製作に取り掛かっていた。

 

「……少し長居し過ぎましたな。そろそろ混むでしょうから子供は御暇すると致しましょう」

 

 財布から14ディナール34セントを出すと隣の少女を起こそうと摩る。

 

「んんん……眠いですよぅ……」

「起きないとここに置き去りですぞお嬢さん?私のような紳士はともかく、この店の客は御行儀の悪い者が多いのでセクハラされても知りませんぞ?」

「うう……しぇーんこっぴさん、しんしですからはこんでくださいよー?」

 

もう一度深い眠りにつく小娘。誰がシェーンコッピだ。

 

「やれやれ……これはセクハラに入れんで下さいよ?」

 

 心底困った表情でこの小娘を赤子のようにおんぶする事に決める不良学生。

 

「……思ったより軽いな」

 

もう少し重いかと思ったら意外な軽さだ。

 

「お、坊主、お持ち帰りかい?ははは、若い奴はいいなぁ!」

 

 料理も来ていないのにもう出来ている店の常連の中年共が揶揄い半分で尋ねる。シェーンコップも顔位は覚えていた。

 

困り顔でシェーンコップは軽口をあしらって店を出る。

 

「へへ……あんち~よいこだねんねしな~……」

「いや、お前さんがねんねしているからな?」

 

 相変わらず意味分からん寝言を漏らすクロイツェルに一人で突っ込みを入れる不良学生。

 

 そこで彼は自身が笑っている事に気付く。そして不機嫌な表情になる。どうやら自分も随分と毒されているらしい。

 

「……らしく無いな。俺としたことが」

 

 小さな溜息をついて呟く帝国騎士。成程、自分も少し楽しんでいるらしい。あの面子は随分と揶揄い甲斐がある。いや、正確には揶揄える程度に気を抜いているという訳か。

 

 シェーンコップとて相手を見て手加減はしている。下手に弄び過ぎれば冗談抜きで報復がある。そこを良く見定めなければ門閥貴族相手に話を誤魔化すなぞ不可能だ。彼はそこの見定めに自信があったし、そうで無ければ初期の使い相手に言い逃れるなぞ出来なかった。正確には五体満足ではいまい。

 

「少し、揶揄い過ぎたな、あれは」

 

 先ほどの伯爵相手は少しボーダーラインを踏み外した。ぼんぼんの貴族様が横の従士とテーブルの装甲擲弾兵を視線で止めて無ければ少し危なかったかも知れない。

 

ある意味では気が緩んでいたと言える。

 

「……気が緩んでいたのか。俺は」

 

 同時に苦笑する。思えば同盟に亡命してから気が緩んだのは久しぶりかも知れない。祖父の厳しい教育がみっちり身に染みて以来隙を見せた事なぞ無かった。

 

 隙を見せるな、恩を受けるな、頼み込むな、だったか。帝国で痛い目に合ってから随分と執着的にそう言っていた。元より帝国騎士は独立独歩の気質があるが、祖父は厳しく騎士として指導すると共に耳に蛸が出来るほどそう言ったものだった。

 

 クレーフェ侯の屋敷につくと共にその無駄に荘厳な門を警備する警備員(明らかに軍人の身のこなしだった)に事情を伝える。無線機で警備員が使用人を呼ぶ間に背中でぐっすり眠る少女を起こして立たせる。

 

『うー、シェーンコップさぁん……ありがと~ございます~』

 

 当然ながら同盟公用語を話す余裕が無いので下級貴族の使うアクセントの帝国語でクロイツェルは答える。

 

『気にするな。淑女をエスコートするのは紳士の務めですからな』

 

 それにシェーンコップも同じく帝国騎士階級の使う言葉で答える。

 

『それもありますけど~』

 

 危なげにふらふらしながら火照った顔でクロイツェルはシェーンコップを見据える。

 

『遅れちゃいましたけど~学校で助けてくれて~本当にありがと~ございます~』

 

 門から伝統的な貴族屋敷に勤めるメイド服を着た使用人達が出てきてクロイツェルの下に駆け寄る。

 

『明日も~一緒にご飯いいですか~?』

 

 両脇を支えられて連行されるクロイツェルはへらへら笑いながら尋ねる。

 

『……ああ、いいとも。好きなだけくればいいさ。お前さんを揶揄うのもそう悪くはない』

 

意地悪そうな笑みを浮かべシェーンコップは答える。

 

『うぇ~?酷いですよ~』

 

 そういいながら輸送される少女を見、使用人からの礼を帝国騎士らしく答えると踵を返して自宅への帰途につく。

 

「……御婦人の仰る通りで、確かに私は案外楽しんでますな」

 

 再び苦笑する。だが、どこか不快な気分はしなかった。調子の良い奴だ、と不良学生は思った。

 

 

 

 

 ………次の日、ローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェルは店に来る事は無かった。

 

 同日、ハイネセン亡命者相互扶助会本部に「サジタリウス腕防衛委員会」からのメッセージが届いた。

 

 

 

 




新作第4話、統合作戦本部ビルのデザインが前衛的。

何故か同盟の歴史が陰惨になった……。
ヤン家は星間交易商人(元宇宙海賊兼難民)、同盟建国期は被支配者側。そりゃあ同盟への帰属意識が無く軍隊を圧政者と思いますわ。

ヤン・タイロンのルドルフ論は独特の出自だからこそ出てきた考え。


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第三十一話 西部劇には夢が詰まっている

「蒙昧にして野蛮な帝国の全体主義者共に告げる。

 

 貴様らは祖国を蝕む寄生虫だ。この天の川銀河において民主主義の希望の灯を受け継ぐ銀河連邦の正当なる継承国家「自由惑星同盟」に巣くう悍ましい癌細胞だ。

 

 貴様らは銀河連邦の数百億に上る民主主義を奉ずる人民を虐殺した咎人の末裔であり、簒奪者ルドルフに尻尾を振って媚び売った犬であり、人類社会の裏切り者である。

 

 貴様らは、今やその侵略の魔の手をオリオン腕からこのサジタリウス腕にまで伸ばそうとしている。貴様らは圧政者から逃れたか弱い民衆の皮を被りながら1世紀半に渡りサジタリウス腕に雪崩こみ、偉大なる我ら先祖の切り開いた土地を奪い、偉大なる我ら先祖の築いた文化を破壊し、偉大なる我らの先祖の建設した国家を侵食している。

 

 これは正に専制政治による侵略行為であり、民主主義と人類の社会正義に対する挑戦に他ならない!

 

 まして今や同盟の守護神にして、共和政の擁護者であり、市民の盾たる自由惑星同盟軍にすら貴様らは蚕食しようと画策している。昨年、我らが同胞達を貴様らが暴行した事がその何よりの証左である!同盟を守護しようという愛国心と理想に燃える若人を傷つけ、骨を折り、歯を折る行為のどこが正当防衛であるというのか?これは正に貴様らによる同盟軍の乗っ取り計画の一部であり自由惑星同盟の簒奪の第一歩である!

 

実に……実に恐ろしい陰謀だ。

 

 だが、我々は反対勢力を文字通り血のローラーで挽肉に変えたルドルフとその犬共とは違う。寛容と赦しの精神を有する我らはお前達に贖罪の機会を与えよう。

 

我々は貴様達に三つの要求を宣言する。

 

 一つ、現在工作員として所属している自由惑星同盟軍及び同盟軍関連教育施設に所属する銀河帝国亡命政府構成員及びその支持者はただちに退職及び退学せよ。

 

 二つ、全ての門閥貴族階級の者は人民から搾取した全ての資産を民衆に返還せよ。即ち民衆の代行者たる自由惑星同盟政府に対して譲渡せよ。

 

 三つ、全ての亡命政府関連企業・組織は武装解除し、市民を暴力で威圧する私兵集団を解体せよ。

 

 以上三点が我々の求める正義の要求である。72時間以内にこの要求が入れられない場合、我々は対専制政治に対する正義の聖戦を開始する。その始めとして現在我々が捕虜としている人民を搾取してきた残虐な貴族の末裔を処刑する。また貴様らの魔の手の及んでいる同盟警察に通報した場合も同様である。

 

 最後に言わせてもらおう。……これは共和政と民主主義擁護のための自衛的行動であり、同盟憲章に基づく市民の自発的自衛権の行使に過ぎない。我らを唯の少数のテロリストと矮小化しようとしない方が良い。我らは偉大な指導者アーレ・ハイネセンの精神を引き継ぐ独裁体制への挑戦者であり、ルドルフとその子孫に抵抗するレジスタンスの先兵である。我らを幾ら殺そうとも、その暁には後に続く130億もの同盟市民が立ち上がり、独裁者とその子孫に正義の鉄槌が下る。その事を忘れるな……!

 

 

 

『なんと美しきか広大なるハイネセンの大地よ!琥珀色に輝く高原を見よ!

 荘厳な深紅の山々を見よ!果実をもたらす肥沃な大地を見よ!

 長征の民よ!長征の民よ!銀河の摂理は汝らに無限の恩恵を与えたもう!

 アルタイルから苦楽を共にせし同胞達との幸福!バーラトからダゴンへと広がりゆく我らの無限の開拓地!

 

 何と偉大なるか先人達の歩みよ!揺ぎ無き信念と熱情の偉業よ!

 広大な銀河に渡る自由への旅路よ!

 長征の民よ!長征の民よ!刻は優しく汝らの傷を癒したもう!

 汝らの魂は最早黄金樹の鎖に束縛される事無く!汝らの子らの自由は永久に同盟憲章に刻まれたのだ!

 

 何と美しいのだ!戦士達の自由への奮闘よ!

 自らの命を犠牲にして共和政を蛮族から守護する人々よ!

 そして銃弾の雨も!砲弾の嵐も厭わぬ信念よ!

 長征の民よ!長征の民よ!末永く汝の子らを祝福せよ!

 全ての犠牲は崇高なる使命のために!全ての収穫を神聖ならしめるまで!

 

 何と輝かしきか!愛国者の夢よ!

 苦難の開拓の果てに切り開かれし黄金色の麦畑!天に届かん銀色に輝く摩天楼!

 涙でも濁る事無き開拓の成果その輝きを見よ!

 長征の民よ!長征の民よ!銀河の摂理は汝らに無限の恩恵を与えたもう!

 アルタイルから苦楽を共にせし同胞達との幸福!バーラトからダゴンへと広がりゆく我らの無限の開拓地!』

 

 ……自由と民主主義万歳!専制政治に死を!黄金樹とその末裔共に永劫の災いあれ……!」

 

 

 

 約4分26秒のこの動画は、そして最後に薄暗い室内で黒い三角帽を被った委員会メンバー達が旧同盟国歌(宇宙暦557年から宇宙暦608年まで使用された「長征の民、自由への開拓」だ)を斉唱し終える所で終了した。

 

 ハイネセン亡命者相互扶助会にサジタリウス腕防衛委員会から送り付けられたデータチップに記録されていたこの動画を見た時、同団体副会長テンペルホーフ伯爵は怒りのあまり持っていた杖をへし折り、警備会社の代表取締役(ハイネセン駐留亡命軍司令官)ヘッセン子爵(准将)は淡々と警備会社(駐留軍)に総動員体制に移るように指示を出した。同席していた帝国騎士や従士階級の幹部は映像内に出てくる演説者に帝国語で罵倒の限りを尽くしていた。

 

 唯一人、静かに動画が終わるまでシルク製の高級ソファーに腰がけていたクレーフェ侯は深く溜息を吐くと、シュガーシロップのたっぷり注がれたレモンティーを飲んだ。そして、振り向くと、弛んだ贅肉が張り付けられた顔を微笑ませながらこう言った。

 

「ぶひっ……皆いいかね、一つ注意するよ?無関係な一般市民の犠牲は最小限に抑えるように。……残りは全員吊るせ」

 

 同時に、部屋にいた門閥貴族から下級貴族、平民から元農奴の職員までこの宣言と共に雄たけびを上げたのである……。

 

 

 

 

 

「おう、人質は端からガン無視か」

 

 私は士官学校の自室でベアトから相互扶助会の決定の報告を受け愕然する前に突っ込みを入れる。いや、分かっていたけれども……!

 

「一応聞くが同盟警察には……」

「横槍があると十分に報復出来ませんので……」

「まぁそうですよね、分かってたよ!」

 

優し気に微笑みながら答えてくれる従士に私はさらに突っ込む。

 

 元々帝国臣民刑法は厳罰主義的だ。麻薬の売買・利用だけでなく煙草・酒の密造密売、違法売春、強姦、暴行、殺人、贈賄、談合、不正蓄財、脱税等でも結構簡単に死刑判決が出る。流石に開祖ルドルフの在任中のように40年余りの間に10億人が処刑……なんて事は無いがそれでも相当な人命軽視だ。亡命政府の民法も帝国に比べるべくも無いが同盟に加盟する星系政府の中ではかなり重罰主義であると言われている。

 

 さらに言えば貴族達を始めとした上流階級は裁判で争うよりも私戦や決闘などで自身の名誉を自身で回復する事を奨励される気風が強い。あくまで法律とは自分達では名誉や財産を守れない惰弱な平民を保護するものである、と言う考えからである。貴族が法律で犯罪に問われない……帝国の貴族特権は元を辿れば貴族は法律ではなく独力で名誉を守れるだけの実力があるのだからその保護を受けず、その拘束も受ける必要は無い、という建前からだ。そんな訳で相手に対しての実力行使する精神的ハードルは一般的同盟人が考えるより遥かに低い。

 

 亡命政府はさすがに法律上の貴族特権も、決闘も公式に採用していないがそれでも非公式に貴族や平民の決闘はそれなりにあるし、同胞や組織への攻撃に対して報復する事にさほど抵抗感がある者はいない。いや、それどころか今回の場合開祖ルドルフ大帝や帝国貴族階級までも堂々と罵倒している上明らかに飲む事の出来ない要求をしていた。明らかな挑発行為である。亡命政府に帰属している者ならば亡命政府の名誉を守るため十中八九報復措置に賛成する事請け合いだ。

 

 そのためには当然同盟警察への通報なんか出来ない。絶対報復を止められるからだ。断じて人質のためではない。「反逆者に慈悲は不要、どれだけ人質を取ろうとも叛徒共は呵責無き攻撃で徹底的に掃討せよ」、は大帝陛下の残した有り難い遺訓である。

 

 えっ?後で逮捕される?知らんがな。たとえ後で牢屋にぶちこまれようとも成すべき事があるらしい。

 

 既にハイネセンの亡命者コミュニティは皆仲良く物騒なハイキングの準備にかかっている。ハイネセンの亡命政府系警備会社は系列の企業や施設から装備を集め始めていた。建設企業が建設用として保有していた追加装甲板(建材扱い)やロケット弾(建設物爆破処理用)がタクシー会社の保有する装甲車や病院のドクターヘリに装備される。亡命政府資本の化学工場からは塵焼却用に製造されているナパームが大量に輸送され始めていた。

 

 或るいは帝国人街では青年団や消防団、猟銃会の構成員が招集され始めている。自治体の消防署の人員は防火服扱いの重装甲服に火炎放射器を持ってスタンバイしていた。

 

 ……おう、こっちも相手を悪逆非道だなんて言えねぇな。

 

「残念ながら我々は学生として参加せずに若様を御守りするように命じられました。非常に残念です………本来ならば若様の指揮の下我々も出陣して匪賊共を駆除出来たものを。若様の勇壮な指揮を受けられ無い事が悔やまれます……」

 

 心の底から悲しそうにする従士。後ろに控える者達も心底悔しそうだ。いや、無理だからな?叛徒共を全員八つ裂きの刑にせよ、とか火刑に処せ、とか朝のナパームの香りは最高だぜ、なんて口にする立場とか嫌だからな?

 

 因みにこれ程本格的な動員は宇宙歴746年1月のアッシュビー暴動以来だ。前年の第二次ティアマト会戦で戦死したブルース・アッシュビーの国葬時に起きた暴動が記録上の最後の警備隊(事実上のハイネセン駐留軍)の本格動員である。

 

 資料によればブルース・アッシュビーの戦死が帝国系同盟軍人が帝国に旗艦ハードラックの座標をリークしたから、と言う真偽不明の流言が飛び交い国葬中にアッシュビー信仰者や軍国主義者、極右派閥の民衆や私兵軍団が帝国人街を襲ったらしい。

 

 これに対して亡命政府や地元コミュニティが自衛目的で警備隊や自警団を動員し市街地戦に発展した。最終的にハイネセン警察だけでは事態を収拾出来ず同盟地上軍の動員や、アルフレッド・ローザス中将やジョン・ドリンカー・コープ中将が暴徒達を事態収拾のための演説をする事によってどうにか事態は沈静化した。

 

 尤も、3日に渡る略奪や暴力の嵐により暴徒や帝国系市民、警備隊に同盟警察・同盟軍の死者は3000名に及び、70億ディナールの経済的損失が発生したが。

 

 それから34年ぶりの本格動員であるが……不安そうにするどころか下っ端までカチコミに行くのを今か今かと子供のように楽しみにしている姿はたまげたなぁ。

 

 寧ろあの時は邪魔が入って最後まで出来なかったから今回は根こそぎ行こうぜ!といった感じらしい。根こそぎと言うのは察していると思うが帝国では敵対相手を親戚一同まで刈り取ってやる、と言う意味だ。おい、本当に一般人大丈夫か?絶対纏めて薙ぎ払えする気だよな?族滅する気だよな?

 

「……おいおい、マジかよこれ」

 

 さて、現実から目を逸らすのはここまでだ。問題は御分かりの通り人質である。縄で縛られて動画に登場したその人物と言うのが……おいクロイツェル、お前前世で何やらかしたんだ?死神にでも憑りつかれているのか?

 

 映像が送りつけられる前日、朝早くに外出したローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェルがそのまま失踪した。

 

 恐らくは、シェーンコップに会いに行って途中で拉致されたのだろう。あの店は帝国人街の外だ。帝国人街ならば余所者がいればすぐに住民に警戒されるし、犯罪者が出たら大抵警察が来るまでの間に集団私刑にされる。攫うのなら街の外しかない。

 

 私としたら取り敢えず全力で彼女を救出しないといけない訳だ。理由?分かってるだろうが、下手したら最終決戦でユリアン心の支えいなくて死んじゃうかも知れないだろうが!バッドエンドしちまうだろうがっ!

 

 最悪の最悪、私としては金髪の小僧を仕留められなかったり、アムリッツァしちまった場合はもうシャーウッド組にでも紛れ込んでイゼルローンに逃げ込むしか生きる道が無い。魔術師が嫌な顔するかも知れんがガン無視する。私はロックウェルやリヒテンラーデと同じ道を歩みたくない。え?獅子帝なら私のような小物気にしない?その場合は絶対零度な義眼が危ないだろ?黄金樹絶対殺すマンが門閥貴族で帝室の血も流れている私を草刈りしないと思うか!?

 

 と、なるとユリアンが最後皇帝の下に辿り着いてくれないと困る。ヒロインいないと主人公パワー出せないだろうがっ!

 

 極めて自己保身と不純に満ち満ちた理由だが気にしてはいけない。誰だって命は惜しい。

 

 それに不良学生は……多分クロイツェルを結構気に入ってたからなぁ。見捨てたら私に死亡フラグ立ちそう。と、いうかあいつの命も危ない。さっき私の携帯端末にあいつ電話かけてきたからな?クロイツェルの事尋ねて来たからな?絶対探しているからな?

 

 このように、本来ならば今すぐ嵐が過ぎ去るまで布団にくるまり従士に泣きつきたいのだが、未来の族滅避けるためには自殺行為を覚悟して首を突っ込みにいくしかなさそうだ。突っ込んだ首がちゃんと繋がったまま帰れるか疑問だが……。

 

「それはそうと、ベアト。私の外出を止めようとする理由聞いていい?」

「若様、今学校の外に出るのは非常に危険です。お止め下さい」

 

 トイレの窓から逃亡しようとしていたら窓からベアトが出てきて真顔でそう答える。おう、さっきまでトイレの外で待っていたよな?移動速度可笑しくね?

 

 考えられる可能性は時間操作系能力者、空間移動系能力者、幻術系能力者の三つか……特に最後ならば厄介だ。奴自体が幻術で本体が別にいる可能性も……。

 

「いえ、若様。ベアトは幻術では無く、しかとここで若様を見守っております」

「監視の間違いじゃないのか?後心読むな」

 

 トイレの扉を開けてそちらから逃亡しようとするが見事に控えていた同僚達に確保された。お前達用意周到過ぎるわ。

 

「……さて、困ったな。これでは禄に動けんぞ」

 

 丁重に自室に連行された私はベッドに座り込んで困り果てる。灰色の軍帽を弄びながら私は状況を考察する。

 

 私の第一目標はクロイツェルとシェーンコップ保護ないし生存だ。第二に可能であればこの危険なハイキングを中止に追い込む事。

 

 問題点があるとすれば三点、一点目はクロイツェルがどこにいるのか、二点目がどうやって救出するのか、三点目は同胞の怒りをどう鎮めるか、だ。

 

 実の所、一点目と二点目に関しては手段が無い訳ではない。

 

 問題は………。

 

「怪しいよなぁ……」

 

 売られた喧嘩は買うのが流儀、名誉を汚されれば決闘や報復するのが当然、法治国家の意味知っている?な同胞の皆さんと違い、卑屈な私は疑問を抱いていた。

 

 「サジタリウス腕防衛委員会」は確かに過激な団体だ。思想的にも気違いじみている(我々が言えた義理ではないが)。

 

 だが、だからと言って少々今回の騒動は無謀過ぎないか?

 

 仮にも危険団体に指名されて170年にも渡り存続してきた狡猾な団体である。それがこんな直情的な犯行を犯すだろうか?要求にしても非現実的だ。最初から闘争するつもりとしか思えない。

 

 そもそも、誘拐するなら多少無茶してでも門閥貴族を拐うべきだったはずだ。歴史の浅い帝国騎士にどれ程の価値があるかなんて同盟建国以来散々誘拐事件を起こしてきた彼らが分からない筈無い。人質無視での報復なんて長年帝国人と笑顔で殴り合いしてきた彼らなら知っている筈だ。警備が厳しいとしてもその程度の人手を集められない程組織が弱体化している筈もあるまい。

 

 何か考えがあってこの騒動を起こしたと考えるべきだろう。互いに気に食わないとしても、それだけで行動するならばこれまでだって幾らでもその機会はあった。

 

「上も気付いているだろうが……」

 

 少なくともクレーフェ侯爵辺りはある程度その事も考えている筈だ。曲がりなりにもハイネセンの亡命者コミュニティを預かる身である。今更気付いた私と違い頭の回転が鈍い訳ではないだろう。

 

「直接動けない分、口と人を動かすしかないな。と、言う訳だからベアト、流石に電話はくれるよな?」

「はい、こちらにご用意しております」

 

 いつの間にか携帯端末を持って控えている従士。おい、さっきまで部屋にいなかったよな?忍者……いや、ニンジャかな?

 

「電話は許可か。まぁ、当然か」

 

 彼女達はあくまでも私の身の危険を慮って外出を止めているだけだ。つまり……私が危険なイベント事に首を突っ込む事については主人の意思なので不干渉と言う事だ。実行するのが、現場に立つのが私で無ければ、な。

 

「取り敢えず侯爵と……後はホラントの伝手を借りて、現場は……」

 

 後で恩賞をやらんといけないな……等と随分と貴族的な思考に染まった事を自覚しつつ私は根回しの必要な人物達に電話をかけ始めた。

 

 

 

 

 

 

「さて……これは少々困ったものだな」

 

 不良学生の事、ワルター・フォン・シェーンコップはそよ風の涼しい昼頃、テルヌーゼン郊外グリーンフィールド公園の一角にあるベンチに座り地図を左手に、右手に缶コーヒーを持って呟いた。

 

 彼は本来ならば期日の近づいてきた同盟軍テルヌーゼン陸戦専科学校試験に向け最後の追い込みをかけるべき時期ではある。で、ありながら今ここでそれを放り出して休憩している事実は決して自身の実力に自惚れているわけではない。

 

「やはりな。……全くあのお嬢さんは貧乏神か何かでも憑りついているのかね?」

 

若干呆れを含んだ声で不良学生は一人ごちる。

 

 別に彼女……ローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェルが店に来なかった事自体は構わない。別に来い、と頼んだわけではない。

 

 問題は携帯端末の履歴だ。朝に着信が一件、すぐに切れて留守電は無い。その後に電子メールもSNSも音沙汰無しである。

 

そこで訝しんだ。

 

 別に彼自身はさほどその手の物に関心がある訳ではない。だがクロイツェルは中毒、という訳では無いが日に2,3件ほど投稿するくらいには使用している。それが何ら音沙汰無し、そこでどこか不穏な物を感じた。

 

 次にしつこくストーカーしてくる伯爵に電話をかける。彼自身は彼女の事についてその時点では把握していないようであった。だが、会話から従士共が慌ただしくしている事は把握した。

 

役に立ちそうに無い伯爵との電話を切って考える。

 

 自分は何をしているのか?別に大して仲の良いわけでは無い学生の音信が不通であるだけでは無いか?あれは煩い貴族共の回し者だ。消え去ってむしろ気楽では無いか?

 

 そう考えそのまま放置しておこうと考えた。だが、どこか後ろ髪を引かれる感覚……いや、これはもっと根源的な物だ。虫の知らせ、あるいは動物的な本能あるいは直感と呼ぶべきもの……それは恐らく彼の軍事的指導者として、一人の戦士としての一種の才覚・超感覚の片鱗であっただろう……それが自身にその選択を選ばせた。

 

 結果的にこの不良学生は相当詳しく事態を把握していた。元々帝国騎士である。帝国人街での動員を知るのも、その事情を知るのも難しくない。ハイネセン警察相手には禄に口を聞かない住民達も同胞、しかも貴族様相手ならば結構簡単に事情を話してくれる。

 

 同時に、彼はほかの帝国系市民と違い連邦系市民とも親交がある。恐らく彼女が帝国人街では無くベルヴィル街、あるいはその周辺で消えたのはほぼ確定だろう。ダイナーレストランで顔見知りになっていた飲んだくれ達にそれとなく聞いて見れば……案の定、ここらの下町で見慣れない車が朝っぱらに目撃された。グレートロード社のハイネセン資本100%の悪趣味な車を乗り回す奴なぞここらの住民にはいない。

 

 車種は分かった。シリアルナンバーは不明確だが方角も分かった。と、なると拉致された時間帯と動画の送られた時間帯から逆算すると……。

 

「この辺りだな」

 

 テルヌーゼン市地図の一角に赤ペンで円を描く。人気の少ない郊外……無論、それでもかなり広い範囲だが。

 

「……呆れたな。まるで情報部にいるみたいだ」

 

 自分のやっている作業を客観的に見てそう自虐する。尤も実戦ではこの程度でどうにかなるほど敵も間抜けでは無かろう。無能な敵あらば150年も戦争していまい。

 

問題があるとすれば……。

 

「この範囲を一人で探すのはちと厳しいか」

 

 それなりに絞り込んだとはいえ相当な範囲だ。少なくとも今日明日で捜索出来るとは思えない。

 

「さてさて……どうするか」

 

 断片的情報では数日以内に哀れな生贄になると聞いている彼女をそれまでに見つけ出せるか、と聞かれたら肯定出来ない。むしろ、すぐに動いて良かった。一日でも動くのが遅ければどうにもならなかっただろう。

 

「御偉いさんに頼み込む、と言うのもな……」

 

 人質を考慮するほど門閥貴族が優しいなぞとはシェーンコップも思っていない。と、なると……。

 

「……人命とプライドの二者択一ですかな?」

 

 侯爵様に土下座でもすれば万に一つくらいは配慮してくれるか、等と考える。同時に自分の土下座がその程度の価値しかないのか、と考え苦笑する。

 

「元より、誇りでは飯は食えんからな」

 

 母は話によると零落れて乞食になるくらいならと毒をあおったと聞いている。尤も、他人は誰も称賛なぞしていないが。零落れた貴族が自暴自棄になって死んだだけだ。父は危険を承知で直訴して帰らず、同盟に亡命した祖父は頑固に孤高を保ち誰の助けも取らず呆気なく死んだ。軍人の兄も骨になって帰り、祖母もやぶ医者にかかるのを拒否して死んだ。所詮その程度のものだ。

 

 それでも一抹の抵抗感があるのは、やはり自分もあの家族の血縁なのだろうな、と思う。

 

「……仕方ないな。見捨てるのも寝覚めが悪いからな」

 

 分の悪い賭けだが仕方あるまい……缶コーヒーの中身を全て飲み干すと不良学生はぶっきら棒にそれを捨てる。すぐに缶は公園巡回中の掃除ドローンに回収される。

 

 御苦労な事だ、そんな事を考え立ち上がる。あの無駄に豪華な屋敷に行くのも気が引けるな、なぞと思いながら歩き始めようとする、と同時に不良学生は警戒を強めた。

 

「失礼、ワルター・フォン・シェーンコップ氏でよろしいか?」

「……ええ、そうですが?」

 

 シェーンコップは振り向く。そこには鋭い目つきの明らかに非好意的な男が佇みながら彼を睨んでいた。

 

「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか……ですかな?」

 

 自分を遠くから取り囲む集団を見ながら不良学生は皮肉気味にそう呟いた。

 

 

 




前半の歌の元型は「America the Beautiful」美しい曲です。

最近帝国人がヴィンランド・サガみたいな戦闘狂の集団になってきた。まぁどんなに着飾ってもゲルマン人は文明国ローマから見たら蛮族だからね?



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第三十二話 運転免許くらいは就職のために取得しよう

「………」

 

 薄暗い部屋の中で少女……ローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェルは緊張しながら周囲の様子を伺う。両手首と足首に電磁錠を掛けられ柱に固定された形で座り込む彼女は酷く震えて、さながら嵐の夜に雷に怯える小動物のように縮こまっていた。

 

彼女は朧気な記憶を辿る。

 

 あれは今日の事か?それとも昨日?もっと前?少なくとも半日以上は経っている筈だ。

 

 朝早くから侯爵様の屋敷から出て例のレストランに向かっていた。場所もそうだが時期が時期だけに止めた方が良いのではと屋敷の使用人が言っていたが彼女は気にも止めていなかった。もう何度も歩いた道であったし、惑星ハイネセンの治安は……特にテルヌーゼンの治安は下町であろうとも悪いわけではない。少なくとも重犯罪がそう頻発する街ではない。

 

 どこぞの街でテロがあったなんて話もあるが所詮は別の大陸の話だ。そもそもハイネセン以外ではアルフォードしか住んだことの無い彼女は治安に関する関心自体が低い。

 

 唯でさえ星系刑法が厳罰主義の上、それこそ曲がり角事に一台監視カメラがあり、普段から馬に騎乗したり行進しながら星系警察が街を巡察するヴォルムスの治安は同盟においても相当良い方だ。社会の安寧と秩序を乱す恐れがある者は秩序教育法の下子供の内から矯正される。一部の共和派自治体を除けば浮浪者や孤児は救貧法や奉仕法の下で警察に労働施設に連行されるので貧困から犯罪を犯す者も滅多にいない。

 

 星系の外では監視国家やら刑務所惑星、人権制限社会などと言われているとも聞いた事があるが少なくともクロイツェル個人からすれば特に不満は無かった。

 

 それこそ余程の事……帝室や門閥貴族の馬車に生卵を投げるような加害行為でも無ければ令状無しで逮捕される事はまず無いのだ。電話の盗聴や郵便や荷物の検閲もあくまでテロや犯罪対策のためである。善良な一般人が謂れの無い罪で拘束される等そうそうある事では無い。同盟メディアが勘違いしている事が多いが労働施設だってかつて社会秩序維持局が異常者隔離法の下に放り込んだ強制収容所のような劣悪な環境では無かった。年齢や健康状態の下に適正な労働(平均10時間)が割り当てられ、休日と娯楽こそ少ないが栄養価の計算された食事とシャワー、狭いが冷暖房のある個室も提供される。同盟辺境のスラム街での暮らしよりは遥かにマシだ。

 

 少なくとも星系政府の施政の恩恵により星民の大半は昔から犯罪に巻き込まれる、などと考えた事も無かった。

 

 故にいきなり後ろから捕まえられた時恐怖から叫ぶよりも先に何が起こったか分からず茫然としていた。尤もすぐさま口元を布のような物で塞がれ、気を失ったが。

 

 次に気付いた時には薄暗い部屋でこのように囚われていた。周囲には黒い三角帽子を被った人々がカメラを見ながら何やら話していた。同盟語であるのは何となく分かったがその意味は今一つ分かりにくかった。目覚めたばかりで頭が回らなかった事もあるがその言葉が古い文法であった事もある。アルレスハイム星系では帝国公用語と同盟公用語が共に必修であるので田舎はともかく、大抵の都市市民は少なくともある程度の意思疎通が出来るくらいには同盟語が扱える。

 

 だが、それはあくまで俗にベーシックとも呼ばれる政府公文書や国営テレビ放送で使われる同盟公用語である。

 

 同盟語も2世紀半の間に口語や文法、綴りが変化している。現在の同盟公用語はアルタイル星系の長征組の使っていた旧銀河連邦に認可された連邦公用語の一つであるグリームブリッジ語(旧グリームブリッジ民主共和国公用語)と呼ばれるものを基に旧銀河連邦植民地の各方言、帝国公用語等の影響も受けたものだ。そのため実の所、現在の同盟公用語は、300年前にアーレ・ハイネセン達の使用していたそれとは似ても似つかないものだ。

 

 耳に入る言葉が古臭く(さらに言えば彼女には奴隷や強制労働者のような下層民の使う汚い言葉に聞こえた)、正確にその意味合いを理解する事こそ出来なかったがそれでも断片的に読み取れる単語だけで自分が余り良くない状況にある事が分かった。

 

同時に血の気が引いた。

 

 自分を人質にしている事は分かった。だが……その事を皆が考慮してくれるとは到底思えなかった。

 

 帝国人の考える有能な警察官は潔癖であり、秩序の維持と早急な回復する実行力、その壊乱者への徹底的弾圧と見せしめによる追従者の防止するという固い信念である。恒久的な平和の維持のためには犯罪者への配慮も妥協も一切不要、長期的な社会秩序と臣民の保護のために少数の不運な人質の犠牲は考慮に値しない。

 

 かつてカッファーで左派系テロリストが帝国人街にあった市民会館にて行われていた右翼市民団体の集会に乱入して300名以上を人質とした事がある。交渉を求めたテロリスト側に対してカッファー星系警察の現場指揮官はその要請を無視して即座に特殊部隊による突入を指示した。装甲車が市民会館に何台も突入し、警官隊は催涙ガス弾が雨あられのように撃ち込んだ。完全武装の特殊部隊には抵抗する者の警告なしの射殺が命じられていた。

 

 最終的に21名のテロリスト全員と3名の警官、11名の市民が死亡したこの事件は、同盟マスコミの現場指揮官に対する激しい非難に繋がった。犯罪者とはいえテロリスト全員を降伏を認めず射殺した事、市民の巻き添えによる死亡者が出た事がやり玉に挙げられた。

 

 帝国系移民の血を引く現場指揮官の謝罪会見における発言内容は聞いた者を驚愕させた。彼は犯罪者の中から情報を聞き出すための相手グループ指揮官の確保失敗、及び3名の警官死亡の責任について鎮痛な表情で深々と謝罪したが残りのテロリストと市民の犠牲については気にする事すらしなかったのだ。

 

 その現場指揮官が星系警察でも優秀かつ汚職とは無縁であり部下の人気が高かった事、帝国系市民から数十万に及ぶ擁護の電子メールが来た事が一層同盟主要マスコミを唖然とさせた。

 

 ようはそれが通常の帝国人メンタルなのだ。最低限門閥貴族でなければ人質とすら認識されない。

 

 彼女が家族と住んでいた頃、先ほどの事件をテレビで聞いていた時人質について運が悪いなぁ、等と思っていたが御近所や友人には優しい性格だと良くいわれたものだ。

 

そんなわけで……確実に助けなぞ来ない事をこの時点でクロイツェルは確信してしまった。

 

 故に彼女の生還のためには独力での脱出が必要であったのだが……それが出来るかと言うと不可能と言えた。

 

 電磁手錠は力づくでどうにかなるものでは無い。引き千切る前に腕が千切れる事請け合いだ。そもそも、薄暗い部屋の入り口に見張りがいた。傍の小さなテーブルと机に座る二人組。黒い衣服に三角帽を卓上において、古臭いテレビを見ながらカードゲームに興じていた。耳を澄ませば微かに会話が聞こえる。

 

「こ……慌て……老害……後は………」

「まだ……おい、それ………動員………」

 

 現代風の同盟公用語だった。あの古い同盟語はカメラの前だから言っていたのだろうか?

 

「……どうしよう」

 

 そう口にしても実際問題出来る事は無い。プロの軍人ならともかく、唯の子供に何を求めると言うのか?

 

「……あぁ、本当なんでこうなるのぉ?」

 

 今にも泣きそうな声で呟く。今度御払いしてもらおうかな?などと本気で思った。尤も、今度があればの話ではあるが……。

 

 

 

 

 

 

 自動車の自動運転技術は枯れた技術だ。西暦時代の13日戦争以前には既に原始的なAIを用いた自動運転は実用化されており、トラックやタクシー、バス等の公共性の高い分野では少なくない車両で使用されていた。その誕生から約1600年経った現在においてはプログラムは洗練に洗練を重ねており通常どのようなアクシデントが起ころうとも事故が起きる事は、それこそテロでも起きない限り滅多に無い。

 

 その信頼性は黎明期には機械に運転させるのは危険だ、等と言われたと言うが宇宙暦8世紀においては逆に人間に運転させるのは危険だ、と言われている程である。

 

 だが、それでも軍用車両は全て、民間車両でも半数以上は緊急時のマニュアル運転用運転席があるし、同盟軍人は所謂運転免許の取得は軍務につく上で今でも必須となっていた。

 

 幾ら完成されたプログラムもそれは何らの妨害の無い状況に置いての事だ。現在の無人運転においては惑星上空の地上観測衛星、惑星地上の交通管制センター、周辺車両等との相互干渉ネットワークによる情報交換が不可欠であった。そしてそれらはいざ惑星上で戦闘になると電波妨害やハッキング等の電子戦、或いは施設の物理的破壊により機能の大半を失ってしまう。スタンドアローンでも運転可能ではあるがその信頼性はかなり下がる。自動運転技術はあくまで平時の、あるいは銃後の安全地帯であるからこそ使用可能な技術であった。

 

 尤も、日常で好んで車を運転したがるのは帝国人くらいのものだが。

 

「ん?シェーンコップさん、どうしました~?お姉さんの顔に何かついていますか~?」

 

 運転席から後部ミラー越しにこちらを見る視線に気付き、レーヴェンハルト曹長はニコニコ笑みを浮かべながら尋ねる。

 

「……いえ、直に運転する人は珍しいものでしたから」

 

 淡々とシェーンコップは答える。嘘では無い。一般的な同盟人は軍務でも無ければマニュアル運転なんて録にしない。

 

 元々旧銀河連邦末期から高級ホテルやリゾート地では富裕層向けに機械に代わって人を使うクラシックな……悪くいえば原始的で非効率的なサービスを行うのが一種の流行であった。

 

 そこにルドルフ大帝の「機械に頼るのは惰弱の証左、真の強者は自身の体で全てを為す」と言う遺訓が加わり帝国人は同盟人と違い自動運転を嫌い自身や臣下に運転させる傾向が強い。自動車の普及率では同盟の方が圧倒的なのに運転技術を持つ者は帝国人の比率の方が上という調査結果もある。

 

 尤も、シェーンコップのどこか警戒的態度は別の意味もあったが。帝国には運転中に使われる自動車戦闘術や自動車暗殺術がある。自動車事故で政敵が死亡する事は帝国ではちらほらある事であった。

 

「……安心して欲しい。レーヴェンハルト曹長は航空機だけでなく各種の車両運転技能も完備している。一般乗用車の運転技術も特級だ」

 

 だから警戒しているんだ……そんな本音を殺して不良学生は隣の席に座る男を見やる。

 

 身長は190センチメートルはあるだろう、中年の肩幅の広い男だった。皴の深い顔に刃物のように鋭い視線、険しい表情、良く見れば顔の所々の肌の色が僅かに違う。それは負傷した皮膚組織を人工皮膚細胞に張り替えた跡であった。

 

『……同盟公用語が苦手でしたら帝国語を御使いになっても宜しいですが?』

 

 流暢な宮廷帝国語でシェーンコップは答える。相変わらず惚れ惚れするような言葉遣いであった。

 

『……失礼致します。恐縮ながらレーヴェンハルト曹長と違い私は無学な物で御座いますので同盟公用語に精通していないのです。無礼な言葉遣いがあれば御容赦頂きたい』

 

 男……銀河帝国亡命政府軍装甲擲弾兵軍団・第1親衛師団「エインヘリャル」所属ヨルグ・フォン・ライトナー大尉は頭を下げ同じく丁寧な宮廷帝国語で礼節のある、しかし極めて義務的口調で答える。

 

 ワルター・フォン・シェーンコップは今現在、亡命軍のハイネセン活動のための人員輸送用の車の中にいた。外面こそ同盟の一般的大衆用乗用車であるがそれは同盟の大手自動車メーカーから車両デザインのみレンタルしたものだ。車体は実弾銃やブラスターにもある程度耐えられる強靭性があるし、タイヤだって大口径対物ライフルを受けても数時間は走れる。エンジンの性能は大衆用のそれにしては余りにも過剰だ。マジックミラーで隠れた車内が確認出来ればそこには各種のデジタル液晶画面がずらりと並んでいる。電波妨害やハッキング対策が為され、強力な通信妨害にも耐えうる軍用無線機が添え付けられている。到底善良な一般市民の乗り回すものではない。

 

『……別に構いませんよ。それより、何の風の吹き回しですかな?御協力は嬉しいが、貴方方は今ハイキングの準備に御忙しい筈ですが?』

 

ここでシェーンコップは彼らが自分に協力する理由について疑問をぶつける。

 

 カチコミに行く相手はかつて警察の抜き打ち調査で火炎放射器に地雷、対戦車ロケット弾や肩落ちとはいえ軍用装甲車まで隠し持っていた相手だ。目の前の輩も大概ダミー会社の倉庫に物騒な道具を隠し持っているだろうが少なくとも自分に構う暇なぞ無い筈だ。

 

『我々の行動は相互扶助会の、当然亡命軍の指示でもありません』

 

 淡々と、少し敵意を含んだ言い方でライトナー大尉は疑問に答える。

 

『我々はヴォルター・フォン・ティルピッツ様の個人的指示に従い行動中です』

 

 その答えに対して不良学生はさほど驚かなかった。亡命者相互扶助会や亡命政府の命令で無いのなら、帝室か有力な門閥貴族階級の個人的指示でなければ彼ら実働部隊が動く事はあり得ない。それに運転手と大尉の顔には見覚えがあった。前者は店の窓硝子に張り付いていたし、後者は店のテーブル席で黙々と護衛として控えていた者の中にいた。と、なれば指示した人物でその可能性がある者は限られる。

 

尤も、想定していたとしても少し意外ではあったが。

 

『ティルピッツ様の御指示に従い我々はシェーンコップ様に協力し、クロイツェル様の救助をするよう仰せつかっております』

 

 実際既に彼の麾下の2個小隊の人員は同盟一般市民の服装と偽装車両を持ってシェーンコップの目星をつけた地域一帯を探索中だ。

 

『シェーンコップ様御一人では荷が重すぎる事です。どうぞ我々をご自由に御使い下され』

 

その言い回しにシェーンコップは鼻白む。

 

『別に無理してそのような事仰らずに良いのですぞ?その内心の不快な本音は良く認識しているのですから。どうです?もっと砕けた口で話しませんかな?』

『いえ、そのような事は御座いません。我々は軍人です。御命令に対して唯粛々と従うのみです。そこに感情の入る余地は皆無です』

 

顔の表情を動かす事なくライトナー大尉は答える。

 

『……戦場では、特に地上戦においては味方同士の信頼関係が重要と学んだのですがね。私としても貴方を信用していない。貴方も同様の筈だ。どうです?せめてわだかまりを解してから仕事をしたいでしょう?』

『いえ、そのような事は……』

『別に罵倒しようとも気にしませんよ?貴方の上司に報告しませんし、当然何を言おうとも貴方方の手を借りないなぞ言いませんよ。こっちも体面を気に出来ない立場ですからな』

 

 そう言って試すように大尉を見つめる不良学生。両者は静かな車内で数秒間互いを睨み合う。ミラー越しにレーヴェンハルト曹長はその様子を監視していた。

 

『……そうですか。では大変恐縮ながら御伝えしましょう。………余り粋がるなよ、糞餓鬼が』

 

 流暢な宮廷帝国語は平民階級の訛りを含んだ物に変化し、ドスの効いた声でシェーンコップを罵倒した。

 

『俺達はあくまで若様の御指示があるからてめぇに協力してやっているだけだ。本来ならばこれまで散々無礼を働いてきたお前さんを八つ裂きにしてやってもいいんだぞ?』

 

 貴族階級の使うものとしては非常に汚い言葉でライトナー大尉は答えていく。同じ貴族としても下級貴族、しかも従士家の中でも地上戦を担う家であるライトナー家の分家出身である。やろうと思えば主家や本家の名誉のために流暢な宮廷帝国語を話せるが地が出ればこのような荒々しい言葉遣いになる。

 

 ティルピッツ伯爵家に仕える従士家ライトナー家は代々衛星軌道上からの降下作戦や宇宙要塞攻略用の陸戦部隊を司る。その歴史は帝政初期にまで遡る事が出来、歴代の本家は陸戦隊の旅団長や連隊長の地位についていた。

 

 そのライトナー家の分家グライン=ライトナー家もまた代々下士官や尉官としてティルピッツ伯爵家私兵軍や帝国軍宇宙軍陸戦隊、地上軍、装甲擲弾兵軍団に所属していた。本家はともかく、そこから枝分かれした分家の一つである。宮廷の警備や主家の護衛の一員として随行する事はあっても大貴族の淑女と口を聞く事は無いし、社交界に出る事も無い。そんな暇があればいつでも主家からの動員に応えられるように戦斧の鍛錬をしている。

 

『俺のような学の無ぇ軍人は何も考える必要は無ぇ。唯主家や本家の命令通り目の前の賊共を処分していけばいいだけだ。それは分かっている。だがなぁ……それでも気に食わねぇ事はある!』

 

 全てを決断し、国を導くのは強靭な意思と思慮深い知恵を有する帝室と門閥貴族、帝国騎士や従士家はその手足としてその指針を実現すべく実務をこなし、自身で考える意思も能力も無い愚民……平民達は哀れな子羊の如くその指導に導かれるべきである、帝国開闢以来の古き良き伝統を当然の如くライトナー大尉も信奉していた。

 

 だからこそ忠義深く従士としての義務を果たし、勇気ある軍人としての義務を果たし、善良な帝国臣民として選挙で主家と与党への投票の義務を果たしてきた。主家の命令ならばどのような命令であろうとも疑う事無く、その実現のために全力を尽くすのは良き帝国人としても、アーレ・ハイネセンの理想実現からも当然の判断だ。

 

『だから我慢しているが、貴様の態度は見ているだけでも耐えられねぇ……!』

 

 自由・自主・自尊・自律……偉大なるルドルフ大帝が唱えた全人類の指導者に必要な資質であり、国父アーレ・ハイネセンも目指すべき理想として提唱した四概念、その体現者たる門閥貴族が、しかも主家の次期当主が態々足を運んでいるというのにあのふてぶてしく人を食ったような態度は何か?

 

 本来ならば自身の下に足を運んだ頂いた事に感涙し、その御言葉を拝聴し、その御命令に寸分違わずにお答えするのが当然の行動では無いか?

 

『貴様は確かに優秀なのだろうな。士官学校試験の成績も上等らしいしな。だが、だからと言って自惚れるなよ?貴様は我々亡命軍やティルピッツ伯爵家の陸兵が腰抜けか無能の集まりだから若様が自分を高く買っているとでも思っているのだろうが、そんな事は無ぇ。我々は全員死なぞ恐れない戦士の集まりだ。貴様程度の実力者は幾らでもいる……!』

 

 地上戦部隊に限れば装備の質も、兵士の士気や練度も帝国軍どころか同盟軍すら上回るのが亡命軍である。上官の命令であればたとえ十重二十重に張られた防衛線でも一切恐れる事無く突撃するし、絶対死守命令が出されれば文字通り最後の一兵卒に至るまで徹底的に抗戦する。たとえ腕を失おうとも、銃弾を全身に浴びようともひるまずに目の前の敵を刺し違えてでも仕留める、降伏なぞ有り得ない。亡命軍の有する特殊部隊はどれほど無謀な作戦であろうとも躊躇なく成功させる事で有名だ。たとえ部隊が全滅したとしても。

 

 それは、正に古き善き銀河帝国軍の黄金時代の姿だ。後退せず、屈服せず、降伏せず、最後の一人になろうとも戦いを止めない、それこそが常勝無敗、一騎当千の帝国軍の有るべき姿。オリオン腕の賊軍共は今や軟弱な烏合の集に過ぎない。亡命軍こそ真の帝国軍の伝統を受け継ぐ組織であり、そこに所属する兵士こそ真の帝国軍人なのだ。

 

 その戦いぶりから友軍たる同盟軍からすら恐怖、あるいは畏怖される亡命軍の陸兵の一員としてライトナー大尉は目の前の学生を威圧する。彼自身装甲擲弾兵として20年近くに渡り最前線で帝室と主家に奉仕してきた身だ。殺害した賊軍の数は優に3桁を数える。引き換えに左腕と右足が義手と義足に変わり、右側の肺は人工肺に交換され、鼻と数本の歯を失い整形しているがこの程度の喪失は安いものである。

 

 一方、歴戦の同盟軍地上軍兵士でもたじろぐ威圧を前にしてもシェーンコップは物怖じせず、寧ろ不敵な笑みで睨み返す。

 

 その態度にむかついたのか、鼻を鳴らして視線を逸らす。

 

『若様も、どうしてこのような奴を……。あれ程の侮辱を受けながらご配慮なされる必要なぞ無いのだ。ましてこのような事に協力せよと……。我々の身は兎も角、若様が御苦労なされるのは理解していらっしゃるでしょうに』

 

 護衛目的で派遣されている以上自分達をどう使おうとも、どう使い潰そうともそれ自体はほかの門閥貴族から問題視される事は無い。

 

 だが、任務が任務であるから根回しが必要な筈だ。態々殆ど平民と同じような帝国騎士を救出するために関係各所に連絡する手間がどれ程のものか。これがせめて伯爵家の重要な従士家の者なら理解も得られるのだろうが……。

 

『ようは、俺の厚遇が気に入らない、というわけですな?』

 

 古くから仕える家からすればどこの馬の骨……とは言わなくとも、代々一族の血肉を犠牲に忠誠を尽くしてきたのに他所様がいきなり丁重に遇される、しかも相手は敢えてつれなくして自身の価値を吊り上げているように見えるわけだ。

 

 無論、不良学生はそのつもりは無いし、あの伯爵家の若造もそこまで考えていないだろう。だが、下がどう思うかは別だ。寧ろ帝国の宮廷で数多くある前例から照らせばこの程度の認識で済むのはまだマシな方だ。

 

『そういう事だ。貴様のせいで……いや、もういい。これ以上は蛇足だな。……無論、御命令で御座いますので最大限の努力を持って任務を全うさせて頂きますのでご安心を』

 

 言いたい事は言い切ったとばかりにライトナー大尉は口調も元に戻す。

 

『……もう、大尉、圧力怖いですよ~?私怖くて漏らしそうになったのですが……』

 

 ずっと黙っていたレーヴェンハルト曹長が半分涙目で口を開く。

 

『曹長、これは失礼しました。しかし曹長もしっかりして頂かなければ。この程度でたじろいでいては重要な時に護衛を出来ません』

『いやぁ~私は航空科ですものでぇ~』

 

生身の白兵戦は無理ですよぅ、と誤魔化すように笑う。

 

『いやいや、良いのでは無いですかな?淑女は戦斧を振り回すより笑顔を振りまいていた方が余程男性方には助かるというものですからな』

 

 貴方を淑女とすればですが、とは不良学生は言わない。年上のお姉さん風で顔は整っているが最初の出会いがあれなので到底恋愛対象にはなり得ない。

 

『淑女ですか、いやぁ照れますねぇ!私結構美人!?けど若様にも家族にも一度も呼ばれた事無いんですよ!う~どうしてかなぁ?』

 

 取り敢えず鏡を見ろ、不良学生と大尉は内心で同じ事を考える。

 

『はあ~、若様成分が足りない……。この際ベアトリクスちゃんでいいから抱き枕にして嘗め回したい。いや、舐め回したいっ!はぁ……せめてテオ君とネーナちゃんこっち来ないかなぁ?そうすれば……』

 

 そこまで口にして無線機からの着信を受け、レーヴェンハルト曹長はふざけた表情を止めてイヤホン型の無線機を耳に装着する。

 

『……ええ、そう……そう、分かったわ。バレない程度に監視しておいて。残りは念のために残りの区画を調査して。ええ……そちらはこっちでやるわ』

 

 無線を切った曹長はにこにこ笑みを浮かべて注目する後部座席の二人に答える。

 

『今、シェーンコップさんの仰る車があったそうですよ~?テルヌーゼン郊外のトレオン街第16区だそうです~』

 

同時に彼女の車は少々乱暴にその行先を変更させた。




アーレ・ハイネセンの語る自由・自主・自尊・自律は帝国貴族の模範にして大帝陛下の仰った人類指導者としての素質。選挙戦でそれを体現する門閥貴族階級に投票するべきなのは確定的に明らか。


亡命軍地上軍は装備と補給の潤沢な大日本帝国陸軍。万歳突撃しなきゃ(使命感)


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第三十三話 人にお願いする時は態度に気をつけよう

長いです。


 根回しをする、と言うのは口で言う程易い事では無い。自分の目的のために関係各所に自身の要求を伝え協力を得る、或るいは黙認してもらわないといけない。

 

 だが、当然ながら相手がそれを只で飲んでくれるかというとそんな甘くはいかない。只で譲ってくれるなんて思うのは都合が良すぎる。或いは自身の望みが相手の不利益になる事もある。情報を集め事態を把握し、それに合わせて上手く利害を調整して落しどころを見つけないといけない。

 

「そう言う訳です。豚やろ……侯爵殿、実の所何考えているのですか?」

『ぶひっ、今豚野郎って言おうとしたよね?絶対豚野郎って言おうとしたよね?』

 

侯爵の突っ込みを無視して私は話を進める。

 

「こちらの伝手で知る限り奴さんも混乱しているそうじゃないですか?」

 

 同盟警察の乗り込みに備えて武装類や資産を見つからない場所に移送していた所でこの騒ぎだ。本来ならばあんな動画を送り込んで来る時点で闘争不可避の筈だ。それでありながら彼方の長老組がこのタイミングで困惑しているのは可笑しい。

 

「今回の騒ぎ自体少し不自然でしょう?人質にするならこれまでの経験則からして門閥貴族の屋敷にゼッフル粒子を貯め込んだダンプカーを突っ込ませる位するでしょうに。帝国騎士如き人質にしても逆効果です」

 

ようは彼方の長老組が知らない場所で少数の人員で実行された事を意味する。

 

「そもそも帝国騎士とはいえ士官学校入学予定の生徒が拉致されるのが怪しい。多かれ少なかれ護衛がいる筈ですよね?」

 

 士官学校に人員を送る理由は同盟軍内での発言力強化のため、ならば一応クロイツェルも保護対象だ。そして士官学校入学予定者で派閥色の強い者は特にそれぞれの派閥に保護されるものだ。友人同士で受験して合格者を不合格者が殺したとか、落ちた者が敵派閥の合格者を連続殺人したなどという恐ろしい事件も、今時は聞かないが大昔は本当にあった程だ。

 

『仕方ないじゃないか。あいつらの事件でほかに回す護衛を増やしたんだからね』

 

野太い声で侯爵は答える。

 

「そういう側面はあったでしょうね。けど期待はしていた、違いますか?」

 

 私は指摘する。今回の事件は明らかに雑だ。明らかに一部の独走だ。恐らく侯爵は今回の機会にサジタリウス腕防衛委員会をハイネセンから一掃したいのだろう。そのためにクロイツェルの警備を緩めていたのではないか?。平民ではなく貴族、されど下級貴族……二等騎士と言う同胞が怒りつつも宮廷的に捨てても問題無い立場、しかもハイネセンファミリーとのいざこざを起こした立場でもある。人選としては絶好だろう。

 

『う~ん、そう言ってもねぇ。こっちとしては売られた喧嘩を買っただけだしねぇ』

 

案外あっさりと犯行を認める侯爵。

 

「同盟警察はこちらにも容赦しませんよ?」

『それは相対的な物だよ。こちらの損失より彼方の損失の方が大きければ問題無い。マスコミにも手を回しているしねぇ』

 

 お抱えジャーナリストやら新聞社越しに擁護記事でも準備しているのだろう。少女を人質にしている、という事実は結構インパクトが大きい。

 

『そう悪い話ではないだろう?我らのさらなる繁栄のための障害物の処理じゃないか』

「言いたい事は分かりますよ。しかし、私としてはこの騒ぎを余り大事にしたくないんですよ」

 

 私は困り果てた顔で侯爵に話を続ける。ここからが問題だ。この動き出した騒ぎをどれだけ小さく出来るかだ。私一人のために止めるのは不可能に近い。

 

「ハイネセンでの闘争に勝利してもそれだけでは終わりませんよ?確かに昔に比べればかなり弱体化していますが、彼方の支持者も少なく無いんですから。延々とテロや襲撃事件を続ける事になります」

『それは分かっているさ。だがこちらとて売られた喧嘩は高く買わんと示しがつかんよ。報復は我々がこちらでの立場を築くために取った伝統の手段の一つだ』

 

 亡命初期、反帝国機運の強い時代は、経済面や社会面の貢献といった平和的手段だけでは亡命者社会の同盟内での地位確立は難しかった。上手い具合に資産ばかり絞り取られるのがオチだ。

 

 特にコルネリアス帝の親征は旧連邦系市民にも帝国への一定の敵対意識を芽生えさせた。同盟全土で1億4000万名の死亡した惨禍に親族や友人を失わなかった者はいない。亡命者への襲撃は日常だった。亡命後同盟政府への配慮で控えられた報復活動は親征で一時的に弱体化した同盟警察の代わりに帝国系市民の生命と財産を守る事に寄与したし、そこからアルレスハイム星系以外に住む住民は警察より自警団を信頼している。

 

 寧ろ報復活動が無ければ多くの帝国人街の住民は不安を抱くだろう。亡命政府は臣民たる自分達を見捨てるのか、と。

 

『それに彼方も弁明の一つも無いしね』

 

 サジタリウス腕防衛委員会の幹部連中もこちらに弁明するぐらいなら徹底抗戦を選ぶだろう。何が悲しくて帝国人に命乞いしないといけないのか?

 

「しかし、報復後の問題から考えれば余り大事に出来ないでしょう?」

 

互いに面子もあるので引くつもりが皆無だからなぁ。

 

『だからといってもなぁ……』

「侯爵様の立場は理解しておりますよ。貴方から事態を鎮静化させる事は出来ないんでしょう?」

 

 第三者の仲介役がいるわけだが、問題は相互扶助会から統一派に働きかける訳にもいかない。侯爵の行動は記録に残る。何より侯爵は文官貴族だ。血の気が多い武官貴族が納得するか……。

 

「なので、私に少しの間時間を頂けませんか?私は今この星にいる武官貴族の中では最高位の権威があります。学生の身ですので動きは記録にも残りません。士官学校内ですから」

 

 士官学校は一応建前上大学の自治の観点から政治的に不干渉の場所だ。無論建前だが。少なくとも学生同士が会おうとも何ら問題はない(建前では)。

 

「こちらから仲介を受けながら彼方の親族と交渉したいのですが。無論、同胞の利益を第一と考えております。唯、将来的な禍根を取り除くためにどうか。それに私としても人質は個人的な用事に協力させている身です。一時的にとはいえ従えている以上私には保護する義務があります。どうぞ御一考下さい」

 

私は侯爵に頼み込む。

 

『……ヴォルター君、大丈夫かね?』

「勿論です」

『あいつらは信用出来ん。すぐに約束を反故にする輩だ。私の祖父は油断して奴らに吹き飛ばされた』

 

 侯爵の言うのはアッシュビー暴動の最初の日に交渉に赴いたクレーフェ侯フェルディナンドが待合室でゼッフル粒子の引火爆発で謀殺された件だ。

 

「御安心下さい。少なくとも信用出来る仲介人と話の分かる交渉相手を選んだつもりです。御気持ちは理解しますがどうぞ……どうぞ……!」

 

 電話越しに深々と頭を下げる。侯爵にとっては一族の敵討ちでもある。私の頼みを聞いてくれるか怪しいが……。

 

『………ふむ、身内の頼みを聞かん訳にもいかんなぁ』

 

 ここで私の出自が役立つ。亡命門閥貴族は1世紀半の間に婚姻に婚姻を重ね皆親戚だ。帝国貴族は血縁を大事にする。親族の仇を決して許さないが、同時に親族の頼みを袖にする事もしない。

 

仇討の機会はまた来るのだから今は引こう……そう侯爵は暗に伝えていた。

 

『奴らは72時間以内と要求している。残り……30時間か。その直前に我々は戦闘に入る。実動隊の準備も含めると……後20時間以内にいけるかね?」

 

神妙な口調で侯爵は尋ねる。

 

「……感謝致します。大神オーディンに誓い満足いく条件を引き出して見せましょう」

 

 心の底から謝意を示す。侯爵としてもこちらの我が儘に応え現場を抑えるのも一苦労だろうからね。

 

『うむ、一応期待させてもらおう。それはそうと今度のリーゼちゃんのサインか』

「あ、そういうのはいいので」

 

 私は答えに満足してにこやかに電話を切る。最後何か言っていた気がするが気にしてはいけない。

 

 さて、第一の関門はクリアだ。だが一番面倒な交渉がこれから控えている。

 

「若様、時間で御座います」

「ああ、分かった」

 

 従士の恭しい連絡に答え私は立ち上がる。正面を見る。立て鏡に映るのは白いシャツに灰色のスーツという士官学校学生服、そこに同色の軍帽姿の自分の姿だ。

 

「失礼致します。ネクタイの調整をさせて頂きます」

 

 僅かにズレたネクタイの歪みに目敏く気付いたベアトが慣れた手付きでそれを直す。

 

「御苦労、では……行くか」

 

 私が(一年生の分際で)堂々と士官学校庁舎の廊下を歩む。どこぞの白い塔な医療ドラマの如くベアト以下同郷の僚友(というより部下)が後に続く。ここは大学病院かな?

 

 時期は既に2月、期末試験も終わり春休暇に入り学生達が故郷に一時帰省し始める時期であったのが幸運である。学内の奴ら全体にこんな姿見せたくない。途中で会う学生や教官が少し引いているしね。

 

 正直恥ずかしさと気まずさがあるがそれらを噯(おくび)にも出さず、すれ違う度に上級生や教官に敬礼する。私に続き廊下の端によってベアト達も直立不動の敬礼をするが答える教官達は「なんじゃこれ?」な表情で困惑しながら通り過ぎていった。

 

 目的の場所に向かうまでに無駄な精神的消耗を受けながらようやくそこに辿り着く。士官学校西第3校舎第1多目的室が目標の場所だ。西第3校舎が選ばれたのは交渉上の仲介役の配慮だった。ここの庭には同盟拡大期の地上軍の英雄ロイド・ドリンカー・コープ将軍の原寸大銅像があり、同時に帝国系軍人で初の同盟軍将官に昇ったギュンター・フォン・バルトバッフェル中将の肖像画が校舎の正面入り口に置かれていた。仲介人としては交渉の席一つ設けるのにも神経を使っているようだった。ガチでごめんなさい。

 

 目的の部屋の前に来るとそこにはフェザーン系移民出身の上級生二人がいた。我々の姿を見ると半分呆れたような表情をしながら私に伝える。

 

「随行人は4名まで、武器の類は持たない事、残りの御供は右側の部屋で待機する事」

 

 恐らく「誠実な第三者」として仲介人からアルバイトで雇われた上級生は義務的に私に伝える。多分後で私に諸費用請求がある事だろう。ベアトに目配せすれば礼と共にすぐさま残り3名を決め、それ以外を右側の部屋に向かわせる。断じて左側の部屋に行ってはならない。

 

 全ての準備を終わらせると、上級生が扉を開いて私はようやく室内に入場した。

 

 白色基調のモダンな室内は、しかし窓が全て閉まり、鍵を掛けられ、カーテンが掛けられていた。

 

 室内には一台の円卓テーブルに三つの椅子に10名の人影があった。三つの椅子の内二つには既に人が座っていた。

 

「ああ、よく来てくれた。ティルピッツ君!済まないね。君の宿舎からは少し遠かっただろう?」

 

 椅子に座っていた気の優しそうな青年が立ち上がり、とても友好的に私に呼びかけながら駆け寄る。

 

「いえ、此度は私の我儘でこのような席を設けて頂けてありがとうございます、ヤングブラット大隊長」

 

 宇宙暦779年時士官学校入学生首席にして第1大隊大隊長、そして私の伝手であるフロスト・ヤングブラットに私は丁重に礼を述べる。

 

「ははは、気にしないでくれ。同じ同期の桜の頼み、それにホラントからの頼みだからね。同じ戦略研究科の好敵手からの頼みを無碍には出来ないさ」

「頼んでいない。話しただけだ」

 

 社交的な笑みを浮かべ答えるヤングブラットにすぐ後ろにいたホラントが心底心外そうな表情で答える。

 

「ホラント、心の友よっ!私は信じてたぞ!」

「お前、殴るぞ?」

 

 ガッツポーズしながらウインクして感謝の意を示すと中指を立たせて罵倒された。解せぬ。

 

「……ねぇ。貴方達、悪いけど茶番はそこまでにしてくれるかしら?私も暇じゃないのだけど?」

 

 未だに椅子に座り足を組む女子生徒は頬杖しながら私達を睨みつけると、不快そうに鼻を鳴らす。

 

 気の強そうな少女だった。少々小柄な体に可愛らしさに凛々しい表情は仮装すれば男装の麗人を思わせる。実際同級生の女子の人気が強いと聞いている。赤毛のポニーテールに翡翠を思わせる瞳が印象的な少女。

 

「ああ、ごめんよコープ。こっちが今回話し合いの場を所望したティルピッツ君だよ」

「話し合い?弁明と謝罪の場では無くて?」

 

嗜虐的な笑みを浮かべ少女は答える。

 

「おい、コープ……」

 

 ベアト達の剣呑な雰囲気を察してすぐさまヤングブラットが注意する。

 

「……はいはい、分かったわよ。確かヴォルター・フォン・ティルピッツ、で良かったわね?知ってると思うけど戦略研究科の1年コーデリア・ドリンカー・コープよ?帝国風に言えばこういえばいいかしら?どうぞ御見知りおきを、伯爵様?」

 

 皮肉と嘲りを含んだ口調でハイネセンファミリーの名門コープ家の末裔は挨拶した。

 

 

 

 

 コープ家と言えば730年マフィアの一員ジョン・ドリンカー・コープ提督が思い浮かぶだろう。

 

 彼の出自を遡ればアルタイル星系にてアーレ・ハイネセンと共に強制労働に従事していた「酔っ払いコープ」に辿り着く。機械や化学に強い彼は流刑地で自力でアルコール製造機を作り出して出来た酒をほかの者に売ったり、自分で消費していつでも酔っぱらっていたためこう呼ばれている。

 

 その知識からアーレ・ハイネセンの壮大な脱出計画の協力者として誘われ、それに答えて彼は後のイオン・ファゼカス号内の食糧製造機械やロケットエンジン開発に大きく貢献した。

 

 アルタイル星系脱出後、彼はアーレ・ハイネセン、グエン・キム・ホア等と共にこの流浪の船団の幹部として活躍した。

 

 彼自身は既にアルタイル星系脱出の時点で50近い年齢であり、長征の途上で老衰死したが、彼の息子はそのリーダーシップを見込まれ船団の一部を統括する地位に就いた。

 

 だが、彼はアーレ・ハイネセンが現在のアルトミュール星系近辺(と推定されている)で事故死した後グエン・キム・ホア達と旅を続けるのを拒否、船団を離脱し後のティアマト星系に支持者2万人と共に移住した。

 

 後にティアマト星系第2惑星にドーム型都市を作り生活を送っていた彼らはバーラト星系に辿り着いた同胞と和解し自由惑星同盟を建国、第3惑星は最優先でテラフォーミングが行われた。

 

 以来コープ家は代々アーレ・ハイネセンと共に脱出を主導した英雄の血族として同盟政界、及びティアマト星系議会で強い権力を握る事になる。第5代最高評議会議長グレアム・ドリンカー・コープ、エリューセラ方面の旧銀河連邦植民地4星系を平定したロイド・ドリンカー・コープ将軍の例に見られるように同盟の拡大期……長征派にとっての黄金時代、旧銀河連邦植民地にとっての暗黒時代……には多くの有力者を輩出した。

 

 だが、コープ家について一番特筆すべき事は「コルネリアス帝の親征」による「屈辱の7月事件」だろう。

 

 宇宙暦669年7月、第1次ティアマト会戦にて同盟軍が第二惑星衛星軌道上で大敗を喫した。同盟軍の勝利を疑いもしていなかったティアマト星人は直後に大気圏から降下してきた帝国軍の苛烈な虐殺と略奪を受けた。

 

 「ダゴン虐殺事件」、「ヴァラーハ血の10か月」、「アルレスハイム星系の惨劇」等と並ぶこのジェノサイドによって当時2000万いたとされる人口の内最終的に700万人が死亡し、300万人が帝国領に拉致された。

 

 コープ家は辛うじて脱出に成功し、後に同じように避難に成功した星民と共に義勇軍を結成、同盟軍と共に帝国軍との徹底抗戦と故郷奪還を実施する。

 

 最終的に彼らはティアマトを奪還した。しかしこの親征により同盟政府は国境星系の放棄を決定、疎開命令により国境の複数の星系の住民が先祖代々開拓してきた故郷から追放される事になった。

 

 彼らの子孫の多くが疎開先で各々の共同体を作り出し、主戦派派閥の一角を築く事になった。俗に主戦派三大派閥の一つ長征系主戦派である(残り二つは全体主義統一系と我ら亡命系だ)。

 

 現在のコープ家は長征系主戦派の中でもティアマト閥の代表的な家であった。そして出自から当然サジタリウス腕防衛委員会の幹部に親族もいる。そしてその末裔が……。

 

「何かしら?じろじろ見ないでくれる?」

 

 目の前のコーデリア・ドリンカー・コープと言うわけだ。正確にはジョン・ドリンカー・コープの長男の5人兄弟の三女である。因みに以前統合兵站システム研究科にいた美人さんは彼女の姉であり、母方の家は同じくハイネセンファミリーの名門ルグランジュ家だ。世間は狭いなぁ。

 

「いやぁ、失礼。近くで見ると結構な美人だと思いまして」

 

 三者で円卓を囲んで座っている現状。取り敢えず相手の機先を制しに行く。尤も……。

 

「あらそう。ありがとう、聞き慣れているわ」

 

 はは、てめぇ照れるぐらいしやがれこのアマ。実際顔良し金有り成績良しだから口説かれまくってるんだろうけど。席次が24位(女子では最高だ)、戦略研究科在籍とか化物かな(未来の次席、ヤン夫人はやっぱりヤバい)?

 

「………」

 

 明らかにベアト以下の付き添いが氷点下に到達している冷たい視線でコーデリアを睨みつける。尤も彼方の同僚(という名の同郷の同胞出身者)が同じくらい冷たい視線でこちらを見てる。あれかな?同盟では7代前までの一族の仇を討つ義務があるのかな?同盟は古代国家だった……?

 

「コープ、止めてくれよ?折角場を用意した私の立場にもなってくれ」

 

 重苦しい空気にヤングブラット首席がコープを説得する。

 

「……貴方が言えた義理?裏切りのヤングブラット家が?」

 

 毒のある口調で指摘するコープ。ヤングブラット家はハダト星系の長征系の名門でありながら、ダゴン星域会戦に先立ち国防委員会の長老組の反対を抑えて、旧銀河連邦植民地に対して融和的だったリン・パオを迎撃艦隊司令官とする事を許可した人物だ。しかも戦後は長征派から統一派に鞍替えした正に裏切り者の家だった(同時にダゴンの英雄でもあるので無碍に出来ないが)。

 

「むっ……先祖が決めた事で私が決めた事じゃないだろう?同盟には連座制は無い筈だけど?」

「でも、そちらの伯爵様の所はそうでしょう?」

「いや、こっちも無いよ?」

「あら、そうなの……?」

 

 私の否定に心底意外そうに答えるコープ。帝国系コミュニティは閉鎖的だからね?訳の分からない風説も良く流れるし、勘違いしてる者も多い。流石に亡命政府には奴隷もいないし劣悪遺伝子排除法も無いよ?まぁ、住民の精神性は限りなく灰色に近い黒だけど気にしない。

 

「て、いうかそれだけ嫌っているのに何で招待に乗ったのですかね?」

「えっ?ホラントに呼ばれたから」

「えっ?」

 

思いがけない答えに私はホラントを見やる。

 

「……なんてこった。お前そんなに手が早かったのか?」

「おい、そろそろ本気で殴りたいんだが良いか?」

 

 はえーよホセ、まさかお前が不良中年やキラキラ星の高等生物の同類だったなんて……。

 

「あらあら、大変ねぇ」

「コープ、嫌がらせは止めろ。勝負ならば約束通りやってやる」

 

 意地悪そうな笑みを浮かべるコープに強面なホラントが睨みつけながら答える。

 

「コープは君との交渉の対価にホラントとの艦隊シミュレーションの再戦を望んでいるらしくてね」

 

 ヤングブラット首席が補足説明する。ああ、そういえばこの二人研究科で勝負して大変な事になっていたと聞いた事がある。連続50時間戦闘(リアルタイム時間でだ)で僅差でホラントが勝利した筈だ。もうあんな長時間のシミュレーションはごめんだ、と体重を4キロも減らしたホラントがうんざりしていた。

 

「帝国のじゃが芋野郎に負けたなんて末代までの恥よ。今度は潰す。そのためならばこんな糞みたいな交渉にも応じるわ」

 

 溝水のようなどす黒いオーラを背後に纏いながら笑みを浮かべるコープ。どんだけ根に持っているんだよ。

 

「ごほん、……そろそろ本題に行こうか?余り時間も無い」

 

 時計の針を見ながらヤングブラットが答える。実際時間的余裕はない。

 

「……そうね。確かに無駄な時間の浪費は御免よ。要件を仰ってくださらないかしら?」

 

見下すように尋ねるコープ。

 

「ああ、そうだな。私からの要望はそちらの騒動を起こした若手の委員会からの除名を望んでいる」

「無理」

 

即答だイエィ!

 

「私に言っても駄目よ。叔父さんにでも言いなさいな」

 

 彼女の叔父は元同盟軍少将、現在は委員会の常務の一人だ。

 

「そのためにこの場を設けているんだけどな。こっちが直接接触不可だからな」

 

 委員会関係の施設に入るのも命懸けだ。しかもこの時期だからな。下手に接触すれば寧ろ火に油が注がれる。

 

「話はこっちも叔父さんから聞いているわ。じゃが芋共が襲うかも知れないから士官学校から出るなってね。本当、帝国人は野蛮な奴らばかりね」

 

コープは、嫌味しかない言葉でなじる。

 

「そう言ってもな。殺ったり殺られたりはこれまで散々互いにやってきた事だからな。こちらばかり非難される謂れは無い」

「私がやった事じゃないわ」

「こっちも同意見だな。だが、ここにいる奴ら皆多かれ少なかれ責任を背負う立場だ。せめて自分達が苦労する分、子孫には楽させた方が良いだろう?」

「……帝国のじゃがいも星人にしては真っ当な意見ね」

 

 その点に関してのみ互いに同意する。悲しいかな、自由の国と言っても人間出自や御先祖様の業から自由ではいられないのである。まぁ、御先祖様のお蔭で贅沢しているからね、仕方ないね。

 

「で、除名自体は可能でしょうか?」

 

私は改まって質問する。

 

「……不可能ではないでしょうね。爺さん連中の統制を外れているようだし、出身も然程良い所じゃないようだし」

 

 帝国貴族階級に序列があるように、ハイネセンファミリーの中にも席次がある。アーレ・ハイネセンの子孫は存在しないがグエン・キム・ホアの一族は同盟最高の名家であるし、脱出に際して指導的立場だった者や各恒星間探査船の船長等の一族は同盟政財界の盟主と言って良い立場だ。

 

 逆に長征一万光年に際して特に功績のないただ乗り組もいるのも事実だ。そう言う者に限って家の名前ばかり誇っていたりする。「607年の妥協」による各種制度的特権が失われると、旧銀河連邦植民地や亡命者の成功者が現れるのと対照的に貧困層に落ちぶれた者もいる。

 

 そして、亡命者貴族が同胞の貧困層を保護するようにハイネセンファミリーでも同様の事が起きている。そして与えられる職場の中には荒事専門の所もある。現在の極右組織の中には飯を与えるためだけに存続している所もあるほどだ。

 

「だからと言ってもね、邪魔だからってホイホイ切り捨てる訳にはいかないわ。腐っても長征を共にした同胞、易々と見捨てたら今後のほかの同胞の危険にも繋がる……それくらいは理解しているでしょう?」

 

 彼方さんもある意味ではこちらと同じ状況、と言えるわけか。

 

 長征派が排他的な理由はある種の恐怖心からの物である、と言われる事がある。人口の精々一割に過ぎない彼らは旧銀河連邦系、帝国系に飲み込まれ、自分達の国家すら乗っ取られるのではないかと恐怖しているのだ。

 

 それこそ、特に連邦系市民は150年続く戦争に自分達は巻き込まれたと感じる者も少なくない。長征系市民の中には帝国とほかの市民が取引するのではないかと言う不信感があった。旧連邦系市民は、自分達長征系市民を帝国に売ってフェザーンのように形式的臣従をして平和を確保するのではないか……?帝国系にしても、和解して皇帝が亡命貴族を臣下としてサジタリウス腕の地方領主とする、とでも言えばどうするか?

 

 かつてのコルネリアス帝の和平を拒否した一因でもある。帝国と和平した結果長征系以外の市民が帝国に靡いたらどうなるか?帝国の顔色を伺い自分達が迫害されるのではないか?外交的圧力を受けながら自分達の権利を少しずつ奪われる位ならば、全国土が焦土と化し全人民が死滅するまで徹底抗戦する方がマシだ。

 

 実際、和平案に賛成した者は帝国への理解の薄い旧銀河連邦系に星間交易商人達だ。彼らが仮にコルネリアス帝から逃亡した奴隷の返却を要求してきたら、彼らは自分達の安穏のためにハイネセンファミリーの末裔達を売り渡したかも知れない。

 

 その恐怖が長征系市民の選民思想と主戦論の根底である。彼らは他の出自に対する不信感と恐怖から身内で結束し、極度に排他的になった。それは長征系市民の過半数が統一派に流れた後寧ろ一層強固になったようだった。

 

「だが、そちらも選択肢は多く無い筈だ。こちらとしても馬鹿やった一部をパージしてくれればそちらだけに対処出来る。全面抗争なんて今時損だろう?」

 

 全面抗争の後にあるだろう同盟警察の介入を受ければ双方法的制裁を受ける事になる。今時抗争なんてするだけ赤字だ。だからこそアッシュビー暴動以降30年以上大規模抗争が無いのだから。

 

「悪いけど叔父さん達はそちらの言葉を信用出来ないのよ。散々これまで裏切られてきたじゃないの?」

「侯爵様達に尋ねても似たような返事が来そうだな」

 

 裏切りと言うより価値観とニュアンスによる擦れ違い、あるいは一部の独走だろうがな。本当良く同盟原作まで分裂しなかったな。それだけで腐敗しているらしい同盟政治家は結構有能じゃないのか?

 

「無論唯引けとは言わんさ。こっちは馬鹿共への制裁に一つ噛ませてくれればそれだけでどうにか臣民への言い訳が立つんだ。内容は幾らでも言い換えられるからな。いっそそちらの身内の処理に一人でも混ぜてくれれば同胞の仇は取った、と言える」

 

 委員会側からしても敵対相手に私刑にされるより名前の騙る余所者を自分達で制裁する形の方がマシな筈だ。

 

「あー、出来れば死者は出さないで欲しいんだけどなぁ。同盟警察の立場も考えて欲しいからね」

 

 ヤングブラット首席が要望する。統一派や同盟警察の面子も考慮して欲しいらしい。逆に言えば今回仲介を引き受けてくれたのは統一派の面子も理由だ。彼らからすれば首都星で市街戦なんて悪夢だろう。

 

難しい表情をするコープ。

 

「……一応聞くけど、私が交渉相手の理由を聞いても宜しいかしら?委員会に身内のある生徒ならほかにもいるわ。その中で私を選んだ理由は?」

 

こちらを見定めるように尋ねる。

 

「……無論同級生である事と成績上位生である事も理由だ。だが決定打は2点だ」

「2点?」

「ああ、1点目は出自だ。コープ家は今でも戸籍はティアマトだよな?」

「ええ、そうよ」

 

 今でも故地に戻る事を夢見てコープ家はハイネセン在住でありながら戸籍は頑なにティアマトに残している。各種の手続きが面倒なのに御苦労な事だ。

 

「私も、いや我々も回廊近いアルレスハイムだ。私達は互いに帝国の脅威に立ち向かうべき同志だ。お前さん達は我々を回廊の向こう側に追い出したいのは知っている。だが、思惑はともかくお互い目指すは帝国打倒だ。その大義のために協力出来る筈だ、と考えた」

「……もう一点は?」

 

しばしの逡巡の後、先を促すコープ。

 

「コープ家は大局的で信頼出来る家と考えた。そちらの爺さん……ジョン・ドリンカー・コープはアッシュビー暴動の際に自身の好悪を捨てて同盟のために同胞を救ってくれた。そこからコープ家は信頼と敬意に値する家と考え頼らせてもらいに来た、と言った所だ」

 

 ジョン・ドリンカー・コープは730年マフィアの中で最もアッシュビーに好意的だったと言われる。第2次ティアマト会戦直前の険悪な関係を後に彼は非常に後悔し、アッシュビーの戦死に最も衝撃を受けたと言われている。出自を合わせて帝国に対する敵愾心は人一倍のものだった筈だ。

 

 それでも彼は公私を分けて暴動の沈静化に貢献した。そんな先祖に敬意をこめて頼み込む。

 

「我らが同胞の恩人ジョン・ドリンカー・コープの血族であるコーデリア・ドリンカー・コープ氏に銀河帝国亡命政府武官貴族の名門ティルピッツ伯爵家の嫡男ヴォルター・フォン・ティルピッツとしてどうぞ、御頼み申し上げます」

 

 私は立ち上がると軍帽を脱いで胸元に添えながら頭を下げる。後ろのベアト達が緊張する。門閥貴族が帝室以外に出来る最大限の礼節を持って私は頼み込んだ。これで断られたら私としてはこれ以上立場的にどうしようもない。

 

「………ホラント」

 

室内に漂う沈黙を破ったのはコープの呼び声だった。

 

「貴方、幼年学校でこの伯爵と一緒だったそうね。彼は信用出来る、あるいは使える立場かしら?」

 

ようは恩を売る意味があるのか?という質問だった。

 

「……そうだな。俺個人としては気に入らんが家柄は問題無い。帝室の血も流れている。今は兎も角当主になった後ならば相応に権限があろう。立場としては恩を着せる価値はある」

 

しばし考え込んで……ホラントは口を再び開いた。

 

「……個人として頭は御世辞にも良い訳では無い。無能とは言わんが実力は俺やお前よりは落ちるな」

 

 背後のベアト達から有らん限りの殺気が流れる。落ち着け、ここで流血沙汰はガチであかん。

 

「……だが、人並みには義理堅い。貴族らしい不遜な性格では無い。少なくとも信頼はしなくても信用は出来る。故意に裏切る事はあるまい」

 

淡々とホラントは答えた。

 

「そう……」

 

そう短く言ってコープは再び黙り込む。

 

 再び沈黙が場を支配する。誰も口を開かない。不用意な言葉が聞ける状況でない事が分かっているからだ。

 

「……はぁ、まぁヤングブラット家の顔に泥塗るわけにもいかないわね」

 

その発言に場の緊張が一気にほぐれた。

 

「コープ、やってくれるかい?」

 

ヤングブラット首席が確認する。

 

「私はあくまで叔父さんにお願いするだけよ。それで駄目なら諦めて。もうそんなに時間は無いのよね?細かい条件はこれから詰めるとして取り敢えず一旦退室するわよ。叔父さんとの話をここで聞かせるわけにはいかないわ」

 

そう言って立ち上がるとコープはホラントを指差す。

 

「ホラント、勝負忘れないで。今度は屈服させる」

 

そういってから私の方を向いて口を開く。

 

「コープ家の一員としてティルピッツ伯爵家の祖父への敬意に謝意を示すわ。この恩、覚えておいて」

 

 軍帽を脱いで同じく頭を下げて礼をするとコープは後ろに連れた部下達と共に部屋を退出した。

 

「……はぁ、疲れたな」

 

 私は椅子にへたりこんで呟いた。精神的にごりごり削れる。お腹痛い。

 

 すんなり決まって幸運だ。恐らくこの場にいるのが直接虐殺や暴動を受けた世代でなかったためだろう。一つ上の世代ならさらに時間がかかったろうし、さらに一つ上なら血が流れていた。

 

「全く、なぜ俺がこんな事を……」

 

うんざりした表情でホラントが呟く。

 

「ホラント、ガチでありがとう。助かった」

 

 ヤングブラット首席、コープ双方に面識があるホラントがいなければ口下手な私では多分交渉の席を作る事も難しかった。

 

「ふん、とんだ茶番劇だ」

 

鼻を鳴らし不機嫌にするホラント。

 

「お前もしかしてツンデレ?」

「貴様、俺の事嫌いだろう?」

 

 私の指摘にホラントは舌打ちしながらそう答えたのだった。

 

 

 




交渉シーンに自信が無い……。


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第三十四話 人道的というのは相対的なもの

(肉体的に)痛そうなシーン多いです。


 テルヌーゼン郊外トレオン街第16区は正確に言えばテルヌーゼン市には属していない。テルヌーゼン市行政は実質的にこの周辺を無視していた。

 

 テルヌーゼンの端の端、最外縁部の一角にあるこの街はスラム……俗に言う貧民街であった。街の住民の推定平均年収は約1万1000ディナール。同盟の平均年収が4万2000ディナール、テルヌーゼンの平均年収は同盟全体に比べ2割から3割前後高い数字である事を考えれば、貧民街という言葉は的を射ていると言ってよい。

 

 歴史的に言えばこの街は前世紀の遺物であった。同盟拡大期、首都星ハイネセンは空前の好景気にあった。飽くなき領土拡大……それは一方で未開地の開拓であり、もう一方で対外侵略であった……は、同盟政財界の投資を刺激した。俗に言う「狂乱の580年代」である。

 

 莫大な資本が開発に注ぎ込まれたが、同時に当時の同盟政界保守派は資本が対外向けばかりに注ぎ込まれる事に一種の危機感を抱いていた。

 

 辺境開発は一方で旧銀河連邦市民の土地の開発である事も意味していた。宇宙港や鉱山、発電所に長大な高速道路といったインフラは確かに移住した同胞のために建設された物だ。だが、惑星上には同胞を遥かに凌ぐ数の余所者が住んでいた。西暦時代のシリウス戦役前夜のように、バーラト星系を盟主とした長征系星系政府と旧銀河連邦系星系自治区の対立の機運は好景気の影で少しずつ深くなっていた。同盟政界の保守派から見れば、対外投資の拡大は敵対勢力を成長させるようなものであった。

 

 宇宙暦594年、同盟政府は、旧銀河連邦系星系自治区を締め上げる法律を可決した。「中核産業保護法」「辺境域開発安全基準法」「星間交易新法」……「国内投資推進法」もその一つであり、長征系星系への投資拡大を目指したこの法律は確かに当初の目的を果たした。

 

 だが、それは俗に土地バブルと呼ぶべきものであった。既に大半の開発を終えていた長征系星系経済内であぶれた資本は土地と箱物に流れた。不必要な建設物が次々と建設され、その一部が文字通り人の住まぬゴーストタウンと化していた。

 

 当然の事ながらバブルは実態が無いからバブルと呼ばれているのだ。602年にバブルが完全に崩壊した後、これらの都市は文字通り放棄された。二足三文で切り売りされてもまだ残り、管理人達も管理を放棄してしまった。あるいは所有者自身が忘れてしまった物もあるだろう。

 

 その後、放棄された街は貧民層や犯罪者が巣くうようになった。幾度かの同盟警察の摘発の結果一定の治安は維持されているものの、この手の街を根絶やしにするのは難しい。150年に渡る戦争が貧困層を増加させ、しかも街を潰せば住民は蜘蛛の子を散らすように散住してしまうだろう。態々他の自治体の治安悪化を促進させるくらいならば一か所に集めた方が良い。そんな判断から同盟各地に俗に悪所と呼ばれるスラム街が生まれ、同盟社会からあぶれた弱者が次第に流れ込むようになった。そして、その境界線には重武装の治安警察が警備……いや監視を行っていた。

 

 そんな街の一角にあるインぺリアル・ガーディアンビルは、名前倒れの廃ビルだ。築180年近い地上18階建て地下3階のビルは、元々ビジネスホテルになる予定だったらしい。当時としては破格の資金をかけて建設されたために、その後半ば管理を放棄された後も不法滞在する住民達の素人同然のメンテナンスで倒壊を免れるくらいに丈夫な造りとなっていた。このビルを建てた建設会社は誇っても良い。

 

尤も、今やその住民も追い出されたが。

 

 気難しい表情、短く刈り上げた茶髪の男はビルの最上階のテーブルでこれから始まるだろう狂宴を静かに、しかし今か今かと待ちわびていた。

 

「……もうすぐだ。もうすぐ全てが正される。我々は今こそあるべき姿に立ち返るべきなのだ」

 

 47名の同志と共にこの廃ビルを占拠したサジタリウス腕防衛委員会ハイネセン本部(同盟警察に追い出されたため実際にはマルドゥーク星系であるが、委員会は認めていない)の実働部隊たる民主主義防衛隊ハイネセン第8大隊長デニス・フレディー・アダムズ、この年36歳の彼はハイネセンに住むハイネセンファミリーの血を脈々と受け継ぐ中流家庭の生まれだった。

 

 彼の家は決して狭量な選民主義の家庭では無かった。尤も、彼自身は両親の顔は殆ど知らない。両親は幼い頃にアッシュビー暴動に巻き込まれ帝国系の暴徒の襲撃を受け死亡していた。

 

 長征系家系の名士が社会貢献の名目に設立した孤児院で育ち、優秀な成績から長征系家系が進む私立学校に奨学金で入学する事が出来た。そこでも上位の成績を保った。ハイネセン少年フライングボール選手権でエースとして準優勝した経験もある。まず、順風満帆な人生を歩んでいた。

 

人生が狂ったのは士官学校の入試であった。

 

 彼は文字通り生まれてから長征系の思想にどっぷりと浸かった人生であった。節制と禁欲、勤勉にして文武両道、国家と民主主義への強い忠誠と帰属意識、模範的な長征系市民だった。彼は軍役に付く事に対して何ら抵抗も恐怖も感じていなかった。

 

 だが同時に唯の一兵卒として貢献する事では不足に感じていた。彼はより一層の国家の貢献のために士官学校を目指した。

 

 決して楽観視していたわけでは無い。日々勉学を怠る事は無かった。やれる限りの努力はしてきたつもりだ。

 

 だが……唯人が努力だけで入学出来る程士官学校は簡単では無い。様々な派閥・出自の名門が生まれながら最高の教育を受ける事で、あるいは秀才、いや天才と言える程飛びぬけた才覚を有する者がどうにか合格出来るのが士官学校だ。いや、そんな者達でも一浪二浪が珍しく無い。

 

 三回目の落第についに夢破れ、彼は志願兵として同盟軍に入隊した。

 

 兵学校での18か月の訓練後に二等兵として自由惑星同盟軍地上軍の歩兵師団に配属された彼は、1年後に規則に従い一等兵に昇格し、兵学校卒業者の常として2年目に上等兵に、3年目に品行公正な態度と成績、何よりも軍功により兵長に、と昇進を重ねた。実力と信望の両面から言ってまず文句の付けようが無い人物だった。将来的には下士官、そして士官になる事も可能だったかも知れない。

 

しかし、そこで再び彼の人生は狂った。

 

 同盟と帝国が係争を繰り広げるある熱帯の惑星での戦いで、彼は新任士官の補佐役となった。同年代の帝国系のその士官は、部下の命を軽視した命令を次々と下した。彼は制止しようとしたが無駄であった。

 

 あるいは、そこには帝国人と同盟人の兵士の命への価値観の差異、そして互いの出自に対する蟠りもあったのかも知れない。どちらにしろ、互いを理解する機会も、その関係を修復する時間も永遠に失われた。

 

 勢力圏境界線での哨戒中、部隊は帝国地上軍の重厚な罠と待ち伏せ攻撃を受け最終的に彼以外戦死した。生き残った彼も救援が来るまで抵抗したが、その後軍病院で両足と幾つかの内臓を人工物と交換する事になった。精神的にも俗にいうPTSDの影響を受け戦闘要員として不適格と判断され、彼は伍長への昇進の上で予備役に編入された。

 

 絶望した。これからだった軍人としての人生を絶たれたのだ。戦場でのトラウマもそれに拍車をかけた。精神カウンセリングを受けたが効果は殆ど無い。酒に逃げようにも、肝臓は人工のそれに交換されていた。傷痍軍人向けの無駄に高性能な人工肝臓のおかげで酔いたくても酔えない体だった。それでも傷痍軍人に与えられる年金は全て安酒に消えた。

 

 どうしようも無くなった彼の最後の就職先がサジタリウス腕防衛委員会の実働部門だった。元軍人としても長征系の教育を受けた身として彼の望む職場であった。更に相手は祖国に巣くう帝国人である。彼は退役の原因となった帝国系士官の姿が脳裏によぎった。

 

 彼にとって帝国人移民は祖国の文字通り寄生虫だった。あのような奴らが自分を押しのけて士官!?ましてあの無謀な指揮は何か!?まるで部下を家臣か奴隷のように扱うなぞ!あのような輩が同盟軍に巣くえば亡国の原因になろう。その排除は愛国者として当然に思えた。

 

「……ちっ、震えるな」

 

 舌打ちした後、禁断症状のように震え出す腕を押さえつける予備役伍長。

 

 委員会も期待外れの場所だった。保守化し、保身的な上層部の老人達は余所者に対する呪詛ばかり唱え、本気で闘争するつもりが無い。定期的に後援者のための小事件を起こしても、本気で闘争に、祖国防衛の戦いに身を投じるつもりが無いのだ。構成員の半分は信念も無く家族を食わせるためだけに活動しているような輩だ。中には徴兵逃れのために属している惰弱な臆病者までいる。

 

 嘆かわしい限りだ。憂国の志で闘争に明け暮れた創設者達が嘆き悲しむだろう。或るいは怒りのあまり墓から這い出て噛み殺しにかかるかも知れない。

 

「だが、それも今日中の事だ。全ての過ちは正される」

 

 脳の無い帝国の猪共を唆すのは簡単だ。少し挑発すればすぐに暴発してくれる。奴らはすぐにノアシティの老人共に殴り込みにかかるだろう。さすれば同胞と後援者への面子ために老人共も動かざる得ない。責任を取り老人共を退場させる事も出来るかも知れない。

 

「国父よ。御安心ください。我らは貴方方の建設したこの偉大な祖国を侵略者から必ずや死守して見せます」

 

 彼は黒い三角帽を胸にやり、壁に掲げられたアーレ・ハイネセンの肖像画に向け深々と祈りをささげるかの如く頭を下げる。肖像画に描かれた国父のその鋭い眼差しには、固い不退転の決意と溢れんばかりの情熱に満ち満ちているように彼には見えた。

 

 30秒ほどして頭を上げるとアダムズはハイネセン本部に留まる部下へ定時連絡を行おうと携帯端末を操作する。丁度その時であった。ビル全体が停電すると同時に衝撃に襲われたのは……。

 

 

 

 

 

 

 ビルの発見の後、為すべき事は情報収集であった。近隣の建物から望遠鏡やサーモグラフィー、衛星画像からビルに潜む愚か者共の人数と位置を推測する。またビルの構造資料をテルヌーゼン図書館や請け負った建設会社の記録資料から読み取る。無論、追い出された住民のポケットに100ディナール札を捻じ込んで内部の情報についても問いただしていた。

 

 そして、そこから人質の囚われている可能性の高いフロアを数か所選定する。

 

 問題は時間と襲撃方法であった。上層部で何等かの交渉が纏まったらしいが、取り敢えず現場に伝えられた命令は「真っ先に諸君が強襲して人質を救出と共に撤退、同時に委員会の実働部隊が名を騙る犯罪者の群れに制裁を加え、全てが終わった所で同盟警察が貧民街での暴動として処理する」というざっくりとした物であった。

 

 形としては最も危険な一番槍を押し付けられた形であるが、帝国人達は……当然の如く一切恐れなぞ持ち合わせていなかった。

 

「はぁ……!流石に少し無茶が過ぎるな……!」

 

 同盟軍の旧世代型のガスマスクと暗視装置を装着し市街戦用デジタル迷彩服を着たシェーンコップはそう吐き捨てながらエレベータ補修シャフトをよじ登って現れる。

 

 地下水道から潜入した1個小隊は壊れて放棄されていたエレベータ補修シャフトから登り、ビルの電源を切断すると同時に人質のいる可能性の高い5階と8階、及び11階にスタングレネードと催涙ガスを投げ込みながら突入した。さらに言えば、同時に別動隊が門前にロケット弾を撃ち込むと共に自動車を突入させて陽動作戦を実施している。

 

「別動隊に意識が向いている内にいきましょう……!」

 

 同じようにガスマスクで顔を隠したライトナー大尉がパラライザー銃を構えながら先導する。全て時間との勝負であった。

 

 人質の捜索を開始すると共に11階メインフロアに黒一色の三角帽姿の戦闘員が2人躍り込んだ。

 

「くたばれルドルフ野郎っ!」

 

 ブラスターライフルを発砲する敵戦闘員。同時に突入部隊は一斉に物陰に隠れた。

 

「糞、思ったより正確な射撃だな」

「奴さん、多分こちらと同じようにガスマスクと暗視装置つけているな」

 

 レーザー光線の筋から身を隠しながら突入部隊の人員は冷静に同盟公用語で話し合う。

 

 ライトナーは手信号で命令を下す。同時に牽制役の数名の人員がパラライザー銃を発砲し始めた。

 

 俗に麻酔銃とも言われるパラライザー銃は、13日戦争以前からあるテーザー銃の末裔であり治安警察の装備する暴徒鎮圧用非殺傷兵器だ。銃口から強力な電気を相手の人体に流す事で相手の行動を封じる、形式上は人道的な武器だ。尤も、地球統一政府治安警察軍がシリウス戦役以前の植民星のデモや暴動の鎮圧に多用したせいで圧政者の象徴のように見られる事も多い。

 

 パラライザー銃の発砲。放出される電流を受ければ、死亡する事は無いが全身を焼くような痛みで10分は禄に動けなくなる。

 

 それを知る相手側もすぐに扉の影に隠れて応戦する。だが、それは陽動だ。暗闇に紛れ2名の戦闘員が身を屈め、足音も立てず、死角から黒帽子に駆け寄る。

 

 銃撃の一瞬の隙をついて死角から一気に襲い掛かる元装甲擲弾兵達。反撃の隙を与えず電磁警棒を腰から取り出しそのまま黒帽子達の顔を一気に殴りつける。一撃で十分であった。殺さない程度の手加減はしたが、金属製の高圧電流を帯びた警棒の打撃を受け一瞬にして2名の敵戦闘員は意識を刈り取られた。

 

「これは……なかなかやるな……」

 

 シェーンコップは人質を探すためにその場を離れながら呟いた。あの短時間で気配も気付かせずに一気に距離を詰めるのは簡単では無い筈だ。伯爵の護衛役達は少なくとも戦闘に限って言えば相当に手慣れていた。政治的な理由で今回帝国人達は殺傷行為を禁じられている事、そのハンデを一切意に介さない態度からも只者達では無い。

 

 先ほど黒帽子を処理した2名が9年前まで最盛期の「薔薇騎士連隊」に所属していた陸戦隊員である事を知るのは後の事だ。

 

尤も、そう言う不良学生も只者では無かったが。

 

 廊下を駆けると、一室から火薬式ライフルを構えた黒帽子が躍り出る。

 

「ちぃっ!」

 

 それに対して数メートル離れた位置にいたシェーンコップの行動は回避ではなく前進だった。

 

 相手にとっても予想外の鉢合わせだったらしい。一瞬怯んだ黒帽子は、すぐに銃口を構えるが、既に不良学生は相手の懐に潜り込んでいた。

 

 瞬時に相手の腹部に一撃を入れる。姿勢のバランスを失った所で足を蹴り上げて押さえ込む。火薬式銃が発砲されるがそれは天井に穴を開けただけだ。

 

 腕を圧迫され、引き金から手を放す。同時に顔面にジャブを受け、暗視装置を破壊される。不良学生は相手の腰に装着していた高電圧警棒の電源を付け、相手の首元にそっと触れさせた。

 

「あがっ……!?」

 

 そんな悲鳴と共に痙攣しつつ泡を口から吹き出して、意識を失う黒帽子。

 

 立ち上がると、不良学生は相手を一顧だせず再び走り始める。戦闘の開始から終了まで十秒と掛からなかった。

 

「あの餓鬼、やるな……」

 

戦闘を目撃した数名の元装甲擲弾兵が呟く。

 

 無論、素人である以上その動きは粗削りなものだ。自分達が同じ状況になっても同じように対処出来ただろう。そう、今の自分達ならば。

 

 実戦に出た事も無い十六の頃の自分達が果たして同じ対応が出来ただろうか?足を竦めるか、判断を誤り射線から逃げようとして負傷したか、あるいは仕留めきれずに逆撃を受けていたか……あそこまで完全に対応出来たと自信を持って断言出来たかといえば怪しいものだ。

 

「成程な。忌々しいが買われるだけの才覚はあるわけか」

 

 まだダイヤの原石だが磨けばなかなかの一品に仕上がりそうだ。部下達のそんな呟きを聞きつつ、ライトナー大尉は不良学生の下に駆け寄る。

 

「………」

 

 悠々とした表情のシェーンコップを見つめ、口を開く大尉。

 

「危なかったですな。ですから安全な指揮所で待機する事を勧めたのですが……」

 

 強情にも襲撃に参加するというから不良学生にだけブラスターを支給したがそれも使わずに肉弾戦をしてくるとは。どうにか対処出来たが、後数秒判断が遅かったら銃撃を受けていた筈だ。

 

「いやぁ、ひやひやしましたよ。ですが上手くやったでしょう?」

「貴方が負傷されたら我々の立場がありません」

 

心配、というより不快そうにライトナー大尉は言う。

 

「そちらからすれば御迷惑でしょうが……こればかりは勘弁願いたい。一方的に借りを作るのは苦手でしてな。それに安全な所に籠っていては囚われの姫君に失望されてしまいます」

 

 古来より姫君を助けるのは王子様本人ですからな、王族の癖に呆れたものです……仰々しく、冗談のようにそう答える不良学生に鼻を鳴らしてライトナーは任務の続きを続行する。

 

 フロア最奥の部屋にたどり着いた突入部隊は互いに目配せする。

 

「よし、いけっ!」

 

 ライトナーの命令に従い、数名が人質のいるであろうと予想される部屋に突入する。扉から滑り込ませるようにスタングレネードを投げ込み、その発光と共にした突入だ。

 

「ちぃっ……!」

 

 待ち構えていた戦闘員は、強い光の前に目元を覆う。暗視装置が自動で光量を調整するがそれでも網膜はすぐに慣れる事はない。

 

 突入部隊の先頭は、ブラスターを乱射する戦闘員に対して身を低くしながら接近、パラライザー銃の銃口から撃ち出される電流に小さな悲鳴を上げて人影は崩れ落ちる。

 

 同時に2名の隊員が、そしてその後ろからシェーンコップが続く。

 

 そして、その時だった。物陰に隠れていた黒帽子が戦斧を振り上げながらシェーンコップに後ろから襲い掛かったのは。

 

「死ねえぇぇ!!」

「はっ!?」

 

 完全に奇襲になった。後背からの、しかも近距離から戦斧の一撃を回避するのは不可能だ。シェーンコップの頭部は炭素クリスタルの一撃の前に潰れたトマトのように粉砕される……筈であった。

 

「まだまだですな。後背からの襲撃なぞありがちな事態です」

 

 戦斧を持つ腕を抑えつけ、首を絞め黒帽子を拘束しながらライトナーは淡々と語る。

 

「……助かりましたよ。感謝します」

 

 一瞬驚いた表情をしたシェーンコップは、しかしすぐに丁寧に礼をする。

 

「構いません。仕事です。それより……」

 

目元を細めて殺気を帯びる大尉。

 

「……駄目です。いません。恐らくここにいた筈ですが……」

 

 元倉庫室であったのだろう部屋の奥を探索した部下が答える。床を見れば開錠された電磁手錠が落ちていた。

 

「……だそうだ。とっとと居場所を吐け。それとも、話したくなるまで指の骨を折ろうか?」

 

 淡々と、冷たい口調で押さえつけた黒帽子に尋ねる大尉。

 

「ぐっ……この…侵略者めっ!貴様に祖国を乗っ取らせはせんぞ!我らここで死せども志は……」

 

 次の瞬間クッキーでも割ったような音と共に黒帽子の悲鳴が響く。

 

「駄目です。下の2班とも、人質を発見出来ていないそうです」

「そうか。だ、そうだ。吐く気になったか?」

 

 人間味の感じない声で尋ねる尋問者に、憎悪の視線を向け黒帽子は喚く。

 

「脅迫や拷問には屈したりせぬっ!我々の意思がこの程度で揺らぐものだと思うな!如何なる圧政者も最後は滅びるのだっ!我らはその時民主主義と正義のために命を捧げた殉教者として……アガがっ!?」

 

大尉は無感動に二本目の指を折る。

 

「生命活動さえしていれば問題無い。次は2本いく。早く吐く事だな」

「ふぐっ……この程度の苦行、偉大なる国父と我々の始祖の受けた苦しみの前で……ああああああああ!?」

 

大尉は、最後まで聞かずすぐさま関節を二本へし折った。

 

「呆れたものだな。奴隷の血を誇るなんて」

 

 大尉の部下の一人は嘲るように笑う。帝室や門閥の血筋を誇るのならそれは当たり前の事だ。だが怠惰で愚かな奴隷如きがその血を誇るとは笑止千万だ。国父アーレ・ハイネセンを頂点とした統率者達の指導に従うだけだった輩が、ただ乗りでその血を誇るとは!指導者層の子孫ならともかく、たかがその場にいただけの、羊飼いに導かれる臆病な羊がそんな事を口にした所で笑い話でしかない。

 

「痛みに慣れてますな。痛めつけても無駄です。殉教者に拷問は無意味と相場が決まってますからな」

 

 黒帽子の態度を見てシェーンコップは口を開く。ガスマスクの下の顔は顰め面だ。流石に彼も目の前で拷問が続くのを見たいような加虐的な性格ではない。

 

 恐らく従軍経験者なのだろう。奇襲の時の動きや拷問への耐性から見ると唯の不平屋ではあるまい。

 

「こういう場合は別の相手に聞くべきですな」

 

 その言葉の意味を理解したライトナーは首を振って部下に指示する。その意を解した部下達は、先ほどパラライザー銃で気絶させた黒帽子の腹を蹴り上げて強制的に気を取り戻させる。

 

 同時にライトナーはハンカチを拷問にかけた黒帽子の口にねじ込み口を聞けなくさせる。

 

「アッ……がっ……!?」

 

 意識を取り戻した方は事態が理解出来ずに混乱していた。ぴくぴくと体は痙攣している。その首元を持ち上げて部下が怒鳴りつける。

 

「よーし、起きたな!いいかこの糞オートミール野郎!今すぐその足りない脳で理解しろっ!さっきまでここにいた小娘がどこに持ってかれたかさっさと洗いざらい吐き出せ!でないとこいつの指を全部折ってお前の番になるぞ!?」

 

 いっそ楽し気な(無論演技だが)口調で尋問を開始する元装甲擲弾兵。

 

「あっ……ひっ……!?」

 

 口元から涎を垂らしながら黒帽子は理解したようだった。こっちはどうやら若そうな声をしていた。

 

 同僚の折れた指を目の前で見せられた若い黒帽子は動揺する。折られた方は何か言いたそうにするが口を縛られているために何も伝えられない。どちらにしろ中ばパニックになっている若い黒帽子の前では無意味であっただろうが。 

 

30秒足らずに答えは出た。

 

「ボスだっ……!ボスが……あの餓鬼を屋上まで連れて行った!」

 

 次の瞬間、電磁警棒で黒帽子達を気絶させると彼らは階段に向け駆け出した……。

 

 




パラライザー銃は「黄昏都市」(並行世界?)で存在が記述されている。決して「サイコパス」のあれがかっこいいと思ったからではない(真顔)


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第三十五話 人の金で食べる飯程美味いものは無い

「くっ……さっさと走れっ!こののろまめっ!!」

 

 ブラスターを向ける黒帽子の男に急かされ、クロイツェルは何日も動かしていなかった足を小鹿のように震わしながらも進める。

 

 寝ている間に地震が起きたかと思えば数分前に、手錠を外されそのまま黒帽子に腕を無理矢理引かれて階段を駆け上がらされていた。

 

 遠くに耳を澄ませば銃声らしき音が響き渡る。そして彼女は事態を察して恐怖していた。

 

ついにこの時が来た……!

 

 ここがどこだか知らないが、どうやら同胞は遂にその握り拳を降り下ろす事にしたらしい。

 

 怖い……この人は分かっているのだろうか?きっと来た人達は自分の眉間に銃口を突きつけ脅しても気にも止めないだろうというのに。……脅迫したと同時に蜂の巣にされる事は確実だろうに。

 

そしてその際、多分自分も………。

 

「……!」

 

ぞわり、と鳥肌が立つ。

 

 自分の死がすぐそこにまで迫っている事を改めて自覚させられた。

 

「糞……帝国のハイエナ共め。ここを探り当てて来やがったか!だが……まだだ。まだ終わらん!」

「ボス!ここは食い止めます!早くお逃げ下さい!」

 

 屋上への出口から現れる黒帽子2人が登っていくクロイツェルとすれ違う形で階段を下る。その手には火薬式軽機関銃が掴まれていた。登ってくる復讐者達に応戦しにいくのだろう。

 

 屋上に出る。そこは闇と光の世界であった。大都市テルヌーゼンの辺境の辺境の貧民街であるために周囲の光は少なく外に出ると共に闇夜の空は美しい星々の輝きを余す事なく曝け出していた。2月の冷たい空気が肌に冷え込むように襲い掛かる。遠くを見ればテルヌーゼン中心街の高層ビル群がネオンの光で幻想的なシルエットを薄っすらと生んでいた。

 

 そして、そんな中で銃声をBGMに屋上倉庫に安置された小型ヘリコプターの下まで引かれる自分の存在を、クロイツェルはどこか滑稽に思えていた。

 

 屋上倉庫にギリギリで収容されていた旧型の民間用ヘリに乗り込もうとした瞬間、殺気を感じたアダムズは身を伏せる。同時に先ほどまで頭部のあった空間にパラライザーの電光が通り過ぎた。

 

同時に手にするブラスターを屋上入り口に連射する。

 

「ちっ、勘の良い奴め……!」

 

 屋上階段に身を隠して元装甲擲弾兵の一人は舌打ちする。

 

 向かってきた黒帽子2名を催涙ガス弾と煙幕弾で無力化した第11階突入班は、しかしそこから動けずにいる。

 

 相手は一人、しかし断続的なブラスターの発砲の前に攻めあぐねる。本来ならば相手は一人である。ゼッフル粒子の込めた砲弾を撃ち込むなり、重火器で正面から面制圧、狙撃もあるし、いっそ戦闘ヘリで吹き飛ばしても良い。

 

 だが、人質の奪還を目標としている以上それは不可能であった。

 

「野外警戒班、そちらから狙撃出来るか!?」

 

 若い元装甲擲弾兵が無線機で周辺の建物から監視している友軍に連絡する。

 

『……駄目だ。ここからでは影になっている。それに風が強い。人質の安全は保障出来ん」

「糞、ニョルズめ……こんな時に風を吹かすな!」

 

風神に文句を言いながら隊員は銃撃が止むのを待つ。

 

 そしてブラスターの閃光が止むとと同時に突入しようとした彼らは……思わず怯んだ。

 

「なっ……!?」

「あの野郎、正気か?」

 

 彼らが見たのは、黒いローブを脱いだ今回の事件の首魁の姿であった。

 

但し、全身に爆薬を巻いていたが。

 

 ヘリの傍らで全身に高性能爆薬を巻いたアダムズは軍用ナイフ片手にクロイツェルを人質に取る。

 

「帝国の溝鼠共め……!撃てるものならば撃ってみろっ!この餓鬼と共にヴァルハラとやらで暴れまわってやる!」

 

 声を荒げてアダムズは答える。その表情は不敵に笑っていた。

 

「……降伏して人質を解放しろ。貴様に最早逃げ場は無い。今這い蹲って赦しを請えば寛大な処置を約束するぞ!」

 

 隊員の一人が降伏勧告をする。だが、それに対してアダムズは口元を吊り上げて笑う。

 

「はははは!降伏だと?笑わせるなよ!?誇りある同盟人は貴様ら圧政者に媚びなぞ売らんわっ!」

 

 そして、クロイツェルの首元に炭素クリスタル製の軍用ナイフを突き立てる。

 

「貴様らこそ、この嬢さんの胴体と頭が泣き別れしていいのなら来るが良い!人質を気にしないのがお前達のやり口だろう?」

 

嘲るようにそう投げかけるアダムズ。

 

「ふっ……やっぱり撃ってこないな」

 

 帝国人達の沈黙に確信したように呟く予備役伍長。どうやらこの小娘を怪我させる事に躊躇しているらしい。

 

「たかが成り上がりの騎士だと思ったがどうやら違うようだな、ええっ?どこぞのぼんぼん貴族の妾腹か?それともその歳で御手付きか?」

 

馬鹿にするようにアダムズはクロイツェルに尋ねる。

 

「し、知りませんよっ……!私はただの一般人ですっ……も、もう嫌だよぅ………」

 

 涙声で震えるように答える。実際彼女の精神は相当参っていた。時たま面倒な目に合うがそれでも命の危険に合うような経験なぞこれまで殆ど無い。正直十六そこらの一般家庭の少女にとってはここ数日の状況は余りに非日常的であり、絶望そのものであった。

 

「もう嫌だよぅ……誰か……お願いだから助けてよぅ……」

 

 一方、屋上出口に控える帝国人達は、判断に迷っていた。

 

「糞……時間が無い。早くしないと黒帽子共と警察がやってきやがる。あいつらが残っているからと言って俺らを纏めて殺りにきても可笑しく無い……!」

 

苦々し気に一人が吐き捨てる。

 

「上層部の結んだ協約だと後6……いや5分も無いぞっ!?」

 

 状況は緊迫していた。全身爆薬を纏って人質にナイフを突きつけていた。全身に電流が走るパラライザー銃の使用は不可能、狙撃用ブラスターライフルも封じられた。接近戦を行おうにも人質がいるし、自爆の危険がある。そして何より時間が無い。

 

「地上の陽動班は撤収を開始している模様……!5階、8階の突入班も撤収準備中です……!」

「こちらに増援を要請するか……?」

「いや、時間が無い。この際強硬突入して刺し違えてでも……!」

 

そこに怒鳴り声が響く。

 

「馬鹿者がっ……!優先順位を履き違えるな……!我々の任務はあらゆる犠牲を払ってでも人質を救出する事だ……!強行突入は人質の命が危ない……!」

 

ライトナー大尉が慌てる部下を叱責する。

 

「……背に腹は代えられませんな」

 

そこにそう呟いた者がいた。

 

「おい、何を……!」

 

 制止を振り切るように立ち上がり屋上に出る人影……それに反応してライトナー大尉が部下に戦闘準備を命じて後を追う。

 

「余り感心しませんな。紳士たる者、御令嬢に突きつけるのは刃物では無く花束にしたらどうですかな?」

 

飄々とそう語りながら屋上に出てくる人影。

 

「お前は………?」

 

 さも、訳あり顔で向かってくるが故に予備役伍長は警戒しながらそう尋ねた。

 

「いやねぇ、そう大した者ではありませんよ。シェーンコップ……ジギスムント1世帝の御世に貴族位に叙せられたシェーンコップ男爵家が分家ハイルブロン=シェーンコップ帝国騎士の当主、ワルター・フォン・シェーンコップ帝国騎士だ。……まぁ、どうぞ短い間ですがお見知りおき下さいな」

 

 ブラスターを構えながら慇懃無礼に、しかし流暢な同盟公用語で持ってシェーンコップは名乗りを挙げた。

 

 

 

 

 

僅かな場の沈黙……それは泣き声で破られた。

 

「し……シェーンコップさぁん……っ!!?」

 

 文字通り目元を赤く泣き腫らしながら、嗚咽交じりの声でクロイツェルはその帝国騎士の名を呼ぶ。

 

それに対して不良学生は、少々困った表情を浮かべる。

 

「フロイラインもなかなか難儀な星の下に生まれたものですなぁ。これでは赤ん坊同様少しでも目を離せませんな」

「私は赤ん坊じゃありませんっ!」

 

 泣き声交じりで、しかし怒るように反論するクロイツェル。その反応に少し驚くように目を見開くが、すぐに再び困ったものだ、と肩を竦める。

 

「これはこれは、とんだ失礼を。どうぞ御容赦下さい、フロイライン」

 

 少々茶化すように、しかし真摯に礼をするシェーンコップ。同時にライトナーが不良学生の傍に控える。

 

「はっ!帝国騎士様が御姫様を御救いに来たと言う訳か!なんとまぁ浪漫に溢れた事だ。時代錯誤の貴族主義者共め……!中世ごっこなら他所でやりやがれ!それとも騎士道物語宜しく決闘でもするかっ!?えぇ!?」

「ひっ……!」

 

 その言いような明らかに嘲りの感情があった。宇宙暦8世紀になってもちぐはぐな似非貴族を演じる銀河帝国貴族階級は彼にとっては滑稽なものだ。地球時代の欧州貴族の服装に黒色火薬式銃やサーベルで決闘する者共の神経なぞ理解する気も無い。仮に決闘を申し込まれれば彼は迷わずそんな馬鹿貴族に不意打ちでブラスターの光線を叩き込むだろう。

 

 ライトナーも含めて一層警戒しながらクロイツェルに引き寄せながら一層軍用ナイフを細い首元に近づけるアダムズ。ナイフの先端がか細い肌に触れ一条の血の筋が滴る。

 

「やれやれ、追い詰められたからと言ってそうかりかりしなくていいでしょうに」

 

 そんな強制労働者の末裔に憐れむような笑みを見せる不良学生。肩を竦めて同意を求めるようにライトナーにちらりと顔を向ける。一方、ライトナーは文字通り汚物でも見るかのように蔑みの目でアダムズを見据える。知る人が見ればそれが正に帝国貴族が農奴や奴隷を見る時と同じである事が分かった筈だ。

 

「そういう貴様は随分と余裕な事だな?」

「御隠れした祖父が言ってましてね。帝国貴族たる者、常に余裕を持って優雅たれ、貴婦人には恭しく手の甲に接吻して御挨拶を、手袋を投げつけられたら慇懃無礼に拾って差し上げろ、とね」

 

 茶化すように答えつつもシェーンコップはブラスターを構えたままアダムズから視線を外さない。

 

 一方、アダムズもそんな生意気な餓鬼から視線を外さない。

 

(……餓鬼の癖に隙が無い。視線を外したら……狙撃されかねん)

 

 今でこそ唯の暴力組織の一員であるがかつては同盟地上軍の兵士として五十近い戦闘を経験している。その経験と勘が目の前の帝国騎士は決して軽視出来ない存在である事を告げていた。

 

(……ちっ、警察共め。もっと早く来やがれ。こんな時に限って遅れやがって……!)

 

 アダムズは時間を味方につけていた。この騒ぎである。ハイネセン警察なり同盟警察なりが急行する筈だ。そうすれば帝国人共は道連れで捕まる、少なくとも目撃されれば亡命者コミュニティに捜査が入る。事態が周知されれば長征系市民と帝国系市民の対立は一層深くなる。対立の深刻化は彼とその同志達にとって望む所だ。

 

 そしてその考えは現実と多少の齟齬があっても間違いでは無い。時間以内に人質を連れて撤収しなければ委員会の完全武装の集団が一斉にビルにいる者全員に襲い掛かり、その後、同盟警察機動隊が私刑に処された者全員を暴徒や犯罪組織の内ゲバとして拘束する事になっていた。不良学生達はこれ以上ここに留まれば自分達もまたその私刑の対象になる。

 

 何せ、委員会側としては仮に現場で帝国人と会った場合末端を抑える自信が無い。というより、頭に血が登る末端構成員に対する表向きの出動理由が「組織を騙る便乗犯罪者への報復」だ。断じて帝国人との予定調和の事実なぞあってはならない。

 

「シェーンコップさん………」

 

 小動物のように怯えながらクロイツェルは目の前の帝国騎士に助けを呼ぶ。それに対してシェーンコップはどこか仕方ないとばかりに優し気に、そして申し訳なさそうな笑みを浮かべる。

 

「フロイライン……安心してくれ、と言っても安心は出来んか。済まんな。俺のせいで妙な事に巻き込んでしまった」

 

 最初の出会いのせいで目をつけさせてしまい、自分に会おうとしたために誘拐されてしまった。故意では無いが、標的にされた一因は自分にもある事を不良学生は十分自覚していた。

 

「……そ、そんな事は……無いです。シェーンコップさんのお蔭であの時……助かりました。だから……そんな事言わないで下さいっ……!あ、謝るなら……今度ご飯奢ってください。そ、それで許してあげますよ?」

 

 怯えながらもクロイツェルはその言を否定する。そして涙目でも気丈にそう茶化して見せる。過程はともあれ、彼女はシェーンコップに助けられた事を感謝していたし、彼を嫌うような理由は彼女には無かった。寧ろ彼女こそ天文学的な確率で自分の災難に巻き込んでしまった事に引け目を感じていた。だからこそ、相手の自責の念に対して否定する。

 

 ある意味では彼女も端くれであり自覚こそ無いものの彼女なりの貴族の誇りを持っていた、という事かも知れない。

 

「ぎゃあぎゃあ喋るな、小娘!ここはオペラ座じゃねぇぞ、演劇は他所でやれ……!」

 

 警告するように薄くクロイツェルの首にナイフを添えるアダムズ。すっと首に浅い切り傷をつける。クロイツェルは小さな悲鳴を上げて口を閉じる。

 

「……!!クロイツェル、必ず助ける。だから……動かないでくれるか?」

 

 子供を諭すように優しくそう尋ねるシェーンコップ。怯えつつも、しかしその言にクロイツェルは、小さく頭を振って肯定する。

 

 それを確認したシェーンコップは頷くと、険しい視線でブラスターに両手を添える。それは間違いなく狙撃の体勢であった。

 

「……!貴様っ!狙撃するつもりか!?こいつがどうなってもいいのかっ!?理由は知らんがそこの殺戮上等の帝国人共が傷つけるのを躊躇する人物だぞ!?」

 

 そう言ってアダムズはクロイツェルを自分の盾のようにする。これでは、アダムズだけを正確に狙撃するのは困難だった。さらに手に持つナイフを首のすぐ横に動かす。そこならばナイフを持つ腕を撃たれても手の中から落とす前に動脈を切り裂けるだろう。

 

 仮に狙撃の名手であろうとも、ブラスターで行う事を躊躇するだろう状況……。

 

「……シェーンコップ殿、狙撃ならば私が」

 

 狙撃の経験も豊富なライトナーの呼びかけにシェーンコップは視線のみで意思を伝える。

 

「……分かりました」

 

それだけ言ってライトナーは突入姿勢を取る。

 

「ちっ……!」

 

アダムズは集中して自身に来る狙撃に備える。

 

 闇夜の中での静寂………それは永遠に続くかに思えた。だが、実際はそれはほんの十秒程度の事でしか無かった。

 

青白い閃光が走った。

 

「うっ……!」

 

小さな悲鳴が上がる。

 

同時に足に狙撃を受けたクロイツェルが倒れ込む。

 

「おい……!ちぃっ……!?」

 

 人質が床にしゃがみ込んでアダムズの姿が射線上に晒される。

 

(狙いを外した!?いや、これは……!)

 

 すぐに目的を理解したアダムズは無理矢理にでもクロイツェルを立ち上がらせようとする。

 

(いや、駄目だ。それよりも自爆して全員道連れに……)

 

 アダムズは、急いで起爆のためのレバーを引こうとする。そこに両腕をブラスターの閃光が射抜いた。

 

「がっ……!?」

 

 同時にナイフを落すアダムズにライトナーが一気に距離を詰める。自爆を防ぐように両腕を抑えつける。同時に部下達もすぐさま駆け寄りアダムズを抑え工兵経験者が自爆ベルトを無力化していく。

 

シェーンコップは急いで倒れるクロイツェルの下に駆け寄る。迅速に手持ちのハンカチで傷口を止血する。

 

「……すまん。怪我をさせた」

 

心の底から心苦しそうに不良学生は謝罪する。

 

 一方、涙目のクロイツェルはしかし安堵の笑みを浮かべ答える。

 

「いえ、大丈夫ですよ。視線でどこを狙っていたか分かりましたから」

 

 シェーンコップは元から人質の足を狙っていた。急所を外し、掠れるように狙いをつけていたが。

 

 アダムズは自分を狙っていると思っていただろう。敢えて人質を狙う事で、立てなくなる人質の価値を失わせると共に動揺させる。そして生まれた隙で2撃目を発砲する。

 

「……怖く無かったか?外すかも知れなかった。それに殺されたかも知れない」

 

時間が無い苦肉の手段だった。賭けに近かった。

 

「確かに怖かったです。でも……」

「でも?」

「……信じてましたから。シェーンコップさんは私と違って本当に騎士様みたいですから」

 

 最初に会った時からそう思っていた。本来ならば面倒事だ。見て見ぬふりして良かった筈だ。だが、敢えて目の前の人物は自分を助けてくれた。

 

 その時に何度も泣きながら感謝した。だが、彼は不敵な笑みを浮かべ、ぶっきら棒にいった。

 

『気にするな。見て見ぬふりをするのは嫌だっただけだ。口煩い祖父に躾けられたからな。「栄光と勇気は結果に過ぎん。弱者のために、正義のために、貴婦人のために力を使った結果だ。必要な時に力を使わんのは悪であり卑怯者だ」とな。私は卑怯者になりたくは無いのでね』

 

 ある種古臭いが、それは古き良き時代の帝国騎士の姿に他ならない。門閥貴族や従士と違い権力に靡かず、独立独歩の精神で、自身の正しいと信じる信念に従う。歴史を紐解けば開祖ルドルフを始め皇帝にも異を唱えた者、門閥貴族にも屈しなかった者もいる。帝国では騎士を主人公にした浪漫小説は大衆の人気文学であった。

 

 当然今時そんな絵に描いたような帝国騎士なぞ絶滅危惧種だ。だからこそ逆に、クロイツェルにとってシェーンコップは正にまごう事無き騎士に他ならなかった。だからこそ、信頼していた。

 

「……随分と買い被られたものですな」

 

 困ったように苦笑するシェーンコップ。だが、そこにはどこか晴れ晴れとしたものがあった。

 

「失礼、そろそろ撤収致します。御急ぎを」

 

 ライトナーが傍に立って連絡する。既にビルの1階には委員会の武装車両が突入し、団員を次々と放出していた。

 

「分かりました。では御姫様、御無礼致します」

「はい?」

 

 そういうや早くシェーンコップは足を痛めたクロイツェルを、俗にいう御姫様抱っこする。そして周囲の装甲擲弾兵が茶化すように口笛を吹く中、一人、クロイツェルは顔を赤くしていた。

 

 

 

 

 一方、そのような事の行われているビルの数キロ離れた貧民街の街道にはモスグリーンに統一された装甲車両の列が進んでいた。

 

 同盟警察ハイネセン管区第13機動隊……首都のおける暴動やテロ対策のために設立された武装警察部隊、というのは建前であり、その実統一派の同盟警察に有する私設部隊の色合いの濃いこの部隊はハイネセンで起こる様々な政治的事件に対応し、時に同盟政治家達の意を汲んで処理する目的があった。そう、今回の暴動のように。

 

そんな車列の横を通り過ぎるように数台の車が走る。

 

 明らかに銃撃を受けていたと思われる車を見て、装甲車から乗り出した警官が口を開く。

 

「おい、そこの車列、止まれ」

 

命令口調での注意に車列は止まる。

 

「済まないが車の名義と身分証明を要求する。その車の痛みようはどういう訳か説明願いたい」

 

 圧迫するような警官に、先頭の車の窓がゆっくりと降りる。そして運転手は口を開く。

 

「あー、すみません!私アルレスハイム民間警備会社警備員のイングリーテ・フォン・レーヴェンハルトと言います!す、すみません。実は飲酒運転してましてぇ……あのぅ、もしかしてこれ、免許剥奪ですか?」

 

 にへら、と飲酒運転を誤魔化すように笑う女性に一瞬警官は驚く。が、すぐに気を取り戻す。

 

「わ、悪ふざけは止め給え。その傷は飲酒運転で出来るようなものでは無いだろう!?明らかにその傷は銃弾の……」

「お願いしますよぅ~!今非番なんです!見逃してください!ばれたら会社首になるんです!そ、そうだパンツ!私のパンツあげるので勘弁してください!」

 

 涙目で懇願する運転手。急いでパンツを脱ごうとし始める。

 

「お、おい、止めろ!そういう話をしているのではなくてだな……!?」

「上ですか!?上のブラなら満足なんですか変態性癖ポリスさんっ!?」

「誰が変態性癖じゃ!俺はノーマルだ!」

「……レストレイド巡査、何事かな?」

 

 慌てて突っ込みを入れる警官。騒がしく罵り合う場、そこに低い、しかし印象に残る声が響いた。

 

 歩いて装甲車に歩み寄る警部に慌てて若い警官は敬礼する。

 

「い、いえ警部、怪しい車を見つけたもので職務質問していた所でして……」

 

 若い、爽やかでハンサムな警部はちらりと銃弾の穴だらけの車を見やる。

 

「……これはこれは、随分と痛んでいる車ですね。中古でご購入で?」

「えへへへ、まぁ、いやぁ、確かにそれだけでは何ですが……飲酒運転でぶつけましてぇ」

 

 誤魔化すように頭を掻くレーヴェンハルト。へらへらと苦笑いを浮かべているが、警部にはその目の奥底が微塵も笑っていない事を理解していた。

 

「やれやれ、この近くで暴動が起きているそうです。いつまでも職務質問は危険です。私達は交通課では無いので今回だけは大目に見ましょう。運転は確かに楽しいでしょうが飲酒時は公共の安全のために自動運転の方にしてくださいよ?」

 

笑みを浮かべてそう指摘する警部。

 

「はい~、ごめんなさい~」

 

 頭を下げながら窓を閉めるレーヴェンハルト。銃弾痕だらけの車達は急いでその場を後にする。

 

「……レストレイド君、仕事熱心なのは結構、だがあの手の物には手を出さない方が良い」

 

 車の列が去った後、張り詰めたような笑みを浮かべて警部は抑揚の無い口調で部下に注意する。

 

「しかし……」

「君も、下手に首を突っ込んで人生を棒に振りたく無いだろう?」

 

その冷たい、凍えるような声に巡査は口を閉じる。

 

「……やれやれ、御上は我々にいつも後始末をさせて困ったものだ、全く。派閥で勝手にやって秩序を壊乱する………問題児ばかりだよ」

 

 貧民街の奥で鳴り響く物騒な音、それがする方向を見据えながら、同盟警察ハイネセン管区第13機動隊所属ヨブ・トリューニヒト警部は皮肉気に、そして侮蔑するように呟いた。

 

 

 

 

 

『テルヌーゼン郊外における暴動とそれに付随する犯罪組織による抗争は現在沈静化しております。同盟警察は現在47名の容疑者を拘束しており……』

 

 小汚い下町にあるダイナーレストラン「ボーダーレス」のカウンター席に座りながらヴォルター・フォン・ティルピッツは、即ち私はぼんやりと古いテレビの画面を見つめていた。

 

 数日前の誘拐事件の対応に追われ、なかなかここに来る事が出来なかった。どうにかクロイツェルの救出と市街地を舞台にした大宴会を阻止したが、根回しや後処理が大変だった。うん、互いの代表がね、電話越しに暴言ばっか言うの。それをね、密室で我々代理の学生間で穏当な言葉に翻訳しないといけないの。全部そのまま話したらパーティーが始まるからね?皆さんもっと穏当に御話出来ないの?

 

 ヤングブラット首席は快く仲介してくれたがコープの方は悪態ついていた。なぜ自分がこんな事しないといけないのか愚痴っていた。代わりに戦術シミュレーションの相手を3回させられ虐殺された。それを鼻で笑っていたホラントは48時間耐久戦闘をさせられていた。タッチ差でホラントに負けてさらに3回私が虐殺された。

 

「宜しかったのですか?あのまま行けば我々の勝利は確実でしたが……」

 

 恐る恐る控えるベアトが小さく尋ねる。確かに市街戦を実行していれば委員会が武器類を警察から隠すために移動させていた分有利だっただろう。

 

「言っただろう?首都星で今時荒事は危険過ぎる。それにあれで暫くは内ゲバだろうから十分だろうよ」

 

 クレーフェ侯も納得してくれた。昔ならいざ知らず。第2次ティアマト会戦以降の平和が随分と市民を左傾化させた。祖国滅亡の危機は遠のき、経済は活性化し、テロや暴動は忌避された。イゼルローン要塞建設から怪しくなっているが、少なくとも今の時期に荒事をこちらからするのは市民感情的に宜しくない。

 

 委員会の方も今回の件で内ゲバ中だ。血は流れないものの、組織内の権力闘争やら責任の所在やら御忙しい事だろう。暫くは平和……だといいなぁ。

 

「同盟警察の摘発もあるしな。一応の報復はしたのだから良しとしよう」

 

 尤も、パーティー回避の代わりに私の財布は大打撃だけど。

 

 各種工作費用やら斡旋やらで私の預金が半壊した。ヤングブラット首席の斡旋料はまだいい。おいコープさん、ちょっと工作費用の桁一つ多く無いですかね?叔父さんの金遣い荒くない?ちょっとキプリング街郊外の料亭から領収証が1ダース分来ているんだけど?

 

 ちょっと、根回しに予算いるの分かるけどさ、人の財布だからって豪勢に使い過ぎじゃね?

 

「はぁ……暫く節制しないとな」

 

 テーブル席を占拠している黒服組の注文が妙に普段より少ないと思うのは気のせいだと思う。

 

そんな事をしている内に目的の人物が入店する。

 

「おや、これはこれは伯爵様、御久し振りですな」

 

 慇懃無礼にそう尋ねる帝国騎士に私は手を振って答える。

 

「あ、伯爵様、失礼しますぅ……」

 

不良学生の影から小さく頭を下げるクロイツェル。

 

「……随分と仲の宜しい事で」

「少しでも目を離すと何に巻き込まれるか分からんですからな」

 

 クロイツェルが少しむすっとした表情になるが、不良騎士にエスコートされてすぐ機嫌を取り戻す。

 

「それにしても大変ですな。貴族様は」

 

カウンターに座ると共にシェーンコップは口を開く。

 

「何がかね?」

「たかだか帝国貴族一人のためにあちらこちらと、相当に赤字でしょうに。何故そんな事を?」

 

意地悪そうな笑みを浮かべて不良学生は聞いた。

 

「……もしかして今私試されている?」

「さあ、どうでしょうな?」

 

 いや、絶対試しているってこれ。試しているよね?気に入らなかったらアウトだよね?

 

「まぁ、色々あるんだけどね。単純に馬鹿騒ぎして欲しく無かったし、お前さんを置いておくと勝手に動いてヴァルハラ行きそうだし」

「私は死ぬ気はありませんが?」

「余り自分の実力を過信するなよ。私達は所詮餓鬼だからな。頼れる物には頼らんとな」

 

 そういうと少しむすっとした表情になる不良学生。やべ、怒ったかな?

 

 おどおどするクロイツェルに一瞬目をやり、再びシェーンコップに視線を戻す。

 

「それにお前さんに恩義があるのも事実だからな。同胞を二度も、まして今回は私の下請けをだ。余り私も好きでは無いが、貴族として下の者を保護する義務があるのでね。やれる事はしようと言う訳だ。……まぁ、ぶっちゃけ恩を押し売りしているのも事実だけど」

 

その発言に流石に不良学生も呆れる。

 

「本末転倒な話ですな。少しは建前と言う物もあるでしょうに」

「一応建前も言っただろう?それにお前さん、なんか嘘見破りそうだし」

 

曲者過ぎるんだよ、お前さんは。

 

「やれやれ、随分と高く買っているようですな」

 

物好きな事です、と続ける。

 

そして朝食のメニューを注文すると、こう答えた。

 

「食客」

「ん?」

「私は金欠でしてな。たまに飯を奢って頂けるなら、家臣は無理でも食客にくらいならなっても良いですよ?」

 

 不敵な笑みで答えるシェーンコップ。食客は、帝国において貴族が才有りと認めた平民や帝国騎士、特に軍人を一時的に雇用する時の形式の一つだ。恐らく原作ブラウンシュヴァイク家のシューマッハやフェルナーはこの形式で雇われていたと思われる。有期契約などで、従士のように永続では無く必要な時にだけ雇えるのが魅力だ。

 

「これはまた急な話だ。その心は?」

「フロイライン・クロイツェルに怪我をさせてしまいましてな。そういう時は贖罪として暫くお仕えしろ、と祖父に教え込まれたのですよ。となると、すぐトラブルに巻き込まれるフロイラインを御守りするには同じ士官学校に行くべき、と思った次第です。で、どうせなら少しでも付加価値を付けようという卑しい判断と言う訳ですな」

 

苦笑しながら答える不良学生。

 

「それで、私めの提案の賛否は如何に?」

承諾(Ja)

 

 こうして、帝国騎士ワルター・フォン・シェーンコップは自由惑星同盟軍士官学校に入学する事に決まったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、今金欠だから暫くの間は安い店にして」

「最後の最後に雰囲気をぶち壊すのは貴方らしいですな」

 




ようやく不良中年入学させられた……。
不良中年が簡単に靡いてくれないのが悪い(逆ギレ)
尚、現在までで最大の原作乖離は不良中年の漁色フラグがへし折れた事の模様

多分後7,8話で卒業出来る、筈……。


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第四章 士官学校四年目は平穏無事に終わると思ったか?
第三十六話 お茶請けに菓子は鉄板


ティアマト星系に両軍は展開した。

 

 我が軍の戦力は4個艦隊5万2000隻、ティアマト星系第3惑星ウガルルム及び第4惑星ウリディンムに後方支援用の補給基地が置かれ、予備戦力も兼ねる第4艦隊の艦艇1万2000隻が惑星及び補給線の警備にあたる。衛星軌道では後方支援用の工作艦、病院艦、補給艦が展開、宇宙軍陸戦隊を始めとした地上部隊は惑星地上や衛星に駐留して強固な防空網を形成する。

 

 一方、敵艦隊は3個艦隊艦艇3万9000隻、ティアマト星系第7惑星クサリクに前線基地を、第8惑星ウシュムに拠点を設置した上でこちらに戦いを挑む。本来ならば補給線防衛のために十分な戦力を置きたいのだろうが、元々の戦力の差もあり正面戦力を必要以上に割く事は難しい。偵察部隊によれば各艦隊から抽出した5000隻が後方の危機に備える。当然ながら各艦隊からの混成部隊のため、連携の面で不安が残るだろう。

 

 両軍主力は、第5惑星ギルタブリル軌道上で会敵した。正確にいえばこちらが待ち構えていた。偵察用の小艦隊をばら撒いたために敵艦隊の進行ルートはほぼ把握していた。

 

 こちらの戦力は偵察のために3000隻を振り向けたため3個艦隊3万7000隻、敵もまた3個艦隊3万4000隻である。尤も、偵察艦隊は敵艦隊発見以降は最小限の数のみ残して再集結を始めている。こちらは横陣で待ち構え、敵艦隊は艦隊を出来得る限り正面から捕捉されず前進させるために長蛇の形で進む。

 

 中性子ビーム砲も届かない30光秒の位置から敵艦隊は陣形を横陣に変化させる。この距離からそれを阻止する事は出来ない。今はそれを見守る事のみだ。

 

 そして共に横陣のまま距離20光秒の位置でついに両軍は火蓋を切る。

 

「ファイエル!」

 

 私のこの命令と同時に前方に構える我が方の3艦隊、その前衛分艦隊の戦艦群と巡航艦群が一斉に中性子ビーム砲を撃ち出した。数万の光の束は漆黒の宇宙に消え……次の瞬間撃ち返された数万条のエネルギー波の光がこちらに襲い掛かる。

 

 尤も、艦艇の爆散する光は殆ど見る事は無かった。中性子ビーム砲が発射されて届くまで20秒程かかる。その間に高速で艦艇が移動する宇宙戦闘では対策は幾らでも可能だ。

 

 戦列を並べる艦隊の強固にして相互に補い合うように展開される中和磁場の鉄壁の前に99%の光線は霧散した。運悪く数隻の艦艇が装甲を貫かれ爆発するが、すぐさま後続の艦艇が戦列の穴を埋める。中和磁場の障壁を築く上で、戦列は欠かす事が出来ない。一旦戦列が綻べば、敵の砲火が集中してそこに展開する群は壊滅する。そしてそれは一気に戦隊の、分艦隊の、そして艦隊の崩壊にも繋がりかねない。故に迅速な戦列の修復は何よりも重要であった。

 

 戦闘は何の他愛もない長距離砲戦で開幕した。両艦隊共、相手の急接近を警戒しつつじわじわと距離を詰めていく。少しでも相手の不審な動きを察すると距離を取る。接近戦は相手の不意を付ければ圧倒的に有利だが、逆に相手の対応が万全だと懐に駆逐艦部隊が入り込む前に七面鳥撃ちになってしまう。

 

 長距離砲戦は4時間に渡り続く。その間に両艦隊とも殆ど損害は無い。中性子ビーム砲による砲戦では決着はなかなか着かないのだ。そして少なくない同盟と帝国の会戦がこの砲戦のみで終わるのである。同時に、後方では絶えず支援部隊との連携が行われる。前線と後方の間では物資と負傷者のやり取り、損傷艦艇の移送が実施される。

 

 尤も、今回は複数艦隊による大規模戦闘である。敵の侵攻目的は不明であるが、たかだか大砲の撃ち合いだけで戦いを終える訳が無い。艦隊を動かすにも莫大な物資と予算がいるのだから、唯のコケ脅しのためだけに火の車の予算を使う訳が無い。

 

 ……いや、帝国の場合はまぁ皇太子の誕生日とか皇帝即位記念で侵攻してくるような国ではあるが。

 

 逆にいえば、そういうイベント事で無い場合は不退転の決意で侵攻してきている訳ではある。同盟軍では帝国の軍事的な理由での侵攻と、国家行事としての侵攻をはっきりと区別して対応している事で有名だ。

 

 10光秒の距離までじわじわと両軍は接触しつつある。ここで双方共に前衛分艦隊のエネルギーが不足を来たし始める。そのため戦隊単位で連携しつつ次の分艦隊と前線の受け持ちを交代し始める。1時間程度かけて、砲火の中両軍は前衛部隊を完全に交代させた。

 

 同時に、中距離戦となったためにレーザー砲を装備する駆逐艦群が戦列に参加する。中和磁場の出力の低い駆逐艦は、大型艦の影からレーザー砲を漆黒の闇の中へと撃ち込む。遠くから見える敵艦隊の点、そして遠くから見える火球の数が明らかに増えていた。火力の急激な増大によって敵艦隊のあちこちで中和磁場の障壁が破られ始めている証左であった。

 

「戦列を整える。予備戦力を惜しまず空いた穴は迅速に埋めろ!突き崩されるぞ!」

 

 各戦線で発生する虫食い穴に次々と増援部隊を送り込む。同時に暴走して突出しようとする部隊には超高速通信、あるいは連絡艇を送り込みその手綱を握る。突出部位は火力の集中を受けやすい。

 

「よし、別動隊を動かす」

 

 ここで私は後方の第4艦隊より抽出した戦力5000隻に偵察としてばら撒いていた内の2000隻を合流させる。合流地点は第5惑星の主力の会敵している反対側である。

 

「別動隊は第5惑星の影から敵側面を突き、敵右翼を圧迫する。我が方主力は敵左翼に火力を集中させその動きを欺瞞する」

 

 左翼に攻撃を集中させれば自然敵軍もそちらに傾注せざる得ない。すると右翼への備えが疎かになる。無論敵軍も無能ではあるまい。だが、だからと言って攻撃の集中する左翼を見捨てる訳にもいかない。戦線の一か所の崩壊は全体に波及する。艦隊戦力の多さがここで優位に働く。元の手数が違うのだ。

 

 敵艦隊の動きは見事だ。元の手数が違うというのに、戦力を見事なタイミングで入れ替えていき左翼はなかなか突き崩せない。相当の艦隊運動の手練れであろう。それどころか、こちらの一部が攻撃に熱狂して突出すればこちらが後退させる前に反撃して叩き潰してくる。敵左翼に対して800隻を撃破したが、こちらの損失は1000隻に上る。

 

 尤も、敵左翼はじりじりと後退しつつある。火力の集中により対応する中和磁場のエネルギーに余裕が無いのだ。艦隊の細かい入れ替えに使う燃料、弾薬の消費、兵士の疲労がそこに加わる。敵左翼の補強のため敵は手薄な右翼から2個戦隊を移動させた。

 

「そこだ。一気に突撃しろ……!」

 

 第5惑星が戦域に最も接近したタイミングで私は別動隊に命令を発した。高速な巡航艦・駆逐艦を基幹とした別動隊は一気に手薄な敵右翼を突いた。

 

 敵右翼艦隊の1個戦隊が瞬時に溶けた。側面からの不意を突いた攻撃、しかも連動してこちらの左翼を担う第3艦隊が節約してきた弾薬を一気に投入したためだ。

 

 敵右翼の動きは鈍い。前方と側面からの同時攻撃である。片方の相手をすればもう片方への対応が出来ない。不用意に動けば陣形が崩壊する。

 

「別動隊、駆逐艦部隊突入!単座式戦闘艇も投入する。敵右翼を追い込め!」

 

 小柄で小回りの利く駆逐艦は混乱する敵右翼からの対空砲火をやすやすと避けながらミサイルを撃ち込む。それに気を取られている内に懐に入ると、電磁砲による一撃必殺の肉薄攻撃が行われる。実弾兵器の前には戦艦の中和磁場も意味が無い。艦艇の装甲は宇宙空間における戦闘に備えた特殊合金であるが、せいぜいが気休め程度の価値しかない。電磁砲の放つプラズマ化したウラン238弾を叩き込まれたが最後、装甲が飴のように溶け、艦の内部構造は文字通り挽肉のように破砕される。

 

 同時に、単座式戦闘艇も蜂のように群がりながら敵艦に襲いかかった。単座式戦闘艇は航続能力・防御性能は宇宙空間の戦闘では無に等しいが、近接戦で群がられたらたちまち脅威になる。流石に撃沈する艦艇はそうそう出てこないが、中破・大破する艦艇は数えきれない。損傷したそれら艦艇は砲戦においては良い的だ。

 

敵右翼艦隊はたちまちに崩壊していく。

 

「よし、こちら左翼第3艦隊突入、右翼を中央に押し込んでこのまま半包囲してやれ!」

 

私が最終的攻勢を命じたと同時に……状況は逆転する。

 

「なっ……!?」

 

 敵右翼に第3艦隊が躍り込むと同時に敵艦艇が次々と巨大な火球となり自爆する。レーザー水爆ミサイルを利用した爆発の前に肉薄していた第3艦隊と別動隊の艦艇や戦闘艇は次々と巻き込まれ道連れにされる。

 

「無人艦艇による自爆か……!不味い……!」

 

 敵右翼の数の少なさに気付く。3000、いや4000隻は少ない。この状況からするにその居所は……!

 

「中央第1艦隊、後退しろ!」

 

 同時に想定外の火力の滝が私の中央艦隊に叩き込まれる。敵は右翼から少しずつ戦力を中央に移動させていた。その上で自爆攻撃で第3艦隊と別動隊の動きを止め、油断して突出した中央の前衛分艦隊に襲い掛かったのだ。

 

 接近戦の出鼻を挫かれた。突出しようとしていた駆逐艦群は中性子ビーム砲の光の中に消えた。僅か5分余りの内に1個戦隊に匹敵する戦力が消滅したのだ。

 

 空いた穴を埋めようとするが遅い。敵艦隊の単座式戦闘艇が戦艦の懐に入りこむ。対艦ミサイルの雨を迎撃する戦艦の対空砲は急所に撃ち込まれるウラン238弾を迎撃出来ない。次々と爆沈する戦艦、中和磁場の壁はぼろぼろと崩れていく、既に前衛分艦隊は崩壊寸前だった。

 

「前衛分艦隊、群単位で固まって円陣を組め!中央残りの艦隊は後退しろ!距離を取るんだ!右翼第2艦隊、敵左翼・中央を牽制しろ!」

 

 前衛分艦隊は捨てるしかない。小部隊で固まり足止めをする。右翼第3艦隊と別動隊の混乱はまだ続いていた。彼らを捨てるのは痛い。多少の犠牲は諦めるとしても半分は持って帰りたい。

 

「まだだ。第2艦隊は大半が無事、第1艦隊も1個分艦隊を失っただけだ。後方の第4艦隊主力と合流すれば3万、右翼と別動隊を回収すれば少なくとも3万8000隻は残る。数はまだこちらが上だ。第4惑星軌道に防衛線を敷けば後方支援の面でも優位に立てる……!」

 

 損害から見れば後で社会的に首が飛ぶが、物理的に戦死するよりマシだろう。敵艦隊も相応の損失を生じさせている。まだこちらは負けていない……!

 

「なっ……!」

 

 後退する第1艦隊の背後から砲撃が襲い掛かる。奇襲に等しい攻撃の前にたちまち1個戦隊が撃破される。

 

「別動隊か……!?一体……ちっ、防御を捨てたか!」

 

 敵の後方警備艦隊5000隻の姿が無い事が偵察部隊から入る。恐らく捕捉されないように小惑星帯でも影にして大きく回り込んできたのだろう。

 

 第2艦隊は敵左翼に動きを止められている。第1艦隊は前後から挟撃、第3艦隊は混乱していて第4艦隊は増援に間に合わない。

 

 それでも延命策を打ち出す。第4艦隊来援と第3艦隊の立ち直りの時間さえ稼げばまだ勝ち筋があった。

 

 尤も、挟撃から辛うじて抜け出そうとした所で艦隊旗艦が十字砲火を受けて撃沈した。画面が真っ黒になり「YOU DIED」と赤文字が突きつけられる。

 

 戦闘開始からシミュレーション時間で38時間42分、現実時間で2時間14分で私は戦死した。

 

 

 

「ははは、少々慎重過ぎたな。数の上では優位なんだから損害を気にせず正面から叩き潰せば良かったんだよ。それに戦場も頂けない。補給線の負荷を考えて第5惑星を選んだんだろうが、距離がある分こっちも自由に動ける。あるいはこっちの後方基地を第4艦隊総出で叩いても良かったな」

 

 カートライト先輩……いや、少尉はいかにも賢しげに口を開く。

 

「そう言っても後方の遮断なんて簡単に行える物でも無いでしょう?」

 

 魔術師はワイドボーンの補給線を潰したが、別にそれ自体は独創的な物では無い。問題は補給線を絶つ、なんて事は口で言う程簡単では無いのだ。

 

 まず別動隊の動きを捕捉されてはならない。哨戒網に引っ掛かれば迎撃態勢を取られる。次に迅速に後方支援基地を破壊出来るか、だ。宇宙艦隊があれば後方支援基地を簡単に潰せる、という訳では無い。相手も警備艦隊があるし、地上部隊は攻撃衛星に対空レーザー砲、星間ミサイルを有しており、言う程簡単に攻略出来る訳では無いのだ。実際、原作のヴァンフリートで軌道爆撃では無く態々陸戦部隊を投入しているのは基地の防空能力が強固だったからだろう。陸戦隊で攻略しようにも足が遅い。

 

 え、ハイネセンはあっけなくやられた?あれは予算不足のせいだろう。お古の攻撃衛星が事故ったりしていたし、虎の子の「アルテミスの首飾り」はおじゃん、多分警備艦隊もバーミリオンに全て注いだのだろう。

 

 多分、魔術師様のヤバい所は敵に捕捉されずに別動隊を動かし、迅速に守備部隊を潰して補給線を叩いた事にある。恐らくワイドボーンに連絡も出せずに警備部隊は瞬殺されたのだろう。あるいは想定より早い日数で基地を陥落させられたのか。

 

「実際先輩にその手でやって返討ちに遭いましたし」

 

 別動隊で基地を襲ったら捕捉されていて後方から挟撃された事もある。補給線を絶てば勝てるなんて偉そうに言う奴には私が飛び膝蹴りしてやる。

 

「と、いうか先輩、卒業したのに研究科に入り浸って、暇人ですか?」

「おいおい、酷いなぁ。こちとら仕事帰りに寄ってやっているんだぞ?」

 

 現在、私は士官学校4年の最上級生の身、カートライト先輩に至っては任官済みだ。

 

 ハイネセン首都防衛軍宇宙艦隊第104戦隊司令部付の身だ。尤も半分研修生の立場で実戦なんてまだまだ先だろうが。

 

 それ自体は珍しいものでは無い。士官学校卒業生は少尉として任官するが、大半は1年後に中尉になるまで後方で研修を受ける。初っ端で前線に行く物好きは殆どいない。ラインハルト、お前が軍病院に配属されたのは多分特に理由は無いぞ……?

 

「それにしても随分と接戦だったじゃない。ティルピッツ君、後30分持たせていれば援軍が来てたから勝ってたわよ?」

 

 同じくハイネセン第3宇宙浅橋(第3艦隊船渠)管制隊司令部付のバネット少尉が携帯端末で戦闘記録を見返しながら指摘する。

 

「その30分が問題ですよ。補給線が切れて第1艦隊の中和磁場エネルギーは枯渇寸前でした」

 

 脱出しようにも素早い艦隊運動で次々逃げ場を塞いできやがった。流石はフィッシャー教官仕込みの艦隊運動、という事か。

 

「現実ではああいかないがね。群や個艦単位でも戦場で柔軟に動くなんて不可能だ。疲労や士気低下で部隊の動きは鈍くなるしな。シミュレーションの設定はかなり戦場を忠実に再現しているが、本物に比べたらまだまださ」

 

カートライト少尉が腕を組みながら答える。

 

「と、いう言も職場で教えてもらったのでしょう?」

 

実戦処女の癖に偉そうね、などと揶揄うバネット少尉。

 

「ほほほ、御二人共元気で何よりですよ。ささ、休憩といきましょう」

 

 フィッシャー教官が紅茶とケーキをテーブルに持ってくる。教官は教え子が訪ねると必ず茶会を催す。明らかに元教え子の何割かはこれ目当てで来ていると思う。

 

「この前ティルピッツ君が差し入れをしてくれた物ですよ。私も味見しましたがなかなかの物です。流石洗練に洗練を重ねた帝国式ですね」

 

ほほほ、と朗らかに微笑みながら説明する。

 

「あ、これゴールドフィールズの店の奴ですか!後輩君、でかした!」

 

 目を輝かせて私にウインクするバネット少尉。この人すげぇよな。毎回出てきたケーキの所在当ててくる。

 

 ハイネセンポリスの第7区画ゴールドフィールズは高級百貨店の軒を連ねる富裕層向けの商業街だ。その一角に開店する高級帝国風菓子店『ノイエユーハイム・ハイネセンポリス店』は、間違いなく同盟で3番目に美味な帝国菓子店だ(2位はヴォルムス本店、1位は新美泉宮の厨房である)。

 

 そもそもノイエユーハイム自体、元来帝国歴21年にオーディンで開店した洋菓子店だ。ルドルフ大帝に菓子を献上して以来、代々帝室や門閥貴族、富裕市民に最高の菓子を提供してきた。帝国歴102年には代々の功績が認められ菓子店の創始者の子孫である店長ハインリッヒ・ノイエユーハイムが帝国騎士ノイエユーハイム家当主に叙任され、以来一族で伝統の味を守ってきた。

 

 尚、この時の皇帝は灰色の皇帝事オトフリート1世であったが、叙任式の際本来ならば剣を下賜される所ケーキナイフを下賜された。ノイエユーハイム氏や周囲の尚書が顔を見合わせ困惑する中、顔色一つ変えないオトフリート1世に急かされ慌てて受け取ったらしい。戸惑う店長のその姿を見て皇帝は小さく、子供のように笑ったらしい。後にケーキナイフを作った職人が言うには、皇帝直々に足を運んで依頼したらしい。灰色の皇帝の生涯最初で最後の洒落であったのかも知れない。

 

 ダゴン星域会戦後、フリードリヒ3世の弟ユリウスは亡命する際行きがけの駄賃として幾つかの美術品や人間を盗難した(文字通り人間も盗難である)。その中には新無憂宮の宮廷画家や宮廷音楽隊の一部、著名な作家や詩人、そしてノイエユーハイム一族も盗難された物に含まれていた。

 

 同盟にて彼らは当初ユリウスを始めとした亡命皇族・貴族のためにパティシエとして働いていたが、後に亡命政府の外貨獲得・広報活動の一環として一部メニュー(帝室・貴族専用レシピ)を除いて同盟に支店を展開、同盟でも富裕層や芸能人に人気のある高級菓子店としての地位を確立している。

 

 今回の茶会の供は俗にビーネンシュティッヒと呼ばれるケーキだ。直訳で「蜂の一刺し」である。イーストを加えて焼き上げた生地に蜂蜜でキャラメリゼしたスライスアーモンドを敷く、濃厚な泡立てたバター入りクリームとカスタードが挟まれている。無論素材は全て合成食品なぞ無い、完全手作業で育てられたオーガニックである。

 

「これ高いんですよ!一切れ20ディナールはしますよ!?この前女優のイリアナさんが大好物にあげていましたし!」

 

 興奮気味にバネット少尉が説明する。喜んでくれて何よりです。……所詮は平民向けレシピである事は黙っておく。おう、帝室向けや門閥貴族向けの最高級レシピは極秘だよ?たかが同盟の平民共に売る訳無いよね?最高の職人達は宮廷の厨房から出ないよ?

 

「私としてはこの紅茶の方が素晴らしいですな」

 

 優雅に紅茶を含んで教官は答える。流石英国……いやネプティス紳士やでぇ。その味が分かりますか。

 

 私に言わせれば今回の真の主役は紅茶だ。いや正確には紅茶の茶葉だ。「アルト・ロンネフェルト」は帝室と門閥貴族(及び彼らから贈与された平民)のみが口に出来る茶葉だ。

 

 第3代皇帝リヒャルト1世の時代に生まれたこの茶葉は皇帝のお気に入りとなり、後に皇帝自身が下市民に飲ませる事を法的に禁じた。理由は平民は物の価値を知らずに間違ったやり方で紅茶を淹れるから、だそうだ。後に皇帝自ら貴族の屋敷に出向き、使用人達が正しい淹れ方をしているかガン見して監視したらしい。道楽を楽しんだ皇帝らしい。

 

 現在では産地は帝国の帝室御料地カルシュタインとアルレスハイム星系ヴォルムスのバルトバッフェル侯家の荘園のみだ。帝国においては皇帝の重要な収入源である。バルトバッフェル侯の荘園で栽培されているのは、リヒャルト1世と時の侯爵が紅茶の議論で盛り上がった仲だったからだ。亡命時に茶の木を丸まる持って亡命してきた。

 

 こっちはガチで特権階級のみが口に出来る代物だ。実家から送られてきたのをそのまま右から左に受け流した。教官に恩を売るのに絶好の代物だ。くくく、所詮シロン茶もアルーシャ茶も庶民の飲み物よ。本物の高級茶に平伏せ愚民共!

 

「俺甘いのが良いんだよなぁ」

「私はミルク入れようかしら」

「………」

 

 どばどば砂糖とミルクを紅茶に注ぐ先輩方。リヒャルト1世陛下が見たら泡を吐いて卒倒するだろう。……仕方ないね、これが民主主義だからね?

 

「まぁ、好みは人それぞれですからな」

 

 教官が苦笑いを浮かべる。悲しいかな、民主主義国家においては皇帝の好みに合わせる必要が無いからね?最高級の牛肉でステーキでは無くハンバーグを作れるのが同盟だ(帝国ではハンバーグはくず肉で作る下等な平民の食事だ)。

 

 最高級茶葉を使った繊細なティーが大味に変わっていくのを涙ながらに見ていると新たな訪問者が部屋の扉を開く。

 

「おお、良い匂いがしたと思えばこんな所で茶会とは粋な物ですな」

「来たな、集り騎士め」

 

 茶会が始まると共に研究所に訪問する不良学生に私は応戦する。

 

「お前さん、ここの研究科じゃ無い筈だよな?」

「無論、理解しております。しかし現実は少々想像を超える事がありましてな」

「で、要件は?」

 

 人を食った言い回しのバリトン調で騎士に私は尋ねる。

 

「従士殿が自身の研究で来れないので代わりに護衛して欲しいと泣く泣く頼まれましてな。こうして伯爵閣下の下に馳せ参じた訳で御座います。後、パン好きな先輩殿も御一緒ですよ」

 

 優美に礼をする騎士。尤も、その影に隠れて目を輝かせてケーキを見る少女と、サンドウィッチをパン屑を盛大に落としながら食べる青年がいるので全て台無しだ。

 

「高級ケーキ、高級ケーキ、高級ケーキ……!!」

 

 涎を垂らしながら呟く帝国騎士の少女。おう、お前さんの家庭じゃあ身分的にはいけても経済的にアレだよな?

 

「いやぁ、ここはいつも美味しい匂いがするねぇ」

 

 朗らかに同級生が口にする。おい、ほかに言う事あると思うんだ。

 

「ふむ、ティルピッツ君が良ければ招いても良いですがどうですか?」

 

 微笑みながらそう語る教官、私に許可を求める辺りやっぱりパルメレント紳士は出来てるでぇ。

 

「それはもちろんです、寧ろこちらから許可を求めるべき案件でした」

 

 私は目上の者に答えるように恭しく礼をする。不良騎士共め……。

 

「伯爵殿は御機嫌斜めのようですな」

「誰のせいじゃ」

 

すかさず突っ込みを入れる私。

 

「まぁまぁ、こちらとしても唯でカフェトリンケンに出ようなどと無礼な事はいいませんよ。まぁ、差し出せるのは旬で安かった巴旦杏のケーキ程度ですがどうぞ御容赦くださいな、先輩殿」

 

茶色い紙袋をテーブルに置いて返答する不良学生。

 

「私からは包だね。豆沙包子と桃包、ああ、後月餅もあるよ。実家でよく食べたものだなぁ」

 

 パン屋の二代目はほうほうと出来たてだろう点心を入れた包みを差し出す。

 

「止めい不良騎士め、背筋がむず痒くなるわ。後チュン、烏龍茶なら嬉しいが紅茶だぞ?」

 

持ってくれば何でもいいと思いやがって。

 

「が、まぁ差し入れがあるのならば宜しい。招待しよう、チュン、シェーンコップ帝国騎士、クロイツェル帝国騎士」

 

 偉そうに答えてやる。差し入れがあればどんなものであろうとも、訪問客を迎え入れるのが貴族の礼儀である。

 

「やった!シェーンコップさん、やりましたね!安物の巴旦杏のケーキで高級ケーキと紅茶が手に入りました!わらしべ王者です!」

「そうだろう?この伯爵はちょろいだろう?」

「おいこら、聞こえとるわ」

 

私は苦々し気に指摘してやる。

 

「いやぁ、この場合は海老で鯛を釣る、といった所じゃ無いのかな?」

「おい、よりによってそこを指摘するのかい」

 

せめて帝国騎士共を注意しろ。

 

 ……まぁ、最上級生になってこの扱いは私の徳の低さから来ているのは確実である。はぁ……。

 

時に宇宙暦783年8月の夏のある日の事であった。

 

 

 

 




前半は艦隊戦描写の練習、自信が無い。


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第三十七話 壁に耳あり障子に目ありと言う

前半は完全に悪ふざけです。総統閣下のネタがイメージ。


 銀河帝国亡命政府の傘下組織の一つ、ハイネセン亡命者相互扶助会はハイネセンポリス第21区シェーネベルクに本拠地を構える。

 

 宇宙暦783年9月上旬、街の中央にある豪邸と呼ぶべき……実際貴族邸宅も兼ねているが……本部の防空壕の機能を有する地下6階の小会議室である会議が行われていた。

 

 会議の議長は相互扶助会会長クレーフェ侯爵、そのほか副代表テンペルホーフ伯爵、警備責任者ヘッセン子爵、財務部長ベーリング帝国騎士、事業部長カイテル男爵、広報部部長ブルクドルフ従士……そのほか多くの下級貴族や平民の幹部が狭苦しい部屋で神妙な表情で事業について会議をしていた。

 

「続いて次の案件です。現在広報部と共に行っている芸能部門での活動についてですが、長征派の巻き返しで苦境が続いています」

 

 事業部長カイテル男爵はテーブルの上の携帯端末のグラフデータを指差しながら歯切れの悪い口調で語る。

 

「昨年12月デビューした「ピーチマルドゥークズZ」、今年2月デビューの「ティアマト46」、今年3月デビューの「プリティハイネセンガールズ」……今年上半期の着メロダウンロード数、コンサート売上、アライアンスアイドルランキング783年上半期途中経過、全て我が方のアイドル軍団を凌いでいます」

 

緊張した面持ちで男爵はクレーフェ侯を見る。

 

「……ぶひっ…安心しろ、先月リリースしたリーゼロッテの新曲があるから大丈夫だ」

 

 事務用に眼鏡をかけた侯爵は静かに、皆を安心させるように語る。しかし……。

 

「……代表……新曲は……」

 

 ベーリング帝国騎士はそこで続きを語るのを止めてしまう。続きを額に汗の粒を垂らしたブルクドルフ従士が恐る恐る報告する。

 

「……新曲の売上は現在芳しく無く……売上目標の62%しか達成出来ていません。ぶっちゃけ旬を過ぎています」

「………」

 

 その報告を受けた侯爵は震える手で眼鏡を外し、同じように震えた、しかし怒りに満ちた声で場の出席者に語りかける。

 

「……ぶひっ…今から名を呼ぶ者だけ残れ。テンペルホーフ伯爵、ベーリング帝国騎士、カイテル男爵、ブルクドルフ従士」

 

 その命令に名を呼ばれた者達以外全員が静かに席を立ち退出していく。

 

全員が退出した所で……侯爵は怒りの限り叫んだ。

 

「どうなってんだよこの野郎め!お前らちゃんとアルバム買ったのかよ!どいつもこいつも、私の買い支え命令を無視するとはけしからん!」

 

 会議室の外では、退出した幹部達が固まって硬い表情で侯爵の罵声を聞いていた。

 

「その結果がこれだっ!何がいけるだよ、マネージャーの嘘つき野郎どもめ!」

 

 その声を外で聞いていた事業部のアイドルマネージャーの代表がすすり泣く。隣の同僚に「泣かないで、あの豚こっちの苦労を知らないのよ」と慰められていた。

 

「ぶひっ…皆嘘をつく!リーゼたん親衛隊メンバーまで!お前達親衛隊幹部は…あいたた……ほかのアイドルに浮気する異端者共だ!ぶひっ…てめぇらなんて……大っ嫌いだ!」

 

 肥満によって腰に痛みを感じつつ立ち上がり、侯爵は相互扶助会幹部、いやリーゼたん親衛隊幹部達をあらん限り罵倒する。

 

「うるせぇ豚侯爵!お前こそ20歳も年下のロリ嫁貰っている癖に……」

「嫁とアイドルは別物だろう!後さらりと豚っていうなぶひっ……!ベーリング、裏切り者め、お前なんか大っ嫌いだ!バーカ!」

 

 ベーリング帝国騎士の反論を早口で無理矢理侯爵は閉じさせる。

 

「おい認めろよ豚、正直リーゼたんは結構立派に育っているからゴスロリ路線は限界だったんだよ!」

「グラドルに転身させる気か!ぶひっ…てめぇまだ16の少女になんて事させる気なんだよ、イエスロリータノータッチの神託を忘れたか、この…この……畜生めぇー!!」

 

 怒りに任せ持っていた高級万年筆をテーブルに叩きつける!

 

「どいつもこいつも純粋に応援せずにエロい服装着せようとする!純情に可愛らしい声で必死に歌う姿じゃなくて絶対領域にカメラを向ける!ぶひっ……長征派だってあらゆる手を使いリーゼたんのオリコン1位を邪魔する!リーゼちゃんを邪魔し続ける!」

 

テーブルを叩きながら泣くように叫ぶ侯爵。

 

「私の判断能力が足らんかった…ぶひっぃ……!私も長征派のようにすべきだった、全同胞にアルバム購入の義務を負わすべきだった、ぶひぃ……!!」

 

 落ち着いたのかはぁはぁ息をつく侯爵は椅子に座りゆっくり語る。

 

「……ぶひっ…初期のリーゼたんは期待されてなかったが、それでも……殆ど支援無しで……オリコン1位を取って見せた……それなのに……それなのに……」

 

幹部達は複雑な表情で互いに目を見合わせる。

 

(……言えぬ。内緒でピーチマルドゥークズZのアルバム買ったなんて言えぬ)

 

 ブルクドルフ従士は、視線を逸らしながら内心で独白していた。

 

「裏切者共め……皆、皆で私やリーゼたんを裏切り、ぶひっ…騙し続けた!ピーチマルドゥークズZのグラビアなんかに釣られやがって!たわわな果実なんかに釣られて……全亡命者同胞に対する裏切り行為だっ!だが見ているが良い!ぶひっ…その血(財布)で償う時が来る!己の血(金欠)に溺れるのだ!」

 

 会議室の者達も、外で待機する者達もひたすら沈黙する……。

 

「……私の思いは届かない」

 

力無く項垂れながら侯爵は呟く。

 

「リーゼたんの歌もファンに届かない……。終わりだ」

 

 会議室に残る者達は互いに視線をまじ合わせる。重苦しい空気が漂う。

 

「……ぶひっ…この戦争(783年度オリコンランキング)は負けだ」

「「「「……………」」」」

「……だが言っておく。私は長征派共に尻尾を巻いて芸能事業を廃業させるくらいなら……ぶひっ…いっそ頭を撃ち抜く」

 

そして続ける。

 

「皆、1週間以内に逆転の方策を用意しろ…………長征派の奴らがドヤ顔でインタビューに出てくる前にな」

 

………最早誰も口を開く者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

「という訳で10月の士官学校のオープンキャンパスに我が方のアイドルグループのコンサートを開くので宜しくとの事です」

「ごめん、何が宜しくなんだか全く分かんない」

 

 場所は同盟軍士官学校のすぐ近くにあるテルヌーゼン市リンカーン街コーヒーチェーン店「CAFE DE 7TH STREET」。不良騎士にコーヒーセットを(なぜかクロイツェルにも)奢らされていた所でベアトの報告を受けた私は真顔でそう答える。

 

 おい、というかなんださっきの茶番劇は?マジ?皆あんな会話マジでしていたの?

 

「同盟軍士官学校のオープンキャンパスは有名ですからなぁ。そこでコンサートを開くのはまぁ、悪く無い判断ではありますな」

「コンサートですか!?ワルターさん、面白そうです!一緒に見に行きましょうよ!」

 

 意地の悪い笑みを浮かべながらシェーンコップは補足説明する。一方クロイツェルは場違いな事を平然に口にする。くたばれリア充め、末長く爆発しろ!

 

「そりゃあ毎回数百万は集まるからなぁ。テレビ局も来るから広告効果は倍か」

 

 士官学校を初めとした軍学校の試験シーズン、学園祭、オープンキャンパスと言ったイベントはテルヌーゼン市にとって絶好の収入源だ。同盟全土から観光客が押し寄せ、マスコミが集結する。去年のオープンキャンパスは比較的静閑としていたがそれでも4日間で200万も集まった。

 

「だがなぁ……学校側がそんな物認めるか?」

「すでに許可が出ているそうです」

「嘘だといってよバーニィ!?」

 

ベアトの報告に私は悲鳴を上げる。

 

「士官学校からしても受験生を集めたいのでしょうなぁ。近年は受験者が微減していますからな」

 

 呆れたような笑みを浮かべ帝国騎士は御上の思惑を察したように答える。亡命政府の広報部と同盟軍士官学校広報部の思惑が合致したためなのはまず間違い無かろう。

 

 実際問題、同盟軍は近年人的資源の面で大きな問題を抱えていた。

 

 同盟軍の定数の拡大に対して志願兵が不足しつつあったのだ。切っ掛けは2年前のイゼルローン要塞攻略作戦に遡る。

 

 2年前、宇宙暦781年9月、第3次イゼルローン要塞攻防戦は同盟軍の完全敗北に終わった。

 

 同盟軍からすれば、宇宙艦隊の大規模再編以降初の大規模出征である。徹底的に要塞攻略法を研究した上で3個艦隊を基幹に各種独立部隊、陸戦隊、特殊部隊も投入した大規模遠征であった。総司令官に宇宙艦隊副司令長官デイヴィッド・ヴォード大将、副司令官に第6艦隊司令長官エルンスト・フォン・グッゲンハイム中将、艦艇4万4500隻、兵員510万6600名。不退転の決意の下にハイネセンを旅立った遠征軍は……敗北した。

 

 奇襲攻撃から始まった作戦は、要塞駐留艦隊を半壊させ、要塞表面に陸戦隊を降下させる事に成功したものの、帝国軍の増援艦隊到着前に要塞表面を戦闘工兵部隊で吹き飛ばし切れなかった。同盟軍は帝国軍増援艦隊に押し込まれる形で「雷神の槌」の射線に入り、2回に渡りその巨砲の洗礼を受けた。

 

 艦艇7100隻、兵員74万4700名を喪失した上で同盟軍は撤退した。要塞駐留艦隊の半数を壊滅させた事、初めて要塞表面に肉薄した事、総戦死者数はほぼ同数である事が成果であったが、それはなんら慰めにもならない。

 

 同盟軍は相当の自信を持って遠征した。過去2回の攻防戦から徹底的に研究と反省をした上での攻略作戦であった。実際、敵増援艦隊の司令官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー中将の半ば強引な、そして苛烈な攻撃が無ければ少なくとも「雷神の槌」が振り下ろされる前に撤退出来た筈だ。そうすれば同盟軍も最高評議会も作戦を勝利と取り繕えた事だろう。

 

 同盟軍は第8艦隊第2分艦隊司令官シドニー・シトレ少将、第6艦隊作戦参謀ラザール・ロボス准将、第2艦隊第1分艦隊第10戦隊副司令官ジャック・リー・パエッタ大佐、第8宇宙軍陸戦隊第801工兵連隊長レオポルト・カイル・ムーア中佐等を英雄として祭り上げ敗戦の事実を糊塗しようとしたが、市民の厭戦気分……正確には市民の軍への信望と憧れは色褪せた。

 

 その後の同盟軍は精細を欠いた。782年3月には惑星ジンスラーケンの地上戦に敗北、同盟軍は8万名に及ぶ戦死者を出して惑星を放棄、同年9月には惑星カプチェランカ北大陸を喪失し戦死者4万名、783年2月にはドラゴニア星系第9惑星衛星軌道上にて第10艦隊第3分艦隊が敗北して14万名を戦死させた。

 

 一つ一つは戦局に決定的影響を与えるものでは無いが、大きな敗北である事も事実だ。ここ20年の同盟軍の年間平均戦死者は70万名前後である。しかし781年の戦死者はイゼルローンでの敗北もあり128万名、昨年の戦死者は約83万名、今年の戦死者は既に70万名を超えた。

 

 一方、各種学校への志願者は敗北の連続により減少、そこに同盟軍の軍拡もあり人的資源の不足を来していた。まだ軍務に差し支えるという訳では無いが、それでも第6・8艦隊の充足は未だに完遂せず、第10艦隊も4個分艦隊のまま定数不足となっている。地上部隊もローテーションが過密になり、近年は亡命軍地上軍の派遣戦力増加を要請されたと聞いている。亡命軍は数少ない前線に投入出来る星系警備隊だ。

 

「人集めのためなら何でもやる、と言う訳か」

 

 士官学校の倍率は未だ同盟最高レベルであるが、多くの英才が士官学校から国立同盟自治大学やハイネセン記念大学に流れているという。1個上のアレックス・キャゼルヌ先輩殿なぞ、同盟最大の物流企業サンタクルス・ライン社に引き抜かれかけて士官学校と経営陣との間でトラブルになったと聞く。

 

「まぁ、芸能関係はプロパガンダの絶好の媒体だしな」

 

 同盟の芸能界は軍事との結びつきが強い。戦時国家であるから当たり前ではあるが、毎年軍の宣伝用ドラマや映画がポンポン作られる。戦場に直に取材するニュースやドキュメンタリーなんて珍しくない。歌手やアイドルが慰安のために軍の基地でコンサートする事もある。同盟で最も人気のあったニュースキャスターであるウィンザー夫人は若手の頃二十回近く前線を取材し、実際何度も戦闘に巻き込まれ戦死しかけた。

 

「どうせアイドル達にアレンジした軍歌でも歌わしたり、軍服を着た学生格好いいっ!!とか言わせるんだろう?やれやれ、芸能人も楽じゃなさそうだな」

 

 あからさまなんだよなぁ、広報部としては少しでも志願者を増やしたいのだろう。それだけ同盟軍も焦っているわけか。

 

 最も単純な解決策は星系警備隊を動かす事だ。しかし彼らは玩具の兵隊として良く揶揄される。帝国の貴族の私兵同様、中央が自由に動かせられる戦力ではない。

 

 元々星系警備隊は「607年の妥協」を契機に成立した存在だ。これまでハイネセンから派遣されてきた駐留軍は、市民の守護を口で唱えながら内実は地球統一政府軍の従兄弟のような存在であった。

 

 旧銀河連邦系星系が自治区から同盟正式加盟国に昇格すると同時に、正規艦隊と航路警備は中央の正規艦隊や航路巡視隊、有人惑星の治安維持は新設の星系警備隊、と職務が分離した。

 

 実際の所、それは正規艦隊の負担を減らす意味もあったが、同時に地方の同盟政府に対するカウンターパートでもあった。虐げられてきたかつての被支配者達は、同盟の旗の下に留まる代わりにその暴走に際して対抗する手段の提供を求めた。

 

 同盟政府もまた、地方の治安維持の役目を押し付けると共にいつの日か帝国との接触時の貴重な予備戦力としてその存在を認めた。……少なくとも統一派は。

 

 尤も、今となっては半分地方星系の雇用対策の一環になっている側面もある。口の悪い者は公共事業、等と言って廃止を要求する程だ。

 

 現在、星系警備隊は同盟全土で全同盟軍保有艦艇(恒星間移動能力を持つ戦闘艦・支援艦)の約3分の1に及ぶ12万隻の宇宙艦艇を有している。

 

 だが殆どが数十隻から数百隻の規模、一部を除いて数千隻単位で纏まって作戦行動を行った事が無い。しかも大半が旧式艦艇、予備役艦艇、駆逐艦、そこに若干の巡航艦と戦艦である(別途戦闘艇有り)。宇宙海賊との戦闘が精々だ。何よりも政治的理由で前線に派兵される事が無い。

 

 星系警備隊は徴兵された地元市民と退役間近か左遷された正規軍人が主体だ。あくまで地元を、故郷を守るための存在で中央に貸す義理は無い。なぜ自国民を無理矢理戦場に出さなければならないのか、帝国と戦争したいのなら志願兵を使え、というのが地方星系の言い分だ。実際兵士達の士気も低い。まぁ、兵士達にとっては地元が一番大事だからね?

 

 何となく、原作の同盟末期におけるどこから出て来たか分からない艦隊の出所が分かった気がする。ヴァーミリオンで壊滅したのにマルアデッタやイゼルローンで万単位の艦隊が出てきたが、あれは多分星系警備隊の艦艇だ。艦艇だけ買ったのか、バーラトの和約関連か、あるいは敗戦による不景気で星系警備隊の手放した艦艇を使用していたのだろう。現在の同盟軍の艦艇が約34万隻、アムリッツァやその後の戦闘、ヴァーミリオンでの損害を引くと丁度良い数字になりそうだ。

 

 まぁ、そんな訳で幾ら徴兵を増やしても殆ど意味が無い。あくまで同盟軍は自由に使える志願兵が欲しいのだ。そのためにはプロパガンダで軍への志願者、それも優秀な者が欲しい。

 

「で、具体的に何をしろと?」

 

 私は半分呆れつつコーヒーを飲みながら控えるベアトに尋ねる。

 

「生徒会、及び風紀委員会への根回し、広報部隊への本番での助言と監査、トラブルの調停、と伝えられております」

「マジ?それ駄目だろ。絶対生徒会長と風紀委員長乗っかってくるだろ?」

 

 現在の生徒会長はヤングブラット首席、風紀委員長はコープだ。絶対噛ませろと言ってくるよ。絶対うちのグループも派遣するよって言ってくるよ?

 

「いや、寧ろだからか」

 

 クロイツェルの件で面識があるから私を通して話す方が良いと考えたのだろう。私を通して比較的スムーズに交渉が纏まった事から、私の交渉術(笑)を見込んでの事かも知れない。いえ、別に交渉が上手い訳では無く罵倒だけ省略しただけです。私の財布が大破したしね。

 

 尤も、侯爵には借りがあるのでノーと言う訳にも行くまい。血が流れる訳でも無いのだ。受け入れざるを得ない。

 

 取り敢えず話の通じそうな方に連絡を入れる。携帯端末から電話をかけると人当たりの良さそうな生徒会長が口を開いた。

 

『やぁ、ティルピッツ君。例の件についてだけどこっちからも「スザク」と「チーム・グランパス」を参加させるけどいいよね?』

「アッハイ」

 

 その後はあれよあれよと生徒会長のペースで話が進みあっと言う間に大枠が固まった。

 

「………」

 

 続いて恐る恐る風紀委員長に連絡を入れる。

 

『あ、お前ね。うちから「ティアマト46」と「ピーチマルドゥークズZ」出すから、会場は離しておいてくれる?そっちもファン同士の乱闘なんて見たくないでしょ?』

「アッハイ」

 

 数分でスムーズに大枠の交渉が固まり私は電話を切る。

 

「………いや、話広がるの早くね?」

 

 皆耳が早いなぁ、等と場違いな事を私は思った。うん、現実逃避だよ?

 

 



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第三十八話 士官学校が街に与える経済的影響について100文字以内に答えよ

 自由惑星同盟軍士官学校の大学解放……俗にオープンキャンパスと呼ばれる行事は毎年10月頃に実施される。

 

 元々設立当初の士官学校は周辺が無人の荒野であった。軍事教練を行う上で、当時自殺者が出る程に厳しかった同盟軍士官学校からの脱走者が出るのを防止するためである。

 

 尤も、宇宙暦567年頃になると監獄とすら称された士官学校の、その余りにも厳しい訓練が問題視され(当時は人口増加を奨励していたため自殺者が度々発生する士官学校の教育体制が批判されていた)、その規則が大幅に緩和される事になる。

 

 すると、門限制限こそあるもの学生の外出も許可されるようになった。尤も、当時周囲一帯は完全な無人地帯であり、ネット関連のインフラも整備されておらず娯楽なぞ皆無に近かった。当時の記録によれば、学生の一番の楽しみは何と狩猟であったとされる。

 

 そこに目を付けた一部の政財界の有力者達が、政府から税制などの優遇を引き換えに学生用の各種の娯楽施設を営業し始めたのが後のテルヌーゼン市である。文字通りテルヌーゼンは軍学校のための街であった。

 

 さて、これまでと違い多くの軍人以外の人々が周囲に住み着き始めたわけだが、やはりガチガチの軍人の卵と、彼ら一般市民の関係の始まりはぎこちないものであった。

 

 学生達は規則が緩和されたとは言えこれまでの教育によりなかなか娑婆の空気に慣れず、市民もまた学生達を敬して遠する、といった状態であった。

 

 この事態を懸念した第5代同盟軍士官学校校長ヒューゴ・ビロライネン少将は、学生達と市民の交流と相互理解のために学校を解放する事を決定した。宇宙暦570年10月の事である。以来このイベントは200年以上の歴史と伝統、そして多くの利権を伴って現代まで続いている。

 

『な、訳なので余り帝国色の出し過ぎは保守系市民の反発があるので控えて欲しい。グスタフ3世陛下の肖像は大丈夫だと思うが、スーツ姿の物が良いと思う。大帝陛下の肖像画は真に遺憾ながら今回は控えた方が良いだろう。掲げるのならばせめて裏口の関係者以外立ち入り禁止の部屋に掲げるべきだ』

 

 宇宙暦783年10月4日、計4日間に渡り続く士官学校の開放日の1日目の早朝……というべきか怪しいが午前4時半頃、教官から特別許可を貰って私は学校敷地内で会場を組み立て中の同胞達に助言をしていた(帝国公用語で、だ)。教官達もこの大事なイベントでトラブルは避けたいらしい。給料に響くからね、仕方ないね。

 

『コンサート開始前の国歌・星歌については……』

『ああ、それについては星外営業ガイドラインに従ってくれればいい。帝国語での同盟国歌もなかなか観客にはウケが良いしな。但し星歌については第2星歌を歌え』

 

 帝国語での国歌斉唱はオペラのようだ、と評判だ。帝国人は、特に中流階級以上は皆讃美歌のように美しい声を出せる(というより如何に優美な声を出せるかで身分と御里が知れる)。貴族階級に至っては同盟人から演劇を歌いながら話しているのか?と言われる程だ。

 

 尚、アルレスハイム星系政府には星歌が2つあるが、コミュニティ外では第2星歌以外歌わない方が良い。第1星歌は帝国国歌だ。ルドルフ大帝への賛辞で満ち満ちている。穏当な内容(比較的)な第2星歌の方がお勧めだ。

 

『嫌がらせ行為があっても出来るだけ危害は加えるな。同盟軍の憲兵隊を多めに巡回させるように上が手を打ってある。ここは同盟軍の敷地だ。郷に入れば郷に従え、だ。まして憲兵隊の面子もある。同盟軍の鉄の軍規と同盟刑法に従って公明正大な判決が出るから、勝手に私刑にするなよ?』

 

 相互扶助会や亡命政府からの広報や会場スタッフに私は念を押して命じる。一応伯爵家の嫡男の私に従ってくれるだろうが、大帝陛下の侮辱なんか聞こえた日にはどうなる事か。ああ、唯でさえ年上ばかりに命令する立場で腹が痛いのに………。

 

『素晴らしい指導です、若様。粛々と命令していく御姿、正に指導者として、伯爵家の跡取りとして相応しい雄姿、このベアト、唯々感銘を受けるしか御座いません……!!』

 

 横に控えるベアトが目を輝かせて称賛の声を上げる。うん、お前の見ている世界一度見てみたい。

 

『はい、流石ティルピッツ様です。やはり武勇の誉高い伯爵家の直系です。私ではなかなか纏めきれません』

 

 広報部から派遣されたエーリッヒ・フォン・シュテッケル帝国騎士が同じく賛辞する。私がハイネセンに来て以来連絡役として良く顔を合わせる間柄だ。

 

『そう大層な物では無いさ。所詮家名に従ってくれるだけだ。私個人としては指導力なぞまだまだ未熟だよ』

 

 謙遜では無く事実だ。長年の経験から、取り敢えず私の身分ならば帝室か門閥貴族相手以外なら結構無茶な命令でも出来る事は良く良く知っている。尤も口は災いの元でもある。4歳の頃ぐれていて世話役の使用人に池に突っ込めと命令した時に存分に理解した。

 

『いえ、士官学校に在籍している事が何よりの証左です。士官たる者は何よりも指導力が大事だと父も常々仰っておりました』

 

 そう言って同盟軍士官学校校舎を見やり、少々複雑な笑みを浮かべるシュテッケル氏。彼は亡命二世だ。父は帝国軍少将だったが第2次ティアマト会戦で捕虜になり、その後亡命政府に帰化したと言う。父の影響で軍人を目指したらしいが同盟軍・亡命軍両士官学校に落選。仕方なく亡命軍の下士官として数年軍役について予備役、そして今のハイネセンの相互扶助会の事務員についていると聞いた。

 

 身分の事もあるが、その経歴から一層私に対する過大評価のバイアスがかかっている事は間違い無い。いや、それ多分教育環境と運の差だから。

 

『……そう言えば今回は芸能グループと楽団が参加するのだったかな?』

 

少々重くなった空気を和らげるため私は話を変える。

 

『はい、予定によれば単独歌手としてはリーゼロッテ・リンドグレーン氏とクリストフ・ホルヴェーク氏、グループとしてはノルンディーシルズ、楽隊は聖ニーベルンゲン宮廷第3楽団が参加予定です。ご興味が御有りでしたら到着してからよこしますが……』

『いや、芸能関係は余り興味がある訳では無いからな。唯楽隊の方は少し期待していたんだがな』

 

 宮廷第3楽団と呼ばれるように今回来る楽隊は亡命政府がスポンサーをする楽隊の中では2線級だ。いや、確かにプロなんだが歴史が浅いのだ。宮廷第3楽団は亡命政府が同盟での巡回興行用に作った新参の楽隊だ。

 

 対して宮廷第2楽団はアルレスハイム星系の観光の目玉の一つとして絢爛豪華なホールで毎週同盟中から来る富裕層相手に演奏している。

 

 そして、新無憂宮から拉致した音楽隊の子孫だけで構成される最高の宮廷第1楽団は新美泉宮の敷地から一歩も出る事なく帝室や門閥貴族のみ相手に5世紀かけて磨かれた技術を披露している。

 

『まぁ、来ないだろうなとは思っていたがね』

 

 新美泉宮自体はストレスが溜まるので余り好きでは無いが、第1楽団の音楽を始め芸術関係だけは流石に見事であった。オペラもクラシックも第1楽団はその技術の格が違うと思い知らされる。バレエ団やサーカス団もそうだが、5世紀にも渡り子々孫々、それこそ物心ついた頃から磨かれ続けてきた伝統と技術はそれ自体が芸術品である事を思い知らされる。

 

 ましてこっちは産まれてすぐから芸術への審美眼を(無理矢理)鍛えられたのだから一層その差が分かる。悲しいかな、現存する同盟の音楽団は一番古いのでも2世紀半の歴史も無い。しかも家業では無く法人団体なので、代々一族で技術を受け継ぐわけでは無い。悲しいが、亡命政府の有するそれに一歩劣る。まぁ、代わりにロックやらジャズやらは同盟のグループの方が圧倒的ではあるが。

 

 そう考えたら結構芸能関係は亡命帝国人には不利だよなぁ。帝国に歌手や女優はいてもアイドルはいない。亡命政府はアイドルの育成や指導の面では同盟芸能事務所に一歩譲るのかも知れない。まぁ、まずグループ名の時点で堅苦しいのが駄目だね。もっとはっちゃけてもいいのよ?

 

『申し訳御座いません。伝統によって宮廷第1楽団は宮廷から出る事も、演奏の録画も禁止で御座いますので』

 

 心底申し訳無さそうにシュテッケル氏は頭を下げ謝罪する。

 

『いや、こっちの我儘だ。気にするな。さて……一旦御暇するよ。私もまだ一介の学生だ。行進に参加しないといけなくてね』

 

 腕時計を見る。クラシックなぜんまい仕掛けの時計の針は既に次の予定の時間を告げていた。私はベアトと共に場を後にする事を伝える。学生だからね、イベント参加が必須なんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 10月4日午前7時30分頃、全士官学校生徒は起床・朝礼・体操・食事を終え士官学校の集会広場に礼服で集合する。午前8時丁度軍楽隊の演奏と共に士官学校が市民に開放される事になる。

 

 最初に市民が見る事になるのはテルヌーゼン市中央街道を鮮やかな礼服に軍旗を掲げ、儀仗用のクラシックな銃を背負い、管楽器と打楽器でもって演奏しながら一糸乱れる行進する士官学校の生徒達だ。今年の行進参加者は4学年で合計1万7685名、彼らの行進する様は爽快の一言である。元々は学校開放を市民に伝えるために学生達が音楽を歌いながら街を回り始めたのが起源らしい。

 

 警官隊や憲兵隊が交通規制とテロの警備をする中、テルヌーゼンの住民は自宅の窓から手を振り、観光客は携帯端末を、本格的な者は専用カメラで学生達を撮影する。大手のテレビ放送局やネット動画配信会社は行進の中継を超光速通信で同盟全土に流していた。街道を沿うように出店される屋台を見ると、最早唯の祭りでは無かろうかと錯覚する。

 

 カメラのフラッシュの嵐の中、学生達は顔色一つ変えずに軍楽隊の音楽と共に大隊単位で別れて行進を続ける。テルヌーゼン市全域を分担して行進しないといけないのだ。これも市と各区長の利権の一つで、当然ながら行進を見る事が出来ない街に観光客が来ないのでそれを防ぐ目的がある。

 

 当然私も行進に参加していた。礼服に身を包み自由惑星同盟軍軍旗を掲げテルヌーゼンの帝国人街を進む。私が先導する隊列の割り当てが帝国人街である事、行進参加者の多くが帝国系の学生である事は偶然なぞではない。後、毎回思うけど住民の皆さん止めて、伯爵家や帝室の肖像画掲げて讃美歌歌い始めないで。

 

 まぁ、派閥色の強いほかの街でも似たような状態だろうけどね。

 

 行進を終え士官学校の敷地に整列する。そこから校長と国防委員長、市長が代わる代わる演壇から長々とご機嫌そうに演説をし、ようやく正式に学校の解放を宣言するのだ。

 

「毎年の事ながらこの一連の流れは地獄だな」

 

 士官学校内にあるベーカリーの客席で私はぼやく。ストレス溜まるような数キロの道のりを朝から行進、その後直立不動の体勢で長々とした、大して中身の無い演説を聞くのは苦痛以外の何物でもない。うんざりしながら焼き立てのブリオッシュに齧りつく。

 

「そうは言っても随分と平然とした顔じゃないか。そんなに疲れているようには見えないよ?」

 

 海鮮焼きそばパンを口にしながら相席するチュンが答える。彼の手元には山積みのパンとパン屑が散乱するトレーが置かれている。なぁ、マジでどうやったらそんなにパン屑落しながら食えるんだ?

 

「そりゃあ餓鬼の頃から演技するのには慣れている。あからさまに表情見せるだけでも面倒だからな」

 

 怒りや不快感を表に出すだけで周囲を困らせる立場だ。喜怒哀楽示すだけで、口を開くだけでも一苦労となれば常時笑顔を作れるようにもなる。

 

「さてさて、お、不良騎士の奴。やっているな」

 

 携帯端末を覗けば生中継で実施されている3学年の陸戦演習を見る事が出来る。学校内に設置された巨大な都市型演習場で3学年が2つのグループに分かれて公開演習を行っていた。4年の戦略シミュレーション大会、2年生の戦斧術トーナメントと並んでオープンキャンパス中の人気行事の一つだ。

 

 演習場内に設置された大量のカメラが演習する生徒達の雄姿を移す。演習場で実際に観戦している十数万人のほか、テレビ・ネットでもその様子は流れ十数億人が見ている事だろう。軍にとっては生徒達の雄姿は良い広報になり、生徒達は自分の才覚や将来性を売り込む事が出来、視聴者にとっては最高のレクリエーションである。余りに隔絶した人物に至ってはファンクラブが出来る程だ。ブルース・アッシュビーは2年時の戦斧術トーナメントで優勝してファンクラブが発足し、4年時の戦略シミュレーション大会で優勝した時にはファンクラブ会員が100万人超えだったという。やっぱ英雄って奴はヤバいな。

 

 さて、現在携帯端末の中で活躍するシェーンコップもまた、去年の戦斧術トーナメントでファンクラブが出来た手合いだ。まぁあの俳優顔とバリトンボイス、そして大会優勝の成績から考えたら妥当だ。

 

 未来の英雄様は学生時代から才気に溢れている。中隊長として部下に命令して次々と防衛線に襲い掛かる敵部隊を撃退し、それどころか自身で前線に出て訓練用戦斧や訓練用ブラスターで次々と敵を分隊単位で屠っている。やべぇ、もう単独キル数50超えているぞ?カメラの向こうの視聴者にもリップサービスを欠かさない。明らかにカメラ気にして戦っている。あ、今ウインクしやがった。

 

 ちなみに傍にいるクロイツェルは涙目で戦闘から隠れている。敵チームによって危機に陥ったクロイツェルを不良騎士が助けた時に至ってはネット掲示板が「リア充氏ね」「羨まけしからん」「俺もあんな青春したかった」と言った怨嗟と妬みのコメントで埋まった。

 

「私の時は彼女に守られているヘタレだったな」

 

 ベアトに守られていたから仕方ない。因みに2年次は4回戦で目の前のパン屋に一撃でノックアウトされた。

 

「あれマジで痛かったからな?」

 

 顎を摩りながら恨み節を言う。思い出すとまた痛くなりそう。

 

「そう言わないでくれよ。私だってあんなに綺麗に決まるなんて思って無かったんだからね」

 

 そう苦笑しながら私にクロワッサンを差し出すチュン。有難く頂き口に放り込む。

 

「さてさて、取り敢えずコンサートの方は今の所それぞれ距離を取って平和にやっているようで何よりだ」

 

 長征派や統一派の会場と距離を取っている。まぁ、ファン同士が遭遇して乱闘はごめんだろう。ちらほら見に行かないと何が起こるか分からんが。糞、豚侯爵め、面倒な事を考え付きやがって……。

 

「目下の課題は明日から始まる戦略シミュレーション大会だな。チュン、一応作戦は考えて来たか?」

「一応だけどね。後は他のチームメンバーの提案と合わせて形にするしかないね」

「頼りにしているぜ?「戦略論概説」が90点超えの奴はうちのチームだとお前とホラントだけだ」

 

 分艦隊指揮官役の内、ベアトは残念ながら戦術面は兎も角戦略面ではチュンとホラントに一歩及ばない。私とデュドネイは完全に防戦型だ。後方支援部隊指揮官役のスコットは参謀や艦隊指揮官の才は余り期待出来ない。陸戦隊指揮官役のヴァーンシャッフェは当然ながら艦隊戦の適性は皆無である。戦略研究科の化物共に対抗出来そうなのはこの二人だけだ。

 

「予選が雑魚ばかりで助かった。ホラント以外全員席次三桁台だからなぁ」

 

 それどころか私に至っては4年になってようやくぎりぎり3桁台に昇りつめた身だ。ほかの本選チームなんか全員席次二桁チームがちらほらいる。予選で上位グループ同士で潰し合ってくれて万々歳だ。

 

「若様、お待たせしました」

 

 暫しチュンと格上相手の戦略を語っていた所にベアトが残りのメンバーを連れてやってきた。

 

 ベアトとヴァーンシャッフェは貴族らしく優美に礼をする。臆病なデュドネイは長い前髪の隙間から私達を見つめると、ぼそぼそと何か言って小さく頭を下げた。スコットは挨拶もせずに延々と手鏡で自分の髪形やらを弄っていた、ナルシストめ。そんな彼らと私達を見渡しホラントは心底不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

 ……まぁ少し……いや大分問題があるメンバーだけど、多分どうにかなる筈だ。多分。……大丈夫だよな?

 

 

 

 

 




恐ろしいまでに微妙なメンバーが集まった


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第三十九話 まだだ、まだ致命傷では無い……筈

ミスった。公式設定見返したら783年時にヤンが入学していやがる……。地味に展開を再構成中


 戦略シミュレーションには幾つかタイプがある。魔術師が学年首席を破ったものはプレイヤーが1対1のタイプの物だ。これは指揮官が全体の指揮を取るものであり、そのため細々とした部分はAIに任すしかない上、プレイ中に指揮官はあらゆる情報を一人で把握する必要がある。実際の艦隊戦では艦隊司令官が分艦隊は兎も角戦隊や群単位の指揮にそこまで干渉しないし、あらゆる分野について一人で処理する事はあり得ない。そのため現実の戦闘に近いか、と呼ばれると必ずしもそうでは無い。

 

 士官学校学生中に行われるシミュレーション形式において、最もリアルの戦闘に近いのは所謂7対7の1個艦隊戦闘である。これは1個艦隊の5個分艦隊指揮官、及び後方支援部隊・陸戦隊を分割して各々で指揮する物である。総司令官が中将、それ以外が少将として扱われ行われる。

 

 士官学校開放中に市民の見学用に開催される4年生の戦略シミュレーション大会もこの形式で実施される。学校開放の数か月前から実施された予選を勝ち抜いた全64チーム448名によるトーナメント方式の戦闘を訪問者達は見学する事になる。所詮学生の指揮、というのは容易いが、この大会は多くの軍幹部も未来の将官候補を見いだすために真剣に観戦をしていた。ここでの活躍により才能がある、と見込まれた者は場合によっては軍高官から引き抜かれる事すらあるのだ。

 

 尤も、当日のトーナメント戦に参加している者は殆どが三大研究科に所属する席次三桁台以下の学生であるが……。

 

 そんな中今年の大会は少々……いやかなり異彩を放つ集団が勝ち上がっていた。

 

 それが艦隊司令官をヴォルター・フォン・ティルピッツ4年生に据えるチームであった。

 

 

 

 

 

 さて良く来てくれた諸君!私のチームのイカれた仲間達を紹介するぜ!

 

 一人目は第2分艦隊指揮官兼艦隊副司令官役の戦略研究科所属ウィルヘルム・ホラント4年生だ!現在の学年席次は不動の第2位!同級生達から「永遠のナンバー2」という渾名を付けられている強面エリートだ!現在学年席次21位のコープにチームに誘われる等その実力は折り紙付き!古今東西の戦略を熟知し天才的な艦隊運動の才、そしてそれらを理解しつつも覆す豊かな発想力を有する正に秀才だ!だが、正直友達少ない事は内緒だぞ?

 

 二人目は第3分艦隊指揮官の情報分析研究科所属チュン・ウー・チェン4年生だ!現在の学年席次は298位!一見鈍そうな表情をしているが、その実柔軟に戦況に対応する広い視野と分析能力を有しているんだぜ!ホラントと並ぶ我らのチームの支柱だ!学年での渾名は「パン屑のチュン」、由来を知りたきゃあ本人に聞きな!

 

 三人目は第4分艦隊指揮官の艦隊運用統合研究科所属のベアトリクス・フォン・ゴトフリート4年生だ!現在の学年席次は312位!基本的にオールマイティな万能型であるが、特に艦隊運用による火点の集中に秀でた攻勢向きの才女だ!最近18通目のラブレターを焼却炉に捨てて男子生徒達の心をへし折ってくれたぜ!

 

 四人目は第5分艦隊指揮官の艦隊運動理論研究科所属ジャンヌ・マリー・デュドネイ4年生だ!現在の席次は768位!小柄で銀髪な目隠れ少女、正直陰気で吃音気味、何言っているか全く分からないが、ネプティス紳士仕込みの艦隊運用術を活かした重厚な防御陣地は簡単には突き崩せない!暗い部屋の中で一人ホラーやスプラッターな映画を鑑賞して恍惚の表情を浮かべている事は指摘してやるなよ!?

 

 五人目は後方支援部隊指揮官の宇宙工作理論科所属グレドウィン・スコット4年生だ!現在の席次は589位!兵站・後方支援系列の研究科の中では5本の指に入る研究科出身の英才。特に工作関連と電子戦関連の成績は相当なものだ。だが極度のナルシストで常に自分に酔ったように鏡ばかり見ている勘違い野郎だがな!ドラマの影響か優美に三次元チェスを指しているが雑魚だから良い鴨だぜ!

 

 六人目は陸戦隊司令官の陸戦略研究科所属オットー・フランク・フォン・ヴァーンシャッフェ4年生だ!現在の席次は596位!亡命男爵家の次男で、リューネブルク伯爵からもその才能を評価された勇敢な貴族士官候補生だ!けど老け顔をめっちゃ気にしているから触れてやるなよ!?

 

 そしてそんなイカれた仲間達の代表を務めるのがこの私、第1分艦隊司令官兼艦隊司令官役の艦隊運動理論研究科所属ヴォルター・フォン・ティルピッツ4年生だ!現在の席次は898位!なんとこの中で最下位と来ていやがる!しかも成績の内上位を占めるのが「戦史」や「射撃実習」、「戦斧術」、「地上車運転」、「帝国語」と微妙過ぎるものばかりと来てる!あれ?士官より歩兵やってた方が良くね?因みに「戦闘艇操縦実技」は赤点ぎりぎりだ。吐きます。

 

 平均席次は495位である。ホラント1人でかなり平均を上げているため実際はもっとヤバい。本戦参加が計448名である事を考えればぶっちゃけ本選参加すら危うい。相手はあらゆる戦略・戦術を駆使した壮大かつ遠大な作戦を持って襲い掛かる筈だ。尤も……。

 

「畜生!こいつら堅ぇ……!」

「攻め切れない……!?」

 

こっちは亀のように籠って判定勝ちだけしか目指していないからいいんだけどさぁ。

 

 シミュレーション上の舞台はダゴン星域である。回廊危険宙域や隕石群等によって彩られた狭隘な宙域である。正直1個艦隊のみでも展開するのは結構厳しい。そして……そういう宙域がこのチームの最も得意とするステージだ。

 

「24戦隊……前進……22戦隊、中和磁場…30%強化……予備2106駆逐群……右翼展開」

 

 我らの中で最も守りに秀でたデュドネイ4年生が言葉少なげに、しかし的確に最前線の指揮を取りつつ少数で重厚な防衛網を構築する。その表情は硬いが、しかしその陣形は整然としてビームの光の雨を受け止める。

 

「よし、こちらも中和磁場出力強化だ。奴さんの補給が届いて火力が上がるぞ。正念場だ」

「潮流の流れに注意しないとね。隕石と艦艇の残骸を盾にしつつ相手の消耗を待とうか」

 

 私とチュン4年生はデュドネイ4年生の補佐をするように敵の攻勢を阻止していく。正面から殴り合わない。漂流物を盾にしつつ砲撃に向けるべきエネルギーも殆ど中和磁場に流し込む。痺れを切らして接近戦を挑む敵には隕石群に潜む単座式戦闘艇が一撃離脱戦法でエンジンを破壊していく。漂流する敵チームの艦艇は最高の盾だ。

 

それを支えるのが陸戦隊と後方支援隊だ。

 

「第68警戒基地が迂回する1個戦隊を発見しました。第32警戒所も3個駆逐群の浸透を確認しております」

「よし、攻勢が止んだな?各支援部隊、補給と補充の開始だ。損害の多寡は気にしない。次の攻勢を受け止める部隊から優先して補給だ。電子戦部隊、補給中である事を悟らせるな。妨害電波を最大出力だ」

 

 神経質そうなヴァーンシャッフェ4年生は、奥底の拠点を守ると共に周辺に的確に展開した警戒基地から後方に回り込む敵の小部隊群を発見する。一方、スコット4年生は砕けた声で何十とある部隊の補給の優先順位を瞬時に見定め効率的に補給活動をすると共に、電子戦によりその妨害を阻止する。

 

「分かりました。第1802巡航群と1804駆逐群を正面からぶつけます。あの宙域でしたら寡兵でも十分戦線を支えられます。奇襲が阻止出来た時点ですぐさま敵は後退を開始するので問題ありません」

 

ベアトは後方に浸透してくる数十もの小部隊を迎撃すると共に補給線の警備も担う。

 

 地形と陣形と迅速な補給、厳重な後方警備、それらを利用する事で我々は既に5度の総攻撃と24回の奇襲を防いだ。受け身の戦いのため両軍とも損失は殆ど無い。

 

こちらは完全に守りに徹するのだ。高度な作戦はあくまで双方相手を撃滅するために動いた時に初めて生かされる。古代の戦いと同じだ。野戦ならば幾らでも戦略・戦術を活かせるが、籠城戦では攻める側が行える事は力攻めか兵糧攻め、奇策しかない。

 

 どれ程優秀であろうともこれはシミュレーション、魔術師の要塞戦におけるような盤外戦術を行う余地は限られる。力攻めなら圧倒的にこちらが優位、こっちは拠点に籠っているため補給線を絶つなぞ殆ど不可能だ。

 

そして時間ギリギリまで粘り………。

 

「ちっ……気を付けろ。そろそろ奴が来る……!」

 

相手チームの艦隊司令官が注意を促す。

 

「注意と言っても……!」

「糞、何度も同じ手を使いやがって……!」

 

半分恐怖しつつ周囲を警戒する敵艦隊。そこに……!

 

「こちら第4分艦隊!来た……!」

 

殆ど悲鳴に近い敵第4分艦隊指揮官の報告が傍受した無線から聞こえた。

 

 ホラントの第2分艦隊は散開して潜伏、シミュレーション終了時間ぎりぎりに再集結し芸術的な艦隊運動を持って奇襲する。

 

 実はホラントの動きは我々も知らない。完全に独立部隊として動いてもらっている。まぁ、ホラントから注意を逸らさせるのもこちらの役目ではあるが。

 

 今回は宙域の外側ぎりぎりを大きく迂回して敵の前線拠点に襲い掛かる。隕石群に紛れて近寄りミサイル艦艇が大量の火力を近距離から警備していた敵第4分艦隊に叩き込む。瞬時に200隻余りが粉砕され混乱が生じる艦列に無理矢理駆逐艦部隊が押し込まれる。敵味方の乱戦になり敵第4分艦隊の戦艦と巡航艦の砲戦を封じた。単座式戦闘艇と駆逐艦が高速で戦艦に肉薄してジャイアントキリングをしていく様は爽快の一言だ。

 

それでも相手も席次2桁台の英才である。すかさず隊列を組みなおすが……。

 

『時間切れ!戦略シミュレーションを終了する!』

 

アナウンスが流れると共に戦闘画面が停止した。

 

 損失の採点が画面上の数字として表れる。戦闘終了10分前まで、シミュレーション時間内では40分前まで相互の損害はほぼ五分であった。地理的に、補給面でこちらが優位であったことを考えれば寧ろ相手の敢闘と言ってよい。

 

だが、最後の十分でその均衡は崩れた。

 

こちらの損失が2078隻、敵チームのそれは2565隻……僅か500隻未満の差、そしてそれが勝敗の決め手であった。

 

「畜生!」

 

 シミュレーション席から出ると共に敵チームの怨嗟の声が上がる。まぁ正面からぶつからずに延々と時間稼ぎして最後に勝ち逃げすればこうもなろう。自分達の才能を発揮させる事も出来ずに敗れたのだ。……まぁ、悪いがこれも勝負でな?

 

 時間切れで勝つのは時間制限式シミュレーションだから可能な事だ。実際に出来るかと言うと怪しいものだ。それにこれ凄い味方の士気パラメータ落ちるんだよなぁ。最後とか殆ど戦闘力ゼロだ。まぁ、守るんでいいんだけど。

 

「ふぅ、皆さん御苦労様」

 

シミュレーション席を立つと共に私はチームの皆に労いの言葉をかける。

 

「ふん、最後はいつも俺頼みか」

「いやぁ、御腹減ったねぇ」

「若様、おめでとうございます」

「……」

「よう、ベアちゃん、ネイちゃん、どうよ俺の指揮は?」

「任務、完了致しました」

 

……はは、見事に纏まりがねぇな、このチーム!

 

 

 

 

「ふむ、今回の戦闘、地味ではあるが悪くない戦い方だったぞ?ヴォル坊」

 

 本日の私達の分のシミュレーションが終わり、ベアトと共に控室経由で一般観客席を通ると良く聞き馴染みのある野太い声に呼ばれる。

 

「さすがにそろそろ坊扱いは止めて欲しいんですけど、叔父さん」

 

席に座るでっぷりと太った中年男性に半分呆れ気味に私は答える。

 

 極めてふくよかな体に見るからに機嫌の良さそうなラザール・ロボス宇宙軍少将はにっこりと笑みを浮かべて答えた。あ、止めて、体揺すらないで、きいきいベンチが悲鳴上げてるから。

 

隣の空いている席に招かれ渋々座るとその笑みを浮かべた顔に一層喜色が広がる。

 

「これでチームはベスト32位か!後5回勝てば優勝だな!」

「多分次か次の次くらいに惨殺されると思いますよ?」

 

そもそもここまで来たのが奇跡だ。

 

「守りに強いメンバーで固めて時間切れ狙い、最後にホラントが物資を気にせず蹂躙、ですからね。他のチームにとっては真似出来ないからこれまでは誤魔化せましたが……」

 

 成績に換算されないものの、多くの将官が見学するこの大会では皆自身をアピールしようと態々劇的な作戦や華やかな戦果を求める気風が強い。そこを狙い相手が守りに回って引き分けに持ち込まれる選択を奪うからこそ可能な策だ。活躍を見せるためには攻めるしかない。そしてそうなればこっちの思惑通りだ。時間ギリギリまで物資を温存していたホラントが蹂躙を開始して、そして最後は時間切れで逃げ切る訳だ。

 

「まぁ、小細工が通じるのはここまでですね。そろそろ地でヤバい奴らがごろごろ来ますので」

 

 今回の相手すら最後に来るまでは互角だったのだ。地の利と補給の利があった上で、だ。

 

「それよりも叔父さんこそおめでとう御座います。エンリルでの活躍には頭が下がります。同胞を代表してただただ感謝の言葉しかありません」

 

 先月、つまり宇宙暦783年9月中旬頃、ラザール・ロボス少将率いる第6艦隊第2分艦隊を基幹とする4000隻の防衛艦隊はイゼルローン回廊出口……というには同盟側に踏み込んでいるエンリル星系にて、大規模な前線基地建設に動いていた帝国宇宙軍2個分艦隊5500隻を撃破した。柔軟な艦隊運動で一方的に敵艦隊を翻弄して戦列を削り取り、混乱した敵を一気に押し込んだ。

 

 大軍に寡兵で挑み勝利する事自体は軍事史上稀にある出来事ではある。だが小細工無しの艦隊運動のみで敵を押し倒すような戦いは非常に珍しい。同盟軍の損失は700隻、対して帝国軍のそれは1600隻に及んだ。少数と油断していた帝国軍はこの反撃に驚き基地建設を放棄して後退してしまった。

 

 この勝利は、ここ最近立て続けの敗北に気落ちしていた同盟市民を勇気づけただけでなく、亡命政府にとっても僥倖であった。これ以上押し込まれたらアルレスハイム星系政府の施政領域(アルレスハイム星系を中心に半径12光年11無人星系)に接触していた。本当にギリギリの所であった。この勝利によりほかの戦線も風向きが変わる筈だ。前線に出征している亡命軍も楽になるだろう。

 

「皆から絶対に勝つように喝を入れられてな。ははっ、まぁ私に掛かればこんなものよ!」

 

 腕を組みながら御機嫌そうに笑う叔父さん。その胸には先週授与された自由戦士勲章が光る。

 

 長らく宇宙艦隊指令本部や常備艦隊指令本部を中心に勤務していたため、デスクワークや参謀としての才覚は評価されていた叔父ではあるが、直接艦隊を率いる経験は浅くその能力は疑問視されていた。だが、此度の勝利でその不安は払拭されそうである。

 

「後数年、艦隊指揮で成果を上げれば常備艦隊司令官に抜擢されるだろう。第6艦隊は歴史と伝統と尚武の艦隊だ。ぜひとも指名されたいものだ」

 

 第6艦隊は遡ればコルネリアス帝の親征の際に急遽編成された艦隊である。当時帝国系の軍への入隊は大きく制限されていたが、バーラト星系まで押し込まれ遂になりふり構わっていられなくなり急遽帝国系市民を主体に編成された艦隊だ。そのため現在も帝国移民の子孫や混血、投降した元帝国軍人が相当数所属している。別名を「インペリアル・フリート」である。

 

 そんな経歴と特徴から特に激しく、献身的に戦う艦隊として有名であり、多くの武功に恵まれると共にその損害も馬鹿にならない。過去4度に渡り壊滅した経験があり、その回数はナンバーフリート最多。尤もそれは彼らが無能であるためでは無く、それだけ数の上で不利な戦いや全軍の殿や囮といった危険な役目を果たしているためだ。

 

 恐らくではあるが、原作のアスターテにてムーア中将が降伏拒否した事、魔術師のイゼルローン攻略時の手際の良さは、第6艦隊の気風や特徴が反映されているのかも知れない。

 

「ヴォル坊も任官したら第6艦隊に来ると良い。あそこは住み心地が良いぞ?」

 

 艦隊内で帝国語が通じ、歴代司令官の大半が帝国系やその混血、気風は同盟軍より寧ろ帝国軍に近い。まぁ帝国系の軍人には住み心地が良いだろうな。まぁ、戦闘狂の群れに入るのはお断りだけど。まして下手すればアスターテで殺戮される。

 

「ははは、考えさせていただきます。どうでしょうか?少将の御眼鏡に適う生徒はおりますか?」

 

誤魔化すように私は急いで話題を変える。

 

「うむ、やはり一番はホラント君だな。あの艦隊運動は見事だ。それに敵艦隊の弱点を的確に突く。僅かな隊列の乱れを見逃さない。あれは正に逸材と呼ぶに相応しい。ヴァーンシャッフェ君もなかなかだ。流石リューネブルク伯爵が優秀と太鼓判を押しただけある。一つ下のシェーンコップ君もそうだが、地上戦の人材には暫く困る事はあるまい」

 

だと良いんですけどねぇ。

 

「おお、ベアトリクス君、君の事も当然忘れていないぞ?先ほどの戦闘、実に堅実に後方を守ってくれた。これならばヴォル坊の護衛は安心だな」

 

にこにこと控えるベアトに向け語りかける叔父。

 

「ロボス少将閣下、そのような御言葉誠に身に余る光栄です」

 

 礼儀正しく頭を垂れてベアトは答える。その表情は実に満足そうだった。

 

「うむうむ、礼儀正しくて結構。それに引き換え……ふんっ」

 

 ちらりと横目に叔父は次のシミュレーションを見ている教官達の塊に目をやる。その中心には今年新しく士官学校校長に就任した浅黒い中将が腕を組んでいた。

 

「シトレ校長ですか?」

 

その名前を聞いてむすっとした表情になる叔父。

 

「全くけしからん奴だ。奴め、この前の論文で地上軍の削減を提言しおって」

 

 シドニー・シトレ校長は現段階においても同盟軍の将来を担う英才として期待されている人物だ。「ハイネセンファミリー」の名門生まれながら派閥の力学に縛られる事なく優秀な人物を年齢や出自を問わず抜擢していく。カキン、フォルセティ、ケテル、そして第3次イゼルローン要塞攻防戦の英雄であり、その人物眼、戦略眼は間違い無く本物だ。尤も、政治方面に疎い傾向があり教育か現場の人間に過ぎない、という者も少なくない。

 

 そんな彼は現在、艦隊戦力の拡充と地上戦部隊の縮小を叫んでいた。地上戦部隊はその宙域の恒久的維持のためには必要不可欠な存在だ。艦隊戦の影で軽視されている節があるが、最後にその宙域を完全に支配下に置くには地上戦部隊による惑星や基地の制圧が欠かせない。西暦時代から続く常識だ。どれ程遠方から攻撃しても、最後は歩兵が足でその場に旗を立てなければならない。まして宇宙暦8世紀になると軌道爆撃への対処法はそれこそ幾らでもある。

 

 だが、シトレ中将にとっては星系の完全制圧はさして関心が無いようだ。同盟軍は帝国軍に防衛戦を行う側であり、艦隊戦で勝利すればそれはほぼ達成される。地上の敵勢力は放置して艦隊戦力拡充のみに力を入れるべき、というのが彼の意見である。

 

 この地上戦軽視の発言は同盟地上軍と共に亡命軍にも敵視された。同盟軍の負担を肩代わりする形で多くの地上部隊を前線に送って犠牲を払っている亡命軍を侮辱するにほかならない内容だ。そもそもただでさえ、亡命軍は1世紀半に渡り多くの地上戦部隊を同盟に貸してきたのだ。同盟軍はそれで浮いた予算で宇宙戦力を拡充出来た。それをこのような発言、余りに心が無さすぎる。少なくとも亡命軍関係者にはそう見える。

 

「亡命政府の干渉を封じるため、という意見もある。地上軍や陸戦隊は帝国系の士官が多いからな。話によるとイゼルローンを奪取した後は帝国と和平をするつもりだとも聞く。悪魔の所業だな」

 

 数百万の犠牲を払って同盟に貢献してきた恩を仇で返すとは、高慢な事この上ない、と愚痴る叔父。まぁ、原作を見る限り亡命政府のシトレ校長の分析は大まかな方向性としては合っているといえるだろう。地上戦部隊を削減すれば亡命政府の望む帝国本土解放は難しくなる。

 

 シトレ校長の思想は亡命政府だけでなく長征派のそれとも違う。長征派にとっても帝国は憎むべき外敵だ。滅亡させるか、民主化させるか、分裂させなければ気が済まないだろう。さらに言えば、彼らの中には亡命政府や帝国系市民を回廊の彼方側に送り返したいと考えている者も多い。帝国本土をやるからお前達はこっちの銀河に来るな、と言う訳だ。笑える話だが、互いに憎み合っている癖に出征に限っては主導権争いがあっても阿吽の呼吸で帰還派と長征派は協力するというエスパー染みた事をしていた。

 

「ヴォル坊、ベアトリクス君、安心しなさい。私が必ずや奴の野望を阻止して見せる。……いや、それだけではない。イゼルローンを落し、同胞を約束の故地に連れ戻す。彼らが差別に晒されずに暮らせる国を必ずや建ててみせる」

 

 私達の顔を見やり真剣な目付きで叔父は語る。私はそれに対してただ小さく肯定の返事をするしか出来なかった。

 

 原作の結末を知っているが、同時に帝国系市民の同盟での扱いを考えるとその考えを否定出来ない。私は身分のおかげで苦労しないが、聞き耳を立てれば弱い立場の同胞がどういう待遇を受けているのか分かってしまう。身分も、才能も無く、周囲の支えも無かったらその末路は愉快なものでは無い。それが自由と民主主義と平等の国の、多くの者が気にしない、あるいは目を背ける事実である。

 

 暫く重苦しい空気が漂う。それを破ったのはロボス少将を呼ぶ声であった。

 

「あ、ロボス先輩もお越しになったのですか?」

「ん?おお、グリーンヒル。お前さんも来ていたのか?」

 

 その優し気な声に振り向く。そこにいたのは端正な、そして優しそうな優男であった。

 

「おや、その子達は……親戚ですか?」

「遠縁のな。優秀な子達だよ。おお、二人共紹介しよう。私の後輩のグリーンヒル准将、もうすぐ少将になる。将来の同盟軍総参謀長だよ」

 

半分揶揄うように叔父が説明する。うん知ってます。

 

 件の人物に対して私は起立すると完璧な所作で敬礼する。

 

「ヴォルター・フォン・ティルピッツ同盟軍士官学校四年生です」

「同じくベアトリクス・フォン・ゴトフリート同盟軍士官学校四年生です」

 

 その様子を関心するように見て、同じく敬礼する准将。

 

「ドワイト・グリーンヒル准将です。ロボス少将には後輩として良くして頂いております」

 

優しそうに笑みを浮かべる准将。

 

 ドワイト・グリーンヒル准将はちらほら同盟軍の官報でその名前が登場していた。士官学校を29位で卒業、後方支援や情報分野で実績を積み重ねてきた。第一線の提督に比べれば実践指揮能力は劣るが、それでも並み以上の能力を示す。デスクワークに至っては誰もが認める秀才だ

 

「彼は士官学校の後輩でな。良く可愛がってやったのだよ」

 

自慢げにロボスの叔父は語る。

 

「結婚式の時も御世話になりました。当時金欠でしてなかなか式場が見つからなかったのですが、先輩がヴォルムスの式場を唯で借りて下さった。お蔭様で妻に良い結婚式をさせてあげられました」

「ははは、気にするな。お前は良き後輩だし、奥方も帝国の血が流れている同胞、そのために用立てするなぞ安いものよ」

 

 話によればエルファシル出身の妻が帝国系のクォーターらしい。エルファシルはヴォルムスと近いから移住やら婚姻関係の者もそれなりにいる。平民ではあるが同じ同胞、それに後輩の事であるのでコネを使いヴォルムスの上流階級用の式場を叔父が借りてくれたらしい。

 

「して、今日は何用でここに?確か今日は休暇を取っていたと思うが」

「いえ、観光ですよ。この時期のテルヌーゼンは祭のような物ですから。それに娘が好きなアイドルのコンサートが見たいといってましてね。確かアニメの主題歌を歌っていたりー……えっと……」

「リーゼロッテですか?」

 

 必死に名前を思い出そうとしていたグリーンヒル准将に私は名前を教える。

 

「ああそうだ。そんな名前です。娘がその子の主題歌を歌うアニメにドはまりしましてね。今回もその歌を聞きたいと言って聞かないのですよ」

 

 苦笑しながら准将は説明する。コンピューターの又従姉もこの時期は唯の子供らしい。

 

「あーパパっ!なにしているの!?こんさーとはじまるからはやくいこうよ!」

「おや、噂をすれば、かね?」

 

叔父が小さく呟く。

 

 大声で叫びながらとてとてとグリーンヒル准将に駆け寄る白いブラウスに赤いフリル付きスカートの幼女。ゲルマン風の金褐色のウェーブのかかった豊かな髪にヘイゼルの瞳を持った幼くも元気そうな彼女はそのまま全速力で准将の足に突撃してぎゅっと抱き着く。

 

「こらこら、御外で走ったり大声を出したら駄目だと言ったじゃないか」

「えー、だってぇ」

 

 困り顔の准将に対して拗ねるように頬を膨らませる幼女。

 

「分かった分かった。コンサートに行こうか。けどその前にほら、パパの仕事仲間達だ。御挨拶しようか?ちゃんと出来たら後でアイスも買ってあげよう」

「うん!」

 

 ちらりと私達を見た後、彼女は父に向け笑顔で答える。

 

「えっと…ふれでりか、ふれでりか・ぐりーんひるです!よろしくおねがいします!」

 

 後の魔術師の副官にして妻は元気いっぱいの笑顔を向けて私達にそう自己紹介をしたのであった。

 

 

 

 




野生のロリデリカが現れた!


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第四十話 マスコットは身長三十六センチ、七歳、標準体型

新作最新話感想

「嘘だろ!?ギリシャも幼女もないマクシミリアン様なんてマクシミリアン様じゃない!」(意訳:せめて幼女だけでも出していいのよ?)


 リーゼロッテ・リンドグレーン氏は、銀河帝国亡命政府の外郭団体たるハイネセン亡命者相互扶助会の売り出している代表的なアイドルの一人だ。正確には相互扶助会の投資している法人団体「スタジオ・ワグナー事務所」のアイドルである。

 

 個人情報は当然ながらプロテクトがかかり、私も特に関心が無いために深くは知らないが、10歳の頃にデビューして以来6年に渡り人気を博してきた芸能部門の稼ぎ柱の一人らしい。歌手としては帝国で問題作となった「ごーるでんばーむくーへん」を始め24曲、アニメの声優や映画の子役としても相応に成果を上げている。特に謎の社会現象を巻き起こした深夜アニメ「べすてぃー・ふろいんと」(人間の少女と擬人化した動物達のほのぼの系(?)アニメらしい)の声優及びOP、銀河連邦中期の伝説的三次元将棋棋士を主役とした映画「ドラゴンキングワークス」における主人公の弟子役等で大きく評価された。

 

 その愛くるしい表情と生まれ持った透き通るような美声は極めて魅力的ではある。慰労として前線の同盟軍や亡命軍の基地や艦隊にて70回以上も慰労コンサートを開いたが(歌手や芸人が前線の慰労役として契約するのは珍しくない)毎回満席であったほどだ。フェザーンにおける年越しコンサートでも飛ぶようにチケットが売れた(そしてフェザーン人らしく転売した奴らもごろごろいた)。

 

 尤も、その裏では他派閥の押す新人アイドルグループや民間法人の無派閥アイドルに押され緩やかに業績が落ち、その勢いに陰りが見えていると噂だ。無論、それでも十分人気があるのも事実ではあるが。

 

「けどね!やっぱりあの時ヒナちゃんじゃなくてヤシャちゃん役のほうがよかったとおもうの!たしかにヒナちゃんのヤンデレな部分はけっこううまくできてたけど、あんな風にお料理つくったりお掃除するようなおかあさん役はあわないよぜったい!」

「さいですか」

 

 グリーンヒル准将に買ってもらったソフトクリームで口元を汚しながら熱く主演映画を論評する未来のヤン夫人。多分10歳になるかならないか位だった筈だ。原作の落ち着いた雰囲気とは似ても似つかない元気な娘さんである。

 

 グリーンヒル一家と叔父、ベアトと共に士官学校の敷地に建てられたコンサート会場に向かう。事はコンサートに向かう一家に恩を売るために、本来ならば事前販売の特等席を提供しようと提案した事から始まる。元々定期的に問題を起こしていないか見に行くチェックの意味もあった。態々人混みの中ぎゅうぎゅう詰めで立ってコンサートに行くのも辛いものだ。それにグリーンヒル夫人は体が弱い。叔父の友人であるためという理由も付け提案すると、夫婦は感謝しながら賛同してくれた。

 

 そんな訳でグリーンヒル一家と共に会場に向かいに行く訳である。ベアトは付き人として傍に、叔父はグリーンヒル夫婦と談笑目的でついてくる。となると、必然的に私がこのフロイラインの御相手をする事になる。

 

「しょーじきそろそろ路線変更したほうがいいとおもうの!リーゼちゃんかわいいけどさすがにもう子供っぽいよ!じむしょは路線変更するリスクがこわいだけだよ!」

 

 これだからおとなはだめだよね!とぷんすかと御立腹する幼女。栗鼠のように頬を膨らませて不満を表す。なんだろう写真撮りたい、魔術師との結婚式の時にこれを新郎の前で真顔で投影機に流したい(悪意はない)。

 

 そんな事を考えていると私が真面目に話を聞いていないのが分かったのかむっとこっちを睨む。

 

「おにいちゃん、わたしの話きいてないでしょ!だめだよ、しゅくじょのおはなしはちゃんときいていないと!そんなのだとおねえちゃんに愛想つかされるよ!」

 

ピシッとベアトを指差して指摘するグリーンヒル嬢。

 

「いや、大丈夫。ベアトは私の一番の忠臣だ。絶対私を見捨てない。というか見捨てられたら割かしショックで引き籠る」

 

その時は結構真面目に心へし折られる。

 

「若様、御安心下さい。このベアト、如何なる状況であろうとも若様に誠心誠意お仕えさせていただきます。断じて若様の信頼に違える事は致しません」

 

恭しく自身の忠誠を示して見せる従士。

 

「おにいちゃんは駄目だね。そんなの分からないよ?口ではそういっても内心ではげんめつしているかもしれないんだから!薄っぺらいおかねもちに愛想つかして下町のこうせーねんとかけおちとかふりんなんててっぱんだよ?むしろおもてでそう言ったほーがはいとくかんがあってねつじょーがもえあがるんだから!」

「フレデリカ、貴方明日からお昼のドラマ見るの止めなさい」

 

 少し引き攣った表情でグリーンヒル夫人が娘に注意する。やっぱり昼ドラは子供の教育に良くないと思うわ。

 

「若様、私の忠誠心は決して偽りでは御座いません。御疑いであられれば今すぐに潔白を証明致します」

 

 うん、疑って無いから。昼ドラの影響受けた子供の話真に受けなくていいから。だからナイフを自分の首元に添えなくていいから。真顔で言わなくていいから。

 

「おねえちゃんってもしかしてダメンズ好き?」

「おう、嬢ちゃんの軽やかな罵倒の嵐に私の心はもうぼろぼろだよ」

 

 お前さんだって将来首から下が不要な奴にゾッコンだろうが。ぜってぇー言ってやる。ぜってぇー式の時に祝辞読み上げてやる。覚悟しやがれ。魔術師の前で猫被りやがって。

 

 一回り以上年下の子供相手に内心ガチ目でムキになる情けない学生の姿がそこにあった。というか私だった。え、小者?小者で悪いか!

 

 こりゃあ、あの毒舌家しかいない艦隊でやっていけますわ。可愛い顔してとんでもねぇメンタルの持ち主だ。この歳でこの性格とは恐れ入るぜ……。

 

 そんな事をしている内に仮設コンサート会場につく。コンサート自体は見学自由だが座席は有料チケット制、更に最前列は関係者のみが座れる貴賓席であり、一般客は座る事が出来ない。というか観客の大半は立ちっぱなしだ。看板を掲げて観客を誘導する自由惑星同盟軍公式マスコットキャラクター「スターフリー君」(星型……というか黄色いヒトデのゆるキャラだ。なんか伝説なテンカイ王国の王子っぽい、妹の「スターピーちゃん」共々子供に纏わりつかれている)の横を抜け、会場責任者達に席を準備するように命じる。

 

「あ、スターフリーくん、スターピーちゃん抱っこして!」

 

 こら、フレデリカ嬢、こっち来なさい!スターフリー君とスターピーちゃん凄いしなびているでしょ!中の人汗だくで苦しそうでしょ!

 

「すみません、御気にせず」

 

 スターピーちゃんにへばりつく小娘を剥がしながら笑顔で固定されたゆるキャラ(の中の人)に謝罪する。スターフリー君は、大丈夫だよ!とばかりに手を振ってくれた。スターピーちゃんは完全に枯れた植物みたいにしおれているけど。ピンク色の笑顔のヒトデがぐでー、としている姿はシュールだ。

 

「ほら、席用意したからパパ達と一緒に見に行こうな?」

「うー、スターピーちゃんまたねー?」

 

 フレデリカを連行する私。正確には女の子にべたべた触る訳にはいかないのでベアトが抱っこする。一方フレデリカは一瞬むすっとするがまた後で来襲するつもりなのか、にこにこスターピーちゃん達にばいばいする。おい、兄は元気にばいばいしているけど妹が完全無視しているぞ。

 

 席に連行された娘を見てグリーンヒル夫人が謝罪と共に軽く叱りつける。

 

「本当すみません。この子誰に似たのかやんちゃで。はぁ……もう少し御淑やかに育ってくれないかしら」

 

 大丈夫っすよ奥さん。後何年かすればサンドウィッチで戦死しかける中尉さんに会うから。

 

「ははは、まぁ子供は元気なのが一番ですよ夫人。それだけ健康な証拠ですからな」

 

 寧ろ微笑ましくフレデリカを見つめうんうんと頷くロボス少将。さらりと自分の席に座っている。あんたも見るの?

 

「それはそうでしょうけど……」

「ははは、まぁお気になさらず。私の方も然程気にしておりません」

 

 メンタルを的確に抉って来るところ以外は年相応で可愛いものだ。妹がいればこんなのだろうとは思う。伯爵家に生まれて以来こんな世話を焼かせる子供を見たことが無いので新鮮……と言うよりは少し懐かしい。……別にロリコンでもシスコンでも無いよ?

 

「じゃあお兄ちゃん、後でクレープかって!」

「おう、前言撤回だ」

 

 こいつ、とんでもなくハングリーやでぇ。つーかお前も心読むな。

 

 こいつ言ってやる。結婚式の際魔術師の前で絶対この事を言ってやる。

 

 いい加減グリーンヒル准将にも注意され、どうにか大人しくするフレデリカ嬢。尤も、そのお淑やかさもすぐに消え失せるが。

 

「みんなー!コンサートに来てくれてありがとう!!リーゼ凄く嬉しいよー!!」

「あっ、きた!!」

 

 大音量の音楽が流れると共に照明が一斉に光る。同時に立体ソリビジョンが何も無いコンサートの壇上をサバンナの平原に変える。流石宇宙暦のコンサートである。まるで本物と見まごうばかりの大自然だ。

 

 そして少女の透き通った、帝国訛りの殆ど無い流暢な同盟公用語が会場に響き渡る。観客達(大きなお友達も多いけど)が一斉に声援で答える。

 

 コンサートの中央にいたのは俗にゴスロリ衣装に身を包んだ少女だった。

 

「あー、これはグリーンヒル嬢の言った通りだな」

 

 確かに美貌は本物だ。白い肌、肩まで伸びる濃い青みがかった灰色……紺鳶色の印象的な髪、黒真珠のように輝く瞳、上品な佇まい、そして何よりも印象に残る声、確かに才能と外面には相当に恵まれている。

 

 だが、明らかに方向性が、少なくとも今の彼女の持ち味とは方向性が合わない。デビュー仕立ての頃は良かったのだろうが、今の彼女の美貌は可愛らしい、というよりはクールな印象を与える。上品な佇まいがそこに一層子供らしさを消していた。その美声はソプラノのようにすみ渡るものの、却って曲と噛み合わせが悪い。

 

 無論、音楽に疎ければ十分に満足出来る程の技量だ。音楽の審美眼を鍛えられた私が言うのだから間違いない。だが同時に目が肥えた者にはそこが何とも言えない違和感を与えていた。

 

「さて、それでは私は少し失礼して……」

「だめ」

 

 一応の役目は果たしたので、裏手で会場責任者達とトラブル等が無かったか確認しにいこうとした所で学生服の袖を掴まれる。

 

「今からいろいろリーゼちゃんについておしえてあげるからにげちゃだめ」

「あいあいさー」

 

 むー、と逃亡しようとした私に対して不機嫌そうにするフロイライン。あれだな、子供って奴は自分の知っている事を聞かれても無いのに教えたがる。

 

「若様……」

「ベアト、いい。どうせ急ぎでもない」

 

 ベアトが何か言おうとするのを小声で制止する。子供相手にムキになることもあるまい。明日のシミュレーション戦闘の打ち合わせは夜にやるので時間的には少し余裕がある。それよりもグリーンヒル夫妻に聞こえてなくて助かったな。聞こえていたら叱られていたぞ?

 

 演奏が始まる。歌詞からして子供向けの歌であろう、フロイラインは目を輝かせて体を揺らしながら一緒に歌い始めた。

 

「Willkommen im ようこそライヒスパークへ!今日もドッカンバッキューン大乱闘!」

 

 体を揺らして足をばたつかせながら興奮しながら歌うフレデリカ。皆見てる?脅威的な記憶力を持つこのコンピュータの又従姉、好きな歌数十曲を全て一言一句違わず歌いあげられるんだって(能力の無駄遣いかな?)

 

「がおー!うー!高らかに唸って遠吠えあげればFreund!決闘して撃ったり斬ったり!でも本当は多分とっても仲良し!」

「本当、随分と御機嫌だなぁ」

 

本当に子供らしい。これが十年もそこらすればあの凛々しい副官になっているのか……。

 

「本当にすまないね。娘はなかなか頑固でね」

 

 傍に来たグリーンヒル准将が困った顔をする。尤も娘に向ける表情は本当に温かい眼差しであった。心底娘を大事に思っているのだろう。好感度(と私の生存率を)上げるためにサイン貰って来てやろうかな?

 

「いえ、こちらこそ、ロボス少将の御相手をして頂いた御礼です。……こう言っては何ですが叔父は少し押しが強いですし」

 

 特等席でうとうと眠そうにする叔父をちらりと見やる。もう昼頃だ。あの人は趣味は昼寝と呼べるくらいには良く昼寝をする。まぁ、最近は軍務で疲れている事も理由であろうが。まぁどの道ファンの皆さんが贅沢しやがってと思いそうだ。

 

「ははは、まぁ少し強引な所はありますが豪快で気前が良い人ですよ。少なくとも尊敬出来る人ではあります」

 

 部下に良く食事を奢り、私生活で困れば援助し、悩みがあれば真剣に相談に乗る叔父はその愛嬌のある外見と合わせてそれなりに慕われているそうだ。まぁ、宮廷でも結構社交的だったなぁ。

 

「そうですか……それは僥倖です」

 

 准将の心からの言葉に私は微笑みながらそう答えた。そしてふと思った。この人は原作のアムリッツァの際、叔父の所業を一体どういう風に思ってみていたのだろう……?

 

 

 

 

 

 

 

 コンサートが盛り上がっている頃、そこから少し離れたベンチにてヒトデ……では無く2世紀に渡り愛され続けている同盟軍公式マスコット「スターフリーくん」と「スターピーちゃん」がベンチでぐったりしていた。

 

「全く、とんだ災難だよ。唯着ぐるみ着て看板掲げるだけと思えば子供にあんなに纏わりつかれるなんて」

 

 ベンチに座りげっそりとした声を上げるスターピーちゃん。何故大して可愛いと思えないこのキャラクターにあんなに子供が纏わりつくのか、全く彼には理解出来なかった。

 

「すまんなぁ。俺の籤運が悪くて。今度飯奢ってやるよ」

 

 上下関係に厳しい同盟軍士官学校において雑用係とも呼ばれる同盟軍士官学校1年生は、イベント事や行事があれば大概一番きつい役回りをさせられる。上級生がソリビジョン越しに視聴者の人気を集める傍ら、彼らは掃除やら荷物運びやら見学ツアーの引率やら道案内やらをやらされる訳だ。特にこの二人の役回りは厳しいもので、動きにくく息苦しい着ぐるみを着て何時間も看板を持ちつつ子供の相手をしないといけないと来たものだ。学生の間では「着ぐるみ蒸しの刑」などと称される。

 

「これ、態々学生がやる事か?私に言わせればどこぞから人でも雇えばいいのに」

「経費削減、て奴さ。学生は只でこき使えるからなぁ」

「そうか、士官学校はブラック企業だったのかぁ」

 

 まぁ、軍隊自体ブラック企業の代表みたいなものだけど、とスターピー(の中の人)はぼやく。命あっての物種、命を削って大企業の給与にも満たない賃金を受け取る軍隊は真っ黒くろすけであろう。所属する奴の気が知れない。尤も自分が正にそんな大馬鹿者の一人である訳だが。

 

「はぁ……」

 

 今更ながら何で自分はこんな所でこんな事をしているのだろう、どこでボタンを掛け違えたのだろうかと溜息をつくスターピーちゃん(の中の人)。

 

「おいおい、随分と疲れ切った溜息だな。大丈夫か?栄養ドリンクでも買おうか?」

 

 残業帰りの中年のような徒労感に満ちた溜息にスターフリーくん(の中の人)は尋ねる。

 

「出来れば紅茶の方が良いんだけどねぇ」

 

 西暦の頃、産業革命を歴史上始めて達成した古代ブリタニアにおいて砂糖を大量に含んだ紅茶が劣悪な労働環境の中働く庶民の数少ない娯楽であり、栄養補給の手段であった事実を思い出すスターピーちゃん(の中の人)。そうか自分は西暦19世紀の労働者なのか、等とぼんやりと考える。尤もそれを当時の人間が聞けば同じ扱いするな、と飛び膝蹴りされるだろうが。

 

「紅茶党なのは相変わらずだな。それならアイスティーにしようか?」

「ああ、悪いけどそうしてくれ」

 

 器用にも着ぐるみ越しにクレジットカードをかざし、自動販売機のボタンを押すスターフリーくん。見るからにシュールな光景だ。

 

「……すまん、助けてくれ」

「……どうしたんだい?」

「……引っ掛かった」

 

 自動販売機に両手を突っ込み、前かがみの態勢のままでスターフリーくんは答える。脱ぐのが面倒でそのまま手を突っ込み抜けなくなったらしい。

 

「………」

 

10分程ゆるキャラ2名は自動販売機の前で悪戦苦闘した。

 

「………で、無駄な体力を使った訳ね?」

 

 ベンチに仰向けに倒れる笑顔で固定された着ぐるみ2体の目の前に立つ少女が呆れたように肩を竦める。金髪がかった栗毛に澄んだ海色の瞳の少女。ブランド物と分かる白いワンピースに柔らかな物腰から、一目で良家の御令嬢である事が分かる。

 

「ははは、まぁそんなところかな?」

 

着ぐるみを脱いだ汗だくの好青年が苦笑いを浮かべる。

 

「はぁ、世話が焼けるんだから。ジャン、はいタオルよ」

 

 悪戦苦闘する二人を引っ張って救出した少女は、ジト目で幼馴染を睨みつけながら籠バックから汗を拭うためのタオルを差し出す。

 

「サンキュー、ジェシカ」

 

 文句を言いつつも細かい気配りを忘れない幼馴染に対して、人好きのする笑みを浮かべた長征系名家の変わり種の事、ジャン・ロベール・ラップ同盟軍士官学校1年生は謝意を示す。

 

「ほら、貴方も着ぐるみ脱いで。そんな脱力したスターピーちゃん見たくないわ。さぁ、折角お昼ご飯用意してきたから食べましょう」

「あ…うん……」

 

 タオルを差し出されたスターピーちゃん(の中の人)はぎこちなく、もぞもぞと着ぐるみを脱ぎ始める。

 

「お、サンドウィッチか!ジェシカの作るカツサンドと卵サンドは絶品なんだよ!」

「もう、現金なものねぇ」

 

 籠バックの中身を見て子供のようにはしゃぐ青年にやれやれと頭を振る御令嬢。そんな二人を見ながら本当仲良いなぁ、等と思うスターピーちゃん(の中の人)。

 

「ふぅ、ようやく解放されたな」

 

 ひんやりと濡れたタオルで首回りの汗を拭きながら、ぼんやりとした、見ようによっては美青年にも見えない事もない線の細い青年……「手ぶらのヤン」の事ヤン・ウェンリー同盟軍士官学校1年生はぼやく。その様子を見てジェシカがくすくすと笑う。どこに笑いの要素があるのだろうか?そんな事を思いながらバツの悪そうにヤンは頭を掻く。そこに一抹の気恥ずかしさがあった事は秘密だ。

 

まぁ、何はともあれ……。

 

「おい、ラップ。先に食べるなよ!あとよりによってカツサンドを!?」

「先手必勝は戦の常識だぜ、ヤン?」

「貴方達、だからいい歳して子供みたいにはしゃがない!」

 

 取り敢えず若い成長期の二人にとっては腹を満たすのが最優先であったのは間違い無い。

 

 

 

 

 




ラップとジェシカは多分ノイエ版がイメージ


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第四十一話 世の中知らない事が幸せな事もある

「おーい、チュン。悪いけどさぁ、1個戦隊でいいから援軍回してくれない?」

 

私は強請るようにチュンに無線越しで頼み込む。

 

『うーん、こっちは少し難しそうだねぇ。デュドネイ君はどうだい?』

 

 片手に持つハムサンドを一口食べた後、苦笑いを浮かべながらチェンは別のチームメンバーに呼びかける。

 

『……無理……今でも戦線……崩壊寸前…だから……寧ろ……早く…助けて』

 

 途切れ途切れに最前線を担うデュドネイ4年生は答える。

 

 シミュレーターの画面に視線を移す。そこでは熾烈な戦いが繰り広げられていた。

 

 指定戦域はファイアザート星系である。彼のファイアザート星域会戦においてブルース・アッシュビーの栄光の舞台となった星系だ。過去1個艦隊規模以上の会戦は4回、分艦隊規模の戦闘は12回、戦隊規模の戦闘31回、それ以下の戦闘は数えきれない回数が発生している(尚獅子帝の口にした329回の不毛な戦いというのは、1個艦隊以上の戦力同士の戦闘のみを指す)。

 

 さて、この星系はこれといった特徴の無い平凡な星系だ。主星ファイアザートはありふれた恒星であり、その周囲を回る8つの惑星に総勢64個の衛星が伴われ、小惑星群が2箇所存在する。これと言って通信を阻害するような宇宙嵐は無いし、独特な宇宙潮流も無い。即ちこの星系は正面からの艦隊戦に適した星系であると共に、地の利といったものが余り存在しない星系でもある。

 

 それはつまり、戦闘面において小細工を行うのが難しい星系であった。

 

 そのため相手チームとの戦闘は文字通りの正面からの殴り合いになる。

 

 ファイアザート星系第3惑星第2衛星軌道における戦闘にて、デュドネイ4年生の指揮する第5分艦隊は損耗率が既に4割に達していた。尤も、2倍近い敵艦隊に対してシミュレーション時間内で18時間後の状態である事を考えると、寧ろ善戦していると言ってよい。ぼろぼろの分艦隊は、しかし中性子ビームの雨の中で綱渡り気味に部隊と戦列を再編して決定的な敗北を喫するまでの時間を可能な限り先延ばししていた。相手の接近戦の試みを3度に渡り阻止し、辛うじて組織的抵抗能力を維持する。

 

 完全にミスった。デュドネイの才覚を逆手に取られた。敵艦隊の攻勢にデュドネイは耐えたが、私とチュンは思わず後退せざるを得なかった。結果として、そこに無理矢理巡航艦群と駆逐艦群に回り込まれデュドネイは分断された。

 

 それを体勢を立て直した私とチュンの艦隊が救援しようとするのだが、相手の艦隊司令官率いる第1分艦隊の前にその試みは阻止される。他の分艦隊から戦力を補強したのだろう4000隻の艦隊は、私とチュンの艦隊合わせて5000隻によるデュドネイの救援の動きを完全に阻止していた。

 

 敵第1分艦隊指揮官にして艦隊司令官たるエドモンド・コナリー4年生は、席次にして学年12位の超の付くエリートだ。現在の戦略研究科在学生においても5本の指に入る英才であり、的確な分析能力と迅速な問題処理能力に定評がある。

 

 恐ろしいまでの能力だ。寡兵でありながら素早い判断で部隊を動かし状況は完全に均衡している。正面からぶつかれば軽やかに流され、手数で攻めれば全てを最小限の動きで対処される。意識を逸らしてからの別動隊での奇襲は4度失敗した。

 

 コナリー4年生の作戦は合理的であった。私のチームの要は攻めのホラントと守りのデュドネイだ。圧倒的に戦略・戦術面で格上の相手に対して、守勢に関してのみ異様に強いデュドネイを押し立てつつ私やチュンが支援する。後方の警備と予備戦力としてベアトを置いて、後はホラントが独自に暴れてもらう仕様であり、これまでの必勝の方程式だ。

 

 ならばそのパターンを崩してしまえば良いだけである。態々相手の土俵で戦う必要は無い。彼はホラントを徹底的に無視した。長期戦を指向するこちらに対してハイリスクな短期決戦で挑んだのである。

 

 まず後方の兵站を無視した。予備戦力等も含め全戦力を戦線に投入した。後方から襲い掛かろうとしたホラントに対しては足止め用の弱兵のみをぶつけるほか、予測される航路上に地上部隊の防空部隊や機雷原が立ち塞がる。そして本当の狙いはデュドネイ率いる第5分艦隊である。守りの要を真っ先に叩く。このチームは元より受け身を前提にした守勢向きの編制だ。その要を失えばどうなるかなぞ分かり切った事だ。それを阻止しようとする私とチュンは分断され、コナリーの指揮する艦隊によりあしらわれる。元より実力は彼方のチームが上である。予備戦力たるベアトの分艦隊も敵別動隊の牽制を受けなかなか動けない。

 

 全ては時間との勝負であった。デュドネイの分艦隊が崩壊すればそちらに向けられていた艦隊が私とチュンの本隊に突っ込む事になる。挟撃を受けて壊滅する事は間違いない。そうなるとホラントとベアトの戦力だけでは荷が重すぎる。一方、ホラントがこちらに着くのが早ければ逆にこちらが挟撃出来る。

 

「厳しいな……」

 

 計算上ではホラントが到着する2時間前にデュドネイの分艦隊が壊滅する。いや、それ以前に私の方こそコナリーの攻撃に対応するので精一杯だ。少しでも陣形が乱れれば火点を集中してくるし、チュンとの連携の遅れに付け込み手痛い反攻をしてくる。こちらはすぐに混乱を収めるが反撃に入る頃には相手は守りの態勢に入る。小癪な事だ。

 

 唯一明るい材料は、攻撃の間隙を縫いスコットの工作部隊の一部がデュドネイと合流出来た事だ。スコットの率いる各種工作艦は艦艇の修理のほか、電子戦を実施して敵の攻撃を阻害する。単純に妨害電波を流すだけではなく、ダミーバルーンや熱源処理した隕石等を持って囮にし敵艦隊の攻撃を誘導・妨害する。ハッキングや無線傍受をする事で、敵の部隊の連携妨害や攻撃に対する事前の迎撃に余裕を持たせる。小手先の手段であり鼬ごっこになるものが電子戦であるが、それでも専門の工作艦艇は戦闘艦艇に比べ技術面・システム面で優位に立てる。尤もそれも時間稼ぎに過ぎないが。

 

「………引くべきか?」

 

小さく私は呟く。

 

 デュドネイの艦隊は最早どうにも出来まい。いっそ私とチュンの本隊はベアトと合流し、ヴァーンシャッフェが防衛陣地を張る本拠地たる第4惑星を固めると言う手もある。尤も、地の利が余り活かせない宙域のため防衛に回ったとしても優位とは言えない。デュドネイを失う以上、こちらの防衛能力は大幅に落ちるだろう。

 

「……どう思う、チュン?」

『難しい所だねぇ』

 

 チュンは無線越しに夕食のメニューに困っているかのような口調で答える。

 

『コナリー君はこちらの一瞬の隙を逃さないよ。こちらが逃げるなら迫撃で戦力を削って、その後に反転してデュドネイ君を包囲殲滅する筈さ。ゴトフリート君と合流しても逆転は難しいだろうね』

「と、なると希望は……」

『ホラント君がどれだけ到着する時間を短縮出来るか、だね』

 

チュンは吞気に事実を伝える。

 

「……無線が妨害されているしな。あいつが今どこにいるのか分からんのが辛いな」

 

 宇宙暦8世紀の戦闘においては通信妨害の技術はある種の極北に達している。混戦になればすぐ近くの艦隊との連絡すら光通信や連絡艇を使わざるを得ない。スコットの支援のおかげでデュドネイとの連絡は辛うじて可能だが、ホラントが今どこで何をしているのかはさっぱりだ。

 

 そうこうしている間にも一層攻撃は激しさを増す。デュドネイの第5分艦隊の残存戦力は1000隻余りである。損失率6割に及ぶ。最早組織的抵抗を続けられるのが奇跡に等しい。スコットの支援を受けていなければ、今頃完全に崩壊していただろう。無論、破局は刻一刻と目前に迫っていた。

 

 残された艦隊を巧みに連携させて二重三重の中和磁場の結界を構築するデュドネイ。エネルギーの不足する艦艇、損傷艦艇を下がらせて予備を前進させる。素晴らしい艦隊運動ではあるが、数倍するビームの雨により1隻、また1隻と艦隊は削ぎ落されていく。

 

『よくやるなぁネイちゃん。こんなの無理ゲーだぜ?』

 

 共に防衛するスコットが呆れ気味に口を開く。無論、口は軽口を言っても指揮用のカーソルの動きは素早い。先ほど第九波のミサイル攻撃が始まった。工作艦隊はダミーバルーンや囮を射出しつつ妨害電波を駆使して1発でも多くの対艦ミサイルを迎撃・無力化しようとする。

 

 ミサイル兵器は低速で命中まで時間がかかる。妨害電波を始めとした電子戦にも弱い。だが、中和磁場が効かず、命中すれば最低でも中破は確実と破壊力は高い。ミサイル攻撃のセオリーは寡兵に対してミサイルを一斉に放つ事で電子戦や対空レーザーの迎撃能力を飽和させる事だ。場合によってはその隙をついて駆逐艦や単座式戦闘艇が接近を試みる。

 

『4倍以上の艦隊のミサイル攻撃の迎撃とは、笑えないな』

 

 顎を撫でながら舌打ちするスコット。デュドネイと自身を半包囲する敵艦隊の艦艇数は約4000隻、戦闘による損失により2倍の戦力差は4倍にまで膨らんでいた。各指揮官はこの緊張と忍耐を要求される中でその精神力を試されていた。

 

『……ホラントが先…か…それとも…全滅が……先……かな?』

 

 追い詰められているデュドネイは小さく愚痴とも独白とも取れない言葉を呟く。

 

『ホラント…!奴は何やっているのですか……!』

 

 ベアトは自身の戦闘に集中しつつも不愉快そうに怒る。ヴァーンシャッフェも気難しそうな表情だ。私は静かに、苦虫を噛んだ表情で唯戦局を見据えていた。チュンだけがぼんやりとした表情を浮かべていた。そして……。

 

「…………!……はぁ、来たか」

 

 戦略スクリーン上のそれを発見すると共に私は小さく、そして深い溜息をつく。それは安堵の溜息であった。

 

 シミュレーション時間内で25時間30分後、デュドネイ、スコットを半包囲する敵第2・3分艦隊の後背を紡錘陣形の状態でホラント率いる第2分艦隊が突撃した。その奇襲は絶妙なものであった。恐らく急行していたために燃料は不足していただろう第2分艦隊は、第3惑星第5衛星の影から接近した上でファイアザート星系第3惑星の引力を利用したスイングバイによって一気に加速した。

 

 一気に距離を詰めた第2分艦隊の殴り込みに生じた混乱をデュドネイは見逃さなかった。残ったミサイルを全弾打ち込むと共に戦艦と巡航艦が一斉射する。後背から駆逐艦と単座式戦闘艇が飛び回る。

 

 敵艦隊中央部は完全に秩序を失った。ある艦艇は前後からの砲撃で蜂の巣にされた。ある艦艇は肉薄する駆逐艦によるレーザー水爆ミサイルを受け周囲の艦艇を巻き込んで蒸発した。ある艦艇は混乱する味方艦艇の影響で、艦の衝突回避システムの自動操作により前後左右にぐるぐると駒のように回転する事になった。そこに電磁砲を次々と食らい、火を噴きながら爆散する。

 

 ホラントの分艦隊は、敵中央部を崩壊させるとそのまま斜めに進路を変えながら暴れまわる。これが止めであった。壊乱の内にのたうち回る敵第2・3分艦隊。コナリーは私とチュンの相手をする意味を失い、混乱する味方を纏め上げ素早く後退する。コナリー率いる第1分艦隊の物資の残量が限界近い事も理由であった。

 

 同時にこちらもこれ以上の追撃は不可能であった。私とチュンの艦隊は余裕がある。だが崩壊寸前だったデュドネイとスコット、そして急行したホラントの艦隊の物資も底をつきかけていた。双方が戦闘続行不可能になりつつあったのだ。いや、こちらの方が危なかった。後30分遅ければ第5分艦隊は全滅していた。

 

 ベアトと小競り合いを行っていた敵第4分艦隊は全速で後退を開始した。これ以上の戦闘は無意味だ。それに挟撃の危険もある。

 

 我々はファイアザート星系第4惑星で補給を受ける。尤も、途上で第2・5分艦隊に多数の脱落艦艇が出る。乗員を回収し、可能な艦艇は曳航、あるいは燃料を他艦から融通する。だが時間がかかる艦艇はそのまま破棄する。これはチュンの助言だ。

 

「勿体無いな」

 

 ぼろぼろの艦艇も修繕して使う亡命軍を知る身としてはつい惜しく思える。貴族の癖に貧乏性だ。

 

『仕方ないさ。今は補給をいかに早く終わらせられるかが勝負だよ』

 

 最早時間が無い。恐らく相手は動ける艦艇のみで艦隊を再編しつつ最後の勝負を決めに来る筈だ。補給の時間は無い。後方は多少ならずホラントに荒らされ、しかも移動の時間と補給、再攻撃のための航行時間を考えると攻め切れない。ならば今すぐ動ける艦艇だけで決戦を仕掛けるしかない。

 

「特に問題はデュドネイの分艦隊の損害だな……」

 

 残存艦艇860隻、我が方の守りの要がこの様である。だが同時に彼女の才覚がこの場で必要不可欠だ。

 

『そういう訳だ。馬鹿貴族、その宝の持ち腐れの艦隊をさっさと寄越せ』

「アッハイ」

 

 舌打ちしながら提案(命令)するホラントに私は答え、デュドネイに保有艦艇1640隻を提供する。

 

『……いいの?』

 

 少し遠慮がちにデュドネイが無線越しに尋ねた。いや、遠慮と言うか気まずそうだ。

 

 ……私なんかより君の方が勝利に必要だからね、仕方ないね。

 

 コナリー率いる艦隊6760隻がファイアザート星系第4惑星に侵攻したのはシミュレーション時間内で残り15時間15分の事だった。文字通り最後の攻勢である。迎え撃つはホラント・チュン・ベアト・デュドネイの率いる7650隻だ。我が方の補給が最低限完了したのは接敵の30分前であった。

 

 両軍は良く戦った。デュドネイの守りを敵艦隊は何度も突き崩しかけたが、その度にベアトが急行して危機から救う。奇襲や浸透戦術に対しては、チュンとヴァーンシャッフェが宙陸で連携して対抗する。スコットは後方支援を十全にこなした。ホラントは最終的攻勢においてその破壊力を見せつけた。コナリー以下の敵部隊も称賛すべき指揮を取っていた。

 

 え、私?ああ、拠点の目の前で何もせずぼっとしてたよ?旗艦以下巡航艦3隻・駆逐艦6隻でどうしろってんだよ。

 

 流石にこれには相手チームもぎょっとしてシミュレーターから乗り出して私の座る所を二度見してた。うん、すっごく分かる。

 

『シミュレーション終了!』

 

 時間切れによりアナウンスが流れると共に結果が現れる。紙一重、文字通り130隻の損害差で私(?)のチームは勝利した。

 

 敵味方問わず全員が脱力しながらシミュレーターから立ち上がる。本当に厳しい戦いだった事が分かる。え、私?最後暇だから音楽聞いてたよ?

 

 整列して互いに敬礼した後にコナリーが笑みを浮かべながら私の元にやってきた。

 

「良い勝負だった。最後は流石に驚いたよ。まさか直属部隊を全て前線に押し付けるとは。戦略的にも、心理戦の面でも最善の選択だった」

 

 最終決戦である。チームリーダーがまさか全ての戦力を前線指揮官に提供するのは予想外であったらしい。なんせ多くの将官が見ている見せ場で自身の活躍の場を捨てるのも驚きだし、旗艦が沈めばその時点で敗北である。多くの者はやりたがらない。逆にそんな予想外の事が起きたせいで、唯でさえ緊張していた相手チームは一層動揺したらしかった。

 

「とてもハイリスクな手段だ。それだけチームメンバーを信頼していた事が伝わるよ」

 

いえ、役立たずなので部隊寄越せと言われただけっす。

 

「……えっ、そうなの?」

 

 その発言に微妙な苦笑いを浮かべるコナリー4年生。そのまま私のチームのメンバーを見る。止めて。皆目を逸らさないで(ベアトだけ誇らしげだけど)!

 

 何とも興奮も、締まりもなく、戦略シミュレーション大会ベスト8を決める戦いはここに終わったのだった。

 

 

 

 

「さて、じゃあそろそろ一旦解散と行こうか?」

 

 チュンの言葉にチームメンバーの全員が同意する。2度立て続けのシミュレーション試合の後その足で学校内の一室を借り受け試合の事後評価を2時間程した後の事だ。

 

 当然ながらシミュレーションの勝敗は重要ではあるが、それ以上にその評価研究も無視出来ない。両チームは各々どのようにすれば勝敗が変化したのか、勝敗の決め手は何であったのか、両チームの指揮の特徴と今後の課題を語り合い、レポートとして学校側と相手チームに提出する事になる。学校側は学内の資料として記録を公開・研究し、今後の教育材料として将来の教官や学生が閲覧する事になり、相手チームは交換したレポートを基に客観的に自分達の課題を学ぶ事になる。

 

 尤も1日やそこらでそれが出来る訳も無い。まして皆既に疲れ切っているし、明日の試合の研究もある。一旦解散し休憩し、夜に改めて集まり最後のミーティングをする事になる。

 

「おうおう、賛成だ。もう駄目だ、脳みそがミルク粥になる」

 

 ぐてっ、と椅子でへたり込むスコット。戦闘部隊でも無いのに最前線で支援任務を指揮する羽目になったので疲れは人一倍だ。

 

「……寝る。誰か…夕食……起こして」

 

机に頭を乗せて昼寝を始めるデュドネイ。

 

「全く、どいつもこいつも体が弱すぎる。あの程度でへたるとはな」

 

 鼻を鳴らしながら次の試合に向けた相手チームの戦闘記録を携帯端末で閲覧するホラント。こいつ本当やばいな。

 

 今回の試合に勝利出来たのは、ホラントが半ば強行して現場に向かったためだ。艦隊の2割が脱落し、燃料は枯渇寸前であった。それでも間に合うのか怪しいものであった。ホラントが瞬時に相手の敷いた機雷原や足止め部隊の展開を正確に予測しなければ、勝敗は逆であっただろう。本当に紙一重の勝利であった。

 

「次はコープの奴のチームだろう?地味に相性が悪いなぁ」

 

 これまでシミュレーションの相手をさせられた経験から分かる。うちのチームと相性は宜しくない。

 

 コープは相手の艦隊を削るのが上手い。特に守勢や後退する戦力の迫撃がかなりの腕前だ。ほかのメンバーも全員席次40位以内の面子で固められている。ホラントは何度もコープに勝っているが、チームとして考えると明らかに彼方が上である。

 

「けどなぁ。そう根つめてやらんでいいと思うがね」

 

 元より優勝候補チームの一つであったので事前研究はそれこそ予選の時期から実施されている。いや、今の残っているチームの殆どが事前に勝ち抜きを予測されていた有力チームだ。どのチームも有望チームの研究は怠らない(自分達が勝ち抜けるカは置いておいて、であるが)。

 

 その点ではこちらに利点がある。私やホラントはコープの癖はある程度知っているし、逆に彼方はこっちの研究はさほど出来ていない筈だ。我々が勝ち抜くなんて予測していなかった筈だから。

 

 次席のホラントがいるとはいえ、正直残りはトップエリート層から見れば雑魚だ。せいぜいチュンとベアトが多少警戒される程度である。予選時の下馬評は運が良ければ本選の一回戦まで、であった。先ほどの試合も、学生達が裏でやっている賭けによればオッズ差は1.3対5.7だったらしい。何方が私達のチームかは言うまでも無い。不良騎士はそれなりに儲けた事だろう。

 

「チュン、昼食はまだだよな?ベーカリーにでも行くか?ベアト、ヴァーンシャッフェはどうする?」

 

同胞二人に尋ねる。

 

「いえ、失礼ながら私は戦斧術トーナメントの方に顔を出す必要が御座いますので。どうぞ御容赦頂きたい」

 

 深々とヴァーンシャッフェは非礼を詫びる。戦斧術においてシェーンコップと並び帝国系でトップクラスの成績を有する彼は、2年生の同胞達への指導に顔を出す必要があった。彼らのトーナメントもそろそろ佳境である。勝ち残った同胞に最後の稽古をつける必要があった。

 

「いや構わない、寧ろ良く指導してやってくれ。才気ある同胞は一人でも多く欲しい」

 

 謝罪する同胞に対して私はそう言って許可を出す。同じ門閥貴族の血を引いているとはいえ格式が違う。互いに口の聞き方に注意して応答しないといけない。

 

「私は……失礼ながらここに残らせて頂きます」

 

 少し躊躇した後に、恭しく、恐縮した態度でベアトは私への同行を断る。

 

「私も明日のシミュレーションに向けてもう少し分析作業をしておきたいものですので。誠に申し訳御座いません」

 

 深々と従士は頭を下げる。恐らく次のシミュレーションで私を勝利させるため、更にいえば嫌っているホラントやコープに対抗するためであろう。理由も無く私の提案を拒否する娘では無い。

 

「……いや、構わんよ。寧ろ良く働いてくれて有り難い。無理はするなよ?」

「はっ!」

 

私の気遣いの声に感激するようにベアトは敬礼する。

 

「コントか」

 

資料を見ながら小さくホラントが呟く。

 

「それじゃあ行くか、チュン」

 

 チュンに呼びかけ私は椅子から立ち上がる。そして……私は内心で笑っていた。

 

予想通り!予想通り!予想通り!

 

 くくく、ベアトが来ない事、私はそれを知っていた。彼女の性格ならばこの状況で同行しない事は予測していた。そして、それは私の数少ない人目を気にせずにいられる時間である。この時のためにずっと大人しくして油断を誘っていた甲斐があろうという物だ。よーし、FGO(Free planets force General Order)のガチャ課金と「ティアマト46」のコンサート見に行っちゃうぞ?

 

 さて、今は余りはしゃぐ訳にはいかない、ベアトに怪しまれる。まだだ、まだ笑うな。そうだ、30秒……部屋を出て30秒で勝ちを宣言しよう!くくくく………!

 

 そんな風に内心で自由を勝ち取った事に酔いながら、私はチュンと共に颯爽と部屋を出たのである。

 

 

 

 

 

「……あれ、バレてないと思っているのか?」

「……馬鹿…やっている時……分かり易い顔してる」

 

 机と椅子に項垂れたスコットとデュドネイが呆れ気味に呟く。真剣な時は兎も角、ふざけた事を考えている時に限って分かり易い顔をしている同僚である事を二人共良く知っている。

 

 そして見送ったベアトはそのまま表情を変えずに携帯端末を操作して通話を始める。

 

「……シェーンコップ帝国騎士ですね。依頼があります。……えぇ、若様の護衛を御願いします。はい、やり方はお任せします。但しレポートの提出は御願いします。報酬に2000ディナール、別途功績次第でボーナスをお付けします。……ああそうですね、後丁度最近人気らしい映画のチケット………確か「卿の名は」でしたか。ペアチケットがあるのでおまけにつけましょう。……ではよろしくお願いいたします」

 

 ピッ、と通話を切って淡々と作業を再開するベアト。その様子をちらりと見て呆れるように再び鼻で笑うホラント。そんな様子をぼっと見てスコットとデュドネイは思う。

 

 ……いや、伯爵さん。それ優秀な監視役に下請けしてるだけだから。

 

 そしてちらりとこちらを見た従士が二人の目の前に100ディナール札を置いたと同時に二人は全てを忘れる事に決めたのであった。

 

……何も知らぬは本人ばかりである。

 

 




「卿の名は」……フェザーンを舞台とした同盟移民と亡命貴族子女の時を越えたラブコメ映画の事


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第四十二話 世の中は思い通りにいかない事が多いもの

結構ガバガバな考察があります。場合によっては調整するかも


 宇宙暦780年代において自由惑星同盟を席巻する携帯端末型ゲームは三つ存在する。そしてその全てがフェザーンのゲーム会社の開発したものである。

 

 一つは歴史上の同盟軍宇宙艦艇を擬人化した(そして何故か女性化した)存在がギャラクティック・エンパイアと呼ばれる存在と戦う「レギュラーフリートこれくしょん」、二つ目が同盟軍広報部のプロデューサーとして後方アイドル達を育成し帝国やフェザーンのアイドルと凌ぎを削る「ミリタリーアイドルマスターズ」である。そして三つ目が「Free planets force General Order」通称FGOである。

 

 遠い未来、人類史改竄を目論む「インペリアル」の野望を阻止するために歴代自由惑星同盟軍を始めとした将官が(何故か女性化して)登場し、議長(プレイヤー)の指揮の元に戦うと言う内容だ(今プレイすれば黒旗軍十提督の内一人貰える!)。

 

 正直同盟軍から突っ込みが入っても可笑しくないが、そこはフェザーンである。同盟軍にも手を回し、軍の広報への寄与やゲーム制作への協力として同盟政府(と政治家に)多くの報奨金が入っている。尚、その金の元を辿れば同盟の廃課金勢である事は言うまでもない。おい、シャトルフ(ツンデレ黒髪クール娘)手に入らないんだけど?ちょっと課金してきて良い?

 

「はははっ!知ってたよ!課金ガチャの押しキャラ入手レートくらいな!畜生めっ!」

 

 私は高笑いすると手元にあったハムサンドをトレーに叩きつける。その騒ぎに士官学校内ベーカリーの他の客が何事かとじろじろ見る。店員が咳をして注意したのですいません、と頭下げてすごすごと椅子に座り直す。ヘタレだからね、仕方ないね。

 

「畜生、守銭奴のフェザーン人め……300ディナール賭けてこの様かよ……。ウォードもムンガイも何人もいらんわ!」

 

 糞、いつかフェザーン占領してやる。そしてガチャ課金の確率を変更する事を最初に布告してやる!

 

「そう怒らなくてもいいじゃないか。課金して玉砕するプレイヤーなんて珍しく無いだろうに」

 

 ほかほかのディニッシュを口にしながらチュンが語りかける。

 

「チュン、お前には分かるまい。門閥貴族がそうそうガチャなんて出来るかよ!」

 

 私は涙目で語る。良く同盟人はガチャで大金を課金する者を「門閥貴族プレイ」と称するがそれは違う。

 

 偉大なる開祖ルドルフ大帝は酒・煙草・麻薬・賭博・売春等を人類を堕落させる不健全な娯楽として大いに規制した。流石に根絶こそしなかったが、酒は身分毎に飲める銘柄や酒類が決められたし、煙草は全て国営企業の物で税金の塊と化している。麻薬は普通に関係者は死刑だし、賭博や売春も場所や身分・営業時間・金額等で厳しい規制を受けた。

 

 ガチャ課金は賭博行為の一環として禁止された。銀河連邦末期、ガチャ課金に依存した者や破産した者は数百万人に上っていた。ゲームのデータ上の変化に過ぎないものにより生活を持ち崩す事に大帝陛下は嘆き悲しみ、課金ガチャを一種の電子ドラッグとして非合法化為されたのである。

 

 ……というのは帝国の公式記録である。余り鵜呑みにするのは良くない。実際の所その理由は良く分かっていない。一説では若い日のルドルフが課金にハマり貯金を失ったがそのゲームのシステム上絶対に押しキャラが出ない仕組みであった事を恨んでいたという説、大帝の寵妃の一人エッツェル侯爵夫人が課金ゲームを退廃した悪き文化と嫌い進言したためとも言われるが、真相は今を持って不明である。知りたいならばローエングラム王朝が成立するまで待つしかないだろう。

 

「そんな文化の中で従士の目の前で私が課金なんか出来るかよ……!」

 

間違いなく止められる。

 

「折角監視の目が無いんだ。私、羽目を外しちゃうぞ!?この後ティアマト46のコンサートいくぞ。チュン、お前も来るよな!?」

 

 長征派の押すティアマト46のコンサートなんて家臣が見ている前で行けるか!!

 

「内容がショボい……と言ったら駄目なんだろうねぇ」

 

 苦笑するように同情するチュン。私と付き合って彼なりに帝国人の価値観を理解しての発言だ。

 

 帝国人は誇りと面子を大事にする。余り賎しい行動を取るわけにはいかないし、まして大っぴらに大帝陛下の遺訓を無視する事なぞ不可能だ。知るか!俺は俺の道を行く?馬鹿野郎め、一番迷惑するのは一族や周囲の家臣じゃ!

 

 正直帝国貴族社会はかなり空気嫁……じゃない空気読め、な世界だ。単純に宮廷抗争のための粗探しという面もあるが、伝統の遵守が何よりも尊ばれる。帝国貴族は人類を支え導く者として、大帝陛下の御取り決め為されたきめ細やかな儀礼制度に沿った行動を求められる。大帝陛下の遺訓を軽視したり、異様な事をしようとすると気味悪がられる。ある程度なら変人扱いで目こぼしされるが、度を過ぎればガチ目に避けられる。

 

 こんな事言えば、外面なんか気にするな?そんな下らんものよりも質実剛健にガンガン改革しに行こうぜ?……なんて内政チート考える奴もいるだろう。馬鹿野郎、門閥貴族に求められるのは指導者・統治者としての権威であって、行政能力なんか求められてないんだよ。

 

 そもそも貴族領の大半は、特に惑星単位以上を有する伯爵以上の大貴族領はその中で需要と供給の殆どが自己完結している。男爵・子爵位となると流石に衛星一つだとか惑星の大陸やらその一部程度が領地のため自己完結出来ないが、大概その場合は周囲の顔たる大貴族を中心に中小貴族による緩やかな共同体が形成されている。

 

 元々、貴族に領地を統治させる理由は銀河連邦時代の経済的混乱、更に言えば連邦成立以前の戦乱の時代に端を発する。

 

 銀河連邦末期の経済の混乱は連邦成立の時点で約束されていた。シリウス戦役とタウンゼントの暗殺の結果1世紀に渡り混乱した天の川銀河を銀河連邦は統一した。だがそれは連邦体制としてだ。相争った各勢力は以前にも触れたがその影響力を維持し宇宙海賊を使い暗闘を繰り広げていたし、各々で勝手に植民星を開発していった。これら宗主星系と植民星の経済的な従属関係は資本主義体制を取る以上完全に拭い去る事は出来なかったし、旧勢力間の経済統合もまた容易では無かった。

 

 それでも賢明なる銀河連邦中央政府は段階的に星間連合国家の政治的・経済的統一を推し進めていった。人類社会全体を覆った経済発展がそれを後押しした。まぁ景気が良ければイデオロギーやら国家意識を然程気にしないのは何時の時代も同じだ。

 

 宇宙暦260年代に入ると、長らく続いてきた連邦内の宗主星と植民星の格差拡大、旧勢力の自治権による領域内での非効率的な経済体制・議会対立による政治の停滞によりその高度成長は終わりを告げた。特に領域内での通貨統一が徒となった。拡大する諸惑星間の経済格差に未だに強い地方自治権、議会の混乱による事実上の麻痺状態……まぁ21世紀のEUを思い浮かべてくれたらいい。

 

 効果的な経済政策が不可能になった以上、中央政府に可能なのは緊縮政策しかなかった。無論それは悪手である事は中央政府自体理解していた。だが議会が麻痺状態になり、税収も激減、国債の発行する手続きすら出来ない以上他の選択が不可能だったのだ。

 

 予算の削減による治安維持を担う軍と警察の弱体化は航路の治安悪化を招いた。科学技術への投資が削減されれば当然技術的停滞を招いた。公共事業も出来ないので失業者は増加したし、惑星開発は資金が無いので放棄された。社会保障費の削減により路地裏には社会的弱者が溢れかえった(実は劣悪遺伝子排除法の基になった法律がルドルフの政界進出以前に発布されたのは秘密だよ?)。そしてその責任を政治家や各政党は互いに押し付け合ったきりで、率先して行動する事は無かった。正直かなり詰んでいる。

 

 ルドルフが台頭する以前にもこの危機に対して幾度か連邦体制の抜本的改革を行うべきという意見はあったが全てが途中で頓挫した。民主主義体制の中で2世紀半、いやそれ以前から根強く続く体制を変えるのは、それも長期に渡る大不況や治安の対策を行いながら進めるのは不可能であった。

 

 まぁそりゃあ、「強力な政府を!強力な指導者を!社会に秩序と活力を!」とも言いたくなりますわ。

 

 ルドルフの下に銀河連邦の政治体制は改革された。彼は連邦……いや、帝国を統治を行う上で皇帝直轄領と貴族領(正確にはさらに幾つか区分があるが)に分割した。これらはシリウス戦役以降の「銀河統一戦争」期旧勢力圏、あるいは星系経済力、地理、治安事情事により区分された。

 

 ルドルフは巨大で多種多様な事情のある連邦領域を中央で一元的に統治するのは、たとえどれだけ中央集権体制を敷いたとしても不可能である事を認識していた。しかも辺境になるとわりかし世紀末モヒカン状態である。あかん……。

 

 大帝陛下は比較的安定している帝国中央領域や航路上の重要拠点を皇帝直轄領(全領域の半分程度だ)とした。そして残りの辺境や低開発領域を門閥貴族に下賜して統治させた。

 

 彼らに求められたのは、圧倒的権威と覇気で混乱する人民を慰撫し、その軍事力で跋扈する宇宙海賊や軍閥、犯罪組織を討伐し、中央に頼らずに各領地が自給自足体制を確立する事(経済格差による貿易摩擦や搾取の回避のため)だ。

 

 古代チャイナの郡国制に近いと思ったら良いだろう。尤も、こちらは妥協では無くて大帝陛下が信頼する貴族達に命令して実施された事であるが。少なくとも初期の門閥貴族は好きで世紀末世界の領主になった訳ではない。中には下手に実力があるせいで無理矢理貴族にされ、辺境でモヒカン討伐しながら領主の仕事をさせられた者もいる。可哀そうに、元警察官僚たる初代ブラウンシュヴァイク家当主は生粋のテオリアっ子だったのに、リアルマッドマックスな辺境の平定と開発に胃に穴開けながら30年も従事した。何度怒りのデスロードに巻き込まれた事か。

 

 銀河帝国が中央集権的な体制でありながら、門閥貴族の領地に広範な自治権と軍事力がある理由だ。辺境の維持には金がかかるし、連邦時代に中央から派遣された官僚は中央に戻るまで不正蓄財に邁進していた。中央経済に関わらせたら住民が流れるし、大企業群の搾取が始まる。それらを阻止する事が貴族領の始まりだ。

 

 同時に、公的な官職を持たない限り門閥貴族は収入を領地からの税収で手に入れるしかない。家臣団や私兵軍を養うのもそこからである。となると中央から派遣される行政官と違い、自身で領地を開発・発展させねばならない。帝政に移行後、北斗神拳伝承者が放浪してそうな無法地帯状態の連邦辺境は門閥貴族とその家臣団の手で曲がりなりにも安定化した(尚、時代が進むと地元領主が搾取するようになるのは言ってはいけない)。

 

 当然だが、経済的には貿易産業や金融産業の市場が大幅に縮小した。流石に完全にそれらを絶っている訳では無いが、それでも連邦時代に比べれば激減した。本来ならば市場縮小の影響で経済的に大打撃の筈であるが、浮いた辺境維持コストや治安コスト、公共事業(ルドルフ像とか新無憂宮とかドイツ風都市とか)の拡大で相殺して見せた。元より治安悪化により辺境での商売は儲かりにくくなっていた。帝国中央と辺境を経済的に切り離してもダメージは最小限で済んだ。

 

 帝国の数字上の国力が同盟と均衡している理由でもある。帝国は250億の人口(と数字に出ていない奴隷階級等も数多く存在する)がありながら、人口130億の同盟との国力比率は5:4とされる。同盟の一部市民はこの数字を元に帝国を過小評価する者も多い。

 

 だが勘違いして欲しくないが、それは帝国領の多くで貿易や金融業が衰退(正確には投機行為の規制や預金準備率の引き上げ等政府の統制が厳しいため)したためだ。同盟経済は資本主義体制の信用創造により額面上の国力は高い。だが多くは有価証券や電子マネー等の概念的な物だ。重厚長大・物質的・実質的な面のみに目を向ければ、同盟より帝国が遥かに強大だ。軍事面に限っても、帝国は正規艦隊18個艦隊に辺境警備部隊・貴族私兵等50万隻を超える艦艇を有するが財政的には同盟よりもかなり余裕がある。なんせダゴン・ティアマト(そして原作には言及が無いがそれ以外でも数回の会戦)で宇宙艦隊が壊滅しても、すぐ軍事的優勢を回復させる程の工業力・生産力を有しているのだ。まるで不死鳥だ。アムリッツァで一撃死した同盟とはえらい違いである。

 

 帝国の宮廷は腐敗しているが、逆に言えばそれだけ腐敗していても同盟に対して互角以上の立場で1世紀半も戦争が出来る。開祖ルドルフの国家体制の整備がいかに優れていたか分かろうものだ。大帝は腐敗しても尚それだけの底力のある国家を生み出して見せた。

 

 少し脇道に逸れ過ぎた。まぁ、そんな訳で貴族領は外部からの干渉や投資が少なく、自給自足が基本のため改革する意味はあまり無い(改革しても人も金も領地を越えて動かせんので急成長出来ん)。基礎的な政治・経済感覚(と言っても十分な才覚がいるが)とそこそこ優秀な家臣団がいれば大体慣例に従い安定的に、少なくとも余程のへまをしなければ飢える事無く庶民は暮らしていける。

 

 そうなると門閥貴族に求められるのは、ずば抜けた才覚よりも貴族としての威風である。平民共は目を離すとすぐに近視眼的に物事を進める。先々の事なぞ考えず、刹那的にやれ改革だ、やれ権利だと騒ぎ立てる。貴族は長期的視野に立ちながら社会を安定させ、平民を御するために時に圧政者として鞭を打ち、時に慈悲深く飴を与えて身勝手で欲望のままに動くような事をしないように指導してやれねばならない。

 

 貴族に必要なのは権威だ。平民共が勝手に何かしようと思わせないように畏れられ、敬われ、崇められなければならない。

 

 そのために、平民共とは違うという証がいる。伝統に沿った、偉大なる大帝陛下の遺訓に沿った誇りと気品のある生活をし、平民共とは違う言葉遣いをし、平民共とは違う優美な所作を学ぶ必要があるのだ。愚民共に「自分達とは違う世界の存在」と、「自分達よりも上位の存在である」である事を知らしめ、見せつける。逆らう事に恐怖を抱かせる事が必要なのだ。愚民の良識や支持なぞ信用しない。奴らは幾ら群がろうとも馬鹿である事、風見鶏の如くコロコロと考えを変える事は、連邦末期の救いがたき歴史が証明しているのだ。

 

 なので内政チートはあまり意味無いし、あからさまに旧連邦時代末期の煽動政治家共のように人気取りをしたり、誇り高き貴族らしからぬ行動をする事は、大帝陛下から課せられた「人類の指導者」という重く名誉ある義務の放棄にほかならない。そんな恥知らずと関わりたい奴はいない。そしてその影響は本人だけでなくその家族や家臣にも向く訳だ。帝国は血縁の社会だ。おい、家族や家臣の嫁取りや輿入れを邪魔する気か?

 

 そう考えると、マリーンドルフ伯爵家とか割と深刻に娘の性格に困っていたんじゃなかろうか?当主も地味に苦労していたと思う。逆にそのおかげで他所の家との関わりが薄く、ローエングラム侯につく足枷が無かったのかも知れん。宗家のカストロプ公爵家も反乱鎮圧の後はグダグダしていて求心力は無かっただろう。伯爵家としては他の家に比べ行動の自由度は高かった筈だ。

 

「そんな訳で、ガチ目で外面ばかり気にしないといけないの!分かる!?食事一つ、読み物一つすら気にしないといけないのよ!何で貴族なのに共和主義者並みに監視されてんの!?」

 

 チュンに対して長々と帝国事情を交えながら愚痴る。あれ、ここは居酒屋かな?

 

「ははは、居酒屋の店長も悪く無いけど私としては退役後はベーカリーでも開きたいねぇ」

「前から思うけど何でそんなにパンに執着するのかね?」

 

 本人が言うには故郷ではパンが殆ど無かったからという事だが……。基本アジア系の米食ばかりでパン食に憧れていたらしい。明治時代かな?

 

「はぁ……流石にこれ以上は課金出来んなぁ」

 

引き際は弁えないとなるまい。後ろ髪を引かれながらも更なる課金の沼の誘惑を振り払う。

 

「その点先生はヤバいな。あれが無課金とかマジかよ」

 

 ネットで攻略動画を上げたり、専門攻略サイトを運営する同盟宇宙軍退役大将と噂の「メイプルヒルなAL」氏は、課金無しで毎回イベント最速クリアしている化物だ。レアキャラな730年マフィアを全員揃えレベルカンスト、勲章付きだ。

 

『おら、議長諸君!今期の秋イベはティアマトだぞ!総員艦艇と地上軍の貯蓄は十分か!?課金は惰弱だぞ!愛があるなら無課金で乗り越えて見せろ!マジアッシュビーたんprpr!』

 

 同盟最大の無料動画サイト「アライアンスチューブ」に「メイプルヒルなAL」氏の昨日投下した動画が流れる。地球統一政府最後の首相を主人公にしたフェザーン映画の吹き出しだけが差し替えられている。

 

『ハイセンセイ!』『無課金でこの貯蓄とか嘘だろww』『ネ申降臨w』『悪いな、俺トパロウルちゃんが好みなんだ』『←塩教徒だ、殺せ!』

 

 視聴者の投稿したメッセージが流れる。皆ノリ良いなぁ。あ、アッシュビー元帥(赤毛高飛車お嬢様)よりもバルトバッフェル中将(金髪蠱惑系御姉様)の方が好みです。

 

「そう言えば君の御先祖様も実装されているね」

「まさか高祖父様も栗毛泣き虫系幼女にされるなんて思って無かっただろうな……」

 

 苦笑いして私は答える。現実の第23代第6艦隊司令長官は強面カイゼル髭の爺さんだぞ……。

 

「実装直前に亡命政府から指し止めされて話題になったな。細かい所まで検証されたそうだ」

 

 帝国系将官実装の際は毎回トラブルが起きる。時として脅迫すらある程だ。気にせずガンガン実装していくフェザーン企業の商魂魂は見上げたものだ。なんだかんだ言って最後は許可を受けるのは凄い。どんな手段使っているんだ?

 

「さて、そろそろ食い終わるぞチュン。ティアマト46の会場もうすぐ始まるし」

 

流石に変装していかんと行けないだろうが。

 

「え、やだ。りーぜちゃんのところいく」

「おう、何で貴様ここにいる」

 

 極自然に、当然のように席に座り要求を口にするフロイライングリーンヒルに私は淡々と突っ込みを入れた。

 

 

 

 

 

「あのねー、きょうはパパといっしょにきたのー」

 

おう、そうか。御母上は体悪いからな。

 

「それでね、パパが大人のひととなにかむずかしい仕事のはなししていたの」

 

 さいですか。まぁ御父上も将官だからね。色々仕事の話もあるだろうよ。

 

「パパが少しまっていなさいってお金くれたの」

 

 ポケットの小銭を見せる。うん、そこら辺の屋台で好きなもの食べてよいって意味だね。

 

「ベビーカステラもいいし、わたがしも好きなんだけどね。なにをたべようかすっごくまよったの」

 

 うん、限られた金でどう祭を楽しむか悩むのも一種の醍醐味だよね?

 

「するとね。スターフリーくんがね。風船くばってたの」

 

 うん、同盟軍公式マスコットキャラクタースターフリーくんは可愛いよね?

 

「うん、スターフリーくんに風船もらってね、そのあとついていってあそんでもらったの」

 

 スターフリー君(の中の人)大変だったろうね。お前さんにじゃれつかれて。

 

「でね。パパに待つよういわれたことおもいだしてね。もどろうとしたの」

 

 うん、そうだね。お父さんの言う事はちゃんと聞かないとね?

 

「それでね。ここ、どこ?」

「…………迷子か?」

 

私は張り付けた笑顔で尋ねる。

 

「ちがうもん。パパがどこかいっただけだもん」

「いや、移動したのお前さんだから」

「……パ、パパが迷子だからさがしてあげているだけだよ」

「おーい、目が泳いでるぞ~」

 

少し涙目なのは指摘しない。

 

「わ、わたしが迷子なわけないもん………よりによってし、しゅくじょのわたしが迷子なんて……」

「あ、パパだ!」

「ほんとっ!」

「嘘」

「おにいちゃんしね!」

 

 私の悪ふざけに勢いよく反応したフロイラインはすぐに顔を赤くして手元のパンを投げつける。おい、止めろ。それ私の買った奴じゃ。

 

「う~、パパどこぅ…おこらないからはやくきてよぅ……」

 

 ぐてっ、とテーブルに項垂れる幼女。いや、お前が怒られる立場だからな?

 

 電話で呼び出そうにも番号知らないしなぁ。ロボス少将にかけて間接的に連絡する。暫くすれば流石にやってくることだろう。

 

「まぁ、気長に待つ事だな。何事も焦らずにゆっくり行こうや?」

 

トレーを押してフロイラインの方にやる。

 

「……たべていい?」

「食いたそうにじろじろ見ているからだろうが」

 

明らかにお腹減っているのが分かる。

 

「……いただきます」

 

 少しの間プライドとの間で葛藤したが、最終的に食欲の前に敗れ去る。一旦決めれば行動は早い。言うが早いか両手ではふはふとパンを食べ始めるグリーンヒル嬢である。子供らしくがつがつと食べていく。多分こいつが軍人になるの決めた時も、こんな風に思い立ったら行動だったに違いない。正確にはこれからのこと、であるが……。

 

「んっ……!」

「おいおい、喉詰まらせるな。私に管理責任負わす気か」

 

 勢い良く食べたせいで咳込んだ幼女にアイスティーをやる。言っておくが、まだ手を出していないので中学生のように間接キスなんて騒ぎ立てるな(というかグリーンヒル父に筋肉バスターかけられたくない)。

 

「けほけほ……しぬかとおもった」

「良い食べっぷりだねぇ。これも食べるかい?」

 

 チュンが新たに購入したポテトサンドと玉子サンドを乗せたトレーを差し出す。

 

「いいの?」

「いいさいいさ。美味しそうに食べているところを見るとこちらも嬉しいしねぇ」

 

 チュンが言うには弟や妹を彷彿させるらしい。七人兄弟の長男のため下の弟妹が我先に飯を食べる姿をよく見ておりそれを思い出すのだそうだ。

 

「ありがとう!」

 

 にっこり目を輝かせてそう答えるグリーンヒル嬢。おい、私の時と態度違うぞ?

 

「餌付けかよ」

「なにかしつれいなこといった?」

「いんや」

 

 結婚式の時を戦々恐々して待っているが良い。貴様の食べっぷりは懇切丁寧に魔術師に伝えてやる。

 

「うわ、すっごい性格わるそうな顔してる。ぜったいこの人いやしい事かんがえてるよ!」

「誰が卑しい奴じゃ」

「こころがけがれているような人あいてに、おかしなんかじゃついていかないよ?」

「もうついていってるもんな!?」

 

 子供相手に低次元の争いを続ける私である。あれかな?私の精神年齢は十歳児並みなのかな?

 

 そんな馬鹿な事を考えているとようやく携帯端末が鳴り響く。出てみると相手は目の前の餓鬼のお父様である。

 

私は准将に懇切丁寧に事態を伝え、小娘に変わる。

 

 尚、彼女は父親を許すどころか軽くではあるが携帯端末越しに叱られた。ザマァwww。

 

「だっ……だってぇ……」

『だってじゃありません。お父さんとの約束はちゃんと守るように教えた筈だよ』

「ううう……ごめんなさい」

 

ショボくれながら項垂れるように謝る幼女。

 

『お父さんに迷惑かけるのは構わないが、フレデリカに何かあったらお母さんが悲しむんだからね?』

「……うん」

『分かってくれたら良いんだよ。フレデリカは賢い娘だからね。面倒見てくれているヴォルター君達にも謝りなさい』

「うー、わ…わかった」

 

 少し葛藤しつつも父親の言葉に従い謝罪の言葉を口にする。チュンは兎も角私への謝罪が不本意そうなんだけど?私そんなに子供に舐められる性格なの?

 

『ヴォルター君、娘が御迷惑おかけしたね。チュン君も、本当に申し訳ない』

 

 グリーンヒル嬢から返された携帯端末越しに改めて准将は謝罪する。

 

「いえ、構いません。グリーンヒル閣下も事情がおありでしょう。お気になさらないで下さい」

 

 原作でも苦労してそうな顔だったしなぁ。余り責めるわけにもいかない。頭の前線が後退するかも知れん。

 

『それで……少し言いにくいのだが』

 

口ごもる准将。うん?何か嫌な予感がする。

 

『統合作戦本部長のホプキンス大将に絡まれてね。少し……いや、かなり時間を食いそうなんだ。悪いが少し預かってくれないかい?……ほら昨日みたいにコンサート見せればずっと見てるから』

「いや、私これからティアマト46のコンサート見に行きたいんですが……」

『そこをどうか頼むよ。借りは必ず返すから。「グリーンヒル君、どうしたのかね?」いえ、何でもございません。すまない。もうこれ以上電話できない。本当に済まない』

 

 見捨てるように沈痛な声で、だが早口で言い切ると一方的に通話をプッツンされた。おいコラ待て逃げんな。

 

「………」

 

携帯端末を収納して糞餓鬼を見やる。

 

「……コンサートいこっか?」

 

さっきまで半泣きだったお嬢ちゃんは勝ち誇ったかのようなどや顔で言い放った。

 

「……後でパンの代金請求してやる」

 

引き攣った表情で私は返答した。

 

畜生、折角の自由時間が………。

 

 

 




大帝陛下「余の選びし門閥貴族達ならば必ずや世紀末覇者としてモヒカンが暴れる領地に君臨し、経済も治安も(自分の財布で)立て直すに違いない!」
初代門閥貴族一同「はは、ワロス」


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第四十三話 ツンデレと暴力ヒロインは違うと思うんだ

 子供は、ぱくぱくと口を開き、その白く柔らかい頬を赤く紅潮させていた。

 

「はわゎゎぁぁ!はわわわゎゎぁぁ!!??」

 

 コンサート会場の裏手で奇妙な奇声を上げ興奮する幼女を、私は少し離れた場所から半分呆れ気味に見る。

 

「さ、ささサインくださいっ!」

 

 顔を強張らせながらも、喜びを抑えきれない音調でフロイラインは色紙を差し出す。

 

 その姿に少し驚きつつも、すぐにファンへの営業向けの笑顔を浮かべて少女は了承する。

 

「ふふ、『フェンリルちゃんだよ~、お月様を飲み込んじゃうFreundなんだよぅ~』」

「フェンリルちゃんっ……!!」

 

 目の前の女性が悪戯っぽい口調で人気深夜アニメ「べすてぃー・ふろいんと」の人気キャラの声を出すと悲鳴に近い声で叫ぶグリーンヒル嬢。すげぇ興奮具合だ。

 

「そうねぇ……後は『デュエル・サジタリウス・ウェーブ!光の使者フリーホワイト!オリオン・ライヒの手先共!とっととお家にお帰りなさい!』」

「フリーホワイトちゃん……!」

 

 今度は休日の朝にやっている少女アニメ「二人はフリーキュア!」の台詞だ。サービス精神旺盛だなぁ。

 

「確かお名前は……フレデリカちゃんね。いつも応援してくれてありがとう!とっても嬉しいわ」

 

 くすくすと笑いながらも、低いソプラノ調の声で歌うように同盟公用語で感謝を伝える広報アイドル。先程までコンサート会場で同盟軍や亡命軍関連の軍歌や戦時歌謡曲(「門出の同盟兵士」や「パンツァーグレナディアーズ」だ)を歌っていた事もあり、白基調の軍礼服の出で立ちである。作りから見て広報部から提供されたと思われる。

 

 既に戦争は150年も続いているのだ。兵士を確保するため悪戦苦闘する同盟軍広報部は戦闘部隊からは「芸能事務所」と嘲られるが、その実極めて重要な立場にあった。政府ご用達の作詞家や作曲家は戦争賛美の作品を作り、アイドルや歌手は士気高揚の歌を歌う。画家は戦争画を描き、映画監督は同盟軍の援助と監修の下でプロパガンダ映画を撮り、俳優はそんな映画の勇ましい愛国軍人の主役を張る。テレビの番組を間を縫って人気芸人が豪華出演する電子広告やCMが垂れ流される。今回のコンサートも亡命政府の協力の下、何度もネットやテレビで再放送される事だろう。イゼルローン要塞が建設されて以来国防委員会は幾度となく「今こそ国防の正念場」と語り、一人でも優秀な兵士を欲していた。

 

 まぁ、政府の深刻な懸念を他所に、劣勢な戦局の前に職業軍人の人気は低下しているが。悲しい事に優勢な時に競争倍率が上がり、劣勢になると下がるのは第2次ティアマト会戦以降定着した傾向である。誰も戦死の貧乏籤を引きたく無いからね、仕方ないね。

 

「はぁ……畜生、向こうのコンサート終わっちまったなぁ」

 

 小さく溜息をつきながら嘆息する。派閥として互いに謎の対抗意識があるので、毎度毎度コンサート時間が同時なために片方にいけばもう片方には絶対にいけない。まして御守りをしていれば抜け出す訳にもいかない。

 

「……まぁ仕方あるまい。これも先行投資だ」

 

 余り気の進むものでは無いが今後のコネクション作りのため、と割り切る。グリーンヒル准将に対してもそうだが、特に未来の副官殿に子供の内に恩を押し売りしてやる事にする。いざと言う時の魔術師とのパイプとして重要だ。あれも一種の魅力ではあるのだろうが、非常勤参謀殿は人見知りと好き嫌いが激しい面がある。私なぞ遭遇と共にリターンされかねない。少しでも聞く耳持ってくれる共通の人物が間に立ってくれないと困る。

 

 その点ではグリーンヒル嬢は絶好のポジションだ。魔術師死後もイゼルローンに居候してもギリギリ許してくれるだろう(結婚式を根に持たなければ)。イゼルローンを出て行った途端に草刈は嫌だ。どさくさに紛れて殺られそうだし。

 

 我ながら薄汚れた思考だな、と思わなくもない。頭の回らない子供に恩を着せまくって保身を図るのだから。とは言っても高潔に野垂れ死にはしたくないし、そんな覚悟も無いのだから仕方あるまい。文句があるならいずれヴァルハラででも聞こう。

 

「チュン、お前さんはどうする?サイン貰っておくか?特注ものも書いてくれるぞ?ネットオークションに出したら小銭稼ぎくらいにはなるが?」

 

冗談半分に隣でツナサンドを啄む友人に聞く。

 

「う~ん、妹達が喜ぶだろうけど……どうしようかなぁ。彼女、余り僕らを好んで無いだろう?」

「ん?やっぱりそう思うか?」

 

 貴族として相手の意図や考えを察知する鑑識眼のある私は兎も角チュンもか。まぁ、情報分析能力が高いからその応用と言った所か。

 

「少し軍人は苦手そうだからねぇ」

 

 一般人ファンとの握手やサインは悠々とこなしていたが軍服や士官学校制服を着たファンへの態度が少しだけぎこちなかった。

 

「軍属として前線での仕事も多いから慣れている筈なんだけどなぁ」

 

 確か70回以上前線基地や艦隊で巡業コンサートをしているから、怖がるというのは少し不自然ではある。

 

「どの道グリーンヒルちゃんが今夢中で話しているから後にしてあげた方が良いだろうねぇ」

「すまんな、チュン。付き合わせて」

 

 私のせいで面倒事に巻きこまれたのだ。不満があるのは仕方あるまい。

 

「ん?いやぁ、別に一人でいても然程やる事は無いからねぇ。それにパンは一人で食べるより大勢で食べた方が美味しいからね」

 

 そういって茶色い紙袋からレーズンロールを取り出して差し出してくる。それを特に気にする事無く受け取っている私は結構毒されているかも知れない。

 

 グリーンヒル嬢が見えるベンチに座りパンを啄みながら、私達は明日のシミュレーションの話に移る。

 

「はぁ、もう夕方だな。帰ったらそのまま最終打ち合わせか。チュン、正直勝てるか?」

「………冷え切ったバケットを食べ切るくらいには難しいだろうねぇ」

 

 苦笑いを浮かべながらチュンは答える。直訳すれば極めて困難、だ。

 

 次の相手チームの代表であるコープは、シミュレーションの成績だけでいえば祖父であるジョン・ドリンカー・コープに勝るとも劣らない実力者だ。守勢や後退する相手の迫撃を指揮させれば同期で右に出る者はいない。無論それだけしか能が無い訳でも無く、全般的なバランスも良い。強いて言えば一度機先を制されるとなかなか戦闘の主導権を奪い返すのが苦手である事が上げられるが、そもそも奴から主導権を握り続けられる人物なぞ十名もいない。

 

 そしてこちらのチームで可能な者はホラントくらいのものだ。チュンやベアトですら彼方さんの動きに対処するのがやっとだ。

 

「コープにホラントをぶつける……と言っても残りも大概だからなぁ」

 

 全員が学年席次40位以内というふざけた仕様だ。どいつもこいつも油断ならない。特にチーム内席次最高の第2分艦隊を率いる席次15位戦略研究科ミハイル・スミルノフ四年生、コープの懐刀第5分艦隊率いる席次31位メリエル・マカドゥー四年生は正直御相手したくない。

 

「どのメンバーも他のチームならば代表についていてもおかしくない席次だからね。それを集めて見せたコープ君も大概だけど」

「最初、ホラント引き抜きしようとしてたしな」

 

 チームの代表自体は席次に縛られないために、次席のホラントを引き抜きしようとする事自体はおかしくない。というかガチ目であいつ人気だった。まぁ首席のヤングブラッドが戦闘よりも後方支援の方が得意(といっても戦闘方面も平然と十位以内に入るが)な事もあり、純粋な戦闘指揮官としてはホラントの方が上では無いかと言われていた。そら引き抜こうとする奴もいる。あいつ友人少ないし、チーム組めないと知っていて勧誘されまくっていた。何か最後色々あってうちに来たけど。

 

 そんな訳で一瞬うちのチームが話題になったが、実情が知れると小馬鹿にされた。まぁホラント以外基本雑魚(トップ層比)だからなぁ。ホラント一人強くても、残りが明らかに足を引っ張るのが目に見える。しかも何かと変な意味で話題の上がる奇人変人の集まりだ。代表にいたっては800位台の貴族のボンボン息子となれば一気に警戒心は薄まる訳だ。実際、ここまで勝ち上がってこられたのは8割くらいホラントのおかげである。

 

「本選で1回勝ったらしめたものと思ったんだけどなぁ。糞、自分のチームに賭けとけば良かった」

 

 学生間での秘密の勝ち抜き予想ギャンブルのオッズはなかなかのものだったと聞く。どこぞの不良騎士が慇懃無礼にパルメレント観光旅行2名分の資金が集まったと報告してきやがった。取り敢えずリア充は爆発しろ。

 

「勝てないから諦める……と言う訳にはいかないからね。一応幾つか考えはあるけど」

 

 現実の戦いでは、絶望的な戦いであろうともすぐ降伏と言う訳にも、諦めてバンザイ突撃する訳にもいかない。どんな状況でも出来得る限り健闘して見せないといけない。明らかに投げやりに指揮をすると校長の拳骨が飛び、見学している将官達に悪い意味で目を付けられる。シミュレーションでは兎も角、現実の兵士を率いてそんな事をされたら溜まったものでは無い。

 

「マジで頼りにしているからな?頭の回転がドン亀な私の代わりに頼むぞ?」

 

 正直何で私が代表か分からない時がある位、チュンやベアトには頼りっぱなしだ。

 

「そんなに頼られたら私としては無碍には出来ないね。まぁ賄賂替わりのシュトレーヘン分の仕事はするさ」

 

 冗談半分にそう語りながら笑うチュン。こいつをチームに入れるのに笑顔で高級シュトレーヘンを送り付けた。まぁ別に送り付けんでも来ただろうけど。

 

「きたたたたぁぁぁ!!!」

 

 叫び声をあげるフロイライン。目を移せばアニメキャラの絵入りのサインを貰って凄くはしゃいでいる。くくく、いいネタがまた一つ手に入ったぜ。

 

 こちらに来てサインを見せてくるグリーンヒル嬢に対応しながら、私は内心で意地悪な笑みを浮かべる。チュンは妹用にリーゼロッテ氏にサインを所望しにいった。少し警戒気味ではあるが、のほほんとした表情に毒気が抜かれるのかそれなりに談笑を演じる。

 

「むっ!おにいちゃん!わたしの話きいてる!?」

 

 私の意識が逸れたのに気付いてむっと不満そうにするお嬢ちゃんである。全く勘の良い子供である。

 

「うへへへ……すごくきれいな声だったなぁ。わたしもあんなふうに歌いたいなぁ」

 

 御機嫌そうに顔を綻ばせる幼女。これがあの共和政府の代表になるのか、と考えると世の中分からないものだ。

 

「ん?なにかんがえてるの?」

「いや、遥かな未来に思いを馳せていたんだよ」

「ごめん、べつにかっこよく無いよ?」

「しばくぞ」

 

 格好つけてださぁい、と宣う幼女相手に私は取り敢えず同じ目線に立ってなじったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔するぞ」

「おう」

 

私は自室の扉を開けて入り込むホラントに短くそう答えた。

 

 グリーンヒルの小娘の御守りをしたその日の夜、学生寮の私の部屋で明日のシミュレーションの最後の会議を代表たる私の部屋で行う手筈であった。ホラントは大量の資料を片手に予定時間の30分も前に入り込む。それ自体は慣れたものだ。勝負事のためには全力で挑む性格である事は幼年学校時代から知っている。

 

 そういう私はベッドの上でだらけきっていた。私なりに分析するがまぁ、勝てませんわ。半分神頼みである。

 

「全く呆れたものだ。貴様は手下がいないと何も出来んのか?」

「客観的事実過ぎてぐうの音もでねぇのが悲しいな」

 

 幼年学校でも士官学校でもベアトの世話になりっぱなしだからなぁ。個室の四年生は兎も角、三年生までナチュラルに同室なのはちょっと駄目だと思うんだ。決まっては無いけど基本女子は女子同士の筈なんだ。朝起こされて服着せに来て、家事洗濯まで当然のようにするのは駄目だと思うんだ。挙句四年になってもナチュラルに世話しにいくのは駄目だよね?

 

 流石に全て自分でも出来るが、寮内での渾名の一つが「紐男」なのはくるものがある。まぁ他の渾名が「マダオ様」やら「ダメンズ伯爵」とかだけど。リューネブルク伯爵のように実力と威厳があれば同じように従士付きでも違うのだろうが、御世辞にも私はそこまで高潔な精神も無ければ優秀と言う訳でも無い。下駄に下駄を履いてひぃひぃ言いながらである。やっぱ原作組はすげぇよ。ワイドボーン君ですら一年生の癖に私より威厳がある。

 

「いやぁ自立しないといけないのはそうなんだけどな?」

 

 帝国的価値観では門閥貴族はあらゆる俗物共の柵から自由であり、愚鈍な大衆に追従する事無く自主的に己が道を突き進む。自身を卑下せず媚びず高い自尊心を持ち、あらゆる低俗な欲望に惑わされず自律心を有する者である(尚、貴族や宮廷の序列や因習はセーフの模様)。

 

 同時に、それ故に門閥貴族が崇高な目的たる人類社会の主導に関係の無い下々の些事に煩わされるのは貴重な時間の浪費である。そのようなものは下級貴族や平民共にやらせればよいのだ。何故望遠鏡が顕微鏡の機能を兼ね備えていないといけないのか?

 

 よって、自主的に些事(家事とか)をしようとするとガチ目に止められる。貴族が庶民感覚とか庶民の苦労なんてフレーズを言っても喜ばれない。家臣や使用人からすれば、本来その仕事をすべき者が無能だからいらない(自分でやった方がマシ)と言われるようなものである。同時に、領民が見れば下々の者がやるべき事を貴族がやるというのは自身が貴族に相応しくない愚か者であると公言するに等しい。称賛される前に軽蔑されると言う、同盟人から見れば斜め上すぎる解釈がなされる。

 

 もし自身で料理とか掃除がしたいのなら田舎の人気の少ない別荘で、信頼する口の堅い使用人だけを連れてやる事だ。それはそれで庶民ごっこと言われるだろうが。

 

 貴族ならば雑事なぞにかまけずに貴族として自身を研鑽し、日々の政務を粛々と裁断し、妄言を言う民衆を窘め、社会の秩序を守護し、帝室や領地の危機には軍を率いて大帝陛下の御定めになられた正義に従い叛徒共を圧殺すれば良いのだ。それこそが貴族の義務と使命であろう。

 

 よって雑事は従士や平民の使用人にやらせるのが彼らの当然の義務である。寧ろ門閥貴族のために役立てるのだから、泣いて感謝して欲しいくらいだ……噛み砕いたらそんな内容が帝国の価値観と身分制度について亡命貴族の執筆した問題作「血統と義務」の第3章にあるが、実際問題その説明は的外れでは無い。

 

「下賤な者の仕事なぞしなくていい、なんて言われるとなぁ。言い含めるのも楽じゃないんだぜ?」

「これだから貴族と言うものは度し難い」

 

 不快そうに鼻を鳴らすホラント。平民出身とはいえ、ヴォルムスの市民は殆どが熱烈なアルレスハイム=ゴールデンバウム一族と門閥貴族の素朴な支持者であるから、寧ろホラントの態度の方が異端である。何方かと言えば同盟の一般市民の感覚に近い。まぁ、ある意味気が楽ではあるが。

 

「まぁそこは大目に見て欲しいな。私だって程々に苦労しているんだ。それよりもお前さんの方こそよくもまぁこのチームに入ったな?」

 

 私やベアト、ヴァーンシャッフェと貴族階級が3人もいるチームに入るこいつも物好きなものだ。本来ならば帝国系のいない上、席次上位メンバーだらけのチームもあっただろうに。

 

「ふん、そんな優秀な奴ばかりのチームに所属して勝った所で意味が無い。成績上位の者だけでチームを組めば勝って当たり前だ。実戦なら兎も角、シミュレーションでそんな下らん勝利を勝ち取って何の意味がある?」

 

 軽蔑するような口調でホラントが語る。実際に兵士の命が掛金となる実戦ならば、圧倒的な実力のあるメンバーで相手を蹂躙しようが構わんだろう。だがシミュレーションでそれをする意味がどこにある?寧ろ、自身の実力を研鑽するのなら格下のチームに所属するべきだ。所詮仮想の戦闘で、確実に勝てるメンバーで挑むなぞシミュレーションの意味が無い、と言う訳だ。無論、敢えて格下のチームに所属する事で自身の活躍をより魅せる、という一面がある事は否定出来ないが。

 

「成程、こちとら全員中途半端な席次の集まりで、守勢前提のチームだからな。お前さんも目立ち易いわけか」

 

 ストイックでいるようで、ある意味では勝って当然のメンバーで固まるチームより欲深いともいえる。どちらにしろ相変わらずハングリー精神の塊のようだ。

 

「それに、貴様もゴトフリートも昔から何度もシミュレーションの相手をしてきたからな。判断基準も、動きも読みやすい。お前ならば、俺としても実力を読み間違える事無くどれ程ならば持たせられるか、どれ程相手に対応出来るかは予測しやすい。他の奴を味方にするより底が知れる分やりやすい」

 

 自身だけ独自に動くとしても、味方の実力を読み間違えたら攻勢のタイミングを誤り全体では敗北する事もあり得る。その点、私やベアトがいる分実力を読み間違えずに測れる。そうすれば自身が攻勢に出るギリギリのタイミングを推し量れ、より効果的に戦闘を仕掛けられると言う訳だ。

 

 分かり易い引き立て役と言う訳だ。随分とまぁ打算的で効率性を重視した利用法だ。

 

「……まぁいいさ。こっちもそれで利益を得ているからな。ウィンウィンで結構な事だ」

 

 私は苦笑しながらベッドから起き上がると欠伸をする。小娘の御守りをして無駄に疲れた。

 

「ふん、現金な奴め。そんな情けない性格だからいつまでも赤ん坊のように子守りされるんだ」

「ひでえ……」

 

 ホラントの罵りに口を尖らせ心外である事を伝える。……いや、確かに部分的にはあっているが。

 

 しばし沈黙が室内を支配する。ホラントが資料をめくる音だけが断続的に響く。

 

「……おい」

「ん?」

「丁度良いから先にお前に伝える。…………士官学校を卒業して入隊したら俺は故郷と、星系政府と縁を切る」

 

ぽつり、とそんな事を口にするホラント。

 

「あっそう」

「………随分と淡白な返答だな?」

「泣いて『いかないで!』と縋りついたらいい?」

「気色悪い。止めろ」

「だろ?」

 

 こいつが余り故郷……亡命政府や貴族様を好いていないのは昔から知っている。亡命政府の市民から同盟に帰化する者もいない訳では無いし、士官学校等の教育や経験で亡命政府の在り方に不審感を抱く平民も過去の歴史から前例自体はある。

 

 無論、ここまで援助して貰った借りがあるので水面下で一定の繋がりは維持して人事や軍政方面での口利きや協力は続くだろうが、亡命政府と一定の距離を置く者は実際にいるのだ。それを阻止するためにも帝国系の学生で集まったり、士官学校亡命者親睦会が存在したりするのだ。派閥で集まるのは相互監視の一面もある。尤も、ホラントの場合は元より付き合いが悪いし、指導するべき私が半ば放置していたからこれと言った問題が無かった。文句を口にする奴がいても私が「たかが平民一人で騒ぎ立てるな、みっともない」とグラス片手に椅子にふんぞり返ってそう嘯くだけで済むからなぁ。

 

「……迷惑をかけるな」

「お……お前、何か悪い物でも食った?」

「殴り飛ばしていいか?」

 

 深刻に、震えた声で尋ねる私に額に青筋を浮かべ吐き捨てるホラント。

 

「じ、冗談だろ?」

「嘘つけ。その顔は本気だっただろう?」

「……そ、そんな訳ないし」

「……」

「……はい、嘘っす。ガチで思ってました」

 

何で皆して私の思考分かんの?

 

「………まぁ、縁切りしたいのなら自由にしたらいいさ。ここは一応自由の国だからな」

「自由、か。いうほどに、このハイネセンも自由では無いものだがな」

 

 いつもと変わらぬ仏頂面で語るホラント。しかしそこに一抹の自嘲と苦々しさが覗いていた。こいつはこいつなりにハイネセンに来てから色々体験していたようだ。

 

 血縁と地縁が人の在り方を形作る、とは良く言ったもので、自由の国であっても本当の意味で自由でいられる者なぞいやしない。同盟人よりも自由であると自称するフェザーン人ですら、取引相手と同業者、そして金に束縛されているのだ。ましてや同盟社会に有象無象の見えない柵があるのは当然だ。

 

「……正直な話をするとな、俺も夢想家な所があった。……お前は俺の家については知っているか?」

「いや、全然」

 

 その気になればプライベートや個人情報保護何それ?なのは帝国も亡命政府も同じだ。やろうと思えば適当に命令すれば同胞の個人情報なぞ見つけるのは簡単だ。

 

「まぁ、貴様はいちいち気にするような奴でも無いからおかしくは無いな」

 

 貴族たるもの、余り下賤すぎる者と面と向かって口を聞くのは憚られる。そのため、不確かな場合相手の身元がまともなものかどうか勝手に調べるなんて事、貴族が、特に格下の身分の者に対してする事は珍しくない。尤も、下手に地雷を踏み抜いたら面倒なので私の場合は好まないが。実際帝国の歴史を振り返れば、調べた相手が帝室の隠し子だったり、公式で死亡とされていたどこぞの貴族の次男三男だなんて闇の深そうな事実に遭遇したなんて事もあるらしい。知らぬが仏である。

 

 尤もホラントの場合は曲がりなりにも幼年学校に入学出来た身なのでそこまで真っ黒な家の経歴ではあるまい。

 

「父は、共和派の活動家で、母は貴族の庶子だ」

 

……御免、真っ黒じゃないけど灰色だった。

 

 あり触れた話だ。ブルジョワ出の革命家気取りの青年が、門閥貴族の中の腫物扱いされていた箱入り娘と身分違いの恋をする訳だ。同盟の恋愛文学ならば最後は身分の壁を乗り越えハッピーエンドだろう。

 

 尤も、現実は甘いものでは無い。クロイツェルの家のように曲りなりにも幸せになれる家庭は多くないのが現実だ。生活の全てが、常識が、価値観が違うのだ。クロイツェルの家だって父方が歴史も無い名ばかり貴族だから添い遂げられたのだ。門閥貴族の庶子と、情熱のままに進む革命家の家庭が上手く行く道理も無い。

 

 共和派の強い南大陸クロイツベルク州で暮らし、父は行幸に来た帝室の馬車に不敬を働き豚小屋行き、母は愛が醒めて実家に戻った。残された彼は西大陸の父方の家で引き取られたらしい。

 

「不幸自慢では無いが……余り愉快な思い出は無いな」

 

 口にしなくても予想はつく。共和派・反帝室の傾向の強いクロイツベルク州から保守的な西大陸への移住である。周囲の態度も空気も相当変わった事だろう。

 

 南大陸では母によって、西大陸では父によって肩身の狭い思いをした筈だ。

 

 幼年学校に入学したのは父方と母方の家の面子のためだ。模範的な帝国臣民である事を見せるためだろう。

 

本人にとっては不愉快な事この上無いであろうが。

 

「はっきり言ってな。俺は亡命政府の……いや、帝国の文化も、慣習も嫌いだ。無論貴族もな」

 

ぎろりと私を睨みつける。

 

「一時は共和政に理想を抱いてみたが……結局俺はここでも余所者らしい」

 

 自虐的な笑みを浮かべ、すぐに険しい顔を浮かべる同期。

 

「そして気付いた。俺は帝国臣民でも、共和主義者でもない。唯、帝国が嫌いだ。帝国の全てがな。だが同盟に帝国の血の流れる奴の居場所はない。同盟も嫌いだ。だから俺は……この戦争を終わらせる」

 

威厳と決意に満ちた表情でホラントは宣言する。

 

「帝国を滅ぼす。オーディンを討ち、糞ったれな皇帝を処刑してやる。不愉快な帝国の身分制度を粉砕してやる。そして同時にそれによって同盟を変える。同盟と帝国を一つにする事で、同盟の血やら帝国の血やらを無意味にする世の中を作る。俺のように何方にもいけないあぶれるような奴のいない世の中をな」

 

 その最初の一歩として過去と縁を切るわけ、か。憎い帝国の血を最初に否定する、というわけだ。

 

「ホーランド」

「……?」

「ウィレム・ホーランド、俺の名を同盟風に変えるとそうなるそうだ。俺の新しい名前だ」

「いっ……!?」

 

 帝国人が帰化する上で名前を同盟風に変更する事は珍しくない。だからそれ自体は良い。だが、その名前が問題だった。

 

(っ……その名前は………いや、寧ろだからか………)

 

 私は一瞬驚愕に打ちひしがれ、次いでどこか納得していた。彼、ウィレム・ホーランドの行動原理が理解出来たためだ。

 

 英雄願望の塊……か。確かにこんな事を考えればそう受け取られるだろう。いや、英雄でなければ帝国を滅ぼし、同盟を変えるなんて無理だろう。

 

 同時に、彼の原作の発言の意図も腑に落ちる。確かに守ってばかりでは何も変わらないのだ。ひたすらに犠牲者と憎悪のみが積み重なるだけだ。現状維持を図る者達は、彼にとっては怠惰な事なかれ主義者に過ぎない訳だ。

 

 彼はある意味では魔術師の弟子の有り得た可能性だ。社会に居場所が無いのならその前提を変えてやろうと言う訳だ。

 

「………よくもまぁ門閥貴族の前でそんな事いえるな?」

 

呆れた口調で私は答える。

 

「卒業と同時に名を変える気だ。今の内に話した方が、貴様も責任回避の工作をしやすいだろう?それに今はあの口五月蝿い従士もいないからな」

 

 成る程、世代から見てホラントの管理責任は私にあるのでそこの辺り言い訳を考えておけ、と。面倒な事持ち込みやがってとは思うが、私の性格を理解しての事であろう。ほかの奴の前でこれまでの事を言っていれば、考えを改めるまで「自己批判」でも強制されかねない。その点、私が恨みつらみで下手なやらかしはしないと踏んでいるのだろう。

 

「まぁ、信用されているとでも好意的解釈でもしてやるよ」

 

 皮肉半分に私は答える。まぁ、ここで原作キャラがリンチなり死亡されたらガチ目に困るしな。

 

「……あぁ、不本意だが貴様は信頼している」

「あいよ~、んん?」

 

何か今こいつデレた?

 

「?どうした?」

「……ごめん、男のデレは趣味じゃないんだ」

「よし、死にたいんだな。今すぐ楽にしてやる」

「ちょっ……ガチタンマ。お前さんの本気の徒手格闘術を受けたら冗談抜きにヴァルハラ行く!?」

「問答無用だ。死ね、貴族のどら息子が!」

 

 その後、部屋にベアトが入室すると共に血相を変えて参入してくるまでの間、私は格闘戦術トップクラスの技のフルコースを味わう事になった。ちょっ……阿修羅バスターは……無理だっ…ぐほっ…!?…止めて!地獄の断頭台はシャレになららら……!!?

 

……マジふざけてご免なさい。

 



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第四十四話 食べ物の好き嫌いは悪い事

 自由惑星同盟軍士官学校開放日最終日、この日は一段と多くの観光客で賑わっていた。

 

 なんせ、ある意味最終日が一際注目すべきイベントが目白押しだったためだ。二年生の戦斧術トーナメントの最終戦に、有名軍人や政治家の講演会、マスコットキャラクターや軍部御用達の広報アイドルのコンサート、首都防衛軍テルヌーゼン管区隊所属の地上軍の師団行進や航空ショーまである。

 

 尤も、それらは一般人から人気のある見世物だ。現役軍人が最も注目するのは、士官学校の英才のしのぎを削る四年生戦略シミュレーション大会である。現状8チーム56名が勝ち上がってきた訳であるが、実際問題見世物とはいえこれまでこの大会で勝ち上がった歴代の生徒達の大半が……それこそ戦死や早期退役でもしない限り……少なくとも将官にまで昇進してきた。歴代優勝チームのメンバーといえば、ダゴンの英雄リン・パオ、ユースフ・トパロウルをはじめ、「同盟侯爵」ギュンター・フォン・バルトバッフェル、シャンダルーアで帝国軍4個艦隊を粉砕したナレンドラ・シャルマにスパイマスター「蜘蛛の巣」フランシスコ・マカドゥー、そしてブルース・アッシュビーを筆頭とした730年マフィア……誰もが認める同盟軍の大英雄である。

 

 近年卒業した上位チームのメンバーにおいても、既に多くの注目すべき人物が現れている。シンクレア・セレブレッセ大佐は準優勝チームの、ドワイト・グリーンヒル准将は3位チームの後方支援部隊司令官であったしジャック・リー・パエッタ大佐は優勝チーム第2分艦隊司令官、ウランフ中佐は準優勝チームの第4分艦隊の、ドミトリー・ボロディン中佐は第4位チームの代表であった。シドニー・シトレ中将、ラザール・ロボス少将は言うまでも無い。

 

 これらの例からも、このシミュレーションが決して唯の御遊びでは無い事が分かるだろう。それだけに、観客席には相当数の将官や将来有望な佐官級の軍人が物見見物……卒業後の引き抜きのための品定めのために集まっていた。

 

 無論、軍人以外にも観客はいる。同じ士官学校の学生や一般観光客、中には軍事関連雑誌のライターや評論家、マニア、個人のネット軍事掲示板の管理人なんて者も見学と取材のために集っていた。

 

 そんな観客の中に、ワルター・フォン・シェーンコップ士官学校三年生とローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェル士官学校三年生がいた。

 

「あっ!ワルターさん、いましたよ!伯爵さんとゴトフリートさんです!」

 

笑顔で指差すクロイツェル三年生。

 

「あれはあれは……随分とお叱りを受けたようですな」

 

 シェーンコップ三年生は、腕を組みながら意地悪な笑みを浮かべる。

 

 正確には叱ると言うより諭すでしょうがね……などとその先を呟く。

 

 先日2000ディナールと映画ペアチケットの報酬と引き換えに食客(タダ飯食い)として雇用してもらっている門閥貴族様を人知れず監し……護衛をしていた帝国騎士である。その際に狙撃用ライフルのスコープ越しに護衛対象の行動を観察し、記録をつけていた。具体的にはガチャでどのキャラが出たとか、見ず知らずの幼女をどこに連れ回していたとか……。

 

 夜中にレポートを従士殿に提出し、報酬を受け取った(効率が最高に良いバイトだ)。尚、地獄の断頭台から救出された伯爵家の嫡男がその後従士に泣きながら諭され死んだ魚の瞳になっていたとかいないとか。

 

 恨めしそうに自身を見る伯爵を見下ろしながら珈琲を一口、最高の味であるように彼には思えた。

 

「ワルターさん、はい、あ~ん!」

「ん?ああ」

「えへへ……」

 

 そこに横から士官学校内の激安屋台でやっていた(店員は一年生だった、やっぱり士官学校はブラックだ)ベビーカステラをシェーンコップはされるがままに口に入れる。温かいが火傷する程では無い。直前に横でにやけるドジな友人が冷ましてくれたらしい。

 

「ワルターさんって結構あ~んしてもらっている時可愛いですね!」

「フロイラインも御人が悪い。それこそローザラインの昼寝している顔は赤ん坊のようですが?」

「むぅ……」

 

 シェーンコップの揶揄いに少しだけ拗ねるクロイツェル。物凄く距離の近いこの二人、実は同室暮らしだったりする(前線では男女区別が出来ない状況もあるため制度上は許可されている。尤も、実際には女性同士の場合が殆どではあるが)。周囲の他の学生が嫉妬の視線を向けているが、シェーンコップは軽く受け流し、クロイツェルは気付いてもいない。取り敢えずお前達末永く爆発しろ。

 

「どうですか?御二人共次のシミュレーション勝てると思いますか?」

 

わくわくとした表情で尋ねるクロイツェル。

 

「いや、無理でしょうな」

「即答!?」

 

 淡々と当然の如く答えるシェーンコップに突っ込みを入れるクロイツェル。

 

「いや、流石に無理でしょうな。あの面子では……」

 

 相手チームを見れば誰だって同意した事だろう。女王の如く君臨するのは燃えるような赤毛に鋭い目つきのコーデリア・ドリンカー・コープ四年生だ。その周囲のチームメンバーも皆席次40位内のエリートばかりと来ている。特に二枚目の俳優のような薄い茶髪の青年と、黒髪の意地の悪そうな少女は只者では無い。

 

 第2分艦隊を率いる席次15位戦略研究科ミハイル・スミルノフ四年生は、アプス星系の自由惑星同盟軍創設期から続く軍人家系出身だ。先祖を遡れば1ダースの将官がおり、本人も学生としては、特に艦隊指揮に優秀な評価を得ている。尤も、秀才には違いないが少々協調性が低い所がありその点が難点とも言われているが……。

 

 

 第5分艦隊率いる席次31位メリエル・マカドゥー四年生も同じく「長征一万光年」に参加した名家の末裔だ。マカドゥー家の初代は元々悪質な詐欺師として逮捕され死刑になる所だったのを口八丁で誤魔化し、アルタイル星系への流刑まで減刑せしめたという。アーレ・ハイネセンの壮大な計画に際しては情報統制と攪乱に活躍し、脱出の直前まで帝国に対する計画の外部流出を阻止した。その後の子孫達は同盟情報部や治安警察に多く所属し、数々の陰謀に加担してきたと言われる。彼女もまた人の精神面を突け狙った搦め手を得意としており、厄介な相手だった。

 

「今回ばかりは難しいだろうな」

 

 そもそもここまで勝ち抜けたのも運が良かっただけだ。本選では全て薄氷の勝利であった。相手側の油断もあっただろうし、研究不足もあっただろう。だが、既にそれは過去の事だ。研究用の戦闘データも十分に記録し分析出来ただろう。そうなると地力の勝負になり、そうなれば到底勝負にならない。

 

 世の中には、士官学校の成績に対して勉強出来るだけで実戦では役に立たない、等と偉そうに口にする者がいるが、そういう人物に限って士官学校に落第した奴だ。少なくとも、士官学校で上位の席次に潜り込むには全般的な分野に対する深い理解と素早い頭の回転が不可欠だ。150年も戦争をしているものの、無能者が上に立てる程同盟軍は腐敗してはいない。

 

「学生の間では勝敗のオッズはほぼ半々らしいが……流石に今回は賭けていないな。ここらが引き際だろうからな」

 

 ここまで勝ち残ったからには今回ももしかするかも、という事だろうが……伯爵とその取り巻きの実力を知る身から言えばいくら何でも買い被りである事は明白だ。

 

「まぁ、それはそれとして……」

 

 椅子の背もたれに深く座り、シェーンコップは不敵に笑う。

 

「まぁ、勝てないまでも少しくらいは楽しませてくれるかも知れませんなぁ」

 

 

 

 

 

 

 観客席の帝国騎士に呪いをかけていた私は、審判役の教官が注意するように行った咳により飛び跳ねるように正面に視線を移す。取り敢えずコープさん、塵を見る目でこっち見ないで。

 

「お前が下らん事をしているからだ」

 

 横からホラントが舌打ちしながら指摘する。仰る通りです。

 

「……ホラント、まさか貴方がそんなチームで勝ち上がってくるとは思っていなかったわよ」

 

コープはホラントを見据えるとそう口を開いた。

 

「そういう貴様は随分と豪華なメンバーを揃えたようだな。御苦労な事だ」

 

 いつものように鼻で笑いながら淡々とそう語るホラント。

 

「あら、今更後悔でもしているのかしら?コナリーのチーム相手に随分苦戦していたようだけど。この分だと優勝は無理よ?」

「後悔?何を馬鹿な事を。俺に言わせれば貴様こそ哀れに見えるぞ。メンバーは豪勢だが、逆にいえばそれだけの奴らを集められなければここまで来る自信も無いのだろう?貴様こそ先日のシミュレーションでは随分と苦戦していただろうにな」

 

 コープ達が昨日最後に戦ったチームは今期の優勝候補チームの一つだった。席次7位と9位を含む全員が30位内という手練れ揃いだった。終盤まで一進一退の戦闘が続き、最後はマカドゥー四年生と支援部隊司令官のファン・スアン・ズン四年生の陽動により敵部隊を分断、各個撃破により辛うじて勝利した。

 

「あらあら、まさか貴方……自分のチームがあいつらより強いとでも思っているの?」

 

 嘲るように低く笑うコープ。心の底から、というより寧ろあからさまに嫌味であると分かる笑い方だった。

 

 しかし、ホラントはその姿に怒りを見せず、寧ろ達観したように物静かに告げる。

 

「俺のチームでは無い。俺が貴様のチームより強いのだ」

「………」

 

コープが笑うのを止め、警戒するように目を細める。

 

「……貴方、正気?」

「至って正気だ。俺は貴様のチームより強い。なぜなら……俺は帝国を滅ぼす男だからだ」

 

 その運命を確信するような口調で語るホラントに流石にコープも目を見開いて驚いたようだ。

 

「……高慢な事ね。大言壮語この上無いわ。それはリン・パオ……いえ、あのブルース・アッシュビーすら成し得なかった事よ?」

「そうだ。俺は奴らとは違う。リン・パオも、アッシュビーも超えて見せる。いや、超える。でなければ帝国を滅ぼし戦争を終わらせるなぞ夢のまた夢だ」

 

しばし険悪な、重苦しい空気が二人の間に流れる。

 

先にそれを破ったのはコープであった。

 

「……はっ。いいわ、そこまで言うのなら証明して見せなさい。いうけど……私のチームは甘くはないわよ」

 

 そう言い捨ててコープとそのチームはシミュレーターに向け踵を返す。

 

「……ふん」

 

 ホラントは、不快そうにそう鼻を鳴らすと同じくシミュレーターに向かう。

 

「………いや、待て。チームの代表私だからな!?」

 

 取り敢えず色々無視して始まろうとしていた試合に私は軽やかに突っ込みを入れた。

 

 まぁそんな感じで閉話休題。少々(?)問題はあるものの、改めて両チームで礼をした後私達のチームとコープのチームによる戦略シミュレーションが始まった。

 

「下らん事でやり直しやがって……」

「いや、流石に下らんは酷くね!?」

 

 毒を吐くホラントに私は叫びつつ自身のシミュレーターに座る。うう……始める前から私の精神に大ダメージが……。

 

「はぁ……代表って私だよな?」

 

 本気で自分が代表なのか疑いそうになる。何あれ、どう考えても主人公とライバルの会話だったよね?

 

 まぁいい(良くないけど)、もうすぐシミュレーションが始まる。そろそろ気を取り戻さんといけない。

 

「さて、舞台は……これはまたやりにくい星系を」

 

私は渋い表情でランダムに選ばれた星系を見やる。

 

「アルレスハイム星系………」

 

 よりによってこのタイミングでこの星系とは……悪意しか感じないんだけど?

 

 

 

 

 

 

観客席の空気が一瞬静まった。

 

 それは驚きと困惑を、そして気まずさによるものであった。

 

「……これはまた、少しややこしい事になったな」

 

 観客席に座っていた褐色肌の偉丈夫が顎を摩りながら呟く。

 

「確かにステージは国境星系の中からランダムで選ばれますが……何ともタイミングが悪い」

「……ステージをもう一度やり直させますか?」

 

 副官や教官達が困惑しつつ彼に小さく、しかし深刻な表情で提案する。

 

 実際問題、現在のシミュレーションは際どいまでに政治的だった。いや、なってしまった。

 

 アルレスハイム星系の星都ヴォルムスはエルファシル、ヴァラーハに並び帝国国境に最も近い有人惑星の一つであり、国境星系諸惑星の経済の中心であり、同盟領の盾であり、そして何よりも……銀河帝国亡命政府の中枢である。

 

 歴史的にはダゴン星域会戦後、多くの亡命者が押し込められ、コルネリアス帝の親征ではダゴン、ティアマトに並び真っ先に帝国軍による惨劇の起きた地であった。

 

 親征後もダゴン、ティアマト等よりは侵攻されにくい航路と言う理由で市民の移住や亡命政府に別星系への移転を止められただけでなく、数十年に渡り市民の星間移動や辺境開拓事業に大きな制約をつけられた。それは正に、当時の同盟政府が亡命政府を防波堤に利用しようとしていた事に他ならない。長征派が政権を担当し、亡命政府と同盟政府の関係が険悪化した時には威嚇目的ではあるものの同盟軍と亡命軍が睨み合う事すらあった。

 

 無論、全ては1世紀近く前の事だ。流石に今の同盟政府において、少なくとも亡命政府を解体してしまおうという過激な意見を口にする者は殆どいない(そして叫ぶ奴は大体現実を見ない教条的な部類の者だ)。亡命政府は同盟経済に融資し、亡命者の纏め役であり、同盟の非主流派と結びつき、軍隊を派遣する事で戦場で貢献し、莫大な戦時公債を購入している。今の同盟の戦争に対して、亡命政府は明らかに目的を一つとする協力者であり、同士であり、「同胞」だ。少なくとも、組織を解体する不利益はその利点を遥かに上回る事は同盟政府も承知だ。

 

 それだけでなく、多くの高級軍人達の中で戦場での経験を基に、またその組織方針により亡命政府に好意的な軍人は少なく無く(安全な後方の椅子にふんぞり返る政治家よりはマシだ)、それ故に亡命政府が反応する危険がある現在のシチュエーションは非常に問題であった。

 

 今の状況は、位置的にはまるで帝国系を中心としたチームがアルレスハイム星系で敵を待ち、長征派を中心としたチームが星系に侵入している形である。無論、シミュレーションとはいえ見ていて誰も愉快な話ではない。観客席の老軍人達は、それが同盟と亡命政府間におけるの静かな、しかし激しい対立の時代を思いおこさせた。

 

 唯一の救いは、コープのチームが星系の帝国領側に配置された状態で試合が始まった事だ。これが同盟領側から始まっていれば大問題であった。

 

それでも非常に面倒な事態になったのは間違いない。

 

「よりによってこんな時に……!」

 

教官の一人が舌打ちする。

 

 戦略シミュレーションには同盟と帝国のこれまで戦った国境星系を中心に200近い星系がステージとして準備されている。更にいえばその中でも実際に戦闘の起こった回数が多い星系ほど登場確率が高くなるように設定されている。

 

 当然、アルレスハイム星系もまたコルネリアス帝の親征による総攻撃を受けた事があるために、シミュレーションの舞台として登場してもそれ自体はおかしくない。だが、逆にいえばアルレスハイム星系そのものが戦場になった事は150年の戦争期間の間にほんの数回に過ぎない。多くの場合、その前段階でフォルセティ星系やシグルーン星系で迎撃されるためである。

 

 故にアルレスハイム星系が舞台として出てくる事は非常に珍しい。またこの方面は亡命軍が航路警備業務を受け持つことも多く、配備されている同盟軍が実戦参加する事は少ない。そのために数百ある星系の中でアルレスハイム星系での迎撃戦を想定した研究を行う者は滅多にいない。

 

 そのために今回誰もこの星系が舞台になる事なぞ想像もしていなかったに違いない。

 

 よりによって亡命者と長征系のチームが相対する試合で……!

 

「……いや、止めておこう」

 

 腕を組みながら静かに同盟軍士官学校校長シドニー・シトレ中将は答える。

 

「なぜですか……!下手をすれば帝国系だけでなく長征系の将校も逆撫でする事になります……!」

 

教官の一人が異議を唱える。

 

「分からんか。だからこそだ。見たまえ、奴らを。誰もかれも雁首並べて学生の催しを凝視しているではないか」

 

 そう言って首を振って指し示す先では、観客席にて二組の将校達が鋭い視線でシミュレーションを睨みつけていた。それは最早生徒の品定めなどと言うレベルでは無い。

 

「……っ、だからこそ無用なトラブル避けるために一旦シミュレーションの中止を……」

「あれは下手に横入りすれば敵意の矛先がこちらに向きかねんよ」

 

 シトレ中将は呆れたように肩を竦める。彼らはきっと、自分達の生徒が相手チームを惨めに撃破するだろう、と本気で考えているだろう。下手に中止すれば、相手を打ち負かす好機を邪魔したとでも考えて士官学校に敵意が向く事だろう。いや、それ以上に……。

 

「士官学校は政治的には中立だ。外部に配慮なぞせんし、する必要も無い。下手に前例を作ればこれ幸いにと干渉してくるだろう」

 

 学生単位では兎も角、学校自体が外の政治団体の顔を伺って行動すれば、今後それを持ち出して様々な問題の「配慮」を求めてくるだろう。派閥意識の無い……少なくとも出自による派閥を持たないシトレの代は兎も角、それ以降の校長が前例を持ち出されてそれを跳ね除けられるかは保証出来ない。ならば自身が悪例を作るわけには行くまい。

 

「出自も血縁も信条も知らん。所詮ただの学生同士の催しだ。我々大人がしゃしゃり出る事はあるまい。違うか……?」

 

鋭い視線で異議を唱えた教官に尋ねるシトレ校長。

 

「そ、それは確かにその通りですが……」

 

歯切れ悪く肯定する教官。

 

「……言いたい事は分かっている。負けた方は詰まらん大人達に責められかねんからな。そこは試合後に私がフォローしよう」

 

 いかつい表情を柔らかくしてシトレ校長は答える。士官学校校長として試合後に公衆の面前で双方のチームを褒め称え、高評価すれば多少は負けた方への指弾を和らげられるだろう。少なくとも自身がどちらの派閥に属していない事も、自身が用兵家として平均以上の評価を受けている事も彼らは知っているし、認めている。それでも問題があれば、学生の生活のためと称して学校の立場として介入する覚悟はある。

 

「やれやれ……学生を下らん見え張りの道具にしよって」

 

 士官学校としては出来得る限り生徒達の出自や信条に関わりなく仲間意識を持って欲しいのだが、理想と現実は違うらしい。結果として、上の世代からの圧力を受け若い世代も似たような考えに凝り固まる。そして何代にも渡って敵意を向け憎悪し合う訳だ。帝国を滅ぼすなり和平を結んでも、次は内戦が起こりかねない。

 

「……滑稽なことだな、魑魅魍魎の蠢く中央を嫌って校長になったと言うのにな」

 

 そこまで考えて、シトレ校長は頭を振りながら自嘲する。中将昇進後も出来るだけ不毛で空しい政治に関わりたく無いために実戦部隊に就こうと考えていたら、肝心のポストが空いていない事態に陥った。そのため、次世代の若者達のために自身の経験を伝える士官学校校長を志望し、統合作戦本部や国防委員会の政治屋達もまた軍内政治に口を出させないためにそれを許した。結局、中将にもなってしまった以上完全に政治から逃げるのは不可能のようだった。

 

 ちらり、とシトレは観客席の一角を見やる。そこには風船のようにふくよかに膨らんだ顔見知りの少将が座っていた。身を乗り出し鋭く真剣な目付きで試合を凝視している。

 

「ヴォル坊……!やれ!あの蛙食い(長征派)共に目に物見せてやれ!」

 

 小さい声で、しかし確かに興奮気味にそう言うラザール・ロボス少将。「蛙食い」は長征系市民に対する有名な蔑称の一つだ。長征中、彼らは天然の肉を食べる際にアルタイル星系に生息していた蛙を養殖して食していた。餌が虫で済むので航海中に重宝したようだ。

 

 その後、同盟が旧銀河連邦植民地と接触し、同盟軍の進駐軍がファーストフードとして蛙の丸焼きを食べながら現地を巡回していたのを旧銀河連邦植民地の原住民が揶揄した事がこの蔑称の始まりと言われる。

 

「あいつも変わったな……」

 

 昔はもう少し温厚な性格だったのだが。僅かに虚しさを感じるシトレ校長。時間と言う物は残酷だ。せめて若い世代にはこんな思いはして欲しく無いが……。

 

「……今は試合に集中するか」

 

 シトレ中将はそう呟き、雑念を振り払い正面の戦況モニターを見据える。両軍はしばしの困惑の後、其々作戦行動に移り始めていた……。

 

 

 

 




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第四十五話 こちらが考える事は大概相手も考えていたりする

「……おにいちゃん、なんかたいへんそーだなぁ」

 

 士官学校の庭でソフトクリーム片手に歩くフレデリカ・グリーンヒルは、野外照明から映し出されるソリビジョン映像を見ながら大して心配していないだろう口調で呟く。

 

 ヴォルター・フォン・ティルピッツ士官学校四年生の代表を務めるチームと、コーデリア・ドリンカー・コープ士官学校四年生の代表を務めるチームの試合が始まっていた。

 

 尤も、時折挟まる司会の会話を見るに彼女の知り合いの帝国貴族は余り順調では無さそうである。

 

「あー、そっちいっちゃったら駄目なのに………」

 

 ソリビジョンの中では、伯爵側の小部隊が数倍する相手側のチームと遭遇して砲撃戦を開始していた。数の差からすぐに勝敗は決まり、寡兵の艦隊は押され始めていた。

 

「あーあ、だからいったのにぃ……きゃっ!?」

 

 ソリビジョンの映像に気を取られてしまったのが悪いのだろう。余所見して歩いていた彼女は気付いたら何かにぶつかってしまった。

 

「うう……あ、そふとくりーむ……」

 

 尻もちをついた彼女が次に視界に移したのは地面に落ちてしまったソフトクリームだった。

 

「うぅぅ……」

 

 母親に買ってもらったそれの無残な姿に瞳を潤ませて嗚咽を漏らし始める。

 

 何という事だ!こんな事あっていい訳が無い!一体誰だ、余所見してぶつかってきたのは!

 

 そんな敵意を向けてぶつかった相手を視界に収めようと頭を上げる。そこにいたのは……。

 

「すたー…ぴー……ちゃん?」

 

 彼女が見たのはソフトクリームが腹の辺りにべったりとつき、頭を掻いて困ったようにする桃色のマスコットであった。

 

 

 

 

 

 

 

 アルレスハイム星系は恒星アルレスハイムを中心に9つの惑星とその周辺を回る41個の衛星、3つの外縁天体、約25万に及ぶ小惑星からなり、星系全体では小惑星帯等隠れやすい宙域もあるが、宇宙嵐等の災害も無く、基本的に航海上の問題の少ない正面戦闘向きの星系だ。

 

 人口分布でいえば亡命政府施政権内の人口の大半7200万が居住しており、内首星である第四惑星ヴォルムスは人口6500万を数える人口過密惑星の一つであり、そのほか星系内の惑星や衛星の軌道上にあるスペースコロニー、地表のドーム型都市、資源採掘基地等にまばらに市民は居住している。

 

 経済的には恵まれている。帝国から持ち出された貴族資産を使った金融業、移設されたプラントによる重工業(同盟はエレクトロニクス分野では帝国を上回るが鉄鋼業・化学工業分野の技術では帝国に一歩譲っている)、同盟軍や亡命軍向けの軍需産業、帝国式景観を利用した観光業、職人技やブランドといった高付加価値により同盟との競争を避けた農業や軽工業、豊かな星系内資源を使った資源・エネルギー産業等、産業の多角化に成功しており、市民が古式ゆかしい生活をしているため分かりにくいが、一人当たりGDPの平均は同盟平均を10~15%程上回る。

 

 特に最後の資源・エネルギー産業は正にアルレスハイム星系政府にとって幸運であった。コルネリアス帝の親征以前は同盟からの外貨獲得手段となり、親征後は戦後復興の礎になった。長らく同盟政府優位の固定価格による販売が続いていたが、それでも豊かな天然資源が無ければ貴族資産や重工業特許の数々の切り売りにより親征後の復興をするほかなく、その後の経済発展は無かっただろう。

 

 実際、同盟では幾度か亡命政府の勢力拡大を阻止すべく、星系政府の有する資源開発基地の差し押さえが議論された事もある。尤も、同盟の防波堤たる亡命政府の弱体化への危惧、そしてそのほかの国境星系の反発により最終的には棄却されたが(国境星系群と亡命政府の経済的結びつきは強い)。

 

 そんな訳で、アルレスハイム星系は基本的に多くの人口と資源開発基地の存在から戦闘に市民を巻き込みやすく、戦場としては推奨されない星系だ。亡命軍は帝国軍の大侵攻の際に星系全土を舞台にしたゲリラ戦による徹底抗戦を想定しているものの、同盟軍のドクトリンからすればこのような星系で会戦を行おうなんて狂気の沙汰だろう。

 

 そこはやはり市民の保護を優先する同盟軍と、市民の巻き添えも犠牲も気にせず体制維持を優先する亡命軍の思想の差異に違いない。一般的な同盟市民は軍に見捨てられたら怒り狂うだろうが、亡命政府の市民は勝利の前での少数の犠牲は許容されるべきという教育を20世代に渡って受けている。

 

さて、それは兎も角………。

 

「チュン、デュドネイ、スコットはこの星系は余り分からんよな?」

 

 動揺から回復した私は必死に頭を回転させ状況を理解し、やるべきことを考える。

 

 自由惑星同盟の領有する星系はサジタリウス腕全体で十数万星系に及ぶ。実際には超新星爆発やブラックホール、時空震や宇宙嵐等の環境の影響により実際に技術的に管理可能・航行に適した星系は五万星系に満たず、偵察衛星等での観測・監視を行っているのはその中の八割程度、同盟軍や同盟警察が巡視活動をして恒久的管理が出来ているといえるのは一万八千星系、居住可能惑星や人工天体、ドーム型都市、資源開発基地が存在し多かれ少なかれ人間が居住する星系は三千を超える程度だ。しかもその内半数以上は人口一万に満たない鉱山基地である。

 

 実際問題、それら全ての星系での戦闘を想定なぞ出来やしない。同盟軍で迎撃訓練や研究の為されるのは有人星系や国境星系の中でも侵攻ルートに適した一部の星系、そして帝国の大侵攻に備えたドーリア星系やヴァーミリオン星系等領域内部の幾つかの迎撃予定星系のみ、実質的に入念に研究されているのは過去実際に戦闘の起きた極一部の星系ばかりだ。

 

 ましてや数回の戦闘しかなく、亡命軍の存在により同盟軍の戦闘する可能性の低いアルレスハイム星系での戦闘を士官学校の学生が研究している訳が無い。

 

……私のようなアルレスハイム星系出身でなければ。

 

「……ベアト、ホラント、ヴァーンシャッフェ、幼年学校でのお勉強は覚えているな?取り敢えずここは「基本計画18号」に沿って展開するぞ。チュン達はこっちが指示するからそれに従ってくれ」

 

 亡命軍は本土決戦くらい散々想定している。それこそ最悪亡命軍艦隊壊滅、同盟軍の援軍無しの状態で低周波ミサイルの雨が降り注いだ後の地上戦、いやそれどころかABC兵器による無差別攻撃も想定している。更には同盟軍の侵攻に対する防衛計画すら存在するし、逆侵攻の計画も存在するとのうわさもある。相手側は兎も角、このステージは我々帝国系にとっては勝手知ったる我が家だ。これまで何度も幼年学校で研究と学習を行ってきた。寧ろ同数の艦隊での戦闘ならまだマシといえる。

 

「兎も角第4、5、8惑星に補給基地と地上部隊陣地を構築する。ベアト、各拠点間の哨戒に移ってくれ。偵察衛星もばら撒け」

『了解致しました』

 

 恭しくベアトが答え艦隊を隊単位に分散して哨戒任務を実施し始める。彼女の艦隊は各拠点の連絡網の警備を担う。必要に応じて敵のゲリラ戦による足止めも行う事になる。

 

 同時に艦艇に搭載する小型偵察衛星が哨戒網の外縁部に設置されていく。実際の戦闘になれば瞬時に電子戦や砲撃で破壊されるのが偵察衛星であるが、それはそれで敵部隊の存在を察知出来るので構わない。

 

 相手の動きはまだ分からんが私は最低限やるべき事を命じていく。相手は見知らぬ星系の地理に不慣れだ。今の内に迅速に動き初動の利と地の利を掴むべきだ。

 

『………まぁ順当な判断だな』

 

 無線越しにホラントが答える。公転周期の関係もありこのステージの星間位置関係から考えれば第4,5,8惑星に基地を作り、それを起点に線を結べばある程度共同した警戒と迎撃網を形成出来る。まずは各拠点と部隊間の連絡を密にして確実な安全地帯を確保する。

 

 

「第4惑星軌道上にスコットは展開してくれ。暫くはそこを最重要拠点とする。デュドネイ、第五惑星軌道防衛に移動してくれ。チュン、艦隊の半数を第八惑星衛星軌道に。あそこは小惑星帯がある、大軍と遭遇しても多少の戦力差はどうにかなる筈だ。残りの艦隊戦力は第四惑星軌道に集中させる」

 

 ここまでは幼年学校でも習ったアルレスハイム星系防衛計画の基本も基本だ。それでも一から考えて動くのに比べれば時間的に優位だ。

 

 今回のシミュレーションにおいてこちらが優位な点は二点、即ち地の利と士気だ。地の利は先ほど言った通りにこの星系の特徴や研究は散々行ってきた。一方、相手は一から星系の特徴を調べざるを得えない。そして今回のシミュレーションは奇しくも故郷を侵す敵軍の迎撃という形となった。ホラントは兎も角、ベアトやヴァーンシャッフェの士気は高まっているだろう。尤も、これは逆に思考の硬直化を招きかねないので注意しないといけない。

 

「次は敵艦隊の動向か……」

 

 当然ながら我が方の戦略の基本は受け身の防御だ。だが同時に、守備に徹するにも正しい情報を基に戦力の展開と集中を必要とする。そのためには索敵するしかない。レーダーや通信傍受といった手段もあるが、最も確実な手段は小部隊を斥候として放ち光学的手段による観測をする事である。

 

「スコット、支援部隊の配置し終えたらセオリー通り電子戦による索敵は頼む」

『ああ、だが期待するなよ?』

 

 鼬ごっこになる電子戦は大概互いに無力化し合う事になる不毛な争いだ。それでも無意味とはいえない。何せ無意味といって用意しなければ均衡は崩れ、一気に戦闘は虐殺に変わるのだから。不毛であろうとも手を抜けない。

 

「さて、問題の哨戒部隊の編制は………どうするべきかね?」

 

私はホラントに尋ねる。

 

『さほど大軍を割く必要はあるまい』

『そうだねぇ。向こうはこちらを捕捉するため以外にも地理の確認のためにかなりの哨戒部隊を編制するだろうからね。相手側から接触する事に期待しようか?』

 

 ホラントとチュンがほぼ同じ答えを出す。つまり相手から見つけてくれるから哨戒に出す戦力は最小限に、拠点の設置と警備を優先すべき、と言う訳だ。

 

「そうだな。では私の本隊から哨戒部隊は抽出しよう。迎撃の主力はホラント、チュンの分艦隊の残りはその補佐を頼む」

 

 私は麾下の5個戦隊2500隻の内2個戦隊及び宇宙空母搭載のスパルタニアン3個飛行隊を持って周辺偵察を実施する。艦隊は隊単位で、スパルタニアンは2機一組で散らす。

 

 シミュレーション時間内にて試合開始40時間と31分後、遂に最初の戦闘が起きた。第6惑星第2衛星軌道上にて、私の放った哨戒部隊の第355駆逐隊が敵艦隊と遭遇した。規模は不明ながら、15光秒の距離から哨戒部隊に撃ち込まれる中性子ビーム砲の閃光から見て戦艦ないし巡航艦を含む10隻前後の艦隊であると思われた。対するこちらの戦力は駆逐艦10隻である。少々分が悪い。

 

 幸運にも現状は回避とエネルギー中和磁場により損害は発生していない。ならば……。

 

「駆逐隊は牽制しつつ後退しろ。相手を引きずりながら第4衛星軌道上まで誘導するんだ!」

 

 一方で、付近で哨戒活動を行っていた戦力を第4衛星の死角に集結させる。最初の駆逐隊で誘導しつつ、機を見て衛星の死角から後方に回った別動隊が砲撃を与える算段だ。本来ならば逃げてもいいが、相手にこちらの拠点を教えかねない。それに緒戦の小競り合いではあるが、ここで一つ勝利して相手側に心理的ダメージを与えたいという意図もある。

 

 同時に第6惑星方面の哨戒網の警戒を強化をベアトに命じた。敵哨戒部隊があれ一つの可能性は限りなく低い。見つけ次第、情報を出来るだけ与えずに撃破したい。

 

「こんな所か……チュン、どう思う?」

 

 私は敵艦隊との遭遇に対してチームの参謀役に意見を尋ねる。

 

『そうだねぇ。兎に角ここは時間を稼ぐべきだね。正面からの決戦じゃあ流石に地の利を持って守勢に徹したとしても勝つのは難しいからねぇ』

 

 コープは迫撃が得意分野、スミルノフ、ダランベールは火力の集中に定評がある。マカドゥーは何をしてくるのか知れたものではない。

 

 こちらの取りうる選択肢は、決戦の回避と情報の封鎖だ。敵の哨戒部隊や偵察衛星は出来うる限り破壊して、こちらの具体的陣容の把握を阻止する。相手の陣容が分からなければ攻める事も、策に嵌めるのも不可能だ。

 

 そして時間に余裕が無くなれば、相手チームも攻撃の入念な計画を立てる余裕は無い。時間を稼ぐ事はこちらの勝利のための手段だ。

 

「そうだな。いっそ、陽動部隊を使って相手の捜索の手を逸らすのもいいか」

 

戦隊単位で相手側に接近し注意を引くのも手だ。

 

 と、この後の作戦について協議していたその時だ。

 

「いっ……!?」

 

私は驚愕のあまり間抜けな声を上げた。

 

「おい、どういう事だ!?これは……!??」

 

 気付けば第6惑星第4衛星の影に待機していた別動隊60隻は半包囲下にあった。第355駆逐隊を迫撃していた敵部隊の後方から襲い掛かろうとした別動隊は攻撃の直前に側面からの砲撃を食らった。完全な奇襲だった。

 

『誘い込まれたな』

 

 舌打ちしつつホラントが口を開いた。敵艦隊100隻余りは待ち伏せを予測し、先回りしてガス状惑星たる第6惑星内に潜んでいたようだった。そしてこちらの奇襲と共にガスの中から躍り出たらしい。

 

 同時に355駆逐隊を迫撃中だった敵艦隊が反転しこちらの別動隊に砲撃を開始する。こちらの駆逐隊は射程の関係からすぐさま救援にいくのは出来ない。

 

「ちっ……中央突破だ!そのまま前方の敵を薙ぎ払い友軍と合流する……!」

 

 すぐさま決断を下す。側面を襲われた以上、反転迎撃は艦列の混乱を招きかねないリスキーな行為だ。少なくとも相手チームの方が上手なのに成功出来ると思えるほど己惚れていない。ならば正面の最初の敵小艦隊を数に任せ突き破るべきだ。

 

 実際、正面の少数の艦隊はすぐさま撃破される。エネルギー中和磁場は数倍する火力に突き破られ、次々と敵艦艇は火球と化す。そのまま42隻にまで減ったこちらの待ち伏せ艦隊は355駆逐隊と合流、355駆逐隊はレーザー砲で迫撃してきた敵別動隊を迎撃して味方の反転の時間を作り出す。

 

 相手側は深追いしない。すぐに目的を達するとそのまま砲撃の射程外まで後退を始める。引き際が良い。こっちは周辺の哨戒部隊を集めて120隻の艦隊を援軍に送ったばかりだ。数量的に不利にならない内に引いて来やがった。

 

「初戦で負けとはな……」

 

 こちらの損失は18隻、対して相手は10隻の損失……小競り合いというに相応しいささやか過ぎる戦闘だ。損害も決して大きな差はない。しかし……。

 

「いきなり負けたか……」

 

敵の機先を制して動揺を与える事に失敗した。いや、問題はそこではない。

 

「……手慣れている?」

 

 宇宙での航海は入念な下準備が不可欠だ。恒星の活動周期や隕石群やデブリの軌道、惑星活動、過去のワープ事故による重力異常……人類が恒星間移住時代を迎えて千年を超えても尚、宇宙航海は危険と隣り合わせであり、航海前に各星系の事前の調査が欠かせない。

 

 そんな中で、いきなり事前の情報も無く、地理的に不慣れな星系であのような待ち伏せが出来るだろうか?シミュレーションとはいえそんな無謀な事をするほどに相手チームは愚かではない。となると……。

 

『気付いたか、貴様も』

 

 ホラントが少々不快な口調で私の思い至った結論を肯定する。 

 

「………おいおい、確かに可笑しくはないが、少し恨みが強くないかね?」

 

 つまり、相手チームはこの星系でのシミュレーションを、侵攻計画を研究した経験があると言う事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「初戦は一応勝ち、と言った所かしら」

 

 コーデリア・ドリンカー・コープ四年生はささやかな勝利に酔う事無く、淡々と艦隊を後退させながら呟く。

 

「地の利があると思ったのかも知れないけど、甘いわよ、じゃが芋共」

 

 口元をゆっくりと吊り上げるコープ。それは嘲笑であった。

 

 成程、確かにこの星系がステージに設定された時動揺した。確かに普通ならば滅多に出てこないステージだ。千回連続でシミュレーションを実施しても出てくる可能性は低いだろう。大半の学生は想定、いや想像もしていないだろう。

 

……私達でなければ。

 

『懐かしいなぁ。まさかこの星系で試合なんて、時の女神様も粋な計らいをしてくれとうみたいや』

 

 マカドゥーがリゲル訛りの強い同盟語で口を開く。やんわりと、ゆっくりとした口調は、しかし同時に粘りのある意地の悪い雰囲気を与える。

 

「……マカドゥー、標準語で話しなさいな。一瞬何言っているのか分からなかったわ」

 

 試合中に気が緩んだり、興奮すると地の言葉が出るのがこの悪友の悪い癖だ。彼女の家は何のこだわりか、何故か身内では同盟公用語では無く絶滅寸前リゲル語で話す。先祖から続く母語は大事にしないといけない、との事らしい。

 

『ありゃま?……あー、あー、ごめんごめん、これでいいかしら?じゃが芋共の苦虫噛む表情を想像するとつい興奮しちゃってねぇ。それで?ここからは基本計画通りでいいの?』

「ええ、御先祖様もいい加減な計画で奴らを攻めるつもりは無かっただろうし、まずは基本に忠実にいきましょう」

 

 建国から帝国との接触以前、同盟の最大の脅威は内戦であった。「長征一万光年」を達成した者の子孫たるハイネセン・ファミリーと旧銀河連邦植民地、あるいはかつての宇宙海賊の末裔たる星間交易商人とその集まりである船団……星間交易商工組合の分離独立が同盟軍の脅威であった。無論、技術的にはハイネセンを始めとした長征系諸惑星政府が圧倒的に上であり、「607年の妥協」以前は各種の通商条約……明らかに不平等条約であった……により経済的にも優位に立っていた。それでも帝国との遭遇以前の両者の人口比は1:4であり、内戦が起きればハイネセンを盟主とした同盟体制は崩壊する可能性があった。

 

 それ故に同盟軍は「607年の妥協」以前は内戦や非対称戦を想定した編成であったし、それ以降も決して国内戦の可能性を、そのノウハウを捨てたわけではない。

 

 そしてダゴン星域会戦の勝利と亡命者の大量発生……それは再び同盟軍に国内戦への関心を抱かせた。その中には、帝国貴族共が統治するアルレスハイム星系に対する対反乱制圧作戦も含まれる。コルネリアス帝の親征後のアルレスハイム星系政府の同盟への正式加盟後も、統合作戦本部や長征派の一部士官達の間ではアルレスハイム星系の反逆に備えた計画は準備されている。無論、今となっては使う可能性の低い形だけのものではあるが……。

 

 それでも長征派の将校達は定期的にアルレスハイム星系制圧計画の更新を行う等、その関心は捨て去られたわけではない。無論、相手方……亡命政府ももそれくらいは予想済みではあろうし、その対策も想定はしているだろうが。

 

 今回は少々古い時代の作戦計画を基にアレンジして攻め立てる。流石に最新の計画は学生の身では閲覧出来ないからだが、地理情報は同じなので流用自体は可能だ。

 

「それに……この星系は何度かやらされてきたのよ」

 

 値は張るし、軍用のそれとは質や情報処理速度こそ劣るが、民間にも戦略シミュレーターは販売されている。多くの場合民間の宇宙警備会社や大手塾の士官学校コースがお得意様だが、個人での購入も無くはない。多くの高級将校を輩出してきた旧家では有名な家庭教師を雇い、現役軍人の指導を受け、自宅のスポーツセンターで鍛え、専門の栄養士により管理された食事をし、一族単位で値の張る戦略シミュレーターを購入して戦略を学んでいる。どこぞの新入生は金がなく歴史を学ぶために仕方無く士官学校に入学した者もいるらしいが、恐らくガセ情報だろう。真実ならば恐らくそいつは変人だ。そんな簡単に同盟有数の名門校に入学されてたまるか。

 

 子供の頃、父や祖父に初めて戦略シミュレーターを使用させてもらった時、親族一同が選んだのがアルレスハイム星系であった。しかも勝利するまで終わらなかった。

 

 それ以降も、何度もこの星系を敢えて設定したシミュレーションが行われた。しかも多くが反乱鎮圧作戦を想定したものであったのは恐らく偶然ではない。おかげでこの星系の地理はある程度理解している。最後辺りは流石にうんざりしたものだ。

 

「彼方さんの拠点のおおまかな予想はつくわ。第四惑星と第五惑星、第八惑星辺りがこの惑星座標だと候補、恐らくは……」

『第四惑星?』

「……でしょうね」

 

 コープは悪友の言葉を肯定する。そもそも相手側は亡命軍の迎撃計画を基に行動を開始している筈だ。そうなると、必然的に政治的・経済的中枢たる第四惑星ヴォルムスを最重要拠点にする計画が立てられるのは当然だ。

 

 ならば今回も第四惑星に拠点が構えられている事は確実だ。

 

「地上部隊は拠点に待機よ。防衛用の最小限の戦力のみ残して全艦隊で第四惑星を目指す。恐らく分散している敵艦隊を時間差をつけて各個撃破する」

 

 相手が第四惑星を放棄して戦力の再集結をされたら面倒だが………。

 

「出来ないでしょう、貴方達には?」

 

 私達(長征派)に故郷を踏み荒らさせるなんて許したら老人連中になんと言われるか………奴らが分からない筈もない。正面決戦を強いる事が出来ればこちらの勝利だ。

 

 当然相手側の半数は非帝国系である。勝利のためにその選択に反発する可能性はある。それならそれでいい。不和の種がばら撒かれれば連携の隙が出来る。

 

「さて、では始めましょうか………?」

 

……正面から散々に叩き潰してやる。  

 

 

 

 

 




良くら読むと実は両者の作戦と前提にに微妙な齟齬があるのが分かったり


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第四十六話 言い訳が更に話をややこしくする事ってあるよね?

ノイエ十話視聴

ロボス元帥「多少補給が滞った所で占領地の民衆に物資を供出させる事も可能ではないか」(命令系)

これは間違い無く高貴なる帝国貴族の血を引いていますわ。


後、今からフォーク准将がどうぶっ壊れるかが楽しみで仕方ありません(鬼畜)


「やはりな……恐らくはあるだろうとは知っていたが、この目で見るのは初めてだな」

 

 戦略シミュレーションの戦況モニターを見つめながらある佐官は口を開く。

 

「あれは恐らく679年に作成させた「差押え計画」だな。噂通りの動きだ」

 

 帝国系、正確には帝国系同盟軍人の中でも帰還派に属する軍人達が小声で語り合う。

 

 同盟軍……正確には同盟軍の中でも統合作戦本部や長征派がアルレスハイム星系制圧用の作戦を作っている事自体は、1世紀以上前から把握はされている。同じく同盟軍に属し、高級士官も幾人もいるのだから当然だ。無論、帝国領侵攻作戦、フェザーン制圧作戦、或いは同盟内での内戦や対クーデター作戦計画等と同様にA級重要事項であり、同盟軍の最高機密としてまず公開される事は無い。そのためその詳細については僅かにしか出てこない。

 

 無論、軍事作戦は合理性を重視している以上、その作戦詳細は同じ軍人としてある程度推測出来、そこを大きく外れる事は無い事も確かだ。

 

「流石に古い作戦だからな。それに奴らも馬鹿じゃああるまい。多少アレンジしているだろうな」

 

 それでも作戦を見る事が出来たのは僥倖だ。亡命軍の想定がどれ程合致しているのかが把握出来る。そしてそこから現在のバージョンについてもある程度推測出来うるのだ。

 

「まさか戦略シミュレーションでこんな事態になるとはな。若さ…ヴォルター四年生の動きは「基本計画18号」か」

 

 宇宙暦680年に亡命軍がアルレスハイム星系に対する帝国軍……そして同盟軍の……の侵攻に備え当時の幕僚総監兼地上軍総監であったブルクハルト・フォン・ケッテラー元帥の作成した計画だ。流石に情勢や軍事力比率の変動により現在は9回改訂されて最新の「基本計画64号」に迎撃計画の座を譲り渡しているが、往年の名将の作成した計画である事は事実だ。

 

「そうなると……このまま「継続計画104号」にお移りなさる訳か?」

「でしょうな。遺憾ではあるが地の利も、時間の利も無いのでしたらそれこそが勝利への確実な道」

「シミュレーションとはいえ、故郷が焼けるのを見るのは不快だな」

 

 将校達は一同に戦況スクリーンを見つめる。だが仕方あるまい。何はともあれ勝利しなければならないのだ。「多少」の犠牲は許容され得る……口には出さないし、同盟軍人として公言出来ないが、彼らの瞳は確かにそう語っていた。

 

 一方、士官学校校長シドニー・シトレ中将を挟んで反対側の観客席においても似たような会話が為されていた。

 

「これはこれは……なかなかに興味深い試合になったものだ」

 

 士官学校事務長ピーター・エドワーズ准将は呟く。1世紀前に作成された同盟軍と亡命軍の作戦計画、多少学生によるアレンジがあろうが、その二つがぶつかりあった際どちらに勝利の女神が微笑むのか、軍人であれば関心を抱かざるを得ないのが正直なところだ。

 

 エドワーズ准将の周囲でも多くの長征派若手士官が両軍の動きについて半分興奮気味に、そして相手チームに対する敵意と嘲りも含めて議論を開始していた。

 

「此度の試合で、一番の注目の的になりましたな。エドワーズ准将」

 

 興味深そうに戦況スクリーンを見上げていたエドワーズ准将はすぐさま立ち上がり敬礼をした。

 

 同盟宇宙軍第2艦隊司令官マイケル・ワイドボーン中将は背筋を伸ばし、颯爽と歩み寄る。その動きはとてもこの年60を越える老提督とは思えない。

 

「はい、下馬評ではコープ四年生のチームの勝利と思っていましたが、こう来ると分からなくなりそうです」

 

 遺憾ながら、コープ四年生の実行している「差押え計画」の出来は完璧とは言えない。コルネリアス帝の親征により多くの優秀な軍人が失われた後に作成された急造計画のため、どうしても粗がある計画だ。

 

 一方、相手側の実行していると思われる「基本計画18号」はアルレスハイム星系防衛に成功した亡命軍三元帥の一人ケッテラー元帥が中心に作成されたものだと伝わる。冷酷にして冷徹、そして明朗な頭脳を有し、帝国軍をして名将と言わしめたケッテラー元帥はヴォルムスでの地上戦にて600万に及ぶ帝国地上軍精鋭の攻勢を……数千万に及ぶ民間人の犠牲と引き換えではあるものの……遂に撃退して見せた名将であった。親征中の帝国地上軍の戦死者の3割がアルレスハイム星系で戦死した、と聞けばどれ程激しい戦闘が起きていたか分かろうものだ。そのような人物が立てた計画は決して軽視出来るものではない。

 

 片やがさつな計画を優秀な学生が、片や優秀な計画を(無能ではないが相対的に)才覚のない学生が行うわけである。その結果がどうなるか、なかなか予想がつくものではない。

 

更にいえば、これは歴史のIFでもある。

 

 コルネリアス帝の親征後ほぼ同時期に作成されたこの計画は、実施の一歩寸前に来たこともあった。

 

 コルネリアス帝により被った損害による莫大な財政赤字を埋めるために、同盟では一時期亡命政府の有する貴族資産やアルレスハイム星系の資源開発基地を強制接収するべき、という強硬論が極右から提言された事があった。

 

 686年には同盟軍がアルレスハイム星系施政領域の境界に無断展開し、衝突寸前に陥った。

 

 当時の最高評議会は三日三晩にわたり会議を開き、強硬接収か、撤退か激しい議論が為された。熟慮に熟慮を重ねた議論の末に同盟軍は撤退し、同盟と亡命政府の開戦寸前に至った最大級の危機は当時の同盟・亡命政府の良識的な首脳部により回避された。

 

「開戦していたらどうなっていたか、政治家としては兎も角我々軍人からすれば不謹慎を承知で知りたくなりますな」

 

 エドワーズ准将はどこか子供のような笑みを浮かべる。それは子供がアニメのキャラクターを戦わして誰が最強か、とでも考えるような笑みだった。

 

「……コープ四年生は優秀だが青いな。あれは相手が第四惑星を死守すると考えているようだ」

 

艦隊の動きを見ながらワイドボーン中将は口を開く。

 

「最近の若いのは甘い者が多いですからなぁ……」

 

 第二次ティアマト会戦により優秀で、そして冷徹な古くからの帝国貴族軍人……伝統的に帝国軍首脳部を独占していた十八将家とその分家、従士家……が激減し、結果として現在まで帝国軍の戦い方にかつての勇猛さと苛烈さは消え失せた。

 

 前線では傍流の武門貴族や新興貴族、平民が代わりに軍の指揮を取るようになった。多くの市民は馬鹿貴族の代わりに実力主義に基づいた軍人が前線に出てきたと考えるだろうが、古い軍人からすれば寧ろ何と甘い敵が増えたのだろうか、と楽に感じる者も少なく無かったのが本音であった。

 

 若者は信じないかも知れないが、半世紀前の帝国軍は本当に強力だった。実力もさることながら、敵を殺すためならば自身の身の安全なぞ考慮しない。降伏なぞ殆どしないし、必要とあらば特攻同然の戦い方も平然とする。占領地の収奪も、虐殺のハードルもかなり低い。

 

 死を恐れない精強な兵士や下士官、冷酷にして効率的な指揮を取る貴族士官の組み合わせは、一世紀に渡り同盟軍を苦しめ続けた。特にイゼルローン要塞の建設前、回廊の帝国側の国境に設けられた軍役属領(シルトラント)郷土臣民兵団(ラントヴェ―ア)、貴族領の私兵軍や領民は総督や領主の命令に従い、文字通り玉砕するまで抵抗を続けた。狂信的な敵と戦う事程苦痛な事は無い。それに比べれば、今前線の主力を担っている平民や新興貴族の軍人は粘り強さがなく、命を惜しむ者ばかりで遥かに気楽であった。

 

 故に彼らは思う。相手チームが第四惑星を放棄する事なぞ驚くに値しない。いや、相手に渡す位なら焦土にしてしまいかねない。アルレスハイム星系に巣くう者達は第二次ティアマト会戦により軟弱になった帝国とは違い古い帝国貴族、そして古い帝国軍の気風を残す悪鬼の群れだ。民主主義を掲げていても奴らの本性は冷酷で残虐な支配者なのだ。

 

 ここまで言っても若者はなかなか理解しないだろう。当時の帝国軍の真の苛烈さなぞ若手将校には想像も出来まい。

 

「相手側はやりますかな?」

 

エドワーズ准将は尋ねる。

 

「して欲しく無い、というのは願望だろうな。勝つためならば「忠実なる臣民」の犠牲なぞ大して気にもすまい」

 

 相手チームの動きを睨みつけながらワイドボーン中将は半分諦めたような口調で答える。  

 

「だからこそ我々は奴らを信用出来んのだよ。自分達のためならば付き従う臣民すら塵芥の如く捨てる。ましてアルタイルの強制労働者の子孫なぞ、どうなろうとも気にも止めまい」

 

 「ハイネセン・ファミリー」……特に長征派が亡命貴族に不信感を抱く原因がそこにあった。ガワこそ民主主義を唱えその実、選民主義としか言いようのない行動を平然とする。一世紀半に渡りアーレ・ハイネセンと共に偉業を成し遂げた者達にとって、亡命政府はいつ後ろから刺してくるか分からない存在だった。彼方にとっても言い分はあろうが、少なくとも多くの長征派にとってはそれが全てであった。

 

「今回のシミュレーションも、奴らの化けの皮が剥がれるだけの事だ」

 

 半ば相手チームの行動を確信しつつ、ワイドボーン中将は無感動にそう呟いた。

 

    

 

 

 

 

 さて、予定が大きく狂った。彼方さんは此方ほどで無くともここの地理に明るいらしい。恐らくこちらの迎撃計画もある程度予測済みだろう。そうなるとこちらの計画の根幹が崩れる。指揮官の質で劣る我々が勝つには……。

 

『若様、ヴォルムスを放棄して焦土戦に移りましょう』

「よし待てベアト、落ち着け、話せば分かる」

 

 ベアトが淡々と怖い提案をしてきたので私は落ち着かせる。

 

『?……若様、僭越ながら私は冷静に意見具申をしているのですが……』

「うん、知ってた。だから少し黙ってね?」

 

 平然と故郷を焼こうなんて言わないで、怖いよベアトさん。可愛い顔で首傾げても駄目だからね。

 

『で、ですが、若様……ここで正面から戦闘に入るより焦土化して補給線に負荷をかけ、ゲリラ戦で戦力を削り取るのが軍事上定石です……!』

 

 訴えるように説明するベアト。うん、亡命軍だけだからね、その定石。いや、半世紀前の帝国軍ならやるだろうけど。

 

 亡命軍の一世紀前に作成した「基本計画18号」は、そのままの予定ならば「継続計画104号」に移行する事になる。主要拠点を焦土化し、星系各地の市民と地上軍は其々の持ち場で徹底抗戦し、宇宙軍は補給線をゲリラ戦で脅かす事になる。

 

 無論今回のシミュレーションでは民兵なぞ編成出来ないが、実際にもしアルレスハイム星系まで帝国軍が侵入したら色んな意味でヤバい事になる。

 

 ヴォルムスは惑星全土が入念に要塞化されている。雄大で美しい自然に隠れ見えないが、陸上のそこらかしこにトーチカやミサイルサイロ、地下基地の出入り口が隠蔽されている。保管されている武器は銃器だけでも市民に二丁ずつ位は多分配れる量がある。即応予備、予備役、後備役が全て動員されたら市民の半数位には昇るはずだ。個々の練度に差があるだろうが、最低限銃器の取り扱いや車両運転、応急措置位の心得はある。熱狂的に帝室や貴族階級を崇拝する彼らは降伏も後退もせず、正規軍と共に徹底的に戦うだろう……というか一世紀半前にした。あれだ、コルネリアス帝の親征に何があったかと言うとリアル沖縄戦やスターリングラードしていたと思えばいい。

 

 正面決戦しないなんて貴族の誇りはどうした?そこは考え方次第でね。貴族が潔く自裁するのは大抵誰の目にも勝敗が明らかになった際醜態を晒さないように、という考えからだ。逆に言えば、勝つためならばどれだけ犠牲を払おうが、残虐な手段を取ろうが寧ろ望む所なのだ。

 

 選ばれし門閥貴族は、事なかれ主義で責任を取るのを嫌う銀河連邦の腐敗した政治家とは訳が違う。憎ければ憎め、敵意を向けられるのは望む所、逃げも隠れもしないので復讐してくるが良い、それも全て叩き潰してくれる、と言う訳だ。

 

 そもそも「宇宙の摂理は適者生存、優勝劣敗である。人類社会もまたその例外では有り得ない」……大帝陛下の有難い御言葉に従えば社会の指導層たる帝室と門閥貴族の「御慈悲」でほかの臣民は生存を許され、その指導の下で正しき社会体制の一構成員として存在する事を許されるのである。ならば臣民が指導層に奉仕する事も、人類の理想的な社会体制を守るために愛国心に燃え戦う事も、ましてや指導層の命令に従い玉砕するまで戦う事も当然であるのだ。

 

 正直同盟人や前世持ちの私からすれば、地球教徒並みのイカれているように思える。実際帝国でも、体制の弱体化や指導層の腐敗や醜態、同盟との戦争による共和主義思想の流入により、富裕市民や知識層、新興の帝国騎士や一代貴族を中心に、かつてのように絶対的な忠誠を尽くす、何てことは無くなった。

 

 それでも尚、二十世代に渡る思想教育により、特に無学な下層階層の多くは帝室や門閥貴族に対して畏敬と尊崇の念を素朴に強く抱いている。

 

 皮肉な事に、民主制を敷いているアルレスハイム星系はその傾向が一段と強い。住民の少なくない数が領主によって連れ出された家臣や私兵、領民である。前者二者は言わずもがな、後者についても全領民を連れていけないので領民の中から特に優秀な(そして資産価値の高い)者のみを連れだした。彼らからすれば自分達は領主に認められた「優秀な存在」である。そりゃあ体制を擁護する。

 

 更に言えば、帝国と違い亡命政府の貴族は一応義務を果たし、腐敗が(比較的)していない点も原因だ。新無憂宮の賊共と自分達は違うというアンチテーゼの意味と、同盟という貴族に敵対的存在が腐敗を抑止する監視役となっている事、そして単純に真面目に優秀な貴族として働かないといつ滅びるか分からない事、それが帝政初期を彷彿させる腐敗せず優秀な貴族階級が多く亡命政府に所属する理由であり、民主制が敷かれながら多くの市民が狂信的に帝室と貴族階級を崇拝している理由であった。

 

 尤も、だからといってここで簡単に焦土戦を実施するか、と言うとそういうわけにはいかない。

 

 恐らくはシミュレーションを見ている同胞の多くはそれを当然の戦略と捉え、期待しているだろう。だが、ほかの同盟人はそんな事はまず考えまい。

 

 というかガチ目に引かれる。フラグの香りしかしない。やった途端にシトレ校長辺りからアンドリューなフォーク並みの評価を受けそうだ。そうで無くてもチーム内でも既に火種になりかねない。

 

『私は反対だねぇ……』

 

……ほら来た。

 

『軍事的勝利のためとはいえ、民間人の生命と財産をぞんざいに扱うような作戦を行うべきでは無いよ。ましてや焦土戦なんてやるべきではないね』

 

 パン屋の二代目が玉子サンドを咀嚼しながら淡々と、しかし力のこもった声でゆっくり意見具申をする。

 

『チュン四年生、それは甘い考えです。敗北してしまえば意味がありません。勝てば最終的には市民は救われるのです。何よりも先に勝利を優先すべきです』

  

淡々と、しかし鋭い口調でベアトは反論する。

 

『言いたい事が分からない訳では無いよ。だけど、だからと言って市民を守るべき軍人がその義務を放棄するのは頂けないね。たとえシミュレーションとはいえ、そんな汚点の残る勝ち方は私は好きになれないよ』

 

 流石将来民主主義に乾杯しそうな方だ。シミュレーションとはいえ、余りに市民の人命軽視した戦い方は好かないようだ。

 

『ホラント君もそう思わないかい?現実にもしこの星系で戦う事になった時、同盟軍が無辜の市民を見捨てて戦う事が出来るかな?』

 

 チュンはベアトと意見を戦わす愚考は犯さない。より実戦的なシミュレーションを望むホラントを味方につけようとする。

 

『御気持ちは分かりますが、しかし正面から戦い勝算はあるのでしょうか?』

 

 ベアト程に強圧的ではないが、ヴァーンシャッフェは疑問を吐露する。地上部隊を指揮する身からすれば第四惑星での相手チームとの防衛戦にそれなりの自信がある分、内心の不満は外面に出ているそれよりも大きい事だろう。

 

『俺はどっちでもいいぞ?所詮シミュレーションだしなぁ』

 

試合成績のみを気にするスコットは面倒そうに中立を宣言する。

 

『私は……放棄に……反対…かな』

 

 デュドネイは途切れ気味ながら意見を述べる。シミュレーションとはいえあからさまに市民の保護を放棄する戦い方は好きになれないらしい。

 

『………代表役の貴様が決めろ。ティルピッツ』

 

各員がそれぞれの意見を言った所でホラントが問う。

 

「げっ、私か?お前はどうなんだよ?」

『興味なぞ無い。俺は誰が相手だろうが、どのような条件だろうが負ける気は無い』

 

厳つい表情で腕を組み、淡々と答えるホラント。

 

『若様……勝利のためには多少の犠牲は付き物です!』

『うーん、私としては納得出来ないねぇ。そんな勝ち方しても周囲の顰蹙を買うんじゃないかな?』

『敗北に比べれば遥かにマシです……!』

『余り賛同は出来ないなぁ……』

 

 ベアトとチュンが無線越しに鍔迫り合う。正確には敵愾心を向けるのはベアトだけだが……。

 

 外野の意見を無視し、私はしばし思考の海に沈み考えこむ。

 

 純軍事的な面のみで考えれば勝率が確実に上がるのはベアトの意見だ。相手の補給線に負荷を与えつつゲリラ戦に徹するのが上策だ。一方、恐らく相手は正面決戦を指向している筈だ。同盟軍の教育では市民の人命が最優先であるし、客観的に見て長征系、特にティアマト閥のコープからすれば故郷を捨てるなぞ考えまい。

 

 逆に勝利のためであるならば、故郷を焼く事を我らが亡命政府の長老組は大して咎める事はすまい。下手したらその果断な決断能力が賞賛されかねない。クレイジーだな。尤も、そこまでして負けた場合の反応は怖いけど。

 

 当然ながら行った瞬間、教官連中がドン引きする事請け合いだ。シミュレーションとはいえ顰蹙を買うだろう。自分の命もかかっていないのに信望を積極的に落とすべきでは無い。下手すれば昇進の障害にもなりかねん。それはまずい。獅子帝を下っ端の内にキルするには、せめて奴が従軍するまでに佐官になりたい(なれるとは言っていない)。

 

 ふざけやがって、獅子帝昇進早すぎなんだよ………!皇族でもあの昇進スピードは早すぎるぞ。そりゃあ門閥貴族の反発を買うわ。

 

 さらに言えば、将来の故郷の運命についても考えねばなるまい。原作では、年代こそ忘れたがアルレスハイム星系まで少なくとも一回は帝国軍が侵攻してくる事は明白だ。そうだよ、カイザーリング男爵あんただよ!

 

 正直、あの会戦の具体的内容は分からない。だが、アルレスハイム星系まで押し込まれていた事を考えると亡命政府もかなり苦戦していた事が分かる。本拠地まで押し込まれていた事を考えると、あの会戦の際亡命軍は明らかにゲリラ戦を行っていた筈だ。迎撃の同盟軍を帝国軍が待ち伏せしていた事を考えると、周辺の制宙権は帝国軍の手に落ちていた事を意味する。

 

 ヴォルムスがどうなっていたかは分からない。一個艦隊で落せる程にヴォルムスの守りは薄くない。だが、ヴォルムス以外の星系内自治体が無傷だったとは思えない。最低でも万単位で市民も戦闘の巻き添えになっているだろう。カイザーリング艦隊のサイオキシン麻薬の蔓延と亡命軍や市民の抵抗って無関係と考えるのは少しお人好し過ぎる気がするだよ。ベトナム戦争の米軍状態だった可能性がある。陰惨な戦闘が続くと薬物に手を出す兵士は少なくない。

 

 ここで正面決戦を志向するのは、焦土戦を行う亡命軍や帝国系士官の考えに一石を投じたいという意図もある。基本ゲリラ戦しか無いのは分かるが、積極的に焦土戦しようと考えるのは止めて欲しいんだよなぁ。幼年学校でも正規艦隊戦の講義を殆どしないんだよ。

 

 何よりも……シミュレーションとはいえ故郷を自身で焼き払うのは気分が良いものではない。……門閥貴族としては、ある意味失格ではあるが。

 

さてさて、そうなると……言い訳がいるな。

 

「………ベアト、確かに勝利のためにはそちらの方が可能性が高いな」

『では……!』

「だが………」

 

 私は自身の意見が入れられたと考えたベアトに釘を刺す。

 

「一時的とはいえ、逃げるのは不愉快だな」

 

私は頑固で、気位の高そうな横柄な口調で答える。

 

『ですが……!』

 

私は無線を秘匿回線に変更してから口を開く。

 

「それに、問題は勝った後だ」

『その後……ですか?』

 

 私が秘匿回線に移した事に合わせてベアトも無線を変える。

 

「勝つだけならば我ら亡命軍は出来よう。相手は賊軍であれ、賎民の子孫であれ、皇帝陛下の御旗の下で戦う我らが負ける道理は無いからな」

 

 嘘だよ?獅子帝なり、双璧なり、魔術師が出て来たら虐殺されるからね、確実に。

 

「だが帝国であれ、同盟に対してであれ、ヴォルムスが焼けてしまえばその後の軍の再建が出来ず、そうなれば報復なぞ出来やしない。目先の勝利だけを追求すべきでは無い。その後も我々は戦わなくてはならん。分かるな?」

 

 その戦いで勝っても、本拠地が焼けてしまえば兵器の修繕も、兵士の補填も覚束ない。帝国のように物量に余裕があれば良いが、亡命政府の有する居住可能惑星は第四惑星のみだ。ドーム型都市や人工天体群も施政権内には幾つかあるが、その生産能力はたかが知れている。

 

「戦うだけならば焦土戦も良かろう。だが、戦い続けるためには不本意だがこの手を使う訳にはいかん」

 

 その場で頭をフル回転させて自身の意思を補強する言い訳をこじつける。

 

『お、おっしゃる事は分かります。で、ですが、この作戦は彼のケッテラー元帥の成立させたもので………』

「ならば、それを超えればよいでは無いか。正面から奴らを歓待してやろうじゃないか!それとも、私がケッテラー元帥に比べ軍才が劣るとでも?帝国開闢以来の名家であるティルピッツ伯爵家の嫡男である私がだぞ?」

 

 うん、確実に劣るね。あの人、地上戦が専門家だったけど普通に艦隊戦も出来るもんね。

 

『そ、そんな事は御座いません!若様は名門ティルピッツ伯爵家の血を引く者、何故ケッテラー家にその軍才が劣りましょう!ましてや長征派の「蛙食い」共に劣る通りが御座いません!』

 

 尤も、この極めて忠実な従士はそう思わなかったらしい。ベアトは私の発言に心から心外だとばかりに叫ぶ。

 

『若様がそう仰るのならば、この不肖ベアトリクス・フォン・ゴトフリート従士、謹んでその御意思承りましょう!命に代えて若様に勝利を捧げて見せます!』

「いや、そこまでしなくていいから!?」

 

 あ、これ地雷踏み抜いたな、と私は確信した。うわぁ、そんなに目を輝かせないで。私、そんなに向上心も覇気もないから。

 

『では、行きましょう若様!「蛙食い」共を一刻も早く我らが故郷から叩き出してしまいましょう!』

「アッハイ」

 

 屈託の無い笑顔で話を進める従士。下手に否定すると話が面倒になるのでこれ以上誤解を解くのは止める事にする。あれだね、時として流れに任せる方が良い事もある。

 

何はともあれ………。

 

「……故郷を守るために、一つ頑張りますかね」

 

 小さく、小さく決意と共に私は呟いた。……勝てるかは分からないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 シミュレーション開始後89時間45分後、アルレスハイム星系第四惑星から17.6光秒の位置で両軍は相対した。一方は星系の第四惑星に向け、もう一方はその進路を塞ぐように展開する。攻める者と、守る者の信念が衝突する、よってその戦いは必然の事であった。

 

 互いに向かい合う両軍は、ともに火力を最大に出来る横陣を持って睨み合う。その距離は少しずつ、しかし確実に縮まっていく。それは両軍が共に決戦を望んでいる事の証左であった。

 

「……狙い通り、ね」

 

 コープ四年生は戦況スクリーンを睨みながら静かに呟く。やはり奴らはここを放棄する事は出来なかったか。少々卑怯かも知れないが現実の戦闘では心理戦は当然、罵倒は甘んじて受けるがそれを恥じる事はあり得ない。

 

 我が方の艦隊が哨戒部隊と後方警備を除いて戦闘艦艇9800隻、対して敵艦隊は戦闘艦艇8700隻、双方ともに主力の激突までに二十数回の哨戒部隊による小競り合いをして数百隻を喪失していた。内半数以上がこちらが勝利していた。

 

「彼方の数が少ないのは散らした艦隊が集結していないか、別動隊として回り込むか、潜んでいるか……」

 

 尤も数は知れている。対処法とて構築済みだ。そうそう遅れは取るまい。

 

「では、いきましょう」

 

 コープ四年生は、チーム内の各員に指示を飛ばす。無線通信は雑音が混じり、低い悲鳴をあげ始める。双方の電子戦部隊が妨害電波を放ち、電子戦を始めている事の証明である。

 

 不愉快な貴族共と、憎らしいライバル、纏めて正面から打ち負かしてやる。

 

 コープは手を振り上げると、一呼吸の後、ただ短くこういい放った。

 

「ファイア!」

 

コープの命令と共に数万条の光線が撃ち出される。

 

 同時にその線条を受け止めた敵艦隊から報復の砲火が撃ち込まれる。

  

 双方の艦隊は破壊のエネルギーを解放し、陣形のそこらかしこから核融合の爆炎の光が生まれる。それは人命を代償に生み出される残酷で、儚い芸術であった。

 

 ここにアルレスハイム星系における戦略シミュレーションはその第二幕……そして本番が始まったのである。

 

 

 



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第四十七話 集中するとドライアイになるから気を付けよう

戦闘描写が難しい


「すたーぴーちゃん、あれってどっちが勝っているかわかるー?」

 

 ペロペロと子供らしくソフトクリームを舐め回しながらロリデ……フレデリカ・グリーンヒルはベンチに座った状態でソリットビジョンを指差し尋ねる。一方、隣でソフトクリームの染みの残る笑顔(固定)のスターピーちゃんは頭(というより体)を傾け「分かんないピー」とジェスチャーする。

 

「……ねぇ、ジャ……スターフリー君、あれはどうなっているの?」

 

 少し離れた所で風船を子供達に配るスターフリー君(の中の人)に尋ねるジェシカ・エドワーズ嬢。品の良いロングワンピースを着た淑女がヒトデ……ではなくお星様姿の着ぐるみとこそこそ話す姿は地味にシュールだ。

 

「そこは色々あってな。すこ「わー!スターフリーくん、風船ちょーだい!」

 

 スターフリー君はすぐさま声を掛けてきた子供に駆け寄り、笑顔(に固定された表情で)で風船をやり、子供のお願いに答え暑苦しい着ぐるみで子供をハイテンションで抱きかかえ親御さんに写真を撮ってもらう。降ろした子供に元気よく手を振り、子供が見えなくなった所でエドワーズ嬢の下に戻る。

 

「話は……少し遡る。どうやらヤンの奴、はぁ、余所見していてあの子供にぶつかったらしくてな。…しかもその時アイスを落させてしまったらしいんだよ」

「ヤンって、ぼーっとしている事多いから有りそうな事ね」

「ああ、そこで「スターフリー君!サインちょーだい!」

 

 再び目を純粋に輝かせる子供に向け、スターフリー君は颯爽とその下に駆け寄る。ぷるぷると持ちにくい着ぐるみ越しに(作った業者を殴ろうかと中の人物は思った)、どうにかスターフリー君の名前と簡単な絵、メッセージを色紙に書くと固定された笑顔で子供に差し出す。ありがとー、と感謝の声を上げる子供に手を振って別れた後幼馴染みの下に戻るスターフリー君。

 

「はぁはぁ……当然子供は涙目になる訳だな。それでだ、ヤンの奴……はぁ、子供のあやし方も分からず取り敢えず大泣きするのを止めるために…ソフトクリームを買ってやったんだよ」

「よくあの手で支払い出来たわね」

「滅茶苦労してたぞ」

 

 カードを持っていないために財布から着ぐるみ越しに悪戦苦闘しながら小銭を掴んでいたのをスターフリー君(の中の人)は知っている。

 

「はぁ…問題はその後に「ねえ、スターフリー君!握手してー!」

 

 爆転しながらアグレッシブに子供の下に向かうスターフリー君。純粋にはしゃぐ子供に「僕も嬉しいよー!」と手を振って表現する。握手だけでなくハグまでするサービスに楽しそうに笑う子供。バイバイと元気に手を振って別れた後ぜいぜいと疲れた声をあげながらエドワーズ嬢の下に駆け寄る。

 

「はぁはぁ……でだ、問題はその後に……はぁ、あのお嬢さんに気に入られて……元からスター兄妹が大好きらしくてな……はぁはぁ、しまいにあれよあれよとベンチに誘導されてしまったわけだ。はぁ、逃げようとしても捕まえられて半泣きになるから離れようもない」

「ねぇ、ジャン大丈夫?さっきから凄く疲れた声よ?」

 

 秋とはいえ、まだ微かに残暑が残り、しかも物凄く湿気る着ぐるみを着てのアグレッシブに子供達の相手をすればさもありなんである。

 

「大丈夫さ、ジェシカ。こんな所で子供達の夢を壊す訳にはいかねぇよ」

 

 着ぐるみ越しに爽やかな笑みを浮かべ中の人が答える。かなり恰好良い、俳優のような表情であった。恐らく幼馴染が見ていれば恋愛劇が始まっていただろう。残念ながら彼女が見るのは固定された着ぐるみの笑顔のみだ。

 

尤も今の彼にはどうでも良かった。今は唯子供達の夢を守る、それだけが使命だった。

 

 彼は覚えている。まだ初等学校に上がったばかりの頃、両親に連れてきてもらった遊園地でアニメショーを見た。握手をしてもらい、サインもしてもらった。しかし、純粋な興奮は長くは続かなかった。舞台の裏手で中の人が汗だくで着ぐるみを脱いでいる姿を見た時彼の純粋な子供時代は終わりを告げたのだ。

 

 断じて自分が同じ思いを子供達にさせてはならない。この役目を引き受けた時、それを彼は心に誓ったし、それを今更捨てるつもりは無い。彼はスターフリー君を演じ切るだろう。この学校開放が終わるまで。それこそが今の彼の義務そのものであった。

 

「そ、そう……」

 

 着ぐるみ越しに感じられる熱気と意志に顔を僅かに引き攣らせてジェシカ・エドワーズは返答する。正直引いている。何があった、何がこの幼馴染に着ぐるみ越しに分かる程の強い信念を与えているのだ?

 

(あー、いいなぁ。二人共、私の代わりに替わってくれないかなぁ)

 

 一方、スターピーちゃんの中でぼんやりと少女の話を聞き流していた学生は狭い視界越しに遠くに待機する友人を眺める。と、いうか傍観しないで助けて欲しい。私はこんな小さな子供の相手が出来る程器用じゃない。

 

「すたーぴーちゃん、話聞いている?」

 

そこに妙に勘の良い少女の指摘。

 

 慌てて「ちゃんと聞いているピー!」とばかりに腕を振ってジェスチャー。スターピーちゃんが言葉を話さなくて良い設定で助かった。下手に根掘り葉掘り聞かれたら対応出来なかった。

 

 そんなスターピーちゃんの態度に一応納得したのか頬に僅かにソフトクリームをつけたままの少女はソリビジョンに視線を移す。

 

「あっちのチームのおにいちゃんね、わたしの知り合いなんだ。しょーじき、すこ……とってもなさけないし、おとなげないけど、パパのおしごと仲間のかぞくなんだって。だからね、仕方ないけどおーえんしてね?」

 

 おい、何故わざわざ言い換えた、後何気に辛辣過ぎないか?と内心で突っ込みを入れつつ、着ぐるみの中からぼんやりと見つめるようにシミュレーションを観戦する紅茶党の学生。

 

(まぁ、それは兎も角……応援ねぇ)

 

 正直、最上級生達の試合にまだ軍事の基礎の基礎を学んだばかりの身で偉そうに論評するのは、流石に人の機微に鈍感な彼でも好ましい事ではない事は分かる。

 

 それでも敢えて論評するというのなら、この娘には悪いがこの勝負の勝敗はほぼ決している。

 

(戦術的に考えれば、ここで会戦場所を特定されて正面決戦を強要された時点で既に戦闘の主導権を握られたようなものだからなぁ。守り手は防衛線構築の点では優位だが……)

 

 同時に戦略面では拠点の存在そのものが選択肢を束縛する。過去、堅牢な防御陣が機動戦の前に敗れた事実を忘れてはならない。無論、だからと言って計画性も妥当性も無い攻撃では防衛側の軍勢を打倒する事は不可能である事も過去の歴史が証明しているが。

 

 だが、残念ながらここではそれは当てはまらない。決して防衛側が無能である訳ではない。だが、相対する相手が悪いのだ。

 

 ゲリラ戦にでも持ち込めばもう少し勝率は上がっただろうが……。

 

「嫌なものだね……」

 

 傍の少女にも聞こえないように小声で戦史研究科所属の学生は呟く。

 

 確か記憶にある限りあそこは有人惑星だ。これはシミュレーションであるが、現実であったならばゲリラ戦なぞすれば市民を巻き込む事になる。全く、軍人とは卑しく、救い難い人種だ。勝つためならばどんな外道な、下劣な策でも昼食の内容を考えるように思いつくのだから。軍事が悪魔の管轄する領域の概念である事をしみじみと思い知らされる。

 

(……それにしてもまさかあのチームが、とはねぇ)

 

 今年の大会の思いがけないダークホースとして注目されている、と親友がいっていたのを思い出す。おかげで賭けに負けて500ディナールも消えた、と着ぐるみを着ながら嘆いていた。

 

 だが、それ以上に中心人物に余り良い噂を聞かない事でヤンは相手チームの代表を僅かに記憶していた。確か帝国から亡命した貴族だった筈だ。唯でさえ彼らは学校内でも家臣一同引き連れて大名行列し、上級生でも平民や下級貴族ならば門閥貴族の下級生に従う姿は異様だ。まして現在の彼らの首領がチームの代表ともなれば尚更である。

 

 金で入学した、課題を手下にやらせている、成績を上げるためにわざと部下と戦い八百長している、美人の家臣侍らせて羨ましけしからん、そもそも家臣に日常の家事その他させているとかふざけんなそこ代われ……大して興味は無いから話半分でしか聞いてないし、後半は唯の嫉妬だが悪い噂には事欠かない。

 

 流石に全て本当ではないだろうが、確かに学内で何度か遠目に見れば周囲に控える家臣もあって、「権威が服を着て歩いている」と評するしかない。更に言えば遠目から自分を稀に見ているように感じる事もあり、正直関わりたくない。名家の出身でなければ身寄り無し、財産無し、友人も少ない吹けば飛ぶような身の上だ。下手に亡命貴族と関わり面倒事に巻き込まれるのは御免被りたい。

 

まぁ………。

 

「大昔の御先祖様宜しく、焦土戦でもやるかと思ってたけど、流石に悪意的に見すぎたかなぁ?」

 

 同盟軍士官学校一年生戦史研究科所属ヤン・ウェンリーは少しだけ……ほんの少しだけ、戦史研究から抱いていたソリビジョンに映る門閥貴族への評価を上方修正した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルレスハイム星系第四惑星周辺宙域は多くの有人惑星の例に漏れず、宇宙船の航行に適した空間である。宇宙嵐も、時空異常も無く、小惑星や宇宙デブリも極少数しかない。そのため戦闘は殆ど地理上の特性を利用する事なく、広く動きやすい宙域における正面から機動力を生かしたの殴り合いとなりつつあった。

 

 即ち、艦隊決戦においては文字通り艦隊の質量、そして司令官の技量が勝敗を決する事になる。

 

「艦隊、中和磁場出力40%強化!来るぞ……!」

 

 私の指示とほぼ同時に敵艦隊から青白い中性子ビーム砲の光条が一斉に撃ち込まれる。

 

 最初の一斉射を艦隊が相互に連携して形成された中和磁場の結界が受け止め、二斉射目の前にそれは綻び各所で艦艇が火球と化し、三斉射目の前に前列の隊列が次々と核融合の光に包まれ原子へと分解される。補給を終え前線に参戦してきた3個戦隊の主砲三連斉射の前に、瞬く間に数百隻の艦艇が消滅した。

 

 悲しい事に、これは幸運な事であった。中和磁場の出力強化が間に合わなければ、損失は倍になっていた筈だ。流石砲術に秀でたスミルノフ四年生である。火力を集中するべきタイミングとポイントが絶妙だ。

 

 火力の集中といっても、一斉に同じ所に撃てば良いと言うわけではない。万全の艦隊の前では無闇に砲を撃った所で大半は中和磁場に受け止められるので、消費するエネルギー以上の戦果を上げる事は出来ない。予め牽制射撃により相手の中和磁場を弱めたり、砲火ポイント毎に火力の厚みを変える等して相手の陣形を乱れさせて出来た脆弱な地点を、敵が塞ぐ前に一気に突き崩さないとならない。

 

 原作の魔術師はその点では化け物だ。彼は良く先制攻撃で一点集中砲火を行っているが、あれは砲兵の高い練度(宇宙では僅かな砲撃の仰角のズレで明後日の方向に弾が消えてしまう)もそうだが、万全の敵艦隊の航行中に生じる僅かな部隊間の連結点の隙間を見極め狙い撃ちしているのだと思われる。ほかの提督では気付けない、或いは瞬時に対応出来ない本当に僅かな隊列の乱れを目敏く見極めているのだ。マジ魔術師人間辞めてるな。

 

「ちぃぃ……第41戦艦群、第54、55巡航群前進!空いた穴を塞げ!第2戦隊全艦、ミサイル斉射と共に後退!隊列を立て直せ!」

 

 私は鈍い頭をフル回転させ、可能な限り迅速に戦線を立て直す。崩れかけた最前列をネプティス紳士仕込みの艦隊運用術でギリギリの所で立て直し、近接戦闘を仕掛けてきた駆逐艦群を戦艦の中性子ビーム砲の雨が薙ぎ払う。

 

 戦闘は余りに危うい均衡の下に膠着していた。我が方は中央に私の第1分艦隊とデュドネイの第5分艦隊総勢4000隻が固める。左翼はチュンの第3分艦隊1800隻、右翼はホラントの2100隻が固める。後方にベアトの第4分艦隊800隻が警戒と予備戦力を兼ねる。

 

 彼女の戦力は、第八惑星衛星軌道上に展開していたチュンへの半数の供出、中央への数度に渡る戦力提供により、三分の一にまで減少していた。だが、その少ない戦力を上手くやり繰りして第四惑星との補給路の警備、敵別働戦力の警戒、後方支援部隊の警護を綱渡り状態ではあるものの全うしていた。これは彼女の非凡さの証明だ。限られた戦力を遊兵を作らず、かつハードワークに至らせず、必要な任務に必要な戦力を導入するのは簡単な事ではない。

 

 スコット率いる後方支援部隊はあちらこちらへと動き回る。第四惑星に作られた仮設補給基地から各種物資を移送して前線に届ける。病院船と工作艦が負傷兵の治療と損傷艦艇の応急修理を続ける。電子戦に特化した特殊工作艦が妨害電波を放ち、各種のダミーを放ち艦隊の移動や展開を偽装すると共に、その損失を可能な限り防ぐ。大量の浮遊レーダーや偵察衛星をばら撒き、敵艦隊後方の動きも探る。

 

 地上部隊も暇ではない。第四惑星では地上部隊が補給基地の防衛のために星間ミサイル群や電磁高射砲、防空レーザー砲を設置して軌道爆撃に備える。衛星軌道上には各種軍事衛星群を展開、また周辺を浮遊する隕石群に観測施設や防衛施設を設置し簡易の要塞にする。宇宙軍陸戦隊所属の特殊部隊は、浸透して破壊工作を実施しようとする敵陸戦部隊の排除に動く。ヴァーンシャッフェはその任務を十全にこなしてくれた。

 

 問題は純粋な実力である。ホラントは兎も角、他のメンバーは全員敵艦隊の動きに対応しきれないのだ。

 

 相手チームの各行動自体は決して独創的な物ではない。獅子帝の言葉を借りるのならば、「独創性の無い戦場から独創性の欠片も無い戦闘が生み出されている」訳である。

 

 問題は個々の策謀の速さだ。個々の動きは士官学校にて基本的な対処法は指導されている。しかし、相手側はその良く回る頭を使い、こちらが一つの動きに対応している間にさらに二つの行動をしてくるわけだ。常に一手先に行動してこちらの処理能力を後手後手に回し、パンクさせようとしてくる。しかも嫌らしい事に、こちらを立てればあちらが立たぬ、というような限られた戦力による二者択一を迫るような作戦を連発してくる。この動きは恐らく、後方で悠然と予備戦力として待機するマカドゥー四年生が主導している事は間違い無かろう。絶対今頃意地の悪い笑みを浮かべている筈だ。

 

 最前線中央を預かるスミルノフ、ダランベール両学生は毎度毎度実に良いタイミングで良いポイントを突く。しかもどこぞの猪武者と違い引き際を弁えている。こちらが罠に誘っても寸前で回避してきやがる。破壊力は劣るだろうが、思慮深さから罠に突っ込み破滅的な損害は受ける事が無い。

 

 右翼を預かるコープは平凡な戦闘に終始する。彼女の本領は敵軍崩壊後の追撃戦だ。彼女に崩れた敵に対して大型艦の長距離砲と単座式戦闘艇の連携による総攻撃を行わせれば、最悪複数の戦隊が宇宙の塵となるだろう。彼女は最終攻勢まで物資を温存するつもりのようだ。一方チュンも何方かと言えば受け身の戦術家であり、そのため戦いは地味な消耗戦の様相を見せつつある。

 

 左翼を預かるカルドーゾは席次23位の秀才であるが、相手が次席と言う事で今一つ精細を欠く戦況の下にあった。尤も相手が相手である事を考えると、膠着状態を維持しているだけ健闘しているとも言える。一方ホラントは優勢ではあるものの、今一つ押し切れずにいた。全体では戦闘は膠着しているために、右翼だけが突出してしまえば孤立し逆撃を受ける可能性があったためだ。

 

 敵軍の後方にて補給線警備、地上戦部隊を管轄するマスードは派手な活躍は少ないが自身の職分を十分に果たしていた。教本通りの動き……と言えば馬鹿にする者もいようが、だからこそ定石に従いミスの非常に少ない確実な手を打ってくる。後方から補給線の切断を実施するのは非常に困難であった。

 

 ファン・スアン・ズン四年生率いる後方支援部隊は、スコットと暗闘を繰り広げる。双方ともに電子戦で相手の目と耳を奪おうと、あるいは出し抜こうと蠢動し、多数の欺瞞情報を流し合い混乱させようとする。本来ならばマカドゥーがその役目についても良かったが、それは彼の無能を証明するものではない。寧ろ両者が連携する事により現在、彼らは自身の動きを欺瞞し、戦闘の主導権を握る事に繋がっていた。

 

 全体で見て指揮能力はこちらが若干不利、それでも辛うじて均衡を保てるのは補給線の長さと、こちらが防戦側に回るために事前準備が出来る点からだ。ホラントを警戒してリスクの高い攻勢に出れない事もあるだろう。

 

「不味いなぁ。消耗戦だよなぁ、これ」

 

 だらだらと貴重な戦力が消費され続ける現状に舌打ちする。このまま戦い続けてもいつかは集中力が切れてこちら側のメンバーのミスが増える。それが限界まで来た時一気に相手は全面攻勢に出る筈だ。そうなったらどうしようもない。

 

「………」

 

 ちらりとシミュレーターから観客席に視線を移す。おうおう、我らが同胞出身者の皆様は怒り、というよりも困惑に近い表情だ。何故に幼年学校で学んだ通りに戦わないのか、とでも考えているのだろう。負けたら怖いなぁ。

 

 (父方の影響を強く受けているために)比較的同盟の価値観に順応しているロボス少将はハラハラしたような緊張した表情でシミュレーションを見つめている。私の方針に理解を示しつつも、負けた際の事を考え心配そうに渋い顔をする。

 

 そうはいっても、士官学校時代から死亡フラグを立てる訳にもいくまい。此処は少なくとも面子は立つ程度の試合を演じて見せなければなるまい。

 

 こちらの希望はチュンの艦隊だ。正確に言えば第八惑星に配置していた分艦隊の約半数、それにベアトの第八惑星方面に散らしていた哨戒部隊、合わせて約1300隻。この艦隊はこのまま素直に本隊に合流せず、大きく迂回して敵艦隊左翼を側面から攻撃する予定となっている。コープの旗艦を撃破出来れば勝敗は決まるし、そうでなくても左翼が混乱すればホラントの右翼も前進でき半包囲も不可能ではない。

 

「問題はそうは問屋が卸さない、かっ………!?」

 

戦闘開始から10時間後、敵艦隊が動いた。いや、正確には動いていた事に気付いた。

 

 後方の予備を兼ねていたマカドゥー率いる第5分艦隊、そこに各分艦隊から戦力を抽出して編成された2200隻の艦隊がチュン率いる第3分艦隊に襲い掛かった。直前までコープの艦隊が陣形を横に薄く広く展開し移動の察知を隠蔽していたようだ。チュンはそれを半包囲体勢を意図したものと考え、対応して陣形を広く展開していたために劣勢に陥る。

 

「……!」

 

 すぐさま中央から1個戦隊、また後方のベアトが300隻を抽出して左翼に援軍を送る。同時にチュンの対応も的確であった。無理に受け止めるのではなく、寧ろ中央から突破させて援軍艦隊と敵第5分艦隊を正面からぶつけさせた。同時にチュン率いる第3分艦隊は両側面から敵第5分艦隊に砲撃を加える。

 

実質的に半包囲された敵第5分艦隊は瞬く間に100隻近くが失われ、足が止まる。

 

 だが、あるいはそれも想定の内であったらしい。予備戦力と中央が薄くなった所に敵の中央艦隊が攻勢に出る。同時に、コープ率いる第1分艦隊はこちらから見て10時方向からチュンの第3分艦隊右翼及び中央の私の第1、及びデュドネイの第5分艦隊を突く。十字砲火を受け中央部左翼先頭の戦艦群が粉砕され、その穴を塞ごうとした第236駆逐群も中性子ビーム砲の雨の中で原子に還元される。

 

 ベアトはすぐさま危機を察知した。有する最精鋭たる第201戦艦群を援軍に出す。同時にデュドネイも中和磁場の出力を最大にして正面と左斜めから来る攻勢を受け止める。チュンの第3分艦隊左翼はそのままマカドゥー艦隊の側面に打撃を与えつつ時計方向に迂回してマカドゥー・コープ両分艦隊の後背につき痛撃を与える。

 

 2時間余りの戦闘は、最終的に第八惑星から敵艦隊側面に回り込もうとした第3分艦隊の約半数1300隻が50光秒の位置にて察知された時点で終了した。両艦隊は部隊を引き離す。

 

 12時間に渡る戦闘により我が方は1500隻、相手側は1200隻余りを喪失した。こちらの損失が多いのは指揮官の差もあるし、後背に回ったチュンの艦隊の戦力が不足していた事もある。だが、こちらは側面からの奇襲を失敗したとはいえ、無傷の1300隻が合流した事により戦術的には優位に立ったのも事実であった。

 

「と言っても、まぁよくも不味い戦いをしたものだ」

 

完全な消耗戦、貴重な戦力を削り取られてしまった。

 

「チュン、別動隊の半数はそちらに移す。残り半数は予備に回して『おい、油断するな……!もう一撃来るぞ!』うげっ!?」

 

 長期に渡る戦闘が一旦終結した事に油断した矢先にホラントの通信。同時にシミュレーターから見えるモスグリーンの艦船の影が次々と爆炎の光に消える。後退した、と見せかけてから高速艦艇のみで急速に突進して旗艦を討ち取りに来やがった。

 

「やべっ……旗艦後退!旗艦後退!直掩部隊前に出ろ!」

 

 そう命令している間にも電磁砲の雨を食らったすぐ側の戦艦が核爆発の光に消える。なにふり構わず旗艦を後退させる傍らで浸透進撃をしてきた200隻余りの艦隊を迎撃する。駆逐群を前に出すと共に直属空母部隊の単座式戦闘艇を発艦させる。旗艦のすぐ前方ではウラン238弾とミサイル、電磁砲と言った実弾兵器が飛び交う地獄と化している。

 

『若様、今援軍を……!』

「いや、待て!それより主力に注意しろ!この程度の戦力で旗艦の直掩部隊を抜けない事は承知している筈だ!なら恐らく……!」

 

 ベアトへの注意喚起とほぼ同時に相手艦隊の内中央2個分艦隊は再びの総攻撃を開始した。別動隊との合流が終わるまでの数時間内に勝負をつけるつもりらしい。

 

「それにしても……そんなに物資に余裕があるか……!?」

 

 敵艦隊は景気よく砲弾を撃ちまくる。計算ではそろそろ次の補給が終わるまで大規模攻撃に移るだけの物資は枯渇していると思ったが……どうやらこちらが気付かないように各部隊単位で少しづつ物資を節約し、中央の2個分艦隊に移送していたらしい。随分と細かくケチな真似をしてくれる……!

 

 デュドネイの第5分艦隊が旗艦を含む第1分艦隊を守るように前に出る。中和磁場のエネルギーも残り少ない第5分艦隊は、比較的物資に余裕のある第21戦隊が中心になり迎撃する。

 

 同時にホラントの右翼が前進、敵左翼を牽制しつつそのまま1個戦隊が敵中央艦隊の正面を抑える。

 

 第1陣。第2陣の隊列を食い破ったがそこで進撃が止まる敵艦隊。反撃しようとするが相手の判断は素早い。すぐさま十字砲火が来る前に後退に移る。奇襲に来た200隻の艦隊は天頂方向から包囲を抜け本隊の下に逃げ去る。相応の損失を与えたが別動隊の半数近くは逃亡に成功した。

 

「やっと引いたか……」

 

 敵艦隊が完全に射程外まで離脱した所でようやく緊張が解ける。さっきのは本気で撃沈寸前だった。

 

「それにしても……ここらが限界か」

 

 自分も含め、精神的に皆磨耗しつつある。小さいがミスも増えた。次の敵の攻撃までに物心両面の回復は容易ではない。

 

 喉の渇きを感じてペットボトルの水を飲む。目の疲れに対して目薬をさす。軽食はルールに従い同盟軍正式レーションのビスケットやカロリーメイトを胃に詰め込む。

 

 同時に通信回線を開き会議に移る。皆……正確にはホラント以外は疲れ気味だ。

 

『正直、これ以上は厳しいと言わざる得ないな』

 

随分と目が疲れた様子でスコットが口火を切る。

 

『こっちも……戦力…かなり削られた』

『増援をどう使うかがポイントだねぇ』

 

デュドネイとチュンがそれぞれ答える。

 

『地上部隊は余裕は御座いますが………』

「相応に被害は受けている、か?」

『はっ』

 

 艦隊戦の裏では各所の小惑星基地での戦闘、潜入工作する敵工兵、特殊部隊がヴァーンシャッフェ率いる陸戦隊と小競り合いを繰り返していた。両軍とも損失は艦隊戦の比でないが、それでも後方の通信基地や補給基地への攻撃に対する対処は相応の疲労を彼に与えていた。

 

『いかが致しましょう?』

 

ベアトが恭しく尋ねる。

 

 ………想定以上の被害と疲労だが、辛うじて時間は稼げたか。

 

「ホラント」

『ああ』

 

私の呼び声にホラントは答える。

 

「ここはあれで行くか」

『………しか無かろうな』

 

 私の提案に淡々と腕を組み答える。両軍の補給と再編、そして残り時間から見れば古典的だがこの手しかあるまい。幸い援軍のおかげで頭数は揃っているし、幼年学校時代にアレクセイやベアトも含めての二対二でのシミュレーションで組む際は幾度かやったので、要領はある程度分かる。時間切れの惜敗か引き分け……いや、出来れば判定勝ちに持ち込みたい。……望み薄だけど。

 

「………さて、出来る限り悪足搔きをしようかね」

 

私は小さく呟くと最前列部隊の再編成を命令した。

 

……後は相手が誘いに乗ってくれる事を祈ろうかね?

 

 



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第四十八話 言葉に出来ない事も、したくない事も、必要ない事もある

少し急いで書いたので修正するかも


『なんて時間を無駄にした戦いだっ!』

 

無線機越しに第2分艦隊を指揮するスミルノフが叫ぶ。

 

「静かにしなさいな。無駄な体力を使うつもり?」

 

 コープ四年生は、目元を指で解しながらカーソルを操作して自身の分艦隊の補給作業を進める。

 

『仕方あるまい。格下相手に攻め切れなかったんだ。苛立つのは分かる。問題はこれからどうするかだ』

『どうするか?決まってる!攻めるしかないだろう!?じゃが芋共相手に時間切れ……まして引き分けなんて論外だ!!』

 

 ダランベールの言葉に食ってかかるようにスミルノフが答える。そうだ、彼らの選択肢は決して多くはない。

 

 増援が来る前に雌雄を決したかったが、それは最早不可能であった。

 

『落ち着きなって。そう悲観したものでもないでしょ?損失は多分若干彼方が上、指揮官も相当疲労しているし』

 

 実際マカドゥーの言う通り、喪失艦艇の数では僅かに下回り、指揮官の疲労という面では彼ら、彼女らには相手側よりもかなり余裕があったのは事実であった。

 

『それよりも、彼方も良くやるな。ホラントの奴は兎も角、チュンとゴトフリートの奴はもう少し研究するべきだったか』

 

苦虫を噛みながらダランベールは口を開く。

 

 彼らとて無能からは程遠い。少ない時間で次席のホラントの研究と、チーム内でも席次の高いチュン、ゴトフリート両学生に対する対策はとってきた筈だが、想定以上の粘りには流石に驚きを禁じ得ないし、ほかのメンバーの当初の想定よりもかなり健闘をしていた。

 

『確かにね、奴さん、まさかあそこまで食いついてくるとは思わなかったわねぇ』

「………」

 

 深く一呼吸、精神を落ち着かせてコープはチームに語りかける。

 

「皆、そう焦る事は無いわ。一応近い想定はしていたし、損失もこちらが下回っている。このままプランDで一気に畳みかけるわよ」

『と、いうと……』

『紡錘陣形による中央突破か』

 

 決して愚策という訳ではない。残された時間内で決定的勝利を得るには最も適った方法だ。補給線は未だ絶たれていないが、時間当たりの輸送される物資は距離の関係上敵チームに比べ少ない。第三惑星上に中継基地を設置しているもののそれでも残り時間を考えると精々一、二回の大攻勢をかけられる程度しかない。そしてその間にじゃが芋共を完膚なきまでに潰さなければ奴らの弱み……故郷を出汁にして正面決戦を強いる……したこちらの面子も立たないのだ。

 

「それに最も注意すべきホラントは防戦に弱いわ。奴らのチームの得意分野とはいえ、あの次席と殴り合いで勝てる自信があるものはここにいるかしら?」

 

 誰もが沈黙する。あのプライドの高いスミルノフも異論を挟まない。それでいい。別に一分野で敵わない事は恥じる必要は無い。こちらの得意分野を生かし、相手の得意分野を封じる……それは戦争においては卑怯ではない。

 

「チュンもデュドネイも守備が得意だけど、すでに疲労も損失も相当なものよ。それに守備の要である戦艦も相当削ったわ。援軍を勘定に入れても突破は不可能ではないわ」

 

 双方とも集中的に戦闘に巻き込み、休憩する事を封じていた。損害も多い。仮に他の艦隊から抽出したとしても判断能力は下がり、前回程のキレは無い筈だ。また戦艦は砲の射程が長く、遠距離から敵の動きを止めるためには欠かせないが、この戦闘では戦艦を優先的に撃破していた。遠距離砲戦能力、防御力、エネルギー中和磁場の総合出力はかなり低下していると見て間違い無い。

 

『場合によっては旗艦を撃破出来るかも知れないな』

 

 そう言うのはカルドーゾだ。そうなれば勝敗はすぐさま決着する。

 

「じゃあ、このプランに異論は無いわね?」

 

 チームに所属する六名のメンバーの同意を得た上で、コープは決定を下した。

 

 シミュレーション開始からシミュレーション時間内にて129時間51分後、両軍はアルレスハイム星系より9.6光秒の位置に相対する。

 

 コープ四年生率いる艦隊は補給と補充を受けた上で艦艇7880隻、対するティルピッツ四年生も同様に補給・補充を受けた艦艇7210隻にて対応する。

 

 両軍は20,6光秒の位置からゆっくりと前進する。一方は総攻撃のタイミングを計るため、もう一方はその総攻撃のタイミングを逸らして最小限の犠牲で第一撃を受け止めるためだ。

 

「撃てっ!」

 

 コープ四年生のその命令と共に、両軍の砲戦は始まる。戦艦と巡航艦の長距離砲が雨のように降り注ぐ。が、その大半が両軍の張る見えない壁の前にはじき返され、解放され、行き場を無くしたエネルギーの濁流により中和磁場が虹色に発光する。

 

 敵艦隊の陣容はティルピッツ・デュドネイ四年生が中央、左翼をチュン、右翼をホラント四年生、後方予備戦力をゴトフリート四年生が受け持っている事が確認されている。ようは定石通りの陣形と言う事だ。

 

「ホラントを不用意に動かせるな。ダランベール遠距離砲で拘束しなさい。スミルノフ、敵中央を食い破りなさい。貴方なら出来る筈よ」

 

 敵中央前衛はこちらの意図を読んでいるのか、遠距離戦闘に長けた戦艦と巡航艦が多数配備されていた。しかも恐らくは無傷の増援部隊の大半が回されている。

 

だが、彼女達も無能ではない。そこは緻密な計画を進めている。

 

 数時間に渡る砲戦の末、敵中央の陣列に歪みが発生する。それは、砲撃のタイミングと厚みを何時間もかけ調整する事で引き起こした連携の乱れであった。叩きつけられる火力が高ければ後退するし、少なければその場を留まる。個艦単位の指揮は今回のシミュレーションでは旗艦や分艦隊旗艦以外には出来ない。それ以外はAIによる操作である。無論AIは平均的な同盟軍艦長レベルの質に設定されているが、それでも巧緻極まる砲術の手品の前に、ついに隊列は無視し得ないだけの歪みを発生させる。そしてそれは彼女達には致命的なものであった。

 

「よし、隊列が崩れた……スミルノフ、突貫しなさい!第二陣カルドーゾ、マカドゥー、ダランベールは後方から砲撃支援!突撃!」

 

 コープ四年生は崩壊した最前列の隊列、その中でも特に脆弱な一点を指し示す。同時にそこに砲火が集中、数千の中性子ビームの光条が襲い掛かる。瞬時に数十隻が爆炎と共に宇宙の塵と化す。出来上がった艦隊の明らかな亀裂にスミルノフ四年生の分艦隊の高速艦艇が躍り込む。

 

 突撃した駆逐艦部隊が電磁砲をばら撒いた。エネルギー中和磁場の効果の無い実弾兵器の前に、敵艦隊の艦艇は貫かれる。軍用の特殊複合装甲が飴のように切り裂かれ、内部構造が粉砕される。同士討ちの可能性に躊躇し、次々と抵抗も出来ずに撃破される艦艇群。そこに単座式戦闘艇が爆炎と砲火の中に滑り込み傷口を広げる。

 

 瞬く間に三列に渡る艦列が突破され、救援に来たデュドネイの1個駆逐群の増援を薙ぎ払い、遂にティルピッツ四年生率いる分艦隊の先端をスミルノフ率いる第2分艦隊の最前列が捕捉する。

 

『第2分艦隊、敵艦隊旗艦捕捉……!』

 

 妨害電波の猛攻を受けたために後方支援部隊指揮官のファン四年生からの通信によりコープは最前線の状況を伝えられる。

 

「………」

 

 本来ならば歓喜すべき状況、しかしコープはその報告に少し怪訝な表情を浮かべる。

 

「……少し脆すぎる」

『敵総旗艦、後退します!』

 

 ファンから送られた……正確にはスミルノフの分艦隊からの映像を工作艦を経由して送られた映像が届く。ヴォルター・フォン・ティルピッツ四年生が乗艦する設定になっているアキレウス級大型戦艦がスラスターを吹かせて後退していく。襲い掛かってくるビームの砲火に対して周囲の直属部隊の巡航艦群が前方に出て盾となる。

 

「………あんた、そんな悠然と後退するタマじゃないでしょう」

 

 亡命伯爵相手に何度も虐殺をした身だから言える。可笑しい。奴ならばこういう事態になれば慌てて逃げる筈。更に言えばあの煩い従士ならば無理矢理横から盾になって来ても可笑しくない。前者は見学者に醜態を見せる訳にいかないとしても、後者はしない方が有り得ない。

 

それはつまり……。

 

「……!不味い!全艦後退!」

 

 咄嗟に小細工に察知をつけたコープが命令する。それと同時であった。敵艦隊の前三列の艦艇群が次々と巨大な火球と変わったのは。

 

 

 

 

 

「おお、凄い爆発だなあれは」

 

 シミュレーターの椅子に座りながら私は呟く。液体ヘリウムとレーザー核融合ミサイルを詰め込んだ艦隊の自爆は遠目から見ても凄まじい、いや禍々しい事この上無い。

 

「流石に1000隻全て自爆はもったいないなぁ」

 

 愚痴のようにぼやくが仕方ない。最低でもそれだけなければ然程効果が無いのだ。

 

 相手の選択肢で最も有り得るのが紡錘陣形からの中央突破なのは、士官学校で学んでいれば明らかだ。これはホラントやチュンも指摘していたから疑う事は無い。

 

 問題は今の戦力で受け止めきれない事だ。かといって後退も出来ない。となると、思い浮かぶのは無人艦艇による自爆により突撃する敵艦隊の勢いを殺す事だ。そのための出費が約1000隻の艦艇である。しかも大半が戦艦と巡航艦である。痛い出費だ。だが……。

 

「よし、今だ!全艦前進!混乱した敵艦隊前衛部隊を撃滅するぞ!」

 

 隊列が崩れ、互いを援護する中和磁場の壁が構築出来なくなった今こそ反撃の好機であった。

 

 戦艦と巡航艦の砲撃の前に、瞬く間に数百隻が火球と化す。そこに駆逐艦と単座式戦闘艇が混乱する敵艦隊に躍り込む。実弾兵器による近接戦闘の前に、敵艦艇は味方の誤射を恐れ禄に反撃出来ずに撃ち減らされる。

 

「撃て撃て撃て撃て!今の内に徹底的に数を減らせ!早くしないと体勢を立て直して反撃されるぞ!」

 

 実際、信じがたいが前方のスミルノフは半数近い損失を出し、しかもそこら中に駆逐艦とスパルタニアンが暴れる中で、艦隊の再編と反撃を八割方成功させつつある。マジかよ、ふざけんな、立て直しが早すぎるわ!

 

 シミュレーションとはいえ、なんていう才能だ。同盟にしろ帝国にしろ実際に軍の一部に身を置いていると分かるが、原作人物を馬鹿に出来ん。ひぃひぃ言いながらどうにか講義について言っている自分よりも遥かに才能ある奴ら、そいつらが何年も経験を積んだ奴らが現役の佐官、将官なのだ。正直金髪の小僧の言は真に受けんな。あいつ銀河系と人類を二十そこらで統一した化物だから。あいつの言う無能は、世間一般水準の無能と同列に語るべきではない。

 

『そろそろ……反撃、来る』

 

 デュドネイの注意に従い攻勢から防戦に隊列を変更する。同時にダランベールの支援を受け、スミルノフ、カルドーゾ、マカドゥーの順で反撃に移る敵艦隊。おいおい、ちょっと、あの爆発の混乱から立ち直るの早すぎない?

 

 数倍する火力が叩きつけられ、その勢いにより隊列からはみ出した十数隻の艦艇がすぐさま宇宙の塵と化す。

 

「怯むなよ……!もう少しだ。もう少しだけ耐えろ!」

 

 私はほかの生徒に激励しながら急いでカーソルを動かし隊列を整える。後少し……後少しだけ耐えろ。

 

 ジリジリと数光秒後退しながら艦隊の再編と整理をしながら防戦を続ける艦隊。

 

 敵艦隊は既に旗艦のすぐそばにまで砲火が届く距離にあった。旗艦に数発のビームが襲いかかり中和磁場に弾かれる。本来ならば危機的状況である。だが……悪いが手遅れだ。

 

「……!よし、間に合ったか!」

 

 近距離から電磁砲を撃ち込もうとして高速移動していた敵駆逐艦が側面からの砲火を受け爆散する。

 

『ギリギリだったな。もう少し持つと思ったが、期待外れだぞ?』

「いやいや、あの猛攻をここまで持たせただけ勲章ものだと思うんだけど?」

 

 回線が繋がって早々の罵倒に私は自己弁護をする。馬鹿野郎、実際に受け止めてから言いやがれ。

 

 ホラント率いる1100隻の艦隊は、右側面から敵艦隊に突き刺さる。

 

 右翼に展開していたホラントはこの戦闘中、気付かれぬよう小部隊で少しずつベアトの分艦隊と交代していた。

 

 その上で、敵艦隊の突撃により意識が正面に向いたのに乗じて第四惑星の影から回り込み、横合いから奇襲に近い状態で突撃したわけだ。そして……これが我々の作戦だ。

 

「よし、全艦前進!ホラントの攻撃で崩れた敵前衛を削り取れ!」

 

 敵艦隊の内部でアメーバの如く暴れ回るホラントにより混乱する敵艦隊を、正面からゆっくりと前進して少しずつその艦艇を粉砕する。ようは紀元前の時代から続く軍事作戦の基本、前方で相手を食い止め側面から打撃を与え、二正面から圧迫する「槌と金床」戦術だ。

 

 元々可能な限り戦死したくないために防御戦術ばかり集中して学んでいた私に対して、ホラントは生来の気性と、亡命軍のゲリラ戦術を組み合わせた「芸術的艦隊運動」……正確には艦隊を戦隊や群単位で独立させ、有機的に合離集散と火力の集中運用を行う事で敵艦隊を壊乱・撃破する戦術を編み出していた。

 

 この戦術自体は優秀ではあるが、同時に自身の戦力も広い範囲で分散するため継続力に難があり、また敵艦隊が艦隊を散開させると、混乱はさせられるものの攻撃面で決定打に欠ける課題があった。アレクセイとベアトもその対策を編み出すと、中々致命的な打撃が与えられなくなった。

 

 そこで二人でシミュレーションの艦隊を率いる事になった際、正面で私が守りに徹する間に機動力と地形を持ってホラントが強襲、内部から敵を撹乱し、乱れた前衛を私が微速前進しつつ押し潰す、という戦術が幼年学校時代に出来上がった。

 

 口だけで言えば簡単だが、実際問題はそう単純な話ではない。同数と仮定しても正面から2倍の敵の攻撃を私は耐えなければならないし、ホラントは可能な限り気付かれずに敵艦隊の脆弱なポイントを突かなければならない。更に縦横無尽に暴れるホラントの動きをある程度予測出来なければ、正面から敵を押し潰す際に味方を誤射しかねない。幼年学校時代からシミュレーションの相手や相方をしている奴でなければ……それでもギリギリだが……到底対応出来ない。

 

 その点では、ホラントは私の能力の限界をある程度把握しているし、私も奴に散々蹂躙されてきたので誤射しない程度には動きを予測出来る。戦って勝つのは不可能でも、味方として足を引っ張らない程度は可能だ。

 

 上手くいった。艦隊を上手く入れ替える事が出来たのが幸いだ。その面ではベアトも功労者だ。入れ替わった後も相手チームにホラントであると思わせる事が出来た。彼女もホラントとは何度も戦ってその癖を知っているため、多少の間なら真似が出来た。

 

 ホラントの分艦隊は敵艦隊内部で荒れ狂う。隊列が混乱し、味方艦艇同士が衝突する。隊列を広げれば防御能力が低下して正面本隊から削り取られてしまう。

 

「これで勝った……訳ねぇよな……!」

 

次の瞬間敵艦隊は一斉にこちらに突入する。

 

「ちぃ、やっぱりそう来るか……!?」

 

 奴らにとってこの事態を解決する、引き分けに持ち込む手段といえば一つのみ、肉薄して乱戦に持ち込む事だ。

 

私の艦隊は一瞬崩れかかる。

 

『若様……!』

 

 だが、すぐさまベアトが300隻の援軍を無理矢理両軍の間にねじ込む事で私は踏みとどまる。だが、あるいはそれこそが狙いだったのだろう。

 

 まるで全て読んでいたかのようにすぐさま方向を変更して右翼に向け敵艦隊は雪崩れ込む。

 

 右翼がホラントではなくベアトである事、その戦力が少なく、しかもその少ない戦力から中央に援軍を送った事から敵チームは最善手を打った。彼女はホラントとの極秘裏の交替によって相当疲労しており、その戦力はこれまで幾度となく抽出しており明らかに艦隊の弱点だった。

 

 私が1個戦隊を援護に回す前に右翼は崩れた。それは相手チームの意地であった。カルドーゾがホラントによって崩壊寸前になった隊列で無理矢理部隊を捻じ込む。ベアトの迎撃の前に先頭100隻余りが撃破されるがその爆発に紛れ駆逐艦隊がベアトの右翼先頭に潜り込む。混乱する右翼にコープの200隻の艦隊が側面に回り込み砲撃、隊列が崩れた所にカルドーゾの分艦隊本隊は殴り込んだ。

 

『あ、やばい……』

 

デュドネイが小さい声で呟いた。

 

 混乱は瞬く間に中央に波及した。私も、デュドネイも体力の限界が来ていた。こちらが鈍った思考で対応する前に敵チームは本隊まで混戦の中に引きずり込んだ。体力の勝利であった。

 

 チュンだけが混戦に巻き込まれる前に退避に成功した。しかし支援砲撃は難しい。既に戦場は混沌としていた。ある戦艦が巨砲による一撃で小賢しく動き回る巡航艦を沈める。だがすぐに駆逐艦が電磁砲でその戦艦を撃破する。そんな駆逐艦は単座式戦闘艇の群れにより弾薬庫を撃ち抜かれ中のレーザー水爆ミサイルに引火、周囲の艦艇を核の炎に飲み込みながら蒸発する。

 

「おうおう、見境なしだなぁ」

 

 私は引き攣った笑みを浮かべ目の前の狂宴を見つめる。これは収拾がつかないし、つける前に終わるなぁ。

 

『どうしようか?』

 

チュンが無線通信で尋ねる。

 

「いやぁ、チュンは距離を取って……第四惑星の衛星軌道で待機してくれない?ここに混ざっても混乱に拍車をかけるだけだし」

『だよねぇ……』

 

 我々は共に目の前の惨状を見やる。戦艦同士が近距離で砲撃戦を行い共倒れになる。空母が真下から中性子ビーム砲を食らい大爆発、周囲の敵味方を巻き込んだド派手な花火を上げる。ある駆逐艦は防空レーザー砲でスパルタニアンを撃破するがコントロールを失ったそれが艦橋に突っ込み行動不能になり、味方の巡航艦と衝突する。

 

『なんて無様な戦いだ』

 

ホラントの通信。随分も不愉快そうな口調だ。

 

『おい、ティルピッツ』

「分かってる。これは……駄目かもねぇ」

 

 後数分「槌と金床」が機能していれば……いや、まだ確定したわけではない。それにそうだとしても、責任があるとすれば戦力と各人の疲労を見誤った私にあるだろう。

 

 両軍が辛うじて戦力を引き離したと同時に、シミュレーション内時間で168時間丁度、シミュレーション内において計七日に渡り続いたアルレスハイム星系の会戦は終了した。

 

 シミュレーターの画面が暗くなる両軍の物資、兵員の消費量、群・戦隊・分艦隊旗艦等の損失が算出される。私はそれを椅子に座りながら黙々と見つめる。

 

 同時に私は小さな溜息をつく。覚悟は出来ているが……これは少し面倒そうだな。

 

 そして最後の艦艇損耗率の数字、それらを含めた総合評価による勝敗判定が表示される。私は瞠目し、苦虫を噛んだ後、軍帽を脱ぎ頭を掻いたのだった。

 

 

 

 

 

「では両チーム、礼」

 

 審判役の教官の号令に従い両チームは向き合い敬礼する。

 

 コープは苦々しい表情で私とホラントを睨みつける。マカドゥーは少々困った表情、スミルノフは不快気に我々を見つめていた。ほかのメンバーも似たり寄ったりの態度だ。

 

 一方、こちらのチームは静かにホラントが佇み、チュンは困った表情をしていた。デュドネイは眠そうにし、スコットは目元を押さえ疲れを誤魔化す。瞠目した表情で直立不動の姿勢のヴァーンシャッフェ、そしてベアトはこの世の終わりのように青い表情を浮かべていた。

 

 最後の最後に勝利の女神は相手チームに微笑んだ。僅か30隻差の艦艇損耗が決定打となった薄氷の勝利に、だが相手チームは不快感しかない様子だ。当然だ、席次は遥かに格上、しかも好条件も幾つか揃っておいて、最後は時間切れによる判定勝ちによる辛勝だ。勝ちは勝ちでも後で年寄り連中にグチグチ言われるだろうし、彼女、彼らのプライドも相当傷ついた筈だ。特に最後の戦闘は戦略も戦術も無い乱戦だ。無様な戦いである事この上無い事だろう。

 

 尤も、それくらい我慢して欲しい。観客席をちらりと見た後に私は考える。沈黙し、重苦しい雰囲気を纏う同胞達を見やる。ああ、何言われるか分からんな。

 

 両チーム共に暗い雰囲気で退席しようとし……拍手が鳴った。

 

「いや、実に両チームの戦い、素晴らしく、才気に溢れたものだった」

 

 同盟軍士官学校校長シドニー・シトレ中将は笑み……それが営業スマイルである事を少なくとも私は理解した……を浮かべながらはきはきとした、観客達に聞こえる声で口を開いた。

 

「ここまで勝敗の最後まで分からなかった試合は初めてだよ。両チームとも、学生とは思えない本当に見事な指揮だった」

 

 シミュレーターの壇上に上がる校長は鷹揚とした声で試合を称えた。

 

「特にコープ四年生とティルピッツ四年生は、総司令官として両者共果敢かつ、的確な判断を即断出来ていた。司令官にとっては正確な分析と素早い決断が何よりも求められる。その点君達は満点だ。ホラント四年生の艦隊運動は戦闘終盤の流れを変えた点で注目すべきものだな、スミルノフ四年生、ダランベール四年生の砲術はとても四年生とは思えん。実戦で通じる出来だ。ゴトフリート四年生は少ない戦力で常に最善の判断を下していた。予備戦力に後方警備、囮役、地味ではあるが戦闘全体を支える分野を全てで満足すべき結果を残したといえるだろう」

 

 生徒一人一人のシミュレーションでの活躍を褒め称える校長。

 

「いやはや、私も学生時代多くの同期と戦ったが、ここまでの試合は無かった。皆、実に将来が楽しみな若人達だ」

 

そう言って校長は観客席を笑顔で見つめる。

 

「皆さま、申し遅れました。私、同盟軍士官学校校長シドニー・シトレです。いきなりの事で申し訳御座いません。余りに白熱した試合でつい興奮してしまいまして。観客の皆さま、これが同盟軍の将来を担う若者達です。彼ら彼女ら、そしてこれから参加する生徒達は皆同盟軍の将来の中核を担う者達です。まだ少々青い所もありますが、どうぞ、彼ら彼女らの今後にご注目下さい」

 

 笑顔で一般人の観客を見渡しながら演説するように彼は語る。だが、その瞳は静かに、冷たく二つの派閥を睨みつけていた。

 

「ここでの勝敗はシミュレーションのため、少なからずの人々はその実戦での有用性を疑問視する意見があります。確かにシミュレーションのためにステージ上の問題や、下級指揮官、戦力等の面で実戦に効果があるのか、という意見が度々上がっているのは事実です。正直に言いましょう。確かに実戦とシミュレーションは別物です」

 

 その発言に一般の観客はおいおい、とざわめく。同時にシトレ校長の意図が何となく分かった。

 

「ですが、シミュレーションの目的は勝敗ではなく、研究のためにあります。これまでの作戦の効果の証明、両者が独自に考えた作戦の出来の調査、歴史上の戦いの仮定の研究……それが目的なのです。御観覧の皆さま、ですので勝敗に注目するのも宜しいが、それ以上に若者達が知恵を絞り組み立てた新しい作戦、両者が生み出した智謀の芸術に注目して頂きたい」

 

それは一般人より、寧ろ別の人々に向けた物であった。

 

 校長はこちらを向くと心からの笑顔……そして僅かな憐憫を浮かべ……再び声をかける。

 

「此度の試合、本当に素晴らしいものだった。つい昔を思い出した。双方、一時の勝敗に一喜一憂するのも良いが、これに奢る事無く精進して欲しい。コープ四年生のチームには古代ジャパンの軍人の言葉を授けよう、「勝って兜の緒を締めよ」、勝利してこそ油断せず精進を重ねなさい」

 

 コープ達に向け戒めるように語ると、続いてこちらを見て穏やかに語りかける。

 

「ティルピッツ四年生のチームには古代アメリカの哲学者の言葉を与えよう、「挫折や失敗は人間には付き物だ。問題はそれを糧にし教訓を引き出す事だ」。実戦なら兎も角、これは人の死なぬシミュレーションだ。大いに負けなさい。そしてそれを糧にして学びなさい。敗北を知らぬ者ほど弱く、愚かな軍人はいない」

 

 そして私と僅かに視線を合わせた校長は複雑な笑みで微笑み、再び観客に向け語りかける。

 

「それではしばしの休憩後に次の試合を執り行います。どうぞお楽しみ下さい!では皆様、どうか拍手で生徒達をお見送りを!」

 

 その声に何も知らぬ一般客達が拍手し、続いて少々憮然とそれ以外の者達も続く。それに満足したのか恭しく校長は退出する。

 

 校長に続き私達も退場する。私は校長の意図を理解していた。御苦労な事だ、校長なりのフォローなのだろう。あれだけ言われれば双方の派閥共に余り強く生徒を責められまい。取り敢えず説教時間が大幅に短くなったのは救いだ。後は……。

 

「若様……」

 

 小動物のように怯えた幼馴染を見やる。この忠実な従士のケアとフォローはまぁ、私の責任だよなぁ。

 

 ある意味、学年席次上位チームを相手どる以上の難敵だ、内心で私は苦笑した。

 

「……気にするな。全て私のミスだ」

「で、ですが………」

 

 顔を青くするベアト。まるでこの世の終わり、とでも言うような表情だ。理由は分かる。彼女が持ちこたえられなかった事が混戦の要因であったのは間違い無い。だが……。

 

「……あの時援軍をくれなかったら中央が崩れていた。負担をそちらに押し付け過ぎた。明らかに私の判断が誤っていた」

「そ、そんな事は………!」

 

 私の発言を否定しようとする従士の口元に人差し指を立てて、話すな、と伝える。

 

「まだ、私の話は終わっていない。私の話を遮るな」

「は……はっ、申し訳御座いません」

 

 厚かましくも上から目線で注意。だが、ベアトは恭しく従ってくれる。本当、私には勿体無いくらい従順だよなぁ。

 

「……此度の作戦は想定外で慣れなかっただろう?当然だ、事前に伝えてないのだからな。普段からやらせていて出来ないなら兎も角、初めての事が出来ぬからと咎める道理は無かろう」

 

 当然だ、本当なら焦土戦が我々のセオリーの筈なのを、私の都合で変えたんだ。根本的には、原作のプロの軍人を困らせたぼんぼん貴族と変わらない。

 

 何か言いたそうにするが、先ほどの注意もあって口を開かないベアト。本当にこの娘いい子だよな。

 

「一応命じるが、自決なぞするなよ?卿は私の従士である以上資産だ。勝手に目減りされても次を用意するのが面倒だからな。……それに己惚れるなよ?お前は学年首席でなければ全能でもない。出来る事には限界がある事くらい承知だ。それを見極めきれずに使ったのは、極めて遺憾ながら私の落ち度だ」

 

 私は、偉そうにベアトを見つめ命じる。因みに自決と言った時びくっとしてた、え、マジ?する気だった?

 

「此度の卿に出来るのにやらなかった事は無い。……だが、常々努力を怠るな。今度こそは私の期待に応えて見せよ。私が卿を傍仕えさせてやっているのはそれだけ期待してやっているのだからな。それだけお前を有象無象の従士団の中でそれなりに高く買っているのだ。分かったな?」

 

 ……冷たく、貴族然とした口調で「別に君の責任じゃないよ!」と伝える。凄いよな、門閥貴族が格下の者を許す時の言い方、完全に喧嘩売ってますわ。誰だよ、こんな糞みたいな台詞言っているの。

 

……私だよ?

 

「……はい、若様、従士の身で出過ぎた事をした事、誠に申し訳御座いません」

 

 一方、ベアトは一つ深い息をすると目元を潤ませてガン泣きしながら心から謝罪する。おう、観客から見えない所に移動していて良かったね。見られたら私パワハラ学生確定だよ。ネットで吊るされているよ。

 

「馬鹿らしい」

 

ホラントが心底呆れた声で呟く。凄く分かる。

 

「……DV彼氏?、依存症?」

「いや、あれは宗教だ」

 

 デュドネイとスコットが小声で話合う。止めろ塵を見る目をこちらに向けるな、恥ずかしさと罪悪感で死ねる。

 

 チュンは興味無さそうにどこからか取り出したクロワッサンを堪能している(もう慣れているともいう)。ヴァーンシャッフェのみがそこに美しい主従関係を見出した。はは、ワロスワロス。

 

「このベアトリクス・フォン・ゴトフリート、ゴトフリート従士家の末席を穢す身では御座いますが、どうぞ…どうぞ若様と伯爵家のためにこの身命を御捧げ致します。改めて、どうぞ忠節を尽くす事をお許し下さい」

 

 跪く少女は、可愛い顔して明らかにヤバい宗教団体の会員の如き思考で宣言した。だが、私は知っている。ウチも含め古い門閥貴族に仕える家臣にはもっとヤバい奴がごろごろいる事を。帝国は地球教徒を馬鹿に出来ん。というかアンスバッハは凄いな。才能と理性と狂信が絶妙なバランスで出来ていたんだな、あいつ。

 

取り敢えず、私がこの場でいえる事は一つのみである。

 

「アッハイ」

 

ほかに言えよ?じゃあお前考えなよこの野郎!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下を歩み、観客席に戻ろうとしていたシトレはその人影を見つけ、足を止める。

 

「……ロボスか」

「……シトレ、校則破りの常習犯のお前さんが校長とは似合わんな。教官共がヴァルハラで気絶していような」

 

 廊下の一角にて、シドニー・シトレ中将とラザール・ロボス少将……同盟軍の未来の指導者たる事を期待される二人は静かに見つめ、いや睨み合う。

 

「……あの三文芝居は何かね?」

 

 会場での演説を指しているのだろう、不快そうにロボスはシトレに向け尋ねる。

 

「上官に対して酷い言い草だな。あれは単に心から思った事を口にした事だ。学生の身であれだけの試合が出来るのなら感嘆に値する。彼らが気落ちせぬように慰めた、それだけの事だ」

「お前が言葉を飾るとはな。学生の頃とは大違いだ」

 

 かつてのシトレは首席の優秀な学生であったが、模範生とは言い難い人物であった。反骨精神の塊で、いつも一言多い男だった。一方次席のロボスは今と違い痩せており、整った体付きと物静かな優等生であった。

 

「……人は、変わるものさ」

「変わる、そうか、確かにな……」

 

 どこか複雑な表情を向けつつ肩を竦めて自嘲する校長。だが、それを馬鹿にする事無くロボスも同意した。双方共に士官学校を卒業して以来、本当に様々な経験をした。素晴らしい経験も数多くしたが、同じだけの不愉快な事実も多く身をもって知っていた。

 

「だが、別に嘘はいっていないぞ?本当に良い学生達だ。特にティルピッツ四年生のチームは良かった」

「?負けたチームだぞ?」

 

怪訝そうに尋ねるロボス。

 

「勝敗は無視出来ないが、この場合はナンセンスだな。彼らはシミュレーションとはいえ市民を見捨てなかった。あれが実戦なら帝国軍が撤退していただろう。市民を守り通したのなら我々同盟軍にとっては勝利だ」

「シミュレーションの戦闘そのものでは負けだがな」

「辛辣な事だ……」

 

 その辛辣な評価に苦笑するシトレ。だが、と彼は思う。目の前の男は学生時代、シミュレーションにおいて同じような状況でどう動いたか覚えているだろうか?

 

「人は変わる、か」

「ん?」

「いや、それに私としても恩義がある。彼らがもし民主主義の軍隊らしからぬ戦いをしていれば、学校の名誉にも関わっていた。それに双方の老害にも良い薬になったろう。知ってか知らずか、一時の汚辱と引き換えに彼らはより大事なものを守って見せた。それに対して多少御褒美も必要だ。何事も持ちつ、持たれつ、だな」

「……」

 

 シトレの言わんとする事の意味を察知して静かに沈黙するロボス。

 

 言うことを言ったシトレはロボスを通り過ぎてゆっくりと観客席に向かう。沈黙の中、大理石の床を軍靴の足音のみが響く。

 

「シトレ」

 

 ふと、ロボスはシトレの名前を呼ぶ。シトレはそれに反応し、歩みを止める。

 

「………不本意だが、礼には礼で返すのが道理というものだ。……すまん、恩に着る」

 

 不快そうに、言い捨てるような旧友の声、それにシトレは僅かに口元に喜色を浮かべて答える。

 

「気にするな。昔、寮の抜け出しを黙ってくれた貸しに比べれば安いものだ」

 

 それだけ言うとシトレは何も言わずに去る。ロボスもまた憮然とした表情で彼の身内の下へと足を向け進み始めた。

 

 余りに簡潔な会話……だが、二人の間ではそれだけで十分であった。そう、士官学校学生時代、最大の敵であり親友の間柄であった二人にとっては………。

 

 

 



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第四十九話 誰だって心の内に含むものがあるものだよね

次で卒業、その次で任官の予定。おい、ようやく卒業とか話進むの遅すぎぃ。

……今から任官後の死亡フラグの山を書きたくて仕方ない(鬼畜)。


 戦略シミュレーションは所詮は一種のゲームであるが、それでも集中して長時間プレイする場合、精神的、肉体的に非常に大きな疲労感が襲い掛かる。味方との連携に傘下部隊の統制、通信や物資、人員に宙域環境と言った各種情報の管理、敵艦隊の意図を限られた情報の中から合理的に分析し、対策しなければならず、その合間に自分の体調管理もしなければならない。

 

 無論、実戦でないため戦死者はいないし、現実と違い圧縮された時間であるためにその点では現実に比べれば気楽だ。

 

 それでも現実では艦隊司令部があり、各種参謀や副官が行うべき任務も部分的にとはいえやらなければならないため、その点ではやはりシミュレーションとはいえ辛い。

 

 そのため今私が、休憩室のソファーに深く座りこみ、砂糖とミルクを混ぜた珈琲を口にしていようともそれは上官や年上への無礼に当たらない。

 

 尤も、今この空間内ではある意味私より格上の存在がいないので私を窘める存在はいない、とも言えるが。

 

「若様のお考えは分かりました。ですがあの忌々しい蛙食い共に不本意ながら敗れたのは事実でございます」

「他の者達にも若様の御考えは御伝え致しましょう」

「勝敗よりも研究の面の強いシミュレーションとはいえ、しかし公衆の面前での敗北は名誉な事ではないことをお忘れ無きように」

 

 ソファーに座る私を囲むように座り、あるいは起立し直立不動の体勢で私に恭しく諫言(彼ら目線)する同胞、正確には同胞の同盟軍人。

 

 うん、狭苦しい。休憩室で皆ぎゅうぎゅうに集まるの止めるべきだと思うんだ。

 

 まぁ、事態は私としては予想通り、あるいは予想よりはマシなようで悪いような状況だ。

 

 同胞諸君に引きずられチームとバイバイした後私なりに各種の弁明をするはめになった。具体的には相手チームに対して本命の作戦を伝えないため、だとか正面決戦の場合の研究をしてみたかったとか、忌々しい蛙食い共に奴らの土俵で叩き潰してみたかったとか、最大の言い訳は時間切れのため負けたが後少し時間があれば奴らを完全敗北させる事が出来た、だな。

 

「あの野蛮人共め、勝てぬからと時間切れを狙いやがった。実戦ならば今頃勝利の祝宴をし、肴に奴ら全員一列に並べて晒し者にしてやったというのに」

 

 足を組み忌々しそうな表情でこう答えた。え?時間切れ狙ったのお前だろ?あーあー聞こえなーい。

 

 正直その辺り突っ込まれたら困ったが、そこは血筋が助けてくれる。帝国開闢以来の伯爵家の直系、しかも末席とはいえ母方は帝室出身な、恐らく新無憂宮にいてもサラブレット扱い(そしてリップシュタットに参加して義眼に処分される)の私が、貴族的に高慢な態度で自信満々に、しかも貴族階級の使う帝国語で優々と宣言すれば皆さん言い返せる訳無いよね?

 

 同盟地上軍副総監ハーゼングレーバー中将(子爵)、第6艦隊司令長官グッデンハイム中将(伯爵)、統合作戦本部情報部長マイドリング=ティルピッツ中将(分家子爵)、第6地上軍司令官バルトバッフェル中将(本家筋)、同盟軍にて貴族としての私にそこまで強く叱りつけられるのは、現在俗に帝国系将官四人衆と呼ばれる彼ら位だ。

 

 当然ながら彼らは暇ではない。同盟軍の主力部隊の一角や軍中央司令部に勤める彼らがそうそう学生のお遊びを見に行けるか、と言えば難しい。つまり私にこの場で高圧的に責め立てる事が出来る者はいない(尚、通信回線)。取り敢えず秘密裏にグスタフ三世陛下に泣きつこうかな(私はフレーゲルの同類か)?

 

 そもそも見に行く必要が無い。見に来る将軍や提督方は見所ある才能を探しに来る訳で、私は元から帝国系首脳部の引き抜き対象だ。え、同盟軍は縁故で出世出来るのか?いや、功績挙げられると信じているから、多分激戦闘地に送られるんじゃないかな(白目)?

 

 まぁ、流石に本当に死にやすい所に行く事はそうそう無かろうが、少なくとも着任後は功績を立てやすい花形部署には送られるだろう。才能はあるのだから場所を与えればガンガン出世してくれると、同胞達は確信しているに違い無い。なんかお腹痛くなってきた。

 

 無論、追求が弱いのはシトレ校長の芝居がかった演説が一役買っているのは間違い無いだろう。此度のシミュレーションで勝ち負けを議論するのは誤りであると堂々と宣言し、しかも私達の指揮や戦略にも称賛の言葉をかけたのだ。シトレ中将が派閥色の薄い人物である事も、同盟軍を代表する若き名将であり、十年後の元帥候補である事も皆承知だ。態々相手の面子を潰して敵に回す事も無い。寧ろその手の名誉に敏感な帝国系軍人には効果覿面だ。

 

 そのため少なくとも私が強く責められる事は無い。私は、だが。

 

「それにしてもゴトフリート四年生、あれはなんだ!若様に御迷惑をおかけして……!」

「左様、卿は何をしたか分かっているのか?折角若様の優秀さを明白に証明する機会であったものを……!」

 

 明らかな敵意を持って彼らは私の傍にて直立不動の姿勢で待機する従士を責め立てる。

 

 理由は理解出来る。少なくともベアトが右翼をせめて後数分持たせる事が出来れば、あるいは我々が判定勝ちしていたかも知れない。実際はそれどころか本隊にまで混乱を波及させ、下手すれば私の総旗艦が撃沈されていた可能性もあった。その意味では私の御守り役の任を果たせなかったと言わざるを得ない。

 

「はい、此度の件、確かに私の失態で御座います」

 

 ベアトが心底沈痛な表情で答える。私の許しを得ても失態は失態である。責め立てられても仕方ないし、言い訳なぞもっての外である。それでも頭を垂れないのは主人である私の傍に控えているからであり、主人の前で他の貴族に従う訳にはいかないからだ。

 

「ゴトフリート従士については私から叱咤しておいた。これ以上詰問するのは止めて欲しい。どうぞ御容赦を」

 

 年下の癖に偉そうだが、私は少々不快な表情を発言者に向ける。大半は男爵、子爵、帝国騎士階級、それに初期亡命貴族以外の者が殆どだ。不快そうに、しかし礼節を完全に整えてやんわりと頼めばどうにか言い訳が立つ。彼方も私の面子を余り傷つける訳にはいかない。

 

「……若様の申し出は尊重しましょう。ゴトフリート従士家はティルピッツ伯爵家に古くから仕える家、大逆罪でもなければ我らに如何なる処遇も与える権利は御座いません」

「ですが余り特定の家臣を贔屓にせぬ方が良い事をお忘れなきように。伯爵家に仕える家はゴトフリートのみでは御座いません」

 

 注意、というよりは諫言に近い口調で彼らは指摘する。

 

「うむ、年長者たる上官方の御指摘、含蓄に富むものです。胸に留めておきましょう」

 

 私は必死の演技で微笑みながら礼を述べるように答える。

 

 実際に良く考えたらかなりベアト……というよりゴトフリート従士家……を厚遇しているように見えなくもない。

 

 ゴトフリート従士家は、伯爵家に仕えている分家含め三桁存在する従士家の中でも五本の指に入る名家だ。帝国開闢以来の伝統はあるし、代々私兵軍の参謀や盾艦艦長、当主の副官や護衛を受け持ってきた。亡命以前には三名の将官を輩出したし、新無憂宮に侍女を送った事や、伯爵家やその血を引く大公家に寵姫を送った事もある。

 

 ブラウンシュヴァイク公爵家に初代から仕えるアンスバッハ家やシュトライト家、あるいはアイゼナッハ伯爵家のグリーンセンベック家やシャウディン家、皇妃ジークリンデを輩出したワーグナー家のように下位門閥貴族に匹敵するような名門中の名門従士家に比べれば一歩譲るが、少なくともゴトフリート家はミューゼル家のような禄に歴史も無い家よりも遥かに貴族だ。

 

 そのような煌びやかな伝統を持つ従士家ではある。あるが、それでも従士家は従士家だ。ライトナー家やノルドグレーン家、レーヴェンハルト家のように同格の従士家は幾つかある。そんな中で側仕えしているのは……正確には色々ぐれたりなんやり面倒な性格だった昔の私が許容出来たのがベアトだけだった。

 

 まして、幼年学校時代、そして今回と二度に渡り失態を演じ、許されれば依怙贔屓していると言われても残当だよなぁ。

 

 居心地の悪そうにベアトはこちらを見やる。諫言される私よりも、ある種彼女の方がこの事については気にしているだろう。

 

 どこぞの侯爵夫人のように寵愛一人占めしたぜウェーイ、な性格ではなく、どちらかと言えば一族全体の、あるいは家臣団全体の融和と団結を重視する性格だ。自分の立場、あるいは一族が厚遇される事に否定的という訳では無いだろうが、それはあくまでも良識の範囲内、家臣団一同が納得出来る範囲内での話だ。

 

 少し不適切な例えだが、従士家を中核とした家臣団は主家に各種特権を与えられ、寄生する事で繁栄しているのだ。自分から宿主たる主家と家臣団に不和の種を蒔き、あまつさえ仲間内での共食いの果てに宿主が死んだら笑い話にもならない。

 

 その上忠誠心が高く、体制と伝統を信奉しているきらいのある彼女にとっては、自身が不和の種になるのは本意ではないだろう。

 

「………」

 

 俯き加減に沈黙する従士。こればかりは、内容が内容だけに口を出せないなぁ。

 

 実際の所、厚遇と言うが冗談抜きでベアトいなかったら生命とか成績とか私生活とか色々終わっていただろうから、手放せないのが本音だ。気持ちは分かるが勘弁して欲しい。

 

「ヴォル坊も少し疲れておる。それくらいにしてやってくれんかね?」

 

のしのしと鈍い足取りで休憩室に助け舟が来る。

 

「ロ、ロボス少将……!」

 

 ゆっくりと入室してきた叔父に私も含めた全員が慌てて起立し敬礼する。

 

「うむ、すまんが後で話そう。席を外してくれんかな?」

 

 微笑みながら頼みこむロボス少将に反対出来る者はいない。爵位は無いが、母方は皇族の血を引き、父方の家は旧銀河連邦系の名家、父は現在国防委員会所属の議員、本人は士官学校次席の将来の同盟軍首脳候補である。反対出来る筈も無い。

 

「……二人とも、気苦労をかけたな」

 

私とベアト以外が退出した後、心底労うように叔父が口を開く。

 

「いえ、あのような醜態を見せ申し訳御座いません」

 

私は貴族の礼節に従い深々と謝罪する。

 

「いや、あれは流石に仕方あるまい。運が悪かった。寧ろ良くやってくれた。お蔭様で我々の立場も守られた」

 

 下手にあの場で焦土戦をしていれば、現在の同盟軍首脳部に席を置いていた同胞への適性も疑われかねなかった。長征派辺りが国防委員会なり人事局にネガティブキャンペーンをしていた可能性もある。

 

「儂から長老連中に口聞きしておこう。老人方は少々視野が狭くなるのがいかんなぁ」

 

ははは、と朗らかに笑う。

 

「……御迷惑おかけします」

 

 複雑な表情を向け謝意を示す。この人は、政略結婚の結果であるが半分帝国貴族の血を引くものの、残り半分は平民の血だ。血筋を極端に重視する一部の保守的な同胞の中には、爵位が無く半分平民の彼が宮廷に顔を出す事、同胞面する事に、公には言わないが不快感を持つ者もいる。

 

 その分実力で今の立場を確立してきた訳だが、私への口利きで立場も少し難しくなるかも知れない。

 

「気にする事は無い。坊の実力は良く知っておる。あの不利な状況で良く頑張ったな」

 

 剽軽な表情でそう言いながら、自動販売機から珈琲を購入する。ミルクと砂糖がどっぷりと入ったそれを、深々とソファーに座り込むと御機嫌な表情で口にする。あー、この人若い頃痩せていたのに今じゃあ肉饅頭になった理由が分かった。随分ストレス溜めているんだろうなぁ。

 

「ゴトフリート君も良く頑張った。最後の事は気にしなくて良い。あれは儂でも厳しい」

「……承知致しました」

 

 無論、従士への配慮も忘れない。寧ろ、自身の微妙な出自から目下の者にも良く気を配る。尤も、今のベアトにどこまで届いているかは分からない。叔父自身もベアトの内面の感情は理解しているため、深くは尋ねる事は無かった。

 

まぁ、それは兎も角………。

 

「では、そろそろ我々も御邪魔しても宜しいですかな」

「帰れリア充」

 

 取り敢えずそろそろとばかりに入室してきた帝国騎士に笑顔で帰れコールを発する。尤も効果なく図々しくもバリトン調の帝国騎士は小っちゃい連れを連れて椅子に座り込んだ。

 

「酷い仰り様ですね。私は折角敗戦に落ち込んでいる雇用主を見ぶ……お慰めに参ったというのに」

「今見物って言おうとしたよね?物笑いの種にしにきたよな?そうだよね?」

 

 私の指摘をどこ吹く風とばかりに受け流す帝国騎士。こいつ、雇用主になんて態度だ。

 

「そんなんだからヴァーンシャッフェにグチグチ言われるんだ」

 

 同じ陸戦略研究科所属の有望な帝国系陸戦士官ではあるが、神経質で上下関係に厳しいヴァーンシャッフェと飄々としたこの帝国騎士は、何かとウマが合わない事で知られる。正確には、一方的にヴァーンシャッフェがシェーンコップに注意している形だが。まぁ、実力は互いに認めているし、憎しみを抱いている訳ではないだけマシではあるが。

 

 シェーンコップ帝国騎士は現在、亡命政府に将来を期待される士官学校学生の一人だ。将来は確実に将官になるだろうと言われ、家柄も悪くない、強いて言えば性格に難があるし、「士官学校亡命者親睦会」のパーティーの出席率も多くない。出席するのも私やクロイツェルの顔を立てるためだ。

 

 そして因みにその顔もあり、出席する女生徒に声をかけられ、不機嫌そうにするクロイツェルに抓られ、機嫌を取る羽目に陥るは様式美だ。

 

「そう言われましてもねぇ。私は家柄や礼儀は兎も角、実際に貴族然とした生活はした事が無いものでしてね。なかなか慣れるものではありませんよ」

 

 貴族らしく振舞える事と振舞いたいか、は別問題という訳だ。成程、気持ちは分かる。……分かるが、毎度パーティーでクロイツェルと一緒にタッパーに飯持って帰るの止めてくんない?見られないように隠れてやっているのは分かるけど!100%自然放牧の赤身ローストビーフが美味いのは分かるけど!

 

「いや、あれはフロイラインがたくさん持ち帰りたいとごねるからですが……」

「止めて下さい!ワルターさんっ!本当ですけど私を売らないでください!お肉美味しいんです!仕方ないんです!実家じゃああんな柔らかいお肉食べられないんです!」

 

 ベアトに冷たい視線を浴びせられ、半泣きでシェーンコップの影に隠れるクロイツェル。仲がよろしい事で、リア充に災いあれ!

 

「ははは、なかなか賑やかで愉快な後輩君達で結構な事だ」

 

 その様子を見ながら愉快なものを見るように笑う叔父。一方、シェーンコップ帝国騎士はそんな叔父を見て優美に敬礼する。

 

「ラザール・ロボス少将殿、私、ハインブロン=シェーンコップ帝国騎士家よりティルピッツ四年生殿の食客をしておりますワルター・フォン・シェーンコップ三年生であります。若様には毎度御馳走になっております」

 

 不敵さと礼節を最大限両立させた所作は、確かにその貴族的礼儀作法を十分に受けた事を証明していた。

 

「ろ、ローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェル帝国騎士です!え、えっといつもご飯が美味しいです!」

 

 一方、クロイツェルは慌てて自己紹介をする。うん、こっちは完全に不合格だね。美味しいご飯ってなんだよ。ふざけんな。何でお前そこの不良学生に自然に混じってタダ飯食ってんの?

 

 尤も、叔父の方は微笑ましくそんな私への敬服の欠片も無い後輩を見やる。

 

「うむ、ヴォル坊が世話になるな。何かと詰めの甘い所がある子だが、どうか宜しく頼むよ?」

「ええ、勿論。タダ飯分くらいは一応働きましょう」

 

 私を見て、意地の悪い笑みを浮かべ返答する不良学生。こいつマジで人に喧嘩売るの好きだな。

 

 取り敢えず不機嫌な表情を浮かべ、私は手元の珈琲を口に含む事に専念する。どうせ口喧嘩と戦斧術では不良学生に勝てない事はとっくの昔に知っているのだ。相手の土俵で戦う必要はありやしない。

 

「お、決勝戦か……」

 

 珈琲を飲みながらぼんやりとしていると休憩室に取り付けられていたソリビジョンに気付く。お説教から結構時間が経っていたようだ。

 

 画面の先ではコープのチームとヤングブラッド首席のチームが激戦を繰り広げていた。コープのチームは私の次に当たったチームに対してのそれと同様に、力尽くで正面から叩き潰そうとしていた。激しい攻撃が首席チームに襲い掛かる。

 

 一方、ヤングブラッド首席のチームは本人を含め戦略戦術が(比較的)苦手なメンバーが多いので、その攻撃を受け流しつつ十全の補給と電子戦、陸戦部隊の特殊部隊や工兵部隊による兵站への攻撃により、敵の攻撃効率と士気を低下させようとしていた。そしてそれは半ば成功しつつあった。

 

「マジで狂ってんな。艦隊戦が苦手なメンバーばかりとか冗談だろ?」

 

 ヤングブラッド首席こそ戦略研究科出身だが、残りは陸戦や情報、後方支援を専門とする学生ばかりだ。その癖コープ達と正面から互角の戦いを演じる。学年トップクラスの奴らは可笑しい。あいつらは得意不得意なんて建前みたいなものだ。総合的に全ての教科で九割以上取らないと首席争いなんか出来ない。席次100位以内なんて、1点2点が席次に致命的な影響を与える世界だ。

 

「四年の首席は前線よりも後方勤務の適性が高いと評判ですからな」

 

 ソリビジョンを見ながらシェーンコップが補足説明する。士官学校最大の花形研究科は戦略研究科のために首席たる本人も所属しているが、本人は統合兵站システム研究科に行きたかった、という噂は本当だ。本人から聞いた。

 

 同盟軍将兵は、同盟の後方勤務の人材は最盛期にあると噂する。

 

「後方勤務本部長の椅子は指定制さ。十年後はロックウェル、二十年後はセレブレッゼ、三十年後はキャゼルヌで、四十年後はヤングブラッドが予約しているのさ」

 

 後方勤務職の軍人や志望学生の間では、自分達が後方勤務本部長になれないだろう事を自虐を交えてながら語る。現在の後方勤務本部長ワン・ジンミェン大将、次長ジェシー・アイゼンバーグ中将にしても、士官学校学生時代からその席に着くであろうと噂されていた。

 

 引き抜きがあったとしても学生時代の成績、そして実際の功績も評価されている事も含め、何も無ければこの予測はほぼ確実に実現するだろう。

 

 ……まぁ、何も無ければだが。セレブレッセの喪失は痛かっただろうね。

 

「いいよなぁ。ヤングブラッドにしろ、皆オールマイティに才能があって、羨ましい限りだよ」

 

 愚痴同然に溜息をつく。物心ついた時からびしびし扱かれてやっとこさで講義についていっている身からすれば妬みしかない。

 

「あきらめなよ、多分おにいちゃんはがんばったから、人間ほどほどでまんぞくしないと」

「おう、毎度毎度神出鬼没だな。忍者……いや、ニンジャか、お前は」

 

 ひょっこりと休憩室に顔を出すロリデリカに私は毒づく。相変わらず私は十歳児相手にマジだ。大人気ねぇ。

 

「何だ?慰めにでも来てくれたの?」

「え、それはないよ」

 

 じいしきかじょーだよ、と引き気味に返答するミスグリーンヒル。何気に心に突き刺さるから止めて。

 

「フレデリカ、だから失礼な事をいうのは止めなさい」

 

 注意しながらグリーンヒル准将が現れる。フレデリカはそんな父の足に隠れる。少し眠そうだ。

 

「全く、母さんに怒られたばかりなのに、元気過ぎる娘だ」

 

 どうやら、母の目を盗んで学内でマスコット達に迷惑をかけまくっていたらしい。

 

「もう帰るのかね?」

 

ロボス少将の質問。

 

「ええ、妻も、娘も疲れているので。後の休暇は実家でゆっくり過ごしますよ」

 

微笑みながらグリーンヒル准将は私の方を見る。

 

「負けてしまったのは残念だが、良い試合だったよ。もし機会があれば、私の所でも参謀か部隊の席を空けておくよ。その気があれば来て欲しい」

「はは、戦死していなければ、ですが。考えておきます」

 

 社交辞令ではあるだろうが、その誘いに敬礼しつつ苦笑いして答える。貴方個人は悪くないかも知れないが、死亡フラグを建てないでくれませんかねぇ?

 

 グリーンヒル准将はうとうとする娘を抱きかかえると、改めてロボス少将と私達生徒に敬礼して退出する。それを見送った後、ロボス少将は笑顔で提案する。

 

「では、そうだな。気分転換に食事にでも行かんかね?今日は良く頑張った坊を労いたいからな」

「えっ……あ、はい。分かりました」

 

 いや、多分予め予約取っていたんだろうからね、断る訳にはいくまい。恐らく本当は勝った後のお祝いのためだっただろうけど。複雑だなぁ。

 

「あのぅ……私はぁ」

「クロイツェル君達もどうかね?アルゼント街の「金獅子亭」という店だが……」

「高級レストラン!ごっちになります!やりましたねワルターさん」

「全くローザラインは目敏いですなぁ」

 

 ごく自然にタダ飯を手に入れるクロイツェル。おーい、不良学生当然の如くお前も混じるな。

 

「若様……」

「……お前は、まぁ楽しんでおけ。士官学校の安い飯は流石に飽きるからな」

 

落ち込み気味のベアトに微笑む。

 

「食べ終えたら二人で試合の評価研究でもするか。遺憾ではあるが私一人では分析出来んからな。頼むよ」

 

 ベアトの気持ちを察知して私は頼み込む。励ますより、慰めるより、この方が良い。

 

「……はいっ!喜んでお引き受けします!」

 

 その言葉に僅かに元気を取り戻した従士は、私に向け惚れ惚れするような敬礼を返したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウィルヘルム・ホラントはシミュレーションの敗北の後、他のメンバーと別れ、一人学内のトレーニングルームにて筋トレを行っていた。

 

 スポーツウェアを着た状態で高級マシンを持って黙々とトレーニングを行う。体操により筋肉をほぐした後、ルームランナーで10キロの道を淡々と走り、アブクランチで腹筋を、ロウア―バックで背筋を鍛え上げる。今は九十キロのベンチプレスを無心で上げ続ける。

 

 ちらほらとトレーニングルームに寄った学生が試合の健闘について褒めたりもしたが、ホラントは完全に無視して体を上気させてトレーニングを続ける。尤もホラントが士官学校に在籍して四年である。皆彼の性格をある程度理解しているので、不機嫌になる者はそんなにいなかった。

 

 これはウィルヘルム・ホラントなりのストレスの解消の仕方であった。敗北による行き場の無い怒りとエネルギーを、自身の肉体を鍛え上げるための原動力に転換する事により発散するのだ。

 

 幼年学校時代から続く習慣であるこれは、同時に帝国人の素朴な筋肉信仰の影響である事も否定出来ない。開祖ルドルフが鋼鉄の巨人と称されたように彼は……少なくとも皇帝に即位した時までは……強靭で頑健な肉体美の持ち主であったし、武門貴族は当然として、文官貴族まで皆ボディービルダーになれそうな者ばかりであった。

 

 記録に残る旧銀河連邦末期の国家革新同盟機関誌やタブロイド紙を見れば、上半身のギリシャ彫刻さながらの肉体を見せつけているルドルフとその同志の写真を見る事が出来る。与党の肥満体の議員や大臣と比較し、「どちらが銀河を背負うに相応しい?」という見出しが付けられたものである。帝国人にとって健全な肉体を持つ者のみが生きるに値し、頑健な体を持つ者のみが指導者たる資質を持つ。トレーニングは帝国人にとっては鍛えるという意味だけでなく、生きる資格のある事の証明である。

 

 ホラントもまた、そういう意味では帝国的価値観を完全に捨て去ったとは言い難いかも知れない。

 

 兎にも角にも、彼は自身のストレスへの捌け口としてその肉体美に磨きをかける。別に敗北自体に怒りがある訳でも、まして敗因としてチームのメンバーに怒りがある訳でも無い。

 

 強いていえば、自身の努力が足りずに敗北した事に対する怒りがトレーニングの原動力である。彼は敗北の責任を他者のせいにしないし、暗愚な人物でも無い。あの試合でゴトフリートを始めとしたメンバーが疲労していたのは理解していた。その上で、相手の隙をギリギリまで見つけられず、戦力を削り切れなかった自身に対して怒っていたのであった。

 

「はぁ……!」

 

 重りを追加した、百キロのプレスが高らかに持ち上がる。汗が滴り落ちて床に水たまりが出来そうだ。照り付ける照明もあって、彼の体が照り光る。

 

「……相変わらず呆れる筋力ね。貴方、宇宙軍じゃなくて地上軍に行った方がいいんじゃないの?」

 

 妙に低く響く声に気付いたホラントが、百キロのプレスを支えながらそちらの方向を見る。不機嫌そうに壁に凭れる人影が視界に映り込む。

 

「……何用だ?大言壮語をして敗北した負け犬を笑いにでも来たか、コープ?」

 

 コーデリア・ドリンカー・コープの姿を視認したホラントは自虐的な笑みを浮かべる。

 

 しかし、コープはそれに対してむすっ、と不愉快そうな表情を浮かべる。

 

「それは今の私には嫌味にしかならないわよ?」

 

 くいっと、首でトレーニングルームに設置されるソリビジョンを指し示す。そこでは戦略シミュレーションの結果について、元同盟軍人や軍事評論家が厚かましく評論していた。

 

「……惨敗したか」

「別に慰めて欲しくないけど、容赦なく言うわね」

 

はっきりと事実を指摘するホラントに毒づくコープ。

 

「美辞麗句を飾っても仕方無かろう?それに貴様はそういう薄っぺらい言葉が好みか?」

「冗談言わないでくれる?そんな言葉聞くだけで吐き気がするわ」

「ならば毒づくな」

 

 ホラントは、ベンチプレスをゆっくり、しかし危な気も無く下げるとタオルで額の汗を拭い払い、水分補給のためにスポーツドリンクを呷るように飲み干す。

 

「……余り食ってかからないのね」

 

つまらなそうにコープは呟く。

 

「なぜ食ってかからねばならん?」

「私は形は兎も角あんた達を破ったわ。プライドの高いあんたなら私が負けた事に思う事があるんじゃないの?」

「馬鹿馬鹿しい」

 

ふん、といつも不快な際にするように鼻を鳴らす。

 

「俺が負けたのは俺の努力と実力不足だったからで、それを逆恨みするなぞ小人の所業だ。まして貴様も満足する戦いではなかっただろう?」

 

 そう言いつつ体の筋肉をほぐすと、今度はボクシンググローブを装着しサンドバックに殺人的な切れ味のジャブを加え始める。

 

「俺達との戦いでも随分と精彩を欠いた戦い方だったな。まして準決勝…それにどうやら決勝もらしくない戦い方だな。普段ならもう少し緻密な戦いをしていた筈だが?」

 

 幾度も戦略シミュレーションの相手をした相手だから分かる。普段に比べ無駄に壮大かつ派手な戦い方をしている事に。

 

 そんな相手に負けた事は恥であるし、そんな状況の相手が負けた事を嘲るなぞ厚顔無恥にほかならない。

 

「……気付いた?」

「気付かん方が可笑しい。ヤングブラッドにもその辺りをしつこく付け込まれたのだろう?」

 

激しくサンドバックに拳を叩きつけながら指摘する。

 

「あいつ……優し気な顔して、本当蛇みたいなねちねちした戦い方をして、むかつくわ」

 

 コープの方は腕を組み決勝戦について思い出すと吐き捨てるように言う。自分達もそうであるし、戦争はスポーツとは違うのは当然だが、それでも他人に付け込むのと、自分が付け込まれるのとでは全く違う。無論、相手の機微を敏感に察知して付け込む事も簡単ではなく、それが出来る首席はやはり優秀である、とも言える。

 

「それでも、普段通りに戦えばもう少し健闘出来たのだろう?」

「………」

 

 唯でさえ、相手が相手のせいでホラント達との戦いでは本来より派手な戦いをして見せなければならなかった側面がある。

 

 まして敗北する訳にはいかないため、最後は醜悪な乱戦に持ち込んでギリギリで勝利したのが御老人の気の触ったらしい。現役軍人の同胞には擁護する声もあったが、現役を退いて政治家に転身した年配や隠居組には随分と責められたものだ。

 

 おかげで準決勝、決勝では一層激しく、華々しい戦い方を指定されたものだ。準決勝では意地もあるのでご指定通り派手に勝利して見せたが、決勝ではこの様だ。

 

「……貴様も大変だな」

「……煩い」

 

 呟くようなホラントの言葉に舌打ちしつつコープは答える。

 

「仕方ないわ。爺様方は口煩いけど、色々と恩義があるのも事実だしね。あんたも似たようなものでしょう?ここまで来るまで周囲の環境なり、教育費なりわんさか投資されているんでしょう?」

 

 士官学校に入学する者に苦学生や貧乏人もいない事は無いが、大半は幼少期から膨大な金を使って教育されてきた者ばかりだ。当然ながら善意では無いし、同胞として期待を背負う身だ。そして養うのに使われる金は先祖が血と汗であがなって稼いだものであり、自分達の豊かな生活と社会的地位は政財界での多くの敵派閥との闘争の結果なのだ。それを無碍にする訳にはいかない。

 

「正論ではあるな。義理堅い事だ」

「……皮肉?」

「いや、心底そう思っただけの事だ」

 

 少なくとも、恩義を受けてそれを裏切るつもりの自分より余程出来た人間だとホラントは思う。口にはしないが……。

 

「……ああ、腹立つ」

 

 ホラントのその超然的な態度に何か感じるものがあったのか、その鮮やかな赤毛を掻くと、どしどしと普段の所作から思いもつかない荒い足取りで歩き出す。

 

 そして、ボクシンググローブを嵌めるとホラントが拳を振るうそれの隣のサンドバックにそのか細い腕からは想像出来ない程激しく、鋭いジャブが撃ち込まれ始めた。

 

「ぎゃーぎゃー騒ぎやがって糞爺共!更年期障害かっ!?同じ事しつこくしつこく何度も言ってくるんじゃないわよ!本当聞いているこっちの身にもなったらっ!?」

 

 サンドバックを撲殺するかの如く悪意と敵意を込めて暴力を振るう女学生。

 

「加齢臭するのよ!足腰痛いなら態々こっち来るな!あんたらの過去なんて知るか!爺同士でタイマンで殴り合ってろ!ボケ老人が!!後ね、お茶請けに芋けんぴとクラッカーとかダサいのよ!もっと御洒落なもの用意しなさい!現代っ子の気持ち考えなさい!というかプティング用意しろっ!」

 

 毒を吐きまくりながらサンドバックを殴り続けるその姿は、名家のお嬢様からは程遠い。その拳の一撃は唯の力任せのものではなく、明らかに対人戦を意識したものだった。士官学校で指導される殺人を前提とした対人徒手格闘戦技の技術を存分に生かす。サンドバックを誰に見立てているいるかは言うまでもない。

 

「爺共め、そんなにやること無くて暇なら政治ごっこせずににゲートボールでもしてろ!!」

 

 止めとばかりにサンドバッグに最高の回し蹴りを浴びせるコープ。凄まじい音が室内に鳴り響いた。その迫力はホラント以外が見ていれば恐怖に竦み上がった事は確実だ。

 

「はぁはぁはぁ……もう行くわ」

 

 十分ばかり罵詈雑言と暴力を振るい終えると息を切らしたコープが平静に戻り、不機嫌な口調でそう言い捨てて去ろうとする。トレーニングルームの出口に差し掛かろうとする所でコープは声をかけられた。

 

「おい」

「……何?」

 

ホラントの声に足を止めるコープ。

 

「……21時頃ならばここは人が少ない。やるならその時間にしておけ」

「……何の積もり?」

 

踵を返し、怪訝な表情でコープは尋ねる。

 

「お前が定期的にストレスを解消してくれなければ、全力の貴様と戦えんからな。貴様は俺の知る中で、戦闘の面では最も手強い知人の一人だ。俺の研鑽のための貴重な練習相手だ。そのコンディション維持に手を貸すのはやぶさかでは無い」

 

そう言いながら表情一つ変えずホラントはジャブを続ける。

 

「………そう。けどその言い草、あんたはその時間いる訳?」

「不満か?」

「……いえ、あんたはそうそう言いふらすような性格じゃないわね」

 

肩を竦め、コープは再び出入口に向かう。

 

「……恩に着るわ」

「ふん……」

 

 不機嫌そうなホラントの態度に、しかしこれ以上何も言わずコープは去る。別に癪に障りはしなかった。この男が普段から気難しい表情をしている事も、別に表情ほどに気難しい訳でない事も今更の事なのだから……。

 

 




藤崎版が復活……リッテンハイム侯の貴族らしい雄姿が遂に見られる(フラグ)!!


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第五十話 卒業式の歌は何故か泣ける

ノイエ最新話感想「ホーウッド!?」


 バーラト星系惑星ハイネセン北大陸南部にあるテルヌーゼンの6月は、長い春の微睡の中にあった。

 

 北大陸南部は、惑星の地軸や公転軌道、大陸と海流の地理的要因もあり夏と冬が短く、春と秋が比較的長い。この一帯の諸都市がハイネセン全域においても最も地価と家賃が高く、雑誌やテレビ番組のアンケートでも「住みたい街」の上位陣を占める所以だ。

 

 宇宙暦784年6月1日0530時、私は春の陽気な温かさの中で目を覚ます。

 

「………」

 

 寝ぼけた意識を覚醒させるとベッドから起き上がり、すぐさま洗面台に行き洗顔と洗口を行い、髪を大雑把に櫛で整える。

 

  それが終わるとすぐさまベッドに舞い戻り布団とシーツを皴一つ作らず折り畳んでいく。流石に幼年学校時代から行ってきたので手慣れたものだ(半分くらい何時の間にか片付けられていたりするのを指摘してはいけない)。

 

 清潔な白地のカッターシャツを着こみ、続いて同じ色の礼装に袖を通す。

 

 首元に士官学校在学生としての予備役准尉の階級章をつけ、胸元には士官学校学生の例に漏れず在学生時代に習得した技能章が並ぶ。私の場合は野戦衛生医療、車両運転、爆発物処理、射撃二級、戦斧術二級、帝国語通訳特級等だ。戦闘技能のみでいえば平均的な地上軍下士官、特殊技能も含めれば特技士官並みだ。因みにこの戦闘技能の羅列を見れば大概の者は地上軍志望と思うだろうが、家の出自からして宇宙軍志望である。

 

 じゃあ何でそんな技能章とってんだ、と言えば、そこは子供時代、幼年学校時代の教育もあるし、私自身宇宙船が撃沈されるならどうしようもないが、魔術師のようにテロやら暗殺の際に可能な限り生存率を上げたいためだ。亡命貴族とか暗殺対象になりかねん。

 

 唯一ほかの学生がつけていないだろうものは戦傷章だろう。亡命軍と同盟軍の物を双方、まぁ学生の内に戦傷を負う訳が無いからねぇ。

 

 鏡の前でネクタイを締め、整髪料で髪を整えると、最後に軍帽を被った、と同時に部屋の扉がノックされる。

 

「……いいぞ、入れ」

 

 命令形で答える私。教官であれば次の瞬間拳骨が飛ぶが、あいにくその心配はない。この時間帯に私の部屋に入室する人物はそう多くない。そしてその全員が私が下手に出るべき人物ではないのだ。

 

「若様、御起床になられてましたか」

 

 入室したベアトは少々驚きつつもすぐさま厳粛な雰囲気で敬礼をする。私と同じ白い礼服を皴一つなく着こなす姿は明らかに私よりも様になっている。

 

「流石にこの日まで起こされて準備も世話してもらうのは、少し情けないからな」

 

 冗談半分に答える。尤も、彼女は詰めの甘い私のミスをすぐさま修正した。胸元の徽章がずれているので直された。すみません。

 

 それが終わると恭しく、完璧な所作の敬礼で報告がなされる。

 

「ベアトリクス・フォン・ゴトフリート、0530時を持って若様のお迎えに上がりました」

「うむ、宜しい」

 

 私は従士の報告に優雅な敬礼で返し、その先導の下で部屋を後にした。

 

 

 

 

 

「本日はテルヌーゼン気象局の連絡によれば極めて快晴であるという。このような澄み渡る青空の下で君達を見送る事が出来る事を、私は極めて嬉しく思う」

 

 礼装に身を包んだ学生達は一糸の乱れも無く、長年の教練通りに整然と整列しながら士官学校校長シドニー・シトレ中将の訓示に耳を傾ける。正面の壇上に整列する教官達もまた礼装に身を包み、生徒達以上に綺麗に正した姿勢で佇む。マスコミや保護者などの観客凡そ2万人が、口を開かずただただ式典を見守っていた。そこには厳粛な雰囲気すら生まれている。

 

「諸君達はこの学び舎で戦う術を、生き残る術を学び、そして今日一軍人として旅立つ事になる」

 

 そこで一度言葉を切り、シトレ校長は何千という若者達を見据えていく。彼ら最上級生を指導したのはたったの一年に過ぎないが、彼はその全員の顔も、性格も、癖も全て把握していた。僅か一年とはいえ、彼らあるいは彼女らは間違い無く彼の大切な教え子であるのだから。

 

「当然ながら、ここでどれだけの事を学んだ所で、それが君達の無事を保証するものではない」

 

その言葉に場が緊張する。

 

「知っての通り現在前線は小康状態に落ち着いているが、未だに劣勢である事は変わりない。そして帝国軍を撃破し、押し返したとしてもその先にはあのイゼルローン要塞が立ちはだかる。数年の後に我が軍は再びあの忌々しい要塞に大軍を以て挑み、勝敗はどうあれ多くの犠牲が出る事だろう。君達の中にもその時に参加する者がいる筈だ」

 

 誰かが唾を飲む音が響く。彼らも前線が未だに予断を許さない状況である事は知っている。そしてイゼルローン要塞!あの血塗られた女王の恐ろしさは、あの女王がどれだけの味方の血を吸ってきたか学生達も聞き及んでいる。

 

 彼らも軍人を目指す以上戦死の覚悟は出来ている。だがそれでも……実際に軍人として任官する今だからこそ、今更のようにその恐ろしさを実感する。

 

「これまでの卒業生達の例に漏れず、君達も少なからずの人数が退役を迎える前に殉職する事になるだろう。同盟が帝国といきなり和平を結ぶ事をしない限りはな」

 

 無論、限りなくその可能性は零だ。668年のコルネリアス帝の恭順要求、マンフレート1世時代末期の「自治領案」、マンフリート2世帝時代の和平交渉、第二次ティアマト会戦直後の「柊館会談」……幾度か講和の機会があり、実現目前にまで来た事もあったが、その度に両者の政治的事情や反対派、フェザーンによる妨害もあり、実現する事は無かった。ましてイゼルローン要塞が建設された現在、双方共に進んで自分から和平案を提示するのは困難であろう。

 

「だからこそ、軍人としてあるまじき言葉だが、私は君達に伝えたい。……死に急ぐな」

 

 その言葉はとても重々しく、そして深く生徒達の心に突き刺さる。

 

「恐らく君達は、本物の戦場がどれだけ過酷であるかをそう遠くないうちに知る事になるはずだ。本物の戦場は訓練とは違う。軌道爆撃を地下で堪え忍ぶ苦痛を知るだろう、宇宙空間を救命挺で漂流する孤独を味わうだろう、装甲擲弾兵団に包囲される絶望を知るだろう。自身の命令で多くの兵士を死なせる責任を背負う事もあるだろう」

 

 それはまるで自身が経験してきた事があるかのように真に迫る話し方であった。

 

「心の弱い者は自殺する。あるいは恐怖に耐えられず無謀な突撃をする。錯乱して味方を危機に陥れる者もいるし、あるいは全てを諦めて無抵抗で殺される者も見て来た。だからこそ言わせてもらう。諦めるな、死に急ぐな。最後の瞬間まで生き抜く事を目指せ。君達には頼れる者達がすぐ側にいる」

 

 校長の声が優しくなる。そして生徒達がその言に怪訝な表情を見せる。

 

「君達の隣の者達を見なさい。共に同じ学舎で語らい、勉学に励み、競争し、同じ釜の飯を食べた仲間だ。君達の世話になった先輩達を思い浮かべなさい。君達が指導した後輩達を思い浮かべなさい。彼らは同じ場所で同じ時を過ごした仲間だ」

 

 生徒達は、互いの顔をちらりと見て、生徒達は恐る恐る校長を再び見る。

 

「辛い事があれば相談しなさい、悲しい事があれば打ち明けなさい、楽しい事があれば報告しなさい、不満があれば愚痴をこぼしなさい。そして思い出しなさい。彼らは頼りになる仲間だ。彼らはきっと君達の危機に救助に来るし、援軍に向かう。仲間を見捨てる事はしない。だから生きるのを諦めるな。そして全てを終えたら助けに来た仲間にいってやるといい。「おい、救援が遅いぞ!?おかげで折角のデートの約束がおじゃんになっちまった!」とな」

 

 くすくす、と幾人かの学生達の間で堪えた笑いが漏れる。シトレ校長も人の良い笑みを浮かべる。

 

「そうだな、それでも駄目なら私達教官に相談しに来なさい。君達は可愛い生徒だ。遠慮せずいつでも相談の相手をしてやろう。但し、人数が多いのでドミールコーヒー(士官学校近くの格安喫茶)でなければ我々の財布が持たんからな?」

 

 この言には流石に生徒だけでなく教官達も思わず吹き出した。

 

 場の空気が明るくなった所で咳払いしてシトレ校長は背を正す。

 

「では、中年の長話も詰まらんだろうから皆のお望み通り切り上げるとしようか。戦友達よ、門出の時だ。君達の武運長久を切に願う。……卒業おめでとう!」

 

 キリッとした表情で惚れ惚れするような敬礼をし、その後いたずらっ子のようににかっと笑みを浮かべてシトレ校長は締めくくった。教官達も同時に席を立ち敬礼する。それに答え、生徒達は皆微笑みながら最敬礼した。

 

 続いて最高評議会議長、ハイネセン星系政府首相、統合作戦本部長、後方勤務本部長、宇宙艦隊司令長官、地上軍総監、退役軍人庁長官等からの祝電、国防委員会委員長、テルヌーゼン市市長等からの訓辞が続く。

 

 泣きながら完璧な送辞の言葉を、そして最後に卒業する学年一のマドンナに対して告白するという爆弾発言をする在校生代表に、黄色い悲鳴と笑い声が鳴り響いた。尚、その在校生代表は玉砕しただけでなく一抜けしたために、同級生にフルボッコになった後教官の拳骨を食らった。

 

 わいのわいのと学生達がらしくもなく騒ぎ始める中、最後に卒業生代表たるヤングブラッド首席が壇上に登るとそれはぴたりとやんだ。皆、この式典の締めくくりを察したからだ。

 

 全学生が気を取り直して軍人らしく起立すると、首席は教本通りの姿勢に政治家のようにはきはきとした、理知的な声で口を開いた。

 

「……春の訪れを迎える中で、我々自由惑星同盟軍士官学校第239期生総勢4267名は無事卒業する事が出来ました」

 

 入学時が4350名、諸事情での退学している生徒が100名近くいるが気にしてはいけない。実際問題、成績不良については教官達が危険な生徒に死ぬ気で指導するのでそうそう落ちる者はいないし、元の地頭が良い者が多いので心配する必要は無い。大概は体調(病気・ストレス)や家庭・経済問題、あるいは思想面からの自主退学ではある。

 

「シトレ校長、及び我々に親身に指導して下さった教官の皆様、御来賓の皆様、保護者の皆様、本日は私達のためにこの式典の場を用意して頂いた事に心よりお礼を申し上げます」

 

にこやかに頭を下げる首席。

 

「思えば、この士官学校に入学した日がつい最近の事のように思えます。祖国と市民、そして民主主義の守護の理想に燃えこの学校の門を叩いた私達を待ち構えていたのは厳しく、激しい教練の日々でした」

 

 そう言われて大半の生徒が真っ先に思い浮かぶのは三年最後の長距離行軍訓練だ。300キロ以上の道のりになる峻嶮な大自然の中で、大隊単位で行軍した。山を登り、川を横断し、森を抜け、湿地を進んだ。砂漠や雪原を行く事もあった。しかも途上で同盟地上軍のレンジャー部隊や山岳戦部隊、狙撃部隊が襲撃を掛けてくるので警備をし、訓練用のブラスターや火薬銃で迎撃しなければならない。脱落者が4割出ればそのチームは失格という中で、襲撃部隊が戦車と砲兵部隊を投入した際は皆が悲鳴をあげ、「山道上の怪物」が出てきた時には投入を提案した教官連中を全員で呪った。尤も、脱落チームが出なかったのは彼らなりに手加減していたのかも知れないが。

 

 あるいは2年最後の実艦による艦艇航海訓練では、シミュレーションとはいえ宇宙海賊や帝国軍の襲撃に白兵戦(同盟宇宙軍のアグレッサー部隊や亡命軍が協力した)、太陽風や宇宙嵐等への対処、艦艇の機関部の損傷修理にそれらの統括的指揮、を徹底的に指導され危機対処能力を学んだ。半分のチームが艦艇を撃沈され、残りの内半分が艦艇を占拠され、さらに残りの半分がワープに失敗したり座標を見失って宇宙の迷子となった。

 

 士官に最も重要な戦略と戦術、そして指導力も徹底的に鍛えられた。教本の丸暗記は基本であり、そこからシミュレーションでの基礎、応用能力の評価が教官相手に行われた。無論大半の者が虐殺された。運悪く校長と当たったどこぞの亡命貴族は、包囲殲滅され真っ白に燃え尽きた。戦時中の軍人育成は厳しさは並大抵のものではない。

 

「しかし、そのような中にあっても私達は優秀な教官方の厳しくも、博識に富んだ指導、導いてくれる先輩方、そして何よりも共に戦う同志がおりました。私達は共に支え合い、競い合い、高め合い、今日と言う日を迎える事が出来たのです」

 

そこで一旦言葉を切り、一拍おいて再び言葉を紡ぐ。

 

「教官の皆様、本当にありがとうございました。貴方方の指導のおかげで今日と言う日を迎える事が出来ました。本校には実戦経験に富み、多くの知識を有し、厳しさと思いやりを持った教官方が数多くおります。自由惑星同盟軍においても指折りの教官である皆さまの指導を受けられたのは我々の誇りです」

 

そして彼の視線は続いて来賓に向けられる。

 

「今日まで私達は守られる存在でありました。ですが今日この日、この瞬間より私達は誇り有る自由惑星同盟軍の一員となります。今日この日を迎える事が出来たのは我々の父母の理解と協力、同盟を、民主主義を守護してきた政府と軍、そして社会を支えてきた一人一人の市民の努力によるものです。本当にありがとうございます。そしてこれからは守られる存在では無く守る存在となります。これからは我々が貴方方を、祖国を、将来の市民を、そしてアーレ・ハイネセンの長征から受け継がれ続けた民主主義の炎を引き継ぎ、守り通す所存です。そしてその灯を次代に受け継がせて見せます。……最後に改めて我々を今日この日まで守り支えて頂いた全ての人に感謝を捧げます。誠にありがとうございました」

 

深々とした御辞宜に全ての人々が拍手で答えた。

 

「国歌斉唱!」

 

 式典の最後の最後、教官の一人が叫ぶように通達する。その目には大粒の涙が溢れていた。

 

 スピーカーから流れる伴奏に合わせて場の全ての人々が歌い始めた。

 

『友よ、いつの日か、圧政者を打倒し解放された惑星の上に自由の旗を立てよう。

 

 吾等、現在を戦う、輝く未来のために。

 

 吾等、今日を戦う、実りある明日のために。

 

 友よ、謳おう、自由の魂を。友よ、示そう、自由の魂を。

 

 専制政治の闇の彼方から自由の暁を吾等の手で呼び込もう。

 

 おお、吾等自由の民、吾等永遠に征服されず……』

 

 讃美歌のような音色で数千人の学生が、教官が、来賓たる保護者や関係者による合唱が静かに終わる。一瞬の沈黙……。

 

 次の瞬間、ヤングブラッド首席が普段の落ち着いた声に似合わないような大声で叫んだ。

 

「総員解散!」

「「「解散!!!」」」

 

 その号令と共に新米士官達は打ち合わせていたかの如く学生用の軍帽を一斉に空へと投げ捨てた。空高くに投げつけられた軍人の卵の証を来賓の子供達やマニアが争奪するのはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

「ああ、やっと終わった。もううんざりだ」

「折角の感動の式典がぶち壊しだね」

 

私の言にヤングブラッド首席が苦笑するように答える。

 

 士官学校卒業式典御約束の帽子投げの後、支給された自由惑星同盟軍士官軍装に着替えての行進式、それも終わりようやく非公式の学校内打上パーティーが夕方から始まった。士官学校内で一番の大きさの会場に、卒業生の大半と教官達が無礼講のどんちゃん騒ぎに興じる。テーブルの上には大量の料理とアルコールが並び立食しながら談笑したり、各種ゲームに興じる。ちなみに費用は学校持ちだが、大体予算が足りないので校長始め教官達が半分ぐらい自腹を切る。軍拡のために無駄な予算を使えないからね。仕方ないね。

 

「あんなの晒し者だろう?首席殿はよくもまぁ壇上であんな風に堂々と話せるものだ」

「君に言われるのは心外だなぁ。君達の所のパーティーでも良く壇上で演説していると聞いたよ」

 

士官学校亡命者親睦会のパーティーの事だろう。

 

「人数が違う。後前提もな。御来賓の大半には私の爵位に何の価値も無いからな」

 

 肩を竦めながら私は手元のグラスから白ワインを口に含む。マスジットの771年物、質としては中流階層向けといった所だろう。

 

「ワインもビールも帝国やアルレスハイムの物には敵わないからねぇ。やはり伝統という物は偉大というべきかな?」

「それ以外は全然だぜ?ハイボールも焼酎も絶滅しているし」

 

 料理にしろアルコールにしろ、帝国では大帝陛下のおかげで文化的多様性が絶滅寸前だ。しかも大帝陛下自身結構勘違いしたゲルマン趣味のおかげで、正確にはゲルマン的でないものが中途半端に残ったりその逆が起こったりも多々ある。

 

「正直な話私は同盟に生まれて幸せだよ。じゃが芋と酢漬けキャベツばかりの食事は耐えられない。こうやって周囲の目を盗んで他所の料理を味わうのは、多分帝国の宮廷では無理だろうね」

 

 そういって皿の上の非ゲルマン料理を口にする。唯、たまになんちゃって和食やなんちゃって中華があるのは問題だが。ケーキ寿司とかフルーツ天麩羅とかまだ生き残っていたんだね。

 

「それは嬉しい。私も帝国料理は好きだよ。ザウアーブラーテンとアイントプフが気に入っているよ」

「これはまた……」

 

庶民風の料理が好きな事で。

 

「もっと気取ったものが好きと思ったかい?」

「お坊ちゃんだろう?上等な帝国風料理店では余り出さない」

 

 私が人の事を言えた事ではないが。まぁ、貴族階級の食事は結構フレンチやイタリアンの影響も強いが。所詮史実のゲルマンは蛮族だからね、仕方ないね。

 

「地元には結構帝国系の市民も多いんだよ。帰化しているけど、郷土の味を今でも伝えている」

 

 共和派は亡命後自国の文化を捨て去り、帰還派は逆に自国の味以外は一段下に見ている。特に派閥意識を持たない……悪く言えば主義主張を持たず今日の食事の事しか考えない鎖国派だけが帝国料理と同盟料理、あるいはフェザーン料理やその他の味に寛容だ。そして統一派は鎖国派と相性は悪くない。

 

「成程、貴族階級はこっちに集まるからな。必然的に平民の料理ばかり広まると」

「まぁ、中には色々混ざっているのもあるけどね」

 

 現地料理と悪魔的融合を果たす料理もあるようだ。当たれば美味いだろうが、外れたら残念な事になる。

 

「古代ローマにしてもアメリカにしても、あるいは初期の地球統一政府も、銀河連邦も多様な文化を認め、吸収し、発展させて繁栄した。同盟も同じだよ。帝国文化も排斥するべきではない。そのままは無理としても、同盟の社会に合わせ取り込む事が出来ればこの国は一層の興隆を迎える事が出来る。特に芸術や工芸分野は同盟には無い魅力にあふれている。君達の所も良く稼いでいるだろう?」

「まぁね」

 

 ヤングブラッド首席の言は事実だ。亡命政府も演劇団や音楽団等の芸能分野、あるいは手工業による衣料やインテリア分野では、デザインやブランドのおかげで資本主義万歳な同盟企業の大量生産品と対抗している。同盟企業の製品は工業製品であるが、帝国の製品はオーダーメイドの工芸美術品だ。

 

『……それで統一派の期待の若手としては、嫌われ者の私達を褒めて何が御望みで?』

 

 当たり障りのない話を切り上げて、ようやく私は小声の帝国語で話の核心を尋ねる。同盟公用語ではあからさまに周囲に内容が分かりやす過ぎる。ヤングブラッド首席には悪いが帝国公用語で付き合ってもらおう。どうせ帝国系じゃない癖に「帝国語」の点数も9割超えだ。

 

『まぁ、そっちに話せる人物が欲しくてね。こういっては悪いけど教条主義な人が多いし』

『私だってバリバリの貴族なんですけどねぇ……』

『バリバリの貴族はアジア料理は食べないし、格式も無い帝国騎士のためにコープに頭は下げないよ』

 

 まして虐殺されて逆上しないなんて有り得ない、と続ける。御先祖様のやらかしを考えると違うとは否定出来ないなぁ。

 

『……こっちのメリットは?』

 

 当然ながら私も同胞のために無条件で協力出来ない。見返りが欲しい。

 

『まぁ、そこは持ちつ持たれつ、だね』

 

 ようは、互いに問題があれば仲裁のために口聞きする、と言う訳だ。まぁ妥当なところだ。

 

『この歳で政治ごっこをする羽目になるなんて……』

『ごっこ、とは酷いなぁ。私は首席、君も下馬評を覆してシミュレーションでコープと随分やりあったじゃないか。互いに将来それなりに出世するだろう?』

『あれ、明らかに全力出せてなかっただろう?』

 

 実力差位知っている。あそこまで互角に……あるいは泥沼の戦いになったのは私以外のメンバーの実力もあるが、あちらの焦りも一因だ。

 

『それでもさ。あれだけやれればそれなりに注目はしてもらえたさ。それに君の場合、肩書の方が影響が大きい』

『嬉しくねぇ』

 

 どの道家名のせいで胃に穴が開くような事になるんだろうなぁ。

 

「若様」

 

 ふと、ベアトが私の姿を見つけて近づいてくる。多分卒業式にかこつけて告白した同期か後輩の心をへし折ってきたのだろう。いいかね?帝国貴族令嬢を落したいなら、本人じゃなくて主人か父親に許しを貰いなさい。帝国では自由恋愛なんて圧倒的少数派なんだから。

 

「……それでは私はここで」

「ああ、私よりよっぽど話す価値のある奴らの所にどうぞ」

 

自虐気味に私は別れの挨拶をし、ベアトの下に向かう。

 

「申し訳御座いません。御傍におれず若様を危険に晒しました」

 

 敬礼しながら謝罪の言葉を伝える従士。いや、普通この場で流血沙汰なんて起こらないからな?寧ろお前さんが戻ってくるために迅速かつ無慈悲に相手の心をへし折った行いの方が危険だからな?ストーカーとか生まれてないよな?

 

「構わん、気にするな」

 

 私としては、内心では自身より寧ろホラントの方が心配だ。この場にもいない。恐らく今日か明日かの内に同盟移民庁で帰化申請でもするのだろうが。私は兎も角、ほかの奴らに恨まれなければいいんだが。

 

「それにしてもホラントめ、最後に若様に挨拶もせずに……どこにいったのか、無礼なものです」

 

 明らかに不快であるという表情で苦々しくベアトは口を開く。私としては誤魔化すように苦笑いするしかない。

 

「それにしても明日から軍務か。なかなか、実感は無いな」

「お任せを、軍務においても不肖の身ながら可能な限り補佐をさせて頂きます」

 

 私の呟きに従士はにこやかに、安心させるように報告する。

 

「いや、それは……いや、可能か」

 

 獅子帝ではないが、軍上層部にも同胞はいる。将官は兎も角、たかが一少尉の人事程度手を加える事は可能、という訳だ。護衛……であると共にある種の監視として彼女が同じ部署か近い部署になるだろう。

 

「……自分から地獄に飛び込むようなものだな」

 

 小さく私は呟く。それしか私の場合選択肢がないとはいえ、遂に私は死亡フラグしかない「軍隊」に身を投じるのだ。原作に辿り着く前に戦死するかも知れないし、辿り着けても金髪の小僧をどうにかしなければ未来が無いという笑える状況だ。

 

 数少ない救いとしては、私は少なからず身分により人事や昇進の面で融通が利く事、金髪の小僧より任官が先である事、人脈面で幾人かの原作キーパーソンと面識がある点か。厳しいがやるしかないよなぁ。

 

「よーし、次のを開けろ!がんがん行くぞ!」

 

 その声と共にシャンパンのコルクが次々と開けられ、中身が四散する。生徒達が笑い声をあげ、教官達が半分自腹のため悲鳴を上げる。そんな悲鳴を上げる教官達に高価なシャンパンを頭からぶちまける。

 

 卒業生の中には、少数とはいえ前線勤務に就く者もいる。教官の中にも任期が終わり前線に戻る者もいるだろう。その意味では今日この日が、卒業生と教官達が生きて一同に集まれる最初で最後の機会だ。皆必要以上に騒ぐのは、卒業の喜びだけではない。

 

 今期の卒業生の大半が原作開始の頃には三十辺り、原作の終わりで考えても三十後半であろう。士官学校卒業生は問題さえなければ少なくとも退役までに大佐には昇進出来る。原作終盤の時点で多くが佐官……宇宙軍の艦長や隊・群司令官、地上軍の大隊から旅団長クラスだった筈だ。アムリッツァの時点で中堅指揮官であったと思われる。軍隊、特に士官でいえば働き盛りの世代だ。

 

 ……原作が終わった時点で彼らの何割が生存していたのだろうか?

 

余り愉快な数字が出てきそうにないな。

 

「……憂鬱だな」

「元気ないねぇ、これ食べるかい?」

「お前さん、色々料理がある中でなぜ今回もパンなんだ?」

 

 チュンから差し出されるホットドッグをそのまま受け取り口にする。もう手で直受け汚ねぇなんて思わなくなったよ。完全に感覚が麻痺したよ。ベアトすら無反応だよ。

 

「物思いにふけるなんて君らしくない」

「おい、それ地味に私の事馬鹿にしてない?」

 

 のほほんとした表情と口調のため見過ごしかねないが、こいつは案外辛辣な言葉やえぐい内容でも平然と口にする。

 

「貴族様には悩みが色々あるんだよ」

 

 上品に(ホットドッグにマナーがあるのとか言うな)にチュンの御裾分けを処理していく。

 

「ははは、そうだね、君は君で大変だ」

 

 私を観察して色々と面倒な帝国文化に理解を持ったチュンが笑みを浮かべる。

 

「まぁ、これから互いに色々あるだろうけど、気が向いたら相談してくれ。シトレ校長も言っていただろう?仲間を頼りなさい、とね」

 

何も考えてなさそうな表情でチュンはそう私に伝えた。

 

「……そうだな。まぁ、では愚痴があればお前さんに吐き出して発散でもするさ」

 

 チュンのその言葉に僅かに気を楽にして、私は答える。何、どうせ今日明日の事じゃない。今の内に鬱になるだけ損だな、今は取り敢えずこのパーティーを楽しもう。

 

そんな事を思い手元のホットドッグを私は食べ切った。

 

「あ、訪ねに来る時は美味しい帝国パンをお土産に欲しいな」

「おい、それが目当てなだけだろ?」

 

私はジト目で問い詰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌6月2日、私はハイネセンポリスから100キロほど離れた自由惑星同盟軍の中枢部のおかれる軍都スパルタ市に足を運んだ。宇宙艦隊司令本部、後方勤務本部、地上軍総監部にハイネセン防衛司令部、宇宙軍陸戦隊司令部、ハイネセン軍事宇宙港等の最重要施設が軒を連ね、その周囲一帯を無数の地上軍基地、防空基地、航空基地、通信基地とそこに駐留する部隊による二重三重の防衛体制が敷かれる。ハイネセンポリスと同様、あるいはそれ以上の警備体制であり、無論サジタリウス腕において最も安全な警備体制の敷かれた地域である。

 

 私は目的の統合作戦本部ビルに出向する(その前に同胞である上官のいる部署に顔を出して激励と小言を頂戴したが)。ここの地上28階の一室にて私は初めての赴任先の連絡を受ける事になっていた。

 

「ヴォルター・フォン・ティルピッツ少尉、入室致します」

 

 真新しい同盟軍士官軍装に身を包む私は、若干緊張しつつ人事科マルキアン・ヴィオラ中佐に敬礼する。

 

 まぁ、流石に初年度からカキンやらカプチェランカのような最前線の可能性は少ない。せめて最初の年くらいは冷暖房と美味しい食事を提供される後方のデスクワークで過ごすさ。出来ればそのままずっと居たいなぁ……。

 

 真面目くさった表情で内心そんな事を考えながら、私は統合作戦本部の人事科の一室で初の辞令を受け取る。目の前の人事科所属ヴィオラ中佐が新品士官である私に、太った体で可能な限りの威厳を込めて辞令を読み上げた。

 

「自由惑星同盟軍宇宙軍所属ヴォルター・フォン・ティルピッツ少尉、第3方面軍管区クィズイール星系統合軍カプチェランカ戦域軍司令部伝令班付将校に任ずる。宇宙暦784年6月2日自由惑星同盟軍統合作戦本部人事科マルキアン・ヴィオラ中佐」

「………」

「……少尉?」

 

硬直した私にヴィオラ中佐が怪訝な表情で声を掛ける。

 

「……ツツシンデハイメイイタシマス」

 

 私の体は自身の内心の意に反して幼年学校や士官学校で指導された通りに機械的に、そして完璧な動作で辞令を拝命した。

 

「………」

 

…………ああ、これはもう駄目かも分からんね。




やっと、主人公を過酷な戦場に放り込める!


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第五章 初任地での仕事が安全に終わると思ったか?
第五十一話 トンネルを潜るとそこは雪国


 イゼルローン回廊同盟側出口は、ダゴン星系付近を起点として大きく分けて四つの航路に別れている。

 

 一つはティアマト星系やアスターテ星系等、アーレ・ハイネセンの長征組がバーラト星系に辿り着くまでに通った(と想定されている)航路、公式名称を第4星間航路、俗に長征航路である。

 

 二つ目がヴァラーハ星系やエルファシル星系、カナン星系等旧銀河連邦植民地等の多く残る航路であり、恐らく銀河連邦時代の主要開拓航路であった公称を第10星間航路、通称フロンティア航路である。

 

 三つ目がヴァンフリート星系やドラゴニア星系、ボロドク星系等比較的不安定な恒星系が多くある辺境航路であり、両軍ともに大規模な兵力が展開出来ず、小競り合いが中心に展開され、戦死者を積み重ね続けている第16星間航路、別名白骨航路である。

 

 最後が私の故郷たるアルレスハイム星系やフォルセティ星系、シグルーン星系等帝国がサジタリウス腕開拓に際して開拓した星系群が連なる第24星間航路、通称帝国航路である。

 

 実際は完全に分かれている訳ではなく、主要航路から毛細血管のように小航路が伸び相互の航路間で行き来がある程度可能ではあるが、大まかに区分すればこの四航路が主な航路になる。

 

 因みにコルネリアス帝の親征の際、当初は比較的航路情報が把握されていた帝国航路に主力、フロンティア航路に別動隊を侵攻させたものの、特に帝国航路においてゲリラ戦と焦土戦を実施され、想定外の反撃を受ける事になった。結果コルネリアス1世は方針を変え軍を後退、長征航路から再侵攻する事を決定した。

 

 同時にその頃、同盟軍主力は長征航路からダゴン星系を経由しつつ帝国軍の背後を襲撃しようとし、結果最終的補給を受ける筈であったティアマト星系にて両軍は遭遇、第1次ティアマト会戦の勃発と敗北へとつながる。亡命政府や旧銀河連邦植民地を(意識してかしてないかは不明だが)生贄にして勝利しようとし、大敗をしたこの一件は同盟の黒歴史の一つである。

 

 さて、自由惑星同盟軍は国内を主に7つの方面軍に大きく分けて、その中から航路は星間航路巡視隊、有人星系は星系警備隊が管理しているが、それとは別に国境に関しては方面軍管区制を導入して各方面軍管区の自由裁量の余地を広げ、即応性を高めている。

 

 全4個方面軍管区については前述の4つの航路をそれぞれ担当している。例えばアルレスハイム星系を始めとした帝国航路は第4方面軍管区の管轄だ。

 

 第16星間航路を管轄・防衛する第3方面軍管区であるが、この軍管区が担当する星系の一つクィズイール星系は、クィズイール星系統合軍という宇宙軍・地上軍の統合運用部隊が帝国軍の侵攻に対処するため展開している。そしてクィズイール星系第五惑星カプチェランカには、その防衛のためにクィズイール星系統合軍から抽出されたカプチェランカ戦域軍が駐留する。

 

 大局的で千里眼的な戦略構想を有する金髪の小僧にとっては路傍の石であろうが、惑星カプチェランカは当星系において特に重要な拠点の一つとして両軍に見なされている。旧銀河連邦の移民候補惑星の一つであり、恐らく宇宙暦280年頃に放棄されたと見られるこの惑星はその惑星開発の遺産として呼吸可能な酸素と、汚染されていない(但し凍結している)水資源が惑星一面に広がっている。断片的なデータによれば、開拓者達は別星系から大量の水を輸送すると共に微生物類や化学工場等を使い、惑星の酸素の生成と気温の上昇を試みたらしい。

 

 計画が順調に進めば、宇宙暦380年頃には惑星の平均気温は20度から25度に安定、地下の莫大な鉱物資源と農業、水産業を軸とした豊かな惑星として、1000万人以上が居住する事になる筈であった。開発予算の不足と航路の治安悪化の結果、おじゃんになったけどね。

 

 現在では地表を覆う大気の層と凍てつく雪原、そして惑星上に点在する開発基地の廃墟と、赤道上にある開拓者が移植したであろう僅かな生物や針葉樹林による小規模な生態系がその過去を伝える。

 

 また、航路上の地上監視拠点としても十分とは言えなくても利用出来る。鉱物資源と居住可能な(しかも改造すれば相応の未来を期待出来る)、そして星系内の監視拠点としてもある程度利用可能な惑星、それがカプチェランカであり、同盟・帝国の勢力圏の混在宙域にある事もあり、例年の如く規模こそ小さいが熾烈な係争地として多くの血が流れていた。

 

「まぁ、そんな惑星が私の赴任先な訳だ」

 

 私は手元の携帯端末の資料を見ながら現実逃避する。え、何から逃避するかって?それは……。

 

「帝国艦隊!砲撃来ます!」

「中和磁場出力上げろ!取り舵一杯!びびるな!この距離からなら光学兵器の命中率なぞ知れたものだ!」

「護衛部隊!ちんたらするな!さっさと追い払え!」

 

 正に私の乗る宙陸両用輸送艦が帝国軍の砲撃を受けているんですよ。わーい、窓から帝国軍の砲撃の光が見えるよー?

 

 私の乗船する宙陸両用輸送艦「ユーリカ41号」を含む輸送艦艇11隻、護衛艦艇として巡航艦3隻、駆逐艦12隻はカプチェランカの衛星軌道上で帝国軍哨戒艦隊と楽しい砲撃戦を開始していた。正確には戦闘するのは護衛艦隊のみであり、輸送艦艇はその後方に隠れているが、流れ弾がガンガンこっちに飛んで来る。ハイネセンから輸送艦に乗って移送される事3週間近く、まさか任地に着く前に戦闘に巻き込まれるとはたまげたなぁ。

 

 無論、宇宙空間での光学兵器の命中率はしかも遠距離ではたかが知れているし、運悪く命中してもエネルギー中和磁場に大概弾かれる。だからとはいえ、文字通り初めての戦闘に巻き込まれ、しかも何もやれる事が無いというのは恐怖しかない。あ、今隣の輸送艦にビーム当たって弾かれた。

 

「おいおい、大丈夫か?」

「棺桶の中で仲良く蒸し焼きは御免だぜ?」

「たく、ようやく降下という時に面倒臭いな」

 

 同乗していく味方の兵士達が愚痴愚痴とそんな軽口言い合う。中には無視して三次元チェスをしたり、読書したり、飯食っている奴までいた。ちょっと、皆さん肝据わり過ぎじゃないですかね?

 

「なぁに、若いの。そう怖がるな。こんなの前線では良くあることじゃ。どうせすぐ終わる。運が悪くなければ後方の輸送艦が簡単に沈むか」

 

 それにどうせ出来る事無いのだから騒ぐだけ無駄じゃ、とハンバーガー食いながら隣の席の同僚と三次元将棋をする老軍曹が懇切丁寧に答えてくれた。因みに顔に戦斧食らったみたいな痛々しい傷があった。あ、これは修羅場潜ってますわ。

 

「そう言われても……うう、腹痛い」

 

 死がすぐ側でにこやかに笑いかけているのにリラックス出来るか。それとも長く軍人を続けてこいつら感覚が麻痺しているのだろうか?

 

「若様……このベアト何事があろうとも一命を賭け、御守り申し上げます。ですのでどうぞ御安心下さい」

 

 椅子に座る私にベアトが隣で手を強く握りしめる。因みにもう片方の手には隠れて見えないがブラスターが握られている筈だ。

 

 流石に轟沈すればどうしようもないが、そうでなければ従士にもやりようはある。

 

 艦の各所には救命カプセルがあり、その場所も予め彼女は把握している。被弾すれば爆沈前に私をそこに詰め込み、助かろうと群がるほかの兵士を射殺して射出するつもりだろう。カプセルは一人乗りだが、多分迷わず私を優先して捩じ込む筈だ。

 

「……そうだな、流石に着任前から戦闘に巻き込まれて少々気が動転していたようだ。無様な姿を見せたな」

 

 私は内心の恐怖を押し殺して従士に平静を装う。周囲の兵士達は然程緊張していない、まして私は武門の名家出身だ。無様な醜態を晒すわけにはいかない。

 

ワープの度に死にかけているのは指摘しないで。

 

「もう少しだ……もうすぐ救援部隊が来る!そうすれば敵も後退する!」

 

 護衛艦隊と帝国艦隊の砲戦は激しさを増していた。ついに護衛艦隊の駆逐艦「コタバル45号」が被弾し、小破した。ほかの艦艇の支援を受け、被弾艦艇は後退する。

 

 それを皮切りに両軍から損傷艦艇が出始める。撃沈される艦艇が無いのは両軍の艦長やその上位の隊長が優秀である事もあろうが、それ以上に損失を気にして無理な戦いをしないからだ。

 

 一昔の帝国軍ならここで損害を気にせず近接戦闘を仕掛け双方壮絶な潰し合いになるのだが、今どきはそんな度胸のある貴族は少ないし、平民でも代々軍人となる士族階級の不足もあり、艦長レベルになると成り上がりのために士官学校や専科学校を卒業したただの中流階級も多い。

 

 彼らは立身出世のために、自身のために戦うため、帝政や一族の名誉のため戦う武門貴族や士族に比べすぐ後退(という名の逃亡)や降伏するし、命を惜しみ、士気は劣悪だ。徴兵された下層市民や農民共は推して知るべし、だ。

 

 その点では、地元に根付き地理に明るく、要塞化された領地に立て籠った上で貴族階級たる士官から兵士まで代々役職を受け継ぎ、同じ軍内、部隊内のみで限れば恐ろしいまでの連携戦闘を取る貴族私兵軍は、装備面で一歩劣るとはいえ今や帝国正規軍よりも厄介であるという意見も同盟の軍事評論家にはある。イゼルローン要塞が出来る前、同盟軍が帝国領に侵入した時には、地の利を得て職人芸的な戦闘を行い、しかもなかなか降伏しない貴族私兵軍に相当苦しめられた。

 

 まぁ、その代わりよその私兵軍や正規軍との連携は地元での戦闘に最適化されているため出来ないし、地元を離れたら一気に弱体化するけど。私兵軍は極めて守勢的な軍隊だ。

 

 さて、損害が発生してから更に三十分余りだらだらとした戦闘が続く。双方共に損失を出すのを恐れて攻撃よりも防御に重点を置いて戦う。

 

「来たぞ……増援部隊だ!」

 

 一人の乗員が叫んだ。第6惑星第2衛星に駐留していた小艦隊から50隻ほどが抽出され派遣された救援艦隊が輸送艦のレーダーに映りこむ。

 

 同時にカプチェランカ地表からも光源が飛び立つ。地上軍の星間防空ミサイルの雨だ。同盟軍は地上と宇宙から同時に反撃に移る。

 

 帝国軍駆逐艦が一斉に迎撃ミサイルを打ち出した。成層圏で双方のミサイルが爆発の光で空を彩る。これ以上の戦闘は無意味であると判断したのだろうか、帝国軍は長距離砲で牽制しつつ後退を開始した。ミサイルの爆発やビームの光条といった戦場の光は減っていき……やがて完全に消えた。

 

「終わったな」

 

 戦闘を観戦していたある兵士が呟く。それは帝国と同盟の間で日常のように発生する典型的な小競り合いの一つが終わった事を意味する。

 

『周辺脅威の排除を完了。これより本艦は大気圏突入準備を開始する。総員シートに座り、安全ベルト着用の用意。震動に気を付けろ、荷物は固定、飲食物があるなら飛散しないように腹に詰めるなり、蓋をするなりしておけ』 

 

 艦内アナウンスが鳴る。忙しく周囲の乗員達は観戦をやめて各々の席に戻り、あるいはゲームを中断したり、食事を中止して大気圏突入の準備に移る。多数の戦闘艦艇の護衛を受けながら、輸送艦隊はゆっくりと重力の井戸へと舞い降りていく。

 

「はぁ……」

 

 私もようやく危険が遠ざかった事を確認し、小さな溜息をつく。同時に手持ちの酔い止めを口にする。もうすぐ大気圏突入だ。正直震動がやばい、気持ち悪くて吐きそうになる。何度も訓練でやっているので慣れては来ているのだが……私は重力に魂を引かれた人間なのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 自由惑星同盟軍カプチェランカ戦域軍は現在カプチェランカ南大陸を中心に兵員5万7000名が旅団・連隊単位で各所に展開しており、これとは別に銀河帝国亡命政府軍も1万名程が派遣されている。

 

 カプチェランカにおける戦闘は大きな波がある。惑星の一年は668日、内600日以上がブリザードの吹き荒れる荒天であり、この時期は航空戦力は使用出来ない。……逆に言えば60日余りの間航空戦力を投入可能な事を意味する。

 

 現代において、航空支援無しでの地上戦は自殺行為だ。カプチェランカにおける戦闘はブリザードの止む夏(といっていいか怪しい寒さだが)に苛烈になる。航空軍や宇宙軍の爆撃支援を受けた地上軍や宇宙軍陸戦隊が帝国軍と各地で激しい戦闘を繰り広げる。

 

 一方、一年の大半を占める冬には双方小隊から中隊規模での偵察活動と小競り合いをだらだらと続ける事になる。

 

 即ち、カプチェランカにおける「本物」の戦闘は僅か2か月の夏が本番であり、残りはその添え物に過ぎない訳だ。金赤のコンビがカプチェランカに来たのは、ブリザードの吹き具合から見て恐らく冬の時期だろう。原作の戦闘は、カプチェランカ全体の戦局でいえば局地戦での敗北でしかない。

 

 そしてカプチェランカにおける同盟軍の最も古く、最大の拠点「カプチェランカ赤道基地」では今正に秋の終わり、そして冬に差し掛かろうという時期を迎えていた。

 

 同盟標準時6月22日1135分、「ユーリカ41号」を始めとした宙陸両用輸送艦群はカプチェランカ赤道基地に設置されたカプチェランカ軍事宇宙港に降下する。

 

 軍事宇宙港、などと大層な名だが、所詮は辺境の係争地である。管制塔があり滑走路もあるが、それは航空部隊との共用である。しかも一年の大半が雪に埋もれ、工兵部隊が除雪作業に従事する羽目になる。

 

 ましてシャトルでの揚陸は雪の降り積もるこの気候から見て自殺行為なので、カプチェランカでの惑星間の物資・人員移動は帝国艦艇のような大気圏降下能力を持つ宙陸両用輸送艦艇での輸送が主だ。同盟軍では製鋼技術が劣る上、ブロック工法が使いにくいので宙陸両用艦艇は高価であり、その殆んどがその能力を必要とする宇宙軍陸戦隊や地上軍の輸送用艦艇である。帝国は主要戦闘艦艇全てに大気圏突入能力をつけているが、あれはかなり贅沢だ。

 

 真っ白な同盟軍士官寒冷地用防寒着を着て大型バッグを手に持った私は、列に並んで遂にカプチェランカへの第一歩を踏み出した。

 

「………!」

 

 艦のハッチから出ると共に私は一瞬目を見開き、僅かに驚愕した。

 

「こりゃあ………一面銀世界だな」

 

 文字通りそこは地平線の先まで白銀の大地が広がっていた。息をすれば冷たい空気が肺に満ちて、白い吐息が吐き出される。

 

 幼年学校や士官学校でも雪原での教練はあったし、実家やテルヌーゼンでも雪が降り積もる事はいくらでもあった。

 

 だが、これはどこか違った。これまでとは比較にならない。惑星全体が雪と氷に閉ざされているからだろうか、より強大で、より冷たい無機質な雰囲気を感じた。

 

「若様……」

「あっ、すまん。……今出る」

 

 すぐ後ろのベアトの指摘のお陰で後がつかえている事に気付いて私は慌ててハッチから飛び出る。

 

 後から続くベアトと共に、私は基地の司令部に向かうために除雪されたばかりの滑走路を滑らないように注意しながら歩く。

 

『第901補給大隊は直ちに第8バンカーに集結せよ。輸送艦からの物資を格納する』

『基地整備隊は明日の出港までに各艦艇の整備と補給を済ませろ。明後日はブリザードが酷くなる。作業を遅らせるな!』

『明日の出港に備え本国帰還予定者は手荷物の最終チェックを1600時までに済ませる事、損傷装備については2000時までに搬入作業を済ませてください』

 

 基地ではアナウンスが次々と鳴り響きそれに従い後方支援要員が各種作業に移っていく。駆逐艦並みの巨体を持つ中型宙陸両用輸送艦のタラップが開き次々と装甲車両や弾薬、修理部品、機材、食料や消耗品、中には郵便や宅配便が軍需科や補給科、工兵科の人員によって運ばれていき、各科の高級士官達が荷物を確認し、受取のサインをしているのが見えた。共に移送された部隊の兵士達が誘導班に指示されながら列を作り兵舎に向かう。

 

 一方、帰りの便には任期を終えた兵士達がようやく本土に戻れる事に喜色の笑みを浮かべながら荷物を運んでいた。明日の便に乗る同盟地上軍陸上軍第845歩兵旅団と同盟宇宙軍第187陸戦連隊は、共に6か月に渡りこの極寒の惑星の表面で激闘を繰り広げてきた。

 

 あるいは損傷して現地での修繕が不可能になった装備がトランスポーターに乗せられ、あるいはジープに牽引されながら移送される。また、青いビニールシートに包まれた多くの特殊貨物は特に丁重に輸送艦に運ばれていった。

 

「………」

 

 数か月前までこのカプチェランカでは一個戦隊の宇宙艦隊、そして7万の同盟地上軍、1万8000名の宇宙軍陸戦隊、また各種航空隊、水上部隊、更には亡命軍からも2万名近い増派を受け、帝国地上軍野戦軍と狙撃猟兵団、そして装甲擲弾兵団と壮絶な戦闘を繰り広げたらしい。最終的には2万名を超える戦死者を出し、北大陸の三分の一を奪還した。

 

現在は冬に備え両軍とも重装備の大兵力を後退させ、戦闘も小康状態にあるらしい。その意味では幸運だ。

 

 カプチェランカ赤道基地にはカプチェランカ戦域軍の司令部として師団規模の戦力が駐留しているため地上部にも多くの施設があるが、その殆どは所詮失っても惜しくない物だ。基地としても機能の7割以上は広大な地下に存在している。

 

 ブリザードにより宇宙からの軌道爆撃が難しいカプチェランカではあるが、補給の関係もあり、流石に総司令部は比較的天候の安定している(比較的)温暖な赤道部に置くしかない。帝国軍も同様で、惑星の反対側には帝国軍の司令部があるだろう。対策として宇宙軍が上空を防衛し、防空部隊の強化と主要施設の地下化をせざる得ない。

 

 そんな訳で私達は今基地の地下12階にある司令官室に向け通路を抜け、エレベーターで向かう。途上警備や事務で通りかかる下士官や兵士に敬礼をされるのでそれに返礼していく。

 

「たかが一少尉が司令官に挨拶するのも可笑しな話だけどな」

 

 ベアト以外いないエレベーター内で自嘲するように私は口を開く。万単位の軍人がいるこの基地で、たかが少尉が司令官に挨拶なぞ身の程を知れ、と言われるだろう。予備役士官でも、幹部候補生の下士官上がりでもない士官学校出の(同盟軍全体から見て)エリート出身ではあるが、だからといって本来ならば配属部隊の司令官に挨拶するのがせいぜいだ。

 

「司令部伝令班ねぇ……」

 

 この役職が私が身の程知らずにもカプチェランカ戦域軍司令官に拝見する理由だ。司令部直属となるこの班は、文字通り司令部や部隊間での伝令役だ。

 

 通信妨害の技術の発達の結果、情報伝達手段は場合によっては伝書鳩や伝令犬、さらにはそれに対抗するための猛禽や毒餌が使われるまでに退化する場合があるのが宇宙暦8世紀の戦場だ。そのため、実際に「人」が部隊に対する命令を連絡する事もある。まぁ、宇宙軍の連絡艇の地上版だな。

 

 それ以外にも宇宙軍と地上軍、また亡命軍やその他現地自治体との連絡手段として使われるのが私の役職の仕事だ。ようはメッセンジャーだ。無論、普段はやる事が無いので司令部の警備なども請け負う。

 

「若様の初任地として十分、とは言いませんがまず満足出来る部署であると存じます」

 

ベアトがにこやかに答える。彼女も同じく司令部連絡班所属である。

 

「まぁ、一応合理的ではあるんだよな」

 

 宇宙軍と地上軍の意思疎通は大事だ。下手したら誤爆で万単位死亡なんて有り得る。宇宙軍と地上軍双方への理解がある者、更に言えば亡命軍の事情に通じ話が出来る者が望ましい。また司令部の護衛や戦場に伝令に向かう事もあるので陸戦技能がある程度必要であり、そして司令部勤務なので将来に向け上官の指揮や仕事を近場で見る事が出来、かつ理解出来る知識も必要であるので、士官学校出の者に宛がうべきポストでもある。

 

 さて、今期の士官学校卒業生で該当するのは誰でしょう?うん、知ってる。言いたい事分かるけど、初年度から前線は流石に酷くない?

 

 まぁ、もう冬が近づき戦線が小康状態に落ち着きつつあり、しかも司令部勤務だから前線勤務としては安全な方ではあるのも事実だ。

 

 亡命政府からすれば初年度から前線にいたという箔付になり、かつ貴重な経験を積め、私を嫌っていそうな長征派辺りとしては戦死しない程度に怖がらせる嫌がらせが出来るという訳だ。両派にサンドイッチにされてこの人事を考え付いた奴は優秀だ。感謝する気は無いけど。

 

「まぁ、愚痴っても仕方無いか」

 

 気を取り直そう。どうせ大規模な戦闘はしばらくない。長くても一年程度で任期は切れ、本土に戻れる筈だ。実戦参加が無くても戦地にいった勲章は貰える。せいぜいハイネセンに戻ってからドヤ顔で威張ってやろう。

 

 そんな馬鹿みたいな事を考えている間に基地の最下層に到着した。私はベアトを控えさせながら司令官室に向け進む。携帯端末の地図に記された通りに通路を進み、私はそこを見つける。

 

 扉の両脇を固め、実弾銃を装備する警備兵が敬礼する。私がベアトと共に返礼、その後私は自動扉を潜り、暖房の効いた司令官室に入り、その高価そうな司令官机の前で教本通りの優美な敬礼で官命を発した。

 

「ヴォルター・フォン・ティルピッツ少尉、ベアトリクス・フォン・ゴトフリート少尉、宇宙暦784年6月22日1230時を持ってカプチェランカ赤道基地司令部伝令班に着任致します」

 

 この日、この時間、私は遂に同盟軍軍人として初任務に付いたのであった。

 

 

 

 




尚、作者は平和には任期を終わらせる気は無い(無慈悲)


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第五十二話 新入社員研修は企業の義務だと思う

『吹雪の進軍氷を踏んで、どちらが北やら方角も知れずに

 

 戦友は寒さに斃れる捨てても置けず、ここは何処ぞ?皆敵の国

 

 ままよ、と大胆一服やれば、頼み少なや煙草は二本

 

 

 冷たい乾パン、半煮えのスープに、なまじ命があるそのうちには

 

 堪え切れず寒さの夜中、眠い筈だよ空調が壊れぬ

 

 渋い顔して功名噺、酸いというのは即席の珈琲

 

 

 着の身着のまま気楽な臥所、背嚢枕に外套被りゃ

 

 背の温みで雪解けかかる、夜具の黍殻しっぽり濡れて

 

 結びかねたる露営の夢を、星々は嘲笑うように顔覗きこむ

 

 

 祖国に命を捧げ出てきた身ゆえ、死ぬる覚悟で吶喊すれども

 

 武運拙く討ち死にせねば、義理にからめた恤兵真綿

 

 そろりそろりとナイフ片手に首絞めかかる、どうせ生きては帰らぬつもり

 

……どうせ、生きては帰れぬ命』

 

 

             カプチェランカ従軍同盟軍兵士の間で伝わる軍歌(検閲指定済み)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カプチェランカ赤道部は多くの惑星がそうであるように比較的温暖な気候に属している……と言っても一年中雪と氷に閉ざされた惑星であるため、たかが知れているのだが。

 

 しんしん、と静かに雪が降り注ぐ中、軍用防寒着を装備した私は森を歩く。基地の近くに広がるこの針葉樹林群は、500年も前にこの星を切り開こうとした人々が植林したものであるという。似たような痕跡は惑星の各所にあるらしいが、寒冷なこの星で辛うじて森と言えるだけの木々が生い茂るのはこの赤道地域のみらしい。

 

 よく探せば野兎や栗鼠、貂、それらを補食する狐、また同盟や帝国軍が伝令や移動等に利用してそのまま逃げてしまった犬や馴鹿、鳥類を見つける事も出来るかもしれない。この冷たく、無機質な星でも、生命は逞しく世代を重ね続けているようだ。

 

「これでもまだ暖かい方なんだよなぁ」

 

 0900時、真っ白な息を吐きながら私は呟く。原作の獅子帝の赴任先は恐らくこの惑星でもド辺境の連隊基地。それよりは遥かにマシではあろうが、それでも凍てつくような寒さだ。ヘルダー大佐の気持ちも分かるわ。こんな星にずっといたくない。

 

「わ、若様……そ、その、非礼ながら余り離れないでいただけないでしょうか……?」

 

 ふと、おどおどした少年の声が響く。振り向けば、今回の基地周辺哨戒任務(にかこつけた散歩)の相方がいそいそと歩み寄る。

 

 小柄な、可愛らしい栗毛に赤瞳の少年、それが白い迷彩服にブラスターライフルを背負う姿はどこか仮装のように見える。口にしたら不機嫌になるだろうから言わないが。

 

「すまんすまん。雪と氷ばかりだからな、こんな変哲の無い森でも思いのほか歩いていると楽しめてな。悪いな、ライトナー曹長」

 

 ライトナー従士家の分家、バウツェン=ライトナー家出身の同盟地上軍曹長、テオドール・フォン・ライトナー曹長はこの年十八歳、私がこのカプチェランカに着任して二か月、青二才の私のお守り役を請け負っている。

 

「い……いえ、差し出がましい事を言って申し訳御座いません。恐れながら僕……いえ、私の腕ではいざという時に若様を御守り出来るか自信が無いものでして……御迷惑をおかけします」

 

 小動物のようにおどおどと謝罪する曹長。正直そちらの方面に目覚めかねないくらいには可愛らしいけど、見かけに騙されてはいけない。

 

 彼の胸元の記章の数々を見れば、到底舐めてかかる事は出来ない。射撃、戦斧術、ナイフ術一級、徒手格闘術二級の資格は簡単に取れる物ではない。戦傷章、二級鉄十字勲章、ゼーナウ要塞攻略戦従軍章、カキン従軍章、アフラシア従軍章……これらの全てを、同盟軍陸専科学校卒業から二年余りで手にしたものだ。

 

「い、いえ……私なんて…妹の方が強いですし」

 

 初陣で一個分隊を嬉々とした表情でナイフで仕留めた妹と比べて、暗い表情で卑下する曹長。そいつと比べちゃ駄目だと思うよ?そいつと練習相手出来るお前も大概だよ。ライトナー家の奴らはどいつもこいつもちょっと……いや、かなり狂戦士しているな。

 

「いやいや、それだけの実力があれば十分さ。別に誰もリューネブルク大尉のような規格外の腕を期待しちゃいないさ」

 

 現在、同盟宇宙軍大尉たるリューネブルク伯爵は初任地たる第8次ケテル上陸戦にて戦功をあげたのを皮切りにジンスラーケン撤退戦、マシュリクⅢ基地攻防戦、キシュラーク防衛戦などで立て続けに参加し、相応の功績を挙げ大尉に昇進、今は宇宙軍陸戦隊の精鋭の一つ第127陸戦連隊の中隊長だ。戦斧術、ナイフ術特級、射撃、徒手格闘術は一級、潜水術、爆発物処理、狙撃、二輪車両運転等数多くの技能資格も持ち、個人技術だけでなく戦術家としても部下を良く統率し、巧妙な作戦を立て実施するだけの柔軟性を持つ。個人としても、指揮官としても同盟地上戦部隊有数の勇士だ。

 

「り、リューネブルク伯爵閣下ですか!?さ、流石にそれは無理ですよぅ……」

 

 半泣きで曹長は全力で首を横に振る。分かっているから過剰反応しないで。この子、いい子だけど滅茶苦茶気が弱いよなぁ。

 

「そう焦るな。そこまでの実力はいらんと言っているだろうに」

「は、はいぃ……」

 

私の注意に恐縮する曹長。うん、可愛い。

 

「お前が部下に配置されて……二か月か。訓練で実力は良く見せてもらったよ。流石に実戦経験者だ。練習ばかりの私とは格が違う」

 

 恐ろしい事に戦斧術も、射撃も、ナイフ術も、銃剣術も、徒手格闘戦ですら私は彼に及ばない。勝率は2割いくかどうかだ。ベアト相手でも3割いくのに……。少なくとも私より遥かに格上である。

 

「いえ、若様も海賊共相手に実戦を御経験なされたと御聞きします、しかも幼年学校でと聞いております!私のように学校卒業の前にです。私なぞより遥かに若様の方が貴重な御経験を御持ちです……!」

 

 ちらりと私の戦傷章を見つめた後、慌ててそう答える曹長。その瞳を良く見ればベアトに近い光が見えた。こちらはもう少し純朴そうであったが。ベアトと違い従士家の分家のため、歳も合わせて直接私と会う事なぞ余り無かっただろう。殆どは伝聞からのみで私の事を知った筈だ。その分ある意味では関わりが浅く、ベアトのように忠誠心、というよりは一種の憧憬に近い感覚なのだろう。メッキが剥がれたら幻滅されそう。

 

「いやいや、粗野な海賊共相手にたった一度、それも何年も前の事だ。お前さん程激しい戦闘は経験していない。だからな、お前さんの腕は信頼している。頼むよ?」

 

 にこやかに貴族の営業スマイルを向け曹長の肩を叩く。いや、前線の戦闘地域に出ていきたくないし、出る可能性は低いが、万一の事があったらガチ目にヤバいからね。今のうちに期待しているよオーラを放って少しでも生存率上げないといけないのよ。

 

「は、はい……!」

 

 一方、曹長は目を潤ませて震える声で、しかし力強く答える。うん感動しないで、怖い。お前さんが思う程に私優しくないから。利己的に生存率上げたり離反フラグ折ってるだけだから。

 

 感動する曹長を見ながら、内心でそんな事を考えていると……。

 

「もぉ、お兄様はぁ、すーぐ泣きべそかいちゃうんだからぁ……そんなのだとぅ、若様が不安になっちゃいますよぉ?」

「ふぁ……!?」

 

 いつの間にか曹長の背後を取り、へばりつくように抱き着く影がいた。曹長と瓜二つの、しかしもう少し曲線の目立つ顔立ち。それが意地悪そうな表情で、曹長の耳元で粘りのある低い声で囁いた。

 

 曹長は驚くと共に雪に足を取られそのまま尻もちする。一方、彼と瓜二つの人物はするりとその巻き添えを受けぬように擦り抜ける。

 

「あはは、駄目ですよぉ、お兄様。今のが賊共だったらぁ、お兄様首掻き切られて死んでましたよ?そして若様もこのままズドン、と」

 

 尻もちをついた曹長を半開きの目で楽しそうに観察し、右手で私に銃を撃つ真似をするネーナハルト・フォン・ライトナー軍曹。

 

 珍しい異性一卵性双生児の妹の方は、加虐的な笑みを浮かべながら兄に向け手を差し出す。

 

「……いらないよ」

 

 むすっと鏡写しのような妹を見て拗ねたように自力で立ち上がる曹長。

 

「若様、こちらの巡回は終わりました」

 

軍曹の後を追うように現れるベアトが報告する。

 

「そうか、まぁこの辺りに敵がいる筈は無かろうが……よし、では残りのエリアを見回ったら戻る。先に戦車に戻っておいてくれ」

 

ベアトと軍曹の班に向け私は伝える。

 

 私達はこのカプチェランカに赴任して以来、いつものように早朝の巡回任務に就いていた。尤も、基地周辺のまず帝国軍との遭遇なぞ有り得ない地域での巡回であるが。どちらかと言えばこの巡回は現地の気候や受け持ちの車両の運転へ慣れさせるものであろう。文字通り散歩である。

 

「はっ!」

 

 敬礼して承諾の意思を伝えると、すぐさま戦車の下に走るベアト。一方軍曹は兄を少しからかった後、私に優美に一礼して逃げるように後を追う。

 

「大丈夫かね、曹長?」

「は、はい。申し訳ありません、みっともない所を御見せしまして……」

 

雪を払いバツの悪そうに答える曹長。

 

「気にするな。私の位置からすら這いよって来ている事に気付かなかったからな。ましてお前が気付けるか。にしても、まさか本当にあそこまで気配を隠せるとはな」

 

 帝国軍狙撃猟兵団は装甲擲弾兵団、野戦機甲軍団と共に帝国地上部隊の精鋭であり、同盟軍の恐怖の的である。名前の通り狙撃部隊であるが、同時に山岳地帯や雪原地帯、市街地でのゲリラ戦を主任務にする彼らは、その精強さと残虐性において残り二つと引けを取らない。

 

 どこからともなく一撃必殺の対物ブラスターライフルの狙撃でまず士官達の頭を撃ち抜き、続いて最先任下士官や技能兵を一人一人確実に始末していく。待ち伏せや奇襲は御手の物で、雪原の中で数日に渡り動かずに同盟地上軍の師団長を待ち続け射殺した話、山岳地帯で闇夜に紛れご自慢の鉈のようなグルカナイフで分隊全員の首を刈り取ったなんて話は珍しくない。

 

 実際、今もこの二人の腰を見れば曲がりが大きく刃幅の大きい炭素クリスタル製のナイフが吊るされている。そして恐らくそれは実戦の洗礼を受けている筈だ。

 

 元を辿ると、狙撃猟兵団は銀河連邦軍地上軍の対ゲリラ特殊部隊に起源を持つ。連邦末期の未開の辺境惑星にて反乱勢力やカルト教団、犯罪組織、テロ組織が大自然などに拠点を構え勢力を伸ばしていた。

 

 銀河連邦地上軍の多くは人口密集惑星での治安維持や警備を主体にしていたために軽装備歩兵が中心であり、大自然でのゲリラ戦に苦戦した。また長い平和と予算削減により堕落し、その軍規と能力は劣悪であった。「地球統一政府軍のように虐殺と略奪をしないだけマシ」な程度でしかないレベルであった。

 

 宇宙暦280年代末の軍制改革の結果辺境でのゲリラ戦対策として帝国軍狙撃猟兵団の、市街地や地下空間、宇宙空間での宇宙海賊や武装勢力との近接戦闘、揚陸戦闘に対抗するために帝国装甲擲弾兵団の、連邦の分裂・内戦に備えた大規模野戦部隊として野戦機甲軍の前身部隊がそれぞれ編制された。これらの部隊は銀河連邦地上戦部隊の精鋭部隊であり、腐敗し、堕落していた銀河連邦軍内において稀有な士気と高い能力を有していた。

 

 ルドルフ大帝も銀河連邦軍人時代、辺境の宇宙海賊や武装勢力の鎮圧に彼らを好んで使用した。大帝陛下の言によれば「義務も使命も忘れた腐敗した軍人崩れ共百人よりも一人の精兵が遥かに余にとって貴重な戦力であった」という。

 

 連邦末期、連邦軍は終身執政官ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの下に厳しい綱紀粛正が実施される。連邦軍は精強な軍隊に再編成されたが、百万単位の軍人が役職を追われ、その一部がルドルフの強権体制に叛旗を翻す事になる。尤も、人種差別への反発や民主主義再建など政治的信条の下に抵抗した者もいたが、大半は汚職や不正を行って処分されて当然の者が既得特権を取り戻そうと逆恨みしただけであったが。そしてその中に先の三部隊から処分を受けた者は一人としていなかった。

 

 帝政成立後、装甲擲弾兵団、狙撃猟兵団、野戦機甲軍が正式に設立され、地上軍、宇宙軍からも半独立した組織として編成された。所属部隊の将官は門閥貴族階級に、佐官・尉官は下級貴族、下士官兵士は士族(一部特権を付与された職業軍人を家業とする平民階級)に全員が任命された。

 

 現在でもこの三兵団は腐敗と堕落とは無縁だ。徴兵ではなく、一兵卒に至るまで志願制であり、貴族と士族階級のみ、さらにその中から厳しい試験に合格した者のみが加入を許される。加えて毎年実施される定期試験の成績が一つでも大帝陛下の定めた基準に満たなければ、貴族だろうと総監だろうと、皇族ですら問答無用で追放される。

 

 その末裔の一つがライトナー家であり、この双子である。御先祖様が大帝陛下に下賜された(押し付けられた)世紀末モヒカンな領地平定に行く際、当時まだ士族階級だったライトナー家の初代を誘って以来の付き合いだ。

 

 因みに、将来の装甲擲弾兵総監たる石器時代の勇者は、先祖が帝政初期に装甲擲弾兵団に所属した事で士族に、そこからジギスムント1世時代の大反乱で武功を上げリッテンハイム伯に目を付けられ食客に、後にリッテンハイム伯爵家とアルレンシュタイン伯爵家の私戦で功績を上げ従士階級に、流血帝時代のリンダ―ホーフ侯爵の反乱の功により帝国騎士となった。その後も反乱鎮圧や同盟軍との戦いに一族の犠牲を持って貢献し、近年御本人がようやく男爵位を授かった。一族挙げてガチ目に血と汗を流して5世紀も帝国に尽くしてきた訳だ。そりゃあ金髪の小僧を毛嫌いするわ。男爵になるのに何代かけたと思ってやがる。

 

 その点から考えると、原作でリップシュタット以降装甲擲弾兵総監職が出ていない理由も分かる。あの内戦で装甲擲弾兵団の存在そのものが変質したのだろう。武門貴族や士族があの内戦の後どれくらい残っているかと言えば……。地上軍に吸収されその一部局に成り下がったんじゃなかろうか?人員も唯の平民だらけになったと思う。少なくとも、本来の装甲擲弾兵は原作のように地球教の戦い方にビビるなんてしない。流れ作業のように淡々と戦斧で精肉にする。

 

「それにしても……あれが昔の基準ねぇ」

 

私は小声で呟く。

 

 まぁ、武門貴族も士族階級も、帝国正規軍では今となっては珍しい。下士官兵士大半が文字通りの唯の平民が占め、士官階級ですら侵食している。150年も戦争していればそりゃあ御家断絶しまくるわ。大帝陛下も、まさか1世紀以上戦争するなんて流石に思わんわ。中世の戦争かよ。

 

 そう考えると獅子帝、良くリップシュタットであんな短期間で勝てたな。指揮官は兎も個艦、個人単位だと下手したら貴族私兵軍の方が上なのに。

 

「何か仰いましたか?」

「いや、何でもない。さっさと見回りを終わらせよう」

「はっ!」

 

 せっせと後についていく曹長を率いて、私は雪原を進む。まぁ、今はそんな事を考えても仕方あるまい。取り敢えず今の任期が無事に終わる事を願おう。

 

 

 

 

 

 

 

 巡回任務を終えた後は、昼食を食べた後1300時より基地司令部の警備及び補助業務に就く事になる。カプチェランカ赤道基地の司令官にして、カプチェランカ戦域軍司令官を兼任するマリアノ・ロブレス・ディアス准将は同盟地上軍准将、日焼けしたラテン系の中年男性だ。ステレオタイプなイメージではラテン系となると陽気な性格を想像するかも知れないが、御本人は冷たい惑星であるためか非常に淡々とした職業軍人だ。

 

 私とベアトは基地の地下最下層、宇宙艦艇が衛星軌道上から叩き込んでくる低周波ミサイルやバンカーバスターすら耐えうるコンクリートと超硬質繊維、特殊合金で守られた温かい司令官室にて事務の補助をする。と言っても副官以下の事務員が司令官の専属にいるため、どちらかと言えば職場見学に近い。

 

 各種の書類……例えば補給物資や装備の納入やら人員の補充や移動、戦力や装備、予算の要望に戦死者の報告、不祥事の処理に軍属として来ている民間人の管理、上位司令部たるクィズイール星系統合軍への戦況報告、各地の基地や上位司令部からもたらされる帝国軍の動向とその分析……それらの情報を把握し、決裁するのがこの基地の司令官の役目である。副官や各事務員は各所から送られる報告を整理し、事実関係を確認。それらを分かりやすく客観的に、形式を整えた書類にして司令官に提出する。そうして決裁の終わった書類を、再び関係各部に提出する。査察部の法務士官や憲兵などは、それらに間違いや不正が無いか厳しくチェックする。

 

「少尉、そこの書式違います。後ここの消費弾薬の項目、数が合わないです。作り直しですよ」

「わ、分かりました」

 

 老境の軍需科の下士官に丁寧に指摘されて慌てて私は書類を作り直す。ここ二か月の間軍需科の資料作成に関わっていた。無論、私が新任である事は皆が百も承知である。明らかに優先順位の低い資料を処理させてもらい、しかもミスしている事を前提にチェックされていた。

 

 幼年学校、士官学校でも多少は資料作成の技能については触れられているが、優先は戦闘技能や戦術・戦略能力、指導力だ。後方勤務系の研究科においても行うのはマクロなデータ分析であり、辺境の基地の物資の計算や資料作成は現地で覚えた方が早い。これでも着任直後に比べれば相当ミスは減っているのだ。まぁ、慣れれば慣れる程相手もより難しい仕事持ってくるけど。

 

 一方、ベアトは私のすぐ隣でディスプレイを見ながらタッチパネルで早々に資料を処理していく。流石席次300位台だよね、私とは格が違うね。事務処理のスピードが私の二倍くらいあるもん。

 

「はぁ……」

「?どうか致しましたか?」

 

 小さな溜息を吐く私にベアトが心底不思議そうな表情で首を傾げる。

 

「いや、なかなか慣れんものだと思ってな。たかが、という訳ではないが、ここで足踏みしているようでは先が思いやられる」

 

 事務の士官下士官達に聞けば「事務能力は並み」といった所らしい。新品少尉としてで、ある。因みにベアトは「凄く飲み込みが早い」との事だ。これ主従逆転した方がよくね?

 

「何を仰いますか?若様は御立派です!確かに今は初任地ですのでお慣れでは御座いませんし、事務作業の経験が浅いのは事実です。ですが若様の指揮能力や指導力、権謀術数については良く存じております!」

 

 うん、それ多分大半ホラントやチュンとかシェーンコップの助言鵜呑みにしているだけだから。私単独だとコープに秒殺されているの知っているでしょ?

 

 実際、士官学校では多少は艦隊運用や防御戦闘の指揮には秀でているが、それは教官の指導のおかげだし、それとて平均より多少マシ、と言った所だ。私の席次の少なからずの部分が周囲の助けや特有の環境による利点、そして地道な努力によるものなのだ。え、結構遊んでいるように見える?はは、夜は寝る直前まで予習復習して、空き時間があれば参考書読みながらダンベル持ち上げているんだよ、余裕なんか無かったよ!貴族だから人様の前で汗水垂らして泥臭く努力する姿見せられなかっただけじゃ!

 

 恵まれた環境で、努力に努力を重ねて辛うじて並みの能力か……原作の無能勢ですら大半は士官学校のエリート、それを殲滅する主要人物勢がやばすぎる。

 

 辛うじて破滅だけは回避しようと考え士官学校は卒業したが……こんな序盤から自信が無くなるとはな。陰鬱になってくる。

 

 1800時、本日の事務を終え、私達は退出する。正確にはまだ事務は残っているし、毎日急報に対応するため即応要員は24時間三交替体制で控えているが、所詮新品士官の御手伝い役の私達はそこまでの事は期待されていない。

 

 その後私は自主的に2時間程、軽く肉体を鍛える事になる。軍隊において体力は必要不可欠、地上勤務ならば尚更だ。というか、鍛えないと下手しなくても死ぬ。基地内のスポーツセンターで2時間程鍛える事になる。わぉ、流石最前線基地だぜ、皆素晴らしい肉体美だ。筋骨隆々で、弾創だとか傷の痕が嫌に自己主張していた。よぼよぼの経理事務員の初老の老人が脱いだらかなり凄いんです。

 

 彼らを見た後に自分の体を見る。うん、(相対的に)ひ弱な軟男ですわ。鍛えないと(使命感)。

 

 2000時に夕食を摂る事になる。同盟軍の食堂は士官・下士官用のそれも存在するが、多くの場合は兵士と士官が共に食事をするし、する事が奨励される。上官と部下の関係は近く、親しい程良いとされる。

 

 因みに帝国軍や亡命軍では当然別で、士官・下士官・兵士が完全に隔離されて、待遇も違う。兵士の食事の質は帝国は同盟に僅かに劣り、亡命軍ではほぼ同等、士官用の食堂は多くの士官が貴族階級なこともあり結構豪奢だ。一応士官用の献立もあるが、特に大貴族や将官だと態々専用の料理人を雇い、材料も補助が出るが基本自腹で用意する。シャンデリアで照らされた食堂で純白のテーブルクロスに銀食器や繊細なデザインを施された陶器製食器で音楽を聴きながらコース料理を部下達と共に味わう。従兵や使用人が食事中ずっと控え、食事の補助をする。高級レストランのようだ。

 

 無論、そんな事は同盟軍基地では流石に出来ない、というかする訳にはいかないので普通の席について食べる。食堂の端でベアト達に守られるような位置関係なのは少し警戒し過ぎな気はするがね。2100時からは入浴、と言っても大抵皆シャワーである。

 

 2200時、本日の業務を全て終えればようやく自室に戻る。因みに地下の安全な士官用個室で、隣の部屋はベアトであるのは色々配慮された結果なのだろう。

 

「……にしてもこれは無いよなぁ」

 

 毎度の事ながら、室内を見て流石に顔を引き攣らせる。設計上は個室シャワーと洗面台、トイレ(水がそこら中にあるからこその設備だ)の一部屋の白い無機質な個室で通常は大量生産品の事務用机と本棚、ベッドが用意されているのが常であり、そこに私物が供えられるのが基本である。まぁ、家具なんて普通基地まで運んでこないからね。普通は。

 

 おう、赤い絨毯が敷き詰められて、机も本棚もベッドも高級木材製に変わっているのはたまげたよ。羽毛布団が用意され、これまた手作りだろう振り子時計に絵画(近世風の風景画とか戦場画だった)飾ってんの。ここは門閥貴族用の部屋かな? あ、門閥貴族だった。

 

 聞いた話だと、着任前日に500キロ離れた亡命軍基地から雪上車が列作ってきてマッチョの軍団が黙々と掃除をした後、家具その他を運び込んできたらしい。おい止めろ、初日どころかそれ以前の段階で味方からドン引きされる案件だぞ。

 

 おかげ様で、初日に各所に挨拶回りに行った時点で明らかに要注意人物扱いされてたよ。関わっちゃ駄目オーラをだしてたよ。こんなのボッチ認定も残当だよ。冗談抜きで御付き三人いなかったらボッチ確定だった。

 

 流石に虐めは無いが、特に士官達から少し遠慮されているのは確かだ。まぁ、私を虐めたら結構あかん事になりかねないからね。この星で亡命軍の貢献は小さくない。今夏の大攻勢でも亡命軍は総勢3万の兵力を参加させ、内4000名以上の戦死者を出した。同盟軍を含めた投入戦力が24万、全体の死者が2万余り、負傷者を含めると4万を超えた事を考えると、同盟軍の平均より高い戦死率であり、一方帝国軍に与えた損失は全体の4割近くに当たる。損害率も考えると頭可笑しいとしか思えない。

 

 亡命政府軍は長年に渡り対帝国戦争に貢献してきた。昔は大きな損害が予想される戦いでは先鋒を請け負わされる事もあったし、逆に全軍の殿を務める事もあった。同盟軍ではないので戦死者の公表数を抑える事が出来るからね、仕方ないね。

 

 逆に亡命軍からすれば自分達が戦わなくては母星が危ない。真の皇帝陛下のため戦わなければという使命感もあるし、命を惜しみ名誉を守る事を知らない卑しい奴隷共の子孫(同盟軍)は当てに出来ない、何より上位司令部の命令は絶対である。それらの諸要因が結びついて献身的に、苛烈な戦いを演じる。そして同盟軍将兵はその姿に感銘を受けると共に、恐怖と悍ましさとどこか後ろ指を指される感情に襲われる。

 

 ここまで部屋を改造されても文句が来ないのはその辺りも原因だろう。何はともあれ進んで苛烈な戦いに身を投じる同胞への配慮、というよりは敬して遠ざける、に近いかも知れない。私としては自分は別にいいから同胞助けて、という気持ちだが。

 

 机の上には明らかに高級そうな包装の為された小包が幾つも置かれていた。差出人を見れば、この星に駐留する亡命軍幹部達やその縁者からだ。身内である門閥貴族は当然として下級貴族に平民もいる。中には差し出す義務の無い大隊や中隊の兵士単位で差し出してあるものまであった。皆、私が着任した事への祝い品で、着任してからちらほら来ている。中身はワインやら高級菓子やらオーダーメイトの雑貨で、メッセージを簡略に訳せば名門たる伯爵家の子息と轡を並べて賊軍と戦える事に感謝し、より一層祖国と陛下のために奉仕する皇帝陛下万歳、という内容だ。

 

……うん、ドン引きする内容だ。

 

 まぁ、唯でさえ末端の平民まで帝室万歳、大帝陛下万歳、貴族制度万歳な価値観だ。特に武門貴族は、最前線で軍旗やら拳銃片手に指揮を取り兵士を鼓舞するという、いつの時代だというノリだ。中には帝室の血縁者の癖に先頭に立ってサーベル片手に突撃する者までいる。まして武門の名門が父方、帝室出身者が母方の士官学校卒業ほやほやで前線に勤務する私は(直接会わなければ)兵士達のウケがいいだろう。

 

 御免なさい、轡並べるどころか家臣に守られながら安全な地下に引き籠ってるよ。

 

「そんな一日な訳だ。正直毎日腹が痛い」

『ははは、まぁ気持ちは分かるよ』

 

 自室内のディスク端末から超高速通信で旧友に愚痴を吐いてみた。普段なら明日のために消灯するまで自学自習するのだが、今日くらい休ませろ。

 

 液晶画面の向こう側には無駄にデザインが俊逸だと評判の亡命軍士官軍装に身を包む亡命軍宇宙軍所属アレクセイ・フォン・ゴールデンバウム少尉が困った表情を向ける。現在は亡命軍統帥本部勤務だ。おう、配慮無しで亡命軍士官学校首席卒業者様は格が違うぜ。

 

『いやいや、亡命軍士官学校は同盟軍のそれよりレベルが下がるからね。別に首席だからと言って誇れるものではないよ?』

「それ、出来る奴の台詞だって理解してる?」

 

 逆に言えばサジタリウス腕全土から受験者の来る同盟軍士官学校と比較出来る程度にはレベルが高いのだ。つーか、お前ホラント抑えて幼年学校首席だったよな?つまりお前テルヌーゼンでも最低でも次席な訳なんだけど?

 

『そういう君だって結構良い席次じゃないか?』

「死ぬ気で学習したからな。それに環境にかなり恵まれている」

 

 幼少期から第一線の軍人や退役将校から指導を受ければなぁ。寧ろここまで有利な要因で下駄を履いても「本物」の秀才天才の前では及ばないのは泣けてくる。

 

『贅沢な悩みだね』

「お前にだけは言われたくない」

 

口を尖らせて私は指摘する。

 

『まぁ、それはそうと期待と現実のギャップがあって辛い、って話だったね。実力以上の物を求められるのは確かにストレスが溜まるよね。特にヴォルターの場合は小心だし』

 

 初代銀河帝国皇帝ルドルフは、性格と思想は兎も角実力は間違いなく本物だった。そして彼に選ばれた門閥貴族の大半も同様だ。だが、子孫もその才覚を受け継ぐとは限らない。大帝は遺伝子の無謬性を信奉していたが、所詮は専門外の似非優性思想だ。政治家や軍人、扇動家として傑出していても、遺伝学やら生物学を学んでいた訳ではない。

 

 彼と、彼の選んだ「優秀な人類の指導者層」の子孫は、しかし所詮人間である。本当に指導者としての才覚が遺伝するかは断定出来ないため、環境と教育の優位、そして選民意識を持って徹底的に指導する事で秀才を量産し、辛うじて巨大な帝国の国家体制を動かしている、というのが実状だ。

 

 だからと言って、今更民主化や議会制の導入など、少なくともオリオン腕の特権階級には怖くて出来ない。

 

 意識しているかは兎も角、今更特権を捨てるような事は家族や多くの家臣を養っている以上出来ないし、捨てた所で人民がまともな政治が出来るとも思えない。下手すれば、衆愚政治の果てに人民が自身の失政の責任を帝室や貴族に求め、一族郎党家臣団含め生贄の羊として吊るしかねない。民主化の過程で多くの旧支配層の血が流れる事くらい歴史から学べるし、旧銀河連邦の醜悪な末期も知る事は容易だ。まして帝室と貴族は複雑な婚姻関係で繋がり、身内同然だ。身内が殺されるなんて許容出来る訳がない。

 

 その点、亡命政府は帝国と違い、議会制民主主義を建前でとりつつも実質的に立憲君主制、いや専制政治が事実上可能であった。議会もあるし選挙もあるが、大抵貴族が当選し、星系政府首相(皇帝陛下)の意見にノーを言える者は殆どいない。市民も殆どの者は帝室と貴族に逆らおうなぞ考えもしない。

 

 なぜ民主主義を取りながらも帝室と貴族が未だに巨大な権限を握り、それを市民が支持しているか。要因としては亡命時に運びこんだ資産にもあるし、教育も関係あるだろう。

 

 だが、最大の要因は彼らが指導者の範として曲がりなりにもその使命を果たし、市民の多くが素朴にその姿を崇敬しているためだ。平民や奴隷共は怠けるし、戦いでもすぐ逃げる。すぐ欲望に負けるし、自身で考えずに流言に流される……だからこそ大帝陛下に選ばれし貴族階級が率先して範を見せ、愚かで下賤な者共にその目で吾等こそが指導者に相応しい事を見せつけ、分からせてやらねば、と言う訳だ。

 

 無論、民衆の多くが元より保守的な者が多く、共和主義者も敵意を亡命政府ではなく帝国に向け、同盟という帰化する先があったという環境が、民主化後の特権階級排斥が無かった最大の理由だろうが。

 

 そのような経緯もあり、民主政の下、亡命政府の貴族は経済的には兎も角法的には平民や奴隷と平等であり、その立場は不安定だ。逆に、だからこそある意味では帝国のそれより、よく言えば誇り高く、悪く言えば選民主義的で見栄張りである。平民共に負ける訳にはいかないのだ。平民や奴隷より優秀で勇敢で優美でなければ、自身の社会的存在意義を失いかねない。

 

 そのため亡命貴族は教条的だし、敗北を許せないし、まして自身の限界なんぞ認められない。人知れず努力し、人目の付く場所では涼しい振りして少々の無理ややせ我慢をする傾向があり、それを苦痛と思わない。その程度の存在である事を認められない。貴族が無価値であることなぞ受け入れられない。

 

 当然ながら元小市民な私に本物の誇りなぞ無いので、それを演じるのも、その能力を求められるのも一層辛い。

 

「従士の前で弱音も吐けんしなぁ。まして同じ門閥貴族相手にも言えん。はぁ……げんなりする」

 

 そして毎度の如く高貴なる皇族様に愚痴るわけだ。順序可笑しいとかいったら駄目よ?

 

『まぁ、その分私も毒を吐けるからいいけどね。私だって気楽に本音を口に出来る相手は余りいないからね』

 

 旧友である事を含めてなんがかんだ言っても互いに相手の性格を知っている分砕けて話やすいわけだ。

 

「はぁ、辺境の基地の事務になりたい。亡命軍なんかいなくて、一人で誰からも期待されず淡々と窓際部署にいたい」

 

 怠惰の極みのような発言をする。大帝陛下がいればグーで顔面を殴られている事だろう。

 

『けど、ヴォルター一人で生活出来るの?』

「………多分出来る、よな?」

『いや、私に疑問形で尋ねないでくれないかな?』

 

 いや、前世があるから一人暮らしくらい出来る、筈。……大丈夫だよな?使用人や従士いなくても大丈夫だよな?ヤバい、少しだけ不安になってきた。

 

 そしてその後は気分転換に他愛のない話……故郷の様子や宮廷、サロンでの流行や貴族間での噂話やらについてだ。まぁ、宮廷の悲喜こもごもな話は他所様の立場で見れば案外面白いものだ。他所様の立場なら、だが。御令嬢目当てに星系法違反にもかかわらず決闘して、最後は関係ない第三者の子爵様に奪われた上に警察に連行された男爵家の息子二人の話とか、本人達にとっては黒歴史でしかない。

 

『そうだねぇ……後は、先週……聞いた…だと』

「ん?ちょっと待ってくれ」

 

 ふと、通信時差の殆ど出ない超光速通信(FTL)による映像が乱れ、映像が少し遅くなる。

 

「少し通信状況が悪いな。通信衛星が故障でもしているのか?」

 

 同盟全土を覆い、星間でのテレビ電話やメッセージ連絡、インターネット利用からマスメディアニュース、金融・銀行決済取引等、サジタリウス腕の産業と社会を支えるアライアンスネットワークシステムは双方向的な通信体系であり、一か所の衛星や通信基地が破壊された程度では問題にならない筈である。まして民間回線は無論の事、同盟軍の利用する軍用回線(ミリタリーライン)は帝国軍のハッキング等に備えた七重の最高レベルのセキュリティチェックを受け、しかも最優先に通信出来るように定められ、出力も高い。多少の宇宙嵐などでも簡単に映像が乱れる事は無い。

 

それが乱れるとすれば………。

 

「不味い……!?」

 

 嫌な汗が額を伝い、そう私が呟いたのと同時に映像が砂嵐に変わる。同時に基地全域を大きな震動が襲った。私はその勢いで椅子から真後ろに倒れる。

 

「うおっ……痛ぅ……!?」

 

 慌てて頭部を守る。危ねぇ、床にぶつかって脳震盪で死ぬ所だった!?

 

同時に基地全域でサイレンが鳴り響く。

 

 『空襲警報の発令です。繰り返します。空襲警報が発令されました。銀河帝国宇宙軍による軌道爆撃と推測されます。防空要員は所定の配置に、それ以外の地上要員は最寄りのシェルターに、地下にいる場合は物の落下、崩落に備えつつその場に留まって下さい。繰り返します……』

 

機械的な抑揚の無いアナウンスが響き渡る。

 

「これは……」

 

 この時私は今更のようにここが戦場の最前線である事を再認識させられた。安全?それは所詮「比較的」でしかないのに。

 

「はは、マジかよ……?」

 

 宇宙暦784年8月25日同盟標準時22時53分、自由惑星同盟軍クィズイール星系統合軍カプチェランカ戦域軍宇宙部隊は帝国宇宙艦隊に敗北し、第四惑星スルグトの宇宙軍基地まで後退。惑星カプチェランカの衛星軌道は帝国軍により制圧される事になった。

 

 

 




最初の曲は軍歌「雪の進軍」がモデルです。日清戦争時の曲ですのでもう著作権切れてますよね……?


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第五十三話 集団行動出来ない人物は周りから浮くもの

藤崎版で盾艦がクローズアップされた事実に感激


 宇宙空間からの地上攻撃が初めて実施されたのは、シリウス戦役開始直後の惑星ロンドリーナ攻略作戦においてである。地球軍三提督が一人ヴィネッティが、これまで理論上の物でしかなかった軌道爆撃を実戦で初めて使用し、ロンドリーナに駐留していた植民星連合軍宇宙軍は宇宙に飛び立つ事すら許されず壊滅した。そしてすぐさまその方法は彼自身の手によって洗練され、より一層効率的な破壊を行うためのものに改良された。

 

 宇宙暦8世紀の軌道爆撃において使用されるのは主に低周波ミサイル、中性子ビーム砲、バンカーバスター、電磁砲等だ。

 

 内、各々の破壊目標、使用方法は予め想定されている。例えば最初に爆撃で使用されるのは低周波ミサイルだ。貫通力がなく地表を広範囲で吹き飛ばすそれは、地表部分の施設を排除するのに利用される。但し、破壊範囲が広いので多くの場合友軍の揚陸、展開前に使用される。また低速のため迎撃されやすい欠点もある。

 

 中性子ビーム砲による砲撃はその貫通力が売りだ。現代では多くの場合、軍事施設の中枢部は地下深くに備えつけられている。光秒単位の射程を持つ中性子ビーム砲の一撃は、頑強な地下施設に対しても一定の効果を発揮する。但し、光学兵器のため爆発力は無いので破壊範囲が限定されるという欠点もある。

 

 バンカーバスターは地下施設破壊のために存在する。燃焼性の高いそれは、中性子ビームによって出来た穴に向け叩き込まれ、地下施設を広範囲で吹き飛ばすために使用される。

 

 最後の電磁砲は近接支援火力だ。地上軍の進撃に合わせ、トーチカや砲台等の防衛施設を地上部隊の誘導に応じて砲撃する。光学兵器に比べ破壊範囲は広く、かつ低周波ミサイルほどには広すぎないため味方を巻き添えにしにくい。また、敵にとってはプラズマ化した砲弾の迎撃は難しい。

 

 一方、それに対処する方法も洗練され、今となっては軌道爆撃は決して抗いようの無い一方的な攻撃ではないのも事実である。

 

 爆撃する艦隊はまず衛星軌道上の防衛衛星群を排除しなければならない。

 

 それは足止めにしかならないが、その間に地上の敵部隊はある程度の防衛体勢を整えてしまう。

 

 低周波ミサイルの迎撃は案外簡単だ。西暦の21世紀初頭には、原始的な大陸間弾道ミサイルの精密迎撃兵器は開発されていた。所詮光速で飛ばないミサイル兵器は、撃墜するのは難しくない。誘導段階で妨害電波を使い、明後日の方向にさようならさせてもよい。

 

 中性子ビームやレーザーと言った光学兵器に対しては、防空ミサイルによる重金属雲層で威力が減衰するし、地下の大型発電設備で支えられる中和磁場発生装置で防がれる。それを抜けても、対光学兵器用コーティングの為された複合金属で包まれ、超硬質繊維と耐熱コンクリートで守られた地下施設は簡単に吹き飛ばせない。

 

 バンカーバスターも同様だ。所詮は音速で飛ぶ実弾は、万全な迎撃体制が整えば脅威ではない。

 

 弾頭がプラズマ化する電磁砲による砲撃は迎撃は簡単ではないが、代わりに射程の関係で光学兵器に比べ宇宙艦艇もかなり地表に近づく必要があり、反撃も受けやすい。

 

 地上部隊の反撃も思いの外強力だ。各地のサイロから撃ち込まれる星間ミサイルは、軌道爆撃が惑星の衛星軌道で実施しなければならない以上至近距離で対処しなければならない。要塞砲の中性子ビームや対空レーザーも艦艇のそれより出力が高く、下手な中和磁場では貫通されかねない。電磁高射砲の連射能力は、小型艦艇にとっては特に脅威だ。

 

 即ち、多くの一般人が思う程に宇宙艦隊と地上部隊、特に軍事施設との戦闘は一方的なものとはならない。

 

「第14要塞砲台陣地通信途絶、第17要塞砲台陣地全壊!」

「重金属雲濃度20%に低下、追加のミサイル群を発射します!」

「C-05ブロック崩壊、E-07ブロック大破……!工兵部隊、修繕作業に向かって下さい!!」

「低周波ミサイル群第5波を確認、数120、防空隊は迎撃を……!」

 

 カプチェランカ赤道基地では今まさに、苛烈な防空戦闘が繰り広げられていた。地下深くに設けられた基地地下司令部では、オペレーター達が端末に向き合い次々と戦況を報告する。基地司令部に備え付けられた地上監視モニターを見れば、満天の星空の上で迎撃されたミサイルの火球や雨のように降り注ぐ光条が確認出来る。しかしその破壊の嵐に対して基地防空隊は適切な対処を行い、殆どは無力化されている。

 

「敵艦隊の迎撃は後回しでいい、防御に徹するのだ。観測班は敵揚陸部隊を警戒しろ。狙撃猟兵と工兵隊が破壊工作のために潜入する可能性がある」

 

 簡略に命令を下したカプチェランカ戦域軍司令官マリアノ・ロブレス・ディアス准将は、司令官席に腰かけ鋭い視線でモニターを睨め付ける。細かすぎる命令は却って現場の行動を束縛する可能性もあった。直接現場の状況を把握出来ない現状では、不用意な束縛は行うべきではない。

 

 カプチェランカ衛星軌道上にて同盟宇宙軍が撃破され、軌道爆撃が開始されてから約3時間が経とうとしていた。

 

 カプチェランカ戦域軍の保有する艦艇は約60隻、将兵にして7000名前後程度の戦力しかない。

 

 だがそれは当然で、この星系において、特に敵味方の混在するカプチェランカでは気候の影響から地上に大規模な宇宙港は作れないし、衛星軌道上で基地を建設すれば即刻攻撃対象になる。結果、両軍とも周辺の他の惑星や衛星上の基地から、艦隊を三交替制で臨時に派遣せざるを得ない状況が長らく続いていた。同じ星系内とはいえ態々別の駐留地から派遣するため、小艦隊でなければ継続した派遣は難しいのだ。上位司令部たるクィズイール星系統合軍の有する宇宙戦闘艦艇は約770隻、必要以上の戦力を派遣する余裕はない。戦闘はカプチェランカ以外の惑星や衛星の軌道上でも起きているのだ。

 

 尤もそれは帝国軍も同様だ。そのため両軍とも決定的戦果を挙げる事も無く、損失を気にして消極的な戦闘を続けていた。……これまでは。

 

 カプチェランカ衛星軌道上でその戦闘が起きた直後、数日に一回発生する殆ど損害も無い小競り合いが始まった、カプチェランカ戦域軍副司令官にして宇宙部隊司令官たるヴェイ大佐はそう考えていた。

 

 そのため、司令部に対して交戦に入る連絡はしたがそれだけであった。カプチェランカ赤道基地の司令部要員も同様に考えていた。年に百回近く、しかも犠牲者も殆ど出ない戦闘だ。しかも戦闘の激化する夏が終わり冬が始まろうという時期である。数十分ほど互いに弾をばら撒いて後退して終わりの筈だと考えていた。そのため皆慌てず、ゆっくりと動き出した。

 

それが間違いであった。

 

 帝国軍艦隊は300隻に及ぶ艦隊を動員して、数倍する火力で同盟艦隊を圧倒した。ぎりぎりまで索敵網に掛からないように、大半が惑星の反対側の影に展開していた。そして戦闘開始と共に惑星の北極圏を通り、天頂方向から襲い掛かった。

 

 半数近い艦隊を失ったカプチェランカ戦域軍宇宙部隊は撤退せざるを得なかった。そして未だ警戒態勢の整わないカプチェランカ赤道基地に対して軌道爆撃が実施された。

 

 奇襲に近かった初撃で、基地の地上部は少なくない損害を被った。宇宙港に係留されていた数隻の宙陸両用輸送艦と大気圏内航空機の半数が破壊されたほか、比較的重要度の低い施設が幾らか吹き飛んだ。

 

 尤も、防空隊はすぐさま反撃に出た。中和磁場の展開と重金属雲ミサイルにより、光学兵器の損害は殆どない。ミサイル攻撃も完璧に迎撃出来ている。電磁砲の攻撃には対処方法は少ないが、その場合は母艦を直接叩けばいい。

 

 カプチェランカ赤道基地の防空隊はこの3時間で装備の3割を喪失しているものの、電磁砲撃の主力たる駆逐艦を中心に28隻の敵艦艇を撃破していた。破壊された艦艇が大気圏に突入し、流れ星として空を彩る。

 

 戦闘自体はほぼ互角であった。初期の奇襲が痛かったが、それ以降は伯仲した戦闘が繰り広げられている。カプチェランカ赤道基地周辺の同盟基地からの支援攻撃もあるため、帝国軍はそちらへの対処も必要だった事もある。

 

問題があるとすれば……。

 

「通信の復旧は出来ないか?」

 

ディアス准将は深刻な表情で通信参謀に向け尋ねる。

 

「衛星軌道の通信衛星が破壊されたようです。また、艦隊から強力な妨害電波も流されています。地上基地の友軍相手ならば中継の通信基地づたいに連絡は可能ですが、上位指令部となると通信は技術的に困難と言わざるを得ません。更に言えば、地上の各通信基地も今後は爆撃の標的になる事が予想されます」

「そうか……」

 

 通信参謀からの報告を反芻しつつ、腕を組みながら基地司令官は帝国軍の行動の分析を行う。 

 

 この攻防戦自体は基地側に有利だ。地上基地や宇宙要塞の中和磁場発生装置は、電源の関係から艦艇用のそれより遥かに強力で大型のものを用意出来る。電磁砲以外の実弾兵器を迎撃するだけの弾薬も残っている。

 

 問題はこの攻撃が単発的なものか否か、上位指令部は健在か否か、増援の来る展望の有無である。いくらカプチェランカ赤道基地がこの星最大の規模の基地で、防衛能力と物資が豊富であっても、所詮は前線基地である。物資は外部からの補給に頼らねばならず、それが尽きれば敗北は必至だ。

 

 そしてこの星系全体の状況が不明な今、その展望の予測は簡単ではない。

 

 既に地上からの観測だけで、この惑星と周辺宙域に展開しているとみられる帝国軍艦隊は400隻を超えつつあり、それは常時この星系に帝国軍が派遣している艦隊戦力の半数近い。

 

 実際にそんな事をすればほかの戦線から連絡が来るであろうし、戦略的にもリスクが高すぎる。即ちそれは、帝国軍は本国から増援を受けた上で攻勢に出た事を意味する。

 

 となれば、この攻撃は単なる爆撃ではなく恒久的な占領のための準備であるのではないか?

 

 ディアス准将は、末端とはいえ自由惑星同盟軍の准将である。士官学校で、このような場合自分の独断ではなく、専門知識を備えた参謀と相談すべきであることを学んでいた。

 

「参謀長、どう思う?これは本格的な攻勢かね?」

 

 基地司令官として准将は、傍に控える参謀長ゴロドフ大佐に尋ねる。

 

「恐らくは……。現在収集中の無線通信によれば敵艦隊は最低一個軍団規模の揚陸艦隊が後方に控えています。また、敵艦隊の攻撃が山岳部の多い北部に集中しているのも、揚陸拠点とするためと考えれば合点がいきます」

 

 大柄な参謀、というよりもベテランの下士官に見えるゴロドフ大佐は、冷静に敵の攻撃について分析する。

 

 基地北部には山々が連なる山岳部だ。北部の防空部隊を集中的に殲滅し、その後山岳部に揚陸、砲兵部隊を展開させれば効果的な支援攻撃が出来る事だろう。

 

「地上部隊を送って守らせるか?」

「いえ、どうせ一度の爆撃で防空網を撃破出来ないのは知っている筈です。それにあそこでは中和磁場の展開範囲ではありません。部隊を配置しても次の爆撃で全滅します」

「では、地上部は捨てる他無いな。地下での持久戦か」

 

 防空部隊は数日は持つだろうが、増援がなければ所詮時間稼ぎにしかならない。だからといって地上で機甲部隊を展開して揚陸部隊を迎え撃とうにも、空の傘を失った後では機動力を生かす事も出来ない。そうなると必然的に、籠城戦しか選択肢がない訳だ。

 

「推定される敵戦力とこちらの戦力、物資から見て、どれだけ持ちそうかね?」

「我が方の基地の人員は1万8000名前後、後方支援要員を除けば1万2000名程になります」

 

 元より最前線で防衛する基地ではないため後方支援要員が多数を占める。それでも本国に帰還するための宇宙港があり、帰還予定部隊も集結しているため相応の戦闘部隊は駐留していた。尤も、最前線での戦闘で消耗した部隊であるが。

 

 基地警備用の五個警備大隊に、戦略予備のための1個機械化旅団、数日後に帰還予定だった一個陸戦連隊……後は支援部隊に軽装甲戦闘服や軽歩兵用防弾着を着せ投入するかだが……。

 

「人材の無駄遣いになるな」

 

 支援要員を戦闘要員より下位に見るのは間違いだ。各種専門知識を有する支援要員を唯の歩兵として運用するなど贅沢で、無駄な使い方である。無論、状況が状況であり文句は言えないのだが。

 

「武器弾薬については比較的余裕があります。地下空間で遅延戦闘を続ければ、2週間程度は防衛可能かと」

「その間に援軍が来なければ、降伏か玉砕と言う訳だな」

「はい」

 

 最悪の結末について司令官と参謀長は淡々と語り合う。共に前線で幾度となく死線を潜り抜けて来た立場である。そのくらいの覚悟はある。

 

「クィズイール星系統合軍の戦力では反撃は難しいな。他方面からの増援が集結するまで……となると際どいな」

「それでは……」

「どちらにしろ地上戦の準備をさせろ。早急に防衛陣地を作る。それと、軍属については脱出準備をさせてくれ。契約しているとはいえ、民間人を戦闘に巻き込むのは宜しくない」

 

 自由惑星同盟において戦争は、戦場は決して軍人だけの物ではない。これは民主国家としての建前ではなく、厳然たる事実だ。

 

 封建的・全体主義的な傾向がある帝国政府はいざ知らず、同盟は資本主義国家であり、軍事、或いは戦場に多くの軍人以外の存在……俗に軍属が活動している。

 

 例えば兵器の運用・修理に関わる各種軍事企業の技術者が多く前線基地にいるし、基地の清掃員や工事業者、厨房の料理人や売店の店員の少なくない数が民間企業から雇われた軍属だ。また、多くのメディアや戦場カメラマン、記者、ジャーナリスト等が誓約書にサインするのと引き換えに最前線を取材する事もある。

 

 特にカプチェランカの場合、多くの資源開発プラントの建設・運転用技術者、惑星地質・気候・生態系の研究のための研究者、旧銀河連邦時代の破棄された設備を研究する歴史学者、文化学者等も少なからず滞在している。

 

 無論、最前線の銃火飛び交う地域に滞在はしない。同盟軍の勢力圏である比較的安全な地域で滞在する事になる。

 

カプチェランカで最も安全なのはこの基地である。

 

「500名を超える民間人。降伏するにしても、玉砕するにしても、彼らだけは脱出させなければなりますまい」

「何が良いだろうか?」

「海上軍の潜水艦が隠密性が高いと思われます」

 

 雪と氷に覆われるために勘違いされるが、カプチェランカには海がある。厚さ最小数十センチから最大40メートルに及ぶ海氷の下には、海底火山の熱や赤道の暖流により温められた液体の水が広がる。そしてこの海は各地の基地に物資を輸送する上で、また帝国軍基地にミサイル等による奇襲攻撃をするために両軍の潜水艦が蠢動し、静かに、しかし熾烈な戦いを繰り広げていた。

 

 空が抑えられた以上、地下の潜水艦基地から安全圏の基地に輸送潜水艦により脱出させるのが一番安全である。少なくとも、行うなら早い方が良い。脱出が遅ければその分危険が増す。

 

「では、今日中にでも?」

「うむ、地下海軍港内の艦ですぐに動かせる艦艇は全て使う。……そうだな、支援要員の中でも特に戦闘に不適任な科の者と、新任の者、それに帰還予定だった負傷兵もだ、乗せられるだけ乗せろ。素人がいても弾の無駄だし、寧ろ前線を混乱させる」

 

 それは間違った判断ではない。場合にもよるが、防衛戦においては数より質が優先される。まして民間人と素人と負傷兵がいる状況では、軍の足を引っ張る事もあり得る。少なくとも今回の戦闘に限れば、プロの軍人だけで行う方が遥かに良い。

 

「それと……あの伝令将校達も乗せてやれ。正直ここで死なれては面倒過ぎる」

 

 歯切れの悪そうな口調で准将は付け加える。2か月前に着任した亡命貴族出身の新品士官を彼は決して悪しく思っている訳ではなかったが、扱いあぐねていたのは事実だ。無能ではないが、やはり貴族的な価値観を持つために下手な事を話してトラブルを起こす可能性もあった。亡命軍は前線の同盟軍にとって頼りになる友軍であるが、同時に一般的な同盟人にとってはやはり異様な価値観の狂人の集まりである。その戦い方は、人命を重視する同盟軍とは違い戦果第一だ。更には同盟軍には無い身分の壁がある。

 

 彼としても、これまで亡命軍や帝国系軍人と共に戦った経験はある。それらに比べれば今回の伝令将校達は「比較的」大人しいものではあったが、今回は伯爵か公爵かは知らないが相応に高い身分の貴族とその取り巻きである事もあり、関わりにくい人物達であった。

 

 まして、彼らがここで戦死すればどのような問題が起きるか分かったものではない。僅かに罪悪感はあるが、早く自身の手元から遠ざけたいというのが本音であった。

 

「司令官も大変ですな」

 

 苦労の色が見える司令官に労うように尋ねる参謀長。

 

「いやいや、彼らも不運なものだよ。初任地でこれだからな。可哀そうなものだな」

 

 僅かに肩を竦めて苦笑いを浮かべるディアス准将は、しかし次の瞬間にはその表情を引き締めて各部隊に更なる命令を伝え始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「そういう訳だ。ティルピッツ少尉以下の司令部伝令班は民間人の護送及び伝令として明日の夜にでも潜水艦に乗船して貰う。質問はあるかね?」

「い…いいえ、御座いません」

 

 司令部控え室にて司令部副官パターソン大尉からの通達に対して私は内心の驚きを隠して敬礼して答える。

 

 先程まで控え室のソファーに倒れて部下達と相談……というより不安を愚痴にしていた私である。

 

 幼年学校や士官学校で軌道爆撃の映像を、いや実演を実際に見て爆心地を見学した事もある。だが、正に自分の真上から爆撃を受ける経験は初めてのことだった。

 

 そのために内心恐怖におののき、ベアトや爆撃を経験した事のある双子にそれとなく今後について尋ねていた。

 

 特にライトナー兄妹はこの激しい爆撃に対して大したものではないと笑っていた。

 

「経験則から見て、このくらいの震動ならば最下層まで貫通する事はありません」

「まぁ、地下にいられるだけマシですよねぇ、野戦ですとぉ、運が悪いと身を隠す場所がないときにぃ、いきなり辺り一面吹き飛ばされますしねぇ」

 

 実際、山岳部で作戦中衛星軌道から中性子ビームの雨を受けた事もあるらしい。その時は慌てて山道を走り、洞窟に飛び込んで攻撃をやり過ごしたという。

 

 そんな風に私を安堵させる(?)会話をしていた矢先にこの通達であった。だからこそ、一層驚愕した。

 

「し、しかし帝国軍の降下が予測されます。自惚れる訳ではありませんが、地上戦の心得のある貴重な戦力をこのタイミングで基地から離脱させる、と……?」

 

 戸惑いながら私は尋ねる。正直な話、やはり戦死するのは怖い。そのため戦場から逃げられるのなら嬉しいのは事実だ。それでも、やはりここで逃亡という後ろ指を指される行為に罪悪感を感じるのは事実だ。

 

「自惚れと理解しているのなら敢えて口にしない事だ。新品士官数名の有無で戦局に影響があるものか。貴官達は命令通りに、避難民の護衛と避難先への伝令として職務を果たす事だ」

 

 そこまで言った後、何か考えるような仕草を一瞬して補足するように説明する。

 

「民間人の安全確保は同盟軍の最重要任務の一つである。貴官達には全力を尽くして職務に精励してくれる事を期待する」

 

 そう言い切った後、我々の了承の返事を受け取ると簡潔な書類を受け渡し、最後に敬礼をして副官はその場を後にする。

 

 私は受け取った書類……脱出計画の簡略は資料を静かに見据える。

 

「………」

「若様、御気持ちは分かりますが御自重下さい。不本意ではありますが、任務は任務で御座います」

「いや、分かっている。気にするな」

 

 ある意味では渡りに船であるのは事実だ。寧ろ敵前逃亡のような事になるためにベアトが反発するのでは、と思ったが……副官もその辺りを察して「職務」である事を強調したようだ。命令に対しては何が有ろうとも全うしなければならないと考えるのが帝国系軍人である。あのような物言いで言われれば職務に文句を言う事は無い、と考えたのだろう。

 

「……そう言う訳だ。諸君、我々は不本意ながらこの基地から撤収する事になる。最小限の荷物以外は放棄する事になるだろう。荷造りの準備をしてくれ」

 

三名の従士は姿勢を整え綺麗に敬礼を行い返答する。

 

「………それにしても」

 

 潜水艦、か。試乗こそした事はあるが……宇宙空間で死ぬ可能性は考えたが、海中で死ぬ可能性は抜けていたな。いや、護衛も付くからそう悲観したものでもないのであろうが。戦死する可能性ならここに留まる方が高いのだ。幸運といえる。問題は目的地にたどり着けるか、だが……。

 

「祈るしかないな」

 

 元より一少尉に出来る事は少ない。経験も無ければ権限も、説得力も、実力も無いのだ。寧ろ最悪の中ではまだマシな部類の筈だ。航路は勢力圏内の安全な場所を通る予定の筈だ。危険は最小限ではある、が……。

 

「若様……大丈夫でしょうか?御顔が優れませんが……」

 

私の不安に気づいたのかベアトがそっと尋ねる。

 

「そう、か?」

「御無理は為さらないで下さい。まだ実戦は御慣れでない事は承知しております。出来うる限りの補助はさせて頂きますので、どうぞ不安があれば御話し下さい」

 

 そういって澄んだ瞳で真剣に私の目を見て語りかける従士。

 

「……すまんな。毎度の事ながらすぐに不安になる。お前には気苦労をかけるな」

 

いやはや、よく私を観察している事だと思う。

 

「自分で戦えるなら兎も角、船の中で、しかも荷物の身ではな。自身の運命も自分で選べないと思うと落ち着かなくなりそうだ」

 

 苦笑して私は本音を口にする。まして撃沈となれば冷たい深海で溺死だ。息が出来ずに死ぬのはこの上無い苦しみであろうか。

 

「……心中お察しします。確かに自身の運命も他者に委ねなければならぬのはやり切れません」

 

 私の語る内容に納得しつつ、深刻そうな表情を浮かべるベアト。

 

「……既に二度も失敗した私如きの言葉では御信用出来ないと存じますが、若様を御守りするためにあらゆる努力を惜しみません。この身に変えても御救い致します。どうぞ、気をお緩め下さい」

 

 深々と頭を下げて従士は答えた。そこには強い意志が垣間見えた。彼女はこれまで二度失敗している。三度目の失敗は許されないし、実戦である以上失敗すれば次は無いのだから。

 

 いや滅茶苦茶信頼してるよ?というかいてくれないと割と詰むからいて欲しいくらいなんだけど?

 

「おいおい、頭を上げろ。お前こそ気を張るな。お前さんの実力は私が良く知っているし、いつでも頼りにしているさ。でなければ我が儘言って手放さずに傍において置くものか。それに今回は他にも従士がいるからな。お前だけに負担はかけんよ」

 

そう言って私は双子の下士官に視線を向ける。

 

「そういう訳だ。二人共、ベアトと共に私を補助してくれると助かる。可能な限り私も最善を尽くすつもりだが、専門外の分野ではそうもいかん。お前達の経験と知識を使わせてもらう。良いな?」

 

 偉そうな私の言にしかし、重なった声で恭しい返答が返ってくる。私はそれに満足そうに頷く。さてさて……後は天に運を任せるだけだ。大神オーディン……は祈ると逆に戦場に叩き込まれそうだなぁ。ニョルズに祈った方が良いか?

 

 そんな事を内心で考えつつ私は、今後について三名により具体的な命令を伝えていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦784年8月26日0040時……深夜の夜、カプチェランカ赤道基地地底湖にある海上軍基地より、停泊中の潜水艦三隻が出航する。民間人511名と後方支援要員・負傷兵204名を輸送するトライトン級大型輸送潜水艦1隻と護衛のドルフィン級攻撃潜水艦2隻の艦隊は、静かに戦火から逃れるために出航した。

 

 その20時間後に、カプチェランカ赤道基地に対して帝国宇宙軍陸戦隊・帝国地上軍野戦軍総勢7万名が降下を開始する。以後12日間に渡り、この基地では激しい攻防戦が展開される事になる。

 

 




尚、無事に脱出出来るとは言っていない(無慈悲)


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第五十四話 開拓者生活は浪漫の塊

 自由惑星同盟軍地上軍水上軍、或いは同盟海軍、海上軍、海上部隊と称される組織は、同盟軍において思いのほか重要な立ち位置にある。その主要な任務は、洋上拠点や防空、輸送、警戒である。

 

 宇宙暦8世紀において、海上艦艇が艦隊戦を行う事はほぼ無くなった。多くの艦艇が一か所に集まれば軌道爆撃の的だ。

 

 だが、同時に海上艦艇は地上への侵攻や雑務任務において、宇宙軍よりも部分的に優位に立つ。大気圏降下中の宇宙艦艇がどれだけ無防備かは言うまでもない。海上艦艇は、惑星が球体である以上射角の関係で遠方からの攻撃は難しい。一方、地平線の先にある航空母艦から発艦した大気圏内戦闘機や大気圏内攻撃機、爆撃機は、宇宙軍の使用する宙陸両用戦闘艇よりも大気圏内での戦闘に関する性能面で遥かに勝る。警備艦艇は特に環礁地帯では多数運用され、哨戒活動から戦闘、小規模な人員・物資輸送等の面で多用される。惑星内に限定すれば、水上艦艇は宇宙艦艇を動かすよりも目立たず、コストも安上がりだ。また、両軍が拮抗する惑星内では宇宙空間からの揚陸は難しく、その点で海兵隊は宇宙軍陸戦隊の代わりに敵勢力圏に対して殴り込みをかける役割がある。

 

 特に潜水艦艇は水上軍の主力と言える存在であり、衛星軌道を押さえられた際の長距離輸送任務や防空、大陸間ミサイル攻撃の要として重宝される点も見逃せない。

 

 同盟地上軍海上軍の採用するトライトン級輸送潜水艦は、全長300メートルを越える大型輸送潜水艦である。衛星軌道を抑えられた状態での連隊規模の人員や機甲部隊、物資の隠密移動のために多用され、特に長距離航行能力や寒冷地帯における海氷等の破砕浮上能力に優れる。40メートルに及ぶ分厚い氷の壁を貫通する彼女は、沿岸であればカプチェランカのどこにでも、宇宙空間から監視する偵察衛星に気付かれずに人や物を輸送出来る。

 

 そんな彼女は、自身の半分の大きさも無い護衛のドルフィン級攻撃型潜水艦を2隻、王妃を守る騎士のように侍らしつつ、数百名という民間人や負傷兵、非戦闘要員を腹の中に抱いて深海の闇を進んでいた。

 

 さて、急いでの事、しかも潜水艦と言う事もあり、500名を越える民間人と200名を越える後方支援要員(経理科や人事科などの事務方や飯盒班だ)、負傷兵を着のみ着のまま乗艦させた。その上潜水艦の乗員達は、数日前に帝国軍のUボートの警戒網を抜け前線基地に物資を輸送する任務を終えて帰港してきたばかりである。乗艦させられた民間人は荷物も整理出来ず不満を垂れ、船員の疲労は回復しきっていない。潜水艦自体、本来ならば同盟軍水上艦艇運用規定に基づき数日は整備するべき、という万全とは言えない状況であった。

 

即ち何が言いたいというと……。

 

「おい、この船は本当に安全なのか!?宇宙なら兎も角、海の底で死ぬなぞご免だぞ!?」

「荷物を殆んど纏められなかったんだ……貴重品も沢山あったんだぞ。後で回収か補償は軍がしてくれるのか?」

「俺らは仕事で依頼主から穴掘りするよう言われたんだ。後で依頼した企業から文句が来たらお宅らがどうにかしてくれるのか!?」 

「家族に安否を伝えたいんだ。超光速通信はいつ使えるようになるか分かるかい?」

 

陳情……というかクレームが来るんだよなぁ。

 

「えー、少々お待ち下さい。こちらでお調べして後ほど通達致します」

 

苦笑いを浮かべ私はそう答えるしかなかった。

 

 潜水艦の乗員にはこんなクレームを聞く余裕は無いし、手の空いている軍人は殆んど負傷兵、数少ない事務方の大半は経験の浅い、若く、専門の下士官兵士であり、総合的な教育を受けた最上位士官で手が空いている暇人と言えば私くらいしかいないわけだ。

 

まして……。

 

「口に気を「ゴトフリート少尉、さぁ、早く調査の方に行こうか!?」

 

 私は敬礼すると、ベアトがいらん事を口にする前に中半引き摺るように民間人用待機室(元々兵員輸送用の区画だ)を離れ、狭く、薄暗い通路に出る。

 

「ベアト、余り民間人に過激な事を言うな。相手もピリピリしているんだ。態々相手の神経を逆撫でして問題を起こすな、な?」

「ですが、民間人の分際であのような要求……軍務の妨害ではないですか。今まさに護送されている立場だというのにあのように権利ばかり主張するなぞ……」

 

心底侮蔑するような口調でベアトは語る。

 

 開祖ルドルフは、権利のみを要求する愚鈍な連邦市民を「貪欲な、唾棄すべき豚共だ」と語ったという。無責任な世論に迷わされ、優秀な為政者達の、ひいては人類社会の発展を阻害する病原菌。自身の権利とは名ばかりの欲望ばかり主張し、他者の権利をないがしろにし、市民としての義務も果たそうとしない「精神的な幼児」であり、低俗な娯楽と暴飲暴食、賭博と麻薬と神秘主義、性的乱交に溺れ、資源と技術を浪費する「衆愚の群れ」。

 

 故に、帝国では大帝陛下の遺訓により、臣民は権利を主張する事は罪であり、公共と体制への奉仕と自己犠牲こそが何よりも貴ぶべき規範である、と教育される。

 

 即ち、帝室と門閥貴族階級を始めとする優秀な指導者の命令を順守し、支える事こそが何よりも、そして臣民の唯一許される体制と政治への参加方法である。指導者階級の指導を阻害する行為は、かつての銀河連邦の煽動政治家と愚民共と同じく、社会を混乱と退廃に導く反国家的、反社会的行為に他ならない。基本的人権やら自然権なぞ臣民に与えれば、短絡的な愚民共をつけ上がらせ堕落させるだけであり、指導者階級が適切に与える「慈悲」の範囲でのみ、臣民は勤勉な労働者として自身の身の丈にあった権利を行使する事が許されるべきなのだ。

 

 まぁ、実際当時銀河連邦は腐敗……というよりは混乱の極みにあり、経済・歴史・政治・出身地・宗教によりありとあらゆる対立が起きていた。マスコミが無責任な記事を垂れ流し、政治家は議会でのパフォーマンスを重視する者が人気を博し、悪徳企業は市民を犠牲にして利益を上げ、犯罪組織が跋扈し、市民は政治闘争の名の下に私刑や略奪に明け暮れるか、快楽に身を任せ破滅していく者が続出した。あるいは絶望して自殺する者、乱立する神秘主義・反社会的宗教共同体に参加し千年王国建設のために連邦体制に挑戦し、共同体同士で抗争に明け暮れた。

 

 万人の万人に対する闘争、とでも呼ぶべきか。多少誇張があろうとも、実際連邦末期の退廃は目を見張るものがある。成程、臣民に自由やら権利なぞ与えると混乱の下だ。安全で健全な秩序の下で人々が生きるためには、そんなもの与えるべきではない、帝国人にとっては常識であり、亡命政府の市民の間でも、帝国ほどに酷くはないが国家や社会は個人に優先する事を確信している。

 

「あのような物言い、自分達を何様と考えているのでしょうか?本来ならば貴重な戦力である筈のこの潜水艦や乗員を割いてまで安全地帯に移送しているというのに、自身の立場を理解しているのか正気を疑います」

 

 損害等の補償があるかは兎も角、この緊急時に態々言うべきことではない、助かりたいのなら今は大人しく引っ込んでいろ、というのがベアトの意見であった。まぁ、軍人は国家の公僕であっても市民の公僕ではないと考える帝国系同盟軍人らしい考えだ。

 

「お前の言いたい事は分かるが、ここでは口にするな。この密室で暴動が起ったら笑い話にならんし、流血沙汰も許されん。友軍基地に入港するまでの辛抱だ、耐えてくれ。これが同盟の「物言う市民」、という奴だ。これからも似たような事は幾らでもある。今のうちに慣れる事だな」

 

 不服そうな表情を浮かべるが、すぐに顔を引き締め了承する。彼女が私の命令に反対する事は(私自身の生命に関わらない限りは)基本的にありえない。それに彼女も、ここで面倒事を起こす事の危険性は理解しているらしい。

 

 そのまま私はベアトを連れて3区画先の士官用休憩室に向かう事にした。いつまでも留まってお喋り出来る程我々も暇ではない。そこで要望について休みながら調べるのだ。

 

「はぁ……」

「やぁ、少尉君も大変そうだね」

 

 ベアトを控えさせて士官用休憩室の固定椅子に疲労困憊気味に深く座ると、先客として室内の端の固定デスクにいた線の細い眼鏡をかけた青年が資料をバッグの中に仕舞ってから、にこやかな笑みを浮かべ隣に座ってきた。

 

「……これはオリベイラ助教授、何用でしょう?」

 

私は、すぐさま貼り付けた営業スマイルで尋ねる。

 

 ハイネセン記念大学惑星自然学助教授ミゲル・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ氏はこの歳24歳、同盟三大名門校が一つハイネセン記念大学惑星自然学部地質学科にストレートで入学、学科首席で卒業。その後は自然科学の権威ローレンス・ユキムラ教授の下でシャンプールの自然環境の研究や緑化計画のアドバイザーとして活動し、昨年惑星ヴルヴァシーの大陸移動についての論文を学会で評価され、助教授に認められた若き秀才である。惚れ惚れする経歴だ。

 

 その血筋も煌びやかだ。祖父は同盟政財界の大物を長年輩出してきた国立中央自治大学学長のエンリケ・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ教授、父マリアーノは同大学の政治学部の学長、叔父エスペランサは同盟学術委員会の副委員長であり、母方のブロンコ家は代々経済学者の一族という、目も眩むような学者一族のサラブレッドの出だ。

 

 彼自身はカプチェランカにおける旧銀河連邦の惑星改造技術の研究の一環としてこの星に滞在しており、今回の帝国軍の攻撃により避難のため潜水艦に乗艦していた。

 

「そう無下にしないでくれないかい?その分だと今日も色々クレーム対応していたようだね?」

「いえ、軍人として当然の職務を果たしているだけですから」

 

 事実うんざりしていても、軍人の立場で本音を言うわけにはいかない。

 

「まぁ、君達軍人の口からはそう言うしか無い、か。後から録音されていた発言をマスコミにすっぱ抜かれる訳にもいかないし」

 

そのインテリらしい線の細い顔が苦笑する。

 

 何だかんだ言って彼は今回の避難民の中では特に若く、エリートに属する立場だ。学者は他にもいない訳ではないが、世代が一回りも二回りも違う。そうなると同世代で同じエリートに属する若手……というより新任少尉に親近感を感じるようで、たまに私に話かけてくる訳だ。航海の状況についての情報の仕入れ先としても期待しているのかも知れない。

 

 私としても民間人の中で交渉窓口やパイプになる人物を欲しているために、それなりに親しく対応している。それに自己主張が少なく穏やかなところもやり易い。

 

「その事についてはノーコメントで御願いしますよ。どうです、そちらの方は?研究途中で避難とは災難ですけど」

 

 「カプチェランカの自然改造における改造プラントと大陸地理から見る惑星環境の変遷」、という長いタイトルが今の彼の執筆中の論文だ。

 

「一応研究内容を整理しているんだけどね……やっぱり帝国側の勢力圏の施設も見れないものかなぁ」

 

 彼が言うにはカプチェランカの寒冷な気候は、長期的にはこのまま放置しても次第に温暖化していくであろう、との事らしい。改造プラントによる火山活動等の活性化や、酸素や二酸化炭素を排出する遺伝子組み換え微生物群により、今や人間が宇宙服無しで活動出来るようになった。推定ではこのまま放置しても500年程で、人為的な改造を行えば最速で70年程で温帯と海が広がる惑星になるらしい。

 

「開拓者達もプラントの設置場所には苦心したらしくてね。地震とかの備えや、温暖化後に海の底に沈まないように地形を計算して建設しないといけない」

 

 逆に言えば、そこからカプチェランカの気候や大陸活動について推測出来る訳だ。

 

 彼の見せる資料に目を通せば、惑星全体に点在する連邦時代のプラント設備の場所が記され、その役割や周囲の環境に与える影響について分析されている。尤も、前線や帝国勢力圏のそれには空白だらけだが。

 

「安全圏のみだと十分な研究が出来ないのが辛い所だよ。連邦時代末期の惑星改造技術は今より優れていたけど、廃れてしまった。この星は気候のおかげで多くの設備が劣化せずに保存されている。貴重なサンプルなんだけどね……」

「流石に戦場の最前線に民間人を送り込むのは、軍としては遠慮したいでしょうから」

「ははは、分かってはいるんだけどね」

 

 銀河連邦時代は惑星改造と植民の黄金時代だ。だが好景気時代の無計画な植民計画により、無数の人の住まない可住惑星が生み出された。また連邦末期の混乱と動乱、それらによる人口減少、その後の帝政により植民の需要が減り、成熟した惑星改造技術は利用されなくなり衰退した。オリオン腕では、今でも連邦末期に見境なく改造されそのまま採算が合わずに放棄された人口零の可住惑星が少なくない。その大半は皇帝の直轄領として新しく立てられた大公家、戦功や功績を立てた門閥貴族などに下賜される。皇族でありながらド辺境に住んでいたリンダ―ホーフ侯爵家の領地等はその一例だ。

 

 珍しい例では、クラインゲルト子爵家のように富裕市民が皇帝に上奏し、莫大な資産と人手を自身で用意して開拓、その功績として惑星の「購入代金」を徴税で支払う形で返済し、返済完了と共に爵位を受け、新興貴族として統治する場合もある。まぁ、大半は事業失敗とか返済が滞って惑星を差し押さえされる事も多いけど。それでも、平民が爵位持ち貴族になれる数少ない手段として行おうとする資産家は多い(そして大半は破産する)。

 

 一方、同盟の惑星改造技術は実はそれほど高くない。そうでなければ、態々大気のあるハイネセンを1万光年遠征して見つける必要は無い。手頃な惑星をテラフォーミングすれば良いのだ。同盟の惑星改造技術は、連邦末期のそれに比べ数倍のリソースを必要とする。

 

 実際、自由惑星同盟は3000星系に居住者がいるが大半はドーム型都市や人工天体、資源開発基地であり、地球のように特別な装備や施設無しで生活出来る居住可能惑星の数は僅か287個に過ぎない。

 

 しかもその実情を見れば更に悲惨であり、内18個がハイネセンファミリーが建国初期に開拓したハイネセンを始めとした人の手の加えられていない天然の居住可能惑星、73個が旧銀河連邦の放棄した植民惑星(そして大半に原住民がいた)、残りが同盟が惑星改造して居住可能にした惑星だ。

 

 だが、この改造惑星の殆どが人口数十万から数百万、最大でも3000万を越える事が無い惑星ばかりであった。理由は帝国の侵攻に備えた居住惑星の離散政策、同盟内の各派閥が議会での議席確保のために自派閥主導の開拓を推進していた事などもあるが(議席さえ取れたらいいので、星系政府加盟のための最低限の人口しか入植しない)、それ以上に惑星改造技術が未熟である事が根本的問題である。

 

 連邦時代のそれと違い、同盟の惑星改造技術では莫大な資金とリソースを投げ込み、それでも惑星全体の緑化が出来ない。しかも、地震や津波等の災害の少ない地域のみにしか市民が居住したがらない問題もある。

 

 結果、惑星内での居住可能地域や扶養可能人口に制限を受け、人口の希薄な辺境域が誕生したわけだ。同盟領内で人口1億を超える惑星なぞ、ハイネセンやパラス、シャンプール等全体の1割程度しかない。

 

「研究が進んで、連邦時代の技術やノウハウが分かれば惑星開拓も楽になって同盟の繁栄にも繋がるんだけど……まぁ、簡単にはいかないものだね」

 

 長きに亘る戦争で、科学技術や学問は軍事偏重の嫌いが強い。国家予算は軍事費と社会保障と債務返済で大半が消え、科学技術予算も大半が軍事研究関連である。惑星改造技術の研究は比較的後回しにされる傾向があった。また、惑星改造事業は利権があり、技術発展によってコストが下がれば利益が減ると恐れるロビー団体が圧力を加えている、という指摘もある。

 

「惑星開拓に興味が御有りで?」

「ああ、子供時代に見た古い映画や小説でね。「荒野の街」とか「マーティン一家」とか知っている?」

「ええ、名作ですね」

 

 「荒野の街」は銀河連邦黄金時代の辺境の街を舞台にした所謂スペースウェスタン小説だ。また「マーティン一家」は、同盟建国期のハイネセンファミリーの一族が、荒れ果てた土地を三代かけて豊かな農場として切り開いていく同盟の古き良き時代を描いた映画だ。

 

「子供っぽいけどああいう開拓物語に浪漫を感じてね。けど今時は惑星開拓は予算が無いし、人もいないと来た。当然自費なんて今時無理さ。だから開拓者生活は出来そうにない。だから代わりにこういう形で関わりたいと思ってね。自然科学は学校で得意だったし」

 

そんな理由で同盟の最高学府の一つを受験し合格したのかい、等と突っ込み入れない。

 

「祖父や父は自然科学なんかでは食べていけない、て言って反対したんだけどね。まぁ、事実だから仕方ないけど、私としては祖父達のような血も涙もない政財界に関わるのは怖くて出来ないからね」

 

 確かにこの若者を見ると、溺れた犬を棒で叩き、生き馬の目をくり抜く政界では到底生きていけるとは思えない。育ちの良さか、生来の気質か、山の中で土いじりや植物採集をしている方が、大学のロッキングチェアの上で気難しく本を読んでいるよりも似合いそうだ。

 

 私自身は好きで……少なくとも半世紀前なら勘当されても軍人になる気は無かったので、その在り方に共感出来る。尤も、傍に控えるベアトからすれば代々の家業を継がず、あまつさえ尊属の意見に反対する神経を理解出来ない、という考えが薄っすらと顔に出ているが。

 

「ああ、済まない。少し自分の話をしすぎたかな。忙しいだろうに、悪いね」

 

 その後も研究や関心事について話を続けるが、私が彼の話を静かに聞いていた事に対して不機嫌にしていると思ったのか心底すまなそうに助教授は答える。

 

「いえ、こちらとしても面白い話でした。士官学校ではそこまで学びませんから」

 

 無論、士官学校でも歴史や自然科学について学ぶが所詮軍事知識の付属品であり、それに関わりがあるものが中心だ。純粋な学問としてではない。しかも、やはり頭が良いのか分かり易い説明で良く頭に入る。

 

「いやいや、研究者としての悪い癖だよ。自分の関心のある話だとつい周囲を考えずに話してしまう」

 

そういってもう一度謝罪すると、そのまま私の邪魔にならないように席を離して自身の研究に戻る。

 

「さて、私もやるか」

 

 そう自分を奮い立たせて、私はまずは民間人の要望についての対応のために携帯端末で契約内容と軍法、同盟法について調べ始めた。長い仕事になりそうだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは少し困ったな……」

 

 一方、トライトン級輸送潜水艦「ブルーギル」の発令所では、艦長であるカミンスキー中佐がベレー帽を脱いで、神妙な表情で通信士が傍受した無線内容を読んでいた。

 

 この年50の中半を越え、そろそろ第一線から退く頃と考え、今回のカプチェランカ派遣を機に後方勤務に異動するつもりであった中佐は、同盟軍航海専科学校を卒業して以来40年近く水上軍で勤務し、かつそのうちの半分を潜水艦の乗員として過ごしてきた。

 

 閉所空間かつ撃沈されれば宇宙艦艇よりも生存率の低い潜水艦勤務要員は、ある意味では最も優秀で、頑健な精神力を有する船乗りである。その中でもベテランと呼ぶに相応しい彼からしても、今の状況は決して愉快なものではなかった。

 

「A-Ⅲ基地が攻撃を受けている、か。まさか入港予定先が攻撃を受けるとはな」

 

 沿岸部(と言っても雪と氷で一見区別がつかないが)に建設されたA-Ⅲ基地は、同盟軍の勢力圏内の中にある比較的安全な基地である。それが帝国軍の攻撃を受けているとは……。

 

「最前線の基地は壊滅したのか?」

「いえ。各基地が暗号電文で流す情報を集計する限りでは、前線で激しい戦闘が起きているものの、一部の戦域を除いては防衛に成功しているようです」

「ではなぜだ……?」

「戦線の一部を破った帝国軍が、そこから後方基地に浸透している模様です。前線の主力を足止めし、その間に後方を壊乱する戦略かと」

 

 狙撃猟兵や工兵部隊が浸透戦術で後方の通信網や防衛拠点を襲撃し、連携を乱した後に主力部隊が前線を圧迫するように攻め立てるのは帝国地上部隊の基本戦術だ。

 

「航路を変更するしかあるまい。無線から傍受できる範囲で安全な寄港地はどこがある?」

「B-Ⅱ基地、D-Ⅳ基地は戦闘が発生しておらず、暫くの間はブリザードにより軌道爆撃を受ける可能性は低い事が確認されております」

 

通信士は、傍受した無線内容から答える。

 

「……少し遠いな。今の座標からだとどれだけかかる?」

「GPSは使用出来ませんので断言出来ませんが、通信のタイムラグと海底の地理情報から考えますと……B-Ⅱ基地ですと6日、D-Ⅳ基地ですと8日の位置と推定されます」

 

 その問いに航海長が答える。地上監視衛星や通信衛星は軒並み破壊されてしまったので、このような迂遠な方法で座標を特定するしかない。西暦の大航海時代よろしく、星の動きで航路を導き出すよりはマシではあるが。

 

「ふむ……」

「どういたしましょう?」

 

 考え込む艦長に向け、発令所の要員達は静かに視線を移す。航路や目的地の変更は戦場では良くある事ではあるが、今回は輸送すべき物が違う。軍事物資や兵員ではなく、軍属とはいえ民間人である。可能な限り安全に、彼らを安全地帯にまで避難させなければならない。

 

 その意味でいえば、新たな目的地は両方とも当初のそれに比べて良いとはいえない。両基地共危険、とは言わないが比較的前線に近く、帝国水上軍のUボートが発見された事もある。可能であれば民間人を乗せた状態で行きたくない海域であるが……。

 

「だが、我々も万全の状態ではない。このままいつ戦闘が終わるか分からないまま海中で待つ訳にもいかん」

 

唯でさえ任務を終えたばかりで船体も要員も疲労している状態。民間人も長期間艦内で待機出来る程精神的に強くない。負傷兵もいる。

 

「では……」

「B-Ⅱ基地に航路を変更する。護衛にも秘匿回線で連絡だ。さて、上手くいくか……」

 

 命令を下した後、艦長は小さな声で呟く。ほかに選択肢なぞ無いが、だからこそ彼にはそれを誘導された選択ではないか、と一抹の不安を覚えていた。尤も、だからと言ってそれ以外にやりようが無い事も事実であったが。

 

潜水艦の艦列は光の届かない冷たく暗い海の中で静かに方向を変え、消えていく。

 

 

 

 

………その背後で一瞬、小さなソナー音が響き、漆黒の闇の底に消えていった。

 



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第五十五話 潜水艦映画に外れは無いらしい

 それは宇宙暦784年8月29日同盟標準時1945時の事であった。輸送潜水艦「ブルーギル」から見て2時の方向距離950の地点に展開していたドルフィン級攻撃型潜水艦「アルバコア」の発令所にて、聞き耳を立てていたソナー探索員が最初にその攻撃に気付いた。

 

「……ソナーに感有り!」

「……どの方向だっ!」

 

 「アルバコア」艦長ウー少佐が慌ててソナー探索員に叫ぶ。だが、その時点で全てが遅かった。

 

「真下ですっ!」

 

 ソナー探索員は目を見開いていた。殆んど悲鳴に近い報告、電子戦を仕掛ける猶予は既に失われていた。海底に潜んでいた自走機雷は、次の瞬間その電子回路内に記録されていない僅かな水中での航行音に反応して水中に真っ直ぐ飛び出し、その自らの役目を果たそうとしていた。

 

「総員、衝撃に備え……」

 

 ウー少佐が最後まで言い切る前に全ては終わった。「アルバコア」の艦底で炸裂した機雷は「アルバコア」を中央部からへし折った。幾ら頑強な複合装甲に電波吸収材や吸音材、磁気阻害用特殊塗料を施したとしても、近距離で爆発する機雷の圧力に耐えるのは彼女には少々荷が重たかった。

 

 船体が軋み、次の瞬間切り裂かれた。大量の冷水が艦内に流れ込み、乗員は何が起こったのか分からないまま飲み込まれた。

 

「あっ……たす……」

 

 救いを求める声は濁流と計器の悲鳴と引き裂かれる船体の轟音の中に掻き消される。

 

 水中で爆発が起きる。あるいはこの時点で衝撃や水圧で潰れ即死出来た水兵は幸運であった。下手に頑強な区画にいた者の中には数秒か、あるいは十数秒延命した水兵もいた。だが、それは自分達が逃れられない死が迫り来る事を認識させられ、絶望する猶予を与えられただけの事であった。

 

 続いて再びの爆発。比較的原型を留めていた艦首部分の魚雷が内部で吹き飛んだ。

 

 そして数十名の人員ら……いやだったものを腹に抱きながら、「アルバコア」は気泡を泡立てつつ暗い暗い深海の底にゆっくりと消えていった……。

 

 

 

 

 

 護衛潜水艦の爆沈の衝撃は輸送潜水艦の船体全体を揺らした。

 

「うわっ……!?」

「な、何だいまの揺れは……!?」

 

 陳情を述べていた避難民達が何事かと慌てるように口を開く。

 

 民間人用の待機室内にて携帯端末片手に陳情に対する返答内容を伝えていた私は、その振動が何を意味するのかを即座に理解した。正確には、士官学校における潜水艦航行シミュレーションにおいて非常に似たような衝撃を受けた記憶があった。

 

「至近での潜水艦の爆発……?」

 

 同時に耳元に装着していた無線機(出来得る限り音源を出さずに乗員に命令を与えるため潜水艦乗員の大半に与えられる)から艦長の連絡が入る。

 

『総員に告ぐ、本艦隊は帝国軍部隊からの襲撃を受けた!これより本艦は第一級戦闘態勢に移行する、艦艇要員は直ちに持ち場に急行せよ!それ以外の人員は民間人の中央区画への誘導及び艦艇要員の補助に回れ!!これは演習ではない、いいかっ!これは実戦だっ!!』

 

その瞬間、私は事態を把握した。

 

「お、おい……今の音は……」

「敵襲のようです。ですが本艦に攻撃が命中した訳ではありませんので御安心下さい」

 

 だが、あの爆発音から恐らく護衛の潜水艦が殺られたのは間違い無い……が、それは敢えて口にしない。態々言って恐慌状態を生み出す必要は無い。

 

「て、敵襲……」

「帝国軍が……?」

 

 動揺する民間人に対して直ちに私は事前に与えられた民間人避難マニュアルに従い意見する。

 

「皆様には中央の貨物区画に移動を御願いします。装甲が厚く、区画が細かく分かれています。緊急用の脱出装置もありますので、本艦内で最も安全な区画です。ここに留まられては音源が反響するので探知される可能性もあります。誘導に従い順番に、焦らず静かに移動を御願い致します」

 

 私は落ち着いた声で、ゆっくりと場の避難民達に伝えた。マニュアルに基づき、不安を与えないように語りかける。慌てて避難されたら怪我人が出るのは当然として、その騒音が敵の音響ソナーに引っ掛かる可能性もあったためだ。

 

 同時に私の指示に従いライトナー兄妹と数名の兵士(事務方の避難していた兵士だ)が民間人の前に立つ。

 

「それではこれより別れて移動しますので、皆さんご同行を御願いします」

 

 少し子供らしいライトナー曹長が安心させるような笑みを浮かべて先導する。民間人である彼ら彼女らは今はそれに従うしかない。私の言により騒ぎ立てるべきではない事はすぐに理解したらしい。

 

「……それではここは頼むぞ?」

「了解しました」

 

 無線機越しに曹長にそう伝え、私は全体の指揮を取ることにする。正確にいえば、マニュアルに基づいて手の空いている艦艇要員以外の兵士、その中で負傷兵を除く約一個小隊を臨時で指揮下に置いて無線で命令をして避難させていく。

 

「避難区画、現在の人数を知らせ」

『300…いえ、321名が区画内に避難完了しております!』

「よし、後2分程すれば40名ほどそちらに行く。対応準備を」

『第9区画、民間人10名確認、誘導します』

「分かった。第5区画から回れ。第6区画は水兵達が走り回っている。艦首捜索班状況知らせ」

『第3区画には民間人はいない模様!』

 

 次々と指示を飛ばすが別に私が慣れている訳ではない。全てマニュアル通りだ。元々全ての民間人を一区画に詰め込むのは、一時的なら兎も角数日間となるとストレス対策や健康のために宜しくない。そのため民間人は重要区画以外の移動は許されていた。そのため戦闘時の避難計画自体はある。それに沿って行動するだけの事だ。

 

問題は……。

 

「この艦が沈まないかだな……」

 

 正直な話、私の一番の関心はそれのみだ。この艦内にて私が戦闘面で寄与出来る事は少ない。宇宙での艦隊戦や地上戦も運の要素は強いが、それでも友軍がいれば後退する事も可能だ。だが、今回の場合支援は期待出来ず、後退も難しい。まして潜水艦の戦闘は待ち伏せが基本となると……。後は艦長始め水兵達の実力に期待するしかない。

 

『若様、第11から14区画まで避難完了しました!』

 

無線越しにベアトが報告する。

 

「よし、そちらの人員はこちらに戻れ。……!総員衝撃に備え!」

 

無線から艦長からの連絡を受け私は無線の繋がる部下と周囲の避難する民間人に叫ぶ。

 

同時に近距離で魚雷か機雷の爆発しただろう爆音、同時に船体自体が激しく揺れる。

 

「きゃっ!?」

「ひぃっ!?」

 

 誘導する部下達は軍人であるから兎も角、民間人は戦場で死ぬ覚悟なぞある訳無い。揺れに恐怖して、その場で悲鳴を上げながらへたり込む者が現れる。

 

「背負ってでも連れていけ!各員損害報告!」

『こちら第3区画、シェイマス上等兵が負傷……!この馬鹿、顔面をぶつけやがって……!』

『第9区画、カーチス兵長です!民間人が皆怖がって立とうとしません!おんぶしようにも人手が足りねぇ』

『こちら第16区画カチンスキー伍長ですっ!み、水が噴き出ています!パイプから水が……!』

 

無線機からは我先にと指示を請う通信が雪崩のように押し寄せる。おいおい、同時に話すな、私は聖徳太子か。

 

「シェイマス上等兵は応急処置を行って医務室に運べ。残りの要員は任務完了次第こちらに戻れ。但し、民間人を置いていくなよ、ちゃんと探してから戻れ。カーチス兵長、こちらから増援を送る。貴官以外の班員は民間人を連れていける者のみ連れていけ。ハン上等兵、3名連れて第9区画に行け!カチンスキー伍長、落ち着け。海水の浸水時緊急マニュアルは熟読した筈だ。水兵をそちらに急行させる。それまで貴官がダメコンをするんだ。案ずるな、すぐに救援が来る。貴官は基本のみをやればいい。正確な浸水具合を報告せよ」

 

 私自身全く落ち着いていないがそれは噯(おくび)にも出さずに淡々とマニュアル通りの命令を下していく。いざという時のためにマニュアルを暗記して正解だった。冷静な振りをするのは慣れていた。士官学校はリーダーシップについて散々指導される。門閥貴族としても、他人に威厳を込めて命令する教育は十分過ぎる程に受けていた。声が震える事も、詰まる事もなく型通りの対処をする。

 

断続的に爆発音と震動が艦を揺らす。

 

「ちぃ、しつこい攻撃だな」

 

落ちかけるベレー帽を支えながら私は呟いた。状況は何とも判断しにくい。

 

「し、少尉……」

「びびるな。奴らはこちらの位置を把握出来ていない」

 

動揺する兵士達に私は端的に説明する。

 

 宇宙暦8世紀の潜水艦は、その実兵装面では然程進化していない。水中では光学兵器は著しく減衰し、電磁砲も摩擦により射線は狂う。装備する兵器としては魚雷と機雷、VLSに各種ミサイル類を備える形だ。星間ミサイルや重金属ミサイルと言った比較的新しいタイプのミサイルを装備し、魚雷や機雷の速力や炸薬、誘導システム等は比較にならない程発展しているものの、それだけだ。

 

 寧ろ進化したのは船体構造や船体の素材、電子機器の分野だ。特に同盟の潜水艦はジャミング等のソフトウェア、帝国の潜水艦は船体素材等のハードウェアの面で秀でる。

 

 結果、起きるのは空しい技術競争だ。帝国の潜水艦はより騒音や熱の出ないスクリューや船体、あるいは音や電波を吸収する特殊素材を開発してステルス潜水艦を生み出す。そして同盟はより高性能なレーダーやソナー、その他の索敵手段を開発して帝国潜水艦を探し、より強力なジャマーや妨害電波によるジャミングや通信システム、デコイを以て隠密性を確保する。

 

 そして、先に正確な場所を捉えられた方が撃沈される訳だ。その点でいえば、この連続した爆発音は敵がこちらのジャミングやダミーの欺瞞により未だ正確な場所を認識出来ていない事を意味し、同時に自分達の居場所を知らしめている訳だ。だが、爆発の音が近いという事は敵が大まかなこちらの位置に目星をつけている事も意味する。こちらが攻撃すれば、同時に居場所を特定される可能性も高い。

 

 つまりこちらの出来る事は息を潜め、ダミーやジャミングを駆使してこちらの位置を偽装する事……つまり既にこちらが移動していると思わせる事だ。可能ならば、囮に引き寄せられた内に後背から一気に撃破出来れば言う事無い。まぁ、この爆発の大きさと数からの予想に過ぎないが。

 

「そろそろ避難民の移動は終わったか……?ライトナー曹長、どうだ、名簿の人数と合っているか?」

 

無線機から避難区画で誘導しているライトナー曹長に連絡を入れる。

 

『お、お待ちくださいっ!えっと……』

『はぁい、今の人数は……あら?』

 

途中から横入りしてきた妹の方が疑問の声を上げる。

 

「?どうした?」

『はぁい。今ここに詰め込んでいる分と向かっている分を数えたのですがぁ、どう数えても一人足りないようでしてぇ』

「ちぃっ……名前は分かるか?」

 

少々不機嫌そうに舌打ちして私は尋ねる。

 

『えっとぅ……あ、ありましたぁ。ミゲ…ちょっ…これ冗談?長すぎですぅ』

「どうした?」

『い、いえぇ、何でもありません。ミゲル・マルチ…なんとかオリビエラですぅ』

「……それ、オリベイラだ」

 

……取り敢えず可哀そうなので名前を訂正してやる。

 

『あ、本当でしたぁ、流石は』

 

面倒なので無線を切る事にする。

 

「さて、そうなると……」

 

 私は携帯端末の情報に目を通す。短い付き合いではあるが、あの態度とここに来る度胸から少なくとも軍人嫌いでも極端に怖がりという訳でもあるまい。避難指示があれば素直に従うだろうし、揺れや爆音で腰が抜けたという訳でもないだろう。つまり物理的に動けない、といった辺りか?

 

 携帯端末で避難の確認出来た区画、避難人数、部下の動きや連絡頻度・内容に改めて目を通す。幾ら人間工学に基づいて分かり易く示されたデータであろうと液晶画面を見るのは人間、しかも新品少尉だ。どこか見過ごしている可能性が高い。

 

「……あった」

 

第7区画のグリーソン二等兵がもう10分以上連絡をよこして来ていない。

 

「ほかの民間人の避難は済んでいるな?」

「は、後1,2分程で完了します!」

 

避難民の移動を終わらせた宇宙艦艇整備要員だったカーチス兵長が敬礼して答える。

 

「よし、ここは頼む。ゴトフリート少尉が来たら避難民の保護を引き継ぎ任務に集中するように伝えろ。お前と…そこのお前と、お前、私と共に第7区画に行くぞ。……最悪負傷者がいるか、大規模な浸水があるかも知れん。覚悟しろ」

 

 工兵としてギリギリ使える整備兵2名と、初級だが衛生兵資格のある兵士1名を選んで第7区画に向かう。本当なら命令だけして行きたくないが、少なくとも下級指揮官の内は自身が危険な場面で率先して出向かないと兵士が動かない。唯でさえぺーぺーの新品少尉だし、彼らも大半が若い新兵だ。現場責任者として最終確認しなければならない意味もある。艦長が全乗員の退避が終わらないと退艦出来ない事と同じ理屈だ。

 

……もう嫌だ。お家帰りたい。

 

 無論、そんな本音は言えないので黙々船内の通路と階段を突き進む。時たま船体を震動が襲うがもう慣れてきた。ちょっと危ない傾向な気がする。

 

 区画によっては壁にかけられた救難用具や消火器、工具、艦内無線機が散乱したり、照明が割れていたり床が水まみれになっていたりするが気にせずに進む。気にしている時間は無い。寧ろ気にしていたら危険だ。とっととやる事をやった方が良い。

 

「300メートルの船体は……案外でかいな!」

 

 宇宙軍の駆逐艦が約200メートル、巡航艦が370メートルである。その中間のサイズであり、宇宙軍艦艇ならば小型艦艇扱い、しかも船体面積の多くが輸送用に宛がわれているのだがそれでも人間に比べれば巨大だ。西暦時代の正規空母に匹敵するサイズだと考えるとスケール感覚が麻痺しそうだ。

 

「ここからが第7区画です!」

 

 着任から1か月しか経っていないベーレンス二等兵(航空機整備要員)が厚い扉を開いて叫ぶ。

 

 そこは完全に水浸しだった。足首まで水が上がっていた。多くの船内用具が乱雑に浮かぶ。

 

「っ……!」

 

一瞬気後れする兵士達。

 

「怯えるなっ!これは第8区画から流れて来た海水だっ!水兵から既に処置は完了していると連絡を受けている、進むぞ!」

 

 仕方ないので自分が真っ先に区画内に入る。こうなると兵士達も流石に後についていくしかない。故意に上官をおいて逃げるなぞ下手すれば軍法会議物だ。

 

「ちぃ……どこだ?………!?」

 

 幾らか通路を曲がり捜索していると、足元の海水が赤く濁っている事に気付いた。それを追うように曲がり角を右折すると、そこで見知った人影を見つける。

 

「助教授、御怪我は!?」

 

 膝を折って壁に寄り添うオリベイラ助教授と、頭から血を流して唸り声を上げるグリーソン二等兵をそこで見つける。

 

「し、少尉か!わ、私は腕に怪我しただけだ…!それより彼が……頭に怪我をしている!!」

 

 どうやら避難中に機雷か魚雷の爆発の圧力で船体の補強用のボルトか部品が弾けたようだ。オリベイラ助教授は腕をかすっただけだが、グリーソン二等兵は運悪く頭に食らったようだ。無線機ごと耳をやられたらしい。道理で連絡出来ない訳だ。

 

「少し不味いな。マルコーニ伍長、応急処置をするぞ!」

 

 私は衛生技能を有する伍長と共に、二人の負傷者の応急処置を始める。マルコーニ伍長が助教授を、私が重傷のグリーソン二等兵の治療を行う。助教授は素人なりに上手く止血処置をしていたようだ。おかげで見た目ほどに酷くはない。耳は少し千切れているので軍病院で整形するしかないが……宇宙暦8世紀の人工皮膚を使えば、まぁ違和感が無い程度には治せるだろう。

 

「助教授、治療してくれたのは嬉しいが、せめて応援を呼びに来てくれ!こっちは民間人の安全が最優先なんだから!壁に艦内電話くらいあるでしょう!?」

「無理だよっ!繋がらなかった!」

 

 ちらりと見れば配線で壁と繋がっている艦内電話がぶらぶらと震動で揺れていた。衝撃で内部の電線が切れたのだろうか?

 

 舌打ちして、通路内の壁に備え付けられた医療器具セットから各種器具を抜き取る。止血と消毒、冷却スプレーで傷口を凍結させ、包帯を慎重に巻く。恐らく体内に異物があったり頭蓋骨が砕けている訳ではないだろうが、油断出来ない。応急処置を終えると、キム上等兵と共にグリーソン二等兵の肩を持って全員に避難を命じる。

 

「よし、全員いるな!?走るぞ!」

 

 床に水飛沫を引き起こしながら私達は安全な区画に向け走る。時たま震動が響くが気にせず進む。足を止める余裕は無い。

 

「見えた……!」

 

 角を曲がれば20メートル程先に区画間の連結部が見えた。そこを潜り抜ければ多少安全だ。

 

まぁ、世の中そう簡単にいかないようだけどね?

  

 次の瞬間、至近で爆発した魚雷により艦内にこれまでにない震動が襲い掛かる。

 

「うおっ……!?」

 

 この震動の前に流石に私も含め全員が足を止めて周囲の壁で体を支える。天井の電灯がちかちかと点滅する。物によっては火花が飛び出す。

 

「かなり近い…なっ……」

 

 次の瞬間船体の引き裂かれるような鈍い音が響く。

 

 同時に嫌な予感と共に私は後ろを振り向いた。そして……濁流が通路の向こう側から押し寄せるのが視界に写りこんだ。

 

「……はは、ワロス」

 

同時に私は周囲に立ち上がるように叫んだ。

 

 視線の先を見れば区画を隔離する自動扉が降り始めていた。バーミリオン会戦の描写を見れば分かるが、艦全体のために生存者がいても区画を隔離する、同盟軍のダメコンシステムの溢れんばかりのマキャベリズムには涙が出そうだよ。

 

「ヤバいヤバい……!!」

 

私達は慌てて駆ける。だが……。

 

「畜生っ!開け!この野郎っ!!」

 

 先頭を走っていたベーレンス二等兵が悲鳴を上げながら閉まり切った厚い自動扉を蹴る。無論、そんな事をしても扉は開かない。

 

「ベーレンス二等兵!左の扉だ!早く開けろ!」

 

 私は二等兵に手動式の左角の扉を開けるように命じる。それに気づいた二等兵が必死の形相で固いハンドルを回す。途中からマルコーニ伍長も参戦する事でどうにか厚い耐圧扉が開いた。

 

 ベーレンス二等兵を先頭に次々と逃げるように扉へと入り込む。最後にグリーソン二等兵を支える私とキム上等兵が扉を潜ると同時に濁流が室内に押し寄せた。

 

「閉めろ閉めろ閉めろ!!!」

 

 叫びながら兵士達は濁流を力づくで押さえつけながら扉を閉めようとする。すかさず私とオリベイラ助教授も扉を抑えるように押す。隙間から水が勢いよく噴き出る。体全体に冷え込むような海水を被るが誰もそんな事は気に留めない。気に留める余裕なぞ無い。怒涛のごとく押し寄せる海水の圧力をどうにか押さえつけ扉を閉めると全員でハンドルを急いで回す。

 

辛うじて扉が完全に閉まった所で息を上がらせながらずぶ濡れの互いの姿を見合う。

 

「はぁはぁ……終わったのか?」

「……目先の安全はな」

 

安全を確認して皆がへたり込んだ。一応今すぐ溺死する事は無くなった。尤も、今すぐは、であるが。

 

「………」

 

 私はずぶ濡れのベレー帽を雑巾のように絞り、海水を床にぶちまける。駄目だなこれは。洗濯しなければ豊潤な磯の香りを放ってしまうだろう。いや、それは軍服も同様だが。冷水を被ったままだと風邪を引いてしまう。

 

「はぁはぁ……少尉、それに皆さん、ありがとう。救助が来なかったら溺死していた」

 

海水まみれの助教授が白い息を吐きながら謝意を伝える。

 

「いえ、こちらも仕事ですので……それにグリーソン二等兵の無事を確認出来なければ、どの道こちらに来てましたから。寧ろ応急処置をしてもらったおかげで早くあの場を離れる事が出来ました。グリーソン二等兵の様子はどうだ!?」

 

扉を閉めるため乱暴に置いてしまった。傷口が開いてないといいんだが。

 

「……恐らく大丈夫かと」

 

同じく海水漬けのマルコーニ伍長がしばし様子を見て答える。

 

「そうか……。攻撃が止んだ、か?」

 

気付いた時には水中爆発の音は聞こえなくなっていた。敵が遠のいたか、撃破したか……。

 

 気怠げに通路の方を見据えると、酸素マスクと耐圧対策を施した強化服を着た水兵の分隊が走ってくるのが見えた。所謂ダメコン要員だろう。いや遅ぇよ……と文句は言えないな。艦内中多分穴が開きまくっていたのだろう。マスクから見える表情には若干疲労が見えた。

 

私は立ち上がると背筋を伸ばして敬礼する。

 

「避難民誘導臨時小隊隊長を務めておりましたティルピッツ少尉であります。緊急事態に基づき独断で区画を封鎖致しました」

 

後方の兵士達も負傷者を除き敬礼する。

 

若干困惑する水兵達であるが、先頭にいた分隊長が返すように敬礼する。

 

「第3整備分隊長ドレフェス軍曹であります。少尉殿、的確な判断であります!」

「ああ……ありがとう。攻撃は止んだのか?」

「ええ、そのようです」

 

その答えに私は安堵の息を漏らす。一応危機は回避した、という訳か。艦長達の腕には感謝しなければなるまい。

 

「ですが……」

 

そこで軍曹は歯切れの悪そうな表情を浮かべる。

 

「少々面倒な事になったようでして……」

 

 

 

 

輸送潜水艦「ブルーギル」の発令所では沈黙が支配していた。

 

正直、彼らはかなり善戦したと言ってよい。

 

宇宙暦8世紀の潜水艦同士の戦闘は待ち伏せと奇襲である。多くの場合、後手に回った側が圧倒的に不利である。

 

 帝国軍のUボート部隊は計4隻、予め航路に仕掛けられていた指向機雷での奇襲からの畳みかけるような魚雷攻撃に対して、我らはジャマーやデコイによるジャミングでその第一撃を回避し、海底火山の熱を利用して第二撃を潜り抜けた。そこに攻撃経路から敵艦の位置を逆算した反撃により、1隻のUボートを撃沈または大破に至らしめた。

 

 だが、それまでであった。海底ぎりぎりを航行する我らに対して、帝国軍は潜伏想定範囲に大量の爆雷をばら撒いて炙り出そうとした。幾度かデコイを使い脱出を偽装したが、寸前で見抜かれた。艦長の絶妙な指揮により雨あられのように降り注ぐ爆雷を回避出来たが、それは奇跡に等しい。

 

追い詰められた所で、護衛のドルフィン級攻撃型潜水艦「グロウラー」艦長ギルモア少佐が決断を下した。

 

「本艦は護衛としての使命を全うする!」

 

「グロウラー」は急速に浮上しつつ、常識外の行動に動揺したUボートを1隻近距離から魚雷を2発叩き込み沈めると、目的地から反対方向に向け全速力で逃亡を開始した。

残存する帝国潜水艦はこれを追う。それに対して後先考えないかのように「グロウラー」はデコイをばら撒きまくり、その攻撃を回避する。

 

結果、囮の「グロウラー」が帝国軍を引き付ける間に「ブルーギル」は辛うじて安全圏に退避が出来た。ソナー探査要員がドルフィン級攻撃型潜水艦と思われる爆沈音を聴知したのはそのすぐ後の事であった。

 

味方を犠牲にした脱出に思う所はあったが、軍人である以上覚悟はしている。それだけなら動揺はあってもここまで暗くなる事は無い。寧ろ彼らの犠牲に報いるために士気が高まっても良かった。

 

問題は……。

 

「……無線通信機に…空気の浄化装置が逝ったか」

 

流氷に張り付く形で固定された「ブルーギル」の艦長椅子に座りカミンスキー中佐は深刻な表情で被害報告を受けていた。船体の至る所から浸水していた。それどころか無線通信機や長距離航海に必須な空気浄化装置までも……。

 

「こんな惑星でなければやり様はあったが……」

 

これがカプチェランカでなければ水上航行しながら酸素を取り入れても良かったが、氷に包まれたカプチェランカの海では難しい。そうでなくとも船体中が痛んでいる。何度も氷を突き破る事も、高深度に潜るのも危険だ。全力で整備部隊に修理をさせているが、浸水により予備部品の多くも海水漬けとなると余り期待出来ない。

 

「せめて基地でもう少しメンテを受けられていればな」

 

終わった事を言っても仕方ない。

 

「ここの座標から最寄りの基地はどこだ?」

 

艦長は航海士に尋ねる。

 

「内陸のB-Ⅲ基地ならば内陸部ですが900キロと至近です。あるいは第38通信基地ならば450キロの位置です」

「至近、ね」

 

到底近場とは言えないし、しかも数日前に収拾した情報によれば戦線を抜けた帝国軍の連隊規模の部隊が展開していると見られている。

 

だが、当然ながら助けを呼ばないとこのままでは最悪ここで餓死するか凍死しかねない。

 

「伝令を出すしかありますまい。何としても友軍と連絡を取らなければ……」

「水兵をか?海兵隊員ならば基地司令官に連れていかれた。この艦に陸戦要員なぞいな……」

 

そこまで言って艦長は口ごもる。

 

「……やれると思うか?彼らは新兵同然だぞ?」

 

暫くの沈黙、そして絞り出すように尋ねる。

 

「……正直、危険が大きすぎるとは思います。ですが送り出すならば最善の選抜でもあります」

「失敗すれば我々の首が飛ぶな」

 

下手をすれば物理的に。

 

「……どの道助けがこなければ全員死にます。ならば最善の選択を取るべきでしょう。まして民間人の見殺しは許されません」

 

航海士は覚悟を決めた表情で意見する。

 

「……少し考えさせてくれ」

 

艦長が司令部伝令班を呼ぶように命じたのは、その5分後の事であった。

 

 

 




実際に潜水艦の螺子が飛ぶ事は無いとも聞いた事がありますがここでは気にしない


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第五十六話 大帝陛下の勧誘手段はまさに悪魔の所業

「つまり我々四名で900キロ先の基地ないし、450キロ先の通信基地までブリザードの吹き荒れる中、しかも帝国軍の展開する警戒網を誤魔化して救援要請を届けよ、か。……正気じゃねぇな」

 

 艦内車両格納庫に鎮座する雪上車の運転席でその運転マニュアルを確認しながら、雪原迷彩を施した寒冷地用軽歩兵軍装に身を包む私は自嘲した。ああ、忘れていたよ。装甲車両の類は全てカプチェランカ赤道基地の防衛戦力として置いていったから、格納庫にあるのは非装甲の履帯式雪上車(61式雪上車)と、数台のホバーバイクくらいだ。おい、これ殺しにかかってきてねえか?

 

 半日前に艦長から伝えられた命令は無謀……とはいかないまでも、かなり困難な命令であったと言わざるを得ない。装甲戦闘車両も装備せずに、新品少尉二名を含む四名でもって帝国地上軍の最低一個連隊の警戒を振り切り、あるいは欺瞞して友軍と接触、救援部隊を要請しなければならない。

 

 無論、艦内でも議論は紛糾した。ある軍人は新兵に危険な任務を課す事に反対したし、ある軍人は我々が捕虜になり自分達の居場所が知れる事を危惧した。ある軍人は我々がそのまま逃げるのではないかと嘯いた。まぁ、民間人の反応に比べたらマシだけど。

 

 だが、実際問題このまま何もせずに無為の時間を過ごす事は出来ない。潜水艦の航行は船体のダメージからして危険だ。そして未だにこの艦を捜索している可能性もある。稼働停止状態のため簡単には発見されないであろうが、それだって限度がある。食料を始めとした物資だって、多くの員数外の人員を乗せているため余裕とはいえない。何よりも、戦闘が終わるまで待っていたら気付いたときには同盟軍がこの惑星を放棄して見捨てられている可能性すらある。そして乗員の中で陸戦技能のある者を優先すれば、誰が選抜されるかは自明の理だ。

 

「若様、余りに危険ではないでしょうか?私から若様だけでも待機して頂くように進言致した方が良いのではありませんか……?」

 

 隣で同じく保温性の高い寒冷地用軽歩兵軍装を着た従士が進言する。

 

 海水まみれで戻ってきた私を心配した事もあるが、従士として危険過ぎる任務に主人を同行させる事に難色を示しているようであった。幾ら武門の誉高い門閥貴族の出身とはいえ、今回の任務は危険過ぎる。少数で数百倍の敵部隊の警戒網を支援無しで抜けろ、などと自殺行為に等しい。大軍を先頭に立って率いるならば兎も角、民間人のための救援任務などと言う雑用に主人を同行させるべきではない、という訳だ。これは同じく同行するライトナー家の二名も同感らしい。

 

 だが、私としてもここに残るのは正直居心地が悪いのも確かだ。唯でさえ追い詰められている中で、亡命したとはいえ門閥貴族出身の私が堂々としていられるか、と言えばそんな訳ない。士官なら兎も角兵士達となると、新兵が多い事もあり、極限状態になれば私刑の対象にされかねん。唯でさえ、普通の士官や下士官ですら恨みを買うと兵士に後ろから撃たれる事すらある。海に沈められて事故死扱いなんて事になったら笑えない。

 

 そうでなくとも、私としてはベアトを始めとした従士を置いていき、ぬくぬくとしているのも居心地が悪い。部下だけ危険な目に合わせて図々しく自室に引き籠っている、などと後ろ指を指されてもそれはそれで嫌だし。

 

それに……。

 

「誰かがやらないといけないからな。適性のある奴が行くべきさ」

 

 どの道ベアト達が失敗すれば終わりだ。ならば成功率をコンマ1%でも上げる努力はすべきだろう。

 

「成しうる者が為すべき事を為すべき……という事で御座いますね?」

「ん?あー、成程ね」

 

 一瞬ベアトの聞き覚えのある言葉に考え込んだが、すぐに思い出した。ルドルフ大帝が身分制度を制定した際の言葉か。

 

 実質的には宇宙暦306年頃には半ば既成事実化していたものの、帝国の身分制度は法的には帝国暦9年6月12日に制定された「神聖不可侵たる初代銀河帝国皇帝ルドルフ1世陛下の御名により制定される遺伝子学に基づく帝国臣民の義務とそれに付属する各種社会的役職の名称に対する諸法」、通称を「銀河帝国身分法」により公式化された。それを超光速通信による全銀河への大帝陛下の宣言の際に引用されたのが「成しうる者が為すべき事を為すべき」の言葉である。

 

「かつて人類社会の黄金時代を生み出し、その権威と秩序を銀河の全域まで行き渡らせた銀河連邦が堕落し、退廃し、有名無実化したのは何故か!その答えは一つである!社会の安寧と、秩序の維持、臣民を指導するべき支配者としての義務を忘れ、拝金主義者共が欲望のままに議会を私物化し、人類社会を導くべき役目を放棄したからにほかならぬ!そして妄言と虚言に振り回された人民が彼奴等に惑わされ、それに加担したからである!余はここに確信した。古代ギリシャより連綿として受け継がれてきたこの共和政の誤りを正すには、より超然とした指導者達の存在が必要不可欠である事を!これまでの煽動政治家共に変わり、人類社会をその両肩に背負うだけの意思と才覚を有する者達に対して、永代に渡りその役目を課す必要性を!そして決断した!人類社会と銀河帝国の悠久の繁栄のために、末代にまでその身を捧げる覚悟のある者達を裁定する事を!例えどのような苦難であろうとも、公共のために成しうる者が為すべき事を為すべきなのだ!帝国暦9年6月12日、銀河帝国初代皇帝ルドルフ1世の名の下に、ここに「銀河帝国身分法」の制定を宣言する!」

 

 195センチメートルの身長に99キログラムの体重、ひとかけらの脆弱も、ひとかけらの贅肉も無いその頑強な肉体はまるで城壁を見上げるよう、その肩には人類社会と帝国の将来も決して重いものではなかった。その視線だけで人を殺せそうな鋭い眼に、険しい皴の入った顔、威厳の塊のような荒々しさに気高さと理知性を兼ね備えた声、まさに人類と銀河の支配者になるために生まれてきたかのような存在が、正に煌びやかな帝冠と帝衣に身を包む。記録映像の中の大帝はまさに時代の傑物であり、当時の人々は、人間の平等を否定したこの宣言を寧ろ歓呼の声で迎え入れたという。

 

 まぁ長々とした演説を省略すれば、実力ある者がその才覚に相応しい義務と職責を果たしなさい、と言う訳だ。才覚も意思も無い平民とそれ以下の連中が、国家の上層部を占めたり影響を与えていたら社会を堕落させるだけだから、口を出すな、黙って優良種の命令通り働いていろ、と言う訳だ。

 

 実際、同盟政府にとっては不快であろうが、門閥貴族、特に伯爵以上の者は当時、少なくとも実力はガチ(精神・思想が健全とは言っていない)な奴だらけだったからな。大帝陛下は本当に才覚を見て爵位を与えていた。帝政初期に存在した帝国議会の共和派政治家なんて連邦時代から大帝陛下と敵対していたが、それでも連邦議会の腐敗政治家達の中で見れば際立って優秀であるために議会残留を許され、爵位を与えられた者達であった。本人達の大半はそれを固辞したので、一代貴族や爵位無し貴族として扱われたが。

 

 因みに大帝陛下は所謂白人系ばかりを貴族にしたというが、そこは少し違う。実際の話、人種間の混雑が進み、多くの連邦市民は元の人種が分からない者も多かった。特に白人系と黄色人種系の差異はかなり少なく、区別がつかない事も多い。大帝陛下がそういう嗜好であったのは事実であるが、貴族になった者には元々アジア系・アフリカ系の名前を有していた者も少なからずいた。流石に黄色人種系、黒色人種系の形質が強く遺伝している者は爵位を得られなかったが、それでも親類が貴族になった者、本人が中堅・下級役人になった者も少なくとも帝政初期にはそれなりにいた。

 

 寧ろ、非白人系が排斥されるようになったのはジギスムント1世時代(反乱勢力の中核だった)、ジギスムント2世時代(金銭が好き過ぎて、ジギスムント1世時代の事を難癖つけて資産没収からの反抗・奴隷ルート)、アウグスト2世時代(過去の2例からハードルが低くなったために初期の殺戮対象)の歴史を経てである。これらの歴史のため、以後、帝国政府が公式に非白人層を狙い撃ちした差別的法律を制定していないにも関わらず、非白人層が迫害対象として捉えられるようになった。しかも加害者の中核は貴族ではなく平民な辺り、人の業は深そうだ。

 

まぁ、それは兎も角……。

 

「若様の御考えは分かりました。でしたら私から言うべき事なぞ御座いません。若様のみが為せる義務を果たすその一助となれるならこのベアト、不肖の身なれど従士としての義務を果たすために御供させて頂きます!」

 

 おーい、止めろ。きらきらした瞳でこちらを見るな。

 

 私が大帝陛下の御言葉を有言実行しようとしていると思っているらしい。嫌だよ、ぶっちゃけ大帝陛下嫌いだよ。世が世ならブラック企業の社長だからな?大帝陛下の気質って。

 

 門閥貴族(に選ばれる予定の方々)が連邦時代、というか帝政後もどれだけ無茶ぶりされたか……初期の貴族とか、貴族に列せられても贅沢する余裕零だった。一族揃って永年ブラック企業勤め決定したようなものだからな?寧ろ選ばれて絶望のあまり泣いた奴までいるからな?凄く分かり易くいえば、帝政初期に貴族に選ばれるなんて完全に淫獣に「余と契約して門閥貴族になってよ?」って言われるような感じだからね?絶対御先祖様達ソウルジェムドブ色に濁ってたからね?

 

 尤も、態々否定して話をこじらせるのも面倒なので適当に苦笑いを浮かべて誤魔化す。今は認識の違いを確かめるより遥かに重要な事があるのだから。

 

「問題はどうやって警戒網を抜けるか、だな」

 

 一個連隊。この時代の地上戦において、その数は決して大きな戦術単位ではない。地上戦において宇宙軍の正規艦隊に該当するのは、同盟軍にて計八個編成されている「地上軍」である。一個地上軍は兵員160万から180万の兵力を有し、四個ないし五個遠征軍、そこに司令部直属の航空部隊、海上部隊、宇宙部隊、特殊部隊等から成る。

 

 但し、各地上軍は実質的に全軍が投入されるのは稀だ。実際に投入されるのは分艦隊にあたる遠征軍であり兵員20万から25万、一つの星系を制圧するのに必要な戦力とされる。さらにその下位にある軍団は兵員5万程度で、惑星一つを制圧する最低限の数である。そこから考えれば兵員1500名から2500名程度の連隊は文字通り寡兵であり、純軍事的には無きに等しい。「薔薇騎士連隊」のように帝国軍から畏怖される連隊は例外中の例外だ。

 

 それでも今の私達には強大な敵軍である。こちらは四名、装甲車両は皆無、使える武装は個人携帯火器、せいぜい分隊単位で運用出来る重火器程度しかない。対して、帝国軍の地上部隊は同盟軍のそれより重武装で練度が高い。

 

「遺憾ながら数の差は認めるしかありません。であるならば、地形を利用して可能な限り賊軍の索敵を回避するのが最善策でしょう」

 

 携帯端末の液晶ディスプレイに映し出された地形図を見つめながらベアトは意見する。

 

「だな。我々の任務は伝令であって戦闘じゃない。その上で、こちらの存在に気付いた敵は可能な限り情報を共有される前に始末するのがベターだな」

 

 こちらの利点はその存在を知られていない事だ。少なくとも現時点では潜水艦の位置も、伝令が出ようとしている事も把握されていない。そこに活路が……あるといいなぁ。

 

「その辺りはもう少し議論して詰める必要があるだろうな。……雪上車の整備はこんな物だな。装備の確認の方をしようか?」

「はっ!」

 

私の提案に凛々しく従士は敬礼で答える。

 

 主力たるブラスターライフルと実弾銃は当然の装備として、携帯式対戦車ミサイル、重機関銃、対車両地雷、手榴弾、拳銃類とその弾薬、戦斧、軍用ナイフ、金属探知機に携帯無線機、携帯式暗視装置、多機能双眼鏡、狙撃スコープ、そのほか携帯食料に車両用予備バッテリーも忘れる訳にはいかない。

 

 それら一つ一つを確認し、場合によってはばらしていざという時に作動するように整備する。特に刃物類が多いけど何でだろう?

 

「はぁい、カプチェランカのような寒冷な惑星ですとぅ、飛道具が凍結して作動しない場合があるからですぅ」

「おう、いきなり出てくるな。幽霊か」

 

 取り敢えず、戦斧を持って私とベアトの間に気配もなく現れたライトナー軍曹に突っ込みを入れる事にする。

 

「寒冷地で運用される火器には凍結対策が為されている筈では?」

 

一方、冷静にベアトが疑問を尋ねる。

 

「そんなのぅ、気休めですよぅ。確かに一応対策はされてますけどぅ、所詮機械ですからぁ、戦場で長期間使っているとぅ、案外すぐに動かなくなったりするんですよぅ。そうなるとぅもう撃つよりぃ、斬る方が簡単でしてぇ」

「いや、それは可笑しい」

 

 原作で戦斧での戦闘はちらほら出るが、実際の所本当に刃物で戦う場面は全体の極一部だ。小口径のブラスターや実弾から人体の主要部分を防護出来る重装甲服を着ていても、視界正面や関節部分は防護が薄いので危険である事に変わりない。宇宙暦8世紀でも撃つより斬る方が早いとか言う奴は少し……というかかなり可笑しいから。

 

「いえいえぇ、本当ですよぅ」

「少なくとも一般論ではないな」

 

 「薔薇騎士連隊」一般兵の戦闘を直に見た事は無いが、リューネブルク伯爵や不良学生、もしくは目の前のライトナー家の人間を見る限り確かに撃つより斬る方が早そうな奴らはいる。だがあくまでも例外だ。ゼッフル粒子のおかげで近接戦闘の発生自体は度々あるが、それだって撒く側は別に近接戦闘を挑もうと言う訳ではなく、どちらかと言えば破壊工作のためだ。工作中に発見され、仕方なく戦斧を振り回している状況の方が圧倒的に多い。その次に多い事例が船内や基地内での遭遇戦だ。野外戦闘で刃物を振り回す奴は明らかにクレイジーだ。

 

「まぁ、だからこそ兄共々期待させてもらう。狙撃猟兵は気付かれずに相手を仕留めるのが得意らしいからな。今回の任務は敵に悟られずにいる事が重要だ。頼りにさせてもらおうか」

「はぁい、勿論で御座いますぅ」

 

 にこにこと意地の悪い笑みを浮かべながら承諾する。うーんこの顔、明らかに楽しそうにしているな。戦斧なりナイフを振るいたくて仕方なさそうだ。

 

 少し離れた所でブラスターライフルを分解している兄はそんな妹をジト目で見つめていた。普段から凄い苦労しているんだろうな……などとこの緊迫した状況でどこか的外れな事を私は考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、物資面の準備は恙なく……とは言わないまでも、為すべき事は分かるため問題は殆ど無い。寧ろ問題はやはり作戦面の準備だ。

 

 トライトン級輸送型潜水艦は輸送潜水艦という特性上、艦内にはかなりの空間的余裕が存在する。そのため、トライトン級は小規模な改修を受けた通信特化型や海上部隊の旗艦機能を有する艦も建造されていた。「ブルーギル」の場合も臨時に作られた無線通信室に併設された作戦会議室を有し、出立前の最終会議もまたここで行われた。

 

「以上が無線と地形図により推測される、周辺地理と友軍・敵軍の展開状況です」

 

 通信士と航海士、そこに私とベアト、民間人の専門家で作り上げた地形図がソリビジョンで映し出される。

 

「ふむ、帝国軍が友軍基地と部隊を塞ぐように展開しているな」

 

 カミンスキー艦長が地形図を見て口を開く。それは殊更に奇をてらった意見ではなく、見たままの感想を語ったに近い。

 

「幸運な事は、これは恐らく我々を意識しての展開ではない事です。無論友軍の迂回攻撃を想定していない事は無いでしょうが、だからこそその警戒網は相応の戦力に対しての物であり、小部隊の索敵に適したものではない可能性が高いのも確かです」

 

無線通信士が収集しえた情報を基に補足する。

 

「それにしても20時間前の情報ではないか。現在の展開状況に変化はあろう?」

「はい。しかし、現状新たな情報の収集は不可能である以上、この情報から推測する以外ありません」

 

艦長の言に航海長が答える。

 

「それはそうだが……実行部隊としての意見は?」

 

 一瞬ベアトに尋ねようとした後に私に尋ねる艦長。士官学校の成績から見てベアトを隊長として意見を尋ねるのが正しいのだが、艦長なりにこちらの力関係を理解して配慮しているらしい。

 

「はい、我々も提供された情報を基に分析致しましたが、現状では大きな変化はない、と想定致します」

 

 戦況は若干同盟側が優位、その上帝国軍からは把握される限り新たな援軍要請は出されていなかった。その上、この周辺は数日の間はブリザードが吹き荒れると気象部隊が想定していた。爆撃が困難となれば、この戦域の戦局が動く可能性は低いと言える。

 

「ふむ……ではルートはどうする?」

「はい。それについてはこちらを」

 

 レーザーポインターでソリビジョン上の地形の一点を指す。

 

「本艦から北西方向、ここは所謂山岳部でありレーダー索敵の影になります。また、山岳部である関係から物理的にも隠れる事は困難ではありません。ここから迂回するように北に進みます。その先は暫く遮蔽物の少ない雪原地帯になります。ですので、ここはブリザードに紛れて全速で突き抜けるほか無いでしょう。そこを過ぎれば然程難しくはありません。その先の森林地帯に我が軍の小規模な通信基地があります」

「森林地帯?」

 

 地上の事情に疎い艦長が疑問を口にする。彼は地上が文字通り雪と氷だけの世界と思っているようだ。まぁ、ほぼ事実ではあるが。

 

「はい。2万から2万5000平方キロ程度の小規模な針葉樹林です。近隣に旧銀河連邦の開発プラントがあり、恐らく惑星改造の一環で植林されていたものの残骸でしょう。我が方の中継用通信基地がその中に隠匿されてます。そこから友軍と連絡が取れれば良し、基地機能が破壊・占拠、あるいは放棄され復旧不可能な場合は、そこからB-Ⅲ基地に接触を図ります」

「可能かね?基地から90キロ地点に帝国軍が展開しているのだろう?」

「開発プラントを影にして進む事になります。金属探知、レーダー索敵からこれに紛れて誤魔化します。そこから80キロ程度は再び雪原地帯となりますが、40キロも進めば同盟軍の勢力圏内となります。雪上車で全力で走れば1時間もかからずに逃げきれます」

 

 別に私一人で考えたルート作成ではない。寧ろ通信士と航海士、ベアトと民間協力者が中心だ。私は幾つか出来た案から最も危険が少ないものを選び発表しただけだ。

 

「必要な日数はいかほどになるかね?」

「最短で4日、最長で7日程度と思われます」

 

 行くだけならもっと早く到着するだろうが、帝国軍を欺瞞しながら、と考えればこの程度は必要だろう。

 

「……行けそうかね?」

 

 その後も細々とした作戦の概要を説明と共有、有事の際の対応……我々が戦死又は捕虜となった際や潜水艦に移動の必要があった場合の想定、第二陣の伝令を出す場合等……について打ち合わせ、その全てを終えた後、艦長が心配するように尋ねる。

 

 艦長なりに新品少尉を心配しての発言であろうが……嫌だ、と言って逃げる訳にもいかないから答えられる返答の選択肢は少ない。

 

「命令であれば、軍人としてそれに従うまでの事です」

 

 可能な限り義務的に答える。下手に感情を見せても罪悪感を与えるだけのため、そう答える。

 

「そうか。……出立は8時間後だな。今日は休みたまえ」

「はっ!」

 

 何を思ったのかは分からないが暫し考えこむと、艦長はそう言って退出を許す。私は後ろに控える従士達と共に教本通りの敬礼で答える。

 

「……本当に大丈夫かい?」

 

 臨時作戦室を退出したと同時に同じく退出したオリベイラ助教授が尋ねた。此度の移動ルート作成に向けた民間協力者の一人として助力していた。惑星地理・環境の研究をしていたため部分的に軍人よりもこの惑星に詳しい。

 

「大丈夫、とは断言出来ませんが、助教授の協力もありますので可能な限り安全なルートを選べたと考えております。特にプラント周辺の地理は同盟軍の地理データだけでは不足でしたので、助かりました」

 

 基地間の連絡網から少し外れているので、同盟軍も偵察衛星で上空から大まかに調べたデータしかなかった。その点では助かった。

 

「いやいや、少尉には皆の命がかかっているからね。寧ろこちらから協力させてもらっている立場さ」

 

 人の良さそうな笑みを浮かべる。見るからに苦労とは無縁そうな表情だ。その辺りはやはり、アレクセイと同じく育ちの良さが滲み出ていた。

 

尤も、そんな民間人は全体では少数派であるが。

 

 事実上の遭難であることから、避難民の中には同盟軍の避難指示に反発している者も多いらしい。基地に残った方が安全ではないか、と言うわけだ。まして秘密は漏れるもの、という。別に秘密にしていた訳ではないが、伝令役が帝国系という事実が広がれば不信感を持つ者が出ても仕方ない。

 

「おいっ!本当に帝国人なんて伝令に出して大丈夫なのか!?「薔薇騎士連隊」のように裏切るんじゃないのかっ!?」

「何でそんな奴を選ぶんだ!?ほかにも軍人は沢山いるじゃないか!?」

「早く助けてくれよっ!俺はこんな星で凍死も餓死もごめんだぞっ!?」

 

 通路を通れば兵士が重要区画の境界で陳情する民間人を塞き止めていた。

 

「あいつら……」

「……あっちの通路から行こうか?」

 

 ベアト達が不快そうな表情を浮かべ何か言おうとする前に私は命令して無理矢理それを阻止する。

 

「……すまないね」

 

 暫し通路を歩いて助教授がばつが悪そうにそう口にする。

 

「全くです。若様の激励や協力をしようという建設的な行動もせず、ただひたすら不平不満を垂れるのみ。これだから下市民は度しがたいのです」

「おいベアト、あまり過激な事を言うな」

 

 民間人の姿を思い出して塵を見るような目で、吐き気を感じるような口調でベアトはそう答える。その嫌悪感がありありと分かる。控えるライトナー兄妹も同じく不愉快そうだ。彼らには民間人の姿が、アルレスハイム星系政府で教えられる連邦末期の堕落した市民と重ね合わさっているのかもしれない。

 

「ははは、帝国系の皆さんにはそう見えるのかな?」

 

 オリベイラ助教授はそれを不愉快、というより少し興味深そうに見る。感性の違いについて関心を持ったのかもしれない。 

 

「すみません、少し忠誠心が過剰なものでして……」

 

そして判断力は部分的に過小かもしれない。

 

「いや、気にしていないよ。確かに同じ同盟人に対して言い過ぎだよ。怒るのも分かるさ。ただ……彼らも事情があるだろうからね」

 

複雑そうな表情で助教授は苦笑いする。

 

 助教授を筆頭とした学者陣は、研究のため進んでこの星に来た者だからある程度の覚悟は出来ている。だが、ほかの者もそうとは限らない。

 

「仕事で来たくないけどこの星で働いている人もいるからね」

 

 天然資源委員会からの注文を受注した大手資源開発企業、そこが圧力をかけて子会社や下請けに人を出させた結果、ここのプラントで働かされている者もいる。

 

 あるいは軍との関係が長く、次の仕事が来なくなるのを恐れて、嫌々ながらこんな前線に来ている料理人や清掃業者の社員もいる。企業は兎も角、派遣する社員が社内の力関係で半ば強制的に向かわされる場合もあるだろう。

 

 そのほか、軍人経験者の中には帝国人へのネガティブな感情を持つ者もいる。「薔薇騎士連隊」の不祥事のように、帝国系が問題を起こすと普通の同盟人より注目される事も無関係ではあるまい。彼らの態度は仕方ない面があることも否定出来ない。追い詰められると人は卑怯にも下劣にも低俗にもなれる。それはある意味では仕方ない。

 

 寧ろこの場で冷静に、道徳的に正しく出来る者の方が少数派であることは肝に命じておくべきだろう。望遠鏡が顕微鏡の機能を有さないのが罪でないように、顕微鏡が望遠鏡の機能を有さない事を弾劾すべきではない。何と言うべきか……それはフェアではない気がする。

 

 尤もそこまで口にはしないが。ベアトにでも言えば、どうせ意味をねじ曲げて解釈するだろう。皇帝が思った事を口に出来ないのと同じだな。いや……そこまで考えるのは私が異常なだけか?

 

 兎も角、軽く従士達に注意してから助教授には謝罪しておく。口は災いの元である。門閥貴族に生まれてから、それが含蓄に富んだ言葉であることを確信した。

 

「それはそうと若様、出立までいかがしましょう?」

 

 残りの時間を如何に過ごすか尋ねるベアト。尤も答えはもう決めていた。

 

「不健康だけどね……食べて寝るさ」

 

 私は肩を竦めて答える。雪上車での睡眠は快眠とは程遠い事は、学生時代に経験済みなのだ。

 

 

 

 

 

 宇宙暦784年8月30日同盟標準時2230時、ブリザードに紛れ流氷を破砕して浮上した潜水艦から、救援要請を伝えるため伝令4名を乗せた雪上車が発進する。その役目が無事果たされるかは、この時点では知る者はいなかった。

 

 




ルドルフ「仕方ないよ。愚民共には(人類を導くのには)荷が重すぎた。でも諦めたらそれまでだ。君達なら人類の運命を変えられる。避けようのない破局も、衰退も全て僕達で覆せばいい。そのための意志と才覚が僕に、そして君達にも備わっているんだ。だから……僕と契約して門閥貴族になってよ!」


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第五十七話 子供時代の馬鹿な行いは大人になると恥ずかしくなる

 激しいブリザードが吹くカプチェランカの冬は、視界が非常に悪い。特に夜になると、照明を点灯させていても数メートルの視界も確保出来ない。結果として、カプチェランカにおける視界確保手段は光学的な手法以外のものが利用される。

 

 所謂レーダーや音波、赤外線等を利用し半径数十メートル以内の地形情報を収集、それを視覚的に理解しやすいように映像化して液晶画面に、あるいはVRゴーグルに表示して、それを基に運転手は運転する。長征系資本の同盟軍事企業ではこれをさらに発展させて、脳波コントロールでより迅速に、タイムラグの無い運転を出来るようにする新型車両の開発を行っているらしい。それにより運転に必要な訓練時間を短縮し、より感覚的な運転を可能とするのが目的だそうだ。

 

 ……かなりフラグの香りがするが今の私にどうこう出来るものではないので放っておく。そもそもソフトウェアのハッキングなんて誰でも思いつく。問題は実現出来るかどうかであり、当然ながら同盟軍のハッキング対策は帝国よりも進んでいる。それを基に開発を中止に追い込むなぞ不可能だ。やっぱり金赤コンビは頭可笑しい。あるいは実戦投入から日が浅く、バグ等が多かったのかも知れない。どちらにしろすぐに対策された筈で、実質的に原作のあれは一度きりだからこそ出来た事の可能性が高い。

 

 まぁ、何はともあれ、今の我々の乗り込んでいる61式雪上車にとっては関係の無い事だ。宇宙暦761年採用のこれは軽歩兵部隊輸送用の非戦闘車両だ。各種センサーで収集した情報を基に、運転手が周辺地理を把握して運転する。最高時速65キロ、最大輸送可能人数は運転手を含め10名。対レーダー透過塗装、対金属探知透過塗装等が施されているが、気休めにしかならない。装甲は無く、銃座こそあるが然程役に立つとも思えない。唯一褒めるべき点は、備え付けられた暖房が非常に頑丈という点だ。40年以上使われていた前任の14式雪上車の暖房はすぐ壊れ、「凍土の進軍」の歌に歌われる有様であった。

 

「……大丈夫か?疲れたならそろそろ運転を代わるが?」

「いえ、御安心下さい。この程度の長期運転なら何度も経験がありますので」

 

 もう何時間も雪上車を運転するライトナー兄のテオドール・フォン・ライトナー曹長は貨物室を兼ねる後部座席からの私の提案にそう答える。

 

 出立から既に40時間が経過していた。通信基地まで450キロ、B-Ⅲ基地まで900キロの道のりは、通常の車両でならば全力で飛ばせば1日2日で走破は可能だろう。だが帝国軍の警戒網を避けるため迂回、しかも山岳部の雪原を走るとなると簡単ではない。視界が悪いので、全力で走れば次の瞬間崖やクレバスから転落して、目出度く二階級特進になる可能性だってあるのだ。そのため実際の速度はせいぜい30キロ程度、履帯が傷み交換する必要も出るかも知れないし、帝国軍から隠れる必要も出てくるだろう。まだまだ長い旅になりそうだ。

 

「若様ぁ、余り気を張らなくてもいいですよぅ?どうせぇ、ブリザードの中ですと賊も索敵の目が鈍りますしぃ、銃撃も射線がずれますからぁいきなり奇襲で吹き飛ぶなんてありませんよぅ?」

 

 助手席の妹さんがブラスターライフル片手に眠そうな表情で答える。

 

「誘導弾が来たらどうするんだ?」

「それこそ、この山岳地帯ですと本格的な対戦車ミサイルを運用するのは簡単じゃあないですぅ。展開出来るのは携帯運用の近距離ミサイル……この環境ですと射程なんて1キロもありませんよぅ。待ち伏せでもなければ撃たれるなんて有り得ませんしぃ、その程度なら簡易のジャミング装置で欺瞞出来ますぅ。このブリザードの中ですと、動く目標にロケット弾のように撃っても命中なんて滅多にありませんよぅ?」

「……成程」

 

 つまり金赤コンビは誘導を諦めて肉眼でロケット弾を移動目標に撃ち込んだと言う訳か。ちょっとあいつらヤバくね?

 

「……軍曹の言葉に疑問があるかも知れませんが、その点では私も同意です。未熟な経験ながら、確かにこのような状況下ですと誘導兵器による奇襲は考えにくいかと」

 

 私の態度に納得していないと思ったのか補足するように兄の方が答える。

 

「いや、大丈夫だ。お前達が安心するよう言うのならそうなのだろう。つまらん事を聞いたな」

 

 少なくとも原作キャラでも出てこなければ、何も分からないうちにこの雪上車ごと吹き飛ぶ事は無いらしい。

 

「若様、御心配は分かりますがそろそろお休みになられた方が良いかと考えます。細事は気にせずお任せ下さい」

 

 携帯端末で地理情報や電波を傍受を試みていたベアトが口を開く。

 

「といってもな。寧ろ少し運転しただけで比較的私は体力が残っている方だぞ?ベアトこそ寝た方が良いだろう?」

「問題ありません。それこそ私は端末を使っているだけですので。それに若様はこの伝令班の指揮官です。有事に備え体力を温存する義務があります」

「義務、ね」

 

 物は言いようだな。確かに、戦闘時に正しい指揮をするために体力を温存するのは指揮官の義務の一つではある。尤も本来ならばベアトの方が班長に相応しいので、その意味では前提条件が間違っているのだが……。

 

「……分かった。5時間だ。それだけしたら起こせ、交代だ。護衛が疲労で役に立たないのも困る。食事もしておけよ?」

「了解しました」

 

 私の命令に微笑むように優しい声で答える従士。まぁ、これ以上言っても仕方無い。寝袋を取り出してその中に潜り込む。これは寒冷地用に作られた保温性の高い特殊繊維で出来ておりかつ熱にも強い。また表面にはサーモグラフィに投影されないようにコーティングがされており野外での就寝中に爆撃を受けないように対策されている。こういった装備一つ見ても無駄に高度な技術が使われており、この150年に渡る戦争が物量と共にハイテク技術の戦争である事を物語っていた。

 

 寝袋の中で身体を揺らしながら瞼を閉じる。それほど自覚は無かったがすぐに睡魔は襲ってきた。地上車というものは乗っているだけでも体力を使うらしい。

 

 そして私はそのまま微睡みに身を任せて意識を暗転させた……。

 

 

 

 

 

 遠い昔の記憶だった。恐らくは6、7歳くらいの筈だ。私が自身の立ち位置とその絶望的な将来、そしてそれを変える困難を理解した頃の事だ。

 

 絹に金糸を縫い込まれた見事なデザインの服装は、しかし私には豚に真珠と言うべきだろう。それでも、安くて気楽な服装なぞしたら伯爵家と仕える従士や奉公人にまで迷惑をかけるので許されない。そんな事すれば「本家の嫡男にまでそんな服を着せるなぞ、伯爵家はそれほど落ちぶれたのか?」と思われ噂になるそうだ。皇族から妻を迎えた伯爵家にそんな恥ずかしい事は出来ないし、もっと着易い服を望むのもそれはそれで我儘であるように思えるから口を噤む事にしていた。

 

どの道、こんな所にいれば汚れてどうしようも無いけど。

 

「わかさま、あまりおやしきをはなれるのはあぶないです。もどりましょう?」

「戻りたいなら戻ったらいいだろう?ついて来るなよ」

 

 森の中を進む私に少し怯えた声で幼女が後ろから尋ねるが、私は不機嫌そうにそう言い捨てる。実際問題、出来れば離れて欲しい。

 

 新美泉宮……だったか、同盟に亡命した帝国貴族の道楽と趣味で建てられた宮殿、その北苑は所謂狩猟区であり広大な平原や森が広がっている。

 

 毎度毎度どうでもいい催事で呼びつけられパーティやら園遊会に参加するのは私には苦痛でしかなかったし、更にうんざりするのは同年代の皇族の少年に懐かれた事だ。

 

 大体理由は分かる。皇族だから気軽に人付き合いなんか出来ない。兄弟姉妹は上が3人続けて女子のせいで、兄と歳が離れすぎている。同年代かつ母が皇族の私は対等……少なくともそれに近い数少ない遊び相手な事だろう。今日も彼の住む屋敷全体を使ったかくれんぼに付き合わされた。

 

 しかも、どういうわけかどこに隠れても見つかる。そんなに私の考えは分かりやすいのだろうか?私は静かに自宅に帰るまで時間を潰したいだけなのに、騒がしい限りだ。使用人達も事あるごとに、何でもかんでも赤子のように世話を焼いてくる。それが下手に前世のある私の詰まらないプライドを刺激した。

 

 その結果、誰にも構われたくないためにフェンスに穴を開けて人の少ない北苑にこっそりと逃げた訳だ。夕方になるまでひっそり隠れておきたい。

 

 最初の頃は周囲の歓心を買って将来に向けて布石でも打とうと思ったが、今ではそんな事もない。どうせどうしようも出来やしないなのだ。貴族の社会の保守性も柵も散々理解した。

 

「……お前も、無理に付き合わなくていいから」

「い、いえ……だいじょうぶです。わかさまがいかれるならどこまでもついていくのがおやくめですから」

 

 森の中である事を不安そうに、しかし年にしてはしっかりとした口調で幼女は答える。

 

 通算で十八人目の付き人候補だった。最初は歳上か同年代の男子ばかりだったが十四人目辺りから候補者不足でついに女子まで現れた。

 

 所謂四六時中付きまとう従卒であるが、そんなもの欲しくない。ようは常日頃貴族の振りをしないといけない訳だ。やってられるかよ……!!

 

 原作の門閥貴族共にとっては好きに命令出来る下僕にしか過ぎないだろうが、私にとってはただの監視に過ぎない。そのため、難癖つけては実家に送り返してもらっていた。本家の付き人である以上、付き人もある程度の家でないと駄目らしい。該当する者を全員追い払ってやるつもりだった。まさか女子までも動員して付き人を付けようとするとは思わなかったが。

 

「お役目ね。よくもまぁ、その歳で言えるもんだな。良くわかってもない癖に」

 

 親に言われて言っているだけでその意味を理解しているとは思えない。主人のために弾避けになる事もお役目であることを理解しているのだろうか?

 

「そ、そんなことはありません!おとうさまからそばつきはとてもめいよあるおしごとときいております!」

 

 慌てるように幼女は答える。だが私には寧ろ相手が然程理解していないという考えを補強したに過ぎなかった。

 

「そもそもお前、私の使い走りなんてやって楽しい訳?本当は面倒だと思っているんだろ?」

 

 嫌みを含んだ声で私は言い放つ。私の傍に控えないといけないので当然ながら子供らしく同年代と遊ぶ事は出来ないし、生活のリズムは他人に合わせないといけない。警護役として気を抜けないし、その分学習をしないとならない。毒味役をする場合すらある。子供には耐え難い環境の筈だ。

 

 そもそもが頭可笑しい制度だ。命を含めて全てを主家の者だからというだけで捧げないといけない。産まれた時から上下関係が決まっているのを含めて、正直そんな立場を有り難がる気持ちなぞ理解出来ない。  

 

「そんなことありません!わたしなんかがわかさまのそばつきなんてみにあまるえいよです!」

 

心底そう考えている、とばかりに力強い声で語る幼女。

 

「……あっそう。こっちからすれば期待外れも良いところだよ」 

 

 皮肉気にそう伝える。これまで追い出すのに色々無茶ぶりしたり癇癪気味に我が儘言ったりもした。だがこいつは、これまで相手した候補者の中でも特に粘り強い奴の一人だった。これ以上の無理な命令は下手したら怪我するので流石に出来ないので、最近は監督責任や名誉毀損を狙って嫌がらせしているが……追い出すのはもう少しかかりそうだ。

 

「も、もうしわけございません……」

 

 縮こまって消え入りそうな声で答える付き人候補。正直虐めているよう……実際客観的には虐めでしかない……に思えて罪悪感を覚えない訳ではないが、そんな考えを振り払う。

 

 ……どうせ、獅子帝が同盟を滅ぼしたら真っ先に死にそうな立場なのだ。そんな奴の付き人なんて不運なだけだ。少しでも私と離れている方が生存率は高くなるだろう。寧ろ功徳とも言える。……そうでも思わないとやってられない。

 

 そうこうしている内にかなり森の深い所まで来ていた。付き人候補者が根を上げるまで歩いていたが流石に深く入り過ぎた。これ以上は下手すれば戻れなくなる。仕方無く元の道を戻る。

 

「もどられるのですか?おともいたします!」

 

 てくてくと後ろについていく子供。餓鬼の癖に一丁前に付き人の振りしやがって。

 

 私は不機嫌そうに鼻を鳴らしてずけずけと進む。少し彼女には追い付くのに苦労する速さだ。尤も文句一つ言わずについてくるが……。

 

「よくやる……ん?」

 

ふとざわざわと森の茂みがざわつく。

 

「わかさま……」

「どうせ動物だろ?ここには肉食獣はいない筈だ。怖がらなくていいだろう?」

 

 流石に大型肉食獣の放し飼いは危険なので、狩りの時以外は檻の中だ。狐のような雑食獣は兎も角狂暴な動物はいない筈だ。

 

と、動物を甘くみていた頃が私にもあった。

 

「えっ……?」

 

私は思わず間抜けな声を上げていた。

 

 確かに草食獣ではある。だが、草食獣だから安全と考えていたのは、やはり想像力が足りないと言うことを思い知った。

 

 ……取り敢えず一つだけ言える。アメリカヘラジカってヤバいな。

 

 獰猛に鳴き声をあげて威嚇してくる3メートル近い巨体に、私は圧倒され腰を抜かす。後で知ったがあいつら体重が1トンはあり、時速50キロで襲い掛かるらしい。信じられるか、有角犬と違って遺伝子操作していないんだぜ?動物ってスゲーよな?

 

 明らかにこちらを睨みつけ唸り声を上げるヘラジカは本来ならば唯の狩りの獲物だが、それは武器を持った人間にとってであり、唯の貴族のぼんぼん息子には猛獣と変わらない。

 

「ひぃっ……!?」

 

 ゆっくりと巨体を揺らしながら近づいてくるヘラジカを見て私は悲鳴を上げる。目の前の存在がその気になればすぐにでも自分を踏みつぶせる事が分かっていた。原始的な巨大生物に対する恐怖が思考を支配した。前世なぞ関係ない。それだけの威圧感だった。子供の体の分、一層巨大に見える事も一因だろう。

 

 宇宙戦艦に乗るとか戦斧を振るうとかの段階ではない。暴力沙汰や流血沙汰なぞ経験が無く、その訓練すら殆どしていない餓鬼には野生動物相手でも荷が重すぎた。

 

だが……。

 

「わ…わかさま、ゆっくりとこうたいしましょう?」

 

 情けなく涙を浮かべる私を支えながら、何者かが耳元で囁いた。ちらりと見れば、表情を強ばらせつつも自身の数倍の巨体を睨み付けながら目を逸らさない子供がいた。前世持ちの私が情けなく腰を抜かしているのとは大違いだ。

 

「わかさま……!」

「あ……ああ」

 

 そう曖昧に返事をして震える足を立たせてゆっくりと距離を取っていく。その間決して正面の獣から目を逸らさない。反らしたら襲ってくると半ば本能的に理解していた。

 

 ゆっくり……ゆっくりと静かに距離を取る。何十秒か、何分かをかけて漸く距離を取れてきた。……そう油断したのが悪かった。

 

「うおっ……!?」

 

 足元の小枝に気づかずそのまま踏み抜きバランスを崩すと共に視線を反らす。

 

 それが不味かった。次の瞬間興奮したヘラジカが唸りながら走る。

 

「わっ……!?」

 

 驚く私の手を取り幼女が森の中を走った。私はそれに逆らう事なく、ただすがるように足を動かす。こんな所で死にたくなかった。死ぬのは怖かった。

 

 幸運な事に、ヘラジカはそれ以上追いかけてくる事はなかった。もし追いかけられていたら踏み殺されていた。そう言う意味では幸運だった。

 

尤も問題は……。

 

「はぁはぁ、だ、だいじょうぶですか……?」

 

顔を上気させた幼女は心配そうに尋ねる。

 

「はぁはぁ……ああ。……なぁ……」

「な、なんでしょうか?」

「……ここ、どこだ?」

「えっ……?」

 

 私の言に幼女はその表情を再び、そしてより強ばらせた。

 

 必死に走って息を切らした私は恐怖から立ち直り漸くしてそれに気づいた。

 

屋敷の方角が分からない。

 

 空が少し曇り、私はとても嫌な気分がした。そしてそのまま私は八つ当たり気味に幼女を睨み付け……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わ…きし……て…です。……かさ…」

 

 遠くから良く知った声がする。ぼやけた視界に人影が映り何かを口にする。その声は少しずつクリアになり、そして意識も覚醒していく。

 

「若……若様……御起床下さい……若様?」

「んっ…?んんっ……?何だ?時間か?」

 

従士にそっと体を揺すられ私は現実の世界に帰還した。

 

「いえ……確かにそれもありますが御判断を頂くべき事案が御座いまして……」

 

少し歯切れの悪そうにベアトは口を開いた。

 

「……要件を聞こうか?」

 

私は状況について説明を求めた。

 

 9月2日同盟標準時間19時20分、伝令班は最初の関門に遭遇した。山岳地帯を抜けると、その先は200キロメートルに渡り遮蔽物の存在しない雪原が出現する。山岳地帯と違いレーダーや熱探知により発見される確率は高く、本来ならばブリザードに紛れ可能な限りの速さで突き抜ける予定であった。

 

だが……。

 

「哨戒部隊か……」

 

 山岳部の丘線から僅かに身を乗りだした私は多機能双眼鏡を目元にやり、それを見る。

 

 数十キロ先の目標に向け、自動でレンズに映るそれを拡大する。内部のコンピューターが映像を編集してブリザードの大半を消去し、赤外線で闇夜を明るくした風景を作り出す。因みに、やろうと思えば熱源探知モードや音響探知モードもある。

 

「帝国軍……戦闘装甲車が2……いや3台か?」

 

 双眼鏡のレンズは帝国軍の主力戦闘装甲車の一つ「パンツァーⅢ」の寒冷地帯対応型を捉えている。水素電池により920馬力の出力を備え、主砲は120ミリの電磁砲、副武装は汎用荷電粒子ビームバルカン砲一門、場合によっては銃座に機銃なり対戦車ミサイルを追加装備出来るだろう。最高時速は110キロ、有機強化セラミックと酸化チタニウム等の複合装甲が備え付けられ、電波・赤外線・低周波等による索敵に対抗するためのコーティング処理が為されている。電子機器では同盟軍や亡命軍には一歩譲るが、装甲材や塗装によるステルス処理や物理的防御能力は軽視出来ない。

 

「はい。雪原に近づいたので哨戒部隊を警戒し徒歩で偵察に出たのですが……」

「見つかって良かったというべきか、見つけてしまって不幸と言うべきか……何とも言えないな」

 

 ブリザードの中、丘線の影でブラスターライフル片手に私の隣に控えるライトナー兄。彼が見つけてくれたおかげで、危機を事前に察知出来た。

 

「あれが退いてくれないと我々は目的地に行けない、と言う訳か?」

「はい。ここから先は遮蔽物はありません。ましてこちらの雪上車のステルス対策は気休め程度です。戦闘装甲車の索敵機器を誤魔化せるかと言えば……」

 

 そもそも雪上車は半分トラック扱いだからな。軍用ではあっても戦闘用ではない。そして戦場用の車両は全て基地に置いていった。せめて装甲兵員輸送車であれば欺瞞も出来たかも知れんが……。

 

「離れるまで待つ、という案は?」

「問題はいつ離れるか、です。既に40分以上山岳部を監視出来る位置に展開しています」

「我々の存在を勘づかれたか?」

 

 最悪の事態を想定する。山岳部の偵察兵に見つかったか、衛星軌道の偵察衛星に発見されたか。絶望的なものは、潜水艦が拿捕され伝令の存在を察知された事だ。

 

「その可能性は低いかと」

「理由は?」

 

私もそれは確信していたが確認のため敢えて聞く。

 

「第一に数が少なすぎます。周辺に散らばっているとしてもこの倍程度は展開可能な筈です。第二に賊共の練度が低い事です。待ち伏せとすれば、もう少し発見されにくいやり方があります。あれでは見つけてくれと言わんばかりです。恐らくは賊共の後方警備部隊でしょう」

「同意見だ。という事は、近隣に帝国軍の後方支援部隊が展開していると考えて間違いない。となるとこのまま待っても動く可能性は低い訳か」

 

私は軽く舌打ちする。少し面倒な事になったな。

 

「賊軍の通信傍受を試みてみましたが、秘匿回線のため内容については分かりませんでした。ただ通信頻度が極めて少ないので、賊軍の本隊との連絡が暫く途絶えても気取られる可能性は低いと思われます」

 

 そして永遠に連絡が来なくても暫くなら誤魔化せる、という事だ。

 

「つまり……殺れ、か?」

「御命令さえ頂ければ」

 

 私が曹長を見やると私を見据える曹長は決心したように答える。

 

「………どうやって仕留める?」

 

装甲戦闘車両3台に正面から戦っても勝算は無い。

 

「隘路に誘き寄せ、待ち伏せする。それが基本でしょう」

「地雷と対戦車ミサイルを使えば一両は殺れるか。いや、仕留められなくても待ち伏せされたとなれば隘路で乗ったままは自殺行為だ。車両を捨てざるを得ないな」

 

 待ち伏せされたのなら相応の戦力と考える筈、その上で全滅を防ぐため徒歩での脱出を図る、そこに白兵戦を仕掛ける訳だ……なんか既視感があるシチュエーションだな。

 

「よし、白兵戦は任せる。奇襲はこちらで受け持とう」

 

 私は決心して雪上車に向かいながらそう言う。すると……。

 

「えっ!?若様も戦うのですか?」

「えっ!?戦わないの!?」

 

……よし、少し御話ししようか?

 

 

 

 

 

「危なすぎます!若様はここで我々が戦いを終えるまでお控え下さい!」

 

雪上車の中で金髪の従士が叫んだ。

 

「そうですよ!装甲戦闘車への近接攻撃を行うのは危険です!ここで吉報をお待ち下さい!」

「大変失礼ながらぁ、白兵戦技能に関して若様は私達に一歩譲りますのでぇ、安全を考えるならぁお控えしていただきたいのですがぁ」

「ははは、否定の嵐でワロス」

 

 満場一致での邪魔だから退いてろ宣言に私の硝子のハートは既にボロボロだ。

 

「若様に何かあれば一大事です……!若様は本家筋の唯一の跡取りです。このような詰まらない場所で危険に身を曝すべきではありません!我々が雑事を引き受けますので伝令の役目を御果たし下さい……!」

 

恭しく上申するベアト。

 

「若様、逸る御気持ちは分かります。ですがここはどうぞ御自重下さい。万事我々が対応致します」

「そうですよぅ、態態雑兵共相手にぃ御身を晒す必要なんてぇありませんよぅ?」

 

 装備を手入れしながら双子がベアトに同意する。確かに可能であれば出来るだけ身の安全は確保したい。だが……。

 

「そういってもな。実際問題3名で確実に殺れるのか?」

 

その問いに三者は沈黙する。

 

「相手は最低でも12名、上手く一台仕留めても8名だ。3名では安全に仕留める事が出来るとは限らない」

 

 返り討ちにあうかもしれない、とは言わない。3名の実力は本物だし、態態彼らの気分を害する必要もない。

 

「私達がぁ、失敗するという事ですかぁ?」

 

 しかし、私の発言の意味を理解したように間延びした声で軍曹は尋ねる。ふわふわした声に聞こえるがどこか剣呑な響きが混じっているように思えるのは気のせいではないだろう。

 

「軍曹……!」

 

 兄が主人に敵意を向けた妹に鋭い声で注意する。妹も直ぐ様頭を冷やしたように視線に混じった威圧感を拭い去る。

 

『……若様申し訳御座いません、御無礼を謝罪致します。如何なる罪も甘んじてお受け致します』

 

 腐っても貴族の末裔であると証明するように宮廷帝国語を口ずさみ、礼節に基づいて頭を下げる。

 

『……気にするな。卿とその一族の武勇は良く聞き及んでいる。それに疑問を挟まれた心象は理解出来る』

 

 長年貴族をやって来たのでどう対応するべきか私はすぐさま察する。同じく宮廷帝国語でそのように答える。

 

『軍曹、今は有事のため咎めんが非礼である事に変わりない、良く注意する事だ』

 

 そこまで軍曹を見て語る。そしてそのまま残り二人にも目配せして畳みかけるように私は続ける。

 

「……さて、話を戻そう。卿らの実力は良く理解しているつもりだ。だが、ここは敵地同然だ。伏兵の存在が有り得るし、思わぬ偶然に足を掬われる可能性もある。クラウゼヴィッツの「戦争論」にもある通り、戦場の摩擦を軽視すべきではない。人数が多ければその分対応の幅は広がるし、戦力の集中は軍事の常識だ。安全を求めるならば寧ろ全員で敵に当たるべき、違うか?」

「た、確かにそうですが……」

 

 尚も渋るようにする従士達。うむ……ここは後一押し必要か。

 

「それに私も戦闘の経験は一度しかないし、海賊相手、それも随分前の事だ。詰まらない戦いと言うが、私としては大きな戦を経験する前に小さな戦いで戦いの空気に慣れたいという意図もある」

「御気持ちは分かりますが……」

「それに」

 

私はベアトの声を遮るように言葉を紡ぐ。

 

『賊共は雑兵、こちらは優秀で忠実な従士が三名、お前達が控えてくれるならこちらとしては安心して戦える訳だ。迷惑をかけるが我儘に付き合ってくれないか?』

 

 それは本音だった。どうせこの先も戦いはあるのだ。ならば早くに慣れた方が良い。同時に私は自身の言葉の与える印象を計算して言い放った事も否定出来ない。そうでなければ宮廷帝国語で頼み事なぞ言わない訳で……。

 

『若様……この不肖の従士をそこまで御信用いただけるとは、このベアト必ずや御期待に応えて見せます!』

 

 金糸色の髪を持つ従士は頬を高揚させて深々と礼をする。

 

『そこまでの御言葉、分家生まれの我々には勿体ないものです……!このテオドール・フォン・ライトナー従士、卑しくも分家の生まれながらライトナー一族の代理としてぜひとも御供させてもらいます!』

『私もで御座います。先程の御無礼御許し下さい。このネーナハルト・フォン・ライトナー従士、一命を賭しても若様の御要望に応えさせて頂きます!』

 

 全員同盟軍人なのに新無憂宮の言葉しか聞こえないって地味に凄いよな。後妹、口調変わってる。どんだけ興奮しているんだよ。

 

………いや、火をつけたの私だけどね?

 

 

 

 

 

 

 

 何はともあれ、方針が決定した以上、後は下準備をして実行するだけだ。

 

 帝国軍部隊を引き寄せるのは難しくない。まずは待ち伏せる隘路に対戦車地雷を埋設する。金属探知機に反応しないように出来ている代物であるが、念のため雪を良く上に乗せる。その周囲には時限式の簡易電波妨害用ジャマーも散布する。

 

 次に無線機を使い、帝国軍の周波数で断続的な救難通信を行う。極めてネイティブな帝国語を話せ、帝国軍の通信の様式を良く知る我々には然程難しい事ではない。詳しい内容は伝えなくても良い。同盟軍のジャミングにより通信が妨害されている振りをすれば良いだけだ。

 

 帝国軍の警備部隊は本隊に一報を入れ、その後三両が味方の救援のために山岳部に突入した。戦力を逐次投入しない、という基本的な戦術に沿った動きであり、その選択は間違っていない。

 

 弱弱しい助けを求める通信を頼りに、反乱軍を警戒しながら戦闘装甲車三両は隘路を進む。だがそれは友軍を追う反乱軍に対しての警戒であり、足元の警戒は疎かになるものでもあった。

 

「地雷で足が止まった所で上から狙う、か」

 

 隘路を見渡せるような山岳部の影から私は呟く。地雷による足止め、味方の通信を聞くためジャミングは出来ず、狙いやすい高所から、奇襲のため対応の時間は少ない。時限式ジャマーは地雷で履帯が吹き飛ぶと共に発動する事になっている。

 

 それでも次の瞬間反撃を受ける可能性もあるので、歩兵携帯用の対戦車ミサイルでの近接攻撃は危険がつき纏う事に変わりない。

 

「……若様、大丈夫ですか?」

 

 傍に控えるベアトが心配そうに尋ねる。ブリザードに揺れながら輝く金髪は幻想的だった。そして、そんな髪を持つ少女が大きな対戦車ミサイルランチャーを抱えているのは少しシュールに思えた。

 

「……ああ、少し緊張しているだけさ。お前だってそうだろう?」

 

 私はどこか落ち着きの無い従士に不敵な笑みを浮かべてそう言って見せる。半分強がりであるが、確かにベアトが少し緊張しているのも事実だ。

 

「いえ、このランチャー……少し重いので息が上がっただけです。お気遣いは無用です」

「なら、尚の事だな。私も運ぶのを手伝って正解だろう?」

「若様にやって頂くべき事ではありませんでした」

「どうせ見ているのはお前だけだ。墓場まで持っていけば秘密は守られる」

 

 冗談ぽく私は反論する。実際、ベアトが一人で運んでいれば、撃った後ランチャーは放棄したとしても疲れて迅速に逃げられるか分からない。やはり私が同行して正解だ。

 

「……申し訳御座いません」

 

バツの悪そうな表情を浮かべるベアト。

 

「何度も御迷惑をお掛けしております。その上若様の御厚意に甘えて……お恥かしい限りです」

 

 ランチャーを調整しながらベアトは落ち込んだ声で答える。

 

「何、気にするな。こちらこそ甘えてばかりだからな」

 

昔から、な。

 

「それは……来ました」

 

 雪上を走行する音が響き私達は息を潜める。岩陰の中その時が来るまで待ち続ける。車両の走行音が近づく。一両、二両……と微かな走行音が響く。

 

私はベアトが重そうに持つランチャーに手を添える。

 

「……若様?」

「……私が撃つ。支えてくれるな?」

 

 女子であるために射撃なら兎も角、このような反動の大きい大口径の実弾兵器の命中精度は私の方が成績が良かった。私が撃つのは寧ろ当然だ。ベアトには反動を支えてもらう。

 

「……分かりました。お任せください」

 

私の意図をすぐさま理解してベアトは笑顔で肯定する。

 

 それと同時であった。先頭の「パンツァーⅢ」の履帯を炸裂したM710対戦車地雷が引き千切ったのは。

 

 後方の車両が慌てて車体を止める。ほぼ同時に、周囲のジャマーが賊軍が本隊に救援要請を出すのを阻止した。

 

 次の瞬間、私とベアトはランチャーを手に身を乗り出す。私達は立ち往生する三両の戦闘装甲車の後ろ姿を見た。

 

 照準器越しに最後部の装甲戦闘車を見据える。ベアトはランチャーをがっしり支え、照準がずれないように固定していた。各車両がほぼ自動で照準を狂わせるためのジャミングやフレアを放った。構わない。無誘導で仕留めてやるつもりだった。

 

 私はほぼ事務的にトリガーを引いていた。衝撃と僅かな爆発音とともにランチャーから吐き出されたミサイルは、ブリザードの吹き荒れる中一直線に目標に襲い掛かった。

 

 偽りの静寂は鼓膜を乱打する爆発音によって引き裂かれた。炎と煙が戦闘装甲車を包み、破壊された車体の破片が熱風に乗って宙を乱舞する。

 

「まずは一台」

 

 炎上する戦闘装甲車を見据え、私は小さく呟いていた。自分でも怖いほどに低く冷たい声だった。

 

 ……正直既に人を殺した身ではあるが、あの時は半分自衛のような物であったし、すぐ撃たれて寝ていたので言う程に葛藤は無かった。そのため今回ちゃんと撃てるか不安であったが……信じられない程に淡々とトリガーを引けていた。

 

 まぁ今生の人生の半分を幼年学校と士官学校で過ごしてきたのだ。ようは、人を殺す技術を学ぶのに人生の半分を費やしたのだ。心は兎も角、体は惚れ惚れする程に教育の成果を証明して見せた。あるいはそういった過去の事例から、学校が心理的に葛藤を抱きにくい教育をしているのかも知れない。まぁ、どうでも良い事だが。

 

 残る戦闘装甲戦闘車から次々とブラスターを構えた帝国軍の軽装歩兵が勢いよく降り立った。味方が殺られたのは誘導兵器によるものだと言う事は一目瞭然であるから、装甲車に乗ったままでいるのは危険極まりない。人数は予想通り合計八人。

 

「降りるぞベアト。まぁ後はあの二人が片付けてくれるから大丈夫だと思いたいが……ベアト?」

 

ぼーっとこちらを見つめている従士に私は声をかける。

 

「えっ……は、はい!」

 

 慌てて、しかし喜色の笑みを浮かべながらベアトは返答する。

 

「大丈夫か?気分が悪くなったか?」

「いえ、問題ありません。それよりも早く離脱しましょう!」

 

 彼女らしからぬ少々浮足立った声を怪訝に思うが、実際早く離脱すべきであるのは明白だった。

 

 勿体ない気もするが、一つ9000ディナールするランチャーを捨て、私はベアトに先導されブリザードに紛れながら迅速にその場を離れる。

 

 ちらりと一度だけ後ろを見た。捨てられたランチャーは既に半分雪に埋もれていた。

 

 

 

 



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第五十八話 略奪や鹵獲は北欧の伝統

 オレンジ色の炎と黒い煙が、ブリザードの吹き荒れる夜の山岳で濛々と舞い上がり渦巻いていた。

 

 装甲戦闘車から降りた帝国兵達は物陰に隠れながら肉声と無線機で短い会話をかわし、四人ずつで組になって前後の方向へ別れた。

 

 それは極めて難しい判断であった。戦力分散として糾弾の対象ともとれるし、分散による情報収集と全滅の防止とも取れた。少なくとも、帝国地上軍の軽装歩兵達はこれを計画的な奇襲攻撃であると断言していた。であるならば攻撃の第二幕がある筈であり、その場に留まるのは危険極まりないのは確かであると判断していた。

 

 実際は即興の計画であり、決して巧緻を極めた作戦があった訳でも、十分な準備が為された訳でもなかったが、それを以て彼らが無能であると判断するのは早計だ。彼らを攻撃した者達の存在も、その目的も特殊であり、それを考慮に入れろ、というのは酷な話であった。

 

 だが、結果的に彼らは、下した判断の代償を自身の人生で贖う事になった。

 

 四人一班になった帝国兵達は視界確保のためのゴーグルを被り、互いの視界を補いつつブラスターライフルを構えて、雪の吹き荒れる山岳地帯低地を前進していた。敵部隊を発見すれば応戦しつつ味方を呼び、発見出来ないならば高地を取り守りを固めつつ無線で本隊に連絡を入れる。反乱軍に機先を制されたのは痛いが、まだ彼らには希望がある。帝国軍は反乱軍よりも地上戦に秀でていたし、奴らは臆病な奴隷共の末裔であり、一人二人負傷しただけですぐに後退する事はこれまでの経験で良く理解していた。

 

 彼らは決定的な間違いを犯した訳ではなかった。少なくとも彼らの知り得る情報の限りでは。

 

 だからこそこれは運命の女神達(ノルニル)への、或いは戦神(トォール)への祈りが足りなかったとでも思うしかない。

 

 最後尾のゴルツ一等兵は、兵役を後5か月で終える徴兵された平民であった。彼はこの星が嫌いだった。

 

 故郷のビルロストは、帝国直轄領として交易と農業の盛んな温暖な惑星であった。いつだって麗かな春のような気候であり、短い夏が終われば農村の農地一面に黄金色の小麦畑が広がっていた。自営農民であった両親と兄弟姉妹と共にコンバインでそれを刈り取り、それを仲介業者を通して帝都に向かう政府の輸送船に送るのだ。帝室や貴族を始めとした上級身分用ではなく平民向けであるため、遺伝子操作や機械式農業で作った作物であり決して売値は高い訳ではないが、それでも生活は安定していた。

 

 帝国では拝金主義と功利主義の蔓延っていた連邦時代と違い、主要な食料や資源の売買額は法律で決められていた。その年の生産額や物価指数も考慮に入れられるものの、基本的には毎年同じ額で売買するため、市場での商品の値段も固定されている。お陰で農民階級は安定した収入を得られるし、市民はパンの高騰に苦しむ事はない。大帝陛下がか弱く、貴族階級と違い自身で自身を養う才覚すら持たない哀れな平民階級への慈悲として取り決めた事だという。帝国では反乱軍共の根拠地と違い、無能者でも農地やら工場、会社で真面目に働けば路頭に迷わず、慎ましくではあるが生活していける。

 

 因みに、連邦時代ではマネーゲームなぞというものに老若男女問わず熱狂し、結果健康な肉体を有しながら汗を流して健全に働く者がおらず、それどころか借金がありながら薬物や酒に溺れた者が多くいたらしい。尤も、大帝陛下の指導のおかげで今では投資やら不動産業という精神を腐らせる仕事は暴利を貪らず、健全で調和の取れた精神を持つ貴族階級が公共の福祉を優先しながら、或いは帝国政府から勅許状を与えられた極一部の平民のみが携わる事になっている。

 

 このような帝国の偉大な治世のお陰で、曲がりなりにも何十代にも渡りゴルツ家は土地を失わず、また路頭に迷う事なく平和に暮らしていけた。連邦時代、御先祖様は悪辣な銀行家や悪徳企業に難癖をつけられ、汗水垂らして切り開いた土地を幾度も不当に奪われたのだという。今の一家の安寧は全て帝室の与えたもう恩寵である。

 

 そのため徴兵の手紙を郵便局員が手渡しで渡して来た際も、自身も一家も決して泣く事は無かった。叛徒共は背徳的で冒涜的な民主主義などという、かつて大帝陛下とそれに付き従う高貴なる貴族達が苦心の末ようやく根絶した危険なカルト宗教を信じているという。悍ましい教義を信奉する狂信者の群れから家族と故郷を守り、皇帝陛下の御恩のために戦う事は帝国臣民の当然の義務である。寧ろ帝国では選抜徴兵制故に徴兵される者は名誉であり、兵役中は家族の税は優遇されるし、兵役を終えた後は地元でも兵役に行かなかった者達に比べ就職で厚遇され、地元の町内集会でも一目置かれる。

 

 近隣で同じように徴兵された友人達と共に、地元の市役所で役人や名士の主催する見送りの宴会で厚く歓待された後、鉄道に乗りビルロイト北大陸の帝国軍教練基地で10か月の訓練を受けた。徴兵期間は身分や資産等によっても変動するが基本3年、内10か月は訓練のため、実質的には26か月である。しかも中には地元や国内の警備をする者も多く、実際に最前線で戦うのは帝国軍全体の一部であり、その期間も人により違う。前線勤務でも戦闘を経験せずに徴兵期間を終える者すらいる。ゴルツの場合も地元で14か月、その後レンテンベルク要塞で10か月警備部隊として勤務していた。正直税金で観光しているも同然で少し罪悪感を感じ、一日三回軍規で義務付けられている皇帝陛下の肖像画への参拝に際し、必要以上に神妙な顔つきで敬礼するようになっていた。

 

 ようやく来た前線勤務は2か月前、しかも既に戦闘の少ない冬の勤務である。そうなると戦闘の機会は殆ど無い事は明白で、彼は嘆息した。それにこの星は故郷と比べ寒すぎる。士気が落ちる中、故郷が恋しくなった所にこの極寒の惑星……この星を好きになる理由なぞある訳がない。

 

 そんな彼は正に今、長年待ち望んでいた戦場にいた。故郷が同じであった友人が乗っていた装甲戦闘車は、ミサイルの攻撃で吹き飛んだ。善良な友は戦天使(ワルキューレ)に誘われ大神(オーディン)の御許に導かれた事であろう。

 

「畜生……!やってやる……奴隷共め!仇討ちだ……!」

 

 静かに怒りつつ、彼は手元のモーゼル437の寒冷地対応型を強く握る。採用以来40年近いが、元々の冗長性と不良率の低さから、小改良を受け未だに帝国軍携帯ブラスターライフルの主力だ。この銃床で不貞な共和主義者共を殴りつけ、懇願する所を銃剣で何度も突き刺し最後は頭を撃ち抜いてやる。奴隷の末裔の分際で帝国と皇帝陛下に愚かにも剣を向ける以上、それは当然の罰であるように彼には思えた。そして、彼の価値観は帝国の保守的な平民層のそれと大きく変わるものではなかった。

 

 班長達が進むのに合わせ彼もまた振り返りそれについて行こうとする。……そして次の瞬間、彼の意識は永遠に失われた。

 

 金属探知やサーモグラフィを警戒して雪の中に隠れていた栗色髪の猟兵は、次の瞬間一気に雪から飛び出しゴルツ一等兵に背後から回りその口を押えると共に、腰の金属探知透過コーティングの為されたグルカナイフで正確に胸元を一刺しした。限りなく即死であった。物音は殆どせず、僅かな残響もブリザードの轟音に消え行った。

 

 吹雪の中口元を吊り上げ笑みを浮かべた猟兵の少女は、すぐさま次の作業に取り掛かる。仕止めたばかりの雑兵の腰からそれを取り出す。

 

 班長のノイマン兵曹は不穏な気配を第六感から察知し、警戒しながら後方を振り向く。するとそこに雪の下に倒れるゴルツ一等兵の姿を視界に捉えた。

 

「ゴルツ!」

「よせゼーマン!」

 

 ゴルツ一等兵の先輩役であったゼーマン上等兵が、班長の声も忘れて慌てて倒れる後輩の下に駆け寄る。

 

「大丈夫か!ゴル……」

 

 倒れる一等兵を起き上がらせた次の瞬間、ブービートラップの手榴弾が爆発して鉄片を周囲に飛散させる。至近距離からそれを受けたゼーマンは鉄片が肉体に次々とねじり込んで細胞を粉砕され、そのまま爆風で軽く吹き飛んだ。

 

「マックス!伏せろ!」

 

 ノイマン兵曹はマックス一等兵の頭を押さえそのまま雪原に伏せて飛散する鉄片を回避した。だが……。

 

「はぁぃ、皆さんゲームオーバーですよぉ?」

 

 楽し気な子供の声と共に、兵曹は背中に馬乗りにされて頭を押さえつけられた。

 

 一瞬見えた視界からマックス一等兵も同じく反乱軍兵士らしき人物に馬乗りにされていた。

 

 首元に熱い刺激が走る。脊髄を的確な一撃が破壊したのだ。吹き出す血は最小限であった。雪原での戦闘では血液は目立つので、相手への恐怖を与えるために派手にやっても良いが基本的に最小限の流血で確実に命を刈り取るのが良い。余り血がべたつくと拭き取らないと切れ味が悪くなる、という意味もある。

 

 薄れていく意識の中で、兵曹は必死に暴れて逃げようとするマックス一等兵の姿、そして可愛らしい小柄な少年がマックスの関節を押さえ最小限の力でその脱獄を封じているのを見た。嘲るような笑みと共に、子供が持つには禍々しい厚みのナイフが振り下ろされる。マックスの動きが止まる。惚れ惚れするような一撃であった。その独特の形のナイフを兵曹は良く知っていた。前線で稀に見た形だ。不気味なバラクラバや仮面、暗視ゴーグルをした無表情で冷たい目をした味方が必ず腰につけていた。

 

そうだ。あれは確か………。

 

 

 

 

 

 

 マイスリンガー伍長の班が全滅した味方を見た時、彼らに不安と恐怖が蔓延した。

 

 状況は彼らがろくな反撃も出来ずに全滅したのを示していた。状況から見て、少なくとも彼らは熟練した反乱軍の一個分隊と相対しているとこの時点で信じていた。

 

「なんて事だ……こうもあっさりと」

「班長、この切り口……三名とも一撃です。こりゃあ……まるで狙撃猟兵みたいだ」

 

それを口にすると共に彼らは一層不安に駆られる。

 

 この場にいる者は皆貴族階級でなければ士族ですらない。文字通りの平民であった。長く続く戦争により武門貴族も士族も慢性的に不足していた。 

 

「馬鹿な事言うな……奴隷共に狙撃猟兵並みの実力者がいるって言うのかよ?」

 

馬鹿にするようなその声はしかし震えていた。

 

 装甲擲弾兵団や狙撃猟兵団は帝国軍の最精鋭であり、唯の平民階級では身分的にも実力的にも絶対に入団不可能な存在だ。彼ら一人で平民の帝国兵五人に匹敵する、という言は、装備の差もあるが決してそれだけではない。幼い頃から身内や家臣から一流の教練を受け、帝国を守護する藩屏としての誇りを学んだ彼らは、その実力も覚悟も唯の平民とは隔絶している。

 

 その絶対的な差から一般の帝国兵は彼らを畏怖し、同時にそれが平民は士族に、ましてや貴族に勝つ事、逆らう事は不可能であると言う神話を生み出す一因にも寄与している。

 

 反乱軍の「薔薇騎士連隊」が帝国軍で畏怖される原因の一つでもある。帝国兵は奴隷共に怯む事は恥であると自覚しているが、亡命したとはいえ貴族や士族との末裔と相対する事に恐怖心を抱く。戦う前から心理的に威圧されるのだ。ましてその戦果を耳にすれば、武器を捨てても仕方ない。貴族や士族から唯の平民の兵士が竦みあがり脱兎の如く逃げるのは寧ろ当然だった。

 

 それ故に彼らは恐怖する。自分達は平民の家系である。故に奴隷共の末裔に負けるなぞ考えないし、その誇りが戦意にも結び付く。だが相手が狙撃猟兵並みの実力となると話は別だ。奴隷にそのような実力なぞあるわけない、という思いと現実に目の前の惨状が不安を班内に伝染させる。

 

「……取り敢えず皆奇襲を警戒しろ。地形を利用するのだ」

 

 マイスリンガー伍長は可能な限り平静を装うが、その口元は震えていた。

 

 岩壁を利用して背後を守りつつゆっくりと班は進む。ブリザードの中、ブラスターを構えて180度の視界を最大限に警戒する。

 

「けどぅ、上への警戒はしないのですよねぇ?」

 

 ピッケルを氷壁に打ち込み、それと自身の下降器を強化繊維のロープで結び付けた猟兵達は、切り立った崖を何の躊躇もなく飛び降りた。

 

 僅かな音に反応した一人の帝国兵がふと頭上を確認したと同時にその眉間を少年の撃ち込んだブラスターライフルの線条が貫いた。

 

 何が起きたのか分からない内に続いて妹の発砲で班長が首を撃ち込まれて即死した。事態に気付いた二人の帝国兵はブラスターライフルを上空に構えたが既に遅かった。

 

 次の瞬間には顔面を銃剣で貫かれた帝国兵が倒れ込み、コンマ数秒遅れでもう一人のブラスターライフルが上方からの狙い撃ちで破壊される。飛散するブラスターライフルの破片と火花に怯んだと同時に、先に倒れる帝国兵をクッション替わりにして着地した妹はブラスターライフルを銃剣ごと帝国兵から引っこ抜くと、腰から抜いたナイフを横に鋭く振った。

 

 首から噴出する血。最後の帝国兵は自身の首から噴き出す血を視認しながら驚愕の表情で仰向けに倒れ息絶えた。

 

 曹長は下降器を調整して勢いを殺しながらゆっくりと地面へと軟着陸した。その表情は不機嫌そうだった。

 

「……射線がズレた」

 

 相手の頭を狙った筈がブラスターライフルに当たってしまった。失態だ。妹が素早く始末しなければ撃たれていたかも知れない。

 

「これで2人リードですぅ」

「軍曹、無茶するな。下降器で勢いを殺さずに降りるなんて」

「大丈夫ですぅ。コレがクッション代わりですからぁ。」

 

 そう言って顔面に生々しい傷跡をつくり転がる帝国兵を軽く蹴る軍曹。その傷口からは赤黒い血流がどくどくと零れ、白い雪のカーペットを汚していた。

 

 兄よりも多く賊を仕留められた事で機嫌の良さそうな妹に、むすっと曹長は頬を膨らます。その態度のせいで一族の中ではまだ未熟な子供扱いされているのだが、本人はまだ自覚は無かった。

 

 尤も、本人もいつまでも拗ねる訳にはいかない事は理解している。無線越しに曹長は自身の主人に連絡を入れる。

 

「賊軍の処理を終えました」

 

 そう言って反対の山岳部で援護の体勢にあった少尉二人に報告を入れる。妹は御機嫌そうににこにこと手を振っていた。全く気楽な奴だ、と兄は思った。実力は認めるがもう少し緊張感はもって欲しい。

 

 一方、二人の狙撃猟兵の戦闘を双眼鏡越しに観戦していた伝令将校は一言、無線越しにこういった。

 

『あれ?私本当に要らなくね?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 双子の狙撃猟兵が全てを終わらせた後、私達は地雷その他の装備を回収し合流、そして遺棄された二両の戦闘装甲車の下に……正確には履帯を破壊されていない方に向かった。

 

「あいつらも馬鹿ですねぇ。システムにロックを掛けるでもぉ、自爆処理をするでもなくぅ……慌ててあんな間抜けに出て行ってぇ」

「全くだよ。まぁ所詮賊軍に加担する平民なんてあんなものさ。軍規や任務よりも自分の命を惜しむ奴らだからね。だからこんな風に鹵獲される」

 

 戦闘装甲車内の電子機器をいじりながら、双子は狩った帝国兵を嘲笑する。小柄で可愛らしい双子が言っているとなると悪戯に成功した子供の自慢話にも見えるが、雪原用迷彩の施された寒冷地用軽歩兵軍装に飛び散った真っ赤な返り血を見れば、誰も怖くてそんな事は言えないだろう。実際怖くて言えない。

 

「まさかあそこまで一方的になるとはな……」

 

 戦闘装甲車の後部座席に座った私は驚愕に近い声で呟く。高所からブラスターライフルを構えいつでも兄妹の援護を出来るように控えていたが、まさかろくな抵抗も許さず鏖殺してみせるとは思わなかった。私も模擬戦闘で相当の実力だと理解していたが、実際は私を怪我させないために相当手加減していたに違いない。

 

「当然の結果で御座いますよぅ。オフレッサー家やラウディッツ家のような武勇で知られた貴族なら兎も角ぅ、士族ですらない平民共はぁせいぜい数年しか鍛練してませんしぃ、任務に殉ずる覚悟だってありやしないんですからぁ。負ける方が可笑しいですぅ」

 

私の発言に少々気分を良くしたように軍曹が答える。

 

「確かにあの程度なら我らの一族ならやれて当然です。寧ろ、私達なんてまだまだ未熟でお恥ずかしい限りです」

 

 操縦席から計器類を弄りながら、少々申し訳なさそうに兄が答える。

 

「そうですよねぇ、本家の御当主様には私達二人がかりでも秒殺ですしぃ。あの人や長老方に比べたら、私達なんて本当にヒヨッコですぅ」

 

 少し苦笑いしながら妹も同意する。実際に何度も会った事があるが、ライトナー従士家一門一二家の当主は亡命軍装甲擲弾兵団副総監として今や亡命軍中将という、従士としては破格の地位にある。一門は一五〇人を越え、多数の奉公人も抱える当主として、伯爵家従士家の中でも風格も実力も有数だ。というか迫力が怖い。鍛練で五対一なのに一方的にボコるとかちょっと可笑しい。

 

「……それでどうだ?こいつは使えそうか?」

 

自分の子供時代当主とその側近軍団に散々に扱かれた記憶を思い出し、私は話題を逸らす目的も含めてそう尋ねる。

 

「ええ、システムのロックもされていませんから動かすのは難しくありません。操縦自体も「パンツァーⅢ」はありふれていますからすぐに慣れるでしょう」

 

 亡命軍では艦艇から地上車まで、帝国軍から鹵獲したり遺棄したものを改修した兵器が多数存在する。宇宙艦艇の半分は帝国軍の鹵獲品であるし、戦車から火砲、航空機、小銃類も地上軍の員数外装備や教材用、部品取り用、予備装備としてモスボールされているもの等も少なくない。「パンツァーⅢ」なぞ、カラーを塗り替え敵味方識別信号を変更した上で現役だけでも数百両も運用している。また、噂では敢えて鹵獲品をそのまま塗装や識別信号を変えずに運用し、帝国軍の後方での破壊活動等を行う汚れ仕事専門の部隊もあるとも言われる。

 

「そうか。軍曹どうだ、有益な情報は得られたか?」

 

次に無線機やC4ISR関連の機材を調べていた妹の方に声をかける。

 

「はいぃ。これはぁ、帝国地上軍のぉ、第385師団第1547連隊所属の車両みたいですぅ。まぁ所属部隊なんて大した情報ではないですがぁ……これは少し使えそうですぅ」

 

そう言って車内の液晶画面に映すのは帝国軍の配置図……正確にはこの車両の所属する第1547連隊の展開図だ。

 

「これは……まて記録を取ろう」

 

 データディスクですぐさま記録を移す。この装甲戦闘車を鹵獲して運用するならば、位置座標信号や敵味方識別信号は切らなければならない。そうなると、そう遠くない内に帝国軍連隊司令部も鹵獲に気付いてデータリンクを切断する事だろう。ならば今のうちに展開情報を記録するべきだ。

 

「よし、折角手に入れたんだ。このまま雪上車を使って向かうよりずっとマシだろう。二人はこのまま機械的な処理を頼む。1時間後には出るぞ」

 

 そう言って私は後部ハッチからブリザードの吹きすさぶ外に出るとブラスターライフルを構えて周辺警戒していたベアトに声をかける。

 

「行くぞ。雪上車の荷物を移すんだ」

「はっ!」

 

 はきはきとベアトは答えて私の傍に付き従う。これから雪の中に隠していた雪上車を運転し、鹵獲した戦闘装甲車に荷物を移すのだ。

 

「それにしても酷い雪嵐だな。寒くて敵(かな)わん」

 

 ヴォルムス……正確には星都や伯爵家本家の屋敷のあるシュレージエン州(伯爵領からの亡命者中心に開拓された州だ)は温暖で雪が降り積もるなぞ年に数回程度しかない。幼年学校や士官学校で雪原戦訓練も受けたが陸戦専科学校や兵学校の陸戦科でもなければ然程力を入れて訓練する訳でもない。ここまで激しいブリザードの中歩くのは辛い。

 

「視界が悪くなりますから……ご注意下さい」

「ああ」

 

そう言いながら足元に気を付けながら進む。

 

「ん……?」

 

 ふと気づけば、すぐ側に対戦車ミサイルで撃破された「パンツァーⅢ」の残骸が放置されている事に気付いた。黒煙はすでに出ていない。雪に半分以上埋もれた焦げた金属の塊。

 

「………」

「……流石若様です。吹雪とジャミングで誘導が期待出来ない中見事な攻撃でした」

 

 残骸を見つめていた私に気付きベアトは目を輝かせて喜色の笑みを浮かべながら私を称える。煽てている訳ではなく本心からのものである事は、その口調からすぐに分かる。

 

「……そうか」

 

 少し素っ気ないものの、私は短くそう返事した。車両の残骸の中に薄っすらと黒い人体の輪郭を視認して今更の如く嫌悪感と罪悪感を感じた私は、すぐに車両から視線を逸らし歩みを早める。

 

 獅子帝ではないが、地上戦よりも艦隊戦が好ましい理由が分かる。生々しいのだ。艦隊戦でも正確には残酷な場面が無い訳ではない。中大破した艦艇の中で四肢や内臓がそこら中に飛び散ったり、生焼けの遺体を回収する事は少なくない。だが被弾さえしなければ、最前線でも目にするのはいっそ幻想的な核融合爆発によって生み出された輝きだ。地上戦のように、直に殺した敵兵や不運に殺られた味方のミンチやステーキを見る訳ではない。少なくとも艦隊戦であれば、死ぬにしても即死の可能性が高いので苦しまないで済む。

 

 まぁ、不純な本音を言えば艦隊勤務、特に士官学校卒業生となると安全な戦隊以上の艦隊司令部に所属する可能性が高い。つまり、艦隊勤務とはいえ砲火を交える危険宙域での戦闘に巻き添えになる可能性は低い。少なくとも獅子帝が出張ってくる以前は。まぁ、超光速航法をする度に酔うからそれはそれで地獄だけど。

 

「……まぁ、どの道この場を切り抜けないとどうしようもないのだけどな」

 

 自虐的な笑みを浮かべながら、私は薄暗い空を見上げる。現実逃避はここまでだ。何にせよ、今はこの地上で帝国軍との鬼ごっこから逃げきらなければならない。

 

「……急ごう。朝が来れば明るくなるし、雪嵐が弱くなる。偵察衛星に見つかりかねん」 

 

 重い足取りを出来るだけ急がせて雪の中を進み、漸く雪上車に辿り着く。

 

「若様、運転は私がやります」

「いや、そちらは私がやる。それより荷物の整理の方を頼む」

 

 ベアトには運転より残った装備や物資の取捨選択を任せる。戦闘装甲車は雪上車よりもペイロードが少ない。元より様々な状況を想定して多めの物資を載せていたが、今後の計画を考慮に入れた上で不要な物資は放棄するしかなかろう。全て税金で賄われていると考えると納税者が文句を言いそうだが、勘弁して欲しい。

 

 水素電池で動く雪上車のモーターを起動させ、ハンドルに手をかける。続いて各種センサーを起動させて周辺地理を把握し、液晶画面に編集された地形図が映し出される。

 

 アクセルを踏むと、雪上車はその履帯でゆっくりと雪を踏みつけながら走行を始めた。

 

「若様、こちらを」

 

ベアトが何か濃厚な香りのするものを差し出す。

 

「珈琲か」 

「体が御冷えでしょう?放棄する前に消費出来るものは消費しましょう」

 

 私は紙コップに注がれた黒い液体を従士から受けとる。湯気の出るそれを一口口にした。苦味が濃く、インスタント特有の酸味がある。同盟地上軍が制式採用する、同盟の大手珈琲製造会社ユニバースコロンビア社の格安インスタント珈琲の味そのもの。エリューセラのコーヒープランテーションで、現地人を低賃金で働かせて栽培した豆の味だ。それは同盟の一般人なら兎も角、門閥貴族にとっては雑過ぎて風味も味わいもないどぶ水に等しい。

 

「安物で御座いますが御許しください。何せ同盟軍の兵糧はどれもコスト重視のものですので……」

 

 心から申し訳無さそうにベアトは謝罪する。軍事費を出来るだけ切り詰めるため、同盟軍が無駄な予算をカットしているのはいつもの事だ。尤も、資本主義経済である以上別に同盟軍のレーション類がコスト以外を全て捨てている訳でもない。帝国軍や亡命軍の貴族や士官用のそれには劣るだろうが、平民の兵士のそれに比べればずっと味は良い筈なのだ。

 

 ただし、質とコストの両立のため辺境のプランテーション農園の労働者が中央の大企業にこき使われている事は指摘してはいけない。

 

「気にするな。珈琲の味如きに文句を言っていたらそもそも同盟軍になんか入らんよ。良い珈琲が欲しければ、任務が終わった後に故郷から運んだ豆でお前に淹れてもらうさ」

 

 苦笑しながら私は答える。実際、門閥貴族になってから舌が下手に肥えており、不味いとは言わないがこの安物の珈琲では物足りない。なんとまあ、贅沢な舌になったものだと思う。 

 

「……はい、誠心誠意淹れさせていただきます」

 

しかし、従士は大変光栄そうに丁重に答えた。

 

 ふと横目に見ると、地平線の彼方から僅かに顔を覗かせる恒星クィズイールの光が、未だにブリザードの吹き荒れる大地を僅かに照らす。

 

「これは少し飛ばさんとな」

 

 私は手元の珈琲をもう一口飲んで眠気を追い払うと、雪上車の速度を上げた。

 

我々が鹵獲した戦闘装甲車で出立したのは、9月3日同盟標準時0330時の事であった。

 

 

 



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第五十九話 あの大佐って陸戦技術何気にヤバくね?

 カプチェランカの大地は山脈や荒れ地、森林地帯もあるものの絶対的に少数であり、陸地の大半がなだらかな雪原地帯となっている。遮蔽物の少ないこの雪原地帯はレーダー等の索敵が行い易い地形であり、多くの場合敢えて戦力を展開するのは好まれない。

 

 無論、それは理想論であり、実際は移動や連絡のためどうしても地表の大半を占める雪原地帯を移動しなければならず、そうなると少しでも見つかりにくくするためブリザードが強くなる日に移動する事になる。尤もそれでも誤魔化し切れるとは限らない。

 

「………行ったか?」

「……御待ち下さい。賊共が警戒しているのならまだそう遠く無い所をうろついている可能性があります」

 

 私の疑問にライトナー曹長が答える。彼の方が実戦経験が豊富だ。それに従うべきだろう。

 

 逆探知されるアクティヴセンサー類を消し、車内の熱を誤魔化すためモーター類も停止させ予備電源のみ起動させた「パンツァーⅢ」は光学カメラや音響センサー、パッシブセンサー等の受動センサー類のみで周囲を警戒し、雪中に隠れていた。外は激しいブリザードである。

 

 雪原地帯に出て早9時間、森林地帯まで後30キロの地点で我々は身を潜めていた。

 

 理由は簡単、帝国軍の哨戒部隊だ。6時間前にブリザードが薄れてきたので、それが再び激しくなるまで雪中に戦闘装甲車を潜らせたのは正解であった。複数の帝国軍部隊が警戒していた。

 

 理由は明白だ。こちらの存在が勘づかれたのだろう。既に7時間前にはデータリンクは帝国軍から切断されていた。

 

 尤も敵味方識別信号を切ったため彼方もこちらの位置は分からない筈だった。ブリザードにより走行跡も消えている。そもそもこちらの目的も分かっていない筈なのでどの方向に向かったかも知らない筈だ。寧ろ我々を後方攪乱のためのゲリラ部隊と考えているかも知れない。その方が都合が良い。こちらの目的に気付かれたら先回りされる。

 

「どうだい?距離は分かる?」

 

光学カメラの映像を一目見た後、妹に尋ねる曹長。

 

「はい兄様ぁ、この震動ですとぉ、多分西にぃ……4キロ程で2両は走っていますぅ。方角はこちらではありませんがぁ……」

 

 マイクを耳に当てて震動センサーで帝国軍の哨戒部隊の大まかな距離を想定する軍曹。

 

「だそうです。動くのは少し危険でしょう。今は待ちましょう」

「……そうだな。焦りは禁物だな」

 

 私自身いつ見つかるかの緊張で焦れているらしく、どこか落ち着かないまま車長椅子の上で貧乏揺すりをしてしまう。

 

「若様、御食事の時間です。加熱機材は今は使えませんので保存食ばかりですがどうぞ御食べ下さい」

 

 奥の方からベアトがセラミックのプレートとペットボトルを差し出す。

 

「ああ、曹長、軍曹。二人も警戒しながらでいい、今の内に食べておけ」

 

 場合によっては発見され何時間も戦闘になる可能性もある。安心、とは言わないまでも一応の安全が守られている今の内に食事しておくべきだ。

 

「了解です」

「はぁい。分かりましたぁ」

 

双子はそれぞれに返事してプレートを受け取る。

 

「それじゃあ食べるかって………あー、まぁ予想してたよ」

 

 プレートの上の食事はライ麦パンの乾パンに栄養ビスケット、塩味ローストナッツにヴルストとえんどう豆の冷スープ、コンビーフ、クランベリー味のエナジーバー、栄養剤とアップルティー粉末は水にぶちこめという意味だ。味は勿論低俗な部類である。まぁ銃弾と砲弾飛び交う最前線も最前線な地域で、ブラスターライフル片手の食事を想定しているから当然だ。

 

 正式な製品名称は、自由惑星同盟軍地上軍野戦用非加熱レーションタイプライヒである。加熱調理出来ないこのタイプのレーションの味が御察しであるのは分かる。だが、よりによって非加熱レーションとしては帝国系以外にはアライアンス(全てにおいて語るに値しない)やイングリッシュ(朝食仕様以外死んでる)、チャイニーズ(冷えた中華とか罰ゲームかな?)並みに嫌われているタイプライヒにしなくていいと思うんだ。唯でさえライヒは粗食扱いの癖に、冷え切っているとか致命傷だぞ。

 

「モグモグ……」

「軍曹、音出しながら食べない、失礼じゃないか」

「?若様、どうかいたしましたか?」

「……いや、何でもない」

 

 平然と冷えて固く、水分の無いメニューを食べ始める周囲を見れば子供のように食事に文句をつける訳にもいかない。……いや、やっぱりドロドロスープに浸った冷たいヴルストはキツイと思うんだ。

 

 固く酸味のある乾パンと粉っぽいビスケットを噛み砕き、冷たく栄養剤をどばどば入れたアップルティーで流しこむ。薄い塩味のコンビーフをちびちび食べ、妙にねばねばするエナジーバーを作業的に咀嚼する。毎度の事ではあるが、ライヒは粗食でいけない。

 

 帝国軍兵が軍内食堂やレーションで食べる食事、更に言えば亡命軍兵士や帝国系同盟軍人の食べるライヒ系の食事が、経費に余裕があっても可能な限り粗末に作られるのは、大帝陛下の遺訓が色濃く影響している。

 

 大帝陛下が仰るには、食事もまた兵士にとっては鍛錬であるらしく、栄養は整えられているが限りなく粗末な食事を兵士達に敢えて食べさせる事にしたという。それにより精神力を鍛えると共に、過酷な戦場での劣悪な食事に慣れさせ、更に胃を丈夫にするためらしい。

 

 切っ掛けは大帝陛下の軍人時代にまで遡る。新任法務士官だった大帝陛下は上官に疎まれ、連邦の統治が及ぶ範囲では最も危険な宙域の一つであったベテルギウス方面に島流しにされ、あまつさえそこでも上官の不正を糾弾した結果殺されかけた。任務中、宇宙海賊の蔓延る廃棄されたシェルター都市においていかれたルドルフ中尉は、巻き添えを食らった連邦宇宙軍憲兵ファルストロング少尉、宇宙軍陸戦隊員リッテンハイム曹長と共に、宇宙海賊の廃棄した残飯で食いつなぎながら都市内で襲い掛かる海賊相手にリアルランボーした挙句、救援部隊を呼び込む事に成功した。尚、救援部隊が到着した時には既にその残虐性で悪名高い「黒髭海賊団」の団員の死体の山が築かれ、その上で三名の連邦軍人が怪我だらけの状態で尚両手に武器を持って銃撃戦を演じていたという。

 

 そして駆逐艦に救助されたルドルフ中尉は、そのまま腹いせ……ではなく悪辣な海賊に正義の鉄槌を下すべく、救援部隊の駆逐艦に装備されていたレーザー核融合ミサイルを海賊共の拠点に勝手に撃ち込んだ。その結果は後世人々の知る通りだ。

 

 その後、明らかに衛生状態の悪い食事を取っていた3人は仲良く食中毒で軍病院に入院する事になった(ファルストロングは特にヤバかった)。その後も、大帝陛下はその独善的な義侠心が災いし、数度にわたり上司や悪徳企業や汚職政治家、腐敗した将軍達によって様々な手段で殺されかかり、その度に現地の動物をハントしたり、毒々しい茸や気持ち悪い虫とか毒入りの食料を食べる事を強いられた。

 

 そして……信じがたい事ではあるが、気付いたら胃が鋼鉄のように鍛えられたらしい。大帝陛下が自叙伝で語るには、カンパネラでの暗殺辺りになると結構何食べても平気になったと告白している。おかげで、終身執政官時に2回、皇帝になった後1回毒殺されかけたけど、すぐ復活したらしい。因みに3回とも巻き添え食らったファルストロングは泡噴いて入院した(そして仕事が滞るといって入院しているところを引き摺って職場復帰させられた。本人が日記で「あいつマジふざけんな(原文ママ)」と記している)。

 

 その経験から大帝陛下は、軍人たるもの戦いのためにどのような物であろうとも食べなければならぬ、と謳い、そのために敢えて粗末な食事を兵士に提供する事を取り決めた。

 

 補足すれば下士官、士官には敢えて高級な食事が許されているが、これは堕落し怠惰の極みにあった連邦軍人達の出世意欲を高めるためだ。より良い環境と食事を求め兵士達が積極的に働き、功績を上げさせるための鞭であり飴である。歴史的に帝国軍は帝国の国家組織の中で最も実力本位であり、第二次ティアマト会戦以前から才覚さえあれば出世しやすい組織だ。正規軍の現役将官において長年貴族軍人が首脳部を占めているのは、高度な教育を幼少時から受けられているからにすぎない。

 

「はぁ、文句を言っても仕方ないよな」

 

 大帝陛下の理念に賛同する訳ではないが、確かに食えるだけマシだな。特にこんな状況ではな。

 

 (少なくとも私には)半分苦行な食事を終えると、我々は再びパッシブセンサーでの索敵を始める。

 

「ブリザードが強くなってきましたね」

 

曹長が光学カメラで外部を確認する。

 

「ああ、このブリザードなら簡単に捕捉はされん筈だ。少尉、軍曹、センサーはどうだ?」

 

「赤外線センサーには反応ありません」

「……近隣にぃ、震動の反応はないですぅ」

 

 各種の受動センサーは周囲に帝国軍の存在がない事を示していた。

 

「……よし、ではいくか」

 

 戦闘装甲車の電源を予備電源からメインに切り替え、モーターを起動させる。履帯が雪を踏みつけながら、戦闘装甲車がゆっくりと雪山から姿を現す。

 

 警戒しつつもアクティヴセンサー類は逆探知されるため使用せず、走行音も可能な限り出さないように進む。

 

 約1時間かけてブリザードの中突き進み、漸く目的地につく。

 

「……ここか」

 

 吹雪の中、うっすらの影が現れ、次第にそれは木々の群れである事に気付く。

 

 かつて銀河連邦の辺境の辺境として、惑星開発の一環で植林された木々の聳え立つ森。遺伝子組み換えにより寒冷地でも耐えうるように、また光合成の効率も自然界のそれの数十倍の効率となっている。だからこそ、この劣悪な環境で人の手から管理が離れても未だに鬱蒼とした森が広がる訳である。

 

 戦闘装甲車はそんな森の中を進む。この森の中に同盟軍の通信基地……正確には、ジャミングや通信衛星の破壊に備えた通信中継基地があるのだ。尤もその任務上小型の基地であり、人員も一個小隊に満たず、しかも通信士や技術者等の後方支援要員が殆んどであるが。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……どうだ?返答あるか?」

 

私は車長席から携帯無線機と向き合うベアトに尋ねる。

 

「……駄目です、どの回線のどの周波数帯からも応答はありません」

「そうか……こりゃあ、駄目かな?」

「可能性は高いかと」

 

 私は従士の言葉に嘆息し軍帽の上から頭を掻く。想定の一つとしてはしていたが……実際に直面するとなかなか徒労感があるな。

 

 粉雪に被った森の中を数キロほど進めばその場所が見えてくる。  

 

「よし、止まれ。ベアト」

「はっ!」

 

 私の声に反応して金髪の従士が消音装置つきのブラスターライフルを手に取る。私も同じく消音装置を装着したブラスターを腰から抜き、双子に連絡があり次第すぐに増援に来るように頼む。

 

 戦闘装甲車の後部ハッチから降りた私とベアトは互いに周辺を警戒、そして幼年学校や士官学校で学んだ通り、腰を低くしながら互いの視界を補うようにして駆ける。奇襲を想定しての動きだ。

 

 尤も、所謂奇襲は起こらなかった。私とベアトが目的の場所で見つけたのは人影のない、うっすらと黒煙を上げる通信基地の跡地であった。

 

「あーら、やっぱり」 

 

 薄々分かっていた。この距離で通信が繋がらないなら当然の結果だ。

 

「ベアト、待ち伏せはいるか?」

「サーモグラフィ、金属センサー、音響センサー、現状では全てにおいて反応はありませんが……」

 

 各種の携帯型のセンサー装置で探索するベアトが歯切れの悪い口調で答える。

 

 何せそれくらいの偽装はしようと思えば出来ない事もない。私も双眼鏡で光学的に周囲に目配せする。デジタル迷彩であれば内蔵されたコンピュータがこれまでのパターンから自然界ではあり得ない色彩や比率を分析して知らせてくれるらしいが、それとて迷彩パターン一つとっても騙しあいの鼬ごっこをしているため完全には信頼出来ない。

 

「結局の所、最後の最後はやはり人が直接カナリア代わりになるんだよなぁ」

 

そして私はベアトに目配せする。

 

「……私が斥候となります」

「……いけるのか?」

「御安心下さい、ここは私が適任です」

 

 私の心配する声に、しかし従士は安心させるようににこやかに微笑む。実際、小柄で動きの俊敏なベアトの方がこの場での試験紙役に適しているのは確かだし、誰かが行かないといけないのも事実だ。

 

「……悪いな」

「御気になさらず、御役目ですから」

 

 そういってブラスターライフルを構えながら一人前進するベアト。

 

 彼女は打ち捨てられた通信基地の敷地内に警戒しながら侵入し、くるくると360度狙撃兵がいないか警戒する。私はそんな彼女を後方から支援する。各種センサーで周囲を警戒し、攻撃があれば従士が待避なり隠れる事が出来るように援護するのだ。

 

 5分、10分、と白い森の中で静かに時間が過ぎていく。潜伏する帝国兵がいないか念には念をいれて索敵する。

 

15分たった頃、私は無線を入れる。

 

「大丈夫そうだな。そちらに合流する」

 

 私は安堵の溜め息を吐きながらベアトと合流し、本来の仕事に取りかかる。

 

「見事に放棄されているな」

 

 基地は帝国軍の攻撃以前に機能を喪失していたようであった。基地のコンピュータのデータは、電子的に破棄された上で物理的に破壊されていた。撤退前に友軍が処理したのは明白であった。無線機類も利用されないように廃棄されていた。これでは使えないな。

 

「だが……これなら……」

 

 同盟地上軍の基地の放棄マニュアルに沿った放棄が為されているのが一目で分かる。ならば当然、後から来た友軍への置き土産もあるはずだった。

 

 私とベアトは携帯端末である特定の周波数帯の電波が流れてないか基地周辺を捜索する。

 

 基地から300メートルほどの場所でその周波数帯の反応を見つけ、更に10分かけて正確な場所を探し当てた。

 

 そして私達は所有する工作用スコップでその場所の固い雪をほじくりかえす。

 

「あった……こいつか!」

 

 数分かけて雪を掻き出すと、そこに小型の金属探知透過コーティングの為されたカプセルを見つける。

  

「……マニュアル通りだな」

 

 カプセルの中には超小型のデータチップが入れられている。軍用多目的携帯端末にチップを差し込む。

 

 チップの中身は通信基地を放棄する際に味方が後から来た時に備えたメッセージデータとファイルデータだ。私は先にメッセージデータを再生する。少し掠れた中年男性の声が流れ始める。

 

『……宇宙暦784年8月30日同盟標準時0930時、こちら第38通信基地司令官のルーカス大尉だ。帝国軍の一個中隊が迫っている。こちらは総員でも二個分隊の戦力にしかならない。遺憾ながらこれより基地を放棄してB-Ⅲ基地に合流を目指す。無事合流したいが……』

 

そこで一旦言葉を切る通信基地司令官。

 

『……このメッセージは、何らかの目的でこの基地に合流しに来た友軍のために基地放棄マニュアルに基づき置いていく。地下の隠し倉庫の場所はファイルの2番目だ。武器と食料、燃料が多少なりともある。貴官の任務が何であれ、その一助となれば幸いだ。通信記録は3番目のファイルだ。貴官の武運を祈る』

 

 私は通信記録を閲覧する。友軍間の通信、帝国軍相手に傍受した通信記録が並んでいた。

 

「こりゃ……面倒だな」

 

 通信記録には同盟軍のカプチェランカ各地での戦闘の情報が記録されていた。だが……。

 

「やはり劣勢か」

 

 大敗……とは言わないが、帝国軍の攻勢の前にじりじりと後退している事が記録から分かる。一応周辺星系や上位司令部から増援を得てから反攻に出る様子ではあるが、後数日はかかるだろう。その間は帝国軍の天下という訳だ。

 

「気象予報だと二日後は快晴だな?」

 

今後の事を考えながらベアトに確認の言葉をかける。

 

「はい、9月4日から5日はブリザードが弱まると想定されております」

「ちっ……予定が少し遅れるな。だが通信基地があの有り様では……仕方ない。ブリザードが止む前に開発プラント跡地には辿り着きたいな。あそこなら隠れやすい。どう思う?」

「妥当な案であると思います」

「士官学校の上位卒業者にそう言ってもらえたら一安心だな」

 

 私は冗談を言うように苦笑する。帝国軍との遭遇や戦闘で思いの外時間がかかってしまった。兎にも角にも、今は快晴に備え一刻も早く開発プラント跡地に向かうべきだろう。車体をプラント跡地に隠し、ブリザードが再び激しくなった所で全速力で基地に向かう。

 

 可能であれば開発プラントの距離から無線を基地に飛ばしたいが、これは期待しない方が良いだろう。寧ろ同盟軍の反攻がいつ頃になるのかが気になる。

 

「さっさと物資を頂戴して開発プラントまで行こう」

 

 通信基地で得られた情報から私は大まかな方針は決定した。そして方針を決定した以上、後は行動するだけだ。今は時間はダイヤモンドより貴重なのだから、我々に無駄に出来る時間は無かった……。

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、見つかった車両はやはり二両か」

 

 銀河帝国地上軍の薄暗い指揮通信用装甲車の中で男は液晶画面に映る偵察部隊の隊長に尋ねる。

 

『はっ!一両は対戦車ミサイルにより撃破、もう一両は対戦車地雷により走行不能になったようです。最後の一両は発見出来ませんでした。また、別動隊が別の場所で反乱軍の遺棄された雪上車を発見致しました』

 

 液晶画面の中の偵察部隊の隊長はブリザードの降り注ぐ中、防寒着にゴーグルをかけたままで男の質問に答える。

 

「やはり鹵獲されたか。宜しい、卿の部隊は一旦本隊に戻れ。我々は……」

 

 次の瞬間画面が爆音と共に揺れ、一旦ブラックアウトする。

 

「どうしたっ……!?」

 

 怒声と叫び声、何やら命令する声が響き渡る。暫くして再び隊長が現れ報告する。

 

『申し訳ございません連隊長殿、新兵が車内に無断で入りブービートラップにかかったようでして』

 

 苦々しげに隊長が答える。画面の端には覆帯の切れた戦闘装甲車が黒煙を上げて炎上していた。

 

『失態です。二名殺られました』

「馬鹿め、爆破処理されずに放棄された車両には十中八九トラップが仕掛けられているのは当然だっ!」

 

 それどころか、味方の死体にすら爆発物が仕掛けられているのは珍しくない。そのため、前線では味方の死体を回収せずに現地で遺棄する事も決して珍しい事ではないのだ。

 

「全く、これだから徴兵された平民共は……!戦闘の基本すらすぐに疎かにしよる!奴ら訓練で何を学んでおるのだ?」

 

 とある子爵家に私兵として代々仕える士族、その次男である連隊長は舌打ちする。彼はかつて狙撃猟兵として幾多の戦場で反乱軍と戦ってきた熟練の兵士でもあった。身体の衰えによって今では狙撃猟兵団を辞めざるを得なかった身であるが、それでも地上軍の連隊長を勤める程度には優秀な軍人であった。

 

 それにしても、と連隊長は思う。帝国地上軍の一般部隊の質の低さは溜め息が出る。狙撃猟兵や装甲擲弾兵ならば、この程度のトラップに嵌まるなぞあり得ないだろうに。

 

「まぁいい。中尉、直ちに本隊に戻れ。鼠狩りだ。小賢しい反乱軍共を狩り立てる。卿の偵察部隊が先鋒だ」

『はっ、しかし……連隊長は敵の位置がお分かりで……?』

 

 液晶画面に映る中尉の疑問にふん、と鼻を鳴らして連隊長は答える。

 

「当然だ。この程度のロジック、深く考えるまでもない。僅か数十キロ先の後方支援部隊は襲撃されていない。つまり敵は後方撹乱のゲリラではない、そして少数かつ何らかの目的があった……恐らく伝令だろう。その上で警備部隊を仕止めたのは進路の障害であったと言うことだ。ならばその方角はおのずと分かる」

『しかしほかの偵察部隊は反乱軍を発見出来ていないと聞いておりますが……』

「戦死者の死体は見た。あの状態ならば抵抗も出来ず即死したに違いない。相応の実力者だ。ならばブリザードの中哨戒網を抜ける位して見せるだろうな」

 

 帝国軍ならば平均的な狙撃猟兵に匹敵する練度であろう。ならば徴兵された平民兵共の目を誤魔化しても可笑しくない。

 

「そして気象部の予測では、数日後にはこの忌々しい吹雪が一時的に止む。奴らが戦闘装甲車を強奪したと予測される日時と、移動可能範囲内で隠すのに適した地域を計算すればその大まかな潜伏地は分かる」

 

 これまでの20年近い実戦経験から連隊長はすぐさま答えを導きだす。

 

『成程……連隊長の御洞察、感嘆するばかりです』

 

 偵察部隊の隊長は賞賛するように口を開く。それは半分は世辞であろうが半分は本心からの発言だった。

 

「そういう訳だ。これで奴らの大まかな場所は分かった。フーゲンベルヒ中尉、ただちに本隊に合流するのだ。奴らを追い立てるには猟兵上がりが多く所属する卿らの部隊が適任だからな」

『はっ!』

 

 フーゲンベルヒ中尉は画面の中で敬礼してその命令に答える。その表情は猟犬……いや、寧ろ獲物を狙う蛇のような笑みを浮かべていた。

 

 映像が消えると、連隊長は前線指揮をする副連隊長マーテル少佐に部隊の引き離しを命じる。後方で蠢く敵部隊が存在する間は、前方に主力を投入して戦闘を続けるのは奨励されない。それに連隊長は、長年の経験から既にこのカプチェランカでの全面攻勢は潮時であると察していた。これ以上の戦闘の長期化は、反乱軍の援軍の到着と共に逆撃を受ける。正面の敵と戦い危険を冒すより、寧ろ後方の小部隊を確実に潰す方が良い。

 

「それに伝令ならば好都合だ。ああいうのは大抵士官学校卒業のエリートがやるものだからな」

 

 指揮通信車の椅子に座った状態で不敵な笑みを浮かべる下士官上がりの連隊長。伝令は司令部直属が多い。上手くいけば、伝令から貴重な反乱軍の情報を得られるかも知れない。そうすれば自身の功績にもなり、昇進、そうでなくとも後方勤務の希望が叶うかも知れない。そうなればこの寒くて不愉快な惑星ともおさらばだ。

 

 帝国地上軍第1547連隊連隊長ハインリッヒ・ヘルダー中佐はそんな算段をつけると、通信士に高圧的な口調で転進命令を指示したのであった。

 

 

 




ファルストロングは苦労人


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第六十話 狩猟は帝国貴族の嗜みらしい

 帝国軍(追う者達)伝令(追われる者達)がカプチェランカの地表でそれぞれの目論見の下に蠢いていた頃、海中の潜水艦(待つ者達)の間では小さな諍いが起きていた。

 

「どうなっていやがる!もう5日も過ぎているんだぞ!なぜ救助が来ないんだ!?」

 

 プラント技術者なのだろう、三十路を迎えたばかりに見える作業着姿の男が休憩室で叫ぶ。同盟の大手資源開発企業の一つ、ギャラクシー・メタルコーポレートの下請けからカプチェランカの鉱山開発のために出張していた彼は曲がりなりにも技術者と言う事で軍の技術者達と艦の可能な限りの補修作業をするのを終えたばかりであった。

 

「かりかりするなよ。救助を呼びにいった兵士なら一週間くらいかかるかも、と艦長さんが言っていたじゃないか?」

 

 インスタントの珈琲を飲みながら同僚が呆れ顔で答える。この話題は既に十回目だった。

 

「かりかりせずにいられるかよ!このまま救助が来なかったら俺達はここで凍え死ぬか、帝国に奴隷にされるんだぞ!?」

「だからこそ今救助を呼びに行っているんだろう?」

「帝国人にかっ!?」

 

悲鳴に近い声で男は指摘する。

 

「若いの、落ち着かんか。帝国人ではない。帝国系だろう?間違えたらいかん」

 

 天然資源委員会の官営企業から依頼を受け、カプチェランカの埋蔵資源の調査のために来ていた老境の地質学者が椅子に座りゆっくりとした口調で注意する。当然ながら民主主義と自由主義、そして平等を国是とする同盟で出自や民族、人種、信教、イデオロギーでの差別的発言は公的には忌避されるし、奨励はされない。その点でいえば男の発言は決して品の良い発言では無かった。だからこそ老学者はやんわりと注意する。

 

しかし……。

 

「同じ事だろうが!兵士が噂話していたのを聞いたぞ!?出て言った兵士の先祖は貴族様だってな!信じられるか!?貴族様だと!ルドルフに尻尾振っておこぼれに爵位を貰った奴だぞ!?そんな奴を伝令に選ぶなんて何考えていやがる!?お前らもそう思わないのか!?」

 

 男は声を荒げて反論する。同盟軍の判断を理解出来ない、とばかりの口調だ。

 

「確かにな。「薔薇の騎士連隊」だっけ?亡命者だけの部隊とかいう奴。あいつらも連隊長が何人も亡命したんだろう?確か貴族なら再亡命しても領地や爵位をくれるって聞いたぜ?」

「ああ、それは知っている。亡命貴族は良いよなぁ。俺らなんて捕まったら奴隷なのにな」

 

 銀河帝国は公式には自由惑星同盟を遺伝子的に劣等な奴隷を中核とした反乱軍として捉えており、同盟軍人は一応捕虜として扱われるが、一般市民は反乱に抵抗しなかった潜在的思想犯として捕囚となると、特にハイネセンファミリーを始めとした帝国の奴隷・強制労働者を先祖に持つ者は国有奴隷として思想矯正の後に元の階層に戻され、流刑地や強制収容所で平民階層の忌避する過酷な環境や危険の高い地域での鉱山労働や惑星開拓、社会的に卑しいとされる仕事に死ぬまで従事させられる事になっている。

 

 また、これ以外に先祖が旧銀河連邦植民地系であれば帝室の保護を受ける事の出来なかった哀れな臣民として平民階級であるが悪質な反乱に協力したとして奴隷階級に降格(実際、帝国外縁の旧銀河連邦系植民地が発見された場合は反抗者は逮捕し残りは思想教育の後平民階級となる)、帝国の平民階級をルーツに持つ場合は思想教育の後農奴階級に転落する。

 

 その中で例外が帝国貴族階級を先祖に持つ場合であり、下級貴族の場合は状況によるが隔離こそされるが基本平民階層より下に落ちる事はない(多くの下級貴族にとっては屈辱の極みであるだろうが)。門閥貴族階級に至っては先祖を辿れば現在の帝国の指導者層との血縁関係にある者も少なくない。宮内省は亡命貴族の爵位は再授爵の対象とせず、再亡命に備えて塩漬けにしていた。捕囚となった場合でも当主は自決し、資産の幾らかを失い、爵位の降格はあろうとも門閥貴族から転落する事はない。帝国では同盟軍と亡命貴族を形式上協力しているが別勢力として扱っており、前者との戦闘は反乱鎮圧、後者との戦闘は帝国法に反した貴族の私戦行為と位置付けている。

 

 つまり、あくまでも帝国法に違反する門閥貴族の名誉・資産を賭けた私戦行為ではあるものの、帝室への大逆行為とは認知していないのだ。

 

 何せ亡命貴族の数が多い。男爵位以上の爵位持ちの一族だけでも百近い、しかもその中には主要な家だけでもブローネ侯爵家、バルトバッフェル侯爵家といった帝室に近い家、帝国開闢以来の名門たるクレーフェ侯爵家、ティルピッツ伯爵家等名門中の名門とその分家も含まれている。しかも皇帝を自称するアルレスハイム=ゴールデンバウム家に至っては間違いなく正当な帝室の血を引いていた。血筋だけで見ればブラウンシュヴァイク公爵家やリッテンハイム侯爵家を始めとした新無憂宮の影の支配者達に引けをとらない。

 

 それら名門家を全て叛徒として一族郎党まで処刑するなり奴隷にするのは新無憂宮の住民達にも抵抗感がある。何十世代も遡れば亡命した名家と婚姻関係にある家も多いし、血筋は大帝陛下に認められた本物の人類の指導者層のそれである。皇帝を直接害そうとしている訳でもなく死ぬのは平民や士族共だ。貴族階級が死ぬとしてもそれは戦場での貴族同士の正面からの戦闘、言うなればある種の決闘行為と認識され、恨むべき事ではない。

 

 帝国貴族にとっては平民や奴隷は家畜と同様で対等な相手ではないため殺す事に抵抗はない。だが同じ「人間」たる門閥貴族を殺す事は殺人と同義なのだ。少なくとも帝国の宮廷の住民にとっては。

 

 だからこそ帝国は表向きは亡命貴族に帰順を求めており、少なくとも降伏しても奴隷にされたり嬲り者にする事は無い、と公式には伝えている。コルネリアス帝の親征の際ですら門閥貴族軍人の捕虜は賓客として礼節を持って遇していたし、戦闘中も降伏勧告は幾度も為されていた。……尤も大半は従わなかったが。

 

 だがそれでも多くの同盟人にとっては亡命貴族が最悪帝国に降る事が出来る、と事実は軽視出来る事ではない。

 

「奴らが逆亡命して俺達を売らないと誰が言える!?」

「それは……まぁな」

「亡命は兎も角、貴族のぼんぼんに危険な任務なんかこなせるかは疑問ではあるな」

 

 男の叫びに民間人の少なくない人数が賛同の意を示す。亡命貴族が同盟でも華奢な生活をしている事は時たまにゴシップ誌ですっぱ抜かれ非難の的になる。

 

「それは言い過ぎじゃないか!私達のために危険な任務に携わっているんだぞ!?」

 

 それを口にしたのはミゲル・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ助教授であった。此度の任務に参加している人物に知己がいるのもあるが、それ以上に純粋に自分達のために危険な任務に携わる軍人を出自だけで非難される事に一同盟人として不満を感じたためだ。

 

「あ?てめえ、糞貴族の肩持つ気かよ?」

 

 若く線の細い学者が反発した事に男は不快そうに口を開く。

 

「貴族なんて関係無いだろう?出自でそんな事を言われる程に彼らが何をしたんだい?それじゃあ帝国と同じじゃないか」

 

 帝国では血統が何よりも重視されるし、個人の罪は一族全体のものであり、連座も、先祖の行いが罪に問われる事も珍しくない。同盟が帝国のアンチテーゼであり、帝国の否定こそが国家の骨格である以上、たとえ貴族の亡命者であろうともそれを元に非難されて良い訳ではない。少なくとも同盟でそれが認められるべきではないと彼は確信していた。

 

「ふん、貴族のぼんぼんの次は温室育ちの学者様か。これだから金持ち連中は……」

「なっ……」

 

その暴言に絶句に近い表情をするオリベイラ助教授。

 

「あー、博士様には縁が無いから仕方ない事ですが、帝国人に良い印象を持つ奴は、まぁなかなかいないんですよ」

 

やんわりと、男の同僚が弁護するように答える。

  

 亡命者が身内だけで固まる傾向が強いのは同盟では承知の事実だ。ある日突然自分達の近くに大挙して押し寄せ帝国風の街を作り、帝国語で話し、しかも原住民とは目も合わせようとしない排他的な態度は少なくない同盟人の不満を呼ぶ事は当然だ。ましてや帝国人はコミュニティでの結束が強く学校での虐めや町内会での会議、果ては地方選挙ですら集団で首を突っ込んで来る。まるでその地域を乗っ取らんばかりだ。

 

 しかし、亡命者達からすればそのようなつもりはなく、元々血縁や地縁での結束が強い文化、個人の問題は家族、一族、果てや会社や街全体等のコミュニティ全体問題として協力し合う気質から来るものだった。一人への攻撃や中傷はそれに関わる全体への攻撃と解釈される。

 

 無論、彼らも自分達が余所者であることは承知しているし、だからこそ文化や価値観の違う同盟社会からの排斥を恐れ(というより亡命初期は実際排斥されていた)過剰に同胞との結束と別コミュニティへの防衛本能が刺激されている側面も否定出来ない。学校での虐めに対して虐められた帝国系生徒の母親が同じ帝国系の生徒の保護者を数十人、それも母親だけでなく父親や親兄弟姉妹、親戚一同を集めて校長に直訴するなんて事は珍しくない。企業ではもっと露骨で亡命者系資本の大企業は明らかに同胞を最優先で雇用するし、企業利益よりも同胞の企業かどうかで取引相手を決めるなんて事もある。

 

 そのため同盟では口にはしないが帝国からの亡命者を好まない者は少なくはないのだ(そしてその態度が一層帝国系の結束と排他性に繋がる)。この男にしても今は鉱山の下請け技術者であるが本来は相応に名の知れた大手プラント企業に勤めてその技術を買われ厚待遇を受けていた。亡命貴族が株式を買い占め企業を買収した後、企業の経営改善の名の元に社員を帝国系に入れ替えてリストラされるまでは。

 

 退職金こそ相応な額を貰ったものの、家のローンと三人の娘の養育費には到底足りない。仕方なく技術で食える下請けのプラント技術者となったが大手ではない鉱山プラント企業に押し付けられる仕事といえば政情が不安定な星系や自然環境な危険な星系、そして止めが国境の星系である。大企業は自社の社員を死なせたくないのでこのように中小企業の下請けが危険な役回りを押し付けられる訳だ。

 

「畜生……こんな所で死にたくねぇ、家族に会いてえよ」

 

 怒りが悲しみに変わり涙を浮かべる男を同僚達が慰める。軍拡のために人件費が削られ、残る予算も軍人の遺族年金が優先される。軍属の貰える遺族年金で家族が食べて行けるとは思えない。長く続く戦争で社会福祉の予算が縮小する中、大黒柱を失った家族がどれ程苦労する事になるだろうか……?

 

 家族の人生も賭かる中、救助されるかを帝国人の、まして亡命貴族に委ねないといけないのだ、そうなれば感情的にもなろう。

 

 そうなるとオリベイラも強くは言えない。彼の家は学者の一族で当然の如く裕福だ。一流大学に行くにも幼少時代から教育され、進学するにも入校費や受講料がいる。まして教授になろうとすれば教材費や研究費用も馬鹿にならない。

 

 そして、彼はそれを自分で稼いだ事は殆んどない。そういう意味においては彼は苦労を知らない銅鑼息子であった。

 

「気にしないでくださいな。あいつもこの状況でストレスが溜まっているんです」

「………」

 

 項垂れながらすすり泣く男を擁護する同僚。オリベイラの方はと言えば自身の境遇を考え複雑な心境であった。誰もが望んだ人生を歩める訳ではない。夢があろうとも、目標があろうとも、社会の現実、特に金銭面で細やかな望みすら叶えられない者の方が多いのだ。

 

 そういう意味ではオリベイラは自身が圧倒的少数派である事を今更ながらに自覚した。反発しなかったのは彼の誠実さと素直さによるものであった。無論、それも彼の育ちの良さから来るものであっただろうが……。

 

 騒ぎを聞き付けた同盟軍人達が解散を命じたのはそのすぐ後の事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 惑星改造技術、所謂テラフォーミング技術が構想されたのは西暦の20世紀頃の事である。21世紀初頭には初歩的かつ低効率ながらその技術は確立し、西暦2030年代始めには北方連合国家が火星に対して基地の建設と並行してその地球化を目的に実施していた。尤も人類史上最悪の戦争である13日戦争の結果、その成果を地球人が目にするのは西暦2145年の火星再調査まで待たねばならない。

 

 西暦2129年、オーストロマーシア共和国、南アメリカ合衆国、ユーロピア同盟、新ソヴィエト連邦、イースタシア人民共和国の五大国を始めとした各国がブリスべーンで会合し、戦乱の終わりと地球統一政府の樹立を宣言、ここに90年戦争の終わりと人類史上初の統一国家が誕生する。

 

 しかし実際にはこの表現は正しくない。列強各国は統一政体に賛同を示したものの地方では幾つもの軍閥や独裁政権、ゲリラ等が跋扈しており尚も地球の地上部の統一だけでも多くの血が流れた。北米大陸で覇権を争っていた教団国家群との苛烈で凄惨な戦いが終結したのは西暦2137年の事だ。

 

 人類統合のための戦争と並行し、統一政府が実施したのは地球の復興と宇宙開発であった。両者は共にこれ以上の戦争を終わらせるための施策であった。主権国家が消滅しても生命の安全と食料・資源の安定的確保が達成出来なければ生まれて間も無い統一政体はすぐにでも崩壊するだろう。

 

 地球の浄化は最優先事項であった。放射能と戦火、化学物質により荒廃した地表は北方連合国家が火星開発のために発明したテラフォーミング技術により半世紀かけてどうにか美しい自然を取り戻す事になる。

 

 同時に新たなフロンティア……資源確保と共に軍事に向けられていたエネルギーの発散先として宇宙開発に統一政府は邁進した。困難ではあったが、幸運もあった。特に月面には13日戦争以前の宇宙基地と居住者達が未だ生存していたからだ。

 

 13日戦争勃発と共に月面や火星の二大超大国を筆頭とした各国の基地もまた本国より戦時体制に移るように命令が伝えられ、実際原始的な軍事衛星や宇宙戦闘機による戦闘も幾らか発生していた。

 

 だが、大半の宇宙の住民……少なくとも地球圏では戦争よりも寧ろ苦難に向けた協力体制が結ばれた。地球が焼かれ、大都市が消え去り、数十億の人々が死ぬのを特等席で観戦する事になれば当然の事であった。西暦2140年地球圏全体で放送された月面最大の都市ルナシティでの地球統一政府首脳部と宇宙人類共同体首脳部の抱擁と平和的な合併は人類に希望と感動を齎したものだ。

 

 火星では事情が違った。西暦2145年、テラフォーミング技術が不完全ながらも導入されていた火星に地球統一政府の使節が下りた時、そこは紛争地帯であった。未だ過酷ではあるが辛うじて宇宙服無しでの活動が可能であった火星では数十万人の人類が各ドーム都市群がかつての宗主国の名の下に小競り合いを繰り返していた。地球から派遣された平和維持隊が火星の戦乱を武力で完全に制圧するにはその後四半世紀の時間を必要とする。

 

 アントネル・ヤノーシュ博士を中心とする宇宙省技術陣が超光速航法を実現するまでの間テラフォーミング技術は火星の完全な地球化や木星や土星の開発基地・ドーム型都市建設のために活用された。そうして熟成された技術は超光速航行エンジンを搭載した移民船アラトラム号によるカノープス星系第3惑星に対する人類史上初の恒星間移住を実施した時に多くの恩恵をもたらした。その後大気がありハビタブルゾーンに位置する惑星群……シリウス、ヴェガ、プロキシマ、レグルス、カンパネラ、プロキオンといった星系の惑星はこの技術により地球と同じ環境に改造される事になる。

 

 シリウス戦役とその後の銀河統一戦争、そして銀河連邦の成立後、この技術は一層洗練され、かつては国家単位の予算が必要とされた惑星改造は銀河連邦最盛期には大企業であれば単独で可能となる程であった。急速に人類の活動可能範囲が拡大したために連邦政府も辺境の管理が追いつかず、中には悪徳企業が紐付きの海賊を匿うために、また兵器や違法薬物等を取引するために連邦に内密に改造した惑星すらあるほどだ。それほどまでに手軽な技術となりつつあった。そして企業中心の惑星開発は宇宙暦261年の「銀河恐慌」により終わりを告げる事になる。

 

「『カプチェランカ第21開発基地、宇宙暦259年4月7日稼働』か」

 

 ブリザードの中、私は雪原から突き出すように現れる特殊複合セラミックの塔に防刃用特殊繊維で編まれた手袋越しに触れる。そこには銀河連邦の国章とプラントの稼働日を記した古い連邦公用語(の一種)が書かれていた。建設を受け持った企業(ウットコ建設グループとある)が完成の記念に刻んだのだろう。

 

 旧銀河連邦時代に建設された惑星開発用のプラント、かつての開拓時代の夢の跡……その廃墟に私はいた。

 

 廃墟、といっても惑星を丸ごと地球のように改造するためのプラントである。大半は雪の下に埋まっているものの、旧銀河連邦時代の記録が正しければここのプラントだけでハイネセン記念スタジアムが数十個入るであろう規模だ。実際雪原から顔を出す廃墟だけでも小さな都市のようだ。

 

 かつてこの星を豊かで温暖な惑星に変えようと態々オリオン腕からやってきた開拓者達がおり、そして時代の嵐に翻弄され去っていった事をこの廃墟は沈黙の内に伝えていた。そして数世紀後、再びこの星に降り立った人々はこの惑星を切り開くでもなく惰性の内に地表で死体を量産している。その事に形容の出来ない無常観を感じる。

 

「若様、センサー設置完了致しました」

 

 音響・震動・熱探知式の各センサーを周囲に散布し終えたベアトが駆け寄って呼び掛ける。

 

「そうか、こっちもセンサーとカメラを設置し終えた所だ」

 

 明日にはブリザードが一時止む。そうなれば上空から索敵され航空爆撃や軌道爆撃……そこまで大げさな事は無くても地上部隊に報告される可能性がある。そのため一旦この廃墟に隠れ、再びブリザードが吹き荒れるまで待つ予定だった。そして、その間周囲の警戒のためのセンサーや光学カメラの設置作業を行い、今それを終えたところである。

 

「廃墟を見ておいでで?」

「ん?ああ、4世紀以上前の物なのに案外残っているものだな」

 

 尤も、辺境ではプラントが壊れても簡単に修理出来ないので可能な限り頑丈に作るのが当然らしい。中にはその役目を終えた後政府庁舎等別目的に転用され数百年に渡り利用されるものもあるという。

 

「……戻ろうか。この雪嵐、防寒着を着ていても寒すぎる。さっさと戻って温かいシチューにでもありつきたいものだ」

 

 尤も、軍用レーションのため大量生産品の大味ではあるがね。

 

 二人でプラントの一角に向かう。元は倉庫か何かに使われていた施設、その天井にランプが置かれ周囲を照らし、また戦闘装甲車が空中と地上の双方から索敵されないように隠されている。

 

「あ、お帰りなさいませ!」

 

 戦闘装甲車の傍に建てられた天幕、その隣でレーションの調理をしていたライトナー曹長が笑顔で駆け寄る。その手には蒸らしたタオルを差し出す。

 

「ああ、御苦労。天幕と食事、双方とも準備させてしまってすまんな」

 

 防寒着についた雪を払い、湯気の上がるタオルで顔を温める。冷え切った頬にじんわりと蒸れたタオルが心地よく思える。

 

「いえ、若様にこの程度の持て成ししか出来ず恐縮の極みです」

 

恭しく曹長は頭を下げ私の言に答える。

 

「構わんよ。この状況で我儘を言う訳にはいかんからな。そう言えば軍曹は?」

 

 タオルをベアトに渡した後、姿の見えない双子の妹に気付いて尋ねる。

 

「あ、それならば……」

「あぁ、若様お帰りで御座いましたかぁ。見てくださぁい、御馳走ですよぉ?」

 

 別口の出入り口から現れたのはじたばたと暴れる雪兎の両足を掴んで吊るす心底御機嫌そうな軍曹だった。森で血液が見つかると存在が露見するので気配を隠して物陰から素手で捕まえたらしい。……取り会えず言える事は、この娘可笑しい。生まれる時代を間違えている。

 

 その後目の前で平然とナイフで助けて!と泣き叫ぶ雪兎を絞めてあっと言う間に簡単な血抜きと解体をして見せる妹である。バーナーで肉を炙って気付けば本日のメインディッシュが出来上がっていた。うん、さっき言ったばっかだけどやっぱりこの娘可笑しい。何でそんなに手慣れているの?え、戦場で鹿や野鳥を狩った事もある?さいですか。

 

 まぁ、兄もベアトも気にしていないのでそう言うものであると思うしかない。帝国の上流階級では狩猟は必須の教養であるし、狩った獲物を家臣に血抜きや解体させるのも普通だからね。仕方ないね。

 

 レーションとしての黒パン、鶏のシチューと林檎パイは加熱して温かいものだ。ホットココアが甘い香りを醸し出す。そこにどん、と焼かれた新鮮な兎肉は御馳走ではあるが同時に少し場違い感もある。まぁ美味そうだから文句は言わない。

 

「それでは頂こうか」

 

 私の掛け声と共にささやかな宴会が始まる事になる。実家や宮廷の食事には及びもしないがこんなに寒い中では温かい食事というだけでありがたくなる。ましてや熟成していないため臭みがあるが天然の、しかも新鮮な兎肉を食べられるのは素晴らしい。無論、品種が良くないので狩猟場で狩れる獣に比べる訳もないが。

 

「若様、こちらの部位ならば若様の舌にも比較的合うかと」

 

 実際ベアトは兎肉の質を気にして、比較的美味であるとされる背ロースと腿肉の部位をナイフで丁寧に切り取り差し出す。

 

「お、おう……」

 

 まるで子供扱いな気もするが反対するのも面倒なので素直に切り分けられた部位を受け取る。あ、結構柔らかくて美味しいかも。熟成出来れば臭みもなく、もっと柔らかいのだが仕方ない。あ、口元は自分でナプキンで拭けるから。

 

 加熱式レーションのシチューは鶏肉のほか人参、玉葱、馬鈴薯等が含まれており、濃厚なミルクと合わさってレーションにしては味わい深い味だ。控えめな甘味で胃に溜まる林檎パイは食後のデザート、最後にホットココアで占めるのはある種の様式美だ。

 

「予定より1,2日遅れそうだな」

 

 兎の丸焼きもあって戦場にしては満足出来た食事の後、ホットココアを口に含みながら携帯端末の地図を見つめ、私は口を開く。

 

「仕方ありません。賊軍の索敵を避けるためには必要不可欠でした」

 

 仕掛けたセンサーとカメラ類からの情報を携帯端末から見つめながらベアトが返答した。

 

「問題は今後も遅れずに済むか、です」

「我々のぉ存在は知れているでしょうからぁ、問題はぁ、正確な位置を把握されているかぁ、ですねぇ」

 

 戦闘装甲車の整備をしながら双子が意見を述べる。実際データリンクの切断や放棄された車両から我々の存在は確実に把握されているだろう。方角までは知れていないと思いたいが……。

 

「ここから基地に無線が繋がったら良かったのにな」

 

 残念ながら電波妨害もあり通話は不可能だった。一応彼方には聞こえている可能性もあるのでこちらの位置は伝えずに大まかな内容は伝えておいた。潜水艦の座標は伝えなくても連絡さえ伝われば友軍が捜索してくれるかも知れない。

 

「期待は出来んけどな。明日はブリザードが一旦止み、明後日にはまた吹き始める。それまでの間車両の整備と通信回復の努力をするのが精々か……」

 

 そして帝国軍の索敵網を半ば強行突破して基地に辿り着かないといけない訳だ。辛い任務だなぁ。

 

 幾らか今後の予定についてニ、三言話合い、私とベアトは天幕の中で先に休息を取る事にする。5時間交代でその間曹長と軍曹が仕掛けたセンサーとカメラで周辺を監視する事になる。

 

「悪いが先に休ませてもらうぞ?」

「ごゆっくりお休みください。その間の細事はお任せを」

「お休みなさいませぇ」

 

 双子の返答を背中で聞きながら、私はベアトと共に天幕でそれぞれの寝袋に入り横になる。

 

「お疲れ様で御座います、若様」

「ああ、といっても実は私が一番楽している気もするけどな」

 

 自嘲しながら私は横になる。センサーやカメラの設置こそ私も行ったが範囲はベアトの方が広いし、ライトナー兄妹は運転や調理をして、今まさに警戒任務についている。明らかに私が一番体力が残っている筈だった。尤も寒い野外での仕事をして食事をした後、というのもあるが皆より体が鍛えられていないので残念ながら体力が無く正直眠いが。

 

 手元に安全装置を確認したブラスターを持ち敵襲を警戒しながら私は睡魔に身を任せる。温かい寝袋の中はそれだけで抗い難い誘惑を放っていた。

 

 重い瞼を閉じれば私は直ぐ様そのまま意識を暗転させた。本当、体力が無いな、などと意識を失う直前に私は思った……。

 

 

 

 

 

 

 

 

雪嵐の吹き荒れる暗闇の中、人影が蠢く。

 

 夜間雪原用迷彩に身を包んだ兵士達は頭部にバラクラバを被った上で多機能暗視装置を装着し、消音装置を備えたブラスターライフルを構える。……所謂偵察任務に特化した斥候である。

 

「……見ろ、僅かにだが履帯の跡がある」

 

 足音も立てずに、光学カメラが設置されている場所を予測した上で物陰に隠れながら進む二人の帝国兵はブリザードで殆んど消えかけている走行の跡を発見して見せる。 

 

「この形は……パンツァーⅢの履帯跡か。この周辺で友軍の展開記録は?」

「無いな。こいつか……」

 

 敵地偵察任務を請け負うだけあり、斥候達はその意味を正しく理解する。

 

「よし、追うぞ。私が先行する。援護しろ」

「了解」

 

 そう言って片方が廃墟の影から身を乗り出したと同時であった。

 

 空を切る音と共に投擲された投げナイフが斥候の喉元を貫いたのは。

 

「カッ……!?」

 

 喉元を切り裂かれた以上悲鳴を上げる事も出来ず斥候は崩れ去る。もう一人は襲撃に迅速に対応出来なかった。暗視装置を装着していてもナイフは同僚の影になって見えなかった。ブラスターならばそれでも光で視認出来ただろうがナイフが発光する事も、ましてや熱を出す事もない。

 

 よって同僚が崩れ落ちる時に反応が一瞬遅れた。そしてそれが致命的であった。倒れる同僚に意識が向いた時には既に猟兵が消音用の特殊素材で作られ軍靴で足音を立てずに注意しながら駆け寄っていた。闇の中に同僚以外の姿を視認してブラスターライフルを構えようとした時には既にその顔面を銃底で殴り付けられ暗視装置のレンズが粉砕される。

 

 ニヤリ、と獰猛な笑みを浮かべる少女が一瞬斥候の力が抜けるのを狙いそのブラスターライフルを取り上げ投げ捨てる。

 

 斥候は脳震盪を起こしつつも揺れる意識の中で腰のブラスターを手に取ろうとする。だが、その前に体をうつ伏せに倒され体術で封じられる。

 

「ひぐっ……!?」

 

 喉元に焼けるような痛みを受け斥候は急速に意識を失う。

 

「惜しかったですねぇ、センサーを避けるのはぁ、良いですがぁ、だからこそぅ、センサーにかからない潜入ルートを待ち伏せるのはぁ、簡単なんですよぅ?」

 

 耳元で嘲るような笑い声が聞こえる。尤も、斥候にとってはそれに怒りの感情を向ける余裕は無かった。

 

 体温が低下し、重い瞼が閉じられる。彼は底冷えするブリザードの風音をぼんやりと耳に聞きながらその魂はヘルに誘われ死者の国へと導かれていった……。

 

「……面倒な事にぃ、なりましたねぇ」

 

 一方、斥候を始末した猟兵は凍てつく吹雪を頬に受けながら苦虫を噛む。

 

 哨戒に出て正解であった。どうやら、賊共を少し甘く見ていたらしい。まさかこちらの潜伏先を割り出していたとは……。斥候を始末したため暫く時間稼ぎは出来るだろうがこのままでは捕捉され包囲されるだろう。

 

だが……。

 

「逃げ道なんてぇ……無いですよねぇ。これは不味いですねぇ……」

 

 そもそも時間が無い。今急いで撤収したとしても雪原で複数の賊軍に捕捉されてしまうだろう。

 

 始末した賊軍から使えそうな物を拝借し、死体を雪に埋める。早く片付けて御兄様や若様に御報告しなければならなかった。

 

「陰鬱になりますねぇ……」

                         

 こうしている内にも地平線の先から迫ってきているのだろう賊軍を闇夜の雪嵐の中紅い瞳を細め彼女は睨み付ける。……先の見えない暗く極寒の雪嵐が軍曹にはまるで大いなる冬(フィンブルヴァト)の到来のように感じられた。



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第六十一話 偉い人の御願いはある種のパワハラとも言えると思うんだ

「そうだ、酸素生成施設から星間通信施設に抜ける空間に対戦車地雷を設置してくれ。植物園と海洋開発施設の入り口にはブービートラップを仕掛けろ。そこから南にある施設から地下に入れる出入口は可能な限り塞げ。そこから地下に次々潜入されるのは困る」

 

 極寒の吹雪が荒れ狂う深夜、私は携帯端末と無線機を手に取りながら眠気を押し殺して指示を出す。

 

 寝袋の中で惰眠を貪っていた私は深刻な表情をした従士達に起こされた。そして伝えられた内容は最悪に近いものであった。

 

 迫りくる帝国軍に対して私達の取れる選択肢は大きく分けて降伏・撤退・迎撃の三択だ。

 

 議論するまでもなく降伏は論外である。賊軍に命乞いするなんて有り得ないからね、仕方ないね。

 

 そうなると撤退と迎撃の二択に絞られる。前者は何もない雪原を走り抜ける事になり捕捉され撃滅される事は確実だ。そうでなくても恐らく包囲網を敷きつつある帝国軍の索敵から逃れるのは困難だ。

 

 では迎撃するのか?こちらも撤退と同様の困難が待ち受ける。帝国地上軍の機械化歩兵連隊の定数は機械化歩兵三個大隊に連隊司令部直属の迫撃砲中隊、工兵中隊、後方支援中隊、偵察小隊、衛生隊、通信隊等から成る。兵員に換算すれば2000名前後となる。軽歩兵連隊に比べて一回り小さいが戦闘装甲車を多数装備するためその実質的な戦闘能力は遥かに上回るだろう。因みに装甲擲弾兵団は密室空間での戦闘が多いため一個連隊1500名前後、狙撃猟兵団の場合は小隊や分隊単位での作戦行動が多いため一個連隊1200名前後で編成される。

 

 戦闘部隊の主力としては三個大隊の機械化歩兵大隊のみではあるが、それでも1500名前後の戦闘要員を抱える。近隣の同盟軍部隊との戦闘で多少の損失があろうとも1000名を超える事は確実であろう。

 

 こちらの戦力は当然ながら私を含め四名の兵員、鹵獲した一両の戦闘装甲車、雑多な歩兵携帯装備である。まず勝ち目はあるまい。

 

「そうなると可能な限り敵を誘引した上で地下を通って逃げるが最善な訳だな」

 

 こちらにとっての幸運は幾つかある。一つは帝国兵が装甲擲弾兵や狙撃猟兵のような精鋭でない点だ。そして二つ目は、この廃棄されたプラント群に立て籠もる事が出来る事から来る地の利だ。特に後者の利点は我々の生存の上で必要不可欠だ。

 

 巨大で入り組み、しかも雪に大半が埋まった開発プラントの廃墟……砲爆撃の効果は減少し、かつ侵攻方向を限定させる事が出来るため戦力を分散・連携を防止し待ち伏せやトラップの設置が容易だ。

 

 だが何よりも重要なのは広大で入り組んだ雪に埋まったプラントの低階層部に潜ってしまえば簡単には発見されない事だ。衛星軌道からバンカーバスターや艦砲射撃を食らえば流石に頑丈な開発プラントも怪しいが小部隊の掃討のためにそこまで大袈裟な攻撃をする可能性は低いし、火力が高すぎるため下手すれば味方も巻き添えになる。せいぜいが電磁砲による近接支援砲撃であろう。

 

 さて、我々の生存のための作戦はこうだ。まず準備段階としてプラントの地上部に繋がる出入口を破壊ないし隠匿して可能な限り侵攻通路を限定する。その上で侵攻通路には各種のトラップの設置と待ち伏せによる一撃離脱攻撃を仕掛けその戦力を削り、注意を逸らす。

 

 当然ながら与えられる損失はたかが知れている。重要なのはプラント中心部と地下に注意を向けさせる事だ。入り組んだ上に元々同盟勢力圏内……そもそも帝国勢力圏内でも調査しているとも思えないが……ためにその構造もろくに分からぬプラント低階層部の制圧に帝国軍は相応の人員と時間を要するだろう。

 

 そうして戦力が中心部・地下に集中した所で少数の我々はプラント外縁部の出入り口から地上に脱出して森林地帯に逃亡する。待ち伏せの可能性があるので一応複数の出入り口を隠蔽し、地上部にセンサーを設置しておく。

 

 ……というのは主に従士の皆さんが議論して決定した事だ。私?ああ、最後の採決以外蚊帳の外だったよ?

 

 最後の最後に計画を説明されて「どうでしょうか?」って言われても……いや、取れる作戦なんて殆ど無いから許可する以外ないけどさぁ!

 

「まぁ、ある意味では運が良いと言えるがね」

 

 この作戦を取れる理由の一つはこの開発プラント廃墟の構造がある程度分かっているからだ。幸運にもどこぞの助教授様が同盟地上軍の一個分隊の護衛と共に学術調査のために内部を調査していた。流石に全体像まで把握出来ている訳ではないが一から調べるよりも遥かにマシだ。基地まで向かう航路にあるため内部データが携帯端末にあって良かった。最悪地下に潜って遭難する可能性もあり得たのだから。

 

「……吹雪が弱まってきたな」

 

 装甲戦闘車の停まる倉庫の外を見れば一時は数メートル先の視界も怪しくなるブリザードが今では粉雪のようにしんしんと静かに降り注いでいた。僅かに蒼みがかる夜空には所謂天の川の星々が天空にばら撒かれた宝石のように光り輝く。このカプチェランカに来てから雪雲に閉ざされていない夜空を目にするのは初めての事であった。本来ならばその美しさに心奪われるであろうが、今この時に限れば上空から索敵されやすくなるだけでしかない。

 

「………御客さんだな」

 

 僅かに天空を動く人工の光を視認し、私は身を隠しながら双眼鏡でそれを見る。光学レンズが拡大したそれは帝国地上軍の小型無人偵察機であった。斥候が通信連絡もしてこないために差し向けてきたのだろうか?

 

「各員、上空に注意。偵察機が展開している。気取られるな」

 

 こちらの動きや戦力を態態伝えてやる義理はない。三人共私より遥かに優秀だから既に気付いているかも知れないが念のため無線機で伝えておく。軍事の世界でも報連相は大事だ。

 

 防衛……というより嫌がらせのための下準備を部下にやらせる間に私がやるのは作業の監督と通信である。正確には各周波数帯の通信を戦闘装甲車の車載無線機や持参した携帯無線機、通信基地から拝借して簡単な修理をした電波受信機等から敵味方の通信の傍受、あるいは救援要請を出す作業に取りかかっていた。

 

「糞……私は理系じゃないぞ?」

 

 幼年学校や士官学校でも簡単な無線機の操作から修理、有り合わせの部品からの製作まで学んだがあくまで補助的なものだ。士官である以上参謀教育やリーダーシップの指導が最優先であり、ほかの分野は所詮専門家の話を理解出来る最小限の知識しかない(尤も全ての分野の基礎知識なのでそれだけでも相当な事であるが)。

 

尤も、この場ではどの道同じ事であるが。

 

「あー、予想はしていたが殆どノイズだな、精が出る事だ」

 

 宇宙暦8世紀の通信妨害技術は一つの完成を見ている。宇宙では光通信やシャトルによる伝令、地上では有線通信から伝令、伝書鳩から伝令犬まで使われるのだから当然だ。寧ろこれでもまだマシな方だ。時々途切れ途切れではあるが同盟公用語や帝国公用語が聞こえてくる。単語ばかりで殆んど意味は分からないが。

 

 せめて師団……いや旅団規模の通信設備があれば高度に暗号化し、圧縮した通信文を高出力でかつ欺瞞文章も混ぜて基地に送信出来るのだが……。小部隊でも運用出来る携帯無線機の性能ではたかが知れているな。

 

「こちら自由惑星同盟軍ヴォルター・フォン・ティルピッツ少尉、この無線通信が聞こえていれば返信を願いたい。我々はカルパチア号を探している。所在地は移動していなければファイルの16-9-2の範囲を捜索してくれ……正確な位置は通信傍受の可能性があるので勘弁してもらいたい」

 

 私は誰か味方が通信を傍受している事を祈りながら伝令としての任務を遂行する。会話内容は盗聴を考慮しての暗号だ。カルパチア号は民間人の救助要請を意味し、数字の羅列は同盟地上軍の地形照合システムで区分されたカプチェランカの地形情報から見た大まかな潜水艦遭難位置だ。16ページの9番2号のエリア内、となる。当然それだけでは範囲が広いので部隊をばら蒔いて捜索しないといけないが無闇やたらに探すよりは遥かにマシである。

 

「余り余裕はない。可能な限り迅速に要望に答えて欲しい」

 

そこまで言って暫く黙りこみ……私は言葉を続ける。

 

「そして……可能であればこちらに対しても頼みたい。位置座標はこの通信の受信方向とタイムラグから逆算してくれ。我々は危機にあり、死ぬ気はないがかなり厳しい状況だ。可能な限りの悪足掻きはするからその間に暇な奴らはご来訪願いたい。以上だ」

 

 そこまで無線機越えしに聴いているかも分からない味方に語りかける。15分ごとに一回語りかける。返答は来ないがね。

 

「………これは…真面目に駄目かも知れんな」

 

 ここまで散々内心で作戦について反芻し、整理してきたが改めて考えると正気とは思えない。四人で二千人から逃げる?頭が沸いているとしか思えんよ。逃げたとしてどうする?戦闘装甲車は持っていけないので我々には足となるものもなくなる。ブリザードの中数百キロ進むのか?凍死するのが関の山だ。

 

「くそぉ……どうしてこうなったんだよ。どこで間違えた?」

 

 最初の警備部隊が去るのを待つべきだったか?いや、それでは時間がないし、雪原で哨戒に発見されていたかも知れない。

 

 ここに留まったのが間違いか?いや、ブリザードが降りやめばどの道発見されていた。数日寿命が伸びるだけに過ぎない。

 

 そもそも私が伝令として出たのが間違いか?語るに値しない想定だ。あのままでは餓死か凍死、あるいは私刑にあっていただろう。ほかの軍人は陸戦経験が皆無で行っても戦死するか捕虜になるだけだ。  

 

 笑えねぇ、どの道終わりじゃねぇか。ふざけんじゃねぇぞ……!?

 

そうなると一つの選択が脳裏によぎってくる。

 

「降伏……か」

 

 ここに来て一瞬安直に自身の生命を優先したいという自己中心的な欲求が禁断の選択を選ぶように誘惑する。

 

 同盟軍人の場合、帝国軍の捕虜になると自然環境の劣悪な流刑地、あるいは開拓地での自給自足生活を強制される。そこで食料を自給するほか衣類や医薬品、その他の生活必需品は惑星の鉱山採掘や森林伐採による木材による物々交換で手に入れる事になるらしい。当然帝国軍は犯罪を取り締まるなんてしないので惑星によっては事実上の無法地帯に陥っている星まであると言う。

 

 私が亡命貴族であると言えば亡命したとしても同じ門閥貴族という事もあり、礼節を持った待遇で接される事になるだろう。奴隷共と亡命した貴族では命の価値が違う。聞くところによれば窓に鉄格子の嵌められた山荘で腕の良いシェフが毎日食事を三回提供する。使用人が付けられアルコールも嗜好品も要望すれば用意されるらしい(これでも貴族の権利を大幅に制限している事になるそうだ)。尋問こそあるが拷問はなく、逆亡命を勧められる事も多い。正直私個人の生命の安全を考慮すれば素直に降伏するのが一番だ。

 

「それ以外は最悪だけどな」

 

しかし、すぐにその選択を否定する。

 

 身内意識の強い亡命者コミュニティにおいて裏切りは禁じ手だ。降伏すればその親・兄弟・姉妹・配偶者とその家族、子供、それどころか友人や同僚、上官、部下まで村八分にされる。帝国のように連座制は無いが代わりに公的組織の代わりに社会が迫害しにかかる。過去を遡れば逆亡命の結果配偶者が家族から縁を切られたり、兄弟姉妹や子供が離婚する事になったり、結婚を断られたり、あるいは職場から離職を勧められる事、責任追及を受けた上官が自殺するなんて事もあった。帝国軍や亡命軍、帝国系同盟軍人が降伏を選ぶより玉砕するまで徹底抗戦を選ぶ傾向の強い理由の一つだ。無論、様々な理由から今では昔程厳しくはないが………。

 

 それでも帰りにくくなるのは事実だ。まして門閥貴族は臣民の規範であるのだから平民なぞなら兎も角、私が降伏なんて許されない。間違いなく従士達に火の粉が飛ぶ。従士家に責任を全て押し付けられる。捕虜交換で帰還しても三人とも勘当か最前線行きか自裁させられそうだ。私も五体満足でも愉快な未来は無かろう。それでも一族郎党が肩身の狭い思いをするかも知れない。なんせ本家筋の嫡男だ。

 

まぁ……降伏出来る訳無いよね?

 

「……はぁ、結局、喚いても嘆いても選択肢なんか無い訳だな」

 

 深い溜息の後に雪原用迷彩の為された自由惑星同盟地上軍の主力軽歩兵用戦闘ヘルメットM770を脱いで髪を乱雑に掻く。どうせ悩んでも事態は好転しないのだ。いっそ獅子帝様なり疾風様が赴任していないだけ幸運である、と前向きに考えよう。

 

「……覚悟を決めるか」

 

 死ぬ気は無いし、共に来ている部下も死なせたくはない。正直泣きたいが現実逃避は止めてやれる事をやろう……そう内心の葛藤を整理して私はブラスターの整備と通信士としての役割を続ける。あるいはそれこそある種の逃げであるのかも知れないが………。

 

 

 

 

 

 

 押し寄せてくるであろう帝国軍に対する即席の歓待準備を終え、四人全員が再び一同に会したのは9月4日同盟標準時1130時の事だ。尤もカプチェランカの一日がハイネセン、ましてやかつての地球と同じ二十四時間な訳がないので夜明けまでまだ何時間か余裕があった。

 

「作業御苦労。冷えただろう?大したものではないがそこに紅茶を用意しておいた。固いビスケット位しか菓子は用意出来ないが休むといい」

 

 雪を払って倉庫に戻ってきた三人に(貴族基準で)労うように声をかけ、湯気の立つ紅茶の注がれた紙コップを指し示す。

 

「わ、若様っ!御、御自身で注がれたのですか……!?」

「そりゃあ、他に人手も無いからな。曹長、流石にこの程度なら温室育ちの私でも出来るさ」

 

というか出来なければ人間失格だし。

 

「お、恐れ多い事です。態々私達のために雑事を為されるのは……」

 

恐縮するようにライトナー曹長が口を開く。

 

「気にするな。私は一人ここでぬくぬくとしていたからな。役割を果たした部下への労いは上官の義務という奴だ」

 

 寧ろ労おうにも物がない。インスタントに砂糖をたっぷり淹れた紅茶にレーションの高カロリービスケットくらいしか用意出来ない。特に紅茶は元より情緒も糞も無いし、必要以上の砂糖は風味と味を殺す。だがこの寒さでは味わいよりもカロリーの方が重要なので諦めた。客人や家臣を豪奢に出迎えたり労うのが門閥貴族の義務である事を考えれば完全に失格だった。

 

「ではぁ、僭越ながら頂かせてもらいますぅ」

 

 物怖じせずに真っ先にコップの中の液体を口の中に注いだのは瞼を半分閉じた軍曹だった。兄が少々非難がましい視線を向けるが一向に気にしていないようだ。

 

「ふぅ……御馳走様ですぅ……」

「軍曹……」

「はぁぁ……冷めないうちにぃ、飲んだ方がいいですぅ。礼ならぁ、仕事の成果で示した方が良いですよぅ?」

 

 兄の叱責が飛ぶ前に欠伸をしながら持論で言い訳をしてのける軍曹であった。にこにことご機嫌な表情で答えられるとある意味清々しい。まぁ建前は兎も角、実際私も然程気にはしていない。

 

「……分不相応な御厚意、身に余る光栄です」

 

 一方、兄の方は妹を反面教師にするように恭しく礼を述べてから味わうように紙コップに注がれた即席の紅茶を飲む。

 

「それで、首尾はどうだ?」

 

 少しずつ紅茶を口に含む黄金色の髪を持つ従士に尋ねる。

 

「侵攻経路はある程度想定出来ますのでトラップの設置自体は問題ありません。問題はやはり手数です。幾ら罠を仕掛けようとも所詮罠は罠です。工兵や特技兵ならば解除自体は難しくはありません。どこまで効果があるかは未知数です」

 

 そのため防衛戦におけるトラップは所詮時間稼ぎに過ぎない。せめてトラップを有効活用するには防衛側もそれを悟られないように攻撃をして注意を逸らす必要もある。そしてそのための兵力は存在しない。

 

「元より承知の上だ。損害を与えるのは二の次だ。可能な限り敵を誘引出来ればこの際良しとしよう。そもそも我々の任務は戦闘ではないからな」

 

私は腕を組み、その報告に少々神妙な表情で答える。

 

 狙撃で士官と最先任下士官、特技兵を優先して負傷ないし射殺して指揮の混乱を誘う。兵員の大半は練度の劣る召集兵だ。専門教育を受けた下級士官を失えば組織的な行動は出来ない。帝国軍兵士は命令が無ければ独自に動けない者が多いためだ。

 

 平民主体の帝国軍兵士にとっては士族階級・貴族階級たる上官からの命令に服従する事が最重要であり、独自に判断し戦う教育は殆ど受けていないのだ。命令こそあれば同盟軍兵士よりも粘り強く戦い続けるがその分意思決定権限のある者がいなくなると非常に柔軟性を欠けた緩慢な軍隊に成り下がる。帝国の地上部隊で末端の兵士単位でも独自に思考して戦えるのは装甲擲弾兵や狙撃猟兵等の精鋭のみだ。この特徴が帝国軍の長所であり、短所でもあった。

 

「……その点単独行動でも優秀な猟兵がいるのは我々の強みであり、心強い限りだ。期待しているぞ?」

 

 半分機嫌取りの目論見で双子の下士官に期待の声をかける。二人共この任務中結構苦労させた。十中八九有り得ないとは思うが土壇場での離反防ぐ必要があった。無論、士気高揚の目的もある。

 

「は、はい!お任せ下さい!フォン・ライトナー曹長、必ずや若様の御期待にお応え致します!」

「ふぁぁ……はいぃ、フォン・ライトナー軍曹、お兄様同様ぅ、一命を賭してでも任務をぉ、遂行致しますぅ」

 

 はきはきとした良く通る声で答える兄とは対照的に軍曹の方は再び噛み殺すような欠伸を上げながら答える。当然ながら欠伸をしながら宣誓はどこか締まらない。

 

「軍曹……」

「いえぇ……うー、すみません……」

 

 重そうな瞼を半開きにしてうとうとする妹に不愉快そうな視線を向ける兄。何か言い訳しようとする妹の方は、しかし寝惚けており、はっきりとした声が出ないようだ。

 

「気にするな、徹夜で準備していたから疲れているんだろう。まだ時間がある、二人共休め。その間私が監視任務についておく」

 

 寒い外から暖かい室内、そこで甘い紅茶を飲めば睡魔に襲われるのが容易なのは自明の理であった。これは責める事は出来ない。

 

「ですが……」

「お前達が疲労していたら本番が厳しい。私の陸戦技能がこの中で一番下なのは知っているだろう?それでいいだろう、ベアト?」

 

 順序立てて理由を説明してからベアトに尋ねる。彼女なら理論的に説明すれば納得してくれる事は良く理解していた。

 

「……誠に遺憾ながら今後を考えますと曹長達の睡眠は若様の任務達成のために必要と考えます」

 

 淡々と義務的な表情をして答える。極力感情を排しようとしているらしい。

 

「そう言う訳だ。次いつ寝られるか分からん。今の内に休む事だ」

 

そのために珈琲では無く紅茶を淹れたのだ。

 

「……はぃぃ、御厚意に甘えてぇ、失礼ながら就寝させてぇ、頂きますぅ」

 

 そろそろ辛いのか、軍曹は若干早口で答えると敬礼していそいそと天幕に突っ込んだ。

 

 心配するような、非難するような表情を天幕に消える妹の背中に向ける兄にも私は声をかける。

 

「曹長も我慢するな。ここで無理して後で居眠りされても困る。休める時に休む事だ」

「………それでは大変勝手ながら休息を取らせて頂きます」

 

 数秒間、葛藤するような表情をしたもののすぐに惚れ惚れする敬礼をすると妹を追うように天幕へと向かう。

 

「……ベアトはどうだ?」

「私は二人よりは体力を残しておりますので」

「……そうか」

 

 それでも睡眠は十分ではないだろうが、恐らく護衛のためにそう答える従士。

 

「………」

 

 暫し、互いに無線機や携帯端末を手に作業に集中する形で無言の時間が過ぎていく。

 

「……謝罪しなければなりません」

 

 沈痛な面持ちで従士が口にした言葉は妙に室内に響いた。

 

「うん?」

「やはり若様には残って頂くべきでした。このような詰まらない、ましてや危険な状況に身を置かせてしまい……いえ、違います。我々の考えの至らないばかりに若様を危機に晒しました。申し訳御座いません」

 

同行するのは兎も角補足された事は自分達の落ち度に起因する考え、思い詰めたように話す従士。

 

「おいおい、藪から棒になんだよ。別に謝罪なんかいらんよ。私が振り返る限りお前さん達に落ち度は見当たらないぞ?寧ろ敵の分析を褒めるべきだ」

 

 実際明らかなミスは私が振り返る限り思い当たらない。それどころか期待以上の実力である事を幸運に思っていた。これで捕捉されたのなら諦めて相手に賛辞を贈った方が良い。

 

 まぁ、下手にミスを認めると思い詰めて何するか分からんし。過去二度のミス(というか私が悪いのだが)で家族からも相当言われている筈だ。まして今回は彼女にとって絶対にミスは許されない状況だ。私が捕虜になっても戦死しても家に帰れない。それどころか家族もどうなるか分からない。元凶の私が言うのもあれだが、態々虐めるべきでもない。

 

「ですが……」

「平民相手に死ぬ気はさらさら無いさ。何が何でも味方に合流してやる。こんな極寒の惑星で死んでやるか。最後は暖炉のある温かいベッドで老衰する気だからな」

 

 半ば冗談で、しかし半分本気で私は語る。まず原作の終わりどころか一巻二巻辺りでも死にそう(そもそも外伝前に戦死すら有り得るが)ではあるが、身内と自身の福祉のためにも死んでやるつもりはない。

 

「だから気にするな。伯爵家の嫡男たる者、この程度の逆境で死んだら御先祖様に申し訳が立たん」

 

 初代当主は爵位を得てからも五十回に及ぶ戦闘を経験し、七度暗殺されかけ、過労で四回倒れた。ベッドで喘ぎながら「くたばれカイザー」と呻いたという。爵位を得る前の使われようはもっと酷かった。ミスが許されない糞ゲー状態だ。それに比べれば生存さえ出来ればいいのだからマシかも知れん。

 

「お前さんの御先祖様は初代に仕え、どのような状況でも恨み言一つ言わず良く働いてくれたと聞いている。お前の代も面倒ばかりかけるが頼まれてくれるな?」

 

 先祖を出汁にして尋ねる。帝国人……特に貴族には血縁や伝統、先祖を持ち出されると反論出来ない事を見越しての事だ。

 

「……はい、承ります」

 

 暫し逡巡するが、最後は恭しくそう答える。答えるしかない、とも言えるが……我ながら性格が悪い。

 

「若様」

「どうした?」

「僭越ながら若様も、伯爵家の嫡男、御自身のみの御体では御座いません。義務を全うされる御心感服致しますが、くれぐれもご自愛ください。自身の身の安全を最優先致されますよう」

 

私は従士の方を見やる。そこには心底心配そうにこちらを見つめる少女がいた。

 

「……ああ、心得ているさ」

 

 ……バツの悪さに私は、すぐに視線を逸らし、そう答えるしか無かった。義務?いいや、違うさ。私的な理由を義務だの誇りだのと取り繕っているだけだと言う事は、自身が一番が良く知っていた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9月4日同盟標準時1545時……一年の大半が嵐のようなブリザードが吹き荒れるカプチェランカ……正確にはカプチェランカ南大陸北部雪原地帯は季節外れの快晴となっていた。青々とした早朝の空には恒星クィズイールの暖かな日光が降り注ぎ、凍てつく雪と氷の大地は僅かながらにその表面を融かしていた。尤も一両日中に無慈悲な寒風が融けかけた大地を再び凍てつかせる事になるのだろうが……。

 

 そして、そのような晴天の空は、半ば雪に埋もれた廃墟を包囲するように展開する部隊の姿をはっきりと映しだしていた。

 

「全部隊、展開完了致しました」

「うむ」

 

 帝国地上軍第1547連隊連隊長ハインリッヒ・ヘルダー中佐は指揮通信用装甲車から身を乗り出した状態で副連隊長マーテル少佐からの連絡を受け取った。この副連隊長は士族でもない文字通りの中流階層出身の職業軍人であったが、唯の平民にしては実直で、優秀な軍人であった。特に勇猛な、悪く言えば少々粗のある連隊長の指揮をより緻密に補正する能力に長けていた。彼の修正した包囲網は僅か一個連隊によるそれとは思えぬ程の索敵能力を有し、その一角を突き破り離脱を図ろうとすればたちまちに包囲殲滅されてしまうだろう。

 

「ですが……航空部隊への支援要請はよろしいのでしょうか?」

「仕方あるまい。直属の無人機だけで対処する」

 

 マーテル少佐の質問に一瞬不機嫌な表情を浮かべる連隊長。各戦線で反乱軍が反攻に出つつあり、上位司令部に要請した航空支援は期待出来そうにない。

 

 尤も、せいぜい分隊から小隊規模の戦力に航空部隊を投入するのも大袈裟であるのは確かだ。連隊麾下の偵察兼攻撃用無人機でもその役目は十分だ。大規模戦闘では無人機なぞ先鋒部隊としての突入や電子戦で真っ先に消耗してしまうがこのような圧倒的な戦力差があればその役割を十分に果たしてくれるだろう。

 

「鼠共め、慌てるが良い」

 

 無線機を手に意地の悪い、加虐的な笑みを浮かべたヘルダー中佐は次の瞬間命令を告げる。

 

「準備砲撃開始!」

 

 同時に陣地後方に展開した迫撃砲が一斉に火を噴いた。廃墟のあちこちで紅蓮に輝く爆発と黒煙が立ち昇る。だが、それはこれから始まる戦闘のほんの始まりに過ぎなかった。

 

 それに連動するように戦闘装甲車、雪上車、その他支援車両……それらに乗り込んだ兵士達が前進を開始する。各大隊から二個中隊ずつ、それでも800名を超える戦力であった。

 

第1547連隊第2大隊第3中隊は廃墟群に突入する。

 

「第4小隊前へ!装甲車両を前に出して銃撃に警戒しろ!歩兵部隊降車、対戦車ミサイルに注意!発射しようとしていたら射殺しろ!」

 

 中隊長マインホフ大尉の命令に従い廃墟群に警戒しながら次々に車両が侵入する。歩兵部隊はブラスターライフルや火薬式銃で警戒しながら進み、近隣の廃墟に分隊単位で突入してフロア事に制圧していく。

 

やがて通路は狭くなる。

 

「この辺りは道が狭いな……」

 

 対戦車地雷を警戒して一旦前進停止と工兵隊によるトラップの警戒を無線機から命令しようとした次の瞬間だった。

 

 どこからか撃たれた消音装置で銃撃音を極限まで抑えた5.56ミリ口径弾が戦闘装甲車の上に身を乗り出していたマインホフ大尉の眉間を撃ち抜いたのは。

 

 即死した中隊長であるが殆どの者はそれに気付けなかった。悲鳴も上げず、口径が小さいために血飛沫も少なかったためにその銃撃を直接見てなければ腕を落しつつも体勢を維持していた大尉の死をすぐに見抜くことは出来なかった。

 

 中隊長の指示の無いまま不用意に隘路に侵入した戦闘装甲車が対戦車地雷を踏み抜いて爆発したのはその直後の事であった。同時に爆発により飛び散った鉄片が周囲で警戒していた数名の歩兵に襲いかかった。即死した者は幸運であった。中途半端に「生きてしまった」者の血が雪原を融かし、悲鳴が快晴の空に響いた。

 

 ここに後に同盟軍戦闘報告にて「784年9月4日のカプチェランカにおける第21開発プラント跡の戦闘」と記録される戦闘が始まった。

 

 



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第六十二話 スターリングラードは結構名作映画だと思うんだ

 9月4日同盟標準時0330時……カプチェランカ南大陸北部雪原地帯

 

 時間は半日程遡る。ブリザードの吹き荒れる雪原地帯を突き進む車両の列があった。三両の61式雪上車からなる車列は目的地に向け急ぐ。後数時間もすればこの曇天の空は雲一つない夜空に変わる事であろう。そうなれば監視衛星に発見され爆撃の目標になりかねない。そのため彼ら……自由惑星同盟軍カプチェランカ戦域軍所属第38通信基地隊は多少の危険は承知の上で雪原を一直線に進む必要があった。

 

「このまま進めば……明日中には安全圏に逃れられるな」

 

 第38通信基地隊司令官ルーカス大尉は携帯端末のカプチェランカ電子地図と睨み合いながら呟く。衛星軌道上の測量衛星や通信衛星はその大半が宇宙デブリに変わり果て、カプチェランカ地表の同盟軍の大半がGPSによる座標把握が不可能になっていた。そのため多くの部隊は各地からの通信のタイムラグやレーダーによる地形図の把握、そして時たま見える天体の測量による原始的な手段により自らの位置を見出さなければならなかった。

 

「まるで西暦時代ですね。全く、宇宙軍が通信工作艦艇を衛星軌道に展開してくれればこのような面倒な手段を使わずに済むというのに」

 

 司令官の乗る一号車の運転手チュウ上等兵が口を尖らせて文句を言う。通信機能に特化した通信工作艦が軌道上に展開すれば衛星の代わりに座標の測定や大陸間通信の中継が可能となる筈であったが、当の宇宙軍は貴重な特殊艦艇を危険地帯に送りこむ気は皆無のようであった。地上軍からすれば地上の苛烈な戦闘を繰り広げる中、宇宙軍が我が身可愛さに及び腰になっているように思えるかも知れない。

 

 尤も、宇宙軍とて遊んでいる訳ではない。クィズイール星系統合軍は統合軍司令官キーツ少将指揮の下宇宙艦艇のみでも2700隻に増強された帝国軍に対し600隻に満たない戦力で抗戦を続けていた。レグニッツァやアジメール等の木星型惑星において小惑星帯やガスの中に隠れながら巧妙なゲリラ戦や一撃離脱戦法の多用により当初の司令部幹部達が想定していたよりも遥かに善戦していたのだ。元より圧倒的な戦力差があり、各地で奇襲を受けた事を加味すれば寧ろその戦いぶりは賞賛されるべきものであった。

 

 それでも地上軍の罵倒が飛び交うのは事、地上戦においては帝国軍が優勢に戦況を進めていたからに他ならない。元より地上戦において帝国軍の粘り強さは同盟軍の比ではない。特に現在クィズイール星系全域の帝国軍の指揮を執るトーマ・フォン・シュトックハウゼン帝国地上軍少将は、その奇襲から続いて畳み掛けるような浸透戦術・電撃戦により広大な戦線において同盟軍の通信網と指揮系統に打撃を与えていた。

 

 しかし、同盟軍もこのまま指をくわえている訳ではない。近隣星系の統合軍、方面軍管区の直轄部隊から戦力を抽出した増援部隊が編制され、急行しつつある。帝国軍もそれを察知しており、全体から見れば後退と戦力の再編、そして迎撃準備を取りつつあり、そのために戦線からの戦力引き離しが部分的に実施されつつあった。

 

 そのため全体で言えば戦闘は未だに激しさはあるものの次第に小康状態を迎えつつあった。だが、何事も例外がある。

 

「大尉、帝国軍の一部の通信量が急増しています」

 

 無線機から敵味方の通信の傍受を試みていた通信士がその異変を報告する。

 

「何?帝国軍が作戦行動を開始しているのか?」

 

 当然ながら通信を必要なく行う行為は部隊の展開、場合によってはその内部事情を敵に伝える事になりかねない。そのため通常は定時報告以外の無線通信は殆ど行う事はない。行うとすればそれは部隊の展開するためのものであり、そこには何等かの軍事的目的がある筈であった。

 

「通信内容は不明ですが規模と回数から見て連隊規模、座標は……ここですね。通信基地から北70キロ」

「確か……開発プラント跡か。近隣に友軍は展開している事を証明する通信はあるか?」

「いえ、そのような通信内容は……いや、待って下さい。一瞬何か聴こえた」

 

通信士は神妙な顔つきで無線機の周波数を調整する。

 

「プラント跡からかなり弱い通信電波が流れています。秘匿通信で暗号化されていますね……待って下さい、解読します」

 

 無線機の内蔵コンピュータが電子暗号化された通信電波を言語化して通信士に伝える。

 

「来ました……カルパチア号……民間人の救助要請です!」

 

その声は驚愕に満ちたものであった。

 

「何っ!?帝国軍に包囲されているのか!?」

 

 ルーカス大尉を始めとした兵士達は通信士の下に集まりながら緊張に顔を強張らす。そうであればあらゆる犠牲を払っても救助しなければならない。政治的に民間人を見捨てる事は同盟軍にとって不可能であるし、それを無視したとしても無辜の民間人を救出するのは同盟軍人にとって当然の義務であった。

 

「……いえ、どうやら民間人の座標は別のようです」

 

 その一言に身構えていた軍人達の緊張は安堵に弛緩する。

 

「傍受の危険があるので正確な座標は言及していませんが大まかな場所については発言があります。恐らく避難中に遭難し、通信を送っている士官は伝令として救助要請を流しているようです」

 

通信士が状況と収集出来る情報から真実に辿り着く。

 

「ふむ、この辺りか……欺瞞情報の可能性は低い、か……。近隣の基地に連絡を入れろ。民間人の救助は最優先事項だ」

 

 まずは、捜索部隊の派遣をしなければなるまい。未だ帝国軍は健在ではあるが、背に腹は代えられない。そうでなくても帝国軍に発見させる訳にはいかないのだ。

 

「問題は伝令の方か。帝国軍から自力で脱出は……無理だろうな」

 

 最大限で見積もっても一個小隊規模の戦力で連隊を相手にするのは無謀を通り越して愚かだ。このままでは捕捉殲滅されてしまうだろう。

 

「では……」

「かといって、我々の戦力では助けにいっても全滅だ。そもそも我々は戦闘部隊ですらない」

 

たった三十二名が一個連隊相手に何が出来ようか。

 

「では見捨てる、と……?」

 

 恐る恐る尋ねる部下に対してしかし、ルーカス大尉は不機嫌そうな表情を向ける。

 

「そんな訳あるか、同盟軍人は友軍は見捨てん。だが、我々が直かに行くべきではないだけだ。近隣の基地に伝令と帝国軍の連隊の位置を伝えろ。手の空いている部隊の一つや二つ必ずある。なんとしても探すんだ!」

「はっ!」

 

 その命令に従い通信士は近隣の友軍基地や部隊に伝令部隊救援のための連絡を入れていく。尤も、どの戦線も小康状態に入りつつあるとはいえ、先程まで激しい戦闘が続いていたため余裕がある訳ではない。まして、一個連隊との戦闘を想定した上での救助となると士気は別として物理的に、純軍事的に達成出来るか、と考えるとすぐに色好い返事が来る訳ではない。

 

 無論、別に彼らも見捨てるつもりはないため各基地・部隊間で戦力の抽出や経路・情報面での討議が開始されるが、問題は伝令部隊が準備が整うまで生存出来ているか、であった。

 

 秘匿回線による無線通信越しに議論が続けられる中、そこにとある通信回線が割り込む。

 

『失礼、第38通信基地隊にお尋ねしたい。その通信は………』

 

 その質問内容に一瞬、第38通信基地隊の通信士は怪訝な表情を浮かべ、ついでその通信元を確認し、驚愕した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「第3小隊前進っ!」

 

 小隊長の命令に従い防寒着を着た軽装歩兵達が小銃片手に突入を開始する。

 

「かっ…!?」

「あっ……!」

 

 同時に身を遮蔽物から晒した先頭の二名の兵士が頭部の肉が弾けて仰け反るように雪中に倒れた。

 

 消音装置を備えた狙撃銃を片手にある廃墟の上層部で狙撃を続けていたネーナハルト・フォン・ライトナー軍曹は小さい舌打ちをする。

 

「雑魚でしたぁ……」

 

 本来なら士官、せめて下士官を狙うべき所を誤って唯の雑兵を射殺してしまった。

 

「もうぅ、このポイントはぁ、捨てですねぇ」

 

 昇ってくる賊軍を相手にしてやる時間はない。地雷と地形により装甲戦闘車の電磁砲が届かない絶好の狙撃ポイントではあったがこの際仕方ない。

 

 彼女は最低限の装備以外を放棄すると、黙々と高性能爆薬で作られた時限式爆弾のカウントを起動させる。そして続いて適当なパイプに腰につけた昇降機のフックを掛けると、最早機能していないエレベーター通路からシャフトに向け平然と飛び降りた。

 

「これがぁ、本当のぅ……バンジージャンプですぅぅ!」

 

 気だるげに、しかしどこか楽しそうな声とともに少女は廃墟を貫く数十メートルの空洞を重力に従い落下する。彼女はその行為に恐怖は感じなかった。これくらいの高さから落とされるのは十歳の時には既に経験済みだった。

 

 カラカラ、と勢い良く音を奏でながら強化繊維製のワイヤーロープが昇降機から次々と伸びる。

 

「はぁい、ストップですぅ」

 

 強引に昇降機を止めロープの長さを固定する。いきなりの事のため慣性の法則に従い空中で急停止した体はぎゅっと揺さぶられるような衝撃を受ける、と共にその衝撃を利用して一気にシャフトから数十階下のフロア内に飛び込んだ。

 

 同時にどこからか爆発の音が響き、建物全体が鈍く揺れる。上階にて一個分隊の兵士がフロアごと吹き飛んだ事を彼女は見なくても分かっていた。

 

彼女は無線機に向け報告する。

 

「こちらぁ、ライトナー軍曹、ポイントFを放棄ぃ、ポイントKに移動しますぅ」

『了解、装甲車だな。上空からの攻撃と戦闘工兵に注意しろ!』

 

 ポイントKには強奪した戦闘装甲車が廃墟の中で半分雪に埋まっていた。所謂固定砲台であり、地形的に大回りしなければ車両は侵入出来ず、かつ地形的に部隊を展開するための要所を抑える形になり、帝国軍はここを制圧するのに歩兵部隊を正面から突入させる以外の方法が無かった。無論、無謀な突撃を彼らは自身の血肉で支払う事になるだろう。

 

「了解ですぅ。さてさて、激しい戦いにぃ、なりそうですねぇ」

 

 そう言って地下に潜入してきた帝国兵二人を薄暗い地下通路の出会い頭でその額に投げナイフをプレゼントすると、そのまま死体を踏み越えて進む。

 

 ……この開発プラント跡における攻防戦が始まり、約一時間が過ぎようとしていた。

 

 

 

 

 

「やはり、数の差はどうしようもないな」

 

 火薬式の狙撃銃のスコープを見つめながら私は呟く。雪中で100メートル先の帝国軍兵長を狙撃、スコープの中の人影は右肩から血を流して倒れこむ。同時に私は直ちに雪を掻き分けて地下に続く通路に飛び込む。狙いが逸れて致命傷は与えられなかったがそれはそれで良かった。別に殺傷する必要はない。寧ろ負傷してくれた方が後送の人手が必要だ。正面戦力を可能な限り削りたい。

 

「こちらティルピッツだ。ポイントD放棄する」

 

 無線機で友軍に報告しながら狭い地下通路を走る。同時に爆音が響く。恐らく私の隠れていた地点に電磁砲か携帯式ロケット砲でも撃ち込まれたのだろう。狙撃兵がいる場合は潜伏域を面制圧するのが定石だ。

 

 我々は隘路や地下の出入口に地雷やトラップを置くと共に、狙撃に適した地点から前進する帝国軍に狙撃による出血を強いていた。尤も、すぐに反撃が来るので数回撃てば後退するしかないが。

 

 だが、指揮官を中心に狙うと共に、各種の爆発物や地雷によるトラップとの連携、地形の最大限の利用による一撃離脱戦法は十分な戦果を挙げていた。既に全員で戦闘装甲車三両大破と二個小隊の人員を殺傷、または負傷に追い込み(殆ど双子の戦果であるが)、帝国軍は襲撃を警戒するあまり、その進行スピードを落としつつある。それでも帝国軍もこちらの意図を理解しており、次第に効果は減り、地上部の廃墟の6割は制圧されてしまったが。

 

 いや、このプラント群は確かに地上にも広がっており、地上部も入り組んではいる、それでも800名を越える完全武装の集団の前に未だに持ちこたえているのは奇跡に近い。当初の予定では8割は占領されていると考えていたので善戦している、とも言える。

 

『こちらゴトフリート、ポイントRに到着、戦闘開始します』

「……ポイントRか」

 

今私の向かうポイントNから支援出来る地点であった。

 

 私は急いで廃墟の階段を登り、地上から5階上がった(正確には雪原から5階分付きだした)フロアにたどり着く。そこには予め用意した狙撃銃と弾薬があった。各ポイントには予め武器が置かれているため、危険が来ればすぐに装備を捨てそのポイントを放棄出来る。重火器を持ったままの逃亡はリスクが大きいからな。

 

 私は直ぐ様準備していた対戦車ミサイルランチャーを担ぎ上げその内部コンピュータを起動させる。

 

 視線の先には……正確には600メートル離れた先には廃墟の中に形成された雪の道があり、そこを帝国軍の歩兵部隊が戦闘装甲車を盾に前進していた。先鋒部隊から要請されたために進出してきたらしい。ベアトの立て籠もるポイントを吹き飛ばすつもりだろう。

 

 槍機戦術は長らく対反乱作戦を主目的としてきた帝国地上軍の基本戦術だ。先鋒としての歩兵が潜伏する溝鼠(ゲリラ)を炙り出し、見つけ次第前進した戦闘車両が建物ごと砲撃で吹き飛ばす。厚い鉄筋コンクリートの裏側にいようとも問題なく軍用車両の電磁砲は叛徒共を肉片に変えて見せるだろう。帝国建国期の辺境鎮撫遠征、帝国暦42年ジギスムント1世即位直後の大反乱とその後の掃討戦、帝国暦60年のシリウス自治領の反乱、帝国暦124年のフランケン帝国(ライヒス)クライスの反乱においてその役目を十分に果たした。

 

 尤も、同盟軍との大規模戦闘が発生するようになってからは正規戦の教育にも力が注がれるようになり、かつてほど槍機戦術を高レベルで実行出来る指揮官は減ってしまった。

 

「だからこそ、こっちは助かるがね」

 

 不用意に横腹を出した戦闘装甲車に向け撃ち込まれた携帯式対戦車ミサイルはそのまま砲塔に命中し、砲塔部分は回転しながら空中に飛び散る。周囲の歩兵部隊は衝撃と破片により肉体が千切れる者や打撲や骨折する者、鼓膜が破れ耳を押さえて蹲る者が悲鳴を上げる。正面の敵に集中し過ぎて注意が疎かになっていたのだろう。禄に横合いからの攻撃を警戒出来ていなかった故の惨劇だ。

 

 混乱を押さえようと士官が拳銃を掲げて叫べばそれは寧ろ狙撃目標を提供するようなものだ。次の瞬間兵士達に何事かを叫んでいた少尉の頭部が弾けて、その体が糸の切れた人形のように倒れる。続いてそれを目撃した通信兵が驚愕の表情と共に仰け反り倒れた。相変わらずの狙撃だ。彼女は幼年学校・士官学校でも射撃の成績は上位だったが、実戦でも十分通用するらしい。

 

「ベアト、東の電波塔跡に展開している部隊を仕留めるぞ、あのまま進まれたら死角に回り込まれる」

『了解しました』

「機銃手を頼む。こちらは分隊長を狙う。……秒読み五秒前、四……三……二……一……!」

 

 同時に撃ち込まれた射撃により前進しようとしていた分隊指揮官と機銃手が倒れる。次弾装填、照準、射撃、負傷した分隊長(私の撃った方だ)を救助しようとした兵士が二人うつ伏せに倒れる。人を殺している事に内心思う所が無い訳ではないが、それとは別に体は訓練通りに淀みなく、半ば反射運動で動いていた。

 

「次……ちっ、来たな」

 

 ブラスターの閃光が体を掠め咄嗟にうつ伏せに隠れる。気付けば私の立て籠もる廃墟のすぐ近くまで歩兵部隊が接近していた。やべ、肩の辺り服が少し焼けてる。もう少しズレていたら射抜かれてたな……。

 

「……逃げるか」

 

 ここまで気付かれずに接近してきただけあって練度は高い筈だ。無理に戦う必要もない。置き土産の高性能爆薬による時限爆弾のカウントを開始し、同時に逃げる時間を確保するために安全ピンを抜いた手榴弾を窓から投げつける。敵兵はすぐさま俯せになり手榴弾の爆発とそれにより飛散する鉄片から身を守る。そうして動きが止まったタイミングで階段から地下に全力で逃げ込む。

 

「ベアト、ポイントNを放棄する。そちらも危険になったらすぐに撤退しろっ!」

『了解しました!若様も御無理なさらずに危険でしたらすぐに御引きを』

「当然だっ!」

 

 無線越しにベアトに報告をしながら薄暗い地下通路を息が上がる程に走る。

 

 作戦は上手くいっている。戦力を廃墟の中心部に誘引しつつある。少なからずの負傷兵の発生と現場指揮官の損失で帝国軍の動きは緩慢になりつつある。外縁部に隠した脱出通路に出てもすぐに迫撃は出来まい。

 

「尤も、殆ど部下の功績だよなぁ……」

 

 士官学校上位成績者と専科学校の陸戦科上位卒業した経験もある下士官二名が部下だからこそ可能な事だ。そうでなければ徴兵された素人が多いとは言え、ここまで上手く作戦が進む訳がない。

 

「情けないが……仕方ないな」

 

 自分に出来る事をやればいい。無理は禁物だ。下手に功を焦ると(別に命の危険晒してまで功績は欲しくないが)味方の足を引っ張る事になりかねない。

 

 私は逸る感情を押さえて冷静に次にやるべき事を考える。ひとまずは次のポイントに向け一刻も早く向かう事だ……。

 

 

 

 

 

 

 

 戦端が開かれて一時間三十分後、戦闘は激しくなりつつも、その終息点が見えてきていた。帝国軍は抵抗を排除し、工兵部隊がトラップを解除しながらその包囲網を狭めていった。結果的に戦線は少しずつ縮小し、帝国軍は戦力の集中を可能としつつあった。

 

 だが、それは決して一方的な優位には繋がらない。戦力が密集する事で前線の指揮の混乱を招く事になり、また戦闘車両は歩兵部隊が広く展開している故に巻き添えを警戒してその火力を十全に発揮出来ない。

 

 無論、帝国軍とて戦争のプロだ。このような事態は自然に起こらない。寧ろ通信兵や士官・下士官を優先的に射殺ないし、負傷させ、前線の混乱を発生させるのに進んで貢献した猟兵達の腕を称えるべきであろう。

 

 しかし、それも所詮時間稼ぎでしかない。連隊長ヘルダー中佐、副連隊長マーテル少佐はすぐさま混乱する指揮系統の再編を進め、それは防衛側の想定よりも早いスピードで達成された。その点でいえば帝国軍は決して無能ではなかった。

 

 尤も、四両の戦闘装甲車の損害と48名の戦死者、71名の負傷者の前にヘルダー中佐は流石に驚愕した。正直余りに多すぎる損害であった。大半が地形を利用した待ち伏せとトラップによるものであるとしても敵の技量は賞賛に値する。そして大半は徴兵された平民である事を勘案しても兵士達の練度の低さに眩暈を覚えていた。この任務が終われば徹底的に訓練を施し鍛え直そうと心に決める。

 

 それはそれとしてヘルダー中佐は遂に最終的な攻撃を決断した。即ち連隊内にて特に練度の高い偵察隊を中核とした突入部隊の投入と、廃墟中心部に対する砲爆撃であった。

 

「うわっ……これはヤバいですぅ!」

 

 慌ててライトナー軍曹は装甲戦闘車を放棄して後部ハッチから全力で地下通路に向け走る。帝国軍歩兵部隊は40分に渡り戦闘装甲車と正面から向き合う事になり、二個分隊を汎用荷電粒子ビームキャノンの弾丸の雨で挽肉にされ、誘導ミサイルを構えた兵士は発射前に電磁砲で周囲の遮蔽物ごと吹き飛ばされた。遂に忍耐の極みに達した前線指揮官は費用対効果を無視した面制圧を敢行したらしい。大半は潜伏する建物自身により防がれるが、寧ろ、建物を倒壊させてそのまま圧し潰すつもりのようだった。戦闘装甲車に廃墟の建材が次々と降り注ぐ。

 

 彼女が地下に潜ったと同時に雨あられのように砲撃と上空からの無人機からの爆撃を受けた廃墟は音を立てて勢いよく崩壊していく。同時にスクラップになった装甲戦闘車が爆発した。

 

 爆炎と熱風と土煙に咳をしながら軍曹は通路を走り急いで次の狙撃ポイントに向かう。

 

『おい、軍曹大丈夫かっ!』

「はいぃ、ギリギリ倒壊前に逃げきれましたぁ」

 

 指揮官であり、主人でもある新任少尉からの通信に軍曹はむせた咳で涙目になりつつも答える。

 

『よし、ならばポイントTに向かえ。LとSは砲爆撃を受けて危険だ。……あいつら地上に出ているものは全部吹き飛ばす気みたいだな』

「それはそれは……」

 

 精の出る事で、と軍曹は半分呆れた表情で呟く。小部隊だからと油断してちまちまと損失を被ったために本気を出してきた、といった所か。豪勢に弾薬を消費して、立て籠もるのがたったの四名と知ったら賊軍共は怒り狂うだろう。

 

 尤も、銀河帝国の常識に照らし合わせれば相手が奴隷の子孫ではなく貴族階級だけであると分かれば上層部は特段叱りつける事はないであろうが。平民の軍隊が貴族に勝てないのは寧ろ門閥貴族階級にとっては常識であるし、平民兵士の大半を占める地方民や都市下層階級にとっては貴族階級が平民とは遺伝子の段階から違う事を改めて理解させられるだけである。

 

 仮に文句を言うとすれば中途半端に知恵をつけた都市中流階層や上流階層、新興下級貴族、軍の平民士官程度であろう。自身の栄達を自身の才覚のみで得たものと錯覚し、体制を軽視し、古い貴族を血統だけの無能者と蔑む「愚かな成り上がり者」……オリオン腕で勢力を増しつつある不届き者共ならばこの機に貴族階級が上層部を独占する帝国正規軍を弾劾するだろう。敗れた相手が貴族である事を無視して貴族が指揮する帝国軍を無能者と宣う事であろう。見たい物しか見ず、義務より権利を要求し、不平ばかり口にする、まるで堕落した銀河連邦の市民そのものだ。そんな奴らが栄えある帝都で我が者顔で歩いていると考えると嘆かわしくなる。

 

「……ここですねぇ」

 

 それはそうとして、今は目の前の任務に精励するべきだ、思考の海から戻ると、軍曹は指定されたポイントにたどり着く。

 

「っ……軍曹かっ!?」

「あ、お兄様ぁ、ご機嫌ようですぅ」

 

 砲撃で空いた穴から銃撃をしていた兄に会い(頬にブラスターが掠れて血が流れていた)、恭しく挨拶をして見せる軍曹。そのまま笑顔で火炎放射器を手に突撃してきた戦闘工兵を射殺する。

 

「随分とぅ……苦戦しておりますねぇ……!?」

「流石に雑魚相手でも数がね……!」

 

 約一個小隊と撃ち合いながら双子は親しげに声を交える。厳しいが完全に絶望的と言うわけではない。カキンでの戦いでは一個中隊で野戦機甲軍の一個旅団に包囲された事もある。あの時は海上からの艦砲射撃もあったし、空爆も受けた。生存したのは一個小隊にも満たなかった。傷だらけの体で死体と土に潜って昼間を凌ぎ、夜になると闇に紛れ賊軍の哨戒部隊の首を掻き切りながらどうにか包囲網を脱出した。それに比べれば幾分かマシと言えた。

 

……どの道ろくでもないが。

 

「そろそろ……かな?」

「そうですねぇ……」

 

 計画ではそろそろ撤退と地下からの脱出をするべき時であった。

 

「やれそうかい?」

「無論ですぅ、その時が来たのでぇ、先祖代々の義務を果たすだけですぅ」

 

 兄の心配に、しかし妹の方はほのぼのとした口調で平然と答えて見せる。子供の頃から軍人として、臣下として、貴族として教育を受け、いつでもその役目を果たす覚悟をしてきた身からすれば今更の言葉である。兄も半ばその返事を確信していたようで特段驚く事なく、頷く。

 

「そう、分かった。……無線だね」

 

 携帯無線機が震動し、兄はそれを耳元において返答する。

 

「はい……えぇ、了解しております。……はい、分かりました。直ちに」

 

 指揮官であり、主人が遂にこの陣地の放棄と脱出を決断したらしい。迫撃を可能な限り排除しつつ合流と脱出を命じる通信が届く。

 

だが……。

 

「……弾薬はどれくらい残っている?」

 

無線を切った後、淡々と妹に尋ねる兄。

 

「節約すればぁ、三、四十分程度はぁ、持ちますよぅ?」

「そうか、ではその後は……」

 

 彼は、険しい表情をしながら、腰のナイフに触れ、足元の手斧を見つめる。そこには強い使命感があった。

 

「一秒でも長く時間を稼がないとね」

 

 そう呟くと同時に曹長は、立ち上がると建物の裏手から忍び寄ってきた歩兵に向けて無感動にブラスターの銃口を向け、引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここからも震動が響くな……全くよくもまぁ無事だな、私も」

 

 薄暗い通路に響く轟音に、ぼやくように呟く。砲撃の直撃こそ受けてないが爆風やら粉塵を被り結構汚れ塗れの姿であった。直接の怪我は殆ど無いのは幸運だ。

 

 私は、プラント外縁部に繋がる地下通路に必要最低限の装備を背負い、部下を待っていた。

 

「遅いな、そろそろの筈だが……」

 

 後退途中に遭遇戦になったのだろうか?不安に駆られてブラスターライフルを握る力が強くなる。

 

と、思えば通路の奥から足音が響く。

 

「……!」

 

 恐らくは友軍であろうと理解しているが念のため、物陰に隠れ、ブラスターライフルを構える。尤も暗闇からでも良く輝く金髪を視認すれば私はすぐにその銃口を降ろしたが。

 

「ベアトか……!」

「若様、御無事で何よりです……!」

 

 喜色を含んで名を呼べば、ベアトも息を切らし、頬を赤く上気させつつも、心からの安堵の表情を浮かべ答える。

 

「いや、ベアトは怪我はないか!?」

「御安心下さい。軽傷はありますが問題はありません」

 

 確かに見る限り擦り傷はあるがそれ以外は問題は無さそうだ。

 

「そうか、後は曹長達か。少し遅れているな。無事だと良いが……」

 

 あの二人は良く働いてくれている。此度の戦闘、いやそれ以外でもこの任務全体を通じてあの二人がいなければ何回戦死していたか分からない。その実力であれば出会い頭に遭遇戦になっても遅れを取る事は無かろうが……それでも疲労と数の差の前には限界がある。

 

「やはり、無線を入れようか……」

「若様、あの二人にはこちらから連絡を入れました。多少遅れていますがすぐに合流するので先行を願い出ていました。我々は先に行きましょう」

 

 無線を手に取ろうとしていた私にベアトが答え、止めさせる。

 

「そうか……それに戦闘中に無線を入れるのも危険か」

 

 無線の声で集中力が切れる事や場所を敵に察知される危険もある。不用意な通信は相手の身を危険に晒す。

 

「では、もう少し待機だ。負傷していたら治療もいるし、迫撃してきた敵の牽制も必要だ」

「ですがそれでは若様に危険が……」

「今更多少の危険は誤差の範囲だ。それにこの地下迷宮を追ってこれる敵兵は寡兵だろう。奇襲すれば十分勝機はある」

「しかし……!」

 

そこで私は違和感を抱く。

 

 私が怪訝な表情を向けると従士は焦りを濃くする表情から感情を消す。そこで漸く頭の鈍い私でも違和感の正体に気付いた。ベアトが普段よりも強く反論していた。諫言はしても強固な反対なぞ彼女は普通しない。……そしてそこには何か焦りが見えた。

 

「……ゴトフリート従士、卿が嘘を……いや、私に報告していない事があればこの場で報告しろ。今すぐにだ」

 

 私は半分以上察しつつも、念のため高圧的に「主人」として「従士」に命令する。

 

 睨むような私の視線に暫し沈黙した従士は……しかし、暫し葛藤しつつも、遂に命令に従い口を開く。

 

「……曹長達は合流しません。二名は殿として残留します。……残留する事を取り決めました」

 

 絞り出すような口調で、しかし背筋を伸ばし、強い意志を秘めた視線を向けながら従士は答えた。

 

「………ちっ、そう言う事か」

 

 その意味を理解した私はブラスターライフルを手に脱出通路を逆方向に駆け始めた。後ろから従士の呼び止める声がするが無視する。

 

 ……ようは、この時点においても私は蚊帳の外扱いだった訳だ。




やったね!主人公殆ど怪我してないよ!










……尚、次話も無事とは限らぬ模様。


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第六十三話 怒っても、暴言を言うのは良くない

一話に収めようと思いましたが長くなったので分割します。
六十三話は9時、六十四話は10時に投稿します。

痛そうな描写あり


「では、曹長と軍曹は殿として残ると?」

 

  深夜、ライトナー軍曹が斥候を仕留めた後、対策のために起こされたゴトフリート少尉は、目の前の下級従士二名に淡々と尋ねる。

 

「はい、賊軍の規模は、一個連隊はあるでしょう。この地形では多少足止めは出来るでしょうが、所詮時間稼ぎにしかなりません。そのためここからの脱出は既定路線です。問題は……」

「追撃ですね?」

 

 星の光に金色の長髪を照らす新任少尉はその先を答える。

 

「御明察です。賊軍共を中央に誘引しつつ、地下から外縁部に脱出されるのが上策ですが、それだけではすぐに捕捉される可能性があります。ですので若様の任務と安全のために避難されるまで注意を逸らす必要があります」

「そのために、貴方方が残留する、と?」

「我々は所詮下士官、しかも従士の分家生まれです。この場で残る者としては当然の選択です」

 

 曹長は苦笑しつつも、そこには苦悩や不満の感情は読み取れなかった。それどころか当然の選択だと確信していた。

 

 命の価値は違う、という考えは帝国人にとっては常識だ。より優秀で人類社会に貢献出来る血筋を残すためにそれ以外が犠牲になるのは公共への当然の義務であるし、それを抜きにしても兵士よりも下士官、下士官よりも士官の方がその損失を回避すべきものである。同盟では帝国貴族や高級軍人が友軍を盾にしたり、文字通り盾艦を利用したりする事を非人道的行為だと糾弾するが、帝国人には余り理解出来ない考えだった(実の所盾艦は言う程に非人道的でもないが)。戦場で命の優先順位があるのは当然の事ではないか?

 

 その点でいえば最優先に脱出させるべきは自分達の主人であるし、その護衛としてゴトフリート家直系の部下が次点に来る。そしてライトナー家分家筋の自分達はその脱出のための礎になるのは当然の流れであった。幸い本家筋ではなく分家筋なので戦死しても替えが効く。無論、一族は大事であるが主家の家族には代えられないものである。寧ろ、主人を助けるために殿を務めるのは名誉な事だ。

 

「……非礼を承知で御聞きしますが、降伏や裏切りなぞはしないでしょうね?」

 

 本当に非礼の極みであり、侮辱であるが、敢えてゴトフリート少尉は尋ねる。事は主人の命に関わるのだ、当然の事であった。

 

「当然ですぅ、そんな事するくらいならぁ、自決する方が余程マシですぅ」

 

 ナイフの血と油を布と紙で拭き取りながら装甲戦闘車の上に乗った軍曹が答える。

 

 元々銀河帝国において降伏が忌避されるのは開祖ルドルフ1世の訓示によるものではある。銀河連邦末期、連邦軍や連邦警察は宇宙海賊や犯罪組織、テロ組織、武装教団等との死闘を繰り広げた。これらの組織は連邦軍や連邦警察に対して人質や脅迫材料として捕虜を盾にする事、士気を落とすために残虐な方法で処刑や拷問を加える事すらあった。

 

 ルドルフ大帝自身も幾度となく戦友が殺害される場面や部下が人質になる経験をしており、それ故に軍人や警察に対して降伏を認めず、また人質がいようとも容赦なく攻撃し、弾圧を加える事を厳命した。降伏しても五体満足で帰れる者は僅かであり、身代金は活動資金に、取り逃がせば将来的にはより多くの人民や兵士が犠牲になるためである。

 

 帝政成立後は帝室と門閥貴族階級の成立により、そこにある種の選民思想が追加される。帝室を頂点とした身分階層、その支配階級の剣であり盾でもある帝国正規軍や私兵軍は帝室や貴族階級に仕える立場であり、支配されるだけの臣民とは違う、という価値観が生まれる。そして軍と戦うのは共和主義等というカルトを信仰する狂信者や、秩序を乱し臣民を食い物にするマフィアや宇宙海賊……臣民以下の蛮族であり、危険分子であり、帝国の保護を受けるに値しない賤民である。帝室や門閥貴族の代理として秩序と安寧を守護する軍人がそのような者共に頭を下げ、命乞いをするなぞ、帝国の威信を穢す行為に他ならない。

 

 どっぷりと思想教育を受けた臣民は帝室と体制こそが唯一の正義であると確信しており、その考えを抵抗なく受け入れた。降伏する者は体制の裏切り者だ。危険思想の持主だ。ならばその遺伝子が家族にも受け継がれているかも知れない。故に降伏した者の家族は迫害を受ける事もある。そうなれば更に降伏と言う考えに対して忌避感が生まれる。

 

 故に降伏するくらいならば玉砕するなり自決すべし、という思想が長い時間をかけて帝国軍に浸透する事になった。それが薄れるのは自由惑星同盟との長きに渡る戦争により捕虜がそれ以前とは比べようもない程発生し、厳しい軍規を敷く武門貴族や士族の軍人が戦死していき、その占める割合が低下してからの事だ。

 

「軍曹の言う通りです。ここで降伏や裏切りなぞ一族と先祖への侮辱です」

 

 5世紀、二十世代以上に渡り一族で仕えてきたのだ。臣下として長年多くの恩恵を受けてきた身である以上、今こそが務めを果たすべき時である。伝統の重みと教育が個人ではなく一族や誇り、忠義を重視する従士階級の価値観を形作っていた。

 

「……分かりました。武運を祈ります。失礼な事を言いました、謝罪します」

 

 二人の表情を視線を暫し観察し、信用……いや、信頼した表情で少尉は答えた。

 

「いえ、当然の事です。……極稀に土壇場で逃げる臆病者もいますので、疑うのは仕方ありません」

 

心底侮蔑するように、憎々しげに語る兄。

 

 帝国の門閥貴族にしても、亡命した貴族にしても極稀に義務を果たさずに逃げる従士もいない事もない。そういう者は大概歴史の浅い新参者……平民や新興下級貴族(帝国騎士や一代貴族が中心だ)出身であり、背負うべき伝統も貴族として覚悟も無く平民相手にふんぞり返るために従士になるのだ。

 

 本物の、古い従士は違う。初代はその才覚を認められ、その上で一族が永代に渡り多くの責任と危険がある事を理解した上で登用されるのだ。それは重い責任があると共に名誉な事でもある。

 

 代々主家にその才覚を以て忠誠を尽くし、義務を果たす。その代償に主家から様々な保護を受け、多くの褒賞を得るのだ。断じて門閥貴族の腰巾着ではない。自身の立場と義務に誇りを有する者が真の従士なのだ。

 

 故に逃げる事なぞ許されない。そのような恩知らずの、下劣な、犬にも劣る卑怯者になぞなりたくない、それが一般的な従士階級の思考回路であった。

 

「本当ですぅ、最近はぁ、覚悟もないのにぃ貴族になる馬鹿も多いですからぁ」

 

 戦場で命乞いする賊軍の帝国騎士は少なくない。100年も歴史の無い、金で立場を買った奴らが大半だ。貴族になる事をなんだと思っているのか?覚悟もないなら平民として分を弁えろ。

 

 二人の言に頷きながら肯定の意を示すゴトフリート少尉。問題は……。

 

「若様に御了承いただけるか、ですね」

 

 天幕の中で就寝しているであろう彼らの主家の跡取りが脳裏によぎる。

 

「……非礼を承知で言わせて頂くならば若様には統治者たるための、将たるために必要な素養に未だ不足する部分が御座います」

 

 ゴトフリート少尉は、淡々とした表情で、しかし緊張しながら答える。当然ながら相対する双子の下士官の表情は強張った。

 

「……勘違いしないで下さい。能力面で若様が優秀な御方である事は間違いない事実で御座います」

 

 それこそ幼少期から一流の教材と一流の人材、万全の環境を与えられたのだから当然と言えば当然ではある。だが、それでも客観的に見て同盟軍士官学校を上位成績で卒業した事は十分称賛されるべきであるし、貴族階級としての礼儀も態度も、問題ではない程度には体現(演技)出来ている。その点は問題無い。

 

「……ですが、少々若様は必要以上に身内に甘い欠点が御座います。仮に誰が残っても若様の顰蹙を買うでしょう」

 

 同盟において門閥貴族は家臣をぞんざいに扱うというイメージがあるがそれは正しくない。仕える従士や奉公人の大半は数世紀に渡り代々仕えてきた一族であり、血縁関係もあるために実質的には身内同然である。ぞんざいに扱われている者の多くは臨時雇用の食客や平民の雑用人であり、それとて実際にぞんざいに扱うのは雇用した一族の名誉に関わるために滅多にない(粗雑に扱って良いような無能を雇用し、身の回りに置く事は不名誉である)。

 

 それでも限度はある。身内であっても門閥貴族は下級貴族とは違う。貴族と平民程の差はなくとも明らかに違うのだ。銀河帝国の身分制度は皇族・貴族・平民・奴隷階級の四つに大別され、最後に至っては「人」口として扱われもしない。その中でも更に細やかな階層が存在し、細密に分類すれば三桁近い階層・種類に細分化出来、平民や奴隷階級ですら最上位と最下位とで生活も価値観も、体制への忠誠心も、そしてその命の価値すらも大きく違う。

 

 そして指導者層たる門閥貴族一人の命は数千、数万の平民よりも重い。そして当然下級貴族よりも。

 

 身内は大事ではあるが、同時に主人と臣下の価値は違う。主人のために臣下が犠牲になるのは当然の事であった。

 

 臣下を可愛がり、慈しみ、その失敗に寛容で、個々の機微を良く観察して扱う……。それはある意味では美点ではあるのだろう、度量が大きく、身内を可愛がるのは血縁と主従関係を重視する私的な意味での貴族としては好ましいものである。

 

 但し、公的な場面での貴族としては欠点にもなる。平時は支配者として臣下を慈しむのは良いが、有事には勝利のために平然とそれを犠牲にするのが、支配者の義務である。自身の勝利が、生存が最も優先されるべき使命である以上「道具」である臣下はそのための礎にならなければならない。その時に平民と違い、罵倒や非難を無視し責任から逃げず、全体のために一部を犠牲にする決断が出来る者が門閥貴族なのだ。

 

 ゴトフリート少尉の目から見て自身の主人は身内に非常に甘く見えた。自身や他の者に対して過分な程に寛容なのは光栄な事であるが、同時に危険にも見えた。主人と臣下の上下関係は明確に区分されるべきだ。

 

「若様には、まだ少々不慣れな事柄です。具申しても従士の損失を惜しむでしょう……いずれは御直し下さる事でしょうが、今はそのような時間は御座いません。……ですので無礼を承知で行うしかありません。責任は私が全て取ります。貴方方はどうぞ、己の義務を遂行してください」

 

 「資産」たる従士を勝手に利用するのは許されない事であるが……彼女は自身の責任を持って命じた。

 

 同時に双子の下士官も成すべき義務を全力で果たそうと心に決める。

 

 尤も、彼女は大きな勘違いをしていた。彼女の主人が寛容なのは身内への優しさではなく、臆病さ故の事であることを、だからこそ、主人の行動を読み間違えたのだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「若様……お願いです!御下がりを!御身に何かあれば……!」

「ベアト、私が回収するまで援護射撃をしろ。位置的に戦闘装甲車は入り込めまい。位置さえ気取られなければ十分足止め出来る筈だ」

「若様……!」

 

 ブラスターライフルのエネルギーをチェックし、腰の軍用ナイフを兼用する銃剣と手榴弾を確認した所で従士が叫ぶような声を上げた。

 

「だまれ……!役目が果たせないなら失せろ。私だけでいく」

「若様の役目は救援を呼ぶ事です!ここで戦う事ではありません!」

 

 私の強い口調に怯み、一歩下がるが、しかし震える、しかし強い声で反論して見せる従士。その内容は正しい。確かに私の任務は救援を呼ぶ事であり、戦闘ではない。だが……。

 

「部下を統制し、指揮し、連れ帰るのが現場士官の役目だ。私は部下の独断を許す事も、使い潰す事も、まして見捨てる事も学校で指導された覚えはないぞ!?」

 

 戦友を信頼し、上官を敬い、部下を可愛がり、市民を守る、というのは民主主義を信奉する自由惑星同盟軍軍人の理想像(実際に出来ているとは言っていない)である。

 

 無論……建前だ。私もそんな高尚な軍人ではない。私が二人を救援に向かう理由は戦友、と言うこともあるが最大の理由はもっと利己的なものだ。

 

「若様は同盟軍人である以前に伯爵家の嫡男で御座います!若様に何かあれば臣下一同が嘆く事をお考え下さい!」

 

 ベアトは軍人としてではなく貴族として説得しようと切り替える。その言葉には口にこそしないが何かあればライトナー一門が責任を問われる事も含んでいた。

 

「よーし、つまり貴様はこう言いたいんだな!?私に代々仕える臣下が平民共に嬲り殺しにされるのを見て見ぬ振りをして尻尾巻いて逃げろと?素晴らしい貴族の誇りだな、あ?」

 

 私の半分演技、半分本物の暴言に対して金髪の従士は一瞬体を震わせて、怖気づいたように見えた。身分制度が骨身に染みている者にとってはその最上位にある門閥貴族の怒気を買う事の意味は理解出来る筈だ。ましてや幼少期を除いてここまで荒れた口調なのも珍しいから一層事態の深刻性が分かる筈だ。これで折れてくれれば嬉しいのだが……。

 

 尤も、目の前の従士がこの程度で引き下がらない事は分かっていた。私に内緒にしようとしてまでの事だ。相応の覚悟をしていることは確信していた。

 

「若様……責任ならば私が全て御受け致します。従士の分際で越権行為である事は承知しております……ですが、どうか……どうか御引き下さい。ここで万が一の事があれば伯爵家は……」

 

 切実な表情を浮かべ、諫言する従士。必死である事は分かる。完全に善意から来ている事も分かる。だが……それでも、それでも認める事は出来なかった。認められなかった。

 

 私の身代わりに死なせるなんて怖くて出来なかった。自分が死ぬのは怖い。だが、同じぐらいに顔見知りで、自分のために誠心誠意仕えてくれる者を消耗品のように扱う勇気も、度胸も無かったのだ。まして私より年下なのに……?

 

 結局、私が戻ろうとしているのは義侠心や優しさではない。怖いからだ。自分の生き残る踏み台として家臣を、部下を死なせる事が怖いのだ。しかも、赤の他人じゃない、その身内や家族がすぐ側にいるのだ。家臣を死なせて、その癖偉そうにその家族に顔を合わせて命令しなければならないのだ。その責任に、卑劣さに心が圧し潰されそうになるから助けにいくだけだ。

 

結局……私は臆病者なだけだ。

 

 ははは、魔術師も、獅子帝も、いや原作の門閥貴族共すら凄いよ。あっという間に何万、何十万の生死を左右する決断が出来るんだからな!私には魔術師のように冷静に自身の罪に向き合う事も、獅子帝のようにそれを乗り越える覇気と覚悟も、門閥貴族共のように犠牲を当然と考えられる高慢さも無い。

 

 家臣が二人、自分のために死ぬ事すら、その責任が怖くなり、逃げたくなってしまう。その死を背負う勇気もない。

 

 あるいは中途半端に平和な常識がある者と1世紀以上戦争している世界の者達の価値観の違いなのかも知れない……内心自虐気味にそんな事も考える。この時代の奴らって鋼の心の持ち主ばかりだ。心底そう思う。

 

「口ばかりは達者だな?私を誤魔化し、まして資産たる従士を勝手に使って良い身分な事だ、責任を取る?本当に覚悟なぞあるのか?」

 

 内心泣きそうになるが長年の演技力はそんな事を億尾にも出さずに高慢な言葉を冷たい表情で吐き出させてくれた。

 

「当然です」

「そうか、従士位を剥奪した上で火刑にかけてやるが構わんな?」

 

 冗談ではない、と付け足してやる。究極的には領民がそうであるように、家臣だって主人の財産だ。平民や奴隷よりも大事にされても門閥貴族が命じれば処刑は難しくはない、滅多にないが前例がないこともなかった。

 

 無論、実際にする訳がない。そんな事出来る度胸や高慢さがあれば助けに行こうとしない。

 

 それでも門閥貴族の発言はそれだけで意味があることを思えば冗談では済まない内容であり、根っからの貴族信奉者には十分過ぎる程には脅せる内容だったが……。

 

「……御望みとあらば」

 

 流石に蒼白な表情を浮かべるが数秒の逡巡の後、はっきりとした声で恭しくそう答えてみせた。……ああ、ゴトフリート家は良い教育をしているよ!

 

「……突入準備をしろ。命令だ」

「若様……!」

 

 その声に八つ当たりであると分かりつつも苛立ちを感じて、私は声を荒げた。

 

「………!!いつ私が貴様に意見を求めた!?この恩知らずがっ!貴様は黙って自分の職務を果たせばいいんだ!従士の分際で甘えさせてやっている内にそんな事まで忘れたか!?」

 

 苛立ちと恐怖から、怒気と敵意を滲ませて鋭く睨み付けながら私はそう吐き出した。

 

 そこまで言って、自分が相当ふざけた事を言い放った事に気付く。甘えさせている?どの口で言っていやがる?迷惑かけているのは自分の方なのは明らかなのに。

 

 暫し、不気味に場が沈黙する。砲撃音が聞こえている筈なのに私には聞き取れなかった。唯、目の前の少女が何を考えているのか、という一抹の恐怖感のみがあった。

 

「……大変失礼致しました。御命令のままに致します」

 

 見た事ないくらいに生気の無い表情で、事務的にそう答えるベアト。そこで私がどれだけ愚か者なのかを思い知らされた。

 

「あっ…そ、その……す、済まん……言い過ぎた」

「……いえ、構いません。全て至らぬ私の責任です。それよりも、お早く」

 

 咄嗟に謝罪するが、それに対してすらベアトは最大限の敬意を表しつつも淡々と、無感動に、義務的に答える。

 

 事態は切迫していた。こうしている間にも砲撃は降り注ぐ。これ以上弁明の時間は無かった。 

 

「……わ、分かった」

 

 後ろ髪を引かれるが、時間はそんな悠長に待ってくれない。私は迷いと自責の念を振り払い手摺をよじ登りながら地上に出る事を決意した。

 

……ははっ、すぐに後悔したよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は走る。荒廃した廃墟の中をひたすらに走り続ける。

 

「畜生……!」

 

 廃墟の中で出会い頭に鉢合わせした帝国兵、驚愕した表情を向けてくるのを先制してブラスターライフルの銃身で殴りつけ、倒れた所で一発お見舞いして迅速に息の根を止める。無線や大声で助けを呼ばれる訳には行かない。

 

 周囲一帯は砲撃と爆撃により耳が可笑しくなりそうになっていた。

 

「そのせいで敵兵も少ないのが救いか……!」

 

 抵抗が頑強なために未だ相応の戦力があると思ったのだろう、一旦部隊を後退させての砲爆撃……まさか二人で抵抗していたとは思っていないだろう。先ほどのは本隊から逸れた兵士か、浸透していた特技兵か……この際どちらでもいいな。

 

「ベアト、状況はっ!?」

『恐らくそろそろ地上攻撃も始まります!お早く……!』

 

 建材が度々落ちていくのをヘルメットで守りながら私は廃墟を駆ける。この開発プラント中央部はカプチェランカが野外活動不可能な環境の頃に建設された居住エリアであり、住民の保護のため一際頑丈に作られていた。砲爆撃にもある程度は耐えられるために立て籠るのに都合が良い。尤も、四階建ての建物は六割方崩壊していたが。

 

「うおっ……危ねぇっ!」

 

 至近に砲弾が落ちたのか、次の瞬間壁が数メートル先の壁が吹き飛び、私は体を丸めて礫から身を守る。もう少し命中のタイミングがズレていたらそのまま死んでいた。私は時間が無い事を理解しつつすぐさま先を急ぐ。

 

「どこだ……?んっ……!?」

 

曲がり角を右折したところで私はたじろいだ。

 

 通路一面が赤い血で染まっていたのだから。床には半個分隊の帝国兵の死骸……明らかに銃殺以外の方法で殺されていた。そして、この場でこんな事の出来そうな奴らは二人しか私は知らない。

 

「……ここだな」

 

 私は警戒しつつ奥の部屋に向かう。帝国兵に間違われて殺られるのは真っ平だ。

 

「……ライトナー曹長……軍曹、いるか?私だ、ティルピッツ少尉だ……!!」

 

同士討ちを避けるために双子の名前を呼ぶが……。

 

「返答なし、か……」

 

 返事が無いので私は警戒しながら通路を通る。そして扉を開くとゆっくりと部屋に入る。

 

 ……次の瞬間、横合いから振り下ろされた手斧を寸前で避けた。

 

「っ……!!?」

 

 長年の鍛練が無ければ確実に首が千切れていたと断言出来る。体を翻して避けると直ぐ様体勢を立て直す。そして、襲ってきた相手を改めて視界に入れた。

 

「なっ……!?」

 

 そこには小柄な人影が立っていた。尤も、生きているのか怪しい状態だったが。

 

 最早自身の血なのか、返り血なのか分からない。雪原迷彩は真っ赤に染め上がっていた。額と頭からは血が流れ栗毛の髪も今や乾いた赤毛に変わってしまっていた。右手は可笑しな方向に曲がり、応急処置のされた横腹の包帯は赤黒く濡れていた。

 

 重傷である事は間違いない。今すぐにでも応急処置が必要に思えた。が………。

 

「グウゥゥゥ………!!」

 

 怒気を含んだ、警戒……いや、威嚇するような唸り声はまるで獣のそれであった。鋭い赤瞳は私を見ているようで何も見ていないようにも見える。

 

「………」

 

 私は最大限の警戒態勢を取る。味方とか、主従関係なぞ、今はあまり関係無かろう。相当に興奮状態にあった。

 

 それが今目の前にいるネーナハルト・フォン・ライトナー軍曹の状態であった。

 

 

 

 




やったね!高慢な原作貴族に一歩近づけたよ(白目)!


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第六十四話 主人公補正があるから大丈夫!……多分

本日二話投稿です。

六十三話 午前9時投稿
六十四話 午前10時投稿

前回に続き痛い描写多数注意


「グ、グウウウゥゥゥっ……!!!」

 

 見えているのかも分からない眼で私を睨み付けながら獣のような唸り声をあげるライトナー軍曹。左手で構える手斧にはべったりと赤い液体がこびりついていた。半個分隊の帝国兵を惨殺した凶器が分かった。

 

「ぐ、軍曹……?無事かっ……うおおっ!!?」

 

 手斧を持って再び襲いかかるのを慌てて避ける。相当に弱っているので動きは緩慢だが、それでも油断したら多分頭蓋骨をかち割られる。恐らく彼女には私が誰か分かっていないだろう。

 

「ヤバい、理性が飛んでやがる……」

 

 随分と壮絶な戦いをしたのだろう。足元にはぼたぼたと血が滴り落ちていた。あの小柄な、ボロボロの体のどこに立っていられるだけの体力があるか謎だ。殆ど怒りか、本能のみで襲いかかっているように思えた。

 

「ウウゥ……グウゥゥゥ……!!」

「っ……!」

 

 狼のようにぼんやりとした、しかし鋭い視線を向け、再び唸り声を上げる軍曹。そして構えるように手斧を持ち上げる。広くはない私はいつでも回避出来るように構える。

 

「軍曹、落ち着け、私だ……!」

 

 だが、疲労と痛みで頭が回らないのか、威嚇を止めようとしない軍曹。いや、目が霞んで見えないのか?

 

「ちぃ……『控えろ、ライトナー従士、私を誰と心得る……!』」

 

 私は咄嗟に宮廷帝国語で命令する。今の彼女には同盟公用語でいっても耳に届かないだろう。母語で話しかける方が良い。

 

「ググウウゥゥゥ………!!!」

『落ち着け、ここに賊軍はいない、お前達を迎えに来た……手斧を降ろせ……!!』

 

 私は門閥貴族らしい口調で、しかしゆっくりとした口調でそう諭す。

 

『グゥゥ……グ……?……若……さ……ま?』

 

 暫し警戒し……しかし、次の瞬間、疑問系で彼女は答えた。

 

『……よし、そうだ。私だ。警戒しなくていい、ゆっくり斧を……』

「ネーナ……よせっ……!!」

 

 そう途中まで言った所で事態を発見して奥の廊下から走ってきた兄が叫びながら後ろから両手を抑えて拘束する。

 

「がっ……!」

 

 動きを押さえるためとはいえ、その衝撃からか、死にかけの妹は吐血した。

 

「……!!曹長、止めろ!死んでしまう……!!」

 

 はっと、気付いて兄が手を離すと、そのままずるっとその場で足を追って倒れる軍曹、私はどうにかそれを支えると処置に入る。

 

「若様……!?なぜ……!!?」

「それは後回しだ……それよりまずはこいつを処置するぞ……!!」

 

 包帯とメス、麻酔と止血冷却スプレー、輸血剤、消毒薬を準備して私は処置を行おうとする。

 

「若様……それよりも早くお逃げ下さい……!ここは賊軍に囲まれつつあります!私が血路を開きますのでお早く……!」

「いいから黙って命令を聞けっ!!ライトナー従士!!」

 

 敢えて階級ではなく身分で呼ぶ。私の貴族としての命令であると伝えるためだ。

 

「り、了解……!」

 

 兄は、その命令に怯えつつも半ば条件反射的に反応して処置に加わる。

 

 血が染み付いた軍服を部分的に剥がし、傷口に麻酔、メスで銃弾や礫の類があれば摘出し消毒と縫い合わせを行い、止血する。……くそ、打撲と骨折もあるな。当然か。骨は今はどうにも出来ない、固定するしかない。血管と内臓が無事そうなのが幸いだ。あるいはそういった部分のみを守っていたのかも知れない。

 

 処置をしながら私は経緯について説明する。すると妹より多少マシ程度にはボロボロの兄の顔が青くなる。血液不足以外の理由があるのは明らかであった。

 

「ぐっ……ううう……」

 

 倒れた軍曹の方は先ほどとは打って変わって弱弱しい呼吸をしていた。

 

「……ネーナ……軍曹!大丈夫かっ!」

 

 その姿に兄が心底心配そうに声をかける。妹はというとぼんやり兄を見て、小さくこくり、と頷くことしか出来なかったが。

 

 それでも兄からすれば十分に慰めになるようで妹の血塗れの手を握る。

 

 その後に今更のように思い出して曹長は私を見つめる。そこには疑問と絶望と困惑、僅かな希望が複雑にブレンドされているように見えた。

 

『悪いが私はケチでな。貴重な資産を平民共相手に浪費したくない。ここから私と共に後退しろ。残る事も、自決も許さん』

 

 それに対して答えを提供するように強い帝国語で私は命じる。

 

『ですがっ……!!』

『お喋りに興じる時間はない、手を休めるな。態々私自らここまで来たのにその苦労をふいにしてくれるな。それにお前も可能なら妹を助けたいだろう?』

 

 普段ならもう少し考えて、時間をかけて説得出来たであろうが、生憎私自身追い込まれてじっくり言葉を考える暇なぞないため高圧的に接するしかなかった。私自身の手間と立場でごり押しするしかない。尤も、頭の回転の良さそうな兄は暫し葛藤しても、すぐに決心したように協力をしてくれた。誰だって死にたくないし、可能なら身内を助けたいものだ。

 

『り……了解しました』

 

 暫し悩みつつも、兄は渋々そう返答する。やはり、身内は大事だということだろう。実際、少々不足ではあるが丁寧な応急処置の跡が分かる。恐らく兄が妹に施したものだろう。自身も怪我しているが、医療品の大半は妹に使ったようだ。

  

「それにしても……よくもまぁ、こんな傷だらけになるまで……!」

 

 話によれば弾薬を使いきった後は室内でナイフと手斧で待ち伏せと奇襲からの近接戦闘を実施していたらしい。敢えて即死させずに一人目を撃破し、それを盾にして火器を封じて二人目、敵兵の影から三人目……質の低い徴兵された兵士相手だからこそ可能な事でもあった。

 

尤も、それでも無事では済まなかったようだが。

 

「ベアト、二人を発見した。応急処置をしてすぐこの場を離れる……!そちらの様子はっ!?」

 

 傷口に包帯を巻きながら私は叫ぶように無線機に向け尋ねる。野戦衛生の技能を取って正解だ。

 

『……砲爆撃が止みました、っ……そちらの廃墟内に賊軍兵士が突入します!一個中隊はあります!早く退却をっ!私は狙撃で遅滞戦闘を行います!』

 

その言葉と共に銃声が無線機越しに響き始める。

 

「分かった。もうすぐ終わる……!ベアト、お前も無理せず、危険になればすぐに後退しろ!……残るなよ?全員連れ戻すまでは何度でも戻るからな……!」

 

そういって返答を待たずに無線を切ると兄に命令する。

 

「ここから出るぞ……!爆薬かゼッフル粒子はあるか……!?」

 

 この二人の性格からして、予想では最後はきっと自爆で可能な限り敵兵を道連れにするつもりだったに違いない。ならばどちらかは必ずあるはずだ。置き土産には最適だ。

 

「……こちらに」

 

 と、奥の方から高性能爆薬の箱と携帯用ゼッフル粒子発生装置を持ち出してきた。まさか両方持ってくるとはな。こいつが奥の方にいたのは最後の準備のためだったのだろう。

 

「ゼッフル粒子を放出しろ。爆薬のカウントは300秒だ。爆発の混乱に紛れて地下に逃げるぞ」

 

 携帯用ブラスターを兄に与え、私はライフルと手斧を持つ。兄は意味を察して妹を背負うと、腰にブラスターを差し込み私についていった。一刻も早く逃げなければここで全員死ぬのは確定していた。

 

……問題は逃げきれるか、であったが。

 

 

    

 

 

 

 

 走る。走る。唯ひたすら走る。走らなければ物理的に死んでしまうからだ。

 

「右に曲がるぞ……!うおっ!?」

 

 曲がり角で銃撃を受ける。慌てて物影に伏せ、後続の兄をジェスチャーで待機を命じる。

 

「ちぃ……ガンガン撃ちやがって……!引火したらどうするつもりだ……!」

 

 恐らくはゼッフル粒子がまだ薄いためにセンサーが反応しないのだろう。ブラスターを盛大に撃ちまくる帝国兵諸君である。

 

「………!」

 

 私は迅速に蹴りをつけるためにゴーグルを装備した後、腰からスタングレネードを取り出し、射撃の隙をついて床に滑り込ませるように投げる。

 

『手榴弾……!?』

 

 帝国兵達が悲鳴をあげる。薄暗い廊下ではスタングレネードと手榴弾の違いはすぐには分からなかったのだろう、だが、彼らの人生にとってはそれが最大の不運であった。

 

 閃光の光で視界を潰された所で私は手斧を片手に駆け出す。一人を力に任せて首に刃を叩きつけた。

 

「………!」

 

 べきっという骨の折れる音と、肉の潰れる感触がした。銃撃での殺害とは違う言い様のない罪悪感を感じた。私は不快感を圧し殺し、続いて二人目の頭部を引き抜いた手斧で殴り、恐らくは頭蓋骨は粉砕された。三人目はパニックからやたらめったらに射撃するが、視界も見えないのに当たる道理もない。寧ろ先ほど仕留めた二人に駄目押しの一撃をプレゼントする結果になった。ブラスターライフルを腕ごと落としてやると悲鳴を上げる、そこに蹴りを加え、倒れた所に止めの一撃を振り下ろした。

 

「はぁ…はぁ…はぁ……」

 

 脅威を排除した後に、震える手から血肉のこびりついた斧がずり落ちた。動悸が激しくなり、胸焼けがして……次の瞬間吐いた。

 

「うえぇ……げっ……ガッ……!!」

 

 教練自体は何千回もしてきたが、実戦とは雲泥の差だ。刃物を使った殺害する瞬間の感触は多分一生慣れないだろう。殺した感覚が今も手に残る。原作の薔薇の騎士達や石器時代の勇者の精神は化け物かよ……!

 

 尤も、今時接近戦をしている時点で自殺行為ではあるが。……運が良かった。下手すれば返り討ちにあって死んでいた。終わった後になってその行動の危険に気付いた。

 

「若様……!」

「いくぞ……もう大丈夫だ」

 

 中途半端に残しても問題なので胃の中の物はあらかた吐き出してやった。これでもう吐くことは無い、と思いたい。

 

 自身の吐瀉物と死体を乗り越え進む。階段を下ると出口に一人帝国兵がいたのでブラスターライフルで気付く前に射殺する。

 

『居たぞ……!!』

 

 後方から帝国語が聞こえる。数名の帝国兵が実弾銃を構えて走り寄ってくる。ゼッフル粒子濃度が上昇していることに気づいたのだろう。

 

「ちぃ……曹長、行け……!」

 

 死にかけの妹を背負ったライトナー曹長を先行させ、私は最後のスタングレネードを投げつける。閃光により足止めすると、出鱈目に飛んでくる実弾を背を低くして避けながら出口に向かう。痛ぇ……肩にかすったぞ!?

 

 出口から出て荒涼とした雪原を走る。どこからか銃撃の音がして、光条がすぐ側を通り、耳元を鉛弾が通りすぎる音がする。だが、どこからか銃声が鳴るとそれも止んだ。理由は予測出来るが、今それを確認する時間は無かった。

 

 瓦礫を盾にしながら走り、過労でぼんやりとしつつある意識で腕のクラシックな針時計を見やる。

 

「時間だな……!!」

 

 瓦礫に隠れ、後ろを見た。立て籠っていたコンクリートと超硬質繊維の廃墟から追撃の帝国軍兵士が数名現れた。私を見つけ銃を向けようとした次の瞬間……爆発して吹き飛ぶ建物の爆風によって彼らは空中に放り出された。

 

 置き土産の高性能爆薬と携帯用ゼッフル粒子発生装置によるコンボは先程まで立て籠っていた建物全体を紅蓮の炎と共に吹き飛ばした。

 

 突如の大爆発に建物の外で展開していた帝国軍兵士は恐慌状態に陥る。ざまぁ見やがれ……!

 

 達成感に私は口元を吊り上げながらながら嘲笑し、その場から素早く撤収しようと走り出す。

 

……次の瞬間、後ろからだれかに押し倒された。

 

「ぐっ……っ!?」

 

 雪の上に腕をついて、慌てて後ろを振り返る。血と泥に汚れた雪原迷彩服を着た若い帝国軍兵士がいた。ぎらり、と肉食獣のようにこちらを睨み付けていた。

 

『うおおおぉぉぉ!!』

 

 腰のポーチから取り出した刃渡り十五センチはあろうかという炭素クリスタル製軍用ナイフを抜きとると、帝国兵は飛びかるように襲いかかる。

 

 寸前で私は身を翻し腹部への一突きを回避する。……まぁ、代わりに左太腿を深々と抉ったけどね?

 

「あっ……ぐっ……!?」

 

 焼けるような激痛が襲い掛かる。喉から絞め殺される鶏の断末魔のような悲鳴が漏れた。だが、理性と本能がそれを押し止める。そんな事をしている暇はない事は分かっていた。涙目になり、憐れな鳴き声を上げながらも意識は帝国兵の次の攻撃に集中していた。

 

 意識を向けた先……馬乗りになった帝国兵が目を見開きながら私の左太腿に突き刺していたナイフを乱暴に抜き取り私の首へと突き立てる。その表情は明らかに正気のそれではなかった。

 

「ふぐっ……ふざっ……けんなっ!」

 

 咄嗟に両手でナイフの柄と帝国兵の腕を掴み、襲い掛かる死に抵抗する。体を鍛えていて正解であった。下手すればこのまま筋力勝負に負けて即死していたかも知れない。

 

尤もこのままでは時間稼ぎに過ぎないが。

 

「ぐぐぐ……!」

 

 目の前に血に濡れたナイフが妖しく輝いていた。私は反撃のために左腰の銃剣を取ろうとして気付いた。この体勢からでは帝国兵が邪魔で右手では取れない。しかも私の右手は帝国兵の振り下ろそうとするナイフの柄を握っていた。

 

「ち……畜生……!」

 

 防刃繊維の性能に期待して手袋越しに全力でナイフの鍔元を握る。その間に左手で腰の銃剣を探す。ははは、痛てぇ……血が手袋越しに気前よく流れて来やがる。ぐっ……ゆ、指の骨に当たっていやがる……!糞、この手袋作った会社訴えてやるからな……!!

 

『糞ぉ……叛徒共……た、隊長の仇っ……し…しし…し、死ねええぇぇぇ!!』

 

 まだ二十にもなっていないボロボロの衣服を着た若い帝国兵はブラウナウ訛りで禍々しい殺意と恐怖心を言葉に乗せて叫ぶ。

 

「ぐっ……ぐぐぐっっ……!!!」

 

 私は殆ど獣の唸るような声を上げていた。手袋越しに勢いよく流れる深紅の血も、指の骨を削り、肉を切り裂く痛みも無視して炭素クリスタル製のナイフを握りしめ、ゆっくりと押し返す。それを見て吐息が感じられる程に顔を近づけた帝国兵は尚も血走った形相で睨みつけ、奇声に近い咆哮を上げると私の喉を抉るためにナイフを持つ力を強める。

 

「ぐっ……う…ゔゔおおおおおおぉぉぉっ!!」

 

 やっとの思いで左手が腰の銃剣の柄を掴む。鞘から抜いたそれを叫びながら防弾プレートで保護されていない帝国兵の脇腹に突き刺した。防刃繊維で出来ていているために簡単には突き刺さらない。だが、所詮は大量生産品、重装甲服の装甲すら炭素クリスタルは切り裂くのだ。軽歩兵の防刃布を切り裂けない道理はない。

 

「し……死ね!……死ねぇぇっ!!さっさと死ねぇぇぇ!」

 

 殆ど半狂乱に銃剣を何度も脇腹に突き立てた。数回突くと肉を抉った感触を感じた。私は構わず何度も、何度も何度も突き刺した。  

 

『あっ……あがっ……!!』

 

 帝国兵は口から赤黒い物を吐き出した。顔面に豪快にそれを被る。鉄の臭いと生温かい感触……私は言葉にならない奇声を上げて尚も銃剣を突き刺した。帝国兵の力が抜け倒れると、それを押し倒し、雪原に叩きつける。

 

「はぁはぁはぁ……糞がっ!こんな所でくたばれるかよっ……!」

 

 吐き捨てるように叫び、立ち上がる……が、次の瞬間激痛が左足を襲い、倒れこむ。

 

「若様……!?」

 

 聞きなれた女性の声が聴こえた。それは殆ど悲鳴に近いものであった。

 

「べ、ベアトかっ……!?」

 

 殆ど泣き声になりながら私は従士に助けを呼ぶ。彼女はすぐに視界に入ってきた。恐らくは帝国軍兵士から奪ったMG機関銃を両手で持った血と泥に汚れきった彼女は私をその視界に見出だすと両目を見開き、機関銃を投げ捨てて必死の形相で駆け出す。

 

「若様っ……!!」

 

 血塗れの怪我だらけの私に悲鳴に近い声を上げ、しかし彼女はすぐに成すべき事を行動に移した。

 

「今なら賊軍は混乱しています……!暫し御辛抱下さい……!」

 

 そういって私の左手を自身の右肩に回す形で肩を貸し、半ば無理矢理歩行を促す。私も事態を理解しているため文句を言わず、激痛を堪えて歩き始める。

 

「若様……!こちらは危険です!」

 

 視線の先では包帯を巻いた軍曹を物陰に隠した曹長がブラスターライフルを撃ちながら叫んでいた。

 

畜生、先周りされていたか……!

 

 私はその時鈍い頭をフル回転されて打開策を考える……が、既に答えが出ていた。

 

「……詰みだ」

 

帝国軍に、完全に逃げ場もなく包囲された。

 

「くそぉ………!!」

 

震えるような声でそれだけを呟いた。

 

 今更のように後悔の念が生まれる。こんな所で死ぬのか?あの時、曹長達を見捨てたなら助かったのだろうか?いや、そんな決断が私に出来たとは思えない。きっと後悔して、病んでいただろう。

 

 ならば、これが必然だったのだろうか?所詮魔術師や獅子帝のような才覚もない唯人が戦場で生き残ろうとする事自体がおこがましかったのだろうか?

 

「若様、危険です……!」

「えっ……?」

 

 次の瞬間、ベアトに押し倒される……と、共に目の前に何かが通り過ぎ、数秒して鼓膜を震え上がらせる爆発と衝撃が襲いかかり、視界が回転する。

 

「あっ…がつっ……ひっ……!!?」

 

 どうやら私目掛けて携帯式ロケット弾が撃ち込まれていたようだ。半ば現実逃避していた私は気付けず、ベアトがいなければ直撃を受けて死んでいた。尤も、至近で爆発したらしく、爆風で視界が回転するくらいには吹き飛ばされたが。

 

「ぐつ……うぐっ……!?」

 

 頭がズキズキと痛み、触れてみれば、特殊繊維と合金と強化プラスチックの三重の保護を受けた軍用ヘルメットが引き裂かれていた。礫か鉄片が命中したのだろう、触れた手がねっとり血塗れになっていた。頭皮が剥けたか、切れたのか……幸運なのは多分頭蓋骨は無事なので中身が零れる事はないことだ。二度目は知らん。

 

「べ、ベアト……!?ひぐっ…!!?」

 

 不用意に人を呼んだために居場所がバレて数条のブラスターの光が襲いかかり、一発が左肩を撃ちぬいた。

 

「ち。畜生……!!」

 

 転がっていた帝国兵のブラスターを掴み、銃撃してきた奴らに返礼して二名、ヴァルハラ行きの特別チケットを発行してやる。

 

「ぐあぁ……はぁ……はあ……ああっ……痛ぅっ……!」

 

 ナイフの刃に深々と掌の肉と骨を削られた痛みを思い出し、震える右手からブラスターを落す。ブラスターは真っ赤に濡れていて、雪の上に落ちればその純白を下品な赤色で彩った。

 

 正直、痛みと恐怖と絶望感でまともな思考が出来そうになかった。今となっては呼吸の度に肺を満たす冷たい空気すらも鋭利な刃物を突き立てられるかのような痛みに変わっていた。

 

「若様…どこですかっ!ああ……!!なんていう………!」

 

 額の右側からドロドロと血を流した従士が私に駆け寄る。血を流す頭を撫で、怪我の具合を確認しようとする。

 

「……大…丈夫……だ。はぁ……表面の皮が…切れたか剥がれただけだ」

 

 明らかに大丈夫ではないが、この際中身が出てこなければ誤差の範囲だ。

 

「どこかに隠れましょう……!賊をやり過ごして再起を図りましょう!」

「もう……無理だ。私は良い…から……逃…げろ……」

 

 尤も、どの口で言っているんだ、であろうが。戻ったのは自分の我儘である事を疲労と痛みで麻痺しつつある脳細胞で辛うじて思い出す。

 

 どの道、一人捕虜になっても、逃げられても彼女には未来が無いも同然だ。呆れたものだ、自分は我儘で事態を悪化させただけではないか。少なくともあの時逃げれば私とベアトは助かった筈。それを私の我儘が全員を地獄に落とす事になった。

 

「駄目です……!御叱りは後ほど御受けしますので御容赦を……!」

 

 か弱い女性の身で渾身の力を込めて私の肩のエポレットを掴み引き摺る。どこかの瓦礫か廃墟の中にでも隠れようという事だろう。

 

「ぐっ……!?」

 

 一瞬の閃光、続いて低い悲鳴と共にベアトが倒れる。右肩を押さえていた。そこからじわじわと赤い染みが広がる。ブラスターライフルの光……!

 

「ベアト……!?」

「だ、大丈夫です……問題は…な……」

 

 顔を上げたベアトの表情が凍る。その視線の先を振り向くと瓦礫の上から今まさに私達を発見して手に持つブラスターライフルを構えようとしていた数名の帝国兵。

 

「ベア……」

 

 逃げろ、という前に覆いかぶさる従士により視界が塞がれる。彼女の意図する事を瞬時に理解する。だが、貫通力に優れたブラスターに対してどこまで効果があるかは怪しいものだった。それでも彼女は自身に出来る事を咄嗟に判断し、最大限の献身をしようとした。

 

尤も、仮に助かっても………。

 

「……ごめんなさい」

 

 帝国兵達がブラスターの銃口を向け、引き金に指を置こうとしていた時、幼い、子供が泣きじゃくったような声が漏れた。怯えるような、懺悔するような、か細く、震えた呟き……。

 

「…………っ!!!!」

 

 恐らく、絶望と後悔とで私はこれまでに無いほどに表情を引き攣らせていた筈だ。無意識のうちに私は声にならない悲鳴を上げていた。

 

 違う、いやそうではない、こんなつもりじゃなかったんだ……!ただ……ただ……!

 

 しかし、言い訳をする時間なぞもう無かった。微かに視界に収まる先では正に数名の帝国兵が引き金を引き、銃口が光を称えていた。次の瞬間に幾条もの閃光が私達の体を穿つ筈であった。

 

「ひっ……」

 

 死ぬ事への恐怖が今更ぶり返して私は覆いかぶさる従士に咄嗟に抱き着いた。完全に臆病で、卑怯者の行動であった。

 

 そして襲い掛かる死から逃避するように目を瞑り………。

 

 

 

 

 

次の瞬間、目の前の帝国兵達が薙ぎ払われた。

 

「えっ………?」

 

 私は呆けた表情でそう口にした。何が起きたのか分からなかった。

 

 次に感じたのは耳を切り裂くような轟音であった。上空を二つの影がサイレン音と爆音を上げながら通り過ぎる。

 

戦闘攻撃機(jagdbomber)……!!』

 

 殆ど絶叫に近い帝国語を帝国兵達は叫んだ。それはまるで丸腰でグレンデルにでも遭遇したかのような恐慌具合であった。いや、実際軽歩兵にとっては丸腰と変わらない筈だ。

 

 (krahe)……同盟地上軍航空軍ではそのまま同盟公用語で「クロウ」と呼ばれているJU-78は亡命軍が製造して第一線に投入している大気圏内戦闘攻撃機であった。その頑強な装甲から来る生存性と対装甲戦力を想定した強力な火力が注目され、幾つかの同盟の軍需産業メーカーがライセンス生産し、同盟の航空部隊においても数千機が運用され、帝国地上軍の恐怖の的になっていた。

 

 だが、あれは明らかに同盟軍のそれではなかった。あの独特の烏の鳴き声のようなサイレン音を奏でるのは同盟軍の機体ではない。

  

『うわあぁぁぁぁ!!??』

 

 帝国兵達は悲鳴をあげながら一ミリでも遠くに逃げようと走り出す。だが、全ては無駄であった。

 

次の瞬間……地面が爆ぜた。

 

 戦闘攻撃機の機首に備え付けられた45ミリ口径の荷電粒子ビームガトリング砲の雨が帝国兵を文字通り消し飛ばす。命中した兵士は文字通り「消滅」し、掠った者は手足が引き千切られ内臓をこぼして断末魔の叫びを上げる。戦闘装甲車は装甲の薄い上方から蜂の巣にされた。

 

 ハードポイントの500ポンドスマート爆弾が切り離される。爆弾内の光学カメラとセンサーが周囲を探知し、母機から入力された目標物に向け慣性の法則に従いながら自身を誘導する。次の瞬間には紅蓮の炎が雪原を多くの人形共々飲み込んだ。

 

「ち、中尉……き、来ます……来ます……!!」

「慌てるな、散開しろっ!的を絞らせるなっ!どこでもいい、廃墟の中に入って雪に体を潜らせろ!」

 

 どこからか叫び声が響く。帝国軍の士官だろうか、混乱する兵士達に的確な命令をしていた。尤も、恐怖によりパニックになった彼らがそれを実行出来るかは疑問であるが。

 

 続くように低空飛行する攻撃ヘリと輸送ヘリの編隊が廃墟を避けながら現れる。通常ならば対空砲火の的であるが、現在の混乱する状況では効果的な反撃は出来ないし、許さない。火薬式機関砲やロケット弾、ドアガンが地獄の大合唱に参戦した。携帯式対空ミサイルや重機関銃は空に向ける前に所有者ごとスクラップにされる。殺戮と破壊と焼却の三重奏が奏でられる。

 

 悲鳴と爆音が響き渡り、肉と鉄の焼ける臭いが充満する。次の瞬間には潰走する帝国兵達をナパームの炎が舐めた。燃え上がる人形がのたうち回る。下手に軍服に難燃性があるために多くの兵士が即死出来ず、かといって助かる希望もないままにヴァルハラに旅立つまでの苦行を味わう事になった。

 

「あっ………」

 

 私とベアトは、殆ど唖然としてそれを見ているしかなかった。圧倒的な破壊と殺戮が行使されているその光景を黙って見ていることしか。

 

 ホバリングしながら着陸する人員輸送型ヘリコプター、そこから降下するのは髑髏のような重装甲服を着た屈強な戦士の集団。

 

「装甲……擲弾…兵?」

 

 白い帝国軍装甲擲弾兵団が周囲の帝国兵をブラスターライフルで迅速に掃討しながら私の元に駆け寄る。

 

正面に立った髑髏顔が淡々とした口調で尋ねる。

 

『官姓名を御聞きしたい』

 

 宮廷帝国語での質問。流暢で優美な言葉が、しかしこの場では場違いのように思えた。

 

 気付けばベアトが、退き、私を起き上がらせていた。何か……衛生兵だろう……を呼ぼうとするのを止め、口を開く。

 

『……無礼だろう、質問するなら……卿から答えよ』

 

 ぼんやりとする意識の中、宮廷帝国語で門閥貴族が格下に答える「正解文」を答えてやる。

 

『……非礼をお許し下さい。第16装甲擲弾兵連隊所属、フォン・ドルマン大尉であります。フォン・ティルピッツ様でありますな。衛生兵を呼び寄せます』

 

 待ってました、とばかりに膝を折り、深々と謝罪する大尉に、しかし私は漸くこの場で伝えなければならないことを思い出す。

 

『北緯14度……』

『は?』

『北緯14度6分、西経151度9分……捜索しろ。救助対象が……ある。……それと…部下達が重症だ……その治療もたの……む……』

 

 そこまで言って私は体の力が抜け、倒れる。辛うじてこの場で最低限、隊長として口にしなければならないことは言った。これ以上は気力も体力も持たないので勘弁して欲しい。

 

悲鳴と、動揺の声が聞こえた。

 

 慌てて衛生兵が集まり、何らかの治療を施していくのが薄れ行く意識の中でも分かった。

 

『……あっ』

 

消え行く意識の中で、私は確かに見た。

 

 金糸の髪の従士が、顔を歪ませていた。ぼろぼろと涙粒を落としながら泣き顔を見せていた。まるでこれまで泣いた事が無いような下手な泣き方だった。そして……随分と懐かしい表情でもあった。

 

『………』

 

 謝罪も、言い訳の声を出す気力も体力もなく、そのまま私は重い瞼をゆっくりと閉じていく。

 

 また、迷惑をかけるな……内心でそう思いながら、私は意識を手放した………。

 




ボロボロになったけど医療技術が進んでいるのでへーきへーき(つまり今後も痛めつけられる!)

次話は結構シリアスからシリアルになるかも


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第六章 自宅通勤の仕事はストレスフリーな職場だと思ったか?
第六十五話 病院の食事は味気がない


「……雨が降って来たな」

 

 鬱蒼とした森は、曇天の空により、一層暗くなっていた。ぽとぽとと雨粒が降り始める。その勢いはまだ弱々しいが、遠くから聞こえる地鳴りのような雷を思えばすぐにその勢いは激しくなる事が予想出来た。

 

 私は大樹の根本に腰掛け、不快感がありありと分かる表情で雲に覆われた空を見上げ、その後改めて目の前で息を切らす人影を見る。黒いべストに白いキュロット、緋色のジュストコールを羽織り、三角帽を被る姿は貴族階級の少年のそれであるが、肩まで伸びる繊細な黄金色の髪と細い顔立ちを見ればその人物が少年ではなく少女である事が分かる筈だ。

 

「い、いましばらくおまちください!どこかあめをしのげるばしょをさがしますので……!」

 

 森の中を探し回ったのだろう、絹とラメ、レース等を贅沢に使った衣服は泥に汚れ、枝葉に引っ掛かり所々ほつれていた。そんな彼女は精一杯の謝罪の言葉を口にしてから三角帽を差し出す。

 

「あ、あめがつよくなっておりますので……このようなものでもうしわけありませんが、どうぞあまつぶをふせぐのにおつかいください……!」

 

 その姿は罪悪感と恐怖心を綯い交ぜにしたもののように思えた。このまま伯爵家の嫡男を雨でずぶ濡れにさせてしまえば間違いなく実家から叱りつけられるであろうから当然であろう。

 

 尤も、ある意味では幸いかも知れない。それだけの理由があればこの小娘を追い出すのに十分だ。追い出された事に対してこの娘も実家から幾らか言われるであろうが、これまで何人も……ゴトフリート一族からも……難癖つけて追い出している身からすればそこまでしつこく両親に言われる事はあるまい。

 

 私は半ば意識的に憮然な表情を浮かべ三角帽を受け取るとそれを頭に被り、顎で行け、と命じる。恭しく少女は頭を下げ、踵を返して走り出す。

 

「……まさか本当に遭難するとはな」

 

 新無憂宮程ではないにしろ、この新美泉宮も大概な面積を有している。その北苑たる狩猟区は外縁も含めると平原に森林、山岳部、高地等様々な環境に百種類以上数千頭もの動物が住み、その全てが皇帝グスタフ三世の資産であり、狩猟の的である。流石に雪原やサバンナ、熱帯雨林での狩りをしたい時は遠方の飛び地でやる必要こそあるが、大概のシチュエーションならばこの宮廷で可能だ。にしてもまさか方角が分からなくなるだけで遭難する事になるとは思わなかった。完全に甘く見ていた。

 

「………まさか、獅子帝に殺られる前にここで餓死するなんてないよな?」

 

 新無憂宮の地下に消えたアルベルト皇子ではないが、新美泉宮でも遭難して餓死寸前で見つかる者も十年に一人くらいはいるという。新無憂宮に比べれば効率重視のため機械による警備も行ってはいるものの、それでも比較的であり、広大な敷地に対して不足と言わざる得ない。

 

「うわっ……本格的に降ってきたな」

 

 後ろ向きな事ばかりらを考えるせいか、激しい雷雨が降り注ぎ始める。

 

「……大丈夫か、あいつ?」

 

 この雷雨と暗い視界である。迷うか、そうでなくても足元が見えずに怪我をする可能性もある。獣が近づいてくるのも気付きにくくなるだろう。

 

その心配は十五分もすれば一層大きくなる。

 

「……本当に大丈夫か?」

 

 暫し逡巡した後探そうと決心する。失態を犯して追い出したいとは考えても怪我をさせたい訳でも、危険に晒したい訳でもないのだ。

 

「……ちっ、行くか」

 

 そう言って豪雨の中木陰から出ていこうとした次の瞬間であった。森の中から現れる少女と鉢合わせしたのは。

 

「み……みつかった…わかさま、おまたせいたしました!こやをみつけたのでごあんないいたします!」

 

 その姿は正直惨めと言って良かった。どこかでこけたのだろう、キュロットが泥色に染まり、服装は捨て犬のようにずぶ濡れになっていた。

 

「あ、ああ……」

 

 私はそう答えるしかなかった。正直そんな姿になりながら、喜色を浮かべながら目の前の少女はそう口にしたのだから。

 

 内心戸惑うが、そこに大きな雷が降り、前世がある癖に少し怯み、結局少女が先導して私は小屋の方に向かう。

 

「あめにおぬれになられますのでどうぞ……!」

 

 そういって緋色のジュストコールを脱いで被せるように私の頭の上にかざす。少しでも雨から身を守らせようとしているらしかった。何とも見上げた忠誠心だ。子供にこんな事をさせるとはどんな教育をしているんだ?

 

「……ご苦労」

 

 本来ならば別に口にしなくても良いのだが、私としても子供にここまでさせていては流石に罪悪感も感じるために小さい声で口にする。この雷雨では聞こえているか怪しいがどちらかと言えば私の精神衛生……自己満足に近いものなので聞こえていなくてもこの際問題はない。

 

 暫く沈黙のうちに私は先導されながら暗い森を進む。時たま足下に気を付けるように声をかけられる以外は彼女もまた口を開く事はない。

 

「………なにやっているんだろうな」

 

 宇宙で万を越える艦艇が戦争している時代に雨の降る暗い森の中で少女に導かれて歩いて行くことがどこか滑稽で、場違いな事のように思えて、自嘲的な気分になってくる。

 

 十分も歩くと森の中から一件の狩猟小屋が見えてくる。小さくて粗末な、恐らく然程使われていないのだろう。だだっ広いとこれだからいけない。

 

「まぁいい、この際雨を凌げればな」

 

 正直寒いし、空腹だし、風邪を引きそうだ。流石に精神は兎も角肉体は完全に子供なので油断したら危険だ。いくらなんでも庭先で遭難死なんて笑えない。

 

「なかはかくにんいたしました。あんぜんですのでどうぞおはいりください」

 

 子供にしては十分に礼儀に沿った口調と動作で頭を下げながら扉を開く従士の少女。

 

「ああ……お前は入らんのか?」

 

 偉そうにふんぞり返りながら答え、そのまま小屋に入ろうとして、漸く入室しようとしない彼女に気付く。

 

 すると、少女は一瞬迷うような表情を浮かべ……気後れしたような口調で答える。

 

「えっと……わたしは……きょかされませんので」

 

 恐る恐る口にする言葉と、ここがどこかに思い至り、その意味を理解する。そして、良い歳してそこに思い至らなかった私はかなり甘やかされ、大馬鹿者であっただろう。この宮廷の木々の一本、花も、動物も、魚も、ありとあらゆる物の所有者は決まっていたのだから。

 

「宜しい、ではゴトフリート、私が命令する………」

 

 そして、その事に失念していた事に若干不愉快な気分を受けながら、私はその口で命じる事にする。今に思えばかなり恐れ知らずの命令だっただろう。それでも私は口にした。私の命令なら事後承諾も許されると理解していたから………。

 

 

 

 

 

 

「うぅ………うん?」

 

 私は、目を開くと同時に眩しい朝日の光を浴び、再びその瞼を一旦閉じなければならなくなった。

 

「あら中尉さん、ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」

 

 丁度室内の換気を兼ねてカーテンを開き、窓を開けようとしていた若い看護師が申し訳なさそうに尋ねる。

 

「……いえ、丁度目覚める事が出来たので大丈夫ですよ」

 

 患者服を着た私は周囲を見渡して状況を理解すると、欠伸を噛み殺し目元を擦りながら愛想笑いを浮かべてそう答える。

 

「……朝、か」

 

ベッドからまだ少しだけ痛む体を起こすとそう呟いた。

 

 惑星ハイネセンの空は冬が近いにも関わらずカプチェランカのそれと違い雲の殆どない青々としたそれであり、恒星バーラトはその暖かな恵みを惜しみなく地表の生命全てに与えているように思えた。

 

 宇宙暦784年11月上旬、ハイネセンポリスにあるハイネセン第一軍病院の一日は今日も平穏に始まった。

 

 

 

 

 

 宇宙暦784年8月25日、帝国軍は第16星間航路方面にて艦艇1万2000隻、地上軍90万に及ぶ戦力を持って全面攻勢を仕掛けた。総司令官マウリッツ・フォン・シュタインホフ帝国宇宙軍大将率いる帝国軍は十八星系に対して同時に奇襲攻撃を敢行し、その第一撃で多大な戦果を挙げた。ドラゴニア星系第二惑星基地の占拠、ボロドク星系第八惑星第六衛星の宇宙基地の破壊、エルシュ星系第五惑星衛星軌道における同盟駐留艦隊の撃破は同盟軍の威信を失墜されるに十分であった。

 

 だが、同時に同盟軍の抵抗は帝国軍の想定よりも頑強で、その反撃もまた迅速であった。第3方面軍管区司令官グラエム・エルステッド中将は部隊の再編と、後方・予備戦力を持って9月4日に全面的な反撃を開始した。10日の第9次カキン星域会戦においては帝国軍が艦艇7900隻、地上軍65万に対して同盟軍は艦艇6800隻、地上軍50万と数的に劣勢であったが艦隊参謀長レ・デュック・ミン少将が立て、司令部直属部隊司令官であるネイサン・クブルスリー准将が実行した陽動からの半包囲作戦は成功し、薄氷の上に勝利を掴んだ。

 

 無論、奇襲攻撃を受け、帝国軍相手に劣勢を強いられた事実は変わる事はない。9月14日の戦闘の暫定的終結までに同盟軍の喪失は艦艇1800隻、兵員26万8000名に及ぶ。対する帝国軍の推定損害は艦艇1600隻、兵員24万5000名であり、同盟軍のそれを下回る。多くの軍事施設を破壊された事を考えれば敗北と言っていい。

 

 当然のように同盟軍は敗北を糊塗するために英雄達を持ち上げた。実際、今回の戦闘においてもこれまでの戦いと同じように戦功を挙げた軍人は数多く生まれた。

 

 第9次カキン星域会戦の功労者レ・デュック・ミン少将、ネイサン・クブルスリー准将は当然として、第101戦艦群司令官にして名艦長としても名高いマルコ・パストーレ大佐は遂に単独撃沈艦艇を99隻の大台に乗せ、二つ目の自由戦士勲章を受章した。兵士達は彼を百戦錬磨の名艦長と称える。同盟宇宙軍航空隊最強のパイロットである第54独立空戦隊隊長ハワード・マクガイア中佐は単独撃墜数を367機に増やし、故ホアキン・バーダー大佐の記録を塗り替えた。バリー・ウォーカー中佐率いる第701歩兵連隊はボロドク星系第四惑星攻防戦にて十倍の帝国軍を7日に渡り足止めをして、遂には第四惑星における地上戦の帰趨を決定づける事になった。私の上官でもあったカプチェランカ戦域軍司令官マリアノ・ロブレス・ディアス准将は数倍の帝国軍の攻勢を防ぎつつ、カプチェランカ全域の戦力の再編を遣り遂げて見せその後の反攻に貢献した。ウィレム・ホーランド少尉はドラゴニア星系第二惑星基地陥落後、小隊を率いてゲリラ戦を展開、同盟軍の反撃に際して通信基地や補給基地四か所を襲撃・占拠して多大な支援を行ったって………んんん?

 

「お前もかい!」

 

 思わず携帯端末に映る電子新聞に突っ込みを入れたのを覚えている。聞き覚えどころか面識のある奴が出てくれば当然だ。

 

 ウィルヘルム・ホラント……現ウィレム・ホーランドは士官学校卒業と共に姓名を無断で同盟風に改名し、同胞から多くの批判を受けた。亡命政府上層部はある種の罰として前線にほど近いドラゴニア星系統合軍の司令部のある第二惑星基地の基地防衛隊付きの立場に飛ばした……とまでは聞いている。初っ端からの前線、しかもカプチェランカと違いこれからが戦闘シーズンに入ろうかというドラゴニア送りはカプチェランカ送りよりも遥かに酷い扱いだ。尤も、寧ろ功績を作る手助けになってしまったようであるが。しかも私と違ってほぼ無傷、インタビューで随分と自信に満ちた大言壮語を吐いてくれている。10月1日を以て宇宙軍中尉に昇進したようだ。幾つかの勲章も授与されたらしい。

 

 私自身は、民間人救助要請任務遂行、帝国軍との戦闘における指揮と個人的武功を持って宇宙暦784年10月2日を持って宇宙軍少尉から宇宙軍中尉に昇格、二つ目の同盟軍名誉戦傷章のほかカプチェランカ従軍章、市民守護勲章、同盟軍名誉勲章を同盟軍から授与された。

 

 それぞれの分類についていえば名誉戦傷章は以前の説明通り、従軍章はそのまま戦地への従軍者に与えられる物なので然程価値がある訳ではない。市民守護勲章は民間人保護に尽力した軍人に与えられるもので対帝国戦よりも寧ろ国内の対テロ戦闘や対宇宙海賊戦闘に従事した者に与えられる場合が多い。

 

 同盟軍名誉勲章は注目すべき勲章だ。自由戦士勲章にこそ劣るが勲章の格式序列としては第二位に入る。授章基準及び対象は、「戦闘においてその義務を超えた勇敢な行為、或いは自己犠牲的精神を示した同盟軍人」であり、付随する特権として毎月給与に対して500ディナールの追加、退職金の割り増し、特別有給休暇の付与、公共施設における優先利用権等がある。受勲者は、250年以上続く自由惑星同盟軍においても2万名に満たず、その半数は死後授勲者だ。

 

 これだけ言えば名誉勲章受章がどれだけの価値があるか分かるだろう。逆に言えばその上位互換たる自由戦士勲章を与えられるのは軍事的・政治的に相当な戦果と影響を与えた者のみに限られる。

 

 授与理由としては民間人の救助のために少数での敵地横断と、一個連隊の大軍に対して少数を指揮して極めて大きな戦果を挙げた事が理由とされているが、正直亡命政府への機嫌取りなのは間違いない。実態は救援部隊が来るまでに与えた損害は最大限に見積もっても二個中隊、過半数がゼッフル粒子の爆発とその他のトラップであり、残り半数がライトナー兄妹、さらに残りの過半数がベアトが戦死か負傷させたものであり、私個人としては一個小隊を仕留めたのかすら怪しい。本来ならばせいぜい二つ下の殊勲章が妥当であろう。

 

 これとは別に亡命政府軍から騎士鉄十字勲章と戦傷章(二枚目・銅)が授与される事が決まっていた。

 

 こちらも政治的配慮に満ちている。鉄十字勲章は本来二級、一級、大鉄、騎士鉄、柏葉付騎士鉄、柏葉・剣付騎士鉄、柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄、金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄の八級に別れており通常の功績では二級鉄十字章が授与、その後新たな戦功に応じて次の等級の鉄十字章が授与される形であり、通常はどれ程の功績を上げようと最初の授与は大鉄十字章となっている。明らかな身内びいきであった。

 

 因みにこの勲章は帝国でも同一の物が存在し、最後の金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章は帝国でも亡命政府でも一代の皇帝の時代に12名までしか授与されない規定がある。

 

 と、いうかこれを授与されるのが12人も同時代にいれば帝国は戦争に勝っている。150年の戦争の間に帝国軍ですら授与された者が二十名にも満たない。亡命軍においても僅か四名だ。全員人間を辞めているような奴ばかりだった。二十年続くフリードリヒ四世時代においてすらこの勲章を授与されたのは現在二名に過ぎない。内一人は「将軍殺し」、「将官エース」、「ミンチメーカー」、「石器時代の勇者」、「雷神」、「殺戮機械」、「首狩り男爵」等二十以上の異名(悪名)を轟かせる装甲擲弾兵団副総監オフレッサー大将である。ごめん、将官をキルするエースとかちょっと意味分かんない。

 

「しかも、半年もすれば大尉に昇進でしょう?羨ましい限りですな」

「心にも無い言葉ありがたく頂くよ、騎士殿」

 

 茶々を入れる不良騎士に私は皮肉たっぷりに言い返してやる。士官学校の休暇に見舞いに来たシェーンコップ帝国騎士は不敵な表情で私への見舞い品の筈の菓子を口にしていた。おい、何当然のように食ってんだよ。お前以外にここで見舞い品食ったのロリなデリカな奴くらいしかいねぇぞ(そっちは速攻で母親に叱られていたが)。

 

 士官学校卒業者は基本的に一年後に自動的に少尉から中尉に昇進する事になっている。問題は極極稀に士官学校卒業から一年以内に功績を上げて中尉に昇進してしまう人物がいる事だ。毎年平均して2,3名はいるらしい。

 

 当然ながら功績で昇進しても、一年後には他の同期生も戦功無しに昇進するため不公平感がある。そのため同盟軍の不文律として一年以内に戦功を上げ昇進した者については同期生が中尉に昇進した1か月以内に功績の再調査の結果と称し、大尉に昇進する事がほぼ決定している。事実上の二階級昇進と言うわけだ。

 

「正直、死にかけてまで昇進なんて欲しくはないがね」

 

 四肢欠損こそ無かったが頭を何針も縫う事になったし、ナイフでズタズタになった右手には人工皮膚を移植した。左足の刺し傷と肩の銃創は動脈が傷ついていなかったのが奇跡だ。そのほか打撲と骨折がそれぞれ1ダース分、擦り傷は数えきれない。しかも出血し過ぎて暫く貧血に陥った。……良く生きていたな私。

 

 9月4日の戦闘は、途中の無線による救援要請を拾った第38通信基地隊から更に近隣の亡命軍基地に連絡が行き、要請を受けた亡命軍装甲擲弾兵団一個大隊と大気圏内戦闘攻撃機を投入して私達を包囲していた帝国地上軍を襲撃した。レーダー警戒網を掻い潜るために危険な低空飛行をしての奇襲であった。同時期に同盟軍の反攻が開始されたために宇宙空間からの狙撃が無かったのは幸いである。

 

 帝国地上軍第1547連隊は、明らかに過剰な戦力による奇襲攻撃により混乱、更に連隊司令部が第一撃で機能喪失した事により戦闘中の部隊は事実上壊乱状態に陥った。最終的に連隊は487名戦死、702名が負傷、重傷を負った連隊長含む311名が捕虜となった。報告書によれば副連隊長が残存戦力を纏め上げ、連隊旗を確保した上で撤退を成功させたという。

 

 私自身は気絶した後応急処置を受けた後、亡命軍基地で意識不明のまま寝続けた。その後前線に近く危険である事もあり、衛星軌道の奪取と共により医療設備の整ったハイネセン第一軍病院に搬送され、9月21日に意識を取り戻す事になった。以来怪我の完治とリハビリを終えるまでこの同盟軍において最も待遇の良く、最新設備と最高の人材を有する軍病院の一室を間借りしていた。

 

 これもまた明らかな政治的配慮が伺える。ハイネセン第一軍病院は同盟全土にある数千もの軍病院の中において最高の環境が与えられると共にその受け入れ患者もまた高級将校や勲功者、政治的に重要な影響力のある人物等に限られる。たかが一中尉が入院出来るのは同盟軍名誉勲章もあるが明らかに亡命貴族の出自が理由であろう。

 

「見方を変えて見ればどうです?そのおかげでマスコミからの取材もカット出来たのですからな」

「その代わりに話した覚えも、書いた覚えもない内容が新聞や雑誌に出ているけどな」

 

 原作の魔術師がそうであるように、功績を上げた軍人が英雄としてマスコミの集中攻撃を受けるのは同盟の文化に等しい。150年に渡る戦争により厭戦気分が広がるのを防ぐためでもあったのだろう。

 

 私の場合も本来ならばその筈だ。士官学校卒業ほやほやで、名誉勲章を授与、極めつけは亡命した門閥貴族出身、という立場は十分に関心の対象になり得た。

 

 幸運というには不満があるが、重傷で意識不明のため当然ながらマスコミの取材やインタビューも受ける事は出来なかった。お蔭様で引き攣った笑みを浮かべ記者軍団と顔を合わせずに済んだわけだ。そんな事している内に他の勲功者に興味が移り、私への関心も薄れつつある。だが……おい、誰だよ、有ること無い事寄稿した奴。

 

「何とまぁ、愛国的で清廉潔白・完全無欠の英才殿ですな。私としてもここまで素晴らしい主君殿の下でタダ飯をたかってこれた事、誇りに思いますぞ?」

「それ褒めてないよね?皮肉ってるよね?」

「この写真、地味に合成されてますな。実際の若様はこんなに覇気ないでしょう?」

「おい止めろ、その写真見せるな……!!」

 

 某週刊誌や官報にはある事無い事(というか無い事が過半を占める)を書かれた記事と共に士官学校時代の写真が掲載されている。おい、明らかに補整されているよね?私こんなに高慢で自信しかないような表情した事無いよ?肖像権の侵害じゃないの?

 

「広報部が御実家と手を打った、と御聞きしましたが」

「ははは、ワロスワロス!」

 

 乾いた笑いしか出来ない。取り敢えず記事を読んだ後に届いた士官学校の知り合いの大半からの見舞いメールの内容は「プギャー」と笑い転げて皮肉るものばかりだ。コープ少尉の嘲笑と悪意に満ちた一万文字に及ぶメール読む?

 

 比較的気遣いに満ちた内容をくれたのは国防事務総局査閲部一課のヤングブラッド少尉、統合作戦本部情報部三課にいるチュン少尉、第3艦隊第41戦隊司令部付のバネット中尉くらいのものだ(一緒にビデオメッセージに出ていたカートライト中尉は私を揶揄おうとして拳骨されていた)。覚えていやがれ、次会ったら先に敬礼させてやる。

 

 信じがたい事にホラントからもメールが来ていた。凄い淡々と事務的な文章だけど、これ意訳したら心配してるの?心配しているんだよね?確認のメールを返信したら罵倒の嵐が返ってきた。解せぬ。

 

 教官たるフィッシャー中佐(今年6月に昇進した)からは怪我を労わる内容と結構御高い茶葉がセットで届いた。うわぁ、何この人、良い人過ぎて泣けてくる。直接来られないのは第17星間航路の星間航路巡視隊に異動になったためだ。近年海賊被害が多発し、対策として中央から増員を受けその煽りを受けたようだ。

 

 民間からも見舞いの手紙やメッセージが送られてきた。大半は救助された民間人所属の大学・企業からの儀礼的な内容に留まるが、幾人かは私的に手紙を送ってきてくれた。オリベイラ助教授は直接見舞いに来れない事を謝罪した。救助された彼らの大半は現在シャンプールに滞在しているらしい。

 

 彼の祖父たるエンリケ・(省略)・オリベイラ国立中央自治大学学長からも手紙が届いた。達筆な宮廷帝国語で完璧な形式を整えた無味無臭な内容であったが。

 

 ん?実家や故郷からも来てるだろうって?何の事か知らない。いや、知りたくない。晒しプレイは好きじゃないんでね。語らないよ?

 

「いやぁ、それにしても貴方が初回からヴァルハラに行きかけるとは、流石に私も予想出来ませんでしたな、もう少しで式の祝い品が貰えなくなる所でした」

 

 見舞い品のアイアシェッケを勝手に口にしつつ見舞品名目で借りてきたドラマや映画を再生し始める不良学生。おい、お前が見たいだけだよな?この病室の大型テレビで見たかったから持ってきただけだよな?

 

「おや、若様は「鉄壁のオルフェンス」はお嫌いで?「マーズフォーマーズ」か「火星生活」がお好みでしょうか?」

「まず火星から離れような?あれだろ?TETUYAで火星キャンペーンしてたから借りてきただけだよな?」

 

 どれも地味に旬を過ぎている映画やドラマ群だ。「鉄壁のオルフェンス」は地球統一政府時代初期の火星におけるロマン溢れる人型機動兵器運用していた時代の傭兵を主人公にしたフェザーンドラマである。名言(迷言)たる「止まんじゃねぇぞ」は同盟全土の視聴者の(笑い)涙を誘った。「マーズフォーマーズ」は火星に降り立った地球統一政府の使節が三大陸合衆国の持ち込み、突然変異でとんでもない進化をしていたG型生物兵器と死闘を繰り広げるパニック映画、「火星生活」は一人置いてきぼりになった北方連合国家の宇宙飛行士が火星の大地を開拓しながら救助が来るまでスローライフを送る作品(ノンフィクション)である。

 

「いや、嫌いじゃないが……もう少し最近の作品は無いのか?「ロード・オブ・ハイネセンⅢ」か「ギャラクシー・ウォーズⅥ」辺りは無かったの?」

「割引対象外でしたから」

「お前さんの忠義心が1ディナール以下の価値である事がありありと分かるな」

 

こいつ、見舞い品食うためだけにここに来てねぇか?

 

「そう言われましてもな。こっちも物入りな時期でしてな。今から少しでも貯金しなくては……」

「おう、親御さんと会ってどうだった?」

「急に笑顔を浮かべる貴方も随分と性格が悪いですな」

「私は他人の不幸を糧にして人生を彩りたいと考えているからな、こんな最高の状況を放っておくなんて有り得んよ」

「糞ですな」

「糞だね」

 

迂闊に一人リア充した己の不幸を呪うがいい……!

 

 肩を竦めてそんな私に呆れ返ると実家訪問について口を開く。

 

「……家に訪問したと同時に義父様が飛び膝蹴りしてきましたよ」

 

 避けたら自滅しましたが、と付け加えるシェーンコップ。

 

「そりゃあまた……」

 

大変な親戚が増えたな、と内心で呆れる。

 

 さて、ここまで言えば分かると思うがこいつ、結婚する。相手?いや、言わなくても分かるよね?

 

 おうおう、夏期休暇のパルメレント旅行は楽しかった?私が極寒の惑星で仕事していた間、星都の凱旋門や美術館観光して、レストランで食事したんだよな?パルメレント映画祭で話題の恋愛映画見て、ヌーベルサントノーレ街でショッピングして、夕刻に高級料理店でディナー食べて、その後レパントの歓楽街で遊んだり、酒飲んだりして、気付けば……一緒にベッドの中にいたらしいよ。尚、昨日の夜の記憶はない。

 

……これは事案ですわ。スタジオらいとすたっふさん、こっち来てー。

 

 あたふたするクロイツェルと違い、騎士様は取り敢えず紳士らしく実家(当然ながら自身の方ではない)の下に手紙を書いた。

 

 すぐに向こうの実家から家への招待状が来て、実際にクロイツェルと向かったらしい。

 

 ……父親と兄三人が、完全武装(中世甲冑に剣)で殺気だけ放って待ち構えていたそうな。

 

 取り敢えず婚約するまでに丸五日に渡る口論をして、その後四連続で決闘(素手)が起きた。隣近所の住民が集まり、参加者を取り囲みつつわいわい観戦やら賭け事を始めたのは内緒な?

 

 法律的には許可なく決闘したら犯罪(といっても空文化しているが)なので警察が来たがその頃には騎士様が全員ノックアウトして勝負はついてしまった。

 

 ……まぁ、余所者に御近所の娘さんを簡単にやれるか、と情けない父親と兄三人側に立って隣近所の帝国騎士達(駆けつけていた地元警官含む)が1ダース程が更に決闘に参加したが。試合が終わるまで当の賭けの対象は顔を赤くして俯いていたそうな。

 

 無事に決闘が終わった後は何故か宴会していたらしい。なんか普通に不良学生地元に溶け込んでるんだけど?いいの?皆、これが普通なの?

 

「……一番精神的ダメージを食らっていたのがクロイツェルってのも酷い話だよな」

「下手にハイネセンでの生活に慣れてしまいましたからね。そりゃ、ハイネセンであんな事やれば赤面ものでしょうし」

 

 恐ろしい事に、ヴォルムスでは、というか帝国人社会では結構普通だ。基本的に見合い、それどころか親が勝手に結婚相手を決める事も多いのが帝国の結婚事情である。恋愛するにしても家族がよく知っている相手か、家柄や出自がはっきりしている相手に限る。ましてや酒の勢いでの朝チュンして記憶無かったら、そりゃあぶちギレ案件ですわ。

 

 某ヘテロクロミアも決闘を申し込まれた事が原作にあるが、多分実際は描かれていないだけで相当の数決闘している事だろう。下手すれば身内全員、御近所さんも総動員される事すらある。あるいは母方が伯爵家な事が相手を心理的に怖じ気づかせて決闘回数を抑制していたかも知れないが。

 

「まぁ、悪い人達では無かったですがね、弱いですが彼女の事を彼らなりに大事にしているのが分かりましたよ」

 

 家の娘傷物にしやがって!、と鼻折られながらも必死に向かって来た義父の事でも思い出しているようだ(尚、大声で言ったため御近所に聞こえて当の娘が「もう死にたい」と呟いていたらしいが)。

 

 さらにその後、クロイツェルの研究科の教官ドーソン中佐がぶちギレながら不良騎士の部屋に足蹴りしながら訪問してきた。可愛がっていた生徒が酒の勢いでやっちゃえばヤリ逃げの可能性もあると考えたのだろう。極めて紳士的に対応したらニコニコ顔で山程祝い品置いて帰っていったらしいけど。

 

 そんなわけで士官学校を卒業すると共に結婚するつもりらしいので物入りらしい。帝国人は基本的に身内の結婚や葬式で金を惜しまない。私がカプチェランカに島流しされている間にご苦労な事だ。というかお前性格変わりすぎじゃね?

 

「それじゃあ来年の初任地はアルレスハイムに希望するのか?」

「式を挙げるのも地元が良いですからね。同盟軍もそれくらいは配慮してくれます」

 

 私の例に漏れず、軍人である以上どの任地に送られても文句は言えないが、場合によっては予め申請すれば任地希望が通る場合がある。人口増加のための結婚と多産奨励のために後方や地元配属を認めるのもその一つだ。

 

 正確には同盟軍では結婚から三年以内の地元・後方勤務を許可しているのだ。更に女性軍人は子供がいて希望すればさらに十年は後方・地元勤務が許されている。可能な限り軍人家庭から子供が幼いうちには戦死者を出さないようにする制度的配慮である。

 

「クロイツェルも地元勤務の方が家族と会えますからね。お恥ずかしながら、私は両親との記憶が少ないものでして、子供が出来たら彼女の両親の助言が欲しいのです。……クロイツェルに任せると家事も大変ですからな」

「……あぁ、そうだね」

 

 この上無い説得力があった。あいつ、滅茶苦茶ドジだからな。料理は焦がすし、皿は割る。洗剤の配合ミスで有毒ガスを発生させた時は士官学校で伝説になった。化学戦科の教官(防毒マスク装着済み)から「うちの研究科来ない?」と誘われた。当然泣いて断ったが。両親が側にいないとガチでヤバそう。家のガスが漏れて引火爆発させかねない。

 

「そういう伯爵様はどうなさるおつもりで?」

 

不良騎士は、意味深げに尋ねる。

 

「……どうって、何が?」

 

私は苦笑しながら尋ねる。

 

「決まっているじゃあないですか、実家から呼ばれているのでしょう……?」

 

 不良騎士の打って変わって静かな質問に私は笑みを止める。

 

「………」

「あの口煩い従士殿がいないので何かあると思いましたが、やはり面倒事ですか」

「………」

 

私は返答しない、いや、出来ない。

 

「まぁ、大体の察しはつきますがね。私としては早くどうにかした方が良いですよ?」

「……分かってはいるんだけどな」

 

 視線を逸らして言い訳染みた弱々しい返答をする。その態度に溜め息をつく不良騎士。

 

「まぁ、一帝国騎士に過ぎない、まして代々仕えてきた身でない私が言うのも出過ぎた事ではありますがね、門閥貴族様なら、門閥貴族らしくいざと言う時は自身の意志を貫いても良いと思いますよ?」

 

 勝手に忖度されるよりはね、と言い切って椅子から立ち上がる不良騎士。

 

「………そうかもな。ただ……見舞品持って帰ろうとするのは止めような?」

 

 見舞品のノイエユーハイムの箱詰めカスタードプリンを自然に持ち帰ろうとする帝国騎士にそう指摘する。おい、舌打ちするな。  

 

「……クロイツェルが食べたいといってましてね」

「おう、新郎、頑張って稼いで買ってやれよ?」

「……結婚式代で結構ヤバイんです。私が苦学生だって設定お忘れで……?」

「んなこと知るか」

 

 舌打ちしてから「任官したらこき使ってやる」と吐き捨ててしっしと手を振って、退出させる。

 

「恩に着ますよ」

 

 不敵な笑みを浮かべ悠々と不良学生は退出した。おーいカスタードプリンは許したがフルーツゼリーとクッキーの箱も持っていくなー、って逃げやがった……集り屋め。

 

 はぁ、と深い、深い溜息をつく。そしてしばらく逡巡して、心情を整理する。そして……ようやく決断した。

 

「はぁ、逃げても仕方ないからな」

 

 実際に実家に行ってみないとどうにも出来ないからなぁ……気乗りしなくても仕方ない。

 

 そして私は、手元の携帯端末を手に取り、宇宙艦隊に所属する叔父に電話をかける。

 

 私は、ようやく故郷に一時帰郷する事を承諾したのであった。

 

 




従士サンについては次話で触れます。

バタフライ効果によりカリンが暖かい家庭で育ちそう(尚、麻色髪の少年が結婚を申し込んだ際に騎士甲冑を着た義父と決闘する事になる可能性が上昇した模様)


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第六十六話 お盆には里帰りをしよう

会話は全て帝国語で話されています


 大神よ偉大なる血脈を守りたまえ、神聖にして不可侵たる全人類の統治者の血脈を!

 統治者としては気高く、賢人としては高尚に、黄金樹の血脈は栄光の輝きの中に立られる!

 陛下の慈愛は臣民全てに及び、帝国の隅々まで秩序と権威は轟かん!

 大神よ、黄金樹の血脈を守りたまえ、我らが臣民の父を!

 

 銀河の遍く星々にて、陛下の帝権は広く遠くに及ぶ!

 皇帝の玉座の柱は、寛大と誠実を象徴せん

 さらに双頭の鷲の紋章は、陛下の公正さと武威を現さん!

 大神よ、黄金樹の血脈を守りたまえ、我らが臣民の父を!

 

 陛下はその身を着飾り、人類の輝ける未来に思いを巡らし

 臣民が幸いのために、御剣を掌中で煌めかせたまう!

 臣民に導き、安寧と恵みを与える、これぞ叡慮であり、帝国の治世なり!

 大神よ、黄金樹の血脈を守りたまえ、我らが臣民の父を!

 

 陛下は不正と悪徳を打倒し、我らを永遠の安寧へと導かれた!

 陛下は諸邦と諸侯を率いて、人類社会は再建され、帝国は末永く繁栄せん!

 我らは陛下と重鎮達の事績を聞き、子々孫々まで讃え、歌い継がん!

 大神よ、黄金樹の血脈を守りたまえ、我らが臣民の父を!

 

 大神よ、末永く守り給え、全人類の支配者を!全宇宙の統治者を!天界を統べる秩序と法則の保護者を!神聖不可侵なる銀河帝国を!

 

             ゴールデンバウム朝銀河帝国国歌『大神よ、黄金樹を守り給え』より

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろだが、大丈夫かね?」

「はい、酔い止めは飲んだので……多分」

 

 正面のソファーに座る叔父に当たる同盟軍少将に対して私はうーんと唸りながら天を仰ぐ。毎度の事であるがやはり大気圏離脱や降下、超光速航法利用時は気分が悪くなる。最早体質なので諦めて薬で誤魔化すしかないが何回やっても慣れるものではない。

 

「ぐへへっ……若様、でしたら私にお任せあれ!どのような不快感も瞬く間に快楽に変えて……」

「警備、なんでこんな危険人物を放置している?さっさと摘まみだせ」

「ちょっ…まっ…すみません若さ………」

 

 私の命令と同時に騎兵服を着た航空隊所属の准尉が悲鳴を上げながら突入してきた警備部隊一個分隊に連行される。何であいつ四回くらいは独房に放り込んだのに脱獄しているんだろう?どういう手段使っているんだろうか?

 

「あれももう少し性格を直せばあのような扱いを受けんだろうに」

「いや、あれは手遅れじゃないですかね?脊髄まで腐ってますよ」

 

 単独撃墜数24機、駆逐艦2隻撃沈、亡命軍から大鉄十字章、同盟軍から同盟宇宙軍殊勲章、殊勲航空十字章まで授与されている優秀なエースパイロットの筈であるが、あの性格では到底軍人としても、一個人としても敬意を持つ事は不可能だ。

 

「あー、少し良くなって来ました。……大丈夫です、行きましょう」

 

少し嘔吐感は感じるが、我慢して立ち上がる。

 

「良いのか?もう少し時間を待ってからでも……」

「他の方を待たせる訳には行きませんよ。外の観客も立たせ続ける訳にも行きませんし」

 

 乗艦者の中で階級的に一番三下の私が待たせ続けるのは居心地が悪い。いや、同胞愛に溢れる皆さんなら不快感なぞ感じないだろうが、下手に小市民な私には待たせる事自体が精神的に負担を感じるので多少無理を押してでも行った方が良い。どうせミスして戦死する訳でもない。

 

「ふむ、では同じ地上車に乗るから、気分が悪くなったらすぐに言うのだぞ?」

 

 最近蓄え始めた髭を摩りながら心配そうにロボス少将は答える。

 

「お世話になります」

「いや、気にしないでくれ。ほんのこの前まで入院していた身に負担をかけるな」

 

 私の謝罪に対して、ふくよかな顔で微笑む叔父。私はその表裏の無い笑みに同じように笑みを浮かべ、小さく頭を下げた。

 

 十分後、アルフォート宇宙港に接岸した帝国軍標準型戦艦を要人輸送用に改装した「ヘルゴラント」よりオープンカー型地上車の群が次々と降りていく。私はその前から三台目にロボス少将と共に乗車した。左右を亡命軍の軽装甲車に護衛されながら地上車の列が艦内から降りる。

 

 すぐに宇宙港に集まった十数万人の市民の歓声が響き渡った。

 

「……大丈夫かね?」

「……叔父さん、やっぱり無理かも」

 

 心配そうに見つめる少将に私は営業スマイルに目元に涙を浮かべてそう口にした。

 

……想定したよりも多いや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 街のシンボルの一つであるヴィーナーベルク凱旋門を抜け、星都アルフォードの最大の目抜き通りであり、観光名所として主要旅行雑誌にも紹介されているノイエ・リンク中央通りを地上車の列が歓呼の声と紙吹雪の洗礼を受けながら行進する。数キロ、いや十数キロに渡る長い街道の両脇には民衆が詰めかけ、地上車の道を妨げないように黒スーツにマントを着た警官隊や儀礼服を着た亡命地上軍が警備と民衆の整理に当たる。街では軍楽隊による第1星系歌(帝国国歌でもある「大神よ、黄金樹を守り給え」である。善良な一般同盟人が聴けば発狂間違いなしの歌詞だ)が大音量で流れ続ける。

 

「自由惑星同盟万歳!民主主義万歳!アルレスハイム・ゴールデンバウム家万歳!グスタフ3世陛下に栄光を!」

 

 パレードを見、熱狂する市民の叫び声が響き渡る。おう、前半と後半の繋がり可笑しくないか?

 

 つくづく思うが、彼らは本当に民主主義を理解しているのか疑問しか湧かない。まぁ、この星の選挙は事実上信任投票のようなものだけどさぁ。不正していないのに与党(党首は陛下である)の候補者が投票前に勝利がほぼ確定するからな。150年に渡り星系議会で与党が変わらないとか完全に覇権状態だよね。ヘゲモニー政党なんてレベルじゃねぇぞ。

 

 兎にも角にも私は半分現実から逃げながら、オープンカーから真直ぐ前を見据え、たまに手を振りながら市民の声に答える。ずっと入院していたので今更ながら勲章分の仕事をしなければならない。

 

 宇宙暦784年12月7日、銀河帝国亡命政府は同盟軍や同盟政界、官僚、文化人として活躍する同胞、星系圏外に展開する亡命軍人を招き、秋季授勲式を行おうとしていた。

 

 亡命政府においては惑星の気候状況から春と秋に式典を行うとなると6月と12月頃になってしまう。オーディンやハイネセンと公転周期が違う故の事だ。当然ながら年末となるのでこの時期に呼ばれた同胞の中には春季に敢えて授勲を持ち越す者や授勲式の後、すぐにトンボ返りする者も少なくない。

 

 本来ならば年末年始ともなれば500年の伝統を持つ様々な宮廷の式典や催しがあるのだが、現実には家族と参加出来ずにハイネセン等で仕事や付き合いのパーティーや壮行会、飲み会に参加しなければならない。この時期は同盟で宮仕えする貴族や帝国系軍人・政治家が青息吐息で授勲式の後急いでハイネセンに向かう姿が見え、ある種の名物になっている。

 

 まぁ、グスタフ三世陛下もその事は理解しているので不参加について強く責める事はないし、殊更に宮廷内で問題視される事もない。彼らが彼らなりに同胞のために身を粉にしている事は皆が重々承知している。帝国ならば病気や怪我であっても不参加の場合末代に渡って責め立てられる恥になるので、その意味ではかなり寛大であると言えよう。まぁ、ある程度は柔軟に対応出来ないと生き残れない立場だからね、仕方無いね。

 

 さて、今回のこのパレードは式典のために故郷に戻って来た同胞の英雄達、特に軍人達を讃えるためのものだ。

 

 流石に同盟軍の中枢に仕える帝国系中将四名はハイネセンから離れる事は出来ないがそれでも錚々たる顔ぶれがパレードに参加していた。一例として幾人か語るとすれば自由戦士勲章持ちにして故郷を戦火から救った英雄たる叔父は当然として、宇宙艦隊指令本部直属第4機動戦闘団司令官クーデンホーフ少将(子爵)は正規艦隊司令官候補に選ばれた経験があり、名将として名高い。

 

 髑髏の仮面をつけ一言も話さないリリエンフェルト中佐(男爵)は将官二名、大佐十五名を含む700名以上を射殺した現役同盟軍人第三位の狙撃手である。代々狙撃猟兵団を率いる一族であり、彼の身内や家臣達にもキル数が100名越えの一流狙撃手がごろごろいる。

 

 レオポルト・カイル・ムーア大佐は帝国系クォーターであり、士族階級の血を引く。揚陸戦闘の専門家としてイゼルローン要塞に初めて上陸した同盟軍人でもあり、その勇猛さは広く知られる。

 

 ヘルマン・フォン・リューネブルク大尉(伯爵)は戦う毎に武功を上げ、同盟宇宙軍銀星章を授与された。従士たるカウフマン中尉、ハインライン中尉も三十以上の戦闘を主君と共にし一等鉄十字章と同盟軍殊勲章を授与されている。

 

 亡命軍人たるヨアヒム・フォン・シェルマン大尉は元々唯の平民であったがシグルーン星系での戦いでたった一度の出撃でエースの乗り込む機体一機を含む、十二機のワルキューレを撃墜した。その武功により宮廷より一代貴族に叙せられ「名誉ある貴族階級」の一員となった平民階級の英雄だ。

 

 なぜか半分無理矢理に私と同じ地上車に乗りやがったレーヴェンハルト家のパイロットについては省略しても良い(というかほかの参加者にガチ目に嫌がられていた)。てめぇ、平民の前だと完全に切れ者の顔になって堂々と手を振りやがって。真面目に出来るなら常時真面目にやれや。

 

 ……さて、私もまた帝国軍一個連隊をたった三名の部下を率いて戦い大打撃を与えた英雄扱いなのだが、その内実は知っての通りだ。実力で言えば到底並び立てるものではないし、場違いも良い所だ。だが……。

 

「おお、あの方がティルピッツ様か……!」

「名誉勲章を授与された英雄か……!」

「流石帝室との婚姻関係にある名門ティルピッツ伯爵家だ……!偽帝率いる賊軍共なぞ相手にならん……!」

 

民衆が口々に語りあうのがちらほらと聞こえてくる。

 

………なんか、私の事言う奴多くね?

 

理由くらいは察しはつく。

 

 一つには年齢であろう。士官学校卒業直後の若造が半年も満たずに功績を上げたのだ。それだけでも強者を英雄視し、崇拝する臣民の注目に値する。

 

 二つ目は功績そのものであろう。民間人救助については彼らは然程興味は無かろう。だが、貴族が平民の大軍を打ち破った事実(と彼らが信じる)それ自体が、貴族に畏敬の念を抱く彼らの関心を引く事になったに違い無い。まして同盟軍名誉勲章の授与となればその権威も合わさり、一層憧憬の念を抱くであろう。基本的に帝国人は権威に滅法弱い。

 

 だが、最大の理由は間違いなく血筋であろう。ティルピッツ伯爵家は帝国開闢以来の名家、その嫡男というだけで相当の補整がかかっている事だろう。亡命政府発足以来その中枢を担う家でもある。

 

 まして、母方は帝室の人間であり、当然私の血の半分は死亡フラグの塊な黄金樹のものである。皇位継承権はかなり低いが、帝室の血を引いた門閥貴族、士官学校卒業してすぐの新人少尉が名誉勲章を与えられるだけの功績を上げた(ということになっている)訳だからこの称賛の声も理解出来る。少なくとも民衆には実力よりも、血統により評価されているわけである。

 

 長らく怪我でマスコミの前に出ていなかった事もあり、彼らは特に私の姿に注目しているようであった。

 

「……顔が青いが、いけそうかね?」

「……正直辛いっす」

 

 すぐ隣に寄り添う叔父が小声で囁くので表情を固定しながら泣き言を言う。無論、今更言っても遅いがね。自分の体調を自分で管理出来ない結果だからね、仕方ないね。

 

「……まぁ、勲章やら病院での待遇やら配慮されていますからね。帰る時に酔うのも、こんなお祭りに参加する事になる事も予想はしていましたから諦めます」

 

 厚遇を受ける以上は相応の仕事をしなければならない。子供のように駄々を捏ねる訳にもいくまい。

 

「良い心掛けではあるが……本当の所戻って来た理由は別だろう?テルヌーゼンにいた頃もあれこれ言い訳して一度も戻らんかったろうに」

 

 耳元で囁く少将。怒っている、というよりは苦笑するように尋ねる。

 

「………」

 

 私は複雑な表情を浮かべ、口を閉じる。実際その言は間違っていない。私が故郷に戻った最大の理由は、共に戦った従士達についてだ。

 

 私がハイネセン第一軍病院に移送されたのとは対照的に、ベアトとライトナー兄妹は療養のために一旦シャンプールに、その後ヴォルムスに送られたと聞いている。

 

 それ自体は可笑しくない。同盟中央宙域と帝国との国境宙域を結ぶシャンプールは星間航路の要であり、同盟軍第2方面軍司令部が設置されている。国境星系での迎撃に失敗した場合、同盟の第二次防衛線の中核として整備された最重要軍事拠点の一つだ。数百万の兵士を収容し、あらゆる後方設備があり、大量の支援物資が保管されている。本来ならば大半の負傷兵はシャンプールにて入院やリハビリを受ける事になっている。寧ろ私の待遇が異常に厚遇されていた。

 

 その後、故地であるヴォルムスに送られたのも可笑しくない。負傷兵は怪我の完治後も暫く故郷での休暇を許されている。怪我の完治、少なくともある程度治癒した時点でヴォルムスにて養生するのは自然な流れである。唯の同盟軍兵士ならば心配するべき事はない。……唯の同盟軍兵士なら。

 

 私の下に配属された従士については昇進と受勲を受けたのは把握している。

 

 ベアトは同盟軍の戦功調査の結果、10月2日を持って中尉に昇進、二つ目の名誉戦傷章と宇宙軍殊勲章を授与され、亡命軍において二級鉄十字章が授与された。

 

 ライトナー兄ことテオドール・フォン・ライトナー曹長は、同じく同盟軍の戦功調査の結果、10月3日を持って准尉に昇進、三つ目の名誉戦傷章と地上軍殊勲章を授与され、亡命軍において一級鉄十字章が授与された。同盟軍において准尉は曹長と並び幹部候補生養成所入学が許される階級だ。尤も、同盟軍士官には下士官兵士からの叩き上げが少なくない事を差し引いても19歳で准尉昇進はかなり早い部類に入る。

 

 ライトナー妹ことネーナハルト・フォン・ライトナー軍曹は、同じく同盟軍の戦功調査の結果、10月3日を持って曹長に昇進、三つ目の名誉戦傷章と地上軍殊勲章を授与され、亡命軍において一級鉄十字章が授与された。

 

 形式的には功績を評価され昇進と受勲が為されたのは分かったが、それがイコール実家の態度とは限らない。

 

 戦に際して主家を支え、危機から守るのは、日常において多くの恩恵と庇護を受ける従士家の義務である、とされている。

 

ではその義務を果たせなかったら?

 

 結果的には生還こそ出来たものの、同行した私は全治2か月(宇宙暦8世紀の医療技術でだ)の重傷を受けた。更にはその生還とて通信が偶然傍受された事、同時期に同盟軍の全面的反攻が始まったために救出部隊が帝国軍の妨害を受けなかった事によってだ。一歩間違えれば私はヴァルハラに召されていただろう。

 

 私が同じ立場だったら無理ゲー、等と叫びたくなるような状況であるが帝国人にそんな言い訳は通じない。従士三名がすぐ側にいながらのこの失態はそれだけでも帝国的価値観では厳罰に値する。もしかしたら下級貴族は平民よりもブラック企業な疑惑が出てきたな(門閥貴族がホワイトとは言っていない)。

 

 そして、恐らくではあるが戦闘後に提出された戦況報告書の内容が問題になっている可能性がある。

 

 戦況報告書自体は珍しくない。上位司令部が統合作戦本部等に今後の戦略研究のために記録するだけでなく小隊単位、状況によっては個人単位で作戦中の行動について報告と事実確認の調査が行われる。作戦行動における合理性の確認、戦争犯罪等の監視、損害に対する妥当性等の調査のためである。

 

 実際この報告書により捕虜虐待や殺害、物資の横領、敵前逃亡や友軍誤射の事実が証明されたり損害における指揮官の責任追及の証拠になった事もある。一例として宇宙暦690年の「カリウス軍曹銃殺事件」では上官が横領の事実を糊塗するために書類の不備を指摘した下士官を帝国のスパイとして略式処刑した事に対する違法性を証明した。

 

 無論、数百万もの軍人が動員される場合一人一人の行動について調べきる事は不可能に近い。正確には裏付けが取り切れない。艦艇や部隊内で単独ないし、数名のみの生存者しかいない、という状況も珍しくないのだ。法務部や査閲部、憲兵隊も不正や戦争犯罪が起きていないか可能な限り調査しているがそれでも限界がある。マスコミ等で問題とされ批判される事件の大半は証拠不足・人員不足から責任追及が困難な案件だ。大半の事件はマスコミやジャーナリストが指摘する前に軍法会議に掛けられ、情報公開もされる。大抵の市民は関心が無いが。

 

 今回に関しては戦争犯罪や不正は問題となっていない。だが、ある意味ではより複雑な事になっている。

 

 従士の命令不服従……正確には承諾を取らず殿として独自行動を行った事が問題となっていた。

 

 軍人が完全な上下関係の上に成り立っているのは自明の事だ。上官の命令は軍規に抵触しない限りは絶対服従である。私の意思を確認出来る状況においての独断での殿としての行動が問題視された。

 

 同盟軍内では一応処分保留が決定された。新任士官に対して経験豊かな下士官が意見する事は少なくない。新任少尉が戦場で支離滅裂な命令を口にするために最先任下士官が指揮代行を行う例も無くはないのだ。さらには圧倒的戦力差のある中での戦闘であり、連絡の未達・意思疎通が困難な状況となる事も珍しくない。命令が届かず緻密な作戦が失敗する例は枚挙に暇がない。最後以外、潜水艦からの出立以降の行動には明らかな瑕疵も無く殊更問題にすべき事でもなかった。

 

 まぁ、建前であろうが。帝国系軍人が一般同盟軍人には理解し難い行動を取る事は珍しくない。戦死者はおらず、当事者も全員帝国系、しかも当事者の一人はメッキでしかないが英雄扱いされれば政治的配慮も働き処分保留もされよう。

 

 同盟軍内では責任追及はない。だが、報告書を読んだ同胞はどうか?主人たる門閥貴族に内密に行動し、ましてそれにより伯爵家の嫡男が戦死一歩、いや半歩手前になればその風当たりが良いかと言えば……。

 

 ゴトフリート・ライトナー両家本家からしても身内のやらかしに関して甘く処罰は……少なくとも自分達から……出来ない。帝国人は身内を大事にするが、主家に対する従士としての責任を取らなくてはならない。他家や世間に対する対面もある。

 

 救いは未だに両家で処罰は決まっていない事だろう。当事者の私が不在という事もあるが、アレクセイを通じて「お願い」したのが聞いたのだろう。皇族の言葉は重い。「当事者たるティルピッツ中尉が来るまで独断でその資産たる従士を処罰するのは伯爵家の嫡男を、ひいては伯爵家、門閥貴族の立場を蔑ろにする行為に他ならない」と人の聞こえるように噂して貰えば周囲が勝手に忖度してくれる。

 

 検閲される事がない私からアレクセイへの手紙でお願いしたが、効果は抜群らしい。この星では法的な規定がなくても皇族の言葉は絶大な影響を与えるのだ。無論、同時にその重さから口にする内容は注意しなければならないが。

 

まぁ、所詮時間稼ぎに過ぎないのだけれど。

 

「結局、後は私がどう上手く立ち回れるか、か」

 

 下手に動いて自爆する可能性の方が高そうなのが辛い所ではあるが……やるしかない。

 

「大丈夫ですってぇ、いざとなればこの私にお任せあれ!」

「おう、一ミリも安心出来ん言葉ありがとう」

「それ感謝してませんよね!?」

 

 横合いから自信に満ちた准尉殿の戯言に表情一つ動かさずに即答する。過去の言動が言動だからね、仕方ないね。

 

 うーうー、涙目になりながらも遠目には気付かれないように端正で鋭い表情を維持しながら観客に手を振り続けるという器用な真似をするレーヴェンハルト准尉である。

 

「ううぅ……折角、ハイネセンで手取り足取り優しく看病して差し上げていたのに酷い言い草です」

「優しく…看…病……?」

 

 こいつは何を言っているのだろうか?何度も助けを呼ぶナースコールを鳴らしたのだぞ……?最初の方は看護師達は引き攣った笑みを浮かべながらドン引きしていたが、最後になるとかなりぞんざいにお前入院室から追い出されていたじゃねぇか。患者を危険な目に合わせるな、と年配の看護婦にナパーム・ストレッチやスクリュードライバー食らって撃退されていたよな?お前のせいで病院で滅茶苦茶面倒な患者扱いされていたからな?

 

 というかよりによってこいつがベアト代わりの暫定付き人やっている事に悪意を感じる。せめてもっとまともで手の空いている人いたよね?明らかにもう少しマシな人絶対いたよね?

 

「もう若様、看病されたのを誤魔化そうなんて可愛いですねぇ、そう照れなくて……」

「いえ、それは無いので」

「アッハイ」

 

 虚無に近い死んだ目で答えたらようやく大人しくなった。年上でそれなりに才能もある癖に本当、なんでこんな風に育ったのだろうか。割かしレーヴェンハルト家は長女の思想を矯正した方が良いと思う。これでは確実に行き遅れる。といか既に微妙に行き遅れつつある。当主は真剣にこの問題に向き合うべきだ。記憶を捏造するのは流石にあかん。

 

「……坊、大変だな」

 

 ……止めてくれませんか、そんなに深く同情の視線を向けないでくれません?貴方にそんな目で見られるとか私はどれだけ哀れな人間なんですか?

 

 

 

 

 

 

 約二時間に渡る凱旋パレードが終われば、賓客達は、星都アルフォードの中央街の離宮へと地上車で案内される。亡命政府の「星系政府」としての中枢部たるインネレシュタット区は、アルレスハイム星系政府首相府、アルレスハイム星系政府議会、アルレスハイム星系最高裁判所、アルフォード市庁舎、その他星系政府省庁舎等の行政施設が軒を連ねるほかアルレスハイム=ゴールデンバウム家の離宮として新王城宮(ノイエ・ホーフブルク)、同盟最大のオーディン教の教会施設たる聖ヴィーンゴールヴ大聖堂、亡命門閥貴族の本邸とは別に首都圏における邸宅や御用邸、ホテルが密集する。

 

 門閥貴族出身の軍人や政治家、文化人、官僚は帝室の離宮にて用意された馬車で自身の家の屋敷に、帝国騎士を始めとした下級貴族、平民階級は翌日の式典まで離宮で一泊する事になる。

 

 一見、下級貴族や平民が厚遇されているようにも見えるがそれは感性の違いで、彼らは集団で翌日纏めて鉄道や飛行機で新美泉宮に「輸送」されるのだが、一方門閥貴族階級に対しては早朝に帝室の紋章の刻まれた馬車と近衛兵が屋敷に態々訪問し、皇帝陛下の「招待状」を恭しく授けられ、そのまま一人一人馬車で空港に移動、宮廷に「案内」されるのだ。

 

 門閥貴族は帝室の藩屏として体制を支える立場のため、帝室に忠誠と敬意を持ちつつもその慈悲……というよりお零れを預かる必要はないのだ。寧ろ下級貴族や平民共のような体制に「指導され保護される」立場、されなければ生きていけない弱者達の方が客として帝室の離宮に泊めてやる、という考えだ(そして御約束の「そんな弱者なので文句言わず指導者階級の命令を黙って聞け」という事だ)。

 

 ここで叔父とはお別れだ。爵位の無い叔父は母方が帝室の血縁者ながら離宮に泊まる事になる。無論、半分といえその血の尊さは重々承知されている。離宮内にて客人用としては最も良い部屋と待遇で持て成される事になるだろう。このふくよかな親戚の複雑な立場を思い知らされる。そして、それでも尚亡命政府のために働いてくれる事に純粋な敬意を抱く。

 

 無論、今回の式典には普段に比べ帝国系同盟軍人が多く帰省している事を考えると、恐らくそれだけが態々今回彼が同行した理由ではないのであろうが。

 

「……出征、か」

 

馬車の窓越しに夕暮れの街並みを見ながら私は呟いた。

 

 馬車に乗車する前に挨拶したリューネブルク大尉……いや、ここでは伯爵か……も指摘していたが同盟軍の中央や後方支援部門が慌ただしくなっている。またこれまでの経験則から見て帝国の攻勢と同盟の攻勢はほぼ交互に行われている事、帝国航路が使用される際に亡命軍との情報交換や航路運航計画の打ち合わせを兼ねて多数の帝国系同盟軍人や官僚がこの星に入国する事が多い事。それらから来年中には大きな出征がある事が予想出来る。

 

 そして同盟軍が大規模出征を行うとすればその目標は……。

 

「……そりゃあ、あるだろうなぁ」

 

 原作には詳しく年代や推移が記されていないだけで、その事実自体は確実に起こる筈だ。曖昧な記憶から逆算して魔術師の奇跡が788年辺りだったと思う。エコニア事件の後に新年を迎えている事、少佐時代が3年間程あった事を考えると五回目が789年から792年頃に実施されている筈だ。そう考えればこの辺りが四回目の時期だとしても可笑しくない。

 

「はぁ……目前の問題が解決出来ていないのに次の問題がもう出てきた訳だな」

 

 うんざりするように溜息をつく。作戦の実施、といっても数百万の戦力を動員するのだ。情報や航路、物資、移動の計画、攻略作戦計画及び支援作戦計画の作成と精査、認可。認可後の予行訓練等にはかなりの時間がかかる。

 

 基本的には帝国の攻勢に対応する即応体制状態の正規艦隊は基本同盟側からの出征には同行しない。投入されるのは訓練期間にある正規艦隊であり動員には時間がかかるだろう。そう考えれば実際の出征まで半年程度は時間はあると思われる。

 

 自身が参加するかは分からないが……ある程度は覚悟しなければなるまい。

 

「まぁ、まずは目前の問題を解決するべき、か」

 

 どうせ命の取り合いをする訳ではないのだ。私の交渉能力にもよるが、家族や両家の長老方と個別に話し合い、形だけ罰すれば良いのだ。ブラスターの光が飛び交うカプチェランカ勤務よりは余程マシな筈だ。私のせいで三人共死にかけたのだからそれくらいしてやらなければなるまい。

 

 そう考えながら私は手元のベレー帽を深く被る。もう馬車は止まっていた。

 

 ノックと共に馬車の扉が開かれると私は小さく息を吐き、続いて門閥貴族らしく大仰に頷き馬車を降りたのだった。さて、覚悟を決めようか。

 

 

 

 

 

 

 

「若様、お帰りなさいませ」

「祝宴の準備が整っておりますので、どうぞこちらへ」

「旦那様と奥様がお待ちしております。先にお会い下さい」

「出席している家臣団のリストです。各々の名前をお間違えなきよう」

「………」

 

 使用人(従僕とメイド)に挨拶されながら連行され、そのまま家政婦長や執事に書類を渡されながら弾丸の雨の如く説明を受ける。出席者の数や挨拶周りの順列、雑談の際に相応しい最近の話題に触れるべきでない内容、答えるべきでない内容について……その間によく見れば使用人達が軍服の埃を取り、皺を伸ばしていき、髪を整える。

 

 相当立て込んだ雰囲気に、到底ゆっくりと、しかも少人数で話す事は不可能に思われた。と、いうかそんな時間を与えない、と言わんばかりだ。

 

「ですのでその後は……若様、お疲れである事は分かりますが考え事はせず、スケジュールを覚えて下さいませ」

「……」

「若様?」

 

 老境の家政婦長の礼節を弁えた口調で、しかし鋭い眼光が私に向いた。というか周囲の使用人が作業の手を止め一斉にこちらを見た。

 

……正直怖い。

 

「……アッハイ」

 

 私は咄嗟に機械的にそう口にした。すると家政婦長と使用人達がこぞってにっこりと笑みを浮かべ仕事に戻る。あ、これってそういう事なの?

 

……やっぱり説得なんて無理かも。

 

 

 




冒頭の国歌の元ネタはオーストリア=ハンガリー帝国国歌『神よ、皇帝フランツを守り給え』です。1797年初演奏なので流石に著作権的にセーフ(な筈)


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第六十七話 ビュッフェは食べられる量だけ皿に盛ろう

 ティルピッツ伯爵家が亡命したのは帝国暦333年、宇宙暦642年の事である。ダゴン星域会戦による歴史的大敗の混乱が続く中での亡命であった。

 

 亡命の直接的理由は宮廷内における権力闘争の結果である。ヘルベルト大公との帝位争奪戦の最有力者であったリヒャルト派に属していた先祖は、謀略によって陥れられ、裁判にかけられる前に亡命を決意した。

 

 そのやり方は徹底したものであり、一族の分家と臣下は当然として平民階級の私兵軍兵士や官吏とその親戚一同、領内の知識階級、富裕層、技術者とその一族、さらには中流階級以下の層では特に健康的な者、容姿端麗な者、将来的に労働力として利用出来る子供を殆ど拉致同然に連れ去り、荷物のように船に押しこんだ。鬼畜かな?

 

 更には領内の資産は可能な限り根こそぎ持ち去った。貴金属類に美術品は当然として、移設可能な工業プラントは分解して宇宙船に載せ、移動不可能な不動産等は売り払い、その資金で宇宙船を追加調達、領地に残した「資産価値の低い」領民からは指輪や宝石等を殆ど盗賊同然に家に押し入り回収、揚げ句の果てには偶然領地に立ち寄った商船や客船まで乗員ごと差し押さえるという外道ぶりを発揮した。鬼だね。

 

 こうして帝国軍が来寇する前にあらゆる手段で手に入れた宇宙船数千隻に可載ギリギリ……いや普通にオーバーするほどの荷物(人間含む)を無理矢理捻じ込み伯爵家は領地をエキサイティングに脱出した。領地に降り立った帝国軍は唖然としたという。文字通り価値ある物は殆ど無かったのだ。

 

「持ち出せる資産はほぼ全て持ち出されていた。あの短期間の内にこれだけの事が出来たのは信じがたい」

 

 そういったのは伯爵領に来航した帝国軍司令官の言である。動かせない屋敷や工場、鉱山は爆破され、農地は麦の一粒まで回収した上で焼き払い、塩をまく嫌がらせまでしていた。悪魔かな?

 

 そしてそのまま途中遭遇した艦船は宇宙海賊同然に占拠、強奪するという畜生行為を行いながら同盟まで亡命を果たす。我々はゲルマン人ではなくフン族の末裔ではなかろうか……。

 

 サジタリウス腕と言う新天地にて亡命した貴族は数多くいるが、血筋からも、持ち出した資産、兵力、領民の数からいっても伯爵家は五本の指に入るものであり、自治区、その後の亡命政府の中核を担うのは当然であった。

 

 こうして現在に至るまで多数の臣下と兵力、莫大な財産と政治的基盤を維持する伯爵家の第29代目当主が私の目の前に座る父、銀河帝国亡命政府軍宇宙艦隊司令長官アドルフ・フォン・ティルピッツ元帥である。亡命軍元帥服を身に纏い、灰色がかった金髪に深い皺の入った険しい表情の偉丈夫は頬杖をしながら控え室のソファーに腰掛けていた。

 

「……」

 

 執事に案内され控え室に入る。待ち構えていた父は随分と皴が増え、その表情は疲れていたが、私に気付けば力強い視線を向ける。

 

「……久しいな」

「はっ!」

 

 少々重々しさと不機嫌な感情を込めた父の第一声に対して私は直ちに直立不動の体勢を取り、完璧な動作で敬礼をする。士官学校に入学するためにハイネセンに向かって以来の対面であった。

 

「………」

 

 暫しの沈黙に私は額からうっすらと汗を流す。その威圧感に気圧されていた。家柄だけで亡命軍で元帥になれる訳ではない。そんな組織ならとっくの昔に亡命軍は壊滅している。実際問題、私の父は私と違い本物のエリートだ。同盟軍士官学校を席次39位で卒業、同盟軍人として百を越える戦場を潜り抜け、二十七歳にして同盟軍名誉勲章を受勲、二十九歳で同盟軍准将に昇進、兄が前当主もろとも戦死した事で当主の席に座り亡命軍少将、武功を重ねて四十を超える頃には自由戦士勲章を、二年前についに亡命軍宇宙軍元帥号を授与された身であった。

 

 傍に控える老境の家令が父に耳打ちすると、小さく頷き、再び私を見つめると口を開いた。

 

「……此度の戦功、私の耳にも届いておる。名誉勲章は私とて得たのは三十になろうかという時だ。誠に大義な事だ。お前の功績は武門の誉れ高き一族の勇名をより轟かせ、我ら門閥貴族の、ひいては同胞と亡命政府の一層の繁栄に資するものに相違ない」

「……身に余る光栄です」

 

 深々と頭を下げる。というかしなければならない。それだけの圧力があった。正直に言おう怖い。怒ってる?怒っているよね!?

 

「うむ。戦傷も癒え、今日はよくぞ遠路遥々戻った。……細やかで、身内ばかりのものであるが祝宴を用意した。お前の勲功と帰郷を一族と臣下とで祝いたい」

 

嘘つけや!私は内心で叫んだ。

 

 いや、確かに勲功と帰郷を祝う理由はあるだろう。だが、その裏にある目的も大体私には分かっていた。

 

 私が従士の事で何かしらの嘆願をするつもりなのは分かっているだろう。そしてそのためには少人数で長時間の話し合いが望ましい。祝宴と称して人を集め、時間を奪うと共に話しにくくするつもりだろう。

 

 同時に相当に今回の件で多方面で不満が噴出している証拠であろう。

 

……だからこそ、ここで話さねばならない。

 

「……大変嬉しく思います。それはそうと、お聞きしたい事が御座います。宜しいでしょうか」

「………手短にな」

 

値踏みするような視線でこちらを見据え、口を開く父。

 

「カプチェランカで私に付き従った従士共についてです。特に付き人のゴトフリート少尉の容態についてお聞きしたいのです。……彼らは私の大事な臣下です。どうなっているかお分かりでしょうか?」

「いちいち個々人の臣下の様子を把握などしておられぬ。後で家令に調べさせよう。それで良いな?」

「私の付き人についてですら、でしょうか?」

 

私は僅かに口調を強め尋ねる。

 

「……ふむ、知らぬな」

 

 確かに伯爵家に仕えている従士家は分家含めて百家は越えるし、総数では女子供含めて千……いや二千人を越える(伯爵家分家や食客や奉公人、士族私兵を含めれば伯爵家の臣下はその数十倍になる)。

 

 だが、ゴトフリート家は伯爵家の従士家の中でも五本の指に入る家、その本家の、私の付き人の状況を知らないのは有り得ない事だ。おいおい、いない子扱いとは……。

 

「私とて軍務が忙しいのだ。今日とてお前のために態々時間を用意したのだ。いちいち一家臣の事なぞ関心を持っておれん。そのような詰まらん話で時間を無駄にしたくない」

 

 そしてタイミングを見計らったように腕時計に視線をやり、家令が耳打ちする。

 

「そうか、時間か。そろそろ出ようか?」

 

 そう言って立ち上がる父。あ、これ話を切り上げるつもりだ。

 

「お、御待ち下さい!ベアトは……」

 

私は会話の主導権を握ろうと声を上げようとする。

 

………その時であった。

 

「あらあらあら、ヴォルター大きくなったわねぇ、もう私よりも背が高くなっているじゃないの?」

 

 ふわふわとした、間延びした優美な宮廷帝国語が響いた。

 

 ふとそちらを見るとそこには小柄な、しかし美しい女性が開かれた扉の前で幾人もの侍女や小間使いを従えながら佇んでいた。

 

「は、母上……」

 

私は、若干表情を歪ませ、すぐに平静を装い礼をする。

 

……このタイミングで出てくるのかよ。

 

「あらあら、そう畏まらなくても良いのよ?可愛い息子にそんな風にされたらお母さん寂しいわぁ」

 

 侍女に長いドレスの裾を数名がかりで支えてもらいながら近寄ってきた婦人。ニコニコと笑みを浮かべ僅かに足を伸ばして私の頭に触れ、撫でる。

 

 四十前のこの貴婦人は私の母であり、まごう事無き黄金樹の枝葉の末裔であった。

 

 豊かな、透明がかった白金の長髪はウェーブがかかり、雪の妖精のような白い肌は流石に最盛期とは言わないが未だに潤いがあった。アクアマリンの宝石のような瞳、コルセットで括れた腰はしなやかであり、見ようによっては二十代といっても通用するかもしれない。当然とばかりに絹糸にレース、金銀宝石で惜しみ無く彩られた翡翠色のロココ調ドレスは極めて豪奢ではあるが、しかし下品とは思えず、寧ろ着る者と見事に調和しているように思えた。

 

 現皇帝グスタフ三世の妹の娘、ツェツィーリア・フォン・ティルピッツ伯爵夫人は高貴な血筋に相応しい気品と美貌を有していた。……頭の中が生クリームかどうかは分からないが。

 

「あらあら、本当に大きくなったわねぇ、お母さん本当に心配したのよ?戦地で怪我したなんて聞いて……本当、兵隊共は何をしていたのかしら?」

 

 柔らかく、のんびりとした口調の言葉はしかし、最後のそれは冷たく、対象を完全に侮蔑し、人間と思っているのか怪しいものであった。

 

「いや、それは……」

「だってそうでしょ?可愛い息子を危険な戦地に出すのだもの。賊のさ迷う場所に弾避けもつけないなんて、なんて無責任なのかしら……!」

 

憤慨するように鋭い口調で続ける。

 

「本当、これだから市民兵(同盟軍人)は駄目なのよ。お母さん、貴方が怪我をしたと聞いて叔父様(皇帝陛下)に叱りつけてやるように言ったのよ?」

 

 さらりと政治的に危険な事をぶちまける母である。多分抗議内容は途中で穏当な言葉に変えて同盟軍に届けられたであろうが……名誉勲章、そのせいで授与された訳ではなかろうな?

 

「けど良かったわ。こうして元気な姿を見れたのだから。貴方が卑しい賊軍の農奴如きに遅れを取るなんてあり得ないもの。叔父様も喜んでいたわ。流石は私の息子、伯爵家の誇りよ」

 

 キラキラとした瞳で、かつ優しげな声で平然と差別的な言葉を連発して見せる我が母である。因みにそんな事を言いながら私の頭や頬を優しく撫でていた。

 

 ……うん、間違いなく黄金樹の血を引いているわ、この人。

 

「い、いえ……これ全て身を顧みずに私を支え、守ってくれた従士達の賜物です」

 

 私は内心で少々引きつつも笑顔を作って事も無げにそう指摘する。母の中で少しでもベアト達のイメージを良くしたいからだが……。

 

「……?ヴォルター、貴方はとっても謙虚ね。けど……従士が主人の盾になるのは当然の事よ?」

 

 態態誉める程の事ではないわ、と母は美しい笑みを浮かべ、幼い子供に言い聞かせるようにそう優しく語った。そこには一切の疑問も呵責も無く、当然の事を当然のように言っているようだった。

 

……あ、これラスボスですわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 星都アルフォートの伯爵邸は他の大貴族の邸宅がそうであるように本邸ではなく、星都に置かれたある種の別荘でしかない。

 

 そのため本領……正確には伯爵家が領民を指導して開発し選挙区としている……シュレージェン州こそが本邸の場所であり、自宅である。アルフォートの邸宅は本邸に比べれば数分の一の大きさもないのが実情だ。

 

 尤も、小さいといってもそれは大貴族の本邸との比較であり、同盟の富裕層の邸宅は勿論、門閥貴族の大半を占める男爵家や子爵家の邸宅に比べれば十分巨大な土地を我が物顔で占拠していた。

 

 俗にロココ様式の屋敷は本宅以外に回廊で繋がる六つの別宅がありそれら一つ一つが旅館のような広さがあった。屋敷には金箔や美しい壁紙が張られ、名画が飾られ、緋色の絨毯が敷かれ、暖炉が設置され、高価なインテリアで彩られた広間が入り口で客を迎える事になる。

 

 屋敷にはほかに主人一家の生活や仕事を行うために執務室、寝室に書斎、図書室、ギャラリー、複数の居間に応接間が置かれた。食堂は伯爵家や少数の者による私的なそれと、大人数で祝宴を開くための広大なものがあり、社交や親睦を深めるために喫煙室を兼ねた遊戯室、植物園を兼ねた温室があり、ギリシア様式の大浴室があった。地下には小規模ながら有事に立て籠れる地下三階分の防空壕まである。

 

 無論、屋敷の主人達だけでこの邸宅に暮らす訳でもない。常時最低でも五十人は控える使用人達のための食堂と寝室があり、彼ら彼女らの働き、生活するための厨房に洗濯室、執事室、家政婦室、使用人ホール、食堂等が設置されていた。

 

 裏手には四つの倉庫があり、内一つは有事に備えた武器庫であった。ワインやビールの蔵があり、車庫には十数台の地上車と同じ数の馬車が停まる。廐舎には馬丁が世話する馬がおり、兵舎には二個小隊の警備兵が詰め、交代で邸宅の周囲や敷地を巡回している。

 

 その上、都心としては広大な庭園には噴水があり、カスケードが張り巡らされ、園丁が日夜手入れする薔薇園と小さな農園や家畜小屋、工房が用意されている。

 

 一般人が見れば奢侈の極みであろうが、決して門閥貴族の意識で言えば贅沢とは言えない。寧ろ家格から言えば質実剛健といえるものであった。ケッテラー伯爵家は兎も角、バルトバッフェル侯爵家やクレーフェ侯爵家は普通にこの数倍の敷地があるし、それですら帝国貴族の常識では比較的小さいと言われる。ブラウンシュヴァイク公爵家のオーディン別邸はGPS機能付き携帯端末を全ての使用人に与えているという。冗談抜きで持っていなければ遭難するそうだ。

 

 まぁ、そんな広さな訳であるから例え祝宴の出席者が三桁になろうと、臨時で使用人が倍を越えようと屋敷内には十分な余裕があった訳である。

 

「……本当、贅沢三昧だよなぁ」

 

 私は誰にも聞こえない小声で呟く。目の前のそれを見ればさもありなん、である。

 

 黄金と水晶の色に輝くシャンデリアと無数の燭台の上で灯る蝋燭により広大な室内は明るく照らし出されていた。天然木材のテーブルに純白のテーブルクロスが敷かれ、その上には銀食器に添えられた様々な料理が並ぶ。室内を右に左にと動き回る端正な使用人達は染み一つ、皺一つないスーツやメイド服を着こなし424年物の白ワイン(フェザーン経由輸入品)が注がれたグラスを運ぶ。

 

 接待される者達は伯爵家の分家筋、従士家の中でも特に家柄の良い者、一部の食客、姻戚関係にある他の門閥貴族である。これでも門閥貴族からしてみれば規模としては細やかな(?)なものであった。

 

「諸君、私の招待に応じてくれた事、誠に感謝に絶えない。今宵は我が息子にして同胞の英雄の帰還を、簡素ではあるが料理と酒を以て祝いたい」

 

 出席者の殆ど(子供を除く)にワイングラスが行き届いた時点でその声が宴会の席全体に響いた。

 

 招待客の前で数百の視線に晒されつつも一切緊張も動揺も無く元帥服を着こなした父が演説する。私はその父のすぐ後ろに恭しく控える。これではどちらが主役か分かったものではないが……まぁ、私もあの注目の中で堂々と自分語りなんかしたくないので丁度良いかもしれない。

 

 ふと、宴会場の壁の一角に視線をやる。……うん、案の定、国父がサンドイッチにされて泣きそうになっていた。両脇を固めるのが誰かはいうまでもない。悪いが助けて欲しいのはこちらなので縋るような視線を無視する事にしよう。

 

乾杯(プロージッド)!」

 

 父が白ワインの注がれたグラスを掲げ、帝国の御約束の台詞を口にした。同時に出席する賓客一同が一斉にそれに倣い、掛け声をあげながらグラスを口にした。流石に高級なグラスを使っているし、後処理が面倒だから床に叩きつけはしなかったが。

 

こうして和気藹々……には少し遠い祝宴が始まった。

 

「流石若様で御座います。此度の軍功、見事というほかありません」

「一個連隊が相手でしたかな?たかが平民共中心の部隊との事でしたが、それを差し引いてもこれほどの戦功を挙げるとは……」

「ほほ、初陣でこれとは。来年には蛙食い共を押しのけて自由戦士勲章でも得ているかも知れませんな」

「流石本家の血筋、いや御母君の血ですかな、これは?」

「確かに、顔立ちもツェツィーリア様に良く似ておられる」

「ははは、大帝陛下も初陣で勲章を得たという。やはり血筋でしょう」

「左様左様、やはり大帝陛下の仰られた血の使命は正しいという事ですな」

 

 白い立派な髭を蓄えた礼服や軍服を着た老人方……現役や当主を引退した一族や従士家の長老方……が常識的な一般同盟人が聞けば絶叫しそうな内容を平然と宣う。身内だけの宴会で良かったね。マスコミに会話を録音されたら袋叩きですわ。

 

 テーブルの上にはビュッフェ形式(貴族の晩餐の中では緩い形式だ)で仔牛のワイン煮、鮎のポワレ、鴨肉のコンフィに金目鯛のルーロー、若鳥のフリカッセ、鮭と帆立のタルタル、フロマージュと言った伯爵家に代々仕えるシェフが腕によりをかけた料理が並び、デザートとしてのタルトやミルフィーユ、あるいは旬の果実が揃っているが悲しい事にそこに群がる権利があるのは女子供であり、当然ながら私は主客でありながら接待役を担わなければならない。

 

 私は、クラシックな生演奏をBGMに営業スマイルを浮かべて(そして内心腹痛を感じながら)応対していく。

 

「いや、これも全て多くの臣下に幼い頃から指導を受けた賜物。おかげでこうして勲章を胸に飾れる身に育つ事が出来た。本当にありがたい話だ。今後とも各々の家とは良き関係を維持していきたいと思っている」

 

 人好きのする笑みを作り、私は彼らの家を褒めちぎる。偉そうな口調に思えるが主従関係と身分制度が遺伝子レベルで染みついている帝国人にとってはこれでも丁寧な方だ。その気になればもう少し横柄な態度も取れるし、それを指摘出来る者もいない。それをしないのは元より堂々とそんな口調で話せる度胸が無い事と、ある種の御機嫌取りのためだ。流石に私も従士達に恩赦を与える前から老人方の機嫌を損ねさせる程先の見えない馬鹿ではない。

 

「いやいや、本当に御立派になられた!」

「これで伯爵家も安泰ですな」

「昔は少し元気過ぎたものですが……勇猛、それでいて落ち着きと礼節もある。本当に良き貴族として御育ちになりましたな」

 

 老人方は機嫌の良さそうに語り合う。実際昔は今よりも我儘であったし、幼年学校逃亡未遂もしたので彼らとしては思いのほか深刻に捉えていたのかも知れない。所謂暴君か、あるいは軍人らしくない人物に育ってしまえば武門貴族である伯爵家の存続の上でも、彼らのまだまだ長い老後の上でも問題になっただろう。その意味では現在の状況はベスト、とは言わないまでもベターな状況だ。士官学校のシミュレーションでコープ達に敗れた代わりに彼らを押しのけて昇進と勲章を得たのだからその意味では面子は保たれた。外面的には、だが。

 

 逆に言えばベアト達が、私の戦死寸前に陥った責任という意味で特に彼らの恨みを買っている事を意味していた。もしかしたら婉曲的にそう伝えているのかも知れない。獅子帝は冷笑するが貴族は迂遠な表現が本当に好きだ。

 

なので、私も迂遠な形で意思を伝える。

 

「ええ、全て臣下のおかげだ。此度の軍功でも助けになった。忠実な臣下は伯爵家の貴重な財産。万金の価値がある。将来的に多くの臣下を従える身としては、一人として無駄にしたくないものだ」

 

 なので厳しい処分なんてしないでおくれ、と暗に伝える。私としては遜った(?)態度で伝えたものであるが……。

 

「ごほん……!」

 

わざとらしく咳をする老人方。あ、これは駄目だね。

 

「若様、老いぼれの老人の戯れ言では御座いますが、武門の家柄としてはそのような心掛けは少々改めた方が宜しいかと愚考致します」

「左様……臣下の損失は確かに痛いものですが、戦えば討ち死にする者が出るのは当然で御座います」

「まして、伯爵家となれば兵士を指導し、監督する立場。死地に送りこむ身である以上、厳しさも大事ですぞ?」

 

 神妙な表情で諫言する老人衆。一見自身の家族を死なせろ、と言う奇妙な意味に思えるが、恐らくは皆、自分の一族はその程度で死ぬような柔な奴はいないとでも考えているのだろう。

 

 また、私のせいで伯爵家そのものが没落すればその方が問題なのだろう。従士が幾ら死んでも一族が全滅する事は滅多にない、だが主家が没落すれば臣下の家も道連れになる。主家さえ無事なら多くの一族が死んでも残された者達は主家が面倒を最後まで見てくれるのだから(だからこそ命を惜しまずに戦う、と言う側面もある)。

 

 老人方の視線と口調に圧されて私は息を飲む。これは一旦引いた方が良いかも知れないな……。

 

 そう思い次に叩き込まれる「諫言」に対して身構える。だが……。

 

「あら、私は確かに臣下は万金よりも大事な資産であると思いますわよ?」

 

 急に会話に入り込んできた声に思わず振り向いた。すると視界に白灰色がかった鮮やかな黒髪に陶磁のような白い肌、緋色のドレスをした端正な夫人が扇子で口元を隠しながら微笑んでいるのが映りこむ。

 

「……失礼、ケッテラー伯爵夫人、で宜しいでしょうか?」

 

 私は思わず疑問形で尋ねてしまった。それだけ目の前の人物が馴染みのない人物だったからだ。

 

 正確にはケッテラー伯爵家の当主代理を担うケッテラー伯爵夫人ドロテア・フォン・ヴィレンシュタイン氏である。どこか矛盾しているような名称であるがそこには複雑な事情がある。

 

 ヴィレンシュタイン公爵家、という大貴族が昔存在した。200年程の歴史しかない新興の家柄であったが皇后を輩出するなど急速に勢力を拡大した一門であったそうだ。

 

 まぁ出る杭は打たれる、というのはいつの時代も同じ事のようで、コルネリアス2世の時代に大逆罪の罪を着せられ、そこで頭を下げ、大貴族達に金銭や領地を捧げて口添え(命乞い)してもらえば良い所を、あろう事か当主が破れかぶれに正面から戦いを挑んでしまったらしい。

 

 第二次ティアマト会戦以前の精強な帝国軍に正面からぶつかって勝てる道理(どうり)もない。半年程度で反乱は鎮圧された。問題はここからで、この当主、随分と艶福家であり、愛妾が三桁に昇ったらしい。反乱軍の掃討や略奪パーティーでヒャッハー状態の領地から一人の妊婦が命からがら逃亡に成功し、そのまま同盟に亡命した。

 

 後にヴィレンシュタイン公爵家が大逆罪で公爵家一族が粗方処断された事が伝わると妊婦から生まれた子供に亡命政府がヴィレンシュタイン子爵家(皇后輩出以前の爵位)の爵位を改めて授爵する事になった。目の前の夫人の父である。

 

 まぁ、子爵様等と言っても数名での亡命のために代々の家臣が殆どいなければ、資産も殆どない有様である。亡命貴族同士の同胞愛の結果生活費や教育費が母親に与えられ、子供は成人後地方官吏の仕事にありつく事は出来た。

 

 もちろん、それでめでたしめでたし、とはいかない。人の欲望に際限は無いのだ。御家再興のために子供を有力な家に嫁がせようとする。ケッテラー伯爵家に嫁いだ長女ドロテアもその一人だ。尤も、第二次イゼルローン要塞攻防戦で夫は伯爵家の主要な家臣達と纏めてヴァルハラに旅立ってしまったが。

 

 ごたごた状態の伯爵家とそこに付け込み遺産を横取り……御家乗っ取りまで企んでいた実家の間を取り持ったのが目の前の夫人だ。分家や長老方との暗闘によりケッテラー伯爵家の当主代理の立場に収まりつつ、しかし家名は実家のそれを名乗るのはあくまでも暫定的な立場に過ぎない事を表す。

 

「何代にも渡り忠義を尽くす臣下程得難きものは存在しないものですわ。金銭だけの主従関係なんて、それこそ安く、信頼なぞ微塵も無いもの、良き従士は一億帝国マルクよりも貴重なものですわ。たかが賤民共の百や二百と引き換えにして宜しい筈もありません。そうでしょう?」

 

 四十手前の若い未亡人は老人方に尋ねるように語りかける。それ自体は独創性もない当然の意見だ。だが、彼女が口にすればその説得力は段違いだ。

 

 古い門閥貴族が成り上がり(特に門閥の分家でもない元平民)と一線を画するのは信頼出来る臣下を多数有する事だ。当然門閥貴族になれば領地や人民を統治し、私兵軍を指揮し、日常生活や賓客を持て成す上で多くの臣下が必要になる。

 

 しかし、当然ながら特に平民から爵位を得た者には生まれながらの臣下なぞいる訳がない。つまり新たに自身で集めなければならない。

 

 だがこれが上手くいかない。金で買ったか、軍功で得たか、官僚として栄達したにしろ、各方面の優秀な人材……それも門閥貴族の息のかかっていない者を自分だけで見つけ出すのは不可能だ。軍人出身であれば優秀な軍人を知っているだろう。官僚出身ならば不正をしない役人を知っているだろう。だがその軍人出身が良き官僚を、官僚出身が良き軍人を見つけ出す事は至難の業だ。

 

 見つけられたとしても本人が了承するかも問題だ。今後子孫が永代に渡り仕える事になるのだ。新興の、いつ没落するか分からぬ家に行くくらいならば古い大貴族の下に仕官する方が良いに決まっている。銀河帝国でも大手信仰はあるようだ。

 

 しかも仮に了承しても彼らも従士……下級とはいえ貴族になるからには言葉遣いや所作もそれに相応しいものがいる。従士達の数と所作は門閥貴族のステータスであり、付き合いにも影響する。

 

 忠誠心に至っては言うまでも無い。何十世代も仕えてきたのなら兎も角、昨日まで下手すれば赤の他人であった者のためにどこまで忠誠心を捧げられよう?権威なぞ100年、いや半世紀もありやしない新興貴族にはどこまであるか……。

 

 高い忠誠心と技能、作法を会得した従士や奉公人……人材を多数所有する事は古い貴族が新興貴族に圧倒的に勝る部分だ。栄達した平民の中にはそれが分かるために敢えて爵位を固辞する者までいる。仮にそのような臣下が欲しいならば大貴族に頭を下げ、婚姻を結び、臣下を「分け与えて頂く」しかない。当然そうなれば事実上その家は大貴族の傘下だ。派閥から抜け出すなぞ不可能だ。臣下を通じて企みは筒抜けになる。自前で全てをどうにか出来る新興貴族は極一部だ。

 

 ケッテラー伯爵家は前当主ごと主要従士が戦死し、ヴィレンシュタイン子爵家は元より信頼出来る家臣が殆どいない。方々で相当苦労した、そして今もしている筈でその分夫人の言には恐ろしいまでの説得力がある。

 

「これは夫人。本日も見目麗しゅう……」

「夫人による伯爵家の経営手腕、目を見張るばかりで、実に素晴らしい限りです」

 

 他所の門閥貴族の言に、しかも相応に狡猾な人物と聞こえる夫人に正面から反論出来る従士等いるわけもない。貴族らしく無難な社交辞令を口にする老人方に伯爵夫人は扇子で口元を隠しながらの微笑みで返す。

 

 そこで、私はようやく何をするように言われているのかを察して挨拶する。

 

「お初に御目にかかります。伯爵夫人」

 

 私が腰を下げ、手を向けると、夫人は目を細め、次いで形ばかりの笑みを浮かべて手袋をした右手を差し出す。

 

 私は作業的に軽く手袋越しに手の甲に口づけをする。これ自体は大した意味は無い。敬愛を込めた挨拶だ。尤も、行うのは貴族階級同士であり、身分が釣り合っている場合が殆どであるが。

 

「此度の武勲、誠におめでとう御座いますわ。伯爵家と、子爵家を代表して御祝い申し上げます」

「両家からの祝辞、有り難く頂きます。本日は細やかながらもどうぞこの祝宴をお楽しみ下さい」

 

 形式から欠片も出ない会話……だが、それも出来なければ貴族失格らしい。獅子帝のように因習や旧弊を力づくで打破出来るなら兎も角、私にはそんな気概もないのでこの形式を最低限守らなければならないのだ。

 

 逆に言えばこの夫人は助け舟を出したとも言える。私が門閥貴族として最低限の作法と社交が出来る事を老人方に……曲がりなりにも伯爵夫人相手に機嫌を悪くしないだけの会話の応酬が出来る事を婉曲的に伝えてくれているのだろう。更に言えばこの場で「諫言」なぞしたら見られるぞ、と伝えているのかも知れない。

 

 実際、夫人と話し合いながらちらりと横目で一瞬確認すれば老人方は背筋を伸ばして大人しく私の後ろに控えている。次期当主の見栄えを少しでも良くしよう、という所か……。

 

「いえいえ、流石にティルピッツの祝宴は華やかなものですわ。我々の家はここまで人を集められないものですから」

「……恐縮です」

 

 ケッテラーは死んだし、ヴィレンシュタインは帝国で族滅したからね。家臣団を丸ごと持ってきた我が家とは集められる人の数が違う。まして一家の大黒柱を失った従士家や奉公人の家族を養い、面倒を見ないといけないのは相当な負担の筈だ。そして臣下の遺族の面倒も見れなければ門閥貴族としての体面に関わる。

 

下手に出る私に満足したのか、一礼した後に老人方に「良い跡継ぎをお持ちで」と口にしてそのまま臣下や姻戚関係にある貴族達に群がられる両親の方へと向かう。あれか、両親に何か御願いごとでもあるから一応老人衆に詰められる私を通じて恩でも売っておこうとでも思ったか?

 

「将を射るにはまず馬を射よ、かね……?」

 

 誰にも聞こえない程度の声で小さく指摘する。そうか、私は馬だったのか。

 

 一瞬そんな現実逃避的な考えが思い浮かぶ。だが、すぐに後方で何か言いたげな老人方を視界に入れ、現実に引き戻される。夫人に言われた手前余り強くは言えなかろうが、二三言ほどは注意のために話そうという事だろう、私が気付いた事を確認すると、わざとらしく咳をして改めて口を開こうとして……。

 

 「若様若様!見てください!この料理!ローストビーフとボワレが本当に絶品ですよ!食べて見てくださいよ!あ!お姉さんがあーんしてあげましょう!ぐへへ、ほら若様あー……グエェッ!?」

 

 取り敢えず空気を読まずに大量の料理を盛った皿を持って腹が立つ笑みを浮かべながら横入りしてきた准尉に真顔で裏拳を叩き込む。それでも料理を落とさないのは大したものだ。

 

「うー、うー、酷いですよぅ……あ、けどこういう肉体コミュニケーションも悪くは……」

「さいですか」

 

 ぐへへ、と顔に似合わない卑しい声を漏らす従士に流石に老人方も私の裏拳に何か言う以前に少し引いている。正直場が白けてこれ以上何か言う空気ではなかった。

 

 ちらりと周囲を見れば祝宴に出席する子供達が幾人か純粋な笑顔でこの准尉を指差し、次の瞬間保護者が必死な顔でどこかに子供を避難させる。酷い扱いだ。家臣団全体からそういう認識をされていやがる。レーヴェンハルト家の当主はやっぱり今からでも良いから思想矯正する事を進言したい。

 

 はぁ、と私はこの先の前途多難ぶりに思わず溜め息をついた。



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第六十八話 アルーシャとシロンはきっと仲が悪い

 新美泉宮の東苑の一角にある「白真珠の間」にて、式典が行われた。各方面にて亡命政府と同胞のために活躍した914名に対する受勲のためにである。

 

 特に重要な148名に対しては典礼尚書から一人ずつ名前を呼ばれ、其々軍務尚書、あるいは内務尚書から、と各尚書から功績を読み上げられ、勲章や褒賞が授けられる。室内の一段高い玉座では侍従や近衛に周囲を守られた銀河帝国亡命政府の「皇帝」グスタフ三世が慈愛の微笑みと共に見守る。

 

「ティルピッツ伯爵家本家、ヴォルター・フォン・ティルピッツ同盟宇宙軍中尉!」

「はっ!」

 

 合唱団のクラシック演奏が鳴り響く中、明らかにカツラを被ったふくよかな典礼尚書が私の名前を読み上げれば、私はそれに室内に響く掛け声で答える。幼少期から躾られた完璧な動作で軍務尚書の下に歩みを進めれば、そこには亡命軍元帥、父の叔父、今は亡き祖父の弟であるラントシュトラーゼ=ティルピッツ子爵家当主アルフレート・フォン・ティルピッツが侍従を控えさせて待ち構えている。モノクル眼鏡を付けているが、あれか?帝国の軍務尚書は絶対にモノクル眼鏡をつけないといけない決まりでもあるのか?

 

「ヴォルター・フォン・ティルピッツ同盟宇宙軍中尉、宇宙暦784年9月の惑星カプチェランカにおける戦功を賞し、貴官を亡命宇宙軍予備役大尉とし、騎士鉄十字章、亡命軍戦傷章を授与する。宇宙暦784年12月8日銀河帝国皇帝グスタフ三世」

 

 そこまで言ってから侍従が差し出した勲章を軍務尚書は手に取ると私の同盟軍の士官服の胸元に飾り付ける。

 

「貴官の今後の活躍と、同胞、そして皇帝陛下への献身を期待する」

 

厳粛な空気の中、軍務尚書は威厳を込めて激励の言葉を口にする。

 

「はっ!」

 

 そして軍務尚書の最後の言葉に対して私は敬礼すると共に、顔を引き締め、鋭く響く声で答えたのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

「そうして胸元の勲章を手にしたのが五日前の事だったかな?」

「その後も晩餐会があったし、細々とした式典とパーティーからようやく解放された訳だな」

「ご苦労様、とでも言おうかい?」

「ははっ……!地獄はまだ終わっていねぇよ……!」

 

 無意味に広大な新美泉宮の庭園の一角、花園に建てられた大理石のガゼボの下で私的な茶会中の会話であった。私はティーセット、ケーキ類や軽食を乗せたティースタンドが置かれたテーブルを挟んで亡命軍士官服を着飾る旧友に愚痴る。というかアフタヌーンティーはイギリスの文化じゃないのか?まぁ、大帝陛下が定めたのはなんちゃってドイツ文化だけどさぁ。

 

「今更だが……貴族の行事って多くね?休暇って何だろうな?」

 

 半分光を失った瞳で私は尋ねる。今日だって晩に同盟駐留軍の将官との食事会に父と参加しないといけないのだ。軍で仕事している方が気楽というのは可笑しい。あれか?帝国軍の貴族軍人はこういう面倒な行事から逃げるために軍務についているのかな?

 

「おかげで碌に親と話も出来ない。出来ても大概母上が主導権を取るしな」

 

 押しが強いと言うべきか、唯我独尊と言うべきか、まぁ、話を阻める奴が殆どいないからなぁ。基本周囲の小間使いも侍女も営業スマイルでお喋りを聞くだけだしな。父に至っては同時に自宅にいるタイミングが殆ど無く、数少ない時間は所謂御客様を招いての会食だったり、執務中だったりする。

 

「……おかげでベアトの状況を把握するのにも苦労した」

 

 私は周囲を見渡して、暫定付人の従士が聞こえない距離にいる事を確認した後にそっと伝える。ガゼボの下にいるのは賓客たる私とアレクセイと後一人、そして口の固い老いた使用人兼宮廷侍従が一人である。警備は其々のお付きの方々には周囲に離れて貰っている(それでも目で見える距離にいるが)。

 

 件の三名の様子を探ろうにも明らかに暫定でついている付き人や使用人に監視されている。大した事ない情報を集めるのも相当手間をかけた。自意識過剰かと思われるかも知れないがマジだ。

 

「面倒だね。……このままだと次の出征で出ていった所で勝手に処断が決まってしまうかも知れないよ」

「……やっぱりあるのか、出征は」

 

 ロボスの叔父やリューネブルク伯爵等幾人かの知人に尋ねたが……。

 

「統帥本部の方も忙しくなっているからね。来年四月ないし五月頃かな。進捗具合から見ると」

「となると場所は……イゼルローンか」

 

 原作では具体的内容が描かれていない第四次イゼルローン要塞攻防戦、それが始まろうとしている訳だ。

 

「こりゃ、そろそろ私の所にも辞令が来るな。まさかとは思うが最前線の攻略部隊じゃなかろうな……?」

 

雷神の槌で消し飛ぶなんて御免だぞ……?

 

「流石に一度死にかけたから、早々危険な部署には配属されないさ。勲章持ちだしね。後方支援か、前線といっても艦隊司令部辺りだと思うよ?」

 

 苦笑しながら老侍従が注いだ紅茶を口に含むアレクセイ。

 

「この星から出ていくとなると面倒だ。それまでにどうにかしたいが………」

 

 従士……特に使用人達に尋ねても話を逸らしたり、はぐらかされてばかりだ。私の権威でごり押し、といっても両親の前では大した役に立たないしなぁ。

 

「別に良いんじゃないかしら?駄目な従士なんて代わりを貰ったらいいのに」

 

涼しげな、綺麗な美声で問題のある発言が飛び出した。

 

「………」

 

私は少々困った顔で発言者の方向に目を向ける。

 

 あからさまな程のお嬢様がそこにいた。翡翠色の瞳に鮮やかな金髪縦ロール、金糸で編まれたドレスを着た小柄な美少女はデザートを食べる所作の一つ一つまで洗練され、かつ貴族らしい高慢さが見て取れた。

 

 亡命貴族の中でも極右、星系議会最大野党「帝政党」の党首と内務尚書を兼任するブローネ侯爵の娘シャルロッテ・フォン・ブローネ嬢がこの茶会の三人目の参加者であり……目の前の旧友の婚約者であった。

 

「……シャル、余りそういう事は言わないで欲しいんだけど」

 

 不快、というよりも困った、と言った表情で恭しく旧友が注意するが、このお嬢様は反省するどころか詰まらなそうに表情を変える。

 

「だって事実じゃない。さっきから従士だの任務だの面白くないわ。アレクも、ティルピッツ様もそんなどうでも良い事ではなくて、もう少し楽しい話をして下さいな」

 

 子どものように拗ねた口調でそう答えるフロイラインである。いやいやいや、結構シリアスな話をしていたと思うんだけどなぁ!?

 

 第七代銀河帝国皇帝、痴愚帝ジギスムント二世の事ジギスムント・フォン・ブローネの即位前の家名で有名なブローネ侯爵家は、その後痴愚帝の息子、次代皇帝オトフリート二世の弟であるエーリッヒが受け継ぎ、流血帝アウグスト二世の時代も辛うじて生き延びた。止血帝エーリッヒ二世時代には宮内尚書に任命される等、数少ない皇族所縁の一族として重宝されたが、ダゴン星域会戦後の「暗赤色の六年」時代に派閥抗争に敗れ亡命を余儀なくされた。

 

 そんな背景を有する侯爵家であるが、現当主ブローネ侯ヴィルヘルムは復古主義を支持する政党(帝政・身分制度・劣悪遺伝子排除法・社会秩序維持局復活等を掲げる)の頭目であり、その娘はその影響をばりばりに受けているような人物であった。

 

 獅子帝が称するなら頭が砂糖菓子で出来たような令嬢、とでも表現するだろう。花とドレス、宝石にケーキとポニーを愛し、恐らくナイフとフォークよりも重い物は持った事もない。自身の望みは命令すれば叶い、従士や奉公人は道具、平民に至っては関心がそもそも無いだろう。宮廷と同じ門閥貴族だけが世界の全てと考えていそうなお姫様であった。

 

「ははは、済まないね。けどこの友人にとっては大事な事なのさ。シャルだってヴェルテとバーダーがいなくなると困るだろう?」

 

 アレクセイは彼女のお気に入り(無茶ぶりや我儘の相手をさせられている)の従士達を例にして弁護する。

 

「別にぃ、その時は別の子を御父様に貰って来てもらうわ」

「新人はシャルの好きなケーキも、服のデザインも知らないよ?一から教えるのかい?」

「むむ……それは確かに面倒かも」

 

 あっさり反論され、どこか神妙な顔つきになるフロイライン。むっ、と不機嫌そうに苺とクリームが挟まれたフルーツサンドを突き刺したフォークを口に咥える。

 

「……仕方無いわね。そういう事なら問題にする事も分かるわ」

 

 渋々自身の過ちを認めるお姫様である。寧ろこうでも言わないとどこが問題なのか理解しそうにない。それにこれが平民が口にした事であれば気にもしなかっただろう。皇族と伯爵家の嫡男という「同族」の言葉だから聞いていたと言っていい。

 

「それにしてもティルピッツ様も物好きだわ。戦争なんて私余り興味が無いから知らないけど、付き人以外の所在も気にするなんて」

「長く使って……と言うほどではないけどそれなりに時間は共にしたからね。危険を共にすれば愛着も湧くさ」

 

 彼女に理解しやすく私は伝える。恩義やら口にしても理解してくれないだろう。使った「道具」への愛着、と言った方が彼女には余程分かる筈だ。

 

「ふーん、そういう物なの。……けど、流石にもうそんな話詰まらないわ。ねぇねぇ、アレク。この間公演した演劇はもう見たかしら!?」

 

 身を乗り出しながらはしゃぐようにアレクセイに語りかける侯爵令嬢。流石にもうこれ以上は秘密の会議は駄目なようだ。

 

 アレクセイが侯爵令嬢の話に紳士的に応対しながら、ちらりとこちらを見て視線で謝罪するのが分かる。構わんよ、別に。

 

 肩を竦めながらそうジェスチャーで伝え、ティーカップを口に含む。飲み終えると、すぐに老侍従は次の紅茶のカップを差し出した。ミルクティーとは、私の次の注文を先読みでもしていたのかね?

 

 私は理解しているが、一応自身の口元に人差し指を立て、この侍従にこれまでの話を全て忘れるように伝える。宮廷は噂と流言の絶好の繁殖地である。人に知られたくないときは周囲を遠ざけ、信頼出来る者のみを側に置いて話すことだ。逆に敢えて噂や流言を広めたい時は口の軽い使用人共を近くに置くわけだ。

 

 この老人は信頼出来る人物ではあるが、念のため注意する。不快に思われたかも知れないが、老人は恭しく礼をして私のメッセージに答えてくれた。 

 

「やっぱり『流血を欲するブリュンヒルト』は陰鬱ね。作者が悲劇が好きなのは分かるけど、幾ら何でも不都合主義過ぎるわ。バルバロッサがあのタイミングで死ぬのは興醒めも良い所だもの。きっと筆が乗って勢いで書いてしまったのね」

 

 昼過ぎ、そろそろ茶会も終わりに差し掛かり、私達はフルーツタルトを口にしながら彼女の最新の文学作品の論評に耳を傾ける。いや、宮廷文学や騎士道物語は余り興味が無いのが本音なのでほぼ彼女の一人語りになるのだが……。

 

「やっぱり『フィリップと死せるマグダレーナ』より良い作品はなかなか無いわねぇ。あれは名作だわ。……ああ、そうそう。この前読んだ『テルヌーゼンの帝国騎士』は思いのほか良かったわ。廃墟で賊から姫を救う場面は情緒的だけど読み応えがあるわね。最近の作品の中では一番お気に入りよ」

「さいですか」

 

 このフロイラインは中々にお喋りだ。このまま放っておけば多分何時間でも話して見せるだろう。旧友もよくもまぁ、話に付き合っていられるものだ。 

 

「御嬢様、失礼ながらそろそろ……」

 

 フロイラインに次の予定についてそう伝えたのは亡命軍の礼服に身を包んだ若い麗人と背の高く日焼けした男性の従士であった。

 

「むっ、もうそんな時間?お前達、空気読みなさいよ、これからが良い所なのよ?」

 

 お喋りを邪魔されたからだろう、随分と不機嫌そうな表情を浮かべるフロイライン。時間は文句言っても巻き戻らないから当たってやるなよ、と内心で思う。

 

 まぁ、口にはしないが。そういう指摘は門閥貴族の権威を公衆の面前で貶める行為とも取れる。身内や親しい間柄でなければ容受されない。唯でさえ旧友の婚約者であり、その相手が目の前にいる状況、あの貴族主義的なブローネ侯爵家出身となると気安く口を開く訳にもいかない。

 

なので、ここで窘める役を負うのは……。

 

「シャル、余り無理強いは良く無いよ。また茶会の機会は用意するから、今日は一旦屋敷に、ね?今夜、手紙を書くよ」

 

 婚約者に対して、というよりは我儘な娘に言い聞かせるような、しかし十分に思いやりを込めた口調で伝える新品少尉。最後にお願い、と頼み込む。

 

「むっ……」

 

 貴族主義の環境で蝶よ花よ、と育てられた侯爵令嬢でも流石に、寧ろだからこそ皇族に強く出る事は思考の埒外であるらしい。口元をむすっと結び暫く葛藤していたようだが……小さく溜息をつくと肩を下げた。

 

「……分かったわ。そこまで言うなら仕方ないわね。お願い、というなら聞くしかないじゃない」

 

 まだ不満そうに、しかし渋渋といった体でそう答えるフロイライン。

 

「……ありがとう」

「けど!」

 

 安堵の表情を浮かべる旧友に閉じた扇子を向け、ジト目で見つめる。

 

「手紙、忘れないで。後次の御茶会も、ね?」

 

 ……性格は兎も角、にっこりと首を傾げてお願いする姿は門閥貴族の御嬢様らしく可愛らしかった。

 

 箱入り娘が先に付き人や小間使いをぞろぞろ連れて退出した後、旧友は私の対面に座り直し、紅茶を口にしながら弁護する。

 

「……悪いね。決して悪い娘じゃないんだよ」

「悪くても選択肢は無いしな」

「ははは……」

 

漏れ出る笑みは、寧ろ苦笑いに近かった。

 

 与党たる立憲君主党と対立する帝政党は自立党と共に万年野党ではあるが、それでも党に所属する大貴族は少なくなく、選挙においては(公約から見て信じがたいが)平均して二割前後の支持を得ており、無視出来ない影響力がある。婚約がその代表たるブローネ侯爵家の懐柔策の一環として行われている事が明白だった。

 

「まぁ、悪意は無さそうだけどな」

 

逆にあれが演技ではなく素と言うのも怖いが……。

 

「まぁ、作法は守る子だから」

 

暗に勝手に言い触らす人物ではない、と告げる。

 

 今回の茶会は別に無為にお茶を飲んでお喋りをしていた訳ではない。アレクセイとの情報交換のためである。対面上は(実際それも目的ではあったが)あのフロイラインを紹介してもらい、親睦を深めるため、という形式だ。その際に人払いをし、彼女には予め内容はオフレコと伝えている。

 

「お前さんがそういうなら信じようか。色々手間かけさせているしな」

「そうしてくれると有難い。私としてもこれ以上探ったり、口を滑らせるのは結構際どいからね」

 

 兄と相当年が離れているし、オーディンと違い皇族暗殺が日常茶飯事、と言うわけではないが、それでも帝位継承順位は高いのだ。下手に貴族の諸事情に介入を続けるのは限度を誤れば危険である。

 

「分かったよ。御苦労様で御座います、皇子様」

 

 わざとらしく礼をして感謝する。まぁ、ほとぼりが冷めたら正式に(自腹で)謝礼で何か贈るので勘弁して欲しい。

 

 そんな事をしているうちに、こちらの迎えも来たらしい。 

 

「若様、呼び出した馬車が来たようです。彼方に控えておりますので御案内致します」

 

 亡命軍後備役徽章をつけた二十になるかどうかと言う少女が近衛兵と何事かを会話すると、こちらの側に来て報告する。

 

「……手際が良いな」

 

私は、目を細め少し警戒する口調で答える。

 

 ベアトよりも僅かに薄い、しかし鮮やかな金髪に彼女より僅かに濃い赤い瞳、染みの無い陶磁のような肌は恐らく余り野外に出ないからだろう。ベアトに似た、しかし少し柔らかそうで、(悪い意味で)賢しそうな女性……。

 

「主人のために気を回すのは付き人として当然の仕事で御座います」

 

 テレジア・フォン・ノルドグレーン予備役少尉は私に微笑みながら恭しくそう口を開いた。

 

 

   

 

 

 

 

 ハイネセンから故郷に戻るまでは暫定的に馬鹿が付き従っていたが、流石に(明らかに)不味いと思ったのか交代させられ、ここ一週間ばかりはこの甲斐甲斐しいノルドグレーン家本家筋の従士が暫定的処置として付き従っていた。

 

 ノルドグレーン家と言えば伯爵家の中では行政・治安関係に関わる一族で代々領地の徴税官、財務官僚、また憲兵や警察、法律関係の職務に付いていた。帝国にいた頃は領内の不満分子や犯罪活動、脱税者の摘発、拷問、裁判のほか家臣団内での反逆者の監視等も行っていたらしい。そのため前線任務に就く者は少ないが、それでも最低限訓練を受け、法務士官や経理士官、或いは予備役、後備役を兼任して官吏に就いている者は多い。彼女の場合も予備役少尉の階級にあり、最低限の護衛訓練を受けているため暫定で付き人として配属された……こっちの意思とは無関係に。

 

……おう、これ監視役だよな?

 

 御者の走らせる馬車の中で私は今後について考える。今回の失態について、幾つか言い訳に使えそうな内容はある。問題は最低限両親……特に父をどうやって会話の席に引き摺り出すか、だ。

 

 元々宇宙艦隊司令長官と言う役職は暇ではない。同盟や帝国のそれより遥かに規模が少ないとは言え、だからこそ限られた戦力を効率的に運用しなければならない。同盟軍との作戦範囲や役割分担の調整もあるだろう、そう考えればその労力は決して引けを取らない。

 

 そこに出征計画、宮廷行事、領地(と言うのは微妙だが)の監督もある。時間が無いし、それを言い訳にしてくる事は明らかだ。

 

 強引に交渉に持って行くのも手だが、そのための手駒が無いし、リスクもある。限られた時間内に不興を買わないように、かつ交渉に持ち込み説得するとか地味に糞ゲーの気がする。

 

ちらり、と馬車の反対側の席に目をやる。

 

 背筋を伸ばした惚れ惚れするような綺麗な座り方で暫定従士が控える。彫刻のように整った、しかしぴくりとも動かない表情と固定された視線は私の行動を監視しているのはほぼ明らかである。

 

「何か御用で御座いますか?」

 

 私の視線に気付いたのか、微笑みを浮かべながらはきはきした……しかしどこか形式的な……声で尋ねるノルドグレーン予備役少尉。

 

「………いや、何でもない」

 

 私は、少しだけ投げやりに答え視線を窓の外に向ける。無駄に広いがために馬車に乗車して三十分は経っているにも関わらず未だ外苑の並木道に入ったばかりのようだった。馬車を護衛する騎乗した近衛兵も御苦労な事だ。

 

「御要望があれば何なりとお申し付けくださいませ。不慣れな身では御座いますが付き人として可能な限り御期待に御答え致します」

「そうか……」

 

 営業スマイル全開の美女の発言に、話半分に私は答える。貴族階級は代々端正な男女の血を入れているため美男美女率が高く(口の悪い同盟人は「品種改良」等と揶揄する事もある)、当然彼女もその例に漏れない。女性に不慣れなシャイな人物なら下手したら笑みと会話だけで陥落してしまうかも知れない。

 

 その点では、子供時代に二十四時間三六五日美形ばかり周囲にいたので耐性がある事は幸運であった。こいつは信用出来ない。家柄もそうだし、しれっと「暫定」の二文字を抜いてくる時点で警戒対象だ。ベアト似なのはあれか?代替品で我慢しなさいって事か?ちょっと闇が深そうなんだけど?私どう見られているの?

 

 ………不味いなぁ。二十四時間監視してくる相手が付いて来るとか、前任の馬鹿の方がマシとか笑えない。おかげで情報を集めるにも何かにつけて人払いしないといけなくなった。無駄な手間をかけさせて時間稼ぎしようという魂胆かね?

 

 第三者経由で分かる情報は少なくとも三名ともまず生存している(というかしてないと困る)、後遺症は無い状態である事、私と同じく負傷から復帰した同盟軍人の通例で休暇を取っている事になっている事、恐らく実家で閉じ籠っている(あるいは軟禁?)状態である事だ。

 

 取り敢えず気付いたら最前線で死んでいて御骨が帰ってきた、なんて言う最悪の状況ではない事が分かったのは良しとすべきか……。

 

「帰宅後は、ヴォルムス星域軍のブロンズ准将との会食がありますが、御召し物は用意致しましょうか?」

「いや、軍服で良いよ。同盟軍人である以上そちらの方が良いだろうさ」

 

 どうせ、父の添え物だし、着飾った服装なんかしても悪印象しか与えまい。というかたかが中尉なのにお偉いさんの会食に(父が主役だが)出席させるとか鬼かな?同盟軍人としてギリギリかつ門閥貴族としてもセーフな態度で接する苦労分かる?おう、分かんないよね、畜生!

 

 

 

 

 

 

 

 自由惑星同盟軍において第24星間航路を管轄するのが第4方面軍管区であり、その傘下にアルレスハイム星系統合軍、さらにその下にヴォルムス星域軍が存在する。

 

 尤も第4方面軍管区軍は兎も角、アルレスハイム星系統合軍・ヴォルムス星域軍の有する兵力はその看板に比して小さい。アルレスハイム星系は前線に近いが最前線、という訳でもなく、亡命軍と言う同盟軍とは別に大規模な武装組織が存在するためだ。アルレスハイム星系統合軍の駐留兵力は八万名程度、内ヴォルムス星域軍に所属するのは約四万名である。人口6500万を有する有人惑星でありながら惑星上に駐留する同盟軍は地上軍二個師団と百隻に満たない宇宙戦力に過ぎない。

 

 寧ろ、この駐留軍の目的は亡命軍との意思疎通、また大規模遠征時における同盟軍主力部隊の補給や駐屯地提供、情報収集が主任務であり、そのため駐屯基地は駐留軍の規模に比べ異様な程通信・兵站機能が充実し、また歴代司令官は兵站・通信・情報畑の人物が主であり、今年六月に着任した准将もまた同様であった。

 

「今宵は御呼び頂き光栄です。元帥閣下」

 

 使用人に案内され屋敷の食堂の椅子に着席するウィンセント・ブロンズ准将は第8艦隊司令部情報参謀から転任してきた人物だ。士官学校席次第11位で卒業して以来戦功の立てにくい後方勤務ポストを中心に担ってきたがそれでも尚三十代半ばで准将、大半の士官学校卒業生が大佐で軍歴を終える事を考えれば極めて優秀な軍人であると言える。

 

「そちらが噂に聞く御子息殿で御座いますか?」

 

 優しい微笑みを浮かべ流暢な宮廷帝国語で、完璧な所作で尋ねてくる准将。彼は帝国系でなければ、ハーフでも、クォーターでもない。アルーシャ生まれのアルーシャ育ち、アルーシャの紅茶を愛飲し、アルーシャ紅茶のパウンドケーキが好物でアルーシャ紅茶祭りを心の底から愛する生粋のアルーシャ人だ。だが、情報畑の出身であるために帝国公用語以外に宮廷帝国語や中流階級や下層階級、地方の各種方言まで母語のように話し、各階層特有のマナーにまで精通していた。

 

 当然その微笑みも額面通りに受けとるべきではない。同盟軍の地方勤務の中でも第4方面軍管区関連のポストはストレスで胃に穴が開くと評判だ。現地事情と中央との価値観と常識の違いとその調整に苦労している。だからといって帝国系の人物を派遣するのも現地で取り込まれる可能性もあるので余り奨励されていない。そんな中で情報畑出でこのポストに就いている人物が只者でないことは明らかだ。

 

「うむ、私の息子としていずれは伯爵家も継ぐ予定のヴォルターだ」

 

 くい、と顎で促すので同盟軍士官用礼服を着て父の隣に座っていた私は改めて挨拶する。

 

「同盟宇宙軍所属ヴォルター・フォン・ティルピッツ中尉です。ブロンズ准将の御活躍はお耳に挟んでおります。同盟軍の偉大な上官に御会いできる事、誠に光栄です」

 

 「同盟軍人」として准将を褒め称える。この辺りの微妙な単語の選択は本当に面倒だ。

 

 無論、准将もここに来る前に帝国文化、階級制度、アイデンティティーに関する蔵書は熟読しているはずであり、こちらの意図する事は分かっているだろうから、余り不用意な事は尋ねる事も、指摘する事も無いだろうが、というかされたら困る。

 

「カプチェランカにおける活躍は聞き及んでいます。貴方のような若き勇士がいれば同盟は安泰だ」

 

 社交辞令的な会話と共に食事会は始まる。因みに母は同盟軍に所属する貴族軍人の貴族令嬢や夫人の食事会の方に参加して家にない。本人が関心がないであろうし、私(そして父にとっても)そちらの方が良い。

 

 比較的格式ばった食事会ではないが、それでもマナーは重視される。所謂コース料理を使用人達が運んで来るので無数にあるフォークやナイフ、スプーンを使い音を立てずに食していく事を求められる。

 

 そして、当然ただ食事をするためにこんな事をしている訳でもない。

 

「して、こちらから供出すべき艦艇は幾らと言うておる?」

「最低でも1000隻、偵察と後方の補給線の警備に求めたいと仰せです」

「1000隻か。……宜しい、昨年に比べて艦艇の損耗には余裕がある。だが……」

「後方勤務本部が所有中の鹵獲艦艇500隻の修繕と引き渡しについては可能な限り迅速に手続きを致します」

 

 スープを静かに啜りながらも、食堂では父と准将の会話……否、会議が続く。その表情は真剣そのもので、食事の味をきちんと味わえているのか大層怪しいものだ。

 

「捕虜の受け渡しは来年の始めに実施します。それはそうと、来年度の外人志願者の募集人員の件はどのように?」

「こちらとて兵力は幾らあっても足りぬ。それに応募に応じているのはあ奴らの方だ。同盟憲章は個人の自由を認めておるのではなかったか?」

 

 以前にも多少触れた事があるが亡命軍は少なくない兵器と人員を特殊なルートで調達している。艦艇であれば帝国軍から鹵獲したものである。だが、人員については更に特殊だ。

 

 主力は星系政府内で志願・徴兵した軍人であるが、それ以外にも同盟各地の帝国系志願者もいる。

 

更に特殊なものが特殊志願兵だ。

 

 大きく分ければ帝国軍投降兵の中からの捕虜志願者、またフェザーン人や非帝国系同盟人、無国籍・辺境宇宙の刑事犯として収容された宇宙海賊からの外人志願者等に分類出来る。

 

 全国の捕虜収容所内で亡命政府に忠誠を誓った元帝国兵は定期的に同盟軍から引き渡される。同盟にとっては無駄飯食いを減らし、帝国軍の潜在的兵力を削り、亡命軍にとっては実戦経験を有する兵員を補充出来るメリットがある。降伏は不名誉であり家族に迫害が及ぶ可能性もあるために帝国には戦死と報告し、偽名で亡命軍に参加する者も少なくない。亡命軍の人員の二割近く、数十万名にも及ぶ。

 

 一方で、非帝国系同盟人やフェザーン人で志願する人物もいる。多くは傭兵や同盟軍にて諸事情で退役を勧告された者、あるいは帝国の体制や文化、貴族制度を信奉する物好きだ。また辺境宇宙の無国籍の宇宙海賊の中には国籍付与や恩赦と引き換えに軍役に就く者もいる。多くが地上軍の武装親衛隊(SS部隊)に所属し、極少数ではあるが軍功を上げ一代貴族や帝国騎士に受任される者もいた。同じく亡命軍の二割近い比率を占める。

 

 尤も彼らの多くが危険な最前線での任務に就き、戦死率は決して低くはない。同盟人が貴族の手先として戦う事への市民の嫌悪感もあり、度々同盟世論は外人志願者の存在を非難してきた。まぁ、同盟軍の下で戦う亡命軍の中で戦う外人部隊の存在を非難するというのも滑稽な話に思える。

 

 だが、同盟は民主主義の国で、世論の国。ネガティブキャンペーンを続けられたら同盟政府も口を出すしかない。

 

「それもこれも卿らが地上軍を縮小しているためだ。卿らは不足分を我らの同胞の血で補い、我らは人手不足を外人志願兵で補う、違うかね?我らは給金も、遺族年金も未払いにした事は無いぞ。卿らのようにな」

 

 万年金欠のために(少額ではあるが)遺族年金や給与のカットをした歴史がある同盟軍と同盟政府へのある種の皮肉であった。

 

「理解はしています。ですがそれでも外人志願者の戦死率の高さは無視出来ません。せめて運用法の変更や医療装備の改善をして戦死率の引き下げをして頂かなければ。必要ならば専門の顧問を派遣しましょうか?」

「いっそ広報映画でも作るかね?その手の情報操作は御手の物だろう?」

 

 グラスの中のワインを揺らしながら父が半分冗談気味に答える。

 

「それでは志願者が増加してしまうではありませんか。同盟地上軍の人手不足が促進されて困るのは貴方達である事は承知の筈」

 

 少々不穏な会話が続くので私は現実逃避しながら静かに食事をする。さっきから恭しく給仕を行う執事やメイドの方が多分私より神経太いんだろうなぁ。

 

「ならばこそ、彼らの運用法の改善を提案したいのです。貴方方も無駄な損害も、遺族年金の支払いも好んでいる訳ではないでしょう?」

 

 ブロンズ准将の物言いに一瞬しかめ面をするが、暫し考える素振りをして、口を開く。

 

「……ふむ、新しい星域軍司令官は口が回るようだな。宜しい。軍務尚書と地上軍総監の賛同がいるが、意見は具申しよう。……顧問団の宿泊と消耗品の提供は我が家の企業に下請けさせるが構わんな?ほかの者もこの星に金が落ちればある程度納得しよう」

「……考えましょう」

 

 うむ、と静かにワインを呷る元帥殿。見る者が見れば上機嫌である事が分かる筈だ。前任者が胃潰瘍で入院した分、准将が口が回る事(その分無茶ぶりが出来る事)が喜ばしいらしい。交渉相手が頭が回らなければ交渉が纏まる前に潰れてしまう。可能な限り優位に交渉を進めたくても相手が潰れてしまえば意味が無い。ある程度優秀な交渉相手は寧ろ喜ばしい事であった。

 

 というか今さらりと談合しなかった……?あ、気のせいですか、そうですか。

 

 魚料理と肉料理にそれぞれアルーシャ鮃のムニエル、口直しにアルーシャ産茶葉を使ったソルベそしてメインのヴォルムス子牛のローストが提供されると陰険な空気が和らいだ。魚料理は准将の故郷の食材、口直しは客人の好物、子牛は昔より客人の歓待によく利用される食材だ。

 

 同盟にしろ帝国にしろ、あるいはフェザーン人も……いや、歴史的に様々な国家が会談や晩餐の席の料理の調理法や食材の産地等で自国の繁栄や意思表示をしてきた歴史がある。その点でいえばこのラインナップは少なくとも客人を歓迎している事が十分に伝わっていた。調整や意見交換で対立はしても、砲火を交える関係を望んでいない事の表れでもある。

 

 それらの料理を准将は完璧な帝国宮廷マナーで食して見せる。フェザーンでの対帝国貴族工作を経験した事がある、との話は本当かも知れない。

 

 和らいだ空気の中で会話は次第に職務上のそれから私的なそれに変わる。

 

 そしてサラダを終え、甘味に再びアルーシャ紅茶葉のティラミスが出ると准将はこれまでに無いほどに異様に饒舌になった。

 

「いやぁ、こちらに来て故郷の茶葉を頂けるのは幸福な事です。こちらではシロンではなくアルーシャの茶葉の方が主流なのでしょうか?」

 

 こういった雑談の類ならば私も辛うじて参加出来る。というかそれくらいしか出来ない。

 

「ええ、シロン茶は少し甘味が強いので、帝国の菓子と共にするのならば甘味は控えめに、香りの繊細なアルーシャの方が好まれます」

 

 アルト・ロンネフェルトを除けば……とは態態言わない。

 

「それは賢明です。シロン茶はブランデーに混ぜなければ楽しめぬような代物です。アルーシャ茶の足下にも及びますまい」

 

 上機嫌に微笑みながら答える。長年同盟の紅茶業界を二分し、骨肉の争いをしてきたシロン人とアルーシャ人の仲の悪さは有名だ。「ニューボストン市茶会事件」や「パラス紅茶放送暴動」は両惑星の険悪な関係を同盟全土に知らしめた。取り敢えず言える事は彼は紅茶入りブランデーを愛飲する魔術師と仲良くなれないであろう、という事だ。

 

「……そうでした。元帥殿、中尉にはもう御伝えはしましたか?」

「いや、まだだが……卿の口から伝えて貰っても構わん」

 

 デザートのメロンを口にしていると、思い出したようにブロンズ准将が尋ねた。

 

「?何事でしょう……?」

 

私が訝し気に尋ねると准将が答えを口にした。

 

「ああ、来週にも辞令が届くと思うが、君にはヴォルムス星域軍の地域調整連絡官に付いてもらう。と言っても数か月の間だけだが。理由は分かりますね?」

 

 地域調整連絡官は同盟軍と現地住民や現地行政の意見調整を行う部署だ。そして役目は数か月の間のみ……それの意味する所を私はすぐ理解する。

 

 つまり、第四次イゼルローン要塞攻防戦に兵站支援の一員として参加する、という事だ。

 

「責任重大な役職だ。気を抜く事なく精進する事だ」

「は……はっ!」

 

 一瞬言い淀みつつも私は答える。その態度に満足したように頷き、父は再度口を開く。

 

「うむ、そういう訳だ。准将、息子をそちらで働かせる。補佐としてこちらから一人付けるが良いな?」

「ええ、寧ろ人手が増えるのは歓迎です。ましてやカプチェランカの英雄ともなればこちらから御借りしたい程です」

 

父の提案に准将は笑みを浮かべて答える。

 

「?補佐…ですか?」

 

 私が疑問の声を上げるとそこに一瞬目を光らせた父が当然のように答えた。

 

「ああ、お前の付き人のノルドグレーン少尉は事務方に向いているからな。現役に復帰して補佐役に付ける。……良いな?」

「アッハイ」

 

 私は、一瞬殺気と共にかけられた言葉に殆ど条件反射的に答えた。

 

 

 

 

 

 

 

……あれ、これ外堀から埋められてきている?



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第六十九話 クレーム対応は事務の中でも特に辛い業務

 地域調整連絡官の役目は、同盟軍と現地政府・行政・民間組織との演習・交通・駐留・裁判・補給・救難・調達等の調整を行う事だ。

 

 形式上諸星系政府による対等な星間同盟である自由惑星同盟において、各星系警備隊はワープポイントの警備や海賊対策、対テロ戦闘、災害対策を主任務とする星系政府の管轄部隊である。

 

 一方、所謂正規艦隊や番号付き地上軍等の正規軍は中央政府直属の正規戦闘部隊であり、星系警備隊とは根底からして在り方が違う。そして正規軍は建国以来常に中央政府が地方を統制するための尖兵として利用された。

 

 「607年の妥協」以前、独自の軍事力を有する事が認められなかった旧銀河連邦植民地を中心とした諸惑星は、同盟軍と同盟政府より天空の高見から威圧され、同時に彼らに頼る以外に大規模災害や宇宙船事故、宇宙海賊等の脅威に対処出来ない状況にあった。魔術師は養子に「政府と市民が対立したとき軍隊が市民の側に立った例はない」と口にしていたが、恐らくこの事を指していたのではないだろうか?

 

「607年の妥協」後に自治区から星系政府に昇格した諸惑星は、それ以前に有していた自警団や帰順した反同盟武装組織を中核に星系警備隊を設立した。

 

 市民は星系警備隊こそ自分達の守護者と認識した。それは裏を返せば同盟正規軍に対して不信感を有している事を意味する。今でこそその意識は殆どないが、少なくとも当時はそうだった。

 

 その酷さといえば、ダゴン星域会戦時において同盟軍が艦隊の動員を開始した事をに対して、幾つかの星系政府が同盟中央政府による地方への侵略戦争を意図したものと考え「対同盟戦争」の下に星系警備隊を展開した程だ。帝国の存在に懐疑的であった旧銀河連邦植民地系星系政府の中央への不信感がどれ程のものだったか分かろうものだ。

 

 同盟正規軍は地方への展開に対して政治的に慎重になった。帝国との戦争が続く中で市民とのトラブルが続けば任務に支障が出るだけでなく、戦争継続そのものが困難になる事は明らかであった。それ故に軍の各部署と民間を一元的に繋ぐ地域調整連絡官が設けられた。

 

 ヴォルムス星都アルフォートから南に400キロ、同盟軍ヴォルムス星域軍司令部、ハノーヴァー基地に拠点を置く地域調整連絡室に私が着任したのは宇宙暦784年12月17日の事であった。

 

 

 

 

 

 早朝暗い室内の中、私はベッドの上から物音に気付いて僅かにその意識を覚醒させる。

 

「うっ……うんっ………?」

 

 未だ睡魔の残党が頑強に抵抗し、上手く思考出来ない中で、私は薄暗く見慣れない室内に視線を向けここが何処かと一瞬考えるがすぐに思い出す。

 

 そうだ、私は昨日辞令に従って屋敷から赴任地に向かったのだ。そして夜中に基地に着いた後、旅の疲れで荷物も解かず着の身着のままにベッドで寝入った筈だ。

 

「………ベアト?」

 

 寝ぼけた頭で私は一番身近にいる臣下の名を小さく呟く。幼年学校でも、士官学校でも、いや任官してからも朝になると私を起こし、また様々な用意を私のためにしてくれていた。起床時間ギリギリまで寝かしてくれ、布団が乱れていれば直し、着替えの準備や埃や皴とりまで何も言わずにしてくれた。……甘え過ぎな気もする、いや明らかに甘え過ぎであるが、それでも眠い朝、特に冬の一秒一秒が万金に値する睡眠時間を産み出してくれるそれは相当甘美な物であった。

 

 人影がこちらに来るのがぼやけた視界からでも分かった。恐らくこの後ベアトがゆっくりと身体を揺すって起床を促す事だろう。まだまだ眠いが迷惑をかける訳にもいかない。我慢して起きよう……。

 

……いや、待て。

 

ベアトがここにいる?有り得ない事だ。彼女は今私と共にいない。起こしに来る筈がない。

 

……ならばこの人影は誰だ……?

 

『若様、御起床下さいませ。朝でございますよ?』

 

 宮廷帝国語で耳元で小鳥が囁くような透き通るような声がかけられた。子供をあやすような、しかしどこか艶かしさも感じる声。

 

その声にぎょっとした次の瞬間にふっ、と耳元に生温かい吐息が吹き掛けられる。

 

「うおっ…たっ……!?」

 

 全身がぞっと震える感覚に襲われ、思わず奇声を上げながら起き上がる。眠気は一瞬で消えていた。生々しい余韻を残した耳を手で押さえ、上半身のみ上げた私はそこで人影が誰なのかを確認した。

 

『ふふっ……大変失礼致しました。ですがこうした方が眠気覚ましにも宜しいかと愚考致しました。何卒御容赦を』

 

 肩よりも長く、鈍く銀色にも輝く薄い金髪がさらさらと輝いていた。柔らかく、歳にしては何処か大人びた表情に小さな笑みを浮かべた紅色瞳の女性。ベレー帽を被り、まだ上着を着ていないのだろう、白いカッターに緩めたスカーフの出で立ちの暫定従士は慈愛の微笑みを浮かべて謝罪する。

 

「……ノルドグレーン少尉、次からはそのやり方は止めろ。絶対にするな。それに……何だその出で立ちは?」

 

 警戒するように、そして気付かれない程僅かに視線を逸らして私は尋ねる。カッターシャツから見える豊かな曲線の輪郭は流石に少しだけ目のやり場に困る。 

 

 尤も、本人は全く意識していないのか、気にしていないのか、僅かに小首を傾げ、すぐにはきはきした口調で説明する。

 

「はい、僭越ながら若様の御荷物の整理と多少の掃除をさせて頂きました。その際、埃がつくので上着を脱いで作業をさせて貰ったためで御座います」

 

 如何でしょう?と言いながら次の瞬間にカーテンを引かれる。 

 

「っ……!」

 

 一瞬太陽の光で視界が鈍る。だが、視界が慣れ始め、日光で満たされた部屋を視認すると次の瞬間私は軽く驚いた。

 

 正直、あんなに荷物は要らないと思っていた。トランク五台分の荷物なんて馬鹿なの?死ぬの?と思ったが使用人達にとってはそれでも妥協に妥協を重ねたものであったらしい。運べん、と文句を言えば、ではお供します!と使用人が言うので遂に折れ、重い荷物を全て自分で運んだ。ぞろぞろと使用人を引き連れて基地に参上するような真似は恥ずかし過ぎるし、相手側の印象が悪い事は確実なので無理だった。

 

 使用人の「若き頃の大帝陛下のように全て御自身で為さろうと言うのですね……!」という斜め上解釈の戯れ言は無視するとして、荷物の多さは出迎えの兵士に二度見された。私服も雑貨も日用品もそんなに要らんよ?え、同盟軍の安かろう悪かろうな製品を使うのは健康的に良くない?さいですか。

 

 そんな馬鹿みたいな量の荷物が……全て整理されていた。

 

 衣類は全て衣類掛けや箪笥に、書籍は本棚に、机の上には書類や用具が整理され、インテリアの類も全く違和感の無い形で飾られていた。殺風景な同盟軍士官用私室は、完全に何年も人が住んでいたかのように変貌していた。恐らく彼女は同盟が滅んだ後もインテリアコーディネーターとして生きて行ける事だろう。

 

「少々時間が無いため至らぬ所も御座いますが、如何でしょうか?御要望が御座いましたら修正致しますが?」

「……いや、良い。完璧だ」

 

 余りに完璧に整理されているのでつい本音を口にしてしまった。

 

 嘘を言っても良かった筈だが、私が寝ている間に女性一人で静かに掃除と整理をしていたと思うと殆ど八つ当たりで文句を言うのも筋違いのように思えた。

 

「お誉めの言葉恐縮です。それでは……」

 

 くるっと回転しながら姿勢を改め、メイドのように恭しく頭を下げる。

 

「……洗顔と御召し物の着付けをさせて頂きます」

 

 微笑む彼女の傍らには、いつの間にか水を張った洗面器にタオル、そして皴一つ無い軍服が有った。

 

「………」

 

取り敢えず私は深く息を吸い、吐き出して落ち着くと命令した。

 

「自分でやるからお前は自身の仕度をしておけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 0730時、基地内食堂での朝食(少尉が持って来た。なぜ私の選ぼうと思っていたコースが分かる……?)の後、私は斜め横から静かに付いて来る従士を可能な限り意識から外して基地の敷地を歩く。

 

 並木通りを歩めばすぐ隣を迷彩服を着た地上軍兵士の列が軍曹の掛け声と共に行進し、我々を通り過ぎていく。空を見れば哨戒用無人偵察機が天空から電子頭脳により決められたコースを飛びながら各種高性能センサーと光学カメラにより地上の各地を監視していた。恐らく我々の存在も把握している事であろう。

 

 ハノーヴァー基地は、一万名余りの人員しか駐屯していない基地ではあるが、その実、敷地だけで見れば二個遠征軍、最大五十万もの地上部隊を受け入れ可能な機能を有する。即ちそれだけの弾薬や食料、医療品、燃料が貯蔵され、あらゆる兵器の修理・点検可能な設備が揃い、それだけの車両や航空機の収容可能なバンカーが有ることを意味する。通信設備も充実し、生半可なジャミングではこの基地からハイネセンへの通信を阻む事は不可能であった。また、宇宙港には最大一千隻のシャトルの運航が可能な能力があり、地上と衛星軌道上の人員・物資移動も可能としている。

 

 これらの機能は帝国軍の大規模侵攻時、あるいは同盟軍の遠征時の前線後方における補給支援を行うためのものである。アルレスハイム星系にはこの他ヴァルムス地表に三ヶ所、非可住惑星・衛星に三ヶ所、また小惑星を改造した宇宙要塞型補給基地が一ヶ所あり、四個分艦隊及び四個遠征軍を十分に支援出来る潜在能力を有している。有事には人員のみが素早く各施設に展開し、同盟正規軍に対してその能力で強固にサポートする事が可能だ。

 

 なぜ常時人員を置かないのか?と言う疑問があるがそちらはやはり住民感情と人員不足が理由だろう。

 

 この規模の基地群を常時運用するには最低でもあと八万から九万もの後方支援要員が必要だ。それだけいれば問題を起こす軍人も出る。必要のない平時はそれらを避けるため、というのが一つ目の理由だ。

 

 二つ目は人員不足だろう。この規模の基地の機能を完全に利用するのは先ほど言った通り帝国軍の侵攻か出征時のみだ。ただでさえ人員不足なのに不必要な時期まで貴重な人員をへばりつける必要はない。特に同盟軍は人口的な問題からハードウェアよりもソフトウェアを重視しており、施設は最悪使い捨てにする、という考えが根強い。魔術師はラグナロック作戦による帝国軍の同盟侵攻時、戦闘ごとに補給基地を使い捨てにしたが、あれは彼の独自性ではなく、同盟軍の基本的な考えそのものらしい。

 

 基地の一角、複合装甲と超硬繊維と耐熱鉄筋コンクリート、防弾ガラスで防護された地上十二階地下四階建てのビル、ハノーヴァー基地北第4ビルA棟、その入り口の自動改札扉から建物一階に入室する。一見唯の自動改札扉に見えるがその実基地の中枢コンピューターに全基地人員のデータが記録され、監視カメラとセンサーが入室する者の顔や網膜、所有する身分証明書に内蔵された電子チップからの電波等を解析・検証して瞬時に入室が許可された人物かを判断していた。もしも照合結果が合わない場合警告、場合によっては無人防衛システムによりゴム弾や催涙ガス弾、更にはタングステン製の実弾が飛んでくる事になる。

 

 人が行き交うビルのエレベーターに向かう。何か言う前に先行し上昇ボタンを押した少尉は、そのまま当然のようにエレベーターを待つ私の前に立つ。

 

 自然な形で腰のブラスターに触れているそれは仮にエレベーターの扉が開くと同時に武装した敵対勢力が入れば間髪入れずに私の盾になりつつ迎撃を、ビル入り口にトラックが突っ込んだ場合は私に覆い被さり爆風や破片から防護、サイオキシン麻薬でトチ狂った職員が銃を乱射をすれば私を守りながら安全地帯にまで避難出来るような体勢だった。

 

 エレベーターで地上八階に一気に昇ると、薄いブロンドの少尉が先行、危険が無いか確認してから私に道を進めた。ベアトもそうだが、友軍の基地でこの警戒は少しやり過ぎな気がしない訳でもない。いや、反帝国主義者に爆弾テロの標的にされた時代もあったけどさぁ。

 

 さて、このビルの八階の一室を占有するヴォルムス星域軍地域調整連絡室第二課が私の新たな職場であった。デスクが連なり、十数人が電話応対や書類作成、トラブルや交渉のために外出したり戻ってきたりとする姿は仕事に精を出している人々が軍服を着ている事を除けば民間企業の営業部にも思えた。

 

 そんな室内の課長席の前にて私はすぐ横の従士と共に教本通りに背筋を伸ばし、勲章が分かるように胸を張り、足を揃え敬礼をした。

 

「自由惑星同盟宇宙軍所属ヴォルター・フォン・ティルピッツ中尉、宇宙暦784年12月18日0845時、ヴォルムス星域軍地域調整連絡室第二課に着任致しました!」

「同じく銀河帝国亡命政府宇宙軍所属、テレジア・フォン・ノルドグレーン予備役少尉、宇宙暦784年12月18日0845時を持って現役に復帰、及び自由惑星同盟軍ヴォルムス星域軍地域調整連絡室第二課に出向致します!」

 

 私は少々緊張気味に、対してすぐ隣の女性は流暢な同盟公用語で落ち着きと気品を持って報告する。……これではどちらが主従か分からないな。

 

「うむ、話はブロンズ准将から伺っている。この星は君達の故郷だったね?」

 

 恐らく我々について記された書類であろう、手元のそれと我々を見比べてふむふむと頷くのはヴォルムス星域軍地域調整連絡部第二課長オーブリー・コクラン大尉だ。

 

 どこかくたびれた中年のように見える彼は専科学校の補給科を卒業し、兵站や民生部門……特に災害派遣や地方自治体の要請に基づく救難活動で無難な実績を積み、その手腕を買われてこの惑星の地域調整連絡室二課長の地位にある、と言えば聞こえが良いが実際の所面倒な星で面倒な部署の面倒な中間管理職に放り込まれたと言った方が良い。私がここに押し込まれたのがその証拠だ。

 

 ………どこかで聞いた名前な気がするが思い出せん。原作にいたっけ?

 

「はい、士官学校に入学するためハイネセンに行くまでこの星に在住しておりました」

「そうか。それは喜ばしい。地元ならば家族や友人にも会いやすいだろう?こういう仕事は転勤が多いから、若い子なんかホームシックになってねぇ。可哀そうな事だよ。まぁ我ながら若い頃は良く耐えられたものだよ」

 

 ははは、と完全におっさんなサラリーマンのような事を言い出す大尉。この人本当に軍人か?まぁ、悪い人ではないのだろうが……。

 

「そうだねぇ、この二課の仕事は知っているね?」

「はい」

 

 地域調整連絡室二課の仕事は主に兵士の宿泊場所の確保や外出の時のトラブル対処、民間の陳情の聞き入れ、クレーム対処等多岐に渡る。

 

 なんかここに配属される理由が分かった。イゼルローン要塞攻略に向け、これから大軍がここに押しよせるだろう。その分問題も増える。門閥貴族の権威でそれをどうにかしてくれ、と言った所か。

 

「ここにいるのは殆ど下士官兵士でね。准士官以上は私と准尉が一人だ。君達は中尉と少尉だから相応の権限がある。重要な問題等に優先して取り組んでもらいたい。疑問点があればいつでも私や課の者達に尋ねてくれ。名誉勲章受勲者には少し物足りない仕事かも知れないが頼むよ」

 

少々済まなそうに語りかける大尉。

 

「いえ、任務とあれば如何なるものであれ精励させて頂きます」

 

 清々しく言ってのけるが嘘だ。寧ろ内心で安堵すらしている。数か月前に何度も死にかけたのに態々イゼルローンに喜んで行きたくない。

 

「うむ、ノルドグレーン少尉も亡命軍からの出向御苦労。そちらとは色々勝手が違うだろうがどうか宜しく頼む」

「はい。此方こそ、色々至らぬ所が御座いますが御指導御鞭撻の程、宜しくお願い致します」

 

気品の感じる所作と笑みで大尉の言葉に少尉は答えた。

 

 こうして、私は正式に任地に配属される事になる。専用のデスクを二つ、それに固定端末を用意された。端末から資料を閲覧する。我々が当面為すべき仕事についてはそこに記されていた。

 

 第四次イゼルローン要塞遠征計画は未だに公式には宣言されていないが、国防委員会、統合作戦本部の認可を得て既に非公式に始動している。

 

 同盟軍の末端に位置する私には今一つ把握出来ないが、既に最前線では同盟軍が回廊周辺宙域の制宙権を掌握するための戦闘が始まりつつあった。正確には回廊に繋がる同盟の四つの星間航路において同盟軍が反攻作戦を実施し始めたのだ。

 

 同盟軍の遠征のセオリーは決まっている。艦隊の要塞への展開と補給線の安全を確保するために四つの星間航路とそれを結ぶダゴン星系までの宙域に対して攻撃、帝国軍宇宙戦力の排除及び地上戦力の殲滅ないし、無力化・拘束を図る。これが第一段階だ。

 

 第二段階として正規艦隊の回廊進出と回廊周辺・内星系への地上軍による索敵網と補給基地の整備により要塞戦に向けた準備が行われる。

 

 第三段階が御待ちかねの両軍の正規艦隊による要塞周辺宙域における会戦である。後方から補給・情報・通信・衛生等で数か月かけて作り上げた支援体制を存分に利用して正規艦隊は要塞と駐留艦隊と殴り合いを演じる事になる。要塞攻略戦は大軍がぶつかり合い派手なものではあるが作戦全体でいえば時間の2割、兵員の5割程度の投入でしかない。下準備の方が遥かに重要なのだ。

 

 第4方面軍管区軍もまた攻勢に出た。シグルーン星系に一個分艦隊が派遣され現地の帝国宇宙軍を撃破した。フォルセティ星系では地上軍二個軍団が増派され帝国軍の地上部隊を地下に追いやる。

 

 同盟軍は来年二月までに更に第4方面軍管区軍に一個分艦隊と二個遠征軍を増派する方針だ。この戦力は係争惑星に展開する帝国宇宙軍の撃破、帝国地上軍の拘束、来るべき回廊内星系群における地上軍戦に備えたものだ。ほかの三つの方面軍管区軍にも少なくない規模の戦力が派遣される予定だ。

 

 来年四月頃までこの星には同盟軍の増援部隊が断続的に派遣され続けるだろう、周辺惑星の平定と、制宙権確保、遠征軍本隊の最終的補給と、要塞攻略中の支援のためにかなりの人員が必要だ。少なくとも今手元にある宿泊受け入れリストに基づけば、だが。

 

 12月20日、同盟地上軍第4地上軍所属第16遠征軍第88軍団がハノーヴァー基地に駐留する事が決定した。兵員にして4万9600名、車両1万8000台、大気圏内航空機600機、火砲・ロケット砲・誘導弾等1120門、その他海上艦艇・宇宙艦艇多数を有する大規模会戦向け編成の軍団は40日に及ぶ最終的演習の後にデリング星系の攻防戦に派遣される事になる。

 

 5万名近い人員の移動は、しかし何万隻もの艦艇が毎年のように動員される原作から見ると大したものではないように思える。

 

だが実際は簡単ではない。

 

 何せ数百隻の軍用輸送艦艇が民間物流網に負担を掛けずに移動しなければならないのだ。星間交通・物流において移動距離の99.9%は超光速航法によるものであるが、星系内でワープ、あるいはワープアウト出来る宙域は決して多くはない。

 

 超光速航法は広大かつ安定した重力圏や空間であり、大規模質量の影響が無い場所での使用が奨励される。その場合、ワープポイントは大抵星系外縁部や重力の安定した惑星のラグランジュポイントの一部であり、それ以外の宙域でのワープは安全面で危険がある。また多数の艦艇が同時にワープする事も空間異常の原因となるために推奨されない。同盟宇宙艦船運用基準に従えばワープによる事故発生確率が0.00001%以下の安定した指定宙域以外でのワープは軍用艦船でも許されない。

 

 この条件は一見厳しいように思えるが大規模艦隊戦では万単位、それ以外の客船や商船が年にどれだけ運航しているか、一度の航海で何回のワープを行うかと考えればこれ程の安全基準は寧ろ当然である。一度の事故が下手すれば周囲の艦船を複数纏めて虚数の海に飲み込む事すらあるのだから。しかも隕石の衝突や宇宙嵐と違い、生還はほぼ絶望的である。

 

 アルレスハイム星系では星系外縁部に六か所、ヴォルムス等惑星周辺のラグランジュポイント七か所がワープに適した空間とされ、内回廊方面に繋がるのは四か所である。民間船の交通を妨害せず、しかも一度に多数の艦船がワープを行えばその空間は数時間から数日の間は連続でワープする事が奨励されない事を考えればその艦船出航調整は簡単にはいかない。しかもこれはまだこれから始まる大艦隊の通過の序曲でしかないのだ。

 

 さてさて、そうなると軍部と民間のトラブルの元になる。軍部としては効率的な艦隊の移動を行いたい、民間……特に命知らずのフェザーン商人……は軍部の都合により自分達の商売の打撃になる事態は好ましいと思わない。

 

 戦争だから民間交通くらいごり押しで封鎖しろ?民主国家で軍が国民に市民に高圧的に接するのはそれだけで問題であるし、物流を止めれば下手すれば星系内の物資不足が起こりかねない。それどころか密輸船が集まり、密輸船の予想外のワープ事故が起こる可能性もある。同盟軍は軍属として多くの民間人や民間船を雇用している事もあり、民間との交渉や調整を蔑ろにする訳にはいかない。

 

「これは困ったなぁ……」

 

 軍の統制による民間船舶七隻の遅延に対しての在同盟フェザーン商人共同財団と星間交易商工組合所属の商人達の共同抗議文である。同盟軍の通達が届かず足止めを食らい、結果的に契約遅延による損害を被った事に対する賠償要求を求めていた。

 

「警察からの状況報告書に軍部の報告書、それに被害者からの聞き取り、前後関係と事実関係の把握と、法律(しかも同盟法・星系法・軍法の全てだ)と前例の調査か……これ法務部の問題じゃないのか?」

 

 憲兵隊や法務部との職分の重複は面倒ではあるが仕方ない。こちらは宥め役、法務部の出番は裁判沙汰になった時だ。法務部からすれば法律というより感情の問題である、と捉えてたからこちらに回したのか、それとも裁判に向けた時間稼ぎか……。どちらにしろ嫌な役回りだ。第88軍団の受け入れ交渉が始まる、という時に……。

 

 いや、待て。これはチャンスではないか?この面倒な業務を澄まし顔で私に仕える隣の従士に押し付けミスでもしてくれれば足手纏いのレッテルを貼り、この狡猾な監視役を追い出す事も可能ではない……?

 

 いや、落ち着け。公私混同するな。私の個人的な問題で軍の仕事に悪影響を与えるべきではない。回り回って私が起こした問題で困るのは前線の兵士だ。敵は兎も角、味方を私個人の問題で危機に追いやるなぞ出来る訳がない。

 

 ならば、少々不本意ではあるが、彼女と共に手を抜かず問題を解決……。

 

「星系警察と憲兵隊からの報告書類でしたらこちらに。聞き取り調査の記録もありました。被害者の犯罪歴を調べた所、同じような訴訟をした前歴がある船舶が三隻、詐欺罪で訴訟を受けた前例のある船長が一名おりました」

「………」

 

 すらすらと流暢な声で綺麗に整理されたファイルで分かりやすく説明していく少尉。

 

「……の点に関しましては在同盟フェザーン商人共同財団と星間交易商工組合への裏付けも取れております。また請求額も計算致しましたが明らかに一割以上の過剰請求も発見致しました。ここの財務諸表を御覧ください。財団と組合の仲裁の下で和解の場を設けて釘をさせば恐らくこれ以上の訴訟行為は行う事は無いでしょう。公式の誓約書を作成すれば処理後の名誉棄損行為も防げるかと。……このような対処法で宜しいでしょうか?」

「アッハイ」

 

殆ど反射的に私は答える。

 

「はい、それでは御命令の通りに対処致します」

 

 にこり、と爽やかな笑みを浮かべながら敬礼した従士はてきぱきと固定端末で電子メールを打ち始める。

 

私はぽつんと彼女の整理した書類を間抜けに見やる。

 

「あれ、これ足手纏いなの私じゃね?」

 

 ……追い出すとか偉そうな事言う前に我が身を振り返る必要がありそうだった。

 

 




尚、少尉の女子力と柔軟性はベアトより圧倒的に上の模様


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第七十話 夏に生誕祭の話を書くとかこの作者正気じゃねぇな

 ヴォルムス星域軍地域調整連絡室第二課所属テレジア・フォン・ノルドグレーン少尉は課内、ひいては基地内でも好意的、かつ有能な亡命軍からの出向者であると見られている。

 

 曰く、ノルドグレーンは謙虚であると言われる。様々なクレームや陳情、平民や元農奴からのものでもぞんざいにせず丁寧に聞き入れ、親身になって応じてくれるからだそうだ。階級が上の者は当然として同じ者、下の者に対しても敬語を欠かさない。

 

 曰く、ノルドグレーン少尉は上品であると言われる。清潔で皴一つ無い軍装、貴族然とした身のこなしに流暢で訛りの一切無いキプリング街で使用される同盟公用語と優美な宮廷帝国語を使いこなす。ソプラノ歌手のような声質は聞く者を心地よくしてくれる。

 

 曰く、ノルドグレーン少尉は優秀だと言われる。無論、人間である以上得意不得意は存在する。それでも同盟法、星系法、軍法に精通し、また数字の計算にも強い。当然帝国語・同盟語の双方を読み書き出来た。野戦指揮や艦隊指揮は兎も角、デスクに座っての仕事は十分過ぎる程には有能であると言える。射撃や徒手格闘戦術、ナイフ術等の陸戦技能も一流とまではいかなくとも同盟地上軍正規兵並みの実力があり、自衛には十分だ。

 

 曰く、ノルドグレーン少尉は家庭的であると言われる。前期ギムナジウムでは家庭教科を学び、家政・被服・保育・調理でAランクの成績だった。掃除・洗濯・調理は当然のように出来て、即席の紅茶や珈琲ですら美味しく淹れて見せる。特に料理は帝国料理だけでなくフェザーン料理やアライアンス等の同盟伝統料理(これは料理と言うべきか真面目に議論の余地があるが)まで何でも調理して見せる。職場に差し入れする巴旦杏のケーキや玉葱のパイは課内だけでなく他の部署でも評判だ。

 

 穏やかで、礼節があり、育ちが良く、家事は完璧、仕事も出来て、帝国貴族に有りがちな傲慢さが見えない。何より美人となればこれ程の優良物件は早々お目に掛かれない。

 

 実際、無謀にも告白をした者がこの約一週間で半ダースに及び、その全員が見事に撃沈した。

 

 尤も、断り方すら絶妙だ。豊かな語彙力と優し気な口調によって相手を傷つけず、恨みを買う事もなく、相手に対してさっぱりと、後腐れ無く諦めさせて、尚且つ関係は維持して見せるという曲芸を披露する。

 

 そのために私の傍に常に付いていようとも、ベアトの頃に比べて注意すべき事は少なく、その点では周囲に気を付ける必要性は薄い。事務員としての能力は十分、護衛としての能力も上々、戦略・戦術面での指揮能力こそ余り宜しくないが、それでも小隊・中隊規模の小部隊程度なら並みの指揮は出来ると思われる。

 

 それらを総合すれば、少なくとも後方勤務に限れば……客観的に言えば……ベアトより優秀であると言える。

 

「先週の駐留兵の交通事故の方はどうなっている?」

「はい、現地警察との折衝はどうにか折り合いがつきました。後は被害者と周辺住民への対応ですね。軍法会議の議事録について自治体の広報に公開するのは取り決めが終わりましたので、後は被害者補償と謝罪ですね。上官と所属部隊の上位司令部から謝罪文を受け取りました」

「後は向こうがまだ騒ぐかだな。………ホルシュタインでの騒音問題は収拾がついたか?」

「航空機の飛行高度と発進時間につきましては地元の市長と基地司令官、双方を交えた調整交渉は完了しました。後は事故や風紀の問題ですが……兵士の夜間外出と整備項目のマニュアル改訂作業を関係各所と予定しております」

 

 隣接するデスクから私の質問にすらすらと答える部下の声。

 

「ふむ、目下の問題は大方どうにかなったな」

 

 尤も、これからどんどんと派遣部隊が来る事を思えば安心出来ない。また、前線から後退した部隊も戦闘の余韻で興奮状態だったり、PTSD等の精神障害を負っている可能性もある。マリファナやコカインのような伝統的な麻薬、サイオキシンやバリキドリンク等の高依存性合成麻薬に手を染める者もいるし、不衛生な戦地で寄生虫や感染症を保有している事もあり得た。

 

 無論、衛生課の軍医が一応調べているが完璧とは言えないかも知れない。過去には戦地帰りの兵士のせいで数百人がコレラに罹患して地元自治体の病院がパンクした星系等もあるし、フラッシュバック状態の兵士が駅で銃乱射事件を起こした事もある。当然そうなれば住民の不満は爆発して、基地の軍務が滞り、ひいては同盟軍の作戦効率そのものにまで影響を与えかねない。

 

「今後三か月以内に部隊受け入れ予定のある施設の一覧を作成しました。今後は特にこれら施設周辺自治体との交渉がメインになると思われます」

 

そう言って恭しく書類を提出する少尉。

 

「……仕事が早いな。まだ命じてもないぞ……?」

「命じられた仕事だけを行うのは半人前、余裕があれば自身で考え必要な仕事を行うのが一流である、と予備役士官学校で指導を受けました」

「……成程」

 

 指導されるだけで出来れば苦労はしない事だが、とは言わない。今の私が言えば皮肉か嫌味の類に聞こえる事だろう。

 

 書類に軽く目を通してから、私は自身の作業に戻る。固定端末にタッチパネルとキーボードで情報を入力していく作業だ。

 

「あっ……失礼、ここの書式と内容に間違いが御座います」

 

 そういって少尉は一目で見抜いた液晶ディスプレイ内の間違いを指摘する。

 

「えっ……マジ?……あ、本当だ。おいおい……こんな場所からか?これじゃあ振出しじゃないか」

 

 凄まじい徒労感が襲い掛かる。私の努力は何だったのか……?

 

「……お待ち下さい。この程度ならばすぐに修正出来る筈です」

 

 そう言って体を椅子事動かしこちらのデスクに来る。肩が当たりそうな、付けている香水の香りも分かりそうな距離から私の持っていた参考資料を受け取り、入力データを修正していく。

 

「……早いな」

「お褒めに預かり光栄です」

 

 にこり、と人当たりの良い笑みを浮かべての返答。資料とディスプレイに相互に視線を移し、手元のキーボードを殆ど見ずに作業を進めていく。感嘆する作業効率だ。もうこいつだけで良いんじゃね?などと怠惰な考えが思い浮かぶ。

 

「………」

 

 カタカタと横合いから作業を変わってもらい、馬鹿みたいに座っている私がどこか間抜けに思えてくる。

 

 ……いかんな、ベアト相手ならば下手に帝国的価値全開だから誤魔化すのに考えが向かうから気にならんが、この少尉相手だと劣等感ばかり感じる。……まぁ、端目から見れば殆ど同じであろうが。

 

 画面に素早くデータ入力されるディスプレイを見、その後小さく小刻みに動くブロンドの髪にそこから小さな耳が出る頭部に何となく視線が移る。

 

 ……この監視役を追い返す機会が無いな。事務主体の後方勤務でボロを出す要因が今一つ見つけられない。前線勤務ならあるいは、とも考えるが私の生命の危機を賭けの対象になぞしたくもない。苦労して追い返しても「代用品」が控えていれば意味もない。

 

「……代用品、ね」

「はい?」

「後どれくらいかかりそうだ?」

 

 私は平静な振りをして尋ねる。考え事が口に出るとか私は馬鹿かも知れない。

 

「後少し……ここのページを修正すれば終わりです」

 

 そう言って再び作業を再開する。そして一分も経たずに最後の修正を終える。

 

「もう出来たのか?」

「はい、このような事務は慣れておりますので」

「済まんな。恩に着る」

 

 一応、監視役であろうとも無駄にヘイトを稼ぐ必要もないので感謝の言葉を口にする。寧ろ、相手の警戒を解くためには積極的にした方が良いかも知れない、などと思う。

 

……こんな事考え始める私の性格は多分僻んでいる。

 

「いえ、……それでは失礼します」

 

 そう言って私を見て一礼した後、椅子を動かして隣のデスクに戻る従士。

 

……その場には微かな柑橘類の残香が漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦8世紀において、西暦時代の宗教の始祖の誕生日とも、古代帝国の建国記念日、あるいは偉大な皇帝の即位日等その紀元に対して様々な説が唱えられるものの、12月25日のクリスマスの存在自体は忘れ去られる事なく、続いている。

 

 特にゲルマン文化の影響を色濃く受ける銀河帝国ではクリスマスは一年の中で特に重要な日の一つだ。11月の終わりから各家庭ではアドヴェント待降節のためのアドヴェントクランツを飾り、四本の蝋燭を立て、内一本に火を灯す。以降日曜日が来る毎に一本ずつ火を灯してクリスマスを待つのだ。

 

 そして前日のクリスマスイヴにはツリーを飾り立て、どの家庭もグリューワインを飲みながら晩餐会とプレゼントの受け渡しをする。

 

 特に名物と言われるのが帝都オーディンを始め帝国の大都市でこの日のみ深夜遅くまで歓楽街の街灯とイルミネーションが黄金色に輝き、臣民が買い物に明け暮れる「帝国降誕祭市場(ライヒス・ヴァイナハテン・マーケット)」である。特に帝都オーディンでのその賑わいはフェザーンやハイネセンポリスのそれをも上回ると言われ、帝都全体が夜を忘れたかのような活気に溢れかえる。

 

 当然のように亡命帝国人もこの時は祝うべき祝日である。同盟各地の帝国人街はツリーが飾られ、市が開かれ、教会では讃美歌が響く。

 

 ヴォルムスを始めとしたアルレスハイム星系政府領内も同様にこの文化を受け継いでいる。星都を中心にどの都市もクリスマス一色だ。この日は「皇帝陛下」の臣民への恩寵により、何万樽ものビールと数十万人分ものヴルストやザワークラフト、ジャーマンポテトがパブで無料で配られるほか、商品への税(所謂消費税)も撤廃される。都市の平民達は偉大で慈悲深い皇帝グスタフ三世陛下を星系歌を歌い、肖像画を抱えながら讃える。

 

 地方では貴族達が領民に恩寵を授ける。この日には平民や元農奴や元奴隷達が街中で貴族達に気安く声をかける事が許される。そして多くの場合、貴族達は地方の酒場でビールとヴルストとザワークラフトを場の者達に奢ってやるのが常識である。奢られた臣民達は相手の貴族の器量を称賛し、一族の末長い繁栄を(建前上)祈願して、後は勝手に騒ぎ出す。あるいは荘園の雇農達は地主や領主、代官が用意した料理を有り難く頂き朝まで飲み食いしてお祭り状態だ。

 

 これらの行いは同盟では亡命貴族や政府のある種の人気取り政策とみられるが本人達や平民達はそうとは考えていない。平民共に祭日にこのような恩寵を授けてやるのは祭事にその管理や統制を行う指導者階級の当然の義務である。寧ろやらない方が貴族としては自身の貴族としての役目を蔑ろにしている事を意味しており、恥晒に等しい。これは回廊の向こう側の貴族も最低限の貴族の義務としてやっている事だ。いや、それどころか見栄のために大貴族程豪快にやっていると言える。

 

 一方、平民達……特に下の階層の者……もその様な事の出来る財力を持つ貴族達に畏敬の念を抱くが、食事を奢られる事自体は寧ろ平民階級の当然の権利である、と思っている節があった。

 

 無論平民階級の中でも富裕層は貴族達の慈悲を受けない。貴族の慈悲にすがるのは自身が支配されるべき弱者と認める事だ。自分達を貴族程とは言わなくとも農民や農奴とは違う強者、エリートと自負する以上卑しい事は出来ないのだ。

 

 被支配階級が細やかな恩寵に預かる頃、支配者層は贅を凝らした祝宴を開く。特に宮廷の住民は美しいドレスと宝石に身を包み、多くの使用人や侍女を引き連れ宮廷に参上し、鮮やかな食器に乗せられた高価な料理と、アルコールで舌を楽しませる。互いに優美な口調で挨拶をし、美術品や工芸品を交換し、舞踏会で踊る。

 

「良かったのかね、有休を取らなくても?」

「いえ、この時期は人手不足ですので……新人の私が偉そうに休むのもどうかと……」

 

 12月24日2000時。クリスマスイヴの夜、人気の少なくなった事務室の中でコクラン大尉が尋ねる。

 

 いや、ねぇ……本音としては寧ろ御願いしてでも残業したいくらいだったりする。私としては有休取っても宮廷のパーティーで胃に穴が空くので……完璧な所作を維持して営業スタイルを固定しながら挨拶回りは普通にしんどいよ?相手の顔全て覚えておかないといけないし。同盟軍に所属しておけば軍務のために欠席、と誤魔化せるのが救いだ。

 

寧ろコクラン大尉こそ妻子持ちなのに良いのだろうか?

 

「ああ、有休かい。……下りなかったからね」

 

 くたびれた微笑みに中間管理職の悲哀を感じた。士官学校出でもないので縦の繋がりも横の繋がりもなく、こういう日に業務を押し付けられる訳だ。それを更に部下に押し付ける程に傲慢にもなれないのでこうやって職場に残って仕事しているようだった。

 

 こんな仕事の押し付け合いで良いのか同盟軍、と思うがそこは流石にクリスマスや年末年始でも後方の緊急対応要員は存在しているし、前線は通常通り二十四時間警戒態勢で機能している。そもそも敵方の帝国軍は貴族階級が軍の高官の多くを占めるため祝日に大規模な戦闘を仕掛ける事は滅多に無い。大貴族の多くが新無憂宮のパーティーに招待され、古式ゆかしい武門貴族でも皇帝からの招待を無碍にするのは難しい(堕落したほかの大貴族がこれ見よがしに非難してくる、という事もある)。亡命貴族と違い同盟軍と言う皇帝の権威が届きにくい組織ではなく、皇帝に仕える帝国軍に所属しているからだ。平民出身の高級士官にしても下手に戦闘を起こして敗北すると「折角の吉日に皇帝陛下の御心を傷つけた」と陥れられる可能性もある。結果双方ともこういう場合、余り積極的に戦おうとしないようだった。

 

「はぁ……娘にまた嫌われるな」

 

 中年サラリーマンのような深い深い溜め息をつく大尉。ははは、何も言えねえ。

 

私が誤魔化すように苦笑いを浮かべている時だった。

 

「皆さん、深夜まで御疲れ様です。少しお休みしませんか?軽食も用意致しました」

 

 爽やかな同盟公用語は、決して大きい声でもないのに反響するように室内に響いた。御淑やかな笑みを浮かべる出向少尉が箱と珈琲と紅茶セットを持って室内に入る。

 

「あ、少尉。それシュトーレンですか?」

「少尉殿が御作りに?」

 

 同じく残業を食らっていた二課の事務員達が手を止めると、ぞろぞろと集まりだす。

 

「はい、この前作ったものです。幾つか種類もありますので御好きなものをどうぞ?」

 

 見れば確かに幾つかの種類があった。ナッツの練り込まれたヌッスシュトレンにバター・レーズン・ドライフルーツを練りこんだブターシュトレン、ペルシパンシュトレンは文字通りペルシパンを練り込んでいる。

 

「皆さん、珈琲と紅茶のどちらに致しましょうか?」

「ああ、珈琲でお願いしますよ」

「あ、俺も珈琲で」

「私は紅茶でお願いします」

 

 スライスしたシュトーレンを摘まみながら各々飲み物を注文していく。尤も時間が時間なので大半は眠気覚ましに珈琲だ。

 

「大尉と中尉は如何でしょうか?」

 

 一通りの注文を受けた後、まだ注文していなかったコクラン大尉と私にも尋ねる。

 

「ああ、では私は珈琲でお願いします」

 

 コクラン大尉は二つ階級が違い、二回り以上年下の少尉に対して丁寧にお願いする。

 

「中尉はどう致しましょう?」

 

優しい笑みを浮かべながらの従士の質問。

 

「ん、コー………」

 

自然と私は珈琲、と言おうとして、一瞬止まる。

 

「……どうかなさいましたか?」

 

小首を傾げながら可愛らしく私に尋ねる。

 

「……いや、紅茶でいい。頼めるか?」

「……はい、暫くお待ち下さい」

 

 従士は、恭しく頭を下げると手慣れた動作でカップに珈琲と紅茶を注いでいく。

 

「はい。皆さん、御淹れしました。どうぞ」

 

少尉は一人一人にカップを差し出す。

 

「……中尉も」

「ああ、御苦労」

 

 受け取ったカップを見下ろす。湯気を上げる紅葉色に私の顔が薄っすらと浮かんでいた。その表情は何ともうだつが上がらない、情けない顔だった。

 

「ふっ……まぁ、その通りだよなぁ」

 

 誰にも聞こえない小声で呟いて、紅茶を一口。いっそ憎らしい程美味しく、絶妙に私の好みの甘さであった。市販の、即席の茶葉であると思えば望みうる最高レベルの味だ。

 

 そのままブターシュトレンを一切れ貰う。少し固い感触、その後濃厚なバターの風味とドライフルーツの酸味が舌を楽しませる。強い味だが、それはシュトーレンの特徴だ。焼いた後時間を置く事に生地に具材の味が染み込むのだ。

 

「お、美味いな、これ」

「本当、これ手作りなんですか!?お店の商品みたいです!今度教えて下さいよ!」

「はぁ……家の嫁も少尉みたいに料理上手だったらなぁ……」

 

 居残りを食らっている事務員達は口々に語り合いながらシュトーレンのスライスを口にしていく。私も紅茶を堪能しながら時たまシュトーレンを摘まむ。そのままデスクに座りながら私は休憩タイムと言う事で携帯端末を開いた。

 

「お、来ているな」

 

 メールボックスを見れば新着メールが数十件来ていた。その大半は所謂士官学校同期からのものだ。

 

 士官学校卒業生にとって派閥は縦の繋がりであり、同期は横の繋がりである。所謂「同期の桜」だとか「同じ釜の飯を食う」間柄と言われるものだ。

 

 実際はそんな良いものではなく、特に他派閥の者との関係はどちらかと言えば最低限の情報収集や交渉の窓口としての繋がりを維持している、に過ぎないが。

 

 開けば当然どれも所謂クリスマスメールというものだ。

 

「チュンやコナリーからのものは当たり障りない内容か。スコットは……情報技術系だけあってやけにフォントや装飾に力入れている……ってジョークプログラム仕込んでんじゃねぇ!!」

 

……取り敢えずスコットのは削除だな。

 

 気を取り直して他のメールを開く。デュドネイ、面倒だからメリクリで終わらせるとか手抜き過ぎじゃないですかねぇ?マカドゥーはコープのとセットだ。……おう、当たり障りない内容だけど読む向き変えたら呪いの言葉になるのやめーや。ヤングブラッドのメールは相当気を使っているのだろう、宮廷帝国語で完璧な様式だ。ある意味一番(揶揄うために)楽しみにしていたホラントの内容が滅茶苦茶形式主義で心が籠っていないのがありあり分かる。どこかのサイトか本の例文を丸写しに違いない。ヴァーンシャッフェはメールで送ってこない。電子メールより紙のクリスマスカードを好む。宿舎のポストにでも入っている事だろう。

 

 そのほか教官や先輩、一部の後輩からも送られていた。取り敢えず不良騎士さん、クリスマスメールに結婚しますなんてフレーズ入れるな。自慢かね?自慢しているんだな?互いにあーんとか羨まけしからん……!!末永く爆発しろ!

 

「畜生……リア充め。で、問題は……」

 

 ………分かっていたが、やはりベアトのは無いか。まぁ、送られていれば紙のカードの可能性の方が高いが……余り期待出来ないな。

 

 少々陰鬱になる場面もあるが、それでもこのまま平穏に12月24日は終わりを迎えようとしていた。

 

…………まぁ、そうもいかないんだけどね?

 

 室内の雰囲気をぶち壊すかのように固定電話が鳴り響く。それに対して皆が一旦体を硬直させた。

 

「………」

 

 数秒の間鳴り響く受信音に、しかし誰も動こうとしない。

 

「………はい、御待たせ致しました。ヴォルムス星域軍地域調整連絡室です」

 

 そのため一番近くにいた私が根負けして受話器を取っった。

 

『こちら第1051後方支援大隊所属、ミラン少佐だっ!ちっ……こんな聖夜に済まないが面倒事だっ!!』

 

少々くぐもった声が響く。

 

「……何事でしょうか?」

 

 その口調からただ事ではないと察し、私は気を引き締め尋ねる。

 

『うちの馬鹿共が事故起こして弾薬と燃料を路上にばら蒔きやがったっ!消火と封鎖をしているが、行政や民間と今ややこしい事になっている。そちらから帝国語の堪能な調整役を連れて来てくれ……!』

 

 受話器からは騒ぎ声や怒声、サイレン音が鳴り響いている。うっすらと帝国語が聞こえていた。今まさに何事かを揉めているようだった。

 

「了解しました。今からそちらに向かいます。場所はどこでしょう?」

『ああ、ハノーヴァー防衛区、第78番アウトバーン線だ……!ちぃ、だからせめて帝国公用語で話せって言ってるだろう!?何言っていやがるか分からんわ!!』

 

 わいわいと、言い争う声が聞こえる。これは急いだ方が良いかも知れない。

 

「……課長、これより現場に向かいます」

 

 私が受話器を置いて立ち上がると少し驚いた表情になるコクラン大尉。

 

「中尉、いいのかい?78番線は確かここからだとヘリでも一時間は必要だが……」

 

 中途半端に遠いんだよなぁ……地方の分室からも似たような距離だ。

 

「ここに電話がかかりましたからね。それに受付した身ですから私が行った方が良いでしょう。……それに地方訛りの帝国語を細部まで理解出来るのは地元出身者位ですよ」

 

 半分冗談気味に答える。同盟にも地方訛りはあるが、階級と出身地で殆ど別言語な帝国語はレベルが違う。帝国語を学ぶ同盟人でも公用語以外が分かる者はそう多くはない。……何よりこの手の案件のために私がいるのだ。

 

「……分かった。ヘリの要請はこちらからしておく。……済まないね」

「いえ、私の仕事はもう余りありませんから」

 

 隣の補佐が優秀なお蔭で私が今すぐ処理する必要のある案件は他の事務員より少ない。皆暇ではないのだから余裕がある者が行くのが筋であろう。

 

 私は上着の上に防寒着を羽織り、デスクの上のベレー帽を被る。

 

「あ……私も補佐として同行致します!」

 

 そう言ってノルドグレーン少尉が同じように外出準備をする。

 

「いや、別に……」

「法律関係の問題ならば私は心得があります。補佐として最適かと。宜しいでしょうか、課長?」

 

 あ、私と言い争うのでなくて上官の説得を選んだ。機転が利きやがる。

 

「そうだなぁ、中尉だけなのも心細い。少尉も同行を御願いしても?」

「はっ!」

 

 コクラン大尉の決定に惚れ惚れするような敬礼で答える少尉。……どこまでも監視してくる気だな、こりゃあ。

 

 ……さて、民間トラブルは迅速な対処が住民感情の宣撫の上で不可欠だ。故に有事に備えて常時待機している基地の航空軍所属のヘリで現場へと向かう事になる。

 

 無論、軍事任務ではないので大袈裟に大型軍用機なぞ運用しない。民間機としても使われるタイプの人員輸送用ヘリに乗り込む。同じくスクランブル待機の残業代を稼いでいたパイロットに謝罪と挨拶、目的地の確認をすれば夜の軍用空港をヘリが飛び立つ準備をする。技術の発展により夜間飛行における事故の危険性はかなり軽減されているが、油断は出来ない。

 

「こんな夜分に申し訳御座いません、メリークリスマス」

「いえいえ、こちらこそ残業御苦労様です。メリークリスマス!」

 

 操縦席のパイロットとそんな会話をした後、ヘリは誘導員と管制塔の命令に従って離陸した。

 

「少尉、連絡の続報はあるか?」

「はい、既に警察と消防隊、救急医が派遣されているとの事ですが、現場に軍部の消防班、憲兵が到着し、トラブルになっているようです」

 

携帯端末で通話しながら少尉が伝える。

 

「余りトラブルは止めて欲しいが……」

 

 とはいっても弾薬類の消火作業は民間の事故とは違う。化学薬品も民間工場などが使用しているものとは大きく異なる。

 

「医療関係は民間、消火に際しては軍部の消防班を中心に指揮を取る事を勧めてくれ。……まぁ、聞いてくれるかは怪しいが」

 

 機密保持の理由もあり、特に正規軍など、星系警備隊以外の同盟軍の不祥事は軍部が独力で解決したがる節がある。面子や軍規の問題もあるだろう。一方、現地自治体や警察から見れば所謂身内の庇い合いに見えない事もない。そのほか同盟軍と亡命政府の間で結ばれた各種基地協定や地位協定の関係は極めて複雑だ。一旦拗れると互いに法律と面子を盾に延々と言い争いかねない。

 

「死人は出ていないんだな?」

 

 それを特に尋ねる。人死にが有るのと無いのとでは問題の規模が違うのはいつの時代も同じだ。

 

「数名の負傷者がいるようですが、いずれも軽傷。現状死亡者は確認出来ておりません」

「そうか、それは結構な事だ」

 

 この聖夜に態々アウトバーンを使う奴は多くない。大都市間の交通路であったのが痛いが、その点では幸運か。

 

「イエナ市に近いな……ならルーベン男爵の所の警察が来るか。公用語で上手く話が通じないならキフォイザー訛りだろうな」

 

 痴愚帝時代の財務尚書の地位にあったルーベン男爵家は、オトフリート二世時代に不正蓄財した財産を没収され、島流しになった一族で有名だ。その後帝国領辺境の領主として続き、後に同盟に亡命する事になったが、当然ながら広い帝国では方言の差も大きい。イエナの住民の帝国語は貴族階級は兎も角、平民階級は訛りが強い事で有名だ。同じ帝国人なら分かるが、同盟人には細かい意味合いを理解するのは容易ではない。

 

「下手に拗れてなければ良いが……」

 

余り期待しない方が良いだろう。

 

「最悪、奥の手を使わないといけないかもな……」

 

 ヘリの窓から輝く町並みを見ながら、私は小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 ヴォルムスの主要都市は飛行機便や海上航路のほか、鉄道と高速道路(アウトバーン)、地下・海底トンネルで結ばれている。ここまで輸送網が綿密に整備されているのはヴォルムスが人口過密な惑星、と言う事も理由であるが、同時に軍事的意味合いも大きい。鉄道は当然ながら兵員輸送、地下や海底トンネルは耐熱コンクリートと特殊合金製であり、多少の軌道爆撃では崩壊しない。高速道路は有事の滑走路として使用する事が想定されている。

 

 同じようなインフラ整備は他にはヴァラーハやカナン、マルドゥーク等が実施しているが、ヴォルムスのそれの徹底具合には流石に一歩譲る。

 

 78番アウトバーン線の事故現場に着いたのは事故から1時間14分後、2135時の事であった。

 

「これは……案外酷いな」

 

 消火の難しいナパーム弾が混ざっていたのか、大型地上車が十台が横に並べるアウトバーンはしかし、一面が燃え盛っていた。軍用車も含む何台かの地上車がボディを飴のように溶かしながら崩れていくのが見えた。一部の火の手はコンクリートの通りを越え草原にまで広がっており、上空から消防ヘリが化学薬剤入りの水をぶちまけていた。

 

 自治体と同盟軍の消防車十六台、救急車が五台、警察車両が十台停まっていた。そのほか軍用車の車列が離れた所で停車していたほか、野次馬か、足止めを受けたからか三十台以上の民間車両が見える。辺り一面で軍人・警官・消防士・医師・役人・民間人が同盟語や帝国語でやいのやいのと騒ぎ立てる。

 

「同盟軍と自治体の代表はどこかっ!」

 

 ヘリから降りた我々は叫ぶ。何よりもそうしなければ始まらない。

 

 十分程探せばすぐにこの騒ぎの収拾を図ろうとしている司令部のテントに辿り着く。

 

「第211後方支援連隊司令官、ミハエル・テオドラキウス中佐です。本件の対策司令官を拝命しました」

 

 初老の気難しそうな軍人が敬礼する。第1051後方支援大隊の上位部隊司令官がでばって来たのは少しだけ驚いた。

 

「地域調整連絡室二課、ティルピッツ中尉です」

「同じく、ノルドグレーン少尉です」

 

我々は敬礼で相手の挨拶に答える。

 

『……そちらが警察からの代表でしょうか?』

 

 そして私はキフォイザー訛りの帝国語で佇む警察官に尋ねた。

 

『はっ、本官は我等が慈悲深き領主にして指導者、イエナ市長ルーベン男爵より治安管理の任を拝命しておりますバウアー一等警部であります。此度は宜しくお願い致します!ようやく会話が出来る方に会えました……!』

 

 茶色い口髭が印象的なバウアー警部はテオドラキウス中佐を一瞥し苦々し気な顔をした後紳士のように恭しく名乗った。フォンが付いていないのでどうやら平民(士族かも知れないが)らしい。

 

「死亡者がいない、と伺っておりますが事実でしょうか?」

 

ノルドグレーン少尉が中佐に確認するように尋ねる。

 

「はい、我が軍の将兵、それに市民数名が軽い火傷を負っておりますがそれ以外は無事です」

「それは良い事です」

 

 続いてバウアー警部にもキフォイザー訛りの帝国語で尋ねる。答えは同様であった。

 

 その後話を聞いた。内容は電話と事前調査の内容通りであった。前線派遣任務に備え、弾薬保管庫から荷物を運び出し移送していた第1051後方支援大隊のトラックの一台が、乗員がクリスマスだから嵌めを外したのか、飲酒運転をして民間車両と衝突しそうになったようだ。それ自体は避けたがトラックが横転。後は玉突き事故を起こし、弾薬や燃料が種火で引火爆発、と言う訳だ。爆発前に避難が出来たため全身打撲や骨折、捻挫した兵士や市民がいるが死人自体は出なかった。尤も、やはりナパーム弾も荷物にあったようでいつまで経ってもなかなか火は収まらないようだ。

 

 そして案の定自治体と軍部で事件処理の上でトラブルになっているらしかった。

 

「地位協定では公務における事故・事件の対応は処理と費用は同盟軍が主体となる事、また第一裁判権は同盟軍にあると定められている。しかしその警官の聞きづらい帝国語によればこれらは自治体の受け持ちなどと言いよる」

 

一方、バウアー警部は不快気に語る。

 

『地位協定においては悪質な事件に際して身柄引き渡しの「配慮」が許可されている筈です。そもそも処理に関して軍部主体ではありますが必要に応じて自治体の協力も可能とされています。此度の事故においては我等自治体の経済活動に悪影響を与え、かつ未だに解決しておりません。軍部の能力不足は明らかであり、当方としてはただちに被疑者受け渡しと事故処理への正式な介入許可を頂きたい』

 

 ノルドグレーン少尉が双方の意見を翻訳するが、意思疎通が図れても双方の関係は陰険なままであった。 

 

「馬鹿な、たかが飲酒運転、まして死人も出ていまい!どこが悪質か!ましてこの星の刑法は厳罰主義であろう?必要以上な不当な重罰を受けかねんわ……!」

『何を言うか……!死人が出ていないのはただの幸運でしかない!ここで同盟軍が正しい刑罰を与えなければまた違反者が出て来るのは自明の理。市民の不安を払拭するためにも当方への引き渡しを願いたい……!』

「却下だ!貴官らに引き渡したら自白の拷問を受けかねん……!」

 

 少尉の翻訳を通じて言い争いを始める軍と警察の代表。 

 

あー、これは事件への主導権争いが起きているな。

 

「中佐、この星の取り調べに於きまして重要事件を対象としたものを除く拷問は固く禁止されています。また、前例から見てもこの場合の判例は懲役刑の場合四年が平均であり、同盟軍の判例と殆ど差異は御座いません」

 

 ノルドグレーン少尉の丁寧な説明も、しかし半ば感情的な中佐には余り意味がないようだった。

 

「ふん、肉体的拷問以外にも幾らでも手段はあろう?秘密主義的なこの星の警察の言葉なぞ信用出来ん。そもそも聞き取り調査の時点で言語の問題もある。軍法会議の方がより公正な判決が下されよう」

『同盟軍が本件を身内のみで処理しようとしている事は明らかだ!まして、男爵はこの地の統治を預かる身、臣民の保護の義務があり、それを蔑ろにしようという同盟軍の行いを看過する事は出来ない……!』

 

 完全に意地の張り合いであった。事件そのものよりも、軍部と自治体(領主)の面子のために対立しているようにも見える。

 

「此度の案件については確かに悪質な事件とするには条件が不足しております。ですが同時に火災の鎮火は未だになし得ておりませんので正式に自治体への協力要請を行うべきかと……」

「いらん、軍のみで解決出来る。下手に現場を荒らされるのはご免だ……!」

『男爵には臣民を保護する義務があります!故に裁判を自治体で行うのは当然!男爵の市長としての沽券にも関わります。どうせマスコミが介入して恩赦を下されるに決まっていますよ……!』

 

 互いに通じない言葉で罵り合う二人。互いに親の敵を見るかのようだ。

 

「え、えっと……」

 

 流石に少尉もたじろぐ。これまでの相手は大半は陳情であったし、クレームと言っても取るに足らない立場の者に過ぎず、大概彼女の立場を知るとたじろぐものだった。交渉の際も双方が少なくとも歩み寄りをしようとする空気はあったし、理性的な場合が多かった。今回のように双方権威があり、かつ憎しみを持って対立した状況は初めての事であった事だろう。

 

「こりゃ……駄目だなぁ」

 

 感情的に双方を非難する中佐と警部。互いに言っている事は分からんだろうが、お蔭で通訳兼調整役の少尉のみ困惑し、困り果てていた。

 

 この手の場合は双方御上の面子があるので引きようがない。現場で説得するのは少し骨が折れる。

 

なので説得するなら現場ではなく、御上だ。

 

「………」

 

 収拾が尽きそうにない場よりひっそりと出て私は携帯端末で電話を掛ける。まずは……。

 

『夜分遅くに失礼する。ティルピッツ伯爵家のヴォルターだ。ルーベン市長、いや男爵に取り次いでもらいたい』

 

 出てきた小役人に宮廷帝国語で尊大に命じる。これくらいに言わないと逆に怪しまれるからね、仕方ないね。

 

『メリークリスマス、男爵。御壮健で何よりです。……はい、例の事故の件で……いえ、男爵の下の警官や消防は実に勇敢で、忠誠心厚い者達です。良い臣下を御持ちになっておられる』

 

 取り敢えず形式的に現場の者達を持ち上げる。上から反則技加える以上はそれくらいしておかなければ彼らの面子が立たない。

 

『はい、同盟軍との間で……はい、そこをどうか、伯爵家の名に懸けて公明正大な裁判を付ける事を御約束します。はい……地位協定に基づきインフラ復旧は当然同盟軍が責任を持って行います……裁判につきましてはそちらに法務士官がおられれば優先的に…はい………男爵の御寛容に感謝致します』

 

 丁寧に礼を述べた後、電話を切る。続けて別口に電話をかける。受付に所属を伝えてアポイントメントを取る。

 

「……夜分遅くに申し訳御座いません。今は……ああ、仕事中に大変失礼致します。准将閣下に御頼みしたい事がありまして……」

 

 基地の司令部にブロンズ准将に同盟公用語で懇切丁寧に状況説明をする。

 

「はい……ええ、軍法裁判については星域軍の法廷で、はい、こちらから二、三名、形式的で良いので法務士官の席を頂ければ……はい、市長にはこちらから話を通しますので。消火活動についてはこちらの警察と消防にも協力の許可を……ええ、そうですね。今後は共同訓練も行うべきでしょう。私の方から提案、という形で……はい、では……え、はい。メリークリスマス」

 

 誰も見ていない事を確認しつつ電話相手に見えていないのでへこへこ卑しい平民の如く頭を下げる。そして電話を切った後……軽く溜息を吐く。

 

 双方の顔を立てつつ物事を収めるのはストレスが溜まる。まぁ……その分パイプ役になれば私自身の立場も強化される訳ではあるが。何事も私を通じて交渉しようとする空気が生まれれば情報収集の面で(多少は)優位に立てる、というものだ。

 

……お腹痛いよぅ。

 

 尤も、こんな腹痛に歪む表情なんて見せられない。表情をいつも通りに固定した後、テントに戻る。同時に余り愉快ではない言葉が飛び交っていた。

 

 法律を盾に、感情剥き出しで通じない言葉で罵り合う姿はコントに等しい。言葉を穏当に訳する少尉はかなり困惑していた。冷静な人物ほどこういう感情を含んだ会話は苦手だ。若さと経験不足もあるだろう。

 

 同時に携帯端末の着信音が鳴ったのは流石に狙い過ぎであろう。

 

 失礼、と双方が一旦席を外して通話を始める。一瞬呆気にとられたような少尉。だが、すぐさまその意味を理解したようで、私の方へ顔を向けると少し深刻そうな表情を向ける。

 

「若様……!」

「……問題でも?」

 

指摘したい事は分かるが敢えて知らない振りをする。

 

 ちらり、と周囲を見てから恭しく、小鳥のような囀りで耳打ちする従士。

 

「失礼ながら、此度の不祥事は同盟軍のもので御座います。若様が伯爵家の立場に立ち問題に関わる必要はないかと愚考致します」

 

 態々同盟軍のために伯爵家の名前を傷つける必要はない、と言いたいらしい。

 

「お前に解決出来そうだったか?」

 

そう口にすると顔を強張らせる少尉。

 

「……と、いうのは冗談だ。別に私も損得勘定抜きの善意でやっている訳じゃないさ。この程度なら見方によっては双方を仲介した形だ。こういう事を続ければ同盟軍もバルトバッフェルやケッテラーよりこちらに話を通すように仕向ける事も出来るし、逆に同盟軍絡みの問題で他の貴族が頼ってくるようにもなるかも知れん。違うか?」

 

 伯爵家の影響力を高めるという実益がある、と言い訳する。

 

「……言いたい事は理解しますが」

「まぁ、上手くやらんと藪蛇になるな。だが、やりようによっては使える。……少なくとも今回は上手く行きそうだ」

 

通話を終えた警部と中佐がそれぞれ妥協案を述べる。

 

『遺憾ながら……引き渡しは取り止めても構いません。だが、裁判における参考人と裁判官について我が方の縁者の出廷を御願いしたい。また、消火活動についてはやはり迅速なインフラ復旧のため我が方の正式な参加を改めて要請する』

「我が同盟軍としてはやはり軍規を正す上でも被告人の引き渡しには応じる訳にはいかない。……但し、消火活動及び、インフラ復旧については我が軍の軍事活動に伴う人員不足もあるため。今回に限り地元自治体組織の参加を許可しても良い、と司令部より判断が出された」

 

 双方とも相手に案件を伝えるように要請する。

 

「分かりました」

 

 私は嫌味を含む内容は無視し、敬語に変換した上で双方に案を伝える。双方共不快な表情を相手に向けるが上からの御達しに逆らう訳にもいかない。

 

「……では正式な文章で協定を作成致します」

 

 現場では既に共同での活動を行っているが、法的には認可されたものではないので正式な文章にして活動した証拠が必要であった。後出しじゃんけんではあるが細かい事を気にして問題を掘り起こす必要もなかった。正式には双方が事故への対応を開始した時点で緊急対応で共同体制を取り、文章を後から作成した体になる。

 

「それでは、この内容で宜しいでしょうか?」

 

 急いで作成した書類の内容を双方に確認して貰う。双方同意した上で両者と書類作成した私がサインを入れる。

 

「少尉、書類の不備がないか、確認を」

「えっ……はいっ」

 

 話を振られた事に少しだけ驚きつつも、すぐさま書類を確認する。

 

「……はい、同盟法、星系法、軍法及び地位協定に対して違反内容は御座いません」

 

 そう言って確認者として予備役法務士官の技能を有する少尉が最後にサインをする。

 

 そうすれば、後はスムーズに進む。双方共無能ではなく、同時に御上の面子もあるので互いに迅速に事故対応の共同体制を作り上げる。翻訳を介してこの迅速具合は舌を巻く。

 

 消火作業が完全に終了したのは日付変更前の2340時の事である。尤も軍法会議に向けた憲兵の調査、有毒ガス等の除染と燃焼した地上車の撤去、道路の補修作業などを考えると最低でも数日は道路復旧にかかろう。その間う回路を使うか対向線の一部を方向変更するしかない。市の交通警察や物流・交通関連の各役所との交渉等も必要だ。マスコミ・住民対応は地域調整連絡官の最大の仕事であった。

 

つまり……仕事は寧ろ始まったばかりという事だ。

 

「あ、日付変わった」

 

 現場のテントで携帯端末越しにコクラン大尉との対応相談を終えたと同時にに日付が翌25日に変わっていた。

 

「お疲れ様で御座います」

 

 恭しく声を掛けられて振り返れば湯気の立つマグカップを両手に持った従士がいた。

 

「少尉も御苦労だ。法務部との引き継ぎはどうだ?」

「特に問題無く終わりました。お寒いでしょう?どうぞ」

 

そう言ってマグカップを渡される。

 

「ああ、済まんな……御二人さんはどうだ?」

「先程までの不仲が嘘のようにスムーズに仕事をしております。……若様」

「ん?」

 

視線を向けると小さく頭を下げる少尉が映る。

 

「先程は御無礼を。確かに若様の選択は伯爵家の興隆の上で寄与するもので御座います。浅はかな諫言をした身を御許し下さい」

 

お、おう………。監視役に謝罪されても怖いわ。

 

 多分報告されるんだろうなぁ。まぁ、この程度なら然程問題ないが………監視の目が強くなるからこれからは余り裏口交渉でも口調に気を付けないといけない、か。

 

「構わんよ。私のように同盟軍と同胞の双方を良く知り、上に交渉口が無ければ出来ないからな。少尉には出来ないのは当然だ。少尉と私とでは見ている目線が違う。気に病む事は無い」

「はっ、寛大な御言葉感謝致します」

 

 私の誤魔化しに即答する少尉。……誤魔化しきれたらいいなぁ(願望)。

 

「うむ……」

 

 余り話しているとぼろを出しそうなので逃げるように視線を逸らしマグカップを口元に近づける。と………。

 

「……珈琲か」

 

 湯気を上げる黒い液体を見つめ、一気に私は複雑な気分になる。

 

「……若様?」

 

不審そうな口調で私を呼ぶ少尉。

 

「……淹れてくれて済まないが、所要を思い出した。貴官は休憩してくれて構わない」

 

 私は側のテーブルにマグカップを置くと、殆ど逃げるようにテントから出る。

 

 暫くアウトバーンから逸れた草原を歩くと陰鬱な表情で夜空を見つめる。憎らしい位に綺麗な空だった。

 

「勿体ないけど……なぁ?」

 

苦笑しながら私は頭を掻き、次いで溜め息をつく。

 

「はぁ、早く連れ戻さんとなぁ」

 

 それまでに珈琲を飲むのは何処となく抵抗感があった。……終わったら珈琲淹れてくれ、と言ったのは私だから、な。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テントに残った出向士官は、冷たい表情で湯気を上げるマグカップを見つめる。

 

「………未練がましい」

  

 忌々しげにそう呟いた女性は、舌打ちした後、自身のマグカップを口元に含んだ。

 

 その表情は無機物のようで、その視線は氷のように冷たかった。

 



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第七十一話 きっとその御方は子供が嫌がっても授業参観に出席するタイプ

遠い記憶……セピア色の記憶の中で、幼い子供は口を小さく開いて絵を見上げていた。

 

 その子供が縦に二人、横に三人は並べる程の大きな油絵。軍服を着た兵士達が銃やサーベル、軍旗を掲げて奇怪な服装に残忍な、しかしどこか滑稽な集団と対峙していた。幾人かはその集団を追い立て、あるいは捕縛して吟味するような表情で見下ろす。良く見れば追い立てられる者達は驚愕し、あるいは許しを請う表情をしている者もいる事が分かる。

 

「もうっ!ここにいたの!?駄目でしょ、勝手に御父様の部屋に入っちゃ!」

 

 子供は後ろからの聞き覚えのある声にぴくっと体を震わせるとゆっくり振り向いた。そこには一回り大きい彼女の姉がいた。

 

「あっ……おねえさま……」

 

 バツの悪そうに項垂れる子供にはぁ、と四歳年上の姉は溜息をつく。

 

「もう、目を離したらすぐにこう、御父様との約束くらい守りなさい!」

 

 姉妹の父は、以前遊びで書類をインクまみれにし、幾つかの水晶製の文鎮を粉砕して見せてからこの妹の入室を禁止していた。

 

「ご、ごめんなさい。けど………」

 

 おどおどしつつも、妹は先程まで見ていた絵画に視線を向ける。

 

「?……その絵がどうしたの?」

 

妹の視線に気付いて姉は首を傾げる。

 

「このっ……ひと、きれーなかみしてるの!」

 

 背伸びし、ぴょんとジャンプしながら伸ばした指で描かれた一人の女性を指差す。

 

 それは背の低い鮮やかな金髪に紅蓮の瞳をした女性だった。もしかしたら少女かもしれない。周囲に比べれば幾分か粗末な服装であるが、指揮官らしき人物の傍で銃を手に守るように佇み、その鋭い視線は襲いかかる異形の軍団に向いている。

 

「あら本当。貴方と同じ綺麗な金髪ね。それに瞳も」

 

 はしゃぐような妹の指摘に、姉は興味深そうに共に絵画を見つめる。

 

「えっと……確かこれ、昔の戦争の時の絵よね?確か……」

「アンタレスじゃな。正確にはアンタレス星系第十一惑星カルブのコロサァム高原の決戦じゃ」

 

その声に姉妹は揃って怯えたように肩を竦ませた。

 

「ほほ、そう怯えるな。儂じゃよ、儂じゃ」

 

 部屋に入って来たのはしわがれた声の老紳士だった。一族の長老の一人で姉妹の大叔父に当たる人物で、二人もたまに遊び相手になった経験のある人物だった。

 

「お、大叔父様、もう集会は終わられたのでしょうか!?」

 

 動揺しつつも姉は礼節ある態度で頭を下げて尋ねる。相変わらず幼いながらもしっかりした姉だった。今日は一族の者達が集まる集会日であり、本家分家合わせて十二家、百人を越える親族が集まっていた。当然一族に仕える奉公人を含めたら人数は数倍になるだろう。そんな中で本家の者が当主たる父に折檻される醜態を見せる訳にはいかなかった。

 

「いやいや、抜けて来ただけよ。老い耄れがしゃしゃり出ると若い者は良い顔しないからのぅ。……それよりその絵に興味があるのかな?」

「は……はいっ!えっと……あのね!このひと、わたしとおなじかみなの!」

 

 叱られると思い大人しくしていた妹は、その恐れがないと察するとすぐさま強請るように指摘する。

 

「こ、こら……」

「よいよい。その娘に興味あるのだな?」

 

 にこにこと、幼い一族の末裔の燥ぎぶりを微笑ましく見つめ、老人は絵画に視線を移す。

 

「彼女は……ああ、そうじゃな。「煤被りのヘルガ」じゃったな」

 

思い出したように老紳士は答える。

 

「すすかぶり?」

「それ、名前なのですか?」

 

 姉妹は描かれた女性に似つかわしくない名前のように思えて首を傾げる。

 

「そうじゃよ。我等の主家………伯爵家開祖オスヴァルト様が召し上げた時、襤褸切れのような服装に火薬の煤で汚れ切っていたからな」

 

 そう言って説明していく。大帝陛下からの勅命により辺境で邪教を広め、人々を退廃と堕落に陥れたシンワット教の教祖を征討するため初代ティルピッツ伯オスヴァルト(正確にはこの時期はまだ帝国はなくルドルフは終身執政官であったが)は麾下の軍勢に私財を投じて雇った傭兵や義勇兵を率いてその本拠地に向かった。海賊崩れの宇宙艦隊を鎧袖一触で葬り去り、野戦機甲軍や装甲擲弾兵が惑星に揚陸し、伯爵自ら陣頭に立ち忠良な兵士達を指揮した。

 

「無論、我らの先祖も共をしたぞ?憲兵隊長として義勇兵を指導しつつ、先頭に立って邪教徒共と銃火を交わせたのじゃ。士気は兎も角、義勇兵共は興奮すると略奪をしかねんからな。先頭で監視せんと」

 

 邪教団は追い詰められると遂にはサイオキシン麻薬で洗脳した女子供まで兵士として投入してきたという。当初は無傷で捕虜にしようとしたが遠隔操作の爆弾で自爆攻撃が行われると伯爵は自身の責任の下に部下の生命と教団壊滅を優先して無差別攻撃を実施したらしい。

 

「そして教団の本拠地まで進み、オスヴァルト様は十名にも満たぬ兵士を率いて遂に教祖を最奥の間で捕らえた」

 

 その際教祖の親衛隊に所属し、捕虜となった少年兵の一人がヘルガだった。まだ幼いが顔立ちが良いのと兵士としての筋が良かったために親衛隊に配属されていたという。実際暗闇の中、暗視装置も無くオスヴァルトの左肩を撃ち抜いたのだ。最後はオスヴァルト自身が取り押さえて辛うじて捕虜としたと言う。

 

「その際に捕虜となった兵士達は、結局大半はそのまま伯爵の軍勢に編入され、その旗の下で辺境各地で正義のために戦う事になった」

 

 出来れば両親の下に返すなり、孤児院や里親に出すべきであっただろうが、既にこの時期長引く連邦の混乱により、社会保障制度は崩壊、辺境に至っては無法地帯だった。怪しげな教団の少年兵なぞ誰が引き受けようというのか?切迫した社会は脛に傷ある者達に冷たかった。道徳的に堕落したこの時代、両親を探す事すら困難だった。

 

 結局今更一般社会に戻る事は出来ない。また、辺境を平定する勅命を受けたオスヴァルトにとってあらゆるものが不足していた。時間も、資金も、文官も、兵士も。

 

 そのために彼らは改宗と共に正しい道徳と軍事教練を何年もかけて仕込み、伯爵の指揮の下で各地を転戦する事になる。彼らとしても戦う以外に食べていく道を知らなかった。食べさせてもらえるならば誰の下でも戦った。後に伯爵家の私兵軍で代々忠誠を捧げて戦う従士や奉公人の士族も、この時代はまだ正規軍と傭兵、少年兵と義勇兵の寄せ集めだった。

 

「彼女は若くして優秀な兵士であり、良き臣下じゃった。あっと言う間にオスヴァルト様の従卒となり、幾度となく暗殺の魔の手からその御命を御救いした。一度は自身の両腕を犠牲にして爆弾から伯爵を御守りした程だ」

 

 実際、その忠節は大帝陛下にも聞こえ、忠臣を身を挺して守り抜いたこの従卒の義手を皇帝自らが下賜した程だ。

 

「当然、伯爵家の忠臣は従士として迎えられた。苗字が無い故に伯爵自らが一族の名を決め、頂戴する名誉に浴したのじゃ。その血は今も脈々と受け継がれておる」

 

そう言ってから老人は妹の頭を撫でる。

 

「うむうむ、やはり母親と同じヘルガの髪と瞳を受け継いでおるな。その髪と瞳は彼女の血筋じゃよ」

 

 そう言うと妹は一瞬ぽかんとした表情をして、すぐさまその瞳を輝かせる。

 

「じゃあ、このひとわたしのごせんぞさま!?」

「そうじゃ。お前さん達の母がヘルガの一族の出だからな」

「私は金髪じゃないわよ?」

 

 自身の髪を指で弄りながら姉はそう口を開く。その髪は妹と違い鉄色がかった黒髪だ。

 

「お主はノルドグレーン一族の血の方が濃いからの。ほれ、そこにおるじゃろう。お前や父と同じ髪色じゃ」

 

 老人が指し示す先には賊を捕らえる鉄色がかった黒髪の憲兵の姿。初代ノルドグレーン家当主カールの雄姿がそこにある。

 

「……我らが一族は先祖を辿れば銀河連邦の警察官僚に辿りつく。謀殺される寸前にオスヴァルト様にお救い頂きその下で帝国建設のために多くの悪党共と戦ったのじゃ」

 

 正義を信じる若き警察官僚ノルドグレーンはテオリアの五大犯罪組織ソウカイヤの犯罪の数々を告訴しようとし、裏で結託していた上司に疎まれ危険な辺境に左遷された。そこで見計らったかのように宇宙海賊に襲われ、殺される寸前の所、大帝陛下の命で辺境に出征していたオスヴァルトに助け出された。

 

 そしてその下で多くの不正を糾弾し、海賊やマフィア、犯罪組織との抗争、総督府では社会秩序維持局の支局長として治安維持を受け持った。帝政時代になると伯爵領でのスパイ狩りや劣悪遺伝子排除法の実施を主導し伯爵家の「ハウンド」の設立にも関わっている。カールの次男ロベルトは父の下で経験を積み、後に初代ファルストロング伯爵より社会秩序維持局行政本部長の席を与えられ、組織の統制・監査・警備・会計事務等を司り局内への反帝国工作員浸透の阻止と摘発にその力量を示した。

 

「オスヴァルト様の引き立てにより従士に任じられ、庇護される事で今現在、我ら一族の繁栄があるのだ。故に我らは伯爵家とその血筋に忠誠と奉仕を持ってその大恩に報い、臣民の範とならねばならぬ」

 

 標準的な従士的思考を有している老人はそれを心から信じていたし、嘘ではない。経済的にも、法的にも、世間体からも従士は門閥貴族の保護を得られるため大半の平民よりも豊かだ。仕事の斡旋があり、高給が支払われ、裁判や契約における後ろ盾や保証人にもなる。祝い事があれば多くの祝い品が贈与され、功績を上げれば報酬が下賜される。一族に何かあっても残った者は手厚く面倒を見てもらえる。

 

 多くの利益を享受し、伝統を受け継ぐ、それ故に事が起きれば主家のために一命を賭してでも義務を果たさなければならない。そうでなければ一族の価値は乞食にも劣る無駄飯食いの恥晒しと謗られよう。

 

「は、はい!大叔父様、肝に銘じます!」

「うん、わかりました!」

 

幼い一族の末裔の拙い、しかし元気のある返事に老人は優し気に微笑んだ。

 

 その直後だった。一族の当主たる父が部屋に来たのは。

 

 びくっと妹は大叔父の足元に隠れる。尤も、父はそんな末娘の事は気にせず、堂々とした立ち振る舞いで、しかしどこか弾んだ面持ちで姉の方に向かいその名を呼ぶ。そして当主としての命令を伝える。

 

「お前は明後日から伯爵邸で住んでもらう。御子息様の付き人としてな」

「えっ……?」

 

姉が漏らすようにそう呟いた。

 

「極めて名誉な御役目だ。細事に至るまで御子息様を御支え申し上げよ。失態は許されん、心して備えよ」

 

父は、真剣な面持ちで、かつ重々しくそう自身の娘に語り聞かせる。

 

 妹はその内容と雰囲気に何処か不安そうな表情を浮かべ姉を見やる。当の姉はあっけに取られたような表情を浮かべ、傍目からも驚愕している事が分かった。動揺と緊張と僅かの歓喜の入り混じった表情。

 

 そして、一抹の寂しさを感じた妹はつい姉に向かい抱き着いて………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢……ですか」

 

 カーテンで日差しを遮られた室内に凍えた声が木霊した。

 

 嫌な夢だ、と思いながらも彼女はすぐにベッドから起き上がる。

 

 起き上がると暗闇の中でも鈍く光る長く薄いブロンドの髪が重力の法則に従い、幾らかは肩口にかかるものの殆どは櫛で研いだ後のように真っ直ぐに下に落ちた。この癖の少ない金髪は母方の始祖から脈々と続く遺伝であり、同じように兄弟姉妹、それに従兄弟従姉妹の幾人かは色の濃淡こそあれ、同じものだった。

 

 眠気を完全に押し殺し、寝巻きのシャツ一枚で立ち上がる。貴族階級たる者、賤民の如くいつまでもぐうたらと情けなく惰眠を貪る訳にはいかないのだ。

 

 寝汗と共に眠気を洗い落とすためシャワーを浴びる。同盟軍のシャワー室は効率重視の狭くて味気のない個室だがこの際は仕方ない。寝ている間に皴の出来たシャツを鈕一つ一つ外して脱ぐとシャワー室に入り熱いシャワーを頭から浴びた。あくまでも汗を流すためなのでそこまでしっかりと洗う必要はない。五分程度でさっさと上がるとタオルで体を拭き取り、箪笥から白いレースの下着と同じ色のシャツを取り出して身に纏う。

 

 そのまま湯冷めせずに僅かに火照る体で洗面台に立った。冷たい水で顔を清め、歯ブラシを手に入念に洗口する。一欠片の虫歯もない白い歯を維持する秘訣だ。

 

「ふぅ……」

 

 それらを終えると小さな溜息をつき、その足で立て鏡の前に向かった。然程手入れも必要ない髪ではあるが、シャワーを浴びたためドライヤーで軽く乾かした後に櫛で髪型を整える。ドライヤーの電力を調整しなければ毛先が焦げてみっともないのでその点については細心の注意を払う。

 

 同盟軍制式採用の士官軍装のスラックスを履き、カッターシャツ、スカーフを首元で締め、ブラシをかけた上着を羽織る。

 

 自身の顔立ちの良さを理解しているため、最低限の控えめな化粧のみをし、最後にベレー帽を被り、彼女は改めて姿見の前に立った。

 

 歌手のように発声練習をする。数回咳き込んでから小鳥の囀ずりのような優しい声が響く。

 

「………」

 

冷たい視線、整っているが表情に乏しい顔、これではいけない。

 

 瞼を僅かに閉じ、口元を仄かに吊り上げ笑みを浮かべる。するとそこには先程と違い温かみがあり、優しげに微笑む軍服姿の女性がいた。

 

 少なくともその外面にはどこにも落ち度はないように彼女には思えた。それは自惚れではなく客観的な事実だ。ゲルマン系らしい金髪に染みのない白い肌、赤い瞳は意志の強さがあり、それを口元の微笑が和らげていた。腰が括れ整ったスタイル、真っ直ぐに伸びた背筋は自信を、正しい姿勢は気品と落ち着きを印象付ける。見るからに仕事も出来そうだ。

 

 まず、魅力的な女性士官と言って良い。当然だ。そのように育てられたのだから、当然なのだ。

 

「………」

 

 一瞬だけ自虐的な笑みを浮かべると、すぐに優し気な表情に戻る。昨日の内に用意しておいた職務用の書類を詰めた手持ち鞄を手に取ると颯爽と玄関に向かう。

 

「……忘れる所でした」

 

 体の向きを変えて、一旦立て鏡に戻る。硝子製の瓶に入った香水をテーブルの上から手に取ると軽く自身の髪に吹き掛けた。

 

そして改めて玄関へと向かう。

 

 ………人気の消えた室内には爽やかな柑橘系の上品な香りが立ち込めていた。

 

 

 

 

 

 宇宙暦785年の始まりと共に最前線の戦闘は一層激しさを増した。昨年11月頃数十隻単位であった艦隊戦は12月には数百隻単位、今年1月中旬時点で分艦隊規模の会戦が既に三回勃発し、その全てにおいて同盟軍は勝利した。2月下旬頃にはダゴン星系より同盟側の実質的制宙権は同盟軍の手中に収まる事であろう。

 

 無論、優勢であるからと言って何も問題が無いか、と言えば別問題である。既に今年に入ってからの戦死者は七万名、負傷者は二十万名に達しておりシャンプールの受け入れ態勢は前年からのそれを含め飽和状態に近づきつつあった。艦艇や装備の修理、武器弾薬の補充など、その他の後方支援体制も随所で悲鳴を上げつつある。

 

 国境に近い諸惑星も同様である。アルレスハイム星系統合軍は星系内の待機状態であった補給基地四か所の再稼働を始めた。予備役にあった三万名の後方支援要員がハイネセンから派遣される。同時に前線に向かう前の休息を取る同盟軍兵士がヴォルムスの街を散策する姿が増加し、空を見上げれば戦闘による損傷を修理するために衛星軌道に待機する艦艇の姿が薄っすらと確認出来た。

 

 当然の如くトラブルも続発する。今月の2日にはバーで同盟軍と亡命軍のパイロットが酔いに任せて乱闘を行い三十名以上が逮捕、店に対して7000ディナールに及ぶ損害を与える事になった。7日には前線に向かう予定の同盟軍兵士四名が武器を持ったまま部隊から脱走、エッセン市では捕縛まで戒厳令が敷かれた。11日には同盟軍人が休暇中にナンパをした結果相手の父親に決闘を申し込まれ負傷して双方が取り調べを受ける事になった。

 

 惑星人口だけでも6500万、一時滞在を含む駐留同盟軍人は既に三十万を越えようとしていた。当然のように地域調整連絡室には毎日のように苦情や陳情のために電話が鳴り響く。

 

 内心で、心底下らない業務だと思いつつも、その事はおくびにも出さず粛々と果たす。決して難しい事ではない。法律関係ならば元々専門分野であるし、地元住民との話し合いも難しいものではない。大抵彼らは法律面の知識なぞないし、権威に滅法弱い。フォンが名に付く人物であると知るだけで大概はその声のトーンは急速に小さくなる。

 

 それでも彼女は諍いと問題の放置が招く結果は知っていたため礼儀正しくその用件を聞き「ある程度」可能な程度の調整は行っていた。その方が同盟の「ハイネセン的共和主義者」の心象を良くし、円滑な業務の上で有効である事も、ひいては自身の護衛対象の立場をより強固にするであろう事も理解していた。自身が派遣される時点での前任者からのフィードバックは十全にしてきたつもりだ。

 

「新年明けから酷いものだな、毎日揉め事だらけじゃないか。これでは数か月後が思いやられる」

 

 1150時、隣のデスクより響いた声にノルドグレーン本家の血を引く彼女は視線を向ける。そうすれば同盟軍士官軍装に身を包む一回り背の高い青年が映り込む。

 

 代々顔立ちの良い血を取り込んだ貴族階級の例に漏れず整った顔立ち、一見すれば母方の血が強いのか線が細く思えるが、その気難しそうにする表情は父方の宇宙艦隊司令長官のそれに似ている事を彼女は知っていた。高貴にして神聖不可侵の母方には幼い頃何年か小間使いとして仕えた経験があるし、父方とは液晶画面越しではあるが毎日顔を合わせていたから。

 

「若様にとってはやはり武門の家柄として前線で武功を立てる方が御好みでしょうか?」

 

 彼女は自身の「主人」として命じられている青年にそう声をかける。それはある種の監視であり、観察であった。

 

 地域調整連絡室……凡そ同盟軍の中核を占めるエリート層士官学校卒業生を配属するには似つかわしくない部署だ。このような雑用部署、本来ならば予備役士官学校や幹部候補生養成学校出身者が配属されるような所である。士官学校席次1000位以上の準上位席次卒業生、まして同盟軍名誉勲章を授与された身が着任するのは明らかに役不足である。連隊相手に数名で戦い抜いた軍人ならば不満を持っても可笑しくない。

 

 この役職への着任は複数の人物の思惑が複雑に絡まった結果であった。

 

 第一に意見したのは主家が伯爵夫人である。明らかに息子を溺愛していた夫人にとっては初任地で弾除けが役に立たず息子が死にかけるなぞ考えてもいなかったに違いなかった。故に前線任務から外し、かついつでも問題があれば助けられるように地元への着任を夫や神聖不可侵なる皇帝陛下に強く求めた。

 

 第二に意見したのは軍務尚書であった。伯爵家分家筆頭は前当主が次期当主共々ヴァルハラに旅立った後、混乱する一族内で長老として現当主を擁立し、皇族との婚姻も取り付けた。決して私欲ではなく一族の安寧と平和のためにそれらを実行した身からすればようやく生まれた次期当主が戦死して再び後継問題を紛糾させたくなかった筈だ。あるいは後方の事務畑を歩かせようと考えたのかも知れない。

 

 第三に意見したのは星域軍司令官ブロンズ准将であった。イゼルローン要塞攻略戦に向けたこの時期に准将自身がその経歴を調べた上で強く地域調整連絡室への着任を依頼したと彼女は聞いていた。当初はその理由は理解出来なかったが恐らくは調整役としての適性を少ない資料から読み取ったのだろう。士官学校上位席次卒業生はこれだから油断出来ない。それとも情報畑出の嗅覚か……。

 

 兎も角このような思惑が合わさった結果が現在の経歴に不相応な役職の原因であった。

 

 もし自身の「主人」が今の役職に不満があれば、彼女はやんわりとそれを懐柔する事が彼女に課せられた幾つかの役目の一つであった。

 

「いや……与えられた職務を果たす事が最優先だ。少なくとも同盟軍は帝国軍や亡命軍と違いそういう組織だ。そんな中で独走は宜しくないな。それにこういう仕事を経験すると言うのも悪くはない」

 

……尤も、その必要は無さそうであったが。

 

 誤魔化している訳でも、無理している訳でもない。強いて言えば複雑そうな表情で彼女の「主人」は答えた。落ち着きつつ、自制的に、理性的に答える姿に彼女は正直な話、意外に感じていた。

 

決してその名誉を謗る訳ではないが、「門閥貴族」という存在は我の強い者が多いのが事実であった。

 

 それ自体は罪ではない。周囲の意見に流されず、自制と理性を持ちつつも必要であれば冷徹に自身の意志を貫く貴族精神……アーレ・ハイネセンが唱える「人類が持つべき四概念」で言う自由・自主・自尊・自律の体現は必然的にそれを求めるのだ。強い意志と指導力が無ければ衆愚は指示に従わず身勝手に我欲を満たすだろう。あるいは人類全てがそれを体現出来れば良いのだが、現実には未だ為されず、結果選ばれし貴族が一際強い意志で民衆を導かねばならない。故に門閥貴族はより強い意志を志向する必要があり、それは賞賛されるべき事である。

 

 尤も、オーディンの門閥貴族はその点で堕落していた。自尊が自律を食い潰し、自主は独善に、自由は我儘にとって代わっているのだ。そしてその意味においてこの地に住まう貴族達こそが大帝陛下の理想を体現し、その遺志に従う真の貴族だ。オーディンのかつての同胞は恥を知るべきであろう。ヴァルハラでどの面下げて大帝陛下に相まみえるつもりか。

 

そしてその意味で彼女は彼女の「主人」は思いのほか上手く適応しているように思えた。

 

 周囲に合わせつつも貴族としての自尊は忘れず、自律しつつも自主的に、自由な視野を持って職務を全うする事が出来ていた。昨年の聖誕祭の件も含め何件かの案件の処理でその片鱗は垣間見る事は出来た。

 

「それにしても事務処理が早くて助かる。迅速に、正確な事務をしてくれるとスムーズに案件が片付くからな。数字が違ったり、説明不足な部分があると修正や確認のために時間がかかるし、相手の心象も悪くなる。非常に助かっている」

「いえ、滅相も御座いません」

 

 書類を見ながらそう自身を褒める「主人」に微笑みながら儀礼的に彼女は答えた。そう、儀礼的な、形式的な返答、その微笑みも所詮は形だけのものに過ぎない。その筈であるが、内心で感動を感じるのはやはり自身が従士の血族であるのだと自覚させられる。同時に複雑な気分になる。

 

「……そう言えば昨日の窃盗事件はどうなっている?」

 

 思い出したかのように尋ねるのは先日の同盟兵士が市民の自転車を窃盗して乗り回した件だ。若い新兵が学生のノリでやらかしたらしい。一応既に拘束して自転車は被害者に返還、被害者側も特に裁判沙汰にする気はなく終わったがそれだけでは終われない。

 

「はい、部隊の方で書類送検にされ、罰則が与えられたようです。流石に訴えられなくても罰が無いのでは軍組織としての規律は維持出来ませんので」

「だろうな。官報の方に載せたいが、広報部との相談がいるな」

 

 後から事件を公開するより先に公式記録として公開した方が市民感情から見て良いに決まっている。大した事件ではないので同盟軍の名誉をそこまで傷つけず、寧ろその軍規を知らしめる上では都合がよい事件ではある。無論、それでも管轄の広報部に話を通す必要はあるが。

 

ふと、室内にチャイムの音が鳴り始めた。

 

「皆御苦労。一旦仕事を止めて休憩しなさい。残りたいなら私に予め伝えてくれ。夜もそうだが勝手に残業されても残業代を出せん」

 

 コクラン大尉の言葉と共に室内の事務員が背伸びをして雑談を始めた。あるいは昼食のために部屋を出る者、弁当を用意する者や買い出しに出る者もいる。軍隊であっても後方の事務は民間企業と変わらないように思えた。

 

「若様、本日は……」

「ああ、そうだな。業務も余裕があるし行くか」

 

事務の手を止め、立ち上がる「主人」に続き彼女は部屋を出た。無論、襲撃を最大限警戒してである。

 

 基地内には平時でも二万名、有事には数十万名が駐屯する事になるため合計して五つの食堂が存在していた。持ち場から最も近いのが二つ隣の北第1ビルA棟の基地内食堂である。

 

 数千人が同時に食事が出来る基地内食堂は、しかし大抵の同盟軍所属の貴族士官はやはり雑多な身分が一同に集まり食事をする環境になかなか慣れず、士官室で態態食事を取る者も少なくない。

 

 その意味では目の前の二人は変わり種であると言わざるを得ない、食事をしながら不敬を承知しつつもノルドグレーン少尉にはそう思われた。

 

 食堂の一角に座り食事を取る片方は彼女の「主人」、もう片方もなにか武勇で名を轟かせた人物であった。

 

「流石リリエンフェルト中佐だ。狙撃だけでなく、野戦指揮も戦斧術も、教官としても優秀な方だ。機械音と手話でコミュニケーションを取ろうとする事以外は完璧ですよ」

 

 ヘルマン・フォン・リューネブルク大尉……いやリューネブルク伯ヘルマン氏は食事(当然メニューは帝国風だ)を取りながら上官について語る。

 

 「薔薇の騎士連隊」……その名前自体は聞いた事がノルドグレーン家の彼女もある。正式名称を同盟宇宙軍第501独立陸戦連隊、亡命政府がスポンサーとなり結成された宣伝用部隊の一つであり、しかし度重なる不祥事から事実上解散同然の部隊となっていた筈だ。連隊司令部は持てず、中隊・大隊単位で宇宙軍陸戦隊総監部で運用されている、とまでは聞いていたが、どうやら聞き耳を立てている限りの情報を纏めると近々再結成されるらしかった。

 

「噂には聞いていましたけど、本当にあの人自分で話さないんですね……」

 

 半分苦笑いを浮かべながら「主人」は口を開く。一説では事故か戦傷によるもので常に仮面(何故か髑髏。但し祭事にタイガーマスクやペストやカボチャマスクをしていた目撃情報、仮装舞踏会でベイダーな暗黒卿の仮装をしていた事実有り)をつけ、声帯による会話が出来ないというリリエンフェルト男爵家当主ヘルムート・フォン・リリエンフェルト中佐は、それ以外では英雄と呼ぶに相応しい人物である事も事実だ。

 

「どうですかな?都合が付くならば卿の知り合いから優秀な陸兵を紹介してくれないかね?連隊は急速に整いつつあるが、やはり人員の方がな。……曰く付きの部隊では志願者が増えん。未だ定員の7割程度しか揃わん」

「幾人か興味を持ちそうな者はいますが……今の状況ですと戦列への参加は何時頃と想定されていますか?」

「今年中は無理だな。来年の中頃には最終的な編成と練兵が終わるか、と言った所か」

 

 やはり精兵が多く残っているとはいえ、連隊司令部の復活と部隊再編の作業は一筋縄ではいかない。これまでの中隊・大隊単位で運用から連隊単位の運用とでは求められる役割と戦術、装備が違い兵士に施す訓練も様変わりする。

 

「旦那様はまた連隊勧誘の御話か」

「仕方ありません。前当主が育てた部隊、いうならば形見のようなものですから」

 

 ノルドグレーン少尉はカウフマン中尉、ハインライン中尉に視線を向ける。テーブルの対面に座る彼らはリューネブルク伯爵家に代々仕える従士、ようは彼女の同族である。共に胸元に一等鉄十字章と同盟軍殊勲章が輝いており、若いものの、古参兵にも一目置かれる程度の実力は十分にあった。

 

 ちらり、と自身の胸元を見る。幾つかの技能章はあるものの、勲章どころか負傷章や従軍章の一つもない。予備役であり、かつ後方職種である故であり、それ自体は罪でない。後方の事務や支援職だって軍事組織には必要不可欠な存在だ。同盟軍上層部にも一度も戦場経験がなくとも将官や重要役職にある人物は幾らでもいるし、彼らは臆病でなければ無能でもない。その能力は同盟軍にとって必要だからこそその役職と地位に辿りついたのだ。

 

 それでも、やはり実際に対面すれば劣等感を感じてしまう事は人間である以上仕方の無い事だ。

 

「どうでしょうか?ノルドグレーン少尉が知る限り、推薦出来そうな方はおりますか?」

 

 カウフマン中尉がふいに話を振って来たために僅かに彼女は動揺した。

 

「えっ?……ああ、そうですね。私の一族は事務屋が多いので。最低限の陸戦技能はありますが一線級となると……やはりライトナー家の者、それにクラフト家やローデン、後家格で少し落ちますがエクヴァルト家くらいでしょうか」

 

 伯爵家に仕える従士家の中で陸戦系の一族の名前を口にしていく少尉。

 

「クラフトとエクヴァルトの家は戦地で会った事があります。連隊にクラフト家の分家筋から一人既に入隊している方もおりますし。その方は戦斧術がかなりの練度でした。やはりティルピッツ家の従士の層は素晴らしいものです」

 

 ハインライン中尉が出された名前に関心を持ったように口を開く。

 

「いえ、御二人こそ勇名は聞こえております。初陣で三名で小隊を全滅させたとか?」

「いや、あれは半分程旦那様一人で片付けてしまいましたので。我々は殆どお役に立てず……」

 

 そうは言うが小隊は最低でも三十名はいる。半分でも十五名、一人で七名の敵兵を初陣で屠るのは尋常ではない。

 

「それこそティルピッツ様の初陣は我々以上でしょう、連隊相手にあれ程の戦いをして見せるとは。旦那様も陸戦隊志望を望んでくれたら、とぼやいておりましたし」

 

 ははは、とカウフマン中尉は逞しくいかつい顔を緩めて微笑む。巨人が笑っているようにノルドグレーン少尉には思えた。

 

 同時に意識させられた。……自身の前任者がそのような戦いに身を投じていた事に。自身と違い実戦経験を経た者である事に。

 

……その後の食事は妙に食事が味気ないように彼女には思えた。

 

 

 

 

 

 昼食後の昼から夕刻に入りこの部署の仕事量は増加する。

 

「ザクセン州の方で揉め事だそうです。現地の分室では手に余るそうなので少し出ます」

「来週の第460師団の受け入れ基地が周辺自治体にまだ連絡出来ていないそうです。集会と説明会の準備が必要でしょう」

「レンタルカーでスピード違反した同盟軍人の引き渡しをしたと警察から電話がありました!」

「ちょっと法務部との打ち合わせに行ってきます!」

 

 死者が出るような大事は滅多にないが、それでも小事件や連絡、打ち合わせや交渉により室内は慌ただしくなる。

 

 しかし、彼女は自身の事務処理能力に自信を持っていた。彼女にとって大抵の問題ならば解決するのは難しくなかった。大抵の問題は……。

 

「ええ、そうです。……はい、それでは宜しくお願いします」

 

彼女の「主人」がゆっくりと受話器を切る。

 

「はぁ、これはまた随分と面倒だったな」

 

 苦笑いを浮かべる「主人」。地位協定により公務外における民事事件は亡命政府の裁判所での裁判が基本であり、新証拠で犯人引き渡し特定こそ出来たが当の本人は軍務でシャンプールにおりその対応で揉めていた。しかし最後はどうにか「主人」が話を纏め上げてシャンプールからヴォルムスへの護送で決着が着いたようであった。

 

「相手が生真面目な性格で良かった。冷静に話を聞いてくれた」

 

 ノルドグレーン少尉と対応したシャンプールのムライ少佐は彼女以上の法律通のようで法律のグレーやマイナーな裏技的解釈で対抗してなかなか引き渡しに応じなかった。彼女の「主人」は細々とした法律解釈ではなく、過去の判例……しかも立場が逆の際のそれを記録から掘り起こしてそれを盾にしてどうにか引き渡しに応じさせる事が出来た。

 

「……申し訳御座いません。私の勉強不足の結果御手数をおかけしました。…実にお見事な手腕でございます」

 

少尉は頭を下げ、謝罪と共に「主人」の戦果を称える。

 

「いや、向こうも暗にそう言っていたからな、彼方としても法律的には引き渡しが妥当だと思っていたと思うが……恐らくあの口調からみて上司辺りに引き渡すなと強く言われていたんだろうな。多分反対したら案件から外すとでも言われたんじゃないか?」

 

 だからこそ遠回しに過去の、しかも両者の関係が反対の場合の判決を調べるように伝えてきた、と語る。話によれば過去の判例を否定する訳にもいかないので仕方なく引き渡す、という体裁を整えるように無言の内に提案してきたのだ、と語る。

 

 態々自身の傷になるような事をするか?などと不審に思うがここで口にすべき事ではないだろう、と少尉は考え、改めて謝罪する。

 

「……私の機転が利かず、洞察出来なかった事、お許しください」

「いやいや、気にしなくていい。私も横から聞いていて気付けた事だ。正面から相手が勝つつもりで口喧嘩になれば多分勝てないだろう。本気出したら多分銃殺刑ものでも無罪に出来そうだな。あの知識量と機転は凄い」

 

と、何かを思い出すように苦笑いを浮かべる「主人」。

 

「……いや、あの口調、秩序と規則が服を着て歩いていそうな雰囲気だと思ってな」

「は、はぁ……」

 

 ……微妙に分かりにくい例えに彼女は自信なさげにそう答える。

 

 そんな事がありつつも、1900時には一応の業務は終わる。無論、深夜にも事件やトラブルはあり得るし、惑星の反対側は朝を迎えた所だ。そのため各地の分室はこれから仕事であるし、本部にも複数の緊急対応要員が控える事になる。尤も、それは所謂ローテーション制であり、残業代も出るのでそこまで辛い仕事と言う訳でも無い。

 

「それでは先に失礼します」

「ああ、御苦労さん」

 

 デスクの書類を整理し、幾つかは持ち帰って「主人」と共に残業組の事務員に退室の挨拶をして部屋を出る。

 

 そのまま夕食を食堂で、今度はロボス少将と共に取る事になる。「主人」と少将の会話に聞き耳を立てながらも、周囲の襲撃に注意する。

 

 食事も終えた2000時、所謂士官用宿舎に向かう。同盟軍の士官階級、特に亡命貴族出身者は大概基地の大型浴場ではなく自室で入浴する。そして彼女の部屋は「主人」の隣であり、途中まで同行するのは当然であった。

 

「それでは本日も御苦労だ。就寝前にゼーハーフェンでの陳情の内容に目を通す位はしてくれ」

 

 自身の部屋への扉のドアノブに手を触れながら「主人」は思い出すように尋ねる。

 

「了解致しました。若様の方も、何事か御座いましたら私が御対応致しますのでどうぞ御遠慮なく。()()()()()()()()でも何なりと御申し付け下さいませ」

 

 にこやかに、優し気な表情と声には、しかしどこか粘り気と不穏な空気があった。その瞳は妖艶な雰囲気が僅かに感じられた。

 

「あ、ああ……そうだな。その時には遠慮なく頼もうか」

 

 不穏な空気を感じ、半分逃げるように視線を逸らし(しかし襲撃に備える足の構えであった)、若干警戒しつつも部屋へと入る「主人」。表情を崩さず、敬礼してそれを見届ける。

 

そして、暫しの間その体勢を維持する。

 

「駄目ですか……」

 

淡々とした口調でそう呟くと自身の部屋に向け踵を返す。

 

……その表情には既に温かみも、感情も見てとれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い自室内でノルドグレーンの娘は、時間が来たために固定端末のテレビ電話機能を起動させる。

 

「………奥様、ご尊顔を拝する栄誉を与えられました事、誠にありがとうございますテレジア・フォン・ノルドグレーン少尉、これより定時連絡をさせて頂きます」

 

彼女は液晶ディスプレイに映す主人に向け頭を下げる。

 

 長い銀糸の髪に白い陶磁のような肌。その物腰からは高貴な印象が感じられる。気品と高慢と共に産まれたかのような貴婦人……。

 

 偉大なる黄金樹の末裔たるツェツィーリア・フォン・ティルピッツ伯爵夫人は扇子で口元を隠しながらも、異様に上機嫌な雰囲気であった。しかし、ノルドグレーン少尉はそれがいつもの事である事を知っていた。

 

「細かい挨拶はいいわ。ねぇ、それよりあの子はどう?ちゃんと仕事は出来ていたの?御飯は食べた?怪我したりしなかった?まさかとは思うけど虐めなんてあっていない?」

 

 映像が繋がって挨拶もなしでの早々矢継ぎ早の質問に、しかしそれはいつもの事だ。ノルドグレーン少尉は営業スマイルと共に粛々と今日一日の報告をする。

 

 ある意味では彼女の最大の仕事がこの一日の報告であったかも知れない。彼女は主家夫婦双方から別個に監視任務を受けていたがその本質は全く違った。伯爵家の当主たる宇宙艦隊司令長官からの命令は軍務としての公的な命令であり、それは職務の経過報告であった。レポートでの数日に一度の報告に過ぎず、それも勤務態度の報告に等しい。軍人としての役目を果たせているか、の報告だ。

 

 一方、夫人からのそれは完全に私的なものであった。溺愛する息子の「御守り」としての監視を仰せつかっていた。出来の悪い前任者の代わりに彼女が「主人」を守り、支え、面倒を見るように命じられ、その上で息子が困り、あるいは怪我に合う事がないかの保護するのが役目であった。

 

「はい、本日も誠に健やかに御過ごしで御座いました。まず……」

 

 そう言って彼女は今日一日の「主人」の経過を伝えていく。夫人はにこやかにそれを聞いていた。それだけ自身の子を可愛がっていた。自身に産まれた唯一の子供を。

 

「そう、今日も怪我をしたりしていないのね?良かったわ」

 

 報告を聞き終えると心底ほっとした表情を浮かべる夫人。

 

「やっぱり地元で仕事させるのが一番ね。前線でいい加減な上司のせいで怪我したら大変だもの」

 

 この夫人は武門の家に嫁いだ身として子供が軍人になることは当然と理解していた。と、同時に彼女には軍人となる事と戦死や戦傷は繋がらないものであるらしかった。彼女にとって息子の側に弾除けや盾艦があるのは当然であり、負傷、まして戦死なぞ有り得ない事のようだった。そんな事、想像もしていないのだ。

 

 故に、ノルドグレーン少尉の前任者に対して最も怒りを示したのはこの夫人であった。息子に寵愛を受けながら一番大事な所で役に立たない道具に何の価値があろう?

 

「……あの子の御願いは聞いてあげたいけど母としてここは心を鬼にしてでも守って上げないといけないわ」

 

 悲しげな、決意に満ち満ちた表情を浮かべながら夫人は語る。

 

 幼い頃は手間がかかる子であったが、それはそれで母としては可愛いかった。無論、今は立派に軍人になったのだから一層可愛いに決まっている。だからこそ、そんな息子が小さい頃からの御気に入りを取り上げるのは心が痛む。

 

 だが、それでも母親として息子の安全は守らなければならない。その義務感から難色を示す夫に駄々を捏ねたのだ。結果、夫人は自身が知る上で最も息子の御気に入りに外面が似た、しかも安全な後方勤務に秀でた「新品」を息子の傍に用意する事が出来たのだ。夫人はそれを息子のための愛情と本気で信じていた。

 

 「期待しているわよ?貴方は良く気の利いた娘だったから。あの子の事もちゃんと言う事聞いてあげるのよ?前の物のように甘える事なくきちんと役目を果たしなさい。分かるわよね?」

 

 にこりと微笑みながら、しかし最後に釘を刺すように語る夫人。前の道具のように我が子の寵愛に胡坐を掻いて、義務を忘れないように、という事だ。

 

「重々承知しております。奥様。若様の御身は一命に賭して御守り致します。どうぞお任せ下さいませ」

 

 恭しく答える少尉。その礼節と気品に満ちた返事に満足した夫人はニ、三言息子の事を質問した後、通信を切った。

 

 液晶ディスプレイからの光が消え、部屋は暗くなると共に再び静寂が包み込んだ。

 

「……正に代用品ですね」

 

沈黙を破るように此度の人事の裏事情を知る彼女は小さく呟いた。

 

 「代用品」……彼女は自身の主人がそう呟いた事を聞いていた。成る程、確かに今の自分は「代用品」だ。替えの聞く道具に過ぎない。夫人はきっと今でも可愛い息子がお気に召さなかった場合に備え次のスペアを探している事だろう。

 

「……代用品でも構いません」

 

 光源の無い薄暗い室内でふと、ノルドグレーン家の娘は力なく呟く。

 

「一族のため、先祖のため、御姉様のために……」

 

それは絞り出すような声だった。

 

「……そのために生まれたのですから」

 

沈痛な、どこか物悲し気な木霊が室内に響き渡った。

 




銀河連邦末期のテオリア他の都会=ネオサイタマめいた民度と治安
辺境=北斗の拳+大海賊時代+マッドマックス

実際辺境を平定も都会暮らしもデスノボリだらけ。初代門閥貴族達は大概ダース単位で暗殺されかけている。連邦末期の「停滞と不安」は控えめ表現なマッポー。



「ハウンド」については舞台版が元ネタです。帝国政府のほか、貴族の個々に持つ諜報組織も全て纏めてそう呼ばれている、とします。

義眼に兄貴がいたんだ……。


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第七十二話 言葉の受け取り方は人それぞれだったりする

妹はその知らせを聞いた時、笑顔を浮かべていた。

 

 これまで帰ってこなかった最愛の姉が一週間ぶりに帰宅するのだ。いつも姉に甘えて、風呂や就寝も共にしていた彼女にとってこの一週間は苦痛だった。奉公人の女中達がこれまで以上に優しくしてくれたが、それでも寂しかった。兄二人とは少し歳が離れているし、気難しい性格のため然程仲良くなく、姉だけが唯一全力で甘える事が出来る相手だったからだ。

 

 無論、主家の「付き人」と言う仕事が如何に大事で、名誉あるものであるかは耳に蛸が出来る程に一族の皆から聞いていたので仕方無いとも思っていた。

 

 偉大なる伯爵家本家の付き人程名誉な事はないという。伯爵家の従士家の中でも五大従士家本家のほか幾つかの家の者しか付く事が許されず、しかも不運な事にノルドグレーン家本家には歳が似合う男子がいなかったのだ。

 

 それもその筈で本来の後継者が跡継ぎを作る前に戦死し、現当主になってからも流産と病死を一回ずつしたために付き人候補を作るタイミングを逃した。

 

 幸運にも次期当主になるであろうと目されている息子は癇癪持ちで各家から送られた付き人候補を次々と送り返しているために、男子ばかりでなく女子にも御鉢が回ってきた。女子ならば気難しい若様にも気に入られる者がいるかも知れない、と。

 

 彼女にはそこまで理解は出来なかったが、それでも本来ならば選ばれない名誉ある仕事に姉が選ばれたのはとても素晴らしい事であるとはなんとなく理解はしていた。それ故に我慢はしたが、悲しいものは悲しいのだ。

 

それ故に姉の帰還を妹は喜んだ。

 

泣きそうな表情で家に帰ってきた姉を見るまでは。 

 

父が怒気を強めて姉に詰め寄る。びくびくと震える姉の姿を見るのは初めての事であった。

 

「お、おとうさま……おねえさまをおこらないで……!」

 

つい、姉を叱りつける父に駆け寄りそう懇願する。

 

「お前は黙っておれ!」

 

 厳しい怒声に妹は小さな悲鳴を上げながら動きを止める。その目元は急速に潤んでいた。

 

「それくらいにしたらどうか?子供の行い相手にそう強く言い寄るものでもあるまい」

 

 その声に父は口を止め、目を見開く。家の玄関に佇む偉丈夫にその視線は固定される。

 

 人が変わったかのように頭を下げながら何か謝罪する父、妹はその隙に姉の下に駆け寄る。

 

「お……おねえ…さま……?」

 

 恐る恐る姉に声をかける。すると、姉はいきなり妹に抱き着いた。

 

 その行為に困惑するが、姉が嗚咽を漏らしながら呟く言葉に次の瞬間に体が凍り付く。

 

「ごめんね……ごねんね……今だけ…少しお姉ちゃんに甘えさせて………」

 

 弱弱しく、懇願するような姉の呟き、こんな弱弱しい姉を彼女はこれまで知らなかった。その姿に胸を締め付けられる。

 

「そう厳しく言うてやるな。此度の事はそれの過失ではない」

「ですが……」

「良いのだ。それは良くやってくれていた。問題があるのは……」

 

父が客人と何やら話をしているのが聞こえた。

 

 姉に過失がない?姉が何か間違いをした訳ではないのなら、何故姉はこんなに泣かないといけないのか?何故父にここまで責められないといけないのか?何故追い返されなければならないのか?自分よりもずっと賢い姉が……。

 

「どうしてですか……?」

 

 それは、彼女にとって長年敬うよう教えられてきた存在への忠誠心と敵意が複雑に混ざった心情が生まれた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  回廊出入口制宙権を巡る同盟と帝国の戦いは同盟軍の勝利に決した。

 

 宇宙暦785年2月27日、ダゴン星系外縁部においてレオニード・オレウィンスキー中将率いる第2戦闘団・第4辺境星域分艦隊を中核とした同盟軍七五〇〇隻はヴェルナー・フォン・シュリーター中将率いる帝国軍八四〇〇隻を撃破した。帝国軍の損失は艦艇一二〇〇隻から一五〇〇隻と推定され、対する同盟軍の損害はその三分の一に満たない。昨年11月より計500回近く続いた一連の小戦闘の結果遂に同盟軍はイゼルローン回廊への進入路を確保したのである。尤も、ダゴン星系までの制宙権を手に入れるために同盟軍は延べ六〇〇〇万人を動員し、戦死者一一万と負傷者三〇万の損害を被っていたが。

 

 3月3日、ハイネセンより第2・第3・第11艦隊を中核とし、その他独立艦隊を編入した4万3800隻が進発した。同時に地上軍より第5・第10・第21・第32・第33遠征軍が動員された。これら地上軍部隊はイゼルローン回廊内の諸惑星の制圧に投入される事になるだろう。

 

 ハイネセンからイゼルローン要塞までの距離は約4000光年、単艦ならば兎も角、艦隊規模の戦力がこの距離を落伍艦や事故の発生を防ぎながら進軍するには最低でも一か月以上は必要であるとされる。回廊内の諸惑星や小惑星基地、軍事衛星等を排除する必要もあると考えれば要塞攻略戦の本番は4月中旬から下旬になるであろうと思われる。

 

「今度はやれるのかね?前回よりも動員数が少ないじゃないか?」

「だが質は相当なものだぞ?動員艦隊は特に練度の高い三艦隊、四大空戦隊を全て投入だ」

「宇宙艦隊司令長官殿が直々の参加だと。分艦隊・戦隊単位の指揮官も期待の新人と歴戦の老将のガン積みと来てる」

「パエッタ、スズキ、アップルトンにキャボット……パウエルにルフェーブル……ボロディンまでいるのか」

「エース級の艦長もごろごろいるな」

「面子は爽快だがこんなお粗末な情報統制でいいのかね?」

 

 基地内の食堂に設置された液晶テレビから流れるニュースを見つめながらぼやくように兵士達は語り合う。

 

 第四次イゼルローン要塞攻略作戦は、軍事機密でありながらすでに完全に公然の秘密と化していた。過去三回の攻略作戦においては第一次こそ進発前に大々的に発表されたものの第二次・第三次攻略作戦は作戦終了後に民間メディアにその事実が発表された。難攻不落のイゼルローン要塞攻略の可能性を1パーセントでも高めるためには帝国軍の不意を突くと共に駐留艦隊増強の時間を与えるべきではない筈であった。

 

 しかし、今回の攻略作戦では既にかなり早い段階から作戦が民間メディアに流れてしまっていた。いや、恐らくは故意に流していた。

 

「目的は攻略ではなく艦隊撃滅だな」

 

 一人の士官が呟く。それは大半の士官にとっては既に思い至る結論であった。同盟軍の此度の遠征の主目的は要塞攻略ではなく帝国艦隊の撃破だ。

 

「選挙が近いので手頃な勝利を掴んで来い、といった所か?」

 

 別の士官が皮肉気に語る。最高評議会及び同盟議会選挙が近づくと大規模な軍事作戦が実施されるのは最早同盟政治の御約束だ。軍事作戦の実施は帝国への脅威と同盟の結束を宣伝するセレモニーに等しい。勝利出来れば政権の支持率向上に繋がる。

 

「馬鹿、そりゃあそんな思惑もあるだろうがそんな不純な理由で大軍を動かせるかよ」

 

相席していた別の士官が呆れ気味に答える。

 

 政治家も馬鹿ではない。選挙が近い、という理由だけで出征を命じられる訳ではない。勝てば良いが負ければ選挙の敗北を意味する。十分に軍事的な勝算が無ければそんな危険な賭けが出来る訳がない。

 

 実際の所、純軍事的に見た場合同盟軍の目的は帝国軍を回廊内に押し込める事による戦線の縮小と防衛網の補強である。781年の第三次イゼルローン要塞攻防戦以来、防戦と劣勢に追い込まれている同盟軍にすればここで戦線を押し上げる事で戦域を縮小させると共に帝国正規艦隊に一撃を入れる事で帝国の再攻勢を一時的にせよ断念させる事にある。そして稼いだ時間で防衛線の再構築を図る。事実動員される三個艦隊の内二個艦隊は艦隊決戦型編成のそれであった。そして同盟軍上層部は帝国艦隊に何等かの形によって打撃を与える見通しがあるのだ。

 

まぁ、それはそれとして………。

 

「少将も従軍するのですか?」

 

 ナイフで切り分けたシュニッツェルをフォークで口に含みながら私は目の前の叔父に尋ねる。

 

「うむ。形としては第3艦隊の航海参謀としてな。第24星間航路は遠征軍の主要航路となる。私が直に現地で航海計画を調整する訳だ」

 

 私の質問に対してふくよか過ぎる体型の叔父殿はシュヴァイネハクセを口に入れながら答える。おいおい、500グラムはある豚の脛肉がアッという間に消えていきやがる。

 

 参謀と言っても多種多様な種類がある。此度の遠征でも遠征軍の総参謀長に各艦隊の参謀長がおり、それぞれの下に更に専門分野によって作戦参謀・情報参謀・通信参謀・後方参謀・計画参謀・人事参謀といった一般参謀の他、専門の輸送参謀・航海参謀・砲術参謀・航空参謀・法務参謀・広報参謀・監察参謀・会計参謀・陸戦参謀・憲兵参謀等が存在し、更にその下に佐官から兵卒に至る各種スタッフが所属する。平均すると艦隊司令部や番号付き地上軍司令部の場合は数百名、複数個艦隊を統括する司令部では千名に匹敵するスタッフを抱える。ロボス少将は専門幕僚の航海参謀として遠征軍の第3艦隊の第24星間航路からイゼルローン要塞に至るまでの航海計画の作成と実施が職務である。

 

 此度の遠征では第4星間航路より第2・11艦隊、第24星間航路より第3艦隊が進出する事になっている。ワープポイントの数や航路管制の関係上、万を超える艦艇が一つの航路から進出すれば渋滞や事故の原因になり得る。幾つかの航路に別れて分散進撃するのは当然であった。

 

 そして第24星間航路の交通と政治・経済・軍事上の中心がこの星であれば成程、参謀殿が直接来るのも納得だ。式典の後もだらだらとこの星にいたのは交通面や補給面の調整を直に行っていたためであろう。

 

「第3艦隊は四週間後にはここに辿り着くだろう。その時私も艦隊司令部に帰還する事になっておる」

「皆言っていますが、今回はやはり要塞攻略が主目的ではなく艦隊の撃滅が狙いでしょうか」

「それは流石に言えんな。軍機に関わる」

 

 にやり、と意味深げな笑みを浮かべながら豚脛肉の塊を頬張る少将。どうやら話すつもりは無いようだ。

 

「軍機ですか……でしたら仕方ありません。御武運を祈ります」

 

 原作では具体的内容が不明な第四次攻防戦である。流石に艦隊旗艦が「雷神の槌」で消し飛ぶ事は有り得ない(艦隊旗艦は作戦であっても要塞主砲射程内に入ってはならない決まりだ)し、原作通りに進めばここで叔父が戦死する可能性は皆無であろう。だがそれも私の存在がどんな影響を与えているか分からない以上油断出来ない。叔父はアムリッツァの重要なキーパーソンだ。ここで死なれたら困り過ぎる。

 

 無論、純粋に身内としての心配もある。色々借りもあるし、ここで死んで欲しくはない。

 

『続いて、6月の同盟議会総選挙について……』

 

 イゼルローン要塞攻略に向けた出征の報道を終えたニュースキャスターが次に語るのはお堅い政治の話……という訳ではなかった。

 

『はい!今回の注目立候補者と言えばやはり最初に思い浮かぶのパラス選挙区2区のアレキサンダー氏でしょうね!フライングボールサジタリウスカップを三度優勝したフライングボールの神様、身長189センチの引き締まった体!何よりあの俳優のようなイケメン顔!ダンディ過ぎて惚れ惚れしちゃいますよ!』

 

スタジオの出席するアイドルが熱く語る。

 

『ウィンザー夫人もいいですよねぇ』

『女優のような美貌に上品な佇まい、キリッとした視線、ニュースキプリングの看板アナウンサーを五年務めて、755年度のミス・ハイネセンにも選ばれた御人ですからねぇ。それにあのズバズバと斬り込む物怖じしない態度!いやぁ、キャスターとして議員に食って掛かる姿は本当見ごたえがありましたよ!』

『汚職議員に鋭く切り込んでインタビューする姿から「鋼鉄のキャスター」等と議会で恐れられていたそうですからねぇ。今から議員の皆さん戦々恐々じゃないですか?』

 

 若い俳優や評論家達が笑いながらそんな事を語る。まぁ、そういう事だ。

 

 全員が全員と言う訳では無いが半分くらいのマスコミの報道はあんなものだ。政策よりも立候補する有名人について語る方が視聴率が良いのだ。それでも投票率があればまだ救いはあるが残念ながら前回の投票率は6割前半だ。おう、衆愚政治だな。

 

 というか、ウィンザー夫人は経歴的にまだかなりマシな方だ。ハイネセン記念大学出身で若い頃は美貌と才覚で知られる大物ニュースキャスター、一時期は報道官として前線で幾度も取材をしており、その命知らずな報道姿勢は安全地帯で取材するほかのマスコミより余程勇敢だ。第三次イゼルローン要塞攻略戦で死別した夫ウィンザー中将(准将より死後二階級昇進)はハイネセンファミリーの名門の出であり自由戦士勲章受章者であり、十年後の宇宙艦隊司令長官候補であった。

 

「……さて、ではそろそろ私は仕事があるので御先に失礼します」

 

 時計の針を見た後にそう言って、私は食べ終えた皿を返しに行くために立ち上がる。

 

「若様、私が運びますのでお渡し下さい」

 

いつものように従士は雑事の代行を申し出る。

 

「いや、構わない。自分で運ぶ」

「若様……?」

 

疑念の表情を浮かべる従士に私は答える。

 

「なに、他意がある訳ではない。正直事務仕事ばかりで太ってな。これ以上脂肪をつけると大帝陛下が墓から這い出て食い殺しに来るかもしれん。まぁ、世話してくれるのは有りがたいが至れり尽くせりされて運動不足という事だ。許せ」

 

 そういって自身のトレーを運び始める。それは少なくとも嘘ではない。

 

「……承知致しました」

 

 大帝陛下を出されては流石にこれ以上食い下がる訳にはいかない。粛々と自身のトレーを持ってついて来る。当然のように周囲の警戒は怠らない。

 

 そしてトレーを返し台に置こうとした瞬間、その名前が響き渡った。

 

『そうそう、注目の立候補者と言えばこの人は外せませんよ!パンプール選挙区3区のヨブ・トリューニヒト候補です!』

「うえっ!?」

 

その名前につい私は仰天して振り向いた。

 

「どうかなさいましたか……?」

 

従士も私の行動に何事かと尋ねる。

 

「い、いや……何でもない…が………」

 

 私は配膳トレーを運びつつも思いもよらない原作人物の登場に驚愕していた。テレビには支持者に向け微笑む爽やかそうな男性が映っていた。笑みを浮かべ白く光る歯は綺麗な歯並び、整えられた黄土色の髪、俳優のような甘いマスク、女性受けの良さそうな理知性と快活さを兼ね備えた人物のように思えた。

 

「おいおいおい………ここで出てくるか」

 

 解説によれば自由共和党から出馬する新人だそうだ。その経歴は華やかで、父はパンプール星系警察の幹部、母はヴァレンヌ星系の有力な農場経営者の娘である。中央官僚の登竜門たる国立中央自治大学、その中でも特に難関な政治学部を一発合格した上に首席で卒業。徴兵ではその事務処理能力を評価され後方勤務本部に所属。後方勤務でありながら三年間で二等兵から兵長に昇進して見せる者はそうそういやしない。

 

 その後、同盟警視庁採用試験をトップの成績で合格、同盟警察の刑事課、後に機動隊に所属する。幾つもの事件解決に貢献し、特にエリューセラ中央劇場人質事件、テルヌーゼンでの暴動鎮圧、ライガール星系における宇宙海賊掃討戦、エピノア人民軍本部襲撃等で陣頭指揮を取りその指揮能力を高く評価されている。29歳で同盟警察の警視正に昇進するのは異例の昇進だ。その後同盟警視庁公安課に一年ほど所属し、今回の出馬を決意したらしい。客観的に見てエリート中のエリートだ。

 

「自由共和党って言えば……統一派か」

 

 ここ二十年同盟議会の過半数を占め与党の座を維持するのは国民平和会議である。これは宇宙暦767年に結成された主要な中道右翼から中道左翼政党からなる連合だ。実態は内部には長征派からなるサジタリウス民主同盟や統一派の自由共和党、亡命帝国人共和派のオリオン解放連盟や我らが皇帝陛下を崇拝する立憲君主党等を含む寄せ集めである。実際選挙では一旦解党し、所属各党で議席の奪い合いや調整をして、その後再び連合する有様である。

 

 内情としては政財界の大物や古くからの地方の有力者が多く、圧倒的な動員力や資金で半ばごり押しで選挙戦で勝利を治める姿は醜悪であるが、同時に潤沢な資金と人脈で著名な知識人や学者を御意見番にするために何だかんだあっても安定した政治を実施している。極右や極左はアレなので消去法で有権者は殆どは嫌々支持しているようであった。

 

「こりゃあ、その内調べた方が良いかもな………」

 

まぁ、それも目前の課題を解決してからの事だがね。

 

「えーと……これから東大陸まで飛ぶんだったな?」

「はい、同盟軍の第115地上軍団と亡命軍の第9野戦軍団の演習における調整とトラブル対処になります」

 

そう言いながら優秀な事務員は書類を手渡す。

 

「了解だ。飛行機の用意は?」

「空港に待機出来ております。1330時に発進、2100時には到着する予定です。2300時に演習参加部隊との第一回の打ち合わせになります」

 

流れるように従士は答える。

 

「手際が良いな」

「お褒めに預かり光栄で御座います」

 

少尉は、私の言葉に微笑みながら答えた。尤も、僅かにではあるが含む所があるようにも感じられるが。

 

(まぁ当然だろうな………)

 

 監視役も兼ねるために私の警戒を受けている事も知っている筈だ。私が警戒してるのだから仕える方からしても人間である以上思う所があるだろう。それどころか私は(飾らない言葉で言うならば)彼女を追い出そうとしているのだ。フォローはするつもりだが彼女からしても立場からして警戒せざるを得ない筈だ。

 

無論、私も流石にそればかりは譲れないのだが……。

 

 一応、監視の目を誤魔化しながら叔父やリューネブルク伯爵を始めとした個人的に親交のある人物の善意と交渉によりある程度下準備は整えてある。取り敢えず父のスケジュールをチェックして先回りした上で説得……出来たらいいなぁ。

 

「はぁ……」

「?御気分が優れぬようでしたら取り止めにしましょうか?」

「いや、大丈夫だ。……仕事に行こうか?」

 

 一瞬、頷いて監視を引き離そうかと思うが止める。自分の仕事は果たさなくてはな。

 

ああ、けど憂鬱だなぁ。何せ参加部隊が、ねぇ……?

 

 

 

 

 

 ヴォルムス東大陸の半分は荒地と高原、サバンナと化している。元々はこの地が惑星の中心であったのだがコルネリアス帝の親征に際して当然の如く低周波ミサイル等で絨毯爆撃を受けて今では荒れ果てた大地と廃墟と化していた。一部……どころか少なくない部分が砂漠化していた。

 

 そんな訳で東大陸は惑星上の陸地の28パーセントを占めるが人口はせいぜい600万いるかどうかである。それでも同盟の大概の辺境惑星よりも多いのだが。

 

 大陸中央の高原とサバンナ地帯にある25万平方キロメートルの面積を誇るアルトマルク演習場が今回の演習の舞台であった。ほぼ同一の環境である惑星リシャリーフに派遣される予定である同盟軍第115地上軍団と亡命軍第9野戦軍団合わせ総兵力九万七〇〇〇名は3月7日から18日の12日間に渡る最終的な共同演習を実施した後戦地に派遣される予定であった。更に敵部隊の役を果たすために亡命軍より現地駐留の一個師団及び三個予備役師団が動員される手筈である。

 

 演習内容は揚陸戦闘の基本的な形から始まる。軌道爆撃とそれに紛れて特殊部隊や戦闘工兵隊、狙撃猟兵団が小型突入ポッド等で潜入、破壊工作の実行と共に主力部隊が宙陸両用戦闘艇や大気圏内航行可能戦闘艦艇が降下し、更に大気圏内戦闘機が制空権を確保、艦艇から吐き出される地上部隊を掩護する。その後砲兵陣地や防空陣地、補給拠点を整備しつつ機甲戦力を全面に押し出しながら各地の敵陣地を一つ一つ占拠ないし破壊する。最後は敵戦力を追い詰めながら包囲殲滅だ。成功すれば教科書通りかつ理想的な戦闘である。

 

 当然の如くそれだけの戦力が動けば演習でも問題が起きない訳ないんだよなぁ……。

 

「現地交通警察から陳情です!星道97号線が第309予備役歩兵連隊により渋滞している模様です」

「大気圏突入コースを逸れたモンテリア22号の空中移動による震動でベッデハイム村の窓硝子48枚が破壊されたようです!モンテリア22号は現在移動中止して地上待機中のこと!」

「星道340号線で接触事故です!民間のトラックとジープが接触したようで……両車の乗員が乱闘を始めて憲兵隊と現地警察により拘束されたようです!」

「第1034歩兵連隊の行方不明の同盟軍兵士二名がモンテバッハ村で保護されたようです。両名とも衰弱しているようで恐らく森で遭難したのではないかと思われます」

「はっは、ワロスワロス」

 

演習三日目でこの様だよ!

 

 演習のための野戦司令部の一角に張られた天幕内で私は分室から派遣された事務員達の報告を聞きながら現実逃避をする。糞みたいに問題ばっか起きるな。

 

 よく前線勤務の者は事務仕事を馬鹿にするが、実際にやれば分かる。後方も(仕事量的に)地獄だぜ!寧ろ前線は生命に直結するために案外ローテーションは厳しく敷かれる傾向がある。過労で一人ミスして死ねばその分一層戦局が厳しくなるのでさもありなんだ。後方の事務は?おう、戦死しないからデスマーチでもいいよね?(マジキチスマイル)

 

 事務や後方勤務で出世出来る奴はマジでヤバい。処理能力が人間辞めているの。ロックウェルは無能?奴はミス無しで連続120時間デスマーチを達成したレジェンドだぞ?一人で十人分の事務仕事平然とこなすんだぜ?到底たかが地方調整連絡官なんて仕事でくたくたな私とは格が違うね。

 

 ぶっちゃけて言えば私が活躍出来るのは相当面倒になった問題に対して(反則で)解決する場合位だ。大半は数は多くてもそこまでややこしい問題ではない。大事なのは個々の問題を迅速にミスなく片付ける場合だ。

 

 やはりその点で言えばノルドグレーン少尉は優秀であろう。その場で法律や軍規を思い出し即断即決で事態を解決して見せる。大概の問題は彼女以下のスタッフでどうにかなってしまう。

 

あれ……?私ってやっぱり要らない子?

 

 そんな事を考えていると、電話応対をしていた事務員の一人がこちらに駆け寄り耳打ちする。

 

「中尉、第36武装親衛師団の下士官が市民との乱闘で逮捕されたようです」

「……またか」

 

私は嘆息するように溜息をついた。

 

 第36武装親衛師団「ディルレヴァンガー」は特殊志願者を中核とした……つまり外人部隊の一つで特に激しい戦果と悪名で名高い部隊の一つだ。主にゲリラ掃討や山岳戦を主眼に置いた部隊であり捕虜が殆どいないのは捕らえたゲリラや狙撃手をその場で射殺するからであると言われる。帝国軍で軍規を破り戻ったら処刑されかねない者、同盟軍で捕虜虐待や殺害、その他の戦争犯罪を犯した者、辺境宇宙の無国籍の元宇宙海賊に最近では紛争が終結したマーロヴィア暫定星系政府から流れた大量の傭兵や軍閥兵士が編入されている。

 

 実力自体は編入前から戦闘経験を多数経験し、編入後は激しい戦場に叩き込まれるために本物であるが荒くれ者揃いの上で素行が悪すぎる。師団憲兵隊は通常の三倍の規模、正直亡命軍の、武装親衛隊の中でも忌み子扱いの部隊だ。

 

「三日……移動の時も含めれば十日で十四件、一日一回以上の不祥事とは恐れ入るな」

 

 元より出所が酷い上に過酷な戦場での従軍が多いために余計荒れているのかも知れない。

 

「分かった。憲兵隊に引き取らせてくれ。謝罪文の作成がいるな。後師団長以下にはきつく言う必要もありそうだ」

 

 私はベレー帽を被るとノルドグレーン少尉と同盟軍憲兵二名を同行させて師団司令部にジープに乗り込み向かう。

 

 三十分も走らせれば高原に欺瞞され、対空陣地が張り巡らされた第36武装親衛師団司令部に到着する。司令部天幕の前で印象に残るシュタールヘルムを被った目付きの悪い衛兵二人が内部へ入るのを止めるので身分証明書を見せると共に目的を伝える。

 

「師団長に伝えろ。地方調整連絡官が来ているとな。一連の不祥事への対策が出来ているのか尋ねにいけ」

 

 見るからに非帝国系な兵士達は互いに顔を見合わせ僅かに困惑し、ついで片方が天幕の内に入り要求を伝えに行く。

 

「何だ?同盟軍か?」

「けっ……あの歳で中尉だとよ。士官学校の坊ちゃんか。実戦も知らずに偉そうによ」

「前線で戦った事もねぇ憲兵もいやがるぜ?見るからにモヤシ見てぇな白い顔だ」

「見ろよあの女。良い尻してんじゃねぇか。おい!こっち来いよ!仕事は休憩して遊ぼうぜ!」

 

 司令部内の警備兵やら後方勤務の人員、部隊展開のために兵士を引率して待機中の下士官やらが不躾な視線を向けながら嘲笑したり、ふざけたり、あるいは揶揄うような声を上げる。ならず者師団とはこの事だな。

 

 明らかにセクハラ発言を受けている従士は顔色一つ変えずに待機する。一方、憲兵隊員達が不安そうな表情を浮かべていた。……いや、憲兵の態度の方が普通だけどな?私も正直マジ怖い。

 

 数分程して案内された天幕の奥には野戦服を着た師団長ミハイル・シュミット大佐と参謀長カルプ中佐が控えていた。そのほか天幕には参謀や通信士、伝令、警備兵も控える。

 

 初老の骸骨のように痩せているシュミット大佐は左目が眼帯、額から右頬にかけて切り傷が刻まれた士族階級の出であった。幾多の激戦を潜り抜けた古参兵でもある。正直家柄以外では勝ち目がない人物だ。

 

「態々足を御運び頂き恐縮ですな。第36武装親衛師団師団長ミハイル・シュミット大佐だ。それで、同盟軍の連絡官がどのような用件でお越し下さったのかな?我々も暇ではないのでね。手短に頼みたい」

 

 椅子に座り堂々と話す大佐は威圧感を出したまま高圧的に尋ねる。片目だけだがその視線が既にマフィアか何かのように鋭すぎる。どもりそうになるがここで引く訳には行かないので気を引き締める。

 

「同盟軍地域調整連絡官ヴォルター・フォン・ティルピッツ中尉です。はい、此度の演習に於きまして貴軍の度重なる不祥事に対して改善を促したいと考え訪問した次第です」

 

私は敬礼し官姓名を答えた後要望を口にする。

 

「ほう?御貴族様かね?それは態々こんなごろつきの集まりに足を運んでいただき恐縮だ。事態に対する憂慮はしている。我々も軍規の引き締めと再発防止を心掛け対処したいと思う……と言いたいが」

 

 そこで胸元からシガレットケースを取り出し、葉巻を一本取り出す。口元に咥えれば命令するまでもなく従卒の一人がライターで火をつけた。一服して副流煙(流石に宇宙暦8世紀のため毒素は最小限に抑えられているが)を周囲に巻き散らした後続きを口にする。

 

「我々は亡命軍だ。ハイネセンの奴らは我らをそこらの星系警備隊と同列に語ろうとするが我々は同盟軍とは独立した銀河帝国亡命政府の軍隊だ。外人部隊だけどな。お前達同盟軍の軍規に従う理由も、その命令を聞く理由も我々にはない。失せな。やりたければパパにでも泣きつく事だ」

 

 嘲り気味な返答。クスクスと周囲から噛み殺した笑い声が薄っすらと響き渡る。同行する憲兵隊が周囲を不安たっぷりに警戒する。

 

「大佐殿。余りにも非礼ではないでしょうか?我々は同盟軍からの使者として、同盟軍の代表としてこちらに参上したのです。それをこのような応対。後日行くべき所で我々が直訴すれば後悔なさるのは大佐の方になりますよ……!」

 

 鋭い目つきで大佐を睨みつける少尉。喧嘩慣れしていない人物なら十分動揺するであろう。が、目の前の人物にとっては微風程度に過ぎないようであった。

 

「あ?お嬢さん、余り回りくどい事を言うもんじゃねぇな?貴族付きの副官って事は付き人か何かだろう?はっきり主家の家名を汚すなとでも言えや。それとも坊ちゃんを泣かすなか?従士も御守りで大変だな?」

「なっ……!?」

 

 歯に衣着せぬ言いように流石に唖然とした表情をする少尉。

 

「悪いがこちとら同盟軍に従う義務も理由も一ミリもねぇ。弾除けの弾除けだからな、これ以上危険地帯に放り込まれようともビビるかよ。後お嬢さん、その顔と口調は凄んでいるつもりかね?」

 

 肩を竦めて薄笑いを浮かべる大佐。骨が見えそうな程痩せているためにかたかたと頭蓋骨が笑っているようにも見えた。

 

「その軟な顔。見た所戦場経験ねぇだろう?戦闘処女め。ぬくぬくと机の上でキーボード打ってばかりやってるから肌が白いんだよ。俺らをビビらせたかったらせめて一回ぐらいは戦場で小便漏らしてきな。それとも温室育ちの従士様はそんなはしたない事は出来んかね?」

「………!」

 

 余りに無礼な言いように体をわなわなと震わせながら目を見開き相手を殺すように睨みつける少尉。何事かを口にしようとするところで私は静止させる。

 

「……大佐、余り少尉を侮辱しないで頂きたい。階級と組織に違いはあれど名誉棄損で訴訟は可能です。まして少尉は優秀な事務処理能力を有している。大佐ともあろう方が事務を蔑ろにする発言、指揮能力・指導能力を疑わせる発言をするのは控えるべきかと存じますが?後そのような発言を仰るという事はここにいる皆さまは晴れある初陣で失禁なさった経験が御有りである、と考えて宜しいでしょうか?」

 

 一触即発な状況で私は内心漏らしそうなのを我慢しながら淡々と(内心勇気を振り絞って)そう答える。貴族やっていると演技と表情固定ばかり上手くなる。

 

 当然ながら、私の侮辱を婉曲的に修飾した返答に一旦場の空気が凍りついた。

 

「……坊ちゃん、貴族様なら殴られないとでも思っている訳じゃあなかろうな?うちが後ろから弾が飛んで来る部隊って知らんのか?」

 

 剣呑な空気が天幕内に充満する。警戒した少尉が咄嗟にブラスターを手に私の前に出ようとするのを止める。正直隠れてそのままお腹に突っ込んで泣きたいけどここは我慢するしかない。ここで舐められたら多分終わりだ。

 

「いえ、大佐殿の発言をそのまま解釈した次第であります。私は大佐と師団のこれまでの軍歴と武勇に感銘と敬意を抱いております。大佐と師団の名誉のためにも不用意な御言葉は誤解の元となり得ますのでお控えになられた方が良いかと」

「……やはり貴族様だな。口ばかりよく回るわ」

 

 吸いかけの葉巻を硝子の灰皿に押し付けるとこちらを見据える。

 

「さっさと本題に入れや。余所者の分際で、俺らに文句を垂れる屁理屈位は考えているのだろう?」

 

そう促され、私も恭しく報告をする。

 

「はい、亡命軍は確かに我が同盟軍とは組織が事実上独立しており、同盟軍の命令と要求を受け入れる義務は御座いません。ですが、第一にアルレスハイム星系政府の市民は同盟加盟国の市民でもある以上同盟政府の保護すべき市民であります。故にこれ以上の市民への不祥事があれば同盟軍としても市民の保護のために介入すべき案件であることを御理解頂きたい」

 

師団長は黙ったままだ。次を話せ、という事らしい。

 

「第二に、同盟軍は亡命軍の協力組織であります。同盟関係を結んでいる以上貴軍の不祥事は共同戦線を張る同盟軍との連携に著しい不都合をもたらす懸念があります。円滑な共同作戦のために貴軍には友軍への配慮を願いたいと考える所存です」

 

 周囲からの敵意を含めた視線が痛いが、ギリギリ平静を装い堂々と答える。

 

「第三に、これ以上の不祥事は演習そのものの成否に繋がります。不祥事による事件の発生は演習スケジュールの遅延に繋がりかねません。演習にも予算がかかります。遅延した場合その費用の請求もあり得ます。そのような事が起こり得る前に師団に改善を促したい。以上の点を伝えさせていただきます」

 

 ようは、不祥事をこれ以上起こしたら同盟軍も動くしかない。実戦における連携に支障も出る。また不祥事の結果演習や作戦の遅延が起きれば裁判起こして給与差し押さえるぞ、と言う訳だ。

 

「おい、それは脅迫かね?」

「いえ、このような不祥事が続いた場合、同盟軍が実施するであろう事実について説明したまでの事です」

 

 下手に軍規やら名誉やら秩序を口にしても意味がなさそうだからな。それでも危険な戦地に叩き込まれるのはいつも通りとしても連携不足で誤射や誤爆で無駄死には嫌であろうし、給与がカットされるのはご免であろう。というよりは実利を口にした方が良い。

 

「……給与カットは頂けないな。暴動が起きる。真っ先に殺されて吊るされるのは士官である我々だ、その後はお前らに殺意は向くだろうな」

 

 暫しの沈黙の後、そう言いつつもニタニタと楽しそうに笑う大佐。御免、何で笑っていられるのか一ミリも分かりません。というか暴動になったら吊るされるの!?

 

「うちは外縁部や外宇宙の無法地帯産まれの奴も多いからな。御行儀良くストライキする前にコレする馬鹿がいないとも限らんのよ」

 

 そういって右手を銃の形にして私にパーン、と撃ち込む真似事をする。お、おう、辺境外縁部は修羅の国なのか。

 

 いや、帝国建国や同盟の拡大期の記録を見れば妥当かも知れんが……。同盟加盟準備中のマーロヴィアは同盟政府と初接触の時点でリアルソマリアな群雄割拠状態だったそうだ。近年接触した幾つかの旧銀河連邦植民地も同様の世紀末覇者状態。恒星間航行技術どころか星系内航行技術を有する勢力も滅多に存在しない。現地の市民や兵士の民度はお察し下さいである。

 

「まぁいい。金が出なくなると脅せば少し位の間は大人しくなるだろうさ。ようは前線に出るまでの一週間程の間静かにさせておけ、と言いたいんだろう?」

「……極論すれば、ですが」

 

 出来れば戦地でも上品にして欲しいがそこまで言う事は出来んし、気概も、権限もない。あくまで別組織に所属する私に出来るのはこの場における忠告のみだ。

 

 忠告を終えて敬礼した後に私は退席する。何処か複雑な表情を浮かべる少尉と憲兵を連れて天幕の出口に向かうと後ろから大佐が声をかける。

 

「中尉」

「……何でしょうか?」

 

振り向きながら警戒しつつ答える。

 

「仕事熱心なのは結構だがな、今度来る際は従軍勲章を着けておく事だ。馬鹿の中には実戦処女扱いされるからな」

 

 下世話な話をするように笑いながら大佐は答える。

 

「了解致しました」

 

 私はそれに誤魔化すような苦笑いしながら出口に向かった。成る程、実戦処女はこの師団ではからかいの的になると。

 

 大佐自身も部隊の掌握するためにあの態度を取っている可能性もある。そこに文句を言いに来る小役人がいればあの態度も有り得なくもない。私も周囲には実戦知らずの貴族の坊っちゃんに見えただろう(新品士官であることに代わりはないが)。最終的に受け入れるとしても部下に対するポーズを示さないといけないのではないだろうか?いや、ただの想像だけどさ。

 

 どちらにしろ、確かに勲章付けて実戦経験があるとアピールしないと舐められそうな部隊ではある。

 

 まぁ、今回忠告はした。亡命軍の方でも何らかの形で警告はしているだろう。後は大佐と憲兵隊の働きに期待するしかあるまい。

 

 問題はそれでも事件を起こす者がいる場合であるが……。 

 

 ジープに乗り込み同盟軍演習司令部へと戻る。私は後部座席の隣に座りこむ元気のない従士に口を開きフォローを入れる。

 

「少尉、要らぬ気遣いであるかも知れないが大佐の言葉は余り気にする事はない。所詮は荒くれ者共の大将に過ぎん。少尉の事務能力は先ほど言ったように優秀であるし、実戦に参加していないからといって臆病という訳でもない。深く考えるような事ではないぞ?獣が喚いているとでも思っておくといい」

 

 実際あそこまで汚く罵られたら門閥貴族……とまではいかなくともそれなりに良い所の娘である少尉にはショッキングだったかも知れない。嫌な事は忘れて無かった事にするのが一番だ。

 

「いえ、若様……私は問題は御座いません。ですが……若様や伯爵家に対してもあのような暴言……あのような賎しい身分の者共が……!」

「少尉」

「っ……!いえ、失言でした」

 

 私の注意にすぐに運転席の憲兵の存在に気付き謝罪する。憲兵達は普通の同盟人だ。余り身分制度を意識した発言は口にするべきではない。

 

 ベアトよりはかなりマシではあるが、やはりあそこまで言われたら流石に怒るしかないだろう。少なくとも付き人の身である以上は内心は平気でも形だけでも怒らないといけないかも知れない。そうしなければ付き人としての意味が無い。

 

「今の立場を忘れるな。我々は同盟軍としてここにいる。口は慎め」

「……承知しました」

 

 少尉は荒れる心情を落ち着かせるために深呼吸した後、いつものように落ち着いた口調でそう答えた。

 

「……いや、言い過ぎだな。やはり私のような学生気分の抜けない新品士官だとああ言った荒くれ者の集団に軽く見られてしまう。本来ならば私が真っ先にあの口を咎めるべきだったのを世話をかけた」

「いえ……」

「正直、ああ言えたのも護衛がいると安心出来た所がある。助かった」

 

 一応、そう言ってフォローを入れる。いや、だってあんだけ侮辱されたら名誉取り戻すのに闇討ちも無きにしもあらずだし……。ぶっちゃけあのアウトローどころか盗賊集団ともう一度正面から会話するのは御免過ぎる。

 

「帰ったら多分仕事が増えているだろう。頼むぞ?」

「はい」

 

 私は彼女の意識を別のものに向けさせるためにそう口にした。少尉はソプラノ調の美しい声でそれに対して穏やかに返事した。まぁ、実際増えているだろうしなぁ……。

 

「はぁ……」

 

 私は窓の外から演習の砲兵部隊の砲撃を見つめながら、ベアト達の安否やこれから起こるであろうトラブルの数々、父の説得といった問題に思いを馳せ、内心の焦りを誤魔化すようについ溜め息をついた。

 

「…………」

 

 故に、私は怒りに燃える隣の従士の瞳に気付くことが出来なかった。




各勢力の民度及び人命価値
同盟=アメリカ
フェザーン=日本
帝国=大祖国戦争ソ連ないし日本帝国
辺境外縁部(銀河連邦の残骸)=汚物は消毒だぁ!!



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第七十三話 外国人社員の雇用は待遇に注意

藤崎版に最新話に対して(門閥貴族的に)感想
ご、500年に渡る尊き血脈が消えていくぅ……何て罰当たりな!金髪の小僧絶対許早苗っ!早くブラウンシュヴァイク公とエリザベード様をお救いしろ!盾艦あくするんだよ!(外道)


『全く、ふざけやがって……あれもこれもグチグチと……やってらんねぇぞ』

 

 深夜、天幕の中である軍人が煙草を咥えながら同盟語でも、帝国語でもない言語で愚痴った。言語学者が聞けば、それはかつて銀河連邦の定めた公式公用語の一つレグルス語がかなり変質したものであると分かるだろう。

 

『本当だ。確かに給金は良いし、飯も悪くねぇがこんなに息苦しい所だなんて聞いてねぇぞ?』

『訓練も厳し過ぎるしな。こんなに訓練なんかする必要あるのかよ?んな事時間と弾の無駄だぜ。取り敢えず実戦繰り返せば兵士は育つのにな』

 

 マーロヴィアから募集に応募した第36武装親衛師団所属の新兵達は互いに以前の職場との違いに不平を次々と口にする。同盟軍やほかの亡命軍部隊から「面汚し」や「犯罪部隊」とまで言われる第36武装親衛師団ですらまだ軍規が厳し過ぎたようだった。

 

 彼らは亡命軍の募集に志願する以前、マーロヴィア暫定星系政府軍……正確にはその関連組織に所属していた。

 

 旧銀河連邦植民地の一つであったマーロヴィアは同盟接触以前から、そして数年前まで地表を小勢力が分割した混迷の内乱が続いていた。略奪や虐殺、焦土戦やその他の戦争犯罪が当然のように武装勢力や民兵達の間で行われていた。

 

 同盟政府を味方につけたマーロヴィア暫定星系政府は惑星をほぼ統一したが、その後多くの軍人や民兵が武器を強制的に取り上げ、解雇されていった。訳の分からない内に解雇された彼らは怒りの声を上げたが、そこに亡命軍の募集が行われその待遇と給金に惹かれて産まれて初めて宇宙船に乗って遠路はるばるヴォルムスに辿り着いた。

 

『店の物を拝借するのも、文句言う奴らを殴って黙らせるのも禁止とはな』

『ボブの野郎、コカイン使っているだけでしょっ引かれたからな』

『サイオキシンやバリキドリンクなら兎も角よう……ふざけやがって』

 

 彼らにとって故郷で戦っていた頃は出店のものを力づくで手に入れるのは当然の事だった。寧ろ街を守ってやっているのだから当然の事だと考えていた。一般人が自分達の仕事の妨害するなら一発鉛玉を叩き込めが良いだけだったし、戦いが終われば死体や街で物色と略奪が常識だ。軍務に影響が無ければ薬物や飲酒に司令官が口を出す事も無かった。

 

 それがどうだ?今では実戦に行かずに毎日毎日下らん訓練ばかり、少しでもトラブルが起きれば煩い憲兵共が拘束してくるし、何をするにも細々とルールが決められる。ストレスしかない生活だ。

 

『畜生、マジであの上官共うぜぇ』

 

 新兵達の愚痴は上官……士官階級のそれに向かう。亡命帝国系と同盟軍系が師団の士官の大半を占めていた。彼らのこれまでの上官と全く違う彼らの態度に不満が無い方が可笑しかった。

 

『おいおい……坊主共、それくらいにしておけよ。この前の馬鹿共の末路を知らん訳でも無いだろうによ』

 

 同じ天幕の古株の軍曹が横から投げやり気味に口を開いた。半年前に一個小隊が反乱未遂を起こした。決起前に師団長以下の直属部隊に鎮圧され、見せしめに師団の全兵員の前で銃殺された。

 

『あの野郎に逆らうのは止めとけ。あいつらみたいにぶっ殺されるのがオチだ』

 

 肩を竦め呆れ気味にそう忠告した古参の軍曹は興味を無くしたように明日の演習に備えとっとと寝袋に潜り込んで眠ってしまう。

 

 その忠告を受けた幾人かの新兵はそれに従いそそくさと就寝する。

 

『……ちっ、古参の野郎共は腰抜けしかいねぇ』

 

残った新兵達が集まりながら小声で話し合う。

 

『もう我慢出来ねぇ。こんなのやってられるかよ』

『どうせ兵士なんていつかは死ぬんだ。ならば好きにやった方がマシだ』

『じゃあ……やるか?』

  

 不穏に空気が周囲に充満する。ちらり、と周囲のほかの兵士が寝てしまったのを確認する。

 

『……やるなら今しかねぇ。後何日もしねぇうちにまた船に詰め込まれて戦場行きだ』

『ここなら街も近くにある。山に隠れちまう手もあるな』

『適当な家に乗り込んで隠れるって手もあるな』

『やるか?』

『それじゃあ、こういう作戦はどうだ……』

 

 満天の星空の下、天幕の中で新兵達は衝動的に、不吉な計画を立て始めていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3月13日、アルトマルク演習場における大規模野戦演習は後半を迎えつつある。

 

 対戦演習は最終段階に突入していた。同盟軍4個師団と亡命軍3個師団を中核とした戦力は対戦相手たる1個師団及び2個予備役師団に対して最終的攻勢を開始していた。地雷原と有刺鉄線、トーチカ、砲兵陣地を巧妙に組み合わせた防衛線を航空軍の大気圏内戦闘機、大気圏内攻撃機、大気圏内爆撃機、輸送ヘリ、戦闘ヘリ、無人機、宇宙軍の宙陸両用戦闘艇や大気圏内航行可能戦闘艦からの濃密な援護を受けながら一つ一つ撃破していく。

 

 特に第36武装親衛師団の戦いは目を見張るものがある。本質的には山岳戦を想定した軽歩兵師団に過ぎないが、最前線を受け持ち、時に正攻法、時に型破りな戦闘を行う事でほかの部隊には無い戦績を上げていた。

 

 一因としてほかの部隊よりも損害に頓着していない、という点が挙げられる。数名の戦死や負傷判定を受けた程度ではその攻撃が止む事はない。

 

 既に演習内における師団損耗率の判定は三割を越え、四割に届こうとしていた。軽歩兵編成の一個武装親衛師団の兵員は一万四〇〇〇名前後、主力を二個旅団四個連隊からなりそこに機甲部隊、砲兵部隊、防空隊部隊、工兵部隊、後方支援部隊、航空部隊、衛生隊、通信隊、憲兵隊等からなる。戦闘部隊は全体の六割から七割である事を考えればほぼ壊滅しているとも言っていい。通常の地上軍師団が一割から二割の損害で戦線を後退する事を思えばそれは異常である。

 

 そのような結果を招いているのは師団上層部の命令もあるが本質的に人員の兵士達自体が人命軽視の嫌いがあるためだ。特に戦力の四割を占める同盟勢力圏の辺境外縁域やその外出身の元軍人や傭兵は帝国以上に人命が安い戦場で戦ってきた者が多かった。同盟やフェザーン出身者も戦争中毒者に類する者が多々見られた。帝国人投降兵は言わずもがなだ。そんな兵士達の気質がこの悍ましい損害率を生み出していた。

 

 せめて部隊交代をするべきだが、それすらせずに前進するのは時間を与えないためだ。戦力交代にかかる時間で仮想敵部隊の再編が行われるのは目に見えていた。その時間を与えずひたすら前進する事で敵に対応する時間を与えないようにしているようだった。戦死判定や負傷判定の出た味方は当然のように置いていく。演習であれば判定の出た者はその場でガムを噛みながらぐちぐちと駄弁っていれば良いが、実戦であればその場に死体と息絶え絶えの負傷兵が捨て置かれる事になる。

 

 人命重視の同盟軍であれば正気を疑う光景だろう。人命軽視のきらいのある帝国系将校と同盟領外縁部の世紀末覇者世界出身の兵士が中核にあるために可能な戦い方であった。

 

「本当、価値基準から違うな……」

 

 軍用トラックに荷物の如く詰め込まれる第36武装親衛師団の兵士達を見て思う。どれもこれも同盟軍や亡命軍の一般兵とは違う剣呑さ、そして獣じみた荒々しさがあった。前世で言えばアフリカやら熱帯の紛争地帯にいそうな雰囲気である。

 

 これを見れば同盟の拡大期、ハイネセンファミリーが旧銀河連邦植民地の原住民を蛮族と呼んだのも納得してしまう。無論、パルメレントやカッファーと言った恒星間航行技術を維持し、数千万から億に届く人口を有していた惑星もあったが圧倒的に少数派であり、大半の旧植民地は恒星間移住時代以前にまで技術が衰退したもの、外部との通商が不可能になり食料や水、資源不足で壊滅したり人口が激減したコロニー、内戦状態が数百年続いていた惑星も多かった。

 

 相対的に通信と通商航路を押さえ、技術面で優位に立ち、圧倒的多数派を分断に成功したハイネセンファミリーはこれら諸勢力を吸収し、豊富な労働力と土地、資源、その他資本と生産物の消費者層を手にする事に成功し、自由惑星同盟は百年余りの間に飛躍的な経済成長を遂げたのだ。

 

 だが宇宙暦8世紀末に至るも、未だに同盟、そして恐らく帝国の外縁部には同盟と帝国の双方に属さない弱小勢力が幾つも存在すると想定されている。同盟の場合、回廊付近の外縁領域を中心とした領域に現状でも十数個の旧銀河連邦植民地を確認しているほか、宇宙の流浪人と化し星間交易商工組合にも加盟していない船団(宇宙海賊も兼任)が二十から三十ほど把握されている。同盟政府は対帝国戦争で予算を削られているものの、現在に至るまでこれら組織と随時接触と交渉、段階を踏んだ国内の安定化と教育・文化・経済支援と同盟への加盟を進めている。

 

 そして同盟の介入により外縁勢力の内戦や紛争終結、星系警備隊の設立等が行われると大量の傭兵や同盟に認められた暫定政府と対立していた軍閥や地方勢力の兵士、更には暫定政府軍内でやらかした兵士が職にあぶれ同盟やフェザーンの民間軍事会社や亡命軍の外人部隊に流れるのだ。同盟政府としてはこれらの軍人崩れが犯罪組織や宇宙海賊、テロリストに転職されても困るのでこの流れを黙認していた。  

 

 帝国やフェザーンとはまた違う意味で同盟人とは価値観の違う彼らの扱いは苦慮する。取り敢えず柄が悪い。教育制度が崩壊して子供時代から人を撃っている兵士も珍しくなかった。最近流入の多いマーロヴィア系の場合、同盟との接触後も三十年も紛争が続いていた事もあり道徳と民主主義を指導するのは至難の技、殆ど力づくで抑える事で(最低限の)軍規を維持していた。

 

 改めて思うがまともな神経があればこんな師団率いりたくない。いつ暴動や反乱があるか分かったものでは無い……というより師団の八十年に渡る歴史上、実際にダース単位で暴動や反乱未遂、上官殺害が発生している。師団の普段の駐屯地は周辺に都市の無い辺境だ。

 

 後で詳細な記録を読み取るとミハイル・シュミット大佐は比較的師団を統制出来ている方なのだと思えてしまう。不祥事はちらほら起こるが軽犯罪が大半であり、殺人事件や反乱が無いだけ師団の歴史では比較的マシらしい。特に古参兵は一応統制しきれているようでトラブルを起こす兵士の大半は着任から日の浅い新兵だ。

 

 ……いや、落ちる所まで落ちただけなんだろうけどさ。後は昇っていくだけなんだろうけどさ。地上すれすれを滑空しているだけなんだろうけどさぁ!

 

「まぁ、発生率が下がっているだけマシだろうが……」

 

 一応改善傾向にあるのでもう一度御訪問する必要が無いのが幸いだ。もう一度あのヤクザ事務所みたいな師団司令部に行きたくない。

 

「問題は………」

 

 演習司令部から演習場全体を見渡す私はちらりと隣に控える従士を見た。

 

 師団司令部への訪問以降、ノルドグレーン少尉が少し変わったように見える。正確には私に対してはこれまでと変わらず礼節を持って丁重な態度で接していた。

 

 問題は仕事への態度が一段と積極的に、かつ厳しいものになった事だ。無論、これまでも事務能力は優秀であったし、素早く、的確に職務を処理していた。

 

 だがあの件以降、職務中の態度がかなり刺々しくなった。これまで以上に迅速に、かつ一つ一つの案件に対しての軍民双方への対応が厳しいものになった。

 

 当然、感情的な問題も多い職務でそのような態度を取るのは本来ならば好ましい事では無い筈だった。だが、少尉の場合は完璧な理論武装をした上で説明するために双方の当事者達も反撃を出来ずに口を閉ざすしかなくなる。そのような態度のため特に軍部の方が尻込みして部隊を厳しく統制、結果として案件の全体数の減少に寄与し法務部や憲兵隊からの評価は却って高くなっているようであった。

 

 そのため、法務部や憲兵隊とトラブルを起こすのも宜しくない、それに結果自体は出している事、内容自体は真っ当な事から、私はこの件に対して現状では様子見を決め込んでいた。

 

「何か御座いますでしょうか?」

 

 私の視線に目敏く気付いた少尉が(少なくとも外見は)慈愛を込めた、優しげな笑みを浮かべながら尋ねる。職務中の厳しく鋭い態度からは想像も出来まい。

 

「いや、少し疲れただけだ。少尉こそ、随分と職務に精励しているが、気疲れはないか?休憩も効率的な業務を行う上では重要だ。無理はしないことだ」

「心得ております。若様こそ、御無理を為さらぬよう」

 

 一礼をしてそう答える所作は優雅であった。……内心は分からないが。

 

(やはり、ある種のコンプレックスというものかね……?)

 

 この前まで予備役の事務屋である。前線勤務なぞしている筈もない。私の前でシュミット大佐にあそこまで罵られたら面子丸潰れに等しい。当然噂なんてものは滑稽なもの程広がるものだ。第36武装親衛師団内ではとっくに話は広がっているだろうし、そこからほかの部隊にも広がっているかもしれない。当然演習参加の部隊の人員は新兵を除けば従軍経験者が殆ど、トラブルを起こす者に至っては九割方がそうであろう。それ故にトラブルを起こす従軍経験者に対してより厳しい、鋭い態度になっている可能性があった。

 

 理解は出来る、いや理解せざるを得ない。下級とはいえ貴族である。貴族の矜持として、一族の名誉や付き人としても舐められたままなぞ許せる筈がない。立場的に選択肢はそう多くはないだろう。(同じ貴族からの)噂や評判は貴族の死活問題だからね、仕方ないね。原作のクロプシュトック侯爵宜しく悪い噂や悪評が広がると身内含めて敬遠されたり職場で御休みもらったりするからね、縁談も吹き飛ぶだろう。

 

 まぁ、あれの場合よりによって皇帝暗殺だなんて最悪の手段使おうとした時点で擁護出来ないけど。フリードリヒ四世は根に持つ性格ではない(というより無気力)だし、ブラウンシュヴァイク公は高慢だが頭を下げて帰順する者には寛容な人物だ。

 

 派閥と権勢が温存されている内に頭下げておけば相手も同じ大貴族、冷笑されようとも辛うじて一族の名誉は守れただろう。プライドの無い私なら言い訳並べてそうする。あるいはそれが耐えられないとしてもフリードリヒ四世即位と共に反乱を起こした方が軍事的にも政治的にも合理的だったろう。息子死んだ後に大貴族を巻き込んで皇帝暗殺未遂とかちょっと悪手過ぎません?一族郎党根切だぞ、あれは。

 

「さて、そろそろ模擬戦闘も終わりだな。次の実弾演習の方の対応に入ろうか」

 

 演習場で動き回る人影の群れに背を向け、私は少尉と共に演習司令部の天幕に向かう。演習はまだ前半戦が終わったばかりであった。

 

 ここまでの演習はレーザー照射器やペイント弾等を使用したものであり実弾は一発も使用させていない。

 

 当然ながら実弾も金がかかり毎回の演習で使用出来ない上、事故による死者や装備の損失もあり得るため安全確認も重要であった。正規艦隊や番号付き地上軍ですら実弾を使う訓練は三日に一度だ。

 

 無論、幾らシミュレーションを始め訓練用機材が発展しリアルに近づいたとしても、これから実戦という直前の演習ですら実弾を撃てない、というのは流石に滑稽だ。3月16日から18日にかけては出征前と言う事もあり、実弾演習が解禁される。

 

 豪勢な事に、三日間に渡り各種合わせて四万七〇〇〇トンに及ぶ弾薬が一〇万近い兵士の最後の実弾演習のために用いられる事が計画されていた。演習場から七十キロ北に離れた同盟軍・亡命軍共用のジークブルク後方支援基地の弾薬庫から輸送する。

 

 演習の計画段階において、3月14日より同盟軍第115地上軍団及び亡命軍第9野戦軍団の司令部直属及び傘下各部隊の後方支援部隊がジークブルク後方支援基地に向け進発する事が決まっていた。演習支援部隊が実施しないのはこの弾薬輸送任務もまた演習参加部隊の訓練の一環として行われるためだ。

 

 無論、この訓練に対しても地域調整連絡官の任務が存在する。演習場近辺は人口が希薄とはいえ、後方支援基地との途上では軍事施設に勤務する軍属や軍人向けの各種娯楽施設、その従業員と家族用の生活のための都市が建設されている。何等かの事態が発生した場合、ジークブルク市での即応要員は突発的事態への対応が求められる。

 

 弾薬輸送用に計画されたアウトバーンは街から外れた所を通るがそれでも事故が起これば住民被害が起こり得る。利用するアウトバーン自体の封鎖もあるし、実弾使用のための騒音もある。予め通知はしているがそれでも通告して放置と言う訳にもいかない。

 

 そのため、地域調整連絡室の人員は演習場における事件処理要員、都市での再度の通知及び突発事態への対処要員、弾薬輸送中の事件対処用の同行要員に別れる事になる。

 

 演習場でのトラブル対処については分室のスモラレク准尉が任じられた。二等兵から昇進した定年間近のために配属されたような人物だ。軍歴と軍功はあるので相手軍人から一定の敬意は与えれられるだろうために演習場に待機させる。

 

 ジークブルク市での対処要員は私しか適任がいない。こういう時に貴族の身分とコネが使える。トラブルが起きても私相手ならばいきなり揉め事にはなるまい……筈だ。

 

 弾薬庫での荷載と輸送に同行するのはノルドグレーン少尉が適任だった。弾薬輸送のための各種手続きや運搬・安全基準等法律面で精通しているためだ。一番責任重大な持ち場である事も含め、能力が最も高い人物が対応するべきであることも理由だ。

 

「そういう訳だ。済まないが一番危険のある任務だが無事やり遂げて欲しい」

 

 演習司令部の天幕のすぐ外にて、私はそう口にして各種の関連書類を手渡して命令する。実際彼女の適任であるし、下手に御願いする口調で言うよりもはっきり命令した方が相手に取っても気が楽だ。無論、命令した以上可能な限りのサポートをするのと、いざと言う時の責任を取るのは上司の役目である。

 

「はい、どうぞお任せ下さい」

 

 しかし少尉は嫌がる事なく、寧ろ望むかのように笑みを浮かべ答える。

 

「そうか。頼んだぞ?期待している」

「はっ!」

 

 敬礼して任務に向け立ち去る少尉を一瞥する。そして私もまた眼前の業務を全うするために、自身の持ち場に向かうために留め置かれたジープの後部座席に乗り込むと、運転手に目的地を伝えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 弾薬の運搬と言えば特に安全に気をつけて実施されるべき作業である。弾薬類は基本的に軍事攻撃やテロ、災害やその他の事故に備え安定した地層で鉄筋コンクリートと超硬質繊維の壁に守られた地下で、湿気に備えた換気設備、火気に備えた消火設備を装備した上で弾薬の種類ごとに区画分けされなければならない。

 

 三重のセキュリティをクリアしたら防護服を着た作業員が運搬車や運搬機械で弾薬を司令部からの書類に従って量を地上に運ぶ。ブラスター用エネルギーパックにタングステン合金製の砲弾、電磁砲用ウラン弾に誘導ミサイル、ナパーム弾、ロケット弾等が続々と地上に運び出され、慎重に各種輸送用トラックや輸送機へと積み込まれていく。

 

 後方支援基地の基地正面門のゲートにて再びセキュリティチェックを受け、車両が軍の登録を受けたものか、乗員が軍から派遣された人物か、運搬される荷物が上層部から認可を受けたものである事が確認されると遂に輸送車両はアウトバーンを走る。当然事故の危険やテロ、その他の襲撃に備え時速40キロ、護衛の対地雷・対戦車ミサイル防護能力を備えた装甲車が先導するほか周囲を護衛部隊が守る。

 

 数千両の軍用トラックが綿密な計画の元に次々に後方支援基地に到着し、弾薬を荷台に搭載して演習場へと向かう。渋滞や事故の危険、それによる燃料の無駄な消費を抑える事を達成して見せる緻密な運搬計画、それを作成した演習司令部の後方参謀達は称賛されて良い。

 

 ノルドグレーン少尉もまた、弾薬輸送任務に携わる一員として後方支援基地やアウトバーンをジープに乗りながら職務を全うしていた。後方支援部隊と協力してセキュリティと安全管理に携わり、道路の警備や利用住民への迂回の説明と連絡を行う。

 

 彼女は自身に課せられた役目を、まずは十全に果たしたと言えるだろう。3月14日0900時より始まった運搬作業は大したトラブルも発生せず、同日1700時までにその8割が完了しつつあった。

 

 夕暮れ時、ノルドグレーン少尉は第36武装親衛師団所属第36武装後方支援連隊の輸送トラックの車列に同行していた。

 

「そろそろ弾運びも終わりですね。いやぁ、問題なく終わって良かったものです」

 

 ジープに相席する憲兵が漸く終わった、とばかりに気を抜いた返事をする。

 

「確かにもうすぐ任務完了ですがまだ終了ではありません。気を抜かないで下さい。寧ろ疲労が溜まり、日が暮れて視界が暗くなる今の時間帯の方が事故や襲撃の危険が高まっている事を忘れないで下さい」

 

 礼節を持って、しかし淡々と、鋭い口調でそう答える上官に相席する方と、運転する憲兵が苦笑いする。

 

「確かにそうですが、少々気を張り過ぎでは?」

「いえ、あの部隊が対象でしたら寧ろそれくらい当然です」

「それは……まぁ、分からない事もありませんが……」

 

 第36武装親衛師団の悪評は彼らも散々知っているし、実際この演習任務中も不祥事やトラブルで手を何度も焼いてきたので反論するのは困難であった。特に一部の者達は制限速度を大幅に越えてトラックを走らせたりしたため危うく前方の同盟軍の車両に追突しかけた。これはギリギリで停まったから良かったものの、当の運転手は悪びれもせずに自身の運転テクニックを誇る有様だった。

 

「彼らがまた不祥事を起こせば、それは現場にいる私達の責任でもあります。……心外ですが、少なくとも市民はそう繋げる可能性も否定出来ません。我々はそれを監視し、事前に摘み取る事もまたこの場にいる任務なのですよ」

 

 その説明に同乗する憲兵達も神妙な顔つきになる。憲兵隊員は秩序の守護者だ。軍規を正し、一部の恥ずべき軍人から市民を守護するのが使命であり、実際それを求めて志願する者も少なくない。

 

 勘違いされる事も多いが憲兵隊は部隊ごとに設置され、また治安の悪い地域や軍規の行き届かない問題部隊にも重点的に配備される。そのために憲兵隊の半分以上は前線や危険な任地についている。いざという時素手で制圧する必要もあるために訓練も厳しい。決して楽に軍務に就きたいからと憲兵隊に配属される者は殆どいないのだ。故に憲兵隊に不真面目な者は殆どいない。

 

 尤も、それもノルドグレーン少尉にとっては一種の方便であったが。

 

(そうです。我々の責任です。……私と若様の責任です)

 

 それ故に不祥事の放置は許されないのだ。対応すべき不祥事が起こればその分「主人」が矢面に立たなければならず、そのような事態を放置し、「主人」の手を煩わす自身の責任になる。それ故に監視する。

 

 特に少尉は第36武装親衛師団が不快であった。品が無く、軍規が緩み、だらしなく、何よりもあらゆる雑多な種族が混ざった掃き溜めのような部隊であったためだ。帝国軍や亡命軍一般部隊のように種族的均一性もなく、同盟軍のように秩序もない。その癖実戦経験を誇る事ばかりして鼻について仕方ない。

 

「実戦経験が何なのですか……」

 

小さく少尉は呟く。

 

 特に最後が不快に過ぎる。実戦を知らない事の何が悪いと言うのか?当て付けなのか?屈辱だ。自身の何がいけないのと言うのか?自身の方が「付き人」の持つべき能力は上だと言うのに………。

 

「………っ!」

 

 そこまで思い浮かべ、不遜な考えを振り払う。そんな事を考える暇は無い筈だ。それにそんな事を考えるべきではない。何も考えるな。唯、自身の職務を、「役目」を果たせば良いだけだ。そうだ、それでいいのだ。ちゃんと「役目」さえ果たせば自身が疎まれる理由も、外される理由もない。有る筈がない……!

 

 そこまで考えていると車列から数台のトラックが抜け、反対車線の路肩に停車するのが見えた。何やらトラックから降りた乗員と数名の護衛が話し出す。

 

「……失礼、何をしているのです?」

 

 ジープを近くに停めさせ、彼女は降りるとそう質問した。

 

「いえ、彼らが言うにはどうやらトラックの調子が悪いようで、メンテがしたいそうです」

 

護衛の装甲車から降りた兵長が少尉の質問に答える。

 

「そうですか。迅速にお願いします。輸送計画に齟齬を出す訳には行きません」

 

 どうやら他の車列は彼らをおいて演習場に向かうらしくそのまま次々と通り過ぎる。

 

「少尉、我々は……」

「ここに待機しましょう。こういうトラブルのために我々がいます」

 

相席していた憲兵が降車して尋ねるので少尉は答える。

 

 数台のトラックの乗員が工具箱を手に、トラックのボンネットを開き始める。

 

「たく……整備くらいしておけ」

 

 護衛の兵士達が装甲車に体重を乗せながら面倒臭そうに待機する。一人に至っては煙草を吸い始めた。

 

「護衛が気を緩めるものではありませんよ」

「そういいましても、こんな場所で襲撃なんて有り得んでしょ?」

 

 護衛に少尉が注意をするが、兵士達は誤魔化すような笑みを浮かべお喋りを始めた。呆れたものだ。これだから同盟の市民兵達は……内心で悪態をつきつつ、ノルドグレーン少尉のみが真剣に周囲を警戒していた。

 

 車列が完全に見えなくなる。暫くアウトバーンにはお喋りと工具の音のみが聞こえる静かな時間が流れる。

 

 ノルドグレーン少尉は次の車列はいつ来るのか、とふと後方支援基地に向け続く耐熱コンクリートの道に視線を向けた。

 

次の瞬間、妙に古めかしい、乾いた音が響き渡った。

 

「……?」

 

 ふと少尉は音の方向に視線を向けた。と、見ればほかの者達も同じ方向に視線を向けているようだった。見れば、そこには硝煙の煙がたなびく拳銃を手にした亡命軍兵士がいた。

 

「……あっ?」

 

 煙草を吸っていた兵士がくぐもった声を漏らした。吸い切っていない煙草を床に落とす。彼は自身の胸に手を当てる。……真っ赤な血で掌は濡れていた。

 

 兵士が倒れると共に護衛の兵士や憲兵がブラスターライフルやブラスターを構えようとした。だが同時に鳴り響く火薬銃の銃声と共に彼らは反撃する暇も与えられずに倒れる。第36武装後方支援連隊の兵士達が装備するのは旧式の小口径火薬式リボルバーであり、防弾チョッキの存在もあり致命傷を受けた者はいなかった。だがそれでも数発の弾丸を受ければ当然激痛により動くのは困難を極めた。

 

『やったか……!?』

『待て!一人残って……ぐっ!?』

 

 ジープの影から飛んできたブラスターの線条を受け一人が腕を負傷する。

 

『ちっ……よりによってあの煩い女が残りやがったか……!』

 

 ジープを挟んだ銃撃戦が始まる。尤も戦況は圧倒的に片方に優位過ぎた。

 

「く……あいつら、思いのほか正確に撃ちますね……!」

 

 流石に実戦経験があるだけか、火薬式の拳銃の分際で思いのほか正確に銃撃をしてきており、ノルドグレーン少尉は車内の無線機を取る事すら困難を極めた。

 

 尤も、相手を意外に感じていたのは敵側も同様であったが。戦闘処女の子煩い貴族様の御守りと思えば一人だけ真っ先に反応してジープの影に隠れた。そしてすぐさま反撃し、既に二名負傷していた。これならば真っ先に狙い撃ちすれば良かった……!

 

「ちっ……反乱とは……!流石は掃き溜めですかっ……!」

 

 舌打ちしつつ、少尉は複数人に対してブラスター一丁で健闘して見せる。

 

だが、元々多勢に無勢、銃撃戦はそう長くは続かない。

 

「っ……!弾切れ!」

 

 すぐさまブラスターのエネルギーパックを換装しようとするが、元より命知らずな反乱兵士達は突撃する。即座に一人の胸を撃ち抜くが次の瞬間には左肩を撃ち抜かれた。

 

「ぐっ……!?」

 

肩の骨が砕かれる感覚がした。

 

 歯を食いしばり、痛みに耐えて更に一発。一人の足を撃ち抜く。だがそこに今度は右腕を撃たれその痛みでブラスターを手から落とす。

 

「痛っ………!」

 

 焼けるような痛みに耐え、血を流して震える手を伸ばし落ちたブラスターを拾おうとした所に頭部に衝撃を受けてノルドグレーン少尉は倒れこむ。反乱者達は倒れる警備兵からブラスターライフルを租借したらしく、その銃床で彼女を殴りつけたらしかった。

 

『このアマ、調子こきやがって、ぶち殺してやる……!』

『待て、こいつは確か御貴族様、しかも同盟軍だ。使えるぞ……』

 

 鈍痛により急速に意識が薄れる彼女の耳に聞き慣れない訛りが強い言葉が響く。

 

『けっ……イブンは?……畜生』

『ここに何時までもいたらバレる。さっさとこいつ乗せて逃げるぞ……!』

『よし、では当初の作戦通りに……』

 

 早くこの事態を知らせなければ、反乱だ。不祥事なんてものではない。早く伝えなければ自身の「主人」が危険だ。そうしなければ「私」の存在意義は……。  

 

 そう頭は理解しつつも、頭痛のような痛みは彼女の抵抗空しくその意識を闇の世界へと誘うのだった。

 

 

    

 

 

『ぐっ……こ、こちら同盟地上軍、ヴォルムス星域軍……ヴォルムス憲兵隊……ベリオ・イズン上等兵……同盟軍基地に繋いでくれ……は、反乱だ……亡命軍の兵士共の反乱だ……銃撃を受けた……かはっ…ぐっ……至急救援を乞う、繰り返す……』  

 

 重症の憲兵がアウトバーンに備え付けられた交通局用緊急電話回線から通達したその無線通信が演習司令部に届いたのは3月14日1815時の事であったとされる。

 




少尉も主人公に対する(作者の)呪いの巻き添えを食らった模様。取り敢えず主人公を吊るさなきゃ(使命感)


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第七十四話 知らない人の訪問には気を付けよう

 歴史上、兵士が上官や軍部に対して反乱や暴動、あるいは抗命する事例は枚挙に暇がない。その原因は大抵政治的理由、あるいは待遇や環境、軍規の問題である。

 

 古く西暦の時代に遡れば、1858年、大英帝国のインド大反乱はその一因がシパーヒーの給金の安さと昇進速度の遅さにあったし、1905年のロシア=ロマノフ帝国のポチョムキン号の反乱の直接の切っ掛けは劣悪な食事と体罰であった。1917年にはフランス第三共和国軍で将軍達の稚拙な指揮に激怒して百万の兵士が反抗したと言われる。

 

 悪名高い地球統一政府軍においては航空宇宙軍解体の原因たる西暦2290年の外惑星動乱において外惑星方面艦隊が外惑星連合に与した。理由は地球から余りに離れ過ぎた劣悪な環境に不満を抱いた事が切っ掛けと言われる。2532年の711事件は非地球系軍人達の政治的クーデターであるが、結果としては地球議会の主要な汎人類派政治家が死亡した事により軍国主義と地球主義の道を開いたと言われる。

 

 あるいは宇宙暦に入った後も、宇宙暦281年のリゲル方面軍兵士の集団ストライキは半年に渡る給与未払いから発生したものであり、宇宙暦605年3月に統合作戦ビルを十万人もの兵士が包囲したローカルアーミー決起はハイネセンファミリーと旧銀河連邦系の兵士の待遇格差から生じたもので同年10月のマクマオン最高評議会議長暗殺事件と並んで「607年の妥協」に大きな影響を与えた。

 

 銀河帝国においては帝国暦408年、テレマン提督指揮下の兵士反乱事件が特に有名であろう。今でこそ同盟軍情報部の関与が定説になっているが、それでも日常的な兵士への私刑や劣悪な生活環境が大きな要因を占めるのは疑うべくもない。あるいは730年マフィアが一人、マーチ・ジャスパーのジンクスは両軍の将兵に多大な影響を与えた事で有名だ。同盟軍では負けの順になると毎回のように逃亡や暴動が起きたが、同じように帝国軍においても下級兵士が彼の勝ちの順になると時として数千、最後には万単位の兵士が抗命するようになったと言われる。

 

 宇宙暦780年代半ばに入る今でも個人や少人数の抗命や逃亡は度々あり、運良く追跡から逃げきれた者は宇宙海賊に身をやつしたり、統治が完全に行き届かない同盟・帝国の勢力圏の外縁部やその外に隠れ潜む。だが流石に部隊単位の反乱となると今では早々ない。

 

 此度の案件においては、逃亡者達の所属が第36武装親衛師団であった事もあり、部隊を良く知る者は寧ろやはりやったか、と素直に感じていた。それだけ信用が無かった、と言えるだろう。

 

 それでも、流石に彼らも相手が人質を、まして特殊過ぎる人質を取るとは思っていなかったに違いない。まさか「貴族出身の同盟軍に出向している亡命軍軍人」が人質になろうとは……。

 

 

 

 

「はい?それマジ?」

 

 私は第一報が流れた瞬間思わず情けない口調でそう聞き返した。

 

 3月14日1815時、ヴォルムス交通局にアウトバーンの事故やガス欠等に備え2キロ事に設置される緊急用電話からその連絡は入った。亡命軍地上軍第36武装親衛師団第36武装後方支援隊所属の兵士6名が逃亡・反乱を企てた。トラックの故障を理由に車列を離れた彼らは私有・隠匿していた銃器(時代遅れの回転式火薬拳銃だとされる)を以て護衛の同盟軍地上軍兵士3名、憲兵隊2名に重傷を負わせ、また車両の無線機を破壊、負傷した兵士達を武装解除し、縛った上で装甲車の中に押し込み、人質を取った上でトラックで逃亡した。

 

 ヴォルムス星域軍憲兵隊所属のベリオ・イズン上等兵は比較的軽傷であり、隠し持っていた軍用ナイフで縄を切り、約700メートル先の電話に駆け込む事で事件が発覚した。

 

 後の負傷者からの聞き取りと現場の調査から人質の直前の発砲により犯行人一名の死亡、及び数名が負傷していると思われる事が発覚した。依然五名は人質を取って逃亡中。

 

 1835時頃、現地同盟軍・亡命軍・地元警察の電話会議によりヴォルムス東大陸フローデン州一部地域に戒厳令が発令、同盟軍及び亡命軍現地憲兵隊、警察機動隊が即応展開を開始する。

 

 1850時、第36武装親衛師団の全人員の武装解除及び勾留が実施、師団長以下主要幹部は別途監禁と取り調べを受ける事になる。1900時には同盟地上軍第2247歩兵連隊及び郷土臣民兵団たる亡命地上軍第1068歩兵連隊がこれに加わった。

 

 私は急いでジークブルク市庁に入りジークブルク市市長、ジークブルク市警察に現状の情報報告と同盟軍の立場の理解を求め、辛うじて話を通して会議室を後にした。その直後地方調整連絡室フローデン分室のフー伍長から人質に取られたと推定される人物の名前を聞き、私は暫し唖然とし、次に困惑し、最後に深刻に考え込む。

 

「これは不味いな……非常に不味い」

 

私は頭を抱え、これからの事を全力で想像する。

 

 無論、私の部下であり、従士である少尉の身の安全は十分に心配である。だが、同時に同盟軍と亡命軍にとってこの事態は相当ややこしい事になっている。

 

 犯行は亡命軍兵士であり、事件が起きたのはこのアルレスハイム星系だ。人質は亡命軍の予備役であり、当然それだけ見れば亡命軍が対処すべき案件だ。

 

 だが、アルレスハイム星系は同時に自由惑星同盟の一構成国であるし、銃撃を受け複数の同盟軍兵士が負傷した。そして人質は現在書類上は(出向により)同盟軍の管轄下にある人物だ。

 

 それだけならまだ良かろう。協力しろよ、という話だ。ギリギリ折り合いをつける事は出来るだろう。問題は協力して発見した後の対処だ。

 

 同盟軍ならば人質の安全優先だ。人質を救い出し、可能であらば下手人共は逮捕して軍法会議だ。人命優先の同盟軍なら、な。

 

 亡命軍ならば人質ごと射殺位平然とするだろう。大帝陛下の遺訓により人質戦術に妥協してはならない、社会正義と安寧のために人質射殺なぞ平然としよう。人質が貴族と言っても現地亡命軍からすれば自分達の問題は自分達で処理しなければ面子が立たない。それに所詮従士であるし、捕囚の辱めを受けさせるより「名誉の戦死」させた方が相手のため、とでも考えかねない。いや、そうでなくてもミスした罰に「処理」する圧力がある可能性も否定出来ない。

 

 下手人は同盟軍兵士を害した亡命軍兵士、人質は亡命軍から出向した同盟軍兵士、そこに対処方法の違いが重なれば上はいがみ合い必須だよなぁ?ははは、お前ら笑えよ?おら笑えや!

 

「はぁぁぁ………よし、現実逃避はここまでだ。やるべき事をやろう」

 

 色々気になる事や不安になる事があるが最優先に私がやるべき事は少尉が逃亡兵と共に射殺されないようにする事だ。そもそも現在も生きているのか不明であるがそこまでは今の私には何も出来ない。必要なのは生きていたとしても諸共蜂の巣にされる危険性があるのでそれを回避する事だ。

 

そのためには……。

 

 私は市庁舎の防弾硝子製の扉を急いで出る。市庁舎警備のため常駐する警官や事件により即応展開している一個小隊の亡命軍地上軍兵士と装甲車を通り過ぎながら行きに使ったジープが市庁舎敷地内に停車しているのを確認する。

 

「済まん、少し機密の通信がいる。一人にしてくれ、誰もいれるな」

 

 車内の運転手兼護衛の憲兵に降車と警備を命じた後、私は後部座席に入りロックをかける。そして軍用携帯端末のアドレスリストを開き、その中から根回しに必要なアドレスを選び取る。液晶画面から受付嬢……ではなく受付事務の兵士が現れると私は口を開く。

 

『はい、こちら銀河帝国亡命政府軍フローデン州軍総合受付です……』

「アポイントを取りたい。最優先でだ。こちら自由惑星同盟軍宇宙軍地方調整連絡官……と言っても駄目だよなぁ。ティルピッツ伯爵家本家の嫡男ヴォルターだ。分かったら非礼は理解するが少将殿に回線を繋いでくれ」

 

受付が言い終わる前に私はそこまで一方的に言い切る。

 

『は、はい……!』

 

 慌てるように受付は答える。そりゃあ下っ端からすれば勲章を胸に煌びやかにひっさげた大貴族様がいきなり連絡してくれば慌てるだろう。

 

 ……少々強引だがこの事態だ。元よりいきなりアポイントを取るのも簡単ではないのに恐らく方々から連絡が来ている時にたかだか同盟軍の地方調整連絡室の中尉が即会いたいと言っても適当にあしらわれるだけであろう。

 

 だからここは身分と権威を盾に押し切る。悲しいかな、正規ルートで同盟軍中尉が通信を申し出るより非正規ルートでごり押しで言った方が遥かに効果があるらしい。

 

『お待たせ致しました。伯爵家の倅殿がこのような非正規ルートから私なぞのような身分の者に如何な用ですかな?』

 

 五分とかからずに液晶画面に現れたのは薄いオリーブ色の生地に高級感漂う金色の釦と飾緒、緋色の襟章のジャケット風の野戦服を着たカイゼル髭の男性だ。ザッテルフォルムの軍帽を被り、胸にはこれ見よがしに勲章を付けていた。同盟軍のそれとはかなり違うが亡命軍の場合将官級になると馬鹿みたいな金額を費やしてオーダーメイドで軍服を作る者も多いのでそこは問題無い。

 

「このような時に御時間を頂戴する、ホルヴェーク従士。要件は大体お察ししてくれると思うが?」

 

 圧倒的に格上の相手に、しかし私は偉そうな態度を取る。なんせ今は軍人としてではなく、互いに貴族として会話をしているからだ。

 

 アルムガルト・フォン・ホルヴェーク少将はケッテラー伯爵家の従士家の出であり、主家の地元であるフローデン州の州軍を管轄している立場だ。州軍は第一線で戦う正規地上部隊ではなく大半が予備役・後備役兵士で構成され、装備も旧式や鹵獲品が大半を占める。あくまで有事の正規軍の援護と平時の治安維持が主目的であった。

 

『それは異なことを。私がごとき賤しき身分で高貴なる大貴族のお考えが理解出来る筈も御座いません。僭越ながら直に御言葉で御伝え願いたいと存じます』

 

 要求位きちんと話せや、という事か。絶対録音しているな。下手な事は口に出来そうにない。

 

「先日からの同盟軍との演習において、亡命軍の一部兵士が不貞にも人質を取って逃亡した事は耳に入っているか?」

『……えぇ、どうやらそのようですな。実に不敬な事です。賤しき賤民の分際で栄えある我ら亡命政府軍の御旗の下、皇帝陛下に奉仕出来る権利を得たと言うのにこのような不祥事、その罪万死に値致します。見つけ次第その場で罪に相応しき罰を与える所存で御座います』

 

 少将は私の想像の範囲内の言葉を返す(この余りに酷い内容が想定内な私も相当毒されている気がする)。

 

「因みに人質がいるがそちらへの対処について如何なる対応を考えているのか、お聞きして宜しいか?」

 

 その言葉に、恐らく相手も私の言いたい事を理解した事だろう。恭しく、礼節を持って彼は答える。

 

『我らが亡命軍の士官、それも下級貴族の出と聞いております。卑しくも亡命軍の一員でありながら下賤な者共の捕囚となるとは恥ずべき事。この上は彼の者の一族の名誉のためにも相応の対応をするのが妥当と考える次第で御座います』

 

ですよねー。

 

 ようは、人質取っても人質ごと挽き肉にしてやんよ、という事だ。名誉ある皇軍は捕虜なぞおらぬ!的な?下手に大昔からの伝統を維持しているのが厄介だよなぁ。

 

 同盟軍は、今でこそ降伏する事例も珍しくないが玉砕するまで戦い、最後は万歳突撃してくる帝国軍の在り方を洗脳されている、と蔑み、恐怖している。だが、帝国軍も文字通り殆どの部隊が玉砕上等で徹底抗戦する亡命軍にはドン引きである。瀕死の状態で手榴弾片手に抱きついて来るとかホラーだよね?

 

 捕囚に、しかも帝国軍の貴族に降伏するなら百歩譲って許せても、蛮族相手にだなんて無いわー、と言う訳だ。当然犯行者は殺処分するが、人質は寧ろ諸共にヴァルハラに送った方が本人のため、という訳だ。あれだ、俺ごと撃て!的なあれだ。

 

「……それに関してだが、犯人と人質の射殺は控えて欲しい」

 

そろそろ私は今回の本題に入る。

 

『それはまた、如何なる理由でしょうか?私にはその必要性を感じませんが?』

 

そして、目を細めて勘ぐるような表情を向ける。

 

『まさかとは思いますが、自身の臣下の不始末の尻拭いを我らにさせるお見積りでは御座らんでしょうな?』

 

 まぁ、そう返答するわな。というかやはり人質の身元知っていたか。

 

「身元を知っていたなら話が早い。こちらとしては出来れば両方死体とされたら少々面倒でな」

『失礼ながらそのような要求は受け入れられませぬ……!』

 

だろうね、知ってた。

 

 亡命軍は貴族様の個人的な我が儘を無条件で聞いてくれるほど甘い組織ではない。多少の人事程度なら配慮するであろうが、当然余りに分別を弁えない、特に軍部や皇帝陛下の名誉に関わる問題であれば大貴族も口出し出来ない。悠長な事をして同盟軍に無様な醜態を見せる訳にはいかないのだ。

 

 そうでなくともこの辺りはケッテラー伯爵家の影響が大きく、少将自身その出身だ。主家の名誉のため事態を早々に処理して民心を落ち着かせたいであろうし、そこに別の貴族の横槍を許しては主家の面子を潰しかねない。

 

『大変失礼ながら、中尉の個人的な判断でそのような処置をしては、軍部と皇帝陛下の威信、ひいては中尉御自身の見識が疑われかねませんぞ?』 

 

 礼節を持って、しかしその内容は明らかな警告であった。

 

 尤も、その位は私も貴族を演じてきたので理解している。だからこそ、直接腹を割って事実は言わない。

 

「そこよ。この時期に同盟軍と面倒な事態を起こしたくないのだ。イゼルローン遠征に支障が出かねない」

 

 なんせ出向とは言え同盟軍人を犯人諸共に射殺すれば同盟軍の間で不信感が広がる。自分達も似たような状況で帝国軍諸共現世から離れる事になりかねない。

 

 寧ろ、同盟軍兵士からしてみれば同胞ですら切り捨てるのだ。まして自分達が敵陣で孤立したり捕虜になっても纏めて爆撃や砲撃されかねないと思う事だろう。それは不味い。

 

「それに今回の事件ではそれ以外の同盟軍人も負傷している。こちらで独断で処理するのは相手の面子を潰しかねん。こちらとあちらで裁判した上で処分した方が互いに後腐れがない。そうだな、奴らの原隊への見せしめの意味合いもある。その場で射殺よりも師団の面前でやる方がずっと効果的と思わんか?」

 

 同時に裁判になれば具体的証言者として少尉の存命は必須である。その場合、彼女がこの事件の具体的推移を説明する必要があるからだ。

 

……無論、全部建前だがね。

 

『それは確かに理解致すが、それでは領民への示しがつきませぬ……!我らが主家に犠牲になれと仰いますか……?』

 

 少々緊張気味に少将が答える。その質問は聞きようによっては軍部や政府のためにケッテラー伯爵家及びその家臣達が負担を抱える事を厭うようにも聞こえるためであろう。公益のために滅私し、奉公する事を美徳とする帝国的価値観で言えば余り好ましいものではない。ないが、少将からすればそう言うほか無いだろう。

 

「いやいや、我らは同じ大帝陛下に選ばれし優良種の血脈だ。そのような一方的な犠牲を強いるなぞ酷い真似をするわけあるまい」

 

私は高慢に足を組んでから、そう否定する。

 

 普通に考えてぶちギレ案件だもんね!面子潰すにも程があるもんね!決闘案件だよね!

 

 余り相手の地雷を踏んで決闘なんて仕掛けられたくない(こっちでは帝国と違い女子供老人病人でなければ代理人立てられないの)。それくらい逃げ道は考えているに決まっている。

 

「そうだな、市民の前で処断するのも効果的だ。目の前で犯人が処理されれば彼らも安心する筈だ。百聞は一見に如かず、だ。処刑前に市中引き回しでもすれば良かろう?」

 

 正直、多少法律を学んだ立場からすれば今回の逃亡は一発アウトである。

 

 同盟軍の軍規に照らしても出征直前の逃亡は敵前逃亡と同意、まして隠し持った銃器で友軍を負傷させ、人質と軍の武器を奪えば残念ながらかなりの確率で極刑だ。よくもまぁ、こんな短時間に罪状マシマシにしたものだ。恐れ入る。

 

「私としても同盟の市民軍に無用の警戒を与えたくないのだ。軍務尚書殿や宇宙艦隊司令長官殿には下々の細事にではなく、来るべき戦いに専念して頂きたい。そのために避けられる面倒事は回避しようと言う事だよ」

 

 取り敢えず身内を出してマウントを取ってみる。傍から見れば明らかに親族の役職を傘に無理を通そうとする糞貴族様である。

 

 だが、同時に私の説明に渋い表情を浮かべる少将。まぁ、当然だろう。

 

『……少々御時間を頂きたい』

 

恐らくは「然るべき所」に相談するつもりであろう。

 

「……少将、無理を言っている自覚はありますが、こちらも不出来とは言え代々仕える従士を独断で他人に処理されるのは我慢出来ない事なのですよ。質は兎も角も我々の資産だ。……そして従士の誠の価値は能力より忠誠心でしてね。無能でも忠義深いのならば万金の価値があるのです」

 

 私は穏やかな口調で、少将の主人の口にした事をそのまま自分の意見として伝える。

 

「後ほど、私より御恩は家族に口添えさせていただきます」

 

 そう口にして私は「御願い」する。近年は安定しているとは言え、まだまだ家内の問題が山積みな少将の主家にとってはそれなりに魅力的な提案の筈だ。

 

……尤も、私が事後承諾の説得を出来なければ空手形になるが。……うん、頑張ろう。

 

 正直、少尉の身の安全のためにここまで大盤振る舞いするべき義務は無いのだが……同行を命じたのは私だし、優秀な従士である事は確かだ。何より私の下にいたのだ、やはり何度も顔を合わせ、監視とはいえ世話してくれた者を見殺しにするのは目覚めが悪過ぎる。

 

 再び少将が端末の映像に姿を表し、私に対して「亡命軍フローデン州軍」として「同盟軍」への配慮を含めた此度の事件対応の方針を通達したのはこの十分後の事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 戒厳令の布告と共に主要な交通機関への検問設置、そして同盟軍・亡命軍が地元警察と共に捜索を開始したが、状況は芳しくない。捜索部隊は放棄されたトラックの位置から主に山林地帯等を重点的に捜索していたが現状それ以上の成果は出ていない。

 

 一方で都市部での捜索も開始されている。こちらは重要施設周辺を軍が警備し、警察が巡回を行う。軍が都市部での巡回を行わないのは市民感情と共に、特に同盟軍兵士が都市部での戦闘に不慣れなためだ。

 

 当然ながら現在の対帝国戦において民間人の住む都市部での戦闘は殆ど想定されていない。対テロ戦闘や辺境外縁域、あるいはその外での戦闘にも一応同盟軍は従事しているが、全体的には極一部の専用部隊以外は最低限の訓練しか積んでいない。土地勘と装備の問題もあり、都市部では基本警察が捜索、見つけ次第軍が展開する方式を取っていた。

 

 人口が密集する都市部、あるいは都市部から離れた深林や山岳地帯では現状逃亡犯グループの発見も、その目撃情報もない。

 

となればどこに潜伏しているのか?それは即ち郊外であった。

 

「ゼンイン、テアゲル、ニゲルウツ、ワカル?」

 

 日焼けした非ゲルマン系の亡命軍地上軍野戦服を着た男が広間に集まった家族……と言っても老夫婦と孫姉弟の四人……に片言の帝国公用語で警告する。その内元軍人の老人は腕に銃撃を受けたようで痛々しく利き手より出血し、十歳程度の孫娘は震えながら弟を抱きしめ守っていた。

 

 ジークブルク市郊外は多くの都市の例に漏れず、安い地価から花や生鮮野菜等の近郊農業が発達していた。比較的近所との距離があり、都市部程重要ではなく、山岳部や森林地帯程に捜索が困難でもないために巡回と捜索が比較的後回しにされている地域であった。それを読んで逃亡犯達は逆方向にトラックを停めた後、足跡等を隠滅しつつこの郊外にある小さな屋敷に乗り込んだ。

 

 無論、屋敷の家族に老人と子供しかいないのは偶然ではない。外から屋敷の様子を見てその経験と勘から上手く制圧出来そうな屋敷を選んだのだ。どうやら息子夫婦は首都に住んでいるようだった。老人は元軍人らしくブラスターを持っていたが(というよりも帝国人は階級と種類によるが武器を家においてある比率が高い)、流石に現役には敵わないようで制圧された。

 

『へへ、やっと一息つけるな・・・…』

『おいムタリカ、暫くここに隠れるんだから冷蔵庫のものを勝手に食うな。アンネンコフ、上の階に行け。ほかに隠れている奴がいないか探すんだ。ザルバエフは一階の窓から外を監視しろ』

  

 この逃亡グループの実質的な指導者であるフェデリコ軍曹は次々と仲間に命令する。このメンバーの中で最上位の階級であり、亡命軍に応募する前のマーロヴィア暫定政府軍の下部組織にいた頃から彼らの分隊長をしてきた男である。

 

 所謂コーカソイド系だが、マーロヴィアの激しい日差しにより日焼けした肌、ぎらつく瞳、荒々しく、粗野な口調の男はしかし少年時代に徴用された頃から数えて二十数年、長年の戦場経験からその兵士としての感性と知識は十分に有能と言える水準にまで引き上げられていた。

 

「あー、あー、こんなものか。おい、これで意味は通じていやがるな?」

 

 咳払いした後フェデリコは少し訛りの強い帝国公用語で横柄に確認を取る。孫達の盾になる体勢を取る老婦人が震えながら小さく頭を振ってそれに答える。

 

「よし、じゃあよく耳をかっぽじって聞きやがれ。てめぇらは人質だ。これからこの家に人が来たら……そうだ、ババア、お前が応対しろ、絶対家にいれるな。そして俺達の事を絶対に教えるな。すればその可愛い餓鬼共がフリカッセになるから覚悟しろよ?」

 

 自動小銃の安全装置を外しての警告。無言で、しかし必死に老婆はその言葉を承諾した。怯える子供達に軍曹は一瞥すると、にやり、獰猛な笑みを浮かべる事で怖がらせる。子供と言うものは怖がらせればその分従順になるものだ。にしても……。

 

『腑抜け面だな』

 

 軍曹はつい、故郷の母語で呟いた。故郷にいた餓鬼共とはこの星の子供はえらい違いだ。いや、子供だけでなく全体的に雰囲気が生温い。故郷の餓鬼ならば家に常備されているアサルトライフルで歯向かって来ても良いのだが……。

 

 マーロヴィアでは少年兵は珍しくもない。街では目の前のそれより幼い子供が既に一丁前に働いていたものだ。銃声やテロの爆発が無い日はなく、常に誰もが死を意識してし日々を過ごしていた。税金を払うのは馬鹿者だ。御上の横領や横流しは当然であり、自分達にそれが還元される事は皆無だ。兵役を終えた後も兵士を続けたのは搾取される、食われる側であり続けるのが嫌であったためだ

 

 それがどうだこの星の奴らは?どいつもこいつも気を抜きすぎだ。路上で地雷が仕掛けられているとも、強盗に遭うとも想像していない。御上の命令を疑う事なく信じる姿は首輪をかけられた犬のようだ。余りに無防備に、安全を約束されたように生活しているのを見ると呆れるほかなかった。少なくとも故郷では家には盗賊からの自衛のため家族全員分の銃は用意されているのが基本だ。

 

 恐らくはハイネセンに軍曹が来れば彼は呆れるを通り越して唖然と立ち竦んでいた事だろう。亡命帝国人社会すら安穏としているように見えるであろうマーロヴィア人には一般的同盟人の感性は恐らくは宇宙人に等しい筈だ。

 

『フェデリコ、漸く隠れ家が出来たんだ。そろそろヤってもいいか?』

 

 一際大柄で髭を生やした機銃手のアムル上等兵が下卑た笑みを浮かべながら尋ねた。普段重機関銃を乗せる肩には全く別のものが乗っている。

 

『おいおい、アムル、その糞が詰まった頭は五分前の事すら覚えられないおつむなのか?確かに美味そうだが、人質を傷物にするな。銃殺なら兎も角お前と人体を八つ裂きにされるのはご免だぞ?』

 

 この星の奴らにとって「貴族」への非礼が総統様や党への非難と同じくらい危険である事は良く知っている。まして手を出せばどうなるか言うまでもない。

 

 そうでなくても人質としての価値が一気に下がるのだ。尻の感触を味わうだけで我慢しろ、との分隊長の言葉に若干不満そうにしつつも渋々肩に乗せた人質を床に乱暴に投げ落とす。

 

「ぐっ……!?」

 

 四肢を縄で縛られ、口と視界ををガムテープで封じられたノルドグレーン少尉は受け身の体勢も取れずに床に叩きつけられる鈍い痛みを受ける事になる。

 

(……恐らくはどこか室内……この床の感覚と人の気配…民間の屋敷ですか……?)

 

 嗅覚と聴覚と触覚を総動員して僅かな情報から彼女は正確に答えを導きだした。

 

 気絶から気を取り戻した時、彼女は既に行動の自由を完全に奪われていた。臀部を何度か撫でられて相手を蹴り上げようとも思ったが物理的に難しく、それ以上に状況把握が優先である事は理解していたため、可能な限り情報を収集に専念していた。

 

 トラックの中で交わされる会話に注意深く聞き耳を立てた(尤も同盟語でも帝国語でもない会話が多く大まかな内容しか分からなかったが)ほか、走行中の外の音や臭いから見て恐らくは都市郊外、あるいは耕作地であろうとは理解していた。また反乱者の人数と協力者の有無(どうやら裏で糸を引く者はいないようだった)、その目的等にも耳を傾けて調べた。流石に衝動的なものだと分かった時は呆れ果てたが。

 

(まさかこんな蛮人共に捕囚にされるとは………)

 

名誉ある亡命軍人として、高貴なる貴族階級としても恥晒しも良い所だ。

 

(これは……折檻は当然として外されるでしょうね)

 

 ぎり、と奥歯を噛みしめる。このような屈辱、先祖に申し開きのしようもない。何よりも自身の失態により再び姉が周囲に白眼視される未来に思い至り、体が僅かに震え、その美貌が歪む。思わずこの場で舌を噛み切って自決してしまいたいと衝動的に思い、そしてすぐに頭を冷やして、これから行うべき事に思いを巡らす。

 

(……落ち着きなさい。ここで自決しても無意味です)

 

 どうせ人質にされてもそのまま射殺されるだろう。ならばここで自決する必要性は薄い。今行うべき事は第一に情報収集の継続と記録。これは腕時計に偽装した録音機兼記録機で出来る。第二に機を見て拘束を脱して反撃する事である。捜索部隊が突入する前に全員を始末出来れば一族の面目も保たれよう(それでも後で自決しないといけないが)。

 

 使えそうな装備はブラスターは奪われているので軍靴の仕込みナイフと胸元のボールペン型の使い捨て仕込み拳銃のみ、後は縄を解いて体術で制圧出来るか、少なくとも脱走して報告出来るかであろう。

 

(全員……は無理としても幾人かが寝静まり、暗闇で視界が悪くなる夜に反撃するべきでしょうね)

 

そこまで考えを巡らした所でふと、体に誰かが触れる感触。一瞬身構えるが、すぐにその手が小さなものである事に気付く。

 

「お…おねえさん……だいじょうぶです…か……」

 

心配そうにかけられる声は十歳程の少女のそれであった。小さな、しかし相手を慮る震えた声。

 

(……これは使えますかね)

 

冷徹に、打算的、効率的に彼女は脳内で計画の再構築に乗り出した……。

 

 



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第七十五話 ライトスタッフルールを信じろ

後5、6話で次の章にいける……筈


 広陵とした演習場の一角では並べられた天幕の中で完全非武装状態にされた不祥事師団のならず者達が暴徒鎮圧用パラライザー銃で武装した同盟軍と亡命軍兵士達に監視され、監禁されていた。

 

 剣呑な、その一方で緊張した面持ちの監視者達の様子とは対照的に監視される方の者達の雰囲気は非常に朗らかで明るいものだった。

 

『おいおい、どこの野郎がプリズンブレイクしたんだよ?』

『114連隊のフェデリコの餓鬼共だそうだ』

『ははは、マーロヴィアの若造共か、よくやるぜ。今回はどれだけ逃げられるかね?賭けるか?』

『この前のマレオンの野郎達は3時間で射殺だったな。今回は6時間位か?』

『俺は半日で射殺に50ディナール』

『じゃあ俺は明日の昼くらいに捕まって銃殺刑に60ディナールだ』

 

 同盟公用語でも帝国公用語でもない聞きにくい訛りの強い言葉で、いやに楽しそうに雑談に興じる。賭け事をしたり、どこから持ってきたかポーカーやチェスをやり始める者も珍しくない。挙句の果てには警備の兵士に片言の同盟公用語でアルコールや煙草、更には麻薬まで注文してくる始末である。到底反乱嫌疑で厳重な監視を受けている部隊とは思えない状態だった。

 

「オイ、アー……タバコプリーズ!タバコタバコ!」

 

 警備の同盟兵士の一人はしつこくそう要求され、不快な表情で安物のエルファシル産の煙草を一本与える。

 

「アー、エル……」

 

 同盟の煙草ならライガール産の物の方が味わい深いのだが、と図々しく思いつつその外人兵士はエルファシル煙草を受け取り火をつけてもらう。

 

「こいつら、状況理解しているのか?頭沸いてるんじゃないのか?」

 

 ハイネセン出身のある兵士は信じ難いものを見るようにそう吐き捨てた。

 

 このような態度を取って態々周囲の心象を悪化させる意味を同盟兵には理解し難いものであった。挙句に酒や煙草はまだ良いとして薬物の要求や賭け事を始めるとはどういう神経をしているのか?亡命軍か同盟軍かの違いはあれど、共に悪の専制政治を打倒しようと志す同志ではないのか?愚連隊、下手すれば盗賊の如き風紀だ。

 

「実際、あいつらは半分盗賊同然さな」

 

 一方、憲兵監視の下で別室で尋問を受けていた第36武装親衛師団師団長のシュミット大佐は同盟軍と亡命軍の法務士官からの質問に肩を竦めて答えていた。

 

特に彼は同盟軍から来た法務士官に答える。

 

「悪いがあいつらをお前さん達の所の愛国心と情熱に溢れた兵士達と同一視して貰ったら困る。あいつらには同盟も帝国もさして違いなんかねぇよ。金が払われるから戦っているだけさ」

 

 尤も彼らの地元ではその給与すら払われるか怪しく副業の略奪は普通であったし、場合によっては敵側に寝返る事も珍しくなかった。同盟と帝国の軍人同士の御行儀の良い戦争とは訳が違う。平然と民間人を巻き込むし、野戦病院だからと構わず砲弾が撃ち込まれる。無差別爆撃や人質を人間の盾にするなぞ常識だ。

 

「大概は餓鬼の頃に地元で徴用されてそれっきりそれ以外で食っていけない輩さ。同盟軍なら不名誉除隊や銃殺刑ものの輩だらけだ。糞の掃き溜めよ」

 

 フェザーンを介した戦時国際法なぞない外宇宙の戦いである。宇宙海賊や地元武装勢力には掟のようなものもあるが到底人道的な法律とは言えないし、それを守っていたとしても同盟軍や帝国軍で求められる最低限の軍規も維持出来るレベルではない。

 

 逆に言えばだからこそ星系警備隊に編入出来ずに暫定星系政府に解雇されたのであろうが。辺境外縁域の同盟自治領にとっては同盟への正式加盟の上で彼らのようなならず者は存在されたら困る存在な訳だ。そして亡命軍が有難くそれを再利用して使い潰す訳である。

 

 同盟軍から来た法務士官は不快そうにその話を聞く。尤も、亡命軍に雑用や危険任務を投げつける同盟軍が文句を言える筋合いとは思えんが、と内心で嘲笑する大佐。支持率のために社会的弱者に犠牲を支払わせる同盟の方が兵力不足のために外国人を使い潰す亡命軍より道徳観念が上等とは思えない。

 

「余り私の責任問題で追求するのは止めて頂きたいのですがねぇ。元より問題児しかいないんですよ。一応まともに使えるように鍛えているだけ賞賛して欲しいくらいだ。昔みたいに厳しく再教育も今時の時代出来ませんしねぇ」

 

 帝国建国期の門閥貴族も、同盟拡大期の移民事業もモラルが退廃し、人命を軽視する辺境の平定と安定化のために相当な無茶をしてきた。せざるを得なかったのだ。

 

 実際、それ程の地獄でなければ西暦20世紀後半以降主流となった民主主義を捨てて時代錯誤な帝政に移行する事を臣民が歓呼の声で賛同する事はない。

 

 500年前、帝政成立に反発したのは正にルドルフ大帝の正義に反する不道徳と犯罪に手を染めた極悪な犯罪者共か、生命の安全と日々の食事に不自由せず、目の前の民衆ではなく民主主義という幻想を優先したおとぎの国に暮らすエリート様くらいのものだ。帝国建国期、少なくとも朋友にして穏健派筆頭のファルストロングが爆死する以前に「虐殺」された「無辜の市民」の内何割が本当に無実の犠牲者であったのか。同盟歴史学者が黙殺する事実だ。

 

 そして、其ほど退廃した銀河連邦……その残骸から来た輩に甘い対応でモラルの再教育が出来よう筈もない。

 

 現在の同盟で「再教育」するために大昔のように過激な手段を取れない以上「多少」の不祥事は仕方のないと言うのが大佐の経験から得た答えだ。殺人や強姦事件が滅多にない(それだけのモラルを指導した)だけ健闘した方だろう。自身の前の師団長はその加減を誤り文字通り後ろから飛んできた対空砲の鉛弾で挽肉になった。

 

「まぁ、そんな訳だ。別に俺ぁ部隊動かして反乱しようとしていた訳じゃねぇ。一部の馬鹿が待遇やら軍規に不満持って勝手にやんちゃしただけさ」

「やんちゃ……」

 

 複数の重傷者が出て、人質が発生、街に戒厳令が敷かれている事態を子供の悪戯のように語る師団長に嫌悪感すら滲ませる同盟軍の法務士官。

 

「おいおい、そう貶す事もあるまい。お前さん達もたった一士官のために何万という兵士をここに留め置く気はないのだろう?」

 

 たかが一士官のために演習が遅延すればどうなるか?

 

 一日遅延すればその分の食料や燃料、日用品が無駄に消耗される。いや、それどころか一日派遣が遅れ、それは作戦が一日遅れ、それは数百万将兵が一日分の無駄な物資の消費を行い、それは後方の、更には財務に負担をかける。そして一日遅れれば帝国軍は防備をより固め、より鍛練により精強な兵士が生まれ、味方の犠牲も増加する訳だ。

 

 そのような恐ろしい事を上層部が看過するか?否、断じて否だ。

 

「俺達は事実はどうあれ、このまま演習が終われば前線送りと言うわけだ。適当に始末書位は書かされるだろうが、俺達がここに留まる事も、俺が解任される事もねぇ。本当、軍事的理由に限定すれば数人の兵士がやんちゃしただけな訳さ」

 

 そもそもこのような面倒な師団を曲がりなりにも統制出来る者はそう多くはない。態態大佐を解任して後釜を用意する時間なぞない。

 

「つまり、そのまま有耶無耶にしてこの星から逃げる、と?」

 

 苦々し気に同盟軍法務士官が口を開く。だが、大佐はその言葉に怒る訳でも、嘲る訳でもなく、出来の悪い生徒を見る教師のような表情を向けた。

 

「そんな良い話かよ。……ようはあっちでボロ雑巾にしてやる、という御上のメッセージさな」

 

 その感慨深い言葉は、妙に説得力があった。それは明らかに経験者の言葉であった。

 

「尤も」

 

 うちはゴキブリみたいに生き汚い野郎が多いがね……にやりと笑いながら大佐はそう続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「おらよ。てめぇらはここに籠っておけ」

 

 図体が大きく、黄色く平たい顔の兵士がそういって彼女を弟と縛られた女性を物置に押し込んだ。

 

 今年十歳になるブロンベルク士族家の孫娘クリスタは怯えながらも、怯える弟マリウスを抱きしめ慰める。祖父ユルゲンが怪我をして別の所に閉じ込められている以上自身だけが弟を守る事が出来ると理解していたからだ。

 

 ブロンベルク士族家は数ある他の士族家同様大帝陛下の時代に銀河連邦軍が銀河帝国軍に再編されると共に下士官であった先祖が士族として任じられてから始まる。代々銀河帝国の下士官や尉官として身分の特権に付随する軍役を果たし、帝国に尽くしてきた。流石に士族の名門にして貴族階級に匹敵する権威を持つビッテンフェルト家やルッツ家に比べればかなり見劣りするが、それでも士族家全体から見て平均より多少上程度の資産は有していた。先祖には大佐にまで昇進した者もいる。

 

 六代前に亡命してからも崇拝し、敬愛すべきアルレスハイム=ゴールデンバウム帝室のために士族としての義務を忠実に遂行してきた。後備役の祖父は亡命軍大尉で元駆逐艦艦長、祖母は伍長として補給基地の事務に勤めていた。父は亡命軍の中尉で巡航艦の砲雷長、母は軍病院の看護師である。親戚も皆似たようなものであり、戦死した者もいる。典型的な士族家庭と言えよう。

 

 祖父は軍を引退後は副業兼趣味の近郊農業で蘭やチューリップの球根の栽培をしていた。姉弟もまた祖父母と共に毎日園芸の手伝いをし、仕事が終われば一族の歴史や士族・軍人としての知識や心構えを教えられていた。

 

 一族は、皇帝陛下と優良なる貴族階級の善政のお陰で日々平和に、豊かな生活を送っていた。だが、この日は違った。

 

 夕暮れ頃、土仕事を終えて手を洗い夕食の時間になった時の事だ。突如玄関の呼び鈴が鳴らされた。祖父は覗き穴から客を見た後、少々疑問を浮かべる表情を浮かべつつもいつも通り懐に護身用のブラスターを隠して応対した。

 

 亡命軍の軍服を着た、しかし到底軍人とはいえない者達が乱入してきたのはすぐ後の事だ。応戦した祖父は歳もあり利き手を撃ち抜かれ取り押さえられてしまった。

 

 そして今まさに薄暗い物置の中に暴漢共の背負っていた縛られた女性と閉じ込められていた。

 

「ひっく……お姉ちゃん…暗いよ……暗いよぅ……」

 

 三歳年下の弟が泣きじゃくる。確かに弟は士族の子にしては泣き虫であるが、今回に限っては泣く理由は暗い物置に押し込められただけではないだろう。

 

「大丈夫よ、ユルゲン。お姉ちゃんはここにいるわ。何も怖い事は無いのよ、私が守ってあげるから」

 

 ぎゅっと一層強く幼い弟を抱きしめながら姉は慰める。今、自身だけがこの弟を守る事が出来る存在であることを理解していた。まして士族階級の末席に生まれた以上ただの平民のように泣きじゃくる事は許されない。

 

 泣きそうになるのをこらえ、怯える弟を落ち着かせるようにその頭を撫でる。同時に足元で転がる女性に視線を向ける。

 

「す…すみません。お姉さんは……軍人さんですか?」

 

 恐る恐る姉は縛られた女性の耳元で小さな声で尋ねる。そのモスグリーンの軍服は確か同盟軍の軍服だった筈だ。目元と口元がガムテープで塞がれているが、その豊かな金髪と白い肌から多分綺麗な人だと彼女は思った。同盟軍にも同胞は沢山いると聞いている。もしかしたら貴族様かも知れない。

 

「………」

 

 ぴくっと体を震わせて、しかし暫くするとこくりと小さく女性は頷いた。クリスタはまずこの人が生きている事にほっ、と安堵した。と、同時に手を掴まれた。

 

「……!?」

 

 一瞬驚くが自身の掌に指で文字をなぞっていく女性に、この事態と、日々祖父に教えられた士族としては価値観からどうにか彼女は声を上げずに、可能な限り落ち着いて、質問に同じく相手の掌に指で文字を書いて答えていく。部屋の間取り、家族構成、今の場所、侵入者の人数と位置、装備……最後辺りになると所詮子供の彼女は曖昧な返答しか出来なかったが、それでも今のノルドグレーン少尉には万金の価値があった。自身の聴覚と嗅覚と触覚で得た情報と子供の拙い情報を脳内で照らし合わせる。

 

(……やはり五名、装備は警備とトラックから補充していますか。幸運は屋内のため敵が分散している事、弾を避ける場所を見つけやすい事でしょうか)

 

 暫し心身を落ち着かせた後、ノルドグレーン少尉は思考の海に浸る。

 

 縄を切るのは難しくない。正規戦より寧ろこの手の知識の方がノルドグレーン少尉は豊富だった。大概の拘束ならば必要最低限の装備で脱出して見せる。逆に最低限の装備で相手を拘束する事も同様だ。特に両足の軍靴には刃を仕込んで有りどうやら気付かれていない(所詮は専門の高度な教育指導ではなく実地での経験で兵士として育った辺境の蛮族だ)。足が自由になればかなり行動の選択肢は増えるし、共にいる子供からガムテープを剥がしてもらえば視界も確保出来よう。

 

 問題は両手の自由だろう。縄はまだ良い。時間さえあれば自由に出来る。だが左肩と右腕を実弾で撃ち抜かれている。幸運にも小口径で初速の遅い時代遅れの回転式自動拳銃であるため痛みさえ耐えればある程度は動く事であるが、それでも自由に、とはいかない。軍靴に仕込んだ刃はそのまま足で使えるがボールペンの仕込み銃や徒手格闘、銃器の鹵獲使用に少なからず支障が出るだろう。

 

(それでも、やるしかありませんね………)

 

 両腕からずきっ、と激痛が走り歯を強く噛みしめ誤魔化す。傷口は浅いため恐らく出血は止まっているが、骨にひびが入っているか、一部が砕けており、弾が肉の中に留まっている感覚を実際に味わうのは流石に初めてだ。

 

 だが、それでも……いや、だからこそ自身の尻拭いはしなければ申し訳が立たないのだ。

 

 幸運なのはこの連れ込まれた家が士族階級のものであった事だろう。厳しく躾をされ、物分かりが良く落ち着いて自身の役割を果たそうとする子供がいるのは士族家庭位のものだ。

 

 火事や災害、暴動や強盗事件、テロに日々備え、自衛し、有事には周囲の民衆を統制するのは大帝陛下が彼ら士族階級に与えた義務である。代々軍人や警官、消防士や警備員、自警団、そして社会秩序維持局に勤め、家庭では子供に緊急事態において何を為すべきか彼らは厳しく指導する。故にここまでスムーズに情報を引き出せたし、今後もこちらの命令に従ってくれる事だろう。

 

 ノルドグレーン少尉は指先でクリスタに幾つかの指示をする。まずは四肢の自由が殆ど利かないので姿勢を動かしてもらう(体育座りに近い体勢だ)。次に物置の隙間から外が視認出来るか、これは視界は狭いがどうにか出来そうだった。三番目は姉に反乱兵が物置に来ないかの監視と聞き耳を立てさせる。もし近づいて来たら知らせるように命じる。子供でも士族という事か、姉の指先は震えるが命令に「了解」と答える。

 

 最後は弟という子供に対する命令だ。左足の軍靴に仕込んだ刃で手首の縄を切れ、というものだ。無論全て切ったら一目でばれてしまうので一見したら縛られたままで、しかし少し力を入れれば解ける結び目に気付かれない程度に切れ目を入れさせるのだ。

 

「そ、それは……」

 

 姉はどうやら予想していなかったようで自身に命じられた以上に動揺する。暫く葛藤、しかし最終的に肯定の返事を出す。

 

「マリウス……焦らず、静かにね?お姉さんの指を切らないように気を付けて……」

 

 小声で姉らしき声が弟を心配するような声で注意しているのが聞こえる。もしかしたら抱きしめているかも知れない。全く、士族の男なのだからやる時はやって欲しいものだ、とノルドグレーン少尉は思った。無論、自身でも八つ当たりに近いとは自覚するがことがことだけに苛立ちもする。まして三歳年上とはいうが姉に頼り過ぎな雰囲気がした。それだけ姉がしっかりした人物、と言う事かも知れないがそれでも憮然とした気持ちになるのだ。

 

(姉……ですか)

 

 陰鬱とした気持ちを振り払い、目の前の問題処理を優先する。軍靴の左側の踵に仕込んだ炭素クリスタル製の小さな刃を取り出し、七歳の子供に靴から引き抜かせる。切るべき部分は指先で指示する。自身の指ごと切り落とされないかが目下の不安事項だ。

 

 同時に右側の軍靴に仕込んだ刃で足首を縛る縄を器用に、ゆっくりと、しかし確実に削り切っていく……。

 

(ニ十分程度、ですか………)

 

 尤も、縄が切れたので即襲撃、とはいかない。相手の油断した瞬間に一気に攻めるべきであろう。制圧ないし逃亡を、場合によっては姉弟にもばらばらに逃亡して近所や警察に通報してもらった方が良いかも知れない。自分が死亡しても情報は伝えないといけない。ベストなのは深夜、暗闇で逃亡しやすく、睡魔が襲う頃合いだ。

 

 そんな時だ。訪問者の存在を伝える呼び鈴の音が屋敷全体に響き渡ったのは。

 

 

 

 

 

 

 地方調整連絡官の与えられた役割から考えればそれは当然の職務であった。

 

 市内は警察と軍人が大量に展開している。だが、郊外となると農家や土地持ちが多い。そうでなくとも人口密度が薄い。そう、薄いのだ。少ないとは言え広大な土地の中には民間人が点在しているのだ。

 

 当然テレビやネットで注意喚起か行われているが、だからと言って全員が見るわけでもない。寧ろその手のものを保有はするが暇があれば使う、というのは軟弱で無駄と考えるのが帝国人だ。

 

 同盟人がネットニュースを読めば紙の新聞を読む、同盟人がネットサーフィンをしていれば紙の本で読書する。同盟人が電子ゲームに興じれば野外で汗を流すし、同盟人が添加物マシマシのジャンクフードを食べるのならば態態家で手作りの菓子を食べる。同盟人が現代音楽にアンコールする事に眉を顰めながら蓄音機やラジオでクラシックを聴くだろう……それが帝国人だ。

 

 不健全な娯楽や道具、生活様式を嫌うのが帝国人であり、それはこの星の住民もおおよそ変わらない。

 

 故に私はジープに乗り込み市外の市民や村に足を運び此度の事件の説明と注意喚起に精を出す訳だ。

 

「次は……ブロンベルク士族家の御屋敷だそうだ。農園があるからこの辺りの筈だが……」

 

 私が窓と携帯端末に映る地図を相互に見比べ隣の運転手兼護衛のデュナン伍長に道を誘導する。恒星アルレスハイムは既に地平線の彼方に薄っすらと見える程度であり、次第に空は暗くなる。

 

「にしてもどこもでかい庭園ですねぇ。これ全部人が耕すんでしょう?」

 

 先程から回る郊外の家々を見ながらデュナン伍長が口を開く。その口調は感嘆と呆れの感情が半々含まれているように思われた。

 

「帝国人はオーガニック主義だからな。同盟食物規格の食品では満足出来ないんだよ」

 

 銀河連邦時代中期には食糧生産はドローンとバイオ技術、遺伝子改良善玉ウイルス、そして天候操作技術によりほぼ完全な自動化が達成された。そこにコスト削減のために大量の化学物質のドカ入れによる味付けと保存が主流となった。天然の有機農産物等は一部の富裕層向けに限定された。

 

 尤も、連邦末期になるとその弊害が大きく出たが。遺伝子改良しまくり、農薬と化学物質漬けの食糧と言うだけでも明らかに健康に悪いし、この頃になると公害問題や衛生問題も頻出し汚染食物が大量に流通した。紫色のバイオタラバガニやら大豆含有量1%以下の化学トーフと言えば当時の下層階級の食べる危険な食品の代表だ。

 

 尤も連邦政府はこれらの問題に有効な対策が出来なかったが。主要な食品メーカーや穀物メジャーは議会や犯罪組織と完全に癒着していたし、安全基準を上げる事によるコスト増を嫌がった。薬品会社もこの問題に一枚噛み食害向けの各種の対処薬(敢えて原因治療薬ではなく対処薬しか作らなかった)の販売で巨利を得た。

 

 安全な食物を求めたデモや暴動は破壊活動として鎮圧された。一般市民の平均所得は宇宙暦261年の「銀河恐慌」以降低下の一途を辿り、更にインフラ劣化や宇宙海賊の犯罪行為による治安悪化と物流速度の低下は食料価格の上昇を齎した。結果として多くの市民が汚染され、質の悪い食料を食べる事しか出来なかった。富裕層?テオリアの高級住宅街でオーガニックトロマグロスシを食べてたよ?

 

 ルドルフの海賊討伐が賞賛される理由の一つが航路の安定による食料の価格低減が挙げられる。銀河連邦大統領、終身執政官、銀河帝国皇帝を通じて食料の生産・物流・安全に対する諸問題に熱心に取り組んだ。

 

 段階的に食料の有機栽培化や極端な遺伝子組み換えの廃止、化学薬品使用の規制を推し進めた。一方でそれに伴う価格上昇にも対処した。

 

 大帝陛下の影響により帝国では同盟に比べて食糧生産は比較的原始的だ。階級によりその影響は顕著で、奴隷階級は合成食糧、平民階級は若干の品種改良を受け機械で収穫された作物を口にする。貴族階級となれば農薬すら最低限で丁寧に人力で収穫された食品以外好まない。

 

 一方、同盟は連邦末期程酷い訳ではないが、それでも帝国より遥かに効率重視だ。人の手も介在するが大半の生産工程はドローンとウカノミタマ善玉疾病予防ウィルスで対処可能だ。遺伝子操作や化学薬品についても実験を重ね、高い安全基準をクリアしたもののみ利用される。

 

 それでも帝国人には同盟の食品が口に合わないようだ。単純に帝国の食文化が単調過ぎる事もあるが、やはり同盟産の食品には妙な違和感を感じる帝国人は多いらしい。

 

 そんな訳でヴォルムス郊外には同盟では珍しい光景であるが西暦時代のような農地が広がっている事が多い。ドローンも使わず、せいぜいトラクターやコンバインを利用する程度だ。

 

「よし、入口だな。ここから先は歩きだな」

 

 耕作地の入り口に着くとジープを停め、伍長と共に降車する。自衛用の腰のブラスターと電磁警棒を確認すると、パラライザー銃を肩から吊り下げながら両側を花畑に挟まれて道を進み屋敷へと向かう。

 

 チューリップに向日葵に蘭……商品価値の高い花を中心に栽培されているようで、住んでいるのが元軍人であるとの事から年金と副収入とでそれなりに裕福そうな家だろうと思われた。それは屋敷を見て一層確信に変わる。田舎らしい赤い屋根に木材と煉瓦の壁、二階建ての典型的な帝国風の屋敷だ。

 

「………」

 

 私は玄関に着くと呼び鈴を鳴らして応対を待つ。暫しすればチェーンを掛けた扉が僅かに開き、品の良い老女が恭しく姿を現す。

 

「夜分遅くに失礼。自由惑星同盟軍、地域調整連絡室のフォン・ティルピッツ中尉です。ブロンベルク士族家の自宅でよろしいでしょうな?」

 

私は微笑みながら身分証を提示し、自己紹介をする。

 

「……それはどうも。ブロンベルク後役大尉の妻です。本日は一体何用で御座いましょうか?」

 

 一方、静かに恭しく老女は頭を下げる。だが、これは……。

 

「……4時間程前に亡命軍より逃亡兵が発生しました。この近郊のため目撃情報の収集と警戒喚起のため、この時間ですが訪問させてもらいました」

 

 そう口にして逃亡兵の写真付きの捜索願を差し出す。老婆はそれに一通り目を通すと、丁寧に紙を返した。

 

「……いえ、残念ながら。……この辺りに潜んでいるのですか?」

「はい、そのようです」

 

私はそこで頭を下げながら、内心で警戒する。

 

「とても怖い事ですわ。早く見つけ出して欲しいものです。我が家には孫が二人おりますし」

「全くです。……我々軍と警察が全力で捜索致しますのでどうぞ御安心下さい。お孫さん達には暫く安全に気を配って下さい。……それでは、また情報があればこちらに御連絡を」

 

 そう言って私は同盟軍地域調整連絡室の名刺を差し出す。

 

「……分かりました。宜しくお願い致します」

「いえ……それでは夜分遅く失礼致しました。またお会いする際もどうぞ宜しくお願い致します」

 

 私が笑みを浮かべ敬礼すれば恭しく頭を下げて見送る夫人。私は伍長を連れ道を引き返す。

 

そして、ジープに乗り込むと共に私は口を開いた。

 

「……ビンゴ、だな」

 

 

 

 

 

 

 

 そもそも、余所者への警戒心の強い帝国人が同盟軍人が訪問した際に女性に応対させるのは、しかも使用人ではなく妻にさせるのは珍しい。

 

 それだけならばまだ良かろう。だがその先は明らかに怪しい。私は貴族である事は伝えた。ならば主人が応対すべきであるし、チェーンを掛けたままと言うのも非礼極まる。士族階級でありながらそれが理解出来ない訳もない。

 

 それに指名手配書を返すのも士族階級らしくない。軍人や警官の家系が多いのなら返さずにいざ見かけた時のためにこの手の書類は手元に持っておくのが彼らの常識、ましてあからさまに怖がるのも彼らの階級の存在意義からして不自然だ。

 

 ここまで不自然さが並ぶとどう見ても怪しい。同盟の一般人には今一つ分からないだろうが、帝国社会にどっぷり浸る身からすれば怪し過ぎる。身分毎に求められる役割と義務を果たす事こそ帝国臣民の在り方である事、家族の職業からして明らかな保守系である事から見れば疑惑しかない。そこに屋敷の窓が全てカーテンで隠れていれば半ば確信に変わる。あるいは老婆もそれを意識していた可能性もあり、暗に異常を伝えていた可能性もある。

 

 ジープを離れに停め、暗視装置を装着し、軍服に直に簡易防弾着を羽織るとパラライザー銃を構えながらデュナン伍長と共に屋敷に死角から匍匐前進で近寄る。庭の花々を圧し潰す事になるのはこの際仕方ない。私の勘違いの時は弁償を同盟軍に請求してもらうとしよう。

 

「い、いいんですかぁ……?こんな遠慮なく潰して……」

 

 土で軍服を汚しながら伍長は呟く。彼と土の間には商品価値を無くした商用花だった残骸が無残な姿となっていた。

 

「命令したのは私だ、気にするな。それよりも……行くぞ」

 

 かなり近づいて、窓等の有無を確認した後伍長と共に身を低くして駆ける。可能な限り静かに、闇夜に紛れて屋敷の壁に張り付いた。

 

 私は壁に盗聴機材を張りつける。震動を拾い壁の向こう側からの会話を盗聴するためのものだ。尤もこの程度の盗聴器ならば前線で戦っている番号付き地上軍や情報部の工作員にとっては玩具のようなものだが。

 

「……やはり、か」

 

 建材越しに傍受される声音を盗聴器に備え付けられたコンピュータが簡易解析して逃亡中の兵士の音声データと照合する。現状三名分のデータが一致していた。

 

 ハンドサインで伍長に命令する。まずはこのデータが間違っていないか、液晶画面を確認してもらい、次に伍長には一時撤退して増援を呼んできてもらう。ジープに備え付けられた衛星無線機で同盟軍の対テロ制圧部隊でも呼んでもらう。

 

 状況からして人質が複数名いるのは明らかだった。気付かれないように屋敷を包囲してもらい、奇襲制圧がベストだ。

 

「中尉殿はどうなされるのですか……!?」

 

噛み殺すような低い声で尋ねる伍長。

 

「そりゃ、私はここに残って監視と情報収集よ」

「一人で残るのは危険では……?」

「お前さんが残るよりはマシだろう?」

 

 情報収集、という意味では士官学校出が行う方が専科学校出よりも手慣れている。それに射撃と徒手格闘の成績も私の方が上だった(貴族のエリート教育舐めるな)。

 

 無論、部下の安否が気にかかる、という理由は否定しないが。

 

「……了解。御無理はしないで下さい」

「当然だ」

 

可能な限り死にたくはないのでね。

 

 伍長が音を立てず撤収するのを見守り、安全圏まで後退したと判断すると盗聴で一層の情報収集を実施する。

 

『このまま、どれくらい隠れる気だよ?』

『テレビとネットがある。戒厳令の発布と交通規制の状況を見れば大まかな網は分かる。ここらから網が移動したときが逃げ時だな……』

 

 どうやら今後の予定について話しているらしい。会話の声質は逃亡兵の最上級階級のフェデリコ軍曹と言う人物と次点のムタリカ伍長のものと一致していた。

 

『飯の節約がいるな。人質はどうする?』

『この星の奴らは人質の価値を人数ではなく階級で値札をつけるからな。ぞろぞろ連れても飯代が嵩む。連れていくのはあの貴族の女だけで十分だ』

 

 どうやら少尉は少なくとも生存はしているらしい。小さく安堵の溜め息を漏らす。

 

『残りは?』

『とんずら前に処分だな。チクられたら溜まらん。今はババアを脅迫するのに使えるが、最終的には寝ている所で射殺だな。実弾だと音が酷い。ブラスターで頭を狙うぞ』

『弾の無駄遣いする訳にはいかねぇしな。おい、このフルーツグミうめぇぞ?食ってみろ』

 

 平然とそんな会話をして見せる逃亡兵達。同盟軍人は当然として、ハイネセンの強盗だって一般人の家族の皆殺しにしようなどと考える者はいない。

 

「人質の位置が気になるな……」

 

 暫く聞き耳を立てるとどうやら家の主人らしき人物は縛られた状態で二階の別室で鍵をかけられ軟禁されている事、老夫人が手足の自由があるが、一階のリビングで一名の監視を受けている事が分かった。それとは別に一人二階から周囲を監視しているらしい。死角から潜行したので恐らくは私の存在には気付かれていないであろうが……。

 

 食事を始め、それ以上の収穫が期待出来そうに無いので場所を移動する。死角に入りながら壁に盗聴器を張りつけ情報……特に屋敷のどこに兵士と人質がいるのか……を収集するのだ。

 

「ちっ……音が拾えないな」

 

 元より前線勤務を、それどころか戦闘に行く事すら想定していない地域調整連絡官なのだから高性能盗聴器は回されないのだから仕方ないが……。

 

 少々危険があるが、カーテンの隙間から窓の中をひっそりと見る。窓の下に座り、手鏡を僅かに出して内部の様子を反射で確認する。鏡が光を発光させないように注意して覗きはしようね!(オイ)

 

 まぁ、冗談は置いといて、どうやら窓の中は子供部屋のようだった。小さなベッドが二つ、本棚に机、照明に箪笥の上に可愛らしい人形が置かれている。奥には物置部屋の扉が見えた。尤も、何か重要な情報は見つけられない。

 

(この部屋には誰もいない、というくらいか……)

 

 別の窓から覗くか、怪しまれる危険を避け盗聴のみ行うか逡巡する。

 

と、しかしそんな時間はないようだった。

 

「っ……!?」

 

 室内にどかどかと大柄な兵士が入って来たのが見えた。気取られないように監視する……と次の瞬間私は目を見開く。

 

「げっ……冗談だろう……!?」

 

 物置部屋を勢いよく開くとそこには子供が二人と縛られた同盟軍人……目元と口元がガムテープで縛られているが明らかに少尉だ……が現れる。怯える子供達を一瞥すると、兵士は下卑た笑みを浮かべ、少尉の首根っこを掴んで引っ張り出す。

 

 何やら子供達に叫ぶとそのまま少尉をベッドに押し倒してモスグリーンの上着を半ば破るように脱がそうとする。何やら暴れながら少尉は抵抗しようとしているようだった。くぐもった悲鳴が聞こえる。

 

「おいおいおい、何だよこの状況は、マニアックな成人向け動画じゃああるまいに……!」

 

 若干引きつつも、吐き捨てるように小声で罵倒すると同時に私はパラライザー銃の出力を最大にセットする。窓硝子を破砕した上で相手に電気ショックを与える威力だ。

 

 本来ならば味方の特殊部隊が来るまで見過ごすべき……脳内での冷静な判断能力はそう告げていたが、どうしようもない。部下が婦女暴行されるのを分かって放置にするなぞ同盟軍人として有り得ない事だ。目の前であれを冷静に観察するとか完全にド畜生である。

 

「勝率は高くないが……」

 

 それぞれの人質の大まかな位置は分かった。少尉の救出と解放を迅速に行い戦力化、少尉には人質の回収・保護を命じ、私は制圧ないし足止めを行う……相当難しいがやるしかなかった。

 

「畜生、何が後方勤務だ馬鹿野郎……!」

 

 私は立ち上がるとパラライザー銃を窓に、その向こうの狼藉を働こうとしている逃亡兵へと向けた。

 

 これは、後で弁償費用が高くつきそうだ……そんな事を半分現実逃避気味に考えながら、次の瞬間私は引き金を引いていたのだった。

 

 




連邦末期からルドルフ台頭までの流れ簡略化
民衆「不景気・失業・公害・疫病・飢餓・災害・テロ・賄賂・内戦・少子高齢化……もう無理、お腹減った……誰か助けて……」(現在進行形で死者多数)
悪徳政治家・企業家「トロうめぇwwドンペリ最高!」
良識派エリート「民主主義の自浄作用を信じるんやで!少しずつ良くしようや」(テオリア中心街で食事しながら)
宗教家「審判の時は近い!」
マフィア「サイオキシンのケチャップ漬け食べない?」
民衆「……」

ルドルフ「余が全部(力づくで)解決した(させた)ぞ」
民衆「流石大帝陛下!俺達に出来ない事を平然とやって見せる!そこが痺れる憧れるぅ!」


初代門閥貴族「かゆ……うま……」(白目泡吹きながら)


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第七十六話 請求書はコクラン大尉宛てでお願い

長くなったので分割しました

七十六話9時投稿
七十七話12時投稿の予定


 テレジア・フォン・ノルドグレーン少尉は、その時点でほぼ手足の自由を回復したと言ってよい。一応縄は巻かれているがその実、良く確認すれば多少力を入れてやれば解くのは極めて容易な状態である事が分かる。

 

(行きましたか……)

 

 呼び鈴の音に一瞬緊張した。訪問者によっては一層状況が悪化する事もあり得たのだ。住民の姉弟、特に姉の方に指で文字を書いて尋ねたが、どうやら客や親族が訪問する予定はないようであった。そうなると考えられる訪問者は限られてくる。特に外は夜となれば警察か、軍人の可能性がこの状況では一番有り得る。

 

 どうやらトラブルもなく訪問者は去ったようであった。出来れば事態に気付いてもらいたいが………。いや、期待は禁物だ。常に最悪を前提に行動していくべきだろう。

 

 腕時計の針から現在の時間を民間人の姉弟に尋ねる。小さな指で掌に書かれた数字は2000である。つまり午後の20時、という訳だ。

 

(明日頃になってから行動した方が良いですか……)

 

 早くどうにかしたい、という焦燥感を押し殺すノルドグレーン少尉。

 

「あ、あの……私達は、どうすれば……」

 

 おどおどと緊張気味に尋ねてくる幼い少女の小声。その強張りぶりは、ある種愛らしくもある、が状況が状況である。彼女達にも役目を与えるほかない。

 

 事が起きれば彼女達には窓からでも逃げて近所や警察に連絡に行ってもらうつもりだった。自分が制圧され、殺害されても情報だけは伝えなければならないし、人質にされる危険もある。逃げる途中に狙撃される危険もあるが、どうせこの屋敷を引き払う時に皆殺しにしかねない事を思えばその方がマシだ。

 

(酷な事ではありますが………)

 

 暴力や脅迫に屈してはならない、それが帝国の治安維持の基本である。市民一人一人が社会を壊乱させる危険思想と叛徒と戦う意志を示し、妥協せず、屈せず、抗わなければならない。全ての市民が「私」より「公」を優先するが故に社会の害悪は迅速に取り除かれ、それによる新たな犯罪の発生を防ぐのだ。

 

 まして秩序維持の尖兵たる士族階級であれば尚更である。子供とは言え最低限の義務を果たさなければならない。そのための身分制度であり、それに付属する名誉と特権である。

 

「い、いいんですか……?そ、その……私達も戦った方が……」

 

怯え気味に、伺うように進言する姉。

 

(これはまた……)

 

 子供の分際で随分としっかりしている姉だ。士族階級としての自覚を良く教育されているようだ。好ましい、が……。

 

 少女の掌に「否」と文字を書く。心意気と義務感は認めるが実力が伴わなければ弾除け、いや子供では弾除けにもなるまい。その善意だけはもらっておこう。

 

(本当に、しっかりした姉ですね……)

 

 その心の中で反芻し、複雑な心境になる。自分だけが引き摺っているのは分かっている。それでも割り切れないのも確かなのだ。

 

(御姉様……)

 

 最近は忙しく実家に帰って来ない。元気にしているだろうか?今度久々に会いに行こうか?

 

(………私も愚かですね)

 

 ここまで醜態を見せたのだ。結末はどうあれ、全て終わった後生きていれば自決しなければ恥を雪ぐ事は出来まい。姉に会う時間があるとは思えない。そんな事を思いつく自分はやはり未熟者であった、という事か。

 

 思わず自嘲の笑みが零れる。自分は未熟者か。ああ、その通り未熟者だ。実戦経験なぞない。予備役だ。それどころか従士の分際で「主人」に対して不満と怒りも抱いている。従士の立場でだ……!多くの恩寵を受けて来た従士家の生まれの癖に!

 

 止めはこの状況だ。笑うしかないだろう?身を挺して庇って死ぬならまだしも、関係無い場所で捕囚となるなんて……!

 

 陰鬱で、屈託した表情で自身の状況と醜態につい思いを巡らす少尉。目元と口元を塞がれた彼女の表情を見つめる姉弟はつい、自身の過失でもあったのかと不安そうに手を握るが、少尉にはそれを視認する事は出来なかった。

 

 尤も、そんな事をしていられる内は幸せだったかも知れない。

 

 突如、勢いよく扉を開く音が響いた。物置部屋に光が差し込む。

 

「ひっ……」

 

 しかし、七歳になるユルゲンはようやくの光に怯えながら小さな悲鳴を上げた。

 

(逃亡兵ですか……)

 

 何の用だ、と逡巡する。が、すぐに冷静にそんな事を考える余裕は消える。

 

「うぐっ……!?」

 

いきなりその細い首を鷲掴みにされ、立たされる。

 

『け、やっぱり良い体しているこった。貴族様は美容に金かけられるからか?』

 

 赤ら顔に酒気を纏ったまま、舐めるような表情で軍服越しにそのスタイルを推し量るのは少尉を背負って屋敷まで運んでいたアムル上等兵であった。

 

 元々、逃亡兵達の中でも特に素行の悪い上等兵はその軍歴も酷いものだ。12歳から少年兵として戦ってきたが、その間に陣営を変える事四回、上官ないし同僚の殺害三回に及ぶ。戦闘の後の略奪や虐殺も「命令」の名の下に平然と行い、金歯を生きたままペンチで引き抜く事や指輪を指ごと頂戴する事もあった。強姦致死や窃盗も当然ながら経験がある。流石にサイオキシン麻薬は同僚に廃人になった者がいるためやっていないがアヘンやコカインは嗜みとして常用していた。

 

 同盟政府の後ろ盾を得た暫定星系政府がバハルダールで最後の有力地方独立勢力を制圧した際も従軍した。戦闘自体は同盟政府より装備や情報、訓練、精密爆撃等の支援を受けた暫定政府軍の勝利に終わったが、その際彼の部隊は同盟マスコミが撮影する中で住宅の放火や略奪を行ったがために暫定政府軍より武装の取り上げと解雇を命じられた。その際、後三日で給与受け取りだっただけに怒りのあまりに上官と数名の兵士を殴り飛ばしたためにすぐに豚小屋に放り込まれた(尤も給与が安定して耳を揃えて支払われるようになったのは近年の事だが)。

 

 その後、昔ならば銃殺ものであるが人道がどうの、法整備がどうの、とその上官が小難しい事を言い、書類を渡された。亡命軍とやらへの志願書らしい。その給与目当てに即刻サインし解放されたが、この新天地でもやはり問題はあった。

 

 厳しい軍規、窃盗一つでも揉める上、コカインどころかアヘンすら取り上げられた。アルコールの購入すら面倒な手続きがいるし、娼館に行く事も出来ない。何より厳しい教練が不満を与えた。多くの軍閥や武装組織での訓練は取り敢えず人間に銃を撃てれば良かった。そこに身の隠し方や銃剣術、投擲技術があれば満点だ。同盟軍式の訓練を受けた暫定政府軍の精鋭部隊は兎も角、大半の兵士達は実際このレベルであり、亡命軍の訓練に中々馴染めないものだ。反乱は師団長以下の士官達の実力と監視から難しい。そのために突発的な今回の逃亡劇に参加した。

 

 特に女日照りしており、そこらから誘拐でもしようかと思った所でこの人質、だがフェデリコから止められたためにストレスを溜めていた。特に親しいザルバエフ上等兵と酒を飲みながら愚痴り合っていた所、後ろか口ならいけるだろう、と提案され、酔いの勢いもあり顔を赤らめながらここに一人来たのだった。 

 

『へへ、まぁお楽しみと行こうや』

 

 そしてぎろり、姉弟を睨み付け、片言の帝国公用語で逃げればこの貴族を殺す、と命じる。同時に姉の方を見て、幼いがこっちも後で使ってもいいか、等と考える。貴族でないから多少乱暴に使い潰してもいいだろうと言う訳だ。

 

 人質の貴族をベッドに投げ捨てて上から襲いかかろうとする上等兵。一方、少尉はここで抵抗するべきか、一瞬迷う。ここで仕掛ける事は可能だ。靴底のナイフなり胸元のボールペン型仕込み銃を使えばこの距離ならいけるだろう。問題は仕掛けた以上最後までやれるか、だ。

 

 そこまで考えて、少尉は戦略を決定した。迅速にこの野獣を気付かれずに処理して、そのまま姉弟と窓から逃亡するのがベストだろう。

 

「オトナシクシロ、テイコウスル、ガキヲツカウ」

「っ……!」

 

 その言葉の意味を理解すると、同時に少尉の動きが一瞬鈍る。

 

 つまり、自身が相手にならないならばそこにいる士族の娘が代役になる、と言う意味であると理解したためだ。

 

 その事にふと、恐怖を抱いた。本来ならば全く痛くも痒くもない言葉である筈であった。相手はついさっき会ったばかりの子供である。その上貴族ではなく士族だ。自分より格下の身分である、どうなろうと問題ない筈だ。

 

 だが……だが、その「姉」が犠牲になる、という事実を理解したと同時に身体が強張る。それを狙ったのか、偶然か。兎も角もその一瞬の抵抗の空白が徒になった。手首を抑えられた。

 

「………!!」

 

 もし口元が塞がれていなければ悲鳴を聞く事が出来ただろう。

 

 慌ててもがいて逃げようとするが蛮国の野人らしく腕っぷしだけは本物らしい。男女の筋力の差もあろう。腕の拘束は解ける事はない。

 

 モスグリーンの上着を胸元から掴まれて、力任せに引き裂かれる。軍用品だけあって防刃繊維で作られた丈夫なものであったが釦が飛び、糸が千切れる音が響いた。

 

『けっ、やっぱり良く成長しているなぁ?』

 

 その言葉の意味は分からなかったが、凡その意味は本能的に察していた。目元から熱い何かが溢れ出し、体が急速に熱くなるのを感じた。これまで以上に激しく抵抗をする、しかし感情的に暴れては意味がなかった。

 

 そして、男が白いカッターシャツに手を伸ばして引き千切ろうとしたと同時であった。雷撃のような轟音と共に窓硝子が粉砕されたのは……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青白い電流の光が一瞬発光したかと思えば、次の瞬間には大音量で窓硝子が粉々に砕け散り、そのエネルギーはベッドの上で狼藉を働こうとしていた兵士を貫いた。

 

「グゴッ…………!!?」

 

 凡そ人体が耐えられる最大レベルの電撃を背中から撃ち込まれた兵士は短い悲鳴を上げて倒れる。下手すれば神経系に障害が残りかねないが致し方なかった。窓硝子を破壊してから改めて相手に一撃与えるような危険で器用な真似を期待されても困る。

 

 一方、倒れた兵士が覆いかぶさった少尉の方は困惑……いや、混乱していた。視界が塞がれた状態で雷が鳴るような轟音が響き、すぐ後に先程まで揉めていた逃亡兵が力無く倒れていれば残当である。

 

 恐らく今の銃声で異変に気付かれた筈だ。ここから先はスピード勝負だ。

 

 私は割れた窓から室内へと身を乗り出すように侵入する。同時に怯えたように抱き合っていた子供達に帝国公用語で声をかける。

 

『そこは危ないっ……ベッドの下に潜れ!』

 

 銃撃戦が始まれば流れ弾が飛んで来る可能性は高い。物置部屋に隠れるのも手だが、それより身を低くしてベッドの下に隠れる方が余程安全だろう。

 

「少尉っ……大丈夫かっ!?今助け……」

 

 そのまま子供達を誘導してベッド下に潜らせた後、少尉の縄を外そうとして振り向くと……次の瞬間には両手足首の縄を全てほどいていた従士を視界に見出だした。

 

……あっはい。自力で逃げ出せたんですね。

 

……少し恥ずかしい。

 

 口元のガムテープを勢い良く外した少尉が明らかに驚いた調子で口を開いた。

 

「若様……!?一体何故……!?」

「話すのは後だっ!」

 

 奴さんが来たようだ。少尉の近くにブラスターを投げた後、廊下を挟んで居間と子供部屋から私と逃亡兵は銃撃戦を開始する事になる。

 

 乾いた火薬式小銃の銃撃が廊下に響き渡る。辺境外縁域の連中はブラスターよりも火薬式のアサルトライフルの方が馴染み深く、そちらを好んで使用する事が多い。同盟地上軍正式採用のM4自動小銃であろう。発砲音が士官学校の射撃練習で聞き覚えがある。

 

「畜生……好き勝手撃ちやがって……!」

 

 大電力を使用するパラライザー銃は最低威力(人体を30分行動不能にする威力)でも30発、先程の最大威力は一撃に5発分の電力を使う。電力を使うのでバッテリー式であるが、ブラスターと違い少々大型であり、二つ分しか用意出来ない。最低威力で後85発分である。銃撃戦であると考えると無駄遣いすればあっという間に撃ち尽くす事になろう。

 

 それでも牽制射撃に数発の電撃を撃ち込む。青白い電撃が拡散しながら廊下の向こう側に叩き込まれるが有効打は与えられない。

 

不味いな。体勢が整う前に勝負を付けたかったが……。

 

 焦燥感を感じつつも更なる射撃を行おうとした瞬間……隣から影が飛び出た。  

 

「少尉……!」

 

 身を低めて疾走する少尉。反応した逃亡兵が少尉に向け銃撃するが転がるように銃弾を回避する。まるで猫のようなすばしっこさだ。

 

『ちぃ……!』

 

 弾切れからマガジンの交換をしようとした所に接近してブラスターを構える少尉。

 

 頭に向けた銃撃を紙一重で回避する逃亡兵は、しかしそのためにこちらへの警戒が薄れた。

 

「そこっ……!」

 

物陰から飛び出すと私は電撃を二発連続で撃ち込んだ。

 

 所謂軍用の野戦服は簡易な対レーザーコーティングの為された鋼質繊維や難燃繊維、断熱繊維等の化学素材からなり、軽度のブラスター、火薬銃、火炎放射器や赤外線暗視装置等に対する耐性を有している(気休めレベルだが)。当然パラライザー銃等の電気兵器に対する対抗策として絶縁能力を有する特殊合成ゴムも素材に混ぜこまれていた。

 

 無論、所詮大量生産品の野戦服、重装甲服とは違い無いよりマシ、という程度の意味しかないがそれでも反撃される訳にはいかない。衣類の防護を受けていない手か首回り、頭部を狙った。

 

 一発が胴体に、もう一発が首の近くに命中したのを確認した。

 

『ぎやぅっ!?』

 

 鶏が締められる時の断末魔のような悲鳴を上げるとそのままうつ伏せになり倒れる。二発も食らえば数時間、いや下手すれば半日は動く事も出来まい。

 

「少尉、止めは刺すな、そいつらは軍法会議行きだ」

 

 恐らく私がパラライザー銃を装備している事から理解出来るであろうが、念のため伝える。壁際でしゃがみながら隠れる少尉に駆け寄る。

 

「若様っ……!なぜ御一人でこのような所へ……!?」

 

 顔を周囲に回しながら警戒しつつ、私に尋ねる少尉。良く見れば手に持つブラスターはハンカチか何かで縛られ右手と固定されていた。左肩と右腕に銃創があるのが分かった。恐らく痛みでブラスターを落とさないようにするための工夫であろう。

 

「そりゃあ、味方の危機を放置出来んだろ?」

 

 強姦場面を窓から見守るとか「人間失格」かよ。悪いがそんな特殊嗜好はない。

 

「まぁ……一人でどうにか出来たみたいだから、逆に足を引っ張ったようだが……」

 

 先程の動きを見る限り、少尉ならば静かに相手を無力化出来た可能性がある。そうなるとド派手に窓硝子を吹き飛ばしてほかの逃亡兵に気付かれるような行いをした私は足を引っ張ったと言える。

 

そして一旦ちらりと少尉を見た後慌てて目を泳がせる。

 

「少尉、こんな時に……ちぃ、新手か!」

 

 連続する銃声に廊下から広間に繋がる扉を影に身を伏せる。

 

 障害物に隠れつつ広間に手鏡をちらりと出す。広間の奥にソファーを盾に隠れながら銃撃を敢行する兵士が二名。その傍のテーブルの下には老夫人が身を伏せて怯えている。

 

 幸運にも人の盾にはされていないようだ。唯でさえ人質の効果の薄いこの星で、生い先短い老人では人質にはならないとでも判断したのか。その意味では比較的やりやすくなっている。

 

……それでも困難には違いないが。

 

「……迂回する。少尉、ここで奴らを牽制しろ。無理して仕留めなくて良い。あの婆さんに当たらないよう適当に撃ってくれ。その隙に横の廊下を通って背後から襲撃する」

 

私が命令すると、少尉が強い声で反対する。

 

「若様、危険です!迂回ならば私が……」

「いや、少尉では両腕の怪我で重いパラライザー銃を持つのは厳しいし、射撃の精度も期待出来ない。私の方が適任だ」

「しかし……!」

「時間がない。援護しろ!」

 

 少々横暴であるが、実際立ち直りの時間を与える訳にもいかないので強引に議論を打ち切り命令する。まぁ、階級上だし、身分も上だから、多少はね?

 

私はそう言って立ち上がり駆けだす。

 

「若様……!?」

 

 悲鳴に近い声を上げつつも少尉は自身の仕事を完璧に果たしてくれた。廊下をかけ、横の扉を通り過ぎるために数秒間私が絶好の的になる事を防ぐため、咄嗟にブラスターを連射して相手の応戦を封じた。すぐさま反撃の銃撃が襲い掛かるが私は既に射角から外れ、少尉も壁を盾にして身を守っていた。

 

 パラライザー銃を構えながら廊下を曲がり、居間に繋がる書斎に向かおうとする。

 

「げっ……!?」

 

 同時に階段を下りて味方と合流しようとしていた逃亡兵の一人と鉢合わせした。

 

「「……!」」

 

 互いに横に突っ込むように跳びながら銃撃。当然双方ともに命中する事は無かった。転がるように互いに着地して再度の発砲。小さな爆発音。

 

「熱っ…痛ぇ……!?」

 

 パラライザー銃にブラスターライフルの閃光が命中すると放電と共に銃身が小さな爆発をする。銃身を構成する細かな部品が発火し、煙を出しながら弾けて軽い火傷をする。この様では恐らく壊れたか、そうでなくても次引き金を引けば暴発しそうであった。

 

 尤もそれは相手も同様だ。パラライザー銃から放射された電撃は精密電子機器とエネルギーパックを利用するブラスターライフルの内部構造に致命傷を与えたらしく、逃亡兵の手にあるうブラスターライフルからは明らかに良くない煙と金属が焼ける臭いが周囲に流れる。

 

 私と目の前の兵士は、コンマ一秒唖然とし、沈黙する。だが、次の瞬間には逃亡兵は腰の回転式自動拳銃を、私は伸縮式電磁警棒を引き抜いていた。相手が私に向けて引き金を引く。が、互いに近距離であったのが幸運だった。全長四十センチの電磁警棒は拳銃を横から殴りつける。発砲と共に銃弾は私の、恐らく額から十数センチ横を通過して壁に小さな穴を開けた。

 

『ぐおっ………!?』

 

 余りの衝撃であったからだろう。拳銃を持つ手に受けた痛みに小さな呻き声を上げる逃亡兵。だが、相手も歴戦の兵士なのだろう。反対の手は胸に備えた軍用ナイフを瞬時に掴んでいた。

 

 野球ボールを投げるように投擲してきた軍用ナイフを転がるように殆ど反射的に避ける。チュンや不良学生の訓練用戦斧を避ける経験が無ければ間違いなく胸元に命中していた。一応装着している簡易防弾着と軍服には防刃機能があるが前線で使うものではないし、そもそも軍用品の常として入札で一番安い価格で生産された装備だ。過剰な期待は出来ない。

 

「く……このぅ……!」

 

 私は崩した体勢を全力で立て直しつつ殆ど前のめりになって逃亡兵に近接する。私にはもう飛び道具はない。対して相手には旧式もいい所だが拳銃がある。距離を取られたら勝ち目がなくなる。

 

 相手もそれを理解しているのだろう、拳銃をこちらに向け慌てて一歩後方に下がり……。

 

『……!?』

 

 壁に背が当たり動揺する逃亡兵。戦闘に必死になりここが室内だと忘れていたのか、そうでなくても半日どころかせいぜい数時間しかいない屋敷の空間全体を完全に把握するのは簡単ではないだろう。その一瞬の動揺が徒になる。

 

『ぎぃっ……!?』

 

 私は逃亡兵の拳銃を持つ手を、より正確にはその指を警棒の突きで潰した。壁と警棒にサンドされた指の骨は折れた、少なくとも重度の打撲は負った筈だ。そこに電磁警棒の電流を受ければ恐らく腕は火の中に突っ込んだような激痛を受けている事だろう。

 

 憎悪の視線に瞳を潤ませて予備のナイフを引き抜こうとする逃亡兵。この距離から投擲、いや普通に斬り付けても間違いなく首元に致命傷を与える事は可能だろう。当然それを許しはしない。

 

 次の瞬間には電磁警棒が斜めに走り逃亡兵の頭部を殴打する。死なない程度に、しかし電撃も相まって確実に意識を刈り取る。

 

 目の前の逃亡兵を無力化する……と共に汗をどっさりと流して、一瞬膝を折る。

 

「はぁ‥はぁ……毎度毎度、宇宙暦に近接戦闘とか気が狂ってるな……!」

 

 おい、今の戦闘で何度殺されかけた?何で貴族の士官なのにこんな所でこんな戦闘しているんですかねぇ……!

 

「……はぁ、行くか!」

 

 息を整えて当初の目的に戻る……には問題がある。パラライザー銃がやられた。仕方ないので目の前でぶっ倒れている逃亡兵から拳銃と予備の弾薬を拝借する。回転式自動拳銃ならば使用経験はある。貴族様は黒色火薬の先込め銃を決闘で使うのだ。回転式自動拳銃だって使う。

 

「狙いは手足、頭は可能な限り狙わない、か」

 

 無論、出来ればだが。流石に自分の命と引き換えにするつもりはない。

 

 廊下を走り書斎から広間に出る。ナイスだ。ソファーを盾に少尉と銃撃戦をしている二人組がこの角度ならば丸裸だ。

 

『……畜生!アンネンコフの奴、殺られたか!』

 

 浅黒い顔立ち……恐らくムタリカ伍長がこちらに素早く火薬銃の銃口を向ける。

 

「ちぃ……!」

 

 拳銃を数発撃ち込むとすぐさま身を翻して物陰に隠れる。同時に連続して金属の弾ける音が響き渡る。ヒュンヒュンと鉛弾が宙を切り裂く音が響き渡る。

 

 銃撃の間隙を縫い、私は身を乗り出し発砲する。悪いが身を隠すものがある以上、私の方が圧倒的に有利だ。

 

『ぐっ……!糞貴族がっ!』

 

 何やら罵倒に近い言葉を吐き捨てながら伍長は銃口をこちらに……やべ、グレネード……!

 

 私は全力でその場から逃げる。同時にポンッ、とある種間抜けな音と共に射出されたグレネード弾は壁にめり込むと共に大爆発を起こした。床に伏せ、巻き上がる黒煙と火炎から身を守る。畜生、派手に吹き飛ばしやがって……!後で来る請求書と始末書が怖いだろうが!

 

 グレネードの爆音で耳鳴りが酷いが(鼓膜破れてないよな?)、急いで立ち上がり、再度応戦しようとするが、その時には既に二人の逃亡兵の姿は消えていた。

 

「ちっ……どこに行きやがった……!」

「若様!御無事ですか!?」

 

必死の形相でこちらに向かう少尉。

 

「大丈夫だ!それより……」

 

 恐らく激しい銃撃戦の真ん中でひたすら耐えていたであろう夫人に駆け寄る。

 

「フラウ・ブロンベルク、御怪我は!?」

 

耳鳴りが酷いので大声で、少々荒々しく尋ねる。

 

「い、いえ……私は大丈夫で御座います。そ、それより孫と夫が……」

「この家の人質は何人ですか!?」

 

 大声で怒鳴るように聞くので夫人も少々怯えるが、すぐに答える。

 

「ま、孫が二人に、夫が二階に……後、女性の軍人の方が……」

「孫と軍人は安全です!少尉!フラウを子供達の下に!その後二階の主人の方を!」

「わ、若様は……!」

「奴らを放置出来んだろうが!少尉はのびている逃亡兵に手錠して、家族の保護をしろ!」

 

 怪我をしている少尉を比較的安全な場所に待機させる目的もあり電磁手錠を投げてそう命令した後、私は拳銃を構え、恐らく逃亡した先であろうキッチンの方向に向かった。

 

そして、キッチンのある広間に入ると同時の事であった。

 

「うおっ……くっ!?」

 

 私は爆風と黒煙に身を伏せる。逃亡兵達がグレネード弾で吹き飛ばした窓硝子から外に逃亡したのは……。

 

 

 

 



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第七十七話 向日葵畑で捕まえて

本日二話更新です

第七十六話9時
第七十七話12時


 マーロヴィア星系唯一の居住可能惑星リガリアは宇宙暦250年代頃に入植が開始され、恐らく280年代末頃に事実上放棄された惑星だった。惑星の大半が乾燥地帯であるが豊富な地下水から生まれた160余りのオアシス、そして各地のレアメタル鉱山が入植者の生活を支えていたとされる。

 

 だが辺境航路の治安悪化、それによる輸送コストや食料コストの悪化によりこの惑星の入植事業を企画していた銀河連邦の「ビッグブラザーズ」の一つ、ウェイラント・ユタニ社は住民に殆ど説明なくこの惑星を放棄した。

 

 元より入植者の大半は中央宙域の貧困層や辺境の無戸籍者であり腐敗した銀河連邦の保護とは無縁の存在、不採算部門である事もあり企業上層部はこの星と住民の放棄に対して一切の良心の痛みは無かった。

 

 当初、惑星の住民は曲りなりにも惑星の統治を続けられた。だが、すぐに限界が来る。食料やインフラ、工作機械や電子部品等は基本中央からの輸入に頼っていたのだ。それらは消耗品であり、幾らかは自給を進めても全てとはいかない。少しずつ生活は悪化の一途を辿った。

 

 宇宙暦380年頃に限界が来た。物不足から来る暴動は暫定星系政府への抗議、最終的には内戦へと繋がる。政府は450年頃には完全消滅したと思われ、以来幾つもの勢力が離合集散し抗争を続けた。人口は最盛期には2000万はいたとされるが同盟と接触する740年代には400万程度に減少していた。辺境にて同じような運命を辿った植民惑星は三桁はあるとされ、その中には全滅した植民地も少なくない。その意味ではマーロヴィア星系の人々は「上手くやった」と言えた。

 

 ……それでも同盟中央星域の市民から見れば地獄であろうが。

 

 自由惑星同盟と協定を結んだ当時惑星リガリア最大の勢力は同盟の人的・物的援助を受け暫定星系政府を発足する。同盟の援助を受けてリガリア、そしてマーロヴィア星系の完全平定を進めた。

 

「まぁ、何でもいいさな。給料さえ毎月出るならな」

 

 バハルダール解放作戦に向け、荒地で集結する暫定政府軍の一人フェデリコ軍曹はトラックの上で仲間達とポーカーしながらそう言い捨てる。

 

 同盟中央自治大学やらハイネセン記念大学やらという所でお勉強したらしい役人達が事務をするようになってからはこれまで中抜きや未払いも多かった給料が全額支給されるようになった。日々の食事の質も上がり、将軍共の指揮も昔より上手くなった。死ににくくなり、金が出て、上手い飯が食える。ならば文句なぞない。

 

「ははは、この作戦が終わればもう戦いは無くなるんだろ?これじゃあ俺らクビじゃねぇかよ!どうすんだこれから?」

 

 半分冗談気味に笑う同じ部隊に所属するムタリカ。勝負に出たようでストレートを出す。

 

「糞、ブタだ」

「俺もだ」

 

舌打ちしながらライとアミンはトランプを投げ捨てる。

 

「何、星系警備隊とか言うのが出来るそうじゃねぇか。そちらに滑り込みすりゃあいいさ。どうせ娑婆に帰っても今更手に職ねぇしな」

 

 アンネンコフがそう言いながら自信満々でフラッシュを繰り出す。彼は10歳の時に地方の軍閥に村を焼き討ちされ、徴兵された。以来幾つかの勢力を転々とし、今では勝ち馬の暫定星系政府軍の一兵士と言う訳だ。尤も、そんな経歴珍しくもない、部隊の半分以上は似たようなものだ。当然軍曹自身もだ。

 

「私は学校に行きたいなぁ……」

 

 トラックの奥から少し幼い声がした。軍曹が振り向くと15、6歳程の少女がいた。

 

「ルチーカ、お前も物好きだなぁ?算数なんかして何が面白いんだ?」

 

 このトラックに乗る者の三人に二人は文字を殆ど書けないし、半分は恐らく同盟の標準的な10歳児程度の算術しか出来ない。学が無くても銃さえ撃てれば食べていけるのだからその事に不自由はない。そんな中、彼女は一番年下でありながら一番教育を受けた身であった。

 

「結構出来れば便利ですよ?それに勉強出来ればなりたい仕事も出来るっていってましたし」

「誰によ?」

「先生です!」

 

 彼女が言うのは同盟からNGOボランティアとして故郷の村に来ていた小学生教師であった。現地語を覚えた上で危険地帯に向かう物好きであったらしい。

 

 尤も、村は敵勢力により焼き討ちにあい、住民はボランティア団体含め皆殺しにされた。彼女を含め少数の生き残りは食べていくために暫定政府軍に志願する事になった。残念ながら無償で子供の生活を保障出来るほどこの星はまだ文明的ではないし、財政も豊かではないのだ。

 

 それにしてもほかに仕事があろうものと思うが。実際碌に人も撃てないので弾運びや料理人(残念ながら男衆に出来る料理は鍋と丸焼きくらいだ)等の雑用が彼女の実際の仕事だった。

 

「それで、お前さんは兵隊でなければ何になる気だぁ?」

 

フェデリコはふざけるように尋ねる。

 

「えっ?えっと……そうですね……お花屋さん、とか?」

 

半分照れるように答える少女。

 

「なんじゃそりゃ?食えんだろ?」

 

トラックに乗る兵士の一人ロイクが疑問を浮かべる。

 

「野菜や果物なら兎も角なぁ」

 

 基本そういう生活に不必要で、煙草や阿片のような使用による快感もない物なぞに価値を見出ださない彼らにはそんな物売れるのか?というのが素直な感想だった。

 

「う、売れますよ!……多分」

 

 どうやらボランティア達からハイネセン(彼らの地元らしい)の風景や生活を聞いて知ったらしい。

 

「この星でも平和になれば需要が出てくるって言ってました!ですので私がリガリア初の花屋を開くのです!」

 

 先駆者は市場を独占します!と自信満々に答える少女に半分呆れる同僚達。

 

「へいへい、まぁクビになった後の目標があるのは結構な事だ。俺らにはこの仕事以外思いつかねぇからな」

 

 実際、彼らの大半は兵隊以外に働き方を知らない。芯まで兵隊で、そして荒くれものとして生きてきた。今更ほかの生き方なぞ出来ない。生き方を変えられる人間や、価値観を変えられる人間はそう多くはないのだ。

 

 そう言って軍曹はロイヤルストレートフラッシュを繰り出した。

 

「おおおぃ!フェデリコてめぇイカサマしてんじゃねぇぞ!」

 

一人勝ちの筈だったアンネンコフが叫び声を上げる。

 

「うるせぇ!さっさとてめぇら賭け金だせや!」

「誰が出すかボケ!」

「吊るし上げじゃあ!」

「吊るせ!吊るせ!」

「トラックの先頭に括りつけて弾除けにしろ!」

 

 もみくちゃにトラックの中で暴れ始める兵士達。というより殆ど喧嘩である。

 

「ちょっ…皆さん止めて下さい!流れ弾が来るでしょう!ほわっ!?」

 

 ルチーカは飛んできた拳を寸前でしゃがんでよける。因みに拳は彼女の後ろにいた兵士の顔面にめり込んだ。当然顔面から鼻血を出した兵士はこの喧嘩に割り込む。

 

「おい、貴様ら何をしている!」

 

 結局喧嘩は士官が拳銃を上空に撃って無理矢理止めるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 反暫定政府軍最後の拠点たるバハルタールが攻略されたのはその一か月後の事だ。

 

 戦闘は一部で激戦が続いたが基本的に暫定政府軍の勝利だった。同盟軍からレンタルした軍事用ドローンを前面に押し出し、同盟地上軍の爆撃と特殊部隊の襲撃等の支援を受けた暫定政府軍は2000名余りの犠牲を払ったが立て籠もる敵軍が3万名を越えている事、厳重な要塞線を敷いていた事を思えば寧ろ少ない犠牲であったといえるだろう。

 

そう、例え友軍の誤爆で何百名もの味方が死んでいようと。

 

「それで、俺らは絞首刑ですかい?それとも銃殺ですかい?」

 

 連隊長司令部にて両脇に兵士に監視され、電子手錠で拘束状態のフェデリコは肩を竦める。バハルタール攻防戦にて部隊の過半が同盟軍の誤爆に巻き込まれて焼き殺されたフェデリコは戦いが終わるとすぐに同盟軍基地に殴り込みをかけ拘束を受けた。

 

「安心しろ、軍曹。今の我らが星系警備隊にそのような非人道的な軍規はないからな」

 

 自由惑星同盟の士官服を着た連隊長は椅子にふんぞり返りながら塵を見るように答える。暫定政府軍がマーロヴィア星系警備隊と改名したのは僅か三日前の事だ。下っ端は兎も角、士官階級の者や星都の防衛軍には支給された同盟地上軍の軍服を着こなす者がそこらかしこを歩き回っていた。

 

「軍規ねぇ、昔は逃げたら射殺、命令に背けば射殺、上官に反抗すれば射殺だったでしょうに」

「時代が変わったのだ。もう、昔のように何でも銃弾で解決する時代ではない」

「何が時代が変わった、だよ。散々そういうルールを押し付けてきたのはあんたらだろうが。ましてあんな事をしたお前さん達の言葉を信用出来るかよ……!」

 

 暫定政府軍は同盟軍と今回の誤爆事件の事実を隠匿した。マーロヴィア星系政府の市民と同盟市民の双方の非難を浴びる誤爆の事実は今後の両者の関係から見て好ましくなかった。幸運にも誤爆された部隊は旧来の盗賊同然の者達が中心となる部隊だ。同盟の援助を受けた、今後の星系警備隊の中核となる精鋭部隊ではない。公式には反体制派との戦闘による戦死とされたのだ。

 

「ロイクも、レイヴも、ライも、アミン、ビテック、ディアラ、ルチーカも死んだ」

 

全員生きたまま焼夷弾で焼き殺された。

 

 その言葉に、しかし連隊長は一切動揺もせず、冷たい目で睨みつける。

 

「そうか。どれもこれも下層民出身だな。幸運だ」

「……!」

 

 怒りのあまり殴りかかろうとするがすぐに両脇に控える兵士達によって阻止され、床に這いつくばる事になった。

 

「本来ならばさっさと軍法会議で罪をでっち上げて死刑にしてやっても良いのだが……お前にもチャンスをやろう」

 

 そう言って連隊長は同じく同盟軍服を着用する副官に命じて契約書を軍曹の目の前に置かせる。

 

「…これは?」

「見て分からんか?ああ、分からんだろうな。契約書だよ」

 

 連隊長は軍曹が文字を余り読めない事を思い出して説明する。

 

「お前達のような輩を欲しがる星があってな。我々からしても新しいマーロヴィアにお前達のような汚点はいて欲しくないのだ。治安が悪くなる。広い宇宙ならお前さんの居場所もあるだろうさ」

 

見下すように連隊長は語る。

 

「おいおい、そう取り繕うなよ。どっかでさっさと野垂れ死にしろ、の間違いだろうが?」

 

皮肉気に鼻で笑う軍曹。

 

「好きなように言え。どの道お前の選択肢は二択のみだ。私としても死体処理のために税金の無駄遣いは嫌でね」

 

暫くの沈黙のうち、軍曹は答える。

 

「……まぁ、ここには居場所が無いようだからな」

 

 そう負け惜しみを口にして軍曹はペンを受け取り、唯一書ける自分の名前を契約書に記入した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『まぁ、ここでも居場所は無いようだがな』

 

 休みながら、ふと半年前の事を思い出しながら小さくそう呟く軍曹。結局この地も自分達には馴染めなかった。結局命日が半年ほど移動するだけになる可能性が高そうだった。

 

『痛ぇな……!あの野郎、ちょくちょく人質の女といた貴族のボンボンか……!糞ったれ!俺の足を撃ち抜きやがった!』

 

 共にキッチンの影に隠れているムタリカは悪態をつきながら銃弾を受けた左足に消毒液を乱雑にかける。銃弾を抜き取る時間はない。凍結スプレーで傷口の流血を止め、包帯を巻き、瓶詰の鎮痛薬を噛み砕くように飲み込む。フェデリコはそんな同僚を一瞥した後銃の装弾を行う。

 

『はぁ…はぁ……計画が狂ったな、フェデリコ。奴らに居場所がばれたぞ?』

 

浅黒い顔を歪ませて、苦々し気に尋ねるムタリカ。

 

『……何、そう絶望する事でもねぇ。見る限り一人か二人か……大部隊で来ねぇと言う事は、まだ本隊は来てねぇと言う事だ。あの野郎、戦功欲しさに独走したか、女目当てに違いない。……いつも傍に置いていたから入れ具合の良いお気に入りだったんだろうさ。つまり準備不足だ。やり様によっては逃げ切れる!』

『やり様、ね』

 

 肩を竦めて皮肉気にくすくすと笑うムタリカ。確かにまだ破局ではないが、破局に向かう道は傾斜を増しているのは間違いないのだ。

 

『やれるのかね?恐らく残り三名は全員やられた。アンネンコフもザルバエフも、アムルだっておつむは兎も角戦闘技能は無能じゃねぇ。御貴族様とはいえ、幾らかは腕はあるのは違いねぇ。始末するなり、逃げきるなりできるのか?』

 

 無論、幾人かは不意打ちとはいえ、唯の甘やかされただけの貴族士官ではなかろう。時間的余裕に乏しい以上、仕留めるにしろ、無視して逃げるにしろ困難とは言わないが簡単ではないだろう。

 

『びびってんじゃねぇ。こういう事態も覚悟しての脱走だろうが。失敗すればその時はその時だ。そう珍しい事でもねぇ』

 

 生まれ故郷では村が焼かれる事も、街が廃墟になる事も、まして捕虜がそのまま処分される事は珍しくない。脱走は即銃殺だ。同盟政府が本格的に介入を始める前はそれが普通であったし、介入後も多々そういう事件は日常的に存在した。

 

 それ故、死ぬ事自体には然程恐怖はない。寧ろ貴族である奴らに許しを請うのはまっぴらだ。あの息を吸うように高慢な奴らは故郷の星系警備隊の奴らを思い出す。自分達を塵のように扱った奴らに。土下座して命乞いするくらいなら刺し違えて死んでやる。

 

 あるいは死ぬ事に関する感覚が麻痺しているのかも知れないが、それはお互い様というべきだ。彼らからすれば食料や資源ではなくイデオロギーやらと言う形無いもののために150年も、それも毎年何十万何百万も殺し殺されている事実の方がイカれているように思えた。

 

『死ぬなら死ぬでまぁいい。決めた事は後悔しねぇで最後までやろうじゃねぇかよ』

 

 そう言って床に転がるワインボトルを手に取るフェデリコ。屋敷の蔵から拝借していたものだ。コルク抜きがないので一発鉛弾を叩き込み吹き飛ばす。ラッパ飲みで中の豊潤な赤ワインを飲みこんだ。

 

『まぁ、ドローン相手じゃねぇだけマシか』

 

 ムタリカ伍長は肩を竦めながら語る。対帝国戦では互いに高度な電子戦を行うために無人兵器群は文字通り玩具同然であるが対テロ戦や外宇宙における戦いでは十分過ぎる程にその役目を果たしている。同盟軍地上軍の使う「月光」や「タチコマ」等と渾名される同盟地上軍の無人兵器群は帝国軍相手ならば唯の的だが辺境武装勢力にとっては絶望そのものだ。

 

 敵意も憎しみもない、情念の欠片もない機械に流れ作業のように殺戮されるのに比べれば人間同士の殺し合いであるだけ幾分かマシであるだろう。そう納得する伍長。

 

『ほれ、お前も飲んどけ。かなり上物だ。下手すれば人生最後の最高の酒だぞ』

 

 ボトルのワインを半分ほど飲み干すとそれを伍長に突きつけるフェデリコ軍曹。がぶ飲みのために口元から葡萄酒が零れ血を吐いたようになっていた。一部は軍装まで汚している。

 

 それを受け取り同じくがぶ飲みする。飲み干すと共にげぷっ、下品に曖気する。

 

『お、こりゃあうめぇな』

『だろ?』

 

 元より地元では葡萄酒は高級品のため殆どが質の悪いテキーラやビール、貧困層になると殆どメタノールそのものを水に薄めて飲む程だ。そのため同盟の民間企業がアルコール飲料を販売しだすと客が殺到して殴り合いや暴動、銃撃戦も起きた。二人もその時のアドリアンビールの味に感動したものだが流石に伝統的な手法で醸造される帝国風葡萄酒の前には大量生産品では太刀打ち出来ないようであった。

 

『よし、良い具合に痛みも引いてきた。どうする?基本方針?』

 

 鎮痛薬とアルコールで痛みを誤魔化したムタリカ伍長は軍曹に尋ねる。

 

『屋敷の中では分が悪いな。逃げながら孤立させて逆撃だ。運が良ければ上物の弾除けが手に入るかも知れん』

『オーケィ、じゃあ、行くか……!』

 

 そう言って伍長は手元のM4火薬式自動小銃に装着されたM775グレネードランチャーに榴弾を捻じ込むとテラスの見える窓硝子に撃ち込んだ。

 

 

 

 

 

 

「ちぃ、何でもありかよ……!」

 

 窓硝子をアクション映画の如くグレネードで吹き飛ばすと逃亡兵の残り二人は花園の中へと逃げ込む。向日葵畑の中に潜られたら簡単には見つけられない。

 

「待てや、コラァ……!」

 

 後々思えばここで危険を冒してまで追う必要は低かったかも知れない。友軍が来るまで待機するのも手の一つだろう。だが、逃げた先で別の人質を取る可能性もあったし、何より私自身興奮状態で正常な判断が出来ていなかったのだろう。そのまま二人を追っていた。

 

 向日葵を踏み潰しながら(ああ、弁償代金が増えていく)、必死に逃亡兵の背中を追い、拳銃を構える。

 

「ちぃ、手足を狙うのは難しいか……!」

 

 暗視装置を装着していても、夜間に、しかも遮蔽物のある中走りながら移動目標を撃つのは、まして古めかしい回転式自動拳銃では無理がある。数発程、死亡させる覚悟で撃ち込むが当たりもしない。

 

 そして目の前の相手に夢中になるがために周囲に気を配る事が出来なかった。

 

「この……つ!?」

 

 次弾装填して相手に銃口を向ける瞬間、殺気のようなものを感じた。宇宙海賊やカプチェランカで感じたものだ。人の気配、視線と言っても良いかも知れない。そして私は慌てて伏せる。同時に頭の上を何かが空を切る音と共に通り過ぎる。

 

『ちぃ…!餓鬼の分際で勘が良い……!』

 

 十数メートル横合いから銃撃してきた浅黒い兵士が更なる銃撃を浴びせる。咄嗟に向日葵畑の中で転げるように隠れながらその鉛弾の洗礼から身を守る。

 

「糞っ……待ち伏せかよ……!」

 

 相手が暗視装置を装備してなくて良かった。恐らく月明かりのみを頼りに銃撃してきたのだろう。そうでなければ今の第二射で殺られていた。

 

私は背を低くしてゆっくりと動く。

 

「……警戒しているな」

 

 向日葵畑に隠れ、暗視装置の光学カメラから見える映像は逃亡兵二人が銃口を周囲に向けながら警戒しているのが見える。

 

 二対一か……ここで無理して双方無力化する必要もない、か。ここに潜むだけでも奴らの逃亡を抑止する事が出来る。味方が到着するまでここで牽制に徹するべきかもしれない。

 

 ゆっくりと、音を立てずに装備を確認し、弾を装填する。

 

 このまま何も起こらなければ私の勝ちであった。時間は私の味方だ。時間稼ぎさえ出来れば良いのだ。そう、何も起きなければ、であったが。

 

「若様!どこにいらっしゃいますか……!」

 

殆ど悲鳴声が向日葵畑に広がる静寂を破った。

 

それは明らかにノルドグレーン少尉の声であった。

 

 迂闊であった。恐らくは私の身の安全を案ずるばかりに気が動転していたのか。あるいは疲労により頭が鈍っていたのか………。

 

 いや、それは少々過小評価であろう。私の危険を理解して敢えて声を上げる事で私への注意を逸らした可能性が一番高いかも知れない。自惚れではない。彼女は私よりもずっと頭の回転が速い。そして従士ならばそれくらいの自己犠牲をして見せるだろう事は私は経験で十分理解していた。

 

「馬鹿野郎、無茶しやがって……」

 

 小声でそう呟きつつも、嫌悪感や不快感はない。彼女にとっては与えられた役割を果たそうとしているだけの事だ。達成出来なければ彼女の立場が困る以上責める訳にはいくまい。

 

 火薬式自動小銃とブラスターの撃ち合いが始まった。逃亡兵達は声の方向に銃撃を始める。応戦するように光条が闇の中で発光する。

 

「……やるしかないな」

 

 このままでは少尉の身が危ない。ならば……迅速に相手を無力化するほかない。

 

 向日葵畑を影に逃亡兵の一人に接近する。火薬式小銃は銃声が大きいので多少の音には気付きにくい。

 

『……!?』

 

背後から電磁警棒の一撃を頭部に与える。

 

『ごおっ……この……!!』

 

 相手が反撃しようとする前に足を払い姿勢を崩させる。こちらを撃ち抜く筈であった銃撃は空に空しく消えていく。そのまま勢いよく足蹴りで相手を押し倒すが……。

 

『舐めるな、ボンボンがっ!』

 

 押し倒されると同時に浅黒い肌をした伍長が前に出された足を掴み捩じる。

 

「ぐおっ!?」

 

 そのまま私も転げるように地面に倒れる。私達は同時に起き上がる。振り払われるナイフの一撃を電磁警棒で受け止めた。そのまま士官学校で学んだ警棒術でナイフの軌道を受け流し、体を回転させながら相手の首筋に一撃入れた。

 

『あがっ………』

 

 今後こそ白目を剥いて倒れる逃亡兵。私は倒れた逃亡兵に電磁手錠をかける。

 

「後一人……!」

 

 私は銃撃戦を演じる場所へと走る。ブラスターの光条と、暗視装置のおかげでどちらが敵で味方であるかは一目で分かっていた。

 

「少尉!無理するな!後退しろ……!」

 

回転式自動拳銃を発砲して逃亡兵を牽制しながら叫ぶ。

 

「若様っ!若様こそ後退を……!これ以上は危険過ぎます!御母上様が御心配なさいます!ここは私が足止めをしますので!」

「ちょっとここで大声で母上出すの止めてくれない!?」

 

いつまで経っても母親離れ出来ないみたいに思われるでしょうが!

 

『ぎゃーぎゃー煩せぇぞ!箱入り貴族共がっ!』

 

 宮廷帝国語を使うために公用語以外分からない軍曹には何を言っているのかは分からないがどうやら下らない内容である事は分かったようだった。罵倒の言葉を吐きながら一層激しい銃撃をする。狙いは少尉だ。暗視装置を装備せず、かつブラスターは発砲によりこの暗闇では火薬式銃よりも大まかな位置が分かり易いためだ。

 

 そして銃弾の一発が少尉の左腕に掠ったのが暗視装置越しに見えた。アサルトライフルの銃弾は掠るだけでも場合によっては肉を引き裂く。まして野戦服も着ず、人質として疲労し、まして女性である少尉には軽い怪我とは言えなかった。蹲る少尉。

 

「ちぃ……!」

 

 私は発砲しつつ少尉の下に駆け付ける。一発が逃亡兵の胸に当たる。尤も野戦用防弾着を着ている相手には小口径の拳銃では大した負傷は与えられない。少しよろめくがそれは衝撃によるものでそこまで大きなダメージは無さそうに見える。

 

「少尉、大丈夫か!?」

「も、問題ありません……!この程度……!」

 

 自身のスカーフで傷口を縛ったのだろう。しかしスカーフには既に赤い血が滲んでいた。深くは無かろうが浅い傷ではないだろう。

 

「何が大丈夫だ!いいからさっさと引け!こんな詰まらん所で死なれたら困るんだよ!」

 

そんな事を言って振り向くと……あ、ヤバい。相手が体勢を取り戻した。

 

自動小銃をこちらに向ける逃亡兵。おう、丁度月の光がバックにあるから随分と狙いやすいだろうな。

 

 少尉も、疲労と痛みで流石に冷静な思考と判断は出来ていないようで……あるいは気付いていないか……避けようとしていないようだった。

 

「まず……畜生!」

 

 軍事的には当然の判断だった。簡易とはいえ防弾着を着て怪我も浅い切り傷程度の私が、重傷で禄な防備もない少尉よりも生存率が高いのは明らかだった。

 

だから、咄嗟の判断で私は少尉の前に出る。

 

……うん、正直タタタ、と発砲音が聞こえたと同時に少し後悔した。

 

「ぐえっ……!?」

 

鶏が絞殺されるような声を上げながら、銃弾の運動エネルギーで私は後ろに倒れる。

 

「わ、若様……!」

 

 悲鳴に近い……いや、文字通りの悲鳴が響く。怒りの表情で、最後の逃亡者にブラスターを発砲する少尉。軍曹は小さな悲鳴を上げ向日葵畑に倒れこんだ。太股を撃ち抜かれたらしく、遠目からでも苦悶の表情で地面で呻いているのが分かる。もう逃げる事は不可能だ。

 

 脅威を一応無力化したのを確認すると、少尉は倒れる私に必死に駆け寄る。

 

 銃弾跡は簡易防弾着の胸元……心臓の近くに小さな穴を開けていた。そして後方勤務の事務要員に配られる簡易防弾着は、旧式の上に安物で、着ていないよりマシ、程度の性能であると考えれば胸元への銃撃は限りなく致命傷に近い。

 

 それでもこれが十分な医療設備がすぐ傍にあればまだ治療も可能であろうが、当然ながらそんな物はこの近くにありやしない。即ち、それは詰み、と言う事だ。

 

「あ、ど、どうすれば……あ、まずは傷口をどうにかしないと……」

 

 倒れる私の傍で膝を折り、混乱する頭でどうするべきか思案する少尉。その表情は恐怖と絶望に歪み、その眼は潤み始める。

 

 だが、そんな事をしている内に私の体は急速に冷たくなり、意識は混濁………。

 

「いや、しないからっ!?」

 

 慌てて私は起き上がると共に突っ込みを入れる。危ねぇ、もう少しで死亡扱いされる所だった……!

 

「……はい?」

 

 訳分からない奇声と共に起き上がる私に口を開いて訳分からない、という表情を作る少尉。うん、凄い分かる。

 

「あ、あの……若様、御体は………」

「ん……ああ、衝撃は結構痛かったが恐らく………」

 

 簡易防弾着を脱ぐと軍服と防弾着の間から地面に何か光る破片が落ちる。

 

「これは…まさか………!」

 

少尉は顔を再び引き攣らせる。

 

「ああ、あの糞大佐の助言を聞いて正解だったな」

 

 尤も、こういう形で役立つ等と思っていなかっただろうが……。

 

 私は粉々になった名誉勲章の残骸を見つめながら肩を竦める。五芒星のメダルは銅に金メッキをしたものだ。防弾着を貫通した弾丸はその先のメダルに受け止められ、それでも衝撃は殺し切れなかったのだろう。上着とシャツの間で止まっていた。出血は無いがかなり衝撃を受けた。痛い……。

 

「かなり運が良いな……。痛っ……」

 

胸の辺りを摩り、私は立ち上がる。

 

「少尉、それでは最後の逃亡者に御縄についてもらおうか」

「あ、しかし……いえ………」

 

 怯える表情で、しかし命令には従わなければならないと理解したのか、すぐに立ち上がりブラスターを手に私について来る。

 

 ……これは流石に後でフォローがいるよなぁ。絶対色々言われるだろう。……出来れば今すぐ言いたいが状況が状況なので悠長にはいかない。

 

なので、今言えるのは一つだけだ。

 

「少尉」

「は、はい……」

 

 不安そうに応答する少尉に私は少々言いにくいがずっと気になっていたので指摘する。

 

「……カッターシャツの釦だけでもいいから止めてくれないかね?その……ちょっと緊張感が出ない」

「えっ?……り、了解しました……!」

 

 言われて初めて気づいたのだろう。胸元が少し開けているシャツの釦を止めて、上着で隠す。うん、白レースとか地味にチラ見したよ?正直戦闘中に滅茶苦茶気になるから隠してくれた方が良いんだよ……。感想?取り敢えず豊満重点ですね。

 

 僅かに空気が柔らかくなった事を確認し、私は改めて緊張感を持って歩き始める。恐らくもう逃亡は無理であろうが、油断は出来ない。

 

 私は少尉を控えさせ、最後の逃亡兵の下に向かう。無論不用意には近づかない。まずは勧告する。

 

「……亡命地上軍、第36武装親衛師団フェデリコ軍曹だな……!」

 

 十数メートル離れた場所から私は声を上げる。私は拳銃を、少尉はブラスターを持っていざという時の迎撃準備をする。

 

 遠目に見れば人影が右手に小銃らしきものをこちらに向けているのが分かる、が仮に撃ったとしても今の軍曹では暗闇と疲労と怪我の痛みで当てるのは困難だろう。実際、足に怪我を受けた軍曹は倒れた体勢で、息も荒い。

 

「……ソウダ!」

 

少し訛りのある同盟公用語で叫ぶ軍曹。

 

「軍曹、貴官の選べる選択は二つだ。ここで抵抗して射殺されるか、ここで投降して軍法会議で裁判を受けるかだ。前者を選べばこの場で確実に死ぬ。後者を選べばこの場で助かり、怪我の治療は受けられる。裁判次第では助命の可能性もある。何方を選ぶ!?」

 

 まぁ、裁判でも十中八九ギルティだけど。それでもここで死ぬよりはマシな筈だ。

 

「………ワカッタ、サイバンウケル」

 

暫しの沈黙の後、疲れ切ったような声で軍曹は答えた。

 

「では武器を捨てろ……!」

「………」

 

 数秒考えこむ軍曹は、手に持つ小銃を投げ捨て、次に拳銃を、そしてナイフを取り出し遠くへと放り捨てる。

 

「……ステタ!スベテステタゾ!」

 

 命乞いするような声に私は、しかし情けないと思うよりも安堵の溜息を漏らす。正直意地になられても殺す側は陰鬱になる。素直に命を惜しんでくれた方が気楽だ。

 

「よし、行こう」

「お待ち下さい、若様。私が先行します」

 

私が向かおうとすると、少尉が進言する。

 

「いや、お前は随分弱っている、私が先に行く。……何、武器は捨てているんだ。油断は出来んが気を張り過ぎるな」

 

 そう言って怪我と疲労で弱っている少尉は後ろに下がらせる。無論、不意の反撃に備えて警戒は怠らない。

 

「り、了解しました……」

 

 弱弱しい返事を返す少尉。私は頷いて、改めて軍曹の下に拳銃を向けつつゆっくりと近寄る。

 

「立ち上がって手を上げろ」

「アシ……ウタレタ。アシ……」

 

懇願するように訴える軍曹。

 

「手錠かけた後で応急処置はしてやる。さっさと立て!」

「ア…ウゥ……」

 

 渋々と言った風に軍曹は立ち上がる。少々酷かもしれないが相手は凶悪犯だ。勘弁してもらいたい。

 

 立ち上がった軍曹に拳銃を向けつつ武器を隠していないかポケットや胸元、腰に触れる。武器が無い事を確認した上で電磁手錠をかける。永久磁石を利用した電磁手錠を人力での破壊は不可能だ。

 

「よし、足を撃たれたんだな。少し待て。痛み止めと止血はしてやる」

 

 ここでようやく警戒を解き、私は軍曹の出血する左足に向け膝をつきながら応急処置に入ろうとする。

 

その時だ。

 

「ん?」

 

軍曹の軍靴の下に何かがあるのに気付いたのは。

 

『誰がお前達に命乞いするかよ。くたばれ、ボンボンが』

 

 砂と共に私に蹴り上げられたのは安全ピンを抜いた手榴弾だった。

 

「あっ……」

 

 空中に浮かぶ手榴弾を見て、私は目を見開く。流石にこれは予想していなかった。この距離だと軍曹も確実に巻き添えになる。まさか刺し違えてまで私なぞを殺す気であるとは思わなかったのだ。

 

故に奇襲であった。

 

 安全ピンが抜けた手榴弾は5秒程度で爆発する。そしてこの事態を予想していなかった私は咄嗟に体が動かなかった。

 

あ、これ死んだ?

 

 恐怖心を抱く暇もない。私は唖然とした表情で死の瞬間を……。

 

「若様っ!!」

 

迎えなかった。

 

 咄嗟に腕を引かれ後ろに下がる。そして誰かに抱きしめられ、回転しながら地面に倒れる。同時に弾けるような爆発音が響いた。

 

「……!ノルドグレーン少尉!」

 

 今度は私が悲鳴を上げていた。慌てて私の上に倒れる少尉を抱きしめながら叫ぶ。

 

「わ……若…さま?ご…無事…でしょう…か……?」

「当たり前だっ!お前が盾になったからな……!」

 

 手榴弾は近くで受けた際は破片の飛びにくい地面に伏せるのが一番生存率が高い。私の場合、そこに更に上から覆い被さる少尉がいたため当然のように無傷だった。

 

 それはつまり少尉が破片を私の代わりに受けた、という事だ。見れば太腿や脇、肩から出血していた。決して深くはないが、弱っている少尉には決して軽い傷ではない。

 

「そう……ですか。はぁ……最後…くらいは…役目を……はたせました…ね……」

 

 荒い息をし、苦し気に、しかし私が無事な事に心底満足そうに答える少尉。

 

「……!待っていろ!」

 

 私は少尉を上向きの体勢にして上着を脱がす。べっとりと濡れる白いカッターシャツが痛々しい。私は傷口に冷却スプレーと消毒液をかけると共に軍服のスカーフをナイフで切って包帯代わりにして止血に努める(元より同盟軍服のスカーフの装備目的である)。

 

「おかまい…なく……どの道…捕囚は……恥です…じ…けつ…よりも…盾でしたら……家に顔を……たてられ…ます…ので……」

「馬鹿いうな。ここで死なれたら寝覚めが悪すぎる……!ミスなら後で取り返せ!」

 

 お前さんを盾代わりにしてその親兄弟に偉そうに頭を下げさせられないだろうが……!

 

『うぐっ……』

 

 耳をすませば、自爆しようとした軍曹もまだ息の根があるようだった。悪いな、お前さんの治療は後回しだ。死ぬなら死ね。運が良ければ死ぬ前に救援が来るだろうさ。

 

私は目の前の少尉の応急処置に専念する。

 

しかし、少尉は寧ろ疑念に近い瞳で私を見ていた。

 

「はぁ……ご…かんだ……い……です…ね……」

「まぁな。貴重な臣下をほいほい捨てんよ……!」

 

両手を真っ赤にしながら私は答える。

 

「だからお前もこの程度気に病むな。後で私から両親に口利きしてやる!」

 

 そう言って安心させる。しかし、少尉の視線は寧ろ、悲しそうだった。

 

「でし…た…ら……」

 

何故姉は駄目だったのですか?

 

 振り絞るように、口から血を流しながら、少尉は呟いた。

 

「えっ……?」

 

その意味が理解出来ず、私の手が一瞬止まる。

 

 それと同時だった。空から爆音が響き、突風が向日葵畑に吹き荒れ、サーチライトが周囲を照らしたのは。

 

「あっ……」

 

 空を見上げる。それはヘリだった。夜間飛行用のそれは同盟地上軍の偵察ヘリだ。その周囲には護衛の戦闘ヘリと人員輸送ヘリ、赤十字マークのドクターヘリもあった。

 

 ヘリが次々と着陸し、兵士達が降り立つ。逃亡兵の捕縛と緊急搬送、そして私の保護と少尉の治療の命令が響き、我々を囲む。

 

「地域調整連絡官のティルピッツ中尉ですね!救援に参りました!御怪我は!?」

 

 傍に駆け寄る兵士の呼び声にしかし私は答える事は出来なかった。私の視線は担架で慎重にドクターヘリに運び込まれる少尉にしか向いていなかった。

 

 私は、無事保護されたにも関わらず、その気持ちは寧ろより重苦しく感じていた。そして、少尉の言葉の意味を理解すると共に苦悩の表情を滲ませて膝をつき、血まみれの手で頭を抱えていたのだ。

 

 

 

 

 3月14日2320分、フローデン州ジークブルク市周辺で起きた亡命軍外人兵脱走事件はここに一応の終結をした。

 

 

 

 

 

 

 




同盟軍ドローンは「虐殺器官」、「攻殻機動隊」、「メタルギアソリッド4」、「劇場版PSYCHO-PASS」のそれがそのまま暴れているのをイメージしてください。

マーロヴィアではドレビンめいたフェザーン商人が戦場で武器を売ってそう

少尉は死なないから安心してください。取り敢えず少尉を盾にした若様は吊るし首決定でいいよね?


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第七十八話 報連相は大事だと言う話

話が纏めきれずに二万字越えとる……取り敢えず主人公は責任取ってギロチン台に立って

不評だったら修正するかも


「……止みそうには無いな」

 

 粗末、という訳では無いが長く放置され余り保守点検されていなかったためであろう。埃とカビの目立つ窓の中から外の様子を見てそう呟いた。

 

 嵐は一層激しくなりつつあった。曇天の空、雷雨が降り注ぎ、薄暗い、小さな一つの洋燈のみが照らす小屋の中は冷えた空気が充満する。換気のためとはいえ、一度窓と扉を開いて空気を入れ替えたせいだ。

 

「わ、わかさま……ほんとうによろしいのでしょうか?」

「ん?気にするな。所詮は非常食だ、構わんさ。文句が出れば私が口聞きしてやる」

 

 小屋の奥で供えられていた非常用保存食を手にしながらおろおろとした表情をする幼い少女。

 

 この小屋、いや新美泉宮の敷地にあるものはオーディンの宮殿と同じように木々の一本、薔薇園の薔薇一本、川の魚一匹に至るまで全人類の統治者たる皇帝陛下の所有物だ。

 

 そのため彼女の手元にある乾パンやらコンビーフすら当然皇帝陛下の物であり、それを掠めとるのは大罪にほかならないのだ。

 

 ……ぶっちゃけこんな小屋にある忘れ去られた保存食程度で刑罰に処されるとは思えんがね。万が一糾弾されたとしても私が我儘坊ちゃん宜しくグスタフ三世陛下と母に泣きつけば確実に無かった事になる事請け合いだ。

 

 家族好きのグスタフの大叔父さんは若い頃から兄弟姉妹を良く可愛がっていたし、特に可愛がられていた末の妹が私の母方の祖母、姪に当たる母の事も良く世話していたし、母も小さい頃良く甘えて(我儘言って)いたそうだ。当然その子供の私の事だって同様だ。

 

 ……いや、寧ろそれ以上かも知れない。死産と流産した後にようやく生まれた(毒か遺伝子的なものか偶然かは知らん)のでかなり母に溺愛されているとは自覚しているし、陛下から出産祝いで調度品やら祝い金やら荘園(当然のように住民込み)が下賜されている。間違いなく私が擁護すればこの程度の細事ならばどうにかなる。

 

「まぁ、そういう訳だ。ギロチン台を上がる事はあるまいよ」

「いえ……いやそれもあるのですが……」

 

ちらちら、と不安そうにこちらを見やる少女。

 

「……なんだよ?」

 

 不機嫌な表情を浮かべ私は尋ねる。言いたい事があればさっさと言って欲しい。これ見よがしに不満そうな表情をされても腹が立つのだ。

 

「い、いえ……その……わかさまはおなかはすいていないのですか?あれだけではたりないとおもいまして……」

 

心底心配そうな表情を向ける少女。

 

「むっ……それは……」

 

 私がここに避難してから口にしたのは幾つかの乾パン程度だった。

 

 別に口に合わない、とかいう我儘な理由ではない。確かにこっちで育って七年程度は経っている。その間柔らかい、品質と味に拘った一流の料理ばかり口にしてきた。舌はそれが基準になっているし、胃袋もいきなり低品質で固い物を受け付けるのは難しいのは事実だ。だが、最大の理由は違う。

 

「お前の方が疲れているだろう?気にせず食え。ここで倒れられたらこっちが困る」

 

 雨の中一人走り回って随分と弱っているだろう。濡れた服は干して今はシャツに毛布姿だ。小屋は当然ながら寒い。同い年の、しかも女子となれば私より遥かに休養と食事がいる筈だった。

 

「ですが……わかさまになにかあればたいへんです!どうかおたべください」

 

 そう言って小さな子供が食べ盛りであろうに食べ物を差し出す。

 

「別に良いと言っているだろう。お前が……」 

 

そこまで言って、腹が鳴る。……凄く恥ずかしい。

 

「やはりあのていどではふそくです!どうぞわたしなぞおきになさらずおたべください!」

「……ああ」

 

 空腹の音について自分の中で無かった事にして、羞恥心を圧し殺して偉そうに答える。子供の体だからね、仕方ないね。

 

 尤も、少女を立たせて全て一人で貪るのは流石に酷い絵面になるので粗末なベッドの上に座るとずっと直立不動で立っていた従士を手招きで座らせる。

 

「いつまでも立っていても疲れるだろう?半分に分けるからそれくらいは食え」

「えっ……よ、よろしいの…ですか……?」

「……構わんよ」

「……!!は、はい!」

 

 感動した表情で少女は承諾する。主人の前での食事は通常であれば非礼、まして私生活で共食ともなると相手を信頼している場合のみ許される事だ。別に信頼している訳ではないが、こうでもしないと多分食べようとするまい。どうせ他に見ている者なぞいないし、子供のやる事、これくらい譲歩してやる。

 

 私は淡々と味気ない保存食を口にする。ゆっくりと、良く噛みながら食事を進める。そこに娯楽性はなく、作業に近い。尤も、家で食べる料理も余り楽しめないが。テーブルマナーはまだ良い。だが、高級料理が出る度に自身が貴族であることを自覚させられ、それが将来の破滅を意識させるのだ。食事一つですら憂鬱になる。

 

 一方、目の前の従士の方は全く対照的に、非常に感動した様子で、楽しそうに食事をしていた。

 

「わかさま、どうぞこちらもおたべくださいませ!」

 

 それでもちゃんと自重し、非常食の中で比較的柔らかく良い物は優先的に私に差し出す。悪口では無いがこの歳の子供なんて食い意地が張っているのが普通だ。これまでの候補と言い、良くもまぁここまで御利巧さんに躾けていると思う。正直、私のせいで厳しく、窮屈に躾けられているのだと思うと心苦しくなる。

 

 陰鬱な気持ちで碌に私は会話もせず、ぼそぼそと食事を摂っていき(時たま従士が甲斐甲斐しく口元を拭き取ろうとしてきたのであしらった)、それが終わると遂にやるべき事が無くなった。

 

「わかさま、このてんきですのできゅうじょがいつくるのかわかりません、どうぞいまはそれにそなえておやすみください!」

 

 子供らしさがまだ抜けないアクセントで、古びたベッドの埃を拭いて、あるだけの毛布を集めて皴を伸ばす。そうして寒さを凌ぎながら一応眠る事の出来る寝床を作り上げる。おう、どうしてお前そこにまた突っ立ってるの?

 

「わかさまがおねむりになられるのにおじゃまするわけにはいきません!」

「さいですか」

 

 本当に見上げた忠誠心だな。マジでどういう教育受けているんだ?こんな奴らばかり周囲にいれば原作貴族の腐敗ぶりも残当だな。

 

「……お前が……いや、何でもない」

 

 彼女にベッドを使わせて自分が床で寝ても良いのだが、絶対に了承しないだろう。とは言っても流石に自分がベッドで薄着で寒そうにしている女子をそのままというのもなぁ……。

 

「くちゅ……!」

 

 あ、小さいくしゃみをした。……これは放っておいたら風邪、というか割とガチ目に凍死の可能性もあるよな……。

 

「むぅ………」

 

 少し、というかかなり恥ずかしいのだが、私も付き人から外したいとは考えていても酷い目に合わせたい訳でも無い(もう私のせいでかなり迷惑かけているが)。私一人恥をかくなり、不快な目で見られる程度で済むのならよかろう。

 

「……おい、半分使え。風邪になって移されたくない。無論無理にとは言わんが」

 

問題は相手に嫌と言われる可能性が高い事だが……。

 

「わかりました!」

「即断!?」

 

 私の突っ込みを他所に粗末な毛布の中に珍しくはしゃぐように入り込む付き人候補。

 

「……提案した私が言うのも何だが、良く即決したな」

 

 我儘主人とベッドを共同使用なんて嫌がるか、百歩譲って忠誠心が勝っていても無礼だなんだ言って遠慮するかもと予想していたが……。

 

「おとーさまがいっていました!わかさまのごめいれいはきくように、とくにいっしょにねるようにいわれたらとってもめいよなことだからぜったいにきくようにって!ですからとってもめいよなことなのではんたいなんてしません!」

「アッハイ」

 

 取り敢えずきらきらした瞳で答える従士に目逸らしして答える。あ、そういう事なのね!?本人が良く理解してなさそうだけど多分そういう事なんだよね!?

 

 正直、純粋な娘で助かった。不用意に口を開いていたら下手すれば地雷を踏んでいた。普通に考えたら臣下の娘を地位に任せて無理矢理手籠めにしたらライトスタッフルールに殺される……なんて冗談は置いといても相手の一族と顔合わせるのも怖くて出来まい。晒し刑とか公開処刑なんてレベルじゃねぇ。

 

「……毛布はこれをやる。こっから半分がお前の寝床だからな」

 

 そう言って大まかな寝る場所を決めると付き人候補に背を向けて雷雨の音を子守歌代わりにとっとと目を瞑ってしまう。

 

 

 

 

 ………夢を見ていた。そこは多分軍艦の中だと思う。眼前に浮かぶのは灰色の艦隊。私は宇宙戦艦の艦橋で茫然と立ち竦む事しか出来ない。周囲ではモスグリーンの友軍艦艇が次々と火球と化し、原子に還元されていく。無線通信からは友軍の悲鳴が響き渡る。部下の艦艇が、あるいは上官の艦艇が次々と撃ち減らされる。メインスクリーンには白銀色に輝く流線型の幻想的な戦艦が投影される。それを見た私は悲鳴に近い声を上げる。

 

「に、逃げろ……!全速力でにげ……」

 

 そこまで口にしようとして、私は固まる。逃げる?そのような事が許されるのか?たかが三代の歴史しかない帝国騎士、まして寵姫のスカートの下に隠れる男から?帝国開闢以来の伯爵家の嫡男が?許される訳がない。帰れば周囲の白い目が突き刺さる事は間違いない。実家から勘当される、それだけならまだいい。きっと家族も、臣下も巻き添えを食らう事請け合いだ。

 

 そこまで理解して、私は震える。逃げる事なぞ出来ない。だが、立ち向かう?無理だ。そんな事出来る訳がない。私は良く知っているのだ。あれは勝てない。あれに勝てるのはぼんやりと艦橋で胡坐をかく戦場の魔術師だけだ。どれ程の大軍を集めようと、名将が技巧の粋を集めようと、あの獅子は魔術師以外では勝てない。ましてたかがぼんぼんの貴族様が敵う道理がない。

 

「ひぃ……」

 

 頭の中で絶望が支配する。同時にそれが徒になった。次の瞬間、艦艇が大きく揺れる。何事かと理解する前に爆炎が艦橋を包み込んだ。酸素が一気に燃焼し、肺が焼ける。同時に耐熱性と難燃性に優れる筈の軍服が発火した。肌に至っては焼けただれる。

 

 悲鳴を上げる事は出来ない。喉はやられていた。不運な事に艦のダメコンは優秀に作動して一気に爆沈する事はなく、数少ない無傷の生存者がシャトルに搭乗するまでの間私の苦しみは長く続く事になる。融けそうになる眼球が艦内のほかの乗員が焼かれながら暴れる姿、あるいは床でのたうち回る姿、炭素の塊となって永遠に沈黙する姿を映し出す。その瞳は私を見ている気がした。

 

 もっと早く命令していればこんな事にならなかったのに……!

 

 その無言の糾弾にしかし、言い訳をする意味も時間もない。私自身の足が崩れ、床に倒れこみ、私は炭素の塊になるその瞬間まで意識を持ったままゆっくりと苦しみながら朽ち果てた……。

 

「はっ…あっ……!?」

 

次に私は気付けば絞首台にいた。

 

 そうだ、今はラグナロック作戦中だった。フェザーン進駐により、イゼルローン駐留艦隊は要塞を放棄した。その上でバーラト星系に続く諸惑星は無防備宣言をする事を最高評議会は認可した。多くの惑星は帝国軍に降ったが、アルレスハイム星系は金髪の淫売の弟に降伏する事を良しとしなかった。結果凄惨な攻防戦が繰り広げられた。

 

 惑星全土で、民間人を平然と巻き込み戦う亡命軍。私はその一軍を指揮していた。次々と突破される防衛線。臣下が次々と死に、遂に追い詰められる。徹底抗戦を叫ぶ部下達に、しかし私は命惜しさに一人降伏した。

 

 尤も、民間人を犠牲にして戦った私を高潔なローエングラム元帥府の将兵が許すとも思えない。民間人を盾にし、安全な後方に引き籠り、圧政を敷いていた貴族の残党として吊るされる。領主を信じて戦っていた領民や私兵達は自分達を裏切り一人降伏した私に憎悪の視線を向ける。皮肉な事に処刑されるまで私を守る最も信頼出来る護衛は帝国軍という有様だ。

 

 多くの憎悪の視線に突き刺されながら絞首刑に処される。

 

「あがっ……!?」

 

 不運な事に縄の長さが足りなかったのか首の骨を折って即死出来ずにもがき苦しむ。贅を尽くした生活を送り、卑怯にも投降した私に領民の罵詈雑言が飛び交う。悪意と敵意に包まれながら私は泡を吹いて窒息死した。

 

 あるいはバーミリオン会戦に参加する。必死に金髪の小僧を抹殺しようとした所で横合いからやってきた援軍により私は原子に還元される。

 

 あるいは正統政府の一員としてハイネセンで帝国軍に包囲される。私は絶望しながら毒を呷って、しかし臆病にも量を少なくしたせいで無駄に苦しみながらのたうち回りながら死んだ。

 

 あるいは一民間人として街に逃げる。憂国騎士団や同盟の右翼に宮廷帝国語を話す事から貴族とばれて吊るし上げられた。同じ帝国人には逃げ出した臆病者と罵られて私刑にされる。義眼の参謀長によりラグプール刑務所に叩き込まれ、暴動に巻き込まれ死体となる。偽装パスポートが無いからとハイネセンの地下に隠れていたら火遊びに巻き込まれ焼死体の出来上がりだ。

 

 だが、遂に……遂にあらゆる危険から逃れて生き残る。恐ろしい獅子帝も病に倒れ、遂に原作を生き残る。

 

 私は安堵の笑みを浮かべ、新しい身分、新しい地位、新しい人生を歩みだす。

 

 ………道端で見知った顔を見た。両足がなく、目の見えない物乞い。どこかで見た気がする。そうだ、屋敷の警備の私兵に見た顔がある。下町で花を売り日々の生活を凌ぐ娘はどこの従士家の娘だったか?路地裏のサイオキシン中毒者に見覚えがあった。我が家で仕えていた奉公人だ。何代にも渡って同じ仕事をしていたのだから主家が無くなった後の世間の荒波を生きていけるかは分かり切っている。街道ソリビジョンにはローエングラム王朝転覆を目論み、テロを起こした反体制派の処刑が行われる。

 

「あっ………」

 

 地球教の残党、門閥貴族連合の残党、同盟の主戦派に、フェザーンの旧体制派、そして、その中に見知った顔を見る。

 

 銃殺刑のために棒に括られ、目隠しされるその人物は、拷問か、自白剤の影響か、随分と衰弱していた。それでも殺気立てながらソリビジョンの中で声を荒げる。

 

『何が獅子帝だっ!何がローエングラム王朝だ!下劣な簒奪者め!所詮卑しい血の分際で、姉の色香で成り上がっただけであろうが!野蛮な戦争狂め!傲慢な権力者と地位欲しさに大帝陛下のご恩を忘れた取り巻きめ!』

 

 その罵倒の内容はかなり偏見を含み、一方的な部分も多い。だが、その憎しみはソリビジョン越しにも鬼気迫るものだと分かった。

 

『覚えていろ!いつか…いつか必ず報いを受ける時が来る!旦那様がいつか……いつか必ず栄光ある帝国を、ゴールデンバウム王朝を復活なされる!貴様ら全員地獄の窯に焼かれるがいい!』

 

 その人物の声は明らかに狂気に浸っていた。同時にその言葉を心から信じているようであった。

 

『構え!』

 

 うんざりするように憲兵隊が卑怯で、危険なテロリストにブラスターライフルの筒先を向ける。

 

「や、やめ……」

 

 私は青ざめる。そうだ、自分一人逃げてそれでどうなる?残された者はどうするのだ?その事に思い至らなかった私は馬鹿か?

 

「やめてくれ……おねがいだ……やめ……」

 

 私は震える声で叫ぶ。が、当然、ソリビジョンの先の行動を制止する事は出来ない。

 

煤に汚れているが、元は鮮やかであったろう金髪の女性は笑みを浮かべ、叫ぶ。

 

『ゴールデンバウム王朝万歳!亡命政府万歳!ティルピッツ伯爵家に栄光あれ!』

『撃てっ!』

 

切り裂くようなブラスターの光線の銃声が響き渡り、そして……。

 

 

 

 

「うわああぁぁぁ!!??」

 

 私は思わず悲鳴を上げながら起き上がる。そこは薄暗い小屋の中で、外はまだ嵐だった。

 

「ゆ…ゆめ……だよ…な……?」

 

 私は震える声で呟く。息は荒く、体中から汗が流れ、その体は死体のように冷たかった。心臓が異常な程高鳴る。不安と恐怖が自身の精神を蝕んでいた。きっと、この嵐への不安が私にあのような夢を見せたのだろう。つまり、私は自分で思っている以上に不安に苛まれているらしかった。

 

 目元から涙が溢れてくる。夢?違う、あれはいつか来る未来だ。どうしようもない未来だ。避けようのない絶望だ。

 

「い、いや…だ……そんなの……そんなの………」

 

 この立場に生まれた以上、自分が生き残れるか怪しい。だが、それ以上に家族や家臣が生き残れるのかがもっと怪しかった。

 

 きっと、彼らは帝室や伯爵家への忠誠心で戦い続けるだろう。その先に破滅が待っていると理解しても、認める事はしないだろう。そんな事想像もしないに違いない。何十世代も、何百年もそうしてきたのだから当然だ。

 

 だから、私に出来るのは嫌われる位だ。同盟が滅びる頃なら、きっと私は当主か、そうでなくても相応の立場にいる筈だ(生き残っていれば、だが)。

 

 私の死はほぼ覆しようはない。だから……せめて嫌われる。臣下に嫌われて家への忠誠心なんて捨てさせる事が私に出来る事だ。可能な限り周囲を遠ざけ、疎まれ、呆れられ、嫌われる。

 

 そうすれば私のとばっちりを受けたり、無駄な忠誠心を発揮して無謀な抵抗を行う者は少しは減る筈だ。そうであって欲しい。だから嫌われよう。

 

だって……それしか私の選択肢なぞ無いじゃないか?

 

だから……それで良かった筈なのだ。だが……。

 

「わかさま……?」

「えっ……?」

 

その声に私は思わず恐怖しながら視線を向ける。

 

 そこには毛布を羽織った少女がいた。目元は寝ぼけ気味であるが、とても不安そうに、そして心配そうに視線を向ける。どうやら悲鳴で起こしてしまったらしい。

 

「……なんだ?別にお前を呼んでなぞいない」

 

 嫌みを込めて、私は答える。敢えて嫌われやすい言い方をしたのもあるが、それ以上に今の私は気丈に振る舞わないと、心が折れそうだったのだ。

 

 そんな私の感情を知ってか知らずか、少し失礼に思えるほどにじっと、半開きの瞳で従士の娘は私を見つめる。

 

「こわいゆめをみましたか?」

「………っ!どうしてそう思うんだ?」

「……だってわかさま、とてもかなしそうなおかおをしていますから」

 

 そう口にする従士の少女の方が、よっぽど悲しそうにしていた。

 

 そして、自然体でこちらに近づき……当然のようにぎゅっと抱き締められた。

 

「……っ!?な、何する気だっ!!無礼だぞ下郎!?」

 

 いきなりの事で私はヒステリックに叫びながら非難する、が動揺か不安か、少し抵抗するがそれ以上彼女を押しのけたり、暴れる事は出来なかった。

 

……いや、多分する事が怖かった。して少女が離れて行く事が怖かった。また独りになるのが恐ろしかった。

 

「おにいさまたちがいっていました。おかあさまはこわいゆめをみたり、ないていると、いっつもこうやってだきしめてくれたらしいです。だから、わたしもわかさまがこわくてかなしそうにしていますからぎゅっとだきしめます!」

 

 邪気の欠片もなく、完全なる善意から来る言葉でそう答える少女。

 

「こわかったのですよね?つらかったですよね?そういうときはいつでもおなぐさめいたします。いつでもおなきください。つきびととして、ひみつをまもり、つくし、おつかえします。どうぞごえんりょなく、ごめいれいくださいませ」

 

 にこり、と子供らしい、愛らしい笑みを浮かべながら、赤子をあやすように私の頭を撫で始める。

 

 正直こうして撫でられる私の姿は大層滑稽で、情けない事であろう。私だって、そう思う。

 

 だが実際、今の優し気な進言により、私はこの幼い少女につい甘えたくなり……寸前で我慢する。

 

「……止めろ。お前にそこまでする義理はないだろう?その分だと親に随分と仕込まれたらしいな……!」

 

 散々嫌みを言い、難題を言ってやったのだ。まして、私のせいで遭難して、獣に襲いかかられ、嵐でこんな場所に閉じ籠る羽目になった。私のせいで危険に合わせてばかりと言ってよい。

 

 どれだけ忠誠を誓うように教育されていても、私に尽くす道理なぞ、まして子供の身でそこまでする道理なぞない筈だ。

 

「わたしがいきているのははくしゃくけのおかげです」

 

付き人は語る。

 

 父から聞いたという。自分の先祖は親も分からない孤児で少年兵だったと。伯爵家の始祖が地方の平定をした際に捕虜になったらしい。その際に降伏勧告を受けながら抵抗し、遂には初代伯爵に怪我を負わせたと言う。処刑されても可笑しくはなかった。

 

 だが、伯爵は寧ろその腕を賞賛し、厚遇し、遂にはその実力を信頼して従卒として常に傍に控えさせたという。

 

「おとーさまがいっていました。はくしゃくけのごおんでいまのわがやのはんえいはつづいていると」

 

 貴族制度の始まりと共に従士に叙任されたのはその出自から見れば破格の名誉だ。まして、名前が無い故に家名まで与えられる事がどれ程の栄誉であるか。

 

「はくしゃくけのごおんがなければわがやはないといってました。いま、いちぞくがあるのははくしゃくけのおかげ、ならばいちぞくのいのちにかえてでもこのおんをかえすのがどうりです」

 

 きらきらとした瞳に慈愛の笑みを浮かべる少女。そこには私への絶対的な忠誠心があった。きっと命を捨ててでも、最後まで忠誠を誓ってくれるのだろう。それは封建的な主君への絶対忠誠だ。あるいはそれは洗脳に近いかも知れない。だが、だが……。

 

 多分、自身の精神が肉体に引っ張られている事もあるだろう、悍ましい夢を見た直後である事もあるだろう、遭難して不安と自責の念に苛まれている事もある筈だ。

 

だからきっと、私の心が弱くなっていたからだろう。

 

 だから私はこの信頼出来る哀れな洗脳された子供に弱音を吐いた。縋りついた。

 

「……怖いんだ」

「はい」

「きっと、どうにも出来ないと思うんだ。けど、逃げる訳にもいかなくて、全部捨てる勇気もなくて……」

 

 次第に涙声になりながら独白する。抽象的な言い方のため、きっと意味も分かるまい。それでも一人で溜め込んでいた事をぼそぼそと小さな少女を相手に吐き捨てる。

 

「分かっているんだよ。逃げちゃ駄目だって……けど、そこまで生き残れるかも分からないんだ。それにやっぱり覚悟を決められる程の勇気も無いんだ」

「はい」

 

 所詮私は貴族の振りをした小市民だ。何をするにも中途半端で実力もありやしない。

 

「けど、どうしようも無いだろ?怖くて、怖くて、現実から目を背けたくなるんだ。前に進む事が出来ないんだ」

 

 いっそ、何も知らないままなら良かったのに。そうすれば苦悩せずに済んだのに。死ぬ覚悟もなく、意思を突き通す覚悟もないんだ。どっちつかずで、逃げだす事も、立ち向かう事も出来ないんだ。

 

 あの金髪の皇帝に立ち向かうのが怖い。けど皆を捨てて一人で逃げるのも嫌で、だから一人だけ孤独に道化をするしか道が無くて……。

 

……だから、どうしようもないだろう?

 

「でしたらわたしがおまもりいたします」

「え……?」

 

 情けなく、泣きじゃくる私に、しかし嫌な顔一つせず、笑顔を向けて従士は語る。

 

「つきびとはしゅじんをおまもりするためにおります。わかさまのもくてきのためにこのベアトがふしょうながらおそばでおまもりいたします」

 

 小さな少女は平然と、しかし決して無責任ではない、使命を自覚した口調で続ける。

 

「ですからわかさまはどうぞ、しゅういのさいじはおきになさらず、もくてきにむけておすすみくださいませ。もんだいがあればかいけついたします。きけんがあればおまもりいたします。わかさまにたりないものがあればおぎないます。ですから……」

 

どうぞベアトにお任せ下さい、と語る。

 

「……もしかしたら実家や一族を敵に回すかも知れないがいいのか?」

「わかさまのつきびととしてやくめをはたします」

 

恭しく、従士は答える。

 

「……多分、辛い目や苦しい目に合う筈だ。それでもついて来れるのか?」

「つらいことも、くるしいことも、かわりにせおいます」

 

当然の事のように従士は答える。

 

「……それが自分が死ぬかも知れなくても?」

「わかさまをおまもりするためならば」

 

覚悟を決めた表情で少女は答えた。

 

 そして、私は泣きながら、情けない姿で小柄な少女にぎゅっと抱き着く。そして口を開き……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んんっ……寝ていたか」

 

 静かに覚醒した私は、自身が入院室の椅子の上で腕を組んで寝ていた事に気付く。

 

 涎を拭きながら(我ながら情けない)寝ぼけた頭を働かせて私は記憶を辿っていく。

 

 ……そうだ。同盟軍の救援部隊に救護された後、私は少尉が手術を受けた同盟軍フローデン州軍病院で傷の手当をした後、一応の入院をしながら各種の書類作成と報告をしていたのだった。

 

 特に事件の経緯報告と戦闘詳報、民間被害報告や事件の容疑者の処遇について上司のコクラン大尉のほか同盟軍憲兵隊、法務部、亡命軍州軍司令部、第9野戦軍団司令部、第36武装親衛師団司令部に通達・調整作業を実施した。コクラン大尉は心配して配慮してくれたが(尚民間被害報告の補償費用を見て白目になった。残業ガンバッテネ!)、それ以外との顔合わせは胃に穴が開きそうだった。 

 

 結局、殆どブロンズ准将やホルヴェーク少将に根回しして「天からの声」で解決して頂いた。

 

 第36武装親衛師団司令部の訪問は苦痛以外の何物でもなかった。流石に私が逃亡兵の大半を生け捕りにしたのは伝わっていたらしく……内容に尾びれがついていたが……兵士達に揶揄われる事は無かった(逆に少し引かれた)。師団長は彼自身の首も物理的に飛ぶ可能性もあったのに飄々とした態度で応対してきた。

 

 私としては面倒ながらも師団長殿に形式的にだけでも始末書を書かせる要求をした。色々揶揄われたが、最終的には承諾し、翌日には始末書が送られてきた。添削の必要の一切ない完璧な形式であった。

 

 兎も角も逃亡兵は全員短時間で生け捕り、負傷者はいるものの死亡者がいない事、第四次イゼルローン要塞攻略作戦が近い事もあり事件は迅速に処理が図られる事であろう。亡命軍の軍法会議で裁判、その後同盟軍の軍法会議に掛けられる事が決定している。どのような判決が出るかは不明だが、そこまで私が関知する事ではない。

 

 被害を受けた民間財産については同盟軍と亡命軍とで協議した上で補償される事になる手筈だ。その一方で事件について被害を受けた民間人家族については軍部の名誉のために緘口令が敷かれた。尤も、民間人とはいえ士族なので当然のように受け入れたが(後、屋敷の御当主と夫人に非礼を謝罪された。受け入れないと相手の外聞が悪くなるので横柄に受け入れた。怖いね、階級社会って)。

 

 余り公に出来ないが一応の勲章授与も受けた。同盟軍からは三つ目の戦傷章と二つ目の市民守護勲章を授与された。また亡命軍からは戦傷章(三枚目・銀章)が授与された。流石に事が事なので式典などなく、勲章入りの木箱を兵士が贈呈してくる形であったが。

 

 因みにノルドグレーン少尉に対しては同盟軍より名誉戦傷章、及び戦闘賞賛章(軽度の戦闘・その他の功労において授与される、今回の場合人質からの脱走・戦闘が授与理由だ)が授与された。尤も、亡命軍からは戦傷章すら無かったのが今回の事案に対する認識が良く分かる。

 

 こんな事をしている内に数日たって日付は気付けば3月17日になっていた。私は執務を終えると、手術の際の麻酔もあり、未だに目を覚まさないノルドグレーン少尉の入院室に見舞いに行き、そのまま居眠りをしていたらしかった。

 

「時間は……もう夜か」

 

 ぼやけた視界で壁の針時計を見ればもうすぐ1900時となっていた。1600時頃に入室し、1630時頃までは意識があったのは覚えている。最長で二時間半寝ていた計算だ。そこまで酷い怪我ではないとはいえ、やはり事務仕事による疲労も含め、思いのほか体に無理をさせていたのかも知れない。

 

「悪いな、少尉。寝てしまっていたらしい」

「いえ、構いません」

「そうか、ではそろそろ失礼しよ……ん?」

 

 半分独り言に近い形でそう口ずさみ、退席しようとした瞬間、私は固まる。理由は当然、独り言に対して良く響くソプラノ調の美声が返ってきたためだ。

 

 ベッドの上で横になっていた少尉に視線を向けた時、私をぼんやりと見つめる赤い瞳と目が合った。

 

「……起きていたのか」

「夜分遅くに御訪問、恐縮で御座います。……目覚めたのはほんの一時間程前の事で御座います」

 

 私の質問に近い挨拶に、ベッドの上で小さく頭を下げ、丁寧に返答する少尉。

 

「ナースコールはしたのか?目覚めたのなら検診があると思うが……」

 

 まさか検診中間抜けに一人室内で寝ていたとか嫌だぞ。恥ずかしい。

 

「いえ、まだ連絡はしておりません。御就寝する若様の安眠を阻害する事になりますので」

「別に構わんのだがな……いや、気遣い御苦労。……どうだ、体の調子は?」

 

 受けた銃弾三発の内二発は小口径の拳銃弾、一発は平均的な小銃弾であるが人体を貫通ではなく掠ったような物で致命的なものは無かった。手榴弾片は盾になる際に地面に伏せたため大半の破片を受ける事は無かった。受けた破片も動脈や臓器を損傷させたものは無かった。厳しいのは脇腹を裂いた傷だが初期対応で大量出血は防げた事、傷口が綺麗に切れていた事が幸いして出血死せず、接合も比較的迅速に上手くいったらしい。野戦応急処置の技能を習得していて良かったよ。

 

「目覚めたばかりなもので……やはり傷口の治癒が完全とは言えませんので痛みは残っております。ですが二週間程あれば傷跡も殆ど消え、問題無く活動可能になる程度には回復出来ると思われます」

 

 理論的に、かつ恭しく答えて見せる少尉。

 

「そうか、ならば良かった。後遺症でもあれば私の責任だからな」

「御心配して頂き恐縮です」

 

 そう口にする通り、少尉は心底恐縮したように答える。……尤も、その表情には僅かに憂いの影が見えた。

 

「……少尉、朗報だ。同盟軍の方からな、名誉戦傷章が授与されたんだ。見て欲しい」

 

 私は椅子から傍の机の上に置いてあった木箱を開き、持ってくる。

 

「わ、若様が態々御身を持って御見せになられなくても……」

「構わんさ。流石に怪我人に自分で取れとは、まして私の盾になって負傷した者にそんな無体な真似は出来んよ。まぁ、褒美とでも思っておけ」

 

 ぶっちゃけその程度で褒美扱いとは高慢もいい所だけどね!

 

「は、はぁ……恐縮です」

 

そう言って傍に持ってこられた木箱の中を見やる。

 

「これが……」

 

 どこか感動したような、感無量と言った口調で勲章を見やる。最近授与総数23億枚を突破したピエール・ルブラン上等兵の横顔が刻まれた銅製メダル。本音を言えば経済的には希少性の欠片もないせいぜい30ディナール程度の製造費用しかないが、名誉という点では決して軽い訳ではない。

 

 これを胸に付けていれば誰もがその者が軽傷か重傷かによるが祖国のために戦い、血を流した事を知るのだ。後方勤務要員には前線で文句を垂れる同僚を馬鹿にしつつもそんな彼らの付ける戦傷章に複雑な感情を持つ者も少なくないのだ。

 

 まぁ、もう三枚目(プラス亡命軍の物二枚)な私にはガチ目に要らないけど。というか増える程悲しくなる。なんで門閥貴族で士官なのにこんなに戦傷章あるんですかねぇ?

 

 それは兎も角、やはり技能章は兎も角戦歴による勲章が皆無な少尉にはやはり同じ戦傷章でもその価値は全く違うのは当然だ。

 

 ゆっくりと勲章を手に取り、その手触りを味わうように確認し、胸元に装着しようとして初めて自分が軍服ではなく患者服を着ていた事に気付く少尉。少々寂し気に勲章を戻す。

 

「ありがとうございます。もう大丈夫です」

 

その声に私は頷く。

 

「今は入院しているから仕方ない。退院したら装着するといいさ」

「そうですね。……ええ、そうです」

 

 優し気に微笑む姿は、しかしどこか儚げで、悲しそうなものだった。

 

「若様は、何か褒章は授与されましたか?」

「ん?ん……んん、まぁ、な」

「どのような物を?」

 

誤魔化そうとしたが、その前に機先を制される。

 

「……迷惑料だろうけどな、戦傷章と市民守護勲章をな」

 

 明らかに私の立場から来る大盤振る舞いであろう。しかも形だけの、だ。同盟軍のお偉いさんの適当な勲章でご機嫌とっておけば良いだろう、と言う考えが透けて見える(そして名誉を好む一般的な帝国人には効果覿面だ)

 

 ……まぁ、軍部の予算不足もあるからなぁ。戦傷章も市民守護勲章も付属する特権や報奨金もない。大盤振る舞いしても痛くも痒くもない訳だ。

 

 そのため実際、勲章の数ほどに実が伴っている訳ではない。

 

「……流石若様で御座います。遅ればせながら御祝い申し上げます」

「……ああ、その言葉、有り難く頂いておこう」

 

 礼節を持ってそう祝いの言葉を口にする少尉に、私は淡々と受けとる。亡命軍からの勲章については互いに触れない。少尉も理解しているだろう、敢えて触れる必要はない。

 

「……」

「……」

 

 互いに言葉に詰まり、静寂が室内を支配する。互いに思う所があるが口に出せないのだ。尤も、少尉は立場故にであるが、私の場合は単なる臆病さ故であるが……。

 

「……そろそろ医者に連絡した方が宜しいですね」

 

 暫しの沈黙の後にそう言ってナースコールに手を伸ばそうとする少尉。

 

 それが話を打ち切ろうとする合図であることはすぐに分かった。

 

「っ……!ま、待てっ!」

 

 咄嗟に、慌てて私はナースコールに伸びる手を掴み止めた。

 

 ビクッ、と少尉が体を震わせるのが分かった。そこで、私はかなり強い口調で静止させた事を自覚する。

 

 少尉の瞳に不安と恐怖を混ぜたものがある事に気付き、私は内心で強く反省しながら、可能な限り穏やかに話しかける。 

 

「済まん、我が儘になるが医者を呼ぶのは少し待って欲しい。……まだ少し話したい事があってな。出来るか?」

 

 尤も、質問に対して彼女が出来る返答は一つしかない事は知っていた。分かっていて敢えて尋ねる私は随分と酷い人間だと自覚するが……それでも命令よりも質問として尋ねたかった。

 

「……構いません」

 

恐る恐る、少し震える声で答える少尉。

 

 私は頷き、手を離す。そしてゆっくり椅子に座ると口を開いた。

 

……さて、自分の尻拭い位は自分でしないとな?

 

 

 

 

 

 

 まず、此度の事件について門閥貴族の在り方で謝罪した。人質事件に巻き込まれるような部署に配属した事の人事上の判断ミスに対する謝罪だ。

 

 正確にはそれは同盟人にとっては謝罪とは言い難いのであるが、この際は仕方無い。寧ろ下手に貴族らしくない謝罪をしても気味悪がられるだけだ。

 

「少尉は後方勤務に秀でている。その点で貴官にあのような危険性の高い部署に置くべきではなかった。まして碌に装備もつけるように命じなかったのは私の誤りだった。此度の事件に関して人質になった事で悔やむ事はない」

 

 まして、事件発生時点で対応すべき護衛部隊も碌に抵抗出来なかった点、私が突入した時点では脱走可能な状態であった事を考えれば落ち度と言える程の落ち度はない、と口にする。

 

「し、しかし……伯爵家の従士が不名誉な捕囚となるなぞ、許される事ではありません……!!」

「いや、捕囚のままなら兎も角、私が来た時点で脱出可能であったのだ。その点で問題にする事ではないよ」

 

 問題にすればヴェスターラントの砂漠でモヒカン達の改造地上車の先にくくりつけれドライブさせられた初代ブラウンシュヴァイク侯爵の立場は無い。彼も文官枠で指揮は兎も角、白兵戦はかなり不得意だった。少尉も後方勤務向けであることを思えばそこまで責められる筋合いはない。

 

「少なくとも私はそう書類上は処理した。少尉がどのような経緯を書類で報告するかは知らないが、まさか私と矛盾する内容は書くまいと信じているよ?」

 

 少し脅迫に見えるが、別にそこまで出鱈目な内容を作成した訳でもない。少尉が必要以上に自身の責任を背負う内容にしなければ矛盾しない事だろう。

 

「………どのような風の吹き回しで御座いましょうか?」

 

 暫しの沈黙の後、警戒するような、それでいて絞り出すようなか細い声が室内に響いた。

 

「………どのような風の吹き回し、か」

 

噛み締めるように私はその言葉を反芻する。

 

「……若様が私を疎んでいるのは自覚しております。私を外そうと為さっている事も承知です」

 

 そこまで口にして、肩を震わせる少尉。自身の口にする内容が普通であればどれ程無礼に過ぎる内容かを自覚しているからだろう。だが、同時にその内に籠る激情をこれ以上溜める事が出来ないというように震える、それでいてどこか怒りと悲しみの入り交じる声で言葉を紡ぐ。

 

「……それは構いません。若様のお気に召す事が出来なかった……私の落ち度です。前任者については知っております。私と違い長くお仕えし、士官学校を優秀な成績で卒業したことも、実戦経験済みである事もお聞きしております。私では御側にお仕えするのには不足である事も……」

 

 恭しく、完全に礼節に則って語る少尉。だがそれでも、元よりこのような事を口にする事自体が許されない事を思えば場合によっては慇懃無礼にも思われるかも知れない。そのように思われないのはやはりベッドの上で弱弱しい姿をしているシチュエーションとソプラノ調の美声のおかげであろう。

 

「ですからこそ、何故今になってこのような擁護なされるような御言葉を口になさるのでしょうか?唯の同情で御座いましたらそのような事を為される必要も、受ける権利も御座いません」

 

ベッドの上で疲れた、しかししっかりした口調でそう断言する少尉。

 

「………はぁ、まず少尉の矜持を傷つけたのは私が迂闊だった。善処しよう」

 

私は、小さく溜息をつくと、ベレー帽を脱ぎ、そう謝罪の言葉を吐く。

 

「貴官に対して疎みが無かった、と言えば嘘になる。無論、理由はある。だが貴官の矜持を傷つけるつもりは無かった。その点に思い至らなかったのは私の落ち度だな」

 

手元のベレー帽を少し弄びながら言葉を整理し、少尉の目を見つめながら言葉を続ける。

 

「疎む理由は大きく三点だ。一点は貴官が監視役を帯びている事、これについては今更口にする必要はないだろう?」

 

首を縦に振り少尉は肯定する。

 

「うむ、まぁ誰でも監視されるのは愉快ではないからな。まぁこの理由は三点中最も小さな理由だが……。二点目は貴官が事務役である点だな。確かに貴官の実力は本物だ。ゴトフリート中尉よりも柔軟だし、事務処理も早い。だが、私が一番求めるのは指揮官だよ。これについても言わずとも分かるな?」

 

 嫌が応にも将来的に出世してそれなりの軍勢を率いる必要がある身だ。故郷への面子と、金髪の小僧をどうにかする上で、な。そうなれば事務屋は兎も角、信頼出来る中堅指揮官が欲しいのが正直な所だ。ベアトはその意味では士官学校の成績からも、立場からも最も気軽に手に入れられる人材の一人だ。島流しなりどこぞで戦死されたら困る。

 

「三点目、これが一番重要な理由だが……一つ前置きしておけば別に貴官を侮辱する意図は何一つ無い、唯の私の極めて主観的で我儘な理由である事を分かって欲しい」

 

念のため、私は前もってそう指摘する。

 

「はい、分かりました。どのような理由であっても受け入れさせて頂きます」

 

身構えるように少尉は頷く。それでも恐らく私の理由を聞けば怒るであろうがそれは仕方ない。

 

「うむ、そうだな………私はな、ゴトフリート中尉を信頼しているんだよ。……彼女が私のために命をかけてでも守ってくれる事、恐らくは私のために何が有ろうとも最後までついてきてくれる事をな。……だから私は信頼出来る彼女を傍に置いておきたい」

 

「信頼……?」

 

 意味が分からない、そんな感情を乗せて少尉は口を開く。それは明らかに少尉にとって、従士にとっては侮辱にほかならない言葉だった。

 

「信頼するが故に傍に置くと……そう仰るのですね……!?」

 

声を震わせてそう口にする少尉。しかしその震えの意味が先程とベクトルが違う事をすぐに察する。

 

「なんですか、それ……私達従士の事を…500年も仕えて、血を流してきたノルドグレーン一族が信頼出来ないという事ですか……!私の姉の忠誠心が信頼出来ない!?貴方の怒りを買う事も顧みず諫言した姉の忠誠心もですか……!?」

 

そこには取り繕いが一切無かった。もしもほかの従士がいれば一斉に彼女を取り押さえた事だろう。

 

「貴官の姉については覚えているよ。マヌエラ……だったな。良く出来た従士だった。賢く、責任感があり、実直だった」

「そのような弁明は御無用です……姉に……姉に一切の瑕疵(かし)も、過失もありませんでした……!それを……それを……要らぬ諫言で伯爵家と自身の名誉を穢したと口にしたのは貴方の筈です……!」

 

 少尉は可能な限り冷静に、礼節を持って言葉を紡ごうとしていたが、それは不可能に近かった。その口から吐き出される言葉は明らかに従士の口にしてはいけないものであり、その口調は沸き立つ溶岩が噴火する直前の事だった。

 

 内心怖気づくがそれは噯にも出さない。一番怖気づいているのは恐らく少尉であり、その怒りは正当なものであり、私はそれを受け入れる義務がある。

 

 十七人目の付き人候補として来たマヌエラ・フォン・ノルドグレーンは私の二つ年上だった。黒いショートヘアに黒曜石のような光を帯びた瞳の少女だった。主従の間柄として線を踏み越えないように、それでいて弟に接する姉のように(私の我儘具合を理解するからこそこの形にしたのだろう)接してくれた。

 

 これまでの付き人候補と言えば幾ら何でも子供であり、無茶や我儘を言いまくれば泣いたり(怒る者が一人もいなかったのはある意味凄い)、失敗する事が多く、あるいは小さな怪我をする事も極稀にあり、それを理由に解任してきた(一人だけストーカーを理由に追放したが)。

 

 だが、彼女は優秀だったのだろう。私の命令にも良く聞いてくれた。子供ならば我慢出来ない事でも聞いてくれた。正直、解任する理由が無かった。

 

 だが、やはり私は当時荒れていた。原作の高慢な大貴族と同じようなものだ。私は庭先で恭しく世話を焼いた使用人の一人に、ふと不快感を持って(言っておくが彼女に落ち度はない、世話された事自体が貴族らしく嫌だったのだ)、つい命令したのだ。確か「お前気に入らない。あの池にいますぐ突っ込めよ」、だった筈だ。

 

……まぁ、注意を受けると思ったら即答で池に突っ込むとは思ってなかったけどね。

 

唖然としたよ。流石に本当にやるとは思わなかった。マヌエラはそれを見て私を叱った。いや、叱ったというよりは諫言に近い。礼節を持って、その内容も真っ当な内容だった。臣下に不必要に痛めつける御命令はなさいませんように、と言った風にだ。

 

 平民の奉公人出身の使用人はお気になさらずと口にしたが、彼女はそれを無視して私に諫言を続けた。それは明らかに正しい判断だ。下手すれば暴君誕生なので、芽が小さいうちにそれを抜き取ろうというのは当然、主人に諫言するのは忠臣の行動だ。

 

 まぁ、私が馬鹿なので逆ギレしたんですけどね?

 

私自身も動揺していたし、小さな子供にそんな事を言われてついむきになった。もしかしたら知らないうちに原作の門閥貴族様みたいな価値観も形成されていたのかも知れない。暴言を言って諫言を無視し、つい興奮して足を滑らしてそのまま池にダイブした。

 

 直後に池に突っ込んでいた使用人が悲鳴を上げ、それに釣られて母が来て……まぁ、そこから先は余り口にする必要もあるまい。

 

事情聴取自体は正当になされた。嘘を言った者は一人もいない。それでも母は逆上したが。

 

 目の前にいながら主人が池に突っ込むのを止められなかった従士、ましてそれが諫言から来たのなら責任はマヌエラにあるのは明白、と母は斜め上の結果を口にした。私自身は積極的にではないがこれで外せるならと考え婉曲的にその意見を支持し、結局彼女は返却されたのだった。

 

……おう、どう考えても私の責任ですね、本当にありがとう御座いました!

 

「正直に言います!貴方が我儘で、身勝手な御方ならば私だって我慢出来ました!どのような主人にも尽くすのが我が一族の役目です!ですが……!何故姉が仕えていた頃と違うんです!?前任者は姉と何が違うんです!?こんな理不尽ありませんよ!姉の後の付き人には何度も間違いを犯しても許して、姉は何で追い返されたのですか!?どうして……どうして………」

 

 怒りに震える口調は次第に涙声になっていく。正直その言葉を聞くのは辛いが逃げる事は出来ない。その資格はない。彼女の疑問と怒りは正当だ。

 

「……すまない、と言っても意味はないな。本来ならな、ゴトフリート家の娘だって追い出す筈だったんだ」

「………」

 

すすり泣きながら、少尉は黙っている。先を、という意味だ。

 

「私は……その、自暴自棄というか、人間不信というかな、まぁ不安定な時期だったんだ」

 

 そう言って語っていく。具体的な内容は言わない。流石に転生したぜウェーイ!なんていえばふざけているのかと逆鱗に触れるか、気が触れたかと思われるだけだ。

 

 貴族である事のストレス、将来が元から決まっている事、周囲が自身の事を伯爵家の者であるからどこまでも付き従う事への苦悩等を理由に説明する(間違ってはいない)。

 

「私自身でも今となっては愚かな事だと理解している。だが、当時は自分自身の事しか考えていなかったんだ」

 

 マヌエラの諫言は真っ当なものだ。だが自分自身の事しか考えていなかった私には深く考える事が出来なかった、と釈明する。

 

「私が昔、宮廷で遭難した事は聞いた事はあるか?」

「……はい」

 

 少尉にとっては前任者の最初の失態に見えた事だろう。きっとこれでベアトが飛ばされたならこれ程根に持つ事は無かっただろう。

 

「私の我儘で遭難してな。まぁ、鹿に追い回されたり、雷雨に襲われたり、風邪を引きかけたり色々あった」

 

本来ならば付き人失格の内容だろう。少なくとも客観的には。

 

「ベアトは私の馬鹿な命令に従って、誠心誠意私の身を守ろうとしてくれた。古い小屋の中で不安やら悩みやらのせいで嫌な夢を見てな。情けなくもそこで散々ぞんざいに扱っていた従士に慰められてしまってな」

 

 ベアトに意味不明の不安を吐き出して、それを子供の身で受け入れて、慰めてくれたのだ。自暴自棄になっていた私に、それでも最後までついてきてくれる、と言ってくれたのだ。

 

 その時、依存した、と言えばそれまでだろう。だが、子供の私にとっては口ではなく、目に見える形で自分のために命を賭けてくれる従士に初めて出会ったように思えたのだ。同時に、門閥貴族として、自身の進むべき道を歩むための覚悟をさせてくれた存在でもある。

 

 それからは視野が広くなった。自身の立場を認め、受け入れる事が出来た。自棄にならずに、冷静に、落ち着いて周囲の意見を聞き、癇癪を抑えられるようになった。

 

「別に少尉の姉に落ち度があった訳じゃない」

 

 タイミングの問題だ。マヌエラの諫言は正しい。だがその時の私にとってはそこまで視野が広く無かった。自身の事しか考える事が出来なかったのだ。まずは貴族としての意識を持てるようになる事が大事だったのだ。伯爵家と家に仕える臣下達のために義務を果たそう(破滅回避)と思えるための切っ掛けが。

 

「……あの遭難で、辛くも貴族としての覚悟を決めたんだ」

 

 私は少尉を見る。私の話にどのような解釈をしたか分からない。大方多くの家臣が周囲から消える事で貴族がどれだけ周囲に支えられているのか、忠臣達がいかに大事なのか理解した、という所だろう。それでいい。そう思ってくれていい。破滅が来る事を知っているのは私だけで十分だ。

 

「一応、私としても役目を自覚した後は迷惑かけた候補達に詫びの手紙を出したのだが……やはり随分と一族で叱責や罰を受けた者もいたみたいだな。私としてもどうにかしてやりたいが……」

「えっ……?」

 

私の発言に、想像もしていなかった、という口調で少尉が口を開く。

 

「て…手紙を…出されたので……?」

 

少尉の口元が震える。

 

「ん?そうだが……?あっ……まさかと思うが……」

 

嫌な予感がする。

 

「その、姉からはそのような事は聞いておりません……」

「……成程、ならば一層私を恨むのも当然だ」

 

 主人(つまり私)の詫び状は当然人に見せるべきものではない。筆跡や印鑑が偽造される可能性もあるし、手紙そのものが基本主人からの贈り物、まして詫びを入れるものはあけっぴろげに見せるべきものではない。

 

見せるとすれば家族向けだろう。私が問題無い、と言えばそれ以上の追求は許されない。

 

 間違いなくマヌエラにも手紙は送った。格別文面に気を使ったのを覚えている。返答の手紙も受け取った。偽造されたり、手紙が途中で奪われたりはしていない筈、ならば……。

 

「姉が…自発的に見せていないのだと思います……」

 

俯き加減で少尉が答える。

 

「姉は付き人を外された件について随分気に病んでいましたから……とても生真面目で……」

 

 暫くして明るさは取り戻していたが、多分生真面目なために失態を気に病み、敢えて家族に見せていなかったのだろう、自身を戒めるため……少尉は姉の性格からそう語る。

 

「……成程、ならば改めて私が会って話してみよう。彼女なりに思う所があるのだろうが、あの件は私の我儘のせいだからな。そこまで気を使わせる訳にもいくまい」

 

 彼女からすれば不可抗力とはいえ自身の責任であると考え敢えて家族に手紙を見せていない可能性がある。しまったな……相当思い詰めているのかも知れない。

 

「しかし……!若様にそのような御手間をかけさせるのは………」

「構わんよ。少尉の実家の方にも手紙を出して説明しよう。少尉からしても私が直々に筆を執った方が都合が良かろう?」

 

 元々始まりが殆ど八つ当たりだしな。散々散らかしたのだから後片づけくらいしなければなるまい。

 

「宜しいの……ですか……?」

 

恐る恐るという口調で尋ねる少尉。

 

「何、問題は一族内での事だろう?ならばノルドグレーン家内の秘密にしてくれたら良い。……500年伯爵家に仕えてくれているんだ。それくらいは信用するさ」

 

 一族の忠誠心を出汁にして補足する。この手の台詞は臣下に効果覿面である事を私は良く知っていた。

 

「……はい、若様。どうぞ姉の事を宜しくおね…………っ!」

 

 声を弾ませて、そこまで言おうとして少尉は言葉を詰まらせる。これまで自身が吐いた罵声を思い出したのだろう。日焼けのない白い顔が青ざめる。

 

「そ…その…わた……あ…なんて口を………ば、罰は如何様にも御受け致します……!で、ですので姉についてはどうか……どうか……!!」

 

 今にも泣き出しそうな表情で懇願しようとする少尉。まだ傷口が塞がり切っておらず痛みがあるだろうに体を起こそうとするのも慌てて私は止める。

 

「お、お願いします!私一人の命程度でしたら如何様にも……!ですから姉は……姉は!」

「いやいや、そこまで必死にならなくていいからな!?」

 

今更そこをほじくり返して全て覆すとか唯の畜生だからな!?

 

「ず、随分と弱っていたようだし、一時の気の迷いとでも思って忘れておく。安心しろ、その程度で一度言った事は覆さんよ」

 

そう断言して安心させる。いっそ、契約書でも書くかね?

 

 寧ろ、本当に手紙を出したのか、私が良い加減な事言っていないか疑った方が良いんじゃないですかねぇ?え?主人の言を信じるのは当然?さいですか。

 

「まぁ、そういう訳だ。私は……まぁ、そんな極めて個人的で我儘な理由でベアトに戻ってきて欲しいんだ」

「……はい」

 

 今度は随分としおらしく、遠慮がちに答える少尉。理由は理解出来た、私への不満もかなり和らいだ、だがここに来て新たな問題がある訳だ。

 

「……責任を取って自決する気か?」

「……普通に考えればそれ以外に責任の取り様が無いので」

 

 捕囚となり主人に迷惑をかけたのだ。しかも彼女が言うには母上の差し金(おいおい、初めて知ったぞ)らしい。責任を取らなければ一族と姉に迷惑をかける、と言う事だそうだ。

 

「それについてだが……少尉が良ければだが………私の下に残ってもらえないかね?」

「えっ……?」

 

心底意外そうな目付きで私を見る少尉。

 

「いや、この数か月仕事をして少尉の能力は理解した。ベアトより事務に秀でているからな、貴官が傍にいてくれると正直助かる」

 

かなり仕事で楽をさせてもらった。

 

「それに……命を賭けて私を守ってくれたしな。そういう咄嗟の事が出来る者が……いや、多分他の者も出来るのだろうが、私は疑り深くてね、実際にこの目で行動で示してくれた者の方がどうしても信用出来るんだよ。面倒な性格だとは思うが……」

 

だから付き人として残って欲しい、とお願いする。

 

「無論、これは自由だ。私は貴官の姉や家族に迷惑をかけて来た。貴官を疎んできた。今更こんな事を言うのは可笑しいだろう。もし断っても貴官の事と姉の事は私が対処する。……だから」

 

そう言って私は椅子から立ち上がり手を差し出す。

 

「仮に私が忠誠を尽くすべき主人に値するならば返答が欲しい、テレジア・フォン・ノルドグレーン従士」

 

 私はそう宣言する。内心我儘で身勝手な意見ばかり言う私が彼女にどう思われているのか怖いが私は自身の生存確率を上げる目的も含めそう提案する。

 

実際、こんな世の中では命が幾らあっても足りないのだ。信頼出来る部下は一人でも多く傍に置いておきたい。

 

 少尉はしばらく私を見つめ、俯きながら逡巡する。数秒か、十数秒か、数十秒か……今度顔を上げる時、彼女は朗らかな、これまでとは違う自然体の笑みを浮かべていた。柔らかい笑みだった。

 

「……そのように言われて断っては先祖に申し訳が立ちませんね」

 

そして片手で私の手を取り、もう片方の手を胸に添え、宣言する。

 

「ノルドグレーン従士家の末裔たるテレジアは主家たるティルピッツ伯爵家のヴォルター様に上奏致します。大恩ある主家、そしてヴォルター様への御恩に報い、我がテレジアはその命を持ってお仕え致します。如何なる苦難があろうとも、如何なる試練があろうとも、この身が朽ち果てるまで忠誠を誓いましょう」

 

 すらすらとソプラノ調で答えるテレジア。患者服にベッドに横になっているのにも関わらずその姿はとても優美に見えた。それは受けて来た教養と、背負う伝統の長さから来るものであった。

 

 さて、ではここまで忠誠を捧げてもらったのならばそれに報いるのも主人の務めだ。少し……いやかなり陰鬱ではあるが……自分の責任だし、どうにかするべきであろう。

 

こうして私は敬愛すべき母上に一つ口答えする事を決めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「あの……何やっているんですか?」

 

 後ろからの嘘くさ気な声に私はびくっと肩が震える。そーと後ろを見れば看護師さんがこいつ何しているんだ?という目でこっちを見ていた。うん、標準的同盟人には完全に意味不明だろうね!

 

……御免、死ぬ程恥ずかしい。

 



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第七十九話 親離れや子離れは難しい事

藤崎版フレーゲルが笑顔で毒を呷って自決……これぞ正に栄光ある帝国貴族の滅びの美学、このランズベルク伯アルフレッド感嘆の極み

おら主人公、フレーゲル様を見習いさっさと前半自堕落な生活して後半獅子帝にズタボロにされて狂いながら毒杯呷るんだあくしろよ!(鬼畜)


 ツェツィーリア・フォン・ティルピッツ伯爵夫人は遡ればその血筋はアルレスハイム=ゴールデンバウム家に辿り着く。

 

 現皇帝グスタフ三世の兄弟姉妹の末妹が母に当たり、父は帝室に所縁ある名門バルトバッフェル侯爵家の当主の息子に当たる。恐らく母方の血を最も濃く受け継いでいた。雪のように白い肌に艶があり煌びやかに輝く銀髪、端正で細い線の顔立ち、括れた腰に豊かな胸、高慢であるが確かな礼節と品性を兼ね備え、何よりも甘え上手である所が母親と瓜二つであった。

 

 母は前皇帝たる父や皇后たる母、そして兄や姉に対して無邪気に甘え、よくよく可愛がられていた。彼女もまた父こそ早くに失ったが、母、それに叔父叔母、そして二人の兄に溺愛される、と言える程に可愛がられていたしそれを当然のように受け取り、人の懐に躊躇なく入り込み屈託のない笑顔で「お願い」が出来る性格だった。

 

 そのため当然のように玉座に座る至高の存在にも遠慮なく接する事が出来たし、皇帝グスタフ三世にとっても気負いなく接する事の出来る姪子を一際目にかけていた。

 

 そんな彼女には当然求婚する名家の御曹司も多い訳だが、気紛れで、えり好みし、我儘癖の強い彼女の御眼鏡に適う者はそうそういなかった。

 

 宮廷で行われたとある夜会においても同様で、あれも駄目、これも物足りない、と扇子を手に胡乱気に目配せしていた少女の目に留まったのがティルピッツ伯爵家の当主となったアドルフである。

 

 行き遅れ、という訳ではないが少々婚期を過ぎていた三十になろうという伯爵家本家の次男は長らく夜会に出席する事も、またこれと言って浮いた話や結婚話もなかった。

 

 彼自身は実家の父や兄と何か揉め事があった訳でもなく、また性格的に問題があった、という訳でもない。唯士官学校を卒業して以来、自由惑星同盟軍の一軍人として一心不乱に勤めを果たすうちに実家に戻る事もなく、また浮ついた話もなくこの歳となってしまっただけである。

 

 無論その甲斐あり、前線後方問わず功績を上げ昇進と勲章を得て、三十になるかならないかという歳で末端とはいえ提督の地位に立つ事が出来た。将来的には分艦隊司令官や正規艦隊司令官、最終的には宇宙艦隊副司令長官辺りには昇進出来るかも知れないと期待もされていた。

 

 そんな折、本家で不運にも父と兄が纏めてヴァルハラに旅立ったために急遽呼び戻され、あれよあれよという間に長老達により家を継ぐ事になり、今宵の夜会に久々に出席する事になったのだ。余りに久しぶりなので顔馴染みの貴族すら目を丸くして驚く程であった。

 

 顔立ちが格別に優れていた訳ではない。確かに美形といえるがどちらかと言えば厳格で堅苦しい印象があった。ほかの言い寄る貴公子達のように爽やかさはない。

 

 格別に名門と言うわけではない。確かに帝国の誕生以来の名家ではあるが、比類する家の者からの求婚者がいなかった訳ではない。

 

 社交術が上手いと言うわけでもなかった。寧ろ長年同盟の市民軍に在籍していたからだろう。無骨で、洒落も上手い訳ではなかった。もっと魅力的なお喋りが出来る青年なら幾らでもいた。

 

 それでも彼女の琴線に触れ、声をかけたのは彼女に少なくとも「自身に合った」男を探す審美眼があった、という事だろう。

 

 厳ついが決して気難しい訳ではない。不器用ながらも自身を喜ばせようという努力は微笑ましく思えたし、軽薄さはなく真摯で実直であったのは好感が持てた。

 

 同盟軍に長らく勤めていたためであろう、所謂門閥貴族の中でも忍耐力があり(他の者が無い、という訳ではないが)、体力があり、我儘にも嫌な顔をせず紳士的に付き合ってくれたのも良かった。

 

 彼女の家が同じ軍人家系のバルトバッフェル家であった事も幸運だ。武門貴族の文化については予め知っていたし、それに慣れてもいた。

 

 何よりも子供らしい性格の彼女にとって堅物ではあるが頼り甲斐があり、包容力もある点が魅力的だったのかも知れない。目敏く脈がある事を見抜いた一族の長老であり、アドルフを本家当主に据えたラントシュトラーゼ=ティルピッツ子爵家の当主アルフレートは、巧妙に根回しを行い幾度かの園遊会や食事の席を用意し、最終的にはツェツィーリアの実家と典礼省、そして至高の玉座の承諾を得て式を挙げさせる事に成功した。

 

 夫婦仲は悪くなかった。順風満帆な人生と言えた。この時までは。

 

 原因は不明だ。毒かもしれないし、濁った黄金樹の血が悪かったのか、ストレスか、偶然か、兎も角も一度目は流産し、二度目は死産した。

 

 だからこそ三回目の時に対する執念は尋常なものではなかった。食事に入浴、睡眠、水から空気から全て安全を確保し、信頼出来る医者を常時数名控えさせ、毎日のように検診を受け、僅かの異常も見過ごさなかった。

 

 そうした細心の注意に注意を重ねて、腹を痛めて産んだ子が可愛くない筈もない。その上、夫が軍務で忙しくなれば一層我が子を溺愛しようと言うものだ。本来なら乳母や子守女中に任せる世話も全て自分でやる程である。

 

 産まれて暫くは心配の連続であった。ほんの少しの怪我で死んでしまいそうな我が子のためにありとあらゆる手段でその身を守る。大人しく、余り泣かない事が逆に心配であったがそれもすぐに杞憂に終わる。

 

 すぐに拗ね、我が儘を言う子供に育っても何の問題もなかった。元気なのは良い事だ。我が儘といっても皇族生まれの彼女にとっては慎ましい、大した事でもないことばかり、付き人が幾ら送り返されようと、使用人に理不尽な命令を言おうとどうでも良い事だ。大事なのは息子が気に入るか、命令を聞けるかどうか、その身の安全が守られるかどうかだ。

 

 池に落ちた時と宮廷で遭難した時は流石にショックで失神しかけた。風邪を引くだけでも一大事だというのに……周囲の無能共はどうしてくれようか。夫の処分は余りに軽すぎて不満が無かった訳では無いが、最後は渋々ながらも認めるしかなかった。

 

 息子が失態を演じた付き人を気に入って手元に置くと言った時には困惑したが仕方無い。可愛い我が子が泣きじゃくる姿を見るのは胸を引き裂かれる程に辛い事だ。

 

 息子が軍人になることは当然であったが、同時に戦死する可能性はほんの少しも想像の内に無かった。何のための付き人であり盾艦か?

 

 同盟軍に所属していた父は早くに戦死したが、それは盾艦も付き人もいない状況での事、親戚一同は口々に亡命軍に入隊していれば、付き人や盾艦が傍にあればこのような事は起こり得なかった、と彼女に語ったものだ。

 

 そして軍事に疎く、平均的な門閥貴族の姫らしく、弾除けが傍に有る限りは可愛い我が子が血を流す事はあり得ない、それを彼女は心の底から確信していた。だからこそ弾除けがある限り、息子を幼年学校に送る事には何の躊躇も無かった。

 

 だからこそ、幼年学校で撃たれた時は同盟の市民軍共に罵声を浴びせ、卑しい海賊共は二度と我が子に害を与えないように夫に懇願して滅ぼさせた。降伏した海賊数千人をその場で処刑させようとしたのを止められたのは不満だったが。

 

 初任地は安全な役職を与えたのに重傷を負ったと聞いたときは気を失った。代償に同盟で一番の病院で入院させるよう要求をしたのは当然の権利であった。名誉勲章授与は同盟の査定部からすれば大盤振る舞いのつもりだったかも知れないが彼女の価値観からすれば不足だった。何故自由戦士勲章ではないのか?

 

 地元ならば絶対に安全であろうと考えた。無能な付き人も取り換えた。二度も目の前で失態を演じた従士なぞきっと息子も失望したに違いない。無論、息子の「御気に入り」だった事は知っているし、それを取り上げるのは苦渋の決断だった。だが、子を思う母としてここは涙を呑んでやらなければならない事だ。

 

 代わりは慎重に選んだ。好みに合うように顔立ちや髪色、瞳色は同じ、出来れば血縁も近い方が良かろう。性格も、声調も、スタイルも前のより良い方が喜ぶだろう、完全なる善意でツェツィーリアはノルドグレーン従士家本家の次女を選んだ。

 

 ………まさか卑しい逃亡兵の捕囚となった上、対応した息子が怪我するとは想像もしていなかった。

 

 知らせを聞いたと同時に気絶して、意識を取り戻した後、急いで息子を安全な自宅に連れ戻そうと考えたが息子から直々に拒否されてしまいベッドで号泣した。

 

 軽傷であると聞いたが何の慰めにもならない。貴き血筋の血一滴は数千に及ぶ賎民の命よりも重いのだ。軽傷?怪我そのものがあってはならないのだ!死ぬのは士族共や平民共の仕事だ。貴族、まして我が子の血がこう何度も何度も流させられてたまるものか!

 

 本当ならば今すぐに可愛い我が子の元に駆け付けたい。きっと凄く痛かった筈なのだ。今すぐ抱きしめて慰めてやり、安全な領地の本邸に匿って上げたかった。ケッテラー伯爵家の領地の軍病院にいるため比較的安全ではあろうが、安心しているとは限らない。

 

 そして彼女は思い至る。きっと息子は同盟の市民軍で虐められているに違いない!息子の拒否もきっと卑しい平民の上司に無理矢理言わされているに決まっている!そうでなければ安全な地に配属していながら何故これ程までに息子が怪我するのか?まして安全な本邸にも、母の元にも帰ってこないのか?

 

 完全に八つ当たりの被害妄想ではあるが、あらゆる事が願えば叶い、我儘が通って来た生まれながらの尊き血筋の末裔にとっては自身の考えが真実を突いていると確信し疑ってもいなかった。

 

 だからこそ、何の知らせも無しに可愛い我が子がアルフォートの屋敷に戻ってきたと連絡を聞いた時、ツェツィーリアは、ベッドから飛び上がると共に屋敷中の使用人に歓迎の準備を命令したのである。

 

 

 

 

 

 

 

「ヴォルター、折角帰ってくるのなら早く言ってくれたら良いのに、そうすればきちんと歓迎の準備が出来たのよ?」

「はは、ワロス」

 

星都アルフォードの標準時にて0100時、つまり真夜中、私は美しい声に対してそう答えるしかなかった。

 

 リムジンめいた地上車から降りた視界に映り込むのは一斉に頭を下げる執事・女中の皆様と家政婦長やら侍女を控えさせながら屋敷の玄関で満面の笑みを浮かべる我が母である。

 

 ノルドグレーン少尉との話し合いと聞き取りの後、私は現地から土壇場で有給申請をし(そして処理するコクラン大尉が胃痛に苦しむ事になるだろう)、飛行機で星都アルフォートの中央街に構えている星都邸宅にひっそりと向かおうとしていた。

 

 ……まさか民間空港を降りた時点で連絡しても無いのに護衛付き地上車が控え、家まで(強制)エスコートされるとはたまげたなぁ。おい、どうやって行動把握した。ばれないようにハイネセン資本の便で来たのに……。

 

 使用人達も可哀そうに、こんな夜中に叩き起こされ私の出迎え準備に右往左往させられたと思うと彼ら彼女らのブラック環境ぶりに涙が出てくる。嫌な顔一つせず笑みを浮かべて頭を下げる君達は使用人の鑑だ。

 

 因みに使用人、と一口に言ってもその中には細かく厳しい階級と秩序がある。家令と家政婦長を最上位に置き、執事・秘書・料理長・料理人・小間使い・侍女・客間女中・家女中・乳母・家庭教師等が上位使用人と呼ばれる。彼らは従士階級であり、世襲で代々自分達の主家に仕えている。

 

 その下に奉公人としての平民が従僕・台所女中・洗い場女中・洗濯女中・園丁・馬丁・狩場番人・御者・小姓等の仕事をしている。彼らは中位使用人と呼ばれこれまた代々世襲で仕える。当然だ、どこの馬の骨かも分からない輩を家におけるか。毒を盛られたり、盗みやスパイ行為されたらどうする、という話だ。

 

 その下がようやく民間で募集をかける下級使用人である。尤も仕事といえば殆どが取るに足らない、あるいは卑しい雑用であり、数も多くない(それでも給金と就業による社会的信用度は凄まじいので倍率はやばくなる)。

 

 基本的に上位・中位使用人だけで使用人の八割以上は満たされており、伯爵家本家の場合は三百名になるか程度の数に及ぶ。これが多いか少ないかは判断に困る。星都の邸宅以外にも本領の本邸、避暑地等にある複数の別荘の維持管理にも相応の人数が必要だからだ。

 

「さぁヴォルター、外は寒いから早く屋敷に入りましょう?罅が出来たら大変だわ」

 

 そう言って私の下に駆け寄りにこにこ顔で手を引く母。その優しさをずっと外で立ちんぼさせられていた使用人達にも分けてあげて。

 

……いや、言った瞬間に小首傾げられそうだけど。

 

 屋敷に上がると共にホワイトプリムに白いエプロン、黒いロングスカートにレースを装飾したクラシカル調のメイド服を着た女中が数名で同盟軍正式士官軍装の上着とスカーフ、ベレー帽を当然の如く脱がせる。

 

 脱がせた服を折り畳むと恭しく礼をして足音も立てず下がる使用人達。普段は静かにそれぞれの仕事を果たし、求めに従い粛々と命令を果たし、終われば静かに存在を消して下がるのが使用人(少なくとも家令と家政婦長以外は)の役割だ。凄いよね、こいつら普段足音も立てずに仕事しているんだぜ?沈黙のうちに仕事しながら互いに見ずに避け合うとかマジかよ。

 

 さて、まぁ機先を制された事はこの際仕方無い。まずは母上の御機嫌を取り話し合い(懇願・泣き落としとも言う)の場を設けるのが先決、導かれるままに屋敷の中に連れられる。

 

「お腹減ってる?それともお風呂が良い?」

 

 ドレスに首飾り、指輪に髪飾りで着飾りと化粧をしていない(してなくても十分に美人だが)以外は完全にめかし込んだ母はご機嫌にそう尋ねる。

 

「まさか両方準備しています?」

「勿論でしょう?ヴォルターが何したいか言ってもすぐに叶えられるようにしないと」

「アッハイ」

 

そりゃあ、また使用人達にとっては傍迷惑な事だ。

 

 尤も、ここで御厚意を断るのも母の機嫌を損ねかねないし、準備した(させられた)使用人達が哀れだ。まぁ、私も移動で疲れたのもあるが。

 

「……では先に入浴を、その後食事を頂きます」

 

 尚、入浴は自分一人でするから供はいらない、と(母がいない場所で)使用人達に命じる。これ、予め言っておかないと場合によっては神(ライトスタッフルール=サン)の神罰が下るからね、仕方無いね。

 

 簡単に入浴をすませばシャツにベストという略装に身を包み、老執事に先導される形で居間に通される。多分七十を過ぎているのに背中をピンと伸ばし、皴一つ、埃一つ付いていない燕尾服を華麗に着こなす姿は優美である。そこには500年二十世代以上に渡り代々一族の親戚一同に至るまで使用人として働いてきた誇りと伝統が感じられた。

 

 通された居間のソファーで母がニコニコ顔で待っていた。皿の置かれたテーブルと二つのソファー、その他調度品が置かれた室内にいるのは母の他にはすぐ後ろに控える侍女が二人と老境の家政婦長、恐らくは寝ている所を蹴り起こされたに違いない肥満気味の屋敷の料理長と配膳役の給仕女中が一名という構成だ。可哀そうに私と母のせいで深夜勤務だ。

 

「ヴォルター、ささ、いらっしゃい。夜だから余り大仰な物は用意出来ないけど、もし不満なら今すぐ作り直させるわよ?」

 

手招きする母が心配そうに尋ねる。いや、私子供じゃないんですから……。

 

「いえ、構いません。ほんの軽食のつもりでしたから。寧ろ世話をかけて恐縮です」

 

と謝罪するのは料理長ではなく母上に向けて言わなければならない。御免ね、料理長?

 

 ソファーに座り母に向け愛想笑いを浮かべながら食事を始める。牛乳とシナモンの香りが立ち込める温かいミルヒライスに仔牛のウィーン風グヤーシュ(煮込みシチュー)、濃厚な味わいのルーラーデン、杏ジャムのパラチンケ(クレープ)、ヴァイセンブロート(小麦パン)は料理と料理の間の口直しだ。デザートにシャーベット、ババロア、幾つかの果物が控える。

 

 ……あれ、これって軽食なのだろうか?ボブは訝しんだ。

 

 絶対急いで必死の形相で調理していたに違いない。厨房では熟睡している所で叩き起こされて阿鼻叫喚だったに違いない。御免ね、帰ってくる連絡しなくて。テーブルの上に置かれた銀のナイフやスプーン、フォークを使い食事を続けながら私は内心で本日何度目かの使用人達への謝罪をする。

 

 一方、我が母は食事は兎も角、お茶もせず唯々食事をする私に笑顔を向け続ける。幼い子供がお子様ランチを食べるのを見る母親のようだ、いや母親だけど。

 

「あらあら、口元についているわよ、仕方ない子ねぇ」

 

 と、自分で拭こうとした所をナプキンを奪われ五歳のように口元を母に拭き取られる。羞恥プレイかな?

 

 ……正直、滅茶苦茶恥ずかしいがここは御機嫌取りのため我慢だ。子供らしい態度をして甘えておけば我が母を煽てるのは比較的容易い(無論私以外がやっても効果は皆無だが)。

 

「御手数おかけします、母上」

「あらあら良いのよ?昔は良くしてあげたけど幼年学校に入ってからは家に戻る事も無くて……勉強熱心なのは良いけど家族に甘えられなくて寂しかったでしょ?こういう時くらいどんどん甘えていいのよ?」

 

 私が謝罪すれば母は当然のようにそう語る。いえ、ベアトに散々甘えていたし、正直胃が痛くなるので帰りたく無かったス。うーん、口に出しては言えないなぁ。

 

というか自意識過剰かも知れないが寂しがってたの多分母上だよね?

 

「それに最近はヴォルターも苦労が多いでしょう?この前も怪我をしたって聞いて心配したのよ?本当に大丈夫?」

 

 心底心配していた、と一目で分かる不安そうな表情で私を見つめる母。

 

「私は大丈夫です。この通り、怪我と言っても擦り傷みたいなものです。御心配には及びません」

 

 私は安心させるように母にそう伝える。色々面倒な所があるが私の身を心配しているのは事実なのでその点は心苦しい。

 

 まぁ、だったらまず軍人になるのを反対して欲しいのだが……。えっ?可愛い息子が賊軍なんかに殺されるなんて有り得ない?さいですか。

 

「折角あの人やアルフレートの叔父様にもお願いして安全な地元勤務にしてあげたのだけれど……御免なさいね、こんな事になるなんて」

 

 うん、次はハイネセンの後方勤務本部の窓際部署お願い!私の成績じゃあ無理だろうけどね!

 

 一通りの食事を終え、給仕の女中に注いでもらった(平然と酌させる私も相当貴族に毒されているな)シャンパン入りのグラスを小さく口元に入れ、テーブルに静かに置く。給仕女中が恭しく礼をして銀食器を下げた頃、そこで私は敢えて浮かない顔を見せる。

 

「あら、ヴォルター?元気が無いわ。疲れたのかしら?それとも何か嫌な事とかあったの?」

 

 私の複雑そうな表情にすぐさま気付いた母が尋ねる。よし、食いついた。

 

「……実は、此度の帰宅についてはお恥ずかしながらお願いしたい事があり帰って来ました。ずっとどうしようか、御迷惑をおかけしないか、と悩みましたが……やはり今一つ辛抱が足らない性格のようで恥を忍んでここに参上したのです」

 

 言い淀みながら(半分演技で半分はマジだ)そう母にそっと俯き加減で視線を向ける。傍から見れば久々に戻ったどら息子が金なり物なりをせびる図に似ていた。糞野郎かな?

 

「あら?おねだりなら遠慮しなくて良いのよ?可愛い息子のためならすぐに用意してあげるわぁ。何が欲しいの?馬?別荘?車?船?妾?言ってみなさい?」

 

 尤も、我が母にとっては一切気にならないようであった。にこやかに何が欲しいのか尋ねて来る。というかおい、最後。人身売買じゃないんだから……。

 

「本当に、ですか……?」

「えぇ、当然よ?お母さんがヴォルターを虐めるような事する訳ないでしょ?」

 

うん、胃に穴開けるような事はしそうだけどね?

 

 兎も角ここまで勿体振って見せた訳だから、ある程度要求を通す敷居は低くなっている……といいなぁ。

 

まずは小手調べ、か。

 

「その……付き人を、ゴトフリートとノルドグレーンについてだけど……手元に置いたままにしておきたいんだ、駄目…かな……?」

 

若干上目遣いで攻めてみた。

 

さてさて、この「御願い」に対して鬼が出るか蛇が出るか……。

 

「……ヴォルター、何を言っているのか分かっているの?」

 

低い、冷たい声が室内に響いた。

 

……虎でも蛇でもなく竜が出るとはこの李白でも見抜けなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 室内の空気が変わった。母の口調からは、相当に不機嫌である事が分かった。重々しくなる室内で使用人達は可能な限り自身に意識が向かないようにあらん限りの技術を使い気配を薄めていた。母の背後の侍女達は不安に震え、老境の家政婦長のみが堂々と佇んでいた。

 

「……はい、母上。理解しているつもりです」

「つもり、では無いわよ?」

 

 気まずさの流れる室内、暫しの沈黙の後に少々緊張した声で私は答え、母が即座に返す。それはいたずらをした子供に厳しく躾ける母親のようであった。尤も、私は今生の母に叱られた事が一度も無いのでこの表現が正しいかは分からない。

 

 ふぅ、と小さな溜息を吐く母。それは呆れるというよりかは怒りを抑え自身を落ち着かせようとしているように思える。

 

先程より若干和らいだ声で諭すように母は語る。

 

「良い?お母さんの御話を良く聞きなさい。前任の役立たずと今回の木偶、双方とも折角拝命しておきながら無様にも付き人としての役割を果たせなかったわ。ヴォルター、付き人の役割は主人を支え、補助し、守り抜く事。特に最後が一番大事な義務なのよ?」

 

 知っている。そもそも、付き人制度自体それが成立理由だ。

 

 銀河連邦末期から帝政初期にかけての社会的混乱と動乱、抗争と粛清の嵐の中でルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを頂点とする改革勢力が権力を握り、従来の既得特権や腐敗企業・犯罪組織・カルト宗教・武装勢力と衝突を繰り広げ帝国の成立と人類社会の再建を実現させた。

 

 その中でルドルフから選ばれた(引き摺られた)優秀な同志達(奴隷)が辺境総督、後に門閥貴族として辺境平定・統治・復興を進めるが同時に彼らの内志半ばで暗殺や戦死した者も少なくない。反帝国派は毒殺や爆殺、刺殺、狙撃、中には高層ビルやスペースコロニー毎吹き飛ばしたり、街一つをバイオテロや化学テロで滅ぼし、無辜の市民、子供まで利用した自爆テロを起こしてルドルフから派遣された秩序再建のための新しい支配者達を葬り去った。

 

 ルドルフ自身生涯に(実行に移され、公式記録に残るものだけでも)最低66回の暗殺を潜り抜けて来た。大帝陛下は企業不正を弾劾する多くの活動家を暗殺してきたソウカイヤシックスナイツ、腐敗や犯罪と戦った銀河連邦最後の良心的国家元首ハーバード・スペンサーを殺害した暗殺者集団「タランチュラ」、「エンジェル・カウントダウン事件」で名を馳せた連続爆弾魔ボマー博士、シリウス情報総局の残党が闇社会で結成したと言われる暗殺教団「山翁衆」の襲撃からすら生存し、数百名を暗殺した伝説の狙撃手ゴロー31世が生涯で二人のみ逃した獲物の一人でもある。

 

 それは大帝陛下自身の恐ろしいまでの身体能力と知能、瞬時の判断能力、何よりも強運により為せた業であった。その凄まじさはルドルフ未来人説、クローン人間説、予言者説、超能力者説、やらせ説等が当時半分本気で流布される程であった。

 

 無論、大帝陛下に選ばれた門閥貴族達も大帝陛下に認められた以上極めて優秀ではあった。だが大帝陛下程に幸運ではなかった(というより大帝陛下に目を付けられた時点で幸運E確定だ)。

 

 大帝陛下の代わりにその手足たる門閥貴族達は次々とテロや暗殺の標的となり殺害されていった。ヴルヴァシー事件並みの主人公補正が無ければ無理ゲー暗殺事件に巻き込まれた貴族が何人いた事か。

 

 ファルストロングの場合は色んな意味で酷い。過去七度ルドルフの巻き添えでローンの残る新築マイホームを吹き飛ばされ、それでも悪運強く重傷を負いながらも生存しその度に新しい家の警備体制を強化してきた。だが宮廷の敷地を出てすぐの民間住宅街にて千名以上の無辜の市民ごと爆殺された。

 

 付き人制度はそんな中で門閥貴族達が裏切りや内通の心配の無い信頼出来る部下に身辺警護に当たらせたのが始まりだ。当初は護衛部隊の指揮官的なものであったのが世代を重ねるうちに幼少期から傍に控える忠臣や主人の右腕としての意味合いが強くなった。

 

「付き人は主人の命を扱うも同然よ。それこそ自身が死んででも守らなけばならない、そしてそれはこの上無い名誉だわ。それを………前の役立たずは幾度も失態を演じたのよ。役目を軽視し、貴方を危機に晒したの。本来なら……本来ならば万死に値する所業だわ!」

 

 テーブルを叩きながら憎々し気な口調で母は叫んだ。その美しい表情は敵意に歪み、侍女達がぴくっと肩を震わせながら怯える。

 

「今回の木偶については私の失態だったわ。あんな無能を代わりに傍に置いたのは私の責任ね」

 

 腹立たし気にそう吐き捨て、続いて私の方に視線を向けると人が変わったように慈愛の笑みを向ける。

 

「だからねヴォルター、私のために遠慮しなくていいのよ?アレを選んだのはお母さんの失敗、貴方を危険な目に合わせて御免ね?……そうそう、次はヴォルターと選べばいいのよ!リストはもう出来ているの。後はヴォルターの好みに一番合うものを選びましょう?」

 

 目を輝かせて、優し気に、まるで新しい玩具か洋服を選ぶように母は提案する。だが……。

 

「……いえ、母上。母上が私のために身を粉にして考えてくれている事は重々理解しております。アレらの失態も……ですがその上で私はゴトフリートの返還とノルドグレーンの所有の継続を許して欲しいのです」

 

 私は、内心戦々恐々としつつも表向きは平然とそう答える。

 

「えっ……?ヴォルター?どうしたの?私は……どうして……どうしてそんな事を言うの?」

 

 自身の意見が一蹴された上、明らかに私の利益にならない(と考える)要望を口にする事に母は困惑した表情を浮かべる。断られる事なぞ想像していなかったに違いない、相当な動揺ぶりだ。

 

 私はきりきりと痛む胃を我慢しつつ、懇願するように自身の考えを伝えていく。

 

「母上の御考えは分かります。……確かに彼女達は付き人の役目を果たす事が出来ませんでした。その結果として少なくとも私が負傷したのは事実です」

「ええ、そうよ。だからお母さんはヴォルターのためにもっと役立つ付き人を付けてあげようって……」

 

母の口上を、しかしその先の言葉を私は遮る。

 

「ですが……いえ、だからこそ私にとっては新しい者よりゴトフリートやノルドグレーンが良いのです」

 

私は一つ一つ説明する。

 

「まずは実力です。当然ながら母上や父上に初期に選ばれたゴトフリートやノルドグレーンは候補の中でも高い方の筈です」

 

 付き人として選ぶなら有望な者から選んでいくのは当然だ。ならば返品した者は除くとしても基本的に優秀な者から紹介される。当然ベアトはノルドグレーン少尉よりも下ではないし、恐らく顔立ち等も考慮に入れたとしても残りの候補からノルドグレーン少尉より明確に上と断言出来る者はそういない筈だ。

 

「また暫く使って、既にある程度実力が分かっている二人は取り扱う上で安心して使えます」

 

 少なくとも能力を見誤って分不相応な職務を与えないで済む。

 

「次に、そもそも各種の失態は全面的に付き人の責任ではない点です」

 

 カプチェランカにしろ、今回の騒動にしろ、自身の身の安全の身を考えればそこまで危険に晒されずに終わらせる事が出来たのだ。双方とも部下を見捨てればそれだけで無傷で終える事が出来ただろう。それをしなかったのは私の判断だ。

 

「寧ろ諫言や注意をしりぞけ、武功欲しさや興奮で無謀な行動をした私にも責任がある事は否定出来ない事実です」

 

 その点で付き人の罪を問うのも酷な事だ。実際には武功欲しさ、という訳ではないがそれでも自ら危険に飛び込んだ形になるのは変わらない。

 

……そして最後には信頼だ。

 

「私が昔から気難しい性格であったのは覚えておいでだと思います。我儘と好き嫌いで随分と多くの付き人候補を追い出しました」

 

 母自身はその行いについて気にしてもいないだろう。だが、私がその行動をしていた事実自体がここでは重要だ。

 

「私は、自分でも疑り深く、愚かな事であるとは考えています。ですがやはり言葉のみの忠誠心よりも実際の行動を重要視してしまう傾向があるのです」

 

 確かにベアトも少尉も私を守り切れなかった。だが、私を守ろうとしたのは事実であり、二人共咄嗟の判断で私を庇おうとして重傷を負った。下手すれば死んでいても可笑しくない状況で自身の命を顧みずに庇う事が出来るのは少なくとも忠臣には違いない。

 

「無論、他の者達も間違いなくその場に立てば同じように行動してくれると信じています。……ですが私としてはそれを実際に行動で示した者の方が確実に信頼出来るのです」

 

 とはいうものの、多分十人に一、二人くらいは命惜しさに逃げる奴がいても可笑しくないし、それを非難出来ないが。まぁ、誰でも死にたくはないのでいたとしても当然だ。だが実際、いざというときに備えて傍に置くなら確実な者を置きたいのが人の性というものだ。

 

「母上の御気持ちは理解しているつもりです。……ですが失態については私自身の行動も遠因ですし、彼女達の過失については私も直々に指導致します。彼女達もまた代々仕える従士の一員です。忠誠心自体は本物、今一度機会を与えればより奮起し、役目を果たそうと励む筈、どうかその辺りを御配慮頂けないでしょうか?」

 

 少々甘えるように私は母に頼み込む。これで受け入れてくれれば一番楽なんだが……。

 

「ヴォルター……」

 

 これまで静かに私の話を聞いていた母がようやく口を開いた。あ、これは……。

 

「阿婆擦れ共に懇願でもされたの?」

 

 あー、駄目かぁ……。私、ではなくこの場にいない(そして無罪の)付き人経験者に対してこれ以上無い、と思える程の敵意を向ける母上である。これは少し斜め上の展開だ。

 

「ヴォルター、気持ちは分かるわ。けどね?御気に入りの懇願でも公私は分けないといけないわ」

 

母上は生徒に教える教師のように注意する。

 

「ヴォルター、覚えておいてね?ベッドの上でお願いしてくる女の言う事を聞いて良い事は一つも無いわ。そう言う女は適当な屋敷に閉じ込めて、使う時以外は時たま手紙や贈り物を送るだけでいいのよ?入れ込み過ぎは良く無いわ」

 

 ………おう、「口添えを御願いされた」だけなら兎も角、直角九十度な解釈をして来るとは流石に思わなかったなぁ。

 

「良い?依存させても依存しては駄目よ?」

 

 相手の生活基盤を抑えた上で飼い殺しにしろ、最初は優しく否定せずに共感した振りして依存させなさい、釣った魚は死なない程度に飢えさせなさい、一人に執着したら危険だから複数ストックしなさいとこれまでにない程真剣に指導してくる。止めくれませんかね、内容が生々しすぎるんだけど!?というか母親から指導されるとか公開処刑ものだよね!?気配消しているけど使用人がいるからね!?

 

「いや、そういうのじゃなくて……!」

 

 取り敢えず同盟マスコミにすっぱ抜きされたら詰みそうな話は終わらせて、誤解を解かないと……。

 

「えっ、だっていつも前の物も一緒にいたし……てっきりちゃんと使っていると……」

「使ってませんよっ!?」

 

というより、ちゃんとって何だよ(哲学)。

 

 そりゃあ多分その気になれば向こうは逆らえないし、そもそも逆らう発想が出るかも怪しいが……いや、違うよなぁ。

 

 ベアトのきらきらした子犬のような瞳(向けられると辛い)を見れば分かる、あれは純粋な忠誠心だ。あの目を怖がらせて楽しめる程嗜虐趣味ではない、正直勢いに任せてやった後の空気は辛い。

 

「……兎も角、違います。私も武門の誉高い伯爵家の軍人として前線の危険性は理解しています。そんな戦場の供にする付き人を、そんな事で口添えする程愚か者ではありません。それとも母上は私がその程度の事で簡単に騙される低能と御思いで御座いますか?」

「む、そうじゃないけども……」

 

 一応、ここで下世話な話は打ち切る。母は不満そうにするが流石に私自身の名誉棄損になる所に話を持っていけばその方面から責める事は出来ないらしい。実際その点では潔白だ。

 

 というか、神(ライトスタッフルール)の逆鱗に触れかねないからね、仕方無いね。

 

「……ですので全て私が自発的に考えた事です。そこに他の者の意志なぞ御座いません。そして実際実戦や幾度かの危険を経験し、学び、私は自分の判断が最善であると確信しています。今後の私の軍での働きのため、どうぞ不肖の息子の希望を御認め下さい」

 

ここで再び懇願するように頭を下げて頼み込む。

 

……暫く室内を重苦しい沈黙が支配する。頭を下げる私には母の顔色がどのようになっているのか伺い知れない。

 

数秒、あるいは十数秒、いや数十秒の静寂………。

 

「ひくっ……ヴォルターが不良になっちゃった………」

 

吃逆するような音が響いた。

 

「へっ……?」

 

思わず頭を上げる……と、そこにいたのは頬を赤くして、涙目で今にも泣き出しそうな母である。

 

「お母さんが心配しているのにぃ……!!ひくっ…そんなに母よりも従士の方が大事なのぅ!?怪我する危ない事ばかりぃ…うっ…うっ…うえぇぇぇん!」

 

 子供のようにすすり泣き、遂には泣きじゃくる母に思わず私は驚き、唖然としていた。

 

 下手な泣き方ではあるが、顔立ちと美声のおかげで古典悲劇の名場面に見えるのは正直凄い、とつい場違いな事を考えた。控えていた侍女達はおろおろと戸惑い、侍女達のその姿を見かねた家政婦長が黙々とハンカチで涙を拭き取る。

 

 正直、母がここまで泣く姿は殆ど見た事が無い。幼い頃怪我をするといつも慌てて駆け寄ってきたが、それでも泣き出す事は無かった。

 

そのため、激怒は想定しても号泣は想定してなかったので狼狽え具合では侍女達と良い勝負だ。

 

そしてこういう時、大概タイミングが悪い時に悪い事が重なるもので……。

 

「……何をしておる」

 

 その風格のある声に私は一瞬肩を震わせ、恐る恐るそちらに視線を向ける。気付けば室内にいた使用人達も皆頭を下げて恭しく礼をしていた。誰に?そりゃあ決まっている。我が家で一番偉い御方だ。

 

 亡命軍では将官以上の軍服は個々人のオーダーメイドであり、デザインが違う事は珍しくない。その点で言えば銀河帝国の元帥服を元にした軍服を着ても一切問題ない。

 

 黒と銀を基調とした軍装に各種の勲章と漆黒のマントを着た気難しげな銀河帝国亡命政府軍宇宙艦隊司令長官兼自由惑星同盟軍予備役中将殿……つまり我が父上が居間の入り口で家令や護衛を引き連れた状態で鋭い視線で私を射抜く。

 

「あっ……」

「貴方ぁ!ヴォルターがぁ不良になっちゃったのぅ……!やっぱり市民軍なんか入れちゃ駄目よ!亡命軍に入れましょう!」

 

 涙を拭く家政婦長を振り払い(完璧なタイミングで婦長も退いた)、立ち上がると父に抱き着き泣いて懇願する母上様である。

 

「………」

 

 厳粛で落ち着いた表情で、少々要領を得ない母の話に耳を傾け、周囲を観察し、最後に家政婦長を呼び耳打ちをしてもらう父。呆れた感情を流石に隠し切れないかのように目を閉じ、僅かに頭を横に振る。

 

「帰宅してすぐこれとは……。ツェツィ、話は書斎で聞こう。ヴォルター!」

「はっ!」

 

 慌てて私は立ち上がる。殆ど本能的に敬礼していたのは私も随分と軍人的思考に染まっている証拠であったかも知れない。

 

「職務の方は災難であったが、良く働いたな。此度の帰宅も歓迎する、がもう遅い。今日は寝ておくと良い。話ならまた時間をやる。ゴットホープ!」

「はい」

 

 家令の名を呼べば燕尾服を着た品の良い初老の紳士が前に出る。私の部屋への案内をするつもりだろう。

 

「ち、父上、その……」

「悪いようにはせん。気にするな」

 

 言い訳、あるいは弁明をしようとする私に淡々とそう言い放つ父。私はそれ以上の言葉を発する事も出来ず、恭しく先導する家令と数名の使用人に連れられ、自室へと向かわされる。

 

「………」

 

 居間を出て、廊下を歩き始める。ふと、私は振り向き両親を見れば泣きじゃくる母と、それを少々困った表情で、それでいて済まなそうな表情で慰める父を視界に収める。

 

「………悪い事をした、かな」

 

 今更ながらに罪悪感が湧き出し、しかしそれが必要であった事も理解する私は、複雑な心境でその場を後にするしかなかった。

 

……ああ、明日の事考えるとお腹痛い。えっ、胃薬?うむ、受け取ろう。

 

 取り敢えず私は内心を読まれている事なぞ最早気にせず、家令から胃痛の飲み薬を受け取ったのだった……。

 

 

 




多分次で今章は終われる……筈


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第八十話 偉い人が急に思いつきを実行すると下は大変だったりする

ちょっと高級ホテルのビュッフェ行ってきた、ローストビーフうんめぇ
門閥貴族になって作者も食道楽したい


「若様、どうぞ御起床下さいませ」

「んっ……あ…ああ、もう朝か」

 

 年季を感じさせる、それでいて品性を感じる呼び声に目を覚ます。

 

 天井がまず視界に映る。そして視線を動かせばベッドのすぐ傍に高級な燕尾服に身を包んだ白髪に同じく白く切り揃えた口髭を持つ初老の老紳士が数名の女中を控えさせて佇んでいた。

 

何でこいつらいるんだ?等と一瞬考え、自身が実家に戻っていたのを思い出す。ちぃーす、コクラン大尉残業御疲れさんです!(いや、ガチ目にすみません)

 

 さて、悪ふざけは置いておくとして、まだ残る睡魔を退散させるように寝室のベッドから起き上がる。開かれた窓からは朝日と冷たさを感じる微風が入り込む。時間は……朝の6時半といった所か。

 

「……家令が直々に起こしに来るとは珍しいな」

 

 伯爵家の家令を務めるアルファンス・フォン・ゴッドホープに私は呟くように言った。

 

 ゴッドホープ家は伯爵家の使用人集団の頂点に立つ家だ。その本家の家令ともなれば使用人として代々仕える従士家と奉公人家合わせて数十家を指導・管理すると共に、場合によっては処罰や解雇に関して限定的にではあるが主家に代わり決定権を持つ。また主人の補佐として領地・荘園・屋敷の管理・補佐、金庫番役を担う。屋敷に主人がいる場合は主人の身支度・給仕・靴紐結び等も担う(雑用に思えるかも知れないが主人を暗殺可能なすぐ傍に長時間・複数回入る事になるため極めて信頼され、名誉な仕事とされる)。まぁ、所謂「爺や」ポジションと言えるだろう。

 

 アルファンスはもうすぐ七十になろうかと言う年齢であり、家令の地位を彼の実父より継承されてより二十年余り、父上よりも一世代近く年上と言う事で相談相手として、また優秀な事務能力から重用されてきた忠臣の一人だ。

 

 まぁ、ここまでは良い。問題はなぜ彼がこの部屋に来たか、だ。

 

 起こしに来た?そのような雑事は他の使用人にやらせれば良い、主人の傍にて輔弼し、屋敷と使用人全体を管理する家令がする仕事ではない。まして百歩譲って父上に対してならまだ理解出来るが、碌に屋敷に戻らないボンボンに対してというのは腑に落ちない。

 

「旦那様からの御指示で御座います。本日は自身で御起床するため代わりに若様の方にとの仰せで御座いますれば」

「……そうか」

 

 家令の説明に端的に私は答える。もう、こいつ心を読んでいる!?とか突っ込まねぇよ。家令ともなればもう出来て当然だよね、なレベルだからね。

 

 女中に椅子を用意され、そこに座れば殆ど全自動で朝の仕度が整えられる。歯こそ自身で磨くが(それすら頼めばしてくれるだろう)、三名の女中が洗顔をし、服装の着せ替え、整髪、靴結びを連携して行う。家令は背筋を伸ばし、その様子を観察する。彼自身は監督に徹し、女中に不穏な動きがないかを監視し、その支度に粗がないかチェックし、万一にも室内に不届き者が侵入すれば迎撃する。

 

 最後に鏡を用意させ、身だしなみの確認を求められる。緋色のジュストコールとベスト、キュロットの出で立ちは皴はなく、髪は癖毛の一本もない。うん、自分でやるより遥かに完璧だ。

 

「旦那様より本日のご予定を伺っております。本日は散歩を0700時頃より、朝食を0800頃に執り行う御予定で御座います」

 

 昨日の事については一言も触れず、優し気な笑みを浮かべ父が組み立てた本日の予定について報告を始める。因みに家長制の傾向が強い帝国では当主の言は優先されるので私がこの立てられた予定を違えるのは余り奨励されない……と言っても家にいる事が少ない父が予定の組立を命じるのは珍しいが……。

 

「まぁ、今は従うべきだよな?」

 

 正直昨日の事があの後どうなったか気になるが、ここで言っても仕方ない事である。家令が言付を受けていれば口にしている筈で、それが無いという事は家令は何も言付けられておらず、尋ねても意味がない。取り敢えず一通りの予定を頭に叩き込みそう答える。

 

 身支度を終え、自室を出れば天井にシャンデリアが煌めき、壁に目を向ければ絵画やら剥製、御城に良くある騎士甲冑(炭素クリスタル製実戦投入可能モデル!)等が飾られる廊下に出る。床は当然天然の高級木材に各種特殊塗料で難燃加工と光沢も付けている。当然の如く塵一つ、埃一つない。

 

 因みに屋敷は毎日主家の者達の目に触れないようにしながら毎日一、二回は掃除しなければならない。つまり私が廊下に出る少し前まで多分使用人達は右往左往しながら掃除していた事であろう。しかも埃一つ、汚れ一つでも残っていれば持ち場の責任者に後でこっぴどく叱られる事になる(ブラック企業かな?)。なので使用人への負担をかけたく無いのなら出来るだけ起床や出歩くのは決まった時間に、汚れがあっても見て見ぬ振りしよう。皆も門閥貴族に転生したら覚えておいてね?

 

 私のすぐ傍に家令(いつでも私を守れる位置を確保している)、背後に使用人が恭しく付き添う。伝統を固持する門閥貴族は自室を出ればまずは家族への挨拶と公園(当然のように貴族や最上位富裕市民しか入れない特別公園だ)に散歩が日課になる。

 

「……!父上、母上、おはようございます」

 

 廊下にて鉢合わせた両親に一瞬表情を強張らせつつも、私は作法に則り恭しく挨拶をする。

 

「うむ、息災で何よりだ」

「ヴォルター、どうだった?良く眠れた?」

 

 いつも通り厳めしい表情の父と昨日の事を忘れたかのように優し気に尋ねる母。父は私と殆ど同じで金縁にエメラルドのカフス釦を装飾した碧いジュストコールにベスト、キュロットに三角帽、母はロココ調のドレスに鍔の大きい白い帽子を被っている。それ自体は何の問題も無い服装だ。互いに後ろに使用人やら侍女を控えさせている事も同様に門閥貴族としては普通だ。

 

……問題は父がこの場にいる事そのものであるが。

 

「……はい、問題御座いません。……それよりも父上がここにおられるのは珍しい、御勤めの方は宜しいのでしょうか?」

 

 一瞬、昨日の事について尋ねようとしたが止める。この手の話を朝からするべき事ではあるまい。それに父が任せるように言ったのだ。少なくとも昨日今日で口にするべきでもない。

 

……無論、口にするのが少し怖い事は事実ではあるが。

 

代わりに尋ねたのは父がなぜこの時間にまだ屋敷にいる事か、である。

 

 規模が同盟軍や帝国軍とは違うとはいえ亡命軍の宇宙艦隊司令長官も暇ではない。いや慢性的な兵力不足と過重ローテーションでその緻密具合は寧ろ高いだろう。私の幼い頃から家にいる事は多くは無かった。

 

「ああ、問題無い。今日は、な……御者の馬車を停めてある。早く行こうか」

 

 懐から金細工の懐中時計を見た後そう催促する父。その言い方は恐らくは今日一日仕事が無い事を意味する。……宇宙艦隊司令長官に滅多に休日はありやしないのだが……。

 

 だが、そんな事を考えている時間もない。指示に従い私は両親の後ろに付き添う事になる。

 

 屋敷の庭先には三台の馬車が停まる。前後の馬車は使用人、中央が主家一家、そこに八名の護衛の騎兵(マスケット風ブラスターライフル装備)が傍に控える。御者と使用人も有事の護衛兼弾除けになる(使用人達は護身用・護衛用に拳銃・警棒・ナイフ等の最低限の心得はある)事を考えれば約二個分隊の護衛が付き添う訳だ。

 

 警備体制万全な星都中央のインネレシュタット区の更に警備の敷かれた公園に向かうのに護衛多すぎない?とは思うが爵位と貴族的常識を思えばこれは寧ろ少ない方だと言う。帝政初期の共和主義者(の皮を被ったモノホンの危険人物も多かったが)がどれだけ滅茶苦茶な方法で貴族達を殺害しまくり、生き残った貴族達がトラウマを負ったか分かろうものだ。

 

 さて、帝室の離宮である新王城宮の庭園でもある植物園・動物園・薔薇園・水族館の併設された大公園は会員制であり利用出来るのは極一部の者達だ。つまり門閥貴族や一部の帝国騎士や富裕市民である。帝室が離宮に滞在していない時は星都に居住ないし滞在する会員貴族や富裕市民の散歩と朝の挨拶、そして談合の舞台となり、帝室が滞在している場合は皇族への参拝の舞台となる。

 

 現在は帝室は殆ど滞在していないため、公園の一番の主役は大貴族達と帝室から嫁いだ元皇族達となる。つまり母のような立場の貴人である。

 

「これはこれは、夫人、息災で御座います。今朝もまた見目麗しい御姿で御座います」

「あら、ノルトハイム伯も御元気で何よりですわ」

 

 つまり母に挨拶する者が列を成すのだ。ノルトハイム伯爵、ブルックナー子爵、リスナー男爵、フッガー男爵等が次々と完璧な礼を持って挨拶する。笑みを浮かべ母の手の甲に手袋越しに軽い接吻をする。別に他意があるのではなくそれが作法である。唯それでも母の美貌はまだまだ十分過ぎる程に美しいので内心で役得である思っている者はいるかも知れない。

 

 あるいは女性でもヴァイマール伯爵夫人やユトレヒト子爵夫人、ベーリング帝国騎士夫人等が恭しく挨拶に参上する。下位の地位の夫人が上位の夫人に挨拶に行くのはマナーだ(更には回る順番も慎重にしないとならない、女性社会は怖い)。

 

 だが、それでも付き添う父の姿を見るとぎょっと二度見する者は少なくない。何せ普段は軍務省やら宇宙艦隊司令本部にいる父がこの場に入れば、しかも厳めしい(別に怒ってはいない)姿を見れば流石に動揺するのも仕方ない。それでもすぐに落ち着きを取り戻し恭しく挨拶出来るのは門閥貴族らしい。

 

 尤も、父の姿を確認すると当然そちらに挨拶参りに来る者も出て来る。多くの場合分家筋の者や同じ武門貴族である。一例を挙げればハーゼングレーバー子爵にクーデンホーフ子爵、ヴァーンシャッフェ男爵等である。

 

 問題は宮廷でも変人枠扱いのリリエンフェルト男爵だった。ブラックリベリオンしてそうな仮面を被りジェスチャーされても困ります。横の従士(無表情で真顔だ)が翻訳してくれなければ男爵は意味不明の踊りを永遠に続けていた事であろう。これには厳つい表情の父も公然とドン引きする。周囲は最早半分諦めムードだ。もうあの男爵はああいう人だから仕方ない扱いである。これで純粋に軍人としては有能枠なので困る。

 

 リリエンフェルト男爵の次位に面倒なローデンドルフ伯爵夫人(母の従姉・グスタフ三世三女)との長々しい挨拶(というより母とのお喋り)を終え、馬車で自宅に戻ったのは午前8時頃の事だ。屋敷に戻れば外着を使用人が恭しく脱がし、部屋着で料理人達が帰る時間に合わせた朝食を用意する、また手紙や新聞の確認もこの時間に行われる決まりだ。

 

 主家家族用の食堂につけば席に案内される。クロスの敷かれたテーブルの上座に座る父が仏頂面で新聞を静かに読み、母は御機嫌な表情で手紙を読む。時たま私や父に手紙の内容について語り聞かせる間に給仕女中と料理人が食器類をテーブルに位置を誤らずに次々と置いていく事になる。

 

 朝食は門閥貴族としてはどちらかと言えば質素なものだ。各種のパンは竈でその日に焼いた出来立てである。コールドローストビーフ、ベーコンエッグ、ゆで卵(半熟)、サラダ、チーズ、スープが主食、飲料はオレンジジュース(搾りたてだ)に紅茶か珈琲が選べる。デザートは果物に林檎、梨、杏等、甘菓子にクラップフェン、フロレンティーネ等が用意されている。

 

 大神オーディンと双子の豊穣神への(形式的な)祈りを捧げた後に食事は始まった。

 

「ふふふ貴方、パンでしたら私がお入れしますよ?」

 

 にこやかにそう言いながらロッゲンミッシュルブロード(ライ麦パン)を父の皿に入れる母。軍人時代の影響で父はこれにクリームチーズやサワークリーム、ベーコンエッグを挟んで食する事を好んでいた。今でこそフォークとナイフを使うが同盟軍に所属していた頃なら素手でこれを食べていたと言う。

 

「あ、ヴォルターにはこっちね?」

 

 と、固いものが多いドイツ系パンの中で比較的私が好むアインバックを皿に入れる母。口元が汚れれば使用人からナプキンをふんだくって代わりに拭き取る。

 

 何というべきか、これまで見た中でも今日の母はとても機嫌が良いように思えた。

 

「ヴォルター、どうかね市民軍での職務は。やはり市民軍ではこちらの常識とは少々勝手が違う。苦労しているだろう?」

 

珈琲を飲んだ後、カップを置き父は私に尋ねる。

 

「……いえ、ハイネセンでの生活で市民軍のやり方にある程度は慣れましたので。それに部下の補佐もあり、どうにかやっていけております」

 

 寧ろある意味では地元より気が楽ではある。尤も相手側の色眼鏡には困るが。

 

「そうか、職場の様子はこちらも度々話を聞いている。良くやっているが無理はする必要はない。まだ任官して一年も経っていない。これからも軍功を上げる機会はあろう。堅実に精進する事だ。さすれば提督になるのも困難ではあるまい」

「はっ……」

 

 父からの言葉に取り敢えずそう返事する。父は表情を変えずにうむ、とだけ頷き食事に戻る。

 

「そうよ?ヴォルター、頑張るのは良いけれど今はまだ若いのだからそこまで焦らなくてもいいのよ?ヴォルターなら無茶ばかりしなくてもすぐに昇進も出来るでしょうから」

 

 穏やかで落ち着いた表情で母も続ける。父に対するのと同じく承諾の返事をしつつも内心では困惑する。昨日あれだけ泣いていた母が今日になると人が変わったように優しく、機嫌が良いとは……一体昨日何を話したのだ?

 

 そのような事を思いつつも、私は両親ととりとめもない雑談をしながら食事を続ける。

 

 同盟軍で言えば0930時、つまり午前9時30分頃、食事を終え皿が片付けられる。テーブルにはデザート類のほか紅茶か珈琲(私は紅茶を頂いた)を味わいながら両親は手紙への返事や業者への対応、本日の用事について家令と家政婦長を始めとした使用人達に命じていく。これが地味にやる事が多く、一時間近く手紙の執筆や使用人との相談に時間を費やす。私は暇……という訳でもなく、跡取りであるために父の傍でその様子を見、必要によっては質問や相談相手もさせられる。

 

 大概の門閥貴族は幼少期からこのような仕事風景を観察し、場合によっては他の使用人による説明、両親からの半分クイズに近い質問がされる。流石に慣れているので私もその場その場で答えていく。少なくともぎりぎり合格点な受け答えは出来たと思う。

 

 10時半になると再び外着に着替える事になった。今日の予定には星都郊外の小さな荘園の視察も含まれていた(と言いつつ遊びに行くようなものだ)。

 

 馬車に揺られる事二時間半、門閥貴族の狩猟園や荘園の広がる一角に我が家のそれもある(尤もあくまで星都郊外の、であるため領地に行けば幾らでも荘園はある)。ここの場合は人口六百人程の村が園内にあり、彼らが荘園の開墾と収穫を、代官として派遣されている従士が管理と経営を司る。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「旦那様、それに奥様と若様もよく本園にお越し下さいました。ささやかながら可能な限りの歓迎をさせて頂きます」

 

 代官と村長以下の荘園の代表が馬車を出迎える。代官は三角帽を脱ぐと頭を下げ、流暢な宮廷帝国語で視察に来た主家一家に挨拶する。見栄張りな貴族だと全ての村民を集め平伏させるらしいがそこまでは流石に悪趣味なのでやらない。

 

「は…ははぁ……伯爵様、こ、此度の御視察、ま、誠にありがとうございます……!わ、我ら領民一人残らず伯爵様のご、御慈悲と善政に、か、感謝を忘れた日々はご、ごご御座いません……!き、今日は我々の力の及ぶ限り日頃の御恩を御返しするため、ぜ、全力で御持て成しさせて頂く所存で御座います……!」

 

 代官が落ち着いた所作で挨拶したのとは裏腹に、村長以下の平民代表達は舌を噛み、震える声で必死に覚えたであろう宮廷帝国語でそう口にして深々と頭を下げる。そこには明らかな門閥貴族に対する畏怖の感情があった。

 

 まぁ、荘園の住民は産まれながらに領主様が絶対であると教育(洗脳ともいう)を受けているから致し方ない。まぁあれだ、極東の帝国では二十世紀中頃の時点で陛下を見たら目が潰れるとド田舎の小作人達は信じていた者もいるらしいから。同じように領主様を見ただけで打ち震えるのも当然だ。

 

 まして原作のように体制のタガが緩んだ黄金樹末期なら兎も角、このヴォルムスにおいては法的な特権はほぼ失われようとも社会的権威は下手すれば回廊の向こう側以上だ。殆どの平民は貴族の悪口を言う事すら憚る。ある意味では帝国人以上に帝国人らしい、とも言える。

 

「うむ、視察……という事になっているが唯の遊覧のようなものだ。そこまで気にせずとも良い。卿らの働きは良く知っておる。今朝の食事も美味であった。今後も励む事だ」

 

 威厳に満ちた表情、堂々とした体勢は服の下からでも引き締まった肉体美を有する事が分かる。優美な服装と物腰と相まって完全なる貴族様である。街に出る次男三男なら兎も角、村から殆ど離れない直系の村長を筆頭とした荘園代表は生来の純朴さと相まって比喩ではなく、父のその言葉に当てられ平伏す。

 

 あるいはその姿を標準的な同盟人が見れば眉を潜めるだろう。知識人ならそこに住民の無知さと権威と伝統の素朴な崇拝の念を見ることが出来、荘園と言う時代錯誤な封建制度に呆れ返るかもしれない。

 

 荘園制度の成り立ちは複雑であり、その成立を一概に説明するのは難しい。始まりは地方に派遣された門閥貴族が予算不足から貧困層や軽犯罪者を刑務所や収容所に投獄する代わりに自給自足可能な集落に閉じ込めた事であると伝えられる。

 

 そこから更に難民や叛徒の縁者等も合流する事になる。元々経済的問題や世間の目から外では生きていけない者達をその出自事に自給可能な設備を揃えた上で封鎖された土地に縛り、公共事業の労働力や軍役として領地の防衛・開発等に利用した。大概は一つの荘園で金納・労務・軍役・作物の献上等のいずれか一つの賦役を代々課される事になる。特に軍役や作物の献上は先祖に問題が少なく領主と体制への忠誠心の強い荘園が担う。

 

 この荘園の仕事は星都の屋敷に提供する馬や農作物、食肉、酒類を生産加工する事である。今朝口にした食事の材料も殆どがここから毎日新鮮なうちに提供された物だ。即ち特に帰属意識の強い荘園と言う事だ。

 

 当然殆どが無農薬・遺伝子加工無しの作物・家畜を可能な限り手作業で育てているため馬鹿みたいに手間暇がかかっている。訳の分からない物食べて優良(笑)な遺伝子が傷ついたり、健康を害したら大変だからね、仕方ないね。

 

 さて、それは兎も角として荘園の視察……というより観光あるいは遊覧が始まる。

 

「ヴォルター、あちらの牧場に行きましょう?」

 

 母に連れられて向かうのは荘園の一角の牧場だ。ポニーに子山羊、子羊、雛に牧場犬とくれば女子供ならば誰でも可愛いと思う事だろう。普段は煌びやかな宝石とドレスに包まれて高級な御人形の如く椅子に座る母も可愛い物は可愛いと考える感性は当然ある。寧ろ普段はこういう所に行けないので歳の割に燥いでいる位だ。

 

 熟練の牧場主と子供達が草原に連れて来た子山羊や子羊におどおどと近づき、頭や体を撫で回す。子羊が潤んだ瞳でメェ、と可愛らしい鳴き声を上げれば母は一層御機嫌でその口元や目元に触れる。子羊の方も興味津々と言った風にその手に鼻を押し当て、舌で擽るように舐める。

 

 雛鳥はてくてくと母の後ろについていく。少し早く歩けば置いて行かれないように急いでその後を追う姿は実に愛らしい。牧羊犬が構って欲しそうにぐるぐると母の足元を回る。牧場主がフリスビーを母に献上すれば牧羊犬は待ってましたとばかりに耳を立て、放牧地の向こうにフリスビーを投げれば全力疾走で牧羊犬は追いかけた。母の元に戻りフリスビーを返せば舌を出してハッハッハッ、と興奮した表情で次を待つ。

 

「ほら、次はヴォルターが投げて!」

「えっ、はぁ……」

 

 母に急かされてフリスビーを受け取る牧羊犬の前にそれを出せば犬の息遣いは一層激しくなり早く投げろやとばかりにぶんぶんと尻尾を振る。

 

「………」

 

 同盟軍人として投擲技術も当然学んでいる。手榴弾を投げるかの如く構え……全力でフリスビーを投げる!

 

 飛び跳ねるかの如く走り出す牧羊犬。数十メートル先で跳躍して口でフリスビーをキャッチし、全力で疾走して戻ってくる。それをキャッチアンドリリースするかのように再び投げる。受け取る。再び投げる。受け取る。

 

 愚直なくらい何度も何度もフリスビーを咥えて帰ってくる牧羊犬。興奮した面持ちで尻尾を振って駆け寄ってくる。

 

「……全く大した忠誠心だな」

 

 いや、本能に従って動いているだけかも知れんが。兎も角も駆け寄ってくる牧羊犬からフリスビーを取るとその首元や頭を撫でる。すると一層興奮して撫でる手を舐め回してきた。尻尾ははち切れんばかりだ。

 

「……可愛い奴め」

 

 一瞬、同じように愚直で忠誠心過剰な従士の姿を幻視した。確かに見ようによっては犬みたいかもしれない……いや、流石にそれはある種の悪口か。

 

 撫でる手を引き離すとこちらを見上げ、物足りなさそうに鳴く牧羊犬。耳がぱたんと倒れ、尻尾はしゅんと倒れる。

 

「ふふふ、遊び足りないのねぇ。こちらにいらっしゃい?」

 

 楽しそうに笑みを浮かべる母の手招きにてくてくと近づく牧羊犬。その首元を擦れば気持ちよさそうに目元を細めて喉を鳴らす。が、数分もすれば物足りないのか私の下に戻って首元を見せる。擦れや、という事だ。

 

「あら、妬けちゃうわ。私よりヴォルターの方が良いのかしら?」

 

 私は誤魔化すような苦笑いをしながら喉元を撫で回し続ける。私は喉元撫で回し機かな?

 

 母は私が牧羊犬を可愛がる姿を見て、優し気な視線でそれを観察していた。

 

 そして……御機嫌に戯れる母を見て、私の方は少しだけだが父と母の話し合いの内容に薄っすらと思い至っていた。

 

「メェェェ……!」

 

 そんな鳴き声に、下方に目を向ける。見てみれば子羊が震える足でメェメェと鳴きながら母のドレスの裾を咥えていた。

 

 

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「きゃっ……こらぁ、駄目よ?」

 

 子供でも抱きかかえられるような小さな子羊を注意し、服装を引っ張る母。それでも未練がましく食らいつくので困り顔で母は私に視線を向けて助けを求める。

 

「ほら、お前の仕事だ。行ってこい」

 

 ジェスチャーで指示をすれば、アイアイサー!とばかりに立ち上がった牧羊犬は耳をピンと立てて勢いよく子羊に吶喊し、吠えかける。元々臆病で愚かな羊はその吠え声に驚き一目散に、震える足でメェメェと泣きながら逃げ出した。

 

「あらあら……困ったわねぇ、汚れてしまったわね」

 

 べたべたと濡れるドレスの袖を使用人がハンカチを持って拭き取ろうと駆け寄る。私はそれを制止する。

 

「悪いがそれを貸してくれ。母上、宜しいですか?」

 

 私が母の方を見ると、一瞬きょとんとした表情になるが、すぐに母は笑みを浮かべる。

 

「良いわよ、じゃあお願いしようかしら?」

「不肖の身ながら失礼致します」

 

 そういって母のドレスの袖の汚れを受け取ったハンカチで拭き取っていく。

 

「ふふふ」

 

 私が拭いているといたずらっ子のような、しかし上品な笑い声を上げる母。

 

「何事ですか?」

「いえ、こんな風に拭いてもらえるとヴォルターも大きくなったのね、と思って。昔は拭いてあげてばかりだったもの」

 

 昔の記憶を思い浮かべる。そして我儘ばかりで、癇癪持ちでその癖鈍臭くマナーを覚えるのも上手くなかったので同年代の子供に比べて服を汚す事が多く、その度に母が使用人からハンカチを奪って拭いていた事に思い至る。

 

「随分と御心労をお掛け致しました。我ながらお恥ずかしい限りです」

 

これには苦笑いで誤魔化すしかない。

 

「いえいえ、こんなに元気でしっかりした子になってくれて、母としてはとっても嬉しいわ」

 

 にこにことドレスの汚れを拭く私に幼稚園児にでも接するように頭を撫でる母。使用人や村人がいるので恥ずかしいのだが、母にとってはそんなものどうでも良い存在なのだろう。私としても振りは払うのは母へのこれまでかけた迷惑を思うと罪悪感を感じるため出来ず、結局そのまま頭を撫でられ続ける。

 

「仲が良いな、良い事だ」

 

 後方からの声に気付き立ち上がり振り向けば、案の定父が従士や村民を従えながら立っていた。

 

……流石に騎乗しては想定していなかったけどね?

 

「貴方の騎乗姿を見るのは久しぶりだわぁ。相変わらず凛々しい御姿ですわね」

 

一方、母は寧ろ懐かしそうに微笑む。

 

 まぁ、確かに懐かしい姿ではあるが……。本当に小さい頃母に抱っこされた状態で父の馬の後ろに乗ったり、逆に父の前で馬の首に抱き着いて散歩をした記憶はある。馬術の講義でも時たまに父が実例を見せて来た事だってある(流石に父も暇では無いので大抵は教官役の従士や奉公人が指導していたが)。

 

「うむ、折角の休暇それもこのような田舎だからな。いつもデスクに座っていると体が鈍る。時には野外での乗馬も良かろう」

 

 無論、普段よりトレーニングや陸上、射撃や戦斧術、徒手格闘術の鍛錬を怠る父ではないであろうが、立場が立場であるために野外での運動は滅多に出来ない。青空の元での乗馬は恐らく年単位で出来ていない筈だ。

 

 それでも元来の堂々たる威風を醸し出す父が歳を取っているであろうが大柄で逞しさと気品のある黒毛の馬に騎乗する姿はやはり絵画に出来る程度には威厳がある。原作のミュッケンベルガー程では無いであろうが、回廊の向こう側の無気力皇帝よりかは遥かに皇帝らしい(流石にグスタフ三世には威厳、という点では負けるが)。

 

 老馬に私が近づくと馬の方は私に反応して鼻で臭いをかぎ手や腕に触れ来る。そして上唇で優しく服の袖を噛む。所謂甘噛みで、馬の愛情表現の一種だ。

 

「あら、その子、貴方の御気に入りでしたわね。もう歳だと思いましたけど宜しいので?」

「そう激しく走らせるつもりはない。軽い散歩程度ならば良かろう」

 

 そんな両親の会話でこの馬が自分が小さい頃に乗せてもらった馬であると理解する。馬の癖に案外記憶力が良いな……うおっ、唸るなっ!?馬にまで私は心を読まれるのか……?

 

「お前も久しぶりに乗って見るか?ハイネセンでは乗馬なぞ滅多に出来んだろう?」

 

父が私に尋ねる。

 

 実家や幼年学校では馬術の訓練はしてきたが、流石に同盟軍では殆どしていない。対帝国戦や辺境での軍事行動でも馬を使うのは極一部の環境における地上軍の特殊作戦部隊程度のものであり、士官学校で数回程申し訳程度の体験をした位だ(私にとってはコープやヤングブラットに勝ってどや顔出来る数少ないボーナスステージだった)。

 

「大丈夫かしら……落馬したら大変だし、ポニーでも良いのよ?」

 

 心配そうに母が私を見やる、が私は父の意図を組み、敢えて母の提案を断る。それに自分でも馬術はそこまで苦手という訳でも無い(というよりも貴族の嗜みなので厳しく躾けられた)。

 

 実際荘園で飼育している馬の中では大人しい白毛を馬丁が連れて来たが、すぐに乗るのにも慣れる。実際荘園にある調教用の障害飛越競技場の障害物も全て突破して見せた。

 

 まぁ、もういい歳な老馬で私よりも早く突破する父には勝てないけど。付き添いの使用人なら兎も角、調教師や馬丁まで割とマジで拍手するレベルだ。多分貴族も軍人も辞めてしまっても競馬騎手で父は食べていけるだろう。

 

「ふふ、あの人本当に乗馬が御上手でね、私も若い頃良く乗せてもらったわぁ」

 

 くすくす、と子供のように笑う母、恐らく結婚する前の事でも思い出しているのだろう。

 

「けど、ヴォルターも中々のものよ?正直怪我しないかはらはらしていたのだけれど……」

「御心配をお掛け致します」

 

私は小さく頭を下げて謝罪する。

 

「良いのよ?お陰様でヴォルターの凛々しい乗馬姿も見られたのだし。ふふふ、これならどこかの御令嬢相手でも相乗りさせる事が出来そうね?」

「相乗り、ですか」

 

 流石に政略結婚や見合い中心の帝国貴族では乗馬出来る者が多くても相乗りする者は滅多にいない。両親の例は明らかに例外に含まれる。

 

 昼の三時頃に御茶会も兼ねた昼食を野外で行う。村人が用意した食材を随伴する使用人達が調理し、青空の下でテーブルと椅子を用意され、代官や村長夫妻、一部の従士達と楽しむ事になる。

 

 村の竈を使い焼き上げたパンに荘園自家製の各種のチーズとヴルスト、今日の持て成しのために急いで絞めたに違いない鴨肉のソテー、サワークリームであえたポテト、マリネ、茸とほうれん草、ベーコンのバター炒め、スープのレバークネーデルズッペ、デザートの果物に焼き菓子、荘園で醸造した白い葡萄酒が御供につく。村で調達可能な食材で可能な限りに豪勢な昼食を作ったと言える。全て手間暇かけて栽培し、加工した食材と思えば贅沢品だ。無論、事前に安全確認のため毒見されていた。

 

 軽い運動の後、という事もあり、思いのほか食事は進んだ。そんな私を見て母が追加の料理を命じる。育ち盛りは流石にもう過ぎたのだが……いや、食べますけど。

 

 両親は葡萄酒片手に昔話に興じる。結婚前や結婚後も私が幼い頃度々こちらの荘園に来ていたようだ。

 

「ここは変わっていなくて本当に良いわね」

「ああ、そうだな。星都に近く、それでいて広いので他所を気にせずに済む」

 

 星都に近い、というのはそれだけで客人の持て成しな交通の便の意味で好立地だ。その上で田園だけでなく放牧地や乗馬して走らせる事が出来る程に広いので他所様の目(使用人と村人はカウントすらされない)も気にせず息抜き出来る。

 

 食事が終わっても御茶会がそのまま続く。紅茶と珈琲を飲み、焼き菓子を口にし、シガレットを吹かし、世間話や雑談に興じる。特に代官と村長の夫人は母の聞き役に徹する事になる(接待だよねこれ?)

 

「ローデンドルフ伯爵夫人も困ったものだ。結婚すれば大人しくなると思ったが……」

「あの娘が輿入れした程度で大人しくなるなんてありませんわ。昔から男勝りでしたから。男子の輪に入って喧嘩をするような性格ですし。あれでも相当大人しくなったのですよ?」

「あれでか?夫が不憫過ぎる。尻に敷くどころの話ではない」

「確かに私生活ではそうでしょうが、それでも式典やパーティーではちゃんと夫を立てておりますでしょう?」

 

 心底困り顔の父と違い母は困り者の従妹について、寧ろ慈しむような表情で語る。母はグスタフ三世の子供達の中では一番伯爵夫人と仲が良かったという。私もアレクセイの姉という事もあり、小さい頃可愛がられた、が随分と男勝りな性格の人だった。というか現役軍人だ。亡命軍少将でサーベル片手に先陣切って突撃してゆくような周囲の臣下を胃潰瘍にさせるトラブルメーカーで評判だった(それでも殆ど怪我しないとか意味分からない)。

 

「そうそうヴォルター、クレーフェ侯夫人はどうしていました?あの娘とはもう随分と会えないから……」

 

 侯爵夫人は母とギムナジウムの同年であり、血縁で言えば曾祖母が夫人の家の出だ。帝国貴族的には近縁者扱いされる。

 

「ええ、御元気にしておられました。良く同胞学生達に菓子を配っておりましたし、私も血縁の誼で幾度か茶会や食事に誘って頂けました。夫婦仲も良好に見えました」

 

 彼方も何年もハイネセンに住んでいるために随分と母や宮廷の事について尋ねていた。それだけ故郷が恋しいのだろう。良くこちらの話を尋ねていた。

 

「そう……それは良かったわ」

 

 心底安心するように母は答える。大貴族同士だと形式や体裁もありそう軽々と連絡を取れない。取るとしても超高速通信よりも直筆の手紙が主流だ。夫の立場的にもハイネセンをなかなか離れられない事を含め私の近状報告を聞き安堵した様子だった。母には平民や従士に対しての慈悲は無くても、同じ門閥貴族や身内に関しては人並みに思いやりの心は持てる人であった(その心を下々にも一パーセントでいいから分けてあげて)。

 

 食事と御茶会が終われば恒星は傾き夕暮れに近づきつつあった。使用人達が当然のように片付けをするのも無視して荘園内にある伯爵家別荘に代官と村長直々に案内される。

 

 ……うん、普通に代官や村長の屋敷より大きい。話によると毎日村の者達と駐在する数名の使用人が日に二回掃除する(させられる)らしいです。おう、扉開けて入って一番に広間に初代当主と父の肖像画が掲げられているのはドン引き案件ですよ。

 

 え?恒例のあれは無いのかって?安心しろよ、書斎ではちゃんと皇帝にサンドウィッチされた建国の父がいるぜ(最早テンプレだ)!

 

 乗馬の汗を風呂で洗い流し、居間に足を運べば既に暖炉に薪がくべられ、室内は暖かな空気に包まれていた。先に入浴を済ませ、室内用のドレスに身を包んだ母が揺り椅子で読書をしているのを視認するとほぼ同時に母もこちらに気付く。

 

「あら、もう上がったのね。そうそう、夕食まで時間があるわ。あの人も呼んで遊びましょう?」

 

 そう誘う母の表情は子供のようにわくわくとしたもので到底断りにくい。

 

 結局父も同じ考えなのだろう、母と共に夕食までの時間、使用人達が呼ぶまでにトランプに賽子遊び、チェスにダーツと言った帝国貴族らしい娯楽をする事になる(電子ゲームは悪い文明なので禁止、はっきり分かんだね)。

 

 最初は母の接待感覚のつもりであったのだが、普通に負け続け次第にマジでやるのだが……。

 

「ふふ、チェックメイト」

「あれぇ、なにこれぇ?」

 

……あれ、普通に強くね?

 

 トランプも賽子、チェスもダーツ、ビリヤードまで両親に惨敗する私。手抜いて無いのに……、あ、あれぇ……!?

 

 接待するどころか寧ろ一人だけガチでやって第二次ティアマト会戦並の歴史的大敗を喫した私は夕食の準備が整った事を使用人が知らせに来た頃にはプライドはべきべきに粉砕されていた。母上ー、楽しそうに笑わないでー。

 

 さて、夕食もやはり村で可能な限り贅を凝らしたコースとなっていた。オードブルに鴨のレバーのムースを焼き立てのパンと共に頂き(毎度毎度焼かないといけないパン焼き職人マジ重労働だな)、スープはビシソワーズを頂く。魚料理に鮎のポシェ、サラダと共に来るメインはラム肉(子羊)のフレンチラックのローストである(まさかと思うがドレスしゃぶっていた奴ではなかろうな?)、村の赤ワインが添えられ、デザートは荘園内で栽培される新鮮なメロンや葡萄と言った果物で口直しとなる。コースが終われば珈琲や紅茶を口にしながら焼き菓子を口にする。まぁ、(門閥貴族基準で)殊更質素でも贅沢でも無い食事内容だ。

 

 それでもやはり母にとっては機嫌が良かった。家族で食事なぞそう出来る機会がない。私は長年ハイネセンにおり、父も軍務がある。父がたまに家で食事するとしても客人を招く時が殆どだ。家族水入らず(前にも言ったが村民と使用人はそもそも対象外だ)で食事出来たのは何気にこちらに帰って来てから初めてかも知れなかった。

 

「ヴォルター、御免なさいね?思いのほか強いからお母さんも熱が入っちゃって……」

 

申し訳なさそうに母は語る。

 

「お前は昔からこの手の遊戯が思いのほか手慣れていたのだったな」

 

 ワイングラスを手にした父がいっそ懐かし気にそう語る。私に比べればマシではあるが、それでも相当の負け越しをしていた。悔しがる様子が無い事から結婚前から相当敗戦を重ねていたのだろう。

 

「懐かしいわねぇ、ここで宿泊すると毎回遊んでいたのだけど毎回貴方が不機嫌そうな顔でもう一回、だなんて重々しく言うのだもの。その御顔で言われたら何か可笑しくて……」

 

 思い出すように口元に手を添えくすくす、と擽るように笑う。

 

「む……」

 

 バツが悪そうな表情で父は唸る。不機嫌と言うよりはある種の誤魔化し、端的には照れ隠しであった。

 

「うふふ、可愛い人。……次はこの白をもらおうかしら?」

 

 そんな父の表情を見ながら小さな笑い声を上げるとソムリエ資格のある執事に命じてテーブルの上のワインボトルから白ワインを選び注がせる。

 

 暖炉の火で暖められた室内で、雑談と思い出交じりの夕食は続いていく……。

 

 

 

 

 

 

「うふふ……それでにぇ、ヴォルター……あにゃたが迷子ににゃった時なんてぇ……お母さん、ほんとーに心配して……食事ものでぃおを通らなかったのよぅ……?」

 

 夕食も終わりに近づき、呂律が若干回らない口調で昔私が宮廷の北苑で遭難した時の事を語る母。

 

 家族揃っての思い出話(あるいは愚痴?)をして御機嫌なのか、酒が進む母。今口にしているのは宇宙暦735年物の甘いロゼワインだ。

 

 これで夕食で飲酒した量はワイングラスにして既に五杯目に突入していた。無論、人種や性別、年齢やアルコールの種類にもよるがそれでもその量は少ないとは言えない。古代ギリシャ人は言っている、賢明な人間は葡萄酒は三杯までしか飲まないと。それを比較対象にすれば間違いなくアウトであろう。母の頬はほんのりと紅潮し、その眼差しは明らかに酪銘状態だった。

 

「母上、流石に少々飲み過ぎでは?御無理を為さってはいけません」

「むりなんかしてないわぁ……伯爵夫人としてぇ……パーティーでもちゃーんとせつどをもって飲んできたのだものぉ。自分のことはよくわかっているわよぉ?」

 

いや、分かってねぇよ。言葉が間延びし過ぎだよ。

 

「もうぅ……ヴォルターはすぐお母さんのいうことに反抗するんだからぁ……あにぁたぁぁ、ヴォルターが不良になっちゃっいましたぁ……うう……どうしましょぅ……」

 

 泣き上戸、という訳ではないが半分冗談、半分本気な雰囲気で母が嘆きながら父にしな垂れる。

 

「そうだな、息子には私から言っておくから安心しなさい」

 

 そう言いながらも使用人達にさりげなく指示をしてワインをシャンパンや水にすり替えさせる。母の取り扱い、という点では父の方がやはり上手のようであった。

 

 既にメインを食べ終わりデザートの冷えた果物を食しているのだが、正直このままでは食後のお茶も出来まい。

 

「……久しぶりの泊まりで疲れただろう。今日はもう寝なさい」

「うぅん……そうねぇ、さすがに……つかれてねむくなってしまったかも知れないわぁ………えぇ、そうねぇ。では、おさきにしつれいしましょうかしらぁ」

 

 柔らかで、力の抜けた声で母は辛うじてと言った風に答える。使用人達が支えようとするがいやいや、と子供の如く母はその手を振り払う。

 

「う~ん……ヴォルターぁ……おねがいぃ……お母さん少し頭おもくてぇ……しんしつまでぇ……連れていってぇ……」

 

おねだりするように母が口にする。

 

「ええぇ……」

 

 困り顔で父を見るが、父の方は淡々と珈琲を口にしながら「母を良く介抱するように」と御命令をしてくれた。畜生め。別荘の案内に不慣れなので家令が随伴してくれたのが救いだ。

 

「はぁ、分かりました。母上、失礼致します」

 

 母の両手を自身の肩に乗せてもらい、か細い硝子細工のような母の体を慎重に立たせる。ふらっと倒れそうになるのを支えているとアルコールによる熱と酒気が薄っすらと感じ取れた。

 

「若様、こちらを右折致します」

 

 ゴッドホープがゆっくりと先導しながら廊下を歩く。私も母がこけないようにゆっくりと母を歩ませる。余り力が入らない母は殆ど全ての体重を私の肩に預けながら生まれたばかりの子山羊のように足を震わせながらそれに続く。

 

 尤も、全体重を乗せられると言っても十年以上軍人として鍛錬を積んできた体である。まして華奢な母では乗せられた体重も寧ろ驚く程に軽く思えた。

 

「うふふ……ヴォルターの手も肩も、おおきいわねぇ……昔は本当に小さかったのに……」

 

 私に支えられた母は廊下を歩きながら腑抜けた声でそう口にする。

 

「昔って……いつの事を言っているのですか」

 

 私もいつまでも馬鹿な子供でもない。死にたくないから鍛えもする。流石に軍隊の中では兎も角世間一般から見て弱弱しい体付きではない。

 

「だってぇ……あにゃた、はいにぇせんにぃ……いってしまったじゃないのぅ?はぁ、成長期をみるのをみのがしてしまったわぁ……」

 

 十代前半は幼年学校に、後半は士官学校にいたがために、余り母と顔を合わせた機会がない。私自身実家に帰るのを嫌がったために母にとっては未だに私は小さな手のかかる子供扱いだったのかもしれない(実際に面倒事を起こすという意味では昔と変わらない)。

 

「……余りこちらに帰れず申し訳御座いません」

 

 今にして思えば実家に戻らなかった事に少々罪悪感を感じる。不肖とはいえ、こんな私でも我が子として可愛がってくれていたのだ。そこまで戻るのを嫌がるのは悪かったかも知れない………と思ったがこちらに戻った時の歓待を思い出すとやっぱり嫌だなぁ、とも思った。

 

「……うふふ、良いのよぅ?素直にあやまってくれればぁ、お母さんはおこりませんよぅ?」

 

 にこり、と酔いでぼんやりとした瞳で、慈愛の笑みを浮かべる母。

 

 母の寝室に着き、家令が扉を開き中の安全を確認後に、頭を下げて招待する。

 

天蓋付きの大柄なベッドに慎重に降ろしていく。

 

「本当、おおきくなったわねぇ……めをはなしている内にこんなにぃ……もう私より背がたかくて……」

 

 ベッドに腰を下ろすと母はふらふらと手で私の頭を撫でる。ハイネセンにいる内に身長は母を越えていた。元々母が小柄である事もあり、今や私の身長は母より十センチ近く上回っている。

 

「……ほんとう、ほんとうに健康に成長して………けど……お母さんおいていかれてすこしだけさみしいわぁ………」

 

 何を置いて行かれて、とは言わない。何となく意味は理解していたからだ。

 

「母上……」

「ほんとうはねぇ……わたしは母親だからぁ……こばなれしないといけないのはわかっているのよぅ?あまり私がととのえてばかりだといけないって……」

 

寂し気に微笑む母。

 

「御父様はものごころがついてすぐお亡くなりになったわぁ……夫の父……おじいさまもわたしとあうまえに戦死なされたわぁ……あのひともぉ……軍務でいえをあけるからぁ……一人っ子だしぃ、ついついあなたにはかほごになってしまうわぁ」

 

暫く黙り込み、再び口を開く。

 

「けどぅ……むかしよりはたよりがいがありそうねぇ。けど、たまにはおかあさんの所にもどってきてくれないかしら?おかあさん、すごく、すごーくさみしいわぁ」

 

 酔いが回っているのか、にへらと笑いながら母は御願いする。笑いながらもとても寂しそうだった。

 

「……ええ、善処致しましょう」

 

そう言ってベッドに母を寝かせて、布団をかける。

 

「むかしみたいにぃ、いっしょにねてもぉ、いいわよぅ?子守唄うたってあげるわよぅ?」

「はは……また、別の機会にお願い致します」

 

 朗らかにそう尋ねる母。流石にそれはこの歳では(当時もだが)恥ずかし過ぎるので適当に誤魔化す。

 

「……良い夢を、母上」

 

 室内を出る前にそう一声かけて見た。聞こえていたかは分からない。だが……どうしても掛けたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何用だ?私は今執務があってな、暇では無いのだよ」

 

 深夜、私が書斎に入室すれば羽ペンで何やら書類を処理する父を視界に収める。あ、壁でサンドイッチされている国父さん、泣きそうな顔でこっち見ないで。

 

「存じております。ですが、やはり直接父上から言質を頂きたいと考えまして、逸る気持ちでお尋ねした事お許し下さい」

 

 そう言って私は一礼する。今日一日の事を含め、母の性格から大方予想はついているが、答え合わせは大事だ。

 

 ちらり、と父は私を一瞥した後で元の書類に視線を戻す。

 

「……あれを宥めるのには随分と苦労をさせられた……いや、半分近くは私の責任でもあるな。その点を理解しているからこそ此度はお前の肩を持ったのだ。まず、その点を忘れるな」

「はい、良く理解しております」

 

 父の口にする言葉の意味を私は良く理解していた。今日一日は正に母を懐柔するために費やされたと言ってよい。

 

 そもそもの母が怒り号泣した理由の最大の原因は私自身にあるが、同時にそこまで私にばかり母が構うようになった理由の一因が父の不在にある事は間違いない。

 

 まぁ、三度目にして漸く無事に私が生まれた、という時に父が軍務で家に帰るのが遅くなれば当然あそこまで子煩悩にもなるだろう。軍務に就く夫がいつ戦死するか分からんのだ。必要以上に私に構うし、過保護に、神経質にもなる。

 

「あれには随分と苦労をかけた。唯でさえ重圧で情緒が不安定というのに問題児なお前を一人で世話させてしまった。色々溜めていたようだな」

 

 その口調から恐らく昨日色々泣いて懇願されたのだろう。親馬鹿、と言えばそれまでであるが母を非難する事は出来まい。極限のストレスと世間体、実家の面子、伯爵家本家の夫人としての責任と重圧があり、周囲に助けを求める事が出来る者は少ない(身内や友人ですら気軽に会う事が出来ないのだ)。それで歪むなという方が無理がある。

 

……いや、半分くらいは多分素だろうけど。

 

「ですから今日を?」

「本来ならば別の機会が良かったのだが、あれに今すぐにと言われたからな。職場や使用人共には無理をさせた」

 

 多分ではあるが、宥める父に対して母の方が所謂家族サービスでも求めてきたのだろう。父も相当無理をして時間を作ったらしい。だから母が寝た深夜にこのように積み重なった仕事を行う。デスマーチかな?

 

「私としても気難しいお前が珍しく気に入り、しかも貴重な臣下を失う訳にもいかんからな。臣下の重要性は有能か無能か以上に忠誠心の有無だ」

 

 有能な者が欲しければ食客を雇う手もある。だが、忠誠心は金で簡単に手に入るものでもない。いざという時に裏切る心配の少ない信頼出来る人手としての従士の価値は有能か無能か以前の問題だ。

 

 ましてベアトも兄妹、少尉だって少なくとも無能とは程遠い。失態の原因の大部分は私にあることも理解していよう。ならば可能な限り彼女達の肩を持とう、というのが父上の意思らしい。

 

「今日一日で、あれもお前が昔程には手をかけないでもやって行けると多少は理解したらしい。尤も幾らか条件がつけられたがな」

「条件?」 

 

疑問符をつけて私が尋ねると、父も頷いて肯定する。

 

「そうだ、お前の護衛を厚くする事、年に一回はこっちに戻って過ごす事……これは私もあれにしつこく念を押されてな。まぁ、気持ちは分からんでも無い……あれには毎日屋敷で一人で過ごさせて来たからな。その程度くらい骨を折らんとな」

 

苦笑しながら条件を列挙していく父。

 

「それと今度、お前を婚約者候補に会わせるように殺気だった目で言われた。……何があった?お前の女性問題に関しては揉め事が無ければ干渉するつもりは無いが……節度は持った方が良いぞ?」

 

 寧ろ何もないからだと思いますよー。というかさらりと人生の墓場行きの道が舗装されている事を暴露された。聞いてねぇよ、婚約者候補誰だよ。

 

「……さて、ツェツィの方は一応私から説得はした。次にいきなりお前が重傷でも負わん限りはあれも私との約束を反故にする事はあるまい、が」

 

そこで一旦言葉を切る父。

 

「それで、言い訳はお前が妻に言った通りで良かろう。お前が昔から気難しい事は知っていよう、実際に目の前で血を流す者以外信用出来ないと言っても不自然には思うまい」

 

 改めて思うがこの言い訳ガチで門閥貴族(ガチ)にも程があるよなぁ。命令一つで命捨てられる臣下をえり好みしているとか性格悪くね?

 

「それで、ライトナーの双子はどう取り扱うつもりだ?」

 

そこですよねー、問題は。

 

「今の私の階級は中尉、数か月後に大尉に昇進するとしても確かに目付をそうそう増やせません」

 

 地上軍ならばそれでも宇宙軍に比べ護衛を付けやすい。だが、私としても基本的には宇宙軍での昇進を目指すつもりだ。当然だ、金髪の小僧を始末するにも対決するにも、あるいはアムリッツァをどうにかするにしても宇宙軍での栄達をしなければ干渉は難しい。そして兄妹は地上軍だ。地上勤務でなければ傍に置く名目を作れない。

 

「無論、捨てる気はありません、が私の傍に置く事も難しい点が問題です」

 

 ならばどうするか、取り敢えずは私が昇進してより影響力を持てるまで次善の策を取る。つまり………。

 

「近年「薔薇の騎士連隊」の再編が行われていると御聞きしました」

 

使える地上戦の駒を育成しましょうかね?

 

 

 

 

 

「「薔薇の騎士連隊」……ああ、あれか」

 

父は思い出したかのように呟く。

 

 リューネブルク伯を初め縁のある幾人かの貴族が上奏し、そこに「薔薇の騎士連隊」所属の第3大隊第1中隊が惑星キャッシークでの撤退戦において同盟軍全軍の殿を務め(務めさせられ)文字通り一名残らず玉砕した。

 

 撤退に成功した兵士の多くが戦場カメラマンやインタビュアーの前で彼らの英雄的行為を賞賛し、同盟政府も事実上の敗北を糊塗する意図もあり勲章を大盤振る舞いした。

 

 亡命軍と同盟軍も注目の集まったこの機会に長年放置してきた連隊の再編に本腰を入れる事を決心したようで、暫定第10代連隊長にリリエンフェルト中佐(男爵)を指名、同盟軍全体から歴戦の帝国系陸戦兵を集めると共に亡命軍から複数名の兵員を出向させる予定となっていた。

 

尤もそう上手くもいかないもので……。

 

「リューネブルク伯も仰っていましたがなかなか有望な人材が集まらないそうです。やはりこれまでの不祥事や扱いから敬遠されるようで……」

「成程、ライトナーの兄妹をそこに押し込もうと?」

「別に悪意がある訳ではありません。リリエンフェルト男爵やリューネブルク伯爵ならば遅かれ早かれ連隊を再び精強な精鋭に鍛え上げるでしょう」

 

 実際二人、そしてその従士達も相当な腕だ。連隊に残る兵士達も劣悪な環境で生きてきた熟練兵だ。すぐにでも原作のような精鋭部隊に返り咲く事だろう。

 

そして、だからこそ今の内に恩を売る。

 

 出来るだけ早期に出世して、カプチェランカで金髪に連隊を丸まるぶつければ殺せる可能性も(多分)あるし、そうでなくても護衛役や魔術師との繋がりを持つ切っ掛け(イゼルローン攻略では必要な筈だ)、立場的にバーラトの和約後に同盟政府に暗殺される可能性もあるので魔術師のおまけで良いので救助してくれるようにお願いもしたい。そのためには連隊に我が家から人を送り影響力を出来るだけ高めたかったりする。

 

 無論、父にそこまで言えなくても近い将来連隊が精強に鍛え上げられる事は理解出来る筈。リリエンフェルト男爵やリューネブルク伯爵を始めとした貴族に恩を売る機会でもある。実際その方向で双子については弁護しようと動き回っていた。

 

「ふむ……成程な。確かに悪くはない考えだな。だが……」

 

少々呆れ気味で私を見る父。

 

「それだけではあるまい。兄妹の安全のため、もあろう?」

「……御明察の通りです」

 

苦笑いで私は誤魔化す。

 

 将来的に連隊は危険地帯に行くとしても練兵中は後方、一年半程度は安全地帯にいる筈で、その後も実戦と言っても激戦区には行かず数年は辺境外縁部の紛争や対帝国戦でも激しくない戦区での戦いが主の筈だ。あの二人ならば恐らく生き残れよう。少なくともどこかの前線部隊にいきなり叩き込まれるよりは生存率は高い筈だ。

 

「全く……今更の事ではあるが、そこまで配慮が出来るのならば最初から問題を起こさなければ良いものを。お前には昔から面倒をかけさせられた」

「も、申し訳御座いません……」

 

 少々不機嫌そうにする父に私は慌てて謝罪する。幼い頃の我儘に幼年学校での負傷、士官学校での極右騒動に戦略シミュレーション、カプチェランカの一件に先日の騒動……きっと裏である程度父が後処理で苦労した事だろう。……今更ではあるが随分と問題児だな、私。

 

「だが、問題に見合った結果は出して来たのも事実だ。……その点は評価しておくとしよう」

 

仕方あるまい、と言った態度で父は小さな溜息をつく。

 

「……お前の希望は了解した。ゴトフリートの娘は既に確保しておる。ライトナーの双子についてはそれも良かろう。リリエンフェルトやリューネブルクに恩を売れるのならば臣下達も文句はあるまい。ノルドグレーンの方は本人の怪我と実家への言付もあるし、事件に対しての事情聴取もある。二、三か月程かかるが構わんな?」

 

 後に知った事だが、父は父なりに裏でベアト達に恩赦を与えようと秘密裏に手を回していたらしい。私が地元に帰って以来逃げるように話し合いの席を設けなかったのは私から(恐らくはベアト達に懇願された事で)お願いされたと思われるのは好ましくないからだという。

 

おう、私は見えない敵と戦っていたのか。

 

「御手数をおかけ致します……」

 

深々と頭を下げて感謝の意を示す。事実上の満額回答、不満がある訳が無い。

 

「うむ……そうだな、後ラザールにも礼を言っておく事だ。お前を心配していたからな。私が臣下を宥める際にも協力してもらった」

「そ、そうなのですか……!?」

 

 流石に思いがけない台詞に私も驚く。秘密裡に相談はしたが、実際に動いていたとは聞いていない。

 

「あちらは気にせんだろうが、あれもこちらでの立場が安定している訳でもない。そんな状況で動いてくれたのだ。遠縁とはいえ同胞、借りは返す事だ」

「り、了解です!」

 

私は未だに驚きつつも敬礼で答える。

 

「うむ、もう夜も遅い。折角休暇を取ったのだろう?今夜はゆっくり寝る事だ。後、あれはきちんと持って帰る事だ」

 

 そう言って父が首を振ってある場所を示す。それに誘導され、そちらに目を向けると同時に私は驚愕に目を見開いた。

 

「べ、ベアト……?」

 

 書斎の隣部屋の扉が開いていた。そしてそこには同盟軍服に身を包む、鮮やかな金髪に紅玉のような赤い瞳の馴染み深い少女が不安げに佇んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私と従士は一言も発さずに別荘の廊下を歩んでいた。

 

「……」

 

 つい、足を止め、何かを口にしようと振り向く。その行動に驚いたのか、同じく足を止めて肩を竦ませる金髪の従士。伺うような表情で上目遣いでこちらを見やる。

 

 口を開こうとして、しかし思わず言葉に詰まる。何を言えば良いのか分からなかったのだ。カプチェランカで思わず叫んだあの言葉を思い出して私は戸惑う、が……。

 

「わ、若様……」

 

 それは目の前の少女も同じのようで、普段と違いおどおどと、年相応にうろたえていた。そこには怯えがあった。そして恐らくそれは罪悪感である事を私は理解していた。それくらいは分かる。何年傍で面倒を見て貰ったと思っているんだ、という話だ。

 

 だからこそ、私はここでやるべき事が何かを理解していた。

 

「ベアト」

「は、はい……!」

 

 私が姿勢を正して命令形で名を呼べば当然の如く体勢を整えてはきはきと答える。そこには隠してはいるが、若干不安げな感情が読み取れた。

 

「……良く戻ってきた。怪我はもう完治したか?」

「は、はい、問題ありません!」

 

 私が尋ねれば即答する従士。いつも通り受け答え一つ一つを必死に答える姿はどこか微笑ましい。

 

「そうか……カプチェランカの件は気にする必要はない。あれは私のミスだ。もっと冷静に、そしてお前達を統制しておけなかった私の不手際だ。許せ」

 

 私はまず、カプチェランカでの命令違反を私は自身の統制能力の不足として不問とする。

 

「い、いえ、あれは……!」

 

 その言葉に何か言おうとする従士に、しかし私は機先を制する。

 

「いつ私が貴様に意見を求めた、この恩知らずが、貴様は黙って自分の職務を果たせばいいんだ、従士の分際で甘えさせてやっている内にそんな事まで忘れたか」

「っ……!」

 

 カプチェランカでのあの台詞を口にすると、ベアトが肩を震わせて黙り込む。その瞳は怯えを含み、少し潤んでいた。私は暫し黙り込み……。

 

「……まぁ、そんな事言っている内は確かに統制不足だよな」

 

私はにかっ、とベアトに向け笑う。

 

「えっ……?」

 

どこか呆けた表情でこちらを見るベアト。

 

「いや、当然だ。私も門閥貴族らしくなく随分と頭に血が上っていた。余裕を持って優雅に命令するのが私の役目だ。あんな暴言を吐いている内はそりゃあお前達も不安にもなるな」

 

 指揮官が恐慌状態にあれば、それを理解していながら唯々諾々と命令に従う訳にもいかない。同盟軍でも現地の前線指揮官が激しい戦闘で摩耗した結果、指揮権剥奪される事は珍しくない。

 

「そ、そんな事……!」

 

 慌てて否定しようとするベアト。余り気取ったのは恥ずかしいが敢えて威厳を持たせるために彼女の頭に手を置いて静かにさせる。

 

「門閥貴族たる私がそう言っているんだ。素直に言葉に従う事だな。それとも私の言葉に従う価値は無いと?」

「い、いえっ!そんな事はありません!」

 

 尊大にそう口にしてみれば、全力でベアトは私の質問を否定する。

 

「うむ、お前にはこれからも私の世話をしてもらわんと困る。問題があれば解決し、危険があれば守り、足りない能力は必死に身に付けて補ってもらわんとな。まぁ、一先ず……良い珈琲豆があるから、明日お前に淹れてもらいたい。出来るだろう?」

 

 私がそう命じると、目の前の純粋で、愚かで、哀れで、それでいて一番信頼出来る従士は一瞬目を見開き、ついで自身を落ち着かせると、姿勢を正し、敬礼して口を開く。

 

「はいっ!このベアトリクス・フォン・ゴトフリート、若様のために御命令を完遂致します!」

 

 少女は、昔と変わらず、慈愛と忠誠心に満ちた眼差しで私に向けてそう答えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尚、次の日の書斎での事であるが……。

 

「早速だが、ラザールから頼み事だ、信頼出来る副官が欲しいらしい。短期間になるがラザールの元で一つ参謀体験でもするといい」

「……」

「返事は?」

「アッハイ!」

 

 そんな訳で、私は第三艦隊司令部航海参謀ラザール・ロボス少将の元でスタッフの一員としてイゼルローン回廊に向かう事になったのである。

 

………え、嘘……マジ?

 

 




よくよく考えたら母上一歩間違えたらベーネミュンデルートの可能性ありそうだったかも知れないと思った


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第七章 回廊へのピクニックは問題なく帰れると思ったか?
第八十一話 だから言っただろう……遠足に酔い止めは持っていけって


 宇宙暦785年4月2日1100時、自由惑星同盟宇宙軍第三艦隊に所属する艦艇一万四五〇〇隻及びその他諸部隊はアルレスハイム星系にワープアウトを完了させた。

 

 予定では第1分艦隊及びその他独立部隊等がヴォルムス衛星軌道上に駐留するほかヴォルムスの有する衛星ハティに第2分艦隊及び第3後方支援部隊・第3宇宙軍陸戦隊が、第四惑星衛星軌道上の宇宙要塞型補給基地に第3分艦隊が、第六惑星第二衛星上の補給基地に第4・5分艦隊が駐留する。約八十時間になる駐留の間に艦隊は回廊に向かうまでの最終的補給を受けるほか、人員の休息や交代、航海計画の見直し、情報収集、亡命軍との打ち合わせ等を行う手筈となっていた。

 

 4月3日0630時、正式な辞令を私は第三艦隊司令部航海課臨時副官付という肩書きで第三艦隊司令部航海参謀ラザール・ロボス少将の副官スタッフの一員として配属された。人員輸送シャトルを持って第三艦隊旗艦モンテローザに乗艦する。

 

「はぁ……」

 

 人員輸送用シャトルの座席で憂鬱とばかりに私は溜息をつく。まさかこんな事になるとは……いや、最前線の駆逐艦の艦長より遥かにマシではある、がそれを比較対象にするのも少し相応しくない。

 

 士官学校出身の士官は年間で3000名から5000名、貴重なエリートを駆逐艦の艦長になぞ据えない。据えるとしても正確には駆逐隊の司令官を兼務しているだろう。多くの士官学校卒業者は部隊長や司令部スタッフ、後方の管理事務に従事し、前線の艦長は兵学校や専科学校の叩き上げ、あるいは予備役士官学校や一般大学卒業の志願兵出身者だ。尤も、原作時代となると平然と艦隊壊滅するからエリートな士官学校卒業者が凄まじい勢いで消費されただろうが。

 

「……あれ、か」

 

 シャトルの窓から見える深淵の宇宙、そこにモスグリーンの巨大戦艦が同盟軍標準型戦艦や亡命軍艦艇と共に浮かんでいた。第三艦隊旗艦カンジェンチュンガ級旗艦級大型戦艦12番艦モンテローザである。

 

 原作を知る者にとって同盟軍の主力旗艦級戦艦と言えばアイアース級と言われる型であろうが宇宙暦785年の時点では769年正式採用のカンジェンチュンガ級が第一線を張り、アイアース級は未だ第一艦隊や宇宙艦隊直属部隊を始めとした一部で利用されているに過ぎない。

 

 ジェロニモ級旗艦級大型戦艦(原作のマサソイト等が属する艦級だ)の後継艦であるカンジェンチュンガ級、その後期型たるモンテローザの外見自体はアイアース級と非常に近似したものであった。元々本級の小改修型がアイアース級である事もあるが、特に後期型はアイアース級のテストベッドとして各種装備も試作型や初期生産型が多数使用されていた。同盟軍初の一万隻以上の艦艇指揮能力を備えたカンジェンチュンガ級は宇宙暦785年時点においてもその性能は艦隊旗艦に据える事に一切の問題は無かった。

 

「若様、大丈夫で御座いますか……?」

 

 シャトルから降りた青い顔した私にベアトが寄り添いながら尋ねる。今回の遠征において彼女は同じく司令部航海課臨時副官付に任命されており、私と同行する事になっていた。

 

「安心しろ、流石にシャトルでの短距離移動なら既に慣れ………いや御免、ちょっとトイレ行ってくる」

 

 私は強がりを言おうとして、やっぱり無理だと悟り他の乗員を押しのけるように全速力で艦内のトイレに直行する。流石に全長一キロを越える大型戦艦である。艦内十八か所にトイレが設置されており、どこにいたとしても十分以内に入室が可能となっていた。そのため私もリバースする前にぎりぎりトイレの個室に突入する事が出来た。畜生ぅ、酔い止めを規定量の倍飲んだのだが足りなかったかぁ………(泣)。

 

「う~……よし……大丈夫、楽になって……あ、やっぱ無理」

 

 無重力酔いで二度目のリバースをしていた頃にベアトが個室の扉を叩いて私の身を案ずる。……うん、気持ちは分かるけどここ男子トイレだから止めてね?

 

 男子トイレでありながら平然とベアトが侵入した事で艦内風紀を取り締まる憲兵に(何故か私が)注意を受けるなどという珍事があったが兎も角も半時間程休憩をしてから再び私達は目的の場所へと足を向ける。

 

 第三艦隊司令官レイモンド・ヴァンデグリフト中将は御年66歳、730年マフィアが帝国軍に圧勝したファイアザード星域会戦を初陣に参加戦闘数は800回を越え、内39回は一個艦隊以上が参加する大規模会戦である。専科学校を卒業して伍長として任官してから49年に及ぶ軍歴と経験は同盟軍の中でも長い伝統を保持する第三艦隊を率いる立場に相応しい。

 

 そしてヴァンデグリフト中将の元に第三艦隊司令部があり、艦隊参謀長ジョージ・ロウマン少将を長として作戦・情報・通信・後方・計画・人事・衛生・輸送・航海・砲術・航空・法務・広報・監察・会計・陸戦・憲兵等の各分野の責任者(少将から大佐が任じられる)、その下の実務スタッフ等計191名が在籍する。

 

 更に言えばこの艦隊司令部からの命令・方針に従い分艦隊・戦隊・群・隊と言った下位司令部・本部もそれぞれ十数人から数十人のスタッフを有し上位司令部の命令に従い司令官の補佐や部隊運用・上位司令部への報告を行っていく。一個艦隊の艦隊司令部がどれだけのエリートの集まりなのかが良く分かる。

 

 逆に言えば旗艦が吹き飛べば各方面から集めたエリート達を纏めて失う事にもなる。原作アムリッツァや第二次ティアマトでは軍首脳部が白目に泡を吹くレベルで人材が宇宙の塵となり消え去った事だろう。

 

 そして、それだけの人員を乗せるモンテローザ艦内にはこれらの司令部要員全員分の事務・会議・生活を行うのに十分過ぎる程のスペースが確保されていた。

 

 そういう訳で我々は配属部署である第三艦隊司令部航海課の割り当てのオフィスに艦内モノレールと徒歩で移動する。通路もモノレールも贅沢な程スペースが広々としている。流石旗艦級戦艦である(艦内食堂や人員の私室のレベルも高い)。

 

「ここ、だな」

 

 人員移動用艦内モノレールから降り、暫く歩けば艦の中央部モジュールに置かれた司令部エリアに辿り着く。そしてその中から航海課の看板が設置された一室を見つける。

 

 私は、取り敢えずスカーフとベレー帽を整え、深く深呼吸をして精神を落ち着かせる。

 

「若様……?」

「いや、身内ではあるがなんか緊張してな」

 

 少し不自然な態度に心配そうに声をかける従士に対して、私は苦笑する。

 

 普段は気楽に接していても、こう改まった場になると今更ながら我が叔父殿は同盟軍少将という化物みたいな立場にあるのだと理解させられる。

 

 原作では将官なんてあっけなく戦死したりするが、現実では最下位の准将ですら五万前後の兵力を運用する大幹部たる将官はそう易々となれる存在ではない。

 

 同盟中のエリートが集まる士官学校卒業生すら大半は大佐止まり、将官に昇進出来た者にしてもその半分近くが退役前に准将に昇進する程度だ。二十代三十代で将官になる者は所謂エリート中のエリートであるし、兵学校や専科学校から将官に昇り詰める者に至っては神か化け物扱いだ。つまり末期とはいえ元帥にまでなった呼吸する軍事博物館はある意味魔術師以上に空前絶後の存在だ。

 

 その点で言えば原作組に比べればぱっとしないが四十後半で少将に、そう遠くない将来中将昇進が確実視される叔父殿は普通に考えてヤバい奴扱いだ。士官学校で学びその困難具合を理解すれば今更のようにその大物感を理解出来る、緊張もしよう。

 

「……よし、覚悟を決めるか!」

 

 無論いつまでも扉の前でまごつく訳にもいかない。ベレー帽の位置を整え、服装を確認し、私は気を奮い立たせ、自動扉を開いて前に進む。

 

そして室内に足を踏み入れたと同時に……。

 

パァン!パァパァン!

 

「うおっ……!?」

「若様っ!」

 

 火薬式の実弾拳銃を撃ったような音に思わず私は仰け反り、ベアトは咄嗟に私の前に出て盾になろうとする。尤も、飛んできたのは鉛玉では無く……。

 

「紙……吹雪?」

 

 空中を舞い、私の頭の上に落ちる色とりどりの色紙を呆気に取られるように見つめる。そして、少々毒のある表情を向け(それくらい多目に見て欲しい)、口を開く。

 

「叔父さ……いえ、ロボス少将殿、余り悪ふざけは止めて頂けませんか?」

 

 私達の視界の先では、第三艦隊司令部航海参謀ラザール・ロボス少将が悪戯に成功した子供のように屈託のない笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、済まんな。ヴォル坊が来るとなるとつい悪戯心が溢れてなぁ!」

 

 航海課オフィスの課長用個室内のデスクで珈琲の入ったマグカップを手にがはは、と豪快に少将は笑う。顔馴染みの私が来る歓迎(という名の悪戯)のためにずっと入口でスタンバっていたらしい。暇人かな?

 

「そう言ってくれるな。私も航路局や商工組合やらとの折衝で忙しくてな。漸く余裕が出来た所なのだからな」

 

 ヴォルムスで直々に各団体と航路計画の交渉をし、それを持って通信で次席参謀たるユーリ・コーネフ大佐に大まかな方針を伝え、大佐が実際に運航計画を実施していた……と聞けば後者の方が一見大変に見えるだろう。しかし運航計画の実施自体は知識があれば行える。だが、各団体との交渉は航海分野だけでなく各団体の事情を考慮し、調整する政治力もそこに必要だ。そのストレスは唯々理論と知識に従って行う仕事とは別の意味で困難極まる。

 

「まぁ、それはそうと良く来てくれたヴォル坊、それにゴトフリート君もこの様子だと御父上との話はスムーズに終わったようだな?」

 

 私の後方に付き従うベアトに一瞬視線を向けてから少将は尋ねる。

 

「はい、叔父殿の御助力のお陰です」

「私の方からも、此度のご厚意、心より感謝させていただきます」

 

 私とベアトがそれぞれベレー帽を脱ぎ頭を下げ感謝の言葉を口にする。特にベアトは優美に、深々と頭を下げているのが横目から見えた。

 

「いやいや、私は少し口添えしただけだ。ここまで早くそちらの問題が解決すると正直思っていなかった。気にせんで良い」

 

 ふくよかな頬を弛緩させながら感じの良い笑みを浮かべる叔父。それは謙遜ではなく本心からの言葉であるように思える。それはそうと坊や扱いは止めて欲しいんだけどなぁ。どこぞのジオンの末弟の如く坊や扱いはフラグなんだけど。

 

「そう言わんで良かろう。小さい頃何度も肩車や高い高いしてやったろうに」

 

 いや、貴方の高い高いめっちゃ怖かったですからね!?母上、私の身の安全確保するならばまずあれを禁止してくれませんですかねぇ!?

 

「それはそうと……少将殿、我々がこちらに派遣された理由をお聞かせ願えませんか?」

 

私は咳込むと、姿勢を正して本題に移る。

 

「……うむ、そうだな。悪ふざけが少し過ぎたな」

 

 少将もまた姿勢を正して威厳たっぷりに表情を引き締める(いつもそうしていたらいいのに)。

 

「此度は聞いているであろうが、第三艦隊及びその他同盟軍諸部隊はアルレスハイム星系における最終的補給を受け次第、銀河帝国亡命政府軍宇宙艦隊と共にイゼルローン要塞攻略戦に向けた進軍を開始する事になっておる」

 

 主力たる第三艦隊、及びその他諸部隊に対して後方警備及び支援部隊として銀河帝国亡命政府軍より主力戦闘艦艇一〇五〇隻、後方支援艦艇三六〇隻(これとは別に超光速航行能力の無い雷撃艇・ミサイル艇等戦闘艇六〇〇隻が配備されている)が同行する事になっていた。司令官は銀河帝国亡命政府軍宇宙艦隊副司令長官カールハインツ・フォン・ケッテラー大将、ケッテラー伯爵家の分家ミューリッツ=ケッテラー男爵家の当主も務める。

 

 建国以来の旧家、十八将家の一つとして亡命政府でも主要な大貴族の地位にあったケッテラー家も、コルネリアス帝の侵攻で領地を相当荒廃させられ、その後も対帝国戦で相当の血族と臣下が戦死した。止めが第二次イゼルローン要塞攻防戦で当主が主要臣下諸共爆発四散した事だ。

 

 元々バルトバッフェル侯爵家、ティルピッツ伯爵家と共に亡命政府軍の主要幹部を抑えていたが流石に今となっては権勢は凋落しつつあった。ヴィレンシュタイン子爵夫人がどうにか一族を纏め上げたが今では次点のグッデンハイム伯爵家やハーゼングレーバー子爵家の方が軍部での地位を確立している有様である。

 

 ケッテラー大将はそんなケッテラー家系列では数少ない要職に席を持つ人物だ。亡命軍幼年学校・亡命軍士官学校を経て少尉として任官、以後数百回の戦闘に参加、後方勤務も平均以上の能力を示した事で五十代半ばで亡命軍大将・宇宙艦隊副司令長官の地位に昇り詰めた(尤も同盟軍や帝国軍に比べて大軍を指揮出来る訳ではないが)。

 

「あー、大体理由が読めて来ました」

 

 能力的には問題無い、が………性格面が少々面倒であった。

 

「あの性格は同盟軍ではやりにくいですね……」

 

 元々それが理由で同盟軍士官学校に入学しなかったのだが、所々で平民(というより市民)を見下す発言が多く、態度も貴族的に高慢で不遜な所がある。主義的には「帝政党」に近く、正直人材不足でなければ予備役に送りたいような人物だった。

 

「打ち合わせでも御苦労なされましたか……?」

 

 同盟軍と亡命軍の合同作戦会議でもきっと面倒であった事であろう。遠征軍司令部のヘイトを稼いでいても可笑しくない。そしてそれは少将の疲れた苦笑いから見て間違ってはいない筈だ。

 

 唯でさえ、少将は軍才と共に政治力もある人物だ。民主主義を奉じる標準的同盟人の価値観を持ち、亡命貴族や亡命政府の内情に精通し、旧銀河連邦植民地の住民の複雑なアイデンティティーにも理解を示す。現実と諸勢力の主義主張を上手く調整する事が出来るのは才能と環境のお陰であろう。

 

 原作ではグリーンヒル父が調整役の立場だった気がするが、寧ろ現在、私が知る限りでは敢えてその方面をグリーンヒル父に任せていたように思える。可能な限り調整役を任せる事で自身は純粋に軍事方面に集中しようとしていたのかも知れない。

 

 尤も、そうなると晩年の醜態の理由が良く分からないのだが………情報不足のこの場では考えても仕方ないが。

 

 まぁ、今現在では少将は有能な戦略家・戦術家であり調整役でもある、が調整役は頼られる事も多いが場合によっては恨まれやすい立場でもある。

 

 きっと唯でさえ出自や役職からして怪しい立場が会議で更に怪しくなっているのだろう。流石に首脳陣全てが敵、と言う事は無かろうが恨みは買わないに越したことはない。

 

「まぁ、そう言う訳だ。私に含む事が無く、航海技術に理解があり、帝国貴族系で信頼出来る副官に職務の補助を願いたい、という訳なのだよ」

「成程……つまり一緒に胃痛になる仲間が欲しいのですね?」

 

 少将は頭に拳を付け、ウインクしながら舌を出した。所謂てへぺろ、である。…うわっ腹立つ。滅茶苦茶ぶん殴りてぇ……!

 

「……ごほんっ、まぁ少将にはこれまで多くの世話に預かりましたから、ここは微力ながらも御協力させていただきましょう」

 

 少々含むものはあるが、私は気を取り直す。……ぶっちゃけ腹立つがこの人には借りが沢山ある。これくらい協力するのが筋であろう。

 

 それに上手くいけば少将の元で出世もしやすくなるし、職務面でも信頼される。そうなれば将来的な選択肢も増える。失敗したら?………まぁ笑って誤魔化そう(白目)。

 

「では改めまして、ヴォルター・フォン・ティルピッツ同盟軍宇宙軍中尉、宇宙暦785年4月3日を以て、第三艦隊司令部航海課臨時副官付として着任致します」

「同じく、ベアトリクス・フォン・ゴトフリート同盟軍宇宙軍中尉、着任致します」

 

 私とベアトはいつもの通り直立不動の姿勢を取ると、はっきりした声で官姓名を名乗り敬礼した。

 

「うむ、第三艦隊司令部航海課課長ラザール・ロボス少将だ。両名を歓迎する」

 

 ふくよかな体を椅子から立たせた叔父は、しかしその肉体でありながら優雅に、貫録のある姿勢でそれに応えたのである……。

 

 

 

 

 

 

 

 さて、第三艦隊はこのまま亡命軍派遣艦隊と共にアルレスハイム星系から複数回の超光速航行を行いダゴン星系で第二・一一艦隊及びその他の支援艦隊・独立艦隊と合流、そのまま回廊内に侵入する手筈となっている。

 

 だが、回廊やダゴン星系は空間が狭隘であり、またサルガッソースペースの影響もあり重力異常・宇宙嵐・恒星風・彗星・小惑星帯等の密度が高く航行の難所が多数存在し、反比例するようにワープポイントは限られる。帝国軍の妨害もあるだろう。それらを排除しつつアルテナ星系まで進出する必要がある。

 

「とは言っても過去一世紀以上の戦いにより航行する事が可能な航路は絞られておるからな。その意味では先人に感謝せねばな」

 

 個室内で報告書にサインをしていきながら口にするロボス少将の言は的を射ていた。

 

 これまで散々回廊内外の調査自体はされているために宇宙嵐や恒星風の周期もほぼ特定されており、アルテナ星系に向かうためのルート自体も所謂テンプレは出来上がっていた。後は帝国軍の待ち伏せを予測すると共に事故等への対応を強化し可能な限り迅速に艦隊を進撃させれば良い……と言っても口で言う程に簡単な事でもないが。

 

「過去の帝国軍の戦略に従えば回廊出口ぎりぎりの宙域にて正規艦隊が展開されていると見るべきでしょうね」

 

 その傍のデスクにて書類のチェックや添削、内容の裏付け調査を行う私は士官学校で学んだ通りの帝国軍の戦略を確認する。

 

 大概は機動性や回廊内での戦闘に対応した竜騎兵編成ないし軽騎兵編成の艦隊が回廊の出口ギリギリに陣取っていることだろう。

 

 そして同盟軍と砲撃戦をしつつ後退、回廊内に引きずり込めばそこから先は雷撃艇等の戦闘艇部隊からなる弓騎兵艦隊(正規18個艦隊とは別枠編成された戦闘艇艦隊だ)が正規艦隊と連携する。正規艦隊が制宙権を同盟軍と争奪しつつ弓騎兵艦隊の戦闘艇部隊が後方攪乱や一撃離脱戦法等のゲリラ戦を行い正規艦隊をサポートする。

 

 そして同盟軍を消耗させ、疲弊させつつ要塞まで引き摺りこみ、要塞駐留艦隊を中核とした主力が同盟軍と正面から殴り合い、上手く要塞主砲射程に引きずり込んで……ドカン、という訳だ。まぁ、今のは相当単純化した説明だが。

 

「うむ、だからこそ航海課のここでの仕事は帝国軍の裏をかきより迅速に艦隊を展開する事なのだ。想定より早く展開されれば心理的に動揺し、準備も不足する。更に戦闘中の作戦機動や陣地変換、火力集中の面でも航海課が如何に艦隊の統制と管理が出来ているのかが明暗を分ける」

 

 艦隊運用の面で少将は士官学校同期生の中でも確実に五指に入る実力者だ。ティトラにおける分艦隊による奇襲作戦を企画・成功させ、第三次イゼルローン要塞攻防戦では第6陸戦隊の揚陸支援を完璧に全うした。エンリル星域での会戦では艦隊運動のみで帝国軍から戦闘の主導権を奪い取り同盟軍を勝利に導いた。その全てが迅速性、そして戦場の摩擦に対する高度に柔軟性を持った対応能力と臨機応変な艦隊運動によって齎された。

 

 その点で言えば私やベアトが臨時配属の副官付に指名されたのは必ずしも縁故のみ、という訳でも無い。

 

 私の士官学校における所属研究科は艦隊運動理論研究科である。ベアトに至っては三大研究科の一つ、艦隊運用統合研究科所属だ。共に航海科系列の研究科であり、その点で言えば畑違いという訳ではない。私は兎も角ベアトは席次も良いので正規艦隊の司令部の参謀見習いとしていても決して違和感がある訳でもなかった。

 

 私が着任してから二日、第三艦隊はアルレスハイム星系における最終的補給を終えつつあり、ダゴン星系に向けた超光速航行を実施するための最終準備段階にあった。

 

 既にダゴン星系に向かうまでの中継地点には同盟軍の情報収集艦や亡命軍の哨戒部隊や警戒部隊が展開しその安全を確認していた。

 

「ワープポイントの選定と出航の順番が面倒ですね」

 

 限定されたワープポイント、更に一度に多数の艦艇がワープすれば空間が不安定になるために小刻みに、あるいは複数のワープポイントに分散しなければ万単位の艦艇の移動は不可能だ。

 

 更にワープの座標計算をしなければワープから通常空間に出ると同時に隕石やほか艦艇を巻き込んで爆発するか虚数の海に捕らわれる。正直ミスが許されないので唯でさえ航海課は正確性が求められる部署だ。シリウス戦役の第三次カンパネラ会戦では地球軍三提督を失った地球軍が黒旗軍の作戦に嵌り艦隊が丸まるワープアウトと共に袋叩きにされた。慌てた幾隻かの艦艇が無理矢理ワープしたために時空震が発生し両軍の多くの艦艇が異次元に引きずり込まれたと言われる。宇宙暦714年の第二次アンシャール星域会戦では同盟軍が航路設定を間違えた結果ワープアウト先が小惑星帯の目と鼻の先となり一〇〇隻以上が事故で沈没し、当時の航海参謀が自殺する事態に至った。

 

「だがそれだけ参謀職種の中でも評価されやすいからな。参謀の花形と言えば作戦に後方、情報、それに砲術と航海だ」

 

 砂糖とミルク塗れの珈琲を口にしながらロボス少将は書類を処理していく。この珈琲(らしきもの)を見ると少将がどれだけストレスを溜めているのか分かろうものだ。いや、これですら私がこちらに来てから少し減っているのだ。そりゃあ太りますわ。

 

「若様、こちらを」

「ん、ああ御苦労」

 

 私はベアトからお代わりの珈琲を受け取る。第三艦隊司令部で消費されるカッシナ産の豆を使った珈琲はユニバースコロンビア社の中流階級向けのものであり、カプチェランカで飲んだエリューセラ産に比べれば格段に飲めた代物だ。無論、門閥貴族向けの最高級品にはかなり見劣りはするが……。

 

「うむ、良い味だ」

「お褒めの言葉恐縮です」

 

 味見をすれば絶妙な味付けであった。私がそれを誉めれば金髪の従士は優雅に頭を下げる。

 

 私の好みと求めに毎回ダイレクトに味付けしてくれて助かる。特に今は疲れが溜まり普段より甘みが欲しかったので砂糖を多めに淹れてくれて助かる。

 

「……さて、もうそろそろ終わりだ、頑張ろうか」

 

 カフェインで眠気を振り払い、糖分を脳に補給してそろそろ終わりに向かう仕事に最後の力を入れて打ち込む。ベアトは先程珈琲を淹れていたが、別に彼女もそれが仕事と言う訳ではない。単に自身の配分の仕事を私より先に処理してしまったから手が空いているだけだ。私の分の仕事も行おうとしたが、流石にそれは断った。流石にそれは情けないし、折角の機会である。経験値は溜めた方が良い。

 

 珈琲を飲みながら事務を行う事更に30分程して漸く私の仕事も終わる。

 

「さて、これが最後です」

 

私はチェックした最後の書類を少将に渡す。

 

「うむ、御苦労だ」

 

 書類を受け取った少将はざっと内容を読み込むと承諾のサインをする。別に適当に読み込んでいる訳ではない。外見と性格で誤解されるが少将の頭の回転と記憶力は普通にヤバい。今の数十秒で内容を把握し、全て了解した上でサインをしたのだ。

 

「随分とベアトより遅れてしまったな」

 

背筋を伸ばして私は自虐的に語る。

 

「いや、そうでもないぞ?参謀の副官を初めてするのでこの時間なら平均より少し早い位だ。そう卑下せんで良い」

 

 笑みを浮かべながらロボス少将はフォローを入れ、書類を纏めて立ち上がる。

 

「さて、では後はこれを司令部に提出するだけだな。今の時間は……0745時か」

 

 当初の予定では約11時間後に艦隊のワープが始まる予定であった。

 

「そういえば今、7時なんですね……やはり宇宙での仕事は時間感覚が可笑しくなりそうです」

 

 同盟標準時はハイネセンポリスのそれが基準である。当然惑星毎に、または場所によって恒星の登る時間は違う。一日が二十四時間かすらも限らない。

 

 まして宇宙空間にある艦艇に乗っていると昼夜の感覚すら麻痺しそうになる。一応艦内でも昼夜について意識はしているのだが、当然会戦になればタンクベッド睡眠が基本となってくるのでそれも限りなく無意味になる。時差惚け所ではない。実際遠征や任務帰りの軍人はこの感覚の麻痺に思いのほか悩まされる者も多いという。

 

「ヴォル坊とゴトフリート君も注意しなさい。私も若い頃は結構悩まされたものだ」

 

 苦笑しながら少将は助言する。少将はこれからこの書類を艦隊参謀長ジョージ・ロウマン少将に提出する事になる。

 

「二人共、もう休憩に入りなさい。ワープ開始までもうそれ程時間が無い。今の内に食事と睡眠を取らんと、ここからが本番だからな。……それにヴォル坊は酔いやすいからな、吐かないように今の内に食べんといかんだろう?」

「ははは……まぁ、はい………」

 

 少将の言に苦笑いしながら肯定の返事をする。……うう、憂鬱だ。

 

 少将が部屋を出た後、私はぐったりと椅子に倒れ込む。未だに慣れない仕事による疲れもあるし、宇宙酔いやワープ酔い、何よりこれからの戦いを想像するとそれだけで疲労する。

 

「第四次攻略作戦、か………」

 

 原作で描かれたのは第五次以降であり、当然今回の作戦の推移は不明だ。分かっているのは失敗した事のみ。負けるのを分かっていく戦い程辛いものはない。

 

 問題は私が五体無事に戻ってこれるか、だ。艦隊旗艦である事、叔父殿が生きている事を思えばこの艦が沈んでいる可能性は低い……とは言い切れない。例えば叔父殿が義手義足、人工臓器を使っていると明言されていないが、逆に言えば使っていないとも限らないし、もし叔父殿が五体満足だったとしてもこの艦が大破してシャトルで運よく脱出出来ただけかも知れない。

 

即ち、私の生存が約束された訳でもないのだ。

 

「………」

 

 無論、全て杞憂の可能性の方が高い。第四次攻略作戦は本気の攻略、というよりかは選挙に備えたデモンストレーションに近い。何方かと言えば帝国艦隊に程々の打撃を与えて帰ってこい、とうものだ。第二次攻略作戦のように「雷神の槌」を撃たれる前に撤退する可能性も高い。それでも………。

 

「若様……?」

「ん?どうした?」

 

不意に私を呼ぶ従士の声。

 

「……いえ、若様が深刻な表情で物思いに耽っているように思えましたので……」  

 

心底心配そうにこちらを見る従士。

 

「いや、今回の遠征について、な。白兵戦は兎も角、会戦への参加は初めてのことだからな」

 

 肩を竦めて苦笑する。まぁ、死ぬ可能性は低いが不安になるものは不安になるのだ。こればかりは理屈ではなく感情の問題だ。尤も死ぬ気はさらさらない。6月には不良学生が式を挙げる、丁度遠征から帰る位だろう。今から悪ふざけをするのが楽しみで仕方無い、こんな所で死ねるか(強がり)!

 

「………心中お察し致します。私如きでは護衛としては余りに不足ですから」

 

 直立不動の姿勢で控えるベアトが僅かに俯き加減で呟く。おーい、気にするよー、別にお前が考える程には深刻な事は考えてないぞー?

 

 これまでの失敗もあり、思う所があるのだろう。自信がなく、弱々しい口調だ。

 

 ……可能性の低い、しかも対策のしようの無い危険を心配するよりこちらが大事だよなぁ。

 

「……いや、お前が気にする必要はあるまい。陸なら兎も角、宇宙では今のお前ではやりようが無いからな」

 

 実際宇宙艦艇が被弾して轟沈すれば逃げようもない。宇宙艦艇が沈んで生き残る事態と言えばシャトルや脱出ポッドで脱出するか極度にモジュール化された艦の密閉された残骸内にいるか(実際ダメコンを想定しモジュール化された宇宙艦艇は爆沈しても平均一割から二割の乗員は残骸内で生存出来る。酸素が無くなる前に救助が来ればだが)だ。

 

「お前も士官学校に連れて行ったのは唯の護衛じゃない。参謀なり艦隊の指揮官になって貰いたいからだ。だから余り過去の失敗は……まぁ改善はするとしても必要以上に気に病むな。そもそも畑違いだ」

 

 護衛なぞは極論、陸戦の専門家に任せればいい。無論出来るに越した事は無いが将来的な事を考えればベアトにはそれよりも指揮官として研鑽してもらいたい……というか割かし切実にそうして欲しい。七元帥なんて高望みしないからせめてビューローやらグリューネマン辺りにはなって(末期の同盟の人材層を横目に見つつ)!

 

「はい、分かってはいるのですが……」

 

ベアトは無理をして微笑を浮かべる。

 

「……実家の方で何かあったのか?」

「………お恥ずかしい話ではありますが、お役目を果たす事が出来なかったために御叱りを受けました」

 

 暫しの沈黙の後にベアトはそう告白する。淡々と、端的な説明であるが、そもそも彼女は私にその手の主人を煩わせる話はしない。ならば相当厳しく責められたのだろう。ゴトフリート家は従士家の中において忠誠心は特に高い家だ。

 

「……そう、か。世話をかけたな」

「いえ、全ては私の未熟さが招いた結果です。どうぞお気遣いは無用です」

「そう、言われてもな……」

 

良く考えなくても大体私のせいだからなぁ……。

 

「いえ、それこそ今一度若様の御傍にお仕え出来るだけでも身に余る光栄です。若様、それに旦那様の御慈悲には感謝の言葉しか御座いません」

 

 深々と頭を下げる従士に内心で罪悪感を感じるが表には出さない。出しても困惑されるだけだろう。絶対的な上下関係にある身分社会においては下の者に上の者が謝罪するのは異常なのだ。そりゃあブラウンシュヴァイクも精神の病になりますわ。

 

「……そうだな。ベアト、誠心誠意これからも良く仕えてくれ。お前自身の自己評価はどうあれ、私としてはお前を非常に頼りにしている。……やはり昔から仕えてくれるお前が傍にいてくれるだけでも多少安心出来る。今後も諫言や意見、それに補佐を頼むぞ?」

 

 私はベアトの肩に手を乗せそう頼む。ベアトはその手に大切そうにそっと自身の手を乗せる。

 

「勿論で御座います。この命、元より主君たる若様のもので御座います。何なりと御遠慮なく御申出下さい」

 

 優し気に笑みを浮かべる少女の姿に鷹揚と頷き、しかし私の内心はやはり複雑なものだった……。

 

 

 

 

 

 

 

尚……。

 

「……ベアト、いきなりだけどもう気持ち悪い。ビニール袋と酔い止めくれない?」

「わ、若様……!!!??」

 

 超光速航行に入ると共に艦橋から抜け出して戦闘不能になる私はそう懇願した。

 

 7月5日1900時、アルレスハイム星系より自由惑星同盟軍第三艦隊を主力とした遠征軍別動隊はイゼルローン回廊出口ダゴン星系に向け三か所の星系を経由したワープを開始した。当然、私は自室のベッドで付き人に介抱されながら項垂れていたのは言うまでも無い。

 

 ……え、?今後も何度もワープするの?嘘……死んぢゃう……。




やっと次回以降から会戦や帝国側上層部とか書ける……ここまで本番の会戦無しとか気が狂ってるな


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第八十二話 職場で親族と会うと何か気恥ずかしくなるもの

 宇宙暦785年4月8日1620時、ダゴン星系外縁部にて銀河帝国軍宇宙軍隠密偵察艦「A-487」は多数の重力異常を探知した。

 

 艦長は口にしていた珈琲の紙コップを手元から落とし驚愕の表情を表すと、すぐさま怒声を上げて観測命令を下す。

 

 レーダー透過装置とステルス塗装、熱処理塗装の為された「A-487」は自衛用の最小限の武装しか装備していない。

 

 だがそれで良いのだ。この艦の最大の武器はその各種観測装置及び通信装備である。艦首部の超高性能光学カメラやレーダー、熱探知装置、赤外線探知装置、金属探知装置、通信傍受装置等が最大出力でいきなり現れた未確認勢力……否、自由惑星同盟を僭称する叛徒共の大艦隊の総数と展開、所属部隊の情報を集める。

 

「総数三万……いや、四万…まだ増える……!」

「所属部隊……第三艦隊、第一一艦隊……第二艦隊のナンバーを確認!」

「反乱軍の無線通信量急激に増加!記録及び解析を開始します……!」

 

艦橋では兵士達が矢継ぎ早に報告をしていく。

 

「よし、要塞司令部に秘匿通信!1220時、ダゴン星系6-8-1宙域にて我反乱軍を捕捉せり!」

 

 艦長からの命令に従い通信士がイゼルローン要塞に向け暗号化させ傍受の可能性の低い秘匿通信にて連絡を行う。

 

「よし、本艦はこれより反乱軍を追跡、可能な限りの情報収集を……」

「艦長!高エネルギー反応!直撃来ます!」

 

 報告とほぼ同時だった。たとえ隠密偵察を主眼に置いた偵察艦とはいえこの数の艦艇の索敵を完全に潜り抜けるのは簡単ではなく、不運にも「A-487」は余りに大艦隊に近すぎた。結果、索敵と通信を逆探知され大艦隊の先鋒部隊の集中砲火を受けたのだ。

 

 避ける暇なぞ無かった。中性子ビームの雨に飲み込まれた「A-487」はまず展開していたエネルギー中和磁場発生装置の出力を越えたエネルギーの奔流を受けシールドを撃ち抜かれた。そしてその船体に塗られた対レーザーコーティングを瞬時に蒸発させた。特殊合金と金属繊維による複合装甲を光条が貫通し、爆炎が艦内を一瞬のうちに飲み込んだ。

 

 酸素は燃焼し、破損した核融合炉は炉内のエネルギーを外部へと吐き出した。偵察艦は瞬時に数億度の火球に変貌し、内在した一切合切を全て原子に還元したのだった………。

 

 

 

 

 

 

 ワープアウトと同時に各種の索敵機器により発見した周辺の偵察部隊を「草刈り」していく同盟軍遠征艦隊。各司令部の航海課の精力的な努力の結果、当初の予定より十時間以上早い到達であった。しかし奇襲から始まった虐殺に近い一方的な戦闘でありながら遠征軍総司令部も、まして各艦隊司令部の人員も誰一人として歓声を上げる者はいなかった。

 

「やはり、早期に通報されたな」

 

 第三艦隊旗艦「モンテローザ」艦橋で腕を組むヴァンデグリフト中将は苦虫を噛む。本来ならば逆探知と反撃に備え偵察艦はある程度距離を取ってから接敵を友軍に連絡する。そうで無ければ自殺行為に等しい。

 

 帝国軍の偵察部隊は撃沈の危険を一切気にせずに友軍に通達した。自己を犠牲にしてでも軍全体へ危機を通達したのだ。即ち、偵察部隊は帝国軍に体勢を整える貴重な時間をその命と引き換えに提供した事を意味する。

 

「遠征軍総司令部より連絡、帝国軍警戒網に接触。全部隊は警戒を厳と為し、第二級戦闘体制に移行せよ」

 

 通信士の連絡にヴァンデグリフト中将は参謀長ロウマン少将と顔を合わせて頷きあう。

 

「恐らく回廊出入口に展開する帝国軍は一個艦隊、遭遇は12時間以内であると想定されます。総司令部との打ち合わせの通り艦隊の隊列を整えつつ、割り当て宙域への偵察部隊を展開しましょう」

「うむ、各分艦隊及び直轄部隊との通信を繋げ、後方支援部隊及び陸戦隊は兵站拠点の設置を開始、機動艦隊は偵察機を展開せよ!」

 

 ヴァンデグリフト中将の命令に従い第三艦隊は周辺に警戒網を展開、後方支援部隊と陸戦隊がダゴン星系第一一惑星第四衛星に兵站基地を設置する。そちらに若干の警備部隊を残置しつつ主力はダゴン星系を横断する形で進軍する。第二・第一一艦隊も同じくワープ時に出来た隊列の乱れを整えつつ前進を開始する。遠征軍司令部及び各種独立部隊からなる予備戦力はその後方に陣取る。

 

「では我々も仕事に移るとするか」

「り、了解……」

 

 艦橋の端で柱にもたれながら私は今にも死にそうな口調で返答する。うう……大型艦だからまだ艦自体が安定して酔いにくいが、それでも正直何度もワープされたら気持ち悪い。

 

 事務に移るスタッフ達が擦れ違い様に何だあれ、とちらりと見るが流石にもう衛生兵を呼ぶ者はいない。どうやらここ数日で慣れたようだった(最初の頃は何度も医務室に連行された)。

 

「……本当に大丈夫かね?」

 

 ロボス少将が心底心配そうに尋ねる。まぁ超光速航行する度にこうなれば仕方ない。

 

「いえ、流石に慣れてきましたので………うん…はい、いけます」

 

 十分程休憩すればどうにか気分も改善されて職務可能な状態になる。

 

「そうか、では中尉には宙域情報の整理と連絡をしてもらおう」

「……了解です」

 

少々弱弱しくも、私は敬礼して命令を承諾した。

 

 そんな訳で私とベアトは乱れた隊列の整理と情報課や偵察部隊から提供された情報を基に各部隊に航行上の障害の報告と対策を通達していく。既に通信にはノイズが混じり始め、各部隊は通信の出力を上げねばならなかった。通信システムやデータリンクに対する帝国軍の電子戦も始まる。後方支援部隊の電子戦部隊を中心とした部隊は見えない攻撃への対処と反撃に移る。

 

 電子の海で静かに暗闘を続けていく中で日付は変わり4月9日0250時、ダゴン星系回廊側外縁部にて亡命軍所属のモスグリーン塗装の為された帝国標準型巡航艦が二八光秒の距離にて一万隻を越える帝国軍艦隊を捕捉したとの情報が入る。本隊との距離はこの時点で凡そ二光時であった。

 

「来たな」

「敵艦隊の部隊番号を確認しろ……!」

 

 参謀達が叫ぶ。巡航艦から送られた映像が艦橋スクリーンに表示される。漆黒の宇宙一面に銀色に光る点が映し出される。

 

「帝国軍の部隊番号を確認……グライフス大将指揮下、帝国軍第二竜騎兵艦隊と推定……!」

 

 情報分析班が艦隊編成や艦艇に振られた番号や識別信号、傍受した通信内容から敵艦隊の部隊名と指揮官を導き出す。

 

「艦隊戦、か……」

 

 第三艦隊旗艦「モンテローザ」艦橋のデスクで作業するロボス少将の傍らで私は小さく呟いた。私にとっては文字通り一兵士として参戦する初めての宇宙戦闘であった。

 

「そう緊張する必要はない。艦隊旗艦が前に出る事はないし、仮に砲火に晒されようともこの艦の中和磁場の出力と装甲の厚さはほかの艦艇の数倍はある、そうそう沈みはせんよ」

 

 青い顔をする私に安心させるようにふくよかな顔で笑みを浮かべる航海参謀な叔父殿。

 

「だと、いいのですが……」

 

 うん、原作のアイアース級はガンガン沈んでいたね。獅子帝だからね、仕方ないね。

 

 帝国軍第二竜騎兵艦隊はイゼルローン回廊入り口内部に展開する。狭い回廊内であることと航行の難所であるダゴン星系の地理的状況から三倍の戦力を有していたとしても正面からの戦闘は決して簡単なものではない。

 

 同盟軍はイゼルローン回廊同盟側出入口に全軍を展開させる。万一帝国軍が回廊から出てくれば半包囲出来る体勢だ。尤も、それが分かって態態出てくるとは思えないが……。

 

 4月9日0945時頃、同盟軍は帝国軍に対して攻勢を始めた。同盟軍の主力となるのは第三艦隊の艦艇一万四五〇〇隻である。一方相対する第二竜騎兵艦隊は艦艇一万四八〇〇隻、戦力的にはほぼ同等であるが同盟軍にはまだ二個艦隊を中核とした予備戦力が控えている。

 

 これ自体は予め予定された計画であった。回廊内での戦闘を第一一艦隊が、帝国軍主力艦隊との戦闘を第二艦隊が、司令部直轄艦隊や独立艦隊は予備戦力として必要であり、数も足りない。よって第三艦隊が最初に殴り込みをかけるのだ。

 

 第三艦隊の副司令官オーギュスト・ルフェーブル少将が指揮を執る第二分艦隊及び第三分艦隊が前進する。ルフェーブル少将は気難く頑固な性格で知られるが二等兵から提督となった歴戦の宿将で二度の名誉勲章と一度の自由戦士勲章を受勲した名将だ。

 

 司令官・副司令官共に叩き上げと言うのは他の正規艦隊には無い特徴である。建国以来最前線で同盟の盾として、矛として多くの武功に恵まれた精鋭艦隊は他の艦隊に比べ実戦主義の気風があり幹部にも叩き上げ軍人が多かった。

 

 第二・三分艦隊が戦列を整え前進する中、第四・第五分艦隊は後方で支援と交代要員を務め、第一分艦隊は最後衛で指揮と予備戦力を兼ねる。

 

 通信士、索敵班以外は誰も口を開かない。映像やレーダー上ではゆっくりと、実際はマッハを越える高速で両軍は接敵する。

 

 艦橋内に緊張が走る。索敵班が刻一刻と近づく距離を報告する。

 

「砲撃戦用意……」

 

 ヴァンデグリフト中将は右手をあげて、義務的にそう告げる。

 

 そして長距離砲の有効射程内、約二〇光秒の距離に入ると共に彼は命じた。

 

「砲撃開始っ!」

 

 老提督の号令と同時に戦艦や巡航艦の数万という砲門から一斉に中性子ビームの雨が回廊の向こう側に撃ち込まれた。そして……やや遅れて帝国軍から返礼の砲火が叩き込まれる。

 

「……!!」

 

 旗艦はかなり後方に展開しているために砲火が来る事が無い事は理解していたが、それでもスクリーンからこちらに向け放たれる無数の光条に一瞬私はたじろいだ。

 

 そして砲火が当たらない、と言うのは部分的にではあるが最前列の部隊も同様であった。当然のように互いに高速で移動し未来座標の予測が困難な遠距離砲撃では砲撃の大半は漆黒の闇に消えていく。

 

 それでも五、六発に一発程度ならば命中するが強固に互いをカバーし合うエネルギー中和磁場の多重結界の前に砲撃の殆どは受け止められる。それをも運良く貫通しても艦艇表面の対ビームコーティングと複合合金装甲を貫き艦艇に致命的ダメージを与えるのは非常に難しい。

 

 実際第一撃で双方共に喪失艦艇も、損傷艦艇も発生しなかった。だが、それも今だけの話だ。

 

 軍艦同士の砲撃戦では火力の集中が勝敗を左右する。即ち部隊間で単一目標を集中攻撃し、その中和磁場に限界まで負荷をかける。そして交代する前に撃破するのだ。

 

 そのために重要なのは砲撃の命中精度と隊ないし群単位の連携である。特に連携はデータリンクと艦隊運動が鍵になる。部隊間で相互に通信し目標を絞り各種センサーで敵艦艇の座標を精査しそこから未来位置を予測する。そして敵の砲撃を回避しつつ優位な位置を確保し砲撃のタイミングと合わせる。中和磁場に負荷のかかった艦艇、損傷艦は支援を受けつつ迅速に後退して空白を他艦が埋める。

 

 砲戦から数分経過し、最前線では遂に損害が生じ始める。

 

 第三艦隊で最初に犠牲となったのは第81戦隊第561巡航群所属の巡航艦「ネイリーズ」だった。帝国軍の数隻の巡航艦の砲撃を集中して受け中和磁場は限界に達する。援護を受けようにも同じ561巡航群所属の艦艇は帝国軍の連携した牽制砲撃の前にその動きを封じられる。

 

 次々と撃ちこまれる帝国軍巡航艦の砲撃は砲門数こそ少ないがその口径と核融合炉の出力から同盟軍のそれよりも一撃の火力は大きい。「ネイリーズ」は中和磁場の出力を限界まで上げると共に回避運動に専念する。一発を面舵を取り回避し、同時に来る二発を急激に船体を傾けて紙一重で避ける。続いて来る一発は参戦してきた戦艦「アイフェルドルフ」のものだった。巡航艦のそれとは比較にならない火力の前に中和磁場は貫通し、船体を貫いた。

 

 内部で巻きおこる破壊の嵐。それでも艦のダメージコントロールシステムは隔壁の封鎖と消火剤の噴出、無人ドローンによる応急処置が自動で行われる。艦長は声を荒げて混乱する艦橋を落ち着かせ命令を下した。それに従い艦内乗員の内ダメコン要員が宇宙服を着て艦の修繕に向かい、砲術要員は反撃の砲撃を、航海長は続く砲撃を避けながら後方に下がろうとする。

 

 だが、全ては手遅れだ。続く巡航艦三隻の集中砲火を手負いの「ネイリーズ」が避ける、あるいは耐えきる事は出来なかった。艦首に命中した光条は船体を貫通し、核融合炉を爆散させる。真っ二つに爆発する「ネイリーズ」はその内部から大量の船体の破片や有機物を吐き出し、次いで二度目の爆発の後にはそこには完全な虚無しか無かった。

 

 しかし空いた穴にはすぐさま第561巡航群所属の「コイピン」が滑り込み戦列を維持する。第561巡航群は復讐とばかりに撃ち合う帝国軍第819巡航群所属の「ルールモントⅢ」を原子に還元する。

 

 同じような事は戦線各所で起きていた。帝国軍巡航艦「ムへール」が大破し、そこに集中砲火を受け爆沈する。同盟軍の戦艦「アハルネス」は帝国軍の戦艦二隻の巧妙な連携の前に回避運動を阻害され中和磁場を削り取られ撃破された。帝国軍の高速戦艦「ゲフレース」は既に一隻の巡航艦を撃沈していたが経験の浅い艦長が気負う余りに戦列から突出した所を第143戦艦群の集中砲火で蜂の巣となった。

 

 戦局は一進一退、それが変化するのは砲撃距離が一〇光秒の距離に差し掛かった頃である。レーザー砲装備の同盟軍駆逐艦が一斉に戦列に参加する。たちまち火力は数倍のものとなり最前列の帝国軍艦艇十数隻が瞬時に火球と化した。

 

 だが、流石は正規軍である。すぐさま体勢を立て直すと戦艦部隊が前に出て中和磁場の出力を最大にする。戦艦が防御に徹し、そこを巡航艦や高速戦艦が中距離からの狙撃を始める。狙いは中和磁場も装甲も薄い駆逐艦である。小回りの利く駆逐艦部隊は舞うように砲撃を回避するが巧緻な連携を行う帝国軍部隊により集中攻撃を受けた何隻かは袋叩きにあってしまう。

 

 1100時、膠着していた戦況の中、帝国軍艦隊は回廊の奥へと三光秒程後退する。

 

「誘い込んでいるな」

 

 ちらりとデスクから視線を移せば艦橋の司令官席で腕を組むヴァンデグリフト中将はロウマン参謀長に呟いた。

 

「はい、ですがここで引いては意味がありません。ここは敢えて前進させましょう」

「うむ、第二・三分艦隊は進撃を停止!第五分艦隊を突入させる!」

 

 狭い回廊内にいきなり大軍を突っ込ませれば身動きが取れなくなるし、第二・三分艦隊は多少とはいえ損害を負い、エネルギーを消費していた。無傷であり、機動力に優れた第五分艦隊を突入させる判断は誤りではない。

 

 パウエル少将指揮下の第五分艦隊二五二〇隻が一斉に突入する。パウエル少将は攻守のバランスの取れた良将であり、部下を良く統率し、攻勢では勇猛、防戦では粘り強い働きを見せる。回廊突入にはうってつけの指揮官だ。

 

 回廊奥に後退した帝国軍艦隊戦闘集団は回廊の危険宙域ぎりぎりの表面に広く展開し、回廊入口に差し掛かった第五分艦隊先頭集団に一斉に砲火を浴びせた。それはある種の十字砲火である。突入部隊は少なからず損害を出さざる得ない、少なくとも戦況スクリーンを見ていた私はそう考えた。

 

だが………。

 

「げっ、よくあの砲火を避けるな……!」

 

 思わず私は感嘆と呆れを混ぜ合わせた感想を口にした。実際、相当綿密に計算されたのだろう帝国軍の十字砲火の火線は、しかしその殆どが虚空をすり抜けるばかりだった。同盟軍艦隊の進軍速度が帝国軍の想定よりも早すぎ、砲撃の座標修正が間に合わないのだ。

 

 先頭集団である同盟軍第94戦隊は巡航艦と駆逐艦を中核とした高速機動部隊だ。司令官キャボット准将は粗野な印象を受けるが、その実艦隊運用統合研究科出身、士官学校を卒業席次26位の上位卒業者という煌びやかなエリート士官だった。つい三か月前に准将に昇進したばかりの人物であり、どのような激しい砲火の中でも躊躇なく突き進む恐れ知らずで陣形転換や戦術眼にも優れる。

 

 砲撃の雨を全速力で抜ける第94戦隊はそのまま正面の駆逐艦部隊に肉薄する。恐らくは十字砲火で足止めし、駆逐艦の瞬間火力で一気に前方集団を圧殺するつもりだったのだろう。だが、既に狩る側と狩られる側の立場は逆転していた。

 

 巡航艦が中性子ビーム砲とミサイルを撃ちまくり、その迎撃に気を取られている内に駆逐艦部隊が素早く帝国軍の陣形に躍り込む。同盟軍駆逐艦は側面や後方にも副砲を多数保有しており乱戦でも多くの強みを発揮出来た。

 

 一方、帝国軍駆逐艦はミサイルや電磁砲等の遠方への火力投射には優れるが小型艦同士の乱戦には向かない設計であった。そしてその設計思想の差はここでは致命的と言えた。

 

 帝国軍先鋒集団の中で同盟軍駆逐艦が存分に暴れ回る。瞬く間に数十隻の帝国軍駆逐艦が同盟軍駆逐艦側面に装備された光子レーザーの集中攻撃を受け爆散した。装甲が薄く誘爆しやすいミサイルを多数装備する故の脆さである。そこを第五分艦隊本隊が前進して混乱する帝国軍前衛を削り取る。

 

 戦局は一気に同盟軍に傾く……誰もがそう思った。だが……。

 

 次の瞬間第五分艦隊の各所で次々と爆発の光が生まれる。近距離で起爆したレーザー水爆ミサイルの光であった。

 

「ちぃ!やはり潜んでいたか!」

 

 ロウマン少将が舌打ちする。暗礁宙域や艦艇の残骸から飛び出すように現れるのは全長五十メートル余りの雷撃艇やミサイル艇等の所謂大型戦闘艇部隊であった。単座式戦闘艇に比べて機動力に劣り、戦闘艦と違い恒星間航行能力を持たないものの火力では前者に、小回りでは後者に勝る。回廊内の戦闘にて帝国軍が大型戦闘艇を用いて奇襲・一撃離脱戦法を多用する事は珍しい事ではない。

 

 同盟軍各部隊は気が狂ったかのように対空レーザー砲や対空ミサイルを撃つが大半の雷撃艇やミサイル艇は悠々とそれらを回避し、中和磁場では防げない爆弾やミサイル、あるいは電磁砲と言った実弾兵器を撃ち込み素早く後退する。中には機雷艇が機雷をばら撒く事で艦の動きを封じ、そこに数隻がかりでレーザー水爆ミサイルを撃ち込み戦艦を吹き飛ばす手練れの部隊まであった。

 

 一時的に戦局は帝国軍に傾いた。だがそれもまた長くは続かなかった。猛威を振るっていた戦闘艇部隊は後方の航空母艦から発進した空戦隊や各艦の保有する直掩部隊の単座式戦闘艇「スパルタニアン」、あるいはその一世代前の「グラディエーター」の前に次々と撃破される。

 

 流石に大型戦闘艇では機動力で相手にならず、かといって装甲も薄いのだ。当然の帰結であった。帝国軍の大型戦闘艇部隊は慌てて後退、帝国軍本隊からは白く輝く「ワルキューレ」が何百機と発進して「スパルタニアン」を迎撃する。両軍は空戦隊が空戦を繰り広げる隙に対空射撃を実施しながら艦隊を引き離す。

 

 初戦の空戦において同盟側で活躍した空戦隊はハイネセンファミリー系の熟練パイロットが多く所属する第54独立空戦隊、帝国系中心の第131独立空戦隊等だ。両空戦隊は競う合うように撃墜スコアを稼ぐ。無論、帝国側も狩られてばかりではない。寧ろ帝国側は二機一組の巧緻な連携プレーによって同盟軍空戦隊に対して少なからずの損失を与えていた。

 

 4月10日0300時、帝国軍の全面後退を以て同盟軍は回廊出入口宙域の確保に成功、第三艦隊は一旦後退し、代わりに第一一艦隊第四・五分艦隊及び亡命軍の五個駆逐群と二個戦闘艇群が回廊への進出を始めた。後方支援部隊は前線での損傷艦艇の回収と修復、救難活動、医療活動を本格化させる。この時点で同盟軍は艦艇五二五隻を、帝国軍は七二〇隻から七七〇隻を喪失した。

 

 この初戦において同盟軍は戦術的勝利を治め、全軍の指揮は高揚したと言えた。艦橋内では緊張が解れた若手将校を中心に今回の戦闘について口口に議論を始めていた。

 

 まぁ、初めての会戦で禄に仮眠も出来なかった私は士気なぞ気にせず第三艦隊が安全圏に到達したと同時に自室のベッドに潜り込んだが。……だって寝ている間に被弾したら怖いんだ仕方ないだろう……?(少しでも仮眠をとるために従士に膝枕して貰ったのは内緒、いいね?)

 

 

 

 

 

 

 

 回廊出入口の脅威を排除した後、慎重に機雷等を掃海しつつ同盟軍は回廊内に進出した。そして4月12日より帝国軍と接触、次々と制宙権を巡る小規模な戦いが連続して起きた。

 

 それは回廊内を立方体に区切った数千もの宙域を一つ一つ帝国軍と争奪する形で始まり、第1次・第2次攻略作戦においても同様に見られた現象である。狭い回廊内での制宙権確保は艦隊の展開と陣形転換の上で必須であったのだ。狭隘な回廊内部で十数隻から数千隻単位の小戦闘が一日に数十回繰り広げられる。

 

 一方、ダゴン星系の回廊出入口手前に移動した遠征軍司令部では日夜前線からの戦況の報告と情報収集、その共有と新要素を追加した作戦会議が行われていた。

 

 そして4月16日1430時、遠征軍定例会議のために第三艦隊司令部からロボス少将の付き添いで総旗艦アイアースに移乗していた私とベアトは所謂士官サロンで会議が終わるまで午後のティータイムを楽しもうとして……。

 

「うわー、会っちゃったよ」

「それはこちらの台詞だ」

 

 ソファーの上でうんざりした言葉を吐く私、対面では忌々し気に第一一艦隊航海課所属ウィレム・ホーランド中尉、つまりホラントが紙コップの珈琲を飲む。

 

「全くその通りだわ。まさかお前のような下位席次が正規艦隊司令部勤務だなんて……随分と安いポストになったものね」

 

 自動販売機から栄養ドリンクを購入して嫌味たっぷりで語るのは同じく第一一艦隊航海課所属のコーデリア・ドリンカー・コープ中尉だ。煩ぇこの野郎。婚期逃して行き遅れ……。

 

「おい、誰が行き遅れろって?」

「何でナチュラルに私の心読むんですかねぇ!?」

 

私はサトラレなのか!?

 

「何下らない事言っているのよ。……はいはいそこの犬、分かったからそう睨まないでよ」

 

 殺気を込めてコープを睨みつけ……というかブラスター抜こうとしないでマジで洒落にならんから。

 

 私がベアトに辛うじてブラスターを持つ手を解かせて横に座らせる。そして深く溜息。

 

「はぁ……それにしても、お前らとこんな所で会うとはなぁ」

 

 第一一艦隊に所属しているのは聞いていたがまさか総旗艦のサロンで会うとは思わんよ。

 

「ホラン……ホーランドも言ってたけどそれはこちらの台詞よ。田舎なカプチェランカ勤務から何をどうすれば一年後にそうなるのよ」

 

 呆れるように私の胸の略章群を栄養ドリンクを持った手で指し示す。

 

「さあな、戦神様の祝福でもあったんじゃないか?」

「どう考えても疫病神に呪われているだけだろう」

 

おい、止めろホーランド。事実を言うな、泣きそうだ。

 

「いや、けどそう言うお前も大概だろう?」

 

 元々帝国系からの嫌がらせで危険なドラゴニア星系第二惑星基地に配属、昨年の帝国軍の攻勢で基地陥落後、この次席は敗残兵の群れを組織して通信基地と補給基地計四か所を襲撃・占拠した。同盟軍接近の情報が伝達されるのを封じるばかりか占拠した通信基地経由で偽造情報まで流布し帝国軍を混乱、結果的に同盟軍はこの働きにより帝国軍への効果的な奇襲を成功させた。おかげで勲章を受け取り中尉様、6月になれば大尉様だ。

 

「ふん、あの程度の戦いなぞ危険の内に入らん。戦闘部隊との遭遇は避けたからな。敗残兵といっても地上軍や陸戦隊の戦闘要員が中心だった。帝国軍が地上戦が得意だとしても後方支援要員に遅れなぞ取らん」

「おう、お前が言うと説得力あり過ぎて困る」

 

 射撃、戦斧術、ナイフ術、徒手格闘術全て一級ないし準特級、帝国語、潜水術・狙撃・ハッキング・爆発物処理技能保有、100キロのベンチプレスを持ち上げ、長距離走・短距離走の成績は士官学校で三位内には常に入っていた。古今東西の武器を取り扱え、分隊・小隊単位の指揮も卒なくこなす。私よりも地上軍向きの癖に宇宙軍方面の講義も完璧にこなしやがる。確かにこいつならば危機でも何でも無かろう。

 

「まぁ、それは良い。だがコープ、お前まで中尉とか冗談はよしてくれよ?お前後方にいた筈だよな?」

 

 私やホーランドが帝国軍と戯れていた時にこいつは冷暖房の効いたハイネセンの第一一艦隊司令部にいた筈だぞ。折角会うと同時にマウント取ろうと思っていたのに!

 

「事務でも昇進出来る奴は昇進出来るの。筋肉に頼らないと昇進出来ないあんたらとはここの出来が違うのよ、ここが」

 

 そうこちらを小馬鹿にしたように自身の頭部を指差す。よしよしベアトキレるな。ステイ、ステイ!

 

 別に後方で一年未満で昇進したのは彼女だけではないらしい。首席のヤングブラッドは昨年12月に査閲事務の職務のみで昇進したし(書類の偽造やら不備・不正について何件か発見したらしい)、それ以外にも二、三名昇進した者がいるそうだ。例年一年以内に昇進出来るのは数名である事を考えるとその意味では我々の世代は豊作らしい。

 

「はぁ、貴方達、相変わらずねぇ。……この分だとスコットの奴が言い触らしていたネタはマジかしら?」

「スコット?アイツが何ほざいたんだよ?」

 

 戦略シミュレーション大会で同チームだったスコットも今は少尉として遠征軍付きの後方支援部隊情報処理隊に勤務している。流石に気軽に会う事は出来ないが時たまにメール位はしているが‥…。

 

「え?第三艦隊の旗艦に乗船すると同時に首輪かけたそこの犬連れて男子便所に連行したって……」

「知らない所で最大級の名誉棄損が行われている!!?……あ、いや…すみません……」

 

 流石に叫んだ。叫んでテーブルを叩いた。周囲の上官方に煩いとばかりにこっちを睨むのでしょんぼりと謝罪した後に低い声でコープに尋ねる。

 

「え、嘘だよね?冗談だよね?」

「マジマジ。メールで同期で結構広がってるわよ?あんたが男子トイレで憲兵に叱責されている動画あるけど見る?」

 

 と私物の携帯端末から動画を再生するコープ。え、あの時の動画!?ちょっ……いつ撮った!?おいこら、雑コラで傍のベアトに犬耳尻尾つけんな!私が特殊性癖みたいに見えるんですけど!?

 

「道理で最近女子の同期陣から謎のツイート無視されている訳か……!」

 

 スコット……あの糞オタクナルシストがっ!覚えてやがれ!後で筋肉バスターにかけてやる……!

 

「というか信じるなよ!?お前、私がベアトにこんな事する奴と思うのか!?」

「じゃああんたの方が受け?」

「何がっ!?」

 

 てめぇ今何想像した!?社会秩序維持局呼ぶぞ!?

 

「若様もしお望みでございましたらどうぞ御無理なさらずお申し付け下さい。この程度の仮装ならば御命令があればいつでも対応致します」

「しなくていいよ!?」

 

 スコットの雑コラ動画を見ながら極めて真面目に言わないで!ほら、コープが塵見る目でこっち見ているから!

 

「……馬鹿らしい」

 

 心底呆れ果てた口調でホーランドはこの馬鹿騒ぎが終わるまで暫く静かに珈琲をお代わりしていた。おいこら、高みの見物するな。え、憲兵さん!?煩いから黙れ?いやけどこれは…………はい。

 

 

 

 

 

 

 

 ……騒がしさに誰かに通報されたのだろう、憲兵に注意され(また私だけだった、解せぬ)、頭を下げ必死に謝罪してお帰り頂いた。

 

「はぁ……」

 

 納得出来ない気持ちを押さえて、改めて気を取り直すと休憩兼会議の終わりを先程とは打って変わり静かに待ち続ける。尤も完全に手持ちぶさたと言うわけでもなかった。何せ……。

 

「あら、3-5-3宙域の戦闘が終わったようね」

 

 情報をいち早く伝えるためにサロンに設置された前線戦況報告映像を見てコープが呟く。大型薄型テレビの液晶画面内では回廊内で入り乱れて戦う同盟軍と帝国軍の部隊が点となり表示されている。

 

「む……予想以上に早かったな。あそこは後半日は続くと思ったが」

 

意外そうにホーランドが口にし、テレビを見やる。

 

「見たところ援軍が上手くやったらしいな」

 

 私は戦況報告する画面の動きを見ながら呟く。3-5-3宙域では第61戦隊が八〇〇隻から八五〇隻程の帝国軍と交戦していた筈であった。

 

「援軍のウランフ大佐の巡航群が側面から奇襲、そこに第61戦隊が突撃……流石ウランフ大佐、と言った所かしら?」

 

 流石に普段嫌みばかり口にするコープも感嘆に近い口調で指揮官を賞賛する。

 

 士官学校卒業席次6位、第211巡航群司令官ウランフ大佐は前線での武功に恵まれた良将であり、二十年後の宇宙艦隊司令長官ないし統合作戦本部長候補の一人である。既に回廊内での一連の戦いにて二十回近く戦闘に参加し、その大半で勝利していた。勝利していない戦いにしても引き分けないし、戦力差からの戦略的撤退と言えるものだ。

 

「大佐もそうだが、此度は下級指揮官まで優秀な将ばかりだ。今回の回廊内の戦いはスムーズに終わりそうだな」

 

 ブラックの珈琲を口に含んだ後、仏頂面でホーランドが語る。第1次攻防戦では制宙権確保に五週間、第二次攻防戦でも四週間半の日数がかかっていた。だが、此度の戦いでは恐らく三週間かからずに要塞正面まで辿り着けそうであった。前線で活躍する下級指揮官や艦長は同盟軍の中でも優秀な者達で固められ、しかもこの遠征に備え回廊内での戦闘訓練を存分に積んでいた。

 

「まぁ、どうせ帝国軍にとっては計画の誤差の範囲でしょうけど、問題は……」

「要塞だな」

 

コープから話を受け継ぐようにホーランドが口を開く。

 

「あの規模の要塞だ。要塞自体の姿勢制御機能と回廊の特性、そこに艦隊も相まって大型質量兵器は使い物にならん。光学兵器は弾かれ、ミサイル等も威力が足りん。辛うじて開けた穴に入れば装甲擲弾兵の大軍が待ち構えている」

 

 イゼルローン要塞表面は耐ビーム用鏡面処理を施した超硬度鋼、結晶繊維、スーパーセラミックの四重複合装甲で形成され、更に表面を深さ一一〇メートルの流体金属の「海」で覆われている。流体金属の「海」の下には現状の最新情報では一万五〇〇〇門の浮遊砲台、一二〇〇基の索敵レーダー、六〇〇基の戦闘艇射出機が設置されている事が確認されている。この表面を吹き飛ばして要塞内部に陸戦部隊を揚陸させたとしても迷路のように入り組んだ構造、無数の無人防衛システム、増強された分も含めた軽装陸戦隊三〇万、装甲擲弾兵団一〇万が控える。

 

 特に増強された装甲擲弾兵第三軍団は別名を「復讐軍」と称される精鋭部隊の一つであり、装甲擲弾兵副総監を兼ねるオフレッサー大将の直属部隊だ。仮に要塞を完全制圧するつもりなら最低でも八〇万の陸戦部隊は必要であろう。

 

「別に今回の遠征は要塞を取ってこい、という訳ではないわ。艦隊に打撃を与えてこい、要塞の情報を集めてこい、可能ならば土産に表面に穴を開けてこい、「雷神の槌」は撃たれるな、というのが軍部と最高評議会のお達しよ。尤もそれ自体が相当難易度が高いのだけれど」

 

 何気にハードモードな注文ではあるが、実際ここ数年劣勢状態にあった同盟にとっては軍事的にも、国民の支持、財政的にも必要な処置ではあった。尤も、失敗すれば再び同盟軍は苦境に喘ぐ事になるだろう。

 

(……駄目だと知る身からすれば辛い話だな)

 

 原作では記されていないから詳しくは分からない。だが、数年後にエルファシル星系にまで分艦隊規模の帝国軍が進出している時点で最低でも一発くらいは「雷神の槌」を撃たれていそうな気がする。いや、可能性が高いだけで決定はしていないが……。

 

「何はともあれ、その辺りは遠征軍司令部に期待、という所ね。……話をすれば、終わったようね」

 

 そう言って珈琲入りの紙コップをテーブルに置くコープ。彼女の視線の先を見れば会議が終わったのだろう、続々と隣接する会議室から出てきた遠征軍幹部が副官や同僚と話しながら休憩のために、あるいは連れて来た部下の回収のために入室する。ヴァンデグリフト中将やロウマン少将、作戦参謀のリウ ユイレン准将と議論していた叔父がこちらを見やると司令官達に一礼してからこちらに向かう。

 

「おお、待ったかヴォル坊、ゴトフリート君。済まんな、会議が少し長引いてしまってな」

「いえ、こちらは問題ありません。少将こそ御疲れ様です」

「若様の仰る通りで御座います。少将、会議御疲れ様です」

 

ロボス少将の言に私とベアトは立ち上がり敬礼する。

 

「待たせたなコープ中尉。……それにホーランド中尉、司令部に戻る。早くしろ」

「了解です、少将」

「了解致しました」

 

 すぐ側で似たような会話があり、思わずそちらを振り向く。そして……。

 

「げっ」

 

思わずそう口に出てしまったが私は悪くない。

 

「……これはロボス少将、奇遇ですな。どうやら園児の引率のようで」

「これはフェルナンデス少将。そういう貴方は迷子の捜索ですかな?」

 

 明らかに互いに嫌味の混じった言いようであった。敵意と軽蔑を含んだ視線が交錯する。

 

 コープとホーランドの下に来たのは第一一艦隊司令部航海参謀トビアス・フェルナンデス少将だった。「長征一万光年」では恒星間探査船の一隻の艦長を務めたハイネセンファミリーの名家であり、「長征派」に属する軍人家系の出であった。ロボス、シトレ両者の同期であり、卒業席次は第3位、エリート中のエリートと言って良い。外見はどこか陰湿そうな顔立ちだった。ぶっちゃけるとどこかの魔法学校で魔法薬教えていそう。

 

 つまり何がいいたいかと言えば……あれ、これ会ったらあかんパターンじゃね?

 

「ほぅ……そこの副官、見た事がありますな」

 

 粘り気のある、声で私を蛇のように一瞥するフェルナンデス少将。

 

「ああ、そうでした。確か……コープ中尉に戦略シミュレーションで敗れたティルピッツ中尉でしたな」

 

 わざとらしくそう口にする。コープは少しだけ居心地が悪そうに眼を逸らす。おいこら逃げるな。

 

「ええ、そうです。シミュレーションで後一歩で逆転し、カプチェランカで勲功を上げて同期で最速の昇進と名誉勲章受章を成し遂げたティルピッツ中尉です」

 

 そう言ってにこやかな笑みを浮かべロボス少将は軽く私の背中を叩き背筋を伸ばさせる。私の胸の名誉勲章略章(壊れたので代用品を受け取った、因みに有料だ)が照明の光に輝く。

 

「………」

「………」

 

 互いに微笑みながら見つめ合う少将二人。だが当然のように目は笑っていない。コープはさっきから目を逸らし、ホーランドは目を閉じる。ベアトはフェルナンデス少将を敵意を持って睨み、周囲のサロンの住民は触らぬ神に祟りなし、とばかりに避難を開始した。

 

「……それにしてもロボス少将も物好きなものだ。栄えある正規艦隊、しかも格式ある第三艦隊の航海参謀という重職にありながらその副官が席次三桁、それも後半の者を指名するとは。僭越ながら身内贔屓が過ぎるのではないですかな?百万を越える兵士の命に責任を持つ立場である事をもう少し自覚すべきではありませんかな?」

 

 フェルナンデス少将がそういえば直ぐ様ロボス少将も噛みつく。

 

「いやはやこれは驚いた。少将殿ともあろう者が随分と誤解しておられるようで。この中尉はあのカプチェランカで連隊相手に生き抜いた勇士、それも負傷した友軍を見捨てずに戦い抜いたのですぞ?その姿こそまさに部下の命に責任を持つ士官として相応しい姿、到底オフィスの上で書類だけを相手にする者とは実戦における覚悟と責任が違いますぞ?」

 

 こちらもわざと大袈裟気味に語り聞かせる叔父である。ベアトはウンウンと頷く。当然相手側の少将は一層不快げに表情を歪める。

 

「……ロボス少将は随分と斬新なお考えをお持ちのようだ。参謀にあるべきはミスを犯さずに、犯してもすぐに修正出来る冷静な判断能力ですぞ?危機に陥っては二流、一流は危機を事前に回避するものです。コープ中尉はこの遠征中にも各所で参謀としての冴えを見せております。帝国軍の潜伏ポイントの想定をしてもらいましたが見事にほかのベテランスタッフと同等の、一部では上回るレベルでした。お蔭で此度の遠征に置いても進軍速度の向上の一助を担っております。そちらは実戦レベルでの功績は既に挙げましたかな?」 

「これからに期待ですな」

 

 睨み合う両者。静かで、しかし重苦しい空気が辺りを支配する。(当事者二人を除く)誰もがここから立ち去りたいと考えていた。  

 

二人が再び口を開こうとした、その時だった。

 

「ディリィちゃーん!!」

「うげっ!!?」

 

 気の抜けた声が響き、遅れて絞められた鶏のような悲鳴。二人の少将の間を抜けるように駆け寄った影は……そのままコープに飛び付いた。

 

「もー、やっと会えた~ディリィちゃ~ん!!お姉ちゃん寂しかったわよぅ~!何でウチの部署に配属にならないし、顔出しをしてくれないのぅ~!??」

 

 それは女性士官だった。二十代であろう、赤みがかる茶髪をポニーテールにした藍い瞳、相当に美人でありどことなくコープに顔立ちが似ていた。コープの顔立ちを大人にしてきつい目元を柔らかくすれば恐らくこの顔になるのだろう。首元の階級章は少佐なので恐らくは士官学校卒業生である事は間違いない。

 

「や、止めてよ姉さん……!!そんな性格だから姉さんの所には行きたくないのよ……!!っ……!お、お願い離れて!皆見てる!」

「嫌~!ディリィニウム補給しないとお姉ちゃん死んじゃう~!」

「勝手に死ね!」

 

 コープを抱きしめる女性士官はコープの頬に自身の頬を擦り付けてぎゅっ、と体を密着させる。一方コープは悲鳴を上げながらそんな女性を必死に引き離そうとする。周囲の様子に気付くと恥ずかしさからか顔を赤くして罵倒を浴びせる、が全く効果は無いらしい。

 

「「「…………」」」

 

 サロンにいた全員が口元をあんぐりと開いて視線を集中させていた。先程までの剣呑な空気をしかしその少佐は完全に無視して割り込んだばかりかコープに抱き着き、本人が嫌がるのを気にせずに頭を撫でまわして続けていたのだから。

 

 騒がしくコープに抱き着く女性は暫くするとようやく周囲の視線に気づいたようにぽかん、とした表情を作る。と、頭の上に電球が出てきそうな表情を作った後、こう口を開いた。

 

「あ、皆さんすみません!オーレリアです、オーレリア・ドリンカー・コープ少佐です!可愛い我が家のディリィがいつも御世話になっています!」

 

 痛々しい、あるいは不機嫌そうな、呆れや怪訝そうな様々な周囲の視線を一切気にしない、あるいは自覚してなさそうな屈託のない笑みを浮かべ女性は敬礼をした。

 

 コーデリア・ドリンカー・コープ中尉の姉、同盟宇宙軍第二艦隊司令部後方課参謀オーレリア・ドリンカー・コープ少佐はギャーギャーと騒いで逃げ出そうとする妹をがっちりと豊かな胸に押し付けるように抱きしめながら場の空気を完全にぶち壊したのだった。




凄い今更だけど個人的にはコープの外見は某これくしょんの陽炎型長女、コープ姉は同作品のレキシントン級二番艦だったりする


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第八十三話 家族の思いやりってなかなか気付けないよね?

「ハイネセンファミリー」と称される同盟の最初の国民はバーラト星系惑星ハイネセンに降り立った一六万人と途中で分離、ないし逸れた三二万人の計四八万人と言われている。そして同盟拡大により多くの旧銀河連邦植民地や流浪船団(兼宇宙海賊)を国内に併合する中で彼らは長らく同盟政財界の支配層を成し、それは「607年の妥協」まで続く事になる。

 

「607年の妥協」後、少なくない建国以来の一族が没落していったがそれでも尚、名に実の伴う一族は今でも同盟政財界の中核をなしている。同盟政界の御意見番であるグエン家にサンフォード家、ヤングブラッド家、同盟の四大財閥を形成するヘンスロー家、チアン家、スターリング家、ジンダール家が挙げられる。軍人家系に至ってはラップ家、ワイドボーン家、アッシュビー家、アラルコン家等々軽く数十家はあるだろう。

 

 当然コープ家も代々の高級士官を輩出してきた名家だ。宇宙暦785年の時点でコープ家に連なる現役軍人の中で将官は二名、佐官は一四名、尉官二二名、下士官や士官学校・専科学校学生含めれば更に増えるだろう。中央・地方政界の議員に右翼団体の幹部、大企業役員を務めている者もいる。

 

「ディリィちゃーん、ほーら大好きなミルフィーユよぅ~?ほーらあーんして~?」

「自分で食べられるわよ!」

 

 目の前でにこやかに注文したカスタードと苺のミルフィーユをあーんさせようとしてコープに煙たがられている少佐もまたコープ家出身の軍人の一人である。

 

 オーレリア・ドリンカー・コープ少佐、士官学校780年度卒業組、コープの4歳年上に当たる。卒業席次は74位、三大研究科の一つ統合兵站システム研究科出身、大分前に触れたが一時期同研究科の志望者を倍にしたマドンナ様だ。後方勤務本部補給部付、第四艦隊司令部後方参謀付副官、宇宙艦隊第一輸送軍管理課事務、そして現在の第二艦隊司令部後方課参謀という経歴は明らかにエリート士官のそれであった。

 

 そして何よりも大事な事であるが……彼女はコープの姉に当たる。大事な事なのでもう一度言う、コープの姉に当たる。

 

「だってだって、ディリィちゃん昔はあーんしたら食べてくれたじゃないの!嫌いな人参ペーストだってお姉ちゃんと頑張って克服して……」

「マジでそれ以上の私の尊厳を踏みにじらないでくれる!?」

 

 叫ぶようにコープは姉の発言を止める。殆ど悲鳴に近い。

 

「もう……最悪……姉さん、お願いだからこれ以上子供の頃の事言わないで……どれもこれも初等学校に入学する前の事でしょうに……」

「だってだって!久しぶりの顔合わせじゃないの!仕事で私からは会えないのに、ディリィちゃんなら時間に余裕があるのに訪問もしてくれなくて!いつでも可愛い妹が来てもいいように好物のミルフィーユを冷蔵庫に常備してたのよ!?けど来てくれないおかげで私が食べないといけなくなって去年よりも太っちゃったわよ!」

「全部胸部に集中していないかしら?」

 

 拗ねたように語る少佐に忌々し気にコープは毒づく。尚、視線は姉の胸部を怨敵の如く睨みつけていた。

 

 コープ少佐の乱入の結果場が白けたのか、兎も角もロボス少将とフェルナンデス少将は互いに鼻を鳴らしながらそれぞれの艦隊司令部に帰ってしまった、が少佐がまず(ドン引きする勢いで懇願し)フェルナンデス少将からコープを借りる許可を受け、その上コープがホーランドを道連れに、ホーランドが私を道連れに、私のためにベアトが自主的に残留し(天使かな?)、現在五名が今しばらくアイアースの士官サロン内に在席している次第だった。

 

 全く持ってコープとは似ても似つかぬ姉だ。元気、というよりも御転婆娘というべきだろう。朗らかな口調と邪気の無い表情は妹よりも子供らしい。尤もスタイルの軍配は圧倒的であるが……。

 

「おいティルピッツ、姉さんのどこ見ているのよ、この変態貴族がっ!」

 

 そんな私の思考を感知したのか、蔑みしかない視線で罵倒するコープ。

 

「こらっ!ディリィ、折角の御友達に酷い事言わないの!貴方昔から友達作りが下手だったのに……幼馴染なんてメリエルちゃんくらいしか……」

「お願いだから姉さんはこれ以上私の個人情報垂れ流さないでよ!?」

 

 慌てて姉の口を塞ぐコープ。その姿は普段の高慢でプライドの高い姿からは似ても似つかない。

 

「あー、何だ。コープ、愉快な御姉様だな?」

「煩い」

 

ぎろりと睨みつけながらそう言い放つコープ。

 

「ディリィちゃん!」

「もうっ!姉さん、お願いだからこれ以上は本当に止めて……せめてこれ以上は昔話は掘り返さないで……」

 

 額に手をやりながらコープは心底疲れた表情で頼みこむ。いや、それは半ば懇願に近かった。

 

「む~、分かったわ。けど、この遠征の後官舎に一度くらいは来て欲しいわ。お姉ちゃんもディリィちゃんに何年も会えていないから心配にもなるもの……」

「うっ……わ……分かった……わよ」

 

 少しだけ悲しそうにそう言われると実の姉でもあるためか、コープも気まずそうな表情をし、渋々といった面持ちでそう答えざるを得ない。

 

「あらそう!良かったわぁ!ふふっ!じゃあケーキ沢山用意しておかないと!お泊まりしてもいいからね!実はもうディリィちゃんのためのお泊まり用ベッドもお皿も御風呂セットも用意しておいたのよっ!!」

 

 目を輝かせて子供のように嬉しそうにはしゃぐ少佐。その姿を見て「やっぱり泣き落としかよ」等と呟くコープ。

 

「あ、ごめんなさいね。ついついディリィちゃんに夢中でつい忘れていたわ。さっき言ったけどオーレリア、オーレリア・ドリンカー・コープ、第二艦隊司令部に勤務しています。確か……ホーランド君と、ティルピッツ君と、ゴトフリートちゃん……でいいかしら」

 

そのように確かめるように我々の名を尋ねる。

 

「え、ええ……第三艦隊司令部航海課所属、ティルピッツ中尉です」

「第一一艦隊、司令部航海課、ホーランド宇宙軍中尉であります」

「若様と同じく、第三艦隊司令部航海課、ベアトリクス・フォン・ゴトフリート宇宙軍中尉です」

 

 私は困惑しつつ、ホーランドは端的に、ベアトは優美に、同時に警戒するように、三者三様の返事と敬礼。

 

「ああ、やっぱり!ディリィちゃんから何度か名前だけは聞いた事はあるのよ!ディリィちゃんって照れ屋で口が少し悪いけど嫌いにならないでね?この子これでも本当はとっても優しい子なの!小さい頃だって……」

「姉さん?」

「あっ……もう、分かったわよ……」

 

 遂に腰からブラスターを引き抜こうとする妹に、残念そうに口を閉じる姉。コープの目はガチだ。

 

「まぁ、照れ屋な妹がこういうから仕方無いわ、私からのお話はここまで。それはそうと……ねぇねぇ、ディリィちゃんって普段どうなの!?御友達の目線からの御話を聞きたいの!」

 

 と、テーブルから身を乗り出す少佐。子供みたいに目を輝かしており、到底士官学校上位卒業組のエリート様には見えない。

 

「どう、と言われましてもねぇ……」

 

 派閥や出自もあって、我々は別にそこまでコープと親しいと言う訳でも無いのだが……。それに何よりも下手な事言うと正面のコープがブラスターを乱射しかねない。なので……。

 

「……おい、ホーランド。お前が言えよ」

 

こういう事は他人に投げる。

 

「なぜ俺なのだ……?」

 

珈琲を飲み終えると不満気に尋ねるホーランド。

 

「いやだって私もベアトもそんなに詳しくないぞ?お前なら研究科も配属も同じだろう?」

「むっ……」

 

 完全なる正論のため反論を封じられるホーランド。正面に視線を向ければ興味深々、といった表情で待ち構える少佐。それを見て小さな溜息を吐き、ホーランドは上官に対する儀礼的な口調で語り始める。

 

「そうですね……小官の私見の印象で言わせて頂ければ、とても向上心の強い妹殿であると考えます」

「ちょっ……」

 

 何か口にしようとしたコープを今度は姉の方が笑顔を浮かべながら羽交い絞めにして口を塞ぐ。

 

「あっ……」

「ホーランド君、気にせずに続けてね」

 

 御機嫌そうな表情で先を促す少佐。流石にコープの姿に呆れと同情を禁じ得ない表情を浮かべるホーランド。

 

「その……何だ、変な事は言わん。安心しろ」

 

 何かを訴えようとするコープにそう前置きをしつつ、淡々と続きを語る。

 

「……その印象を受けたのは最初に会った時からのものです」

 

 士官学校に入学してそこまで日が経っていない頃の事だと言う。恐らく名前から帝国系であると分かっていたからだろう。次席に帝国系がいる事が気に食わないのか勝負を吹っ掛けられたと言う。戦略シミュレーション、単座式戦闘艇シミュレーション、情報処理シミュレーション、射撃、遠距離狙撃、ナイフ格闘術、徒手格闘術全てでホーランドが勝利した後、憮然とした表情で去っていったという。

 

「ですが二週間程で戻ってきて再び勝負を挑まれました」

 

 結果は前回と同じ、だがコープの腕は前回と別物と言っていいレベルだったという。

 

「僅か二週間であれだけの向上、相当の鍛錬を積んだ結果である事は間違いありません」

 

 元より男女のハンディキャップがある事、自身の二週間の間の成長を含めればかなりの努力の結果である事は間違い無い。同じ男性であれば、或いは前回の自分であれば敗北していた可能性が高い、という。

 

「戦略研究科の講義でも同じです。毎回上位席次や先輩方にも物怖じせず意見し、自習と復習を怠らず、毎回対戦シミュレーションの見学や相手をしては驚かされました」

 

 毎回前回の失敗を分析して次回では徹底的に改善してくるために非常に手強かったという。席次こそ10位内に入らないがそれは主に陸戦個人実技系列の成績が女性であるが故にどうしても苦手であるだけで、指揮官としての成績ならば3位以内、首席自体も決して不可能では無かったとホーランドは語る。

 

「何よりも勝利に貪欲ではありますがとても高潔でフェアな人物です」

 

 誇り高い……プライドが強いともいうが……が故に卑怯な手口を嫌う人物であるという。後輩相手にも虐めには厳しく、シミュレーションの試合でも相手の体調が悪い時は別の機会に変える事は良くあったという(試合中に休憩時間を与えず疲労蓄積をさせたり心理戦は平然と行ったらしいが)。

  

 特に成績を理由にホーランド自身数名の生徒に囲まれて襲われそうになった時はコープが正に襲い掛かかろうという彼らを制止したという。成績で劣るなら鍛錬して追い越せばいいのに暴力に訴えるなぞ同盟軍人として、建国以来の血筋としての誇りは無いのか、と叱責したという。彼らを追い出した後、プライドの高い彼女が士官学校の学生として仲間の恥じ入るべき行動に(渋々とだが)謝罪したらしい。あるいは夜間山岳行軍の際には一時二人で孤立し、襲来する敵兵士役や罠を協力して無力化しながら三日後に本隊と合流した。ホーランドを見捨てる事も出来たのにライバルである自分を好悪を越えて協力しようというのは平然と出来る事ではない。

 

「その点において中尉は極めて自制的な努力家であり、人間性を誇るべきであっても、少佐殿が心配なさるような事は決してない、と私個人としては考えます」

 

 レポートの報告をするような淡々とした、しかし丁寧に事実のみを語るような口調でそう締め括るホーランド。

 

「……ん?どうした?何も変な事は言っていないぞ?」

 

 不思議そうにホーランドは周囲を見渡す。私達はと言えば唖然とした表情で固まっていた。いや、コープだけは俯き加減で沈黙していたが。

 

「いや、何お前青春してんの?」

「いいなぁいいなぁ!青春してていいなぁ!」

 

 私と少佐はほぼ同時にそう言う。私は嫌味に近く、少佐はうきうきした口調であったが。

 

「ホーランド、やはり篭絡されていましたか」

 

 一方ベアトは、ホーランドをスパイか裏切者を見るような蔑みに近い視線を向ける。いやそれ違う……違わないけど違う!

 

「騒がしいな。何か問題でもあったのか?」

「問題無いけど腹が立つ」

「何だそれは」

 

うぜぇ、自覚が皆無な所がうぜぇ。

 

「ねぇねぇ!デートとかしたの?恋人繋ぎで映画とか見に行ったの?ご飯食べにいったりは!?」

「映画鑑賞等の趣味はありませんので……幾度か休日の図書館にて勉強会に行った覚えはあります。勉強会や弁論大会、シミュレーション演習等の打ち合わせを兼ねた食事は取った事はありますが」

「えっ、二人っきり?」

「そういう日もありましたが……」

 

 困惑気味に語るホーランドからすれば全くその手の意識はゼロのようだ。これでコープの方が飄々としていればこちらの穿ち過ぎであるのだが……。

 

「………」

 

 顔を俯かせているが耳は真っ赤だし、頭から湯気が出とる。  

 

「……コープ、大丈夫か?」

「…………殺せ」

 

呻くようにコープは呟く。御愁傷様だ。

 

「あ、ディリィちゃん!どこ行くの!?」

「…………もういや……かえる」

 

 子供みたいな口調で席を立ち、おどおどしくサロンを後にするコープ。背中から邪気のようなものが見えそうなほど精神的ダメージを受けていた。うわ、周囲の奴らが引くように道を譲っとる。

 

「あっ……もう、あの子ったら……!ごめんなさいね?また今度お話ししましょう?皆、あんな子だけどこれからも仲良くしてあげてね?」

 

 立ち上がった少佐は妹を一瞥すると手を合わせて、小声でひっそりとそう告げる。

 

「は、はぁ……」

 

 反応出来たのは私だけだったが、少佐はそれで納得してくれたらしい。我々にウインクすると慌ててコープの後を追う。

 

「……何なんだ?俺は何か妙な事でも言ったか?」

「煩いラノベ主人公」

 

 ……取り敢えず私は自覚皆無なリア充に罵倒の言葉を浴びせる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後方にてこのような馬鹿騒ぎが起こっている間にも前線における小競り合いは激しさを増していた。5月1日までの間に両軍間に生じた小戦闘は合計八〇〇回を超えた。

 

 狭く捻じれた回廊内での小競り合いは近距離戦闘が中心となり、必然的にそれは防御力の劣る駆逐艦や戦闘艇による格闘戦が中心となるため、実弾兵器が多用される事も含め着実に両軍の損害を増大させていた。4月12日から5月1日までに生じた同盟軍の損失は艦艇九八九隻、これとは別に亡命軍の損失も戦闘艦七一隻、大型戦闘艇八八隻に及んだ。

 

 無論、帝国軍の損害も決して少なくなく推定八二〇隻から八八〇隻が撃破されたと推定される。帝国軍が同盟軍を待ち伏せする形となり、防衛衛星や偵察衛星を利用出来る点を鑑みれば寧ろ同盟軍は善戦しているといえた。

 

 一連の戦闘による通信傍受、捕虜の尋問により帝国軍の陣容もかなり明確になった。

 

 主力となるのは別名を「有翼衝撃重騎兵艦隊」とも称される要塞駐留艦隊一万四〇〇〇隻である。司令官はエヴァルト・フォン・ブランデンブルク大将、イゼルローン要塞司令官にグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー大将が就き、要塞全体の防衛を受け持つ。

 

 増援部隊としてエドムルト・フォン・グライフス大将率いる第二猟騎兵艦隊一万四八〇〇隻、これは現在第一一艦隊を始めとする前衛部隊が小競り合いを繰り広げる艦隊であり実数は損失を含めもう少し少ないだろう。

 

 第二猟騎兵艦隊と共に帝国軍の増援として展開しているのは第四弓騎兵艦隊である。この艦隊は正規18個艦隊とは違いワープ能力を持たない大型戦闘艇を中核とした艦隊であり戦闘艦一〇〇〇隻、大型戦闘艇八〇〇〇隻、そして戦闘艇移送用の輸送艦一五〇〇隻からなる。司令官は昨年就任したばかりのウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ中将だ。

 

 陸戦隊の援軍としては装甲擲弾兵副総監兼装甲擲弾兵第三軍団司令官オフレッサー大将が従軍する。共に派遣された装甲擲弾兵五万名と軽装陸戦隊八万名は帝国の陸戦部隊の精鋭だ。

 

 艦隊総数は間違い無く三万を超える。四万三八〇〇隻の遠征軍はそこに亡命軍の戦力を追加したとしても到底要塞攻略は困難と言わざるを得ない。

 

 だが今回は要塞の完全攻略を意図したものでは無い。政治的には政権支持率向上のためのパフォーマンスとして、軍事的には帝国軍の同盟勢力圏進出の阻止と来るべき要塞への全面攻勢に向けた情報収集のためである。

 

 そして問題は、そのための具体的な戦略目標である訳で……。

 

「そう言う訳じゃ、此度の遠征の第一目標は帝国軍艦隊の撃滅である、各員はまずその事を肝に銘じてほしいのぅ」

 

 遠征軍総旗艦「アイアース」の会議室にて宇宙艦隊司令長官ローラン・モーリス・ブランシャール元帥は朗らか、というには少々気の抜けた声でそう宣言した。この歳七六歳の白髪に干からびた細い体の老人がもし同盟宇宙軍の実戦部隊最高責任者であると知らなければ恐らく誰もが今すぐにでも病院に行く事を勧めたであろう。曲がった腰に、弱弱しく今にも折れそうな手足、前歯の何本かは抜けていた。軍服に縫い付けられた勲章の数々は彼の煌びやかな軍歴を象徴するものではあったがその枯れ木の如き老体には寧ろその重さが負担になっているようにも思えた。

 

 正直見ていて心配になるような棺桶に片足を突っ込んだ老人、というのがブランシャール元帥から受けるであろう第一印象であった。

 

 尤も、この場に集まる数十名の諸将の中で彼を嘲る者なぞ一人としていない。

 

 ブランシャール元帥の経歴は極めて珍しいものであった。同盟軍士官学校に三度の受験の後にようやく入学、あのブルース・アッシュビーを首席とする730年度卒業組であり、その際の席次は「ゴート」……即ち最下位であった。

 

 同盟軍士官学校の上位卒業生の多くが統合作戦本部や宇宙艦隊司令本部、あるいは国防委員会なり後方勤務本部、正規艦隊や番号付き地上軍司令部に配属される事が常識であるように、下位卒業生の多くが比較的冷や飯食いや危険の多い軍種や部署に配属される事が常であった。

 

 だが、多くの場合士官学校の下位席次の者は決して遊び惚けてその席にいる訳ではない。寧ろ、才能もなく、教育環境で劣りながら尋常ではない努力で士官学校という「エリートの巣窟」に食らいついている者が絶対的多数派なのだ。

 

 故に士官学校下位という集団は時として勇猛な、あるいは粘り強い軍人を生む土壌でもあった。ダゴン星域会戦の英雄アンドラーシュ中将、コルネリアス帝の大侵攻に際して粘り強い抵抗を見せ同盟滅亡回避に成功したムフタード元帥、同盟史上最強のエース艦長ゴエン・ズン准将は士官学校最後尾集団出身であった。

 

 ブランシャールもまた、到底士官学校卒業生が嫌がるような雑務を積み重ね、同期の最後尾で昇進を重ねていった。その姿は同期は当然として後発の士官達からもドン亀とも、河馬とも称された。

 

 だが、軍歴を積む事六六年、730年マフィアは軍部から立ち去り、それ以外の上位席次卒業者も戦死か予備役か、天寿を全うした中、ブランシャールはここにいた。遠い昔、首席のアッシュビーが生きて得る事の出来なかった元帥号を得て、である。そして同盟軍は決して無能者が昇進出来る組織ではないのだ。故に彼を侮る者なぞこの場には存在し得なかった。……極一部を除いてではあるが。

 

「それでは、今次遠征の基本計画を説明致します」

 

 遠征軍総司令部作戦部長ドワイト・グリーンヒル少将は緊張の面持ちを残しながらも紳士としての姿勢を崩さず流暢にソリビジョン上の映像を操作しながら説明に入る。

 

「ブランシャール元帥の仰る通り、我が軍の第一の戦略目標は敵艦隊の撃滅にあります。即ち、我が軍は敵を「雷神の槌」の射程外に引き摺り出し、これを殲滅しなければなりません」

 

 ソリビジョン上の映像はイゼルローン要塞と帝国軍艦隊を映し出す。

 

「現在、過去の遠征データ、そのほか同盟情報部や帝国国内の反体制派、銀河帝国亡命政府等、各方面の尽力の結果イゼルローン要塞の要塞主砲の凡その性能と射程については把握されております」

 

 要塞主砲「雷神の槌」は平時は流体金属層内部に隠れる八基のエネルギー発生装置を兼ねた特殊浮遊砲台が生み出す巨大なビームの柱である。出力は最大で九億二四〇〇万メガワット、ビームの口径はある程度収束・拡散・仰角変更が可能であり、最大射程は五.二光秒から六.八光秒の間であると言われる。

 

「当然この出力の巨砲を前にしてはこのアイアース級の誇る高出力エネルギー中和磁場でも数秒しか保ちません。射線内の艦艇は発射前に射線を離脱する以外の道はまずあり得ません」

 

 そしてそのためには艦隊を散開させるのが一番有効な訳だがそれを許さぬのが狭隘な回廊の地形と要塞駐留艦隊を中心とした帝国軍である。前者の対策のためには寡兵での突入で解決出来るが帝国艦隊に対して劣勢となり、後者との艦隊戦を想定すれば前者の狭い地形がネックとなる。

 

 ならば馬鹿正直に艦隊戦なぞせずに遠方からの質量攻撃……というのは誰でも思いつく事であるが捻じれた回廊内では光速近くまで質量兵器を加速させるのには距離が足りず、それを果たしても艦隊の迎撃網と要塞砲、そして厚い装甲が待ち構える。その上アルテナ星系を周回する要塞は傍目では認識しにくいが動いており、最悪要塞自体がスラスターで周回速度を加速ないし減速すれば誘導装備がない質量兵器ならば容易に回避可能なのだ。

 

 いっそのこと要塞を無視する、という案も無い事はない。要塞砲と回廊危険宙域ぎりぎりの隙間は確かに存在する。だが余りに狭くそこを通るならば艦隊は密集ないし極度に薄く少数での航行となる。要塞駐留艦隊の良い的だ。ワープして無視は更に危険だ。回廊の向こう側の様子が分からなければ事故の可能性もある。それ以上に恒星アルテナの無駄に大きな質量の影響もありワープでの通過は危険を伴う(だからこそ帝国はアルテナ星系に要塞を築いたのだ)。

 

 回廊封鎖は更に無意味だった。イゼルローン回廊が航行不能になればフェザーン回廊が主戦場になる。イゼルローン回廊側より兵站・防衛設備の整っていないフェザーン回廊側での戦闘は同盟側に不利となる(そもそもフェザーンがそのような策を許すとは思えないが)。

 

 即ち同盟軍はこの要塞を攻略しなければいつまでも帝国軍の脅威に晒されてしまう訳だ。

 

「よって我が方としましては要塞砲射程外……所謂D線の外側。要塞から七光秒の距離を維持します。左翼を主力たる第二艦隊、右翼に機動力に優れた第一一艦隊を展開。第三艦隊及び各独立部隊、そして「特務部隊」は中央部ないし後方に待機、遠征軍司令部もここに置かれます」

 

 帝国軍は当然要塞砲射程内に引き摺り込むように挑発行動を行うだろう。だが挑発に乗ってはいけない。

 

「特に各艦隊司令官には部隊の統制に尽力して頂きたい。要塞戦においては近距離通信も困難となり得ます」

 

 艦隊は当然ながら要塞の保有する通信妨害能力はある種の脅威だ。単純な話だ。同じ通信妨害装置でも艦艇のそれより要塞の持つそれはサイズを気にしない分その出力は強力だ。その上狭い回廊内では散布型のジャマーの密度も高い。最前線では下手すれば隣の艦艇との通信も困難となり得た。

 

 そうなれば連絡艇や光通信による情報伝達以外の道はない。連携した戦闘が必要な最前線での砲戦においてそれは大きなデメリットであるし、部隊の統制が取れなくなり陣形の崩壊や一部部隊の突出もあり得る。

 

「分かっておる。あの忌々しい要塞に行くのはこれで三度目だ。あの激しい妨害電波の事は良く理解している」

 

 第二艦隊司令官マイケル・ワイドボーン中将が腕を組み思い出すのも憎らしそうにする。

 

「この日のために訓練を積み重ねてきた。我が艦隊は元より対要塞戦を想定している。どれ程の通信妨害を受けようと問題はない」

 

 ジャスティン・ロベール・ラップ中将の言は決して自信過剰ではなかった。第一一艦隊はこの日に備えマルアデッタ星系にて段階的に無線通信やデータリンクを禁止した上で厳しい戦闘訓練を積み重ねて来たのだ。

 

「それで、計画の変更は?」

 

ヴァンデグリフト中将は作戦の確認を行う。

 

「現状新たな課題要素はありません。当初の計画通りに第二・一一艦隊が敵を引き摺り込んだ、と言えるタイミングで「特務艦隊」を投入致します。そこから先は第三艦隊、及び司令部直属部隊の出番となります。また状況によっては第一一艦隊による要塞へのミサイル攻撃敢行も想定されます」

 

 グリーンヒル少将が補足説明する。第一一艦隊は第二・三艦隊に比べ機動力の優れた回廊内での戦闘向けの編制である。機会さえあれば軌道戦力の一部を持ってミサイル攻撃で要塞への一撃離脱攻撃も視野に入れられる。

 

「……我らが艦隊の配置は如何に?」

 

 会議室の一角より不満気な声が響いた。グリーンヒル少将がそちらに視線を向け困り果てた表情をほんの一瞬ではあるが作る。

 

 黒いコートにケピ帽という明らかに同盟軍とは異なる出で立ち。この人物の所属する組織において将官の軍装は各位のオーダーメイドであるための事であった。

 

「貴軍につきましては、ここまでの消耗も鑑み、決戦時に備えた予備戦力として後方待機を願いたいと考えております」

 

 亡命軍遠征随行艦隊司令官兼宇宙艦隊副司令長官カールハインツ・フォン・ケッテラー大将はあからさまに不満気であった。

 

「即ち貴官は我々に雑務のみを押し付け、重要な本番では御払い箱と言いたいのかな?」

「そのような事は……」

「それとも殿役かな?その位置では全軍の最後尾からの撤収になろうからな?」

 

 鼻を鳴らす大将。口元に白髭を生やしたふくよかな初老の亡命貴族はあからさまに蔑むような視線を周囲に向ける。それは単なる立場的な理由だけでなく、より根源的なものを感じられた。即ち帝国貴族が家畜を見る視線である。

 

「大将殿、言葉が過ぎますぞ……!」

 

 遠征軍総参謀長ゴロドフ大将が眉間に皺を作りながら指摘する。立派な顎鬚を生やした五十代の偉丈夫は非難するような目つきを部外者に向ける。

 

「ふん、貴族主義者め」

「本国から戦功を催促されているのでしょうな」

 

 ワイドボーン中将とラップ中将が顔を寄せ合って小さな声で語り合う。共にハイネセンファミリー系の中で長征派に近い保守系の二人は顔馴染みの友人でもあった。艦隊成立以来、比較的派閥色の薄い第三艦隊司令官は二人の会話に加わらず黙り込む。

 

 そもそもが此度の遠征軍自体、長征系主導の遠征だ。主力艦隊三個のうち二個がハイネセンファミリーの影響が強い艦隊。遠征軍総参謀長も同様だ。遠征軍司令官こそ統一派出身であるが、それは各派閥の意見調整役として、また失敗時の首切り要員だ。どの道歳が歳であるし、元帥自体この手の面倒な任務を成功させる事で昇進を重ねていった事も含め軍・政両面で納得の人事だった。

 

 一方、帝国系の士官の従軍率は過去三回の遠征と比較しても一番低い。数少ない帝国系士官の大半は第三艦隊や独立部隊所属だ。

 

「前回は帝国系主体だったからな。国防委員会と議会としてはバランスをとった形だな」

 

 亡命軍司令官と総参謀長を始めとした司令部要員の対立を傍目にワイドボーン中将は語る。

 

 前回は帝国系の影響の大きい第六艦隊が従軍、それどころか副司令官まで兼ねていた。イゼルローン要塞外壁に史上初めて張り付いた部隊も帝国系だ。遠征自体は失敗であり、市民からは不評であったが相対的に軍内での帝国系の発言権は向上した。各勢力間の均衡を崩すのを良しとしない統一派としてはここで長征系に功績を上げる機会をやろう、と言う訳だ。

 

「賢しい奴らですな」

「だが、乗るしかあるまいからな。結果として忌々しいあの貴族主義者共の台頭を抑える結果にもなる」

 

 斯くして、政界において一勢力が突出せず牽制し合う状況が保たれ、同盟の統一が維持される訳だ。

 

「これ以上軍の秩序を乱さないで欲しいものですな。貴軍の戦力では万全の帝国軍と合い戦うのは困難である事は自明の理でありましょう?」

 

 第一一艦隊航海参謀フェルナンデス少将が発言する。

 

「その発言は我らに対する侮辱発言と受け止めて宜しいか?」

 

 ケッテラー大将はフェルナンデス少将を睨みつける。両脇に控える亡命軍士官も剣呑な雰囲気で少将を凝視する。

 

「実際、正面からの砲戦では足手まといであるのは本当でありますがな」

 

ラップ中将は皮肉げに語る。

 

 事実亡命軍宇宙艦隊は練度こそ同盟軍正規艦隊に匹敵するし、部隊間の連携も多くの旧私兵軍将兵とその子孫が在席しているため小部隊でならば問題ない。だが大規模会戦となる話は別だ。同じ主家の私兵軍同士なら兎も角他家の私兵軍との連携戦闘は苦手であるし、そこに徴兵された一般平民と旧帝国軍投降兵や傭兵出身者まで加わっている。

 

 その上艦艇も統一されていない。同盟軍と帝国軍、更にはフェザーン傭兵向けの戦闘艦艇、そしてそれらの艦艇の中で更に新型と旧式が混在している。回廊内での制宙権をかけた小規模戦闘や乱戦、哨戒、後方警備なら兎も角、最新型のみで構成される正規軍との正面戦闘は不利であった。

 

 事実ケッテラー大将に向け今まさにフェルナンデス少将がそれらを指摘すると蔑みの表情こそ向けるが反論の口を開けないでいた。奴隷共の末裔に指摘される事は吐き気がするほどの屈辱であるが一方で大将の軍事的才覚が理性的にその言葉を受け入れているからであった。

 

「まぁまぁ……少将も大将殿も、そういうでない。友軍同士で喧嘩する事もなかろう」

 

 ほっほっほっ、と気の抜けた、状況を理解しているのか怪し気な笑い声を上げる総司令官。だが歳の功か、それとも一種の才覚か、その姿は不快に思うよりも、見ているだけで力が抜けそうになるものだった。

 

「ふむ……しかしまぁ、士気の高いのは良い事じゃ。のぅ、総参謀長、そうは思わんかね?」

「は、はぁ……それは…仰る通りで……」

 

 いきなり話を振られたためか曖昧な返事をするゴロドフ大将。

 

「あー、そうじゃそうじゃ……確か……えーと……参謀達からの意見書に……ああ、これじゃなぁ」

 

 震える手付きでテーブルの上の資料をめくっていき、ブランシャール元帥はようやく、といった体で目的の物を見つけ出す。

 

「あー、第三艦隊、航海参謀ロボス少将はいるかな?」

「はっ、こちらに」

 

 席の一角より立ち上がる肥満気味の参謀。

 

「これこれ、君の提出した意見書だが……少し説明してくれるかね?」

 

 資料を振りながら頼み込む元帥。少将は一度咳込み、説明を開始する。

 

「私の提案と言うのは後方予備戦力に対する有効利用に関する意見であります」

 

そう言って手元にタブレット式のコンソールを受け取り中央のソリビジョン画面を操作する。

 

「無論、皆様に説明するまでもなく予備戦力は有事に際して機動的に運用するために軽視するべきものではありません」

 

 当然ながらこの場にいるのは殆どが将官、どれ程階級が低くても戦略・戦術の指導を受けたエリートの佐官や尉官である。予備戦力の必要性を学生に対するように長々と説明する必要は皆無だ。

 

「ですが回廊という地形においては、これら予備戦力の必要時における迅速な移動が困難であり、いざという際に遊兵となる事態が度々発生しえたのも事実です」

 

 ここまで口にして周囲を見やる。何等かの意見が無い事を確認し、ロボス少将は続ける。

 

「故に必要以上の予備戦力の維持は却って部隊間の移動に問題を発生させ得ます。寧ろ予備戦力の一部を小規模な機動戦力として運用するべきと小官は考えた次第です」

 

 ソリビジョンが動き出す。

 

「ここで亡命軍の特徴が利用出来ます。元よりも大規模な艦隊戦よりも小部隊による運用に秀でる当部隊を戦線における伏兵部隊の捜索・迎撃のほか対戦闘艇戦闘、一撃離脱戦法による奇襲部隊としての運用を考えさせていただきました」

 

 立体ソリビジョンの中では亡命軍の運用法についての例が映像として映し出される。

 

「特に最前線では無線通信による部隊間の意思疎通が困難であり、その点では亡命軍に一定の優位がありましょう」

 

 各家の私兵部隊単位ならば連携能力は同盟や帝国の正規軍よりも高い。所謂阿吽の呼吸で縦横無尽に動き回るであろう事は間違い無い。

 

「どうじゃね?我が軍としてもそう悪い話ではないと思うのじゃが。餅は餅屋とも言うしやらせてみても良いとは思うがのぅ」

「とんだ茶番だな」

 

 元帥の態度に小さく、隣のラップ中将しか聞こえない声でワイドボーン中将は呟いた。何という事もない。予めそういう流れの出来レースなのだろう。同盟軍にとっては被害を減らし、亡命軍に戦功の機会をやるための予定調和。フェルナンデス少将以下数名が反対意見を出すがその辺りも計算済みに違いない。

 

「我々にとっても帝国人同士で血を流してくれれば万々歳、と言った所ですかな?」

「それでいて会戦の決定的な勝敗には関わらせない、と言う訳だ。戦功にはなるが所詮は嫌がらせ以上の効果は無いしな、それにしても……」

 

 ワイドボーン中将はロボス少将を一瞥する。ある意味では哀れな立場でもある。アルレスハイムで御山の大将ならぬ御山の皇帝をしている一族の妾腹と成り上がりの非ハイネセンファミリーの間の生まれという面倒な立場なのだ。帝国人社会の中でも妾腹の上、血の半分は余所者のそれである。決して肩身が広い訳でもあるまい。

 

 そして士官学校の席次は上下が因縁の建国以来の一族出、役職からは中間管理職の悲哀が漂う……尤も上についても禄でも無いのだが。

 

「同情はせんがね」

 

 彼方側に立つ以上それを基に甘く接するつもりはない。我々建国以来の一族が奴らを監視しなければいつ同盟が貴族共に乗っ取られるか知れたものではないのだ。

 

 結局、暫しのやり取りの後この案は採択された。驚きも何もないまさしく予定調和。その後も幾つかの議題と討議が行われ、一時間程で会議は終了する。

 

「そういえば、中将の甥はどうかね?」

 

 席を立つ前にワイドボーン中将はラップ中将に尋ねる。彼の甥はワイドボーン中将の孫と同じ士官学校の学生、しかも同年代であったが子供時代は病弱で軍人になるのも危ぶまれていた。

 

「まだ陸上実技面や航空訓練では不安がありますが、それ以外は問題ありません。成績も優秀です」

「そうか、それは良かった」

「ですが、少々変わり者でして……エドワーズの所の娘は分かるのですが、それ以外の友人が……」

 

 幼馴染であるエドワーズ家の娘とは仲が良いのだが、それ以外の「同胞」とはどこか馬が合わず、寧ろ非ハイネセンファミリー系の学生達とばかりつるむ事が多いのだという。

 

「マルコムからもその話は聞いている。あの子は病院暮らしが長かったからなぁ」

 

 その分同世代の「同胞」と仲を深める機会が少なかった。そのためどこか溝があるのかも知れない、等とワイドボーン中将は慮る。見る限りは決して内気な子では無いし、闘病中に見舞いに来た時は笑顔を見せる健気な少年に感じられたのだが。

 

「虐めは受けてはいないのだろう?暫くは自由にさせてやるべきではないかな?」

「……そうですな。いやはや、少々過保護過ぎてしまい、妻にも呆れられてしまいましてなぁ」

 

 ラップ中将は苦笑して誤魔化す。彼の子供のうち軍人にならなかった娘一人を除く息子三人は悉く帝国との戦いで戦死していた。その分甥に息子達を重ねすぎる面があった。

 

 ラップ中将は資料を整理すると立ち上がった。二人はその後は軍務とは関係のない雑談に興じながらシャトルへと向かう。これが最後の息抜きの機会であると理解していたからだ。

 

 この二十時間後、5月2日1600時、自由惑星同盟軍イゼルローン遠征軍先鋒部隊は遂に漆黒と流血の貴婦人をその索敵範囲内に捉えたのだった……。

 

 

 




何故かアリシゼーションを見ていたらアリスとユージオが子供時代のジェシカとラップで脳内変換された


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第八十四話 本場の貴族ムーヴが見たいか?

ネタバレ 主人公が登場しない


 オリオン腕とサジタリウス腕間を結ぶ二つの回廊のうちの一つ、イゼルローン回廊、その最も狭隘な箇所こそが丁度恒星アルテナの存在する宙域であり、その周りを公転するのが回廊と同じ名を持つイゼルローン要塞である。

 

 漆黒の宇宙に浮かぶその姿は表面のナノマシンを配合したハイドロメタルからなる「海」により星々の輝きを反射し、幻想的な美しさを放っていた。

 

 美しいのは外側だけではない。この要塞は「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝」を主君とする「銀河系を永続的に統治する唯一無二の人類統合体ゴールデンバウム朝銀河帝国」の本土を「辺境の逃亡奴隷からなる野蛮な反乱勢力」から守護する神聖にして鉄壁の要塞として構築されたのである。その内装もまた豪奢の極みであった。

 

 最下級の兵士達ですら個々に浴室とトイレ、一段ベッドのある居住室が用意され、最高級の将官クラスになれば屋敷と称するに相応しい広さの私室に最高級の家具と調度品、使用人が下賜される。士官階級の足を運ぶ通路には高級な壁紙が貼り付けられ、ルドルフ大帝を始めとした歴代皇帝の肖像画や彫刻、オーディン神話に由来する絵画や天井画が飾られる。通路を照らすのは輝く水晶のシャンデリアだ。

 

 要塞内の娯楽もまた、到底前線のそれとは思えない。内部には兵士・下士官用、士官用、更には貴族用の歓楽街がそれぞれ存在し、前者二つの場合は居酒屋やプール、大規模公衆浴場、スポーツ施設、コンサートホール、カジノ、映画館、遊園地、娼館等が、後者の場合はオペラ劇場や美術館、動物園、水族館、植物園、図書館、舞踏館、ジム、サロン、高級レストラン等が用意されている。

 

 故に、要塞に帰還したエドムルト・フォン・グライフス大将、ヴィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ中将の二人が入室した会議室が宮廷のように煌びやかであったとしても驚くに値しない。

 

 要塞内には予備も含め司令官級の集う事を想定した作戦用大会議室が計七つ存在する。その中でも第一大会議室は別名を「鏡の間」と称されていた。

 

 大理石の壁と床、虹色に輝くシャンデリア、黄金色に輝く金の装飾と芸術的な壁画と天井画、長い天然高級木材のテーブルには既に三十名余りの主要幹部が胸元に煌びやかな勲章を下げながら着席していた。

 

 そしてその上座に目を向ければそこには誰も座らない、いや座る事が許されない至高の玉座。その背後の壁には帝国を象徴する双頭の鷲と黄金樹を象徴する帝室の紋章の描かれた旗が立てられ、丁度席に座る彼らを見下ろすように威厳に満ちた開祖ルドルフ大帝と覇気のない現皇帝フリードリヒ四世の肖像画が飾られる。

 

 ……そして恐らくはかつてのコルネリアス一世帝の如く親征が行われぬ限り、その椅子に座る者は現れる事は無いであろう。

 

「第二猟兵艦隊、只今要塞内に帰還致しました」

「同じく第四弓騎兵艦隊、要塞内に帰還完了致しました」

 

 グライフスとメルカッツの両名は帰還を知らせると共に此度の防衛戦を指揮する二人の大将に貴族らしい優美な敬礼をする。美しさに満ちた会議室も、しかし彼らもまた門閥貴族の出であり、見慣れている訳でなくても平民共のように精神的に圧倒される事はない。

 

 二人の報告に玉座から一つ離れた左右の席、左側の席に陣取る要塞防衛指揮官ミュッケンベルガー大将は腕を組み、厳かな表情で無言で頷く。

 

 武門貴族の名家、十八将家が一つにして今や断絶したケルトリング侯爵、その分家筋に当たるミュッケンベルガー伯爵家の次男グレゴール・フォン・ミュッケンベルガーは威風堂々、覇気に溢れた名将であり、見る者にそれだけである種の畏怖と安堵を与える人物に思える。

 

 一方、玉座の右側に座る細い線に赤茶髪の男は薄っすらとした笑みを浮かべ口を開いた。

 

「御苦労です、グライフス大将、メルカッツ中将。席に着いて下さい」

 

 そう言って二人が席に着くのを確認すると、男はテーブルに座る諸将を見やる。

 

「皆、早朝の急な招集に集ってくれて御苦労。報告によれば、どうやら下賤な奴隷共が遂にこの要塞まで攻めてきたようだ」

 

 嘲りと哀れみを含んだその言葉には、同時に大軍が押し寄せて来る事への切迫感も欠けているように諸将には思えた。だが、それが決して彼が事態を軽視している訳でも、楽観視している訳でも無いこともまた、理解していた。

 

「さて……先ずは紅茶でも淹れようか」

 

 まるで要塞に雪崩れ込もうとする大艦隊を路傍の石とでも言うように、要塞駐留艦隊司令官エヴァルト・フォン・ブランデンブルク大将はそう口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 端正で品のある従兵達が恭しく、完璧な動作で全ての参加者の前に紅茶を淹れたティーカップを置いて下がると、ブランデンブルク大将は苦笑するような笑みを浮かべる。

 

「………安心して欲しい。毒を混ぜるような無粋な真似はしないよ」

 

 ブランデンブルク大将は誰一人としてティーカップを手に取らない状況を面白がるように微笑を浮かべる。実際、仮に彼が反乱を起こそうと思えばここで主だった諸将を毒殺すればほかの指揮官がいない以上、要塞の全機能・全部隊の指揮権を手に入れる事が可能であるのだ。冗談を口にしているようでも、決して笑えるものではない。……特にこの大将の立場を思えば。

 

 前代ブランデンブルク伯爵は文官貴族としてオトフリート五世の長子であるリヒャルトの派閥に属し、リヒャルトが冤罪による自裁に際して共に責を背負わされて自決させられた。その後、領地や財産の過半を差し押さえられ、少年時代極貧、とは言わないまでも大貴族としては質素な生活を過ごしてきた。そのために本来ならば帝国大学を経て官僚となるのが代々の伯爵家の者の伝統であったものをより早く官職につくために幼年学校から士官学校を経ずに准尉として帝国軍に入隊した経歴の持ち主であった。

 

 その後リヒャルトの冤罪が立証されたものの、伯爵家の財産や領地は、しかし殆どが戻る事が無かった。この事についてはフリードリヒ四世の後ろ盾となったブラウンシュヴァイク・リッテンハイム両家による他家の勢力回復を阻む工作であったと言われているが、不穏な噂もあった。彼が領地を召し上げられた復讐のために軍人になり、将来反乱を起こすつもりであったから、というものである。

 

 その噂が事実かどうかは関係ない。帝国の宮廷においては噂というものはあるだけでも危険なのだ。兎も角も彼はそれを払拭するためにか叛徒共との戦いや帝国本土の反乱鎮圧に精力的に励み続けた。

 

 そのおかげで四十前に大将に昇進、そしてフリードリヒ四世の寵姫の懐妊時の恩赦の一環として数年前に接収された財産や領地を返還された所であった。この戦いが終われば予備役に編入され領地に帰還する事も決まっていた。

 

 だが、未だに怪し気な噂が流れていた。ブランデンブルク伯はリヒャルトの冤罪が証明された時点で領地を返還されなかった事を恨んでおり、イゼルローン要塞を乗っ取って反乱を起こそうとしている、と。大方宮廷の敵対勢力か叛徒共の情報部の流した怪情報であろうがそれでも経歴が経歴だけに誰もが意識せざる得なかった。一説では装甲擲弾兵第三軍団が援軍として派遣された真の目的は反乱を起こした際のブランデンブルク大将の処刑、という噂もあるほどで……。

 

 そういう背景もあり、ミュッケンベルガー大将ともう一人以外を除く場の全員が一瞬動揺する。それをブランデンブルク大将は、寧ろ楽し気に見やりティーカップに口を付けようとし……その前に大柄な男が熱い紅茶を豪快に飲み干した。

 

「ふん、ほかの者共は兎も角、この俺が毒程度でたじろぐとでも思ったか?」

 

 約二メートルに及ぶ鍛え抜かれた巨躯、精悍な競争馬を思わせる纏められた黒髪、勇壮で整った顔立ちはしかし痛々しい傷跡が残るためか、それとも猛獣のような鋭い眼光故か、威圧感しか与えない。装甲擲弾兵副総監兼装甲擲弾兵第三軍団司令官オフレッサー大将はティーカップを乱暴にテーブルに置くと不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

「いやはや、流石帝国一の勇者オフレッサー大将と言うべきかな?毒の危険を顧みず勇猛なお飲みっぷりです。ですが私としては……恐らく他の方も同意見でしょうが、貴方ほどの戦士が毒程度で死ぬとも思えません。貴方が御飲みになるだけでは他の諸将の不安は拭いきれないでしょうね?」

 

 肩を竦めると共に薄っすらと笑いながらブランデンブルク大将は、そう言って改めて湯気の立つティーカップに口を付ける。全ての紅茶は同じティーポットから注がれている事から、それは紅茶に毒が含まれていない事を自らの命で証明する行いであった。そのわざとらしい所作を腹立だしげに見やりオフレッサー大将は再度鼻を鳴らす。

 

「……ふむ、流石は帝室からの恩寵の茶葉。有象無象の物とは格が違う」

 

 昨年、辺境でカルト教団の指導の下に起きた奴隷共の反乱を粉砕した事、それによる褒美の一つとして下賜された帝室御用達のアルト・ロンネフェルトの茶葉。何世代にも渡る品種改良と商業用としては完全に採算を無視した栽培と加工によって生み出された豊潤な味わいは間違いなく銀河で最高のものであった。

 

 ここに来てようやく諸将もティーカップに手を伸ばす。ブランデンブルク大将自らが毒見をしたのは当然として、恩寵の茶葉で毒殺等をする事は帝国の法では大罪であり、族滅すら有り得る。態々そのような危険な手段を取る事はあり得ぬ以上、この場で彼らが毒殺される可能性は限りなく低い。何よりも貴族階級であろうとも、特に門閥貴族の中でも大貴族と称される家でなければ帝室御用達の茶葉の味を味わう機会は決して多くはない。

 

 そうして一人不機嫌そうに手を組むミュッケンベルガー大将が不快そうに口を開く。

 

「ブランデンブルク大将、卿は少々冗談が過ぎる。口は災いの元、要らぬ漣を立てぬ事だ」

 

 苛立つ、というよりは困る、あるいは呆れるという体で要塞防衛司令官は口を開く。二人は幼年学校において生徒と教官という立場で知り合いであった。故に要塞防衛司令官は礼を取りつつもどこか教官のように諫言する。

 

「……肝に銘じておきましょう。要塞防衛司令官殿。さて……」

 

 どこか楽し気な笑みを浮かべ、テーブルを見渡すブランデンブルク大将。要塞防衛司令官以外の全員が紅茶を味わっているのを確認しているようだ。

 

「では改めて会議を始めましょうか」

 

 席を共にする諸将にブランデンブルク大将は改めて同盟軍迎撃の作戦会議の始まりを宣言した。まずは要塞の情報課、それに前線で戦闘を繰り広げていたグライフス大将、メルカッツ中将両名が「不逞な共和主義者共」の陣容について説明を開始する。

 

「反乱軍の総兵力は凡そ三個艦隊、艦艇数は最大でも四万五〇〇〇隻は越えぬと予想されます。また地上戦部隊は後方の警備にその大半が注がれており、情報課の分析が正しければ叛徒共の本作戦の主目的は要塞攻略、と言うより寧ろ我が方の艦隊撃滅であると想定されます」

 

 参謀経験も豊富なグライフス大将は各方面からの情報と自身の前線での感触から反乱軍の目的を説明する。

 

「うむ、御苦労。メルカッツ中将の方の所見は?」

 

 ブランデンブルク大将は同じく前線で戦闘を経験したメルカッツ中将に質問をする。

 

「……小官もグライフス大将の説明の通りであると愚考致します。敵方の目的は明らかに我々を要塞から引き摺り出した上での撃滅にありましょう。事実、回廊内における各戦闘においても遠方からの砲撃と即時後退よる挑発行為が散見されており、前線部隊の指揮官の中にはこの挑発により激高している者も存在します。各部隊の統御が失敗した場合、味方の一部が想定外の突出を行う可能性もありましょう」

 

 メルカッツ子爵家の三男として分家の男爵家を継ぐ初老の中将は暫し考え込んだ後、淡々と説明をする。それはどちらかと言えば主観的な視点を排除し可能な限り客観的に物事を見据えようとする故の事に見える。

 

「やはり、というべきかな?此度の侵攻は余りにもわざとらしい。全く兆候の掴めなかった前回と比較しても防諜に気を配っていないにも程がある。お陰で我々は万全を喫した迎撃態勢を取る時間を得る事が出来たが……」

 

 結果として下級指揮官達の中には敢えて要塞砲に頼らなくても正面からの艦隊決戦で雌雄を決しようと意見する者もいる。同盟軍の挑発行為もあり、帝国軍上層部は各部隊の統制に少なからず支障をきたしていた。

 

「要塞防衛司令官殿としては此度の戦、どう考えますかな?」

 

 ここで敢えて要塞防衛司令官に意見を求める要塞駐留艦隊司令官。同じ部署に同等の権限の者が配属されれば九九・九%の確率で両者は不仲となるものであるが、此度に関して言えばその極稀な例外に当たるらしい。

 

「……奴らが要塞攻略に本気で取り組むつもりが無いとすれば、奴らが自ら要塞砲の射程内に入る事は無いだろうな。ならばこちらとすれば取れる選択肢は艦隊戦で勝利する、あるいは補給線に負担をかけ撤退に追い込むあるいは……」

「こちらから要塞砲の射程内に押し込む、ですかな?」

 

 要塞駐留艦隊司令官の言葉に重々しく頷くミュッケンベルガー大将。

 

「それが最も短期に、かつ戦力の消耗の少ない手であろうな」

「ですが実際に行うとなると危険も伴いましょう。最悪要塞表面に取りつかれる可能性もあります」

 

 要塞防衛司令官の補足説明に地上戦・揚陸戦の専門家である要塞陸戦隊司令官シュトックハウゼン少将が意見する。イゼルローン要塞の外壁の堅牢さは信頼に足るものであるがそれでもやり様によっては陸戦部隊を揚陸させる手段も無くはないのだ。

 

「ふん、その時は我々の出番だ。侵入してきた叛徒共を全員フリカッセにしてくれる。たかが奴隷共が幾ら集まろうと我ら装甲擲弾兵団の敵ではないわ!」

 

 そう叫ぶのはオフレッサー大将である。その言ははったりではない。事実彼が准将時代、イゼルローン要塞に潜入した特殊部隊を文字通り挽肉の山に変えた実績がある。

 

「陸戦隊投入よりも寧ろ爆撃……特に単座式戦闘艇による主砲への攻撃の方が懸念材料です。何基か破壊させた程度ならば問題はありませんが……」

 

 そう語るのは要塞主砲管制司令官リッテンハイム准将である。大貴族リッテンハイム侯爵家の分家トリーゼン=リッテンハイム男爵家出身の中年の技術将校であった。

 

「雷神の槌」を発射する八基の特殊浮遊砲台は平時は流体金属層の「海」で身を守り、更に砲自体五重の装甲版に対ビームコーティングが施され何発か戦艦の主砲を受けた程度では問題無く、また威力こそ減衰するが二、三の砲台が破壊された程度ならば主砲の発射自体に問題は無かった。寧ろレーザー水爆ミサイルで爆装した単座式戦闘艇の近接爆撃の方がある種の脅威である。

 

「その点に関しては要塞防空隊の働きに期待するとしよう。前回の戦闘の教訓を受け浮遊砲台と防空航空隊の強化は完了しておる。場合によっては第二猟兵艦隊所属の航空隊も臨時で貸しても良い。宜しいかな?グライフス大将?」

「その点は構いませぬ。こちらとて艦隊防空用の最低限の空戦隊があれば十分ですので」

 

 ミュッケンベルガー大将とグライフス大将の交渉は円滑に纏まる。ミュッケンベルガー大将が元よりどちらかと言えば艦隊畑出の将官である事が一因であろう。要塞防衛司令官が比較的陸戦畑出や情報畑出の者が多い中では珍しい人選であった。

 

「……では方針としては艦隊戦を行いつつ叛徒共を要塞砲射程内に押し込める方法で宜しいですかな?」

 

 ブランデンブルク大将の言葉に場の諸将が積極的に、あるいは消極的に肯定する。これまでの防衛戦と根本的には余り変わり映えのしない作戦ではある。だがだからこそ有効な策である事は間違いないのだ。

 

 具体的には艦隊戦を行いながら左右両翼を伸ばし半包囲するように叛徒共を要塞砲射程内に押し込む。ここで同盟軍が密集して射線に入れば良し、対抗して両翼を伸ばしてくれば消耗戦に持ち込む。要塞砲射程と回廊危険宙域の隙間での砲撃戦となれば数の差は出にくく兵站の距離からして帝国側が優位となり得た。

 

 特にその場合メルカッツ中将率いる第四弓騎兵艦隊の出番だ。大型戦闘艇群が伸びた同盟軍の隊列に横合いから一撃離脱戦法で消耗させていく。

 

 正確には各方面からの情報を加味して細々とした段階があるが大まかに言えばこのような形に落ち着く。そのほか緊急時の部隊の指揮序列、部署ごとの情報共有等で二時間余りの時間が費やされる。

 

「うむ、こんな所だな。諸君、此度の招集御苦労。叛徒共は恐らくは数時間もすればこの要塞の前に展開を始めよう。要塞防衛部隊は各自持ち場に、艦隊は出航と展開を……メルカッツ中将は特に叛徒共の部隊展開妨害任務に就いてもらう。これ以降の会議は各自の職務もあるので通信によるものになるだろう」

 

 ここで呼び鈴を鳴らす要塞防衛司令官。同時に台車を運ぶ従兵が会議室に入室する。

 

「此度の戦いの勝利を祈願すると共に諸君の戦功と栄達を期待して祝杯を挙げようと思う。私の私物であるがクヴァシル産の410年物の貴腐を用意した」

 

 その声に流石にどよめきが広がる。帝国直轄領たる惑星クヴァシルは帝国前期より続く酒造の名地である。豊かな土壌と豊富で清潔な水、安定した気候、天然物の高級酒類の原材料を生産し、そのまま酒造所で製品に加工する事が可能な体制が整えられていた。

 

 その中でも帝国歴410年産の葡萄は過去一世紀で最高の出来であり、その年に生産された物がその名も高い「410年物」である。特にこの年のエーデルフォイレ……貴腐葡萄を使った白ワインは唯でさえ希少な「410年物」の中でも別格であった。それこそ門閥貴族ばかりが集まるこの会議場の出席者達が驚く程に、である。

 

 黄金に近い白ワインがグラスへと注がれる。所謂「出陣の祝杯」のために熟練の職人が一つ一つ作り上げたそれは唯一度の利用のためだけのものだ。

 

 しかしワインの味を左右する要因の一つにワイングラスの感触や温度、材質等が挙げられる。最高のワインを味わうためにはグラスの質も重要であった。更には視覚を楽しませるためにより透明性を高め、光を反射し輝かせる技巧も為されており、かつ打ち砕かれる時は煌びやかに、優美に四散される事も想定していた。故に使い捨てのそのグラスは、しかしもし平民共がその値段を知れば絶句する事に違いない。

 

 諸将がグラスを手に取り立ち上がる。

 

「ミュッケンベルガー大将」

「……いや、要塞駐留艦隊司令官が行うと良い。卿は此度の戦が最後であろう?現役の最後を飾るに丁度良い機会であろうて」

 

 ブランデンブルク大将に向けそう語りかけるミュッケンベルガー大将の口調は同じ同僚に向けるもの、というよりは目を掛けている生徒に向けてのように見えた。

 

 その好意に頷いて了承すると要塞駐留艦隊司令官が音頭を取る。

 

「それでは諸君、要塞防衛司令官のご厚意に甘え、僭越ではあるが私から宣言させてもらいましょう」

 

 そして後ろを向き、ワイングラスを大理石の壁に掛けられた大帝と現皇帝の肖像画に向け掲げる。

 

「皇帝陛下が御為に!!乾杯(プロージッド)!!」

 

「「「乾杯(プロージッド)!!」」」

 

 諸将が一斉に叫び、グラスを口元へとやる。そして飲み干した者から次々とグラスを惜しげもなく大理石の床へと叩きつけ議場を颯爽と立ち去っていく。

 

 5月1日0900時、この日の会議にて帝国軍の此度の防衛戦における基本方針は決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、狭隘なイゼルローン回廊に万単位の艦隊を配置する事は決して容易な事ではない。そして当然ではあるが同盟軍が懸命に部隊配置を完了させようとする行いを帝国側が唯見ている訳が無かった。

 

 帝国軍は会議で決定した基本方針に従いメルカッツ中将指揮下の第四弓騎兵艦隊を中核として、単座式戦闘艇や大型戦闘艇、駆逐艦等による攻撃により同盟軍の戦力配置を妨害する。これに対して同盟軍も各独立部隊や空戦隊、亡命軍の小部隊が迎撃した。最前線で小さな、しかし激しい戦闘が行われ、後方では両軍の主力が展開されると共に電子戦による暗闘も苛烈さを増す。

 

 やや同盟軍が苦戦した約二日に渡る小競り合いが終結し、5月4日1400時、遂に同盟軍はイゼルローン要塞正面に全軍を展開させた。

 

「第二・第一一艦隊、要塞主砲の推定有効射程外、七光秒の位置で進軍を停止!」

「偵察部隊より連絡!帝国軍要塞駐留艦隊及び第二猟騎兵艦隊の要塞前方への展開を確認!艦艇数凡そ二万七〇〇〇隻!」

「イゼルローン要塞表面より多数の熱源反応を確認、浮遊砲台群と推定されます!」

「続いてセンサーが強力なエネルギー反応を探知………これは!特殊浮遊砲台の浮上を確認!」

 

 同盟軍の総旗艦「アイアース」艦橋内で次々と齎される情報、その中でもそれは一瞬艦橋要員を凍り付かせた。

 

 艦橋のメインスクリーンが拡大される。イゼルローン要塞に浮かび上がる八つ特殊浮遊砲台。円を作るように浮かぶそれらからは強力なエネルギーが放電される。即ち、あの「雷神の槌」が発射準備に入った事を意味していた。艦橋の兵士達からどよめきの声が上がる。

 

「憶するな!主砲射程外だ!各自任務に集中せよ!」

 

 ゴロドフ総参謀長の叱責に各自が慌てて作業に戻り始める。

 

「全く、反応だけで怯えよって……」

 

 射程外にありながらその存在を察知するだけで狼狽する部下達に呆れ気味に口を開く総参謀長。

 

「仕方ないことじゃろ。あの要塞の前に我々は過去三度苦汁を味わってきたからのぅ」

 

 ブランシャール元帥は総司令官用の椅子の上で白い顎鬚を摩りながら仕方なさげにそう語る。

 

 イゼルローン要塞と「雷神の槌」、この二つの存在は今や同盟軍の全兵士の恐怖の的であった。

 

 同盟軍は過去三度要塞を巡る大規模な遠征を行い敗北してきた。772年の第1次遠征では情報不足の中不用意に接近した二個艦隊が主砲の餌食となり旗艦が撃沈される等の惨敗となった。776年の第2次遠征においては三個艦隊が十分な情報を得ていたにも関わらず前線部隊の疑心暗鬼により遠距離砲戦のみを行い撤退した。

 

 781年の第3次遠征は過去二回の遠征を徹底的に研究し、最も成功に近づいた遠征であった。完全な防諜体制の下に進撃した三個艦隊は奇襲攻撃に成功。精鋭たる要塞駐留艦隊を数の利で押し潰し、散開陣形で要塞表面に取りつき陸戦隊の揚陸に成功した。

 

 だが、同盟軍が成功していたように帝国軍もまた防諜に成功していたのだ。第2次遠征後、帝国軍は要塞の防護体制を強化していた。陸戦隊や浮遊砲台の追加に要塞主砲の改修による性能向上、要塞の外壁装甲の強化、何よりも流体金属による「海」の深度が当初の九〇メートルから一一〇メートルまで強化されていたのだ。

 

 結果、陸戦隊が用意したレーザー水爆爆雷では外壁を貫通し切れなかった。急いで対大型艦艇用のレーザー水爆ミサイルを取り寄せ設置準備に入ったがそこを増援部隊と要塞陸戦部隊の攻撃を受け同盟陸戦隊は撤収を余儀なくされた。更に散開していた同盟艦隊はそのまま押し込まれる形で要塞主砲射程内で密集する事になり、二度に渡り雷神の鉄槌を受ける事となった。

 

 正規艦隊を使った大規模遠征だけではない。中には工作部隊による反乱誘発、電子戦部隊による要塞システムの無力化、特殊部隊による司令部制圧作戦、小艦隊による特務作戦等も両手の指では数えきれない数が試みられてきた。そして同じ数だけ失敗してきたのだ。

 

 十数年間で何百万に渡る同盟軍兵士の躯の山を築き上げてきた漆黒の要塞。あらゆる手段をもってしても落とせぬ難攻不落の要塞、それに恐怖するな、という方が無茶なのかも知れない。

 

「じゃが、確かにこう動揺されては士気に関わるからのぅ。……ふむ、全艦隊に対してオープン回線を開いてくれ。一つ叱咤激励と行こうかの?」

 

 そう冗談めかして言いながら元帥は通信士に命じる。通信士が「遠征軍総司令官の通達である、全将兵傾聴!」と通達した後元帥に無線機を手渡す。それぞれの職務に精励していた将兵は緊張の面持ちで会戦前の司令官の通達に意識を向ける。

 

 そして、無線機を受け取った歴戦の元帥は……口を開いた。

 

「あーあーあー、マイクテスマイクテス。諸君!昼飯はもう食べたかな!?」

 

 ぼけ老人のような元帥のその第一声に身構えていた全将兵が脱力する。

 

「いやぁ、昼のテレビ見たかね?今シーズンのサジタリウスカップの準決勝戦、儂の地元のトリプラドラグーンが負けてしまってのぅ。折角の四期連続優勝に手が届くと思ったのじゃが、まさか解散寸前のメルカルトデビルバッツに敗北するとは予想出来なんだ」

 

 全将兵がこいつこのタイミングで何言ってんだ?という表情を向けていた。

 

「そうそう、実はの、先月うちの孫娘が出産しての!曾孫じゃ曾孫!まさか軍人生活をやっていて曾孫を見れるとは流石に思わなかったのぅ。画像が送られてきたが小っちゃくて可愛くてのぅ……あー、頬がぷにぷにしてるのじゃ!」

 

 いや知らんがな、全将兵が無駄に心を一つにしながら内心で叫んだ。

 

「そうそう、大事な事を忘れる所じゃった!今日の夕食は御約束の金曜日のカレーじゃぞ!カレー!儂の大好物じゃ!」

 

 いや知ってるから、と全将兵は内心で同時に突っ込みを入れる。同盟宇宙軍では曜日感覚を自覚させる手段の一つ(と残り物一斉掃除で予算削減のため)、金曜カレーや月末の鍋料理は基本だ(一方帝国軍では金曜日は余り物でアイントプフだ)。

 

「ははは、……まぁそう言う訳での、儂は今回の遠征で死ぬ気はない。来年のトリプラドラグーンの優勝も、初曾孫を抱っこするのも、夕食のカレーを食うためにもな」

 

 ここで元帥の口調の雰囲気が変わるのが分かった。弛緩していた将兵達の意識は一気に引き締まる。

 

「諸君は何のために軍人になった?帝国の打倒か?民主主義と祖国を守るためか?給料のためか?家族の敵という者もいるだろう、単に軍人が格好いいから、という者、代々軍人だからと言う者もいるじゃろうて。それは構わん。同盟は自由の国じゃ、自由に軍人になり、好きな時に辞めると良い」

 

一拍おいて、元帥は続ける。

 

「じゃが、死に急ぐなよ?何事も命あっての物種じゃ、戦い続ける事も、給料を貰う事も、勲章を胸につけ威張る事も、子や孫に自慢する事も死んでしまっては出来ん。……じゃから死に急ぐな。我々が勝つための算段はつけておる。諸君達は今回の危険手当てと航海手当てを何に使うのか落ち着いて考えながら任務に励むと良い。……おっと、張り切りすぎて散財なぞするなよ?儂も若い頃失敗した」

 

 艦橋に苦笑が漏れる。総参謀長は少々不機嫌そうだが黙ったままだ。この演説が怖じ気づく兵士達を落ち着かせ、緊張を解きほぐすためのものであると理解しているためだ。

 

「さて、ではそろそろだな。諸君、目の前の獲物に対して存分に自慢話とボーナスを稼ぎたまえ」

 

 同盟艦隊ではその演説に答えんとばかりに兵士達が叫び声を上げ、同じくらいの兵士達が呆れ気味に総司令官を罵倒する、がそこには確かに喜色と親しみがあった。士官達も不機嫌、というよりかは仕方なさそうに頭を掻く。何はともあれ、同盟軍内における陰鬱な雰囲気は払拭されたのは間違いがない。

 

 一方、相対する帝国軍も無線通信の内容は傍受していた。両脇に盾艦を侍らせる要塞駐留艦隊兼イゼルローン方面艦隊臨時旗艦「アールヴァク」艦橋内で紅茶を楽しんでいたブランデンブルグ大将は通信内容を聞くと呆れるように頭を横に振る。

 

「……やれやれ、品性の欠片もない演説だ。これだから共和主義者の妄言は見るに耐えないのだよ」

 

 万人が自らの欲望の赴くままに行動した結果、道徳と公益が蔑ろにされ、拝金主義と神秘主義、そして暴力が蔓延した醜悪な銀河連邦の失敗から何も学んでいないように見える。 

 

 人類社会の秩序と安寧は偉大なる大帝陛下の血脈、そして選ばれし門閥貴族による支配によってのみもたらされるものである、ブランデンブルグ大将はその事を確信していたし、決してそれは空虚な妄言ではない。

 

 国民と国家の結合は人類統一国家、そして星間国家を成立させてから極めて困難となった。

 

 国家に対する国民の帰属意識は地球時代においては民族と宗教、王家あるいはイデオロギーによるものであると言われる。

 

 だが、90年戦争による国教の概念の衰退、人類統一国家成立によるイデオロギーや民族意識の希薄化、星間国家成立後はそこに距離による惑星間の同胞意識の欠如が追加された。

 

 歴史を辿れば、地球統一政府は地球と諸惑星間の同胞意識が断絶して内戦により崩壊したし、銀河連邦もまた経済成長という飴を失った瞬間に連邦体制は空中分解寸前にまで陥った。多くの市民にとっては……特に地方の市民にとっては自らを銀河連邦の国民、という意識よりも生まれ育った星の市民、という意識の方が遥かに強かったし、郷土愛すらない者は文字通り自己の利益のみを追求した。宗教道徳の衰退と大不況を合わせた結果が連邦末期の醜悪な腐敗と混乱だ。

 

 ルドルフ大帝が安定した人類統一国家を維持するためにとった手段は単純であり、そして極めて効果的だった。それが銀河帝国という国家体制だ。神聖不可侵たる皇帝が中央を、そして皇帝に忠誠を捧げる優秀な遺伝子に最高の教育を施した貴族達が地方を統治する。帝室と貴族は婚姻による血の結束により運命を共にする同胞であった。

 

 そして権威主義的な教育にオーディン教なる国教をでっち上げ、人名や街並みをゲルマン風に改める事で人民に対して同族意識を育ませる。人民に「帝国人」と言う同胞意識を生み出すと共に星間国家の長年の統治の課題であった愛郷心を領主への忠誠心にすり替える。

 

 これにより、領主さえ中央への帰順を誓う限り、例え貴族領が中央から経済面・行政面で独立していても中央から国家として分離する事態は防がれる。血縁関係があり、自らの権威の裏付けたる帝室への反逆を図るのは余程の愚帝相手か、宮廷闘争に敗れ追い詰められた場合くらいのものだ。

 

 文化的均質化と中央集権と地方分権の混合体制、それにより帝国は500年に渡り安定した統治を続けてきたのだ。

 

 ……そして、共和主義を掲げる自由惑星同盟を僭称する叛徒共は帝国の国家体制を根底より覆しかねない危険分子であった。

 

 帝国以外の国家、それだけでも人類統一国家としての帝国の存在意義を揺るがしかねない。その上、多様性と民主主義を奉じるなぞ愚かというほかない。所詮同盟なぞ軍事力と反帝国、そして「建国神話」で辛うじて統一されている国家に過ぎないではないか。

 

 愚かな平民共や奴隷共は支配階級の視点で物事を考える事は出来まい。故に口の回る共和主義者が巧みに誘導すればこの危険なカルト思想に忽ちのうちに汚染されてしまう事であろう。

 

 悍ましい、帝国の体制が崩壊すればその先に待つのは「自由」や「多様性」、「人権」の名の下に欲望のままに動く賎民共が闘争を始め、再び銀河が戦乱の時代に戻るだけだ。

 

 故にブランデンブルク大将が開戦前に発した演説は同盟人には兎も角、門閥貴族にとって、そして平均的な帝国人にとっては極めて理路整然とした内容であった。

 

「全軍、傾聴せよ」

 

 無線機越しにブランデンブルク大将はそう発した。平民出身の兵士共にも聴かせるために帝国公用語ではあったが、その流暢で透き通った声に、宮廷風の語り方は聴く者達に明らかに貴族の品格を印象付けていた。

 

「これより我ら帝国軍は帝国辺境に蔓延る叛徒共の掃討に入る。相手は帝国の支配を受け付けぬ順わぬ蛮族であり、共和主義なぞを奉ずる悍ましい狂信者である。諸君とてその背徳的な奴らの教えは知っておろう」

 

 帝国における教育では共和主義は偉大なる大帝陛下が打破された旧弊であり、因習であり、危険思想である。特に保守的な地方出身者にとっては悍ましさしかない存在だ。

 

「そして奴らは帝国の威光に従う所か、忌まわしい事に大軍を以て帝国本土を侵略せんと欲している。見るが良い、そして想像するが良い。あの蛮族共が我らが神聖なる帝国に土足で踏み入る様を!我らが故郷を焼き払い、富を収奪し、子や妻を誘拐するさまを!」

 

 その言葉は一面では真実であろう。要塞建設以前、同盟が帝国領に侵攻し、貴族から「市民から収奪した富」を差押え、多くの「帝国の圧政に苦しむ市民」を「解放」した歴史がある。そして帝国と同盟、両者の認識の違いは個々のケースで見た場合片方のみが嘘を語っている訳ではなかった。

 

「我らは帝国本土を叛徒共から守護する防人であり、皇帝陛下の槍であり、臣民の盾である。諸君、我々はあの血と欲望に飢えた蛮族共を一歩たりとも帝国本土に踏み入れさせてはならぬ!」

 

 帝国軍将兵達その顔に興奮の感情を生じさせるのを確認し、ブランデンブルク大将は叫ぶ。

 

「帝室が藩屛たる貴族諸君!今こそ指導者としての義務を果たせ!帝室が守護者たる士族諸君!今こそ戦士たる義務を果たせ!帝室の恩寵を受ける平民諸君!今こそ皇帝陛下の御恩に報いるために奉仕せよ!帝国万歳!!皇帝陛下万歳!!」

皇帝陛下万歳(ジーク・カイザー)帝国万歳(ジーク・ライヒ)皇帝陛下万歳(ジーク・カイザー)帝国万歳(ジーク・ライヒ)皇帝陛下万歳(ジーク・カイザー)帝国万歳(ジーク・ライヒ)皇帝陛下万歳(ジーク・カイザー)帝国万歳(ジーク・ライヒ)!』

 

 ブランデンブルク大将の演説が終わると同時に、帝国軍の無線通信は帝室と帝国を賛美する叫び声で埋まる。通信を傍受していた同盟軍の通信士達は演説と気味の悪い程に統率された兵士達の叫びを聞きながら吐き気を感じると共に「どちらがカルトだ」と毒づいていた。

 

 無論、帝国軍も一枚岩、とはいえない。貴族階級は大仰に頷き、士族階級は唸るように雄叫びを上げ、学のない下級兵士や地方人が感動の涙を流す横で都市部の中流・上流階級の平民出身の士官、下士官は冷笑しながら周囲の熱狂を眺めていた者も少なくなかった。

 

 双方の熱狂と緊張が最高潮に達した頃、両軍は遂に艦隊戦の準備を完全に完了させた。

 

 そして誰もが興奮する中、しかし永遠に続きそうな静寂が場を支配していた。艦隊司令官が、艦長が、砲術長が、通信士が、一兵卒に至るまでが一言も発せず、両軍合わせて八〇〇万を越える将兵達が唯二人の声だけを待っていた。

 

 遠征軍総旗艦「アイアース」艦橋では老いた元帥が、要塞駐留艦隊旗艦「アールヴァク」艦橋では四〇手前の貴族が、静かに手を上げる。そして………。

 

「ファイアー!」

「ファイエル」

 

 5月4日1515時、その声と共にイゼルローン回廊において通算四度目の殺戮劇が幕を開けたのであった。

 




「鏡の間」はまんまヴェルサイユのあれを想像してください

この作品のオフレッサーは道原版とノイエ版の中間なイメージ、ミュッケンベルガーはOVA、メルカッツ、シュトックハウゼンはノイエ版、後にストレスでOVAくらいにまで老けるor太る予定です。

銀河連邦は310年、地球統一政府は575年で滅亡(更には地球は人類統合の象徴としての優位があり前半は太陽系のみの国家)であると考えると490年も星間国家として体制と勢力圏を維持し続け(しかも後半150年は戦争しながら)、尚余裕のあった銀河帝国って実は滅茶苦茶優秀じゃね?と思う作者


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第八十五話 芸術は爆発だってばっちゃが言ってた

 決して狙っていた訳では無かったがブランシャール元帥とブランデンブルグ大将の攻撃命令はほぼ同時の事であった。

 

 両軍の艦隊の主砲が一斉に砲撃を開始し中性子ビームが、光子レーザーが、電磁砲の雨が暗黒の宇宙の果てに消え、同時に向こう側から撃ち込まれたそれが双方に襲いかかった。

 

 初撃にして両軍の各所で艦艇が爆発して数億度の火球が生み出される。だがそれは中和磁場が有効に働いていない事が理由ではない。

 

 狭い回廊内での七光秒という比較的近距離での砲撃戦、故に両軍とも初撃から電磁砲を初めとした実弾兵器を全力で投入していたがためだ。中和磁場の効かないこの手の兵器は回避運動か装甲強度で受け止めきるか以外の対策はない。そして、回廊という地形条件下においては前者はなかなか困難であった。

 

 近距離戦闘は実弾兵器が充実している帝国軍の優位となり得る距離、帝国軍駆逐艦は正面の電磁砲群とミサイル群を一斉射する。同盟軍両翼に展開する第二・一一艦隊の最前列部隊はミサイル群を対空レーザー砲で迎撃し、狭い空間で必死に回避行動を取る。だがそれにも限界がある。戦艦「メレアグロス」が正面から電磁砲を次々と受け爆沈し、巡航艦「プレーリー5号」は回避に必死になる余り同じ巡航群に所属する「モンカルム」の横腹に突っ込む。

 

「落ち着け、隊列を維持しつつ損傷艦艇から後退させろ!駆逐群は前進し防空と敵駆逐艦の撃破に専念、戦艦群は後退!隙を見せるな、押し込まれるぞ!」

 

 第二艦隊第三分艦隊第34戦隊司令官ジャック・リー・パエッタ准将は叫ぶ。厳格な准将は戦隊を自身の手足の如く完全に統率し、常人ならば陣形が崩壊してしまうだろう帝国軍の猛撃を凌ぎつつ戦隊と敵艦隊との距離を取って見せる。

 

 パエッタ准将程ではないにしろ可能な限り損失を抑えながら後退する同盟軍両翼の前衛部隊。それが帝国軍を誘っている行動である事は明白であり、当然帝国軍はその動きを無視する……訳にもいかなかった。

 

 同盟軍が後退すれば砲戦は近距離戦から中距離戦へと移る。そうなれば今度は帝国軍駆逐艦はその装備の大半を封じられ、代わりに同盟軍駆逐艦群は光子レーザー砲を一方的に撃ち込む事が出来火力に数倍の差が生じるのだから。

 

瞬く間に帝国軍両翼の前方集団が火球に包まれる。だが、同時に同盟軍の誘いに乗る訳にもいかない。

 

「戦艦群を前方に押し出せ!中和磁場出力30%上昇!駆逐艦は長距離対艦ミサイルで支援に回れ!」

 

 グライフス大将の命令は的確であった。最前列で整然と壁のように隊列を組む標準戦艦による中和磁場の鉄壁の守りは同盟軍の猛攻を辛うじてではあるが防ぎきる。

 

 だがそれは同盟軍のそう仕向けた罠であった。狭い回廊内でかつ小回りの利かない大型戦艦が密集と言う状況は単座式戦闘艇にとって的でしかない。同盟軍第二艦隊第三分艦隊と第一一艦隊第四分艦隊所属のラザルス級、あるいはホワンフー級航空母艦より独立空戦隊が次々と発艦し始める。

 

 宇宙暦773年に正式採用され、同盟軍の次期主力単座式戦闘艇として配備が進められる「スパルタニアン」は単座式戦闘艇としては大型で重武装の部類に入る。ウラン238弾機関砲と低出力中性子ビーム機銃を標準装備しており、またレーザー水爆ミサイルや対艦ミサイルを装備する爆装型も存在する。

 

 同盟軍において単座式戦闘艇の存在意義は第一に艦隊決戦時における補助戦力としてであった。未だ前線に配備される「グラディエーター」、二世代前の「カタフラクト」もそうであるが同盟軍の単座式戦闘艇は帝国軍艦艇を撃破するために大型かつ重武装であり空戦よりも対艦戦闘を想定していた(また大型であるために拡張性が高く強行偵察型や救難型・工作作業型等のバリエーションが豊富だ)。

 

 対空レーザー砲や電磁対空砲でスパルタニアンを迎撃する帝国軍の戦艦。だがスパルタニアンはその砲火の前に何機かは火球となって四散するもの大半は帝国軍戦艦の中和磁場の内側に入り込み爆装型の懐に抱く一撃必殺の対艦ミサイルによる戦艦の急所を狙い撃ち、あるいは空戦型の低出力ビーム機銃が船体を切り裂き、電子装備や機関部に損失を与えその戦闘効率を低下させる。

 

『よしっ!各機、次はあのデカ物をやるぞ!』

 

 駆逐艦のミサイルポッドをビーム機銃で撃ち抜き誘爆させた中隊長は部下達に次の獲物を指し示す……とほぼ同時にその視界が光に覆われ永遠に意識を消失させた。

 

『中隊長!?うわっ………』

 

 去年専科学校を卒業したばかりの新兵が目の前で爆散した中隊長機に向け叫ぶ。だがその一瞬の意識のブレが彼の生命の明暗を分けた。続いてくるビーム機銃の光条の前に紅蓮の炎に包まれるスパルタニアン。中隊の他のパイロット達は教練通りに互いの援護が可能な距離を取りつつ散開する。

 

暗黒の宇宙に彼女達は淡く光る純白の姿で舞う。

 

 帝国軍航宙騎士団の主力単座式戦闘艇「ワルキューレ」、太古の神話で登場する戦天使の名を与えられたそれは「スパルタニアン」とは真逆の設計思想の下に生み出された機体である。

 

 哨戒や制空戦闘、艦隊防空を念頭に開発されたそれは帝国軍の財政的な余裕と戦術面での割り切りの結果だ。対艦戦闘は雷撃艇等の大型戦闘艇に任せ、ワルキューレは艦隊に襲い掛かる同盟軍の単座式戦闘艇迎撃のために機動力のみを重視していた。対艦・制空それぞれのための装備を並行して配備する余裕があり、その主任務が正規軍同士の全面戦闘より寧ろ治安維持にある帝国軍だからこそワルキューレはこの世に生み出された。これはワルキューレの一世代前の「スレイプニール」とも共通する設計思想だ。

 

 機動力を持ってアクロバティックにかつトリッキーに襲い掛かるワルキューレに対してスパルタニアンの対抗策は単純明快でありその大柄な機体によるエンジン出力、そして武装の火力による距離の引き離しと遠方からの弾幕形成だ。

 

 艦艇同士の激しい砲撃戦の間で単座式戦闘艇同士が舞うようにドッグファイトを演じる。敗者は愛機と共に暗黒の宇宙の一角で原子へと還元される。

 

砲戦から三時間経過すると敵左翼を担う第二猟兵艦隊の隊列に混乱が生じ始める。

 

「これはチャンスだな」

「はい?」

 

 未だ艦隊戦に参加していない第三艦隊旗艦「モンテローザ」の艦橋で待機していた私は戦況スクリーンを見つめる叔父の声に反応した。

 

「見よ、帝国軍の一部が浮足立っておる。痺れを切らしたのだろうな」

 

見れば第二猟兵艦隊前衛部隊には個艦や隊単位で不用意に突出する者が多々出始める。

 

「恐らくは一部の貴族将校と平民出の将校が挑発に興奮しているのだろう。このまま引き摺りこめれば良いが……」

 

 原作を見た者の多くは貴族将校は馬鹿の集まりと考えるかも知れないがそれは正しくない。貴族将校の中で無謀過ぎる戦い方をするのは第二次ティアマト会戦以降に増加した武門貴族以外の出の貴族将校くらいだ。贅沢にも幼少期より戦場経験豊富な古兵より鍛錬を受け、第一線で指揮を執ってきた老将から一対一で戦略を学ぶ武門貴族は、家自体が腐敗していない限りは誇り高く、知識量だけでなく胆力と忍耐力に富む者が大半を占める。原作で言えばミュッケンベルガーやエーレンベルグは武門の名家の出であるし、悪名高き「ミンチメーカー」ことオフレッサーも下級ではあるがかなり古い武門の出だ。

 

 寧ろ、命が惜しく、貴族としての外聞を気にしない平民将校の方がこのような命の取り合いに際して自制が効かずに恐慌状態になり、あるいは興奮状態になり突出する者が多い。

 

 尤も、逆に貴族将校は武功や勇猛さ、体面を気にするので敢えて隙を見せれば食いつきやすい傾向もあるのだが(逆に平民将校はびびりなので罠を警戒し及び腰になる)。

 

 まぁ、その話は置いといて……第二猟兵艦隊と相対する第一一艦隊は砲撃をあしらいながら更なる突出をさせようと斉射と共に後退する。帝国軍の前衛部隊は攻撃に一旦怯むと、しかし次の瞬間にはパニックになったように乱射しながら突入し始める。

 

 恐らく上位司令部は前線部隊を引き留めようと命令を発しているだろうがそこはやはり電子戦能力では同盟艦艇が帝国艦艇よりも優位であり全力で通信を妨害する。

 

 無論、帝国軍にはイゼルローン要塞がありそこから放たれる電波妨害も凄まじく通信が使い物にならないのは同盟軍も同様である。それでも同盟艦隊は光通信で相互に情報交換しながら連携し、突出する帝国軍を更に引き摺り込む。

 

 帝国軍最先鋒集団は本隊よりも四光秒も突出してしまった。次の瞬間巧妙に敷かれた第一一艦隊の十字砲火を受け瞬く間に最先鋒集団は爆炎に包まれ数十隻が撃破される。

 

『隊列を組み直せ!十数隻単位の少数団に別れ火砲の集中を避けよ!集団単位で連携しつつ本隊と合流するのだ!』

 

 同盟軍により傍受された第二猟騎兵艦隊第Ⅲ梯団司令官オスカー・フェルディナント・フォン・トゥルナイゼン少将の命令は的確であった。無線通信が中々出来ない中で暴走する各艦を辛うじて再編する手腕は決して無能ではなく、そこにグライフス大将率いる本隊が長距離砲による支援を実施すると第一一艦隊はそれ以上の攻勢は不可能であった。

 

 一方、我が方左翼、第二艦隊と要塞駐留艦隊の戦いは右翼に比べて動きは小さいが激しさは寧ろこちらの方が上であると言える。

 

 第二艦隊は第一艦隊と共に自由惑星同盟宇宙軍設立以来の歴史を持つ伝統ある艦隊であり、第一艦隊がバーラト星系から動く事が少なかったのに比べ設立初期から数多くの実戦を繰り広げた艦隊だ。艦隊決戦を念頭に入れた重武装艦隊でもあり、その火力と練度は同盟軍内でも一、二を争う。

 

 相対する要塞駐留艦隊……別名を「有翼衝撃重騎兵艦隊」と称されるこの艦隊はある意味では帝国軍において正規十八個艦隊を凌ぐ精鋭艦隊である。

 

 帝国の勢力圏を最前線にて守護するために設立されたこの艦隊は帝国全軍において皇帝直属である「白色槍騎兵艦隊」同様に最新鋭装備が優先的に配備され、帝国宇宙軍最強と称される「黒色槍騎兵艦隊」同様に士族階級や武門貴族出を中心に精兵が配属される。そして常に自艦隊を上回る敵艦隊と正面から殴り合う事を前提にした厳しい訓練を施されていた。

 

 第一一艦隊のそれよりも激しい砲火を受けながら、しかし要塞駐留艦隊は整然と隊列を維持し反撃する。司令官のブランデンブルク大将は武門貴族の出ではないが帝国を代表する良将であり、良く艦隊を纏め上げているようであった。前衛の第Ⅱ梯団司令官兼要塞駐留艦隊副司令官ヴァルテンベルク中将は少々粗い指揮ではあるものの同盟軍の猛攻を受け止め、激しく反撃をして見せた。一進一退の攻防が繰り広げられる。

 

 主力部隊が激戦を繰り広げる中、後方の兵站線や回廊内のデブリ帯、暗礁宙域においても規模こそ小さいものの熾烈な戦闘が繰り広げられる。

 

 ダゴン星系を中心とする後方では帝国軍のゲリラ艦隊や陸戦部隊、帝国紐付きの宇宙海賊が戦闘艇や星間ミサイル等での嫌がらせを輸送部隊や工作部隊等に行い、同盟軍や亡命軍はその迎撃と護衛を行う。前線のデブリ帯や暗礁宙域では情報収集や偵察、奇襲を意図した両軍が小競り合いを始める。規模こそ数十人から数百人、数隻から十数隻ではあるものの情報は古来より戦いの趨勢を決めるものであり、軽視出来ない。

 

 帝国軍はメルカッツ中将やシュトックハウゼン少将の指揮の下で善戦するがこのような少数での非正規戦では正規軍である帝国軍よりも亡命軍の方が部隊の編制や成り立ちから優位にあり全体では我が方が主導権を握りつつある。

 

「うむ……やはりそう上手くはいかんか。仕方ない、我々も仕事に戻るとしようか」

 

 ロボス少将の言葉に我に返り、私は慌てて作業を再開する。第三艦隊が後方で予備戦力に置かれているといっても暇である訳では無い。寧ろ第二・一一艦隊が戦闘に専念できるよう後方の兵站維持や警備、周辺の哨戒や宙域情報の収集・分析を行い両艦隊司令部や遠征軍総司令部に通達しなければならないし、緊急時にはいつでも前線に突入出来るように艦隊のコンディションを保つ必要もある。

 

 第三艦隊航海課は前線と後方の宙域におけるエネルギー流や宇宙嵐、重力異常等について気象観測艦艇や情報収集艦艇が集めた情報を整理し、遠征軍司令部、後方の補給部隊、前線に展開する部隊へ最適な移動ルートの助言を行うほか、自艦隊が前線に展開する際の手順について計画する。それだけでも前線で戦うのに比べればマシとはいえ相当の労力を必要とした。

 

「イゼルローン要塞からの通信妨害が想定以上だ。前回に比べ電子戦装備が大幅に強化されているな」

 

「モンテローザ」艦内食堂にて航海課副参謀コーネフ大佐が資料を片手に、もう一方の手にスプーンを持ちながら唸るように指摘する。

 

 5月4日1930時、第三艦隊航海課スタッフは即応要員を残した上で夕食を摂っていた。メニューは第三艦隊旗艦「モンテローザ」名物にして同盟軍艦隊カレー選挙にて第四位に輝いた海鮮(会戦)カレー定食である。駄洒落かな?

 

「前線でも相当艦隊の統制に苦労しているそうですね」

 

 私はコーネフ大佐の言に返答しながらカレーライスを口に入れる。うおっ、滅茶苦茶美味い。アプス産の帆立・海老・烏賊は濃厚な味わいだ。上に乗せた白身フライもサクサクである。

 

「い……烏賊……」

 

 一方、ベアトはスプーンに乗る烏賊をどこぞの冒涜的な邪神でも見るかの如く凝視していた。カリーヴルストもあり帝国人もカレー自体は然程抵抗はない(ライスやナンよりもパンで食べる者が多いが)、だがシーフードカレー、まして烏賊や蛸のような軟体動物を食うかといえば……という訳で人気メニューであるもののベアトにとってはこの名物料理は拷問に近かった。

 

「大丈夫か?何なら烏賊だけこっちに入れるか?」

 

 私がそういうと一瞬救いを求めるように瞳を輝かせて、しかしすぐに我に返ったかのようにベアトは改まり拒否の言葉を口にする。

 

「いえ、今後もこのような試練は幾度も来ましょう。たかが食事程度で我慢出来ないでどうして若様を御守り出来ましょうか?まして若様に私の分の苦痛を肩代わりしてもらうなぞあってはならない事で御座います」

 

 糞真面目な顔でそんな事を語るベアトである。完全に修練に耐える修行僧の表情だ。いや、別に私はお前と違って烏賊平気だからな?

 

「若様の士官学校での言、今更ながら実感致しました。確かに学生時代からほかの食事に慣れておき正解で御座います」

「お、おう……」

 

 キラキラした目でこっち見ないで。士官学校の学生食堂でライヒ以外のメニューを食べる言い訳であったが未だに信じているのかよ。

 

「そうだぞ、好き嫌いはいかん。戦場では出た物は食わんといかんのだ。ましてカレーは完全食、栄養摂取の上では極めて効率的な料理だ。残してはならん」

 

 そう言いつつ四枚目のカレーを堂々と食べるのはロボス少将だ。いや貴方は流石に食べ過ぎですから。付け合わせのサラダも三杯、漬物四皿、デザートの杏仁豆腐二杯も含めてどれだけ食う気ですか。

 

 尤も内心で突っ込みつつも口にはしないが。参謀や立場としてのストレスは理解しているし、余り毒のある言い方をするとしょげてしまう人だ。面倒見てもらっている立場で文句は言えまい。

 

「まぁ、それはそうとやはり通信妨害は面倒だな」

「ええ、前線では光通信とシャトルでの連絡を行っておりますが帝国軍の方も優先的にシャトルを狙ってきているようです。既に四機のシャトルが単座式戦闘艇に撃墜されているようでして……」

「護衛の空戦隊の増加が必要だな。前線からは空戦部隊の増援要請はあるのか?」

 

 ロボス少将とコーネフ大佐はカレーを口にしながら前線の状況について相談を始める。こうなると新米士官の我々は蚊帳の外である。

 

 私は黙って食事に戻る。栄養摂取と睡眠、そして鍛錬により身体のコンディションを最高に保つ事も軍人の仕事であった。………後ベアト、マジで烏賊代わりに食おうか?

 

 前線では5月6日に至るまで各艦隊が前線の分艦隊を後退させつつ戦闘を継続していた。D線と回廊の危険宙域の間の宙域を主戦場としながら虚虚実実の駆け引きが繰り広げられる。このような戦闘では艦隊単位よりも寧ろ個艦や隊、群、戦隊単位の戦術的な戦果が脚光を浴びる。

 

 パエッタ准将やスズキ准将は最前線部隊の司令官として劣悪な通信状態の中戦列を維持し続けた。戦線の穴を迅速に塞ぎ、火線を集中させて突出した敵を叩く。前線の帝国軍を地道に、しかし着実に削り取っていく。

 

 一〇年後の正規艦隊司令官を確実視される第211巡航群司令官ウランフ大佐、第707駆逐群司令官ボロディン大佐の活躍は戦局全体から見れば微々たるものではあるが前線部隊にとっては心強い事この上無い。

 

 個艦や個人単位では戦艦「ニューデリー」艦長のテイラー中佐、駆逐艦「キャラハン33号」艦長兼第2091駆逐隊司令官ジョンソン少佐、駆逐艦「ユキカゼ」艦長のニルソン大尉等が単独で複数の敵艦を撃破して勇名を馳せる。

 

 第54独立空戦隊隊長ハワード・マクガイア大佐が単独でワルキューレを屠りまくる事自体は驚きに値しないが、それが配備が進む「スパルタニアン」ではなく旧式の「グラディエーター」に乗っての事である事は恐るべき事だ。5月5日1240時の戦闘では四〇機以上の単独撃墜記録を持つ航宙騎士団のエースパイロット、オットー・フォン・メンダール大尉を一騎打ちの末に撃墜した。

 

 第54独立空戦隊のライバルである第131独立空戦隊は張り合うように戦果を伸ばし、ヘルムート・フォン・バルクホルン少佐、エミール・ヴォルフ大尉、ヨーゼフ・フォン・クラウゼン大尉等が総撃墜数を一〇〇機の大台に乗せて見せた。単独撃墜数一〇機を達成した若いエースの誕生は数えきれない。

 

 5月7日0400時、標準時間でいう所の明朝前に戦局は動く。帝国軍は左右両翼を広げ同盟軍に対して猛攻撃を開始した。

 

「我が方を半包囲、あわよくば主砲射程内に押し込もうという事だな。性懲りもなく同じ手を使いよる……!」

 

 第三艦隊参謀長ロウマン少将は戦況スクリーンを見やりながら毒づく。イゼルローン要塞からの後方支援により帝国軍の回復能力は同盟軍よりも高い。回廊内での諸戦闘とこれまでの要塞前方での攻防戦の結果第二・一一艦隊は少なからず疲労していた。ここが勝負であると帝国軍は判断したらしい。

 

 前進しながら猛撃を開始する帝国軍、前方から正規艦隊による砲撃が、横合いから大型戦闘艇による一撃離脱の近接格闘戦が実施される。次々と船体を引き裂かれ爆散する同盟軍艦艇。

 

「そろそろ上から指令が来るな。全艦に第一級戦闘態勢を伝達しろ」

 

 仮眠を取っていたヴァンデグリフト中将は司令官席から起き上がるとズレていたベレー帽を直し、眠気覚ましの珈琲を口にしながら命令する。

 

 突如艦内ブザーが鳴り響き、その命令に従い作戦参謀達が作戦の確認を行い、通信参謀達が各部隊に命令を通達、情報参謀達が収集した情報を基に帝国軍の状況分析を、そして私達航海参謀は艦隊運用ルートの指定と交通整理計画を実施する。

 

「ヴォル坊、ゴトフリート君、覚悟しなさい。ここから少し忙しくなる!」

 

 ロボス少将が叫びながら資料の山を手にコンピューターに向かい合う。前線では劣勢に陥りつつあるがどうやらここまで上層部の作戦通りらしい。

 

「若様……!」

「ああ、……まぁ、下っ端は深く考えずに命令に従うだけか……!」

 

 私はベアトに淹れてもらっていた早朝(というにも早すぎるが)の珈琲をデスクに置いて急いで作業に移る。具体的に上がどのような作戦を計画しているかは不明だが、兎も角も叔父やコーネフ大佐の命令に従い艦隊の展開のための交通管制の指示を通信士に命令して行わせる。

 

 帝国軍は半包囲体勢を形成しつつ前進する。狭い回廊内では下手な援軍を投入しても的になるだけ、そして帝国軍は同盟軍に艦隊運用を行う余裕を与えないように狭隘な回廊のスペースを限界まで活用していた。

 

 第二猟騎兵艦隊からはルッツ少将の第Ⅳ梯団、グラーデンブルク少将の第Ⅴ梯団、要塞駐留艦隊はヴァルテンベルク中将の第Ⅱ梯団、ビッテンフェルト少将の第Ⅴ梯団が一気に突撃する。どの指揮官も武門貴族や士族階級出の勇猛な指揮官だ。

 

 帝国軍はエネルギーを使い切るかのようにビームとレーザーを撃ち、電磁砲とミサイルをばら撒く。僅か一時間余りのうちに同盟軍は五〇〇隻余りの艦艇を喪失した。一個戦隊に及ぶ戦力が消滅したのだ。

 

「こ、これ不味くないですか……!?」

 

 各部隊への展開ルートの設定と通達をしながらも、横目で戦況スクリーンを見ながら私は上ずった声で尋ねる。左右両翼ともかなり押されていた。シミュレーションなら兎も角実戦でここまで激しい消耗はそうそう無い。全体の投入戦力の規模が違うとしても看過出来るものではない。同盟軍は限りなく敗走に近い状態で後退する。辛うじて要塞主砲射程内に押し込まれないように踏ん張るがいつまで持つか怪しかった。

 

「安心しろ、全て作戦のうちだ。早くこの命令を通達したまえ」

 

 急かすようにコーネフ大佐が命令書を私に押し付ける。そう言われてしまえばこちらの立場では命令の遂行に集中するしかない。上官達の言葉が虚勢ではないと信じて作業を続ける。

 

 0535時、同盟軍遠征軍司令直属の「特務部隊」が増援に両翼に派遣される。第二・一一艦隊の後退を支援するように中和磁場を最大出力で展開し帝国軍の猛攻を受け止める。攻撃に回す分のエネルギーも全て防御に割り振っているためか帝国軍の総攻撃の前でも殆ど損害は出ない。「特務部隊」が殿を務め両艦隊は全力で退避する。

 

 帝国軍前衛部隊はこの機に可能な限り戦力を削りこちらの兵站を圧迫しようと考えたのだろう。速力を速めて中和磁場の効かない近接戦闘での撃滅を行おうと突撃する。

 

 帝国軍駆逐艦が電磁砲を撃ちながら突撃した。「特務艦隊」は回避運動を行うがその機に同盟軍の隊列に躍り込みゼロ距離射撃を実施する。駆逐艦がこじ開けた道を巡航艦が広げ、戦艦がビームと電磁砲を撃ちながらワルキューレが発進する。

 

 最前線では混戦状態となり、同盟軍は不用意な砲撃が出来ない。「特務艦隊」を盾のように使いながら一気に帝国軍は同盟軍主力に肉薄する。

 

 このままでは戦線が崩壊するのは時間の問題であった。時間の問題の……筈であった。

 

 爆発が起きた。両軍入り乱れる最前列にて突如、同盟軍艦艇は次々と内部から爆炎の華を咲かせた。

 

「なっ……!?」

 

私は絶句すると共に暫く思考し、状況証拠から全てを理解した。

 

 それは艦内の核融合炉を意図的に暴走させた上で装備するレーザー水爆ミサイル数十発の自爆によって生じさせ、液体ヘリウムにて油を注いだ事により生まれた短命の小太陽であった。激しい熱線が帝国軍艦艇の装甲を溶かし、吹き飛ばし、薙ぎ払う。強力な放射線と電磁パルスが艦内の電子機器に負荷をかける。四散した艦艇の残骸が船体を切り裂き、貫通する。

 

 同盟軍の増援部隊……否、「特務艦隊」は一兵も乗員の存在しない無人艦隊であった。大半が一五年から二〇年前建造の後数年で第一線を退く予定であり、尚且つ性能的には未だ中和磁場の出力が通用する艦艇が取り揃えられた。

 

 そして予め決められた宙域に船体外部の光学カメラによる座標確認により展開し、後は自爆のカウントダウンがゼロになるまでひたすら予め入力された命令に従い乱数回避と中和磁場の全力展開のみを行う。

 

 勢いに乗って得意の近接戦闘を行いながら混戦状態に移った帝国軍の裏を掻き、自爆するために用意された無人艦艇の数は凡そ二〇〇〇隻、実際に撃破されずに自爆した艦艇は一二〇〇隻余り、爆炎と衝撃により帝国軍の前衛四個分艦隊は二〇〇隻が撃沈され、その三倍が損傷し、陣形は完全に壊乱して烏合の衆と成り果てた。

 

「今だ!全軍全速前進!火力を集中させて要塞中央部に敵を押し込め!」

 

 ヴァンデグリフト中将の命令が艦内に響き渡ると共に私は艦を襲う衝撃で思わず仰け反った。第三艦隊旗艦「モンテローザ」が、いや第三艦隊、更には司令部の直属部隊や独立艦隊に至るまでが最大速力で突撃を開始した。その余りの急な加速のために艦内の慣性制御装置が衝撃を殺し切れなかったのだ。

 

「うおっ……熱っ!?」

「若様、御怪我はっ!?」

 

 すかさずベアトがこけないように私を支える、その艦の揺れでデスクの上の珈琲がぶちまけられ亜麻色のズボンに豪快に降り注ぐ。ベアトが小さな悲鳴を上げた。

 

「い、いや……問題無い!それより……」

 

 少し熱かったが淹れたばかり、という訳でもないので火傷するほどでは無かったのは幸いだ。それに、今はこんな事は大した問題では無かった。

 

 揺れる艦内、私はメインスクリーンを見据える。戦況は劇的に変化しようとしていた。第三艦隊は全速力で正面に躍り出て、第二・一一艦隊は左右から反撃に出た。

 

 自爆攻撃の混乱から未だに立ち直らない前衛部隊を同盟軍三個艦隊とその他諸部隊の砲火が一斉に襲い掛かる。中和磁場の展開や連携が出来ない帝国軍は個々に迎撃せざる得ないが当然効果的な反撃は不可能、瞬く間に百隻単位でスクラップに成り果てる。

 

 同盟軍は砲撃により帝国軍を左右正面から要塞砲射程内に押し込む。結果、救援に来た帝国軍主力と同盟軍は要塞砲の目の前で四つに組む形で殴り合いとなる。

 

 後方で英気を養っていた第三艦隊が最前線に迅速に展開し、長時間に渡って戦闘に参加していた第二・一一艦隊は帝国軍を左右から要塞砲射程に捩じ込むと後を第三艦隊に任せ距離を取り、遠距離援護砲撃に専念する。

 

 帝国軍にはイゼルローン要塞という強力な兵站拠点があるものの正面からの総力戦となれば単純な数の差は大きな意味を持つ。第三艦隊は数万発に及ぶ対艦ミサイルを一斉に撃ち込み、単座式戦闘艇部隊を次々と投入して手数で帝国軍を圧倒しようと試みる。

 

 帝国軍も反撃のミサイルを発射し、各艦からワルキューレが発艦する。第四弓騎兵艦隊所属の雷撃艇・ミサイル艇・砲艇が補助戦力として艦隊戦の最前線に投入された。大型艦の中和磁場の内側に身を寄せ電磁砲やレーザー砲、ミサイルをを撃ち込む。戦闘はかつてない激しいものとなり、損失は加速度的に増加する。

 

 0735時、同盟軍は喝采を叫ぶ。潰滅状態でありながら尚も激しく反撃していた要塞駐留艦隊第Ⅴ梯団、その旗艦「アーサソール」をウランフ大佐率いる第211巡航群が撃沈したのだ。更に0756時頃傍受された帝国軍の通信により第Ⅴ梯団司令官ベルント・グラーフ・ビッテンフェルト少将の戦死が確認された。多くの高級軍人を輩出してきた帝国士族の名門ビッテンフェルト家の猛将を討ち取ったのである。

 

 同日0930時にはボロディン大佐麾下の第707駆逐群が第二猟騎兵艦隊第Ⅳ梯団旗艦「ゲルド」に損傷を与えた。撃沈こそ出来なかったがこれにより第Ⅳ梯団旗艦の指揮能力は大幅に低下したと見られる。

 

 帝国軍の前線では指揮系統の麻痺により艦隊の移動も禄に出来る状況では無かったし、主力は同盟軍に拘束され、「雷神の槌」は味方を巻き込むが故に使用不可能。仮に帝国軍が中央を開けて射線から外れようとすれば同盟軍に付け入る隙を与える事にもなりかねなかった。

 

「よし、後は………」

 

 ヴァンデグリフト中将は正面の敵に砲火を浴びせつつも別の事に気を配っていた。主力部隊により影になっている後背から別動隊一〇〇〇隻が戦場を迂回する。イゼルローン要塞への直接攻撃の命令を受けていた小部隊は前線から発されるエネルギー反応に紛れて要塞に接近し………四光秒の距離で要塞側に気付かれる。

 

 角度の関係からイゼルローン要塞からも別動隊からも砲撃は不可能ではあった。だが要塞側は浮遊砲台二〇〇〇門が流体金属層の表面に現れ別動隊の予定攻撃位置に向け砲撃を開始する。すると流石に艦隊側も気付いたのだろう。要塞駐留艦隊第Ⅳ梯団が先回りの動きをすると同盟軍部隊は不利を悟り、無駄な戦闘もせず後退する。

 

 1100時頃には同盟軍は早朝からの優勢とは打って変わり次第に押され始めた。兵站能力の差による弾薬不足と帝国軍の地力によってである。帝国軍前衛部隊は混乱からどうにか立ち直り後方に下がる。そして帝国軍主力部隊は旺盛に反撃に移った。

 

 要塞駐留艦隊は精鋭としての意地を見せ火線の集中により相対する第三艦隊第三分艦隊と第二艦隊第五分艦隊の戦列をじわじわと削り取る。決して独創的な作戦こそないが基本的な戦術を高度なレベルで実演して見せる要塞駐留艦隊の前に同盟軍は遂に二光秒後退せざる得ない。特に第Ⅴ梯団は艦隊の再編後最前線に返り咲き戦死した司令官の仇を討つように獰猛な戦いぶりを示す。

 

 第二猟騎兵艦隊は第四弓騎兵艦隊と共に戦線を再構築する。同盟軍の更なる攻撃はメルカッツ中将率いる戦闘艇部隊の波状攻撃の前に1145時までに断念させられた。

 

 1220時頃、両軍の戦闘は疲労と消耗により小康状態に移った。両軍は八光秒の距離で牽制の砲撃を撃ち合うが大半は中和磁場の多重防御の前に弾かれ威嚇以上の意味を持たない。空戦隊は小隊単位での空戦を行うばかりだ。

 

 8時間半に渡る激闘が終わり、「モンテローザ」艦内ではようやく張り詰めた空気が弛緩していた。参謀達は交代で食事とタンクベット睡眠を行うよう通達が為される。通信士達や索敵班の要員は背を伸ばし欠伸をして軽口を話し始めた。

 

 油断、とはいえない。実際敵も味方も休憩せず殺し合いを続ける訳にはいかないのだ。それに艦隊司令部が休憩していても前線では分艦隊が定期的に交代して休息と警戒を実施している。今いきなり大攻勢が行われても最前線は機能しているので簡単に戦列が崩壊する事はない。寧ろ休める時に休む事も任務である。

 

「ふぅ……」

 

 私もまた緊張の糸が切れて椅子に座り込む。相当運が悪くなければ旗艦に乗って戦死、なんて事はないがやはり怖い物は怖い。ビームの光があちこちで飛んでいるからね、仕方ないね。

 

「若様、御疲れ様で御座います」

「ああ、ベアトも御苦労。……流石に疲れたな」

 

 砲撃が飛ぶ中で次々渡される書類と情報に従い艦隊の航路管制の指示をしないといけないのはストレスが溜まる。連絡しても出来るか!などと彼方さんの航海参謀や航海士に文句言われたりもする。まぁ、あっちからすれば危険の少ない旗艦から無理を言いやがって、という所であろう。

 

「……乾いてしまいましたね」

「ん?ああ……そうだな。こりゃあ中々落ちないな」

 

 私はベアトの視線に気付いて苦笑する。ズボンには真っ黒な染みが盛大に出来ていた。ハンカチで拭いてみるが当然ながら今更意味が無い。洗濯の時には後が残らないように漂白剤をどっさり入れないと………。

 

「………」

「………若様?」

 

ハンカチで拭く手を止めて黙り込む私にベアトが怪訝そうに尋ねる。

 

「………いや、何でもない。ズボンを替えないとなぁ」

 

 誤魔化すように叔父とコーネフ大佐に連絡した後、私はベアトに先に食堂に向かうように命令して自室に向かう。

 

 艦内通路を通り、艦内モノレールを下りて士官用居住区画の私室に入室するとズボンを脱ぎ箪笥から予備の物を取り出し履き終える。

 

そして脱いだズボンにちらりと目をやる。

 

「……まぁ、意識し過ぎだよなぁ」

 

 私が真っ黒な染みを見て真っ先に思い浮かべたのは血であった。魔術師の最期の姿。足から流れズボンを赤黒く染めた血……。

 

 それを、その場面を思い浮かべ改めて、今更のように私は何十万もの人間が死ぬ戦場にいる事に思い至った。安全な旗艦にいるために切迫感は無い、がそれでも目の前で沈む軍艦一隻一隻にどれだけの人間がいるのか、沈む寸前に中で何が起きているのかを意識して血の気が引いた。

 

「腹は……減らんがそうもいかんな」

 

 嫌なタイミングで嫌な事を思い浮かべてしまい食欲は湧かないがそうもいくまい。食べられる時に食べないといけないのは当然だしベアトが心配する。いざという時に詰まらない事で足を引っ張りたくもない。

 

 私は鏡の前で表情を整え、ベレー帽のズレを直すと踵を返して部屋を立ち去る。向かうはベアトが待機しているだろう艦内食堂だ。まだまだ今回の遠征は続きそうな様相であり、体力維持のために一食だって抜くのは宜しくないのだから………。

 




尚、フラグ回収のため来週くらいから作者の祝福(呪い)が主人公を襲う模様


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第八十六話 さぁお前ら、御待ちかねのイベントだぜ?

 5月7日の戦果は同盟軍全軍の士気を高揚させたが、それ以降手詰まりに陥った事も事実であった。

 

 イゼルローン要塞は強大な後方支援基地だ。同時に四〇〇隻の艦艇を修復可能な修繕ドック、一時間で七五〇〇発のレーザー核融合ミサイル等の各種兵器・弾薬を製造可能な軍事工廠、強力な通信妨害とサイバー攻撃・情報収集能力を持つ電子戦部隊と設備を保有し、穀物のみでも七万トンの保存が可能な倉庫、二〇万の負傷者の収容と同時に五〇〇〇名の手術が可能な病院、兵士の休養のための各種の娯楽施設まで完備している。当然要塞自体の自衛能力も浮遊砲台や要塞主砲もあり完璧だ。

 

 一方、同盟軍はダゴン星系に臨時の大規模補給基地を建築したほか、要塞までの航路に主要な通信・警備・補給基地だけでも三〇以上設置し前線と後方の物資や予備戦力、負傷兵の移送、情報の共有に力を入れる。

 

 それでも補給線の長さはいかんともしがたい。同盟軍は次第に弾薬に余裕が無くなり、損傷や故障による艦艇の後送が増加しているにも関わらず、帝国軍は体制の整った安全な要塞内で整備と無尽蔵の補給を受ける事が出来た。

 

 帝国軍に相応の打撃を与えた遠征軍ではあるが、流石に帝国軍首脳部を甘く見すぎていた。与えた損害は想定の六割から七割程度でしかない。これでは遠征の目的を達成した、と言うには説得力が欠ける。  

 

 政治面の話は置いたとしても軍事的にも撤退は至難の技であった。打撃を与えきれていない現状では下手な撤退は帝国軍に「雷神の鎚」を発射させるチャンスを与えかねないし、迫撃を受け損害を受ける可能性も高い。

 

 一方、帝国軍としてはこのままむざむざと撤退を許す気はない。同盟軍に侵略に対する相応の報復をせねばならない。小規模な波状攻勢をかけつつ同盟軍の弱体化を図る。

 

 5月8日から5月10日にかけ両軍は数百隻から数千隻単位の戦闘を繰り広げる。双方共に隙を見せず、奇襲や火線の集中を画策し、相手の策を阻止する。結果として状況は千日手となり消耗戦の様相を見せつつあった。

 

「ですので、どうか此度の陽動を受け持ってもらいたく考えておりまして………」

 

 5月10日1500時、私はイゼルローン遠征軍に従軍する亡命軍派遣艦隊旗艦「リントヴルム」の会議室内で新たな作戦の説明を行う。

 

 あの「ヒューべリオン」と同じオケアノス級旗艦級大型戦艦(アイアース級の三世代前に当たる)の一隻である「イアペトス」を同盟軍から購入して改造と改名を受けた「リントヴルム」は元同盟軍の艦艇とは思えない程に華美な装飾が為されていた。

 

 そんな訳で「リントヴルム」の会議室は帝国軍もかくや、という程に豪華なシャンデリアが吊るされ、壁紙は緻密で美しい文様が描かれ、重厚な絵画が飾られている。会議室のテーブルに座る諸将に至ってはオーダーメイドである事を良い事に各々好きなデザイン(二重帝国や第二・第三帝国風が多い)の軍装に身を包み、胸元には勲章を飾り立てる。平均年齢も高く、会議室全体が私に圧力をかけているように思えた。

 

 派遣軍司令官カールハインツ・フォン・ケッテラー大将(分家子爵)、副司令官フィリップ・フォン・ハーゼングレーバー中将(分家男爵)、参謀長ヴィクトール・フォン・ヴァイマール少将(伯爵)……見事に門閥貴族ばかりな面子の前で「同盟軍人」の立場で意見するのは胃が痛くなりそうだ。

 

「ふんっ、腰抜け共め。自分達が船に乗るのが怖いからとティルピッツの息子をよこしてきたか」

 

 不機嫌そうに鼻を鳴らしながらパイプを吸うケッテラー大将。そりゃあ普通の同盟人はこんなザ・帝国な所に身一つで来たくないからね?なんで部屋の隅にピッケルハウベに槍持ってる警備がいるんだよ、突き刺すのか?突き刺すんだな?

 

「作戦自体は理解した、だがこれでは我が方の用意する陽動部隊の危険が高すぎる。卿もその事は理解していよう?その事について司令部に対して意見はしなかったのかな?」

 

 副司令官のハーゼングレーバー中将は礼節を持って、しかし容赦無く追及する。いやいや、私下っ端の上部署違うからね?作戦の根幹に関わるとか無理だから。これでもどうにか作戦課にロボス少将が掛け合って修正した案だからね?

 

「まぁまぁ、御二人共そう言う物ではありませんでしょう。ティルピッツ中尉の立場ではそうそう意見も出来ないでしょうから」

 

 優男風の参謀長は私の肩を持つ。ヴァイマール伯爵家は元を辿ればティルピッツ伯爵家の分家が起源だ。一二代前に別れた分家が八代前に惑星ヴァイマールを開拓して領地の名に改名した事に始まる。独立性はティルピッツ姓の分家より高く、爵位は同格ではあるがそれでも宮廷ではティルピッツ伯爵家傘下の一家と見なされるし当人の一族でもそう理解している事だろう。

 

 原作でいえばカストロプ公爵家とマリーンドルフ伯爵家やキュンメル男爵家、あるいはブラウンシュヴァイク公爵家とフレーゲル男爵家やシャイド男爵家の関係と思えば良い。帝国貴族における分家は主家の領地の一部を借り受ける場合は主家と借り受ける領地の名を、自身で領地を開拓するか皇帝から与えられた土地を統治する場合は元の家の名は名乗らない形となる。名は別になるもののそれでも本家との繋がりは保たれ、同じ始祖の血が流れる同族であるという意識は強い。

 

「無論、こちらとしても友軍たる亡命軍を唯の囮として利用する意図なぞありません。此度の作戦では同盟軍からも二〇〇隻が同行する予定のほか作戦全体で参加する艦隊は三〇〇〇隻に上る大規模攻勢となります。寧ろこのような作戦における要となる立ち位置を任せられる事は亡命軍に対する期待の表れである、と見るべきであると愚考致します」

 

 あくまで同盟軍人の立場で私は意見する。貴族の立場になると何気に私が最高位になるのだがこの場でそんな他家の面子を潰しまくる事なぞ絶対に出来ないし、しても作戦が上手く行くとは思えず、万が一上手く行っても後が怖い。あくまでも同盟軍人の立場で説得して相手側が自身の考えで選択した形にしてもらわなければならなかった。

 

「……参謀長、どうだね卿の見る限りこの作戦の正否は?」

 

 ケッテラー大将は作戦の出来をヴァイマール少将に尋ねる。

 

「成功の可能性は低くないかと。尤も、同盟軍が想定している程の成果が得られるかと言えば怪しいですが……」

 

最後を少々濁すように答える参謀長。

 

「ふん、だろうな。所詮は賎しい者共の末裔よ。詰めが甘いわ。この前の無人艦艇を使った作戦も結果は予想を下回る出来だったからな!」

 

 ケッテラー大将は遠征軍に対する罵倒を口にする。純粋に批判しているというよりは感情的に嫌っているような言い方であった。

 

「全く持って無能共の集まりよ、第二艦隊も第一一艦隊も長征派の腰抜け共の艦隊。あの程度の攻勢も防げんとは!見ていたかね、後退時のあの醜態をっ!」

 

 暫くこのような愚痴を吐き続ける大将。会議室の幹部は半分が我が意得たりとばかりに頷き半分がまたか、とばかりの表情で肩を竦める。

 

 一頻り罵倒をし終えた後、ケッテラー大将はようやく本題に入る。

 

「まぁ良かろう。奴らが『我々の助け』を求めるのならば我々も慈悲をかけてやらん訳でもない。卿も本艦で同胞の活躍を見学すると良い」

 

 不機嫌そうにそう言いつつパイプを口に加える大将。私は優美に礼を述べ、内心ストレスで胃が痛くなりそうになりながらほうほうの体で会議室より退出する。

 

「若様、御帰りなさいませ」

「ああ、ようやく終わったよ」

 

 会議室のすぐ傍で私が退出するのを待っていたベアトに私はそう声をかける。

 

「御提案の方は?」

「まぁ、丁寧に説明してどうにかだな」

 

 それでも初期案では通らなかっただろう、作戦の修正に心血を注いだ叔父上のお陰だ。

 

「奴隷共の提案に乗るのは癪ですが、ここで作戦が成功すれば亡命軍に一層の軍功を稼ぐ機会になり得ますし、修正案を提示し、説明したロボス少将と若様の功績になり得ます。どうぞここは御耐え下さい、此度の遠征は長征派の色の濃い遠征です、このような形でなければ功は得られません」

 

 重々しく、宥めるように私に語りかけるベアト。いや、口にはしないが実の所その方面はぶっちゃけ気にしていないんだけどね?

 

 私はベアトの言に誤魔化すような笑みを浮かべて答える。ベアトは恭しく頭を下げた。うん、今どういう風に解釈したのか聞きたくないや。まぁ、それはそうとして……。

 

「おい、何でこれがここにあるんだよ?」

 

 取り敢えず足元で亀甲縛りにされて拘束されている……いやもう誰か分かるよね?それに視線を向けながら尋ねる。

 

「はい、若様が会議室にいるのをどこからか聞いたようでして、涎を垂らしながら突入しようとしたために警備と共に制圧しました」

 

 足元で縄に縛られ口元をガムテープで閉じられているレーヴェンハルト准尉が芋虫の如くのたうち回るのを一瞥した後、淡々とベアトは答える。

 

「そうか、的確な判断だった……と言いたいが亀甲縛りは駄目だな、見ろよ、寧ろ興奮しているぞ」

 

 何が悲しくて捕縛された状態で恍惚の表情をしている姿を見ないといけないんだよ。

 

「うーうー!」

 

 何やら呻くように何かを訴えようとしている准尉。私は胡乱気にそれを見やり、ベアトに念には念を入れて改めて手足を拘束させた後乱暴にガムテープを取ってやると元気そうに叫んだ。

 

「若様、私は逆海老と蟹縛りもイケますよ!?」

 

 取り敢えず私は笑顔を浮かべもう一度ガムテープで黙らせる。

 

「うー!うー!」

「これは独房にでも放り込んでおいてくれ。よしベアト、そろそろ戻るぞ」

 

 警備兵達にこの肉の塊の処置を命じた後、ベアトにそう声をかける。あれでも今回の遠征で単座式戦闘艇四機と雷撃艇二隻を撃破したエースパイロットだと知られたら新任パイロット達の幻滅は間違い無かろう。というかあんな性格で良く今日まで戦死せずに済んだものだ。あいつに墜とされた奴らは死んでも死にきれないだろうな………。

 

「……思考が変な方向に向かっているな」

「はい?」

「……こちらの話だ」

 

 思わず私は脱力して小さな溜息をつく。後は戻って報告をしなければならないのだ。どちらかの肩を持ち過ぎてもならない面倒な立ち位置、ロボス少将のストレスが嫌でも理解出来てしまうなぁ……いや、少将よりは遥かにマシだけどね?

 

 両軍の間で細かな調整をせねばならないが、作戦自体は双方共にプロの軍人であり方針が決定されれば内心は兎も角実務レベルでは滞りなく実施に移る。

 

 5月11日1800時、小競り合いの頻発する最前線において同盟軍の左翼方面にて小さな攻勢が始まる。亡命軍の艦艇五〇〇隻が同盟軍二〇〇隻と共にエイルシュタット中将率いる帝国軍第二猟騎兵艦隊第Ⅱ梯団に攻撃を仕掛ける。

 

「前衛各隊、隊列を乱すな。目的は撃破ではない、砲撃を受け流しつつ後退せよ」

 

 本音は兎も角、ケッテラー大将は艦隊を完全に一つの生物のように統制して撃沈艦艇を出さずに第Ⅱ梯団を引き摺り出す。同行する同盟軍が一八隻を喪失し、帝国軍側が二二隻を撃沈されている事を思えばこの統制能力は同盟軍の提督としても十分通用するだろう。

 

 無線通信が妨害されようとも関係なかった。亡命軍はそれぞれが数隻から十数隻に分かれ各集団が阿吽の呼吸で火力を集中させる。主砲の射程ぎりぎりを見極め砲撃と共に後退を重ね、巧緻に連携しながら敵に出血を強いる。その姿は画一的に育成される軍人というよりも職人気質の戦士の集団のようであった。

 

「当然だ、同盟の市民兵共と同じにされてはたまらん」

 

 指揮を取りながらケッテラー大将は答える。亡命軍の主力は亡命貴族の私兵軍、正確には貴族の私兵軍の中核を構成する武門従士、奉公人、士族、軍役農奴は世襲で代々軍人として育てられてきた戦闘のプロだ。軍人となるために費やされていたリソースは同盟軍及び帝国正規軍の徴兵や志願した平民とは比較にならない。

 

 その上で幼少期からの集団指導や婚姻、代々一族で役職の引き継ぎなどの成果もあり、縦と横の繋がりと信頼関係は強固だ。部隊の艦長が全員親戚、部署の同僚が全員幼馴染み、親や祖父の就いていた役職にそのまま引き継いで就く者なぞ幾らでもいる。

 

 それこそ各艦や部隊間で船員や友軍の意思疎通が無線で伝えなくとも目配せや些細な動きで分かる領域だ。その連携レベルは訓練だけで到達出来るレベルを超えている。そして少数での戦いや無線などの使えない戦場ではこの事が大きな影響を与えるのだ。

 

 小賢しくも戦力を削りながら後退を重ねる陽動部隊、付け入る事が出来そうで出来ない距離と陣形で帝国軍を誘い出す。

 

 突出した第Ⅱ梯団の側面を無数の光条が襲い掛かった。密に回り込んだ第三艦隊第四分艦隊と第三艦隊司令部直属の第28戦隊による巧緻を極めた側背攻撃による結果だ。無論、その動きを気取られないように電子戦やダミーで艦隊の移動を欺瞞した工作部隊や電子戦部隊の活躍も忘れてはならない。

 

「今だ!斉射三連、反撃に移れ!」

 

「リントヴルム」艦橋にてケッテラー大将は最適なタイミングで最適な選択をした。これまで攻撃を受け流してきた亡命軍は帝国軍の中央部に火線を集中させる。側面攻撃により思わず足を止めた帝国軍の隊列には歪みが生じておりそこに大火力を叩きつけられた事で中和磁場の防壁は決壊する。数十隻が爆散し、同数の艦艇が致命的な損傷を受ける。

 

 戦局の異変に周囲の部隊も気付いて戦端を開く。同盟軍と帝国軍双方の周辺部隊が戦場に急行する。絶妙な均衡の上に成り立っている現在の戦況を動かし得る可能性があった。同盟軍は戦局の好転のため、帝国軍はその阻止のために集結する。

 

「弾を惜しむな!今のうちに戦力を削るのだ!」

 

 ケッテラー大将は帝国軍が駆け付ける前に可能な限りの戦果を稼ごうと試みる。側面から襲い掛かる同盟軍も対艦ミサイルを撃ち込み帝国軍の撃滅を試みる。

 

「このままいけば……!」

「……いや、そう上手くはいかないらしい」

 

「リンドヴルム」艦橋で喜色を浮かべるベアトに、しかし私は否定する。

 

「ぬっ、後退せよ!」

 

 ケッテラー大将の命令は僅かに遅かった。次の瞬間前方に展開していた部隊が高速で接近してきた雷撃艇の攻撃を受け大破する。

 

 足の速い戦闘艇部隊を主軸とする第四弓騎兵艦隊はこの状況に最も早く対応した。雷撃艇が亡命軍と同盟軍に一撃離脱攻撃を仕掛け、砲艇部隊が長距離砲撃で支援する。想定よりも遥かに素早い対応の前に亡命軍と同盟軍は損害こそ軽微であるが怯む。そのうちに素早く体勢を立て直した第Ⅱ梯団は第四弓騎兵艦隊と連携しつつ後退する。

 

 後は各宙域より急行した同盟軍と帝国軍の諸部隊が混戦状態で戦闘を行う事になる。醜悪な泥仕合だ、無意味な戦闘により同盟軍は貴重な戦力を消耗していく。

 

 ケッテラー大将はその中では有意義な選択を行った。泥沼の戦闘に参加せず長距離砲で支援砲撃しつつ戦場より後退する。

 

「ふん、やはり大した戦果は期待出来んかったな」

 

 不機嫌そうにするケッテラー大将より私は視線を逸らした。私が考えた訳ではないが売り込み役を引き受けた(させられた)事は事実なので複雑な心境だった。

 

 今回の作戦とその後の諸戦闘の結果、帝国軍は推定七〇〇隻から七五〇隻の艦艇を喪失し、同盟軍と亡命軍もそれぞれ五八六隻、二八隻の艦艇を失った。損失数では帝国軍を下回ったが作戦の目的である帝国軍に対する痛撃を与える目的は達成出来なかった。寧ろ兵站面では同盟軍の方がより負担が大きい戦いであった。

 

 この戦闘以降、両軍の戦闘はどちらが有利か分からないままより混迷を深める事になる。

 

 

 

 

 

 

 5月13日1600時、私とベアトはアルテナ星系9-7-4宙域に展開中の第三艦隊第96戦隊旗艦「シャガンナータ」に対する伝令任務を命令された。当戦隊は現在同盟軍右翼最前線にて戦闘中であるが帝国軍及び要塞からの通信妨害により連絡が取れない状態に陥っていた。

 

「第96戦隊に対してこのポイントへの火線の集中、そしてこの宙域への後退により敵部隊の誘導を命じて欲しいのだ」

 

 ロボス少将より具体的な命令の説明をソリビジョン上の艦隊展開図に連動しながら受ける。命令自体は端末に記録されているが端末の損失時に備え、また相手司令部に対する補足的な説明、命令実行時の司令部からの代理補佐役として内容を理解する必要があった。

 

「ではこの部隊がこちらの陽動に乗らない場合はこのまま牽制しつつ後退を?」

「うむ、どの道このままこの宙域に留まっては撤退時に取り残されかねん。可能であれば痛撃を与えた上での撤収が望ましいがあくまでも可能であれば、だ。総司令部も期待はしておらん。戦隊司令官のアップルトン准将は優秀だ。その程度理解はしておろうが一応頭に入れておくことだ」

 

 私とベアトが連絡するべき作戦に対する質問を幾つかする。いざ彼方に行き作戦を実施してもらって不測の事態に陥って質問攻めされたら敵わない。少しでも疑問点があれば遠慮せずに尋ねていく。どうやら同盟軍は全体としてはこれ以上の戦闘行為を無意味と感じているようで戦線の縮小と撤退準備に入ろうとしているようだ。

 

 無論、このまま引き下がる訳にはいかないのでその前に何回か帝国軍に打撃を与える作戦を実施する事は予想されるが……。

 

「大丈夫かね?今回は流石に最前線、不安ならばほかの者にお願いするが……」

 

一通りの説明を終えると叔父は心配そうに尋ねる。

 

 宇宙艦隊同士の会戦において通信妨害は当然であり、特に狭い回廊にイゼルローン要塞という巨大な通信妨害基地があるために、要塞遠征戦では特にシャトルによる伝令が頻繁に行われ、それは恰好の攻撃目標になる。

 

 何せ命令を伝達しているのだからシャトルを墜とせば確実に敵の指揮系統に打撃を与える事になるし、カプチェランカでの「司令部伝令班」の役職同様大概士官学校出のエリート軍人が伝令役、場合によっては参謀が乗っている事もある。墜とさない訳がない。

 

 既に遠征軍内において撃墜された伝令シャトルの数は二桁に昇る。伝令自体は何百回も行われており一度の伝令で撃ち落とされる確率は数パーセントであろうが、前線に近い分より危険であろう。

 

尤も、だからと言って嫌だ、という訳にもいかない。

 

「いえ、ここで危険な任務だからと言って降りたら印象が悪すぎますよ」

 

 唯でさえ帝国軍の想定以上の妨害で人員不足なのだ。その上ここで門閥貴族の私が旗艦に引き籠ったら笑い者どころの話ではない。

 

「私を引き入れた少将の立場も悪くなるでしょう?」

「そんな事は気にせんでよい。私は御両親に安全を約束して借り受けた、そして御両親は私を信頼して跡取りを貸し出したのだ。私はヴォル坊の身の安全を保障する義務がある」

 

 憮然として叔父は答える。自身の立場を心配される事が心外のようだ。

 

「いや、失礼。……ですが私としても周囲の視線が痛いのは中々……」

 

 半分くらいベアトに世話されているためな気がしない訳でもないが……ちらりとベアトを見ればこちらの視線に気付き決意した表情で口を開く。

 

「たとえこの命を犠牲にしてでも若様の身は必ずや……必ずや御守りする事を誓います」

 

 きっ、と敬礼するその表情はかなりの覚悟があった。彼女の目線では失敗ばかりするのに手元に置かれているのだ。その意思は相当の物だろう。

 

……いや、殆ど私の自滅のせいだけどね?

 

「ベアトもいますし、私も死にたくはありません。危険があれば無理せず付近の艦に保護してもらいます。心配して頂けるのでしたら……そうですね、護衛のスパルタニアンを多めに用意して頂けたら幸いです」

 

 私も流石に上からの命令から逃げる訳にはいかないが、安全対策には手は抜かない。ロボス少将の伝手から相応の手練れは用意するつもりだ。

 

「うむ……だが……いや、分かった。ヴォル坊の経歴にも悪いからな」

 

 そう言いつつも帝国軍の艦隊と相対しても眉一つ動かさない叔父がしおれた表情になりながら口を開く。

 

「だが、本当に無理はしない事だ……最悪降伏しても良い。名前を言えばぞんざいに扱われる事はそうそうあるまい」

 

 念を押すように口にした最後の提案は私の耳元で小さい声だった。私の保護責任が叔父にあるのなら降伏しても責任の大半は叔父に来るので私を責める者はいない、という方式だ。

 

「……はい、無理はしません。ですが私もこの遠征が終われば大尉への昇進と友人の式に乱入する予定がありますので五体満足で帰るつもりです。どうぞ御安心を」

 

 私が笑みを浮かべながらそう答えるとようやく少将もまだ心配そうにしながらも返すように微笑んだ。

 

 伝令シャトルは撃墜される事も想定して二機、護衛に「モンテローザ」防空航空隊より一機に対して二機の計四機のスパルタニアンが用意された。パイロットは旗艦の直掩防空隊に所属している事もありベテラン揃い、内一人に至っては単独撃墜数六八機のトップ、とは言わなくとも相当のエースパイロットだ。

 

「坊や、安心しな。ユーティライネンやブレンゲルが来ようと守ってやるさ」

 

 その撃墜王ジョニー・マリオン少佐は発進前に冷やかし半分、挨拶半分にそう呼びかける。彼が口にした名はこの辺りの戦域で暴れ回っている帝国軍のエースパイロット、単独撃墜数八四機のユーティライネン中佐、同じく七一機のブレンゲル大尉だ。

 

 無論、これ以外にも他の戦域で確認されている手練れの帝国軍エースは幾らでもいる。流石に三桁台となると今回参加している事が確認された帝国軍のエースの中でも十人程度しかいないが……。

 

「ええ、頼みますよ」

 

 私は不愉快そうにするベアトを宥め、苦笑いを浮かべながらも愛想よく挨拶する。

 

 彼方からすればロボス少将のせいで餓鬼の御守り役をさせられたのだから仕方ない、あれくらいの愚痴は受け流しても良いだろう。少なくとも亡命軍所属の癖に護衛に入ろうとして連れ戻されたどこぞの准尉よりも余程マシである。いや、マジでどこで話を聞きつけたんだよ……。

 

 乗船するシャトルの人員は私とベアト、それに操縦士にマコーネル准尉と副操縦士のルゥ軍曹が就く。双方共に戦場でのシャトル運用を幾度も経験し、ワルキューレに追われて生還した熟練操縦士だ。たかが新米士官のシャトル相手にこれだけの人材を投入するのは大盤振る舞いと言って良かろう。

 

「ホテルにようこそ!さっさとチェックインしてくださいな。確か無重力酔いが酷いんでしたっけ?ここでリバースするのは止めて欲しいので解放するなら……ほら、そこのビニールにお願いしますよ?」

 

 サングラスをかけた中年の准尉は揶揄い交じりにそう助言する。伝令用シャトルには残念ながら重力発生装置も慣性制御装置も無かったので伝令中は無重力の感覚と戦わないといけない。

 

「はは、出来るだけ丁寧な運転でお願いします」

「悪いが前線だからなぁ、ワルキューレにケツ追われながら上品に運転するのは無理ってものですぜ?」

 

 准尉はからからと笑いながら答える。さいですか………御免、今更後悔してきた。

 

 当然、今更「もーやー、降りる!」なんて言って許される訳のない同盟軍である。覚悟を決めるしか……あ、御免、緊張でもう駄目。

 

「若様、どうぞお休み下さいませ」

 

 全く嫌な顔せず微笑みながら膝枕を進めるベアトと一切躊躇なく顔を埋めて倒れる私だったりする。え?羨ましい?いや、マジで昔からワープや無重力酔いで戦闘不能になるとこうしてもらっていたので半分習性なの、邪な考えめぐらす余裕もないの、ガチ目に項垂れながら太腿に顔埋めているの。感慨なんて一ミリもねぇよ。

 

「ううう……マジすまん。これだけは本当無理………」

「はい、存じ上げております。御遠慮なされず御休息下さいませ。不測の事態に関しては私が対処致します」

 

 慈愛の微笑みを浮かべながら頭を撫でてこちらの容態を慮るベアト。私の体に合わせて膝の高さと姿勢が楽になるように調整し、額に汗をかけばハンカチで拭いてくれる。うん、マジで良い娘です、はい。

 

「畜生、爆発すればいいのに」

 

 副操縦士のルゥ軍曹が舌打ちした気がしたが気にしない。

 

『306号、発進準備に移れ、乗員は揃ったか?』

「オーケー、ルゥ。もう無駄口叩くなよ。管制、こちらマコーネルだ。御客様が乗船した、発進許可を……」

 

 マコーネル准尉はそう注意した後無線で「モンテローザ」艦載機管制室に無線連絡をする。

 

『了解、これよりハッチを開く。コントロールの委譲を完了!』

「よし、こちらシャトル306号……発進する!」

 

 准尉がそう叫んだ数秒後、ゴッ、という音と同時に船内の重力が消え失せて体が宙に浮きそうになるが、これはシャトルの座席に備え付けられた固定ベルトのおかげで回避される。

 

「うう……出た、か」

 

 ちらり、と膝枕されながら向かい側の座席の窓を見る。その先は先ほどまで空気のある艦内であったが、今や漆黒の宇宙空間であり、細々と光る宇宙船とビームの光条がちらりと映る。

 

 予備のシャトル307号、そして四機のスパルタニアンを護衛につけたシャトル306号は宇宙を駆ける。友軍の艦艇を影にしてその中和磁場の恩恵を受けながらレーダーに映る敵味方識別信号を下に目的の艦艇に向かう。

 

「無事にたどり着けたらいいが……」

 

 ベアトの膝の上で呻きながら私は呟く。が、どうやらフラグを立ててしまったらしい。次の瞬間シャトル内で警報が鳴る。

 

「奴さんの御出座しだな」

 

 マコーネル准尉が呟く、と共に目の前をビーム機銃の閃光が通り過ぎる。

 

「少し手荒な運転になりますよっ!」

「うげっ……!?」

 

 次の瞬間船内が揺れ、慣性の法則により、椅子や壁に体が押し付けられそうになる。ベルトとベアトが抱きついてくれるおかげでどうにか私は体を固定する。まるでジェットコースターに乗っている気分だ。

 

「さっさと処理してくれ!少佐!」

『分かっている!少し待てよ!』

 

 窓を見れば四機のスパルタニアンと六機のワルキューレが入り乱れて空戦を演じていた。数的に不利であるが次の瞬間にはシャークマウスを刻んだマリオン少佐の機体が二機のワルキューレの背後を取り撃墜、更に味方の死角から襲いかかる一機を撃破する。

 

 瞬く間に数を逆転された事にワルキューレのパイロット達は動揺しているようだった。そしてその隙を見逃す程護衛部隊は愚鈍ではない。マリオン少佐以外の三機が反撃を開始すると数分もせぬ内に全ての敵機は宇宙の塵と化していった。

 

「……流石叔父上の手配した護衛、か」

 

 原作のトランプのエースに比べて尚強いかは分からない。だが少なくともそこらの者達に比べれば相当の技量であることは何となく理解出来た。

 

 このまま無事目的の艦まで辿り着ければ良いのだが………。

 

 旗艦「モンテローザ」より発進して40分余りが経過した頃、シャトルは第三艦隊第五分艦隊第94戦隊の展開宙域を航行する。電波妨害が酷くなり単独で目的の艦艇の位置を把握するのも難しくなったため近隣の友軍から情報を受け取る。

 

 第94戦隊旗艦「アウゲイアス」の中和磁場内に入るとシャトルは無線通信で目的艦艇の座標について情報を受け取る。更に第96戦隊に無線で出迎え部隊の派遣も出来ないかを通達する。

 

『余り期待は出来ないがな、この状況だ。こちらの無線にはノイズばかり流れるし繋がったとしても傍受の危険もある」

 

 そうなれば却って合流地点に帝国軍が待ち構えている、という事態も起こり得る訳だ。第96戦隊司令官ハーヴィー・キャボット准将はシャトルの液晶画面の中で薄い顎鬚を摩りながらそう指摘する。

 

 キャボット准将は一見粗雑なブルーカラーにも見えるがその実エリートの揃う士官学校を上位で卒業し、同盟軍の精鋭である正規艦隊の将官に任命される程に優秀で紳士的な人物だ。此度の遠征でもダゴン星系での前哨戦を皮切りに既に高速機動戦を駆使して幾度も帝国軍の陣形の弱点をついて撃破している。

 

「いえ、座標の確認が出来ただけでも十分です。ご協力ありがとうございます」

 

 私はシャトルの操縦席に出向いて代表として准将に謝意を述べる。前線で戦闘を繰り広げている中で自身の部隊とは関係ない任務を受けたシャトルとの通信に司令官がわざわざ顔を出すのは丁重に扱われている、というべきだろう。

 

『うむ、危険な任務だが気を付けていく事だ。武運を祈る。……それにしても大丈夫かね?』

「ど……どうにか」

 

 無重力酔いで青い顔する私に心配そうに尋ねるキャボット准将に私は苦笑いしながらそう答える。尚、無線を切ると急いでビニール袋に胃液をぶち込んだ。操縦席の二名が嫌な顔をするが……いや、仕方ないだろ。

 

 後のシャトルの運行について任せて私は再び後方の人員移送室に向かうとベアトに回収されて再び膝で休む。

 

「御苦労様で御座います。どうぞお休み下さいませ」

「たかが通信一つで休憩が必要な程弱るのもどうよ?」

 

 自虐気味にそう言いつつ、ベアトの柔らかな膝に再び戻る。言っておくが膝の柔らかさを楽しむ余裕なぞ一ミリも無いからね?

 

「うう……まぁ、さっき吐いた分で胃の中は空だからマシかねぇ」

 

 内容物は殆どなく胃液がかなり混じっていたので吐くだけ吐いたようだ。気分は悪いがもうこれ以上出す事はあるまい………多分。

 

 情報によれば第96戦隊はここからシャトルで30分余り飛んだ地点に展開しているらしい。遠征軍司令部や艦隊司令部が把握していた宙域ではないがそんな事はよくある事であるし、想定の範囲内だ、その場合の代替命令も用意されている。

 

 1915分頃の事だった。それに最初に気付いたのは副操縦士であり索敵・通信担当のルゥ軍曹だった。

 

「ん?」

 

 多機能レーダーに目を凝らす軍曹。原始的な音波レーダー以外に金属レーダーや熱源探知レーダーからの情報も纏めて表示されるそれを睨みつける。そして、次の瞬間叫んだ。

 

「機長!敵です!」

 

 その掛け声と共にマコーネル准尉は機体を大きく傾ける。同時に通り過ぎる幾つもの光条。次の瞬間には護衛のスパルタニアンの一機が火球と化す。

 

『ちぃっ!待ち伏せかっ!』

 

 無線機からはマリオン少佐の悪態が響く。撃破された同盟軍の戦艦の残骸から現れるのは八機に及ぶワルキューレの編隊。シャトルは二手に分かれて逃亡を図り、護衛部隊は襲撃者の迎撃に向かう。

 

『シャトル!さっさと尻まくって逃げろ!くっ!よりによってアイスメーアかっ!』

 

 吐き捨てるような少佐の声。第五戦闘航宙団「聖アイスメーア騎士団」は帝国軍航宙騎士団においても十指に入る精鋭部隊の一つ、百名余りのパイロットの大半がエース級で占められている。例えベテラン揃いの護衛部隊でも数の差から圧倒的に苦戦を強いられる事になる事は確実だった。

 

 マリオン少佐の機体は巧妙に連携する二機のワルキューレに翻弄される。機体に記されたキルマークの数からまだ同盟では有名ではないが少なくとも三〇機以上を撃破したエース達のようだ。

 

 残る二機のスパルタニアンに対しても同じように二対一の状況に持ち込み、一機が相手の攻撃を引きつけもう一機が隙を見つけ次第襲い掛かる。「聖アイスメーア騎士団」はほかの戦闘航宙団に比べ平民や下級士族が多いために複数人での袋叩きや待ち伏せなども平然と行うパイロットが多かった。

 

 尤も、そんな風に他人事のように観察していられる状況でもない。

 

「中尉!飛ばします!宇宙服の着用をっ!!」

 

 マコーネル准尉が叫ぶ、と共に機体は捻じれるように回転して襲い掛かる戦天使の攻撃を回避する。

 

「うおっ……!?」

 

 余りの衝撃に体が回転しそうになるのをベアトが受け止めベルトを掴ませると床の一角に設けられた収納庫を開く。

 

「べ、ベアト……!?」

「早くこちらに御着替え下さい!」

 

 必死の表情のベアトが収納庫から取り出し私に差し出すのは緊急時用の簡易宇宙服である。

 

 同盟軍において宇宙服を戦闘中に着る者が少ないのは一つに宇宙艦艇の防御手段は電磁磁場による反射と艦隊運動による回避が主流であるためだ。その上撃破されても轟沈でもなければ隔壁閉鎖やドローンによるダメージコントロールで復旧は可能だし、爆沈しても高度にブロック化された船体は、破壊されても封鎖されたブロック内で助かる者も少なくない。シャトルや脱出ポッドだって人員の二倍分が用意されており船内のどこにいても数分以内に脱出可能だ。

 

 一方で宇宙服は着続けると人体に不快感を与えて集中力を削るし、作業の上でも動きにくくなる。その癖デブリでも命中すれば挽肉になる事請け合いであり、酸素も数時間程度しか持たない。戦闘宙域を宇宙遊泳している間に酸欠確定だ。

 

 そのため戦闘中に宇宙服を着る事は一部を除いて余り無かった。今回の場合もシャトルが撃墜されたら十中八九死亡確定である。それでも少しでも生存率を高める必要があった。

 

 私は上着とスカーフを脱ぎ吐き気を堪えながら宇宙服を着始める。

 

「私の補助は良い!それよりお前も着替えろ!」

「ですが……!」

「これくらい一人で出来る!早くしろ!」

 

 そう言ってベアトに宇宙服を押し付ける。ベアトも押し問答をしても時間を無駄にするだけと理解して上着を脱ぎ出す。

 

 私は数分で服を着終えると右手にヘルメットを抱え、もう片方の手に二人分の宇宙服を持って操縦席へと向かう。

 

「マコーネル准尉!ルゥ軍曹!交代で着替えを!」

「馬鹿野郎!お前さんはさっさとヘルメットつけて伏せていろ!」

 

 私が来ればマコーネル准尉は罵倒を浴びせるように言い捨てる。二人共宇宙服を着ずに操縦を続けていた。

 

「し、しかし……!御二人共いつ着替えるつもりですか!」

「そんな時間あるか!いいからヘルメットを着用しろ!」

 

 そう言いながら機体を回転させてビームの光を避ける准尉。

 

「俺達は専科学校出の技能下士官だ!だがお前さんは士官学校出のエリート様だ!こちとら命捨ててでもあんたを助けないといけないんだよ!そんな物着ている時間あるか!……糞っ、機長!あのデブリ帯で撒きましょう!」

 

 ルゥ軍曹は苦々し気にそう言い捨てた後、准尉に提案する。

 

「中尉は新米士官殿だ!ここはプロに任せて早く後部座席に退避をして下さい!というか邪魔だ、失せろ!」

 

 明らかに面倒そうにそう言われたらこれ以上邪魔する訳にもいかない。私は後ろ髪を引かれる思いでヘルメットを着用すると敬礼をして後部座席へと向かった。

 

 今の私に出来る事は自身とベアトの生存率を上げる事、そして無事この難局から脱出出来る事を祈るのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

新米士官を追い出すとマコーネル准尉は舌打ちする。

 

「糞、しつこい白水母(ワルキューレに対する同盟軍の蔑称の一つ)共だな」

 

 二機のワルキューレは艦艇のデブリを盾に逃亡する306号シャトルを追う。追いかけっこを続けて少し主戦場宙域からは離れてしまっていた。シャトルは兎も角、ワルキューレは防空任務が主体のためそこまで航続距離は長くない。そろそろ諦めて欲しいのだが……。

 

「護衛も苦戦しているようですね、こっちに来る余裕は無さそうだ……!」

 

 レーダーを見れば護衛部隊は敵を二機撃墜と引き換えに更に一機喪失しているようだ。護衛部隊もベテラン揃いだがこのままでは全滅は時間の問題だ。

 

「恐らく俺達を追っているのは若手だな。ふん、楽な獲物だと思いやがって」

 

 マコーネル准尉は毒づく。この手の戦いにおいては護衛はベテランが多いため同じくベテランが相手を務め、武装のないシャトルを経験値稼ぎにルーキーに任せる事は少なくない。失敗しても反撃の可能性が低く戦場の空気を感じさせる事も出来る。

 

「まだ俺達が撃墜されていない事からもそうでしょうね……!ちぃ……!舐めやがって!」

 

 このまま逃げ続けていつまで攻撃を避けられるか怪しい。流石「聖アイスメーア騎士団」に所属しているだけあり、ルーキーながら動きは悪く無いし、攻撃も次第に精密性を増して来ていた。寧ろここまでシャトルが撃墜されずに逃げ続けている事の方が異常なのだ。マコーネルとルゥの操縦技術が非凡である事の証明であった。

 

「これは腹を括るしかないな……!軍曹、索敵頼むぞ!」

「っ……!了解!どうせ死ぬなら一矢報いるべき、という訳ですかねっ……!」

 

 次の瞬間シャトルはエンジン出力を上げ艦艇の残骸の密集するデブリ群を突き抜ける。大気圏突入能力もあるシャトルの装甲はワルキューレよりは遥かに頑丈であり、ぶつかる小さな破片を力づくで弾きながら、そして巨大な残骸は曲芸染みた技で避けながら宙域を突き抜ける。

 

 一方ワルキューレの装甲は貧弱だ。機動力こそ優れるがまだ若いのだろうパイロット達は思わず機体の速力を落す。

 

『糞っ!叛徒共め……逃がさねぇ!』

『待て!ディーター、焦るなっ、二手に分かれて挟み撃ちにするぞっ!』

『わ、分かったカール、俺は後ろを追う、頭を押さえてくれ!』

『おうっ、へまするなよ!?』

『当然だっ……!』

 

 二機のワルキューレは分散してシャトルを挟み撃ちしようとする。一機が後ろからもう一機がデブリ帯を離れて相手の頭を押さえようと先回りする。

 

『くっ……!索敵レーダーが役に立たねぇ……!』

 

 まだ青年の面影を感じるワルキューレのパイロットの声。そこには戦功に対する焦りが見て取れた。ワルキューレのレーダーは所詮単座式戦闘艇のレベル以上のものではない。エネルギーや金属反応の充満する艦艇群の残骸からなるデブリ帯ではその索敵能力に限界があり下手すれば目標を見逃しかねない。

 

『ちっ、ちょこまかと……!このまま逃がせばカール諸共隊長にどやされちまう』

 

 代々パイロットの職務についている下級士族家エンゲル家の次男ディーター・エンゲル中尉は愚痴りながら熱源の残滓を基にシャトルを追う。折角隊長達がくれた軍功を挙げる機会だ、逃がせば親友のカール諸共しばき倒される事請け合いだ。

 

『どこだ……?』

 

 360度視界が確保される全天周囲モニターに視界を泳がせながらエンゲルは獲物を探す。

 

『カール!そちらからは見つけられないか!?こっちからは発見出来ない!』

『何?デブリ帯からは出ていない筈だが……ディーター後ろだっ!』

『なっ……がっ!?』

 

 次の瞬間エンゲル中尉の視界は回転していた。凄まじい揺れがコックピットを襲う。

 

「シャトルが狙われるだけだと思っていたか!?」

 

 マコーネル准尉が叫ぶ。デブリ帯で動力停止して索敵センサー類を誤魔化し、敵機が傍に来ると共に機体の質量差を武器にした体当たりを仕掛けたのだ。エンゲル中尉のワルキューレは煙と機体の破片を巻き散らせながら迷走する。

 

『ぐぉっ……!?き、機体のコントロールが……!?』

『ディーター!脱出だ!脱出しろ!その機体ではもう持たん!』

 

 データリンクでエンゲルの機体の状態を把握したカール・グスタフ・ケンプ中尉は親友に脱出するように叫ぶ。

 

『ち……畜生!脱出装置が作動しない!』

 

 エンゲル中尉が悲鳴を上げ、ケンプ中尉は苦虫を噛み、士官学校同期でもある親友の生存の手段を考える。

 

『け、警報が鳴っている!も、もう駄目だ!糞っ……!叛徒共めっ……!糞っ…糞っ……無駄死になんて御免だっ……!!こうなったらいっそ……!!』

 

 迷走する機体を辛うじて操るエンゲル中尉。その口調にはある種の狂気が宿り、その機体の動きには同じく鬼気迫る意思をケンプは感じた。そして親友の行おうとしている事を察する。

 

『待て、ディーター!早まるな!』

『カ…カール!伝えてくれ……!ディーターは……士族エンゲル家の名誉に恥じぬ最後を……!』

 

 若干震える声で話す親友の声は、しかしそこから先は無線に雑音が入り聞き取りにくくなる。

 

 分解されながら正面より肉薄するワルキューレを視認するとマコーネル准尉はその意図を瞬時に理解すると共に舌打ちする。

 

「機長、来ます!糞ったれ!帝国の気狂い共め……!」

「軍曹、覚悟を決めろ!」

 

 この時点で回避が不可能である事は確実で、宇宙服を着ていない自分達は機体のどの箇所が衝突しようとも気圧と酸素濃度、機内温度の低下により生存は難しい事を二人は理解していた。故に彼らはこの場で自身のやるべき事を冷静に把握し、文字通り命を賭けてそれを成し遂げた。

 

『こ、皇帝陛下万歳……!』

「ファックカイザー!」

 

 特攻するワルキューレが激突する瞬間マコーネル准尉は機体を大きく傾斜させた。次の瞬間突撃したワルキューレがシャトルの「前半分」を引き千切る。スクラップとなった二つの鉄の塊はデブリにぶつかって爆散した。

 

『ディーター………!』

 

 遠方からの光学カメラによる粗い拡大映像で親友の最期を視認したケンプは暫しの沈黙後、厳粛に最敬礼をする。そして親友の「軍功」を確認した彼は機体を本隊の方角に向け宙域を離脱した。

 

 そしてこの時、彼は爆散の映像が遠方からの拡大映像のために確認出来なかった。千切れたシャトルの「後ろ半分」は四散せずにデブリが彷徨う宙域に漂っていた事に………。

 

 




ふと思いついた下らない小ネタ(ハリポタ風)
ルドルフ「さて、では卿にはどの仕事をしてもらおうかな?どの仕事をしても卿は偉大な功績を建てられる!」
ファルストロング(領地経営は嫌だ、領地経営は嫌だ……)
ルドルフ「領地経営は嫌か?ふむ、宜しいならば……社会秩序維持局局長ううぅぅぅ!」
ファルストロング「ファックカイザー!!」


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第八十七話 ロビンソン・クルーソーの正式な作品名は長すぎる

 個々の兵士達の奮戦空しく、戦闘は5月13日の時点で尚、どちらが優勢か解らぬままに前線各所では小競り合いが続いていた。

 

「反乱軍の補給も続くまい、恐らくは5月16日以降、遅くとも20日頃までに奴らは撤収する事になろう。我らはそれまでに奴らの正面戦力を叩き、可能であれば迫撃で更なる損害を与えねばならぬ」

 

 イゼルローン要塞司令部とモノレールで直通する最高級指揮官用の大食堂で食事を摂るミュッケンベルガー大将は答える。

 

 きらびやかなシャンデリア、軍楽隊によるクラシック演奏、従兵とコックが恭しく控え、天然高級木材の長テーブルの上には金塗りの燭台に銀のフォークやナイフ、美しい高級食器にはそれに相応しい豪華絢爛な料理の数々が並ぶ。無論、料理の食材は全て要塞内に設けられた農耕区画で作り出された天然有機栽培である。

 

 だが、卑しき平民共なら兎も角、そのような席に座る者達はその程度どうと言う事はない。華美な内装も、豪華な料理にも特に感動せずに要塞防衛司令官の言葉を反芻する。

 

「要塞主砲さえ撃てれば戦況はひっくり返す事が出来ますが……」

「今や敵味方共に要塞砲の射程内、一部では混戦状態の戦線まである。これでは早期の決着はつけられませんな」

 

 ナプキンで口元を拭う要塞陸戦隊司令官シュトックハウゼン少将、続いて従兵にグラスにワインを注がせる要塞後方支援部隊司令官グライスト少将が口を開く。

 

「左様、お蔭で私なぞ職務がなくなり退屈している程ですからな。働くのは艦隊や後方支援職ばかり」

 

 要塞主砲管制司令官リッテンハイム技術准将は肩を竦めながら銀食器の上のラム肉のソテーをフォークで突き刺し特に感動もなく口に運ぶ。

 

「空戦については若干こちらが優勢に傾きつつありますな。これも要塞の後方支援の賜物です」

 

 自身が三桁の単独撃墜記録を持つ元エースパイロットの要塞空戦隊司令官シュワルコフ少将は自身の指揮する空戦隊の善戦に機嫌良さげにシャンパンを呷った。体力と精神力が生死を別けるパイロット達にとって艦艇の中よりも要塞の中の方が安堵して休息をとれるのは言うまでも無いことだ。

 

「ふん、詰まらん。これでは前線まで来た意味がないわ。いっそ反乱軍共の一個軍団でも揚陸してくれば良いものを、これでは腕が鈍ってしまう」

 

 三羽目の七面鳥の丸焼きを食べきった屈強な偉丈夫はナプキンで汚れた口元を拭う。装甲擲弾兵副総監兼装甲擲弾兵第三軍団司令官オフレッサー大将は明らかに暇をもて余していた。余りに暇なせいで要塞内の闘技場で鍛錬どころか部下達と勝ち抜きのトーナメント戦を行う程だ。尤も、部下達からすれば一個分隊で襲いかかっても薙ぎ払われる上官と一対一で戦うなぞ罰ゲームに等しい。

 

 蛇足ではあるがこの試合は要塞内の下士官兵達にも好評であった。酒のつまみの余興や賭けの対象にして要塞内での娯楽の一つにしてしまった。見世物にされる者達からすれば不本意ではあるだろうが。

 

「卿が暇なのは良い事だ。卿が仕事に精励する頃には私は要塞失陥の責任を取り毒を呷らねばならん」

 

 ミュッケンベルガーの言葉は一見不機嫌そうではあるが、実の所それは生来の威厳と同時に険しさのある顔のせいである。実際は嫌みでも何でもなく、ただ淡々と事実を口にしているだけだった。

 

「グライフスは軍功を挙げているというに、同じく増援として来た俺が要塞内でお遊びに興じては話にならんのです」

 

 実際、精強な装甲擲弾兵軍団を引き連れてやることは毎日鍛練と試合ばかりと来れば口の悪い一部の艦隊要員や後方支援要員からすれば最前線で何をしに来たとも思いたくもなるもので陰口を叩く者もいない訳ではない。

 

 無論、そんな彼らも当の装甲擲弾兵達の目の前で糾弾する勇気はありはしないのだが……。

 

 つまらなそうに鼻を鳴らすオフレッサーはそのまま苺と生クリームのたっぷりかかったチョコレートババロアの大皿に手をつけ始める。

 

 恐らくは十人分はあるだろうそれを頬に傷跡の残る武人が大きな口を開き黙々と食べ続ける姿はシュールではあるが今更諸将も従兵達も誰も驚かない。ぎょっと見つめるのは彼がこの要塞に赴任した初日の晩餐会で経験済みであった。

 

「卿にはこの戦の後の反攻に助力願いたい、叛徒共が撤退すれば各地の惑星で持久する友軍の救援が必要となろう。その際に好きなだけ暴れれば良いのだ」

 

 イゼルローン要塞から同盟側出口の幾つかの惑星では同盟軍の攻勢により取り残された帝国地上軍や宇宙軍陸戦隊が地下に、残存宇宙軍が小惑星帯や辺境星系などに籠り抵抗を続けている。彼らは反乱軍の兵站を脅かすために時として星間ミサイルによる攻撃や、偵察と情報送信も担っている。

 

 そのため反乱軍も帝国軍の残存部隊の拘束と兵站の警備のため相応の地上軍と宇宙軍を展開せざる得ない。帝国軍から見れば反乱軍の遠征軍が撤退次第、これらの残存部隊と連携した反攻作戦を行い回廊出口周辺の制宙権の奪還を予定している。ミュッケンベルガー大将も態々一〇万もの増援の陸戦部隊を遊ばせるつもりはない。

 

「尤も、叛徒共もここでむざむざ兵站の限界が来るまで無策という訳も無かろう。さて、どのような策を仕掛けて来るのだかな」

 

 そう語りつつ、グラスを揺らす要塞防衛司令官。その呟きに少々浮かれ気味であった諸将が沈黙する。

 

 そこにまるで見計らうように従兵がミュッケンベルガー大将の耳元に耳打ちに来る。小さく頷いたミュッケンベルガー大将は席を立ち、場の者達に通達する。

 

「どうやら晩餐はここまでのようだ、叛徒共が動き出した」

 

 諸将は次々に立ち上がり、司令部に向かう。その場に残されたのは煌びやかに彩られた食事の山だけであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひはっ………!!?」

 

 私がどことなく息苦しさと不快感を感じ、目覚めたと同時に目にしたのは暗黒の世界だった。

 

「な、なんだこれはっ……ひっ!!?」

 

 パニック状態になった私は次の瞬間思い出す。そうだ、私はシャトルの座席でうつ伏せの状態で身体を保護していた筈だ。だが突如凄まじい衝撃がシャトルを襲い気が付けばシャトルの前半分が無くなっていた。視界は激しく揺れるシャトル内部でそこら中を舞いながら破片が空気と共に吐き出される光景がフラッシュバックする。

 

 私は悲鳴を上げていた。引き千切られた回線からは火花が散っていた。緊急警報のアラート音は空気が薄れる事で次第に消えていた。私は慌ててヘルメットのグラスを閉めていた。外に出されそうになる私の手を握ってベアトがヘルメット越しに何やら口を開いていた筈だ。そして次の瞬間シャトルはデブリに向けて突っ込み………。

 

「ベアトっ!?ベアトっ!!どこだっ!?どこにいる!!?」

 

 私は慌てて周囲を見渡す。どうやら私はシャトルの残骸内部に固定されているらしい。衝撃に備えた安全帯のお陰で宇宙空間に放り出される事態は避けられたらしいが今大事なのはそんな事ではない。

 

 私は何分……いや、何十分、あるいは何時間気を失っていた?残念ながら腕に付けている発条仕掛けの腕時計は宇宙服越しでは見る事は出来ない。宇宙服内部の不快感からそれなりの時間は経っている筈ではあるが……。

 

「そ、そうだっ!酸素残りょ……うえっ……ヴえぇぇっ!?」

 

 酸素残量メーターから気絶していた時間を逆算しようとするがここで今更のように吐き気がぶり返し、緊張感から宇宙服内で吐き出す。

 

「はぁ…はぁ……はぁ………くそっ…うえぇぇ……!!」

 

 こんな目に合う前にビニール袋の中で粗方吐き出していて幸いだった。お陰で吐き出した量は少なく、臭いもそれほどでもない。それでも胃が気持ち悪く、目元からは涙が出る。動悸が激しくなり、呼吸が荒くなる。

 

 落ち着け……!ここで無駄に酸素を浪費するなっ!酸欠で死ぬぞ!私は自分に言い聞かせるが体は相変わらず過呼吸に近い状態になっていた。

 

「ち、畜生……!」

 

 私は息苦しさと吐き気に耐え、必死に頭を働かせて酸素メーターを確認しようとする。ベアトが近くにいないのならどこかに飛ばされた可能性が高い。ならばベアトを早く回収し、酸素を確保出来る場所に向かわなければ二人共死んでしまう。いや、デブリの破片で負傷している可能性もあった、その場合は治療もしなければならない。こんな所で情けなく漂っている訳にはいかないのだ。

 

「濃度は……はぁ…はぁ……」

 

 理解している。しなければならない事は理解している。だが、それでも私は恐怖と緊張と不快感から完全に錯乱していた。

 

「あっ……ああっ……い、嫌だっ!し、死にたくない!だ、誰かっ!だれかいないのかっ!?たすけて……べ、ベアトっ!おねがい……おねがいたすけてっ………!」

『若様っ!』

 

 殆ど子供が泣きじゃくるように助けを求める私の声に、宇宙服内部のオープン回線からの良く聞き慣れた声が答えた。

 

 私は涙で曇った視界で必死に周囲を見る、そしてようやく遠くからこちらに近づく人型をを見つける。

 

「べ、ベアトっ……!」

 

 私は必死にそちらに向かおうと宇宙遊泳しようとして、安全帯で固定されている事に気付きそれを切断しようとする。

 

『若様っ!お止めください!そちらに行きますのでそれを切断してはなりません……!』

 

 慌ててベアトが注意する。その声に私はようやく冷静になる。そうだ、宇宙遊泳なぞ私が特に苦手な分野ではないか。人体を固定する安全帯を切断したが最後自身の体がどこに飛んでいくか分かったものではない。情けないがここはベアトが来るまで待つべきだ。

 

 私は未だ荒れる呼吸を可能な限り落ち着かせる。気が付けばベアトはこちらのすぐ近くまで近づいていた。相対距離や慣性、バックパックの空気の残量を気にしているのだろう、ゆっくりと、慎重に近寄り……そのまま私に抱き着く。

 

 その意味を理解した私は無線通信を切り、ヘルメットの視界確保用のグラス部分をベアトのそれにくっつける。無線では電力を使う。グラスの震動により会話をするのだ。

 

「申し訳御座いません、若様。御一人を残してしまいました」

 

 グラスの向こう側の金髪の従士は沈痛な表情をこちらに向ける。心から悔やんでいるようであった。

 

「若様が気絶為されておりましたので、こちらに固定させて頂き周辺の調査を行っておりました。若様は無重力が苦手で御座いますので下手に意識を取り戻されても不快感を感じると考え事前に御伝えせず申し訳御座いません」

 

 その説明は私を納得させるに十分だった。確かに私が意識を取り戻しても先程のように狂乱状態になるだけであろう。私が無駄に時間と酸素を消費するばかりか、このまま面倒を見る事になれば周辺調査の邪魔でしかない。

 

「い、いや……大丈夫だ。お前の考えは当然の事だ……。済まない、思わず取り乱した」

「いえ、若様の混乱は当然の事です。配慮を怠った私の責任です」

 

 ベアトは私の言に、しかし寧ろ罪悪感を感じるような表情を浮かべていた。

 

「そ、それで……どうだった?周囲はどうなっている?どれ程時間が経った?これからどうすればいい?」

 

私は懇願するように尋ねる。

 

「はい、まずここは見ての通り戦闘後の艦艇の残骸が漂うデブリ帯です。シャトルはどうやら主戦場から離れた宙域に移動していたようです」

 

一拍置いてベアトは続ける。

 

「時間は酸素の残量からの推測ですが遭難より一時間余りは経過しております。最後に今後の事につきましてはこのままでは最大でも二時間以内に酸欠状態に陥ります。ですので周囲のデブリに避難するべきでしょう」

 

 宇宙艦艇は損傷具合にもよるが大概はダメージコントロールのために隔壁で気密状態になっており、特に損傷の少ない残骸に乗り移ればモジュールのどこかは酸素の密閉されたエリアもある筈だという。運が良ければ物資の補給、通信や電源の復旧が出来れば救難部隊の派遣を要請出来る可能性も高いという。

 

「わ、分かった、お前がそう意見するならそうしよう。今もまだ気が動転していて冷静に考えるのは難しい。今は私よりお前の判断の方が正確だろう」

 

 私は可能な限り気を落ち着かせながらベアトの意見を分析し、理に適っている事を理解し肯定する。

 

「では、私が調査中に見つけた残骸に向かいましょう。外見から見て機関部から後ろが引き千切られておりますがそれ以外は然程損壊が無いようです。恐らく気密状態のブロックも相応にある筈です」

 

 ベアトはシャトル内にある緊急遭難キットのトランクを手に取って私の宇宙服と自身のそれとを安全帯で繋げその強度を確かめると私に語りかける。

 

「今からスラスターで目標まで向かいます。ですが私もスラスターの残量に自信が御座いません。若様のバックパックも必要になる可能性が高いですので僭越ながら私の合図に合わせてスラスターを噴かして頂けますか?」

 

 恐る恐る頼み込むような声。当然私がその頼みに反対する理由はない。

 

「分かった、任せてくれ、バックパックの利用程度ならば私でも出来る。ベアトも合図を頼む、信頼しているぞ」

 

 私はベアトの肩を叩いてそう激励する。実際私自身よりも地頭は信頼出来る。

 

「は…はいっ!お任せください!」

 

 ベアトは緊張しつつも力のこもった声で答える。呆れた忠誠心だが、だからこそ信頼出来るのも事実だった。

 

 ベアトが私とシャトルとを繋ぐ安全帯を外す。同時に私はベアトに抱き着く形で密着した。ベアトは周囲を見渡した後、私に「行きます」と伝える。

 

 体が浮遊した。上も下もない冷たい虚空の世界に放り出された私は恐怖感でベアトにしがみつく腕の力を強める。ベアトは冷静に、慎重にバックパックのスラスターを噴射して私と自身をデブリを避けつつ移動させる。

 

 二〇分余りの宇宙遊泳の後にそれは見つかった。細々とした残骸の中にある一際大きなモスグリーン色の鉄の塊。巡航艦であろう、船体の後ろ半分が失われていたが、逆に言えば前半分は表面の装甲にデブリの破片が衝突して凹んでいるものの貫通しているものはなさそうだった。船体に刻まれた番号からみて此度の遠征に参加した第二艦隊所属のものと思われる。

 

「若様、失礼ながらこちらのスラスターは切れそうです。若様の物を御願いします」

「あ、ああ……」

 

 私は片手でバックパックを操作する左腕のコンソールに触れる。

 

「左の一番、二番スラスターを、3……2……1……今!」

 

 その合図に従いスラスターを噴射する。二人の体は軌道を変更して巡航艦の残骸へと向かう。

 

「続いて下方一番スラスターを、3……2……1……今!」

 

 その命令に従い私はコンソールを操作してスラスターを噴かす。我々のすぐ傍数キロの位置を帝国軍戦艦の千切れた艦首部分が通り過ぎる。一見遠くに見えようとも宇宙空間である以上実際はかなりの速さで移動している。この程度の距離は加速すれば至近に近かった。

 

「流石若様です、もう少し御辛抱下さいませ。後少しです」

「ああ、分かっている。慌てずに行こうか」

 

 そう言いつつも私は内心心臓が張り裂けそうな程に緊張していた。怖くて怖くてたまらない。即死なら兎も角酸欠で苦しんで死にたくない。いや、即死でもこんな暗くて寒い世界で死にたくない。ベアトがいなければ完全にパニック状態であった事だろう。

 

 数回の軌道変更後、ようやく残骸のすぐ近くまで我々は近づく。ベアトはワイヤーガンを船体に撃つ。船体にワイヤーの先が吸着したのを確認すると減速しつつワイヤーを引き戻して我々は巡航艦の表面に着陸した。

 

「若様、御疲れ様で御座います。ここまでくれば後はそう難しくは御座いません」

 

 ベアトの表情に喜色の笑みが浮かんでいた。心からほっとしているようで、よく見れば彼女も相当緊張していたようであった。尤も、その緊張は恐らく私の御守りのせいであろうが……。

 

 船体に杭を打ち、安全帯で私と結ぶベアト。そしてその後私との安全帯を外して船体表面を探索する。数分もせずに船体のハッチを見つけると手元のコンソールからケーブルを取り出しハッチの差込口に結び付け、操作を始める。

 

『若様、危険ですので頭をお下げ下さい!』

 

 無線機でそのような指示を受け私は船体表面に平伏す。次の瞬間開いたハッチから資料やら雑貨やら機械の部品やら人の形をした何かが勢いよく飛び出した。

 

 深淵の宇宙に投げ出されたそれらを暫く見つめ、空気の排出が止まったのを確認して私とベアトは漸く船内へと侵入した。

 

 ハッチを閉め、二つ先のエアロックを抜け、そこでようやく息苦しく、むず痒くなる宇宙服を脱いだ。流石に重装甲服の如く二時間が限度、という訳ではないがそれでも宇宙服に何時間も包まれて愉快な訳はない。宇宙服を脱いだ体は蒸れて汗をかいていた。ようやくまともに呼吸した感覚がした。

 

「ベアト……」

「何でしょうか、若様?」

「………いや、何でもない」

 

 私は咄嗟に話を切り、そのまま背を向け座り込む。長時間の緊張と宇宙服の着用で疲れていた事も事実だが、それ以上に居心地が悪かった。

 

 ベアトに泣きじゃくるように助けを求めたのは今更だから別に問題はない(問題なくはないが)。

 

 だが、流石に汗だくの彼女の姿を無遠慮に見つめるのは宜しくない。

 

 白いカッターシャツは汗で少し濡れていて、細い体の線がよく分かり、下の黒い下着も僅かに透けて見えた。湿気がある鮮やかな金髪を下げる姿も、その髪を纏めたために見えるうなじが妙に艶めかしく見えたのも私の緊迫感の無い愚かな精神が為せる技であろう。

 

 今更ながらにやはり私の従士は世間一般の感性から見て美人なのだと理解する。貴族は美人率が(代々の美女イケメン食いのせいで)高いので忘れがちだがベアトが士官学校でラブレターをよくもらっていたのも当然だ。

 

 ベアトは僅かに首を傾げ不思議そうにこちらを見やるがすぐにやるべき事をやり始めた。ベアトは私と違い遥かに真面目で利口だった。

 

 まずベアトは緊急遭難キットの中身を開いて備品の検査を始めた。

 

 塩化ナトリウムを果糖でコーティングした塩の錠剤、濃縮ビタミンの調合された栄養ドリンクのペットボトル、ロイヤルゼリーと小麦蛋白の混合チューブ、エナジーバー等からなる栄養補給セット、これらは二人が五日は生きていける分がある(大概の場合その前に酸素が無くなるだろうが)。

 

 瞬間凝固樹脂スプレーは宇宙服に亀裂が生じた時に、瞬間冷凍止血スプレーは出血時に止血するためのものだ。カルシウムの注射薬は長時間の無重力状態で人体からカルシウムが減少した場合注射する事になる。

 

 信号弾とハンド・カタパルトは救難信号を知らせるためのもの、予備の安全帯は人体の固定のために、小型救難信号器は作動と共に三週間は信号を放つ。

 

 簡易機械工作器具セットが一つに保熱性化学繊維の寝袋が二つ、自衛用のスタングレネードが四つにブラスターは二丁、エネルギーパックは四つ、最後にファインティングナイフ二本、以上が中身の全てだった。

 

 続いて携帯端末でベアトは艦内システムにアクセスした。

 

「動力は当然ながら喪失しておりますがこの際は寧ろ幸運です。誘爆や放射能汚染の心配がありませんので。気密状態で呼吸可能なモジュールブロックは一一区画、内換気設備・温度調整設備が生きているのは六区画です」

 

 予備電源は緊急時に備えモジュールブロックごとに置かれている。通常モードでは一週間程度しか持たないが生命維持用の最低限の環境維持のために節約すれば最大二か月は持つだろう。

 

「食料等は各モジュールに設置された緊急用保存食でどうにかなる筈です。救助が来るまでこれで持たせましょう」

 

 ベアトはそう説明する。二人でならば限られた酸素と物資でも相応の期間は生存出来る筈だった。歴史を紐解けば撃破された戦艦の残骸から一年ぶりに生還した生存者の記録もある。節約と工夫を凝らせば暫くは持つ筈だ。

 

 暫く休憩を取った後、護身用にブラスターを手に艦橋にまで向かう。データの大半は放棄の際に破棄されていたが修復用の暗号をダウンロードしてこの艦についての情報が手に入った。

 

 第二艦隊第三分艦隊第22戦隊第78巡航群第339巡航隊所属780年C2V3型巡航艦「ハービンジャー」、艦の記録によれば5月8日1440時頃に船体に電磁砲撃を受けて後方が引き裂かれた状態で大破、幸運にも誘爆はせずに乗員は同日1530時までに艦を放棄して撤収したと記録されている。

 

「どうやらこの宙域まで流れてきたようですね」

 

 後数百年ないし数千年もすれば回廊の危険宙域に落ちるなり、恒星アルテナの重力に捕まり引き摺られる事になるだろう。あるいは帝国軍か同盟軍の工作艦艇により航行の障害デブリとして撤去させられる可能性もある。

 

「かなり今の主戦場から離れているな……救難信号に気付くか怪しいな」

 

 とはいえ救難信号を出さなければ生還はまず不可能だ。取り敢えず救難信号の発信と共に艦内の予備電源は全て艦橋の気温と換気に使う。気密区画の空気漏れが無いかを調査し、艦内に残留する物資を集積する。集積する主な物資は食料・医薬品・武器である。

 

「センサーはどうする?」

「アクティブセンサーは賊軍に逆探知される可能性もあります。パッシブ金属探知センサーはこのデブリでは使えませんが、熱探知センサーや光学センサーで周辺の警戒は行えるはずです」

 

 無論、暫しの間放置されていたため多少の回線の修理は必要であった。

 

「重力操作と慣性操作が生きていたら良かったが……贅沢は言えんな」

 

 私は顔を青くしながら回線を繋ぎ直していた。残念ながら双方ともお釈迦になっていたし、生きていたとしても電力をかなり食う代物だ。残念ながら無重力酔いは耐えるしかない。

 

 日付は変わり5月14日0130時頃、行える事は全て行った私達は艦橋で食事を摂る。当然ながら第二艦隊所属の艦艇のためライヒなぞない。プロテインとビタミン入りミルク、ヌードルスープ、チキンとチーズのグラタン、ツナサラダ、エナジーバーの食事を淡々と食べる。加熱処理は可能だが無重力状態での食事を想定された非常食のため水気が少ないものや袋詰めのものが殆どだ。それでも今の私達にとっては数少ない娯楽ではあるのだが……。

 

「酸素は後どのくらい持ちそうだ?」

「船内の全ての酸素を二人で使うと仮定すれば二か月は持つかと」

「二か月、か……」

 

 広大な宇宙空間においてその時間を長いと見るか短いと見るか……いや、それ以上に問題は同盟軍がいつまでこの回廊に展開しているか、だ。

 

「遠征軍司令部も撤退を考え始めていたからな。これまでの遠征の前例から見ると後三、四日……多めに見ても一週間で撤収するだろう。そうなれば……」

 

 同盟軍が撤収すればここで自決するか、酸欠か餓死するか、あるいは降伏か……。

 

「はっ……」

 

 思わず小さな笑い声をあげていた。自虐の笑みだった、どうやら私もかなり門閥貴族精神に汚染されているらしい、降伏を一番最後の忌むべき選択として考えていたのだ。

 

「……若様、申し訳御座いません。再三、若様の寛大な処置により御傍に置いてくださいましたのにこのような危機に置いてしまいました。これではもう伯爵家にも実家にも、先祖にも顔向け出来ません……」

 

 私の笑い声を状況に対する苛立ちか何かであると解釈したのか、ベアトは悲壮な、泣き出しそうな顔でそう口にする。

 

「えっ……あっ、いや、その事は気にするな」

 

慌てて私はベアトの勘違いを否定する。

 

「ですが……!」

「いやいや、落ち着け。冷静に考えろ、お前の落ち度がどこにある?」

 

 任務に参加する意思を示したのは私であり、しかも贅沢にもシャトルのパイロットは一流で護衛の質も量も奮発してもらった。遭難時もパニックになる私の代わりに適切な行動を取り、このような目前の生命の危機からは解放された。明らかにベアトには功績があろうとも失態は無い。

 

「寧ろ助かった。正直宇宙遊泳は本当に苦手でな、ベアトがいなければ途方に暮れていた」

 

 冗談抜きで真空で真っ暗な宇宙で一人取り残されたらその孤独感は半端なものではない。宇宙服一枚隔てた先は生命の生きられない音も無い極寒の世界、徐々に減る酸素、無重力状態による吐き気、到底一人で正気を保てたとは思えない。

 

「本当に感謝している。ここまでの働きだけでも、正直これまでの失態の帳消しにお釣りが来る程さ」

 

 客観的には異様なほどにベタ褒めする私だが、主観的には実際それ程までに助かっていた。相変わらず私は重力に魂が引かれているようだ。

 

「しかし……いえ、若様の御言葉ありがたく頂戴します」

 

 一瞬否定しようとしたベアトは、しかしそう語る私が心からそう考えている事を察すると心底有難そうに恭しく頭を下げる。

 

「……さぁ、早く食べよう。室内気温は低いから冷めやすい」

 

 電力の節約のために艦内の空調は若干低めに設定していた。お陰で加熱処理した食事もすぐに冷えてしまう。そのため出来るだけ早く食べる必要があった。

 

 ……まぁ、私の場合吐き気と戦いながらだからちびちび食べるしかないんだけど。

 

 食事の後、我々は保温繊維製の寝袋にそれぞれ入り艦橋のモニター以外の照明は切る。これもまた電力の節約のためだ。

 

 兎も角も、今はさっさと寝てしまい疲労した体を休ませなければならなかった……。

 

 

 

 

 

「………いやまぁ、そう簡単に寝れたら苦労はしないんだけどな」

 

 就寝から二時間程経過して、私は寝付けずに起き上がる。理由は分かっていた。

 

「………やっぱり思い出すな」

 

 額から流れる嫌な汗を拭い、私は深く、深く深呼吸して精神を落ち着かせる。

 

 瞳を閉じてフラッシュバックするのはシャトルが切断された時の場面だ。何が起きたか分からず、悲鳴を上げていた。あの時、私は文字通り死を覚悟した。あの恐ろしさは形容出来ない、或いは航空機事故に遭う時はああいう最後なのかも知れない。

 

 気持ち悪い……無重力酔いもあるが文字通り一歩間違えれば死んでいたあの瞬間を思い浮かべると今現在が死ぬ直前に見ている夢では無いかと疑ってしまう。寒い室内の気温のせいで自分の体が死人のそれではないかと錯覚する。瞼を閉じればあの暗い真空の世界を思い出す。

 

「………死にたく無いなぁ」

 

 心の底から何かを信仰している訳ではないが、手を重ねて祈るように呟く。こんな寒い所で死にたくない……軍人である以上もっと酷い死に方は幾らでもあるし、そもそも退役まで生存出来るか怪しい以上、贅沢過ぎる願いではあるあろう。

 

……だがそれでもやはり死にたくない。

 

 子供っぽいと笑われそうだが怖いのも、寒いのも、痛いのも、苦しいのも嫌なのだ。

 

「んっ……」

 

 すぐ傍で声を立てる音がした。びくっ、とそちらに目を向ければ従士が寝袋の中ですぅすぅ、と小さく寝息を出していた。

 

 私は安堵の息を吐き(びびりとか言わないで)、何となしにその寝顔を見つめる。

 

 端正で線の細い顔立ちは未だに幼さがあった。小さな寝息を反復する姿はどこか保護欲を駆り立てる。尤も、保護されているのは私だが……。

 

「………」

 

 腕を伸ばしその髪に触れてみる。さらさらとした触り心地の良い毛並みだ。ほんのりと柑橘類の香りが漂う。

 

 頬に触れてみた。染みもない良く手入れされている白く柔らかいそれは優しい温かみが感じられる。

 

そして手を頬から首元に流すように動かし………。

 

「おい、待て。何を考えている」

 

 そこで我に返り腕を止める。危ない、もう少しでらいとすたっふルールに抵触する所だった………って、冗談は置いておいて……。

 

「はっ、動物かよ」

 

 つい、自嘲するように笑った。死に直面するとそちらへの欲求が増すという話は聞いたことあるが……。

 

「いや、けどなぁ……」

 

 客観的に考えてここで力尽くで襲ってみろ、信頼関係壊れるなんてものじゃないぞ。自身の命を助けてもらいながらここでそんな事したら凄惨な事件が起きそうだ。信頼は築くのは難しく壊れるのは一瞬だからな?

 

 そもそも戦闘技能では男女の体格差があるが技量面で油断すればベアトに負ける。襲った次の瞬間口を塞がれて寝技で首折られる可能性もなきにしもあらずだ。暗いと敵襲と思って確認せず即殺してくるかも知れん。

 

 ……毎度思うがこんな思考が出てくる時点で私も随分と門閥貴族的価値観に侵食されていると認めざる得ない。やはり心のどこかでは従士を好き勝手出来る「私有資産」と考えているのかも知れない。美少女が洗脳教育のせいで甲斐甲斐しく世話してくれるせいで勘違いしてしまう。

 

分かってはいる、分かってはいるが………。

 

「………」

 

 どことなく心臓が高鳴る音が激しくなるのを感じる。それは緊張と恐怖と背徳感、そして動物的な下世話な欲望の不安定な混合物であった。

 

 道徳面と合理面で理性がその行いを非難しているが、同時に度重なる死への恐怖が激しく欲望を刺激していた。どうせ死ぬのなら最後くらい好きにしてやろう、とでも言うのだろうか?

 

暫しの間、脳内で二つの思考が激しく争う。

 

「……寒いなぁ」

 

 限りなく拮抗していた両者の争いの勝敗の明暗を分けたのはこの艦橋の室温だった。どこか肌寒い室温が私に温かい人肌への欲求を後押ししたのだ。

 

 再び自身の眼に邪な情欲の光が宿るのを自覚する。止めておけ、と自身に言い聞かせるがそれとは別に夢遊病者のように手元は従士の下に伸び……。

 

「若…様……?」

 

 その声に私は一瞬竦みあがる。見れば眠そうにぼんやりとこちらを見つめる従士の視線に気付く。その視線には敵意や猜疑心、警戒心なぞ一切無く、純粋無垢な子供のように私を不思議そうに見つめていた。

 

「………」

「若様……?」

「いや、済まん起こしたな」

 

 その姿を見て再度芽生えていた醜い劣情は再びに霧散する。なぜならそこにいたのは子供時代に泣きじゃくる私を慰めてくれた少女の姿だったのだから。彼女にどうしてそんな卑しい感情を向けられよう?

 

「何かお困りでしょうか?」

 

 忠義深い従士は私が何事かに困り傍に来たのではないかと考えたらしい。眠たげな表情でそう尋ねる。

 

「いや、少し肌寒くて起きてしまってな」

 

 半分誤魔化すように私は答える。少なくとも丸っきり嘘ではない。

 

「………それでは一緒に寝ますか?」

 

 寝ぼけた表情で暫し私の言を反芻していた従士は恐らく疲れと眠気で頭が余り働いていないのだろう、そんな事を言ってのける。

 

「そうだな、それは良い案……んんんっ?」

 

 私はその返答は想定していなかったので一瞬肯定してしまいそうになった。

 

 私の困惑を他所にベアトの方は寝袋を開き、いつも通りに微笑み(しかし眠気から緊張感の緩い表情で)、こちらを招く。

 

「さぁさぁ、こちらへどうぞ」

「どうぞって言ってもなぁ……」

 

 いきなりはい分かりました、と言う訳にもいかないのだが……。

 

「わ、私また粗相を行いましたか……!?」

 

 私の反応に対して自身に過失があったのかと考えたのかベアトはびくりと怯えるように答える。

 

「いや、そうでは無くて……そうだな、ではその提案に従おうか」

 

 私が一転して提案を受け入れたのは疲れから宥めるのが面倒に思ったのとやはり肌寒い事が理由だった……いや、言い訳は止めよう。まだ僅かに残っていた人肌恋しさをこの機に多少なりとも解消しようとしていたのだ。

 

 私は誘われるように寝袋に入り込む。……あ、マジで結構温かくて心地好い。

 

「狭くはありませんか……?」

「いや、大丈夫だ」

「それは良かったですぅ……」

 

 ほんわかとした眠たげな笑みを浮かべる従士はそのままうとうとと再び眠りについてしまう。極限状態で足手まといの私に注意しながらデブリ帯で探索活動をしてきたのだ。宇宙遊泳だけでも思いのほか重労働なのを考えれば仕方ない事だった。

 

「……お休み」

 

 目の前ですやすやと小鳥のような寝息を立てる従士にふと呟いた。いつしか睡魔に誘われ、私はゆっくりと夢の世界に落ちる。

 

 ………寝袋の中は温かく、私は不安も恐怖も感じずに安心して意識を手放せた。

 




小ネタ・国家革新同盟結成祝賀会にて
ルドルフ「ファルストロング!なぜ会場がドイツ式パブではなく鳥○族なのだ!?」
ファルストロング「黙れや、お前のせいでこの前ニンジャに家吹き飛ばされてんだよ、金欠なんだよ取り敢えず殴らせろ」

ボゴッ!ドスッ!バキンッ!(醜い争いが起きている音)

エリザベート「皆さん、夫と兄は無視してどんどん飲んでくださいね?」
リッテンハイム「今だファルストロング!顎だっ!顎を殺れ!」
カストロプ「ロリ巨乳人妻の御酌キタコレ!」
ブラウンシュヴァイク「かゆ…うま……」


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第八十八話 飛ばねぇ貴族はただの貴族だ

やっぱりジブリは紅の豚が至高だと思った(唐突な感想)


 5月13日2000時から翌5月14日0300時にかけて同盟軍右翼第一一艦隊は攻勢に転じた。

 

 第三・四分艦隊が迅速な陣地転換により相対する帝国軍第二竜騎兵艦隊の側面に回り込んだ。前方を受け持つ第二・五分艦隊と共に第一一艦隊は十字砲火を加え帝国軍の戦列を削り取る。狭い回廊内でのこの大掛かりな機動戦は780年代の軍備増強計画により回廊内での戦闘を前提とした艦隊編成に再編された第一一艦隊だからこそ可能なものであった。

 

「ここで帝国軍の隊列に亀裂を入れられれば後退のタイミングを図れるのだけれど、まぁ上手くはいかないわよね」

 

 第一一艦隊旗艦カンジェンチュンガ級旗艦級大型戦艦10番艦「ドラケンスバーグ」艦橋内でコーデリア・ドリンカー・コープ中尉は頬杖をした状態でデスクに座りメインスクリーンを見やる。

 

 後一歩で崩壊させ得る、と言う所で第四弓騎兵艦隊の砲艇部隊が凄まじい速さでその穴を塞いできた。お陰様で第二竜騎兵艦隊もタッチの差で陣形の再編を行い戦線は再び膠着しつつある。前と側面からの挟撃は維持しているが同盟軍はエネルギー不足による火力の減衰、対して帝国軍は要塞からの後方支援の結果贅沢にも中和磁場を全開にして展開している。結果として同盟軍は戦力と火力の分散という愚を犯したに等しい。

 

「これならあんたの言った通り、側面から全力で火力を叩きつけた方が良かったかもね」

 

 コープは横のデスクで書類を整理するウィレム・ホーランド中尉にぼやくように語る。ホーランドは此度の作戦に対して提案の一つとして戦力を二分化しての挟撃ではなく、全軍による側面攻撃、それにより第二竜騎兵艦隊を要塞駐留艦隊の展開する宙域に押し込む作戦を作成していた。

 

 尤も、あくまでも彼の作成したのは所謂参考意見であり、作戦参謀でもない以上その意見は然程反映されず、彼自身も自身の作戦を強く提案したわけでもない。そもそも任官して一年未満の若造の作戦に艦隊司令部がそこまで色めき立って注目する道理も無かった。

 

「まぁ、それだけでもないのだろうけど」

 

 コープは意味深げに呟く。確かに新兵である、というのも一因ではあろうがそれ以上に出自から意見を軽視された側面も否定は出来なかった。

 

 ヴォルムス出身の帝国系、というだけでこの艦隊では居心地は良いとはいえない。ましてそんな出自のひよっこが意見しても生意気と言われるのがオチである。

 

 少しだけバツの悪そうな顔をするコープ。

 

 何を血迷ったのか改名した挙句同胞を捨てたために亡命政府の顰蹙を買い士官学校次席でありながら最前線の激戦地に投げ込まれたこの同期をこの艦隊司令部に招き寄せたのは彼女自身だ。優秀な人材を消耗させたくない、という意図と士官学校でのライバルを詰まらない戦地で無駄死にさせたくないという理由からの善意ではあったが失敗だったかも知れない、と思う。やはり改名しても、縁を切っても上の世代にとっては血は水より濃い、という認識らしい。純粋な帝国系というだけで士官学校次席でありながら冷遇されていた。

 

「そうでもあるまい。俺のような若造の意見を司令部の参謀達が鵜呑みにすればそれこそ愚かというものだ。作戦自体は完成度は高かった。実際成功まで後一歩の所だった。問題は……」

「ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ」

 

 ホーランドの意見を先読みするようにコープはその人物名を呟く。ホーランドはコープの方に視線を向け、頷く。

 

「これまでも優秀な中堅司令官としては有名ではあったが、甘すぎる評価だった。一個艦隊、いやそれ以上を指揮するとしても十分な力量があると思うべきだ」

 

 優秀な艦長が優秀な戦隊司令官とは限らないし、優秀な戦隊司令官が優秀な分艦隊司令官や艦隊司令官とは限らない。人は無能になるまで出世する、と提言したのは西暦二〇世紀の社会学者であったか、兎も角も戦闘艇艦隊の司令官としてであるとはいえ一個艦隊を初めて指揮してここまで動けるものなのか、と敵ながら驚嘆せざる得ない。

 

「面倒ね、見る限りかなり堅実な指揮だわ。命令一つ一つは平凡だけれどミスが無い。奇策で吊り上げるのも難しそうね」

 

 メルカッツ、と言う指揮官の指揮を一言で表すならば「正道」であろう。平凡で保守的な艦隊運用は、だからこそ堅実であり、攻めがたい。戦いになれば余程将器に差が無ければ確実に消耗戦になるであろう。勝利出来る軍人かと言えば判断に困るが大敗するタイプの軍人では無いのは間違いない。安心して大軍を預けられるタイプの提督だ。

 

「いえ、その点でいえば他の敵将も同じね、嫌なほど粘り強いわ」

 

 余り活躍の無いグライフスも何度危機に陥ろうとも寸前の所で持ち堪えるし、ヴァルテンベルクも猪突猛進な面はあるが逆撃を受けても崩壊しない。ブランデンブルクは全軍を良く統率して寡兵で良く大軍の猛攻に耐えている。

 

「帝国軍は統率力に長ける将官が多いからな。どれだけ劣勢でも崩れにくい」

 

 階級社会である帝国において門閥貴族階級の役目は指導者であり、リーダーシップや決断能力、統率力が求められる。そしてそれは軍隊において将官に求められる資質の一つでもある。それ故に帝国軍には部隊の士気を的確に高め、どれだけ撃ち減らされても組織的抵抗を続けるだけの粘り強さに定評ある貴族軍人が多い。

 

 その上でメルカッツはほかの諸将に比べ一層自制心が強いようだ。こちらが敢えて隙を見せても全く反応してこない。尤も、こちらが本当に危機に陥っても積極的な攻勢に出る事も少ないために意地の悪い者が見れば失敗を極度に恐れる臆病者に映る可能性もある。

 

「あるいはそこが撤退に際して付け入る事が出来るかも知れないけど……」

 

 コープはそこまで考えて撤退作戦について自分なりの草案を脳内で思い描く。そしてその内容の客観的評価を尋ねようとちらりとホーランドを見て、その考えを取り止める。

 

「……もしかして気にしている?」

「何をだ?」

 

 そう即答するホーランドはしかし、何か別の事を考えているように上の空だ。

 

「何をって……自分の胸に聞いたら?」

 

 呆れ気味にコープは吐き捨てる。ここ数時間程キレの鈍っているホーランド、理由は大体察しがついていた。

 

 数時間前に伝わった連絡、内容は伝令シャトルの行方不明と言うありふれたものである。幸運にも予備のもう一機は目的地に辿り着いたため命令自体は通達され戦況に影響はないが、問題は行方不明の方の乗員である。

 

 そのお陰で戦線の一部を預かる亡命軍が戦闘中にも関わらず三ダースに及ぶ抗議文を遠征軍司令部に送信してきて通信が一時的に混乱する事態に陥った。

 

 遠征軍司令官ブランシャール元帥は抗議文を読んで困ったとばかりに苦笑いしたというが、それはそうとして無碍にも出来ない。巡航艦と駆逐艦合わせて一〇隻余りの捜索隊が派遣されたとも聞くが撃墜されたとしたら見つかるのはシャトルの残骸や肉片くらいのものであろう。

 

「ここまで来るとあいつ、呪われているんじゃないの?」

 

 コープとしては派閥は兎も角同期の命の危機ではあるがここまで来ると心配よりも呆れの感情が先に来る。比較的安全な部署に歴任しながら一年のうちに三度死にかけるというのもなかなかお目に掛かれない。このまま行けば後方勤務本部に着任しても初日にテロに遭いそうだ。

 

「呪いか、有り得るな。陸戦演習や山岳行軍訓練でもやけに敵を引き寄せたしな」

 

 ホーランドの脳裏によぎるのはなぜか相手チームの陸戦隊主力と鉢合わせたり、山岳地帯でアグレッサー役の同盟地上軍の戦車を引き連れて自分達の下に逃げて来た同期の姿だ。お陰でほかの同期にこっち来るな!と真面目な顔で言われながら全員に逃げられていた。

 

「もうあいつ軍艦に括りつけて殿にしたらいいんじゃないかしら。多分「雷神の槌」がピンポイントで狙ってくるわよ?」

 

 コープのその冗談にホーランドは小さく笑い声を漏らす。その顔はいかにもあり得そうだ、というものだった。

 

「その癖、何だかんだあっても大概生き残るから始末に負えんな」

 

 ホーランドはその厳つい表情で呆れるような笑顔を作る。コープは少しだけ驚いた、彼女にとっては初めて見る表情であったからだ。

 

「そうだな、ゴキブリのように生き汚い奴の事だ、そのうちひょっこり現れるだろうな」

 

ホーランドのその言は希望ではなくある種の確信を帯びていた。

 

 その姿を見たコープは目を丸くして、次いで少しだけ不機嫌そうになり、気を紛らわせるかのように艦橋のメインスクリーンに視線を移した。戦局は未だどちらが優勢とも言い難い混迷の中にあった。

 

 

 

 

 

 

 目覚めた私がまず目にしたのはすやすやと眠りこける従士の寝顔だった。

 

「………」

 

 一瞬硬直した私は次の瞬間に就寝前の事を思い出し、冷や汗を流す。

 

 ……あかん、昨日は調子に乗り過ぎた。あれだ、若気の至りという奴だ。一晩起きて頭を冷やして考えたら分かる。同じ寝袋で寝るとかダウトだろ、常識的に考えて。

 

 取り敢えず私のやるべき事はベアトを起こさずにゆっくり寝袋を出て何事も無かったのように身支度をする事だ。大丈夫だ、私は指一本触れていない、寝ぼけていたとしても入るように言ったのはベアトだ、承諾したのは私も寝ぼけていて正常な判断が出来なかったためで不可抗力なのだ。その上で問題が起きるまでに退避するのだ(逃げたわけではない)。うむ、隙の無い完全な論理武装だ。………多分。

 

「………綺麗だよなぁ」

 

 暗闇の中でも光を反射して輝く深い金髪に、白く柔らかな頬、血色の良い口元に整った歯並び、大きく鮮やかな紅色の瞳がこちらを見つめる。それは美形の血を取り込み、整った栄養バランスの食事で健康な体付きを維持し、小さい頃から美容に気を使ったからこそ生み出されるある種の芸術作品と言えるだろうって……。

 

「見つめる?」

 

 私は目の前の従士を見やる。紅玉のような瞳がこちらを見つめていた。その中には明らかな困惑と混乱と驚愕が写り込み、次第にそこに理解と恐怖の色が加わる。

 

「ベア……」

「申し訳御座いませんっ!」

 

 言い訳を言う前に恐怖に竦む従士が私に悲鳴に近い謝罪の言葉を叫ぶ。

 

「わ、若様に何て無礼な事を……このような狭苦しい寝袋にっ……それに汗臭い姿に密着してっ……い、今すぐ離れます!お待ちください!」

「いやっ……ちょっ……!?うおっ!?」

 

 そう言って寝袋から出ようとしたベアト、そしてそれを引き留めようとした私、双方共慌てて周囲を良く見ずにそんな事を行った結果として寝袋に引っ掛かり、我々はバランスを崩す。

 

「痛っ……げっ」

 

 私は慌てて肘をついて自身が床に倒れるのを阻止するが、同時に現在の状況を理解して表情を凍り付かせる。

 

 現在の状況を端的に説明しよう、共に白いカッターシャツの寝起きの男女、男は床に倒れる女に覆いかぶさる形で肘をついている。そして互いに相手の顔が目の前にある訳だ。

 

 安い三文小説ならばここで恋が始まるのであろうが、現実にはそんな事は有り得ない。ベアトの主観では寝て起きたらいきなり私に押し倒されると言う事案しかない状況だ。性犯罪発生三秒前です。憲兵サン、こっちですよー?

 

「………」

「………」

 

 互いに文字通り目と鼻の先の相手の瞳を見つめる。柑橘類の爽やかな香りが鼻腔に漂う。その香りに一瞬誘惑されるがそれもベアトの瞳を見れば一瞬で消え去る。

 

 ベアトの瞳は震えていた。瞳の奥底には私に対する恐怖と緊張、そして悲しみの色が見えた。というか失望の色じゃないのかこれ?

 

「え、えっと……ベアト落ち着け?」

 

何で疑問形なんだよ、私だよ落ち着くべきなのは。

 

「は、はい……」

 

 一方、ベアトは震える声で律儀にも答える。うん、分かる。凄く怖いですよね?

 

「えっと……その、あれだ。すまんな、勝手に寝袋の中にいて驚いただろ?」

「は……はい………」

 

不安そうな口調でベアトが答える。

 

「その、何だ、一度私が起きた時の会話、覚えているか?」

「はい……」

 

 取り敢えず男らしくなく言い訳をするとしよう。ここでベアトとの関係悪化はイコール死を意味するからだ。

 

「私もかなり寝ぼけていてな、本来ならばあのような提案受け入れるべきでは無かったのだが……迷惑をかけるばかりか怖がらせたな?」

 

 私が女ならいきなりベッドの中に男がいたら怖いどころの話ではない。

 

「い、いいえ……し、謝罪はこちらのすべき事です。寝ぼけていたとはいえ、あのような不躾な提案をした事をお許し下さい」

 

 萎縮するベアトはそう答える。その表情を見る限り本当にそう考えているのだろう。……御免、こっちも下心有りで提案に乗ったんだよ。というか寝ぼけているのを良い事に取り入ったんだよ。

 

………いや、本人には言えないけどな?

 

「そ、そうか。……いや、私もそれは同じだ。寝ぼけていたとはいえ、最終的決定は私がしたのだ。ここは御互い様と言うべきだろうな、そうだろう?」

 

 私は自身の立場を守るためにそのように落とし所を着ける。完全に誤魔化しだ。

 

「は、はい……そう、ですね……はい、若様の御慈悲に感謝致します」

 

 何事かベアトの脳内で結論に達したのか、暫し考えこんだ後、そのように謝意を示す。

 

 私はその言葉に余裕を持った表情(の振り)をして頷く。そしてそのまま極自然に覆い被さっている体勢から離れる。

 

「……」

「……」

 

 互いに起き上がり、暫し無言で、バツの悪そうに見つめ合う。まぁ、何を話せばいいのか分からんので当然だ。

 

……気まずい。これ、何か話した方が良いよな?

 

「そういえ……」

 

 艦橋内の警報が鳴り響いたのは、私が意を決して従士に対して口を開こうとした正に次の瞬間であった……。

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ、ベアト?」

「少々お待ちください、今拡大映像を出します」

 

 すぐさま軍人として私達は行うべき事を始める。予備電源と繋げた艦橋の生き残っている端末を利用し、警報の正体を把握するのだ。

 

 巡航艦「ハービンジャー」に装備された未だ辛うじて稼働する高性能光学カメラが対象を所々映らない艦橋のメインスクリーンに映し出す。

 

「……巡航艦だな」

 

 映し出されるのは帝国軍標準型巡航艦、正確にはその残骸である。「ハービンジャー」とは真逆で艦首が吹き飛び後ろ半分のみが残るそれは明らかにこちらとの接触コースに乗っていた。恐らく巡航艦の衝突警戒警報がこれに反応して鳴り響いたのだろう。ゆっくりと浮遊している現在の状態ならいざ知らず、損傷していない航行中の艦艇ならば数分で衝突してしまう距離だ。

 

「……衝突して持つと思うか?」

「賊軍の標準型巡航艦の質量は同盟軍のそれを上回っています。単純に衝突すれば損害はこちらの方が大きいでしょう」

「だよなぁ……」

 

 全般的に防衛戦を中心とする同盟軍は兵站面を気にする事は少ない、その上揚陸能力や航続能力も重視していないため帝国軍のそれより一回り小柄だ。よく言えば必要な性能のみをコンパクトに纏めて的を小さくしているとも言えるが悪く言えば貧乏性で拡張性が小さいともいえる。

 

 まぁ、設計思想の評価は兎も角もここで重要なのは同盟軍の戦闘艦艇は帝国軍のそれよりも小さいと言う事だ。当然ぶつかればどうなるか言うまでもない。少なくとも衝撃によって最良でも中の人間は全身鞭打ち状態であろう。

 

「選べる選択肢は二つに一つ、ここを放棄して別のデブリを目指す、あるいはあれの軌道を変える。どちらが良い?」

 

 私はベアトに問いかける。答えは出ているがベアトの意見も聞きたかった。

 

「あのデブリの軌道を変更する以外にありません。他のデブリに移動、と言いましてもこの辺りである程度形の整ったデブリはほかに見当たりません。ここの放棄後に代わりが見つからなければ酸欠になります。一方、あのデブリの軌道を変えるのは然程難しくはありません。ランチで向かい幾つかの箇所に爆薬を仕掛ければ軌道を変える事は可能でしょう。場合によっては内部を捜索して物資の補給も可能かも知れません。問題があるとすれば………」

「残兵か?」

 

 私はベアトが続けようとした言葉を紡ぐ。ベアトは無言のままに頷いた。

 

「あの外見から見ると内部も相当な損害を受けている筈、生存者がいるとしても脱出している可能性もありますが……」

「逆に言えば逃げ遅れがいても可笑しくはないな」

 

 そうでなくても我々のように宇宙漂流して残骸に辿り着く者もいるだろう。最悪の最悪、銃撃戦を覚悟しないといけない。

 

「若様……」

「いや、悪いが私も行かせてもらうぞ」

「ですが……!」

 

ベアトが言う前に私は機先を制して同行の意思を示す。

 

「逆に考えろ、お前一人行って帰ってこなかったらそれこそ終わりだ。いざという時私一人で軌道を変えるなんて無理だ。お前が一命をかけて成功したとしても次問題が起きたら?やはり終わりだ。地上なら兎も角、今の私にはお前が命綱なんだ、マジで一人にしないでくれ、な?」

 

 それは厳然たる事実だ。無重力空間では私は元より無い実力の更に半分も出せやしない。文字通りベアトがいなければ生き残れないであろう。ベアトが死ねば私も遅かれ早かれ十中八九死ぬ。ならば同行した方が良いのだ。

 

「それに想定外の事態になっても一人よりは二人の方がマシな筈だ。まぁ、ランチくらいなら流石に操縦は出来る。運転手代わりにはなるさ。それに爆薬だけ設置してさっさと終わる可能性もあるしな」

 

 ベアトは一瞬何か言おうとするが、恐らく冷静に分析してその方が良いという結論に達したのだろう。私の意見を肯定した。

 

 そうなれば後は準備するだけだ。食事と身支度を終わらせた私達は宇宙服を着用する。武器にブラスターライフルやスタングレネード等を装備するほか、予備の酸素タンク、軌道変更用の設置型時限爆弾を用意する。移動手段は艦内で放棄されていたランチだ。

 

 ランチはシャトルと違い核動力ではなく原始的なロケット燃料が動力であり、速度も航続距離も長くない上、密閉空間でもないため乗船中も宇宙服着用が必須だ。何方かと言うと小規模な陸戦部隊の揚陸や短距離人員移動、艦表面での作業用に利用される類のものだった。正直この作業に使うのにも少し無理がある程度の代物だ。例えるならばシャトルは動力付きの金属製ボートでランチはオールで漕ぐ木製カッターと考えてくれれば良い。

 

 5月14日1000時、艦内に放棄されていたランチのセキュリティを解除した後荷物を載せて乗り込み、発艦する。そして凡そ四〇分余りの航行の末、漸く遠目にそれらしい残骸を視界に見出す。

 

「あれ、だな………」

 

 我々の乗っていた巡航艦の残骸から一光秒どころかその十分の一も無い距離ではあるが小型で核融合エンジンを持たないランチでは片道四〇分、残骸自体の持つ運動エネルギーでは何時間もかかるだろう。遠近感覚も分かりにくいため宇宙空間での移動は距離感が可笑しくなりそうだ。

 

「うぇっ……ベアト、衝撃に注意してくれ、そろそろ着陸体勢に移る」

 

 胸焼けするような感覚を堪えて私はベアトにそう伝える。シャトルよりは足が遅いため衝撃は小さいがそれでも無重力というだけで気持ち悪い。

 

 巡航艦の残骸は周囲の装甲も破片などの衝突で相当荒れていた。宇宙艦艇の装甲は大概複数枚の複合装甲と衝撃吸収材、耐熱素材等が折り重なり、その表面を対光学兵器用の塗装でコーティングされてかなり頑丈な造りで出来ている。それでもやはりいざ戦闘となれば強靭な装甲もせいぜい気休め程度にしかならない。

 

 私はランチの着陸誘導システムの補助を受けながら船体表面に慎重に着艦する。ランチからワイヤーが射出され、ランチを固定する。

 

『では若様、揚陸致します』

 

 酸素ボンベの空気を補充したベアトが爆弾を収納したトランクと護身用のブラスターライフルを手にして無線でそう伝える。

 

「分かった。こちらも周辺警戒は行うが気を付けろ」

 

 私はランチに装備された赤外線レーダーで警戒態勢に入る。ランチに装備した追加装備のRWSが360度回転しつつ警戒する。私自身もブラスターライフルを腕の中に持ちランチの操縦席で待機する。

 

 ベアトが安全帯をランチに装着しながら軍艦の甲板に降りる。ブラスターライフルで警戒しながら移動と爆弾の設置作業を実施する。計一〇箇所に爆弾を仕掛け爆破しその衝撃で軌道コースを反らす予定であった。

 

 私は周囲を警戒するように見渡す。

 

「何もなければ良いが………」

 

 限られた小型爆弾で大質量の軌道を変えるためには設置する場所にも注意が必要だ。一つ設置するにも移動時間含め五分は必要だろう。計五〇分の時間警戒しなげればならない。

 

「………」

 

 流石にいつまでも万全な警戒が出来る訳でも無い。人の集中力には限界がある。二〇分も経つ頃になると警戒が緩み始めるのは当然である。

 

だから恐らくそれは幸運だった。

 

 ふと見つめたランチのサイドミラー、本当に気紛れで見たそれに、しかし次の瞬間は目を見開いた。同時に私は理解した。自身の愚かな失態に。

 

 私は着艦した残骸の内部にいる残兵を警戒していた。故に水平に360度警戒していた。無人銃座のRWSもそのための装備だ。

 

 だが待って欲しい、宇宙空間に上下なぞない。故に早く気付くべきだったのだ。何故真上から敵が襲いかかって来ないと考えていた?

 

「ちぃっ……!?」

 

 私の体は殆ど反射的にランチの窓から身を乗り出してブラスターライフルを直上に向けて発砲していた。

 

「ホバーバイクかっ!?」

 

 原作で言えば要塞対要塞戦においてイゼルローン要塞に揚陸していた装甲擲弾兵の利用していたあれを思い浮かべてくれたら良い。無重力ないし低重力空間でも運用可能な二人乗りのホバーバイクが二機真上から襲いかかる。恐らくは周囲の小さなデブリに隠れていたのだろう、このタイミングまで気付かなかった。

 

 私のブラスターライフルの発砲は、しかし動きの早いホバーバイクに効果的な一撃を与えられる程のものではない。寧ろこちらに気付いた帝国兵(簡易宇宙服を着ていた)は同じくブラスターライフルで返礼の射撃を行う。

 

「うおっ……危ねぇ!?」

 

 慌ててランチ内に隠れる。尤も、ランチは非装甲なので中にまでブラスターの光条が何発も抜けてきたが。いや、それ以上に問題は……。

 

「ちぃ、RWSは駄目かっ!」

 

 レーダーと連動する無人銃座は上方からの射撃の雨にやられ、その索敵装備を損傷してしまっていた。無人銃座の稼働可能な角度の外側からの攻撃に反撃する手段はない。いきなり此方側の有する最大の火力を喪失してしまった。

 

『若様っ……!?』

 

 事態に気づいたベアトからの無線。

 

「ベアトかっ!?こちらに来るなっ!危険過ぎるっ!!」

 

 今ベアトが来ても遮蔽物が無く、機動性も劣る以上ただの的にしかならない。

 

「降りては来ないな……」

 

 銃撃も止み、状況は膠着状態に入る。

 

「……恐らく目的はこのランチか」

 

 そうでなければ装甲の無いランチへの攻撃を止めまい。いっそ携帯式の誘導弾で吹き飛ばしても良かろう。それをしないのはランチを可能な限り無傷で手に入れたいということ、そして……。

 

「向こうも万全な状態ではない、という事か……!」

 

 恐らくは同じようにこの艦かほかの艦で漂流していた帝国兵なのだろう。足が欲しくてランチを強奪したいようだ。こんな小さい舟でも欲しいとは相当追い詰められているのだろう。

 

「それなら勝機はあるか……?」

 

 私は無線越しにベアトに安全帯を外し、安全な場所に身体を固定するように伝える。サイドミラーを見れば遠目から近接武器に装備を変更した帝国兵が見える。恐らくは小柄の戦斧とスピアガン、ランチを傷つけずに一撃離脱で襲いかかるつもりなのだろう。このままでは遅かれ早かれ私はヴァルハラに向かう事になる。機先を制して一気に戦闘の主導権を奪わなければならない。

 

 ベアトが安全帯を外したのを確認し、私はタイミングを見計らう。サイドミラー越しにホバーバイクがこちらに直上から降下してきたのを確認し、私は反撃に移る。

 

「………よし、行くぞ!」

 

 次の瞬間、私はランチを操作し、船底のスラスターを全開で噴出した。

 

『っ……!?』

 

 サイドミラー越しに視線を移すとホバーバイクに乗る帝国兵が怯んだように狼狽える姿が映りこむ。

 

 直上に加速するランチを避けようと回避行動を取るホバーバイク。私はブラスターライフルを構える。

 

「食らえ……!」

 

 加速したランチの速度に小回りの利きにくいホバーバイクでいきなり反応は出来ない。私は衝撃に備える。

 

 同時にランチを激しい震動が襲う。真空の空間のため衝撃音こそ響かないがそれが意味する事は理解している。ランチの天井部分が一機のホバーバイクに衝突した。ランチの横窓を見れば破損したホバーバイクと投げ出される宇宙服を着た人影がばたばたと巡航艦の残骸に向け落ちていく(という表現も正確ではないが)のが一瞬見えた。

 

 だが、その事にいつまでも気を取られる訳にもいかない。私は同時に反対側の窓に頭を向けブラスターライフルの筒先を向ける。

 

「狙撃は比較的得意なんだよ……!」

 

 私の射撃の前に操縦席の帝国兵は射殺され、後部のもう一人は狙いが逸れたがそのままランチをホバーバイクにぶつけてホバーバイクから振り落とさせる。宇宙の彼方に飛んでいけや!

 

 一応の敵の無力化を終え、私はランチの機動を静止する。そして、バクバクと動く心臓の鼓動を聞きながら何度も深呼吸をする。

 

「どうにか上手くいったな……」

 

 余りに機動が急なせいで、緊張感と相まってかなり気持ち悪いがどうにか上手くいった。相手がランチを破壊する事に慎重なのが幸運だった。そうでなければもっと有効で簡単な攻撃によって私は殺されていただろう。

 

『若様……!』

 

 簡易宇宙服に備え付けられた無線機からの従士の声が響く。

 

「だ、大丈夫だっ!!怪我はない、今降りる!!」

 

 私はベアトを安心させるように余裕を持った声で呼び掛けに答える。

 

『危険です!上にいます!』

「へっ……?」

 

次の瞬間、目の前に閃光が通り過ぎた。

 

 ちらりと天井を見る。ランチの操縦席の天井からは小さい熱で赤く爛れた穴、下を見る。両足の丁度間、座席に同じように赤く溶けた小さな穴があった。

 

「うおおぉぉっ!!!???」

 

 私は咄嗟にランチの操縦レバーを大きく降っていた。殆どパニック状態での操縦は、しかしある意味では最善ではあった。

 

 バーニアとスラスターを噴かせたランチは気が狂ったかのようにぐるぐるとその場で回転していた。天井に張り付いているであろう帝国兵を振り払うためだ。尤も、そこまで深く考えているわけでも無く完全に半狂乱になっての行動であったが。

 

『若様っ!?若様落ち着いて下さい!御無事なのですかっ!?』

 

 ベアトの無線に僅かに落ち着きを取り戻す私。だが、タイミングが悪い。下手に操縦が落ち着いたせいで次の瞬間、横窓から手が伸びてきたのだから。

 

「ふひぃ!?」

 

 変な悲鳴を上げて真横に顔を振り向かせると必死にランチにしがみつく帝国兵の姿がそこにあった。

 

「まずっ……」

 

 帝国兵が伸ばす手の反対側に何を手にしているのか視認して私は目を見開く。

 

 こちらに向けたブラスターの閃光を、私は寸前にその手を上に反らす事で脳天に食らうのを回避する。

 

『危ねぇだろうが!』

 

 思わず私は帝国語で相手を罵倒する。そのまま片手で操縦幹を握り、もう片方の手で相手のブラスターを持つ手を封じる。

 

 その間私に操縦されたランチは激しく回転し帝国兵を振り落とそうとするが相手もしぶとくしがみつく。というかしつこい、こいつガムか何かの生まれ変わりかっ!?

 

『この野郎、さっさと落ちろ!』

 

 そう叫びながら私は相手のヘルメットに肘打ちをする、が余り効果は無さそうだった。

 

『若様っ……止まって下さい!危険です!』

「へっ……!!」

 

 ベアトが無線で警告の言葉を叫ぶ、が全ては手遅れだった。帝国兵に対応しつつ激しく回転する視界でその危険に気付くのは困難であった。

 

「あっ……やばっ……」

 

 いつの間にか巡航艦の残骸が目の前に迫っていた。私は慌ててランチのバーニアを噴かせて正面衝突を回避する。 

 

 ……いやまぁ、少し遅かったのだけどね。

 

 先程ホバーバイクにぶつかった時以上の激しい衝撃が私を襲う。視界が回転し、一瞬平衡感覚と聴覚を失う。

 

「かっ……い、生きているのかっ……私はっ?」

 

 次に意識が戻った時には私は甲板に身を投げ出していた。頭を打ったのだろうか?視界が揺れ、頭痛がする。体も打った可能性が高い、骨は折れていないだろうが筋肉が痛む。幸運にも我慢出来ない程のものではない。

 

 私は薄れそうになる意識を繋ぎ止め起き上がる。どうやらランチから放り出されたようだ。ランチは残骸に横から突っ込んだ形でめり込んでいた。

 

『若様…!若様……御返事を下さい!』

 

 無線機からベアトの泣きそうな声が響く。

 

「あっ……ああ、安心しろ、取り敢えず生きている。宇宙服も穴はない。問題ない」

 

 私はベアトを安心させるように返事をする。糞、眩暈と吐き気がするな……。

 

『手を上げて貰おうか?』

 

 そこに低い男の声が割り込んだ。正確にはそのような男の無線の声が、だが。

 

「………嫌な予感がするな」

 

 私は後ろからの不穏な空気に気付き、ゆっくりと立ち上がる。そして相手を刺激しないように慎重に振り向く。そこには恐らく先程まで私と戯れていたでおろう帝国兵がブラスターをこちらに向け佇んでいた。

 

『若様……?』

「……隠れろ、機を待て」

 

 ベアトの怪訝な声に、私は宇宙服内の無線の送受信周波数を一瞬秘匿回線にしてベアトに命じる。ベアトならその言葉だけで意味を理解するだろう。

 

『帝国語は分かるだろう、官姓名を答えろ』

 

 帝国兵は無線越しに静かに命じる。

 

「……悪いが、こういうのは先にそちらが言うべきじゃないのかね?ブラスターを向けてとは卿の学んだマナーは随分と荒々しいものだな?」

 

 震える声で、しかし相手の無礼を非難するように命じる。無論、私もこんな所で空気も読まずに高慢な態度を取る訳ではない。相手にそれが通じると理解しての発言だ。

 

 一つには相手の発する帝国語が帝国標準語ではなく宮廷帝国語であった事、そして二つ目に態々射殺せずにこのような事を尋ねる事それ自体から自身が撃ち殺されない……少なくとも当分の間は……と理解していた。だからこそ私は敢えて「門閥貴族らしく」そのように答えたのだ。

 

『この状況でそのような態度を取る度胸があるのは認めてやろう。……宜しい、酸素も、時間も無駄には出来ないのだ。それくらい先に答えてやる』

 

 相手は一歩近付く。そして曇ったヘルメットから内部の顔が光の加減で一瞬映り混む。その顔に私は口には出さずとも内心で驚愕していた。

 

 ……まさか、ここで出くわすとはな。

 

『ファーレンハイト、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト少尉、二等帝国騎士階級の二代目さ。どうだ、これで良いだろう?卿の官姓名を述べられたい』

 

 士官学校を卒業したばかりであろう、若々しい白髪の新任少尉は淡々と、問い詰めるようにそう口を開いたのだった。

 




本作内の銀河連邦初期から中期の宇宙海賊は紅の豚の空賊とか麦わら海賊団、ミニスカ宇宙海賊みたいなのが多いイメージ(義理人情やショー化、賞金稼ぎと決闘)
尚、恐慌後の後期はガチ目の凶悪宇宙海賊が台頭してルドルフが誕生する模様


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第八十九話 帝国軍のパワハラは厳しそう

 5月13日から14日にかけた第一一艦隊の攻勢が失敗した時点で同盟軍の継戦能力は限界に達しつつあった。

 

「既に第二艦隊の余剰弾薬は会戦前の四五%、中和磁場のエネルギーは四〇%にまで低下、喪失艦艇・損傷艦艇の合計は全体の二一%、戦闘効率に至っては三八%低下しており、これ以上の戦闘は補給の観点から見て危険であると判断致します」

 

 5月14日0900時に行われた旗艦「アイアース」での遠征軍会議の席にてオーレリア・ドリンカー・コープ少佐は第二艦隊の現状を補給面から報告する。

 

 実際、第二艦隊だけでなく、遠征軍全体が限界を迎えつつあった。

 

 此度の遠征における遠征軍戦死者数は三二万人、重軽傷者はその一・五倍にも及ぶ。艦艇のダメージコントロールシステムにより喪失艦艇に比べれば戦死者数は若干下回るもののそれでも既に一度の会戦における平均戦死者数を越えていた。

 

「帝国軍に対しては相応の損失を与えた。少将一名を含め複数の士官も戦死させた、要塞の各種最新情報の収集も出来た。戦果は十分だ、欲をかいて危険を冒す前にここは撤退に向けて行動するべきであろう」

 

 第二艦隊司令官ワイドボーン中将は口を開く。実際完全に、とはいかずとも此度の遠征の目的の大半は達成したのだ。後は「雷神の槌」を撃たせずに撤退出来れば上々であろう。スポンサー達も一応の納得はする筈だ。

 

「撤退か、この状況ではそれこそが至難の技ではあるがな」

 

 ヴァンデグリフト中将の言は決して臆病風に吹かれてのものではなかった。物資の欠乏と兵員の疲労が重なる事で自軍の艦隊の機動力と戦闘効率は低下しているのに対して、帝国軍のそれは会戦直後に比べれば低下しているものの要塞の後方支援により未だ十分なだけの継戦能力を保持していた。下手な後退をすれば帝国軍に付け入る隙を与えかねない。

 

「作戦参謀、撤収作戦の作成はどうなっているかね?」

 

 にこにこと、現状の難しい難局において緊迫感の感じさせない表情でブランシャール元帥はグリーンヒル作戦参謀に尋ねる。

 

「はっ、作戦の作成自体は完了しております」

 

 そう言って手元の携帯端末を操作して、会議場中央のソリビジョンを起動させるグリーンヒル作戦参謀。

 

「撤退は左翼の第二艦隊から中央の第三艦隊、そして右翼の第一一艦隊の順列で実施する事を想定しております」

「理由は?」

 

 グリーンヒル作戦参謀の発言に事実上の殿を務める事になるラップ中将が険しい顔で尋ねる。下手をすれば「雷神の槌」の直撃を受ける事に、いやそれでなくとも主力から孤立してしまう可能性もある危険な任務である。その態度は当然のものであった。

 

「第一一艦隊は回廊内での機動戦闘を想定した軽装艦隊です。撤収作戦である以上、重装備の艦隊では撤収の時間がかかります。第一一艦隊であれば殿として帝国軍の包囲を受ける前に撤収を完了させる事が可能です」

 

 一拍置いて、グリーンヒル作戦参謀は端末を操作して帝国軍の艦隊情報をソリビジョンに映す。

 

「更にいえば左翼は中央、右翼に比べて損耗している艦隊であることも一因です。要塞駐留艦隊の戦闘効率は会戦初期の八六%を維持しておりますが、第二猟騎兵艦隊のそれは七四%に低下しております」

 

 要塞駐留艦隊が殿たる第一一艦隊の展開宙域に侵入する前に第二猟騎兵艦隊の迫撃を退けて撤退する事は不可能ではない。少なくとも逆の撤退順列よりは成功率は高いであろう。

 

「無論、第一一艦隊の損耗率も少なくないため単独で殿を務める事を命じるつもりはありません。司令部から第五戦闘団、第3独立戦隊、第4独立戦隊、亡命軍より三個巡航艦群、六個駆逐群を増援として派遣する予定です」

 

 グリーンヒル作戦参謀は第二艦隊と第一一艦隊を伺うようにして口を開く。ぴくっ、と不快気にラップ中将が眉をひそめるがそれ以上の反応はない。どうやら状況に応じてプライドを抑えるだけの理性はあるようであった。

 

 尤も、それくらい出来なければ艦隊司令官などと言う精神を磨り減らす重役に就く事なぞ出来ないのだから当然ではある。

 

「各艦隊の損耗と物資、稼働率から逆算した撤収作戦だ。問題はないと思うが各艦隊から、特に航海参謀の意見を聞きたい。どうかね、この作戦展開は可能か?」

 

 遠征軍参謀長ゴロドフ大将がフェルナンデス少将、ロボス少将、タンプナール准将、三艦隊の航海参謀に尋ねる。

 

「データ分析から見れば問題はありませんな。空間的にも余裕は十分あると言えましょう。少なくとも第一一艦隊に関してのみであれば計画通りの展開は可能でしょう」

 

 第一一艦隊航海参謀フェルナンデス少将は低い声で、作戦を評価する参謀というより生徒の試験を採点する教員のような態度で答える。それは高慢な態度ではあるが決して口だけの事ではない。少将は実際に自らに課せられた役目を寸分の誤りなく達成する事であろう。

 

「ううむ……簡単に、とはいきませんが不可能ではありません。増援と燃料の融通さえして頂けるならばやって見せましょう」

 

 第二艦隊の日焼けした年配の参謀は答える。ハイネセンファミリーとはいえ名家の出でもなく、専科学校の航海科出身の彼はこの場の出席者の中ではどちらかと言えば非エリート層に類する。だが下士官上がりの准将はその豊富な経験から作戦の成功確率は高いと判断していた。

 

「うむ、第三艦隊の方はどうかね?」

 

 ゴロドフ大将が第二・一一艦隊の航海参謀の返答に大仰に頷き、最後に第三艦隊の航海参謀に尋ねる。それにつられるように諸将がロボス少将に視線を向ける

 

「…………」

「……ロボス少将!」

「えっ?い、いえ、失礼致しました」

 

 どこか上の空で無反応になっていたロボス少将に対して第三艦隊参謀長のロウマン少将が隣で肩を揺らし、ようやく彼は我に返ったようだった。見るからに若干痩せている彼は一瞬慌てつつも、しかし明瞭な脳細胞は場の状況を瞬時に理解し、顔を引き締め口を開く。

 

「本官も大きな問題点は見出せません。強いて言えば撤収に際して殿部隊の掩護のため空戦隊の展開、更に言えば小部隊による長距離砲撃支援を充実させるべきでしょうな。特に敵空戦隊の接近は艦隊の後退時に混乱の原因になり得ますので阻止すべきです」

「空戦隊か、グリーンヒル作戦参謀、どうだ?」

 

 その発言に見るべきものがあったのだろう、ゴロドフ大将が意見する。

 

「はっ、現在後詰として四個空戦隊の用意をさせております。確かに此度の戦闘において帝国軍の空戦隊は前回に比べ飛躍的に強化されておりました。作戦上の懸念は十分にあります。しかしこれ以上の空戦隊の用意は戦線に穴が開きかねませんので……」

 

 近距離での戦闘が発生しやすい回廊内での戦闘では空戦隊は各方面で酷使されていた。帝国軍と違い要塞という後方支援拠点が無い事もあり激しい消耗の中にある。必要であるからと言って他の戦線から気楽に抜けるものではない。客観的に見て四個空戦隊用意出来ただけでも上出来である。

 

「ならば司令部から二個空戦隊をそちらに派遣しよう、それならば足りるかな?」

 

 ブランシャール元帥は孫にお小遣いを渡すような気軽な口調で提案した。

 

「閣下、それは……」

 

 ゴロドフ大将が異を唱える。既に遠征軍司令部は直属部隊の多くを前線に貸し出しており、残存部隊もまた大半を殿として投入する予定であった。

 

「これ以上の投入は戦略予備に不安が生じますが……」

 

遠征軍参謀長の言に、しかし元帥は朗らかに口を開く。

 

「そうは言ってものう。実際足らんのじゃから仕方無かろう。このまま殿が敵を振り切れずに包囲されれば救出は絶望的じゃ」

 

 唯でさえ最後尾の艦隊は「雷神の槌」の絶好の的になりかねないのだ。万が一撃たれた後となれば艦隊は恐慌状態になり、戦闘艇部隊に付け入る隙を与えかねない。

 

「その時になって投入しても間に合うまい。ならば初めから展開させた方が良かろうて。第二艦隊の後退後に司令部直属の一部をこちらに補填させれば良かろう」

 

どうかな?と提案するブランシャール元帥。

 

「ううむ……ワイドボーン中将、どうだ?元帥はこう仰っているが出来そうか?」

 

ゴロドフ大将は第二艦隊司令官に確認を取る。

 

「比較的消耗の少ない三個空戦隊、それに一個戦隊を撤収と共にそちらに回しましょう。流石に練度は落ちますがそれでよろしいでしょうか?」

「おおう、済まんのぅ」

 

 ニコニコと喜ばしそうに笑みを浮かべる元帥。それに対して社交辞令的に微笑むワイドボーン中将、尤も内心では冷めた目で元帥を見ていた。

 

「……やはり狸だな」

 

 誰にも聞こえないようにぼそりと呟いたワイドボーン中将。

 

 此度の遠征が長征派を中核としたものである以上、ワイドボーン中将はそれを無事に撤退させるために最大限の努力を求められる立場であり、断る事なぞ許されるものではない。

 

 まして第一一艦隊は第二艦隊同様に長征派の影響の強い艦隊だ。同胞を一隻、一人でも多く故国に帰す事は当然の使命であった。元帥の言はそこまで見越しての事である事は間違いない。

 

「全体会議はこんな所かの。……数名、今後の事で相談があるので残って貰うが残りは解散といこうかの?諸君ご苦労だった。少し早いが昼食にアイアースの食堂に行くことを勧める、この艦のガララワニステーキは絶品じゃぞ?」

 

冗談めかした言葉と共に会議は閉会する。

 

「………」

 

 書類を整理して席を立とうとしたフェルナンデス少将はちらりと会議室の上座に視線を向ける。

 

 そこには深刻そうな表情で何やら相談しあうブランシャール元帥とゴロドフ大将、そちらに向かうのは会議終了前に名前を呼ばれた青白く力のない顔立ちのロボス少将に、そんな彼を敵意剥き出しで睨むケッテラー亡命軍大将等、所謂亡命政府系の出身者達であった。

 

「……大方身内事だろうな」

 

 平民共が幾ら死のうとも気にも止めない癖に同じ門閥貴族が一人怪我するだけで怒り狂うのは最早彼らの習性のようなものだ。

 

「ロボスも御苦労な事だな、あのような立場で義理立てせんとならんとは」

 

 皇族とはいえ、妾腹生まれと平民との混血を一部の極端な血統主義の貴族は「半純血」なぞと蔑視する者もいるという。

 

 彼らにとっては代々爵位を持ち、伝統を守る「純血」の者のみが「健康で文化的」な人間であり、下級貴族は不健全な人擬きに過ぎず、平民は「穢れた血」が流れる家畜に過ぎない。場合によっては身分違いの血の交わりは獣姦に等しいと宣う者までいるほどだ。独裁者に媚びを売って得た地位をここまで有り難く讃える事にフェルナンデス少将はいっそ失笑すら禁じ得ない。

 

 名前は忘れたがこの前に顔を合わせた新任士官が行方不明となっているのは少将の耳にも届いていた。実力もないのに前線に出るからこうなる。一度きりの幸運を実力と履き違えた者の末路だ。どうせ生きてはおるまいに。

 

「……あのような輩とは縁を切れば良いものを。馬鹿な選択をしたものだ」

 

 かつて士官学校にて鎬を削ったライバルの選択と末路に嘲笑と失望と、僅かな憐憫を混ぜ合わせた視線を向け、少将は立ち上がり、会議室の出口へと足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 原作を基準にした場合、銀河帝国においては民衆の誰もが貴族階級に不満を持っているように思えるがそれは正確ではない。平民階級でも例えば地方の農村部や地方都市においては貴族階級は普通に敬うべき対象として認識される。

 

 なんせ地方人の感性は保守的であり、ばっちりと教育で身分制度が善であると教えられるし、何よりも出会う貴族に無能者が少ないからだ。

 

 地方で出会う貴族は大概現地で徴税や裁判を行う地元に根差した領主や官吏達である。当然彼らは地方行政を指導する役目を背負い、平民達を指導し、祭事を催し、場合によっては陳情を聞く。仕事をこなすため相応の教育を受けているし、領民との距離は比較的近く、時としては寧ろ領民に頼られる立場だ。敬いこそすれ、軽視出来る存在ではない。

 

 まぁ、悪口や不満を口にする空気読めない子は村八分にされるという事もあるけどね?

 

 兎も角も、地方出身者はこのように貴族階級を見れば怯えながら頭を下げはしても堂々と敵視する者なぞかなり珍しい存在な訳だ。

 

 一方、帝都を始めとした大都市や中央出身の平民は地方人と比べて貴族階級に懐疑的、ないし敵対的な者は意外な程多いという。

 

 単純に住民の流動性が高く保守的な気風が薄い事もあるだろう。

 

 それ以外にも富裕平民の被差別意識も挙げられる。例え富裕平民でも所詮は「賎しい平民」であり、基本は貴族階級からなる上流階級の社交界に参加出来ない。上流階級の社交界に出るには莫大な資金を使い伝手を作り、社交界マナーや宮廷帝国語をマスターしなければならない。そうしてどうにか参加しても「所詮は賎民」などと冷笑される事に不満が募る訳だ(特に成り上がりはその傾向が強い)。

 

 あるいは敬うに値しない貴族を見かけやすいのも一因だろう。都市部となれば貴族の絶対数も増える。没落した帝国騎士階級とかいう貴族(笑)な奴らを見る事もあろう(大抵平民が金で騎士称号を買った場合だ)、あるいは実家から半分勘当同然の放蕩貴族も目につきやすい。無論、没落貴族は兎も角放蕩貴族は実のところ貴族階級全体から見れば格段に多い訳ではないが何事も悪い面は目立ち易いものだ。

 

 同盟との戦争も一因だ。同盟の民主主義思想は帝国ではカルト思想ではあるがそれでも下層民には優美な生活をしている貴族階級への反発から民主主義思想が広がる事もあるし(民主主義というより共産主義に近いが)、第二次ティアマト会戦により多くの武門貴族や士族が失われた結果、軍部で昇進した平民士官・下士官が安全な場所にいる、あるいは無謀な命令を下す貴族軍人を蔑視する事も少なくない。

 

 尤も、最後の指摘は余り公平とはいえない。多くの武門貴族が当主や跡取りを失った結果である事はつまりはそれ以前は多くの貴族が最前線で戦っていた事を意味する。第二次ティアマト会戦のトラウマにより後方勤務に就く貴族が増えるのは仕方ない事だ。

 

 その上、帝国もそれを問題視し、臣民の規範たる貴族階級の義務を果たさなければならないとして失われた武門貴族の穴埋めのため文官貴族等それ以外の出自の貴族を多く帝国軍に任官させた結果、勇猛(あるいは無謀な)だが戦略眼に欠ける貴族軍人が前線に増え、却って平民士官のヘイトを増やす悲劇も招いた。前線に出ても後方にいても平民共が不満を口にするのだからどうしようもない。やっぱり卑しい平民共は愚か、はっきり分かんだね(門閥貴族的価値観)。

 

 まぁ、長々と語ったがそう言う訳で帝国における平民の貴族観はかなり両極端な訳だ。

 

 そして大事なのは、どうやら私は余り愉快ではない方に拘束されたらしいという事だ。

 

「おいおい、捕虜だと?少尉、我々に奴隷共にやる酸素の余裕があると思っているのか?」

 

 帝国軍ブレーメン級標準型巡航艦(の残骸)の中で、宇宙服を脱がされ電磁手錠で拘束された私を連行したアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト少尉は第一声に限りなく罵倒に近い叱責を受けた。

 

「フォスター副長、ですが此度の捕虜は普通の反乱軍兵士とは訳が違います。私は唯、軍令に従い捕虜として礼節を尽くさねばならぬと考えた次第です」

 

 巡航艦「ロートミューラー」副長フリッツ・フォスター大尉に対してファーレンハイト少尉は敬礼と共に報告する。

 

「軍令だと?」

 

 四十代のプライドの高そうな副長は怪訝な表情で私を見つめる。ファーレンハイト少尉は私に官姓名を答えるように命じる。

 

「……自由惑星同盟軍、ヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍中尉だ。ティルピッツ伯爵家の嫡男に当たる。貴軍の軍令881号に基づき私自身の身分に相応しい名誉ある待遇を所望する次第だ」

 

 私は暫しの葛藤の後にそう答える。自身の名前を出さないといけないのはこの際仕方ない、私もその場で射殺されたくはないのだ。

 

 以前にも触れたが亡命貴族は基本捕虜になっても相応の待遇で扱われる。下っ端の兵士達は亡命政府や亡命軍についての知識は教えられないが非公式に上官からの口伝えや直接戦ってその存在を知っているし(中には同盟政府や同盟軍が亡命貴族の政府や私兵軍と認識している兵士までいるという)、士官は軍令によってその存在(曲解した説明だが)と捕虜とした際の取り扱いを指導されている。

 

 そのため私が門閥貴族の血を引いていると言えばこの場で即射殺される可能性は限りなく低い訳だ。亡命貴族を捕虜とすれば報奨金が与えられ、逆に捕虜の待遇を望まれながら殺害した場合、高貴な血族を故意に害したとして裁判沙汰になる可能性もある。平民達が亡命しているとはいえ同じ門閥貴族を害すればいつしかその矛先が自らに向かんとも限らないからだ。

 

 ……尤も、この場では少しタイミングが悪いようであるが。

 

「ごほっ……!?」

 

 私はいきなり近づいてきたフォスター大尉によって腹部に膝蹴りを受けた。唯でさえ無重力状態で気持ちが悪いのにそんな事をされれば当然ながら私は床に膝をつき軽く嘔吐する。無重力故にそのまま体が浮くところを大尉は逃がさないとばかりに私の頭を強く床に踏みつけた。

 

 その行為に場にいた帝国兵の半数が嘲るように小さく笑い、半分が冒涜的とばかりに肩を竦ませる。

 

「ふんっ、名誉ある待遇か、笑わせる。奴隷共に頭を下げる破廉恥共を優良な遺伝子を受け継ぐ貴族階級として遇せとは思い上がりも甚だしい。そうだろう、お前達?」

 

 ははは、と半数が喜色の笑みを浮かべ、半分は黙り込んだまま俯く。前者は士官が、後者は兵士が多い、下士官は半々と言った所か。この時点でこの巡航艦(の残骸)内での権力構造は大体予想がつく。

 

 地方の徴兵された農民達と中央の大都市の富裕層とでは教育環境が違い、当然それは軍内での階級にも反映される。昔は平民士官と言えば士族階級を指していたが長年の戦争の結果、非士族の平民士官や下士官も珍しくない。寧ろ逆転すらしている。

 

 そしてどうやら大都市部出身であり、士官の大半を占める者達にとって門閥貴族という立場は余り意味のない、下手すれば寧ろ不快な存在であるらしかった。そんな中で命乞いする伯爵家の嫡男という存在がどういう扱いを受けるかは分かりきっていた。

 

「ファーレンハイト少尉、こいつを撃ちたまえ。貴重な酸素を浪費されてはたまらん。それくらいの道理も分からんのか?」

 

 新任少尉を見下すように口を開く副長。それは軍人としての叱責というよりはただの嫌みに聞こえる。

 

「そもそもこいつが本当に御貴族様か知れたものではない。見ろ、地べたに這いずってゲロを吐いているではないか?到底貴族様らしくはあるまい、ほら、狙いがズレんように頭は固定してやる、さっさと撃ちたまえ」

 

 頭を踏みつけられ録に動けない私を指しながらフォスター大尉は高慢な顔で命令する。私の発言を同盟軍兵士が命乞いするための言い訳として扱おうとしているようだった。貴重な酸素を浪費されては堪らんのだろう。だが……。

 

「拒否致します」

 

淡々と、背筋を伸ばした白髪の青年は命令を拒否する。

 

「………少尉、聞き間違えか?命令を拒否するというのか?上官反抗罪で銃殺されたいのかね?上官の命令は絶対である事は士官学校で学ぶ基礎の基礎だぞ?」

 

 心底不快気に尋ねるフォスター大尉、彼の傍にいる数名の士官と下士官も少尉に剣呑な表情を向ける。しかし、当の少尉は一切憶する事なく反論する。

 

「この捕虜が自身で口にするように伯爵家の人間である事は尋問の中で流暢な宮廷帝国語を口にした事から可能性が高いと思われます。また、物的証拠ならばこれを」

 

 そう言って軍服のポケットから少尉が取り出すのは万年筆だ。

 

「こちらの万年筆に刻印されているのは帝国の国章(双頭の鷲と黄金樹)と亡命したティルピッツ伯爵家の家紋です。材質や品質も相応の品、唯の奴隷共がこのような物を保有するでしょうか?」

 

 漆塗に金細工の為された重厚な万年筆には削った金剛石の粉末で紋章が刻まれている。反乱軍の兵士が帝国の紋章を態々万年筆に描くなぞ考えにくい。伯爵家の家紋に至っては最早確定的だ。

 

 開祖ルドルフ大帝が直々にデザインしたそれは銀河連邦初期あるいはそれ以前より代々続くコレリア星系の軍人家系ティルピッツ家の家紋である赤い盾の中に金の百合に青と白の斜め縞に手を加えたものだ。

 

 帝国の守護獣としての鷲獅子が家紋の盾を支えている。その下では鉄十字にサーベルとマスケット銃が交差し、大帝陛下より下賜された諸星系の星系旗が盾の中に追加されていた。

 

 まごう事無き痛痛しい中二……ではなく荘厳で煌びやかなそれを偽装するのは帝国においては門閥貴族の権利を侵害する大罪であり、所有者の出自を証明するある種の身分証明書であった。ファーレンハイト少尉は下級とはいえ貴族であり軍人だ。亡命した貴族の家紋程度当然記憶していた。

 

 フォスター大尉は乱暴に万年筆を少尉より取り上げるとそれを検分する。尤もその視線を読み取ればそれが真贋を見定めるのではなく、どれ程の金銭的価値があるかと見ている事に気付くであろう。

 

「万一に彼が口にするように貴族でないとしても、捕虜の虐殺は戦時条約、軍規の双方に違反します。まして降伏を申し出て武器を取り上げたのと引き換えに生命の安全を保障した兵士を射殺するなぞ誇りある帝国騎士としての恥、射殺するつもりならば大尉殿自らお願いしたい」

 

 半分程弾劾するような口調で大尉に答えるファーレンハイト少尉。その態度に大尉は周囲の部下を目配せし、自ら手を下す勇気のある者がいないか探すが、皆が目を逸らすために不機嫌そうに再び若輩の少尉を睨みつける。

 

「………ちっ、士官学校を出たばかりのぺーぺーが。それで?ランチはどうなんだ?それに報告にあったもう一人の敵兵はどうした?」

 

舌打ちした後、少尉に詰め寄るように尋ねる大尉。

 

「残念ながらランチは戦闘により損傷している様子で、修理が必要のようです。またもう一人の兵士については負傷者と戦死した部下の回収をしている間に行方不明となってしまいました」

 

 その言葉の中には言外にもっと人手を寄越さないからだ、という意図があったが大尉に伝わっているかは怪しい。

 

「ちっ、役立たずめ。言い訳はもういい、さっさとランチの修理と姿を眩ました敵兵の捜索をしろ、それと……こいつは取り敢えず独房にぶちこんでおけ」

 

 吐き捨てるように口にすると大尉は踵を返してその場を去る。というか待てや、さらりと万年筆拝借してんじゃねぇよ。

 

「………災難だったな、悪いがここでは期待するような待遇は受けられんそうだ。まぁ、口減らしに銃殺にされんだけ我慢する事だ」

 

 ファーレンハイト少尉は私を起こすと純粋に困ったような口調でそう私に宮廷帝国語で語りかける。すたすたと駆け寄る兵士が私が吐いた吐瀉物を拭き始める。

 

「……無礼だ、と言う訳にもいかんな。ついさっきまで殺し合いしていたから仕方あるまい。それに……どうやら面倒な様子のようだしな」

 

 私はけほけほと咳込みながら同じく宮廷帝国語で答える。連行中の会話とこの場でのやり取りから凡そ、この巡航艦(の残骸)内での状況は把握していた。

 

 巡航艦「ロートミューラー」は帝国軍第二竜騎兵艦隊所属の巡航艦だ。5月7日の戦闘により艦首部に駆逐艦の光子レーザー砲の直撃を食らい艦首部が吹き飛んだ。隔壁が下りる前に多数の兵士が宇宙空間に放り投げられ、残る乗員も多くが衝撃で負傷したほか、内部の計器類の大半が機能停止する程の損傷を負った。脱出ポッドやシャトルで逃げ出したのは丁度艦内にて近くにいた少数に留まる。

 

 艦長ダンネマン少佐は肋骨を始め複数の骨折と船体の破片による出血を受けており、意識混濁で指揮は不可能であった。残る生存者を集めた副長フォスター大尉ではあるが救助の要請は本隊に届かず、脱出ポッドやシャトルも残っていないか破壊された中、現在はひたすら救難信号を流しながら貴重な空気と食料を消費しているらしかった。

 

「漂流して六…いや七日か?残る酸素と食料を思えば焦燥もするだろうな」

 

 ある意味では同情する。最高責任者の艦長が負傷して指揮が取れない中で「たかが」平民の副長が兵士達の暴走を監視しながら助かる術がないか悩んでいるのだ、そのストレスと孤独感は言葉で言い表せまい。そんな中のこのこと御貴族様の捕虜が偉そうに貴族らしく礼節を持って厚遇せよ、などとほざけばあれくらいの扱いも有り得るだろう。

 

「半分正解だな、だがそこまで好意的に見てやる事もない。あの副長は元々ああいう性格だ」

 

 私を連行しつつ兵士を従えたファーレンハイト少尉は僅かに冷笑しながら答える。

 

 話によればどうやら大尉は下士官上がりの中流階級の平民らしく、下流平民や階級の低い下級貴族や士族の新兵にパワハラ紛いの命令をする事で知られていたらしい。下の階級は当然として上の階級も合法的に虐める事が出来るのは軍隊位のものだ。

 

 それでも良識的で公明正大な艦長が抑え役としていたためにそこまで酷くはなかったらしいがその艦長が負傷して、漂流生活が始まるとその粗暴な態度が一層酷くなったらしかった。

 

「私は特にこの艦の中では艦長を除いて唯一の貴族でな、士官学校出である事もあって正直副長に嫌われている。卿を襲撃した面子も実の所あの副長が嫌いな奴らで固められていてな。体良く我々も死んでくれたら酸素も節約出来て万々歳、とでも思っているのだろうな」

 

 不敵な笑みを浮かべる白髪の少尉。この危険で不安定な状況を、しかし彼はどこか楽しんでいるようでもあった。

 

「………それで?ファーレンハイト帝国騎士、卿は何が目的でそんな話を私に語り聞かせる?態々捕虜に語る内容とは思えないが?」

 

 静かに、低い、可能な限り周囲に響かない声で私は尋ねる。整った顔立ちに白髪、蒼色の瞳孔、低い声、恐らくは名前から見て原作の同一人物であろう。まさか同姓同名のそっくりさんではあるまい。

 

 そして獅子帝の下で、しかも途中加入で上級大将に成り上がる程の人物がたかが愚痴で自らの立ち位置と状況を捕虜に説明する理由がないように思われた。

 

 若い少尉は私の質問に答えず、沈黙を守りながら歩き続ける。そして、独房の前に着くと私と視線を合わせると意味深気な笑みを浮かべた。

 

「……流石に、最低限の頭は回るようだな」

「それは誉めているのか貶しているのか、どちらで解釈したら良いんだ、ファーレンハイト帝国騎士?」

「さて、どちらだろうな?」

 

 門閥貴族に対して会話するにしては雑な口調で若い少尉は独房の扉を開くと、私の肩を掴み、中に押し込む。

 

「悪いがこの艦はただの巡航艦でな、高級スイートルームも無ければ、世話役の使用人もいないのだ、我慢して欲しいものだな」

 

 それは帝国における門閥貴族用の刑務所が実質的には高級ホテルと変わらない事を皮肉っていた。

 

「それは構わんが……食事は毎日三食、ワイン付きで出るのか?」

 

 独房に押し込まれた私は振り返ると、半分売り言葉に買い言葉で、もう半分は内心の焦燥を誤魔化すようにそう尋ねる。

 

「悪いが毎日保存用のオートミールとザワークラフトを一食だけだな、水ならこれだ」

 

 そう言って投げられるのはミネラルウォーターのペットボトルである。

 

「それで三日は持たせろ、飲みきっても三日後までは次は出せん。持たせられんときは……」

「時は?」

「小便でも濾過する事だな」

 

 貴族然とした優美な佇まいから不釣り合いな下町の悪餓鬼のような笑みを浮かべて、ファーレンハイト少尉は独房の扉を閉じたのだった……。

 

 

 

 

 

「少尉、宜しかったのでしょうか、あのように遇しては後々の事を考えると……」

 

 独房に間抜けな門閥貴族の捕虜を収監した後、無重力の通路を進みながら護衛として付き添ったザンデルス軍曹は恐る恐る尋ねる。

 

 まだ幼さの残る17歳の軍曹の表情は明らかに強張っていた。

 

 銀河帝国における奴隷・強制労働者、あるいは自治領民等の「帝室の恩寵と加護を受けるに値しない」数百億もの非人層を除く総人口約二五〇憶、その九九%以上が農奴・士族も含む平民階級が占める。

 

 そして約四〇〇〇万に及ぶ貴族階級のうち、同じく九九%が一代貴族・帝国騎士・従士等の下級貴族が占める。100家余りの亡命門閥貴族家を除いたとしても男爵家以上の貴族は四三〇〇家余り、一族の女子供を合わせても一〇万に満たない。この一〇万人が所謂門閥貴族と呼ばれる帝国の政財界や高級官僚・軍人の中核を担う指導者層だ。

 

 だが更に彼らを振るいにかける区別がある。門閥貴族約四三〇〇家のうち、九割以上が男爵・子爵位であり、伯爵位以上の爵位を持つのは同盟やフェザーンに亡命した一族を含めても200家程度でしかない。

 

 所謂大貴族と称される彼らこそが貴族の中の貴族、支配者の中の支配者、帝国の選ばれし真の選民階級の頂点に位置する。広大な領地や荘園、莫大な資産、最低でも数千万の領民と数十万の私兵、数千人の臣下を手中に収めるその権勢は宮廷の主要プレイヤーとして、帝室の藩屛として、帝国を支える支柱として申し分が無い。

 

 正に階級社会たる帝国において最も高貴な存在である。少なくとも帝国臣民はそのように理解している。

 

 故に亡命貴族とは言え、大貴族に区分される伯爵家と相対するなぞ下級貴族や平民達にとっては通常は有り得ない事であるし、ましてそれを捕囚とする状況なぞ普通は想像出来る事ではない。

 

 ましてティルピッツ伯爵家は亡命したと言っても帝国開闢以来の歴史を持つ大貴族だ。二〇〇家余りしかない大貴族の中でも大帝時代に任じられたのはその四分の一余りでしかない。最盛期はファルストロング家やアイゼンフート家、エーレンベルク家と並び伯爵家の最上位、実質的には侯爵位に匹敵する権勢を誇っていた名家だ。

 

 帝国直轄領の地方農村出身の軍曹にとっては顔を合わせる貴族と言えばせいぜいが村に徴税に来る帝国騎士の官吏程度のもの、亡命貴族とは言え大貴族は大貴族、それを粗末な独房に入れるなぞ価値観的にも、後の報復的にも、彼らの目的的にも受け入れがたく、恐ろしい事に思えるようであった。

 

「ふっ、構わんさ。あの程度でグレるような状況の理解出来ん馬鹿ならどの道計画に利用出来んからな。その時にはあれにも死んでもらう」

 

 弟分に近い年下の軍曹を振り向きながらファーレンハイトは不敵な表情で嘯く。その発言にザンデルスは緊張した表情で周囲を見やる。今の発言を聞かれたらどうなるか、聞いた者によっては面倒事になるのは必須であった。

 

「安心しろ、時と場合は考えて発言しているさ。だが……」

 

 実際基準以下の無能であれば利用するに値しない。貴族的矜持や誇りと共に冷徹な合理主義的思考を宿す少尉にとっては何よりも自身と部下の生存が最優先であり、その次が金銭的利益だ。今の状況で善意で亡命貴族のボンボンを代価もなく保護してやる義理は無いし、余裕もない。

 

「あれが狭量な馬鹿貴族ならばすぐに馬脚を現すだろうさ。威厳を保てず、状況も把握出来ないのなら計画なぞ成功しないし、してもその先も無いからな」

 

 もしあれが駄目な場合は最初から使わずに次善の策を使うほかない。その方がマシだ。

 

「尤も、怒り狂う事も泣きわめく事も無かったからな。性格は最低限合格ライン、と思いたいものだ。後は力量と頭の回転だが………」

 

 ファーレンハイト少尉は軍服のポケットから略章を取り出して見つめる。それは自由惑星同盟軍名誉勲章の略章であった。

 

「……彼方さんの勲章がこちらと同じ御飾り用でない事を祈りたいものだな」

 

 貧乏貴族の士官は鋭い眼光でそれを睨みつけた。その口調は試すようにも、それでいて祈るようにも感じられる極めて複雑なもののようにザンデルス軍曹には思われたのだった………。

 

 



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第九十話 都会と田舎が仲が悪いのはいつもの事

「叛徒共は撤退の機会を窺っている、それは間違いない。問題はそれがどの時点で、そしてどのように行われるかです」

 

 5月15日1400時、両側を盾艦に守護された有翼衝撃重騎兵艦隊旗艦「アールヴァク」艦橋内でエヴァルト・フォン・ブランデンブルク大将は、従兵を控えさせ、午後の紅茶と軽食を楽しみながらメインスクリーンに映るグライフス大将、メルカッツ中将を見やる。

 

 ティーカップの中で鈍く照らされる薄紅色の水面を見つめ、暫し逡巡した後、ブランデンブルク伯は再び口を開く。

 

「参謀達の判断では16日から17日の間に始まる可能性が高いと結論づけた。奴らの弾薬や燃料等の物資消費率、後方の戦力展開の実施と終了時間から計算した結果です」

「撤退は恐らくは第二艦隊からでしょうな」

 

 第二猟騎兵艦隊司令官グライフスは重々しく答える。此度の攻防戦において危機に陥る事が多く諸提督の中では今一つ功績に恵まれない彼はしかし決して家名だけでその地位についた無能ではない。

 

 元々提督というよりも参謀やデスクワークに適性があり、その方面で功績を上げて来たのだ、その上第二猟兵艦隊は定数一万四〇〇〇隻余りの中規模編成の艦隊、帝都からの一か月以上に渡る航海と回廊内での前哨戦での損失も含めれば元より艦隊の疲労は他艦隊に比べ大きいのだ。

 

 それらを合わせれば寧ろ善戦しているとも言える。事実この攻防戦において幾度か危機に陥りはしたがそれが破局的な結果を迎えた事は無い。その統率力と瞬時に敵の意図を把握して対抗策を編み出す作戦立案能力は無能とは程遠い。

 

「して、いかがなさるつもりか?」

 

 グライフス大将が尋ね、それに呼応するようにメルカッツ中将も頷く。

 

「……第二艦隊は見逃しましょう」

 

 胡瓜のサンドイッチを食べ終わり、口元の汚れを従兵にナプキンで拭かせると、伯爵は悠々とした表情で答える。

 

 意外そうな表情を向ける二人の提督を見つめ、僅かに口元を吊り上げると要塞駐留艦隊司令官は続ける。

 

「無論、そのまま逃がしてやるつもりは有りません。我が方も戦力の再配置を行いましょう」

 

 そういって伝えるのは要塞駐留艦隊の一個分艦隊を密かに第二猟騎兵艦隊に移転させる事である。

 

「要塞は本当に便利なものです。イゼルローンの通信能力、電子戦能力、索敵能力はこういう時に役に立つ」

 

 ブランデンブルグ大将の言う通り、その通信能力に電子戦能力、索敵能力の結果、要塞周辺の偵察は困難極まりない。同盟軍の偵察や通信傍受は難しく、一方で帝国軍は後方で気取られずに戦力の再配置が出来る。

 

「では、やはり狙いは第一一艦隊でしょうか?」

 

 グライフス大将の問いにブランデンブルグ大将が肯定する。

 

「反乱軍共の最後尾、疲労は頂点に達しているだろう、増援部隊が追加されているとしてもそれは変わりません。メルカッツ中将」

「はっ!」

 

 名を呼ばれた初老の中将は一回り以上年下の上官に厳粛な表情で答える。

 

「中央の第三艦隊が撤収すると同時に我の艦隊を盾にしつつ戦闘艇部隊を前進、第一一艦隊の後背に展開してください。第三艦隊の後退支援砲撃があるでしょうがこちらが対処しますのでお気になさらず」

「不可能ではありません。ですが……それでは要塞駐留艦隊が第三艦隊に正面突破される可能性がありますが」

 

 反乱軍の撤収に合わせて要塞駐留艦隊が第四弓騎兵艦隊を守るように展開した場合、間違いなく艦列が横に伸び、薄くなってしまう事だろう。そこを突かれて中央突破をされてしまう可能性が高く、そのまま更に第一一艦隊後背に展開しようとする第四弓騎兵艦隊の側面に襲い掛かる事もあり得た。メルカッツはその危険性を指摘する。

 

「その点は心配ありません、こちらもそのような状況は想定はしております」

「想定、ですか?」

 

メルカッツが怪訝な表情を浮かべる。

 

「ええ、その通りです」

 

 そう不敵な笑みを浮かべ、ブランデンブルク大将は説明を始める。その内容を聞きながら二人の提督はその内容を吟味する。

 

「不可能ではありませんが、危険性も高い策ですな」

 

 グライフス大将はその有効性と危険性を天秤にかけてそう口にする。

 

「我々は兎も角、要塞駐留艦隊の負担は覚悟しなければなりますまい。それに閣下自身も危険に晒される作戦となり得ます。小官個人としては御再考を進言したいと考える次第です」

 

メルカッツ中将は、重苦しい表情で返答する。

 

「タイミングを合わせる事に自信が御座いませんか?中将の手腕と指揮する艦隊の練度を想定しての作戦、決して困難なものでは無い筈ですが……」

「それは……」

 

 可能だ、とメルカッツは内心でとっくに結論を出していた。それは自惚れではなく自身の経験と分析から来る客観的な事実だ。

 

 だが、同時に極度に失敗を恐れる彼の保守的な価値観が警鐘を鳴らす。可能ではあるが各部隊が連携して行わなければならぬ作戦、少しのミスが全体に波及するだろう。自身が失敗した時どうするか、思慮深いとも、ある種臆病とも言える彼の性格が作戦への支持に二の足を踏ませていた。

 

 メルカッツ中将は実力はある、その才覚は彼の士官学校同期に当たるミュッケンベルガー大将と比肩するだろう。事実幼年学校時代はあのシュタイエルマルク中将、士官学校学生時代には当時のゾンネンフェルス中将の手塩をかけた指導を受け、首席と次席を独占していた程だ。だが威風堂々として威厳に満ちた首席と違い臆病で非積極的、その上で不器用な気質故に諸将を率いる器としては劣ると認識されたがために軍内での昇進が遅れていた事をブランデンブルク大将は思い出す。

 

「中将、懸念は理解します。ですが私がここで求めている返答は貴方の個人的な主観ではなく、客観的に分析した上で実施は可能かどうかを尋ねているのです」

 

 故にブランデンブルク大将は敢えて高圧的に振舞う。メルカッツ中将のような手合いに対してはある意味ではこのような二者択一を迫る方が良い場合もあった。

 

「……問題はありません。計算通りに物事が進むとすれば実現性はありましょう」

 

暫しの逡巡の末、最終的にメルカッツはそう答える。ブランデンブルク大将は頷く。

 

「宜しい、では両提督は作戦の実施に向けて動き始めて下さい。叛徒共をこのまま辺境に帰らせる訳ではいかない、正義の鉄槌を下すために」

 

 ブランデンブルク大将は両提督と敬礼して通信を切る。会議を終えた後、大将は従兵が差し出した新しい紅茶を手に取る。

 

「旦那様、恐れながらあのような質問の仕方で宜しかったのでしょうか?メルカッツ中将の不興を買い、作戦に非協力的になる恐れは御座いませんでしょうか?」

 

 ブランデンブルク伯爵家に代々仕える従士家出身の若い従兵が恐る恐る尋ねる。軍務に就いている門閥貴族の中には身の回りの世話をさせる従兵を信頼出来る臣下の子弟を選ぶ傾向が強かった。ブランデンブルク大将の場合も同様で一個分隊の従兵達は全員臣下の家の者だ。

 

「良いのです。あの人は優柔不断なのです。寧ろあのように命令した方が目前の任務に集中出来るでしょう」

 

 戦略眼も戦術眼も十分以上にあるが、それ以上に臆病故にそれを生かしきれない。ならば命令して目の前の義務だけに全力で取り掛からせた方が良い。寧ろ先ほどの命令は愚直な彼の精神衛生上寧ろ良い傾向を与えた筈だ。

 

「もう少し自信と決断力があれば元帥にもなれるのでしょうが」

 

 ある種の憐憫も含んだ口調でブランデンブルク大将はティーカップに口を付けた。だから宮廷でも軽視されるのだ。武骨なのはまだ軍人として良いとしてもあの小心な性格では受けが悪かろう。選ばれし指導者としての威厳が無い。

 

「フォルケンホルン少将の第Ⅳ梯団に連絡を。イゼルローン要塞の影から迂回しつつ第二猟騎兵艦隊後方に展開するように、と。また第Ⅴ梯団の残存戦力は第Ⅰ梯団の麾下に加える。各員作業に掛かれ」

 

そこまで命じた大将は手にしたティーカップを従兵に返して下がらせる。

 

「さて、私も覚悟を決めなければなりませんか」

 

 この先起こる戦闘が此度の攻防戦の勝敗を決める事を理解して、伯爵は僅かに、気付く者がいない程に僅かにその優美な表情を強張らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狭苦しく、息苦しい独房内で私が行える事はそう多くない。

 

 だが、だからと言ってここで私が何もせず時間を無為にするという選択肢はあり得なかった。私の腹に一撃を加え、頭を踏みつけるどころか万年筆を拝借するような副長殿がこのまま私を生かしておくか、と言えば怪しいものだ。

 

 「副長の奴は本当に酷い奴だぁ、艦長が寝入っているのを良い事に好き勝手するんさな。危ない仕事は全部気に入らない奴にやらせて……」

 

 独房の外で私の監視役を仰せつかっている伍長はぶつくさと語る。三十代の中年軍人は地方の農村生まれの五男らしく、一族の土地を継げる訳でもないので徴兵後そのまま帝国軍に残り長年地方の警備の仕事に就いていたらしい。そして何の因果か軍人となって十年以上経ってから正規艦隊に配属され、初めての大規模会戦への参加と共に宇宙の漂流者となってしまったのだそうだ。

 

「ふむふむ、それは酷い上司な事だ。部下を指導する士官でありながらそのように狭量では艦長も普段から随分と苦労した事だろうな」

 

 愚痴を語る彼に対して私は牢獄の中から煽てながら話を引き出す。

 

「分かりやすか?艦長様は本当に良い人でした。あの人は私らのような無学者の世話をしてくれやした」

 

 業務を分かりやすいように指導し、訓練は厳しいが怪我や事故が起こらないように乗員の安全や福祉にも配慮されていたと言う。飲み会もよくあり、艦長が皆に奢る事も多かったらしい。

 

「副長は、貴族嫌いなんだって?」

 

 私が尋ねれば鉄扉を隔てた伍長は頭を強く振って口を開く。

 

「そうなんだべさぁ!あの人ぁ、御貴族様を良く思っていないのでさ!部下に来た貴族様にねちねちと嫌がらせして虐めるのですよ!」

 

 艦長もこれには随分と困っていたらしい。それでも軍隊は上官の命令は絶対であり、副長は軍規に違反しないギリギリの嫌らしい命令ばかりをしていたためにそれを元に軍法会議などにかける訳にはいかなかったそうだ。

 

「ファーレンハイト少尉が今の標的でさ。帝国騎士様だし、士官学校出のエリート様なのが特に癪に触るんでしょうなぁ」

 

 それでも次々与えられる無理難題を何だかんだありつつも解決して見せるらしいが、その慇懃無礼な態度が更に副長の顰蹙を買うようであった。

 

「全くせせこましい人です。立場が上の貴族様にはへこへこ頭下げる癖に下の貴族様にはそんな態度なんですから。俺らのような田舎者相手でも同様でさ。下の奴には冷たい本当に嫌な上司ですだ」

 

 口の軽い警備は訛りの強い帝国公用語で卑屈な上官への文句を垂れまくる。そこには同時に若い少尉への同情も読み取れる。

 

「成る程……」

 

 ここまで話を引き出し、これまで手に入れた情報から話の全貌が凡そ見えてくる。

 

 まず、この艦内の生存者は大きく二つに分かれている。所謂中階級以上の平民グループだ。こちらは副長が階級的に牛耳っているとみて間違いない。

 

 もう一方は貴族・士族・地方民からなるグループだ。恐らくはファーレンハイト少尉辺りが取り纏めであろう。この二つのグループは対立しつつも一応軍の指揮系統に基づき救助が来るまで行動していたと思われる(といっても艦長が指揮を取れない以上、副長グループが圧倒的に立場が上と言えるが)。

 

そこにやってきた特大の爆弾が私だ。

 

 私とベアトの乗ったランチはこの事態において彼らにとっては救いに違いない。無論ランチで移動出来る距離は知れているが少なくともこの巡航艦の残骸で物資を食い潰し窒息か餓死するよりはマシだ。他の残骸に向かう事が出来る。

 

 問題は二点。一つはランチの搭乗可能人数だ。あのランチでは三十名前後の生存者全員を乗せる事は出来まい。良くて半分と言った所だ。

 

 もう一つは捕虜になった私だ。こんな状況で御荷物を増やす訳にはいかないが、同時に殺害すれば軍法会議物という迷惑な存在が転がり込んできた訳だ。

 

 副長の選択肢は保身と共に合理的で悪質だった。私を「唯の同盟兵」として扱った上で、若い少尉に処刑させようとした。これには二点の利点がある。

 

 一つには自ら処刑しない事で助かった後に軍法裁判にかけられても全ての罪を実行した若い少尉一人に押し付ける事が出来る点。もう一点は面倒な士族や地方民のグループの取り纏め役で知恵袋になり得る少尉を孤立させられる点だ。

 

 流石にその場で「奴隷出身の同盟軍兵士」として扱い私を殺害したとしても本当に貴族である可能性は高い。もし本当に伯爵家の御曹司の場合、実行した帝国騎士は軍法会議で処刑は確実、とばっちりを受ける恐れを考え、グループ内から距離を置かれる。

 

 そうなれば占めたものだ。戦闘の基本、頭の回る小賢しい士官学校出のエリートと無学な地方民共を分断した上で各個撃破する。ランチの定員の関係上、置き去りにされる者が出るのは確実で、残される者が素直に聞くとも思えない。先手を打って永遠に黙らせれば問題は解決するのだ。後はどうにかして本隊に救助され、助かった者達の間で全ての秘密を闇に葬れば良い。

 

 問題は理路整然と物的証拠まで出して公然と私が本物の伯爵家の人間であると証明して見せやがった事だ。流石に副長も平民、貴族にしか分からない分野で証明されてしまえば知識が無い以上否定する事は出来ない。しかも無理に殺させようとしても反発する士族や地方民等の貴族を崇拝する兵士達との銃撃戦が起りかねない。自分達で殺すのは論外だ。結果牢獄で食料と酸素を食い潰す穀潰しが一人誕生、という訳である。

 

「それにしても、あんた様って、確か伯爵様なんですかい?」

 

 相変わらずの訛りの強い帝国公用語で尋ねる伍長。広大な帝国においては言語の完全統一は中々難しく、地方民は教育機関や軍内で公用語を覚えなければならない。……というよりも実は全国的に徴兵が行われるために帝国軍内での各地方出身者の意思疎通のために生み出された軍内言語が元に帝国公用語が生まれていたりする。

 

「ああ、正確には伯爵家の長男だ。父が当主なのさ」

 

 母は黄金樹と侯爵家の血を引いている、とまでは言わない。そこまで行くと流石に事実だとしても客観的には出来すぎな程に嘘臭く思われる。サラブレッド過ぎるわ。

 

 どうせ何千とある門閥貴族の具体的な関係性や上下関係なぞ分かるまい。少なくとも今は彼らに私が伯爵家のどら息子とだけ教えておけば良い。

 

「ひゃああ、そりゃ凄いですなぁ。確か伯爵って子爵の上でしたっけ?グライフス大将様より上とはたまげたぁ」

 

 冷やかしや皮肉、と言うよりは純粋な驚嘆に近い声を上げる伍長。

 

「通りで話し方や佇まいもお上品なんですなぁ。それに話に聞きやしたが御一人で四人を圧倒したとか、流石大貴族様だぁ」

 

 顔立ちが整っていること、宮廷帝国語のアクセントの混じる帝国公用語、宮廷風の影響の強い優美な所作、そして私が(装備や偶然の要素が強いが)四名の敵兵に対して互角の勝負を行いしかも一人は射殺した事、それらが私が大貴族の血を引いている事の証明として彼は見ているらしい。

 

 彼、いや少なくない帝国人にとって偉業や品格は優秀な遺伝子を引き継いでいるからこそのものであるとの意識は強い。実際は顔立ち以外はコスト度外視の教育の結果だけど。

 

「あー、天下の伯爵様にはこんな部屋じゃあ御不満でしょうが勘弁してくだせぇ、ほかの奴らはそこらで雑魚寝しないとあかんのです。これでもまだマシな方なんでさぁ」

 

 扉の向こう側から伍長は心底恐縮そうにそう弁明する。本来は捕虜と看守の間柄なので力関係は完全に逆の筈なのだが、それでもこの態度だ。地方民の階級社会万歳な教育がどれだけ徹底されているのかが良く分かる。

 

 私としては射殺された仲間に対して思う所は無いのか、とも聞きたくなるが止めておく。返答は予想出来た。彼らにとって高貴な存在たる貴族に挑めば秒殺されるのは当然とでも思っていそうだ。寧ろ三人生き残った事を手加減と思っている可能性すらある。

 

 そのため私は貴族らしい返答をして相手に私が貴族である事をより認識させようと試みる(というよりも演技を続けないと本当に貴族か怪しまれるかもしれない)。

 

「そうだな、確かにこの部屋は汚すぎる。明かりも絨毯も無い、ベッドに至っては……クッションが固すぎるし、毛布は薄汚い。後トイレが臭うな。到底客人を持て成す部屋ではないな。まるで豚小屋だ」

 

 最後は本音も混じっている。流石に重力制御装置が機能しなくなる事も想定して無重力空間でも逆流してこない設計が為されているが、寝食をする室内にトイレもあるのは不愉快だ。普通の貴族なら冗談抜きで家畜小屋と勘違いするだろう。到底人間(と書いて貴族と読む)場所ではない。

 

 扉の向こう側から見えなくとも伍長が若干怯えているのが分かる。彼らにとって門閥貴族などと言うのは雲の上の存在だ。気紛れの言葉一つで処刑されるどころか家族親戚一同が拷問の末惨たらしく殺される。しかも幼少時より平民はより優良な遺伝子を持つ貴族階級や帝室に奉仕するために生存を許されていると教えられていた。都市部なら兎も角純朴な地方民は以外な程それを信じている者も多い。

 

「そ、それは……」

 

口ごもる伍長。

 

「……いや、卿に言っても詮無き事だな。気にする事はない、どうせ卿なぞにはどうにも出来んのだろう?言っても無駄な者に問い詰めるような無駄をするつもりはない」

 

 私はベッドに座り込むと寛大な領主のように偉そうにそう口にする。何捕虜の癖に上から目線なんだ?なんて気にするな。同盟軍に捕虜になった貴族将校の態度より百倍はマシだ。

 

 あいつら従僕とダブルサイズベッド、それに食事に高級ワインをセットにする事を当然のように要求してくるからな。それどころか奴隷共と会話する事自体汚らわしいと拒否する者までいる。お陰様で応対が面倒なので貴族将校の捕虜が亡命政府預かりになる事も珍しくない。

 

「へ、へい……その通りです。ど、どうぞ御容赦を……」

 

 多分扉の向こうで伍長は平民らしく卑屈に頭を下げている事だろう。

 

「ふん、私も状況が分からん程愚かでもないからな。私の寛容に感謝する事だな、だが……」

 

 そこで私は敢えて間を空ける。そうする事で相手が不安がる事を見越しての事だ。

 

「な、何でしょうか……?」

 

恐る恐るという口調で伍長は尋ねる。

 

「……いや、卿の同僚達にも警告しておく事だ。余り無礼な真似をすると後悔する、とな。疲れた、少し寝るから二時間程度したら起こせ」

 

 私は悠々と、余裕を持った表情(無論、演技で内心緊張と吐き気で最悪の気分だ)で命令するとベッドにゆっくりと横になり、自身の体が浮かんで飛んでいかないようにを安全帯でベッドに固定する。

 

 私は就寝する振りをして内心で脳細胞を全力で働かせて現状の打開策を考える。

 

(落ち着け、ベアトが私の危機をいつまでも放置する可能性は低い。同時にあの食い詰めが何も考えていない筈はない)

 

 考えを整理する。まず副長が私を生かして帝国軍本隊の下に連行する事は無い(そんな事すれば身の破滅だ)。同時に食い詰めが私に無駄に情報を与えている時点で明らかに利用するつもりなの確実だ。

 

(つまり食い詰めは私を利用して副長に対抗しようとしている、という事だ。大方の利用法は予想出来るが……)

 

 その点は恐らく上手くいくだろう。先程までの伍長との会話、半分の思考経路が彼と同じならばギリギリどうにかなる事だろう。そして証拠なら……。

 

「こいつがある」

 

 カッターシャツの袖の下にある腕時計の感触を確認する。万年筆同様に見る者が見れば私の身分を証明してくれるだろう。後はいかに説得するかだが………その辺りは私がどの程度口が回るか、だな。懸念があるとすれば……。

 

(ベアトが食い詰め辺りと銃撃戦、なんてのは御免願いたいなぁ)

 

 ベアトを危険に晒したくないし、弾薬と戦力、そして生存の芽を無駄にしたくない。だが問題はベアトが行動を起こせばそういう訳にいかなくなる。ベストはベアトが行動を起こす前に食い詰めが私に接触と協力を取り付けて、私からベアトに合流を命じる事……。ああ、こっちから起こせるアクションが無いのがもどかしいな。

 

 私は舌打ちしつつ、瞳を閉じる。結局頭を働かしても私に主導権が無い事が分かるだけだな……精々その時が来るまで体力を温存する程度だな、私に出来るのは。

 

 私は焦燥感と不安に苛まれつつも少しずつ意識を手放す。ストレスと吐き気から無駄に体力を使っていたようで、一度瞳を閉じると私は呆れる程早く意識を手放していた……。

 

 

 

 

 

「ふん、見てみろこれを。良くもまぁ捕虜の身であんな堂々と、恥ずかしげもなく寝れるものだ。まるで自分の生命の危険を意識していないようではないか」

 

 巡航艦中央部に設置された艦内管制室、フォスター大尉は室内に設置された多数のスクリーンの一つを見ながら鼻を鳴らす。そのスクリーンの画面にはベッドの上で寝入る同盟軍装の若い中尉が映る。

 

「危機感が無いんですよ。恐らくは命の危険を感じた事が無いのでしょう。所詮は貴族のボンボンです」

「あの顔立ちでしたら二十やそこらでしょう?中尉なら多分士官学校卒業して一、二年の餓鬼です。反乱軍の士官学校もこっちと同じでコネで入れるんですねぇ」

「おいおい、反乱軍はどいつもこいつも元奴隷なんだろう?『優良』な御貴族様なら実力で入学出来る筈さ、まぁ本当に『優良』だったらだけどな!」

 

余り品が良いとは言えない嘲りの笑い声が響く。

 

 艦内のダメージコントロールや消防設備や修理用ドローンの作動、警備カメラを通して警備を行う艦内管制室は現在副長以下の人員が詰める臨時司令部……というのは建前で事実上副長派の生存者がほかの生存者を監視する部屋と化していた。

 

 彼らが今物笑いの種にしているのは捕虜として収監中の同盟軍士官の姿だ。艦が真っ二つになった際の衝撃で集音器は破壊され、監視カメラも損傷して映像は不鮮明、会話の内容も表情も不明瞭だが彼らには余り関係無かった。例えどのような理知的な会話をしていようと、毅然な表情をしていようと野次か罵倒か、嘲笑が飛び交うだけであっただろうから。

 

「何が優秀だよ、貴族なんて奴らは毎日御屋敷で酒と女で乱痴気騒ぎして浮かれている奴ばかりさ。安全な場所で酒飲んで女抱きながら二、三回戦争を観戦なされるだけで提督様さ」

 

 予備役士官学校出の索敵主任ケストナー中尉は高笑いしながら普段ならば到底口に出来ない言葉を放つ。彼はこの巡航艦の乗員の中で生存している数少ない士官だった。警備主任は宇宙空間に投げ出されたし、機関長は核融合炉の暴走で被爆死、水雷長、航宙長、砲雷長は艦が切断された時に吹き飛んだ破片で体を切断されたり切り裂かれて失血死していた。彼が助かったのは艦が揺れた時に床に倒れ破片が頭の上を通り過ぎたからだ。

 

「……あの若造の方は怪しい動きは無いな?」

 

副長は尋ねる。

 

「ええ、外に出てランチの修理をしていますよ、御苦労なこった」

 

 そう言って一人が生き残っている艦外光学カメラの映像を映し出すスクリーンを指差す。帝国宇宙軍簡易宇宙服を着た数名の人影が巡航艦に突っ込んだランチの周りで作業を行っていた。

 

「ふん、ファーレンハイトの奴、貴族だからって生意気な態度をしやがって。所詮二代目の貧乏騎士の癖に」

 

 詰るように罵倒するのは艦内経理担当だったオーマン曹長だ。自身よりも二十近く年上の上官に全く礼節の無い態度であった。兵士達の給与や物資を数字のマジックで長年少しずつ着服していたのを新任の若造に気取られ裁判沙汰になる前に足を洗わざる得なくなった恨みが彼にはあった。

 

 実の所帝国軍において不正等に手を染める者は圧倒的に平民階級の者が多い。大貴族となると物心がつく頃から物質的に恵まれているために横流しや猫糞をしてまで蓄財に励む者は意外と少ないし、下級貴族は多くの場合体面やプライドが許さない。

 

 寧ろ実際に物資を取り扱う現場の兵士や下士官の方が守銭奴のように不正蓄財する者が多い。上級士官で不正行為に励む者も成り上がりの平民出身者が主体であった。そこで不正蓄財に励みあわよくばそれを元手により上の階級を目指す訳だ。そして一部のそのような平民の存在が大貴族による平民や下級貴族蔑視に繋がり、平民や下級貴族による敵意を生み出す一因でもあった。

 

 ……尤も、逆説的に言えばそれだけ平民と大貴族の間に格差がある証明でもあったが。

 

「それよりどうする?一人口減らし出来たと思えば面倒な穀潰しが一人増えちまった。下手に取り扱うと田舎者共と猪共が何仕出かすか分からん」

 

 ある下士官が苦々しげに指摘する。その言葉に場が静まりかえる。

 

 田舎者は地方民、猪は士族階級を指していた。唯でさえ副長と対立している出自であり、まして大貴族がいるとなれば選択肢を誤れば暴動になりかねない。

 

「今は動けん、ランチの修復が終わるまではな。それまでは辛抱だ」

 

副長が端的に結論を出す。

 

「ですが……空気や予備電源はまだ何週間か持ちますが、食料が……」

 

 オーマン曹長が懸念を伝える。三十名余りの生存者がおり、食料が不足し始めていた。切り詰めて後一週間持てば良い方であろう。

 

「分かっている。それまでに始末は付ける……!」

 

 副長が少々腹立だし気に答える。長時間このような環境で責任者の立場に置かれる事で彼自身短気になっている自覚はあった。

 

「武器は集めている、この管制室から隔壁や空調操作も出来る、後はタイミングだけだ、問題は無い……!」

 

荒らげた声で副長はそう語る。

 

 尤もそれは半分程度は場の不安を和らげるための強がりである。武器は彼方側も保有しているし、隔壁や空調操作程度では決定打に欠ける。シャフトからの移動やマスク程度でも無力化は不可能ではない。

 

 それを理解しているからであろう、そう宣言しつつもテーブルで討議を続ける彼らの注意は次第にカメラ映像から議論の中身に移っていた。故に彼らはその瞬間を逃していた。一瞬、監視カメラからの映像が砂嵐と共に揺れた事に………。

 

 

 

 

 

 

 ベアトリクス・フォン・ゴトフリート中尉の内心は焦燥と悄然と葛藤で支配されていた。

 

 敬愛し、守るべき主人が捕囚の憂き目に遭ったのだ。貴族……それも門閥貴族が身体の自由を束縛されるなぞあってはならない事だ。自由が束縛されるのは無知蒙昧ですぐ流される愚鈍な平民共が課せられるべきものであり、貴族は束縛して平民共を管理する存在、これでは逆ではないか!

 

 平民の如き立場に身を置く、それがどれ程の恥辱であるか、ゴトフリートは良く理解していた。そして側に侍り、守るべき身でありながらそのような立場に主人を陥れた自身を大いに呪う。

 

 ゴトフリート家の初代は元を何処の誰が親かも知れぬカルト教団の少年兵という劣悪遺伝子排除法に基づき殺処分されても仕方のない卑しい身である。しかし護衛としての献身的な働きを初代ティルピッツ伯爵オスヴァルトに評価された結果従士家に取り立てられ、以来500年20世代以上に渡り代々伯爵家に仕えてきた。

 

 そして初代からの遺言を守り、代々一族の者は文字通り命を賭けて大恩ある伯爵家に忠誠を尽くした。主家を守り討ち死にした先祖の数は二桁に上る。

 

 数百ある伯爵家従士家の中で五本の指に入る権勢を得て、付き人や盾艦の艦長などの栄誉ある職務も任せられるようになったのはその一族の長年の忠誠への報酬だ。主家は臣下の忠誠と犠牲に対してそれに相応しい報いを与える事を忘れない。

 

 ましてその末裔たるベアトリクス・フォン・ゴトフリートは付き人の栄誉ばかりか、幾度となく過失を犯しながらも臣下として望外の寵愛を受けてきたのだ。

 

「それがこんな……!」

 

苦々し気な、無念の思いを込めた言葉が口から洩れる。

 

「……落ち着きなさい、今やるべき事は口を開く事ではありません」

 

 深呼吸して、怒りと自己嫌悪の感情を押し殺し、従士は手元の携帯端末を操作する。そう、今はそんな事をしている暇は無いのだ。口より手を動かさなければならない。

 

 巡航艦「ロートミューラー」の残骸の一角、艦表面の残存する光学監視カメラの死角となる位置にいたゴトフリートは宇宙服を着たままの状態で艦内システムに保有する携帯端末のケーブルを繋げて所謂ハッキングを行っていた。

 

 ハッキング自体は決して困難ではない。システムのソースコードは帝国語であるがゴトフリートにとっては帝国語はある意味同盟公用語以上の母国語だ、万全なら兎も角半壊した巡航艦のシステム、しかも電子戦要員も大半は死亡しているであろうし、電力の問題もあり十全なハッキング対策は不可能であった。そこに電子戦では一歩先を行く同盟軍式の教育と機材が加わるのだ。拍子抜けする程に簡単に艦内システムに潜入する事が出来ていた。

 

「これでは電子戦要員は大半どころか全滅している可能性も高いですね」

 

 余りにあっけなくシステムから情報を盗み見る事が出来たためにゴトフリートは呟く。問題は必要な情報が見つかるかだが……。

 

「あった。これですね……」

 

 独房の監視カメラが生きている事に気付き、端末の液晶画面に出力する。

 

「若様……!」

 

 携帯端末に映る解析度の荒い映像を見つめ、ゴトフリートは悲痛な声で呟いた。

 

 精度の低い画像ではあるが彼女には粗末過ぎるベッドに寝込んでいる人物が誰か、顔の判別がつかなくてもその姿で即座に理解出来た。代々優秀な遺伝子を受け継ぎ(少なくとも彼女はそれを信じている)、健康と安全と栄養価を保証した食事、科学的に効率化された鍛錬、そして厳しいマナー教育を受けた体形や物腰は平民共のそれとは雲泥の差だ(少なくとも彼女にはそう見える)。

 

 大帝陛下より認められた優良種の末裔がこのような狭苦しく、小汚い部屋に押し込まれている事は正に悲劇だった。それは優良遺伝子の凌辱であり、貴族階級への不敬であり、大帝陛下の理想への冒涜だ。許される事ではないように思えた。

 

「あのような固く小さなベッドで……何と御労しい……!」

 

 従兵の一人も付けない賊共の配慮の無さに怒りすら覚える。その程度の配慮すら出来ないとは、所詮は貴族階級に選ばれなかった劣等遺伝子の平民共が……!

 

 限りなく彼女の憎悪は偏見と差別意識と理不尽の混合物であったが、彼女の価値観においてはそれは間違い無く唯一絶対の正義であり、恐らくは銀河の両腕にあるそれぞれの宮廷でそれを叫んだとしても、そこの住民達は拍手喝采する事なく、寧ろ一周回って当然の常識を必死に演説するその行為を怪訝に思うだろう。

 

 その感情は偏見で固められていたが、少なくとも彼女は目下の目標に関しては極めて冷静で、合理的であった。主人の救出のための情報収集、特に賊共の数と位置の把握が先決であった。機会が来ればハッキングで落とした電源と爆薬で奇襲を行い、主人の救助とランチの強奪を行うつもりだった。

 

「機を待て、で御座いますね」

 

 主人の最後に残した言葉をゴトフリートは反芻する。その言葉ではやる気持ちと激情を抑える事が出来た。下手な動きは主人の救出の失敗、いや怪我をさせる危険もあるのだ。故に主人の言葉に忠実に従う。

 

「まずは艦内電源システムに干渉して………っ!」

 

 次の瞬間それに気付いてゴトフリートは手元のハンドブラスターを引き抜いていた。

 

「っ……!」

 

目の前にハンドブラスターの銃口が見えた。

 

 視線を動かせばそれは帝国宇宙軍の簡易宇宙服を着た敵が向けているものであった。

 

「………」

 

 ゴトフリートは動かない。彼女のハンドブラスターの銃口もまた相手の心臓に向いていた。引き金が引かれればその筒先から放たれる低出力レーザーの熱線が敵の心臓を簡易宇宙服ごと貫くであろう……とは限らない。

 

(隙が……ない)

 

 ゴトフリートは微動だにせず沈黙し、相手もまた同様であった。仮に引き金を引いたとしてもコンマ数秒のその動作の隙をついて相手は身を翻し反撃の銃撃が襲い掛かるであろう、そしてそれは相手もまた同様、故に二人は銃口を向け合いながらも文字通り指一つ動かすことが出来なかった。

 

 暫しの膠着状態、ゴトフリートは頭を回転させてこの難局をどう乗り越えるか、具体的に目の前の障害を増援を呼ばせずどう無力化するかについて策を巡らせる。

 

『中々の手練れだな、これは思いの外期待出来そうだ』

 

 ヘルメット内側に備え付けられた無線機からのオープン回線による通信が響いた。それは明らかに目の前の敵からのものであった。

 

『そう身構えるな、敵ではない……と言っても信用はせんだろうな、当然だ。だが矛を収めて貰いたい、我々に敵対の意思は無い』

 

 そこまで言ってもゴトフリートは警戒を解かないので目の前の帝国兵は肩を竦める。

 

『いやはや、良く訓練されている事だな。流石に伯爵家の側で御守……いや、護衛に付くとなると雑兵とは訳が違うな』

 

 ぴくっ、とゴトフリートが「伯爵家」という単語に反応する。強ばる表情はヘルメット越しのため見えないが、その雰囲気の変化に相手は目敏く気づいたらしい。

 

『そうだ、卿の主人の事だ……落ち着け、私は卿にも、卿の主人にも敵対するつもりも、危害を加えるつもりもない』

 

 強烈な殺気を感じて帝国兵はゴトフリートに落ち着くように語りかける。

 

『同じ帝国貴族、帝国騎士としての名誉をかけて誓おう、私は卿の味方だ』

 

 そう言ってゆっくりとブラスターを降ろして相手を刺激しないように貴族風に一礼する帝国兵。

 

『アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト帝国騎士、と言っても卿が知る由もあるまい。伯爵家には及びも付かぬ新興の家柄だからな』

『………ゴトフリート従士家、ベアトリクス・フォン・ゴトフリート従士です。単刀直入に尋ねます、賊軍の一員の分際で何用でしょうか?それに…我々?』

 

 ハンドブラスターを下げ、オープン回線でファーレンハイト少尉に怪訝そうに尋ねるゴトフリート。ブラスターを降ろされ挨拶されれば同じ帝国貴族として相応の礼節を取るのは例え賊軍所属であろうとも当然であった。寧ろだからこそ非礼をする事は自らの品位を貶めるために許されなかった。

 

『……うむ、少々こちらでは問題が起きていてな、統率すべき艦長も指揮が出来ず、公正な指導が出来る者を欠く有様でな』

 

 恐らくは女性の声に驚いたのだろう、一瞬驚愕したような口調になりつつも平静に説明を行う帝国騎士。

 

『それで、だ。このままでは我々には余り愉快な未来が来そうに無い訳だ。よりによって副長が面倒この上無いせいでな』

『そうですか、それで?結局は何をご要望でしょうか?』

 

 状況を詳しく説明するファーレンハイト、しかしゴトフリートにとってそれは大事な事ではない。

 

『成程、我々の苦労には関心は無し、と。まぁそれもそうだろうな。さて、本題か……』

 

 自虐に近い僅かな苦笑、そして真直ぐゴトフリートを向いた若い帝国軍士官。

 

『そうだな、端的に言えば……卿の主人殿に貴族としての職務を果たしてもらいたい、と言った所だろうな?』

 

 白髪の帝国騎士は真剣な面持ちでその計画を説明し始めた……。




ちょっとした各設定の言い訳
少し辛口ですがメルカッツは「60歳近くまで、儂は失敗を恐れる生き方をしてきた」とあるのでこういう性格になりました、本編の十年前だから多少はね?

藤崎版ではロイエンタールの将兵達が敵側のフレーゲルに思わず様付けの敬語使っていたので多分亡命貴族相手でも(一部の)平民達は敬意を払うだろうと思います

藤崎版フーゲンベルヒ、原作のガイエスブルク陥落時に貴族将校に現場目撃された兵士達は皆平民、一方で前線に出る貴族は少ないとありながらラインハルトが物資横流しの可能性を上官に指摘した際に「そうでも無ければ前線に出る者はいない」という発言がある、ここから「横流し・不正を行う者=平民階級」の方程式が成立していると考えます、やっぱり平民共は貴族が指導しなきゃ!(選民主義的思考)


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第九十一話 不審者の話には耳を貸すな!

 5月16日1600時、長らくどちらが優位かを断定出来なかった戦況に変化が見られた。

 

 同盟軍右翼第二艦隊が戦隊単位の小集団となり相互に連携した援護と後退運動を始めたのだ。これはこれまでの消耗や過去の戦闘の推移から見て同盟軍の全面撤退の一環である事は間違い無かった。

 

 無論帝国軍はこの事態を放置する事はない。要塞駐留艦隊は二個梯団を持ってこれを微速前進しつつ追撃する。

 

「想定に比べて迫撃が緩やかだな」

 

 第二艦隊旗艦「サガルマータ」艦橋に陣取る艦隊司令官マイケル・ワイドボーン中将が呟く。

 

「恐らくはこちらの意図を読んでの動きか。だが……」

 

 意図を読んでいる事と行動出来るかとでは決してイコールでは無いのだ。第二艦隊は後退しつつも長距離砲で帝国軍を拘束し、第三・一一艦隊の後退を援護する。宇宙艦隊の主力を担う駆逐艦の主砲射程は同盟軍が上、一〇光秒前後の距離を維持する同盟軍は駆逐艦の光子レーザー砲を存分に活用出来た。

 

「各艦、このまま第三艦隊が最前線を整理して後退するまで付かず離れず撃ち続けよ。近接戦闘にさえ持ち込まれなければ反撃は来ない、焦らずに眼前の任務に専念せよ!」

 

 無論、ワイドボーン中将の言は決して嘘ではないが同時に事態は単純でもない。  

 

 第二艦隊は兎も角、近距離戦が多いために戦線の一部が混戦状態にある第三艦隊が脱落部隊を出さずに、しかし帝国軍に「雷神の槌」を使う隙を与えないように砲撃で動きを封じるように後退を開始するのは容易ではない。

 

 しかし真っ先に後退を開始した第二艦隊の行動により第三艦隊から見て右翼方向に宙域の空間的余裕は確保されている。

 

 これにより第三艦隊は艦隊運用面において柔軟性を保持する事に成功し、戦術面での自由度も広がった。決して無謀な行動とは言えない。

 

 2100時頃になると第三艦隊を始めとした同盟軍の諸部隊が航空母艦から空戦隊を発艦させ始める。

 

 単座式戦闘艇部隊は戦力の引き離しのためには打ってつけの部隊だ。混戦状態の戦線に向かえば帝国軍艦艇の索敵機器や機関に損傷を与えその迫撃能力を削り、襲い掛かる雷撃艇やミサイル艇を迎撃し、追い縋るように先行する駆逐艦に複数機で襲い掛かり撃破する。

 

 無論、帝国軍はそれを易々とは許さない。純白色に輝くワルキューレ部隊が帝国軍の各艦より舞うように発艦する。

 

 各地で互いの尾に食らいつくように戦闘艇がドッグファイトを繰り広げる。

 

 帝国軍要塞駐留艦隊に所属する戦艦「クルッケンベルク」は船体に設置された無数の防空レーザー砲や防空電磁砲、対空ミサイルでワルキューレ部隊の防衛線を抜けて襲い掛かる同盟軍の戦闘艇部隊の迎撃を開始する。

 

 L‐11電磁対空砲塔の下級士族出身のフーゲ曹長は一流の砲手であった。彼の割り当てられた対空電磁砲はマッハ9の速度で毎分35発のウラン238弾を襲い掛かる重装型スパルタニアンの編隊に撃ち込む。

 

 先頭を切る第146独立空戦隊第3大隊第2中隊所属のベドフォード軍曹のスパルタニアンは正面からウラン238弾を食らった。機体の前半分が吹き飛んだベドフォード機はそのまま機体バランスを崩し回転しながら火達磨になり「クルッケンベルク」の真横を通り抜け虚空に消える。

 

 続いて激しい砲火に編隊から逸れてしまったチョウ伍長が機体の腹にプラズマ化した劣化ウランの塊を叩き込まれた。コックピットは機体に設けられた僅かな装甲と対レーザーコーティングごと瞬時に飴のように引き裂かれ、融かされる。そのまま機体の半分近いサイズの対艦ミサイル事爆散する。

 

「やった!曹長!二機やりましたよ!」

「ぼさっとするな糞餓鬼!次の目標を教えろ!」

 

 L‐11電磁対空砲塔内にて奇声に近い歓声を上げる索敵班のアダム一等兵にどなりつけるようにフーゲ曹長は叫ぶ。次の瞬間、雨あられのような砲火を掻い潜ったキタムラ准尉のスパルタニアン爆装型が撃ち込んだレーザー水爆ミサイルがL‐11電磁対空砲塔の設置された「クルッケンベルク」左舷エンジンを青白い光の中に包み込んだ。左舷エンジン内に詰めていた砲兵達や機関員達は大半が瞬時に消し炭になり、運悪く即死出来なかった者は数秒の間地獄のような苦しみを味わう事になる。

 

「左舷エンジン分離急げ!」

 

 狙いが浅かった故にそのまま爆沈しなかった「クルッケンベルク」の艦橋内で艦長が叫ぶ。激しく揺れる艦橋内では船体の危険を知らせるブザーが気が狂ったように鳴り響く。船体内の隔壁が次々と降り、無人ドローンが射出され損傷部位に瞬間凝固樹脂を吐き出しながら修復を図る。左舷エンジンがパージされると同時に爆散した。紙一重で「クルッケンベルク」は誘爆を回避する事に成功した。

 

 しかし幸運は続かない。次の瞬間スパルタニアンの一個小隊がレーザー機銃で船体のエネルギー中和磁場発生装置を狙い撃ちするという職人芸をして見せる。同時に第三艦隊所属戦艦「デュソルバード」から放たれた中性子ビームの光筋が「クルッケンベルク」の船体を貫通して爆炎の中に数百もの人命を飲み込んだ。

 

 だがその撃沈に貢献したスパルタニアンの小隊は「クルッケンベルク」所属の防空隊のワルキューレ編隊の執拗な迫撃を受け奮闘の末全滅する事になる……。

 

 油断すれば……否、油断せずとも次の瞬間に生死が決まる激烈な戦い。戦闘は始めるよりもそれを収拾し終わらせる方が遥かに困難であることを前線の破壊と殺戮が如実に表していた。

 

 尤も、全ての戦域が、全ての兵士が地獄の前線に身を投じているわけでもなかった。

 

「あー、見つかんねぇなぁ」

 

 巡航艦「ファレノプシス」艦橋内でオペレーターがぼやいた。

 

 大艦隊が殴り会う主戦場から距離を置いたデブリ帯をゆっくりと進む「ファレノプシス」はその展開宙域にて「政治的重要人物」の救難任務を命じられそれを実施していた。

 

 尤も広い宇宙、回廊という比較的狭い空間とて艦隊なら兎も角人一人にとっては充分過ぎる程に広大だ。ましてその救難対象が生きているかすら定かではない。肉片一つ見つかるかすら怪しいものだ。

 

しかも……。

 

「また外れか」

 

 救難信号を受けて来てみれば相手は目的の人物ではなく悪運強く残骸内で生存していたり、救難ポッドで漂流している兵士であった。

 

「ファレノプシス」だけでも既に六回救難信号を受信して六〇名余りの友軍兵士と一〇名余りの捕虜を回収していた。周辺に展開しているほかの救難艦艇や血走った目で辺りを探し回る亡命軍艦の成果を含めればその数は十倍以上になろう。

 

「げ、あいつらまたこっちに押し付けやがって……」

 

 亡命軍から送られて来た受信情報をコンソールを操作して開いた別のオペレーターが吐き捨てるように呟く。

 

「またか?」

「ああ、まただ」

 

 呆れと、不快感を混合させた表情どオペレーター達は互いを見やる。此度の任務に同伴する亡命軍の艦艇は同盟のそれの二倍、二二隻に及ぶ。彼らはしかし、目的の救難対象以外には一切興味が無いようでいざ駆けつけて目的のそれでなければそのまま待機させて同盟軍に救助させる艦艇も多々存在した。

 

「ち、俺達は雑用かよ……」

「あんなものまで用意して……異様なやる気だな」

 

 艦橋のスクリーンからでもうっすらと見える影を見やるオペレーター達。その先には全長九〇〇メートル余りの巨艦が映る。周囲に情報索敵型スパルタニアンや救難型スパルタニアンを飛ばしながら鎮座するホワンフー級宇宙母艦である。

 

 こんな場所にホワンフー級宇宙母艦が展開している事実に多くの乗員が呆れていた。近年は新型のラザルス級の配備が始まっているとはいえ、未だに第一線で活躍する事が出来る大型母艦をこんな任務に投入するとは。

 

「何、考えようによってはそう悪い事でもないさ。お陰様で俺達は前線に比べて安全な場所で手当てを貰えるんだからな」

 

半分皮肉気に別のオペレーターが嘯く。

 

「そうは言ってもなぁ……っ、二時の方向、距離四〇〇、ワルキューレ二機、来るぞ!」

 

 索敵要員がセンサーによって発見した脅威を報告する。恐らくゲリラ戦なり本隊から逸れたか、あるいは警戒部隊、といった所であろう。艦長が対空戦闘の用意を命じる。

 

 だが全ては取り越し苦労であった。次の瞬間に「ファレノプシス」のすぐ真横を通り過ぎた亡命軍所属のスパルタニアンがワルキューレに躍り込む。

 

 正面からウラン238弾を装填したバルカン砲の精密射撃を受け一機が四散した。慌ててもう一機がスラスターを回転させてスパルタニアンには不可能な曲線運動でその射線から外れる。そのまま真横から仰角変更したビーム機銃を撃ち込もうとし………。

 

『っ………!?』

 

 次の瞬間機首を真上に向けたスパルタニアンによってその攻撃は紙一重で躱された。同時にそのまま突っ込むワルキューレに対してスパルタニアンはその場で回転してワルキューレの直上に出た。

 

 驚愕する帝国軍のパイロットはしかし、次の瞬間それ以上の思考を強制的に停止させられた。両機が交差するコンマ数秒のその瞬間直上から操縦席やエンジン等の急所を集中的に撃ち抜かれた戦乙女はそのまま慣性の法則に従い直進しつつその機体を飛散させ、数秒後には細やかで短命な小太陽を生み出した。

 

「おお、すげぇ」

 

 その空戦の様子を見ていたオペレーターの一人が思わず呟く。二対一で勝ち越すだけでも称賛に値する。まして曲芸を披露しながらあんなにあっけなくとは……。

 

「エースか、なら納得だな」

 

 別のオペレーターは機体に刻まれたマーキングを見て納得する。艦艇(大型戦闘艇含む)五隻に単座式戦闘艇単独撃破三八機という数字はエースとしては駆け出しを過ぎた頃ではあるがそもそもエースになれるパイロットなぞ二十人に一人もいない事を考えればその技量がどれ程のものか分かろうものだ。

 

「亡命軍の機体か、まさかエースをこんな戦域に送り込んで来るとはな。ん、スパルタニアンより連絡、脅威の排除を完了したとの事です」

「うむ、各員戦闘態勢解除、第一級警戒態勢に移行せよ」

 

 艦長の命令に場の空気が弛緩する。艦橋の各々が息を吐き、珈琲やら御茶、ホットココアを飲み、軽食を取りながら片手間に端末の操作を再開する。

 

 一方、先程ドッグファイトを演じたスパルタニアンは母艦に戻らずに周辺の救難信号を索敵しながら哨戒を続ける。本来ならば戦闘の後は一旦母艦に戻るものなのだが……。

 

「随分とまぁ、勤勉なパイロットな事で」

 

 肉を二枚重ねしたハンバーガーを頬張りながらオペレーターはぼやく。亡命軍将兵が気味が悪いほど勤勉で規則が厳しいのはいつもの事だった。

 

 オペレーターはすぐに戦闘艇への関心は失せて食事に集中した。戦場では食べられる時に食べるのが鉄則だ。

 

 一方、スパルタニアンは彷徨えるように、そしてその動きからして必死な動作で周辺を捜索し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……流石に少し辛いな」

 

 小さなザワークラフトの缶詰めを食べ終え、残り三分の一余りになったペットボトルの水を口元に含み、私は呟いた。

 

 正確な時間は分からないが二日程度はこの臭い独房の中にいる。

 

 狭く暗い室内は我慢出来るが流石に粗末過ぎる食事と水分不足と無重力状態の吐き気のトリプルコンボは私の肉体と精神を蝕んでいた。うん、胃袋がムカつくというか気持ち悪いし、栄養不足からか体が少しだるい。耐えられない訳ではないが……。

 

「………そろそろ、か?」

 

 恐らくもうそろそろそれが来ると考えていると……薄暗い牢獄に光が射し込んだ。何の偶然か、どうやらもうその機会が来たらしい。

 

「……喜ばしいな、どうやら後先考えずに水を飲み干す程低脳ではないらしい」

 

 独房を開き目の前で佇む若い少尉は私の手元にある飲みかけのペットボトルを見て口を開く。

 

「眩しいな、何だ?食後のデザートでも用意してくれたのか?卿もようやく貴族の遇し方を覚えたのかな?」

 

 皮肉げに、(そして強がりを言うように)私は言い返した。その様子に肩を竦めるファーレンハイト少尉。

 

「悪いがこの艦でデザートと言えるものと言えば我々下っ端が食べられるのは味気ないフルーツミューズリーか甘さ以外の味のないチョコエナジーバー位だ。要るかな?」

「要らんな」

「だろうな」

 

 栄養価以外を一切考慮にいれていない帝国軍保存用レーションは同盟軍の軍用レーションタイプライヒ以下の味だった。比較すれば辛うじてタイプイングリッシュやタイプアライアンス以上と言う誉めるべきか貶すべきか分からない代物だ。欲しいか、と言われて嬉しそうに首を縦に振る同盟人はマゾだろう。

 

「まぁ、元気そうで何よりだ、おま……」

「若様っ……!?」

 

 ファーレンハイト少尉の声を妨げた声に私は次の瞬間を目を見開いた。だが、口を開く暇も無かった。次の瞬間にはファーレンハイト少尉の横を通り抜けた影が私に駆け寄る。

 

「ああ、おやつれになられて……若様、御怪我は御座いませんかっ!?申し訳御座いません、またもや若様をみすみす危険に晒してしまい、何と言えば良いのか……」

 

 顔を引き攣らせながら懺悔の言葉を吐く帝国軍服を着た従士に対して、私は即座に行うべき事を理解してその口元に人差し指を立てる。途端に高速で動く口を止めるベアト。

 

「言いたい事は分かる。だがそれを悠長に聞いてやれる余裕は無い……だろう、少尉?」

 

 私が少尉に視線を移せば我が意を得たりとばかりに頷いて指で下士官を呼びつける。

 

「理解が早くて何よりだ。今は監視カメラの映像を差し替えている、恐らくは卿は今頃ベッドで御眠しているように副長には見えているだろう、だがいつまでも誤魔化せん。早急にザンデルス軍曹と衣服を取り換えて欲しい」

 

 そういうや早くザンデルス軍曹と呼ばれた若い下士官が上着とズボンを脱ぎ始める。歳と体形は比較的似ている、暗闇と荒い映像を使えば誤魔化せるそうだ。

 

ここは文句は言わず淡々と衣服を交換して着替える。

 

「……ベアト、気にする事は無い。私は(血の出る)怪我はしていないし、捕虜になったのも考えがあっての事だ。お前の働きはそこに一切関係無い、分かったな?」

 

 帝国軍下士官の上着に軍帽を被りながら私がベアトにそう説明する。というかそうしないとベアトも始め複数人が不幸になりかねないしな。

 

「ですが……」

「ベアト」

 

 そう注意ように名を呼べば肩を竦める従士。上目遣いでこちらを不安げに見つめている。

 

「言っただろう、考えがあっての事だと。その結果が今だ。だから気にする事は無い、お前より出来が良い付き人がいたとしてもこの選択をしている筈だからな。目を見て分かったよ、こいつが私を必要としているとな、だから捕虜になる「振り」をしてやった」

 

 そう言ってファーレンハイト少尉に視線を移し潜入捜査でも終えたような態度をする。

 

 ……うん、真っ赤な嘘だ。せいぜい降伏すれば命は助かるかな?程度の考えなのが斜め上過ぎる状況が追い風になっているだけで、頭にハンドブラスターを突きつけられた時点では限りなく詰んでいた。正直な話、最悪このままベアトも降伏させて一緒に帝都に連行されようかな?と想定していたよ。世話役としてベアト一人位なら傍におけるだろうし、下手に置いていったら自決か処断だろうし。

 

 ……何で従士が戦死するよりも、味方にギロチンに処される方を心配しないといけないんだよ。

 

「そうとも、捕虜の身で随分とまぁ自身の立ち位置を理解していただけたようで、看守達と大層仲良く話していたようですしな」

 

 意味ありげにこちらを見やる少尉。尤もそれはある意味出来レースでもあった。

 

 目の前の少尉は私を捕虜とした時に不自然に多くの情報を提供してくれやがった、その上交代に来た看守達は皆田舎者や士族の出で少しおだてれば警戒心が薄く色々話が聞けた。あからさまに聞きやすい看守達ばかりである事を考えるとわざとであるのは明白、恐らくはこちらに状況や背景の理解と生存者達との面識作りのために仕組まれたのだろう。少尉に褒められる程のものではないが……咄嗟に私とベアトの関係を把握してのフォローであろう。好都合だ、ここ数日の捕囚生活を全て茶番劇扱いしてくれるならばこちらも賛成である。

 

「そういう事だ、さて時間が無い。行こうか?」

 

 私は深く帽子を被り顔を誤魔化すと私は目でベアトに命じる。すぐさまにベアトは目付きを変え、私を護衛するように傍に立つ。我は身代わりのザンデルス軍曹を牢屋に置いてベアトと少尉と共に薄暗い室内から二日ぶりに出たのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

「我々の狙いは艦長から副長の指揮権剥奪と新しい代表への付与を宣言して貰うことだ。ようは神輿を担いで我々を切り捨てようと言う副長の正統性を奪おうと言う訳だな」

 

私が具体的な企みの内容を尋ねると食い詰めの帝国騎士はそう口を開いた。

 

 場所は誰も寄り付きもしない死体袋だらけの安置室。このブロックは監視カメラも破壊されているようで盗聴や監視される可能性は低い。だがどこかどんよりとして、吐き気がする空気が充満していた。気密性の高い特殊素材を使っている筈だが………。

 

「本来ならば艦長が指揮不可能であれば副長が代行するのは当然の選択、それに反発しようものならば軍規に則った対応が為される」

 

即ち拘禁や略式裁判による銃殺である。

 

「無論、我々としてはこのままでは切り捨てられる事は確実だからな、副長に義理立てする必要はない……とも言えないのが面倒な所だ」

 

 腐っても軍規は軍規、奴隷根性の染み付いた地方生まれの下級兵士にとっては軍規違反承知の反乱に意気揚々と参加するか、となれば副長への不満はあれどやはり尻込みしてしまう者も多い。何よりも帝国軍本隊の救助ののちに事が露見すれば軍法会議で死刑は当然として家族にまで累が及びかねない。無理矢理決起しても士気は劣悪であろう。

 

 故に必要なのは正統性。副長への反逆に誰もが支持をする事が出来る免罪符が必要な訳だ。

 

「ではその正統性をどのように手に入れるか、そこで最初に戻るが副長はあくまでも艦長の代理でしかない。つまり艦長が副長より指揮権を剥奪すれば良い。そして艦長が指揮が出来ぬ以上代わりの人物に再度指揮権を付与する必要がある、そこで……」

「私を祭り上げよう、と言う訳か?」

 

私は皮肉げに尋ねる。

 

「いやいや、それではまるで傀儡ではないか、滅相もない。私はあくまでもこの場は選ばれし指導者階級の下に将兵が一丸となる事を望むのみですよ」

「心にもない事を……」

 

 私がそう言い捨てても食い詰め騎士はどこ吹く風と言わんばかりだ。この雰囲気をどこかで知っているぞ……まるで不良騎士殿のような胡散臭さだ。

 

「……言いたい事は分かる、が実際可能なのか?私は貴族と言っても亡命貴族だ。そんな私に対して艦長は指揮権を明け渡すと本当に考えていると?」

「制度的には問題は……無い事も無いが、不可能でもない」

 

 亡命貴族は一応は帝国においても貴族として扱われる。即ち帝国においても相応の特権が(形式的には)あると解釈する事が出来る。

 

「そして門閥貴族ともなれば予備役の義務がある」

 

 私兵軍を(形式上)指揮し、領地の治安維持や航路維持を担う関係もあり、門閥貴族の当主や主だった者には武門でなくとも予備役の階級が存在する。

 

 当主は基本的には男爵を准将として扱うのを始め、子爵は少将、伯爵は中将、侯爵は大将、公爵は上級大将として扱われる。原作でクロプシュトック侯爵が予備役大将、ブラウンシュヴァイク公爵が予備役上級大将(後に予備役元帥)であったのはこの事が理由だ。フレーゲル男爵はこの制度に基づけば予備役准将扱いになるが恐らくはブラウンシュヴァイク公爵の七光りのお陰で少将扱いなのだろう。

 

「伯爵家の嫡男、しかも長子ともなれば制度上は予備役准将辺りが妥当、そして予備役准将ならば大尉の代わりに指揮権を移譲する相手としては申し分ない訳だ」

「だが予備役だぞ?いや、それは良いとしてもそもそも亡命貴族に指揮権を与えるというのは正気の考えとは思えんが……その辺りはどう考えている?」

 

 予備役軍人が勝手に現役復帰するのは許されないのはまだ良かろう、現地において正規軍人が必要に応じて事後承諾と言う形で臨時復帰させる例もあるにはある。だが門閥貴族とは言え亡命貴族、階級的に問題は無くても心理的にはどうか?寧ろこの場ではそちらの方が重要であろう。

 

「その点は問題ない。艦長とは付き合いが長い訳ではないが価値観は理解している」

 

 艦長たるダンネマン少佐は一〇代二〇〇年余り続く富裕な上等帝国騎士家ダンネマン家の当主に当たる。この程度の歴史があれば帝国宮廷でもようやく新参者扱いされなくなる時期であり、貴族階級としての誇り(選民意識ともいう)が強くなる頃合いだ。

 

 そして貴族としての誇りが強くなるという事は爵位や序列を強く意識し始めるという事だ。

 

 さて、ではそこに一〇代二〇〇年の歴史を持つ上等帝国騎士に二〇代以上五〇〇年、帝国開闢以来の伯爵家の人間が来ればどうなるか、あまつさえ証拠の品やら待遇なりを言われればどういう反応をするかなぞ、想像するに容易い。

 

 まぁ、ここまで説明した所で同盟軍人には理解出来ない事であろう、身分制度がある帝国軍と帝国人相手だからこそ出来る芸当だ。実際私自身内心でいけるのか?と言う不安も無いことは無い。

 

「成程、そしてそこで指揮権移譲に皆が従えば良し、従わなくても兵士達は後の処置に怯えずに戦闘に参加出来る、と」

「不満気に見える、どこか不審な点が?」

 

 私の返答に含むものがあると感じたのか、こちらに対して窺うような視線を向けそのように尋ねるファーレンハイト少尉。

 

「………いや、少尉も事態は理解している筈だ。物資は不足し、脱出するための装備は足りない、となれば……まさかとは思うが戦闘で口減らしやら捕虜の殺害を行う、などと考えてはいないだろうか、とな」

「………」

 

 沈黙したまま私を見つめる帝国騎士。私はその先を口にすべきか少し迷ったが、意を決してその先も口にする。

 

「……それに今更な事を言えば私や従士の存在も本来は余り宜しくはないのだろう?副長達を拘束するにしても、殺害するにしてもその後同盟軍人たる私達が出しゃばる事に卿が思う所が無いとは言い切れん。作戦が成功すれば用無しとばかりにどさくさに紛れて私達に後ろ弾を撃つ、なんて事を考えているのではないかと思ってな。無論下種の勘繰りだが……つい少し前まで互いを殺そうとしていた間柄だ、それくらいの警戒はする」

 

 その辺りをどのように考えているのか、と私は目の前の端正な新任少尉に問いかける。私も目の前の人物が十中八九「あの」ファーレンハイトであると理解するがしかし、いやだからこそその真意を確認しなければならない。原作だけではその人物の内面を理解しきるのは不可能であるし、原作前のこの時期、同じ価値観とは限らない。故に多少の危険は承知で聞かねばならなかった。

 

 傍で護衛として控えていたベアトが不穏な空気をかぎ取り、薄暗い室内で腰のハンドブラスターに気付かれないように手を添えている事に気付く。そして私はすぐさま視線を食い詰め少尉に戻した。

 

暫し場は重苦しく沈黙し………。

 

「……用心深いな、予想はしていたが特権を無意識に振りかざす考え無しでなくて安心したぞ」

 

 身構えながら答えを待っていた私に対して、しかし帝国騎士は寧ろ安堵と満足感を湛えた表情でこちらを見た。

 

「正直な話、そこに触れなければ実際終わった後本当に後ろ弾を撃とうかとも思っていた」

 

 にやり、と笑みを浮かべながらぶっちゃけ話を行う。おい、今とんでもない爆弾発言をしやがったぞ、こいつ。

 

 すかさずベアトが間に入り込んできてハンドブラスターを構える、が私はこの場で行うべき演技を理解するが故に敢えて飄々とした表情でベアトを下がらせる。

 

「詳しく聞きたいな。悪いがこちらは生まれつきの特権階級でな、どの辺りが合格点だったのか今後の参考のために聞かせてもらおうか?」

 

 偉そうに、冗談を言うように語るが、本音の所彼自身がどのように考えているのか、その地雷ワードを知りたいがための質問だった。

 

「いや、皮肉を承知で言わせてもらえば大貴族様ならば「あの」副長を唯の捕虜とするとは思えなくてな。寧ろ伯爵様こそ頭に一発御見舞いするかと思っていた」

「いやいや、平民の癇癪程度でいちいち怒ってやる程私も暇ではないのでね、副長の事にはもう興味はない」

「成程、興味はない、か。思慮深くて結構」

 

 ベアトが怪訝な表情を浮かべる、が敢えて具体的な内容を教える必要は無い。飛び膝蹴りや踏み付けの事を教えて下手に暴走されても困る。既に興味を失い「忘れた」事をいちいち掘り返す事も無いのだ。

 

 ………いや、バレたら下手したら同盟軍の軍法会議だしね?

 

「安心して欲しい。どこぞの後先考えない馬鹿貴族ならば副長の代わりに問題児が増えるだけだが……自身の立場が盤石ではない事も、自身の生命が無制限に安全ではない事も理解しているらしい。これならば我々を無駄に危険に晒す命令を下す事もあるまい、と思ってな。……出来ればそこの御付きを宥めてくれないかね、非礼は謝罪する」

「若様、発砲許可を下さい」

 

 ファーレンハイトの助命嘆願に、しかしベアトは冷たく塵を見る目で私に頼み込んでいた。ハンドブラスターの銃口は手を上げる帝国軍少尉の頭を慎重に狙いすます。

 

「ベアト、構わんから銃口を下げろ」

「若様……!」

 

 隙を見せないように僅かにこちらに目配せしてベアトが訴える。

 

「冗談だ、気に留めるな。撃ち殺すのなら奴が本当に後ろ弾を撃ってきた時に容赦なく脳天に叩き込んでやれば良いさ。お前なら出来るだろう?」

「……了解致しました」

 

 不承不承と言った表情ながらベアトは、しかし私が何度か説得するとどうにかハンドブラスターを警戒しつつも下ろす。ファーレンハイトはあからさまにほっとした表情を浮かべる。  

 

「いや、助かった、このまま撃ち殺されても死体袋が切れているからどこかの袋と同棲する事になる所だった……そう怖い顔をしないで欲しいものだ、私だって伯爵に手を上げるデメリットは了解している」

 

 それなりに知恵が回る味方は貴重であるし、部下の戦闘技能は一流、それだけでもヴァルハラ行きにするより生かした方が得であるし、暗殺に失敗すれば下手すれば貴族主義の味方を敵に回す事になる。また帝国軍にしろ、同盟軍にしろ回収された時には私達の存在が恩賞なり恩赦の材料に使えるのだ。

 

「今の状況を見てのリスクヘッジや損得勘定から見て私がサイオキシンでも使わない限り卿らに手を上げる事は無いさ」

 

 ベアトに冗談を言うように笑みを浮かべるファーレンハイト少尉。不快気にベアトは表情を歪め、続いて視線を離す。一秒でもこの帝国騎士を視界から追い払いたいみたいであった。それでも耳を研ぎすまし、いざという時は素早く射殺出来るように警戒は怠らない。

 

「そうだな、どうやら暫くは互いに銃口を向ける事は無さそうで安心したよ。……それよりも話を戻そう、私としては反乱ごっこの後の卿の考えを知りたいものだ」

「ふむ、そこで体面ではなく話の本質について尋ねるとは、やはりただのどら息子ではないな」

「茶化して誤魔化すな。この艦の中で小さな革命を起こした所で問題の本質は変わるまい」

 

 副長達を無力化するのは宜しい、放置しても見捨てられるか不安要素にしかならない。問題は先程言った通りそうした所で酸素も食料も、脱出用の装備も限界が来るという事だ。この小さな残骸の中で権力闘争した所で食料が増える訳でもランチの員数が増える訳でもない。

 

「やっぱりあれか?さっき言った通り体よく銃撃戦で口減らししようという腹か?」

 

 私が訝し気にそう尋ねると少尉は少しだけ不機嫌そうになる。

 

「違う、と言った所で信じはすまいな。まぁ確かに少し口減らしにはなるか、という考えも否定は出来ん」

 

 生々しく、グロテスクではあるが極限状態の艦内では何が起きても可笑しくないのだ。巡航艦「カナリアス」の救助劇のような美談や戦艦「ペンシルベニア」生存者達のような偉業は少数派であり、多くの場合は不安も物資不足から末期になると発狂する者や殺人や口減らし、それどころか食人やら自殺やらもある。同盟軍のような女性兵士がいて、しかも生存していたらもっとエグい。

 

「無論、缶詰一つのために殺し合いなぞ馬鹿馬鹿しい。私としてもそれ以外の道を選びたい」

「というと?」

「卿の立場、まさかとは思うが捜索隊がいない訳でもあるまい」

「………想定はしていたがそういう事か」

 

 以前にも触れたが帝国軍人とて昔は兎も角、今では降伏する者も少なくない。だがやはり大帝陛下の決められた軍規を破り奴隷共からなる反乱軍に頭を下げた投降兵に対する帝国社会の目は未だに厳しい。捕虜交換式で故国に戻ろうとも「危険な共和思想」に伝染していないか厳しい思想検査を受け平均して二割前後が流刑地で思想矯正を受ける事になる。それをパスした所で最前線の激戦地や辺境外縁部での海賊戦闘で酷使される者、部隊内で虐めの標的になる者、自殺を強制される事もある。

 

 本人だけではない、家族も国賊扱いされ、就職や結婚にも影響が出る。家族の名誉のために捕虜の中にはそのまま戦死扱いを受けた上で同盟に仕方なく帰化する者も多い。

 

 ……だがそこにも抜け道がある。それが同盟軍とは別物扱いされる亡命軍への降伏だ。同じ帝国貴族率いる亡命軍への降伏ならば形式的には奴隷共への不名誉な投降ではなく貴族に対する名誉ある降伏扱いされるのだ。特に貴族階級が同盟軍より亡命軍に降伏する場合は多い。というより帝国が亡命政府の貴族を対等の存在と認めている一因でもある(長く戦争が続けば捕虜になる貴族も多いからね)。

 

 小賢しい平民の一部にはその辺りの事情を嗅ぎ取り同じように同盟軍ではなく亡命軍に降伏する者もいる。また現帝国に反発はあるが奴隷共の下で戦いたくない、という者達も亡命軍に降伏してそのまま投降兵となり亡命軍の兵士に転属する場合もある。

 

「私が行方不明となれば生死に関わらずに近辺に捜索が来るからな、そこに便乗しよう、と言う腹積もりか」

 

 尤も、これは私を処分するとしても使える手ではある。私の捜索隊に頼る事に私の存在は必須ではない。私が使いにくい場合は反乱前か後に「事故死」させられた可能性も否定出来ない。

 

 その辺りを私が思い至っている事を少尉も理解している筈だ。補足するように話を付け足す。

 

「無論、ただ降伏しただけでは後々面倒事に巻き込まれた時に不足かも知れませんし、いつ返還されるかも知れませんので伯爵殿には捕虜返還の際の口添えを御頼みしたいと考えております」

 

 帝国に戻ってから後々に政治の陰謀やら生け贄目的で過去をほじくり返され難癖が来ないように亡命政府を通じて無罪放免の口利きをして欲しい、という訳だ。

 

 そうでなくても帝国としても使い潰す事が出来る同盟軍から返還された帝国兵は汚れ仕事や危険な任務に使う事が出来るので亡命軍に捕虜になった者達よりも返還が後回しになる傾向がある(そして帰る宛がなくそのまま亡命政府に帰化する者もいる)。そういったアフターケアの御願いを頼みたいらしい。

 

「成る程ね、そういう面で利用すると」

 

 完全に良いように利用されている訳だが……まぁ良いや、今更だし。

 

 具体的な計画を立て(というか予め計画を練っていたようなのでその説明を受けるだけだが)、内容を理解する。

 

「あ、待て。付け足すべき事がある」

 

 食い詰め少尉の計画説明中に私は思い出したようにそう提案する。

 

「そもそも、本来はそのためにここに来たのだからな……」

 

 一応、計画に付け加えても構わない、いや寧ろ場合によっては好都合な形で本来の目的も急遽付け加えるように私は提言した。

 

「それは……いや、確かにその通りだ。だが……良いのか?いっその事そのまま吹き飛ばした方が効率的だが?」

「いや、流石にそれは寝覚めが悪いし、余り派手にやると二次被害も怖い、残骸の軌道変更が主目的ならこれくらいが無難だろうさ」

 

 若い少尉は一瞬怪訝そうにしつつも、私の意見も聞き最終的にはその意見を承諾する。そのほか計画成功後の救助が来るまでの方策についても話合い意見を統一する。

 

「……こんな所だろうな」

 

 幾つかの段取りと穴が無いかを見返して、これ以上の修正点が無いのをベアトと少尉と共に確認する。

 

 ……さて、では計画も煮詰まった所で、そろそろ動き出すとしようか?

 

 

 

 

 

 

 

 軍艦の中で頑丈に作られている区画と言えば幾つかある。機関室や弾薬庫、艦橋、艦長室等が挙げられるだろう。そしてそれらと同じ程度に防御が厳重になされている区画が医療区画だ。独立した空調と予備電源、エアロックがあり、その生存性は艦橋や艦長室にも匹敵する、いや部分的にはそれをも上回る。

 

 ブレーメン級標準型巡航艦においては特に船体の余裕から医務室も広く三台の手術台と五十余りのベッド、二つの集中治療室と隔離室が用意され、外傷だけでなく感染症や歯科にも対応している。

 

 尤も、感染症等なら兎も角、多くの場合宇宙戦闘では即死する場合も多いし、重傷の場合医務室で治療を受ける事が出来れば八割方生存出来るものの大概その前にショック死なり失血死してしまうのが御約束だ。損傷した軍艦内部で迅速に重傷者を医務室まで運び込むのは困難なのだ。

 

 そういう意味ではクリストフ・フォン・ダンネマン少佐は幸運であった。艦橋の爆発による破片は少佐の左腕を切断したが、余りに切断面が綺麗であったために却って出血の量は比較的少なく止血をすれば辛うじて医務室まで体力は保てた。

 

 その上手術も困難なものではなく、体の衰えは仕方ないとしても、輸血した血液により、少なくとも当面の生命の安全は保証されていた。

 

 だが、当然その体は艦長として指揮出来るものではない。医務室に運ばれる直前に副長に指揮権を委ねて以来、彼は艦長用の高級な特別ベッドの上である。

 

 尤も重力制御装置が損傷しているために安全帯でベッドと自身を固定しなければならず、どうやらその寝心地を味わうという訳にはいかないようでもあった。

 

「うぐっ………流石に腕が痛むな」

「麻酔切れですな、追加しますかな?」

「これは我慢し切れん、済まんが頼む………」

 

 短髪で厳しい表情を微かに歪めるダンネマン少佐に軍医のフックス中尉が麻酔を打つ準備をする。六十を過ぎた老軍医は二ダースの負傷兵と三ダースの助からない兵士達を楽にするために半分以上使い切った麻酔を薬棚から取り出し無針注射に注ぎ込む。そして艦長の切断された方の腕に注射する。

 

「通常の半分ですので鈍い痛みは続きますが、宜しいでしょうか?」

「うむ、構わん。……他の者もいるからな、私ばかりが使っては皆が困ろう」

 

 事実、艦長を含め負傷兵のうちで半ダース程がベッドが起きれない重傷者であり、彼らは定期的に麻酔を必要としていた。無論、麻酔の数は有限であり、その節約のために通常一回分を半分にして誤魔化していた。無論、麻酔だけが不足している訳ではない。抗生物質や包帯、消毒液等のその他の医療品も今すぐとは言わないが少しずつ目減りしていた。

 

「副長の方は……どうだ?兵達を良く纏めておるか?」

「問題無いとは報告が来ておりますが………」

 

 心配するように尋ねる艦長にそう誤魔化すように答える軍医。定期的に顔を出す副長の苛立ちを隠さない表情を思い返すと到底そのようには思えない。行きがけの駄賃に胃薬と睡眠薬を注文している事も含め明らかに追い込まれていた。

 

 尤も、それを言うべきか軍医自身も判断しかねていた。艦長に連絡して解決出来るか分からないし、副長や兵士が暴発しかねない。それ以上に疲労の色の濃い艦長にこれ以上負担をかける訳にはいかないのだ。

 

 結局、そこに行きつき軍医中尉は口を噤む。所詮軍医は軍医であり戦傷の応急処置や緊急時の治療法等は分かっても純軍事的な問題は理解し切れないし権限もない。無論、責任も負えない。結果現状維持以外の選択肢は無かった。

 

「それでは艦長、私はほかの患者の方を見て参ります」

「うむ、頼む」

 

 そう言って席を外そうとしたフックス軍医中尉はしかし、次の瞬間物音に気付く。

 

「?何事だ?」

 

 上方、恐らくは換気口に何かが蠢く物音。正体は分からないが状況が状況である。咄嗟に腰のハンドブラスターを引き抜く。

 

「軍医、どうした?」

「分かりません、御注意下さい……!」

 

そう叫んで換気口に銃口を向け、警戒を強める軍医。

 

そしてその音は次第に大きくなり………。

 

「ちょっとタンマ!怪しくないから!不審者じゃないから!」

 

 明らかに不審者にしか見えない伯爵家長子は換気口から顔を出しながら慌ててそう弁明したのだった。

 

 



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第九十二話 アイサツ前のアンブッシュは一回限りの限定

それは突然の出来事であった。

 

 突如金切り音を立てた艦内スピーカー、その音を前に巡航艦「ロートミューラー」の生存者達はまず驚くように注目し、次にスピーカーがまだ生きていた事に意外そうな表情を浮かべた。副長が使っていなかったのでとっくに壊れていたと思っていたのだ。

 

そして、続いて響いた声の前に兵士達は驚愕した。

 

『各員傾聴っ!これより「ロートミューラー」艦長クリストフ・フォン・ダンネマン少佐が通達を為される!』

 

 その声がこの艦に着任して日の浅い少尉のものである事に気付いて動揺と困惑を浮かべる生存者達。だが彼らがその事についてじっくりと考える時間は無かった。

 

『諸君、このような形で語りかける事を済まなく思う、本艦の艦長ダンネマン少佐だ』

 

 続くようにスピーカーから発されるのは怪我の影響か、少々弱々しくもしかし威厳のある声、ダンネマン艦長のそれに違いなかった。

 

「どこからの放送だっ……!?」

 

 艦内管理室にいた副長が叫ぶ。艦内管理室を始め、ソリビジョンか映像を見る事の出来る区画では椅子に座る艦長とその傍で直立不動の姿勢で佇むファーレンハイト少尉の姿を見る事が出来た。

 

『此度については私の指揮上の過失によって思いもよらず貴官達に多くの負担を掛けた事心苦しく思う』

 

 それは同盟人から見れば尊大に見える言い様ではあったが、それでも多くの兵士達にとっては下級とは言え貴族が自発的に目下に謝罪する事は青天の霹靂であり、少なくない兵士達がどよめく。

 

『知っての通り、我々は現在、艦が重大な損傷を受け、漂流の身である。本隊がいつ我々の救助に来るかは不明瞭であり、物資もまた不足を来しつつある。このままでは遠からず我々は最終手段を取らざるを得ない』

 

 最終手段、即ちは艦の自沈による自決である。救助の見通しが立たず、餓死か窒息死が迫る宇宙での漂流においてはそれは必ずしも除外されるべき選択ではない。

 

生存者の多くは不安げに互いに目配せし合う。

 

「お、恐らくは医務室からの送信であると考えられます!」

「送信を遮断しろっ!糞、若造め、艦長に何を吹き込んだ……!」

 

 端末を操作してそう答える部下にそう命令した後、堂々と映像の中で佇む少尉に視線を向けて罵倒する副長。

 

「だ、駄目です……!ハッキングで無理矢理送信されて……糞、時間が足りません!」

 

 電子戦要員ではない臨時のオペレーターは命令を聞かない端末を殴って叫ぶ。送信の遮断が不可能、その事実に苦虫を噛み、艦長が口を再び開くと、副長は再び映像に意識を向けた。

 

『私は最悪の事態を避けるために指揮を取れぬ自身に代わり副長フォスター大尉に指揮権を委ねた、だが』

 

そこで一層力を込めて少佐は語り始める。

 

『ファーレンハイト少尉を始めとした幾人かの将兵が私に直訴した。フォスター大尉が指揮官としてあるまじき行為の数々、殊に部下に恣意的な態度で任務を与えている点、更には自身達の身の安全を優先し部下を放棄する計画を立てている事、軍規に違反する命令等は艦長として看過出来ない!故にこの瞬間を以て巡航艦「ロートミューラー」艦長クリストフ・フォン・ダンネマン少佐の名を持って布告する。副長フリッツ・フォスター大尉の指揮権の剥奪、及び軍務の放棄の疑い有りとしてその拘束を命じる!』

 

 その命令に副長、そして艦内管制室の将兵全員が衝撃を受ける。だが次の瞬間、我に返ったフォスター大尉が機転を利かせて叫ぶ。

 

「ファーレンハイト少尉の反乱行為の疑い有り!奴を拘束せよっ!」

 

 副長の命令は適切だった。全てを艦長の自由意思では無く、ファーレンハイト少尉が険悪な副長から指揮権を強奪するための虚言を弄した、あるいは脅迫した、という解釈をする事で艦長の「保護」を行おうと言う訳だ。

 

 この判断は妙案と言えた。万が一話が漏れ後から反乱として帝国軍本隊で軍法裁判にかけられても言い訳が可能であるし、副長の部下達も上官反抗罪に問われる可能性を可能な限り低くする事が出来る。

 

 艦内管制室にいる兵士達は脳内で二つの選択を天秤にかける。このまま艦長の命令を聞くか、副長の命令を聞くか、そしてその答えは明白であった。今更あの新参少尉についた所で撃ち殺されかねないし、助かるためにはランチの席が足りない。どちらが自分達の生存率が高いかと考えれば選ぶのは当然後者であった。

 

 だが、次の瞬間艦長の下した命令の前に再び彼らの思考が停止する。

 

『よって、私は現状において諸君の生存の努力を志向し、その階級・能力から指揮権を委ねるに相応しい人物としてティルピッツ伯爵家のヴォルター・フォン・ティルピッツ予備役准将を本艦の臨時指揮官として任命する』

「はっ?……はああぁぁぁぁ!!??」

 

 副長が一周回って笑いを誘うような驚愕と衝撃を受けた声を上げる。見れば口を大きく広げ、目は今にも飛び出そうな程に見開いていた。

 

 尤もそれも仕方ない、副長も、他の者達も指揮権の移譲程度は想定していたが、精々ファーレンハイト少尉に対してであろうと考えていた。まさか反乱軍の捕虜に指揮権を移譲する事までは想定しない、想定出来る訳がない。

 

 ある意味では身分間の常識の違いが生んだ喜劇だった。副長も捕虜が火薬庫である事くらいは理解していたが所詮捕虜は捕虜でしかなく、流石にそこまでは考慮に入れていなかった。帝国内において尤も身分に平等で、公平な組織である帝国軍に長年所属していれば当然だ。

 

 残念ながら帝国貴族にとっては亡命貴族もまた貴族であり、それは即ち優秀な遺伝子を引き継ぐ「指導者階級」であった。亡命政府軍や亡命貴族との戦いは殺し合いと言うよりも「喧嘩」か「決闘」のように新無憂宮では理解されており必ずしも固形化した殺意と敵意の塊を向ける相手ではない。同じく高貴な血を引き継ぎ、対等の立場にある「指導者階級」に対して指揮権を委ねるのは然程可笑しい事には思えなかったのだ。寧ろ艦長よりも引き継ぎ相手が貴き血筋であれば当然であった。少なくとも相応に古い家名を背負う艦長にとってはそれは特に違和感は無かった。

 

 無論、そこには粗雑な扱いを受けた捕虜が訴えた、という事も大きな理由であったが(もし巡り巡って帝国にまで話が伝われば所詮帝国騎士家のダンネマン家は村八分されて窮地に陥りかねないのだ)。

 

「おいっ!独房にも人を回せ!中の馬鹿貴族を絶対出させ……」

『では、ティルピッツ予備役准将から通達がある。総員、心して傾聴せよ!』

「なぁ!?」

 

 更に表情を驚愕させ副長は振り返る。その視線はハッキングされた液晶スクリーンに向く。

 

 そして画面の端から貴族らしく背筋をピンと伸ばした青年が現れ、映像の中央に立つ。大半の兵士達は声だけであるが食堂等に陣取っていた兵士達は固定式の液晶テレビからその貴族らしい整った、それでいて鋭く尊大な顔を見る事が出来た事であろう。

 

青年は一切緊張の表情を見せず、堂々と口を開く。

 

『諸君、私がティルピッツ伯爵家長子にして自由惑星同盟軍所属、ヴォルター・フォン・ティルピッツ中尉、いや帝国軍予備役准将と名乗る方が適切だな。ダンネマン艦長より推薦を受け卿らの新しい指揮官に任じられた』

「なぜっ……カメラだとこちらに……!?」

 

 副長が視線を移動させる。カメラを通して移り込む映像、そちらを見れば捕虜を収容した独房の中にあの貴族の餓鬼が確かに移り込んでいた。だが……だが確かに艦長に紹介され演説擬きをしている男はあの貴族に違い無かった。

 

 そしてそれが恐らくは替え玉されたのだろう、という事実に数秒遅れて思い至る。

 

『私は知っての通り卿らの言う所の反乱軍に所属している一軍人であり、ついこの前まで卿らと砲火を交え、そして数時間前まで捕囚の身にあった』

 

 スクリーンに映る青年貴族はその事実を恥じ入る事も無く堂々と口にする。その姿はまるでこう言った場面に慣れている印象を受ける。

 

 実際門閥貴族の子弟である以上幼少期より大勢の前での弁論や演説の訓練、いや実践だって普通に行う。それに比べればたかだか数十人、それもカメラ越しであれば緊張するに値しない。

 

 スクリーンに映る青年貴族は端正な顔立ちに強い意志を示す、堂々とした立ち振舞いは開祖ルドルフ大帝の演説時のそれを意識していた。発声練習の結果滑舌が良く、良く通る声はシリウス政府のカール・パルムグレンのそれを模倣している。その人を引き寄せる言葉遣いは初代地球統一政府首相リカルド・マーセナスから学んでおり、身ぶり手振りはゲルマン第三帝国のアドルフ・ヒトラーのそれのように力強く相手の内面に訴えかけるものであった。

 

『だが、捕囚の身となったのは擬態である。ここに私がいる事からも明らかな通り、私は戦いに敗れ捕虜にされたのではない、嘆願されたために敢えて自身を捕囚の身に貶めたのだ!』

 

 青年貴族は語る。戦闘中に遭遇した帝国騎士ファーレンハイト少尉との唾競り合いの中で互いの身分、そして彼とその部下達が危急の事態に陥っている事を知る事になったのだと。その上で敵対者として相対しつつも自身が伯爵家の人間であると知った少尉が自身の恥を偲びつつも自身の器量では最早貴族としての責任を果たせないがためにその力添えを嘆願したのだと。

 

『故に私は恥を偲びつつ嘆願した彼の名誉に応え、一先ず捕囚の振りをしつつこの艦の事情をこの目で直に見、この身で体験する事にした。そして彼の言う通りであった、この艦の状況は誠に危機的なものであると言える。あのような副長が指揮官代理だとは!』

 

 指揮官としての器量が不足する小者、決断力も責任能力も無い到底指導者として不足する小賢しい平民。そう副長を扱き下ろす。

 

『まして奴はこのまま自分達だけが助かるために責任を持つべき部下を切り捨てようとしている、それは艦長ダンネマン少佐の意思にも反する事だ。故に私は同盟軍人である前に臣民を指導すべき貴族としての使命を果たす事とした。そしてファーレンハイト少尉と共に艦長に掛け合い、正に今その指揮権を移譲された!』

 

 そして相手を安堵させるような、それでいて高圧的でもある口調で青年貴族は兵士達に語りかける。

 

『諸君、安堵せよ!ティルピッツ伯爵家が一族の末裔ヴォルターの名にかけて諸君達の生命と名誉を保証する、各員今すぐに正規の指揮系統に復帰するのだ!尚、この命に逆らう者は軍規、そして帝室と秩序に反逆する逆賊として解釈し、場合によっては極刑に処される事も覚悟せよ!』

 

 それが当然の権利であるかのようにスクリーンの中で二十歳を過ぎたばかりの若造が高らかに宣言する。口調、身ぶり手振り、姿勢、視線、表情、全てが幼少期からの濃密な貴族教育により躾られたそれらをフル活用した扇動の技術の結晶であった。流石に経験不足から見る者が見れば粗があるであろうが、少なくともこの極限状態においては十分な出来と言える。

 

 だが、内容は正直な所失笑を禁じ得ないものだ。同盟軍人が帝国軍法と帝室の名の下に指揮下に入れと命令する姿は一歩引いて考えると滑稽に過ぎた。だが、当の本人達にはそれは必ずしも滅茶苦茶なロジックではなかったし、そんな事が気にならない位にはその扇動はそれなりに上手くできたものであった。

 

 艦内管制室の将兵は演説を唖然として、あるいは顔を青くして見続け……ふと、副長がいち早く我に返る。

 

「戦闘用意だっ!武器を取って今すぐ医務室に……」

 

 副長が怒鳴り声を上げながらそう命令した次の瞬間、その叫び声は強制的に封じられる。………艦全体を襲った揺れによって。

 

「なっ……!?」

 

 副長達が何が起こったのか一瞬理解出来なかった。まるで艦が被弾し切断された時のような揺れ、それも無重力状態で起こったために室内は混乱の渦に陥った。

 

 身体が揺れにより壁や天井に叩きつけられる。それどころか書類や小物の類が宙を舞い、そのまま床に落ちる事なく四方八方に跳び回る。身体を叩きつけられた痛みと視界を邪魔する資料により彼らは事態を把握する事が困難だった。

 

 その震動は予め艦の残骸表面に設置した同盟軍で制式採用されている60式工作用時限爆弾(同盟軍愛称ジャスタウェイ)の高性能爆薬の爆発によるものであった。

 

そして、それこそが狙いだった。

 

 視界が塞がれ、混乱する中、天井の換気扇の網が勢い良く外される。

 

 続いて現れるのは簡易宇宙服に姿勢制御用簡易スラスターを取り付けた侵入者。

 

「敵襲……っ!」

 

 悲鳴を上げるように一人が叫ぶ、が次の瞬間には侵入者の手元にあったエアライフルから撃ち出される合成樹脂性の瞬間凝固粘着弾により壁に張り付けにされる。

 

「糞っ……!撃て!撃ち殺せ!」

 

 誰がいったかは不明だが、その掛け声に反応した数名が腰のハンドブラスターを抜き取り発砲する。慌てて人影は物陰に隠れる。

 

「ちぃ、考えなしめ……!」

 

 物陰に伏せた侵入者ことアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト少尉は彼らの愚かな行為に舌打ちする。計器や端末に被害を出さないようにブラスターや火薬銃、パラライザー銃を使っていないと言うのにこれでは配慮した分損したように思えた。

 

「もう、配慮するだけ無意味ですね」

 

 その低い声に続くように光条が輝く。それと共に数名の敵兵が悲鳴を上げ腕を掴み宙でのたうち回る。その抑える腕からは赤い染みが広がっていた。

 

「ほぅ、中々……やはり油断出来んな」

 

 ファーレンハイト少尉が換気口から現れた簡易宇宙服姿のベアトを見て呟く。彼女はハンドブラスターを三回発砲し、その全てが相手の利き手を撃ち抜いていた。かなりの腕前、ファーレンハイト少尉は自身の選択の正しさを実感する。彼女を敵に回すと負けないまでも相当に苦労した事であろう。

 

だが、敵……軍人としての先達達は決して甘くはない。

 

「伏せろっ!体を固定するんだ!」

 

 ケストナー中尉はいち早く混乱から立ち直り、デスクの下に隠れながら叫ぶ。腐っても彼らは平民階級でありながら才能と努力で兵士や下士官として前線で戦い戦功と経験を積み重ねて来たのだ。まして地方部隊ではなく正規艦隊所属である、陸戦部隊でなくとも相応の白兵戦闘の心得はあった。

 

 彼らは居場所を特定されないように物音を立てず、身を伏せながら射撃を、あるいは一発狙撃する毎に移動する事で狙いを付けさせないようにする。

 

「舐めるな糞貴族がっ!」

「ぺーぺーの餓鬼共め粋がるんじゃねぇ……!」

 

 彼らの張る弾幕は濃密で正確であった。その上その場で即席で援護し合い反撃を防いで見せる。

 

「ちっ、流石に甘く見過ぎたな」

 

 ファーレンハイト少尉は少しだけ苦い顔をしてエアライフルを撃つ。床に伏せていた敵兵の一人に当たると四散した粘着性瞬間凝固樹脂によって首や両手が床に張り付き動きを封じられる。だがすぐさま弾幕を張られそれ以上の攻撃を封じられる。

 

 少尉の想定以上に彼らは粘っていた。さしもの少尉も軍歴一年も無い新兵であったという事だ。相手を侮りその実力を僅かではあるが過小評価していた、それ故の苦戦であった。

 

「だからこその備えあれば憂い無しってな?」

 

次の瞬間、換気扇から何かが飛び出す。

 

閃光手榴弾(フラッシュグラナーダ)……!」

 

 目の前にそれを見つけたオーマン曹長が悲鳴に近い声で叫ぶ。同時に室内全体を190デシベルの爆発音と120万カンテラの閃光が襲う。その威力は無防備で受けた者の視界を数分に渡り奪うだけでなくその聴覚、更には方向感覚の一時的喪失まで招く。

 

 その光と爆音の前に敵兵の大半はそれだけで事実上無力化された。簡易宇宙服により光や爆音を通さないファーレンハイト少尉やベアトは一方的にのたうち回る彼らを拘束する。

 

「畜生!舐めるな……!」

 

 咄嗟に目を閉じ、耳を塞ぐ事で五感へのダメージを最小限に留めた数名がベアト達に反撃の発砲を行う。だが……。

 

「私を忘れて貰っては困るんだがな……!」

 

 今更のように換気口から降り立った私(当然簡易宇宙服を着た状態だ)がエアライフルでハンドブラスターをベアトに向けたケストナー中尉をその引き金を引かせる前に無力化する。続いてこちらに銃口を向ける一人の下士官をそのハンドブラスターに向け撃つ事で衝撃で射線を逸らす。横合いから襲い掛かるベアトに頭部を回し蹴りされてその下士官は意識を刈り取られた。

 

「若様っ……御無事で御座いますか!?」

 

 蒼白な顔つきでこちらを見やるベアト。だがそれは忠義心から来たとしても誤った判断だった。

 

「糞餓鬼共め……!」

「っ……!?」

 

 気絶した振りをしていたのだろう、ブラスターライフルを持った別の敵兵が突如動き出し、そのライフルの銃床でベアトに襲い掛かる。そして……。

 

「そうはいかんよ……!」

 

 バックパックで加速したファーレンハイト少尉がその敵兵に横合いから高速で突撃して相手を壁に蹴り上げる。

 

「うがっ……!?このっ……うえっ!?」

 

 壁に叩きつけられた敵兵が反撃に移る前に私とファーレンハイト少尉はエアライフルを連射して相手が指一本動かせないまでに合成樹脂まみれにしてやった。抜け出そうと足をばたつかせる姿はどこか滑稽であった。

 

「ベアト、大丈夫かっ……!?」

 

エアライフルを降ろして私は叫ぶように尋ねる。

 

「えっ、は…はい、大丈夫で御座います!」

 

 一瞬呆けた後、事情を理解したベアトが慌てて返答する。

 

「それは良かった。少尉も良く助けてくれた、感謝する」

 

 事態に気付いて援護してくれた食い詰めにも感謝の言葉をかける。尤も、礼でしたら恩賞という形で期待しますよ、という返答で返されたが。貧乏貴族らしい言い草だ。余り礼儀のある返答ではないので不快気にベアトが食い詰め少尉を睨む。

 

「おいおい、一応助けたのだから感謝して欲しいのだがな」

「少尉の事を完全に信用している訳ではありませんので」

 

 その返答に肩を竦めながらこちらを見る少尉。ベアトらしい返答ではある。仕方ないので助け舟を出してやろうか……そう考えた瞬間であった。

 

「糞貴族共め……!」

「えっ……ぐっ!?」

 

 耳元に響いた怨念めいた言葉、続いて視界が回転して手元からエアライフルが手放される。そして首元に腕を回されこめかみに何か嫌な感触が響いた。

 

「若様……!!」

「動くんじゃねぇ!このぼんぼんの脳天撃ち抜くぞっ……!?」

 

 驚愕と絶望に彩られた従士がこちらに駆け寄ろうとしたのを制止したのは副長の怒声だった。その声の前にベアト、それにファーレンハイト少尉も動きを止める。

 

「はぁ……はぁ……糞、ふざけやがって。録画か、詰まらん手を使いやがって……!」

 

 フォスター大尉は息切れしつつも脳細胞をフル回転させて私やファーレンハイト少尉がこの場にいる理由を理解したようであった。

 

 そうだ、先程まで流れていた映像は録画されていたものをハッキングして流しただけのものだ。映像を流す事で兵士達の支持を得ると共に艦内管制室に詰める副長達の意識を逸らし換気口を通る際の物音を誤魔化す。続いて時限爆弾の爆発による震動により混乱を引き起こして奇襲攻撃をかける、最後は閃光手榴弾により視覚と聴覚を奪う事で無力化する。それなりに良く出来た作戦であったのだが……何事も計画通りにはいかないらしい。

 

「貴様っ……!自分の行いが何を意味しているのか理解しての所業かぁ……!!?」

 

 ハンドブラスターを構えながら烈火の如く怒り狂った声を上げる従士。その憎悪と敵意に満ち満ちた眼光の前に一瞬副長は、更には私と恐らく食い詰め少尉も肩を震わせた。

 

 尤も、ベアトに出来る事が存在しないことを直ちに理解した副長はすぐにその視線に対して睨み返した。

 

「はっ……!殺れるものなら殺って見るがいい!その前にこいつの脳天が吹き飛ぶだけだぞっ!」

 

 そういってハンドブラスターの銃口を私の頭部に押し付ければ怒りに赤く染まっていたベアトの顔はすぐに青くなる。

 

「フォスター大尉、これ以上の抵抗は無意味です。直ちに降伏を御願いしたい」

 

 一方、ファーレンハイト少尉は当然ながらベアトに比べれば衝撃は小さいようで、エアライフルを向けながら淡々と投降を呼び掛ける。

 

「五月蝿い反逆者め!。反乱軍に鞍替えとは名誉ある帝国騎士の名が泣くぞ、糞餓鬼め……!」

 

 その発言は心からのもの、と言うよりは寧ろ貴族階級である少尉への当て付けか嫌みに近いように思われた。

 

「残念ですが私は反乱軍に付いた覚えも、ましてや反乱を起こしたつもりもありませんが?貴方こそ、艦長の命令は聞いていたでしょう?軍法会議に告発されたくなければ銃を下ろし、准将を解放する事です」

 

 どの口が言うか、恐らくは副長と私の双方が内心でそれを吐き捨てていた。少なくとも生粋の同盟軍人から見ればまごうことなき反乱行為であると認識した筈だ。

 

「ふん、准将様ね。こちとら何十回も軍務についてようやく大尉と言うにいい気なものだな、ええ?二十そこらの小僧の癖にな……!」

 

ありありとした嫌悪感を滲ませながら副長は答える。

 

「艦長も艦長だ。所詮は貴族同士と言う訳か、あんな馬鹿げた命令をするとは呆れ果てるっ……!」

 

 その言葉には失望と軽蔑の感情が垣間見えた。どうやら副長なりに艦長の事を評価はしていたらしい。副長なりに、ではあるが……。

 

「暴言はそれまでにして頂きたい。これ以上の発言は我々としては看過出来ません。……どうするつもりですか?このままでは貴方の破滅も時間の問題ですが、逃げられると御思いで?」

 

一瞬私と目配せした少尉はアイコンタクトをし、想定に従い精神的に揺さぶりをかけるように尋ねる。

 

「黙れ、どの道貴様らがこのまま見逃すつもりも無い事位知っているのだよ……!何、このままお前達を全員始末すれば兵士共はどうしようも出来まい。後は艦長に命令の取り消しを迫るだけよ……!」

 

 従うべき相手がいなくなれば兵士達もこの状況で指揮する指導者が必要なので副長に従うほか無い、という訳だ。更に言えばそれが不可能ならばこの巡航艦(の残骸)を自沈処理した上でランチを使い一人で逃げるつもりであろう。証拠となるもの全てを消し去れば帝国に帰還しても軍法会議にかけられる心配は無い。

 

「それは少し兵士達を見くびり過ぎだと思うがな……」

「ふん、所詮下級兵士なぞ命令が無ければ何も出来ん木偶共ばかりよ。私はな、貴族共が安全な場所から命令する中そんなぐうたら者共を率いて戦って来たのだ、貴様らには分かるまい!」

 

 食い詰め少尉の発言を鼻で笑う副長。それは正確ではないが誤りとも言えない。

 

 以前にも触れたが良くも悪くも下級兵士の多くは出自もあるし、訓練でも自分で考えないように指導される。あくまでも考え、命令するのは士官下士官の仕事であり、兵士達は与えられた命令に従うのみだ。作戦への意見を求められる事は無いし、疑問を考える事も必要無い。淡々と命令に従えば良いのだ。

 

 その指導法は帝国軍の粘り強さに通じるが同時にその戦い方は柔軟性が低く、指揮官を失えば統制が一気に崩壊する。第二次ティアマト会戦が良い例だ。アッシュビーによって後方から司令部を直撃され多くの将官や中堅指揮官を喪失した帝国軍は各部隊が眼前の戦況に柔軟に対応出来ず一つ一つ各個撃破されてしまった。

 

「……演説はそれまでかな?大尉?」

 

 さて、少尉が副長の気を引いているうちに準備を終えた私は悠々と(内心戦々恐々と)副長に尋ねる。

 

「おいボンボン、今の状況を理解しているのかって……っ!?」

 

 私をなじる言葉は途中で止まる。そりゃあそうだろうさ。私が腰から取り出した閃光手榴弾を見せつけられたら、ね。

 

「精一杯の悪あがきをしてくれる所を悪いが、最後が上手くいかない事位学習済みなんだよ……!」

 

 いつも計画を立てて実施しても最後に無様な事になるから、多少はね?

 

「ちょっ……待……」

 

 本日何度目かの、そして一番の驚愕の表情をした副長が制止の声を上げようとする、が全てはもう遅かった。

 

 次の瞬間私の目の前、超至近距離で閃光手榴弾が炸裂する。私が目を強く閉じて身構える。同時に瞼を閉じても視界が明るくなり、弾けるような轟音が響き渡るのを感じた。気密性が強く、ヘルメットが偏光グラスでコーティングされている簡易宇宙服とはいえこのような近距離での閃光手榴弾の起爆は余り想定していないからであろう。

 

「ぐっ……こりゃ……流石にきついな……!」

 

 首元を締めていた腕が離された事で宙を浮く事になったのは何となく分かるがちかちかとして判然としない視界、酷い耳鳴り、ぐるぐると脳を掻きまわされるような頭痛の前に整然とした思考が出来なかった。あっ……やべっ、気持ち悪くて……うえっ……!?

 

「若…ま……外……しっ…り………」

 

 従士の声が微かに聞こえてくる。ヘルメットを外され、嘔吐による内部の酷い匂いと器官への侵入による窒息から解放されたのは何となく分かる。

 

「げっ……げほっ……おえっ……べ……ベアトだな……!?どこだっ……!?よく分からない……!」

 

 私は不明瞭な視界であちらこちら見て手足をばたつかせる。すぐに誰かが私の手を握りしめて引き寄せたのが分かった。私はそれを強く握り返す。それに答えるように身体を抱き寄せられる、

 

「若様……御無事で……い……拭き…ます……」

 

 恐らく吐き出した吐瀉物を拭き取るためであろう、顔にハンカチか何かを添えられて拭われる。

 

「ふ…副長は……?」

「今…拘束……た……とこ……安し……ろ」

 

 キンキンと耳鳴りが響き続けるがファーレンハイト少尉の声が僅かに響く。断片的にしか聞こえないが恐らくは拘束に成功し無力化出来たと思われる。

 

「そ、そうか……苦労をかける。痛っ………」

 

頭が痛いな、鼓膜は……多分破れていないのは幸運だ。

 

「若様…申し訳御座いません……!このような事……!」

 

 ようやく見えるようになってきた視界には半泣きで私の顔を拭く従士の姿が映る。

 

「いや、油断していた……少し気持ち悪いがそれだけだ。……血が出るような怪我は無い。安心しろ」

「ですが……!」

「いや、いいんだ。それよりファーレンハイト少尉共々よく注意を惹いてくれて助かった。お陰で気付かれずに取り出せた」

 

 私がヘタレで(間違ってはいないが)怯えて何も出来ないと思って油断していた事も一因だが少尉は挑発するように意識して、ベアトは素で怒り狂う事で副長の意識を惹いてくれた事もこの半分道連れに近い作戦が成功した理由であろう。

 

 ちらりと視線を向ければ電磁手錠をかけられた副長が閃光と爆音による耳鳴りと頭痛、そして目の眩みで呻いていた。その傍には彼を押さえつける少尉がいる。

 

 私の視線に気付いたのだろう、ベアトも捕囚となった副長に視線を向ける。尤も、私と違い敵意と殺意に溢れたものであったが。

 

「若様、この下種の始末はどうぞ私にお任せ下さいませ、可能な限り苦痛を味合わせて処理致します」

 

 そう言って腰の炭素クリスタル製のファイティングナイフに手を触れるベアト。

 

「………」

 

少尉は私を試すような視線を送る。分かっとるがな。

 

「止めろベアト」

 

 私は期待されている通り、いや当然の帰結として従士を制止する。

 

「ですが……!」

 

その答えにベアトが反対する、が……。

 

「私に恥をかかせるな」

 

 既に無力化している。ほかに敵の襲撃がある訳でもない、この上で抵抗不可能でその余裕があるのに個人的な憎悪で捕虜を殺害するのは戦時法違反の虐殺行為に認定される。虐殺上等だった戦時法の無い戦争初期でもあるまいにそんな事をする訳にはいかない。

 

「それに裁判に掛けられるのはお前だ、大事な従士をたかが平民相手に失えるかよ。それともお前はそんなに安いのか?構わん、捨て置け」

 

 私は掃き捨てるようにそう言い放つ。実の所、それも理由だが同時に自身のために道理や自身の発言を取り消すような人物と食い詰めに思われたら危険という事もある。私だって完全に彼を信用している訳ではない。余り悪感情を抱かれたくはなかった。

 

「……了解致しました」

 

 嫌悪感丸出しで倒れる副長を一瞥するが、最後は私の言に従うほか無い。殺気を押し殺す従士。

 

「いやはや、随分と御苦労なされているようですな?」

 

 その様子をどこか楽しむように観劇していた少尉が私にだけ聞こえるように小声で囁く。どうやら私と従士の関係を理解したようだった。

 

「さてな、それよりも兵士達の方はどうだ?あのふざけた命令に本当に従うのかね?」

 

 同じ帝国軍人であり寵姫の弟であった獅子帝すら駆逐艦内での下剋上は一筋縄ではいかなかった。ましてや反乱軍の兵士の戯れ言を本気で聞く者がいたか、今更ながら不安になってきたところだった。

 

「その事なら安心する事だ、扇動のためのサクラなら仕込んでいる。今頃……」

 

 そう食い詰め少尉が続けようとした所で室内の自動扉が開かれた。

 

「……成る程、確かに心配する必要は無さそうだな」

 

 突入してきた兵士達の様子を見て私は呟く。ブラスターライフルやハンドブラスターを手にした兵士達は、しかし室内の状況を見やると困惑に近い表情を浮かべ互いの顔を見合わせる。

 

 私は自身の行うべき事を自覚し、覚束ない足を力づくで立たせて、顔の筋肉を無理矢理動かして余裕のある表情に固定する。そして声の震えを止めて兵士達に言い放つ。

 

「諸君は先程の命令に従いフォスター大尉以下の人員を拘束しに来た、と見て間違い無いか?」

 

 そう尋ねられた兵士達は一瞬動揺しつつも無言で頷き肯定した。

 

「宜しい、諸君達は正しく軍規と軍律に忠実な帝国軍人のようだ。だが悪い事をしたな、卿達の義務を遂行する機会を奪ってしまったようだ。丁度私は艦長命令に従わぬ反逆者共を制圧し終えた所だ。見て分かるであろうが……そこに転がっているだろう?」

 

 そう言って指差せばそこには気絶するか呻いている敵兵が電磁手錠や凝固樹脂で拘束された状態で壁や床に張り付き、あるいは浮遊している。その様子を見て兵士達は若干驚いているようだった。

 

 いや、実の所殆んどはベアトと少尉の仕事なんだけどね?無論この場で態態そんな事は口にしない。

 

 さて、私はそんな動揺する彼らを一瞥し、背筋を伸ばし、更に畳み掛けるように口を開く。

 

「さて、先程の放送は覚えているであろうが、私が卿らの臨時指揮官として任命されたティルピッツだ。確認のために尋ねる。諸君は私の指揮下に入り、その命令を一切の疑念無く、一切の瑕疵もなく遂行する意思があるか?私は中途半端な態度の部下を持つのを好まん、我が命を粛々と、恙無く実行出来ぬ部下は願い下げだ。卿達はどうだ?何事があろうとも揺るがぬ忠誠心を持って命令を実行する覚悟が、その意思があるか?」

 

 マウントを取るようにそう詰め寄る。実際中途半端に心変わりされていきなり後ろ弾撃たれたり、反乱されたりしたら困る。ここで確実に彼らの言質を取る必要があった。そして当然のことであるがそれを運任せにはする気は無い。つまり……。

 

「アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト少尉、ティルピッツ司令官の命に対して一つの例外無く従う事をここに宣言致します!」

 

 計っていたかのようにこのタイミングで少尉が大声で宣言して敬礼をする。察しが良くて助かる。

 

「ベアトリクス・フォン・ゴトフリート中尉、同じく若様の御命令に従わせて頂きます!」

 

 ベアトもここで同じく宣言する。正直ベアトの存在は大半の兵士にとっては誰こいつ?状態であろうがこういう時は勢いに任せてしまい突っ込みを入れられない空気を作るに限る。

 

「わ、私も指揮に従います……!」

「お、俺も従わせて頂きやす……!」

 

 フォンの付く貴族が二人(うち一人は内心誰だよ、と思われているだろうが)私に恭順する意思を示す事で場の空気は支配された。一人、また一人とそう宣言し、敬礼を行う。

 

 一分と掛からずにその場にいた十数名の兵士の恭順を受け入れた私は鷹揚に頷き、続いて艦内に残るほかの生存者を呼出し、恭順するか否かを問いただす。当然ながら既に反対派をほぼ壊滅させ、残る多数派を手中にした私に反対出来る者なぞいる訳がない。

 

 こうして、内心綱渡り気味ではあったが、5月16日1900時までに私は巡航艦「ロートミューラー」(の残骸内)の完全掌握を果たしたのだった。

 

……ああ、滅茶苦茶お腹痛い。後で隠れて胃薬飲もう。

 



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第九十三話 作者の悪意には勝てなかったよ……

 艦内の完全な掌握をしたのは良い、だがここからが本当の意味で重要であった。兵士達の多くは権威もあるがそれに匹敵する程度には自らの生命の安全のために恭順した事を忘れるべきではない。

 

 5月16日2200時、私はフォスター大尉以下の反逆グループの拘束と独房監禁後、改めて艦長たるダンネマン少佐に意見具申した。

 

「即ちこの艦を放棄する、と言う事ですな?」

 

 ベッドの上で疼く傷口を押さえながらダンネマン少佐は答える。

 

 副長の確保と残骸の軌道変更のために船を爆破した震動で傷口が少し開いたらしく、包帯からは僅かに血が滲んでいた。予め医務室の重傷者達には体を固定し、対衝撃防御の体勢をしてもらったが流石にそれだけでは足りなかったようだ。

 

「この艦の物資は欠乏しております。酸素と電源も決して長く持つものでもありません。我々がこちらに揚陸する前に乗艦していたデブリの方がまだ安定しております。どうぞ、御理解下さい」

 

 私は艦長に敬語で尋ねる。そこには年長者に対する敬意と傷口を開かせてしまった負い目があるが、それ以上に圧力をかけると言う心理的目的があった。貴族としての立場がこちらが上であるのと含め相手が断りにくくなるであろうと期待してのものだ。

 

「……私の如き無能者が意見出来る立場では御座いません。このように最も必要とされる時に怪我で指揮が取れず、それどころか後継に指名した副長が暴走し、あまつさえ伯爵家の子息に無礼を働くに任せてしまったのです。この上は最善の判断が出来る御方に全てを委ねるのが艦長としての役目でしょう」

 

沈痛な表情を浮かべる艦長は言葉を続ける。

 

「反乱軍……いえ、同盟軍の救助を目標にしている、と仰いましたな」

「はい、艦長にとっても不本意かつ不名誉な事と理解しておりますが、現状それが最善の判断でしょう」

 

 それは即ち彼ら帝国兵にとっては降伏を意味する。まして下級貴族とは言え誇りある帝国騎士たる艦長には苦渋の選択であろう。

 

「此度の責は全て私にあります、ですので部下の将兵の処遇につきましては伯爵家のお力添えを頂きその名誉が傷つく事が無きように、御願い致します」

 

 ベッドの上で深々と頭を下げる艦長。身分が違うとは言え、事実上階級も、年齢も下の若造に蟠りもなくその行動が出来る事は感嘆すべき事だ。ファーレンハイト少尉の印象と短い会話しか彼を分析する材料はないが、それでも優柔不断で堅物ではあるが誠実で責任感の強い古き良き帝国騎士らしさが垣間見えた。

 

「艦長、頭を御上げ下さい。御心配には及びません、元より自身で関わる事を決めた事、ならばその面倒を最後まで見るのは寧ろ当然の事です。それには無論、艦長の名誉も含まれます。どうぞ御安心下さい」

 

 私はにこりと微笑みながら誠心誠意礼を持った態度でそう答える。半分は心からの、もう半分は少佐の機嫌を損ねないようにだ。

 

「その懐中時計は担保として御渡し致します。それがあれば亡命政府も、帝国政府からも不当な扱いを受ける事は無いでしょう」

 

 そう言って艦長の首にかけられた金時計に視線を向ける。純金製に螺子巻き機械製のそれは時計職人の手作りであり、上蓋には伯爵家の彫金が彫られている。これを持って説明すればどちらに回収されたとしても名誉は守られるだろう(尚副長が拝借した万年筆は回収済みだ)。

 

「……ありがたき幸せです。このような寛大な処遇をして頂き恐縮の極みです」

 

 最終的に私の提案は(断りにくい雰囲気を作り上げた事もあり)少佐に受け入れられ、私だけでなく艦長からの命令もしてもらい「ロートミューラー」の放棄を実施する事になった。

 

 応急修理を終えたランチに追加増槽を装備、そこにホバーバイクも括りつける事で推力を強化、私とベアトが当初乗艦していた巡航艦「ハービンジャー」(の残骸)への移乗を開始させる。物資・電源・酸素量全ての面で彼方の方が余裕があったので当然だ。

 

 無論、可載量の関係もあり幾回かに分割しての移乗になる。更には残骸同士の衝突回避のため仕方ないが艦表面での爆破作業により軌道が変更された事で「ロートミューラー」と「ハービンジャー」はその距離を広げ、また両者共移動するために迅速に行動しなければランチが座標を見失う可能性もあった。

 

 最初の移乗はザンデルス軍曹やダンネマン艦長、負傷兵を中心とした(比較的)信頼出来る者と負担の大きい者を向かわせた。彼らならば反乱を行う可能性が低く帰還してくるであろうと考えてだ。

 

 ダンネマン少佐自身は艦長としての責任もあるので最後の便で良いと口にしていたがこれは却下した。彼の責任感は尊敬に値するが正直後になる程危険な航海になるので負担になる。丁重に断り最初の便で向かわせた。

 

 ランチが帰還後の第二便に乗船するのは敵対していないが完全に信頼しきれない兵士達だ。所謂恭順時に明らかに周囲の空気に流されていたであろうメンバーが中心となる。武装したベアトに監視役を命じていざという時には銃殺も許可していた。ベアト個人としては私の傍から離れる事に否定的であったが我慢してもらう。

 

 別に他意があるわけではない。彼女には第二便が「ハービンジャー」に辿り着いた後は艦内での蜂起が無いかの監視のために必要だし、彼方からランチの誘導や通信要員となってもらいたかった。同盟製の管制機材や通信機材を十全に扱えるのは私とベアトだけだ。

 

 第三便、最終便にようやく私を含む残りの全要員がランチに乗船する。この最終便には私とファーレンハイト少尉を含む数名のほか拘束した上で宇宙服を着せたフォスター大尉以下の管制室で抵抗したメンバーが残存物資と共に移送された。正直これには異論も出たが流石にこのまま物資もない残骸に拘束したまま放置するのもエグいし、同盟軍に回収された後の悪評が怖いので押し通した。

 

「そういう訳だ、まぁ静かに遊覧航海とでも行こうか?」

 

 艦内に置き去りの兵士がいないか確認し(死体は流石に運ぶ余裕は無かったが)、うーうーと猿轡された状態で何かをほざく(間違い無く好意的な内容では無かろう)副長をランチに荷物のように括りつける。腹立つのでヘルメットのグラス部分に青狸のような髭を書いておく。あら、可愛いわ!(煽り)

 

「何気に陰湿な復讐だな……」

 

 呆れ気味にランチに搭乗する食い詰め少尉が感想を口にする。確かに向こうに着いたら良い物笑いの種になるだろう。

 

「これくらいで我慢してやっているんだから感謝して欲しいけどな。寧ろ高貴なる貴族様としては寛大過ぎて泣いて感謝して欲しいくらいだぞ?」

 

 肩を竦めて嘲りと自嘲をブレンドした表情で小さく笑う。まぁ、戦争中の敵相手だからあれくらいの扱いが不当過ぎるという訳でも無く、それに対して死を以て償わせてやる資格は本来私にも無い。それを理解していながらもこのような言葉が出て来る私も大概精神構造が高慢な貴族階級のそれに変質しつつある事を自覚させられた。

 

「何とまぁ高慢な事で」

 

 呆れるような声で少尉は頭を振り、最後の反逆者をランチに括り終える。括りつけられた者の半分は副長のように元気に何事かを叫ぼうとしながら体をばたつかせ、残り半分は諦めムードで大人しくしていた。いっその事暴れる方は電磁警棒で麻痺させてから運ぼうかとも考えたが流石に虐待扱いになるので止めておいた、が今更少し後悔していた。

 

「よし、それでは出航と行こうか」

 

 5月17日1600時、ランチの最終便が「ロートミューラー」より出航する。軌道が変わり少しずつ相対距離が開き、座標もズレているので決して楽な航海ではない。現在位置を見失えばそのまま推力を得るための燃料が枯渇し、移動も出来ずに酸素を失い全員仲良く窒息死する事になるだろう。

 

「物好きな事で、嫌そうにする癖に危険な役回りを請け負うなどと、もしや被虐趣味でもあるので?」

 

 ランチの管制誘導装置を調整していた私にランチの荷台で周辺警備と副長達の監視を行っていた少尉が秘匿回線で尋ねる。決して安全とはいえない、大海を手漕ぎボートで進むようなこの航海、不安を紛らわしリラックスする事も兼ねているのであろう質問であった。

 

「いやいや私は極めてノーマルな趣味だぞ?少なくとも亀甲縛りで興奮するような性格じゃあない」

 

 無論蝋燭攻めでも鞭打ちでも興奮しない。私は門閥貴族らしくノーマルで正常で精神的に健康的だ。

 

「正直心外だが……それが義務だからな」

「義務、ですか?」

「まぁ、武門貴族と文官貴族、領主貴族とで勝手は違うだろうが、家庭教師がそう言っていたのよ」

 

 身勝手で臆病で、責任を取りたがらず、守るべき名誉もない平民共は戦場で逃げる事も、決断をしない事も、危険を避ける事も許されよう。

 

 だが、臣民の模範にして自由・自尊・自律・自主の精神を受け継ぐ門閥貴族は違う。公共のために誰が反対しようとも、誰を敵に回そうとも、誰に殺意を向けられようとも自らの信ずる最良の道と選択を選び決断して突き進まなければならない。

 

 そのため貴族は必要な時には逃げなければならない。だがそれは命惜しさからではなくそれが公共のため、社会のために必要な時だ。そして逆説的に言えば必要ならばどのような危険の中でも逃げてはならない。

 

 公共のために時に冷徹な命令を下し、時に不名誉を飲み込み逃げ、時に危険を顧みずに戦う、それはすぐに欲望に負ける唯人には出来ず、四原則を併せ持つ高貴な血を持つ者だけで可能な事なのだ、いや建前だよ?

 

 当然ながら口では綺麗事なぞ幾らでも言える。本当に公共のため、社会のために自身を律していける人間なんてそういるものではない。

 

 揺るがぬ意志を履き違え欲望のままに生きる貴族、必要だと言い訳して安全なところに逃げ込む貴族、勇猛果敢と猪突猛進の区別をつけずに愚かな戦い方をする貴族だっている。コスト度外視の教育の結果頭が回り、肉体は頑健かも知れないが精神構造は特権と偏見により歪んでいる者は決して少なくはない。

 

「まぁ、私もそんな御貴族様の一人な訳だが、この場では品行方正な平民共の理想の貴族を演じる必要があるからな、建前通りに勇気を見せないといけないわけだよ」

 

 尤も、士官学校を始めとした軍人教育も私の今生の性格に影響を与えている可能性もあるが。士官たるもの、兵士達の模範となり最前線で戦い、最後尾で後退せよ、ってな。

 

「心掛けは立派ですがこの場で言ってしまっては台無しですな」

 

 食い詰め少尉は小さな笑い声を立てながらそう感想を述べる。

 

「馬鹿野郎、平民相手に言うか。同じ貴族、しかもお前さんは私の化けの皮位理解しているだろう?」

 

 ここまで散々空気を読みながら私をサポートして来たのだ。底の浅い私の思考位はとっくの昔に把握している筈だった。

 

「確かにな、実力に比べて分不相応な義務を背負って過労死寸前、といった所だな。強いて付け足すならば茶番劇の演技と口ばかり上手くなったようだな?」

 

 おう、秘匿回線だからって急に辛辣な評価になっているぞ。理解してはいるがそこまで堂々と言われると流石に少し悲しくなるからな?

 

「自身で言っておいて半泣きになられても困るんですがね……」

 

 呆れるような口調で拗ねる私の態度に対して首を振る少尉。

 

「全く……まぁ、建前を守る気概があるだけマシ、という程度には称賛して置きましょうかね?」

 

 冷笑するような鼻息……しかしその後に食い詰め少尉は何かを思い出したようにどこか萎れた、複雑な声でそう呟いた。

 

「…………」

 

 暫し重い沈黙が続く。私はその空気から逃げるように目の前の作業に集中し始める。発艦から四〇分余り過ぎてからベアトからの通信が入る。

 

『若様、無線は繋がっておりますか?繋がっていれば御返事を下さいませ』

「ああ、繋がっている。調子も悪くない、クリアだ」

 

私は通信状態が良好であることを伝える。

 

『現在こちらは進路をT-K-G方面に向け漂流中です。ランチのIFF(敵味方識別信号)の反応から計算するとそのままM-K-Y方面に進めば最短で合流が可能です』

「そうか、誘導を頼む」

 

 ランチの航路管制レーダーは「ハービンジャー」からのシグナルを受け取り、それに従い航路を再設定する。

 

「後一時間余りか……」

 

 最初の頃に比べて相当離れたな……尤も軍艦だとあっという間の距離なのだが。

 

 核融合炉を備えた艦艇と違い所詮は宇宙進出時代初期から使われている液体水素を使ったランチでは推力に限界がある。

 

 13日戦争以前、既に二大超大国の一つ北方連合国家は数千人規模とはいえ月面都市「ルナネクサス」(後のルナシティ)を建設し、火星にも進出していた。この時代の最新鋭のエンジンは20世紀の技術の延長上であり、主に液体水素を利用したものであった。地球と月を往還した「ホーナー号」、スペースプレーン「オリオン」、月移民船「ガリレオ」は現在の人員輸送シャトル以下の速力ではあるが当時としては最新鋭の宇宙船であった。

 

 地球統一政府の成立後太陽系全域に人類が進出した後も外惑星を航行する一部の艦船が熱核ロケットエンジンを装備した以外は変わらない。西暦2253年にアルファ・ケンタウリに発進した人類初の恒星間宇宙船「メガロード」は全長約二キロ、人類初の核融合炉とそれを利用した核パルスエンジンを搭載したものであったがその内実は洒落にならなかった。船体の半分をエンジンが占め、しかも現在の核融合炉のそれと比べれば話にならない性能と信頼性であり本来ならば外宇宙に出すべきものではなかった。しかし当時の政治的理由から無謀な計画は強行された。

 

 無論結果は知っての通りだ、恐らくはエンジンの暴走が本船の遭難に繋がったのだろうと後世の多くの歴史研究家は指摘する。

 

 核融合炉技術の熟成と効率化、そしてその出力を利用した西暦2360年の超光速航法の実現によりようやく近代的宇宙船の雛形が誕生する。西暦2404年にカノープス星系に向かった人類初の恒星間移民を実現させた「オラティオ号」と「アラトラム号」は七か月の航海とその間に行った一二回の短距離ワープの末一万五〇〇〇名の移民団を無事目的地に送り届ける事に成功した。

 

 人類初の恒星間戦争となるシリウス戦役中、宇宙船技術は恐竜的進化を遂げた。

 

 慣性制御装置、重力制御装置、エネルギー中和磁場発生装置、バザードラムジェットエンジン等の技術のプロトタイプが開発され戦役の初期と最終期とでは艦艇の性能は最早別物となっていた。地球軍においてその進化に追従出来たのは三提督位のものだった。ほかの諸提督達は余りに早い艦艇の高性能化にその思考が追いつけなかったし、地球軍の艦艇はその膨大な数から更新が遅々として進まず、多くの旧式艦艇が戦役最終期まで投入される事になった。

 

 一方、ジォリオ・フランクールと彼の下で活躍した黒旗軍十提督は新時代に適応し、最新技術で開発された艦艇の性能を十全に引き出し、集中運用した事がその勝因の一つとも言われている。

 

 そして宇宙暦8世紀後半の現在に至っては単艦かつ航路の状況にもよるが理論的には一日に一五〇光年の移動が可能となっていた。命懸けで航海していた初期の移民船は涙目である。当然今我々が移動している距離も本来ならばここまでの時間をかけて慎重に航海するのが馬鹿馬鹿しくなる距離であった。逆説的に言えばそれだけ我々の窮状を表しているとも言えるが……。

 

 尤も、このような事を考えていられるうちはまだ恵まれていたんだけどね?何せ……。

 

「……嫌な予感がしてきたぞ?」

 

 1715時頃のファーレンハイト少尉からの報告がその第一報だった。後方に明滅する光有り、というものだ。デブリの影になっていたため七光秒と言う近距離からようやく見る事が出来たのだという。

 

 そして私の予感は的中する。1720時、デブリ帯の影からその姿が完全に確認された。それは……。

 

「駆逐艦か……!」

 

 帝国軍標準型駆逐艦の約一個隊。デブリ帯の索敵行動中であったのだろう。アクティヴセンサー類を全て最大出力で稼働させておりその際の発光が確認された光だったようだ。

 

「……不味いなぁ」

 

 私は小さく呟く。ここまで来て帝国軍の捕虜になりたくはない。ない、が駆逐艦の一個隊が相手ではどうしようもない。いや、もっと根本的な問題だ。「ロートミューラー」の生存者達は助かるために私の指示に従い同盟軍に降伏するのだ。では目の前に帝国軍が現れればどうなるか?考えるまでもない。立場は逆転する。

 

 私はランチの乗員がブラスターの銃口を向ける事を覚悟した。そして反撃のために腰元のハンドブラスターに手を添え……ランチのすぐ傍を通り過ぎた強い光の線条に私は身体を強張らせた。

 

「っ……!砲撃かっ!此方を狙っている……?」

 

 ランチの直上を通り過ぎた砲撃、それを見て一瞬私はランチそのものが狙われていると考えた。だが、すぐにそれを否定する。余りに小さすぎるランチ(単座式戦闘艇の四分の一も無い)を遠方とはいえ光学兵器で狙うのは極めて難しい。それならばミサイルの近接信管で吹き飛ばした方が効率的だろう。帝国軍もその事を理解していない筈もない。

 

 次の瞬間反対側から帝国軍駆逐艦隊に向け砲撃が撃ち返された。それが意味する事は……!

 

「タイミングが良いのか悪いのか分からんな……!」

 

 同盟軍と帝国軍、共に十隻にも満たない小部隊が射程の短い光子レーザーや電磁砲、対艦ミサイルを乱射し始める。

 

『若様!射線から今すぐ退避して下さい!このままでは戦闘に巻き込まれます!』

 

 悲鳴に近いベアトからの無線が響く。分かっているよ、そんな事は……!

 

「ベアト、これはあれか!?救援部隊と帝国軍が遭遇戦をおっぱじめたと考えれば良いのか!?」

 

 ランチの進路を操縦士に変更させると同時にベアトに向けて私は叫ぶ。

 

『どうやらそのようです!先程同盟軍からの無線連絡がありました!救難信号を受けて急行したとの事です!』

「ちぃ、間の悪い……!」

 

 視線をベアト達の移乗した同盟軍標準型巡航艦の残骸へと向ける。大小の艦船のデブリが漂う中一隻のモスグリーン色の残骸を守るように救難部隊が前に出て帝国軍に応戦していた。

 

『……!今陸戦隊が揚陸を………』

 

 次の瞬間暫く無線に砂嵐が混じり十秒余りして男性の声で同盟公用語が発せられる。

 

『こちら駆逐艦「カメリア29号」臨時陸戦隊ボーリィ大尉だ!この無線の主はヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍中尉で間違いないかっ!?』

「はいっ、こちらティルピッツ中尉であります!現在ランチに搭乗し座標4-9-7のT‐B‐Sを航行中!ランチのすぐ傍でレーザーとプラズマ化した劣化ウラン弾が飛び交っております!」

 

私は緊迫とした現状を報告する。

 

『なんてこった……座標を指定する、座標N-B-Sに向けて進路変更せよ!そちらの宙域に回収部隊を送る!』

 

 ボーリィ大尉の判断は正しい。距離的にはこのまま艦艇を前進させて回収する方が早いが戦闘宙域のど真ん中でそれをやるのは危険過ぎる。流れ弾にデブリの巻き添えを受ける可能性もあるし、軍艦が速度を間違えればランチは衝突の衝撃で叩き潰されるだろう。

 

「了解!僭越ながらゴトフリート中尉及び帝国兵が複数名いる筈ですがそちらの方はどうなっているのか教えて頂きたい!」

 

 私は承諾の返事と共にこの場で重要な事を尋ねる。面倒な行き違いが起こる前に処理する必要があるためだ。

 

『それはこちらの台詞だ!どうなっている!?何故こんなに……二十人近くいるがどういう訳だ!?一応投降しているので捕虜として拘束しているが……臨時指揮官?どういう事だ!?』

 

 無線の向こう側ではボーリィ大尉が誰かと言い争い、とまではいかないが何やら言い合っている。

 

「ボーリィ大尉、そちらについては詳しくはゴトフリート中尉の説明を御聞き下さい!彼らの身の安全については私が保障します、丁重に扱い可能な限り迅速に亡命軍に御引渡し下さい!」

 

 現状のあまりにややこしい経緯をこの状況で説明するのは難しいので今伝えるべき事だけの口にする。ダンネマン少佐以下の兵士達をその他の帝国兵同様ぞんざいに扱えば不満と不信感から戦闘が起こりかねない(同盟と帝国で価値観が違うために何が無礼に当たるかが違い双方とも地雷を踏む事は珍しくない)。ベアトを付けて亡命軍に押し付ければ最悪の事態だけは避けられる筈だ。

 

 私はそこまで捲くし立てて、ちらりと周囲を見やる。先程までの会話を私はオープン回線で行っていた。ここで艦長達を丁重に扱うアピール(同時に人質となっている事も暗に伝える)事でランチに乗る帝国兵達が私にハンドブラスターを向けて帝国軍の方に走らないようにだ。

 

 どうやら誰も帝国軍の方に向けて逃げる、という行動を起こす者はいない(あるいは封じられた)ようだ。ファーレンハイト少尉は私の会話の真意を理解したようでこちらに不敵な笑みを向けていた。そりゃあ分かる奴には分かるよな。

 

尤も、今の会話で危機が去った訳ではない。

 

「ちぃっ……派手にやってくれる……!」

 

 戦闘は激しさを増していた。帝国軍駆逐艦よりワルキューレが発艦する。同盟軍は後方の巡航艦よりスパルタニアンを発進させたようだ。対空レーザーと対空電磁砲、対空ミサイルが吹き荒れる。糞、平然と光速兵器を使いやがって、こちとら宇宙版手漕ぎボートの事ランチなので一光秒のその十分の一を進むのだって必死なんだぞ!?

 

 現状がどれ程ヤバい状況かイメージするならばユトランド沖海戦やら日本海海戦のような大砲撃戦のど真ん中でボートに乗っているとでも思ってくれたら良い。はは、笑えるよな?ブッダファック!

 

「っ………!」

 

 電波妨害で目標を喪失した対艦ミサイルが近くで自爆した。爆発と共に生み出された破片が真空空間を飛び交う。

 

「左舷スラスター全開!早くしろ……!」

 

 その声と共にランチの片舷から火炎が吹き出しその挙動がかなり無理矢理変更される。

 

 数秒後に先程までいた位置に小さな破片が次々と通りすぎるのが見えた。数センチから数十センチの破片は、しかしその実時速数千キロで通り過ぎており、命中すれば命は無い。

 

「うー!うー!うー!!」

 

 ランチに括りつけられている副長達がパニックになったように騒ぐ。当然だ、この状況でランチにデブリの破片が命中すれば彼らは挽き肉になるか、あるいはランチから引き離されて宇宙遊泳決定だ。まぁだからってほどく訳にはいかないけど。

 

「くっ……続いて直上スラスターだ!カウント五秒前……四……三……二……一……今っ!」

 

 その指示に従いランチは再び急旋回する。ランチの真上を回転しながら弾け飛ぶ十数メートルもの鉄片が通り過ぎる。小さな破片となると数えきれない。宇宙戦艦の複合装甲なら受け止めきれるであろうが我々には間違い無く致命傷であった。

 

「ちょっ……おま……ふざけるな!?」

 

 思わず悪態をつくがそれくらい勘弁して欲しい。命を賭けて戦っているためにそこまで気にしていられないのだろうが、帝国軍は兎も角同盟軍の流れ弾まで飛んで来るんだけど!?

 

 光子レーザーとプラズマ化した劣化ウラン弾とミサイルの破片、そしてそれらによって辺り一帯に撒き散らされる極小のデブリ、控えめに言って地獄だった。

 

「当たるなよ、当たるなよ、当たるなよ……!!」

 

 ランチは何度も無理のある急旋回を行う事でデブリの群れを避けていく。だが……。

 

「来るぞ……避けきれんっ!」

 

 ファーレンハイト少尉が叫んだ。そのほんの数秒後の事である。ランチに衝撃が走ったのは。

 

「うおっ……っ!!どこをやられたっ!?」

「括りつけたホバーバイクが吹き飛んだっ!!」

 

 私の声に少尉が答える。私達はランチの助手席から外部に出て状況を確認する。運が良いのか悪いのか、ランチの右側につけていたホバーバイクが報告通り抉れていた。ランチに直撃していたら死んでいたな(因みに括りつけられていた副長達は無事のようだ、悪運が良いことで羨ましい)。

 

「ランチそのものに衝突しなかったのは幸運かな?」

「いや、命中した事がまず不運だぜ、しかもまだ終わっていないしな……!」

 

 ファーレンハイト少尉の言に私は自身の経験を基に反論する。ほれ、来たぞ来たぞ……!

 

「右舷スラスター全開っ五秒前っ!四……三……二……一……今っ!」

 

 私の命令と共にランチは傾き、慣性の法則に従い私の体はランチから放り投げられそうになる。くっ……!

 

「ううっ……!?う…うううぅぅぅ……!!」

 

 ランチに括りつけられた兵士の一人が暴れる。よく見れば宇宙服に亀裂が出来ていた。運悪くデブリが掠り穴が出来たのだろう。しかも彼は両手足が縛られており自身では穴を塞げなかった。

 

「ちぃ……苦労をかけやがって!」

 

 私はランチの助手席から離れてその兵士の下に行き瞬間凝固樹脂を内容したスプレーを亀裂部に吹き掛ける。

 

「糞、世話の焼ける……!」

「荷物が足枷になっている……!捨てるぞ!?」

 

 食い詰め少尉がオープン回線で私に連絡する。確かにランチの荷台に載せた物資は最早必要ではなかった。寧ろその重さはランチの速度を鈍重にしているとも言える。

 

「よし捨てろっ!捨ててしまえ!」

「了解っ……!」

 

 私の命令とほぼ同時に荷台のワイヤーが外される。ファーレンハイト少尉が荷物を押せばランチから地上車大の小型コンテナが引き離される。これで少しは足は速くなるだろうだろうって………。

 

「うおっい!?」

 

 次の瞬間大きなデブリがコンテナに叩き込まれ、コンテナはひしゃげる。内部の物資が辺り一面に飛び散った。

 

「っ………!?」

 

 ファーレンハイト少尉に勢い良く飛び散った物資の一つが衝突した。速力がそこまででもなく、衝突したものも紙製段ボールであったのは幸運だった。金属製の箱が高速度でぶつかっていれば宇宙服どころか人体が半分に引き千切られていたかも知れない。

 

 尤も、その衝撃で彼は宙に回転しながら放り出されてしまったが。

 

「うおっ………!?」

「糞、今行く……!!」

 

 私は背中のバックパックのスラスターからバーニアを噴出させて急いで彼の救助に向かう。広い宇宙空間では人間大の存在をレーダーで発見するのは簡単ではない。放り出されたらそのまま酸欠で死亡なんてなりかねない。救助は必須だった。

 

「うおぉぉぉっ!?」

「手をっ……掴めっ……!!」

 

 急速に離れようとする少尉は私が差し出した手を身体を回転させつつもどうにか掴む事に成功する。(何気にこれは凄い事だ)。

 

「はぁはぁはぁ……た、助かったっ!」

「どういたしましてだよ……!」

 

 流石に死を実感したのか、宇宙服のヘルメット越しの少尉の表情には緊張に強張り、額には汗が見えた。

 

「だ、だがどうするっ!?距離が随分とついてしまっているぞ!?」

 

 ランチの方向を確認する。荷台の荷物を外したために既に相応に距離がついてしまっていた。客観的に見てこれはヤバい。バックパックのスラスターの燃料は有限であり、私は宇宙遊泳は士官学校でもかなり下の成績だった。

 

正に絶体絶命……と、思うじゃん?

 

「甘いんだよっ!それくらい予想済みなのさっ……!」

 

 次の瞬間、ランチに装着していた安全帯により私の体はランチの方角に引っ張られ始める。ははは!最早不運なぞ私の敵ではない!

 

 …………などと、調子に乗っていた時期が私にもありました。

 

 私がどや顔で宣言した直後の事であった。うん、デブリがね、飛んで来たの。それがね、丁度硬質強化繊維製の安全帯を勢い良く切り裂いたの。あ、これ詰んだろ。

 

「って……嘘だろ!?」

 

 私は悲鳴に近い叫び声を上げていた。同時に背中に衝撃を受けて視界が回転する。

 

「ちょっ…待っ……うぇっ……っ!」

 

 私は急激に襲いかかる吐き気を抑える。胃から食道を通じて逆流する嘔吐物を口を閉じ無理矢理胃袋にリターンさせる。もし吐き出したら呼吸困難になり詰む。何がなんでも吐く訳にはいかなかった。  

 

 涙目になり、口内に胃液の不快感を感じつつもどうにか吐瀉物にはお帰り頂いた。

 

 だが同時に私はそれによる酸素不足と続いて飲み込んだ後に行った過呼吸、そして身体を独楽のように回転させる事による空間識失調により急激に眩暈が襲う。既に握っていた少尉の手の感覚は消えていた。

 

「あっ……これ流石に無理……やばっ………」

 

 急速に思考能力と判断能力を失った私はそのまま意識を手放したのだった……。

 



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第九十四話 これが本当の吊り橋効果である

次話で要塞戦を終わりまでやり、合わせて二、三話でこの章は終了予定です


「良いですか?幾ら生活が貧しくても、精神まで貧しくしてはいけません。いたずらに人を妬まず、卑屈にならず、自身の境遇に誇りを持ち、堂々と胸を張りなさい。それこそが騎士の矜持なのですから」

 

それは病床にあった母が彼にかけた言葉であった。

 

 ファーレンハイト帝国騎士家……正確には二等帝国騎士……は新興も新興の貴族であり、元を辿れば卑しい下層平民の家であった。

 

 しかし、小さな星間運輸会社の下働きであった祖父ヨーゼフは偶然取引先の貴族達の噂話を聞き耳し、それを元に社長に輸送取引の提案を直訴、その提案を受け入れた社長は結果的に反乱に際し、後方における帝国軍の軍事物資輸送の大口取引を引き受ける事に成功した。

 

 後の「グリンデルヴァルト侯の反乱」と呼ばれる事件である。

 

 時の皇帝コルネリアス二世を退け一族の血が流れる腹違いの皇帝の弟を次期皇帝に即位させようと画策した帝政成立以来の歴史を持つ侯爵は、しかしその工作に失敗し、最終的に破れかぶれの反乱を起こす事になった。フェザーンでは大商人バランタイン・カウフが処刑台の階段十二段目から王座に登り詰めた切っ掛けとして有名な事件だ。

 

 因みにコルネリアス二世の時代は帝国にとってある種の暗黒時代であった。即位前には次男アルベルトの失踪、即位後は宮廷で小事件が頻発し、730年マフィアの登場、「ヴィレンシュタイン公の反乱」を始めとした反乱、帝室の威信回復をかけた第二次ティアマト会戦に大敗とそれによる平民階級の台頭、晩年には「偽アルベルト公事件」があり、止めはそんな散々な時代を見て来た上、偽アルベルト公事件で周囲から一時期掌返しされた有能な次代皇帝オトフリート三世が即位後に病んで衰弱死した程だ。

 

 ……話を戻そう、末席とは言え宮中十三家が一つであるグリンデルヴァルト侯爵の反乱は帝国の物流に少なからず打撃を与え、その後の航路治安に少なからず悪影響を与えた。帝国軍からの大口取引によって手に入れた資金を持ってヨーゼフは更に航路警備の需要増加を見込み警備を請け負う警備会社の株式を買い込み転売、一財産を手にする事で下層平民階級から富裕市民に成り上がる事に成功した。

 

 そしてある資産家の娘と結婚するに及び典礼省から二等帝国騎士の地位を購入し、末端の末端とはいえファーレンハイト家は貴族階級の一員となったのだ。

 

 無論、戸籍上「帝国騎士」に列せられるだけでは意味が無い。末席の末席とはいえ貴族年鑑に記録される以上はそれに相応しい教養が無ければ無学の成り上がり者として同じ貴族どころか平民達の良い笑い者だ。

 

 息子フレデリクは貴族階級としての教養を十分に受ける事が出来た。帝都の高名な家庭教師を雇い入れ、いつか貴族階級の社交界に参加しても恥ずかしくないように言葉遣いや宮廷儀礼を、教養を叩き込まれた。その成果もあり、フレデリクは新興の帝国貴族でありながらも社交界でも不足無い優美な所作を身に付けた。

 

 しかし、アーダルベルトが生まれるのと前後してファーレンハイト家を不幸が襲った。所有していた貨物船の事故による契約先と従業員への補償により資産の大半を失ったどころか借金が残ってしまった。

 

 無論、それだけで即座に一族の破滅を意味する訳ではない。帝国騎士階級には末席であろうとも貴族年金や帝国銀行からの低利子の借り上げが可能だ。

 

 しかし、所詮貴族年金は少額であるし、借金はいつかは返さねばならない。フレデリクは少なくとも帝国騎士らしく家族のために当主の責任は果たそうとした。

 

 彼は官吏としてイゼルローン要塞建設に関わる事務員として出仕する事になった。交易会社を運営していた経験を強みに要塞建設責任者であるリューデリッツ伯爵の下で建設機材の輸送に従事していた。

 

 ここまでならばまだファーレンハイト家にも持ち直す機会があっただろう。だがファーレンハイト家の災難は続く。反乱軍による要塞建設妨害を受け彼の乗船する輸送船は沈没してしまった。しかも世は吝嗇家として悪名高いオトフリート五世の御世であったのが更なる不幸であった。

 

 帝国の財政を大幅な黒字にして安定させた点においてオトフリート五世は評価されるが、彼の善政は悪政と表裏一体であった。

 

 少なくない増税は民衆の生活と経済成長に悪影響を与えたし、貴族階級に対しては資産や爵位の相続税の増税や貴族年金を、軍部に対しては遺族年金や各種手当の減額を実施していた。当然ファーレンハイト家にもその影響は及び当主死亡による相続税が襲い、同時に家族にもたらされる遺族年金は微々たるものであった。

 

 当然のようにファーレンハイト家は貴族でありながら経済的に困窮した。オトフリート五世の治世は多くの下級貴族が没落した時代でもあり、彼らを保護したブラウンシュヴァイク公爵家やリッテンハイム侯爵家の勢力が伸長した時代でもあった。オトフリート五世の長子リヒャルトと三男クレメンツの両者(あるいは両派閥)の対立もその主軸の一つが緊縮財政の継承か緩和かであると言われる。

 

 何はともあれ、ファーレンハイト家は未だに借金が残る状態で未亡人とその子供が残されるのみとなったのだった。未亡人となった妻は仕方なく実家を頼った。

 

 当然ながら借金を背負った家族を温かく迎える訳はない。一応は一族であるために衣食住は保障され、借金は肩代わりされたが元々病弱である事もあり家での扱いは不遇であった。

 

 そのためアーダルベルトの幼少期の記憶と言えば狭い部屋での母との生活がその大半を占めた。少しでも借金を返済するために内職に励む弱々しく、薄幸な雰囲気を身に纏う母の姿が彼の日常であった。

 

 日々の精神的・肉体的な負担により弱っていた母に我儘を言う事は少なかった幼少期、数少ない交流は躾の時間であった。

 

「いいですか?貴方はファーレンハイト家の次期当主なのです。ですから帝国騎士らしい振舞いが求められるのよ?」

 

 母の言は決して未練がましく貴族の地位に、過去の栄光にしがみついているためでは無い。

 

 開祖ルドルフ大帝の遺訓の一つに「遺伝子にあった階級を、階級に相応しき義務と振舞いを」と言うものがある。帝国においては階級にあった品性が求められるのだ。それはたとえ零落れた新興の下級貴族でも同様だ。いや、寧ろ下級貴族だからこそ大貴族と違い力が無いためにそれが求められた。仮に身分に相応しくない振舞いを見られればそれだけで虐めや蔑視の対象になり、噂が広まれば職にありつく事が出来なくなるかも知れないのだから。礼儀作法は彼女が母として唯一息子に残す事の出来る財産であった。

 

 母の思いを幼い息子は子供心であるが理解し、母の思いに応えるために必死に貴族に相応しい礼儀を覚えた。また貴族たるもの常に平民の規範たる事を為すためにギムナジウムでの勉学にも打ち込み学問でも、無論運動分野でも常に学内において首席を争う最優秀グループに位置していた。

 

 十五歳になり、彼が帝国軍士官学校に入学したのは母のためであった。確かに大学を出て官僚になる道もあった。だが大学の学費が嵩む。奨学金の競争率は高く、その上高級官僚の多くは大貴族が占め出世するのにも限界があったのだ。

 

 一方、帝国軍は帝政成立以来実力主義の気風が強く、官僚になるよりもより栄達の道があった。何よりも学費が無料、それどころか学生時代から微々たるものではあるが給与が支払われるのだ。自身で食い扶持を稼ぐためにも、母の労苦に報いるためにも軍人になるのはある意味当然の既決であった。

 

……結局の所、彼は不運だった。

 

 恐ろしい倍率を突破して士官学校に入校しても身分の差は付きまとうのだ。校内を分けるのは大きく二つの勢力であった。一つは門閥貴族を中心とした貴族派閥であり、もう一つは富裕市民を中心とした平民派閥である。

 

そして、そのどちらも禄でもないものであった。

 

 貴族達は決して無能と言う訳ではない。コストを度外視した教育を物心がつく頃から受けているのだ。士官学校の試験とて多少の手心はあろうともあからさまに不適格な者は有無を言わさず落選する。少なくとも彼らは頭脳と肉体に関しては帝国社会において水準以上のものを有していた。

 

 だが実力と精神性は必ずしも一致しないものである。彼らは門地と実力を鼻にかけ、平民を才覚の有無に関わらず蔑視した。いや、平民だけでなく歴史の浅い下級貴族も同様だ。自分達以外を塵芥同然に扱い、自制心は無く、高慢で、下劣で、他罰的な精神性は少なくとも彼が母から学んだ貴族階級の美徳とは最も遠いものと言わざる得ない。

 

 だからと言って平民達の派閥もまた彼には不快感しか無かった。

 

 彼ら平民は門閥貴族達に比べたら比較にならない劣悪な環境で自己研鑽をした果てに士官学校に入学した者達であった。彼らは自身の実力を誇り、そしてだからこそ貴族と言うだけで上位階級を敵視していた。憎悪、或いは嫌悪しているとも言っても良い。周囲の手厚い支援無しにここまで来れない貴族共よりも自分達の方が優れていると彼らは教条的に確信していた。異様なまでに貴族的な価値観を排除し、執着的で狭量な傾向のある彼らの下に行く事は耐えられなかった。

 

 結果として彼は一部の下級貴族や派閥に無関心な者が多い士族階級同様に士官学校の権力闘争の場から距離を置いた。彼は派閥に然程拘泥するつもりは無かった。真に努力し、才覚のある者は派閥なぞ無くともおのずと引き上げられると、彼はルドルフ大帝の言を信じていたし、それは記録に残る少なくない平民や下級貴族の無派閥将官が証明していた。

 

 彼の考えは正しい、正しいが、ある意味では純粋に考えすぎた。あるいは時代が悪かった。

 

 彼は優秀であった。秀才の集まる士官学校の学生の中でも特に優秀であった。それでいて下級貴族の無派閥ともなれば注目を集める。派閥への誘いがまずあり、それを完璧な態度で丁重に断ると次に不興を買い、双方からの嫉妬とやっかみ、そして嫌がらせを受けた。

 

 四半世紀前ならばこんな事は早々無かった筈だ。優秀な者は身分の差も無く称賛したであろうが、既にそのような美徳を持つ帝国人は絶滅危惧種である。その意味で彼は時代が悪かった。

 

 それでも一時期副校長であった公平にして厳粛なメルカッツ少将、才覚ある者には家柄の別なく学生が嫌がる程執拗に指導するシュターデン教官、身分の上下に関わらず弱者は投げ飛ばし、病院送りにする特別陸戦教官オフレッサー中将等の存在もあり、学生生活の前半は比較的平穏であった。だが彼らが学校を去り前線勤務に就くとその嫌がらせは明らかに酷くなった。

 

 時期を同じくして母が病死した事が知らされた。元々体が弱く病気がちであったのが冬の寒さから風邪を引き共に急激に悪化したためであるらしい。母はアーダルベルトの学業に影響を及ぼす事を嫌いそれを伏せ、結果彼は生前に母に一目会う事も叶わなかった。

 

 失意に打ちひしがれた彼に出来る事は一つしかなかった。母に誇る事の出来る貴族として生き、立身出世を果たす事だ。

 

 彼はまず母の葬式と借金返済のために貯蓄を全て母の実家に支払い、ついで典礼省で手続きをして正式に帝国騎士家ファーレンハイト家の当主と認められた。同時に貴族年金の受け取り先を母の実家に指定し、それ以外の縁を切った。

 

 彼にとって家族とは母一人を指していた。一度実家を出ながら借金を背負い戻ってきた娘に実家は冷たく、それ故に母以外の親族に対しては愛着は湧きようもない。借金の支払いを肩代わりした事への返礼のため貴族年金の受け取り権を譲渡した以上、それ以上の義理を果たす必要を感じなかった。

 

 古き良き帝国騎士のように誇りと矜持を持って、一方で多くの悪意に晒されたが故に処世術と鑑識眼にも長け、世間の醜さもまた学んだ彼は士官学校を優秀な成績で卒業した。尤も流石に多くの悪意を受け過ぎたがために初年度にして一巡航艦の乗組員と言う立場を甘んじる事となってしまったが。

 

「……我ながら中々波乱に満ちた人生だな」

 

 真空の闇の中を漂流するファーレンハイト少尉はそこで我に返るように目覚め、ぽつりと呟いた。着任した巡航艦の副長は面倒この上無い人物。しかもよりによって反乱軍の攻勢が始まり所属艦隊は最前線に送り込まれ大破と来ている。あの亡命貴族の坊ちゃんが流れて来た時にようやくツキが回ってきたかと思えばこの様である。悪神にでも憑りつかれているのだろうか?などと彼は半分真面目に考える。

 

「さて……後、二時間余りか……」

 

 ファーレンハイト少尉はふざけるのを止めると、まず宇宙服の酸素残量メーターを見やり、その数字に表情を強張らせる。

 

「ちっ、運が良いのか悪いのか……」

 

 余りに少ない酸素残量の理由を調べる。どうやら彼がランチから放り出された時、デブリが彼の宇宙服の酸素タンクを一つ吹き飛ばしたようだった。人体に当たれば風穴が空いていたのである意味間一髪ではあるが見方を変えればはじわじわと苦しんで死んでいくのと同意だった。

 

無論、彼はこんな所で死んでやるつもりは無いが。

 

「どこか降りられそうなデブリでもあれば良いのだが……ん?」

 

 見れば遠目に反乱軍の宇宙服が漂っていた。あの状況では恐らく中に人が入っているであろう、動いていないのは何等かのショックで死んだからだろうか……?

 

「どうするかな?」

 

 正直見込みは大きくはない。酸素は既に切れている可能性があるし、あるいは宇宙服に穴が空いてにるかも知れない。貴重なバックパックのスラスター残量を無駄には出来ない。

 

「………考えても仕方ないな」

 

 周囲に使えそうな漂流物が無い以上思考するのは無意味だった。仮に酸素残量が無くともそれを確かめるために行くしかない。ギリギリまで粘ってから行っても時間の無駄だ。まずは調査する、次いで駄目ならば次の策を考えるべきであろう。

 

 貴重なスラスター燃料を節約しながら目標に向かう。数キロは距離があるだろう。ファーレンハイト少尉は二十分余りをかけて尤も燃料効率の良い速度で加速する。

 

「よし、右…上……ちぃ、左、上……よしっ……!」

 

 スラスターから噴出されるバーニアを繊細に調整し、ようやく少尉はそれに掴みかかる。

 

「よしやったぞ!酸素は………」

 

 そこで喜色の笑みを浮かべた彼の表情はすぐに真顔になった。

 

「………」

 

取り敢えずヘルメットを殴った。

 

「うえっぷ!?うおっ……!?ここ何処だ!?」

「いや、貴方こそ何でここにいるんですか?」

 

 少し胃液を吐き出してパニックになった伯爵家の長子にファーレンハイトは取り敢えずそう突っ込みを入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 暫しのくだらない言い合いの末、どうにか互いに情報交換し合い、状況を確認し終える。

 

「つまり我々は仲良く宇宙漂流中と?」

「そうなりますね」

「それってひょっとしてヤバくね?」

「ひょっとしなくてもヤバいですよ」

「ですよねー」

 

取り敢えず状況が最悪に近い事だけは共有する。

 

「……助け、来るかね?」

「貴方がいるので可能な限りはするでしょう。救助部隊が壊滅していないなら、ですが」

 

 尤も、壊滅していなくても簡単には救助が再開される事は無いだろう。

 

「これは……覚悟がいるかも知れませんね」

 

 そう呟いてファーレンハイト少尉はこれからの自身の選択に突きつけられる。一歩間違えれば間違い無く死ぬ事になるであろう。寧ろ死ぬ可能性の方が遥かに高いのだ。

 

 思考の海に沈もうとしていた彼を我に返らせたのは宇宙服からの警告だった。

 

『残量酸素、一〇%を切りました。交換の必要を認めます』

 

 機械音は無線通信を通じてもう一人にも伝わっていた。ファーレンハイトはその意味を理解して視線をもう一人にすぐさま向けた。

 

「酸素残量不足、か?」

 

 目の前の青年貴族は険しい表情で呟く。そして今更ながらファーレンハイト少尉は自身の置かれている状況を再認識する。

 

 自身の酸素残量は少なく、相手のそれは自身より余裕がある。そして現状いつ救助が来るか分からない。

 

 自身の腰を見る、ハンドブラスターはどこかに飛んで行ってしまった。相手のそれを見る、そこにはハンドブラスターが収納されている。

 

 互いの手元を見る、今動けばどちらが先にハンドブラスターを手に入れられるかは五分五分の状況である。即ち、先に動いた方が勝つ。

 

 ファーレンハイト少尉は青年貴族の目を見る。ヘルメットの強化特殊樹脂製のグラス越しに見える瞳は互いにその事を理解している事を示していた。

 

「………っ!」

 

 ここに至っては是非も無い。生き残るために生き汚く、貪欲に行動しなければならなかった。彼はこんな所で死ぬわけには行かなかった。

 

 少尉は手を青年貴族のハンドブラスターに伸ばす。そしてもぎ取ったハンドブラスターをその持ち主の眼前に向け………。

 

「待て待て降伏!降伏するからっ!ストップ!ストップ!話せば分かるから!」

 

 一切の躊躇なく目の前の亡命貴族は全面降伏した。情けないくらいあっさりと命乞いをして来た。

 

「…………」

 

 一瞬、場が白けたように沈黙する。想定ではハンドブラスターの奪い合いが起きると思っていた。彼も自身の戦闘技能は相応の自信はあったが相手の伯爵家長子も決して無能ではない。負ける事は無いが相応の修羅場になると考えていたが……。

 

「まさか即抵抗を諦めるとはな……」

 

 流石に少尉も呆けた表情を向ける。一瞬たりとも抵抗する素振りが無かった。少尉がハンドブラスターに手を伸ばした瞬間には既に手を上げていたという有様だ。

 

「OKOK、文明的に話し合おう!酸素残量半分やるからその物騒な玩具さっさと降ろせ!」

 

 慌ててそう叫ぶ伯爵家の長子。しかしそこはこれまでの人生で少なからぬ悪意を受け続けて来たファーレンハイト少尉はすぐさま信じる事は無い。

 

「ほぅ、貴重な酸素を半分渡すと。中尉殿にはこの状況が理解出来ていないようですな。我々は宇宙漂流しているのですよ?」

 

 広大な宇宙で人は極めて小さい存在だ。艦艇のレーダーでも映るか怪しいものだし、そもそも下手すれば高速で移動する軍艦に気付かれずに「轢かれる」事すら有り得るのだ。そのため捜索は極めて慎重に、そしてどれ程時間がかかるか知れたものでは無い。今この場においては僅かな酸素が万金に匹敵する価値があった。

 

「貴方の酸素残量は……六時間ですか、私はせいぜい二時間です。合わせて八時間、しかもそれだけ待って救助が来る保証はない。まして半分渡す?残り三時間の命になって構わないと言う事ですかな?」

 

 正気とは思えない。明らかに出まかせだ。そう言って安心させたところで奇襲する可能性の方が遥かに高い。

 

「待て待て待て!そんなに目をギラつかせるなっ!?マジ怖い!分かったっ!説明する!説明するから!だから殺さないで!私何も悪い事してない!(風の谷風)」

 

 少尉の目付きから本気度を理解したのか亡命貴族は必死に説明を始めた。

 

「あーそうだな、まず一つ、そもそも私はお前さんに勝てない、これが降伏した理由だ」

 

 無重力空間では唯でさえ不得手な上、白兵戦の心得も帝国が上、しかも帝国軍士官学校を上位の成績で卒業した者に勝てる筈がない、と語る。そしてこの場で殺される位ならば降伏した方が生存率は高い、とも。

 

「次、ここで争う事自体が酸素の無駄だ」

 

 戦闘ともなれば酸素も急激に消費する。それどころか酸素タンクの喪失すら有り得る。それならば初めから半分差し出した方がマシだ、と語る。

 

「最後、正直寂しい、一人にしないで」

「おい、最後だけ理由が可笑しいぞ」

 

思わず突っ込みを入れるファーレンハイト少尉。

 

「……いや、これは私も恥ずかしいし、言うべきか迷ったのだが……宇宙怖くね?」

 

 漆黒で音の無い極寒の世界。その中を何時間も一人で漂流するのは恐怖でしかない。二人居れば少なくとも発狂せずにいられる、と言う。

 

「お前さんは兎も角私はマジで一人で漂流は厳しいんだよ。多分お前が起こさずに自分で起きてたらパニックになっていたと思うぞ?」

 

 冗談半分に、しかし半分本気で中尉は語る。そこに嘘はあるようには思えない。

 

「それにお前さんだってどうせ回収されるなら褒美が欲しいだろう?私が殺されたらどうなるか分かるよな?」

 

 人力で移動出来る距離はたかが知れている。双方合わせた酸素残量八時間では幾ら移動しようとも軍艦にとっては十分もせずに移動出来る距離でしかない。そしてこの中尉の死体が見つかれば……。

 

「自分が人質で脅迫の材料と言う訳か」

「御名答」

 

 中尉の表情は一見余裕そうに見えるが、ファーレンハイト少尉には彼が相当緊張しているのが覗えた。

 

(この状況で危険を承知ではったりを言えるのは賞賛してやるべきかな……)

 

 少なくとも本国の大貴族よりは肝が据わっている、と評価する。

 

「成程、一本取られましたか。ですが一つ見落としがありますな?もし救助された後、脅迫された恨みを忘れずにこの事を貴方が話せば私は縛り首です。でしたら同じ事では?」

 

 目を細め、改めて少尉は銃口を向けた。一方、中尉は一瞬肩を竦めつつも、覚悟を決めた表情で答える。

 

「私は卿に命乞いをした」

「……そうですな」

 

少尉は短く答える。

 

「私がその事を口にすれば卿もどうせ死ぬならとその事を叫ぶだろう?当然ながら伯爵が帝国騎士に命乞いなぞ外聞は余り宜しくない。その場で出鱈目扱いしても良いが叫べば幾人もの人物が聞くだろう」

 

 そして人の口を完全に閉じる事は出来ないし、貴族社会では噂はそれが事実でなくとも力を持つものだ。

 

「互いにこの事を口外しない、という事でどうだ?私からすれば最大限の譲歩だが、これで納得してくれないのなら仕方あるまい」

 

 諦めるとも徹底抗戦するとも取れる言い方で言葉を切ると少尉の顔を伺う、或いは値踏みする伯爵家の長子。

 

「信用出来ると?」

「私が自分で口にした事を反故にした事があるかね?」

 

 淀みなく言い返す中尉。ファーレンハイト少尉は暫し沈黙し………最終的に深い溜息をついた。

 

「少し見誤ったかも知れませんな。予想以上に貴方は貴族のようだ」

 

 そう言ってファーレンハイトはハンドブラスターの銃口を降ろす。

 

「おい、それは褒めているのか?貶しているのか?」

「御想像に任せますよ」

 

 少なくとも侮ってはいませんよ、とは口にしない。軍人としては兎も角貴族としては案外狡猾な存在かも知れないとファーレンハイトはふと考えた。

 

 一方、心底安堵した表情を浮かべた中尉は不慣れな手つきで宇宙服の酸素タンクを取り外し始める。

 

「…何をしているんです?」

「契約は遵守するさ。今殺されるよりはマシだからな」

 

 苦笑いを浮かべながらそう言い三時間分の酸素が内蔵されているタンクを慎重に取り外す中尉。その姿を見て複雑そうな表情を浮かべ、少尉は口を開く。

 

「……二時間」

「ん?」

「双方の空気を合わせて等分すれば四時間になります。貴方に先に死なれたら私に報酬がありませんし、それどころか怪しまれる。……それに誇りある帝国騎士が他者より少しでも長く生きようと醜態を晒すような事はしたくない」

 

 その言葉を聞いて、中尉は動きを止め、暫し沈黙してから、厳粛な声で語った。

 

「けどお前全部奪おうとしたじゃん」

「やはり射殺する事にしようか」

「マジ調子に乗ってすみません、御免なさい、許して下さい」

 

 即答で中尉は謝罪した。慌てて話すその姿には先程までの威厳は一ミリも無かった。

 

 何はともあれ、暫くして双方の酸素残量を等分し終える。それを確認した後、ファーレンハイト少尉は手に持つハンドブラスターをティルピッツ中尉に返そうとした。それはある種の信用の証である、が……。

 

「……いや構わん。持っておけ」

「……良いのか?」

「お前さんの方が射撃上手いからな。それに私はヘタレだからいざと言う時に手元が狂いそうだ。たからその時は頼むよ」

「……?どういう事だ?」

 

 話の要領が分からずにそう尋ねると、同盟軍中尉は複雑な口調で答える。

 

「酸欠で死ぬのは苦しいらしいからな、その時が来たら面倒をかけるが最後に頼まれて欲しい。私はビビりだから……上手く撃ち抜いてくれよ?」

 

その表情は強がるような歪んだ笑みであった。

 

 

 

 

 

 

 帝国軍を辛うじて撃退した同盟軍の救助部隊司令部はある種のパニック状態になっていた。

 

「各種レーダーは出力全開だっ!どんな小さな反応でも連絡しろ!」

「速力を上げるな!最低速力でも人間の体は簡単に轢き殺される事を忘れるなよ!」

「ランチとスパルタニアンを全機射出しろ!この付近にいる筈なんだ!何としてでも探せ!」

「工作部隊にデブリを回収させろっ!糞、こんなに塵ばかり漂っていては捜索も出来んっ!!」

 

 同盟軍と亡命軍の救助部隊がデブリ帯の一角に集結して捜索を行っていた。

 

「やばいな……これ見つからなかったら全員減給では済まないぞ?」

 

 救助部隊司令官モンシャルマン大佐は顎髭を撫でながらぼやく。口は軽いがその表情は険しい。

 

 彼とて状況は理解しているし、亡命貴族と亡命帝国人の結束力がどれ程のものか位知っている。下手すれば亡命政府系ロビーが一気に現同盟軍首脳部に敵意を向けかねない。先ほども何と本遠征の亡命軍派遣艦隊の司令官が一介の大佐に無線通信を入れ、念入りに回収対象の保護を申し出ていた(脅迫していたとも言う)。

 

「よりによって捕虜を連れてくるとはなぁ、しかも本人が一番最後とは、もう少し状況と立場を理解して欲しいのだが……」

 

 本人は英雄気取りかも知れないが尻拭いする立場にもなって欲しい。いや、いっそのこと前線に出ないで欲しい。

 

「これ、見つからなかったら全員降格処分ですかねぇ」

 

副官が肩を竦めて口を開く。

 

「リストラかも知れんよ?覚悟する事だな」

 

 冗談とも本気ともつかない口調でモンシャルマン大佐は言い返す。そして暫し沈黙し、ふと思い出したかのように再び口を開く。

 

「先遣隊の回収した友軍と捕虜はどうなっている?」

「事情聴取を行うつもりでしたがこの騒ぎです、現状は待機してもらっています」

 

 副官は淀みなく答える。話によれば丁重に扱うようにと「政治的重要人物」が通達していたために一応礼儀を持って監禁はしているが四肢の拘束はしていないと言う。

 

「不安そうな表情で回収対象の事を尋ねているそうだな。本当に何をしでかしたらあれだけの人数を降伏させられるのだか」

「回収された我が方の中尉はもっと大変でした。パニックになってスパルタニアンに乗って出ようとしましたから」

 

 回収対象が行方不明になったと知らされると動転して艦内を走り抜け、単座式戦闘艇格納庫で乱闘を起こそうとして制圧されたのだ。

 

「確か同じ帝国系だったな」

「御守り、という事でしょうね。我々で降格なりリストラならあれは処刑ですか、そりゃあ捜索しようともしますね、それとも逃亡でしょうか?」

 

 同情半分冗談半分に副官は語る。尤も、処刑については必ずしも冗談とは言えないのだが。

 

「今は落ち着いているようですが、五分毎に捜索状況を尋ねるもので目付役の憲兵もうんざりしているようです」

「随分と精神が不安定のようだな、必要ならば医官も付けてやる事だ。我々の管理下で自殺されたら敵わん」

 

 モンシャルマン大佐はそう注意してから艦橋のメインスクリーンを見据える。

 

「後……持って三時間程度か」

 

 推定される対象の酸素残量から見たタイムリミットを大佐は呟く。最早時間は無い。

 

「各員っ!ここが正念場だっ!危険手当てと残業手当ては弾んでやるから何としても目標を探し出せっ!」

 

 大佐は艦内無線を通じ、傘下の全艦隊の部下を叱咤激励して職務に集中させた。

 

「流石に今更死なれたら寝覚めが悪いからな……」

 

 不満はあるが回収対象は士官学校を出たばかりの新兵であると言う。彼として自身よりも年下の若者を酸欠のまま苦しめて死なせる事を好む訳でもなく、可能であれば助けたい、と考える程度には善良な人物であった。それ故に捜索を急がせる。

 

 尤も、彼が仮に現在の回収対象の状況を知っていればここまで悠長に構えてはいられなかった筈だ。

 

 実際の宇宙服の酸素残量は既に一時間を切っていた……。

 

 

 

 

 

 

 現在時刻5月17日0400時、酸素残量は残り三二分……あ、今三一分になった。さて、そんな絶体絶命の状況で私達が何をしているかと言えば……。

 

「と、言うわけだ。私は散々からかってくれたその帝国騎士の結婚式に乱入して泣きながら恥ずかしい祝辞を読むまで死にたくない」

「はた迷惑以外の何物でもないな」

 

取り敢えず宇宙遊泳しながら現実逃避の雑談していた。

 

 いや、だって!仕方ないだろ!周囲に使えそうなデブリは全く無いのだよっ!ふざけんなよっ!酸素タンクだと思ったら使用済みローションって何だよっ!?何っ!?所有者、軍艦の中で何に使っていたの!?

 

 他にも何度か浮遊物(人間含む)の捜索をしてみたが当然の如く使い物にならないものばかりだった。そして捜索している内にファーレンハイト少尉のバックパックのスラスターの残量が底をついた。え、私の?おう、デブリがぶつかって見事にぶっ壊れてたぜ!

 

「そう自虐する事も無いだろう、バックパックのお陰でデブリの軌道が逸れたのだ。本来なら幸運に分類すべきものだ」

 

 仮にバックパックが無ければそのまま背中の肉が抉れショック死か失血死をしていたのは間違い無い。間違い無いが………。

 

「だがな……正直お前さんも困っているだろう?」

 

 私は少尉の宇宙服と繋がった安全帯を見て勘繰りを入れる。実際私が宇宙遊泳が下手な事もあり、我々が移動するには互いに繋げて行うしかない。そして当然私と共に移動するにはより多くのスラスターが必要だ。

 

「酸素を借りておいて今更その事に文句を言う程私も狭量ではありませんよ」

 

 優美な口調でそう語る少尉、だが流石に彼も眼前に迫る危機の前にはどこかぎこちない表情だった。実際あれこれと手段を講じたが残念ながらどれも徒労に終わり、冗談抜きで打つ手が尽きていた。ははっ、笑えないな。

 

「………あっちではまだドンパチが続いているみたいだな」

 

 そう視線を向ける遥か先では銀色に動き回る小さな星々と、流れ星のように生まれては消えていく光筋、そして色鮮やかな光球がちかちかと輝いていた。イゼルローン要塞、そしてそれを取り巻く艦隊の砲撃戦は我々の存在を気にする事なく続いていた。あの光の嵐の中では毎秒のように何十、何百という人命が失われているのだろう。そう考えると自分達の存在がやけにちっぽけで無価値な物であるように感じられた。

 

「……死は平等、と言う所かな?」

「ロレンハーゲンですかな?相変わらずですが大貴族が言うべき言葉ではありませんな。周囲が皆死んでも自分だけは死なないと思っているのが貴方達でしょうに」

「んな訳あるかよ、お前さんももう散々理解している癖に。こちとら怖がりのびびりの弱虫じゃっ!」

 

 今だって空元気で刻一刻と迫る死の恐怖を誤魔化しているだけだ。糞、何で私がこんな目に……。

 

「そういうお前はどうなんだよ?私と比べ随分と落ち着いているが……」

 

そう語る私に鋭い視線を向ける少尉。

 

「伯爵、私はですね、無論死ぬ事に恐怖が無い訳ではありません。ですが……それ以上に恐ろしい事がある」

「………」

 

 私は口を開かない。ファーレンハイト少尉はそれが続けろ、と言う意味である事を理解して再度口を開く。

 

「私は母に育てられました。善き帝国貴族であるように、善き帝国騎士であるように、と。故に今の境遇も、運命も、無論可能な限りは抗いますがたとえその先に死があろうとも覚悟自体はしております」

 

ですが、と続ける白髪の少尉。

 

「私とて欲が無いとは言いません。可能であれば立身出世を望みますし、高みに登り詰めたいと言う野望があります。それが叶わぬとしてもこのような場所で無為に死にたくはない」

 

口元を引き締めて少尉は続ける。

 

「せめて死ぬならば意義ある死に方をしたいのですよ。堂々と、誇りを持って、何かを成して死にたい。味方を救うのでも良い、敵を討ち果たすのでも良い、主君や貴婦人を守って死ぬなぞ、騎士の誉れでしょうな」

 

冗談めかして彼は笑う。無理をした笑みだった。

 

「このような場所で何も成さず、誰にも知られずに死ぬなぞ、願い下げと言うものです。これでは無駄死にですよ。流石に騎士として育ててくれた母にこのような死に方で会いに行くのは御免です」

 

 鋭い意志を秘めた瞳には、同時に悔しさが含まれていた。

 

「………まぁ、言っても詮無き事ですがね。幾ら演説した所でこの通り、私は一山幾らの少尉で、ここで正に無為に死のうとしている。大言壮語の勘違い野郎と言った所ですな」

 

 肩を竦めて自虐の笑みを浮かべる少尉。その表情には明らかな諦念があった。事実、彼もまた助かるために出来る事を必死に考え、実施し、その全てが徒労となっていた。彼もまた、既に行える事が無い事を理解していたのだ。

 

 ……酸素の残量は既に二〇分を切っていた。周囲には殆んど漂流物はなく、あってもこの場で使い道の無い物ばかりだ。

 

「………まぁ、そう嘆くなよ、強いて言えばいよいよと言う時には憎らしい門閥貴族のボンボンの頭撃ち抜くっていう一生に一度出来るか出来ないかの大イベントがあるんだ、元気だせよ?運が良ければ帝国軍で敵将を討った英雄として死後勲章が貰えるかもだぜ?」

「撃ち抜かれる本人が言っても慰めになりませんよ?」

 

 流石に冗談にしてはセンスが無いためにしかめっ面でそう語るファーレンハイト少尉。

 

「むっ……いや、まぁ……確かに笑えない冗談だけどな。うーむ……………じゃあ………ああ、あった、これならば良いか?」

 

そう言って私はある物を差し出す。

 

「それは……万年筆、ですかな?」

「副長から御返しして頂いた奴だな」

 

それは宇宙服の気密ポーチ内に入れていた万年筆だった。

 

「敵将討ち取りが嫌なら主君の介錯役でもしてくれよ?ほれ、契約書の代わりにこれが証拠代わりだ」

 

 そう言って投げつけた万年筆はゆっくりと少尉の方に行き、受け止められる。

 

「……こんな時でなければ嬉しいのですがね、これでは下町で換金出来ない」

「売るのかよ」

 

思わず突っ込みを入れる。

 

「ふっ、冗談ですよ、私だってそこまで落ちぶれてはいません。有り難く頂きますよ」

 

小さく笑いながら少尉は万年筆を見やる。

 

「つまり、私が主君の最期を看取る役目と言うわけですな?」

「一応、それなりに名誉ある立場だ。文句は言わせんよ?ここまで来た仲としてのサービスだ、不満かね?」

 

 先に楽になるのだ。それくらいの事は弾んでやるつもりだった。どうせあの世には名誉なんて持っていけないしな。

 

 万年筆を十分見た後、少尉は複雑そうな、呆れ果てたような、しかしそれでいて穏やかな表情を浮かべていた。そして私と視線を交じ合わせて、………僅かに笑みを浮かべ口を開く。

 

「……宜しい、本懐だ」

「止めろ、ここに来て更にフラグを積み立てるな」

 

 取り敢えず唯でさえ絶望的なのに更に生存率を下げてくれた臣下に突っ込みを入れる。

 

「何ですかな?私としては心からの本音を口にしただけですが。……ここに来て雰囲気を壊すのは止めて欲しいのですが」

「いや、今のは誰でも突っ込むわ。まさか臣下になった瞬間にフラグを立てるとは思ってなかったよ!」

 

 いきなり主君の生存率をマイナスまで引き下げるとはたまげたなぁ。

 

「ここに来てフラグとは、まだ助かるつもりでいらしたのですか?」

「誰だって出来れば死にたくないからな。無論、ここに至っては神頼みさ。大神オーディンよ照覧あれ、てな。お前さんも祈りまくってくれ、もしお前の祈りが通じて助かったら食客の働きとして特別ボーナス付けてやるから」

「ふっ、中々魅力的な話ですな。宜しい、一回くらいは主君たる若様のために祈りましょうかな?」

「一回かよ」

 

 呆れるように小さく笑う。暫く笑いつつも現実に戻った私は目を細め酸素残量メーターを見やる。既に一〇分を切っていた。

 

「……そろそろ、覚悟を決めんといかんな」

 

 平静な態度を心掛けるが、やはり本心は誤魔化せない。心臓の鼓動が激しくなるのが分かった。

 

「……辛いなぁ」

「……可能な限り即死出来るように善処しますよ」

「いや、お前の腕は心配していない。していないが……」

 

 私はこの場では相応しい話ではないと理解するために言い淀む。

 

「構いませんよ。言ってみて下さい。そうですな、辞世の句とでも言うのですかな?それを聞くのも臣下の役目と言うものですよ」

「どちらかと言えば告解の方が近い気がするがな」

 

そう指摘した後に私は思い残しを語る。

 

「まぁ、両親と叔父には悪い事をしたな、とは思うな。それに従士にも……この遠征の後ちょっと餓鬼の頃の尻拭いしてやる約束をした臣下が居てな、糞、恨まれるなこれは……」

 

知らせを聞いた後の反応を想像すると陰鬱になる。

 

「それに………」

 

 ベアトはどんな反応をするだろうか?一応あの状況では私の指示を受けてのもの、物理的に彼女には責められるべきものはない。そんなに重い罰は無かろうが……。

 

「悪い主人だったな、私は……」

 

 ベアトにとっては問題ばかり持ち込む迷惑この上無い主人だった筈だ。それでもあれだけ尽くしてくれた。くれたのに……頼むから自決しないでくれよ?

 

「なかなか、周囲に慕われているようで」

「家柄のおかげでな。………済まんな」

 

 最後の最後で私の無意味な愚痴に付き合ってくれた少尉に心からの謝意を述べる。気付けば酸素残量はもうすぐ五分を切ろうとしていた。

 

「いえ、構いませんよ。こちらも最後に華を持たせて貰いましたから」

 

 苦笑するように、仕方ない、といった笑みを浮かべる少尉。

 

「そうか、じゃあ……頼むぞ」

 

 酸素残量は三分を切ろうとしていた。正直ベアトや両親、叔父上達には後ろめたさしかないが、実際問題窒息死は相当苦しいし、死んだ後が見苦しすぎる。ぎりぎりまで粘りあれこれと出来そうな事は行ったのだ。これ以上私に何を求める?

 

「主人への最初で最後の奉公がこのようなものである事、御許し下さい」

「構わんよ。……やれ」

 

 流石にその瞬間が来て、少し気負い気味に緊張する少尉。私は最後位威厳を保とうと、相手がやり易いように堂々とした態度で目を閉じる。

 

「……済まない」

 

 小さく、本当に小さく私は誰かとも知れぬ人物に心からの謝罪の言葉を呟いた。込み上げる恐怖を押し殺す。直ぐ……そう直ぐにこのような言葉に出来ぬ感情は消失し、私の意識は永遠の眠りにつく筈で………。

 

 

直ぐに…………………。

 

 

直ぐに…………………。

 

 

直ぐ……に…………………?

 

 

「……んんっ?」

 

 いつまでも私の頭が弾けないので怪訝に感じおずおずと私は目を開く。

 

 目の前の少尉は漆黒の真空空間の一角を驚いた表情で見つめていた。私は釣られるように同じ方向を向く。

 

「あれは……」

 

 弧を描くその光跡が何であるのか、最初に気付いたのは私だった。同時に気が抜けるような、深い安堵の溜息を吐く。

 

「どうやら助かりましたかな?」

 

 少し遅れての食い詰め少尉の声。恐らく私と同じくその光跡の明度と色から推測したのだろう。

 

「スパルタニアン……?はは、助かった……助かったの、か………?」

 

 そうであるならば間違いなく救助用の生命維持用救難セットが完備されている筈だ。当然その中には予備の酸素タンクもある。

 

「良かった……本当に…良かった……!」

 

 私は自身の身体の力が抜けるのを感じた。声は震え、今更のように目元が潤み、頬は紅潮し、息は荒くなる。当然だ、怖かった……本当に怖かった。虚勢を張っていたが本当は泣きじゃくりたかったのだ。文字通り死を覚悟した瞬間に救いの手が来れば誰だってこうなるに決まっている。

 

「……伯爵、これを。もう必要無いでしょうが私が持っていたら後々疑われて面倒ですので」

 

 そう言って少尉が差し出すのは元々私の腰にあったハンドブラスターだ。彼の表情には私と同じ安堵の笑みが映る。私は今度は何の躊躇いもなくそれを受け取ったのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

尚………。

 

「ひゃっほーい!颯爽とヒロインの登場です!ぐへへっ!これで若様の好感度は天井底抜け間違い無し!ささっ、お姉さんの胸に泣きながら飛び込ん……ぐべっ!?」

 

 スパルタニアンの搭乗席が開くと共にそう言い放った准尉の顔面に私はハンドブラスターを投げつけた。

 

「よし、少尉。そいつを搭乗席から引き摺り出せ、押し込めば二人乗れる筈だ」

「いや待て、これ救助部隊ではないのですか?」

 

 淡々とした私の命令に冷静にそう突っ込みを入れる少尉。おい、空気読めよ。

 

「いや、可笑しいですよねっ!?空気読んだ結果どうして幼気で純情な私が宇宙に放り出されるんですか!?」

「幼気で……純情……?」

「あはっ!心の底から衝撃を受けてますよ!」

 

 乾いた笑い声を上げる准尉。普段の態度が態度だからね、仕方ないね。

 

 なんだかんだあって無線で救助のための艦艇を要請した我々は狭い狭いスパルタニアンの搭乗席内部で詰め込まれていた。酸素タンクの新鮮な酸素が美味すぎる!

 

「それはそうと……若様、あれ、拾い物ですか?」

 

 私の宇宙服の傷を確かめていたレーヴェンハルト准尉がぼそりと呟く。宇宙服に備え付けられた無線機による秘匿通信である。当然内容は搭乗席内で酸素タンクからの新鮮な酸素を摂取している帝国軍士官についてだ。

 

「……まぁ、そんな所だ。余り敵意は向けてくれるな、あれにはそれなりに助けられたんだ。因みに言えば食客だ」

 

 尤も、あれは死ぬ直前だから応じたのだから、助かった今となっては心変わりしているかも知れないけど。……まぁ、最悪コネ作り出来たと思って諦めるさ。

 

「貴重な酸素を取られても、ですか?」

 

 私の言に、にこにことした表情で、しかし片目を閉じて意味深げに尋ねる准尉。……相変わらず気味が悪いくらいに勘の良いパイロットだ。

 

「……黙っておいてくれない?」

 

恐らく誤魔化しが利かないので私は素直にお願いする。

 

「…………はぁ、仕方ありませんねぇ。従士の身としてはお願いされたら断れませんよぅ?」

「迷惑をかけるな」

「いえいえお気になさらず。………それに二人の共通の秘密と聞くとぞくぞくしてきますしね!!」

「今お前に謝意を述べた事に滅茶苦茶後悔したよ」

 

 涎垂らしながら鼻息を荒くする准尉を見て私は虚無の目でそう呟く。

 

「まぁまぁ、そう言わずに……そうだ、ベアトちゃんが心配していましたからその辺り後で慰めて上げて下さいな」

 

 思い出したかのようにそう付け加える准尉。その名前で私は再び表情を強張らせる。

 

「私の指示で離れていた訳だから立場が悪くなる事は無いだろうが……」

「ケッテラー大将とヴァイマール少将も実家にはまだ御伝えしていないので今なら誤魔化せると思いますけど……ケッテラー大将なぞは懇願してでも揉み消して欲しいでしょうし」

 

 遠縁であり、父の目付け役のようなヴァイマール少将は私(と父)の意を汲んでくれるだろうし、ケッテラー大将は一族の当主(代理)の意向もあって此度の災難について可能な限り大事として母に伝えられたくないだろう。それに同盟軍所属の叔父の進退にも関わる。事実を事実として知らせても全員が不幸になるだけなので口裏を合わせれば誤魔化せる筈だ。寧ろ被害者の私が今回の騒動をどう始末するのかの主導権を握っていた。

 

「帰りは口裏合わせで忙しくなりそうだな」

「あの~良いですか?」

「……凄く嫌な予感がするが一応尋ねる。何だよ?」

「どうせなら今回の救助について御褒美を貰っても良いと思うんですよ~」

 

 そう言って気味の悪い笑みを浮かべて胡麻擦りする准尉。

 

「そうです!どうせ帰りはシャトルでの行き来を何度もする事になるでしょうしぃ、若様のシャトルのパイロットを志願したいなぁー、と。……駄目ですか?」

 

 御機嫌伺いするようにこちらを見やる准尉。私はその准尉のにやにやする姿に暫し葛藤するが……。

 

「…………わかっ…た」

「うっしゃゃゃゃゃ!!!」

 

 絞り出すような私の返答と裏腹に男のように大声で歓声を上げる従士。うん、信賞必罰だからね、好悪に関わらず働きには褒賞がいるからね?うん、帰りの旅は苦行だけど頑張る。

 

 そんな風に死んだ魚の目で私が下らない覚悟を決めた次の瞬間だった。……漆黒の宇宙が輝いたのは。

 

「なっ……!?」

「若様っ……!」

 

殆ど咄嗟に従士が私を光から庇うように抱きしめる。

 

 当初私は、付近に敵がいてその攻撃を受けたのかと考えた。実際はある意味それ以上の衝撃だった。

 

 闇の世界に光の柱が輝いていた。主戦場から離れているためここから見えるイゼルローン要塞の姿は小さかった。それでもその光の光条は異様なまでにはっきりと視認出来た。直径数キロから数十キロの光はその本質を理解しつつも神々しさすら感じられた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 見ればファーレンハイト少尉は恐らくその光の破壊力に衝撃を受けているようだった。その視線をレーヴェンハルト准尉に向ける。すぐ目の前から見えるそれは普段の雰囲気は微塵もなく、険しい、敵意を露わにしたそれであった。

 

 気付けばスパルタニアンの無線からは幾つもの救援要請や悲鳴が響き渡っていた。その内の一つ、駆逐艦「ジャーヴィス」からのそれに准尉は周波数を合わせる。

 

『こちら特別救難部隊所属、同盟軍駆逐艦「ジャーヴィス」だ……!たった今総司令部より全部隊に通達が入った!全軍撤退だっ!本艦も貴官達の回収ののち急いで現宙域を離脱する!直ちに収容準備に入られたし!繰り返す、直ちに収容準備に入られたし!』

 

 オペレーターの声は明らかに上ずっていた。そしてそれは恐らく同盟軍全軍の心情と同じであった。一刻も早くこの場から逃げ出したい、その意思がありありと分かった。

 

「了解しました。……若様、着艦準備に入ります。多少Gがかかりますので御注意下さい」

 

 淡々とそう注意を口にする准尉に、今度は私も静かに頷いた。

 

 宇宙暦785年5月17日、0510時、第四次イゼルローン要塞攻防戦は同盟軍の全面撤退により終結した。同盟軍にとって通算四度目の敗北であった。

 

 




原作や考察サイトを読んでみると
・カウフが一発逆転したのは約半世紀前の某侯爵の反乱
・ヴァレンシュタイン公爵の反乱は原作の約60年前(宇宙暦730年代?)
・730年マフェアの台頭は宇宙暦740年頃(原作の約50年前)
・第二次ティアマト会戦は745年
・この時代の皇帝はコルネリアス二世の可能性が大(オトフリートが一世紀前の人物?某サイトでも計算が合わないって言っているからね、仕方ないね)
・コルネリアス二世の即位にはアルベルト大公の失踪等疑惑がある
・晩年には偽アルベルト大公事件発生
・次皇帝は毒殺を恐れて餓死したオトフリート三世
との事。

……きっとコルネリアス二世は(一世と同じ名前のせいで)同盟130億人から呪いの儀式の対象にされていたに違いない


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第九十五話 油断大敵、はっきり分かんだね

主人公は出ません、主人公が楽しい宇宙遊泳していた間の戦闘についてです


 時は少し巻き戻る。5月16日2200時頃、同盟軍第二・第三艦隊は帝国軍と一応の距離を置く事に成功していた。後は第二猟騎兵艦隊を半包囲状態においている第一一艦隊が後退出来れば撤収作戦は成功と言えよう。

 

 事実、撤収作戦の殿を受け持つ第一一艦隊は遠征軍総司令部や亡命軍より戦力と物資の抽出を受けてその戦闘効率は飛躍的に向上していた。このまま行けば同盟軍は「雷神の槌」の洗礼を受ける事なく全面撤退する事も不可能ではなかった。

 

 しかし、5月16日2245時頃、状況は暗転する。この時同盟軍は通信妨害とレーダーの攪乱と言った情報不足の中にあっても帝国軍の意図に気付く事に成功していた。

 

「奴らの狙いは第一一艦隊の後背を遮断する事だ……!」

 

 要塞駐留艦隊は第三艦隊が撤収した宙域を先頭とした雁行ともいうべき斜線陣を敷きながら前進していた。そして偵察部隊による強行偵察の結果、その後方では第四弓騎兵艦隊が隠れるように展開していたのが発見されたのだ。そしてこれら戦闘艇部隊の多くは長距離レーザー砲を装備した砲艇部隊であり、その進行方向は第一一艦隊の後背であった。

 

「機動力と砲戦能力、そして隠密性に優れた砲艇部隊を以て第一一艦隊の側面に十字砲火点を敷くつもりなのでしょう。このままでは後方に下がれなくなった第一一艦隊は前方の第二猟騎兵艦隊、そして回廊危険宙域に挟まれ孤立、殲滅の危険性もあります」

 

 遠征軍総参謀長ゴロドフ大将は帝国軍の狙いを乏しい情報からすぐさま見抜いた。

 

「第二艦隊……では間に合わんの。第三艦隊に突入を命じよ、帝国軍は斜線陣を敷いておる。半包囲には時間がかかろう、薄い陣形を突破してその先の戦闘艇部隊の横腹を突くのじゃ」

 

 ブランシャール元帥の命令に従い後退しつつあった第三艦隊はすぐさま前進を開始する。

 

「全艦、密集隊形!戦艦部隊を前に!正面から受け止める!」

 

 要塞駐留艦隊司令官ブランデンブルク大将の命令に従い神聖不可侵の帝国本土を守る精鋭は迅速に隊列を変更、エネルギー中和磁場を全開にして展開した戦艦が第三艦隊の一斉射を受け止める。その最前列には旗艦「アールヴァク」の姿もあった。両脇に盾艦を侍らせた旗艦の姿に前線部隊の士気は上がる。

 

「各艦傾聴、この戦いが本会戦の分水嶺である、全艦一糸の乱れなく我が命令を遂行せよ!特別の武功を上げた者は私より勲章と報酬の推薦をする事を約束しよう。諸君、命を惜しむな!」

 

 その宣言と共に要塞駐留艦隊は一層激しく砲撃を行い始める。斜線陣による戦力分散により要塞駐留艦隊は第三艦隊に比べて火力で不利でありながらも練度と士気により一時的であれ互角に近い戦いを繰り広げる。

 

「気圧されるな!火線を調整して戦列を乱れさせるのだ!急げ!」

 

 ヴァンデグリフト中将は帝国軍の戦列に叩きつける火力に敢えて部分的に強弱をつける。これを不規則に変更する事でそれに合わせて戦列をシフトする帝国軍の陣形に混乱を生じさせた。

 

 流石に帝国軍の精鋭艦隊とはいえ、火力の不利をいつまでも誤魔化す事は出来ない。最前列では次々と戦艦が撃破されていく。

 

 遂には旗艦「アールヴァク」にも砲火が襲い掛かる。無論、それらの砲撃は艦のエネルギー中和磁場により弾かれる。

 

 しかし、通常の三倍のエネルギー中和磁場と一・五倍の装甲厚、二・五倍の防空能力を有する旗艦級大型戦艦といえどもいつまで激しい砲火を前に持つか分からなかった。

 

 「はははっ!全艦続け!止まるなよっ!?足を止める馬鹿は死ぬぞ!!」

 

 そこに第三艦隊の最前衛を受け持つ第94戦隊が要塞駐留艦隊の戦列に躍り込む。キャボット准将の乗り込む旗艦「アウゲイアス」を先頭に正面突破を図るのだ。

 

 帝国軍は小癪な反乱軍に砲火を集中させようとするが第94戦隊は無人の野を駆けるが如く砲撃を受け流しながら突き進む。相変わらずの命知らずの吶喊の前に帝国軍は照準を合わせる前に撃破されていく。

 

「提督!要塞駐留艦隊の旗艦「アールヴァク」を捕捉致しました!」

「良くやった……!」

 

 2335時、日付が変わろうという時に「アウゲイアス」のオペレーターからの報告にキャボット准将は歓喜の声を上げる。ここで敵旗艦を撃沈すれば帝国軍の指揮系統は混乱し、劣勢な戦局は一気に逆転する可能性があった、いや撃沈出来なくても損傷させるだけでも十分な効果はある筈だ。

 

 第94戦隊の猛攻を前に二隻の盾艦が「アールヴァク」を守るように前進した。旗艦に襲い掛かる砲火から彼らは文字通り身を挺して庇う。

 

 同盟にて帝国貴族の非人道性の象徴として扱われる盾艦は、しかし帝国社会においては名誉と羨望の象徴でもあった。

 

 基本的に大貴族が自腹で艦の建造費と乗員を用意し、常に主人の傍に侍る盾艦はその気になれば装備する防空レーザー砲で主人が座乗する艦を撃沈する事も可能である。そのため基本的に乗員は主人から厚い信頼を得ている臣下達に限定され、また乗員の給与や各種手当、福利厚生、遺族年金は通常艦艇の乗員よりも遥かに厚い。

 

 また艦自体の武装は誘爆の可能性が少ない防空用レーザー砲に限定され、その分のエネルギーを中和磁場発生装置に振り当てられた結果その出力は標準型戦艦の倍、また対ビームコーティングと複合装甲も通常艦艇のそれよりも強固、何よりも余程の事が無ければ最前線に出る事が無く実際の生存率は通常艦艇よりも寧ろ高いと言えた。

 

 無論、だからと言って盾艦の存在は張り子の虎と言う訳ではない。主人と体制に対して絶対の忠誠心を持つ貴族主義者達が搭乗する盾艦は文字通りその時が来れば盾としてその役目を全うする。更にはその内部にはチャフフレア機能も兼ねたゼッフル粒子発生装置が内蔵されており、場合によっては自爆して敵部隊の索敵機能を一時的に無力化、主人の座乗艦の脱出を支援する設計思想となっている。その異様なまでの献身は同盟人にとっては狂気そのものであり、嫌悪の対象とするに十分であった。

 

 盾艦は強力な中和磁場でエネルギーの奔流をはじき返し、襲い掛かる対艦ミサイルを側面に装備された特注の高性能防空レーザーシステムで迎撃する。

 

「逃がすな!追え!」

「貴族めっ……!逃げるな!」

 

 機動力に勝る駆逐艦が最大戦速で攻撃を加える。艦首の光子レーザーを斉射しながら対艦ミサイルをばら撒く。それらを迎撃するのは盾艦「シュヴァンデン」は低出力の防空レーザーを巧みに駆使して駆逐艦に擦れ違い様に近接攻撃を加え先頭の一隻を大破に追い込む。だが次の瞬間に三隻の巡航艦の一斉攻撃を受け、その攻撃は中和磁場の障壁を貫通し「シュヴァンデン」の装甲を引き裂いた。

 

「ぐぉっ……おのれ叛徒共………唯では終わらんぞ!」

 

「シュヴァンデン」艦長ルスドルフ大佐は燃え盛る艦橋内で命じる。同時に艦内タンクの化学物質が急速に化合されゼッフル粒子が生成される。

 

「不味い!散開しろっ!気狂いの自殺に巻き込まれるぞ!」

 

同盟軍は盾艦に砲火を集中させつつ散開行動に移る。だが盾艦は傷ついた船体で砲火を掻い潜る。

 

「我らが主君ブランデンブルク伯エヴァルト様に大神オーディンの加護あれかし!総員、敬礼!!」

 

生存する乗員が一斉に主君の乗り込む「アールヴァク」に最敬礼を取った。

 

 同時に自爆して小太陽と化した盾艦、その爆発の衝撃に数隻の同盟艦艇が巻き込まれ、爆発と同時に生まれた電磁波と光の前に最前衛に展開する部隊は一時的に「アールヴァク」の索敵と精密な砲撃が困難となる。

 

 続けてその爆発を突き抜けて「アールヴァク」に迫る同盟軍駆逐艦「フレッシャー」を盾艦「エスターライヒ」が艦首の衝角で横腹から殴りつける。「フレッシャー」を真っ二つにした「エスターライヒ」はそのまま巡航艦「カンダハール」の旗艦に向けた砲撃を自身の船体を叩き込む事で阻止した。

 

「糞っ、カルト共め……!」

「馬鹿!よせ!」

 

「カンダハール」の砲手の一人が中性子ビームを近距離から盾艦に撃ち込んだ。だがそれは悪手だった。内部のゼッフル粒子に引火した「エスターライヒ」は「カンダハール」のみならずその周辺の同盟軍艦艇も巻き添えにして吹き飛んだ。

 

 二隻の盾艦の犠牲を前に「アールヴァク」は悠然と後退し、その狂気に近い行動を前に第94戦隊を始めとした同盟軍部隊の士気は低下してその動きは精彩を欠き始める。

 

 それでも第三艦隊の後続部隊は第94戦隊の切り開いた血路に殺到して日付が変わり0100時には遂に要塞駐留艦隊の陣形を突破した。そして……正に「雷神の槌」を撃ち込もうとするイゼルローン要塞の姿を正面に捉えた。

 

「強力なエネルギー反応確認……!これは……『雷神の槌』……!」

 

 第三艦隊旗艦「モンテローザ」のオペレーターが悲鳴を上げるように報告する。と同時に「モンテローザ」のメインスクリーンは光に満たされる。

 

 だが、その事に対してヴァンデグリフト中将は怯える事は無かった。当然だ、何故なら第三艦隊は要塞主砲の射程に侵入していないのだから。

 

 光の柱はしかし第三艦隊の最前列に届く前にエネルギーを拡散させ無力化される。どのような強力な兵器であろうとも届かなければ何らの脅威にはなり得ない。そう、物理的には。

 

「っ……!止まるな!射程外だぞっ!怯えるなっ!」

 

 その意図を察した第三艦隊参謀長ロウマン少将が無線越しに艦隊を叱責した。

 

「一本取られたな……!」

 

 ヴァンデグリフト中将は思わず苦虫を噛む。

 

 そう物理的には要塞主砲は第三艦隊には届かない。だがだからと言って兵士達の恐怖が収まる訳ではないのだ。唯でさえ狂信的な盾艦の所業をその目で見た直後、今度は目の前で要塞主砲を撃ち込まれた兵士達は殆ど条件反射で体を竦ませ、その動きを一時的に停止させた。いや、兵士達だけではない、艦長や提督と言った者達でさえ、思わず艦を止め、あるいは隊列を乱してしまった。

 

 第三艦隊の過半の部隊が足を止めてしまい、それは戦いにおいて致命的であった。

 

「全艦砲撃開始!」

 

 ブランデンブルク大将の命令と同時に左右からの砲撃が第三艦隊を襲う。第三艦隊の砲撃を受け止めつつ中央部を後退させ、要塞駐留艦隊は少しずつ第三艦隊を半包囲下に置きつつあった。そして中央突破をされたと同時に同盟軍の両翼に展開した要塞駐留艦隊が苛烈な報復を行ったのだ。

 

「ファイエル」

 

 そう命じたのはメルカッツ中将であった。同時に第一一艦隊の後方を遮断するために移動しているように見えた第四弓騎兵艦隊は反転して第三艦隊の正面に展開すると待ってましたとばかりに砲撃を開始する。正面と左右からの砲撃を前に第三艦隊は瞬く間に数百隻を喪失した。

 

「隊列を立て直すぞ!大型艦は左右に展開し盾となれ!駆逐艦群を正面に展開!近接戦闘に持ち込ませるな!」

 

 遠征前に比べて二キロ体重が減少した航海参謀ロボス少将はただちに陣形を適切にシフトさせた。密集した防御陣形を形成しその損害率を瞬く間に減少させた。

 

 更に遠征軍総司令部もこれに呼応する。後退していた第二艦隊が第三・一一艦隊の間にねじ込まれる。要塞駐留艦隊右翼をそのまま第二猟騎兵艦隊の展開する宙域に押し込んだ。

 

 これにより第三艦隊は危機を脱する事に成功する。しかし………。

 

「何て事だ、こんな狭い戦域に敵味方が密集するとは……!」

 

 ワイドボーン中将が舌打ちする。戦況は混沌の色を深めていた。双方が緩やかなS字型の陣形で相手に張り付き、その両端、第三艦隊は第四弓騎兵艦隊主力と要塞駐留艦隊左翼に、第二猟騎兵艦隊は第一一艦隊にそれぞれ半包囲され、中央では第二艦隊が要塞駐留艦隊右翼と第四弓騎兵艦隊の一部と正面から砲戦を演じる。

 

「不味いのぉ、前線が釘付けにされてしまった」

 

 遠征軍旗艦「アイアース」艦橋で細く、乾いた手で白い髭を撫でるブランシャール元帥は困ったように呟く。唯でさえ物資が欠乏気味の同盟軍にこれ以上の消耗戦は下策であり、状況は決して宜しくない、ないのだがこの老元帥が口を開くと深刻な問題でもどこか老人のぼやきに思えてしまう。

 

 だが、逆に元帥の場違いなこの口調が艦橋内の重苦しい空気を緩和し、参謀達を落ちつかせる意外な効果を発揮していた。尤も、参謀達の大半はその事実を否定するであろうが……。

 

「ふむ……ゴロドフ参謀長、第一一艦隊を以て帝国軍右翼を中央に押し込む事は可能かね?」

 

 戦況スクリーンを見やる元帥は尋ねる。すぐさま作戦参謀グリーンヒル少将、後方参謀ホーウッド准将、航海参謀キングストン准将等と相談したゴロドフ大将は頷いた。それは肯定のサインだった。

 

 0245時頃、同盟軍は再び反撃に移る。側面から砲撃を実施していた第一一艦隊第三・第四分艦隊及び第五機動戦闘団が前進し第二猟騎兵艦隊を中央へと押し込み始めた。

 

「よし、今だっ!全艦斉射三連!一気に叩きこめっ!」

 

 帝国軍の隊列の乱れを狙いラップ中将は全面攻勢を仕掛ける。正面を主力が担い、横から一気に殴りかかる。所謂典型的な「槌と金床」戦術であるが、無論教科書通りに行えば誰でも成功する訳ではない。ラップ中将の予備戦力投入のタイミングと崩れた帝国軍の戦列の隙を逃さずに拡大させた第一一艦隊の機動力、フェルナンデス少将による艦隊の陣形変換の適切な指示があってこそだ。

 

 0330時まで同盟軍は優勢を維持する、が同盟軍の物資不足がここに来て顕著となる。日用品は兎も角、弾薬の供給が追い付かず、酷使を重ねた各種装備の故障や誤作動の発生率が加速度的に上昇する。

 

 遠征軍司令部は迅速な撤収が必要と決断した。帝国軍の迫撃を抑えつつ損傷艦艇を優先して後退を実施させる。

 

 だが、そこに決定的な隙が生まれた。

 

 0420時、第一一艦隊は8時方向から思いがけない攻撃を受けた。

 

「どこからの攻撃だっ!?」

 

 事前に要塞駐留艦隊より引き抜かれて第二猟騎兵艦隊に移籍していたヴァルテンベルク中将率いる第Ⅱ梯団は、しかし戦闘に参加せずに要塞の影をしつつ捻じれた回廊の危険宙域の影に潜んでいた。要塞側からは視認出来るが同盟軍からは死角となる宙域に展開していた帝国軍は同盟軍に対して完全な奇襲を加えた。

 

「落ち着け、敵は寡兵、たかだか一個分艦隊に過ぎん。一隻一隻撃破していけばよい!」

 

 ラップ中将の命令は正しく正確だ。しかし……。

 

「何をしているのだっ!散開するな!密集体形を取れ!」

 

 メインスクリーンを見つめるフェルナンデス少将は叫んだ。第一一艦隊の動きは醜悪であった。

 

 司令部の命令自体は適切な内容であった。しかし反撃する第一一艦隊は奇襲に加え元々疲労困憊でありその動きは精彩を欠く。そうなると衝突に注意しなければならない密集体形を取るのは困難になり、戦列はどうしても各艦が間隔を広めに取ろうとしてしまう。

 

 そこに図ったように猛将ヴァルテンベルク中将の集中砲撃が襲い掛かり第一一艦隊は寡兵に押し込まれ戦列は緩やかに崩れ出す。それどころかその混乱はすぐ近くに陣取る第二艦隊にまで波及する。そして……。

 

「不味い!このままではっ……!」

 

 メインスクリーンに映る戦況を見つめ参謀達がどよめく。帝国軍の圧迫を前に遂に第一一艦隊と第二艦隊は戦列を崩壊させつつその射程内に押し込まれる事になった。

 

 同時に同じく射程内にあった第四弓騎兵艦隊が後退を始める。それが意図する事が分からぬ程彼らも無能ではない。

 

「要塞表面、異変!」

 

 0455時、遠征軍旗艦「アイアース」の索敵オペレーターが強張った口調で口を開いた。その声に艦橋に詰める将兵が、いや四〇〇万を超える同盟軍兵士達がイゼルローン要塞の外壁を注視した。同時に全ての艦艇が要塞から距離を取り始める。

 

「最後尾は間に合わぬか………」

 

 オペレーター達が必死に各方面に退避命令を伝える中、老元帥は誰にも聞こえないような小さな声で無念そうにそう独白していた。

 

 一方同時刻、それ自体がモジュール化しており三重の複合装甲に守られた要塞防衛司令部では総勢一〇〇名を超えるオペレーターが各部署からの情報を受け取り、あるいは通達していた。

 

「『雷神の槌』エネルギー充填率九八……九九……一〇〇%、臨界点に到達」

「主砲仰角調整、銀河基準面に対して三四度の地点で固定、エネルギー拡散率は七五%に設定完了」

「主砲射線上の友軍部隊の撤収を確認致しました」

「全要塞要員に通達、主砲発射に際しての衝撃に備えよ」

「主砲管制室より連絡、要塞主砲に関わる全システムオールグリーン、主砲発射許可を要塞防衛司令部に移管するとの事です」

 

 要塞防衛司令官グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー大将は要塞防衛司令官用の椅子に深く座り込み、正面の巨大なメインスクリーンを睨みつける。モスグリーンに塗装された艦艇の群れに最早秩序はなく、一ミリでも要塞から遠くに離れようと唯々逃げ惑っていた。

 

 その一角に照準が定まる。要塞防衛司令部に詰めるオペレーターやスタッフ、参謀達の視線が次の瞬間ミュッケンベルガー大将に集中した。命令を待っているのだ。

 

 そしてそれに答えるようにミュッケンベルガー大将は鷹揚に頷き、鋭い表情でメインスクリーン上の敵艦隊を射抜き……手を振り下ろした。

 

「『雷神の槌』、発射せよ!」

 

 

 

 

 

 

「要塞表面エネルギー反応急激に増大!」

 

 第一一艦隊旗艦「ドラケンスバーグ」でも異変は当然のように察知されていた。艦橋に詰める参謀やオペレーターがどよめきながらメインスクリーンを見つめる。

 

「全艦散開しつつ急速後退せよ!的を絞らせるな!対艦ミサイル一斉射!!帝国軍の迫撃を許すな……!要塞砲の狙いは何処だっ!?」

 

 ジャスティン・ロベール・ラップ中将は咄嗟に必要な指示を飛ばす。尤もその命令がどこまで遵守されるか怪しいものであったが。既に周囲には命令など耳に入らないとでも言うように各艦がエンジン出力を全開にして一刻も早く主砲射程外へと避難しようと先を争っていた。焦る余りに衝突する艦艇まで出ていた。

 

 無論、艦橋にて業務をしていたコーデリア・ドリンカー・コープ中尉もまた今まさに発射されようとしていた破壊の光の前にその手を止めていた。気丈な態度を取ろうとしても無駄であった。手は止まり、目を見開き、口元は震え、その表情から血の気は引いていた。

 

 コープは咄嗟に横にいる同僚に視線を向けた。ウィレム・ホーランド中尉はコープに比べれば幾分か落ち着いていた。コープと違い初の実戦という訳でもなく、死の危険が迫った事も無い訳ではない。寧ろ怯えるどころか険しく、そして鋭く要塞を睨み返していた。コープはその姿に極自然に安心感を覚えた。

 

「で、出ました……!推定照準範囲宙域、3‐5‐6、4‐9‐2、7‐6‐7、3‐6‐3、5‐7‐7……!」

 

 オペレーターが主砲の仰角から鉄槌の下されるであろう宙域を計算し報告する。

 

「至近かっ……!当該宙域の艦艇は最大戦速で退避せよ!核融合炉が暴走しても構わん!何としても射線から抜け出せ!!」

「総員掴まれ!本艦も退避行動を取るぞ!」

 

 ラップ中将の命令に続けて「ドラケンスバーグ」艦長クリングウッド大佐が怒声で全乗員に通達する。同時に「ドラケンスバーグ」は急激に進路変更を行い出した。慣性制御技術でも殺し切れない遠心力がかかり、船体に僅かに軋みが生じ、多くの乗員が悲鳴を上げながら近場の物で体を固定する。

 

「きゃっ……!?」

 

 コープもまた多くの乗員と同様、その揺れに体のバランスを崩し、デスクを掴み体を固定する。余りに荒すぎる操舵は、しかしその艦長の咄嗟の決断が正しかった事はすぐに証明された。

 

「エネルギー波、来ます……!!」

 

 オペレーターの叫びと同時だった。メインスクリーン一杯に光が満ちた。

 

「ひっ……!?」

 

 身を竦ませてコープはそれを見た。要塞表面より生じたエネルギーの奔流は一つの柱となった。

 

 射線内の艦艇群は最後の悪あがきにエネルギー中和磁場発生装置の出力を全開にして後方に展開する。だが全ては無意味だ。

 

 艦隊の最後尾にあった戦艦「アガメムノン」がその最初の犠牲者だった。彼女が展開した中和磁場はコンマ数秒のうちに無力化された。莫大なエネルギーの濁流が一瞬のうちに中和磁場を飽和させたのだ。

 

 押し寄せる熱量を次いで三重コーティングされた対ビームコーティングが受け止め……瞬時に蒸発した。五重重ねの複合装甲は数千万度の熱の前にオレンジ色となり、次いで赤く焼け焦げ、液化するより早く気化する運命を辿った。内在する酸素は燃焼し、有機物は原子に分解された。

 

 それはある意味幸運な事であった。彼らは痛みを感じる猶予も、何が起きたのか理解する暇も無かったのだから。

 

 不運な運命を辿った艦艇の一例は巡航艦「ランカシャー」であった。射線ぎりぎりの座標にあった彼女は最大出力で展開した中和磁場によりぎりぎり艦が原子崩壊する運命から逃れる事が出来た。

 

 だが余りに至近から浴びた熱量の前に装甲は焼け焦げ、酸素は燃焼し、中の乗員はある者は防火性能のある軍服が肉体ごと発火し人間松明となった。ある者は溶けた船体と皮膚が焼け爛れながら結合し、またある者は肺を焼き血液を沸騰させる運命を辿った。いっそそのまま爆散出来れば彼らはこの苦痛から迅速に開放された事であろうが、乗員の生存率を一%でも向上させるため徹底的にダメージコントロールの為された船体の構造がそれを許す事は無かった。

 

 巨大なエネルギーの柱は拡散しつつも数百隻を超える艦艇を眩い光の中に飲み込んだ。鋼鉄の塊は原子へ分解され、次々と小太陽が生み出され、無数の生命を虚無へと還元した。「雷神の槌」、正にその名の通り神の一撃と言うに相応しい。

 

 だが、仮に遠方からそれを見た者はそれを別の物に表現するかも知れない。黄金に輝く幹に、拡散するエネルギーは枝木に見え、爆発の光は虹色に輝く葉か実にも見えただろう。同盟では敢えて無視されているが要塞の要塞主砲「雷神の槌」は別名「ラインの黄金樹」とも呼ばれていた。

 

「ドラケンスバーグ」は光の柱をほんの数キロ真横に拝む事が出来る位置にあった。凄まじいエネルギーの嵐が一キロを超える船体を激しく揺さぶり、その熱エネルギーが複合装甲の第一層を蒸発させ、第二層を焼き、第三層でようやく止まった。艦橋では天井の照明が割れ、端末から火花が散り、スクリーンの一部が罅割れ、乗員が泣き声に近い悲鳴を上げる。地震のような揺れは、人類が地球のみに居住していた時代ならばまだ耐性がある者も多かろうが宇宙暦8世紀は違う。地殻が不安定な地域に態々住む物好きなぞ滅多にいないのでその衝撃はひとしおだ。

 

 だが、それだけだった。ラップ中将も、クリングウッド艦長もその被害が艦隊指揮の面でも艦の航行の面でも重大な問題となり得ない事を理解していた。それ故に悠然、とはいかないまでも大多数の乗員と違い絶望に表情を歪ませる事も、情けなく泣き叫ぶ事も無かった。

 

「きゃっ……!?」

 

 当然のようにコープも艦橋にいた者達の多数派に漏れずに腰を抜かし、座り込んだ姿勢で涙目で頭を両手で押さえ身を守る。そして運悪くそんな彼女の頭上で照明が割れ、砕けた硝子片がコープに襲い掛かった。

 

「………!?」

 

 咄嗟の事でコープは動く事も出来ない。このままでは上から降りかかる透明な刃が彼女を傷つけるだろう、安全硝子製ではあってもこの高さなら切り傷程度ならば出来るに違いない。

 

「伏せろっ……!」

 

 殆ど反射的な動きだった。すぐ傍にいたホーランドがコープに覆いかぶさるように盾になる。

 

「っ………!」

 

 防刃繊維製の上着のお陰でホーランドの体は守られるが、頭はそうはいかない。ベレー帽で急所を守るが額や首の一部が硝子片で切れ、血が流れる。

 

「あっ……」

「思いのほか切れたな……。どうした?コープ、そちらは大事ないか?」

 

 どくどくと流れる額の血を手で拭い、ホーランドは茫然と自身を見やるコープに心底怪訝そうな表情で見やる。その声にはっと我に返ったコープはあうあうと言葉にならない事を呟き、最後に絞り出すように言う。

 

「えっと……ありがとう?」

「?ああ、別に構わん」

 

 本当に大した事が無いようにホーランドは答える。実際彼にとっては同僚に対する純粋な善意以上のは無かったのだろう、その意思が伝わり、かすかに不機嫌そうな表情を浮かべる。

 

「って、そうじゃないわっ!早く手当をしないと……!」

 

 艦内の震動が止むと、元々頭の回転が悪くないコープは思い出したかのように傷の手当をすべく立ち上がり……。

 

ぺちゃ……。

 

「…………」

 

 嫌な感触がして、コープは足元を見やる。床には生温かい水溜まりが出来ていて、自身の穿くズボンもまた完全に濡れていた。

 

「ドラケンスバーグ」の一角でアンモニアの臭いと女性の悲鳴が聞こえたが、ラップ中将は特に関心を示さなかった。「雷神の槌」が発射されると恐怖のあまりに失禁する者は決して少なくないのだから。実際艦橋内ではほかにも粗相をしでかした者は幾らでもいて、その中には古参兵すら混じっていた。事実探せば艦内がアンモニア臭に満ちた艦なぞダース単位で見つかるだろう。いちいち反応するべき事でもない。

 

 それ以上に重要なのは状況把握だった。

 

「R-3、R-7、R-16防空レーザー砲塔通信途絶、C3ブロック負傷者二名、E7ブロック予備電源喪失……」

「第247戦隊旗艦「トランスヴァール」通信途絶!第415戦艦群旗艦「ローデシア」の撃沈を確認……!」

「第1013、1078駆逐艦群は全滅、第689巡航艦群、レーダー反応消失……!」

「第278戦隊より入電です。旗艦「キングプロテア」撃沈、司令部は全滅したために副司令官トラーディ大佐が指揮を代行するとの事です」

 

 砲撃は第一一艦隊の最後尾と第二艦隊の一部を狙い撃ちしたものであった。幸運な事に艦隊の大半は射程圏外に脱出する事が出来たために消滅した艦艇は多く見積もっても一〇〇〇隻を超える事は無いであろう。

 

 だが、その被害は遠征開始から今日までに同盟軍が受けた損失の二割から三割に及ぶ。一か月以上かけて蓄積された損失の二割から三割である、決して軽い損害では無かった。

 

 その上、第二撃の攻撃は無くとも既に同盟軍の士気は地に落ち、陣形は崩壊寸前、最早同盟軍に継戦するだけの力は残っていなかった。

 

「……全艦、撤退せよ」

 

 ラップ中将はそう命令する以外の選択肢はなかった。それは総司令部も同様だ。

 

「………最後の最後でしくじったの」

 

 総旗艦「アイアース」の艦橋でブランシャール元帥は無念そうな表情で椅子に腰かける。

 

「はい、真に残念です」

 

 傍らに控えるゴロドフ大将も心底無念そうに返答した。

 

「……じゃが項垂れる訳にはいかんのぅ。……ふむ、第一一艦隊、第二艦隊、第三艦隊の順で撤退準備に入らせようかの。殿は第五機動戦闘団と第58、77戦隊を。亡命軍からも幾つかの部隊を回すように通達を頼む。帝国軍は迫撃してくる、これ以上の犠牲を出してはならん」

 

 戦況の報告から撤収手順についてスタッフ達にそう命じると、元帥は再び静かにメインスクリーンを見やる。

 

「はぁ、ハイネセンに帰るのが憂鬱だのぅ」

 

 陰鬱な気持ちになる元帥。恐らくは此度の遠征の責任を取り、虚飾に彩られた式典に出回り、遠征の成功を冷ややかな視線を浴びながら宣伝した後、最後は追い出されるように退役する事になるだろう。元より最後の奉公として半分腹切り要員の遠征軍司令官を引き受けた身である。どの道退役予定の老い耄れなので市民からのバッシングが怖い訳ではないが……。

 

「また、沢山若いのが死んだの」

 

 そしてまたのうのうと老人が生き残った。先の無く、能の無い老人ではなく前途有望な若者達が。スクリーンに映るイゼルローン要塞の容貌を見つめつつ元帥はこの時代の不条理を呪わずにはいられない。

 

 同時にまだ遠征が終わっていない事も自覚し、再度身を引き締める。帝国軍の追撃を撃退し、一人でも多くの兵士を帰還させるまで彼の役目はまだ終わっていないのだから。

 

 しかし、結果として同盟軍は半分秩序が崩壊しつつも殆ど無傷に近い状態で撤収を完了させる事が出来た。殿を引き受けた第五戦闘団前衛部隊司令官リンチ准将等の活躍も一因ではあるがそれは副次的な要因に過ぎない。

 

 撤収作戦が開始されていた頃、敗北に沈む同盟軍が予想していなかった事態が帝国側で起きていたのだった……。

 

 

 

 

 

 

「帝国万歳!皇帝陛下万歳!」

「ブランデンブルク大将万歳!ミュッケンベルガー大将万歳!」

「偉大なる銀河帝国に栄光あれ!黄金樹に永劫の繁栄あれ!」

 

 同盟軍の士気が地に堕ち切って限りなく敗走に近い撤退を行っていた頃、帝国軍の通信は祖国の勝利を賛美する内容に溢れかえっていた。黄金の大樹を連想する光柱の一撃が野蛮で劣等種族からなる叛徒共による帝国本土侵攻の意志を砕く、その姿は帝国人の愛国心を心地よくくすぐるようであった。

 

 尤も、そのようにはしゃぐのは兵士や下士官、あるいは尉官程度のものだ。司令部は敗走する同盟軍に、しかし先程の雷神の神罰が決して見た目程の損害を与えた訳でない事を良く理解していた。

 

 歓声に沸く要塞駐留艦隊「アールヴァク」艦内でもそれは同様であり、オペレーター達が喜色を浮かべるのと反対に司令官ブランデンブルク大将は鋭い表情でメインスクリーンを見つめていた。

 

「全軍に通達する。無線を繋げ」

 

そう命じ、無線機を取ると大将は演説を始める。

 

「諸君、御苦労。卿らの帝室と祖国への献身の結果、我々は辺境の蛮族の侵略を無事打ち払う事に成功した。此度の勝利は正に銀河帝国の体制の唯一無二の無謬性と正統性を人類史に改めて刻みつけるものであり、卿らの戦いぶりは勇猛なる帝国軍人の理想を体現したものである!帝室と祖国は諸君の働きに相応の恩恵を持って報いるであろう。今後も諸君の無私の体制への奉公を期待するものである」

 

 労いの言葉を語り、一度言葉を切り、ブランデンブルク伯は言葉を繋げる。

 

「さて、古来より戦いとは敗走する敵の迫撃が最も戦果を拡大させる機会であると言われる。我々はこれより高慢にも思い上がった叛徒共をその占領地まで追撃し、二度と思い上がった行いを出来ぬように懲罰を加える。全軍、補給と休息を完了させ次第、前進を開始せよ!」

 

 叱咤激励の言葉と共に追撃の意思を示した大将の言葉に再び帝国軍の通信は歓呼の声が鳴り響いた。小さく頷いた大将は自軍の士気が十分である事を理解すると無線を終える。その表情は演説中の力強さはなく、酷く疲れたように椅子に深く沈み込む。

 

「旦那様、御疲れ様で御座います」

 

 若い従兵がブランデンブルク伯の好物のラントヴァイン(領地の地酒)の白ワインを差し出す。惑星ブランデンブルクの白ワインは甘みが強く過労の体に良く合っている。

 

「うむ、御苦労」

 

 若い従兵に労いの言葉をかけた伯爵はグラスを傾け、その色を楽しみ、しかし陰鬱な表情で呟く。

 

「ルスドルフ、シュターディオン……此度の勝利は卿らの忠誠の賜物だ」

 

 此度の勝利の一因は「アールヴァク」が最前列で友軍を鼓舞し戦列崩壊を防いだ事、そして盾艦がその身を犠牲にして旗艦を守り、同盟軍の足を止めた事である。そしてその勝利のためにブランデンブルク伯に仕える盾艦の艦長と乗員はその義務を十全に果たしてくれた。

 

「卿らの忠誠を忘れる事はない。後は任せよ」

 

 代々伯爵家に仕え、その義務を果たした彼らの残された家族の生活と将来を保証する言葉を口にした伯爵はグラスの中身を一気に流し込む。甘い筈のワインは、しかし苦い味に伯爵には感じられた。

 

「司令官、第Ⅲ梯団が再編を完了致しました」

「うむ、第Ⅲ梯団を先鋒に、次いで第Ⅳ梯団に反乱軍の追撃を命じよ」

 

 オペレーターの連絡にそう答えるブランデンブルク大将。反乱軍の追撃のために旗艦「アールヴァク」もまた前進を始めた。

 

 この時、「アールヴァク」は二隻の盾艦を喪失し、また戦力を一隻でも追撃に回すために護衛は三隻の巡航艦と六隻の駆逐艦のみであった。

 

 尚も抵抗を続ける反乱軍の艦艇がデブリ帯より姿を現し、そして盾艦の代わりに脇を固めていた巡航艦が一時的に迎撃のためにその場を離れた。

 

 正にその瞬間であった。記録によれば推定時刻0537時、流れ弾の姿をした電磁砲弾が旗艦「アールヴァク」の右舷斜め上層に命中したのだ。

 

「っ……!?」

 

 何が起きたのか分からないままに爆発に巻き込まれ艦橋オペレーターのベック曹長、索敵主任クラインゲルト大尉が飛んできた破片で即死した。次いで作戦参謀ボーベンハウゼン少将と砲術参謀アウプフェン大佐が爆風で吹き飛び、前者が内臓破裂と頭部に受けた衝撃で死亡、後者が全治半年の骨折を負った。後方参謀アイゼナッハ准将は肋骨を損傷し、副官ヴェーラー中尉は軽傷ながら衝撃で気絶していた。

 

 艦内が赤く点滅し、悲鳴が響き渡る艦内、従兵のレーベル上等兵は自身が床に倒れている事に気付き周囲の状況から何が起きたのかを理解する。次いで自身の主君の身を案じ周囲を見渡しその姿を見出した。

 

 ブランデンブルク伯は指揮官席に悠然と座していた。そこには一切の恐怖の色はなく、選ばれし門閥貴族の末裔らしく堂々たるものであった。

 

その健在な姿に従兵は安堵する、しかし………。

 

 次に艦を襲った二度目の小爆発により艦橋のメインスクリーンの天井部が吹き飛んだ。その衝撃で艦材の一つが高速で飛び……次の瞬間ブランデンブルク伯の腹部に真上から突き刺さった。

 

「旦那様……!」

 

 レーベル上等兵は驚愕の表情と悲鳴を上げながら主君の下に駆け寄る。

 

「落ち着け、レーベル上等兵。卿が負傷したわけではない。無様な姿を晒すのは子孫の恥となる、気を付けよ」

 

 腹からどくどくと鮮血を流す伯爵は額から汗を流し、苦痛に僅かに口元を歪めつつも淡々とした表情でそう臣下に注意をした。

 

「ぐ…軍医!軍医を呼べ!早く!」

 

従兵の命令に、しかし伯爵は首を横に振る。

 

「良い、この怪我では治療は間に合うまい。ほかの者の治療を優先せよ」

「ですがっ……!」

「ふっ、どうやら所詮私は「ここまで」の器らしい。………遺言書は執務室の机の二番目の棚にある、委細の例外なく実行するように、特に盾艦の遺族は良く面倒を見るように、伝えてくれるな?」

 

 従兵を見つめる伯爵、その視線は有無を言わせぬ迫力であった。

 

「は……はいっ!旦那様っ!確実に御伝え致します!」

 

 蒼白な表情で、しかし力強く答えた従兵の態度に満足したように頷く伯爵。次の瞬間、彼はコップ一杯分の血液を吐き出すと同時に意識を失った。従兵は悲鳴を上げ主君の名を叫ぶ。

 

 0539時、軍医のゼッレ中尉が駆け付けて来た時には、しかし彼に出来たのはブランデンブルク伯が死亡した事実を確認するのみであった。

 

 5月17日0537分頃、死因は爆風で飛んできた破片が内臓及び動脈を傷つけた事による出血性ショックであった。艦隊司令官の戦死、この事実により士気高揚していた帝国軍は、しかし指揮系統の混乱と兵士達の動揺により迫撃を断念、結果同盟軍は帝国軍の追撃の損害を殆ど受ける事なく撤退を完了させたのだった……。

 

 




次は章の終わり、その次が幕間でその次が新章の予定です


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第九十六話 末長く爆発すれば良いのに

 5月20日、第四次イゼルローン要塞攻防戦について帝国・同盟政府の双方が勝利宣言を布告した。

 

 4月8日の回廊侵入以来39日間に及んだ遠征は同盟軍の損害は艦艇七八五〇隻、兵員五八万七五〇〇名に及び、帝国軍の損害はその七割前後であると推定されている。

 

 結果だけを見れば同盟軍は要塞攻略が出来ず、帝国軍以上の損害を出し、しかも要塞主砲を撃ち込まれ散々に逃げ出したように見えるだろう、事実帝国はそう宣言した。

 

 だが、それは一面のみを切り抜いた結果である。元より同盟軍は要塞攻略の意思はなく、その軍事的目的は帝国との戦線の押上げと要塞の情報収集であり、それは達成されていた。

 

 また艦艇の損失の四割は作戦のために用意された無人艦艇の自爆であり、実質的な損失は数字程ではない。戦死者にしても同様で「雷神の槌」が殲滅した艦艇は一〇〇〇隻に満たず、しかも一度しか撃たれていない。戦死者数は六〇万人以下でありそれは第一次・第三次遠征で生じたそれを下回り、第二次遠征に匹敵する少なさだ。

 

 帝国軍に対して与えた損害も決して少ないとはいえない。猛将ビッテンフェルト少将を始めとして提督五名を戦死させた、遠征前までに係争状態にあった諸星系の半数を奪還し、残りは帝国軍を惑星の地下へと追いやった。

 

 英雄達の活躍は戦勝に彩りを添える。参謀で言えばロボス少将とフェルナンデス少将がその代表格であり、グリーンヒル少将、ホーウッド准将等が次点に来る。

 

 提督で言えば少将クラスでは第三艦隊副司令官でもあるルフェーブル少将を筆頭にパウエル少将、カニングス少将、准将クラスではパエッタ准将、キャボット准将、リンチ准将、アップルトン准将がその代表格だ。ウランフ大佐、ボロディン大佐はその活躍から年内に准将に昇進する事が内定している。

 

 個人単位の活躍で言えば単座式戦闘艇のパイロットがその代表だ。第54独立空戦隊隊長ハワード・マクガイア大佐はお約束として、副隊長ローランド・シマダ中佐は遠征中にワルキューレ一一機、艦艇八隻を撃破、総撃墜数を二五〇機の大台に乗せた。有名所では「白鷺」リディア・スターク少佐、「ダイハード」イヴァン・マルコフ大尉の戦果がそれに次ぐ。帝国系では「猛禽」ホルスト・フォン・ヴァイセンベルガー大佐、「黒騎士」ヘルムート・フォン・バルクホルン少佐等が特に勇名を馳せた。私を護衛していたジョニー・マリオン少佐は数倍の敵機が襲い掛かる中で生き抜き最終的に遠征中に九機を撃墜した。

 

 そして、何よりも最大の戦果にして幸運は要塞駐留艦隊司令官ブランデンブルク大将の戦死であろう。

 

 高慢な帝国の支配階層たる門閥貴族の一員であり、幾度となく同盟軍に辛酸を舐めさせ、遂には四〇代にならずに大将に昇進した一〇年後の宇宙艦隊司令長官候補ブランデンブルク伯は同盟軍でも特に注意すべき敵将の一人であった。その思いがけない戦死が無ければ流石に同盟側もここまで堂々と戦勝を口に出来なかったであろう。

 

 5月22日、遠征軍は回廊出入口のダゴン星系に集結、5月23日にはブランシャール元帥が報道陣の前で記者会見を行い、本遠征の意義を改めて強調、また年齢を理由に軍務を退役する事を宣言して注目を浴びた。730年マフィアの同期にして65年に及ぶ軍歴を背負う老元帥はこうして同盟軍の表舞台から退場する事となった。

 

 同日、比較的損害が軽微であった第三艦隊とその他独立部隊は交代部隊が来るまで一時ダゴン星系に残留する事が決定、地上軍の第32・33遠征軍と共に国境を守る事となる。

 

 一方、第二・第一一艦隊は遠征軍司令部と共にハイネセンへの帰途に就いた。最高評議会議長スタンリー・マクドナルドは遠征軍総司令官ブランシャール元帥に此度の遠征と退役を記念して自由戦士勲章、ハイネセン特別記念大功勲章を授与する事を発表し、同日同盟議会にて承諾された。遠征軍総参謀長ゴロドフ大将、第二艦隊司令官ワイドボーン中将、第一一艦隊司令官ラップ中将にもそれぞれの功績に応じた勲章が授与される事が正式に通達されている。帰還時にはハイネセンポリスの自由市民通りから凱旋し、最高評議会庁舎前庭にて大仰な式典が予定されるとのことだ。

 

『まぁ、全部政治的な理由でしょうけど』

 

 5月24日、第三艦隊旗艦「モンテローザ」、その私の自室のテレビ通信に超光速通信越しで映るコープは詰まらなそうに答える。

 

『今回の遠征は長征派が主導したから面子のためにも凱旋も勲章授与もこちらが先になるのは仕方ない事よ、文句言わないで。前回は第六艦隊が真っ先に帰還したのだから御相子ってものよ』

「別にその程度でいちいち文句は言わんさ。どうせ一週間かそこらずれ込むだけだろう?そちらこそ茶番劇に参加する心情、お察しするよ」

 

 選挙の宣伝のための凱旋式に笑顔で行進する事になるコープにある意味同情を禁じ得ない。

 

 勝利宣言の決定打となったブランデンブルク大将戦死の報は同盟軍にとっても予想外だった。総司令部が本国に事実上の敗戦の報告を送信する直前、情報通信艦が混乱する帝国軍の通信を傍受し、その精査と数回の裏付けによりその事実を把握した。

 

 その連絡を受けた本国の与党は有頂天になった事間違い無く、同盟議会はブランデンブルク大将戦死を祝う決議を出した程だ。毎回皇帝が変わる度にそれを祝福する決議を出す事で有名な同盟議会であるが、皇族ではない一個人の死亡を祝うのはコルネリアス帝の親征における実働部隊司令官シュリーター元帥、同親征で同盟人一六〇〇万人をオリオン腕に連行した当時の社会秩序維持局長ベルンカステル侯爵、マンフレート亡命帝死後の対同盟戦争を主導したオーテンロッゼ公爵、740年代から750年代にかけて同盟軍の侵攻を14度に渡り粉砕したゾンネンフェルス元帥の四名しかいない。ブランデンブルク大将はその五人目に名を連ねる事となった。

 

『呆れたものよ、どういう経緯か分からないけど偶然で得た戦果であれだけ騒げるなんてね。どう粉飾した所で司令部の本音は敗北よ』

 

 心底呆れ果てたようにコープは愚痴る。代々軍人の家柄である事から思う所があるのだろう。

 

「言っても仕方ないだろうさ、それにその恩恵に与っている私達が言えた義理でもあるまいに」

 

 他人事のように口にするが私もコープも所謂同盟政財界と深く繋がる軍人家系と言える。派閥間の勢力バランスや支持率のために出征を促す議会と蜜月の関係にあるのだ。そしてその恩恵によって贅沢な生活をし、士官学校の門を叩く事が出来るだけの教育を受ける事が出来たのを忘れてはいけない。

 

『帝国貴族の癖に毎回正論を吐くわねぇ……まぁその通りね。そうそう、そう言えば話は聞いたわよ?あんたこっちが帝国軍と必死に戦っている間に王様ごっこでもしていたの?』

「失禁プレイしていた奴に言われたくねぇよ」

『ぶち殺すぞ、貴様』

 

 小馬鹿にするようにコープが私の遭難から回収の経緯を触れて来たので私は事実で反論したらスクリーン越しで人を殺せそうな形相で脅迫された、解せぬ。

 

 いや、確かに回収後の事情聴取でも応対の法務士官がこいつは何を言っているんだ……?という表情されたけどさぁ。そりゃあ意味分からんだろうさ、同盟軍人が帝国軍人から指揮権を引き継ぐとは訳ワカメだよ。艦内演説の動画を憲兵や法務士官と一緒に視聴した時とか居たたまれない気持ちになったよ。左右からの視線で泣きそうになったよ。サンドイッチされた国父の気持ちが良く分かったね。

 

『生きて帰ってくるとは思っていたけど、流石に現地で部下調達は斜め上の展開だったわ……』

「これが人徳というものよ」

『その冗談上手くないわよ』

 

 実際、身分と権威と報酬と空気でごり押ししたのが正しい。人徳なぞ影も形も無い。

 

『何はともあれ、五体満足のようだし、一応生還おめでとう、と言っとくべきかしら?』

「一応なのかよ、というよりも疑問形?」

『ぶっちゃけ私は貴方が生きていても死んでいてもどちらでも良いし、言ってしまえばホーランドの代理のようなものよ』

「代理?」

『業務よ。こっちは帰還航海の業務しながら式典準備やら遠征の評価やら忙しいのよ。貴方が随分と壮大な大冒険してきたらしいから休憩の次いでにホーランドから様子を見るように言われたのよ。……ええ、もうすぐ終了します。ああもう!また上に呼び出されたわ、折角の休憩時間がおじゃんよ!悪いけどもう切るわよ?』

 

 呼出しが入ったようで、急いでコープはそう伝える。良く見れば確かに表情は少し疲れ気味だ。

 

超光速通信を切った後、私は背筋を伸ばし、項垂れる。

 

「はぁ、仕事漬けで帰還と国境警備しながら休憩、どっちが楽なのだかなぁ?」

 

 私は室内に備え付けられた超強化硝子製の窓を見る。ダゴン星系の第一一惑星第四衛星周辺宙域に留まる第三艦隊の姿がそこには見える。後方支援部隊の工作艦や補給艦、病院船が第四衛星に設置されたダゴン11‐4基地と艦隊を忙しく行き交っていた。

 

 数十万の負傷兵の治療、第三艦隊の補給、捕虜の移送、戦死者の遺体回収や遭難者救助のための隠密部隊の編制等後方支援部隊の仕事は山積みだ。

 

 変わったものでは命知らずのフェザーンの業者がデブリ帯を捜索して生存者や戦死者の遺体・遺品等を回収、同盟帝国の双方に売りつけるなんてものまであり、その交渉なんてものも彼らの仕事だ。昨日遭遇したスコットが値切り交渉に出席させられたと呆れていた。殆ど身代金交渉らしい、目の前で自分達の値切り交渉される兵士達はどんな心境であろうか……。

 

「まぁ、私も暇ではないのだけどな」

 

 そう独り言ちて、デスクの上のベレー帽を被ると同時にスポーツ飲料入りのペットボトルを手に私は後始末のために自動扉を開く。そして………。

 

「若様、御待ちしておりました!!忠臣中の忠臣レーヴェンハルト准尉ここにさ……」

「悪霊退散!!」

 

 取り敢えず私は条件反射でペットボトルの中身を目の前の従士にぶちまけた。

 

 

 

 

 

 

「んんっ……もう、若様あんな激しく(スポーツ飲料を)頭からぶっかけるなんて酷いですよ……。見て下さい、こんなべとべとで……若様の(買ったスポーツ飲料の)臭いが体まで染みついてしまったじゃないですかぁ……。その……こういう事したからには……責任取って頂けますか?」

「おい止めろ、括弧を外せ、括弧を。誤解を招く言い方をするな」

 

 冤罪でらいとすたっふルール適用で削除なんて私は嫌だぞ……ん?私は何を意味の分からん事を口走っている?

 

「モンテローザ」より飛び立ったシャトルで私は亡命軍派遣艦隊の旗艦「リントヴルム」に向かっていた。約束通りシャトルの操縦をするのはレーヴェンハルト准尉だ。当初副操縦士の席を進めてきたので笑顔で筋肉バスターをかけてやった。問題は完全に御褒美になってしまった事だが……(涎垂らしてアへ顔してやがった、ドン引きだよ)。

 

「お前は黙って操縦をしておけ、ふざけたら今度は珈琲牛乳ぶちまけるぞ」

「出来れば牛乳の方が好みです!」

「理由は聞かんぞ、絶対に理由は聞かんぞ!」

 

 駄目だ、こいつとは会話したら負けだ。どの方向に会話が進んでも満足しやがる。

 

 私はこれ以上深入りしないように准尉の会話を無視する。前にも触れたが唯でさえシャトルには重力制御装置も慣性制御装置も無いのだ、無重力状態のシャトルで馬鹿話を続けて気持ち悪くなっては笑えない。

 

 私は不機嫌そうにむすっと椅子に座り込むと、ふと思い出すようにちらりと横を見やる。

 

すぐ隣には良く見知った従士が俯き気味に座っていた。

 

 准尉に回収された後私は可能な限り早くベアトに対面した。状況が状況でありベアトやダンネマン少佐以下の捕虜の事情聴取は殆ど進んでおらず合流後の口裏合わせは比較的スムーズにする事が出来た。

 

 実家からの目付け役のヴァイマール少将も事情が事情なのでこちらに協力的で、副司令官ハーゼングレーバー中将は此度の案件に対してものがものであるために中立的な態度を取ってくれるようであった。

 

 まぁ、下手すれば遠征軍全体どころか同盟軍に責任追及が飛び火しかねない案件だ、宮廷上層部も皇帝陛下もこの選挙の時期に同盟との関係悪化は避けたい筈である。私が五体満足で、それどころか捕虜(?)をお持ち帰りしてきたので幾らでも報告の粉飾は可能だろう。

 

 最後の関門は遠征軍司令官たるケッテラー大将である、今日まで派遣艦隊に関する事務処理のために面会が不可能であり、今日ようやくアポイントメントを取る事が出来た。ここさえクリアすれば問題解決でその難易度は決して高くない。

 

 寧ろ私としての不安は叔父たるロボス少将とベアトの心情についてである。

 

 ロボス少将は私の姿を見ると慌てて怪我が無いか抱き締めてきた(その筋力で背骨が折れかけた)。

 

 どうやら私を危険な任務に出した事に相当責任を感じていたようで(その行動をケッテラー大将に責められたという事もある)、ストレスで私が見つかるまで食事も喉を通らずサプリメントで済ませていたらしい。最終的に遠征前より三キロ減量した。尚、遠征後私が遭難する前は暴飲暴食で二キロ増えていたので実質的には五キロ減量していた、おいマジで大丈夫か。

 

 兎も角もそれ以来かなり私の身辺に気を使うようになっていた、気持ちは嬉しいけど三十分おきにトラブルに巻き込まれていないか見に来なくてもいいと思うの。

 

 そして、ある意味少将と同じかそれ以上に衝撃を受けていたのがベアトだった。

 

「ベアト、そう気落ちするな、今回お前に落ち度は無いし、私だって怪我一つしていない、何の問題もないのだからな?」

「……はい、分かっております」

 

 私が気にしないように語りかけるが、ベアトの方は力無く小さく頷くだけである。

 

「……何か気にかかる事でもあるのか?」

「……いえ、ただ自身の無力さを感じてしまいまして」

 

 ベアトは俯いた顔を上げ私に対して複雑な表情を向ける。

 

「普段若様のために努力致しましても、いざその時になると役立たずで……それどころか若様の邪魔になってしまう事も多く、今更ながら自身に存在価値があるのかなどと考えてしまうのです」

 

 自身が何度も失敗してその度に主人の口添えで助けられている状況(ベアト視点)に罪悪感と居心地の悪さを感じているようだった。

 

 特に私が演説で(極めて幸運な事に)帝国兵の投降と協力を取り付けた事がかなり印象に残ったらしい。自身の存在が無くても問題無い……寧ろ存在するだけ無駄ではないかと考えているようだ。

 

「若様のお側に置いて頂いて、自身の未熟さを思い知らされます。所詮私の出来る事は訓練や机上での事ばかり、いざ実戦となると若様に御迷惑をおかけして……その癖御厚意で失敗を擁護してもらう、そのような事ばかりで正直自身が情けなく感じるのです」

 

 そう語るベアトの瞳は潤んでいた。相当精神的に追い詰められているらしかった。ふむ……?

 

「………ベアト、膝を貸せ」

「えっ……!?」

 

 そう言うや早く私はベアトの膝を勝手に枕にして横たわる。

 

「うん、やっぱりしっくり来るな」

「わ、若様……?」

 

困惑気味にベアトが私を見下ろす。

 

「無重力はやはり嫌いだ、気持ち悪い。膝枕、頼まれてくれるな?」

「えっ……?は、はい」

 

私の言葉に対して戸惑いつつもベアトは承諾する。

 

「……だからこそ私は傍に置いておく訳だ」

「……?」

「知っていると思うが膝枕されている時は私としては弱って無防備な状態でな、襲われたらひとたまりもない。私としてはベアトが私の首を切り捨てるなんて想像も出来んし、寧ろ覆い被さってでも守ってくれると考えているが……違うかね?」

「と、当然で御座います!このベアト、若様のためにこの命を惜しんだ覚えは一度も御座いません!」

 

私の質問にベアトは殆ど反射的にそう答える。

 

「その通りだ、カプチェランカでも私のために盾になろうとしてくれただろう?今回の遭難でもベアトのお陰でパニックにならずに済んだ、それだけで私としては大助かりだった。……言っておくがあの時場にいたのが誰でも落ち着けた訳じゃない、信頼している従士だから縋りつけたのだからな?そうでなければあんな醜態は見せられんよ」

「………私は…若様の御役に立てているのですか?」

 

 不安げに従士は尋ねる。普段は大人びた表情をしているがこういう時は子供らしい。

 

「本当に必要無いなら庇うつもりは無いさ。別に昔馴染みなだけでずっと傍に置ける程自分の能力に自信を持ってはいないさ。先程もいったが此度の件は一切お前に落ち度は無い。お前は私の指示に従っただけだし、寧ろお前が良く指示に従ってくれたお陰で今こうして怪我一つなく膝枕されているんだ。褒めてやりたいくらいさ」

 

 内心お前は何を言っているんだ、とセルフ突っ込みを入れつつ私はそう慰める。

 

「………はい、若様がそう仰るのでしたら私が異論を挟む理由は御座いません」

 

そう語り、一旦言葉を区切ると……再び口を開く。

 

「若様………」

「ん?」

「………非才の身ながら今後より一層御役に立てるように修練を重ねます、可能な限りお求めになる事に沿えるように善処致します。ですので……どうか……御見捨て無きよう……お願いして宜しいでしょうか?」

 

恐る恐る、心細げに、切なげにそう伺う。

 

 私はそのような従士の態度に安心させるように笑みを浮かべる。

 

「当然だろう?信頼する傍付きが更に研鑽するのだ、そんな優良な従士を離す訳あるまい?」

 

 私の返答に、ベアトは答えるようにようやく笑みを浮かべたのだった……。

 

「いいなぁ、若様ここにも柔らかで寝心地の良い膝がありますのでどうで「いえ、結構です」ですよねぇ」

 

 横から入り込んできた准尉に私は即答した。そして私はベアトに取り敢えずこの動く猥褻物の撤去を命じる事にした。

 

 このような事がありつつも三〇分余りシャトルに(貞操を守りつつ)乗船した後(何故男なのに守らなければならないのだろうか?)、ようやく私は亡命軍派遣艦隊の旗艦「リントヴルム」に到着する。衛兵の出迎えに答え准尉の拘束を命じた後、従兵により司令長官の下に案内された。

 

 その室内はもし何も知らない者が見れば貴族の屋敷の一室とでも思っただろう。緋色の壁紙が貼られた室内には油絵が飾られ、床は毛皮の絨毯が敷かれている。

 

 天井のシャンデリラが室内を照らし、書類や調度品で見事に飾られた大きな木製デスク、その後方には同盟旗と亡命政府旗が交差するように立ち、御約束のように現皇帝陛下と大帝陛下が国父を包囲している。国父の表情は涙目で微笑んでいた、そろそろ諦めムードである。部屋の隅には振り子時計が黙々と時間を刻み、会議用であろうソファー、小テーブル、硝子棚が置かれる。

 

 到底元同盟軍の艦艇とは思えない「リンドヴルム」の司令長官用執務室に入室した私は敬礼と共に申告する。

 

「自由惑星同盟軍、第三艦隊司令部所属、航海課スタッフ、ヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍中尉参りました」

「うむ、……御苦労」

 

 執務室の椅子に座るケッテラー大将は、一見すると厳しそうな表情で返答する、がその内心は別である事を私は知っている。

 

「……少し長話になろう、そちらの椅子に座り給え」

 

そう大将は部屋の隅のソファーに座るように促す。

 

「……それでは御言葉に甘えましょう」

 

 私は少々芝居がかった口調でその言葉を承諾する。私と大将が相対するようにソファーに座ると従兵がタイミングを図ったように入室、給仕としてティーカップに紅茶を注ぐと恭しくその場を退出する。

 

「………では、こちらの資料を御渡し致します」

 

 まずは同盟軍人としての仕事から私は切り出す。同盟軍が救助した亡命軍兵士・死亡した亡命軍兵士の遺体、及び亡命政府への投降ないし帰順を求めた帝国軍捕虜についての引き渡しの証明書、亡命軍に引き渡した同盟軍の物資代金、修理した亡命軍艦艇の修繕費用についての請求書などだ。

 

「うむ、了解した」

 

 大将は資料に頷くと私に資料を引き渡す。それは先程の資料の同盟軍と亡命軍の立場を反対にしたものである。私はそれを捲り凡その内容に誤りが無い事を確認すると了解致しました、と答える。

 

 本来ならばこれだけが仕事だ。それどころか態々派遣軍司令官と私が会う必要すらなく亡命軍の参謀スタッフに資料を引き渡すだけでも良かった。

 

 即ち、ここからは同盟軍人としてではなく帝国貴族として目の前の人物と接する事になる。

 

「さて、それでは此度の案件について認識の共有を致したいのですが宜しいでしょうか?」

 

 私は礼節ある口調で、しかしティーカップを手にして尋ねる。大将の表情が険しくなる。

 

「………此度の事態については誠に遺憾な事であった、任務を通達したロボスと市民軍司令部には私から直々に抗議を行わせてもらった。結果として捜索部隊編成を実行させ卿の身を保護出来たと考えているが……」

「御心配無く、私は此度の事態に対して何者も咎める必要性は無いと考えています、子爵殿」

 

 私は悠然とした口調で、最後の子爵という言葉を強調する。ティルピッツとケッテラーは共に伯爵位であるがそれは本家に限っての事、分家筋に当たる大将の爵位は子爵であり、私が本家を継げば宮廷内におけるその立場は逆転する事は自明の理であった。

 

「しかしながらそれでは……」

「いえいえ、私自身にとっても楽しい冒険でしたよ。母上からは怪我をしないようにと言われたものでスリルでは少し物足りなさもありましたが……まぁ、結果として予想通りに安全に此度の遠征を楽しみ、家への土産話も出来ました、どこに不満があるというのです?」

 

 遠征派遣艦隊の責任者として此度の私の遭難事件に関わる生け贄の羊を引き立てようとする大将に対して、しかし私は無用であると伝える。

 

「ヴァイマール伯もその点に関しては同意しております。此度の件は予定調和であった方が都合が良い、態態同胞の内から罪人を出す必要性なぞありませんよ」

 

 現実では私の遭難から救助までの経緯を調べれば母が卒倒する事間違いない。なので公式記録は事実に比べて表現を矮小化する訳だ。唯でさえ選挙期間中であるのにここで下手に影響力のある母が勝手に暴走して同盟との関係が拗れたら面倒だからな。

 

私は出された茶を一口飲んだ後、続ける。

 

「それは理解しています。ですがやはりこのような事態になったからには現場の責任者として最低限その原因の追究は不可欠であると考えておりまして……」

 

 大将の言葉、その意図する意味をすぐに理解して私は機先を制するように指摘する。

 

「此度の件について責任を取るべき者は一人としておりません、それはロボス少将についても同様です。彼の命令自体は軍組織としての指揮系統に沿ったものですし、相応の護衛体制も整えていた、この件に関しては不運と思うしかありません、まぁ子爵なら理解しておりましょうが戦場では良くある偶然ですよ」

 

 危うく生け贄にされそうになった叔父上のフォローも行う。唯でさえ複雑な立場な上私のせいで相当責められたようだし、正に責任を押し付けられそうになっているので釘を刺す。これくらいは迷惑をかけた身として最低限行うべき義務であろう。

 

 ……まぁ、このまま叔父上の立場が悪くなりすぎると原作のように元帥まで昇進出来なくなり私のアムリッツァ介入手段が減る、という打算的理由もあるが(マッチポンプかな?)。

 

「……私、いえ我らの一族の監督責任も問わぬ、と認識して良いと?」

 

 こちらの内心を窺うように大将は尋ねる。それは彼にとって最も重要な事実確認であった。

 

「少なくとも今度の話について此度の案件を持ち出す事は無い、と夫人殿と御隠居殿に御伝え下さいませ。少なくとも父も、軍務尚書も、無論斡旋した宮廷と典礼省もこのような些事で折角の根回しを反故にするつもりは御座いませんよ、御心配でしたら一筆したためましょうか?」

 

 本家から相当しつこく詰問されていたのだろう、神経過敏気味になっている大将を安堵させるように私は答える。

 

 宮廷からしてもその設立期から長年亡命政府軍の上層部を占めていた三家の一角の衰退を容認する事は難しい。新無憂宮の如く貴族達が抗争を続けていては国力で劣る亡命政府は早期に崩壊してしまう。宮廷と典礼省は貴族間の勢力を調整し、婚姻や養子縁組で連帯させ、没落しそうな家はてこ入れする事で亡命政府内で内ゲバが起こらないように苦心してきた。

 

 軍部三家で一番基盤が脆弱なケッテラー家からすれば此度の案件で折角の婚姻が取り消しになれば冗談抜きでその勢力バランスが崩れる事だろう。何としても大将はそのような事態を回避しなければならず、失敗すれば一族が詰み、その中でも村八分にされる、だからこそここまで疑心暗鬼にもなる。

 

「いいえ、そこまでの事はなさらずとも構いません。しかし……本当に…本当に不問にする、と仰るのですか?」

「……素直にそう答えても信用出来ないかも知れませんね」

「い、いえ……!決してそのような事は……!」

 

私の発言に慌ててそう否定の言葉を口にする大将。

 

「いえ、寧ろ当然の事。私としても配慮が足りませんでした」

 

 宮廷の意向があるとしても、それだけで唯で目をつぶってやる義理はティルピッツ家には無い。全てを無かった事にするとしてもそこから少しでも利益を出そうと思うのは当然だ。

 

「強いて言えば此度の件で捕虜となった帝国兵がいる筈ですが、そちらの処遇について便宜を図って頂きたい」

「便宜、ですか……?」

「ええ、彼らに約束しましてね。帝国に戻るにあたって不名誉な扱いを受けぬように「彼方の宮廷」に通達するとね。大将の方からも帰還者については早急な返還の交渉と弁護について協力を願いたいのですよ、無論仮に残留希望者がいればその扱いについても助力願いたい」

 

 普通に帰還すれば帝国では冷遇される、亡命政府からの返還でも貴族階級なら兎も角平民となるとどこまで考慮されるかは不明瞭だ。フェザーン経由で返還者の通達と擁護の手紙が必要だ(彼方も擁護されたら同じ貴族相手なので不当な扱いをされる可能性は低い)。もし亡命政府ないし同盟に残留・帰化する場合は必要に応じて家族の亡命の斡旋や教育・当面の生活の援助もいる。無論私からも実家に頼み込むが分野によっては大将に便宜を図ってもらう必要もあった。

 

「その程度の事で構わないと?」

「その程度……というには互いの認識に齟齬があるようですね。私としては宣言した以上は平民との約束とはいえ無碍にするような好い加減な事はしたくないのですよ。……どうでしょう、頼まれてくれますかな?」

 

 当然ながら大将が否定の言葉を口にする事なぞ出来る訳が無かった。私は大将の返答に頷くと笑顔で手を差し出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四次イゼルローン要塞攻防戦が終結した所で、それはあくまでも一五〇年に渡る戦争における一つの戦いの終わりに過ぎない。

 

 宇宙暦785年5月28日、自由惑星同盟総選挙が実施され、翌29日にアライアンスネットワークシステムにより全銀河にその結果が公表された。

 

 結果として政府と軍部の積極的な宣伝もあり第四次イゼルローン要塞攻防戦は要塞攻略こそ出来なかったものの市民の大半には同盟軍の勝利、ないし痛み分けという認識が共有されたからか与党連合たる国民平和連合所属の諸政党はその議席を維持ないし微増に成功し、総選挙以前危惧されていた急進的軍国主義派及び親帝国反戦講和派の伸長は阻止された。

 

 前回に比べ大きな勢力変化が無かったために最高評議会議長兼自由共和党総裁スタンリー・マクドナルド、自由共和党幹事長ロイヤル・サンフォード、サジタリウス民主同盟党首ルーサー・アッシュビー、反戦市民連合党首ジェイムズ・ソーンダイク、立憲君主党副総裁ボニファティウス・フォン・ゴールドシュタイン(ゴールドシュタイン公)、無所属グエン・キム・バーン等、主要な同盟政界の重鎮は引き続き当選する事となり、議会の顔ぶれは殆ど変わる事は無かった。

 

 数少ない新人議員の代表としては自由共和党所属ヨブ・トリューニヒト、サジタリウス民主同盟所属コーネリア・ウィンザー、自由市民連合所属ジョアン・レベロ、労働党所属ホワン・ルイ等が注目された。彼らはそのどれもが実績と名声の双方で議員として申し分ない実力者であり、同盟政界の次世代を担う逸材である。

 

 6月1日、第二次マクドナルド政権が発足、同日自由惑星同盟軍テルヌーゼン士官学校にて785年度卒業式が開催されその祝辞が第二次マクドナルド政権の最初の業務となった。

 

 翌2日には第4次イゼルローン要塞攻防戦及びその他の功績に応じた論功行賞が実施される事になる。私、ヴォルター・フォン・ティルピッツ中尉は2日を以て同盟宇宙軍大尉に昇進、同盟自由銅星勲章、第四次イゼルローン遠征従軍勲章を授与された。ベアトもまた同盟自由銅星勲章こそ授与されなかったが同じく大尉昇進と従軍勲章授与が行われる事となる。

 

だが、同盟にとっての平穏はここまでである。

 

 6月7日、帝国軍の大軍がダゴン星系に侵攻を開始し、同星系を防衛する同盟軍はこれを迎撃、18日までに同盟軍はダゴン11‐4基地の放棄と撤収を発表する事となる。

 

 以降、国境諸星系では要塞攻撃とブランデンブルク伯殺害の報復のために大軍を以て侵攻を開始する帝国軍と、それを防衛する同盟軍による熾烈な攻防戦が続く事になり、数年後には有人惑星を有するエル・ファシル星系にまでその戦火が及ぶ事になるが……今はそれを知る者はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 6月21日、国境宙域にて同盟と帝国が激しい抗争を続ける中、同盟の帝国国境に近いアルレスハイム星系ヴォルムスの星都アルフォードの郊外にて細やかな式典が行われていた。

 

 戦火が近づきつつあるとはいえ、流石に約七〇〇〇万にも及ぶ人口を有するアルレスハイム星系にまで帝国軍が進出するような事態はここ数十年なく、帝国軍の現在の侵攻ルートもまたアルレスハイム星系には向いていなかった。そのため配備される同盟軍の増強や遠征から帰還途上の第三艦隊の一部部隊の残留があるとはいえ市民生活に影響するような事はなく、ある家庭が結婚式を催したとしても決して不謹慎な事ではない。

 

「君、うちの娘を良く頼むよ?……マジで頼むからな?貴様ローザを絶対幸せにしねぇとぶち殺すぞ?浮気なんてした日には御近所誘ってお前の首晒しに行くからなマジふざけんじゃねぇぞ手塩にかけて育てた娘を俺から奪いやがって覚えていろよ?」

「お父さん、何で途中から脅迫になっているの……?」

 

 婿に対して声を掛ける父にジト目で突っ込みを入れるのはローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェル少尉(6月1日を持って自由惑星同盟軍少尉に着任)である。尤も、その服装は軍人とはかけ離れていた。

 

 所謂純白のウェディングドレスにブーケを手にする小柄な赤毛の女性、それは伝統的な帝国風の花嫁の姿だ。

 

「そうはいってもな……見て見給え!この男の姿を!見るからに軽薄そうで女をとっかえひっかえしそうな面じゃないか!それは……確かに顔立ちは整っているが家庭に満足するか怪しいものだ!きっとローザの見ていない所で女をナンパをしまくっているに違いないとお父さんは思う訳だが‥‥…」

「それお父さんが顔で負けているから妬んでいるだけじゃないんですか?」

 

 結婚式当日になってもこんな事を言う父に呆れ顔になるクロイツェル。自身の夫になる人物がそこまで軽い人物でない事くらい知っているし、自分もそんないい加減な男にほいほい釣られる程尻軽女じゃないのだが……。

 

「それに、そんな好い加減な人がこんなドレスなんて買わないですよ」

 

 そう言ってクロイツェルは自分の身に纏うドレスを父に見せつける。絹製で門閥貴族階級の花嫁が着る筈の職人のオーダーメイド品である。帝国では同盟と違い式に着るウェディングドレスはレンタルではなく購入するものであるがそれにも格式があり、門閥貴族が着るようなものは値段は馬鹿にならないし、金があっても一見の顧客は職人に門前払いされる。もし身分に合わぬ者が買いたいと望めば相応の人物に紹介してもらう必要がある。

 

 逆に言えばそのようなドレスを新興の帝国騎士の娘が着る事が出来るのは正に名誉であり、友人や親族などの出席者に生涯に渡って自慢出来る事であった。

 

「そうよ貴方、唯でさえうちの娘は鈍臭くて料理も掃除も下手でお嫁に行けるか不安だったのに、貰ってくれるどころかこんな立派なドレスまで買ってもらって……寧ろ感謝しなきゃいけないわ」

「お母さんサラリと私をディスってる!?」

 

 クロイツェルはにこにこした表情で辛辣な事を口走る母に泣きながら叫ぶ。確かに事実ではあるが結婚式当日にここまで堂々と婿に言わなくても良いではないか!

 

「え、え~と……ワルターさん?」

 

 御機嫌を伺うようにクロイツェルは婿の名前を呼ぶ。父からは敵視され、母からは自分の駄目な部分を堂々と言われて式をドタキャンしないであろうかと不安そうな表情を浮かべる。

 

尤も、その考えは杞憂のようであった。

 

「ははは、中々賑やかな御家族ですな。私としてもこれくらいの方が好みですよ?」

 

 そのような花嫁とその家族のやり取りを眺めつつ苦笑するのは先程まで花嫁の兄達に妹を頼まれ(脅迫され)ていた花婿の姿である。その出で立ちは伝統的な帝国騎士階級が結婚式において身に纏うスーツである。その姿は実に様になっており、式に出席する幾人かの淑女から不穏な視線を向けられる程だ。

 

 シェーンコップ帝国騎士家の当主ワルターとクロイツェル帝国騎士家の娘ローザラインは、帝都アルフォード郊外の教会にて祝いの式を挙げていた。任官後共に同盟軍のアルレスハイム星域軍所属を通達され、着任してすぐの式であった。

 

「本当すみません……ここまでしてもらっておいてうちの家族は阿呆ばかりで……」

 

 げんなりとした表情を浮かべるクロイツェル。しかもドレスの購入代金や式場(相応に格式がある教会であった)予約、その他の費用や手続きも殆どが忘れやすい自身に代わり目の前の夫になる青年にしてもらっており、花嫁の側から見ると正直情けなく恥ずかしい気持ちであった。

 

「いやいや、気にしないで欲しい、良く家族に愛されている証拠ですよ」

「ですけど……」

「ふ、そうしかめっ面をしないで欲しいものだなぁ、私としては心底この日を楽しみにしていたのだが……ローザは違ったかな?」

 

 にこやかに笑みを浮かべる伊達男がそこにいた。微笑みと共に見える白い歯は俳優のような輝き、大半の女性をそれだけで陥落させるだけの威力を有していた。

 

「い、いえ……私も緊張はしますけど……その…楽しみにしていましたよ」

「それは良かった」

 

 顔を赤らめていじらしくそう呟く姿はとても可愛らしく花婿には思え、花嫁程ではないにしろ照れたように少し頬を染める。尚、貴様がローザなぞと呼ぶなと誰かが叫んだ気がするが気にしてはいけない。

 

「なにせこちらには良い金づるがいますからな。それにこちらは貰う側ですし、余り偉そうな事は言えませんよ」

 

 食客であれ、代々の臣下であれ、その結婚式なり葬式に対して様々な援助をするのは門閥貴族にとってはその忠誠心を捧げられるために当然の義務であり、花嫁を貰う側の婿がその代償としてより多くの負担を背負うのもまた帝国では当然の文化である。

 

 花婿からすればその伝統に従い雇用人から様々な便宜を図ってもらい(図らせて)、その分式のため花嫁より多くの負担をしているだけだ。花嫁が気負う程の事ではないと花婿は心からそう考えていた。

 

「とはいいますけどぉ………そう言えば伯爵様は出席しませんよね?」

「……悪いですが正直祝儀と祝い品のみで結構ですね。本人に来て欲しくも、祝辞をして欲しくもありませんな」

 

 互いに顔を見合わせて同意する新婚夫婦であった。傍から見れば酷い言いようであるが毎度のように「リア充め、披露宴のスピーチで覚えていやがれ!」と捨て台詞を吐く雇用主にして士官学校の先輩に当たる人物である、ぶっちゃけいざ出席したら何を口走るか分かったものではない、正直来るなというのが本音であった。

 

 たかが食客、しかも雇用されてさほどの間もない関係である。大貴族が態々直属の従士でもないのに顔を出す可能性は通常は低く、実際現状二人はその姿を確認していない。このまま何も起きずに平穏に終われば万々歳である。

 

尤も二人の希望は易々と砕け散る事になる。

 

「えー、それでは続いて新郎新婦の御友人からのビデオレターをご披露いたします」

 

 その会場の管理者の掛け声に新郎新婦の表情は凍り付いた。

 

「……ワルターさんこれって」

「……ああローザ、来たな」

 

二人は同時にその答えに辿り着いた。

 

「えっ……!?二人共……?」

 

 そして出席する家族や友人が困惑して呼びかけるのも無視して二人はビデオレターを再生しようとする式場の管理人に飛び掛かろうと必死に走り出す。

 

「それは出来ません」

「まさか初仕事がこんな下らん事になるとは思いもしなかったな(まぁ料理食べられるからいいか)」

 

 しかし管理人に襲い掛かる前に二人はそれぞれゴトフリート大尉とファーレンハイト少尉に拘束される事になった。

 

「ちょっ……!ゴトフリートさん!その拘束解いて下さい!このままじゃ折角の結婚式で晒しものにされます!」

「折角伯爵家からビデオレターが寄越されたというのにその態度は失礼では?ビデオレターが流される事を泣いて喜び末代まで誇って下さい」

「ふざけんな!目を覆いたくなるような内容なんでしょう!?そうなんでしょう!?私は知っているんだぞ!?」

 

 悲鳴を上げながらジタバタする花嫁に、しかしゴトフリート大尉は真顔で拘束を続けていた。悲しい事に士官学校の全科目で最下位グループのクロイツェルにゴトフリート大尉の拘束を解ける道理はなかった。

 

「あー、卿がどこの誰か知らんがこの私が羽交い絞め程度で身動きが取れなくなるとでも?というか他人の式の料理を勝手に食いに来るな」

 

 一方、花婿は自然に相手の内心に突っ込みを入れつつ拘束を解こうと隙を伺う。

 

「只飯集りの同胞に酷い言いようだな。それと我らが雇用主はその程度の事は予想済みのようだぞ?」

 

 そうファーレンハイト少尉が指差す先には第二次防衛線を敷くライトナー家の双子とリューネブルク家の当主(プラスその従士二名)が重装甲服装備でストレッチしながら控えていた。

 

「話によれば同じ薔薇の騎士連隊所属になる戦友を祝いたいそうだ」

「因みに連隊長は伯爵と一緒にビデオレターに出演するようだぞ?」

「冗談ですよね!?」

 

 ファーレンハイト少尉とリューネブルク大尉の発言に普段の飄々とした表情を真剣に引き攣らせるシェーンコップ。

 

「あの……再生しても宜しいので?」

「お構いなく再生してください」

 

 困惑気味に尋ねる管理人に対してリューネブルク大尉は重装甲服越しでも分かるような爽やかな笑顔で答えた。そこには先に結婚した者に対する一種の妬みの感情がどこか見え隠れしているようにも見えた。

 

 取り敢えずこの場で言える事はビデオレターが流れた後に登場したとある式出席者が顔面に玉葱のパイを叩き込まれた後に顔面を真っ赤にした新郎新婦に何度も蹴りつけられたという事である。

 

 こうして細やかな事件はあったものの、宇宙暦785年の6月は、少なくともアルレスハイム星系では平和に過ぎていったのであった……。

 




尚ビデオレターの内容はいちゃらぶする二人の様子を貴族二人が隠し撮りしながら恨み節を語る内容の模様、デート中の惚気話やあーんする姿を参列者達に晒されたのでこのくらいの無礼は許されると思うの

次は幕間、その次の章は数年程飛びます


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幕間
そして歴史学者は暫し微睡み、詩人は叙事詩の筆に手を伸ばす


注意 主人公は出ませんが主人公が出ます(誤字にあらず)
後、藤崎版の一話を見てから読むのをお勧めします


『以上が現在公開可能な遠征資料と私の私見だ』

 

 デスクに備え付けられた固定端末に映るふくよかな同期がアライアンスネットワークシステムの軍用回線からデータを送信するとぶっきらぼうにそう口にした。

 

「済まないロボス、恩に着る」

 

 宇宙暦785年9月上旬、テルヌーゼン同盟軍士官学校校長シドニー・シトレ中将は校舎の校長室でそう答える。

 

『ふんっ、統合作戦本部の遠征評価はもう出ているだろうに、態々それとは別に私から評価資料をまわせとはな、何を考えているのだ?』

 

怪訝な表情でロボスはシトレに尋ねる。

 

「ふっ、そう訝しがらなくてもよいだろう?統合作戦本部の公開分析資料なぞ前線に出た事も無い奴らが数字だけで制作した参考書だ、文字通り参考になろうともそれ以上の物ではないさ。実際に現場で戦いを経験した者の見識程役立つものもあるまい」

 

 シトレは決して統合作戦本部の参謀や分析官を軽視している訳ではない。だがそれでも現場と経験を重視する傾向の強いシトレは統合作戦本部の発行する公開分析資料と同じかそれ以上に自身の好敵手の私見を重視していた。

 

 尤も、シトレのその性格と立ち位置から最新の分析データが手に入りにくい、という事情がある事も否定出来ない。

 

「それにしても驚いたよ、駄目元で頼んだつもりなのだが、まさかここまで綿密に分析した資料を送ってくるとはな」

『借りは返す、私を受けた恩を忘れるような恥知らずと同じにするな』

 

 むすっ、と顔を顰めつつ腕を組んだロボスは吐き捨てる。二年前、彼の親族が士官学校における戦略シミュレーション、その敗北に際してその三文芝居のおかげで窮地から脱したのだ。

 

 正直決して好意的な感情がある訳ではないが身内が受けた恩は自身の恩であり、それを返すのは当然の事であるとロボスは認識していた。それ故にロボスは不承不承ながら自らの第四次遠征における分析資料を提供したのだ。

 

「それにしても……やはり補給が難題であったようだな」

 

受け取った分析資料を基にシトレは尋ねる。

 

『散々に宣伝してくれたおかげで帝国軍は万全の状態であったしな。それに要塞の補給能力も脅威だ』

 

 事実、遠征の最終局面ではその回復能力が勝敗を分けたと言っていい。もし万全の状態の第一一艦隊であればたかだか一個分艦隊の奇襲に対してあそこまでの醜態を見せる事は無かった。

 

「やはりあの要塞を落とすには短期決戦、それも奇襲によるしかないか……」

 

 長期戦では同盟軍は不利となる、過去四回の攻略作戦で最も成功に近づいたのは奇襲による第三次遠征、となればその結論に至るのは自明の理である。

 

『問題は艦隊と要塞主砲を抑え、かつどのようにあの外壁を抜くかだよ』

「どのように抑えて、か」

 

 艦隊と要塞砲、この二つの脅威は相互に補完し合う故にその対応は極めて困難な課題だ。

 

 そしてこの時点においてシトレとロボスはそれぞれ朧気にではあるがその課題に対する一つの解答を見出しつつあった。

 

「ロボス、確か今お前がいるのは……」

『ケリムだよ。全く、まだ遠征の損失を補填出来ていないというのに航路警備の増援とはな。地方部隊を弱体化させてまで正規艦隊を増強しておいて、その正規艦隊で航路警備とは本末転倒としか言えんな』

 

不機嫌そうに鼻を鳴らす少将。

 

「そうか、またハイネセンに帰港した時には連絡を入れてくれると助かる。今度作る要塞攻略作戦の出来を評価して欲しい」

『評価?なぜ私が貴様の作戦を評価してやらねばならん?』

「してくれたら飯を奢ってやる、オリンピアの「チェシャ猫亭」でどうだね?」

『むっ……』

 

 政府高官も使う高級レストランの名を出したシトレの言葉に暫し迷うように顎を摩り、最終的に苦々しげに答える。

 

『飯を奢られる程度で説得される、と思われるのは不愉快だが……貴様の金で食うと考えるならばまぁ良かろう。一番高いコースで予約しておけ』

「がめつい奴め、太るぞ?」

『生憎、最近痩せ気味でな。多少大食いした所で問題無いわ』

 

 その返事に僅かに驚きの顔を見せるシトレ。確かに良く見れば以前見た時に比べ少しスリムになっているようであった。

 

『そこまで驚かんで良かろうに……』

 

 その反応にジト目で不機嫌になるロボス。シトレはそんなロボスの機嫌を取りなし、ニ、三言会話した後通信を切る。

 

「ふぅ………」

 

 通信を終えたシトレは肩を揉み、首を鳴らす。士官学校の校長という立場は思いのほかストレスが溜まるものである。

 

「今回は駄目だった……せめて次で墜としたいものだ………」

 

 校長室の窓から見えるグラウンドを見つめるシトレ。昼食兼休憩時間のようで早々に食事を胃袋に詰め込んだ学生達がサッカーに興じているようであった。ボールを追いかけ歓声を上げるのはまだ成人もしていない幼さの残る生徒達、しかし彼らもまた数年もすれば学校を卒業し戦場に向かう事になる……。

 

「出来るだけ、一日でも早くあの要塞を墜とさねばならぬ」

 

 それで一五〇年続く戦争が終結するとは限らない、だが今よりは彼らが、兵士達が死ににくい時代にする事は出来る筈である。士官学校の校長と言う立場になる事でシトレは元々その傾向があったが、一層この戦争の終結を望むようになり、そのためにはイゼルローン要塞の攻略が不可欠であると結論づけていた。

 

 そしてそれは唯待つだけで来るものではない、願うだけでも駄目だ、それ故に……。

 

「私がやり遂げねばならんな……」

 

 他に誰もいない校長室で、シトレは学生達を見つめながら、苦渋の表情で静かにそう独白した。

 

 

 

 

「結局の所いつも通り散々に打ち負かされて逃げ帰ったんでしょう?親父の雑誌に書いてありましたよ。全く、我らが同盟軍は言葉の言い換えばかり上手くなる」

 

 シトレ校長が自室で同期と通信をしていた頃、士官学校の食堂で定食(イタリアン)のトレーを置いた錆びた鉄色の髪を持つ学生が呆れるように愚痴る。

 

「おいおい、事実は事実としてそこまで堂々と言うべきじゃないぞアッテンボロー一年生。唯でさえお前さんはドーソン教官に睨まれているだろうに、自分から敵を増やしてどうする?」

 

 珈琲を飲みながら呆れ気味に後輩に忠告をするのはジャン・ロベール・ラップ四年生である。尤も動く反骨精神のような後輩がこの程度の忠告でそれを直すとも思えなかったが。

 

「だってそうじゃないですか?勝った勝った言ってこっちの方が沢山死んで、しかも要塞は健在と来たものだ。子供でもどちらが勝ったか分りますよ。司令官が戦死したから勝ったというのなら第二次ティアマト会戦は帝国軍の圧勝ですよ」

 

 周囲の鼻白むような視線を気にもせず歯に衣着せぬ言い様のダスティ・アッテンボロー士官学校一年生。士官学校における純粋な意味での成績は極めて良好な彼であるが、父親の影響からか反骨精神と批判精神旺盛でそれ故に教官への反発や校則破りを多々行うために減点される事も多く、差し引きで最上位グループに入れない成績で推移している事で有名な生徒であった(そしてそれ故に一部の生徒からは敵視されている)。

 

「まぁ、確かに良好な結果ではないのは確かだけどな。えっと……確か補給不足が決め手だったか?となると補給体制の強化が改善点と考えるべきか……」

「残念ながらそれは間違いだな」

 

 ラップ四年生の言葉を否定したのは通りかかった一人の軍人だった。

 

「軍隊にはその部隊規模に相応しい補給規模がある。異様に補給体制だけ強化した所で効率が悪い奇形な軍組織が出来るだけだ。食い物が余って腐ってしまう。予算も有限だしな、正直あの補給体制は完璧ではなくても十分合格点を与えるに足るものだ」

 

 事務員として士官学校に赴任していたアレックス・キャゼルヌ中佐は教員、あるいは銀行員のような口調でラップ四年生の意見を否定する。

 

「キャゼルヌ先輩も飯ですか?」

 

 中佐と言う雲の上の階級の先輩に、しかしアッテンボロー一年生は特に意識する事なく飄々と尋ねる。キャゼルヌ中佐の手元にはフレンチの定食が乗せられたトレーがあった。

 

「見て解らんのか?俺だっていつまでも電卓片手に書類と向き合っている訳じゃないぞ?飯位食うさ」

 

 そういって席に着くとメインのクリームシチューをスプーンで掬って食べ始める。

 

「……それにしても今回の作戦の何と高い出費な事か。聞いているかも知れんが三〇〇〇隻も自爆させたらしい」

 

 第一線では性能が不足しつつあるとはいえ宇宙艦艇一隻の建造費と維持費は馬鹿にならない。

 

「自爆した軍艦一隻一隻でこの定食何千万食分か……考えるだけで卒倒しそうだ。地方部隊では日用品の予算も削られていると言うのに、正規艦隊は豪勢な事だよ」

 

 スプーンで掬ったシチューを見つめて神妙な表情でそう語る中佐。普段数字と格闘している補給士官らしい言い草であった。

 

「ははは、耳に痛い台詞です」

 

 その言葉に苦笑いを浮かべるラップ四年生。第四回遠征が長征派を中核としたものであり、彼の親族も参加している以上、決して他人事ではなかった。

 

「ん?ああ、確かラップ四年生は……いや、お前さんは気にしなくていい。お前さんに会計書を見せた所で遠征軍の作戦が変わった訳でもないしな、それを言ってしまえばそこの一年生の親父さんのせいで志願兵が減っているのでそちらの方が問題だ」

「いやぁ、それほどでも」

「誉めたつもりはないのだがな……」

 

 頭を掻いて照れる一年生に呆れ顔で肩を竦める中佐。と、キャゼルヌ中佐はここまでで会話に参加してない約一名の学生に気付き、若干意地悪そうな表情で話を振ってみる。

 

「そうだ、ここは学年首席を破った戦略研究課所属の魔術師殿に参考意見をもらってみようじゃないか?ヤン、どう思う?」

「………はい?すみません、何の話でしたっけ?」

 

 話を振られた童顔でイースタン系の顔立ちの青年は物思いに耽っていたのか、話を聞いていなかったらしくバツの悪そうにそう尋ねる。

 

「この前のイゼルローン遠征についてだよ。どうすれば良かったかって話さ」

「ああ、そう言う事ですか……」

 

 話を振られたヤン・ウェンリー四年生はその質問の内容を理解すると気の抜けた表情でトレーの上の定食(イングリッシュ)をフォークで弄びながら何やら考え出す。

 

 途端に、その場にいた者達は特に理由も無く黙って彼の意見を待つことになる。傍から見れば少し滑稽にも見えそうだが、しかしこの青年のぼんやりとした瞳は何故か人を惹き付ける印象を与えていた。そう、言うならば昔話か童話に出て来る森に住む老哲学者のような雰囲気も纏っていた。どこか世俗を超越したような深い深淵を覗く眼差し……。

 

「……そうですね、強いていうならば遠征しないことが一番の改善点じゃないですかね?」

 

 困ったような沈黙の後に青年は他人事のようにそう答えた。

 

 青年のその言葉に、その場で返答を待っていた者達は一瞬奇妙な物を見るように目を丸くし、次いでまず一年生が思わず爆笑した。

 

「ははは、確かに!そもそも遠征しなければ負けませんからね!いやぁ、上手く頓知が利いた返答ですねっ!!」

 

 どこか笑いのツボに入ったのか笑いこけるアッテンボロー一年生。

 

「やれやれ、ヤンらしい」

「まぁ、後方勤務で予算と睨み合いする身は助かるが……」

 

 ラップ四年生は仕方無い、とばかりに頭を掻き、キャゼルヌ中佐は複雑そうな表情を向ける。

 

「そんなに変な回答ですかね……?」

「「「変だな(ですね)」」」

 

 三者同時にして同様の返答に青年はどこか困ったような表情を浮かべ、黙々とトレーの上のポークビーンズをスプーンで口元に運びこむ。

 

 ほかの三人はそんなヤンを見て呆れながら食事に戻る、それ故に彼らは彼がポークビーンズを口の中に輸送する作業を行いながらも、その意識を思考の海に深く、深く沈めている事には気付かなかった。

 

(まぁ、艦隊戦以外の手段と言ってもそう言うのは情報部の管轄だしなぁ、過去の極秘作戦の資料を閲覧出来なかったらそれを元に作戦を構築出来ないし……大枠ではアイデアは幾つかあるのだけれど)

 

 尤も、所詮は学生が思考実験として片手間で考えた作戦だ、もし今この場でやって見せろと言われれば彼は全力で拒否する程度には穴だらけの策ばかりである。もしこれらの策を実践に耐えうるレベルに昇華させるには、より多くのデータを元に分析とシミュレーションを重ねる必要があるだろう。そしてそのためには多くの人員とデータを閲覧するための地位がいる訳で……。

 

「所詮は空論だよなぁ」

「ん?どうしたヤン?」

 

ぽつりと言った一言にラップ四年生が反応する。

 

「いや、やっぱりイングリッシュは朝食以外取るべきじゃないと思ってね」

 

 次昼食を選ぶ時は外れの少ないチャイニーズにしようとヤンは思い、淡々と食後の紅茶と次の講義に向け栄養補給に専念する事にしたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サジタリウス腕の中心地惑星ハイネセンが銃後の平和を謳歌していた頃、サルガッソ・スペースを挟んで約一万光年を隔てたオリオン腕の一角、そこは人類社会を二分するもう一つの星間国家の中心地があった。

 

 ヴァルハラ星系の第三惑星オーディン、人口一二億、銀河第二の人口を有するその惑星は、しかし銀河帝国の成立直後は辺境の一惑星に過ぎなかった。

 

 開祖ルドルフ大帝がテオリアを始めとする銀河連邦中央宙域の旧勢力の影響力排除のため中央と辺境の連結点にあるオーディンを帝都に定めた時、その人口はせいぜい五〇〇万程度であり、その後の難民の受け入れと精緻を極めた都市開発によりオーディンはオリオン腕の中心へと成長した歴史を有する。

 

 そのようにして銀河帝国の中心地となったオーディンであるが、その地表に目を向ければ惑星上の中心地が宇宙空間からでも確認する事が出来るであろう。オーディン北大陸東部北ウルズ海に面した惑星の名と同名の都市、帝都オーディンの姿が。

 

 オリオン腕を支配する大帝国の中心都市の人口は約六〇〇〇万に及び、その郊外には国家機能の集約する省庁街、貴族達の帝都別邸、そして人類史上最も広大にして華美な宮殿「新無憂宮」の荘厳にして壮麗な姿を見る事が出来る。

 

 宮殿は政務と国事を行う東苑、皇帝と皇族の生活の場となる南苑、帝国中の選りすぐりの美女を集めた西苑、広大な狩猟場となる北苑の四つ、その外側にある数倍の敷地を有する外苑からなる宮廷は、主要な四つの内苑のみで六六平方キロメートル、外苑を含めると一八八平方キロにも及ぶ。

 

 独立した、あるいは互いに連結された大宮殿が三〇、小宮殿が八八、その他総合病院、動物園、植物園、水族館、スタジアム、舞踏場、劇場、映画館、美術館、図書館等の施設の数は五〇余り、無数の噴水、自然と人工の森、沈床式の薔薇園、彫刻、花壇、四阿、芝生の際限なき連なり……それらにより内部は構成され廊下の総延長は六〇〇キロ、部屋の数は四〇万を超え、従事する女官・侍従は約五万、その他の使用人を含めた数は二〇万近い。

 

 宮殿を守護する近衛軍団は宮廷内部を華美な軍服で警邏する二万名の衛兵隊、そしてより実戦向きの戦車・航空機・水上艦艇まで保有する四万名の親衛隊を合わせた六万名の精鋭からなり、そのほか内苑こそ人力による警備ではあるものの外苑を含む宮殿への主要出入口は無数のセンサーと監視カメラ、無人防衛システムが鉄壁の警備体制を敷いていた。

 

 銀河においてここまで華美でいて、広大で、そして安全な場所は他にないであろう。銀河の美と富を集約させたそこは正に地上の楽園と呼ぶに相応しい威容を誇る。

 

 尤も、そのような楽園の住民が必ずしもそれに相応しい精神性と才覚を有するとは限らない。北苑の一角、両手の数ある皇帝の謁見室の一つ「黄玉の間」にて報告を聞く至高の存在を見ればそれは明らかだ。

 

 豪奢で格式ある椅子に座るその存在は、しかしその華美に彩られた空間の出で立ちと正反対に酷く陰気な人物に見えた。

 

 顔立ち自体は悪くはない、寧ろ平均を遥かに超える水準で端正に整っており、仮に活力と暖かい微笑みをその容貌に称える事が出来れば振舞い方次第では多くの女性の心を射止め、顔を合わせる名士達に好印象を与える初老の紳士に変貌する事であろう。

 

 だがその表情は奇妙なほどに困憊し、無気力で、虚弱で、陰鬱そうな印象を謁見する者に与えている。老人、とまでは言えない年齢ながらその疲れ切った姿は見る者に実年齢より二〇は歳を重ねているようにも窶れて見えた。

 

 何よりもその瞳は今世に関心が無いかのように冷淡で、何事にも無関心なように見えた。

 

 至高の玉座に座りながらそこに何の感情も無く、寧ろ不満すら感じられそうな態度、それが却って一部の者達の反発ないし侮蔑の原因にもなっているように思われる。

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国第三六代皇帝フリードリヒ四世はこの年五二歳。政務にも戦争にも、狩猟にも、芸術にも音楽にさえ関心を示さず、唯々薔薇の世話と漁色のみを趣味として生きる男は頬杖をしながら今一つその感情を伺いしれない表情でその報告を受けていた。

 

「……陛下?僭越では御座いますが御聞きでいらっしゃいますのでしょうか?」

 

 余りに反応が無いために国務尚書リヒテンラーデ侯は不敬である事を承知でも、ついそのように確認してしまう。内務・宮内・財務尚書を歴任し、前任の国務尚書ノイエ・シュタウフェン公の引退と共に昨年その職務についた彼は、しかし門閥貴族の出ではあるものの決して名門中の名門と言う訳ではなかった。

 

 リヒテンラーデ家は帝国開闢期の権門四七家に含まれない、三〇〇年余りの歴史しかない新興の伯爵家でしかなかった。だが本人の保守的で独創性は無いが誰もが無難と認める仕事振り、そして長らく帝国の国政を支配していた四七家も断絶、あるいは没落や亡命によりその半数近くが有名無実化しているがためにその役職に任じられていた。

 

「……うむ、聞いておる。確か………式典であったか?」

 

 そんな背景を持つ新任の国務尚書の質問に我に返ったかのように瞬きをした皇帝は、しかし倦怠感を隠そうともせずに、緩慢にその頭脳を働かせ、ようやく思い出したかのようにその報告の内容を答える。

 

「その通りで御座います、陛下。先日の叛徒共の侵攻の阻止と懲罰から軍が帰還致します。つきましては此度の戦勝を祝し、帰還部隊の閲兵式と祝宴が御座いますればその報告を」

「そうかそうか、祝宴であったな。相分かった、そちらの準備については卿に任せる。関係各所と良く話して形式と進行を決めよ。………はぁ」

 

 心底詰まらなそうにそう欠伸すると、皇帝は気怠そうに席を立ち歩き始める。

 

「陛下?」

「おお、伝え忘れていたな。まだ薔薇の世話をしていないのだ。一日でも手入れを怠れば薔薇園はすぐに荒れてしまう」

 

 そう口にしてフリードリヒ四世は傍らに控える初老の侍従武官グリンメルスハウゼン准将を連れ若干危なげな足取りで「黄玉の間」より立ち去る。国務尚書リヒテンラーデ侯にそれを止める権限は無く、残る報告は薔薇園の世話の後にと判断して少なくとも形式的には敬意を込めて、恭しく頭を下げそれを見送った。

 

「……陛下、此度の落胆心中をお察し致します」

 

 暫し庭園の回廊を歩き、周囲に聞く者がいない事を確認した上で初老の侍従武官はふとそう答える。

 

「……あれには特に期待をしていたのだがな、どうやら『今回も』駄目らしいな」

 

 心底幻滅するような、儚むような口調で溜息を吐く皇帝。これまでも幾人も自身を睨みつけるその目を見て来た、そして期待をかけて来たがその悉くが途中で脱落した。しかしブランデンブルグ伯爵、彼はその野望に釣り合うだけの才覚と幸運が確かにあり、皇帝としてもそれに期待していたのだが………所詮はここまでの人物であったらしい。

 

「なかなか、上手くはいかんものだな」

 

 自嘲気味にうっすらと、陰気な笑みを浮かべる皇帝。幾らその柱が腐り、屋台骨は軋んでいるとはいえ五〇〇年もの間続いた体制は強固、という訳か。それとも……。

 

「確か同盟とやらにも居たな、確か………」

「ブルース・アッシュビー、で御座いますかな?」

 

 言葉に詰まるフリードリヒ四世に、グリンメルスハウゼン子爵は尋ねる。

 

「おお、確かそのような名であったな。はて、アッシュビーにせよ、伯にせよ、真に幸運の女神に見放されたが故の末路か、それとももっと恐ろしい悪神の悪戯か、気になる所ではあるな」

 

 ブランデンブルク元帥(死後二階級特進)は確かに前線に向け移動を開始していたし、盾艦も喪失していた。だがそれなりの護衛を周囲に置いており、乗艦自体も旗艦級の大型戦艦、たかが電磁砲一発で司令官が戦死する確率は決して高くはない。そして伯爵はその早い出世と領地の返還のために清濁織り交ぜた手段を使い大貴族より敵意を買っていたし、その出自から叛意も極一部では囁かれていた(そしてそれは完全に流言という訳でもない)。果たして全ては偶然であるのか……。

 

 皇帝と侍従武官が薔薇園に着くと、園の一角に置かれたベンチにその老人の姿があった。侍従武官は急いで駆け寄り、麗かな日差しを浴びて昼寝するその人物の肩を揺する。

 

「アイゼンフート伯、起きて下され。皇帝陛下の御前で御座いますぞ」

「ん…んんっ?……ふあぁぁ……おお、これは陛下、本日は実に良い昼寝日和で御座いますなぁ」

 

 グリンメルスハウゼン准将に起こされた典礼尚書ヨハン・ディトリッヒ・フォン・アイゼンフート伯爵は至高の存在の前で情けなく涎を垂らしながらぼんやりとした口調で答える。

 

「ふむ、誠にその通りであるな、アイゼンフート伯」

 

 皇帝に対して非礼とも言える伯爵の態度に、しかしフリードリヒ四世は朗らかに微笑みながら応じた。グリンメルスハウゼン子爵と同じくその皇太子時代に何度も世話になった恩義ある老人に、人目に触れるなら兎も角このような他者の視線が無い場所でそこまで厳しく礼儀を求めるつもりは無いようであった。

 

「して、何ようかな伯爵?形ばかりの典礼尚書とて決して暇ではなかろう?」

 

 貴族間の養子縁組や婚約、財産相続、爵位の授与、紋章の管理、貴族年鑑の作成、一部の裁判等を司る典礼省は世間一般で言われる程軽視される部署ではない、寧ろ宮廷という貴族だけの社会においてはその格式や権威にも関わるために重要な役職と言えた。

 

 そしてそれは形ばかりの尚書と裏で嘲られるアイゼンフート伯とて例外ではない。門閥貴族だけで四〇〇〇家を超え、その他帝国騎士・従士・一代貴族等を含めれば彼らに関わる業務が無い日なぞ無く、判子を押すだけとは言え最終決定をするべき事案は幾らでもあった。

 

「ほぉ……?ああ、そうでしたな。忘れておりました、陛下に御伝えしたい事がありましてな。……ブランデンブルグ伯爵家の財産相続についてで御座いますれば」

「……ふむ、宜しい。薔薇の世話の前であるからな、手短に頼むよ」

 

 恭しく礼をして内容を口にしたアイゼンフート伯にフリードリヒ四世は余り感心は無さそうに、しかし話を進めるように催促する。

 

「はい、伯爵家の財産についてでありますが、その妻の身分が低いために爵位と共にその財産を直系に相続させるのは避けるべきでは、との事です」

「ふむ、誰がそう意見しておる?」

「カストロプ公とブラウンシュヴァイク公で御座います」

「ほぉ、公爵達がか。……ははは、成る程な。分りやすいものだな」

 

 宮廷の禿鷹として有名なカストロプ公爵家は一時期没収されたブランデンブルグ伯爵領の管理を行っていた事から少なからず領地の権益に食い込んでおり、ブラウンシュヴァイク公爵家は随分遡るがブランデンブルグ伯爵家と遠縁であり、養子を送りこめばその財産の相続権を得る事も不可能ではない。

 

 一方、故人となった伯爵の夫人は帝国騎士(尤も四〇〇年は続くそれなりに格式のある家ではあるが)であり、没落したとはいえ大貴族であるブランデンブルグ伯爵家とは寵姫としてなら兎も角、夫人として迎えるには少々格式が不釣り合いであった。当時の彼が如何なる理由でそのような下級貴族を娶ったのかは不明であるが、その結果本人の死後にこのような騒動となってしまったようであった。

 

「如何致しましょうか?」

 

 アイゼンフート伯は皇帝の意志を尋ねる。典礼尚書は皇帝が死した伯爵になにがしかの期待をしており、極めて迂遠で内密にではあるが便宜を計っていた事に気付いていた。まして今回口を挟んできたのは大貴族二人であり、一人は皇帝の娘婿となれば至高の存在の意向を窺うのはある意味当然であった。

 

「……良い、その夫人とやらに全てくれてやると良い」

 

 皇帝は暫しの沈黙の後、皇帝は詰まらなそうにそう答える。

 

「宜しいので?」

「……夫人の姿を見たことがある。もう熟れた未亡人は好みではないが、このままあの美しい伯爵夫人が困窮するのは寝覚めが悪いしな。よいよい、爵位や領地なぞくれてやれば良い」

 

 皇帝らしくない私情に溢れた理由でフリードリヒ四世はそう理由を伝える。

 

「……では、その命の通りに」

「うむ、世話をかけるな」

 

 そうアイゼンフート伯爵の応対に礼を述べる皇帝。

 

 アイゼンフート伯爵は世間では賄賂でその地位につけただけの勘が悪く、感性も鈍い無能な人物と言われる。その評価は事実であるが、同時にだからこそ大貴族の陰謀の片棒を担がせられる事も、その地位を乱用する事もなく、またその意向に反しようとも過剰な敵意を抱かれる事が無かった。そしてその鈍さは時として皇帝の意向をその事実を隠しつつ実施するのに極めて適していた側面も否定出来ない。

 

 退出するアイゼンフート伯爵を一瞥した皇帝は、しかしすぐに無気力な表情で黙々と薔薇の手入れを始める。

 

「のう、グリンメルスハウゼン」

「はっ、何でございましょう皇帝陛下?」

「余の望むような存在は、いつになれば現れるのであろうかな?」

「陛下……」

 

 侍従武官が皇帝の言葉の意味を理解し、力無く呟く。フリードリヒ四世はそんな侍従武官の顔を一瞥すると穏やかな表情で独白する。

 

「腐りきって醜悪に崩れる位ならばの、いっそ華麗に業火の中で焼き尽くされる方が美しい、と余は思うのじゃ」

「………」

 

 侍従武官は、皇帝のその言葉に答える言葉が無く、唯静かに皇帝の傍に立ち続けるのみであった………。

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、「新無憂宮」より百キロ余り離れた地、鳥達は歌い、草木は瑞々しい青色から黄金色に染まりゆく季節……そんな秋を感じさせる帝都郊外の丘を少年は駆けていた。

 

 少年にとっては今日という日は特別であった。この時期の帝都は夏から秋に変わろうという麗かな季節であり、絶好のハイキング日和である。毎年この時期になると少年は姉と共に美しい帝都を見下ろせるこの丘でハイキングするのが習慣であり、幸福であった。まして今回は初めて少年の友人も交えての事、興奮せずにはいられなかった。

 

「遅いぞっ!早く来なよ!」

 

 少年は自身を追いかけようとして、しかし息を切らして疲れ果てる親友を見ると、振り返りながらそう叫ぶ。

 

「ま、待ってよ……!」

 

 少年の親友は肩で息をしながら呼び掛ける彼に顔を向けた。そして一瞬その姿に息をする事を忘れた。

 

 それは決して異常な事ではない。その姿を見た者は誰もが同じようになる事であろう。

 

「熾天使」、誰もがまず第一に少年の容貌をそう形容する事になるだろう、美しい黄金色の髪に氷蒼色の瞳は鋭く、力強さと快活さと自信に満ちていた。それは正に一流の彫刻家が丹念に大理石を削り取って産み出した彫像であり、美神の寵愛を一身に受けた芸術品であったと言えよう。

 

「?どうしたんだ?ぼっとして……寝ぼけているのかい?」

 

 見惚れていた親友の姿を見やる少年は心底不思議そうに首を傾げる。自身の美貌に頓着しない少年はそれ故に親友の受けた衝撃を理解する事が出来なかった。

 

「貴方が急かすから疲れてしまったのよ?もう少し私やジークの事も考えて下さいね、皆貴方のように元気が有り余っているわけではないのですよ?」

 

 小鳥の囀ずりのような美しい声音であった。赤毛の少年はその声に誘われるように振り向く。そこには白いつば広帽子に同じく白いワンピースを着てバケットを手にさげ、ゆっくりと丘を登る女性が微笑みながら佇んでいた。

 

「女神」そう形容するに相応しい姿であった。少年との血の繋がりを感じさせる豊かな金髪に氷蒼の瞳は、しかし少年のそれよりも慈愛の優しさと柔らかさを感じさせる。服装こそ大貴族の娘が着こなすドレスよりも粗末な物であるがそのような物、所詮は飾りでしかない事が彼女を見れば分かるだろう、寧ろ飾らない姿が彼女の清楚な印象と見事に調和する。

 

 美女神の生まれ変わりを彷彿させるその美貌の前に純朴で幼い赤毛の少年はその頬を髪の色と同じくらい赤く染め上げていた。

 

「だって姉さん、早く登らないと時間がなくなっちゃうじゃないか!ほら、キルヒアイス、もう少しだから頑張ろう?」

 

 金髪の少年は赤毛の親友に手を差し出して共に行こうと急かす。まだ朝から昼に変わる前ではあるが少年にとってはそのような時間はあっという間に過ぎ去っていく事を自身の経験からよく知っていた。楽しい時間というものはいつだってその体感出来る感覚では風のように過ぎ去ってしまうものなのだ。

 

「もう、無理を言わせないの!貴方はそうやっていつも無理矢理……」

「いいよ、行こう!」

 

 押しが強く独善的な面のある弟に姉が叱ろうとするが、赤毛の少年は弟の提案を受け入れた。この天使のような姉弟が喧嘩をする姿なぞ見たくなかったし、それ以上にその上気する顔を走って誤魔化したかったのだ。

 

「ほらっ!キルヒアイスもこう言ってる!さぁ行こう!」

 

 若干不満気な姉の姿を気にせずにその輝く美貌を綻ばせ金髪の少年は親友の手を取り丘を駆け上がる。赤毛の少年はちらりと後ろを覗き込むと溜息をつく姉に心の中で謝罪した。

 

 三人は丘を登り切ると、その頂で彼らは宇宙時代には似つかわしくない近世ゲルマン時代の趣を漂わせる赤煉瓦の帝都を一望する事が出来た。

 

 約五〇〇年に渡り人類社会の過半数を支配してきたゴールデンバウム朝銀河帝国は神聖不可侵なる銀河帝国皇帝を頂点に、人口の〇・一%にも満たない門閥貴族が帝室を支え、細分化すれば一〇〇を超える階級により厳格に臣民が区別される専制君主国家である。少なくとも建前上は質実剛健を旨としておりかつての銀河連邦の如き堕落した生活様式や娯楽は排斥される。高度な科学技術は存在するもののそれに頼り切るのは惰弱とされ、人々の生活空間はさながら地球時代の中世から近世欧州を意識させるものだ。

 

 尤もそれが完全に悪であるか、と言えばそうは言い切れない。人々の生活は厳しく制約されているがそれ故に犯罪発生率は決して高い訳でもなく、社会保障制度は十全ではないが国家の方針でアルコールや煙草の販売には規制が多く、また運動や病気に対する予防・健康診断・早期治療の制度は潤沢であり、規則正しい生活を強制されている。その甲斐があってか臣民の健康寿命ではサジタリウス腕の反乱勢力やフェザーンよりも良好とも言われている側面もあった。

 

「あっ!姉さん見て!宇宙戦艦達が帰ってきた!」

 

 青々とした空を見やげた金髪の少年は姉に対して雲の隙間から現れるそれを指差した。

 

 唸るような轟音を響かせて天空より降下した巨大な鋼鉄の群れが彼らの視界を横断した。それは戦艦であり、巡航艦であり、駆逐艦であった。もしより詳しい者がいればその艦に刻まれた紋章からその所属がグライフス大将率いる第二猟騎兵艦隊の先遣部隊である事が分かったであろう。第四次イゼルローン要塞攻防戦とその後のダゴン星系征伐作戦に参加しその勝利に貢献した功労艦隊である。

 

 尤も少年は然程国営テレビ局のニュースを見るような性格ではないためにそこまでの事は知らない、唯漠然と辺境の共和主義者への懲罰から帰ってきたのだろうと推測し、親友の赤毛の少年もまた頷いて肯定する。赤毛の少年の方は一か月程前に軍務省が発表した布告を覚えていたし、それ以上に印象深い出来事があったためだ。

 

「うん…二軒隣りの軍人だったお兄さん今回戦死したって」

 

 二軒隣のフォスター家の軍人の息子とは決して深い関係ではなかったが小さい頃からの馴染みであり、挨拶や交流があった彼の事を赤毛の少年は少なくとも嫌ってはいなかった。帝国軍からの通達官が青年の家族に「名誉の戦死」を伝えた時、その初老の母親の泣き叫ぶ声は少年の部屋からでも聞こえ、そして「共和主義者」に恐怖を抱いたのを覚えている。

 

 帝国の辺境を占拠し、退廃的で冒涜的な「共和主義思想」を布教する反乱軍は帝国の秩序を壊乱し、人類社会を堕落させる悍ましい敵であるとギムナジウムでは教えられている。ついこの前も帝国の豊かな富を略奪するためにイゼルローン要塞に大軍を以て攻め入り撃退されたと伝えられていた。

 

 しかも不逞な反乱軍は散々に打ち負かされた後、逃げたと見せかけてから闇討ちを仕掛け侵攻を防いだ帝国軍司令官を殺害したという。優秀な指揮官であり大貴族であったらしく皇帝陛下はその報告に涙し、哀惜の念を込めその指揮官に元帥号と勲章を送ったという。

 

 少し怯え気味の赤毛の少年に対し、しかし金髪の少年はどちらかと言えばより陽性な反応であった。寧ろ男の子らしく笑みを浮かべて艦隊を見やり口を開く。

 

「僕らにも二十歳になったら兵役がある、皇帝陛下の御ために共和主義者と戦うんだ!」

 

 目を輝かせて艦隊を見て語るそれは、どちらかと言えば心からの帝室への忠誠というよりかは戦隊物のヒーローに憧れるそれに近いように思われた。それ程に少年は恐れ知らずであり、純粋無垢であり、自信に溢れていたのである。

 

 無論、少年は兎も角その姉まで弟程に物事を楽観的には見てはいない。兵役と言っても選抜徴兵制の帝国で全ての青年が軍役に就く訳でもなく、広大な帝国内において共和主義者と争うのは辺境の辺境だ。選ばれるか分からない徴兵の中で更に優先的に志願兵が配属される前線勤務に徴兵された弟が送り込まれ戦死する可能性は十に一つ程度しかない。それでも姉にとっては大きすぎる可能性であった。そして気の強い弟の気質ならば進んで前線に出てしまう可能性も無くはないのだ。

 

 姉の表情に陰りが見えた事に赤毛の少年は僅かに気付いた。しかし姉はすぐにその不安げな表情を隠して弟とその友人に笑顔を向け呼びかける。

 

「……さぁ、二人ともお昼にしましょうか?サンドイッチに、温かいフェンネルのポタージュもあるわよ?」

 

 その呼びかけに二人の少年は先ほどの会話も忘れて歓声を上げる。まだまだ食い気が第一の年頃なのだ。

 

 シートが野原に敷かれ、バケットから御馳走が取り出される。最もシンプルなバターパンは当然として厚切りソーセージを挟んだレバーケーゼ、ホイップクリームと果物を挟んだフルーツサンド、そのほかにもザワークラウトやトマト、玉葱にベーコン、エッグディップ、塩漬け鰊にスモークサーモン等、種類は豊富だ。

 

 姉が取り出した魔法瓶にはフェンネルのポタージュが含まれ、カップに注がれるとそれは出来たばかりの時と同じく湯気を湛え豊潤な香りが漂う。そのほかポテトパンケーキにチーズ、焼き栗、二人の御馳走にして姉の得意料理の一つ巴旦杏のケーキは早い者勝ちだ。

 

 金髪の少年はシートの上で姉の愛情一杯の料理にかぶりつく。そして上空を飛ぶ軍艦の群れを笑みを浮かべ見つめ続ける。そして期待と冒険心、そして僅かの英雄願望を含んで小さく口ずさむ。

 

「いつか……僕も、あの船に乗って……星の大海へ………!」

 

 少年のその呟きは彼の赤毛の友にも、最愛の姉にも聞こえなかった。そして少年にとってもこの時点ではそれは純粋な子供の夢と好奇心に突き動かされただけの言葉であった。

 

 しかしこの数か月後、少年はより激しい意志に突き動かされ星の大海に向け歩み始める事になる。この頃よりもより強固で、より激情的で、より苛烈な意志を含めて……強い、そう誰の言い成りにもならないための力を求めて。

 

 だがしかし……少なくともこの時点ではそのような事を考えず、屈託の無い笑みを浮かべ、永遠のような幸福の中で少年ラインハルト・フォン・ミューゼルは呟いたのだった……。

 

 




原作キャラの再現が難し過ぎぃ

皇帝は現在はノイエ版で原作の頃にはOVA版位に老け込む予定

グリンメルスハウゼンとの会話はつまり獅子帝以外にも候補は沢山いたって話(尚クリア出来たのは獅子帝のみの模様)、典礼尚書は日向ぼっこ提督と同類な油断出来ない無能枠です



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第八章 首都星の捕虜収容所勤務なら気楽に勤務出来るとおもったか?
第九十七話 ちょっと突っ込み所が多いけどどうせ最後で凍りつく


漆黒の宇宙の中で次々と光球が生じていた。

 

「第三分艦隊、エネルギー中和磁場出力四〇%に低下!砲火を避けるため二光秒下がります!」

「第五分艦隊第65戦隊損害率一五%に到達!これ以上の戦線維持は困難のため第61戦隊と交代します!」

「帝国軍中央艦隊、速力上昇……前進します!」

 

 第三艦隊旗艦「モンテローザ」艦橋内で端末を操作しながらオペレーター達が緊迫した表情で次々と報告を伝える。

 

 宇宙暦787年11月4日、シャンダルーア星系第七惑星周辺宙域にて同盟軍第三・第五艦隊及びその他独立部隊は帝国軍第四重騎兵艦隊及び第三・第六軽騎兵艦隊と激戦を繰り広げていた。

 

 同盟軍の総兵力三万一〇〇〇隻は第三艦隊・第五艦隊が長方形の陣形で並び後方にその他部隊が予備として展開する。対する帝国軍は三万八五〇〇隻であり三個艦隊が魚鱗の陣で横に並び同盟軍と正面からぶつかり合う。戦力的には帝国軍が有利、同盟側は地の利と補給の利があるものの帝国軍の激烈な砲火の前に損害こそ然程ではないもののその戦列を崩しつつあった。

 

「落ち着け!突撃する敵艦隊の先端に砲火を集中!ピンポイント攻撃で出鼻を挫くのだ、全艦火器管制システムのデータリンク接続!三……二……一………撃て!」

 

 ヴァンデグリフト中将の命令に従い第三艦隊は一斉に砲弾をばら蒔きながら突撃する第四重騎兵艦隊第二梯団、その先頭部隊を狙い撃ちする。圧倒的な火力の奔流を前に最前列にいた数十隻が瞬時に火球と化して、その後続の一〇〇隻近くが撃沈ないし大破して無力化される。

 

 だが相手は大型艦を中心にして大規模会戦を前提とした重騎兵編成の艦隊である。この程度の砲火に怯む事はない。直ちに報復の光条が第三艦隊を襲い最前列の十数隻が撃沈されてその陣形に亀裂が生じる。

 

 勇将として知られる帝国軍第四重騎兵艦隊司令官フォルゲン大将はこの機を逃さず一気に帝国軍の得意な近距離戦に持ち込もうとした。リュドヴィッツ中将の第三軽騎兵艦隊、カイト中将の第六軽騎兵艦隊がそれに続く。手数で勝る帝国軍は第五艦隊の砲火を無視し先に第三艦隊を中央突破して四散させ、その後に第五艦隊を殲滅する腹積もりのようだった。

 

「帝国軍は第三艦隊に注力している、その側面に砲撃を集中させ戦力を削るのだ」

 

 そう命じたのは第五艦隊司令官イェンシャン中将であった。第五艦隊の支援砲撃を受けた帝国軍右翼は少なからず犠牲を出すが絶対的多数はその強力な中和磁場により砲撃を受け止め、隊列に決定的な打撃を与える事は出来なかった。

 

 寧ろ打撃を受けるのは同盟軍である。帝国軍の三個艦隊は同盟軍第三艦隊に数倍する砲火を以て襲い掛かる。だがそこは老練な用兵家であるヴァンデグリフト中将である。第三艦隊は帝国軍の士気こそ高いが見境なく撃ち込まれる砲火に対しシステマチックに隊列を交代する。同盟軍の精鋭はその巧みな部隊展開により隊列の一部こそ崩しつつも辛うじてそれを受け止める事に成功するかに見えた。

 

「今だ!全艦斉射三連!」

 

 だが乱雑に撃ち込まれる砲撃は実は全て計画されたものであった。フォルゲン大将の命令と共に一斉に撃ち込まれた砲撃は先程のものとは打ってかわって極めて精密なものである。その余りの変わり映えにより同盟軍は直ぐ様対応するのは流石に困難だった。次の瞬間には前線で次々と艦艇が爆散する。

 

 帝国軍の先鋒が半ば無理矢理第三艦隊の隊列に躍り混む。駆逐艦がミサイルと電磁砲弾をばら蒔き、巡航艦がその穴を広げ、戦艦は後方からの支援砲撃を行う。あっという間に第三艦隊中央部は分断され、回避行動を行う旗艦「モンテローザ」にもその砲火は及ぶ。幾筋かの光条が「モンテローザ」の中和磁場の前に弾かれる。

 

「司令官……」

 

 戦況スクリーンを一瞥した後、艦隊参謀長ロウマン少将は険しい顔でヴァンデグリフト中将を見やる。ヴァンデグリフト中将は参謀長を見つめ同じく険しい顔で頷いた。

 

「うむ、どうやら……上手く作戦通りにいきそうだ」

 

 第三艦隊の中央を突破した帝国軍は第六戦闘団を中心とした予備部隊三五〇〇隻と激突する事になりその足が止まる。同時に中央突破された第三艦隊両翼が左右両側から襲い掛かり後方を第五艦隊が遮断する。

 

「馬鹿なっ!?何と素早い……!」

 

 第四重騎兵艦隊旗艦「ヴォルヴァ」艦橋内でフォルゲン大将は叫ぶ。中央突破に応じた側面ないし後方展開自体は決して突拍子もない作戦ではない。しかし問題は万単位の艦隊で乱れなく行えるかである。激しい砲火の中で秩序を乱さずに、かつ敵にそれを気付かれないように一見「分断させられた」ように見せる事は容易ではない。まして第五艦隊の後方展開とタイミングを合わせるなどと……。

 

 前後左右から一斉に砲火が襲いかかる。中和磁場の出力で勝る帝国軍艦艇も包囲下ではそれがいつまでも持つ訳ではない。

 

「正面から脱出するしかない!全艦速力全開!」

 

 フォルゲン大将の判断は正しいものだ。包囲下での方向変換は混乱を拡大させるだけであるし、艦隊主力の駆逐艦の火力は正面に偏重している、全火力を以て正面から包囲を食い破る他に道はない。

 

 それを理解するために第六戦闘団を中心とする正面の予備部隊は攻勢よりも寧ろ防御に回った。中和磁場を全開にした上で距離を詰められないように後退に後退を重ねる。

 

 最終的に帝国軍は第六戦闘団の一瞬の隙をついて急速前進、その後第三艦隊左翼と第六戦闘団の隙間より包囲網を脱出するが、第三軽騎兵艦隊副司令官兼第二梯団司令官フレートベルク少将、第四重騎兵艦隊第三梯団司令官レーリンガー少将などを失う事となった。

 

 更にその後、包囲網から脱出した帝国軍は後を追う同盟軍の迫撃により少なからず犠牲を出しつつもシャンダルーア星系より撤退を始め、それはどうにか成功する事になる。11月4日1905時、ここに第四次シャンダルーア星域会戦は同盟軍の勝利で終結する事となったのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦787年10月までの時点で自由惑星同盟軍は銀河帝国軍に対して劣勢に立たされていた。

 

 約二年前の第四次イゼルローン要塞遠征後、帝国軍はその報復のため一転して攻勢に転じた。特に遠征からすぐに実施されたダゴン星系への侵攻においては同盟軍は六〇〇〇隻の艦隊と二個遠征軍を以て防備を固めていたものの、メルカッツ中将、オフレッサー大将等の歴戦の名将達を前に半月余りで後退を余儀なくされた。

 

 786年2月頃には宇宙艦隊副司令長官クラーゼン上級大将を総司令官としたサジタリウス腕方面討伐軍が編成され四個艦隊・二個野戦軍相当の戦力が同盟領に雪崩れ込んだ。これに連動して同盟占領地の帝国軍残存部隊も後方で蠢動し始め、同盟軍は戦線を次第に下げざるを得ない状況に発展した。

 

 786年2月から787年10月までに同盟と帝国は戦隊規模の会戦を四六回、分艦隊規模の会戦を一一回、そして一個艦隊以上の大規模会戦を計三回実施した。786年6月のポメラウス星域会戦では同盟軍が勝利したものの786年12月の第四次ドラゴニア星域会戦では引き分け、787年4月の第三次シャマシュ星域会戦では敗北し第四艦隊旗艦アキレウスを喪失する事態にまで陥った。

 

 そして此度の第四次シャンダルーア星域会戦は同盟軍にとっては背水の陣とも言えるものであった。この会戦に敗北すれば帝国軍はエルファシルやカナンと言った有人星系に数十年ぶりに侵攻する事になっていたであろう。シャンプールでは最悪の事態に備え戒厳令が敷かれ、艦隊ローテーションに無理が出るのを承知で二個艦隊及び一個地上軍を展開、最前線の部隊を含めれば五個艦隊三個地上軍相当の戦力が動員されていた。

 

「これで侵攻は押し止められたな」

 

 第三艦隊旗艦「モンテローザ」の食堂にて上機嫌でカルボナーラスパゲッティ大盛の三皿目に手を付ける少しふくよかな軍人……ラザール・ロボス少将は口を開いた。此度の戦いでは帝国軍は三個艦隊を動員した。艦艇の損失は五五〇〇隻から五八〇〇隻と見られる。一方同盟軍は第三・第五艦隊を投入し損失は二二〇〇隻余り、まず文句なしの勝利と言えよう。帝国軍は想定外の損害と戦線拡大による補給不足に陥りつつある。これ以上の攻勢は不可能と言っていい。シャンプールの前線司令部は来年の三月頃には総反撃に移り帝国軍をイゼルローン要塞手前にまで押し返す予定である。

 

「これで少将の昇進もほぼ確定ですな、次は艦隊司令官ですかな?」

 

 航海課副課長コーネフ大佐がナシゴレン定食をレンゲで口に入れながら不敵な笑みで尋ねた。

 

 此度の勝因の一因が第三艦隊の巧緻を極めた艦隊運動とそれを活かした十字砲火にある事は誰もが認める事実であろう。無論艦隊司令官ヴァンデグリフト中将と艦隊参謀長ロウマン少将のタッグも称えられるべきではあるが実際に各部隊の展開を演出した航海課長ロボス少将の功績もまた軽視するべきものではない。

 

 同時に第三艦隊司令官ヴァンデグリフト中将の大将昇進と予備役総軍司令官内定、第六艦隊司令官グッゲンハイム中将の第一方面軍司令官転任、第四艦隊司令部の再編、第一二艦隊司令官エルステッド中将の引退などが重なり近いうちに正規艦隊司令部の大規模な人事異動が行われると見られていた。既に第三艦隊新司令官にルフェーブル少将を、第四艦隊司令官にグリーンヒル少将を昇進させ着任させるなどといった噂が漏れ聞こえている。

 

 大方此度の功績により昇進する事が予想されるロボス少将は第六艦隊司令官着任が有望視されていた。仮に実現すれば長年の希望が現実のものになる訳だ。

 

「うむ、だが他人事ではあるまいぞ?ヴォル坊もハイネセンに戻れば昇進であろう、二四歳で少佐だ。流石だな!」

 

 ここでロボス少将はこの場で食事を共にする私、つまり同盟宇宙軍所属ヴォルター・フォン・ティルピッツ大尉に話を振った。その口調は自身のそれよりも嬉しそうだ。

 

「ええ、そのようです。それにゴトフリート大尉とノルドグレーン少尉も昇進と内々の辞令を受けました。恐らく次の配置換えも決まっているようです」

 

 シュニッツェルをフォークで口に放り込みながら私は答えた。此度の会戦で私は特段の戦果を挙げた訳ではないが士官学校一〇〇〇位内での卒業という学歴とこれまでの功績分の積み重ねから昇進するに値する、と人事部が決定したらしく無事少佐に昇進する事が内示された。二四歳の少佐は士官学校最上位成績卒業組に匹敵する速度であり、叔父殿が喜ぶのも当然だ。尤もそのための功績が叔父殿の脂肪の消費によって為されていると思うと素直に喜べないが……。

 

「若様、御口が汚れております、どうぞ」

「え、ああ」

 

 そのような事を考えて若干顔を引き攣らせていると横合いからソプラノ調の心地よい声が響き、私の口元にナプキンが添えられる。視線を向ければそこには薄い金髪を持った女性が笑顔を浮かべていた。二年前よりこの第三艦隊司令部経理スタッフとして着任したテレジア・フォン・ノルドグレーン少尉だ。その美貌と器量の良さから着任して以来複数回の告白を受けそれを断っていたために唯でさえ集中気味であった私へのヘイトをこの二年間で一層強化してくれた。ほら、今も数名の同僚が憎々し気に私を睨んで「リア充なんて死ねばいいのに」なんて呟いている。

 

「っ……!殺気!?」

「よしよし、お前はいちいち反応するな」

 

 ノルドグレーン少尉の反対側に座るベアトが私に向けられる敵意を察してハンドブラスターを抜こうとしたので抑える。毎回過剰反応過ぎるわ……とはこれまで私に襲い掛かかった事件の数からして言えないが流石に味方撃ちは洒落にならないから止めてくれ。

 

 食堂で食事する際両脇で金髪美女従士が世話兼護衛でスタンバっているのは明らかにヘイトを溜める原因ではあるが今更外せないので仕方ない。悲しい事に不良学生やライトナーの兄が薔薇の騎士連隊に所属しているし、食い詰めは再教育と信頼を得るための功績作りで別の部署送り、もうしばらくはこの護衛体制は変わりそうになかった。

 

「?どうか致しましたか?」

「……いや、何でもないよ、ご苦労」

 

 私の心境を察してか首を傾げながら尋ねる少尉に、しかし私は労いの言葉をかけた。彼女達からすればそれが仕事なのだからここで文句を言っても仕方無い。

 

 私の返事に笑顔で少尉が返答する、同時に遠くから舌打ちが聞こえた。うん、気にしない。

 

 こうして私は帰還航海中、周囲から殺意を持って睨まれる中で食事を繰り返す事になった。おい、会戦中よりも今の方が辛いとかマジかよ!………マジだよ。

 

 さて、宇宙暦787年12月1日、そんな苦難の航海の末に惑星ハイネセンに帰還した私はそのまま軍都スパルタ市にて正式に少佐への昇進と第四次シャンダルーア星域会戦従軍章授与が為された。ほぼ同時刻、別室にてベアトとノルドグレーン少尉がそれぞれ従軍章と少佐・中尉への昇進が通達されている事であろう。

 

そして同時に次の赴任先についても提示される。

 

「捕虜収容所、ですか?」

 

 書類に目を通した後の私の疑問を含んだ声に統合作戦本部人事部のリバモア准将が頷いた。

 

「うむ、少佐にはハイネセン南大陸ヌーベル・パレ郊外のサンタントワーヌ捕虜収容所に着任してもらう。役職は参事官補、着任は12月4日付だ」

「了解致しました。ですが捕虜収容所でありますか……」

 

 敬礼して答えた私は、しかし歯切れの悪い口調で言い淀む。

 

 私だけなら兎も角、士官学校の上位卒業者であるベアト、それに亡命軍から移籍しているノルドグレーン中尉まで同じ捕虜収容所に異動する事が書類には記されていた。首都星に置かれた大規模かつ特殊性の高い捕虜収容所である。決して軽視出来る施設では無いが到底士官学校卒業者二名と亡命軍からの預かり士官を送り込む場所とも思えなかった。まさか帝国公用語が分かる通訳が不足している訳でもあるまい。しかもこの時期である、明らかに不自然な人事であった。

 

「問題はあるかね?」

「いえ、御座いません!」

 

 何はともあれ軍隊に於いては基本的に上官の命令には絶対服従である。まして軍規に違反するなら兎も角たかが赴任先に文句を言う事が許される訳がない。

 

「……察しの通り、此度の任務は唯の看守ではない」

 

 私の表情から疑問を汲み取ったのか、リバモア准将は手を組んで私の疑問に答える。

 

「少佐の赴任を命じたのは中央からの指示だ。少佐の出自を活かしてとある人物達を我々同盟の協力者に引き入れたいと考えている」

「とある人物、ですか?」

 

 リバモア准将は頷いて茶封筒をデスクから取り出し差し出す。私はそれを受け取り、准将の方を伺う。リバモア准将の許可を得ると茶封筒から資料を取り出し目を通した。

 

「これは……」

 

 一瞬、私は絶句するように口を開く。これは……ある意味大物だなぁ。

 

「この情報は事実なのですか?」

「ほぼ間違いない。各種の裏付けの結果十中八九、該当人物であろうと予想されている」

 

 資料を読み進めれば各種調査の結果も記されている。見る限りほぼ本人である事は間違い無い。

 

「成程………しかし、具体的にどのような形でこちらに引き入れるのです?」

 

 私はリバモア准将に尋ねる。協力者、と言っても同盟がどのような条件を提示するのかで交渉の仕方は変わってくる。

 

「そこを含めての調査だよ。協力の意思を示させ、そのための条件を聞き出す。そのために帝国社会・文化的に近しい価値観を共有する少佐の力量に期待したいと考えている、というのは表向きの理由だ」

 

 そこで准将は視線を細める。

 

「本件における貴官の推薦は国防事務総局からのものだ。話によれば貴官は貴族達の中では比較的『まとも』らしいな」

 

 僅かに嫌味を含んだリバモア准将の発言。それは本音が半分、こちらの反応を探るのが半分と言った意味合いが感じ取れた。それにしても……国防事務総局、か。

 

「この件、統合作戦本部情報部の耳には?」

「捕虜からの協力者のリクルート、とは伝えている。が……」

 

 本命の存在は知らせていない、と。

 

 私はリバモア准将を見やる。この人もある意味では苦労症かも知れない。統合作戦本部に身を置く立場で国防事務総局の口聞きをしないといけないとはね。

 

 統合作戦本部と国防事務総局は軍令と軍政の関係にある。より正確に言えば統合作戦本部は実戦部隊を管理し、対帝国戦争・国内治安維持・外縁領域等の防衛のための作戦立案・実施を行う部署であり、国防事務総局は文民からなる国防委員会の下で軍事戦略の策定と同盟軍の監督・管理を行う事になる。

 

 ……正直分かりにくい説明だろうから分かり易く砕けた言い方をするべきだろう。国防委員会が政治の都合に従い政治家や官僚達が軍部の方針を決め、国防事務総局はその助言や実際の事務を行い、統合作戦本部はそのガイドラインに従って作戦を策定し実戦部隊を指揮する訳だ。

 

 こう説明すれば国防事務総局からの指示であるという言葉の意味も分かるだろう。即ち統合作戦本部をパスして政治家連中が行いたい任務である、という事だ。そしてリバモア准将の発言などから加味して私に話を振った奴らが誰かは想像がつく。

 

 ………ヤングブラッドと統一派辺りだろうなぁ。あれか、士官学校での貸しを返せ!的な?

 

 ……まぁ真面目な話、対象が対象だからな。最低限交渉するまでに帝国にて高貴な立場に身を置く者である必要があり、尚且つ内容からして亡命政府が知ったら、それ以外の派閥も自分達のために利用しようと横槍入れてきそうな人物だ。統一派としてはどの立場として利用するとしても各派閥が群がって揉みくちゃにして欲しくはない筈だ。つまり貴族でありしかも亡命政府にいきなりチクらないまともに話が出来そうな人物として私に白羽の矢が立った訳だ。

 

「無論、国防事務総局からのサポートは為されるとの事だ。作戦に関する内容が漏れたとしても貴官に累が及ぶ事はない。満足いく結果を残した場合は昇進も確約しよう」

 

 貴重な手駒をここで使い潰したくないから、とは言わないが多分内心で口にしている事は間違いない。そして私がここで任務にノー、という事が出来る空気では……無いんだろうなぁ。

 

 結局の所この手の任務は白羽の矢が立った時点で逃げ道は最初から塞がれているのが御約束である。私は幾つかの質疑応答をして細部の確認を行うと恭しく敬礼をして任務を受理する事となった。

 

 部屋を出るとベアトとノルドグレーン中尉がソファーに座って会話していたらしいのを止めほぼ同時に直立不動の起立と完璧な動作で敬礼を行う。

 

「若様、御昇進心よりお祝い申し上げます」

 

 代表してベアトがそう祝辞を述べる。

 

「ああ、お前達も昇進おめでとう、次の赴任地については聞いているな?」

「サンタントワーヌ捕虜収容所、と御聞きしましたが……」

「ああ、その通りだ。この時期に前線勤務でないのは少し驚きではあるな」

 

 同盟軍による反攻作戦が数か月後にでも始まろうというこの時期である。表向きで見れば士官学校卒業の艦隊司令部スタッフ経験者を捕虜収容所勤務とは……まぁ後ろめたい任務だが生命の危機が無いだけマシと思うべきか。

 

 思えば第四次イゼルローン要塞攻防戦の後も艦隊司令部勤務なのに危険度マシマシな経験ばっかだったなぁ……ルンビーニでは無人防衛衛星の誤作動でミサイル撃ち込まれてシャトルが撃墜されかけたし、シャンプールでは現地の遊牧民に拉致されたし、スヴァログでは宇宙海賊と鉢合わせた。………良く二階級特進しなかったな私。

 

「若様……?大丈夫で御座いますか?何か体に不調でも……?」

 

 遠い目をしていた私の様子にノルドグレーン中尉が心配そうな表情で尋ねる。うん大丈夫、多分、きっと、恐らく………。

 

「ああ、大丈夫……だといいなぁ」

 

 流石に今この瞬間に統合作戦本部ビルがいきなり崩落するような事はない筈だ。もし崩落したら設計士は全員つるし上げてやる。

 

 ハイライトの消えた眼差しでそう嘆息する私をノルドグレーン中尉が心底心配そうに見やり提案する。

 

「僭越ながら、此度の出兵とシャトルの酔いで疲労が溜まっておられるようにも見えます。このままお帰りになるのも良いかと具申致します。幸い此度の業務はもうありませんし次の赴任まで余裕もありますので問題は御座いません」

 

 クレーフェ侯爵が主催する私を始めとした同胞の帰還と昇進を祝う祝賀会は明後日、次の赴任地に向かうのは同じハイネセン上のため飛行機で一日で済む。荷造りも軍人であるためにそこまでの物は無いし、いっその事現地で改めて購入しても良い。そのためこのまま自宅に帰って休息に一日を費やしても確かに問題は無かった。

 

 心底心配そうにこちらを見つめる中尉。しかし、少し悪い気もするが私はその申し出を断る。

 

「いや、少し寄りたい所がある。同じスパルタ市内だから問題は無いだろうが……来るかね?」

 

 最初から答えは分かりきっているが一応そう尋ねる。

 

「ベアトリクス・フォン・ゴトフリート少佐、若様に御同行をさせて頂きます」

「同じくテレジア・フォン・ノルドグレーン中尉、僭越ながら同じく御同行をお願い申し上げます」

 

 二人の女性士官はほぼ同時に優美な敬礼を行い、恭しくそう宣言した。まあ、放っておいたらいつ死ぬかも知れない主人だからね、仕方ないね。

 

「そうか、それでは……行こうか?」

 

 内心迷惑しているのだろうな、と考えながら二人にそう命じ、私は目的の場所に足を向けた。

 

「で、ここに遊びに来たのかい?」

「ちょっと、地味に辛辣過ぎない?」

 

 取り敢えず統合作戦本部資料部付に赴任しているパン屋の二代目のような顔でパンを頬張るチュン大尉に私は言い返した。というか資料整理しながら食っていいのか?パン屑資料に落ちているぞ?

 

 そんな私の突っ込みが耳に入っていないのかどこかぼんやりとした眠たそうな視線が私の後方に向いた。暫し逡巡した後に思い出したかのように笑顔を浮かべるチュン。

 

「やぁ、君が話に聞いていたノルドグレーン中尉かい?こんばんは。……そうか、噂は本当だったんだね」

「噂?」

 

 朗らかにノルドグレーン中尉と握手して挨拶した後沈痛そうな面持ちでそう語るチュンに私は何事かと尋ねる。

 

「ああ、結構統合作戦本部でも有名だよ、双子の金髪美女を侍らせて上官である親族の権力を笠に着て艦隊司令部で酒池肉林している貴族士官がいるらしいって」

「謂われ無き風評被害が私を襲うっ!?」

 

 取り敢えず私は叫んだ。資料室内のほかの職員が驚いたかのようにこちらを振り向くがこの際気にしない。

 

「大体スコット君が広めているよ」

「あいつ何処だ!?ぶっ殺してやる!」

「入れ違いになったね、ついさっき第四方面司令部行きの辞令が来たって言って軍事宇宙港に走っていったよ」

 

 苦笑いを浮かべながらチュンは答える。ちっ、勘が良い……っ!!

 

「というかおい、今確認したらあの野郎新しい動画上げているんだけど。つーかこれこの前の食堂のだよな?どこであいつ撮ってたの?ちょっと怖いんだけど」

 

 スコットに文句言うために携帯端末を確認してみれば「モンテローザ」の食堂で私がノルドグレーン中尉に口元をナプキンで拭かれている動画が同期のSNSに上げられていた。スコットの野郎、第三艦隊勤務ですらないのにどこから動画入手してきたの?

 

「スコットは毎回どこから持ってきたのか、こういう情報を集めるの得意だからねぇ」

 

 因みにこの前はコープとホーランドが繁華街を私服で回っている動画が流れていた。すぐに消去されてその後六日位皆が電話や電子メールで呼んでも返答が来なくなっていたが……(全員が死んだと確信していた)。どうやら生存していたが懲りていないらしい。

 

「全く、あいつそのうち殺されるぞ?それにしても……」

 

 私は控えるベアトとノルドグレーン中尉を見やり、その顔立ちを比較する。

 

「確かに双子にも見えない事もない、か?」

 

 母が従士家から態態似た者を探して来ただけあって実際従士二名は良く似ている。実際二人は遠縁らしく、髪の色が若干ノルドグレーン中尉が薄いほか細やかな点に違いがあるが見方によっては双子に、そうでなくとも姉妹には十分見る事が出来る(尚、理由は言わないが中尉の方が姉に見える事も付け足しておく)。

 

「確かに第三艦隊司令部でも双子か姉妹かと尋ねて来た人はいましたが……」

 

 苦笑いを浮かべるのはノルドグレーン中尉だ。実の姉がいる身としては複雑な気分のようだ。

 

「若様の御世話をする事のどこに問題があるのでしょうか?良く分かりませんが……」

 

 ベアトの方はその行いのどこが話題にされる要素があるのか疑問を浮かべていた。おう、まずそこからか。

 

 そんな事をしていると統合作戦本部憲兵隊所属のコリンズ少佐が眉間に皺を寄せながら部下と共にやってきた。え、煩い?いやだけどこれは……え、第三艦隊司令部憲兵隊から話は聞いている?部下を男子トイレに連れていってただろ?歩く風俗壊乱?いやそれは違っ……アッハイ!

 

 

 

 

 

 

 信じ難い事に同盟軍憲兵隊よりブラックリスト入りしている事実を知らされた私はコリンズ少佐の説得を諦めて資料室から撤退する事にした(決して少佐の後ろに「貴殺」とか書かれたメンポを付けていたり「黄金樹死すべし慈悲はない」とか呟くニンジ……憲兵がいたためではない)。

 

「で、騒ぎに乗じて来てみたが……まぁ後輩君は人生を楽しんでいるなぁ」

「それ皮肉ですか先輩殿?」

 

 従士達やチュンと半分逃げるように資料室を出てから昼食に向かっている途中、士官学校の先輩にあたる第二戦闘団司令部所属作戦参謀ダグラス・カートライト少佐に遭遇する事となった。

 

「いやいや、金髪の尽くす系別嬪さんを二人も侍らせていればそりゃ人生を楽しんでいると考えるさ」

「止めて下さい、これ以上根も葉もない噂を広げる加勢なんてしないで下さい」

「そうよ、余り後輩君を虐めない!」

 

 そう私に支援砲撃をするのはフロリーヌ・ド・バネット大尉だ。こちらはスパルタ市勤務ではなく辞令受け取りのためにこちらに寄っただけらしい。数日後にはマスジット星系警備隊司令部に向かう事になっているそうだ。

 

「少し揶揄っただけじゃないか?ほれ、前空いたぞ?」

 

 そう言ってカートライト少佐が促すと溜め息を吐きながらバネット大尉が前に出て注文する。

 

 二〇万以上の人員が勤務するスパルタ市の軍食堂は豪華であると評判であるが、特に統合作戦本部ビルに隣接するそれは同盟軍の食堂の中でも五本の指に入る味であると評判だ。

 

 各々が料理を注文してトレーで受けとると市内を一望出来るテーブル席の一角に座る。

 

「チュン、相変わらずだな……」

 

 ライヒを注文した(させられた)私は椅子に座ると同期のメニューを見て呟く。サンドイッチと厚切りトーストをセットで頼む変人はこいつ位のものだろう。

 

『同盟議会国防会議は混迷の色を深めています。ここ数年の国防費の増加により与党と野党の対立が深まるほか、与党内からも野党に同調する動きも出ています。ジョアン・レベロ議員は国防委員会に対して国防予算の仕分けを要求しております。レベロ議員の試算によれば人件費及び備品予算の削減、及び不要部署の廃止により最大六%の予算削減が可能と見ており、反戦市民連合を筆頭とした反戦派野党がこれに追従しております。一方与党主流派では来年6月までに790年代国防計画を纏めたい意向であり……』

 

 食事中、食堂に設けられたソリビジョンテレビからニュースが流れ始める。

 

「まだ終わらないのか、政治家先生は気楽なものだな、帝国軍の侵攻が止まった途端にこれだ」

 

 半分呆れ気味にカートライト少佐は語る。先日の第四次シャンダルーア星域会戦が勝利に終わるまでの間議会は軍に殆んど無制限と言えるほどに臨時補正予算を出して帝国軍の侵攻を阻止させた。議会からすれば主戦派からしても反戦派からしてみても帝国軍の侵攻は支持率に影響を与えるものだ。主戦派からすれば支持者が弱腰と批判するし、反戦派からすれば帝国軍の侵攻への不安感から主戦派への鞍替えがあり得る。

 

 だが同盟軍がシャンダルーアで帝国軍の侵攻を挫いた途端に議会の与野党対立が再燃したようで、お陰様で長期国防計画どころか来年度の国防費のめども不明瞭のようであり、上層部も毎日のように政治家と会合し、議会の会議映像を神妙な顔つきで凝視しているらしかった。

 

「いい気なものだ、政治屋共め」

 

 別のテーブルではニュースを見やりそう毒づく者もいた。戦局が好転した途端に政争を始め、結果として同盟は過去多くの軍事的好機を逃して来た前例がある。ダゴン星域会戦後の帝国中央領域遠征案、第二次ティアマト星域会戦後の大遠征案、イゼルローン要塞建設妨害のための七個艦隊による大攻勢案はいずれも政府の反対により廃案となり、結果として帝国を利する事になったという軍部の強硬派や極右政治団体の主張は根強い(尤も失敗の可能性が高い故に廃案となったものが多いのも事実だ)。

 

「まぁ、仕方ねえな。こちとら政府から給料貰っている立場だからな、オーナーの決定に従うのは社員の義務だからな」

 

 カートライト少佐は自虐気味にそう語り、強硬意見を煙に巻く。愛国心というよりは代々軍人だからという理由で同盟軍に入隊した少佐らしい言い草である。  

 

「その表現は不謹慎だけど、一応賛成しておくわ。中央宙域まで攻め込まれてまだ議会乱闘しているなら兎も角、何だかんだあっても議員も状況を見て政争をしているから最後はどうにかなるでしょうね」

 

 ジト目でカートライト少佐を睨んだ後、溜め息を吐きながら渋々と言う表情でバネット大尉は賛同した。

 

 星間連合国家たる同盟は惑星間や出自間、あるいは歴史的、経済的、文化的に少なくない問題を抱えるために諸惑星や団体を代表する議員達が集まる議会は激しい対立が生じるのが常であった。そしてそのような根深い対立があろうとも最終的には統一派を中心に落とし所を見つけ最終的な破綻は回避してきた。

 

 特にここ数十年は主要政党連合である「国民平和連合」がその調整の役割を担っていた。注目すべきは国民平和連合加盟政党自由共和党総裁ロイヤル・サンフォードであろう。当人は人格的な魅力も国民の熱狂的支持もなく、当然壮大な政治ビジョンも有していない。だが利害調整に関して言えば異様なほどの才覚を有している事で有名だ。

 

 事実、過去各党の対立による予算決議の停滞や最高評議会選出議員において同盟議会は何度も機能不全に陥りかけた、しかし最終的には彼の神がかりな交渉術と根回しによりそれを回避してきたのは万人の(不本意ながらも)認める所である。

 

「あの枯れ木の爺さんがねぇ……」

 

 正にソリビジョン上で原稿を読み上げるように議会演説をする初老の議員を見やりぼやく。弱々しく、心もとない姿のあの議員が同盟政界の重役である事は知っていてもそれを認めるのは難しい。

 

『さて、続いてのニュースはあの期待の新人アイドルのサジタリウス腕ツアーについてですっ!』

 

 詰まらない政治ニュースから一転してニュースキャスターは笑顔で宣言した。その言葉と同時にソリビジョンは次の瞬間切り替わり軍人風の衣装を着こなした可愛らしいヘーゼル色の髪と瞳の少女の姿に切り替わる。

 

 ……そして私は即座に真顔で携帯端末を取り出し動画記録モードに入る。

 

『私の歌を聴けー!!』

 

 その掛け声と共に愛らしい笑顔でウインクした美貌を向けるのは別名銀河の妖精シェリ……じゃなく、自由惑星同盟芸能界の誇る新進気鋭の美少女アイドル、フレデリカ・グリーンヒル嬢であった。同時に食堂で食事する軍人の幾人かが「フレデリカちゃーん!!」と叫び迷惑行為として憲兵に連行されていく(ロリコン死すべし慈悲はない!!などと聞こえるが気にしない)。

 

「あの娘は確か学校の解放日の時に見たことがあるねぇ、確かグリーンヒル閣下の娘さんだったっけ?」

 

 サンドイッチをぼろぼろパン屑を落としつつ頬張りながらチュンが尋ねる。

 

「ああ、あの糞生意気な小娘だよ」

 

 私は綺麗に映像が映るように慎重に映像を撮りながら憎々しげに答える。というか待て、一体どうすればこんなバタフライエフェクトが起きるの?何が起きていやがる?……いや私のせいだけどさぁ!

 

 以前グリーンヒル少将に聞いてみた所、私が士官学校の解放日のアイドルコンサートで便宜を図ったせいで小娘が何かに目覚めてしまったらしい。「わたしあいどるになる!」なんて言ってアイドルコンテストに出たらしい。

 

 ……おう。ロリデリカ、アイドルにスカウトされたってよ。

 

 母親の熱心な協力と事務所の有能さも手伝って気が付けば銀河の妖精になっていたらしい。ご免意味分かんない。というか説明してくれたグリーンヒル少将、死んだ目をしていたよ。

 

「あの娘本当可愛いわよねぇ、はつらつで無邪気そうで、前の勤務先でも結構ファンがいたのよ」

 

 バネット大尉は天真爛漫に歌う小娘を微笑ましそうに見やる。尤も私は他の人達程に普通に喜べない。

 

………おい、これどうするんだよ?

 

 いや、正直な話ミスグリーンヒルって実は原作で存在しなくても然程困る存在じゃない気がするけどね?作中で重要な役目を務めるのは査問会と戦艦強奪事件の後の連行時、後は魔術師死亡後のイゼルローン共和政府設立位のものだ。ぶっちゃけ同盟オワコン状態になるアムリッツァ以前にそこまで重要な役目を受け持つ事はない、そして重要な役目のうち前二つは最悪私が手を回せばどうにかなる……筈だ。最後の役目はぶっちゃけそこまで追い込まれた時点で半分詰みだし、最悪代役を出せば良い。つまりこの程度のバタフライエフェクトでは一切問題はないという事でQED。

 

『パルメレントでのコンサートは盛況だったそうですねぇ』

『はい、当初はこのままシャンプール、カナン、ジーランディア、エルファシルに巡興する予定でしたが帝国軍の侵攻の影響もあり、シャンプール方面のコンサートの予定が遅延したそうです。その分パルメレントスタジアムでの開演では臨時チケットが販売されたほか、軍部からも基地内コンサートの要望を受けたそうですから』

『あ、今映像が変わりましたね。観客が軍服……先ほど仰ってた基地内コンサートですね』

 

 映像が途中で変わりパルメレントの第三方面軍司令部集会所での演奏が映し出されキャスター達がそれを背景に感想を述べあう。

 

『今後は12月下旬頃にバンプール星系に、その後1月の終わりまでにはシャンプール星系に到達する予定のようです。これからも我々は彼女の活躍を追い、見守っていく所存です。……さて、CMの後は近年ブームの再燃しつつあるカッシナの天然蜂蜜についての特集です!』

 

 笑顔を浮かべるニュースキャスターの映像が消えると共に旅行会社のCMが流れる。ハイネセン北大陸のアルビカ氷河湖の観光ツアーの宣伝だ。

 

「人気があるのは良い事だけどね……まだ帝国軍の主力は温存されているからねぇ、何事も無ければ良いのだけれど」

 

 CMになると共に厚切りトーストにマーマレードを塗りたくりそれに齧りつきながらチュンが心配そうに呟く。

 

「未だ帝国軍は四万隻近い戦力を保持しておりますから……ですが先日のシャンダルーアでの敗北と補給不足によりその活動も不活発であると聞きます。一方、同盟軍は第三艦隊と第五艦隊を引き戻しておりますが第一〇艦隊の動員を開始しております。四個艦隊に地方部隊を含めれば多少の攻勢は問題になるものではないと思われますが……」

 

ノルドグレーン中尉が現在の戦況に基づき意見する。

 

「そもそも正規艦隊の数が足りないんだよなぁ」

「数年前にようやく第一二艦隊が戦力化したけど……今のままじゃローテーションが厳しいのよねぇ」

 

 カートライト少佐とバネット大尉がそれぞれそれに反応する。そもそも同盟の軌道戦力と言えば星間巡視隊や星系警備隊を除けば主に一二個の正規艦隊と司令部直属の八個の戦闘団、一五個の独立戦隊がその主力だ。一方帝国軍は一八個正規艦隊にイゼルローン要塞駐留艦隊、戦闘艇が主力の弓騎兵艦隊が六個艦隊、これに司令部直属一五個突撃梯団、場合によっては地方部隊である帝国クライスの一〇個胸甲騎兵艦隊(旧式艦艇による四〇〇〇隻から六〇〇〇隻からなる)に貴族の私兵艦隊まで顔を出す。

 

 それでも距離の暴虐と地の利、艦艇の艦隊戦性能により同盟と帝国の均衡は保たれてきた。問題はイゼルローン要塞である。これにより戦争の主導権を同盟は失い補給の利も半減した。国境の防備を固めると言ってもイゼルローン要塞に匹敵する補給能力と自衛能力を有する基地なり要塞を各地に設けるのは財政的に不可能、中途半端な基地と部隊を国境に広く展開するほかない。そうなれば手数と国境部隊の回復力の差から次第に押され始め、正規艦隊を動員すればローテーションに無理が生じ始める訳だ。

 

「最低でも一五個艦隊、それだけなければ余裕を持って帝国軍と対峙出来ないんだけどなぁ……」

 

 現実には財政的にも人的資源的にも今の同盟軍は国家の許容出来る最大規模の軍事力を保有している以上無理であろう。更に言えばこれは艦隊戦力のみでの話だ。地上軍も純軍事的には今の八個地上軍を一〇個地上軍に拡大したいというのが本音である。同盟軍としてはイゼルローン要塞は多くの犠牲を出すのも承知で陥落させなければならない存在であった。

 

 尤もそのために毎回大軍を送っては破れ、結果としてはより同盟軍のローテーションが厳しくなっているのが現実であるのも事実であった。

 

 少し遅めの昼食の後、先輩方二人と別れ、チュンに教えられたスパルタ市勤務の同期を幾人か冷やかし、その後は真面目に第六地上軍司令部や統合作戦本部情報部に顔を出し親族や同胞に挨拶に回る。それらが終われば夕刻を過ぎていた。

 

「地味に遠いんだよな……」

 

 ハイネセンポリス中心部から一〇〇キロ余り離れたスパルタ市からでは士官宿舎が集まるハイネセンポリス郊外のシルバーブリッジは最低でも一時間かかる。私が大尉時代に自宅にしていたのは帝国系下級士官の多い78番街で、無人タクシーで着いたのは0730時の事である。

 

「若様、到着致しました。起きて下さいませ」

「ん?あ…ああ、すまん、寝ていたか?」

 

 ベアトに肩を揺すられ、私は自分が寝ていた事に気付く。どうやらベアトにもたれ掛かっていたようだ。

 

「いえ、お構い無く」

 

 私が謝意を口にするとベアトが笑みを浮かべ返答、どうやらノルドグレーン中尉は周囲の安全を確認していたらしくそれを終えるとタクシーの扉を開き恭しく控える。

 

「うむ、ご苦労」

 

 私は中尉に礼を言うと無人タクシーを降りる。続いて降りたベアトが先行し自宅の扉を開く。因みにベアトと中尉は近くに家を借りているが、実際は付き人として家に待機している事も多かった。

 

 ………女性二名が自宅にいる事実に感覚が麻痺しているとか口にしてはいけない。

 

「もう遅いな……どうする?このまま家で夕食も手間取るかも知れん。このまま何処か車を寄越して食べるか?それとも注文するか……」

 

 自宅に入ってからこのまま従士達に食事を作らせるのも酷な話であると考え、そう口を開く。

 

「そうでございますね、でしたら……いえ、それはお止めになられるのが宜しいかと」

 

 私の案を吟味しようとしたベアトはしかし、次の瞬間それに気付くと小さな声で反対の声をあげる。同時に従士達は私の後方に控えるように起立した。

 

「?それはどういう………」

 

 疑問を口にしようとした次の瞬間、私は肩をすくませる。

 

「お帰りになられたのですか?」 

 

 その声に反応し、廊下の奥から見える小さな影に視線が向かうと共に私は顔を強ばらせた。

 

「げっ……!」

 

 私は思わず誰にも聞こえないくらい小さな声で呻き声を上げ、しかしすぐにそれを誤魔化し穏やかな微笑みを向けて尋ねる。

 

「……フロイライン、こちらにいらしていたのですか?」

「貴方様のお帰りをいち早く御迎えしたいと思い、僭越ながらお自宅に御訪問させて頂きました」

 

 優しげに尋ねると綺麗な、しかしどこか冷たく淡々とした返答が返る。

 

「それはそれは気遣わせてしまった……しかしフロイラインは明日も早い。このような時間になる前に一端お帰りになって、別日に改めて訪問しても宜しかったのですよ?」

 

 気遣い半分、言い訳半分に私はそう言い放つ。  

 

「いえ、此度の出兵で疲れていらっしゃるのは寧ろ貴方様の方で御座います。それに比べれば私のそれは取るに足る物では御座いません。それに将来の旦那様と為られる御方の帰りを待つのは武門の一族の出として寧ろ当然、御気遣いなぞ為される必要は御座いません」

 

 影はそう言って廊下の奥からこちらに向けて歩き始める。そしてシャンデリアの光で明るいリビングに入室すると共に侍女を控えさせた影の姿が照らし出された。

 

 小柄な体つきだった。緋色を基調としたフリルとレースが縫われたドレスはスカート部分は絨毯に完全についている。首元の光に注意を向ければそれがエメラルドの埋め込まれたチョーカーであると分かるだろう。

 

 鮮やかなウェーブのかかったブロンドの髪は艶があり、良く手入れされているのが分かった。海色の瞳はシャンデリアの光で美しく輝き、白い肌は白磁のようだった。

 

 だが、十分に美しいと言える顔立ちはまだ幼さを残し、口元は強く結ばれ、瞳からの感情は伺い知れず、どこか人形のような印象を感じさせた。

 

「此度の出兵における武功を心より御祝い申し上げます、旦那様。このグラティア、不肖の身なれど旦那様の御帰還を楽しみにお待ちしておりました」

 

 ケッテラー伯爵家の長女グラティア・フォン・ケッテラー嬢御年十五歳。政略と打算の末に選ばれた私の許嫁はドレスの裾を優雅に持ち上げ、完璧に形式を整えた宮廷帝国語で淡々とそう口にしたのだった。

 




ノイエ版の中の人のせいでロリデリカが副官からアイドルにジョブチェンジしたようです


許嫁さんは(大体主人公のせいで)地雷の塊です


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第九十八話 この人は多分ぎりぎり原作登場人物の範疇だと思うんだ

 ケッテラー伯爵家は当然の如く銀河帝国開闢以来の歴史を持つ由緒ある家系である。ティルピッツ伯爵家、バルトバッフェル侯爵家同様に武門十八将家の一つであり、ルドルフ大帝時代に伯爵位以上の爵位を授与された権門四八家の一つである。

 

 開祖たるベルンハルト一世はほかの武門の家々同様にルドルフの銀河連邦軍人時代にその才覚を見出だされ、銀河連邦末期から帝政初期にかけて辺境の制圧にその生涯を捧げた。第四代当主レオンハルトは「歴史上最年長の皇太子」ことフランツ・オットー大公の下において軍務尚書としてその役目を十全に果たしたし、流血帝アウグスト二世の時代には当主オスカーは次々と名家の当主が処刑される中堂々とラードの塊に諫言し無事ギロチンにかけられ、引き換えにその息子マティアスは止血帝エーリッヒ二世の治世に帝室から娘を妻に貰う等厚遇された。

 

 そして多くの亡命政府の中核を担う名家同様にダゴン星域会戦後の暗殺と陰謀によって宮廷が彩られた「暗赤色の六年」の時期にケッテラー伯爵家は同盟に亡命する事になる。帝国宮廷内における権力抗争を空気を読まず痛烈に批判した結果ヘルベルト大公派、リヒャルト大公派双方から疎まれた結果だ。この時期に亡命した多くの貴族達同様宮廷の混乱に紛れ多くの資産や領民を伴って、である。

 

 アルレスハイム星系に多くの貴族と難民化した帝国人が集い、そこに宮廷の暗殺劇から逃れたユリウス・フォン・ゴールデンバウムが現れた時、大多数の例に漏れず、時のケッテラー伯爵もまたユリウスに忠誠を誓う事になる。以降星都の置かれたヴォルムス東大陸の一角を事実上の領地として開発する事になった。

 

 傾斜の切っ掛けは亡命軍の英雄にして名将、勤皇家としても名高いブルクハルト・フォン・ケッテラー元帥の存在である。コルネリアス帝の親征におけるアルレスハイム星系攻防戦の地上戦を指揮し、亡命政府の存続に大きな貢献を果たした彼は、しかしその代償もまた比類なきものであった。

 

 ヴォルムスの地上戦においてその熾烈な抵抗と引き換えにケッテラー伯爵家は代々仕える相当数の分家や従士家、食客、奉公人一族を失ったばかりか、亡命してから開発してきた領地は主戦場の一つとなり、元の領地から連れてきた領民も多くが徴兵と戦火により死に絶えた。

 

 その上残る資産の多くも帝室の宮殿の再建や臣下の遺族の扶養に費やされた。結果として戦力や資産を温存して自家の領地の復興を優先したほかの大貴族達に比べ、ケッテラー伯爵家の経済的な基盤は脆弱となった。

 

 無論、帝室はこれを座視していた訳ではない。その献身に報いるべくケッテラー伯爵家に援助を行い、帝室の一族より妻が降嫁した。これによりケッテラー伯爵家は、政治的にはすぐさま凋落する事は免れた。 

 

 しかし多くの臣下を失い、領地も幾らか再建したとはいえ、星都が荒廃した東大陸から北大陸のアルフォードに遷都する等の理由もありかつて程の繁栄もなく、その後の対帝国戦争による消耗も重なってケッテラー伯爵家が少しずつ衰退しつつあった事もまた事実であった。

 

 そして宇宙暦776年の第二次イゼルローン要塞攻防戦はある意味でケッテラー伯爵家にとって止めと言えた。第二次イゼルローン要塞遠征作戦は情報不足の中で決行された第一次遠征もあり亡命政府や諜報機関から情報を収集した上で万全の準備の中で実施された。

 

 情報自体は正確であったが現場の司令官にとっては信用し切れなかったらしい。何せ前回の第一次遠征では計四回に渡り「雷神の槌」を食らい一一〇万人もの犠牲を出したのだ。情報を完全に信用するのは難しいし、そうでなくても要塞への接近そのものが彼らにとっては許容出来ない程に恐ろしい事であった。

 

 割を食ったのは同行していた亡命軍だ。ケッテラー上級大将率いる亡命軍艦隊は同盟軍の動きが予定に比べ鈍く、しかも遠距離無線通信は要塞からの妨害電波により無力化されてしまったために気付かぬうちに敵中に孤立してしまった。

 

 動員された一二〇〇隻のうち七〇〇隻と伯爵家当主でもある司令官ケッテラー上級大将が戦死、従軍していた一族の分家や家臣達も大半がヴァルハラに旅立つ事になった。

 

 遠征後、そこに追い討ちがかかる。戦死した当主には娘と息子が一人ずつおり、妻はヴィレンシュタイン子爵家の出であったが、伯爵家の長老衆と子爵家の間で次代当主や今後の方針で激しい対立が起きる事になる。自家の血を引く者を当主につけたい子爵家側と、妾腹の血を引く者ではなく分家筋から新当主を迎えようとした長老衆の両者の対立が伯爵家の衰退に拍車をかけたのだ。

 

 最終的に宮廷からの支持を取り付けた当主夫人が家の主導権を握り、混乱を収拾した頃にはケッテラー伯爵家はしかしその権勢を相当削られていた。

 

 当主代理となった伯爵夫人の手腕は本物でこの一〇年で相当持ち直したものの、元より基盤が脆弱な事もあり、このままでは一世紀半に渡り維持してきた軍部三家の座から落ちぶれるのは時間の問題であった。

 

 結果、宮廷側のてこ入れもあり権勢を維持する他家の援助を受ける事になり、その対象となった家の一つがティルピッツ伯爵家であった。付け加えるならばこの手の援助の常としてその援助に「担保」として婚姻がセットになる事は貴族社会の常識であった。そして……。

 

「あれが『担保』、という訳か」

 

 私は煌びやかな部屋の隅で小さく呟いた。

 

 ハイネセン最大の帝国人街たるシェーネベルク街、そのクレーフェ侯爵の豪邸における同胞達の遠征からの帰還と昇進を祝う祝賀会の席、私は同盟軍士官礼装にワイングラスを手にしながら、傍に護衛の従士を控えさせ許嫁として挨拶回りを行うケッテラー伯爵家の長女を見やる。

 

「?何か御不満が御有りで御座いますか?」

 

 私の傍に控える中尉が尋ねる。どうやら私の言い様から不満があるように思われたらしい。

 

「いや、そういう訳ではないが……」

 

私は慌てて否定して、改めて婚約者の方を見つめる。

 

 豪華で気品のある緑のドレスを着こなし、金剛石のネックレスに真珠のピアスで飾り立て、型通りの微笑に完璧にマナーに沿った挨拶で会場を回る少女は昨年一人で(正確には使用人等は同伴しているが)ハイネセンポリスの帝国人街に移り住んでおり、その理由は恐らくは私が第三艦隊司令部勤務であり任務が終わればハイネセンに戻ってくる身であるためだ。

 

 グラティア・フォン・ケッテラー伯爵令嬢、彼女と初めて顔を合わせたのは第四次イゼルローン要塞攻防戦の後の事でその時点で殆ど婚約は確定していた。それ自体はそれこそ酷い例では式の前日に初めて顔合わせ、なんて事もあり得る貴族社会などで言えば比較的有情な方ではあるのだが……流石に顔合わせした時に一三歳なのは内心驚いた。しかも無愛想という訳ではないが何度顔合わせをしても言葉も所作も型通り、どう接した所でその態度は緩まずそのままと来ていた。

 

 ……いや、寧ろ内心の好感度は地面にめり込んでいる可能性が高いであろうが。

 

「これはこれは、御昇進おめでとう御座います我が主……とでも挨拶しておいた方が宜しいでしょうか、伯爵殿?」

「……心にも無い祝辞有難う大尉、まさか挨拶に来てくれるとは思わなかったぞ?」

 

 ふと、挨拶回りをしているグラティア嬢を見つめながら物思いに耽っていると良く見知った声が私に呼び掛け、私はその声の方向に振り向くと苦笑しながら言い返した。そこには同盟軍士官礼装に身を包んだ食客の姿があった。

 

「シェーンコップ帝国騎士、先日のファラーファラでの軍功、御苦労だった」

「お褒めに預かり光栄です、まぁこれも給料のうちですがね?」

 

 敬礼して先日の功績について触れるが当のワルター・フォン・シェーンコップ同盟宇宙軍大尉は肩を竦めて苦笑する。彼は此度の祝宴に、同盟外縁領域における対宇宙海賊戦における功績から出席していた。

 

 亡命した帝国貴族子弟を中核として再結成された「薔薇騎士連隊」は、しかし再編と訓練を漸く終えたばかりであり、上層部もすぐに対帝国戦に投入するつもりなぞ無かった。ここ一年程の間漸く実戦配備となった騎士達はまずは脅威度の低い同盟外縁領域における宇宙海賊や同盟非加盟の内乱惑星等において友軍の支援を受けつつ任務に従事していた。

 

 支援の面でも装備の面でも、無論練度の面でも圧倒的優位に立つ騎士達はある意味当然ではあるが与えられた任務を全て全うして先日ハイネセンに帰還し、シェーンコップ帝国騎士も派遣中に功績を挙げ、中尉から大尉に昇進していた。

 

「リリエンフェルト大佐やリューネブルク中佐も参加してますが……もう御挨拶には?」

 

 私の後方に控えた付き人二人に優雅に頭を下げ挨拶した後、大尉は私にそう尋ねる。

 

「いや、残念ながらまだだ。後で顔を出そう。「薔薇の騎士連隊」はこのまま暫くはハイネセンに残るのか?」

「ええ、訓練を終了した新兵と装備を編入するために。これで次の出征は対帝国戦ですね。御上は来年の反攻作戦を正式デビュー戦にしたいようです。せめて対帝国戦前に一回くらいは実家に帰りたいのですが……」

「娘は……二歳か?」

 

 私はシェーンコップ大尉の気にかけているであろう事を尋ねる。

 

「ええ、一番可愛い盛りなのですがねぇ……。一応軍の超光速通信で家族とのテレビ通信は出来るのですが……やはり子供の成長は直に目に焼き付けたいものでして」

 

 シェーンコップ帝国騎士の妻ローザライン・エリザベート・フォン・シェーンコップ中尉は同盟軍のアルレスハイム星域軍の補給科に勤務しており、娘カーテローゼ・フォン・シェーンコップは妻の実家で養育されていた。約一年間に及ぶ遠征任務、この時期の子供の成長は著しい。それを直に目に出来ない事をこの不遜な帝国騎士は残念そうにしていた。うん、並行世界のこいつに今の食客の姿を見せたらどんな反応するのか少し見てみたい。

 

「流石にそこまでは私がどうこう出来る事じゃないから諦めてくれ、お前さんの存在は連隊でも相当重視されているんだろう?お前さんを動かすとなると連隊の任務も調整しなきゃならん。悪いがまだ私にそこまでの権限はないのでね」

 

 唯の一般兵なら兎も角、訓練や実戦で相応の成績と実績を叩き出した以上今の彼は連隊内でも重要な人材だ。たかが一少佐が好きに動かせるものではない。ボーナス欲しさに頑張り過ぎた自分を恨む事だ。

 

「分かっていますよ。宮仕えですからな、我慢しましょう。それに……お互い随分と苦労しているようですからな」

 

 私の耳元に口を寄せて少し困った口調でそう尋ねる帝国騎士。

 

「………巡り合わせが悪かったと思うしかないな。別に卿は気にするな。無論卿の妻もだ」

「だといいのですがね」

 

苦笑する帝国騎士に私も苦笑いするしかない。

 

 伝え聞いた話であるがこの帝国騎士……正確には彼の妻と私の許嫁の実家にはちょっとした因縁があるようだった。

 

 そもそもシェーンコップ夫人が軍人の道に歩む事になったのは女子ギムナジウムでの軍事教練において訓練相手のチームを偶然撃破した事が切っ掛けである。そのチームは所謂武門貴族の子女だけが通う女子校なのだが……そのチームがケッテラー伯爵家縁の者達、仕える従士家の子女達で構成されていたりする。というか相手チームの隊長が私の許嫁の付き人だったりする。

 

 当然ながらそんな付き人をいつまでもおける訳がない。私がシェーンコップ大尉を食客にしたと知れた途端にその付き人は許嫁の傍から外されたらしい。向こうにも面子がある、同じ武門の出に接戦で負けたなら兎も角クロイツェルのような新参者に泥仕合の果てに偶然負けたのだ、婿の食客の妻がその相手となれば帝国貴族の感性では外されるのは当然であった。

 

 いや、それだけならばまだ良い。問題はそれ以外にも私が相手の気分を害していそうな事を思いのほか積み上げ続けている事だ。

 

 どうやら士官学校のシミュレーションの席で私がケッテラー伯爵家を軽くディスった事も伝わっているらしいし、ノルドグレーン中尉が反乱兵士に拉致られた時にはケッテラー伯爵家の領地たるフローデン州の州軍に事実上の圧力をかけた。第四次イゼルローン要塞攻防戦の時には全てをうやむやにするために分家出のケッテラー大将に横柄な態度を取った。

 

 ………ご免流石に笑えて来たわ、役満じゃねぇか。これで嫌われない方が可笑しいですわ。というかノルドグレーン中尉の件とか内心すんなりいけて可笑しいとは少し思っていたよ、流石にこういう理由とは思ってなかったわ。

 

 私に婚約相手の家がどこか話が伝わったのは第四次イゼルローン要塞遠征に参加する少し前である。しかしこの手の話は大概本人に伝えられる数年前位から交渉や根回しが始まるものだ。つーかカプチェランカから実家帰った後の祝宴で向こうの夫人いたのってそういう意味かよ、あれこの人親戚にうちの親族いたっけ?とか思ったりもしてたけど親族どころか義母だよ、娘の相手観察しに来ていたよ、観察されたんじゃん私!絶対内心「援助いるからって足元見て無茶ぶりとか嫌がらせしてきやがって糞餓鬼め」とか思ってたパターンだよあれ!

 

「新手のコントですかな?」

「いっそ、本当にコントならいいんだけどな」

 

 現実は非情で全て事実であり、今更悪足掻きに婚約破棄も難しい。ここまで知れ渡った後に破棄すると相手の面子を潰す事請け合いだ(え?もう潰しきっている?やめろ)。

 

「さて、では私はそろそろ退散するとしましょうか」

「うん?……ああすまんな、手間をかける」

 

 シェーンコップ大尉のいきなりの言葉に一瞬怪訝に思うが、すぐにその意味を理解して軽く謝罪する。  

 

「いえ、このくらいは。では……」

 

 不敵な笑みを浮かべ大尉はこちらに近づく人影に気付きそそくさと料理の並べられているテーブルの方へと逃亡する。暫く軍の大雑把な味ばかり口にしていたため今日は舌を楽しませる事を優先するようだ。

 

 私は主人をおいて退散した食客を一瞥した後振り向いてこちらに向かう一同に顔を向ける。

 

「ぶひっ……やぁ、少佐楽しんでくれているかね?」

 

 油臭さを香水で隠しているのか妙に花の香りが漂う豚野ろ……クレーフェ侯爵がまず口を開く。

 

「ええ、侯爵の御厚意には頭が下がる思いで御座います」

 

私は恭しく頭を下げ謝意を示す。同じくベアトとノルドグレーン中尉も頭を下げ主人同様に謝意を示す。

 

「あらあら、いいのよぅ?この人が好きで行っているのですから。ヴォルターさんもそう硬くせずに気楽にしてくださいな」

 

 そう語るのは糞ぶ……クレーフェ侯爵の半分位の背丈の女性だ。艶やかなブルネットの長髪に赤いドレスを着こなした女性は顔立ちの幼さもあってギリギリ十代半ばの子供に見えない事もない。母の学友でもあるクレーフェ侯爵夫人は、夫と並ぶと犯罪の香りがするのが正直な所だ。実際ハイネセンポリスの街中を歩いて通報された経験がある。

 

「そうそう、そう言えば先程までグラティアさんもお話ししていたのだけれど、すぐハイネセンポリスを離れるのかしら?」

 

 ほわほわとした口調で夫人は後ろに控えるグラティア嬢に目をやる。先程まで挨拶回りでクレーフェ侯爵夫妻の下にいたのは知っているがそのままこちらに来たらしい。グラティア嬢は私と目を合わせると恭しく礼をする。

 

「ええ、といっても同じハイネセンですよ。南大陸のヌーベル・パレの近くです。飛行機で半日程ですから然程遠くではありません」

 

 実際星から星に渡る時代、同じ惑星内の移動なぞすぐ近く同然だ。まして首都星となれば安全は確約されたも同然だ。……多分。

 

「よく私に御手紙を下さいますよ?軍功を求めるのは武門の家柄として立派な姿勢ですが、御母様はヴォルターさんの事を良く心配しておりますからくれぐれも御無理はしないで下さいね?」

 

 夫人は心底心配そうに尋ねる。母からの手紙で相当私の事が書かれているのだろう。

 

「善処致します」

「その言葉は何度も御聞きしたと御母様から聞いております。グラティアさん、貴方からも一つ仰って下さいな」

 

 私の返事に今一つ信用出来ないのか侯爵夫人は私の婚約相手に話を振る。

 

「………浅学な私から注意なぞ出来よう筈もありません。ですが貴方様に軍務の中で御怪我が無く、武功を挙げられるように日夜戦神と運命神に祈りを捧げております。ですのでどうか次もまた息災で顔を御見せくださいませ」

 

 グラティア嬢は一瞬控える護衛を見、すぐさま私に目を合わせると淡々と、静かにそう私の無事を願う言葉を紡ぎ出す。尤も硬い表情か、釣り目がちの目のためかどこかその言葉も義務的なものに見えてしまう所があったが。

 

「ほら、グラティアさんもこう言っているわ。御母様も、グラティアさんも心配するのだから本当に無理をしてはいけませんよ?」

「……ええ、分かりました」

 

 許嫁の態度に見える棘に気付いていないのか、侯爵夫人はそう私に語り、私が苦笑しながら改めて返事すれば満足げに頷き、夫を連れてほかの出席者の下に挨拶に向かう。

 

「………どうかなさいましたか?グラティア嬢?」

 

 侯爵夫妻が立ち去る中、一人残る少女に私はにこやか(に出来ていると思いたいが)に尋ねる。

 

「……いえ、貴方様……ヴォルター様の次の勤務先はハイネセンの南大陸で宜しいのですね?」

 

 一瞬目を反らして何か考える素振りをした後、確認するように問いかける少女。

 

「ええ、ヌーベル・パレの郊外ですのでここにならば半日あれば来れる位の場所ですね。これまでは遠征等で遠方にいる事が多かったですが……南大陸でしたら二、三日で手紙が届きますので当面はすぐに返信出来ると思いますよ?」

 

補足するように私は説明する。

 

 帝国貴族の婚約では直接何度も会うのは簡単ではなく、しかもテレビ通信などは風情が無いとされるために高級紙に万年筆や羽ペンで手紙を書いて文通するのが常識だ。手紙や茶会等で数年かけて仲を深めて互いを理解する、なんて事もある。尤も多くの場合は互いの親族が事前に調査して相性が良いかを調べるので性格や価値観が合わない、というのは通常なら珍しい事だ。

 

まぁ、今回のように相性より政治を優先すると合わない事も多いがね。

 

「そうですか、では早速ですが帰宅した後手紙をお出しさせて頂きます。それはそうと………本来ならばこの場合夫となられる方の側を離れるべきではないのでしょうが、まだ出席する皆様への御挨拶が終わっておりませんので一旦この場は離れても宜しいでしょうか?」

 

 謝意を示した後、しかし少し言いにくそうに婚約者である私にそう伺いを立てるグラティア嬢。そこにはどこか緊張と疲労が見える面持ちがあった。

 

「構いませんよ、今回の宴会は少し出席者も多いですから。まだ社交界に出て日の浅い身では疲れるでしょう?ついでにどこかで休息をとっても良いと思われます。世話役に従士を一人お付けしましょうか?」

 

 実際数年前に社交界に出たばかりで慣れない身であり、親は同伴していない。しかも元より従士不足気味のケッテラー伯爵家で、私のせいで信頼する付き人が一人外されこういう場で頼れる者が少ないであろう彼女に私は提案する。同じ女性という事もあり比較的気兼ねなく使える筈であった。

 

「いえ、御厚意は有難いものですが問題ありません。会場の外にこちらの奉公人がおりますのでお気持ちだけ受け取らせて頂きます。では失礼致します……」

 

 ドレスの裾を持ち上げ。歳に似合わず優美にそう礼をすると身を翻して退出する。メインの会場を出ると恐らく奉公人であろう、人影が数名駆け寄るのが見え、伯爵令嬢は彼らに何やら口にして指示しているようであった。

 

「本当に従士が不足しているようでございますね」

「そのようだな」

 

 祝宴の席に奉公人を連れていくのは可笑しくないが、招待された者でなければ奉公人は会場に入る事は出来ない。会場内に入れる部外者は使用人や護衛としての従士や帝国騎士くらいだ。つまり下級とはいえ貴族でなければならない。クロプシュトック事件で赤毛ののっぽさんが会場に入れなかったのと同じ理由だ。単純に代々仕えているために信頼出来るという事以外にこうした公的行事に列席させたり、あるいは遣いや代理として手足のように使える従士は重要である事が良く分かろう。

 

「担保、ね……」

 

 何やら指示を終わらせて再び一人になった令嬢が一人大理石の廊下に佇む姿は私と相対していた頃の隙の無い態度とはうって代わりどこか儚げで、頼りなげで、辛そうで、寂しげに見えた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 11月4日1030時、私はハイネセン南大陸ソヴュール航空軍基地に到着した。同盟地上軍が制式採用するアウグスタ大気圏内戦略輸送機による一一時間のフライトの末の事である。

 

 ハイネセン南大陸は平地が多く、気候は比較的温暖、そのために惑星ハイネセンにおける穀倉地帯を形成している。主要な都市は大陸北端にあるハイネセン最古の都市ノア・ポリスのほかトロサ、ルグドゥヌム、クラムホルム等が挙げられる。

 

 西ガリア州の州都たるヌーベル・パレはハイネセン南大陸最大の都市だ。人口一四〇〇万人、サジタリウス腕における芸術の都と称されるだけあって芸術系の大学が多く置かれるほか美術館、博物館、劇場、図書館が市の中心部に軒を連ね、歴史ある出版社や劇団等が本拠地を置く。この街で毎年開催されるサジタリウス腕映画祭は銀河三大映画祭の一つだ。

 

 ヌーベル・パレ市の星道24号線を航空基地で用意された出迎えのジープに乗って私は進む。

 

「若様と私は共に参事官補、ノルドグレーン中尉は事務スタッフ収容所司令部付ですね、実質的にはほぼ同じ場所の勤務と見て良さそうです」

 

 ジープの後部座席で弾除けとして従士二人に左右を固められた状態の私は右側のベアトの報告を聞き頷く。

 

「まぁ、そんな所だろうな。御上からしても下手に離してトラブルは避けたいか……」

 

 そもそも参事官という役職がかなり形式的な職だ。

 

 一応行政組織は軍部における参事官は所謂一部局における事務スタッフの総括、という扱いだ。より正確には所属部局における重要事項の企画・提案を行い上司の職務を補佐する……というのが建前だ。

 

 だが実際の所それが機能している所は中央の花形部局だけで大半の、例えば今回向かう捕虜収容所のような同じ事務を延々とローテーションするような場所では正直やる事はそう多くない。捕虜収容所で何を企画提案しろってんだよ。  

 

 まして参事官補となると所長を補佐する参事官を補佐する役割、ノルドグレーン中尉の司令部付も具体的任務はなく普段は事務の補助する程度だ。レベロ議員が参事官職及びその関連職の一部を不要として廃止を主張するのは然程可笑しくはない。少なくともこ今回の捕虜収容所に関して言えば……。

 

「ですが今回の任務は別にあるので御座いますね?」

 

ノルドグレーン中尉が指摘する。

 

「ああ、捕虜収容所の者達をリクルートしろとの事らしい」

「成る程、我らが亡命政府の協力者をリクルートする訳ですね?」

「まぁ、そんな所だな」

 

 ベアトの解釈を私は大方肯定する。尤もそれもまたベアト達に対する形式上の説明だ。

 

 無論間違っていないが、より正確に言えば今後の同盟軍と同盟政府にとって極めて政治的利用価値の高い人物の協力をどこの派閥の介入もなく得る事が此度の首都星の捕虜収容所勤務の役目であった。任務の性質と従士の優秀さからどこまで隠せるか怪しいものではあるが……最悪口止めを命令するしかあるまい。

 

「……見えて来たか」

 

 無人ドローンが遺伝子改良に改良を重ねた小麦畑を収穫する中を貫いた星道の先、薄っすらと灰色の塔が見えてくる。ヌーベル・パレ郊外より約三〇キロ、クラムホルムとの間に設けられた自由惑星同盟軍サンタントワーヌ捕虜収容所であった。

 

 

 

 

 

 自由惑星同盟軍における捕虜収容所の歴史は対帝国戦争以前に遡る。

 

 グエン・キム・ホアを初めとした建国者世代による建国期より世代交代した時期、ハイネセン及びその他の長征組分離集団からなる自由惑星同盟は一つ目にはサジタリウス腕に乱立する諸勢力からの自衛のため、二つ目にはその連合体制の維持のための敵を欲して、三つ目には帝国に対抗するための急速な国力増進を求めて、四つ目にはその市場の拡大を目指して軍事的・経済的・政治的に拡張政策を開始した。所謂拡大期と言われる時期である。

 

 当時サジタリウス腕に存在する諸勢力の技術力は決して高いものではなかった。寧ろ連邦末期に比べ衰退し、最も文明を維持していた勢力でさえその技術水準は西暦末期から銀河連邦建国期に達するかどうかと言うものであった。誤解される事もあるが銀河帝国は表面上は銀河連邦時代に比べ技術が衰退しているように見られるが実際は宇宙船の三大技術である超光速航行・重力制御・慣性制御技術は当然として高度な製鋼・化学産業技術に惑星改造技術、有角犬の例に見られるような遺伝子改良技術、オリオン腕全体に広がる超光速通信インフラ「ライヒツネッツ」等最盛期の銀河連邦の技術水準の維持に成功している。

 

 そしてアルタイル星系から脱出した者達は帝国の技術を半世紀に渡る長征の中で維持しており、技術的にはサジタリウス腕諸勢力を圧倒し、それは自由惑星同盟の拡大において極めて有効に作用した。

 

 その中で現地勢力との統合は可能な限り平和的に行う事が方針とされながらも軍事的威圧、更には軍事衝突、それによる半強制的な統合があったのも事実だ。最初期の捕虜収容所はこれらの勢力からの捕虜を一時的に収容する目的で設けられていた。同盟への統合が目的の拡張であるが故に捕虜に対しては劣悪な環境に置く事は許されず、また同盟体制への印象を好意的にするための啓発活動が盛んに行われていたと記録される。

 

 ダゴン星域会戦による対帝国戦争、その初期において捕虜収容所はその本来の目的よりもより野蛮な監獄として機能した。ダゴン星域会戦では帝国軍は宇宙艦隊のみで人員四四〇万八〇〇〇名、後方で待機していた地上軍を含めた場合八〇〇万近い戦力が動員され、そのうち宇宙艦隊だけで九割以上、地上部隊も三割近い損害を生んだがその殆んどが降伏せずに文字通り戦死によるものであった。

 

 ダゴン星域会戦が別名「ダゴン殲滅戦」と謂われる所以は帝国軍が投入戦力の殆んどを失ったからであることも理由であるが、絶望的状況において尚、帝国軍が執拗な抵抗を続けたためだ。同盟側の降伏勧告を受け入れずある艦は戦闘の末撃沈し、ある艦は皇太子たるヘルベルト大公を逃すための肉壁となり爆散し、ある艦は鹵獲され反乱軍に再利用される事を恐れて自沈した。同盟軍に捕虜となったのは三万名程度でしかない。それとて多くが偶然捕虜となった者が大半で自ら投降した者は全体の一割もいなかった。多くの捕虜は反抗や自殺し、同盟側は情報収集のための当初懐柔、後に尋問、最終的には事実上の拷問と拘束が行われた。

 

 帝国が同盟を主権国家と認めず、帝国軍が将兵に対して改めて降伏を認めない布告を出すと同盟も国力的な余裕が無い事と実際の捕虜の拘束の困難さから事実上の全滅戦争を行う事が多くなり、両軍の戦闘における捕虜は極一部を除いて発生しない、あるいはその場での殺害が行われるようになる。尤もこの時期は両軍共に距離の暴虐がある故に惨劇は国境地帯に限定されてはいた。

 

 コルネリアス帝の親征は一つの転換点となった。正規軍のみで二六〇〇万に及ぶ大軍の侵攻により各地で両軍の数千、数万規模の捕虜虐殺が頻発した。特に帝国軍の起こした「ダゴン四〇万人虐殺」、宮廷クーデターによる帝国軍の撤収で取り残された帝国軍三〇万名を同盟軍が移送中に殺害した「バーミリオン虐殺事件」は有名だ。

 

 最終的に三年に及ぶ親征により同盟側は軍民合わせて一億四〇〇〇万、帝国側も前線での戦闘に占領地でのゲリラ戦やテロ、暗殺等により高級軍人及び行政官として同行していた門閥貴族だけでも三桁、全体では軍官民合わせて一一〇〇万人もの犠牲者を生む事となり、両国は戦時法無き全滅戦争の危険性を今更のように理解する事となる。

 

 フェザーン自治領の成立と共に間接的にであれ両国が外交チャンネルを得ると捕虜の扱いを含んだ戦時法が結ばれる事になる。帝国もこれ以降軍令が段階的に緩和されるようになり次第に兵士の投降事例は増加する事になる。同盟も捕虜の増加や反抗事例の減少により捕虜の待遇改善が行われ、更には帝国に対する文化攻勢としても利用する事になる。

 

 捕虜収容所で捕虜となった帝国兵に民主主義についての講義を行う等による啓発活動、更に捕虜交換により帝国社会への民主主義思想の伝播を同盟政府は計画した。原作でも語られるように「民主主義の良さを知らしめるために捕虜を厚遇してきた」と言う訳だ。尤も帝国側はそうして帰還した兵士達を民主主義思想に汚染されたとして矯正施設での「再教育」を行っているわけであるが。

 

 宇宙暦715年に開設したサンタントワーヌ捕虜収容所は彼の猛将バルドゥング提督が収監されていた事で有名な捕虜収容所であり、宇宙暦787年12月の時点で将官・佐官・尉官を中心に六五〇〇名を収容、数ある同盟の捕虜収容所の中でも最重要施設の一つとして認定されていた。

 

「その理由は理解しているかね?」

 

 所長執務室で着任した私達にサンタントワーヌ捕虜収容所所長リーランド・クライヴ准将が尋ねる。

 

「本収容所の捕虜の多くが帝国社会における上層階級に属する者であるため、と理解しております」

 

直立不動の体勢で私は答える。

 

「うむ、その通りだ。どうやら予習はしているようだな」

 

 クライヴ准将は満足そうに頷く。本捕虜収容所に着任する前に捕虜収容所に対するガイドラインや関連資料・書籍については一応読破している。

 

「この捕虜収容所はエコニアやジャムシードのような場所とは毛色が違う。ここに着任する者はこの捕虜収容所の文化や自治組織に驚く者も多いが………貴官ならばすぐに順応出来よう。各部署に挨拶した後は自治委員会に顔出しすると良い。手土産は持参しているね?」

 

所長が確認するように尋ねる。

 

「はい、こちらに。帝国暦430年物の赤を用意してきました」

 

 私が口でそう答えると後ろに控えていたノルドグレーン中尉が手に抱える木箱を見せた。所長が頷く。

 

「うむ、それならば良い。私よりも貴官のほうが良く理解していると思うが……くれぐれも彼らへの態度には注意をしてくれるかね?彼らは貴重な道具であり、情報源だが、極めて気難しい。慎重に接してくれたまえ」

「承知致しました、お任せ下さい」

 

 私は所長の注意に敬礼でそう悠然と答えた。それは自信ではなく事実から来る態度であった。

 

 所長との顔合わせの後、指示に従い司令部に詰める副所長、警備主任、参事官等に挨拶を行い、その後収容所の捕虜収容区画に向かい自治委員会に訪問する。

 

「が、まさかここまでとはな」

 

 自治委員会の本部がある部屋に入室するが、そこは到底捕虜収容所と言えるものではない。絹の絨毯が敷かれ、天井に水晶のシャンデリア、高級家具が置かれ、壁にはルドルフ大帝の肖像画、部屋一杯に漂う淡いアルコールの香りにスーツ姿の従卒、ワイングラスを手にソファーの上で議論し、チェスをし、ピアノとバイオリンを弾く豪奢な衣装の捕虜達、それらを見て捕虜収容所なぞと想像出来る者はおるまい。

 

 サンタントワーヌ捕虜収容所自治委員会本部はさながら貴族のサロンであった。いや、実際ここにいる者の大半が門閥貴族とそれに準ずる身分の者達である事は明らかであったから事実サロンと呼んで良かろう。これがこの捕虜収容所が特殊と言われる一因であった。確かに生粋の同盟人ならば困惑するであろうが、私にはこの程度のものは見慣れてしまっていた。

 

「失礼、本日付けでここの参事官補として着任したフォン・ティルピッツ少佐だ。本自治委員会委員長ボーデン伯爵は何処におられるか?」

 

 私はこちらに駆け寄る従兵に対して門閥貴族らしく尊大に尋ねる。私に警戒の表情を持って近づいていた従兵は次の瞬間には驚愕と動揺の表情が見て取れた。先程までの警戒を解き恭しく礼をすると従兵はサロンの一角に駆け寄り優雅にワインを嗜む老紳士の一人の下に向かい、耳打ちをした。

 

『諸君、静粛に!』

 

 老紳士が流暢な宮廷帝国語で叫ぶ。同時にその場は静まり返った。討論をしていた紳士達も、演奏をしていた士官達も手と口を止め、静かにこちらを見つめていた。

 

『……来たまえ、青年よ』

 

 老紳士……サンタントワーヌ捕虜収容所自治委員会委員長ボーデン大将は私に向け手招きをする。従士を従えて私は大将の下に歩み寄り、その目の前に立つ。何十という視線が私を見つめる中、私はベレー帽を脱ぐと宮廷帝国語で恭しく挨拶をした。

 

『武勇と智謀で名高きボーデン伯爵、お初に御目にかかります。ティルピッツ伯爵家が本家、アドルフの息子ヴォルターです。此度はこちらの参事官補として着任致しましたのでその御挨拶に訪問をさせて頂きました、こちら御挨拶についての持参品で御座います』

 

 その言葉と共に控えていたノルドグレーン中尉が一歩前に出て帝国産430年物の赤ワインのボトルの入った木箱を差し出す。

 

 しかし一般庶民にはまず手の届かないボトルを前にしても齢八〇越えの大将は関心も示さずに値踏みするようにこちらを見やる。

 

『……ティルピッツか。初代の名は?』

『コレリアが軍人家系のオスヴァルトです。家紋は赤の盾に百合、帝室を支える鷲獅子です』

 

私はすらすらと当然のように答える。

 

『………驚いたの、あのティルピッツか?分家筋ではなかろうな?』

 

 感嘆するように、しかし半分疑うように尋ねるボーデン大将。

 

『無論本家筋です。母はバルトバッフェル本家とアルレスハイムの出です。証拠は必要で御座いますか?』

『………いや、その物腰と口調は数年訓練した程度では習得出来まい、それに胸元の勲章。……成程、どうやら本人のようだの』

 

伯爵は納得したように答える。

 

『この収容所でも多少は世間の噂は入ってくるものじゃ。卿の話も少しばかり耳にしておる。非礼を謝罪しようティルピッツ少佐、アルフレッド・フォン・ボーデン伯爵だ。同胞にして高貴な血筋の客人を我々は歓迎しよう』

 

 そう言って手を差し出すボーデン伯爵、そこには先程まで見られた不審と疑いの目はなく、文字通り「同胞」を見る瞳であった。

 

『ご厚意、感謝致します伯爵』

 

 私は恭しくその手を握り返し握手をする。それと同時にほかの者達が順番に挨拶を始め、私は宮廷儀礼に沿ってそれに応じる。彼らとの挨拶が終わると次いでワイングラスを差し出され持参品を全員で賞味し、世間話と演奏の鑑賞を行う事になる。これらは彼らが客人を歓待する際のやり方であり、それはつまり私が一先ず彼らに「対等の存在」として認められた事を意味し、同時にそれは私の表向きの任務の第一段階が達成された事を意味していた。

 

 ……ここまでは予想通りであり、大した問題は無かった。私の血筋は本物であり、その礼儀作法もまた生まれついてから教え込まれたために息を吸うように、とはいかなくとも十分に余裕をもってこなす事が出来た。だから、問題はこの後の事である。これから相対する人物が問題であった。

 

「さて、では向かうか」

 

 数時間に渡る自治委員会からの接待を終え夕刻頃、私達は収容所の廊下を進み漸く本来の目的の人物の元に訪問する。サンタントワーヌ捕虜収容所の西第八棟二号室、そこに私は従士二人を控えさせて佇む。

 

「本人は偽名を口にしているが、まずここの主が名のある一族の出であるのは間違いない。二人共、よくよく礼を持って応対してくれ」

 

 扉をノックする前に私は二人に釘を刺す。本人はフォンの付かない名を名乗っているがその実その血が帝国社会においても特に高貴な者である事は調査でほぼ確認していた。下手に礼を失(しっ)した態度で相手の気分を害したくはなかった。

 

「了解しました」

「はい、承知致しております」

 

 ベアトとノルドグレーン中尉がそれぞれその注意に答える。私は二人の返答を確認すると首元のスカーフとベレー帽を整え、静かに二回扉をノックして宣言した。

 

『本日付けで本収容所の参事官補として着任したヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍少佐です。大佐への御挨拶を申し上げたく訪問させて頂きました。どうかお目通り願いたいのですが入室をお許し頂けないでしょうか?』

 

 私は宮廷帝国語で完璧な形式でそう願い出る。これは相手への礼であると共に訪問を断られないためのものだ。宮廷では噂は一日で広がると言われるがそれはこの捕虜収容所も同じで既にここにも私の存在とその出自は届いているだろう。

 

 そしてその私がここまで下手に出て願い出た訪問を拒否する事はあり得ないし、したとしたら悪評としてこれまた一日で捕虜収容所全体に広がる筈だ。この部屋の主人としても、そのような事をしても住みにくくなるだけで得となる事は一つもない。故に断られる事はあり得ない。

 

『………宜しい、入りたまえ』

 

 呼びかけに暫し沈黙した後、優美な宮廷帝国語の返答が戻ってくる。私は従士達に目配せした後、ゆっくりとドアノブを掴み扉を開いた。

 

 少し狭く、決して上等とはいえない部屋にあるのは机と椅子のセットが一つにテーブルとソファーとそれを挟むようにソファーが二つ、食器や小物を入れた硝子棚が一つ、そして何より目を引くのは書籍の山であった。計三つの本棚には書籍と何かしらの資料を挟んだファイルで埋まり、それでは少し足りないようで机やテーブルにも幾らか積み上げられていた。壁紙なぞない殺風景で少し汚い部屋……しかし、よく見れば限られた空間を最大限有効活用した家具の配置である事が分かる。

 

『……噂はもう伝え聞いているよ。確かどこぞの伯爵家の長子のようだね。このような小汚い部屋に上げるのは恐縮だが許して欲しい。委員会の御偉いさん達と違い着飾る余裕なんてないものでね』

 

 そう口を開くのは机の上で何やら執筆している捕虜であった。自治委員会上層部のそれと違い支給された一般の味気ない捕虜服姿、しかしその後ろ姿は背筋がきりっと伸び、一目で気品に溢れたものであると分かる。

 

『いえ、構いませんよ。貴方がシュミット大佐でしょうか?』

『ええ、その通りです。ああ、すみません。今手を止めます。飲み物はいかがですか?珈琲と紅茶……と言いましても市販のインスタントしかありませんが』

 

大佐は木彫りの机に羽ペンを置くと立ち上がり、硝子棚に向かいカップと給湯器を取り出し始める。

 

『では、紅茶を御願いしても宜しいですか?』

『分かりました、少々お待ち下さい』

 

ここでようやく大佐は振り向いて、私達に顔を見せる。

 

 豊かな黒髪に白い肌、知的で線の細く端正な顔立ちは学者風、優雅な物腰はその育ちの良さを証明するが、どこか厭世的で達観したような印象を受ける。

 

『ああ、自己紹介が遅れて申し訳御座いません、ティルピッツ少佐。もう御存知でしょうが私がこの部屋に住まう自治委員会書記のハンス・シュミットです。余り誇れる身ではありませんがどうぞお見知りおき下さい』

 

 自称をハンス・シュミット大佐、そして恐らくは実名をヨハン・フォン・クロプシュトック……権門四七家にして宮中十三家が一つ、そして今では凋落しつつある名家クロプシュトック侯爵家の末裔の男性は、微笑みながら我々を紳士らしく迎え入れた。

 



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第九十九話 事実上の第百話で更新が聖誕祭なので、作者は愚かにもらいとすたっふルールを少し挑発してみた

大丈夫だ、(多分)問題ない



………駄目だった時は消えるかも


「うっ……あっ…はぁ……!?」

 

 室内で私は呻き声に似た声を漏らした。苦しみの声?いや違う。寧ろその声には第三者から見ても分かる明らかな快楽の感情が見てとれる事であろう。事実今私の脳内では快楽への誘惑とそれに抗おうという理性が壮絶なせめぎあいを演じていた。

 

「はぁ……ち、中尉……そ、そろそろ……止めないか?もうすぐ勤務時間だっ……はぁ……このままだと…んんっ……間に合わないかも知れない」

「ふふふ、そう仰いますが若様、御自身はここから離れようとは為さらないのですね?どうやら身体の方は素直のようにお見受け致します」

 

 私が快楽の中でどうにか理性を繋ぎ止めそう口にするが、私を見下ろす従士は微笑みの中にどこか肉食動物を思わせる笑みを浮かべ、その攻めを止める様子はない。

 

「そ、そんなっ……仕方ないだろっ!こ、こんな事になってたら……自分から止められる訳ないじゃないか!?」

 

 私は言い訳がましくそう叫ぶ。私は決して禁欲的でも、自制的な人間でもない。楽な選択があれば光に誘われる羽虫の如くそちらに向かってしまうような人間だ。そんな私が今このような状況では自分から物事を止められる訳がなかった。

 

 いや、もしその強固な意志があろうとも無意味だ。全ての主導権は既に私を見下ろす従士が手にしている。彼女にその意志が無ければ私はそれをただ受け入れるだけの無力な存在でしかないのだ。

 

「うふっ……ええ、その通りで御座います。良いのですよ?この悦楽から逃避する必要性なぞ何一つとして御座いません。ただ今は私の奉仕により生じるこの悦びに身を任せれば宜しいのです」

 

 わたしの叫びに蠱惑的な微笑みと共にノルドグレーン中尉は肯定し、私の制止も無視して楽しそうにその動作を再開する。

 

「はっ…あっ……」

「うふふ、思いのほか可愛らしいお声を出しますね?普段の御勇姿からは想像も出来ません」

「くっ……!」

 

 まるで赤子を可愛がるように中尉は語り、私の頭を撫でる。その状況に悔しさを感じるが、同時に上下に動くそれの感触と摩擦、それが生み出す快感にその反抗は砕かれ、私はただただ無念の声を上げるのみであった。

 

「御安心下さい、若様は何もせず、全てを私にお任せしてくだされば良いのです。全て私が行います故、若様はそこでこの一時をお楽しみ下さいませ」

 

優しく、中尉は私の耳元で囁くように息を吹き掛ける。

 

「ふふ、分かりますか若様?凄い……こんな奥の方でこんな大きく……」

「ふぇっ……中尉…これ以上は……!お願いだっ……もう……!」

 

 私はそれ以上の快楽に耐えられそうになかった。殆んど懇願に近いか細い声で私は従士に頼みこむ。

 

「駄目で御座います。ふふ、後少し……後少しで……そう、そこです。そこを……そこを……そこを……若様、やっと耳垢がとれましたよ?」

 

 耳掻き棒を巧みに使い、耳の最奥にあった耳垢を摘出したノルドグレーン中尉は達成感を含んだ喜色の笑みを浮かべそう報告した。

 

「ふぁ…はぁ……ようやくかぁ。中々手強かったな」

 

 ノルドグレーン中尉の膝の上で耳かきをしてもらっていた私はほっとした表情で呟く。早朝、士官官舎から捕虜収容所に向かおうとして着替えをしていたら急に耳の奥がむず痒くなり、それに気づいた中尉の勧めで耳かきをしてもらっていたのだがこれが中々取れず、勤務時間になる前に耳奥の痒みを我慢して耳掻きを中止しようとしても中尉の方は中途半端に終わらせる事を潔しとせずに続行したために困った。

 

 ……まぁ、実際私も時間が無いのに耳掻きの感覚が気持ち良くてされるがままだったのだけれどね?ん?もう少しでらいとですたっふなルールから通報されていた?済まない、何の事かさっぱり分からん。

 

「若様、そろそろお時間ですので準備を御願いしてもよろしいでしょうか?」

「ん?ああ、済まないな。タクシーはもう停めてあるのか?」

「家の前に停車中でございます」

 

 既に完璧に着替え終えたベアトがそう私を急かすので私もそれに応じて立ち上がる。上着は来ているが埃は取って無いしスカーフと帽子はまだしていない。ベアトは急いでブラシで上着の埃を取り除き、スカーフを私の首元に回す。まだカッターシャツしか着ていなかったノルドグレーン中尉は上着を着始めていた。

 

「やはり耳掻きで時間が押しているな……急ごうか?」

 

 ベアトに身嗜みを整えてもらいノルドグレーン中尉が着替えと髪の手入れを終えたのを確認すると官舎を小走りで出て、既に停車している無人タクシーに乗り込む。これは軍が契約している物で基本的にこの一帯の官舎街住みの士官達は軍施設と自宅への往き来に無料で利用可能であった。  

 

「時間は……ギリギリ間に合うかね?」

 

 出勤後はこのまま所長に挨拶をして自治委員会にて朝食を摂る事になる。これは本来自宅か収容所の看守用食堂で摂るべきのものを委員会の代表達の信頼を得るために態態出向いて口にするのである。

 

「………捕虜収容所ねぇ」

 

 私はタクシーの中で頬杖をしながらあの自治委員会について思い出す。

 

 自治委員会自体は珍しいものではない。捕虜達の間でのいさかいの対処や待遇を巡る看守達との交渉のためという実用的な理由もあるし、多くの捕虜収容所の場合、その長が捕虜の中での話し合いで決まる事が多く同盟政府から見ればある種の共和制への理解を深めるための場としても使う事が出来る。

 

 尤も現実はもう少し複雑だ。多くの場合捕虜収容所では平民と貴族、都市住民と地方民、士官と下士官・兵士に分断される事が多い。それは文化や価値観の違いもあるし、貴族階級は帝国側が優先的に交換しようとするためだ。実際貴族階級の捕虜は莫大な身代金や数百数千単位の同盟人捕虜と交換されるのが常である。また同盟も外交交渉の駒として利用するし、一部の貴族には捕虜になった事への絶望から自殺をしようとして独房に拘束される例もある。そのために貴族階級は長期に渡って収容される事が少ないために多くの捕虜収容所では下士官兵士が自治委員会を運営している場合が多数派である。

 

 しかしこのサンタントワーヌ捕虜収容所はその点が少し違う。サンタントワーヌ捕虜収容所は貴族階級を中心に収容しており、様々な理由から帝国に帰らない者も少なくない。それ故にほかの捕虜収容所に比べ中・長期に渡り収容される者も多く、結果的に自治委員会のメンバーにもほかの捕虜収容所に比べて貴族階級の数が多くなる。

 

 そして当然貴族達は多くの場合軍組織における階級も高く、彼らの持つ情報の価値は非常に高い。よって彼らへの対応はかなり特例のものとなる。

 

 0830時、所長以下への挨拶回りを終え、辛うじて私は予定の時間に自治委員会の本部に顔を出す事が出来た。

 

「良く来てくれた、さぁ上がりたまえ、もう準備は出来ておる」

 

 捕虜収容所の敷地に到着し、自治委員会に顔を出せば委員長のボーデン大将に案内され、予定していた朝食の席に招かれる。椅子が従兵によって引かれたので私はその席に座り、付き添い兼護衛役の従士達は側に控えた。招かれたのはあくまで私だけだから、多少はね?

 

 ボーデン大将の用意した朝食は、捕虜収容所にしては大変豪華な食事であった。テーブルクロスのかけられた木製テーブルに高級食器が並べられ、その上には各種のパンにスープ、サーモンと野菜のマリネ、スモークハムやベーコン、茹で玉子、ジャーマンポテト、デザートに林檎のパイにチョコレートティラミス、瑞々しい果物の数々、水とワインはグラスによって提供される。ナプキンは従兵によって首元にかけられた。

 

 もしこの様子が同盟人に知れたら怒り狂うかも知れない。自分達の税金で貴族共をここまで養うとは何事だ、と。

 

 だが、それは間違いだ。彼らは同盟人の血税で養われている訳ではない。彼らのこの捕虜らしくない贅沢な生活は自腹であった。

 

 フェザーンでは捕虜保険などと言われる商売がある。主に軍人として勤務する貴族達に向けたフェザーンの金融商品で、毎月数万帝国マルクもの金をフェザーンの保険会社に支払い、その代価として同盟軍に捕虜となった貴族達は保険会社から収容所での生活に様々な便宜を図られているわけだ。因みに商魂逞しい事にフェザーンではほかにも亡命保険やら暗殺保険なんて物を帝国貴族に売っているし、同盟の国境星系の市民には帝国軍の占領に備え奴隷にならないで済むように送還保険なんてものもある。

 

 尤も、同盟人にとってはあり得ない程に快適なこの捕虜収容所の生活も彼ら帝国貴族からすれば漸く最低限の生活水準が維持されているという認識であった。

 

豊穣神への形式的な祈りの後に食事が始まる。

 

「碌な物は用意出来ぬが……その点については場所が場所だからの、どうか許して欲しい」

「いえ、私としてはこの場で皆様との食事の席を共に出来るだけで望外の幸運です、どうかお気になさらないで下さい」

 

 大将は心からこの食事の席を粗末なものであると認識しているように見えた。彼らにとって普通とは自身の屋敷で領地で収穫された新鮮な食材を代々抱える一流の料理人達によって調理される事であり、高級な皿に添えられ何十という使用人によって運ばれ、腕利きの音楽隊の演奏を聴きながら口にする事である。それに比べれば確かにこの朝食は粗末であるのだろう。

 

「ふむ、どうやら反乱軍はこのタイミングで攻勢を止めたか」

 

 フェザーンの富裕層向け新聞を手にして珈琲を口にしながらボーデン大将は呟く。内容は同盟議会での予算案が紛糾している事を伝えた内容だ。年が明けて1月に入った同盟軍はしかし増大する出征費と艦隊ローテーションの負担により停滞していた。

 

 全一二個艦隊ある同盟宇宙軍正規艦隊の内国内治安維持を中心とした多目的部隊たる第一艦隊を除く一一艦隊が現在の対帝国戦の主力だが、基本的に常時即応状態の艦隊が四個艦隊、訓練中及び予備戦力待機状態の艦隊が四個艦隊、損害補填及び訓練状態の艦隊が三個艦隊となっている。  

 

 そして同盟軍が投入出来る最大動員可能戦力は無理をしたとしても即応状態の四個艦隊と訓練中の予備状態艦隊四個の計八個艦隊である。それ以上の動員は艦隊の練度や戦闘効率の低下、損害補填能力の不足を招く。

 

 平均して年二回の大規模会戦において最低一個艦隊、平均三個艦隊、最大で四個艦隊を投入する事、それ以外の辺境任務で派遣される事もある事、各艦隊が一年ごとに三つの状態をローテーションする事、これらを思えば余裕が無い事は判る筈だ。

 

 まして帝国軍とのここ数年の度重なる戦闘で兵士が疲労し、艦隊の充足が出来ず、しかも予算不足となった同盟軍にはこれ以上の攻勢は物理的に不可能であった。

 

「ここで無理をしてでも攻勢に出るのが後々のためであろうにな、民主主義とやらは非効率的な事よの」

 

 ボーデン大将は嘆息するように語る。世論に迎合せず、犠牲を厭わない帝国では多少の国民や兵士の負担は気にせずそれが有利であると認識すれば気にせずに実施する全体主義的国家だ。ましてボーデン大将程の効率主義の戦略家となればその傾向は一層強い。

 

 宇宙暦740年後半代から760年代は帝国にとって苦難の時代であった。ファイアザードやドラゴニア、そして第二次ティアマト会戦によるブルース・アッシュビーに対する敗北により帝国の正規艦隊十八個のうち半分以上が壊滅した。その後もジョン・ドリンカー・コープやアルフレッド・ジャスパー、ウォリス・ウォーリックと言った残る730年マフィアとの激闘が繰り広げられた。数でも質でも同盟軍に対して不利であり、しかも760年代にはイゼルローン要塞建設のために帝国軍は敢えて同盟領に進出して要塞周辺宙域の安全を維持しなければならなかった。一歩間違えれば帝国の残る艦隊も壊滅し、要塞も破壊されていた事であろう。

 

 帝国にとっての幸運は740年代当時の皇太子が名宰相オトフリート(後のオトフリート三世)であった事、そしてエックハルト、シュタイエルマルク、ゾンネンフェルス等の名将の存在故である。

 

 アルムガルド・フォン・ボーデン大将は権門四七家の一つにして宮中一三家の一つ、ボーデン侯爵家の分家筋に当たるルードヴィング=ボーデン伯爵家の当主である。エックハルト上級大将と並び優秀な戦略理論の専門家として知られ750年代末から760年代中頃にかけてイゼルローン要塞建設を阻止せんとするジャスパー大将率いる同盟軍の大軍を迎え撃った。しかし764年、ジャスパー大将の元帥昇進の直接的理由である第四次ケリンベルハイム星域会戦において敗北し捕囚となる。

 

 尤もこの時同盟軍の負った損害も馬鹿にならずその後一年半に渡り同盟軍の攻勢は停滞し、最終的に767年の要塞完成までの貴重な時間稼ぎに成功して今に至る状況を作り出した張本人の一人であった。以後二〇年以上に渡りこのサンタントワーヌ捕虜収容所に収監されている。第二次ティアマト会戦の損害と要塞建設による財政と軍事力の低下の中、国力を挙げて同盟軍の攻撃を弾き返した経験を持つ大将にとっては今の同盟の動きはある種滑稽に見える事であろう。

 

「いやはや、少佐。儂も長年この収容所におるが共和主義者の考えは理解出来んのぅ。よくもまぁこんな非効率的な事をするものじゃ、卿はそう思わんかね?」

「非効率性には理解は致しますが……ここは帝国とは違います故同じ政治条件で考えるのはナンセンスでしょう。それはそうと先日触れました閣下のジャスパー元帥との戦いについて続きを御聞きしても宜しいでしょうか?」

 

 大将のその質問に対して否定も肯定も出来ないために私は苦笑いして話を煙に巻く。

 

「おお、そうかそうか!宜しい、では一つ武勇伝を語ってやろうかの」

 

 しかし大将は私の意図に気付かず上機嫌にかつて730年マフィアとの戦いにおける武勲について語り始める。話によれば新しく着任した収容所幹部や捕虜に毎回しつこいまでに語るらしい。この代わり映えの無い収容所での数少ない娯楽なのかも知れない。

 

 尤もその辺りは私も昔から長老衆の昔語りやら何やらを散々聞かされてきたのである種慣れてはいる。私は形式的な笑顔と適当な相槌で長々と続く話を聞き続ける。言っておくがこういう貴族の会食で食事を楽しめると思うなよ?会話し、阿り、機嫌を取るのが目的だ。

 

 丸一時間余りの武勇伝はいつしか当時の宮廷や貴族達への噂や愚痴に移り変わる。私はそれを聞きながら合間合間に栄養補給として義務的に料理に手を付ける。うん、味がしねぇ。

 

「おお、そうじゃったウィルヘルムの奴め、今や社交界からも追放されたらしいの!ふんっ、あ奴は昔から尊大で、無責任で、その癖臆病者じゃった!いい気味じゃ、あ奴が宮廷で好き勝手しよったせいで前線にいた儂らがどれだけ苦労した事か!」

 

 思い出したように罵倒の言葉を吐き捨てる大将は不機嫌そうにマリネを食べ始める。

 

「あそこまで零落れたのも自業自得というものだ」

 

 大将がそう侮蔑する者の名はウィルヘルム、ウィルヘルム・フォン・クロプシュトック侯爵の事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 クロプシュトック侯爵家の先祖を遡れば、その初代は「白衣の弾劾者」たるアルブレヒト・クロプシュトックに辿り着く。出身は緑豊かな辺境の開拓惑星アウストラシア、開拓第一世代の血を引き継ぐ中流階級のブルジョワの出であったと言われる。

 

 その半生は政治とは無縁であった。難関校たるテオリア連邦中央医科大学を卒業し医者として医療活動に従事し、故郷の幼なじみと結婚してからは多数の著書や論文を出して連邦医学協会の幹部にまで登り詰めた。仕事が多忙になりそれが元となった喧嘩により家族と疎遠になったが社会的にはまず順風満帆の人生を歩んでいるかに思われた。

 

 全てが変わったのは妻の病死であった。慌てて家族を残した故郷に戻ると彼は絶句した。そこは既に彼の知っている故郷ではなかった。

 

 連邦中央域の企業が置いた化学工場により汚染された故郷、少なくない住民が垂れ流される有毒物質により公害病を患っていたのだ。そしてそれは死んだ妻と、幼い娘もまた同様であった。

 

 銀河連邦末期の混乱の一つに疫病や公害病の流行が挙げられる。フロンティア開拓の過程における新種の病原体は勿論であるが、特に辺境においてはインフラの不足・老朽化による衛生環境の悪化、粗雑な工場の安全管理による環境汚染や有毒物質の流出、薬害等により様々な病が流行しつつあった。難病患者の増加とそれによる社会保障費の増加や労働力の減少、社会不安は連邦体制に多くの悪影響を与え、そして案の上連邦議会では政争からその対応も後手に回っていた。

 

 アルブレヒトは直ちに工場に抗議したが相手にされず、工場のオーナーたる財閥側はマフィアを雇い彼の命を狙い、学会に手を回して医学の世界から追放した。裁判に訴えようにも弁護士達の中に大財閥とことを構える気概のある者は極少数、もし弁護士を雇えたとしても裁判所自体が腐敗していた。

 

 裁判に破れ、自身を追放した学会の長老達に土下座してまで入れたテオリアの大病院にて娘が酸化ハイドロメタル中毒で病死したのは宇宙暦288年の事だ。それ以来アルブレヒトは何年も酒に溺れながら死んだような生活をしていたと言われる。

 

 宇宙暦297年、そんなアルブレヒトの自宅に救世主が訪問する。その名をルドルフ・フォン・ゴールデンバウムといった。29歳の若手政治家である。

 

 新興政党「国家革新同盟」の党首となっていたルドルフは地方における疫病対策に関する法案を提出するためにかつて大財閥に対する公害責任追及の訴訟で注目を浴びたアルブレヒトの助力を仰ぎに来たのだ。

 

 当初アルコール中毒で自暴自棄になり乱雑にルドルフを追い出したアルブレヒトはしかし再三に渡るルドルフの申し出に最後は不本意な表情で渋々了承した。そして………彼の熱烈な崇拝者となった。

 

 アルブレヒトの助言があったとはいえ、ルドルフは次々と法案の成立に成功させた。連邦による新薬開発の投資に企業責任の明確化と賠償金支払い、薬害や工場の安全基準の厳格化……幾度も命を狙われても(そしてファルストロングの家が爆破されても)不屈の闘志で進み続け自らには果たせなかった夢を実現していくルドルフの姿は彼には眩しかったようであった。遂にルドルフが彼の故郷を汚し、妻子の命を奪った工場を封鎖し、財閥に巨額の賠償金支払いを同意させた時、アルブレヒトにとってルドルフは神に等しい存在となっていた。

 

 以後、アルブレヒトは国家革新同盟の議員として、書記長、帝政成立後は内閣書記官長、財務尚書を歴任、更に帝国暦9年には侯爵位を与えられここに権門四七家の一つクロプシュトック侯爵家の当主ともなる。帝政期には優秀な官僚であると共に過激なルドルフ崇拝者としてファルストロングを筆頭とする穏健派と帝国再編や旧勢力への対応、劣悪遺伝子排除法の適用を巡って対立、ファルストロングの爆死やエーレンベルク元帥の暗殺未遂事件によって穏健派が失墜すると社会秩序維持局局長も兼任し後の世に悪名高い「血のローラー」を決行、共和主義者や劣悪遺伝子保持者を前任者を遥かに越える過激な手段で殺戮して回る事となる。

 

 以来一族が続く事二十代余り、その間に本家・分家より国務尚書六名、帝室に嫁ぐ者七名、内一人は皇后にまで登り詰めている。それ以外の尚書や書記、地方の総督に列せられた者は数知れず、広大な領地と荘園、駒となる多くの従士や奉公人、食客を何千と有する。名誉・富・権力を両の手一杯に抱えた典型的な大貴族の家系てもあると言えよう。

 

 その繁栄に翳りが見えたのは現銀河帝国皇帝フリードリヒ四世の即位と共にである。リヒャルト大公とクレメンツ大公による皇位争奪戦において当時のクロプシュトック家当主ウィルヘルムが血筋としてはより濃いクレメンツ大公に付いた事自体は必ずしも否定される事はないし、放蕩者のフリードリヒを嘲笑するのも別に彼一人の行いではなかった。

 

 だが彼が宮廷から追われる最大の理由は、彼自身はそれを否定するであろうがその卑屈さと臆病さ故にであった。元々高慢で宮廷闘争でなりふり構わない手段を行っていた事から少なくない恨みを買っていたのは事実ではあるがその程度ならほかのクレメンツ派主要貴族も同様である。

 

 切っ掛けはクレメンツ大公のリヒャルト大公への陰謀が発覚した際150名を越えるクレメンツ大公派の門閥貴族当主が自裁という「名誉ある方法」での処断が命じられた時の事だ。

 

 多くの当主が一族朗党にまで課せられる罪の清算のために服毒なり先込め拳銃、あるいは剣による自裁を行う中、歴史と名誉ある大貴族であり、クレメンツ大公派の幹部たるウィルヘルムは当主として最も大事な場面で臆病風に吹かれた。

 

 彼は当時の宮内尚書や典礼尚書、司法尚書、国務尚書等に泣きつき、遂には当時の皇帝オトフリート五世に多額の寄進を行う事で辛うじて処断を免れたのだ。しかもそうして命長らえた途端皇太子たるフリードリヒ四世に不平を口にする始末であった。

 

 当主としての義務から逃げ、しかもこの後に及んでのこの態度ではいつまた陰謀に嵌められ陥れられるか分かったものではないし、実際フリードリヒ四世に政治への意欲があればそうなっていたであろう。クロプシュトック侯爵が死を賜らなかったのは単にフリードリヒ四世自身が彼に関心が無かっただけの事だ。

 

 いっそフリードリヒ四世即位の時に実際にそうした幾つか家のように反乱を起こせば名門としての誇りを取り戻す事も出来、権力を取り戻す事も出来たかも知れない。フリードリヒ四世のこれまでの品行から心から忠誠を誓う諸侯は決して多くはなかった。反対勢力を糾合すれば、あるいは同盟と手を結ぶか、フェザーンに権益と引き換えに援助を求めるのも良かろう、そうすれば帝国を簒奪する事も不可能ではなかったかも知れない。

 

 だが侯爵はその選択もしなかった。それどころか恥を忍んで隠居する事も、亡命する事すらしないと来ている。彼は愚かにも自身の命を危険に晒す事も、恥を忍んで許しを乞う事も、権限を捨て表舞台から消える事も選ばず無条件で全てを取り戻そうとしたのだ、呆れたものであった。

 

 宮廷では誇りが無い事を嘲笑するばかりか遂には蔑視すら行われ、息子や家臣達の縁談も次々と取り消され、交際は断られ、祝宴やパーティーにも呼ばれなくなった。そうなれば食客が離れ、次いで従士達の中にも主人に幻滅して親戚を頼りに他家に臣従する所も出てくる。それでも反乱も自裁も隠居もしないので更に宮廷から孤立する。

 

 結果としてクロプシュトック侯爵家は名門でありながら急速にその勢力を衰退させ、今となっては殆んど貴族社会における影響力が無い忘れ去られた存在となっていた。

 

 そして原作通りに物事が進めばここから何年後かに侯爵は息子の死や自身の老い等幾つかの理由から今更のように皇帝暗殺を計り、そしてその失敗からクロプシュトック侯爵家は完全に破滅する事になる筈である。

 

(そして、その息子が……こいつ、か)

 

 私は、少し湿気たソファーに座り、安物のティーカップ片手に思いを巡らす。

 

「ん?どうかなさいましたか、伯爵様?」

 

 私の視線に気付いたのだろう、相対する席ソファーに座りインスタントの紅茶をマグカップに注いで、本を読みながらシュミット大佐は流暢な宮廷帝国語で尋ねる。

 

 ボーデン伯爵との朝食の後、幾人かの委員会幹部の部屋の訪問と面会をし、今日の昼頃にはシュミット大佐の元に訪れお茶を御馳走してもらっていた(もし同盟人が見れば私は今日一日ただお喋りばかりしている暇人に見えるだろう、真っ先にリストラ要員だ)。

 

「いえ、随分と綺麗な宮廷帝国語を使うと感じまして」

 

 私は大佐の疑問に対して尋問の意味も込めて質問する。

 

「今時平民でも宮廷帝国語を使う者は少なく有りませんからね。貴族と商売したり、軍人としても公用語以外に覚えておいた方が便利ですからね」

 

 私も家で家庭教師を付けられて散々指導されましたよ、と呆れ気味に語る大佐。

 

「成る程、確かに近年は平民将校も増加してますからね。公用語を話したがらない貴族も多いですから昇進するには宮廷帝国語を学ぶのは必須、という訳ですか」  

 

 帝国における上流階級は限りなく貴族階級と同意である。そして貴族階級は公用語よりも宮廷帝国語を使う方を好む傾向が強い。それは軍でも同様で、一応公用語による書類作成や会話が義務化しているが上級将校の主流が貴族階級であるこ故に、事実上会食や会議において宮廷帝国語や宮廷マナーがそのまま使用される事は多く、そうなると平民将校も昇進に備え貴族文化の真似をする事になる。そのために宮廷帝国語を平民将校が使う事自体は可笑しい訳ではない。だが……。

 

(上手すぎないかね……?)

 

 自覚しているかしていないかは分からないが、大佐の口調は余りにも慣れ過ぎた言葉遣いであった。それは明らかに後から学んだものではなく、生まれつき話慣れた言い方であった。

 

 いや、そもそも彼がハンス・シュミット大佐である事自体が自称でしかない。一年半前のポメラニウス星域会戦で捕虜になった彼の身分を証明するのは階級章位のものだ。捕虜となった後フェザーンを通じた帝国との捕虜名簿交換のリストから外すよう本人が希望したのは決して珍しいものではないが恐らくそれは彼の本当の身分を隠すためのものであろう。

 

 疑惑が浮上したのは約一年前の事だ。複数の捕虜の尋問中に偶然本物のハンス・シュミット大佐の戦死が把握されると秘密裏の調査の末、半年程前に彼の本名が戦死したヨハン・フォン・クロプシュトック大佐である可能性が非常に高い事が発覚した。

 

「それはそうと……大佐は自治委員会の書記とお聞きしますが、委員会に顔を出さずに良いのでしょうか?私は本日もそうですが、何度か朝食を御一緒させて頂きましたが大佐の姿を見た事がない」

「ああ、その事ですか?私は所詮平民ですからね、書記の地位もこの収容所の平民将校の中では特に高い方で、かつ基本的にここに閉じ籠るだけの存在ですからね、神輿として担がれているだけですよ」

 

 皮肉気に語る大佐。実際この収容所はほかの収容所に比べると階級と身分による上下関係が厳しい。その上で自治委員会の幹部に一人も平民出がいなければ看守たる同盟側とのつまらない言い争いが起こりかねない。結果形式的に幾人かの平民将校が自治委員会幹部として登録されているだけであった。

 

「まぁ、代わりに趣味が捗っていいんですけどね」

 

穏やかに笑みを浮かべる青年。

 

「そういう面はあるでしょうね、確か最近の研究は……」

「アウグスト流血帝の政策分析、ミヒャールゼン提督暗殺事件、クレメンツ大公亡命事故、この三つについてですね。どの件も帝国では碌に資料もありませんからね、いやぁ流石同盟、帝国には無い資料が沢山ありますからね。知的好奇心が刺激されますよ」

 

 大佐は微笑みながら本のページを捲る。彼の読むのは「大流血時代 狂気と智謀の皇帝」だ。ハイネセン記念大学歴史学科教授シンクレア氏が著した「銀河帝国歴代皇帝研究集」の一つでありアウグスト二世の記録とそれを基にしてその政策を斬新な手口で再評価し批評した名著の一つである。

 

「流血帝ですか、一般的にはシリアルキラーかシャンバークの傀儡でしかないと語られますが……」

 

 溶けたラードの塊の事アウグスト二世は同盟では身分の分け隔てなく殺戮を続けた狂帝として、帝国においては少なくとも表向きは奴隷階級から宮中近衛軍団司令官にまで成り上がったシャンバーク准将によって情報操作をされたために失政と虐殺を行う事になった皇帝と言う評価をされている。

 

 後世の評価はどうあれアウグスト二世も悪い意味で有能であったのは事実だ。最低でも六〇〇万、最大で二〇〇〇万を超える虐殺を、しかもその中に多くの特権階級を含んでいる。

 

 つまり門閥貴族ですら殺しまくったのだ。当然ながらその在位期間六年の間に多くの反乱計画や暗殺計画があった。その数確認出来るだけで三桁に昇る。そしてその九九%までが計画段階でアウグスト二世の「直感」により首謀者が拘束され壮絶な拷問の結果その事実が証明され、残る実行された一%も十重二十重に敷かれた防備体制により阻止される事になる。

 

 恐ろしい事にこの計画の発覚は全て拷問の結果のでっち上げではなく全て本当に計画されていたものである事だ。アウグスト二世は見境なく殺戮しているように見えその実非常に冷徹に自身の脅威となりうる者から順番に粛清し、しかも恐怖政治ではあるものの帝国の行政と経済は問題無く動いていたと言われる。後の止血帝であるエーリッヒ・フォン・リンダーホーフ侯爵すら幾つかの偶然が無ければ反乱を起こす前に粛清されていた筈であり、もしその幸運が無ければラードの塊はその後も何年も玉座についていたであろうと言われている。

 

「彼の虐殺の理由の一つに後継者問題を挙げているのは面白い所です。詳細は御知りで?」

「ええ、吸血姉妹ですか」

 

 アウグスト流血帝の子供には男子がおらず、いるのは二人の姉妹のみであったと言われている。

 

所謂「流血帝の吸血姉妹」と呼ばれているが、流血帝も溺愛していたらしいその姉妹は父親の遺伝子の存在を疑う程の美貌で知られており二人の仲も良かったと伝わる。しかし同時に性格は父同様残虐で気まぐれであったと言われており、一説では殺した貴族の処女百人分の血でバスタブを満たしてその中で恍惚の表情を浮かべていたとか子供の血肉を使い人形を作ってコレクションしていたなぞと言われている。

 

「ジギスムント一世の例があるとはいえ女帝の前例は皆無、自身は軽んじられており傍系には幾らでも帝室の血の流れる有能な男子がいる。逆に姉妹を娶りノイエ・シュタウフェン宰相の後追いをしようとする大貴族達が当時宮廷で暗闘していた。当然その場合は姉妹で敵対する事になる。娘達を共同女帝にするために邪魔者の粛清を敢行したのが虐殺の一因、という筋書きは私としては結構気に入っていましてね。……そう言えば似たような話が近くにあるような気もしますね」

 

苦笑する大佐の言う通り近場に近似した状況がある。

 

 現皇帝フリードリヒ四世も宮廷では軽んじられ、二人の娘が大貴族に嫁いでいる。尤も、アウグスト流血帝とは違い虐殺する程の気力が皇帝になく、まだ一人男子が残っているが……。

 

「大佐は歴史研究が御好きなようですが、帝国では歴史研究でも学んでいたのですか?」

「いえまさか、知っているでしょうが歴史研究や編纂は内務省の文科局の仕事です。同盟のように公に自由研究なぞ出来ませんし、出来たとしても公式記録になる事は永久にありませんよ」

 

 大佐は帝国人の常識を語る。教育や歴史編纂、書籍出版等は内務省の文科局が司る分野である。当然ながら権威主義の帝国において学問の自由なぞあるわけなく、都合の悪い事実は歪曲されるなり、別解釈がなされ、それでも誤魔化せないなら忘却の彼方に消し去られる事になる。

 

「帝国である程度自由な学問をしたいならサロンに出てお抱え学者になるしかないですからね」

 

 帝国にて公的な自由研究は御法度な以上、そういった分野に大きな役割を果たすのが貴族サロンだ。特に学問サロンは比較的基準が緩く平民階級でも然るべき教養があれば参加は難しくない。趣味人に注目されパトロンになってもらえれば平民では知ることの出来ない知識も知り、一層詳しい研究が出来る事もある。

 

 無論、それはそれでパトロンの面子や意向に配慮しないといけない訳だが……。

 

「純粋に学問を楽しむならフェザーンにでも滞在するか、あるいは同盟にいるのが一番ですよ。その意味では捕虜としての生活もそう不便なものではありませんね。……ああ、おかわり淹れましょうか?」

「では御願い致します」

 

 大佐は私のティーカップが空になったのを確認すると代わりを淹れ始める。給湯器の方に向かう大佐を私はその後ろ姿を観察する。

 

(やはり、この足運び……)

 

 歩き方の姿勢も宮廷風のそれであった。ここまで自然に出来ているとなると殆んど無意識であろう。即ち、宮廷作法が無意識に刷り込まれるような環境であった、と考えるべきだ。

 

「若様……」

「ああ、そうだな。やはり間違いない」

 

 控えるベアトも同じ印象を受けた様子で小声で指摘する。問題は彼が身分を偽る理由である。

 

(腐っても貴族、保険に入っている筈だが……)

 

 貴族階級であれば望めば優先的に返還される可能性が高いし、保険で獄中でもより良い生活が可能だ。少なくともこの小さい部屋でインスタントの紅茶や珈琲を飲む必要はない。

 

 ………で、あれば自身が捕虜となった事を隠したいのか?

 

「……どうかしましたか?」

「いえ、考え事をしていただけですよ。ああ、角砂糖は二つ御願いしても?」

 

 私の注文通り角砂糖を二つ入れたインスタントの紅茶を差し出す大佐。

 

「そうだ、私から今後の御願いがあるのですが宜しいでしょうか?」

「ええ、こちらに可能な事であれば」

 

 自身の手元のティーカップを見つめていた大佐は思い出したように質問する。

 

「捕虜の間で広報紙があるのはご存知でしょうか?」

「ええ、伺っております」

 

 捕虜収容所での数少ない娯楽として捕虜達が自作で新聞を作るというのは良くある事だ。同盟軍もジャーナリズムなどの普及のために検閲こそあるが彼らの広報紙製作を黙認している傾向にある。収容所内でのみ発行しているものが大半ではあるが、中にはほかの収容所でも発行されるものや、同盟の一般市民が取り寄せる物まで存在する。

 

「ええ、その読者コラムに面白い内容を書いている人がいましてね。実に興味深い内容でして、可能でしたらその人との超光速通信の許可が欲しいのですよ。私の研究にも関わるものでして話をしてみたいのです」

 

 コラムや文通では時間がかかるので、と付け加える大佐。

 

「成る程、可能かは分かりませんが上にかけあってみましょう。因みに相手の場所はお分かりでしょうか?」

「ああ、そうですね。確かその人のコラムはこの辺りに……ああ、ありました、これですよ」

 

 そう差し出したのは一年程前の発行日の広報紙であった。そのコラム欄に長々しい論文調の文章、そしてその著者名が記されている。

 

「………ええ、分かりました。一応聞いて見ましょう。所長とそのコラムの人物が承諾したら、ですが」

 

 

 私は僅かにその名前に驚き、次いで大佐にそう保証は出来ないと注意する。

 

「ええ、御願いします」

 

 一方、大佐の方はその答えに満足したように微笑みを浮かべた。

 

 その後暫し世間話に興じていたが、時間が来て私は大佐の部屋から切り上げる。部屋を出て、従士達に両脇を守られながら廊下を進みながらふと私は嘆息する。

 

「やれやれ、それらしい事は一つも言ってくれないな」

「見る限りこちらを警戒しているように思われます」

「だな、こちらが探りに来ているのを感づいてる。まぁ、それくらいは想定内だ。時間をかけて警戒心を解いていけばいい」 

 

 ノルドグレーン中尉の指摘に私は頷くが前向きに考える。相手はこれまで関わってきた貴族に比べて少し違うが、幸運にも時間はある。今は少しずつ親交を深めていけば良い。

 

「兎に角、今はこの相手に取り次いで恩義でも着せないとな」

  

 そういって私は受け取った新聞の一部を見据える。大佐が感心を持った彼と同じ歴史研究の内容について触れたコラムであり、ブルース・アッシュビーの戦術と情報収集能力を分析したものだ。

 

「少し面倒臭そうではあるがね………」

 

 私はそのコラムの著者を見て呟いた。コラムの著者はこう記されている。エコニア捕虜収容所収容者クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー大佐と。




ラードの娘達のイメージは某弾幕ゲームの吸血鬼姉妹だったり   



それでは皆さん、良いクリスマスを


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第百話 そして年が変わる前に作者は急いで投稿したのであった

年末年始忙しすぎぃ……次の投稿も遅れます
感想は少しずつ返信するのでお待ちください


 歴史的に同盟は多くの帝国国内の反体制組織を援助し、あるいはその設立に協力してきた。帝国外縁部で海賊活動を行う没落貴族による連合「流星旗軍」に共和主義貴族によるスパイ組織「フヴェズルング」、旧銀河連邦軍反ルドルフ派を源流とする「オリオン腕共和国予備軍」、多数の亡命希望者を密かに同盟に脱出させた「黄金鉄道」はその代表例だ。

 

 これらの組織は同盟の援助を受けたと言っても、正確には同盟の一勢力からの援助を受けてきたというのが正しいであろう。同盟も一枚岩ではなく、帝国国内のこれら反体制派もまた同じイデオロギーを持っているわけではない。「流星旗軍」や「フヴェズルング」なら亡命政府系寄り、「黄金鉄道」や「オリオン腕共和国予備軍」なら統一派が裏で協力しているとされる。

 

 その中でも螺旋迷宮な原作外伝でも触れられているが、宇宙暦730年代から750年代頃にかけて同盟と帝国の間で暗躍した組織がある。ジークマイスター男爵家の分家ゾーストフェルト=ジークマイスター上等帝国騎士家の長男マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター同盟軍名誉中将を首魁とする反帝国共和主義地下組織、通称「ジークマイスター機関」である。

 

 宇宙暦788年時点では数多くある都市伝説の一つとされるこの組織は確かに実在した。そして数奇な運命を辿った組織でもある。

 

 本来は長征系等がバックについていた組織であり、熱烈な共和主義者であったジークマイスター帝国軍大将とその同志クリストフ・フォン・ミヒャールゼンから得た情報を基に長征派諸提督が功績を挙げる事で、人口の問題から衰微しつつあった長征派の勢力維持を図るために設立されたと伝えられる。

 

 しかし、亡命した後のジークマイスターは帝国系への風当たりや派閥闘争により、その社会体制が陰謀渦巻き階級差別の厳しい帝国と根本的に同一であると認識し失望した。そしてそんな憔悴しきった彼の目の前にある英雄達が登場した事により組織は大きくその存在意義を変質させた。

 

 長征系の名家中の名家の一つ、アッシュビー家の本家次男ブルース・アッシュビーは不遜で高慢な性格ではあったが、しかし決して人を出自と言う色眼鏡で判断する人物ではなかった。士官学校学生時代は長征系と旧銀河連邦系や帝国系との混血人と親交を結び(前者はファン・チューリンやフレデリック・ジャスパー、後者はウォリス・ウォーリックが挙げられる、世間では長征系の血を引いている事で有名だが混血である事は余り触れられていない)、少尉時代には帝国系の部下を庇うために五階級上の長征系の上官に平然と反発したと伝えられる。

 

 長征系のサラブレッドでありながら実力主義でほかの出自の者でも平然と取り立てる若き英雄に、ジークマイスターは同盟を理想の社会に、本当の意味で平等な社会を作り上げるための指導者として期待したらしい。長征系であるという理由で当時の長征系派閥の長老達を説得して見せて、機関はブルース・アッシュビーと協力を始めた。

 

 その後の事は歴史が伝える通りである。ドラゴニアやカキン、ビルザイト、ラクパート……そして第二次ティアマト会戦における同盟軍の勝利にジークマイスター機関は大きく貢献したとされる。だが、同時にブルース・アッシュビーの死が機関の命脈を断った。

 

 度々同盟の政治体制に対する問題発言を口にしていたアッシュビーに長征派は次第に不信感をつのらせていたし、そんな彼に肩入れしていた機関もまた嫌疑の対象であった。アッシュビーの死後、ジークマイスター機関はスポンサーからその予算や人的資源を大きく削られた。

 

 ジークマイスター自身も圧力をかけられたという。元々帝国貴族生まれであり差別されていた事に加え、アッシュビーへの全面協力が仇となったらしい。彼はそのまま統一派や亡命政府等に派閥替えする事も出来たかも知れないがそれをせず、失意のうちに745年に統合作戦本部情報部を去り、ハイネセンポリスより一〇〇キロ余り離れた農園の一室に隠遁、747年風邪が肺炎にまで悪化しそのまま六五歳で病死した。

 

 その後も暫く機関は存続したがジークマイスターの喪失に予算と人員の縮小、リューデリッツ帝国軍少将による反帝国スパイ網摘発等もありその組織は弱体化の一途を辿る。

 

 そして宇宙暦751年帝国暦442年10月15日の軍務省における大規模な人事発表の最中に発生した、帝国側における指導者ミヒャールゼン中将の暗殺は機関にとって致命的であった。

 

 その後も組織は細々と続いたが宇宙暦754年の「カップ大佐反乱事件」を機に組織はほぼ壊滅、数少ない生き残りは同盟やフェザーンに亡命、あるいは帝国内のほかの反体制派組織に合流する事となる………とここまで訳知り風に語って見せたが別に私が直接それを見た訳でも、物的証拠がある訳でもなく、全ては人伝に聞いた話に過ぎない。亡命政府の名門武門貴族の本家であるために私も全てではないにしろこの手の機密情報を大まかにではあるが知る事が出来るだけだ。  

 

 特にジークマイスターは貴族でありながら長征派に与した裏切者として有名で、聞くのは然程難しくはなかった。

 

『それでだ、卿ならばミヒャールゼン提督の暗殺実行犯について何か伝え聞いていないかね?』

「知りませんし伝えられません」

 

 超光速通信でタナトス星系第五惑星エコニアにあるエコニア捕虜収容所に収容されている人物にハンス・シュミット大佐(仮)の要望を伝えた所、いきなり持論と共にそう宣ってくれたその人物——男爵家の御老人に対し、私はそう即答する。

 

『カプチェランカの英雄がせせこましいのぅ、大貴族ならばその位その場で鷹揚に頷いても良かろうに』

「私はそんなこと知りませんし、知っていたとして口に出来る内容じゃありません」

 

 ケーフェンヒラー男爵家の次男に私は呆れるように言い返す。この御老人については亡命政府でも少し知られている。食えない老人である事もあるが、第二次ティアマト会戦以来ずっと辺境の捕虜収容所に留まり待遇の良い収容所に行く事も、そのまま亡命政府に所属する事もせずに、ひたすら部屋に閉じ籠って趣味に興じている事は噂に聞いていた。

 

 無論、それとは別に私はこの老人を一方的に見知っていた。エコニアの真の意味での支配者にして独力で「ジークマイスター機関」の真実に近付いた老貴族として、そして魔術師の短い時間であるが確かな知己となるだろう人物としてだ。

 

 原作にてこの御老人が調べて辿り着いた推論は完璧ではないにしろ、コネもなく、収容所という情報の限られた状況でという条件である事を考えれば上出来と言える代物である。そして、恐らくは私のような高位の亡命貴族がその事実を伝え聞いている事を十中八九理解しているであろう。

 

……そして私がそれを認めない事も。

 

 だから彼の言葉は元々期待していないが、念のために尋ねた、あるいはただの冗談の類であった。

 

「……それよりも英雄って何ですか?煽てなら効きませんが?」

『ふむ、それでは別の呼び名がいいかね?「イゼルローンの生還者」か?それとも「スヴァログの海賊退治屋」か?「シャンプールネゴシエーター」……ああ!「死神伯爵」がお好みかね?』

「最後のは多分忌み名ですよね?それも味方からの」

 

 噂によると私と仕事をすると通常より戦死率は三〇%、負傷率は七〇%上昇し、付属効果で昇進率は一〇〇%上昇する、という冗談か本気か分からない理由から一部で呼ばれ始めているとかいないとか……。いや、そこまでは酷くねぇよ。

 

「兎も角、私にそのような事を聞かれても困ります。知るわけないじゃないですかそんな事」

 

 これは嘘ではなく本当だ。ミヒャールゼン提督の暗殺実行犯の正体は実際亡命政府も把握していない。暗殺の数ヶ月前から同盟情報部や亡命政府のエージェントが接触して同盟への亡命を勧めていたとも伝えられるが、ミヒャールゼン自身は優柔不断なのか決断せず、最終的には謎の死を遂げた。

 

 因みに、これについては単純に帝国の手によるものとは必ずしも言い切れない。帝国ならば態々暗殺事件なぞとして捜査する必要がないからだ。軍務省で門閥貴族でもある将官が暗殺されるなぞ帝国軍の威信に関わる事位誰でも分かるだろう。原作では幼年学校での事件を事故扱いしたのだからましてである。

 

 馬鹿正直に暗殺された、としなくても形式的には病気などを理由に予備役などにした上で急死なり病死なりと発表した方が余程体面としては良い。同盟情報部もミヒャールゼンの粛清は少なくともここ一年間は無いと判断していた。よってミヒャールゼンを暗殺したのは少なくとも帝国の上層部の総意ではないのは間違いなかった。

 

『……その様子では本当に知らないようだな』

 

 私の貴族的に取り繕った表情を暫し見定めたケーフェンヒラー大佐は急に真面目そうな表情で答える。

 

『……貴官は知らぬだろうし、興味も無いだろうが、私は帝国軍にいた頃ミヒャールゼン提督に良く世話になってな。あの人は本当に良い人だったし、当時の私の悩みを良く理解して、相談にも乗ってくれた恩人だった。……確かに聖人君子ではなかったにしろ私にとってはある種の恩人でな。せめて、どうしてあのような最期を遂げたのかを知りたいのだ』

 

 どこか憂いを秘めた瞳で独白するように語る老貴族。そこに私はこの老貴族の背景を思い出す。身分に釣り合った家同士の結婚、しかしこの老人は老人なりに妻を愛していたという。

 

 だが妻は権門四七家に当たる某伯爵家の血を引く青年建築家の下に駆け落ちし、離婚を迫ったという。男の家は慰謝料で離婚を迫ったというが……同じ門閥貴族になった身であるから分かる。その申し出を受けるなぞ論外だ。妻を寝とられた挙げ句金で買収されるなぞ宮廷では恥晒し以外の何物でもない。決闘を挑んでも良い位だ。

 

 ……それをしなかったのは恐らくは相手が自身ではなく腕の良い代理人で済まそうとでもしたのと、妻の心が帰って来る事はないと理解していたからか……何にしろ彼には決闘も離婚もあり得ず、まして伯爵家からの圧力があれば官僚としても栄達は叶わない。ならば実力主義の軍官僚になるしか道は無かったのだろう。軍人として死ねば名誉は守られるし、もし出世すれば再び妻が振り向いてくれると言う下心もあったかも知れない。

 

 ミヒャールゼンはそんな荒んだ時期の彼の上官であり、良くしてもらっていたという。きっと飄々と語る以上にこの老人にとっては助けになった人なのだろう。だからこそ、その死について知りたいのだ……私の想像であるが多分然程間違いはないだろう。

 

 ……ふと、幼く冷たい表情の婚約者の姿が脳裏によぎった。彼女は家同士の決めた取り決めをどう感じているのだろう?殆ど人質と同然の自身の存在価値をどう思っているのだろう?老貴族の妻の事を考えると不安を感じる。

 

『よってだ』

 

 私の内心の心の動きを知らぬであろう、改めてこちらを見た老貴族は、しかし先ほどとは打って変わってどこか愉快な表情をしていた。

 

『その人物はミヒャールゼン提督暗殺事件の研究をしているのだろう?ならば恐らくは何かトラブルの元になるであろうと評判の卿の提案であるが呑んでやろうと思う。序でにある要望に応じてくれれば探りも入れてやっても良いぞ?』

 

 どうせ何かの任務を帯びておるのだろう?と続ける。……バレてーら。そりゃあただの捕虜のご機嫌取りのために手間をかける看守なんかいないからな、当然そう考えるだろう。

 

「……どのような要望でしょうか?」

 

 私も先程までの一抹の不安を拭い払い恐る恐る尋ねる、と老貴族は暫し考える素振りをして、口を開いた。

 

『そうだな……近頃話題の美少女アイドルのアルバムを全種類そちらの財布で買って送り届けてくれるかね?いやぁ、子供と思って油断したが結構良い曲でなぁ!』 

 

 ケーフェンヒラー大佐は私の呆気に取られた表情を見て、ソリビジョンの中でいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 私が捕虜収容所で気楽な任務に従事している間にも前線の戦いが止む事はない。宇宙暦788年4月中旬頃には同盟軍はようやく帝国軍による占領地を奪還すべく攻勢を開始した。

 

 三個艦隊を基幹とした四万四〇〇〇隻に二個地上軍三〇〇万人以上による反攻に対して、帝国軍は小規模な迎撃こそするが基本的に戦線の縮小による戦力集中を意図しているようであり、作戦開始から一週間の間、同盟軍は殆ど戦闘らしい戦闘も行わずに四〇余りの星系の奪還に成功していた。

 

 第501独立陸戦連隊こと「薔薇の騎士連隊」もまたこの作戦に従軍する。前衛揚陸部隊の一つとして特に危険な任務につく事になっている。実力的に大丈夫だとは思うがシェーンコップ大尉にヴァーンシャッフェ大尉、ライトナー兄妹にリューネブルク少佐の安否に不安は残る。

 

 当然、ほかの部隊にも士官学校の同期生や先輩、教官や以前の赴任先の上官や同僚、部下が参加している。ホーランドとコープ(共に少佐)は第一一艦隊司令部所属で第4星間航路方面に出征しているし、デュドネイは大尉として第二戦闘団傘下の戦隊司令部のスタッフとして派兵予定だった。シミュレーションで戦った事のあるコナリーは少佐として第八艦隊第二分艦隊の司令部の作戦参謀スタッフであり、その分艦隊の参謀長は士官学校の教官の一人であるオスマン准将だ。コープとシミュレーションの際にチームを組んでいた者のうちマカドゥーはシャンプールの第二方面軍司令部情報部、スミルノフは第一一艦隊第三分艦隊砲術参謀、マスードは第三地上軍第三一一師団に所属している。カプチェランカ戦域軍勤務時の上官たるディアス少将は第五地上軍第二二遠征軍司令官である。私の知っている者達だけでこれだけの人数である。反攻作戦がどれだけ大規模であるのか分かろうものだ。

 

 ……そして恐らく苛烈な戦闘になるであろう事も容易に予測がついた。

 

「それに比べればここでの勤務はお気楽ではあるのだろうな」

 

 私はそう投げやりに口にすると固定端末のキーボードから手を離して、液晶画面から視線を外すように事務室の椅子に体重を乗せて事務の手を休める。捕虜収容所の事務室で私が先ほどまで手掛けていたのは民間団体の抗議文への返事である。

 

 フェザーン成立以降、基本的に同盟は「民主主義の良さを知らしめる」ために帝国軍捕虜を厚遇してきたのは知っての通りだ。しかし同時にそれが一部の市民の反発を受けているのもまた事実である。

 

 考えて見れば当然で市民からすれば同胞を殺してきた敵兵を何故自らの税金で養わなければならないのか?という意見が出てくるのは不思議ではない。

 

 特に帝国は同盟軍の捕虜を自然環境が厳しい不毛の惑星の矯正区に押し込め重労働を課したり、自給自足を命じ、少なくない捕虜が過労死や病死、事故死し、中には捕虜同士で物資を巡る争いすら起こる。帝国が捕虜をこのように劣悪な環境においているのに我々が捕虜を厚遇する必要はない、と一部の過激派は叫ぶ。このサンタントワーヌのような高級士官専用の捕虜収容所は尚更その存在を疑問視されるだろう、抗議文が来るのは毎日の事だ。

 

 しかし、これは二重の意味で誤りである。帝国による捕虜の待遇はこれでも(恐ろしい事に)フェザーン設立前に比べれば劇的に改善している方であるし、同盟も捕虜を厚遇するといっても度を越す程のものではない。部屋や食事は待遇は一般刑務所よりはマシというレベルであり、一応収容所でも多少の労務はあり、可能な限り捕虜を養うコストを削減しようと努力はしている。

 

 それに模範的な捕虜には監視装置付きとはいえ外出が許可され、最低賃金でのアルバイトとして地域の労働力としても活用されている。貴族階級の捕虜の待遇は以前言った通り保険あってのものだ。

 

 そして実際これらの努力もあって捕虜の中には実際に民主主義思想に目覚める者も極稀にだが生まれるし、同盟にそのまま帰化する者もいる。帝国に比べて人口が少ない同盟にとっては彼らもまた貴重な人的資源だ。

 

 このように同盟の捕虜の待遇は過激派の指摘する程に同盟の負担になっている訳ではない。ないのだが……。

 

「まぁ、説明して納得するなら苦労はないのだがなぁ……」

 

 この手の団体がまともに話を聞くかといえばそんな事は期待しない方が良い。

 

 長征派市民の貧困層や戦傷軍人からなる「サジタリウス腕防衛委員会」、対帝国戦争戦死者遺族・帝国系市民の犯罪被害者及びその遺族等からなる「人民裁判会議」、長引く戦争による社会保障削減と増税に反対する「正義派市民戦線」……これらの極右過激派組織の多くは感情と打算と政治的理由から反発しているのであり、元より話合いで相互理解をするつもりはない。こちらとしてはいつものように形式的に淡々と返答をして、いつものように彼方に黙殺されるだけである。不毛な事この上ないな。

 

「だから余りトラブルの種は蒔きたくはないのだが……」

 

 そこまで思い至ると溜め息が出る。ボーデン大将を筆頭に自治委員会の幹部連中は態々有害な共和主義思想が充満する捕虜収容所の外に出ようとしないから良いが、幹部以外……ここに収容されたばかりの若い貴族将校などは血の気が多いし、そうでなくてもナチュラルに帝国的思考の捕虜が外出許可をもらった後に自覚なくやらかす事もある。実際に私が赴任してから数件の警備と捕虜との乱闘とその倍の市民とのいさかい事が発生している。私としても捕虜達に外出の際の注意をしているが……。

 

「中々面倒な事だな……」

 

 ここ数年前線で激しい戦闘が続いているため、収容される捕虜も敵がい心の強い者が多い。ほんの数週間前まで殺し合いをし、同僚や上官や部下を失い、自身も程度は兎も角負傷している場合が多いのだ。ある意味では当たり前だ。

 

 うんざりした表情で私は肩を鳴らすとデスクの端末の電源を落とした。そろそろ昼過ぎ、前線なら兎も角こんな首都星の平和な捕虜収容所で休憩返上で働かなくてはいけない程の業務はない。返答文については昼食の後にゆっくりと作成すれば十分である。

 

「若様、お疲れ様で御座います」

「ああ、ご苦労」

 

 ふと、気づけばすぐ傍に薄いブロンド髪の士官がいるのを見つける。同じく自身の事務を終わらせたノルドグレーン中尉は私の肩に手を添え、揉みほぐし始めた。

 

「んっ……中尉はこの手のものが上手いな」

 

 絶妙に凝っている部分を程好い力でほぐしていく従士に私は称賛の言葉を口にする。耳掻きにしろ肩揉みにしろ、こういった方面におけるノルドグレーン中尉の技術は事務能力とは別に直接の軍務とは関係無いがリラックスする上で助かるのは確かであった。

 

「お褒めの御言葉恐縮で御座います。ギムナジウム等で良く指導されましたので」

「そうだったな、確か次席だったのだろう?」

 

 ギムナジウムの家庭科では調理や裁縫、家庭医学や栄養学、掃除等の家事等を学ぶ。その目的は使用人の育成であり、良妻賢母となるための指導のためである。その中で夫や主人のためにマッサージ等も学ぶ。同盟ではかなりステレオタイプな専業主婦製造施設として揶揄されるが、帝国社会ではギムナジウムの家庭科出身者は使用人としても、嫁の候補としても一般的に優良物件扱いされる。私個人としてもこれらの技能は何気に重宝していた。   

 

「若様、そこにいらっしゃいましたか」

 

 中尉のされるがままに肩を揉まれた状態のままでその場に留まり、眠気を感じた頃、私を呼び掛ける声に私は意識を取り戻す。  

 

「んんっ……ベアトか、どうした?」

 

 うとうととした意識を強制的に引き戻し、中尉に肩揉みを中止させて名残惜しくも至福の時間を終わらせる。

 

「若様、御休息中申し訳御座いません。書類の決裁中、御命令のあった監視対象に関する動きがありました」

 

 私の耳元で小さな声で報告するベアト。監視対象はシュミット大佐であり、その動きとなると……。

 

「分かった。……まずは場所を移してから話を聞こう」

 

私は事の重要さを理解して、ベアトにそう提案した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 件のハンス・シュミット大佐がこのサンタントワーヌ捕虜収容所に収監されたのは宇宙暦786年6月のポメラウス星域会戦の後の事であり以降収監期間は22カ月に及ぶ。基本的に物静かで他者との関わりの少ない学者肌の模範囚としてこの収容所では認識されている彼はGPS機能を有した監視装置付きとはいえ所定の手続きで外出も認可されていた。

 

 基本的に月一回程度の割合で外出し、期限通りの時間に収容所に帰還する彼だが、私がこの収容所に着任して以来行動にある変化があった。

 

「アイリーン・グラヴァー、帝国名をイレーネ・フォン・クライバー。年齢29、宇宙暦764年に6歳で父に連れられフェザーン経由で亡命、宇宙暦779年帰化申請受理、現在は大手ファッションブランド「ダイアナ」にてファッションデザイナーとして勤務、クラムホルム在住、政治的思想は鎖国派に近いがほぼ無し、亡命者相互扶助会にも不参加、か」 

 

 まだ人の少ない捕虜収容所の食堂でライヒの定食(ツヴィーベルズッペにザウアーブラーデン、黒パンにザワークラフト、マッシュポテト、パラチンタからなる)を口にしながら私はベアトの集めた情報を語る。

 

「こいつが大佐との面会を希望している訳だな?」

 

私の質問に頷いてザウアーブラーデンを切っていたベアトがフォークとナイフを止めて答える。

 

「どうやら目標がここに収監されて以来面識があるようです、本人曰く友人との事ですが……」

「今後の交渉において利用可能だ、と?」

「協力させる上で手札になり得ると考えます」

 

 従士は淡々と答えるが良く良く考えれば随分とぶっ飛んだ思考である。ようは人質にしたらどうか?と言っている訳だからな。

 

「出自は……帝国騎士で御座いますね。十四代続くそれなりの家系のようですが……おや、これは……」

 

ふと、資料を見てノルドグレーン中尉の口が止まる。

 

「ああ、気付いたか。これを見る限り以前に面識がある可能性は高い」

 

 私はツヴィーベルズッペ(オニオンスープ)をスプーンで口に流し込みながら彼女の略歴を説明する。

 

 彼女の生家とされるクライバー帝国騎士家の略歴を私は指差す。クライバー家は帝国に在住していた頃は食客として仕えていた事が記されている。クレメンツ大公の下で、だ。

 

 宇宙暦764年、クレメンツ大公はリヒャルト大公を追い落とした謀略が露見した事で自由惑星同盟への亡命を決心した。しかしフェザーンにたどり着く直前に宇宙船の事故により大公は死亡した。原因はフェザーン自治領との国境宙域で護衛のフェザーン傭兵部隊と追尾していた帝国航路警備警察の重武装巡視船が戦闘状態となる。

 

「その際、クルーザーにどちらかの流れ弾の電磁砲弾が命中した訳だ」

 

 ちぎった黒パンを口に放り込みながら私はその部分を強調する。実際に流れ弾であったかは今となっては闇の中である。クレメンツ大公の存在が目障りであった人物や勢力は当時幾つもあったのだから。

 

 兎も角もクルーザー自体は中破しつつもフェザーン自治領内に逃亡に成功、暫くの間フェザーンの警備艦隊及び緊急動員された傭兵部隊が帝国軍と一触即発の事態に陥り帝国はフェザーンへの武力行使まで検討する事になるが自治領主ワレンコフは同盟に急接近するほかフェザーン銀行に合法・非合法の莫大な資産を預ける貴族達の協力を得ることで帝国の侵攻に対抗、最終的には自治領側の賄賂と同盟軍の軍事行動により帝国軍は艦隊を後退させざるを得なかった。

 

「まぁ、この事件が現自治領主の親同盟政策に繋がるが……ここは置いておこう」

 

 その後、フェザーン側は帝国や同盟の特使やマスコミを招いて事態の説明を行う事になる。

 

 ぼろぼろのクルーザーがフェザーンの宇宙港に接続した後、フェザーンの航路局保安隊は船内に突入、乗員の生き残りからクレメンツ大公とその家族の死亡を伝えられる。実際にクレメンツ大公のほか遺体の残る家族数名より生体情報を確認してそれは証明された。

 

 帝国側は大公以下現存する家族の遺体を引き取り、残る乗員については帝国側の引き渡し要求を断りフェザーンないし同盟への亡命が認められる事になる。

 

 クレメンツ大公より取り立てられ八年間食客として仕えていたライナベルト・フォン・クライバー中佐もクルーザー内に乗船していたものの幸運にも生存、娘と共に自由惑星同盟に亡命したが亡命政府には参加せずハイネセン南大陸トロサで生活していたようだ。轢き逃げ事故で死亡したのは今から十年前の事である。

 

「クロプシュトック侯爵はクレメンツ大公派の主要支持者の一人でした。クレメンツ大公は派手好きで身内での祝宴やパーティーを良く開いていたと聞いております。ならば帝国にいた頃に面識があっても可笑しく御座いません」

 

 主だった料理を食べ終え、デザートのパラチンタに手を出す前にノルドグレーン中尉は二人が以前より知り合いであった可能性を指摘した。

 

 派手で贅沢好きであったクレメンツ大公は当時の倹約の奨励されてきた宮廷にあって華美な祝宴を何度も開き、気前良く困窮する下級貴族を援助してきた事で有名であった。

 

 そういう豪勢(単純とも言う)な性格や政治・経済感覚が保守的な長男リヒャルトの対抗馬として期待されていた訳であるが、仮に当時であれば大佐は十代に入る頃、クライバー嬢も5,6歳程である。面識があっても確かに可笑しくないであろう、という事を中尉はアプリコットジャムをパラチンタにかけながら口にする。

 

「彼女を通じて大佐の協力の仲介をしてもらう、という訳か?」

「効果があるか分かりませんがクライバー嬢の方に圧力をかけるのも良いかと」

 

 よしベアト、人が態々穏当な言葉に言い換えたのに物騒な方向に引き戻すなよ?何さらりと民間人に圧力かけるとか言っちゃうの?

 

「しかし一理御座います、こちらの帝国騎士は身寄りがなく、相互扶助会にも加入しておりません。つまり庇護者がいないのです。我ら亡命政府の権限を利用すれば彼女にこちらへの協力を強制する事は不可能ではないかと」

 

 淡々と民主国家の軍人とは思えない意見を進言するノルドグレーン中尉である。おう、だからやめーや。

 

「余り手荒な手段は駄目だ。身寄りが無いという事は裏を返せば守るべき家族も家名も無いという事だ。最悪こちらに悪感情を抱いてド田舎にでも逃げられたら取り返しがつかないし、新聞にでもすっぱ抜かれてみろ、スキャンダルになりかねんぞ?無しだ。あくまでも穏便にいくぞ」

 

 私は最後のザウアーブラーデンの切れ端をフォークで突き刺して口に含み終えるとナプキンで口元を拭きながら少し暴走気味の従士達に注意する。此度の任務が亡命政府に大きく寄与する任務であると考えているためであろうがタガを外し過ぎては困る。

 

 無論二人の興奮の理由は理解出来る。クロプシュトック侯爵家は権門四七家の一家でありその名声は現当主の醜態により地に落ちているが蓄えてる資産と保有する私兵の数は未だに魅力的である。来るべき(いつ来るか知れた事では無いが)帝国帰還においての各種工作や軍事進攻の点でその有用性は言うまでもない。原作でも相手が貴族軍の私兵の寄せ集めで司令官の貴族達がアレな上統制は取れなかったとはいえ、兵士の質と数は相当なものであった筈であり、それでも尚数か月にも渡って抵抗出来た事からもそれは明らかだ(OVAと小説・漫画で矛盾があるとか指摘してはいけない)。

 

「だが忘れるな、我々の現在の基盤はこの同盟だ。クロプシュトックをこちらに引き入れたとしてもイゼルローン要塞を陥し、その上でオリオン腕に大規模な派兵をしない限り同盟が我々のホームである事に変わりはない。取らぬ狸の皮算用、とでも言うのか?重ねて注意するが先のために今を捨てるような手段は無しだ、分かったな?」

 

 グラスの中のミネラルウォーターを飲み干すと、私は二人を見ながらそう説明する。私よりも余程頭の出来が良く、忠誠心も高い二人ならばこう言えばまず馬鹿な事はしない。

 

「少々浮かれておりました、どうぞ御許し下さい」

「はい、私も視野が狭くなっていたようです、謝罪致します」

 

 私の指摘によりベアトが、続くように中尉がそれぞれ自身の落ち度について姿勢を正し、顔を伏して謝罪の言葉を口にする。

 

「いや、一度の注意で改善してくれるなら構わん、自身の非を素直に認めるのは難しいしな。まぁ、つまりだ。我々としては彼女と大佐との詳しい関係を精査した上で接触し、その助力を仰ぐのが無難な訳だ。面会は認めてやれ。但し、内容は記録出来る筈だから録音を、それにこれまでの面会記録は無いのか?あるならば記録を漁り再生した方が良い」

「ではその記録の調査が目下の仕事と言うわけですね?」

 

中尉の言葉に私は頷き肯定する。

 

「面会はいつの予定だ?」

「一週間後です」

 

同じくナプキンで口元を拭き終えたベアトが答える。

 

「その回ではカメラとマイクで記録するだけで良い。不必要に警戒されたら困る。さて、ようやく方向性が見えてきた、と言うところかな……?」

 

 私の言葉に二人は首を縦に振る。我々は今後の方針について細部を詰める。兎に角は大佐と女性の周辺聞き込みと記録の照合であろう。面会日までに可能な限り二人の関係について把握する事で同意する。

 

 だが、その行いは後に一時的に中断される事になる。それはある事件により捕虜収容所の警備体制や周辺住民対策が優先されたためだ。

 

 宇宙暦788年5月11日、サジタリウス腕全体に激震が走る事件が発生した。

 

 始まりは些細なものである。帝国との勢力圏に程近いエル・ファシル星系周辺にて発生した同盟軍と帝国軍の衝突、それ自体は良くある戦闘の一つに過ぎなかった。しかし同盟軍の敗退と、帝国軍によるエル・ファシル本星への侵攻、現地駐留軍司令部の逃亡、そしてその状況下にて市民三〇〇万人の脱出劇を演出したある若い士官は自由戦士勲章の授与と事実上の二階級特進によりその功績を称えられる事になる。

 

 それは「エル・ファシルの英雄」ヤン・ウェンリー、一人の若き英雄の誕生、そして一人の偉大な英雄の出発点となる事件……後世に「エル・ファシルの脱出劇」と呼ばれる事件の発生であった。




皆様良いお年を


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第百一話 新年最初の更新がリンチ愛に溢れている件について

新年あけましておめでとうございます
作者は無事四年続けておみくじで凶を引きました(事実)


 エル・ファシル失陥は同盟全土に衝撃を持って迎えられた。当然である。同盟は長年帝国との抗争を繰り広げ、当然有人惑星を占領された経験もある。

 

 だがそれは歴史上の出来事でありこの半世紀以上の間、同盟が多数の民間人の居住する惑星を失った例は無かった。

 

 まして、エル・ファシルは星系警備隊のほか780年代軍備増強計画に基づき艦艇一五〇〇隻、地上軍五万名に及ぶ駐留軍が別途編成されており、その司令官は第四次イゼルローン要塞攻防戦にて殿を務めた英雄、「岩窟王」アーサー・リンチ少将が任命されていた。

 

 更に言えばエル・ファシルを失陥したほんの一月前には同盟軍は反攻作戦を開始していた筈ではないのか?

 

 止めは駐留軍司令官アーサー・リンチ少将が市民と部下を捨てて脱出しようとしていたことが判明し、世論は一斉に同盟軍を、飛び火するように同盟政府のバッシングを開始した。

 

「同盟軍は市民を見捨てるのか!?」

「市民と兵士を見捨てるような人物を司令官に添えるとは同盟軍の人事はどうなっている!?」

「同盟政府は国境の市民を軽視するのか!?」

「軍部は前線の状況を把握しているのか!?」

 

 同盟軍はすぐさまシャンプール駐屯の第3辺境域分艦隊を中核とした救援部隊を派遣を決める。やがて、新たな情報がハイネセンに伝わった。安否不明であったエル・ファシル市民三〇〇万名、及び駐留軍・星系警備隊に所属する同盟軍将兵約一〇万名の脱出成功である。

 

 そして、脱出船団が派遣されていた救援艦隊とカナン星系近辺にて合流するとより詳細な情報が伝わり、誰もが驚愕した。

 

 脱出計画を立案したのは弱冠二一歳の中尉であったのだ。エル・ファシル駐留軍司令部作戦参謀スタッフ、ヤン・ウェンリー中尉は司令官アーサー・リンチ少将が駐留軍司令部の一部の者を伴い脱出した後、それを囮とすることで市民と残存戦力の脱出を計画し、混乱するエル・ファシル星系警備隊司令部に提出、そしてほかに手がない星系警備隊司令官はそれを受け入れ……見事に若き参謀スタッフの立案した作戦は成功し、最悪の事態は回避された。

 

 そしてヤン・ウェンリーが救ったのは市民達の生命の安全だけでなく同盟軍の名誉もであった。

 

 国家とは国民と領土の統治機構であり、国民の生命と財産の保護は同盟軍の存在意義の根本であった。まして同盟は長年辺境と中央の対立があり、出自による対立が続いていた。国境の辺境有人星系にあり、旧銀河連邦の植民地をルーツに持つエル・ファシル市民を見捨てる事は同盟軍と同盟政府への信頼そのものを損ねかねないものであった。仮に最悪の事態が発生していれば同盟の支配体制を危機に晒す事になっていただろう。

 

 同盟軍と同盟政府はその働きに対する報酬を彼に支払った。ハイネセンに帰還すると同時に同盟軍最高勲章たる自由戦士勲章が授与され、事実上の二階級特進を果たした。  

 

 そのほかヤン中尉の作戦を聞き入れて実際の実施面で手腕を発揮したエル・ファシル星系警備隊司令官シャルル・ガムラン准将、エル・ファシル市民を輸送するための船舶をかき集める事に尽力した星間交易商工組合シャンプール方面組長ロイド・ジョージ、エル・ファシル星系政府機能の移転を指導したエル・ファシル星系政府首相ガミエラ・ファボリウス、避難に反発するエル・ファシル市民を説得して残留者が出るのを回避した地元名士フランチェシク・ロムスキー氏等にはそれぞれ勲章や昇進、栄誉賞や報償金等が提供されたほか、早急なエル・ファシル奪還や避難民の生活援助、損害保証の確約が会議で同意された。市民を護衛したエル・ファシル駐留軍及び星系警備隊の兵士達は全員が一階級昇進と一時金が与えられた。多くの英雄を引き立てる事で政府と軍部への批判をかわそうと言う意志が見てとれる。

 

 同時に逃亡を企てたアーサー・リンチ少将を筆頭としたメンバーは軍籍及び勲章の剥奪等の厳しい処分を受ける事となった。市民と部下を見捨てて逃亡を企てた事は軍司令官としても、一同盟軍兵士としても重大な軍令違反であると見なされたのだ。マスコミも政府の対応に文字通り忖度してリンチ少将を初めとしたメンバーを激しくバッシングする。

 

『リンチ君は運が悪かった』

 

 一方、軍部ではリンチ少将への同情の声がひっそりとではあるが囁かれているのも事実であった。第四艦隊司令官として司令部の構築と艦隊の再編・練兵に勤しむドワイト・グリーンヒル中将もその一人だ。ソリビジョンに映る中将は沈痛な表情を作る。ある意味で此度の事件の被害者とも言える彼は、それでもリンチ少将に同情していた。

 

『彼は優秀な軍人だった。優秀な用兵家だった。せめて駐留軍司令官などと言う立場に立たなければこのような事にはならなかったのだが………』

 

 同盟軍は無能者を出世させるような組織ではない。グリーンヒル中将の二年年下であるアーサー・リンチ少将は士官学校における席次は41位、三大研究科の一つ艦隊運用統合研究科出身であり、四十代にして少将にまで登り詰めた所謂エリートに属する人間である。常に第一線で最初に戦い最後に退く猛将として知られていた。渾名たる「岩窟王」は第四次イゼルローン要塞攻防戦において数倍する帝国軍の追撃を退けた功績からきたものだ。

 

 彼の不運はエル・ファシル駐留軍司令官に着任した事そのものだ。

 

 エル・ファシルは昔からハイネセンの中央政府と険悪な関係にある惑星であった。旧銀河連邦植民地のドーム都市を基としたエル・ファシルは同盟と接触当初人口三〇万人、惑星改造の途上で放棄された惑星は辛うじて大気と塩分濃度の高い海こそあったが装備無しで長時間行動するのは困難な惑星であった。

 

 ハイネセンファミリーはエル・ファシルを半ば強制的にその勢力圏に吸収した。惑星改造により居住に適した惑星と化したエル・ファシルは、しかしその恩恵は殆ど原住民の元には還元される事は無かった。

 

 惑星の土地の大半を支配するハイネセンファミリーと原住民たるエル・ファシル人との抗争は最終的に607年の妥協によるハイネセンファミリーのエル・ファシル撤収により終結した。エル・ファシル人は同盟の支配体制に従属する代わりに先祖の土地と利権を取り戻す事に成功した。

 

 それでもエル・ファシルの同盟中央政府との溝は深い。同じような歴史を持つ星系政府自体は数ダース程の数があるが、その中でもエル・ファシルが特に中央政府に不信感を抱くのはやはり帝国との国境に近いため幾度となく戦争の犠牲となり、政策に介入されてきたからであろう。  

 

 ハイネセンの中央政府はエル・ファシルを始めとした諸惑星に長年配慮してきた。同盟軍もまた同様であり、エル・ファシル星系警備隊は同盟軍の中でも地元出身者が多く独立性の高い部隊だ。

 

 だが、所詮は人口三〇〇万程の過疎惑星に過ぎないエル・ファシルの警備隊の戦力はたかが知れている。イゼルローン要塞建設による帝国軍の脅威の増大もあり、780年代初頭にはほかの幾つかの国境有人惑星と共に中央より駐留軍が派遣された。だが、この現地市民を保護するための駐留軍に対してエル・ファシルは警戒心を抱いたのも事実だ。歴代の駐留軍司令官は地元との関係に苦心してきた。

 

 リンチ少将が一年前にエル・ファシル駐留軍に着任した時も状況に変化は無かった。「岩窟王」と称される程の粘り強い戦いに定評があるリンチ少将は、しかし前線向きの提督ではあるがこのような複雑な配慮のいる軍政には不適格であった。星系警備隊や星系首相との関係構築、部下の統制による不祥事の抑制、市民への配慮などのストレスは前線でのそれとはベクトルが違う。彼の精神は少しずつ磨耗し、蝕まれていた。

 

 帝国に対する反攻作戦により駐留軍は戦力の三分の一を反攻部隊に貸し出す事になった。同時期エル・ファシル駐留軍の兵士が不祥事を起こし、市民から多くのバッシングを受けていた。

 

 帝国軍がエル・ファシルに対して想定外の侵攻を開始したのはそんなタイミングであった。本来は星系警備隊と協力して可能な限り帝国軍の補給線を引き伸ばして戦うべきであったが市民感情がデリケートなこの時期にそのような事は出来ない。結果として本来の防衛線より手前で戦力が減少した駐留軍だけで帝国軍を迎撃する状況に陥った。

 

『しかも相手はあのフォーゲル少将とヒルデスハイム准将だ』

 

 ドワイト・グリーンヒル中将は帝国軍の司令官の名を口にする。名門士族階級出身の古風で勇敢なフォーゲル少将と名門武門貴族出身のヒルデスハイム准将は共に帝国軍の警戒すべき提督である。それと万全の体制で戦う事が出来ないなぞ悪夢である。

 

 それでもリンチ少将は最初のうちはその職務を十全に果たした。地の利も数の利もない中で、しかしこれまでに比べて慎重過ぎる戦い方ではあるがリンチ少将は互角の戦いを演じて見せた。それは彼が決して無能な軍人ではない事の証明である。 

 

 だが、帝国軍の後退を見てリンチ少将が艦隊を退かせた時、それは起きた。

 

 別に同盟軍も馬鹿ではない。帝国軍が後退したように見せて襲いかかって来る事位は想定する。帝国軍の奇襲攻撃があり得ないと見た時点で同盟軍は反転した。

 

 だが、帝国軍の副司令官ヒルデスハイム准将はその戦術の常道を敢えて無視して襲いかかった。それだけならば同盟軍は余裕を持って撃退しただろうが帝国軍の動きは余りに早く対応する時間は無かった。

 

 突如の奇襲、しかも普段からのストレスで精神的に疲弊し、しかも戦闘が終わった事により緊張が緩んでいたリンチ少将は動転した。そして同時に優秀な頭脳はこの時点でこの戦闘での勝利は不可能であると判断することが出来ていた。

 

 追い詰められたリンチ少将はこの場での最善の判断は戦力を保存してエル・ファシルに撤退する事であると理解していた。だが通信は帝国軍が妨害して混乱、艦隊の統制を回復させるのは困難であり時間の余裕も無かった。

 

 リンチ少将は旗艦が後退する事で全軍に司令部の意志を伝えようとした。それ自体は必ずしも誤りとはいえないが旗艦「グメイヤ」艦橋における彼の動転ぶりは逃げたと批判されても仕方ないものであったのも確かだ。

 

 エル・ファシルに立て籠る事を考えたリンチ少将は、しかしすぐに問題にぶつかった。エル・ファシル星系政府から見ればリンチ少将は帝国軍を連れて逃げ帰ったように見えた。防衛体制を整えるより先に政府や星系警備隊はリンチ少将に責任追及を行う。この辺りは普段のエル・ファシル人の不信感が爆発した格好だ。

 

 有効な防衛戦準備も出来ず、市民はこの時点で事実上不可能な惑星脱出を要望する。普段からのストレス、戦闘のショック、戦死への恐怖……様々な要因が重なり彼の精神は擦りきれていた。

 

 市民は山岳部への避難もせずに宇宙港に集まり、星系警備隊との連携も難しい。このままでは録な戦闘も出来ずに敗北するであろう。ならばいっそ司令部だけでも脱出して急いで救援を要請するべきであろう。残存部隊は降伏させれば市民の犠牲が出るような混沌とした乱戦状態が起きる可能性は低い。三〇〇万の市民を帝国領に連行するには相応の時間がいるから救援部隊を引き連れて戻れば犠牲は最小限で済む筈……決して理屈が通らない訳ではないがそれが命惜しさの言い訳である事は明らかである。だが……。

 

『リンチ君も何度も訴えていたよ。最前線でいいからエル・ファシル以外に赴任したいと。人には得手不得手がある。私も彼の転任を提案したのだがその前にこんな事に………』

 

 心から残念そうな表情をするグリーンヒル中将。士官学校の後輩であり、将来を嘱望されていたリンチ少将の境遇に思うところがあるのだろう。

 

『リンチ君の妻は離縁したらしい。せめて彼女とその子供達の生活はサポートしてやりたいが……』

 

 リンチ少将の士官学校での同期生である妻はグリーンヒル中将とは当然顔見知りだ。士官学校の繋がりと言うのは強いもので同期や先輩後輩での情報交換や援助は良くある事だ。グリーンヒル中将は特に面倒見が良く知り合いの中で戦死した者の家族への援助や退役した者への就職先の斡旋などに力を入れている事で評判だ。

 

「そういえば娘さんがこの前テレビに出ていましたね。兎も角も無事でなりよりでした」

 

 グリーンヒル中将の陰鬱とした内心を思いはかり私は話を変える。

 

『ああ、フレデリカの事かい?確かに妻と娘が無事で良かった』

 

グリーンヒル中将が穏やかな、安堵した表情をする。

 

 銀河の妖精ことフレデリカ・グリーンヒル嬢が同盟領巡業の一環でエル・ファシル星系に訪問したのは丁度帝国軍が侵攻する直前5月1日の事である。母テレーゼの故郷でのコンサートは盛況であったという。

 

 問題はリンチ少将がエル・ファシルに逃げ帰った後の事で、付き添いの母やマネージャー、その他関係者と共に宇宙港に逃げていたらしい。当然そこには同じくエル・ファシル市民が大量に押し掛け、しかも帝国軍が近付いていた。

 

 一応莫大な大金を払いフェザーンの返還保険に加入しているとはいえ、売れっ子美少女アイドルとなれば帝国軍にエル・ファシルを占領された後どうなるか分かったものではない。それどころか市民の暴動に巻き込まれる恐れすらあった。

 

『だが、流石にあれは予想しなかったよ』

 

 苦笑いするグリーンヒル中将。フレデリカは緊迫する中で現地の同盟軍と交渉してゲリラライブを行ったという。どうやら今にも暴動になりそうだったために市民の注意を引きつけるために現場の兵士達が独断で頼み込み、彼女もまた無償で快諾したという。

 

 結果として彼女のライブが当時詰めかけていた市民の混乱の沈静化に一役買ったのは事実であり、ヤン・ウェンリーやシャルル・ガムラン等と並び「エル・ファシルの奇跡」の当事者として同盟マスコミの注目の的となった。同盟政府も彼女に共和国栄誉賞を授与したほか、同盟軍も自由戦士勲章、市民守護勲章を授与、同盟軍名誉少尉の階級を拝命した。第四艦隊司令官ドワイト・グリーンヒル中将の娘である事も大きいだろう。元々の人気もあり今ではテレビで見ない日は無い位だ。

 

 つーかおい待て、自由戦士勲章とかマジ?私あの小娘にあったら先に敬礼しないといけないの?嘘だろ?

 

『ははは、私もだよ。まさか娘に先に敬礼しないといけない身になるとはね』

 

 同盟軍名誉勲章は有するものの流石に自由戦士勲章は授与されていないグリーンヒル中将は苦笑いを浮かべる。

 

「娘さんが勲章を胸に付けて偉そうに敬礼するのを待つ姿が浮かびそうです」

 

 私は肩を竦める。あの少女なら実際にそうしそうだ。マスコミの取材やコンサートでは高飛車ではあるが純粋な美少女を気取っているがその実会ったばかりの頃と変わらずやんちゃで調子に乗る小娘だ。原作では大人しめの淑女を装っていたがまさかあれは演技だったのか?いや、成長して落ち着いたのかも知れんが……。

 

『もう少し落ち着いてくれたら良いのだが……妻も妻だ。元気になったのは良いが少し元気になりすぎだ』

 

呆れぎみのグリーンヒル中将。妻のテレーゼは病弱であったのだが娘が夫以上に稼ぎハイネセンの大病院で最新の治療を受けた事と娘の一層の活躍のために目覚めたのか今では同盟中を娘と共に駆け回っている。

 

うん、だから何でそんな方向にばっかりバタフライエフェクトするんですかねぇ……?

 

 

 

 

 

 このエル・ファシルの陥落は私にも幾つかの小さな影響を与える事となった。

 

 一つは私個人に対する風評被害である。エル・ファシルの戦いにおける帝国軍の副司令官は権門四七家の一つにして武門の名門たる十八将家が一つヒルデスハイム伯爵家の長子であるカール・アウグスト・フォン・ヒルデスハイム准将であった。幼年学校・士官学校を共に優秀な成績を残し、特に艦隊運用面では幼少時にあのシュターデン教官を領地に呼んでマンツーマンで学んだ少壮の貴族士官として有名であり、その素早い艦隊運動と恐れ知らずの攻撃から「グリンブルスティ」の異名を持つ。

 

 名門の生まれにして優秀な若き貴族士官は、多くの門閥貴族の例に漏れず残虐な一面も持つ。帝国軍の戦勝祝賀会の席でエル・ファシルでの奴隷狩りやマンハント(人間猟)が出来なかった事を悔しがるヒルデスハイム准将の録音が流出した。

 

『この日のために先祖伝来の猟銃を用意してきたのに、これでは無駄足ではないか!』

 

 一部の貴族の間では罪人を狩りの獲物に見たてて追い立てるゲームがあるとは同盟でも知られていたがまさか同盟市民がその対象にされようとは想像しておらず、この発言は同盟全土で非難を浴びた。

 

 その余波か、同盟の亡命した門閥貴族達にも同盟市民の疑念の目が向かっているらしく、同じく権門四七家の一つにして十八将家でもあるティルピッツ伯爵家の一員たる私には何も知らぬ一般人の不審の目が向いてしまう事態が起きていた。

 

 尤も、そちらはまだ実害は殆どないから良い。問題はもう一つの問題であり、この事件により改めて同盟市民の帝国軍に対する猜疑心と敵対心に火がついたらしく、同盟各地の捕虜収容所には捕虜の危険性を訴える抗議文が普段の三倍の量が届き、地元自治体からも不安を漏らす声が増えていた。それに関連して同盟各地での帝国系市民への嫌がらせ行為や事件も増加しており、亡命政府等は帝国人街に重武装の警備員を配備して暴徒に応戦、各惑星の星系警察や同盟警察が介入し、百人単位の逮捕者が出る事件も起きていた。

 

 各地の捕虜収容所はこれらの事態に対して市民への配慮と捕虜の身の安全のために警備体制の強化を行う事になる。

 

 捕虜収容所内での定例会議や各地の捕虜収容所同士による意見交換の末捕虜の外出時間の短縮や手続きの厳格化、収容所内の巡回警備の強化や地元自治体への説明会の開催等が決定し、参事官補である私はそちらの会議や事務への参加が命じられた。

 

「エコニアでは深夜の巡回を復活させたそうです。このサンタントワーヌでは元より行っておりますがこの人員を倍にするべきでしょう」

「現地警察との協力も一層強化するべきだ。捕虜の外出における勤め先等での巡回を増やせないか?」

「無茶を言うな、警察は市内の帝国系の保護で手一杯だ。昨日帝国系の運営する喫茶店に投石があったらしい。その前日は嫌がらせ電話、その前には帝国料理店で強盗事件ときたものだ」

「幾らかはどさくさ紛れの犯罪者の犯行だな、今なら犯罪しても愛国無罪ってか?呆れたものだな」

 

 サンタントワーヌ捕虜収容所幹部会議室ではそのような会話が行われる。

 

 出席者の呆れ声はある意味では正しい。元々同盟自体が帝国からの脱出者から始まった国家である。無論長征組は奴隷階級が中核であったのは確かだが少なからず平民階級や貴族階級が混ざっていたのは事実、そもそも国父アーレ・ハイネセン自体母の時代に大貴族とのトラブルで強制労働者に落とされた下級貴族の出である。またそれを別としてもダゴン星域会戦以来十億人を越える帝国人が亡命しており、亡命政府の支持者だけで数億人、それ以外の派閥やハーフ、クォーター、親戚を含めれば帝国系との血縁的関わりの無い者なぞ絶対的に少数派である。

 

「どさくさ紛れの小物はまだマシです。問題は明確な反帝国組織ですよ」

 

 軍人経験者も多く、よく事件を起こす「サジタリウス腕防衛委員会」を筆頭とした極右勢力による捕虜収容所襲撃は特に警戒が必要だ。

 

「その点に関しては直接収容所を襲撃するよりも小包等を使った爆弾テロの方を注意すべきだ。奴らにとってもリスクが小さいし、足もつかないからな」

「いや、『人民裁判会議』が銃器を集めているとの情報がハイネセン警察から提供されている。油断するべきではあるまい」

「極右勢力の警戒についてだが我々単独の努力だけでなく市民からの協力も必要だ。特に結束力が強く、現実に襲撃の対象たる帝国系市民の独自の情報網は収容所の安全に寄与するだろう。ティルピッツ参事官補、貴官にその点について任せたいがいけるかね?」

 

 会議の途中話題が変わり、クライヴ准将は少し遠慮がちに私に尋ねる。

 

「了解致しました。帝国人街等から極右組織に関する情報収集を行います。捕虜達にも外出を控えるよう呼び掛けた方が宜しいでしょうか?」

「可能であれば頼みたい。この繊細な時期に無用な争いの種を蒔く必要はないからな。情報収集についても市民に危険の及ばぬ範囲で構わない。市民の巻き添えはそれはそれで問題だ」

 

私の申し出にクライヴ准将が注意と共に許可を出す。

 

「はっ、承知しております」

 

 私のはっきりとした承諾に対して、しかしクライヴ准将は少し心配気味の表情を作る。世間一般では私が戦功稼ぎに夢中で危険な事を平気でするとかいうガセ情報が流れていると言うがそれを真に受けているのかも知れない、酷い風評被害だ。

 

「何はともあれ、これは幸運か……」

 

 会議の最中、私は小さく呟く。市内の帝国系市民に対して合法的に事情聴取出来る大義名分が出来たのは幸いだ。

 

 エル・ファシルの陥落により、そちらへの対応に暫く関わらざるを得なかった我々は当初の目標であったグラヴァー氏への接触を中止するしかなかった。幸い面会の方は途中で中止せず行われたが、盗聴した内容のみでは大佐もグラヴァー氏も当たり障りのない話しか口にする事はなかった。尤もその会話は明らかに盗聴を警戒しているのが伺えたのも確かでもある。

 

 その意味ではエル・ファシル事件は私の任務を一時的に滞らせたが、代わりにより一層動きやすくしたのも事実である。後は………。

 

「その状況をどう生かすか、だな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女、アイリーン・グラヴァーにとっての一日は同盟人の日課と然程変わらない。月850ディナールの家賃の家で目覚まし時計の騒がしい音で目覚めた後、寝惚けた表情でテレビをつけ、トーストを焼く。その間に洗面台に立ち顔を洗い、歯を磨き、櫛で若干紺色がかった黒髪を解きほぐし、寝癖を抑える。鏡に映る彼女の姿は控えめにいって美形に類するだろう。もうすぐ三十代に入るがその肌は十分潤いがある。長い睫毛に大きな蒼い瞳、鋭い視線は頼り甲斐があり、気安そうだ。

 

「……まぁ、こんなものよね」

 

 金に糸目を付けずに磨けば一層輝くであろう美貌を、しかし申し訳程度に身嗜みを整えると彼女はリビングに戻りフライパンで卵とミルクをさっと炒めてスクランブルエッグを、そして残り物のベーコンをバターで焼いてしまう。後は冷蔵庫のサラダとフルーツ、それに焼き終えたトーストを取り出し、即席の紅茶にジャムを投げ込み、彼女はテレビのニュースを見ながら朝食を始める。

 

「む、ミスったわ、油っこい」

 

 ニュースでは学者や専門家達がパラトプール星系で発生した宇宙海賊による星間交易商工組合の運送船団襲撃事件について詰まらない説明をしていたが、そんな事は気にも止めず彼女は自身の作ったスクランブルエッグの出来について気難しそうに評価する。

 

 普段より少し遅めに起きてしまったので手早く食事を胃袋に納めると、そのまま小走り気味に着替えて、バッグに昨日描いたデッサンを詰め込み家を出る。

 

 ヌーベル・パレのベッドタウンであるクラムホルムから満員のリニアモノレールで出勤、悲しい事に宇宙暦になろうとも人類は満員電車と言う悪しき伝統から解放される事は無かった。大抵の場合狭苦しい車内で携帯端末で電子新聞を見るか、ネットサーフィンをするか、ゲームをするか、幸運にも座席に座る事が出来た者は職場に到着するまで居眠りに興ずる事になる。

 

当然ながら壮絶な椅子取りゲームにおける圧倒的多数の敗者に名を連ねる事になったグラヴァーは目の前の涎を垂らして眠る中年会社員を恨めしそうに一瞥した後腹いせにゲームをしていた。頭の鬘が微妙にずれているので八つ当たりに投げ捨ててやろうか、と思ったがぐっと抑える。

 

 人の波を掻き分けて職場のある駅に到着、時計を見ながらオフィス街を駆け抜ける。

 

「アイリーン、またギリギリね?早くタイムカードを打刻なさい。遅刻になるわよ?」

「あはは……すみません、課長」

 

 職場の課長からの三割程の嫌みと五割程の呆れを含んだ注意にグラヴァーは頭を掻いて誤魔化す。

 

「負けたわ、今日アイリーンが遅刻するのに賭けてたのに」

「やった!先輩、お昼の珈琲奢って下さいね?」

「貴方達、人を賭け事の道具に使わないでくれないかしら?」

 

 オフィスに着くやいなやそんな会話をする職場の同僚達にジト目で彼女は口を開く。

 

「だって先輩いつも遅刻寸前じゃないですか!有名ですよ?毎日駅をマラソンランナーみたいに走る女性社員って。いや、障害物走かな……?」

 

後輩が嫌な現実を指摘する。

 

「エレベーターが混んでいるからって階段で十五階駆け抜けてしかもエレベーターより先に到着したのは呆れたわ。あんた、陸上選手になった方が良くないかしら?」

 

同期に入った友人も肩を竦める。

 

「あれはエレベーターが一階ずつ停まってただけだし。あれは本当に苦しかったんだけど」  

 

 遅刻十数秒前に到着した後汗まみれの姿でぜーぜーと淑女にあるまじき唸り声を挙げていたのは思い出したくもない記憶である。

 

「はいはい雑談しない!仕事にかかりなさい!アイリーン……その分だとデッサンは出来ているのよね?」

 

 上司の指摘に対してニヤリ、と不敵な笑みを浮かべるグラヴァー。バッグから勿体振るようにスケッチデッサンを取り出す。

 

「当然です、昨日の夜遅くまで作業して漸く出来上がりました、見ます?」

 

そういってデッサンをデスクの上で広げて見せる。

 

「わぁ……」

 

 周囲のほかのデザイナー達が集まり、彼女のデッサンの出来に思わず感嘆の声を上げる。宇宙暦8世紀にもなって態態紙と鉛筆でデッサンを創るのはこの会社では彼女位のもの、非効率的であるがそれが許されるのは彼女のファッションデザイナーとしての才覚故だ。いや、寧ろ紙に鉛筆と言う伝統的なやり方であるが故によりそのデザインの良さが引き立つのかも知れない。

 

「けど……大丈夫ですかね?この春服、帝国風の影響を受けたものですよね……?」

 

 後輩が恐る恐る尋ねる。ファッションデザインと言うのは大抵発表や販売の一年程前から製作するものである。来年のこの時期どのような色彩が、デザインが流行るかを予測し、それを元にして細部を突き詰めたファッションを作り上げる。業界の予測では来年は青や緑の寒色の清楚なデザインが流行ると予測しており、グラヴァーのデザインもまたそれに沿ったものだ。

 

 だが、それはファッション史に詳しい者が見れば銀河帝国にて二〇〇年程前に流行した懐古趣味風からの影響を受けた衣装であると分かるだろう。帝国の芸術やファッション文化を徹底的に否定するほど同盟は排他的ではないにしろ、特にエル・ファシル陥落以来始まる反帝国機運から見て余り推奨する事は憚られるものであることは否定出来ない。

 

だが……。

 

「いえ、構わないわ。良いデザインじゃないの。貴方達もそう思うでしょ?」

 

中年の名デザイナーでもある課長が皆に尋ねる。

 

「ええ」

「確かに可愛いですけど……」

「いいんじゃないの別に?」

 

 ある者は積極的に、ある者は消極的に課長の意見を肯定する。腐ってもデザイナーの端くれとして同僚の作製したデザインの秀逸さは否定出来ない。

 

「どうせ実際に売るのは来年よ。その頃には世間も忘れている筈だし問題ないわよ」

 

 今でこそ衝撃が続いているが、それによる帝国排斥運動もこれまでの経験から見て一年以上続くとは思えない。排斥運動が続いたとしても同盟の絶対的多数派は帝国の脅威に晒されていないので口ではあれこれ言いつつも買う者は買うのだ。少なくとも上に掛け合えば認可が出る程には良いデザインであることはこの場の誰もが認めるところだ。

 

「人気が出るなら作る!売れるなら売る!只でさえ戦争のせいで民需が減っているのよ?遠慮なんかしていられないわ!」

 

 フェザーン移民らしい厳しい口調で断言する上司。少々荒い言い様ではあるが、実際長年に渡る戦争とそれに伴う経済の圧迫は同盟に対して短期的には然程のものではないが長期的に見た場合同盟の民需を少しずつ衰退させていたのは事実だ。

 

 尤も、その点では寧ろ同盟はこれまで上手くやってきた方である事も忘れてはならない。同盟は帝国に比べ物量と地力では圧倒的に劣勢であり、一度の大敗が致命傷となり得る。更に内部では常に内部分裂の危機に陥りかけている中で同盟は「経済が許容出来る範囲」での戦争を一五〇年に渡り続けてきたのだ。それは同盟経済の頑強な基盤と最高評議会と同盟議会の政治力、そして同盟軍の絶え間無い努力によりもたらされていた。

 

 逆説的に言えばそれによる変わらない豊かな生活が一般的な同盟市民にとっての常識となり、市民のある種の無茶ぶりに近い不満の発生源かも知れないが……。

 

 何はともあれグラヴァーのデザインが来年の商品に決められたのはほぼ確定的だった。後はデッサンの案をより詰めていき、細部の設定と調整、それによる問題点の洗い出しが必要となる。

 

「また先輩の案採用ですか、羨ましいなぁ」

 

 昼食の時間自弁してきた弁当を口にしながら後輩がそう口にする。職場のデザイナーは何人もいるが何十、何百というデザイン案の中で採用されるのは十に一つである。そして毎日のように遅刻寸前に来る先輩の案が大抵その中に含まれていることは後輩には何となく不平等に思えてしまうのである。

 

「ふふふ、これで来月の臨時ボーナス頂きよ!これは次の連休はパルメレント旅行に決まりね」

 

 そんな不満たらたらの後輩にどや顔しながらグラヴァーは街の弁当屋で買ったサンドイッチセットをアルーシャ産茶葉を使ったアイスティーをお供に頬張る。

 

「余り調子に乗らないの。まぁ、それはそうとして羨ましいのは確かね。やっぱり御貴族の御嬢様となると美的センスが違うわよねぇ」

 

 淡々とコンビニのデザートケーキを食べる同僚の指摘。グラヴァーが帰化帝国人の貴族である事自体は秘密ではない。無論、同時に明け透けに語る事でもないが、やはり一般的同盟人は彼女の出自を聞くとそこに意識が向いてしまう。

 

「別にそこまでなんだけどなぁ、向こうにいた頃の記憶なんてもうあんまりないし、まぁ帝国風デザインの造詣は結構詳しくなれたという意味では影響があるかな?父が厳しめの人で裁縫とかの知識も教え込まれたし」

 

肩を竦めてそう述べるグラヴァー。

 

「ふぅん、そういうものなの?」

「ぶっちゃけ帝国にいた時期よりハイネセンにいる時期の方が遥かに長いからね、御嬢様なんて言われてもピンと来ないわよ」

 

 少なくともハイネセンの一般市民と同程度の価値観であると彼女は自覚していた。これが同盟まで亡命して宮廷ごっこに興じている亡命政府の門閥貴族達ならば違うのだろうが……。

 

「そう言えば先輩、噂になってましたよ?この前結構格好いい人とランチしていたでしょ?どこの人なんですか?」

 

ふと思い出したように後輩が興味津々で尋ねて来た。

 

「ランチ?……ああ、あれね」

 

 後輩の言葉にふと考え込み、思い出したかのようにグラヴァーは答える。

 

「本当に耳が早いわねぇ、昔の幼馴染みよ。別にあんたが期待するようなものじゃないわよ」

「えぇ~?本当ですかぁ?」

「あんたが全く信用していないのだけは分かったわ」

 

 呆れ気味に肩を竦めるグラヴァー。相変わらずこの手の話に考え無しに首を突っ込む後輩である。

 

「あんたそんな風に人のプライベートに首突っ込むから恋人出来ないのよ?押し強すぎて男がドン引きするのよ」

「えぇ~だって気になるじゃないですかぁ!それにまだ私は若いですからぁ、賞味期限が切れそうな先輩とは違いますよぅ」

「お前ぶっ飛ばすわよ?」

 

口も多い後輩である。

 

「はいはい、二人共馬鹿やらない。さっさと食べないと昼休み終わるわよ?」

 

 同期の友人が急かすと、グラヴァーはそこで機械仕掛けの腕時計を見やり、残り時間にげっと女性らしくない声を漏らし、慌てて残るサンドイッチを口に放り込みペットボトルの紅茶で胃に流した。

 

「そろそろ終わりだけど……少し前に隣街で引ったくりがあったわ。大丈夫?」

 

 午後の仕事が終わり、社内で帰り支度していると上司の女性がグラヴァーにそう伝えた。話によれば帝国系の女性が何時間か前に仕事帰りに引ったくりにあったらしい。ハイネセン警察の警報アプリから携帯端末に来た最新情報であり、時期から見て恐らく帝国系を狙っての犯行と見て捜査しているらしい。

 

上司の言に同僚が心配そうに顔を向ける。

 

「アイリーン、大丈夫?心配なら車で送っていくけど……」

「大丈夫よ。まだ明るいし、警察も見回りを増やしているみたいだから。それに私の家は別に帝国人街じゃないから見張られてなんかないわよ。最悪自衛位出来るし」

 

 そういって職場の同僚の前でぴっぴっ!と拳をつけ出すグラヴァーの態度は決して無理をしたものではない。柔道やシステマを学んでいる。退役した同盟軍人が指導する本格的なものだ。そのほか懐には護身用のスタンガンやスプレー類、防犯ブザーも忍ばせておりいざ襲われても逃げるだけならば余程の事がない限りは安心だ。その辺りは自衛に力を入れる帝国系らしい。そもそも彼女は帝国からの亡命者一世とはいえ既に帰化しているので名前は同盟風だし、同盟公用語もネイティブ同然に話す事が出来る。一目で帝国系であるとバレる心配はなかった。

 

「だといいんだけど……気を付けてね?」

 

 気立てが良くはきはきした友人に同僚は心配そうにそう口にする。ずばずばとした雰囲気であるがその実物腰が良くお喋りの上手い彼女は社内でも気に入られていた。遠いエル・ファシルだとか言う星での事件で帝国系への風当たりが急に厳しくなっているが、少なくともこの社内でそれを元に彼女を詰る者は一人もいない。

 

 尤もそれは差別への反対というよりもハイネセンから碌に外に出た者も多くはないので余り帝国との戦争を意識していない、という面はあるかも知れなかったが。ハイネセンを始めとした後方の惑星が帝国の軍事的脅威に晒される事は滅多にない上、徴兵も選抜式で大半は地元の星系警備隊で兵役を終える。軍人家系や志願兵が身内にいるのでなければ戦争を身近に感じれない者も少なくはないのだ。

 

 社内での心配を余所に、最終的にアイリーン・グラヴァーは送迎を受けずに帰る。途中まで帰り道が同じ数人の同僚が付き添ってくれたのは彼女の人徳によるものだろう。お喋りしながら一人一人と別れていき……最終的には一人で夜道を帰る。リニアモノレールから降りて夜中のクラムホルムの街を歩く彼女は暫し静かに帰路についていたが……ふと、何かに気付いたかのように足を止める。そして、警戒したような表情で振り向く。

 

「……何?いつまでもこそこそとストーカーするなら警察を呼ぶけど……用があるなら顔を見せなさいよ」

 

 不信感と警戒感を全開にして彼女は暗く視界の悪い夜道で誰とも知れぬ者達に語りかける。彼女は何分も前から自身の後をつけ回る視線と気配を敏感に感じ取っていた。それは女性としての鋭敏さと共に帝国系特有の観察力と警戒心によるものだろう。

 

「…………」

 

暫くの沈黙、しかしすぐに追跡者達は姿を現す。

 

「いやいや、怪しい者じゃないんだけどな?……少しだけお話をお聞きしたいのですが宜しいですかね?」

 

 両手を挙げて降伏の意思を示した私、ヴォルター・フォン・ティルピッツ少佐はご機嫌を伺うような表情で彼女にそう事情聴取を求めたのであった。

 

 




本作のガムラン准将はノイエ版でリンチを帝国軍を連れて来たと罵倒したりヤンにリンチ逃亡を無線で伝えていたエルファシル基地の司令官という設定です
本来ならば上官をあのように貶すのはあり得ませんし、ヤン一人で何百という艦艇を指揮するには階級が足りません。ですので本作ではリンチは中央から派遣された余所者という形にして、作戦は士官学校出身、駐留軍司令部参謀というエリートな立場のヤンが考えたものの、直接的な指揮はエルファシル星系警備隊司令部が行ったという形です


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第百二話 家族関係が面倒なのは新年の日本も帝国も同じ

 宇宙暦788年6月22日1930時頃、私はアイリーン・グラヴァー氏を誘いクラムホルム市の喫茶店「ブリュメール」に入店した。

 

「ブリュメール」は一見すると良くある中流階級向けの喫茶店であるが、その実余り知られてはいないが店長以下の従業員の多くは退役軍人や元軍属である。別に正式に決められている訳ではないが同盟軍の情報部等では秘密の会合や書類の受け渡しにこういう元軍人の経営する店を利用する。同じ軍人という事で口が固く、必要以上の説明をしなくても良いためやりやすいためだ。このような店はハイネセンだけで数百店にも及ぶ。

 

 私が店員にテーブル席を希望すると一番奥側の席に誘導される。他の場所から見えにくいそこを案内されたのは私の歩き方が軍人のそれであるためだ。一般的同盟人風の私服姿でも店員達はこうした少しのヒントで私の正体を見抜くのだ。

 

「さぁ、こちらにどうぞ」

 

 レディーファーストとばかりに私はグラヴァー氏に先に席に座るように伝えるが彼女の方は不機嫌そうな表情を向ける。それが私が彼女を逃がさない事を意味していると理解しているためだ。

 

「ここの代金は貴方持ち?」

「当然です」

 

 そのように会話した後、一層不機嫌そうにグラヴァー氏はテーブルの席に座る。そしてすかさずメニュー表を見やり、御冷を持ってきた店員にオーダーを伝える。

 

「オレンジジュースとアイスティー一つずつ、それにオニオンスープとマッシュポテト、ソーセージ盛り合わせ、南瓜グラタンを御願い。後デザートにこの抹茶パフェとマロンケーキとチーズケーキを頂戴。いいわよね?」

「……勿論ですとも」

 

 少し表情が引き攣るがそれを誤魔化して余裕ぶって答える。相手は腹いせのつもりであろうがそれに反応する訳にもいかないのだ。

 

 私は珈琲とザワークラフトとソーセージを注文して席に座る。

 

「………で?見た所……軍人?多分貴族よね?亡命政府の人間が私みたいな逸れ者に何の用?」

 

 私を観察して大体の当たりをつけたのだろう、不機嫌そうに尋ねるグラヴァー氏。

 

「逸れ者、とは卑下し過ぎでしょう?鎖国派は別に少数派ではないのですから」

「私達は連帯も組織化もされていない無関心層の寄せ集めよ。御世辞を言わずとも立場は理解しているわ」

 

 亡命帝国人のうち民主主義を信奉して積極的に同盟に同化する共和派、そして帝国文化を尊重しアルレスハイム=ゴールデンバウム家を頂点にミニ銀河帝国を運営する帰還派、そして鎖国派が亡命帝国人の三大派閥であるが正確には鎖国派は派閥と言えるかは怪しい。

 

 推定でも数億人はいると思われる彼らは別に統一された政治思想がある訳でも、指導者がいる訳でもない。帰還派程にガチガチに帝国社会を再現して息苦しい生活はしたくないが共和派のように文化を捨て去り同化したくもないという層を総称して呼んでいるだけだ。独自の全国政党なぞなく、あるとしても地域の市議会や惑星議会に幾らかの席を持つローカル政党位のもの、しかも各政党の連携すらしていない。限りなくノンポリに近い思考であり戦争やら同化政策に関心はなく、あるのは税金問題や社会保障、就労問題についてである。同盟社会にそれなりに適応している者から身内だけで集まる者、元奴隷から貴族までおり正に雑多で統一した勢力とは言い難い。同盟議会や政治学界においても彼らは浮動票として見られている。

 

「何の信念もない私達みたいな俗物、偉大なる亡命政府の貴族様達にとっては愚民そのものでしょう?言わなくても分かるわよ」

 

 腕を組みそう言い捨てるグラヴァー氏。私はその発言に誤魔化すように笑みを浮かべるしかない。

 

「いえ、決してそのような事は………グラヴァーさんが善良かつ模範的な同盟市民である事は承知しておりますし、それが帝国系移民にとってのある種の理想である事は疑うべき事ではありません。それはそうとして、幾つか確認と質問があるのですが宜しいですね?」

「……料理が来てからならね」

 

 その言葉通り事情聴取は注文された料理がテーブルに出揃ってから始まった。

 

「貴方はクレメンツ大公のクルーザーに乗船してフェザーンに向かった、と記録にはありますが相違ありませんね?」

「……ええ、オーディンで乗船したのよ。クレメンツ大公やヴェスターローデン男爵の娘……ほかにも乗船していた方には何人か当時の私と同年代の子供がいたわ。当時の私には何が何だか分からなかったから取り敢えず同乗していた子と毎日遊んでいたわ。後は知っての通りフェザーンに着く直前にクルーザーに砲弾が当たって私は気を失ったわ。以前にもしつこく尋ねられたけど当時の私にこれと言って伝えられた事は無いから何か新情報を求めているなら無駄よ?」

 

 そう言いつつスプーンでオニオンスープを優雅に口に含む。物音一つ出さずに流し込むようにスープを飲む姿は一見そこらにいる同盟市民に見えても幼少時に厳しく宮廷マナーを指導された事を証明していた。少しだけぎこちないのはこちらに来てからこのようにマナーを気にする機会が少なかったからだろう。私と相対するからこそ礼儀作法通りに食事をしているのだろう。

 

「そのようですね。お訊ねしますが御父上が亡命政府に合流されなかった理由は御存知でしょうか?」

 

珈琲を一口飲んだ後私は尋ねる。

 

「……警戒したんでしょうよ。貴方も知っているでしょうけどあの事故に亡命政府が関与していないとは言い切れないから」

 

 クレメンツ大公は保守的な兄リヒャルトに比べて改革派であった事で知られる。緊縮財政の緩和に同盟との和平の推進はその一例だ。

 

 亡命政府に関してはクレメンツ大公は亡命帝の時期に提案された藩王国化する事を支持していた。亡命政府や同盟政府としてもクレメンツ大公に裏で援助をしていたとも言われ、同盟領における亡命者からも比較的好意的に見られていた。

 

 しかし、同盟政府は兎も角亡命政府にとってクレメンツ大公は帝国にいてこそ意味のある存在であった。あくまでも頂点はアルレスハイム=ゴールデンバウム家であり、これまで亡命してきた皇族も一族に吸収するなり家臣として扱う事を前提としてきた。

 

 だがクレメンツ大公は同盟でも人気が出過ぎた。正確には守銭奴な皇帝の時期、同盟に亡命してきた帝国人は増加の一途を辿りその多くが緊縮政策による増税や経済の悪化による生活難によるものであった。亡命して歴史の浅い新参者の亡命者達は同盟に同化出来ず、しかし亡命政府に組みしてもそれ以前からいた者達との格差がつけられてしまう。そのため少なくない亡命者がクレメンツ大公に期待を寄せていた。実際、大公も亡命政府における一家臣になる度量はなく、新たな亡命者組織の結成や皇帝即位への野心を捨ててはいなかったようであった。

 

 亡命政府からすれば銀河に皇帝が三人も鼎立する事態は権威の面から見て好ましくない。クレメンツ大公が新たな組織を同盟で設立すれば亡命政府の亡命者への影響力の低下をもたらすだけでなく、同盟政府が亡命政府の代わりにクレメンツ大公と手を結ぶ可能性すらあった。事実クレメンツ大公が亡命を決意した時期には既に怪情報ではあるがアルレスハイム=ゴールデンバウム家がクレメンツ大公暗殺を計画しているという噂が流れていた。

 

 問題はそれが事実か不明ながら実際にクレメンツ大公が事故死した事である。無論これに関しては亡命政府以外にもフリードリヒ暗躍説、リヒャルト派残党復讐説、同盟関与説、フェザーン陰謀説、果てはクレメンツ大公偽装死生存説まであり、そんな数多くある説の一つに過ぎない。

 

 当時の司法省も大公の死を公式には事故として処理している。更に当時皇帝の密命にてクレメンツ大公を調査・捜索・追跡していたファントムハイヴ伯家当主には確保失敗と大公を追い詰めすぎた事を理由に自決と男爵への降格、流れ弾により大公を殺害する事になった事により航路警察局の局長トランシー伯爵は同じく自決と子爵位への降格、現場指揮官であったランドル男爵も自決と領地の半分を召し上げに処されている。

 

 これらの処分は対象となったのが警察や司法・社会秩序維持局等の治安組織、諜報組織、法務組織への影響力の強い家々である事から考えてもほかに大公の死の責任者がいるのならばここまで厳しい処断が為される可能性は少ないと見られている。

 

 それでも一部では亡命政府による暗殺の可能性を信じている者もいる。ましてクレメンツ大公の食客であったクライバー帝国騎士にとってはそんな亡命政府に近寄る事は不可能であっただろう。

 

「同盟に帰化後、クラムホルムに移住、父は警備員、後に同盟公用語を学び「移民者社会結合推進法」(帰化して一定の基準を満たした亡命者を同化促進のため特定の役職の公務員として雇用する法律)に従いクラムホルム市役所勤務ですか」

「ええ、公務員と言ってもほかの同盟人なら嫌がるような仕事を薄給でやらされたのだけどね。文句を言う奴も多いけどだったら自分達がやればいいのに」

 

 不満そうにソーセージをナイフで切って口に入れるグラヴァー氏。好景気時代、一部の過酷な公務に人が集まらないために立場の弱い亡命者を「公務員」という社会的立場を与えるのと引き換えに使い倒したこの法律は大昔程ではないが議論が残る法律だ。だが現実問題一部の公務はこれが無ければ維持出来ないのも事実なので制度自体は未だに効力があり亡命政府の庇護を受けていない亡命者はそれを利用する事が少なくない。

 

「失礼、そして貴方は義務教育終了後は専門学校に進学、推薦で現在の職場に就職した、で宜しいでしょうか?」

 

 さらりと流したが義務教育での成績は客観的には上の下、芸術系の専門学校ではトップクラスの成績、今就職している会社は超一流とはいかずとも同盟人の三人に一人は知っているくらいには有名なブランドだ。親が必死に働いて金を稼ぎ、子は苦学の末に同盟社会に同化して大企業に入る。亡命政府を毛嫌いする政治思想を持つ者から見れば正に「模範的移民」という訳だ。

 

「そうよ、父は死んじゃったけど今では年収5万ディナールはある立派な同盟の中流階級という訳ね」

 

 南瓜グラタンを掬いながら流暢な同盟公用語で答えるグラヴァー氏。

 

「それは結構な事です。さて、本題ですが……これまで帝国系と積極的に関わる事が無かった貴方が近頃捕虜……知っているでしょうがここから一〇キロ程離れたサンタントワーヌ捕虜収容所に収容されている人物と交流がある事についてです」

「この自由の国だと捕虜と会話してはいけないのかしら?」

「違法ではありませんが対象が対象ですので」

 

皮肉気に語るグラヴァー氏に私は遠慮がちに答える。

 

「貴方がここ二年程交流を持っている人物について知っている事をお聞きしても?」

「……ハンス・シュミット、歳は三十位、階級は……中佐?大佐?余り詳しくないから断定は出来ないわ。フォンが無い通り平民の士官のようね、多分お金持ちなのだろうけど」

 

 少し迷った後にグラヴァー氏はハンス・シュミット大佐に対する個人記録とほぼ同じ内容を口にする。

 

「交流のきっかけを御聞きしても?」

「……元々は彼がアルバイトとしてヌーベル・パレの本屋にいた事が始まりよ。ファッション研究の資料を買おうとしていたのだけれどその時に彼と会ったの。捕虜である事はすぐに分かったわ、衣服が捕虜服だったもの。ヌーベル・パレに限らずクラムホルムや隣町のヴァランスやサントでもアルバイトをしている捕虜はたまに見るから驚きは無かったけど。……やはり富裕市民だからかしら、ファッション関係への造形も深くてね。色々説明してくれたわ。その後お互いオーディンの出身だと分かって以来友人関係を結んでいるわ」

 

 内容は矛盾の無いものであった。これまで盗聴ないし記録された会話との齟齬はない。尤もそれだけであるが……。

 

「成程、同郷と……オーディンでも面識が御有りで?」

「さぁ、どうかしら?オーディンに住んでいたのは随分昔の事だから余り詳しく覚えてないわ。それにオーディンと言っても広いから断定出来ないわ」

 

 僅か、僅かに声のトーンが変わったのを私は感じた。無論私は気付いていないように話を続ける。

 

「此度の事情聴取の理由はそこでして……はっきり申しますと我々は彼の個人情報が偽証であるという疑いを持っているのです」

「我々?それって同盟軍?亡命政府?」

「そこは軍機ですので失礼ながら答えられません」

 

 むすっとした表情を作るグラヴァー氏。機嫌を損ねたかな?

 

 私は彼女が抹茶パフェの上のアイスとホイップクリームに手を付けた時点で話を再開する。

 

「我々は彼が貴族、大貴族の血縁であると考えております」

「大貴族?じゃあ何で態々偽名を?貴族なら優先的に返還されるらしいじゃない。そうでなくても保険で収容所でも宮殿での生活が出来るそうじゃないの。何の理由があって態態平民を名乗るような事をするのよ?」

 

 ぶっきら棒に答えるグラヴァー氏の主張は正しい。だがそこに僅かに否定に誘導したい意志が感じられるのは予め私がそう考えているためであろうか?

 

「いえ、有り得ますよ。例えば宮廷闘争の敗北者は捕虜となれば実家に一層の迷惑をかけますので敢えて自決を選ぶ場合も多いのは御存じでしょう?」

 

 名誉の戦死ならば宮廷での体面は持つであろうが大貴族が奴隷(帝国貴族からの見解)の捕囚になるなど惨めそのものだ。宮廷ではすぐに噂は広がる。落ち目の貴族なら一層冷ややかな視線が浴びせられるだろう。実際それが原因で捕虜収容所で自殺した貴族もいる。

 

「………」

 

 沈黙するグラヴァー氏。帝国系であればその発言の説得力は同盟人以上であろう。

 

「ヨハン・フォン・クロプシュトック、同じく帝国系であれば御分かりだと思いますが彼のクロプシュトック侯爵家直系の息子ではないかと我々は推測しています」

「………!」

 

 彼女の瞳に僅かな動揺が見えた。相変わらず予め構えていなければ分からない位の変化だ。

 

「………それで、私に何をお望みな訳?」

 

 胡散臭そうに、探りを入れるようにこちらを見るグラヴァー氏。

 

「別に善良な同盟市民を危険に晒すつもりはありませんよ、その点は保証致しましょう。我々としては彼、ハンス・シュミット大佐が本当に本人であるのか、違うのならば誰であるのかを確認したいだけなのです。グラヴァーさんにはその協力を御願いしたいのですよ」

「そしてそれを持って何か彼を脅す訳?」

「取引が出来れば良いとは考えております」

「物は言いようね。まるで宮廷の物言いだわ」

 

 処刑が急死、病気療養が収監、自裁が殉死、敗北が転進に変わる銀河帝国の宮廷では言葉の言い換えは日常茶飯事である。

 

「それで私が協力しなければ職場を退職させられるのかしら?それとも暴漢に後ろから襲われるの?」

 

 そして帝国人はこの場合「協力」を文字通りに受け取らない。グラヴァー氏は深刻な表情でこちらを睨む。

 

「……ここは自由の国です。そしてこのデリケートな時期に手荒な真似はしたくないとも考えています」

 

 一拍置いて私は答える。元より超法規的手段はしたくないがそう言っても毎度黒に近い灰色(あるいは灰色に近い黒)な手段を取る事で有名な亡命政府の後ろ盾を持つ私の言葉を鵜呑みにするとは思えない。なので敢えてこちらの弱みを見せてその意志が無い事を伝える。

 

「………友人を裏切る事は出来ないわ。勧誘の協力は出来ない。但し会話の中で気になった部分について伝える位ならば許容するわ」

「無理強いは致しませんよ。貴方の可能な範囲での協力で構いません」

「……本当に言葉通りか不安ね」

 

 そう言いつつもマロンケーキに手を付けるグラヴァー氏である。おいこら文句あるなら代金払えや……とはここでは言えないので我慢である。何、不良士官や食い詰めに比べれば可愛い食事量だ。

 

 最後のチーズケーキを胃袋に収めると水を一口飲み、立ち上がる。どうやら店を出るらしい。

 

「……御馳走様、ここの料理は美味しかったわ」

「最近は物騒ですから護衛をお付け致しましょうか?」

「監視役はせめてこっそりおいて頂戴。視界の中にいられると疲れるわ」

 

 私の言葉に皮肉気味に返すとそのまま立ち去ろうとし、一旦足を止める。

 

「……余り期待は出来ないけど……余り追い詰めないで上げてくれる?」

「……善処しましょう」

 

 私の言葉に、目を細めグラヴァー氏は店を立ち去る。暫しして私服姿の従士達が入店する。

 

「若様」

「追う必要はないさ。余り手荒な真似はするべきじゃない」

「ですが……!」

 

 そう食い下がるのはベアトだ。店外から警備をしていた彼女は同時に盗聴器で会話も聞いていた。彼女にとってはグラヴァー氏の非協力的な態度は同胞の裏切り者に等しいし、私への無礼である。

 

「あの生い立ちだ。いきなり顔を合わせてあんな要求をすれば良い返事を期待する方が可笑しい。消極的な協力を得られただけで十分と考えるべきだ」

 

 そういって私はずっと手をつけず放置していたソーセージとザワークラフトにフォークで手をつけ始める。お、冷めていても結構いけるな。

 

「二人共、寒い中見張り御苦労。何か注文するといい」

 

 従士達にメニュー表を渡し、私は内心で次の計画について考え始めた。

 

 ………因みにグラヴァー氏の食事の出費は45ディナール55セントであった。あの野郎、地味に高めの料理ばかり注文しやがって。

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 エル・ファシルの陥落は同盟軍にとって想定外の事態であった。戦略的にも戦術的にも本来ならば帝国軍がエル・ファシルに侵攻する事自体補給の観点から見てあり得ない事であり、駐留軍が敗北する事は更に想定外であった。

 

 この状況は同盟軍の反攻作戦の計画そのものを狂わせた。難民の対応に人手が取られるだけでなく帝国軍は分艦隊規模とはいえ新たな拠点を手に入れ、しかもエル・ファシルには反攻作戦に備え相応の物資が貯蔵されていた。結果として同盟軍は作戦の一時中止を命じざるを得なかった。

 

 クラーゼン上級大将率いるサジタリウス腕方面討伐軍は同盟軍の進撃の停滞に呼応して戦力の再編を行い、逆撃に転じる。本国からの援軍の到着もあり、サジタリウス腕方面討伐軍は僅か数ヶ月の間に急速に強化された。

 

 6月15日にはエル・ファシル星系に隣接するカナン星系より350万人の市民が避難、7月3日にはジーランティアより500万人がシャンプールに疎開する事になった。7月7日にはクィズイール星系外縁部に強行偵察艦を発見、7月20日にはシグルーン星系に帝国軍偵察艦隊が進出した。7月22日には激しい攻防戦の続くカキン星系に亡命軍地上軍五万名が増援として派遣された。

 

 劣勢、同盟軍の状況を表すとすればこれ程的確な言葉はないだろう。エル・ファシル陥落以降同盟軍は苦戦を強いられ、それは同盟市民にとって帝国系市民への敵意と言う形で還元される。

 

「お陰様で私もここ暫くは外出が出来ずに困ってしまいます」

 

 決して広くない部屋の中でシュミット大佐は苦笑いする。

 

 田舎なら兎も角今のハイネセンのような都会では捕虜の服装で街中に出るのは余り奨励される事ではない。多くの捕虜は必要なものはネット通販で取り寄せる。直接買うのに比べて運送料等がかかるため特に下級士官出身者には不満を持つ者も増えている。

 

「まぁ、私の場合はせいぜいアルバイトと本を探す位ですから我慢すればいいだけなのでしょうがね。幸運にも時間だけはここではいくらでもある」

 

 労働こそあるが朝から夜までと言うわけでもない。一般社会程の贅沢は望めないにしろ食事と寝床と入浴は用意されている。インターネットは制限付きで出来るし図書館もある。一年二年収容所から出なくても問題はない。

 

「研究の方は捗っていますか?」

「それなり、と言った所でしょうね。ミヒャールゼン提督暗殺事件について少し家系図について洗っている所なんですがやはりあの時期で憲兵隊なり社会秩序維持局なりが彼に危害を加えるのは難しいですね」

 

 同盟ならば兎も角、帝国においては粛清を行う上で血縁は極めて重要視される問題だ。帝国は連座制であり一人処断されればその親族や臣下にも罪状は飛び火する。

 

 同時に貴族達は政略結婚と養子縁組により相互に連携し、複雑な血縁関係の網を形作っている。何代か遡れば一人の貴族が十、二十の家系と縁を結んでいるようなものだ。そしてその程度の距離ならば十分身内扱いである。

 

 結果何が起きるかと言えば門閥貴族一人処理するのに連座して何十という家々にも影響が及ぶのだ。そのため宮廷も弑逆や反乱等帝室に関わる問題でもなければ簡単に貴族の処理は出来ない。親戚への根回しがいるし、彼らが罪状の飛び火や罪を犯した同胞の庇いだてを行う。そのため多くの場合は貴族が処刑される事は極めて稀であり、大概は名誉ある方法での自裁を命じられる。

 

 その点から見てやはりミヒャールゼン提督が暗殺されるという事態は異様過ぎる。ミヒャールゼン伯爵家の分家に当たるリンダウ=ミヒャールゼン男爵家当主たるクリストフ・フォン・ミヒャールゼンの母は権門四七家が一つキールマンゼク伯爵家の直系、妻は同じく権門四七家のハルテンベルク伯爵家の分家の男爵家出身、二人の息子と一人の娘がおり彼らはそれぞれ相応の家から配偶者を迎えている。ここがミヒャールゼンの巧妙な所であり、これらの婚姻により自身が処理された場合連座制により幾つもの名家が取り潰しの危機に瀕する事になるし、情報も集めやすくなる。憲兵隊や社会秩序維持局も彼の親戚関係を気にして調査が難しくなる。

 

 特にミヒャールゼンの子供達の婚姻相手は絶妙な采配だった。長男はブルック子爵家、次男はシュタイエルマルク男爵家より娘を嫁に迎え、末娘は本家に一時養子に出した後最終的に後のオトフリート五世となる皇太子の三男の寵妃となりクレメンツ大公の母となる。

 

 この辺りの政治的嗅覚は流石と言える。まだジークマイスター機関の構成員として疑われていなかった時期に婚姻を結んだブルック家、シュタイエルマルク家の当主は知っての通り第二次ティアマト会戦後の帝国軍を支えており、ミヒャールゼンの粛清が行われれば当然彼らは責任を取り最低でも隠居せざるを得なかった。そしてそんな事をすればどうなるかは分かり切った事であろう。

 

 また当時はコルネリアス二世が晩年に偽ヘルベルト大公事件を起こし、次の皇帝たるオトフリート三世は人間不信の余り在位一年で餓死してしまった。本来ならば直系の皇太子が次の皇帝に即位するべきなのだがそれが後の「強精帝」オトフリート四世であり、常時発情状態の青年を即座に皇帝に推戴するのは憚られたためにコルネリアス二世の叔父にあたるエルヴィン・ヨーゼフ一世が繋ぎとして即位していた。このエルヴィン・ヨーゼフ一世というのが齢八六の棺桶に片足を突っ込んだ老人であり、第六代皇帝ユリウス一世と違い年相応に弱弱しく後宮に向かう体力もない、今にも死にそうな風貌の人物であったと伝えられる(事実即位後三年で死去した)。

 

 そんな訳で短期間の間に皇帝が次々と代わってしまい宮廷は混乱しており、ミヒャールゼンはその隙を突いて新皇帝オトフリート四世の三男の息子の一人に娘を宛がう事に成功していた。当然ミヒャールゼンの粛清は皇太子の有力候補であったオトフリート四世の三男(後のオトフリート五世)にも影響を与える。二重三重の保険を掛ける事でミヒャールゼンは機関の下部組織が次々と壊滅する中でも自身の身の安全を完全に確保していたのだ。

 

「ケーフェンヒラー大佐もその辺りに疑念を抱いていましてね。少なくともあの時期あのようなやり方で彼を害する事が可能でかつ必要な勢力があるのかとね。私としても同感でして、さてさてどういう事なのか……」

 

 困った表情をして安物のインスタント珈琲を口に含む大佐。

 

「……この珈琲もそろそろ切れそうですね。もし可能でしたら兵士に頼んで買ってきて貰えませんか?豆はどれでも良いですし、きちんと立て替えますので」

「お望みでしたら連絡を取りたい方への言付けも承りますが?」

「………」

 

 私の言に珈琲を飲むのを止めこちらを観察するように見やる大佐。

 

「……はぁ、買い被られたものですね」

 

肩を竦めながら苦笑いのような表情を浮かべる大佐。

 

「信じてもらえるかは兎も角、私個人としては隠し事なんて無いですし、スパイとかをしている訳でもないのですがね……」

「だと良いと私も考えます。ですがそれを判断するのは私ではないのですよ」

 

 相手の返答としては想定内のものであるために私もまた平静を装いそう答える。

 

「確かに私はこちらの収容所に来てから良く交流する友人がいますし、その人は元を正せば帝国系です。ですが別に私は工作員の密命なんて帯びていませんし、その手の技術もありませんよ。正真正銘同郷であるために親交を得たに過ぎません」

 

 シュミット大佐はわざとか、それとも実際にそう考えているのか、私が彼を帝国軍の工作員として見ていると仮定して話す。実際帝国は亡命者や宇宙海賊、フェザーン人を通じたスパイ網を同盟に張り巡らしていると言われており、その中には敢えて捕虜となり同盟に潜入する者もいる。

 

「でしたらどうぞお気にせずに普段通り御過ごし下さい。この同盟では帝国と違い証拠なく処断される事はありませんし、まして拷問や自白剤を使う事もありません」

「存じておりますよ。この国は少なくとも帝国に比べて人権意識が高い。そうでなければこんな呑気に研究なんて出来ませんからね。帝国の捕虜になった同盟人がどれ程過酷な環境に置かれるかは知っております」

「捕虜収容所に勤務した事が御有りで?」

「………そうですね。大尉時代に少し」

 

そこまで口にして言い淀む。

 

「………実の所、そこで捕虜と少し交流しましてね。こちら側の話について聞きました。知っての通り帝国軍では民主主義思想は過激な宗教扱いです。少なくない帝国人が捕虜となるのを恐れている。私は捕虜との交流でそこまで酷くはなかろうと考えたために大人しく降伏する事が出来ました。もしそれが無ければ私はここにはいないでしょうね」

「………望郷の念は無いので?確かにこちらの方が研究や生活の上で安全でしょうがそれでも故郷が恋しくなる事はあるでしょう?」

「だから故郷を取り戻し、帰還するために協力をするべき、ですか?」

 

 こちらを見つめる大佐に対して私は無言でもって答える。即ち肯定である。

 

「………正直余り望郷の念は無いのですよ。研究で協力しているケーフェンヒラー大佐は確か四〇年以上収監されているそうですね?あの人のようにとは言いませんが今の所積極的に故郷に帰りたいとは思いません。この捕虜収容所で本に囲まれ、趣味の研究に打ち込み、偶に外の喫茶店を利用して静かに暮らすのもありかと思いましてね」

「家族に会いたい、とは思わないので?」

 

 咄嗟にそう口にしてすぐに余り好ましい選択ではない事に気付く。少し深堀し過ぎであるのは明らかであった。

 

「………余り人に言う話ではありませんが、家族の事で問題がありましてね。正直実家には戦死の知らせが届く方が気楽に思う事もあるんですよ」

 

しかし大佐は自嘲気味にそう語る。

 

「そう………その方が良い。その方が………」

 

 反芻するように呟きながらカップの中身をぼんやりと見つめる大佐。そしてふと我に返ったような顔をしてカップを口元に運び、その後テーブルにゆっくりと置く。私は彼の発言からふとケーフェンヒラー大佐が先日彼にソリビジョン越しに面会した時の感想を思い出した。

 

『これは私見であるが……何か彼は親近感の湧く雰囲気があってな。ふむ、どう説明するべきか………諦観的というか、失望しておるというか、少なくとも単純に「故郷に戻らせてやる」などと言う捕虜を誘惑する常套句では首を振らんだろうな』

 

 確かに大佐は望郷の念は無いらしい。想定はしていたが……クロプシュトック侯爵家の嫡男が故郷に戻りたくないと言いかつ家族と問題を抱えているとなると……結構闇が深いな。

 

「時間は幾らでもあります。焦る事も、早急に結論を出す必要もありません。我々は幾らでもお待ち致します」

 

 私は時間はある、と強調する。彼が追い詰められて無茶な行動を起こさないようにだ。

 

 私は宮廷風に暇の挨拶をすると先程から控えていた従士達を連れて部屋を去る。

 

「頑固、と言うわけではないが……中々手強いな」

 

 部屋を出た後の廊下で私はそう肩を竦める。まぁ、その分私はこの安全な捕虜収容所にいられるのだから良しとするべきなのだろうが……。

 

「お静まり下さいませ、見る限り少しずつ警戒心は小さくなっております。以前に比べて会話も長くなっておりますし、本音を吐露する事も増えております」

「そうでございます。お疲れではありましょうがどうぞご辛抱下さいませ」

 

 私が苛立っているように見えたのかベアトとノルドグレーン中尉が私にそう諫言する。いや、別にそこまで腹が立ってはいないが……というかグラヴァー氏の時と態度違い過ぎるんですけど。多分手強さで言えば大佐の方が面倒なんだけど……あ、身分が違うから?じゃあ仕方無いね(白目)。

 

「さて、この後は夕食の案内か」

 

 私はベアトに確認する。因みに言うと相手は所長やその他の上官でも、親族でも友人でもなく、この収容所の捕虜の主たるボーデン大将である。あの人マジこの収容所で堂々と貴族しているな。お陰で私も警備の兵士達に毎日収容所でランチ食べてる天下り貴族士官扱いだよ。「給料上がんねぇかなー」なんて食堂でパスタつつきながらぼやく兵士達がジト目で見てくるレベルだ。泣けてくるね。

 

 ……正規の食堂より捕虜との食事の方が気が楽とかマジかよ……。

 

 さてボーデン大将以下の招待を受けた夕食、そしてその後の参事官補としての会議の出席や残業の事務を終えて2100時になりようやく職務を終えて無人タクシーで官舎に辿り着く。

 

「お先に失礼致します」

 

 ベアトが先にタクシーを降りて街灯と家々の照明だけが灯る街道に出る。残業があったために帰宅時間を過ぎ、人気はない。ベアトは腰のハンドブラスターに手を添えて周囲に隠れる者がいない事を確認した後ポストを慎重に開く。警備の厳しい士官用官舎を襲撃しに侵入者が入り込む可能性は低いが絶対ではない。二週間前にパラスの軍官舎の帝国系軍人の自宅に低威力の小型爆弾入りの小包が届き数名が軽い火傷を負う事件も起きていた。

 

「………問題御座いません」

 

 ポストの中から幾つかの手紙や封筒を取り出した後、玄関と窓に侵入の跡が無い事を確認してようやく私を招き入れる従士。

 

「これは……私の分か」

 

 玄関をくぐり抜け照明を点けた後、上着をノルドグレーン中尉に渡して代わりに手紙と封筒をベアトから受け取る。

 

「実家にクレーフェ侯、ゴールドシュタイン公、それにこれは…………」

 

ソファーに座り込み一つ一つ検分していく中で最後の一つの差出人を見て手を止める。

 

 上等な封筒に封蝋されたそれはよく見れば蝋の部分に印璽で紋章が刻まれているのが分かるだろう。帝室の藩屏を意味する盾に武門の表す槍、前足を上げる一角獣の略章………それだけで門閥貴族ならばどこの家からのものかは即座に分かる。

 

「ケッテラーの……やはりか」

 

 封を開けば高級紙に達筆に書かれた婚約者(というよりも担保として宛がわれた哀れな娘)からの手紙を読む事が出来る。参事官補に着任してから週一回程度での頻度で手紙のやり取りをしているが……流石物心ついた頃から厳しく躾けられているからだろう、毎回見ても季節の挨拶から始まる内容は完璧な作法であり、その言い回しは修飾詞に彩られ詩的な美しさがある。はっきり言って見事と言うしかない。

 

………合理主義者が見れば無駄の塊に思えるだろうけど。

 

「形式的な挨拶と前回送った分の返事に……げっ!?」

「いかがいたしましたか?」

 

私の首元のスカーフを解いていたベアトが目の前で漏らされた呻き声に反応する。

 

「いや……あー、伝えた方が良いか。ここを読め」

 

そう言って手紙の文末の辺りを指し示す。

 

「これは………」

「何事でしょうか?これは……」

 

事態に気付いてノルドグレーン中尉も傍に来て手紙を見やり僅かに驚いた表情を作る。

 

「泊り先やその他の用意は向こうで準備するそうだが………この時期となると少々面倒かも知れんな」

 

私は困惑を含んだ表情で手紙に改めて視線を向ける。

 

 そこに記述される内容から修飾詞を排除して簡略化するとこうなるだろう、「夏季休暇に訪問させて頂きます」と。




本作における第二次ティアマト会戦以降の歴代皇帝設定
コルネリアス二世 不幸続きにティアマトの敗戦で発狂、偽アルベルトに騙され(?)無事精神が焼ききれ崩御

オトフリート三世 ティアマトの尻ぬぐいしてたらいつの間にか皇太子から降ろされ取り巻きが偽アルベルトに転向、人間不信で無事即位一年後に餓死

エルウィン・ヨーゼフ一世 皇太子が下半身過ぎたせいで再教育のための時間稼ぎのために死にかけ状態で玉座に押し込まれる。尚即位中後宮に入り浸っていたのは皇太子で本人は一度も向かっていない

オトフリート四世 再教育の成果が出なかったオットセイ皇帝、五年で五〇〇〇名は流石に誇張で前皇帝時代から仕込んでいたのも多分含まれている。無事即位五年後に腹上死

オットー・ハインツ二世 流石にオットセイが五年で死ぬとは思って無かったので急遽繋ぎとして即位した御老体、エルウィン・ヨーゼフ一世の弟。「嫌だ!俺は兄貴みたいになりたくない!」

オトフリート五世 オットセイが家柄とか格式とか考えず見境なく子作りしたのでその子供達で蟲毒して生き残り即位。短期間の間に皇帝が変わりまくり、ティアマトの敗戦もあるので金欠状態の財政再建のために色々ケチりまくる。

フリードリヒ四世 ロリコンの熟女スキー


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第百三話 貴族は食わねど高楊枝らしい

すまん、機能ミスして一瞬投稿されました、内容は前日と変わりません


 自由惑星同盟でも五本の指に入るサービスで有名なチェーンホテルグループであるカプリコーン・ギャラクティック・ホスピタリティ社の運営するホテル・カプリコーンサウスハイネセンはその名の通りにハイネセン南大陸ヌーベル・パレ中心街に建設された地上四〇階建ての高級宿泊ホテルであり、地元の名士や政治家が祝宴を上げたりセレブが旅行に使う事でも名を知られたホテルだ。当然勤務するホテルマン達もホテルの格式に合わせた最高級のマナーと技術を持つ者達で構成されゲストのあらゆる要望に応えるように指導されている。だが……。

 

「流石にここまでの事は初めてだ……!」

 

 ホテル・カプリコーンサウスハイネセンに二〇年勤務するベテランのホテルマンは出迎えの準備をしつつ愚痴を吐く。よし、フロアの貸し切りの要望?OK、それ位我がホテルは簡単に承りましょう。二一階から三四階まで?宜しい、その程度の要望ならば以前にも御座いました。三週間滞在したい?どうぞどうぞ、いつまでお泊り頂いても結構です!そちらで用意した使用人も使いたい?技術と作法が我がホテルの要求する水準でありましたら構いませんよ?厨房も借り受けたい?ええ構いません。我がホテルには四つの厨房と八つの食堂が御座いますれば金銭次第でお受けいたします!

 

 ここまではホテルマンも支配人もにこやかに承る。だが、ゲストからの注文は続く。

 

 ホテルの内装を変えたい?……ええ、全てそちらで負担して頂き後で直して頂けますなら。護衛のための武器を持ち込みたい?我がホテルの警備はあのフリーダム・セキュリティガード社に委託しておりますれば安全対策は………いえ、とんでもない。迷惑料と安全対策の取り決めを厳守して頂けるならば。我がホテルの従業員のボディチェック?ははは、我がホテルではその程度自主的にやっておりますので手癖の悪い者なぞ一人も………よ、宜しいでしょう、そこまで仰るならば実際に直に確認して頂こうではありませんか!

 

 その後も長々と要望が来る事全三三個、ここまで注文してくる顧客は流石に初めてであり、本当に宿泊するつもりがあるのかと支配人もホテルマン達も訝しんだ。

 

 尤も問題はこの後で予約を入れて来たゲストの名前を聞いてそれが悪戯の類ではない事を理解し、次いでその情報を聞きつけたグループの役員達が急に支配人に電話をかけて来た。普段ならば滅多にない役員達からの電話に恭しく出る支配人に役員達が第一声に叫んだ言葉はこうだ。

 

『じゃが芋野郎共から予約?人員は送るし赤字が出てもいいから完璧なサービスを出せ!我らのホテルがどれだけ素晴らしいか、偉そうにふんぞり返るじゃが芋野郎共に思い知らせてやれ!クレーム一つ言わせるな!』

 

 限りなく殺意を含んだ役員達の命令に支配人は思わず真っ青な表情で頭を下げホテルマン達は残業代と臨時ボーナスと引き換えにこれまでにない体制でゲストを迎える準備をさせられていた。

 

「全くやってられませんよ、あんなに細々と注文をつけて……サービスするにも限度がありますよ。しかもこんな時期に……」

 

 別のホテルマンがぼやく。唯でさえ国境では多くの難民が発生し、それに乗じた反帝国極右勢力が勢力を伸ばしているのだ。先日にはハイネセンポリスを始めとしたハイネセン主要十四都市で大規模な移民排斥デモがあり一部が暴徒化して帝国街に突入、亡命系警備会社の警備隊や自警団と衝突した。一部で発砲事件まで起き、事態を憂慮した警察出身のヨブ・トリューニヒト議員が事態沈静化のため同盟警察の機動隊の緊急投入を議会に提案し可決、最終的に一万名近い検挙者が逮捕される大事となっていた。

 

 比較的リベラルなヌーベル・パレではそのような事態はまだ起きていないがこの時期に貴族が高級ホテルを複数フロア貸し切り、しかも好き勝手に改装するとなると危ない連中を集めかねない。

 

「全く、面倒な事をしてくれる!」

 

 ホテルマンも聖人君子ではなく給金を代価にサービスを提供する労働者に過ぎない。こんな時期にこんな事をさせられれば悪態の一つもつきたくもなる。

 

「よし、全員服装は整えてあるな?皴や埃はないな?列を乱すな、背筋を伸ばせ!いつも通り笑顔で出迎えの挨拶をしろ!ヤマダぁ!ネクタイが曲がっているぞ!今すぐ直せ!」

 

 ネクタイが曲がっている新人を叱責して、ベテランホテルマンは支配人と共に従業員達の最前列に立ちその時を待つ。周囲には退役軍人や警官より従業員を雇用する同盟の大手警備会社であるフリーダム・セキュリティガード社の社員達が警備に当たる。この場にいるのは防盾に警棒やパラライザー銃を持った者だけだが、裏手にはブラスターライフルを始めとした殺傷兵器を装備した特別護衛チーム二個小隊も控えている。本来は宇宙海賊の跋扈する航路やテロで政情不安定な惑星に宇宙船や支店を置く企業向けのものであるが今回多額の保証金と保険金と引き換えに警備体制に組み込んでいた。

 

「流石に此処までの警備がいるのかは疑問だがね、ここはマーロヴィアでもエリューセラでもなくハイネセンだぞ?しかも彼方からも警備要員が来るとは……」

 

 呆れ果てるように首を振る初老のホテル支配人。これまでも色々な事情で警備を厳重にしなければならないゲストの持て成しや宴会を指揮してきたが今回より厳しいとなると最高評議会委員が来た時かハイネセン星系首相が来た時位のものだ。

 

「全くその通りです。……支配人、来ましたよ。御貴族様です。きっと偉そうで図々しい奴なんでしょうねぇ」

 

 ホテルの敷地に向かってくる車列を見て小さくベテランホテルマンは呟く。以前ハイネセンポリスのホテル・カプリコーンハイネセンポリスに勤務していた頃の記憶が蘇った。あの時も今回程ではないが大仰な大名行列だった。その時のゲストと言うのが随分と肥満で汗臭い白豚のような人物で、確か何とか侯爵様だった筈だ。隣の小柄な女性は最初娘と思ったが妻だと後で知った。何てひでぇロリコン野郎だと思ったものだ。

 

 ベテランホテルマンはそこまで考えた後、小さく嘲笑してすぐに雑念を吹き払い背筋を伸ばし人の好い笑みを浮かべる。此処からは仕事の時間だ。どのような相手であろうと金銭に見合うサービスを出すのが彼の仕事であり、その代価はすでに支払われている。ならば後はプロとして相手を持て成すだけだ。

 

 敷地に次々と停車する車列。一般大衆車もあればそう見せかけた軽装甲車、明らかに銃撃戦に備えた厳つい大型装甲車もありその全てが黒塗りであった。それらから黒スーツにサングラスをかけた没個性的な警備員達があらわれ周辺を警備する。アルレスハイム民間警備会社所属の元軍人(どころか現役も含まれる)からなるシークレット・サービスである。恐らく実力ではホテル側の契約している警備員と同等、一部では凌ぐであろう、かなりの威圧感であった。

 

 別の車からは明らかな使用人達が現れる。一人の執事が支配人の所に駆け寄り尋ねる。

 

「失礼、注文の品はご用意されておられるでしょうか?」

「ええ、勿論ですとも」

 

 支配人は従業員に命じると数名がかりで従業員達は赤い絨毯、つまりレッドカーペットを持ってくる。絹糸と金糸を使った職人の手作りのそれをマーケットで落札するのには骨が折れたが支配人が直接ハイネセン西大陸ルデディア市で手に入れた。役員達から金の心配はするなと言われたので文字通り札束で相手を殴るように落札した。

 

 執事は一瞬意外そうに目を見開くがすぐに恭しく頭を下げそれを受け取る。女中達がカーペットを広げるのとリムジンが止まるのはほぼ同時だった。リムジンの後部座席の扉が開いた。整列する使用人達が、ホテルの従業員達も一斉に頭を下げる。

 

(さて、ご尊顔を拝見させてもらいましょう‥……!?)

 

 恭しく頭を下げたホテルマンは、ゲストの姿を一瞥すると内心で驚いた。それもその筈、彼は今回の余りに細々とした注文をした貴族に対して高慢な肥満男か、そうでなくても目付きの悪い青年か、鼻持ちならないお嬢様を想像していた。故に流石に現れたゲストに衝撃を受けた。

 

(子供……?)

 

 歳は一五、六歳程度であろうか、少なくともハイスクールに通学しているかいないかと言った所であろう。日傘を差す華奢な体、幼さの残る顔立ちは十二分に美少女に見える。高慢さは余り感じられず大人しそうな姿だ。

 

 だが、その表情にどこか影があり、陰鬱そうに見えるのは日傘のせいだけではないだろう、長年ゲストの微細な機微を観察してサービスを提供してきた経験からホテルマンは殆ど確信していた。

 

「このホテルの予約を致しましたケッテラー伯爵家の長女グラティア様であらせられる。貴方がここの支配人か?」

「えっ……は、はい。その通りで御座います。此度はホテル・カプリコーンサウスハイネセンのご利用、誠にありがとうございます」

 

 執事の一人が支配人に尋ね、ゲストの幼さに同じく驚愕していた支配人は慌てて答える。

 

「お嬢様は長旅で御疲れです。失礼ながら部屋の案内を御願いしたい」

「ええ、勿論ですとも!こちらで御座います」

 

 支配人自らの案内、その後ろを使用人達に守られるようにゲストが、次いで荷物を持つ女中達が一ダース程続き、さらに護衛達も列を作る。

 

 ホテルマンは暫し唖然としつつもすぐに我に返り、ゲストについてきた調理人達と食材を運ぶ荷役を貸し出した厨房に誘導を始める。8月8日、こうして大名行列のような大仰な隊列を作り亡命貴族の令嬢は避暑のためハイネセン南大陸のホテル・カプリコーンサウスハイネセンにチェックインしたのである。

 

 

 

 

 

 

 

「……であって、これに反応した反帝国過激派等が襲撃計画を練っていたが先日アジトを強襲して制圧したと同盟警察から連絡があった。現在収集中の情報によれば「人民裁判会議」のメンバーがこの南大陸への入管を企てているとの事だ。各員最大限の警戒を行うように………それでティルピッツ少佐、この件に関して今更とやかく言うつもりは無いがトラブルが起きないように貴官にも最大限の努力を求めるが、構わんだろうな?」

「アッハイ」

 

 収容所幹部会議中、サンタントワーヌ捕虜収容所所長クライヴ准将の面倒臭そうな表情で行う注意に私は殆ど反射的に答えていた。

 

 ハイネセン南大陸はハイネセンポリスのある北大陸と季節が反対であり、避暑地には確かにうってつけ、特にリベラル色の強いヌーベル・パレは過激派も少なく、芸術活動も盛んなため確かに夏休暇に住まうには丁度良い。良いのだが………ちょっと目立ち過ぎじゃないですかねぇ?

 

「予想はしていたがやはり白い目で見られるなぁ」

 

 会議が終わり廊下を出た私は項垂れる。このデリケートな時期に目立つ大名行列してくれて、しかもその原因が従士を侍らして毎日お喋りばかりで仕事しないぼんぼんの少佐と来ればなぁ……。警備主任のブレツェリ中佐なんて本当に不機嫌そうな表情をしていた。まぁ彼からすれば捕虜やら兵士やら市民の安全管理やらと文字通り命を預かっている以上ストレスが溜まるのだ、そこに唯でさえ神経を使うのに遊んでいるように見える参事官補が更に面倒事を増やしてきたように見えるのだからさもありなんである。

 

「そうは仰いますがこちらとしても最大限の自衛を致しております。それなのにあそこまで腫物に触れるような態度をする必要があるとは思えません」

 

 会議中の幹部達の態度に不満を吐露するのはベアトである。

 

「違う、そうじゃない」

 

 思わず真顔でそう答えてしまう。ベアトから見れば警備の手間は亡命政府やケッテラー伯爵家が自前で安全対策と警備体制を敷いたから問題ないだろう、と思っているのだろうが、同盟警察や軍が心配しているのはそれにより市民が巻き添えを食らう事なのだ。御貴族様の命は一応政治的にも、一同盟市民としても守るのは当然としても、だからと言ってほかの市民の生命と財産を無碍にして良い訳ではない。いっそのことあんな大仰にするくらいならばこっそり来てくれたら良いのに態々あんなに目立つパレードをするな!と言う事だ。

 

 相変わらず微妙に感性のズレている従士達に内心で溜息をつく。

 

「ふんっ!もういい!貴様なぞの力はもう借りんわ!」

 

 シュミット大佐のもとに向かおうと廊下を歩くとふと、そのような叫び声が響き渡る。続いてバンッ!と荒々しく扉が開き、憤慨する男が数名の取り巻きと共に飛び出す。

 

 いきなりの事で唖然としてそれを見ていると男達の方が我々に気付く。

 

「……ちっ!」

 

 我々を一瞥して舌打ちするとそそくさとその場を去ってしまう。続いてもう一隊が部屋から出てくる。こちらは先ほどの集団と違い幾分か紳士的で少なくとも部屋の主に恭しく礼をしながら身を翻す。我々に気付くとその頭領らしき男が礼儀正しく頭を下げ、同じく取り巻き達と共にその場を去っていく。

 

「あれは確か………」

「捕虜自治委員会の幹部のミュンツァー中佐とコーゼル大佐で御座います」

 

 すかさず脳内の記憶から先ほどの人物達の名前を答えるのはノルドグレーン中尉だ。因みに荒々しい態度だったのがコーゼル大佐、紳士然としているのがミュンツァー中佐である。何故ミュンツァー中佐の名を先に口にしたのかは言うまでもない。

 

「いやぁ、御見苦しい所を御見せしましたね、申し訳御座いません」

 

 我々が室内に入れば苦笑いを浮かべたシュミット大佐がそう出迎えた。

 

「先程の二人は……」

「いえ、少し協力を求められましてね。可能な限り丁重な対応をしたのですが……」

 

 恐らくは二人に出していたのだろう珈琲のカップを片付けながら大佐は説明する。

 

 どうやら二人はボーデン大将を指導者とする現在の自治委員会に不満を持ち、同じく自治委員会の下級幹部たる大佐に自治委員会の権力奪取の協力を仰ぎに来たのだという。

 

「二人共この捕虜収容所の危険人物リストのメンバーですからね、断るのは正解です」

 

 エリック・コーゼル大佐は五本の指に入る士族階級の名門コーゼル家の末席に名を連ねる人物だ。所謂帝国における平民士官の多くは代々職業軍人であるか士族がなるものであるが、それでも将官を輩出する程の家は滅多にない。コーゼル家は過去複数名の将官を出してきた名門であり、特に有名なのは第二次ティアマト会戦における第五竜騎兵艦隊司令官ハリル・コーゼル大将であろう。

 

 だが、第二次ティアマト会戦における大敗によりコーゼル家は二ダースに及ぶ一族を失い軍部における影響力を喪失したと言われる。エリック・コーゼル大佐はそんな中三十代前半で大佐にまで昇進した勇猛な陸戦指揮官であり、カキン星系では旅団を率いて粘り強い抵抗を見せつけた。当初は玉砕も覚悟であったというが司令部に砲撃が命中し気絶、気付いた時には捕囚となっていたらしい。この捕虜収容所に来てからも三度の脱獄未遂を起こし、捕虜達に何度も暴動の扇動をした前科がある。自治委員会はそれを宥める理由もあり形だけの委員に指名したと言うが結果はこの通りだ。

 

 一方のフェリックス・フォン・ミュンツァー中佐は権門四七家の一つにして武門十八将家が一つミュンツァー伯爵家の末端の分家筋に当たるハウフドルフ=ミュンツァー上等帝国騎士家に属する四十代半ばの宇宙軍軍人だ。こちらは戦艦の艦長であったそうでティアマト星系で艦を喪失後生存者を臨時陸戦隊に編成して地上戦を展開、最終的には装備の大半を失い、部下の大半も戦闘に耐える状況ではなくなり止む無く降伏しこの捕虜収容所に収監された。コーゼル大佐程過激ではないが毎週収容所の捕虜達に演説をし、新聞やニュースから同盟の軍事・政治・経済研究を行い、机上演習や殆ど軍事訓練のような鍛錬を同志達と行っている事が知られている。

 

「ボーデン大将以下の主要幹部は、こう言っては何ですが日和見の嫌いがあるようですから」

 

 シュミット大佐の言の通り、現在のサンタントワーヌ捕虜収容所自治委員会の主要幹部は積極的に民主主義に共感を覚える訳でなければ亡命政府に協力するのでもない、だからと言って帝国への帰還を求める訳でなければこの捕虜収容所で反同盟活動をしている訳でもなく、唯々サロンを開き、趣味に興じるばかりの者が大半であった。

 

 まぁ、それもある意味当然である。民主主義は元より生理的に無理であろうし、亡命政府に協力するのも領地に残した家族や臣下の事があるしそれが良くてもどうせ新参者として下に見られる。と言っても帝国に帰還する気にはなれない。捕虜となるのは恥であるし特に現在の自治委員会幹部の多くはオトフリート五世時代に捕囚となった身、権力闘争で前線に負担を押し付けた宮廷に思う所があるだろう。何よりも現皇帝が道楽と遊興にふけっていたフリードリヒ四世となると忠誠を誓う気にはなれまい。反同盟活動を行う程無謀でもないので多くの幹部は保険で保障された収容所内での(門閥貴族にとっての)それなりの生活を続け、各々の趣味を楽しんでいる訳だ。

 

「尤も、若い捕虜には自堕落にも見えるのでしょうね。あの二人は収容所内のそういう不満を持つ者を集めているようです」

「ええ、こちらの幹部会でも監視対象とされていますよ、過激思想を堂々と演説していますから。それで大佐の下にもあの二人が来たわけですか。形ばかりの下っ端でも集まればそれなりの影響力がある、と」

「そのようです。やれやれ、私はここの暮らしを気に入っているのですがねぇ……」

 

困った表情を作る大佐。

 

「何かあれば自治委員会上層部か、我々に御報告下さい。可能な限り迅速に対応させて頂きます。ああ、そうでした、こちら注文の珈琲ですよ」

 

 私は以前頼まれていたインスタント珈琲の袋と幾つかの菓子箱を差し出す。

 

「ああ、助かりますよ。御代は後程御渡しします。お飲みになりますか?」

「ぜひ」

 

 差し入れした珈琲をカップに注ぎ、給湯器で湯を入れ大佐は私の目の前のテーブルに置く。私はそれに応えるようにベレー帽を取り安物のソファーに座る。

 

「そうそう、聞きましたよ。どうやら随分と許嫁の御嬢様が派手にお越しになられたそうで」

 

私は口に含んでいた珈琲を吹き出しかけた。

 

「げほっ……!ごほっ……けほ…けほ……嘘、話広がるの早すぎでしょう……!?」

 

 むせる私の元に従士達が駆け寄り慌ててハンカチを渡し、背中を摩られる。私は咳をしながら涙目で大佐を見た。

 

「何せこの話題の少ない収容所、しかもここ最近は外出を控える者も多い。それに御貴族様の御話ですからね、属する国は違えど同じ貴族の話題と言う事でここの貴族階級の捕虜の間ではそこそこ話題になっています」

 

 そして、同じ収容所にいる平民階級にも伝わり結果全体で話題になるわけ、か。帝国人は同じ階級で会話をする事が多く、貴族同士での噂や会話は宮廷帝国語を使うがここの捕虜は平民でも富裕層が多い。語学力の面でも文化的にも貴族と変わらない者が多いからこその広がりだろう。

 

「いや、お恥ずかしい。夏の日差しから逃げるにしてももう少し大人しくやって欲しいのですが……」

「彼方にも体面がありますからね、あれでも無理と妥協をしたのでしょう?」

 

 その言葉を私は否定出来ない。面倒な時期ではあるが貴族の面子として貧相な事をすれば陰口を叩かれる。だが同時にケッテラー家も人手不足で動員された警備や使用人は亡命政府資本の警備会社や人材会社から臨時に雇い入れたり、親戚筋から借り受けた従士や奉公人が相当数を占める。ド派手に見えるがあれでも伯爵家の格式と現実的な予算の範囲で恥ずかしくないギリギリの範囲で妥協したものだった。

 

「同盟人にとってはあれでも派手ですからね。今はどうあれ建国以来の伯爵家の権威から見れば確かにあれくらいは当然ではあるのでしょうが……」

 

 そこまで口にして私は言い淀む。同盟人には爵位や門地による権威の差がどれくらいのものか、門閥貴族がどれ程の支配権を持っているのか良く分かっていないものも多い。故に貴族の見栄張りの基準も分からない。

 

 四〇〇〇を越える門閥貴族は最低の男爵位、その中でも最小の貧乏男爵ですら十数万の領民を持ち、ドーム型都市や地方都市、人工天体の領主であり、鉱山や大農園のオーナーである。

 

 そして門閥貴族の九割以上は男爵や子爵、伯爵位以上は二〇〇家余りしかない。伯爵位ともなると最小でも一惑星の過半と一〇〇〇万人を越える領民を支配し、平均すれば有人惑星を有する星系を一つ以上、数十個の無人星系に十数個の鉱山、数百の荘園、数百万の奴隷と数千万の領民、十数万の私兵を保有する大領主だ。

 

 無論、今言ったのは平均した伯爵位の規模である。当然帝国開闢以来からの歴史を誇る権門四七家(ルドルフ大帝時代に伯爵位以上の爵位を得た家)に連なる家々は最低の伯爵家でもほかの伯爵家とは格が違う。

 

 オーディンの典礼省の記録によれば同盟に亡命する直前の時点でケッテラー伯爵家は二つの有人惑星と三八の無人星系、それらに置かれた三一の鉱山と四つのドーム型都市、一つの人工天体、荘園二一四個を有していた。奴隷の数は五〇〇万、領民は七一〇〇万に上り、分家として子爵家二家、男爵家七家、帝国騎士家一九家を枝分けし、二〇〇家近い従士家を従える押しも押されぬ大貴族であった。その頂点に立っていたという「事実」は亡命した後も消えず、貴族社会においてはその出自に相応しい態度と出費を求められる。

 

「落ちぶれても気品を求められる。税収も利権も減っているのに出費は同じですからね。しかも下手にけちると周囲から侮蔑される。そして悪評が広がると貴族にとっては致命的……大貴族とは難儀なものですね」

 

 大佐は憐れむように語る。当主がヘタレた挙げ句、社交界から追放されたクロプシュトック侯爵家の嫡男(暫定)が口にすると説得力が違う。社交界から追放されれば親族や家臣の婚姻も敬遠され、官職の席も回ってこない。新規のインフラ事業や鉱山開発等の儲け話も回ってこなければ通商航路から外されるようにもなる。行き着く所まで行くと家臣がほかの門閥貴族に仕える縁者を頼って鞍替えし始め、商人等の富裕平民も金に任せて移住を始める。

 

 ……今更ながらこれで当主は隠居も自裁もしないんだからある意味凄いよな。絵画や荘園程度と引き換えに社交界復帰を許したブラウンシュヴァイク公爵は(門閥貴族基準で)聖人かよ(社交界復帰のために裏で派閥を宥めていた筈だ)。そりゃあ寛大に許したのにボンバーマンされたら面子のために領地に突撃して略奪しに行くわな。

 

………やはり実家との関係が大佐の偽称に関係しているのだろうか?

 

「私のような立場の者が偉そうに言うのも何ですが、平民にも平民の苦労と言うのがあるのでは?」

 

 私は少し意地悪な質問を投げかけた。それは随分と貴族生活が面倒とは言うが平民の生活とて気楽ではなかろう、貴方は平民の生活をどこまで知っているのだ?という意味だった。仮に本当にクロプシュトック侯爵家の生まれであれば平民の気苦労は分かるまい。ここでボロを出してくれたら良いが……どうやらそう甘くはないようだ。

 

「否定はしませんがね、とは言え私も富裕層の出ですから。寧ろ金はあっても貴族のように無理してまで体面を守る必要が無いだけ気楽に思えます。まぁ……中流以下の平民には別の苦労もあるのでしょうが、そこまで行くと生きている世界が違うので私も想像が出来ませんよ」

 

 上手い切り返しだ。階級社会の帝国では貴族同士、平民同士、ましてや農奴や奴隷ですらその内部で細かく区分され文化や生活水準、価値観にまで差がある。富裕市民層は平民階級の最上位であり貴族階級に近い生活と贅沢をし、貴族階級の特権に付随する柵や面子とは無縁だ(無責任ともいう)。貴族の体面と中流以下の平民の生活を挙げて答えるのは説得力がある。そしてその内部でも大きな違いがある平民達を全て一括りにして見なす大貴族はその事に気付きにくい。クロプシュトック侯爵家ともなると全て纏めて賎民扱いで考えても可笑しくない、言葉だけ聞けば侯爵家の人間の言葉とは思わないだろう。

 

 だが、同時にあくまでもその内容は富裕市民の物言いではない。富裕市民は貴族階級に憧憬と共に敵愾心を抱き、中流以下の平民階級には同胞意識と共に蔑視を抱いてきた複雑な階級だ。常に貴族階級と平民階級の狭間で価値観と文化面で揺れ動いてきた立場……そしてその事を余り自覚出来ているとは言い難い。彼の認識はフェザーンの帝国階級社会に対する客観的な学術分析に近い。富裕層に属する本人から出るとは思えなかった(因みに帝国ではより上位身分を遺伝子的優良種として神聖視し、同盟では平民以下の階級を一括りにした搾取される被害者層と認識する者が多い)。

 

 即ち、その言葉は自身の考えではなく恐らくはフェザーンの文化分析書籍から拝借した言葉であろう。私が伯爵家の人間だから平民階級を一括りにしていて関心の薄い人物と考えて口にしたのだろうが……その実、私が残念貴族である事には想像力が届かなかったらしい(態度と実績的に当然かも知れないが)。

 

「そうそう、友人……御存じだとは思いますがアイリーンとの面会の約束があるのですがそちらの許可は出ますか?時期が時期ですので可能な限り安全に会いたいのですよ」

「余程品行が悪かったりでもなければ面会許可が下りないなどという事はありませんよ。捕虜と市民の権利ですからね」

 

僅かに不安そうに尋ねる大佐に安心するように答える。

 

「そうですか。……いえ、分かってはいるんですが……頭では理解していても、なかなか帝国にいる時の常識が抜けないものですね」

 

 帝国では軍部なり警察なり、社会秩序維持局に睨まれたら友人や家族と会おうとしてはいけない。あらぬ疑いをかけられ周囲に危害が及ぶ事もあり得る。私に睨まれている大佐も似たような事が頭によぎるようだ。

 

「……本日はお疲れの御様子なので、早めに切り上げた方が宜しいですね」

 

 私は茶菓子を置いていくと、カップの珈琲を飲み干して立ち上がる。

 

「大佐、御不安に思う事もおありでしょう。元凶たる私が口にするのも嘘臭いかも知れませんが、私は貴方の味方でありたいと考えているのです。同じ「同胞」として貴方の助けになれると自負しています」

「……助けに、ですか」 

 

複雑そうな表情を浮かべる大佐。

 

「……まだ時間はありますが、永遠ではない事はお忘れなく。この平和な収容所で一生勤務するのは安全ですし気楽ですので私も長居したいのですが戦闘が激しくなる中、いつまでも勤務させてもらえるかわかりません」

「脅迫なのか助言なのか、少佐の言葉をどう解釈するべきなんだろうね……」

「少なくとも私は助言として口にしております」

 

 実際、私のような者以外が説得役(脅迫者とも言う)を行えばどの派閥出の者であろうともっと高圧的であるだろう。そして様々な派閥に揉みくちゃに利用される事は請け合いだ。正直利用されるなら統一派に繋がっている私に頼れる今が一番なのだが……。といっても信用されるか分からんだろう。口ではいくらでも言える。

 

「そう信じたいものですね………」

 

 憂いに満ち、力なく呟く大佐。少しずつ追い詰められているその姿を見て、思い出すのは彼の研究内容だ。ミヒャールゼン提督やクレメンツ大公もこのように逃げ場を失っていたのだろうか?

 

 同時に思う。クレメンツ大公は同盟に亡命を決め事故死し、ミヒャールゼン提督は亡命を選ばず殺された。逃げなければ死に、逃げようとしても死んだ。そして逃げた後も…………。大佐、あるいはグラヴァー氏、婚約者の少女、叔父達の境遇を考えると私は同盟にいる帝国人として異様な程に恵まれている立場である事を再確認する。

 

そしてそんな私が彼らにしている事は………いやはや、まるで弱い者虐めのようだな。

 

「同胞……同胞、か」

「若様?何か御座いましたか?」

 

大佐の部屋を後にし、廊下を歩く私はふと呟く。当然の如くベアトはどこか力の無い私に心配そうに尋ねた。

 

「いや、何でもない。気にするな」

 

 そう従士を安心させるように宥め、同時に私はアムリッツァ……帝国領遠征が決定した時の亡命政府や亡命者の気持ちにふと共感を覚えてしまっている事に気付いたのだった………。



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第百四話 料理系漫画は色々深読みし過ぎじゃね?

 宇宙暦788年8月20日0530時、ハイネセン南大陸最大の港街として栄えるルデディア市の港湾倉庫区画の一つに人影が集まっていた。

 

「首尾はどうなっている?」

「問題ない。このままトラックで移動してヌーベル・パレに向かう。途中の検問を逃れるルートはもう調べてある」

「後は……武器の確認か」

 

 鋭い眼光を称えた私服姿の男達は倉庫に安置されたコンテナの一つを開き、中から木箱を運び出す。

 

「ブラスターライフルに……こっちはハンドブラスターだな」

「こちらはロケット弾だ、気を付けろ」

 

 木箱を開けばそこには衝撃吸収材と共に詰め込まれた銃器の数々が姿を表す。大半は闇市で手に入る型落ち品や粗製品であるが良く見ればフェザーン製の最新式の物も含まれていた。外縁惑星や宇宙海賊、帝国や同盟の反体制派から挙げ句には自分達への敵対勢力にまで金次第で平気で武器を販売するフェザーン人武器商人の手によるものだろう。

 

 同盟の退役軍人や戦死者遺族などからなる反帝国極右過激派組織「人民裁判会議」の戦闘部隊は武器と共にハイネセン南大陸に水上貨物船で密航していた。彼らの目的はこのトゥーロン市から一三〇キロ離れたヌーベル・パレ市近郊にあるサンタントワーヌ捕虜収容所の襲撃である。

 

「よし、武器は揃っているな。後は計画通りに……」

 

 頭目らしき男がそう言い切る前に薄暗い倉庫が一気に照らされた。

 

「こちらは同盟警察である、武器密輸及び入管法違反、騒乱準備罪の現行犯で逮捕する!今すぐ両手を上げて降伏せよっ!お前達は包囲されている、抵抗は無駄だぞ……!」

 

 倉庫内のコンテナから次々と現れる駝鳥かラプトルを思わせる二足歩行型警備用ドローン(愛称スタンガ)がサーチライトで彼らを照らし出し、外からは放水銃を向ける装甲車やパトカーが倉庫を囲み防盾に警察用重装甲服を着た機動隊員を吐き出す。彼らはパラライザー銃や粘着弾銃、あるいはブラスターライフルを装備する者すらいた。数機のヘリコプターが空中を旋回して周辺を警戒する。

 

「同盟警察の機動隊……!!」

 

 過激派メンバーの一人が悲鳴を上げるように叫ぶ。宇宙海賊や大規模テロ、麻薬や武器の密輸に惑星間・多国間犯罪といった脅威度の高い犯罪を専門に扱う同盟警察は自由惑星同盟における警察官達にとってエリートの集まりであり、犯罪者達にとっては恐怖の対象である。ましてその装備や練度は同盟地上軍の第一線部隊にすら匹敵する同盟警察機動隊がこの場に現れるのは絶望以外の何者でもない。

 

 過激派メンバー達は誘い込まれたのだ。同盟警察は彼らを泳がし、メンバーの集結と犯罪の現行犯となった時点で包囲し一網打尽にする計画を立てていたのである。そして正にそれはこの場のメンバー達の拘束を以て果たされる事になるだろう。

 

『我々には同盟警察法第八条、及び一四条、一六条、二二条に則り発砲許可が降りております。怪我及び生命の危険がありますので抵抗せず、落ち着いて武器を降ろし両手を上げて下さい』

 

 地上警備ドローンがどこか気の抜ける声で丁寧に過激派メンバーに降伏を促す。同盟地上軍で運用される軍事用ドローンの同盟警察仕様は赤外線センサーと光学カメラ、音響センサーで過激派メンバーを確認して、装備するパラライザー銃と実弾機関銃の銃口を向ける。

 

「あ…ああ……」

 

 完全包囲下……それ以外に言い様は無かろう。十数名ばかりのメンバーではいくら相応の訓練と装備を有しているとは言え大隊規模の同盟警備機動隊の包囲網を突破するのは不可能だ。既に半数以上のメンバーは戦意を喪失しており武器も構えずに恐る恐る手を上げる。だが……。

 

「ひっ……ひぃっ……!!」

「おい、よせ!止めろ!」

 

 この絶望的な状況を前に恐慌状態に陥ったメンバーの一人が錯乱したように火薬式実弾銃を構えた。別のメンバーが制止する前に引き金が引かれ、乾いた銃声と共に撃ち出された銃弾は大口径機関銃弾を想定した地上警備ドローンの複合装甲を前に弾かれる。

 

 そして、ドローン達は装備された戦術AIの指示に従い装備するパラライザー銃の銃口を対象達に向け、次の瞬間銃口から青白い電撃が走ったのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

「旦那様、本日は態態足を御運び頂けた事心より感謝致します」

「いえ、ケッテラー嬢からの食事の招待を頂けた事、心より光栄に思いますよ」

 

 ホテル・カプリコーンサウスハイネセンの三〇階に置かれたレストラン「テルミドール」の給仕にテーブルへと案内された私は室内に流れる音楽隊の演奏をBGMとしてグラティア嬢とそのような挨拶を交えた。

 

 貸切状態の高級レストランの丸テーブルでケッテラー伯爵家の令嬢と向かい合う形となる。自由惑星同盟軍の白い礼服に身を包んだ私は帽子を脱ぎ形式的な挨拶をして席に座ると本日の食事の誘いをした人物を改めて見やる。

 

 婚約者……グラティア・フォン・ケッテラー嬢は青々しい生地に銀糸を縫った肩出しドレスを当然のように着こなしていた。長い金髪を花を象ったリボンで纏め、紅玉のベンダントに真珠のイヤリングで飾り付ける。口元には血色の良さを冴えさせるように口紅が控えめに塗られ、細い首筋から小さな肩まで視線を移せば彼女の染み一つない白い肌が見えるだろう。大人びた凛とした表情を作るが良く良く見れば歳相応に、いや顔立ちからか思いのほか幼さも残る事に気付く。貴族の御令嬢と言う言葉が良く似合いそうだ(実際貴族の御令嬢な訳であるが)。   

 

 ……尤も、幼さと大人らしさが混じりあった美貌の作る笑みはどこか儀礼的で、その瞳はどこか冷たい。

 

「御手紙やお話から日々職務に精励されている事は存じております。その上、市民軍に属している場合は部下や使用人の数にも制限があるとお聞き致します。……ですのでせめて今日は御食事を以って旦那様をおもてなししようと思い御招待させて頂きました」  

 

 ホテルで指折りのソムリエが食前酒をグラスに注ぐ中、優美な宮廷帝国語でグラティア嬢は改めて説明する。

 

 事の発端は彼女が避暑地としてこのホテルに移ってから暫くして私の下に一通の手紙が送られた事だ。それは食事の誘いであり、私は当初その誘いを受けるか迷った。

 

 一応婚約した間柄なのでこのような会食自体は何ら可笑しいものではないし、私自身が彼女を嫌悪している訳でもない、だが問題は時期である。先日同盟警察の機動部隊がサンタントワーヌ捕虜収容所を襲撃しようとハイネセン南大陸に潜入した「人民裁判会議」メンバーを拘束した。同盟警察公安委員会に所属するヨブ・トリューニヒト議員の主導の下、同盟警察は既に二〇のテロ計画を実行前に摘発に成功していた。

 

 だが手紙を受け取った時点ではまだ過激派は拘束される直前であり、サンタントワーヌ捕虜収容所及び周辺都市では警戒体制が取られ到底どこかのレストランで呑気に食事出来る状況ではなかった。

 

 そこで彼女が提案したのがこの彼女自身が宿泊しているホテルでの食事会だ。周辺警備は万全、態態官舎にアルレスハイム民間警備会社の装甲車が護衛についたリムジンが出迎え(官舎街の警備員達が面倒そうな表情を浮かべていたのは内緒だ)私はこのハイネセン南大陸最高のホテルに訪問する事になった。

 

「グラティア嬢がそこまで私の事を考えてこの席を用意してくださったとは感激です。ところで、ハイネセンポリスからこの南大陸への移動となると随分と気候が変わりますが、お加減はいかがでしょうか?」

 

 大神と豊穣神の兄妹への形式的な祈りを捧げ、アルコール度数の低い食前酒を軽く口にした後、私は社交的な笑みを浮かべつつも心から心配してそう尋ねる。

 

 当然ながら北半球と南半球とでは季節が真逆だ。この時期のハイネセンポリスは夏で、ヌーベル・パレを含む南大陸は冬に入る前といった所だ。無論南大陸は冬と言ってもそこまで寒くなる訳ではないが、それでも蝉共が地中から飛び出して泣きわめくハイネセンポリスと比べれば寒さを感じるだろう。

 

 まして家族から離れての暮らしで、ここを避暑地としたのは間違いなく私がいるからだ。ストレスもあり油断したら体調を崩すかも知れない。

 

「お気遣いの御言葉恐縮です。ですが問題はありません。寒さと言ってもまだ秋の終わりです。本格的な冬はまだですし、ここでの生活に不自由もありません。それよりも捕虜収容所勤務は捕虜よりも待遇が宜しくない、という噂も御座います。旦那様こそ御体を御自愛下さいませ、もし必要であれば何なりと仰って頂ければ可能な限り御力添えをさせて頂きます」

 

 同じく祈りと共に食前酒に酔わない程度に口をつけてテーブルに戻した伯爵令嬢が労るように言葉を紡いだ。

 

 同盟軍の下級兵士よりも捕虜の待遇がマシだ、と言うのは流石に質の悪い冗談であるし、腐っても私は佐官であり相応の待遇は受けている(流石に保険まで使って贅沢しているボーデン大将達と比べる訳にはいかないが)。

 

 それでもそう彼女が口にしたのは婚約者としての価値の提示であろう。生活の不満があれば実家や相互扶助会に泣きつくよりも婚約者に泣き付いた方が避暑地にいる間は対応が早い。つまり今なら何を要望しても用意する、と言う意味だ。

 

 実際亡命貴族の同盟軍人は亡命軍と違い、多少の配慮はあろうとも基本的にはほかの同盟軍人と同じ待遇である。亡命貴族軍人からしてみれば、同盟軍人の生活は実家や領地の生活に比べると不便で不自由で貧しいので、相手によっては喜ばしい提案であろう。尤も私にとっては戦死の可能性が無く、大抵の事は従士に面倒を見てもらえるだけでも十分で、これと言って不満はない(その状態で私の評判が宮廷から見れば禁欲的な性格、同盟軍から見れば我が儘坊っちゃん扱いと真逆なのが笑えてくる)。

 

「そうですか、では何か困り事が起こりましたら(多分何もないけど)お手伝いをお願いします」

 

 私は社交辞令的に優しげに笑みを浮かべて答える。恐らくは実家から良く良く言い含められている筈でその苦労を労う意味もある。いらない、とここで言う訳にはいかないからな。

 

 そう会話をしているうちに給仕(多分レストランじゃなくてケッテラー家が用意した方)が最初の料理を運んで来た(明らかに会話の終わりを狙っての給仕だ)。私とグラティア嬢はテーブルの上で綺麗にたたまれていた純白のナプキンを広げて膝へとかける。

 

 最初に通されたのは卵とサーモンのテリーヌだった。テリーヌはフランス料理だって?それいったら野蛮なゲルマン料理で宮廷晩餐会なんか出来ないからね、仕方ないね。

 

「これは……卵はうちの物をお使いに?」

 

 一口口に含むとその濃厚な味わいに既視感を覚えすぐにその答えを導き出す。実家の荘園から実家の食卓に上げられる物と似た味がした。  

 

「はい、故郷の味が恋しいでしょう、と奥様から御贈り頂いた物で御座います」

「成る程、ではほかの料理にも?」

「私の実家やほかの領地の物も御座いますが、この後の料理にも旦那様の御領地の産物を使わせて頂いております」

 

 慇懃に答えるグラティア嬢。食事の席での序列や振る舞い等で態態遠回しに物事を伝えるのが貴族と言う生き物であり、当然食材もそのメッセージに含まれる。今回の場合は私の実家と令嬢の領地の食材を双方利用した料理を出す事で両家の調和と友好を意味し、それを我が家が認めている事を指し、私がそれを口にする事でその状況を飲む事を意味する。おい、調理した料理人に第六天魔王のシェフ混じっていないだろうな?

 

 前菜を軽く食べ終え、同じくティルピッツ家の荘園から収穫された小麦によるパン、その次にヴィシソワーズがスープとして来る。こちらは材料の馬鈴薯が恐らくケッテラー領の物であろう。ケッテラー伯爵領はコルネリアス帝の軌道爆撃で荒れ地が多いし、実家で採れる馬鈴薯とは微妙に味が違う。

 

「そう言えばグラティア嬢、こちらでの生活はどうでしょうか?ハイネセンポリスとはまた少し趣の違う街ですが、普段は如何様に御過ごしなのですか?」

 

 銀のスプーンで掬ったスープを幼少時より厳しく躾られた動作で流し込んだ後、私は思い出したように尋ねる。

 

「そうですね、この街の帝国人街は小さいので訪問するべき者も、面会するべき相手もそう多くは御座いません。この時分ですので外出も然程出来ませんが、足を運ぶとすれば劇場か美術館でしょうか?」

 

 暫し考える素振りをした後、落ち着いた表情で答える婚約者。リベラルなヌーベル・パレは反帝国右翼の思想の者は少ないが、同時にどっぷりと帝国文化に慣れ親しんだ者にとっても過ごし易いとは言い切れない。ヌーベル・パレの帝国人街の人口は十万程度でしかなく、顔を合わせて挨拶しないといけないのは帝国人街の町長フェルデン男爵以下ほんの数名だけだ。

 

 基本的に帝国貴族令嬢の一日は挨拶に御茶会と食事会、サロン、そしてパーティーだ。それはお遊びではなく、社交界を通じたコネ作りと派閥作りを通じた実家の支援でもある。情報交換をし、頼りに出来る友人を作り、渡りをつけるためのパイプでもある。貴族令嬢の情報網と友人関係は思いのほか馬鹿に出来ないものだ。

 

 そして美術や文芸、ファッションや宝石は貴族の御令嬢が単純に好きであるだけでなく、その家の格や権勢を示すものでもある。優秀な家庭教師から高い教養を受けるにも美しく着飾るにも基本的には財力が必要だ。

 

 即ちより教養があり、美しいドレスを着こなすのはその家がそれだけ豊かである事を周囲に知らしめ、力関係を誇示する事である(逆に粗末なドレスを着ればその家が没落しつつあると示す事になる)。また個々の令嬢の友人関係は実家のそれを反映し代弁するものであるために、その交遊関係の変遷が政争の状況を伝える役割も持つ。同じ色彩や形式のドレスや宝石を身につければ最初にそれをした者と同じ派閥である、と言うメッセージだ。

 

 言ってはなんだがこの街では宮廷やハイネセンポリスのような社交界は存在しない。やれる事と言えば一人で出来る事に限られる。さぞや彼女にとっては退屈であろう。

 

「申し訳ありません、この街は貴方が楽しめるような類いの物は少ない。さぞ暇をもて余す事でしょう」

「いえ、お気遣いいただき、ありがとうございます。確かに御茶会やサロンは滅多に出来ませんが、旦那様のお側におり、お顔を合わす事が出来れば私には十分で御座います」

 

 微笑みながら健気な言葉を口にするが、逆にわざとらしく思えるのは考えすぎ、と思うのは少々お花畑であろう。向こうの私への印象を考えれば精一杯愛想を振り撒いていると思うべきだ。

 

 魚料理が運ばれる。淡水魚を赤葡萄酒で煮込んだマトロットと言う料理だ。付け合わせにマッシュポテトとベーコンが添えられる。

 

「っ……これは……」

「余り馴染みが無いと存じますが鰻と言う淡水魚です。我が家の領地で養殖しておりまして脂が乗っており、小骨は多いですが煮込めば然程問題は御座いませんが……お気に召さなければお下げ致しましょうか?」

 

 丁寧に尋ねるグラティア嬢の声は、しかし微かに強張っていた。恐らくは普段普通に鰻を口にしているので同じ感覚で出してしまった事を失態と考えているのだろう。確かに帝国で代表的な鰻の食べ方は燻製であり、大抵は下町のパブでビール腹の平民が酒の肴として食べる物と言うイメージが強い。私がそんな物を出された事を不快に思っているとでも思ったのかも知れない。

 

 実際にはただ純粋な驚きであった。同盟でもどうやら鰻の蒲焼きや鰻重(そして悪名高きブリテン風ゼリー寄せ)等様々な鰻料理が長い戦乱の時代を生き残り伝えられているが、当然立場的に私がそれを口に出来る機会なぞ滅多にない。何度馬鈴薯とヴルストで我慢した事か……!正直このマトロットを口にした時、脂の良くのった鰻の味に感動していた。

 

「いえ、珍しい味でしたのでつい驚いてしまいまして、しかしこれは中々美味しいですね。赤葡萄酒は我が領地の761年物と言った所ですか?」

 

 内心で慌てつつ、私は態度を取り繕う。彼女を必要以上に追い詰めるのも気が引ける。……まぁ、料理を下げられたくないというのもあるがね。

 

「そ、そうですか……はい、シュレージエンの761年物だそうです。旦那様の領地の葡萄酒は味に深みがあり、宮廷でも良く利用されておりますればそれに肖らせて頂きました」

 

 給仕から何年産の物か確認した後にグラティア嬢はそう答える。我が家の基盤とするシュレージエン州産の赤葡萄酒は味が深く濃いので煮込み等の料理酒として良く使われている。

 

「やはりですか。いや、とても良い味です」

「そう言って頂けて光栄で御座います」

 

 心底安堵した表情を向ける婚約者。良くみれば側にいた給仕もどこか緊張がほどけた表情を浮かべる。うんそうだよね、ミスったら下手したらケジメ案件だもんね。

 

「続いて肉料理で御座います」

 

 魚料理の後に口直しにハイネセン南大陸産の西瓜のソルベを楽しんだ後、給仕が手押し車で運び込んで来たのは純白の皿に盛られたメインの子山羊のトマト煮である。付け合わせはトリュフとザワークラウトが添えられる。こういう食事会では大抵子山羊が生け贄にされる。仕方ないね、子山羊柔らかくて美味しいからね。

 

「そう言えば、旦那様の方はこちらではどのように御過ごしなのですか?」

 

 私が食事酒と共に子山羊肉を味わっているとグラティア嬢が私に尋ねた。

 

「そうですね、同盟軍人としては未だに一少佐の身の上ですからそう自由にできる時間がある訳ではありませんが……参事官補としての事務、それに一番の職務は社交ですね」

 

 苦笑いしながら私は答える。自分でも思うがこれは職務と言えるのだろうか?

 

「社交……収容所の方々との、と言う認識で宜しいでしょうか?」

 

 一瞬考えるような表情を浮かべ、すぐに捕囚の中に同じ門閥貴族が含まれる事実に思い至り答える。

 

「ええ、そうですね……名の知れた家で言えばヤノーシュ伯爵やクーデンホーフ子爵はフォルセティで捕囚となった後我らが正統なる帝室に忠誠を誓いました。今の私の仕事は同胞と交流し、説得して誠に忠誠を誓うべき血統が如何なる家かを知らしめる事なのです」

 

 というのは亡命政府の公式発表に基づいた説明だ。亡命政府の解釈では新無憂宮に住まう皇帝で正統なのは第二一代皇帝マクシミリアン・ヨーゼフ一世までであり、それ以降は「帝室を僣称する傍系一族より選出される偽帝」でしかない。公式の亡命政府の歴史認識では病弱なグスタフ一世は玉座に相応しくないし、身分卑しくより高貴な家柄の出である兄弟を軟禁したマクシミリアン・ヨーゼフ二世は帝位簒奪者であり、親征を行ったコルネリアス一世は帝室に弓を引いた逆賊だ。

 

 即ち第一八代皇帝フリードリヒ二世の次男の子ユリウスの血統こそが「正統なるゴールデンバウム朝銀河帝国皇帝の血統」であり、彼の血統を奉る亡命貴族こそが「ルドルフ大帝以来の伝統と義務を果たす帝室の藩屏」なのである。……まぁ、この解釈に至るまで亡命政府の貴族達と同盟政府の間で議論に議論を重ね、妥協に妥協を重ねたのだが。

 

 何せ同盟政府は元より、亡命貴族の間でも初期は共倒れしたヘルベルト大公派とリヒャルト大公派、そのほかの皇族派にダゴンの大敗で傾いた家に権力闘争の流れ弾を受けた家と様々な理由で亡命しており、中には対立する家同士まであった。ユリウスを旗印にして婚姻と養子縁組み、何よりも時間で対立を消し去る事に成功したとは言え、その原因たるオーディンやら帝位やらをどう解釈するかとなると議論も紛糾しよう。最終的には晴眼帝の血統が途絶えていることと元帥量産帝への共通の敵意が亡命政府の結束を促す上で丁度良かった。

 

 まぁ、長々と説明したがそんな訳で捕囚となった帝国の門閥貴族の捕虜の忠誠をオーディンの偽帝から正しき皇帝へと転向させる事は亡命政府の貴族の義務であるのだが……まぁ、実際転向してくれるかは難しいし、本当の任務は微妙に違う訳であるがそこまで説明する必要はないだろう。

 

「成る程、因みにどのような方々とお会いしているのでしょう?」

 

 私の職務に興味を持ったのかより深く尋ねるグラティア嬢。

 

「そうですね……」

 

 暫し考え、機密に触れぬ範囲……元より収容を知られている者の名前を幾等か挙げて、具体的な仕事についても語る。中には収容そのものが機密になっている者もいるのでそう言う人物については触れない。

 

「少々慎ましいですがサロンや食事会にも呼ばれます」

 

 慎ましいと言うが当然門閥貴族基準なので内心どこが慎ましいんだよとは思うがそこは突っ込まない。

 

 メインを食べ終わりサラダ、次いでアントルメにアプフェルシュトゥルーデル、フルーツにハイネセン南大陸の旬の果物が出される。特に好物であるアントルメが出されたのは、私の好みを調べたに違いない。

 

「もし……御都合がつくようであればで宜しいのですが、御願いを御聞きいただけますか?」

 

 私が温かいアプフェルシュトゥルーデルにフォークを刺し、ナイフを入れた時に常に下手に出るグラティア嬢が珍しく「御願い」と言う言葉を口にした。

 

「何でしょうか?グラティア嬢の御願いで御座いましたら断る道理なぞありませんよ、どうぞ遠慮なくお聞かせください」

 

 好物を前にしていた事もあり、つい良く考えずに私はそう答えてしまっていた。だが私はすぐにその選択を後悔する事になった。

 

「それでは……旦那様の職場に伺っても宜しいでしょうか?」

 

 控えめに、顔色を見るような口調での頼み……だが、その発言は私の食事の手を止めるに十分であった。  

 

「あっ……それは……」

「旦那様の勤務先で御座いますから婚約者として顔を出すのが礼儀かと存じまして……それに話を聞く限り同じ場所にいる以上はご挨拶申し上げるべき方もいらっしゃるようですので……」

「あー……うん、確かにな……」

 

 帝国でならば前線なら兎も角、後方勤務ならば妻が夫の職場に顔を出して上司に挨拶するのは感性として可笑しくない。それ以上に捕虜収容所には同じ門閥貴族がいる以上寧ろ挨拶は当然と言える。  

 

「御迷惑で御座いましたら無理にとは申しませんが……」

 

 私の困惑した表情を察してそう補足するグラティア嬢。私としては何処と無くよそよそしいこの婚約者を紹介する事に面倒臭さを感じるのは事実だった。特に捕囚たるボーデン大将以下の貴族階級相手なら兎も角、クライヴ准将以下の捕虜収容所の同盟軍人相手には気まずさがある。

 

だが……。

 

(断ると言うのもな……)

 

 そうでなくても色々と気を使わせて、迷惑をかけている相手だ。ここで断るというのもまた気が引ける。恐らくは彼女は彼女なりに挨拶に行く方が私の体面上良いと判断しての提案であろう。ここで邪険にするのは流石に冷たく思われそうだしなぁ……。

 

「ふむ……」

 

 ……過激派はこの前同盟警察に確保されたから危険はない、か。

 

「……分かりました。それでは都合もありますので即答は出来ませんが……大切なグラティア嬢の頼み、可能な限り早く返事が出来るように致しましょう」

「そ、そうですか……」

 

 私が難しい表情をしていたためか、彼女の表情は緊張した面持ちであったが最終的に私が笑みを浮かべてそう答えると安堵した表情を浮かべる。

 

(まぁ……どうにかなるか、な?)

 

 所長や警備主任の不愉快そうな表情が目に浮かぶがまぁ、我慢しようかね?

 

 食後の珈琲を口にしながら私はハイネセンポリスでの学校生活や相互扶助会でのサロンでの経験をグラティア嬢から聞く。

 

 彼女の口は食事会の最初に比べれば幾分か饒舌で、その表情もまた初期に比べて僅かながらに柔らかい。良く見れば体が若干赤らんでいるのが分かる。恐らくは葡萄酒のアルコールで酔いが回っているのだろう。伯爵令嬢はまだ一六になったばかりだ、この食事会でも余りアルコールを積極的に飲んではいなかったが、全く口をつけない訳にはいかないし料理に含まれる料理酒もある。どうやら食事会の最後になってそれが回ったらしかった。

 

「ほぅ、それでは普段は文芸サロンに?」

「はい、当初はハイネセンでの生活に不慣れな所もありましたがディアナ様の招待のお蔭もありまして今は良くしてもらっております。それに美術サロンのシルヴィア様にも良く面倒を見て貰っております」

 

 どうやらグラティア嬢はギムナジウムでは文学について学んでいたらしく、ハイネセンポリスの帝国系女学院でも文学部に所属し、文芸サロンを中心に顔を出しているらしい。当初は不慣れであったそうだが、年上のヴァイマール伯爵家とユトレヒト子爵家の令嬢の支えもあり、どうにか上手く社交界を渡っているそうだ。両家とも元はティルピッツ家の分家筋であり親戚だ。私も両令嬢ともに顔見知りである。実家からグラティア嬢をサポートするように言われているのは間違いないだろう。

 

「それは良かった。ハイネセンはヴォルムスとは違いますし、御友人とも別れる事になります。御不便も多かろうととても心配していたのですよ。私からも二人に礼を述べておきましょう」

 

 内心でディアナ嬢は兎も角シルヴィア嬢からは小遣いをせびられそうだ、と溜め息をつく。留学中のヴァイマール伯爵家の娘は悪い意味で同盟の文化に馴染み過ぎなのだ。行事ではちゃんと淑女を演じるが、普段の自堕落な生活(一般的同盟人女学生生活とも言う)を見れば両親が目眩を起こして卒倒する事間違いなしだ。

 

 食後の珈琲(カフェ・ブティクール)を終えて退席する頃には時間は深夜近くになり、冷たい風が吹いていた。

 

 グラティア嬢に付き添いの従士達、ホテルの支配人、そして護衛の見送りを受けながら私はホテルの一階まで降りる。既に入口では防弾装甲付きリムジンが停車して私が乗車するのを待っていた。視界の端を見れば寒空の下でカップ麺を啜っていたホテル雇用の警備員達が慌てて配置に戻るのが見える。可愛そうにこんな寒い中で夜中にずっと警備とは。

 

「それでは可能な限り早くいらして頂けるように善処させて頂きます。本日は素敵な食事の席、有難う御座いました」

 

 私は実家で幼少時から躾られた通りの所作で笑みを浮かべると、グラティア嬢の手を取り手袋越しに触れるだけの口付けをして謝意を述べる。

 

「……いえ、こちらこそ我が儘を御聞き下さり感謝致しますわ」

 

 少し疲れ気味な表情を取り繕い微笑むグラティア嬢。私は改めて礼を述べ、次いでホテルの支配人にも感謝の言葉を告げると帽子を被り身を翻し黒服の警備員が扉を開くリムジンに乗り込んだ。

 

 扉が閉まり、リムジンがゆっくりと走り出す。防弾硝子製の窓越しに伯爵令嬢に笑みを送り、その姿が見えなくなった後漸く私は首元のネクタイを緩めて肩の力を抜いた。

 

「ふぅ……」

「若様、お疲れ様で御座います」

 

 すぐ隣の席で私の外出に付き添って食事中ずっと車内待機していたノルドグレーン中尉が私にそう語りかけた。

 

「ああ、中尉こそ御苦労。ずっと車内で待っていたのだろう?職務の後すぐだからな、疲れただろう?」

 

 私は苦笑いを浮かべて尋ねる。夜中に軍務を終えて官舎に戻った後ベアトを置いてきてノルドグレーン中尉を護衛に連れて来た。因みにベアトは官舎に待機してもらっている。

 

「いえ、それよりも若様の方がお疲れでは?」

「否定はしないな」

 

 正直一挙一動に一々気を使わなければならないので神経を磨り減らすのは事実だ。しかも相手が相手だからなぁ……。

 

「暫しお休みになりますか?」

「……ああ、悪いが頼む」

 

 仕事の疲れと食事会のストレス、アルコールのトリプルコンボの前に流石に眠気を感じる。こうしている間にも一瞬意識が飛ぶ程だ。

 

 膝を差し出す中尉に甘えてそのまま横になって重い瞼をゆっくりと閉じる。……何か当然のように膝枕させている事に何故か色々手遅れな気がするが気にしない。

 

「子守唄でも歌いましょうか?」

「いや、流石にそれは無い」

 

 台詞だけ言えばからかわれているように思えるが、中尉の台詞に一切裏が無い事位は知っている。私がどう見られているのか分かろうものだ。

 

「まぁ…いい、か……それより……」

 

 官舎に帰ったら食事会の礼をしたためた手紙を送らなければな、などとぼんやりと考えつつ、温かく柔らかい膝に顔を埋め、そのまま私は意識を手放した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 深夜、暗い捕虜収容所の一室で男が小さな照明をつけ、珈琲のマグカップを片手に書籍の頁を捲っていた。

 

 書籍を読み耽るのはハンス・シュミット銀河帝国宇宙軍大佐……いや、正確にはその身分を騙るヨハン・フォン・クロプシュトック大佐であった。粗末な部屋で、粗末な捕虜服、安物のソファーに腰掛け、インスタントの珈琲を口に含む。その待遇は大貴族と呼ばれる帝国の最上級階級を占める出自の者のそれと考えると恐ろしいまでに質素……いや、劣悪と言わざるを得ないが、彼自身はその事に関して大した不満なぞなかった。……それだけ彼が「門閥貴族」と言う階級(あるいは家業)に失望と幻滅を抱いていたからであろう。

 

「……やはり、考えられる真相はこれ位でしょうかね?」

 

 彼は書籍から目を離すと酸味の強いエリューセラ星系産の格安珈琲を一口流し込む。彼の読み耽る書籍はフェザーン企業が同盟側で翻訳した帝国の書籍であり、故シュタイエルマルク上級大将の自叙伝に若干の修正と補足を加えたものであった。

 

 難しい表情を浮かべ頭を暫し振り、彼は書籍を静かに閉じた。

 

「……大体話は繋がりますが………これだから貴族と言うものはうんざりしますね」

 

 エコニアに収監されるケーフェンヒラー大佐との議論と情報共有、そして彼が貴族社会に属していた頃知り得ていた知識と常識を加味して、ある程度その輪郭は見えてきていた。だが………。

 

「何て陰惨で偏執だ……いや、ある意味貴族らしいのかもしれませんが」

 

 陰気で、妄執的で、偏屈的な父の顔が脳裏に浮かぶ。もとより彼は父の存在から「貴族」という存在に幻想も理想も抱いてはいなかった。それは歳を重ね宮廷の闇……その一部を窺い知る度に肥大化していた。

 

 無論、だからといって彼はジークマイスター程に共和思想に感銘を覚える訳でもないし、何より一帝国騎士でしかなかった彼と違い曲がりなりにも領民と臣下を率いる身であり、全てを捨てるような無責任にもなれなかった。

 

 故に彼は他罰的で偏狭で、勇気もない父の代わりに軍人として家の名誉を回復するべく従軍したのだが……捕虜となってから彼のその意思は萎んでしまっていた。

 

 それだけ彼には今の時間が心地好いものであったのだ。元々社交界に出るよりも一人で学問に励むのを好む性格であり、学問を学ぶ上で同盟は帝国よりも遥かに好ましい。無駄な贅沢はいらない。貴族としての重責もない。何よりも………。

 

 本来ならば模範的捕虜として何年かしたから帰化申請でも出そうかと考えていた。だが……。

 

「どこにいっても逃げられない、と言うことなんでしょうかね?」

 

 この収容所に新しく赴任してきた参事官補の存在からして間違いなく自身の出自は発覚しているのだろう。問題はどこまでの事が、どれだけの者達に知られているかだ。

 

「………最悪、覚悟はしなければいけないかも知れませんね」

 

 彼をミヒャールゼン提督のように………彼は小さな照明だけが光る薄暗い室内で呟くようにそう口にしたのだった……。

 




フェザーンではきっと未来からタイムスリップした料理人が色々あってルドルフの料理人になる漫画とかありそう


……尚、本作におけるルドルフ専属の料理人は日系イースタンである


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第百五話 贈与税には気を付けろ!

 同盟国内における反帝国移民運動は、国境付近の星系では未だ大量の避難民が発生し続けているものの、全体的には少しずつ収束に向かいつつあった。

 

 一因として、同盟警察公安委員会に属するヨブ・トリューニヒト議員の指導力が挙げられるだろう。本人自身、同盟警察のキャリア組として活躍し、多くのテロや破壊工作を防止ないし鎮圧してきた経験がある。彼の主導により同盟領内における帝国系を狙った犯罪行為の多くが未然に摘発され、あるいは実行犯の逮捕が迅速に行われ、反帝国極右組織の弱体化に繋がった。

 

 それだけならばトリューニヒト議員は単なる帝国系の手先と扱われただろう(実際に裏金か銀の壺が贈与されている可能性は否定しない)。だが、彼の場合はそれと平行してそれ以外の不安定要素……例えば反同盟分離運動や麻薬密売組織、宇宙海賊摘発等も平行して実施し、相応の成果を挙げていた。

 

『銀河帝国の脅威に脅かされる今、我らは一つに結束しなければならないのです!それ故にその結束と団結を阻害する者達、市民を苦しめ不当な利益を貪る卑劣漢共に正義の鉄槌を下さなければならない!!市民の皆さん、今は同胞同士で戦うべき時ではないのです!今こそ本当の敵が誰か良く考えていただきたい!そしてその撲滅のために政府に力を貸して頂きたいのです!』

 

 ハンサムな若手議員の演説は確かに完成度は高いが必要以上に煽動的であり、意地の悪い見方をすれば国難に託つけた同盟警察の権限拡大を目指したものであるのは明らかだ。更に裏に精通している者には彼が与党連合「国民平和会議」における統一派や帰還派……自由共和党や立憲君主党のマイクである事位は知れ渡っている。

 

 この若手議員が前回の選挙において獲得した票はその政治的主張ではなく、美貌と演説とバラエティーの才能で獲得したものだ。故にこういった政治的リスクのある政局において代理役として使い勝手の良い存在なのだ。本人も実積作りと売名、そして政界中枢との結び付きのために積極的に道化を演じているようであった。

 

「今必要なのは火焔瓶を投げ、暴力を振るい、市民同士で傷つけ会う事ではない。そのような体力があるのなら今すぐ難民キャンプでボランティアに従事してもらいたいものだね。彼らが望んでいるのは今日の食事とテントであって暴動のニュースではないのだから」

 

 国境難民生活委員会に所属するホアン・ルイ議員は、マスコミの取材に対して毒気のないあっけらかんとした表情で辛辣に現状を非難する。

 

「思い出してもらいたい。全ての同盟市民は元を正せば皆同じく銀河連邦市民である事実を。今迫害されている同胞は、帝国の弾圧から自由を求めて命がけでこの自由の国へと逃れてきたのだという事実を。我らには彼らを温かく迎える事こそ必要であり、彼らに憎悪を向ける事は筋違いでしかない。自由の民として我らは子孫に誇れる良識ある態度を示すべきではないだろうか?」 

 

 ハイネセン人権講演会の最中でジョアン・レベロ議員は出席者に訴えた。清廉かつ禁欲的で、同盟でも最悪レベルの腐敗で有名なエリューセラ星系における外部監査顧問時代に、脅迫や暴力に屈せずに犯罪組織の摘発や既得権益の解体を推進した勇敢な教授の発言は、感銘と説得力を聴講者達に与えた。

 

 尤も、前線の状況は未だに緊迫していた。六つの有人惑星の占領と、三箇所の大規模疎開。一般市民の大規模な捕囚こそ発生していないが、避難民の総数は現状で三〇〇〇万人を越えている。その大半は第二方面軍司令部の置かれるエルゴン星系の首星たる第三惑星シャンプール南大陸と、第三惑星第二衛星の仮設ドーム型都市に収容されている。人口三億一〇〇〇万を誇るエルゴン星系とは言え三〇〇〇万……今後更に増加する可能性も高い難民の受け入れは、その行政能力を越えつつあった。

 

 まして、難民の収容先の多くは砂漠地帯や荒野地帯であり、同盟政府に懐疑的な原住遊牧民が放浪する南大陸となれば難民側の不満も出てこよう。同盟政府もこの点については憂慮しており、難民を幾つかの惑星に分散して保護しようと動き出してはいた。

 

 一方、そんな国境地帯の問題は国家単位では重大な課題ではあるが、サンタントワーヌ捕虜収容所にとっては然程関係のない話だ。極右組織の暴動やテロの危険が低くなる中、元々リベラルの風潮が強いハイネセン南大陸での軍と警察の警戒レベルは引き下げられ、収容所警備も緩和されていた。実際数日前ならば収容所の出入口の警備は三倍はあったし、上空には二四時間体制で完全武装の空中監視ドローンが警戒していた。敷地周辺における兵士の巡回も倍はあっただろう。兵士達にとっては負担が減り喜ばしい事だし、収容所の経理課から見ても特別手当を出さずに済み万々歳であろう。

 

「おはよう御座います少佐」

「うむ、おはよう」

 

 そんな事を考えているとサンタントワーヌ捕虜収容所の衛門で無人タクシーが止まる。私や従士達は窓から身分証明書を野戦服に火薬式実弾銃を装備した看守の兵士に提出し、声紋認証や網膜認証を受ける。すぐ横を見れば反対側からこちらを監視する警備用地上ドローンが光学カメラで覗きこむようにこちらを見ていた。どうやら私の顔や骨格を分析しているのだろう。

 

 測定した全てのデータが同盟軍の管理ネットワークに記録された我々のそれと一致したのを確かめると、漸く遮断機が持ち上がり無人タクシーは収容所内へと進む。

 

「さて、確か今日は……」

 

 防空レーダーと連動した無人迎撃システムに守られた捕虜収容所司令部ビルの四階の一室、その一角にある自分のデスクに座り、固定端末を起動させながら今日の予定について記憶を引き出す。

 

「昼頃に御訪問が予定されております」

「ああ、そうだったな」

 

 尤も、そういう点に関しては私よりも余程ベアトの方が頭が回る。私が思い浮かべるより先に本日の予定について伝えられた。

 

 心底面倒臭そうな所長ほかに恐る恐る尋ねた結果、訪問に指定されたのが今日の昼頃であった。一つには警戒令が解かれる時期である事、二つ目の理由には所長ほかの予定に比較的余裕がある事、三つ目の理由としては捕虜への訪問者が少ない日であった事だろう。所長にとっても対応しやすくトラブルや問題が起こりにくい指定日という訳だ。

 

 所長としても、本当は訪問許可なぞ出したくはなかっただろう。部隊や部下の家族が職場に訪問する事自体は後方基地ではそれなりにあるが、それとて多くの場合は毎年行われるイベントや親睦会においてであり、平時に訪問してくる者は極めて珍しい。許可したのは制度上禁止ではない事、門閥貴族の文化の面倒さを理解している事、収監中の自治委員会の貴族共からも挨拶と持て成しをしたいと連絡があったためだ(相変わらず門閥貴族の情報収集能力は変な所で先鋭化している)。

 

 くれぐれも問題を起こさないように、とは訪問の許可申請の書類を受け取った時に所長から念を入れて言われた言葉だ。おいフラグ立てるな。……いや、普通に考えたら問題なぞ起こらないだろうけど。 

 

「だが……よりによって日程が重なるとはな」

 

 起動した固定端末を操作して収容所の本日の面会予定のデータを開けばその予約記録を閲覧する事が可能だ。

 

「盗聴と記録はこちらで行いましょうか?」

「一応頼む、とはいえボロは出さんだろうな……」

 

 盗聴されている事位は織り込み済みであろう。大佐も、グラヴァー氏もプライバシー何それ?な帝国出身だ。会話や挙動には細心の注意を払う事は間違いないし、実際これまでの調査でも不審点は殆ど発見出来なかった。

 

「やはり人質を取って尋問するべきでは?」

「うん、だからそういう方向の思考は止めような?」

 

 同盟人としては過激も良いところの意見を口にするベアト。悲しい事はこれでも段階を踏んでいるだけ比較的マシという事実が悲しいね。

 

「兎も角、昼頃には私は所長と出迎えに行く事になる。その間の職務、頼めるな?」

「当然で御座います」

 

 仕事を同僚(あるいは部下に)に押し付けるような形だが、ベアトは嫌な顔一つせず快諾してくれる。社畜の鏡である。

 

 因みにノルドグレーン中尉の方には私の付き添いを頼んでいる。正直な話、付き人とはいえ女性を連れて婚約者を相手に出向くのはどうなんだ?と思うが、やはり護衛はいるし、強いて言えばベアトと中尉ならば中尉の方が若干向こうの心情的にはマシであろう。

 

「……胃が痛くなりそうだな」

 

 出迎えと案内、その後の周囲の視線と愚痴を考えると今からストレスで腹痛を感じてくる。取り敢えず私は携帯している胃薬を口に放りこむ事にした………。

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦788年8月26日1330時、多くの兵士達が昼食を済ませ、休憩を楽しみ終えて再び任務に就こうと言う時刻である。まず気付いたのは捕虜収容所の監視塔に詰める兵士の一人だ。

 

「あれは……車列か?」

 

 第三監視塔の頂上で巡回していた、同盟地上軍の市街戦用デジタル迷彩に身を包んだ警備兵が遠目にそれを発見する。

 

 直ぐ様首に下げた多目的双眼鏡を顔に当てて、最大望遠で対象を拡大。車両は計五両、全て黒塗りであり、内二両は装輪装甲車の類いであった。

 

「こちら第三監視塔、星道24号線より複数車両確認、照合を求む」

 

 兵士が無線で警備司令部に連絡、次いでデータリンクシステムにより双眼鏡が撮影した拡大映像が警備司令部の端末に送信される。ほぼ同時期に星道に設置されたセンサーとカメラの類も車列を確認していた。オペレーターは直ちに車列の番号を軍のデータバンクと照合する。

 

『……了解、照合完了です。そちらの車列については基地の訪問が予定されているものですので問題はありません』

 

 若い女性オペレーターは車列に軍事的脅威は無い事を警備兵に連絡する。

 

「こちら第三監視塔了解。因みに問題なければ何の車列かは問い合わせ可能か?」

 

 この捕虜収容所には、相応の階級や立場の人物が収監される場合が多い。当然、同盟情報部やら同盟警察公安部等から特別護送される事例もさほど珍しくない。だが彼の知る限り、黒塗りの車列のどれもが情報部や公安が使用している車両とはタイプが違う。その点から、あるいは敵対勢力の成り済ましの可能性もあった。だがそれに対してオペレーターは暫しの沈黙の後、少々戸惑い気味の口調で返答する。

 

『いえ、それが……職場訪問だそうで』

「……はい?」

 

………警備兵は思わずオペレーターに聞き返した。

 

 

 

 

 アルレスハイム民間警備サービス所属の警備用装甲車両に前後を護衛されたリムジンが捕虜収容所内の駐車場に停車する。すぐ傍には捕虜収容所所長たるクライヴ准将が数名の部下と共に出迎えのために佇んでいた。その中には訪問者を招待した若い少佐の姿もあった。

 

「何で態態所長が来て出迎えるんだ?市長か軍高官って訳でもないんだろう?只の民間人相手に……。」

 

 周辺で警備任務についている今年六月に自由惑星同盟軍ハイネセン兵学校トゥーロン分校を卒業して任官したばかりの若い憲兵が怪訝そうに疑問を口にする。

 

「そりゃあ、あれだろ?御貴族様だからだろ?」

 

すぐ傍の同僚がその疑問に答える。

 

「だからだろ、じゃないだろう?帝国じゃあるまいに所長が直々に出向く事かぁ?しかも確かあの若い参事官補の嫁さんか何かだろ?何でそんな事のために俺達が……」

 

 まだ二十歳にもなっていない憲兵は愚痴る。この捕虜収容所の参事官補は複数いるが、内一人が門閥貴族の出らしい彼より五、六歳程年上の少佐であった。

 

 それだけで嫌悪感を持つ程には彼も差別的な性格ではない。士官学校は兵学校や専科学校とは比べ物にならない難関学校であるし、胸元に名誉勲章や従軍勲章を着用している事からして兵学校の憲兵コース出の自分よりもずっと上のエリートである事位は理解している(とはいえ兵学校の中では憲兵コースは着任時より一等兵でありエリートコースなのだが)。

 

 だが、実際にその姿を見ると勲章や経歴が嘘ではないかと訝りたくもなる。双子?の部下を職場に連れて身の回りの世話をさせるだけでも一瞬ここが帝国軍基地ではないかと錯覚してしまいそうになる。まして毎日のように捕虜と駄弁ってお茶を飲んでという生活ばかり二か月も見せつけられては本当に仕事しているのかと言いたくもなろう。

 

「別の部署に行った同僚が聞いた話だとあの少佐なんて言われているか知ってるか?『動く公共風俗壊乱』だぞ?前の部署でも随分派手にしていたとか聞くし……」

 

 以前は第三艦隊司令部と言うエリート部署に所属していたらしいが、嘘か真か、初日に艦隊旗艦の男子トイレで如何わしい行為に及ぶ程の筋金入りだったとも聞く。聞くところでは司令部に親族がいたのを良い事に随分と好き勝手していたとか……。

 

「身内の権威で安全な所で遊んで、しかもそれで勲章と昇進だぞ?しかも今回の茶番劇だ。いつから俺達は帝国軍人になったんだ?」

 

 愚痴るように語る一等兵。そんな上司の妻か愛人か婚約者か知らないが出迎えの手伝いをさせられたのだ。不平の一つも言いたくもなる。

 

「仕方ないだろ?相手も御貴族様なんだからな、あいつら妙に仲間意識強いし、面倒な性格しているからな。お仲間の出迎えが無かったってだけで一斉にへそを曲げやがる」

 

 この捕虜収容所に収容される貴族達……同盟軍の捕虜となる貴族達はどこから話を仕入れるのやら、同じく貴族が無礼な目に合うと揃いも揃ってサボターシュを決め込むのだ。しかもこの捕虜収容所はほかの収容所に比べて貴族の権威が強い。下手すれば暴動にもなるし、あるいは捕虜からの事情聴取も難しくなる。看守側も彼らの機嫌を損ねるのは避けたいと考えていた。

 

「しかもあの生活ぶりだろう?税金じゃなくて自前らしいが……」

「中には帝国に戻れなくなって家代わりにしている奴までいるらしいしな。全く、これじゃあ俺達は看守じゃなくて自宅警備員だぜ?」

 

 これでは捕虜収容所ではなく、衣食住が保障され、しかも警備員までいる安全な家である。そう考えると自分達が何のために仕事をしているのか分からなくなりそうだ。

 

「はは、違いないな。お、そろそろ降りて来るらしいな」 

 

 同僚が顎で示す先では漸く高級そうなリムジンの扉が黒服によって開かれた所だった。

 

「御貴族様ね、どうせ澄まし顔でいけすかない表情を浮かべているだろうよ」

 

 ゲルマン風の金髪碧眼に釣り目の可愛げのない娘と言うのが典型的な同盟人の帝国貴族令嬢のイメージだ。若い憲兵はリムジンから降りてくる貴族令嬢を物見遊山するように遠目から見据える。だが……。

 

「げっ!?」

「おっ、こりゃまた小さい……」

 

 流石に彼らもリムジンから降りて現れたのがハイスクールに通っているかも怪しい少女だとは考えなかったのだろう、小さくではあるが驚きの声を上げる。

 

「一五、六といった所か……可哀想に、ありゃどう考えても政略結婚って奴だろ?」

 

 実際の所、その小柄な体格と幼さの残る顔立ちからもう少し年下に見えない事はない。

 

「一回り以上年上の好色で自堕落な奴と結婚とは御貴族様も楽じゃないと言う所かね?」

 

 そこに帝国貴族社会の歪さを垣間見て吐き捨てるように、あるいはからかうように憲兵達は嘯く。

 

 周辺警備をする憲兵達と同じく僅かながらに驚いているクライヴ准将は、しかし流石に長年面倒な輩が捩じ込まれている捕虜収容所の所長を務めてはいない。すぐに微笑みを浮かべて令嬢に何やら挨拶をしているようだった。

 

『本日の御訪問歓迎致します、フロイライン』

「直々のお出迎え、痛み入りますわクライヴ閣下。本日は宜しく御願い致します」

 

 クライヴ准将の帝国公用語混じりの宮廷帝国語に対して、件の貴族令嬢は実に流暢な同盟公用語で答える。ネイティブそのものの言葉遣いにクライヴ准将は再度目を僅かに見開いて驚くが、すぐに愛想よく笑顔を浮かべた。

 

「成る程……御配慮に感謝致しますケッテラー伯爵令嬢、我々が応接間まで御案内致しましょう、では少佐」

「了解です」

 

 賓客の言葉遣いからその意味を察して所長は同盟公用語で本日の訪問客の関係者でもある参事官補を呼びつけ付き添いと応接間への案内を命じる(その際視線でトラブルは起こさないように念押しする)。それについていくのは当の貴族令嬢と数名の護衛のみであった。

 

 本来ならば身分的にぞろぞろと使用人と従卒を引き連れても良いのだが、流石にここは帝国ではなく同盟、まして捕虜収容所である。まず無いとは言え捕虜の脱走に協力する可能性もあるので、そこまで許容する訳にはいかなかった。結果として非殺傷用のパラライザーハンドガンと電磁警棒のみ装備した若干名の護衛だけが建物内への同行を許されていた。

 

 尤も、ここは同盟軍の軍事施設内であり、普通に考えれば安全は確保されていると考えるべきであろう。

 

「ああ、こちらになります」

 

 彼らが向かったのは、地上一二階地下四階を誇る、捕虜収容所司令部ビルの一〇階にある所長室。それに隣接された形で設けられた応接間は、平時には捕虜収容所に訪れた賓客の受け入れや、あるいは所長自らが捕虜を尋問(と言っていいのかは疑問があるが)するための部屋であり、当然内装は相応に高級感漂う様式となっている。

 

 天然繊維のソファーと、同じく高級木材のテーブルに案内された訪問客は、ソファーに座るとお茶と菓子を提供された。無論、この日のために(所長のポケットマネーで)購入してきたシロン産のそこそこ値の張る茶葉とノイエ・ユーハイム菓子店のヌーベル・パレ支店の菓子だ。貴族相手に安物の茶を出したり非ウエスタン系の菓子を出す事のリスクを所長は良く理解していた。

 

「少々お待ち下さい、残りの者もすぐに顔を出せますので」

 

 帝国文化に理解の必要な捕虜収容所の所長であり、将官ともなれば流石に多少は慣れがあるのだろう、クライヴ准将は小慣れた、とは言わなくとも紳士的に令嬢にそう伝えた。

 

「丁寧な持て成し、感謝しますわ。……そうでした、あれを」

 

 思い出したように令嬢が語ると後ろに控える護衛が木箱を差し出す。中を見れば納められているのは重厚な雰囲気を醸し出す磁器のカップとポットである。

 

「余り大仰な物は宜しくないとの事でしたから……詰まらぬ物ですがどうぞお受け取り下さいませ」

 

 賑やかに笑みを浮かべる伯爵令嬢にクライヴ准将は愛想笑いで応える。尤も内心は溜め息交じりであった。

 

 貴族なんてものは会うたびに互いにブランド品をプレゼントし合うような存在である。私人としてならまだ良いのだが、捕虜収容所の所長なんていう公人の立場でも貴族と言う存在は平気で物を贈って来る。

 

 当然下手すれば賄賂やら利益供与やら問題が出るので、この処理や受け入れの手続きが面倒を極める。しかも下手に処分するとすぐに相手の耳に届き不機嫌になる(そのため捕虜収容所勤務の同盟軍人はまだこの手の手続きは簡単な方ではある、別の部署だとそれこそ手続きが地獄だ)。

 

 クライヴ准将も此度の訪問で十中八九何か贈られて来る事は覚悟していたし、令嬢のすぐ傍で目をそらす若い少佐に事前に注意したのだが……。

 

(これが詰まらない物、か)

 

 仕事柄嫌でも帝国の芸術・工芸・文化に造詣が深くなるので、所長も専門家程ではないが此度の贈与品の大体の価値は理解している。ヴィーダー・マイセン白磁器は帝都でも一、二を争う高級磁器のブランドだ。当然のように亡命政府の初代皇帝ユリウスが暗殺を逃れて同盟に逃亡する前、亡命する次いでとばかりに帝都の工房を襲撃して職人連中を誘拐した。今ではヴィーダー・マイセン白磁器は帝都に残った職人集団からなる「ザイリッツ流」とアルレスハイムに連行……ではなく移住した「ラウエ流」に分裂しており、双方共に「我らこそが元祖!」と主張しているという。

 

 受け取ったティーセットは亡命政府の保護下で企業化した「ラウエ流」こと「ラウエ=ヴィーダー・マイセン工房」の一般人向け製品であり、比較的安物の部類に入る。それでも二〇〇〇ディナールはするだろう、貴族からすれば詰まらない安物であるが、同盟人新入社員の一月分の給料を越えかねない額の品を同盟基準で安物扱いは無理であった。

 

 再度令嬢に見えない角度で若い少佐を睨む。無論それは半分程八つ当たりだ。それでも所長は迷惑している意志を示し釘を刺すためにもそうした。

 

「フロイライン、素晴らしい贈り物に感謝致します」

 

 そしてすぐに令嬢に対して謝意を示す。こうして門閥貴族の相手をするのも一度や二度の事ではない。相手がバリバリの貴族主義者ではなく婚約者の職場に挨拶に来る自分の娘程の歳の令嬢相手ならば可愛いものだった。

 

 所長は自身のやるべき事を理解していた。彼がこの訪問で行うべき事はこの令嬢が喜ぶように部下である少佐を誉めてやり、トラブルが起きないようにエスコートして所内の人物紹介と案内を行い、安全にお帰り頂く事だ。それ故に次に必要な事を彼は分かっていた。

 

「……それで少佐はお若いですが武功もあり社交術も上手い。流石士官学校出のエリートと言うべきですかな、とても頼りがいのある若者ですよ」

 

 所長はこの準トラブルメーカーな少佐を高く評価するように令嬢に暫し語り聞かせる。正直茶番も良い所だ。それでもほかの幹部が来るまでの短い間、所長は自然体を装った笑みで令嬢の婚約者を高く評価して見せた。

 

 実際、所長も面倒には思っていても、亡命貴族出の若い少佐を必ずしも嫌っているわけではない。決して良い印象がある訳ではないが経歴は本物であるし、何よりも彼が来てからは面倒な捕虜達との食事や挨拶を殆ど押し付ける事が出来た。その意味では評価はしていたのだ。

 

 そうして上手く時間を潰してほかの幹部達が来る時間を稼ぐ所長。その後参集した副所長や警備主任、参事官等を紹介していく。仕事の途中に呼び出された幹部達は内心で不機嫌ではあるが流石に客人にはその感情は見せず、代わりにちらりと若い少佐を睨みつけた(そして少佐は歯を食いしばり、額から冷や汗を流してその非難を我慢する)。

 

 ………当然彼らにも差し入れが贈られた。正直後の書類が面倒なので嬉しいかと言われれば怪しいのだが、その事は表に出さない。

 

「フロイライン、そろそろ移動致しましょう。ボーデン伯爵が細やかながら歓迎したいと仰っておりますので、お待たせしない方が宜しいでしょう」

 

 上司達の空気を読んで少佐は気取られないようにそう自身の婚約者に提案した。

 

「そうですね、それでは准将閣下、それに皆様方も失礼致します」

 

 その提案を受け入れてゆっくりと立ち上がった令嬢は育ちの良さそうな笑みを浮かべながら一礼する。これに応えるように所長以下の幹部も敬礼する。

 

 若干ぎこちない仕草の少佐が付き添いの中尉を連れて伯爵令嬢と共に応接間より退出する。そして後を追うように護衛の黒服達もその場から立ち去っていった。

 

 伯爵令嬢が最後に一礼し、護衛の黒服が応接間の扉を音が鳴らないようにゆっくりと閉める。

 

「……はぁ、中々緊張するものだな」

 

 暫しの沈黙の後、客人が部屋から離れたのを見計らって准将は深い溜め息をついた。

 

「やれやれですな、全くあの参事官補は次から次へと面倒事を持ってくる。困ったものです、そうは思いませんかな参事官殿」

 

 警備主任のブレツィリ中佐は退出した少佐の直属の上官に嫌みを三割程含めた口調で尋ねる。

 

「そうはいいましてもな、あれを押し込んで来たのは事務局ですからな、お分かりとは思いますがここの参事官職は定年までの骨休め先か、そうでなければ御上の命令で来る者ばかりです。私とて実質的にあれに命令やら指示やらを出来る立場ではないのですよ?」

 

 参事官たるノーマン中佐は心外とばかりに答える。確かに多少の職務こそ与えているが、大半の事務は彼とそのスタッフが行っており、新任の帝国系士官二人は比較的自由な時間を満喫させているのが実情だ。そしてそれは善意ではなく彼らの着任と前後して上から与えられた指示に従っての事だ。

 

「やれやれ、それにしてもほかに適任はいなかったのですかな?毎日あのように部下を侍らされると周囲が困ります」

 

 瞠目するように目を伏せ、僅かに首を振るのは副所長のケインズ大佐である。退役直前の老大佐にとっては兎も角、彼の部下達にとっては件の少佐が所構わず女性士官を侍らせる姿はその遊んでいるように見える仕事姿を含めて不満の的であった。

 

「こういう場所だ、上が何の目的でここにあれを送り込んで来たのか詮索するべきではなかろう。我々はただただ彼らが役目を終えて早々にここから出ていってもらうのを待つだけだよ」

 

 ソファーに深く座りこみ、気だるげに部下にそう言い聞かせるクライヴ准将。

 

「同感ですな」

「左様、それは兎も角……」

 

ノーマン中佐は手元の紙箱に目をやる。

 

「……これの処理が面倒ですな。中々高そうな茶菓子ですが」

 

 ノーマン中佐の手元にある箱の中はノイエ・ユーハイムの洋菓子のセット一五〇ディナールである。

 

「こちらは紅茶葉ですな」

 

 同じくブレツィリ中佐の手元にあるのは茶箱であった。アルト・ロンネフェルトには及びもしないが、ヴォルムス南大陸産出のロスト・ブラオンの高級茶葉だ。一時期外貨の国外流出を懸念して帝国産茶葉の禁輸が同盟で実施された際に帝国風茶葉の代替用に亡命政府が栽培を開始したブランドであり、禁輸処置解除後も一般的同盟人や亡命者にとっては同盟国内で気軽に購入出来る帝国風茶葉ブランドとして馴染み深い。

 

「私は……どうやらブランデーですな」

 

 サクランボを利用したブランデーはキルシュヴァッサーと呼ばれ、地球時代においては旧ゲルマン地域で盛んに生産されて現地で親しまれて来たと言われる。銀河帝国においてもブランデーと言えば葡萄と同じ位にサクランボを利用するのが主流であり、特にカルステン公爵領のそれは非常に人気でフェザーン経由で同盟にも盛んに輸入されている。ヴォルムスにおいてはドラケンベルグ子爵領のそれが特に人気であり、どうやらそこの二十年物らしい。恐らくは一〇〇〇ディナールはする筈だ。

 

「そして私はティーセットか、これは狙っているのかね?」

 

三者がそれぞれに互いの顔を見やる。

 

「……お湯はあるかね?」

「……用意しましょう」

 

 所長の言に警備主任が答える。参事官はテーブルの上に菓子箱を置いた。副所長はブランデーの瓶を開ける準備をする。前線ならばいざ知らず、ここは後方の捕虜収容所である、この位の気の緩みは許容範囲であるし、まだ勤務時間ではあるがそこは一応緊急時に備えて司令部で待機という言い訳を用意していた。というか贈与品の受け取り手続きが面倒なのでせめて腹の中に収める事が出来る物だけでも処理して無かった事にしたかった。

 

 そういう訳で彼ら捕虜収容所の幹部達は司令部にて緊急時に向けた対応準備を名目に、この応接間にて密かに御茶会を開いたのであった。

 

 

 

 

 

「であった、じゃねぇよ!!」

「だ、旦那様?何か御座いましたか……?」

「え?い、いや何でもありませんよ」  

 

 平和ボケしているのか勝手に勤務時間にアルコール入りの御茶会を始めた上司達に思わず突っ込み周囲の注目を浴びた私こと、ヴォルター・フォン・ティルピッツ同盟宇宙軍少佐である。いや、だってそれ証拠隠滅じゃねぇか!!

 

「そ、それでしたら良いのですが……」

 

 少々困惑気味のグラティア嬢、そりゃあいきなり婚約者が奇声のような突っ込みを入れたら怯えもするだろう。

 

「さ、さて……こちらの方で歓迎の準備が行われておりますので参りましょうか?」

 

 私は気を取り直し、案内のために手を差し出す。

 

「はい、宜しくお願い致します」

 

 少し迷う素振りを見せるがすぐに微笑みを返して手袋をした手を添える。……その手は気付くのは難しいが僅かに震えていた。

 

(……緊張だな)

 

 先程の私の馬鹿な突っ込みへの動揺もあるだろうが、彼女自身このような場に慣れていないのであろう。

 

 この場における「このような場」は軍事施設、それも同盟軍のそれを指す。これが社交界であれば宮廷であれ、同盟の名士の集まるパーティーであれ、そこまで戸惑う事は無かろう。

 

 武門の出とは言えケッテラー伯爵家の数少ない直系の娘であり、尚且つ御家騒動もあったためにグラティア嬢は身の安全のため余り軍事に触れて来なかったようだった。 

 

 母親たるヴァレンシュタイン子爵夫人はどちらかと言えば文化系の令嬢であり、息子の方こそ軍事に携わらせたが、娘には寧ろ宮廷儀礼や文学、芸術を中心に指導していたそうだ。

 

 それ自体は必ずしも非難される事ではない。武門貴族の娘とは言え軍事に詳しくなる必要は然程ない。最低限の護身こそ修めるが、基本的には軍人であろう夫の支え方や留守中の家庭と一族の維持、息子の教育と親族が戦死した際の心構えこそが求められる。亡命政府軍では帝国と違い女性でも戦闘職の軍人になる者も少なくないが、それでも実際にそれを行うのは絶対的に少数派なのだ。

 

 まして、同盟軍の捕虜収容所である。門閥貴族の令嬢が珍しいとは言え、警備の露骨で無遠慮な視線は領民の領主に向けるそれとはまた性質が異なる。まだ少女の彼女にとって愉快な物では無かったであろう。誰が好き好んで見世物になりたいものか。

 

 恐らくは護衛も理由だろう。元々の付人が外され、しかもケッテラー伯爵家の古くからの臣下は少ないし、その中で手練れとなればかなり限られる。そしてそのうちの何割かは同盟軍か亡命軍に所属し、残りもヴァレンシュタイン子爵夫人や息子、長老方の護衛についている筈だ。彼女の傍にいる護衛は警備会社からの者か、別の家に仕えている遠縁の者を借り受けているかであると思われた。恐らく余り知らない人物なのだろう。同盟軍基地で見世物にされて、しかも護衛も馴染みない者達となれば一六歳の少女も内心で不安の一つや二つあるだろう。

 

「……そうでした、お待ちしているボーデン伯爵はワーグナーがお好きでしてね、いやはやあの演奏は長過ぎて流石に途中で眠りこけてしまいそうになります。実は此度もそれをお聞かせしようとしていたようでほかの曲にしていただくのに苦労しましたよ」

 

 なので私はグラティア嬢の手を取り、緊張を解きほぐすように雑談を口にし、可能な限り通りかかる同盟軍人から彼女が見えないように壁となりながら歩く。只でさえストレスで無理をしているであろう、可能な限り負担は減らしたかった。

 

「先に行き手続きを行います」

「ああ、頼む」

 

 ノルドグレーン中尉が先行して収容所棟への入棟手続きに向かう。IDカードとパスワード、生体認証で収容所棟の自動扉が重々しい音と共に開く。入室前に警備兵が私や中尉、護衛の持つ武器類を回収するが仕方無い事だ。

 

「おお、お待ちしておりましたぞ、フロイライン」

 

 廊下を歩き、毎回本当に収容所の一室なのか訝しんでしまう自治委員会の本部に入室すれば、年老いたボーデン伯爵がこれまた捕虜なのか怪しい華美な出で立ちで待ち構えていた。椅子から立ち上がると老人とは思えない程背筋を伸ばし、伯爵令嬢に挨拶する。

 

「こちらこそ、ご挨拶が遅れてしまい申し訳御座いません。お会い出来て光栄ですわ」

 

 伯爵令嬢は先程までとはうって代わり、小慣れたように挨拶を返す。やはり貴族同士の挨拶の方が彼女にとっては気楽なようだ。

 

 続いて自治委員会の書記長等その他の幹部達が恭しく頭を下げ顔合わせを行う。グラティア嬢はにこやかに笑みを浮かべながら応対し、続いて当然とばかりに贈り物をする。因みに収容所の所長達に与えた物より遥かに高価な代物だ。平民や奴隷に贈る物より安い物を同胞に贈るなんてあり得ないからね、仕方無いね。

 

「さてさて、何時までもご令嬢を立たせる訳には行かぬの。ささ、お座りなされ」

 

 伯爵が楽しそうにそう語り高価な天然木材と絹糸で作った椅子を引き伯爵令嬢を招き寄せる。その姿は歳の差から祖父と孫のようにも見える。

 

「はい、失礼致しますわ」

 

そう返答してちょこんと椅子に座る伯爵令嬢。

 

(ある意味こっちの方が気楽か……)

 

 参加者も周囲の護衛もある意味皆同じ文化と常識を共有する同胞だ。私は兎も角それ以外の者達にとってはある意味落ち着ける環境という訳だ。

 

「アフタヌーンティー、と言うには少々粗末ではあるがの、可能な限りの持て成しをさせて貰うのでどうぞ許して欲しい」

「いいえ、伯爵様方の御気持ちこそが一番の持て成しですわ、どうぞお構い無く」

「うむ、おお伯世子殿もお座りなさい」

 

 ボーデン伯爵が私にも着席するよう勧める。私は形式的な笑みを浮かべてそれに従う。すぐ傍で中尉が護衛につく。

 

 そして刑務所内でのアフタヌーンティーが始まった。フェザーン経由で輸入したのだろうザイリッツ・ヴィーダーマイセンのティーセットにどこから手に入れたのかアルト・ロンネファルトの茶葉、菓子類はノイエ・ユーハイム、サンドイッチ等その他の料理もフェザーンの保険会社が天然食材を集めてプロのシェフが調理した物であった。

 

 雑談だけで優に一時間は時間が経過する、というよりも寧ろこちらの方がグラティア嬢にとっては本題かも知れない。刑務所の所長達よりも伯爵達の方が挨拶する上で重要な相手なのだ……門閥貴族にとっては。

 

「……失礼、暫し席を外します」

 

 そう言って私はトイレにかこつけて一旦退席するが実際の所は時間帯から見てシュミット大佐とグラヴァー氏の面会が終わった頃であるためだ。携帯端末でそちらに回していたベアトに何か変わった事があったかを尋ねる。

 

 自治委員会の本部を出て捕虜収容所のトイレの方へと向かう。………因みに中尉何で付いて来てるの?

 

「?当然ではありませんか?ゴトフリート少佐は同行したと聞きますが」

「それ風評被害だからな?」

 

止めて、私の名誉をこれ以上地に落とさないで。

 

 取り敢えず中尉にはトイレの外で見張りをしてもらい私は誰もいないのを確認した上で男子トイレで携帯端末を取り出し、ベアトの番号を打ち始める。……正にその時であった。捕虜収容所全体に爆発音が轟いたのは。

 

「………!?」

「若様……!」

 

 すぐに私は警戒体勢をとり、中尉がトイレへと入り込む。

 

「今の爆音は……装備の整備を間違えて誤爆、はあり得ないだろうなぁ」

 

 あんな爆発音がするような装備はこの捕虜収容所にはない。基本対人装備しか配備されていない筈だ。となると……。

 

「若様……!」

「……あー、だよなぁ」

 

 中尉に呼ばれトイレの窓を見て、私は半分諦めに類した表情をする。ここでフラグの回収かぁ……。

 

 窓から見える捕虜収容所の敷地では銃火器を装備した捕虜達が警備兵と銃撃戦を繰り広げていた。

 

 宇宙暦788年8月26日1545時頃、サンタントワーヌ捕虜収容所における捕虜による「サンタントワーヌ武装蜂起事件」はこうして発生したのだった。



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第百六話 女子トイレに隠れる糞貴族はこいつです!

 蜂起の始まりは宇宙暦788年8月26日1545時に起きた捕虜収容所東部の警備隊詰所での爆発であった。散歩に見せかけた捕虜達が服の下に隠していた爆弾を投げつけた事が監視カメラで確認されている。その後捕虜収容所内の計一一か所で同時に襲撃が行われた。

 

「な、何だ!?何があった!?」

「捕虜共が暴動を起こしたのか!?」

「暴動!?違う!反乱だよっ!」

 

 この捕虜収容所で小規模な暴動こそ起きた事はあっても銃器を使った大規模な蜂起が起きたのは凡そ半世紀ぶりの事であり、警備兵達は動揺と混乱こそしたが、日々の訓練もありすぐに組織だった抵抗を開始する。装備の面でも警備部隊の方が充実しており決して不利な状況ではなかった。

 

「くっ……!増援部隊は!?ドローンならすぐに来るだろう!?」

 

警備兵の一人が叫ぶ。携帯端末で近隣のドローンを呼ぶ兵士。それに応えるように敷地に入った二足歩行型の警備ドローンが光学カメラと並行して備えられた機関銃を蜂起した囚人達に向けようとする。

 

「よせっ!警備ドローンは全て防御モードに切り替えろっ!無関係な者を巻き込む!」

 

 現場の警備隊長が叫ぶ。捕虜収容所に配属された軍人と軍属には顔認証とIDカードで射撃を禁止されているが、反乱とは無関係な捕虜や囚人や勤務する兵士の家族と言った収容所訪問中の一般市民もこの場にはいるのだ。それらを巻き込む訳にはいかなかった。ここの捕虜は重要性の高い者が多いし、一般市民を巻き込むのは論外だ。

 

 慌てて警備兵達が携帯端末からコードを入力して殺傷兵器の使用を禁止させる。こうなってはドローンは弾避けか偵察、あるいは陽動程度にしか使えない。

 

「糞、捕虜の分際で……!」

 

 警備兵の一人は毒づく。捕虜なら捕虜らしく大人しくしてれば良いものを、よりによって面倒な訪問客のいる今日にこんな事しなくて良いだろうに!!

 

「第三分隊右に回れ、第二分隊はドローンを盾にして前進するぞ、無線で第四分隊に援護を……」

 

 銃撃戦の最中、前線の警備部隊は蜂起の鎮圧のために作戦を練る。隊長が携帯端末と無線機片手に指示を出して行く。だが……。

 

「ん……?」

 

 空き缶のような物が転がっていく音に小隊司令部の兵士達は一斉にそちらに視線を向ける。そこにはオレンジ色の空き缶に割り箸を突き刺し、死んだ目をした顔が描き込まれた物体があった。

 

「ジャスタウェイ……!!」

 

 悲鳴に近い声と共に兵士達は一斉に地面に伏せる。同時に腑抜けた顔の書き込まれた空き缶状の物体はニヤリと笑う(ように見えた)と共に爆発した。地面のコンクリートが吹き飛び石礫が周囲に散る。

 

「畜生……!何で捕虜共がジャスタウェイなんて使ってんだよ……!?」

「いやっ……!ある意味当然だろうよっ……!!」

 

 コルネリアス帝の親征において、占領地のゲリラやレジスタンスが帝国軍の監視の目を逃れて大量に生産した兵器が簡易工作爆弾こと「ジャスタウェイ」である。町工場レベルの設備と廃品からでも大量に生産可能というこの兵器は、占領地における専制政治に対する抵抗の一種の象徴だ。右翼の牙城たるマルドゥーク星系では鋼鉄のジャスタウェイ像が星都のメインストリートに置かれているし、ヴァラーハ出身の戦争文学作家ドゥメック氏の執筆した占領下の故郷を舞台とした「青年と夏とジャスタウェイ」は右翼の聖典の一つとして有名で一億五〇〇〇万部も売れたベストセラーである。兵器としての評価に至っては未だに同盟軍で改良型が制式装備として採用されている程だ。

 

 帝国の上層階級が多くを占める捕虜達がそのような反帝国の象徴とも言える爆弾を使う事に、疑問を持つかも知れない。しかし、逆に言えば占領地の監視下ですら簡単に揃えられる兵器であるとも言える。同じく看守達の監視の目を逃れて作るにはもってこいなのかも知れなかった。

 

 見れば、反撃を封じられている警備ドローンは優先的にジャスタウェイの標的になっているようで、彼らが盾にしようとしていたそれも彼らが起き上がった時には炎上してゆっくりと崩れ落ちつつあった。

 

「やむを得ん、一旦後退するぞ。包囲網を作り増援を得てから一気に反撃に移る……!!」

 

 只でさえ装備の殆んどが戦闘ではなく暴動鎮圧用のそれである警備部隊にとって、予想以上に重武装の囚人達との無理な戦闘は犠牲が大きくなる事が想定出来た。ここは無茶をせず周辺基地からの援軍を期待した方が良い。

 

 そして捕虜収容所司令部もその考えに至ったらしく、戦闘中の各部隊は民間人や軍属、無関係な捕虜等の避難と並行して防衛ラインの後退と周囲一帯の封鎖を命じた。

 

 同時に首都防衛軍(バーラト星系警備隊)のハイネセン星域軍南大陸警備区司令部に緊急事態の連絡と増援部隊の派遣を要請。これに対応した南大陸警備区司令官シャルマ少将は、サンタントワーヌ捕虜収容所に近いモルドヴァン陸上軍駐屯地及びソヴュール航空軍基地に出動を要請。また、近隣都市に対して戒厳令を発したのであった……。

 

 

 

 

 

 

「この部屋はどうだ?」

「いや、いないな」

「よし、隣の部屋を探すぞ……!!」

 

 捕虜収容所の屋外にて銃撃戦とそれに伴う同盟軍の一時撤収が行われていた頃、施設の屋内でも蜂起した囚人達が銃器を手に収容施設の廊下を駆けていた。

 

 彼らの目標は、施設内に隠れた同盟軍兵士や一般市民、あるいは蜂起に参加しなかった囚人の確保と連行である。屋内で蜂起した彼らは行動を開始すると同時に各部屋の制圧を始め、一室一室に入り込み入念な捜索を行っていた。

 

「……誰かいないか?いるなら出てこいっ!命令通り出てこなければ射殺するぞっ!」

 

 少々下手な同盟公用語で叫びながら、人が隠れられそうな場所を探していく囚人達。その中には当然のように施設内のトイレを見て回る者もいた。

 

「行くぞ、シューマン」

「分かった、援護する」

 

 蜂起軍の屋内捜索隊に所属するハーシェ准尉とシューマン曹長が互いに援護しながら男子トイレの一つに侵入する。

 

「………いないな」

 

 トイレの物置と個室を一つ一つ確認して誰も潜んでいない事を確認するハーシェ准尉。と……。

 

「……今音がしたな」

「ああ、隣だ」

 

 ドンッ、という小さな音が隣の部屋から響いたのを二人は確認する。

 

「……反乱軍の兵士でも隠れているのか?」

 

 この捕虜収容所に収監されている帝国人捕虜は男性のみ、そして、ここのトイレは職員も使うトイレである。そうなると、考えられるのは反乱軍の女性兵士が隣に隠れているということだ。

 

「………行くぞ」

 

 隣が女子トイレであった所で彼らには関係の無い事だ。そんなつまらない事をこの有事に気にしてはいられない。すぐさま隣の部屋に入れば、個室の一つがあからさまに扉を閉め鍵が掛けられている事が一目で分かる。

 

「ふん、馬鹿者め。こんな事するだけ無駄であろうに」

 

 恐怖からか、個室の扉を閉め鍵を掛けるなぞ自ら隠れている場所を晒す行為でしかない。所詮は無学ですぐパニックになる反乱軍の女性兵士という訳か……。

 

 因みに帝国軍においては基本的に女性軍人は存在しない。所謂本国の受付や軍病院の看護婦等でこそ女性が働いているが、あくまでも軍属としてであり、しかも大半は武門貴族や士族の子女であった。平民や奴隷の女性なぞ軍属としてすら役に立たないのでまず応募の時点で拒否される。

 

「おい、そこに隠れているのは分かっている。今すぐ扉を開き降伏しろっ!降伏しない場合は問答無用で射殺する!!」

 

 ブラスターライフルを扉に向けながら脅すようにそう宣言するハーシェ准尉、無論誇り高い士族階級出身の彼も女性に銃口を向ける事は余り好ましく思っていないが、相手を個室から引きずり出すには脅迫が一番であるのは確かであるし、相手の抵抗に備える必要もあった。すぐ傍のシューマン曹長も最悪相手を射殺する覚悟でハンドブラスターを構える。

 

「五秒待ってやる!それまでに出てこい!五……!」

「ひっ……わ、分かりました!開けます!開けますから殺さないで下さいっ……!」

 

 個室から悲鳴に近い声が響き渡る。秒読みの最初を言い終えるかどうかでこれである。所詮は逃亡奴隷の血の流れる女だ。すぐに命乞いをする。

 

 ゆっくりと個室の扉が開かれる。一応抵抗に備えて身構えるハーシェ准尉は、しかし次の瞬間一瞬目を見開いて驚いた。

 

 反乱軍の軍服を着たその女性兵士は、薄いブロンドに紅玉色の瞳をした美女だったためだ。白い肌にそのどこか品のある所作も含め、帝国人が想像する美人の条件にとても合致していた。

 

「ひっ……い、命だけは……!」

 

 向けられる銃口を見て顔を青くした女性兵士は目元に涙を浮かべて怯える。その悲鳴にハーシェ准尉とシューマン曹長は我に返り、互いに顔を見合わせた後銃口を下げる。

 

「怯えるな、吾等は誇り有る帝国軍人だ。卿が大人しく連行されるのなら一切の害は与えん。その個室から出てくると良い」

 

 騎士道精神でも刺激されたのか、先程に比べて若干優し気に声をかけるハーシェ准尉。怯えた表情の女性兵士はちらりと准尉と曹長を見やり、ほかに銃を持っている者がいないかおどおどと尋ねる。

 

「安心しろ。ここには我らだけだ。隠れて卿を狙っている者はいない」

「そ、そうですか……で、では……」

 

 ゆっくりと個室の扉を開いて出ようとする女性兵士は、しかし途中で止まる。

 

「す、すみません……あ、足が震えて……」

 

 どうやら恐怖で足が竦んでいるらしく、その事を涙声で伝える女性兵士。

 

「うむ……宜しい、ならば手を貸そう。こちらに」

 

ハーシェ准尉が銃を肩にかけて紳士らしく近寄る。

 

「は、はい……そ、その……次いでにその銃も貸して頂けますか?」

 

 怯えながら准尉の手を取る女性兵士は次の瞬間、凛とした、鋭い声を口にした。

 

「なっ……がっ!!?」

 

 何があったのか理解する前にハーシェ准尉の視界が回転し、同時に背中に衝撃が走る。背負い投げで床に叩きつけられたのだ。

 

「なっ!?この……!」

「させるかよ……!!」

 

 慌ててハンドブラスターを構えようとするシェーマン曹長に対して用具入れから飛び出した私は先を取り外したモップで背中を突く。

 

「ぐっ……!?」

 

 姿勢を崩した曹長は、しかしすぐさま振り向いて私にハンドブラスターを向けようとするが……。

 

「させる訳ねぇだろ!」

「痛ぇ……!?」

 

 此方に銃口を向けようとした瞬間に私はその手をモップで上から叩きつける。相手はその衝撃でハンドブラスターを手から取り落とす。

 

「この……がはっ!!?」

 

 すかさず私は相手の胸元を一気に突く、そしてそのまま遠心力を利用して横から振りかぶって首元に殴りつける。案の定相手は咳こみながら昏倒した。私はそこから床のハンドブラスターを遠くに蹴飛ばして苦しむ曹長の上に覆い被さり組み敷く。棒術は戦斧術の刃を外したのと事実上変わらない、そして戦斧術ならば幼少時代から散々指導されている。

 

「若様……!」

「私は気にするな、いいからそちらをどうにかしろ!!」

 

 同じくハーシェ准尉を押さえ付け制圧しつつあるノルドグレーン中尉に私は命令する。私の方に注意を向けて反撃を受けては困る。

 

「うぐっ……!?ぐっ……!」

 

 捕虜が暴れて逃げ出そうともがく。ちぃっ!士官学校でリューネブルク伯やチュン、不良中年と言う酷い面子にしごかれ続けた私の格闘戦能力を舐めるなよっ!?

 

「お前さんはっ……寝ておけ!!」

 

 私は叫ばれる前に頭に一撃入れて迅速に意識を奪う。中尉を見れば同じく相手を気絶させ終えたらしく、装備していたブラスターライフルを奪い取る。

 

「はぁ…はぁ……上手くいったな……」

 

 相手を無事に無力化出来、私は気分を落ち着かせるように呼吸を整える。

 

 周辺では蜂起した捕虜達、そんな状況で手持ちの武器が無い私達はこのままでは人質にされるか射殺されるしか道が無かった。無論、そうなる訳にはいかなかったので武器の確保は最優先するべき事だった。

 

 ノルドグレーン中尉の意見を容れて女性用トイレの個室と用具入れにそれぞれ隠れ、相手を呼び寄せ油断させてから襲いかかった。ノルドグレーン中尉は帝国風の美人であり、この捕虜収容所には士族や貴族、富裕市民の捕虜が多い。怯える美女に紳士的に対応する可能性は高いので奇襲性は高いと思われた。

 

「これはどういたしましょう?」

 

 倒れる捕虜達を見て中尉が尋ねる。止めをさしておくか?という意味であろう。 

 

「いや、止しておこう。用具入れにでも叩き込んで外側から鍵をしとけば十分だ」

 

 弾が惜しいし、反乱を起こしたとは言え下手に捕虜を殺し過ぎるのも宜しくない。どうせ武器は奪い取ったのだ、この騒動が終わるまでトイレで寝ていてもらおう。

 

「随分と大規模な蜂起だな……百…いや、二百はいそうだな」

 

 捕虜の服で手足と口を縛り、用具入れに押し込んで閉じ込め終えた後、トイレの窓から外を一瞥し私は推測する。外で見える捕虜達や黒煙、周囲で聞こえる銃声から、蜂起のおおよその規模は分かっていた。

 

「それにこの装備……良くも気付かれずに集めたものです」

 

そう語るのはノルドグレーン中尉である。

 

 従士の言を聞いてから私の手に持つハンドブラスターを見やる。同盟製でも帝国製でもない、恐らくはフェザーンの兵器企業が民間軍事会社に販売している……正確にはしていたものだ。随分と古い型である。ノルドグレーン中尉のブラスターライフルはもっと珍しい。外縁宙域に拠点を置く宇宙海賊やら武装勢力が独自に製造・使用している物だろう。当然同盟で配備されている物ではない。

 

「横流し……にしては少し解せないな」

 

 横流ししようにも、ハイネセンの軍倉庫からの横流しは頻繁な監査があるので簡単ではないし、そもそも同盟軍が配備していない装備は横流しが出来よう筈もない。無論、テロリストや宇宙海賊から回収した装備が員数外の予備役装備として倉庫に保管されている可能性もあるが、それはあくまでエコニアのような辺境での事だ。中央にこの手の銃器が数百人分も眠っているとは思えない。

 

「まぁ、今はその事は気にする必要はないか……」

 

それよりも今気にしなければならないのは……。

 

「ボーデン大将達の身柄がどうなっているか、だな」

 

 我々がこの場で行わなければならないのは状況把握と保護である。前者は蜂起の規模と目的、そして自治委員会メンバーがこの蜂起にどれだけ関係しているのかであり、後者は協力していない場合の自治委員会メンバーとその他の友軍と民間人、そして……。

 

「迅速にグラティア様を保護する必要も御座います。もしもこの騒動で火の粉をかぶられてしまえば……」

 

 深刻そうな表情を浮かべる中尉である。寧ろ中尉にとってはそちらが重要かも知れなかった。同盟軍に所属していようとも根本的には彼女はノルドグレーン従士家の人間であり、ティルピッツ伯爵家の臣下であった。同盟の存亡も、何万という民衆も、ほかの貴族の生命や国家の重要人物の生命すら、究極的には伯爵家の存続と利益と天秤にかければ取るに足らない物でしかない。その観点から見れば、政略結婚の相手であるケッテラー伯爵家の娘の身の安全は、ティルピッツ伯爵家の権益と政治的思想から間違いなく優先して守るべきものであった。そしてさらに言えば……。

 

「若様、非れ……」

「言いたい事は分かっている。だがそれも容易な事ではないだろう?」

 

 ノルドグレーン中尉にとって最優先で考えなければならないのが、私の身の安全だ。即ち私を避難させる、その上で彼女はグラティア嬢の保護を考えている事であろうが……この場で逃げるのも中々簡単な事ではない。寧ろ、ここからなら自治委員会の幹部の居場所が近いので、逃げるより彼らを保護した上で部屋に立て籠もった方が良い、逆に彼らが手を引いていた場合はその制圧が必要である。

 

「……それに本来の任務もあるしな」

 

 その指摘に黙りこむ中尉。ベアトに大佐達の監視を命じているのだが、彼女からの連絡はこの騒動以来通じない状況が続いていた。

 

「基地のネットワークにアクセスしているが、そちらでも大佐達が保護されたという記録は出てきていない。となるとこの騒動に巻き込まれていると考えるのが自然だ」

 

 ここから安全地帯に逃げるのは困難であり、監視対象は行方不明、婚約者や自治委員会のメンバーのいた場所からは比較的近い、となれば選択肢は限られる訳だ。

 

「それでは……」

「無論無茶はしない、下手に動いて状況を悪化させる事もあり得るからな。取り敢えずはベアトと合流する事と情報収集、可能であれば保護対象を確保する、という方針で行きたいが……駄目かね?」

 

私は中尉の方を伺うように尋ねる。

 

「それは……」

 

 迷うような表情をするノルドグレーン中尉。彼女からすれば私を危険に晒すのは避けたいのだろう。

 

「いや、こういう言い方は良くないな。中尉、私としてはここで何もせずにのこのこと逃げる訳にはいかん。危険は承知しているが、私のために付き合ってもらう。いいな?」

 

 私は上から目線で命令する。こういう時は頼み込まれるより命令される方が臣下には気楽なものである。

 

「……!!はっ、了解致しました!」

 

 直ぐ様承諾の返事をするノルドグレーン中尉。その態度は既に同盟軍人のそれではなく門閥貴族に仕える従士のそれであった。

 

「うむ。では方針は決まったとして、移動は………」

 

 当然ながら素直に廊下や通路を歩いては蜂起した囚人達と十中八九遭遇し銃撃戦となるであろう。弾には限りがあるし、そもそも銃の性能と信頼性も安心出来ない代物、その上防弾チョッキもない状況だ。可能な限り戦闘は避けたい。そうなれば……。

 

「……まぁ、御約束のパターンだな」

 

私は肩を竦めてトイレの天井を見て呟いた………。

 

 

 

 

 

 

「失望したぞコーゼル大佐。卿の家は平民とは言え武門の誉れ高い士族の名門コーゼル家の出だ。このような日に無粋な真似をする程下品な血が流れる者ではなかろうと考えたのだが……どうやら私の見込み違いであったようだな?」

 

 銃を構える十名ばかりの囚人を前にしてもボーデン伯爵、あるいは大将は悠然とした面持ちを崩さない。三〇〇〇ディナールは下らないワイングラス(それでも門閥貴族にとっては安物だ)を天井のシャンデリアと重ね見て、グラスの中の深紅の液体を揺らしその輝きを見つめる伯爵。その余裕と落ち着きを持った所作は到底二桁の銃口を向けられている人物のそれとは思えない。

 

 その傲岸不遜な態度に、老伯爵の眉間にハンドブラスターの銃口を向けるエリック・コーゼル大佐は苦虫を噛みつつ鼻を鳴らした。

 

「ふんっ、帝国軍人としての誇りと矜持を捨て去ってこんな場所で何年もサロンを開く世捨て人共に言われる筋合いなぞないわっ!」

 

 老伯爵の持つグラスを無理矢理奪い取りその中身を飲み干すとそのまま絨毯の敷かれた床に叩きつける。硝子の砕け散る音が室内に響いた。

 

「やれやれ、然程高級な物ではないが下町の安酒と言う訳でもないのだがの。葡萄酒を飲む前にはまず色と香りを楽しめ、麦酒のように音を立ててがぶ飲みをするものではない」

「ふんっ!悪いが俺は葡萄酒より麦酒の方が好みでな。そういう語らいはミュンツァーの野郎とでもしな」

 

 その横柄で荒々しい態度にボーデン伯爵は肩を竦める。帝国では葡萄酒は上流階級の、麦酒は下層階級の物と相場が決まっている。中流階級以下の者が葡萄酒を入手する事は困難であり、一方貴族や社交界に参加を許された極一部の富裕市民は葡萄酒に対する広範な知識とその味を見分ける舌を持つ事が半ば義務化していた。「身分に相応しい物を口にさせよ、価値の解らぬ者に価値ある物を口にさせるは資源の浪費である」は偉大なる大帝陛下の残した言葉である。

 

「やれやれ、してそんな世捨て人達に銃口を突き付けて何の用なのかね?」

「決まっておろう、人質よ!!」

 

呑気な声で尋ねる大将に対して噛みつくように答える。

 

「人質か、内地なら兎も角、この外地の反乱軍にとっては我らの人質としての価値はそう高くないぞ?我々よりも……」

 

 そう言ってボーデン大将が見据える先には十数名ばかりの手足を縛られた同盟軍兵士や軍属、蜂起に参加していなかった捕虜、それに一部の一般人達に、恐らくはつい先程までここにいたであろう賓客の護衛二人も制圧されていた。黒服の護衛以外は蜂起とその後の戦闘でコーゼル達の捕囚となった者達であろう。一部の同盟軍兵士は負傷しており、止血と痛み止めでどうにか怪我に耐えている状態であった。

 

「彼方の方が余程役に立つだろうに。これでは下手すれば我々が糸を引いているように思われかねんのだがな」

 

 フレデリック・ジャスパーとの戦いで捕虜となってから二四年。伯爵も流石にそれだけの年数をこの捕虜収容所で暮らせば、反乱軍(同盟軍)の価値観にもそれなりに理解が及んでいた。大貴族の命も一兵卒の命も、反乱軍にとっては大きな違いはない。もちろん、捕虜としての軍事的・政治的な部分での価値は違うであろうが、根本的な意味での差は存在しない。

 

 それどころか、帝国の大貴族の命よりも自国の兵士や一般市民の安全の方が遥かに重要ですらあるだろうし、ボーデン伯爵もその事を理解していた。その意味では態態手間とリスクを取ってまでこの自治委員会本部を制圧する意味はない。

 

「ふん、惚けるな。その気になれば貴様らは反乱軍に協力する事位理解しているわっ!」

 

 貴族の保身術をコーゼルは軽視するつもりはなかった。もし彼らを放置すれば時期を見て彼らは自分達の情報を同盟軍に売るであろうし、自分達を支持する捕虜達を使い潜入工作や末端の同志の説得を行い切り崩しを仕掛けて来るであろう。この捕虜収容所からでも彼らは多少の権力程度ならば内地に向けて行使出来る。彼らがこの捕虜収容所の囚人達の身元と個人情報の大半を特定している事位コーゼル大佐は知っていた。

 

「確かに、反乱軍共にとって貴様らの価値は大したものではないかも知れん。だが、ここに貴様らと違い付加価値がある者がいた事位は把握している………小娘をどこに隠したっ!!?」

 

 そう叫びながらコーゼル大佐は一瞥していた空席の椅子を蹴り倒した。

 

「きゃっ……!?」

「ひぃ……!?」

 

 その怒鳴り声に手足を縛られている軍属や一般市民……特に女性は小さな悲鳴を上げる。それに反応してコーゼル大佐は鬼のような形相でそんな捕囚達を睨み付け、すぐにボーデン伯爵に向き直る。

 

「老い耄れ共、貴様らがどこかに隠したのは知っているんだからな?吐かないならばその身に聞いても良いのだぞ?」

 

 脅すように尋ねるコーゼル大佐。その殺気を纏った視線に対して、しかし相変わらずボーデン大将は悠然とした表情を崩さない。

 

「コーゼル大佐、お止め下さい。曲がりなりにもその方は我ら帝国軍の大将でありますぞ。例え一時の敵となれど礼節は守るべきと存じます」

 

 ボーデン大将とコーゼル大佐の睨みあいに終止符を打ったのは、自治委員会の本部に入室した紳士の言葉であった。コーゼル大佐は不機嫌そうに声の主を見やる。

 

「ミュンツァー中佐、外の方はどうなっている?」

 

 粗末な囚人服を来た男性は、しかしその佇まいのお陰で気品を損ねる事はなかった。蜂起軍の副司令官たるフェリックス・フォン・ミュンツァー中佐は、コーゼル大佐の質問に流暢な宮廷帝国語で答える。

 

「反乱軍は味方を避難させつつ後退しております。恐らくは周辺の増援を得た上で包囲網を狭めていくつもりなのでしょう。こちらはほかの同胞を同志が説得しつつ、バリケードを作り防衛線を構築中です」

「ほぼ予定通り、という訳か」

 

 コーゼル大佐がミュンツァー中佐の報告に頷く。一方ボーデン大将は背筋を伸ばして起立する中佐に非難するような視線を向ける。 

 

「ミュンツァー中佐、君には失望したよ。愛国的な信条は構わんが、このような野蛮な行為に手を染めるとは。名門ミュンツァーの家名に泥を塗るつもりかね?」

「ボーデン大将閣下、それは誤解で御座います。私は一度たりとも誇りある帝国軍人として不名誉な態度を示したつもりは御座いませぬ」

「ほぅ、誤解と。亡命したとは言え、帝国開闢以来の名門の令嬢を人質にしようとした行為が誇りある行動と?」

 

 ミュンツァー中佐の発言に不機嫌そうにボーデン大将は言い返す。この時点でボーデン大将は彼らがここに来た目的を完全に理解していた。

 

 確かに、この捕虜収容所にいる貴族達の生命の価値は、平民共のそれと大きな違いがあるわけではない。だが、同盟内で地位を固め、決して無視出来ぬ勢力を持つ亡命政府に所属する貴族の命であればどうか……。

 

「失礼ですが、我々から見れば反乱軍と協力する亡命貴族共なぞ裏切り者以外の何者でもないのです。ルドルフ大帝から与えられた帝室の藩塀たる義務を放棄し都合の良い偽帝を立て、その上貴族としての誇りを捨て去り奴隷共に協力する輩なぞ同じ貴族ではありますまい!」

 

 そう言って帝国を裏切る亡命貴族達を糾弾するミュンツァー中佐。武門十八将家の一つであるミュンツァー伯爵家と言えば異様なまでに教条的な家である事で有名だ。

 

 初代当主ニコライはルドルフ大帝の勅命に愚直なまでに従い、辺境の反乱勢力数百万名を略式裁判で処刑した。ジギスムント一世帝の時代には、反乱に対処したロベルトが前例と法律に倣い叛徒共の六等親までを処刑するように上申した(これはノイエ・シュタウフェン公により退けられ叛徒の親族は三等親までを奴隷階級に墜とした)。恥愚帝ジギスムント二世に対してはその行いが前例と法律を無視し帝国の権威を落とすものであったがために、第六代当主ハインベルグがオトフリート二世による宮廷クーデターに協力した。第九代当主レオポルドは貴族の私戦を全面的に禁じたリヒャルト二世(忌血帝)に対して、貴族の伝統と権利の侵害であると直訴した。

 

 最も有名であろう第一六代当主たるオスヴァルト・フォン・ミュンツァー伯爵は、神経質で気難しく、例外を認めない面倒な性分の人物であると見られていた。士官学校同期でもあるゴッドリープ・フォン・インゴルシュタット伯爵とは全く正反対の性格であり、犬猿の仲ですらあった。「弾劾者ミュンツァー」の名を得た軍法裁判にしても、敗戦の真の責任者を追求しなければ再度栄光ある帝国軍が敗北すると考えたがために過ぎない。

 

 晴眼帝に推挙された彼は執着的に帝国の膿を取り除いた。腐った部分を切除する事こそが偉大なる帝国の復権のために必要不可欠であると考えたためだ。この時期多くの亡命者や宮廷を追放されて同盟に逃げた貴族もいるが、それすら彼にとっては寧ろ狙ったものであった。晴眼帝に臣民の大量亡命について意見を求められたミュンツァー伯爵は「これで帝国に巣くう病原菌が取り除かれ、しかも叛徒共は病にかかるのです」とこの状況を放置する事を薦めたとされる。

 

 その上で叛徒の討伐に関しては帝国の立て直しを優先し、その後情報収集と拠点を確保した上で行うべきであるとして、少なくとも半世紀の時間は必要との見解を示していた。記録によれば本心では帝国の権威の及ばぬサジタリウスの反逆者共の討伐を今すぐにでも実施したかったようであるが、彼は政治的には教条的な理想主義者であっても軍事面では現実感覚に優れた有能な軍人であり、それが不可能である事も理解していた。そして困難な遠征の失敗はそれこそ帝国の権威を失墜させる事もまた熟知していた。コルネリアス帝の親征に反対したのもあくまでも帝国の権威を憂慮しての事に過ぎない。

 

 このように帝国の権威と伝統に異様に固執するのが代々のミュンツァー家の人間であり、その末端に位置する中佐もどうやらその血を色濃く受け継いでいるようであった。彼にとっては亡命貴族の大半は奴隷共に迎合し、民主政を受け入れる敗北者であり、異端者でしかない。

 

「中佐、それは言い過ぎであるぞ。血は水より濃いのだ。亡命した者達の中にも卿の一族と縁を持つ者もおろうに……」

「であれば、より嘆かわしい事ですな。我が一族の血を引きながら奴隷共におもねるような者がおろうとは。私が直々に手を下し恥を雪がねばなりますまい」

「むぅ……」

 

 ボーデン大将の説得にミュンツァー中佐は聞く耳を持たないようだった。

 

「ボーデン大将殿、私は閣下を深く尊敬しております。忌々しい730年マフィアによる神聖不可侵なる帝国本土への侵攻を防ぎ、その身を以てイゼルローン要塞建設を阻止せんとするジャスパーの野望を打ち砕いたその献身的な戦いぶりは帝国貴族の鑑と言えましょう、ならばこそ、此度の我らの義挙に賛同して頂けると私は考えているのです」

「義挙だと……?」

 

 ミュンツァー中佐の言に怪訝な表情を浮かべるボーデン大将。

 

「ええ、そうです。我々は……」

「中佐、それ以上ここで口にする必要はない。それよりも本題に入るぞ」

 

 ボーデン大将を説得しようとするミュンツァー中佐を止めるコーゼル大佐。彼にとっては日和見主義の老貴族の説得は時間の無駄のように見えたのかも知れない。

 

「細かい話はどうでもいい。結局は我々にとって今必要なのは今日、ここにご訪問あそばされた小娘の身柄な訳だ。そして貴様らはその在処を口にするつもりは無い、と言う訳だな?」

 

 コーゼル大佐は椅子に座り沈黙を貫くボーデン大将を見やる。次いでこの場に出席する首席秘書官ヴルムプ中将(子爵)、自治委員会書記長ブランバルト少将(男爵)、自治委員会警備主任ハーケンマイヤー大佐(ボーデン伯爵家従士)に視線を移す。当然ながらその表情はコーゼル大佐の質問に答える意思が無い事が明白であった。

 

 次いでこの室内に連行されたコーゼル達の「捕虜」を見やる。苦しそうに傷口を抑える兵士に、怯えながら監視する同志達の表情を伺う軍属や民間人。腑抜けた面だ、民主政治などと言う人類を堕落させるカルト思想の下で生きる賎民らしい。

 

 そして最後に目についたのは縛られた黒服の人影であった。室内に突入すると共に襲いかかって来た彼らを制圧するのには少々骨が折れたが、所詮丸腰の上たった二人であり、最終的には手足を縛られて捕囚となった。

 

「ふんっ……では護衛であった貴様らなら知っているだろう?何処に貴様らのご主人様を隠した?」

 

 黒服達の下に歩み寄って尋ねる大佐。しかし彼らはそれに対して沈黙でもって返した。

 

「いい度胸だ………舐めているんじゃねぇぞ案山子共がっ!!」

 

 怒声を上げながらコーゼル大佐は黒服のうちの一人の腹を思いっきり蹴り上げる。

 

「がはっ……!?」

「ひぃっ……!?」

 

 蹴り上げた衝撃で黒服は苦悶の声を上げ、それを見ていた一般市民や軍属数名が小さな悲鳴を上げた。

 

「げほっ……げほっ……!!?」

「ふぅ……さて、隠し場所を言う気になったかね?」

 

咳き込む黒服に再度質問するコーゼル大佐。

 

「………」

 

しかし黒服達は相変わらず口元を縛るように閉じる。

 

「ふん、自己犠牲的な忠誠心か。見上げたものだな……これでも黙るか?」

 

 咳き込む黒服にハンドブラスターを向ける大佐。周囲から僅かに悲鳴が上がる。

 

「……無駄だ。我らは雇われの身とは言え誇りある従士だ。貴様ら程度の脅しになぞ屈する事はあり得ない」

 

 もう一人の黒服が淡々とした口調で答える。コーゼル大佐はちらりとそちらを見る。

 

「ほぅ、随分と我らを舐めているようだな。まさかとは思うが私(平民)に貴様ら(貴族)が撃てないとでも思ったか?」

 

 ハンドブラスターをもう一人に向けて大佐は質問する。黒服の方は深く息をしながら沈黙を持って答える。

 

「そうか、覚悟はしているようだな?では……自己陶酔しながらくたばるが良い」

 

次の瞬間、室内に銃声が響いた……。

 



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第百七話 UA百万超えを感謝しながら浮気していた事を宣言する

UA100万超えに昨日気付きました、誠にありがとうございます

……筆休めに別作品に浮気してたのは許して下さい(上目遣い)



追記
2/9 0010時に少し内容修正しました


 通気用のダクトと言えば、ここを通って潜入するのがよくあるスパイ映画の御約束であろう。だが、実際の所はダクト内の各所に動物避けの柵や毒ガス対策の浄化用フィルターがあるので簡単にはいかないし、何より結構狭いので簡単に通る事は難しい。

 

 逆に言えば、時間をかけて、短距離かつルートを選ぶ事ができれば、通気用ダクトでの移動は不可能ではなかった。

 

「結果として汚れまみれだけどな………」

 

 私はダクトの一角で煤やら油に汚れた軍服を見てぼやく。ダクトから丁度真上の階まで上がるのにかけた時間は二〇分である。音を立てずに柵を外したり、ファンを止めたりで時間がかかった。

 

 尤も、トイレから廊下に出ようものなら数分で銃撃戦になっただろうから、どちらが良いかと言えば判断に困る。正直こうしている間にも同盟軍が短期決着を図り突入でもないかと期待してたりもしたのだが、残念ながら司令部は増援部隊が到着してから万全の体制で蜂起部隊を調理する事を決めたらしい。まぁ前線と違い敵の増援部隊なぞ無いからな。

 

問題は彼方さんが何かしらの要求を出していないのかだが………。

 

「若様、この通路からなら出られそうで御座います」

「んっ……ああ、分かった」

 

 私は手鏡でダクトから廊下の様子を伺っていたノルドグレーン中尉の言に向き直り、すぐに視線を逸らす。まぁ、目の前に良く引き締まり形の良い女性の臀部があればそうもなろう。中尉の方は私の反応の意味が分からず首を傾けているが………よくよく考えれば膝枕して貰ったり下着姿を見たりしているので今更なんだよなぁ。しかもこの状況で臀部が目の前にある程度で反応するのは馬鹿馬鹿しいのも確かだ。反応としては中尉が正しい。

 

「何でもない。中尉、先行してくれ」

「了解致しました」

 

 私の命令を受け、柵を静かに外した中尉が肩にブラスターライフルをかけたままでさっと廊下に降りる。着地の際の音は殆どない。自由惑星同盟軍制式採用の士官用軍靴に用いられる靴底素材が吸音材にもなる衝撃吸収材で製造されている事もあるが、それ以上に彼女の身のこなしによる所が大きい。豹のようにすらりと降りてブラスターライフルを構えて周辺警戒をする。そして手信号で私にも降下を求める。

 

 私は口を開かず頷き、同じように可能な限り静かに……だが流石に中尉に比べては下手だが……降りる。そして同じくハンドブラスターを構えながら周囲を警戒する。

 

「人影はないな……」

「恐らく大半は外なのでしょう」

 

 実際、後から知った事であるが、蜂起した囚人の三分の二以上は外でバリケードと野戦築城を行って捕虜収容所の警備部隊と睨み合いをしていたらしい。残る者も多くが一階や重要箇所、そして自治委員会本部に展開していた。流石に大規模蜂起とは言え二百名に満たない数では全体のカバーは困難であったらしい。尤も……。

 

「こちらにとっては好都合だ。……行くぞ?」

「了解致しました」

 

 背を若干屈めながら、私達は足音を出さないように廊下を進む。施設内の全ての場所に警備をつける事が出来ない以上、重要な場所のみに兵士は集中しているため、そこを外しながら移動を行う。まぁ、当然ながらそんなルートばかり通ってもいられないので……。

 

「若様……!」

「あぁ」

 

 廊下の曲がり角で我々は足を止める。ノルドグレーン中尉が手鏡をそっと出して物陰から曲がった先を見る。……いるな。二人、階段でブラスターライフルを装備か。火薬式でないのは幸いだ。

 

 囚人達は何事か会話をしていた。暫くすると彼らが後ろを向く。演技……ではないな。となれば……。

 

「行くぞ……!!」

 

 彼らの視界の影から気配を殺して接近すると、一気に近接格闘術で身体を押さえ込み、次いで口を腕で閉じさせ武器を奪う。射殺しないのは血が出るからだ。まぁそういう訳で……。

 

「ちょいと眠っておけ」

 

 私はそう語りながら絞め技で囚人の意識を刈り取る。横目で見れば中尉も上手くやったらしい。もう一人の囚人も意識を失っている。

 

 我々は彼らを縛り付けた後、囚人服を脱がせて、その後適当な独房に叩き込みパスワードで自動ロックをかける。襲撃を受けた棟では避難のために一時的に独房の鍵が自動で開くので、どの部屋にも人はいない。

 

 因みに、この捕虜収容所の独房は、昼間は内側から自由に出入りと施錠が可能だが、深夜は機械式のロックが自動でかかり看守以外は開く事の出来ない仕様だ。今回は特別コードでロックをかけたので、もう一度開けたいなら司令部からか、物理的に破壊するしかない。この二人は無力化したと見て良いだろう。

 

 続いて、囚人の持っていたブラスターライフルからエネルギーパックだけ抜き取る。銃の方は同じく適当な独房に投げ込みロックだ。

 

「さて……ここからが勝負所だな」

 

 同盟軍の方の動きが鈍いのだから仕方ない。そういう訳で、私達は覚悟を決めてその準備に入ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちぃっ……!」

 

 右手に包帯を巻いたベアトリクス・フォン・ゴトフリート少佐は薄暗い地下通路の影から左手でハンドブラスターによる銃撃戦を演じていた。

 

「やれやれ……これは困った事になったね」

「ああ、もう最悪!」

 

 ゴトフリート少佐の後ろに隠れるシュミット大佐とグラヴァーはそれぞれ衣服を汚した姿で、片方は困り果て、片方は悪態をついていた。

 

 彼ら彼女らがこのサンタントワーヌ捕虜収容所の緊急避難及び配線用地下通路で足止めを受けている理由は、凡そ半時間程前に遡る。

 

 ゴトフリート少佐が警備事務二号棟に足を踏み入れたのは1240時の事である。自身の主君からの命令に従い調査対象の面会の監視の任務についていた彼女は手続きと機材のチェックを行い、終了したのが1300時である。

 

『あーあー、どこの御貴族様か知らないけど大名行列とは……いや、これは比較的コンパクトなのかしら?』

 

 アイリーン・グラヴァーが捕虜収容所の検問所で手続きを受けていたのは丁度黒塗り車列を多数の憲兵隊が出迎えていた1330時頃の事だ。検問所の事務員は荷物の検査を終えると苦笑いしながら肩を竦めて彼女を敷地内に通す。

 

 面会場である警備事務二号棟の一室にシュミット大佐とグラヴァーが入室したのは1400時の事である。

 

 収容所において面会場を利用する場合、囚人により待遇が異なる。そもそも素行の悪い囚人は面会許可なぞ降りないし、そこから憲兵と仕切り、仕切りのみ、仕切り無し、仕切り無しの上で物品の持ち込みが許される場合、と言うように、複数の待遇差が定められていた。特に問題を起こしていない模範囚であるシュミット大佐の場合は一番規制の緩い仕切り無しの監視役無し、その上で検査ありとはいえ物品の持ち込みと交換・譲渡が許される立場にあった。

 

 当然こうなると、通常では監視役が面会に立ち会う事は出来ない。だがそれはあくまでも直接には、である。プライバシー権のある同盟とは言え公共の利益を理由として、半ば公然と面会場への盗聴器と監視カメラの設置が黙認されていた。ゴトフリート少佐が使ったのがこの手で、面会場の丁度真上の部屋で彼女はその面会に聞き耳を立てていたのだ。

 

とは言え現実は甘くない。

 

『大した情報は口にしませんね………』

 

 盗聴器越しに聞き耳を立てつつもゴトフリート少佐は呟く。実際、面会の席で彼らは彼女にとって然程価値ある情報を口にしなかった。書籍の返還やカフェのメニュー、ファッションや職場の愚痴等は民間の女性にはそれなりに感心を引く内容ではあったが、ゴトフリート少佐にとっては任務上興味を持つに値しないものでしかなかった。そのため、盗聴中の彼女にとってこの時間は正に暇以外の何物でもなかった。

 

『それにしても、この方が本当に彼のクロプシュトック侯爵家の末裔なのでしょうか?』

 

 クロプシュトック侯爵家はティルピッツ伯爵家とは違い武門の家柄ではなく、閣僚や尚書を輩出する宮中一二家の一つである。故に学者肌なのはまだ許容は出来る。だが、やはり今一つ高貴なる血族に連なることに疑問を持たざるを得ないのだ。

 

 そもそも本名を名乗らず平民の名前を騙る時点で先祖を侮辱する行為であるし、それ以降にしても小汚い部屋でよく平気で生活が出来るのものだと思えてしまう。まして帝国騎士階級から帰化した者なぞ相手によくもまぁあそこまで親しく話せるものだと感じていた。

 

『疑うつもりではありませんが………』

 

 自身の主人の言に疑念を抱く訳ではない、主君が黒と言えば白も黒になるのが彼女の価値観だった。だが、主人は兎も角としてその上が事実を把握しているとは限らないではないか?

 

『どこの誰かは知りませんが……若様に出鱈目を吹き込んだのではありませんか?』

 

 よって彼女の敵意と不満は主人にこの任務を与えた顔も見ていない上層部に向けられた。

 

 尤も、そのような不満があったとして盗聴される側が思わず何か情報を吐く訳ではない。ゴトフリート少佐の視点から見て詰まらない会話は更に暫くの間続く。

 

 そして彼らがそんな当たり障りのない談笑を終えたのが1530時の事だ。当初の予定通りに面会可能時間を最大まで使ったらしかった。

 

 幾つかの書籍を交換した上でグラヴァーは立ち上がる。同時にゴトフリート少佐も盗聴を終えて機材の片付けに取りかかろうとしていた。

 

 そして1545時の爆発が起きた。すぐにゴトフリート少佐は部屋を出て対象の大佐を保護しようとしていた。同時に主人に対して避難のための電話をかけようと懐から携帯端末を取り出す。

 

 あるいはそこが判断ミスであった。彼女は携帯端末を取り出したと同時に階段で鉢合わせる形で捕虜数名と遭遇した。

 

 発砲音と共にゴトフリート少佐は携帯端末を持つ手を撃ち抜かれた。もしかしたら手榴弾か何かだと思われたのかも知れない。結果として彼らの判断は誤りであった。

 

 右手を撃ち抜かれた隙に腰のハンドブラスターを引き抜き銃撃してきた者を射殺、次いでその死体を蹴り捨てる。階段を上っていた残り二名の囚人の上に死体が覆い被さり足が止まった所で階段の上から射殺した。尤もこの時に銃撃で携帯端末ががらくたになってしまった。

 

 その後、警備事務棟の一階でシュミット大佐に銃口を向けて脅迫していた囚人達を横合いから射殺し、そのまま大佐を連れて避難しようとしたのだが、大佐の方がグラヴァーの保護を提案し(とうより半ばごねて)、渋々と彼女は同じく囚人に連行されつつあった元帝国騎士の娘を回収した。だがその頃には地上からの避難は困難になりつつあり、ゴトフリート少佐は地下の緊急避難及び配線用通路からの逃亡を企てたのだが……。

 

「随分と準備が良い事ですね……!」

 

 見事に通路を封鎖していた囚人達との銃撃戦に入ったのがほんの一〇分程前の事だ。ゴトフリート少佐は手負いの上装備はハンドブラスター一丁のみ、対して相手は暗闇で分かりにくいがブラスターライフルに火薬式のアサルトライフル、しかも性能は決して良く無さそうではあるが暗視装置付きであり、弾薬もそれなりにありそうであった。もしかしたら防弾着もつけているかも知れない。少なくとも味方の同士討ちと言う事は向こう側から響く帝国公用語や宮廷帝国語から限りなく零である事は確かであった。

 

「しかも腕も悪くない……!」

 

 ゴトフリート少佐が反撃の発砲をするがすぐに相手側は物陰に隠れる。そして銃撃が止めば迅速に反撃に移る。その動きは素人ではない。彼女が知る由はないが、交戦していた者達はミュンツァー中佐の派閥の地上軍部隊出身の下士官達であった。多くの囚人がこの捕虜収容所で運動不足になる中で(敢えて運動不足にさせて反乱防止をしている面もあるが)、毎日厳しい自主練を行い現役時代と変わらない運動神経と練度を維持している士族や下級貴族達である。ゴトフリート少佐一人では荷が重すぎた。

 

「これだからさっさと避難しようと言ったのですよ!?」

「ちょっと!善良な一般市民を見捨てるとか貴方本当に同盟軍人!?」

 

 シュミット大佐の我儘に今更ながら文句を口にするゴトフリート少佐。すかさず善良にして不幸な同盟市民を自称するグラヴァーは同盟軍人としては不適切な言葉を吐く従士に突っ込みを入れる。ふざけている訳ではない。こんな事でもしてなければやってられないのだ。

 

「黙ってください!こっちはおかげで若様の下に行けないのですよ……!?ああ、タイミングが悪いっ!」

 

よりによって今日蜂起しなくても良いだろうに、と従士は毒づく。尤もそれについては半ば必然ではあるのだが……。

 

「あー、確かゴトフリート少佐だったね?ちょっと言いにくいのだが……」

「何でしょうか!?」

 

 後ろに隠れるシュミット大佐に少々乱暴な口調で尋ねるゴトフリート少佐。非礼ではあるが状況が状況であるので仕方ない。彼女に大佐へのある種の苛立ちがあるのも遠因であろう。

 

「いや、聞き取りにくいが……恐らく後ろから新手が迫っている。足音が聞こえるのだ」

「………っ!!?ちぃっ!!」

 

 耳を澄ませたゴトフリート少佐は遠くから聞こえる駆け足の音に舌打ちする。これが包囲網の外側であれば同盟軍の地上部隊の可能性もあり得たが、内側となれば十中八九、賊軍のものであろう。

 

「こうなれば仕方ありません。このルートからの脱出は諦めます、私の肩と服を掴んでください」

 

 従士は暗いので二人に逸れないように肩と軍服の端を掴むように命じた後、脳内に記憶したマップに従って通路を走る。因みになぜ態々こんな地下通路について記憶したかと言えば、万が一この捕虜収容所で事件が起きた際に自らの主人を逃すためのものであった。現実はそう想定したように行かないようではあるが……。

 

「すぐに追いかけて来る筈です、急いで下さい。後、足元は結構配線があるのでこけないように注意して下さい……!」

「それって少し矛盾しているような……」

「急ぎながら注意しろって事でしょうよ……!」

 

 従士の言に大佐と民間人はそれぞれどこか緊迫した空気に合わない言葉を紡ぐ。尤もゴトフリート少佐にはそれに文句を言う余裕は無かった。後ろから逃亡に気付いたのだろうこちらを追う足音が響き渡る。足元と視界が暗い中彼女達が追手から逃げきれるかは神のみぞ知る事であった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サンタントワーヌ捕虜収容所の対応は客観的に見て迅速であったと言える。状況把握と可能な限りの避難、上位司令部への救難要請と警備部隊による包囲網の形成は、類似の事例と比較しても素早い物であったと言えよう。

 

 一因として捕虜収容所の幹部の大半が司令部ビルに詰めていた事が挙げられよう。所長室の隣に設けられた応接間にて所長、副所長、警備主任、参事官は捕虜の蜂起の一報を聞いた。

 

「ごほんっ……あー、状況はどうなっている?」

 

 1600時頃にサンタントワーヌ捕虜収容所司令部に足を踏み入れたクライヴ准将は、第一声にまず司令部のスタッフ達にそう尋ねる。応接間でのアルコール入りティーパーティー中に伝令が突入して報告を受けた時口に入れていた菓子を吹き出した准将は、未だにむせて咳き込んでいた。

 

「はっ!蜂起した捕虜は最大で二〇〇名余り、東部の収監棟のE-2号、E-9号、E-10号棟及び警備事務二号棟を占拠、それらをバリケードで連結して防衛線を構築している模様です」

「武器の方は即製爆弾のほか旧式の銃器、警備隊より強奪したと思われるものが確認されております。しかし絶対数では不足しており、蜂起した捕虜全体には行き渡ってはいないものと思われます」

「確認中ではありますが現状十名から二十名余りの警備兵、軍属、民間人が人質の状況にあるものと考えられております」

「うむ……警備隊の被害状況は?」

 

 然程飲んでいる訳では無かったが念のために酔い覚ましとミネラルウォーターを飲み干した後、蜂起した捕虜が立て籠る収監棟をモニターで見る准将は続いて警備スタッフ達に尋ねる。

 

「現状、死亡者四名、負傷者三三名。またドローンと軍用車両にも損害が出ています。今のところ、軍属や一般市民の死傷者は確認されておりません」

「それは僥倖だな、その規模の武装した暴動と考えれば警備部隊の被害も比較的少ないか……」

「何を仰る、末端とは言え我が軍に死亡者が出ているのですぞ。到底軽視出来る被害ではありますまい。それにこれは反乱です、暴動などという軽い言葉は使わないで頂きたい」

 

 参事官ノーマン中佐の発言に若干不快げに返すのは警備主任ブレツェリ中佐である。その辺りは警備部隊と毎日顔を合わせる者と、政治屋としての立場が強い参事官としての価値観の違いと言えるだろう。

 

「そう突っ掛かるなブレツェリ中佐、ノーマン中佐も悪気があって言った訳ではなかろう」

 

 仲裁するように副所長ケインズ大佐が口を開く。この時期に友軍で仲違いをする暇はない。

 

「いえ、警備主任の前でうかつな発言でした。申し訳ない」

 

 ノーマン中佐も素直に謝罪する。彼もここで無駄に意地を張って不和を煽る事が得策でないことを理解していた。

 

「いえ、御理解頂けたら良いのです、それよりも……」

 

 ブレツェリ中佐もその謝罪を丁重に受け入れた後、モニターの方に視界を移す。

 

「包囲しているのは第二、第三中隊か?」

「はい、第一中隊は司令部の防衛とほかの区域の警備に、第四中隊は収容所周辺の封鎖を行っております」

 

 ブレツェリ中佐の質問に、司令部で指揮を代理していた警備隊副司令官か答える。サンタントワーヌ収容所警備隊は一個中隊を一二〇名とした四個中隊と、司令部直属憲兵小隊、防空小隊に、捕虜収容所内の情報セキュリティを担当する電子戦部隊等から編成されており、総数は六〇〇名に及ぶ戦力を有する上、ドローン部隊も含めればその戦力は更に増加する。また、兵士の大半は徴兵ではなく兵学校からの志願兵であり、しかも半数以上が憲兵コースで優秀な成績を修めた者達であった。つまるところ、実際の戦力は額面以上のものであるが……。

 

「駄目だな、うちの部隊だけで制圧は危険が大きい」

 

 副警備司令官より渡された資料を流し読みしつつブレツェリ中佐は断言する。

 

「やはりか」

 

ブレツェリ中佐にクライヴ准将は確認をする。

 

「はい、私の部下は無能ではありませんが、現状の戦力でこの規模の武装暴動となると……鎮圧する事こそ不可能ではないでしょうが、人質が多数となると犠牲は避けられません」

 

 六月に各種軍学校の卒業式があり、このサンタントワーヌ捕虜収容所にも多くの新兵が着任した。結果として仕方無い事ではあるが、警備部隊の練度は低下している。加えて、相手は只の平民ではなく大半が今や帝国軍でも貴重となった士族や武門貴族の出だ。戦闘に際する覚悟が違う。装備と数で圧倒出来ても犠牲は相応に出るし、何よりもそのような乱暴なやり方では人質の身が危ない。

 

「仲介役になりうる自治委員会の幹部メンバーの安否も不明と来ているしな……」

「というよりもこの騒動に関与している可能性すらある」

「しかも、よりによって人質になっている可能性のあるリストに彼らが載っている。下手に手を出したら我ら全員リストラだな」

 

 ノーマン中佐が安否不明であり、人質になっている可能性が高い者達のリストをデスクに置く。その中には面倒事を起こす参事官補や職場訪問中の伯爵令嬢様の名前まで連なっていた。幾人かはそのリストを読むだけで目眩すら感じていた。怪我どころか擦り傷一つで実家が文句をつけて来そうではないか。

 

「ブレツェリ中佐としては無理に我々だけで解決する必要はない、と?」

「彼らの目的が不明ですので何とも言えませんが……特に彼らが時刻を決めた要求をして来ないのでしたら、よりスマートにこの件を解決出来る部隊が来るまで時間稼ぎをするべきかと」

「ふむ……」

 

警備主任の意見に顎を押さえて熟考するクライヴ准将。

 

「それにしても奴ら何を考えているのでしょう?一体要求は?」

「愚かな奴らだ。こんな事が成功するとでも思っているのか………」

 

 ノーマン中佐とケインズ大佐が語り合う。彼らから見て此度の蜂起は中途半端でちぐはぐな印象があった。

 

 過去にも同盟軍の捕虜収容所で暴動や蜂起自体は幾度もあった。四万名もの捕虜が警備部隊一〇〇〇名を殺害した宇宙暦687年のバンドール捕虜収容所反乱。看守による貴族将校の暴行と殺害から生じた宇宙暦710年のエリューセラ捕虜蜂起事件。宇宙暦737年の帝国文化に無理解な所長が夕食に納豆を出した事によるポート・オハマ納豆暴動は特に同盟軍史に残る大規模なものだ。レーベン少佐以下二二名の囚人が貨物船に潜入してフェザーン経由で帝国への脱出に成功したケデリア捕虜収容所脱獄事件などと言うのも存在する。

 

 とは言え、これらは一部の例外事件に過ぎない。暴動や蜂起の大半は突発的で小規模な物であり、大半が一日足らずで鎮圧される。

 

 今回の蜂起はどこからか武器を仕入れている事と規模から見て、予め計画していたものであると考えるべきである。だがそれにしては要求の提示が遅い。人質を脅迫に使うのならすぐにでもするべきだ。これでは増援が来る時間を与えるだけである。下準備に対して実際の行動が異様なまでに稚拙であると言うほかない。

 

「狙いは分からんが我々のやるべき事は決まっている。即ちこの蜂起の鎮圧と人質救出だ。周辺の包囲を万全にせよ!ほかの捕虜に騒動が飛び火せぬように監視と緘口令を敷け!増援部隊の到着はまだか!?急がせろ!」

 

 クライヴ准将は叱責するようにオペレーターに増援部隊の位置と到着の催促を命じる。同時に来るべき鎮圧作戦に備えた部隊の再編と現状把握可能な情報を増援部隊に連絡する。

 

 特に参事官たるノーマン中佐は市民や周辺自治体への対応に追われる事になる。1620時にはマスコミに対して記者会見を行い自治体への協力と市民への理解を呼びかけ、次いで人質となった可能性の高い軍属や一般人の親族への対応を部下に指示していく。

 

「ソヴュール航空軍基地より発進した偵察ヘリ及び攻撃ヘリ、ただいま到着しました!」

「モルドヴァン陸上軍駐屯地より輸送ヘリにて移動中の第九特殊作戦グループの到着は十五分後の予定です!」

 

 捕虜収容所司令部では端末を操作するオペレーター達がようやく良い知らせを伝えたのは1700時の事である。所長に連絡する彼らの表情も少し緊張がほぐれて居るようにも見える。

 

「うむ、蜂起部隊を刺激しないように偵察ヘリと攻撃ヘリには距離を取るように伝えてくれ。警備主任、ジープとトラックの用意を。特殊作戦グループの到着を気取られたくない。少し離れた所で降りてもらって車で来てもらう」

 

 クライヴ准将の命令にブレツェリ中佐は敬礼で応えて移動手段の用意を部下達に指示する。

 

「人質救出の必要があるとは伝えたが……特殊作戦グループを投入とは、シャルマ少将も随分と大盤振る舞いですな」

 

 副所長ケインズ大佐が口を開く。同盟軍は宇宙軍・地上軍問わず、幾つもの特殊部隊を保有している。航空機や大気圏突入ポッドから対空砲火が飛び交う地上に降下する命知らずの空挺部隊に、水上軍の勇猛な海兵隊。珍しいところでは、各遠征軍に一個連隊ずつしか配備されていない、ゲリラ戦や浸透戦術に秀でたレインジャー部隊。山岳戦に限定すれば一騎当千と言われる「アルピーニ」は、同盟全域でも類を見ない大山岳地帯であるパルメレント北大陸の原住民達を中心として編成された部隊で、帝国の狂暴にして残虐な猟兵部隊と一世紀以上に渡りしのぎを削って来た歴史がある。帝国反体制派や外縁領域の親同盟派勢力に密かに軍事教練を行っているという地上軍総監部直属の「グリーン・ベレー」は、一人で一個中隊に匹敵する価値を持つと言われていた。彼の「薔薇の騎士連隊」を始めとした重装甲服を着用した宇宙軍陸戦隊は全員が宇宙要塞や係争惑星への揚陸戦闘を行う宙陸両用部隊であり、広義の意味での特殊部隊と言えるだろう。

 

 特殊作戦グループはそんな数ある同盟軍の特殊部隊の中でも指折りの部隊だ。同盟軍特殊作戦総軍の管理下で、陸海空は当然として砂漠に密林、海中から高原、宇宙空間に同盟の外縁領域においても各種の非対称戦に従事する。

 

 今回投入される第九特殊作戦グループの場合は増強中隊規模の兵力で編成され、大都市での市街地や宇宙港等での一般市民や人質がいる状態での戦闘を特に念頭に入れた部隊である。それ故にハイネセン各地に小隊単位で常時駐留していた。今回はその中から一個小隊が派遣される予定であった。

 

「いかなる混戦でも誤射をしない部隊、ですか」

 

 そう呟くのは警備主任のブレツェリ中佐だ。「一個師団に匹敵する一個連隊」、「一人が一個中隊」などと各特殊部隊は謳われるが決してそれは誇張ではなく、それは特殊作戦グループも同様だ。特に第九特殊作戦グループはその経歴から「いかなる混戦でも敵対者と市民を区別し、絶対に無辜の民間人を殺さない」と言われ畏怖と称賛を受けている。746年のアッシュビー暴動、760年のサンダーバード事件、779年のライガール星系における宇宙海賊掃討における人質救出作戦では人質に犠牲を出さずに現場を制圧した。

 

「とはいえ中の様子が分からんからな……」

 

 クライヴ准将は唸る。蜂起部隊に占領された地域は監視カメラの大半が破壊され、しかも自治委員会本部等の貴族捕虜達の部屋に至っては最初から設置されてもいない。サーモグラフィーや音響解析により、恐らくは人質の大半は自治委員会本部で確保されていると思われるが………。

 

「第九特殊作戦グループは現状の情報だけでも任務を全うして見せる、と答えていますが………」

 

 彼らからすればそう答えるしかないだろう。その返答を素直に信じる訳にはいかない。司令部の首脳部達の空気は重苦しくなる。

 

「ん……?」

 

 そんな中、端末を操作していたオペレーターが収容所のネットワークにアクセスしてきた端末に気付く。一応何等かの破壊工作ではないか端末のナンバーを調べ、その後幾つかのセキュリティシステムにかけた後、オペレーターはそれを開いた。

 

「……!所長、こちらを!!」

 

 端末からもたらされた情報ファイルを開いてその内容を確認した後、オペレーターは殆ど反射的にクライヴ准将に向けて叫んだ。それは人質のいる自治委員会本部の内部情報であった………。

 

 

 

 

 

 自治委員会本部の置かれたE-2号収監棟の四階、その入り口には二名の囚人が火薬式の実弾銃を持って警備を行っていた。

 

「糞っ……聞いたか?どうやらお目当ての人質が見つからないらしい」

「ああ、聞こえている。ヤバいな」

 

 部屋から出ていったミュンツァー中佐一行を見送った後、帝国公用語でそう語り合うのは下級士族出の下士官である。後ろでは無駄に重厚な扉越しに大佐の怒声が響く。

 

「にしても……本当に良いのか?」

「良いって……何がだよ?」

「決まっているだろ?この蜂起だよ!」

「はっ!反乱軍相手に何気を使っていやがる?」

「馬鹿!違うわ!伯爵様達に対してだよ!!」

 

 別に奴隷共の子孫からなる反乱軍に対して蜂起するなら望む所だ、だが問題は彼らが自治委員会の幹部の大半を人質同然としている事だ。

 

「糞ったれ!大佐め、土壇場になって自治委員会を人質にするなんて命令しやがって……!」

「気持ちは分かるが……もう後戻りは出来んぞ?このまま突き進むしかない」

 

 どうやら大佐は蜂起に際して一部を除いて自治委員会を人質にする事は伝えていないようであった。恐らく事前に伝えると幾人かが怖気づき、情報漏洩する可能性があると考えたのだろう。ある意味では名門士族の生まれらしい兵士達の心理を熟知したやり方である。参加した者達は最早後には引けない事も計算しているのだろう。

 

「だが……ん?あれは………?」

 

 ふとこちらに向かう人影に気付き、警備の囚人達は銃口を向ける、がその姿を見てすぐに銃を降ろした。

 

「済まない、捜索中に隠れていたのを見つけた。開けてくれ」

 

 ブラスターライフルを肩にかけた囚人が汚れた同盟軍服を着た女性の手を縄で縛り、流暢な帝国公用語でそう呼びかける。

 

「了解した、ボディチェックは必要か?」

「残念ながら上官達がもうしてるよ、銃や端末は回収済みさ」

「そりゃあ残念だな、結構美人なんだが……」

 

 拘束された女性軍人がこちらを睨むと肩を竦めて扉を開く兵士達。実際彼らも本当に卑猥な身体検査をするつもりは無かったが、この半分嵌められたような状況だ。冗談の一つも言いたくもなる。

 

 顔を下げて悔しそうに俯く女性軍人を連行しながら囚人が自治委員会本部の部屋に入っていく。それを見届けると警備の囚人達はすぐさま扉を閉めて警備に戻る。

 

 故に彼らは気付く事は無かった。自治委員会本部に入室した囚人と捕囚が僅かに口元を吊り上げた事に………。

 



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第百八話 先入観は良くないという話

前話を少し修正しているので今話の前に読み直しした方が良いかも知れません


「あー、ですからその件に関しては……」

 

 捕虜の蜂起とその対処……特に増援の受け入れや近隣住民・行政に対する対応……により騒がしさの増す捕虜収容所司令部にて、参事官ノーマン中佐は特に面倒な相手の応対を重ねていた。

 

 一方、ケッテラー伯爵家従士ヘイルハイム従士の方は必死だった。

 

 軍務よりも、どちらかと言えば屋敷での世話ばかりを生業としていたヘイルハイム従士家の老執事は、自身の主人が未だに安否不明と言う状況下において殆んどパニックになっており、手元の警備員だけでも主人の救出を敢行しようとする始末であった。当然それは非現実的提案であるし、従士としてもその余裕の無さは叱責される対象になり得るのだが、逆説的に見る者が見ればそれがケッテラー伯爵家における人材不足がどれ程の水準に達しているのかを証明していた。

 

「しかしこのままではお嬢様の御身に危険がっ……!!何かあったら貴方方はどう責任を取るつもりなのですかっ!!ああ、お嬢様……今頃どうしておられるのかっ……!!」

 

 狼狽しつつノーマン中佐の目の前で心底不安そうにそう呟く白髪の老執事。正直うざったいのだが、人質を無事に救出出来るのか?と言われれば中佐も自信を込めてそれを断言も出来ない。

 

 ノーマン中佐は苦い顔をしながらかれこれ三十分近くこのような会話を続ける老執事に再度落ち着くように語りかけようとした。次の瞬間であった。その声が響いたのは。

 

「落ち着くがいい老人よ。我々がいるからには、人質には怪我の一つも許さん」

 

 大柄の男だった。厳つい顔立ち、筋肉が引き締まった身体、視線だけで人を殺せそうな鋭い視線、それが気づけば中佐や老執事のすぐそばに佇んでいた。

 

「うおっ……!?」

 

 思わず仰け反るように驚くノーマン中佐を笑える者なぞいないだろう。其ほどまでに気配を完全に消していたのだ。

 

「老人、御気持ちは分かるがここからはプロの仕事だ。人質の安否ならば我々の名誉にかけて保証する。安心して欲しい」

「はっ……はぁ……」

 

 屈強な地上軍士官の言葉に老人はそう情けなく答えるしかない。其ほどまでに士官は背が高く、その屈強な肉体から来る圧力は有無を言わせない迫力があったためだ。こんな男の言葉にはい以外言える訳がない。  

 

 尤も、男の方には別に悪意もなければ高圧的に接するつもりもなかった。口調は丁寧であり、老人に対する態度は礼節を弁えたものである。厳しい顔つきも寧ろ彼としては誠意を示しているつもりだった。

 

 悲しい事に生来の顔立ちのせいで何より先に恐怖が先行してしまう。そして彼もまたその事にはとっくに慣れていたので、特に不快感も感じはしなかった。

 

「大尉、こちらに来てくれ」

「了解致しました、では……」

 

 ブレツェリ中佐の命令に答え、ノーマン中佐と老執事の双方に惚れ惚れする程に美しい(しかし顔立ちのせいで恐怖も感じる)敬礼をしてから所長の下に向かう男性士官。足音は聞こえない。

 

「よく来てくれた大尉」

「はっ!」

 

 クライヴ准将の呼び掛けに敬礼で大尉は答える。准将もそれに対して敬礼で答え、連絡をする。

 

「大尉達がここに来る少し前に幸運な知らせが来た。大まかではあるが立てこもる収容所棟の内部映像が入手出来た。人質の位置や監視の数も判明している。君達にはそれらを見て作戦の最終確認を行って欲しい」

「了解致しました。……しかしその映像は信用出来るのでしょうか?疑う訳ではありませんが前提条件の相違は人質の生命にも関わります。情報のソースの確認をしても宜しいでしょうか?」

 

 上官に対して大尉は堂々とそのように意見する。しかし、クライヴ准将もそれに対して目くじらは立てない。人質の安全のためには寧ろ当然の言及であった。

 

「情報のソースに関しては問題ない、我が軍の士官が蜂起の参加者に成り済まして携帯端末にて映像を送信している」

「成る程、では突入の際に誤射の危険性がありますな。その士官について資料を頂けますでしょうか?」

「う、うむ……」

 

 准将はそこで少々険しい表情を作り出すが、最終的には大尉に潜入した士官の資料を差し出す。大尉はそれをじっくり読み込む。

 

(巡り合わせの悪い……)

 

 准将は内心でぼやく。この大尉は良くも悪くも有名だった。優秀な地上軍兵士であり、特殊作戦への経験も豊富だ。専科学校を卒業して伍長として任官してから三十代前半で大尉である。その昇進速度から見ても有能な軍人といえよう。

 

 だが、悪い意味でも彼は有名であった。元を辿れば「カップ大佐反乱事件」に巻き込まれた帝国軍下士官であった祖父が連座を受ける前に帝国から亡命し、彼はその子孫に当たった。幼少時は不遇と言えただろう。突発的に亡命する事になったために亡命に対する備えも知識もなく、親族は亡命者が少ない地方の下町で極自然に帝国的価値観で生活したために周辺から孤立し、近隣から差別と嫌がらせを受けた。半分村八分にされていたと言える。

 

 このような境遇で育った人間にどのような人格が形成されるかには極端に差があり、多くの場合は差別に反発して極度に帝国(あるいは亡命政府)を信奉するか、あるいは同盟の体制を信奉する国粋主義者になるかである。

 

 彼の場合は後者だった。共和派の右翼学生団体から専科学校に入学した彼は、優秀な成績と戦功を挙げる一方、かつては帰還派や反戦派とのトラブルを起こした経験もある。流石に士官になってからはそのような軽率な行動はないが……准将にとっては情報提供者の身元を考えると何とも居心地が悪かった。

 

「問題はありません」

 

 准将の内心を察したのか、大尉が機先を制するように答えた。

 

「小官の言葉なぞ余り信用は置けないとは思われますが、私も公私の区別はつけているつもりです。このような場で自身の思想を優先するつもりはありません」

 

そして、資料を廻り大尉は続ける。

 

「そして、私は何よりも行動を重視致します。その結果として、私は情報提供者を信用に値する者であると判断しました」

 

 潜入して情報提供を行っている士官は、確かに彼にとって毛嫌いしている門閥貴族である。自由の国においてすら特権階級として高慢に振る舞う者共だ。

 

 だが、同時に経歴を見る限り、その人物は後方のオフィスで安穏とする臆病者ではないらしい。祖国のために血を流す真の軍人である。即ち……同胞だ。戦友だ。ならば、その者から伝えられた情報を疑うべき道理はない。

 

「……顔立ちは把握しました。部下にも徹底させます。これで我々が潜入中の友軍を銃撃する可能性は御座いません、御安心下さい」

 

 恐らく不測の事態を危惧しストレスが溜まっているだろう准将に対して、大尉は安心するように口を開く。

 

「……そうだと良いがな」

 

 准将の疲れた返答に大尉は型通りの敬礼で返し、さっと踵を返し司令部出口へと歩み始める。部下達と最終確認をする予定なのだ。

 

 1700時、こうしてアーノルド・クリスチアン大尉を隊長とする第九特殊作戦グループC小隊がサンタントワーヌ捕虜収容所司令部に到着した……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、ここだ。この隠し部屋を探すんだっ!!」

 

 自治委員会本部があるE-2号収監棟四階大広間、防弾硝子製の大窓がしつらえられたこの部屋で、コーゼル大佐が怒鳴り声を上げる。命令に従う捕虜達は、自治委員会本部の壁に設置された気密扉を必死でこじ開けようとしていた。尤も、ワイングラスを片手に余裕の表情で観察するボーデン大将の様子から見てまた外れであろうが。

 

 脅迫が無意味と理解したコーゼル大佐は室内の捜索を始めた。すると隠し部屋や金庫が見つかる見つかる……恐らく三十年以上かけてフェザーンの保険会社を通じて「内装工事」をした結果であろう、あるいは彼以前からの住民達が設置した物もあるかもしれない。

 

 どちらにしろ捕虜収容所側は無論知らなかったし、初期の設計図にも記載されていない。後で尋問が必要な案件だ。当然、フェザーンの保険会社に対しても抗議の必要があった。

 

 尤も、この手の会社は同盟兵士向けの捕虜生活保険や富裕市民向けの返還保険も運営しているであろうから形だけの物になるかも知れないが……。

 

 因みに中には帝国マルクにフェザーンマルク、同盟ディナール札の大金、宝石に指輪、金のインゴット、恐らくは違法入手の携帯端末、同盟・帝国・フェザーンの様々な階級の服装、偽造パスポートまであった。これだけでも後で同盟軍からの尋問があることは間違いない。

 

 五つ目の隠し部屋(あるいは金庫)もまた彼らの要望を満たす物は隠されていなかった。出てきたのは木製の貴金属入れである。中身を確認してもきらびやかな装飾品はあっても人の姿はない。

 

「ちぃっ……また外れかっ!!おいっ、そんな物は捨て置け!それよりも小娘だっ!」

 

 白金製の腕輪と金剛石が嵌め込まれた金の指輪をどこか怪しげな目で見ていた捕虜達をコーゼル大佐は叱責する。捕虜達は慌ててほかの隠し部屋を探そうとするが、大佐に隠れて数人がこっそりと宝石を懐に隠したのを私は見逃さない。

 

「全く……人の物をすぐにくすねるとは、賤民共は困ったものだな?」

 

 小声で呟く大将。だがそれが独り言ではない事を私は知っている。私に愚痴を言っているのだ。

 

 ちらり、と大将は自身を監視する捕虜……私へと視線を向ける。体格を誤魔化すための二重の捕虜服に髪型を変えて眼鏡もかけた姿は、恐らく元から怪しまなければすぐには私とは気付くまい。

 

 ここまで言えば諸君もお気付きであろう。今、私は自治委員会本部にいる。……反乱を起こした捕虜の振りをして、だ。

 

 三桁の捕虜の蜂起、しかも何割かは蜂起の流れに乗って参加した者すら含まれている。そうなれば一々個々人の顔立ちなぞ覚えていない訳だ。その上、帝国軍人の常識では亡命貴族で同盟軍人である私が蜂起した捕虜の中に紛れ込んでいるなぞ普通は考えない筈だ。そわそわせず、堂々と帝国公用語を話していれば案外バレないものだ。私はブランデンブルク師団の兵士かよ……。

 

 私はノルドグレーン中尉と一芝居打ってみる事にした。中尉には人質の役となってもらい、私が彼女を引っ捕らえたように装う。そして、監視役の捕虜には現場の上官より自治委員会本部の方に向かうよう命令を受けたと伝える。理由は確保した同盟軍人や市民の人質が増えているだろうから追加の監視役として送られたとでも言えば良い。

 

 実際、私達の芝居のように、隠れていたところを発見されて拘束された者がちらほら自治委員会本部に連行されており、蜂起後に参加した捕虜が自治委員会本部に回される所も見た。十中八九いける筈だ‥‥…そしてそれは実際上手く行った。中尉と私でそれぞれ懐に隠した携帯端末のカメラと通信機能を司令部に繋ぐ。中尉には銃を交換してもらい、ハンドブラスターを懐に隠させた。両手を縛る縄は当然ながら見せかけでしかない。

 

 そうやって潜り込んだ私達は、現在この自治委員会室内の情報を携帯端末で本部に伝えつつ、中尉は小声で特に人質となった兵士達といざという時の行動を話し合い、私はこのように自治委員会の重要人物の近くで監視しているように見せ「その時」に迅速に護衛に回れるように待機していた。

 

(後はベアトがどうしているか、と御隠れ中の御嬢様か……)

 

 私はちらりと人質達の群れを見る。見たところ二十名余り、うち重傷を負っているのが同盟兵が三名、それに護衛の黒服が一名……会話から察するに、恐らく黒服は脅迫に沈黙したために撃たれたのだろう。

 

「くっ……大丈夫かっ……?」

「う……うぁ………」

 

 両手を縛られた黒服が腹の辺りを撃たれた相方に問いかける。尤も随分と弱っているように見える。このままではそう長くはないだろう。司令部が早く救出作戦を実行してくれなければ死亡する可能性が高い。

 

(急所を狙い殺害しないのは見せしめ、あるいは同盟軍が救出作戦を行う際に足手纏いを増やすため……恐らくは両方か、間違ってはいない)

 

 問題は相手が脅迫に屈するようなタイプではなかった事か……。それにしても……。

 

(これは随分とチグハグな計画だな……)

 

 この自治委員会本部での会話と現況から見て、計画の不自然な推移に疑問を抱く。曲がりなりにも三桁の同志と、彼らに十分行き渡る数の銃器と爆弾を用意出来ているのだ。計画は何年もかけて行っていたと考えるのが妥当だろう。

 

 にも関わらず、人質として狙ったのは偶然訪問した伯爵令嬢である。しかも、訪れる日が決まったのは直前のため十分な下準備ができる猶予は無かっただろうし、案の定取り逃がすと来ている。それならばいっそブラフをかけて同盟軍に要求をすれば良いのに、それもせず律儀に見つけ出してからにしようとしていた。……いや、そもそもコーゼル大佐自身、この捕虜収容所に収容されて二年程度の筈。こんな大それた事をするには時間が足りない筈だ。となると……。

 

(装備の出自から見ても恐らく………)

 

 私は大体の予想をつける。状況証拠しかないが、詳しく事情聴取すれば恐らくは裏付けは取れるだろう。

 

まぁ……そんな事、今はどうでも良いのだけれど。

 

 今大事なのはベアト達とグラティア嬢の安否、更に言えば私や人質達が同盟軍の突入の時にどう対応するかであろう。

 

「ちっ……!糞ったれがっ!!こんな物今はいらないんだよっ!!」

 

 また新しく見つけた金庫から宝石類を掴むと、感情に任せて乱暴に床に投げ捨てるコーゼル大佐。怒り心頭な大佐とは裏腹に数名の捕虜は飛び散った宝石に目を奪われる。大佐がそんな捕虜達をギロリと睨み付けると慌てて捕虜達は目を反らした。

 

「ふんっ!………うん?」

 

 捕虜達の態度に鼻息を鳴らした大佐は、しかし次の瞬間、神妙な表情を作り出す。

 

「…………おい貴様ら、このテーブルを退かせろ、椅子も撤去して絨毯を捲れ」

 

 ………あ、これはヤバい。絨毯の皺とテーブルの位置のズレに気付いたか。

 

「で、ですが……」

 

 捕虜達は一瞬戸惑う。テーブルの上には幾つもの皿があるし、自治委員会幹部達に腰を上げる気配はない。もし絨毯を捲ろうとすれば貴族である自治委員会幹部を強制的にどかせる必要があった。それは流石に彼らにも抵抗があったらしい。逆に言えば、そうそう考えつくことではなかったためにここまで捜索されなかったとも言える。

 

「何だ?嫌か?」

 

 尋ねるように語りかける大佐に、捕虜達は顔を見合わせた後恐る恐る頷く。

 

「もう一度確認するぞ、それほど嫌か?」

「流石にそれは……」

「そうか……」

 

 残念そうに大佐が答える、と同時の事だった。次の瞬間ブラスターの銃声と共に難色を示した捕虜の一人が頭部から血を流して倒れる。人質達が小さな悲鳴を上げる。捕虜達は唖然として上官を見た。

 

「……ほかに意見のある奴はいるか?」

 

 大佐は剣呑な声で尋ねた。思いのほか脅迫に動じず堂々としていた貴族達のせいで捕虜達が不安を感じ始めていたのを察していたのかも知れない。恐怖で命令を強制するのは軍隊において良くある手法だ。一説では士官の拳銃は元々逃げる味方に命令をするためのものだったとか……。

 

 どちらにしろ、効果は絶大だった。捕虜達は急いでテーブルをひっくり返した。高級なグラスや皿が床に落ちて砕ける。彼らは頑固に椅子に座りこむ自治委員会幹部の手足を押さえて引き摺るようにどかしていく。

 

「おいっ!やめろ!無礼じゃぞ!?やめろ!止めんか!!」

 

 少し前に銃口を向けられても平然としていたらしい幹部達は打って変わって必死にそう叱責するが捕虜達も命は惜しい。自治委員会幹部を拘束して椅子から立たせる、あるいは椅子ごと持ち上げて移動させてしまう。

 

「絨毯を捲れ!」

 

 それは私に命じられた命令だった。一瞬迷うがここで怪しまれる訳にもいかなかった。

 

 私はボーデン大将と一瞬視線を交差させ、次いでコーゼル大佐に従い絨毯を捲っていく。可能な限りゆっくりと行うが所詮は悪足掻きに過ぎない。すぐに絨毯の下から隠し部屋の取手が視界に入る。

 

「開けろ」

「……了解」

 

 私は恐る恐るといった感じにゆっくりと扉を開く。鍵がかかっている事を告げるが残念ながら鍵を見つけるのではなく大佐のハンドブラスターによる銃撃で鍵は破壊された。

 

「おい貴様っ!何て事を……うごっ!?」

 

 ボーデン大将が大佐の行為を非難しようとするがすぐに大佐の命令を受けた捕虜により口を塞がれる。そして再度大佐は私に扉を開くように命令をする。

 

「………」

 

 私は恐る恐る小さな扉を開いた。次の瞬間、私と小さな隠し扉の中で丸まって小動物のように怯えている少女の目が合う。

 

「っ………!」

 

 私は息を飲む。私を見る瞳は完全に震えあがっていた。私を悪魔か何かのように凝視する。どうやら先入観もあるだろうが、私が婚約相手であるとは気付いていないようだった。

 

「……失礼、お越し願えますか?」

 

 私は周囲に動揺を見せないようにそう礼節を持って紳士的に頼み込む。

 

「………分かりました」

 

 周囲を見渡し、目を閉じ、口元を震わせた伯爵令嬢は何かに耐えるように、苦渋の口調でそう答え、ゆっくり立ち上がろうとする。私はその手を持って支える………と共に私は周囲を確認した後に一瞬近寄って耳元でそっと囁く。

 

「早まらないで下さい、もう少しすれば救助が来ます」

「えっ……?」

 

 疑問と共に伯爵令嬢は小さくそう呟くが私は返事はしない。そんな暇が無かった事もある。次の瞬間、横合いから伸びた太い筋肉質の腕が少女のか細く白い手を引っ立てる。

 

「さっさと立て!小娘がっ!」

「きゃっ……!?」

 

 怒鳴り声と共にコーゼル大佐が力づくで立たせたためにグラティア嬢は恐怖の悲鳴を上げる。温室育ち……とは言わないが流石にこの状況で怯えるのは寧ろ当然だ。

 

「ふんっ!ようやく見つけたぞ……!おい!ミュンツァーを連れてこい!ようやく要求が出来そうだ……!」

 

 コーゼル大佐は怯えるグラティア嬢の頭にハンドブラスターの銃口を向けると部下の一人にそう命令を叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一度自治委員会本部を去ったミュンツァー中佐が部下を連れてコーゼル大佐の言で再度戻って来たのは1710時の事であった。部屋の出入り口でコーゼル大佐はミュンツァー中佐を出迎える。

 

「どうですか大佐、そちらは?」

 

 戦闘の後か汚れた服装でミュンツァー中佐はコーゼル大佐に尋ねる。

 

「ん?ああ、中佐か。ようやく小娘を見つけた所だ。……ふんっ、よりによって床下で縮こまっていやがった。見てみろ、まるで怯え切ったマルチーズだな。武門貴族の娘の癖に情けないものだ」

 

 自治委員会本部室の隅に視線を向けた大佐は小馬鹿にするように鼻を鳴らす。監視の捕虜二名に囲まれた伯爵令嬢は一見気丈に振舞っているように見えるが、すぐに肩を竦ませ、足は震え、捕虜達の表情を伺っている事が分かるだろう。コーゼル大佐にとってはその姿は愉快なものに見えた。ビッテンフェルト家やルッツ家等と並ぶ士族の名門生まれの彼にとって武門貴族はある種気に食わない存在の筆頭であった。

 

 武門貴族は自分達こそが帝国軍の支柱と考えているが、コーゼル大佐からすればそれは間違いだった。確たる戦果を挙げた先祖なら兎も角、五世紀もの間宮廷で権力闘争を繰り返し、領地の私兵軍で軍隊ごっこに興じている今の武門貴族共を敬う理由なぞ無かった。まして亡命貴族!元より堕落した貴族共は嫌いだがその上、武門の癖に亡命してまで宮廷ごっこに興じる者達なぞ嘲笑と侮蔑の対象でしかない。

 

「まぁ、そんな事はどうでも良い。それよりも中佐も随分と汚れているが、地下の鼠は掃除出来たのか?」

 

中佐の出で立ちを観察した後、コーゼル大佐は尋ねる。

 

「鼠、というには中々手強かったですがね。余裕を持って追い込んだつもりですが五名も殺られました。最後は人質を使いようやくです」

 

 ミュンツァー中佐は地下通路での戦闘を思い返す。地下の部下達からの連絡で向かったのだが……足手纏いを二人も連れた状態で奮闘していた女性軍人の顔をミュンツァー中佐は知っていた。少し前に赴任した亡命政府の従士の娘だった。

 

 尤も、中佐もこの少佐を所詮唯の世話役かと思っていたが……甘すぎる考えであったと現在は思う。女ではあるが主人に負けず劣らず狂暴な武門貴族であった。肩と足を撃ち抜かれたにも関わらず暗闇で反撃して二人殺された時には部下達がたじろいだ程だ。最後は人質を取る事でようやく確保に成功した。

 

 そう語ってミュンツァー中佐は後ろに控えさせた部下達に確保した従士と裏切者と市民を連れてこさせる。基本的に人が足を踏み入れる事の少ない地下配線通路にいたからだろう。砂と埃、そして出血と返り血に塗れた金髪の少佐は、引き立てられる度に銃創の怪我から苦悶の表情を浮かべている。

 

 この屈辱的な状況、ゴトフリート少佐の気質からして連行される前に自決しても良い筈ではあった。だがミュンツァー中佐も同じ帝国貴族の出、その価値観は理解している。彼はすぐに先手を打ち、自決した場合、護衛していた捕虜と市民を射殺すると脅迫していた。

 

「女で、この年で少佐か。うん?こいつ……どこかで見覚えがあるが………」

 

 曲りなりにも貴族であるミュンツァー中佐と違いコーゼル大佐は士族階級であり、貴族嫌いである。すぐに連行された同盟軍人が昨年配属された亡命貴族の付き人である事を思い出せなかった。結局、ミュンツァー中佐の説明でどうにか思い出した。

 

「ああ、そんな奴もいたな。ふん、お高く留まった従士様も所詮実戦ではこんな物だな」

 

 小馬鹿にするように鼻を鳴らした大佐、ゴトフリート少佐はそんな大佐にぎろりと殺意を含んだ視線を向ける。コーゼル大佐は怯えるどころか特大の敵意を向けて来る少佐の態度に舌打ちをすると、続けて連行された捕虜服の男を不機嫌そうに睨みつける。

 

「シュミット大佐、このような形で再会した事、真に残念だと思うぞ?」

「そ、それはどうも……かな?」

 

 両腕を縛られ、レンズの割れた眼鏡をかけたシュミット大佐が弱弱し気に答える。暴行を受けたからだろう、鼻血を出して、顔に痣がある。

 

「どうかね?今からでも遅くはない。我らと共に崇高なる帝国軍人としての本分を果たすつもりは無いか?」

 

 笑み……友好的というよりも肉食動物が獲物に向けるそれに酷似していた……と共に殆ど脅迫に近い提案をする士族。

 

「コーゼル大佐、それにミュンツァー中佐。こんな事は止めた方が良いよ、今からでも降伏するべきだ。今なら同盟軍も君達の早期返還を認める筈……ぐふっ!?」

 

 確かに同盟軍にとってもトラブルや暴動を起こす捕虜をいつまでも収監するより帝国に突き返した方がマシだ。今なら降伏と交換条件で優先的に捕虜交換リストに載る事も可能な筈だった。だがシュミット大佐の提案は即座に腹に受けた拳の一撃と共に却下された。

 

「非国民めっ!一度の降伏すら許され難いというにまた降伏しろだとぅ!?ふざけた事を抜かすな、モヤシがっ!それに奴らの事を同盟軍なぞと呼ぶな!反乱軍だ!」

 

 そう言って呻くシュミット大佐の顔面を殴りつける。衝撃で眼鏡が床に飛んだ。

 

「よ……ハンスっ!?」

 

 殆ど悲鳴に近い声でシュミット大佐の名を呼ぶのは服装からも明らかに民間人と分かる女性だ。アイリーン・グラヴァーに視線を向けた後、コーゼル大佐は一層不快そうにシュミット大佐を見つめる。

 

「情けないものだな、シュミット大佐。その臆病さは反乱軍の娘に誑かされたか?呆れ果てたものだな?この帝国軍の恥さらしめ!」

 

 シュミット大佐はその挑発に乗る事はなく、だんまりを決め込む。代わりに食いついたのはグラヴァーの方だった。

 

「両手を縛って、人質まで取っておいて何を偉そうな事言っているのよ!そもそもここにいる時点であんただって同じ穴の貉でしょうがっ!」

 

 怒気を含んだグラヴァーの言葉にコーゼル大佐はぎっと睨みつける。

 

「武器も持っていない女で良かったな、男か軍人ならここで射殺してやったぞ……!」

「……大佐、お喋りはここまでにしましょう、時間が惜しい」

 

 グラヴァーの顔に一発殴りつけてやろうかと思っていたコーゼル大佐に対して、しかしミュンツァー中佐は意見する。唯でさえ当初の予定が狂っているのだ。これ以上の遅延は避けるべきであった。

 

 コーゼル大佐は一瞬不機嫌そうにミュンツァー中佐を見るが、舌打ちしてその諫言を受け入れる。身分的には相いれない二人だが、共にこの捕虜収容所に収監され続けている事、そして自治委員会上層部への不満という点では一致していた。此度の蜂起に対してもこの二人が協力しなければ実現は困難であっただろう。ここで態々その協力関係に亀裂を入れる必要は無いし、大佐もその諫言に理がある事は理解していた。

 

 中佐の部下達が引き立てた新しい人質達を改めて一瞥し、コーゼル大佐は踵を返して自治委員会本部の部屋へと入室する。次いで中佐、そして中佐直属の部下と引き立てられた部下が後に続く。

 

「ようやく通告が出来るな。貴様ら、その小娘を連れていけ!」

 

 監視役の捕虜にコーゼル大佐は命じる。この大部屋の隣に設けられた部屋にはテレビ電話があり、主に自治委員会上層部の門閥貴族達がフェザーンの保険会社に要望の物品を取り寄せさせたり、収容所の同盟軍幹部を「呼び寄せる」のに使われていた。

 

 彼らにとってはこの蜂起は予定外の連続の結果だった。元々の計画は何ヵ月もかけて計画された物であった。それが土壇場で続行不能となったのは仕方無い事だ。彼らからすればそのまま次の機会まで雌伏する事を考えていた。

 

 だが、自治委員会の幹部達がコーゼル大佐達の計画を朧気ながら嗅ぎ付けた事が引き金だ。もし発覚すれば彼らは自治委員会幹部を除名……いや、もしかしたら同盟軍に計画が密告される可能性すらあった。

 

 結果として、彼らは自治委員会に事が露見する前に蜂起する事を強いられた。そしてそれが今日である事は偶然ではない。

 

 コーゼル大佐もミュンツァー中佐も民主政治に共感はしなくともどのような政治体制であるかはこの捕虜収容所でそれなりに研究し、その弱点を研究していた。自治委員会に所属する貴族が幾人死のうとも政治家や反乱軍の上層部は兎も角、市民達は関心を持つ事は無いだろう。民主政治において人質としての価値は低いと言える。

 

 その点、亡命貴族と言う存在は、ある意味唯の市民よりも遥かに人質としての利用価値があった。法的には同盟市民であり、しかし同盟の絶対的多数にとっては必ずしも同胞として扱われない。

 

 更に踏み込めば政治的・経済的には同盟社会に小さくない影響力があり、帰還派の亡命者やほかの亡命貴族にとっては同胞である。しかし同盟市民の多数派にとっては所詮一市民でしかない。そこに利用価値があった。

 

 ……実の所、蜂起した捕虜達の大半には伝えていないが、コーゼル大佐もミュンツァー中佐も生きて帝国に帰還出来るとは考えていなかった。

 

 いや、正確には帰る訳には行かなかった。帰った所で降伏した帝国軍の恥さらしとしての汚名が待つだけだ。寧ろ故郷や親族のために彼らは名誉の戦死をする必要があった。そして、同じ戦死ならば可能な限り反乱勢力にダメージを与える方法を………。

 

「さて、ここからが本番ですか………?」

 

 ミュンツァー中佐はそう大佐に声をかけながら、情けなく拘束されている自治委員会の幹部達を見やり、ふと違和感を感じた。

 

 そして中佐は拘束されているボーデン大将が驚愕の表情を浮かべて誰かを見ている事に気付き、極自然にその視線を追う。その先には既に捕らえられた人質達の姿とそれに合流しようとしている三名の新たな人質が映る。

 

「………?」

 

 目の前に銃口があろうとも平然と葡萄酒を吟味できる大将が何に驚愕しているのだろうか?中佐が疑問を感じていると、ふと人質の中に見覚えがある顔立ちを確認する。

 

「あれは……もう一人の付き人はもう確保済みでしたか」

 

 中佐はコーゼル大佐に尋ねる。彼の確保した少佐と共に、亡命した大貴族の付き人の姿があったからだ。無論、それがボーデン大将の表情の意味と繋がるとは思えないが………。同時に中佐は捕らえた付き人達の主人が人質の中に居るか自然に探していた。尤も人質の中に該当する顔はない。となれば、恐らく彼女らが逃がしたのだろう。まぁいい、人質は伯爵令嬢だけで十分だ。寧ろあの少佐はいない方が良い。

 

 そもそも貴族嫌いで関心の薄いコーゼル大佐と違い、中佐の方はその婚約者を人質にする予定だった事もあり、赴任していた亡命貴族出身の将校を十分に警戒していた。反乱軍の憲兵共からの評判は悪いが、中佐にとってはその高慢な態度と荒々しい経歴は古き良き武門貴族を彷彿とさせる。寧ろ、堕落した亡命貴族にも未だ見習うべき者がいるのだと感心したものだった。これまでの経歴からすると、逃亡せずどこかに潜伏していたとしてもおかしくはない。

 

(そうだな、先祖に倣うのなら……例えば変装して敵に紛れ込んでいる可能性もあるかも知れん)

 

 半分有り得ないと思いつつも室内の捕虜達にふと視線を移す中佐。と、そこで中佐は一人の捕虜に注目した。伯爵令嬢を監視していた捕虜は無表情を装いながらも隠し切れない驚愕の表情を浮かべてボーデン大将と同じ方向を見ていた。中佐はその態度に疑念を持ち、次いでその捕虜の出で立ちに違和感を感じた。

 

 捕虜が中佐の視線に気付き、両者の視線は交差する。ここまでの時間は恐らく十秒も無かっただろう、ミュンツァー中佐はその捕虜にどこかで見たような既視感を覚える。そう例えば、先程まで脳裏で意識していた亡命貴族の子弟に良く似ているようにも…………。

 

「っ………!?」

 

 ミュンツァー中佐が驚愕と共に腰の火薬式の拳銃を抜くのと、捕虜が舌打ちと共に横で同じく監視についていた捕虜の首根っこを掴んだのは殆ど同時だった。中佐の発砲した拳銃弾はしかし、射線に引きずりこまれた哀れな捕虜の腹を抉った。彼は何が起きたか分からぬ間に絶命する。

 

 中佐は殆ど反射的に身を翻していた。同時に腹を撃たれた捕虜の胸から飛び出した光条が中佐の先程までいた空間を通り過ぎ、不意打ちでその先にいた中佐の部下の一人を撃ち抜いた。この時点で誰も何が起きたのか分からなった筈だ。

 

 床で体勢を建て直した中佐は即座に拳銃を唖然とした表情の伯爵令嬢に向けた。同時に侵入者は既に盾にされて絶命した捕虜ごと伯爵令嬢を守るように中佐の拳銃の射線に滑り込む。

 

 だがそれは中佐の狙い通りだった。次の瞬間に中佐は銃口を拘束されている自治委員会幹部達に向けて潜入者に脅迫の言葉を口にしようとして……光条に拳銃を弾き跳ばされた。

 

「っ……!?」

 

 拳銃が弾き跳ばされた事とそれに伴う右手の激痛に中佐は驚愕の表情を浮かべる。光条の元をたどれば、そこには先ほど拘束されていた筈の付き人の中尉の姿。見れば中尉の足元では捕まっていた人質達のうちの数名が立ち上がり、捕虜達に襲い掛かろうとしていた。音に反応して中佐の方向を見ていた捕虜達は前を向き直すと驚愕の表情と共に銃を向けようとする。

 

 ミュンツァー中佐が再度視線を戻せば、中尉が彼に向けて狙いを定めようとしているのを確認する。それに対応するように中佐は慌てて予備の拳銃を引き抜こうとして………。

 

「全員その場を動くなっ!」

 

 コーゼル大佐の怒声にその場にいた全員の動きが止まった。銃口を人質達に向けていた捕虜も、そんな捕虜達に襲い掛かろうとしていた人質の同盟軍兵士も凍り付くように動きを止めた。訳の分からぬままに怯える伯爵令嬢を庇うように立ってた潜入者は苦虫を噛み、ノルドグレーン中尉とミュンツァー中佐は互いを牽制するように微動だにしない。ボーデン大将以下の自治委員会の幹部達はある人物を見つめた後深刻な表情を浮かべ熟考し、軍属や民間人の人質はコーゼル大佐の掲げる手……正確にはその手の中の物を見て戦慄していた。

 

 場の全員の視線がコーゼル大佐の手元に集中する。彼の手元にあったのは安全装置を引き抜いたジャスタウェイであった………。



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第百九話 人質が下手に動くと警察は逆に迷惑するらしい

「成る程、タイミングが合い過ぎると考えていたがやはりか……」

 

 ハイネセンポリス第一区、自由惑星同盟の各省庁や政府機能が置かれるサジタリウス腕の国家機能の中枢……その一角に置かれる地上五十階、地下二十二階に及ぶ施設が同盟警察庁本部ビルであり、その地下八階にてその人物は説明を受けていた。

 

「既に確保した『人民裁判会議』メンバーを尋問、特定したアジトに保管されていた資料より詳細な計画書の確保に成功しております。後はサンタントワーヌ捕虜収容所にて蜂起中の帝国側の首謀者を捕縛、尋問すれば裏取りは可能かと」

 

 マジックミラー越しに尚も尋問を受けている「人民裁判会議」の実働部隊のメンバーをちらりと見た後、警部は説明する。

 

 人権意識のない帝国ならば自白剤やら直接的な拷問や親族を使った脅迫も使えるだろうが、同盟は民主国家である。犯罪者に対しても最低限の人権は擁護しなければならない。  

 

 まして、同盟警察が相手にするのは惑星間で活動する凶悪犯罪者やテロリスト、残虐な宇宙海賊であり、そういう手合いは尋問でも簡単に口を開く事はない。彼らに各種の手段を使い口を割らせるのは少々骨が折れたため、理詰めの尋問や心理戦を仕掛けた。更に同盟の刑法に抵触しないギリギリの線で精神的に疲弊させた上で、司法取引まで使って漸く口を割らせたのだが……少し遅かったと言わざるを得ない。 

 

「それにしても滑稽な話じゃないかい?目的のために捕虜と右翼と帝国の工作員が協力とは……」

 

 警部から説明を受けていたスーツ姿の議員は失笑する。テロリストの説明はそれほどまでに傍から見れば漫才のように滑稽に聞こえたからだ。

 

 サンタントワーヌ捕虜収容所で現在起きている蜂起は、元を辿れば同盟の極右組織と帝国の工作員が協力して起こしたものであった。より正確に言えば、帝国工作員により密輸された武器を持った「人民裁判会議」が捕虜の蜂起に呼応して収容所を襲撃、捕虜達の中の穏健派を殺害すると共に過激派を脱走させる計画……それが中止となった結果、計画がバレそうになった捕虜の協力者達が暴発したのだ。

 

 同盟の極右組織と帝国工作員、捕虜……通常ならば協力なぞあり得ない、そう思える顔ぶれである。しかし、笑える話ではあるが、現実はそう単純には済まない。

 

 捕虜や帝国工作員の目的は同盟への破壊工作である。もちろん、サンタントワーヌ捕虜収容所が狙われた事から考えて、それだけが目的ではないだろうが……それでも基本的には破壊工作が第一の目的と考えて良いだろう。

 

 では「人民裁判会議」は?戦死した同盟軍人の遺族や負傷兵、帝国系移民の犯罪被害者等が支持母体の彼らが捕虜や帝国の工作員に協力する理由なぞあるのか?普通はそう考えるだろう。

 

「捕虜の過激派に市街でテロなり犯罪なりを起こさせて、市民の帝国系への排斥を加速させる……いやはや、正気とは思えませんな」

 

 警部は顔をしかめる。殆んどマッチポンプであろう、そもそも自分達がそういう事件の被害者でありながら自分達のような被害者を更に増やそうとは……。

  

「教条主義者なり排斥主義者の時点で正気とは無縁だよ。それに思想面は兎も角、効果は絶大だろう」

 

 議員は語る。半年前のエル・ファシルの放棄から続く国境有人惑星からの撤収、それによる難民の増加、経済への打撃により同盟での帝国系亡命者への差別や排斥運動は一時期かなりのレベルに達していた。それがようやく沈静化しつつある中でそのような事が起きれば、アッシュビー暴動に匹敵する大騒動に発展した可能性すらあり得た。そうなれば……。

 

「特に亡命政府からすれば面子のために動かざるを得ないからね。只でさえ貴族だらけで中央の市民受けは悪いのに、臣民保護とか掲げて亡命軍を各地の帝国人街に駐屯させようものなら、それこそ銃撃戦になるところだよ」

 

 しかも前線では同盟軍が劣勢なのだ、そんな中で貴重な戦力である亡命軍を後方なんかに置かれては溜まったものではない。無論、帝国の工作員はそこまで計算していたのだろうが……。

 

「とはいえ……今の状況も予断は許されない、か」

 

 若い議員は嘆息する。よりによってこの時期、このタイミングで態態穏健派が多く大規模な蜂起が難しいサンタントワーヌ捕虜収容所を狙ったとなると……それに彼の伝手で仕入れた情報であるが、現在人質となっているメンバーは限りなく最悪に近い面子の揃い踏みである。貴重な捕虜の纏め役たる自治委員会幹部、亡命政府のご令嬢は傷物にしただけでも亡命政府が激怒する事だろう。密命を受けた亡命貴族の少佐は貴重なパイプ役でもあるので死なれたら困るし、何よりも………「アレ」の死亡は同盟の上層部にとってはかなり困る。場合によっては外交の道具にも、帝国に対する切り札にもなり得る人物なのだ。可能な限り五体満足で救出したい。

 

「帝国軍の工作員の動向の方はどうなっているのかな?」

「同盟軍情報部が潜伏先であったホテル・シャングリ・ラを監視していたようですが数日前に突如失踪したとの事です。現在同盟軍の星間航路巡視隊、及びこちらの航路保安艦隊がフェザーン・イゼルローンに繋がる航路を封鎖、検問を設けております」

 

 警部の説明に対して、しかし議員は諦念したように頭を振る。

 

「恐らくは駄目だろうね、フェザーン回廊の封鎖は同盟の物流経済に対して大きな打撃だ、そう長くは出来ないだろう。イゼルローンは論外だよ。かなり帝国軍に食い込まれている、戦線が広すぎて監視しきれない」

「では………」

「軍に責任を全て押し付けられては堪らない。元々は彼方の管轄なのだ、こちらとしても君達だけの問題にしないように努力はするから安心したまえ。それにしても……帝国の諜報機関と言うものは忌々しいものだね」

 

 議員は手元の資料に視線を移す。書類と共にクリップで留められた写真には帝国の工作員ポール・オーヴァーストーン……恐らくは偽名……の姿が収められている。接触した「人民裁判会議」の幹部を淡々と理詰めの論理(と幾つかのゴシップ情報)で説得し、今回の一見無謀な作戦を主導したと言う工作員の顔に議員は陰気で冷徹な印象を受けた。その感情の読み取れない顔は鋭利で冷たい剃刀を思わせる。

 

「帝国の諜報機関は実態の把握が難しい組織です。中央すら実行部隊の把握をしておらず、しかも排他的であるために潜入も困難を伴うようです」

 

 警部は説明する。銀河帝国は少なくとも名目上は外敵の存在しない人類社会の統一国家であり、治安組織なら兎も角、軍部においては対外諜報機関は存在しないとされる。 

 

 無論、あくまでもそれは建前である。実際は宇宙海賊や銀河連邦時代に放棄された植民地等の外縁部勢力が幾つも存在する。また、自由惑星同盟に対する諜報活動も必要であるために、帝国軍内部にも対外勢力に対する機関が幾つか存在する事が確認されている。

 

 問題はその組織の構成である。建前としてそのような組織は存在しないため、形式上は無関係な部署の一室として設けられており、名称も一見諜報関係とは思えないようなものだ。しかも、それら組織が有するのはあくまでも情報の分析や上層部の命令を連絡する司令部機能だけである。実際に破壊工作や情報収集、暗殺等を行うのはさらに別の下請けだった。

 

「『ハウンド』、だね」

 

 議員は意味ありげな笑みを浮かべ、警部の言葉に反応する。彼もその存在と決して無縁と言う訳ではなかった。選挙に当選し同盟議会に席を持つ以前、同盟警察の公安部で帝国の猟犬共と幾度も相対してきた。同盟国内で起きるテロや独立運動、宇宙海賊の跋扈の何割かは帝国が糸を引いている事ぐらい、同盟警察公安部にいれば常識である。そしてその内情を伺い知る事の困難さもまた………。

 

「はい、あれは一族経営ですから外部からの潜入には極めて困難を伴います」

 

 門閥貴族が暗殺や諜報のために私的に有する「ハウンド」は一族経営の極めて閉鎖的な組織だ。その門閥貴族の分家筋の者や従士、奉公人の一族等から代々構成されており、領地における領民や共和主義者、宇宙海賊等の危険分子の監視と弾圧、拷問に処刑、ほかの貴族へのスパイ行為、更には「ハウンド」の一族から憲兵隊や警察、社会秩序維持局に出向する者も少なくない。

 

 特に大規模な「ハウンド」を有する家として、代々治安関係の部署で重責を担ってきたブラウンシュヴァイク公爵家が挙げられる。それに続くのがベルンカステル侯爵家、ファルストロング伯爵家、ハルテンベルク伯爵家、オーベルシュタイン男爵家等であろう。没落した有名所ではトランシーやファントムハイヴ、亡命したのではゴールドシュタイン公爵家やリスナー男爵家の名前もある。特に最後の二家は同盟に亡命後そのノウハウを同盟軍や警察の情報機関に提供し、それは帝国との水面下での戦いで重要な役割を果たした。

 

「実際の潜入や暗殺は下請けの『ハウンド』が実施、それぞれの『ハウンド』には横の繋がりは無い上、命令を下す上層部すら各『ハウンド』の構成メンバーや人数を把握していないと来ている。その上各『ハウンド』は血縁と主従関係によって内部で結束するため買収も内部潜入も困難、捕縛しても自殺を選ぶと来れば……奴らの動きを把握するのは不可能と言う訳、か」

「はい、残念ながら……」

 

 議員の言葉を苦虫を噛むように肯定する警部。同盟の情報機関や治安機関、憲兵隊は帝国のそれに対して長年劣勢を強いられている。

 

「課題は山積みだが……兎も角も今はこの騒ぎの沈静化が最優先か。警部、ここは任せても良いかね?私は一旦議会に戻ろうと思う。この騒動で国内対立を再燃させるわけにはいかないからね、手を打たねばなるまい」

 

議員は溜め息を吐きながら立ち上がる。

 

「車を用意致しましょうか?」

「止めておこう、財政悪化でマスコミは議員の無駄遣いに厳しい。すぐそこの議会に行くのに態態車を呼び寄せたとなると明日のゴシップ紙で叩かれそうだからね」

 

 冗談とも本気ともつかない口調で答える議員。とは言えハイネセンポリスの第一区の警備は万全だ、軍と警察が威信をかけて二十四時間警戒体制を取っている。どのようなテロリストも、工作員も侵入は不可能だ。議員どころか最高評議会議長が護衛も連れず徒歩で歩こうともまず暗殺の危険性はないだろう。

 

 無論、だからといって楽観的に考えるのは禁物ではあるが……。

 

「それではお気をつけて……」

「うむ、失礼するよ」

 

 こうして、敬礼する警部に応じながら同盟議会上院議員同盟警察公安委員会所属ヨブ・トリューニヒト議員はにこやかな笑みを浮かべて席をたったのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直ミスしたと言うほかない。

 

 兵士に紛れる事自体は上手くいっていた。場合によってはこのままノルドグレーン中尉に加え、数名の人質になっていた同盟軍兵士と共に奇襲をかける事も想定していた。首謀者のコーゼル大佐とミュンツァー中佐さえ拘束ないし射殺してしまえば、士気が高いとは言えない残りの捕虜の大半が降伏するかもしれなかったからな。

 

 失敗は首謀者の一人であるミュンツァー中佐が帰還してきた時に起きた。コーゼル大佐は兎も角、ミュンツァー中佐の方は同じ貴族である事もあり、私の顔に見覚えがある可能性もあった。気付かれないようにするためには注目されないようにする必要がある。

 

 尤も、中佐が連行してきた面子を見て動揺するな、と言う方が無茶であった。

 

 ベアトとシュミット大佐とグラヴァー氏……役満かよっ!と叫びたくなったよ。三人一緒の可能性は十分あり得た事だが………連行されるのまで三人一緒でなくても良いだろうに………。とはいえ肩や足に数か所の銃創を負って満身創痍の従士を罵る程私も性根は悪くない。だが………。

 

(この三人がいるとなるとな………)

 

 思わず苦虫を噛む。ベアトの心配は当然として、残り二人は………。ちらりと私はボーデン大将の様子を窺う。皴のある顔を見開く大将を確認して、私は面倒な事態になった事を理解する。唯でさえ問題が山積みなのにここに来て新しい問題とはつくづく運がない。

 

 私は視線を戻して、可能な限り平静を装おうとして……誰かの視線を察知する。その気配の方向に視線を向け、次の瞬間、コーゼル大佐と共に通信室に向かおうとしていたミュンツァー中佐と目があった。

 

 一瞬、緊張のあまり私は思考停止した。何故こちらを見ている?偶然か?いや、違う。あの視線に含まれるのは疑念だ。バレたか?先手を打つべきか?いや、まだ誤魔化し切れる可能性も、だが…………!

 

 ほんの数秒の事であったろう、次の瞬間に中佐の視線に含まれる感情が疑念から驚愕に変わり、次いでそこに焦りが追加された事に気付いた。私は中佐の右手が腰に向かうと同時に完全に油断していた隣に立つキルヒホフ中尉の首を殆ど反射的に掴んでいた。驚いた表情を向けるキルヒホフ中尉を引きずり私は彼を盾にする。

 

ほぼ同時に銃声が室内に響いた。古い火薬式拳銃のものだ。

 

「ふぐっ!?」

 

 被覆鋼弾の衝撃を盾にした捕虜越しに感じた。腹部への命中はどうやら致命傷となったようで、崩れるキルヒホフ中尉を私は襟首を掴み無理矢理立たせていた。同時に奇襲となることを期待して……ある種死者への冒涜だが四の五の言っていられないので許して欲しい……囚人の死体の影からブラスターライフルを発砲する。尤も相手も素人ではない、すぐにこちらの意図を理解して身を翻していた。中佐の後ろにいた兵士が代わりに胸を撃たれて訳も分からない内に仰け反り倒れる。

 

「ちぃっ……!」

 

 私は舌打ちして直ぐ傍で銃声に身を竦ませていた少女の元に、死体を盾にしたまま駆ける。私に発砲しても意味が無いなら人質に銃口を向けて脅迫するべきである。彼らの価値基準でいえば、この場で最も高い価値を持つ人質は私の後ろに立つ少女か、拘束されている自治委員会の幹部達のどちらかであり、私が咄嗟に守れるのは当然近い方だけであったからだ。

 

(そして当然………!)

 

 ミュンツァー中佐は私の動きに対応してすぐさま目標を変更した。拘束されている自治委員会の幹部達を射殺するなぞ然程難しくない。脅迫の言葉を言われればその場で私は銃を捨てるしかないだろう。だが……。

 

 ブラスターの発砲音と共にミュンツァー中佐の脅迫は失敗に終わる。瞬時に事態を理解したノルドグレーン中尉が中佐の火薬式拳銃を撃ち抜く。同時に密かに拘束を解いていた同盟軍兵士が立ち上がり私と中佐の戦闘に気を取られていた捕虜達に襲い掛かろうとしていた。彼らの多くは憲兵隊だ、素手での近接戦を良く叩き込まれていた。決して無謀な行いとは言えないだろう。ミュンツァー中佐は予備の拳銃に左手を回しノルドグレーン中尉はその前に中佐を銃撃しようとする。ここまで来たら仕方ない、本部の増援部隊が来るのを待つのが一番安全だったが、このまま勢いに任せて制圧するほかに手段はなかった。

 

私は暫しの逡巡の後にブラスターライフルをコーゼル大佐に向ける。そして私は自身の判断の遅さを呪った。

 

「全員その場を動くなっ!」

 

私の視界に映っていたのは安全装置を外したジャスタウェイを掲げて周囲を恫喝する大佐の姿であった………。

 

 

 

 

 

 

 周囲が重い緊張に沈黙する中、コーゼル大佐は自身を落ち着かせるように深呼吸し、ぎろりと周囲を警戒する。そして殆んど物質化しそうな殺気を私に向けた。

 

「ひっ……!?」

 

 背中越しに息を呑むような小さな悲鳴がした。彼女自身に向けられたわけではないが、流石にあの顔で睨みつけられたら悲鳴の一つも上げたくなるだろう。というか私も上げたい。

 

「ちぃっ……まさか兵士共の中に賊が……いや、貴族何ぞが紛れているとはなっ……!」

「これからはもう少し兵士の顔を覚えておく事だな。まぁ次があるかは怪しいがね?」

 

 皮肉と嫌味を半々含めた口調で私は返答する。とは言え別に悪意ばかりという訳でもない。平民出身の士官やら将官やらが必ずしも部下に対して思いやりに溢れた者とは限らない。

 

 特に帝国軍のような上下関係に厳しい組織においては平民階級の指揮官には高圧的な者……寧ろ平民だからこそ高圧的な者も多い。貴族階級と違い権威や伝統、おこぼれによる忠誠心は期待出来ないのでその分高圧的に振舞う事で部下を掌握する手合いは少なくないのだ。まして士族階級ともなれば平民階級の中でも特に軍律に対して教条的、下っ端の兵士にとっては暴君のようなものだ(良く言いかえれば不正や怠惰とは無縁な勇士ともいえるが……)。コーゼル大佐の場合も部下を駒のように見ている節があり、その情愛は決して深い訳ではないように見える。

 

「ふんっ、貴様に説教される筋合いなぞ無いわ!これが何か分からぬ筈もなかろう?命が惜しければその銃を捨ててさっさと降伏するが良い……!」

 

 そうやって見せつけるのは安全装置を解除したジャスタウェイである(相変わらず死んだ魚のような目をしている)。床に落ちるなどの衝撃があれば恐らく起爆する事であろう。しかし………。

 

「そんな安い警告なんて効くと思ってるのか?それじゃあここの全員を吹き飛ばすには少々威力が足らんだろう?」

 

 内心では冷や汗をかきつつも確信を込めて私は大佐を詰る。ジャスタウェイ……正確には現在同盟軍が採用している60式工作用爆弾の型式と威力ぐらい、士官学校で知っている。大佐が懐から取り出したのはかなり古い対人式の物、しかも部品が全て入手出来なかったのだろう、制式のそれとは別の部品が多用されていた。

 

 無論、部品の代用が相当利くことがジャスタウェイの利点ではあるが、元々威力が控えめな上に、見る限り中の炸薬もきちんと装填されているようには思えない。精々手榴弾程度の威力だろう。この部屋全体を吹き飛ばすには威力が足らないばかりか、起爆前に伏せていれば半数以上は助かる筈だ。……多分ね?

 

「貴様こそ、素直に降伏した方が良いと思うがね、ここで命を捨てて何人か市民を犠牲にした所で同盟軍にどれ程の意味がある?はっきり言おう、無駄死にだな。小娘を人質にし損ねて自爆した情けない捕虜として新聞に名前を載せたいなら別だがね?」

 

 完全にブラフだ。市民、しかもハイネセンの市民が犠牲になればそれだけで新聞は大騒ぎだ。宇宙海賊やら外縁勢力による事件やテロが珍しくない同盟の最外縁宙域なら兎も角、中央宙域で市民を巻き添えにする事件なぞ起きればマスコミの袋叩きだ。あれだ、中東やアフリカで大事件が起きても少しの間他人事のように報道されるのがせいぜいの日本でも、国内で二、三人も死ぬ事件が起きれば連日新聞やニュースで注目されるだろう?

 

 正直ここで市民に一人でも死人が出れば多分バッシングの嵐だぜ?とは言え素直に相手の言う通りにしても状況が好転するとは思えない。弱みを見せる訳にはいかないので、敢えて余裕を見せて相手を会話に引きずり込み、この状況を察した上層部がさっさと救出してくれるまでの時間を稼ぐ。というか上層部、動き遅くね?マジ早く助けてくれない?

 

「何だとぅ……?」

 

 剣呑な表情で私を睨むコーゼル大佐。いやはや、名門士族とはいえ、平民から四十前に大佐になるような奴は雰囲気が違うね、目付きだけで人を殺せそうだ。

 

(まぁいい、下手に人質に死人が出ればこっちの責任もあるからな。ヘイトなら私だけに向けてもらった方がやり易い………)

 

「あ、あの………」

「悪いが少し黙って欲しい。流石にこの状況で御令嬢のお喋りに興じる余裕が無い事くらいは分かる筈だ、御話なら後で聞くから後ろで隠れておきなさい」

 

 二割程の苛立ちと三割程の虚勢を混ぜた口調で、私は背後にいるグラティア嬢との会話を強制的に拒絶する。彼女からすればそりゃあ訳が分からない筈なので説明を求めたい気持ちも分かる。だが、この状況では少しの油断が命取りになるので、繊細な貴族令嬢に対する配慮と熟考を重ねた会話をするなぞ論外である。

 

「は……はい………」

 

 少し怯え気味に弱弱しい返事が返ってくる。その口調に少し罪悪感が生まれるが私はすぐにそれを振り払い正面を睨む。

 

「………」

「………」

 

 互いが互いを伺うように暫しの沈黙……それを破ったのは私でも、コーゼル大佐でも、ましてミュンツァー中佐やノルドグレーン中尉、ボーデン大将でもなかった。

 

「もう止めるんだ……!!君達の蜂起は失敗したも同然だっ!無駄な血を流す必要なんてないっ……!!」

 

 場の全員が声の方向に注目する。顔に痣をつけたシュミット大佐が切実な表情で蜂起した同胞達を説得しようと試みる。

 

「コーゼル大佐……!ミュンツァー中佐もこれ以上の戦いに何の意味があるんだっ!?君達にも家族がいるだろう!?名誉ならば後からでも取り返せる!ここで死ぬほどの事じゃない筈だっ!」

 

 シュミット大佐が必死にコーゼル大佐とミュンツァー中佐を説得する。だが二人共、シュミット大佐の説得を聞くつもりが毛頭ない事は態度から明らかであった。

 

「……っ!君達もだっ!ここでの生活は死んだ方が良いような環境じゃない筈だ……!何だったら優先的に返還リストに載せられるよう、私から所長達に直訴してもいい!生きて故郷に帰れるように協力しよう!」

 

 首謀者達にこれ以上話しても効果がない事を悟り、シュミット大佐は兵士達の説得の方に方針を転換する。土壇場になれば人間覚悟を決めても怖気づくものだ。まして途中参加の者は元々士気は高くはない。

 

(それに私の潜入もあって半ば以上計画が破綻した現在、初期参加組にも動揺が広がっている筈……。寧ろ首謀者達の説得よりも効果があるかも知れんな)

 

私は内心でシュミット大佐の説得をそう評価する。ん……?

 

(これは………?)

 

 シュミット大佐の説得に皆の意識が注目する中、私は首元に何かが這いずる感覚を感じた。と、次の瞬間私の死体を持つ腕に肩から何かが移動してきた。

 

(これは………偵察か)

 

 小さくてクリアな……全長一、二センチ程しかないであろう、水黽か蜘蛛のようなドローンが小さなカメラを私に向けて、次いで周囲を確認するかのようにその光学レンズを回転させた。そのステルス性と機動性を意識したデザイン……明らかに同盟軍の近距離隠密偵察用ドローンであろう。

 

 ドローンは再び私の腕から肩、そして首から髪に隠れるように耳元に向かう。そして恐らく指向性スピーカーを使い私に指示が伝えられる。……了解、というべきかね?

 

 私が隠密に命令を受けていた一方、説得は続いていた。シュミット大佐の言に幾人かの兵士が明らかに動揺して目を泳がせ始める。他の兵士の様子を見ているのだ。大佐は手ごたえを感じて更に兵士達の心理を攻めようと口を開く。

 

「そ、そうだ!君達も知っている筈だっ!そこの……彼は亡命貴族の生まれだ!彼らは帝国にも伝手がある!君達の名誉を守って本国に送還する事だって不可能じゃないはずだ!」

 

 シュミット大佐は兵士達を懐柔するために私に話を振る。勝手に責任を押し付けるな……とは言えないな、この場では有効な手段であることは間違いない。

 

 シュミット大佐が更に説得の言葉を口にしていき、私も援護の言葉を放とうとした、その時であった。

 

「ほざくな、売国奴がっ!」

 

 コーゼル大佐の怒声に続いて響いた銃声がシュミット大佐の説得の言葉を強制的に止めさせた。一瞬びくっと震えたシュミット大佐は、その後糸の切れた人形のように床に倒れる。

 

「ヨハンっ!?」

 

 グラヴァー氏は悲鳴を上げて銃撃されたシュミット大佐に駆け寄る。

 

「うっ……ぐっ……だ、大丈夫……でも……ないかも………げほっ!」

 

 呻きながら高級木材の床に吐血するハンス・シュミット大佐(仮)。火薬式銃とは違い体内で弾が人体を捩じりながら引き裂く、なんて事は無いが、それでも胸にブラスターの銃撃を受けて捕虜服にじんわりと赤い滲みが広がっていく。右胸を撃たれたのはある意味幸運だ、左なら心臓がやられていた筈だ。

 

………とは言え余り長くはない。

 

(ベアト、それにほかにも負傷者がいるしな。時間稼ぎしたいのに長引かせられないとは……!)

 

舌打ちしつつ私はブラスターライフルを構え直す。

 

「祖国を裏切った亡命貴族共に土下座をして帝国に戻れだとぅ?ふざけた事を抜かすなっ!これだから只の平民は……!何の誇りも伝統も背負わん卑怯者がっ!奴隷にも劣る屑がっ!」

 

 血が流れる傷口をグラヴァー氏のハンカチで押さえつけられるシュミット大佐をコーゼル大佐は罵る。シュミット大佐の説得は却ってコーゼル大佐の怒りを買ってしまったらしい。

 

 苦しむシュミット大佐の傷口を必死で押さえながらグラヴァー氏は敵意しかない視線でコーゼル大佐を睨みつける。当然その不躾な視線はコーゼル大佐にもすぐに分かる。大佐は舌打ちしながらグラヴァー氏に何か言おうとする……前に私が遮る形で話す。

 

「おいおい、大佐。武器も持たない相手に銃撃はどうなのかね?それに大佐の御相手は私だろう?伯爵よりもそこの平民に夢中とは嫉妬してしまうじゃないか?」

 

 取り敢えず怒り狂ったコーゼル大佐が更にシュミット大佐や巻き添えにグラヴァー氏に発砲する可能性もあったので挑発してこちらに注目させる。いや、伯爵どころかその人侯爵様だけどね?

 

「シュミット大佐が撃たれたのは場の空気を読めなかった自業自得として……余り私を空気扱いは止めて欲しいな?これじゃあ私が間抜けみたいだろう?コーゼル大佐、そろそろ私との御話に戻ろうじゃないか?」

 

 私は敢えて人を不快にさせるような話し方をしてみせる。あ、人質達から少しヘイトの籠った視線が来ている。そりゃあ危険を顧みず説得しようとして撃たれた奴を自業自得扱いすれば残当よ!

 

「わ、若…様っ……!危険です!挑発なぞ……!」

 

 ここで負傷して息絶え絶えのベアトが気付いたように私に向け叫ぶ。多分さっきまで意識が混濁していたのだろう。慌てて叫ぶ。そして撃ち抜かれた足で私の元に来ようとする。

 

「中尉、それを押さえておけ。悪いが折角の軍功の稼ぎ時だ、邪魔をするな」

 

 淡々と、興味無さげに私は命令をする。こちらに向かおうとするベアトを命令された中尉や心配した数名の人質が制止した。ベアトは尚も苦しそうに私の名前を呼ぶが無視しておく……いやマジで無理しないでね?

 

「軍功の稼ぎ時とは……随分と甘く見られたようだな?温室育ちの貴族のボンボンの分際で……!」

「その温室育ちのボンボンに一泡吹かされた奴が笑わせる。下賤な血の分際で私と会話出来るだけでも名誉だというに、礼儀を弁えろ犬め」

 

 私は自身に注目が集まるように尊大に話してみせる。決して誰にも横壁の窓に視線を向けさせてはいけないし、出入り口の扉にいた蜂起側の捕虜が二人消えている事を気付かせてはいけなかった。

 

「何をぅ……!?」

 

 顔を真っ赤にしてこちらを鋭く睨みつける大佐。うん、挑発が上手くいっているようで何よりだよ。お願いだからマジ早く助けてくれない?そろそろ涙出てきそうなんだけど?

 

 気付いたらミュンツァー中佐も中尉から私に銃口を向ける相手を変えていた。いや、ほかの捕虜も私に銃を向ける。室内を剣呑な空気が支配する。

 

(御令嬢は……まぁ後ろにいるから床に伏せさせれば何とかなるかね?後ジャスタウェイは……それ位押し付けるか)

 

 そもそもここまでヘイト稼ぎ頑張ったんだから残り位他の奴やれよ、私に押し付けんな、つーか危険手当寄越せや!

 

「まぁいい。そろそろ詰まらない睨み合いにはうんざりとしてきた所だ。……そろそろこの茶番劇も終いにしようか?」

 

 私は耳元のドローンのカウントを聞きながらブラスターライフルを構え直す。その挙動に場の空気が一層引き締まる。反乱を起こした捕虜達が警戒するように身構えた。

 

「コーゼル大佐」

 

私は覚悟を決めた表情でジャスタウェイを構える男の名を呼ぶ。

 

「……何だ?」

 

恐らく私の口調に僅かに含まれる嘲笑に怪訝な表情でコーゼル大佐は答えた。

 

「ああ、実はな………ぶっちゃけそれ(ジャスタウェイ)って見てるだけで労働意欲失せねぇか?」

 

 恐らくは下手に皆緊張していたためであろう、私の言葉に場の皆が一瞬間抜けな表情を見せた。

 

 そして一瞬後、室内の強化硝子製の窓が大きな音と共に一斉に粉砕された。それは同盟軍や同盟警察が使用する超振動波障害物破砕機によるものだった。対象の固有振動を機械で再現して瞬時にかつ確実に、そして安全に破壊する……いや、別に詳しく説明する必要もなかろう。兎も角も何の前触れもなく突然自治委員会の室内の窓硝子が一気に破壊されたのだ。

 

「失礼……!!」  

「きゃっ……!?」

 

 私は殆ど同時に盾役の死体を捨てると後背に佇んでいた伯爵令嬢を抱き締め、その目と耳を塞ぎ、彼女ごと身を床に伏せていた。

 

 ほぼ同時に破壊された窓と出入口の扉から白煙手榴弾と閃光手榴弾が幾つも投入される。突入時に室内の敵性勢力の五感を潰すのは当然のことだ。私は咄嗟に目を、事態を理解したノルドグレーン中尉も目と耳を塞ぎベアトに駆け寄って身体を伏せる。

 

 ほかにも瞬時に反応した数名の同盟軍人が同じ事をすると共に、周りの人質達にもそうするように叫んだのが聞こえた。

 

 爆音と閃光が室内に満ちた。同時に窓からロープで、そして扉から多数の人間が突入したのを気配から察する。

 

「くっ……!?」

「このっ……がっ!!?」

 

 恐らくはパラライザー銃であろう発砲音と共に何かが倒れる音が連なる。反撃するようにブラスターや火薬式銃の銃撃音も響いているが、それも即座に制圧される。

 

 私が閉じたとはいえチカチカとする目を微かに開けば、二十名はいるだろうか、追加装甲を装備した重装甲服姿の兵士達の姿がかすかに見えた。

 

「こちらa分隊、状況クリア!人質を保護した!」

「負傷者がいるぞ……!衛生兵、こちらに来てくれ!」

「こちらc分隊、自治委員会のメンバーを確保。負傷者無し」

 

盾とパラライザー銃、あるいはエアライフルを構えた兵士達が人質を確保していく。

 

「おのれ奴隷共……がっ!?」

 

 抵抗を諦めていないコーゼル大佐が手元のジャスタウェイを起爆させようとするが、それは叶わなかった。気配を完全に消した突入部隊の兵士の一人が背後から大佐を拘束し、手慣れた動きでジャスタウェイを奪取する。そのまま関節を極めながら大佐を背負い投げして意識を刈り取る。

 

「ぐっ……!」

 

 続いて閃光手榴弾でやられた目元を押さえて床を這いずり回っていたミュンツァー中佐が私の視界に映った。どうやら床に落とした拳銃を必死に探しているようだった。

 

 ミュンツァー中佐は辛うじて拳銃を拾い私の方に向けようとする。どうせ殺られるなら最後に価値ある敵を討ち取ろうという考えであったのだろう。私は伯爵令嬢がいるので避ける事は出来ない。相手が視界を奪われている事から乱射されるだろう弾が命中しない事を祈るしかない。

 

 だがミュンツァー中佐の最後の抵抗も無駄に終わる。コーゼル大佐を無力化した兵士が一気に距離を詰めて腰の電磁警棒で中佐を無力化したためだ。

 

「確認する、ティルピッツ少佐で宜しいか!?」

 

ミュンツァー中佐の拳銃を奪い取った後、その兵士がこちらに駆け寄りそう尋ねる。

 

「ああ、その通りだ。負傷者が多くいる、そちらの治療を頼みたいが……」

 

 問題はこの部屋以外の蜂起した捕虜達だ。恐らく突入部隊は地下なり闇夜に紛れて空中なりから浸透してきた筈だ、つまりほかの捕虜は無傷の筈だ。彼らが戻ってくれば………。

 

「問題ありません、今頃ほかの部隊も攻撃を始めている頃合いです。それに緊急を要する者には屋上からドクターヘリを寄越せます、御安心下さい」

 

しかし兵士は予測していたように淀みなく答える。どうやら問題はないようだ。見れば突入部隊の一部は家具を持って部屋の外に出ている。下での戦いが終わるまでバリケードを設けて防衛線を構築するつもりなのだろう。

 

「ふぅ……そう、か」

 

 ちらりと人質達の方向を見やる。どうやら一般市民や自治委員会の幹部に多少の怪我人はいるが死者はいないらしい。

 

(後は重傷者が助かれば万々歳か……)

 

担架によって運ばれたベアトとシュミット大佐を見て私は緊張を解く。

 

「あ、あの……」

 

床にぺたりと座って尚も困惑する伯爵令嬢を見て私は可能な限り優しい声をかける。

 

「一応の危険は去ったと見て良いでしょう、御安心下さい」

「あっ……」

 

そしてグラティア嬢の反応を確認せず、すぐに兵士の方に向き直る。顔を合わせるのが気まずい事もあった。

 

「悪いが彼女に護衛を付けてくれ。……私も防衛に回った方が良いか?」

 

バリケードで銃を構える兵士達の方を指差して私は提案する。

 

「いえ、少佐殿には先にヘリで避難をするようにとの御命令です」

「捕虜収容所司令部から?」

「いえ、国防事務総局からのです。……任務に関する事のようです」

 

声を細めて答える兵士。となると……この騒動に関わる報告だな。

 

「……了解した。では行こうか。あー」

 

私はここで相手の名前を聞いていない事に気付いた。相手もそれに気付いて敬礼と共に軍姓名を答える。

 

「第九特殊作戦グループC小隊隊長、アーノルド・クリスチアン大尉であります。それではこちらにどうぞ」

 

私はクリスチアン大尉の誘導に従い輸送ヘリに乗るために立ち上がった………。

 



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第百十話 現実は生き残る事がまず難しい

今章は今回含めて後二、三話程で終わる予定です


 彼にとってその少年時代は恐らく最も幸福な時代であり、そして絶望の始まりであった。

 

 二〇年以上経った今でも彼は思い出す事が出来る。「新無憂宮」………この世全ての美が集められた楽園、その南苑は皇帝を始めとした皇族が生活を営む場所であり、本来ならば門閥貴族とはいえそう易々と入る事の許されない場所だ。

 

 だが彼は日常的にその地に立ち入る事が許されていた。より正確に言えば、南苑の一角にある「ニンフェンブルク宮殿」へ殆ど日常的に訪れていた。

 

 女神達の城を意味するそれはリヒャルト大公亡き今、事実上の皇太子となり権勢を振るうクレメンツ大公一家の住まう宮殿であり、バロック様式の大宮殿では毎日のように大公とそれを支持する、あるいは取り成しに訪れる貴族達が祝宴とアルコール交じりの談合……彼らの言によれば帝国の将来を真剣に討論しているそうだ……を繰り返す不夜城と化していた。その宮殿の広間の様相は非好意的な者の言を借りるならば「下町の酒場の如き醜態」というべき惨状であったという(尤も、それは流石に言い過ぎであろうが)。

 

 幼い彼を連れた父も、流石にこの少々無礼講に過ぎる祝宴に子を参加させるのは好まなかったようで、多くの場合彼は宮殿の中心から外れた屋敷に連れられた。所謂古代フランス様式の庭園に囲まれた屋敷は、色鮮やかな草花が咲き誇る美しい場所であった。

 

 そして彼はそこでほぼ確実に幼い少女の世話役を命じられた。正確には世話役よりも遊び相手という表現が相応しいだろう。実際の世話は一ダースはいる侍従と女中がすぐ側で控えており、しかもその外側には炭素クリスタル製の騎士甲冑を着た近衛兵達が少女達を囲むように守る。彼のやる事と言えば気紛れで飽きっぽいお転婆娘のままごとなり花遊びなりに付き合う事であった。正直な話、自宅の使用人達を使った軍隊ごっこの方が彼にとってはずっと楽しいものであったが、だからといって少女の我儘を無視する事は許されないし、父も厳しくその事については注意をしていた。

 

「ねぇー、おはなしきいているの?」

「え?はい、勿論ですともフロイライン」

 

 草花の咲き誇る庭先の一角、敷物の上で座り絵本を開く子供に言葉に彼は我に返る。しかし少女の方は頬を膨らませて不満気のようで彼は気付かれない程度に溜息をつくと手元で編んでいた花の冠を差し出す。

 

「フィリップは闇の魔導士シャンバーグの嗾けた魔物達を次々屠り、シャンバーグの悪辣な罠を掻い潜って遂に討ち取るのでしょう?」

「うん!それでね、囚われのマグダレーナ姫と幸せに暮らすの!」

 

 童話『マグダレーナ姫』の絵本を放り出して少女は御機嫌そうに頭を向ける。彼は少女の期待に応えて花冠を彼女の頭に優しく載せた。

 

「えへへ、ねぇねぇ。かわいい?」

「ええ、勿論ですとも。イレーネ様の髪の色に合わせて白薔薇を使いました、良く映える筈ですよ。鏡を見ますか?」

「みるー!」

 

 すぐに控えていた女官が進み出て恭しく銀の取手を付けた手鏡を差し出す。彼はそれを受け取ると少女の顔が映るように固定する。

 

「わぁ!」

 

 歳相応の感性を持つ少女は目を輝かせて鏡の中に映る自身を見つめる。暫しの間様々な角度で観察し、気が済んだのか、その後に少女は彼の方に満面の笑みを浮かべる。

 

「これかわいいわね、ありがとうね!」

「いえ、この程度の事お安い御用で御座います。イレーネ様の御望みであれば私の力の限り叶えさせて頂きます」

 

 年下の少女(とは言え二、三歳程度年上なだけだが)の礼にしかし、彼は貴族が皇帝にそうするように恭しく答える。例え寵姫の娘であるとは言え、次期皇帝となる者の娘であり、母方もまた生粋とは言わねども門閥貴族……しかも幾つかの権門四七家の血を引く出だ。立場では少女の方が上であり、彼もまた子供とは言えとるべき態度について理解していた。

 

「もう!またそうやってすぐにかたくるしーこという!かざったようないいかたはいいの!もっときさくにして!」

 

 しかし、その門閥貴族の子弟としての態度に対して少女は再度不快気に頬を膨らませる。この大公姫はほかの姫君に比べて他人行儀を好まず、下の者達に対しても比較的気さくで、他者にもそれを求める嫌いがあった。

 

 尤も、サジタリウス腕の反乱勢力ならいざ知らず、厳しい身分制度を敷くゴールデンバウム王朝ではその性格は寧ろ仕える者達にとっては困ったものであった。気さくに、と主人から叱られたとしても、付き人や使用人達にとってはそれを額面通り受け取る訳にはいかない。門閥貴族や皇族の気紛れによって下級貴族以下の者達の生殺与奪が握られている以上、礼節を逸した言葉を口にするリスクを犯せる者は滅多にいないし、少女は良くとも周囲のほかの大貴族、特に次期皇帝の最有力候補たるクレメンツ大公の存在を思えば実際に対等に近い口を聞ける者は極々僅かの大貴族……それこそ権門四七家に名を連ねるような名家位のものだ。

 

 逆に言えばそんな数少ない気さくな会話ができる少年すら周囲の女官達のような態度を取るため、一層少女は不機嫌にしている面もあった。とは言え………。

 

「そうはおっしゃりますがイレーネ様、貴方様も帝室の一員、しかも御父上は皇太子殿下であらせられます。即位した暁には貴方様も皇女殿下、そのような御方に対して非礼な物言いを出来る程、私も太い神経は有しておりません」

 

 彼は教師が生徒に言い聞かせるように当然の事実を少女に教える。このような会話は過去何十回にも渡って繰り返されてきたのだが、この大公姫にはあまり効果はありそうになかった。

 

「いーでしょ!どーせわたしあなたのおよめさんになるんでしょ?おとーさまがいってたもん!」

 

少女は平然と爆弾発言を投げつける。

 

「それはっ………まぁ、そうなるだろうね」

 

 溜息をつきつつも彼は少女の発言を認める。皇太子が地盤固めのために娘を支持者の一族に嫁がせるのは良くある事だ。まして名家の出であり、国務尚書の地位を約束されているらしい父が自身を何度もこの少女に会わせるとなればその意味位流石に彼にも分かる。結婚式当日に初めて顔を合わす、なんて事も珍しくない貴族階級の結婚事情から考えれば比較的マシな部類ですらあるだろう。

 

「む、なにそのたいど!わたしじゃいやなの?」

 

 刺々しく、しかしどこか不安そうな口調で少女は尋ねる。

 

「うーん……」

 

 彼は改めて少女を見やる。紅色にフリルをふんだんに使ったドレス、白く潤いのある肌はドレスの色と合わさり一層映える。母譲りの紺色がかった豊かな黒髪はウェーブがかかり、一方瞳の方は父方譲りの蒼く透き通っている。子供らしくあどけない美貌、小生意気で、しかし人を不快にさせずどこか愛嬌のある性格は父クレメンツ大公の若い頃そのものである。

 

「いや……とても可愛いよ?」

 

 暫し迷った後、彼は降参したように手を上げながら答える。礼節から言って否定する訳にはいかないし、それを抜きにしても事実として外面も、内面も、その社会的地位すら有望なのだ。完全無欠ではないしろこれで不満を垂れるのなら余りにもえり好みし過ぎと言われるであろう。

 

「ふふーん!そーでしょ!わたしでいーでしょ!わたしはこーてーへーかのおひめさまなんだからね!」

 

 彼の全面降伏を確認し、少女は胸を張って誇らしげに鼻歌の歌う。しかしその耳が若干赤らんでいる事に彼は少しして気付いた。だがそれについて口にする事は無かった。少女の名を呼ぶ声が遠くから聞えて来たからだ。

 

「レーネ?レーネ……あらあら、ここにいたのね?そろそろお昼になるから屋敷に戻りませんか?」

 

 よく響く上品な声で少女の愛称を呼ぶのはその少女を丁度二十歳程大人にしたような婦人であった。

 

 いや、正確にはイレーネを二十歳歳を取らせた上で御淑やかにしたら、であろうか。落ち着いた色のドレスは肉付きの良い身体を却って強調し、薄幸そうな少し陰のある表情が何とも言えぬ魅力を引き立てる。クレメンツ大公の最初の寵妃であるローゼンタール伯爵夫人は既に三十を過ぎている筈なのだが、その姿を見た者がそれを知れば驚愕するであろう、まして一児の母である事なぞ信じまい。其ほどまでに若く美しく見えた。

 

「あ!おかーさま!!」

 

 庭園の奥から数名の侍女を侍らせて護衛の騎士を連れたローゼンタール伯爵夫人は彼とこちらに駆け寄る娘を見つけると優しく微笑む。

 

「娘がいつも世話になりますね?この子、元気過ぎて大変でしょう?」

「いえ、その美貌で知られるイレーネ様のお側にお仕えする事が出来るだけでも望外の幸せでございます。どうぞお気にならさないで下さい、伯爵夫人」

 

 彼は少女の母に対して最大限の礼節を持ってそう答える。

 

「ねぇねぇ、きょうのランチはなにー?」

 

 少女は母である伯爵夫人の足元に抱きついた後、笑顔を浮かべ、期待に胸を膨らませてそう尋ねる。

 

「ふふ、今日はルラーデと魚のグラタンだそうですよ。そうそう、アフタヌーンティーには杏のタルトとサンドイッチが出るそうです」 

「やった!」

 

 娘を抱き寄せてメニューについて教えれば少女は満面の笑みを浮かべる。杏のタルトは彼女の大好物だ。

 

「早くお家に帰ろ!」

「はいはい、分かりました。慌てずに、手を洗いましょうね?」

 

 必死にランチを食べるために自宅に戻る事を提案する娘にころころと品の良い笑い声を上げながら伯爵夫人は少しずつ庭先を歩き始める。と、夫人は思い出したように彼の方向を向く。

 

「貴方もレーネの世話をしてくれてありがとうね。さぁ、一緒にランチにしましょう?」

「いこー?」

 

 夫人の呼びかけに続くように彼の元に駆け寄るイレーネ。服の袖を引き邪気のない笑顔を向ける。

 

「……慎んで、ご一緒させていただきます」

 

 彼は夫人と少女に向け頭を下げ、恭しくそう答えた………。

 

 

 

 

 その政変は晴天の霹靂であっただろう。宮廷はクレメンツ派の天下であった。病床のオトフリート五世の影響力は殆ど失われていた。

 

 末期のゴールデンバウム朝銀河帝国において、皇帝の椅子に座るために血統が必要なのはもちろんだが、同時に後ろ盾となる貴族達もまた重要であった。帝政初期に比べると皇帝の直接統治する中央と辺境の貴族領の経済格差は縮小しており、そもそも各尚書等を任命するにしてもド素人を選ぶ訳にもいかなければ、皇帝自身と政治方針を違える人物を選ぶ訳にもいかない。

 

 そして高位の役職に就けるだけの教養と経験を有し、かつ皇帝となるような人物が直にその政治的な方針を確かめる事の出来るような人物は門閥貴族階級位のものである。そのため皇帝としての職務を果たす上で後ろ盾となる貴族達、正確には方向性を同じとする派閥の存在は現実的に考え、国家の運営のためには必要不可欠であった。

 

 そのため当時、クレメンツ派によるリヒャルト大公謀殺は当初は発覚した所で問題なぞある筈が無かった。最大の敵であった旧リヒャルト派は大公自身が自裁を命じられ、その擁立者である主要な貴族も同じく処断されていた。大公の子息自体は存在するが、後ろ盾となる貴族達がいない以上殆ど脅威になり得ない。ほかの帝室の遠縁にあたる大公家や貴族達も同様で、半数がクレメンツ派に降り、半数が派閥を切り崩され虫の息だ。

 

 そういう訳でクレメンツ大公の派閥以外が無力化されているのに引きずり落とすなぞ帝国の運営の面から見ても危険過ぎた。引き摺り落しても後釜となる派閥がいないではないか?クレメンツ大公もそう考え、司法省と皇宮警察に圧力をかけた。こうして全ては「無かった事」になる筈であった。そう、その筈であった。

 

 しかし、誰もが忘れていた人物が一人だけいた。オトフリート五世の次男、フリードリヒ。彼を担ぎ上げた帝国警察庁長官ブラウンシュヴァイク公爵、帝国軍統帥本部総長リッテンハイム侯爵、社会秩序維持局長官ベルンカステル侯爵による宮廷クーデターは最初無謀だと思われた。

 

 しかし、クーデターは大勢の予想を裏切り、最終的に如何なる交渉の末か司法尚書ハルテンブルク伯爵や宮内尚書リッペントロップ侯爵、内閣書記長カルステン公爵、近衛軍団司令官マイルフォーファー侯爵、皇宮警察長官シェッツラー子爵と言ったオトフリート五世の腹心達の支持を得て成功、帝都にいたクレメンツ派の主要家の当主は屋敷を包囲された後自裁を勧められ、同時に就任した新当主はフリードリヒ四世の支持を表明を強要される事になる。

 

「馬鹿なっ!こんな事が有り得るのかっ!?」

 

 偶然領地に帰郷していたがためにこの宮廷クーデターから逃れる事が出来た彼の父は驚愕の表情を浮かべる。家令は書斎で帝都で起きた事件を額に汗を流して説明していた。

 

 彼は扉の隙間から父と家令の会話を覗いていた。彼の顔もまた蒼白の顔で愕然としていた。宮廷クーデター!その意味が分からぬほど彼は幼稚ではなかった。同時に彼の脳裏に一人の少女の顔が浮かぶ。皇族である以上命だけは無事である事を彼は大神に祈る。

 

「そ、それで……クレメンツ様は!まさかブラウンシュヴァイクに捕まったのか……!?」

 

動揺しながらも家令に問い詰める父。

 

「い、いえ……!どうやらブラウンシュヴァイク公らの追っ手からは逃げ延びたようです!家族や一部の臣下と共にオーディンを脱出したとか……」

 

 その言葉に父と彼は同時に安堵する。最悪の事態だけはどうにか免れたようだ。このまま父の領地なりほかのクレメンツ派の領地に大公が逃げ込めばどうにかなる。オーディンから追い出され、オトフリート五世の重臣達がブラウンシュヴァイク公爵を支持したとしても、まだまだ巻き返すチャンスはあった。派閥を結集させれば相応の戦力にはなるし、何なら反乱軍と講和を引き換えに一時的に同盟を結ぶ手もある。

 

 いや、実際にそうしなくてもブラフとしての意味はあるし、最悪フェザーンにブラウンシュヴァイク公爵らへの仲介を頼んでも良い。クレメンツ大公さえ生きていればやりようは幾らでもある。

 

 父もその事を理解しているのだろう、直ちにほかの同志と連絡を取ると共に私兵軍の動員を命じ、領地で籠城戦の構えを取った。

 

 しかし、父を始めとしたクレメンツ派の生き残りの下に大公が来る事は無かった。この事を訝しんだクレメンツ派は、クーデターから三週間後に再び驚愕する事になる。

 

 クレメンツ大公事故死、その事実はクレメンツ派にとって全ての終わりを意味し、そして彼らの人生が百八十度変わった瞬間であった。

 

 だが、一族の繁栄の道が閉ざされた事も、父が醜態を見せて宮廷から遠ざけられた事も、まして彼の新たな縁談が不可能になった事も、どれも大した問題ではなかった。

 

そう、彼にとって一番の絶望は………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………夢、か」

 

 深夜、ハンス・シュミット大佐………いや、ヨハン・フォン・クロプシュトック大佐はヌーベル・パレ軍病院の一室で目を覚ました。

 

「お目覚めですか、シュミット大佐?」

 

 ふと、ベッドのすぐ傍に佇む人影が視界に入る。そしてその声質からそれが誰なのか、彼はすぐに理解する。

 

「ティルピッツ少佐か……」

「はい、ここはヌーベル・パレ軍病院です。失礼ながらここに運ばれた理由は覚えておいででしょうか?」

 

 未だぼんやりとした脳内から記憶を掘り起こし、彼は頷く。

 

「それは良かった。御安心下さい、蜂起は無事鎮圧されました。シュミット大佐のご友人にもお怪我はありませんよ」

 

 ベッドの隣に置かれた丸椅子に座りながら、ティルピッツ少佐は数日前に発生した捕虜収容所の蜂起について説明する。

 

 結局、多くの先例に倣い、サンタントワーヌ捕虜収容所における武装蜂起は半日も経たずに鎮圧された。特殊部隊による人質救出と前後して包囲部隊が一斉攻撃を開始。と言っても、蜂起した捕虜だからと見境なく射殺する訳にも行かないので、催涙弾や白煙弾を大量に撃ち込むと共に地上用ドローンを盾として、可能な限り生け捕りにしながら包囲網を絞っていった。完全に鎮圧されたのは蜂起した日の2215時である。

 

 最終的に、同盟軍側に21名の死者と39名の負傷者、蜂起した捕虜にも死者69名と負傷者113名を出した。また、軍属や市民の人質に関しては亡命政府系列の警備会社の護衛等に数名の負傷者こそ出たが、死亡者は皆無であった。

 

 例によって、この騒動の発端は帝国の工作員の手によるものである。しかし、呼応する筈であった同盟国内の反帝国過激派が同盟警察によって拘束されたため、捕虜収容所を襲撃し、捕虜を脱走させて市街地戦を行う計画は一旦休眠する事になった。だが……。

 

「ボーデン大将達に気取られたのは武器、かな?」

「そういう事のようです」

 

 シュミット大佐の言をティルピッツ少佐は肯定する。捕虜収容所は曲りなりにも軍の施設である。収容されている捕虜が三桁の銃器と爆弾を持ち込む事は困難を極めるし、まして短期間では不可能だ。部品単位で分解した上で、何十年もかけて持ち込む必要があるだろう。

 

「そして外部からそれが出来るのはフェザーンの保険会社、という訳だ」

 

 個人用から企業用、合法の物から犯罪すれすれの物、大貴族から宇宙海賊まで利用するフェザーンの大手保険会社「ロゴス・ライフ・アシスタンス」は、サンタントワーヌ捕虜収容所に比較的簡単に立ち入る事の出来た業者だ。それこそ大貴族達の求めに応じて自治委員会の室内を貴族風に改装し、おまけに隠し部屋を作って宝石を持ち込む事まで出来るのだ。ある程度の時間さえかければ、多数の武器をばらして持ち込む事も不可能ではなかった。

 

「ボーデン大将達にとっては精々が護身用や交渉用と言った所だったんだろうね。武装蜂起するつもりならばロケットランチャー位は持ち込んでいただろう」

 

 クロプシュトック大佐が自治委員会の上層部の意図を推し量る。あるいは、仮に帝国軍がハイネセンにまで攻め込む事態になった時のために「ゲリラとして帝国軍を支援した」という実績を作るためかも知れない。兎にも角にも、ギリギリの状況にでもならない限りは彼らも使うつもりは毛頭なかった筈だ。

 

「ミュンツァー中佐は過激とは言え同じ貴族、ボーデン大将達の隠した武器についてもある程度知っていたらしい」

 

 恐らくボーデン大将達に対して、ミュンツァー中佐は表向きはその過激思想は有事に備えた物、と言い訳していたのかも知れない。そして武器の在処を知る中佐と人手を集めるコーゼル大佐が手を組み蜂起計画を立てた。

 

 だがその当初の計画は中止、武器を動かした形跡をボーデン大将達に感づかれた二人は急いで蜂起せざるを得なかった。次の目標は運よく捕虜収容所に来た亡命貴族ケッテラー伯爵家の令嬢である。伯爵令嬢とそれ以外の人質を天秤にかけた脅迫と交渉を行う事で、同盟国内における亡命者(特に亡命政府)とそれ以外の対立を煽動する目的であった。

 

「どうにか大事になる前に鎮圧出来たのは幸いです。上も火消しに随分と動いたようですし」

 

 市民の犠牲者が出なかった事実、事件解決における帝国系軍人(ティルピッツ少佐・ゴトフリート少佐・クリスチアン大尉等)や捕虜(交渉しようとして重傷を負ったシュミット大佐等)の功績を宣伝。加えて、事件への極右組織の関連等の報道も為された。また、トリューニヒト議員やウィンザー議員、グエン議員のテレビ出演は世論操作に一役買う事になった。更に、たたみかけるように他の話題を大量に報道する事によって、サンタントワーヌ捕虜収容所で発生した事件は一気に矮小化された。

 

「後は蜂起した者達の軍法裁判、それにボーデン大将ら自治委員会と保険会社に釘を刺して一応の幕引きを図る、と言った所ですね」

 

 ティルピッツ少佐は椅子の上で手を組みながら苦笑いする。恐らくは上層部の混乱と慌てぶりに呆れての物であろう。

 

「成程………それで、私にこう詳しく説明したのはそういう事ですね?」

 

 話を一通り聞いた後、ふぅと小さく溜息をつき、クロプシュトック大佐はティルピッツ少佐に核心をつく言葉をかける。

 

 簡単な話だ、態々少佐と言う立場の人間が彼の入院先に出向き、しかも説明の必要のない情報まで長々と説明する必要はないのだ。

 

「私の身元が完全にバレたのかい?」

「はい。血液型に髪と瞳の色、身長と体重はシュミット大佐とほぼ同じ。ですが、血液を改めて遺伝子レベルで調べればすぐに別人と分かります」

「だろうね」

 

 クロプシュトック大佐も成り済ます上で自身とよく似た者を態々探して選んだ。遺伝子情報は予め採取しておいた故シュミット大佐のそれとすり替えた、が所詮は捕虜となった時の最初の検査にしか使えない手だ。今回のように輸血のための血液検査にかこつけて詳細な遺伝子検査も行えば簡単に発覚する事だ。

 

 無論、本人の髪の毛なりなんなりから無断で調べても良いが、それでは客観的な証拠にはならない。捕虜には遺伝子検査を拒否する権利がある(帝国の劣悪遺伝子排除法の存在により同盟では遺伝子権の意識が強い)。後々の情報公開を考えると無理強いは出来なかった。何よりも本人の心証を悪化させるだけだ。

 

「うっ……まぁ、それ以前にあの場でアイリーンにヨハンと呼ばれちゃったからね」

 

 体をベッドから起こして苦笑いを浮かべるクロプシュトック大佐。まだ傷口が閉じ切っていないためか僅かに呻き声をあげる。

 

「………それで?たかだか零落れた侯爵家の嫡男一人のためにここまで迂遠な事をしている訳じゃあないだろう?」

 

 正確に言えば、貴族の家柄を極めて重視する亡命政府ならするであろう。だがクロプシュトック大佐は理解していた。この亡命貴族の出にしては妙に物分かりの良い少佐は、亡命政府とは別の者達から指示を受けて自身に接触してきた事を。そして少佐に命令を下せるのは亡命政府を除けば同盟軍、あるいは同盟政府ぐらいである。彼らがここまで迂遠な手段を使うのは大佐のためではなく………。

 

「……恐らくですが、帝国にも存在がばれています。少なくとも上はそう判断している筈です」

 

 ティルピッツ少佐はクロプシュトック大佐に説明する。ヘリで国防事務総局情報部からのエージェントに会い、そのまま記録上はサンタントワーヌ捕虜収容所にいる形でキプリング街の国防事務総局ビルの地下一四階に向かった彼は、そこで匿名の数名の上官に対して此度の事件に関する彼が知る限りの事を説明し、逆に説明も受けた。そして、帝国側が態々数ある捕虜収容所の中でサンタントワーヌ捕虜収容所を選んだ理由についても………。

 

「そうでなくてもボーデン大将は一目で気付いたようですし。……随分と驚いていましたよ?」

 

 ティルピッツ少佐は目を見開いて絶句する伯爵の顔を思い出して答える。

 

「だろうね。ボーデン大将は……正確には本家のボーデン侯爵家は当時の宮廷で中立派だった。クレメンツ大公は中立派を引き込むためによく宴会なり訪問なりをしていたからその時に顔を合わせていても可笑しくない」

 

 クロプシュトック大佐は補足するように説明する。彼もまた念には念を入れて、面会は可能な限り外で行い、収容所内で面会する時は顔を知られている可能性の高い自治委員会幹部に用事があるタイミングを狙うように心がけていた。

 

「まぁ、それはいいよ。………それで、宮廷の犬共が嗅ぎ付けたと言う訳だな?伯爵」 

 

 クロプシュトック大佐の纏う空気が変わったのをティルピッツ少佐は感じ取った。いや、あるべきものへと戻ったと言うべきか。そこにいたのは何処か気弱で厭世的な平民将校ではなく、確かに高貴で高慢な門閥貴族であった。

 

「そうでなければ可笑しいでしょう?暴動を起こすにうってつけの収容所ならほかにもあります。寧ろサンタントワーヌ捕虜収容所はそういう工作がやりにくい場所、帝国からしてみれば態態手を出す場所ではありませんよ」

 

 更に言えば、当初の計画に従えば自治委員会の幹部達や捕虜の中の穏健派も殺害対象であったと言う。当然その中にはクロプシュトック大佐も含まれている。

 

「自治委員会の上層部の殆どは門閥貴族階級、それらを敢えて殺害するなぞ普通の帝国の工作活動では余り例のない方法です。まるで容疑者を全て始末しようとしているようではないですか?」

 

 命令を下した者達は恐らく、目的の人物を保護している者、あるいは匿っている者、存在を承知している者達を、その容疑者を含めて全て抹殺するつもりだったのだろう、とティルピッツ少佐は語る。

 

「実行を命じたのはどこだと思う?伯爵。私に言わせれば、あの無気力で虚無的なフリードリヒが今更動いたとは思えないが………」

 

 クロプシュトック大佐の脳裏に浮かぶのは「新無憂宮」の最奥の玉座に居座る男の姿だ。

 

 彼は、父親程には皇帝を偏見と先入観という屈折したレンズを通して見ている訳ではない。だが、万事に対して意欲の無い、漁色と薔薇の世話のみの人生を送るくたびれた前皇帝の次男が皇帝に相応しい人物だとも感じてはいなかった。同時に、彼が然程玉座に固執していない事も理解していた。

 

「その点に関してはまだ断言は出来ません。動機のあるブラウンシュヴァイク、リッテンハイムの両者が最有力候補でしょうが、ほかにもリヒテンラーデ、リンダーホーフ、ベルンカステル家の辺りも有力な候補です。……どちらにしろ、最早オーディンから一万光年離れたこのハイネセンも既に安全圏ではない言う事ですね」

「安全圏ではない、か」

 

 クロプシュトック大佐はベッドの上で目を閉じてティルピッツ少佐の言葉を反芻する。

 

「………どこまで逃げても、それこそ自由と平等の国にまで逃げても、身分という物は付き纏うものだね。まるで呪いだよ」

「間違ってはいないと思いますよ。我らが称えるべき大帝陛下の残した、永代に続く血の呪いです」

 

 クロプシュトック大佐の自虐的な物言いに、冗談半分で(しかし半分程本気で)ティルピッツ少佐は答える。

 

 現在でこそ強固な銀河帝国の爵位や身分社会も、その成立当初は決して大層な物ではなかった。幾ら口で、あるいは書類上で上下関係を決めようとも、そこに実質的な拘束力や権威は無かった。議会で皇帝を名乗ろうとも、辺境で自らの爵位を名乗ろうとも、ただ嘲笑されるのがオチであった。結局、その権威を保証したのは当人の自前の財力や才能、そしてそれらに裏打ちされた「強制力」であった。

 

 五世紀という時間は張り子の虎であった名に実を与えたが、だからこそ生じた伝統と権威がその子孫を代々縛る呪いへと変わった。実力が無くとも、関わりたくなくとも、逃げようとも、宮廷の陰謀と抗争は高貴な血を受け継いだ者を逃がさない。血を受け継いでいる事、それ自体が暗闘を繰り広げる者達にとって無視するには重要過ぎるのだ。

 

「無害であろうとも、野心が無かろうとも、血さえ流れていれば幾らでも正統性を主張出来ますし、神輿にも出来る。寧ろ無害を装う事すら擬態に見えて疑心暗鬼を生じさせる元になる。それこそ生き残りたいならば孤立するよりも派閥を形成して寄り集まる方が余程マシですからね、下手に孤立している方が優先的に「処理」される危険すら有り得ます」

 

 現銀河帝国皇帝フリードリヒ四世すら本当の意味で宮廷で孤立していた訳ではない。繁華街での放蕩にはノイケルン子爵、カルテナー子爵と言った非主流派や中立派、あるいはジギスムント大公のようなアンタッチャブルを必ず(巻き添え目的で)同行させており、警備には腹心であるラムスドルフに指揮を取らせ、侍従武官であり護衛たるグリンメルスハウゼンを片時も傍から離す事は無かった。

 

 何せフリードリヒに皇帝としての意欲や才覚が無くとも、傀儡にして国政を牛耳ろうとする者が絶えたことは無かったし、最悪兄と弟が互いに相手を陥れるために暗殺をする可能性もあった。フリードリヒは常に一見無能な放蕩児であり続け、尚且つ完全に無防備にはならず、かといって目を付けられる程の脅威でもなく、手を出せば不利益の方が多くなる立場を維持しつつ、忘れ去られるように息を潜めていた(流石に兄弟が共倒れになって自身に御鉢が回ってくるとは考えていなかったであろうが)。

 

 それに比べれば、今回の目標なぞそれこそ腹を晒して寝ているに等しいだろう。とは言え流石に今更思い出したように手を伸ばして来るとは………。

 

「まぁいい。それで?宮廷の魔の手からの保護と引き換えに君達は何が望みなんだい?」

 

 半分程予想がつきつつも、クロプシュトック大佐は確認するように同盟政府の代理人に視線を向けて尋ねる。

 

「仲介役、と言った所ですかね……?」

 

 その言葉を待っていた、と言った表情を浮かべつつ、代理人たる少佐は要求の説明を始めたのだった…………。



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第百十一話 貴族は恨みをいつまでも忘れないという話

これでこの章は終了です


 サンタントワーヌ捕虜収容所で発生した反乱事件から約二週間が経過しようとしていた。

 

 一時期世間を賑わせたハイネセンで発生した大事件も、既にパラス星系首相選挙やハイネセン記念スタジアムでの銀河の妖精によるコンサート決定、激化するヴォーバン・ラインにおける同盟軍と帝国軍の攻防戦、マーロヴィア星系における初の民主的な星系選挙の成功、プロフライングボール選手ジュリアス・ブラックの電撃離婚騒動と言った新たなニュースに押し流され風化しつつあり、実際に事件現場にほど近いクラムホルム市やヌーベル・パレ市においても既に事件なぞ無かったかのように日常を取り戻していた。

 

「……また寝過ごした」

 

 アイリーン・グラヴァーは目覚まし時計を殴りつけて黙らせるとそうぼやいた。

 

 ただちにトーストを焼き、フライパンにハムと溶き卵と牛乳とバターを投げ込む。歯磨きしながらフライパンを回し、程々に焼けると火を消して後は余熱に任せて洗面台に向かう。口と顔をすすいで適当に櫛で寝ぐせを整えると、再びリビングに向かいプレーン皿を取り出す。冷蔵庫に作り置きしているマッシュポテトと生野菜サラダ、フライパンのハムとスクランブルエッグ、そしてトースト二枚を乗せて、後はミルクを入れた珈琲で朝食を完成させる。

 

 若干寝ぼけた目付きでぼんやりとニュースを見ながら朝食を終えると服を着替えてバッグ片手に職場へと向かう。

 

 今日もまたモノレールの席取り合戦に敗れた彼女は目の前で鼾をかいて眠りこけるカツラの中年に飛び膝蹴りしたい気持ちを抑え、携帯端末をいじりながら時間を潰す。

 

 いつも通り駅構内とオフィス街を駆けて、ギリギリの時間帯となって彼女は職場に滑り込んだ。

 

「はぁ、まぁいつもの事だから今更だけど……とっとと席に着きなさい?」

「あはは、どうも……」

 

 フェザーン移民の上司に睨まれ、誤魔化すような笑みを浮かべてグラウァーは自分の席に逃げ込む。

 

「あ、負けました」

「昼にカフェラテ奢りなさい、後輩」

「貴方達、また私で賭けしてるの?」

 

 グラウァーは溜め息をついて何で遅刻しないのか愚痴る後輩と、自身と後輩に取り合わず作業を始める同僚をジト目で見て、しかし暫くして肩を竦めて自身の仕事を始める。

 

「あ、これこの前のデザインの修正点。どうかしら」

「あー、まぁいいんじゃないの?上から言われた点は注文通り変更出来ているし、帝国風な印象も結構消えてるしね。後輩君はどう見る?」

 

 グラウァーがバッグから取り出したスケッチを観賞して同僚がそう答え、後輩に話を振る。来年の冬服のデザインを作成していた後輩はそれに答えて覗きこむようにスケッチを見る。

 

「お、可愛いですね!先輩ってぐうたらなのに仕事のデザインは乙女チックなんですよね!」

「お前ぶん殴るぞ」

 

 グラウァーが笑顔で拳を見せつけると後輩はそそくさと同僚の後ろに逃げ込む。

 

「はいはい、貴方達馬鹿やらない!『時は金なり』よ、お給料貰っているんだからふざけるのは休憩時間にしなさい!」

 

 上司がそんなグラウァー達を横目で睨み付け、フェザーン人らしい諺で注意をすれば慌てて皆が仕事に戻る。

 

 とは言え、皆この完全実力主義の会社に勤める以上無能ではない。一度仕事に入れば時折ふざける事はあろうとも手は止まらずに給料分の仕事をして見せる。

 

「そうそう、今度映画館に行きませんか?今年も映画祭始まるじゃないですか!」

 

 朝の仕事を終えた昼休み、職場のあるオフィスビルの一階にあるカフェで小生意気な後輩が提案した。ヌーベル・パレ市で行われるサジタリウス映画祭の期間中は市内の映画館が軒並み半額となり、その一年で上映された全ての映画を鑑賞する事が出来る。

 

「そういうのは普通彼氏と行くものじゃないの……ていつもの事か」

 

 グラヴァーは呆れ顔で肩を竦める。自身は兎も角キャリアウーマンな同僚と空気の読めないウザキャラな後輩に男気なぞある訳ないのだ。おかげで毎年この面子で映画館に行かされる羽目になる。全く男気の無さがこちらまで移ったらどうするつもりなのか……。

 

「先輩ー、今滅茶苦茶内心でディスりませんでしたー?」

「おい、心を読まないでくれないかしら?」

 

 取り敢えずグラヴァーは後輩に突っ込みを入れる。その様子を観察していた同僚も溜息をつきつつ話に加わる。

 

「と言ってもここ一年で面白そうな映画って何があったかしら?」

 

三人が一様に考え込む。

 

「『荒野のハヤブサ飛行隊』?」

「えー、あれって元ネタはひと昔前の懐古主義映画ですよね?リアルより過ぎて余りエンターテインメントとしては合いませんよ?」

 

 同僚の提案に後輩が文句をつける。古き良き同盟建国期の開拓時代をモチーフにした作品は、歴史的考証は良く出来ているが純粋な娯楽映画としては少々力不足だ。

 

「あんたねぇ、じゃあ何が思いつくの?」

「うーん、じゃあ『伯爵令嬢様は告らせたい』と『五等分の寵姫』でどうでしょう!」

「おい、さらりとラブコメとホラーを混ぜるな」

 

後輩の提案に速攻でグラヴァーは突っ込みを入れる。

 

 双方とも実話を基にフェザーン人監督が製作し、フェザーンのホーリールード映画祭でもノミネートされた作品だ。前者は朴念仁で有名であったカール大公と後にその妻になるアデリア・フォン・エッシェンバッハによる恋愛模様を戯曲化した物で、後者は痴情の縺れによって最終的に寵姫達に「物理的に」五等分された、苦悩帝こと第一七代銀河帝国皇帝レオンハルト一世の実話である。

 

「むー、じゃあ先輩は何推しですか?」

 

 むすっと頬を膨らませて後輩が問い詰める。グラヴァーは少し難しそうに考え込み……。

 

「べす……ふ……と……」

 

 小さく呟かれた声に同僚と後輩は首を傾げ、もう一度答えるように頼む。

 

「……『べすてぃー・ふろいんとⅡ』」

 

 暫し葛藤するような素振りを見せた後、グラヴァーは顔を赤らめて答えた。それは子供向けアニメ映画であった。

 

「あー」

「あー」

 

 同僚と後輩が同時にどこか温かい目でグラヴァーを見つめる。

 

「止めてくれない?そんな目で見ないで悲しくなるわ」

 

 仕方ないのだ。毎日仕事で疲れて深夜までデザインを設計しているとテレビ画面の向こうからほんわかしたサーベルが「すごーい!」とか「たのしー!」とか言ってる姿は正直滅茶苦茶癒されるのだ。全て資本主義と同盟の自主やら自律を求める社会が悪いのだ、少なくともグラヴァーはそう信じた。

 

 ………尚、この後恥ずかしさを隠すために注文していたドーナツを口に入れて紅茶で流そうとしてむせたのは秘密である。

 

 

 

 

 

「じゃあ、私は先に帰りますね?」

 

 昼からの仕事を終え、少しだけ残業(当然給料は出る)をした後、グラヴァーは上司にそう連絡する。

 

「あ、先輩ずるい」

「さっさと仕事を終わらせない貴方が悪いの」

 

 グラヴァーは拗ねる後輩に意地悪な笑みを浮かべる。とは言え後輩よりも仕事量は若干多かったのだ、文句を言われる筋合いも無い。

 

「そう、御苦労様。カードの打刻はしておいて。……気を付けてね?」

 

 上司は最後に心配そうにそう付け加える。二週間前の事件もあってそれに巻き込まれた部下を心配してくれているようだった。それは会社のほかの上司や同僚、部下も同じであり、皆彼女の心を慮って敢えて事件には触れず、いつも通りにしつつも思いやりを持って接していた。

 

「……はい、お疲れ様でした!」

 

 グラヴァーもそれを理解するが故に無理をせず、気楽に、そして感謝してそう返事を返した。そのまま駅でリニアモノレールに乗って揺れ、それを降りると街灯が歩道を照らす夜中のクラムホルムの街を歩く。そして………。

 

「はぁ、………何かこんな状況、ちょっと前にもあったわね」

 

呆れたように溜息をつく。そして……。

 

「ええ、良いわよ?どうせもう言い逃れ出来る事でも無いのだし、ね?」

 

 夜道でグラヴァーが振り向いた先には以前会った時と同じ服装の亡命貴族の将校の姿があった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「支払い、まさか淑女にさせる訳じゃないわよね」

 

 喫茶店「ブリュメール」の窓に面していない奥まった席に座ったグラウァー氏は、周囲を警戒した後、思い切るように私に尋ねる。

 

「勿論ですとも。貴重な御時間を頂くのです、お好きな物をご注文下さい」

 

 同じように席に座り込んだ私はにこやかな笑みで答える。正直後で経費で立て替えしてもらうのが憂鬱だがそれを口にするわけにも行かなかった。

 

「じゃあこの珈琲にチョコレートティラミス、ピーチパイと……それにこの杏タルトを頂戴」

 

 メニュー表をざっと見てから堂々と注文をするグラウァー氏、私は同じく珈琲だけ注文する。そして注文を受けた店員が去り………。

 

「ヨハンの怪我はどう?」

 

 目の前の女性の纏う空気が僅かに変わったのを私は感じ取った。

 

 一見すると何も変わらないように見えるかも知れない。しかし、その低い口調とこちらを観察するような細く開かれる瞳、そしてその姿勢からは一般的な同盟社会人女性にはない何かを感じとる事が出来る。

 

「………御無事ですよ。銃撃は急所を外れていましたから、後遺症もありません。あと数日もすれば問題なく動けるようになるでしょう」

「そう、それは良かったわ……私を巻き込まないように危険を承知で説得しようとしてくれたのだもの。死なれては寝覚めが悪すぎるわ」

 

 一見すると淡々とした冷たい口調……しかし、そこに確かに温かみを感じさせるように口元を僅かに綻ばせるグラウァー氏。

 

「私の事は……ヨハンから聞いた訳ではないのでしょう?あの人は口を割る位なら自裁するような性格だから。貴方……いえ、貴方達は元から知っていたと考えて良いのかしら?」

 

グラウァー氏は私に対して冷笑を浮かべて尋ねる。

 

「………元々クレメンツ大公生存説が流れる程でしたからね、同盟政府も調査自体はしていましたよ。とは言え、御上の予想はフェザーン潜伏、自治領府が匿っている線を有力視していましたけどね」

 

 私は正直に答える事にする。彼女を余り不快にさせるべきではない。

 

 先程言った通り、クレメンツ大公生存説自体はそれなりに流布されていた噂だ。クレメンツ大公の遺体は損傷が激しく本人と完全に断定はしきれなかった。DNA自体は本人と一致したものの、数名の家族はそれすら確認が困難であった事も理由だろう。

 

 とは言え、この程度ならよくある噂以上の物ではない。同盟上層部も可能性について留意はしていても比較的優先順位が低かった。

 

 きっかけは、退職したあるフェザーン入国管理局員が口を滑らせた事である。

 

「『クレメンツ大公一家の死体を偽装した』。陰謀論なんて良くある話、しかも酒場で酔った勢いでの話です。本来ならば一笑に付されるか戯言扱いですが……」

「帝国の『ハウンド』が接触でもした?」

 

 頬杖をつき、意味深そうに口元をつり上げるグラヴァー氏の言葉に私は頷く。

 

 フェザーンは帝国と同盟の諜報戦の主戦場だ。高等弁務官事務所の監視や職員の尾行なぞ日常であり、工作員による暗殺や情報収集、その他の工作も当然行われている。最低でも月に一人は民間人に扮したスパイが川で死体となって浮いているのが恒例行事である。

 

 同盟の情報部は件の入国管理局員を特に重視していなかったが、その局員に帝国の「ハウンド」が接触した事で流れは変わった。

 

「高等弁務官事務所に局員が接触してきたそうです。亡命希望でね。同盟政府が本格的に動き出したのはそこからですよ」

 

 クルーザーに保管されていた貴金属と引き換えにクレメンツ大公一家の一人の死体を偽装した事を局員は語った。とは言え証拠は何処にもない。死体は帝国側に送還されたし、同盟への亡命の時点で同盟の入国管理局が検査を行っている。どうやってそれを擦り抜けるというのか?

 

 私とグラウァー氏は一旦沈黙する。店員が注文の品を持ってきたからだ。テーブルの上に珈琲とケーキが置かれ、店員が恭しく立ち去るとそこでグラウァー氏が口を重々しく開いた。

 

「………ジークマイスター機関、だったかしら?」

 

 グラヴァー氏は溜息を漏らすと湯気の立つ珈琲を一口含み、そして続ける。

 

「詳しい事は知らないわ、けど義父……クライバーが言うには、同盟に亡命した同志の伝手を使って入国時の検査を偽装したと聞いたわ」

「やはりですか」

 

 グラヴァー氏の言葉に私は然程驚かない。上層部でも想定の一つにおいていたからだ。

 

「貴方の母……ローゼンタール伯爵夫人、クレメンツ大公の寵姫となる前の名前をエミリア・フォン・ミヒャールゼンは父の人脈を受け継いでいた、上層部はそう見ています」

 

 オットー・フォン・ジークマイスターとクリストフ・フォン・ミヒャールゼンを指導者とした帝国史上最も危険な反国家的スパイ網の一つであるジークマイスター機関は、両者の喪失後、幾度かの憲兵隊や社会秩序維持局による弾圧を受けた末、最後は「カップ大佐反乱事件」により壊滅。数少ない残党は同盟ないしフェザーンに亡命するか、ほかの反帝国地下組織に合流した……と言うのが亡命政府や情報部が把握していた情報だ。

 

「現実には残党がミヒャールゼン提督の娘であり、クレメンツ大公の側室であった貴方の母の下に結集した」

「それは正確ではないわね。保護を願って落ち延びて来た、というべきよ」

 

義父が言うにはね、とグラヴァー氏は付け足す。

 

 組織再編のための結集にしろ、保護を受けに逃げて来たにしろ、兎も角もローゼンタール伯爵夫人の下にジークマイスター機関の残党が集まっていたのは事実であるわけか……。

 

「そして、貴方の母は彼らを利用した」

 

 宮廷における権力抗争にこの工作員達を活用し、伯爵夫人は数いるクレメンツ大公の寵姫の中でも正妻に匹敵する権威を手に入れた。あるいはクレメンツ大公自身がその有用性に目を止めて引き立てたのか………。

 

「義父が語るには母の下にいたジークマイスター機関の残党の一部は父を皇帝にして民主主義の布教を狙っていたようね。父自身影響を受けて同盟に対して融和的だったそうだし……立憲君主制でも目指していたのかもね」

 

 グラウァー氏は珈琲のカップをテーブルに置くと、彼女が伝え聞いた話を口にする。

 

 こうして彼らはクレメンツ大公を皇帝にするべく蠢動する。最大の功績はリヒャルト派の失脚であった。リヒャルト大公に弑逆の罪を擦り付けて自裁させ、その派閥も壊滅させる。

 

「しかし、そこで宮廷クーデター、ですか」

 

 帝国警察庁長官ブラウンシュヴァイク公爵、統帥本部総長リッテンハイム侯爵、社会秩序維持局局長ベルンカステル侯爵……その役職からして、恐らくはクレメンツ大公の背後で蠢いていた共和主義者の存在を把握していたと見て良かろう。

 

「そうでなければあの状況でクーデターなんて起こさないでしょうね。担ぎ上げるべき伯父様は本来ならば支持を受ける事なんてないでしょうし、オトフリートのお祖父様やその側近達がクーデターを許容なんてしないわ」

 

 そして恐らくジークマイスター機関のスパイ網からそれを察知したのだろうクレメンツ大公は同盟に亡命を決意した。

 

「表向きはリヒャルト伯父様の弑逆だけど実際はスパイ、それも飛び切りに恨みを買っている者と手を組んでいた。当然国内に残るなんて無理な話よ」

 

 宮廷闘争で同盟の後ろ楯を得る事自体は然程問題はない。サジタリウス腕も帝国の論理では帝国の辺境領であり、彼らを「利用」する事は奨励される事ではないとしても徹底的に否定するべき事でもない。

 

 だが、ジークマイスター機関は違う。彼らの活動は余りに多くの武門貴族や帝国国境の地方貴族、更には国政に関わる官僚貴族の怨みを買っている。帝国政府も体面からそうそう暴露するとは思えないが、もし知られればその時点で詰みだ。クロプシュトック侯爵等の支持者の下に逃げ込むのは暴露された時のリスクが高すぎた。

 

「そしてあの事故、と」

「あれがどこぞの手の者による暗殺か本当の事故なのかは知らないわ。少なくともブラウンシュヴァイクやベルンカステルはあの事故を謀略の道具にしたようだけど」

 

 グラウァー氏は声を潜めたまま冷笑する。

 

 ブラウンシュヴァイク公爵はクレメンツ大公死亡の責任についてファントムハイヴ、トランシー、ランドン家に追及し、オトフリート五世は最終的に彼らに当主の自裁や降爵、領地の一部没収等の罰を与えた。彼女から見た場合、彼らと役職が重なるブラウンシュヴァイクやベルンカステルがこの機に敵対者を引き摺り落としたように見える訳か。

 

「家族が皆死んだ中で私だけ生き残ったのは本当に偶然よ。侍女が……友人が盾になってくれなかったら死んでいたわ」

 

 ジークマイスター機関の残党であり、クレメンツ大公の食客でもあったクライバー帝国騎士の娘イレーネ(臣下が主君の子供と同じ名前を付ける事は往々にしてある事だ)は、彼女を守る形で死んだ。

 

「そして彼女に成り代わった訳ですか」

「……否定はしないけどその言い方は止して欲しいわね、実行したのは義父よ。当時の私は訳の分からぬままそれに従う事しか出来なかったわ」

 

 グラウァー氏は心底不愉快とでも言いたげな顔をして、説明する。

 

 クライバー帝国騎士は主君一家と娘の亡骸を確認した後、唯一生存していた彼女を保護するために最善の行動を取った。娘の亡骸を外面が分からない状態にし、次いでフェザーンの入国管理官を買収、同盟の入国管理官は機関の同志の協力を得て擦り抜ける。そして注目されないように、暗殺されないように亡命政府や帝国人街から距離を取って潜伏していたと……見上げた忠誠心だな。

 

「………彼には随分と悪い事をしたと思っているわ。自分の娘の亡骸を分からないように壊して、赤の他人の私のために人の嫌がる仕事をさせたのよ。……ええ、良い臣下であり、父だったわ。正直、本物の父より………」

 

 これまでの記憶を思い浮かべながら苦々しく、憮然とした表情を浮かべるグラヴァー氏。

 

「クロプシュトック大佐との出会いはどういう経緯で?」

 

 暫く彼女に心を整理させる時間を与えた後、私は話を進める。

 

「ええ、父が交通事故で死んだ後、私が移住したのは知ってるわよね?あれが本当の事故だったのかは兎も角、すぐに私は教えられていた通りに帰化申請してから逃げたわ。このヌーベル・パレの辺りは随分とリベラルだから工作員も潜入しにくいと思ってね。それで定職について……信じないかも知れないけど、本当に偶然よ?書店でアルバイトしていたヨハンとあったの」

 

 グラヴァー氏はそこでこれまでの影のあった表情を若干和らがせて、口元を綻ばせる。

 

「すぐに分かったわ。……貴方なら知っているでしょう?クロプシュトック侯爵家の事くらい。父に献金なり人を紹介するなり色々して即位後の領地への投資やら国務尚書の地位、それに娘の嫁ぎ先に選ぶ約束もしてもらったわ」

「……その娘が貴方という訳ですね?」

「正解」

 

 肩を竦めてグラヴァー氏はチョコレートティラミスに手を出し始める。

 

「風の便りでクロプシュトックの惨状は聞いていたわ。けどまさかヨハンがあんな場所にいるなんて思わなかったわよ。しかも平民の振りして捕虜になっているなんて想像もしてなかったわ」

 

 チョコレートティラミスをフォークで一口、育ちを感じさせる上品な動作で食べた後、彼女は話を続ける。

 

「街の喫茶店とかで色々話したわ。……とても楽しかったわよ?そりゃあこっちに来てから友人も出来たけど、本当の私の事なんて話せないもの。本当の意味で『私』として気を許せる時間なんてそうそう………」

 

暫し物思いに耽る素振りをし、彼女は言葉を更に紡ぐ。

 

「………正直、こんな事になるなんて考えてもなかったわ。ヨハンも家に未練は無いらしいから私を売る気は無いと言ってたわ。このまま模範的に過ごしていれば帰化出来るとも言ってたしね。そうしたら秘密のある者同士暮らしていって、貯金でも貯まれば田舎で余生を過ごしても良いかなって考えてもいたのよ?けど………」

 

鋭い視線で彼女は私を射ぬく。

 

「私も馬鹿じゃないわ。収容所のあの騒動が完全に不運が重なった結果と考える程頭の中は御花畑ではないわよ。それで、やっぱりあれはそういう事なの……?」

 

 彼女は嘘は言うな、とばかりにこちらを睨み付ける。その視線はただの一般市民が向けるにしては異様な程の迫力があり、こちらの内面を見透かすように感じられた。

 

「……半分程は、でしょうか?当初、貴方の命を狙っていたのは間違いありません。但しあの騒動自体は現場の暴走に近いものです」

 

 私は彼女に簡略的にあの騒動について説明をしていく。彼女は当初淡々と話を聞いていたが、蜂起部隊が捕虜収容所の穏健派を殺害する事を予定していた下りを聞いて僅かに動揺する。

 

「そう、当然その穏健派の中には……」

「ハンス・シュミット……いえ、クロプシュトック大佐も含まれていたでしょう。彼は収容所内では模範的であり、消極的とはいえ自治委員会の方針に賛同していましたから」

「そう……」

 

 グラウァー氏を騙る女性は複雑な面持ちでピーチパイに手を付ける。

 

 恐らく当初の計画では、まず彼女の存在を知るクロプシュトック大佐を、そして収容所を脱走した捕虜の犯行に見せかけて彼女も暗殺するつもりだったのだろう。その計画自体は中止されたが、現場の暴走により下手をすれば帝国側工作員の目標が偶然殺害される所であった。

 

 尤も、結果としてはそれが彼ら彼女らが自発的に保護を求める事態に繋がったのは幸運というべきか、悪運というべきか………。

 

「………それで?平民の血税をつぎ込んでただただ『保護』したい、と言う程貴方に代理を頼んだ輩は篤実でもないのでしょう?何が望みな訳?」

 

 品定めするような視線を向けるグラウァー氏を騙る女性。私はそれに対して嘘偽りなくスポンサーの要求を伝える。

 

「二つあります、一つは帝国国内の機関の残党との繋ぎ役として名前を貸して頂きたい」

 

 帝国国内のジークマイスター機関残党の少なくない数がクレメンツ大公の下に集まっており、その大公が同盟によって暗殺された疑惑がある以上、彼らは積極的に同盟と協力しようとはすまい。そこで、クレメンツ大公の娘である彼女を通じて独自に活動を続けているであろう彼らとの連携を取りたい、というのが上層部の意向だった。

 

「……次は?」

 

 当然それだけが要求である訳が無い事位、彼女も理解している。故に次の要求についても尋ねる。

 

「二つ、旧クレメンツ派の諸侯、彼らの少なからざる人数が現在のフリードリヒ四世の治世に………正確にはブラウンシュヴァイク公爵らの専横に不満を抱いております。彼らとのパイプ役、ひいては象徴となって頂きたい」

 

 クレメンツ大公の子供の中で恐らくは唯一の生存者が目の前の女性である。そしてその血は現在の帝国の政情において最大級の爆弾となり得る。

 

 現在の銀河帝国の帝位継承問題は混沌を極めている。帝国帝位継承法において、通常は皇帝の男子、男子が存在しない場合は兄弟かその男子が帝国枢密院の「推挙」により皇太子として定められ、オーディン教教皇庁の「祝福」に基づき聖俗両世界の最高権力者たる「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝」に即位する事になる。

 

 現皇帝フリードリヒ四世は二八名の子供を作り内一五名は「流産」と「死産」で現世を去り、残り一三名の内七名は「事故死」ないし「病死」、「急死」、「自殺」によりヘルヘイムへと旅立った。

 

 成人した四名の内二名が男子で二名が女子である。女子二名はオトフリート五世の妹の子、フリードリヒ四世の従姉妹が母であり、権門四七家にしてクレメンツ大公を追放した宮廷クーデターの首謀者が一つベルンカステル侯爵家の血を引くアマーリエとクリスティーネである。それぞれが同じく宮廷クーデターを首謀したブラウンシュヴァイク公爵家、リッテンハイム侯爵家の次期当主(当時)に嫁ぎ娘を出産した。因みに両家の前当主の妻は第三〇代皇帝コルネリアス二世の皇后の子である。

 

 男子は二名は同盟、そして帝国においてすら時に混同される事がある。何せ共に下級貴族の寵姫を母としており、共に曰くつきの名前で知られる「ルードヴィヒ」の名前が付けられていたためだ。これはフリードリヒ四世自身が皇太子にするつもりは無いという意思表示であり、実際に生まれてすぐに臣籍降下が為されていた。関心が薄いために同一視される余り同盟の書籍においても誤解がよく生じている。

 

 ところが、宇宙暦783年、帝国暦476年に当時唯一臣籍降下せず皇太子の地位にあったレオンハルトが成人に達する直前に急死した。これを受けて、二人のルードヴィヒは暫定的にではあるが皇位継承者候補に復帰した。

 

 とは言え、ブラウンシュヴァイク家もリッテンハイム家も彼らを次期皇帝とするつもりは毛頭なかった。かつてのクロプシュトック侯爵ではないが両家とも二人のルードヴィヒを冷遇してきておりその溝は深く、その関係が改善される可能性は天文学的な物であった。

 

 宇宙暦784年帝国暦477年には片方のルードヴィヒ、母方の家名から「シュトラリッヒのルードヴィヒ」と呼ばれる方が「病死」した。一部では宮廷クーデターを起こした三家の手が疑われている。

 

 もう一人のルードヴィヒ、こちらも母方の家名から取って「ロンバルトのルードヴィヒ」と呼ばれる彼にも魔の手が伸び、二度に渡り事故に遭い負傷した。さらに、枢密院と教皇庁はそれぞれブラウンシュヴァイク、リッテンハイム家の政略によりその代理人と化していた。

 

 これらの流れが変わったのは、リヒテンラーデ侯爵とカストロプ公爵、カルステン公爵がルードヴィヒ皇太子の支持を始めたためだ。宮廷クーデター以来専横を重ねる三家への反発からの物と見られた。

 

「家名で劣り、しかも枢密院と教皇庁の支持を得られない皇太子、一方枢密院と教皇庁をそれぞれ支配する代わりに帝位を継ぐべき男子のいないブラウンシュヴァイクとリッテンハイム、しかも後者二名は潜在的な敵と来ている………。宮廷は今や三者鼎立状態と言う訳ね?」

 

 安定しているようで不安定な現在の宮廷の勢力図において「クレメンツ大公の娘」という存在がどれだけの影響を与えるか、分からぬ者はいまい。特にクロプシュトック侯爵家を筆頭とした旧クレメンツ派は当然ブラウンシュヴァイク家にもリッテンハイム家にも付けないし、だからといってフリードリヒ四世の息子にして下級貴族の血を引くルードヴィヒの風下に立つ事も許容出来ない者も多い。

 

「貴方を帝国に売って講和の供物にするつもりはありません。ですが貴方の存在があれば旧クレメンツ派の結集が可能だ。同盟軍の全面的な後ろ盾があれば貴方が帝位に就く事すら可能であると上層部は考えているようです」

 

 上層部の分析では、今後十年以内に帝国において歴史上最大規模となる内乱が勃発する可能性は約八〇%と想定しているそうだ。彼らにしてみれば、内乱で潰し合っている所に旧クレメンツ派と同盟軍の連合軍でオーディンに討ち入り、女帝を即位させる事が出来たら万々歳と言った所だろう。

 

「あら、アルレスハイムの皇帝は無視してもいいのかしら?特に貴方の立場からすれば許容しきれない事ではなくて?」

 

訝しむように目の前の女性は尋ねる。

 

「それも考えてはみましたがね、残念ながら亡命政府は帝国国内に持つ基盤に不安がありますし、やはり遠縁ですから」

 

 当然秘密裏に手を結ぶ諸侯やスパイ網こそあるが、クレメンツ派の残党に比べれば亡命政府がオリオン腕に持つ基盤には不安が残る。血統も正統ではあるが残る三候補に比べては血筋が遠く、その三者に勝る支持を得られるのか、と言えば亡命政府はブチ切れるだろうが同盟上層部は楽観視していない。

 

「無論、今回のスポンサーとて亡命政府を蔑ろにするつもりは無いのでしょうが……。まぁ、帝国史上初の女帝陛下の子にこちらの皇統の娘なり息子なりが嫁いでくれれば十分です。二、三代かけて皇統を乗っ取りますよ」

 

 実際、同盟上層部からすれば旧クレメンツ派と亡命政府双方の顔を立て、その軍事力と財力を利用出来るのが一番都合が良いのだ。その分市民の血税と流れる兵士の血が減るのだから。

 

「あら、そんな事口にして良いのかしら?万一に私が玉座に座ったとして、その後に起こるのは亡命政府(貴方達)クレメンツ派(私達)の内ゲバよ?」

「御冗談を。一般市民として一生を過ごそうとしていた貴方が今更権力闘争を、まして自分の血統への拘りなぞないでしょうに。それなら寧ろ禅譲の方があり得ますよ」

「ああ、確かに。その手もあるわね……」

 

 彼女は顎に手を添えて半分冗談で、しかし半分程本気で考える素振りを見せる。

 

「……ふふ、まぁ冗談はこの程度にするとして…………私が『嫌だ』と言ったら?」

 

 彼女は高慢に、不遜な態度で、こちらの対応を窺うように尋ねた。だが………。

 

「それは有り得ないでしょう?」

 

 私は一切の迷いなくそう答える。十何年も一般市民に紛れて生活する事が出来た彼女が現実を分かっていない筈も無い。このままではそう遠くない内に命を落とす事位理解している筈だ。まして……。

 

「あの条件は私のスポンサーが提示した妥協出来るギリギリの内容です。ほかの者達に確保された暁には貴方に提示される条件は厳しくなっても軽くなる事はあり得ません」

 

 長征派に確保されれば間違いなく外交の駒にされるか民主主義を奉じる「アイドル」にでもされるだろう。当然二十四時間監視された状態で、である。

 

 あるいは亡命政府に確保されたとしよう。間違いなく帝室の一員として政略結婚をさせられるだろう。そしてクレメンツ派を利用するための出汁にされるだろう。

 

 統一派の提示した条件は正直な話かなり穏当な物だ。本当ならもっと容赦なく利用しても良い。それこそ確保されているクロプシュトック大佐を人質として利用すればどのような要求も出来るのだ。統一派の要求は少なくとも彼女を(ほかの勢力に比べて)対等の交渉相手として扱っている。後ろ盾も頼れる人物もいない彼女を相手としているのなら破格の待遇ですらあろう。

 

「残念ながらこれ以上の値引き交渉は御断りですよ?」

「見抜かれたか……」

 

 そこで先程までの女王然とした表情はなりを潜め、小市民的に残念そうに溜め息をつく。そして杏のタルトを食べながら私に問う。

 

「……………ねぇ。少し話は変わるけど、私の祖父は誰に殺されたか知ってる?」

 

 それはクリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督の暗殺事件の真相について尋ねたものだ。帝国の公式記録では犯人不明、同盟政府も少なくとも公式には暗殺を否定している。現在に至るまで下手人は不明であるが……。

 

「自殺、でしょうかね?」

 

 私は片手間ながらもクロプシュトック大佐やケーフェンヒラー大佐の手伝いの中で、そして私がこれまで直に感じ取った貴族と宮廷文化の中で薄々そう判断していた。

 

 ミヒャールゼン提督を殺害する……帝国政府にとって彼が裏切り者であったとしても態態軍務省内で殺害する理由なぞなく、同盟に到っては亡命なら兎も角暗殺する理由は少ない。……ならば有り得るとすれば自ら命を絶ったという結論しかない訳だ。

 

「……義父の話によれば当時ジークマイスター機関に潜入していた『ハウンド』がミヒャールゼン提督の機関との繋がりを示す証拠を極秘裏に入手したそうよ。それを基に祖父の摘発計画が水面下で進行しつつあった」

「だが、その前に死亡した」

 

 私は続けるように答える。結果的にミヒャールゼン提督の口が物理的に閉ざされたために機関との繋がりを示す証拠はしかし確信犯であったのか、それともただ利用されていただけなのか分からなくなった。

 

 いや、軍務省内で死体となったのだ。自裁するとしても態態軍務省でする必要は何処にもない。機関との繋がりを示す証拠は一部の者達だけで共有されていたから当時軍部でも宮廷でもミヒャールゼン提督は何者かに殺害された、と言う見方が支配的となった。より正確にはそう誘導された。

 

「……自裁を進めたのはシュタイエルマルク大将でしょうね」

「ええ、そうよ。彼が……大叔父様が祖父にそう進めたのよ」

 

 シュタイエルマルク大将からしてみればこれは妥協の産物であった。帝国軍を弱体化させ、多くの上官や同僚、部下、挙げ句は身内まで死なせる理由となったジークマイスター機関の暗躍……彼にとってはミヒャールゼンは今すぐにでも断頭台に送りつけたい人物であっただろう。

 

 しかし、現実にはそれは出来ない事だった。ミヒャールゼンの息子達は彼やブルッフ大将(当時)の愛娘を妻に娶っている。そしてミヒャールゼンが機関の構成員である事が判れば事は大逆罪に類する。最低限でも三等親までが連座で死刑となるたろう。当然彼の娘……いや、それどころか彼自身にすら影響が及びかねなかった。

 

 ブルッフ大将もシュタイエルマルク大将も第二次ティアマト会戦以降の帝国軍を支えた存在である。ミヒャールゼン提督の排除を目論むブラウンシュヴァイク公爵家やベルンカステル侯爵家は代々治安や防諜関係の部署で重きをなして来たから躊躇は無かろうが、軍部としてはそれでシュタイエルマルク大将やブルッフ大将を失う訳には行かなかったし、彼らも子供や自分達を現世から追放させる訳には行かなかった。

 

 その結果、彼らはミヒャールゼン提督に取引を持ち掛けた。彼が自殺……それも「共和主義者に暗殺された」形で死ぬ事と引き換えに彼の名誉と一族の生命を保証する取引だ。

 

 元々、ミヒャールゼン提督には共和思想への共感は無く、どちらかと言えば興味本位で機関を組織し後戻り出来なくなったような物である。そして彼は貴族と宮廷の文化に疑問はあろうとも結局は貴族家の当主であり、父親であった。親族のために彼はシュタイエルマルク大将の脅迫に近い提案を最終的に呑み、そして………。

 

 ブルッフ大将やシュタイエルマルク大将は軍務省で起きた事件であるために帝国警察や社会秩序維持局の介入を阻止し、憲兵隊を使い事件を自殺ではなく暗殺事件へとすり替えた。ミヒャールゼン提督は少なくとも表向きは「血を裏切った叛徒共の卑劣な協力者」ではなく「卑怯な共和主義者によって犠牲となった軍高官」として礼を持って丁寧に埋葬され、またその一族は一切の追求を受ける事は無かった……とは言え流石に一部の不興を買ったのだろう、後にブルッフ、シュタイエルマルクの両者は表向きは別の理由でではあるが元帥に昇進を許されずに軍を去る事になった。

 

「……多分ね、母が彼らと……ジークマイスター機関と協力したのは復讐のためよ」

 

 別に保護を求めても無視しても良かったのだ。大公の寵姫、その立場にあれば少なくとも大抵の望みは叶うのだ。合理的に考えればクレメンツ大公の寵愛を受けるためとはいえ態々危ない橋を渡る必要は無い。

 

 ならば有り得る理由は……復讐だ。自殺に追い込まれた父のための復讐だ。クレメンツ大公を皇帝にし、その寵愛を利用して父を自殺に追い込んだ者達に報復する、門閥貴族は一族の仇を許さない。復讐は高貴な血の欲する所であり、義務であるのだから……。

 

「何事も巡り巡るものよね?ははっ、傍から見たら私って祖父や両親の仇討をしようとしているように見えるのかしら?だったらブラウンシュヴァイクら(あいつら)が私を狙う理由も分かるわね、可愛い娘や息子に報復される前に根こそぎ刈り取らないといけないのだもの。本当………だから宮廷は嫌いなのよ」

 

最後の言葉は心底嫌悪するように冷たい言葉だった。

 

「………まぁいいわ。細かい所は貴方を代理に選んだ輩と詰めるとして、その案に乗って上げるわよ。それ以外に手立ても無さそうだしね?だけど……私は祖父とも、両親とも違うわ。私は別に興味本位でなければ信条でもまして仇討なんて詰まらない事のために協力する訳でもないわ。唯生きたいだけ、生きて……大事な人と一緒にいたいから、それだけのために私は協力するの。その辺りの事は、上にも良く言っておいてくれる?誤解されたくはないのよ」

 

 そこでようやく彼女はどこか疲れたような笑みを浮かべ私に頼み込んだ。

 

「……承知致しました」

「……ありがとう。ああ、ここの店美味しかったわ」

 

最後の一口を食べ終えると、彼女は私の恭しい礼に実に同盟人らしい気さくな笑みで礼を述べた。そしてこのやり取りから交渉が終わった事を理解したのだろう、ふと「ブリュメール」の店先に数台の車が停車した。そしてすぐに店内に黒服を着た屈強なエージェント達が入店する。

 

(中央委員会直属のSP……しかも特別捜査第一課!)

 

 私は彼らの挙動や出で立ちからそう推測する。最高評議会議長の身辺警護も行う護衛のプロ中のプロだ。

 

『失礼致します。御同行を願えますでしょうか?』

 

 彼らは、恐らく事前に研修を受けたのだろう、宮廷風の動作と宮廷帝国語による呼びかけでクレメンツ大公の唯一の娘にそう伝える。

 

『……イレーネ・フォン・ゴールデンバウムである。さっさと貴方達の飼い主の下に案内しなさい。私は逃げも隠れもしないわ』

 

 優美にして傲岸不遜な宮廷帝国語の声に、私は再び対面する女性へと目を向けた。そこにいるのは最早同盟市民ではなかった。出で立ちこそ安い洋服ではあるが、その誇りと意志の強さを秘めた目、洗練された振舞い、滲み出る品格は確かに彼女が五〇〇年に渡り人類社会を支配してきた黄金樹の末裔である事を証明していた。

 

 SP達に守られ店を去る女帝の背中を見やり、私は最敬礼でそれを見送った。それは彼女に対する称賛と尊敬と、そして謝罪を込めた物であった。

 

 この後、宇宙暦788年10月1日、私はサンタントワーヌ捕虜収容所で発生した蜂起鎮圧の際に果たした功績により中佐への昇進が伝えられたのであった………。

 




次の章は原作キャラによって主人公が過去最高レベルにズタボロにする予定ですので、皆さん楽しみにお待ち下さい(満面の笑み)


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幕間
ある貢ぎ物から見る世界


「お前は我らヴィレンシュタイン家再興のための『貢ぎ物』なのだ、その事を忘れるでないぞ?」

 

 物心がついてすぐに祖父からかけられた言葉に、しかし当時の彼女にはその意味を理解する事が出来なかった。母が気難しそうな祖父に何か口にするのが分かった。祖父は不機嫌そうにそれに怒鳴りつけるのも分かった。短い、しかし剣呑な会話に幼い彼女は唯震えあがって身を蹲せる。

 

 気が付けば嵐は止んでいた。祖父は不機嫌そうに部屋を出る。その様子を怯えながら伺っていたがどこか疲れた表情を浮かべる母はしかし慈愛の笑みを浮かべて駆けよれば漸く彼女はほっとした様子で立ち上がり母の下に抱き着く。母はそんな彼女を抱っこする。それに応えるように彼女も母に抱き着く力を強めてその温もりに身をゆだねる。

 

 安心感からか緊張がほぐれたためか、次第に彼女はうとうとと微睡に襲われる。

 

「あら、眠くなってしまいましたか?」

 

 母が目を細めて小さい欠伸をする彼女に品のある声で尋ねる。

 

「うん………」

 

 彼女は歳相応に愛らしい仕草で母の質問に答える。そうしている間にもう一度子猫のように口を開いて欠伸をする。祖父に見られれば叱られていたかも知れないがこの場には彼女と母しかいない。だからこそ安心して欠伸をする事が出来た。

 

「仕方ありませんね、お昼寝でも致しましょうか」

 

 少しだけ困った表情で母は提案する。彼女は心底眠そうに再度「うん」と返答する。その返答の仕方もまた祖父の叱責の対象たり得るのだが母は注意せずに娘を天蓋付きのふかふかのベッドに連れて横にさせる。そして羽毛の布団を被せて去ろうとして……しかし彼女にドレスの裾を掴まれる。

 

「あらあら、どうしたのかしら?寂しいの?」

 

美貌で知られる母が小鳥の囀るような声で娘に尋ねる。

 

「うん……いっしょがいい………」

 

 寂しがり屋な彼女のいじらしいお願いに仕方ない、とばかりに母は添い寝をしながらそのドレスの裾を掴む手を握りしめる。手を通して伝わる母の温もりに娘は眠そうな表情で微笑む。

 

「しょうがない娘ね……」

 

 そう言う母の表情は言葉とは裏腹に娘への愛情に溢れていた。甘えん坊で寂しがり屋で、幼い娘をしかし母は心から愛してたのだ。

 

「じゃあお眠するまで子守歌でも歌いましょうか?」

 

 そう言って母はそのオペラ歌手のような美声で優しく子守歌(眠りの精)を歌い始める。耳心地の良い、穏やかな歌声に彼女は次第に夢の国に誘われる。瞼を閉じ、意識が次第に微睡む。

 

 そして完全に眠りに落ちる直前の事である。ふわふわとした夢見心地の中で彼女は確かに聞いたのが、沈痛で、もの悲し気な母のその言葉を。

 

「御免なさい、貴方をこんな…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

「………朝、ね」

 

 意識が覚醒した彼女はゆっくりとその重い瞼を開く。視界に映るのはベッドの天蓋である。

 

「お嬢様、起床のお時間で御座います」

 

 目が覚めると共にどこからか声が響いた。まだ暗い室内ではあるが良く見ればすぐベッドのすぐ傍らに幾つかの人影があるのが分かった。

 

 しかし彼女はその事に驚きはない。いつもの事であるためだ。

 

 自室に入室していた女中達が部屋のカーテンと窓を開ける。秋口の乾いた、甘く、そしてどこかもの悲しさを感じさせる冷たい空気が部屋へと舞い込んだ。

 

「こちら洗顔でございます」

「これより髪をお解き致します」

「今からお着替えさせていただきます」

 

 女中達が洗面台やら櫛やら着替えのドレスを差し出して客人の朝の支度の世話をする。彼女はそれに文句を言う事もなく人形のようにされるがままとなる。下手に動くよりその方が使用人達もやり易く、良く仕上がる事を彼女は経験から知っていた。

 

 顔を洗われ、肌触りの良いタオルで拭かれる。歯磨きをさせられた後は鼈甲の櫛で寝癖を整えられる。寝巻きを脱がされると腰にコルセットを装着させられ落ち着いたドレスをその上から着せられる。

 

 全ての支度が終わるのにおおよそ三十分余りの時間を要した。それと同時である。窓の外からラッパ手がラッパを鳴らしながら街を練り歩く。大帝陛下は臣民の健康のために起床時間と睡眠時間を指定した。どれだけ不健全な生活をしていようと、どれだけ眠たくとも、このラッパの音と共に臣民達は目覚め朝支度をしなければならないのである。

 

「お嬢様、支度が整いました」

 

 最後に柑橘系の香水が軽く吹き掛けられた後、女中達を取り仕切る初老の女性が恭しくそう報告する。代々クレーフェ侯爵家に仕えてきた家柄の出の家政婦長の知らせに彼女は型通りに答え、ベッドから立ち上がる。

 

 最後の確認に立て鏡の前で自身の身嗜みを確認する。皴のないドレス、無理のない程度に括れた腰、服から見える肌は瑞々しく染みはない。若く幼さの残る顔立ちはしかし自他共に認める程度には整っており、さらりとした金髪は癖毛も枝毛もないように思えた。

 

 最後に自身の金髪を見つめて僅かに影のある表情を浮かべ、しかしすぐに普段通り気丈な表情に戻して彼女は踵を返す。

 

 宇宙暦788年11月、クレーフェ侯爵の屋敷で朝支度を終えたグラティア・フォン・ケッテラー伯爵令嬢は使用人達を引き連れて部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 ハイネセン南大陸での騒動は当時亡命政府に衝撃を与えるものであった。同胞……しかも大貴族が二人も巻き込まれればさもありなんである。

 

 特にハイネセンに住まう亡命帝国人を庇護する役目を持つクレーフェ侯爵は慌てて情報収集と同盟政府への抗議を行った。同時に水面下で此度の騒動の沈静化に協力もした。この時期に同盟原住民と亡命者社会の決定的な対立は避けなければならないのだから。

 

 保護されたグラティア嬢は直ちに護衛付きでクレーフェ侯爵の屋敷に避難する事になった。民間のホテルカプリコーン・サウスハイネセンなぞより侯爵の屋敷の方が遥かに安全なのだから当然だろう。屋敷周辺には多数の警備員が動員され殆んど戒厳令が敷かれているに等しい状態が続いた。ハイネセン在住のほかの貴族達も殆んどが彼の手配した屋敷や近場の帝国人街に待避し、「アッシュビー暴動」のような事態に備える。

 

 尤もそれは杞憂だったようで、事件自体は若干抗議運動やトラブルがありつつも特に問題なく沈静化し、貴族やほかの亡命者達も漸く日常生活に戻ろうとしていた。

 

 そんな中、ケッテラー伯爵令嬢ことグラティアはそのままこのクレーフェ侯爵邸にて生活を続けていた。一つには秋口に入りハイネセンポリスも生活しやすくなった事があり、もう一点としては彼の婚約者がこのハイネセンポリス勤務となった事が挙げられる。

 

 宇宙暦788年10月1日を以てグラティアの婚約者であるヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍少佐は宇宙軍中佐へと昇進した。これは同盟軍士官学校最上位成績卒業者達と同格であり、士官学校784年度卒業生の中では16人目の昇進であった。

 

 昇進の表向きの理由は捕虜収容所の騒動鎮圧に伴う市民保護の功績、裏の理由は此度の騒動における亡命政府への配慮と言われている。尤も、亡命政府も認識していない真の昇進理由があるのだが、当然ながらグラティアはその事を知らない。

 

 兎にも角にも昇進したティルピッツ中佐は、しかし想定外の昇進でもあるために行くべき部署がなく、現在キプリング街の国防事務総局法務部付と言う職務にあった。次の任地が決まるまでの仮の配属先である。

 

 そういう訳で、彼女もまたそれに付き添う形でハイネセンポリスのクレーフェ侯爵邸の客人として生活していた。

 

「ぶひっ……やぁ、グラティア嬢。お早う、昨日は少し寒かったが良く眠れたかね?」

 

 豪奢な調度品で彩られた居間に入るとテーブルの上の手紙の数々を処理するふくよか……というよりも明らかに肥満……な中年男性が問いかける。この家の主人たるクレーフェ侯爵である。

 

「はい、問題ありませんわ。お気遣い頂き恐縮です」

 

 グラティアは汗臭そうな侯爵に対して嫌な顔一つせずに丁寧に礼を述べる。そうでなくともこの侯爵は門閥貴族として十分に尊敬に値する紳士であった。

 

 投資と政略に長けた侯爵はゴールドシュタイン公爵と並びハイネセンにおける亡命政府の代理人である。同盟議会への献金や談合により同盟政界に亡命政府の意志を伝え、下々の臣民達のための扶助会を作り上げ、また貴族資産の運用や企業の買収や経営により莫大な利潤を稼いでいる。

 

 まずハイネセンにおいて一、二を争う権勢を持つ亡命貴族であろう。少なくとも零落しつつあるケッテラー伯爵家よりも遥かに亡命政府に重要視されている。そんな侯爵を無下にするなぞあり得ない。

 

「ぶひっ……いやいや、気にしなくても良いのだよっ!妻も世話になっているようだしね」

 

 クレーフェ侯爵は機嫌の良さそうな笑みを浮かべてグラティアの返事に受け答える。

 

 グラティアは同じ屋敷に住むためにクレーフェ侯爵夫人の茶会や話し相手を良くしており、侯爵夫人もまたこの伯爵令嬢を良く良く可愛がっていた。

 

 友人の息子の婚約者と言う事もあるだろうが、それ以上に少女であるために随分と寵愛されているようであった。侯爵夫人にも子供はいるが二人共男子であり、しかも既に一人立ちしている。そこに幼さの残る娘が来れば可愛がるのもある種当然であった。侯爵としても妻の新たな友人が出来て喜んでいるようであった。

 

 小柄なクレーフェ侯爵夫人が居間に自身より背の高い使用人達を連れてきた所で雑談は終わり、三名は使用人達に導かれる形で朝の散歩のために屋敷の駐車場のリムジンに乗り込む事になった。本来ならば馬車の方が風流なのだが、ハイネセンポリスと言う大都市圏内で馬車を走らせるのは流石に問題があるらしく、妥協しての物だ。

 

 ハイネセンポリス第21区、別名シェーネブルク区のエーデルバウム公園は高級住宅街にある広大な公園であり、実質的にハイネセンポリスに住まう貴族達の朝の顔合わせの場でもある。公園の木々は紅葉で赤く染まり、秋の到来を告げる。

 

 グラティアはクレーフェ侯爵夫妻に連れ添う形で顔を合わせる貴族達に挨拶をしていった。顔合わせする貴族達の多くはまずクレーフェ侯爵ににこやかに挨拶し、次いで夫人の美貌と若さを褒め称える。そして多くの場合グラティアの方を見て僅かに奇異の表情を浮かべて、クレーフェ侯爵の非難がましい視線に気付き恭しく挨拶をするのだ。

 

 グラティアはその不躾な視線に対して慣れてはいたので、複雑な心境を一切出さずに優美な所作と流暢な宮廷帝国語で挨拶に答える。

 

 ……この程度の視線ならば構わない。少なくともかなりマシな部類だ。蔑みや軽蔑、敵意の視線に比べれば取るに足らない。

 

(そうです、この程度ならば……)

 

 このような視線を受ける理由は理解している。彼女の血筋、特に母方のそれが原因だ。

 

 父方は没落しつつあるとはいえ無駄に歴史は長いケッテラー伯爵家であり、亡命政府の成立直後から所属する十分に敬意を受けるに相応しい家柄である。

 

 問題は母方の家だ。ヴィレンシュタイン子爵家は一時期公爵にまで昇爵した家柄だが、元を辿れば二百年の歴史もない新参者である。後宮に入れた娘が偶然皇帝の寵愛を受け、皇后、そして母后となったために異様な厚遇を受けただけの事だ。

 

 ヴィレンシュタインの娘を母とするウィルヘルム二世は亡命帝ことマンフレート二世の暗殺後、反同盟派貴族達によって擁立された反同盟急先鋒にして厳格帝の異名を持つウィルヘルム一世の息子に当たる。

 

 先代のウィルヘルム一世はヘルムート一世の子であり、母方の生家であるカルステン公爵家にて時の当主直々に帝王教育を受け、軍人としては実戦を経験し、統治者としても軍人としても一定以上の才覚を見せた。

 

 同時に保守的なカルステン公爵家の家風を色濃く受け継ぎ、極めて狭量であったのも事実だ。そのためにウィルヘルム一世は皇帝に擁立された後同盟に融和的であった貴族達も多く捕らえて投獄や処刑を繰り返した。ウィルヘルム一世、そしてその子と孫に当たるウィルヘルム二世、コルネリアス二世の治世数十年は特に同盟と帝国の戦争が激化した時代でもある。

 

 ヴィレンシュタイン子爵家はウィルヘルム一世により没収された親同盟・亡命政府の貴族の資産と領地を支配し、ウィルヘルム二世時代には多くの貴族が戦争の負担を背負わされる中母后の生家である事を利用して私腹を肥やした。結果、次の不運帝ことコルネリアス二世により排除された訳であるが、これだけでも亡命貴族の中では余り喜ばれない経歴であろう。

 

 一層不興を買う経歴はそのヴィレンシュタイン子爵家の妾腹の血筋である点だ。「ヴィレンシュタイン公爵の反乱」の際に直系の一族は殆んどが死に絶え、運良く落ち延びた当主の妾である帝国騎士の娘、その子供が現在のヴィレンシュタイン子爵でありグラティアの祖父に当たる。

 

 子爵と取り繕っても母方が下級貴族、しかも歴史は浅い成り上がり者であり、少なくない亡命貴族にとってはある種一族の仇ですらある。故にケッテラー伯爵家の娘であるにも関わらずどこか一段低く見られている嫌いがあった。

 

 逆に言えば、だからこそこのような場であからさまな不満を見せる事は許されず、実家で厳しく教えられた通りにグラティアは優雅に微笑む。

 

 そうしている間にも新たな貴族が彼女達の下に来訪する。グラティアはすぐに教えられた通りの優美な、しかし冷たい表情を浮かべる。

 

 だが、その相手を確認すると流石に少し表情が強ばった。

 

「これはこれは本日も良い日和でございますな、侯爵殿」

「ぶひっ……いやはや、こちらこそ朝からお早うございます伯爵殿」

 

 杖を持った偉丈夫な初老貴族にクレーフェ侯爵は形式的な笑みを浮かべる。自由惑星同盟軍宇宙軍中将第一方面軍司令官グッデンハイム伯爵は同じように軽薄な笑みで応える。同時に不快そうにグラティアの方を見つめる。

 

「これはヴィレンシュタインのグラティア嬢、御機嫌麗しゅう御座います」

「……グッデンハイム伯爵も御壮健でなりよりで御座いますわ」

 

 慇懃無礼な挨拶をする伯爵に僅かに震える声で、しかし礼節を守ってグラティアは答える。グラティアはこの伯爵が自身を嫌っている事を良く理解していた。

 

 グッデンハイム伯爵家は帝政成立期より続く名家だ。ルドルフ大帝より武門貴族として子爵位を授与され、権門四七家に名を連ねる事こそ無かったが、公正帝ジギスムント一世の時代の大反乱鎮圧の功績で昇爵したため大貴族としての歴史は四七家に続く。その後も「シリウスの反乱」鎮圧や流血帝に対するエーリッヒ二世止血帝の反乱に際して辺境平定に協力するなどの功績があり、亡命後はバルトバッフェル・ティルピッツ・ケッテラーの三家に続く軍部に重きを成す家となった。

 

 今代のグッデンハイム伯爵は同盟士官学校を九位の席次で卒業し、シャンプール星系警備隊司令官、第六艦隊副司令官、同司令官を歴任。第三次イゼルローン要塞遠征の副司令官として要塞外壁への陸戦隊降下を成功させ、今はハイネセンを中心とした同盟の中枢宙域の警備を管轄する第一方面軍司令官の要職にある。

 

 そんなグッデンハイム伯爵家からしてみれば、落ち目の上に下等な血の混じったケッテラー伯爵家の代わりに亡命政府軍武門三家入りを望むのは寧ろ当然だ。実際ティルピッツ家との婚姻に対してハーゼングレーバー、クーデンホーフ等と同じく自家の子女を候補者に立てていた。伯爵家からすれば容姿も血統も一族の中でも選び抜いた候補を擁立したにも関わらず混じり者に敗れたのだ、五〇近く歳の離れた少女に悪意と敵意を持つのもある意味当然でもあった。

 

「この前は大変でしたな。品もなく軍規も緩んだ賊軍の捕囚となるとは。随分と手荒に扱われたのではないですかな?いやはや、思ったよりお元気そうで何よりです」

「っ……!」

 

 それは婉曲的にとは言え侮辱に他ならなかった。とは言えここで声を荒げる訳に行かなければ、その度胸もグラティアには無かった。元より臆病な、よく言えば大人しい彼女にそんな事なぞ出来ない。故に唯沈黙するのみであった。

 

「……グッデンハイム伯、どうですかな?ぶひっ、近年はネプティス方面の航路の海賊共の襲撃が増加しておりましてな。パラトプールの星間交易商工組合の船団襲撃は覚えているでしょう?あれにも幾らか噛んでましてな。おかげで損をしてしまった。しかも自前の商船も保険料が高くなっておりましてな。そちらから第五方面軍に一つ注意を喚起して頂けませんかな?」

 

 場の空気を読んでクレーフェ侯爵はビジネスの話をして伯爵の気を逸らす事にした。

 

「それは困った話ですな。侯爵の事業は我らの貴重な資金源、……私からも一つ注意と警備強化を具申しましょう。とは言え艦隊増強策と毎年の出征で地方の警備が手薄になっておりますからなぁ……」

 

 クレーフェ侯爵の直訴に伯爵も食いつく。実際ここ十年程で国境を除く航路警備能力は徐々にではあるが低下傾向にある。778年から788年の十年間は長期的に見て同盟軍の劣勢で推移してきた。781年には第三次イゼルローン要塞攻略に失敗し、その後784年まで国境宙域を削り取られた。それを取り戻して785年には威力偵察に近い四度目の要塞攻撃を仕掛けたがこれも敗北に終わる。以後ダゴン星系の防衛線を突破した帝国軍はエル・ファシルを始めとした有人惑星を半世紀ぶりに占領しヴォーバン・ラインまで同盟軍を押し込んだ。現在の同盟軍はこの防衛線にて帝国軍と一進一退の激闘を続けている。

 

 この間同盟軍は激化する前線に対応するため国境の駐留軍の編制や第一二艦隊の設立等正面戦力拡充に努めたが、その分銃後の航路警備が手薄になっている傾向にあった。そして必然の結果として、それが宇宙海賊の活動の活発化に繋がった。同盟警察の航路保安艦隊や星間交易商工組合の自警団、民間の民間軍事会社がその穴を埋めるために動員されているが、残念ながら帝国の援助を受けている宇宙海賊の前には質量共に不足気味であった。

 

 グッデンハイム伯爵が侯爵との会話に意識を取られている間に侯爵夫人はグラティアと共にその場を避難する。

 

「……グラティアさん、あのような言葉気になされる必要はありませんよ?唯のやっかみ程度すまし顔で流してしまえば良いのです」

 

 僅かに陰鬱な表情を浮かべるグラティアの表情に気付いた侯爵夫人がそう声をかける。

 

「……いえ、大丈夫でございますわ。私なぞのために……御迷惑をお掛け致します」

 

 気丈に笑みを浮かべるグラティア。いつまでも侯爵夫人に甘える訳には行かない事も彼女は理解していた。

 

 グラティアは夫人と共に先に地上車に戻り、汗を使用人達に拭いてもらいながらクレーフェ侯爵が帰ると一旦自宅の屋敷へと戻る。そこで朝食を食べた後、夫妻は仕事に移り、グラティアの方は貴族子女の通う宮殿のような女学院に屋敷の地上車で通う事になる。

 

 同盟の一般的な有名進学校レベルの教育内容に更に貴族子女向けのマナー教育や美術や裁縫、歌唱等の指導を行う女学院においても彼女は決して跳びぬけた存在ではない。地元であり基盤であるケッテラー伯爵領からハイネセンポリスに移った彼女は、寧ろ出自もあり決して友人が多い訳でもなく、どちらかと言えば文学を嗜む深窓の令嬢に近い扱いを受けていた。

 

(というよりも………)

 

 グラティアは学校が終わり下校を始める子女達を見やる。

 

「ねぇねぇ、帰りに歌劇場行きません?」

「ええぇ……私はゴールドフィールズのハロッズ・ストリートでショッピングしたいですわぁ」

「そうそう、ノイエ・ユーハイムで新作が出るそうですよ?ねぇねぇ、イルゼなら特等席の予約出来ますわよね?今から奉公人を走らせられません?」

「ねぇねぇ、聞いてください!この前ようやくお父様がハイネセン記念スタジアムのコンサートチケットの特等席を手に入れてくれましたの!」

 

 付き人達を侍らせながら学生服でそんな事を口にする貴族子女達であるがもしグラティアの地元でこんな会話をしていれば見た者は卒倒していただろう。

 

(やりにくい………)

 

 元々活発的でない上に保守的な地元で厳しく躾けられた彼女にとってはハイネセンに代々住まう貴族子女の立ち居振る舞いは見ているだけでも戸惑いを覚えるものである。

 

 ハイネセンの自由な空気が日常故か、特に若い貴族子女は(新無憂宮やヴォルムスに比べてであるが)その身分(とは言え平民と貴族の間は限りなく断絶しているが)の差を余り意識せず、しかも寄り道や同盟市民の使うショッピングモール等に遊びに行くなどリベラルな者も多く、それが彼女の常識と齟齬をきたしていた。少なくとも先程の子女達のような砕けた口調の会話は彼女の地元では異様だ(それでも生粋の同盟市民から見れば毎日車送迎や使用人が傍に付くのが当たり前な時点で五十歩百歩であるが)。

 

 そしてその中でも特に彼女の常識から逸脱するのが………。

 

「ティアちゃん、怖い顔しているぞ~?」

「ひゃひっ!?」

 

 急に頬に伝わった冷気に思わずグラティアは情けない悲鳴を上げた。慌てて席から立ち上がって声の主の方を振り向く。そこにいたのは自身よりも三、四歳は年上であろうか?錆鉄色の髪をセミロングにした翠晶色の綺麗な瞳をした学生服の少女がアイスティーの缶を手にいたずらっ子のような笑みを浮かべていた。

 

「あ、余り揶揄うのは御止し下さいませ、シルヴィア義姉様……!」

 

 グラティアは僅かに上ずった口調で義理の姉を非難する。とは言えそう強くは言えない。好意的ではあるのだろうがグラティアの立場では下手に相手の不興を買いたくなかった。

 

 シルヴィア・フォン・ヴァイマール伯爵令嬢はこの年十八歳、ティルピッツ伯爵家分家より独立したヴァイマール伯爵家の長女でありグラティアの婚約者の従姉妹に当たる。より正確に言えば婚約者の父の妹が現ヴァイマール伯爵の妻であった。ティルピッツ伯爵家の地盤であるシュレージエン州の南部八郡を実質的に統治している家の娘で所謂お嬢様だ。そうであるのだが………。

 

「ええ~、だってだってそんな仏頂面なんかするんだもん!ほらほらもっとニッコリ笑いなって、折角可愛い顔が台無しじゃん!ほら、ニッコリした顔写メでとって上げるからさぁ従兄に送って上げなよ!」

 

 亡命しているとは言え大貴族のお嬢様らしくない言葉遣いで言いまくるヴァイマール伯爵家の令嬢に何ともいえない表情を作るグラティア。

 

 決して品が無い訳ではない。血統は十分名門だ。顔立ちは美形率の高い貴族達の中でも水準以上、公式の場であればきちんとした立ち居振る舞いが出来るし、その成績は来年のハイネセン記念大学美術科入学試験にも合格出来るであろうこの義従姉妹は、しかしヴォルムス生まれでありながら生粋のハイネセン生まれの貴族子女よりも更に同盟人らしい思考回路を有しているらしく、度々女学院や使用人達を困らせる問題児でもあった。変装してディスコやカラオケ店に入り浸り、買い食いも行う。コンサートや映画館では平然と普通席に座って見せ、不健全娯楽(電子ゲームや大衆漫画等)も当然のように嗜む。かなり変わり種で有名な令嬢であった。

 

「もうっ!余りグラティアさんを困らせるものではありませんよシルヴィア!」

 

 押せ押せとばかりに迫ってくるシルヴィアに注意するのは彼女よりも落ち着きのある女学生だ。ユトレヒト子爵家令嬢であるディアナは非難する視線をシルヴィアに向ける。栗色のポニーテールにシルヴィアと同じ翠晶色の瞳は二人の血縁上の繋がりを表していた。実際二人は従姉妹同士だ。ユトレヒト子爵家もティルピッツから枝分かれした一族である。

 

「え~、いいじゃん!別にぃ、きっと従兄も喜ぶよぉ?」

「貴方でもあるまいし、反応に困るだけでしょうに」

 

 呆れ気味にディアナはシルヴィアの意見を一刀両断する。同い年のこの親戚の友人として彼女も随分と迷惑しているようであった。

 

「まぁいいや。ねぇティアちゃん、これから私遊びに行くんだけど一緒に行かない?」

「え、えっと……」

 

 半ば予想していたとはいえその義従姉妹の提案にグラティアは困惑する。厳しく躾けられた彼女にとってその提案を即座に快諾する事は出来なかった。

 

「別に宜しくてよ?問題児のシルヴィアにいちいち付き合う仕事は私がやりますので」

 

グラティアの心情を慮って子爵令嬢はそう進言する。

 

「い、いえ……折角お誘い頂いたのです。こちらこそ宜しくお願い致しますわ」

 

 とは言え、グラティアにとってはその誘いを断る事は難しかった。ヴァイマール伯爵家の長女の不興を買いたくない。正式に結婚すればそれこそ数えきれないほど顔を合わせるのだ、そんな相手の印象を悪くしたくはなかった。

 

 実際の所、たとえ断った所でシルヴィアがこの年下の令嬢を嫌う事は無いのだが、グラティアはそんな相手の心情を読み切る事は出来なかった。唯でさえ血筋のせいで忌避される事が多いのだ、自ら弱みを見せる訳には行かなかった‥‥…。

 

 

 

 

 

 

 シルヴィアはグラティアと付き添いのユトレヒト子爵令嬢、そして自身と友人の付き人を引き連れてハイネセンポリスの大衆繁華街のチェルシービレッジ区のメインストリートを練り歩く。

 

 グラティアは勿論、シルヴィアとディアナそして付き人(護衛)の従士も代々美姫や美男子の遺伝子を取り込んでいるためにその美貌は様々な人々が歩き回る繁華街のスクランブル交差点でもそれなりに目立つ物だ。

 

「へぇー、可愛いなぁあの娘達」

「あの学生服知らないなぁ、どこのお嬢様校だ?」

「ナンパしにいくか?」

「止めとけよ、お前の顔じゃ断られるだけだぜ?」

 

 ちらほらとそんな事を語るのは恐らくハイネセンポリスのハイスクール帰りの学生達だろうか?シルヴィアは遠くからそんな事を口にする男子達に揶揄うように笑みを浮かべて手を振る。中には彼女連れの男にまで愛想を振り、惚けた男子が相手の女子に頬を抓られた。ディアナはそんなトラブルを自ら作る従姉妹をジト目で睨み、付き人達はそんな事は気にせず周囲を警戒する。

 

「きしし!ティアちゃんも可愛いからねぇ、ほらあの子達とか見惚れてるよ?」

「いえ、私は……」

 

 耳元でそう囁くシルヴィアに、しかしグラティアは気恥ずかしさ以外の感情は思い浮かばない。唯の有象無象の市民に見世物のように見られる行為にある種の気恥ずかしさすら覚えるのだ。正確には貴族がある種の見世物であるのは当然であるのだが、これが領民であればそこに畏敬の念が伴うものである。唯の一般人のように見られる事は領民に見られるのとはまた趣が異なる感覚なのだ。

「……よくこんな視線を受けても気になさいませんね?」

「あー、別に慣れればどうってことないけど?いちいち視線なんて気にしてたらやってられないし。寧ろ相手で遊んでやるって位に余裕を持てば良いのよ」

 

 あはは、笑うヴァイマール伯爵家の長女。その豪胆さはある意味武門貴族の娘らしいのかも知れない。

 

「………」

 

 グラティアはそんなシルヴィアの性格と余裕に自身の婚約者を思い出す。あの自然な程高慢で気位の高い青年に………。

 

「……ティアちゃん?」

「……い、いえ何もありません」

 

 陰鬱な表情を浮かべたグラティアにシルヴィアは心配そうな表情を見せるがグラティアはすぐに問題無い事を伝える。

 

(そうです……問題は……ないはず……)

 

 グラティアは自身の婚約が告げられた時点で覚悟を決めていた。自身の存在が宮廷抗争の手札として利用される事を。十近く年の離れた顔も合わせた事のない相手との婚約、それも自身の意志が一切反映されずに決められたとしても文句は無かった。それが自身の役割であると理解していた。それが落ち目のケッテラー伯爵家と再興を目指すヴィレンシュタイン子爵家、そして臣下や領民のための彼女の義務であるのだから。

 

 相手の噂は度々耳に聞こえて来ていた。相手の自身の実家への印象も、その荒い気性も、その癖のありそうな性格も、付き人の従士をかなり贔屓して気に入っている事も伝え聞いていた。当時の幼い彼女の婚約者に対して受けた印象は「怖い人」である。

 

 だからと言って当然嫌だ、という訳にもいかない。兎にも角にもその場合やるべき事は二つである。つまり、相手の好みに合わせる事と従順に振る舞う、という事だ。

 

 そのため彼女は風の便りで伝え聞く相手の価値観から想定される「好まれる振る舞い」を身に付けるように努力してきた。少なくとも十分満足出来る程度にはそんな振る舞いが出来ていると自負している。だが………。

 

(だけど…………)

 

 相手に好まれるように従順に振る舞うように努力してきたつもりだが何度会っても婚約者はこちらに一歩線を引くような、警戒するような態度を崩そうとはしなかった。押しの強い豪胆な性格と考えていたのだが……。

 

 しかも職場訪問で騒動に巻き込まれた際にはあからさまに不機嫌そうに接せられた。巻き込まれた事を面倒に思われたのか、それともあの時の混乱していた姿を馬鹿にされたのか………後で謝罪と感謝の言葉を伝えた際には以前のように儀礼の範疇に止まる対応しかされなかった。

 

 どちらにしろ、グラティアにとって婚約者は自身に心を開く事がなく、数少ない本心を吐露しても不快な感情しか向けられなかった。以前、目の前の義従姉妹達にそんな彼女の心境を一部とは言え伝えると気にする事ではないと励まされたが、それを鵜呑みに出来る程グラティアは楽天的ではなかった。

 

(気にいられるように、か………)

 

まさに「貢ぎ物」だと彼女は思った………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最初に向かったのは映画館だった。幾つか上映していた映画の中ですぐに見る事が出来る物をシルヴィアは適当に購入したのだが、それは大失敗だった。

 

「あー、道理で余ってた筈だわ」

 

 上映が始まったと共に苦笑いを浮かべる義従姉妹。子爵令嬢も始まって主人公とヒロイン達の名前を確認した後は重苦しい雰囲気となる。何も知らないで見にきたほかの観客(特にカップル等)のみがそれを楽しみに見ていた。とは言え映画の後半になると次第に彼らの顔も強ばるが。

 

 苦悩帝レオンハルト一世は、決して無能でなければ愚か者でもなかった。前皇帝である哲人帝フリードリヒ一世からの信認もあり、少なくとも学者や専門家としては優秀な皇族だった。そうでなければ当初反対していた帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公が渋々とではあっても皇太子擁立に賛同することはなかっただろう。問題はレオンハルト一世の他者への関心が薄く、理性を信じすぎた点だ。

 

 流血帝アウグスト二世の時代皇族の大多数が、それこそ老い先短い老人から女子供に至るまで相当数が殺戮された。止血帝の反乱が成功した時点で残った皇族はそれこそ末席と言って良い者達が殆んどであった。

 

 止血帝エーリッヒ二世の後を息子フリードリヒ一世が継いだ。哲人帝の異名は彼が帝国大学にて複数の学位を取得し、政務の傍らに帝国科学アカデミーや帝国地理博物学協会、帝立哲学協会等の複数多方面の学術機関に偽名で論文を提出し高い評価を得ていたためだ。

 

 この時点でアウグスト二世の崩御から四十年も経っていない。止血帝は強精帝程に好色でもなくそもそも帝国の建て直しで再建帝のように過労死する程無理はしなかったものの相応に多忙であり、後宮に向かう機会は決して多くはなかった。息子の哲人帝フリードリヒ一世に至っては知識欲こそ強く博識であったが、そちらの方面は非常に淡白だった。

 

 そのために皇太子にはほかの皇族から養子を迎える事になり、幾人か見繕われた候補者からフリードリヒ一世が選んだのがドラウプニル中央ギムナジウムを首席入学したレオンハルトであった。地方の男爵家の生まれであり、皇統としては比較的遠縁ではあったが、学力重視の嫌いのあったフリードリヒ一世は少々無理をしてでも彼を皇太子に指名した。

 

 帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公はこの決定に不満を持ったが、最終的には優秀な統治者であり権威もある哲人帝の判断を受け入れるしかない。そして一族の繁栄のために公爵は保険をかける事にした。……それが失敗であった。

 

 ノイエ・シュタウフェンの五つ子姉妹は世間知らずの面はあったが仲の良さと美貌で知られていたし、求婚相手は幾らでもいただろう。実際に公爵は一人を皇后につけて、残りは有力なほかの貴族に嫁がせて一族の一層の繁栄を志向していた。

 

 まさか可愛がり甘やかしていた姉妹が全員恋に落ちる事も、即位後のレオンハルト一世が前皇帝のように政務ばかりで皇后を選ばなかった事も、まして皇帝を利用するためにや姉妹に横恋慕するほかの貴族がある事無い事を吹聴して悪意に疎い姉妹が憎悪のままに互いに蹴り落とし合う事態も、公爵は想定していなかったであろう。

 

 挙げ句に陰謀と陰湿な嫌がらせがエスカレートして無関係だったレオンハルト一世が巻き込まれて事故死する事になった。事故死の余波でノイエ・シュタウフェン公は隠居させられ、二ダース程の貴族が自裁を命じられた。

 

 止めは苦悩帝の従兄弟に当たり皇帝の第二候補だった後のフリードリヒ二世が急遽辺境の総督から呼び戻され、前皇帝の国葬の手配をした時だ。国葬の本番中に前皇帝の遺体が行方不明になっている事が発覚した。ノイエ・シュタウフェン公爵の五つ子姉妹が「五等分」にして持ち逃げしてしまったのだ。

 

 後宮で閉じ籠っていた者はマシな部類で、皇帝の「一部」を持って実家に逃亡した者、腐敗した「一部」を抱きながら辺境に逃げた者、皇帝の「一部」を食べてしまった者までいた。分割された遺体全てを回収し、カール大公や流血帝の娘の吸血姉妹、後にはダゴン星域会戦に大敗したヘルベルト大公を収容した事でも知られるオーディン郊外の精神病院に意味不明な事を言い続ける姉妹全員を閉じ込めるまでに凡そ三か月の期間を要した。

 

 俗に「カスパー帝失踪事件」、「西苑連続髪切り魔事件」等に並ぶダゴン星域会戦以前の「新無憂宮一〇大醜聞」の一つ、「ノイエ・シュタウフェン公爵家姉妹の五等分事件」である。

 

「あはは……」

 

 シルヴィアは次第に沈黙する観客達を見て御愁傷様、と内心で語りかける。CMやパンフレットでは(恐らく敢えてであろう)完全に恋愛映画にしか見えない宣伝であったし、前半は普通に恋愛映画な内容だった。中盤位から皇帝以外の登場人物のハイライトが消え始め、見るに耐えない骨肉の争いが始まると観客は震え上がる。

 

「あー、ごめんねぇ?退出しよっか?」

 

 シルヴィアは義理の従姉妹を慮り提案してみる。一応ホラー映画としても十分に楽しめるがかなり人を選ぶ内容だ。

 

「いえ、問題は御座いませんわ。ですが………」

 

 一旦、義従姉の方向を向き、すぐな映画をぼんやりと鑑賞する事に戻るグラティアは呟くように口を開く。

 

「……昔、この話を伝え聞いた時疑問に思った事があったのです。どうして公爵は娘達に選ばせようとしたのでしょうか?」

 

 貴族同士の婚姻なぞ親同士で決めてしまっても問題無いのだ。まして権門四七家の中でも五指に入るノイエ・シュタウフェン公爵家ともなれば政略結婚も当然である。態態姉妹に自由に恋愛させなくとも当主が一人選んで皇后に据えて残りを有力諸侯にさっさと送り込んでも良かった。帝国宰相ともなればその程度簡単な筈だ。

 

「そりゃあ………娘を溺愛してたからじゃないの?」

「一族の繁栄よりも、ですか?」

 

 貴族は外に厳しく身内に甘い者は少なくないが、それもあくまでも一族全体に関わらない範囲での話だ。当然、最終的には一族存続のために必要あらば当主が自裁する事も、婚姻が勝手に決められる事も許容しなければならない。少なくともグラティアは個人よりも一族全体の公益の方が遥かに重要であると躾られていた。

 

 娘達も娘達だ。皇后になるために相争う事自体は理解出来る。だがその皇帝の死後にその死体を持ち出すなぞ愚かとしか思えない。実家に迷惑がかかるだけではないか?

 

「自分達の存在理由を忘れているのではないでしょうか……?」

 

 貴族の娘の存在理由なぞ究極的には一族の繁栄と安寧のための道具でしかないであろうに。公爵家の娘が、これでは市井の平民のようではないか?

 

「哀れなものだ…わ………?」

 

 ここまで思考してグラティアは自身の内心の思考に怒気と苛立たしさが含まれている事に気付いた。同時に同情と羨望の念が含まれている事に少しだけ困惑する。同情?一体何に同情していた?羨望に至っては理由も分からない。羨ましがる必要なぞ一切ないであろうに。

 

「………やっぱりお腹減ったし、でよっか?」

「えっ……?あ…………」

 グラティアを横目で見ていたシルヴィアはそう提案すると、半ば強制的に彼女を引き連れ席を立つ。それを確認したディアナと護衛の従士達も後へと続く。

 

 映画館の近くにあるレストランはヴァイマール伯爵家の令嬢がよく利用する店であった。貴族から見て決して高級という訳ではないが、一般的な同盟市民で言えばちょっとした贅沢、といった所の店であろう。シルヴィアはもっと安い店も使うが、グラティアにとってはこのレベルより落としたら食べられないであろう事は理解していたので配慮した形だ。

 

「好きな物頼んでいいよー?私の奢りだからね」

 

 そういって自分の分のメニューを好きに注文していくシルヴィア。

 

「は、はぁ……」

 

 とは言え実際に好きな物を頼む、という訳には行かないのがグラティアの立場である。ホストの注文に対応する形で料理を注文しなければならない。

 

 先に子爵令嬢が付き人を通じて注文をさせた後、グラティアはそれよりも控え目なメニューを注文する。

 

 注文を終えた後、にやりとシルヴィアはグラティアに切り出す。

 

「ねぇねぇ、それで?ぶっちゃけウチの従兄ってタイプ的にどうなのよ?ストライクな訳?それとも大外れなの?」

「シルヴィア……!」

 

 冗談風にシルヴィアが尋ねディアナは咎めるように親友の名を口にする。

 

「良いじゃん別に。親父達がどういう基準で選んだか分からないけどさぁ、男は兎も角淑女からすれば好みじゃない奴と結婚しろとか糞じゃん?」

「お嬢様……」

「分かってるって、ヴァルハラに向かう準備している爺さん連中の前では言わないわよ」

 

 注意する自身の付き人に飄々とした表情でそう補足するシルヴィア。付き人からしてみれば本家やら長老達を貶す主人の言葉は諫言の対象であるが、当の主人からしてみればそんな輩は老害のボケ老人でしかない。

 

「今時血筋がどうの、政略がどうのって言うのがなんかねぇ。こちとら政治の道具じゃないっての。この前ファンのアイドルユニットのポスター捨てられたし。マジうぜぇ」

 

 明らかに不満ありげな態度を醸し出すシルヴィア。付き人が「どうしてこんな風に育ってしまったのでしょうか」とぼやく。

 

「まぁ、そういう訳でね。確かに今更婚約破棄は簡単じゃないけど、私としては自己主張の少ない可愛い義従妹の本音を聞きたいわけよ!ズバリ!あの従兄に何か不満は無いかってね、オッケイ?」

 

 もし不満点があるなら私が相手を叱責して矯正してやるから、と続ける。

 

「はぁ、といいましても………」

 

 シルヴィアの言いたい事は大体理解したが、だからと言ってグラティアにとっては素直に不満点を口にする事は出来ない。そもそも彼女には相手に注文をつける、と言う発想がなかなか思い浮かばない。

 

「えー、有るでしょう?顔が良くないとかぁ、足が短いとかぁ、服装がダサいとか」

「どれも当てはまらないのですが……」

 

 何代にも渡り端正で体格に恵まれた血を迎え入れ、食事内容と身体鍛練も重ねる門閥貴族の容姿が悪いわけなぞなく、足も短い訳がない。服装に至ってはそもそもプロのコーディネーターに頼めば良いので自身で選ぶ機会が滅多にない。

 

「うむっ!それもそうか……いや、待ちなさい。じゃあ性格面はどう?週刊誌にも夫婦の離婚原因の第一位は価値観の相違とあったし」

 

尚も食い下がるように質問するシルヴィア。

 

「性格の不満、といいましても……私としては旦那様がご不快に覚えるものがあれば直しますが、その逆となりますと……」

「昔か!」

 

 グラティアのその答えに突っ込みを入れるシルヴィア。大昔ならいざ知らず、少なくとも亡命政府においては基本的に帝国に比べて男尊女卑の傾向は薄い。

 

 正確に言えば零ではないにしろ、流入してきた同盟の価値観と伝統的な価値観の妥協、更には人口不足、人員不足もあって後方勤務主体とは言え女性軍人の従軍も拡充されている亡命政府ではグラティアの答えは随分と保守的な物であった。

 

「ケッテラーはかなり保守的と聞いていたけど思った以上ですわね。……そうですわね、言い方を変えましょう。これまでの交流を振り返った上で、御自身で何か改善点は御座いますか?」

 

 ディアナ嬢が優雅な口調で尋ねる。丁度この時に注文の料理がやって来た。とは言えすぐに口にする事はない。先に毒味役の付き人が何口か口にしてから手を付けるからだ。付き人達が神妙な顔で料理を嗅ぎ、口に含んで違和感や刺激がないかを確認していく傍らで話は続く。

 

「……そうですね、例えば最近ですと旦那様にお救い頂きながらすぐに謝意を伝える事が出来なかった事でしょうか?」

 

 それはこの前巻き込まれた事件についてだ。人質になった後、事件の急展にグラティアは対応出来ず、救出に来たのであろう自身の婚約者と碌な会話も出来ずに打ち震えていた。

 

「旦那様のお話については良く良くお耳に伝わっております。極めて優秀かつ武門貴族の鑑のようなお方とお聞きしておりますし、実際お助け頂いた際もその印象を強く受けました」

 

 そんな中、武門貴族の妻があの程度の事で怯えていたのを見られた事が失態だとグラティアは語る。

 

「実際、お助け頂いた時にお声をおかけしようとしたのですが無下に扱われてしまい……恐らく私の振る舞いに失望なされたのではないかと……」

「あー、それは気にしなくていいと思うけどなぁ……」

 

シルヴィアは少々面倒臭そうに否定する。

 

 宮廷や同盟軍部の大方の見方として、ティルピッツ伯爵家の嫡男は所謂厳しいまでに貴族主義的で気難しく、好戦的な軍人扱いされている。それは実際の軍歴と発言と行動による物だ。

 

 とは言え、それはあまり親交を持たない第三者の物である。実際に血縁関係にあり、幼少期に遊び相手をし、その後も式典やら祝宴の度に顔を合わせる事もあるシルヴィアからすれば六割程風評被害と言うものだ。

 

 無論、それを伝えても中々信用はされないであろう。なので少々言い換えをしなければなるまい。

 

「あの従兄は結構あれでも甘い所あるからね、一度失敗した程度で失望するような性格じゃないわよ?しかもティアちゃんは軍人でもないし。そこまで高望みなんかしてないわよ」

 

 そう語り、ようやく許可の降りたローストビーフを突き刺して口にする。

 

「そうですわ。従兄様の付き人の従士も何度か失態をしているそうですけど、それだけですぐ捨てるような事はございませんし。従士でもそうなのです、ましてやグラティアさんを一度で厭う事なんてある訳ありませんわ」

 

 貴族的価値観でそう補足してからディアナ嬢はアイリッシュシチューを音を立てずに口に流し込む。

 

「そう、ですか……」

 

 二人の励ましに、しかしグラティアの返事は弱々しい。彼女の脳裏に浮かぶのはあの事件の場面だ。

 

(結局、碌に見てももらえなかった……)

 

 状況が状況とは言え、彼女は自身の婚約者が碌に自分を見ようとせず、視線をあからさまに逸らしていた事を知っている。一方、同時に婚約者が自身の付き人に向ける視線は相当動揺していたのも知っている。

 

(私は付き人……従士以下、と言う事なのでしょうか?)

 

 やはり婚約者自身は自分を疎んじているのであろうか?やはり血統が……それとも性格?それとも容姿が……?それでは困る。このままでは自身の存在理由を果たせない。そうなれば………。

 

「私の価値は………」

「………」

 

 食事を装いグラティアの陰鬱な表情を観察するシルヴィアはこれは駄目だ、と内心で考える。

 

(重症だなぁ……実家に随分言い含められている、と言った所かしら?全く……あんな事があった後なんだからちゃんとケア位しなさいよ?)

 

 シルヴィアは幼い頃の記憶の中で馬扱いで遊んでいた従兄に悪態をつく。昔は付き人候補達を返品しまくって家臣達に結構迷惑をかけたらしい事は両親から聞いていたが……昔に比べればマシとは言えどうやらまだまだ淑女の扱いがなっていないらしい。

 

 尤も、これは公平な評価とは言えないだろう。実際この時期の彼女の従兄は亡命政府にも碌に伝えられない任務の後処理に忙殺されており、正直自身の婚約者の事に然程意識を向ける暇が無かったのだ。いや、シルヴィアは仮にそれを知っていても目の前に従兄がいれば飛び膝蹴りをしていたかも知れないが。

 

「………うーん、少し花を摘んで来るわ」

 

 どちらにしろ、可愛い義従姉妹のためにシルヴィアは手助けする事を決める。

 

 自分の付き人についてこいと命令してシルヴィアは一旦席を立つ。そしてレストランのトイレの外で付き人に誰も中に入れないように命令した後入室して携帯端末を取り出す。電話をかけるナンバーは決まっていた。出てこないならば出るまでかけるつもりだった。

 

「あ、次いでにお小遣いせびっちゃお」

 

 八度目の発信で相手が出る直前、シルヴィアはそんな事を思いついた。そして意地悪な笑みを浮かべ彼女は電話の相手に叱責と要求を突きつけるのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事をした後、シルヴィアに連れ回される形でショッピングモールやケーキ屋を回る事になったグラティアは、日が沈む頃にようやく迎えの地上車で屋敷に戻る事が出来た。帰りが少し遅い事で侯爵夫妻に心配されたが、ヴァイマール伯爵家の長女に連れ回された事を伝えれば納得と同時に件の娘への呆れが夫妻から漏れる。

 

「あの娘は…もう少しグラティアさんを見習って欲しいものですわ」

 

 ご両親が御嘆きになりますわ、と夫人は語りグラティアに浴場に向かう事を勧める。グラティアは自室に一旦戻ってから向かう事を伝える。

 

「そうですか。ああ、そうでした、貴方に御手紙が来ておりますよ?」

 

 機嫌の良さそうに夫人はそう伝え、それだけでグラティアはその意味を理解する。普段より小走りでグラティアが自室に戻ると部屋の前で控えていた執事が恭しく一通の手紙を差し出す。

 

「これは……一人にさせて下さい」

 

 それを受け取りその差出人を確認して彼女は慌てて執事に去るように命じた。

 

 執事は頭を下げてから退出し、扉を閉める。それを確認した後にグラティアは恐る恐ると言った面持ちで手紙の封筒を開き中身を確認する。

 

 怯えた表情で高級紙に綴られた達筆な宮廷帝国語を読み進めるグラティアはしかし、次第にその表情は安堵に和らぐ。

 

 手紙は彼女の危惧した内容ではなく、寧ろ事件に巻き込まれた彼女を労うものであった。軍務が忙しく暫く手紙を出せなかった事を謝罪すると共に無事であることを喜ぶというものだ。実際に彼方が安堵しているかは兎も角、少なくとも彼女が恐れる程に相手は自身に失望していない事は分かった。

 

「良かった………」

 

 胸が楽になる気持ちと共にグラティアは呟いた。決して可能性が高い訳ではなかったが婚約者が母にでも頼んで婚約を……解消するのでは、と言う恐怖があった。小まめに送られてきた手紙が一月近く途切れていたのもあって不安に駆られていたがどうやら杞憂であったらしい。  

 

「本当に良かった………」

 

嫌われずに済んだ、その事が嬉しかった。

 

「………?」

 

 彼女はふと自身の思考に疑念を持つ。いや、確かに喜ぶべき事だ。もし嫌われてしまえば最悪婚約解消となり母や弟に迷惑をかけるし、祖父の叱責を受ける所であった。だがそれはあくまでも嫌われた「結果」である。

 

 だが………今私は「嫌われる」事それ自体を恐れてなかったか?

 

「………いえ、有り得ませんよ」

 

その疑念を即座にグラティアは否定する。

 

「貴族の婚姻に私情なぞ挟む必要なぞありません」

 

 自身は「貢ぎ物」の「道具」に過ぎない事を彼女は良く良く理解している。どうせ相手も……少なくとも相手の実家はそう見ているであろう。世嗣ぎを残し、ケッテラー伯爵家に影響力を行使するための「道具」に過ぎないと。それ以上もそれ以下の価値も有りやしない。

 

「そうです、どうせ私は『貢ぎ物』、丁寧に飼育され、管理され、不備があれば修正して、出荷の日には綺麗に包装され、贈られる」

 

 ちらりと視線を傍の鏡に移す。流れるような金髪……その中に僅かに別の色に輝く一糸を見つけて彼女はそれを黄金の束から抜き取る。

 

「所詮、『貢ぎ物』に贈呈者を選ぶ資格も、意志もありやしないのですから」

 

 麻色に近い……母のそれと同じ色彩の髪を見つめてグラティアは呟いた……。

 

 




ヴァイマールの令嬢は艦艇をこれくしょんする作品の最上型三番艦、ユトレヒトの方は同四番艦なイメージ

最後のはつまりあれです。付き人が両方金髪だから………。


次からはかなり銀英伝っぽくなると思います


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第九章 前線で大軍の攻勢に回るなら危険に晒されないと思ったか?
第百十二話 同窓会は社会的地位の差が如実に現れる


祝!お気に入り4444突破!!ですのでこの章で主人公をぼろ雑巾にしても問題ないよね?


発 宇宙軍カキン第三根拠地隊 

 

宛 サジタリウス腕方面討伐軍総司令部

 

 戦局最後ノ関頭二有リ、叛徒共来寇以来、忠君ナル麾下将兵ノ敢闘ハ真ニ戦神ノ如キモノナリ。特ニ想像ヲ越エタル量的優勢ヲ以テスル陸海空宇宙ヨリノ攻撃ニ対シ、克ク健闘ヲ続ケタルハ彼ラノ将トシテ喜ビ二堪エナイモノデアル。

 

 然レドモ執拗ナル叛徒共ノ猛攻二将兵相次イデ斃レ為二御期待ニ反シ、皇帝陛下ノ統治サル地ヲ敵手二委ネルノヤムナキニ至レルハ誠ニ恐懼ニ堪ヘズ、幾重ニモ御詫ビ申シ上グ。

 特ニ本星ヲ死守セザル限リ帝国本土永遠ニ安カラザルヲ思ヒ、タトヒ魂魄トナルモ誓ッテ帝国軍ノ捲土重来ノ魁タランコトヲ期ス、今ヤ弾尽キ、水涸レ戦イ残レル者全員イヨク最後ノ敢闘ヲ行ハントスルニ方リ熟々皇恩ノ忝サヲ思ヒ粉骨砕身亦悔ユル所ニアラズ。

 茲ニ将兵一同ト共ニ謹ンデ皇帝陛下ヘノ万歳三唱ヲ持ッテ決別ノ電ト致ス。

 

 皇帝陛下万歳!皇帝陛下万歳!皇帝陛下万歳!

 

 偉大ナリキ銀河帝国ヨ永遠ナレ!

 

 

 

 

 

 その決別電が打たれたのは宇宙暦789年6月8日1800時の事である。

 

 カキン星系第四惑星であり、星系名と同じ名を名付けられた惑星カキンは、その大部分が熱帯性気候に属する。さらに陸地の多くが環礁や湿地帯であるため、高温多湿な気候と相まって湖の水は細菌が繁殖し毒化しており、水面には毒虫も這う。地上戦ともなれば穴という穴に泥が入りそうになる最悪な環境であり、伝染病の発生も珍しくない。

 

 しかし、カプチェランカと並び豊富な地下資源と水資源、そして呼吸可能な大気を持つ事、加えてワープポイントが周辺に多く流通の要衝となっているがために、決して戦略的価値は低くない。そのため長年に渡りこの惑星をめぐって同盟軍と帝国軍による小競り合いが続いていた。

 

 そんな係争地であるこの星の戦況にも同盟軍の大反攻作戦により変化が訪れた。

 

 帝国と同盟の支配領域が錯綜する惑星南半球において同盟軍の総攻撃が開始され、現地帝国軍は圧倒的な火力の滝の前に半壊、残存戦力は南半球の簡易宇宙港に司令部を持つカキン第三根拠地隊を中核に集結し、宇宙艦隊や北半球の友軍の支援を受けつつ抗戦を続けた。司令官たるカリウス准将は三重に渡る防衛線を敷き同盟軍の攻撃を五度に渡り撃退したが……最終的には物量の前に踏み潰された。

 

 6月10日の夜明け前、カリウス准将の指揮の下、敗残兵約八〇〇〇名は玉砕同然の最後の総攻撃をかけた。猟兵部隊が後方に浸透し、朝日が昇ると共に砲兵部隊が砲撃し、装甲擲弾兵を前衛とした歩兵部隊が前線の同盟軍を蹴散らす。

 

 この攻撃の前に、同盟軍の最前衛にあった第一〇宇宙軍陸戦隊第一〇四陸戦師団・第一一三陸戦師団は一時的に混乱に陥った。だが最終的には急遽投入された航空部隊による爆撃と装甲部隊の突入によりこの攻撃を撃破、カリウス准将以下の将兵の大半は戦死。6月16日までに同盟軍はカキン南半球における戦闘を掃討戦に移行させ、主力部隊は北半球戦線へと移転させた。

 

そして………。

 

「ここから……基地まで数百キロはあるか……」

 

 カキン南半球のある湿地帯の草むらで、一人の帝国軍士官が携帯端末に映されるソリビジョン地図を見つめながら呟いた。

 

 あらゆる環境に適応し、簡単なパワーアシスト機能も有する簡易装甲服を着こなしたその中尉の顔を見れば、少なくとも女性であれば十中八九気を引かれるであろう。

 

 均整のとれた身長184cmの相当な美男子であった。黒に近いブラウンの頭髪は良く整えられその者の知性を感じさせる。多少泥に汚れ、顔に疲労の色が見えるものの、それでもその姿勢や表情からは育ちの良さと品性が滲み出ていた。

 

 だが、最も注目するのはその瞳だ。左右で色が違う。闇の深淵のようにミステリアスな黒い右目とサファイアのように輝く青い左目……所謂『金銀妖瞳』と言う物である。

 

 地球時代、その文化圏においては英雄の素質を持つとも忌み子であるとも迷信で語られた存在であり、現代においては単なる遺伝子の変異に過ぎないと証明されているそれは、しかしそれを理解していようともその風貌を見る者に異様な印象を与えてるように思えた。

 

「行くか……」

 

 『金銀妖瞳』の中尉は湿地帯でハンドブラスター片手に警戒しながら北半球の友軍基地へと向かう。友軍はいなかった。

 

 彼の部隊は既に全滅した。最後の総攻撃に対して彼は根拠地隊司令部の命令に反対し、友軍との合流を提案したが、所属する臨時陸戦隊司令部からは臆病者扱いされ碌に取り合われなかった。

 

 彼にとっては愚かとしか思えなかった。皇帝のために名誉の戦死なぞ呆れる。彼が軍に入隊したのは皇帝への忠誠心でも、体制への信奉からでも、まして反乱軍への敵意でもない。唯帝国において最も自身の才覚だけで高みに昇る事が出来るのが軍であっただけの事だ。

 

 故にこんな所で彼は死ぬつもりなぞ無かった。攻勢の最中に部隊から離脱した彼の判断は結果的に彼の生存の上では最善の判断であったろう。仮にあのまま部隊に同行していれば、彼は周囲の泥に沈み虫に集られる死体の仲間入りをしていた事であろうから。

 

 とは言え、まだこの時点では戦死の日が数日ズレる程度の事であろうが……。

 

「こんな所で死ぬつもりはない」

 

 そんな中、泥の中を掻き分けるように歩みながら彼は小さく呟く。それが単なる強がりではない事はその強い意志の籠る瞳から明らかであった。そう、こんな所で死ぬつもりはない。こんな下らぬ場所で………。

 

「っ……!!」

 

 次の瞬間人影を確認すると共に彼はハンドブラスターを発砲していた。同時に人影も構える狙撃用ブラスターライフルを発砲する。

 

 彼の正面に立つ『味方の背後の敵兵』を彼のハンドブラスターの光筋が撃ち抜いたのと、正面の味方が『彼の背後で狙いを定めていた敵兵士』を射殺したのはほぼ同時であった。

 

「「………!」」

 

 彼はすぐに正面の小柄な蜂蜜色の髪の士官と背中合わせとなり周辺を警戒する。

 

「俺の部隊は俺以外全滅、そっちは?」

「同じだ」

 

 返されるのは想定していたのと同じ答え。恐らくは彼もまた無意味に玉砕する味方から逃れたのだろう。

 

「ちっ……大勢おいでなすった」

 

 背後から蜂蜜色の髪の士官が愚痴を吐く。恐らく先程の発砲音か光で居場所が発覚したらしい。若干霧の立ち込める湿地帯の奥から幾つもの影がこちらへと向かってくるのが見えた。同盟地上軍の湿地帯向けの水陸両用装甲車であろう。聞き耳を立てればほかの方向からも装甲車と歩兵が近づいてくる音が響いてくるのが分かる。

 

「……装甲車への肉薄の経験は?」

「一度だけある」

「そうか」

 

 背後の小柄な陸兵の質問に淡々と彼は答えた。歩兵は兎も角、装甲車に対してハンドブラスターではまず撃破は不可能、であるならば生き残るためには装甲車に肉薄して手榴弾を中に放り込むなり、対車両地雷を投げるしかない。

 

「実は少し離れた所にトラップを設置してある。そちらに誘導して装甲車の足を止める。後は歩兵は俺がやるから肉薄攻撃を頼めるか?」

 

 普通ならふざけるな、というべき要望である。しかしそれは決していい加減な提案ではない。『金銀妖瞳』の中尉も自身と彼とでどちらがよりこのぬかるんだ湿地帯での肉薄攻撃に向いているか、小柄な男の狙撃技術が信用出来るか、その作戦内容の成功率は現実的か、短時間の内に計算をし、その勝率が小さくはない事を結論づけていた。

 

 故に、彼は小さく、淡々と頷いた。その返答に蜂蜜色の髪の士官は狼のようににやりと笑みを浮かべる。

 

「生きて戻れたら酒でも御一緒しよう」

「うむ、自己紹介はその時に」

 

 互いに目の前に迫る死に対して、しかし世間話をするようにそう語り合う。既に同盟軍はすぐそこまで迫っていた。

 

「「行くぞ!」」

 

 その掛け声と共に湿地帯で銃撃の音が鳴り響いた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うげっ」

「おい、何だその妖怪を見る目付きは?」

 

 私は会場に入ってすぐに視界に入って来た屈強な同期生に締められる直前の鶏のような声を上げた。

 

 宇宙暦789年7月1日、私はエルゴン星系惑星シャンプール星都クセシフォンにそびえ立つホテルカプリコーン・シャンプール地上三〇階で行われていた自由惑星同盟軍士官学校784年度卒業生同窓会の会場……正確にはそのシャンプール会場……にいた。

 

 シャンプール会場、という言い方をするのも当然である。軍人である以上任地は選べないし、態態休暇を取ろうにも限度がある。唯でさえこの時期は士官学校なり専科学校なりの同窓会が多いのだ。御上も可能な限り影響が生じないように退役軍人庁や後援会と調整はしているものの、零にする事は出来ない。

 

 なので、この784年度卒業生同窓会の場合もそうであるが、会場が複数用意される訳だ。このシャンプール以外にもハイネセンポリスとテルヌーゼン、ネプティス、パルメレント、パラス等九ヶ所が会場となり、それぞれ近隣で職務についている同期生で同窓会を開催していた。

 

 784年度卒業生の総数は4267名。その内、同窓会の出席者は3411名。その中でシャンプール会場に足を運んだ者は952名である。出席していない者の半分は軍務であり、残る半分はそれ以外の所用で日程が合わない者や病気や怪我で入院している者、唯関心がなく来ない者、そして戦死者で占められる。

 

「冗談だよ、冗談。想定内の反応でなによりだな」

「そういう貴様もまた後方で火遊びしてきたらしいな?」

 

 私がへらへらと笑みを浮かべてそう答えれば、反撃とばかりにこの旧友は指摘してくる。

 

「ホランド中佐、若様の武勲に対して何か御不満でも?」

 

 私の傍らでその反応を窺い、ベアトがむすっとした表情で尋ねる。苦々しげに聞こえるのは恐らく中佐という階級に対してであろう。

 

 昨年の10月に私は市民守護勲章と共に中佐に昇進したものの、流石にベアトやノルドグレーン中尉までは難しかったらしい。共に市民守護勲章の授与と一時金支給こそあったが昇進は見送られた。その間にホーランドが昇進してしまい、遂にベアトが下手に出なければならない状況に陥ったのだ。

 

「何故このような者が中佐なぞに……!」

 

 ベアトはそう不満そうにするが、実際の所、そこにあるのは必然のみである。第三次イゼルローン要塞攻防戦以降、第一一艦隊司令部作戦参謀スタッフ、第八宇宙軍陸戦隊第八四陸戦師団大隊長、同師団参謀、第一一艦隊第六九〇駆逐隊司令官等を歴任してその全てで大なり小なり戦功を上げてきた。そこに士官学校次席の経歴が加われば昇進しない方が可笑しいレベルだ。寧ろ異常なのは………。

 

「それはこっちの台詞よ!何でこんな奴が中佐なんかに………!!」

 

 そう答えたのはホーランドの影から現れたコーデリア・ドリンカー・コープ宇宙軍中佐だった。

 

「ふんっ!」

 

 コープは私の階級章を見てベアトがホーランドを見ていた時のように苦々し気に鼻を鳴らす。まぁ、気持ちは分からんでもないが……。

 

 宇宙暦789年6月時点で生存し、かつ軍に現役で在籍する784年度卒業生の総数は4088名。内、中尉は全体の二割、大尉が全体の七割以上を占める。即ち、殆んどの同期生は現在大尉である。

 

 実際、士官学校卒業から五年後の階級の平均は大尉が妥当なものだ。

 

 兵学校や専科学校卒業生の多数派にとっては大尉が退役直前に到達出来る終着点であるが、士官学校卒業生はせいぜい一、二分野の専門家であれば良い彼らとは違う。参謀教育は勿論、理系の技術知識、陸戦、語学、諜報技術、リーダーシップ……これらを高レベルで備えるエリート中のエリートとして軍の高官たるを期待されるのが士官学校卒業生である。彼らにとっては大尉なぞ卒業十年以内に通り過ぎる通過点でしかない。学歴格差ここに極まれりだ。

 

 残る一割以下の内、少佐は181名、殆どが士官学校上位卒業生ないし前線で複数回武功を挙げた者に限定される。ベアトのほかチュン、ヴァーンシャッフェ等がこの階級に任ぜられている。前線なら艦隊や地上軍司令部の若手参謀(の末席)、あるいは現場の歩兵大隊長や駆逐隊司令官等、後方なら部署の課長等に就く事が許される立場だ。

 

 中佐が現状の784年度卒業生の生者における最高階級である。筆頭はヤングブラッドであり昨年6月に昇任した。そのほか昨年の内にホーランドやコナリー、今年4月にコープが昇任する等、宇宙暦789年6月時点で計27名が任ぜられている。彼らは派閥の後押しを加味せずとも実際にそれぞれの任地で相応の働きを見せたが故に昇進を果たした存在であり、余程ヘマをしなければ間違いなく将官に手が届くであろうと予想される者達だ。もしかしたら二、三人は二十代で将官に昇任する可能性すらある。

 

 そんな同期の中佐達の中に私のような士官学校卒業席次ギリギリ千位以内合格、部署異動毎にトラブルの種を蒔き、醜聞に満ち満ちているような奴がいれば苦々しい顔にもなろうというものだ。

 

 とは言え、私も余り罵倒されるのは好きではないので一つおちょくってみる。

 

「おいおいコープ中佐、先任者にその態度はないだろう?ほれほれ、先に敬礼してくれよ、敬礼」

 

 軍隊において相手への挨拶でもある敬礼を行う順序は決まっている。同盟軍においてはまず自由戦士勲章を有する者が先に敬礼を受ける権利を持つ。次いで階級が高い順、同じ場合はその勤務地に着任した順か階級を授与された順に敬礼を受ける権利がある。

 

 私が中佐に昇進したのは昨年10月、コープが昇進したのは今年4月、つまり私は要求すればコープに先に敬礼される権利があるのだ……!

 

「うぐっ……ぐぐぐっ……!この下衆貴族がっ!調子に乗るんじゃないわよ……!」

 

 顔を憎らしげに歪めながら暫し葛藤し、しかし最後は抵抗しつつも凛とした完璧な敬礼を私に向ける。尤も顔はこっちを睨み殺せそうだがね。

 

「ふむ、宜しいコープ中佐、それが軍人の礼儀だからな?」

 

 私はどや顔で悠々と敬礼をしてやる。因みに軍規には上官が敬礼を終えるまで敬礼の姿勢を止める事は出来ないとあるので、軍隊内の苛めの中には相手に敬礼をさせた後何時間も放置するなんてものもある。もし相手が敬礼を勝手に止めればそれを基に叱責をする訳だ。まぁ私は屑じゃないのでそこまではしないが……。

 

「ふっ……」

「貴様今笑ったなぁ!?」

 

 私の傍に控えるベアトの冷笑にコープが反応する。長征派の名家の娘が亡命貴族に……しかも自身の主人に……嫌々礼を尽くす光景は随分と小気味が良い事だろう。

 

「ぐぬぬぬ………!………あっ!」

 

 屈辱に顔を歪ませるコープはしかし、次の瞬間何かに気付いたようににやり、と意地悪な笑みを浮かべる。

 

「いつまでそこで間抜けに突っ立ているつもりなのかしら?早く敬礼をしてくれないかしら、ゴトフリート『少佐』殿?」

「んなっ……!?」

 

 コープからの逆撃にベアトは顔を青くし、次に怒りに赤く染め上げる。

 

「ぐぐぐっ………!」

「まさか出来ないなんて無いわよねえ?軍規だからね、当然よねぇ、ましてぞんざいな敬礼なんてしたら実家の恥晒しよねぇ!そんな奴を傍においているような上官も底が知れるわよねぇ!」

「くっ……!!」

 

 コープは立て続けにベアトに口撃を加える。その度にベアトは顔を歪ませ……渋々と言った体で惚れ惚れする敬礼をコープに向けて行った。コープは完全な上から目線でそれに答える。

 

「いや、お前ら子供かよ」

「他人事のように言っているが貴様が発端だぞ」

 

 コープとベアトの低レベルな争いに私は呟くが直ぐ様ホーランドにそう指摘された。おい、やめーや。

 

「う、うぐっ……ごほん、それにしても……やはりシャンプール会場の出席者が多いな」

 

 私はホーランドの指摘に咳をして誤魔化した後話題を変える。

 

「当然よ、もうすぐ反攻作戦が開始されるんだから。というか貴方達の艦隊もそれでこっちに来たんでしょう?」

「まぁ、そりゃそうなんだが……」

 

 コープが何を今更、と言った口調で答える。そう、同盟軍は同盟領深く侵入している帝国軍に対して全面的な反撃を企て、既に一部では開始すらされていた。

 

 それは昨年2月にエル・ファシル陥落により中止された反攻作戦を修正し、より大規模にした物である。

 

 総司令官に長征派であり統一派とのパイプも太いデイヴィット・ヴォード宇宙軍元帥が指名された。第三次イゼルローン要塞攻略戦の司令官を務めた人物であり、現在はブランシャール退役元帥の後を引き継ぎ宇宙艦隊司令長官の地位にある。大軍を持ってセオリー通りに戦う正統派の用兵家であるが、それ以上に軍政家としての適性が高いように見え、将来的には統合作戦本部長、そしてそのまま政治家に転身を目指していると噂されている。

 

 投入される戦力は五個艦隊、四個地上軍、そのほか辺境域分艦隊、司令部直属部隊、更にはヴァラーハやシャンプール、エル・ファシル、カナン等の国境や占領惑星の星系警備隊が義勇軍として、また当然亡命政府軍も動員される。戦闘艦艇九万八八〇隻、兵員一七〇九万六二〇〇名は近年希に見る大動員だ。その目的は帝国軍の国境からの駆逐だ。作戦名は「レコンキスタ」……国土回復運動とはよく言ったものだ。

 

「こっちは去年エル・ファシルが陥落してから難民が来るわ来るわ……攻勢に出るはずがこの前まで難民の避難と防戦ばかりで休日返上よ。もう最悪だわ」

 

 コープは肩を竦めて苦労を語る。実際彼女の中佐昇進は避難計画の作成と実施の功績からであった。

 

「そういう貴方達は気楽で羨ましいわね?ずっとハイネセンにいたんだから」

「むっ……」

 

 こっちの捕虜収容所やら国防事務総局の極秘任務でそれなりに忙しかったのだが……いや、確かに最前線のコープ達に比べれば大したことはないだろうが……。

 

 実際去年の年末頃には極秘任務も少なくとも私が対応する範囲では終わり、4月の人事異動で第六艦隊第六陸戦隊所属になるまで文字通り暇を潰していた。お陰様で手が空いているからとヤングブラッドに御使い……エコニアから来た帰化帝国人の出迎えと世話……をさせられた。

 

……というかおい、ケーフェンヒラー何でてめぇ生きている!?

 

 どこでどうバタフライエフェクトが起きたのか分からないが、何故か不敵な笑みを浮かべてハイネセン宇宙港に到着した老男爵を出迎えて、その自宅の手配や暇潰しの相手を3月末までさせられていた。ハイネセン国立国会図書館の案内やハイネセン記念スタジアムでの生意気な銀河の妖精のコンサートや記念品グッズ購入の付き添い等等……老人介護かな?

 

 私はコープの非難を誤魔化すようにビュッフェ形式の料理を皿に取りに行く。うん、流石シャンプール最高級のホテル、最高の味だぜ!

 

「全く無礼なものです。若様より後で昇進した分際で生意気な……」

 

 傍らではベアトがコープの文句を口にする。因みにコープはホーランドに愚痴をボヤいていた。

 

 そんな子供じみた事がありつつも同窓会は比較的和やかな雰囲気で続いていく。軍務により普段顔合わせが出来ない旧友同士で親睦を深め、あるいは同じ部隊や艦隊に勤務する者同士で今後の任務について噂し合う。同じ派閥同士で情報交換を行い、別の派閥に探りを入れ、あるいはパイプを繋いでいく。

 

 当然私の元にも顔を出す者は多い。異例な程早く昇進した私に関心を持つ者、あるいは帰還派への顔繫ぎを望む者、統一派の中には恐らく私のハイネセンでの極秘任務を聞かされている者もいるだろう。士官学校ではそれほど親睦が無かった者が如何にも親友であるかのようにすり寄ってくる。素晴らしい友情だ。

 

 同窓会の終わり頃にそれは伝えられた。軍服を着た兵士が会場に入室した。その兵士は手元に何等かの伝言書を手にして周囲を探し長征派の同期生達の集まる一角に向かう。暫くしてどよめきが起こる。

 

「おい、コープ……!」

 

 コープの下に伝言書を持って険しい顔したスミルノフが駆け寄る。そして伝言書をコープに差し出す。コープはそれを僅かに疑念を持った面持ちで受け取り読みだして……若干表情を強張らせた。

 

「……あの馬鹿。あんな詰まらない場所で……!」

 

敵意と怒りを込めた表情でコープは呟く。

 

「どうした……?」

「っ……!」

 

 私の声に一瞬敵意を込めた視線を向け、しかしすぐにバツが悪そうにそれを消したコープは私にそれを渡す。受け取った伝言書を読んで私も僅かに渋い顔をする。

 

「この前マカドゥーが報告を受けたらしいわ。行方不明扱いからこれで戦死扱いね」

 

 伝言書の内容は第二方面軍司令部情報部勤務で今回の同窓会に任務から欠席したマカドゥー少佐からのものだった。……どうやら同期生の戦死が確認されたらしい。

 

 アブラハム・マスード地上軍大尉は長征派の軍人家系生まれであり、卒業時の学年席次は39位、カキンの地上軍師団の連隊直轄部隊の指揮官であった。以前コープとの戦術シミュレーションの際に地上部隊指揮官として対決した相手でもある。6月19日1400時頃カキン南半球での残敵掃討作戦中に指揮する部隊ごと行方不明になったが……どうやら数日前に遺体が回収され本人と確認されたそうだ。

 

「残敵だからって油断したのね。折角士官学校を出てこんな死に方をするなんて……!」

 

 死んだ同期生に悪態をつくコープ。だが、その表情には沈痛な面持ちが伺い知れる。カキンは決して戦略的に無価値な場所ではないが、純軍事的には重要かと言えばそこまで固執するべき場所でもない。まして予備役や下士官兵士上がりなら兎も角、エリートの集まりである士官学校卒業生……それも最上位卒業生……が戦死するにはもったいなさ過ぎる。しかも残敵掃討中に……。

 

「手持ちの小隊で掃討作戦中に全滅か……待ち伏せ、といった所か」

 

 伝言書に書かれた内容を読んで私は呟く。然程仲が良かった訳ではないが……それでも顔を知る同期生が戦死したとなればそれなりに思う所がある。

 

「………嫌な予感がするな」

 

 何とも言いようのない不安感を誤魔化すように私は会場に用意されていた葡萄酒を呷った。残念ながらそれによって不安が和らぐ事は無かった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エルゴン星系の惑星シャンプールの歴史は銀河連邦末期にまで遡る。所謂連邦末期から帝国建国期に放棄された旧銀河連邦植民地の一つであるシャンプールは、確認が取れる限りにおいてヴィックウェリントン社によりC級居住可能惑星をテラ・フォーミングされて植民が為されたと記録されている。

 

 宇宙暦281年頃に宇宙海賊の跳梁などで惑星植民の採算が大幅赤字となって実質的に放棄されて以来、残された住民は大きく二通りに分かれた。

 

 北部の比較的快適な気候である大諸島部は工業化が為されており、同盟との接触時点で原始的ながら人工衛星の打ち上げも行われていた等、比較的文明を維持していた。一方、南部の大大陸は沿岸部と百余りのオアシスを除くと砂漠化しており、機械も殆ど使わない原始的な遊牧民が生活していた。両者は基本的に互いに不可侵と限定的な貿易を行っていたとされる。

 

 宇宙暦574年に同盟が北部原住民と接触し、581年にシャンプールは同盟に併呑された。シャンプールは自治区、後に星系政府が成立して同盟の加盟国となるが、それは主に北部原住民が主導しての事だ。シャンプールの事情に疎い同盟政府は南部の遊牧民の意見を反映せずに貿易や関税の設定、インフラ建設を行い、それは南部遊牧民の反発を招いた。以来、シャンプールは親同盟派の北部と反同盟傾向のある南部の緊張と衝突が散発して現在に続く。

 

「まぁ、中佐殿には今更御伝えする事ではないですかな?」

「ははは、まぁ身をもって知りましたから」

 

 シャンプール南大大陸の緑化指定地域の向日葵畑を、数台のジープとトラックが走る。その内の一台に私は乗車していた。後部の席には私とベアト、運転するのがノルドグレーン中尉、先程から私に話しかけているのは助手席に座る士官だ。

 

「あの時は大変でした。まさか……誘拐されるとは。あの時は私の首も飛ぶと覚悟しましたよ」

「代わりにライターと金時計を盗られたけどな」

 

 私は肩を竦めて当時遊牧民達と交渉した浅黒い肌の少佐に答える。

 

 ハムザ・モハメド・マロン少佐はこの年二八歳、同盟軍第二方面軍の地域調整連絡官である。シャンプール生まれのシャンプール育ち、先祖も代々シャンプール生まれの生粋のシャンプール人である。

 

「ははは、同じシャンプールの民としてお恥ずかしい限りです。今回は注意しておりますので御安心下さい」

 

苦笑いを浮かべてそう謝罪するマロン少佐。

 

「いや、過ぎた事だし今更蒸し返す事でもないさ。郷に入っては郷に従えとも言うしな。……そろそろだな」

 

 ドローンが水やりと気温調整を行う向日葵畑を抜けるとその先は荒野が広がりその更に向こう側には灼熱の砂漠が広がる。

 

 そして丁度砂漠と荒野の中間地点、そこに複数の人影が見えた。

 

 ジープが彼らの集団の百メートル程手前で停まる。私はベアトとマロン少佐を連れてジープから降りてゆっくりと彼らの下に向かう。

 

 彼らもこちらに気付いたらしい。トリウマ(地球統一政府時代に品種改良で誕生した駝鳥のような乗用鳥だ)に乗った、日除けを被る古い火薬式銃を肩にかけた者達が数名程こちらへとやって来る。

 

「友よ、私はマロンシェの族長イヴンの息子ハムザだ。挨拶と礼のためにここに訪れた」

 

マロン少佐がトリウマに乗る男の一人にそう答える。

 

「………うむ、マロンシェの代理人、サラージ家のオマルだ。よくぞ来た同胞よ。それに……」

 

オマル・サラージと名乗る中年の男は私の方向を見る。

 

「アルレスハイム、ティルピッツのヴォルターよ。よくぞ参られた。友の来訪を歓迎する」

「恐縮です」

 

 私は僅かに苦笑いを含んだ笑みを浮かべる。友とか言っちゃってるこの人達に数年前拉致られたのだから皮肉なものだ。

 

 第三艦隊がシャンプールに駐屯していた頃、南大大陸の宇宙港周辺の街で誘拐された経験がある。降下前に注意は受けていたのだが……少し甘い考えだったよ。

 

 元々住民に反同盟の傾向が強い部族社会である。しかも先祖伝来とかいう土地の開発問題からそのまま同盟政府……というよりかは北部人が主体のエルゴン星系政府との交渉の人質となった。

 

 まぁ、何だかんだあってマロン大尉(当時)や現地の統一派を通じて粘り強く仲裁と説得を重ねて三か月後に無傷で解放されたのだけれど……。お蔭様で広大なシャンプール南大大陸の中でこの緑化開発地域周辺の部族は比較的同盟に融和的となった。調子の良い事に今では友扱いだ。いや、多分只の社交辞令だろうけど。

 

「族長が待っている。フリー・プラネッツからの使者でもある諸君達を歓迎したい。ついて来ると良い」

 

 サラージ氏は南シャンプール訛りの強い同盟公用語でそう口にしてトリウマの踵を返す。我々はジープに戻ってその後を追った……。

 

 

 

 

 

 

 砂漠地帯を十数キロ程進んだ先にオアシスはあった。人口は推定六万程度、砂漠の泉を中心に緑が生い茂り、そこに地球時代を思わせる煉瓦の街が広がる。

 

 我々はサラージ氏の誘導に従ってジープとトラックを駐車場?に止める。近場には相当年代物な(そして合法非合法の手段で手に入れたのだろう)同盟製の地上車、それに同じ乗り物の括りなのか何十頭ものトリウマが雑草をもしゃもしゃ口にし、オアシスの泉に嘴を突っ込ませていた。

 

「こちらです」

 

 日よけのスカーフで顔を隠し、コルネリアス帝の遠征時代に現地で遺棄されたのだろうモーゼル339ブラスターライフルを手にした兵士が私達を案内する。一応同盟軍のエルゴン星系警備隊所属であるが彼らは実質的には南大大陸に点在する五十近い部族が各々所有する私兵に過ぎない。北部の完全に組織化され機械化された部隊とは、そして同盟軍主力部隊とは全く別物と考えても良かった。

 

「以前来た時に比べれば結構変わってるでしょう?」

「そうですね、良くも悪くも、ですが」

 

 映画のセットのような街を観察していきながら私は答える。以前この街で人質に捕られていた時、思いのほか待遇は悪く無かった。まぁ、死なれたら困るからね、無駄にスパイシーなものや甘ったるい物が多かったが結構良い物を食べさせてもらった。水飲み放題に毎日風呂に入れるのはこの土地ではかなりの持て成しだ。代わりに私は下手したら銀河連邦時代に製造された発電機やら地上車の修理等をした。

 

「鉱山開発の見返りで結構補助金とインフラ整備をしてもらいましたからね。おかげで結構便利になりましたよ」

 

 マロン少佐は微笑む。近くに幹線道路を整備し、同盟の掘削技術と緑化技術、降雨技術等により緑地と街は拡大した。水も使い放題とは言わずとも以前より豊富に利用出来、医薬品や日用品もより安く流入している。よく見れば中古とは言え同盟製の洗濯機に主婦が並ぶ姿や炭酸飲料を飲みポテトチップスを口にする若者、超光速通信テレビ用のパラボラアンテナが家に備え付けられいるのが確認出来る。

 

「ですが長老方は余り良い顔していないでしょう?こっちでもよくある事ですから分かりますよ?」

 

 私がそう指摘するとマロン少佐は複雑そうな表情を浮かべる。恐らく保守派の老人方は反発しているのだろう。自分達の代々守って来た生活様式が侵食されるのは誰だって生理的に嫌悪するものだ。南北融和プログラムに基づき部族社会から幼少期に北部に留学、そのまま同盟流の教育を受け士官学校を卒業した少佐にとっては双方の価値観が理解出来るだけに一層難しい心中だろう。

 

 煉瓦造りの門を構えた屋敷が見えて来た。城壁にはフェザーン製の古い個人携帯用対空ミサイルランチャーや重機関砲を構えた私兵が警備する。門を潜り抜けて緑生い茂る中庭を通り抜けて屋敷に迎え入れられる。

 

「良く帰って来たな、不肖で親不孝の息子め!」

 

 絨毯の敷かれ、トリウマの丸焼きのほかバシンジャン・マクリー(揚げ茄子)、ムサカ(茄子とズッキーニのグラタン)、ゲバブにファターイル(パイ)、野菜入りヨーグルトといった料理が用意された屋敷の広間、その上座に座る年老いたマロンシェ族の族長にしてエルゴン星系政府の議員でもあるイヴン・モハメド・マロンは入って来たマロン少佐を一瞥して不機嫌そうにそう言い捨てる。

 

「帰宅してすぐその言葉はないでしょう、父上?」

 

マロン少佐は族長でもある父に困り顔で答える。

 

「ふんっ、北の腰抜け共やフリー・プラネッツとかいう輩の猿真似ばかりする親不孝者には丁度良いだろうて。全く折角家に帰ってきてもそんな服を着よって、ターバンすらつけんとはな!」

 

 同盟軍士官服の息子の出で立ちに顔を顰めた後、族長は我々に視線を向け歓迎の笑みを浮かべる。

 

「おっと、済まぬな客人方。此度の来訪、心より歓迎しよう。座ると良い、料理は出来たばかりだ」

 

 マロン族長は敬礼して挨拶する私やベアト、そのほかの地域調整連絡官達に絨毯の上に座る事を勧める。私達はベレー帽を脱いで頭を下げそれに従う。

 

「此度は貴方方の派兵協力、感謝致します」

 

 着席して部族の有力者達との食事が始まり、私は最初に感謝の言葉を紡ぐ。

 

 同盟軍の帝国軍に対する一大反攻作戦に対してエルゴン星系警備隊は議会の採決により艦艇八五〇隻、兵員一五万名の提供を約束していた。マロン族長はエルゴン星系議会議員の一人としてその派兵案採択に尽力し、部族自体も星系警備隊に所属する三〇〇〇名を超える兵士を派遣する事を決めていた。同盟軍の大反攻作戦「レコンキスタ」に動員される戦力全体から見ればそれは極々僅かであるし、大半は後方の警備や支援であるがそれでも万年第一線戦力が不足する同盟軍にとっては貴重な戦力だ。

 

 此度私がここに顔を出した理由は族長と面識があるためにマロン少佐と共に贈与品(賄賂ともいう)を渡すと共に謝意を示すためだ。拉致された経験のある私にこんな命令を平然としてくる第二方面軍司令部の正気を疑いそうだぜ!……え?下手に近くに置いておくと事件が起こるって?私は貧乏神かな?

 

「ふむ、フリー・プラネッツの奴らや北の奴らは気に食わんが……この星に帝国の輩が土足で足を踏み入れるのはもっと不愉快だからな。それに今回の派遣で我らの戦士団達の食い扶持を持ってくれる。見返りと礼儀があるのならば協力をしてやらんでもない」

 

 族長はアラク(ナツメヤシの蒸留酒)を飲みながら此度の派兵賛成について語る。決して就職率が高くない南大大陸の遊牧民達だが、彼らは目が良く山岳や砂漠地帯での戦いに長けている。戦士団の兵士達を食べさせ、外貨を獲得し、しかも派遣となるので中古品とは言え同盟軍の予備装備を提供され、それどころか鹵獲した帝国軍装備の一部接収すら許されているために彼らは同盟政府への兵力提供に応じた。派兵案に賛成したほかの議員も北部議員は帝国軍の来襲に備えて、南部議員はマロン族長と同じような考えからだ。

 

 同盟に対する愛国心や善意や義務感ではなく完全に打算による決定……とは言え貴重な兵士を提供しているのは事実だ。接待役としては煽ててやらなければならない。帝国カルステン公爵領のフェザーン経由ブランデー455年物を酌して機嫌を取る。

 

「全く最近の若者は困ったものでの。あの馬鹿息子だけでない。一番下のジブリールもトリウマよりホバーバイクの方が良いと抜かす始末でな。全く大人の言う事を聞こうともせん!全く生意気になりおってからに」

「それはそれは……」

「……ふむ、お主はその点素直で良い物だな、御父上もさぞ鼻が高かろうて」

「はは、だと良いのですが……」

 

酔いの回る族長に私は愛想笑いで答える。

 

 酔っ払う族長や有力者の愚痴聞きをして回り、外からでは分かりにくい部族や周辺の情勢を聞いていくのも仕事だ。後で第二方面司令部に報告して彼らやエルゴン星系政府……引いては同盟政府の南部遊牧民政策のための情報源にするのだ。とは言え多くの場合身内の話ばかり聞かされるのだが……。

 

 そしてこういう地方の保守的な部族の客人を持て成す宴会は数日に渡るのが御約束だ。結局私が彼らから解放されるのは三日後の事となる。

 

 宇宙暦789年7月10日、私は酔いでふらつきつつ報告書を第二方面軍司令部に提出。7月12日、第六艦隊第六陸戦隊に帰還、反攻作戦「レコンキスタ」発動に備えて第六艦隊は最前線への派遣の最終補給を受けるためにエルゴン星系からアルレスハイム星系へのワープを開始した。

 

……当然ながら胃の中の物をリバースしたのは言うまでもない。うえぇ………。




なぁ兄ちゃん、何で金銀妖精はヤリ捨てしてないのに中尉に降格されてしまうん?
→原作の抑止力(多分上官の奥さんでも寝取ったんじゃね?)

原作では後フェザーン事件で面識を得たようですがこの世界線では藤崎版で合わせました


……次で一話だけ故郷の話で次の次で前線(地獄)に投げ込み予定です


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第百十三話 妹は二次元に限る

 銀河帝国亡命政府ことアルレスハイム星系政府の地方自治体は、その殆どが亡命した門閥貴族が領民と資金を使って開発・整備したものである。彼らは各自治体で表向きは民主的な政治を行っているものの、実情は当然のように貴族の領地経営のそれに近いものだ。

 

 ティルピッツ伯爵家とその血族が同盟への亡命と共に開拓し切り開いた、ヴォルムス北大陸のシュレージエン州もその例に漏れない。辺境星系数個分に匹敵する約七〇〇万前後の人口を有し、その七割前後が旧ティルピッツ伯爵領及びその他のティルピッツ系列の亡命貴族領の領民を先祖に持つ。

 

 かつてのティルピッツ伯爵家一門がその支配体制で殆んどそのまま移転したためであろう、シュレージエン州はヴォルムス各州の中でも五本の指に入る程に保守的で貴族主義の風潮が強い。

 

 州知事や郡長は当然伯爵家やその分家筋から輩出され、市長や町長、村長レベルでは殆どが従士家や奉公人の一族から当選している。各議会なども伯爵家とその臣下、そしてその親族ばかりと来ている。完全に只の平民や奴隷から政治家を出させるつもりはないように見えた。

 

 経済的にはコルネリアス帝の親征で主要な攻撃拠点とならなかったため、肥沃な大地は汚染される事なく農作物を育んでいる。人口は全一四州中五位、一人当たりGDPは四位、武門の家柄の領主が頂点にいるためか重工業の生産額は第三位であり、特に兵器工廠が多く小火器は勿論、航空機、車両、弾薬、更には建造ドックは流石にないものの宇宙戦艦用修繕・整備用ドックのキャパシティは二百隻余りに上る。

 

 ここまでの事を説明するだけで、伯爵家の領地の豊かさが分かろうものだ。帝国開闢以来の名門である権門四七家にして帝国軍首脳部を長年独占してきた武門十八将家の一角を占めて来たのは伊達ではない。

 

 無論、流石に帝国の諸侯であった最盛期に比べればその権勢は数分の一にまで弱体化している。それでも当主と次期当主が同時に戦死しても軍高官に一族の係累を幾人も捩じ込み、虎視眈々とその座を狙う家々から武門三家の地位を死守し、あまつさえ皇族の血を引く姫君を迎え入れる事が許されるだけの地力がティルピッツ家一門には存在した。

 

「はぁ……にしてもこの人数はいらんよなぁ」

 

 寝惚け顔で高級木材の椅子に腰掛けた私は、十名ばかりの使用人達による朝支度をさせながら(あるいはされながら)小さく欠伸交じりに呟いた。これでも大昔に比べたら少ないらしいのは笑えるね。何に使うんだよ。

 

「若様、どうぞ御起立下さいませ」

「うむ」

 

 洗顔し、髪を整えられ、同盟軍制式採用の軍靴と軍服を着せられ、執事の声に応じて起立すればズボンを恭しく上げられる。ベルトを程よく絞められ、首元にはスカーフを括りつけられる。最後に上着を新人であろう、若い女中によって恐る恐ると着せられる。帝都の別邸なら兎も角、実家に戻るのはかなり久し振りなので使用人も若く見慣れない者が多い。悲しい事に私の世話をしていたベテランの使用人達は多くが引退していた。

 

 内心で少しだけ寂しさを感じつつ、私は執事二人が運んできた立て鏡に視線を向ける。そこに映るのはいつもの同盟軍士官の制服に身を包み、無駄にこれまで手にした勲章や技能章を胸に飾り付けた私自身の姿だ。

 

「流石伯爵家の家督を継がれる身、旦那様と奥様に良く似てとても凛々しく、勇ましいお姿でございます」

 

 立て鏡を見て六十を超えた老女中の一人が染々とした表情で語る。恐らくは幼い頃の私の事でも思い出しているのだろう。

 

 老女中には悪いが、実際の所、顔と体格は両親や御先祖様の血を良く継いでいるのは事実だが、逆に言えばそれだけだ。父のように生真面目で厳格でもなければ、母のように貴族的で誇り高い訳でもないのだが……。まぁ、感慨に耽る老人に態々指摘する事でもないが。

 

「そうか。……そろそろ遅くなる、行くぞ」

 

 私は老女中の言葉に覚えた気まずさを誤魔化すため、敢えて興味が無さそうに答える。踵を返せば既に執事が私室の扉を開き、頭を深々と下げていた。私は世話役と弾除けを兼任する使用人達を引き連れ、赤い絨毯が敷かれ水晶のシャンデリアが天井に規則正しく吊り下げられる廊下へと歩み出る。

 

「若様、おはようございます」

「ああ、早くから御苦労だ」

 

 軍服を着こなし、背筋を伸ばして敬礼するベアトとノルドグレーン中尉に私も応える。仕度中から私の部屋の前で警備をしていたのだろう、労いの言葉をかける。

 

 廊下を出れば、ステンドグラス越しに宮殿の外に広がる美しく手入れされた噴水庭園を視界に映す事が出来た。

 

 事実上の伯爵家の領地たるシュレージエン州……その州都から南東に二〇キロ離れた郊外に広がるティルピッツ伯爵家本邸『鷲獅子の宮(グライフ・シュロス)』は、何と伯爵家が帝国の大貴族として君臨していた頃の宮殿と同一の物である。呆れた事に当時の伯爵家が屋敷を解体して輸送船で運び、この地に移築したのだという。

 

 とは言え、帝国軍が領地に来襲する中急いで亡命したので、流石に移設出来たのは宮殿の本邸部分だけである。その周囲の噴水や無意味に広い庭園、その他周辺の離宮や屋敷、倉庫等は完全に新築である。あるのだが…………『新無憂宮』や『新美泉宮』には及びも尽かぬが、それでも伯爵家本邸が広大無比である事に変わりはない。平民の家であれば間違いなく千戸は入る敷地に高級木材と大理石と煉瓦を中心にして築かれ、窓には太陽の光で七色に輝くステンドグラスをはめ込まれ宮殿を光彩で彩る。

 

 また一般的な生活の間だけでなく親族や諸侯を持て成す舞踏会場があり、離れには銀河統一戦争末期のコレリア共和国史、共和国から銀河連邦の名士時代に遡る伯爵家の一族史、帝国時代と亡命後の伯爵領の様相と開発を記録した郷土史、その他様々な未公開資料を含む数万の書籍が収蔵される図書館が設けられている。

 

 百種類近い動物を飼育する動物園に美しい水族館、植物園、薔薇園、教会、410年物の白すら保管される酒蔵に博物館、秘蔵の美術品を収めた美術館があり、数十頭の名馬を飼育する厩舎と乗馬をするための馬場に至っては貴族の嗜みからして存在するのは必然だ。

 

 当然、武門貴族の家柄であるために宮殿は戦闘に備えた城としての機能も備えている。防空壕は地下二〇階まであり、宮殿とその周辺を一個連隊が警備する。宮殿に詰める使用人の数も膨大で、代々仕える従士から街で雇い入れた末端の雑用まで含めると一〇〇〇名近くにものぼる。無論、彼らのための住まいも本邸の外苑に設けられている。相変わらず同盟で滅茶苦茶門閥貴族ライフをエンジョイしている一族である。尤も、これでも私の母の感覚で言えば普通なのだがね?

 

「あら、ヴォルター。起きたのね?お早う」

「お早う御座います、母上」

 

 ベアト達を連れて本邸の庭園で早朝の散歩をしていれば、噴水庭園の前で侍女に日傘を持たせている母に当然のように出くわし、一瞬ベアトを不機嫌そうに見つめた後(ハイネセンで捕虜になった事を未だに根にもっているのだろう、相手が名門貴族の分家で良かった)、優しくそう挨拶する。私もそれに応えて頭を下げて朝の挨拶をする。

 

 自分の母に恋慕する訳ではないが、客観的に見ても朝の日差しの中、日傘の影で佇む母の姿は四十を超えているとは思えない程に美しい。良く良く手入れをしているからだろう、長い銀髪は未だに艶があり、白い肌も化粧をしているとは言え染みも皺も見つけられない。品性のある顔立ちと佇まいと相成って十歳以上は若く見える。熟女好きでなくとも今でも十分に魅力的な女性であろう。まぁ、そんな姿以上に後ろに引き連れる三ダース程の随行人……侍女と使用人と甲冑に身を包む騎士だ……の方に注意が向くけど。

 

「……流石に少々多すぎでは?」

 

私は若干引き攣りそうになる表情を誤魔化して尋ねる。

 

「あら、そうかしら?だってナーシャも一緒だもの。何かあったら大変だわ。弾除けは必要よ?」

 

 そう不思議そうに首を傾けた後、慈愛の視線で後ろに視線を向け呼びかける。

 

「ナーシャ、お兄様がお越しになりましたよ?御挨拶をなさい」

 

 そう呼びかければ、使用人達の中からてくてくと子供用ながら一流の職人が仕立てた白いフリルをあしらったロングドレスの少女……いや、幼女と言った方が良いだろう、が現れてこちらをちらりと見た後、不安そうに母の足元にしがみついて警戒するように窺う。

 

「あらあら、困ったものだわ。ほら隠れないの、お兄様に失礼よ?」

 

 母は僅かに機嫌を損ねて、しかし困ったように幼女を叱りつける。

 

 母を丁度四十近く幼くして気弱にしたらこうなるのだろう。アナスターシア・フォン・ティルピッツ伯爵令嬢、この年三歳は、しかし私が軍人として艦隊やハイネセンに勤務していたがために面識が浅く、生来の性格も相まって中々懐いてくれないようであった。

 

「お嬢様、奥様の仰る通りで御座いますわ。若様にご挨拶を為されますよう……」

 

 十六、七程であろうか、グラティア嬢を思い起こさせる年齢の侍女が臆病な妹の傍で膝をついて説得する。

 

「………」

 

 いやいや、と言った顔で母を見上げ、次いで侍女を見つめ、最後に私を警戒するように見つめて渋々と言った風にてくてくと足を踏みだす。そして口を開く。

 

「おは…よう…ございましゅ……おにい……ちゃま」

 

 拙い口遣いでそう端的に言い切ると、すぐに侍女に抱き着いて再びこっちをちらちら警戒するように覗き始める。やれやれ、随分と怖がられているようだ。

 

「はぁ……御免なさいね、ヴォルター。ちゃんと躾はしているのだけれど………」

「いえ、構いませんよ。私の時に比べれば御淑やかで良いではありませんか?」

 

 私はこの気付いたら出来ていた妹のフォローを入れた後、その方向を見て可能な限り笑みを浮かべて挨拶を返す。

 

「アナスターシア、お早う、良い天気だね」

 

 怖がらせないようにそう答えるがそれでも挨拶を聞くとすぐに侍女の胸元にぎゅっと抱き着く力を強める。仕方なかろう。彼女にとって私は血縁上の繋がりはあろうとも社会的には限りなく他人だ。あるいは周囲の影響もあるだろう。

 

 年齢からも分かると思うが、彼女の出生は宇宙暦786年の事である。因みにこの時代ともなれば人工子宮やら遺伝子操作自体は不可能ではない。しかし、前者は主に未熟児や母体の保護のために使われており、後者は地球統一政府時代初期に必要以上の操作は寧ろ個体に予期せぬ弊害を与える事が判明したため、細菌や動物は兎も角、人間に行う事は忌避されている。よって今でも普通に一〇か月母胎の中で育って生れ出るのが基本であり、彼女もまた一般的な方法で生まれている。

 

 即ち仕込みは逆算して785年である訳で……おう、あの時か。あの時なんだな?

 

 母にとっても私とかなり歳の差があって安全とは言い難かったが、細心の注意を払った上で無事健康にアナスターシアは生まれた。

 

 とは言え、両親も親族や臣下も祝いはしたが、どうせなら男子の方が良かった、という考えが無かった訳ではないらしい。何せ私は毎度毎度母を卒倒させる問題児だ。スペアが欲しいのが本音だろう。残念ながら女子、しかも性格的に社交的という訳でもないのでは不安もあろう。妹も本能的にその事を感じ取っているようで、時折私を不安そうに見やる。母親や使用人達を取られるとでも思っているのかも知れない。

 

「母上、余り御叱りにならないでやってください。彼女は今が甘え盛りなのですから」

「ヴォルターがそういうのなら……」

 

 頬に白い手を当て、困り顔で母は幼い娘を見る。そして小さな溜息を漏らす。

 

 私は母に妹を任せ、一人(正確には付き人や使用人は付くが)で散歩を再開する。

 

「ははは、分かってはいるが警戒されるな」

「若様……余りお気になさらないで下さいませ」

 

 何とも言えない口調で苦笑いすると随行人の一人であるベアトが私を慮るように口を開く。

 

「いや、良いんだ。あの歳の子供にはな……」

「ですが……」

 

 そこまで口にしてベアトが警戒する。すぐにノルドグレーン中尉や数名の使用人が私の前に盾になるように立ち塞がる。

 

 彼らの視線の先にはこちらに小走りにで駆け寄る侍女の姿があった。

 

「も、申し訳御座いません、お目通りを御願い致します……!」

 

ベアト達の眼光に怯えつつも侍女が申し出る。

 

「……構わん。退いてくれ」

 

 その侍女が妹……アナスターシアが抱き付いていた娘であると気付いて、私はベアト達に引くように命じる。直ぐ様恭しく頭を下げて彼らは背後に控えた。

 

「アナスターシアの侍女だな?済まないが貴女の名を知らないものでね。どこの家の娘だったか?」

 

 改めて侍女を見る。黒い艶やかな長髪に朱く輝く大きな瞳をした、貴族の多くの例に漏れず水準以上の美貌を有する娘である。あるが……余り実家に帰らないせいもあってこの侍女の顔立ちに見覚えは無かった。ベアト達が必要以上に警戒していたが、どこの従士家の者だろうか?

 

「はっ……はい、申し遅れました。私はダンネマン帝国騎士家のリューディアで御座います」

 

 慌てて侍女はスカートを僅かに持ち上げて宮廷風の挨拶をする。

 

「ダンネマン……?ああ、あのダンネマンか?」

 

 侍女の口にした家名に一瞬そんな家、伯爵家の親類か食客にあったか、と考えるがすぐに思い出した。第四次イゼルローン要塞攻略戦で遭難した時、出会した食い詰めの上官だった人物の家名だ。

 

 捕虜となった巡航艦の生存者の内半数はそのまま亡命し、残りは帝国に返還されるか捕虜収容所に送られた。

 

 クリストフ・フォン・ダンネマン少佐は亡命政府に降り、恭順した。同じく帰順・亡命した部下達と共に再教育の後亡命政府軍に所属となり、そこでの働きと私の手紙による実家への口添え(食い詰め経由で頼まれた)により伯爵家の食客身分と家族の亡命申請が許された筈だ。成程、新参者ならば警戒するのも納得だ。

 

「父の件に際しては重ね重ね感謝を申し上げます」

 

 深々と頭を下げる侍女ことダンネマン帝国騎士令嬢。まぁ父親から言い含められているのだろう。曲がりなりにも食客身分のお陰で亡命したての新参者でも食い扶持と立場を手に入れられたのだ。伯爵家や口添え役の私の機嫌を害したくはなかろう。いや、こっちも食い詰めに対するイメージアップ狙いなんだけどね?

 

「礼には及ばんよ。貴女の父上には色々と無理難題を押し付ける事になったからな、細やかな返礼だ。して、何用かな?」

 

私はゆっくりとそう本題を尋ねる。

 

「は……はいっ!先程のアナスターシア様についてですが、御気分を害された事をお詫び申し上げます」

 

今でも下げたままの頭を一層深々と下げる。

 

「ですがお嬢様は若様に対する他意なぞなく、普段から感受性の豊かな気質であり遠慮する御方なだけなので御座います。どうぞお嬢様を厭む事なく労わり下さる事をお願い申し上げます……!」

 

 若干緊張で上ずった口調で侍女は、しかし最後まで言い切った。

 

「ふむ……私に妹を虐めるな、と言う事かね?」

 

私は侍女の言葉を若干意地悪な解釈をしてみる。

 

「い、いえ………はい、その通りで御座います」

 

少し迷った後で侍女はそれを認める。

 

「そうか……」

 

 ベアト達が剣呑とした雰囲気で侍女を見る(というよりは睨みつける)。しかし私は気分を害するつもりは無かった。

 

 本家筋が一門当主を世襲する関係上、父が仮に死去すれば第一継承権は私にある。とは言え私も小さい頃から問題を起こした身であるし、分家筋も全てが本家に絶対恭順かつ私の命令に一切合切従うと言う訳でもなかろう。中には私の代わりに当主になりたがる者もいるはずだ。そうでなければ貴族達の中で御家騒動なぞ起きる訳がない。

 

 そこでポイントとなるのが妹だ。同じ黄金樹の血を引く当主の娘である。女性だから本人が当主になるのは難しいとしても、分家筋から婿になればその婿が、あるいは子供が男児なら当主になる事も不可能ではない。

 

「いや、気にすることは無い。私が悪意的に解釈しただけだからな。それにそれは妹の責任ではなかろう?」

 

 侍女の発言を敵視する周囲を宥める意味も込めて私は語る。

 

「私自身はアナスターシアを敵視なぞしていないよ。血を分けた妹、しかもあんなに幼いのだからな。守らなければならないと考えてもその逆なぞないさ。寧ろ怖がらせてしまって困っていてな?」

 

 二十も歳が離れた面識の少ない軍人の兄なんて怖いに決まっている。しかも恐らくは武門の家柄だから(誇張した)私の武勲なんかも伝えられている事だろう。私が同じ立場なら前世の記憶があろうとも絶対怖い。

 

 というか私も距離を測りかねている。グラティア嬢の時もそうだが歳下と淑女との適切な距離の取り方が苦手なのかも知れない。なんせ私が普段会話をするのは家臣で軍人な付き人である。というよりほかの女性も大概濃い面子多くね……?そりゃあ妹やらグラティア嬢のようなタイプは不慣れにもなるわな。

 

「私からも母上にお伝えしておくが……貴女にも伝えておこう。侍女として妹の事を頼むよ?変な虫が寄り付かないように守ってやってくれ」

「し、承知致しましたっ……!」

 

 私は侍女の返事に笑みを浮かべて頷き散歩に戻る。妹はあの侍女に結構なついていた。彼女を通じて妹の警戒心を解いて行くべきだろう。世代が近いので婚約者の事についても相談出来るかも知れないという下心もある。

 

「いやはや、男子でなくて良かったのか悪かったのか……」

 

 どちらにしろ貴族の兄弟姉妹関係は難しいとこの年で再確認させられる早朝の散歩であった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 以前にも触れたが、銀河帝国亡命政府軍は約五〇万名の宇宙軍と約一〇〇万名の地上軍から構成される。より正確に言えば、派遣用・機動戦力としての正規軍と、地元に根付き本土防衛を主体とする「郷土臣民兵団」を中心とする州軍の二つが亡命政府軍総司令部の下に置かれている。

 

 これらの内三割前後が職業軍人から構成され、残りは徴兵された領民、外縁星系やフェザーン、同盟人、亡命政府施政権の圏外に居住する帝国系及びハーフ・クォーター等の混血の志願兵及び傭兵、捕虜収容所等から志願した帝国軍降伏兵士等から構成される。

 

そしてあくまでもこれは現役兵士のみの兵力である。

 

 国境にほど近く、しかも一度帝国軍と本土決戦をした経験があるがために、最悪は国民皆兵で対抗する準備もしている。亡命軍には主に退役兵士、徴兵任期を終えた兵士を中心に二五万の即応予備役、二二〇万の予備役、三五〇万の後備役が軍部の名簿に登録されている(予備役の半数と後備役の八割は「郷土臣民兵団」所属の州兵である)。それ以外の国民も最低限の軍事教練は施されており、各公共施設や学校には予備装備が大量に保管され、避難用シェルターに至っては各家庭単位で設置されている。

 

 まぁ、実際に戦闘に使えそうなのはせいぜい即応予備役と予備役の三分の二程度であろう。それ以外の兵力は文字通り張り子の虎だ。即応予備は年間で四〇日、予備役は年に二〇日、後備役に至っては年間一二日の訓練しか課せられておらず、しかも装備は大半が型落ちの旧式である。本物の兵士相手にどこまで戦えるか怪しいものだ。数合わせ、精々陽動や足止め役の肉壁にしかなるまい。

 

 エル・ファシル陥落から始まる有人惑星の度重なる喪失は亡命政府に衝撃を与えた。そして帝国軍の攻勢が激しくなり、戦火がアルレスハイム星系に迫る中で亡命軍はこの一年、予備戦力の動員を繰り返していた。

 

 既に即応予備役の全て、そして予備役の二割が動員と訓練を終えていた。さらに予備役の三割も動員と訓練が行われており、残る五割は限定動員と部隊編成の最中にある。後備役の一部でも召集が始まりつつあった。各地の休眠中の基地の稼働が開始され、散発的に市民の避難訓練が行われる。軍倉庫や軍事宇宙港ではモスボールされていた旧式兵器や鹵獲兵器の稼働整備が行われている。

 

 シュレージエン州には書類編成上は正規軍の第四野戦軍団(ヴィクセル野戦軍団)主力が駐屯しているが、現在は前線に派遣されているため、実際にいるのは駐屯地警備の留守部隊のみだ。

 

 州軍は正規軍に比べて地元貴族(つまりこの場合はティルピッツ伯爵家一門)の影響力の強い子飼い部隊である。シュレージエン州軍は現役として二個師団と一個突撃砲旅団(機甲旅団)、装甲擲弾兵連隊と猟兵連隊が各一個ずつ、その他航空部隊と海上部隊が若干置かれている。

 

 州内において即応予備・予備役は主に正規軍所属が六個師団、州軍所属八個が置かれている。また後備役は正規軍二個、州軍一〇個師団が書類上は存在している。

 

 現在、来るべき攻勢に向けて派遣される第一線戦力の穴埋めのため、そして亡命政府施政権圏内への帝国軍来寇に備え、正規軍・州軍が合わせて四個師団の編成・訓練を完了させていた。また四個師団が編成完了・訓練中、二個師団が動員を開始している。後備役も一部動員が始まっていた。

 

 ヴォルムスでも特に古い古都の一つであり、州の工業と金融と交通の中心地である州都ブレスラウのメインストリート「琥珀通り」を、戦闘車両や迷彩服あるいは装甲服を着た兵士の隊列が行進する。軍楽隊が高らかに演奏を行い、紙吹雪が舞い、市民は同盟旗や星系旗、あるいは伯爵家の家紋を基にデザインされた州旗を掲げて歓呼の声を上げる。

 

 私は州政府議会堂のバルコニーにてヴィルヘルム・フォン・ティルピッツ州知事(男爵)と州軍司令官ロタール・フォン・ティルピッツ少将(帝国騎士)、特別参加の亡命軍装甲擲弾兵団副総監ヨハネス・フォン・ライトナー中将、そして妹を抱きながら椅子に座る母と共に彼らの行進を閲兵する。

 

「若様、手をお振り下さい。兵士達が喜びます」

「だといいんだがね」

 

 若造の分際で安全な場所から偉そうに、なんて思われそうだが……耳打ちする壮年で遠縁でもある州軍司令官に従い私は胸を張り行進する兵士達に手を振る。

 

 言葉にこそしないが、領民達も帝国軍がこの星に少しずつ近づいている事に不安があるらしく、それを宥めるために動員される州軍の軍事パレードが州都で開催されていた。ティルピッツ伯爵家の私兵軍の血を引く勇壮な軍隊の姿を見せつける事で、領民に安心感と主君への畏怖を与え、そして愛国心を鼓舞しようと言う訳だ。これはほかの州でも同様で、ここ数か月各地で動員された予備役による行軍式が次々と執り行われていた。

 

 第六艦隊第六陸戦隊に異動した私は、艦隊のアルレスハイム星系における最終的補給において上層部より半分強制的に休暇を申し付けられた。

 

 父は時期が時期なので宇宙艦隊司令本部か亡命軍幕僚総監部あるいは亡命軍統帥本部から離れる事は出来ない。領民のために当主が無理なら息子に顔を出させろ、という事だろう。実家に帰ってから短い休暇の間、地元の有力者との面会や食事会、あるいはこういう式典で出突っ張りだ。今日も朝の散歩と朝食の後は母と共に嘆願書の返答を書き、それから馬車でこのパレードに参加した。まぁ中佐とは言え所詮添え物で、私が任される仕事は多くはないのだから合理的なのだろうが………。

 

「………」

 

 私は悠然と手を振りながら、内心ではパレードを冷静に観察していた。予備役中心という事もあり、兵士の多くは退役した老兵や徴兵期間を終えた二、三十代である。一部は徴兵中の訓練兵やそれ以下の志願兵も交じっているように見える。兵士達の表情は様々だが、故郷や家族を守ろうとする使命感に燃えている者が一番多いようだ。(洗脳)教育の結果であろう、私の姿を目にして信仰のような忠誠心の視線を向ける兵士も少なくない。

 

 一方で反発や不安そうに此方を見つめる者の視線も散見される。恐らく自分達と大して歳が変わらないのに彼らの多くは兵士や下士官、大してこっちは中佐で安全な場所から命令しやがって、とでも思っているのだろう。まぁ絶望した表情をされるよりは反発する気概があるだけマシだろう。

 

「……おいおい、マジか。あれも動員するのか?」

 

 とは言え、流石に鹵獲品のパンツァーⅠに旧式のルクスⅡ号戦車を待ち伏せ攻撃用に改造したヘッツァー駆逐戦車の車列、しかも軍服を着慣れていない高等部ギムナジウムや女学院の学生が操縦する姿を見れば思わず不安にもなる。

 

「後備役の部隊です。まだ部分動員でありますので行軍する程度の練度しかありませんが……本土決戦の際に備えた後詰部隊、前線に出す訳ではありませんので御安心下さい」

 

 州軍司令官は微妙に私の言葉の意味を取り違えているようだった。私はあんな装備の部隊を動員した事実そのものに引いていたが、彼はそれを前線で足を引っ張らないかと解釈したらしい。どちらにしろ笑えない。

 

 兵士の行進が終わり広場に部隊が集結する。観衆と兵士達が議事堂のバルコニーに視線を集中させる。

 

「奮起せよ!今こそが決戦の時である!大帝陛下も仰られた、大いなる事業を完遂するためには臣民一人一人の献身こそが重要であると!」

 

 ティルピッツ州知事は議事堂のバルコニーの上で煽動演説を行った。拡声器により議事堂前に集まる領民の愛国心を鼓舞し、熱狂させるように叫ぶ。

 

「我らが土地を収奪せんとする邪悪なる賊軍を打ち倒し、その勢いを駆って帝国本土を解放するのだ!大神オーディンも御照覧召されている!今こそ真の皇帝陛下の、そして伯爵家の御ため、聖戦にその身を捧げるのだっ!!ティルピッツ伯爵家万歳!帝国万歳!皇帝陛下万歳!」

 

 州知事の熱気に当てられたのか、十万近い市民達が州旗や亡命政府旗を振り、叫び声をあげる。恐らくサクラもいるだろうが……それでも弁舌に長けた州知事は、市民に対して万一本土決戦が生じた際に備えて臣民の反帝国感情を見事に煽る事に成功する。おうおう、ここはどこの独裁国家だ?

 

「諸君は高貴なる伯爵家が新天地に赴く旅への随行を許された栄誉ある臣民の末裔である!腐敗したオーディンの宮廷を捨て、正統なる帝室に忠誠を尽くす事を許された選ばれし民なのだ!諸君!今こそ義務を果たせ!銃を取れ!伯爵家のために戦うのだ!」

 

 州軍司令官な親戚も同じように臣民に戦いを呼びかける演説を行う。というよりこちらに至っては臣民の選民意識を駆り立てて徹底抗戦を厳命していた。亡命政府の主張に従えば、亡命政府の下にある臣民は貴族達が腐敗した帝国から脱して新天地に向かう際に「遺伝子的優良性」故に随行を許された選ばれし民だった。

 

………おう、実際は資産価値で選んだだけだからね?

 

 真実は兎も角、領民達の選民意識を利用して士気を上げるのは決して間違った選択ではないのも事実である。誰が言った言葉であったか、「平民は貴族と違い誇りが無いから目を離すとすぐに逃げようとする」そうだ。だからこそ彼らに選民意識という誇りを持たせる事でそれを防止する訳である。

 

 母上は演説なぞしない。唯々椅子に悠然と座り大衆を見下ろすのみだ。それだけでも帝室の血を引く美女が仰ぐべき主君であるので士気高揚に役立つ。尤も、妹は異様な周囲の熱気を怖がって母に抱き着いているが。

 

 その後、私も州軍司令官に促され台本通りのアジテーションを行い(よくよく考えたら私はどういう法的根拠で煽動をしたのだろうか?)、それを終えてようやく本日の役目から解放される。独裁国家らしい拍手喝采を浴びつつバルコニーから州議会議事堂の中に戻ると、私は肩を落として深く溜息をついた。

 

「御疲れ様で御座います、若様」

「ん…ああ、副総監こそこの忙しい時期に出席してくれて助かる」

 

 労いの声をかける全長二メートル超えのライトナー家当主に私も答える。禿頭に彫りの深い五十代の亡命軍中将は、同時にティルピッツ伯爵家に従属する大従士家の一つライトナー家本家の当主にも当たる。軍歴三十年、その間に装甲擲弾兵として数百回の戦闘を経験し、恐らくは一個大隊に匹敵する敵兵を葬って来た。

 

 無論、個人の技量のみならず、指揮官としても、教官としての実績もまた豊富である。嘘か真か、若き日に同じく駆け出しのオフレッサー装甲擲弾兵副総監と戦い引き分けたとか。少なくとも現時点でいえばリューネブルク伯爵より遥かに格上の実力者である。

 

「いえ、この程度の事問題御座いません。副総監なぞ普段は事務と訓練の視察しかやる事なぞ御座いませぬゆえ。いやはや、若様も御立派になられましたな。このヨハネス、感動致しました」

「さいですか」

 

 にこりと微笑む装甲擲弾兵団副総監に苦笑いして私は答える。私個人としてはこの人物は正直苦手だった。顔怖いし、幼年学校に入る前から厳しい教練をさせられた。主家の嫡男相手に容赦が無さすぎなのだ。軽く死ぬと思ったね(尚相手からすれば激甘指導との事)。

 

「それよりも、部隊の編制は完了しているのか?」

「御安心下さい、若様のご安全に配慮した人選をしております」

 

 話は此度の同盟軍の反攻作戦にて私の指揮する部隊の事に移る。

 

 第六艦隊は主に亡命帝国人及びその子孫を中心に編成された艦隊であり、亡命政府がスポンサーを務める艦隊だ。当然その傘下の第六陸戦隊もその影響下にある。

 

 今回、私は第六陸戦隊所属の第七八陸戦連隊戦闘団「ハンブルク」の連隊長を拝命していた。これまで参謀としての業務は行った事があるが、部隊指揮となるとせいぜい小隊単位までしか経験がない。そんな人間を連隊戦闘団の指揮官に据えるのは明らかにコネ人事であろう。

 

 第七八陸戦連隊戦闘団連隊長に就くと共に、連隊の大規模な再編が行われた。ほかの部隊や亡命軍から人事異動させられた者が多く集まる。その大半がティルピッツ伯爵家一門縁の人物だ。つまりお飾りの連隊長を臣下達で補助する体制である。

 

「いや、サポートは有難い。だが……流石にアレはないと思うぞ?」

 

 こちらの身を案じての事であろうが、あの部隊編成に私は苦言を呈する。

 

 第七八陸戦連隊戦闘団はほかの幾つかの部隊と共に亡命軍より抽出された部隊と合同、臨時編成の「リグリア遠征軍団」を形成する。亡命政府から抽出された部隊は練度の高い部隊ばかり、しかも軍団長は母の親族で皇族と来ている。同盟軍の事情通が見れば身内可愛さの人事である事位すぐ見抜くし、過保護過ぎると呆れる事もまた確実だ。

 

「とは仰いましても………」

 

 困った表情を向けるライトナー中将。うん、知ってた。毎回死にかける私が悪いんだよな?

 

「……いや、無理難題を口にした。大体私のせいだな。なら我儘を言う訳には行かん。此度の計らい、快く………「おい!ヴォル坊はいるか!?ツェティ従姉様は!?」

 

 その凛とした、しかし叫ぶような声に私は暫く思考停止して沈黙する。州議会議事堂の奥では何やら騒然とした雰囲気に包まれているようで、警備の兵士が制止の言葉をかけているのが微かに聞こえた。

 

「あぁ?こっちは従姉と甥っ子に会いに来ているんだ、さっさとそこをどけ雑兵。流刑地に流されたいのか?」

 

 ヤクザかマフィアのようなドスの利いた声が響き、警備の兵士が体を竦ませてその人物に道を譲る。ライトナー中将が情けない、などと口にするが流石に相手が相手なだけにその評価は可哀想過ぎる気がした。

 

「あらあら、やんちゃなのだから。あの子も困ったものねぇ」

 

 一方、その人物の性格と破天荒ぶりをよく知る母は妹を抱きながら呑気にそう語る。

 

そして、人垣をかき分け、その人物が威風堂々と姿を現した。

 

 その顔立ちは母にもよく似ていた。粉雪のように白い肌に白金色の髪、目の色は微妙に違い琥珀色に輝く。雪の妖精のような美貌……そこまでなら良くいる門閥貴族令嬢と差異はない。

 

 だが二点違いがあった。一点は左頬に刻まれたブラスターライフルの傷跡であり、もう一点がオーダーメイドで仕立てたのだろう勲章と金糸の飾緒で飾り立てた黒色のオーバーコートに、双頭の鷲の印が刻まれた同色の帽子を被っていた。腰には拳銃とサーベルを吊るす姿は明らかに軍人のそれだ。

 

「おおっ!ツェツィ従姉様!御久し振りです!それにヴォル坊、大きくなったな!坊の武勇伝はよくよく聞いているぞ!流石義従兄様とツェツィ従姉様の子だ!私も身内として鼻が高いぞ?」

 

 軍服を着た令嬢は私と母に非常に砕けた口調で機嫌良さそうに語りかける。彼女にはそれが許されていたためだ。

 

 アウグスタ・フォン・ローデンドルフ亡命軍少将………旧姓をアウグスタ・フォン・ゴールデンバウムと言う。それが現銀河帝国亡命政府皇帝グスタフ三世の三女、我が母の従妹にして旧友アレクセイ・フォン・ゴールデンバウムの腹違いの姉……そして私の叔従母にして此度の同盟軍反攻作戦の上官となる皇族の問題児の名前であった………。




今更ながら母上の個人的(外側の)イメージは銀髪なアドミニストレータ、つまり妹の外見はクィネラをイメージしてください。

ついでに装甲擲弾兵副総監はベルセルクのボスコーン、叔母は某これくしょんの共産主義の戦艦が作者の脳内におけるモデルです


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第百十四話 あれ?もしかしてもう一周年……?

二話位前に投稿から一年近い事に気付いた
これまで御覧頂きありがとうございます、今後とも宜しくお願いします


……御礼に主人公をやべー奴らの所に送りました(満面の笑み)


 宇宙暦789年8月21日0000時、シャンプールに置かれた司令部から全軍に向けて攻撃命令が発令されると同時に、自由惑星同盟軍による一大反攻作戦、「レコンキスタ」が開始された。

 

 宇宙暦789年8月時点において、同盟軍はイゼルローン回廊の同盟側出口に接続する四つの航路の全てで押し込まれていた。帝国軍サジタリウス腕方面討伐軍の総戦力は、戦闘艦艇八万二〇〇〇隻、地上軍も四個野戦軍に拡充されていた。第4星間航路ではアスターテ星系近辺のヴォーバン・ラインで小競り合いが続き、第10星間航路ではヴァラーハ星系の手前までの有人惑星を全て喪失していた。第16星間航路ではドラゴニア=クィズイール星系を結ぶ防衛線で一進一退の攻防戦が続き、第24星間航路ではエンリル星系で必死の防戦が行われている。

 

 一大反攻作戦「レコンキスタ」において、同盟軍はその戦力の中核である五個艦隊四個地上軍を大きく二手に分割した。  

 

 攻勢の主体は第10星間航路である。これには二個艦隊と二個地上軍……第六艦隊及び第一〇艦隊、第三地上軍及び第六地上軍が任じられた。第六艦隊は昨年12月に着任したラザール・ロボス中将が、第一〇艦隊はヴァラーハ出身の熟練の用兵家プラサード中将がそれぞれ指揮を執る。また第三地上軍司令官にはメッセ中将、第六地上軍司令官にはバルトバッフェル中将が任じられていた。

 

 見ての通り、主攻は帝国系や旧銀河連邦植民地系の部隊や指揮官が多く、その他後方部隊や独立部隊もその系統の部隊で固められており、占領地からの義勇兵部隊や亡命軍部隊も多数編成に含まれている。故郷を自ら奪還したい旧銀河連邦植民地系と自らの手駒を消耗させたくない長征派、戦果を上げる事で更なる軍事的発言力を高めたい帰還派の思惑が複雑に合わさった結果と言えた。

 

 搦め手として第4星間航路に二個艦隊と一個地上軍が投入される。第八艦隊司令官は今年1月に就任したばかりのシドニー・シトレ中将、第一一艦隊司令官には同艦隊の航海参謀・参謀長を歴任したトビアス・フェルナンデス中将が着任する。ベルティー二三世中将の第二地上軍がそれに同行していた。

 

 こちらは逆に長征系ないしハイネセン・ファミリーが中核となっている。第4星間航路はバーラト星系に至るまでに先祖が開拓した航路であり、その意味歴史的経緯が配慮された結果であるといえよう。

 

 無論、第16・24星間航路にもある程度の戦力は派遣される。艦艇四〇〇〇~五〇〇〇隻、地上軍五〇万~六〇万を投入して限定的攻勢を実施する予定だ。

 

 ドワイト・グリーンヒル中将率いる第四艦隊、ゲンドー中将の第五地上軍は後詰めと戦略予備戦力として備える。比較的派閥の色が薄い彼らならばどの戦域に派遣されようとスムーズに協力体制を敷く事が出来ると期待されていた。

 

 さて、私は第六艦隊第六宇宙軍陸戦隊所属という事で、派遣された「リグリア遠征軍団」が亡命軍との合同部隊である点からも分かると思うが、主攻たる第10星間航路の戦線に投入される予定となっている。この航路は帝国軍の主力も配備されているため激戦が予測されるが、リグリア遠征軍団は実質的に私の御目付部隊であり、激しい戦線に派遣される可能性は少ない。そのため戦死の危険は低い。低いのだが…………いや、うん。ねぇ……?

 

 

 

 

 

 

 ハロー!さて良く来てくれた諸君!『リグリア遠征軍団』のイカれた仲間達を紹介するぜ!?えっ?その紹介の前置き前にも見た事あるって?はははっ!ナイスジョークだ!

 

 さて、一人目の面子はリグリア遠征軍団戦闘支援艦隊司令官兼遠征軍団副司令官オットー・フォン・シュリードリン准将だ!シュリードリン子爵家の分家ライヒェナウ=シュリードリン男爵家当主でありこの年五五歳、禿頭に黒い髭を生やした髑髏のように痩せた古風な武人だ。優秀にして勇猛果敢な典型的な帝国系軍人であるが、同盟や亡命政府においてはそれ以上に大のルドルフ信奉者として有名だ!自宅にはこの世に十枚とない激レア肖像画「君臨せしルドルフ大帝」を保管し、日課は自宅の大帝陛下の一分の一大理石製胸像の手入れ、趣味はルドルフ大帝ご執筆の書籍を読み耽る事である。帝政党の支持者にして筋金入りの貴族主義者・選民主義者・差別主義者としても名が知られ、刊行した著作の多くがハイネセン等で発禁処分を受けた普通にやべー奴だ!

 

 二人目は『リグリア遠征軍団』の基幹部隊、『北苑竜騎兵旅団』旅団長代理マックス・フォン・フレーダー大佐だ!帝国開闢以来続く騎爵位の帝国騎士家フレーダー家の出の眼鏡をかけたこの肥満男は生粋の戦争狂にして危険思想の持ち主だ。同盟軍士官学校において二桁席次にありながら危険思想の流布と公言から注意に注意を受け、三年次にとうとう退校処分を下されたクレイジーな伝説を残してくれた!今でも定期的にヤバい集会を行い、戦闘前には気が狂ったような演説を兵士達にぶちまけるやべー奴だ!

 

 三人目は同盟軍宇宙軍陸戦隊より派遣された独立第五〇一陸戦連隊戦闘団司令官ヘルムート・フォン・リリエンフェルト大佐だ!いつもいつもマスクやらお面をつけて素顔を見せず、しかも会話は手話を付き人に翻訳させるかボーカロイドの合成音声を用いるやべー奴である。その癖仕事はきちんと遣り遂げ、おかげ様で昨年部隊再編により独立第501陸戦連隊こと「薔薇の騎士連隊」は連隊から連隊戦闘団に昇格、本人も大佐に昇進した。因みに今目の前でタイガーマスクつけてるぜ!

 

 四人目は『リグリア遠征軍団』第六五八装甲旅団を預かるフーゴ・フォン・ノルトフリート大佐だ!優秀なパワハラじょ………ではなくて陸戦指揮官であり、戦車部隊の運用にかけては亡命軍においても五本の指に入る五十近い上等帝国騎士である。だが敵味方双方に厳しく、敵兵に降伏の隙を与えず吹き飛ばし、脱走や命令違反する部下はフェルディナンド重駆逐戦車の砲門に括りつけて汚ねぇ花火にしてくれるやべー奴だ!

 

 五人目は『リグリア遠征軍団』の数的主力である第一五地上軍団を指揮するヨーゼフ・フォン・カールシュタール准将だ!カールシュタール男爵家当主にして厳格であるがまともな中年軍人である。何故か毎回トラブルが起きそうな部隊の目付の上司や部下に送り込まれるために万年胃に穴が開いており、常に痛みとストレスに耐えるような険しい顔を作っている。ガンバッテネ!!

 

 さて、御待ちかねの六人目は『リグリア遠征軍団』司令官兼『北苑竜騎兵旅団』旅団長ローデンドルフ伯爵夫人ことアウグスタ・フォン・ローデンドルフ亡命軍少将だ!父は現銀河帝国亡命政府皇帝グスタフ三世、母はバルトバッフェル侯爵家の分家筋に当たる。幼少時より気性が荒く、宮廷では近衛兵達を勝手に従えて戦争ごっこに興じる問題児であった。駄々を捏ねて亡命軍幼年学校に入り、偽名で勝手に亡命軍士官学校の試験を受け合格、紆余曲折の果てに厳しく指導すれば止めると考え教官達が本気で指導したのに食らいつき上位席次で卒業してしまった。

 

 止めは怖がらせて軍を辞めさせようと戦闘中の地上部隊の補給科事務に配属したのに撤退した敗残兵を勝手に束ね、軍用サーベル片手に敵陣に銃剣突撃を命じてくれたと来ている。敵陣占領と引き換えに肩や頬等に銃撃を受け、血まみれの姿で占領した陣地で軍旗を振るう姿は当時の上官達を失神させるに十分過ぎた。

 

 この問題児も結婚させれば大人しくなるだろうと、態態武門の出ではないローデンドルフ伯爵家の大人しい当主と無理矢理結婚させた。そして何だかんだあって子供も出来てこれで安心……ではなくて子供を産んだら何故か前線に戻って来た。跡継ぎはもう産んだので問題ない、という事らしい。制止すべき夫は完全に尻に敷かれていた。

 

 その後も数度の戦傷と戦功、その性格と血統とカリスマで兵士達から謎の信仰を獲得し今では亡命軍地上軍少将にして『北苑竜騎兵旅団』旅団長の役職を得ていた。毎度毎度良識的な上司と同僚と部下の胃を粉砕してやべー輩とつるむやべー奴だ。

 

「で、そんなトラブルメーカーが今の私の上官の訳だが……」

「ん?ヴォル坊、何か言ったか?」

 

『リグリア遠征軍団』旗艦「ジグムント」(第二次ティアマト会戦時代の旗艦級戦艦を近代化・地上戦支援に改修した艦だ)の艦内で、ローデンドルフ少将は隣に座る私の独り言に目敏く反応する。

 

「い、いえ……少し酔いが回っただけですよ、叔従母様」

 

 私は必死に笑みを浮かべて色々とぶっ飛んでいる叔従母に答える。

 

 宇宙暦789年9月1日2100時、即ち時間でいえばそろそろ就寝時間になる訳だが、夕食後に叔母でもある上官に誘われ私は高級ホテルのような士官用のガンルームの一角で、叔従母とその重臣達(つまりやべー奴ら)とアルコールと共に世間話に興じていた。いや、世間話というには少々物騒であろう。彼らの会話内容を聞けば善良な同盟人は泡を吐いて気絶するであろうから。

 

「つまりですな。偉大なる大帝陛下は慧眼にも人民が如何に衆愚で短絡的な思考回路しかないかを理解しておいでだったのです。故に大帝陛下は90年戦争や銀河統一戦争のような戦乱を回避し人類社会の長期的安定を目指し、そのために自らが後世の非難を受ける事すら支配者としての義務として受容し正義の政策を推進していったのです。その結果は五世紀経た現在の銀河情勢を見れば明らかでしょう」

 

 発刊した書籍全てがその危険思想からハイネセン等の主要星系で発禁処分を食らい、逆にフェザーンを介して帝国の知識人層等相手に三〇〇〇万部を売り上げたシュリードリン准将が、目の前で同僚達にブランデーの入ったグラスを手に持論を語る。

 

「外縁宙域には未だに複数星系を統治する高度な星間国家が発生せず、混沌の中にある。同盟にした所で所詮長征した奴隷共が広大なサジタリウス腕に原住する蛮族を制覇出来たのは銀河連邦時代から連綿と維持されてきた帝国の科学技術のために過ぎぬ!奴らは大帝陛下が人類社会を衰退させたとほざくが現にこの銀河情勢からこれ程説得力を伴わぬ戯言はほかにあるまい!」

「そうだ!その通り!」

「所詮ハイネセンの歴史学者共なぞアルタイルの奴隷共の御用学者に過ぎぬわ!」

「自分達の血が穢れているからと嫉妬し大帝陛下と偉大な同志達の偉業を貶すなぞ笑止千万よ!」

 

 シュリードリン准将と同志達が威勢よく叫び琥珀色の液体を「乾杯!」の掛け声と共に喉に流しこむ。

 

 ……突っ込み所は沢山あるが、中途半端に事実も含んでいるのが質が悪い。実際、銀河連邦の最盛期レベルの科学技術を辛うじて維持できているのは帝国と同盟、そしてフェザーンのみだと言える。これらの「文明圏」の外側には放棄された旧植民地があるのだが、今は宇宙海賊や犯罪組織が跋扈している。その総人口は数十億人とも言われるが、当然治安は最悪、惑星によっては千年単位で文明が衰退してしまった蛮族の地と化している。同盟もまた帝国から生まれ出た「憎しみ合う双子」の「弟」である以上、帝国の存在が人類文明の存続に貢献したと言う学説は帝国やフェザーンでは根強い支持を受けていた。

 

「常々私も周囲に啓蒙しているのだがね、戦争というものは凡そ人類の行う文化的活動の中で最も高尚で必要不可欠なものである事は間違い無いものだ」

 

 一方、別のソファーではグラスに注いだ赤葡萄酒につまみのカリーヴルストとザワークラウトを楽しみながら風船のように腹を膨らませた大佐は満面の(そして凄惨な)笑みを浮かべる。

 

「古代より戦争が社会体制の効率化を促し、技術の発達を促してきた。同時に戦争と言う極限状態が人の剥き出しの欲望を晒しだし、美徳を見せつけ、それを観察する事で道徳の発達に寄与してきたのだ。即ち何が言いたいかと言うとだね………私は戦争が大っ好きという事だよ!」

 

 いっそ清々しい程の笑顔を浮かべオリベイラ教授も引きそうな戦争論を語るフレーダー大佐。うん、こりゃあ確かに士官学校強制退学させられるわな。

 

「………!……!?………!!!」

「ティルピッツ様。旦那様は明日、連隊同士の合同試合を行いたいと申しております」

 

 リリエンフェルト大佐の手話を付き人が淡々と翻訳する。うん、分かった。

 

「どうしたのかね准将?酒が進んでいないようだな?口に合わないのなら別のを用意させましょうか?」

「お前達のせいだよ、馬鹿野郎共め」

 

 ソファーの上で腕を組み気難しい顔をするカールシュタール准将は静かに尋ねるノルトフリート大佐に苦々しく呟く。毎度毎度同盟軍との会議中に暴言と差別用語を平然と投下する上官と同僚と部下達のせいで戦闘前から彼の胃は破綻していた。

 

 あ、因みに多分私も「馬鹿野郎」の中に含まれていると思うからね?(同盟における風聞的に)

 

「ははは、カールシュタール。貴様は昔から苦労症の上小心者だな?良いじゃないか、同盟の市民軍の奴らが口を間抜けに開くわ、顔を赤くするわ青くするわ、滑稽で愉快なものさ」

 

 部下の態度を見てはははっ、とソファーに手を掛けながらカクテルを口に含む叔従母である。

 

 ……いやいや、カールシュタール准将の態度は普通だからね?皆が色々ぶっ飛んでいるだけだからね?

 

「んんん?どうしたヴォル坊!浮かない顔だなぁ?ははは!まさか久々に前線勤務で不安なのかぁ?」

 

 アルコールにより酔っているからだろう、頬を火照らせて私に陽気に尋ねる叔従母。

 

「ま、まぁそんな所ですかねぇ……?」

 

 この場にいる問題児共のせいだよ、とは流石に言えないので叔従母に合わせる私である。

 

「はっはっはっ!!安心するがいい!今回ばかりは何も危険な事なぞ起きんさ。何せこの私が保護者なのだからな?」

 

 私の内心を知ってか知らずか、ほろ酔い気分で自慢げに腕を組み叔従母は語り始める。

 

 司令官ローデンドルフ少将、副司令官をオットー・フォン・シュリードリン准将に定め亡命軍の一個竜騎兵旅団及び第一五地上軍団の三個師団と一個装甲旅団、司令部直属の二個装甲擲弾兵連隊、一個猟兵連隊及びその他支援部隊………そこに同盟軍より私の連隊を含む一個陸上軍師団及び二個陸戦連隊、その他支援部隊からなる『リグリア遠征軍団』の兵員は五万八五〇〇名に及ぶ。

 

 しかもこれら部隊は全て常時定員以上で充足させたフル編成であり、物資は潤沢で、熟練兵も優先的に配備された精鋭部隊ばかりが選ばれている。

 

 特に『北苑竜騎兵旅団』は初代皇帝ユリウス・フォン・ゴールデンバウム(ユリウス二世)が亡命前に指揮官に任じられ、亡命計画において多大な貢献をした名誉ある部隊、亡命軍にとってその部隊名の重さは近衛師団にも匹敵する。その練度は亡命軍の中でも一、二を争い、その士気は恐らく亡命軍部隊の中でも最高であろう。

 

 そんな精鋭軍団と言える『リグリア遠征軍団』は、しかし知っての通りその第一の目的は極めてあきれ返るものである。ヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍中佐……即ち私にこの作戦にて「安全」かつ「確実」に戦功を立てさせるために編成されたようなものであった。

 

 毎度毎度任地に就く度にトラブルを起こす私に母は眩暈を起こし、その度に伯父である皇帝やら重職にある親族に泣きつくので宮廷からしてみればガチガチに周囲を守ってそのような事態を回避したいと思ったのだろう。私個人の才能は兎も角、皇族の血を引き、軍部に影響力のある武門三家の一つの唯一の直系だ。死なれたら困る。

 

 同時に同盟軍からしても責任を取りたくなかったのだろう。毎度毎度上層部に亡命政府からのクレームが来る上、送りつけた先の上司の胃袋をストレスで粉砕するのだ。噂では誰も私を部下にしたくないとか言って押し付け合っているとか、実は私は帝国の工作員で高級士官をストレス死させようとしているのだ!なんて半分程本気で語られているとか……。

 

 両者の思惑が一致したのか『リグリア遠征軍団』の編成は比較的スムーズに行われた。因みに軍団幹部に思想的にアレな輩が多いのは私も同類扱いなのと私のお目付け役を買って出た叔従母がそういう人物ばかり集めて部下にしているという理由からだ。面倒な輩は一ヶ所に集めた方が良い、という事だろうか?

 

まぁ、何はともあれ………。

 

「ツェツィ従姉様も随分と心配していたからな。ここは一つ、私が可愛いヴォル坊の面倒を見てやろうと立候補したわけだ」

 

 我が母ツェツィーリアを実の姉のように慕っており、母もまたやんちゃな従妹を実の妹と同じように可愛がっていた事もあり、母と叔従母の関係は深い。しかも亡命軍少将という事もあり、自前で相応の人材と部隊を子飼いにしている叔従母が私の保護者を買って出るのはある意味必然であった。

 

「はい、母から御話は聞いております。此度については誠に御手数をお掛けして恐縮しております」

 

 私は謝意を伝えるが叔従母の方は手を振って構わない、と答える。

 

「はははっ!遠慮するなヴォル坊。このくらい何でもない。私達は家族だからな!同じ血が流れる血族同士助け合うのは当然だ!」

 

 元気良く笑う叔従母である。豪快で奔放なこの叔従母がトラブルメーカーで悩みの種になっても敵視され憎まれないのはこういう貸し借りを根に持たず、身内思いな所が理由なのだろう。

 

 ………尤も、この叔従母もあくまで私が相手であるから友好的であるに過ぎないのも事実だ。親戚ではない、同じ帝室、あるいは名門の血が流れない者や子飼いの部下以外に関してはこの叔従母も悍ましい程冷淡であるのもまた事実であった。かつて遠縁の親族が戦死した際、この叔従母は子飼いの軍勢を率いてその戦地に出向き、親族を戦死させたであろう敵部隊を降伏も許さず文字通り徹底的に殲滅し、掃討し、殺戮したという。その苛烈さと執拗さは常軌を逸しており、現地で共同していた同盟軍が見るに見かねて抗議まで来た事があるという。

 

 その際、叔従母は司令部キャンプに抗議に訪れた同盟軍の使者に対して玉座のように野戦用折り畳み椅子に座り込み、泥のついた軍靴を従士に磨かせながら塵を見る目でこう罵倒したという。

 

『復讐は高貴な血が求める当然の権利だ。一体何の資格を以て我の正統な権利を侵すか、下郎めが!!』(当然後で同盟軍と亡命軍でトラブルになった)。

 

 身内にはとことん寛容で、優しく、甘く、それ以外にはどこまでも冷淡で、冷酷にも、残酷にもなれる貴族のグロテスクな価値観を純粋に受け継いだのがこの叔従母であった。そう考えると与えられる好意にも素直に頷けないのも当然だ。私がどんな道徳的に問題がある我儘を言おうともこの叔従母は先程のように気楽に笑いながら部下に用意させるだろう。

 

 だから、私は心から親愛を込めて声を掛けてくれる叔従母に、しかし遠慮した愛想笑いを浮かべる事しか出来なかった。そしてそれは、相手に表裏が無い事が分かるがため、罪悪感として私の胸を締め付けるものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一辺が7.31メートルの正方形に仕切られた闘技場リング、その上で重装甲服に身を包み、戦斧を構える私は静かに正面の敵を見据えていた。相手もまた重装甲服に戦斧を携え、完璧な構えで微動だにせず私を待ち受ける。

 

(隙が……無い………!!)

 

 両者共に動かずに三〇秒は経っているだろう。これが興行用のボクシングなら何をしているんだ?と観客からブーイングの嵐であろうが、生憎とそんな事を無責任に叫ぶ者はこの場にいないし、私も仮にブーイングが来ようとも動く事はないだろう。下手に動けば殺られる事は分かっていた。幼少時にはライトナー家の当主や長老達に、幼年学校ではアレクセイやホーランドに、士官学校でも散々に死亡評価を頂戴した私には最早気配で分かる。動いたら秒殺される、と。

 

「…………」

 

 私は隙を見せないように戦斧をひたすら構える。とは言え戦斧自身も決して軽くはない。体を鍛えていても、隙を見せずにいつまでも軽くない戦斧を持ち、しかも集中力を維持するのは容易でない事もまた確かだった。

 

「………っ!」

 

 遂に私は耐えかねて攻勢に出る。上から戦斧を振り落とす……ように見せかけて戦斧の軌道を変えて横腹を薙ぎ払おうと襲い掛かる。だが………。

 

「甘いですな、視線はヘルメットで隠せても、頭が僅かに傾いてますぞ?」

 

戦斧の柄で横腹に襲い掛かる刃を止めた相手はバリトン調の声で悠々と理由を告げる。

 

「ちぃっ……!」

 

 すぐに私は第二撃に移る。戦斧相手の肩口目掛けて振るう。だが頭を下げてその攻撃を避けると次の瞬間には私はあっという間に攻守を逆転される。

 

「右!それ左!次は上!下、また上!下!上……!」

 

 敵は敢えて攻撃してくる方向を私に伝えながら戦斧を振るう。悔しいが私はその声に従うように相手の連撃を受け止める。

 

「ぐっ……!」

 

悠々と攻撃しているように見せて一発一発が重い……!

 

 遠心力も利用しているのだろう、その動作にして中々受け止めるにも苦労する攻撃である。とは言え私も素人ではない。辛うじてであるがそれを受け止め、あるいは受け流し、隙を見つけては反撃の構えを見せる。

 

だが………。

 

「ほぅ、やはりこの程度では駄目ですかな?では……!」

「つ……!」

 

 相手の攻撃が一段と激しくなる。一撃一撃がより速く、より重く襲い掛かる。それだけではない、フェイントと足技を交え始め私の集中力を削ぎ、決断力を鈍らせていく。

 

「糞っ……!」

 

私は相手の猛攻に耐えかねて、距離を取り体勢を立て直そうと後方に下がる。

 

「マジかよっ………!?」

 

 私が後方に下がると共に相手が一気に踏み込んだ。思わず目を見開いたよ。数メートルの距離を瞬時に詰められたのだ。殆ど瞬間移動同然だった。

 

この時点で詰んでいた。懐に入られた私は戦斧を振るえず、反撃するのは困難だった。

 

「うぐっ………!!?」

 

 横腹に衝撃と電気ショックが襲い掛かる。その刺激に私は呻き声を上げると共に体が仰け反る。手足が痺れ、戦斧も碌に持つ事が出来ない。横腹を切り裂かれたのだろう、重装甲服の右腹部の特殊繊維が私の負傷部位を締め上げる。重装甲服の機能の一つであり、負傷部位の出血を抑えるために服内の簡易コンピュータが傷口周辺を圧迫するように出来ているのだ。

 

 苦悶の声を上げる私、そこに止めの一撃が襲う。戦斧の柄が次の瞬間目の前に迫っていた。避けようとするが意志に逆らい体は動かない。つまり……。

 

「ガっ……!?」

 

ヘルメット越しに脳天に受けた衝撃に私は倒れ込んだ。

 

『右腹部裂傷、及び頭部脳震盪により戦闘不能、三分後に死亡』

 

重装甲服のヘルメットの中に備え付けられたスピーカーから、訓練支援用コンピュータが私に死亡宣告を行った。

 

「う……ぐっ……もう少し手加減してくれても良いんじゃないですかねぇ?少佐?」

 

 呻きながら闘技場の床に倒れる私は、ヘルメット越しに額と横腹を摩りながら、半分冗談めかして独立第五〇一陸戦連隊戦闘団第四歩兵大隊隊長であるワルター・フォン・シェーンコップ少佐へ愚痴ったのだった。

 

 

 

 

 

 

「いやいや、これは臣下としての誠意という物ですよ、敵は手加減なぞしてくれませんからな。自分の実力を見誤って馬鹿な行動を起こされぬように指導申し上げているのですよ」

「さいですか」

 

 揚陸艦に設けられた艦内闘技場、そのリングの一つにて前評判通りにシェーンコップ少佐に訓練用戦斧でズタボロに倒された私は闘技場の端でげんなりと倒れ、肩をすくませる。

 

「若様、大丈夫で御座いますか……!?」

 

 慌ててベアトが私に駆け寄り重装甲服のヘルメットを外す。次いでノルドグレーン中尉が冷たく濡らしたタオルで額の汗を拭き、内出血して僅かに腫れる場所を冷していく。

 

「シェーンコップ少佐、少々やり過ぎではありませんか?」

 

 私の重装甲服の関節部を緩めた後、非難がましくベアトは不良士官を詰る。彼女からすれば訓練で自身の主人がここまでなぶられなければいけない筋合いは無かった。

 

「いや、良いんだ。お陰様で自分の実力を再確認出来た。……やっぱりヤバいな、そっちの部隊は」

 

 私も陸戦技能は結構上だったのだ。修羅場もそれなりに潜っている。無論、「あの」不良中年に勝てるとは思わないし、学生時代ですら散々負けてきた。だが……。

 

「それでも昔はもう少し食らいつけたんだけどなぁ……」

 

 学生の頃は十回に一回位はどうにか勝てた。それが今や一方的な虐殺と来ている。しかもシェーンコップ曰く、連隊内で自身より強いのは半ダース、良い勝負が出来るのなら二ダースはいるとの事だ。笑えないね。

 

「まぁ、そう悲観する事もないでしょう。連隊長が態態最前線で戦斧を振り回す事態なぞ滅多にありませんからな」

 

 シェーンコップ少佐はヘルメットを外すと苦笑いし、肩を鳴らしながら一応のフォローを入れる。

 

「私のこれまでの経歴を見てそれを言えるかね?」

「………」

「いや、黙るなよっ!!?」

 

笑い飛ばせよ!泣けて来るわ!!

 

「随分と賑やかですな。御二人とも、どうですかな、鍛練の方は?」

 

 その声に私とシェーンコップ少佐は同時に振り向く。闘技場で観戦をしていた、あるいは鍛錬をしていた兵士達は一斉に入室者に背筋を伸ばして敬礼で答えた。

 

 付き人の従士二名を従えた独立第五〇一陸戦連隊戦闘団副連隊長ヘルマン・フォン・リューネブルク中佐は小気味の良い笑みを浮かべる。

 

「鍛練、というには少々語弊がありますかね?見ての通り一方的に揉まれていますよ」

 

 私は先任の中佐であり、士官学校の先輩でもある副連隊長に向け答える。

  

「ティルピッツ殿はシェーンコップ少佐と違い陸戦専門ではありませんからな、仕方無い事でしょう。シェーンコップ少佐、どうかね?伯爵殿の腕は?」

 

 リューネブルク中佐はシェーンコップ少佐に苦笑いを浮かべ尋ねる。

 

「……一方的に殴り続けた身でこういうのは何ですが、悪くはないでしょう。後方勤務や参謀職に就いていた期間を考えれば上出来です。護身に限定すれば装甲擲弾兵にでも一対一で出くわさない限りは十分でしょうな」

 

 顎に手を添え暫し考えた後、訓練用戦斧を肩に乗せて不敵な笑みを浮かべながらシェーンコップはそう評価する。

 

「だ、そうです。連隊長の仕事は戦斧を振るうよりも部隊の管理と指揮です。そう卑下するものではないでしよう」

 

 シェーンコップ少佐の評価を聞き、副連隊長は問題ないと太鼓判を押す。

 

「だと良いのですがね……」

「不安なら部下を頼る事ですな。元々伯爵に白兵戦までしてもらう必要なぞありませんからな。そうでしょう?ゴトフリート少佐?」

 

 不良士官は私を甲斐甲斐しく世話するベアトの方に話題を振る。ベアトは少し不機嫌そうな表情をしつつも口を開く。

 

「当然で御座います。主君が細事を気にせず務めを果たせるように御支えするのが従士の役割、雑兵なぞ若様が態態相手をせずとも私達だけで十分で御座います」

 

 そう口にして私の方を見るベアト。恐らくは同意を求めての事だろう。あるいは認識の差異が無いかの確認か。

 

「ああ、出来ればそんな事態はご免被りたいな。私は陸戦一筋じゃない。中佐にもなってそんな事態は懲り懲りだよ」

 

私としてもそんな状況笑えないのでベアトに同意する。

 

「さて、私は少し休憩させてもらおうかな?シェーンコップ少佐、随分と容赦なくやってくれたな?まだ眩暈がするぞ?」

 

 訓練用戦斧で殴りつけられた頭を擦りながら私は闘技場のリングから出てベンチに座り、周囲を見やる。第七八陸戦連隊戦闘団と独立第五〇一連隊戦闘団の共同訓練という事もあり、双方の連隊のメンバーがリング上で戦斧ないし短剣、あるいは徒手格闘による試合を行い、あるいは射撃訓練に精を出す。全体としては若干こちらの連隊が負け越しているが、流石にその事を叱責する訳にはいかないだろう。

 

「薔薇の騎士連隊」……即ち独立第五〇一連隊はエル・ファシル陥落以降の幾つかの防衛戦に参加、それ以前の同盟外縁星系の紛争や特務作戦への従軍も含めた功績から部隊の再編と拡充を受け連隊戦闘団に再編成された。既存の歩兵部隊だけでなく若干とは言え砲兵部隊・機甲部隊・航空部隊を追加し、偵察部隊・工兵部隊・補給部隊・衛生部隊を増強、人員拡大に応じて事務員も増やした。人員三六〇〇名は実質的に旅団に近い規模だ。

 

 亡命政府、あるいは投降帝国兵より選別した兵士達に数年に渡って訓練を施し、外縁星系等での紛争や対帝国戦などの実戦に投入して研鑽に研鑽を重ねたのだ。そこに潤沢な予算と装備を合わせれば当然一騎当千の兵士達が生まれる。

 

「手当と生活環境も中々ですからね。私としても喜ばしい限りです」

 

 リューネブルク中佐とヴァーンシャッフェ少佐の一騎打ちを見ている中で、ベンチの隣に座るシェーンコップ少佐が私に補足説明する。幼い娘がいるので給金が良いのは喜ばしい限りのようだ。

 

「その分働いてもらうけどな。薔薇の騎士を養う金は亡命政府が出しているんだから」

 

 スキャンダルまみれで一度見捨てられた連隊に再び宮廷が人と金を投資したのだ。その分宣伝部隊として、あるいは亡命政府が同盟軍名義で動かせる部隊として相応の働きをしてもらわなければならない。

 

「分かってますよ。だから我々も御守りに派遣されたのでしょう?」

「むぅ………それを言わないでくれないか?」

 

 にやりと笑みを浮かべ指摘されると私としては言い返せない。『リグリア遠征軍団』が私の御守りを請け負っているのだから、その一部である薔薇の騎士連隊もまた御守り役の一部であるのは当然の図式である。そも、連隊への再投資にはティルピッツ伯爵家も一枚噛んでいる。連隊再編に際して士官下士官の一部に伯爵家の息のかかった者達が送り込まれているのだ。彼らが『リグリア遠征軍団』に編入されているのはスポンサーの一員が私の実家だからだ。

 

「別に責めている訳ではありませんよ。こちらとしてもそう悪い話じゃありませんからね」

 

 少なくとも部隊の特性上捨て駒同然な使われ方はないし、支援も潤沢だ。御守りとは言え余程の事が無い限り「薔薇の騎士連隊」が危険な状況に陥る事はない筈だった。

 

「曲りなりにも亡命政府や貴方には食い扶持を貰っている恩義がありますからね。給料分の忠誠は誓いますよ」

「給料分、ね」

 

 毒舌……と言う程ではないがやはり不良中年は不良中年のようだ。丸くなってこれならモノホン相手なら口でも太刀打ち出来まい。

 

「そう不満そうにしないで下さいよ。給料に関係ない無償の忠誠心なら付き人にでも求めて下さい」

 

 そう指差す先ではベアトとノルドグレーン中尉が薔薇の騎士連隊の隊員……何時ぞやのライトナー家の兄妹と模擬ナイフで鍔迫り合いを行っていた。

 

「ライトナーの分家筋でしたな。今は連隊の偵察隊所属ですが……あの二人相手にあれだけ食らいつけるとは。意外ですな。よほど鍛錬していたのでしょうな」

 

おう、多分毎回私がトラブルに巻き込まれるせいでな。実家から小言受けているんだろうなぁ………。

 

「あの二人だって内心うんざりしてそうだけどな。実家からの叱責なんか無ければ外れたいと思っていても不思議じゃないぜ?」

「安心して下さい。そんないい加減な態度ではあれ程技術は磨きあがりませんよ」

 

ライトナー兄妹相手に一進一退の攻防を続ける付き人勢を観察して不良士官は語る。

 

「そういうものかね?」

「そういうものです」

「そうか………」

 

私は小さく溜息をついた後、シェーンコップ少佐の方を見る。

 

「で?話を誘導して何が目的だ?」

「バレましたか?」

「話の持っていき方に違和感があったのでね」

 

 スポーツ飲料を飲みながら私は答える。何だかんだあってそれなりに付き合って来た時間がある。本心を隠し、演技が得意な不良士官相手でも少しくらいは違和感がある事に気付く。

 

「誰の差し金だ?」

「第六地上軍のバルトバッフェル中将からですな」

「はは、マジかよ」

 

 母は老境にある現バルトバッフェル侯爵の孫娘である。

 

 バルトバッフェル侯爵家自体が権門四七家の一つであり、初代当主はルドルフ大帝の従兄弟という事もあって非常に帝室に近い一族で、宮廷でも特異な立ち位置にある。第六地上軍司令官バルトバッフェル中将は現当主の孫であり、次期当主であり、母の兄に当たる人物だ。同盟軍士官学校を22位の席次で卒業して以来順当に功績を上げて、今では同盟地上軍における帝国系の牙城である第六地上軍(構成員の八割が帝国系・投降帝国兵・混血が占める)の司令官の地位にある。流石に『リグリア遠征軍団』のクレイジー軍団に比べればまともであるが、それでもナチュラルに特権階級的な思考を有する人物である。少なくとも私が生まれた時、母に出産祝いに荘園あげた位には貴族している。

 

「地上軍と宇宙軍陸戦隊は競合している筈だが……ああ、『薔薇の騎士連隊』の人材引き抜きでパイプがあるのか」

「貴方が口添えしましたからな。伯爵家と姻戚関係にある侯爵家からも人が送り込まれています」

「よし、話が見えて来たぞ?母だな?母から中将、でお前さんに話が流れているんだな?」

 

 同時に監視と探り入れも、とは言わない。流石にそれで責めるのは気の毒だ。同時に話を誘導する目的も分かった。

 

「その手の話は棚あげだ。作戦中にそんな話したくないぞ?」

「私だってしたくありませんな。優柔不断な雇用主の夜の事情になぞ、何で私が探りを入れないといけないんです?」

「お前さんがやり手に見えるからだろう?」

「私は妻一筋なんですがね?」

 

 不機嫌そうにぼやく食客。いやいや、愛妻家している所悪いがお前ルート間違えたら「金銀妖瞳」並みにアレだからな?貴様が逆ナンパされてる事知っているんだぞ私は!

 

「大体、元を正せば貴方が態態付き人を両方淑女にするのがいけないんでしょう?妙な勘繰りを入れられるのもそのせいなんですから」

「その文句なら餓鬼の頃の私に言ってくれ」

 

私は逃げるようにそう言い捨てる。言いたい事は分かる。分かるが………。

 

「……出来ないだろ?」

 

 私は苦い表情を作り小さく呟いた。それはどうしても、貴族的価値観に順応している今の私には出来そうに無い事なのだから………。

 

 

 

 

 

 

 

 一大反攻作戦「レコンキスタ」に対して、宇宙艦隊副司令長官クラーゼン上級大将を総司令官とした帝国軍サジタリウス腕方面討伐軍は一旦戦線を下げ、戦力の集中を行った。

 

 宇宙暦789年9月7日1315時、遂に同盟軍は帝国軍の防衛線に到達して最初の戦闘が生じた。第10星間航路にあるコぺルニウム星系第三惑星軌道にて第一〇艦隊第三分艦隊所属第一〇一八駆逐隊がほぼ同数の帝国軍哨戒艦隊と遭遇、撃破した。同日1540時には第4星間航路のアクシオン星系第九惑星軌道上にて第八艦隊第二分艦隊所属の第八八七巡航隊が帝国軍駆逐隊の撃退に成功した。

 

 これを皮切りに前線各地で十数隻から数百隻単位の小競り合いが発生し、9月7日から9月12日までに計一五〇回の衝突があった。同時に小規模な陸戦も並行して行われ、小惑星帯や無人惑星の通信基地や補給基地を巡り小さなものでは中隊規模、大きいものでは連隊規模の戦闘が散発した。

 

 最初に大規模と言える戦闘が起きたのは今年1月頃に放棄された人口二八〇万を有していた惑星ロクスの争奪戦である。同盟軍第一〇艦隊第四・第五分艦隊を中核とした五五〇〇隻が、同惑星を防衛していた第五軽騎兵艦隊艦隊副司令官フリーデブルク少将率いる二個梯団六〇〇〇隻を打ち破った。

 

 その後衛星軌道上の戦闘艇部隊を排除、第一〇宇宙軍陸戦隊所属の第一〇五・第一〇六陸戦師団と第三地上軍所属の第一四遠征軍、ロクス星系警備隊義勇軍による地上部隊三五万名が降下、迎え撃った帝国地上軍約一五万名は二週間の激闘の末、9月27日に降伏した。以降、宙陸共に一気に戦闘の規模は拡大していく事になる。

 

 そして9月25日、シャンプールの作戦司令部からの命令に従い、『リグリア遠征軍団』は第六艦隊第四分艦隊、第六地上軍第二四遠征軍、その他独立部隊と共に第10星間航路の占領惑星解放の任務に就く事となったのであった………。




叔従母様のやべー部下達の元ネタ

シュリードリン准将→北米にコロニー落ししそうな親衛隊司令官
フレーダー大佐→最後の大隊を率いてそうな大隊指揮官代理殿
ノルトフリート大佐→銀の車輪に協力してそうな装甲列車大隊長

元ネタ的に原作時空だとこいつら地球教辺りと協力してローエングラム朝にテロしてそう


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第百十五話 正面玄関は無理なので裏口から御邪魔致します!

 宇宙暦789年9月30日0600時、旧銀河連邦の辺境植民地であり、自由惑星同盟加盟国シュリア星系政府の本星である第三惑星ウガリットに対する攻略作戦が行われた。

 

 同盟軍第六艦隊第四分艦隊及びシュリア星系警備隊宇宙部隊を中核とした三三〇〇隻は、同星に駐留する帝国軍二一〇〇隻を五時間の砲戦の末撃破した。

 

 艦隊戦に勝利した同盟軍は艦隊を衛星軌道に進出させる。帝国軍は衛星軌道上に戦闘艇部隊五〇〇隻を展開、軍事衛星群と地上の防宙部隊と連携して同盟軍の降下を阻止せんとする。

 

 同盟軍は焦らない。時間をかけて軍事衛星群と戦闘艇部隊を排除し、その後低周波ミサイルを中心とした軌道爆撃を実施する。爆撃は10月3日から7日にかけて行われ、その間に宇宙軍陸戦隊の特殊部隊として独立第五〇一陸戦連隊戦闘団が爆撃の雨に紛れて降下ポッドにて地上に降り立った。そして帝国軍地上部隊の観測部隊や防空陣地、通信基地を偵察ないし無力化した後、宇宙軍陸戦隊主力を乗せた強襲揚陸艦が突入、次いで地上軍及びシュリア星系警備隊地上部隊が続く。

 

 惑星ウガリットに駐留する帝国地上軍七万名は頑強に抵抗した。しかし四倍近い兵力差、しかも制宙権・制空権・制海権の全てを失い、どれ程綿密に築かれた陣地も軌道爆撃や航空爆撃、海上からの砲撃の前に無力化された。対して同盟軍は小隊レベルに至るまで潤沢な砲撃支援と航空支援を受ける事が出来た。質量両面による圧殺であった。

 

 帝国軍は急速にその戦力を減らし、10月12日までにウガリット北大陸の山岳地帯の一角を除いた全土が同盟軍により「解放」された。

 

 第七八陸戦連隊戦闘団がウガリットに降下したのは10月13日の事である。防空陣地は軒並無力化した上で護衛部隊と囮部隊を投入した上での揚陸艦による降下だ。

 

「今!今連隊が戦場に足を踏み入れました!見て下さい!連隊の先頭……!連隊の先頭は連隊長のティルピッツ中佐です!勇猛果敢にも敵が待ち構える戦場に最初に足を踏み入れました!」

「茶番かっ!」

 

 必死に報道する亡命政府御用達のテレビ局のリポーターに小さく私は突っ込みを入れる。勇猛果敢も糞もない。まるで激戦が続く戦場での揚陸に見せているが実際の所は完全にお膳立てされ安全を確保されてからの降下である。これ程酷い報道もない。

 

 私の連隊戦闘団はウガリット北大陸山岳地帯への攻勢に投入された。とは言えこれもパフォーマンスに過ぎない。徹底的に破壊された山岳地帯の陣地は敢えて占領していないだけであった。潜伏する帝国軍残存部隊三〇〇〇名は既に碌な装備も無く負傷者だらけだ。

 

 対して同盟軍の実施する最終的攻勢は『リグリア戦闘軍団』を中核に六万名で実施する。無論濃密な航空爆撃と砲撃支援を受けた上でだ。第七八陸戦連隊戦闘団はその中でも最も抵抗の小さいであろう区域から突撃した。

 

 鎧袖一触とはこの事であろう。攻勢は二時間で終わった。帝国軍は殆ど抵抗せず降伏した。戦闘とも呼べない。

 

『リグリア遠征軍団の激闘!第七八陸戦連隊戦闘団、連隊長を先頭に遠征軍団の先鋒として敵陣に突撃し占領!!』

 

 ノイエ・ヴェルト新聞電子版の一面にはリグリア遠征軍団首脳部の集合写真と拳銃を片手に連隊先頭で吶喊する第七八陸戦連隊戦闘団連隊長の雄姿が掲載される。

 

「いや、これ連隊長の雄姿というか連隊長の雄姿(笑)だよな?」

 

 中型陸戦揚陸艦『コルモラン10号』の艦橋に置かれたゲスト席に座る私は電子タブレットに掲載された新聞記事に突っ込みを入れる。勇姿どころか最初から最後までお膳立てされているんだけど?私、結局一発も銃弾撃ってないからね?連隊に先行する偵察隊が反攻しようとしていた敵兵全員処理しちゃってたからね?

 

「写真写りは中々ではないですか?」

「プロを雇っているからな。それに多分後で修正されてる」

 

 電子タブレットを覗いて私の写真写りに触れる『カルモラン10号』副長ファーレンハイト少佐に私は答える。見るからに綺麗に仕上がり過ぎだ。修正されてないと考える方が可笑しい。

 

「少佐、伯爵公子は休息中である。ご迷惑をおかけするでない」

「いや、構いませんよ艦長。話し相手が欲しかった所ですから。御構い無く」

 

 『コルモラン10号』艦長ダンネマン大佐がファーレンハイト少佐を叱責するが、私は問題ない事を伝える。

 

 宇宙暦789年11月1日、合計して四つの惑星攻防戦に(お飾りであるが)参戦した私は、連隊と共に『コルモラン10号』以下揚陸艦五隻に分乗して第六艦隊主力と合流するため航海していた。

 

 『コルモラン10号』以下の揚陸艦隊も当然のように伯爵家の方で手配した部隊である。

 

 特に『コルモラン10号』には第四次イゼルローン要塞攻防戦の最中に投降し、その後亡命政府に恭順した巡航艦『ロートミューラー』の乗員が少なからず含まれ、艦長ダンネマン大佐、副長ファーレンハイト少佐もそれに当たる。投降後、思想検査と再教育を半年間受け亡命軍宇宙艦隊に所属、戦功により忠誠心を信頼され昇進、此度は私の御守り役の一員として同盟軍第六艦隊第六陸戦隊の揚陸艦部隊に出向していた。

 

「艦長も悪いね、こんな雑務に付き合わせてしまって」

 

 私はダンネマン大佐を労うように声をかける。え?階級向こうが上じゃん?所詮は帝国騎士だからね、仕方無いね。

 

「いえ、伯爵家に受けた御恩が御座いますれば此度の任務の拝命、寧ろ恐縮の限りで御座います」

 

 艦長席からベレー帽を脱いで帝国風の礼を取るダンネマン大佐。亡命後の家族と財産の保護、食客としての雇い入れとほかの家族や部下の職場の斡旋という実益があるために、三十近く年下の中佐に対して躊躇なく下手に出る。その事実に若干の引け目はあるが……少なくとも外面的には私は堂々と、当然のようにその態度を受け入れる。

 

「それにしても……搦め手の方が凄いな」

 

 私は電子タブレットを置いて艦橋の戦況モニターを見つめる。超光速通信と無数の中継通信衛星及び通信工作艦艇によるデータリンクによりほぼリアルタイムで流れる戦況は、第4星間航路における輝かしい戦果を伝えていた。

 

 この方面に対して帝国軍は二個正規艦隊に一個戦闘艇艦隊、一個野戦軍を展開していた。戦力にして戦闘艦艇約三万隻に補助として大型戦闘艇が約一万隻、地上部隊は二〇〇万を越えているだろう。大軍と呼ぶに相応しい。

 

 だが第八艦隊はこの方面で多大な戦果を上げていた。10月5日の第二次シーラーズ会戦では帝国軍一個艦隊相手に陽動と情報操作による奇襲を加え僅か二時間で撃破、10月18日には帝国軍主力艦隊を誘因して別動隊による惑星アフラシアへの強襲作戦に成功、この方面における帝国軍の三番目に大規模な補給基地を壊滅させた。10月28日から始まっている第四次シャマシュ星域会戦では第一一艦隊と共にほぼ同数の帝国軍と激戦を繰り広げているが………。

 

「見事な火線の敷き方ですな」

 

 戦況モニターから伝わる第八艦隊の戦い方を見て白髪の副長が感想を述べる。第八艦隊は的確に火力を集中させて帝国軍の艦列を削り取り、その陣形を崩していく。

 

 多くの場合、砲撃はエネルギー中和磁場により無力化されるものだ。そんな中、帝国軍の艦列に生じた僅かな隙を突く鋭さ、そして火力を瞬時に集中させられる艦隊の練度は惚れ惚れする程だ。

 

「小手先の手ばかりの者と思ってましたが……不本意ながら実力は認めざるを得ないようです」

 

 ダンネマン大佐は少々不快げに第八艦隊の活躍を評する。「レコンキスタ」開始以降、この第四次シャマシュ星域会戦まで第八艦隊はペテン同然な奇計奇策ばかりを使っていた。そのため亡命政府系の者達にはシトレ中将の血筋も相まって卑怯者、という認識が醸造されつつあったが、流石にこの堂々たる戦いぶりを見るとその見解を撤回せざるを得ない。

 

 尤も、私から見ればこれまでの戦いこそシトレ中将らしくない戦いぶりに見えていた。あのような奇抜な策略ばかり使うのは寧ろ………。

 

「原作に記されてなかっただけか、それとも蝶の羽ばたきか……」

 

 私の脳裏に過るのは今年2月に第八艦隊司令部作戦課に配属された二一歳の参謀の姿である。

 

 此度の第八艦隊の活躍で勇名を馳せる作戦参謀マリネスク准将は確かに士官学校を優秀な成績で卒業したし、前線指揮でも後方勤務でもその才覚を発揮した優秀な将官だ。しかし、その経歴から見るに奇抜な計略を策謀するような人物でないのは明らかだ。

 

 寧ろその作戦内容は部分的にであれ、私はどこか既視感を感じるものであった。入念にして辛辣、相手の内心を探るように悪辣でそれでいてどこまでも理詰めで組まれた作戦。恐らく実際に作戦を企画立案しているのは………。

 

「流石英雄、か」

「?」

「いや、独り言さ」

 

食い詰め少佐の怪訝な表情を私はそう言って流す。

 

「それよりもこちらの心配だな……」

 

 搦め手も激戦であるが、こちらは更に激烈な戦いを続けている。この一ヶ月の間に第10星間航路では一万隻以上の艦隊同士の会戦が三回生じており、内一回を引き分け、二回勝利した。

 

 同時に各所の惑星で帝国地上軍三個野戦軍約六〇〇万との地上戦も起きており、この方面にて同盟軍は既に艦艇三五〇〇隻、地上軍二〇万名を失っていた。総司令部は戦略予備として待機させていた第四艦隊及び第五地上軍の投入を決定、帝国軍もまた各地からの戦力と予備をこの方面に展開、一大反攻作戦「レコンキスタ」は決戦に近づきつつあった。

 

「『リグリア遠征軍団』は前線後方に展開し予備戦力として待機せよ、か。何か罪悪感を感じるな」

 

 同盟軍主力は現在カナン星系に集結しつつある。三個艦隊艦艇四万二〇〇〇隻、地上軍の兵力は三個四七〇万である。

 

 エル・ファシル星系に集結する帝国軍は艦艇四万七〇〇〇隻と地上軍四五〇万前後と推定される。大量の補給物資も貯蔵し、強固な野戦陣地を構築していることであろう。これまでにない激戦が予想された。

 

『リグリア遠征軍団』はエル・ファシル地上戦において第五陣の降下部隊として設定されている。降下後は予備戦力として前線後方の警備に当たれとの事だ。尤も流石に独立第五〇一陸戦連隊戦闘団と第六五八装甲旅団は戦力として重要過ぎるため降下後に最前線部隊に一時的に貸し出される事になっているが……。

 

「まぁ、今回ばかりはその方が良いかも知れないが………」

 

 何せエル・ファシルに集結している帝国軍地上戦部隊は把握出来ているだけでも相当えぐい陣容だ。

 

 第一三猟兵師団『ライカンスロープ』は仕留めた敵兵の首を刈り取り、敢えて敵が見える場所に並べて晒し上げる事で有名だ。自治領や流刑地からの名誉帝国人からなるアスカリ部隊は無謀とも言える常識外れな戦いで同盟軍の度肝を抜く事で知られているし、名門士族家生まれのホト中将率いる第七装甲軍団は野戦機甲軍の虎の子である。荒唐無稽な噂ばかり先行する正体不明、実在すら怪しまれている「不可視の部隊」は多くの同盟地上軍兵士の不安を煽った。

 

 止めはあのオフレッサー大将直々に率いる装甲擲弾兵第三軍団が確認されている事だ。この事実が発覚した時エル・ファシル地上戦に投入される予定の同盟軍兵士の内二個師団に及ぶ数が脱走を試み、幾つかの連隊は一時的に部隊秩序が崩壊した。上官反抗罪により独房に叩き込まれた者は二〇〇〇名を超える。

 

『ここで銃殺刑にしてくれ!奴のいる星なんか行きたくない!』

 

 憲兵隊に取り押さえられ独房に突っ込まれる最中にこの台詞を口にしたのは兵学校を出たての新兵ではなく、軍歴三〇年の古参の軍曹であったという。オフレッサー一人により所属する小隊を壊滅させられ命からがら逃げのびた軍曹にとって、再び石器時代の勇者に出くわすぐらいなら銃殺刑の方がマシらしかった。

 

 正直一つあるだけで血の気が引きそうな部隊がごろごろ展開されているのが今のエル・ファシルである。完全に魔境だ。私はあんな奴らの相手なんかしたくもないし、死にたくもないので後方の連隊司令部で楽をさせてもらいたいね。

 

「オフレッサー大将ですか」

「ん?面識があるのか?」

 

複雑な表情を作る食い詰めに私は尋ねる。

 

「オーディンの士官学校の陸戦科教官でした」

「……良く生きてたな?」

「……私もそう思いますよ」

 

 疲れ切った遠くを見る目で微笑むファーレンハイト少佐。……おい、どんな指導されていたんだよ。

 

 私は若干表情を引き攣らせつつ、視線を戦況モニターに移す。第八艦隊の開けた戦列の穴に第一一艦隊が突撃するのが見えた。確か第一一艦隊の司令部参謀にコープが、駆逐隊司令官にホーランドが所属していた筈だ。コープは司令部だからまず問題無いとして、ホーランドは無事だろうか……?

 

「いや、私が心配するのは筋違いか」

 

 私より遥かに優秀なホーランドなら問題なかろう。人の心配よりまずは私自身の心配をすべきだ。後方での警備とは言え揚陸する前に主力艦隊が破れれば我々陸戦部隊は良い的である。まずは司令部が無事艦隊戦に勝ってくれるのを願おうか。

 

 そうして私は大神と戦神に此度の戦いの勝利を心の中で祈願した。

 

 尤も、後々考えればその願いは中途半端に叶えられた事を理解する事になるのだが、この時点ではその事を知る由も無かった………。

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦789年11月10日0700時、同盟軍主力部隊はエル・ファシル星系への進出に成功、星系外縁部にて帝国軍哨戒部隊を撃破し、第九惑星第二・第四衛星、第七惑星駐留の帝国軍戦闘艇部隊及び地上軍を排除し、この三か所に橋頭堡を建設した。

 

 11月12日0650時、エル・ファシル星系の主星である第四惑星エル・ファシルより七〇光秒の距離にて両軍は相対した。同盟軍は総司令官デイヴィッド・ウォード元帥の指揮の下、右翼に第六艦隊、中央に第一〇艦隊、左翼に第四艦隊を展開する。三個艦隊の合計は三万四〇〇〇隻である。また各種独立部隊のほか亡命軍宇宙軍、エル・ファシル星系警備隊を始めとした星系警備隊義勇兵艦隊約五〇〇〇隻が司令部の予備戦力として、星系全体の哨戒及び後方基地・補給線警備に約三〇〇〇隻が投入される。

 

 帝国軍の総司令官はサジタリウス腕討伐軍司令官でもあるユリウス・フォン・クラーゼン上級大将であり、右翼にトゥルナイゼン中将率いる第四猟騎兵艦隊、中央にフォルゲン大将率いる第四重騎兵艦隊、左翼にシュリーター中将率いる第五軽騎兵艦隊が展開する。三個艦隊の合計は三万五〇〇〇隻前後、また後方にリュドヴィッツ中将の第三軽騎兵艦隊主力約八〇〇〇隻とグルーネンタール中将指揮下の大型戦闘艇部隊五〇〇〇隻が予備戦力として控える。また周辺哨戒に同じく二〇〇〇隻余りが展開していた。

 

『リグリア遠征軍団』はほかの宇宙軍陸戦隊及び地上軍と同様に、揚陸艦艇と護衛艦隊と共に総司令部の更に後方に控える。尤も、『リグリア遠征軍団』は兎も角他の陸戦部隊は周辺の小惑星帯や無人惑星に設けられた通信基地や観測基地を掃討する役目もあり暇ではない。

 

「ふむ。クラーゼンめ、漸く重い腰を上げたと見えるな。手間取らせてくれる」

 

 自由惑星同盟軍宇宙艦隊旗艦「アイアース」艦橋に副官と子飼いの参謀達を引き連れて入室したのは細身の中年紳士であった。四年前より宇宙艦隊司令長官に任命されたデイヴィッド・ウォード元帥である。色白の肌に堂々と胸を張り背筋を伸ばしたその姿は彼自身の育ちの良さと貴意の高さを証明しているように見えた。

 

 いや、実際この元帥は士官学校最下位卒業の前任者と全てが違っていた。ウォード家の先祖は流刑地にてハイネセンの代理役として現地の共和派と強制労働者の仲裁に奔走し、『長征一万光年』においては不満の噴出する船団をグエン・キム・ホアと共に曲がりなりにも纏め上げバーラト星系に到達した『交渉屋のウォード』である。

 

 以来歴代の先祖を辿れば初代第二艦隊司令官、第三代人的資源委員会委員長、ハイネセン記念大学第八代理事長、第一〇代国防委員会委員長、ケリム星系政府首相、何よりもダゴン星域会戦において第一艦隊を率い後に宇宙艦隊司令長官、統合作戦本部長、国防事務総局局長を歴任したネイスミス・ウォード元帥……ウォード家は煌びやかな経歴を持つ先祖達を二ダースは有しており、当然同盟建国以来の歴史を持つハイネセン・ファミリーの中でも名門に数えられる。

 

 本人も士官学校を一発合格し、当然の如く首席で卒業した。以来前線勤務と後方勤務を交互に勤めて宇宙暦785年に五〇歳と言う比較的若い年齢で宇宙軍実戦部隊の頂点たる宇宙艦隊司令長官の座に就いた。エリート中のエリートと呼ぶに相応しい経歴であるといえよう。長征派のサラブレッドだ。

 

 「アイアース」艦橋に配属される一〇〇名近い兵士達の敬礼に鷹揚な表情で返礼し、当然のように宇宙艦隊司令長官用の座席に腰がける元帥。すぐさまシロン産の最高級茶葉から作り出した紅茶を従卒がティーカップに注いで元帥に差し出した。小さく頷き受け皿事カップを受け取ると一口飲みその味を確認、満足した表情をしてスクリーンに視線を向ける。

 

「ビロライネン大将、状況はどうなっているのだね?」

 

 同じくハイネセン・ファミリーの名家出身であり前任者たるゴロドフ大将が統合作戦本部次長に転任したために代わりに宇宙艦隊総参謀長に栄転したカルロス・ビロライネン大将が進み出る。

 

「帝国軍はエル・ファシルに大規模な後方支援基地を設置しているのが確認されております。恐らく艦隊の補給もそこからと予測されます」

「ふむ、どれ程の戦力が控えている?」

「この方面に三個野戦軍相当の戦力を展開している事は既に把握されております。エル・ファシル本星にのみ限定すれば最低二個野戦軍、その他部隊も含めますと四〇〇万前後。偵察と内部スパイ等からの情報を照らし合わせる限り西大陸の山岳部を中心に三〇〇余りの陣地が設けられております」

 

 ビロライネン大将が淀みなく答える。同盟や亡命政府の有する情報部が紛れ込ませたスパイや内部協力者……特にコードネーム『シャルルマーニュ』からの情報により同盟軍はほぼ正確なエル・ファシルに展開する帝国地上部隊の配置を把握していた。

 

「ふむ、都市部には展開していないのだな?それは好都合だ」

 

 都市部に立て籠もられたら戦後のエル・ファシル星系政府への補償額の桁が一つ増えかねない。相手は的になる都市部に立て籠もるのを嫌がったのだろうが、同盟軍からすれば寧ろ都市への損害を気にしないで済むのでやりやすい。

 

「それではやはり……」

「うむ、予定通りに、だ」

 

 宇宙艦隊司令長官と総参謀長は此度の会戦の方針について最終確認をした。そこには僅かではあるが不穏な雰囲気があったが誰もその事は指摘しない。

 

 宇宙暦789年11月12日0900時、両軍は二〇光秒の距離に差し掛かると同時に砲撃を開始した。

 

「ファイア!」

「ファイエル!!」

 

 両軍の司令官の号令と共に数十万もの中性子ビームが互いに向け撃ち込まれる。

 

 光速で進む光の筋は丁度二十秒程置いて敵艦隊に到達した。最前衛に規則正しく配列された戦艦と巡航艦は砲撃の大半を回避し、残りも展開したエネルギー中和磁場で受け止めて無力化する。奇襲でもなければ最初の一撃で何百隻も撃沈されるなんて事はあり得ないのだ。

 

 約一時間に渡ってそんな平凡な砲撃戦が続く。両軍合わせて七万隻以上が明確な殺意を持って砲弾を撃ち込むものの損害は殆ど無かった。両軍合わせても撃沈艦艇は一〇〇〇隻余り、戦死者は一〇万名程度でしかないだろう。

 

「よし、仕掛けるぞ。全艦微速前進……!」

 

 中央を預かる第一〇艦隊司令官プラサード中将の命令に応え、最前衛を預かる副司令官ウランフ少将が二個分艦隊を率いて中和磁場の出力を全開にしつつ突出する。ミサイルを撃ち込み小型艦艇は戦艦の影から電磁砲を撃ち込む。

 

「焦るな、あれは挑発だ。ミサイルを迎撃しつつ正面の防備を固めよ」

 

 フォルゲン大将が冷静に命じる。艦隊の数を活かしてミサイル迎撃と同盟軍の牽制に分けてその双方を封殺してみせる。更に帝国軍の両翼がそれに連携するように長距離砲で支援すれば、同盟軍二個分艦隊は出鼻を挫かれて一旦後退する。

 

 だがすぐにアル・サレム少将率いる二個分艦隊が再び突出した。第四重騎兵艦隊最前列はその攻勢の前に僅かに崩れかけて後方の部隊と交代する。

 

 アル・サレム少将は再度攻撃が集中する前に素早く後退した。それに続くようにパウエル少将率いる一個分艦隊が一撃離脱攻撃を仕掛ける。それが終われば隊列を整えたウランフ少将が一個分艦隊が揺らいだ戦列に強かな一撃を加えてそのまま反撃を受ける前に悠々と後退して見せた。

 

 火力が集中する前に第一〇艦隊はヒットアンドアウェイを繰り返した。無論帝国軍艦艇の装甲と中和磁場は強固であり、数の面でも優位である。同盟軍の攻撃は効果が無い訳ではないが、その損害は微々たるものに過ぎなかった。

 

 神経質なクラーゼン上級大将と経験豊富なフォルゲン大将の敷いた陣形と指揮は同盟軍の攻撃を余裕を持って迎撃していたが、問題は下級将校であった。

 

「ええい、忌々しい叛徒共め!!」

 

 戦隊級以下の指揮官は何度も繰り返される同盟軍の攻撃に苛立ち始める。元々クラーゼン上級大将は攻勢型の提督ではなく、堅実……というよりかは、名将として知られつつも冷遇されるメルカッツ中将と同じく消極的な面のある司令官だ。彼がサジタリウス腕討伐軍司令官に起用されたのはリスクを避けて大軍を大敗させる危険な指揮をしない人物であるためだった。勇猛な諸将をその下に配属する事で前線の暴走を防ぎ、上手く手綱を取りつつ大軍で同盟領を削り取り圧力を加える……帝国軍の上層部の判断は攻勢に対しては目論み通りに進んでいたといえるだろう。

 

 だが防戦になるとそれが徒になりつつあった。当初クラーゼンは全面的な衝突を避けて、小競り合いをしつつ同盟軍の補給に負担をかけようと画策していた。だが少なくない諸将が占領地の放棄に難色を示していた。命令という事もあり暫くはそれに従っていたが流石に限界がある。

 

 エル・ファシル星系での決戦は帝国軍にとって妥協の結果だ。クラーゼンは寧ろエル・ファシル星系まで同盟軍に敢えて明け渡し、その上で反撃に移るつもりであった。有人惑星を奪還するのだ。同盟軍は世論からそれを易々と放棄出来ない、戦略の幅は大幅に狭まるだろう。

 

 しかし諸将は数十年ぶりに占領に成功した最初の有人惑星の放棄に難色を示した。それは彼らにとって昨年5月以来積み重ねて来た勝利を全て無意味にする事と同意であった。少なくとも兵士達やオーディンの宮廷はそう認識しても可笑しくない。士気も低下するだろう。

 

 末端の男爵家出身のクラーゼンでは流石に各所から噴出した不満を無視し続ける事は不可能だった。その妥協が要塞化された補給拠点エル・ファシルに支援された状況でのこの会戦であったのだが……それだけでは若手士官の不満が解消されるはずもない。追撃を許さない司令部に末端部隊は次第に怒りを露わにする。

 

 同盟軍の五度目の攻撃をあしらった時、前線部隊の一部がその勢いを駆り迫撃に移った。

 

「うぬ……」

 

 クラーゼン上級大将は停止を命令するがそう簡単にはいかない。艦隊主力から外れれば一気に通信妨害も酷くなる。後退命令は簡単に届かない。光通信は戦闘中は確認が困難であり、シャトルによる伝令にはタイムラグが生じる。

 

 しかも第一〇艦隊は如何にも苦戦している、といったように迫撃してくる寡兵の帝国軍により後退を重ねる。釣られるように同盟軍第四・第六艦隊も下がると今こそ反撃の時ではないか?と単艦、あるいは隊や群レベルで部隊が次々と突出を始めていた。

 

 この流れを止めるのは容易ではない。下手に止めれば寧ろ敵に反転攻勢の機会すら与える事になるだろう。ならば多少の危険は承知した上で全軍で攻撃に移るべきだ。

 

 そのような判断からクラーゼンは1600時に攻勢を命令した。艦隊を魚鱗の陣形に再編した上でじりじりと前進を開始する。

 

 同盟軍は後退せざるを得ない。クラーゼンは攻勢には否定的であったが、決めたからには仕事は完璧に全うするつもりであった。緻密に計算された戦列と火力の集中は幾度かの同盟軍の反撃を封じて見せた。前線の三提督達も暴走する末端部隊を掌握しつつ同盟軍に圧力を加える。同盟軍の最前列は少しずつ削られていった。

 

 だが、帝国軍は末端部隊の掌握と同盟軍の反撃への警戒……特に予備戦力の動向に意識を集中させているためにその事に気付かなかった。そう、予備戦力の更に後方にいる部隊の動きに………。

 

 日付が変わり11月13日0100時、事態は急転する。一進一退の艦隊戦が繰り広げられていた横で恒星を影に迂回運動に成功した陸戦部隊が惑星エル・ファシル衛星軌道にまで侵入に成功したのだ。衛星軌道の軍事衛星と警備艦隊は鎧袖一触で撃破され、深夜のエル・ファシル東大陸に対して殆ど奇襲に近い軌道爆撃を開始した。

 

「今だ!帝国軍の補給線を絶つぞ!陸戦隊降下!」

 

 後方基地でもあった惑星エル・ファシルの衛星軌道及び地上の占拠は帝国軍艦隊に大きな影響を与えるのは確実であった。ウォード元帥は艦艇数では劣勢である事を理解していたために補給線の遮断という最もオーソドックスな手段での解決を目指したのだ。

 

「帝国軍の防空設備が動く前に無力化せよ!」

 

 迂回した陸戦部隊はその声に合わせ軌道爆撃で防空陣地やレーダー基地、通信基地を排除しつつ闇夜に紛れ第四・第六・第一〇陸戦隊の主力部隊三〇万を揚陸させる。山岳部や平地、草原地帯や高原地帯、森林地帯、田園地帯、湿地帯、氷雪地帯……東大陸各所に一五〇〇隻もの揚陸艦が乗り上げ急いで兵士と軍用車両を吐き出し、航空機を発艦させる。

 

 瞬く間に降下ポイント(事前情報にて装甲擲弾兵団や機甲部隊は殆ど展開していない事は把握していた)に橋頭堡を作り上げると、星間ミサイルや対空レーザーにより若干の損害を出しつつも第三地上軍主力の降下が開始される。第五・第六地上軍主力もこれに続く予定だ。

 

 奇襲から始まったエル・ファシル地上戦により補給線を遮断された帝国艦隊は動揺し、浮ついた。そしてウォード元帥は軍政向けの人物ではあったが、その隙を見逃す程戦下手ではない。

 

「今だ。全面攻勢に移る。じゃが芋共を料理してやるのだ」

 

 従卒の注いだシロン産の紅茶を一口口にした後、意地の悪い不遜な笑みを浮かべウォード元帥は命令した。同時に前衛三艦隊はこれまで温存していた弾薬とエネルギーを使い一気に反撃に移る。

 

 帝国軍左翼が崩れた。ロボス中将の第六艦隊は第五軽騎兵艦隊の最左翼に攻撃を集中した。シュリーター中将が対応するように戦列をシフトした所で一気に艦隊の軌道を変更し第五軽騎兵艦隊右翼、第四重騎兵艦隊との間隙に突入し、分断した。

 

「単座式戦闘艇発進せよ!!駆逐艦前衛に進出!!」

 

 一気に近距離戦に持ち込まれる事を想定していなかった帝国軍は慌てて最前衛の戦艦を後退させ駆逐艦を前に押しだそうとする。だが鈍重な戦艦はその前に軽快に肉薄戦闘を仕掛ける駆逐艦の電磁砲やスパルタニアンによる急所部への一撃で火球と化す。

 

 中央の第一〇艦隊は第六艦隊を支援する。プラサード中将率いる主力は大型艦を全面に押し出して第四重騎兵艦隊の前衛に圧力を加え第六艦隊の迎撃を妨害する。そこに副司令官ウランフ少将の第二分艦隊がこれまで耐えてきたお返しとばかりに散開して帝国軍の砲火を潜り抜けて接近、主力が開けた隊列の穴に浸透してゼロ距離射撃でそれを拡大していった。

 

 同盟軍左翼を受け持つ第四艦隊は突撃せず隊列を伸ばした。司令部直属の予備戦力を編入して砲撃しつつ帝国軍右翼を中央に押し込み半包囲を試みる。第三分艦隊を率いるアレクサンドル・ビュコック少将は老練な用兵によって敵の反撃を封じつつ帝国軍を後退させていく。

 

 帝国軍は一瞬迷った。リュドヴィッツ中将の予備戦力はある。だがそれを右翼に送るべきか左翼に送るべきか判断しかねたのだ。

 

 左翼の第六艦隊の突入に対抗して正面からぶつけたとしよう。第六艦隊を半包囲下に置く事は出来るかも知れない。だが代わりに第四猟騎兵艦隊は半包囲された上で中央に押し込まれるだろう。団子状態になった第四重騎兵艦隊と第四猟騎兵艦隊は正面と右翼からの十字砲火を食らう事になる。

 

 では代わりに第四猟騎兵艦隊への援軍に投入したらどうか?その場合、分断された第五軽騎兵艦隊は本隊に合流する前に撃破される可能性が高かった。

 

 右翼を捨てるか、左翼を捨てるか、クラーゼン上級大将は選択を迫られる。

 

「全艦後退せよ!第三軽騎兵艦隊は殿となって追撃する反乱軍を迎え撃て!!」

 

 クラーゼンはしかし、その二者択一の決断をしなかった。ここでリスクを冒すよりも、補給に負荷がかかろうとも戦力を維持する選択肢を選んだのである。

 

 それは軍務省経理局長、統帥本部次長、軍務省次官と言った前線指揮よりも軍政に身を置く事の多かったクラーゼンの経験とそれにより醸造された価値観から来たものであった。

 

 仮にこれが後方勤務が少なく、前線勤務の多い司令官ならば肉を斬らせて骨を断つように相討ち狙いの正面からの消耗戦、あるいは敢えて前進しての混戦を選んだかも知れない。事実、この時艦隊司令部の幾人かの参謀はそれを進言したがクラーゼンは直ちに却下した。

 

 毎年の軍事支出と艦隊の被った損害の補填に必要な時間と経費を、想定される同盟軍への損害とを天秤にかけた時、彼はどうしても艦隊の保全にその天秤を傾いてしまうのであった。

 

 無論、それが必ずしも誤りとは言えない。言えないが……。

 

「……かかったな」

 

 ウォード元帥はクラーゼンのその行動に口元を吊り上げる。クラーゼンとほぼ同年代にあり、幾度も砲火を交えて来たウォード元帥にとってクラーゼンの行動は想定内のものであった。

 

 自らと同じく前線勤務よりも軍政・後方勤務に強いクラーゼンが莫大な損失を覚悟してまで反撃に出る可能性が低い事を彼は理解していた。そんな危険を冒すよりも戦力の保全を優先するだろう。

 

 事実この作戦が実施されて以来、帝国軍は既に幾度も会戦で敗北を喫していた。それでもなお損害を極限まで抑えこの会戦に四万隻を越える戦力を投入出来ているのはクラーゼンが戦力の維持を優先してきたが故だ。

 

「となると決着はエル・ファシルの地上戦次第、か」

 

 補給線を絶たれたクラーゼンは無理してまで艦隊決戦に固執しない筈だ。

 

 そもそも帝国軍は地上戦に対しては同盟軍よりも上手である。寧ろここからエル・ファシル星系の戦いは地上戦が主役となり、艦隊はその支援に徹するように帝国は持っていく筈だ。双方共に相手の艦隊が地上戦に介入しないように動く事になるだろう。

 

 そして、エル・ファシルの地上戦の勝敗はそのまま此度の会戦の勝敗に直結する事になるだろう。同盟領深く侵攻した帝国軍にとってエル・ファシルは重要な後方基地、それを喪失すれば補給に無理が生じる。無謀な戦いを続けずに撤退を選ぶであろう、少なくともクラーゼンならばそうする。

 

 同盟軍にとってもエル・ファシルは昨年帝国軍により占領された最初の有人惑星であり、未だに奪還の叶わない唯一の惑星でもある。それを取り戻す事が出来れば政治的にこれ以上の攻勢をかける必要はないし、その余力も残っていないだろう。

 

 そしてウォード元帥にとってもそれはある意味好都合だ。此度の作戦には亡命政府軍の地上部隊や帝国系の第六地上軍、旧銀河連邦植民地系の第五・第一〇地上軍、そして星系警備隊の地上部隊が多数参戦している。

 

「帝国の地上部隊と彼らが削りあってくれるのなら……こちらとしても好都合だからね」

 

 勝利すれば長征派の首魁の一人として大反攻作戦「レコンキスタ」を主導したウォードの立場は強化されるし、敗北したとしても実働部隊で打撃を受けるのは帰還派や統一派、旧銀河連邦植民地のローカル閥の部隊に過ぎない。どちらに流れても長征派には損は無かった。無論、無駄な戦死者を生産し同盟の軍事力を消耗させるつもりはないし、統一派に疎まれるので宇宙から出来る支援は全力で行いはするが………。

 

「まぁ、野蛮人同士重力の井戸の底で精々頑張ってくれたまえ」

 

 エル・ファシルに降下する何千という揚陸艦艇を一瞥してぽつりと呟いた後、ウォード元帥は気を引き締める。

 

 この戦いの勝敗が地上戦に委ねられたとは言え、宇宙艦隊も遊んでいる訳にはいかなかった。元帥は帝国艦隊の後退に合わせて直ちにエル・ファシル衛星軌道の完全確保と帝国軍の地上部隊支援を阻止するための妨害行動を指示するのだった。

 

 こうして、エル・ファシル星系を巡る戦いの序曲は終わり、第二幕が始まろうとしていた。後に一五〇年に渡る同盟と帝国の地上戦の中でも特に凄惨を極めた「エル・ファシル攻防戦」の開幕である………。



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第百十六話 これで校長の御言葉をコンプリートだ!

漸く先週ヤンジャン銀英伝読めた……偉大なる大帝陛下の勇姿が見られる事、このランズベルク伯アルフレッド感嘆の極み

初代貴族も出来るイケメン揃い、尚五百年後……


「彼」は緊張の中にあった。聞かされていた話が本当であればもうそろそろの筈であったからだ。

 

「反乱軍」より「解放」したエル・ファシル東大陸西部山岳地帯の一角、帝国軍第九野戦軍の司令部も設けられたフラウエンベルク要塞陣地の地下一四階にある事務室に用意された野戦軍経理部副部長のデスクで財務書類に目を通す「彼」は、しかし実際の所種類の数字なぞ殆ど頭に入ってはいなかった。今はそれどころではないのだから。

 

「…………」

 

 焦燥感に駆られた「彼」は思わず懐の懐中時計に手を伸ばす。銀の鎖が通された歯車機械で刻を刻むその金時計は「彼」が情報収集のために接近し、結果として熱病にかかったように「彼」に熱狂するようになったとある伯爵令嬢から贈られたものである。無論、「彼」も受け取った後徹底的に調べ盗聴器や発信機の類がない事は承知しているために身に着けていた。

 

 金時計の蓋を開く。秒針は刻一刻と時間の経過を伝え、現在時刻が真夜中の0058時……即ち0時58分である事を表していた。

 

「宇宙の方はどうなっているのかね?」

「はっ!どうせ後先考えずに弾を撃ってるだろうさ。俺達が後で出費を計算する事なんか気にせずにな」

 

 すぐ傍のデスクで自分と同じく書類と電卓を使い部隊の経理事務処理を行っていた部下達が語り合う。

 

 既に放送でサジタリウス腕討伐軍主力艦隊が同盟艦隊と戦端を開いた事は周知されていた。とは言え、艦艇数は僅かにではあるが帝国側が上回り、しかもこのエル・ファシルを始めとした後方拠点からの支援もあり、少なくとも短期間の内に勝負が決まるとはこの場の殆んどの者は考えてもいなかった。

 

「…………」

 

 再び金時計の時刻を確認する。現在時刻0059時、もうすぐだ。彼はこれからの行うべき行動を心の中で反芻していく。全ては自然に、怪しまれずに行わなければならない。

 

 既に自身が情報部や憲兵隊に嫌疑をかけられている事は把握している。下手すれば混乱に紛れて謀殺されるかも知れない……いや、間違いなく消される。だからこそこちらも怪しまれないように動き、合流しなければならない。

 

 ちらり、と脳裏に手元の金時計をプレゼントした婚約者の姿が思い浮かぶ。栗色のウェーブがかった髪に暗い黒真珠色の瞳、大人しく薄幸そうな彼女に近寄ったのはあくまでも利用するためだった。少なくとも最初の内は………。

 

 今更のように後悔と自責の念が胸を締め上げる。所詮利用した女でしかない。だがこうして前線に派遣されてから時間があれば思い浮かべるのはその利用した婚約者の姿だった。

 

 端的に言えば、「彼」は彼女を置いていく事に苦痛を感じ始めていたのだ。即ち利用していたつもりがいつしか自身がのめり込んでいた訳だ。

 

 何故ここまで自身が夢中になったのか、それは分からない。分からない方が良い。成功しようと失敗しようと、どの道「彼」は二度と生きて彼女の下に姿を現す事は出来やしないのだから。

 

(そうだ、覚悟を決めろ。もう後戻りなんて出来やしないのだから………)

 

 小さく息を吐き、「彼」は自身に言い聞かせる。最早どうにも出来ない所まで来てしまったのだ。毒を食らわば皿まで、とも言う。文字通り最後まで走りきるしかなかろう。

 

「例え……その先が断崖絶壁であろうとも、な」

 

 0100時、地下要塞を襲う震動と敵襲を知らせる空襲警報が事務室に鳴り響く中、「彼」……銀河帝国亡命政府の有する帝国内スパイ組織「フヴェズルング」のエージェント「シャルルマーニュ」は誰にも聞こえない声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同盟軍の各正規艦隊に平均して一〇万名前後が付属する海兵隊的存在が宇宙軍陸戦隊である。全ての兵士が全地形・全環境に対応可能であり、小口径光学兵器を無効化する重装甲服を着て戦車や装甲車、大気圏内航空機、強襲揚陸艦を保有する。言わば宇宙軍の殴り込み部隊であると言えよう。

 

 実際、同盟軍設立初期の彼らは宇宙海兵隊と呼ばれており、宇宙海賊との艦内戦闘や旧銀河連邦植民地に対する揚陸作戦に幾度も投入、被支配者達からは侮蔑の意味を込めて『バーラトの尖兵共』と呼ばれていた歴史がある。宇宙陸戦隊と改名されたのは「607年の妥協」以後の事だ。

 

 11月13日0100時エル・ファシル揚陸部隊第一陣である第四・第六・第一〇宇宙軍陸戦隊に所属する三〇万は、対空電磁砲や星間ミサイルの迎撃で少なからざる損失を出しつつも惑星エル・ファシル東大陸に強行上陸し、現地の微弱な抵抗を排除。橋頭堡を確保した。

 

 続いて0600時、第三地上軍に所属する五個遠征軍一五八万名の兵士がエル・ファシル地表の帝国軍の抵抗を受けながらも第二陣として揚陸に成功する。地上軍は陸戦のプロである。陸戦隊よりも遥かに強力な機甲部隊と航空隊を保有し、水上艦艇までも保有する。彼らは陸戦隊の確保した拠「点」を面に拡大する役目を担う。

 

 11月14日0830時、エル・ファシル東大陸南部にて最初の大規模戦闘が発生する。第三地上軍所属第一六遠征軍は帝国地上軍第九野戦軍所属第四〇軍と激突したのだ。以降各所の戦線にて帝国軍との戦闘が次々と発生する事となる。同日1300時には東大陸衛星軌道の制宙権をほぼ完全に確保した事で第三陣である第六地上軍一六一万名が揚陸する。第六地上軍は第三地上軍と共に兵員約二〇〇万名と推定される第九野戦軍との攻防戦に投入される事になる。

 

 11月18日2000時に第五地上軍一五五万名がエル・ファシル北大陸に揚陸する。現地の第四野戦軍第一七・第一八軍を三日に渡る戦闘の末に後退させてカッサラ市・ガオ市を解放した後、水上軍がヌビア海峡、ゴンダール海峡を三度の海戦の末に確保。東大陸との海上交通路の確保に成功した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 11月29日0200時、戦闘が膠着状態となり、同盟軍は戦闘の長期化を確信、各種独立部隊及び星系警備隊地上部隊等四〇万を占領地等の警備及び予備戦力として降下させる事を正式決定、『リグリア遠征軍団』もその警備部隊の一員としてエル・ファシル東大陸西部に展開する事となった………。

 

 

 

 

「ここからでも砲撃音が響くな」

 

 天幕の中で椅子に座り紙媒体の新聞一面(エル・ファシル地上戦についてのニュースだった)を読んでいたヴォルター・フォン・ティルピッツ中佐こと私は呟く。

 

 耳をすませばこの天幕の中からでも腹から来るような砲兵部隊による支援砲撃の轟音を聞く事が出来る。ここから約一〇〇キロ西では数十万という兵士達が激戦を繰り広げている事であろう。

 

「連隊長殿、靴磨きが出来やした!」

 

 足下で田舎訛りの強い帝国公用語の声がする。目を向ければ私の軍靴を磨き終えた中年の軍曹が用具の片付けをしていた。

 

「うむ、ご苦労だ」

 

 元「ロートミューラー」配属であったからだろう、見覚えのある地方生まれの下士官に労いの言葉をかけ私は木製テーブルに新聞を置き、立ち上がる。

 

「若様、コートでございます」

「ああ、頼む」

 

 ノルドグレーン中尉に同盟軍冬季野戦用士官コートを着せてもらうと、更に護衛として控えていたベアトも伴い私は天幕の外に出る。 

 

「少し冷えるな……」

「本日の気温は昼間でも五度を超えないとの事です」

「そこまでか。そりゃあ酷いな」

 

ベアトの返答に私は若干驚く。前線と後方の連結点として無数の天幕が張られ、物資運搬用のトラックが停車するエル・ファシル東大陸西部の山間地帯は決して寒冷地ではないが、それでも息が白くなる程度には寒かった。

 

「おい、さっさと進め!先が詰まっているんだぞ!?」

「前線に輸送する弾薬の詰め込みは終わったか?1800時には出発するんだからな、早く終わらせろ!」

「整備班、荷物が来たぞ!サスペンションがイカれてやがる。今週中に全部修理してくれ!」

「野戦病院はどこだ?負傷者の搬送要請が来ているんだが……」

 

 陣地を歩けば車両と兵士が行き交い、そんな会話や言い争いがちらほらと耳に入ってくる。前線で激戦が続く今、この臨時駐屯地は今最も忙しい。曇天の空を見れば航空支援のための大気圏内戦闘機や爆撃機、あるいは軍用ヘリコプターの列が西に向かうのが見えた。私達のすぐ隣を青いビニール袋を乗せた担架が幾つも通り過ぎる。

 

「珈琲と……このベーコンマフィン二つ、チキンチーズマフィンもくれ」

「こっちはポークレタスマフィンを……四つにアップルパイだ」

「トリプルソーセージを一個小隊分くれ!!大至急だ!」

「へいへい了解だ、代金はクレジット?カード?軍票?」

 

 若い兵士が中心に群がりそんな会話が為されているのは先日開店したばかりのソルドナルド同盟軍野戦陣地店である。突貫工事の店舗に流行中の小賢しい銀河の妖精の歌を垂れ流している野戦病院ならぬ野戦ファストフード店だ。ある部隊なんて前線に向かう直前に戦車を店の前に駐車させてテイクアウトをかまして来る。

 

「良くやるよ」

 

 呑気に注文する同盟軍兵士にも呆れるが、それ以上に呆れるのは危険な戦場で平然と商売を始めるフェザーン企業である。この臨時駐屯地の更に後方では整備員や医者の派遣業者や保険会社の代理人やら逃亡斡旋業者なんてものが彷徨いている。信じがたい事に帝国軍の方でもフェザーンの各企業が傭兵の護衛つきで要塞内で商売しているとか。

 

「諸君、お早う」

 

 12月8日0800時、私は自身が就寝する天幕から同じく臨時に張られた連隊戦闘団司令部の天幕に顔を出す。

 

 私の挨拶と共に既に集合していた連隊幹部達が一斉にこちらを向き惚れ惚れする敬礼で出迎える。私と付き人もそれに返礼で返した。

 

「何か異常は?それと上位司令部からの伝達はあるかな?」

「気象隊によりますれば昼頃より雨が降り始める模様ですのでその備えが必要でしょう。また現在前線に第七装甲軍団が姿を現しているとの報告が上がっております。万一にも戦線が食い破られる事はあり得ませんし、破られたとしてここまで浸透する可能性は補給の関係から低いと思われますが、軍団司令部より注意するように連絡が来ております」

 

 第七八陸戦連隊戦闘団第二大隊長兼副連隊長を務めるヨルグ・フォン・ライトナー少佐が厳つい表情で報告する。

 

「任務については前日同様後背地の治安維持と残敵掃討に努めよとの連絡が来ております。第二・第三大隊及び偵察小隊、航空隊の一部を以て周辺の森林地帯の捜索活動に従事するのが良いかと」

 

 そう提案するのは連隊幕僚長のクラフト少佐である。眼鏡をかけた神経質そうなこの優男はクラフト従士家の本家筋の出の同盟軍士官だ。因みに分家筋には「薔薇の騎士連隊」所属の分隊長がいる。

 

「つまりいつも通り暇潰ししておけ、という訳か……」

 

私は僅かに苦い顔で誤魔化すような笑みを浮かべる。

 

 私が連隊長を務める第七八陸戦連隊戦闘団は四個大隊を中核としている。一個大隊が五〇〇名、そのほか主要部隊としては無人偵察機を運用する航空隊、迫撃砲を有する砲兵中隊、工兵中隊、戦車小隊が基幹となる。

 

 連隊戦闘団本部の下に後方支援中隊、衛生小隊、偵察小隊、電子戦小隊、憲兵分隊が置かれる。

 

 連隊戦闘団本部には連隊長と副官、連隊幕僚長、そして部隊の管理運用のために全四課が存在する。総務・人事を担当する第一課、情報収集・保全を担当する第二課、作戦・訓練計画・警備を担当する第三課、補給・整備・経理を担当する第四課である。多くの場合連隊幕僚長は四つの課の何れかの課長も兼任する。第七八連隊戦闘団クラフト少佐は連隊幕僚長であると共に第一課課長も兼務する。

 

 尚、ベアトは司令部直属の第一大隊の隊長を、ノルドグレーン中尉は連隊副官の立場でそれぞれ連隊戦闘団に所属している。言わなくても分かるだろうがコネ人事だ。

 

 連隊戦闘団全体で兵員三二五〇名、これは連隊戦闘団の定員から見た場合若干多い。装備も拳銃から戦車まで比較的最新式、補給物資は潤沢である。そして何よりも殆ど無傷だ。

 

 このエル・ファシル上陸以来前線では一〇〇万単位の兵士が戦闘に参加する中、熟練兵と最新装備と潤沢な物資を擁している第七八連隊戦闘団は一度も最前線に出ず残敵掃討に従事し続けている。エル・ファシル上陸以前の惑星も似たり寄ったりであり、損害は数名の戦死者と十数名の負傷者のみである。

 

 部隊としてはこれ程前線に投入するべき部隊も無かろう、しかし現実は前線から一歩下がった場所でいつまでも警備と訓練ばかりと来ている。これから前線に向かう部隊、前線での戦いを終え補給と補充を受けに後退する部隊からそろそろ白い目で見られ始めているのが辛い所だ。

 

「仰る事は分かりますがどうぞ自制下され。後方の警備も軍としての大切な任務でございます」

「んっ……いや、不満があるわけではないんだけれどな……」

 

 クラフト少佐が宥めるように呼び掛ける。私が前線に出たがっていると思ったらしい。

 

 いや、別に前線に出たい訳じゃないんだ。安全な後方警備は悪くない。だが周囲の視線がキツいんだ。しかも叔従母が事あるごとに面倒な発言を会議でするから余計にな………。まぁ、実際に取次やら謝罪に向かうカールシュタール准将に比べれば桁が一つ違う位楽ではあるが。

 

「分かった。少佐の言う通りにしよう。どの道ここではやれる事は少ない。第二・第三大隊は周辺の警備を、第四大隊は第一〇一八歩兵連隊と補給線の護衛任務に就いてくれ」

「はっ!」

「了解です!」

「承知致しました!」

 

 第二・第三・第四大隊長はそれぞれ敬礼で答える。無論、彼らは全員実家から送り込まれた士官である。

 

「第一大隊はその他部隊と共に本部警備、それに演習でもしておいて欲しい。可能性は低いが敵襲の際にはいの一番に迎撃する事になる。頼むぞ?」

「はいっ!了解致しました!」

 

 ベアトは寧ろ望む所と言わんばかりと言った表情で敬礼で答える。元気があるのは宜しいが私としてはそんな事がない事を望みたいんだけどね。

 

 因みにベアトの第一大隊は司令部直属のためにほかの大隊に比べて司令部警備の任務に就いている事が多い。お陰様でこの臨時駐屯地のほかの同盟軍部隊からは前線で貴重な戦力を愛人に渡して手元においていると言っている奴がいるとかいないとか………。毎度毎度私は赴任先で風評被害を受けるな。

 

 その後数点ほど注意点と報告が終わると結局、今日もまたこれと言って代わり映えのしない早朝会議を終える。

 

 早朝会議の後、連隊長を含んだ幹部は本部にて朝食を共にする……というのは帝国文化が各所に残る第六陸戦隊だけの事ではなく同盟軍でも案外ポピュラーな事だ。食事を通して信頼関係の醸成と情報の共有を図る意図がある。

 

 最前線ではないからちゃんと調理された温かい食事が今回も提供された。焼きたてのバケットと黒パンが籠で運ばれて来る。給仕により銀製の皿にヴルストとザワークラフト、マッシュポテト、サラダ、スクランブルエッグが盛られる。ヨーグルトと林檎、洋梨、桃、ドライフルーツが混ざったミューズリは栄養価のバランスが良く帝国系部隊では良く食べられる。鶏肉と玉葱のトマトスープは寒いこの時期にはとても有難い。

 

「珈琲と紅茶、どちらに致しましょう?」

「紅茶、マーマレードを入れてくれ」

「畏まりました」

 

 珈琲か紅茶が好みに合わせて従卒により注がれる。最後にナプキンを首元にかけられ、これで朝食の用意は出来上がりだ。

 

 従卒達が控え、テーブルに座る幹部達は祈りを捧げるために手を組む。宣言するのは連隊長であり主人である私の役目だ。

 

「豊穣を司りし兄妹神よ、貴方方の慈しみに感謝してこの実りを頂きます。大神よ、ここに用意された物を祝福し我ら信徒の今日の心と体と信仰を支える糧として下さい。我らの偉大なる主君にして父、大神より守護されし皇帝陛下のために」

 

 厳粛そうに皆で祈りを捧げるが……この祈りの言葉、どう考えてもどっかからパクって来てるよね?

 

 いや、私も生まれたばかりの頃はルドルフ中二病乙、と内心思ったがこればかりは似非ゲルマン趣味な大帝陛下に対しても擁護してやらねばならない。最後の一行以外は別に大帝陛下が考えた訳でもない。

 

「一三日戦争」とその後の「九〇年戦争」で宗教勢力が著しく衰退したのは事実ではあるが全滅したわけでもないし、完全に権威を失った訳でもない。そうでなければ銀河連邦末期に神秘主義やらカルト宗教が興隆しない。

 

 正確に言えばガチで信じる者が少なくなったというべきか。凡そ前世の一般的日本人程度の意識に落ち着いたと考えれば良い。取り敢えず初詣して頂きますと手を合わせて七五三をするノリだ。戒律はあっても真面目にやる者は少ない、と言った所か。

 

 オーディン教は「九〇年戦争」中に勃興した既存宗教の分派や新興宗教の一種である。後の地球統一政府を構成した列強諸国の一つであるユーロピア同盟にて発生した宗教だ。

 

 「一三日戦争」で欧州大陸の大半は熱核兵器で壊滅したが、中立国が多く、北方連合国家と三大陸合衆国の間でバランス外交を取っていたスカンディナビア半島を中心とした北部欧州地域は南半球には及ばぬものの比較的被害が少なく、「九〇年戦争」時代には温存された工業力・科学技術により欧州大陸の大半を勢力下に収めた。その中で既存のアブラハム宗教の権威失墜に北欧神話が混在して生まれたのがオーディン教の起源とされている。

 

 地球統一政府時代、多くの旧ユーロピア地域の市民が植民諸惑星に移民した。そしてシリウス戦役による地球秩序の崩壊、タウンゼントの暗殺によるシリウス政府の分裂……人類社会を統一する中央政府が事実上消滅すると植民諸惑星は次々に独自国家を建国し、人類圏統一のため、あるいは自国の権益確保のために一〇〇年近く続く戦国時代が始まる事になる。

 

 所謂「銀河統一戦争」時代である。プロキシマ通商同盟やテオリア連合国、スピカ星団連盟、レグルス=カペラ人民共和国と言った列強が相争った訳であるが、その中には共和政国家以外にも軍国主義国家、共産主義国家、寡頭制や君主制、宗教国家まで存在していた。

 

 列強国家プロキオン=オーディン教国は名前の通り旧ユーロピアからの移民が建国したオーディン教を信仰する教団国家であった。勇敢に戦えば討ち死にしようとも戦乙女によりヴァルハラに導かれる……教国軍の兵士はオーディン教の教義により勇猛である事で評判であり、教国は後には布教活動と軍事活動により『オーディン連合帝国』と呼称される宗教的大星間同盟の盟主となった。「銀河統一戦争」末期には人類圏の三割を支配し、テオリアやプロキシマと人類社会の支配権を懸けて幾度も大会戦を演じ、それは後世「ギャラクシー・ウォーズシリーズ」等の歴史・戦争映画の格好の題材にもなった。

 

 長く、激しい戦乱により教国も疲弊し、最終的には形骸化しつつも形式的には存続していた「汎人類評議会」の仲裁による銀河諸国間の停戦条約の締結を以て人類社会は「銀河連邦」の下に再編された。教国軍は初期の銀河連邦軍の主力の一角として反連邦勢力や宇宙海賊掃討に尽力した。その中で多くのプロキオン出身かつオーディン教徒の軍人家系が誕生する事になる。

 

 此処まで言えば予想がつくであろう、銀河連邦末期の軍人、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは案の定プロキオン出身で両親がオーディン教徒である軍人家系の出である。

 

 ルドルフは腐敗した軍の綱紀粛正においてオーディン教の教えを実践した。歴史に伝わる教国軍の屈強さの一因はその教義にあったのだから決して可笑しくは無かった。捕虜になるな、逃げずに戦え、敵に怯えるな、それらの試練を乗り越えるためにルドルフの部下達の中にはオーディン教に帰依した者(させられた者)も多い。

 

 最終的に銀河帝国を建国したルドルフは一部のカルト宗教の弾圧こそしたが、基本的に信教の自由は保証した(国家革新同盟の大スポンサーでありゼウス教信者でもあったカストロプ・コンツェルン社長カストロプ氏等、同志の中には地元に根付いた宗教を信仰していた者もいたためだ)。

 

 だが国教として、また雑多な文化が乱立する人類の文化的統一や成立したばかりの帝国の宗教的権威付けのためにオーディン教を厚遇し(同時に圧力をかけ教団を乗っ取り)、五世紀かけて帝国臣民の大多数もオーディン教に帰依し、教皇庁は皇帝と体制の権威を支える宗教的支柱となった。

 

 無駄に前置きが長くなったな……似非ゲルマン宗教の食前の祈りが某アブラハム宗教ぽいのはそんな経緯がある。決して大帝陛下がパクった訳でなければ中二心を擽られて夜中に考えた訳ではない。……いや、爵位とか家紋とかは多分わくわくして夜中考えてたんだろうけど……。

 

 さて、祈りの後、厳粛に食事が始まる。銀のフォークとナイフ、スプーン………毒があれば分かるため、というが現実には反応しない毒物も多いので実用性が低いのだが、帝国系部隊の幹部は今でも銀製品で食事をするのを好む。パン切りナイフで切り取ったパンを受け取り惣菜と共に頂いていく。BGMに軍楽隊がクラシックを演奏するがこれでも帝国基準では戦場に合わせて質素倹約質実剛健と言われる水準であった。……質実剛健ってなんだっけ?

 

 1030時、朝食を終えて解散となり、私は副官のノルドグレーン中尉と本部所属の各課事務員と書類の処理を進めていく。先程命令した通り、ベアトは第一大隊の大隊長として本部の警備と訓練のため天幕にはいない。

 

「とは言えやる事は日用品や食料の補給要請を決済する事と訓練を認可する事位だからなぁ」

 

 ノルドグレーン中尉から受け取った物資の受領書に署名してデスクの端にある書類の束の一番上に乗せる。下っ端同士なら兎も角上の者同士での審査は宇宙暦8世紀でも紙である。電子記録はサイバー攻撃で一気に全部消える可能性もあるし偽装もやりやすいためだ。

 

「前線は膠着状態か。このままだと来年の初め位までは続きそうだな」

 

 三〇〇個も設けられた山岳部の地下要塞陣地は全て師団規模の部隊が広大な地下空間に詰めている。それ以外にも小さい物では蛸壺レベル、大きな物は連隊が籠る小陣地が周囲に築かれている。一つ一つ虱潰しにはしているが苦戦は必至だ。

 

 しかも浸透戦術で後方に入り込む猟兵部隊、待ち伏せ攻撃を行う野戦機甲軍、地下空間で待ち構えたり森林地帯や山岳地帯を走破して襲い掛かってくる装甲擲弾兵団は厄介な事この上無い。既にこのエル・ファシル地上戦の戦死者は五万名、負傷者は一一万名に上っている。

 

「やはり地上軍と陸戦隊の軌道爆撃だけでは火力が不足するなぁ」

「ですが同盟軍の限られたリソースと時間を考えますと艦隊戦の後に地上戦を行うよりも地上戦に集中する方が合理的で御座います」

「悲しいがその通りなんだよなぁ」

 

私は付き人の正論に嘆息する。

 

 原作を読んでいれば宇宙暦8世紀にもなって地上戦?などと思うだろう。しかし、現実にはこの時代でも地上戦は寧ろ欠くことの出来ないものだ。

 

 艦砲射撃も低周波ミサイル攻撃も地上を吹き飛ばす事は出来るが入念に構築された地下要塞を簡単に破壊する事は出来ない。まして防空・防宙部隊が展開し地下の大型核融合炉にて電力を供給されるエネルギー中和磁場のシールドを貫通するのは不可能ではないが手間がかかる。

 

 惑星を包囲して餓死を待つ手もあるがこれも簡単ではない。帝国軍は相当の補給物資を貯蔵しているだろうし、兵糧攻めに備えて蛋白質製造プラント等も運び込んでいるだろう。それこそ一年二年程度ならば耐える可能性が高い。ん?アムリッツァ?あれは想定外の人数を食わせる必要があったからね、仕方無いね。

 

 それに兵糧攻めはあくまでも周辺の制宙権を確保出来てかつ時間的余裕があってこそだ。残念ながら帝国宇宙艦隊主力は同盟艦隊により地上戦の支援が難しいとは言え健在、しかも同盟軍には予算の余裕はないし、エル・ファシル市民をいつまでも難民キャンプに放置するわけにもいかない。寧ろ艦隊を小競り合いで拘束して地上軍によりエル・ファシルを占領、補給線を断ち帝国軍の撤退を促す戦略は莫大な犠牲を出して艦隊を撃破してから地上戦をするよりも却って最終的な損失と出費が少なくなる可能性が高かった。

 

 こうして同盟軍上層部は帝国艦隊を誘引した上でのエル・ファシル本星強襲作戦を決断した。結局いつの時代も最後は歩兵が現地に降りなければならない訳だ。

 

(尤も、それだけではないかも知れないが………)

 

 此度の反攻作戦の総司令官は生粋の長征派であるウォード元帥である。統一派とのパイプもあり紳士然としているが、本音では同胞以外は食い物としか思っていないであろう人物だ。下種の勘繰りかも知れないが帝国地上軍と他派閥子飼いの部隊で潰し合って欲しいと思ってこの地上戦を推進したとしても驚きはない。

 

「まぁ、考えても仕方ないな」

 

 どの道地上戦自体は発生していただろうし、艦隊戦を優先していたとしてもそれはそれで犠牲が出たはずだ。それに、他派閥の潰し合いを意図していたとしても精々が細やかな嫌がらせ程度の意識であろう。どちらかというと本人が宇宙軍出身である事の方が影響は大きいかも知れない。

 

「確か1330時に軍団司令部と面会、会議だったな?」

 

 朝の事務仕事を特に問題なく終わらせた後にノルドグレーン中尉に注いでもらった珈琲で一服しながら私は尋ねる。

 

「はい、ジープと護衛の手配は致しました。そろそろ移動なさいますか?」

 

 私は腕時計を確認する。時計の針は1230時を指していた。

 

「そうだな。そうしよう」

「では……」

 

 連隊本部の人員に言付をした後、ノルドグレーン中尉に先導されて私は天幕の出入り口に向かう。だが……。

 

「………予報通り、雨で御座いますね」

 

 出る前に立ち止まると天幕の入口を覗きながらノルドグレーン中尉は確認するように答える。小雨はすぐに激しくなり、外の兵士達は慌てて雨具を着始め、あるいは近場の天幕等に逃げ込む。

 

「雨具がいるな」

「今取りに参ります」

 

 同じく外を覗く私に向け中尉がそう言って急いで天幕の奥に雨具を取りに戻る。

 

 その次の瞬間だった。突如空を切る音と共に衝撃が私を襲ったのは…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……うん……?」

 

 私は雨で若干ぬかるんだ地面に倒れていた。恐らくすぐに意識は取り戻した筈だ。耳鳴りがして若干体が痛むが大きな怪我はない。

 

「何が……起きた………?」

 

 確か天幕で中尉が雨具を取りに行くのを待っていた筈だ。そしていきなり爆音と共に吹き飛ばされた筈だ。

 

 耳鳴りがどうにか収まり始める。そうするとドン、ドン、と何かが破裂する音が近くから響いて来るのが分かった。

 

この腹から来る爆音は………。

 

「これは………迫撃砲……!?」

 

 私は朦朧とする意識を必死に繋ぎ止めて立ち上がる。周囲を見渡せば呻き声をあげ立ち上がる連隊戦闘団本部人員や逆に全く動かない部下もいた。吹き飛ばされた天幕に宙を舞う書類、デスクや椅子が壊れ、散乱する。

 

「っ………!」

 

 空気を斬る音に私は地面に張り付くように倒れる。同時に然程遠くない場所で爆音が響き土砂が私の上に降り注ぐ。危なかった、迫撃砲弾は通常の火砲に比べれば射程も威力も低い。だがそれでも爆発時に無数の砲弾片が飛び散る。寧ろ直撃よりもそちらの方が危険で下手すれば重装甲服を着ていても人体が切断されかねない。

 

 私は砲撃がほかの場所を狙い出したのを確認してようやく立ち上がる。未だ生きている本部要員達に呼びかけ立ち上がらせる。数名かは私が言う前に同じ事をしており、更には拳銃を抜いていた。

 

「はぁ……はぁ……中尉!?ノルドグレーン中尉!!?」

 

 私は周囲を見渡しブロンドの副官がいない事に気付いてその名前を叫ぶ。するとどこからか女性の呻き声が聞こえてくる。

 

「うっ……」

「そこかっ!?そこだな、中尉!」

 

 私は少々たどたどしい足取りで声の方向に駆け寄ると崩れた天幕の布地と柱をどかす。そうすればすぐに地面に倒れた中尉の姿が視界に入って来た。

 

「中尉、大丈夫かっ!?」

 

 額の右側から血が流れているのを首元のスカーフを解いて血を拭き取る。

 

「わ……か…様?私は……御心配なく………」

「分かっている。止血するだけだ。目と耳は大丈夫か?」

「は、はい……視界は少し揺れますが………耳鳴りもマシになってきております……」

 

 どうやら爆風で体を少し痛めているのと弾片で額右側の皮膚を切ったようだがそれ以外は問題はないようだった。スカーフで傷口を縛り止血する。

 

「若様、御無事で御座いましたか……!」

 

 慌てて駆け寄って来たのはクラフト少佐だ。軽傷は負っているが問題はなさそうだ。

 

「ああ、大丈夫だ。怪我はない。そちらも無事で何よりだ。だが………」

 

 周囲を見れば相応に負傷者が、それに少数ながら死者も出ている。

 

「流れ弾……ではないな。これは」

 

 未だ同盟軍陣地のどこかに向け撃ち込まれている迫撃砲による砲撃音を聞いて私は自身の願望を否定する。射程の短い迫撃砲がこう何十発も流れ弾で撃ち込まれる筈もない。

 

 即ち考えられる事は敵による明確な攻撃。しかも射程の短い迫撃砲であり、しかもこれだけ撃ち込んできているとなると、一撃離脱のハラスメント攻撃ではなく事前砲撃に違いない。つまりここから先来るのは………!

 

「敵襲だっ!各部隊配置につけ!戦闘用意!歩兵部隊が突撃してく……る………」

 

 周囲に警戒と命令を伝えるためにそこまで口にして私の口は止まっていた。それを視認し、余りの戦慄に言葉を失っていたのだ。

 

 私の言葉が止まった事に周囲の部下やほかの同盟軍部隊の兵士も気付き、私が凝視する方向に視線を向け、凍りつく。

 

 丁度山間部のために同盟軍が天幕を張る盆地の周辺は切り立った小さな崖となっていた。

 

 雨が降り続き視界が悪くなった中でもしかし、その赤い光の反射は分かった。何千という赤い鬼火のような光が崖の先の森で光っていた。

 

 いや、それは鬼火なんかじゃあない。もっと赤黒く、残忍で恐ろしいものだ。そして良く見れば鬼火を称えるそれに骸骨のようなシルエットを見ることが出来ただろう。

 

 頭蓋骨のような重装甲服の頭部ヘルメット、威圧的なそのヘルメット越しでもその帝国最強最悪の戦士達は村を襲うヴァイキングの如く獰猛で狂暴である事は理解出来た。いや、戦士なんてものではない。獣だ。悍ましい笑い声を漏らす髑髏の集団……。

 

「装甲…擲…弾……兵…?」

 

 同盟軍兵士の一人が信じられない物を見たように辛うじて言葉を紡ぐ。そう、それは帝国軍において地上軍からも宇宙軍陸戦隊からも独立した兵科として同盟軍兵士達の恐怖の対象にもなっている野獣の群れの呼称であった。

 

 同盟軍の熟練兵の幾人かは慌てて武器を手に取ろうとする……がその意志もすぐに打ち砕かれた。崖の手元、装甲擲弾兵団の先頭に君臨するそのシルエットを見れば今度こそ、皆が抵抗の意志は霧散する。

 

 それは巨人であった。オーディン教の信徒であればまるでトロル、あるいは原初の巨人ユミルを連想したであろう、巨人の影。ヘルメットは着こんでいなかった。全長二メートルを超える巨躯は重装甲服の上からでも筋肉で盛り上がり、相当激しい鍛錬で鍛えに鍛え抜かれた事が分かるだろう。

 

 手にはまるで死神の鎌を連想させる巨大な炭素クリスタル製の両刃の戦斧があった。片手で悠々と持ち上げられているそれは、しかし全長一五〇センチ、重量にして九・五キロにも及ぶ金属の塊……その一撃を受ければ仮に二重に重装甲服を着こんだ所で肉塊になる事は間違い無かった。

 

 誰もがその薄暗い姿に瞠目し、戦慄し、恐怖する。そして願う。その先頭の人物が自身の脳裏によぎる人物でない事を。

 

 だがそんな願いを戦神が嘲笑うかの如く雷鳴が響いた。稲妻の輝きがその薄暗さで見えなかったその者の顔を皆に晒しだした。

 

「狂戦士」、あるいは「野人」と誰もが連想した事だろう。狂暴さと荒々しさに満ち満ちた彫りの深い顔は草食動物を狙う獅子のように残虐で獰猛な笑みを称えていた。

 

 ポニーテールのように一本に束ねられた黒髪は駿馬を思わせ、頬の痛々しい傷跡は印象的であり、その者が誰であるかを確信させるものだった。

 

 そう、間違いなく今我々を獲物を見るような目付きで見下ろす人物は、一切の疑い無く精鋭たる第三装甲擲弾兵軍団を先導する、悪名高き装甲擲弾兵団副総監オフレッサー大将であったのだった…………。




地味に帝国騎士の階位の設定を思い付いたので後付けしてみました。それに伴い各話を少し修正、十四話に説明を追加しました

帝国騎士階級の階位(尚、功績等で上昇有り)
・騎爵位  主に帝国開闢以来続く帝国騎士位、男爵家に匹敵する権威を持つ

・上等帝国騎士位 主に門閥貴族の分家の内男爵以下の家(例ジークマイスター家、シェーンコップ家、ダンネマン家(一等帝国騎士位より昇格))

・一等帝国騎士位 主に国家に対する功績による叙任(例ワイツ家、ロイエンタール家(二等帝国騎士位購入から事業拡大から昇格))

・二等帝国騎士位 主に金銭にて購入して叙任、最も多い帝国騎士位(例ファーレンハイト家・ミューゼル家・クロイツェル家)


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第百十七話 何事も余裕を持った計画をしよう

 最も偉大な勇者はアレクサンダー大王か、はたまたヘラクレスか?

 ヘクトル王子、またはリュサンドロス提督と人々はその名を口にする

 しかし歴史上に偉大な英雄達は数あれど、吾等に肩を並べられる者なぞ存在しない

 そう、銀河帝国装甲擲弾兵団に比する勇士達なぞありやしない!

 

 古の戦士達は軌道爆撃の嵐を見た事はない

 雨霰のように襲い掛かる電磁砲弾も、重厚な甲冑をも引き裂く戦斧の一撃も味わった事はなかろう?

 だが、吾等はそれを知っている!破壊と殺戮の嵐の中、主君のために一切の怯堕を打ち捨て進軍せん!

 さぁ、いざ讃えよう!高貴なる黄金樹の傍で侍り守護せし装甲擲弾兵団の勇士達を!

 

 主君より一言敵陣を突破し蹂躙せよと下知が下るならば!

 連隊長は先頭でサーベルを振るい、旗手は連隊旗を高らかに掲げ、勇者達は血の滴る戦斧を持ちて突き進まん!

 我らは血濡れの戦斧を振り下ろし、高貴なる血統に仇なす逆賊の徒に忠罰を下さん!

 さぁ、いざ讃えよう!高貴なる黄金樹の傍で侍り守護せし装甲擲弾兵団の勇士達を!

 

 星々と臣民を逆徒から解放し、秩序と正義を回復したならば!

 臣民は感動の涙と共に帝旗に頭を下げ、皇帝陛下の名を歓呼の声を上げて讃えよう!

 我らは皇帝陛下の代理人!宇宙の正義と秩序を守護せし黄金樹の正義の意思の代言者なり!

 さぁ、いざ讃えよう!高貴なる黄金樹の傍で侍り守護せし装甲擲弾兵団の勇士達を!

 

 勝利を祝い我らは皇帝陛下より賜りし葡萄酒を金杯に注ぎ飲みほさん!

 我らは装甲服を纏い、背嚢を背負い、戦斧を掲げて帝都に勝利の凱旋を果たさん!

 銀河帝国装甲擲弾兵の戦士達よ、末長く戦乙女に愛され幸あれかし!

 さぁ、いざ讃えよう!高貴なる黄金樹の傍で侍り守護せし装甲擲弾兵団の勇士達を!

 

 さぁ、いざ讃えよう!戦乙女達の寵愛を受けし戦士達の守護する黄金樹の王朝と高貴な血統の栄光を!

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国軍『装甲擲弾兵団行進歌』より

 

 

 

 

 

 

 原作で「石器時代の勇者」、「野蛮人」、「流した血の量で昇進した」等と称されるオフレッサーであるが、一つ疑問に思った事はないであろうか?

 

 そう、たかが白兵戦で殺害した功績で将官……まして最終的には上級大将にのし上がるなぞ可能なのだろうか?一人で直接殺せる兵士なぞ数百、せいぜい頑張っても一〇〇〇名程度であろう。

 

 当然ながら艦隊戦だと十隻も沈めればあっという間に届く人数である。その程度の数で本当に将官に登り詰める事は出来るか?答えは否である。オフレッサーの恐ろしさはそんな単純なものではない。

 

 「将軍殺し」、「挽肉製造機」、「雷神」、「殺戮機械」、「首狩り男爵」……二十を超える渾名で称賛、あるいは畏怖、軽蔑される現銀河帝国軍装甲擲弾兵団副総監オフレッサー大将は、直接的な意味で同盟・帝国軍において唯一の「将官エース」である。直接的、というのは文字通り自身が戦斧で肉塊にした、という意味である。

 

 帝国暦451年に帝国軍装甲擲弾兵養成所を卒業したバシリウス・フォン・オフレッサー騎爵帝国騎士は伍長に任ぜられ、装甲擲弾兵団分隊長として惑星ティトラ攻防戦に参戦した。

 

この惑星がオフレッサー伝説の始まりである。

 

 劣勢の帝国地上部隊の中でオフレッサー率いる分隊は幾度も戦功を上げて友軍を励ました。時には分隊どころか小隊まで単独で全滅させたこともある。無論、実際に殺害した者の半分はオフレッサー一人によってであるが。

 

 しかし、所詮は戦術レベルの勝利でしかない。同盟軍は少しずつ戦線を押し上げていき、帝国軍は後退に後退を重ねた。そして……同盟軍は敗北した。

 

 オフレッサーは少数の部下達と共に前線を掻い潜り、数日かけて同盟軍の前線司令部を探り当てて奇襲を敢行、同盟地上軍第四一三師団司令部に血に飢えた巨人が突撃した。オフレッサーは師団長以下の参謀、司令部要員をほぼ単独で壊滅させたのだ。

 

 司令部が突如壊滅した事により前線は混乱、そこを突いた帝国軍の反攻により同盟軍は壊走を余儀なくされた。オフレッサーはこの功績で二階級特進と勲章授与、そして精鋭部隊への転属という栄誉を授かった。

 

 装甲擲弾兵団の特殊作戦コマンドに編入されたオフレッサーの仕事はただ一つ、前線を抜けて敵の司令部を強襲し、その指揮能力を喪失させる事だ。そしてオフレッサーは上層部の期待以上の成果を見せつけた。

 

 殺害した連隊長以上の指揮官の数は六八名、内将官は一四名、少将が二名も含まれている。中には宇宙軍の戦隊旗艦に強行接舷して占拠した経験まであった。小隊長や中隊長の犠牲者は数えきれない。同盟軍士官学校席次第三位、勇将にして『十年後の同盟地上軍元帥』と期待された第一〇遠征軍団司令官ローラン・ブラッドレー少将すらこの化物の手により頭部と体を分断された状態でヴァルハラに強制的に連行された。

 

 特殊作戦や後方撹乱の指揮官として以外にもオフレッサーは指導者としても有能であった。彼の率いる部隊はどれも地獄の教練により死をも恐れぬ文字通りの狂戦士の集団となり相対する同盟軍兵士を恐怖に陥れる。

 

 果てはその名前を聞くだけで同盟軍は恐慌状態になる程であった。その影響力と名声はフリードリヒ四世時代において二人目の金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章受勲者となった事で頂点を極めた。

 

 圧倒的な実力と異常なまでの軍功、残虐な性格と統率者としての才覚と覇気と名声、オフレッサーと言う人物は正に帝国軍最強にして最凶の戦士であった。

 

 そしてそんな戦士が正に我々の目の前に君臨していた。雷雨に打たれる中、雨露に濡れた狂暴な表情を持って我らを見下ろしている。余りの恐怖に私は声を出す事も、逃げる事も出来ず、だからと言って視線もそらせずただただ立ち尽くす。

 

「……!!げ、迎撃だっ!撃て!撃て!」  

 

 臨時駐屯地の警備に就く基地警備隊所属の下士官が真っ先に我に還り部下達に命令を叫ぶ。同時に数名の同盟軍兵士がブラスターライフルや火薬銃を構え、自分達を見下ろす死神に一斉に発砲した。

 

 だが、その銃撃の雨が死神に降りかかる事は無かった。その前にオフレッサーは四メートル余りはあろう崖を平然と飛び降りたためだ。銃弾の嵐は虚しくも通り過ぎる。

 

「き、近接戦闘用意……!!ぎゃっ……!??」

 

 一番近くにいた兵士が悲鳴と共に銃剣を着剣し、銃口を向けようとするがその前に一気に距離を詰めた悪魔に頭部を斧で叩き潰された。軽量特殊繊維と合金で出来た鉄帽は本来の役目を果たす事なく引き裂かれ、頭蓋骨を粉砕にされた兵士は脳漿と血液を泥の中に飛散させた。

 

 周囲の人間は何が起きたか分からないといった風に驚愕の表情を作る。それほどまでにあっという間の出来事であったのだ。あの図体からは信じられないような虎豹の如き動き、当然私も余りに衝撃的な現実に固まるしかなかった。ははっ!ふざけるな、戦斧の一振りで人がミンチになるなんてふざけている……!

 

 そして、そんな戦慄に震える獲物達に対して、文字通り人間の頭を挽き肉に変えた男は戦斧を一振りしてその血を払い落とし、目の前の哀れな獲物達に舌舐めずりするような凄惨な笑みを浮かべたのだった……。

 

 

 

 

 

 

「ひ、ひぃ……がばっ!?」

 

 二人目の犠牲者である若い同盟兵士は「殺戮機械」に対して背を向け一目散に逃げ出そうとした。敵前逃亡は軍法会議物であるが理性を恐怖に塗り潰されたその兵士にとっては知った事ではなかった。全力疾走で駆ける。

 

 だが次の瞬間には背中に投げ斧をぶちこまれ、背骨をへし折られ脊髄が粉砕されていた。口から血を盛大に吐き出しながら白目を剥き出しにして泥中に倒れる。

 

「う、撃て!撃ち殺せ!?」

 

 激しく雨が降る中、同盟軍兵士達はブラスターライフルでオフレッサーを射殺しようと次々と発砲する。だが、暗い曇天の空にこの豪雨の中である。咄嗟に暗闇の中に消える巨人の前に虚しくブラスターの光条は通り過ぎる。

 

「畜生っ!ふざけるなっ!!何だよあの動き……!!?ブラスターを避けるとか有り得ないだろう!!?」

「落ち着けっ!!良く狙うんだっ……!うがっ!?」

「い、痛いっ…!イダい……!」

 

 同時に上方からのクロスボウの雨が同盟軍兵士達を襲った。炭素クリスタル製の鏃が兵士達のトレンチコートと防弾着を貫通しその人体を傷付ける。ブラスターや火薬銃と違い発砲の光がなく、闇夜から突如として襲いかかるボウガンの雨は時代錯誤なように思えるが予想外の脅威であった。

 

「む、無闇に撃つな!!居場所が分かる!暗視装置と消音装置を使うんだ!いそ……がばっ!?」

 

 咄嗟に機転を聞かせて味方にそう伝える下士官は、しかし次の瞬間悲鳴をあげ、暗闇の中に引き摺り込まれた。視界が悪く良く分からないが彼がいたであろう地面の泥が赤黒く染まっている事から彼が誰に何をされたのかは大体予想がついた。

 

 周囲から次々と悲鳴が響き渡り、血の鉄臭い臭いと肉の生臭い臭いが豪雨の中でも強烈に漂ってくるのが分かった。そしてそれを自覚すると共に胃の底から気持ちの悪い感触が襲い掛かる。

 

「若様っ!ここはお引き下さい……!態勢を建て直しましょう……!!」

 

 いつの間にか連隊旗を抱えた従兵を傍にして駆け寄っていたクラフト少佐が私に語りかける。交戦中の同盟軍警備部隊の兵士達が殺られている内に連隊を後退させて迎撃態勢を整えようと言う訳だ。

 

「あっ……ああ、分かったっ!中尉、行けるかっ!?」

 

 私はクラフト少佐の言葉にようやく我に返り副官に尋ねる。

 

「だ、大丈夫です、行けます……!」

 

 若干ふら付きながらもノルドグレーン中尉は立ち上がる。それを確認して私はハンドブラスターを腰から抜いて少し上擦りながら叫ぶ。

 

「か、各員、牽制しつつ後退するぞ……!」

「若様っ!後ろです……!」

「えっ……?」

 

 咄嗟に私が振り向くと雨の中から髑髏を思わせる甲冑が現れる。血濡れの戦斧を振り下ろそうとするそれをクラフト少佐は反射的に発砲する。

 

「ぐうっ……!?」

 

 しかしその装甲擲弾兵は若干呻き声を上げて仰け反るだけだ。重装甲服の防弾性能の前にハンドブラスターなぞ意味はない。とは言えやり様はある。

 

「か、関節部を狙え……!」

 

 私とノルドグレーン中尉も同時にハンドブラスターを相手に向けて発砲する。

 

 重装甲服も視界確保や関節駆動のために防弾性能を落とすしかない部分がある。我々はハンドブラスターのエネルギーを使い切る覚悟で何発も、それこそ何発もその装甲擲弾兵にレーザーを叩き込む。反撃の隙は与えない。戦斧と装甲で身を守ろうとするが足の膝にある隙間を貫かれて血が噴き出し、次いで脇腹、そして姿勢を崩した所に首筋に受けた銃撃が止めを刺した。

 

「糞!一人相手にエネルギーパックを使いきるとはなっ……!!」

 

 薄暗さと豪雨で視認しにくいが見れば崖から次々と火薬銃や戦斧を備えた装甲擲弾兵が飛び降りて警備兵達と戦いを繰り広げているのが分かった。ふざけやがって、下手したら怪我する高さだぞ……!?

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!??」

「畜生っ!!どこだっ!どこにいやがるっ!!?」

 

 百メートル程離れた場所で五、六名の兵士が悲鳴を上げ、雨が激しく降りしきる中何かを近づけないように見境なく銃を乱射していた。私は少し前まで彼らがその倍の数はいた事を知っていた。恐らく今彼らが相手にしているのは……。

 

「は、早く逃げるぞっ……!!ここは不味いっ……!」

 

 私は雨に打たれながら部下を急かすと、警備兵達を捨て置いて中尉達と混乱の坩堝にある臨時駐屯地から駆けだした。悪いが彼らを助ける余裕は無いし、その力も無い。私に出来る事は逃げる事だけであった。……そう思い立った。

 

 臨時駐屯地は地獄と化していた。相手は部隊章から見る限り装甲擲弾兵第三軍である。この臨時駐屯地を警備する第八〇八警備隊と第一〇一八歩兵連隊第二大隊、そしてその他の事務員や後方支援部隊の兵士達は手に持つ拳銃やライフルで抵抗するが練度と数が違い過ぎる。銃撃戦で一方的に射殺され、近接戦闘に至っては殆ど虐殺となっていた。

 

 私を中心とした第七八陸戦連隊戦闘団本部の生存者は私の周囲を囲むように円陣を組んで天幕が燃え盛り悲鳴が響き渡る臨時駐屯地を突き進む。ベアトの第一大隊とその他連隊戦闘団直属部隊と合流を試みるのだ。

 

「正面、二個分隊が展開しています……!」

「時間が無い!強行突破する、行くぞ……!」

 

 クラフト少佐が皆に命じる。火薬式銃を構える二十名ばかりの装甲擲弾兵に三十名ばかりの我々は発砲しながら突き進む。極めて危険な行為であるが、もたもたしていたら後方から迫り来る大軍に包囲される。それ以外手が無かった。少なくともその時極度に焦っていた私はそれが一番だと考えていた。

 

 大口径の火薬銃を構えた先遣隊が突撃する。相手はいきなり突撃してくると思わなかったのだろう、機先を制される形で攻撃を受けた。その後ろからブラスターライフルやハンドブラスターを持った本隊が発砲しながら無理矢理突入する。装甲は貫けなくても牽制にはなる。

 

 余りの銃撃の雨に、たまらず敵は戦斧や物陰を盾にして攻撃をやり過ごそうとする。尤も、幾人かは勇猛なのか、蛮勇なのか、銃撃の雨の中戦斧を持って襲い掛かってきたが。

 

「がっ!?」

「うごっ……!?」

 

 擦れ違い様に双方から悲鳴が上がる。ある装甲擲弾兵は喉元に実弾を受けて泥沼の地面に倒れ、ある連隊士官は戦斧を避け損なって斬り捨てられる。

 

「っ……!?な、何人やられた……!?」

「ヴァイル軍曹とハック中尉が殺られました……!」

「ブラントはどこだ……?いないぞ…!?」

「糞っ……ビビッて逃げ遅れたようです……!」

 

 後ろを振り向けば突破に失敗した数名の部下が戦斧で切り捨てられていく姿が映る。

 

「い、今助けに……」

「駄目ですっ!間に合いません……!」

 

しかしクラフト少佐達が冷静にそれを止める。

 

「だがっ……!」

 

 そんな事を言っている間にちらりとこちらを見た生き残りが何か決心したように懐の手榴弾を取り出す。一瞬その行為に装甲擲弾兵が驚いて怯んだ。逃げ遅れた部下は殆ど同時に手榴弾の安全ピンを引き抜くとそのまま装甲擲弾兵に吶喊する。

 

「皇帝陛下万歳!ティルピッツ伯爵家に栄光あれ!」

 

 爆音が轟いた。その先は言いたくない。取り敢えず暫くは我々の後を追う者達が居なくなったのは確かだった。

 

「くっ……!!進めっ!遅れる者は置いていくぞっ……!!」

 

 込み上げて来る激情と吐き気を押し殺して私は歯を食いしばりながら厳命する。暫く駆けると再び我々の行く手を遮る者達が現れる。

 

「正面、装甲擲弾兵一個中隊……!」

 

 先行する部下が叫ぶ。逃げ惑う同盟軍兵士を執拗に追いかけ回し背中から戦斧で斬り捨て、倒れて命乞いするのを嬉々として火薬式銃で蜂の巣にしていく髑髏の集団を確認する。我々は散開しつつ破壊されたジープや物資コンテナの影に隠れる。

 

「はぁ…はぁ…………不味いな。流石にあの人数の突破は無理だ………」

「はい、迂回するしかないでしょう。あるいは……」

「止めろ。それはいい……」

 

 精神を落ち着かせた後、私はクラフト少佐の提案を口にする前に止めさせる。先程見た行動を助からない者なら兎も角志願兵にやらせるなんて考えただけで吐き気がして来る。

 

「味方に連絡が取れれば良いのですが……携帯無線機は妨害電波で通じないですから……」

 

 ノルドグレーン中尉が苦い顔でそう口にする。最初の迫撃砲による砲撃で高性能な連隊通信機材は破壊されてしまっている。出力の低い個人携帯通信機では帝国軍の妨害を掻い潜りベアト達や上位司令部に連絡するのは不可能に近い。

 

「……仕方ない。このまま別ルートから……」

 

 そう言い切る前に私は異変に気付く。小丘が影になって良く見えないが装甲擲弾兵達が何事か驚愕して銃撃をしていた。

 

 次の瞬間小丘から戦車と戦闘装甲車が機関砲弾をばら撒きながら乗り上げるように現れる。戦闘装甲車からフルフェイスの重装甲服を着た陸戦隊員が現れ機関砲弾から生き残った装甲擲弾兵に大口径火薬銃を浴びせて掃討する。

 

「あの部隊章は……第一大隊か!」

 

 戦闘装甲車から降りて兵士達に命令を与える小柄な指揮官を見つけると私は安堵して喜色の笑みを浮かべる。ベアトもまた必死で兵士達に命令を与え、周囲を見渡していたが我々の姿を見つけると心から安心した表情を向けた。

 

「若様っ……!御無事でしたかっ!?」

 

ベアトが私の下に急いで駆け寄る。泥塗れの姿に動揺し、血の気が引いていた。

 

「ベアトっ……!助かった……!本当に助かった……!」

 

 尤も私が縋りつくように重装甲服を着たベアトに抱き着いたので人の事は言えないが。

 

「大丈夫で御座いますか!?こんなに汚れて……御怪我はありませんか!?」

「ああ……大丈夫だ。部下達のおかげで……ああ……ああ………」

 

 過呼吸気味になり息を整える。だが次の瞬間、安堵と不安がごちゃ混ぜになった私の脳裏にあの化物とその化物に虐殺されるがままに見捨てた警備兵の表情、そして逃げ遅れた部下の最期を思い出しその場で朝食を泥にまみれた地面に吐き出す。

 

「若様っ……!?」

 

 ベアトが悲鳴を上げて私の体を支える。慌ててノルドグレーン中尉とクラフト少佐も駆け寄る。

 

「だ、大丈夫だ。……ああ、もう大丈夫だ。それよりも……状況を教えて欲しい」

 

 胃液を吐き捨てて再度息を整えて私は尋ねる。今は一刻の猶予もない事位理解はしていた。

 

「こちらも完全に把握は出来ていませんが……」

 

 ベアトは不安そうに私とその他連隊本部のメンバーを指揮通信車に乗せると部隊を移動させつつ説明する。

 

「断続的な通信を整理する限り襲撃はここ以外でも複数の中継基地で発生しております。装甲擲弾兵団を中核とした部隊が険しい山林地帯を抜けて奇襲をかけて来たようです。部隊章から見て装甲擲弾兵団第三軍団と思われます」

 

 後に知った話によると、先行する猟兵部隊が警備部隊を始末した後、山林地帯の道なき道を偽装しながら進軍。オフレッサー大将率いる装甲擲弾兵団第三軍団を中核とした五万八〇〇〇名の軍勢が砲兵陣地、兵站拠点、通信基地、航空基地等、三二か所の軍事拠点を殆ど同時に襲撃したという。

 

 更に同盟軍の戦線後方の混乱に呼応して前線においても第九野戦軍主力が攻勢に転じ、砲撃支援や航空支援、或いは援軍を封じられた前線部隊は文字通り帝国軍と血を血で洗う白兵戦を行う状況に陥っていたらしい。

 

「第三軍団か……噂通りだな。まさか大将が最前線に出て来るとは」

「最前線……まさかあの蛮人をご覧になったのですか……!!?」

 

 顔を青くしてベアトが尋ねる。オフレッサーとの遭遇なんて交通事故やテロに遭遇する以上に危険な状況なのでさもありなんである。

 

「見た所かあの化物、部隊の先頭で警備部隊相手に戦国無双してたぞ。………ああ、安心しろ。警備部隊が食い止めている間に退避したさ。流石にアレと戦おうなんて考えるのは相当のマゾだ。私には怪我一つありやしない」

 

 私は受け取ったタオルで雨と泥に汚れ、雨で冷えた体を拭きながら可能な限り問題無さそうな振りをして答える。いや、あれはアサシン的なクリードだろうか?どちらにしろ下手に勇気を奮って前に出れば即殺されていたのは間違い無い。すぐに逃げたから確認は出来ないが記憶にある限りでも十名は既に殺していた。恐らく実際の数は最低でもその数倍だろう。

 

(……警備隊には悪い事をしたな)

 

 罪悪感に苦しくなるがその感情を振り払う。自己陶酔する前にやるべき事をやらなければならない事位実家でも、幼年学校でも、当然士官学校でも徹底的に指導されていた。

 

「……まぁその話はいい。それで?援軍は呼べそうか?」

 

 私が話を変えたのに何か言いたげにするベアトだが、すぐに気を取り直して説明を続ける。

 

「援軍は今すぐには難しいかと。通信基地や通信設備も相応の被害を受けていますし、妨害電波も厳しくなっています。ニヤラ市の遠征軍団司令部との通信は大隊所有の無線機では困難です。我々は若様の救出のために訓練中の所を引き返す形で駐屯地に突入しました。賊軍に危害を加えられる前に御守りする事が出来て幸いです」

 

 ベアトは心の底から安堵した表情を作る。無傷で私を回収出来た事に子供のように感動している。まぁ、これまでがこれまでだからなぁ……。

 

「……よし、臨時駐屯地から多少距離が離れたら無線に呼び掛けよう。帝国軍から距離を取れば繋がるかも知れないからな」

「私がやります」

 

 そう言って無線手と共にノルドグレーン中尉が無線の周波数帯を調整していく。

 

「…………んっ、少しお待ち下さい。もう少し……何か聞こえます。……よし、この周波数なら……」

 

 暫くすると気色を浮かべた笑みと共に中尉は無線機をこちらに差し出す。私はそれを受け取り耳元に添える。

 

『こ……である……こ……七…連た………こちら第七八陸戦連隊戦闘団第二大隊長ヨルグ・フォン・ライトナー少佐である、連隊戦闘団本部応答願いたい……!』

「……こちら連隊戦闘団臨時本部、連隊長のティルピッツ中佐だ。……少佐、無事そうで何よりだ」

『っ……!?わ、若様で御座いますかっ……!!ご無事で御座いますか!!?今どこに……!?』

「落ち着け、傍受される可能性もあるからこちらの場所は言えない。そちらも危険地帯なら言わなくてもいい」

 

 私はライトナー少佐に落ち着くように言ってから質問する。

 

『いえ、問題御座いません。現在第三大隊、偵察隊と共にエリアs-a-fに展開しております。斥候との戦闘はありましたが大規模な部隊は周辺に確認出来ません。ほかの部隊との連絡は現在不可能な状況下にあります』

 

 私は無線報告の内容を基に携帯端末の地図機能で第二・第三大隊の展開地域を確認する。

 

『御命令でありましたら直ちに救出に向かいます。どうぞ御命令下され……!』

 

 恭しくライトナー少佐が答える。私は地図と現在の我々の位置、帝国軍の展開予想地域を下に暫く逡巡し、返答した。

 

「いや駄目だ。第二・第三大隊はそのままこちらに直進せずに星道三二一五号線から三二三〇号線に向かってくれ。どうせそのままこちらに来ても間に合わんし、その方面に展開する帝国軍部隊の突破は困難だ。第四大隊に通信が繋がるのなら三二三〇号線に急行しつつニヤラ市の軍団司令部に援軍要請を求めるように連絡してくれ……!」

 

 私は携帯端末のディスプレイの映るエル・ファシル地図を睨みつけつつ無線機で部隊展開を命令する。

 

『ですが若様の身はっ……!』

「こんな場所で玉砕するつもりはない。……こちらは第一大隊と合流済みだ。まだ包囲網は完全じゃない。部隊配置の甘い場所から突破を図る。逃げ込み先の確保を頼むぞ……!」

『っ……!!了解致しました……!御武運をお祈り致します……!』

 

 私の伝える方針に動揺しつつも最後の命令に気を引き締めるようにライトナー少佐はそう力強く答える。そして私は連隊司令部のメンバーや第一大隊長のベアト、その他短距離無線で諸部隊司令官に方針を伝える。

 

「聞いての通りだ。数が数だ、ここは臨時駐屯地の放棄しかない。一時後退しつつ我々は星道三二三〇号線を確保し、友軍の退路と増援来援のための回廊を確保する」

 

 「リグリア遠征軍団」主力を始め第五六四歩兵師団、第五九〇歩兵師団が駐屯するニヤラ市に繋がる星道三二三〇号線沿線に防衛ラインを敷き後方の部隊の増援が来るまで耐え凌ぐ、それが現在の我々が純軍事的に行うべき最も合理的な任務である。前線の味方のためにここで完全に逃げるのは宜しくない。ほかの部隊の脱出路を確保すると共に彼らやほかの大隊と合流・共同すれば数時間程度は持つ筈だ。航空支援があれば更に持つだろう。

 

『しかし敵方の奇襲はかなり緻密です。恐らくこちらの動きも想定しているでしょう。それよりも我々は南部の包囲網を突破するべきでは?一個大隊で刺し違えれば本部だけでも脱出は可能です……!』

 

 無線機越しに第七八装甲陸戦小隊(連隊付き戦車小隊)長デッカー大尉が進言する。だが私はその進言を直ちに却下する。

 

「駄目だ。それではほかの残存部隊はこのまま包囲殲滅されるし前線は完全に後方との連絡路を遮断される。星道さえ確保していれば反撃の橋頭堡にもなるし、前線の動揺は最小限に抑えられる」

『ですがっ……!』

「命令だ、却下する。悪いがこの期に及んでこの連隊の仕事は私の御守りじゃあるまい?同盟軍、ないし亡命軍として此度の作戦成功のために、そして帝国軍の攻勢対処のために最善を尽くすべきだ」

 

 そのまま私は指揮通信車に乗車する連隊本部要員やベアトの顔を見た後、彼らにこちらの意思を伝える。

 

「……君達の立場は理解している。その上で言おう。悪いが君達の立場に配慮する事は出来ない」

 

 私一人の都合で数千、数万の兵士を無駄に危機に陥れる訳にはいかなかった。連隊に負担をかけるとは理解していたが純軍事的にはこれが一番全体のために必要な選択だった。ここで星道を完全に明け渡してしまっては最前線の第五三・五四遠征軍が完全に孤立する。それだけは避けるべきだと私の長年受けて来た軍事教育の知識が教えていた。

 

 無論、私の率いる連隊は伯爵家の個人的な臣下も少なからず在籍しているが……身内可愛さに自身の連隊をこの危機で温存するわけにはいかないし、まして私一人を脱出させるために使い潰すなんて論外だ。この場において私は同盟軍人として派遣され、同盟軍人としての決断が求められているのだから。

 

 本音では部下に全て任せて装甲車の中で毛布にくるまっていたいが、それをする訳には行かない事位理解している。……正直あの化物の姿を思い出すだけで吐き出しそうになるが私は必死に誤魔化して平然な振りをする。

 

「臣下なら主君の命令は委細の漏れなく全て完遂して見せろ。……ほかに意見は?」

 

 私の軍人としては当然の、主家の嫡男としての我が儘な命令に、しかし異を唱える者はいない。全員が静かに私を見つめる。

 

 それは上官と部下の区別が小さく忌憚なく意見を交える同盟軍のそれではなく、上官の命令には有無を言わずに付き従う帝国軍のその雰囲気に近い物があった。どれ程無茶な命令でも命を捨ててでも完遂する絶対服従の軍隊の在り方。伝統と血統に忠誠を誓う封建的な軍隊の有り様………。

 

「……では総員、自分の仕事に移れ」

 

 私は軍人のように義務的に、しかしどこか門閥貴族のように高慢にして不遜にそう命じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 臨時駐屯地から星道三二三〇号線に続く山道を第七八陸戦連隊戦闘団第一大隊を筆頭とした部隊が戦車と装甲戦闘車、その後ろにハンヴィーやジープ、ハーフトラック等の車列が突き抜けるように走る。帝国地上軍の要塞攻略のために同盟地上軍工兵部隊が爆薬で木々を吹き飛ばし重機で地均しした幅広い山道は、しかしやはりまだ出来て日が浅くこの激しい豪雨で泥濘み、車列の足を引っ張る。

 

「横合いからの攻撃は無視しろっ!相手をしていると包囲されるぞ……!!」

 

 私は無線機越しに車列を叱咤する。何せ両脇の森から装甲擲弾兵が発砲してくるのだ。機関銃程度なら兎も角、対戦車ミサイルを撃ち込まれては敵わない。誘導用レーザーの警報が鳴り次第、照射元に戦闘装甲車のビームバルカン砲や戦車の電磁砲が撃ち込まれる。あるいは妨害用レーザーで精密な狙いがつけられないようにする。

 

「とは言え……!」

 

 酷く揺れる指揮通信車の中で冷えた手に息を吐いて温めつつ私は舌打ちする。ミサイルはある意味ではマシなのかもしれない。ロケット弾は無誘導なのでレーザー警報はなく、妨害電波も通用しない。対戦車砲の待ち伏せ攻撃も脅威だ。

 

 幸運にも各車両は潤沢な予算のお陰で追加装甲も備え付けられていたので一撃やニ撃食らった所で問題はない。逆に撃って来た所に機関銃弾と榴弾を撃ち込んでやり永遠に黙らせる。地雷はこの泥の道では使えない。特に先頭の戦車部隊は先鋒の盾役に最適だった。

 

 だが星道三二三〇号線が視界に入ると共に私は舌打ちする。

 

「糞っ……!遅かったか……!」

 

 1430時、私は指揮通信車から身を乗り上げて電子双眼鏡で星道を拡大する。

 

 山道を抜けて我々が退避する前に帝国軍は装甲擲弾兵の一個連隊を星道三二三〇号線に迂回させて確保していたようだった。戦車こそ無いが重機関銃を装備した装甲兵員輸送車や少数の戦闘装甲車、時間が無かったからだろう有刺鉄線に地雷による簡易的な陣地には迫撃砲や歩兵砲、対戦車砲に対戦車ミサイルが備え付けられていた。流石装甲擲弾兵、限られた時間で可能な最大限の防備を固めたようだ。この防衛線は流石に短期間で抜けるのは難しい。

 

 少し疲れ、ぼんやりとした脳を回転させて私はどうするかを考えるが、答えを出す前にクラフト少佐が助言する。

 

「総力戦しかありません。ハーフトラックや装甲兵員輸送車の陸戦隊を降ろし、戦車と戦闘装甲車を盾に時間をかけて突破しましょう」

「……流石にあれを突き抜けるのは無理か……」

 

 クラフト少佐の助言を私も肯定せざる得ない。時間をかけ過ぎると後ろからオフレッサー率いる大軍が追い縋ってきそうだが……仕方ない。

 

「陸戦隊を降ろせ、総力戦だっ!戦闘車両は陸戦隊の支援に回せ!工兵隊と後方支援隊も可能な限り戦線に投入する。急げ!後ろから本隊が来るぞ、挟み撃ちにされたら敵わん……!」

 

 退路を塞ごうとする装甲擲弾兵連隊と突破しようとする第七八陸戦隊連隊戦闘団、双方の思惑は相いれる事はない。

 

 1545時、激しい豪雨の中で近距離から第七八陸戦隊連隊戦闘団と帝国軍装甲擲弾兵連隊が激突した。基本的に大口径火砲や戦車を持たない装甲擲弾兵、しかも星道を確保するために急いでいたのだろう、通常編成に比べ重火器の装備数は比較的少なかった。だが装甲擲弾兵科は白兵戦と歩兵戦の実力は地上戦に秀でた帝国軍の中でも指折りであり、彼らは戦車や戦闘装甲車相手に恐ろしいまでに勇猛に、或いは無謀な程蛮勇を振るって襲い掛かる。

 

 一方、第七八陸戦隊連隊戦闘団第一大隊は戦闘車両の質量に優れるが歩兵戦力の絶対数が不足していた。陸戦隊は精鋭であるが、工兵隊や後方支援隊等の補助部隊は技術や専門装備は豊富でも歩兵部隊としての戦闘参加を想定としてはいない。それらを含めても敵の半分の陣容もない。しかも我々には時間も無かった。

 

 結果として戦闘はどちらが有利ともいえない熾烈な泥沼の情況となり果てた。

 

 1700時、豪雨の中、最後のルクレールⅢ戦車が対戦車砲で沈黙する。虎の子であった三両の戦車は敵陣地を電磁砲で吹き飛ばしていくが火砲やミサイルによる同時攻撃や差し違える気概で襲い掛かる装甲擲弾兵の肉弾攻撃の前に遂に全滅した。乗員の半数は無事で戦車を乗り捨てて歩兵として戦う。これは戦闘装甲車も同じでこちらは一二両の内半分近くが失われていた。工兵隊と陸戦隊が障害物や擬装陣地を排除していくがそれでも視界不明瞭な中で奇襲攻撃を受けて一台、また一台と失われていく。

 

「く、時間と後方支援さえあれば……!」

 

 第一大隊を指揮するベアトが自身の無様な指揮に苦虫を噛む。彼女の陸戦指揮は際立って優秀ではないが無能からは程遠い。それでも相手があの装甲擲弾兵団、それも数倍の数の差があり、後方からの航空支援や砲撃支援もなく、気象は最悪、進行方向は限定されるため戦術的な選択肢は小さい。何よりも時間が無ければ無理な戦闘をせざるを得なかった。有能無能以前の問題であった。寧ろ一番不条理を感じても良い筈の人物である。

 

「まだ突破出来ないか……!」

 

 疲労を誤魔化すために頭痛薬を飲んだ私は焦燥感から不機嫌そうな声を漏らす。前線で戦う兵士達は寧ろ圧倒的に不利な状況で奮戦していた。それでも状況は私が想定するよりも段々悪化していた。

 

 帝国軍の攻勢から五時間近くが過ぎても七〇キロ先のニヤラ市に駐留中の「リグリア遠征軍団」及び同盟地上軍第五六四歩兵師団、第五九〇歩兵師団が、その先行部隊すら星道三二三〇号線に来る気配も無かったのは誤算であった。

 

 後に知る事になるが、猟兵部隊はニヤラ市にも進攻しており、通信システムやインフラへの破壊工作を行っていた。そのため、この時点でニヤラ市駐留の部隊は正確な情報を得ることができずにおり、更に、星道三五二一号線から進出してきた装甲擲弾兵二個旅団の攻撃を受けて拘束され、不用意に動く事が出来なかったのだ。

 

しかも追い討ちをかけるように更に悪い知らせが届く。

 

「後方二〇キロ地点で敵影発見!数……最低でも一個師団規模!」

「っ……!」

 

 眠気覚ましのための珈琲を口にしている最中、この知らせが届くと共に私は脱力感と共に指揮通信車車内で思わず指揮統制用携帯端末を落していた。それは止めというべき知らせであったからだ。

 

 一個師団!それだけの戦力に襲われたら一個増強大隊程度の戦力でしかない我々は一撃で壊滅させられる!最早死刑宣告にも等しいじゃないか!

 

「ふざけるな……!哨戒網を抜けた敵はせいぜい一個軍団程度の筈だ……!たかが一個大隊にそれ程の戦力を投入出来るのか……!?」

 

 ここに来て私は自身の選択は誤りでは無かったかと動揺する。後方に浸透した帝国軍はこちらの想定より多いのではないか?第二・第三大隊の救助を待つべきではなかったか?いや、あるいは助言通り南から脱出するべきではなかったか?

 

 冷静になって考えればそれらはナンセンスな選択であるし、ここまで追い詰められているのは所謂「戦場の摩擦」……つまり偶然による所が多いのが実のところであった。これも後に知ったのだが、この方面に一個師団が投入されたのは寧ろ予想外の奮戦が帝国軍の注意を引いたのが真相であったという。とは言えこの場でそんな帝国軍の判断を理解出来る筈も無かった。

 

 この時、疑心暗鬼に陥り私は自身の選択に自信が持てなくなりつつあった。理由としては指揮官として多数の生命を預かる責任感があっただろう。

 

 後に考えればこの連隊戦闘団司令官は私のこれまでの軍務の中では最も大きな責任を抱えた任務だったのだ。所詮私がそれ以前率いて来た部下なぞ多くても数十名程度、参謀スタッフは多くの人命を左右する仕事だが所詮は命令に従い業務をするのと助言が仕事であり指揮官とは責任の大きさが違う。故に迷いが生じた。このままで良いのか、あるいはこれからどうするべきか、と言う不安が私の思考を支配した。

 

「……若様、残念ながら本大隊の命運は尽きました。脱出の御用意を御願い致します」

 

 そんな不安と過労によって正常な指揮が出来なくなっていた所でクラフト少佐が進言した。

 

「………え?」

 

 そんな淡々としたクラフト少佐の言葉に指揮通信車の指揮官席に座る私は思わず聞き返す。

 

「若様、残念ながらこの状況では正面突破は困難であると思われます。後方の師団が接敵するのは四〇分もかかりません。このままでは包囲殲滅される危険性が高いでしょう」

「そ、それは………」

 

 物資の補給について報告するように義務的にクラフト少佐は私に事態を伝える。私は力なく、恐る恐るそれを肯定するしかない。

 

「完全に包囲される前に南側に脱出を進言致します。森林地帯ですので追跡は簡単ではないでしょう。一個分隊を護衛につけるので脱出を御願い致します」

 

 クラフト少佐の進言に、しかし私はそれを肯定する訳にはいかなかった。

 

「わ、私は連隊長だ!私はこの部隊を最後まで指揮する義務がある!ここで逃亡する訳にはいかないだろう!?」

 

 狼狽する私は半分程意地でクラフト少佐の提案を否定する。今更この場で私だけ逃げる訳にはいかなかった。連隊の方針を決めたのは私だ。自身で方針を決め部下を何人も死なせたのにどうしてそんな事が出来よう?

 

「若様、残念ながら現在の若様は過労で随分と疲労しております。これ以上十分な指揮を取るのは難しいでしょう。また若様は士官学校出身の中佐、軍中央にも在籍した経験のある立場として少なからぬ機密にも触れている身で御座います。捕虜ないし戦死は好ましく御座いません」

「っ……!そ、その通りだ。では大隊残存部隊を再編して……」

「それはいけません」

 

クラフト少佐は全軍後退の意見を否定する。

 

「少数なら兎も角、負傷者も含む全部隊の人員の後退は時間がかかり過ぎます。その上足も鈍足ですぐに迫撃され壊滅するでしょう。であれば軍事的価値の高い少数名の脱出を優先するべきです」

「………」

 

 クラフト少佐の進言は合理的であった。敵は獰猛で知られる装甲擲弾兵、降伏は難しい。同時にこの場で損失を最小にするのならばより価値の高い本部要員を脱出させるべきだ。

 

「既にメンバーは選別致しました。無論若様の付き人も離脱要員に含んでおります。この雨の中ならば離脱は難しくありません、どうぞ御選択を」

「だが……残りはどうなる?」

 

 クラフト少佐がこの進言をする時点でその答えは半ば理解していた。だが一縷の望みをかけて私は尋ねる。だが……。

 

「残存部隊は私が指揮し、可能な限りの遅滞戦闘を続けます。運が良ければ時間稼ぎをしているうちに援軍が到着する可能性もありましょう」

 

 冷徹に答えるクラフト少佐の答えは最悪の物である。修飾しているがようは玉砕するまで戦い続ける、という事だ。

 

「それは……」

「若様、同盟軍人として、義務を全うして下さい」

「だがっ……!っ……!!?」

 

 指揮通信車の椅子から立ち上がった私は、しかし次の瞬間視界が歪み、立ち眩みに襲われる。

 

「熱がおありのようです。やはりこれ以上の指揮は危険でしょう」

「熱……?」

 

 そう言われて今更ながら身体の悪寒と倦怠感と火照りを感じた。空気が冷え、豪雨が降り続く中何時間も雨に打たれ、その後も指揮と戦闘によるストレスを受けて気付かないうちに疲れていたらしい。

 

 いや、この程度の疲労なら戦闘中の部下はもっと疲労しているだろう。その意味では私がひ弱と言う事なのかもしれない。

 

「コフマン軍曹、若様を運んでくれ。……当初指名した人員に集合するように連絡を」

「り、了解しやした!!」

 

 私を支えるクラフト少佐とコフマン軍曹の声が遠のいて聞こえて来る。

 

「足にはハンヴィーと………」

「物資の方は後方支援大隊から………」

 

 意識がぼんやりとしていき、次第に声が聞こえなくなっていく。

 

(駄目だ、このまま意識を手放す訳には……)

 

理性はそう訴えるが気だるさと眠気には勝てない。

 

「どうぞお休み下さいませ。……後の任務は我々が果たします、どうぞ御安心下さいませ」

 

 背中を優しく擦られる感覚がした。何となく懐かしさと安心感を感じ、私はそのままゆっくりと意識を手放していく。

 

 完全に意識を手放す直前、ふと大昔の記憶を思い出した。確か付き人候補が付けられたばかりの頃、迷惑をかけていた者に似たような手つきの者がいた気がした。

 

 やんちゃして、我が儘ばかり言って、相手がついて来れないような事ばかりやって、その癖先に疲れてしまった私を抱っこして屋敷に連れ帰った二回り程歳上の従士。確か彼は……彼は………。

 

 残念ながら私は意識を失うまでにその名前まで思い出す事は出来なかった………。




冒頭の曲の元ネタは「ブリティッシュ・グレナディアーズ」です
著作権?一世紀以上前の曲なのでへーきへーき……多分


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第百十八話 風邪を引いた時に無理は良くない

『リグリア遠征軍団』が前線と第七八陸戦連隊戦闘団の状況を把握したのは12月8日1630時頃の事であった。

 

 帝国地上軍の反撃や後方の襲撃による打撃は同盟軍の指揮系統に混乱を与えた。しかし、同盟地上軍司令部の通信部門が必死の思いで全軍の通信網を整理・補強する事で漸く大多数の部隊が混乱から回復する事が出来たのだ。

 

 そして、第七八連隊戦闘団第二大隊との無線が軍団司令部に届き連隊本部の状況が知れたと同時に、軍団は現地の同盟軍の要請や制止を無視して正面で対峙していた二個装甲擲弾兵旅団を撃破し、そのままの勢いで星道三二三〇号線へと雪崩れ込んだ。1820時の事である。

 

 星道三二三〇号線の確保のため先行し、正面から第七八連隊戦闘団第一大隊を中核とした部隊と激戦を繰り広げていた第一三三装甲擲弾兵連隊は、消耗した中でカールシュタール准将率いる第一五地上軍団により背後から急襲を受け短時間の内に崩壊した。

 

 だが、それだけでは何の意味もない。『リグリア遠征軍団』の目的は第七八連隊戦闘団本部の救出……いや、連隊長の救出であり、帝国軍の一個装甲擲弾兵連隊を撃破した所で何の意味もないのだ。

 

 第一三三装甲擲弾兵連隊を殲滅したと同時に『リグリア遠征軍団』はその後方から迫る装甲擲弾兵団第三軍団所属の精鋭一個師団と対峙する事になった。

 

『奴隷の手先め、ぶっ殺してやる!!』

『くたばれ性病皇帝の犬が!!』

 

 両軍の兵士は帝国公用語で罵声を浴びせあいながら正面から激突した。『リグリア遠征軍団』兵士達は亡命軍地上部隊の中でも選りすぐりの精兵であり、装甲擲弾兵第三軍団はオフレッサー大将直属の狂戦士の群れであった。その戦闘は熟練の同盟軍兵士ですら参戦をたじろぐ程熾烈を極めた。

 

 そこに1930時にはオフレッサー大将率いる装甲擲弾兵二個師団と、ローデンドルフ少将率いる『北苑竜騎兵旅団』がそれぞれ到着した。そうなればいよいよ星道三二三〇号線は数百万の兵士が激突するエル・ファシルにおいても屈指の地獄と化した。

 

 両軍の兵士達が近距離で大口径火薬銃を撃ち合い、銃剣で互いを突き刺し合う。戦斧により肉塊となった人体が星道のコンクリートの辺り一面に広がる。軍用車両が泥を巻き込み、敵味方の死体を牽きながら爆走する。地面は文字通り血の池と化した。文字通り陣地一つ、一メートル進むのに血を血で洗う凄惨な戦いが繰り広げられる。

 

 空中では両軍の大気圏内戦闘機が狭い空域に密集して爆撃と空戦を繰り広げた。さらに、天気の影響や艦隊戦、地上の混戦等の理由が重なり宇宙空間からの軌道爆撃は封じられていた。

 

 この激戦に誘引されるように次第に周辺の帝国・同盟軍の小部隊や敗残兵が集結を始める。更に星道三二三〇号線がどちらの手に渡るか、その如何によっては前線の同盟地上軍数十万の命運を握る事が承知されると、両軍の上位司令部は本格的にこの地域に大軍の投入を開始した。それにより戦闘はより一層激烈に、そして拡大していく。

 

「そのような訳で我々の下には援軍は来ないそうだ」

「やれやれ、困りましたな。これは……」

 

 山岳地帯の地下壕内で「薔薇の騎士連隊」の副連隊長と大隊長は互いに顔を見合わせる。元々帝国軍が隠れていた地下要塞は現在激しい砲爆撃を受けていた。だが砲爆撃をしているのは同盟軍ではなく帝国軍だ。

 

「上で奮戦されているノルトフリート大佐によれば、推定装甲師団一個と歩兵師団三個が御待ちかねらしい」

「これはこれは大盤振る舞いですな」

 

 要塞の外にて固定砲台として奮戦している第六五八装甲旅団の観測が正しければ、この要塞陣地を取り戻すために帝国軍は六倍近い兵力で押し寄せてきている事になる。

 

「数を見誤った、という訳ではないのでしょうな」

「大佐もその部下も臆病からは程遠い。完全に、とはいかなくともほぼ正確な数字であろうよ」

 

 リューネブルク中佐の断定にシェーンコップ少佐は嘆息する。つまり状況は最悪と言う訳だ。

 

 四六七高地と称される旅団規模の要塞線を独立第五〇一陸戦連隊戦闘団と第六五八装甲旅団が占拠したのは二日前の事だ。激しい激戦の末攻略したこの要塞陣地は見晴らしがよく、空爆や軌道爆撃の観測拠点としても有効であり、同盟軍の第五四遠征軍司令部は彼らに四六七高地の死守を命じていた。

 

 無論、帝国軍の反撃に備え相応の部隊を援軍に送る事は約束していたが、その前に帝国軍の後方襲撃と前線での総反撃を受ける事になる。お蔭で増援部隊は約束の二割が到着したのみであり、それどころか周辺の友軍が蹴散らされてしまい、この要塞陣地は帝国軍により包囲される事となった。

 

 そして同盟軍がほかの戦線に拘束されている今を好機とばかりに帝国軍はこの要塞陣地奪還のために苛烈な攻撃を続けていた。要塞陣地はリリエンフェルト大佐とノルトフリート大佐を司令官として徹底抗戦の構えを取るが……。

 

「この分では二週間は踏ん張る必要がある。こちらは後方支援要員や敗残兵も集めても六〇〇〇名余り……さてさて、いつまで持つのやら、か」

 

 肩を竦めて苦笑いするリューネブルク中佐。絶望、というよりは困ったような表情を浮かべている。

 

「残業手当は出るのですかな?娘の養育費が必要なので仕事ならやりますが、サービス残業は嫌なのですがね?」

「安心したまえ、ちゃんと経理が計算して耳を揃えて払ってくれるさ」

「それは結構な事です」

 

 ははは、と二人は笑い合う。それは現実逃避というよりは本当に軽い冗談を言い合っているようであった。

 

「ヴァーンシャッフェ少佐より連絡です!第二大隊の防衛線に帝国軍二個連隊が突入!増援を請うとの事です」

 

 通信機と交信していた特技兵が報告する。その知らせに二人は頷き、シェーンコップ少佐は重装甲服のヘルメットを被る。

 

「武運を祈るぞ」

「御安心を、こんな所で死ぬつもりはありませんよ。まだ娘のお遊戯会の参観すらしていませんので!」

 

 リューネブルク中佐、そしてその傍に控えるカウフマン少佐とハインライン少佐が敬礼する。それに答えるようにシェーンコップ少佐もまた冗談を言いながら敬礼する。

 

「ワルター・フォン・シェーンコップ少佐、これより第四大隊を率いて第二大隊救援に向かいます!」

 

 凛としたバリトンボイスでそう伝え、帝国騎士は戦斧を手に要塞司令部壕より踵を返したのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴォルター?どこにいるのかしら、母の下にいらっしゃい?」

 

 確か伯爵家本邸の庭先で母が自身を呼ぶ慈愛に溢れた声に内心で呆れていたと思う。私は少なくとも世間一般的に見て決して物分かりが良い子供でも、好意的に見られる子供でもなく、寧ろ疎まれる程度には我儘で気難しく振舞っていたからだ。

 

 無視しても良かった。しかし母への罪悪感……自身の存在そのものとその行いに対するそれだ……から決局は無視しきれずに若干遠慮がちに私は母の下へと駆け寄る。

 

「ああ、私の可愛いヴォルター、ようやく見つけましたよ?さぁこちらにいらっしゃい?」

 

 大勢の侍女と護衛の騎士を当然のように引き連れ豪華絢爛な絹のドレスと宝石に身を包んだ母は、私の姿を目にすると共にその美術品のように繊細な美貌を綻ばせながら両手を広げて出迎える。

 

「母上……何かご用でしょうか?」

 

 無邪気で甘え盛りな同い歳の子供なら、あるいはその呼びかけに笑顔で従い母親の懐に抱き着くのかも知れない。だが上等な服を土で汚した私は気まずさと気恥ずかしさと後ろめたさから出迎える母に距離を取って伏し目がちによそよそしくそう尋ねた。

 

 だが、それもすぐに無駄になってしまった。私の態度に首を小さく傾げた後、すぐに女神のような優しい笑みを浮かべた。そして私が反応するよりも早く近寄って、土まみれの私を持ち上げて汚れも気にせずに抱きしめてしまう。

 

「あぅ……母上、服が汚れてしまいますよ?」

 

 確かせいぜい六歳かそこらであっただろう。私が大の大人に抵抗するなぞ不可能であった。

 

 ……いや、それこそフォークとナイフより重たい物なぞ極一部の例外を除いで持つ事のない母相手ならばあるいは暴れればその手から解放される事も出来たかも知れない。

 

「ふふふ、構わないわ。お洋服なんて汚れたら新しい物を仕立てれば良いのですもの。それよりもヴォルターを抱いてあげる方が大事でしょ?」

 

 しかし母のその愛情に満ち満ちた声と慈愛の笑みの前にそれをするのは辛い事だ。結局不満はあろうとも母の為すがままにするしかない。

 

「……それで何事なのですか?」

 

 歳が歳なので若干舌足らずの所があるものの、私は宮廷帝国語で母に呼び出しの理由を尋ねる。

 

「ふふふ、そうねぇ。プレゼント、と言った所かしらね?」

「?」

 

 私の頭を撫で上げてそう微笑む母に、しかし私は首を傾げる。プレゼントならばそれこそいつも貰っている。特に望んでなくても少しでもわたしが喜びそうと考えたらこの母は金銭なぞ気にせずに何でも私に買い与えるのだ。そんな母が今更もったいぶるように私に告げるなぞ……。

 

「さぁ、来なさい。……いいですかヴォルター、好きに使って構いませんがあくまで道具なのですからね?余り肩入れし過ぎてはいけませんよ?」

 

 その母の言葉と共に幾人かの人影がこちらへと来る。私より若干歳上の少年達は私を緊張気味に見上げ、恭しく口を開き………。

 

 

 

 

 

 

「んぁ………?」

「若様、お気付きになられましたか?」

 

 頭の中に広がる鈍痛と不快感から目覚めた私が最初に見たのは不安げにこちらを見下ろすベアトの姿だった。

 

「………ここは?」

「ハンヴィーの荷台で御座います。現在森林地帯の山道を行軍しております」

「山道………?行軍……?…………!!?」

 

 ベアトの説明に疑問を浮かべ、次の瞬間全てを思い出した私は慌てて寝袋から起き上がる。

 

「若様、御無理なさらないで下さい!まだお加減が戻られたとは言えません!!」

 

 ベアトは起き上がろうとする私を抑えて、再び寝かせるように進言する。

 

「だ、大隊は?部下達はど……うっ……」

 

 私は大隊がどうなったのか問い詰めようとするがすぐに目眩に襲われてベアトに促されるように再度横になる。

 

「ぐっ……気持ち悪いな……それに頭が痛い………」

「まだ休息が必要です、どうぞ御養生下さい」

 

 ベアトが私を上に薄めの毛布をかけて、甲斐甲斐しく労りの言葉をかける。私は呼吸を整え、思考を整理した後、改めて尋ねる。

 

「大隊は……どうなった?ここはどこだ?」

「まずこの場所についてお答えします。ここは東大陸西南部の山林地帯、周辺地理から見て恐らくはジャド山地近隣、シエラ市より南方五〇キロ地点と推定されます」

 

 アナログな紙媒体の地図を手にしてそう答えるベアト。端的に言えば大隊が戦闘していた星道から南に数十キロの地点と言えば良いだろう。

 

「本来ならば早期に友軍と合流したいのですが賊軍の電波妨害が酷く、無線も衛星通信も覚束無い有り様、しかも陸空より哨戒部隊が出ており味方との接触は困難な状態です」

「そうか……。大隊はどうなった?」

 

大体察しはついていたが私は一応尋ねる。

 

「若様の体調悪化により連隊幕僚長クラフト少佐が指揮を引き継ぎました。それに伴い若様及び連隊旗、機密の保護のため本部隊は大隊より分離、離脱を致しました」

 

 ベアトもまたクラフト少佐の指示に従い大隊指揮権を第一大隊副大隊長ビョルン・フォン・ライトナー大尉に継承させこの離脱部隊に随行する事になったという。

 

「大隊は当初の指示通り敵部隊の防衛線突破及び敵主力部隊の誘引による離脱部隊支援を継続するとの事です」

 

 大隊の離脱は不可能であるために離脱部隊の支援と友軍の到着に賭けて徹底抗戦を続ける、という事だ。

 

「……あれから、私が倒れてからどれ程が経過した?」

 

 従士からの報告を受け、現状を理解した上で私は重々しく尋ねる。ベアトはその質問に対して誤魔化す事なく正確に答えを口にした。

 

「一日半になります」

 

私はその答えに嘆息した………。

 

 

 

 

 

 夜中になり野営と共にハーフトラックの荷台に移動した私は改めて離脱部隊の陣容の説明を受けた。

 

 人員は私を含めた二三名、私と付き人二人、残りは本部の幹部である士官及び下士官六名、世話役兼連隊旗護衛の従兵一名、私の護衛の熟練陸戦兵六名、特殊技能兵五名、軍医二名の構成である。私の生存を最優先にしつつそれ以外にも付加価値の高い人員を選別したようだった。 

 

 車両はハンヴィーが二台にジープ一台、物資輸送用ハーフトラックが二台、小型半無限軌道式自動車(ケッテンクラート)が一台の構成である。更にハーフトラックには機動偵察用のホバーバイク(六八式機動偵察艇)が二機積まれていた。これはあの豪雨の中で離脱しても察知されないであろう最大限の装備と言える。

 

 物資は比較的余裕がある。食糧は切り詰めれば三週間分、燃料類も節約すれば食糧と同程度は持つ。武装は対人戦闘なら十分であろうが対空・対装甲用装備は少なく、対空戦闘・対装甲車両戦闘は不可能でないにしろ心許無い。

 

「幸い走行跡は雨で洗い流されていますし、森のお蔭で発見は簡単ではありませんが……」

 

 とは言え、いつまた帝国軍に接触するかは分からないとの事だ。

 

「案はあるのか?」

 

 冷え込む夜中、副官に介護される形で毛布にくるまり食事を摂りながら私は尋ねた。ハーフトラックの荷台に加熱式レーションの柔らかいライヒミルク(ミルク粥)の温かく甘い香りが充満し、舌を優しく楽しませる。

 

「賊軍の攻勢直前の情報に基づけばこの方面の賊軍部隊は決して多くはありませんし、戦略的価値も高くはありません。少数の我々が警戒網を突破するのは難しくはないでしょう」

 

 そう説明するのは連隊本部第二課要員であったヴァルグ・フォン・オルベック准尉である。ティルピッツ伯爵家に仕える従士家の中では小さい部類に当たるオルベック従士家分家の四〇代半ばの猟兵であった。此度の出征に応じて一時的に亡命軍から同盟軍に出向していた。

 

「……引き返す、という選択肢は無いよな?」

 

 弱弱しく尋ねる私に対して会議に参加していた部下達は少々困った顔で互いを見合わせる。

 

「……いや、いいんだ。どうせ間に合うまい。忘れてくれ。今必要な事はこの状況でどう味方の所に辿り着くか、だな?」

 

 私が前言撤回をすると僅かに安堵した表情をする部下達。私には分かった。彼らにとってそれは論外な事なのだ。ここであらゆる犠牲を払ってでも果たすべきは私を味方と合流させ生還させる事で、引き返すなぞ有り得ない事だ。

 

「現状無線は妨害と逆探知の可能性が高いので利用するべきではありません。基本的には直接の接触を志向するべきでしょう」

 

 そう提案するのは連隊本部第三課副課長のロベルト・フォン・クイルンハイム大尉だ。三〇代前半のこの大尉は連隊戦闘団の軍事作戦の作成・監督するべき重要な立場の人物であったため、私と共に大隊脱出のメンバーとして選ばれた。クイルンハイム家と言えばゴトフリート家やライトナー家に比べれば格が落ちるが、それでも一〇〇を超える伯爵家従士家の中では幾つかの分家を持つ中堅従士家で名が通っていた。

 

「都市部は軌道爆撃を恐れて賊軍は然程展開していないと聞いています。そちらのインフラを活用出来ないでしょうか?ある程度は賊軍により破壊されているとしても再利用出来る設備も多いのではないでしょうか?」

 

 少ししわがれた声で提案したのは六〇近い老境の少佐であった。第四課長フルドリッヒ・フォン・ノルドグレーン少佐はノルドグレーン従士家の分家筋に当たるフォルヒハイム=ノルドグレーン家の出であり、同盟軍専科学校経理科を卒業して以来、主に帝国系部隊の経理・補給事務に携わって来た人物だ。此度の脱出組の中で少佐階級はベアトを除けば彼が最高位である。

 

「とは言え全くいない訳でもないでしょう?少数とは言え狙撃猟兵が展開している可能性があります」

 

 クイルンハイム大尉がノルドグレーン少佐の意見に疑問を投げかける。

 

「しかしこのまま見境なく彷徨い歩く訳にもまいりますまい。データリンクも妨害電波で途切れているために敵味方の展開状況は不明です。不用意に動けば余計に発見されやすくなる。ならば都市部に移動するのも悪くないかと」

 

 オルベック准尉はノルドグレーン少佐の意見に賛同の意を示す。

 

「ゴトフリート少佐の御意見は?」

 

 クイルンハイム大尉は十歳近く年下の上官に尋ねる。単純に同盟軍士官学校出の少佐の意見を聞きたいと言う事もあるだろうが、主人であり指揮官でもある私に近い付き人の意向を問おうという狙いもあったかも知れない。

 

「私個人としてはノルドグレーン少佐の意見に賛同です。ですが若様の身の安全を考えれば危険性があるのも確か。少数の部隊でシエラ市に向かい友軍との連絡を取り本隊の収容を要請するのも一案と考えます」

 

 ベアトは部隊の分割を提案した。本隊は私を守るために留まり、少数の別動隊を友軍との連絡のために派遣すると言う訳だ。

 

「部隊の分割は危険では?発見される可能性も高くなるのではないでしょうか?」

 

ノルドグレーン少佐は不安げに尋ねる。

 

「どれ程の部隊で別動隊を編成するのかにもよりますな」

「私は猟兵出身です。陸兵と特技兵合わせて二、三名頂ければ私が行きますが……」

 

 クイルンハイム大尉、オルベック准尉がそれぞれそう答える。

 

「……若様、いかがいたしましょうか?」

 

 だんまりして部下達の意見に耳を傾けていた私を見て、ノルドグレーン中尉がそう尋ねる。

 

 一斉に場の部下達がこちらを見つめる。私の意思を確かめたいようだ。

 

「けほっ……それぞれの意見は聴かせてもらった。……分割案は悪くないがやはり我々は数が少ない。一個小隊に満たないのにこれ以上数を減らすのは得策とは言えないだろう」

 

 私は少し咳き込んだ後、ゆっくりとそう前置きを入れる。

 

「そして当然、無闇矢鱈に動き回るのは発見される可能性が高くなる。しかしいつまでも隠れていても物資を食い潰すばかりになりかねない」

「では……」

 

クイルンハイム大尉の呟きに私は頷く。

 

「やはりノルドグレーン少佐の提案の通り一度街に向かおう。仮にここに留まったとして近場に帝国軍が展開していたら軌道爆撃の巻き添えになる可能性もある。都市部に移動すれば少なくとも味方に誤爆される可能性は無い。それに都市部の近くに隠れていれば解放のために進軍する味方に遭遇出来るかも知れないしな」

 

 私の提案について部下達がそれぞれ意見を出し合う。とは言え基本的には肯定的な論調で会議は続き、多少の修正の末、我々はシエラ市への移動を決定する。

 

 会議が終わると各々が私に敬礼をして退出する。人員不足もあり、彼らの内幾人かは夜の警備に移る。ハーフトラックの荷台には私と副官のみとなる。

 

 私は残された食事をゆっくりと詰め込む。そして暫く休んだ後、私はノルドグレーン中尉に頼み少しだけ外に出た。

 

 外はかなり冷え込んでいた。副官が凍える私に二枚重ねでコートを着せる。

 

「ああ、ありがとう」

 

 礼を言った後、私は周囲を観察する。山道の外れに車両は周囲の空間ごと自然に溶け込むように偽装が為されていた。周囲にはセンサーが撒かれ、その内側にはトラップが据え付けられる。兵士達は車両の銃座や上で暗視装置を掛けて、消音装置を装備した機関銃等を構えて警戒する。三交替で朝まで警備をするらしい。

 

 空は曇天で、お蔭で衛星軌道上から我々を視認するのは難しいように思われた。ぬかるんだ泥が少し前まで豪雨が降り注いでいたことを証明してる。残念ながら暫くは曇りと雨が続き、晴れる事は無いだろうという。

 

「……暗いな」

 

 照明は出来るだけ外に漏れないようにしており、星空の光も雲で遮られ、森の中は文字通り闇に支配されていた。獣の遠吠えと虫の鳴き声、そして僅かに遠くから砲撃音が響き渡る。

 

「病み上がりですので御体に触ります。安全のためにもそろそろお戻り下さいませ」

 

 すぐ傍らで護衛として控えるノルドグレーン中尉が小声で、しかし恭しく進言する。

 

「……私は警備をしなくて良いかな?」

 

 私は寒い夜中文句一つ言わずに、寧ろどこか使命感に燃えているように見える警備の兵士達を見て副官に耳打ちする。彼らが敗残兵となっても尚士気が旺盛に見える理由は予想がついていた。

 

「部下の仕事を奪うのは宜しくないかと。それに若様は指揮官、そのような雑事に構うよりも体力の回復を優先した方が良いでしょう」

 

 労るように副官が答えるが、それは私を慮っての事であろう。実際の所、仮に私が二等兵であろうと病み上がりでなかろうとも、私に仕事をさせる積もりなぞないように思われた。

 

 連隊の多くが伯爵家所縁の人材を取り揃えていた。士官下士官の半数近くが従士に食客、奉公人の一族の血縁者であり、兵士はシュレージエン州出身や親戚が縁のある者、それ以外も大半が帝国系、特に帰還派や帝政派で固めていた。

 

 当然ながら子飼いの兵士の伯爵家への忠誠心や帰属意識は高い。しかも内実は兎も角地元では私は皇族の血と伯爵家の血の流れるサラブレッドの血統、顔はこれまでの先祖の所業のお蔭で外面だけは良い。実際はかけ離れているが新聞や官報の活字の上では士官学校出のエリートであり、前線で何度も軍功を上げ勲章を手にした中佐殿である。崇拝の対象としても、忠誠心の対象としても申し分ない。

 

 そして見方を歪めれば、そんな偉大な主君に不運が重なり苦難を味わう事になっているように見せかける事も出来る。こうして惨めな敗残兵と変わり果てようとも主家の嫡男の護衛という任務に就いた事により彼らのロマンチシズムやら騎士道精神やらを刺激し、却って士気は上がっているようにも思えた。

 

「忠誠心、ね……」

 

 忠誠心はある種の自己陶酔に過ぎない、というのは誰の台詞であったか。麻薬のように効いている間は甘美なものであろうが、醒めた瞬間残るのはボロボロに傷ついた自身の体だけである。

 

「……中尉はクラフト少佐について知っている事があるか?」

 

 私はふと、副官に尋ねる。彼女の姉の事を思えば随分と酷な質問であるだろう。彼女の姉と似たような人物の事について問うのだから。

 

「……余りお気になさる必要はないかと存じますが」

「配慮は不要だ。中尉とて思う所はあるのだろう?」

「……畏れ多い事で御座います。全ては若気の至りです」

 

 気まずそうに中尉は頭を下げる。彼女としては私に対して抱いていた不満について気負いがあるらしかった。尤も、彼女の姉に対するアフターケアについては私の方にこそ責任があるので気にする必要なぞないのだが……。

 

「いえ、大恩ある伯爵家に対して不満を持ち、あまつさえ若様の御厚意を蔑ろにしたのです。それらを不問にして頂いている身、寛大な処遇に感謝致しております」

 

 深々と頭を下げて副官は謝意を伝える。本来ならば社交辞令程度に認識するべきなのだろうが、その口調から見て私の自惚れでなければ恐らく心の底からそのように考えている様子だった。

 

「そう思うなら知っている範囲で良い。連隊幕僚長の事について教えてくれ」

「私も然程詳しい訳ではありませんが……」

 

 伝え聞く話では最初期に見繕われた付き人候補の一人であったらしい。クラフト従士家本家の次男として付き人として送り込まれたという。

 

 次男、という通り彼の上に兄と姉がいるが、こちらは最初から候補に外れていた。元々は父の兄、つまり戦死した伯父の作るであろう息子や死産・流産した母の子供とタイミングを合わせて家臣団も子作りしており、私が産まれた時には年齢がかなり離れてしまったためだ。当時の伯爵家や家臣団では付き人候補を見繕うのに相当苦労していた、というのは前に聞いた事がある。

 

「尤も、その多くを突き返して随分と迷惑をかけた訳だが……それで、続きがあるだろう?」

「若様の御意見に従い送り返された後……その、随分と叱責を受けたとは聞いております」

「……まぁ、クラフト家だからな」

 

 ゴトフリート、クラフト、デメジエール、エクヴァルト………この辺りの家名を聞けば少なくとも伯爵家所縁の人々が聞けばその共通点に察しがつく。これらの一族は伯爵家の従士家の中でも保守的かつ教条的な……悪く言えばクレイジーな血族だ。

 

 これらの一族に共通するのは創始者が忠誠心を見込まれて従士に選ばれた事である。

 

 従士階級は、門閥貴族達が治安維持や行政のための人材を確保するために創り出した下級貴族である事は以前触れた事だ。その中でも様々な出自の者がいる事もまた触れた事だろう。

 

 従士階級の出自は大きく分ければ三つに分類出来ると言われる。最も代表的なのが旧銀河連邦の軍人や官僚の中でスカウトされた者達であろう。伯爵家でいえば銀河連邦地上軍下士官由来のライトナー家、銀河連邦宇宙軍第八方面航空隊司令官が初代のレーヴェンハルト家、中央から追放された旧銀河連邦警察のキャリアエリートが興したノルドグレーン家がそうだ。彼らはその技術や知識を見込まれて従士階級を与えられた。

 

 次に代表的なのが現地採用組である。即ち大帝陛下により(無理矢理)下賜された(荒廃した世紀末状態の)領地の運営をする中での人材不足を鑑み、現地の自治組織や自警団、挙句には帰順した傭兵団や宇宙海賊の一部もその代表を従士として臣下としていた。伯爵家家令を歴任するゴッドホープ従士家は大帝陛下により下賜された惑星に初代当主が出向いた時に真っ先に恭順した現地自治組織の代表であるし、オルベック准尉の一族は傭兵団と化した旧銀河連邦軍の辺境部隊が売り込みをかけたのが後に従士に取り立てられた切っ掛けだ。

 

 スカウト組や現地採用組は今でこそ長い年月と血縁により伯爵家に対して強い忠誠心と帰属意識を持っているが、流石に帝政初期からそうであった訳ではない。前者は雇用契約の延長のようなものであり、後者に至っては長い物には巻かれろという意識であって、面従腹背や裏切りを行う者も決して珍しくはなかった。

 

 結果として三番目の従士家が成立する。即ち、門閥貴族達に忠誠を捧げるがために成立した家々である。

 

 代表例にして筆頭のゴトフリート家を見ればそれがどういう基準で定められたか分かろうものだ。ゴトフリート家始祖のヘルガはカルト教団の少年兵から伯爵家の私兵軍に所属し、その忠誠心と技量で当主直属の護衛になった。多くの場合、天涯孤独で身よりの無い者、後ろ盾・後見人のいない者、何等かの理由で帝政やルドルフ、各門閥貴族に陶酔している者から選び出され、護衛や毒見、辺境やほかの従士の監視・牽制、汚れ仕事への従事に活用された。

 

 無論、全ての従士家を完全にこの三つに分ける事も出来ない。ノルドグレーンの初代はスカウトであるが同時にその忠誠心を見込まれ監視や汚れ仕事にも従事したし、現地採用組のゴッドホープ家の初代は見捨てられた開拓地をその手腕で長年維持し、その行政能力を買われて積極的にスカウトされた一面もある。完全に分ける事が出来ない家も多い。何より五世紀も経った今ではこれらの区分で差異がつけられる事もない。

 

 それでも、その引き立て理由が今でも各家に影響を与えているのは事実だ。ライトナー家の者は皆陸戦技能と陸戦指揮を以て奉公し、ゴッドホープ家の者は行政官や秘書、管理者になる者が多い。

 

 ゴトフリート家、クラフト家、デメジエール家……先程挙げた一族は今でも自分達の最大の役割は主家に絶対の忠誠心を捧げる事であると信じているようであった。帝政初期から中期のティルピッツ家の者達の盾艦要員、付き人、毒見、侍女、護衛、妾等の半数以上がこれらの一族の出、あるいはその血が流れている者であった。ここまで言えばどれだけ気狂いか分かろうものだ。

 

「一応、中尉の姉の時と同じく手紙は送った筈なのだけどな」

「恐らく承知はしていたでしょうが、それでも思う所はあったのでしょう」

 

 同じような出自のゴトフリート家の娘は許されたのだ、一族としての蟠りはあっただろう。あるいは同じような一族の筆頭である分ほかの家よりはマシに思った可能性もあるが……こればかりは分からない。

 

「……悪い事をしたな」

 

土壇場まで思い出す事も出来なかった。

 

「重ねて申し上げますが、余りお気に病むのは宜しく御座いません。今は御身の御安全を優先して下さいませ」

 

 恭しくノルドグレーン中尉は具申する。まぁ、それこそ私が死んだら後始末が出来ないばかりか自裁しないといけない者がダース単位で発生しかねない。まずは生き残る事を優先しなければなるまい。

 

「我が身を、か………」

 

 理屈では理解出来るがやはり自身の立場を考えると忸怩たる思いが強くなるのも事実だ。家名や血統だけのために大勢を自分のお守りにして、生命を懸けさせる、正気では到底やってられない事だ。士官として部下を死地に送るだけでも責任が重いのに、その上主人としての責任まであるとなると胃が痛くなる。しかも前者は兎も角後者は逃げられない。

 

「……やはりそろそろ御戻り下さいませ、この寒さです、御体に障ります」

「……ああ、そうだな」

 

 一際冷たい風が吹くと私は中尉の勧めに従いハーフトラックに戻る。少なくとも病み上がりである今だけは暖かい毛布の中で眠り、この何とも言えない重責と苦しみから逃避したかった………。

 



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第百十九話 主人公よ、これがらいとすたっふルールを挑発した報いである

悲報、四月以降少し忙しくなるので更新が遅れるかも
頑張って遅くても週一位は更新します

謝罪として後日二つ程設定資料(殴り書きを少し修正したもの)を一話の前に投稿します
4月4日9時 帝国身分制度・文化についての資料(仮)
4月7日9時 帝国政府官庁組織(仮)

殴り書きなので後である程度修正すると思いますが御容赦下さい


『ガルーダ・リーダーより各機、地上観測部隊が二時方向より光を観測、数八……奴さんのお出ましだ』

 

 日の出前のエル・ファシル東大陸西部山岳地帯の空を同盟地上軍航空軍所属のクルセイダー大気圏内戦闘機の編隊が翔る。地上で凄惨な戦い……特にとある星道を巡る激戦……が続く中、彼らは近接支援攻撃と友軍上空の制空権確保のために前線に向かおうとして、案の定それを阻止せんとする帝国軍の迎撃を受けようとしていた。

 

 万を超える艦隊が宇宙空間で会戦を繰り広げ、低周波ミサイルによる軌道爆撃で半径数キロの空間を焼き尽くされる中、空軍の存在価値がどれほどあるのか?と問われるのは当然の事であろう。だが現実は、大気圏内航空機は費用対効果の面でいえば寧ろ極めて安上がりな存在と言えた。

 

 軌道爆撃も万能ではない。寧ろ不用意に近づけば地上の防宙網により巨額の費用をかけて建造された戦艦があっけなく撃沈される事も珍しくない。地上に備え付けられた防空レーザーやエネルギー中和磁場発生装置、あるいはそのエネルギーを供給する核融合炉は艦船用と違いサイズの制約が緩いためより高出力であり、しかも宇宙艦艇と違い全方位に向けて警戒しなくても良いのだから、下手すれば寧ろ地上の方が有利な場合すらあった。

 

 そうなると危険を冒してまで軌道爆撃を行うのは費用対効果の面で大幅な赤字となる。しかも軌道爆撃は威力や範囲が大きすぎて細やかな地上部隊の支援には使いにくい面もあった。

 

 大気圏内航空機はその面において地上部隊とより緊密な連携が期待出来たし、また航空部隊による宇宙艦隊に対する攻撃は思いのほか脅威にもなり得る。

 

 徹底的にステルス化し、小型化されている大気圏内航空機が雲の中に隠れてしまうと衛星軌道からでは発見が困難だ。大気圏内防宙攻撃機等は大型対艦ミサイルを備え雲下や渓谷地帯に隠れながら不用意に近づく宇宙艦隊に奇襲のミサイルを撃ち込む。艦隊戦では対艦ミサイルは最短でも数光秒の距離で発射されるが、大気圏内から防宙攻撃機の撃ち込むそれは一光秒の距離もないだろう。

 

 多くの場合そんな近距離からの攻撃に対応する時間は皆無であり、このような奇襲攻撃で撃沈される宇宙艦艇も少なく無かった。仮に一個飛行隊の犠牲と引き換えに一隻しか撃沈出来なくても犠牲者の数でも費用の面でも恐ろしいまでに費用対効果が良いと言えるだろう。無論対ゲリラ戦や偵察、輸送の面でも普通に利用される。航空軍は宇宙軍や陸上軍、水上軍と共に帝国や同盟の軍事作戦を支える大きな支柱であった。

 

『ガルーダ・リーダーよりスカイアイ・ワン、レーダーでは確認出来ない。そちらは捕捉可能か?』

『スカイアイ・ワンよりガルーダ・リーダー、こちらも大出力で妨害を受けている。いつも通りだ、諦めろ』

『シットっ……!』

 

 航空隊隊長は約三〇〇キロ後方に控えるAWACSからの連絡に舌打ちをする。

 

 決してクルセイダー大気圏内戦闘機、あるいは後方を飛ぶセンチュリー早期警戒管制機のレーダーが不良品と言う訳ではない。仮にこれが同盟外縁部での任務であればクルセイダーも、センチュリーもそれこそ一〇〇〇キロ先の小鳥すら簡単に発見してみせるだろう。

 

 電子機器と索敵装置、そしてそれに対抗するための妨害装置やステルス化処理の技術は既にその技術的限界に達しつつある。同盟軍がありとあらゆる方法で索敵し、帝国軍はありとあらゆる方法でそれを妨害する。結果として双方共最も確実な発見方法は目視、あるいは光学カメラによる発見という滑稽な事態になる訳だ。宇宙暦8世紀の大気圏内における空戦は西暦20世紀中期の如きドッグファイトが主流となってしまった。

 

 そんな訳でガルーダ隊の面々は操縦席から目を皿のようにして周囲を捜索する事になる。ヘルメットに備え付けられたディスプレイのお蔭でやろうと思えば本来影となる真下や後方すらカメラとセンサーで確認する事が出来た。

 

『こちらガルーダ・シックス!今雲の中……九時方向の雲海で何か見えました……!』

『何ぃ?本当かっ?』

 

 ガルーダ・リーダーはほんの五か月前に任官した新米パイロットの言にしかし嘘臭そうに答える。

 

 この新米パイロット、話によると実家は『長征一万光年』にも参加した旧家と言う。だが息苦しい実家に反発するように不良になり、何やら事件も起こした前科持ちであるらしい。そして家では腫れ物扱いされ、家族に更正と厄介払いも兼ねて軍専科学校に叩き込まれたという。元々は扱きの厳しい歩兵科だったのが偶然教官から適性を見出だされて航空科に転化した珍しい経歴の持ち主らしいので才能はある筈だが……編隊長からすれば然程期待している訳でもなく、臆病風に吹かれて何かを見間違えたのでないかと疑う。

 

 だが次の瞬間、彼もまた厚い雲の隙間に地平線の先から届く朝日に反射する何かを一瞬視認した。そして同時に編隊長は目を見開き無線機に向けて叫んだ。

 

『……!各機回避運動……!』

 

 その言葉と同時であった。雲海から二十はあろう、雲を引く何かが飛び出して来た。それが帝国航空軍の使う短距離空対空ミサイルである事を確認すると共にクルセイダーの編隊は殆ど自動でチャフとフレアを吐き出し、三種類に及ぶ妨害電波を放った。

 

 クルセイダーのパイロット達は近距離から放たれたミサイルを恐ろしい機動で回避していく。アクロバット飛行に詳しい者がいればそれがインメルマンターンであり、バレルロールであり、あるいはローリングであり、ひねり込みである事を把握できたであろう。各種の妨害と凄まじい機動による回避によりパイロット達はミサイルの追跡を次々と振り切る。

 

 どれも簡単に出来る回避運動ではない。もし航空機黎明期のパイロット達が見れば見惚れたか、あるいは驚愕した事であろう。しかし、それはこの同盟軍のパイロット達の才能と技量が隔絶しているからではない。

 

 大気圏内航空機と言っても最早西暦時代と宇宙暦時代のそれとでは古代の木造ガレー船と核融合炉搭載型大型空母程違う。マッハ二桁すら出す事の出来る高性能エンジンとそのエネルギーを支える小型簡易核融合炉、カーボンナノチューブを超える強度を持つEカーボンの機体素材は瞬間的に襲い掛かる凄まじいGにも耐えて見せるし、機体自体にも簡易慣性制御装置、機体制御・パイロット補助用簡易AI、パイロットスーツもまた12Gまでならば問題なく耐えきれるパワードスーツ機能も持つ対Gスーツである。そしてそれらを万全に活用出来る洗練に洗練を重ねて発展した効率的な訓練・教育内容……それらの集合体がマッハ8で襲い掛かるミサイル群を余りにも無茶に思える軌道で避け切るこの光景を生み出していた。

 

 無論、だからとって誰もが平然と避け切る事が出来る訳でもないのも確かだ。

 

『ぐおっ……!?』

『ちぃっ、世話が焼ける餓鬼め……!!』

 

 しつこくミサイルに背後を突かれたガルーダ・シックスを見かねたガルーダ・リーダーが素早く割って入りガンポットのウラン238弾で新米の尻に食らいつこうとする二発の対空ミサイルを撃破する。

 

『た、隊長……!助かり……』

『礼なら後にしろポプラン!来たぞ……!』

 

 そのガルーダ・リーダーの指摘と同時に雲海より躍り出るのは帝国航空軍(ライヒス・ルフトヴァッフェ)のBe171シュヴァルベ大気圏内戦闘機、数は八。

 

『つまり待ち伏せってことか……!地上の奴ら後でぶっ殺してやる……!』

 

 罵倒の声を上げるガルーダ・リーダー。そう言っている間に空戦は双方入り乱れる乱戦へと移行する。クルセイダーはドッグファイトに向けてハードポイントのJDAMを放棄してその戦闘に参戦する。

 

 レーダーや熱探知は殆んど役に立たない。故に彼らは原始的な目視で目標を狙い、その飛行技量で背後を取り、光学カメラと簡易AIにより誘導されるミサイルを撃ち合い、ガンポッドの劣化ウラン弾をばらまいていく。

 

『糞っ……このっ……!!』

 

 ガルーダ・シックスは二機のシュヴァルベにより追いたてられていた。恐らくは最も若いパイロットが搭乗している事を見抜いていたのだろう。

 

『フェーア・ドライよりフェーア・アハトに連絡、ひよっこ、お前さんは牽制に徹しろ。私が止めを刺す』

『こちらフェーア・アハト了解しました……!!』

 

 帝国航空軍のパイロット達の間ではそんな無線のやり取りが為される。声質から見てフェーア・ドライが中年の、フェーア・アハトは随分と若い兵士のように思われた。若造をベテランがサポートする体制だ。

 

『くっ……ガルーダ・リーダーよりシックス!今そちらに行く……糞ッタレ!邪魔をしてくれる……!!』

 

 同盟軍の編隊長は二対一となった新米の援護に向かおうとするがかなり熟練なのだろう帝国軍のパイロットに妨害される。

 

『シックス……!今そっちに……うわっ……』

『ガルーダ・フォー……!!』

 

 焦って助けにいこうとしたガルーダ・フォーが背後からミサイル攻撃を受け爆散する。パイロットは直前に脱出に成功したのが幸運だった。最も、彼が生きて味方の下に戻れるかはまだ分からないが。森の中では帝国軍の猟兵達が蠢いている。

 

『ぐっ……舐めるなよコンチクショが……!!』

 

 後方からひっきりなしに襲いかかるガンポッドからの銃撃に舌打ちするガルーダ・シックスはしかしその内心では全神経を集中させてタイミングを見計らう。支援を命じられているフェーア・アハトがしかし集中し過ぎているのか、支援と言うには余りにも前のめりになって攻撃してくるのを彼は気付いていた。

 

『焦るなよ……焦るなよ……今だ……!』

 

 何度も襲い掛かる銃撃を寸前で回避するガルーダ・シックスに痺れを切らしたのだろう、フェーア・アハトが五度目の支援攻撃に深入りした瞬間ガルーダ・シックスは機体を一気に上向きに傾けた。

 

『っ……!?』

 

 マッハ八・五で飛行していた機体は角度を九十度まで跳ね上げ、それによる空気抵抗により急速にその速度を低下させる。俗にプガチョフ・コブラと呼ばれるアクロバットである。その急激な減速の前に二機の帝国軍機はガルーダ・シックスを追い抜いて背後を晒す事になる。

 

『ぐぐぐぐっ………!!?も、貰った……!』

 

 襲い掛かるGと平衡感覚との戦いに勝利したガルーダ・シックスのクルセイダー戦闘機は機体を水平に戻し、必死に射線上から逃れようとするシュヴァルベに照準を合わせる。

 

『回避しろベックマン……!』

 

 恐らくは帝国側の編隊長であろう、帝国公用語の悲鳴がガルーダ・シックスの無線に割り込んだ。それと同時だった。ガルーダ・シックスより毎分八八〇〇発の速度で撃ち出されるウラン238弾が吸い込まれるように帝国軍戦闘機に命中する。一発だけではない、何発もだ。

 

母さん(ムッター)……!』

 

 フェーア・アハトことカール・ベックマン帝国航空軍曹長は次の瞬間操縦席にねじ込まれた高温の劣化ウラン弾により身体の左半分が吹き飛んで即死した。その二秒後には蜂の巣状態になった機体が空中で分解するように四散し、そのまま爆散して青々しい空を黒く染め上げた。

 

『良くやったぞガルーダ・シックス!帰ったら一杯奢ってやる……!』

 

 喜色を浮かべてそう言い放つのは編隊副隊長ガルーダ・ツーことデイビス准尉である。新米が足手纏い所か予想外の大金星を挙げた事を心から喜んでいるようだった。

 

 一方、帝国航空軍(ライヒス・ルフトヴァッフェ)の方は先手を取ったにも関わらず逆撃を受けて戦意を挫かれたのか、編隊を組んで戦闘空域から急速に離脱する。

 

『いや、違うな……』

 

 ガルーダ・リーダーは逃げるように撤収する帝国軍機を見つめながらそれを否定する。奴らはその任務を十全に果たしていた。地上支援に向かおうとしていた彼らは、帝国航空軍(ライヒス・ルフトヴァッフェ)の攻撃を前に爆装を捨て、空戦で燃料と体力と時間を空費した。

 

 このまま支援予定空域に向かっても恐らく効果的な支援は望めない。お蔭で殆ど悲鳴に近い口調で航空支援を望んでいる地上の友軍はもう暫く苦しい戦いを強いられ、多くの無駄な犠牲を払う事になるだろう。彼らは二機の犠牲と引き換えに地上軍への爆撃を阻止したのだ。同盟軍は戦闘では勝ったが戦術的には敗北したといっても良い。

 

『隊長、迫撃は良いのですか……!?』

 

 ガルーダ・シックスの要請にガルーダ・リーダーは注意する。

 

『若造、白星だからって調子に乗るなよ?……恐らく地対空ミサイルがこちらを待ち構えてやがる』

 

 奇襲をかけたのは帝国軍の方だ。退避する方向は事前に想定していただろうし、当然そうなれば追撃に備えて地上では逆撃のため待ち伏せしている部隊が隠れているだろう。追えば恐らく殺られる。

 

『司令部に連絡、爆撃任務は中止だ。基地に帰投する。ああ、落っこちたフォーの回収に救難部隊を要請せんとな。……おい、未練がましいぞポプラン伍長、命令だ』

 

 ガルーダ・リーダーはこれ以上の任務継続は無意味であると判断し、部下達に命じる。部下達はその命令に従い編隊を作り来た方向に急いで戻っていく。

 

『……了解しました』

 

 新米のガルーダ・シックスだけは少々名残惜しそうにするが……最終的には命令に従って編隊に復帰する。

 

『ふっ……』

 

 ガルーダ・リーダーは不敵な笑みを浮かべ、その新米の行動を内心で褒めた。戦果を挙げて舞い上がってはいるが己惚れずに命令に従う事が出来た。恐らくはこのパイロットは比較的長生き出来る事だろう。編隊長は機首を航空軍基地に向けながら若い部下の行く末を祈ってやった。

 

 こうして一つの戦いが終わる。戦略的には無価値なこの空戦はこのエル・ファシルの地上戦で発生した六〇〇〇回を超える多種多様な航空戦の事例の一つに過ぎず、ここで発生した犠牲者の名前も後世に伝わる事は無いだろう。

 

 そう、例えこの戦いによりどこかの老夫婦が息子を失い悲嘆にくれたとしても……。それがこの一五〇年続く大戦争の残酷な一側面であった………。

 

 

 

 

 

 

 目覚めて最初に感じたのは肌寒い空気と毛布の心地よい温かさであった。

 

「んっ……ここは……ああ、そうだったな」

 

 私はどこか埃っぽい空気に次第に意識を覚醒させる。そうだった、ここはハーフトラックの荷台だった。確かエル・ファシルの夜の空気に当てられて風邪をぶり返さないように慌てて荷台に戻ったのだったか。

 

 漸く私のぼやけていた視界が少しずつ輪郭を取り戻していく。私のために下にシーツを何枚か重ねて敷かれ、毛布は寒さに備えて三枚も用意されていた。荷台は暗い。私は洋燈を探して暗闇で手を伸ばす。

 

「ん?……これじゃないな。どこだ……?」

 

 毛布、シーツ、恐らくは何かの缶詰、良く分からないが柔らかい物、そして漸く私は洋燈の電源をつけて内部を照らし出した。

 

 ………そして白い下着だけで毛布にくるまりすやすやと小鳥のような寝息を立てるノルドグレーン中尉を発見した。

 

「………よしよし待て、落ち着け。まだ早まるな。一旦状況を整理しよう」

 

 私は自身と抑止力的な力の気配(らいとすたっふルール)の双方によくよく言い聞かせるように呟く。

 

 そうだ、私はハーフトラックの荷台で毛布にくるまり眠りについた。その際、副官であり付き人でもある従士は傍らで護衛任務に就いていた筈だ。

 

 この時点で私は副官に手をつけてないし、服を剥いでもいない(筈だ)。無論、途中何度か寝惚けながら起きたがすぐに眠りについた。可笑しな事は何もない。そうないのだ。

 

「……じゃあ、何でこうなっているんだよ?」

 

 というかこれヤバくね?アレだよアレ、何お前こんな緊急事態で懇ろしているんだよ案件じゃねぇかよ。完全にどら息子ですよ、馬鹿なの死ぬの?というよりも副官起きたり他人に見られたらこれ危なくね?

 

「……綺麗な髪だな」

 

 そういって私は副官のサラサラとしたブロンドの髪を触れるか触れないかの距離で撫であげる。額の傷は……もう塞がっているらしい。傷が浅くて良かった。

 

 ………おう、現実逃避しているんだよ。悪いか?……うん、悪いよね?

 

「……お褒めに預り光栄で御座います」

 

 そしていつの間にか起床していた従士が髪に触れる私を見つめていた。おう、大体予想出来てたぞ。こういう時に話を聞かれるのは御約束だからね、仕方無いね。

 

「んんっ……!若様……はぅ、御早う御座います。良くお休みになられましたか?」

 

 眠たげな表情で毛布から上半身を起き上がらせ、小さく背伸びした後欠伸を噛み殺して微笑みながら副官は私に尋ねた。当然ながら背伸びなんかすれば胸元やら脇やらが否応なしに強調される事になる。見慣れていないと目の毒だ。

 

「……ああ、一応な」

 

 恥ずかしがる事もなくそんな態度で呼び掛ける副官に私は若干伏し目がちに、短くそう答えた。

 

 正直、中尉の下着だけの姿なら良く見ているので今更ではあるのだが(これはこれで問題ではある)、やはり平然と直視出来るかと言えば視線を泳がせたくなる程度には憚られる。

 

 ……ちらりと視線を戻してみる。ベアトより年下の筈だがその良く似た顔立ちは端正でどこか大人びているように思える。若干薄い金髪は洋燈に照らされ輝き、紅い瞳は紅玉のように鮮やかな光を放つ。身体の方は白く透き通り、緩やかな弧を描く豊かな双丘に細い括れた腰、丸みのあり引き締まった臀部とふくよかな太股の組み合わせは女性的魅力という面では申し分はなかった。

 

「……それで?私の記憶が間違っていなければ中尉のその出で立ちは少々この状況では不適切と思われるが、どうかね?」

 

 私は丁寧に、平静を持って、紳士的(であると思いたい)な態度で副官に尋ねる。

 

「……あぁ、そういう事で御座いますか?」

 

 若干重たげな瞼を開く副官は私の態度に僅かに沈黙し、続いて合点がいったように恭しく答える。

 

「当初は就寝中の護衛として起床していたのですが……一度若様が目覚めて寒いと仰りまして、毛布を温めるために中に入らせていただきました」

「ブッダファックっ!!」

 

私じゃねーかよ発端っ!!

 

「いや待て、毛布を温めるだけならばその姿になる必要はない。その点の説明はしてくれるだろうな?」

 

「二度目のお目覚めになられた後、まだ寒いと仰りましたので……もっと温めろとの御命令でしたので人肌でやらせて頂きました。……御迷惑でしたでしょうか?」

「あー……うん……さいですか………」

 

 淀みなく答えるノルドグレーン中尉。言っている言葉に嘘があるとは思えない。ストーブ等の電気ないし火器製品は火事の元になるし、電力や燃料面の節約も必要なので自身を使ったのだろう。私も寝惚けたままそんな事を言った記憶がある……気がする。

 

 そこに不安そうにこちらを伺う従士の視線を加えたら流石に私もそれ以上問い詰める事は出来なかった。元より中尉には負い目もある。こちらの命令に従っただけでここまで責められる道理はない……と思う。

 

「……取り敢えず服を着たらどうだ?この寒さだ、中尉も風邪を引きかねん」

「承知致しました、それでは少々失礼致します」

 

 私は誤魔化しの意味も込めて取り敢えずそう命じる。中尉は下着姿のままで恭しくそう答えると傍らに折り畳んでいたタオルと軍服に手を伸ばす。まずタオルで寝汗を拭いてから服を着込むつもりのようだった。

 

「若様、朝で御座います。お目覚め下さいませ」

 

 コンコン、とハーフトラックの荷台の搬入口の扉をノックしてそう呼びつける声が響く。嗄れた声の主は恐らくノルドグレーン少佐だ。

 

「……ああ、起きている。今支度中だ。少し待っておいてくれ」

「支度中で御座いましたか。では世話役を幾人か今からそちらに……」

「いや、いい。こちらでやれる」

 

 今の状態でそんな事されたら困るので速攻で私は却下する。

 

「ですが……」

「少佐、私がおりますので問題御座いません。用具だけ持ってお待ち下さい」

 

 助け船を出したのはノルドグレーン中尉であった。扉越しに少佐に向けてそう答える。

 

「お嬢さ……ノルドグレーン中尉ですか。承りました。それではそのように」

 

 恭しく承りの返事をし、足音と共に少佐が立ち去るのが分かる。

 

 少佐と中尉の立場上、上司の筈の少佐が敬語を使い素直に引いたのは家柄からであろう。中尉はノルドグレーン従士家の本家筋、私の前では世話役だが実家では逆に世話される側だ。ノルドグレーン少佐にとって中尉は階級は下であっても本家の御嬢様であった。

 

「あー、済まんな」

「いえ、お構い無く」

 

 手間を取らせた事に軽く謝罪するが釦をとめていないカッターシャツ姿のノルドグレーン中尉はにこり、と笑みを浮かべて問題ないと答える。

 

 カッターシャツとズボンを着た中尉が私の身支度を始める。外で控えていた少佐と従兵より洗面器や櫛を受け取り私の世話を始める。

 

 粗方の支度を終えた頃、外が少し騒がしくなるのが聞こえてきた。

 

「何事でしょうか?」

 

 私と中尉がハーフトラックから顔を出せばその理由が判明した。

 

 オルベック准尉が数名の兵士達と共に仕留めたのだろう、大の豚を背負って運んできたからだ………。

 

 

 

 

 

 

 

「熟成したいですが時間がないのでこのまま焼いてしまいましょう」

 

 オルベック准尉が獲物の皮を剥ぎ、首を切って血を抜き、内臓を切除する。その一連の動作を素早く行い比較的短く下処理を終えてしまう。部位ごとに分厚く切り落とすとある部分は香辛料を振りかけて、ある部分にはバターを乗せて?バーナーで焼いていけば豚特有の芳ばしい香りが漂う。その香りに誘われるように幾人もの部下が調理する准尉の所に駆け寄る。

 

「セレ豚とは……准尉、これはどこで?」

 

 品種改良により豚の癖に霜降り状態という高級品種のこの豚は当然野生でいる筈がない。

 

「森で見つけました。恐らくは放棄された牧場の豚でしょうな。この惑星の放棄の際、市民は手に持てる財産以外は捨てさせられましたから」

 

 エル・ファシルの脱出の際、ヤン・ウェンリー中尉(当時)は三〇〇万の市民の脱出のために星間交易商工組合や星間旅行会社、フェザーン船籍の艦船までかき集めてギリギリ席を確保する事に成功した。

 

そう、ギリギリである。

 

 当然ながら三〇〇万人分の席を一週間もかけずに用意するのは至難の技だ。手荷物は兎も角財産の大半は放棄せざるを得ない。エル・ファシルに帝国軍が揚陸した後、民家の家電製品や家具、ショッピングモールの品物等はその多くが略奪を受けたという(被害の半分は同盟政府が、残り半分はフェザーンの保険会社が補償した)。

 

 当然エル・ファシルの畜産家や酪農家も家畜を放棄した事であろう。話によると、ある畜産農家はどうせ接収されるなら、と家畜達を山や森に放り出し、帝国軍兵士達が山狩りしてそれらを確保していったとかいないとか……。恐らくオルベック准尉達が狩ったこのセレ豚もそんな一頭であろう。シエラ市の郊外では牧場が経営されていた筈だ。

 

「流石に荘園で育てる物に比べれば質は悪いですが新鮮な豚です。病み上がりからレーションばかりでは身体に悪いですからな、どうぞお召し上がり下さい」

 

 良く火が通ったのを確認した上で准尉が私に焼豚を提供する。当然のように最も希少なヒレである。胡椒をかけたステーキと言った所か。

 

 当然食べる事が出来る部位も帝国では厳格に決められている。正確に言えば複数階級が共食する場合、希少な部分は階級が高い者に優先的に提供される。この場合は私が最優先で、次いで身分と軍の階級ごとにランクの下がる部位が与えられる。

 

 周辺を当番の陸兵達が警戒する中で朝食が始まる。祈りの言葉の後に焼豚をレーションや黒パンと共に頂く。私は病み上がりもあって粥と共に頂いた。遠くで砲撃の音がするのを聞き、遠方の空に時たま長距離ミサイルが通り過ぎていくのを見物しながらゆっくりと食事をすると野営の証拠を抹消して私はハーフトラックに乗り込む。

 

 ジープと小型半無限軌道式自動車(ケッテンクラート)を先頭に、その次にハンヴィー、二台のハーフトラック、最後尾にまたハンヴィーの車列を作り、我々は山道の移動を開始した。先頭は地雷等が無いか警戒し、後続車両は対人センサー等で森の中を警戒する。襲撃に備えて各車両の間のスペースは少し広めに取っていた。

 

「やはりまだ長距離無線は使用不可能のようです」

「つまりまだ帝国軍の勢力下と言う訳か」

 

 ハーフトラックの荷台に備え付けられた簡易無線で友軍との連絡を取ろうとする通信特技兵は苦い顔で報告する。期待はしていなかったがやはり落胆してしまう。

 

「それにしてもここまで通信妨害が徹底していると関心するな。帝国軍はソフトウェアは同盟に一歩譲る筈なのだが……」

「相当の量の機材を集めているのでしょう。要塞の地下から放つ妨害電波なら移動しなくて良いので大型の設備を用意出来ますし、設備が破壊される可能性も低い上に電力も核融合炉で確保出来ます」

 

 オルベック准尉が推測する。電子戦の中においてこと無線に関してはサイバー戦と違い、必ずしもスマートに戦う必要はない。最悪全ての周波数帯に最大出力でノイズを入れてやれば良いのだ。

 

「無線を封じられ孤立無援か……カプチェランカを思い出すな」

「カプチェランカと仰いますと……」

「ああ、最初の赴任地だな。最悪だった」

 

 傍らのノルドグレーン中尉に説明するように私は吐き捨てる。

 

「ああまで不運が重なると悪意を感じたな。流石に今回はそこまで酷くはならないと思いたいが………」

「御安心下され。吾等臣下一同、全力を持って若様を御守り致す所存です」

 

 オルベック准尉が恭しく答える。私の不安を消そうと思っているのだろう。

 

「私も同じく、付き人として一命を賭しても若様を御守り致します。どうぞ御安心下さい」

 

 丁寧、品のある立ち振る舞いでノルドグレーン中尉も同意する。ここにはいないが前方のハンヴィーの指揮をしているベアトがいれば多分目を輝かせて同じような事を言うのだろう。

 

「……そうか、それは有難いな。期待しているよ」

 

 私の内心はどうあれ、相手の厚意を無碍にする訳にはいかない。私はそう返した。形式的で、この場で求められる返事を………。

 

 

 

 

 

 

 

「判断をミスしたかな……?」

 

 険しい山道を索敵を警戒しながら進まざるを得なかったために数日程過ぎた12月13日0600時早朝、山林の茂みの中、私は苦虫を数十匹纏めて噛みしめたような表情を浮かべる。電子双眼鏡を目元に持っていき拡大と彩度の上昇を調整すればレンズは内蔵コンピュータからの指示に従い三キロは離れたシエナ市郊外の様相を映し出す。

 

 エル・ファシル脱出時の混乱と帝国軍による略奪、その後一年以上に渡り放置されていたために若干廃墟と言える程荒れていた人口一五万人都市であるシエナ市、後方を襲撃される前の最新情報では最大でも一個大隊を越えないであろう程度の二線級の後方警備部隊しか観測されていなかった。それが……。

 

「一個歩兵連隊、それに……砲兵大隊ですな」

「様子を見る限りここに展開したばかりのようです。恐らくですが……このまま更に転進するように見えます」

 

 同じく茂みから双眼鏡で偵察に参加するオルベック准尉、ベアトが意見を述べる。

 

「転進か。さっさといなくなってくれるのは結構な事だが………どこが目標だ?」

 

 私は市郊外に天幕を張り駐留する帝国軍部隊から手元の地図に目を移す。携帯端末の地図を使わないのは電力の節約と光で居場所が発見されないようにだ。

 

「部隊の展開から言うと……四六七高地か?確かあそこは………」

「記憶が正しければ数日前に我が方が陥落させた筈です」

 

ベアトが即座に自身の記憶を掘り起こして説明する。

 

「少し待て、地図で確認する」

 

 そう言って私は再度地図を確認、そこには後方を襲撃される直前の敵味方の部隊位置が事細かにマーカーで記入されている。

 

「………ああ、ここだな。味方の勢力圏から突出しているな」

 

 後方攪乱は大概前線での攻勢とセットだ。となると規模は兎も角前線でも攻勢があったのは確実、場合によっては四六七高地が味方から孤立していても可笑しくない。

 

「って、待てや。あそこに展開しているのって……!!?」

 

 地図に書かれた部隊名を見れば独立第五〇一陸戦連隊戦闘団と第六五八装甲旅団を表す部隊符号がチェックされている。

 

「よりによって顔見知りとはな……」

 

 とは言え助けに向かう選択肢はない。この周辺の情況が不明なので本当に彼らが展開しているのか不明であるし、展開しているとしても我々よりはマシな筈だ。独立第五〇一陸戦連隊戦闘団は精兵の集まりであるし、第六五八装甲旅団はフェルディナント重戦車二個大隊とティーガー戦車一個大隊からなる重戦車旅団だ。しかも要塞がある。今の一個小隊に満たない我々よりも余程マシであろう。

 

「では……」

「ああ、あの連隊が去ってから行こう。態々正面からぶつかってやる必要はない」

 

 私達は気取られぬように後退していく。彼らが移動した後市内に潜入させてもらうとしよう……。

 

 

 

 

 

「ん?」

「どうした、一体?」

「いや、今何やら視線を感じてな……」

 

 そう言ってその端正な顔をした金銀妖瞳の中尉は怪訝な表情で山林の方向を見つめる。それに促させるように蜂蜜色の髪をした小柄な中尉もまた山林を見つめる。

 

「……敵か?」

「さてな、だとしても大軍とは思えんが……」

 

二人の中尉は再び市内郊外のキャンプ場を歩き始める。

 

「それはそうとまた陸戦とはな。陸戦なぞあの蒸し暑い惑星でこりごりなのだがな」

「全く同感だ。地面に足を着けて戦うのは俺も好きじゃない。どうせ戦うなら宇宙の方が良いな」

 

 惑星カキンでの熾烈な戦いを生き残った彼らは漸く本隊と合流し、前線後方……即ちエル・ファシルに転任した。そこで宇宙軍の敗残兵を再編した陸戦大隊に配属され同盟軍の揚陸作戦が始まってからも特に戦闘を経験する事なく警備任務についていた。別に戦いばかりが趣味と言う訳ではないが、こうずっと警備ばかりしていればうんざりとして来る事は否定出来ない。

 

 二人は警備大隊本部の天幕に辿り着く。警備兵に敬礼してから天幕に入る。大隊長たるリーヴァンテイン少佐の姿を捉えると二人は再度敬礼するとそれぞれ官姓名を名乗った。

 

「オスカー・フォン・ロイエンタール中尉、御命令通り出頭しました」

「ウォルフガング・ミッターマイヤー宇宙軍中尉、同じく出頭しました!」

 

 リーヴァンテイン少佐は二人の報告に頷くと命令を通達した。同時に二人はにやり、と笑みを浮かべて互いに見合わせる。

 

 命令はキャンプ場周辺の反乱軍の有無を調べる哨戒任務であった………。




地上軍の戦闘機の機動力はファイターとガヴォーク形態だけのバルキリーと考えてください、あのサーカスじみたミサイル祭りを避けながらドッグファイトしています


新元号なんだろうなぁ


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第百二十話 野生の双璧が現れた!

設定を最初に移動させました

「帝国軍組織図」の後半に徴兵制度等について幾つか追加内容を加えました


 エル・ファシル星道三二三〇号線の争奪戦は刻一刻とその苛烈さを増していた。帝国・同盟両軍とも明かりに引き寄せられる羽虫のように周辺部隊や敗残兵が集まり、それを支援する航空部隊が上空でドッグファイトを繰り広げる。

 

『死ねぇ!卑しい奴隷共がぁ!!』

 

 オフレッサー大将率いる装甲擲弾兵第三軍団は帝国公用語で同盟軍兵士達を罵倒しながら敵を次から次へと戦斧で屠る。

 

「くたばれ放蕩皇帝の手先がっ!!」

 

 同盟軍兵士達は同盟公用語で神聖不可侵な皇帝を侮辱する。数に物を言わせて装甲擲弾兵達を一人一人仕留めていく。一人の装甲擲弾兵に三人で連携して戦うのは同盟地上軍兵士の基本だ。

 

『失せろ賊軍共がっ!!』

 

 帝国公用語で偽帝の兵士達を詰るのは『リグリア遠征軍団』所属の亡命軍兵士達である。彼らは星道争奪戦の初期から最前線で装甲擲弾兵と互角の戦いを繰り広げていた。

 

 装甲擲弾兵が戦斧で同盟軍兵士を次々と引き裂き、次の瞬間には同盟軍の陸兵達が重機関銃で帝国兵を蜂の巣にする。銃剣付きのライフルで亡命軍兵士達が刃先を揃えて突貫し、神出鬼没の猟兵達と白兵戦を演じる。

 

「答えろ、坊はどこだ?」

 

 血肉がそこら中に巻き散らかされ鉄が焼ける地獄の最前線……その僅かに後方で地面に倒れるクラフト少佐は凍えるような冷たい声を浴びせられる。

 

 彼の主人を逃がした後、クラフト少佐は第一大隊及び後方支援部隊、工兵部隊を中心とした残存兵力七三一名を持って遅延戦闘を続けた。

 

 最終的に包囲を突き抜けゲリラ的に抵抗を続けた部隊は『リグリア遠征軍団』が救助に成功した時点で三五八名まで減少し、その多くが負傷していた。クラフト少佐もまた左足に銃撃を受け、砲撃による砲弾片を横腹に食らい、左指を数本欠損し、肋骨を数本折り半死半生状態であった。

 

 だが、そんな中でも血で濡れたサーベルを背負う彼女はクラフト少佐に対して同情も哀れみも一切なく、激情と怒りに駆られた視線でただ見下ろしていた。

 

「……我らの力及ばず……やむ無く…少数の護衛と共に…南部……に、待避をして……頂きました」

 

 治療も受けていないクラフト少佐は絶え絶えに説明していく。今最も優先するべき事は目の前の貴人にその説明をする事であると理解していたからだ。

 

『お急ぎ……下さい………御体調は…宜しくありま……せん。可能な限り……迅速にお助けを……』

「当然だ、このままでは従姉様に二度と顔を合わせられんわ」

 

 心底不機嫌そうにそう言い捨てると視線でローデンドルフ少将は衛生兵共に目の前の無能な従士を視界から失せさせるように命じる。担架で運ばれていくクラフト少佐を、しかし既に少将は完全に興味を失っていた。そのまま剣呑な表情を浮かべて彼女は背後の者達を睨み付ける。

 

「フレーダー、捜索部隊の編成はいつ完了する?」

「もう暫く時間がかかります。何せあの挽肉製造機が直々に率いる装甲擲弾兵と正面から激突しましたから、こちらも無視出来ない程度の損失は受けてしまっておりますので」

 

 そう説明する『北苑竜騎兵旅団』副司令官フレーダー大佐の姿を見た者は血の気を失い、下手すれば失神してしまっていただろう。

 

 『北苑竜騎兵旅団』の先頭に立ち装甲擲弾兵との戦いを指揮した彼の右腕は無かった。銀縁の眼鏡は失われ、義眼は片方抜け落ちており、頬の人工皮膚は削げ落ちてシリコンと金属の骨格が見え隠れしていた。腹は裂けてそこから機械仕掛けの腸の代替物が軍服の下から姿を覗かせる。

 

 血の代わりに油の匂いを纏うフレーダー大佐はこれだけの傷、いや人体の欠損があろうとも特に苦しみは感じていないようであり、にやりと底冷えする笑みを浮かべ続ける。その軍歴による負傷の数々により人体の半分余りを機械で代用している大佐にとって、この程度の傷なぞ部品を付け替えれば済むだけのものでしかなかった。

 

「理解している。その上で命令だ。すぐにでも捜索部隊を編制しろ。最優先でだ。幸い同盟の市民兵共も漸く集まって来たからな。幾つかの戦線を押し付けてやれ。坊の身の安全が何よりも最優先だ。私に恥をかかせるなよ?」

 

 その眼力は殆ど脅迫に近かったが、そんな事は気にせず飄々と、しかし恭しく礼をしてフレーダー大佐は了解する。

 

 フレーダー大佐の横には進軍、ないし戦闘中に合流した連隊戦闘団の幹部達が佇む。ローデンドルフ少将はフレーダー大佐から視線を外し、冷たい、非難の意思を込めた目線で彼らを観察する。

 

 指揮中に重傷を負ったクラフト少佐の代わり残存部隊を率いていた第一大隊副隊長ライトナー大尉は腹にナイフが突き刺さり、全身傷だらけの姿で佇み、軍団に通信を入れた第二大隊長ライトナー少佐は巌のように険しい表情で微動だにしない。第三大隊長のデメジエール少佐は御淑やかに、しかし不気味な微笑を湛えて控え、士族階級の食客の出であったドルマン少佐は彼らの中で唯一緊張の表情を浮かべていた。

 

「だ、そうだ」

 

 怜悧な声音で皇族少将は彼らに口を開いた。それは裁判の判決を告げる声にも聞こえた。

 

「のこのこ生き残っている愚か者に……」

 

ライトナー大尉を塵を見る目で睨みつける。

 

「必要な時にその場にいない木偶共め」

 

 そして視線を移し残る三名の大隊長を罵るローデンドルフ少将。四名は言い訳も口にせず(あるいは許されず)、唯静かに直立不動の姿勢を取る。

 

 無論、客観的に考えればそれは余りにも理不尽な非難であっただろう。彼らには少なくとも致命的な瑕疵は無かった。全ては不運な巡り合わせの結果と言えるだろう。

 

 それでも彼らがその役割を果たせなかったのは事実であり、それも彼らの護衛対象は彼らの仕える一族の中でも何より優先されなければならなかった。

 

 しかも事前に注意に注意を重ねられていたのだ。本来ならば自裁を命じられても可笑しくは無かったが……。

 

「失態を犯したのは私も同じだ、故に機会をやろう。………貴様らは今すぐに坊の捜索に向かえ。連れ帰って来るまで私に顔を見せるな、役立たずの無駄飯食いは射殺してやる」

 

 ドスの利いた声でそう警告する。恐らく実際に手掛かりもなくのこのこと帰ってくればその場で脳天に鉛玉を叩き込まれる事になるだろう。脅迫ではない。

 

 各大隊指揮官はそれぞれが敬礼により命令に応じた。それを確認した少将はそこで漸く「失せろ」と命じた。各大隊指揮官は礼と共に退出する。

 

「……坊、可哀想に……すぐに助けてやるからな。待っておいてくれよ……?」

 

 心底悲し気な表情で少将は傍らから襲い掛かってきた装甲擲弾兵の首をサーベルで斬り捨てる。最前線のすぐ近くであるが故に遮二無二で戦線を突き破った敵兵が時々明らかに高級士官であると分かる服装である彼女に襲い掛かって来るのだ。

 

 それでも自身の従甥を保護しようと指揮をカールシュタール准将に押し付け、フレーダー大佐、『北苑竜騎兵旅団』の精鋭大隊と共に態々最前線に吶喊したのだが……どうやら無駄足になってしまったらしい。

 

 サーベルにこびりついた血を払い捨てるとローデンドルフ少将は不機嫌そうにジープに向かう。従甥がいないのなら最早この場にいる意味は全く無かった。

 

「フレーダー、分かっているな?」

「ええ、司令官閣下のお望みのままに」

 

 ドスの利いた声で部下の名を口にすれば半分機械の大佐は応揚に承る。その口元はつり上がり実に楽しげだった。大佐には分かっていた、目的の身内がいない以上、その報いを与えなければこの皇族の娘が気が済まない事を。そして彼自身も漸く好きに戦争が出来る事に愉悦の感情を感じていた。腹から出て垂れ下がる人工の腸を掴んで傷口に押し込む。

 

「うむ。……行け」

 

 フレーダー大佐に現場の指揮を任せると、銃弾が飛び交う前線であるのも気にせず淡々とジープに乗り込み軍団司令部に向け走らせる。司令部に到着すると共にカールシュタール准将が極めて体裁を整えた丁寧な罵声を浴びせたのは、それから約三十分程後の事であった……。

 

 

 

 

 

 

 

 深夜のエル・ファシル東大陸の広大な森の中をヴァルトハイム曹長は暗視装置を装備してキンブルク兵長と巡回していた。

 

 消音装置付きの火薬銃を構えて周囲を最大限警戒する彼らの役目は重要であった。何せ彼らがその務めを怠ればそれは部隊、ひいては彼らの主君の生命の危機に繋がるためだ。

 

 ヴァルトハイム士族家の始祖は、ティルピッツ伯爵家が成立する以前から辺境平定軍の先任下士官の一人として銀河連邦宇宙軍少将オスヴァルトの下で地方軍閥やゲリラとの抗争に身を捧げた。

 

 流石にライトナー従士家やレーヴェンハルト従士家程の活躍はなかったものの、以来先祖代々伯爵領の私兵軍の下士官や士官に取り立てられ、少なくない社会・経済的恩恵を受けてきた。

 

 故にこの年三十を超えた曹長はこの任務を拝命した時正直興奮していた。本家の嫡男を護衛する!これぞ古くからの家臣の名誉に他ならない!

 

 より現実的な理由として護衛を全う出来れば間違いなく相応の報酬と栄誉が報奨として与えられる、という事もあった。

 

 ……護衛対象が護衛対象である。もしかしたら従士に取り立てられる可能性もある。そうなれば一族の英雄であるし、息子娘達により良い生活、より良い将来を与える事が出来るだろう。

 

「ふっ……」

 

 僅かに口元を綻ばせる。決して実利だけ、報奨だけで伯爵家に仕えている訳ではない。彼にも崇拝すべき臣下としての忠誠心と帰属意識は十分に存在した。それでも何事も家族、一族の繁栄を第一に考えるのは帝国人の性であった。

 

 僅かに緩んだ意識を引き締め、曹長は一層真剣に任務に従事する。些細なミスは許されない故にである。

 

「………!」

 

 ふと、ヴァルトハイム曹長はキンブルク兵長を止める。そして茂みに隠れちらりと覗くように見据える。

 

「……賊軍ですか」

 

 軍役農奴の家系生まれの兵長は小さな声で呟く。彼らが見据える先には帝国宇宙軍陸戦隊の軍装に身を包んだ人影があった。

 

「ふんっ、素人が……」

 

 帝国兵のその警戒の仕方にヴァルトハイム曹長は小さく毒を吐く。宇宙軍の臨時編成の陸戦兵なのだろうが……それを差し引いても何とも下手な哨戒のやり方のように曹長には思えた。

 

「キンブルク、後ろから仕留めるぞ。援護しろ」

 

 腰からナイフを取り出してヴァルトハイム曹長はキンブルク兵長に伝える。消音装置付きの火薬銃はある。だがそれでも万全を期すためには直接背後から口元を押さえて喉元を切り捨て即死させるのが一番である。

 

 無論、接近すれば存在を気取られる可能性も否定は出来ない……が、ヴァルトハイム曹長は自身の幼少時から研鑽し、鍛え上げて来た一族の技術と身体能力を信頼していたしそれが虚仮威しでない事は幾多の経験から確信していた。だが………。

 

「……兵長?どうした?」

 

 確認の返事のないキンブルク兵長を不審に思いヴァルトハイム曹長は背後を振り向こうとする。

 

「がっ……!?」

 

 一瞬の事であった。突如襲い掛かった衝撃で視界が揺れる。次の瞬間には彼の視界は地に這うように下に向かう。体が動かない。まるで神経を切り捨てられたようだ。正面には喉元を斬られて驚愕の表情のまま木の根元に崩れていたキンブルク兵長が映る。

 

「あっ……かっ……」

 

 短い時間で自身の身に何が起きたのかを理解した曹長はどうにか動く視線だけが上に向かう。不気味な暗闇の中、ヴァルトハイム曹長は黒真珠のような黒色と蒼玉の如く輝く碧色の光を捉える。金銀妖瞳のその瞳はどこか詰まらなそうな、それでいて不敵な笑みを湛えていた。

 

 こいつは危険だ、せめて主君の下にこの危険を知らせなければ……そう理解してはいてもヴァルトハイム曹長の体は動く事はない。

 

 もし可能であれば彼は自身の命と引き換えにしてでもこの危険を伝えようとしただろう。だが現実にはそれすら叶わない。

 

「ぐっ………」

 

 次第にヴァルトハイム曹長の感覚は消えていき、意識は遠のき、思考能力は失われていく。

 

(ホルツァー……カティア………アンナ………………)

 

 消えゆく意識の最期、彼は最後に愛しい家族の名を心の中で呟いた…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「若様、御食事で御座います」

「ああ、御苦労様」

 

 ハーフトラックの荷台でベアトやクイルンハイム大尉と地図を広げて会議をしていた私は、しかしノルドグレーン中尉が夕食を差し入れして来たので一旦作業を中止して盆を受けとる。

 

 見れば乾パンとチーズ、ジャーマンポテト、ヴルスト等の冷製料理が盆に備えられていた。温かいチキンスープと紅茶はカップで受けとる。

 

「ほかの者達は?」

「警備と哨戒中の者以外は食べている所です」

「そうか……では我々も頂こうか」

 

 先程まで会議をしていた部下達にそう確認して我々は静かに、黙々と夕食を始める。

 

 シエラ市の帝国軍が移動するまで森の中に潜伏するため明かりは余り使えないし音も出す訳にはいかない。娯楽性が少ない栄養補給の夕食を黙々と食べ続ける。

 

「上はそろそろ私達に気付いたかな?」

「軍団長は無能では御座いません。恐らく第二・第三大隊から連絡は来ている筈、我々の捜索を始めていると考えて良いでしょう」

「だといいんだがな」

 

 別にあの叔従母を疑う訳ではない。ローデンドルフ少将は身内のためならば何でもする位情に深い人物だ。母を実の姉のように慕っていたし、私への印象も悪くない。危機知ったら良くも悪くもほかの何もかも無視して全力で私を助けに向かうだろう。

 

 別にそれを非難する資格は私にはない。問題は私を捜索する最中にほぼ確実に帝国軍の装甲擲弾兵団と正面衝突しているだろう事だ。

 

 『リグリア遠征軍団』は精鋭部隊であるが相対する帝国軍もまた精鋭、正面衝突である以上、叔従母とは言え私の捜索に全力は出せないだろう。

 

 となればやはり独力でどうにかするしかない訳で………。

 

「辛い所だな………」

 

 質は兎も角数は一個小隊にも満たない戦力である、哨戒部隊と出くわすだけでヤバい。皆練度は確かであるがそれでも油断すれば危険だ。

 

 こうして実際に戦場に身を置いて見て散々理解させられる事はやはり情報の大切さである。戦場全体の状況が分からないままでは選択肢を選ぶ所か考える段階でも困難を伴う。

 

 正しい判断は正しい理解から、そして正しい理解には正しい情報が必要不可欠だ。どれだけ真剣に考えた所で理解と情報に誤りがあれが全てが無意味と化すのだ。そして今の我々は五里霧中である。

 

「………若様、御気分が宜しく御座いませんか?」

「……ん?いや大丈夫だ。少し考え事をしててな」

 

 私の食事の手が止まっている事に気付いたのだろう、ベアトが心配するように私に尋ねるので私は笑みを取り繕う。

 

「この数日、お辛い移動でしたからな。病み上がりであるのも含め疲労が溜まっているのでは御座いませぬか?」

 

 食事の手を止めてクイルンハイム大尉もそう私の身を慮る。

 

 実際の所病み上がりとは言え、私はこの敗残兵の集まりの中で最も良い食事をし、最も休息を得ている身の上である。夜中の警備には一度も参加していない。私なんかよりもほかの者達の方が遥かに疲労している筈である。

 

 それでも疲労を心配されるとは……私の体力を馬鹿にされている訳ではないのだろうが少し居心地が悪く感じられた。無論、先方は完全な善意で心配しているのだろうが……。

 

「………ここは少し息が詰まりましょう。少し外にお出になられますか?」

 

 私の微妙な表情から何かを察したのか、傍に控えるノルドグレーン中尉が提案した。恐らくはこの場の私に向けられる視線を回避するのとずっとハーフトラックの荷台で会議していた精神をリラックスさせるためだ。

 

「ん……そうだな。確かにずっと此処にいると息が詰まりそうだな」

 

 残りの食事をさっさと口に入れてしまうと私は荷台に残るベアト達に付き添いは不要であることを伝えて副官と共に深夜の森に出た。

 

 私は車両が停車し、兵士が警備する夜営地を歩きながら深呼吸をする。冷たい冬の、しかし新鮮で澄んだ空気が肺を満たす。それだけで少し気が楽になるのは私が単純なのだろう。

 

「……中尉、済まんな。気を利かせたか」

「付き人として当然の事で御座います、どうぞお構い無く」

 

にこり、と笑みを浮かべて副官は問題ない事を伝える。

 

 ノルドグレーン中尉は副官としてはベアトよりも適性があるように思えた。

 

 ベアトの能力が劣る訳ではない。だが彼女の能力はどちらかと言えば戦闘指揮に秀でており、細やかな精神的サポートという面ではどこか中尉に劣る面があるのは事実だった。その辺りはやはりベアトよりも中尉の方が私を理想化せず、より等身大として見ているからかも知れない。

 

「若様、このような御時間に散歩で御座いますか?」

「ああ准尉、見回りご苦労だ」

 

 暫く黄昏ていると巡回中のオルベック准尉と遭遇して声をかけられる。私は労いの言葉をかけた。

 

「……正直な所、余り出歩くべきではないのですが………」

「?何があった?」

 

 どこか重々しい表情を浮かべるオルベック准尉を怪訝に思い私は尋ねる。

 

「哨戒中の兵士達の帰りが少し遅いのです。相応の手練れですので何の連絡をする暇もなく殺られるとは思えませんが……丁度若様に報告をしようかと考えていた所で御座います」

「ふむ………それは少し不味いな」

 

 私の護衛として引き抜かれた陸兵である。連隊の中でも特に練度の高い優秀な手合いであるのは間違いない。それが何の連絡もなく消息を断つとは思えないが………。

 

「……これは私一人では手に余るな。一旦ほかの者と話し合うべきだ」

 

 下手に動くと却ってこちらの位置がバレる可能性もあった。哨戒の部下達は居場所を吐く程惰弱ではない。私一人の判断で移動するべきか決めかねていたのだ。

 

「准尉、人手不足で悪いが警戒の強化をしてくれ。哨戒部隊は全て集めて非番の兵士も警備に参加させるんだ」

「了解しました。護衛をお付けします。おいキルヒ曹長、若様の傍に」  

 

 オルベック准尉が近くで警戒中であったキルヒ曹長に命令する。だが………。

 

「……キルヒ曹長?」

 

 ハンヴィーの傍で警備する曹長は反応もなく佇んだままであった。居眠りでもしているのだろうか?熟練の陸兵はどんな体勢でも睡眠を取る事が出来ると聞くが……。

 

「おい、どうし………」

 

 私は暗闇の中ぼんやり見える部下の下に近付き声をかける。私はそこでようやく立ちすくむ兵士の反応がない理由を把握した。

 

 ……兵士は死んでいた。クロスボウの矢が頭部を貫通して背後のハンヴィーに突き刺さっていた。ぼっとした表情で炭素クリスタル製の矢で脳天を貫かれ、背後のハンヴィーに鏃が刺さっているために倒れる事も許されずに強制的に立たされていたのだ。

 

全てを理解した私は驚愕の表情を作る。その時だ。

 

「若様っ……!」

「っ……!?」

 

 ノルドグレーン中尉に押し倒され、ギリギリで私は自身に向かうクロスボウの矢を避ける事に成功する。

 

「怪我はっ……!?」

「大事ないっ!それよりも………!」

 

 クロスボウはその構造からして次弾装填に時間がかかる。通常複数人で矢継ぎ早に撃つかその隠密性を利用して一人ずつ時間をかけて仕留めるのに利用される。

 

 そして恐らく敵は少数、それが発見されたとすれば次の選択肢は撤退するかあるいは……!!

 

「来るぞ……!」

 

 暗闇の中、突如として山刀を手にし、断熱素材を用いた迷彩服を着こんだ帝国兵が現れる。その頭部を見れば暗視装置の赤いレンズが虫の眼球のように怪しく輝いていた。山刀の刃が地面に倒れる私と中尉に振り下ろされる。

 

「若様っ!避難して下され!」

 

 横合いから戦斧を持った男が踊り出て私と中尉に向かう帝国兵の山刀を止めた。

 

「オルベック准尉……!!」

「お早く……!!」

 

 必死に帝国兵と鍔迫り合いをする准尉は私に向けて叫ぶ。

 

「だが………!」

「若様っ!」

 

 ノルドグレーン中尉が私の手を引いて半ば力付くで引っ張った。そこで漸く私は遠くから複数の人影がこちらに、向かってきているのを発見した。最低でも一個小隊はいそうだった。

 

「くっ……」

 

 私は苦渋を滲ませた表情を浮かべ数秒程葛藤し、最後は副官に従った。

 

複数の銃声が漆黒の森の中に響き渡った………。

 

 

 

 

 

 

 深夜の森の中で銃声が絶え間無く鳴り響き、ブラスターの閃光が飛び交った。

 

「くっ……数が多い……!!」

 

 オルベック准尉によって逃がされた私と副官はしかし途中別の敵兵と遭遇、木陰に隠れて手元のハンドブラスターで同じように向かい側の木々に隠れる敵兵と銃撃戦を継続していた。

 

 そう、帝国軍の襲撃である。数にして最低でも一個小隊、多くて二個小隊といった所か。少なくとも今我々が対峙している帝国兵は然程練度は高くない。宇宙軍の臨時陸戦隊であろうか……?だが先程襲いかかってきた帝国兵はかなり練達した兵士のようにも見えた。個々の兵士の技量に差がある?寄せ集め部隊であろうか?

 

「どちらにしろ……っ……!これは流石に厳しいか……!!」

 

 毒づきながらハンドブラスターで闇夜の中発砲する。銃声やブラスターの光筋から敵兵の位置を推測しての発砲である。

 

「ぎゃっ……!?」

 

 苦し気な悲鳴が闇の中で鳴った。幸運にも私の発砲が帝国兵を負傷か射殺したようだった。

 

「ちぃっ……!!」

 

 だが、すぐに報復するかのようの数倍する銃撃の嵐が私に襲いかかって来る。未だにぬかるんだ泥に身を伏せて私は耐えしのぐ。

 

 このままではじり貧だ。そんな事を内心で考えていると漸く少しだけ幸運の女神が私に愛想笑いを振り撒いた。

 

「なんだっ!?ぎゃぁっ!!」

「新手だっ……!がっ!?」

 

 我々と銃撃戦を繰り広げる帝国兵達が困惑と悲鳴の声を上げる。何発かの銃声が響き渡るとそれ以上こちらに向けて攻撃が来る事は無かった。

 

「若様っ!!御無事でご座いますか……!?」

「ベアト……!それに大尉か……!!」

 

 暗闇の中から現れたのは着の身着のままの姿にブラスターライフルやハンドブラスターを手にする数名の兵士である。その先頭にはベアトとクイルンハイム大尉の姿が見えた。

 

「御無事で何よりで御座います。若様、火急の事で申し訳御座いませんが今すぐに避難の準備を御願い致します……!!」

 

 私の下に駆け寄ったクイルンハイム大尉が必死の形相で私に具申をする。

 

「避難というが……それこそこの数だぞ?」

「我々が血路を開きます。問題は御座いません」

 

 それは捨て駒となる事と同意であるのだがクイルンハイム大尉は平然と宣う。その姿が一瞬連隊幕僚長であったクラフト少佐と被る。

 

「………」

「御当主や奥様、それに妹君と御婚約者様のためにもどうか一時の恥を忍びどうか……!」

 

 私が即答しないのを身内からの外聞を気にしているのとでも思ったのかクイルンハイム大尉はそう私に進言する。だが私が内心で考えていたのはそんな事ではない。

 

(やはり『私』と『彼ら』とでは命の価値が違う訳だな……)

 

 佐官である事や機密に触れている事もあるだろう、だがそれ以上に『私』であるが故に私は大尉達とは生命の値段が違うのだと思い知らされる。

 

「若様、どうぞ御決断を……!」

 

 ベアトも同じく苦渋の表情で逃亡を進言する。同じように私が逃げるのを嫌がっているとでも思っているのだろう。

 

「……今更一度逃げるのも二度逃げるのも同じだな」

 

私は一人で呟くように答える。

 

「分かった。ここは撤退しよう。だが私だけではなく可能な限り全員で撤退するぞ。悪いが私だけでは迷子になる所か餓死しそうだからな?」

 

 半分程ふざけるような口調で私は答える。尤も、言葉とは裏腹に口調は震え、表情は悲壮であったが。

 

「……それでは行きましょう」

 

 クイルンハイム大尉は生存し、かつ合流・移動が可能な者達だけを集めて帝国軍部隊の強行突破を計画する。集まった兵士は一二名であった。残りは戦死したかどこにいるか分からない者である。

 

「私は残りましょう」

 

 そう語るのはノルドグレーン少佐であった。ぜいぜいと肩で息をする少佐にとって全速力で走り帝国軍部隊を突破して逃亡するのは体力的に困難であった。彼のほか負傷兵二名も残留を希望する。

 

「分かった」

 

 私は一瞬葛藤するが彼らが全体の足手纏いになる事は明らかである事も、私が指揮官として苦渋の選択をしなければならない事も理解していた。だから端的にそう承諾の返事をしてから命令を追加する。

 

「少佐、暫く抵抗したら降伏しろ。こんな詰まらん所で死なれたら敵わん。責任は私が持つ。分かったな?」

 

 どこまで効果があるのかは分からない。だが言わないよりはマシな筈であった。

 

「……御武運をお祈り致します」

 

 ノルドグレーン少佐は恭しく敬礼をした後親族である中尉の方を見やる。

 

「お嬢様、どうぞ御無事であります事を……」

「少佐、貴方の一族と伯爵家への貢献は私から御報告致します。どうぞ後顧の憂い無く戦って下さい」

 

 深々と頭を下げる少佐に対して、ノルドグレーン中尉は言葉こそ丁寧ではあるが明らかに上位者としてそう少佐に伝える。ようは死ぬなり捕まるなりした後の身内の事は面倒見てやるから我々が逃げるまで命令通り戦え、という事だ。

 

 いや、これとて恐らく私が最初に降伏を許可する発言をしたから穏当に言い直したのだろう。本来ならば死ぬまで足止めしろ、と言うつもりだったかもしれない。

 

 どちらにしろ………もう余り時間はない事だけは確かだった。

 

「早くお行き下され……!」

 

 ブラスターの光筋が我々の近くを通り過ぎると少佐達が叫びながら帝国兵に向けて発砲を開始する。

 

「よし、私が先導する。旗持ち!連隊旗を奪われるなよ!若様、護衛の御側から離れぬように御願い致します……!」

 

 そう私に忠告をした後、火薬式ライフルを手にしたクイルンハイム大尉が先頭になって我々が森の中を駆け始めた………。

 

 

 

 

  

「あっちに逃げたぞ……!!」

「逃がすなっ!足止めしろ……!!」

 

 臨時陸戦隊の部下達が暗い森の中で叫ぶ。哨戒小隊長の「金銀妖瞳」の中尉はその声に一瞬だけ視線を向け、再度正面を見つめる。

 

「どうした?もう終わりか?何なら降伏しても良いぞ?貴官は良く戦った。階級に準じた捕虜として厚遇するがどうか?」

 

 銀河帝国宇宙軍中尉オスカー・フォン・ロイエンタールは陸戦隊員用の軍装に猟兵のように山刀を構えながら優雅な物腰で呼び掛ける。

 

 一方、相対する反乱軍兵士は疲労困憊の様子で苦悶の表情を浮かべる。ぜぇぜぇと肩で息をし、横腹からは赤い染みが軍服全体に広がる。しかもロイエンタールとこの瀕死の敵兵の周囲には一個分隊の帝国兵が警戒するように囲む。

 

 瀕死の重体……一目でそれが理解出来るだろう。しかしそれでも強い意志のこもった眼差しで中年を過ぎ初老に差し掛かろうとする准尉は震える手を抑え戦斧を構える。その闘志は怪我と負傷でも衰えず、その技量は十分過ぎる程に脅威だった。実際手負いだと油断したロイエンタールの部下二名は上司の警告を無視してこの重傷者に襲いかかり見事にヴァルハラに直送させられていた。

 

 何とも勇敢な武人だ、とロイエンタールは思う。それに優秀だとも思う。

 

 ロイエンタールが目の前の反乱軍兵士に対して優勢なのは必ずしも才能の差だけではない。奇襲を加えた側としての装備と精神的余裕の差、そして年齢の差である。恐らくは身体能力の最盛期であろう若い中尉に対してもう一方はそれをとっくに過ぎ去った初老の軍人である。経験の差はあろうともそれは多くの場合戦闘開始前の準備と駆け引きにて活用されるものだ。今回のように機先を制された場合意味がない。

 

 寧ろ圧倒的優位にありながらここまで粘られた事に、素直にロイエンタールは感心していた。地に足をつける陸戦は決して優雅ではないし好ましいとは思わないが、このような勇者と戦う事が出来るのならば悪くはない。実際一度は頭に戦斧の一撃を受けかけて装備していた暗視装置を吹き飛ばされてしまった程だ。あそこまで生命の危機を感じたのは軍人になってから五回もない。

 

 ……故に彼は目の前の勇者を哀れむ。そのような戦士が今まさに捨て駒にされようとしているのだから。

 

「上官を庇って戦うのは感心するが……あのような人物が上司とは不運なものではないか?」

 

 奇襲を受けるのは仕方無いにしてもその後の対応が悪い。迎撃するのか避難するのかぼさっと立ち尽くしながら迷い、しかも最後は女性であっただろうか?副官に先導される形で逃げ去った。上官としては……少なくともロイエンタールにとっては上に持ちたくないタイプの人物であっただろう。故に目の前の戦士に対してもある種の同情心から慈悲をかけたつもりであったが……次の瞬間、深手を負った勇者はロイエンタールに最大級の敵意を向ける。

 

「今すぐその卑しく無礼な口を閉じるが良い、成り上がりの帝国騎士よ。若様に対するこれ以上の暴言はその命を持って償ってもらうぞ……!!」

 

 手負いの獣のように荒々しい口調でオルベック准尉は警告する。

 

「成る程、やはりか……」

 

 これまで戦いながら収集した情報から見当はついていたが、この反応で確信する。ただの反乱軍兵士ならば上官の罵倒程度でここまで怒りを表すなぞ有り得ない。これは明らかに臣下が主君への無礼を目撃した時のものだ。即ち……。

 

「これが噂に聞く亡命軍というものか」

 

 ロイエンタールは山刀を構え直す。士官学校でその存在自体は知っていたが宇宙軍士官である自分がこんな場所でその一員と遭遇するとは流石に想像してなかった。

 

「となれば先程のは大方爵位持ちと言うわけか。いやはや、反乱軍の下でも門閥貴族は門閥貴族と言うわけかな?」

 

 嘲笑を含んだ口調で小さく冷笑する金銀妖瞳。彼は宮廷闘争に敗れ帝国から逃亡しても尚自らの権力を手放そうとしない亡命貴族達に対してある種の滑稽さすら感じていた。

 

 

「共和主義を奉じていても性根は変わっていないようだな?実力も覚悟もなく、戦場に女を連れ込んで危険になれば部下を置いて逃げるとは、卿もあのような主君の世話役とは不幸なものだな?」

「貴様、殺すぞ……!」

 

 これまでになく明確かつ感情的な殺気が向けられる。しかしその事に驚きも意外性も無かった。従士とはそういうものである事は同じく下級貴族の世界に生きるロイエンタールは知っているし、この場合敢えて相手に精神的に優位に立つために挑発した側面がある。無論、半分以上は本音が混じっているのだが……。

 

 オルベック准尉は残る体力を総動員してロイエンタールに襲いかかった。最早怪我でこれ以上身体が持たない事は自覚していたし、目の前の男の能力が(不本意ではあるが)極めて危険であることも理解していた。何より相手が門閥貴族と知りながらあそこまで主人の暴言を吐かれる事は従士の名誉として許容出来るものではなかった。

 

「悪いが終わらせてもらうぞ。俺も折角の武功の種を逃したくないからな……!」

 

 一瞬の事であった。駆け出しながらロイエンタールに向けて振り下ろされたオルベック准尉の戦斧は次の瞬間には空を切っていた。すぐに准尉は戦斧の柄の部分で右側から振られた山刀の一撃を防ぐ、が……。

 

「ぐふっ……!!」

「悪いが、一本だけで戦う程俺はフェアじゃない」

 

 次の瞬間、山刀を捨て准尉の懐に入っていたロイエンタールは腰のコンバットナイフを振った。首元から血の雨を噴き出した初老の従士は暫く若い帝国騎士を苦々し気に見つめる……だがすぐに吐血して無念そうに泥の地面にゆっくりと倒れた。 

 

「ふっ……」    

 

 強敵を破ったロイエンタールは、コンバットナイフにこびりついた血液を払うと鞘に戻す。

 

「中々苦戦していたようだな?」

 

 後方からの声に振り向けば、そこに蜂蜜色の髪に小柄な青年将校が佇む。ロイエンタールは彼の事をよく知っていた。

 

「ふっ、これまで相手をした中ではかなりの手練れだったからな、状況次第では俺の方が死んでいただろう」

「それほどか」

「ああ、それなりに名のある武門系従士の出身だろうな。技量もそうだが戦闘における心構えもなかなかのものだった。挑発しなければもう少し手間取っただろうな。それで……」

 

 一旦足元に転がる敵兵を見やり、再度親友でもある同僚に顔を向けるロイエンタール。

 

「その様子だと逃がしたのか?」

 

 今回ロイエンタールの小隊はオルベック准尉を始めとした居残りして抵抗する反乱軍を、ミッターマイヤーの小隊は離脱を図る反乱軍の退路を塞ぐ手筈であった。その退路を断つ筈の同僚が此処にいると言う事は………。

 

「おいおい、そんな目で見るなよ?俺が逃がした訳じゃない。リーヴァンテイン少佐が手柄をかっぱらおうと横槍を入れてきたんだよ。俺の小隊は途中から御払い箱さ」

「その言いようだと逃がしたのは否定しないんだな?」

 

 肩を竦ませるミッターマイヤーを揶揄するようにロイエンタールは指摘する。

 

「何人かは仕留めて残りも四散させたのは確からしい。まぁ二個中隊使って包囲殲滅出来ないのは呆れるべきか相手の練度を褒めるべきか……」

 

 恐らく両方であろう、とロイエンタールは内心で思う。あの逃げた若い士官は恐らく亡命した門閥貴族の出であろう。門閥貴族の強みを同じ貴族階級としてロイエンタールは良く理解していた。文字通り命を懸けて従う優秀な部下を幾らでも用意出来る事があの堕落した特権階級の一番の強みである。幾ら金を積もうとも実力と忠誠心を兼ね備える人材を用意するのは常人には簡単な事ではない。

 

「まぁ良い。結局少佐は取り逃がした訳か。……だが、これはこれで好都合だな」

 

 そこまで言って何かを思いついたようににやり、と不敵な笑みを浮かべる一等帝国騎士。

 

「どうだ?悪趣味と思うかも知れんが、一つ狐狩りならぬ貴族狩りでも経験してみないか?」

 

 そして貴族が友人を猟園での狩猟に誘うような楽し気な、しかしどこか意地の悪い表情でオスカー・フォン・ロイエンタールは庭師の息子にそのように提案したのだった……。




双璧のキャラ書くのが地味に難しい……。

今月中に多分後一話更新出来ると思います。


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第百二十一話 流れ星にお願いごとをしよう!

今回は余り話は進まないかも

後本編とは一切関係ないけど双璧に捕まった主人公をそのまま双璧にアへ顔ダブルピース状態にさせてその写真を母上に送りつけたい(鬼畜)


 同盟標準時12月11日0430時頃、同盟宇宙軍第四艦隊第二分艦隊二二八〇隻は第四艦隊副司令官も兼任するジャック・リー・パエッタ少将の指揮の下、エル・ファシル東大陸北部要塞地点に対する軌道支援爆撃の準備に入る。彼らは数日後に行われるであろうべジャイナ海岸への水上軍の七個海兵隊師団と航空軍の二個空挺師団の強襲作戦のために帝国軍の沿岸防衛陣地を可能な限り破壊しなければならなかった。

 

「帝国艦隊の足止めはどうなっている!?」

 

 艦橋で艦隊の隊列変換を指揮するパエッタ少将はオペレーターに叱りつけるような厳しい口調で詰問する。いや、実際は別に怒っている訳ではないが常に仏頂面な彼は周囲から誤解を受ける事も多く、彼自身それを敢えて訂正する性格でもないので周囲からは「常に不機嫌そうですぐに怒鳴る気難しい上司」という不名誉な評価を受けていた。

 

 余談ではあるが、常に笑みを浮かべる真逆の性格の妻からは出征前に歳の割に皴の多い口元を指で伸ばされてにこにこ顔で「笑顔を浮かべて優しそうに言えば誤解されないと思いますよ?」と助言を受けたが、実際に可能な限りの笑みを浮かべてみたら参謀達にドン引きされたのでショックを受けて初日以来普段の気難しい表情に戻していた。

 

 そんな訳で艦橋のオペレーターはびくびくとした表情でパエッタ少将の表情を窺いながら状況を報告する。

 

「て、帝国軍の一個梯団が一二光秒の距離に展開しておりますが第四分艦隊が戦列を敷いて応戦しております」

「うむ、早めに終わさんとならんな」

 

 メインスクリーンに映る帝国軍の一個梯団と第四分艦隊の激しい砲撃戦に視線を移すとパエッタ少将は一層気難しい表情で腕を組む。

 

 エル・ファシルの地上戦が始まって以来、宇宙での戦いは縮小傾向にある。エル・ファシル本星の地上戦の支援や兵站の遮断、妨害、あるいは周辺惑星や小惑星帯での通信基地等の争奪戦に重点が置かれ、互いに多数の小規模艦隊を繰り出しあった結果、数十隻から数千隻単位の小競り合いが既に二〇〇回に渡り実施されていた。両軍とも不利を悟ると後退するため一方的に叩きのめすような戦闘にはならず、両軍共この一か月で生じた損害は二〇〇〇隻から三〇〇〇隻程度、兵員の損害は一〇万から一五万前後でしかない。とはいえ、その分地上戦の様相は凄惨さを増しているのだが……。

 

「全艦、衛星軌道に侵入せよ。防空システムは第一級警戒態勢に移行、中和磁場出力は最大にせよ……!」

「司令官、レーダーに反応あり、我が軍の艦艇ではありません」

「帝国軍かっ……!?」

 

 一瞬パエッタ少将は身構えるがすぐにその正体は発覚する。

 

「これは……フェザーンの中立船舶です」

 

 オペレーターの声は僅かに嫌悪感を含んでいた。前線の兵士は兎も角、分艦隊旗艦に配属されるような者にとって彼らはどちらかと言えば好意的な印象を持てる存在ではなかった。

 

 メインスクリーンが対象の船舶を拡大して映し出す。フェザーンの民間船舶は船体に戦時国際法で非武装中立を表すエンブレムとフェザーン自治領旗章をでかでかと刻み、全ての周波数で自らの位置を銀河基準宙域信号で同盟・帝国両軍に伝えながらエル・ファシル衛星軌道上に堂々と乗る。

 

「ふん、フェザーンのハイエナ共め」

 

 パエッタ少将もまた僅かに眉間を吊り上げて非好意的な視線を船舶に向ける。

 

 フェザーンの大企業の一つゾリーネ代理運送会社は、同盟と帝国の戦場を始めとした危険な宙域での業務を多く受注し、莫大な利益を挙げて来た企業でもある。

 

 会戦や地上戦における後方での物資の輸送業務は当然として、亡命者や犯罪者の密入国、宇宙海賊や犯罪組織との武器取引、同盟と帝国の外縁宙域、それどころかその外の無法地帯ですら各種の輸送業務を行うという噂もある。特に最前線での武器や軍需物資以外の緊急性の低く私的な貨物……手紙や差し入れ等……の運送を両国軍の後方支援部隊の代わりに受け持つ事なぞしょっちゅうである。

 

 此度のエル・ファシルの戦いでも両国がゾリーネ社と契約をしている。彼らの営業部は砲弾乱れ飛ぶ中を真っ白塗りに白旗を掲げたトラックで駆け抜け、前線の兵士達から手紙等を回収し、代わりに兵士達の家族等から預かった各種の荷物を送り届けるのだ。商売となれば命すら惜しまないフェザーン人らしい仕事ぶりである。あの船舶もその貨物の卸しと回収のために今にも戦闘が起きそうなこの前線に出張って来たのだろう。

 

「正気とは思えんな、正に守銭奴だ」

 

 パエッタ少将はフェザーン人の行いを心底理解出来ない、といった口調で評する。

 

 このエル・ファシル星系全体でもフェザーン人……少なくともフェザーンの企業に就職して様々な業務に従事する者は最低でも十万人はいる筈だ。輸送や医務の請け負いに無謀にも前線で開店するコンビニやファストフード店の店員と護衛、部隊の脱走請け負い業者に保険請け負い業者、挙げ句の果てには武器や傭兵を販売する営業マンまでいる始末だし、破壊された宇宙戦艦を漁り同時に漂流者や遺品を回収して身代金や転売費を請求するジャンク屋がそこら中に彷徨いている。一ディナールでも利益になるならそれこそ何でも商売するのがフェザーン人(あるいはフェザーン企業)なのだ。

 

「どうせ退きはせんだろうが一応警告はしてやれ、『本艦隊は軍事活動中である。速やかに退避しなければ敵の流れ弾が飛んできても責任は持たん』とな……!」

 

 そう投げやりに言い捨てたのと同時である。第四艦隊第二分艦隊旗艦「レゾリューション」のすぐ隣を航行していた駆逐艦「エイコーン16号」の船体を下方部から一条の光線が貫いたのは。「エイコーン16号」の船体後方は爆散し、前半分は引き裂かれてそのまま宙を幾度も回転する。四散した艦の破片が周囲に巻き散らされる。

 

「来たぞ……!各艦軌道爆撃開始だ!煩い砲台を黙らせろ!」

 

 パエッタ少将のその命令と共に二二八〇隻の艦隊が装備する低周波ミサイルや電磁砲をエル・ファシル東大陸北部の沿岸地帯と山岳地帯に雨あられのように叩きつけていく。

 

 地表に小さな火球が次々と生じる。特に低周波ミサイルは一撃で半径数キロの地表を吹き飛ばし、しかし環境の汚染は殆ど無い軌道爆撃にうってつけの兵器である。

 

 だが爆撃した地域からは地下に隠匿された防空レーザーや電磁高射砲、あるいはミサイルサイロから何百何千という星間ミサイルが撃ち込まれる。頑強に構築された防空陣地はかなりピンポイントで攻撃しなければ破壊は困難であり、そのために近づけばそれは艦隊もまた地上からの激しい攻撃に晒される。

 

 凡そ西暦時代、海上の艦隊は基本的に沿岸の要塞砲に対して劣勢の状況が長らく続いた。海上艦艇は要塞砲と違い砲の大型化に限界があり、海のうねりや砲撃の反動により照準がズレやすく、その防御力にも隔絶した差があった。『一三日戦争』以前の一時期、誘導兵器により海上艦艇が地上目標に対して優位に立つ時代が生まれたものの、誘導兵器に対する妨害技術の発達や地対艦ミサイル・光学エネルギー兵器の発達によって結局再び水上艦隊は地上要塞に対して風下に置かれるようになり、それは宇宙艦隊もまた同様であった。

 

 光学エネルギー兵器とエネルギー中和磁場を運用するのならサイズの限られた艦艇より地下深くに発電システムを備えた要塞砲の方が良いに決まっているし、艦艇は自身の姿を晒して爆撃しなければならないが地上軍は安全な地下で砲台だけ外に出して遠隔操作で砲撃出来る。また砲台一つと宇宙艦艇一隻を引き換えに喪失したとして、同じ一対一であろうとも死者もコストも遥かに宇宙艦隊の赤字である事は言うまでも無いだろう。

 

 結局、同レベルの技術力を有する場合は軌道爆撃によって地上軍を一方的に殲滅するなぞ不可能なのだ。シリウス戦役末期、『黒旗軍』は衛星軌道上からヒマラヤ山脈の奥底に設けられた地球統一政府軍司令部を破壊しようとしたが遂に敵わず、結局は特殊部隊による破壊工作により地下用水路を破壊して司令部を水没させる事でようやく無力化した事からも宇宙艦隊による地下要塞攻撃は困難を伴うのは分かる。

 

 そして、それを理解していても爆撃せざるを得ないのが宇宙艦隊のジレンマである。兵糧攻めなぞ現実の戦場では滅多に出来る事ではないし、地上戦の支援のためには危険を承知でも爆撃するしかない。

 

「戦艦「クラッスス」中破!巡航艦「アクラ3号」撃沈……!」

 

 艦隊の軌道爆撃に復讐するような地上からの激しい攻撃により一隻、また一隻と第四艦隊第二分艦隊は艦艇を喪失し、旗艦でオペレーターが損害を報告する。

 

「怯むな!奴らの砲台の数は知れている、我々を壊滅させる程の数の砲なぞ無い!光学カメラで陣地を特定次第一つずつ集中砲火で潰していけばいい!!」

 

 パエッタ少将は巌のように表情を固めながら強く命じる。帝国地上軍第九野戦軍の後方参謀と工兵参謀を兼務するアントン・ヒルマー・フォン・シャフト技術中将の建築した防空要塞陣地により構築される濃密な防宙網はベテランの同盟宇宙軍人でも思わず怯む激しさであるが、司令官が怯える姿を見せる訳にはいかない。攻撃が旗艦のすぐ傍を通り過ぎようとも、中和磁場がレーザーを受け止めて艦内を震動が襲おうともパエッタ少将は堂々とした佇まいで艦橋で仁王立ちして部下達を鼓舞し続ける。

 

 結局、第四艦隊第二分艦隊はこの後も約二時間に渡り軌道爆撃を続け、最終的に二〇〇余りの防空砲台と三〇〇余りのトーチカ群を破壊したものの、二八二隻の艦艇と約一万五〇〇〇名の戦死者を被る事となった。

 

 だが、この一連も戦いもまたエル・ファシルを巡る凄惨な戦いの一幕に過ぎなかった…………。

 

 

 

 

 

 

 深夜のエル・ファシル東大陸の広大な森林地帯を私は一人泥まみれになって必死に走り続ける。

 

「はぁ…はぁ……糞っ……糞っ……畜生……!!」

 

 私はひたすらに走り続け、肩で息をしながら誰に対してかも分からない罵倒を吐き捨てる。

 

 まず結果から言えば我々の包囲網突破は半ば失敗に終わったと言えるだろう。クイルンハイム大尉を先頭にした突撃はしかし帝国軍の一個小隊の防衛線の前に出鼻を挫かれてしまった。

 

 そして足止めされながらゆっくりと包囲殲滅されるしかないと覚悟した時の事だ。幸運にもそこに別の帝国軍部隊がやってきた事による混乱に付け込んだ浸透戦術と接近戦によってどうにか我々は包囲殲滅は避ける事は出来た。

 

 だがそれによりこちらも部隊が四散。味方とはぐれてしまった私は、途中襲い掛かる帝国兵を二名程返り討ちにして一人暗く冷たい森の中をひたすらに駆けていた。帝国軍から少しでも逃れるため既に嵩張る荷物や武器は捨てており、最小限の装備だけしか身に纏っていない。

 

「糞っ…糞っ……!!」

 

 必死に走る私は途中で疲労でふらつき足下を縺れさせる。そのままぬかるんだ地面に倒れ込んだ。

 

「はぁ……はぁ……糞っ………ふざけやがって……!私ばかり……糞っ!!」

 

 そのまま私は仰向けに身体を転がして大の字になって荒くなっている息を整える。

 

「………はっ、なんとまぁ、綺麗な事だな」

 

 息を整えながらふと天を仰げば、この場において少し場違いな言葉が漏れる。

 

 前世の地球と違い大気が澄み渡り、しかも森の中なので人工の光も殆どない。それ故に私が見上げる夜空は見たことのない程の銀色に輝く満天の星空だった。それはまるで地上の醜い争いが嘘のような美しさで……。

 

「いや、それは違うな」

 

 だが私はすぐにそれが前世が地球というただ一つの惑星に生きていた人間の古臭いセンチメンタルな感性であることを理解する。

 

「あれは……流れ星、ではないな」

 

 白銀の空に幾条もの光が流れる。確かに前世の地球と違い人口密度が薄く、大気も比較的澄んでいる満天の星空であるエル・ファシルの夜景……しかし流れ星のように見えるそれはしかし少々数が多すぎるように思える。

 

「宇宙艦艇の残骸か………」

 

 恐らくは衛星軌道上で戦闘でも発生しているのだろう。衛星軌道で爆散した艦艇、あるいはその残骸が惑星エル・ファシルの重力の井戸の底に引きずり込まれているのだ。大気との摩擦で船体や破片が焼けつき流れ星のように煌びやかな弧を描く……。

 

(結局どこであろうと危険、という訳か……!)

 

 流石にこの辺り一帯は敵味方が入り乱れているだろうから、まさか人命重視の同盟軍が味方への誤射覚悟で低周波ミサイルで周辺ごと耕すなんて事はしないとは思うが………流れ弾が飛んで来たら今の私では消し炭になる事だろう。

 

「っ……現実逃避もここまでだな」

 

 何分程こうしていたのだろうか?どこかで物音が聞こえ私はすぐに現実に引き戻され泥の上でうつ伏せになり伏せる。耳を澄まして、目を凝らして誰が(あるいは何が)どこから近づいているのか警戒する。

 

「………」

 

 茂みの中から私はゆっくりと人影を視認する。暗視装置が無いために夜空の光だけで相手の姿を確認しなければならず、残念ながらその姿をはっきり見る事は出来なかった。

 

 私はゆっくりと腰の軍用ナイフに手を伸ばす。ハンドブラスターは発光するし銃声もするのでほかの敵兵に気付かれる可能性があった。相手に気付かれる前に静かに仕留めるのがこの場合は正解だ。

 

(いけるか………?)

 

 自身の実力に己惚れている訳ではない。だが客観的に見て帝国地上軍の一般的な軽歩兵相手ならば一対一ならば十分仕留めきる自信はあったし、経験もある。あるいは通り過ぎるのならば放置しても良いが………。

 

(それは都合の良い願いだな……)

 

 明らかに人影は周囲を警戒し、捜索している。このままでは発見される可能性が高い。うつ伏せのまま隠れている今のままでは機先を制されたら危険だ。ならば………!

 

(っ……!)

 

 私は人影がこちらに背を向けたのと同時に動く。物音を立てずに立ち上がり、吸音材で靴底が作られた軍靴で一気に接近する。

 

 相手が寸前でこちらに気付いて振り返るが遅い。すぐに回り込んでハンドブラスターを持つ手を封じ、背後に回り込んで口元を腕で覆いそのまま押し倒す。叫べなくなり、体も動かせなくなった所を軍用ナイフで……って。

 

「中尉か?」

 

 喉元にナイフが触れた瞬間、星空の光で私は正に首を掻き切ろうとしている相手が大切な従士である事に気付いて咄嗟に手を止める。

 

「若様っ……?」

 

 中途半端な拘束になってしまったので口元を閉じ切れず、副官は少々驚いた表情で後ろにいる私を見つめる。私もまた惚けた表情でその場で固まった。

 

「す、済まん、敵かと思った……」

 

 私はその場ですぐにそう謝罪……というよりは自己弁護に近い言葉を放つ。

 

「い、いえ……この状況です。仕方ありません。それよりも御無事で御座いましたか……幸いでございます」

 

 ノルドグレーン中尉は自身が殺されかけた事を然程気にせず、寧ろ私の無事を心底喜ぶ。先程彼女を殺しかけた身としては気が引ける心境である。それはそうと………。

 

(……甘い匂いだな)

 

 鼻のすぐ近くでしなたれるブロンドの長髪から香水の柑橘系の爽やかな香りと女性特有のどこか御菓子のような匂いを感じとる。こんな時に何をしているんだと自分でも思うが匂うものは匂うのだ。

 

「あの……若様……」

「ん?ど、どうしたっ……?」

 

 私は突然中尉に呼ばれて僅かに上ずった声を漏らす。まさか髪の匂いを嗅いでいるのバレたか……?

 

「あのっ……その……そろそろ苦しいのでお退き下されば幸いなのですが……」

 

 遠慮がちにそう答えるノルドグレーン中尉。その言葉に冷静になって客観的に状況を確認する。

 

 さて諸君、想像してみて欲しい。野外の夜中、妙齢な女性が茂みから突如ナイフを持った男に襲われ口を塞がれ覆い被される。この状況は何でしょうか?

 

……おう、完全にギルティだわこれ。

 

「分かった、今退く」

 

 脳内裁判で有罪判決が出たと同時に私は早口でそう返答しながら颯爽と副官の上から退く。言っておくが私は何もやましい事はしていない。全ては偶然の産物である、いいね?……まぁ、冗談はこの程度にしておこう。それよりも………。

 

「……大丈夫か、中尉?」

 

 私が退いたために立ち上がったノルドグレーン中尉の姿を見て私は若干後ろめたい口調で尋ねる。ノルドグレーン中尉の姿がそれだけ痛々しいものだったためだ。

 

 泥は兎も角として軍服は痛み、大きな怪我こそないが擦り傷らしきものが見える。疲労困憊、といった風に見るからに疲れているのが分かる。私も相応に逃げるのに苦労したがノルドグレーン中尉は元々事務方だ、こんな前線の兵士のような状況だと相当堪えている筈であった。

 

「いえ、大きな怪我は御座いません。それよりも若様の方こそ本当に大丈夫で御座いますか?どこか痛む所は……?」

 

しかしノルドグレーン中尉は健気にそう尋ね、改めて否定すれば胸を撫で下ろす。

 

「……それで、中尉は無事で幸いだが……ほかの者はどうなったか分かるか?」

 

 周囲を警戒し再度茂みに身を伏せてから、同じように隠れる従士に私は尋ねる。

 

「いえ、私も混乱の中で目の前の賊を無力化する事で精一杯でしたので……途中、若様のお姿が無い事に気付き捜索をしておりました。ほかの者の安否は……」

「そうか……」

 

 あの状況だ、自分の身を守るだけで精一杯なのは間違いない。期待はしていなかったが……それでも実際に言われると焦れるものだな。

 

「……」

 

 脳裏に過るのは昔馴染みでもある忠実な付き人の姿だ。

 

「……いや、私でも無事だったんだ。恐らく無事な筈だ」

 

 私は小さく自分に言い聞かせる。私よりもベアトの方が優秀だ。私がこうして無事に生き残れたのだから彼女が無事でない道理がない。恐らくは中尉のようにどこかで私を捜索している筈だ。

 

「……若様、どういたしましょう?」

 

 私が思考を整理したのを見計らったようにノルドグレーン中尉は意向を尋ねる。

 

「……取り敢えずこの場から離れた方が良いだろうな。エル・ファシルの星座は分かるか?」

「一応記憶しております」

 

当然のように優秀な副官は答える。

 

「かなり古い手段だがそれで大方の方角は分かる筈だ。……取り敢えず敵が来た向きとは逆に向かおうか」

「……了解致しました」

 

 そう語り腰を低くして中尉はハンドブラスターを手に歩き始める。私はその援護をするように後ろからついていく。すると闇の中で私はかすかなその音に気付く。

 

「……来ているな」

 

 後方からまだまだ遠くはあるが複数の足音と声が聞こえてくる。恐らくは我々を探している追手であろう。

 

「上手く撒けるといいが……」

 

 どうやら無事に味方と合流するには、まだまだ困難が伴いそうだった。

 

 私が再び鼠のように地表で逃げ回り始めるのを無数の醜い流れ星が嘲るように見下ろしていた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エル・ファシル東大陸西部に広がる標高五〇〇〇メートル級の山々が軒を連ねて形成されるアトラシア山脈地帯。数億年前まで行われた活発な火山活動によって形成されたこの山脈の岩盤は強固であり、そこを掘削しようものならば炭素クリスタル製のドリルを幾つも消耗する必要があるだろう。

 

 ましてその内部を結晶繊維や耐熱コンクリートで補強し、地下に大型核融合炉を設置して高出力のエネルギー中和磁場を展開すれば正に難攻不落の要塞と呼べる代物となる。

 

 フラウエンベルク要塞陣地の地下深くに設けられた帝国地上軍第九野戦軍司令部……薄暗い室内では神妙な顔つきで第九野戦軍首脳部が議論を重ねていた。

 

「第四〇軍は敗走、沿岸を守る第四二軍は軌道爆撃によって相当の損害を負った。兵員は兎も角陣地自体の機能は失われたといっていいだろう」

「装甲擲弾兵第三軍が後退したとの報告は事実なのか?」

「反乱軍の有力部隊と接触、正面から激突して前進を阻まれたとの事です。数日に渡り激戦を繰り広げたもののこれ以上の進軍は軌道爆撃の標的になりかねないため攻勢を断念、散開しつつ森林地帯から後退を開始したとの事です」

 

 通信参謀エルレーゼン少将からの報告に会議室は重苦しい雰囲気に包まれる。

 

「前線の攻勢は部分的に成功、幾つかの反乱軍部隊は包囲下に置けたが、肝心の敵主力の包囲殲滅には失敗した……と言う事か」

 

 状況を整理するように口にする情報参謀ガルトシュタイン少将が嘆息する。

 

 帝国地上軍第九野戦軍主力と相対する同盟地上軍の第五三・五四遠征軍総勢五〇万に対して猟兵部隊で索敵部隊を密に無力化し、その上で碌な道のない山岳地帯を『騎乗した』装甲擲弾兵団を中心とした迂回部隊で走破、後方に浸透してその補給路と退路を遮断した上で包囲殲滅する……この作戦が成功していればこのエル・ファシル地上戦における勢力バランスは一気に帝国側に傾いた筈であった。

 

 現実は後少しでそれが達成される所までは行けた。だが包囲網を閉じて陣地を形成する寸前に敵部隊の一部が補給路となり得る星道二三二〇号線に包囲網の内側から無謀とも言える激しい攻撃で突破を図り、それに対応している間に前に包囲網外側から精強な反乱軍の乱入を招く事態に陥った。反乱軍の通信網の混乱が沈静化するのが想定より早かった事もあり反乱軍前線部隊の動揺は小さく、各地の反乱軍部隊が集結した事もあって完成しかけた包囲網は結局霧散した。

 

「現在までに集計した此度の反抗作戦の損害は戦死二万、負傷四万四〇〇〇に及びます。前線の六個師団が損害から戦闘不能となり再編を必要とした状態に陥っております」

「先程水上軍の哨戒艦艇が北サフラン海に多数の水上揚陸艦艇を確認しました。数日以内にべジャイナ海岸に対する上陸作戦が行われると思われます」

「側背を取られる、このままでは包囲殲滅されるのは我々だ……!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 その憎らし気な声と共に会議室を小さな揺れが襲う。同盟軍の定期的な軌道爆撃によるものであった。

 

「……反乱軍は我らの陣容を予想以上に把握している。まさかこの一月の間にここまで押されるとはな」

 

 第九野戦軍司令官である銀河帝国地上軍大将、エーバーハルト・フォン・ツィーテン三世は眉間に皴を寄せて苦悩の表情を作る。没落しつつあり最盛期の繁栄こそ無いものの、それでも武門貴族の名門である武門十八将家に名を連ねるツィーテン公爵家、その軍歴豊かな老当主からしても反乱軍がある程度偵察やスパイ活動で帝国軍の陣容を把握している事は理解していたがここまでのものとは流石に想定していなかった。

 

 反乱軍の攻勢ポイントは極めて正確であり、展開する帝国地上軍の最も脆弱な箇所や戦力の空白地帯を狙いすまして侵攻する。衛星軌道上からの軌道爆撃は帝国軍の要塞陣地に対して最も有効な地点に効果的な打撃を与えていた。

 

 実際の所、帝国軍が思う程同盟軍も余裕があるわけではなく、同じように苦戦していたがそんな事は彼らが知る余地もないし意味もない。どちらにしても帝国地上軍が苦戦の中にあるのは変わらないのだから。

 

「第九野戦軍の戦死傷者は既に全体の一割半を超えた模様です。また各要塞陣地も反乱軍の度重なる砲撃と爆撃によりその機能を喪失しつつあります」

 

 禿頭に暗赤色の眉、赤みを帯びた鼻、そしてふくよかな身体の小男が報告する。一見ビアホールの亭主のようにも見えるこの男はしかし見かけ通りの人物と思ってはいけない。

 

 後方参謀と工兵参謀を兼任するアントン・ヒルマー・フォン・シャフト技術中将は銀河帝国の最高学府で工学と哲学の博士号を取得し、数学と生物学と地理学の有望なアマチュア学者であり、詩人と作家としても一定の功績を立てた万能の天才でもある。補給と補充、そして要塞陣地構築を主導したこの男は現状の第九野戦軍の状況をある意味一番良く理解していると言ってよい。彼の作り上げた頑強な要塞陣地は当初の予定通り何万という叛徒に流血を強いてはいるがそれでもいつまでも持たない事もまた了解していた。

 

「参謀長、どう考える?」

 

 ツィーテン大将は第九野戦軍参謀長ヴァルブルク中将に意見を求める。

 

「……このままこの場に踏み止まり反乱軍に出血を強いるのも一つの手段としては良いでしょう。ですがそれでは我ら第九野戦軍は包囲下に置かれ最終的には玉砕する事になりましょう。皇帝陛下よりお預りした二〇〇万の兵をこのような辺境の惑星で失う訳にはいきますまい」

 

 重々しい口調で、慎重にヴァルブルク中将は言葉を紡いでいく。

 

「オフレッサー閣下に実施して頂いた後方撹乱からの包囲が失敗した以上、作戦の抜本的見直しが必要です。ここは戦線の縮小と戦力の保存と集中を重視するべきかと思われます」

 

即ち要塞陣地の放棄と後方へと後退である。

 

「となりますと………ボレフィア半島ですかな?」

 

 シャフト技術中将が参謀長の言に反応して地図の一角を指し示す。エル・ファシル東大陸の最南部、南大陸とも繋がるボレフィア半島。ここは未だ帝国軍が保持しえているクリム海峡を挟んでいるため同盟軍が揚陸していない。また、後方と言うこともあり比較的損失が少なく、戦域も限られるために戦線の縮小が容易だ。

 

「エーレンフリート少将の第二一軍とメルペンガルド少将の第三三軍を殿とします。主力は大隊から連隊単位に分散、夜間の間隙を縫って撤退作戦を行いましょう。側面支援と戦線の火消し役にはホト中将の第七装甲軍団を投入、後退しつつ反乱軍の戦力を削り取ります」

 

 ヴァルブルグ少将はテーブルの上に展開された三次元立体地図を操作し撤退作戦の大枠について説明する。比較的戦力が温存された部隊と精鋭部隊を以て主力部隊が撤収するまで各地の放棄される予定の要塞陣地を使い捨てながら遅滞戦闘を行おうというのだ。

 

 第九野戦軍副司令官ヴェンツェル中将指揮の下、第二一軍・第三三軍、第七装甲軍団、その他一部の特殊部隊・独立部隊から臨時編成される『第一独立機動打撃群』を編成。戦果拡大を求め、後退に合わせて勢いに任せた迫撃をしてくるであろう反乱軍の先頭に一撃を加えて足を止めさせたなら、それ以上の長居はせずに後退。反乱軍が態勢を立て直して迫撃してくれば、別の陣地で再度一撃を加えて後退する。

 

側面支援に第七装甲軍団を置いたのは流石というべきだろう。火力と機動力に優れた第七装甲軍ならば素早く部隊展開と撤収を行える。指揮を誤り敵中に孤立する可能性は無いだろう。後方攪乱に第一三猟兵師団や第二〇三独立強襲大隊等の特殊部隊を投入すれば後退作戦は万全と言えよう。

 

「司令部機能の移転はアイゼンベルク要塞陣地が良いでしょうな、あそこは比較的被害が少ない。物資もまだ余裕があります」

 

 シャフト技術中将が新たな司令部の候補を選出する。アイゼンベルク要塞陣地はこのような戦線縮小や後退を想定した司令部移転候補地の一つだ。

 

「撤収のために部隊展開の偽装も必要でしょう。工兵部隊で部隊の移動を偽装しつつ航空部隊で偵察部隊を迎撃しましょう。司令部の撤収ルートは……この山岳地帯が宜しいかと」

 

 ヴァルブルク中将が敵味方の配置から最も発見の少ないルートを指し示す。

 

「閣下、ご決断を」

 

 副官にしてツィーテン公爵家に古くから仕える従士家の出のキルバッハ中佐が恭しく最終的決断を促す。

 

「うむっ………」

 

 ツィーテン大将は苦い表情で腕を組み暫しの間沈黙する。撤収、といっても口に言う程簡単ではない。組織だって慎重に行わなければ一気に迫撃を受けて部隊は混乱の内に壊走する事になるであろう。だが………。

 

「やむを……得んか」

 

 苦虫を数十匹纏めて噛み潰したような苦渋の表情でツィーテン大将は決断をする。叛徒共相手に逃げるなぞ屈辱の極みであるが、ツィーテン大将も無能ではない。精神論では勝利出来ない事なぞ重々承知している。一時の汚名に塗れたとしても最終的勝利のために自らを律し、自制しなければならない事位理解していた。

 

「宜しい、ヴェンツェル中将に暗号通信を入れたまえ、前線部隊の指揮権を委ねるとな。……ヴォルブルク中将、司令部移転に関する各種の細事は任せるが良いな?」

 

 険しい表現でツィーテン大将は尋ねる。流石に歳が祟るのか、大将の顔には疲労の色が見えこれ以上の職務は難しそうであった。元より指揮官は自らの指揮が必要な時まで体力を温存するのも仕事の一つだ。故に司令部移転に伴う煩雑な事務処理を参謀長に任せようとそう発言する。

 

「はっ!将軍の御命令、承りました」

 

 ヴァルブルク中将は咄嗟にそこまで理解して優雅な敬礼で返答した。地方男爵家の次男でもある参謀長も末席とは言え同じ門閥貴族、ツィーテン大将の意図を理解していての事だ。

 

「うむ、頼むぞ……」

 

 そう大仰に答えるとツィーテン大将は若干ふらつく足で立つと会議の終了を伝えた後に少々危うげな足取りで副官と共に司令部を去る。全ての会議参列者が司令官に一斉に敬礼してそれを見送った。

 

 ………そして、彼らも気付いていなかった。この会議を換気口に仕掛けた盗聴器で盗み聞きしている一人の裏切り者の准将の存在を。

 

「…………」

 

自室に隠した受信機から会議の内容を聞き出し記録した男は険しい表情を作る。

 

「司令部の撤収、か……」

 

今がチャンスか?いやしかし危険も大きい。だが……。

 

 彼は何かを考えるように目を閉じ、項垂れながら暫く思考の海に沈む……しかし次顔を上げる時には既にその表情は強く決心をしたそれに代わっていた。

 

 そして、その者はそれによる更なる混乱に備えるために、そして彼自身の逃亡のために、静かに、しかし急いで自室で荷造りを始めたのだった……。



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第百二十二話 平成も終わりだしリアル鬼ごっこしようぜ!お前逃げる方な?

平成最後の投稿です、令和も宜しくお願いします。


『愛しのハンナ、多分そっちでは雪が降り積もり始めている頃だろうね。村の様子はどうだい?きっと生誕祭と年越しの準備で大変だろう?何だったら弟のエドモンドに雪かきを手伝わせてやってくれ。未来の義姉の頼みだ、喜んで手伝ってくれるさ。手伝わない場合?家に帰った後、俺が不届き者に御仕置してやるさ!

 

 そうそう、代官のラーゲン様は今年は村に何のケーキを用意しているか教えてくれ。後、言付もして欲しい、去年の苺とホイップの物は美味しかったけど出来ればチョコレートの方が良いとね。折角の生誕祭なんだケチな事しないで欲しいよ。

 

 ……冗談はここまでだね。ハンナ、今年の生誕祭は帰れそうにないと両親に伝えてくれ。今回の出征は少し長引きそうだよ。

 

 ここは本当に酷い戦場だよ。このエル・ファシルとか言う星の冬は雨が多くてこの時期なのに地面が泥でぬかるんでいてゴム靴が必要だ。毎日毎日爆撃が五月蝿い。しかも上官は専科学校を出たばかりの威張り腐った平民と来ている。

 

 御貴族様か士族様……せめて同族なら兎も角、あんな学校を出たばかりの奴らに顎でこき使われるとなるとうんざりするよ。俺達を農奴だからって馬鹿にして!あいつらは俺達をすぐ同じ農奴に一括りする!

 

 ……正直余り愉快な状況ではないのは確かだ。戦闘はどんどん激しくなっているらしい。唯、今こうして手紙を書いている塹壕は前線からは距離がある。暫くは安全だろう。反乱軍との戦いは一月程続いているけど奴らだっていつまでも戦える訳じゃない。その内疲れて逃げかえる筈さ。そうなれば援軍と交替して本国に戻れる。聖霊降臨祭(プフィングステン)までには多分帰れると思うよ。

 

 そうしたらまた一緒に鮎のバター焼きを食べて村の祭りで踊ろう。そして来年の秋には約束通り結婚しよう!……気が早いかも知れないけど実はこの前フェザーンの商人経由で指輪を買ったんだ。郵送で送り届ける事になっているんだ。給料三か月分だっけ?俺の給料じゃ余り大きいのは買えなかったけど、どうか受け取って欲しい。そして出来れば縫っているだろう衣裳と一緒に付けた写真を送ってきて欲しいんだ。それさえあれば残り半年の従軍も堪え忍ぶことができる。無理を言っているけど出来れば頼むよ。

                     君を宇宙で一番愛している、ダミアンより』

 

 

 鉄とコンクリートで補強され、休息や食事が出来る大小の地下室まで完備された塹壕、その薄暗い詰所の一室に置かれたテーブルの上で銀河帝国地上軍所属のダミアン・メッケル上等兵は古式ゆかしい紙の便箋に万年筆でそう故郷に残る婚約者への手紙を綴る。

 

「ふぅ……」

 

 手紙を書き終えてメッケル上等兵はテーブルの上に置いていた写真を手に取り口元を綻ばせる。出征前に故郷の荘園にて撮った婚約者との写真、その中であどけない笑みを浮かべる幼馴染でもある女性がこちらを見つめていた。

 

 ダミアン・メッケル上等兵は銀河帝国帝国直轄領にして軍役属領(シルトラント)である惑星ブルートフェニッヒの荘園出身の軍役農奴であった。

 

 帝国直轄領の外縁部や国境、重要拠点周辺に設けられた軍役属領(シルトラント)は、まだ体制が不安定であった帝政初期に帝国中央宙域の防衛のために設けられた緩衝地帯である。宇宙海賊や軍閥等の辺境勢力の侵攻、更に帝政安定後は諸侯の反乱に備え士族や軍役農奴が多数入植するそこは、農地の保持や過半の免税の代わりに兵士の供出や中央宙域の盾となる役目を課せられている。

 

 メッケル上等兵もまた帝国政府が軍役属領(シルトラント)の荘園に入植する軍役農奴に課す「二〇人に一人の兵士供出」の義務に従い、帝国地上軍にて一〇年間の軍務の三年目に就いていた。

 

 軍役自体にはメッケル上等兵は特に思う事は無かった。徴兵された平民兵士の中には不満を持つ者もいるというが、軍役農奴達にとっては従軍は五〇〇年二〇世代に渡り先祖代々続く義務に過ぎない。元よりその義務を果たすがために彼らは荘園で土地を持ち、税の大半を免除されているのだから。

 

 それどころか荘園で働き口が無い者にとっては絶好の就職先であり、大半の軍役農奴は従軍義務を終えた後も軍に留まり、下士官となって分隊長や鬼教官として退役まで働くのが普通である。寧ろ従軍義務が無効となり、それと引き換えに税を上げられ、土地を奪われ、働き口を奪われる事の方が問題だ(というよりもダゴン星域会戦以前は徴兵された平民階級兵士は軍役農奴出身兵士で足りない定員確保のための補助的なものに過ぎなかった)。

 

 帝国軍にとっても彼ら軍役農奴は貴重な人的資源である。自由惑星同盟を僭称する反乱勢力との遭遇以前は彼ら軍役農奴が帝国軍の兵士階級の大半を占めていた。徴兵されただけの平民と違い、我慢強く、勇敢で、父なる皇帝と大神オーディンへの素朴な信仰心を持つ軍役農奴は武門貴族、士族と共に精強な帝国軍を形作る貴重な部品であった。

 

 尤も、一五〇年という余りに長く続く戦争と軍備拡充は武門貴族や士族階級と同じく軍役農奴階級の空洞化と希釈化を招きつつあるのは事実であり、特に第二次ティアマト会戦とそれ以降の攻防で帝国軍はその門戸をかつて以上に平民階級に開かざるを得なくなった。それは実力主義の徹底の一方で、帝国軍の精神的な質の弱体化や団結力の低下を招いた面があるのは否定出来ない。

 

 さて、メッケル上等兵が手紙を書き終えてニヤニヤと写真を見つめていると詰所に同年代程……二十歳を過ぎたか過ぎてないかという伍長が偉そうに入りその場にいた者達に報告をする。

 

「上からの命令だ。逃亡する叛徒共の残党を捕縛する。行くぞ」

 

 上位司令部である臨時大隊司令部からの命令に従いグレーマー伍長率いる一個分隊は冬季野戦服を着こんで帝国地上軍の主力ブラスターライフルであるモーゼル437……正確にはそのマイナーチェンジ型であるFⅡ型……を背負い塹壕から一人、また一人を出る。

 

「すまん、これ次の回収の時に送ってくれ」

 

 メッケル上等兵は小隊の補給班の兵士に封筒に入れた手紙を差し出すと、婚約者の写真を懐に差し込み愛銃を手に分隊副隊長であるオルバーン兵長の後に続き塹壕から身を乗り出す。

 

「早くしろ、のろま共……!」

 

 そんな部下達に不快気にグレーマー伍長は動きを急かす。

 

 士官学校の入試に落第して仕方無く専科学校に入学したグレーマー伍長にとっては今のこの状況そのものが不愉快であった。

 

 エリートの士官学校を卒業すれば少尉からの任官、しかも最初の一年は殆どの場合安全な後方勤務で研修して中尉に昇進出来る。軍部の幹部となる事を期待され、配属地も兵学校や専科学校、あるいは徴兵された者達に比べ最大限の配慮が行われる。給金や食事、邸宅等の待遇は当然雲泥の差だ。

 

 富裕市民の三男として下位とは言え貴族階級に匹敵する教育を受けたグレーマーは自身の身を立てるために実力主義の帝国軍に出仕したのだが……彼としても専科学校で伍長から軍歴を始める事になるのは不本意この上なかった。

 

(お陰様でこんな反乱軍の星で奴隷や貧乏人共の部下を率いる事になる……!!)

 

 内心でうんざりした気持ちで伍長は毒づく。

 

 実際の所、彼の部下の半数は確かに都市部の下級労働者の師弟ではあるが、もう半分も軍役農奴であり、奴隷とは似て非なる別物だ。とは言え平民階級、特に上流市民から見れば農奴も奴隷も同じく無学で品のない劣等種族でしかない。その認識は貴族と同じ……いや、寧ろ常日頃貴族階級から下に見られているが故の強い対抗意識から、富裕市民は自分達より下の階層である彼らをより一層蔑む傾向にあった。

 

 無論互いに蔑み、あるいは不快気に感じるのは伍長と部下達の間だけではない。分隊副隊長のオルバーン兵長は士族階級の出として上官も部下も所詮軍人としては素人だと思っていたし、労働者階級の兵士達は上官を苦労知らずで偉そうなボンボン扱いし、軍役農奴達を同じく代々人殺しを生業とする卑しい身分の輩と内心で蔑んでいた。当然軍役農奴達は多くの場合自分勝手で信心の足りない平民達に反感を抱いていた。

 

 互いに互いを敵視しあうその関係は古代グレート・ブリタニア帝国の格言を借りるのならば『分断せよ、しかる後に統治せよ』、というべきであろう。銀河帝国の階級社会は臣民の統制や階層内の安定に効果を上げているのは事実であるが、階層間の分断を招いた事は否定出来ない。

 

 とは言え、経済格差とそれによる各階層間の羨望と嫉妬と蔑視は腐敗と混乱に塗れた銀河連邦末期には既にその萌芽があった事であるし、理想通りの共産主義でも行わない限りは格差が決して人類社会から消える事はないのも事実だ。どの道軍隊や官僚組織内でもなければ帝国でここまで各階層が一つの集団の中で入り混じる事はないし、長年に渡る帝国の文化・宗教・言語的な同化政策と『神聖不可侵なる銀河皇帝』の権威が最低限の彼らの団結は保障してくれた。『帝国人は皇帝、同盟人は民主主義、そしてフェザーン人は金銭という宗教を信仰している』とは外縁域や流浪の宇宙海賊の間で流行る皮肉に満ちた笑えない冗談である。

 

 兎も角も、グレーマー伍長率いる分隊は遠くで砲声や航空機の熱核ジェットエンジンの爆音が轟く中黙々と泥の地面を踏みしめて森の中を進んでいく。

 

「今日は一段と空が騒がしいですね」

 

 この中で一番若く、それでいて温和であるがためか、平民階級ながら分隊の皆から嫌われてはいない新兵のエイク二等兵は普段より多い反乱軍の航空機の爆音にボヤく。

 

「……そろそろ『選挙』でもあるのかもな」

「『選挙』?何ですかそれ?」

 

何と無しにメッケル上等兵が呟いた言葉にエイク二等兵は食いつく。

 

「おう、知ってるぜ、『選挙』だろ?奴ら『選挙』が近いとやたらと好戦的になるらしいよな?なんか黒い三角帽被ってやるやつだろ?」

 

分隊一の御調子者であるリッチェル一等兵が聞いた反乱軍の占領地で行われる闇の儀式『選挙』について語る。

 

 『選挙』、それは反乱軍の間で信仰されるカルト宗教的イデオロギー『共和主義』の最も重要で悍ましい生贄の儀式である。生贄として異教徒の魂と処女の娘を捧げて行われるそれは、まず生贄の候補者達が地上車の上で街中でその姿を晒されてその姓名がメガホンで一晩中響き渡る。翌日参加者は生贄候補の中で最も供物に相応しい者を指名していき最も多くの者に選ばれた娘は黒い三角頭巾を被った参加者達に胴上げされた後に殺した異教徒の魂ごと悪魔に魂を持っていかれるという。そうして信者達はそのまま悪魔からの宣告に従い次なる生贄を求めて侵攻してくるとか………。

 

「ひっ…!?本当ですか!」

 

 エイク二等兵は半分程悪ふざけに近い『選挙』の説明を真に受けて青ざめる。

 

「おいリッチェル、流石にそれは盛り過ぎだぞ?」

 

 新兵を怯えさせるリッチェル一等兵に呆れつつメッケル上等兵は彼の知る限りの『選挙』について説明する。どうやら自由惑星同盟を僭称する叛徒達にとって『選挙』とは彼らの崇拝する邪悪なる叛徒にしてサジタリウス王を僭称するアーレ・ハイネセンに捧げる戦の儀式であり、帝国人を一〇〇億人殺す事で僭王復活を目論んでいるという。彼らの予言によれば最後は地獄より怪異達と共に復活したアーレ・ハイネセンと天界よりエインヘリアルと共に降臨した偉大なるルドルフ大帝が『ラグナロク』の日に銀河の覇権をかけた最後の戦いを始めるのだとか……。

 

「マジですか……」

 

 エイク二等兵はリッチェル一等兵の話を聞いた時とは別のベクトルで顔を引き攣らせる。まだ一度も反乱軍と相対した事もない若い二等兵は不安げな表情を浮かべ若干怯え気味に周囲を警戒する。

 

 正直、同盟人やフェザーン人からすれば失笑ものの話であるが、当の彼らは大真面目だ。『選挙』などという言葉の意味すら忘れ去られ、ゲルマン文化で均質化され、銀河連邦末期の混沌と体制の無謬性を義務教育で徹底的に指導される彼らにとって、同盟の文化や言語は宇宙人のそれのように異質であり、連邦と人類を滅ぼした民主主義を掲げるのは無学と無知の証明であり、偉大なる黄金樹の人類統一王朝に剣を向けるのは狂気でしかない。

 

 そして理解出来ないが故に相手の正気を疑い、話に尾ひれがついて荒唐無稽な話が出来上がる(あるいは帝国政府もそのように誘導もしている)。相手は悍ましい信仰を掲げ帝国の民と富を略奪しようとしている蛮族の集団である……それが少なくとも大半の帝国人の共通認識であった。

 

「無駄口を叩くなっ!任務中だぞ……!」

 

 グレーマー伍長は不快感を如実に現して部下のお喋りを注意する。単に任務中に駄弁る事への怒りもあるし、少し訛りの強い品のない帝国公用語を聞き続ける事へのストレスもあるが、一番の原因はその内容の教養のなさにあっただろう。

 

 流石に富裕市民としての教育を受けた伍長は『選挙』がそんな荒唐無稽な内容ではないと理解している。無論、それでも時代遅れで馬鹿馬鹿しい制度であるとは思っていたが……女どころか無教養な労働者や奴隷にまで投票権があり、人気取りだけが取り柄の馬鹿共に政治を任せるなぞ伍長からすれば幼稚過ぎる政体に思えた。如何にも逃亡奴隷の末裔が考え付きそうな原始的な制度だ。政治は一部の選ばれたエリートのみが行うべきもの……少なくとも富裕層というエリートに属する伍長もそれは永久不変の真理であると考える。

 

 ……尤も、どこまでの階層を『選ばれしエリート』であるかは同じ帝国人でもその属する階級で意見が分かれるのだが。

 

「全く……口を動かす暇があるなら警戒しろ!ここらは目標の残党以外にも騎兵の目撃情報もあるんだ。油断するな!!」

 

 それは兎も角、分隊長の詰るような叱責に渋々とメッケル上等兵達は会話を止めようとする。………その次の瞬間であった。四方から青白いブラスターの光条が彼らの分隊の隊列に襲いかかって来たのは。

 

「っ……!伏せろ!」

 

 分隊副隊長であるオルバーン兵長は殆ど野生の勘でその殺気に気付いた。叫びながら泥の上に飛び込む兵長。

 

「がっ……!?」

「うわっ……!!?」

 

 四方から放たれた十条以上はあった光は行軍中であった分隊員一〇人の内三人の人体を貫き、内二人の命を刈り取った。分隊長のグレーマー伍長が胸を撃ち抜かれ倒れこみ、分隊支援火器であるMG機関銃を装備していた特技上等兵の頭部が横合いから鉄帽ごと撃ち抜かれる。

 

「あぐっ……!?」

 

 横腹を撃ち抜かれ重傷を負いながらも辛うじて助かったのはエイク二等兵であった。訳の分からぬままに彼は傷口を押さえ泥の中に倒れる。

 

「糞っ!どこだ……!?何人いる!?」

「馬鹿!不用意に撃つなっ……!ふぐっ!!?」

 

 半狂乱に周囲を発砲する仲間を抑えようとした軍役農奴出身の一等兵が背中から撃たれて絶命する。

 

「ひぃっ……!?」

 

 目の前で仲間が殺された事にパニックになった労働者階級の兵士二人は悲鳴を上げながら軍規も忘れて一目散に逃げる。発砲音の聞こえない方向に武器を捨てて全力で走る。

 

「っ……!駄目だ!そっちは罠だっ!」

 

 物陰でリッチェル一等兵と共に負傷したエイク二等兵の野戦治療を行っていたメッケル上等兵は軍役農奴としての経験から咄嗟にその事に気付き叫ぶ。だが遅かった。

 

「えっ……?」

 

 メッケル上等兵の指摘に振り返った二人の兵士は、次の瞬間泥中に仕掛けられたブービートラップに掛かった。張られたワイヤーに足元を引っかけると両脇の木々に仕掛けられていた破砕手榴弾の安全ピンが引き抜かれる。次の瞬間、乾いた爆発音と共に無数の鉄片が逃げようとした二人に襲い掛かりその人体を引き裂き四散させる。

 

「畜生……!」

 

 襲撃から三十秒も経っていない筈であった。僅かそれだけの間に分隊は分隊長と機関銃手を含めた五人が戦死し、一人が負傷するという大損害を被っていた。

 

「糞っ!待ち伏せかよ……!笑えねぇ、野郎共何人いやがる!?」

 

 リッチェル一等兵が悲鳴に近い声で叫ぶ。断続的にあちらこちらからブラスターの光と発砲音が響き渡る。音だけならば最低でも一個分隊はあるだろう、だが……メッケル上等兵はそれがカムフラージュである事を見抜いた。

 

「上等兵、気付いたか?」

「はい、恐らくは時限付きの自動射撃装置だと思われます」

 

 同じく物陰に隠れるこの場の最高指揮官たるオルバーン兵長の問いにメッケル上等兵は答える。

 

 銃撃の光と音ですぐには気づけないが、殆どの射撃はこちらを狙っていない。それどころか発砲する場所も移動していない。恐らくは木々にブラスターライフルを固定して自動発砲するように細工しているのだと思われた。

 

「恐らくは実際に襲いかかっているのは二、三人という所だろうなっ……!!」

「どうしましょうか……!?」 

「どうもこうもない!これは罠だ!この場から離脱……」

 

次の瞬間、天から何かが彼らの傍へと転がり落ちる。

 

手榴弾(グラナーダ)……!!」

 

 リッチェル一等兵がそれが何かに気づいて悲鳴を上げた。

 

「頭を下げろっ!」

 

士族階級の兵長が全員に警告を叫ぶ。

 

「えっ……!?」

 

 銃撃戦をしていたために手榴弾の存在にギリギリまで気づかなかったオルグ一等兵は兵長の声に振り向き、次の瞬間手榴弾の爆発を正面から受けて即死した。

 

「あっ……がっ………?」

 

 メッケル上等兵は腹に焼けるような痛みを感じ取った。手をその場所に触れる。滑った感触がした。触れた手を目線に移動させれば掌は真っ赤に染まっていた。

 

「嫌だ…死にたくないっ!……助け……ぎゃっ……!?」

「畜生……畜生……アメリ……」

 

 同僚の苦悶の声はブラスターの発砲音で途絶える。視線を向ければ額を撃ち抜かれたリッチェル一等兵の姿を見た。その傍らには目元に涙を浮かべて絶望した表情をしたエイク二等兵の遺骸もある。

 

「………」

 

 先程リッチェル一等兵を殺害した反乱軍の迷彩服を着た人影がこちらに視線を向けた。……若い士官だった。野蛮な反乱軍にしては随分と顔立ちの整い、綺麗な姿勢をした人物だった。その視線にどことなく憂いを秘めその足をこちらへと向ける。

 

(ああ、俺死ぬのか……)

 

 メッケル上等兵は泥に沈みながらぼんやりとそう自覚した。何故か逃げようという気にはなれなかった。恐らくはもう助からない事を理解していたからだろう。

 

 あの掌にこびりついた血糊から見て最早応急処置では助からない傷を負っていることは分かっていた。

 

 そうでなくても『軍役農奴は銃剣を持って生まれてくる』という言葉通り軍役農奴は五〇〇年に渡り兵士を供出し続けて来た。一族を遡れば戦死した親族なぞいくらでも見つける事が出来る。平民の兵士とは生まれついて覚悟が違った。故に戦死という現実を比較的素直に受け入れる事が出来た。無論、それでも怖いものは怖いが……。

 

「………」

 

 ふと朦朧とする意識で懐に偲ばせた写真を抜き取り見つめる。可愛らしい栗毛の少女のあどけない笑みにそれが現実逃避であると頭の片隅で理解しつつも思わず口元が綻ぶ。

 

「ハンナ、愛して………」

 

 最後まで言い切る前にメッケル上等兵の意識は一瞬の突き刺すような痛みと共にそこで途絶える事となった………。

 

 

 

 

 

 

 

「……悪いな、捕虜にする余裕はないんだ」

 

 手榴弾の破片で苦しんでいた最後の敵兵を射殺した私は誰にも聴こえない声で呟く。別に怨みはない。

 

 だが私達を捜索していた彼らを放置する訳にはいかなかったし、隠れて誤魔化すにも限界があった。ましてこちらは私とノルドグレーン中尉の二人のみであり捕虜に出来る程の余裕もなかった。 

 

 だから彼らには全員戦死してもらう事にした。命乞いする者も、私より年下の若い兵士達にも容赦なく止めを刺した。

 

「……どの道深手だったからな」

 

 手榴弾の破片で皆相応の負傷をしていた。いずれにせよ本格的な治療の資材も時間も無かったのだから寧ろこれは慈悲である……というのは質の悪い自己正当化なのだろうな。

 

 私はハンドブラスターを腰のホルスターに仕舞い遺体から使えそうな物資や装備を剥ぎ取ろうとする。その時だ……。

 

「若様……!」

 

 その声に振り向いた私は次の瞬間銃声と共に地面で手に持ったハンドブラスターを取りこぼした帝国地上軍兵長をその視界に捉えた。そして咄嗟に理解する。恐らくは手榴弾で死んだ振りをして私が来るのを待ち構えていたのだろう。そしてハンドブラスターで背後から撃ち殺そうとして手を撃たれたのだ。

 

「くっ……仲間の仇……!」

 

 ノルドグレーン中尉の第二射を回避した兵長はそのまま獣のように俊敏に立ち上がりもう片方の手でコンバットナイフを取り出して私に襲い掛かる。

 

「っ……!そう簡単に死んでやるかよ……!!」

 

私は炭素クリスタル製の手斧でナイフの突きを防いだ。けたたましい音と同時に火花が散る。

 

「若様っ……!?くっ……!!」

 

 森の中から迷彩服で偽装していたノルドグレーン中尉が現れる。恐らく私を誤射してしまう可能性が高いために近接戦で相手を殺害するつもりらしかった。ブラスターライフルを捨ててハンドブラスターとナイフを取り出す中尉。だが私自身としてはそこまで恐怖は感じない。

 

「悪いが……こちらも場数は踏んでいるんだよ……!!」

 

 激しく鍔迫り合いをするナイフと手斧の衝突……だがふと私は人体の重心をずらし、手斧の角度を調整して次の瞬間振り下ろさせた斬撃を受け流した。腕は悪く無いが、リューネブルク伯爵やチュン、不良中年に扱かれまくった身からすれば決して怖気づく程のものではなく、勝てない相手ではなかったのだ。

 

「ぐおっ……!?」

 

 敵兵が一瞬バランスを崩したのを見逃さない。私は一気に踏み込んで腕で殴りつけるように相手を押し倒す。

 

「ぐっ……!?あっ………」

 

 背中から泥に倒れた敵兵が最後に見た光景は手斧を振り落とす私の姿だっただろう。粘性がある泥から準備もなくバランスを崩した状態で逃げるのは難しい。

 

 敵兵は殆ど抵抗の暇もなく頭から手斧の一撃を受けた。ぐちゃ、という音と共に鉄帽ごと頭部を潰され血と脳漿が吹き飛ぶ。肉と頭蓋骨が潰れる独特の感触を手に感じながら私は返り血を浴びた。

 

 ぐったりと泥の中に崩れ落ちる敵兵。私は吐き気を堪えながら頬についた返り血を袖で拭き取る。次の瞬間両肩を副官に掴まれる。

 

「若様、御無事で御座いますか……!?御怪我は御座いませんか……!?ああ、血がついています……!!」

 

 必死の形相で私に詰め寄るノルドグレーン中尉。顔を青くして声を震わせて問い詰める。

 

「……問題無い、返り血だ。怪我はしていない」

 

 実質奇襲からの手榴弾による無力化、負傷して動けなくなった敵兵を一方的に射殺しただけの仕事だ。最後の白兵戦にしてもノルドグレーン中尉の射撃で負傷し、疲労していたであろう相手とのものだ。危なげなく……とは言わないものの十中八九は勝てるとは分かっていた。それよりも最後の手斧の一撃の感触が辛い。いつまでたってもやはりあの感触は嫌悪感を受ける。

 

「も、申し訳御座いません……!若様を危険に晒してしまいました……!!全て私の油断が原因です、ば、罰で御座いましたら謹んでお受けいたします……!」

 

膝をつき、頭を下げて副官は頭を下げる。

 

「気にするな、止めを刺しに行くと言ったのは私だ。私の方も油断していた、寧ろ助かった」

 

 今回の待ち伏せ攻撃において、最初手榴弾攻撃の後の止めを刺しに行くのはノルドグレーン中尉が志願した。だが陸戦技能では私の方が上なので説得して私が受け持った経緯がある。私が説得して横取りしたのに副官に間一髪の所で助けられたのは逆に恥ずかしい程だ。

 

「ですが……」

「二度同じ事は言わせるな。そんな時間もないだろう?物資を頂戴してとんずらする方が優先だ」

 

 私が中尉にそう言えば彼女はそれに従うしかない。少しバツの悪そうにするが私と共に敵兵の装備を剥ぎ取っていく。

 

「………」

 

 ちらりと私は剥ぎ取りを行いながら中尉を見やる。物憂い気味で、少し気弱になっている姿は普段の笑みを浮かべ余裕と包容力のある姿から見ると対象的だ。

 

その理由は分かっている。

 

 ベアト達と逸れてから丸三日が経ち、その間何度も迫撃を受けて昼も夜も休む事も出来ずに戦闘と逃亡を続けていた。恐らくは私の身元がバレたのだろう、功績欲しさに小部隊が私達を探していた。

 

 大部隊からは逃げ隠れしながら、数名程の斥候相手にはこちらの居場所がバレる前に始末を繰り返しどうにか今日まで生き延びた訳だが……流石に辛くなってきたのは事実だ。装備も逃亡中に殆ど喪失したので武器弾薬に食料も仕留めた敵から拝借し、ひたすら道なき道を歩き続ける。私も辛いが事務方のノルドグレーン中尉は私の護衛というストレスもありかなり消耗しているように見えた。

 

(そろそろ限界か………)

 

 少しずつ敵はこちらを捕捉しつつある。持って後一週間、その間に味方と合流出来るかと言えばかなり厳しい。今の正確の場所さえ良く分からないのだ。まして味方がこちらの居場所を把握しているとは思えない。

 

「食料は……はは、また冷製ヴルストとザワークラフトか。流石に飽きるな。エネルギーパックは……これか。電子タブレットは……まぁ、そうだよな……」

 

 第一に食料、第二に武器弾薬、第三に情報源を頂く……と言っても最後は望み薄だ。大半の歩兵用情報通信機器は鹵獲される事も想定して電子的なロックが掛けられている。決して難しいものではないが今の碌な装備のない私達にはどうしようも出来ない。

 

 ある程度の物資を補給し終えると死体を物陰に纏めて隠し、おまけにブービートラップを仕掛けておく。相手が間抜けならば引っ掛かってくれるだろう。

 

「行こうか?」

「……了解しました」

 

 私が少々心苦しい声でそう伝えると副官は明らかに疲労の溜まっている表情を誤魔化すような笑みを浮かべて応じる。

 

 ……正直罪悪感を感じる。だが私としても可能な限り追手から逃れる必要があるので甘い顔は出来ない。彼女を置いていく選択肢は合理性の面からも私的な面からもあり得ない。ノルドグレーン中尉もまたその事を理解しているから気丈に振舞う。

 

 私達は黙々と泥中の道を進んでいく。本来ならば気晴らしの会話をした方が良いのだろうが戦場でそんな事をしていれば居場所を教えるだけであるし体力も使う。必然的に黙りながら進む以外無かった。

 

そして鬱蒼とした森林地帯を進んだ先にそれがあった。

 

「これは………」

 

 森を過ぎた先、そこは広々とした草原地帯……いや放牧地が広がっていた。青々とした草地に虞美人草や菜の花が咲き誇る。同時に無言でひたすらに歩いていたために気付かなかった事実に気付いた。いつの間にか砲声が聞こえなくなっていた。恐らく部隊がどこかに移動したのだろう。そよ風が靡く草原はここが何百万の兵士達が死闘を繰り広げているとは思えない程穏やかな場所だった。そしてそんな草原の一角に……。

 

「………屋敷?」

 

 実家は当然としてヴォルムスの伯爵家別邸よりも小さいがそれでも一般的な市民感覚でいえば十分豪邸と呼べる洋館が草原の一角い堂々と佇んでいた。

 

「若様……」

「私が調べる。中尉は援護を頼む」

「ですが……」

「その弱り様では却って危険だ、命令は聞け」

 

 若干高圧的に命じるのは従士に無理を聞かせる常套手段だ。

 

「……何、一応警戒はするがあの様子だと無人だろう。危険はあるまいよ」

 

 尚も心配そうにするノルドグレーン中尉にそう補足説明する。そしてそれはその場限りの言葉ではない。外側から見た予想であり、恐らくそれは間違っていないであろう。

 

 渋々とではあるが従うノルドグレーン中尉、鹵獲したモーゼル437を構え周辺警戒を行う。

 

 私もまた同じように殺害した帝国兵から拝借したモーゼル437を構えながら屋敷へと近づく。近づけばよく分かるがその窓硝子は割られ、カーテンらしきものは無かった。

 

 屋敷の正面出入口に辿り着く。屋敷の営門の前に表札があった。同盟公用語ではなくて最早使用者の少なくなったエル・ファシル語の刻まれた表札、此度の出征に備えて事前に学習していた私は辛うじてその文字をどう読むのかを把握していた。表札の文字をなぞりながら私はその名を呟く。

 

「ロムスキー家……」

 

 その家名はエル・ファシル政財界に君臨する名家のものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 イゼルローン回廊のサジタリウス腕側出入口から数百光年も離れていない惑星エル・ファシルの歴史は銀河連邦末期に遡る。『銀河恐慌』以来数十年に渡る不景気が続きフロンティア開拓事業が次々と凍結されていく中で行われたサジタリウス腕入植活動の大半は、決して夢と希望に溢れた事業ではなかった。

 

 実の所この時期の入植活動の内、企業主導の物は所謂課税逃れの隠し鉱山開発のものであったりマフィアのペーパーカンパニーで麻薬の栽培のための農場開発や密貿易用の港湾開発がその目的の大半であった。入植に参加する者もその殆どは貧困層や浮浪者が大半であり、多くの者は劣悪な環境である事を承知で今日の食事のために参加し、そして大半は数年で命を落とす事になった。

 

 中には労働者とすら扱わなかった場合すらある。連邦末期から帝政初期に『ソウカイヤ』や『バダン』、『百夜教会』等と共にルドルフに徹底抗戦した『悪宇商会』はその一例だ。この商会は殺人請負や武器や麻薬、あるいは人身売買で巨利を稼いだ組織であり、一度に数十万単位の人間を暴力や拉致、あるいは詐欺によって連れ去りその大半が販売のために文字通り「バラされた」。事件が判明した後も莫大な賄賂と報復テロの嵐により連邦裁判所は商会経営陣を無罪放免で釈放せざるを得なかった程である。数百、数千単位の同類の事件はあの時代では日常茶飯事である。

 

 しかし、あるいはこれらの事例はあくまでも犯罪組織等が主導していただけあって後世からの視点では救いがあったかも知れない。むしろ、救いがないのは連邦政府が主導したそれの方だ。

 

 棄民政策と言っても良い。銀河連邦末期の政府主導移民事業は文字通りの片道切符である。警察や軍隊を使いスラム街の住民や浮浪者を拘束してサジタリウス腕等の殆ど星座標も分からない銀河連邦の外縁部に島流しにするのだ。そこでは放棄された植民地で、内戦はとどまらず、宇宙海賊が跋扈し、カルト教団が聖戦の名の下に虐殺を行い、マフィアが武器や麻薬を売りさばく世紀末世界である。そんな場所に開拓のための道具も食料も禄に与えずに送り込むのだ。殆ど処刑と代わり無いと言える。

 

 ……尤も、テオリアの中央街に住まう夢想的エリートや派閥争いを続ける政治家、腐敗した官僚にとって、彼らは所詮怠惰で無知で資源を貪り食うだけの税を払う能力もない国家の負債でしかなかったのかも知れないが。連邦末期に成立した『連邦治安保全法』は歴史上最悪の悪法『劣悪遺伝子排除法』の母体となった法律の一つであり、貧困層や浮浪者に対する扱いだけを見れば寧ろ『劣悪遺伝子排除法』を遥かに超える過酷さを誇っていた。

 

 銀河連邦主導のエル・ファシル入植は第一次ルドルフ政権が発足する一〇年前、宇宙暦286年頃の事であるとされる。殆ど口減らしのために集められた五〇〇万余りの貧困層はE級居住可能惑星であったエル・ファシルに年代物の旧式輸送船で輸送され、一年後には生存者は僅か半分となっていた。

 

 E級となると殆ど惑星に水も大気もありやしない。入植時に用意されているとされた惑星改造プラントや空気製造プラント、水生成プラントは碌に動くか分からないものが定数以下の数しかなかった(間違いなく植民予算は中抜きされていた)。一時的な居住地である筈のドーム型都市は常に食料と電気と空気が不足していた。ドーム外壁が壊れ数千単位で人が吸い出される事すらあった。

 

 ルドルフが銀河連邦首相に昇りつめた頃には恐らく中央政府の官僚達はエル・ファシルの存在そのものを忘れていた筈だ。この時点で推定人口は一〇〇万を切っていた。内部では口減らしのための殺人、更には食人の事例すらあったのが当時の記録で判明している。

 

 恐らくこのままではエル・ファシル植民団はほかの多くのフロンティア植民地と同じく全滅の道を歩む所であったろう。ボニファティウス、ロムスキー、カラーム、ハドカイ等の技術やカリスマを持つ指導者達の指導力が無ければ間違い無くそうなっていた。

 

 辛うじて周囲の資源や宇宙船のスクラップを使い頼りない各種プラントをどうにか使えるレベルまで改修し、ドームを補強し、公正な食料と空気の配給制を確立した彼らはその後代々エル・ファシル植民地の指導層を形成、同盟接触後はエル・ファシルの反同盟民族主義組織の中核となり、「607年の妥協」の後はエル・ファシル政財界に君臨する名家となった。

 

 ロムスキー家はエル・ファシルに君臨する旧家の中でも五本の指に入る名門中の名門だ。エル・ファシル東大陸に広大な農園を持ち、星系議会や州議会議員、地元企業役員、大学教授、星系政府首相も二人輩出してきた。

 

 原作のフランチェシク・ロムスキー氏もこの一族出身であり、エル・ファシルで最大規模にして最新の医療設備を備えるエル・ファシル中央病院の院長を務める人物である。人格者としても評判で、院長でありながらまるで町医者のように自ら患者を診、ボランティア活動に精力的に参加し、孤児院に多額の寄付を行っている事で知られている。昨年の『エル・ファシルの奇跡』においては魔術師や同盟軍に不信感を抱く地元住民の説得に奔走して同盟政府から市民栄誉章を授与されていた。

 

 恐らく私が今見上げているのはエル・ファシル東大陸の草原地帯に建てられたロムスキー家の別荘か何かであるようであった。よく見れば草原は放牧地であり、住み心地も悪くはなさそうだ、避暑地の可能性もあった。

 

「……誰もいない……か?」

 

 屋敷の裏側から窓を覗いたり集音装置で聞き耳を立て、内部に人がいる可能性が無い事を確認する。鍵が掛けられていない事を確認してブラスターライフルを構えて中に入る。

 

「まぁ、予想はしていたがね」

 

 見事に内部は荒らされていた。家具や電化製品の類い、恐らくカーテンや絨毯、絵画等もないすっからかんの空間が屋敷の中に広がっていた。帝国軍がエル・ファシルに揚陸した時に粗方持っていかれたのだろう。エル・ファシルでも五指に入る名家の御屋敷だ、さぞや略奪した兵士達はホクホク顔であった事であろう。

 

「となると望みはやはり………」

 

 屋敷内部の探索を終えると周囲の草原を見渡す。そして良く観察すれば妙に地面が盛り上がっている一角を見つけ出せた。そこに駆け寄り雑草の類を退かせば恐らく長年手付かずであったのだろうそれが見つかる。

 

「ビンゴか」

 

 長年放置されていたから帝国軍兵士も見つけられなかったのだろう、雑草と若干の土の下には厚そうな鋼鉄製の扉があった。

 

 所謂簡易シェルターである。ハイネセン等の中央宙域では今時珍しくなったが、今でもアルレスハイム星系等の国境や外縁星域の個人住宅では緊急事態に備えて簡易なシェルターがオマケに装備されている。多くの場合内部には数週間分の食料や防護服、ガスマスクや救難信号機、無線機、空気清浄機や浄水器が置かれている筈であった。

 

 シェルターの厚く重い鉄扉を開いていく。そして警戒しながら内部に入り電源を付けた。

 

「………漸くツキが回ってきたな」

 

私は口元に笑みを湛えて呟いた………。

 

 

 

 

 

 

「食料は……数ヶ月分はあるな。医薬品に……電源は地下水力発電に予備バッテリーとは豪勢な事だな」

 

 私は倉庫の中の物品を漁りながら驚嘆する。それだけで一般的な家庭のリビング並みの大きさのある倉庫の中には豊富な物資があり、その設備は豪華であった。浄水器と空気清浄機は何と軍用のそれで、六重のフィルターが掛けられていた。ピンポイントで毒ガス攻撃を受けようとも恐らくこのシェルターの中の人物は無事な筈だ。

 

「武器は……猟銃ですか。防弾着に暗視装置は軍用のもののようです。殆ど自衛レベルのものですね」

「仕方あるまいさ。そもそも戦闘よりも避難のためのものだろうからな」

 

 武器が然程豊富でない事に不満を口にするノルドグレーン中尉。とは言え重火器なぞ流石に個人所有のシェルターでは維持出来ないから当然の事だ。そういうものは政府所有のシェルターで管理される。亡命政府でも対戦車ミサイルやら重機関砲等を自宅のシェルターに保管しているのは門閥貴族レベルに限られる。

 

「エアコンに家電製品全般、しかも電磁線対策のコーティング済みの特注………はは、循環式貯水庫にシャワーまであるとはな。贅沢な事だ」

 

 から笑いしながらエル・ファシルの高級家具メーカーホライゾン社製のソファーに腰を乗せる。こういった家具まで高級ブランドとはお金持ちは違うね……と思ったが人の事を言えない事に気付く。いや普通に家に装備されている奴の方が大袈裟だわ。

 

 寧ろティルピッツ家よりも歴史も財力も劣るだろうとはいえ、エル・ファシルの名家ロムスキー家のシェルターとしてはこれでも小さすぎるレベルだ。恐らくは数多く保有するシェルターの中でもかなり小さい部類なのだろう。下手したら戦闘よりも災害に備えたものであるかもしれない。

 

 私とノルドグレーン中尉はこのシェルターを暫く拝借する事にした。このまま平原に出て逃げるよりも物資に恵まれたシェルターに隠れた方が良いだろう。そうでなくても疲労を回復させたかった。それに何より……。

 

「軍用回線の救難信号機、これなら行けるか?」

 

 同盟軍だけが利用する周波数に向けて救助信号を発する救難信号機がシェルターに装備されていたのが最大の理由だ。性能から射程は十数キロ程度と短いのが難点ではあるが……それでも助けを呼べるのはありがたい。上空を偵察機が飛んでくれれば確実に受信してくれる筈だ。というか来てくれないと泣く。

 

 シェルターの出入り口を偽装し、扉を閉じる。泥やら草やらを払ってから私は漸く重い防弾着とブラスターライフルから解放される。

 

「一応、ここなら文明的な生活は出来そうだな……不味い冷製ヴルストからも解放されるしな」

 

 フリーズドライ製品や缶詰、インスタントとは言え糞みたいな帝国軍下級兵士の前線レーションよりは遥かにマシである。

 

「んっ……はぁ、流石に疲れました……」

 

 何日も碌に睡眠もせずに歩き続けていたノルドグレーン中尉も同じようにブラスターライフルを手放し床にへたりこむように座りこむ。その表情には余裕は当然なく、鮮やかなブロンドの髪は土や泥でくすんでいた。

 

「……中尉、ここまで御苦労だ。ゆっくり休んでくれて構わない。……取り敢えず今日は食べてから寝てしまおうか」

 

 私は倉庫から運び出した缶詰めを手にして今日の予定について語る。

 

「了解しました……あのっ……その……」

 

そこで副官は少々言いにくそうに言葉を濁す。

 

「……?どうした?何か要望があるなら言ってくれて構わん。流石に余り無茶な事は却下せざるを得ないがな」

 

 何か必要な事があるならはっきり言ってもらった方が良い。特にこういう余裕の少ない時は特にだ。下手に一物隠されていても面倒でしかない。

 

「いえ……その…こんな時に失礼ですが……シャワーを浴びたいのです……流石に三日もですと……」

 

 手を首元に置き、こちらを伺うようにして途切れ途切れに呟く中尉。恐らくずっと気にしていたのだろう。

 

 脱出部隊に参加前は普通に連隊戦闘団の野外入浴機材が使えたし、脱出部隊でも濡らしたタオルで身体を拭く事位は出来ただろうが、二人で迫撃から逃げていた数日間は汗を拭う余裕すらなかった。

 

 無論未だ危機的状況である事に変わりはなく、言いにくい内容である事は間違いない。だが同時に一応の安全地帯を確保した以上、この手の優先順位が低い事も気になり始めるのも理解出来る。

 

 何より私も流石に何日も泥と汗で汚れていたら不快感もかなりのものだ。まして女性ならば耐えがたいものだろう。故に私は副官の言を非難すべき理由はない。

 

故に私は彼女の希望を咎める事なく認可したのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここで途切れているな」

 

 闇夜の中、森の終わりで二人は地面を見つめながら確認する。泥についた足跡は一応教本通りに隠滅されていたがこの二人の前では誤魔化し切れるものではなかった。

 

「となると……平原に出たのか?驚きだな、貴族の坊ちゃんは兎も角御付きは止めるだろうに」

 

 蜂蜜色の髪の小男が少しだけ驚いたように語る。恐らく逃亡している獲物は二、三名。内獲物の狐は一匹として残りは護衛だろう。功績を先に頂戴しようとして先行した幾つかの部隊が始末されている事から考えて護衛は相応に優秀な筈であった。ならば森から出る危険性位指摘出来そうなものだが……。

 

「その坊ちゃんが靴が汚れる森を嫌った可能性があるが……」

 

 僅かにその美貌を冷笑で歪ませながら金銀妖瞳の中尉は一度だけ見た『狐』の姿を思い出す。部下が残る中愛人兼任の護衛であったのか女性兵士に引っ張られながら逃げるその表情……相応に整った顔立ちであったがそれすら門閥貴族の不道徳の証明に思える……には明らかな弱者が強者に受ける恐怖の感情が垣間見えた。育ちも良さそうでいかにも我儘を言い、汚れるのを嫌がりそうな印象を受ける。

 

「まぁ、流石にそんな馬鹿げた理由ではないだろう。本人は兎も角御付きが反対するだろうからな」

「そうなると……」

「ああ、そのリスクを取るに値する理由があると言う訳だ」

 

 そう語り合う二人の視線の先にあるのはこの星の名士か何かのものであろう、帝国人から見ても豪邸と言える屋敷である。

 

「まさかあそこ……な訳はないな」

 

 ミッターマイヤーは一瞬考えた後その考えを否定する。あんな分かりやすい所に隠れるならそれこそ付き従う臣下は無能である。ここまで迫撃を返り討ちにした者達がそれこそ諫言しない筈もない。

 

「恐らくは……」

 

 周囲を警戒しつつ二人の帝国軍士官は僅かな足跡を手掛かりに草原に足を踏み入れる。

 

「流石に消えたか……」

「だがここで消えたとなれば……」

 

 ロイエンタールは微笑を湛えて周囲を見渡す。足跡がここで完全に消えたと言う事はここから入念に足跡を消す余裕、あるいは時間があった事を意味する。つまり……。

 

「見つけたぞ……!」

 

 ロイエンタールは暗視ゴーグル越しに目を皿にして見渡し、遂に僅かに土の掘り返された場所を見つけ出した。

 

「良く偽装しているが流石に完全には誤魔化せなかったらしいな。ロイエンタール」

「ああ、今度は卿からだ。援護する」

 

 ロイエンタールは小さく笑みを浮かべながら先鋒を親友に譲る。

 

「それは結構、臨時ボーナスは独り占めさせてもらうぞ?こっちは物入りなのでな」

 

 冗談気味に庭師の息子はブラスターライフルのエネルギーパックを確認する。彼が実家に住まう親戚の娘に贈る指輪のために支給される給金を貯金している事をロイエンタールは聞いていた。もし此度の狩猟が上手くいけば当初よりもずっと上等な大粒の天然金剛石の指輪を贈る事が出来るだろう。

 

 第三者がそれを見ればあるいはまるで相手側の反撃を想定していない傲慢な会話にも聞こえたかもしれない。そう、まるで人間狩りを行う門閥貴族のように……。

 

 だが、それは見る目のない者の受ける印象だ。口の悪さは兎も角として、見る目のある者ならば、その眼光にも立ち振舞いにも一切の油断は無く、相手の抵抗を想像さえしていないボンクラ貴族とは根本的に異なるプロの軍人を感じさせるものだと気付く筈だ。

 

「さて、どれだけ抵抗してくれるかな?」

 

 狼のように獰猛で狡猾な笑みを浮かべながらウォルフガング・ミッターマイヤーは獲物の引きこもる巣穴に足を踏み入れた……。



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第百二十三話 知らなかったのか?双璧からは逃げられない!

令和が始まりました、末永く良き時代となりますように


「珈琲だ」 

「ああ、済まない」

 

 その特徴的な銃声から『ルドルフの電動鋸』と同盟軍から忌み嫌われるMG機関銃(マシーネンゲヴェーア)を三脚で据えて周辺警戒する分隊支援班の上等兵は、後方から来た同僚からマグカップに注がれた天然豆の珈琲を受けとる。

 

 12月18日の深夜、帝国地上軍第九野戦軍第九一一歩兵師団所属のある分隊の兵士達は、夜の山岳地帯で即席の塹壕に身を潜めて周囲を警戒しながら休息を取っていた。

 

 同盟軍呼称四六七高地、帝国軍の呼称をホーホライン要塞陣地は、周辺の視界の見晴らしが良く、観測拠点としての有望性、特にその地理的位置は第九野戦軍の後退において決して無視できない価値を持つ。故に、12月8日には装甲擲弾兵第三軍と猟兵部隊による後方の攪乱と補給線の断絶を仕掛け、それに呼応した正面部隊の反撃によってホーホライン要塞陣地を孤立せしめた。その後、孤立した同盟軍に対して帝国軍は五倍を超える戦力による間断なき波状攻撃を行っているのだが……。

 

「ちっ、何て砲声だよっ……!」

 

 火山でも爆発したかような轟音が闇夜に響き渡り、塹壕の前方警戒壕で機関銃を構えた兵士は苦虫を噛んだような声で舌打ちする。

 

 帝国軍の誤算はこの要塞陣地に立て籠もる同盟軍の精強さであった。第六五八装甲旅団の有する重戦車フェルディナンドは自走砲並みの口径を持つ電磁砲を保持している。要塞砲替わりとなった約八〇両のフェルディナンドはその火力で帝国軍歩兵部隊を中隊単位で耕し、丘陵の影に隠れる装甲車両をその丘陵ごとぶち抜いて吹き飛ばし、肉薄してくる敵兵は巨体でひき殺し、近距離からの砲撃の衝撃で消し炭にする。

 

 あんな化物なぞ相手に出来るか、そんな風に恐ろしいが機動力が決定的に劣るフェルディナンドとの交戦を避けて要塞内部に入れば待ち構えるのは戦斧を構えた第五〇一連隊戦闘団……『薔薇の騎士連隊』(ローゼンリッター)の一騎当千の戦士達である。要塞内部に突入した味方は文字通り一人残らず殺戮された。

 

 結果として、帝国軍は激しい砲爆撃を加えつつ少しずつ包囲網を狭めているのだが……この分では陥落までまだまだ時間は必要であろう。

 

「ああ……寒ぃ……たく、ここ最近酷い雨だなぁ……」

 

 凍える手で金属製のマグカップに注がれた珈琲を口をつける機関銃手。淹れたての珈琲の苦みに砂糖のほのかな甘みが身体を癒す。後方の塹壕では分隊の残りの同僚が今頃珈琲と温めたレーションでストーブに当たりながらランチと洒落込んでいる事だろう。交代制とは言え空腹と寒さが辛い、さっさと変わって欲しいものだ。

 

「本当だな、全く……叛徒共も土竜宜しくよくもまぁ地面に潜ってねば……」

 

 そこまで言って珈琲を差し入れしてきた同僚が言葉を止める。

 

「?おい、どうし……」

 

 その沈黙を不自然に感じた機関銃手は同僚の方向を見やる。そこには口元を締められ首元に鉈を突き出された同僚が目を見開き悶えていた。機関銃手は驚愕した味方に敵襲を知らせようとする。しかし……。

 

「あがっ!?」

 

 次の瞬間、口を腕で塞がれて首元を鉈で切り捨てられる。機関銃手は何が起きたのかも分からぬままに絶命した。

 

「ちょろ過ぎですぅ、これじゃあ流石に歯応え無さ過ぎですぅ……」

 

 にやり、と口元を歪め嘯くように呟くのは夜間用迷彩服に暗視装置を装備したネーナハルト・フォン・ライトナー准尉である。そんな緊張感のない妹の態度に溜息を吐いた後、同じく警戒していた帝国兵の死体を捨てたテオドール・フォン・ライトナー中尉は、血のこびりついた鉈を構え直し手信号で味方に警戒部隊の無力化を伝える。

 

 それに答えて十名ばかりの人影が岩肌に隠すように設けられた要塞の出入り口から現れる。

 

 一団の先頭に立つワルター・フォン・シェーンコップ少佐はライトナー家の兄妹の所業を確認すると関心したように小さく口笛を吹く。

 

「相変わらず可愛い顔してやる事がえげつないものだな?」

 

 童顔で線の細い小柄な体格な事もあり保護欲を刺激する兄妹ではあるが、いざ前線に立つと闇夜から、あるいは死角から襲い掛かり躊躇なく一撃で喉元や頸動脈、脊髄に致命傷を与えて始末する。時には見せしめに返り血も気にせず笑顔で死体を解体して、首を晒したり手足を木々の上から吊し上げたりもしてくれた。客観的に見てクレイジーだ。

 

「これ位家の者なら誰にでも出来るのですぅ……」

 

 口を尖らせて少し不満そうに妹は言い返す。この兄妹は体格に恵まれなかった事もあって、同じ一族は当然として伯爵家に仕える他所の家を含めたとしても正直強い方ではない。

 

 一族の当主には毎回ニ対一で秒殺されるのは仕方ないにしろ、中堅のヨルグ大叔父や従兄であり若手のビョルンにすら一撃腹パンで負けてしまう。それ所か引退前のオルベック家の老骨にも笑っていなされるし、デメジエールの長女相手でさえ一方的に嬲られる有様だ。そもそも目の前の新参の食客帝国騎士相手でさえ基本的に劣勢に立たされるのだ(それ所かそう遠くない内に勝てなくなる筈だ)、褒められても嫌味に聞こえるだけである。

 

「別に嫌味ではないんだが……まぁいいか、まずは仕事ですな」

 

 シェーンコップは部下を連れて体を屈めて塹壕に足音も立てずに近づく。そして塹壕の中で座って温かい食事をしていた帝国地上軍の分隊を確認する。

 

「行くぞ……!」

 

 次の瞬間、シェーンコップを先頭にして立ち上がった兵士達は全員懐から消音装置付きの火薬式サブマシンガンを取り出した。塹壕内で食事をしていた帝国兵達は、シェーンコップ達の存在に気付いて手にするトレー皿を捨てて急いで腰のハンドブラスターや傍のブラスターライフルに手を伸ばそうとする。だが、その前に全ては決した。次の瞬間銃声もなくばら撒かれる鉛弾の嵐に分隊は物の数秒で蜂の巣にされ全滅する。

 

 殺戮劇が終わると、シェーンコップ少佐達はその死骸の積み重なる塹壕に入って生存者がいないかを確認していく。途中塹壕内に設けられた無線機から定時報告を求める通信が入るが、シェーンコップの部下の一人が帝国公用語でそれに答えた。無線機越しでは声質は分かりにくいし、限りなくネイティブな帝国公用語で返されれば受け取る方は然程違和感は感じなかっただろう。

 

 幾らかの武器や物資を拝借するとシェーンコップ達は移動する。籠城戦とはいえ守るだけが戦いではない。隠し通路からこのように敵の警戒網や後方に浸透して嫌がらせのようにチクチクと打撃を与えるのもまた防衛戦の一環であった。

 

「行くよ」

「はいですぅ、お兄様」

 

 シェーンコップ達の後ろからライトナー従士家の兄妹も続く。消音装置付き火薬式拳銃を手に、暗視装置の解析映像越しに周囲を警戒していく。

 

「……ネーナ」

「はいぃ、何か隠れましたぁ」

 

 こちらに気付いたのだろうか、少し離れた岩の影に誰かが隠れたのを確認する二人。すぐさまシェーンコップ少佐達に事を告げて警戒しつつその岩影に向かう。

 

「ごほッ……ごほっ……!」

 

 物陰から隠れた人物の様子を伺う兄。どうやら隠れた人物は咳込みながら座り込んでいる様子だった。手負い?敵か味方か……兎も角は制圧してから考えるべきか………。

 

 兄妹はアイコンタクトで行動指針について合意する。そして次の瞬間岩陰からその者を包囲するように躍り出てハンドブラスターの銃口を向ける……!

 

「……!?」

 

 だがライトナー兄妹が闇夜の中で視認したのは負傷した友軍兵士でなければこちらを偵察する帝国兵でも無かった。いや、帝国軍人ではあったがそれは余りにもこの場では場違いで奇妙だった。

 

 軍服は前線での陸戦を行うには余りにも不似合いな出で立ちであった。帝国地上軍の後方勤務士官用の略装……略装と言ってもあくまでも式典用の正装に対しての略装である。到底この前線での戦闘において非効率な服装である事に疑問の余地はない。

 

「これは驚きましたぁ……」

 

 そう兄妹の妹が呟いたのはその胸元の兵科章と首元の階級章を見ての事だ。経理科を表す双頭の鷲にサーベルを背後で交差させた金塗りの兵科章、そして首元の階級章が表すのは……。

 

「主計准将!?」

 

 思わず驚愕の声を上げる兄。当然の事である。主計准将の階級は簡単に手に入るものではない。

 

 建国期に比べて確かに軍部も貴族社会も腐敗しているとは言え、それにも限度がある。予備役や私兵軍の将官等の儀礼的なものなら兎も角、正規軍のそれが賄賂やコネで手に入れられると思うのは同盟人の偏見だ(そんな軍隊相手に一世紀半も戦っている同盟軍は無能であると言っているに等しい事に気付かないのだろうか?)。

 

 まして、経理科を安住で遊んでばかりな後方勤務と断定するのはその者の無知を晒すに等しい。軍隊における経理は無論デスクの上での事務が中心ではあるが、そのための会計知識は一年二年で理解出来るものではない。その上経理の仕事は給金計算だけでなく、補給物資や兵器の調達・購入、あるいは出征や遠征の地代や人件費の予想計算と算出、業者や領主との交渉が含まれる。時として不正や横流しが無いか屈強な兵士達に睨まれながらの抜き打ち現場視察があるし、それ所か物資の現地調達や現状確認のために現場……即ち前線に顔を出す事も珍しくない。咄嗟の時の機転も求められる。同盟軍でも帝国軍でも、経理科の軍人は普通に高学歴者ばかりで占められている。

 

 帝国軍では学歴だけでなく業者や領主、指揮官への顔の広さと話術の才能が殊更重視される。そのため平民出身者から『前線逃れ』と侮蔑気味に言われる事もあるが、その将官ポストに就くのは門閥貴族階級、特に血縁関係が広い者や政財界や宮廷、軍部の社交界で顔の広い者、人を魅了する交渉術に長けた者等が配属される。

 

 そんな主計准将がこんな最前線に一人で顔を出していれば驚くのは当然だ。しかも銃撃で受けたのだろうか、真っ赤に染めた腹部を抑え、こちらにハンドブラスターを構える整った顔立ちの好青年というべき人物を前に兄妹はこの場をどうするべきか互いに僅かに顔を見合い戸惑う。

 

「……卿らはっ……げほっ……同盟軍……か?」

 

 そんな二人を他所に、当の主計准将は傷の痛みからか額に大粒の汗を出し苦悶に口元を歪ませつつも、威厳のある視線を向けながら流暢な同盟公用語で問う。

 

 その質問に今度こそ兄妹は互いの顔を見やる。当然だ、その主計准将は『反乱軍』ではなく『同盟軍』かと問うたのだから。

 

「……違うのか?」

 

 困惑する兄妹の態度に若干弱音の混じった不安げな態度で再度尋ねる主計准将。そこにようやく後方からシェーンコップ少佐達が姿を現す。

 

「どうした?これは……」

 

 シェーンコップ少佐もまた、その手負いのままハンドブラスターを構える准将を見て一瞬困惑の表情を浮かべ、双子の猟兵に事を尋ねる。そして事の次第を聞き終えると、暫し逡巡した後に一歩進み出て官姓名を答える。

 

『自由惑星同盟軍宇宙軍陸戦隊、第五〇一独立連隊戦闘団所属ワルター・フォン・シェーンコップ少佐であります、僭越ながら准将閣下殿のお名前をお聞かせ願いたい』

 

 宮廷帝国語による優雅で礼節を弁えた敬礼と共にシェーンコップ少佐は問う。その質問に警戒したようにシェーンコップ少佐とその部下、そして周囲を観察し‥…数刻の後にハンドブラスターの銃口を下げて口を開いた。

 

「私は帝国地上軍所属、第九地上軍司令部経理部副部長カール・マチアス・フォン・フォルゲン主計准将だ……自由惑星同盟への亡命を願いたい……それと……これを…………」

 

 一瞬迷った後、そう言って血塗れの震える手で持って、帝国国内スパイ組織『フヴェズルング』のメンバー、コードネーム『シャルルマーニュ』は目の前の薔薇の騎士達に光ディスクを差し出した………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ……はぁ………」

 

 簡易的なシェルターであるが故に流石に浴場なぞないために、汚れた衣類を脱いだテレジア・フォン・ノルドグレーンは立ったままその砂や泥の被った頭から熱いシャワーを浴びた。

 

「はあぁ………」

 

 汗や垢、砂埃が熱湯で洗い流される感覚を感じ、彼女は特に意識したわけではないがどこか艶めかしい吐息を漏らす。それだけリラックス出来ている証拠だ。

 

 余り自身の未熟さを言い触らしたくはないが、やはり数日に渡る逃亡劇は二四歳の『お嬢様』でしかない彼女に精神的にも体力的にもかなりの負担をかけていたのだ。

 

 従士家にだって当然格がある。同じ門閥貴族の臣下でも、現場で戦う者から屋敷で家事をする者やデスクで事務をする者だっているし、平民と変わらぬ生活をする者から門閥貴族に匹敵する生活をする者まで千差万別だ。

 

 ティルピッツ伯爵家に最初期から仕えていたノルドグレーン従士家は当然、帝国の数多くある従士家の中でも上等な部類に入るし、その本家ともなればその毛並みは門閥貴族階級から見ても悪くない生活をしていた。同盟に亡命する前には、伯爵領で幾つかの郡長を拝命しつつ領内の財務や治安を担っていた。一族から帝国政府に出仕した者には地方の警察署長や州警察長官、財務省の部長や軍務省の経理局次官、一度は社会秩序維持局局長を務めた者すらいる。

 

 亡命後は当然弱体化したとはいえ、それでも本家分家合わせて十二家百数十人、仕える奉公人や農奴は末端や一時雇いを含めれば一〇〇〇人はいるだろう。従士家である以上主家とは絶対的な上下関係はあるし、常に主家の嫡男に付き従って雑用をしているとは言え、その実テレジアも十分『令嬢』と呼ぶに相応しい位には実家では至れり尽せりという立場だった。

 

「……力不足…でしょうか……?」

 

 頭から湯を浴びたまま正面の壁かけの鏡を見つめるノルドグレーン中尉。そこに映るのは見るからに憔悴した表情を浮かべる女性の姿だ。

 

 成程、肉付きは悪くないだろう、自分でも世間一般的に見れば魅力的なスタイルである事も理解している。鮮やかな長いブロンドの髪も、紅玉のように輝く大きな瞳も、あるいは白魚のような細く白い手や豊満で張りのある胸元、括れた曲線を描く腰に引き締まった臀部、ふくよかな太腿……全て世間一般的な価値観で見れば女性の美貌に付加価値を与える要素だ。だが軍人としての付加価値を与えるかと言えば必ずしもそうではないし、ましてこの場の危機において役立つかを思えば考えるまでもない。

 

 そうでなくても戦闘技能も、経験も不足している事を彼女は自覚していた。鍛錬で顔立ちの良く似た遠縁の同僚に勝てた事なぞ一度もありやしない。当然覚悟も、主人からの期待や信頼も遥かに劣る事であろう。

 

「何故私なんかがこの立場に……」

 

 ぽつりと小さく、弱弱しく従士は呟く。

 

 その言葉は決して今の苦難を嫌がってのものではない。今や自分が唯一傍で主人を護衛出来る立場であり、すべき立場なのだ。責任を持って、一命に賭けてその義務を果たさないといけない事は理解出来るし、それを拒否する事はあり得ない。既に一族から主人を逃がすために捨て駒になった者もいるのだ。尚更課せられたその責任は重い。

 

 だが同時に自身の未熟さも理解していた。技能も体力も、覚悟も主人からの信頼も足りない。自身には余りに過分な役目……正直に言って彼女はその負担に苦しんでいた。

 

「せめてゴトフリート少佐や御姉様なら……」

 

 そうでなくても自分よりも役立つ従士なら沢山いた筈なのに、よりによって自分がこんな重要な役目を受け持つなんて……!!

 

「……!」

 

 胸を締め付けられるような感覚に中尉は呻き、身体を曲げて苦しむ。恐らくはストレスと緊張感から来るものであろう。

 

「分かってはいます……分かってはいます……」

 

 過呼吸気味のそれをゆっくりと整えていき精神を落ち着かせる。自分の役目は理解している。だがそれを果たせる自信が浮かばない。必要ならば何だってする、この命だって捧げよう、だがそれでも……それでも足りないのだ。

 

「何故……私が………」

 

 消え入りそうな声で彼女は再度呟く。そう何故自分なのか、何故力不足の自分なのか、不適格な自分なのか、足手まといの自分なのか………何故主人に信用されない自分なのか?

 

「っ………!」

 

 その脳裏に浮かぶ不安と怯えを振り払うようにしてノルドグレーンは再び頭から熱湯を被る。

 

 無心に熱い湯と冷水を幾度か交互に浴びた彼女は、その染みのない白く瑞々しい生気に満ちた皮膚を一段と引き締めた。軍服はシェルター内の洗濯機で洗濯するとして、物資として貯蔵されていたシャツとズボンを拝借する。まだ濡れた髪を纏めて最低限の身だしなみを整えた上で、彼女は後ろ髪を引かれる思いでシャワー室から退出した。本当ならもう少しシャワー室で一人でいたかったが、いつまでも主人を待たせる訳にもいかない。

 

 シャワーで火照る身体に頬は赤らむ。瑞々しく艶を戻したブロンドの髪に赤く光る瞳は女性的な魅力に溢れている。だが……その表情は相変わらず捨てられた子犬のように情けなく、沈んだように暗いままだ。

 

 このような表情は到底見せられない、鏡に向き合い半ば無理矢理笑みを浮かべ、ノルドグレーン中尉はシェルターのリビングに当たる部屋に続く通路を歩く。

 

 このエル・ファシルの名士らしいロムスキー家の別荘シェルターはどうやら地下三階建てのようだった。物資貯蔵の倉庫となっている地下一階に生活空間としてリビングや寝室、シャワー室、トイレがある地下二階、空気清浄機や発電機、濾過機のある機械室となっている地下三階のという設計だ。宇宙暦八世紀のそれとしては平均よりも少々大がかりなものではあるが、帝国貴族の基準としては小さいと言わざるを得ない。

 

 無論、ロムスキー家が数多く保有するシェルターの中でも小さい部類ではあるのだろうが……いかに辺境とは言え、流石に一惑星の名士が持つシェルターがこんな小さいものだけだとしたら、それは恥ずべきことなのだから。

 

「若様、只今シャワーを終わらせました」

 

リビングに着くとノルドグレーン中尉は敬礼して自身の主人に報告を行う。

 

「んっ……ああ、報告御苦労。これを食べたら私もシャワーをさせてもらおうか」

 

 そう語るのは、ソファーに座り電子レンジで温めたのだろう鶏肉と玉葱、パスタ等の具材がたっぷりと含まれたミネストローネスープを味わっていた彼女の主人の姿だった。汚れた上着を脱いでいるために上に着ているのは薄手のシャツ一枚だ。それも汗で濡れているためか、均整の取れた筋肉質な身体が透けて見える。

 

 良く鍛えられている、ちらりと僅かに見惚れるようにその姿を見てノルドグレーン中尉は思った。

 

 開祖ルドルフ大帝の指針以来、健全かつ頑健な肉体を保持する事は大貴族から平民まで全臣民に推奨されている政策である。帝政初期の貴族達が文字通り古代地球時代のスパルタ人の如き鍛え抜かれた肉体を保持していたのは、当時の記録映像から見ても明らかだ(しかもボディービルダーのように薬物類を使う事なく、運動と食事のみでである!)。

 

 とは言え、流石に現在となっては、腐敗したオーディンの貴族は当然として、亡命政府宮廷でも武門貴族は兎も角文官として勤務する貴人は多忙もあってかつてのように肉体を徹底的に鍛えぬいている者は少ない。例外はゴールドシュタイン公爵やブローネ侯爵位のものであろう。

 

 武門貴族の中でも自身の主人はほかの貴人に比べて良く鍛錬している方である事をノルドグレーン中尉は知っていた。『肉体は勉学よりかは努力を裏切らない』ためらしい。どこか悲壮な様子で日々鍛えている主人の姿は少し不思議ではあったが、少なくともその成果は客観的に見ても見事なものと言えよう。装甲擲弾兵の精鋭相手ならば兎も角、雑兵相手ならばその身体能力だけで対応出来る程の質実剛健な肉体であろう。

 

「中尉もそこの物を好きに選んで食べてくれたらいい。それにしても………」

 

 テーブルの上の保存食品を指差して語る主人の口調が途中で歯切れが悪くなる。

 

「?どうか致しましたか?」

「いや……少し薄くないか、それ?」

「?いえ……」

「いや……あー、そうだな。分かった。好きにしてくれて構わない。……では次にシャワーを貰おうか?」

 

 何か言いたげにした主人はすぐにそれを取り消すと、自身から視線を逸らしてそう会話を終わらせて、スープを飲み切ると立ち上がってシャワー室に向かった。

 

「……どうぞごゆるりと」

 

 リビングをそそくさと去る主人に対して、彼女は表面上は恭しくそう口にした。

 

「……ああ」

 

彼女の主人は一旦足を止めると、短くそう返答して再びシャワー室へと向かった。

 

「……警戒、という程のものではないのでしょうが………」

 

 主人がシャワー室に入ってから、ノルドグレーン中尉は小さく自虐的に呟く。

 

 彼女も捻くれてはいない。恐らくはこちらの疲労を心配しての事であろう。

 

 ………しかし、主人が自身を少し腫れ物に触れるように扱っている事に、先程までの葛藤もあり何とも言えない気持ちになるのもまた確かであった。唯でさえ足手纏いの自覚はあるのに、あのような遠慮した態度では五年前に顔合わせした時の苦い記憶を思い出す。主人は気にはしていないのであろうが、このブロンドの従士はあの時のひと悶着を今でも強く記憶していた。

 

「仕方ない事ではありますが………」

 

 水の滴る髪を撫でながらぽつりと一人ごちる。上司と部下、主人と臣下として考えた場合、自分がもう一人の付き人と違い、信用はされていてもまだ最大限の信頼は勝ち得ていない事は理解していた。無論、仕えていた年月が違うのだからある意味当然と言えば当然の事ではあるし、出会いがあれでは信頼して欲しいという方が無茶というものだ。

 

 理解はしている。だが…………。

 

「いっそ、もっと別の関係ならばこのような事気にしなくても良いのでしょうが……」

 

 主人との関係がよくある妾としてのものであれば、このような事気にかける必要性は皆無なのだ。戦場と違い信頼関係が致命傷になりはしないし、責任の重さも全く違う。何よりも顔の良く似た付き人と自身とで能力を比較し劣等感を感じる必要もないのだから。

 

 そもそも本来ならば付き人は同性が基本であるし、ノルドグレーン中尉自身も主家が武門貴族であり亡命軍が慢性的に人的資源不足であるが故に予備役軍人として最低限の教育こそ受けてはいるが、今の立場になる前は自身が正規軍人になるとは考えてなかった。主人の母……即ち奥方に次の付き人に指名された時も、弾除けや補佐としての役目もあるが、それ以上に前任者の代役として『勤め』をする事になると考えていた程だ。

 

 実際彼女は自分の美貌にもスタイルにも自信を持っているし、主人も決して自分に興味が無いわけでは無いこともその視線から把握している。故にそちらを求められても十分に期待には答えられると自負はしていた。………現実にはやる仕事と言えば軍務ばかりであるが。

 

 無論それが嫌な訳ではないし、大恩ある主人のためならば望まれた職務を果たすのは当然ではある。あるのだが………。

 

「……卑しい」

 

 ふと、そこで我に返ると共に、自身の下賤な考えに侮蔑を込めて小さく罵倒の言葉を吐く。武門貴族にとっても、従士としても、血と汗を持って軍役の奉仕を誓う事は、唯肉の身体で持って快楽に奉仕するよりも遥かに名誉であり誇り高いであろうことは間違いない。それを今自分は何を考えていた?要求されたなら兎も角、その方が楽だからなぞ……随分と下品で低俗で、しかも安易な考えではないか?

 

「………冷えましたね」

 

 いつしかシャワーで温まっていた筈の身体が冷たくなっている事に気付いた。

 

 兎も角も体力の回復と身体を温めるために食事が必要なのは間違い無かった。テーブルの上に置かれた保存食からアルレスハイム星系の食品会社が販売している鶏腿肉のフリカッセを見つけ、同じく冷凍の玉葱パイと共に温める。調理を終えるとエリューセラ産のインスタントコーヒーと共にテーブルに座ると、彼女は豊穣神に祈りを捧げてからナプキンを膝元に敷き、育ちの良さが伺える上品な手振りで食事を始めた。

 

 温かい食事の筈なのに、何故か彼女には味気なく、温かみも感じられない食事に思えた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私がシャワーを浴びて上がった後再度軽食を摂り、多少今後の方針について義務的な会話をしてから、ノルドグレーン中尉と共にそれぞれ寝袋を用意して就寝の準備に入った。

 

(……気まずいな)

 

 疲れているのもあるのだろうが、互いに黙り切り黙々と作業に入っているためにどこかぎこちなく重苦しい雰囲気が漂う。

 

(しかも少し目のやり場がなぁ……)

 

 ちらり、と忠実な従士の方に視線をやる。薄手のシャツの中尉の胸元は正直反射的に視線が向かうし、うっすらと下の白い下着の輪郭が分かる。

 

 ……いや、官舎での生活で下着姿なんていくらでも見ているから今更ではあるが(これはこれで問題だ)、あの場ではほかにもベアトがいたし、それこそ官舎の外に出れば官舎街を巡回する警備兵がいた。ある意味で監視役や世間の目があった訳で、その意味で自制が利きやすい面があった。その意味で二人きり、しかも軍務で生命の危機があるとなると………。

 

「……何かこんな状況前にもあったな」

「……?どうか致しましたか?」

「ん?いや……何でもない」

 

 私は誤魔化すように話を切る。発情期の兎でもあるまいに……ベアトと遭難した時もそうだが、こういう時、私も大概本能任せの動物のような単純な思考をしている事を思い知らされる。原作の『新無憂宮』の馬鹿貴族を笑えないな(そもそも下手したらあいつらも私より遥かにやべー奴らだったりするのだが)。

 

「……中尉、警戒もあるから睡眠は交代で行うぞ。……疲れているだろうから先に眠ってくれて構わない。その間私が起きておこう。どうせまだ眠気が来ないからな」

 

 私は恐らく私よりもかなり消耗しているであろう中尉を労わる目的からそう提案する。

 

 私自身、ここ数日抗生物質と風邪薬を飲んで誤魔化しているが、やはり病み上がりの身体には三日三晩碌に睡眠せずに逃亡するのは辛い所であるのも事実だ。それでもカプチェランカや宇宙漂流していた時に比べれば、一応物資が豊富で安心出来る場所があるだけ今の状況はかなりマシな状況である。それにそもそも性別や鍛錬の差もあり私の方が余裕がある。中尉は身内も生死不明なのだ、ある意味私よりも遥かに辛い筈だ、休ませてやりたい。

 

 ………まぁ、そういうのは建前だがね。

 

 実際の所、私としても精神的に参っているから一人になりたい意図の方が大きい。ベアトの安否についてはこの逃亡中何度も嫌な予感が脳裏に過っていた。私よりも優秀なのだから無事であろうとは思うが、それでも不安にはなるものだ。

 

 唯でさえ私のミスで彼女の親族も含めて多くの部下を切り捨てる事になったのだ。私の御守りで中尉も疲労困憊、そこに私もうじうじとした姿を中尉に見せて不要な不安を与えたくは無かった。

 

「ですが……いえ、分かりました。……仰せの通りに致します」

 

 一瞬反論しようとしたが、すぐにしおらしく中尉は私の命令に従う。彼女も自身の限界は理解しているようであった。こちらとしては無駄に説得する労力を割かずに済むのはありがたい。これがベアトならば説得するのにまた時間がかかっただろう。

 

 ……故に私は中尉の憂いを含んだ笑みを気付かない振りをしていた。

 

「……そうか、済まないな。……ああ中尉、やはりその薄着はこの季節だと冷える。倉庫から上着を見つけたからこれでも着た方が良い」

 

 私自身の自制心のためにも、とは言わずに見つけ出した上着を差し出す。立とうとする中尉を止めて私自身背後から上着を被せるように近づく。気付いたのはその時だ。リビングの奥の階段、シェルターの出入り口に繋がる地下一階倉庫室に繋がる階段の中から一瞬反射するような光を見たのは。

 

 次の瞬間こちらへと向かう光条を避けるように私はノルドグレーン中尉を押し倒して床にへばりつけるように伏せた。同時に右肩から焼けるような痛みが走ったのを私は自覚した……。

 

 

 

 

 

 

 

「避けたかっ……!」

 

 暗視装置を頭部に嵌め、電子スコープを備えたブラスターライフルを構えたウォルフガング・ミッターマイヤーは、若干の驚きとそれ以上の興奮を持って目の前で起きた事実を受け入れた。

 

 罠や待ち伏せに身構えて静かにシェルター内部に侵入に成功した庭師の息子は、そこで想定していた抵抗を受ける事はなく拍子抜けしていた。先行していた部隊が幾つか全滅した事から、少なくとも獲物の護衛は相応に手練れが控えている事を想定していたのだが、余りにあっさりと侵入出来たせいで疑念を抱いていた。

 

 そして吸音素材で靴底を作られた軍靴で音もなく地下二階に続く階段を下りた時に彼が発見したのは二つの人影であった。すぐにその片方が目的の獲物だと分かった。そしてもう片方は護衛……いや、親友の口にしていた戦場連れ込みの愛人であろう、生粋の軍人にしてはか細く、曲線の目立つ輪郭であった。

 

 蜂蜜色の髪を持つ小男は獲物が愛人の上着を脱がせている……実際には逆であったが……所に銃口を向けていた。お楽しみの所を悪いが、獲物の都合なぞ庭師の倅が考慮するべき事ではない。普通に考えれば明らかに油断しているであろう瞬間に獲物の抵抗力を奪うのは当然であった。無論、出来るだけ生かして捕獲したいので致命傷は避けるつもりであった。だが……。

 

「これは俺の方が甘くみていたかなっ……!?」

 

 ミッターマイヤーは最初の銃撃とその回避の動きで全てを悟り、親友に向けて内心で叫ぶ。

 

(成程、狩猟だ。狩猟ではあるが……ロイエンタールよ、これは少なくとも狐狩りでなければ鹿狩りでもないぞ?これは………!!)

 

 すかさず第二射を発砲したミッターマイヤー。だがその銃声は虚空に消えるのみであった。何故ならば射撃の数秒前に狩りの獲物はもう一人を抱きしめたまま床を転がるように射線の死角にまで移動したからだ。そして……!

 

「………!」

 

 ミッターマイヤーはまるで野生動物のような第六感で殺気を感じ取り、その場を飛び跳ねるように後退する。同時に放たれた光条は、先程まで彼が狙撃していた地点を通り抜けた。相手の姿は見えない。先程の二回の射撃から凡その居場所に目星をつけて、物陰から記憶だけを頼りにハンドブラスターの銃口を向けて来た、といった所か。

 

(反応が早い、思いのほか手慣れているな……!)

 

即ちそれが意味する事実は………。

 

「ロイエンタールめ、いい加減な事を言ってくれたな?狩りは狩りでもこれは狼狩りだっ……!」

 

 暗視装置の位置を調整し直しながら、予想外に手応えのある獲物に『疾風ウォルフ』は凄惨な、そして想定外の事態に関わらず屈託の無い笑みを浮かべた。それは良く肥えた豚を追い詰めようとしている猛狼を彷彿させていた。



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第百二十四話 リア充共は纏めて地獄に落ちればいいのに

 第四次シャマシュ会戦に敗れた帝国軍はタンムーズ星系にて決戦を挑んだ。相次ぐ敗戦で減少した帝国軍二個艦隊は警備部隊と独立部隊で増強した上で大型戦闘艇をかき集めた。

 

 大型艦艇二万二〇〇〇隻に大型戦闘艇六〇〇〇隻からなる戦力は同盟二個艦隊と激突した。後方拠点と地上軍の支援を受けた帝国軍はしかし、12月4日から開始された第三次タンムーズ会戦に大敗した。開戦から僅か四日の決着は帝国軍に衝撃を与え、同盟軍を大いに奮い立たせるものであった。

 

 同時に、当初の想定よりも遥かに低い損失と時間で第4星間航路奪還に成功した搦め手から戦力を抽出し、激戦の続くエル・ファシル方面に対して増援部隊を送り込む事が決定された。

 

「第一一艦隊をエル・ファシルに派遣する」

 

 搦め手の司令官を兼ねる第八艦隊司令官シドニー・シトレ中将は自艦隊を掃討と治安維持に充て、第一一艦隊をエル・ファシルに派遣する事をエル・ファシル星系で激闘を指揮するヴォード元帥に通達した。

 

「それで我々は碌に休めずに進軍か」

 

 第一一艦隊旗艦『ドラケンスバーグ』の士官サロンで第一一艦隊司令部直轄の第六九〇駆逐隊司令官ウィレム・ホーランド中佐は堅苦しい表情で呟いた。同盟標準時で昼過ぎであるために士官サロンの人影はまばらだ。

 

「仕方ないわ、寧ろ主戦場は彼方よ。こっちが勝っても彼方さんが撤退する事になれば奪還作戦は失敗扱いされるわ」

 

 ソファーで腕を組んでホーランドの言に答えるのは第一一艦隊司令部作戦課のコーデリア・ドリンカー・コープ中佐だ。手前のテーブルには注文したのであろう湯気の上がる珈琲とマロンケーキが置かれている。マルドゥーク星系産の栗を使った絶品ケーキは第一一艦隊が他艦隊に誇る名物であり、艦隊所属の女性軍人は休憩時間に必ずと言っていい程これを注文する事で評判だ。

 

「特に地上軍が問題よ。三個地上軍の撤収なんて……軍団規模で取りこぼしが出るのは確実よ」

 

 地上軍の撤収となると唯でさえ手間取るのだ。同盟軍は四〇〇万に及ぶ地上戦部隊をエル・ファシルに投入している。しかも数百キロに及ぶ戦線で激戦を繰り広げているのだ。撤退となれば相当数が取り残される事になる。将官も間違いなくその中に含まれよう。

 

 大規模艦隊戦と並行した地上戦の例といえば第二次ティアマト会戦が挙げられる。一般的にはブルース・アッシュビーと730年マフィアが帝国宇宙艦隊を壊滅させた事のみが色濃く記憶されるが、同時期ティアマト星系では同盟軍五個地上軍と帝国軍七個野戦軍が激戦を繰り広げた事でも有名だ。

 

「そうなると追撃もあるでしょうし、相当数の犠牲が出る事になるわ。帝国軍の二の舞はごめんよ」

 

 コープは毒づく。第二次ティアマト会戦は帝国軍、そして帝国門閥貴族社会の人的資源に致命的な打撃を与えた。『軍務省にとって涙すべき40分』の間に宇宙艦隊は六十名もの宇宙軍将官を喪失した。それ以前の戦闘とその後の追撃戦、帰還後の怪我の悪化等で失われた宇宙軍将官の総数は一〇〇名を超えると言われている。

 

 帝国地上軍もまた、宇宙軍の決定的敗北による制宙権喪失によって、陸と宇宙の両面から大反攻を受け、この会戦全体を通じ将官のみでも八〇名もの戦死者を出し、兵員三五〇万を喪失し八六万が捕虜となった。

 

「第二次ティアマト会戦は帝国軍の人材を枯渇させたからな、同じ轍を踏む訳にはいかん」

 

 ホーランドもコープの言に同意する。

 

 帝国の門閥貴族の人口は一〇万前後であり、女性の社会進出は一部例外を除き遅れている。老人や子供、学生を除くと帝国門閥貴族の成人男性で領主や私兵軍幹部、正規軍人、官僚、企業経営者等の立場にあるのは四万名を下回り、その内現役の正規軍人は平均一万名を超える程度であると言われている。

 

 第二次ティアマト会戦で帝国軍は三〇〇〇名を超える門閥貴族軍人を失った。第二次ティアマト会戦は帝国軍にとっても一大決戦であった。将官は当然として艦隊司令部の参謀や副官、宇宙軍の梯団や戦隊司令官、地上軍の軍や師団、旅団長……帝国軍の現在と将来を担う門閥貴族の第一級の人材がその脇を支える従士や帝国騎士、士族と共に永遠に失われたのだ。ファイアザード、ドラゴニアを始めとしたそれ以前の損害を含めたら、恐らく当時の門閥貴族階級出身の正規軍人の半分以上……それも恐らくは最も濃いエッセンスが消え去った。

 

 彼らはまた帝国軍にとって若手貴族士官や生徒の模範であり、宮廷にとって軍とのパイプたる代理人であり、貴族社会において『高貴たる義務』の教えを次世代に伝える良き父であり良き夫でもあった。それらが一挙に失われたのだから帝国にとってその喪失は数字以上の意味があった。

 

『皇帝陛下!我が伯爵家はティアマトにて愛する夫を失いましたっ!父も兄も、三人の叔父と四人の従兄も、再従兄弟も甥も!忠勇なる臣下達も!!皆ヴァルハラに召されました!私と伯爵家には最早この子しか残されておりません!この子を失えば代々続いて来た一族は断絶致します、それを軍務尚書殿は武門の家柄だと言って取り立てようと仰る!これが四〇〇年に渡り帝室に忠誠を誓ってきた我が家に対する仕打ちで御座いますか!?』

 

 時の皇帝コルネリアス二世不運帝の前でそう直訴したのは式を挙げて一年余りで夫と一族の多くを失った喪服姿の若い未亡人であったという。泣き叫ぶ彼女の腕の中にいるのは生まれたばかりの赤子であった。その直訴はその場に参列していた皇后や侍女、同じく父や夫を失った貴族の女性達の涙を誘ったという。

 

 流石に皇帝も軍務尚書もこれを咎める事は出来なかった。多くの武門貴族が跡継ぎを失い、未亡人達は幼い子や孫の将来の帝国軍への提供を拒否してもそれを軍部も皇帝も認めざるを得なかった。

 

 帝国軍は一〇年かけてティアマトの損失を補填したとされるが、それはあくまでも表面的なものに過ぎない。武門貴族の多くが物理的に失われ、断絶し、生き残りも多くが軍役を拒否したがために士官の穴埋めの多くが平民階級の成り上がりや数十年の歴史もない二等帝国騎士で占められ、それでも足りずに文官貴族や地方貴族が代わりに軍役を受け持った。

 

 階級社会の体面と貴族の義務のために不本意ながらも軍人となった文官貴族や地方貴族の倅達は勇猛ではあるが無謀であり、その稚拙な戦いは本人を含む多くの犠牲と市民の顰蹙を買った。下士官兵士の質もかなり劣化しており喪われた士族や軍役農奴の代わりに徴兵した平民で空いたポストは補填された。

 

 結局、数こそ補填され、増強されたものの、精強なる帝国軍は遂に再建される事はなかった。第二次ティアマト会戦以降730年マフィアと相対したゾンネンフェルス元帥以下の『七提督』が名将と称されるのは彼らの軍略もあるが、それ以上に弱兵を以て同盟軍の精鋭と渡り合った事が要因だ。

 

「あそこまで酷くなくても無駄な損失は避けたいものね。唯でさえ此方は地上軍の質で劣っているのに、ここで一線級部隊を軍団単位で降伏なんてさせたら唯でさえ人手不足の地上軍志願兵が激減するわ」

 

 溜め息をつくコープ。同盟軍の志願兵の多くが泥臭い地上軍よりも宇宙軍を希望する事は有名な事実だ。旧世紀の陸軍と海軍のイメージを引きずっているのか地上軍よりも宇宙軍の方が清潔で待遇が良いと思っている嫌いがあった。無論、現実は甘くないのだが……。

 

「そのための騎兵隊、と言う訳か」

「功績の横取り、という面もあるでしょうね」

 

 肩を竦めてコープが補足する。一大反攻作戦『レコンキスタ』であるが、当然ながら同盟中央宙域や市民が注目しているのは搦め手である第4星間航路の戦況ではなく、主攻たる第10星間航路だ。エル・ファシル陥落以降一億近く発生した難民の帰国は同盟政府の至上命題である。市民の生活のため、という理由だけでなく、彼らの生活保護の予算も馬鹿にならないのだ。作戦成功の暁には親戚等も含めて億単位の票が与党のものとなるという汚い打算もある。

 

 『レコンキスタ』を主導するヴォード元帥からすれば『派閥への配慮』のために一番美味しい第10星間航路解放に非長征系・長征派の部隊で固めたのだ。戦局を決定する騎兵隊の役目に子飼いの艦隊を送り込みたい事であっただろう。搦め手を指揮するシトレ中将も上官の無言の意思表示を忖度して敢えて第八艦隊ではなく第一一艦隊を派遣した(面倒な派閥争いから距離を取りたいという意味もあっただろう)。

 

「まぁ貴方にはどうでも良い事かしら?英雄様?」

 

 目の前のマロンケーキにフォークを刺して一口口に含んだ後、若干の呆れと嫌味を含んだ声でコープはホーランドに尋ねる。

 

 実際、ウィレム・ホーランド中佐率いる第六九〇駆逐隊は第三次タンムーズ星域会戦にて称賛されるに十分な戦果を挙げた。僅か二八隻の駆逐艦が挙げた戦果は撃沈艦艇のみでも戦艦二隻に巡航艦二四隻、駆逐艦一〇隻に上る。しかもその内には巡航艦群旗艦一隻と巡航艦隊旗艦二隻が戦果に含まれている。

 

 一方の損失はと言えば撃沈艦は皆無、中破三隻と小破二隻に過ぎない。余りにも一方的過ぎる戦果だ。敵艦隊の砲撃を駆逐艦の俊敏性で擦り抜けて戦列に浸透、擦れ違い様のゼロ距離射撃で次々と巡航艦を撃沈する姿は『クルーザースレイヤー』等と既に艦隊内で冗談半分畏敬半分で話題となっていた。それ以前の戦闘での戦功も含めれば昇進は確実であろう。まず英雄扱いされても可笑しくはない。

 

「止めろその言い方。むず痒くて堪らん」

 

 しかしその功績から天狗になっても可笑しくない筈の本人は、寧ろ不快気に腕を組み渋い表情を作り出す。

 

「あら、英雄扱いは御嫌いで?」

 

 意地の悪い笑みを浮かべ珈琲を飲むコープ。不機嫌そうに帰化帝国人は反論する。

 

「揶揄うな、俺が好かれていない事位知っている」

 

 士官サロンの端で政治論議をしつつ此方を見やる集まりにちらりと視線を向ける。そそくさと視線を逸らした参謀達。ホーランドは自嘲の笑みを浮かべ、視線を正面の作戦参謀に戻すと警告気味に言葉を紡ぐ。

 

「その公明正大な性格は良いが、お前も空気を読んだ方が良い。……余り俺の傍にいない方が良かろう?」

 

 冷笑、と呼ぶには悪意と力の弱い笑みを浮かべるホーランド。実際彼は自身の立場も、目の前の同期の立場も良く知っていた。

 

 構成員の七割を長征系ないし長征派とその混血で占められる第一一艦隊は、第二艦隊と並び余所者に冷たい艦隊だ。まして自身がアルレスハイム生まれともなればさもありなんである。例え帰化していようとも、それこそ根っからの長征派の中には下手すれば祖父母に一人でも帝国系がいるだけで忌み嫌う者すら存在するのだ。

 

 一方、コープ家は当然の如く建国の父アーレ・ハイネセンと共にアルタイル星系脱出とその後の航海で中心的役割を果たした名家だ。過去、そして現在までにジョン・ドリンカー・コープを筆頭に高級軍人や官僚、星系議会議員や首相を輩出してきた。彼女の母はルグランジュ家出身、祖母はアラルコン家であり従弟は士官学校首席卒業、一〇年に一人の秀才と持て囃されるワイドボーン家期待の長男だ。本来ならば会話するだけで仰天物なのだ。

 

 ホーランドからすれば故郷……亡命政府の不興を買って危険な最前線に送り込まれ続ける事は覚悟はしていたが、だからと言って自身を引き抜いて貴重な艦隊司令部勤務や陸戦部隊勤務等様々な部署で経験を積む機会を与えてくれた同期に感謝はしている。しているからこそ自身に必要以上に構われる事に否定的であった。

 

 彼女が単に同期でありライバルである自分が無駄死にする事を厭っている事は理解している。自身の戦果が結果的に引き抜いた彼女の功績に還元される事に文句はない。だが構われ過ぎて変な噂が広がっても困る。自分は兎も角、恩義ある彼女にまで嫌疑がかかるのは宜しくない。ホーランドは他者の足を引っ張ろうと考える程に卑屈な精神の持ち主ではなかった。

 

「…………」

「……そもそ…むぎゅ……!!?」

 

 ムスッと不機嫌そうな表情を向けるコープに納得していない事を理解したホーランドは更に言葉を続けようとするが……そこにフォークに突き刺さったマロンケーキを半強制的に口内に突っ込まれる。口の中に甘ったるい栗の味が広がる。

 

「長い、そしてウザい、上から目線、後話し方が教師みたいに他人事なのが腹立つわね」

 

 心底不機嫌そうにコープはホーランドの言葉に文句をつける。

 

「……少なくとも俺の口の中にケーキを捻じ込む必要性は無いと思うが……」

「そんなの知ったこっちゃないわよ、いつもいつも固い表情しちゃって、うちの義兄じゃあるまいし。甘い物でも食べて顔を弛緩させなさいな?」

「いや、その理屈は可笑しい」

「あんた、人が慰めてやっているんだから流れに身を任せなさいよ……」

 

 ホーランドからすればそもそもコープの義兄も甘党の癖に周囲から怖い顔扱いが拭われていないとか、それ以前に甘い物は苦手なのだとか色々と言いたい事があるがそんな事知った事ではないとばかりにコープはその赤毛を掻いて面倒な表情を向ける。

 

「そもそもあんたから空気読めなんて台詞が出るとはね、空気読んでいるアルレスハイムの帝国系が帰化申請出す訳ないでしょうに……」

「むっ……俺の人生だ。お前に選択肢をとやかく言われる筋合いなぞ無い」

「それはどうも、私も自分の人生よ、あんたの指図は受けないわ」

 

 売り言葉に買い言葉とばかりにコープはしたり顔で鼻歌を歌う。少々困った表情を作るホーランドに対してケーキを切り取り突き刺したフォークを口にして作戦参謀は追撃をかける。

 

「私の事なんて気にしなくていいわ。同盟は自由の国よ、少なくとも同盟憲章に違反しない限りは個々人が何しようとも文句を言われる筋合いなんてないわよ。そうねぇ、迷惑料なら今度の『盟友クラブ』の机上演習のチームでも組ませなさいな。それで十分よ」

「『盟友クラブ』だと……?それこそ針の筵だぞ?」

 

 特に士官学校戦略研究科出身の長征系若手エリート士官が次世代の戦略について研究を行う勉強会として『盟友クラブ』は賛否の分かれる評価を受けている。無論、彼らの政治性は兎も角その研究内容自体は有意義なものではあるが。

 

「そう思うなら勝てばいいのよ、正直言うと最近妙に色目使われて鬱陶しいのよ。一つあんたに活を入れて貰えばあいつらも真面目に研究に没頭するでしょうよ」

「おい、俺を更に面倒事に引きずり込もうとしてないか?」

「知るものかしら。あいつらにはいい薬よ。それとも折角怯える美女の願いを無碍にするのかしら?」

「自分で美女と言うな」

 

 はぁ、と脱力したようにホーランドは溜息をつく。そう言えば他人が言った所で唯々諾々と従うような女じゃなかったな、思い出す。活力とプライドに満ちた独善的な自信家なのだ。下手に能力があるのと恩があるのが質が悪い。

 

「………」

「………どうした?」

 

 ホーランドは胡乱気に手元の珈琲に手を出すと、ふと尊大に手足を組むコープがこちらを見ている事に気付いた。先程の偉そうな態度から急に焦れたようにこちらを睨む。

 

「……返事」

「はぁ?」

「私だって流石に相手が嫌がるのに無理強いはしないわ。こちらとしては来てくれた方が助かるけど……どうなのよ?」

 

 むすっと不機嫌そうに、しかしどこか不安げに確認を取るコープ。変な所で義理堅いな、などとホーランドは内心で呟く。

 

「………」

「……な、何よ?」

「いや………」

 

 ホーランドはこちらの様子を窺うコープを特に意味なく見つめる。

 

(………何を考えているのだろうな、俺は)

 

 内心で浮かんだ一抹の感情を自嘲しながらホーランドは返答する。同時にコープのどこか不安げな表情は花が咲き誇るような笑みに変わり、見るからに機嫌良さそうに手元のケーキを口にしたのだった。

 

尚……。

 

「………待て、今思ったのだがそのフォークは先程俺の口に突っ込んだ………」

「……煩い黙れ止めろ触れるな、ぶち殺すぞ」

 

 ホーランドは指摘しないで良い事を指摘したがために目の前の同期であり戦友である女性士官に無表情でそう罵られたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛っ……ベア……中尉、大丈夫かっ!?撃たれていないか!!?」

 

 テレジア・フォン・ノルドグレーン同盟宇宙軍中尉は一瞬思考が停止していた。それ程までに思いがけない事であったからだ。

 

 至近と言えるだろう。従士は目と鼻の先に必死の表情の主人の姿を視認した。同時に今に至る状況を思い出す。

 

(今……私は押し倒されたのですか?)

 

 確か上着を差し出されたと同時に押し倒された筈だ。もしこれが伯爵家の屋敷の一室での事であれば『そういう事』を要求されている場面であるのであろうが、ノルドグレーン中尉の決して無能ではない思考能力はすぐにその可能性を打ち消していた。

 

「あっ………」

「ちぃっ……!!」

 

 ノルドグレーン中尉が何事かを口にしようとする前に彼女の主人は次の行動に移っていた。乱暴に彼女の肩を掴むとそのまま横に向けて自分ごと回転するようにソファーの影に移動した。同時に彼女の視界に映るのは先程まで二人がいた場所を通り過ぎる光条であった。この時点で彼女は自分達がどのような状況に置かれたのか完全に理解した。

 

 同時に自身の頬に何かがついている事に気付く。嫌な予感と共に頬に触れれば指先に濡れるような感覚。その指を見れば絵具のように真っ赤な血液がこびりついていた。自身が撃たれた訳ではないのは分かった。ならばこの状況で返り血が飛んで来るとすればその血の主は一人しかあり得ない。つまり……。

 

「若様………!?」

 

 ノルドグレーン中尉はじわじわと上着の右肩に広がる赤いシミに血の気を引かせて顔を青くする。

 

「そこに伏せていろ……!!」

 

 ノルドグレーン中尉にそう命令すると彼の主人は跳び跳ねるようにその場から立つ。負傷していない左手で腰のホルスターからハンドブラスターを引き抜き、物陰から相手に向けて限りなく正確な射撃を放つ。だが……。

 

「避けたかっ……!」

 

 向こう側から響いたかすかな足音から彼女と彼女の主人はすぐにそう判断した。そしてそれは間違っていない。

 

「不味いな……」

 

 自身の主人の呟きの意味をノルドグレーン中尉はすぐに理解した。

 

 これは奇襲だ。まずそれにより心理的に劣勢に置かれ、しかもこちらは装備が不足していた。いや、正確にはない事もないがそれはあるだけだ。今彼女と彼女の主人の手元にはブラスターライフルもなければ防弾着を着込んでもいない。そしてそれを装備する時間なぞないだろう。そんな事をしている間に射殺されるのがオチだ。

 

 故に、今の衣服にハンドブラスター程度の装備で相手の戦力も分からぬまま戦わなければならないのだ。その上………。

 

「若様っ……肩に怪我を……!!」

「も、問題ないっ……訳ではないが………命に関わる程のものでもない、それよりも………」

 

 ノルドグレーン中尉が慌てて駆け寄るが、当の主人でもある同盟軍中佐は神妙な顔で僅かに物影から向かい側にいるだろう帝国兵を覗きこむ。

 

「っ……!!」

 

 きらり、と光る閃光を視認したと同時に頭部を引っこめる。すぐに低出力レーザーが真横を通り過ぎていった。

 

(随分と正確だな……スコープ、それに暗視装置もあるか………?)

 

 亡命貴族の一人息子は肩の痛みを誤魔化しながら……風邪を誤魔化す薬のお陰で痛覚は僅かながらに鈍っていた……敵について分析していく。

 

(痛むな………)

 

 掠り傷とは到底言えない。低出力レーザーは肩口の肩甲骨を完全に貫通していた。今も容赦なく出血が続く。

 

 それでも実弾でないのはある意味で幸いであろう。火薬式のライフル弾であれば肩の骨が砕け散り、肉は抉れ、より多量の出血をし、碌に戦闘すら出来なかっただろう。

 

 実の所、相手が宇宙軍所属であり火薬式銃よりもブラスターライフルの入手が容易であったこと、そして相手を射殺よりも可能な限り生け捕りすることを目指していたがための幸運であった。とは言え、最悪ではないだけで限りなく最悪に近い状況である事に変わりはなかったが……。

 

「若様、止血を………!」

 

 ノルドグレーン中尉は必死の表情で着ているシャツを破り傷口を縛る。医療キットは取りに行けなかった。相手の射線に身を晒す事になる。ならばその場にある布地を使いせめて止血だけでもしようと言うのは間違った判断ではない。

 

「………すまん、助かる」

 

 歯切れが悪そうにそう謝意を伝えたのは決して自身の付き人を疎んでの事ではなかった。どちらかと言えばより俗物的で邪な理由……押し倒した時の付き人の身体の柔らかい感触や匂い、そして今まさに衣類から覗く谷間や破った場所から見える横腹の白い肌に相応に思うところがあり、それを誤魔化すためのものであった。

 

 尤も、当の付き人からして見れば余りに素っ気ない態度が叱責と同様かそれ以上の悪意の証左に思えたのだが……。

 

「……中尉、装備は?」

「……ハンドブラスターとナイフが一つ御座います。……それと、閃光手榴弾が二つ御座います」

「そうか、こちらはハンドブラスターとナイフだけだ。はは、不味いな」

 

 敵の数は不明、だが一気に襲って来ない所を見ると最大でも分隊、完全装備だろうからブラスターライフルがある事は間違いない。当然防弾着もあるだろう。火力の低いハンドブラスターだと受け止められる可能性があった。いや、それ以上に……。

 

「短期決戦しかないな」

 

 ここに至っては敗残兵二人にとって時間は敵であった。増援を呼ばれたら詰みである。その前に敵を無力化するか逃げるかしなければならなかった。

 

「……中尉、裏手に回れ。援護を頼みたい、止めは私が……」

「……いえ、それには及びません」

 

 しかし亡命貴族の嫡男の提案を付き人は拒否する。

 

 事態を把握し、立場を理解した付き人は震える声で、しかし可能な限り平静を装いながら言葉を紡ぐ。

 

「……ゴトフリート少佐に比べれば力不足では御座いますが……私が命に代えてでも血路を開きます、どうか御退避下さいませ」

 

 しかし、そう進言する従士の表情はこれまでにない程に悲壮な決意に歪んでいた……。

 

 

 

 

 

「中尉……?」

 

 その表情に私は一瞬息を飲む。ベアトに比べて物分かりが良く、私を盲従しない中尉ならば過剰な忠誠心から無茶な進言をしないと考えていた。

 

 だが、目の前のひきつった表情を浮かべる女性を見ると私は何も言えなくなる。

 

「若様をこれ以上の危険は晒せません。今こそお役目を果たすべき時で御座います、どうぞお気になさらないで下さいませ」

 

 硬い表情を浮かべて、しかし覚悟を決めたように付き人は礼をする。

 

「っ……馬鹿を言うな、こんな場所で大事な従士を捨てられるか……!」

「こんな場所だからで御座いますっ……!若様は栄光ある伯爵家を継ぐべき身、このような場所で雑兵共に捕囚となるのも、討たれるのも許されません!若様を確実にお助けするためにここで多少の損失をお気になさるべきではありません……!」

 

 ノルドグレーン中尉は自身の事を損失、と口にする。必要な犠牲であり、捨てるべき駒であるとも。

 

「中尉!?どうしたんだ一体……!!?こんな時にっ……!!」

 

 私は苛立ちよりも困惑を強く含んだ口調で尋ねる。彼女の忠誠心を疑う事はない。その時が来れば一切の戸惑いなくその命を使い潰して役目を果たすだろう。だがベアト程ではないが五年以上彼女といた私には分かった。進言する彼女の言葉に忠誠心以外の心情……怒りや嘆き、そして恐らくは投げやりな諦念?……が滲んでいた事に。故に困惑した。私が彼女のどのような逆鱗に触れたのか分からなかったからだ。

 

「私は唯……!」

 

 ノルドグレーン中尉が何かを口にしようとする。だがそれは敵わない。すぐに敵兵が銃撃を再開し、その応戦をしなければならなかったからだ。

 

「……!中尉、勝手な事をするな!今は無駄話している場合じゃあないだろ!?命令だっ!!応戦しろっ!」

 

 そう声を荒げながら私は利き手では無い左手で物陰からハンドブラスターを発砲する。

 

「っ……!り、了解致しました……!」

 

 苦い表情を浮かべる中尉は、それでもこちらの命令を受け入れて同じくハンドブラスターを構えて応戦する。

 

「ちぃっ……狙いがいいっ!」

 

 相手は正確に、間断なくブラスターライフルを発砲する。お陰でこちらは断続的な反撃しか出来ない。救いがあるとすれば恐らく今銃撃戦を行っている敵兵は低出力レーザーの光から見て単独ないし二人程度だろう事だ。

 

(少なすぎる……後方に控えている?それとも斥候?っ……!!)

 

 次の瞬間天井の電灯にブラスターの閃光が飛ぶ。目潰しかっ……!!

 

 電灯が火花を上げて砕ける。恐らくは安全性を重視したプラスチック製であろうがそれでも重力に縛られ落ちてくる電灯の破片は痛い。そしてそれ以上に危機的であった。明らかに相手の意図する事は闇に紛れての近接戦闘だ。陸戦重視で装備が豊富な帝国軍の事だ、暗視ゴーグルがあるのだろう。一方こちらはその手の装備を地下一階の倉庫に置いてあるので取りに行くのは不可能だった。縛りプレイとはふざけやがって……!

 

「中尉っ!下の階に逃げるぞっ……!来いっ!」

 

 私は中尉に向けて叫ぶ。視界が見えなくなる以上、下の階に避難する以外の道は無かった。閃光手榴弾による目潰しも考えたが、自分達の視界も潰される。相手の戦力が不明な状況ではリスクが大き過ぎた。

 

 破壊された電灯がチカチカと完全に破壊される前に点滅を繰り返す。今しかない。暗視装置は暗闇では視界良好であるが、明るければ逆に視界が狭まってしまう。完全に暗くなり狩りの獲物にされる前に一気に避難するしかない。

 

 残って足止めしようとしていたのだろう、私は激痛の走る右腕でノルドグレーン中尉の腕を掴み無理矢理引き寄せて命令する。

 

「下の扉を開けておけっ……!」

 

 乱雑にそう命じて力づくで私と共に立たせる。当然ハンドブラスターを乱射して相手の動きを止めてだ。

 

「来たっ……!早くしろ!」

 

 こちらの負傷を知っているのか野戦服を着た長身の帝国兵が背を低くして猫のように跳ねるような走りで接近するのが見えた。どことなくオルベック准尉が足止めしていた敵兵に似ているのは気のせいだろうか?

 

 私は激痛に目元に涙を浮かべながら中尉を後方に投げるように押し込み、身体を右側に一歩踏み出してから(奥の敵兵と吶喊してくる敵兵の射線を私と合わせるためだ)左腕でハンドブラスターを構える。立ち上がってからここまでの時間は間違いなく五、六秒程度しかなかったであろう。

 

 奥からの支援射撃を封じた私は吶喊する帝国兵の頭に銃口を向け発砲する……が次の瞬間帝国兵は床に滑り込むように回避する。ははっ、猟兵じゃああるまいにっ!

 

 私の足元にまで滑り込んできた帝国兵が暗視ゴーグルのレンズ越しにこちらを睨む。これ程懐に入り込まれたらハンドブラスターも扱い辛いだろう。つまり相手の得物はっ……!

 

 一〇センチは刃があるだろう小型ナイフを腰から抜いた帝国兵は跳躍するように立ち上がりそれを突き立てる。

 

「っ……!?」

「……!今のを避けたかっ!」

 

 私はのけ反るように首を上げる事で顎に突き刺さる筈であった一撃を紙一重で回避した。正直殆ど奇跡に等しい。

 

 私は御返しに左手で腰のナイフを取り出し引き抜き際に相手のナイフを持った腕を切り落とそうとする。胴体は悪手だ。間違いなく防刃繊維によって止められる。その手の防護の薄い関節部を狙いたかった。

 

「させんっ……!」

 

 だが相手の方が一枚上手だった。すぐに手を引きこめこちらの一撃をナイフの刃で受け止めた。しかもっ……!!

 

(そりゃあ……!押されるよなっ……!!)

 

 腕力は辛うじてほぼ互角、だがこちらは利き腕ではなく、姿勢的にも少し力むのは苦しい状態だった。そりゃあジリジリと押されるのも残当だ!

 

 このままだと押し負ける。私はナイフの刃の角度をずらす事で斬撃を逸らす。だが敵兵はそこまで考えていたのだろう、斬撃を逸らされると同時に身体ごと一回転、そのままの勢いに任せて私に鋭い刃の一突きを仕掛ける。

 

「ちぃっ……!!?」

 

 私は瞬時に状況を分析した。重心がずれた自身の体勢ではあの勢いづいた一撃を避けるのは無理だった。かといって受け止めようにもこちらは軽装で防御には期待出来ない。となると……。

 

(どうせ元から怪我して使えないか……!!)

 

 私は覚悟を決めた。

 

 そして次の瞬間炭素クリスタル製のナイフが私が盾代わりに構えた右腕を突き刺した。

 

「いっ………!!!??」

 

 私は上げそうになる悲鳴を圧し殺す。今にも激痛に理性を無くしてのたうち回りたくなるのを辛うじて我慢して反撃に移る。

 

「ち、畜生がっ………!!」

「何っ……!?」

 

 帝国兵は私の次の行動に驚愕した。そりゃあそうだろうさ、ナイフ突き刺されたのをそのまま相手の方に重心を乗せてのし掛かればな……!!

 

「くっ……!?」

 

 相手の利き手がナイフを持ち、そのナイフは深々と私の右腕に突き刺さるが故に骨と筋繊維に引っ掛かり簡単には抜けない。そしてそのまま体重を乗せれば相手は利き腕を封じられたまま姿勢でバランスを崩すという寸法だ。ははは、痛くて泣きそうだ!!

 

 そして私は怪我をしていない左手に持ったナイフを構えて相手の喉元に……!!

 

「ちぃ………!!?殺らせるかっ!!」

 

 文字通り肉を切らせて骨を断つ戦略でナイフで突く私であるが相手も必死だ。一撃目の突きはギリギリで避けて左肩を掠る。だめ押しの二回目の突きもまた相手の頬に僅かに切り傷をつけるだけだった。ふざけるなっ!!これじゃあ割が合わねぇだろうが……!!

 

「糞がっ……!!」

 

 焦る相手に足技を食らわせてやる。こちらのナイフに集中し過ぎたのだろう、払い蹴りにバランスを崩し、手に持っていたナイフから手を離した。そこに私は止めの一突きを加えようとしたが……!

 

「ロイエンタール!!」

 

 次の瞬間ブラスターライフルの閃光と共に私の手に持っていたナイフが弾き飛ばされる。どうやら刃にライフルの低出力レーザーが当たり弾けたらしい。ナイフの取手から上が無くなっていた。糞ったれがっ……!って…………。

 

「ロイエンタール………?」

 

 私は咄嗟に奥からこちらに向かってくる小柄の帝国兵に視線を向け、次いで床で姿勢を崩して急いで立て直そうとする帝国兵を見た。そして未だに点灯する照明の光でどうにか私はその敵兵の顔立ちを見やり、目を見開く。

 

「はは、マジかよ……!!」

 

 乾いた笑い声が口から漏れる。おいおいおいおい、よりによって……よりにもよってこいつらかよ……!!

 

「っ……!!?ここは引くしかないかっ……!?」

 

 小柄な、そして点灯する光で判別がしにくいが恐らくは蜂蜜色の髪をした帝国兵の銃撃を前に私は急いで退避する。このままこいつらの相手なんか無謀過ぎた。

 

「待て!」

 

 ロイエンタールと呼ばれた帝国兵は立ち上がり私の後を追って走る。はは、殺されかけておいてすぐ反撃しようとしてくるその神経、正直図太すぎるぞ……?

 

 当然その静止の声を聞いてやるわけがない。私はシェルターの奥に走りその角を曲がる。

 

「若様……!!?」

「早くっ……!扉を閉めろおぉ……!!!」

 

 私のぼろぼろの姿に殆ど悲鳴のような声を上げる従士、だがいちいち説明する時間なぞない。私は怒鳴り散らすように声を荒げる。私が地下三階に続く鉄製扉に殆ど滑り込むように逃げ込むとノルドグレーン中尉はすぐに重い扉を閉じようとする。

 

 ほぼ同時に角を曲がって姿を現した長身の均整の取れた青年が鋭い眼光でこちらを射抜き、芸術的な手捌きで腰から予備のナイフを完璧なフォームで投擲した。

 

 真っ直ぐ、鋭く、恐ろしいまでの正確さで私に目掛けて投げ付けられたそれはしかし、次の瞬間私との間を遮るように閉じられた鉄製扉に突き刺さったのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「反乱軍の航空部隊っ……!来ます!」

「近接防空戦用意……!!」

 

 同盟空軍のクルセイダー大気圏内戦闘機や同じく亡命軍のそれをライセンス生産しているJU-78クロウ大気圏内戦闘爆撃機の編隊が低空から長距離レーダー警戒網を潜り抜けて機体を急上昇させる。森林地帯を『騎乗』し、行軍する装甲擲弾兵達の内、防空隊に当たる兵士達は迅速にトリウマから飛び降りると携帯式短距離ミサイル『フリーガー・ファウスト』やMG機関銃を構え、あるいは分解してトリウマや小型半無限軌道式自動車(ケッテンクラート)に乗せていたFlak30対空砲を急いで組み立て直し攻撃に備える。

 

「ファイエル!!」

 

 防空指揮官の命令と同時に次々と天に向けて撃ちあげられる曳光弾が、青紫色に移り行く黎明の空を照らす。濃密な弾幕の嵐……だが、大型の防空レーザー砲台や長距離防空ミサイルなら兎も角、この程度の防空網ではある程度の自衛は出来ようとも敵機の撃墜なぞ不可能だ。クルセイダー戦闘機は危険を察知しチャフとフレアをばら撒いて高度を取り、クロウ戦闘爆撃機に至っては装甲を頼りに多少の被弾を無視して機首のビーム機関砲を軍列にばら撒いた。

 

 ビームコーティングまでされた高価な重装甲服も、流石に航空機のビーム機関砲の相手は想定されていない。精強な装甲擲弾兵達も被弾すれば人体を半分に引き裂かれ、掠るれば腕が宙を飛ぶ事となる。

 

「ちぃ、忌々しい奴隷共め……!制空権があるからと盛りよって……!」

 

 機銃掃射に成功して真上を通り過ぎるクロウ大気圏内戦闘爆撃機を睨みつけながら競馬用であったのだろう、一際図体が大きく屈強な足を有するトリウマに騎乗するオフレッサー大将は罵りの声を上げる。唯でさえ反乱軍……いや、亡命軍の精鋭部隊と正面からぶつかり、その後も数倍する反乱軍増援部隊との戦闘を繰り広げ、相当消耗しているのだ。反乱軍の追いすがるような空からの迫撃にさらされ、装甲擲弾兵第三軍の最後尾部隊は少なからぬ犠牲を出す。

 

 ……そう、最後尾部隊である。同盟軍の背後に浸透し、一時期は逆包囲すらされていた装甲擲弾兵第三軍は、しかしオフレッサー大将指揮の下、その残存部隊は殆どは同盟軍の追撃を躱して辛うじて安全圏内まで退避か隠れる事に成功していた。この森林地帯を進む三〇〇〇名余りの騎兵の隊列は、オフレッサー大将殿直々の指揮下で殿を務めた者達であった。

 

「まさかこのような事態になりましょうとは……」

 

 オフレッサー大将の付き人の一人であり、右腕として頼りとするキルドルフ大佐が面をしかめる。

 

 浸透奇襲作戦は途中まで上手くいっていた筈なのだ。全てが狂いだしたのは、たかだか一個大隊に過ぎない敵が、損害を無視した狂ったような攻勢で包囲網突破を図ったことに始まる。さらには、これに呼応して亡命軍の一個軍団が陽動を兼ねた牽制部隊を問答無用で排除しながら前線に進出してきたのだ。

 

 押し寄せてきた亡命軍一個軍団の動きは明らかに軍事的合理性を無視していた。彼らが得ていたであろう情報の範囲で全体の戦況を掴めていたとは考えられず、あの場で前線に殴り込みを掛けてくるのは余りに無謀で向こう見ずであった筈だ。到底有り得ない動きであるために、事前の机上演習でも誰も想定すらしていなかった程だ。お陰で装甲擲弾兵第三軍は包囲網形成に失敗し、それは第九軍の戦略そのものに変更を強要してしまった。そして今無敵の筈の彼らは軌道爆撃や航空爆撃に怯えながら後退する惨状にあった。無論、だからといって舐めて襲い掛かった同盟軍地上部隊は、全員その血を以て思い上がりの代償を払ったが……。

 

「敵が想定外の行動を行う事は戦場の摩擦、致し方ありません。ですが……やはり足が逃げたのは痛いですな」

 

 同じくオフレッサー大将と古くからの臣下であるゼルテ少佐が苦虫を噛む。彼の言う『足』とは今まさに騎乗しているトリウマの事だ。

 

 宇宙暦8世紀になっても通信とその妨害手段はいたちごっこを続けており、それらの影響を受けにくい伝令犬や伝書鳩といった動物による連絡は部分的とは言え重要な通信手段として使われ続けていた。移動手段でも同様に、小規模ながら動物よる運搬が未だに使われている。特に車両が使えない山岳地帯で例が多く、特殊部隊や偵察部隊では時として地球の産業革命以前のように驢馬に荷物を運ばせて馬に騎乗する、なんて事態も有り得る事であった。

 

 尤も、此度の戦いで装甲擲弾兵第三軍が実施したのは軍団規模の騎乗による山岳地帯走破であった。車両類も移動に使うものの、軍団規模となればどうしても発見の可能性が高くなる。オフレッサー達が着目したのはエル・ファシル占領の際に大量に現地で放置されていたものを鹵獲した牧場の食用ないし観光用、競馬用に飼育されていたトリウマだった。騎乗技術を持つ同盟軍人なぞ士官学校卒業者や特殊部隊訓練を受けた者、あるいは牧場主の倅位の者であり、万単位の兵士が騎乗して険しい山岳地帯を移動してくるなぞ到底考えられない事だろう。

 

 だが帝国軍では違う。特に装甲擲弾兵に採用されるのは士族や貴族だけであり、彼らの多くが当然のように乗馬を嗜む。馬ではなくトリウマという訳で多少の練習こそ必要としたが、慣れるまでに一週間かかる事は無かった。そしてトリウマに騎乗した竜騎兵ともいうべき装甲擲弾兵第三軍は当初の計画通り峻険な山地を突破し、後は皆が知る通りである。問題があるとすれば………。

 

「恐らくは反乱軍の逸れ部隊ですな。まさかこちらの足を持ち去っていくとは……」

 

 装甲車両は兎も角、流石にトリウマまで前線に持っていくつもりはなく、山岳走破後は途中で下馬し森林地帯で待機させていた。そして想定外の激戦になり主力が戦場に拘束されている間に一〇数キロ後方で待機させていたそのトリウマの集積場を襲撃されてしまった。

 

 それだけならば戦場では良くある事だ。だがその場で帝国軍の「足」を射殺するのではなく持ち逃げされるのは想像していなかったが……。

 

「散逸と死亡したのも合わせればかなり足を持っていかれましたからな。お陰で今の状況ですか」

「まさか奴隷共に馬術の心得があるとはな」

 

 鼻を鳴らして不快気な表情を作り出す装甲擲弾兵副総監。もしこれが唯の同盟軍の軽歩兵ならば「足」を殺している間に、あるいはそれを終えて退却を行う間に追いついてその報いを与える事も出来たが流石に騎乗して逃げられたら追いつけない。

 

「……航空攻撃が止みましたな」

 

 キルドルフ大佐が気付いたように呟く。いつしか熱核エンジンの爆音は遠ざかり機銃掃射や爆撃の轟音も消えていた。

 

「恐らくこちらの航空隊の攻撃に備えているのだろうな、通信が本当ならばツィーテン大将は後退準備に入っているらしい。陽動の攻勢がある筈だ」

 

 オフレッサー大将はその理由を正確に言い当てる。戦力に余裕のない反乱軍からすれば敗残兵の追撃よりもその攻勢への対応の方が優先と言う訳だ。

 

「殿を務めるウェンツェル達には感謝するべきであろうが……何とも不愉快なものだな、叛徒共に無視されるというのは」

 

 再度ふんっ、と荒い鼻息を鳴らした後、オフレッサー大将はトリウマで部隊を駆け回り怒声を上げて負傷者の回収と行軍の再開を厳命する。彼らが味方の勢力圏に退避するまでに、更に二日の時間を必要とした………。



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第百二十五話 どいつもこいつも運命の女神に愛されやがって(半ギレ)

次話は少し遅れそう(最大二週間程、もう少し早いかも)
代わりに今回は少し長めです

多分今回除き、後二話位で今章は終わります


『各車傾聴!奴さんのお出ましだぞ』

『これはこれは……たかだか一個装甲旅団相手にここまでの戦力とは……随分と高く買われたものですわね?』

『一個旅団?馬鹿言わんでくれ、もう一個大隊あるかないかですぜ?』

『何、スコアを上げる良い機会ではないですか。賊軍共め、数ばかり揃えても無駄という事も分からんのかね?』

 

 各塹壕内に隠れたフェルディナンド重戦車、あるいはその補助用のティーゲル重戦車やルクレール(中)戦車の短距離無線機でそのような軽口が交わされる。とは言え現実はそんな呑気な事を口に出来る程甘くはない。

 

 四六七高地の攻防戦の熾烈さはその頂点にまで達していた。帝国軍は四六七高地を陥落させるために二個装甲師団と一個歩兵師団、二個装甲擲弾兵連隊を増援として投入した。航空部隊による爆撃と砲兵部隊による支援を受けながら帝国軍は戦車部隊を前面に押し立てて前進する。

 

 対する四六七高地守備側の装甲部隊は既に限界に近い状況であった。

 

 主力たる第六五八装甲旅団は当初二個重戦車大隊、八八両のフェルディナンド重戦車と一個重戦車大隊、四二両のティーゲル重戦車、二個中隊二四両のルクレール戦車及びその他戦闘用装甲車両を含めて一七六両から編成されていた。

 

 それが今や五度に渡る総攻撃と常態化している砲爆撃、歩兵部隊の決死の肉薄攻撃により車両の七割近くを喪失していた。主力のフェルディナンド重戦車の残数は三二両、二個中隊程度という有様であり、その他要塞に立て籠もっていたほかの部隊の保有する車両に至っては文字通り全滅していた(脱出できた乗員は相応にいるが)。

 

 無論、防衛側も唯やられていた訳ではない。苛烈な反撃によりスクラップにされた帝国地上軍の戦車は三〇〇両を超えていた。その他の戦闘車両を含めればその数字は七〇〇を超えるだろう。圧倒的な戦力差を考えればかなりの善戦であると言える。要塞に立て籠もる陸戦部隊も装甲旅団に比べれば損失は少ないがそれでも損耗率は三割を超えていた。

 

「各車、妨害を受けているデータリンクなぞ当てにするなよ?……先頭の車両から潰せ。前衛部隊をスクラップにして足を止めろ。射程と装甲はこちらが上だ、接近戦に持ち込めなくすれば賊軍の戦車なぞ恐るるに足らん」

 

 指揮官車両に乗車する旅団長フーゴ・フォン・ノルトフリート大佐は危機的な状況にあってもなお泰然とした表情で各車に命令する。今更騒いだ所で大して意味がない事くらい彼は良く理解していた。そんな暇があるなら少しでも頭を働かせて効率的に賊軍の撃破のための戦術を練るべきだ。

 

 射程に勝るフェルディナンド重戦車から次々と砲撃が開始される。電磁砲塔から放たれる劣化ウラン弾は帝国軍の主力戦車レーヴェや最新鋭のパンツァーⅣ戦闘装甲車の装甲を易々と貫いて爆散させていく。

 

「糞ッ!あの距離からレーヴェの装甲を貫通するのかよっ!?発煙弾を撃ちまくれ!居場所を捕捉されるなっ!!」

 

 帝国地上軍の戦車部隊の指揮官は叫ぶ。発煙弾や閃光弾、重金属ミサイル等が雨あられのように打ち上げられる。フェルディナンド重戦車の精密射撃を妨害しその懐に入るための手段だ。

 

「各車、手動照準に切り替えろ!一両たりとも通すな!!」

 

 第六五八装甲旅団に配属された代々戦車乗りの職務を受け継いできた末裔達は数倍する数の暴力を必死に食い止めようとする。その行為は相当数の帝国軍戦車を鉄の棺桶に還元したものの、同時に櫛の歯が欠けたように一両、また一両と残存する旅団戦車の喪失を招いていたのもまた事実であった。

 

 山岳部の地上における戦車部隊の激突と並行して要塞内部に帝国兵が次々と乱入する。

 

「どけぇ!奴隷共が!!」

 

 通路に突入し戦斧で地下通路を防衛する同盟軍兵士を血祭に上げるのは帝国陸戦部隊の精鋭『装甲擲弾兵』である。髑髏を象った重装甲服を着た屈強な兵士達がブラスターライフルを撃つ同盟兵の胴体を切り捨て、戦斧を構える同盟兵の頭を叩き潰し、背を向けて逃げる同盟兵を追い回し一刀両断する。返り血に濡れた装甲擲弾兵は敢えて下品に笑い、残虐に敵の死体を引き裂く事で奴隷の子孫達の恐怖心を煽り、その士気を打ち砕く。

 

 そのままの勢いで髑髏の戦士が要塞の深部に突入しようとした瞬間……突如横合いの通路から振り下ろされた戦斧の一撃でその頭部が切り落とされた。

 

「っ……!?」

 

 先頭の戦友の末路に戦士達の足が止まる。そして通路の曲がり角から姿を現すのはフルフェイスの重装甲服に身を包んだ同盟軍宇宙軍陸戦隊の陸戦隊員達だ。

 

「おのれ……!!」

 

 戦友の敵討ちとばかりに一人の装甲擲弾兵が躍り出る。だが……。

 

「ふんっ!この程度かっ!!」

 

 勇猛で熟達している筈の装甲擲弾兵は次の瞬間戦斧の一振りに死体に成り果てる。

 

「何ぃ!?」

「馬鹿なっ!?」

 

 流石にこうまであっけなく帝国軍の精鋭が二人も切り捨てられると残る装甲擲弾兵達も驚愕し、たじろぐ。

 

 その様子に独立第五〇一陸戦連隊戦闘団第二大隊長ヴァーンシャッフェ少佐は不機嫌そうに鼻を鳴らして帝国兵の中に突撃し、敵の戦闘集団一個分隊を瞬く間に死体へと変えた。第二大隊の重装甲服を纏った陸兵達が戦斧や着剣した火薬銃を手にその後に続く。気付けば通路全体にゼッフル粒子が充満し始め携帯式光学兵器は使用不可能になっていた。狭い通路内で血を血で洗う陰惨な戦いが続発する。

 

「第六通路に敵兵侵入!」

「第九中隊、第一八通路に展開します!」

「Eブロックは放棄、工兵部隊は爆破処理急げ!」

 

 前線で苛烈な白兵戦が展開される一方、要塞に立て籠る防衛側司令部では通信士が立て続けに流れて来る情報の報告と整理を行う。前線と違い流血はないが、彼らのミスや遅れはそれだけで要塞の陥落に直結しかねない重要な役割を持つ。それ故に激しさという意味では前線を凌ぐ喧騒であった。

 

「………!…!……!」

「Kブロックに防衛線を構築、敵部隊の進出と共に第二〇通路から二個小隊を後方に浸透させ退路を絶て。Jブロックには一個中隊を増援に投入、漸減作戦を行いつつキルゾーンに誘導せよ、との事だ」

 

 某初代バッタ風改造人間の仮面を装着した『薔薇の騎士連隊』こと独立第五〇一陸戦連隊戦闘団第一〇代司令官リリエンフェルト大佐は手話で指示を出し、付き人がそれを翻訳して命令を通達する。出で立ちも含めて正直ふざけているのかと言いたくなるが、指示される内容はどれもこれも外見からは想像出来ない程大真面目かつ合理的であるがために誰も突っ込まずに(その余裕がない事もあるが)忙しくそれに従う。

 

「……敵襲、か?」

「どうやらそのようです」

 

 帝国軍の最終的攻勢を前に要塞全体が徹底抗戦のために一秒ごとに騒がしくなる中、司令部の隣のブロックに設けられた臨時野戦病院の簡易ベッドでそのような会話が為される。

 

 重傷を負いながらも有望な情報と共に亡命をしてきた主計准将は、ベッドの上で点滴を受けながら事情聴取を受けていた。とは言え、帝国軍の攻勢が始まり最早悠長にそんな事が出来る時間は無かったが……。

 

「御安心下さい、賊軍がここまで辿り着く事はありません、我々の命に代えても准将閣下の御命は御守り致します」

 

 独立第五〇一陸戦連隊戦闘団副連隊長ヘルマン・フォン・リューネブルク中佐は安心させるように鷹揚に語る。後ろに付き人でもあるカウフマン少佐とハインライン大尉を従え、その事情聴取を質疑していたのが副連隊長であるのは何も彼が暇である訳ではなく、帝国的・貴族社会的にそれが適任であったためだ。相手は伯爵家の三男かつ准将である。連隊長は指揮から外れる訳にはいかず(それ以前に変人である)、そうなるとその次に階級が高く家格面で問題無い中佐が指名されるのはある意味当然の事だ。少なくとも貴族社会の価値観においてはそうであった。

 

「いや、私もこれまで危険な橋を渡ってきた身だ。覚悟は出来ている。ぐっ……」

 

 大型の爆弾でも落されたのだろう、要塞が轟音と共に僅かに揺れる。その震動にまだ塞がっていない傷口が開き呻き声を上げるフォルゲン主計准将。

 

「そ、それよりも……アレはどうなった?同盟軍の司令部には届いたか?」

 

 苦悶の表情で、不安げに伯爵家の三男は尋ねる。彼にとってその情報を伝えるために危険を冒したようなものだ。元々憲兵隊等に疑惑を向けられており、必要ならばいつでも亡命するつもりではあった。だが敢えて負傷するを厭わずこの局面で逃げて来たのは、この戦いに決定的な結果を与える可能性のある情報を同盟軍に送り届けるためだ。そのために命を賭したのだ。

 

「問題ありません、我が隊でも一番の腕ききに託しました。必ずや送り届けてくれるでしょう」

 

 リューネブルク中佐は主計准将を安堵させるためにそう語る。実際の所、この局面では彼と言えど上手く任務を果たせるかは怪しい所ではあるが……ここで敢えて不安にさせる事をいう必要はあるまい。

 

「……旦那様、僭越ながら命令が下りました。退出致します」

「うむ、分かっている。良く励んでほしい、だが無理はするな」

 

 伝令兵からの耳打ちにカウフマン少佐が恭しく退席を申し出る。司令部から前線に出る事を命令されたのだ。リューネブルク中佐はそれを咎めず、その身を案じつつも送り出す。中佐もまた最前線でどれだけ激しい戦いが続いているのかは理解していた。

 

 カウフマン少佐が退席すると同時に再度要塞が揺れる。その震動に再びベッドの上の亡命者が呻き声を上げる。脇腹の包帯は赤く染まり、衛生兵が駆け付けて止血準備に入る。

 

(現状のここの装備では治療は困難か……)

 

 リューネブルク中佐は内心で呟く。命を賭して帝国軍の機密情報を提供してくれた同胞はしかし、このままでは数日持つか怪しい。可能な限り早く後方のより充実した野戦病院に送らねばならなかった。しかしそのために帝国軍の包囲網をどうにかしなければならず……。

 

(望みがあるとすれば………)

「……頼んだぞ」

 

 リューネブルク中佐は険しい表情で小さく呟く。恐らく今頃隠し通路から帝国軍の包囲網を抜けて後方に伝令に向かっているであろう部下であり後輩の成功と無事を祈りながら………。

 

 

 

 

 

 

 

「う……うぐぐっ……糞っ!糞っ!糞ったれ……!畜生!!痛ぇ……あの野郎共、…畜生……!絶対ぶっ殺してやる………!!」

 

 私はシェルター地下二階と三階を繋ぐ階段の手前……地下二階側の手前で醜い芋虫のようにのたうち回りながら汚い言葉を感情のままに吐き捨てる。私はナイフが深々と突き刺さり、じわじわと出血を続ける右腕をもう片方の腕で握りしめ、歯を食いしばり、襲い掛かる激痛に耐える。息は荒くなり、額からは大量の汗が流れ、目元は潤む。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ひっ……!?わ、若様っ……!!」

 

 厚い扉の鍵を閉め終えた付き人が絶望した表情でこちらに駆け寄る。

 

「う……うぐっ……ち、中尉……い…医療キットは……あるかっ……!!?」

「い……い、今探してみますっ……!」

「急いでくれ……!!」

 

 私に急かされて必死の形相でノルドグレーン中尉が医療用キットが無いかを探し始めた。そう言えば彼女の前で重傷を負うのは初めてだったな、今更のように気付いた。これがベアトなら多少耐性があるのだろうが……。

 

「うぐっ……痛っ……ま、まぁ……カプチェランカよりは……マシか……?」

 

 あの時は頭の表皮が少し捲れたそうだからな。飛んできた鉄片が数センチずれていたら頭蓋骨から中身が出ていたとか……考えたくもない。少なくとも右腕にナイフが現在進行形で突き刺さっているのは『まだマシ』な筈だ。笑えないね。

 

「ぐぐっ……大動脈は……傷ついていないよな?」

 

 一応突き刺される時に角度は調整したのでセーフだと思うが……。

 

「わ、若様っ……!御座いました!!」

 

 地下三階まで下りて簡易医療キットを見つけ出した中尉が若干よろめきながらも白い箱を持ってくる。

 

「よ……よし……中尉、何か紐をくれ!!腕を縛る……!それと局所麻酔をした後消毒液をぶっかけてくれ!ピンセットと止血用の冷却スプレーはあるよな!!?」

「わ、若様……!?まさか……!!?」

「分かり切った事を言うなっ!これを抜いて止血するんだ!急げ!!」

 

 私は中尉に命令する。今の私では腕に刺さるナイフを抜くなぞ不可能だ。中尉にやってもらうしかない。

 

「ひっ……は、はい……い、今治療をさせて頂きます……その……痛みがあれば御声おかけください……」

 

 いや、ずっと痛いんだけどとは突っ込まない。かなり萎縮する彼女を馬鹿にする訳にはいかないし、そんな冗談を口にする余裕も無かった。

 

 腕を縛ってから無針注射で局所麻酔を施す。若干痛みが鈍くなるのを確認すると消毒液を周囲に塗られ(血で洗い落されているのでどこまで効果があるかは分からないが、後で抗生物質を飲まなければ)噛み物を口に咥えて覚悟を決める。

 

「そ、それでは……いきます……!」

「ああ、やってくれ……ぃぃ……!!!?」

 

 ピンセットも使ったナイフの刃抜きは最初の段階で後悔する程の激痛が襲い掛かった。暴れそうになる身体を自身で止め、歯が砕けそうになるくらい全力で噛み物を噛み締める。

 

「若様……!」

 

怯えた、泣き声に近い声を上げる中尉。

 

「いいから……早く…しろ……!はやく………!!」

「は、はいぃ……!」

 

 私が顔を歪ませながら命令すれば涙声で従士は作業を再開する。泣きたいのはこちらだよ……!

 

 ゆっくりと、慎重に、血管を傷つけないようにナイフの刃が引き抜かれていく。次いで再度消毒した後止血冷却スプレーを患部にかけ、培養保護フィルムを被せる。そしてガーゼで患部を覆っていく。

 

「ぐっ……はぁ……はぁ……はぁ……お…おわった……のか………?」

「お、応急処置は終えました」

 

 シャツと手を真っ赤に染めて、震える声で従士は重々しく言葉を発した。何時間もかかった気もするし、ほんの十数分であったかも知れない、兎も角もどうにか右腕に突き刺さっていたナイフは取り除かれた。やはり応急キットの無針麻酔では量も効力も足りないようで、未だに焼けるような激痛を右腕から感じる。

 

「こ、抗生物質をくれ……患部が…炎症になったら困る……」

「り、了解しました」

 

 恐る恐ると抗生物質をペットボトルのミネラルウォーターと共に差し出される。抗生物質を受け取り口に含みキャップを外した水を飲ましてもらう。私は息切れする呼吸をゆっくりと整えていく。

 

「はぁ……はぁ…うぐっ……助かった。私だけでは到底処置出来なかった。恩に着る」

 

 私は少し前まで私の腕を突き刺していた血塗れのナイフを掴む。柄には双頭の鷲の紋章。はっ!士官学校上位成績卒業者に授与される恩賜のナイフという訳か。あの女誑しめ、こんな場所で使うものじゃねぇぞ……!!

 

「よ、よし……っ…中尉、ち、調査を……今ある装備の…三階にある物資の調査を頼む……!後ブラスターも……!!」

「若様……!?今下の階にお運び致します……!御休息下さいませ……!!お願いします……!!」

「んな時間あるかっ……!あんな厚さしかない扉、そう長く持たないぞ……!!?」

 

 せいぜい五センチ余りの鋼鉄製の扉、鍵を破壊すればあっさりと開けられる事は疑いない。まして相手はあの双璧である。開けられない道理がなかった。

 

(クソっ……クソッ!クソッ!クソッ!ふざけるなっ!!ロイエンタールだとぅ!?じゃあなんだよもう一人はっ!!?ミッターマイヤーだとでも?ははっ!ナイスジョークだ、クソッタレがっ……!!)

 

 私は内心で罵詈雑言を吐き続ける。余りに冷静さを欠いた精神状態は必ずしも怪我の痛みだけが原因ではない。

 

(よりによってこんな状況であの化物共相手かよ……!!)

 

 ふざけるなっ!と再度内心で吐き捨てる。当然だ、相手が悪すぎる。

 

 オスカー・フォン・ロイエンタール、ウォルフガング・ミッターマイヤー……原作『銀河英雄伝説』を知っていればまず知らない者はいないだろう、そして当然のように敵対したくない相手だ。先程生き延びる事が出来たのは奇跡に等しい。そして、奇跡はそう続けて起きてくれる程簡単な事ではない。

 

「しかしそのお怪我では………!」

「構わん!さっさと命令を実行しろっ!」

 

 最悪過ぎる状況に苛立っていた私は呑気に休むように提案する中尉に不快感を持ち、睨みつける。

 

「ですがっ……!」

「っ……!随分と口ばかり動くな中尉!!何故私の命令が聞けないっ……!?私がいつ……」

 

 そこまで口にして私は言葉を紡ぐのを咄嗟に止めた。数年前、その言葉を口にして失敗した事をふと思い出したからだ。とは言え、気付くのには少し遅すぎたようだが……。

 

「わ、若様……」

 

 怯えた表情でこちらを窺う従士、元より顔立ちが似ているからだろう、その姿が私の最も古く忠実な部下と重なる。そしてそんな顔立ちでまるで飼い主に捨てられた子犬のようにショックを受けた表情を浮かべ……。

 

 その表情に私の苛立ちはすぐさま霧散する。そして深く深呼吸をして今度はゆっくりと、穏やかに口を開く。

 

「………いや、何でもない。……落ち着きがないのは見苦しいな。気が立っていた、許せ」

「…………」

 

 私は付き人を安堵させるように優しく声をかける。だが、中尉は未だに親に叱られる事を恐れる子供のように震え、その目元は潤み、只でさえ日焼けしてない白い顔立ちは今や完全に血の気が引き、青くなっていた。身体を震わせ、その瞳は虚空を見るように焦点が合っていなかった。

 

「中尉……?」

「御免なさい……」

 

 それは今にも消え入りそうな、弱々しく、涙ぐんだ声だった。

 

「御免なさい…御免なさい…ご免なさい…ごめんなさい…ごめんなさい……ごめんなさい………」

 

 ブツブツと、怯えながら、子供のように頭を抱えて副官はその言葉を何度も何度も呟く。ぼろぼろと大粒の涙を流し、歯をかたかたと鳴らし、酷く下手な泣き方でその美貌をくしゃくしゃにする。

 

「ごめんなさい…ごめんなさい……ゆるして……わかさま……どうしたら…ごめんなさい………ひくっ…おねえちゃん……いやっ……わたしは……わたしは………!!?」

 

 相当狼狽しているのだろう、気づけば子供のような口調で早口で言葉を吐き出していた。次第に言葉と共に感情まで吐露し始めたのか顔を赤らめひくっ、と本格的に嗚咽を漏らし始める。

 

「………違っ……これはっ……わ……わ……私は………わたしはっ………!……?ひくっ…ごめんなさい………!ごめんなさい…!!おねがいします……わかさま……ひくっ…おねがいっ…………みすてないで……!」

 

 悲痛な、それでいてくぐもった泣き声が地下室に反響する。そのソプラノのような声で奏でられる泣き声は聴く者の良心を抉る。

 

「中尉………」

 

 私もまた、普段大人らしく余裕のある表情を崩さない従士が義務教育すら受けていない子供のように感情剥き出しで涙を流すその姿に驚きと共に罪悪感を感じ取っていた。

 

(だが……)

 

 私は一瞬茫然自失するものの、脳内は殆ど反射的に門閥貴族として学んできた心理学と指導力と煽動能力が冷徹に、そして利己的にこの場でどのような行いを行うのが最善かを導き出した。

 

 状況は最悪だ。壁の向こう側には『あの』双璧様がいる。恐らくこのまま私という脂の乗った獲物を放置する筈もなし。仮にその手段が無くてもそれなりの規模の味方を連れてこられたらアウトだ。

 

 同時にこちらの取れる手段は限られている。利き手を負傷した現在、私の戦闘能力は半分以下と言ってよい。負傷していないノルドグレーン中尉が貴重な戦力であるがこの様だ。

 

「………」

 

 私が為すべき事は目の前のパニック状態の従士を落ち着かせる事であろう。この場で回復の見込みがあるのは彼女の精神だけだ。故に……私は彼女の弱みに付け込んだ。

 

「……中尉」

 

 私は再度そう呼びかけると同時に泣きじゃくる彼女の傍に寄る。

 

「ひっ……いやっ……ごめんなさい……やめて……ごめんなさい…!」

 

 叱責か何かを恐れての事だろう、中尉が近づく私に怯えるのが分かるが無視する。そして利き手の激痛を我慢して……彼女を抱擁した。

 

「ひっ……!」

 

 抱き寄せた付き人の体が恐怖で竦むのが分かった。小刻みにその体は震え続ける。耳元では彼女のその呼吸が緊張で荒くなるのが分かる。故に私はその緊張をほぐすべく行動する。

 

「済まない中尉、私が全て悪かった。許しておくれ。本当に済まない……」

 

 耳元で穏やかに、懇願するように優しくそう囁きながら彼女の頭部と肩をゆっくりと摩る。本来ならばセクハラも良い所だが彼女の忠誠心と心理状態なら多分誤魔化せる筈だ。

 

「あっ…ちがっ……わ……わかさま……っ!わたし……!」

「何も言わなくていい。……色々と苦労をかけていて済まないな。今は気にしないから好きなようにしなさい」

 

 パニックになりながらも自身の行いがどれだけ無礼なのか把握しているのだろう、私に何か言おうとするがそれを止めさせる。まずは中尉の精神衛生を優先すべきだ。取り敢えず不満や不安は全て吐いてもらうに限る。

 

「ちがうんです……わたしは……わたしは……ひくっ……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「………」

 

 泣きじゃくる中尉に私は黙ってその背と頭を撫で、可能な限り守ってやるように、あやすように抱きしめてやる。うーん、やっぱりこれ下手しなくてもセクハラだよなぁ。

 

(差し詰め、女の弱みに付け込む糞貴族、と言った所かね?)

 

 客観的に見たらどう思われるだろうか、私は内心で自身を嘲りながらも嗚咽を漏らし続ける中尉を優しく慰め続ける。

 

「ひくっ………ひくっ………」

 

 暫く、地下室では中尉の啜り泣く声だけが響き渡る。

 

 そして次第に落ち着きを取り戻したのか、私に縋りつきながら中尉がぽつぽつと自身の気持ちを吐露していく。

 

「……申し訳御座いません……大変見苦しい所を御見せ致しました」

「いや、構わんよ。こちらこそ、色々と負担をかけて済まなかった」

 

 元より私の下に来た時の態度や騒動から一際私と接する時の精神的負担と不安は強かったのだ。まして彼女の背中には姉や千人単位の家族や臣下の命運が掛かっている。厳しかった祖父や父の圧力もある、日々ストレスに苛まれていた筈だ。

 

「分かってはいるんです……私が元凶なのは分かってはいるんです……ですが………」

 

 話を聞く限り、特に私との距離感は相当苦労していたらしい。ベアトと自身を比べる事は最早日課だった。内心私に疎まれていないか?失望されていないか?そこに自身の疲労、それに私の負傷と叱責により溜めていた不安が爆発したように思える。

 

「その……呼び方も違いますし……」

「あー」

 

 ベアトは愛称、中尉は階級かファミリーネーム呼びだからなぁ……。

 

「いや、別に他意は……無い訳ではないが……そこまで気にしてくれなくても良かったんだがなぁ」

 

 ベアトは幼少期からの呼び名をそのまま今も呼んでいるだけだ。中尉に関して言えば寧ろ姉の事で色々と問題を起こしてくれた私がファーストネームで呼ばれても気分が良くないと考えていたのだが……。

 

「その……何だ、色々と気を使わせたな」

 

 謝罪の意味を込めて再度頭を撫でた後、これは少し上からなやり方だと思い至る。尤も、泣き腫らした中尉は心細いのか小さく頷き、そのまま体重をこちらに寄せたが。

 

「しかし……足手纏いを続けた挙句……咄嗟の激情で却って若様に大怪我を……」

 

そこまで言って再び顔を曇らせる中尉。

 

「恐らく奥様や父から御叱りを受ける事になりましょう。……それは自己責任ですから仕方ありません。ですが……」

 

こちらを不安げに見上げ、中尉は懇願する。

 

「ば、罰で御座いましたら私一人で負います。どのような罰を受けようと御恨みなぞ致しません……!ですので……ですのでどうか家族や臣下達は……姉達の事は御容赦下さいませ………!」

 

 それは殆ど縋るような申し出であった。

 

(家で苦労しているのは私だけではない、という事だな。いや、私より遥かにか……)

 

 我儘を幾らでも言える私と違い中尉は私の御守りをしなければならず、少しでも不興を買えばそれだけで大問題だ。彼女は一族本家の娘として家族と臣下達の生活のために様々な意味で伯爵家の人身供養にされる事が生まれの役目だ。好き勝手出来る私が上から目線で評価出来る訳もない。……というよりもストレスやトラブルの元凶だ。

 

「……安心しろ、中尉の家族や臣下達には今回の戦いでも何度も助けられた。少佐達の献身を忘れんよ」

 

 ノルドグレーン少佐を始め、連隊戦闘団には彼女の親族や臣下も少なからずおり、その多くが私を逃がすために義務を果たした。彼らが義務を果たしたのなら私もそれに応える義務がある。

 

「………」

「それに別に私は中尉を疎んでなぞいないし、その忠誠心を疑ってもいない」

 

 不安げにこちらを見上げる中尉に対して私は苦笑いを浮かべる。そして触れるのは中尉の脇腹だ。そこはかつて私を庇って裂傷した箇所だった。既に傷跡なぞ殆どないがそれでも中尉が私を庇った事は疑いなき事実である。

 

「信頼してなかったら六年も傍に置かんさ。あの時の献身で十分過ぎる程に信頼しているとも。周囲からの下らん声や視線なぞ気にするな、我儘は私の十八番だ。どうにかしてみせるさ。だから……今後も傍にいてくれるな?」

 

 私は困ったような表情を浮かべ……それは半分程演技で残り半分は本音だった……頼み込む。

 

「……!は……はいっ!」

 

 私の申し出にようやく少しだけ元気のある返事をするノルドグレーン中尉。その姿に私も思わず笑みが零れる。尤も、内心ではある意味醒めながら自分の行いを批評していたが。

 

(全く、立場や身分制度を悪用してあくどい真似をしているな)

 

 内心自虐の笑みを浮かべる。人の純粋さや献身を利用しているのだ、戦争で百万単位の人間を殺戮せずともこれだけで死後地獄に落ちるには十分だろう。……私の立場的に地獄があるのか怪しいがね。

 

 兎も角も、中尉との蟠りは……少なくとも表面的には……ほぼ解消されたようだった。私はその事に安堵し……そして本題に入る。

 

「それでだ……中尉、色々と迷惑をかけてしまって悪いが……こちらの頼みを聞いてくれないか?」

 

 私は中尉に自身の懸念を伝える。流石に双璧の事は伝えられないが、それでもあの二人が只者ではない事、下手しなくても鋼鉄製の扉を突破するだろう事、そのためにこちらも対策が必要で中尉の協力が必要不可欠である事を伝える。

 

「いけるか……?」

 

 私は不安げに尋ねる。中尉に負担をかけている事は分かっているが今の私一人では到底時間も体力もない。中尉の協力が必須だったのだ。

 

 だが、私の不安は杞憂だった。次の瞬間には鋭く、生気に富んだ返答が返されたからだ。

 

「はっ、お任せ下さいませ若様。不肖の身では御座いますがこの身、髪の毛の一本まで御捧げ致しますればどうぞ御命令を果たさせて頂きます……!」

 

 そう語った中尉の表情は普段の、頼り甲斐のある大人らしさを印象付けるそれに戻っていた。

 

「ただ……」

 

 しかしすぐに言葉を濁し、暫し迷った表情をした後小さな声で彼女は願い出る。

 

「もしお気になされないのでしたら……僭越ながらどうか今後私を呼ぶ際には……そのテレジアと呼んでいただければ幸いです。その……駄目…でしょうか?」

 

 恐る恐る尋ねる付き人の従士家令嬢。その計算していないにも関わらず行われる保護欲を誘う視線はその美貌と小鳥の囀りのような美声も含めて一種の美術品を思わせる。

 

「むっ……」

 

 そして分かり切った事だが、単純思考な私には、先程の会話もあって到底その願いを断る事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれは中々のレア物だぞ?いや、唯の狐狩りと思っていたが思ったより歯応えのある獲物になりそうだな」

「ふっ、所詮は格下である事には代わりは無かろうさ。確かに宮廷で脂肪を揺らす豚共に比べれば出来るだろうが所詮豚は豚だ」

 

 蜂蜜色の小男の言葉を怪し気な虹彩を帯びる金銀妖瞳の帝国騎士は否定する。成程、ある程度白兵戦の心得はあるようだ。

 

 だが逆に言えばそれだけだ。怯えて部下を見捨てて逃げたのは事実であるし、幼少から費用対効果を無視したエリート教育を受けながら士官学校を出たばかりの庭師の倅と不貞の息子相手に終始押され重傷を負い、最後は逃げるように厚い鉄の扉の内側に閉じこもったのも事実だ。

 

 そもそも前線で女を連れ込んで追い詰められていても碌に罠を仕掛ける事もなく肉欲ばかりは盛んな時点でオスカー・フォン・ロイエンタールの採点表では不合格であった。その意味で豚呼ばわりは寧ろ相応しい呼び名ではなかろうか?嘘か真か、牡豚は獰猛で肉欲の衝動が強いのだという。獰猛であっても所詮豚は豚でしかない、少なくともこの均整の取れた貴公子にとってはそう思えた。

 

「随分と辛口評価じゃあないか?そんなに反撃で顔を斬られたのに腹が立ったのか?」

「よしてくれミッターマイヤー、まるで俺が狭量みたいじゃないか?俺はそんな偏見で動く人間ではないぞ?」

 

 茶化すようなミッターマイヤーの冗談に冷笑でロイエンタールは返す。この程度の冗談に機嫌を損ねる程この漁色家の精神は偏屈でもないし貧相ではない。冗談を冗談として受け入れる事が出来る程度には豊かな精神的余裕はあった。

 

「だが……確かに少々苛立ちはあるがな。……言っておくが出し抜かれた事ではないぞ?あの程度の出し抜きに狼狽した自分に苛立ったのだ」

 

 ロイエンタールは自身の頬の傷に触れながらそう指摘する。頬の傷は浅く既に血は止まっていた。肩口の傷も同じで恐らく一週間もせずに跡も残らずに完治する事だろう。

 

 だが、肉体に残る傷跡よりも精神に刻まれた傷の方がこの際ロイエンタールにとっては深いものであった。

 

(油断し過ぎたな。俺とした事が軍人ではなく狩人の気分になっていた、という所かな?いやはや増長はいかんな)

 

 士官学校を卒業して以来特にこれと言って失敗という失敗もなく、戦えば常に敵を術中に嵌め、文字通り獲物を狩る猟師のように功績を立てて来た。しかも今回の獲物は亡命貴族と来ている。幼少時の経験からか、怠惰で好色で、堕落している宮廷の門閥貴族に対して一種の蔑視の視線を向けていた彼にとって今回の経験はあるいは今度二度と来ない可能性すらある経験であった。門閥貴族を合法的に狩れる経験……さしものロイエンタールもまだ若く、その余りに魅力的な機会を前に油断と驕りがあった事は否定出来ない。

 

(だが、二度目はない)

 

 一度の失敗で臆する事なく、そしてその油断を完全に捨て去る事が出来たのはオスカー・フォン・ロイエンタールが稀有な才能を有する事実の証明である。恐らく、次相対した時には件の門閥貴族の牡豚は全く反撃すら許されずに息の根を止められるだろう。少なくとも二度とこの帝国騎士が窮地に陥る事も、まして掠り傷一つつける事すら出来まい。

 

「さて、無駄話はここまでだな、準備はいいかミッターマイヤー?」

「おうよ、こっちも準備完了だ!」

 

 雑談をしながら作業をしていた二人はその手を止めて確認し合う。

 

「これくらいならばこの厚さの扉を壊すには十分だな」

 

 ロイエンタールの視線の先には鋼鉄製の扉、そしてその開口部の隙間や留め具の各所に爆薬やケーブルが設置されていた。

 

「よし、いくぞ。もう少しさがってくれ」

「ああ、任せた」

 

 ミッターマイヤーの言に従いロイエンタールは悠然と扉の前から去る。それを確認したミッターマイヤーは爆薬と繋がれたケーブルが延び、その端で纏められたスイッチに触れる。

 

 スイッチが押されると共に鋼鉄の扉で幾つかの小さな爆発が起きる。そして黒煙が充満する中、厚さ五センチはあった扉はゆっくりと倒れていった。

 

「さて、ゲームの再開だな?」

 

 にやり、と犬歯を見せて笑みを浮かべるミッターマイヤーは親友と共にブラスターライフルを構えて警戒しながら扉を乗り越えた。

 

「行くぞ……!」

 

金銀妖瞳の帝国騎士もまた続く。

 

 扉の先は明かりこそついてはいなかったが待ち伏せをしている敵はおらず、ブービートラップの類も設けられていなかった。

 

「これは少し拍子抜けだな」

「見ろ、これを」

 

 周囲を警戒しつつ進むミッターマイヤーに対してロイエンタールは床にこびりついた血痕を指差す。庭師の息子はすぐにそれが何を意味するのかを察する。

 

「ほぉ、思いのほか肝が据わっているようだな。あのナイフを抜いたのか?」

 

 思い出すようにミッターマイヤーは口を開く。恐らくは扉を閉めた後すぐに右腕に突き刺さったナイフを抜いたのだろう、見た限り深々と筋繊維を抜け骨まで届いていただろうから相当の痛みだった筈だ。

 

「血痕が続いているな。……下か」

 

 足元の血痕はそのまま地下三階に続く階段に点々と跡をつけていた。

 

「……これはあれか?誘っているのか?」

「十中八九そう見るべきだな。だが虎穴に入らざれば虎子を得ずともいう。ここは誘いに乗るべきだ」

「そうだな、仕方あるまい。俺が先行する。支援を頼む」

 

 ミッターマイヤーは暗視装置を装着してブラスターライフルを構えながら先行する。その十歩程後方からロイエンタールはサポートする形でついていく。警戒しながら階段を下り、その先の地下三階に辿り着く。

 

「ここも電灯はついていないな。どうだ?電源は使えそうか?」

「ああ、ブレーカーが落ちているだけだ。つけるか?」

「……いや、このままの方が良い。相手は暗視装置は装備していないからな」

 

 ミッターマイヤーの言にロイエンタールは頷く。そして腰から閃光手榴弾を二つ取り出し……次の瞬間機械室に投げ込んだ。暗闇の中待ち構えているであろう獲物をいぶり出すために、だ。

 

 そしてほぼ同時の事であった。機械室が爆発したのは………。

 

 

 

 

 

 

「痛っ…想像以上に上手くいったか………!?」

 

 地下二階と三階を繋ぐ鋼鉄製の扉、その上にあった換気口から降りた私は爆発の震動に痛みを覚えながらもトラップが上手く発動した事に笑みを浮かべる。

 

 勝因は単純だ。私達が待ち構える側であり、内部構造を把握していて地の利があった事だ。

 

 こちらに暗視装置が無い事は向こうも知っていた筈だ。だから照明を付ける事はあり得ないと分かっていた。換気口に隠れるというのは余りにも使い古された手ではあるが、暗闇と血痕で上方への注意を奪う事でどうにか気付かれないで済んだ。

 

 その上であの二人が機械室で行う事は当然強襲だ。そして恐らくは油断していないであろうから装備の差を存分に利用するだろう。閃光手榴弾でこちらの五感を奪ってから突入する筈だ。

 

 そこにこちらの付け入る隙がある。非致死性兵器とは言え閃光手榴弾の放つ五感を奪うほどの光は相応の熱量を発する。油断すれば可燃性液体や揮発性の気体に引火して爆発する事も十分にあり得る。故にそれを利用した。

 

 機械室には発電機や空気清浄機、浄水器、その他酸素ボンベもある。水を電気で水素と酸素に分離、酸素ボンベも全て開放、次いでに潤滑油やその他の燃料類も全て開けてばら撒いてやった。最後に空気清浄機を止めて室内の空気の流れを止めれば地下三階は正にマッチ一本すら危険な空間に様変わりという訳だ。そこに閃光手榴弾を投げ込めばどうなるかといえば……。

 

「出来ればアレで死んでくれていれば有難いのだがな……!」

「若様、行きましょう……!」

 

 テレジアが私に呼びかける。彼女が先行する形で我々は地上に向けて走る。駆け出してすぐに私の淡い願望は裏切られた。

 

「ちぃっ……!期待はしてなかったが……本当に怪我もしていやがらねぇ……!!」

 

 地下二階と一階を繋ぐ通路で背後から銃声が響く。振り向けばそこには煤けているが怪我一つしていない帝国兵二人の影。どうやらギリギリで気付いて伏せるか逃げるかしたのだろう。主人公補正でも働いているのかよ!?ブッダファック!!

 

「若様……!」

「ちぃっ!問題無い、走るぞ!」

 

 悲鳴に近い声を上げるテレジアに、しかし私は足止めに留まる事を禁じる。その心を弄んだ身でいうのも何だが、彼女を捨て駒にするつもりは無かった。最早この後に及んで小細工をする余裕もない。唯銃撃を避けるように逃げるだけだ。

 

「テレジア、最終手段だ。タイミングを合わせろ……!」

「り、了解しました!」

 

 テレジアは私の呼びかけに僅かに浮ついた声で答える。

 

 無論、浮つくのは声だけで彼女は指示を忠実に守った。テレジアは私と共に手元の閃光手榴弾を同時に後ろに投げる。轟音と閃光が響く。これは時間稼ぎだ。そう、一瞬で良い、一瞬の時間さえ稼げれば良かった。

 

目の前にシェルターの出入り口が見えていた……。

 

 

 

 

 

 

「くっ……!やってくれる!」

 

 オスカー・フォン・ロイエンタールは舌打ちをする。油断はしていないつもりだった。だが、それでも尚、この事態は想定外だった。

 

 地下三階の罠に気付いたのは奇跡に等しい。閃光手榴弾を投げ込んだ瞬間に嗅覚が異様な臭いを嗅ぎ取り、同時に本能が危険性を知らせた。彼の親友も同様で、二人は次の瞬間には部屋から一ミリでも離れるために走り、爆発と同時に床に伏せた。殆ど負傷しなかったもののそれは二人が運命の女神に溺愛されていたからに違いない。恐らく気付くのが数秒遅れていれば二人はミディアムステーキになっていただろう。

 

 全てを悟った二人は次の瞬間地上に向けて駆けだした。そして獲物達の背中を視認すると共に射殺するつもりで銃撃を始めた。既に二人とも生かして捕獲出来るなどという幻想なぞ持っていなければ、最早狩猟なぞとは考えていない。これは文字通りの殺し合いである。油断すれば狩られるのは自分達である事は間違い無かった。

 

「閃光手榴弾かっ……!」

 

 すぐさま暗視装置を捨て耳を塞ぎ、目を閉じて光の海に飛び込む。銃撃される恐れはない事は理解していた。

 

 相手の装備はせいぜいハンドブラスターだ、精密な狙撃なぞ期待出来まい。寧ろこの光と轟音が銃撃からロイエンタールを守ってくれた。それに相手は一度も反撃してきていない。即ち敵は逃げる事を最優先にしているのだ。ならばこちらも躊躇している場合ではない……!!

 

 光の海を抜け、若干ちかちかとした視界の中、ロイエンタールはシェルターの出口を視認した。その出口を出る人影が一瞬見切れる。

 

(森に逃げ込む気だな……!させん……!)

 

 ブラスターライフルを構え、シェルターの出入り口から飛び出すようにロイエンタールは現れる。そして背を向けて走る女性兵士に照準を合わせ……。

 

(いや待て……!もう一人はどこだ……!?)

 

 ロイエンタールが照準器から視線を外し周辺を警戒しようとする。ほぼ同時の事だった。彼の左腕に焼けるような痛みが走ったのは。

 

 

 

 

 

 

 

「畜生がっ!てめぇどんだけ幸運の女神垂らし込んでいるんだよっ!ふざけんなっ!」

 

 私は殆ど悲鳴に近い罵倒を叫ぶ。当然だ、こんな理不尽あるか!

 

 私はシェルターを出ると共にその影に隠れた。飛び出してきた漁色帝国騎士野郎が正面のテレジアに銃口を向けた所を数刻前まで私の右腕に突き刺さっていたナイフを返還するつもりだった。但し、横腹に向けてな。

 

 そのまま心臓まで突き刺そうと腕を伸ばしたと同時にこの帝国騎士は体勢を変えてくれやがった。結果どうなったかと言えば一撃で仕留める筈がナイフは相手の腕に刺さった訳だ。しかも利き手じゃないであろう左腕にな?畜生!

 

 私はナイフを無理矢理引き抜いてやり第二撃を放つ。だが……。

 

「甘いっ……!」

 

 御返しとばかりに私の足を蹴り上げてこけさせる漁色野郎。痛ぇぇ……!!糞っ!お前も道連れじゃ……!

 

 私はロイエンタールの傷を負った左腕を掴み共に倒れる。私と比べて痛みへの耐性が低いのだろう、激痛に顔を歪めて漁色野郎も姿勢を崩し共に地面へと倒れた。そのまま私は苦悶の表情を浮かべる帝国騎士に馬乗りになり喉元にナイフを突き立てる。

 

「くっ……!」

 

 互いに一本のナイフを掴み、一方はそれを押し込み、もう一方はそれを押しのけようとする。

 

「ロイエンタールっ……!」

「ちぃ!」

 

 その呼び声と共に私に襲い掛かる銃撃を私は身を翻して避ける。同時に帝国騎士は反撃とばかりに私に飛び掛かり私の首を締め上げた。

 

「動くな!」

「止まれ!」

 

 テレジアとミッターマイヤーが殆ど同時に叫んだ。二人はそれぞれハンドブラスターとブラスターライフルを構える。

 

沈黙と静寂が場を支配した。

 

「「「「…………」」」」

 

 四者は微動だにせず、互いが互いを牽制するように見やる。状況は一触即発だった。私は背後から漁色家に首を絞められ、テレジアはそんな漁色家にハンドブラスターの銃口を向ける。そして庭師の倅はブラスターライフルをテレジアにいつでも発砲出来る体勢であった。

 

「……ふっ、膠着状態となったな。どうだ?そこの愛人兼護衛、これを見捨てるならば今ならば見逃してやる。卿も貴族のボンボンの御守りは疲れるだろう?」

 

 本気で、というよりも挑発に近い言い方でロイエンタールは提案する。怒るなり迷うなりで隙が出来れば上々と考えているのだろうが……。

 

「……微動だにしない、か。中々面倒だな」

 

 若干殺意を強めたテレジアの視線にふっ、と小さな笑みを浮かべるロイエンタール。当たり前だ、我が家の従士を舐めるな、と内心で吐き捨てる。

 

「まさかここまで縺れるとはな……!中々やるじゃないか?」

「はっ……!そりゃあどうもチビがっ……!」

 

 私はロイエンタールに首を締め上げられた状態でそう嫌味を言ってやる。漁色家の握力が強くなった気はするが当のチビ男の方は特に気にする事なく、凄惨な笑みを浮かべる。

 

「気が強くて何よりだ。そう来なくてはな?」

 

 楽しげに蜂蜜色の髪の小男は口を開く。そしてその数秒後、その瞳を細め、不満げな表情に変える。

 

「だが……残念だ。本来は俺達だけでケリを付けたかったのだがな……」

 

……暗い森の中から人影が次々に現れる。

 

「……悪いがゲームオーバーだ。降伏しろ、捕虜として礼節を尽くす事を約束する。命を無駄にせん事だ」

 

 心底、心底残念そうに『疾風ヴォルフ』は提案した。気づけば森から現れた一個中隊を越える帝国兵が我々に銃口を向けながら包囲網を作り出していた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ウォルフガング・ミッターマイヤー中尉、オスカー・フォン・ロイエンタール中尉、二人はどうやら上位司令部に増援の連絡をしていたらしい。臨時陸戦大隊長レーヴァンテイン少佐率いる一個中隊によって私達は捕囚の憂き目にあった。

 

「武器を捨ててもらおう」

 

 数十もの銃口を向けられて抵抗なぞ不可能だ。テレジアは葛藤の表情を浮かべるが最終的に私が命令すれば苦渋の表情でハンドブラスターをぬかるんだ地面へと捨てる。

 

「よくやった、ミッターマイヤー中尉、ロイエンタール中尉、これは昇進物だぞ!」

 

 機嫌の良さそうにそう声を上げるレーヴァンテイン少佐。亡命貴族を捕らえたのだから当然だ。単純に士官学校出の中佐の捕虜というだけでも十分な価値があるが亡命貴族の子弟という肩書はその価値を軽く十倍以上にするだろう。

 

 とは言え二人の中尉は少し不満気だ。大体理由は想像がつく。本来ならばベアト達と逸れる事になった襲撃で私は捕まる筈だったのだ。それが途中から別の部隊の割り込みで逃げる事が出来た。恐らくはこの本隊がその割り込んだ部隊なのだろう。直接私を仕留める前にやってきた、と言う事も理由かも知れない。

 

「若様……」

「……分かっている、言わなくていい」

 

 地面に座らされ、数名の兵士に監視される中、横で絶望に青ざめた表情で……それこそ涙すら流しそうに……テレジアが呟く。私は頭を振って言わんとする事を止めさせる。彼女の思いは既に良く理解していた。分かっている、だから今は言わなくて良いんだ、と視線で伝える。……今は私に任せて欲しい。

 

「さて、これが例の捕虜か?」

 

 悠々とこちらに近づいて鑑賞するように見下す指揮官。因みに彼以外にも幾人もの帝国兵が我々を不躾に見て何やら話し合っていた。はっ、まるで動物園の見世物だな。

 

「さて……卿の姓名を確認したいのだが宜しいかね?」

 

 明らかに愉悦と嘲りの笑みを浮かべて恐らくは帝国騎士であろう少佐は尋ねる。

 

「………名乗りなら先に言うのが礼儀ではないかな?悪いが目下に先に挨拶する程私は堕ちてはいないし、卑しい生まれでもないのでな?」

 

私は冷笑を持って返す。あからさまに少佐殿は不機嫌な態度を取った。

 

「ふむっ……どうやら状況が飲み込めていないようですな?まさかこれから歓待の晩餐会でも行うとお思いで?」

「この時間帯だと朝食のお誘いではないかな?ああ、ベーコンエッグと林檎パイは外さないでくれよ?大好物でね」

 

 私は皮肉気に答えてやる。恐らくもうすぐ夜明けだろう、空は青紫色に微睡んでいた。

 

「……ちっ、身の危険がないからと随分と横柄な事だな、裏切者の分際で……!」

 

 舌打ちしながら侮蔑に近い表情でレーヴァンテイン少佐はそう言い捨てる。選ばれし高貴な血族でありながら帝室と帝国を裏切り叛徒共に組みし、その癖捕虜となれば生まれにあった待遇を求めるのだ、ある意味顰蹙を買うのも当然だった。

 

(構わんさ………今は一秒でも時間を稼がんとな……!)

 

 私は内心の緊張と恐怖を誤魔化しながら余裕の表情を浮かべる。

 

 今この場で家名を口にする訳にはいかない。この状況で私が捕まった事が分かればベアトやテレジア、いやそれ以外の連隊の臣下やその家族にとって致命的過ぎる。イゼルローンで漂流した時とは違い逃げる手立てもない。私が口を開けば無線で私が捕まった事は瞬く間に広がる筈だ。彼ら彼女らのために家名を口にするのは避けたかった。もう少し……もう少しなんだ!もう少しだけ時間を稼げれば……!

 

「随分と頑固な事だ。だが……いつまでそのような態度が取れるか見物だな?」

 

 だが、こちらが何かを待っている事に少佐は気付いたようで腰からハンドブラスターを引き抜く。そして……次の瞬間躊躇なくテレジアの左足を撃ち抜いた。

 

「きゃっ……!?」

「テレジア!?」

 

 呻き声を上げる従士、一方レーヴァンテイン少佐は鼻を鳴らし口を開く。

 

「戦場に愛人連れ込みとは感心できかねますな、ここは軍事ピクニック用の荘園ではなく正真証明の戦場で御座いますればご注意願いたいものです。人肌が欲しければご自宅のベッドでなさるが宜しいかと。それとも外でなさるのが御好みでいらっしゃったでしょうか?」

 

「貴様……!」

 

 私は殺意のこもった形相で少佐を睨む。何故彼がこのような行いをしたかは分かっていた。私を傷つける事が出来ないから御気に入りの愛人であろうテレジアを人質にしたのだ。

 

「ふっ……さぁ御坊ちゃま、家名と爵位を御伝え下さいませ。さすれば相応の待遇を持って遇させて頂きましょうや?……とはいえ残念ながら我が部隊にはキングサイズのベッドは御座いませんがね?」

 

 明らかにこちらを嘲るような口調で少佐は尋ねる。恐らくは下級貴族にとって今の私の姿は実に惨めで見応えがある事だろう。帝国の階級社会では一生に一度拝めるかも分からない光景な筈だ。あるいは彼もまた中間管理職として帝国門閥貴族の横暴やら我儘にストレスでも抱えていたのかも知れない。随分と生き生きとしていた。

 

「ぐっ……」

「うっ……だ、駄目です若様……!いけません……!私は……!問題御座いません……!」

 

 テレジアの撃たれた足から出血して赤い模様が広がる。それでもテレジアは痛みに若干涙声になりながらも無理矢理笑みを浮かべ私を制止する。

 

 だがレーヴァンテイン少佐が不機嫌そうに再度彼女に銃口を向けるとなると私には選択肢なぞ無かった。私を信頼し、健気にも忠誠を誓ってくれた彼女を見捨てるなぞ出来なかった。ましてレーヴァテイン少佐がテレジアの額に銃口を向けた瞬間、私の選択肢は消えていた。

 

「わ、分かった!口にする!だから……だから止めてくれ……!!」

 

 苦渋の表情を浮かべ、葛藤しながらも私は家名を口にしようとする。

 

「若様……!」

「いいんだ。……いいんだ……」

 

 テレジアが非難、というより懇願に近い視線を向けるが私はそれを退ける。家臣達への後の責任も、アフターフォローもどうにかしよう。命なら兎も角、私の名誉程度のために彼女を見殺しなんて出来ない、出来る筈もない。

 

「私の……私の名前は……ヴォ……」

 

 そして私は屈辱に震える声で名前と家名の最初の文字を口から漏らす。

 

 ………その次の瞬間であった。森から大きな影が現れたのは。

 

「えっ……?」

 

 それに最初に気付いた帝国兵は次の瞬間顔面をその鉤づめ状の足で踏み潰された。周囲があっけに取られる。私もだ、流石に私もこれは想定してなかった。

 

 クエッ!とどこか場違いな鳴き声を上げる黒いトリウマ。同時にその後方から更に何十頭という様々な羽毛を纏ったそれが現れた。

 

「な、なんだ!?一体何が……ぎゃっ!?」

 

 狼狽するある帝国兵は訳の分からないままにトリウマの巨躯による質量攻撃にひき殺された。

 

「なっ……!?撃て!撃ち殺……ぐあっ!?」

 

 火薬銃を構えた帝国兵はしかし、次の瞬間横合いからサーベルで切り捨てられる。え?誰に?トリウマの背に乗る騎兵隊以外にないだろう?

 

「き、騎兵隊だとぅ!?」

 

 帝国軍は文字通り混乱状態に陥った。当然だ、今時時代錯誤な騎兵突撃なぞ想定する筈もない。しかも奇襲だ。森の中で一気に距離を詰められた。近距離ならば銃火器の威力は半減するし騎兵の突破力は洒落にならない。文字通り帝国軍臨時陸戦隊は騎兵突撃の前に混乱した。そこに騎乗する浅黒い肌のターバン姿の戦士達が火薬銃や拳銃を撃ち、あるいはサーベルで切り伏せる。

 

突撃(ヤシャシーン)!!」

 

 遊牧民の使う古いシャンプール語で叫びながら千近い騎兵が襲い掛かる。その人馬の波の前に帝国軍は一気に混乱状態に陥った。想定外の事態に兵士達は我先に武器を捨て、背を向けて逃げ出す。

 

「に、逃げるな!反撃しろっ!!」

 

 咄嗟に拳銃を撃ち、逃げようとする兵士達を止めようとするレーヴァンテイン少佐。だが止まらない。既に部隊の統制は不可能となっていた。

 

「くっ……来いっ!」

 

 レーヴァンテイン少佐は数名の兵士と共に私達だけでも連行しようとする。無理矢理私を立たせる。テレジアが足の痛みに倒れこむと舌打ちしながらハンドブラスターを彼女に向けようとする。私はすかさずテレジアと少佐の間に割り込む。

 

「糞!どけボンボンが……!」

「誰が退くかよ……!」

 

 レーヴァンテイン少佐が苛立ちながらこちらに銃口を向ける。銃撃を受ける覚悟を決め歯を食いしばった私は次の瞬間騎兵隊の中で一人混じる金髪の人影を認めた。それもまた私を見つめると目を見開き、トリウマの手綱を操りこちらに向かう。

 

「少佐、後ろ……!」

「ん……?」

 

 兵士の指摘に背後を見たと同時だった。怒りの形相で金髪の女性はトリウマを跳躍させて一気に距離を詰めた。そのまま擦れ違い様に臨時陸戦大隊長はサーベルで斬り捨てられる。

 

「少佐!?よくも……ガっ!?」

 

 慌てて迎撃しようとした周囲の兵士達は一人がけしかけられたトリウマに弾き倒され、一人が後ろ蹴りで首の骨を折って即死した。更に一人は銃撃を加えるが手綱を引かれたトリウマはすぐにそれを避ける。そしてそのまま発砲した帝国兵まで距離を詰めると即刻彼はサーベルの露と消えた。

 

「若様……!」

「大丈夫だ、味方だ……!」

 

 私を守るために立ち上がろうとするテレジアを宥める。そしてそのまま件の騎兵に視線を戻す。

 

 軽やかにトリウマに騎乗し戦う彼女のその姿は美しく乱れる黄金色の長髪も合わせて幻想的だった。戦女神とはあるいはこのような姿なのかも知れないなどと場違いな事を思う。

 

 瞬時に私を連れ去ろうとしていた敵兵を無力化した彼女はこちらにトリウマを操り歩かせる。その背後から数名の騎兵が現れ私と彼女の周囲を守るように取り囲み警戒を始めた。

 

 彼女は改めてこちらを見上げると感動と激情に目元に涙を浮かべる。そして私の目の前まで辿り着くと急いでトリウマから降り立った。そして頭を深々と下げる。

 

「はぁ…はぁ…はぁ……申し訳御座いません……!若様……!漸く御会い出来ました……!ベアトリクス・フォン・ゴトフリート、若様を御守り申し上げるべく只今参上致しました……!」

 

 自責と安堵、恐怖と後悔、それらが複雑に交じり合った第一声であった。

 

「申し訳御座いません……!若様を……若様の下を離れ、それどころかこのような危険な事態を招き……本当に……本当に申し訳御座いません……!」

 

 地面にめりこみそうな程頭を下げ、若干涙声で謝罪……いや、贖罪する従士。その姿はまるで親に叱られるのに怯えるような子供のように気弱で、頼りなさげに震えていた。

 

 長い付き合いだ、彼女の気持ちはよく理解しているつもりだ。故に私は立ち上がると彼女の肩に手を添える。びくりと竦みあがりこちらを不安げに見上げる彼女。

 

 ……別に私としては彼女に対して不安なぞなかった。寧ろ生存した上に助けに来た事に感動していた程だ。彼女は最後には私を助けてくれる。カプチェランカでは最後に盾になってくれたし、イゼルローンでは私を不安と恐怖から解放してくれた。

 

 そして……あの嵐の夜に私を救ってくれた。いつだって一番苦しい時に彼女は救いの手を差し出してくれる。それが無性に嬉しかった。

 

 ……故に私はこれ以上彼女を不安にさせないように屈託のない笑みを浮かべる。

 

「……よく来てくれた。また助けられたな。……待ってたぞ、ベアト」

 

 周囲で騎兵隊と帝国兵が激しく乱戦を行う中、私は心から安堵の表情を作り、忠実かつ献身的な付き人の功績を労ったのだった………。

 



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第百二十六話 何事も形式は大事という話

間違えて5月23日1時頃に投稿してしまい一度削除しました
御迷惑おかけした事を謝罪致します

次の投稿も少し遅れそう……


宇宙暦789年12月18日同盟標準時1000時頃、エル・ファシル本星衛星軌道上にて自由惑星同盟軍の三個宇宙艦隊は整然と隊列を整えて展開する。

 

「帝国軍は痺れを切らしたようですな」

 

 宇宙艦隊総旗艦『アイアース』艦橋に入室したヴォード元帥を敬礼で迎えた総参謀長カルロス・ビロライネン大将が戦況モニターに視線を移して呟く。

 

 それは約二か月半に渡り続いた小部隊による小競り合いを打ち切り、帝国軍が再度の大規模艦隊決戦を挑んできた事に対する言及であった。

 

「先日の地上攻勢を凌いだのが良い方向に傾きましたな」

 

 両軍が地上戦とその支援に傾注していた状況が一変したのは恐らくは一週間ほど前に生じた帝国第九地上軍の攻勢とその撃破にあるだろう。反撃を受けた第九地上軍は相当数の予備戦力と物資を喪失した筈であった。

 

 帝国軍に追い討ちをかけたのは同盟地上軍の水上軍海兵隊による側面への沿岸上陸作戦である。少なからずの損失と引き換えに揚陸作戦を成功させた同盟地上軍は今や逆に第九地上軍を包囲しつつあり、その包囲網は刻一刻と完成し、その厚みは増そうとしていた。

 

「確か地上では帝国軍が後退しているのだったな?」

「遅延戦闘です、戦線の縮小を意図してのものでしょう」

「となれば今回の挑発も地上軍の支援と言うわけか。クラーゼンめ、焼きが回ったな」

 

 苦境にあるだろう帝国軍の司令官を脳裏に思い浮かべ、ヴォード元帥は心底意地の悪い笑みを浮かべる。

 

 クラーゼン上級大将は自信があった筈の地上戦が想定外の苦境に立たされ相当焦燥している筈であろう。帝国地上軍の上層部に潜り込んだ幾人かの工作員からもたらされた陣地・部隊配置情報は同盟軍の戦略に決定的な貢献をしてくれた。

 

 唯一の想定外であった装甲擲弾兵による浸透と反攻作戦も最終的には頓挫し、逆に同盟軍の総攻撃の絶好のタイミングとなった。そこに地上軍と宇宙軍の対立、下級司令官の不満と突き上げが加わっているであろう、第一一艦隊の転進もそろそろ帝国軍司令部に伝わっている筈だ。

 

 既にクラーゼン上級大将が取れる軍事的選択肢は殆ど無かった。戦略と戦術の選択を奪われた彼に出来る事は艦隊決戦しかない。第一一艦隊がエル・ファシル星系に到達する前に下級指揮官達の高い士気(あるいは蛮勇)を持って一撃を与え、同時にそれによって地上軍の支援を行う……それ以外の手なぞ無かった。

 

 そしてそこまでの行動は全てヴォード元帥の掌の上であった。

 

 デイヴィッド・ヴォードと言う提督は、同時期の宇宙艦隊司令長官候補の中において、純粋な艦隊指揮能力では決して飛び抜けた実力を有していた訳ではない。

 

 しかし軍内政治ではほかの候補を遥かに凌ぐ才覚を有し、そしてその政治的嗅覚は同盟内部だけでなく帝国軍上層部や帝国政界の微妙な機敏を把握するのに寄与している側面があった。

 

 より意地を悪く言えば『政治的に敵が嫌がる事を嗅ぎ分けている』とも言い換える事が出来るだろう。

 

 軍需産業や政界と結託して物資と兵力を十全に揃える、その上で敵に対してはその政治的内部対立を煽る戦い方を以てして、その軍事的選択肢を奪い自らの用意したフィールドに引き摺りこむ……無骨で生粋の武人からは批判も少なくないヴォード元帥の戦い方ではあるが、しかしある意味では最も正道的な戦い方と言えるのもまた否定出来ないし、ヴォード自身はそんな政治を軽視し正面から間抜けに戦いを挑むばかりの狭量な戦争屋こそ嘲笑していた。

 

「とは言え……」

 

 余り愉快な状況だとも言えんか、と内心で呟くヴォード元帥。確かに戦局自体は優位に推移している。しているが……長征系の首魁の一人としては必ずしも手放しで喜べる状況でも無かった。

 

「……例の捜索の推移はどうなっている?」

「はっ、帝国人が独自に動かしている者を除けば二個連隊が捜索中であります」

「もう一個連隊増やすように要請しろ、流石に死体で回収されたらたまらん」

 

『アイアース』の長官椅子に座ったヴォード元帥はビロライネン大将に耳打ちする。全てが彼の計算通りに進んでいる訳でも無かった。

 

 計算外であった一週間前の帝国軍の反攻……それが頓挫し司令部の当初作成の計画が守られ、一部は前倒しにすらなったのは偶然その場に展開していた部隊の奮戦にある。

 

 それ自体は良かろう、仮に同じ長征系部隊でなかろうともヴォード元帥とてイメージ戦略の価値は理解している。例えそれが敵対派閥の部隊であってもカメラの前で社交辞令の礼を伝え、笑顔を貼りつかせて叙勲を推薦する精神の図太さ位はあった。だが……。

 

「……よりによってこの立場で行方不明とはな」

 

 元帥は人事ファイルに目を通して心底うんざりとした溜息を吐く。皇族の血を引く亡命貴族の一人息子なぞその時点で地雷以外の何物でもない。しかも上位の保護者はあの頭のネジが飛んでいる皇族軍人と来ている。そんな立場の坊っちゃんが行方不明と来れば……。

 

「……流石に死なれてはな」

 

 そんな輩に欲しくもない貸しを作らされたのだから面倒この上ない。死体袋で帰還した日には何が起こる事やら……考えるだけでおぞましい。ヴォード元帥個人としては亡命貴族がどうなろうが知った事ではないが、後々のトラブルを考えると救助しない訳にもいかない。

 

「いっそこんな前線ではなく後方にでも留まっていたら良いものを、身勝手にでしゃばられては此方が困る……!」

 

 顔を心底嫌そうに歪ませてぼやき、元帥は一旦この問題を隅に追いやる。ローデンドルフ少将の執拗なまでの要求に『配慮』して同盟軍も貴重な戦力を割いて捜索協力しているのだ、これで見つからなければ知った事か!

 

「第六艦隊の動きが少し鈍い、叱咤してやれ」

 

 再度戦況モニターに視線を向け、元帥は不機嫌そうに命じる。理由は大体予想がつく。先日の会議でふくよかだった第六艦隊司令官が目元に隈をつくり、げっそりと痩せ衰えていた。どうやら貴族共からかなり詰められているらしい。

 

「帝国人共め、時と場所を考えろ……!」

「司令官、敵艦隊との射程二〇光秒の接近……!」

「ちっ。全艦、砲撃開始……!!」

 

 思い出したくもないものを思い出したように苦虫を噛みしめてから、ヴォード元帥はその鬱憤を吐き出すように全艦に砲撃を命令していた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「来てくれると信じてたぞ、ベアト……!」  

 

 エル・ファシル東大陸の平原地帯、シャンプール騎兵と帝国兵が激しく戦う中、私は目の前でひざまずく従士を労うようにそう呟いた。

 

 ……良かった、本当に良かった……!!私ですら生きていたのだ、きっと無事だとは思っていたが殆ど怪我もなさそうだ。それどころかこのような援軍まで連れてきてくれたのだから彼女の働きは満点といえるだろう。

 

(後で褒美でも与えるべきだろうな……)

 

 或いは母ならば「当たり前の義務も果たしただけよ?」などと詰まらなそうに意見するだろうがそれでも私にとってはどれだけ感謝の意思を伝えても伝えきれない。それほどまでに彼女が駆けつけてくれたのは救いだったのだ。

 

「若様、ここは未だ危険で御座います。どうぞご避難をお願い致します。こちらのトリウマで御座いましたら相乗りは可能です……!」

 

 一方、ベアトは粛々と自身のこれから為すべき事を理解していた。私の右手を見て瞳に憂いを含むがすぐにこの乱戦の中、流れ弾に当たらないように避難する事を進言する。

 

「分かった、その意見に従うとしよう。テレジアが足を負傷している。誰か彼女を一緒に乗せて……」

 

 私の言葉遣いにベアトが少しだけ怪訝な表情を浮かべたのは気にしなくて良いとして………私はふと何か違和感を感じた。そうだ、何か大事な、忘れてはならない事があった筈だった。

 

 緊張と恐怖から解放された弛緩した私の脳細胞は、しかしほんの僅かに頭を回転させるだけでその忘れかけていた重要な事実に気づいた。

 

「そうだっ!思い出したぞ!?あの双璧野郎共、ぶっ殺してやる……!!」

 

 殆ど気違いの奇声に近い叫び声を上げていた。ビクッとベアトや周囲の部下達が反応する事は気にせず、私は乱戦の中であの二人を探し始める。そして直ぐにその姿を見つけ出した。

 

 背中合わせで銃剣を着剣したブラスターライフルを持って騎兵隊を寄せ付けずに戦う二人の帝国軍士官の姿。その片割れ、金銀妖瞳のキザ男が次の瞬間槍を構えて突進する騎兵の一撃を避けてその槍の柄を掴む。

 

 そのまま槍を引っ張り騎乗する騎兵を鞍から引きずり落とす帝国騎士。御免、騎乗した遊牧民相手にあしらうように無力化するとかちょっと意味解んない。  

 

って、そんな事どうでも良くて………。

 

「誰でもいいっ!今すぐあの帝国兵を殺せっ!!首持って来たら報酬はいくらでも払うぞ!何としても殺せっ!!」

 

 次の瞬間、私は周囲が少しドン引きするような必死の形相で大声をあげて叫んでいた。そうだ、私が破滅を回避する最大のチャンスは金髪の小僧含む英雄共をひよっ子の内に仕留めるしかない。つまり何が言いたいかって言うと……逃がすかテメーら!!

 

 相手はあの原作最強クラスの戦略と戦術、そして何故か無駄に陸戦技能にまで優れた二人組である。だが現状、私の立場はあの二人に対して圧倒的な優位を維持していた。ここまでの千載一遇のチャンスは最早来ないと言っていい。奴らを殺るなら今しかない。今ならレーヴェンハルト家の糞パイロットに逆レされるのと引き換えでも喜んで取引するね。

 

「わ、若様っ……!?」

 

 私の目の前でひざまずいていたベアトが私の豹変に唖然とする。うん、言いたい事凄く分かる。さっきと全く雰囲気違うもんね?ムードぶち壊しだもんね?済まん、これだけは譲れねぇ。

 

 私の宣言に反応したのか周囲の数名のシャンプール騎兵が手綱を手にトリウマの向きを変える。

 

「あいつだ!行け!やっちまえ!!報酬はいくらでも弾むぞ!ぶち殺せ!特にキザ男の方!!」

 

 序でに顔に傷つけてやってもいいぞ!!等と付け加える。

 

 報酬目当てに数名のシャンプール騎兵が駆け出し、その後方を数名の私の部下(正確にはその生き残りが)が続く。

 

 このままあの二人を始末してくれたら有難いのだが……どうやら現実は甘くなかった。

 

「はぁ……!!」

 

 先程無理矢理鞍を空けさせたトリウマに騎乗した金銀妖瞳の帝国騎士は、次の瞬間鞍に備え付けられていた鞘からサーベルを引き抜き擦れ違い様に襲い掛かるシャンプール騎兵二騎を斬り捨て、次いでその二騎の後ろから突進してきた従士の斬撃を回避するとその腕を斬り落とした。

 

「なっ……!!?」

 

 その余りにも鮮やか過ぎる手際に後続の騎兵達は思わず手綱を引き、トリウマの足を止める。その戦いぶりは気性の荒い南シャンプール遊牧民や勇敢な従士達ですらたじろぐ程のものだったのだ。

 

「ふっ……」

 

 その様子に端正な美貌に冷笑を浮かべた後、帝国騎士はこちらに射貫くような視線を向ける。私は『あの』オスカー・フォン・ロイエンタールと視線を交差させる。

 

「………」

 

 剣呑で、敵対的で、不快げで不躾な、しかし僅かの賛辞と警戒の色を含んだ表情を浮かべた未来の名将にして反逆者はしかし、次の瞬間視線に気づいたベアトが割り込むように私の前に立つと興味を失ったように身を翻し奪ったトリウマを走らせる。その先にいるのは歩兵として次々と襲い掛かる騎兵隊と戦う彼の親友であった。

 

 交差する一瞬のうちに蜂蜜色の髪をした士官の襟首を掴み、ロイエンタールはトリウマの駆ける勢いを乗せて一気に自身の背中に相乗りさせた。恐らくはロイエンタールは馬術を学んでいるものの、ミッターマイヤーの方は殆どその手の技術がないのだろう。

 

 二人を乗せたトリウマは戦闘の間隙を縫ってそそくさとその場を離脱する。そして私はその後ろ姿を苦虫を噛みながら見送る事しか出来なかった………。

 

 

 

 

 

 

 事は数週間前の帝国軍の攻勢にまで遡る。我々と同じく別の戦線の前線・後方を結ぶ中間拠点にて警備任務についていたマロンシェ族の部族兵……書類上の部隊名称は『エルゴン星系警備隊第三〇五五独立警備大隊』……は我々と同じように主力部隊から孤立した。

 

 彼らが我々と違った所は戦場を放浪中に偶然遭遇した帝国軍から大量のトリウマ……恐らくは山岳部等の移動に利用していたものと思われる……を強奪し、遊撃隊と化した事だ。

 

 彼らは特に誰に命令された訳でもなく騎兵として帝国軍の後方部隊や哨戒部隊、補給部隊を襲撃した。とは言えその目的は同盟軍全体の勝利への貢献よりもどちらかといえば生存と戦利品獲得のための物資集めに近かったようだが。

 

 恐らくは私とテレジアを迫撃するのに注意が向いていたのだろう、辛うじて帝国軍を振り切ったベアト以下幾名かの私の護衛部隊はオマル・サラージ名誉少佐(此度の従軍に際して部族兵の幹部に仮の階級が与えられている)率いる騎兵隊と遭遇、状況が状況だけに本来ならば無視されても可笑しくなかったが……ベアトが面識があったので合流に成功、私の捜索協力を依頼していたらしい。

 

「それでシェルターの救難信号を拾って駆けつけた、という訳ですね?っ……痛てぇ……」

 

 帝国軍臨時陸戦隊の大半を撃破させるか四散させ、私は騎兵隊が展開する平原地帯の一角で右腕の治療を受けていた。ベアトと同じく生き残った護衛部隊の軍医に私の右腕の傷を麻酔をした後に縫ってもらっているのだ。

 

「申し訳御座いません、これ以上の麻酔は……」

「いや、分かっている。気にせずやってくれ。………ベアト、テレジアはよくやってくれた。余り責めないでやってくれないか?」

 

 私は痛みに耐え軍医に容赦なく治療を進めるように言った後、ベアト以下の従士達がちらちらとテレジアを見るのを注意する。

 

 彼女達もまた私と逸れたので責任の一端があるとはいえ、テレジアは最後まで傍にいながら私に深手を負わせてしまったのだ。テレジアの責任にに対して何か言いたくなるのも理解出来ない訳ではない。実際テレジアは何も言わないが俯き気味で口元をきつく閉じ切っている。言い訳するつもりはない、という事を意思表示しているのだろう。だから代わりに私が弁護してやる。

 

「ですが……いえ、差し出がましい事を申しました。お忘れ下さいませ」

 

 ベアトは何か言おうとするが思い出したように言葉を切る。ベアトの表情からその理由はある程度予想がついた。彼女は自身がテレジアに何か言える権利も立場もない事を理解していた。まして庇う私に物申す事の出来る訳が無い事も……。

 

 ベアトを宥めた後、私は改めて正面を向く。地面に敷いた絨毯に座る私は対面するサラージ少佐と手慰みにホースマニアをしながらこれまでの話を聞いていた。

 

 因みにすぐ傍には焼き立てのトリウマ(食用)の焼き鳥も置かれている。どうやら先ほどの戦闘で死んだので腐らないうちに食べてしまおうとの事だ。視線をずらせば彼方此方で同じように焼き鳥を焼いている遊牧民達の姿を散見する事が出来る。香ばしくて良い匂いだ。

 

「此度は危急の所、助太刀頂きかたじけなく思います、少佐」

「知己の困難には力を貸すのが礼儀だ、気にすることはない」

 

 一通りの事情を聴き終えた私の礼に対して、串刺しのトリウマ焼き鳥を口にし水筒の水で喉を潤わせながら淡々とサラージ少佐は答える。

 

 決して豊かな環境ではない荒れ地の遊牧民は縁や人脈を大事にする。苦難にある身内や知り合いを皆で助け、助けてもらう事は常識であり、寧ろそうしなければ厳しい環境では生きていけない。

 

 故に私の救助のためにベアト達に手を貸した事にもちろん打算はあるだろうが、半分程度は純粋な善意のようだった。その辺りは身内や臣下を大事にする帝国人と似通った価値観とも言える。尤も、無関係な同盟人から見ればコネやら縁故主義、依怙贔屓あるいは身内贔屓だと排外主義的な考え方に見えるかも知れない。中央宙域の市民は特に自由主義と個人主義の傾向が強いから尚更だろう。

 

「成る程、それで……卿の方はどうしてここにいるのかね?」

「まるでいるのが具合が悪いみたいな言い方ですな、心外ですよ」

 

 そう慇懃無礼に答えたのは重装甲服を着て護衛として傍に控えるワルター・フォン・シェーンコップ上等帝国騎士様である。てめぇ、いたのならあの双璧野郎追いかけて殺ってこいよ。

 

「無茶言わないで下さいな、私も色々大変な目に遭いながらここまで来たのです。まして貴方の仰る復讐相手の戦いぶりを拝見しましたが、あれは中々の手合いでしょう?今の私では体力的に少し厳しいですよ」

「抜かすな」

 

 ふんっ、と態とらしく私は鼻で笑う。全く困った表情で言い訳を並べる薔薇の騎士である。

 

 とは言え、正直絶好のチャンスをふいにした気がするが内容自体は真っ当なので内心では不承不承で納得してやる。私も流石にあの状況で双璧にシェーンコップ少佐を一人でぶつけるのは万が一のリスクから考えると判断に困るだろう。どちらかと言えば私の態度は子供が臍を曲げて八つ当たりしているようなものだ。

 

 ……さて、何自然にお前ここに居るんだよ!と突っ込みが入りそうなのでそろそろ説明するべきだろう。

 

 ワルター・フォン・シェーンコップ少佐がこの場にいるのは別に部隊を捨てて戦場から逃げ出した訳ではない。寧ろ逆であり、連隊司令部の命令に従い渋々離脱したと言う方が正しい。

 

「これが例の光ディスクか?」

「正確にはそのコピーですがね?」

 

 私が手にする光ディスクを掲げると不良士官殿は補足説明する。

 

 話によれば先日、帝国地上軍第九野戦軍司令部所属のある高級士官が第五〇一独立連隊戦闘団の立て籠る要塞に亡命を果たした。より正確に言えば、ほかの同盟軍部隊との合流が不可能なため最も近場の彼らの下に避難した、という事らしい。

 

 どうやらその高級士官とやらは普段は良くいる門閥貴族の道楽息子を装い、その実裏では同盟軍、そして亡命軍と内通している一種のスパイ、隠れ共和主義者……つまりは亡命前のジークマイスター名誉中将のようなものだ……として度々同盟軍に情報を提供していた重要人物らしい。だが『レコンキスタ』開始直前に憲兵隊等から嫌疑が掛けられ、密かに監視対象に指定されてしまい前線に異動させられたという。

 

「大方、名誉の戦死扱いで謀殺、といった所か」

 

 その伝え聞く状況から私はそのスパイの置かれていた立場についての推測を呟く。軍務省所属の門閥貴族出身の高級士官、それを表だって内通者として処断するのは相手の家名からも、まして帝国軍の名誉からも難しい。故に最前線に派遣してから後ろから反乱軍のそれに見せかけて撃ち殺す、なんて事は決して珍しい事ではない。

 

「そして戦闘の混乱に紛れて殺害される前にその手土産を持って避難と言うわけです」

 

 尤も、その途上で監視も兼ねていた追っ手と銃撃戦となり重傷を負ったそうだが……。

 

「問題はこの情報を本隊に送信出来ないって事か」

 

 薔薇の騎士達の立て籠る要塞は帝国軍に包囲されている。妨害電波も激しく本隊にデータの送信は不可能である。 

 

「ですので司令部からの命令で私を含め二個分隊程が要塞を脱出して本隊に合流しようとしたのですがね」

 

 当然迫撃を受けて半数近くの兵士を失い、森をさ迷っている内にシェルターの救難信号を受信、現在の座標も不明瞭なために取り敢えずそのシェルターに向かおうとしてベアト達と出会したそうだ。

 

 さて、これで不良騎士達の任務も達成……とはいかない訳で……。

 

「未だに我々は敵の通信妨害を受け無線通信が出来ません。データリンクも同様に電波妨害を受けておりますので……残念ながら此方のデータ通信システムは未だ本隊には伝えられない状況にあります」

 

 ベアトの言う通り、我々もまた敗残兵の群れに過ぎない。ここは未だに敵地であり、我々は逃げ惑うべき放浪者に過ぎないのだ。このままデータを送信して仕事は終わり、という訳にはいかない。

 

 しかも不良少佐の脱出が相当てこずった事からでも分かるが、第五〇一独立陸戦連隊は包囲殲滅の危機にある。このまま見殺しにも出来まい。何よりも私自身、今後の事を考えると言い逃れするための『功績』が欲しかった。

 

 故に、私に取れる選択肢はといえば……。

 

「分かっているさ、無線は使えないな。……無線は」

 

 私は反芻するように呟く。そして暫し逡巡しながら即興で台本を書き上げると……サラージ少佐に向けて意味深な笑みを浮かべた。

 

「手持ちの鷹は何羽おられますか?」

「……八、いや少し前に一羽戻って来たからな。九羽だ」

「では全羽御借りしても宜しいでしょうか?」

「……正気でいっているのかね?」

「勿論ですとも」

 

 若干不機嫌そうにするサラージ少佐に、しかしここで引く訳にもいかないので気付かない振りをする。

 

 無線通信やデータリンクが使えない?それくらい戦場では良くある事だ。そしてカプチェランカが良い例であるがそれらが使えなくても連絡のやりようはある。つまり……。

 

「伝書鳩ですか」

「正確には本来それを狩るための鷹を、だけどな」

 

気付いたように呟く不良騎士に私は訂正を入れる。

 

 宇宙暦8世紀になろうとも、未だに伝令犬に伝書鳩、あるいは目の前のトリウマの大群や馬、駱駝等様々な動物が軍務に利用されている。

 

 そして何時の世でも対処手段は作られるものだ。無線通信やデータリンクの代わりの伝書鳩、それに対処するために両軍共に何と鳩狩りのための訓練を積んだ鷹(中には軍用犬向けの訓練を積んだ個体もある)も飼育されている。

 

「しかも南シャンプールの遊牧民直々に訓練したものと来たら軍の納入品の中でも優良品だからな」

 

 現在ならば兎も角、少なくともアルタイル星系を脱出したばかりのハイネセンファミリーは動物の軍用訓練のノウハウなぞない。建国以来同盟軍や同盟警察はそれらの軍用動物をどう確保し、訓練を施していたかと言えば少なくとも建国初期は外注である。

 

 即ち同盟に加盟していた旧銀河連邦植民地から輸入して対処していた。パルメレントの山岳民族から軍馬や毛長牛を買い取り、レムリアの廃業した空賊からは伝書鳩を、軍用犬の多くは旧ネプティス共和国の軍犬警察が飼育していた闘犬を輸入していた(これは後に帝国産の有角犬と取り替えられた)。ルテシアやアシハラで利用されていた剣虎に着想を得た地方配備の剣虎兵はその外見の威圧感と多少の銃撃ならば無視して相手を食い殺す事の出来る獰猛さから植民地弾圧時代のある種の象徴と捉えられ、607年の妥協以降運用を禁止された。

 

 現在もこれらの地域の現地人は同盟軍にインストラクターを始めとした人材と『装備』を提供しており、南シャンプール人もまたその例に漏れない。ほかの幾つかの惑星の遊牧民と同じくトリウマや伝書鳩狩りないし偵察・伝令用の鷹を調教し、その運用する人材共々提供していた。この時代まで人材と『装備』を提供している、それだけで彼らの調教技術の高さが分かろうものだ。

 

「我々には教えて下さいませんでしたな?」

 

 不良騎士がサラージ少佐に向けて若干不機嫌そうに尋ねる。

 

「そうは言うが……我々にとっても今手元にある鷹は貴重な連絡手段だ。それに何よりもそこの主人の救出が最優先といっていたではないかな?」

 

 つれなく答えるサラージ少佐。まぁ、彼らからすれば貴重な連絡手段失ったら本当に詰むからね。まして愛国心で従軍しているわけでもなく出稼ぎ感覚だ。とは言え……。

 

「そこを何とかお願いしたいのですがね……」

 

 光ディスクの内容を幾つかの情報チップに書き写して鷹に括りつけて地上軍本隊や司令部に向けて放鳥する。何羽かは途中で迷子になるか狩られるだろうが、一羽でも合流出来ればこちらとすれば万々歳だ。光ディスクの中には帝国軍の今後の展開計画や部隊配置も記録されている。一進一退の戦いが続く中、同盟軍にとってここまで貴重な情報もない。次いでに私の伝言も添えておけば下準備は整うだろう。

 

「だが……」

 

 尚も渋る表情をつくるサラージ少佐。まぁ、予想はしていたけどね。

 

「無論タダで、とは言いませんよ」

「………」

 

 私のその言葉に浅黒い日焼けした肌の少佐は僅かに目の色を変える。どうやら話を聞くだけ聞いてくれはするらしい、なりよりだ。

 

 私は敢えてすぐには話さずに目の前の小さな容器の中に、同じく木彫りの可愛らしい木馬を二頭投げ込み、暫しの沈黙の後漸く口を開く。

 

「……光ディスクの中身は携帯端末で少しだけ目を通しました。部隊展開に地下施設の設計、後退計画の概論、それに……司令部の撤退計画も」

「………?」

 

 私の言葉に、その意味を図りかねたように怪訝な表情を浮かべる少佐。私はその反応に含み笑いを演じて応える。

 

「何事も褒賞や謝礼が必要ですからね、とは言え今の私には御支払い出来る物はない。なので………」

 

 そこまで言って一旦言葉を切り、私は木馬を含んだ容器を良く振り、絨毯の上に置いた。そしてどこか態とらしく間を置いて私は不敵な笑みを浮かべ、囁いた。

 

「儲け話があるんですが、一口乗りませんか?」

 

 さて、それでは今回の帳尻合わせといこうかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 12月20日0530時、まだ暗がりの強いエル・ファシルの冬の明朝の事であった。

 

 エル・ファシル東大陸に展開する帝国地上軍第九地上軍司令部要員の主力約一〇〇名はその護衛部隊等を含めた計八〇〇名の隊列を以てフラウエンベルク要塞陣地からの離脱を開始していた。車両と人の列が森に囲まれた山道を進む。

 

「……砲撃跡で山道が荒れているようです。工兵部隊が補修を致しますので少しお待ちを」

 

 サイドカー付きオートバイで駆け付けた護衛部隊の隊長が前後を装甲車に護衛された軽量軍用乗用車(キューベルワーゲン)の下で跪き報告する。軽量軍用乗用車(キューベルワーゲン)、その深紅のベルベット生地張りの後部座席に鎮座する老境の軍人はその報告に深い溜息をついて瞑目する。

 

「……やはり何事も予定通りにはいかぬものだな」

 

 杖を立てて椅子に座るツィーテン将軍。反乱軍の砲爆撃により予定を過ぎても第九野戦軍の移転作業は停滞していた。仕方なく宇宙軍の支援を受ける事で反乱軍宇宙艦隊の注意を逸らし、その間に森林地帯や山岳部に隠れ移動を開始した。

 

 この時点でツィーテン大将は司令部内にいた叛徒のシンパが亡命を試みた事に気付いていなかった。だが、それを非難するのは酷というものである。

 

 一つには司令部は全滅を避けるために幾つかのグループに分かれて撤収を行っており、件の人物が別のグループに所属していた事、更に言えばシンパを監視していた憲兵隊や査閲士官がスキャンダルを避けるためにその事実を隠匿、密かに始末をつける予定であったためだ。

 

 連座や血の復讐を回避し、宮廷闘争の流血を最小限に留めるために渦中の人物が反乱軍との戦いで『名誉の戦死』を賜る事は帝国社会では珍しい事ではなく、しかし武門貴族を始めとした現役高級軍人達の中には宮廷の陰謀を前線にまで持ち出される事を快く思わない者も決して少なくなかった。そのため上層部には詳細が知らされず、戦火の中で密命を授かった者達がどさくさに紛れて人知れず任務を果たす例もまた珍しくない。

 

 故にツィーテン大将以下の第九野戦軍司令部主要メンバーは、未だにカール・マチアス・フォン・フォルゲン主計准将の行動を把握していなかった。

 

 だが、それだけならばまだ決定的なミスとはならなかったであろう。密命を受けていた者達は決して宮中のマネキン人形ではなく、少なくとも技術の面でいえば謀殺を成すのに十分な実力を有していた筈であったのだから。

 

 誤りがあるとすれば乗馬とビリヤード、そして麻薬の密売以外に見るべき物がないと思われていた伯爵家の三男が思いがけない射撃の技量と頭のキレを有していた事であり、それが巡り巡って致命的な破局に繋がった。

 

「仕方あるまい、この際時間は金剛石よりも貴重だ。徒歩で行くとしよう」

 

 副官であり付き人でもあるキルバッハ中佐に支えられて老将は後部座席から降りる。黒い軍服の胸を飾る数々の勲章が朝焼けの光に鮮やかに輝く。

 

「調度品も荷台から降ろせ。ゆっくりと運び出すんだ。傷一つつけるなよ……!」

 

 ツィーテン公に仕える別の従士が後続のトラックに命令する。司令部の高級士官達が前線で不自由ない生活を送るために持ち込んでいた数々の高級家具や調度品を叛徒共の手に明け渡す訳にはいかない。護衛の兵士達にトラック荷台に乗せたのそれらを慎重に運び出す。

 

「落すなよ……?絶対に落とすなよ……?」

「これ割ったら大変だぞ……俺らの給金何年分だ……?」

「流石御貴族様って所か、俺らが汚ねぇ寝袋にくるまっているのにこんな上等なベッドで寝やがって………」

「無駄口なんか叩くなよ、それよりも早く運ぶぞ……!」

 

 輸送を命じられた兵士達は戦々恐々と、あるいは若干の反発や羨望を湛えた表情で家具と調度品を持って移動を始める。マホガニー材のベッドにドロワー付きのチェスト、黄金色に輝くロココ調のソファーは四人がかりで慎重に運ばれる。鮮やかな陶製の花瓶を運んでいる軍曹は生きた心地がしないであろう、その価値は彼の給金の半年分であった。

 

 漆喰細工に金縁の壁掛け鏡に孔雀石で作り出された鷹の置物、鈍く輝く銀食器にザイリッツ=ヴィーダー・マイセン工房のティーセット、あるいは象嵌細工の文箱に細密画の描かれたペルシア絨毯……それらは一目見ただけで一般庶民の手に入らない熟練の職人が仕立てた逸品である事が分かろう。

 

 帝国暦469年物のノイエ・ヘッセンの白にカルステンの455年物のキルシュヴァッサー、なによりもクヴァシルの帝国暦433年物のエーデルフォイレ……それらの銘柄のボトルを運んでいた兵士達は本来ならば一生それを目にする機会すらなかった筈だ。

 

 どれも平民達にとっては贅沢の極みであっただろう、だがこれでも門閥貴族全体から見た場合ツィーテン大将以下の首脳部が司令部から持ち出した財貨は決して道楽を貪る程の物ではなかった。寧ろこれだけの贅を尽くしていてなお、帝国の門閥貴族社会の価値観に照らせば『清貧』で『質実剛健』と扱われるぐらいである。

 

「徒歩ですか、この険しい道を……」

 

 ツィーテン将軍に続くように腹部の脂肪を揺らして降車したシャフト技術中将が砲撃で荒れた道を見つめ、若干呻くように呟く。

 

「こんな事でしたら減量するべきでしたな、シャフト技術中将殿」

「私はデスクワークと研究が仕事でしてな、貴方方のように鍛練に取れる時間が無いのです」

 

 野戦軍参謀長ヴァルブルク中将の若干冗談を含んだ言に僅かに不機嫌そうに、それ以上に脱力気味に技術中将は答える。

 

 本来武門貴族ではない赤っ鼻の男爵は別に特別に暴飲暴食に励む人物でもなかったが、科学者であり技術者、哲学者であり執筆家として多忙を極めているがために特に運動面において健康と言える生活を送っている訳ではなかった。そこに貴族階級としての付き合いがあり会食や酒宴への参列もあれば肥満体になるのもある意味ではやむを得なかった。

 

「ははは、それは大変な事ですな。むっ、あれは……随分と体躯の良い鷹だな」

「鷹?ああ、あれですかな?」

 

 一方、ヴァルブルク中将の方は険しい道を悠々と登り、空を飛ぶ猛禽の姿にそんな事を呟く。ヴァルブルク中将は怪訝な表情を浮かべる技術中将に説明を始めた。

 

「我が家でも鷹狩りのために何羽かイヌワシを飼育していましてな、シーズンになると狩猟園で義父や息子と狐や貂を狩りにいくのですよ。だがあれは中々……」

 

 天を見上げ、感嘆するような視線を向ける中将。それだけ今彼らの上を通り過ぎていく鷹が大物であり、鮮やかな色合いを持った上物であったのだ。

 

 「どうやら思ったよりも良い森らしいですな、こんな時でなければ狩猟をしたい程です」

 

 そう言って然程疲労を感じさせない足取りで足を再度動かし始める第九野戦軍参謀長。

 

 掘りの深い鋭い顔立ちに十二頭身の均整の取れた体型、背筋は反ったサーベルのように伸びている。軍服を脱ぎ捨てれば四〇を越えたとは思えない鍛え抜かれた鋼の肉体を拝む事が出来よう。ヴァルブルク中将の立ち振舞いは一目でこの手の山登りに手慣れている印象を見る者に与えていた。

  

 門閥貴族階級全体が長い時間をかけて腐敗しつつあるとは言え、特に地方在住の武門出身の小諸侯は比較的古き善き貴族階級の気風を残している事で知られている。そして古き善き貴族の嗜みと言えば山や森での狩猟や乗馬も含まれる。

 

「狩りですか、やれやれ、武門の御家は元気なものですな……」

 

 一方インドア派の技術中将は呆れ気味に肩をすくめ、ハンカチで額の汗を拭きながらその後に続いた。

 

 第九野戦軍司令部本隊は兵士から将官まで結局ほぼ全員が徒歩での移動を余儀無くされた。工兵部隊が山道の復旧を急ぐが、その間同じ場所に留まり爆撃の対象となっては敵わない。車両が追い付けばそれで良いが、当てにせずに徒歩で目標の中継地に向かうのが最善であろう。

 

「うぬっ……」

「将軍、御休息なされますか?」

「……いや構わん。儂のせいで足を止めさせる訳にもいくまい。このまま進もう」

 

 老境であるが故にだろう、ぜいぜいと肩で息をしながら山道を進むツィーテン大将に参謀や従卒達が進言する。肩車を勧める声も挙がるが将軍はそれらを全て拒否した。彼にも軍人としての誇りと貴族階級としての矜持がある、自らが足を引っ張る事も、まして兵士達の前で情けなく背負われるのも許せるものではなかった。

 

 地雷や不発弾がないか調べながら慎重に、しかし可能な限り迅速に目的地に向かう軍列。ツィーテン大将の傍に控えるキルバッハ中佐は時たまによろめく主君を支えつつ抜け目なく周辺を警戒する。

 

「………ん?」

 

 ふと、かすかに何かが崩れる音がした。振り向くと上方から砂粒が落ちてきたのを確認する。

 

「………!」

 

 キルバッハ中佐の眼に急速に警戒の色が浮かび上がった。腰のハンドブラスターを引き抜き上方を見上げる。

 

「敵襲だっ………!!」

 

 そして山道の両脇の崖から飛び降りて来た巨大な影の群を視界に映し出すと共に、キルバッハ中佐は叫び声を上げつつ手に持つハンドブラスターを発砲する。そしてほぼ同時に彼らの頭上から火薬銃に装備されたグレネードランチャーが火を噴いたのだった。

 

 

 

 

 

「予想通りに獲物が来たなっ………!!」

 

 突撃しながらグレネードを隊列に撃ち込み帝国軍を混乱させた前衛部隊に続いて、私も数メートルはあろう崖を片手で手綱を引き白馬ならぬ白トリウマで駆け降りた。偵察に飛ばした鷹の足首に装着したカメラから隊列を整えて進軍する帝国軍の写真が撮れていたので十中八九この道を通ると見込んでいたが……本当に通ってくれる事に何故か感動を覚えている私がいる。漸く私にもツキが回ってきたぜ……!!

 

 光ディスクには第九地上軍司令部の退避計画も記録されていた。当のスパイ本人逃亡後の事であるから対策をされているか道が変更されている可能性も否定は出来なかったが……事が事だけにやはり上層部までは知らされていなかったらしい。

 

 そうとなれば後はこちらのものだ。帝国軍がそうしたように此方も険しく警戒網の薄い山岳部を通り、第九野戦軍司令部の脱出ルートに先回りし、身を伏せて隠れる。そして目的の集団を見つけると共に上方から奇襲を仕掛ける訳だ。

 

 崖から次々とトリウマに騎乗した騎兵隊が躍り出て帝国軍の細い隊列に突貫するのが見えた。狭い道に大重量のトリウマはそれだけで脅威であり激突と同時に挽き殺される兵士が続発する。辛うじて抵抗しようとしたり、兵士達を落ち着かせようとする下士官は狙撃兵により優先的に排除される。

 

「車両は置いていったな……!好都合だ……!!」

 

 先遣部隊に続いて帝国軍の軍列に突入した私は周囲を見ながら喜色の笑みを浮かべた。流石に装甲車相手に騎兵突撃は無謀過ぎる。相手が徒の歩兵のみなのは幸運だ。

 

「若様っ!余り突出しては……!!」

 

 すぐ傍で轡を並べるベアトがすれ違い様に私に襲いかかろうとする敵兵をサーベルで斬り捨てる。

 

「お怪我がありますので前進するのはお控え下さいませ……!!」

 

 そう語って慌ててベアトを含め数名の騎乗した従士が私を囲む。

 

「あー、分かってはいるのだがな………」

 

 私は戦闘で興奮するトリウマを落ち着かせながら謝罪する。此方は片手が怪我で使えないので戦闘なぞ不可能だ。轡を引きトリウマをいなす事位しか出来ない。 

 

 とは言え、私が参戦しなくても殆ど問題にはならない。歩兵に対しての騎兵隊の奇襲、数はほぼ互角であり、しかも相手の何割かは精々拳銃しか装備しない司令部要員である。更に言えば……。

 

「糞っ!反乱軍め……!」

「馬鹿っ!撃つな!荷物に傷をつけるつもりか!?」

 

 案の定、調度品や装飾品を輸送していた一個中隊近い人員は包囲するシャンプール騎兵達に対して録な抵抗もしないし出来なかった。輸送のために両手を使っているし、銃器を使えば最悪傷がつく。そうなればどうなるか………輸送する兵士達や指揮官は大貴族達の財貨が傷つく事とその結果自分達に降りかかる可能性のある罪状に恐怖して狼狽えるのみだ。

 

「テイコウスルナ……!ウッタラソノニモツニウチカエスゾ!!」

 

 彼らを囲むシャンプール騎兵達は火薬銃やサーベルを構えて片言の帝国公用語で警告する。はっきりそう言われれば勇気を振り絞って抵抗しようとしていた兵士達も引き金から指を離すしかない。そしてほかの護衛部隊も既に大半は切り伏せられ死亡か負傷し、その戦闘能力を急速に失いつつある。

 

「順当だな。それではベアト、私達の仕事をするとしようか?」

「はっ……!」

 

 弾除けのベアト達に密集して護られながら私は軍列の一角にトリウマを走らせる。

 

 そこではほかの場所とは違い、歩兵隊は銃剣付きのブラスターライフルや火薬銃を構えて古式ゆかしい菱形密集隊形を取っている。その周辺に倒れる騎兵の数を見るにどうやら宇宙暦8世紀でもこの陣形はそれなりの効果があるらしい。

 

「若様、僭越ながら……」

「ああ、構わん。こちらも早く勝負を決めたい。……働きをみせてもらおうか?」

「はっ!」

 

 私の命令に敬礼を持って返すとベアトは一人トリウマを駆けさせる。そして途中斃れる帝国兵から軍旗を奪い取るとそのまま密集陣形に突っ込む。

 

「こっちに来るのか!?」

 

 ベアトの存在に気付いた数名の帝国兵が銃口を向けるが発砲と共にトリウマは跳躍していた。流石に元を辿れば駝鳥の遺伝子も配合されているだけあって馬を超える跳躍能力である。

 

「はぁ……!」

 

 そのまま軍旗を投槍のように投擲し帝国兵の一人を串刺しにする。それに驚愕して視線を逸らした傍のもう一人をその顔面から踏み潰した。

 

「穴が開いたぞ!突入しろ……!」

 

 サラージ少佐の命令に応えてシャンプール騎兵達がベアトが無理矢理こじ開けた隊列の亀裂に突進する。先程まで接近も困難だった陣形は急速に崩壊して狩る側と狩られる側が逆転する。

 

 そして兵士達の壁が崩壊した先には煌びやかな軍装と勲章に身を包んだ一団がその姿を公衆の面前へと晒していた。

 

「さて……漸く私も役立ちそうだな」

 

 私は足で腹を叩きトリウマを走らせる。ベアトが佐官が向けた拳銃をサーベルで切り払ったのと私が彼らの目の前に現れたのはほぼ同時だった。

 

「第九野戦軍司令官、エーバーハルト・フォン・ツィーテン将軍とお見受けする!使者として皇帝陛下の御意思を伝えに参った、武器を下げられよ!!」

 

 拳銃やサーベル、ハンドブラスターを構えて抵抗しようとしていた高級士官の一団は、私の流暢な宮廷帝国語の宣言に意表を突かれたように目を白黒させ、次いでその内容に怪訝な表情を浮かべる。

 

「………皇帝陛下とは何者か?この銀河に君臨なされる唯一絶対の支配者は唯一人、開祖ルドルフ大帝とその子孫のみである。貴官の口にする皇帝とは一体何者であるか?」

 

 暫く互いに視線を交差させた後、恐らく参謀長であるのだろう、中将の階級章を保持する中年の軍人が堂々と尋ねる。

 

「無論、全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる初代銀河帝国皇帝ルドルフ一世陛下が子孫にして、御所たるアルレスハイム星系に住まわれる賢明かつ慈悲深き吾等が臣民の父、グスタフ三世陛下であらせられる!!」

 

 私もまた内心呆れつつも堂々とそう宣言する。傍ではベアト達もいるからね、主君として余りヘタレな様子も見せられない。

 

「……成程、亡命軍か、卿の名は?」

 

 そこで漸く合点がいったように老将軍が口を開く。老人が警戒するように私を射抜く。私の「家格」を試されているな。

 

「これは失敬。権門四七家が一つにして武門十八将家が一つ、ティルピッツ伯爵家が本家、ヴォルターと申し上げる。始祖はコレリアが軍人家系のオスヴァルト、家紋は赤の盾に百合、帝室を支える鷲獅子。父は直系のアドルフ、母はバルトバッフェルが娘ツェツィーリア!!」

 

 その宣言にその場にいた貴族階級の全員が驚く。半分は私の家柄に対して、もう半分はそんな家格の人物が態々軍使としてこの場に来た事に対してであった。

 

「……宜しい、それではこちらも礼を尽くして名を名乗ろう。権門四七家が一つにして武門十八将家が一つ、ツィーテン公爵家本家、エーバーハルトである。始祖はカストルが星系軍の長ヨアヒム、家紋はフュルストを冠した銀のボーデュアの盾、中央にはランパルトの白獅子である。必要であれば家族の名も答えようか?」

 

 試すように尋ねる将軍。その手には乗らんぞ。家格も歳も上の相手に普通の貴族はそこまで出自を追求しない事位知っとるわ!

 

「いえ、結構。ツィーテン公、返答は如何に?」

 

私は内心の緊張を誤魔化しながら堂々とそう尋ねる。

 

「……ふむ、試すような真似をした事を謝罪しよう。さて返答の前に……中将」

「はっ、総員戦闘止め!!」

 

 そう呼ばれた参謀長が大声で何度も周囲に宣言する。それに注意が向き騒がしかった周囲の敵味方の兵士達が戦闘の手を止め始め……いつしか静寂がその場を支配した。

 

「……さて、場が整ったな」

 

 ツィーテン公は付き人らしい佐官に椅子を用意させるとゆっくりとその椅子に座り込む。

 

「……まずはアルレスハイム『公王』からの伝令、痛み入る。軍使に相応しい礼を出来ない事心苦しいが許して欲しい」

 

 『公王』を殊更強調する老将軍。銀河帝国のアルレスハイム=ゴールデンバウム家の扱いは曖昧で、公式資料内では『大公』とも『藩王』とも『公王』とも呼ばれている。

 

 反逆者扱いされないのは間違い無く帝室の血を引いている事もあるが、初代皇帝ユリウス・フォン・ゴールデンバウム(ユリウス二世)が亡命時に帝権を象徴する五つのレガリアの内の二つと戴冠宝器の幾つかを持ち逃げした事、亡命貴族達にティルピッツ伯爵家を含む相当数の名家が含まれ彼ら全てを反逆者として処罰するとなると連座で貴族社会が壊滅してしまう事、マンフレート亡命帝時代に国璽を持ってアルレスハイム=ゴールデンバウム家の存在を認める書面を認可しそれを亡命政府が確保しているためなどである。

 

 尤も、帝国政府からすればアルレスハイムの分家を『王』としてならば兎も角『皇帝』と認めるつもりはない。皇帝は銀河に一人だけ、それが帝国政府の公式見解なのだから。

 

「……まぁ宜しいでしょう、私とて徒で後退せざる得ない苦境にある将軍方にそこまでの要求をしようとまでは致しませぬ。公爵方の名誉のため『配慮』致しましょう」

 

 この場で優位にあるのは自身である、というように私は答える。相手をブチ切れさせないギリギリの表現だ。まぁ、こちらも仕えるべき帝室(アルレスハイム=ゴールデンバウム家)を王扱いされているから多少はね?

 

「……では御意思をお聞かせ願いましょうか、伯爵公子殿?」

 

 若干不機嫌そうになりつつもその程度想定内であったのだろう、悠々と公爵は本題に入る。なので私もまた気を引き締めて本題を口にする。

 

「宜しい、ツィーテン公。ではお答えしよう……偉大なるグスタフ三世陛下は慈悲深くも同じ高貴な血の流れる悲劇をお求めにはなられぬ」

 

 と私はわざとらしく周囲を見やる。既にツィーテン公爵達の周囲は武器を持ったシャンプール騎兵達が包囲していた。

 

「故に勝敗が決した現在、私は騎士道精神と貴族精神を以て貴公らにこれ以上の私戦権行使の停止と『名誉ある降伏』を勧告しに参った次第である!」

 

 私は貴族らしく高慢に、そして胸を張って宣告する。少なくとも帝国軍において亡命政府軍との戦いは反逆者との戦いでなければ国家間戦争でもなく、言うならば帝室の名誉をかけた『私戦』であった。無論、私戦自体は第一一代皇帝リヒャルト二世忌血帝の時代に全面禁止され決闘にとって代わられたものの、それでも散発的に発生はしているし行った家が根こそぎ大逆罪やら不敬罪で処断される程のものではない(罰金や当主の隠居、一部領地没収はあり得るが)。

 

 亡命軍に対する対応も同様であり、公的にはアルレスハイム=ゴールデンバウム家及びその影響下にある諸侯と帝室の『私戦』という認識が宮廷にはある。故にこれは同じ『高貴な血』の流れる者達の対等な戦であり、力及ばず降伏しようとも少なくとも叛徒共の手に落ちるよりは遥かに名誉あるものであった。少なくとも建前上は。

 

「我々がそれに従うと?」

 

 しかしながらツィーテン公爵は目を瞑り、腕を組み静かに尋ねる。尤も、それがブラフである事は私も百も承知だ。既にこれは交渉ではなく儀式の段階であった。

 

「従う事を切に願います。そうでなければ、私は貴方方を不名誉な方法で処断せねばならない」

 

 その言葉に公爵の後ろで控える高級士官達が緊張に表情を強張らせる。

 

「……理由をお聞かせ願おうかの?我々も武人として帝室にこの身を捧げる立場、まして同じく高貴なる者に討たれるならば本望、しかして不名誉なる方法で処断せねばならぬとはそれは如何なる理由か?」

 

 ツィーテン公爵の落ち着いた、それでいて厳粛で重々しい質問に私は答える。

 

「お答え致しましょう。一つはこれ、我が身の恥を晒しますが先日の戦いで深手を負った身なれば、貴公らをこの場で自ら討つを能わざる事を御理解願いたい」

 

 トリウマの上に乗ったまま私は右腕を掲げる。あの糞帝国騎士のせいで利き手が使えないのだ、門閥貴族たるのがこの場で私だけであるから彼ら全員の処断をするのは少々手間取る。

 

「第二に、今の私は自前の兵が少なく、不本意ながらこのようにランツクネヒトを雇う身、私としては彼らに早急に代金の支払いを為さねばならないのです。故に、貴公らの降伏が入れられぬ際には彼らが彼ら自身の実力を以て代金を徴収せねばならなくなるのですよ。……その意味、御分かりでありましょう?」

 

 ランツクネヒト……即ち傭兵は帝国社会にも存在する。ベテルギウス子爵家やモルガルテン男爵家のように領民を殆ど持たず、傭兵業を家業として貴族の私戦や御家争い、警備、教官や食客の派遣に帝室への近衛兵派遣を以て生計を立てる門閥貴族家もあるし、その場合は傭兵団とはいえ軽視される事はない。最強の近衛軍司令官であった『獅子のレオンハルト』やコルネリアス帝の親征において最前線で千人斬りを達成した『剣姫』クリームヒルト・フォン・ミッドガルド准将、『旅団潰し』のゲルゼン兄弟と言った帝国の伝説級の戦士達も実家はランツクネヒトをする武門貴族であった。

 

 とは言え、平民主体、それどころか貧民や自治領民主体のランツクネヒトもあるし、そちらは正直卑しい集団として認識されている。下手すればフェザーン傭兵より蔑視されているだろう。多くの場合、貴族主体の歴史あるランツクネヒトを利用したくない成り上がりの富裕市民が自前で立ち上げた自衛兼営利集団だ。

 

 私と共にこの場を襲撃したシャンプール騎兵達も帝国貴族目線でいえばある種のランツクネヒトという認識で見られる事であろう。彼らはイデオロギーでも愛国心でもなく報酬と略奪品目的で出征している。そしてこの場で私についてきた理由も………。

 

「故に、私は貴方方の名誉のために降伏を勧める次第です」

 

 私は『善意』として彼らに忠告する。ここで卑しい出自の傭兵共に切り捨てられるか、曲がりなりにも名家の嫡男に降伏するか、という二者択一を迫る訳だ。そしてツィーテン公爵も私の言わんとする事をすでに察しているだろう。公爵は不安そうに部下や兵士達の視線が自身に向くのを敢えて無視し、暫し考えるように沈黙する……。

 

「……名誉のため、か」

 

 目をゆっくりと見開き、こちらを見つめる公爵。私は人好きするような笑みでそれに答える。それに対して少しわざとらしく不服な口調で、しかし我慢するように、公爵は返答した。

 

「……分かった。不本意ではあるが我が部下達に不名誉な最期を命じる訳にもいくまい」

 

 そして公爵は立ち上がると正に名門の一族に相応しい惚れ惚れとする立ち振る舞いで礼をして堂々と嘆願する。

 

「ティルピッツ伯爵家のフォン・ヴォルター殿、御頼み申す。このエーバーハルト、今持つ資産を身代金として貴公に寄進し、それを以て我が部下達の名誉を御守りして頂きたく願う。どうか彼らに階級に相応しき処遇が与えられん事を」

 

 それはある意味では出来レースであり、予定された行動であっただろう。ツィーテン公爵にとって奇襲され、包囲された時点で討ち死にか降伏かの選択肢しかなく、前者は討たれる場合の相手が反乱軍相手でありしかも多くの門閥貴族の部下を共に死なせる事になる。個人でなら兎も角司令官として、公爵家の当主としては選べなかった。

 

 だが、すぐ様降伏する事も、卑しい奴隷共に降る事もまた有り得ぬ選択肢だ。それ故に彼にとって私の存在は僥倖であるし、私も自身の最大の価値がそこにある事を理解していた。

 

 つまりは『ヴォルター・フォン・ティルピッツ』の『善意と厚意』に応え、不名誉な討ち死にではなく『公爵が部下を慮り』、『公爵が手元にある資産』を身代金として『仕方なく降伏する』、という体裁を整え公爵が阿吽の呼吸でそれに応えた訳である。これならば誰も公爵を……少なくとも表立っては……責められない。

 

 そしてこれは私にとっても非常に助かる。私の怪我は恐らくテレジアや多くの部下が責められるだろう、下手をすれば自裁を命じられる可能性すら有り得る。私としてはそのフォローのための影響力を手に入れるために大きな軍功が欲しかった。そしてそのためにサラージ少佐のシャンプール騎兵を動員したがそのための飴たる司令部の運んでいた調度品を合法的に押収し、しかも同盟軍の勝利に寄与する。正に三方良しと言う訳である。

 

 後は薔薇の騎士達の方は上手くいっていれば良いが……彼方は不良少佐がいるから大丈夫だろう。私が気にする必要はない。私よりも遥かに上手くやってくれる筈だ。そうでなくてはかなり困る。

 

「……宜しい、ツィーテン公。貴方の勇気と名誉ある選択を賞賛致します」

 

 一抹の不安を拭い去り、我に返った私は慈愛の言葉を口にする。そしてこの出来レースの喜劇を、その最後の飾るべくトリウマを下りた。勝者として敗者の名誉を守り、賞賛するのは当然の事である。……少なくとも同じ門閥貴族の間では、ね?

 

「どうぞ頭をお上げ下さいませ、公爵。私の名誉にかけて貴方方に相応しき待遇を約束致しますればどうぞ御安心を」

 

 こうして内心で貴族文化を嘲笑し、口元に浮かぶ呆れの笑みを必死に隠しながら、私は友誼を結ぶ握手のために左腕をツィーテン公爵に対して恭しく差し出す。

 

「………宜しく頼む」

 

 公爵が僅かに躊躇し、沈痛な表情で、あるいはそのように見せて私の手を受け取った。それは抵抗を諦めるものであり、戦いの終わりを意味するものであった。

 

 次の瞬間、騎兵隊はサーベルとライフルを掲げて勝利の雄叫びを上げ、一方、帝国兵は武器を捨て、天を仰ぎ嘆き号泣する。瞬く間に山道は何千という喜びの歓声と嗚咽の声で満たされた。

 

 宇宙暦789年12月20日同盟標準時間0830時。こうして帝国地上軍第九野戦軍司令部は同盟軍……いや、銀河帝国亡命政府軍の降伏勧告を受諾したのであった……。



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第百二十七話 作者は読者の総意の器という話

本編を読む前に作者より読者の皆様にお伝えしたい事

「私は自らを器と規定している。二次創作需要から見捨てられた読者の願望、銀英伝二次創作を求める者達の趣向を受け止める、器だ。彼ら(感想欄の読者)がそれを望むなら、私はそれを受け入れる、この作品の主人公はそのためのものだ」


意訳:この展開は決して作者の趣味ではありません……嘘じゃないよ?


 エル・ファシル本星衛星軌道上における戦いは、端的に言えば一切面白みのない砲撃戦という形で推移していた。

 

 同盟軍側の司令官ヴォード元帥は元々事前の戦力や補給と言った戦略、あるいは政治という『戦場以外での戦い』を重視する提督であり、帝国軍側の司令官クラーゼン上級大将も奇計奇策を得意とせず、寧ろ調整型の人物であったのだからさもありなんである。12月18日から20日にかけて両軍は若干の駆け引きこそあったものの、基本的に愚直に正面から中性子ビームを撃ち込み合う戦いに終始する。

 

 統合作戦本部のエリート参謀や民間の軍事評論家、あるいはマニアからすれば華が無ければ面白みもない戦いとは言え、末端の兵士達からすれば命懸けである事は変わりなく、また戦隊以下の個々人や戦術レベルでは少なくない英雄が誕生し、あるいはその輝かしい戦歴に新たな一ページを加えていた。

 

 同盟軍の提督であれば第一〇艦隊第210戦隊司令官ドミトリー・ボロディン准将、第六艦隊第64戦隊司令官ドュルナー・フォン・ハーゼングレーバー准将、第四艦隊第七六六戦艦群司令官ライオネル・モートン大佐、第六艦隊第二六六〇巡航群司令官ルーマー・ガイズバーグ大佐等がまず勲章を授与されるに相応しい働きをしたと言えよう。正面決戦の中、少ない選択肢で最大限の技巧を凝らし彼らは帝国軍の戦列に強かな打撃を与える。

 

 個人戦の花形と言えば空戦隊である。『猛禽』ホルスト・フォン・ヴァイセンベルガー大佐率いる第六艦隊第131独立空戦隊所属のヘルムート・フォン・バルクホルン中佐、エミール・ヴォルフ少佐等は順調に撃墜スコアを伸ばしていく。『ダイハード』イワン・マルコフ少佐は当初の予想通りに無謀な操縦で乗機を三機大破させた代わりに四隻の駆逐艦と八機のワルキューレを屠って見せた。『不死身のオメガ11』はこの会戦中に六度撃墜されその合計被撃墜記録は一一一回に到達し尚且つ無傷の生存という超人的記録を打ち立てる事になる。

 

 古参だけでなく若手パイロットも戦果を挙げる。第一〇艦隊のサレ・アジス・シェイクリ軍曹やピアッツァ・ベッグホッパー曹長、第六艦隊のヴェーラー・ヒュース軍曹、第四艦隊第118独立空戦隊所属の『メビウス中隊』等は特に目を引く戦果を挙げ、将来のエースを期待される人材であると言えよう。

 

 個艦単位でも無論特筆すべき功績を挙げた艦艇も多い。第8-9-3戦区における乱戦で自艦の大破放棄と引き換えに戦神の如き戦果を挙げたフランク・ヨシカワ大尉の駆逐艦『ユウダチ』にミスター・バトルシップことニューロン・テイラー中佐の戦艦『ファラガット3号』、黒豹ベルナルド・マリノ少佐の駆逐艦『カラブリア55号』等がそれに当たる。

 

 生ける伝説に等しい幸運が与えられたのは戦艦『ヴォースパイト』であった。会戦の最初の砲撃で機関が被弾し以後三八時間に渡り最前線でエネルギー中和磁場すら展開出来ずに漂流する運命を辿った彼女は、しかし遂には戦死者ゼロで友軍に回収された。艦長たるニルソン中佐は乗り込む艦が必ず超常的なまでの強運と悪運に見舞われる事で知られている。

 

 とは言え、である。前述したが所詮は個人レベル、戦術レベルの功績に過ぎない。両軍合わせて七万隻近い艦艇が激突する本会戦においてそれらの功績は一見煌びやかではあっても戦局全体として見れば殆ど意味を為さない出来事であった。

 

 そんな戦局に変化を与えたのはエル・ファシル東大陸の一角で行われた余りにも小さな、しかし大局で考えた場合戦略面で極めて重要な戦闘が終結した時の事だった。

 

「……?参謀長、敵艦隊の動きが鈍くなっていないか?」

 

『アイアース』の艦橋にて昼食を終えシロン産の高級茶葉から抽出したアフタヌーンティーを楽しんでいたヴォード元帥は怪訝な表情を浮かべ指摘した。彼のその鋭利な戦術眼は帝国軍の動きに明らかな動揺が見られ、精細を欠いている事を見抜いていた。

 

「閣下、先程より敵の無線通信に怪情報が流れているとの事です」

 

 そのヴォード元帥の質問に答えるように通信主任参謀、情報主任参謀と某かの相談した後、総参謀長カルロス・ビロライネン大将は駆け寄り、密かにその内容を耳打ちする。

 

「……野戦軍司令部が遭難だと?」

 

 それはエル・ファシル東大陸にて同盟地上軍と最前線で激闘を繰り広げる帝国地上軍第九野戦軍司令部が突如としてその消息を絶ったという情報であった。

 

「あくまでも不確定情報です。未だ我が方の地上軍からはそのような情報を報告されておりません」

 

 ビロライネン大将はあくまでも不確定情報である事を強調する。戦場においては両軍共に偽装情報の流布や誤報告なぞ日常茶飯事だ。

 

 まして地上戦においても同盟軍が優勢とはいえ、流石に野戦軍司令部まで侵攻出来る程戦線は突出している訳でもないし潜入部隊の強襲としても成功したなら報告の一つでもあろうものだ。寧ろこの場でそのような同盟軍にとって都合の良過ぎる情報が伝わる事が作為を感じる。帝国軍はこちらが偽装情報に踊らされるのを待ち構えている……?

 

「……いや、違うな」

 

 暫し思考した後、ヴォード元帥はその可能性を否定する。内容としては余りに突飛過ぎるし、ここまで正面戦闘に傾注しておいて今更帝国軍が奇策に頼るとは元帥には思えなかったのだ。仮に奇計奇策の類としても元帥の明晰な脳細胞はその内容が思い付かなかった。

 

 故に、これは偽装情報の類いではないと元帥は判断した。

 

「……天祐だな」

 

 ヴォード元帥はその余り日に焼けていない色白の紳士然とした顔を意地悪く、そして悪どく歪ませ呟いた。

 

 この際情報の真偽なぞはどうでも良かった。帝国軍自体がその真相の判断がついていない、それこそが重要であった。

 

 即ち、帝国軍もまた第九野戦軍司令部の所在が掴めておらず、仮に本当に遭難していた場合、その作戦計画を抜本から見直さなければならない状態にあるのだ。今頃帝国軍総司令部も混乱の極みにあろう。ならば、この機会を見逃す手はない……!!

 

「予備の第三、第一〇戦闘団を投入する、各艦隊に通達!!全面攻勢に入るぞ……!!」

 

 ヴォード元帥は帝国軍司令部が混乱し、動揺しているこの機会に勝敗を決定づけるべく勝負に出た。即座にこれまで節制していた予備戦力と弾薬を惜しみ無く投入する事を決断する。

 

「欺瞞情報を流布しろ、第九野戦軍は最早崩壊した。地上戦はこちらの勝利に決まったとな!!」

 

 無論嘘っぱちだ。それでも良い。疑心暗鬼になった帝国軍は勝手にそれを信じてしまうだろう。少なくとも末端部隊は。

 

 敵の動揺につけこみ打撃を与え、戦局を優位に持っていくと共にその士気を挫くのがヴォード元帥の目論見だ。

 

 後は此方に急行している第一一艦隊が後方から退路を絶てば……いや、そう見せかけるだけで帝国軍は慌てて撤退するであろう。それで良い。どうせ現状の同盟軍の戦力では帝国軍の撃破は出来ても撃滅は難しい。撤退に至らしめるだけで軍事的戦果は十分であろう。元帥の政界進出のための政治的成果としてもまた同様だ。

 

「諸君、どうやら今年のクリスマスはゆっくりと過ごせそうだな?」

 

 その軽口に司令部に小さな笑いが起こる。上手くいけば22日までに第一一艦隊はこの宙域に到達する。そうすれば帝国軍は地上軍の撤退のために小競り合い程度は仕掛けるであろうが後退を始めるだろう、始めざるを得ない。そうすればこのエル・ファシルに集結している宇宙軍・地上軍合わせて一〇〇〇万の兵士達に落ち着いてクリスマスケーキとチキンを食べさせてやれる筈だ。ヴォード元帥としてもそれは兵士達、そして市民への良い宣伝材料となりえる。

 

 参謀達の笑いに釣られるように冷笑を浮かべ、元帥は新しく従卒に注がせた紅茶を口に含んだ。実に芳醇な味がした。勝利の味だと元帥は思った。

 

「……っ!元帥っ!地上部隊より連絡ですっ!!」

「……どうしたのかね?」

 

 慌てた声で叫ぶ通信オペレーターの通達に若干不快感を感じたが、元帥は紳士らしくそれを表情に出さず優雅に尋ねる。同盟政界に君臨するハイネセンファミリーの名門の生まれ、選ばれしエリートは何事にも動じないのだ。

 

「エル・ファシル揚陸軍司令部によりますと、先程帝国軍第九野戦軍司令部の降伏を確認、これを受諾した模様です」

「何……?」

「どうやら先日の帝国軍の奇襲により、司令部の統制を離れた逸れ部隊による模様です」

「……成る程、合点がいったな」

 

 オペレーターの報告に漸くパズルのピースが嵌まったように疑念を解消するヴォード元帥。

 

 逸れ部隊か、ならば確かにこちらも把握していない筈だ。恐らくはその部隊も相手が誰なのか把握しないまま降伏させたのだろう。想定外の戦場の摩擦とは良く言うがどうやら今回の摩擦は此方の追い風になりそうだ。

 

「宜しい、大手柄だな。して、その功績を挙げた部隊は?司令官の名前は?それだけの勲功を挙げたのだ、私直々に自由戦士勲章の候補に推薦せねばな」

 

 上機嫌で再度紅茶を口に流し込みながら元帥は尋ねる。恐らくは長征派部隊ではないだろうが自身の宣伝には使えるだろう。英雄と軍司令官のツーショット写真というものはマスコミやミーハーな市民達にはそれなりにウケるものだ。精々凱旋パレードで此方のためにこき使ってやろうではないか。

 

「はっ!部隊は……所属部隊はエルゴン星系警備隊第三〇五五独立警備大隊及び第七八宇宙軍陸戦連隊戦闘団、暫定司令官は……ヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍中佐との事です!」

 

 返答の連絡を口にするオペレーターよりその名前を聞いた元帥は同時にむせかえり、口に含んでいた熱い紅茶を艦橋内で勢い良く吹き出していた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 12月20日1300時頃、戦況が激しく流動しつつはあるものの、エル・ファシル東大陸の一角ではそのような出来事とは何ら関わりなく激しい戦闘が続いていた。

 

 砲撃の嵐であった。帝国地上軍の主力戦車レーヴェの電磁砲は決して豆鉄砲ではなく、同盟地上軍の主力戦車と火力の面で言えばほぼ同レベルの水準を有する。

 

 それが約二個小隊、八両による包囲した状態での砲撃である。同士討ちを恐れて時間差をつけての攻撃ではあるが、距離にして二〇〇メートルも離れていない。そんな近距離からの砲撃の前には通常はどのような装甲車両ですらスクラップになるだろう。そう、通常であれば………。

 

 次の瞬間その化け物が空を切り裂くような爆音と共に電磁砲弾を吐き出した。プラズマ化した砲弾は正面のレーヴェの二五〇ミリに及ぶ複合装甲……それも耐熱・耐ビームコーティングを為されている……を即座に貫通、内部から乗員を焼き殺し砲塔は玩具のビックリ箱の如く真上に吹き飛んだ。

 

「糞っ!化け物め!あれだけ叩き込んでもまだ生きているのかよ……!?」

 

 その部隊を指揮していた帝国軍戦車部隊の小隊長は殆ど悲鳴に近い罵倒を吐き捨てた。彼にとってここまでの理不尽なぞない。

 

 一体何発の砲弾を叩き込んだ?何発の対戦車ミサイルを撃ち込んだ?何発の対戦車ライフル弾をお見舞いしてやった?にも関わらず何故あの化け物は生きている?ありとあらゆる疑念と罵倒の言葉が小隊長の脳内を支配していた。ここまで肉薄するのにこの戦車部隊は一個中隊の戦力、その半数以上を喪失していた。

 

 元々地上戦に重点を置き、かつ質の充実を図る上で様々な重戦車を運用する銀河帝国亡命政府軍の作り上げたコスト度外視の怪物が制式番号『Sd.Kfz.184』、その愛称をフェルディナンドと呼称される破格の重戦車である。

 

 その装甲は宇宙戦艦のスクラップから引き剥がした装甲を前面装甲に再利用していた。更に何重にも重ねて塗装された各種コーティングやソフトキル装備により凡そ考えうる限りにおいて最高レベルの防御能力を備えている。宇宙では駆逐艦の有する電磁砲でも口径は五十センチを超える。それを想定して形成される装甲板が精々一五〇ミリを超える訳がない戦車砲に耐えられない道理はなかった。

 

 より彼らにとって不運であったのが彼らの相対しているフェルディナンド重戦車が更に追加装甲を装備した指揮車両であった事であろう。既にフェルディナンドの表面は無数の砲弾跡で抉れているが、その実、本体は少なくとも戦闘可能な最低限度の電気系統を残していた。

 

 砲塔をゆっくりと軋ませながらフェルディナンドの防宙電磁高射砲を転用した主砲が次の目標に狙いをつける。サブの索敵・測量機器で照準を合わせたと思えば腹から来る轟音と共にまた一両のレーヴェが正面装甲を紙のように引き裂かれて爆散する。その姿を見れば流石にほかの帝国軍戦車は士気を打ち砕かれ、徐々に後退を始めていく。

 

「貴様らぁ!引くなっ!引くなと言っているだろうが!?軍法会議にかけら……」

 

 小隊長はそこから先の言葉を口に出来なかった。その前に小隊長の搭乗していたレーヴェは至近からフェルディナンドの主砲を食らい上部砲搭が後方に吹き飛ばされ、衝撃で本体は横転したためである。

 

 退却する帝国軍のレーヴェを更に一両次いでとばかりに吹き飛ばせば残る車両は我先に後退して逃げていく。彼らにはフェルディナンドの姿がまさしく鋼鉄の怪物に見えた事であろう。しかし……。

 

 ギギギッ……!!

 

 帝国地上軍が後退したのを見届けると、悲鳴をあげるように車体を構成する鋼鉄が歪み、軋む音が響き渡った。ゆっくりと萎れるようにフェルディナンドのその太く長大な砲が地面に向けて垂れ下がる。それは死に際の獣の今際の声を連想させた。

 

「ぐっ……中々、固いな。衝撃と熱にやられたか……?」

 

 度重なる砲撃による装甲への衝撃と熱により変形したハッチが厚い革手袋を装着した腕で無理矢理抉じ開けられる。最早煤だらけになってその華美さも見る影もない軍服、それを身に纏うフーゴ・フォン・ノルトフリート大佐は、そのまま身を乗り上げると夥しい数の鉄と有機物が燃焼する山地の中央でキセルを吹かし一服した。

 

「不甲斐ない奴らめ、また引き返したか」

 

 視界に見える限り次々と後退するのが見える帝国軍兵士を見ながら不機嫌そうに大佐は吐き捨てる。

 

 どうやら帝国軍は再度後退し部隊を再編成しているようであった。帝国軍の要塞への全面攻勢より二日、その間に生じた一〇回の攻撃により帝国軍は恐ろしい数の損耗と引き換えに大佐の装甲旅団を文字通り消滅させた。彼の乗車するフェルディナンドも既に一桁台にまで磨り減らされた数少ない生き残りであるのだが……。

 

「旦那様、申し訳御座いません。この分では復旧は不可能かと」

 

 車内で計器類の応急処置をしていた通信士兼整備士も務めていた奉公人の士族は無念そうに伝える。確実なだけで一一発を超える電磁砲弾に八発の対戦車ミサイル、一四発の対戦車ライフル弾、そして恐らくは二〇〇発を超える重機関砲弾を浴びせられたのだ。寧ろ乗員全員が大なり小なり負傷しつつも生存しているだけ奇跡であろう。フェルディナンドの乗員室は宇宙戦艦の救命ポッドを基にして作り出されており非常に頑健だった。

 

「そうか……仕方あるまい、本車は放棄する。各員武装して降車しろ、遺憾だが徒歩で要塞内に避難する」

 

 若干不機嫌そうな表情を浮かべ、大佐は命じる。スクラップとは言え、貴重な宇宙艦艇を材料に作り出されたフェルディナンド重戦車は生産性も最悪であり、亡命軍にとっても地上戦における虎の子であった。そんな貴重な一両の放棄は流石に大佐も思う所があるようだった。

 

「少し前に右側でルクレールを見た。まだ生きているのなら呼び出して護衛を頼……待て、誰か来ているな」

 

 ノルトフリート大佐は言葉を切り、土煙や黒煙により視界が不明瞭な中足音のする先を警戒する。車内装備のシュマイザー短機関銃を取り出しいつでも迎撃出来るように身構えるが………。

 

「……む、これはリューネブルク家の坊ちゃんではないか?このような場で見えるとは……どうしましたかな?」

 

 一個分隊程の重装甲服を身に纏った陸戦隊員を率いるリューネブルク中佐はノルトフリート大佐の言に特に不快感も持たずに人の好い笑みを浮かべ答える。

 

「御元気そうで何よりです、旅団長殿。いえ、此方も迫撃と友軍の収容を行っていた所ですよ」

 

 要塞内部に押し寄せた装甲擲弾兵を辛うじて押し返した薔薇の騎士達はその余勢を駆って迫撃と地上の味方の保護を行っていた。特に重戦車の場合は車両がズタボロになろうとも乗員は生存している場合も多い。彼らを回収するのは現状の戦力不足の状況では寧ろ当然であった。

 

「そうか、では我々も御同行させてもらうが宜しいかな、伯爵?」

「勿論です。どうぞ御同行下さいませ、旅団長」

 

 そのような会話が為されノルトフリート大佐以下五名の乗員が車内に備え付けられた短機関銃や私物の拳銃ないしハンドブラスターを手にリューネブルク中佐一行に同行する。

 

「私が手塩にかけてきた旅団もこれで全滅か……何とも空しいものだな」

 

 険しい山道を登りながらノルトフリート大佐はぼやく。その視界の先には敵味方の鉄屑と化した戦車の山が見える。亡命政府軍の機甲部隊、その中でも五指に入る練度を有していた第六五八装甲旅団も最早この世にはない。

 

「これは酷いな……折角陛下からお預かりした旅団、このような場所でそれを失った以上責任を取らんとならんな」

「そう気落ちなさらないで下さい、あれだけの敵を相手にここまで敢闘したのです。名誉こそあれ恥じるべき事ではありますまい。それに乗員の半数以上は生存しております。装備さえあればそう遠くない内に旅団再編も叶いましょう」

 

 リューネブルク中佐のその言葉は一面では事実である。万年人員不足の亡命軍にとっては装備なぞよりも人的資源は貴重だ。故に亡命軍の兵器はどれも堅牢であり、人員の生存率を優先して設計されている。

 

「……前方に人影在り……!!」

 

 先行するハインライン大尉が報告する。続くように銃声が響き渡った。

 

「敵兵ですっ……!装甲擲弾兵一個分隊と推定……!!」

「カウフマン、行くぞ……!大佐、援護を……!!」

 

 ハインライン大尉を含む陸兵の半数とノルトフリート大佐以下の戦車兵が銃火器で後方から支援し、リューネブルク中佐以下の人員が戦斧を構えて突入する。

 

「はぁっ……!」

 

 銃火を潜り抜けた副連隊長は先陣を切る装甲擲弾兵の一振りを余裕をもって回避しその喉元に反撃の斬撃を振るう。

 

「ひぐっ……!?」

 

 喉元を切り捨てられその先行した戦士は血を噴き出しながら即死した。続いて襲い掛かる二メートル近い豪傑の頭を狙ったであろう斬撃を懐に入る事で避けたリューネブルク中佐は脇腹に戦斧による一撃を与える。必要最低限の攻撃で敵を無力化したらその大柄な敵を盾にする事で無謀にも突進する三人目に死角から襲い掛かりその命を狩りとった。それは洗練され芸術の域にまで達した戦技の実演であった。

 

「見事で御座います、伯爵様……!」

 

 続くカウフマン少佐は主君の戦技を称えつつ襲いかかる敵兵の頭部を叩き潰す。主君に比べれば洗練されてはいないが、単純な力という意味ではカウフマン少佐はリューネブルク中佐を上回る。

 

 ハインライン大尉は手にする火薬銃による狙撃で重装甲服の関節部の隙間を狙い撃つ。狙撃猟兵の末裔に相応しく、その銃撃はブレずに狙いどころを射抜いた。

 

 数の差は殆ど無かったが装甲擲弾兵は一分もかからずに殲滅される。その戦果の半分以上が副連隊長とその従士二人によるものだった。

 

「流石副連隊長様だぜ、うちの所の坊ちゃんとは訳が違うな……!」

 

 口笛を吹きながらその戦いぶりを賞賛したのはリューネブルク中佐に随行していたビクトル・フォン・クラフト曹長であった。ティルピッツ伯爵家の従士家の分家筋から参加した彼から見ると、毎回過保護にも多数のお守りをつけられる名目上の主君よりも前線で共に戦うこの副連隊長の方にこそ好感を持つらしかった。

 

「油断するな、まだ来るぞ……!!」

 

 火薬銃を発砲しながらハインライン大尉が注意を喚起する。前方から推定二個分隊、後方から一個分隊程の敵兵が接近しているのを彼女は確認していた。

 

「不味い、包囲されます……!!」

「退路はないのか!?」

「右方向からも敵影です……!」

「馬鹿な……!」

 

流石にこう敵兵が現れると一瞬右往左往する陸兵達。

 

「仕方あるまい。岩場だ、迎撃しやすい岩場を背にして迎え撃つぞ……!」

 

 リューネブルク中佐の即座の判断に従い兵士達は応戦しつつ背後を取られないように岩場の物陰に移動する。

 

「ぐあッ……!?」

「ちぃ、気を付けろ!重機関砲がいやがる……!」

 

 陸兵の一人が大口径の機関砲弾により足を撃ち抜かれる。さしも重装甲服も火薬銃の防弾性能には限界があった。

 

負傷した味方を引きずるようにリューネブルク中佐達はどうにか岩場に辿り着く。

 

「これは……どうやら最悪を覚悟すべきだな、中佐」

 

 ノルトフリート大佐が忌々し気に接近してくる敵兵に短機関銃の弾をばら撒く。残念ながら短機関銃は瞬間火力こそ優れるが長期戦向きではない。

 

「御迷惑をおかけします、大佐殿」

 

 リューネブルク中佐の方はブラスターライフルを構えて物陰から狙撃してくる敵兵に対応する。

 

「構わん、それに戦死するにしてもこんな雑魚共に討たれてやるものか」

 

 最後の弾倉を装填して接近してくる装甲擲弾兵の牽制をする大佐。弾切れになると短機関銃を捨てて腰元のルガー実弾拳銃を引き抜く。

 

「うぐっ……!?」

「カウフマン……!」

 

 流れ弾であろう、機関銃弾がカウフマン少佐の利き手を撃ち抜いた。弾丸は重装甲服の炭素クリスタル装甲を打ち砕き、その下の断熱・防刃機能も有する結晶繊維を貫通し、耐衝撃用の緩衝材を抉って前腕筋を引き裂いた。血管こそ弾道が逸れたものの、筋繊維は少なくともこの場においては戦闘続行不可能なまでの損傷を受けた。

 

「カウフマン、下がれ!」

「ですが……!」

「今銃を撃っても狙いなぞ付けられんだろう!」

 

リューネブルク中佐は尚も戦闘を続行しようとする臣下を叱責する。

 

「そうよ、無駄弾を撃たないで頂戴。貴方、暇なら応急処置をしてやって!」

 

 ハインライン大尉が中佐に続いて同期であり同僚でもある幼馴染に下がるように呼びかけ、武装を喪失した部下の一人に治療を命じる。

 

「くっ……伯爵様、御武運をお祈り致します。ハインライン、悪いが伯爵を頼む」

「ああ、卿も無理をするなよ?」

「当然よ……!」

 

 リューネブルク中佐、ハインライン大尉がそれぞれカウフマン少佐の言葉に答える。若干後ろ髪を引かれつつもカウフマン少佐は応急処置のために下がる。

 

 陸戦隊の残す弾薬は急速に減じていった。既に二個小隊近い数を射殺しているにも関わらず敵兵の数は減るどころか増えていった。同時に損失も増え、陸兵二名と戦車兵一名が戦死し、残りの半数も負傷している。

 

「弾切れか……!」

 

 リューネブルク中佐が最後のエネルギーパックを消耗したブラスターライフルを地面に投げ捨てる。そして岩場に置いておいた戦斧を拾った。周囲を見れば残る兵士達も皆似たようなもので、戦斧以外には拳銃やコンバットナイフで迎撃準備をする。

 

「これはこれは、今更のようにご登場か」

 

 ノルトフリート大佐は兵士達と共に此方に向かってくる数両のパンツァーⅣ戦闘装甲車を視界に収める。宇宙暦789年、即ち今年に入り正式配備され始めた最新鋭の戦闘装甲車が投入されたのだ。

 

「フェルディナンドがあれば吹き飛ばしてやったのだがな」

「まだやりようはあるでしょう。肉薄して爆弾を投げつけてやりますよ」

 

 戦車兵達は肉弾戦の準備に入る。対戦車ミサイルも対戦車ライフルも手元にない以上、殆ど特攻に近くてもそれ以外の戦闘手段は無かった。

 

「各員、覚悟を決めろ……!迎撃用意……!」

 

 恐らく数秒後には来るであろう戦闘装甲車の攻撃と呼応する敵兵の突撃に身構える陸兵達。

 

「……!総員物陰で伏せろ!」

 

 だが、次の瞬間何かに気付いたリューネブルク中佐は叫んだ。一瞬困惑した陸兵達。だが思考とは別に体は殆ど反射的に命令に従う。

 

 ほんの数秒の事である。リューネブルク中佐を除く全員が物陰に伏せた。それを確認して急いで中佐も伏せる。

 

 次の瞬間、彼らの視界一面に業火の炎が吹き荒れた。

 

「なっ……!?」

 

 勇猛果敢にして冷静沈着なリューネブルク中佐ですら思わず絶句した。それ程までの衝撃であったのだ。

 

 それは正に破壊の嵐であった。怒りも憎しみも、恐怖も絶望すら等しく無意味にし、飲み込み、焼き払い、塵と化す地獄の黙示録であった。

 

「試射終了!次照準誤差修正を急げ……!!本射撃用意……!」

 

 丁度その瞬間、直上成層圏にて相対位置を固定していたリグリア遠征軍団の旗艦『ジグムント』艦橋にてオットー・フォン・シュリードリン准将は電磁砲による本格的な軌道爆撃を命じていた

 

 数日前よりその機会を窺っていたものの、帝国地上軍の防宙網と衛星軌道上における艦隊戦によりリグリア遠征軍団の宇宙部隊は高度を下げての軌道爆撃に二の足を踏んでいた。

 

 だがその艦隊戦が同盟軍優位に傾くと時を同じくして地上においても揚陸部隊司令部からの詳細な防宙網のデータを受け取る事に成功し、また帝国地上軍上層部の混乱と観測部隊からの座標連絡から遂に彼らは艦の高度を下げた四六七高地への支援攻撃実施に踏み込んだのであった。

 

 試射に続き、『ジグムント』及び麾下の揚陸艦艇と各種戦闘艦艇が近距離からの電磁砲とミサイルによって地上に容赦のない本格攻撃が開始された。

 

 それは正に攻撃される方からすれば悪夢であろう。これが防備を固めた要塞で待ち構えるのなら兎も角、天から降り注ぐ鋼鉄の嵐が狙うのは地表部から顔を出す野戦部隊である。簡易な塹壕程度ならあるが、その程度のものが一体何の役に立つというのか?

 

 次の瞬間山岳部を進撃していた軽歩兵達の真上をナパーム弾が襲い掛かった。紅蓮の炎が山岳の一角とそこに展開する帝国軍を、その侵攻の意思ごと飲みこんだ。あるいは別の山道から進出していた装甲車両の車列は瞬時に光の雨に包み込まれ全てを原子に還元された。次の攻勢のために集結していた帝国軍歩兵部隊を電磁砲が中隊単位で消し飛ばしていく。

 

「すげぇ……!」

「まるで地獄だな……」

 

 リューネブルク中佐に随伴していた幾人かの陸兵は感嘆したように呟いた。連隊規模はあろうかという人の群れが爆撃の炎に飲み込まれる様を見ればさもありなんである。

 

 それはどれ程続いたのであろうか?数分?それとも十数分?数十分?余りにも奇妙な時間感覚であった。唯一つだけ分かる事は、その嵐の後は異様なほどな静けさがその場を支配したという事である。軌道爆撃による無慈悲な破壊の後に残されたのは僅かな死臭と完全なる虚無だけであった。

 

「間に合いましたな……」

「……はい」

 

 双眼鏡越しに軌道爆撃の嵐を近隣の山地で観察していたワルター・フォン・シェーンコップ少佐はその終結を見届けると小さな溜息を吐き出し、同じくどこか緊張が解けたように傍に立つノルドグレーン中尉に声をかけた。ノルドグレーン中尉もまた肉眼で目の前で起きた爆撃に圧倒されたように若干放心気味に見える。

 

 いや、彼らを唯の観察者と表現するのは不適切であろう。この破壊と殺戮の嵐に彼らもまたその原因の一端を担っているのだから。

 

 此度の軌道爆撃の観測データを衛星軌道上の友軍に送信したのはシェーンコップ少佐達であった。この上等帝国騎士は雇用者の主命を受けて主人の用意した『戦力』と合流、その『戦力』の保有していた強力な通信機材で四六七高地を観測出来る地点から爆撃を誘導した。その結果が目の前の破壊である。僅か三〇分にも満たない間に防宙警戒をしていなかった帝国軍は二個師団に匹敵する戦力を喪失していた。

 

「それでは、後は我々の出番でしょうかな?」

 

 火薬銃を構えた第七八宇宙軍陸戦連隊戦闘団第二大隊長ヨルグ・フォン・ライトナー少佐が宮廷帝国語で尋ねる。その後方には同連隊戦闘団の精兵が突撃の機会を窺う。

 

 上等帝国騎士の雇用主の用意した『戦力』の正体がこの連隊戦闘団である。第一大隊こそ壊滅しているが残りの部隊は健在であり、強力な無線通信機器も保有していた。何よりも雇用主の命令に逆らう事はあり得ない。

 

 シャンプール騎兵の飛ばした鷹の足にはコピーされた帝国軍の情報とは別に紙媒体の簡潔な手紙も添えられていた。直筆の宮廷帝国語で、しかも宮廷の作法で書かれた手紙の命令に従い彼らはこの場所に移動した。

 

「ええ、御頼み致しますよ」

 

 シェーンコップ少佐は学生時代の事件で顔見知りになった従士に困った笑みを浮かべて下手に頼み込む。正確にはライトナー少佐と共にこの地に来たほかの士官達、と言った方が良いかも知れないが。連隊戦闘団の幹部からすれば主命であるため従わなければならないが、本音では主君の下に急行して保護しにいくべきではないか、という意見も根強かった。

 

「貴様ら、まだ気に食わないのか?我々は何も考えずに主命に従うだけだろうが。違うか、ああ?」

 

 何か入れ知恵したのではないか?と新参者の食客……そしてその傍に立つ従士に剣呑な視線を送る幾人か部下や同僚をライトナー少佐は先ほどとは打って変わって野卑な訛りのある帝国語で叱責する。宮廷帝国語は上品に過ぎて人を怒鳴りつけるに際して適切な言葉を見つけにくいのだ。

 

「……それでは我々はこれより要塞内部の友軍救助に向かわせて頂きます」

 

 ライトナー少佐はシェーンコップ少佐、そしてノルドグレーン中尉に敬礼して報告する。二人が答えるように返礼すると少佐は小さく頭を下げた後部隊の方を振り向く。

 

「護衛任務も碌に果たせない面汚しの無能共!名誉回復の機会だぞ!!慈悲深い若様からの主命である、賊軍共をぶっ殺して同胞達を救い出せ!!」

 

 その声で武器と軍旗を掲げて兵士達が応える。少佐を先頭にして部隊は前進を開始した。

 

「………」

「……御心配で?」

「えっ……は、はい……」

 

 どこか憂い気にするノルドグレーン中尉に気づき、シェーンコップ少佐が尋ねる。呼び掛けられるとは思ってなかったのか従士は僅かに驚きつつも質問に答える。

 

「杞憂なのは理解しているのですが……ゴトフリート少佐は私よりも戦技は有能で御座いますので」

 

 取り繕ったような笑みを浮かべる従士。

 

「……貴方も中々損なお方だ」

 

 帝国騎士は、それが無礼である事は理解しつつも言葉に憐れみを含まずにはいられなかった。誰が悪いかと言えば少なくとも彼女に罪はないだろうに、とシェーンコップは思った。彼女は否定するであろうが、寧ろ一番の責任は毎度毎度トラブルを引き寄せる………。

 

「良いのです。私はそれで……」

 

 そして何処か儚げに帝国騎士の方を見つめ、その考えを読んだように言葉を続ける。

 

「同盟人からすれば刷り込みか、洗脳とでも言う方がいるかも知れませんね。ですが、それでも私にとっては若様を責める事は出来ませんしその資格もありません」

 

 例えどのような暗君であろうとも、それに忠誠を誓う事が代々御恩を受けてきた臣下の務め、いや寧ろ暗君である程これまでの主家からの御恩のために支えなければならないのだ。まして暗君でもない主人を責めるなぞ有り得ない。第三者から奇妙に思えても彼女にとってはそれが唯一無二の事実であった。少なくともそれに納得していた。

 

「何度失敗しても御許しを頂いた身の上です、それどころか頂いた分を何も御返し出来ていません」

 

 ですので……、ノルドグレーン中尉は自身の両手を胸元に置き祈るように呟く。

 

「私は良いのです。ただ……傍に置いて頂けて、たまにで良いので此方に振り向いて名を呼んで頂けたら、命令をしていただければそれだけで………寧ろこのようなご無理までさせてしまうなんて……」

「………難儀なものですな」

 

 肩をすくめ、同情というよりかは困惑に近い表情を浮かべるシェーンコップ少佐。彼女がこの場にいるのは表向きは連絡役であるがその実、来るであろう彼女の主家や実家からの追及から避難して貰うためといえた。

 

 彼女の主君が命じた正式な命令は『第五〇一独立陸戦連隊戦闘団に連絡役として合流、次の連隊長ヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍中佐の命令があるまで同連隊副連隊長リューネブルク伯爵の下に留まり連絡役の任を務める事、尚この命令は敵軍の欺瞞情報対策に備え一時的にあらゆる上位司令部の指示に優先するものとする』である。言葉を修飾しているがようはリューネブルク伯爵家に匿われろ、という意味だ。

 

 リューネブルク伯爵以下の連隊幹部に対して救援部隊という借りを与える代わりにノルドグレーン中尉の身柄を預けた訳だ。彼女の主君が個人的にリューネブルク伯爵やリリエンフェルト男爵と親交があった事もこの要請をした理由だろう。

 

 本人からすれば単に善意……いや、自身のために部下が処罰される事を避けるためであり、自分のために行っている事であろうが、保護される従士からすれば自分が配慮されているように思えるらしかった。

 

(まぁ、私が首を突っ込む事ではないのでしょうが……下手に触れると藪蛇ですからな。アフターケアはお任せしましょう。ですので……)

「お怪我は為さらないで下さいよ?」

 

 そこから先を小さな声でシェーンコップは呟いた。視線の先ではライトナー少佐以下の兵士達が帝国軍の生き残り部隊と接触、戦闘に突入しつつあった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ツィーテン公爵家は帝国貴族社会において異論なき名家であった。権門四七家が一つにして武門十八将家、その中でもリッテンハイム、バルトバッフェル、ケルトリング、シュリーター、ノウゼンの五侯爵家をも爵位では凌ぐ武門貴族の筆頭である。

 

 開祖であるハンス・ヨアヒム・フォン・ツィーテン公爵は元を正せばカストル星系の名士の家系であったというが、銀河連邦末期の混乱と戦乱により事業に失敗し一族は没落、殆ど生活のためにカストル星系軍に入隊して頭角を現し開祖ルドルフ大帝の目に留まり伯爵位を授けられた。

 

 だが物おじせず、言いたい事を気にせず口にする性格を疎まれたのか、ルドルフ大帝には然程好かれなかったという。寧ろツィーテン公を実の祖父のように慕ったのは孫にあたる後の公正帝ジギスムント一世であった。

 

 開祖ルドルフの死後勃発した反乱……いや、最早それは内戦と言える規模のものであった。流石の帝国首脳部もこの空前絶後の規模の反乱に驚愕し狼狽えたが、そんな中にあってジギスムント一世はノイエ・シュタウフェン侯に帝都防衛を、辺境討伐軍司令官としてリッテンハイム伯やエーレンベルク伯に反乱軍の討伐を命じる。そして最も重要な中央域鎮撫軍総司令官には既に隠居中であったツィーテン伯爵を招集してその任に就く事を命じた。

 

 長らく宮廷から距離を置き、領地経営や狩猟ばかりに興じていた老伯爵の抜擢に多くの者が不安を抱いたものの、それは全くの杞憂であった。三年はかかると思われた中央宙域の反乱鎮圧を僅か一年で達成し、帝都に凱旋した老伯爵の権威はこの時点で殆ど伝説の域に達していた。広大な領地の加増と勲章、公爵位への昇爵も誰も非難する事は出来なかった。それ程までに明らかな功績であったのだ。

 

 以来長らくツィーテン公爵家とそれに係累する一族は権勢を誇っていた。分家を含めると軍務尚書を輩出した回数は一二回、輩出した現役将官は八九名に上る。多くの武門貴族と婚姻関係にあり、その権勢は四〇〇〇を超える門閥貴族一門の中でも五本の指に入るものであった。

 

 その繁栄に陰りが差したのは主君コルネリアス二世不運帝の権威回復のための大遠征……その結果としての第二次ティアマト会戦の大敗である。多くの貴族達から敗戦の責任を追及され時の宇宙艦隊司令長官カール・エルンスト・フォン・ツィーテン元帥は辞任、所領や財産の少なくない量を戦死した臣下や部下の遺族への補償で手放した。その後はリッテンハイム侯爵家・エーレンベルク伯爵家、そのほか新興貴族や平民出身士官の台頭もあって公爵家はその勢力を縮小させた。

 

 とは言え、未だに複数個の惑星を領地に持ち、幾つもの分家と従士家、食客家を囲うツィーテン公爵家の宮中での立場は馬鹿に出来ない。少なくとも有象無象の伯爵家に比べれば遥かに権威を持つだろう。

 

 逆接的に言えばだからこそ没落気味とは言え、同盟軍にとっても帝国軍にとっても非常に扱いに困る存在であるのも確かだった。

 

「それでは丁重に御送り下さい!」

 

 私がそう同盟地上軍の特殊作戦用ステルスヘリのパイロットに注意を促したのは凡そ半日前の事だ。若干移動してどうにか同盟地上軍主力部隊と通信が取れる地点に辿り着くと、既に伝書鳩ならぬ伝書鷹からの情報で独自に司令部襲撃の用意をしていた同盟軍の特殊部隊はその任務を襲撃から輸送に変更した。

 

 そしてツィーテン大将以下二十数名の重要人物を数機のステルスヘリに分乗させてその場から撤収した。

 

 同盟地上軍は我々の撤収を命じた。元々敗残兵の集まりである。前線各地で帝国軍が混乱しそれにつけこむように同盟軍は進撃を続けていた。我々が無理をして戦闘をする必要性は皆無だった。故に部隊を幾つかに分割して帝国軍の警戒網を抜けつつ友軍との合流を目指す。

 

 流石に上層部も我々の功績に報いるためか部隊の一部を割いて帝国軍の陽動を行い、航空部隊による援護、また帝国軍の後方に潜入中であったレンジャー部隊が数個小隊合流して我々の護衛と誘導を行う。私だけに限れば特別手配の輸送機を用意出来るとも伝えられたが、これは断っておいた。残された帝国軍捕虜の監視と応対のために私は必要だった。

 

「第六地上軍所属の二個旅団、それに叔従母様の遠征軍団の主力が出迎えとは豪勢……いや当然なのか……?」

 

 段々自分でも常識は何なのか分からなくなりつつある。これはいけない兆候だ。そのうち無意識に貴族ムーヴしてヘイトを荒稼ぎしてしまいそうだ。

 

「……この分では合流は急いでも明日の昼頃だな」

 

 私は、自身の騎乗するトリウマに餌を与えながらぼやく。幾つか別れて味方との合流を目指すグループの内、私のグループはシャンプール騎兵は一〇〇余り、捕虜とした帝国兵の内司令部要員や士官のみを約二〇〇名、そしてベアトの連れて来た臣下や派遣されたレンジャー部隊合わせて一〇〇名、計四〇〇名の集団となり山岳部を進む。シャンプール騎兵は捕虜の監視を、レンジャー部隊は私の護衛と周辺警戒を受け持つ。分割したとはいえ、それなりに大所帯なのでその分進みも遅くなっている。尤もレンジャー部隊のおかげで戦闘力という意味では向上していると言えるが。

 

「敵兵の襲撃が無ければ良いのですが……」

 

 傍で轡を並べるベアトが懸念を口にする。まだこの辺りは敵か味方と言えば敵の勢力圏と言える。しかも自分達と同数近い捕虜を抱える身である。真夜中の奇襲なぞ受けたらどうなる事やら……。

 

「その時は捕虜の連行は諦めるしかないな。逃げよう。ツィーテン公爵以下、一番大事な捕虜達は既に空輸した。最悪逃がしてしまっても問題はない」

 

無論野戦軍の司令部に詰める者達である。見逃すのは惜しいが背に腹は代えられまい。

 

「その際は御守り致しますのでどうぞ御気にせず御避難下さいませ。ローデンドルフ閣下の遠征軍が近づいております。脇目もふらず馬を走らせれば明日の朝には合流は可能です」

 

ベアトが顔を緊張させて進言する。

 

「ん、あーまぁな。とは言え折角ここまで来たんだ。これ以上の襲撃は御免だな」

 

私は苦笑して答える。既に三回も襲撃を受けたのだ、四回目なぞ御免だ。

 

 私は冗談めかして語る。正直な話、後になっての事だがこんな事を口にした自分をぶん殴ってやりたいと思う。こういう時、大抵問題無く幕引きがされる筈ないじゃないか!

 

 次の瞬間、横合いから悲鳴が上がる。周辺警戒していたレンジャー部隊が森の奥で悲鳴をあげる声が響いた。絶叫と言っても良い。

 

 余りにも突然の事であったがために私達は一瞬立ち尽くしてしまった。だが、真っ先にレンジャー部隊が銃口を悲鳴の上がった方向に構える。続いてシャンプール騎兵達が身構え、私やベアトもそちらに視線を向ける。

 

「………」

 

 静寂が森の中を支配した。誰もが緊張しつつ最大限の警戒を行う。敵影を見つけ次第銃撃戦が開始される事になるだろう。

 

「………?」

 

 余りに長い静けさに私は疑念を抱いた。同じように数名の兵士達が怪訝な表情を浮かべる。奇襲にしては敵兵が襲い掛かってくるのが遅すぎた。

 

ザッ……。

 

僅かに草木が擦れる音がした。それは背後からだった。

 

「………」

 

 私や警戒心の強い数名の兵士達が咄嗟に振り向いた。思えば当然の事だった。これから奇襲を仕掛けようとする相手が警戒部隊のあのような悲鳴を許すとは思えなかった。即ち、それは囮……。

 

 騎乗していた私は比較的広い視野があり、それ故に気付く事が出来た。背後の森を背を屈めさせたトリウマに乗り這い寄る装甲擲弾兵の怪しい赤い鬼火の光を……。

 

「はは、流石に笑えねぇよ」

 

私は悲惨な笑みを浮かべた。どうやら試練はもう少し続きそうだった。

 

 次の瞬間、此方に気付いた装甲擲弾兵の騎兵部隊はトリウマを立たせ、戦斧を構えて騎乗突撃を仕掛けていた………。

 

 

 

 

 

 

 後に知った事であるが、それはツィーテン公爵以下の第九野戦軍司令部のメンバーを奪還するための襲撃であったそうだ。無論この時点で既に公爵達は空輸されていたので、この戦闘はその意味で何の益もない殺し合いであった。

 

 トリウマに乗った装甲擲弾兵の中隊が軍列に突撃する。周辺警戒についていたレンジャー部隊の兵士は踏み殺され、ハルバートの如く使われる戦斧で切り捨てられる。

 

 場は一気に混乱した。レンジャー部隊が最初に混乱から立ち直り迎撃し、次いでシャンプール騎兵達がサーベル騎兵銃を構えて騎馬戦を始める。捕虜達は混乱に乗じて同盟軍の武器を奪おうとし、或いは逃げようとして銃撃される。

 

「若様……!」

「これは不味いな、逃げるぞ……!?」

 

 瞬時にベアト以下生き残りの従士や奉公人数名が私を守るように取り囲む。そのままの陣形で我々はトリウマを走らせて逃亡を試みる。無論、余裕があれば味方の援護をしながらであるが。

 

 だが、あるいはそれが徒になったのかも知れない。流れ弾から私を守るためとはいえ、密集した騎兵隊は目立ち過ぎた。そこに貴人がいると周囲に伝える事にほかならない。故に『奴』が引き寄せられた。

 

「待て、そこの奴ら。逃がすと思うてか?」

 

 私達の退路を塞ぐように巨鳥ともいうべき通常よりも二回りは巨大なトリウマに騎乗した装甲擲弾兵が現れる。その声に私はさっと血の気が引かせた。

 

「おいおいおい、まさか……!?」

 

 私はその二メートルはあろうトリウマに乗る巨人の如き男を見て殆ど本能的に誰であるのかを理解していた。その男からは余りにも死臭が漂っていたからだ。恐らく私でなくても誰でも気付けたであろう、それ程までに死を濃縮させた気配………。

 

「ほう、貴様どこで見た記憶があるな?はて、どこであったか……」

 

 一方、当の石器時代の勇者はそのようなどこか呑気な言葉を口にする。しかし髑髏のヘルメットとドスの利いた獣のような声、何より全身から滲み出る殺気のせいで全く緊張は取れなかった。

 

 そして私の部下達はこの場で最も合理的な判断を選んで見せた。

 

「若様!早くお逃げを……!」

 

 ベアトを除く三名の臣下が悲壮な声で叫びながら私と化物の間に立ち塞がる。私は殆ど本能的に手綱を引き急いでトリウマの方向を変えていた。アレと戦うなぞ不可能である事を瞬時に理解していたからだ。あれだけは……どうやっても無理だ。

 

 正直、私の判断速度は特別に遅い訳では無かった筈だ。限りなく最善手を打ったと断言出来る。だが……。

 

「遅いわ!」

「!?」

 

 一瞬の事だった。一気に跳躍した巨鳥は臣下達との距離を詰める。対応の時間はなかった。銃口を向ける前に騎乗するトリウマごと巨大な戦斧で彼らは叩き潰された。

 

「若様!走ってください!!」

 

 その同僚達の末路を見たベアトは悲鳴に近い叫び声をあげて腰のハンドブラスターを構え発砲する。重装甲服相手にハンドブラスターの効果は限定的なので騎乗するトリウマを狙う。

 

 だが石器時代の勇者の選んだ巨鳥は正に名鳥であった。オフレッサーの手綱捌きに完璧に応えベアトが発砲した時には既に射線から逃れていた。そして次の瞬間には私の目の前にいて……。

 

「若様……!」

 

 戦斧が振り下ろされる瞬間、ベアトは彼女にとって最善の手段を選んだ。自身のトリウマで私のトリウマを押しのけ、ミンチメーカーと私の間に殆ど無理矢理潜り込んだのだ。そして当然ながら私の頭蓋骨を叩き潰す筈であった刃は金髪の従士に向けて……。

 

「ベアトッ……!!?」

 

 私は悲鳴をあげていた。私は死人のように顔を青くしてトリウマから倒れる彼女を抱き寄せる。

 

「だ、だいじょう…ぶ……ですっ……!この程度かすり…きず………はやく…にげ…て……っ!」

 

 苦悶の表情を浮かべる、弱弱しく呟く従士。その背中は左肩から右の脇腹の近くまで斜め様に斬り付けられており、軍服は真っ赤に染まっていた。致命傷になる程に傷は深くはない。内臓も動脈も無事だろう。だが決して軽傷ではなかった。寸前で体勢を変えて致命傷を受けないようにしたのだろう。私は一瞬安堵した。

 

「っ……!」

 

 だがそれは愚か過ぎた。まだ地獄は終わってなぞいない。ベアトの背中を斬った化物はまだ目の前にいるのだから。

 

 髑髏の重装甲服のヘルメット越しにこちらを睨みつけているのを私は感じた。そしてその意図も理解した。

 

(こいつ……!)

 

 私は石器時代の勇者の策略を察した。ベアトが庇うのすら奴は把握していたのだ。そして私が彼女を抱き寄せるのも。再び振り上げられる巨大な死神の鎌を連想させる戦斧、恐らくは私の動きを負傷したベアトで止め、次の一撃で纏めて肉塊にするつもりなのだろう。

 

 思考を支配する絶望、一瞬の逡巡、そして………私は、覚悟を決めた。

 

 次の瞬間、私は手綱を引っ張って騎乗するトリウマに指示を出していた。トリウマはその指示に従い鉤爪をもって怪物を背に乗せる巨鳥の足を引っ掻いた。突然の事に動転して暴れる巨鳥。同時に私はベアトを引っ張り抱き寄せる形で彼女のそれから自分のトリウマに乗せ換える。

 

 刹那の事であった、騎乗するトリウマが暴れた事で僅かに狙いが逸れ、時間がかかったミンチメーカーの一撃が降り注ぐ。

 

「…………!!!??」

 

 これまで感じた事のない焼けるような激痛に、しかし私はどうにか耐えきって見せた。トリウマの腹を蹴り、全速力で疾走する事を命じる。私の意図を汲んでくれる出来の良い白鳥は全力で跳躍。眼前の数名の装甲擲弾兵をひき殺し、踏み潰し、そのままこちらに向かっているであろう友軍の方角に向けて突き進む。

 

 視線に気付き、ちらりと私は後方を一瞬見遣った。石器時代の勇者はこちらを見つめていた。それは僅かの驚愕と敵意と称賛を含んだ視線だった。少なくとも私にはそう見えた。しかしそれも一瞬の事で周囲で銃撃してくるレンジャー部隊の兵士達に視線を移すと、彼は再び獰猛な獣のように暴れ回る。私もまた既に奴に関心なぞなく視線を胸元に抱いた付き人に向ける。

 

「うっ…ぐっ………わ…わか…さ……ま……?」

 

 抱き寄せられ、汗を流し荒い息を浮かべるベアトが震える声で、上目遣いで弱弱しく私を見つめる。

 

「……このまま走るぞ、多分……全力で走れば明日の早朝には叔従母様の下に着く筈だ……そうすれば安全だ。だから……もう少し頑張れるな?」

 

 私は痛みに耐え、体の右側は見せないようにしながらベアトにそう声をかける。相当痛いのだろう、ベアトは返事もせず、小さくこくりと頷くとそのまま私の胸元に顔を埋めて、目を瞑りながら激痛に耐える。

 

「……いい子だ」

 

 手綱を持ったまま左手でベアトの頭を暫くの間優しく撫でる。その後はやるべきことをやっていく。布で私は自身のその傷口を縛り止血、次いでベアトの背中に止血用冷却スプレーを軍服の上から振りかける。

 

 当然余りにも雑な応急処置であり、本来ならばもっと丁寧に治療するべきだろうが……騎乗中、しかもいつ背後から追っ手が来るか分からない状況で、何より私自身余裕が無かったのだ。許して欲しい。

 

 私は唯ひたすらにトリウマを走らせ続けた。良く出来たトリウマは可能な限り迅速に、しかし揺れないように走ってくれたので震動で痛みが酷くなるのは最小限に抑えられたと思う。この糞ったれな地上戦が終わったらガララワニの肉を御馳走してやろうと心に誓う。

 

 走る、走る、恒星エル・ファシルが地平線に消え、漆黒の闇の中を星々が空を照らし出しても、天空で幾万の人工の光が瞬き、消えようとも私は殆ど無心で、惰性でトリウマを走らせ続ける。そして……そして………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦789年12月22日0500時、リグリア遠征軍団の先遣部隊である第四三師団第四三偵察大隊第Ⅱ中隊第Ⅰ小隊所属のローマイヤー伍長は数名の部下と共に森林地帯をフェネック偵察車を降車して警戒する。

 

「分隊長、マジですか?あのミンチメーカーがいるってのは?」

「止めろ、今更確認するなよ」

 

 部下の心底嫌そうな口調の質問にローマイヤー伍長はそう答える。リグリア遠征軍団の合流予定であった部隊は『あの』ミンチメーカーの襲撃を受けたらしい。らしいというのは緊急通信を入れたレンジャー部隊からはそれっきり通信が切れてしまったからだ。

 

 上層部はこれに驚愕し、殆ど無謀な強行進軍を開始した。リグリア遠征軍団の第四三師団第四三偵察大隊第Ⅱ中隊第Ⅰ小隊はその最前衛として賊軍との接触を行う触覚の役割を担う。

 

 とは言え、上層部は兎も角、実際に相対する兵士達にとってミンチメーカーと出くわすとなれば嫌でも士気が下がる。既に一度正面からぶつかり、その恐ろしさは身に染みていた。とは言え、ローマイヤー伍長達のように嫌そうな態度を取るだけであるのはまだマシであった。これが同盟軍であれば脱走兵が続出するだろう。

 

「親族の坊ちゃんを御救いしろとの吾等が将軍殿下のご命令だ。やるしかあるまいさ。……おい、全員動くな」

 

 ローマイヤー伍長は遠くから聞こえたその物音にすぐさま表情を険しく変貌させ命令する。分隊の兵士達は同じくブラスターライフルを構えつつ周囲を警戒する。この変わり身の早さは彼らが相応に訓練を積んだ精兵である事を証明していた。

 

 少しずつ近づく足音、兵士達はブラスターライフルの照準を構える。まだ敗走した友軍の可能性もあるため発砲はしないが敵兵と認識次第一斉に銃撃する事になるだろう。

 

「……!全員、発砲中止」

 

ローマイヤー伍長の指示で全員が銃口を降ろす。

 

 彼らの眼前にいたのはトリウマに乗った士官だった。正確には騎乗するものと支えられている者、双方共同盟軍士官用野戦軍装に身を包んでいる。

 

「っ……!負傷しているのか!?衛生キットを用意しろっ!」

 

 ローマイヤー伍長は部下に指示してそのトリウマの下に駆け寄る。一瞬トリウマは威嚇するが騎乗し手綱を持つ方の士官が宥めると大人しくなる。

 

「銀河帝国亡命政府軍地上軍、第四三師団第四三偵察大隊第Ⅱ中隊第Ⅰ小隊所属のローマイヤー伍長です。官姓名をお聞かせいただいても宜しいでしょうか!?」

 

 ローマイヤー伍長は眼前で敬礼して尋ねる。軍人である以上、下の者はまず敬礼してから相手の立場を尋ねる必要があった。

 

「……亡命軍……か?帝国軍ではなく……?」

 

 泥や草木、そして血液で真っ赤に軍服を汚した騎乗者は暫く沈黙し、その後漸く気付いたように口を開く。

 

「はっ!賊軍ではなく、亡命政府軍であります!」

 

 若干不快感を含んだ口調で再度答える伍長。賊軍と栄えある亡命軍を同一視されるなぞもっての外だった。

 

「………ベア……少佐の治療を頼む」

 

 そんな伍長の不快感を気にせず、また自身の官姓名も口にせず騎乗する士官は口にする。

 

「……了解致しました。ですがその前に所属部隊を……」

 

 その言葉を言い切る前に騎乗する士官は左手で懐を探り、金時計を引っ張ると伍長の前に見せつける。その蓋には刻まれた家名を指す刻印があり………。

 

「……!本隊に連絡しろ!直ちにだ!!」

 

 ローマイヤー伍長は半分気を動転させて医療キットを運んできた部下に命令する。そして視線を件の士官に戻して報告する。

 

「ローデンドルフ閣下麾下の本隊は二〇キロ先にて進軍中で御座います!車両に乗車し安全な場所に御移動下さいませ……!」

 

 恭しく頭を下げ進言する伍長。既に伍長の額は緊張により汗で濡れていた。

 

「……ゴトフリート少佐を治療したい。車内で処置は出来るか?」

「……!了解致しました!早く運び出せ!」

 

ローマイヤー伍長の命令で部下達は虫の息状態の少佐を背負い、運び出す。

 

「さぁ!若様もどうぞお早く……!」

「ああ、そうだな……」

 

 伍長の申し出に従い、騎乗していたぼろぼろの貴人はトリウマを下りようとして動きを止める。そして、伍長の方を力なく見つめると若干自嘲を含んだ疲れ切った笑みを浮かべて頼み込む。

 

「……済まない伍長、これでは一人では下りられそうにない。悪いが補助を頼めるか?」

「はっ……?」

 

 その言葉に一瞬唖然として、しかし次の瞬間もたれかかるように同乗していた従士がいなくなったため、伍長は漸くその伯爵家公子の、その体の右側を視認した。

 

 軍服の右側は赤黒く染まっていた。ぽたぽたと滴る赤色が地面に斑点を作り出している事に今更のように気付いた。しかし何よりも注目するべきは………右腕の肘から下が失われていた。

 

 急激に伍長の表情から血の気が引き、顔の筋肉を引き攣らせる。しかし、そんな事は一切気にせずに件の中佐は虚ろな瞳で、再度疲れ切った声で、しかし優しく尋ねた。

 

「伍長……補助を、頼めるかね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇宙暦789年12月22日2030時、衛星軌道上における艦隊戦は帝国軍の混乱と第一一艦隊の増援を受けた同盟宇宙軍の勝利で終結。続いて地上戦においても同盟軍優勢が続く中、サジタリウス腕討伐軍司令官クラーゼン上級大将は「当初の叛徒に対する制裁を完了したものとする」とし、占領地からの撤収を全軍に命令、帝国宇宙軍はエル・ファシルに展開する地上軍の撤収を支援しつつ遅滞戦闘を展開する。

 

 翌宇宙暦790年1月7日0900時、同盟軍は惑星エル・ファシル全域の奪還に成功。同日1500時、星都コルドルファン市旧星系政府首相府にてデイヴィッド・ヴォード元帥以下の同盟軍首脳部及びシャルル・ガムラン少将以下エル・ファシル星系警備隊首脳部による共同記者会見を開催、エル・ファシル星系の解放と今次作戦の同盟軍の勝利が宣言される。

 

 ここに約半年の期間と合計六八万名の戦死者を出した一大反攻作戦『レコンキスタ』は、同盟軍による全占領地奪還という形で終結したのであった………。

 




今章はここで終わり、一話幕間を入れて次の章に移ります




………やったぜ!(何がとは言わない)




補足:余りにも主人公への同情が多いので少しだけネタバラシすると次章は比較的主人公に優しい章だから安心してね?嘘じゃないよ?


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幕間
そして喜劇の幕裏で、伝説の開幕準備は整えられる


二点、読者への謝罪について

一点目:前回の前置きはネタでしたが不快な気持ちになった方が多かったようです、申し訳御座いません、ジョークだから許して

二点目:流石に120件以上の感想返しとか無理ぃ……。

と言う訳で幕間です、次章は比較的優しい世界だから許して…………




投票者数444人って運命感じるよね?(聖母の微笑み)


 ゴールデンバウム朝銀河帝国の首都星オーディン、その北大陸は雪解けの季節であった。未だ大地は冬の女神によって純白に輝いてはいるが、恒星ヴァルハラから降り注ぐ太陽神ソールの恵みは地表を優しく温め、凍てつく雪の大地の下では花々の種子が春の到来今か今かと待ちわびている事であろう。

 

 宇宙暦790年、帝国暦481年の3月末、『新無憂宮』外苑に隣接する五世紀の歴史を誇る煉瓦造り、クイーンアン様式の地上軍総司令部庁舎の一室でその会議は行われていた。

 

「……以上が現状把握、報告されたエル・ファシル星系における戦闘の詳細であります」

 

 帝国地上軍総司令部参謀本部付副官レルゲン大佐は淡々と説明を終えた。

 

 紅色に染め上げたシルクのレースカーテン、風情のある暖炉、最高級の天然木材の長テーブルには書類と黒檀のインク入れ、象嵌の羽ペン置き、金塗りの燭台がテーブルに等間隔で並ぶ。

 

 テーブルとセットであるマホガニー材にベルベット生地張りの椅子には漆黒に銀縁の軍服に煌びやかな勲章の数々を着飾る高級軍人達が厳つい、あるいは渋い表情を作りながら各々席に着席する。彼らの手前に置かれたノイエ・ヘッセン産の赤葡萄酒が注がれたワイングラスは表面に水滴がこびりついており、注がれてから相応の時間が経過しているのを示していた。

 

 重厚にして荘厳な地上軍総司令部庁舎第二会議室では帝国地上軍の最高指導者達が午後の大本営会議に備え地上軍の意志統一を目的とした集まりが行われていたが……参謀本部付副官の説明に誰もが発言に苦慮している。

 

「我らが地上軍の戦死者は六八万七〇〇〇名、負傷者九八万八〇〇〇名……更に推定二〇万名の捕虜、第九野戦軍は司令部要員の半数を喪失し兵員の六割の損害を被りました。……はっきり言いましょう、これは大敗です」

 

 淡々とした口調で、しかし手厳しく指摘するのは地上軍総司令部参謀本部長ゼートゥーア上級大将である。古い歴史を持つ騎爵帝国騎士家出身の名参謀長は、決して虚飾で取り繕ってこの結果から現実逃避する事はない。

 

 会議室の空気が一層重々しくなる。皆腕組み、苛立ちの表情で目を閉じて沈黙する。

 

 決して反乱軍を甘く見ていた訳ではない。そのような甘い幻想なぞする輩はこの会議に出席に参加出来る程の地位を得る事はない。銀河帝国地上軍はそのような軟弱な組織ではない。

 

 だが……785年の第四次イゼルローン要塞攻防戦とそれにより生じた故ブランデンブルク伯爵の死は、帝国軍に報復の討伐軍を派遣させる結果となった。そして敵地深くに進出した友軍は叛徒共の大軍の反撃を受け最終的にエル・ファシルにおける決戦を挑んだのだが……。

 

「まさかこれ程とはな……」

 

 一個野戦軍が文字通り壊滅したに等しい損害……一つの戦いでここまでの犠牲者を出したのはイゼルローン要塞建設期に生じた惑星ジンスラーケンでの敗北以来の事だ。宇宙軍の損失を含めれば反乱軍との戦いで生じた損害は『レコンキスタ』全期間を含めて一一〇万名に上る。

 

「……問題は大本営における会議でこの損害をどう言い繕うかだな」

「宇宙軍はこれ幸いに予算を掠めとろうとするでしょうな」

 

 禿頭の地上軍総軍副司令官パッペンハイム上級大将、老齢の地上軍総司令部軍務局長ノームブルク大将がそれぞれゼートゥーア上級大将の後に続くようにどうにか言葉を紡ぐ。

 

「それどころの話ではあるまい、ツィーテン公やシャフト中将が捕囚の憂き目にあったのだ、この損失は野戦軍一つ失ったのと同等以上の問題だ。我ら全員の首が飛ぶ事すらあり得る」

 

 地上軍総軍司令官ブッデンブローク元帥は険しい表情で腕を組んでいた。前者は帝国宮廷社会でも名門中の名門、後者は此度の出征が終われば軍務省の技術総監、ないし副総監の候補に選定されていた人物だ。そのほかにも幾人も有望な参謀が反乱軍の手に落ちた。唯でさえイゼルローン要塞建設以後その発言力が低下しつつある地上軍に此度の敗戦は余りにも傷が深すぎる。物理的には兎も角社会的に首が飛ぶ可能性は十分にあり得た。

 

「しかも唯一我が方が勝利したアルレスハイム方面は宇宙軍の管轄と来たものだ。これでは地上軍の立つ瀬がありません」

 

 ゼートゥーア上級大将が追い討ちをかける。反乱軍の呼称に合わせるのならば先日の戦いは大きく四方面で行われた。両軍の主力が激突した第4・第10航路、そして陽動や別動部隊が衝突した第16・第24航路である。

 

 この内第4・第10航路において帝国軍は大敗し、第16航路の戦線は膠着して然程大規模な戦闘は行われず、帝国軍が勝利したと言えるのはカイザーリング中将率いる第24航路方面……即ちアルレスハイム方面軍のみであった。そして唯一戦場で勝利したカイザーリング中将は地上軍ではなく宇宙軍の所属……他方面では等しく敗北した宇宙軍と地上軍ではあるが、御前会議で宇宙軍がこの話題を持ち出す事は想像に難しくない。

 

「幸い、此方も弁明の余地はあります。一つは此度の討伐軍の司令官が宇宙軍のクラーゼンであった事、もう一点が情報が正しければツィーテン公を捕囚としたのが奴隷共でない点です」

 

 ゼートゥーア上級大将がテーブルから手に持ち掲げるのは銀河帝国の国営新聞でなければ三大民間紙でもない。だが当然地方紙でなければゴシップ紙でもない、紙面の文字はフェザーン方言でもない。紙面にはフラクトゥーアの帝国公用語で『ノイエ・ヴェルト新聞』と印刷されている。

 

「亡命政府軍……いや、これを読む限りでは亡命した我らが同胞か、ツィーテン公を捕縛したのは」

「はい、少なくとも奴隷や蛮族相手ではなく同胞である事……この事実は無視出来る事ではありません」

 

 ゼートゥーア上級大将の指摘に場に揃う将軍達は同意を示す。完全なる階級社会である帝国においては『何を為したか』ではなく『誰が為したか』の方が遥かに重要なのだ。

 

 それこそ神聖不可侵なる皇帝への批判は平民には僅かたりとも許されないにも関わらず、大貴族ならば公然と叫んでもなお、時として知識人の機知に富んだ発言として見逃されるどころか賞賛される事すらある。近年ではブラッケ侯爵やリヒター伯爵の皇帝批判等が一部の急進派官僚や富裕市民層の賛同を得ているが、それとて権門四七家の一つであるが故に発言が許されている『特権』であった。

 

 ……話を戻そう、故に帝国軍においても同じく降伏は『どう降伏したか』ではなく『誰に降伏したか』がより宮廷と民衆の耳目を集めていた。

 

「ティルピッツ伯爵家か……まだ存続していたのは驚いたな、あそこは確か当主と子息が双方失われていたと記憶しているが……」

「これはノームブルク子爵、御知りでは御座いませんでしたかな?あそこは確か次男が継いだ筈です。確か……バルトバッフェルと婚姻したのだったかな?」

 

 ノームブルク大将の疑問に地上総軍副参謀長カルクロイド中将が答え、参謀本部付副官に確認を取る。

 

「はい、父はバルトバッフェル侯爵家の当主の弟、母はアルレスハイム公王の末妹であると存じております。件の人物は伯爵家の嫡男であると記されております」

 

 レルゲン大佐は淀みなく話題に上がっている人物の血縁について説明する。帝国貴族たるもの、数千ある門閥貴族個々人の血縁関係の把握は最早最低限の常識である。

 

「同じ武門十八将家出身、亡命したとはいえ名門の一族相手の降伏だ。公爵家も最低限の面目は保たれた訳だ、ティアマトの時と違ってな」

 

 パッペンハイム上級大将は不愉快気に葉巻を咥えマッチで火をつけた。伯爵家とは言え新興の彼の家は事あるごとに古くから帝国軍首脳部を独占する武門十八将家によって圧力を加えられてきた。その恨みからの毒であった。

 

「反乱軍の中佐……此度の戦功で大佐ですか。名門伯爵家の嫡男としては少々昇進が遅くはないですかな?」

「いや、叛徒共の平均で比べればこれは早い部類らしい」

「自由戦士勲章……確か叛徒共の中では最高位の勲章でしたかな?宣伝目的もありましょうが、彼方でも相応の功績としては扱われているようですな」

「私としてはこの記事の内容が信じがたい。あの獣相手に二度も逃亡するなぞ……これこそプロパガンダではないか?」

「いや、その真偽は本人から話を聞いている。どうやら事実らしい……」

「それはそれは……ある意味公爵を捕縛する以上の功績ではないか?そちらの方が現実味がない」

 

 諸将達が顔を見合わせる。彼らもエル・ファシルに従軍した装甲擲弾兵副総監の事は良く理解している。アレと戦う位ならば丸腰で成熟したガララワニを仕留める方がまだ勝算があるだろう。一度遭遇して助かれば幸運の女神に祈りを捧げるであろうし、まして二度も逃げきるなぞ奇跡に等しい。

 

「流石は高貴な血筋と言う訳ですかな?いやはや、アルレスハイムの家々は気性が荒い者が多いですが……」

 

 肩を竦めてカルクロイド中将は苦笑いを浮かべる。困った奴らだ、とばかりの表情だ。彼らにとって亡命政府軍や亡命貴族は同じ文化と青く高貴な血を継ぐ同胞、心から憎しみ合う相手ではなかった。故に幾ら平民が彼らのために死のうとも軍首脳部の将軍達にとっては困った親族扱い、という側面があった。……彼らにとって平民の犠牲者は数に含まれないともいえる。

 

「……」

 

 新聞記事を見ながらそんな会話を続ける将軍達を二人が冷めた目で見つめる。一人はゼートゥーア上級大将であり、今一人は此度の会議の最高責任者である。

 

「……ふむ、では御前会議の地上軍の方針としては、此度の損失の原因は宇宙軍の指導にある事、ツィーテン公の捕縛は不可抗力であるという論評で良いか?」

 

 約一時間に及ぶ会議を観察し続け、場を鎮めるように地上軍総司令部長官ファルケンホルン元帥が確認する。恰幅の好い身体に見事なカイゼル髭をたくわえた、帝国地上軍の最高位を占める存在であり次期軍務尚書候補の一人でもある初老の元帥は、これ以上の議論をしても目新しい意見なぞないと悟り幕引きを図る。

 

「異議なし」

「それ以外ありますまい」

「私も賛同致しましょう」

 

 この会議に参加する十数名の将軍達はある者は積極的に、ある者は消極的に元帥の方針に賛同の意思を示す。

 

「宜しい、御前会議における我らの意見は決定した。本日は御苦労、各自解散してくれ」

 

 その号令に合わせて諸将は椅子から立ち上がりそれぞれに書類を抱えながら退席していく。席に残るのは地上軍総司令部長官、地上軍総軍司令官、総司令部参謀本部長の三名だ。

 

「……どうですかな、総司令部長官殿?第九野戦軍の再編許可は下りそうですかな?」

 

 異様なほどの静けさが漂う会議室、その沈黙をゼートゥーア上級大将が最初に破った。

 

「……恐らくは駄目であろうな、近頃は宇宙軍に人員を優先されてしまっている」

「ではやはり欠番に?」

「そういう事だ」

 

 難しそうな表情を浮かべる総司令部参謀本部長、地上軍の実質的軍令を司る総司令部直属の筆頭参謀である彼にとって主力たる野戦軍の実質的解体は全軍のローテーション、動員計画に対して著しい悪影響を与える筈であった。その苦労を思えばこのような渋い表情も作ろう。

 

「余りそのような表情を作らんでくれんか?私とて好きで解体したい訳ではない。しかし……ツィーテンともあろう者が偶然とはいえ捕囚の憂き目に遭おうとはな……」

 

 椅子に深く座り込み、瞑目するファルケンホルン元帥。ツィーテン大将は傑出した将軍ではないにしろ、緻密で隙の無い計画を立てる事に定評があった。司令部の移転に際しても綿密に、安全を考慮した計画の基に実施されていた筈であるのだが……。

 

「やはり噂は事実なのでは?」

「あの話か、だとしてもあの妖怪は認めんだろうな。証拠も残すまい」

 

 ブッデンブローク元帥の言にファルケンホルン元帥は頭を横に振る。エル・ファシル攻防戦に従軍していた某伯爵家の子弟が反乱軍に内通し防衛計画を漏洩していた、という噂は、討伐軍の帰還以降まことしやかに広がっている話だ。仮にそれが事実とするならば立場的にあの『妖怪』が間違いなく一枚噛んでいる事であろうが……ファルケンホルン元帥にはその尻尾を捕まえられる自信は無かった。

 

「どうせ此度の御前会議もあの妖怪の筋書き通りに話が進むであろうな、忌々しい」

 

 吐き捨てるように地上軍総司令部長官は『妖怪』を罵る。

 

 現在の帝国軍は『妖怪』に追従する旧守派とそれに反発する平民階級や下級貴族の『実戦派』や非武門貴族、及びそれらと結びついた士官による『統制派』、長老政治に反発する若手士族・武門貴族からなる『革新派』、それらの間で蠢動する『中立派』等に大別が出来る。そしてファルケンホルン元帥やブッデンブローク元帥は古い歴史を持つ武門貴族ではあるが、『妖怪』を始めとした老いぼれ達が居座り続けるのに反発し『革新派』に属していた。

 

「御苦労、お察し致します」

「抜かせ、総司令部参謀本部長、我々が消えれば卿も元帥への道が開けよう?中立派として漁夫の利を狙っておるのだろうて?」

 

 ファルケンホルン元帥の言に肩を竦めるゼートゥーア上級大将。

 

「これは心外です。確かに私は中立派に属してはおりますが、それは職務に精励するためです。私にとって重要なのは栄えある帝国地上軍の存亡であってそれ以外に関心は無いのです。同じく地上軍に所属する身としてその点元帥方との協調は可能と愚考致しますが?」

「いけしゃあしゃあと舌の回る参謀本部長な事だ」

「頭が回る、と言って欲しいものです」

「ほざきおる」

 

 悪びれもせずに語るゼートゥーア上級大将に両元帥は鼻を鳴らす。とは言え、発言自体は真っ当なので態々これ以上追求する意味も無かったし、その時間も無かった。……御前会議の時刻が迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 華やかな装飾の施された八頭仕立ての馬車に乗り込み、地上軍の元帥二人は広大な『新無憂宮』の敷地を進む。長らく馬車に揺られた末、漸く二人はその宮殿に出仕した。

 

 東苑の一角、『黒鳥宮』、その一階にある『羽休めの間』が会議の舞台であった。それはここ一世紀の間変わる事はない。

 

 銀河帝国軍の最高決定機関、帝国軍大本営会議は常設の機関ではない。本来ならば軍部の決定は宇宙艦隊最高幕僚会議、地上軍参謀会議にて纏められた最前線・実働部隊の意見を基に軍務省参事会(帝国軍将官会議)にて精査・分析、軍事以外の諸分野の資料や意見も考慮に入れつつその方針を決定する筈であった。

 

 大本営という機関はジギスムント一世公正帝の時代にその大反乱の鎮圧のために初めて設けられ、以後エックハルト伯爵暗殺、カスパー一世失踪後の『フランケン帝国クライスの反乱』や『シリウスの反乱』の鎮圧等の際にも特例で設置され、その収束後に解体された経緯がある。

 

 それが常設されるようになったのはダゴン星域会戦以降慢性的に続くサジタリウス腕の反乱軍との戦争、特にコルネリアス帝の親征にて大本営が設置されてからであり、それ以来この機関は実質的に継続し続けて帝国政府の戦争方針の決定の場となり続けている。

 

 近衛兵が左右を固める重厚な樫の木で作られた扉が開くと、その先に広がるのは二十名は余裕を持って入れる会議室である。明らかに先刻の地上軍首脳部が会議を行ったそれよりも華美な内装で内部は満たされていた。紅色の壁紙に幾何学的な文様が金色に輝く。胡桃の木を使った長テーブルと同じく落ち着いたデザインの椅子が綺麗に並べられて置かれている。机上に置かれるのは黄金色の燭台に動物を模した銀製の置物、極彩色に彩られた陶器には様々な花が添えられ互いに妍を競い合う。

 

 ファルケンホルン元帥は会議室を一望する。既に幾つかの席は埋まっていた。文官の席では内務尚書リンダーホーフ公爵に内閣書記官長キールマンゼク伯爵、大本営報道部長メルシー伯爵の席が埋まっていた。それにリトハルト侯爵にクーシネン騎爵帝国騎士、カルステン公爵……幾つかの枢密顧問官、即ち元老の出席も確認出来る。

 

 元老院とも呼称される枢密院は皇帝直属の機関だ。法的拘束力を有しないものの皇帝個人の意思でその構成員を選出出来、その『相談役』ないし『助言者』として一定の国政への影響力を行使出来るし、逆に暗君を制止する歯止め役ともなりえる存在だ。また殆ど形式的とはいえ前皇帝の遺言に従い全構成員一致による新皇帝の擁立と容認も出来る。そのため枢密顧問官を務める貴族達を『選帝侯』と呼称する事もある。

 

 とは言え、現皇帝の国政への意欲を考えれば現在のその影響力は限定的であり事実元老の半分は欠席しているようであった。

 

 武官の席を見やる。宇宙艦隊司令長官に野戦機甲軍・狙撃猟兵団・装甲擲弾兵団の総監、帝都防衛司令官……各帝国クライスの長官は必ずしも出席の義務もなく、此度の会議では参集も受けていないので彼らの席は空席となっていた。

 

 出席者達に形式的な挨拶をしてからファルケンホルン元帥とブッデンブローク元帥がそれぞれ指定された席へと座る。

 

(前座だな)

 

 この場にいる自身達を含めた出席者の面子を確認しファルケンホルン元帥は内心でそう評した。この場にいる者達は銀河帝国における最高権力者達であるのは間違いない。だが、それでも尚これから会議室に入室するであろう者達と比べれば間違いなく自分達は前座であった。

 

 その時が来た。再び会議室の扉がゆっくりと開く。

 

(来たな……)

 

 最初に現れたのはふくよかな体格を持つ宇宙軍幕僚総監たるシュタインホフ元帥であった。続いて高齢から近々引退が予定される統帥本部総長ゾンネベルク元帥、十年近くその役務を務める肥満体の身体を揺らしながら歩く財務尚書カストロプ公爵が続く。カイゼル髭を整えた枢密顧問官たるリッテンハイム侯爵が現れ、殆ど尊大さが固形化したような表情を称える人物は枢密院議長ブラウンシュヴァイク公爵である。そうそうたる顔ぶれだ。

 

「ほぅ、もう随分と揃っているようだな」

 

 クラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵は礼服に杖をつきながら参上した。内務・宮内・財務尚書を歴任し、六年間に渡り帝国国政の頂点に立つ経験豊かな政務者であった。そしてその影から背筋を伸ばした老紳士が現れる。

 

「諸君、本日は会議への出席誠に痛み入る。……さて国務尚書殿、我々も待たせる訳にはいくまい。そろそろ席に座りましょう」

(妖怪め………)

 

 その理知的で成熟した老人の声を聞きつつも、しかしファルケンホルン元帥は内心で忌々しく毒づいた。ヘルムート・レべレヒト・フォン・エーレンベルク、齢七〇を超えるこの軍務尚書を例えるのにこれ程的確な言葉はなかった。

 

 第二次ティアマト会戦にも出征したこの片眼鏡をかけた元帥は、今や軍部に居座る最後の『七提督』である。

 

 第二次ティアマト会戦以後の反乱軍の帝国領侵攻を食い止めた英雄である『七提督』は、その大半が晩年は不遇であった。筆頭たるゾンネンフェルス元帥はオトフリート四世によって『才能・財力・精力の全て』を吸い上げられた。前述の言葉を残したブルッフ上級大将やシュタイエルマルク上級大将は政争の結果軍を追われたし、ボーデン大将はイゼルローン要塞建設のための足止めとして戦い未だに叛徒共の捕囚となっている。エックハルト大将は家族に先立たれ孤独な老後を送り消えるように亡くなっていたし、ブレンターノ中将は叛徒の宿将ジョン・ドリンカー・コープを討ち取ったもののフレデリック・ジャスパーの前に敗れ去った。

 

 このように不遇な人生を歩んだ『七提督』の中で、唯一未だに帝国軍の最高位に居座るのがエーレンベルク元帥だ。軍務尚書についてから今年で一四年、元帥号を得てからは二二年になる。

 

 軍務省は軍政を管轄する。即ち軍内や宮廷の政治抗争や派閥抗争の調整力が求められ、かつ自由惑星同盟を始めとする反乱勢力に備えた組織体制の構築も求められる。即ち伏魔殿といえよう。

 

 四半世紀近くそんな場所に居座り続けるなぞ名門の出身とは言え通常では有り得ない。現状の銀河帝国軍内部における最大派閥『旧守派』の首魁でもあり、軍務省以外にも統帥本部、宇宙軍幕僚総監部等を間接的に手中に収めている。その調整能力をもって平民階級の台頭や武門貴族以外の貴族階級の軍部介入を阻み続け、不穏な動きをする中央・地方軍を厳しく統制、第二次ティアマト会戦以降生じた帝国軍と帝室の権威の失墜、それによる内戦の危機を回避したその手腕は正に化け物……『妖怪』と呼ぶに相応しい。

 

「諸君、集まってくれて何よりだ。陛下は所用で遅れるとの知らせを受けている。その間に先に会議を始め、忌憚なく意見を出し合って欲しいとの事だ。また承知の事だと思うが政務秘書官も陛下の御傍に控える関係から後から出席する事となる」

 

 エーレンベルク元帥は厳かに会議出席者達に伝えるが、その言葉を鵜呑みにする者なぞこの場には半分どころか三分の一もいやしないだろう。

 

 漁色と薔薇の世話以外に関心のないあの皇帝の事である。会議への参加すら億劫になり適当な事を言って出席時間を減らそうとしている事は皆が薄々と理解していた。特に最近は長年お気に入りであったベーネミュンデ侯爵夫人に代わり、数年前に後宮に納められたという二等の帝国騎士の娘に入れ込んでいるらしく、以前にもまして国政への関心が薄れているようであった。

 

 とは言え出席者達にとっては必ずしも悪い事ではない。寧ろ明らかによかった。決して帝室を蔑ろにする訳ではないが、同時にあの無気力な皇帝がこの場にいても正直気を使うだけで一利もない事も確かだったのだから……。

 

「では本日の議題であるが、事前の予告通り先日帰還した征伐軍についてで宜しいかな?」

 

 狐を思わせる容貌を纏う国務尚書リヒテンラーデ侯爵が重々しく、しかしいの一番に切り出した。

 

「ええ、勿論です」

 

 エーレンベルク元帥は帝国軍の代表として国務尚書に応える。

 

「では尋ねるが、先日報告として受け取ったあの情報はどういう事かね?」

 

非難するように不機嫌そうな口調で国務尚書は尋ねる。

 

「反乱軍の攻勢により占領地の過半から撤収、その上一〇〇万近い戦死者が生じたのだ。帝国軍は常勝不敗でなければならぬ。これだけの損失を出し、しかも撤収ともなれば民心の動揺は計り知れぬ。既に帰還兵から不穏な流言が帝都に広がっておる」

「財政的にも大きな課題ですしな。此度の戦死者、遺族年金の支給のみでもどれ程の額になる事か。喪失した兵器の補填に負傷兵の医療費もある、軍部にはもう少し財政への考慮を願いたいものですな。平民共に課税するにも限度がある。税は薄く、広く絞ってこそより多く、より安定的に歳入を確保する事が出来るのですぞ?」

 

 リヒテンラーデ侯爵、次いで意地の悪い笑みを浮かべカストロプ公爵が言葉を紡ぐ。

 

 地方一六爵家筆頭たるカストロプ公爵家当主オイゲンは地方貴族らしく中央政府に対して大規模な派閥は持たない。だが、逆にだからこそ国政に対してより一層利己的かつ現実主義で、自領と一族の繁栄を最優先に考えており、その点戦争による帝国の無駄な出血、それによる経済的な疲弊を厭う立場にあった。中央政府が衰弱し過ぎれば地方もその影響を受ける事を公爵は良く理解していたのだ。

 

「その点に関しましては我ら軍部も深く憂慮しております。此度の征討に関しては我が方としても深追いをし過ぎたとは理解している次第です」

「ならば話が早い。此度の討伐軍による出費、軍部としていかにしてその補填を行うのかと尋ねておる。帝国宰相代理を兼任する身として暫くは大規模な出征を控えてもらいたいのだが……」

 

 リヒテンラーデ侯爵はそのまま軍務尚書からほかの元帥達に視線を向けていく。

 

「時にツィーテン公は叛徒の捕囚となり、その手勢も痛手を受けたと聞くがそれは真であるか、地上軍総司令部長官?」

 

 確認するように尋ねる国務尚書にファルケンホルン元帥は少なくとも形式上は恭しく答える。

 

「はい。真に遺憾ながら、武勇の誉れ高きツィーテン公は叛徒共……否、アルレスハイム公王の手勢に囲まれ、不本意ながらも名誉ある降伏の道を選んだ由であります」

 

 その発言に特に此度の『撤収』に対して然程詳細を知らぬ文官勢と枢密顧問官達の間でどよめきが起こる。

 

「……して、どこの家の者か?まさかツィーテン公ともあろう者が公王の軍相手とはいえ平民の士官相手に降伏した訳ではなかろうて?」

「現状伝え聞く限りではティルピッツ伯爵家の一族のようです」

 

 その発言に一層どよめきが大きくなった。半分が純粋な驚き、もう半分は血統に対する賛辞に近い。

 

「ほぅ……これはまた懐かしい家名を聞いたものだ。あ奴ら、叛徒共の地で堕落していると思っていたが存外良く血統は保存していたようだな」

 

 いかめしい老貴族は賞賛と嘲笑を交ぜた独特の口調で同じ権門四七家たる伯爵家を評する。帝国貴族社会においても最も保守的かつ階級に厳しい治世を領地に敷いているカルステン公爵家の当主にとって、伯爵家の存在と此度の活躍は単純に割り切れないものだった。

 

「ふむ、これは驚いたな。私の下にまだ話は伝わっておらなんだ。ここは曲りなりにも近縁の一族として祝儀でも献じてやらんとならんな」

 

 薄いカイゼル髭を整えながらそんな事を口にしたのは同じく枢密顧問官たるヴィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世侯爵であった。ティルピッツ伯爵家とリッテンハイム侯爵家は亡命前に婚姻関係にあって双方に互いの一族の血が流れている。一世紀半前の事とはいえ、帝国貴族にとってそれは決して遠い血縁ではない。故に互いに剣を突き立てるべき関係でありながらもそのような発言が飛び出す。リッテンハイム侯爵にとっては伯爵家によってどれだけの平民の兵士が異郷に躯を晒そうともそれは関心の外にあるようだ。

 

 無論、それだけがこの発言の理由ではない。武門十八将家の一角として軍部への影響力を深めたいが、今では宮廷の文化に染まり殆ど武門の色合いの薄れてしまったが故にエーレンベルク元帥以下の長老組によりポストを締め出されているリッテンハイム侯爵からすれば、ファルケンホルン元帥以下の『革新派』と共に連携するメリットは大いにあった。

 

「リッテンハイム侯、余りそのような軽挙は困ります。唯でさえ此度の戦で民心は動揺している。そんな中、曲りなりにも敵の一族の功績を祝おうなどと……もう少し臣民への配慮が必要ではないですかな?」

 

 『旧守派』の長老である統帥本部総長ゾンネベルク元帥が窘めるように皇帝の娘婿を注意すると、リッテンハイム侯はあからさまに不機嫌そうにする。彼にとって卑しい賎民に配慮する必要なぞ感じられなかったし、寧ろ侯爵は自身の行いを極めて紳士的であるとすら考えていた。優れたる者は敵であれ賞賛するのは武門十八将家の名家として当然ではないか?

 

 尤も、リッテンハイム侯にとっては奴隷の軍隊もその将もただの駆除対象であり、彼にとって優れていると素直に評する事が出来るのは対等の立場の階級……即ち同盟においては亡命貴族階級以外は対象になりえないのだが。

 

「左様、先程も申したが民心が動揺しておるのだ。そのような行いは許しませぬぞ……!」

 

 リヒテンラーデ侯もまたゾンネベルク元帥に追従しリッテンハイム侯を牽制する。前例主義のリヒテンラーデ侯爵が保守的なエーレンベルク元帥と連携する事は想定済みの事である。だが……。

 

「そのようなもの、別の事で目を逸らしてやればいいではないか。所詮賤民共なぞ目先の事しか考えんからな。そのような事で同じ高貴な血に非礼を為すなぞ、吾等正統なる宮廷貴族の名折れではないか?国務尚書殿は我らに恥を晒させたいのかな?」

 

 そう発言したのは茶髪を品良く整えた偉丈夫であった。肩幅の広い大柄な身体に必要以上に華美に装飾した装い、その肉体は服装の下からでも相応に鍛えているのが分かる。尊大さと高慢さが服を着ているような自信に溢れた表情を浮かべる中年貴族だ。

 

 帝国貴族社会でも五本……いや三本の指に入る権勢を持つ大貴族ブラウンシュヴァイク公爵家、その現当主オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵は人好きのする笑みを浮かべて自らの意見を妙案だとばかりに口にする。リッテンハイム侯爵は潜在的な対立相手ではあるが、同時にリヒテンラーデ侯爵、エーレンベルク元帥もまた対立派閥である。故に敵の敵は味方の理論で公爵は塩を送る。

 

「むっ……ほかの事と仰るが……ブラウンシュヴァイク公は如何様な手を想定しているのかお聞かせ願いたい。言わせていただくが、臨時にパンや葡萄酒を配るなぞその時限りで大した効果はありませんぞ?」

 

 嗄れた声でリヒテンラーデ侯爵は注意する。その表情は横から口を挟まれた事への不快感が僅かに見えた。

 

「ふむ、そうだな……やはり古代より下民の不平を解消してやるには熱狂出来る祭典があれば良いと言う。うむ、ここは一つ余興として適当な罪人共を纏めて公開処刑してやればいい。さすれば奴らは下らん噂なぞ忘れ、偉大な帝国への畏敬の念をより深くするであろうな……!!」

 

 同盟人が聞けば正気を疑うであろうブラウンシュヴァイク公爵の提案に、会議に出席する幾人かは顔をしかめる。とは言えそれは同盟人の思うような理由ではない。

 

「枢密院議長、余りそう気軽に提案をしないで欲しいのだがな。刑の執行にも手順というものがある。正式に公衆の前で刑を執行するからには内務省や司法省としても手続きがいる。卿の言う通りに刑を執行し臣民の戒めにするとすれば、全土で最低でも数千から処罰せねばならん。短期間の間にそれらを行うにはどれだけ面倒であるか、警察総局にも勤めていた卿ならば理解できることだろう?」

 

 内務尚書リンダーホーフ公爵はしわがれた声で心底面倒そうに語る。ブラウンシュヴァイク公の意見に従うならば処刑は映像ではなく直で見せつけなければ意味がない。となれば帝国の各惑星の各都市ごとに処刑を行う必要があった。

 

 その手間は並大抵の事ではない。法的な処刑は社会秩序維持局が行うような『拘留中の事故死』とは訳が違う。法的手続きは同盟に比べ人命……正確には貴族以外の人命……を軽視する帝国の刑法でも煩雑であるし、処刑方法も貴族階級相手に行われるギロチン刑や毒を含んだ葡萄酒による自裁とは違い、準備に手間のかかる車裂きや八つ裂きである(より残虐に処刑する事で臣民への戒めとし、犯罪を抑制する意味がある)。そもそも如何な帝国とは言え刑務所にそこまで多くの処刑対象者なぞいやしない。

 

「ふんっ、そんなもの適当な罪人共を使えばいいだろうに。手続きも事後承認にすれば良いのだ。処刑の準備ならゆっくりやれば良い。その方が平民共も興奮するであろうからな!」

 

 鼻で笑うようにブラウンシュヴァイク公は解決案を提示する。彼にとって平民の命なぞその程度の気紛れで奪えるものに過ぎなかった。

 

 彼が警察総局局長であった時代、帝国警察は僅かでも怪しい者は見境いなく刑務所に放り込み拷問の末獄死させた。その数は数万名に上るが、彼からすれば『その程度』の平民が事故死した代わりにこれまで小賢しくも逃げ回っていた犯罪者や隠れ共和主義者を何百人も処理出来たと高らかに誇るべき出来事でしかなかった。この事例だけで公爵の中での平民の生命の価値がどれだけ安価であるかが理解出来る筈だ。

 

「うぐっ……だがっ………」

 

 リンダーホーフ公爵は困ったような表情をリヒテンラーデ侯爵に向ける。自分では対処出来ないからと国務尚書に対応を投げたのだ。

 

「……公爵の意見は伺いました。賎民共の処刑には確かに一定の効果があり、採用の余地はありましょう。ですが……少々話がそれましたな。此度の会議の主題は先日の出征の損失の補填、それに誰が占領地放棄の責を負うのかですじゃ」

 

 国務尚書はそう語り話を本筋に引き戻す。尚、公爵の意見は後に限定的に容れられ、最終的に帝都を始めとした主要な帝国直轄領にて数百人の罪人が公衆に石を投げられた後、車裂きや八つ裂き、串刺しや火刑にて公開処刑され、臣民はこの『祭典』に熱狂する事になる。

 

「此度の責任というのならば、それこそエル・ファシル放棄は地上軍の混乱が原因ではないですかな?」

 

 リヒテンラーデ侯爵が話題を戻したと同時に鋭く指摘したのは宇宙軍幕僚総監たるシュタインホフ元帥であった。惚れ惚れする程のタイミングでのこの指摘に、事前の打ち合わせが無かったと考えるのは楽観的過ぎるだろう。

 

「……それは心外ですな。吾等地上軍は皇帝陛下が御ために戦い、多くの兵士が異郷で躯を晒したのですぞ?それに対してそのような物言い、誉れある帝国軍人のそれとは思えませんな」

 

 ブッデンブローク元帥は軍務尚書の腰ぎんちゃくに不快感を一切隠さずに物申す。

 

「それは異な事を。兵士の損失を厭うのは私も同様です。ですが損害を出した責任を回避する理由にはなりませぬぞ?まして討伐軍司令官であるクラーゼンが撤収を決断せざる得なかったのは地上軍の不手際が原因ではないですかな?」

 

 そのふくよかな体からは想像出来ない程キレのある言葉でシュタインホフ元帥は指摘した。

 

「左様、クラーゼン上級大将は艦隊戦において叛徒共に対して互角の戦いを演じていたと報告を受けておる。その均衡が崩れた理由は……御分かりでしょうな?」

 

 ゾンネベルク元帥はすかさずシュタインホフ元帥の援護射撃を行った。中立派の宇宙艦隊司令長官レーダー元帥は一言も口を開かずそのやり取りを見つめる。

 

「ぬ……」

「それこそ異な事を、惑星防衛は宙陸一体の軍事作戦が必要不可欠。しかるにクラーゼン上級大将は叛徒共の策に嵌り敵地上軍の上陸を許し、禄に抵抗が出来なかったではありませぬか!そしてクラーゼン上級大将は宇宙軍所属の筈。あの者が失敗しなければ我らはより万全の体勢で叛徒共を迎え撃つ事が出来たのです!最大の責任があるとすれば防衛の総司令官にこそ帰すべきではないか!?」

 

 地上軍総司令部長官はブッデンブローク元帥に代わり反論を放つ。ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯等の反旧守派がこの意見に同調する。

 

「地上軍の意見も一理ある、撤収の責任を司令官が担う事は当然ではないか?」

「左様、強いて言えばそのような人選を行った者にも責はあろうて?」

 

 リッテンハイム侯爵は特に突っ込んだ意見を口にする。クラーゼン上級大将の任命者、即ち人事権を保有する軍務尚書と統帥本部総長への責任を追及しようと言うのだ。会議室が緊張する。

 

「………」

 

 会議の始まり以来、沈黙を続けていたエーレンベルク元帥は、漸く動き出す。小さく息を吐いた後片眼鏡の老紳士はゆっくりと口を動かし始めた。

 

「……成程、地上軍、それにブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯の御意見は理解致しました。ですがその発言は少々行き過ぎというものですな」

「……どういう事だ?」

 

 エーレンベルク元帥の意味深気な返答に対して元老院長は怪訝な表情を浮かべた。そして軍務尚書に迫撃の弾劾の言葉を放とうとした次の瞬間であった。喇叭の甲高い音が鳴り響いたのは。

 

 その喇叭の音に全員が注目し、次の瞬間には急いで席を立ち、背筋を伸ばして起立する。近衛兵によって重厚な会議室の扉が開かれる。同時に会議室にいる全員が頭を恭しく下げた。大貴族であり帝国の重臣でもある彼らが揃いもそろってこのような態度を取り歓迎する人物は銀河で一人しかいない。彼らが頭を下げた先、そこには漆黒のマントを身に纏った至尊の玉座の人物がいて、その背後に侍従達を引き連れて彼は会議室に入室する。

 

「……ふむ、どうやらまだ会議は続いているようだな、余も途中からになるが参加して良いな?」

 

 本人にどこか不似合いな帝冠を頭上に載せる皇帝フリードリヒ四世は皇帝政務秘書官ジッキンゲン男爵、侍従武官長グリンメルスハウゼン少将を引き連れ、気だるげに会議室をきょろきょろと見渡した後、一切覇気のない声で出迎える臣下達に尋ねた。

 

 

 

 

 

 

 

「皇帝陛下、ご出席を臣下一同大変御待ちしておりました。陛下の御前にてこのように帝国の指針を定める場に立ち会える事、誠に光栄の誼で御座います」

 

 漸く会議室に入室した銀河帝国皇帝フリードリヒ四世に対して、国務尚書にして帝国宰相代理でもあるリヒテンラーデ侯が全出席者を代表して少なくとも形式的には完璧な挨拶を行った。尤も、肝心の皇帝はその挨拶に対しても然程興味が無さそうであったが。

 

「うむ。侍従、椅子を」

 

 皇帝のその声に従い侍従達が会議室の一番奥にあり、一際絢爛な椅子に駆け寄り、彼らの主人が座りやすいように引く。皇帝は頷き幾人もの侍従を連れてとぼとぼと椅子へと向かい、その間会議の出席者達が微動だにせず頭を下げ続ける。

 

 ようやく猫背気味に椅子に座り終え、「楽にすると良い」と皇帝が命じる事で会議の出席者達は感謝の言葉と共に頭を上げた。

 

「さて、此度の会議は……ああ、先日の出征の事であったな」

 

 暫く考えていると横から侍従の一人が小さく耳打ちし皇帝は殆ど忘れ去っていた議題を思い出す。

 

「此度の敗北は実に残念であったな。だが軍務尚書、卿の推薦したクラーゼンは良く働いてくれたようで安心したぞ?おかげで秩序だった退却であったと聞く。それに……ほかに推薦したカイザーリングに……オフレッサーだったか、その者らも良く軍功を挙げたと聞いている」

「はっ、司令官たるクラーゼン提督は清廉にして勇敢、公正にして果敢な人物で御座います。兵員の九割近くが帝国に帰還出来たのも一重にクラーゼンの指揮の賜物、またカイザーリング中将やオフレッサー大将も期待通りの戦果を挙げました」

 

そして……、一層恭しくエーレンベルク元帥は続ける。

 

「そして同時に彼らの戦果はその才を認め任命を為された陛下のご慧眼のなせる業、軍務尚書として陛下の御決断の正しさには恐れ入るばかりで御座います」

 

 どこか芝居がかった軍務尚書の言に、少なくともこの場にいた反エーレンベルク派は内心で盛大に舌打ちした。

 

(くたばり損ないの妖怪め……!)

 

 軍務尚書の狙いは明らかであった。彼らがクラーゼン、延いてはその任命者を糾弾しようとするのを、この妖怪は皇帝をも巻き込む事で回避したのだ。神聖不可侵の皇帝を誰が糾弾出来よう?

 

 特にファルケンホルン元帥達にとって友軍たり得たブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯を無力化されたのは手痛い損失だ。娘を次期皇帝に担ぎ上げようと画策する両名にとってここで皇帝の不興を買うのは割に合わない。

 

「ほほ、そうか。余の功績か。……そうだな、その通りだ。余の功績だな」

 

 一方、会議室で行われる策謀を知ってか知らずか皇帝は朗らかに……少なくとも見かけは……笑みを浮かべる。そして侍従に用意された葡萄酒をグラスに注がせるとその芳醇な香りを楽しみ始める。

 

「……して、余が入室する前ブラウンシュヴァイク公は何やら口にしようとしていたと思うが……何であったかな?」

 

 アルコールの香りを暫し楽しんだ後、グラスを置いてからフリードリヒ四世は娘婿に尋ねる。いきなりの事に一瞬戸惑う公爵は、しかし誤魔化すように自身の意見を引っ込めた。引き込まざるを得なかった。

 

(おのれ……まさか皇帝陛下が遅れてくる事すら利用しようとはな……!!)

 

 誰にも気付かれないように地上軍の元帥達はエーレンベルクを睨み付ける。尤も、当の妖怪はどこ吹く風だ。

 

「とは言え、ファルケンホルン元帥の言う通り、折角解放した辺境を放棄せざるをえなかったのは事実ですじゃ」

 

リヒテンラーデ侯がそこに口を挟む。  

 

「それは承知しております。此度の遠征が十全な結果でなかったのは事実、責任を取る者が要りましょう。ですな?」

 

エーレンベルク元帥はゾンネベルク元帥を見つめる。

 

「陛下、私は統帥本部総長の任にありますが同時に宇宙軍出身として宇宙艦隊司令長官、宇宙軍幕僚総監の任を歴任した身でも御座います。此度の討伐において陛下よりお預りした宇宙軍将兵を少からず失った責、この身を以て取る事を御許し頂きたい」

 

 恭しく頭を下げるゾンネベルク元帥。自身の引退を申し出る老元帥に対して、しかし会議に出席する大半の者はその潔さを讃えるよりも狡猾さに苦虫を噛んでいた。

 

 ゾンネベルクはここで引退せずとも後二、三年余りで軍を退く立場だった。統帥本部総長の上となれば軍務尚書位しかなく、しかもあの『妖怪』がその席を退くとは思えなかった。『旧守派』からしてみればゾンネベルクが今退こうとも痛くも痒くもあるまい。

 

 そして、軍務尚書や統帥本部総長の言を聞けば分かるであろうがあくまでもこれは『宇宙軍の責任』を取る事に過ぎない。即ち……。

 

「……で、では宇宙軍にのみ責を取らせる訳にはなりませぬな。私が地上軍の最高指揮官として此度の責任を負いましょうぞ」

 

 地上軍総司令部長官は苦渋に満ちた表情で退役を宣言する。宣言せざる得ない。それがこの場で『最善』の判断であるが故に。

 

「ファルケンホルン元帥……!」

 

ブッデンブローク元帥が負けず劣らず苦悩の表情を作る。同志の発言の意図を理解しての事だ。

 

 ゾンネベルク宇宙軍元帥が自主的に退役を申し出るとなれば地上軍としても相応の人物を腹切り要員として供出しなければならなかった。少なくとも宇宙軍・地上軍の融和を建前に求めるエーレンベルク元帥はそう圧力をかけるであろう。であるならば機先を制され人事権を盾に処断される前にファルケンホルン元帥が『自主的』に退役をするのが最もマシであった。

 

「ふむ、そこまで仰るのでしたら致し方ありまぬな。ファルケンホルン元帥、誠に残念です」

 

形式だけ残念がってみせるエーレンベルク元帥。

 

「後任はブッデンブローク元帥が繰り上がるのが当然として……実戦部隊の司令官は……確かゼートゥーア上級大将が総司令部参謀本部長だった筈ですな?彼で宜しいですかな?」

「……異論はありません」

 

 嘘である。敵派閥でないにしろ日和見主義で事大主義の『中立派』が地上軍の第二位に就くのだ、『革新派』は少なくとも地上軍においてその勢力を削がれる事は間違いない。

 

「くっ……」

 

 敗北である。全てはまるで台本に沿った予定調和の喜劇の如く進んでいた。恐らくはここまでの会議の進行はほぼ片眼鏡の忌々しい老いぼれの思い描いた通りに進んだ筈だ。だがそれでもその台本に従わない選択肢なぞ無かった。それ以外の道は破滅しかなかったのだから。

 

「無念だ……」

 

 それは絞り出すような声であった。ある程度予測は出来たとはいえ実際にこのような事態に状況が推移するとなると屈辱感は相当なものであった。ファルケンホルン元帥は無力感に打ち震える。

 

「……そうそう、そう言えば忘れる所でしたな。私めより此度の戦についてどうぞ御一考して頂きたい意見があるのですが……」

 

 だが、その敗北宣言は早計であったかも知れない。次の瞬間に発せられた悪意に満ち満ちた財務尚書の言が、本格的に地上軍の元帥の精神に致命傷を与えていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気苦労が絶えませぬな、軍務尚書」

「いや、全くその通りですな国務尚書殿。お互いに………」

 

 皇帝が退出し終え、頭を上げると同時に両者は意味深げにそう言葉を交わした。

 

 此度の会議は全てこの二人の望む形で推移し、望むように収束した。エーレンベルク元帥は自派閥のゾンネベルク元帥の抜けた人事を完璧に操った。子飼いのシュタインホフを統帥本部総長とし、現場組で参謀経験の薄いレーダー元帥を宇宙軍幕僚総監に捻じ込んだ。恐らくは数年の内に引退する事になろう。そうなれば無派閥のクラーゼンを自動昇格させられる。清廉で愚直なクラーゼンを操り人形とするのはエーレンベルク元帥にとって然程難しくはない。クラーゼン上級大将の任じられていた宇宙艦隊副司令官には派閥ではないが保守的なミュッケンベルガー上級大将を着任させる予定だ。更には反旧守派の地上軍元帥も一方を追放した、もう一方も長くは持つまい。結果は万々歳と言って良かろう。

 

 同時にリヒテンラーデ侯にとっても事態は歓迎すべき事であった。イゼルローン要塞がある現在、地上軍の勢力を削ぎ、軍事の選択と集中を進める事で帝国財政が好転する事は明らかであった。出兵を抑制する効果もある。また保守的な気風の強い『旧守派』が軍内での地位を維持するのは前例主義の国務尚書にとっては都合が良い。そして何よりも……。

 

「我らの誤算が暴かれずに済みましたな」

 

 周囲を見てから、エーレンベルク元帥が小声で呟いた。そう、二人の此度の遠征における極秘任務の失敗が白日の下に晒されなかった事は今回彼らの手に入れた最大の戦果だ。

 

「死体は見つかったのかね……?」

「いえ、追跡中の憲兵隊は爆撃で消えてしまいましたので」

 

 リヒテンラーデ侯の質問に軍務尚書は難しげに頭を横に振る。極秘に用意した中央憲兵隊は叛徒共の軌道爆撃の前に部隊ごと消滅し、エーレンベルク元帥は極秘に命じたその仕事が成功したのか判別がつかなかった。

 

「事は帝国の名誉に関わる。フォルゲン伯とハルテンベルク伯も仕事の仕上がりを気にしておるしの。もし例の者が亡命に成功しているのなら……最悪刺客を送らざるを得まい」

 

 険しい表情を浮かべ国務尚書は指摘する。そう、全ては帝国貴族社会の沽券に関わろう。まさか大貴族の子弟が叛徒共と繋がっているなぞ……。

 

 彼らにとってフォルゲン伯爵家の不肖の息子は必ず、そして自然にヴァルハラに旅立って貰う必要があった。

 

 大貴族……しかも権門四七家に連なる家柄の娘と婚約した准将が麻薬密売に手を染めていただけでなく共和主義思想にすら汚染されていたなぞ、宮廷や軍部の主流派にとって十分過ぎる程にスキャンダルであるし、下民共にとっても格好のゴシップだ。故にカール・マチアス・フォン・フォルゲンは名誉の戦死を遂げなければならなかった。だからこそ両伯爵から相談を受けたリヒテンラーデ侯は一計を講じ、エーレンベルク元帥はそのお膳立てをしたのだ。

 

「そちらの方は私も調査致しましょう。それにしても……」

 

 ちらり、とエーレンベルク元帥は議場の一角に視線を移す。そこには殆ど放心状態の地上軍の代表達が座り込んでいた。その表情は心ここにあらず、というに相応しい。

 

「……恐ろしいものですな、カストロプ公は。何も事前の接触なぞ無かったというに我らの打ち合わせに乗ってこようとは……」

 

目を細めて、声を低くして最大限の警戒をするようにエーレンベルク元帥は呟いた。

 

 財務尚書カストロプ公爵の提案は決して荒唐無稽のものではなかった。既に戦死者・負傷者を除く第九野戦軍の残存戦力は五〇万前後でしかなく、正規野戦軍としての再編にはかなりの時間が必要と思われた。しかも司令官・参謀長が捕虜となる不名誉な部隊であり、副司令官ヴェンツェル中将以下の将兵達にはその不名誉を一日でも早く濯ぐ必要があった。

 

「名誉挽回の『機会』を与えるために残存部隊をそのまま再編して戦線に投入させるなどと……畜生の行為ですな」

 

 軍務尚書は公爵の提案を反芻し、鼻白む。

 

 カストロプ公爵は第九野戦軍残存部隊を未だに戦闘が膠着している戦線に投入する事を提案した。恐らくはこれを機に正規野戦軍の一つを欠番にして予算節約を行いたいのであろう。本国から改めて部隊を派遣するよりも安上がりという事もある。とは言えボロボロの兵士達に暫しの休息と物資は与えられるとは言え再度戦線に投入するとなると……。野戦軍の解体は覚悟出来ても流石にそこまで非道な真似をされるとはファルケンホルン元帥達も想定していなかったようだ。

 

「じゃが反対はせぬのだな?」

「正規野戦軍の縮小の機会ですからな。イゼルローン要塞がある今、帝国軍は宇宙艦隊の増強こそ力を入れねばなりますまい。それに反対すれば統制派が介入する可能性もありますからな」

 

 故にエーレンベルク元帥はカストロプ公爵の提案に反対しなかった。そしてゾンネベルク元帥、シュタインホフ元帥が追従すればほかの参列者もそれに倣うほかはない。装甲擲弾兵・狙撃猟兵・野戦機甲軍の各総監も地上軍は戦域が重なる潜在的な競争相手であり地上軍の縮小は相対的に自らの影響拡大を意味するので積極的に反対はしない。文官勢も軍部が反対するなら『帝国の名誉』や『皇帝陛下の権威』を盾に口を出す可能性があるが、賛同されれば介入の隙がないので沈黙をもって答えざる得ない。

 

「悪辣な事じゃな」

「全くですな」

 

 軍務尚書と国務尚書は互いに財務尚書の悪知恵に舌打ちする。尤も議場に参列したほかの者達にとってはどの口で語るのか、と吐き捨てるであろう。カストロプ公爵の意見は確かに私欲からのものであるが、逆に言えば軍務尚書と国務尚書の立場に配慮した提案であり、それはつまり『奇術』を持って莫大な国家予算を横領する財務尚書にとっても両者との対立を避け、おもねる事でしかあの場で意見を通せない事も意味するのだから……。

 

「して、奴の意見を聞き入れてやるとして……軍務尚書、消耗するはするとして出来得る限り無駄遣いはせぬように願いたいがその点は配慮しているのかね?」

 

 国務尚書は探るように尋ねる。曲りなりにも番号付き正規野戦軍は帝国地上軍の第一線戦力を担う精鋭だ。使い潰すにしろ有効活用するべきだ。

 

「承知しております。後程会議にかけますが予定とすればアルレスハイム方面への投入を念頭に入れております。カイザーリング中将は先の戦においても寡兵にて叛徒共を追い払った名将です、丁度増援を求めておるようですから渡してやれば良いでしょう。有効に使い切ってくれましょうて」

 

 中将とは言え末席のカイザーリング中将は正規艦隊も正規地上軍も保有していない。保有するのは各独立部隊や敗残兵等を寄せ集めた宙陸統合部隊であり艦艇五〇〇〇隻、地上軍三〇万前後に過ぎない。少なくとも本国の各独立部隊を再度送りつけるよりも敗残兵とは言え正規の野戦軍を纏めて提供する方が彼方としても助かるであろう。

 

「成程のぅ……良かろう。その方面で調整を頼もうかの。儂の方も男爵の功績に報いるように勲章の推薦を陛下に進言しておこうかの、指揮官としての箔付けにはなろうて。全ては帝国と皇帝陛下が御ためにじゃ」

 

 リヒテンラーデ侯爵は軍務尚書の意見に頷き提案する。帝国は階級社会の国である。名誉と権威が無ければ実力があろうとも中々兵士はついてこない。クラーゼン上級大将が思うままに指揮が取れなかったのも彼自身の爵位が低い事が理由だった。田舎の一男爵に大軍を指揮させるとなるとこれくらいの配慮はいるだろう。その程度の配慮で叛徒共との戦が楽になるならば安いものだ。

 

 その後、幾つかの確認の会話を交えた後リヒテンラーデ侯爵は別れの挨拶をして踵を返し、議場から去る。その後ろ姿を老元帥は先程までの友好的な表情とは打って変わり、目を細めて冷たく見つめていた。

 

「……狐めが」

 

 エーレンベルク元帥は小さく呟いた。如何にも中立と平穏を望み、帝国の体制への忠誠を誓っているように見えて、国務尚書のその奥底に眠る野望と独善を限りなく正確に軍務尚書は看破していた。

 

 ……恐らく将来的に生じる可能性の高い皇太子ルードヴィヒと門閥貴族連合、あるいはブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の対立は最悪では内戦に繋がるであろう。

 

 特に後者の危険は日に日に高まっている。両諸侯を宥めるべきベルンカステル侯の体調が悪化し、既に余命幾何もないためだ。

 

 クレメンツ大公を追放した宮廷クーデターを敢行した三諸侯の内、存命なのは既に当時のベルンカステル侯のみだ。彼の娘がフリードリヒ四世の皇后として皇姫たるアマーリエとクリスティーネを産み、それが同志であった当時のブラウンシュヴァイク公・リッテンハイム侯の嫡男と婚姻した。第二次ティアマト会戦とそれ以降の度重なる皇帝の崩御による帝室の権威低下を塞き止めるためのやむを得ない手段ではあったが……先代の遺訓として現ブラウンシュヴァイク公・リッテンハイム侯もベルンカステル侯に配慮しているが、その死去後まで両者が友好を維持出来ると考えるのは楽観的過ぎる。

  

 ……そしてその対立の間隙を縫い、あの国務尚書は国政を完全に我が物とし、自身が信奉する主義に従った政治に邁進する筈だ。さすれば帝国軍と武門貴族もまた……。

 

「そう思い通りにはさせんわ」

 

 今や軍部の長老にして『旧守派』の長たるエーレンベルク元帥は、古き良き武門貴族の伝統を守る立場にある者としてそれを許すつもりはない。今でこそブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯、そのほか新興の平民や下級貴族将校への牽制としてリヒテンラーデ侯爵は手を組むべき相手だ。だがそれらの脅威が消えた暁には先手を打つ事にためらいはない。

 

「………」

 

 エーレンベルク元帥もまた議場から軍務省へと戻る準備をする。今、一つの陰謀は密かに終わり、それが原因となり幾つもの新たな陰謀が企てられ、蠢動しようとしていた。終わる事のない陰謀の連鎖という無間地獄、誰もが敵であり味方であり裏切者、弱みを見せれば寄ってたかって食い殺され、溺れた犬には容赦なく石が投げつけられる……それこそが煌びやかな黄金樹の王朝の裏の顔である。そして今回の会議もまたその地獄の極極一部であり、断片に過ぎなかった。

 

 螺旋階段とロングギャラリーを過ぎてエーレンベルク元帥は宮殿の門からまだ肌寒い外に退出した。そのまま待たせていた豪奢に彩られた馬車に乗りこむ。護衛の近衛騎兵隊の一個小隊に囲まれながら十頭立ての馬車は悠然と走り出した。

 

「……ようやく抜けたな」

 

 馬車は約二時間余りかけて白銀色に輝く『新無憂宮』の外苑の外に辿り着く。その間も馬車に待機させていた副官より受け取った報告書に目を通し決裁していたが、それでも軍務尚書にとっては決して短いと言える時間では無かった。

 

 荘厳な構えの王宮の門へと馬車が辿り着く。従士でもある副官が馬車から降り門の衛兵に馬車の中の人物がどのような貴人であるかを宣言すれば優美な外套に身を包んだ衛兵隊長が頭を下げ、兵士達が巨大な門を十名掛かりで開いていく。人力であるがために数十秒程かけて漸く門が開ききるとエーレンベルク元帥の馬車は進み始め帝都の官庁街に足を踏み入れる。

 

「あれは……」

「幼年学校の生徒達でしょう、見学会のようです」

 

 外苑沿いに街道を進む馬車は教官であろう、士官に引率された幼年学校の生徒と擦れ違う。教育の一環として帝都の官庁街や軍事基地、宮廷周辺を見学するのは良くある事だ。

 

「そうか、懐かしいものだな」

 

 副官の報告と馬車の窓から見える生徒達を見やり、ふと半世紀以上前の記憶を思い出し元帥は呟いた。教官が馬車に気付き、生徒達に叫ぶ。数百人からなる生徒が慌てて直立不動の姿勢を取り敬礼する。その姿を見て自身の時は宇宙艦隊司令長官だったな、等と呑気な事を思い浮かべた。

 

 エーレンベルク元帥は馬車の窓越しに答礼する。本来ならばその必要もないのだが、特に理由もなく元帥は微笑みながら敬礼をしていた。『妖怪』扱いされる血も涙もない彼も、流石にまだ子供らしさを残す生徒達にまでは悪意を向けられなかったのかも知れない。    

 

「……若いな」

 

 生徒達を見やり、元帥は呟く。生徒の多くは宮廷権力者とは違い、事実上の帝国軍の最高司令官に純粋な尊敬と羨望の視線を向けていた。『七提督』最後の一人として胸元にこれまでの戦歴を証明する煌びやかな勲章の数々を飾り立てていればさもありなんである。その純粋な瞳はエーレンベルク元帥にある種の後ろ暗さと気まずさを覚えさせた。

 

「……!?」

 

 一瞬の事であったがエーレンベルク元帥は動揺した。擦れ違ったその生徒の視線に思わず狼狽えたのだ。

 

 それは温和そうな赤毛の生徒のすぐ隣で敬礼していた金髪の美青年だった。この事については元帥を賞賛するべきであろう。多くの死線を切り抜けた元帥だからこそ一瞬の事でもそれに気付く事が出来たのだ。

 

 まるで熾天使の生まれ代わりのような美貌の生徒、だがその視線は明らかに特異であっただろう。ほかの生徒と違いそこに羨望の色なぞなく、鋭い射抜くような視線はまるでこちらの実力を見定める獰猛な金獅子のようで………。

 

「……?どうか為さいましたか?」

「ん?い、いや……なんでもない。……次はこの書類であったか?」

 

 副官の声に軍務尚書は我に返る。そして僅かに困惑するがすぐに言い知れぬ困惑を振り払い次の書類へと意識を向けた。彼にとって『たかが』一幼年学校の生徒なぞ意識する事ではなかった。それ以上に気にしなければならぬ事が多すぎた。

 

 ……故に彼はすぐにその金髪の青年の事を忘れ去っていた。そしてこの老元帥が一瞬感じたその懸念を思い出す事はそれが決して遠くない未来、軍務省で赤毛の提督が突きつける銃口という形で目の前に現れるまで遂になかったのだった……。



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第一〇章 有給休暇があれば安穏と惰眠を貪れると思ったか?
第百二十八話 光(母性)と闇(ヤンデレ)が合わさり最強に見える


「んん……」

 

 記憶が確かであるならば寒さに震えていた私は、暖を求めてそれに抱き着いていた筈だ。

 

「うぅ…さむい………あったかい………」

 

 普段から使っているふかふかのマットに天然羽毛の布団ではなく固いベッドに薄い毛布……故に私は寝ぼけながらそれに手を回しぎゅっと抱き着く。それの程好い柔らかさと温もりは冷えきった空気に凍える私にとって正に救いであったから。

 

「んっ……あぅ…わかさま………」

 

 より暖をとるため、密着するように腕の力を強め抱き着くとそれはぴくっと震える。どこか艶かしい声が聴こえた気がするが寝惚けており、しかもまだ幼いために良く回らない私の脳はそれを深く考えない。

 

 ただ、温かいそれが時たま動くために私は一言「動くな」と不機嫌に呟いた。するとまるで意思があるかのようにそれはぴたりと動くのを止めされるがままとなる。

 

「うん……いいこ……いいこ………」

 

 私の思考が働かない頭はそれを特に可笑しいとも思わず唯寝惚け声でそう呟き、それに一層密着するように顔を埋める。

 

「わかさま………」

 

 それが私の背と頭に触れるのを感じた。優しく撫でるように触れられる感触は心地よく、安堵感すら覚えて私は再度眠りにへと誘われる………。

 

 ………どれだけ眠りこけていたのだろうか?何時しか外では小鳥の囀りが響いていた。窓からはもう豪雨の音も、まして嵐の音も聴こえず、暖かな日差しが差し込む。まだ寒いがどうやら一晩明けて早朝を迎えているようだった。

 

「うぅぅ……寒い……けど温かい……温かい?」

 

 その感覚に一瞬の内に私は意識を覚醒させていた。同時に目の前に現れるのは若干涎のこびりついて染みがついた白く薄いシャツであり、鼻孔が感じるのは汗と甘い香気の混じり合った独特のものであった。

 

「………」

 

 とてつもなく嫌な予感がした。恐る恐ると上に視線を移せばそこには幼い金髪紅瞳の幼女が純粋な、しかしどこか母性を称えた表情でこちらを見つめていた。ほんのりと頬が赤らんでいるのは子供だから体温が高いからだろう。少なくとも私はそう信じた、いや信じたかった。……信じたい。

 

「あ、わかさま。おはようございます!」

「……あ、あぁ……お早う?」

 

 従士の舌足らずな、しかし笑顔での挨拶にぎこちなく私は答える。ここで私は自身が何をしているのかを把握した。小屋の寒さに目の前の従士の子供相手に抱き着きながら寝続けていたのだ。あ、これ(社会的に)死んだろ。

 

 後になってよくよく考えてみれば十にもなっていない子供同士の事なので実際見られても微笑ましい姿であったかも知れない。それでもその時の私の中では昨日の夜の吐露や号泣も合わさり、羞恥心によりかなり動揺していた。そのため慌てて彼女から離れる。

 

「わかさま……?」

 

 一方、先程まで私が無遠慮に抱き着いていた従士は私が突き放したように離れた事に怪訝な、そして少しだけ不安げな表情を浮かべる。

 

「ある程度服も乾いただろ!着ておけ!」

 

 半分程照れ隠しで半乾きのまま干していた上着を着ると彼女の分を投げつける。従士は私の態度の豹変に戸惑いながらも反抗する事は論外であるとばかりに命令に従い服を着ていく。

 

その時である、外から物音がしたのは。

 

「ひっ……何だ!?」

 

 私は慌てて扉からのけ反る。前日にふざけているように大きなヘラジカに襲われた記憶が蘇る。余り野生動物の生態には詳しくないがもしかしたら匂いで追ってきたのではないかと不安に襲われた。仮にヘラジカでなくともこの狩猟園には幾らでも野生動物が生息しているからその可能性だってあった。

 

 私が怖がっている事に気付いて付き人は急いで私を自身の背後に隠して守ろうとする。私は不安感から情けなく彼女の手を握るとまた幼女も私に応えて手を握り返す。そして扉はゆっくりと開かれ………。

 

「おお、間違いない!此方におられましたか……!」

 

 扉を開いて現れるのは金糸の飾緒に銀の釦で飾り立てた華美な軍装を土と泥とで汚した兵士達であった。その独特の出で立ちを私は良く知っていた。

 

「近衛……?」

 

 その出で立ちは間違い無い。『新美泉宮』を警備する近衛兵の軍装であった。

 

 私が唖然としている中、すかさず十名ばかりの近衛兵が小屋に突入する。そして私を近衛兵の一人が抱きかかえ……。

 

「えっ……?」

「わかさま……!?」

 

 それは余りにも自然な動きのため私は反応が遅れていた。

 

「若様、さぁもう御安心で御座います」

 

 近衛兵は私と従士の掴み合う手を離させ、優しい笑みを浮かべて外に私を連れだす。

 

「わかさ……」

「待て付き人。卿には事情聴取の必要がある。報告をしなさい」

 

 慌てて私に追い縋ろうとする付き人を小屋に残る近衛兵達が険しい表情を浮かべながら止める。困惑し、不安そうな表情を作る従士。尤も近衛兵達からすればそれは当然の事であった。

 

「ああ、捜索中の伯爵家の若様だ。……少し弱っている、今すぐにでもヘリを回してくれ、軍医も乗せてだ……」

 

 小屋を出れば無線機で連絡をする近衛兵がいた。恐らくは本隊に救援を呼んでいるのだろう。もしかしなくても私を捜索するのに連隊か旅団単位で近衛兵が動員されているのだろう。

 

「なんて事だ、服がお濡れになられている……毛布はあるか?無い?むっ……仕方あるまい。若様、大変失礼ながら此方で暫し御耐え下さいませ」

 

 と私の半濡れ上着を脱がせて近衛兵達の中で一番衣服の汚れていない者が脱いだそれを代わりに着せられる。当然サイズが合わずぶかぶかではあるが生地が良いのだろう、寒さを耐えるには十分であった。

 

「若様、御疲れでしょう?もう御安心で御座います」

「皇帝陛下も御母君も随分と心配しておられましたが……御無事で何よりで御座いました」

「空腹では御座いませんか?我らに出来る事なら何でも御用意致します」

 

 近衛兵達は心底安堵し、機嫌が良さそうに私に質問する。それは恐らくは完全に善意であったのだろう。しかし一晩小屋で過ごしていた私にとっては見知らぬ彼らに矢継ぎ早に尋ねられても不安が増幅するだけであった。

 

 故に私は泣きそうな表情で彼らに頼んだのだ。小屋の中を指差して、私は彼らに『それ』を。いや『彼女』を傍に連れていくようにと。そして………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……うぅ…うん?……朝…か?」

 

 夢から覚め、ぼんやりと霞がかった意識の中で私が瞼を開いた時、最初に目にしたのはベッドの天蓋であった。

 

「……起きないとな」

 

 若干の頭痛と眠気を押し殺しながら私は未だ焦点が合わない目を見開く。毎度の事であるが昔の事を夢に見ると寝覚めが悪くなる。

 

 視線を傍の窓に向ける。レースのカーテンの隙間からは日差しが差し込んでいた。その事に妙にデジャブを感じつつも私は上半身を持ち上げ起床しようとする。そろそろ起床するべき時間であるだろうし、寝間着の下からは嫌な汗をかいていて不快感があったのも理由として挙げられるだろう。

 

「うっ……うん?……ああ、そうか」

 

 起き上がろうとして私はそのままバランスを崩してマットに再度倒れ込んだ。寝違えた訳ではないが、気だるい身体を起こすのは簡単な事ではない。まして『片腕』では。そのため私は姿勢を変えて再度起き上がろうと企てる。そして……。

 

「よし、これなら……ば……?」

 

 顔を向きを変えたと同時に私は体を硬直させた。さもありなん、丁度目の前に寝間着姿の美女がすやすやと寝息を立てていればそうもなろう。

 

 とは言え、その顔を認識するとすぐに私は冷静になる。当然だ、この人に劣情を感じるなぞ私の立場では有り得なかった。

 

「ん……んん……ふわぁ……あら?ヴォルターもう起きたのかしら?」

 

 どこか艶かしい呻き声を上げ水乙女(ウンディーネ)の化身は目を覚ます。可愛らしく欠伸をした後、慈愛の視線を私に送り「一人で起きられて偉い子ね」と微笑みを浮かべる。いや、その程度で誉めるのはどうよ?

 

 流石に年のせいか少し艶の減った、しかし未だに美しい銀髪に同じく殆ど染みも皺もない肌、体型は当然のように均整の取れたモデルのようなそれで、口から奏でられる声は品性と知性を感じさせる。正直四〇過ぎの経産婦とは思えないし、絶対十歳は年を偽っている——少なくとも初見の者はそう思うだろう。

 

 数回のノックの後、ガチャリと寝室の蝶番が回り柏材の扉が開かれる。そろそろと見計らったように女中達が入室し、ある者はカーテンを開き、ある者はタオルを、またある者は水の注がれた硝子瓶や盆を手に控える。

 

 カーテンが引かれた事で室内が日射しにより照らし出される。

 

「奥様、若様、明朝で御座います。どうぞ御起床下さいませ」

 

 初老の家政婦長が筆頭となり、一ダース程の使用人達が恭しく頭を下げ朝の挨拶を告げた。

 

「あらそう、分かったわ。朝支度の準備をして頂戴」

 

 羽毛の布団から上半身を起こした母は再度欠伸をした後に気だるげに、そして尊大に命じた。それだけの事なのに妙に色っぽいので困る。血の繋がりがある家族であり、尚且つ美人を見慣れていないと間違いなく動揺するだろう。

 

 さて、ここまで平然と状況説明をしていたが、そろそろ突っ込みもあるだろうから私も口を開かねばなるまい。故に、私は正に差し出された銀盆の水で顔を洗い終えた母に笑顔で伝える。

 

「いや母上、一緒に寝るとか私は子供ですか?」

 

 もう何度目か分からない指摘であった。時に宇宙暦790年7月2日、0600時の事である。

 

 

 

 

 

 

 私、即ちヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍中佐は、宇宙暦790年2月14日付で宇宙軍大佐に昇進した。昇進理由は第九野戦軍司令部の投降及び友軍援護のための情報収集・提供(公式にスパイの情報を確保したとは記せないための表現だ)である。同時に同盟軍最高勲章たる自由戦士勲章、同盟軍銅星勲章、レコンキスタ従軍章、名誉戦傷章が同盟軍より、柏葉・剣付騎士鉄十字章、白兵戦章銀章、戦傷章金章が亡命政府軍より授与された。随分と大盤振る舞いであるが、半分はいつも通り迷惑料であろう。

 

 大将一人を含む複数名の将官を捕虜としてエル・ファシル攻防戦の戦局に少なからず影響を与えた私であるが、失った物も少なくない。本来指揮下にあった第七八陸戦連隊戦闘団は兵員の三割以上を消耗し、上位部隊たるリグリア遠征軍団は装甲擲弾兵第三軍と正面から激突したがためにこれまた少なからぬ戦力を消耗した。伯爵家が私の目付役に揃えた臣下の中にも犠牲者は少なくない。

 

 尤も、伯爵家一門からすれば『その程度の事』は大した事でもなかったように見える。家臣団全体で言えば私の護衛に回された人員が少なくないとはいえ、最悪連隊全滅程度は想定に入れていたようであった。伯爵家は多額の葬儀費用や見舞金を臣下とその家族に支払ったが、それでも伯爵家の総資産から見れば極一部でしかない。

 

 実際家臣団もそれに恨みを言う事は無かった。元々弾除けとして使い潰す事も想定しての供出であったのだからさもありなんだ。それよりも遥かに重大な失態が起きた事の方が問題であり、寧ろ家臣団からすれば本家の対応に戦々恐々としていた側面があった。

 

「若様、失礼致します」

 

 女中の一人が恭しくそれを抱えて持ってくる。別の女中が私の衣服の右袖を捲り上げ、肘から下のない腕を晒す。その傷口は手術により金属製の覆いが被せられ、電子コネクタが設けられている。

 

 所謂筋電義手や機械義手、あるいは人工臓器の技術は、今では一三日戦争以前とは比べ物にならない程に進化した。神経接続や人工筋繊維によりほぼ生身の腕と同等の反応速度と柔軟性を手に入れ、素材技術の向上で排熱も人体の体温と同レベルかつ重量も軽量化している。感覚器官すら限定的に再現出来る。そこに人工皮膚を被せてしまえばまず義手や義足を装着しているとは分からない。

 

 宇宙暦にもなって機械義手とかwww時代は再生医療だろJK!と宣う者もいるかも知れない。無論そちらの技術も普通に普及はしている。特に民間ではそちらが主流だ。だが軍人の場合は再生医療による治療は好まれず、寧ろ機械化を選ぶ者の方が多いし軍部もそちらを奨励していた。

 

 単純な話だ。生身の四肢が千切れれば下手しなくても人は死ぬ。少なくとも手術する猶予が無ければ死ぬ。再生治療なんてしてみろ、次また同じ手足がなくなったら助かる保証なぞない。機械ならば『破壊』されても出血や激痛はないのでその場からより冷静に脱出や避難が出来るのだ。しかも強度も生身のそれより頑丈であるし、場合によってはリミッター付きではあるが通常の肉体では不可能な運動能力を発揮出来る。軍人を続けるならば再生医療よりも機械化の方が遥かに合理的である。

 

 まぁ、だからと言っても所詮義手や義足はそれ以上のものではない。SF作品のマッドサイエンティストが如く兵士達を敢えて改造人間にするのはそれはそれで不合理だ。どれだけ生身の体を改造しても最新鋭の戦車の前では挽肉にされるし大口径機関砲の前では無力だ。普通に個人携帯装備を改良した方が安上がりである。あくまでも身体能力向上はおまけ扱いでしかない。

 

 尤も、それは最新技術をふんだんに利用した兵器を大量に配備出来る二大星間超大国だからこその話であるのも事実だ。外縁宙域の宇宙海賊や犯罪組織、軍閥、あるいはフェザーンの裏世界の住民の場合は様々な理由で文字通りのサイボーグ化する者も、それこそ人型のシルエットから少々逸脱した者すらもいる。前にも言ったが、宇宙暦8世紀の医療技術は脳と心臓さえあれば大体どうにかなるし、最悪心臓すら機械で代替可能だ。

 

 兎も角もそういう訳で、同盟軍の将兵は衣服と人口皮膚で分からないだけで四肢や内臓、あるいは眼球や骨が人工のそれに代わっている者はそう珍しくはない。宇宙軍なら比較的軽傷で助かるか即死するかに偏るため例が少ないが、地上軍は兵員の一割半程度は程度の差こそあれ人体の一部が機械化されていたりする。負傷を理由に退役勧告されるのは稀であり、大概は部位欠損に精神的なショックを併発している場合である。そしてPTSDの兵士を戦線に投入する程同盟軍は愚かではない。復帰したければ軍病院で精神科の治療を受け完治してからだ。

 

「少々痛みます、ご容赦下さいませ」

「ああ、任せる」

 

 中年の女中が、人工皮膚を被せていないせいで一目で分かる義手を私の腕の断面に装着する。コネクタにより義手が接続されたと同時にほんの僅かな刺すような痛みが走り、次の瞬間には以前と同じ右腕の感覚が蘇る。

 

 接続した右腕の手首を回し、指を動かしていく。本物の腕と殆ど変わらない素早く滑らかな動作だ。実家で特注したオーダーメイド品とは言え毎回驚きそうになる仕上がりである。

 

「ヴォルター?大丈夫?痛くなかった?ちゃんと動くの?違和感はない?」

 

 義手を接続し終えたのを確認すると、これまで傍で不安そうに見つめていた母がオロオロと寄り添い私の両肩を掴んで質問攻めにする。

 

「はい、問題ありませんよ。違和感も動きのぎこちなさもありません。実に良い義手です、私のために本当にありがとうございます」

 

 私が右腕を欠損したという知らせを聞いた時、父は軍人らしくメンテナンスが容易で信頼性の高い普及品の軍用義手を注文しようとしたらしい(とは言え高級士官用の最上級品ではあるが)。

 

 そこに待ったをかけたのが母だと言う。亡命政府資本の大手企業から一流の職人を連れてこさせて当時ハイネセンの第一軍病院に入院していた私の所に寄越し、私の腕の状態を調べ要望も聞いた専用の特注品が、幾つかの予備を含めて製作された。大量生産品ではないので最終的に普及品に比べ一桁は値が張った代物となった。正直な所いざと言う時の整備性では不安が残るが、性能面では文句無しのために母を詰るのも筋違いである。だから私は微笑みながらもう背丈を越してしまった母に感謝の言葉を伝える。それに……。

 

「ふふふ、いいのよヴォルター?可愛い息子のために母が動くのは当然ですもの。………そうよ、貴方を守ってあげられるのは私だけ、私だけなの。ごめんなさいね?ほかの役に立たない木偶共に任せた私がいけなかったのよね?そうよ私がいい加減な考えで護衛を選んだからいけなかったのよね?ヴォルター、可愛い可愛い私の大切な坊や、ごめんなさいね、私のせいで沢山怖くて痛い目にあったのよね?本当にごめんなさいね?沢山不満があるでしょうけどどうか母を許して頂戴。もうこんな事無いからね?もう大丈夫よ?本当よ?もう安心していいからね?これからは母がいつでも傍で守ってあげるのだから、もう怖がらなくても、泣かなくてもいいのよ?欲しいものがあるなら何でも、遠慮なく言って頂戴。何であろうとも母が持ってこさして上げるのだから。だから…………もう私の傍から離れては駄目よ?」

 

 滅茶苦茶早口でそう捲くし立てた私の母の表情は笑っていて笑っていなかった。正確には表情は女神のような優しさと温かさを放っていたが目が死んでいた。ハイライト=サンが失踪していた。漆黒だよ、まっくろくろすけだよ。完全に深淵を覗いているね。ハイライト=サン完全に深淵を覗いたきり帰って来ないよ。

 

「ヴォルター?返事は?」

「アッハイ」

 

 物静かで優しそうな、しかし有無を言わせない母の言葉に私は殆ど反射的にそう答えていた。答えざるえない。

 

(この様子だとどうやら今日も一日中監禁であろうな)

 

 私は内心でぼんやりと思う。

 

 ハイネセン第一軍病院を退院後、長期休暇と言う形で私が惑星ハイネセンの片田舎……というか伯爵家が一世紀近く前に購入した農園兼別荘地に閉じ込められてから凡そ二か月が過ぎようとしている。

 

 ハイネセン北大陸、ハイネセンポリスから西に約二〇〇〇キロ程離れた場所にある一二〇〇平方キロメートルの土地は、広大でこそあるが宇宙暦8世紀の土地の購入費用は西暦21世紀とは比較にならない程安価ではあるし、場所自体も山林が多く、田舎のため広さの割には安い。

 

 とは言え別にそれは伯爵家がケチな訳ではなく、寧ろハイネセンポリスの『退廃的で俗物的な汚れ切った空気』(帝国貴族目線)から解放され、出来るだけ新鮮で澄んだ空気を吸いたいと考えたためだ。実際ハイネセンに住まうほかの門閥貴族達も各々に田舎の土地を買って別荘を建て、長期休暇には訪問している。所謂西暦時代の英国におけるカントリーハウスというものだ。

 

 私有地内には荘園同然の村(というか住民は元伯爵家荘園の貢納農奴だ)と農園が幾つも広がり狩猟園もある。別荘が本邸以外にも三件あり季節ごとに移る事も出来た。私有地警備のために元々亡命政府資本の警備会社が警備を行っていたが、現在は更に会社と実家から人員が割り増しされている。

 

 そして、そこに本来ならば有り得ない事であるが伯爵領から大名行列で母が初めてアルレスハイム星系の外に外出し……今まさに私と殆ど監禁同然に住んでいた。

 

 先程の母の言葉と瞳を見れば一目瞭然であるが……うん、完全に病んでいるよね、母上?

 

 色々と手遅れに思えるが、恐ろしい事にこれで周囲の被害は最小限に留められているのだから笑えない。あの病み具合でも私の右腕欠損したばかりの頃に比べればかなりマシになっているのだ。最初の頃?口にしたくもないね。

 

 曲りなりにも亡命政府を構成する大貴族、武門三家の一角であるティルピッツ伯爵家の嫡男……しかも皇族の遠縁……が右腕欠損と来たのだ。これが本場の帝国の基準であれば関係者の係累まで総自裁も考えられる出来事だ。

 

 当然ながら亡命政府の場合、同盟に対する印象的にも、純粋に人材的にもそんな事は不可能だ。下手をすれば直接の上司たるリグリア遠征軍団司令官ローデンドルフ少将や派遣元の第六宇宙軍陸戦隊司令官ムーア少将、第六艦隊司令官ロボス中将に第六地上軍司令官バルトバッフェル中将にまで火の粉が及びかねない。亡命政府にとつては論外な選択だ。

 

 そうなると割を食いそうなのが私の付き人や部下であるのだが、そちらの方も私なりに対処はしていた。一番ヤバい(当時)テレジアはほとぼりが冷めるまでリューネブルク伯爵の所に避難させた。連隊戦闘団の主力には功績を上げる機会を提供し、何よりも私自身が宮中と長老方を宥めるための軍功を稼いだ。これで行ける筈だった。右腕を刺されて捕虜になりかけただけならばこれでお釣りが来る程にフォローは可能な筈だったのだ。

 

 流石に切断はなぁ………。

 

 幸運だった点は二点。一つは相手があの石器時代の勇者オフレッサー大将であった点であろう。師団単位の警備網を抜け指揮官の首を狩り、狙い撃ちしたクロスボウの矢を素手で鷲掴み、無手でアオアシラを絞め殺し、本来大貴族が大隊単位の狩猟団を編成して仕留めるガララワニやイャンガルルガを単独で狩って剥製にするような限りなく人間を辞めた存在が相手である事、またそれにより明確に復讐相手がはっきりしている事が身内のヘイトを部下から敵に向ける一助になったのは間違いない。

 

 だが、それでももう一点目が無ければ間違いなく自裁させられる者が出た筈だ。

 

 もう一つの幸運はローデンドルフ少将と会った時点で私の意識があった事、それによる泣き落としが効いた点であろう。前線で回収された私はそのまま最低限の応急処置が施された。それでも出血多量の上傷口を長期間放置では化膿し、細胞が死に、命に関わった。医療班が急いで私の手術をしようとしたが私はそれより先に少将を呼ぶように命じた。

 

 大体予想は出来ていたがやっぱり叔従母様は一緒に来ていた。というかカールシュタール准将の制止を無視してジープを飛ばしてやって来た。当然のように血の気が引いた顔で駆け寄って来たので私は罪悪感こそあったがそこで我儘を口にした。

 

 端的に言えばベアトを始めとした部下達の責任を追及しないように頼み、約束してもらえない場合手術をしない、と拗ねた。こんな事を言われたら否とは言えない。流石に要求を口にするだけではアレなので、代わりに少将達の責任についても責め立てないように母に口添えすると伝えた。

 

 それでもかなり迷っていたが、私が傷口から流れ出す血を見せたら即答した。因みに万一にも後から約束破られたら困るので直筆のサインをしたためた承諾書を貰い、余り効果はあるかは分からないが「ありがとう!叔従母様!」と笑顔で甘えておいた。

 

 正直自分でやってて気持ち悪くてドン引きものではあるが、身内第一の我が叔従母にはそれなりに効果があったのか、どうにか手術・入院中に部下達が自裁させられる、という事態は避けられたようだった。代わりに以降のエル・ファシル攻防戦においてリグリア遠征軍団と戦闘した帝国軍が明らかに必要以上に激しい攻撃を受ける事になったが………まぁ、敵軍だからね、仕方ないね。そこまで配慮してやれん。

 

 結局、私の負傷の責任は少なくとも表向きは有耶無耶になった。強いて言えば同盟軍上層部にヘイトが向きオフレッサーに懸賞金が掛けられた事であろうか……前者については私に自由戦士勲章が授与された一因であり、後者については賞金を掛けた所でどうにかなる問題ではないのだがそこに触れてはいけないだろう。

 

 ……とは言え、表向き円満に処理されたが、あくまでも表向きである。内では色々問題が山積みなんだよなぁ………。

 

「………」

 

 私は自身を見つめて微笑む母を一瞥し、次いで傍の窓に視線を向ける。窓から見える空は晴れやかで、屋敷周辺の田園とその奥に見える山々の姿は麗かで雄大だ。だが今日一日の事を思い、私は既に朝から重苦しい気持ちとなっていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁヴォルター、あーんしてね?」

 

 小鳥の囀りのような美声が奏でられた。

 

「………」

 

 朝支度を終えた私は、本来するべき散歩もせずにそのまま幾人もの使用人と調理人が控え専属楽団が演奏を続ける食堂の長テーブルの前に座り込み、沈黙する。

 

「………」

 

 楽団が演奏を奏でる中、私は静かに視線を下に向ける。テーブルの上には純白のテーブルクロスが掛けられ、それが見えなくなる程多くの陶磁の皿に盛られた朝食の数々は私有地の田園で収穫された新鮮な作物を使用して作られたものだ。だが明らかに品目が多すぎる。これでは恐らく半分どころか三分の一も食べきれまい。

 

 そして視線を上に向ける。目の前にあるのは銀のスプーンに掬われたミルヒライスだ。昨年の秋に収穫された米を今日搾られたであろう牛乳と共に甘く、柔らかく煮込んでいる。

 

「ヴォルター?」

 

 スプーンを持つ白魚のような白い手に沿って視線を声の方向に向けて移動させる。そこには当然のようにニコニコと微笑む我が母がいる訳だが………。

 

「……母上、赤ん坊じゃないんですからやっぱり……喜んで頂きます」

 

 母の目が虚無ったので私は即答しながら母が手にするスプーンを咥えた。うん、美味しいね、嘘じゃないよ?

 

「うふふ、沢山ありますからまだまだ頂いて良いですからね?」

 

 澄んだ瞳で微笑む母が顔を若干ひきつらせる私の頭を撫でる。

 

「こんなに大きくなって……母は嬉しいですよ?貴方が産まれた頃は小さくて小さくて……平均よりも小柄なのに余り口にしない子でしたから随分と心配したのよ?」

 

 そういって昔の事を思い出したのか心配そうな表情を浮かべ頭を撫でていた手を私の頬に移動させる。

 

「けどこんなに立派に育ってくれて本当に嬉しいわぁ。ふふふ、本当に元気に、健康に、それに優秀に育ってくれて母は本当に満足していますよ?ただ………」

 

 そっと機械仕掛けの腕に母の手が触れる感触があった。痛覚こそないが疑似的な触覚自体は義手に埋め込まれているので、触る感触も触られる感触も肉の腕のように電気信号として脳に伝わる。それ故にその強く掴まれる感触に私は一瞬震える。

 

「大丈夫よ、ここは安全だから。貴方に辛い思いはさせません」

 

 私の怯えを感じ取ったのか(あるいは勘違いしたのか)、母は私の方を見て安心させるように慈愛の視線を向ける。そして優しく囁くのだ。

 

「ですからもう市民軍(危険な場所)に行ってはいけませんよ?」

「っ………!」

 

 そう母は警告する。本当ならばここで強く出るべきなのかも知れない。だが目の前の女性のその表情には私欲は一切なかった。本当に優しく、甘く、完全なる善意で、慈しみと愛情を持っていて……。

 

 故に私は喉元まで出る反発の言葉を吐き出せなくなるのだ。

 

「………」

「ヴォルター?」

 

 言葉が出ず、唯沈黙する私に微笑む表情を怪訝そうに変化させながら母は私の名を呼ぶ。

 

 私と母の間に生じる気まずい雰囲気を逸らしたのは食堂の扉が開かれる音であった。いや、より正確に言えば食堂に入室してきた者によって、か……。

 

「あっ!おかあさま……!」

 

 数名の女中を連れて食堂に姿を現した私の歳の離れた妹……今年で五歳になる……母親譲りの長い銀髪にふんだんにレースフリルを備えたロココドレスを着たアナスターシア・フォン・ティルピッツはまず母の姿を見て満面の笑みを浮かべ、次いでその隣にいる私を見やりその子供らしくぬくもりのある顔からさっと血の気を引かせて不安そうな表情に豹変する。

 

「あ……お……お…」

「ナーシャ?お兄様に朝の御挨拶は?」

 

 私を見つめ口ごもる妹に、しかし母のかける言葉は棘のある、高圧的なものであった。その態度に妹はショックを受けたような視線を向ける。

 

「………」

 

 もう何度も繰り返される朝の一幕ではあるが、未だに慣れるものではない。視線を逸らしてはそれはそれで問題になるので私はそのやり取りを見つめ続ける。

 

「お……おにい…さま……おはよう……ございましゅ……」

 

 途切れ途切れに、まるで肉食獣に怯えるようにそう答えると嫌そうに私の目を見つめる。私の返事を聞かなければならないのだ。

 

「……ああ。ナーシャ、お早う。空腹だろう?席に向かって構わないよ?」

 

 私は可能な限り優しく答えるが……意味ないだろう、この妹には私を怯える理由も嫌いになる理由も豊富過ぎた。

 

「はい……」

 

 一度俯き、その後母を見つめる妹は、しかし既に自身を見ず兄にばかり構うのを見て再度ショックを受けたような表情を浮かべ、弱弱し気に私と母から僅かに距離を取った席に座る。より正確に言えばお気に入りの女中であるダンネマン一等帝国騎士令嬢に椅子を引いてもらい、脇に手を回し持ち上げられて座らせてもらう。

 

 私は令嬢に視線で謝罪を伝え、憐れみと罪悪感を含んだ視線をナプキンをかけられる妹に向けた。

 

 彼女にとって現状は余りに不本意で、余りに理不尽な事であっただろう。私なんぞのためにこんな殆ど知らない別荘に移住させられ、しかも母に構ってもらえなくなったのだから。

 

 少なくとも表向きは誰も責める事が出来なくなった母は逆に私に異様なほど過保護になり、この私有地で殆ど軟禁に近い状況に置かれたのは先程述べた。

 

 その被害をある意味一番受けているのは我が妹である。唯でさえ臆病で甘えん坊であるのに母は私を守るためにハイネセンに向かう……帝国軍との戦況が悪化しておりアルレスハイム星系の安全も万全とは言えないため、事実父からの進言や亡命政府自体も一部で疎開が始まっているためでもあるが……ので妹も実家から離れたくなくても離れざる得なくなったのだ。実際泣きじゃくりながら実家を離れたという。

 

 見知らぬ星の見知らぬ別荘である。それだけで五歳児には不安であろう。その上母は殆ど面識のない上いつの間にか腕の無くなっている兄(らしき人物)に付きっ切り、それこそ朝の仕度から夜の就寝までずっとである。飾らない言い方をすれば、彼女にとって私は母を盗んだ諸悪の根源でしかない。

 

 私としても余り妹をぞんざいに扱わないように遠回しに母に伝えてはいるのだが……やはり母にとって伯爵家の跡取りであり、最初の子供という事もあって私の優先順位は妹より上のようだった。

 

 女中達の補助を受けながら五歳児にしては上品に、しかし寂し気に食事を取る妹。ちらほらと母の方を見ては悲し気に俯く姿は胸が痛む。

 

「若様、電報で御座います」

「えっ?あ、ああ……」

 

 母の相手をしつつ妹の心情を思っていたため、執事の呼びかけにギリギリまで気付けず僅かに狼狽える。皴一つない燕尾服に身を包んだ端正な執事が盆の上に一通の電報を載せ差し出す。

 

「母上、申し訳御座いません。少々お時間を下さい」

 

 そう謝罪して電報を取りその内容を見る。そして視線を母への戻し報告する。

 

「……母上、本日の来客は予定通りです。昼頃に訪問なさる筈ですので私にお任せを」

「そう、ヴォルターが言うなら仕方ないけれど……ここから出ちゃ駄目よ?」

 

 ここでいう出ては駄目、とは伯爵家の私有地という意味であろう。

 

「承知しております。母上も出迎えの御準備を御願い致します。……手を煩わすが使用人達にも歓迎の準備を命じてくれるか?」

「既に皆、準備を整えております。どうぞ御心配無きよう」

 

 執事は胸に手を添え、頭を下げてそう報告する。実際来客自体は数日前から手紙で連絡を寄越すが礼儀なので使用人達は前日から準備をしていた。電報はあくまで当日の確認に過ぎない。そうでなくともこの屋敷の使用人の半分以上は実家から母が連れて来た伯爵家使用人衆の特に優秀な者達で固められている。手抜かりなぞある訳がなかった。

 

 7月2日1400時……即ち午後二時頃、朝食を終え手紙の返事を書き、新聞を読み終えて礼服に着替え終えた頃、それは別荘の庭先に姿を現した。四頭立ての馬車が田園を横切る姿を侍女が窓から確認するとまず傍のソファーにいた母に耳打ちする。母が立ち上がると私も事態を把握し一緒に使用人を引き連れて部屋を出る。

 

 母が呼びかければ女中達に手を繋がれた礼服姿の妹は嫌そうな表情で私の下に連行される。

 

「さぁナーシャ、そのようにむくれた表情をするのはお止めなさい。我が家とお兄様に恥をかかせるつもりなの?」

「……はい、ごめんなさいおかあさま」

 

 母の叱責に妹は悲しそうに、そして拗ねたように答える。ダンネマン一等帝国騎士令嬢を始めとした女中達はそんな彼女を慰め、宥める。

 

「いいですね貴方達?これより御客人を迎えます。伯爵家の名誉のために皆粗相の無きように」

 

 玄関ホールで母が使用人達に宣言……というよりも殆ど命令に近い声でそう伝える。使用人達は一斉に「はい、奥様!」と答える。答えない選択肢なぞ元から無いのだが。

 

 そんな事をしている間に遂にその時はやって来た。玄関ホールのマホガニー材の扉が数回ノックされる。二人の使用人がそれに対応し、扉に歩み寄り恭しくそれは開かれた。同時に玄関ホールで客人を出迎える伯爵家の者以外、即ち出迎えの使用人達は役職や立場事に列に並び一様に頭を下げる。

 

 扉から現れた数人の人影を一瞥すると客人を出迎えるための高級ドレスに身を包んだ母がそのスカートを摘まみ上げ、宮廷風の挨拶を同じく宮廷帝国語で口にする。

 

「御待ちしておりましたわ、本日は我がティルピッツ伯爵家一同、男爵を御持て成しさせて頂きますれば、どうぞごゆるりと御寛ぎ下さいませ」

 

 その声を聞き、まずは客人の実家からここまでの出迎えの護衛を受け持ったダンネマン亡命軍大佐とファーレンハイト亡命軍中佐が端により主家一族に敬礼を持って返答する。次いで同盟軍からの目付役……という立場で客人と共に私に接触を図ってきた国防事務総局情報部所属、ヴィクトリア調の外套姿をしたフロスト・ヤングブラット大佐が現れる。トップハットを脱いで帝国貴族階級ですら満点を与えるであろう優美な宮廷帝国語で今日の訪問と出迎えの感謝の言葉を伝える。

 

 最後に形式上の本日の訪問客の主役が笑顔を浮かべて前に出る。帝国からの輸入品であろう上等な外套にその隙間から見えるのはこれまた上質な漆黒の燕尾服に蝶ネクタイ、装飾の施された杖を持ち、トップハットを被る老境の紳士は私を見ると意地悪そうな含み笑いを浮かべた後、母の方に視線を向けて帽子を脱ぎ、優美に頭を下げる。その所作一つ一つが明らかに洗練されており、老人の育ちの良さを伺わせる。

 

「ティルピッツ伯爵夫人、本日は宮中の末席を汚す私なぞの訪問のお許し頂けました事、真に光栄で御座います。此方、細やかな物ではありますが感謝の印で御座います。どうぞ御納め下さいませ」

 

 そういえば出迎えの使用人達が背後から客人の用意したのであろう幾つかの酒類を納めたらしき木箱を運んでいく。木箱に記された銘柄を見るに此方もフェザーン経由で輸入された帝国の高級銘柄であろう。

 

「……男爵、本日は良く御来訪下さりました。さぁ、細やかですが御茶の準備も整えております。どうぞ奥にお入り下さい」

 

 私は母から役目を引き継ぎ、使用人達と共に男爵を客間に案内するため口を開く。

 

「それはそれは、お手数をお掛け致します。因みに茶葉はいずこのものですかな?」

「アルト・ロンネフェルトですよ」

 

 私が答えれば男爵は今度は心から驚いたように僅かに目を見開く。

 

「ほぉ、これはまた大層な……この歳で、よもや二度と口にする事はあるまいと考えておりましたが……」

「アルレスハイムの土を使っているので男爵の召し上がった物とは僅かに風味が異なるかも知れませんが……そちらは御容赦下さいませ」

「いえ、構いません。楽しみにさせて頂きましょう」

 

 そう語り、私にだけ見える角度で含むような笑みを浮かべる紳士。私の貴族的な態度に笑いを堪えているようにも見える。残念だがそれあんたにもブーメランだからな?

 

「さて、では参りましょうか?」

 

 私はそう言って本日の客人、元銀河帝国宇宙軍大佐、現自由惑星同盟名誉市民、そしてケーフェンヒラー男爵家当主たるクリストフ・フォン・ケーフェンヒラー氏を迎え入れたのだった。



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第百二十九話 敬老精神を忘れてはいけない

 銀河帝国における爵位持ちの貴族、即ち『門閥貴族』と称される一族の当主とその家族は約四三〇〇家、総数一〇万人を数える。そして彼ら彼女らは銀河帝国における帝国『臣民』人口の〇・〇〇〇四パーセント、全貴族人口の中でも〇・二五パーセントにしか満たない帝国階級社会における隔絶した特権階級を構成している。

 

 その『門閥貴族』の内、最大の比率を占めるのが男爵位である。四三〇〇家ある門閥貴族の七割以上がこの男爵家に類する。

 

 門閥貴族の大半を占めるだけあって男爵家の実態は最も多種多様だ。帝政成立以来の名門から成り上がりの平民が天文学的な寄付と功績で爵位を買った例、ド田舎の一郡の領主から大貴族の代理として惑星一つを統治する例、領地すら持たず大企業や傭兵団を所有している例などなど、中には帝室の血を引いていたが故に地方の男爵家の子息が養子として皇太子となり皇帝に即位した事例まである。

 

 男爵位を得た例で最も多いのは帝国騎士や従士等の下級貴族が爵位を得た場合だ。オフレッサー家のように数百年かけて士族から従士、帝国騎士と階位を進めその軍功で帝室より小領を下賜される例、富裕市民が金で帝国騎士の立場を買った後無人の惑星や鉱山を開拓、あるいは人工天体を建設し食い詰めた貧民等を入植させ領地として帝国に認められた例、一定以上の規模まで企業を成長させそれによる献金と経済的貢献で認められた例等がある。

 

 二番目に多いのは大貴族の分家であろう。当主の同母兄弟等が本家が有する領地の一部を代理統治するよう命じられた場合は領地と本家を繋げた家名を、新しく領地を一から開拓した場合はその土地に合わせた新しい家名を名乗る(尤も、これが妾腹や末っ子の場合は大抵爵位も領地も得られず屋敷や荘園付きの上等帝国騎士となる)。

 

 原作の人物、たとえばフレーゲル男爵であれば、正確にはブラウンシュヴァイク公爵家の分家であり一〇代前に惑星フレーゲルを開拓したフレーゲル侯爵家の、更に分家筋となるブロイツェム=フレーゲル男爵家の当主である。シャイド男爵家の場合は、正確には無人惑星ヴェスターラントの一部を開拓、シャイド郡と命名し統治するブラウンシュヴァイク公爵家の分家であったが、後にシャイド郡以外の惑星の大半が『ブラウンシュヴァイク公爵家領ヴェスターラント』として本家の領地になった際に、男爵家が本家の代理として惑星全域の管理も任されたので家名と惑星名に差異が生まれている訳だ。

 

 尤も、これを野放しにしては際限なく分家が増えるので、家紋と家名を管理し貴族年鑑を発行する典礼省も簡単には分家設立を認めない。分家設立のためには多額の献金が必要であり(特に男爵位以上の門閥貴族としてのハードルは高い)、多くの場合は親戚や従士家等の養子や入り婿に捻じ込まれる。

 

 三番目に多い……というよりも最も少ないのが建国期、特にルドルフ大帝及びジギスムント一世時代に爵位を与えられた男爵家だ。当然ながらその長い歴史から男爵家の中では最も権威がある部類である。カスパー一世時代にエックハルト伯爵を粛清したリスナー男爵家、不良中年の本家に当たるシェーンコップ男爵家がこれに当たる。元々この時期に爵位を与えられた家の絶対数が少なく、また昇爵ないし断絶した家々も多いためこの出自の男爵家は希少だ。

 

 また、一代貴族として準男爵と言う地位もあるが、これは待遇や宮中席次こそ男爵位と同等であるが領地も利権も付属せず、世襲も出来ない地位である。下級貴族、平民に対し、一時的に門閥貴族と同等の立場で宮中への出仕や社交界参加を許すために用いられる。主に学者等の専門家等が授爵される事が多い。

 

 凡そ三二〇〇家前後あるとされる男爵家の内、前述のように建国期から続くのは四〇〇家余りだ。彼らとて流石に伯爵家以上の大貴族相手となれば新興であっても下手に出ざるを得ないが、同じ男爵家の中ではぽっと出の家々と同じ扱いをされるのを嫌う者も多い。爵位持ちというだけでも平民から見れば雲の上の存在であるが、上は上で細々とした上下関係が存在するのが帝国社会である。

 

 ケーフェンヒラー男爵家もその一つだ。有象無象の男爵家とは訳が違い、開闢はジギスムント一世時代末期であり、辛うじてではあるが建国期から続く最も古い門閥貴族家の一つに分類される家柄だ。二一代、四〇〇年以上続いており、その間に学芸尚書一名を含む幾人かの政府高官を輩出している。

 

 そのケーフェンヒラー男爵家の末裔クリストフの経歴もまた、少なくともその前半生はエリートに相応しい煌びやかなものであった。

 

 宇宙暦717年帝国暦408年に出生したケーフェンヒラー男爵家長男クリストフは、オーディン五大大学の一つ、ジギスムント一世帝立大学にストレートで入学し、行政学を専攻。卒業と共に、これまた難関で知られる帝国高等文官試験を当然の如く合格し内務省の上級職、所謂キャリア官僚として採用された。

 

 内務省と言えば国務省、財務省に並ぶ重要国衙である。そこに採用されたとなれば当時どれだけ彼の将来が期待されていたか分かろうものだ。私生活の面でも老境の父から領地経営に専念するため爵位を譲渡され、また一二歳の時に婚約し長年文通等を重ねていた某男爵家の令嬢と結婚式を挙げた。傍から見れば公私とも順風満帆の人生を送っているように見えた事であろう。

 

 しかし二三歳の時、結婚して数年も経たずに彼の人生に破局が訪れた。妻が名門の某伯爵家に連なる少壮の建築家の下に駆け落ちした。これは彼にとって人生の終わりに近かった。

 

 これまでも散々語って来たが、帝国貴族は面子が大切だ。妻を寝取られたなぞ醜聞にも程がある。手袋を投げつけて決闘で相手を撃ち殺さなければ周囲から白い目で見られる事になるだろう。二〇〇万帝国マルク程度で諦める事なぞ出来ない。出来る訳がない。

 

 だが相手が悪すぎた。寝取り男の実家が内務省の局長職、即ち上司と来ていた。爵位が上でしかも上司である。決闘すれば確実にキャリアは終わり、それどころか相手は決闘を嫌がってのらりくらりと逃げる始末。いや、もし決闘を申し込む事に成功してもきっと相手は代理人を雇ってくるだろう。文官たる彼は決して剣も銃も心得は人並み以上の物ではない。暗殺も請け負う汚れ仕事専門の決闘士にどさくさに紛れて撃ち殺されるのがオチだ。寝取り男と差し違える事すら許されまい。

 

 その間にも職場における彼の立場は日に日に悪化の一途を辿る。だからといって、手を引けば二〇〇万帝国マルクで妻を金で寝取られた男としてこれまた一生笑われる事になる。どの道を行っても未来はない。これ程の理不尽はないであろう。

 

 止めは妻が寝取り男の子供を出産したと知らされ、元々挫折の経験の無かった坊ちゃん気質のエリート官僚は遂に神経が焼き切れたらしい。殆ど自暴自棄で内務省を辞め幹部候補生として士官となった。昇進すれば寝取り男に対抗出来る立場が手に入り、戦死しても一族の名誉を守れる、という訳だ。

 

 そして二七歳の時に第二次ティアマト会戦に参加し捕囚、以降タナトス星系惑星エコニアの捕虜収容所にて四三年間一介の捕虜として保険も使わず帰国もせず、亡命政府にも下らず趣味に生きて来た。そしてそのまま辺境の独房の中で人知れず死去する筈であったのだが……。

 

「いやはや、人生というものは予測出来んものだな。まさか四三年間過ごしてきたマイホームを今更追い出されるとは」

 

 使用人達を人払いした田園風景を見下ろす事の出来る三階のバルコニー付きの客間、その貴賓席のソファーに深く腰掛け、ティーカップに注がれた紅茶の香りを楽しみながら肩を竦めて見せるのは件の男爵である。その目の前には多くの料理が置かれたティースタンドとティーセットが置かれており、客間に滞在する男爵達をもてなしていた。

 

 宇宙暦788年11月に発生した『エコニア騒乱』にて同盟軍に対して事態収拾の協力をした事で、ケーフェンヒラー男爵は図らずも恩赦により収容所釈放と同盟市民権付与、並びに退役大佐格での年金受給権を受け、収容所から蹴り出される事になった。

 

 以降、男爵は少なくとも表向きは善良な同盟の一市民としてハイネセンポリス郊外の政府運営の賃貸住宅に居住、亡命政府等とは距離を置き、国立図書館の利用や学術研究に精を出している……事になっている。

 

「余り含みのある説明は止めてくれんかね?まるで儂が小狡い悪巧みでもしている悪党みたいではないか」

「違うと?」

「少なくとも儂から売り込んだ訳ではあるまいに」

「その割には随分と楽しそうにご参加なさっていると御聞きしますが?」

 

 男爵の表の顔は善良なる年金生活者、裏の顔は国防事務総局と契約中の外部顧問官である。既に四〇年以上前に捕虜になったとは言え貴族・官僚・軍人の全てを経験し、その全てでエリート街道を進んだ男爵の能力を見込んで……という事もあるが、それ以上にジークマイスター機関を始めとした各種研究資料からその分析能力を買われて半分程無理矢理参加させられたのが実態である。

 

 しかし態度こそ嫌そうに振る舞っているが、いざ実務となると意外な程積極的に帝国情勢についての研究と助言に精を出しており、同盟の対帝国政策の策定にかなり深い所で協力していた。……とまぁ、これも国防事務総局が亡命政府向けに作り上げたカバーストーリーである。

 

 もちろんそれも事実ではあるが、男爵の真の役職は更に別にある。尤も、本日の訪問における男爵の役目は名目上の主客であり、母を始めとした屋敷の者達の注意を引くためのダミーに過ぎない。実際の私の目的はヤングブラッド大佐である。

 

「それはそうとティルピッツ大佐、一度手紙で伝えたが改めて祝辞を述べておこうか?先日の昇進と勲章おめでとう」

 

 国防事務総局から送られたケーフェンヒラー男爵の付き添い兼監視役、という表向きの立場でここにいるヤングブラッド大佐は、私の礼服の胸元に装着された自由戦士勲章を一瞥した後微笑みを浮かべる。

 

「御祝いの御言葉大変痛みいりますヤングブラッド大佐、悪いが嫌味に聞こえるな」

 

 学年首席殿の反対側の椅子に座る私は何とも言えない表情を作り上げる。自身の功績を否定する訳ではないが、受勲の半分位は政治的な配慮であるだろうし、それ以前に同じく先日の遠征で軍功を上げて昇進した彼に言われるとむず痒くなる。

 

 フロスト・ヤングブラッド宇宙軍中佐は宇宙暦790年2月1日付けで宇宙軍大佐に昇進した。それは決してコネでも学年首席の肩書によるものでもない。

 

 一大反攻作戦『レコンキスタ』においてヴォード元帥麾下の総司令部に勤めていた彼は、エル・ファシル地上戦における12月8日の帝国地上軍の攻勢とそれによる指揮系統の混乱の収拾に尽力、その迅速な混乱の鎮静化を評価されての昇進だ。因みにこの時実際に通信情報の整理の実務に携わったスコット大尉は2月20日を以て少佐に昇進、統合作戦本部の情報部所属と栄達した。

 

 最前線で戦う事こそないために碌に勲章なぞ無いが、ヤングブラッドの場合は逆に派手な戦功が無くても昇進出来るだけの実力者だと言える。いつもミスをしてギリギリで周囲に迷惑をかけながら帳尻を合わせる私とは大違いだ。

 

「そう自虐する事でもないと思うけどね。同盟軍は無能者を大佐に引き立てる程腐敗した組織じゃないよ?まして……」

 

 と手袋をした私の右手に一瞬視線を移し、ヤングブラッドは言葉を続ける。

 

「まして祖国のために犠牲を払った者を称えこそすれ、それを嘲るなんて有り得ない。……少なくとも私はそんな人物は軽蔑するね。だから遠慮なく自身の軍功を誇ってくれても構わないよ?」

「余りおだてないでくれよ、本気になって木に登ってしまいそうになる。……それで?今度は誰を紹介して欲しいんだ?」

 

 ティースタンドに置かれたアプフェルシュトゥルーデルに手を伸ばし私は尋ねる。お前さんが私をおだてる時は利用する時って事位理解しているよ。

 

「話が早くて助かるよ。彼らに便宜を図ってほしくてね」

 

 何とも言えない困り顔で笑みを浮かべた後、学年首席殿はそういってメモ帳を取り出すとその一番上のページを破り差し出す。ページを受けとれば、そこには帝国文字により記入された役職と人名が羅列されている。

 

「航空軍防宙司令官、装甲擲弾兵副総監に宇宙艦隊副参謀長、軍務省法務次長、統帥本部作戦課長……ねぇ」

 

 どの役職に就いている者も私の親族やその縁者の貴族、臣下、友人に連なる人物である。この面子に伝手を打診するとなると……。

 

「今のままでは戦局は難しい、と?」

「楽観視は出来ないのは確かだよ」

 

 私の質問に何ともいえない表情を作るヤングブラッド大佐。

 

 同盟軍の一大反攻作戦『レコンキスタ』において同盟軍は帝国軍に打撃を与え占領地を奪還し勝利した……という事になっている。いや、確かに勝利したのは間違い無いが、それは作戦全体を通じての事である。

 

 多くの占領された有人惑星のあった主攻たる第10星間航路、搦め手を投入した第4星間航路において同盟軍は圧勝し、その全ての占領地の奪還に成功した。そう、『エル・ファシル陥落以降に制圧された全ての占領地』をだ。

 

 言葉のマジックである。そもそも第四次イゼルローン要塞攻防戦後、帝国軍は報復として大軍による侵攻を開始し、同盟軍は押されていた。『レコンキスタ』はエル・ファシル陥落前に作成された反攻作戦を修正・大規模化したものだ。即ち『レコンキスタ』成功以降もエル・ファシル陥落以前に占領された国境星系の大半は帝国軍の手にある。

 

 まして、第16・第24星間航路における戦闘は主攻に比べて規模は小さく戦局全体への影響は限定的であったものの、その方面に展開している部隊にとっては死活問題だ。万年泥沼の戦いが続く第16星間航路は痛み分け、亡命政府がある第24星間航路に至っては惜敗している。この方面の同盟軍を率いていたスズキ中将は小惑星帯にて帝国軍の待ち伏せ攻撃を受けて戦死していた。無論第四次イゼルローン要塞攻防戦を始め数々の会戦に参戦して軍功を重ねてきた中将は無能からは程遠い。

 

「情報では帝国軍はアルレスハイム方面の戦力を大規模に増強させつつあるそうだよ」

「増強ね、規模は?」

「推定では宇宙艦隊を四〇〇〇から五〇〇〇、地上軍を五〇万から六〇万とされている。戦況自体では更なる増強もあり得るとの事だよ」

「それは流石に厳しいな」

 

 それだけの戦力を増強するとなると単純計算で正面戦力は倍になったに等しい。亡命軍の正規戦力が艦艇五〇〇〇隻前後、地上軍一〇〇万余り、しかも各地の戦線に分遣しているので実際はもっと少ない。特に宇宙軍の装備は旧式が多い、地の利と練度を加味しても戦況は厳しいだろう。

 

「同盟軍は?人口過密なアルレスハイムの防衛を放棄なぞ流石に有り得ないだろう?」

 

『レコンキスタ』発動前に難民化した有人惑星の市民の総数とアルレスハイム星系政府の総人口はほぼ同等に等しい。国境有人星系にてヴァラーハを超え、シャンプールに匹敵する人口を保持するアルレスハイム星系の放棄は有り得ないし物理的に困難、故に同盟軍にとっては援軍を送る以外に選択肢なぞない。本来ならば無理をしてでも増援を派兵する筈だ。

 

「うーん、悪いけど今は余り中央に頼って欲しくないんだけどなぁ……」

 

 しかし学年首席は私の指摘に対して申し訳なさそうに難しい顔を浮かべる。

 

「あるとすれば……金の問題か?」

「中央の反戦派も動いてるね、辺境が連動していないのはマシだけど」

 

 同盟軍にとって十本の指に入る大規模作戦『レコンキスタ』に投入された兵力は約一七〇〇万、原作の帝国領侵攻作戦に投入された戦力の半分以上である。しかも出征期間は半年に及び、その間国境から流出した一億近い難民を一年以上養ってきたのだ。現在はその帰還事業と復興事業も開始中だ。正直、同盟財政は相当疲弊した筈だ。財政委員会からすればここ一、二年程度は大規模な軍事作戦を実行したくないのが本音だろう。

 

 そして財政委員会と同等、あるいはそれ以上に第24星間航路への大規模な派兵に反対するのが反戦派、正確には中央宙域の反戦派だ。

 

 与党『国民平和会議』は非戦派から主戦派主流、即ち中道派から右翼(と一部の極右)に名を連ねる諸政党連合である。主な支持基盤はハイネセン・ファミリー等の旧財閥に国境の旧銀河連邦植民地、亡命帝国人等だ。無論、主戦派の中でも極右の大半は国力の許す限りの戦闘のみを認可し現状維持を優先する『国民平和連合』と敵対している。

 

 主戦派がそうであるように反戦派も一枚岩とはいかない。限りなく中道に近い非戦派政党はあくまでも防衛戦争に限定して出征を認可する立場にあり、ホアン・ルイの所属する労働党やジョアン・レベロの所属する自由市民連合等は表向きは「与党内で主戦派の動きを掣肘する」と言う体裁を取る事で『国民平和会議』に加盟し極右・極左野党と対立している。明らかに反戦的であったあの二人が原作の最高評議会議員に在籍していた理由でもあろう。

 

 これら中道反戦派(非戦派)より左側を原作で言うところの、そして同盟政界における狭義の意味での『反戦派』と呼ぶ。この反戦派勢力は反同盟武力抗争をも辞さない極左分離独立派を除けば大きく二大組織に大別出来よう。

 

 比較的穏健とされる二大反戦政党の一つが中央宙域に勢力を有するジェイムズ・ソーンダイク議員を代表とする『反戦市民連合』であり、もう一方が辺境域に基盤を持つベンジャミン・カベル議員を暫定代表とする『分権推進運動』である。彼らは比較的『話せる』反戦派だ。

 

 『反戦市民連合』は感情的理由もあるとしても、少なくとも現実的な理由としては経済的理由を背景に反戦・対帝国講和を世論に訴える。一五〇年に渡り続く戦争による軍事費が同盟に負担をかけているのは事実であるし、それが既得権益と化しているのも、選挙のために軍事行動が引き起こされているのも事実である。

 

 停戦による国防のための最低限度までの軍備削減、それによる遺族年金や人件費の削減を以て経済発展と福祉に充てるべき、というのが『反戦市民連合』の主張だ。フェザーンを介さない直接貿易による利益も魅力である。支持者は戦死者遺族は勿論として星間交易商工組合やハイネセン・ファミリー等の旧来派閥と繋がりの薄い大都市部の新興企業・富裕層である。彼らにとって戦争は国境で起きる『他人事』であり、その負担を背負いたくはないのだ。

 

 正直不純な理由に聞こえるだろう。正確に言えば、政財界での立場が強くない戦死者遺族達が議会での発言力を得るために、旧来の主戦派に対抗するためにはそういう政治方針を提示して新興勢力や星間交易商工組合を取り込む以外選択肢が無かったのだ。

 

 『分権推進運動』は反戦派としては『反戦市民連合』よりも古い歴史を持つ。元々は旧銀河連邦植民地惑星における反同盟勢力穏健派が『607年の妥協』後に結成した政党である。帝国との接触以前は同盟加盟国の自治権拡大を、帝国接触後は同盟中央政府の対帝国外交方針に事あるごとに異論を挟んできた。

 

 彼らにとって帝国と同盟の戦争は他人事である、というよりも、帝国も同盟も同じく余所者で圧政者であるという認識を持っているらしかった。『戦争するならば勝手にするがいい。だが我らの若者と税金を供出する理由がどこにある?』という事だ。惑星によっては帝国と直接交渉して自治領化を図る惑星すらあるという。

 

 ダゴン星域会戦からコルネリアス帝の親征までの間には同盟国内の和平派として特に勢力を誇っていたが、そのコルネリアス帝の親征による惨禍により協力関係にあった国境星系の多くが親同盟派に、また資金面で協力関係にあった星間交易商工組合が『反戦市民連合』に鞍替えしたため、現在はその勢力の多くを削られている。皮肉な事に、コルネリアス一世の同盟侵攻はダゴン星域会戦以来幾度にも渡り揺れ動いていた同盟国内の対帝国外交方針を主戦派有利に至らしめた側面があった。莫大な人命と国土の荒廃と引き換えではあるが……。

 

 尤も、そういう歴史的経緯から『分権推進運動』は逆に言えば今でも主戦派の国境星系との繋がりも深いため、場合によっては与党も政治的配慮しなければならない場面も存在する。星系警備隊の対帝国戦争への動員が困難なのはその一例だ。

 

 このうち、現在更なる国境宙域出征に反対しているのは『反戦市民連合』である。『分権推進運動』も本音では『反戦市民連合』同様国境出征に賛同はしていないが、各国境星系政府との繋がりが深いために沈黙している。だが彼らは違う。

 

『レコンキスタ』でこそ多数の難民が中央宙域に流れる事を危惧して出征に積極的に反対しなかったが、それにより多くの航路の交通が停滞したし、財政的な負担も大きかった。中央宙域の新興富裕層や星間交易商工組合にとっては愉快な事ではなかっただろう。

 

 それに帝国的価値観を維持する亡命政府は当然の如く反戦派・主戦派問わず戦死者遺族からは疑念の視線を向けられている。亡命政府自体がガチガチの主戦派な事もあり既得権益に懐疑的な反戦派戦死者遺族からの印象は最悪に近い。彼らからすればそんな奴らのために何故出征しないといけないのか?というわけだ。

 

 党首たるソーンダイク議員は人間的に劣悪な人間ではない、寧ろ高潔で公平で温厚な人物だ。それでも支持者とスポンサーの意向に逆らう訳にはいかなかった。スポンサー達が財政員会・人的資源委員会・経済開発委員会等の政府の出征消極派に接触し、主戦派や国防委員会の再度の出征計画に反発していた。

 

「今年中にアルレスハイム方面に派兵出来そうなのは最大限見積もって一個分艦隊に二個軍団と言った所かな?『レコンキスタ』では地方部隊も相当投入したから辺境航路の治安も悪化した。しかも帝国軍が海賊に武器を提供して重武装化が進んでいる。そちらの対処も忙しくてね」

 

 反戦派としてはスポンサーの意向もあり正規軍の派遣は対帝国戦よりも航路警備にこそ行うべきという訳だ。難民と『レコンキスタ』による物価の上昇と新税導入もあり、政権支持率は戦勝にも関わらず停滞している。市民感情と財源の両面で対帝国方面の更なる軍事行動は難しい。そうでなくとも『レコンキスタ』における星系警備隊の部分動員で『分権推進運動』に借りを作ったので余り反戦派への強硬策は使いたくない。

 

「だから私のコネ、か」

 

 同盟軍だけではどうにもならない、ならば亡命政府軍との連携を強化するしかない。唯でさえコミュニケーションを取るのに苦労するのに帝国軍が迫り気が立っている。過激派は本土決戦を連呼し聞く耳を持たない。同盟軍からすればせめて星系政府施政領域の外縁部のみでも疎開して欲しいのが本音であり、私を通じて亡命政府軍幹部も個別にかつ個人的に接触して説得したいようだった。

 

「君の御父上は戦線の縮小には賛成のようだしね。此方とすればアルレスハイムは兎も角、それ以外の人口希薄な幾つかの星系を疎開してくれるだけでもある程度縦深を確保出来て助かる」

 

 同盟軍人としての経歴もある父は同盟軍の提案する人口希薄な亡命政府施政領域外縁部の放棄には一定の理解は示している。だが父一人では亡命政府軍全体の意見調整には限界がある……というよりも寧ろ父の場合宮廷の方を言いくるめる必要があった。

 

 施政領域外縁部は人口数万から十数万程度の鉱山や人工天体、ドーム型都市ばかりであるが、当然そこを治めている小諸侯がいる。代々開拓し統治する領地を放棄しろ、と言っても簡単に応じてくれる訳がない。放棄するくらいなら帝国軍に徹底抗戦してやる、と叫ぶ者もいるだろう。

 

 そうでなくても敵前逃亡は恥とする意識がある。宮廷工作で皇帝から直々に勅命を引き出さなければならないし、当然皇帝とて好き勝手出来る訳でもない。防衛方針でほかの軍部重鎮や閣僚との意見対立もあり、父はそちらに対応しなければならなかった。

 

 故に、父のルートからの軍部の重鎮へ接触の斡旋を求めると負担をかける事になりかねないので、代わりに同盟軍上層部は私の名前をこき使いたいらしい。

 

「紹介はする、だが説得(接待)はそちらでどうにかしてくれよ?」

「構わないよ、それくらいは此方でどうにか出来る。時間さえ稼げれば反戦派を切り崩しフェザーンからの借り入れで資金は確保出来るからね」

 

 約二〇年前のクレメンツ大公亡命未遂事件で帝国軍がフェザーンに圧力をかけて以来、フェザーン自治領主ワレンコフは親同盟政策を推進し、超低金利による同盟政府への資金貸付や同盟軍・フェザーン治安警備隊・フェザーン民間防衛企業連合(FPMSCs)による共同演習等で帝国を幾度も牽制、イゼルローン要塞建設時には資材を買い占める事で市場価格を大幅に吊り上げ要塞計画の規模縮小すら強要していた。

 

 更にフェザーン保守派(中立派)も勢力均衡政策のためにワレンコフ派と手を結ぶ可能性は高く、そこに同盟から手を回せば資金調達は不可能ではない……といいんだけどなぁ。所詮八方美人のフェザーンだしなぁ……。

 

「やれやれ、最近の若者は冷たいものだ。か弱い老人を置いてきぼりにして政治談話に耽るのだからな。そんなに長々とお喋りするのなら接待の一つでもしてくれたら良いものを。一応、此度の主客は私なのだぞ?」

 

 話が一段落ついた所で、これまで胡瓜のサンドイッチを食べながら私達の会話を楽し気に聞き耳していたケーフェンヒラー男爵はくくく、と愉快そうに笑う。

 

「隠れドルオタ男爵様なんかに言われたくないんですけどねぇ」

 

 私の方はそんな男爵にげんなりとした表情で指摘する。本来ならば一年半程前に死んでいても良い筈のこの老人が健康そうにいるのは何故なのか?

 

 一応私なりに原因を幾つか考えたが、恐らく一番の理由は……到底信じがたいが……ドルオタに目覚めた事だ。え?何言っているか分からない?安心しろ、私もだよ。

 

 エコニア捕虜収容所にてどこぞの銀河の妖精にドハマりしてから健康に気を使うようになり、次いでに活力が湧いてきたそうな。収容所の医療機関も積極的に使い体調にも気を付けているという。お陰様で今でも健康そのものだそうで、んな馬鹿な。

 

「おいおいお前さん、儂をロリコンか何かと勘違いしているのではないかね?」

「違うのですか?」

「そりゃあまた、酷い風評被害な事だ」

 

 心外だ、とばかりに再度低い声で笑う男爵。何が楽しいのだか。

 

「そりゃあ興味深いものさな。帝国貴族社会の名家中の名家の坊ちゃんが『反乱軍』の指導者層の縁者とため口を利いて、談合と密談をしているのだからな?」

 

 白い顎鬚を撫でながら本当に興味深そうに『観察』するケーフェンヒラー男爵。私は研究対象では無いのですがねぇ?

 

「別に可笑しくはないでしょう?そもそもそうしなければ銀河帝国亡命政府(我々)は今日まで生き残れてはいません」

 

 同盟国内でリアル帝国ごっこを興じているのだ。周囲からのヘイトは正直笑えない。それでも表向きは尊大にしつつも裏では同盟政財界の諸勢力とギリギリの交渉と妥協を重ねて今日の地位を築いてきたのだ。その苦労位分かって欲しいのですがね?いや、この程度の密談なぞまだまだ同盟政財界の長老連中からすれば若手将校に任せる程度の『子供の遊び』でしかないのだろうが……。

 

「成程ごもっともだ。そして密談の場を作り出すためにこのか弱い老人を引き摺り出してこき使おうと言う訳かね?やれやれ、お前さんら、もう少し老人を敬っても良かろうに。儂をエコニアからハイネセンに送迎した士官らはもう少し謙虚で敬老精神があったぞ?」

 

 呆れ気味に語るケーフェンヒラー男爵。名目上は私が国防事務総局法務部に所属していた際に面識を得た男爵が私の見舞いを兼ねた数日の訪問に来た体裁であるが、御分かりの通り実態はヤングブラッド大佐と直接会うための言い訳役である。

 

「それは心外ですね、私も敬老精神豊富ですよ?コンサートチケットを並んで購入したのは誰だと思っているのですか?」

 

 銀河の妖精な小娘のハイネセンスタジアムコンサートの最前列席チケットを買うのにどれだけ並んだと思ってやがる!

 

「私もティルピッツ大佐と同感です。男爵の自宅の斡旋も、各種手続きも御協力して、挙げ句に図書館の案内までして差し上げたのですよ」

 

 ヤングブラッド大佐もどこか芝居がかった口調で私に賛同を示す。私と違い本気で文句を垂れている、というよりは冗談に乗っているというべきであろうが……学年首席のガリ勉の癖してジョークに相乗り出来るとは羨ましい限りだ。

 

「利害関係で繋がっとるだけの癖に老人を虐める時だけ結託するなんて。全く……」

 

 肩をすくめ嘆息するケーフェンヒラー男爵。「あの若造に会ってから儂の老後が急に騒がしくなってしもうたな」とぼやく。

 

 だが良く見ればその不満気な言葉とは裏腹にその表情は、確かに老後の暇潰しを見つけた、どこか意地の悪く楽しげな感情を浮かべていたのであった。

 

 

 

 

 

 その日の晩餐は客人が来ている事もあり当然のように豪華であった。というよりも亡命したとはいえ帝国開闢以来の名家が粗末な料理を客人に振舞うなぞ論外であったのだ。先日の戦で少なからずの臣下を失ったとは言え別に伯爵家の財政は傾いていないし、仮に傾いていたとしても見栄を張って同じように御馳走を用意した事だろう。それが帝国貴族と言うものだ。

 

 私有地の放牧場から育ちの良い子牛が一頭潰して献上された(させた)。スープはその子牛から出汁を取ったクラーレ・リントズッペ(ビーフコンソメスープ)であり、メインのターフェルシュピッツにも利用される。魚料理は近場に海がないので養殖された鯉の赤葡萄酒煮が、サラダには春なので採れ立てのアスパラガス等が提供された。添え物のパンは当然邸の竈の焼き立てだ。それらは当然の如く白磁と銀の器に盛られている。御供の食中酒は透明に輝くグラスに注がれる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「いやはや、実に美味しい食事ですな。全て此方の荘園で?」

「そうですわ男爵。辺鄙な場所ですけれどこの辺りは自然が豊かで土地も肥えておりますから作物も家畜も良く育つそうです。……療養にも合いますしね?」

 

 ケーフェンヒラー男爵の賞賛に答えた後、にこりと私の方を向いて慈愛の笑みを浮かべる母。ちょっとそこでこっち向くの止めてくれません?

 

「池もありますし、狩猟園もありますよ。ご興味が御有りでしたら釣りなり狩りなり御供致しましょうか?」

 

 ナプキンでソースで汚れた口元を拭き、何気ないように私は提案する。内心は打ち合わせ通り食いつけやゴルァ!!であるが。

 

「ほぅ、それは興味深いですな」

「ヴォルター、気持ちは分かりますけどまだ怪我は……」

「問題ありませんよ。護衛は連れていきますし、そもそもこの荘園で危険なぞ有り得ないでしょう?それに客人たる男爵が御望みならばそれに同行するのが歓待する側の役目ですよ」

 

 やんわりと母が制止しようとする前に私は機先を制する。別にこの私有地から逃げはしませんよ。……今はね?

 

「ですが……」

 

 尚も納得しかねる表情を作る母。まぁ、こういう時の対処法は理解しているけどね。

 

「そう心配なさらないで下さい。それよりも母上のために(・・・・・・)出来るだけ大物を持ってきますのでどうぞ明日の晩餐は楽しみになさって下さい」

 

 私が屈託なき(ように演技した)笑顔を向ければ私を溺愛する母もこれ以上は追求出来ない。いや、溺愛するからこそ追求出来ないというべきか。正直純粋無垢な笑顔でこんな事を口にしているが鏡に映る自分の姿を見れば即吐く自信があるね。私何歳だよ?

 

「だけど……いえ、分かりました。ですがきちんと気を付けて下さいね?ここなら安心ですが母は心配です」

「……分かりました、母上」

 

 私は深々と頭を下げる。内心で過保護過ぎる母に反発と不快感があるのは事実であるが、それ以上に私の中では罪悪感が強いのが正直な所であった。実態は兎も角も母の私を心配する気持ちは本物であるし、幾度も怪我をし、逆らい、心労を与えて来たのもまた事実であるのだ。

 

 特に貴族の妻としては死産と流産を経験し、相当辛い思いをした筈だ。単純な精神的ショックだけではなく、分家はあるにしても伯爵家の直系は父だけであり母には男子を産む義務があった。漸く産まれた私が何度も死にかけられたら一族内での立場がどれだけ難しくなるか分かろうものだ。その点では母がこうなっているのは半分程度は私の失態だった。

 

 ………とは言え、母の望み通り安全な場所で安穏としている訳にはいかないのも事実なのだが。

 

「モカ(ブラック)で構わないよ」

 

 メインを食べ終わると、使用人達がデザートと共にする飲み物について尋ねていく。客人たるケーフェンヒラー男爵に付き添い役のヤングブラッド大佐、それに私や母は当然のようにブラックの珈琲を注文する。

 

 妹だけはメランジェ(ブラックコーヒーとクリーミーミルクを半分ずつ淹れた物)にシュラーグオーバース(ホイップクリーム)をたっぷりと乗せたものを寄越させる。尤もこれは非難出来まい。五歳児にモカなぞ飲める訳がない。

 

「こちらデザートになります」

 

 厨房のパティシエが直々にデザートの盛られた白磁の皿を給仕していく。荘園で収穫された果物とチョコレートのトルテ、そこに同じく新鮮な牛乳と鶏卵で作ったホイップとアイスが添えられる。そのほか冷やした幾つかの果実も切り分けられている。

 

 晩餐会中不機嫌か詰まらなそうにしていた妹が漸く笑みを浮かべていた。女子が甘い物好き……というのは偏見であるかも知れないが、少なくとも子供が甘味好きである事は間違いない。

 

 ふと、私の視線に気付いたのだろう。妹は私の方に目を向ける。そして同時に笑顔だった表情は凍り付き、次いで気まずそうに俯き静かに食べ始める。

 

(……またやってしまったな)

 

 私が見ているのを不機嫌そうにしていると勘違いしたのだろう。折角の妹の楽しみをふいにしてしまった私は後悔する。やはり余り彼女に関わらない方が良いのだろうか……?

 

 私は母やケーフェンヒラー男爵、それに付き添いのヤングブラッド大佐とのたわいない世間話に戻る。デザートを食べ終え、珈琲を飲み終えて暫くすれば母が空気を読んで妹を連れて退席する。ここからは紳士だけの時間と言う訳だ。喫煙者がいれば食堂で吸い、それを終えれば撞球室でアルコールと共にビジネスや世間話、政治談話を語り合い、賭け事やゲームに興ずるのがマナーだった。

 

 とは言え、私もヤングブラッド大佐も遊びで来た訳ではないし、ケーフェンヒラー男爵も健康に気を付ける身であり喫煙は控えている。私は執事に図書室から幾らかの本を撞球室に持って来させるようにした。正直男爵にとっては賭け事よりもそちらの方が喜ばれるであろう。

 

「ダンネマン大佐、ファーレンハイト中佐。卿らも来ると良い。労を労いたい」

 

 食堂を出てすぐの廊下で敬礼をしながら控えていた両帝国騎士の食客を私は誘う。明日出掛ける時の護衛にも組み込むつもりであるし、それ以上に受け取るべき物があった。

 

「あの男爵殿の御相手は大変でした。相応の礼があると考えて宜しいでしょうな?」

「ファーレンハイト中佐、失礼であるぞ」

 

 先に撞球室に向かう男爵を一瞥し、げんなりとした表情を浮かべる貧乏帝国騎士。馬車の中で随分と揶揄われたのだろう、ダンネマン大佐が咳をして注意する。

 

「構わんよ、ドラケンベルグの747年の赤を用意させる。ダンネマン大佐も、掛金は私持ちだ。読書好きの男爵は抜きとして四人でポーカーでもどうかね?」

「恐れ入ります、若様」

 

 深々と頭を下げて承諾する左手が義手の大佐。ゲームと称しているが、要は賭け事の体裁で小遣いをくれてやる、という事だ。正規の任務とは別に彼らには色々と働いてもらっているのでそれくらいのサービスは必要だった。

 

 そして客人達と共に撞球室に入室し、ソファーに深々と座り込んだ私は酒とつまみを運んできた使用人達を退出させる。それを確認してから漸くファーレンハイト中佐は懐から一通の手紙を取り出す。

 

「御苦労……と言いたいが彼方の方は駄目かね?」

「申し訳御座いません。面会すら誤魔化されてしまいました故……」

 

 深々とダンネマン大佐が謝罪の言葉を口にする。

 

「………そうか。いや、仕方あるまい。御苦労だった」

 

 私はダンネマン大佐を労った後、手元の手紙に視線を向ける。封筒の蝋印を確認する。その家紋には見覚えがあった。リューネブルク伯爵家のそれである。私は封筒を開き、中の上等な紙に羽ペンで達筆に書かれた内容を読み込んでいく。

 

「……やはり迷惑をかけているか」

 

 リューネブルク伯爵からと、もう一通、別の人物からの手紙を最後まで読んだ後、私は嘆息する。

 

「……若様」

「分かっている、迂闊には動かんさ。……何事も根回しは大事だからな?」

 

 私は半分程無理矢理の笑みを浮かべる。

 

「さぁさぁ、楽にしてくれ。中佐、悪いがそこの引き出しを開けてくれ、トランプが仕舞ってある。大佐、カードを配るのを頼むよ?」

 

 食客達にそう命じた後、私は再度手紙に視線を移す。

 

「……そうだな、迂闊には動けんな」

 

 私は従士が筆を執ったであろう手紙を何度も読み返し、そう呟いたのだった………。

 

 



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第百三十話 この世全ての食材に感謝を込めてね!

 私が酒精によって誘われた睡魔から目覚めたのは身体を……正確には肩をそっと、優しく揺すられた事による震動のためだった。

 

「若様……起きて下さいませ」

 

 どこからか女性特有の穏やかで甘い美声に呼び掛けられ、私はうっすらと瞳を開く。ぼやけた視界の中には純粋でどこか幼げな顔立ちの美少女がいた。

 

「んっ……んん……ベアト…か…?」

「はい?」

 

 その雰囲気から私は思わずそう口走る。だが同時に目の前の美少女はその呼び掛けを肯定する訳ではなく、寧ろ驚いたような表情で首を傾げる。同時に私の中で疑念が浮かび上がり、同時に彼女がこの場にいる事は有り得ない事を思い出す。

 

「あぁ……済まん、寝惚けていた。忘れてくれ」

 

 その反応に私は覚醒し、自身の言葉を打ち消す。そもそも私の付き人は髪は黒くないし、もう少し背が高い。何よりもこんな曖昧な反応はしない。

 

 私は目元を擦り、その視界は漸く鮮明となり周囲の状況を理解する。

 

 ……どうやら私は撞球室のソファーで眠りこけていたらしい。傍のテーブルには氷が溶けきって中身が温くなったグラス、そして昨夜食い詰め中佐より受け取った手紙が広がる。記憶が確かであればほかの者達が退席した後も一人この部屋でブランデーを片手に何度も手紙を読み返していた筈だ。

 

「確か……リューディアだったかな?妹が世話になっている。起こしてくれたのか、助かる」

 

 深夜に口にした酒精により若干の鈍痛を覚える重たい頭の記憶を掘り返し、私は瑞々しい黒髪を持つ侍女の名前を口にする。ダンネマン大佐の自慢の娘は恭しく頭を下げ、名乗りを上げる。

 

「はい、ダンネマン一等帝国騎士家より奉公させて頂いておりますリューディアで御座います。奥様よりアナスターシア様の侍女を拝命しております。父兄弟、親族共々伯爵家の格別の恩寵に浴させて頂き、誠に光栄に存じ上げます」

 

 女中服のスカートを摘まみ上げ優雅な所作で自己紹介する侍女。その動きから良く教育されている事が見て取れる。尤もその表情や口調を見るとやはり初めて見た時同様にどこか子供っぽく夢見がちな印象が拭えない。目を離すと質の悪い男に騙されそうな不安を与える。

 

 無論それはそれで他者の庇護欲を刺激するのかも知れないが……妹の侍女としては少し心配になるのはやはり否定出来ない。いや、だからこそ臆病な妹に気に入られたのだろうか?

 

「ああ、御父上については良く知っているよ。私も頼りにさせてもらっている。確か兄と弟がいるのだったか、そちらについても聞き及んでいる」

 

 大佐の話によれば彼女の兄は亡命軍の宇宙軍に所属し弟の方はギムナジウムに通っていた筈だ。叔父や従兄弟もそれぞれ帝国での経験を活かした職場で働くか学生として暮らしているらしい。連座制がある帝国では亡命も個人単位ではなく親族一同纏めてになる事が少なくない。

 

 とは言え一族単位で亡命しても言語や文化の壁があり、それをクリアしても同盟一般市民の差別の視線もあるため、簡単に就職出来るか、といえば難しい所だ。亡命帝国人から亡命政府が支持される最大の要因でもある。

 

 ダンネマン一等帝国騎士家も例外ではない。家族の大半が職場を見つけ安定した生活が出来ているのは、以前にも触れた通り当主たるダンネマン大佐以下が食客として伯爵家の庇護下にあり、そのコネのお陰である。

 

 無論、善意で厚遇している訳でもない。食い詰めを雇う上でのトラブル防止のためだ。同時期に雇ったのに食い詰めだけ重宝して艦長は冷遇する訳にはいかんしね?いや、大佐も思いのほか良く働いてくれているけれども。

 

「それで、何故ここに?」

 

 彼女は妹の侍女だ。妹を起こしに行くのは当然としても私を起こしに来る必要はない。

 

「奥様からの御命令で御座います、御客人も宿泊しているのでそちらに女中を振るので代わりに、と」

「母上から?……ふむ、分かった起きよう。今は何時だ?」

 

 午前六時頃と返答を聞き、私は呻きながらソファーから起き上がる。同時に注意が向かないように自然な所作で側のテーブルに置いていた手紙を懐に隠し、差し出された洗面器を使い顔を洗う。冷たい水が私から眠気と酔いを払い除けていく。

 

「ああ、着替えはいい。自分でやろう。妹の方に向かってやってくれ、私と違って随分と気に入られているようだからな。来ないと寂しがるだろう?妹にお気に入りの侍女まで盗ったと怒られたら流石に辛い」

 

 苦笑いしながら私はシャツを脱いでダンネマン帝国騎士令嬢が運んできた着替えを着始める。既に好感度が地面にめり込んでいる気はするが、敢えてそれを悪化させる必要はないだろう。というかしたくない。彼方がどう考えているかは兎も角、私にとっては一応大切な家族と認識している。そんな人物に殺意を込めた目で睨まれたくない、本気で涙目になる。

 

「い、いえ……お嬢様もそんな事は……」

「ん?何だって?」

 

 私の発言に対して何事か口にしたように思えて私は着替えながら侍女に尋ねる。

 

「えっ?あ……いいえ、問題御座いません!それでは御命令の通り退出させて頂きます!」

「あ?そ、そうか。なら……いや、少し待て」

 

 慌てて退出しようとする侍女。そのまま行かせても良かったが、今日の予定を思い出し咄嗟に私は妙案を思いつき侍女を呼び止める。

 

「済まん、少し聞きたい事があってな」

 

 そして私は、恐らく私以上に妹の事を良く知っているであろう彼女に幾つかの質問を行ったのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝仕度と散歩と朝食、多少の雑事を終わらせた後、私はジャケットに狩猟帽の出で立ちで広大な私有地を馬に乗り進んでいた。

 

「程好い暖かさですね。流石ハイネセン、春は麗かで過ごしやすいものです」

 

 今日の天気は仄かな暖かさを感じさせる快晴、ハイネセン衛星軌道を周回する艦隊埠頭や自動防空衛星群『アルテミスの首飾り』がうっすらと青空にその姿を見せている。絶好の狩猟日和である。

 

「本来ならば秋頃が狩猟の季節なのだがな」

「ははは、こればかりは仕方ありませんね。まぁ春は春で獲物はそう悪くありませんよ」

 

 同じように狩猟用の出で立ちで上等な栗毛馬に騎乗するケーフェンヒラー男爵のぼやきに私は苦笑いを浮かべて弁明する。

 

 冬の獲物は痩せており、夏の獲物は暑さで疲れている。秋の甘い果実を大量に食べた獣が一番肥え太り元気であり狩猟の獲物に相応しい。だからこそ狩猟のメインシーズンは秋なのだが……まぁ春は春で恵みが豊かであり獣達も冬に弱った身体を養い夏に備えるために良く食べ肥えている。決して獲物として悪くはないのは確かだ。実際、完全武装で一ヶ月山岳地帯に篭りラオシャンロン狩りをした程狩猟好きで有名であったリヒャルト一世美麗帝も、皇帝になり『新無憂宮』からむやみやたらに狩猟遠征に出れなくなると春の北苑で狩りをしていたのだ。

 

 そもそも『狩猟』には一応とは言え貴族階級が嗜むべきそれなりの合理的理由が存在する。貴族の贅沢な道楽である事も事実ではあるが、銃器を扱い、体力を要する馬に騎乗し、あるいは徒歩で、普段滅多に足を踏み入れる事のない山や森を進み、時として何泊も寝袋や小屋で外泊し、(門閥貴族から見て比較的)粗末な食事で耐え凌ぎ、獲物を追う。多くの供回りや猟犬を率いて獲物を追い立てるのは基礎的な軍事演習であり、武勇を誇示する機会だ。ほかの貴族や臣下との社交と親睦を深める場という側面もある。

 

 また、狩猟園には自然保護の意味合いもある。銀河連邦末期における有人諸惑星の自然破壊や環境破壊、それによる災害や公害の反省として、銀河帝国は自然保護や野生動物保護に力を注いできた。狩猟園は同時に帝国行政区分においては自然保護区であり、そこに住まう鳥獣を狩る事は園内の個体数管理であり、獲物を食するという事は同時にその土地が汚染されていない環境である事を証明する行為でもある。また、中には民間にも開放されている狩猟園もあり、地元にとっては狩猟税や各種施設利用料をもたらすある種の観光資源でもある。

 

「若様、男爵、こちらが狩猟園で御座います」

 

 馬に乗った狩猟案内人と勢子兼護衛役の供回り、及び荷物持ちが私達と共に柵と有刺鉄線で囲まれた私有地内の狩猟園に足を踏み入れる。その数総勢六〇名、全員が銃器持ちだ。確実に帝国軍もテロリストもいない安全地帯な狩猟園でしかも日帰りでこの人数は異様だ。どれだけ私信用されてないんだよ……。

 

「ですが、山頂部から降りてくる事はまずございませんが、アオアシラを飼育している区画もありますので。やはり念のため………」

「前言撤回だ。これくらい護衛がいるのは仕方ないわ」

 

 寧ろ少ない位ですね、間違いない。ブラスターを数発受けた程度じゃまず死なない化物相手の安全策なら納得ですわ。

 

「おいこらお前達、興奮し過ぎるな」

 

 そう口にするのは付き添いの調教師や勢子達である。狩猟と言う事もあり動員されるのは人だけではない。猟犬として調教された狂暴で利口な角有犬も二ダース引き連れられている。森の中の獣の匂いを感じてか、調教師の後ろからハァハァと息を吐き尻尾を振りながら角有犬の群れが付き従う。

 

 興奮する猟犬達、その一方で当の調教師や勢子達はといえば猟犬が主人や客人に襲い掛からないように宥め続ける。とは言え獲物を追い、襲うだけの闘争心は維持しないといけないので、そこは彼らの微妙な手腕が求められる事になる。

 

「それでは我々は……」

「ああ、頼む。良い獲物を持ってきてくれよ?」

 

 勢子役達が猟犬と共に先行する。獲物を探し追い立てていくのだ。

 

「聞いてはいたけど……凄いね、これは」

 

 一方、形式的にはケーフェンヒラー男爵の付き添いと補助として狩りに参加しているヤングブラッド大佐が感嘆、というよりかは驚愕したような口調で感想を述べる。

 

 それもある意味当然だ。彼が手にしているのは木製の銃床が装着された古めかしいマスケット銃なのだから。

 

 猟銃は当然ながら近代的な自動小銃を使う訳にはいかない。威力があり過ぎるし、連射してしまうと獲物がミンチになってしまうからだ。ブラスターライフルは狙いすませばほぼタイムラグ無しに命中させる事が出来るが、貫通力があり過ぎて逆に撃っても簡単に死んでくれない。何より風情が無いので好まれないそうな(但しそれは銃弾で普通に死ぬ遺伝子操作も突然変異もない一三日戦争以前の原生生物に限る)。

 

 よって、猟銃として使われるのは陸上動物に対しては黒色火薬の先込め銃か単発式ライフル、鳥類であれば散弾銃を使う場合もある。当然ながら宇宙暦8世紀の主力アサルトライフルやブラスターライフルの命中精度とは雲泥の差である。

 

「これで動く動物を撃つのかい?当たるのかな?」

「練習すれば存外当たるものさ。何、手本を見せてやろうか?」

 

 重そうに装飾の施されたマスケット銃をいじるヤングブラッド大佐に男爵が笑いながら答える。こうして見ると一緒に狩猟に向かう祖父と孫のように見えなくもない。

 

「男爵が狩猟していたのは五〇年近く昔では?此方に来てから腕が鈍っていませんかね?」

「おいおい、余り揶揄わんでくれんか?確かに猟銃を持つのは久方ぶりではあるがな。型式は同じであろう?猟銃の構造なぞそうそう変わらん、癖さえ覚えれば良い。ならば幾度か試し撃ちすれば覚えるわ」

 

 心外とばかりに男爵はマスケット銃を漆塗りの箱から取り出し、その手入れ具合を確かめる。その手つきはこなれており、この老紳士が半世紀近く前に恐らく幾度もこのような機会があったのだろう事を証明していた。

 

「男爵、僭越ながら私の方にも御教授を御願いしても宜しいですかな?残念ながらマスケットの扱いは指導されなかったものでして」

 

 そう口にするのは勢子と護衛役を兼ねるファーレンハイト中佐であった。マスケット銃を様々な角度に持って観察する。平民も少なくない数入学する士官学校では近代的な火薬銃やブラスターライフルを扱う機会はあっても黒色火薬を使う先込銃なぞ扱う訳がない。幼少時に最低限の貴族教育は受けていたそうだが、所作や言葉遣いは兎も角、流石に実物が必要なマスケット銃の扱い方は学べなかったらしい。

 

「中佐、ふざけた事を申すな。男爵にご迷惑をおかけするつもりか?」

 

 同じく護衛役として馬に乗るダンネマン大佐は不機嫌そうな表情を作り叱責する。尤も、男爵の方は然程気にしてはいないようであった。

 

「はっはっはっ!いやいや構わんよ。どれ、お前さんの方はどうかね?何なら卿にも指導をしてやろうか?」

 

 逆に楽しげにケーフェンヒラー男爵はダンネマン大佐に尋ねる。

 

「い、いえ……僭越ながら私は嗜む程度には狩猟経験が御座いますので問題は………」

 

 ファーレンハイト中佐よりも幾分か階級を意識するダンネマン大佐は恐縮するように遠慮する。

 

「大佐はオーディン住まいだったか?」

 

 私は純粋な興味から話題に加わる。

 

「はい、代々ハーフェルシュタット街出身で御座います。郊外の国営狩猟園にて休日に良く狩りをしておりました。狐や猪が多く良く撃ちましたなぁ、家族からは雉か山鶉が良いと愚痴を言われましたが」

「狐も猪も処理が面倒だからな」

 

 狐肉なぞ良く煮なければ食えたものではない、大抵毛皮を剥けば捨ててしまう。猪は臭いがキツいのと量が多いので少人数では食べきるのが難しい。

 

「まぁ、この人数であれば問題ない。それよりも……来たな」

 

 森の中から猟犬の遠吠えが響き渡る。ガサガサと森の中を駆ける足音が遠くからうっすらと近付いて来る。

 

「男爵、最初の獲物です。練習がてらにどうぞ」

「ふむ、では戴こうかな?御二人さん、良く観察するのだぞ?」

 

 そうヤングブラッド大佐とファーレンハイト中佐に宣言すると同時に、森から猟犬に追い立てられた山兎に狙いすまして発砲する。筒先から小さな火花と黒い煙、そして特別加工のチタンセラミック製の弾が火薬が燃焼した衝撃で筒先から弾け飛ぶ。

 

 空気抵抗と重力をを受けて軌道が捩れる弾丸は、しかし射手がそれすら想定していたために次の瞬間には猟犬の群れから逃げる山兎に即死の傷を与えていた。

 

「素晴らしい」

 

 その場にいた殆どの者達が拍手で男爵の射撃を讃える。特に動く小さな獲物を一撃かつ即死という点は称賛に値する。狩猟とはいえ、いや狩猟であるからこそ可能な限り獲物に苦痛を与えずに一撃で仕止めるのがマナーであった。

 

「何、要領自体は普通の火薬銃と変わらんよ。弾が球体だからその分の軌道修正さえしてやれば存外当たるものさ。であろう?伯爵公子殿?」

「言うは易し、でしょう?男爵?」

 

 私は次いで森から現れた貂に発砲する。ほぼ同時に弾かれたように黄色い毛皮の貂が草原に倒れる。再び周囲からの拍手。

 

 とは言えそれはどちらかというと阿附迎合だ。今の発砲はミスっていた。角度を誤り毛皮を傷めている。やはり右腕の義手の感覚に慣れきっていないか……。

 

「容赦なく撃つね」

「物心ついた時にはもうやっていたので……止めてくれよ?私はそんな冷酷な人間じゃないぞ?」

 

 私はヤングブラッド大佐の視線に気付くと苦笑いを浮かべながら弁明する。いや、自分でも慣れてしまったなぁ、と思うけどさぁ。

 

 動物愛護の精神は一三日戦争やシリウス戦役をも生き延び、今ではそれらの関連法律等も制定されているため、中央宙域では野生動物の狩猟はほぼ厳禁だ。帝国系や辺境の旧銀河連邦の植民地原住民は『文化保護』を名目に一部地域での狩猟が黙認され、また一部の同盟富裕層が観光時に序でとばかりに大枚叩いて遊んでいる(亡命政府にとっても良い外貨獲得手段だ)が、中流階級等を中心に悪趣味扱いされる傾向が強い。

 

 まぁ今私の撃った貂もそうだが狩猟向けの動物の中にも結構可愛いの多いからなぁ、気持ちは分からん事もないが………。

 

「とは言え………あれだな。狩猟なんてしているとな、ゲスい事言うと優越感を感じるんだよ」

「優越感?」

「ああ、優越感」

 

 狩猟している者全員が感じているかは分からないが少なくとも私は絶対的に安全な立場から、絶対的に優位な立場から弱者をいたぶり狩り取る事に支配欲と優越感を感じる事がある。更に言えば弱者をいたぶる事である種の全能感と無根拠な自信、嗜虐心が増大している自覚があった。

 

 ジギスムント一世や石器時代の勇者のように相手がもっと狂暴な、それこそ完全装備でも命の危険がある獲物相手に狩猟するならば兎も角、抵抗の手段が殆どない獲物相手だと撃ち殺す度にどこか歪んだ高揚感を感じる。門閥貴族の屈託した精神が育まれる一因が分かった気がするよ。

 

「それはそれは………」

「人間相手にやるよりはマシなんだろうけどな」

 

 とは言え、彼方の帝国では犯罪者を使った『狩猟』なんてのもあるので一概には言えんが。

 

 次の獲物は一応『客人』枠たるヤングブラッド大佐が狙った。とは言え穴熊を狙った弾丸は空気で大きく逸れてしまい獲物を驚かせる以外の成果は出せなかった。

 

「やっぱりいきなりは無理だね、事前に練習すれば良かったかな?」

 

 肩を落とす学年首席。まぁ、普通は今時マスケット銃の練習をする軍人なんていないからな……撃てる実物が同盟国内に何丁ある事やら。

 

 次に発砲したファーレンハイト中佐は意外にも一撃で先程ヤングブラッドが逃した獲物を仕止めた。脳天を貫通しており、即死である。

 

「おお」

「これは凄い」

 

 これには男爵やほかの勢子達も儀礼と接待の範囲を越えて心から賞賛の拍手を送る。時代錯誤な先込め式の猟銃をほんの僅かな練習でいきなり命中させるなぞ誰にでも出来る行為ではない。

 

「いやはや、流石で御座います。あのようなどこの馬の骨とも分からぬ貧乏騎士を雇うなどと仰った時には色々と異論が御座いましたが……シェーンコップ帝国騎士の時と同じく若様の先見の明、誠に感服致します」

 

 勢子役の年寄り従士の一人が拍手しながら口を開く。百年二百年仕える程度では『短い歴史』扱いされる従士家にとって、食客は同じく主家に仕える家臣であり同僚ではあるが内心では所詮一時雇いと軽視、あるいは敵視する傾向があるのも事実だ。特にその食客が家柄が良く無く、厚遇されている場合はその傾向が強い。

 

 故にその反発を抑え込むには実際に食客に功績を立ててもらい、また目の前で実力を示してもらうのが一番だ。シェーンコップ上等帝国騎士やダンネマン一等帝国騎士はまだ比較的ましな家柄だが、ファーレンハイト二等帝国騎士は文字通りの貧乏で歴史もない生まれである。その分ヘイトが集まり易かったが……先日の『レコンキスタ』での各種戦闘での戦功と今回の狩猟での礼儀と成績を見せればその反発も幾分か和らぎそうだ。

 

 ファーレンハイト中佐はケーフェンヒラー男爵の助言を受けつつ更に射撃の練習を始める。その様子は少し離れた所から見ても和やかで、これまた事情を知らず見た者には祖父と孫の関係に見えよう。

 

「本当は本物の子や孫相手にしたかったのかも知れんがね……」

「私も良く孫か何かのように扱われているんじゃないかと思う時があるよ」

 

 マスケット銃の手入れを控える使用人に渡して行わせ、ヤングブラッド大佐は私の下にやって来た。

 

「………」

 

 ヤングブラッド大佐の発言を聞いた後私は再度、そして静かにケーフェンヒラー男爵を見つめる。寝取られ男爵閣下も同盟の文化に染まっていると言っても根っこは帝国門閥貴族である事に相違はない。そして帝国貴族は身内を、一族の関係と繁栄を最も重視する。

 

 本来ならば男爵も妻と子供をもうけて良き夫、良き父、そして良き祖父となっても可笑しくない歳なのだ。まぁ、現実は妻は愛人の屋敷に逃げてそんな男の子供を産んでくれやがった訳だが。同盟ならば憐憫交じりの笑い話になるかも知れないが、帝国貴族社会ではそんな事されたら洒落にならない。情けない寝取られ男の所に娘を嫁入りさせようと思う門閥貴族は相当変人の部類に入る。

 

 ヤケクソで軍人となった後捕囚となって色々と燃え尽き熱病も怒りも冷めてしまっている男爵ではあるが、やはり一族と先祖に負い目を感じて後悔の念はあるのだろう。男爵は辛辣で毒舌に見えてその実若者や子供相手にどこか甘い所がある。子や孫がいない事の代償行為にしているのかも知れない。

 

「仮政府の方でもそんな感じだね、御姫様と宰相閣下を孫扱いだよ。茶菓子持参で会議に出てほれ食えと来ている。まるで茶飲み話の集会扱いだね」

「おい、その話は……」

 

 私は今の話が聞かれていないか周囲を見渡す。まぁ、ヤングブラッドの事だ。間抜けな私と違い周囲に注意して聴こえない位の音量で口にしたのだろうが……私には心臓に悪いから止めて欲しいのだがな。

 

「……あの二人はやはり其方からすればかなり使えるのか?」

 

 周囲を確認した後私は尋ねる。あの二人の事を聞く理由は半分は好奇心、もう半分は巻き込んだ責任感と罪悪感からだ。

 

「まぁね。やっぱり私達がセールスするのとでは集客率は段違いだ。ビッグネームはやっぱり効果があるものだね」

「私達や同盟政府が客寄せしても不審がって集まらないからな」

 

 旧クレメンツ派が宮廷で粛清されその首魁が『事故死』した後の同盟ないしフェザーンに亡命した残党は大人しいものだ。いや、大人しいというより怯えていると言った方が正しいだろう。神輿はないし、現帝国皇帝派が直接旧クレメンツ派にクーデターを実施しているのだ。皇帝が世代交代しているなら兎も角、今でもフリードリヒ四世の近臣達には旧クレメンツ派を始末するべき理由がある。彼らの盟主は実は亡命政府や同盟政府が陰謀で暗殺したという疑惑もある。生き残った旧クレメンツ派は息を潜めて消えていく以外の道は無かった。……少なくともこれまでは。

 

「亡命政府には及ばないにしても彼らも搔き集めればそれなりの人と金は集められるだろうからね。貴重な駒、時の流れの中で自然消滅する前に再編して有効に利用したいものだよ」

「酷い言いようだな。まるで廃品リサイクルじゃあないか」

 

 まぁ、そうは言いつつも私もその片棒を担いでいる立場であるのだがね。

 

「……接触は出来たのか?」

 

 探るように私は尋ねる。

 

「警戒されてはいるけど最終的には此方につくしかないさ。君の言った通り相当干されているみたいだからね。近いうちにフェザーンで面会してもらうよ」

「感動の御対面と言う訳か。喜劇だな、まぁ今更ではあるが……」

 

 私は冷笑しながら狩猟帽を脱ぎ手で弄ぶ。

 

(それに……使える内に使いたいのは此方も同意だしな……)

 

 原作について私は思い返す。媒体によって微妙に違うし、そもそも全て原作通りに進むとは限らない。

 

 それでも旧クレメンツ派残党の維持する人と金は魅力的だ。特に帝国領遠征の少し前に発生したあの事件はタイミング次第ではかなりの影響を帝国に与えられる筈だ。上手くいけば………まぁ問題はその程度ではあの金髪の小僧にとっては大した障害になり得ない事であるが。切れる札は多いに越したことはない。

 

「………今はやれる事をやるしかない、か」

 

 私はマスケット銃を手に、再度狩猟を再開する。焦燥感と苛立ちを発散し、誤魔化したかったのだ。……それが余り健全なやり方ではないとは理解していても………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中狩猟園内の小屋での昼食と休息を挟み、男爵の接待を兼ねた狩猟は比較的短め、その日の夕刻頃にはお開きとなった。

 

 狩猟の終わりにもマナーがある。帝国貴族の狩猟の礼儀として獲物に対する称賛は欠かせない。より上等な獲物から小枝であしらえた絨毯の上に並べ、奉公人達がホルンで獲物達を讃える音楽を演奏する。

 

 その日の狩猟で最も上等な獲物の血に浸した小枝は獲物とそれを狩った射手を讃えるためのものだ。大きな牝鹿を撃ったケーフェンヒラー男爵の狩猟帽に枝印が刺される。

 

「ふむ、やはり帝国にいた頃と作法も同じか。変わらぬ伝統……と言えば聞こえは良いが、何とも珍妙さを感じるものだな」

 

 枝木の刺さった狩猟帽を被りながら興味深そうに男爵は此度の狩猟をそう評した。国家が違い、五〇〇〇光年も距離の隔たりがありながら帝国のそれと全く同じ作法と儀礼が伝わっている事実は、その国家が帝国の体制と文化を敵視する戦時下の民主政国家である事も含め確かに珍妙な事に見えるのかも知れない。

 

「さて、次は解体か」

 

 獲物と客人を称えればここから先はR‐18Gの世界である。獲物はそれなりの数を狩ったが、当然この全てを……毛皮剥ぎ用の貂や狐を除いたとしても……私や客人だけで食べきれる訳がない。なのでこれらの大半は最も上等な部類のもの以外は狩猟に参加した勢子や供回り、雑用等に『御慈悲』として下賜される。あるいは屋敷の使用人達の夕食に追加されたり、狩猟に参加していない友人や臣下、愛人が入ればそちらに贈与されたりもする。

 

 勢子や雑用がナイフや鉈で獲物の解体を始める。ある獲物は毛皮を水で洗い、あるいは火で焼き剥ぎ取る。毛皮を重宝する獲物は特に慎重に、破れないように皮を剥ぎ取る必要があった。

 

 獲物の毛皮を剥げば血抜きを行い腹を裂き、内臓をこれまた傷つけないようにゆっくりと取り除いていく。特に腸や胃袋は中身がこぼれでないようにしなければいけない。

 

 狩猟場はいつの間にか此処彼処どこも赤色で血生臭い空気が広がるようになっていた。猟犬達は興奮しながら吠え、調教師が獲物から切り取った肉を褒美に分け与える。待て、と躾して従うものから肉片をぶら下げていく。あるいは洗った内臓を投げ与えれば我先にと臓物に食らいつく。いやぁ、グロいグロい……と思ったが同盟の完全自動化精肉工場もこれとは別の意味で凄まじいのだが。

 

「……大佐、中佐、少し仕事をしてもらっても良いか?代わりにと言っては何だが私の撃った鴨と雉を何羽か渡すから頼まれてくれないか?」

 

 そんな中を馬で通りすぎ、自分達の獲物を見ながら談笑していた食客達を見つけると私は頼み事をする。

 

「それは構いませんが……何用でありましょう?」

 

恭しく礼をしてダンネマン帝国騎士が尋ねる。

 

「ああ、そこで捌かれている獲物を裾分けして来て欲しい。それと……」

 

 馬でダンネマン大佐に自然に近寄り、周囲から影になる角度で手紙を押し付ける。

 

「分かるな?」

「………承りました」

 

 ダンネマン大佐とファーレンハイト中佐は再度頭を下げて承諾する。

 

「迷惑をかけるな。そのうちにまた慰労を考えておくから頼むぞ」

 

 私はフォローを口にした後に手綱を引いて馬の進む向きを変える。彼らにはストレスが溜まるだろうが……とは言え自由にかつ密命込みで動かせる人手は余りないから仕方無い。

 

 粗方の獲物の処理を終えた所で狩猟団は行進しながら屋敷に戻る事になった。途中の村を通れば村長含む住民から出迎えられるので何頭かの猪を下賜してやる。

 

 屋敷に辿り着く少し前に早馬が駆けて屋敷側に出迎えの準備をする知らせを伝える事になる。

 

「あらあら、こんなに沢山……随分と楽しんできたのかしら」

 

 馬車によって運ばれる獲物を見て使用人達を引き連れて屋敷から出迎えた母が微笑みながら口を開いた。

 

「男爵、どうでしたか我が家の狩猟園は?」

「春先でしたので正直期待はしていませんでしたが……想像以上に良い獲物が揃っていて大変素晴らしいものですな。流石伯爵家といった所ですかな?」

 

 ケーフェンヒラー男爵は御世辞半分称賛半分に母の質問に答える。

 

「そう言って頂けて夫もきっと満足していることでしょう。秋口になりましたらまたほかの諸侯の方々とお越しになるのも宜しいでしょうね。もっと良い獲物が獲れると思いますわ」

 

 客人の数はその貴族のステータスの高さに比例する。なので母も訪れる客人を増やす努力は怠らない。

 

「ああ、料理長。良かった、結構な量が狩れたから処理を頼む」

 

一方私は白衣に長帽子、つまりコックの集団に向かいその長に呼びかける。

 

「此度の成果、おめでとう御座います。して、どの獲物を御使いすれば?」

 

 元々先祖はテオリアの高級ホテルの料理長で、代々伯爵家の料理を拵える太った従士は馬車の肉の山を見た後に尋ねる。

 

「ああ、今夜は山鷸で頼みたい。それと明日はこの牝鹿をメインにしてくれ」

「承知致しました。それにしても一……二……三……四……五羽もですか。随分と多く狩りましたな」

「勢子に頼んであちこち探させたからな。ナーシャも好きなんだろう?」

 

 朝に思いつきで女中に尋ねて正解だった。色々迷惑をかけているので少し位は御機嫌を取っておきたい。……まぁこの程度で靡く事はないだろうけど。

 

「はい、秋口に旦那様が御狩りになられていたものをお嬢様が大層美味しそうにお食べになられておりました。では調理法も……?」

「ああ、妹が好みそうなやり方で頼む。それとデザートは果物のソルベを頼む。……ああ、後これは屋敷の使用人達に分けてやってくれ」

 

 そう言って後続でやってきた馬車に乗せられた余り物の獣肉の山を指差す。

 

「承知致しましたが……兎や猪は良いとして鹿……それに雉肉は使用人相手に少々上等過ぎでは?」

 

 料理長が尋ねる。帝国は階級社会であり、全ての待遇は階級で決まる。故に『たかが』使用人達に兎や猪なら兎も角、鹿……まして雉はかなり豪華な部類であり食卓に出すなぞ『身の程知らず』なものと見做される可能性もあった。

 

「なぁに、日頃の礼だよ。まぁ、流石に全員には行き渡らないだろうからな。下級使用人には悪いが兎や猪を、侍女や執事達には鹿と雉をやってくれ。余り高級でなければ蔵の葡萄酒の瓶も開けてくれて構わんよ」

 

 流石に助言を受けた侍女にだけとなると贔屓になるし、いらぬ誤解も与えかねない。今回に限ってはその他大勢と一緒に礼品を与えた方が良かった。

 

 ついでに厨房の者達で楽しめるように山鶉を何羽か料理長に渡してから私は母の下に向かう。そろそろ顔見世しなければ不審がられる可能性があったから…………。

 

 

 

 

 

 

 

 ハイネセン北大陸のティルピッツ伯爵家の私有地から東に六〇キロ程向かった先がその一族の保養地である。その一族の私有する総面積八〇平方キロメートルの土地は決してティルピッツ伯爵家の傍である故購入されたのではなく、唯単にこの一帯は山林地帯や盆地が多く、鉱物資源に乏しい田舎であるため土地が安いからだ。実際ほかにも十数家余りの亡命門閥貴族が大なり小なりこの周辺地域を私有していた。

 

 同盟政府からすれば大して価値のない山林地帯なぞ持っていても使い道はない。寧ろ物好きな亡命貴族共が金を払って購入してくれるならば儲けもの、とばかりに星道地域等を除いて少なくない土地を売り払っていた。

 

 無論、一部の極右勢力からは先祖が開拓した『神聖なる祖地』を売り払うなぞ言語道断という意見もあるのだが、中央政府や官僚はそんな声に耳を傾ける積もりは更々無かった。どうせ寝かしていても意味がない土地である。文句を言っている者達が代わりに土地を有効活用してくれるのなら兎も角、移住する者なぞいない事位理解している。ならば土地を売った金で国民年金の予算を確保する方がイデオロギーや狭隘な排外主義政策を進めるよりも効率的であった。

 

 兎も角も、そういう訳で亡命貴族リューネブルク伯爵家の別荘地がこの土地に建っていた訳だ。尤も、今この別荘に住まう者達の数は貴人から下人まで合わせても二〇人もいやしないのだが。

 

『はぁ、貴方には呆れましたよヘルマン!』

 

 書斎に備え付けられたテレビ電話のスクリーンからは呆れと怒りと嘆きが絶妙な比率で配合された女性の声が響く。

 

「御怒りは分かりますが……こればかりは御容赦頂けませんか?男爵夫人?」

 

 書斎の椅子に座り、困った表情で下手に出ながら先日戦功で大佐に昇進したリューネブルク伯爵家の当主ヘルマン・フォン・リューネブルク伯爵は電話相手に尋ねる。その姿を見た者は誰でも困惑した事であろう。

 

 当然である。自由惑星同盟軍の陸戦部隊の中でも勇名を轟かせる精鋭部隊が一つ『薔薇の騎士連隊』、その副連隊長が自身よりも三〇近く年上の初老の女性にたじたじであったのだから。

 

『出来るわけないでしょう!!』

 

 リューネブルク伯爵の母方の叔母、ザルツブルク男爵夫人はその品のある表情を歪ませて叫んだ。幼少時から実の息子のように可愛がっていた甥っ子を叱りつけるように男爵夫人は言葉を続ける。

 

『各方面から苦情が沢山来ているのを分かっているのですかっ!!?今すぐにでもその屋敷に隠している物を追い出しなさい!!』

 

 それは高圧的ではあるが同時に最大限甥っ子の立場を思いやった助言であった。当然だ、渦中の従士の小娘なぞ匿ってリューネブルク伯爵家が要らぬ争いに首を突っ込む必要なぞない。

 

 リューネブルク伯爵家は爵位こそ伯爵号を有する三〇〇年以上続いてきた武門の家柄であるが、亡命政府における立場は決して高いものではない。

 

 リューネブルク伯爵家は亡命帝の暗殺と同時に当時の当主が着の身着のまま帝都から脱出したがために、殆どの財産も家臣も持たずにサジタリウス腕に逃亡する事を余儀なくされた。所領は帝国軍に接収され、残された親族と家臣の大半は抵抗の末討ち取られるか処断された。極一部の生き残りだけが同盟や亡命政府の手引きで、あるいはフェザーン商人の協力を受けて当主に合流できた。

 

 亡命政府における資産や領民、あるいは家臣と言った基盤が無いがためにリューネブルク伯爵家一門の立場は極めて不安定であり、それ故に亡命政府内での立場を築くために一族郎党は積極的に従軍し前線で武功を立てた。一族や家臣の敵討ちという側面もあっただろう。

 

 その甲斐もあって決して大きくはないがどうにか亡命政府内での足場を築き上げる事に成功したリューネブルク伯爵家一門は、しかし引き換えに唯でさえ少ない血族と臣下の殆どを喪失しており、いつ断絶しても可笑しくない一門でもある。その立場は万全ではない。にも関わらず……。

 

『よりによってティルピッツ伯爵家相手に……!』

 

 テレビ電話の先にいる男爵夫人は扇子片手に項垂れる。喧嘩を売るにもせめて相手を選べないのか、と呻く。

 

 同じ武門貴族かつ伯爵家であっても両家の差は一目瞭然だ。片や一族と臣下の大半を失った弱小諸侯であり、片や帝国建国時からの名家であり亡命政府成立初期から所属する大諸侯である。亡命時には一〇〇万近い領民と膨大な資産、そして家臣団の殆どを持ち逃げした。その財力と武力の差は歴然だ。

 

『それに、貴方も彼方の家には随分と世話になったそうではないですか?小耳に挟んでおりますよ?騎士団の再編時に随分と人と金を融通してもらったのでしょう?』

 

 『薔薇の騎士連隊』の事、第五〇一独立陸戦連隊の再編自体は以前より計画はあったが、これまでのイメージもあり積極的な予算の分配が為されるかと言えば難しい所があった。連隊長リリエンフェルト大佐の着任こそ決まったもののリューネブルク伯爵家を始めとした数家の援助では力及ばず、人材・装備面ではかなりの妥協が必要であると当初は思われた。

 

 亡命政府軍が方針転換して積極的に『薔薇の騎士連隊』への人材と装備の投下を始めた一因はティルピッツ伯爵家の援助がある。それが呼び水となってほかの家々も各々に金と人を連隊に注ぎ込む事で長らく形骸化していた愚連隊は再度軍規の保たれた精鋭連隊に変貌する事が出来たのだ。

 

『それにエル・ファシルで包囲された際には救援も送り込まれたそうではないですか?それだけされながら彼方の奥様がお求めになられている引き渡しを誤魔化すなんて……恩を仇で返すつもりですかっ!!?』

 

 何やら交渉や根回し等もあり各方面での大がかりな追求や処理は行われていないが、伯爵家の一粒種が利き手を切り落とされたのだ、宮廷の婦人会の主役の一人でもある伯爵夫人が荒れに荒れたのは言うまでもない。下手人には呆れた額の賞金が掛けられたのは当然として、それ以外にも幾人かに怒りの矛先は向いている。その一人が現状リューネブルク伯爵家の別荘に匿われている小娘であるのだが……。

 

『この前彼方の実家からも返還要請があったそうじゃないの。その時に押し付ければ良かったではありませんか!』

 

 先日件の従士家の本家から娘の返還のため使者が送り込まれたが面会した伯爵はあの手この手で追求を逃れ、丁重に使者を返した所である。

 

「その先を予想出来れば到底返還なぞ出来ませんよ。まして此方は『約束』をした身、それこそ借りがありますのでそれを違える訳にはいきますまい?」

 

 そもそも返還せず匿って欲しいと手紙を送り付けて来たのはその嫡男なのだ。現当主はこの事態に対して沈黙している以上、リューネブルク伯爵からしてみればエル・ファシルで救援を受けた手前、その借りを返すべき義務があった。

 

『ああ、本当あそこの嫡男は問題児だわ……!夫人はどういう躾をしてきたのかしら!!夫人も夫人だわっ!宮廷を放り投げてハイネセンなんぞに向かうなんて……!』

 

 ザルツブルク男爵夫人は愚痴る。あそこの嫡男は気難しく我儘の癖に妙に家臣に甘い所もありその差が周囲を困惑させる。その母親とくれば経緯が経緯にしろ子供を優先し過ぎる。普通に考えれば帝室の血を引く伯爵夫人が帝都からハイネセンに移るなぞ有り得ない事なのに……!

 

結局、男爵夫人は甥を追求するがその度に話を躱され続け、諦めるようにテレビ電話を切る。

 

「とは言え、明日もかけて来るのだろうがな」

 

 何ともいえない苦笑を浮かべるリューネブルク伯爵。断じてあの叔母が嫌いなわけではない。寧ろ数少ない身内であるが故に伯爵にとって最も大事な人物の一人である。それでも譲る訳にはいかない事もある訳で……。

 

「それにしても……叔母様も避難して欲しいのだがな」

 

 はぁ、と溜息をつきながら伯爵はテラス越しに夜空を見つめる。幾度か手紙で疎開を進めてはいるのだが。それが叶わぬならせめて傍にいたかった。尤も叔母からすればそれこそ論外なのであろうが……。

 

「旦那様、失礼致します」

 

 と、椅子に座り込み考えていると扉をノックの音が響き、次いで彼の付き人の一人が入室する。エッダ・フォン・ハインライン少佐は自身の主君に訪問客が来た事を告げた。

 

「訪問客?この夜中にか?」

 

 発条仕掛けの壁掛け時計は2100時、即ち午後9時頃を示していた。本来ならばこんな時間帯に客人が訪れるなぞ常識知らずであり、彼は今の自身の立場を思い警戒する。まさかとは思うがティルピッツ伯爵家の刺客が来ないとも限らないのだ。

 

「先日訪問した食客、ファーレンハイト二等帝国騎士で御座います。恐らくは御返事で御座いましょう。後手間賃代わりに、と荷物も御座います」

「荷物?」

「は、血抜き処理が為された鹿肉で御座います」

 

 恭しくハインライン従士は答える。淡々としたその報告には、しかし長年の付き合いであるリューネブルク伯爵には気づける、ほんの僅かの喜色も浮かんでいた。鹿を……それも持続可能な規模の群れを放し飼いするとなると、相応の広さの私有地、狩猟園が必要だ。

 

 当然リューネブルク伯爵家はそんな広さの土地を持っていないし、それを維持する資産もない。故に鹿肉を食べる機会は少なく、無理して飼ってもそれほど柔らかく味に深みのある個体は育てられないであろう。その分この一門における鹿肉の価値は他所の比ではない。それ故の喜色であった。

 

「ほぉ、裾分けか。気が利くようだな。……ふむ、料理長を呼べ。悪いが今日の晩餐は一品追加だ。皆に伝えろ、良い鹿肉が届いたとな。……そうだ、客人も晩餐に誘って差し上げろ」

「はっ!」

 

 ハインライン少佐の敬礼にリューネブルク伯爵は微笑みながら頷き立ち上がる。……と、ここで気付いたように伯爵は再度従士に尋ねる。

 

「贈られた鹿は何頭だ?」

「えっ……確か二頭だったと記憶しておりますが。牡鹿と牝鹿が一頭ずつです」

「ふむ……」

 

その報告に伯爵は暫し考え込み、命令する。

 

「我々が頂くのは牡鹿の方のみとしよう。牝鹿の方は『宿泊客』に振舞うとしよう。主家の土地で取れた材料ならば喜ぶだろうしな」

 

 伯爵は従士に屋敷の厨房に知らせるように命じる。書斎が再び彼一人になると伯爵は部屋を照らすランプの下に向かう。そして小さな声で呟く。

 

「さて……そう長くはもたんな」

 

 誤魔化しきれるのも後二、三か月と言った所か……このままでは最悪実力行使される可能性すら有り得た。流石に人手の少ないリューネブルク伯爵家ではその襲撃に耐えきれまい。それまでにあの後輩には事態の収拾を願いたいものである。

 

「とは言えあの悪運ではもう一波乱ありそうだが」

 

 小さな笑い声を漏らし、伯爵はランプの明かりを消し書斎を後にする。曲りなりにもティルピッツ伯爵家の使者である。リューネブルク伯爵家の当主として使者を直接もてなすのは当然であったのだ……。

 

 



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第百三十一話 人生とは山あり谷ありの壮大なゲーム

「では前線への再度の派兵は行わないと仰るのですか?」

 

 オフィスデスクの前で日焼けした浅黒い肌に肩幅の広い屈強な黒人提督は身を乗り出して尋ねる。それは確認のための質問と言うよりかはどこか非難がましい印象を聞く者に与えた。

 

「国防委員会の決定だ。我々がそれに異を唱える訳にも行くまい。その程度の事は君にも分かると思うのだがね?」

 

 デスクに座りそう語るのは対照的に色白で痩せ型体形の元帥であった。ほんの二週間前に統合作戦本部長に就任したデイヴィッド・ヴォード元帥は同じく先日の戦功にて宇宙艦隊副司令長官に就任したシドニー・シトレ大将を嗜める。

 

 ハイネセンポリス郊外、スパルタ市中央区に聳え立つ地上五五階地下八〇階に及ぶ統合作戦本部ビルの地上五〇階、機能美を追求したモダンな(そして風情の欠片もない)統合作戦本部長執務室の内部では剣呑な空気が流れる。

 

「ですが先日の勝利により味方の士気は高まり、対して帝国軍は未だ前線の混乱と損失から立ち直ってはおりません。二個艦隊……いえ、増強した一個艦隊で良いのです。それだけの戦力があれば一気に戦線を押し進める事が出来ます。さすれば国境有人諸惑星を帝国軍の脅威から解放する事も可能な筈です。その千載一遇の機会を見逃すのですか……!!?」

 

 シトレ大将は腕に抱えた各種資料を見せて直訴する。しかしヴォード元帥は瞼を伏せて首を横に振る。

 

「態態ここに来て提案したからには宇宙艦隊司令本部にでも直訴したのだろう?違うかね?」

「っ……!!そ、その通りです……」

 

 僅かに狼狽えるシトレ大将。その姿を見て腕を組み、深く溜め息を吐くヴォード元帥。

 

「軍制度的には違法ではないが、もう少し場の空気を読んで欲しいものだね?来年には退役するとは言え、この面会を知られたら私が宇宙艦隊司令長官に睨まれかねないのだがな?」

 

 宇宙艦隊副司令長官は当然同盟軍の最高幹部の一員だ。故に同盟宇宙軍将官会議と同盟軍最高戦略会議への出席権を有し、当然統合作戦本部長への出征案提出も『意見具申』という形で行う事も出来る。

 

 とは言え、だ。制度上は可能としても、実際の所好まれる行いではない。統合作戦本部長に匹敵、あるいは次ぐ役職と言えば宇宙艦隊司令長官、宇宙艦隊総参謀長、後方勤務本部長、国防委員会補佐官、国防事務総局局長、地上軍総監、地上軍総参謀長の七役職である。それらに比べて宇宙艦隊副司令長官の役職は残念ながら一歩劣ると言わざるを得ない。

 

「私も君も、新たな役職に就任したばかりだ。そんな時に君が宇宙艦隊司令長官を飛び越えて私に直訴なぞ好ましい事でないと分からんかね?我々を引き摺り降ろしたい奴らからすれば不必要な憶測を流す基になる事位思い至っても良さそうなのだがな?」

 

 不機嫌気味にヴォード元帥は目の前の黒人提督を詰る。部下が自分の上を越えて上に直訴する事がどれだけ不快な行いか長らく軍人を勤めていれば分かりそうなものだが……。

 

「ですが……!」

 

 シトレ大将は尚も食い下がる。文民統制の原則はシトレ大将も理解していた。退役軍人は兎も角、現役軍人が必要以上に政治に関わるべきではない。だが、それはあくまでも政府の最終的決定に対しては例え意に沿わぬ決定であろうとも従う事を意味する。だからこそ軍部が派兵計画を実施しないとしても最終的に従うしかない事も理解出来る。

 

 だが専門化している軍事について文民だけで最適な方針決定が可能であるかと言えば必ずしろそれはイエスではない。アドバイザーとして軍人が政治家に『助言』する必要性はシトレ大将もまた理解している。そして宇宙艦隊副司令長官よりも統合作戦本部長や国防事務総局局長、あるいは国防委員会補佐官の立場の方がより国防委員会の助言役に相応しい事もまた同様である。

 

「国防事務総局のキングストン局長にも意見した事は聞いているぞ?にべもなく部屋から追い出された事もな。余り勝手な事はしない事だ、君を推薦した私の顔も立てて欲しいのだがね?」

 

 鋭い視線を向ける統合作戦本部長。その剣呑な眼光に一〇センチ近く背の高く屈強な出で立ちの筈のシトレ大将も思わず怯む。だが、そこは前線で多くの軍功を挙げて来た英雄である。すぐに険しい表情で睨み返す。

 

「……御言葉ですが閣下。私は貴方の派閥の所属ではありませんし、貴方に現在の役職の推薦を貰えるように嘆願した覚えもありません。そのように恩着せがましい御言葉を口になさらないで欲しいものです」

 

 売り言葉に買い言葉ではあるがシトレ大将はヴォード元帥が自身を今の役職から降ろす事も、まして軍部から追放する事が出来ない事もそのつもりが無い事も理解していた。

 

「私を推薦為されたのは候補者の中で最も『マシ』であるためでしょう?その程度の事は理解しております。故に貴方は私を解任する事は出来ない、違いますか?」

「……ふん、小賢しい奴め。こういう時に限って頭が回るとはな、厄介な奴だ」

 

 鼻を鳴らすヴォード元帥。確かにシトレ大将の言は正しい。この黒人提督の昇進は先日の『レコンキスタ』における戦功もあるがそれだけが原因ではない。

 

 先日まで宇宙艦隊司令長官であったヴォード元帥が統合作戦本部長に就任すると、年功序列とばかりに第一艦隊司令官と宇宙艦隊副司令長官を兼任していたカーン大将が元帥に昇進しその後釜に座る事になった。とは言え対帝国戦の経験が少なく専ら航路警備や対テロ・宇宙海賊掃討任務で頭角を表した老提督は来年にも退役する事が決まっておりその『次』を見繕う必要があった。

 

 宇宙艦隊副司令長官は決して明文化されている訳ではないが多くの場合その役職に就いた者が宇宙艦隊司令長官に昇格する事が多かった。即ち、カーン元帥の後釜が次の宇宙艦隊司令長官に就任する事となる。

 

 第一方面軍司令官グッゲンハイム中将、統合作戦本部作戦部長ワイドボーン中将、第五艦隊司令官イェンシャン中将、第一〇艦隊司令官プラサード中将等がシトレ以外の宇宙艦隊副司令長官、そして未来の司令長官候補者に挙がっていた。

 

 ヴォード元帥からすればグッゲンハイムの就任は論外である。統合作戦本部作戦部は花形部署であり自派閥でここを押さえる事は必須であるためワイドボーン中将の選択もない。イェンシャン中将は派閥的に中立であるが、下士官からの叩き上げでありあくまでも現場の人間だ。ヴァラーハ出身のプラサードは明確に旧銀河連邦植民地出の将官であり出来れば引き抜くのは避けたい。

 

 ハイネセン・ファミリーの家系に生まれ、士官学校の戦略研究科出のエリート、実戦経験も豊富であり派閥的にも少なくとも敵ではない、何よりも『レコンキスタ』における圧倒的軍功……ヴォード元帥にとって擁立された候補者の中で最もマシな選択である事は明白であった。

 

「おかげ様で私も派閥抗争の巻き添えです。私が貴方に繋がっていると勘ぐって訳の分からない輩が近づいてくるし、友人と会うのも難しい状況です。この程度の協力はして頂いても良いのではないでしょうか?」

「シトレ大将、君は統合作戦本部長を脅迫するつもりかね?」

「私にはそのような自覚はありません。そう思うのでしたら自身に心当たりがあるのではないのでしょうか?」

 

 シトレはそう言ってヴォード元帥の圧力を躱す。腐っても大将、この程度の処世術程度ならば身に着けている。

 

「……悪いがね、それでも君の要望に応える事は出来んよ」

 

 暫く睨み合いをしていた二人の中でヴォード元帥は先に降伏した。そしてその上で要望を却下する。

 

「君の気持ちは理解する。統合作戦本部作戦部や宇宙艦隊司令本部の参謀連中の中にも貴官と同じような内容で意見した者もいる」

 

 そもそも腐っても同盟軍制服組の最高司令官の立場に立つ身である。その程度の純軍事的道理が理解出来ない筈もない。

 

「既に折衷を重ねた末の結果だ。今更どうしようもあるまい」

 

 国境から流れた難民の収容と『レコンキスタ』の遠征費、荒廃した国境加盟国の経済復興に跋扈する宇宙海賊による被害、如何に同盟政府もこれらの負担を背負った上で更なる遠征を行うなぞ不可能だ。ヴォード元帥がエル・ファシルの戦いにおいてリスクを背負ってまで地上部隊を揚陸させ短期決戦に臨んだのも遠征予算の不足が一因だ。

 

「反戦派……いや、『分権推進運動』に対して与党も借りがあるからな。『反戦市民連合』と合流させる訳にもいくまいて」

 

 各星系政府の警備隊を部分的であれ『レコンキスタ』に動員出来たのは辺境に基盤を持つ『分権推進運動』の助力を得られたからこそだ。代わりに、辺境を始めとした星間航路の警備は手薄になってしまった。敗走した帝国軍には占領地の装備を引き揚げてから撤収するだけの時間がなく、部隊の装備を丸ごと放棄。手薄となった警備の隙を突き、宇宙海賊やマフィア、テロ組織がそれらを接収してしまった。今や帝国製の最新鋭兵器で武装したゴロツキ共が同盟領の彼方此方で火遊びをしてる。

 

「航路の維持は星間国家、そして星間経済にとって死活問題だ。我々は『分権推進運動』に借りた借りを返さねばならん。『反戦市民連合』と合流されたら目も当てられん」

 

 同じ反戦派でも『分権推進運動』と『反戦市民連合』は必ずしも連携が取れている訳ではない。寧ろ幾つかの公約では正反対の主張を唱える程だ。

 

 だが逆に言えば両者が連携してしまえば同盟軍にとっても与党にとっても十分脅威となりえる。両党が妥協点を見出し連携する前に『自主的』に同盟軍は辺境の掃除を行う必要がある。無論、国境への遠征と辺境の治安改善、双方に軍を送れる程今の同盟軍に余裕がない。だとすれば選べるのは一つだけであり……。

 

「国防委員会が長らく財政委員会と人的資源委員会に借りを作っている事もある。国防委員会も国防事務総局も両者から突き上げを食らえばノーとは言えんよ」

 

 『780年代軍備増強計画』では当時のジャムナ国防委員会議長が財政委員会・人的資源委員会を長い交渉の末にどうにか説得して軍の拡充と近代化を成功させた。何かと中途半端と言われる事の多い同軍拡計画であるが、当初の計画は更に悲惨だった。ジャムナ議員が老いた身体で関係各所と折衝を重ねなければ780年代における帝国軍の攻勢に同盟軍は耐えきれなかったであろう。

 

「……統合作戦本部長の立場は理解しました。確かに今すぐの派兵は困難でしょう。ですが……本当にそれだけであると?」

「どういう意味かね?」

 

 正論を並べるヴォード元帥に対して、しかし尚も怪訝な表情を浮かべるシトレ大将。ヴォード元帥はしらを切るように含んだ笑みを浮かべ尋ねる。

 

「アルレスハイム」

 

 シトレ大将の言葉にヴォード元帥は何も反応せず、何も答えずに宇宙艦隊副司令長官を見据える。

 

「派閥抗争に興味はありませんが、市民の犠牲は容認致しかねます。あそこが同盟加盟国の中でも殊更に『異常』な政府である事は理解していますが、だからと言って無辜の市民を見殺しにするのは承服出来ません。現状、距離的に同盟加盟国の中において最も帝国軍の侵攻を受ける可能性が高いあの星系の処遇をどうするつもりでしょうか?派兵をしなければ一年、遅くとも二年以内にはあの星系は戦場になるでしょう」

 

 正確に言えばアルレスハイム星系政府はアルレスハイム星系及びその周辺星系を統治している。当然それらの星系には鉱山やドーム型都市、人工天体等もある。即ち星系政府外縁部にも少なからずの市民が居住しているのだ。彼らの存在を含めればタイムリミットはより短くなるだろう。

 

 長征派の首魁たるヴォード元帥はあの帝国人の巣窟を見殺しにするつもりなのではないか?そんな疑念をもってシトレ大将は問いただす。

 

「……ふむ、そこまで信用が無いとは嘆かわしい限りだな」

 

 肩を竦ませて言葉とは裏腹に大して傷ついてなさそうに統合作戦本部長は語った。

 

「安心したまえ、私は極右や極左の馬鹿共のような感情で動く人間とは違い、文明的な紳士だ」

 

 小馬鹿にするように鼻を鳴らし冷笑するヴォード元帥。

 

「確かに本音の所を言えば彼奴らの存在そのものが吐き気を催す程度に嫌いではあるがね。それでもその組織票と金と人は魅力的だ。我々主戦派が政権を取り続ける上で彼奴らの存在は欠かす事が出来ん」

 

 我々、と自身もまた主戦派扱いされた事にシトレは若干不快気な表情を作る。ヴォード元帥はそれに意地悪い笑みを浮かべ、続ける。

 

「……それに侵略帝コルネリアスの時代ならば兎も角、今やアルレスハイム星系の経済は同盟と強く結びついている。ヴォルムスが焦土になってみろ、すぐにハイネセンの証券取引所は大パニックだよ。あそこは今や国境宙域有数の経済規模を持つ惑星、見殺しにするには此方の損も多すぎる」

 

 統合作戦本部長は同盟政府と同盟軍が亡命貴族の悍ましき巣窟をそれでも見捨てない理由を論理的に説明する。

 

「何、現状は辺境航路の平定に力を入れる事になるが来年の中半頃には纏まった戦力を派遣するつもりだ。安心したまえ」

 

 にやり、と粘り気のある笑みを持ってヴォード元帥は黒人提督に杞憂である事を伝える。とは言え、シトレ大将の懸念はそれだけでは消えない。

 

「ですが予算は如何様に調達する御積もりですか?閣下の仰りようでは遠征予算の確保は簡単にはいかないと思われますが……」

「その点も杞憂だ。余り当てにする訳にはいかんが我々には金の湧き出す魔法の壺がある」

「フェザーン、ですか」

 

複雑な口調でシトレはその名を口にする。

 

「奴らは我々と帝国双方から甘い汁を啜る寄生虫です、余り当てにするのは宜しくないかと」

「その程度の事は承知している。奴らは拝金主義者だ。だからこそ動きは読みやすい。自治領主府は帝国の圧力に抵抗するために我らの劣勢は看過出来ん。元老院の影の支配者共も半数は戦力均衡論者だ。イゼルローン要塞建設以来帝国に傾くパワーバランスの調整のためにはやはり我らへの援助が必要だ。それにフェザーン経済と同盟経済は一蓮托生だ。奴らもアルレスハイム星系で焦土戦などされたくなかろう。いずれにせよ奴らは我らを援助せざるを得ない」

 

 無論念のために関係各所での工作も進めている、ヴォード元帥は自信に満ちた表情を作り上げる。成程、筋は通っている。通っているが……。

 

(それでも、楽観的な考えではないだろうか……?)

 

 戦略家というよりも軍政家として一流であるヴォード元帥の計画を聞いても尚、シトレ大将は言いようのない不安に襲われる。それには根拠も理屈もない。唯の考えすぎであるかも知れない。だが……だがそれでも尚、シトレ大将は理性では辛うじて納得出来ても感情面から上官の計画に賛同出来なかった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうだねぇ、頑張っても九月頃になりそうだね、君の席を用意出来そうなのは」

 

 私有地の一角にある湖、その釣り場で椅子に座り漫然と竿を吊るし続けるヤングブラッド大佐は世間話をするように私の処遇について語る。あ、因みに護衛の皆さんは魚が逃げるっていって距離の離れた場所で警備してもらっているよ?

 

「二か月半、といった所か……夏に入るかどうかの季節だな。そんなに待たないといけないのか?」

 

 ヤングブラッド大佐のすぐ隣で同じように竿を構える私は非難がましい口調で尋ねる。

 

「仕方ないだろう?君の要望通りほとぼりが冷めるまで遠くに勤務したいと言っても大佐級を含む複数名の人事異動なんて簡単に椅子が空く訳じゃない。まして六月に定例人事異動があったばかりだ。それくらい待って欲しいものだね」

 

 困り顔でヤングブラッド大佐は答える。しかも前線は予断を許さない状況だ。そんな中で前線とは関係ない門閥貴族のボンボンの要望に関わるとなると無駄に手間がかかるのは確かだ。

 

「そうは言うがな……いや、無理を言っている事は分かっている。気にしないでくれ」

 

 母の横槍が入りにくい席を用意して欲しいと言えば唯でさえ少ない大佐級のポストから選べるものは更に減ろう。この際ポストを空ける努力をしてくれるだけでもありがたいと思うべきだろう。ポスト一つ空けるにしても派閥の力学が働くし御払い箱にするべき前任者のフォローも必要なのだ。

 

「そういってくれて助かるよ。此方としても可能な限り根回しを……おっ!これは食いついたかなっ!?」

 

 ヤングブラッド大佐の餌に獲物が食いつき竿を強く引き始めた。学年首席殿は慌てて身構える。

 

「ほれほれ、落ち着け。ルアーを巻かんか。ここの魚は結構どれも大物だからな、油断していると一気に食い逃げされるぞ?」

 

 横合いから釣り装束のケーフェンヒラー男爵が愉快そうにヤングブラッド大佐を見て指摘する。

 

「そうは言いましても……!私は釣りなんて殆どっ……!?」

 

 困惑しながらも獲物を釣り上げようと竿を引っ張り急いでルアーを回し始めるヤングブラッド大佐。ハイネセン生まれのハイネセン育ちは都会っ子であるために自然とも動植物とも触れ合う機会が滅多にない。まして帝国上流階級の趣味であるフライ・フィッシングなんて目にしたことも無かろう。

 

 そもそも同盟人は釣った魚を食べるという考えに中々辿り着かない。水産資源の豊富な一部惑星を除けば海産物は工場で完全自動養殖である。確か何年か前の調査で一部の子供達が魚は切り身状態で泳いでいると考えているとかいう結果が出てニュースで騒ぎになってたな………。

 

「うわっ!?お、落ちるっ!!?ちょっ!皆助けてくれないかなっ……!?」

 

 身体のバランスを崩してそのまま湖に落ちそうになるので私と男爵は肩を竦めて仕方無しに大佐の助けに入る。

 

「やれやれ、学年首席様がこんな事で助けを呼ぶとはな……」

 

 帝国人ならば子供でもこれ程困惑する者は少ない。それこそ貴族や皇族の坊っちゃんでもだ。アレクセイとは七歳位の時から良く釣りをしていたしその頃ですらこれ程動揺しなかった。

 

「そうは言っても……うわっ!?これはかなり……!?」

「お、水面から浮かび上がってきたな。随分と大物だぞ!」

 

 湖の水面に現れる黒い影を見つけどこか弾んだ口調でケーフェンヒラー男爵が指摘する。確かに湖を見れば結構な大物だと分かる影が映る。

 

「よしよし、慎重に引っ張っていけ……お前さん、網用意しろ」

「分かりましたよ、男爵」

 

 男爵の言に従い私は竿から手を離して足元のたも網を持ってくる。

 

「これは中々……よし、竿を頼むぞ。儂がたも網にかけよう」

「大丈夫ですか男爵?ぎっくり腰にでもなられたらホストとしては困るのですが……」

 

 七〇越えの老人にあの獲物を持ち上げるのは厳しいのではないか、と私は意見する。

 

「そんな間抜けな事はせんよ。最近は健康を考えて運動もしとる。いらぬ心配なぞするな」

 

 少し口を尖らせて心外とばかりに答える男爵。ここで意地を張っても仕方ないので私はたも網を男爵に差し出して竿の方を支える。

 

「よし、良いぞ良いぞ……ほれっ!うおっと!!?」

 

 岸に誘導してたも網で獲物を掬った男爵。しかし次の瞬間には獲物は網の中で暴れ出し周囲に水飛沫を巻き散らす。

 

「随分と激しく暴れるなっ!」

「そりゃあ向こうからすれば命懸けですからねぇ」

 

 我々からすれば道楽でも魚からすれば生きるか死ぬかの瀬戸際なのだ、必死の形相で抵抗もしよう。……まぁ、逃がさんけど。

 

「私達も支えましょうかね?」

 

 私はヤングブラッド大佐と共に男爵の持つたも網を支えて岸へと運ぶ。そしてそのまま獲物を釣り場の床に叩きつけてやる。もう逃げられんぞ!

 

「あー痛たた……油断したなぁ。結構重いな」

 

腰を撫でながら男爵は呟き、ぴちぴちと釣り場で跳ねる哀れな獲物を見やる。

 

「岩魚か。見た所八〇センチはあるかな?良く肥えとるわ」

 

 岩魚……褐色の体色に背中から側面にかけての白い斑点、サケ目サケ科イワナ属に属する川魚である。とは言え、オリジナルは西暦二一世紀前半の人口増加による乱獲と地球温暖化等の環境破壊で個体数を急速に減少させ、一三日戦争でほぼ絶滅している。この個体のルーツは核戦争以前に保存されていた地球時代の動植物遺伝子を基に地球統一政府による自然環境回復計画で再生されたものである。これは一三日戦争以前から現存する地球由来の原生生物の大半に該当する。

 

「想像以上に激しく動くものだね、えーとこれも止めを刺すのかい?」

 

 前日の狩猟の事を思い出してヤングブラッド大佐が尋ねる。

 

「いや、これは生簀行きかな?締めるのは料理長に任せよう。そう言う訳で……おーい、早く来てくれないか?」

 

 その声に答えるように数名の奉公人が生簀を持ってやってきた。中には既に水が入っている。奉公人達が数名がかりで暴れる岩魚を殺さないように取り押さえながら生簀に運ぶ。

 

「そろそろ昼過ぎか……それなりに獲物も取れたのでもうこれくらいで良いでしょう。どうです?屋敷に戻って昼食でも摂りますか?」

 

 私は義手で懐より金時計を取り出しその時刻を確認して提案する。釣り中は部下を遠ざけて密談する機会でもあるが、既に今回で必要な会話は殆ど終えてしまった。ケーフェンヒラー男爵も腰に少々負担がかかったようでこれ以上釣りに興じる必要もないように思えた。幸運にも今回釣れた大物で今夜のメインは決まったようなものだ。後は屋敷でインドアを決め込むのも悪くないように思えた。

 

「うーむ、まぁ良かろうて。儂もそろそろ空腹を感じていた所だしの。お前さんはどうかね?」

「付き添いの私に意見を求めるのですか?まぁ、私としても元よりインドア派ですからね。御屋敷に戻るのは賛成ですよ」

 

 髭を撫でたケーフェンヒラー男爵が尋ねれば補助在りとは言え大物と格闘し続けて息切れした学年首席殿が賛同の意を示す。

 

「そういう訳だ。悪いが馬車の仕度は出来るかな?」

 

 釣り竿を片付けながら私は奉公人達に尋ねる。奉公人の一人が急いで返事をして馬車を引く御者の下に駆ける。一々家臣に仕事をさせるなぞ怠惰な貴族だと第三者には思われるかも知れないが、帝国貴族社会では門閥貴族が気軽に家臣のすべき仕事をやる方が軽蔑されるので仕方ない。

 

 御者が引く馬車に乗りゆっくり釣り場から屋敷に帰宅するとすぐにその人影が視界に映り込んだ。

 

「ん……?」

 

 獲物を屋敷の裏口から厨房に送るように使用人に命じた後、屋敷の大きな正面玄関口を開ける。視界に入るのはダンスホールにもなる広い客間、その一角にある薪がくべられず火の気のない暖炉のすぐ側には机と安楽椅子、その椅子に座りこむビスクドールのような小さな少女の姿。その傍らには流行のドレスで着飾った複数人の侍女の姿も見え一瞬彼女らが年甲斐もなく人形遊びでもしていたのか、等と勘繰ってしまう。

 

「あっ……おにい…さま……?」

 

 侍女達と何やら楽しげに本を読んでいた(正確には読んでもらっていたと言うべきかもしれないが)フリル一杯のドレスを着た少女はしかし、顔を上げて私を視界に入れた瞬間その笑みを曇らせてゆく。分かってはいるがこうも嫌われると来るものがあるな。

 

「若様、御帰りなさいませ。お早い御帰りで御座いますね?」

 

 そそくさと侍女の一人が笑顔を浮かべ、ドレスのスカートを摘まみ上げ挨拶する。とは言えその立ち振る舞いは妹を自然に背中に隠す体勢である。これに倣い他の数名程の侍女も同じく私や客人に挨拶を行う。

 

「ああ、客人達が随分と大きい獲物を釣ってね。そろそろ昼食でもあるし後は屋敷内で親睦を深めようかとね。今日のメインは岩魚になりそうだよ」

 

 その言葉に侍女達の背後に隠れていた妹がドレスの端からこっそりと(本人は思っているが丸見えである)頭を出して此方を覗き込む。うん、その反応欲しかったの。

 

 昨日の内に侍女から妹の好みは粗方聞いている。彼女の好みと旬を考えれば岩魚が釣れたのは幸運だ。岩魚は春から夏口にかけて産卵に備え特に肥え太って食べ頃だ。玉葱や卵と共に赤葡萄酒で煮込めば良い仕上がりになるだろう。

 

「はぅ……」

 

 じゅるりと涎が垂れる小さな音が響いたような気がする。少なくともドレスに隠れた妹は先程までと比べて少しそわそわして楽し気だ。流石に母から厳しく躾けられているとしても年齢が年齢だ。淑女である以前に食欲旺盛な子供なのだ。

 

 妹は子供らしく口元を綻ばせるが、私の視線に気付くと再びその笑みを打ち消す。その大きく宝石のように輝く瞳は小刻みに震え、明らかにその奥には怯えの感情が窺えた。うーん、私の第一印象ってそんなに悪いのかね?

 

「……妹さんだったかな?改めて御挨拶させて貰おうかな?ケーフェンヒラー、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー男爵。どうぞ、お見知りおき頂けたら幸いですの、フロイライン?」

 

 そこににこにこと他所の貴族令嬢に挨拶するというよりは末の孫娘に語りかけるように自己紹介する男爵。一応、男爵が屋敷に来た初日に挨拶はしているものの二日前も昨日も然程二人は会話をしていない。母は幼く人見知りでまだまだ礼儀作法が完璧ではない妹を世間に晒すのは余り好きではないらしい。疎んでいる訳ではないと思うが……。

 

「ご、ごあいさつおそれいります。ティルピッツ家のちょうじょ、アナスターシアですわ。えっと……ごきげんよう?」

 

 男爵の挨拶に拙い口調で若干どもり、最後には殆ど疑問系になりながら妹は答える。母が聞けば叱責の一言が飛んで来るかも知れない。実際侍女達は緊張した表情を作り出し、妹もまた自身のミスを理解し表情を強張らせる。

 

「ふむ……」

 

 だがある意味では妹は幸運であった。男爵はしかしその非礼を咎める事なく、ちらりと私に一度視線を移し、それを戻せば次の瞬間にこやかに一つの提案を行ったのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

[それは会戦の中盤の事であった。要塞内の戦況モニターで賊軍と私兵軍が戦う中、突如として伯爵は後ろからブラスターライフルの銃口を向けられる!]

 

『和平交渉の艦隊には御父上が乗っておられた、その上で賊軍と共に要塞砲で……何故です?』

 

[伯爵の妹はブラスターライフルを構えながら兄でもある伯爵に父殺しの真相を問い詰める!その瞳には明らかな殺意の炎が燃えている!]

 

『ふっ、やむをえんだろう。タイミング外れの和平交渉が何になろうか?』

 

[伯爵は向けられた銃口を気にもせず、冷笑しながら犯行を自供する。そこには罪の意識も呵責も一欠けらも存在しなかった!正に冷酷無情!]

 

『……殺す必要まではありませんでしたね、伯爵?』

 

[妹でもある副司令長官が醒めた瞳で兄を見つめ、失望に満ちた声でブラスターライフルの引き金に指をかける!]

 

『ふっ、冗談はよせ』

『意外と、お兄様も甘いようで』

 

 

 

 

「ぱーん!次のしゅんかん、ぶらすたーのあおじろいせんこうが伯爵の額w「おい待て、そのシーン色々可笑しくね!?」

 

 私は妹が朗読するマス目に書かれた内容を聞きながら突っ込みを入れる。具体的には凄いどこかで見た事ある下りなんだけど!?

 

 ケーフェンヒラー男爵の提案で我々は妹と共に軽い昼食を頂いた後、その妹と客間で親睦を深める、という建前で人生ゲームに興じていた。というか今私(の駒)死んだんだけど?

 

 より正確に言えば漸く爵位が伯爵位まで上がったのに戦争マスに留まり挙句に『御家騒動イベント』に巻き込まれ無事死亡した。

 

 フェザーンの某ゲーム会社の販売する帝国宮廷風人生ゲーム(定価一万二〇〇〇ディナール)は子供向けの癖に無駄にシビアだ。帝国騎士からスタートして最終的な爵位と領地で優劣を競うこの人生ゲームは途中で恋愛や決闘等のイベントは勿論、中には暗殺や陰謀イベントまである。駒は全て象牙製に宝石がはめ込まれ、賽子は孔雀石と小道具まで高価である。

 

「ほれほれ、ルーレットを回さんか。まだまだ希望はあるぞ?」

 

 急かすように男爵が指摘する。御家騒動イベントから暗殺イベントに発展したとしてもまだ希望はある。ルーレットの出目次第では影武者イベント、息子がいれば後継者継承イベント、最悪辺境落ち延びイベントだって……。

 

「あ、かげむしゃるーとしっぱい、いちぞくろうとうしゅくせーだって」

「ガッデム!」

 

 私はルーレットに向けて中指を突き立てる。ルーレットの出目は最悪であった。いや知ってたよ?多分最悪のルートになるだろうなぁって予感はしてたよ?けどこれ内容洒落にならないんだけど!?

 

「まずは一人脱落だな。おっ、儂は漸く子爵様だな」

 

 ルーレットを回したケーフェンヒラー男爵が象牙に紅玉の瞳の男爵駒を蒼玉の瞳が嵌め込まれた子爵のそれに交換する。

 

「次は私ですね。あ、荘園が増えましたね。別荘を建てられます」

 

 そう言って盤上に配置された精巧なミニチュアハウスに旗を立てるヤングブラッド大佐。ははっ、もう総資産で全員に抜かれてやんの。ワロスワロス。

 

「つぎはわたしね!えいっ!」

 

 可愛らしい掛け声と共にルーレットを回転させるアナスターシア。くるくると軽快な音と共に回るルーレットは次第にその動きを緩やかにしていき……。

 

「やった、いさんそーぞくだって!」

 

 にっこり笑みを浮かべて妹は私の手元に残っていた数少ない財産である美術品(のミニチュア)をごっそりと持っていく。はっは、これで魔術師様と同じ一文無しだぜ!

 

「そうしょぼくれるな。奇跡的確率で御落胤発見ルートがあるやもだぞ?ほれ賽子を振れ」

「平然と振るけどそれも相当値が張るんだよね……」

 

 天然の孔雀石を削り出して作られた賽子がプラスチック製のそれと同様のノリで振られるのを見て呆れ気味に語るヤングブラッド大佐。これしかないからね、仕方ないね。

 

「そして当然駄目か」

 

 ちらりと妹の方を見やる。楽し気に盤上を見ていた妹は私の視線に気付くと次の瞬間不安げな瞳を向ける。

 

「な、なに……です…か……?」

 

 おっと、楽しい雰囲気に水を差してしまったな。うーん……そろそろ私も学習せんとな……。

 

「いや、ナーシャが楽しそうで良かったと思っていてな」

 

 私は可能な限り優しい表情を作るように努力して(あくまでも努力である)、圧がかからないように気を付けながら声をかける。

 

「う……?」

 

 私の発言にその意味を図りかねたように小さく首を傾げる妹。うん、可愛い。

 

「私も忙しくてな、こうして遊んでやる事もなかっただろう?だから正直笑顔で楽しんでくれると安心してな」

「えっと……こんなにあそんでばっかで……おこらない?」

 

 尚も意味を図りかねるようだ、恐る恐るといった表情で此方の様子を慎重に伺いながら妹は尋ねる。

 

「当然だろう?妹が遊ぶのを咎めるものか。それに私もお前と同じ位の頃はよく遊んだものさ。いや、周囲に迷惑かけていただけ私の方が質が悪いな」

 

 そう言って小さく笑うと少し、ほんの少しだけ目の前の血を分けた妹の警戒心が薄まった気がした。あるいは私の思い過ごしの可能性もあるが……。

 

「それにしてもナーシャは強いな。私も昔はそこそこやっていたんだが……いやぁ、良く負けたものだな。アレクセイにベアトに……ああ、士官学校入学のためにハイネセンに行くまでは従姉妹……ヴァイマールの所の小娘とかに罰ゲームで馬扱いされてなぁ」

 

 私は腕を組んで神妙な表情で記憶を掘り返す。あの野郎、人が下手に出てやったら調子こきやがって。ムカつくので鬼ごっこでガチで追いかけて強制尻叩きをしてやったっけ?(因みに泣かれた、おいそこ!大人げないとか言わない!!)

 

「えっと……シルヴィアおねえさまとディアナおねえさまのこと?それだったらあそんでもらったことあるよ?」

「それは結構。随分と大人気なかっただろう?特にシルヴィアの方は?」

「うーん……うん」

 

 悩まし気に首を傾げ、しかしすぐに思い出したように肯定する妹。この分だとやはり性分は変わっていないな。出目が悪かったらこっそりとルーレットを回し直そうとしたり盤をひっくり返してゲームリセットを図ろうとした事もあるしな。

 

「その点ナーシャは大人しくて良いな。もう立派な淑女様だな」

 

 と私は自分の番が来たので賽子を振る。やったぜ、遂に御落胤発見だ。暗殺されないように成り上がらないとな。

 

「……ほんとう?おかあさまにはこどもっぽいってたくさんいわれるよ?」

「母上に比べればそりゃあなぁ……けど少なくともシルヴィアや私よりかはずっと大人らしいと思うぞ?」

「……けどおかあさまは…………」

 

 少しどもり、そして上目遣いで此方を見据える妹。

 

「……おかあさま、おにいさまとばっかりいるんだよ?かまってくれないの。わたしのこと、あんまりすきじゃないんだよ」

「………」

 

 私にそう言った妹は気まずそうに視線を下に向ける。む、場の空気が重くなったな。こういう時はどうするべきか……。

 

 私は助言を求めるように客間の端に控える侍女連中に視線をやる。彼女達の無言のジェスチャーを見て苦い顔をした後、同じくゲームに興じていた男爵と学年首席殿に助けを求める。無言で彼らが侍女達と同じジェスチャーをしてくるので私は僅かに迷い、仕方なく彼らの助言に従う。

 

「……世話をかけるな」

 

 私は一瞬躊躇するが、そのままそっと妹の長い銀髪に左手を乗せる。その感触でビクッと身体を震わせた妹はゆっくりと私を上目遣いで再度見つめる。

 

「母上のアレは逆でな。ナーシャと違って出来の悪い私を放っておけないんだよ。何せいい歳こいてトラブルばかり起こす問題児だからな」

 

 自虐的に私は笑う。これは嘘ではない。母の心労の何割かは私の責任だ。

 

「その分ナーシャには迷惑をかけてしまっている。悪い兄でごめんな?」

 

 私はそのままさらさらとした感触のする妹の頭を撫でる。妹だから許されているが無断で女性の髪を撫でるのは余り宜しくはないんだよなぁ。

 

「ナーシャは偉いな、母上から手をかけなくても良いって思われる程お利口なんだぞ?私も見習わないとな」

 

 私は可能な限り優しい瞳で妹を見下ろし、頭を撫で続ける。

 

「わたし……えらい?おにいさまよりも?」

「勿論だとも」

 

 恐る恐るの質問に私は澱みなく答える。少なくとも同い年の私よりは余程良い子だろう。

 

「え、えっと……」

 

 一方、妹の方は私の発言に毒気を抜かれたような表情を浮かべ、次いで何を口にするべきか悩んでいるように思えた。そこにいつの間にか傍に来ていたダンネマン一等帝国騎士令嬢が恭しく妹の耳元で何事かを囁く。

 

 ナーシャはそれに困惑し、迷うような表情を浮かべ、最後は少しだけ恥ずかしそうにしながら口を開く。

 

「えっとね……もっとなでてくれたらすこしだけゆるしてあげるよ?」

 

 舌足らずの口調での命令、そこには恥ずかしさと緊張と怯えと僅かな期待が複雑に混ざり合っていた。周囲を見やり、私は助言を求める。無論、彼らの答えは出ていた。なので私は答える。

 

「勿論ですよ、ナーシャ(マイン・シュヴェスター)、いえお嬢様(ダス・フロイライン)?」

 

 そう礼をすれば今度は子供らしく小気味良さそうな表情を浮かべる妹。

 

「へへっ……しかたないなぁ。けどわたしはおりこうさんだからゆるしてあげるよ」

 

 そして、思い出したような表情をする。

 

「そうだ、あとね!きのうのゆーしょくね。ありがとうね。だからね、すこしだけゆるしてあげたんだよ?」

 

 お茶目な悪戯っ子のような屈託のない笑みを浮かべる子供。だが、私がその表情で彼女に見られたのは初めての事であった。

 

「……ああ。寛大な御慈悲、心から感謝するよ」

 

 子供の感情は移り気だ、恐らくは彼女の心変わりに大した意味はないのだろう。明日になると今日のこの会話も忘れてまた以前のような態度を取られる可能性も高い。そうでなくとも子供の機嫌はすぐに移り変わっていくものだ。

 

 だが、それでも……それでも私にとっては身内のその言葉と心からの笑顔で少しだけ救われた気がしたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あんさつイベントだって。おにいさまのごらくいんはしぼーだって!」

「ファッ!?」



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第百三十二話 忠誠心の値段は何ディナール?

そんなに話は進まないかも


「それでは健闘を祈る」

「あぁ、苦労をかけるね」

 

 三日間に渡ったケーフェンヒラー男爵の訪問も終わり7月5日の早朝頃、帰り支度をした男爵とヤングブラッド大佐の暇を見送った。屋敷の玄関で使用人達が並び、母や妹と共に男爵に挨拶と土産を差し出す。男爵がそれに対して礼の口上を述べ皆が注目をする一瞬の合間に、私はその傍らに控える学年首席殿に耳打ちをした。

 

 男爵と大佐が屋敷に滞在中、私は直筆で各種の仲介のための手紙をしたためていた。そして二人がこの屋敷を去る直前にその手紙を渡した。これらの紹介状を有効利用出来るかは大佐とその上にいるお歴々方の話術と賄賂次第だ。

 

 ………賄賂ってぶっちゃけている時点で私も原作でいう立派な国家の寄生虫だよなぁ。

 

「では、そろそろ失礼しようかの?フロイライン、またお手紙を送らせてもらうよ?」

「はい!男爵もどうぞごそうけんでいらしてください!」

 

 帽子を脱いでにこやかに一礼するケーフェンヒラー男爵に妹はにこやかに答える。ゲームをしたお陰かそれまで警戒気味であった妹は男爵に懐いていた。男爵の方も実の孫娘のように可愛がるのでこの二人の関係は短期間の内に良好になっているようであった。

 

「では御二人を頼むよ?」

「了解致しました。……毎度の事ながら御苦労が絶えないようですな?」

 

 二人の馬車を護衛するために馬に騎乗したファーレンハイト二等帝国騎士が優雅な敬礼で答える。答えた後に不敵な笑みを浮かべ小さな声で揶揄う。

 

「言ってろ」

 

 次のボーナス削るぞ、と内心で毒づく。

 

 男爵と大佐が馬車に乗り込めば御者が手綱を引いて馬車は進発する。後続には土産を載せた荷馬車が続きその周囲には一個分隊の護衛が囲む。

 

「さぁヴォルター、そろそろ御屋敷に戻りましょう?」

 

 馬車が遠目でしか分からないようになると母はにこやかに微笑みながらそう口を開く。

 

「そうですね。ナーシャ、行こうか?」

「あっ…は、はいっ……!」

 

 私が名前を呼べばナーシャは一瞬戸惑いつつもすぐに笑顔を浮かべとてとてと私のすぐ後ろからついてくる。

 

 これまでの妹の内気な性格を理解しているがために、母はその様子を見て鳩が豆鉄砲を食ったような驚きの表情を浮かべた。そしてその姿を見て思わず私は妹と目を合わせて悪戯の成功した子供のように小さく口元を綻ばせていた。

 

 

 

 

 

 私がハイネセンの片田舎で療養……という名の監禁生活を過ごしている間にも銀河社会の情勢は目まぐるしく変わっていった。

 

 7月16日、最高評議会及び同盟上下両院にて国防委員会が提案し統合作戦本部が作成した同盟辺境正常化作戦の予算認可が採決された。『レコンキスタ』によって敗走した帝国軍一部部隊が合流し、また流出した大量の兵器で武装した宇宙海賊やマフィア、外縁宙域諸勢力への対処は、旧式兵器と訓練不足の兵士の比率が高い星系警備隊や星間航路巡視隊だけでは荷が重かったのだ。

 

 統合作戦本部の作成した辺境を『大掃除』する作戦の範囲は広大だ。国境に面する第二方面軍管轄域の一部にフェザーン方面たる第七方面軍管轄域のほぼ全域、ネプティスを司令部とする第五方面軍の受け持ち宙域の半分……全一二航路、有人惑星を有する星系は一一三個、領域内人口は約三二億人、単純な空間的な比較では同盟の国土の三割以上の宙域が掃討作戦の範囲に含まれる。

 

 総司令官は先日の『レコンキスタ』の搦め手として帝国軍に圧勝し、その後宇宙艦隊副司令長官に任命されたシドニー・シトレ大将が務める。極めて有能な将帥であるのは間違い無いが、治安戦よりも正規戦にこそ適性がある人物であるのも確かだ。本作戦の総司令官として宇宙艦隊司令長官にして治安戦の専門家たるカーン大将を推す声も大きかったのでこの抜擢はある種の意外性を持って受け止められた。

 

『宇宙艦隊司令長官は帝国軍との有事の際に実働部隊の総指揮を務める必要があります。故に歴戦の名将たるカーン大将には中央で睨みを利かしてもらい、まだ若く経験の浅いシトレ大将に大軍指揮の経験を積ませる。そのような考えからこの人事が最適であると判断した次第です』

 

 記者会見にて統合作戦本部長に就任したばかりの英雄デイヴィッド・ヴォード元帥がにこやかな笑みを浮かべそう説明したが、少なくとも同盟軍の主だった高級士官達はこの言葉を鵜呑みにはしていない。

 

『物は言いようだな。実態は点数稼ぎだ』

『老いぼれのカーンをさっさと退役させてシトレを後釜に据えようって魂胆さ。あの阿漕なヴォードらしい』

『シトレめ、宇宙艦隊司令長官の椅子欲しさにヴォードと組んだようだな』

『中立を気取っていても所詮は同じハイネセン・ファミリーってこった』

 

 これらのシトレ大将に向けられた悪評は第三者の目で言えば当然の反応であるが、もう少し裏側を知る者であれば寧ろ同情の念すら起きるだろう。シトレ大将は巻き込まれただけの存在に過ぎないのだから。

 

 その筋から情報を受け取っている者であれば、ヴォード元帥が消去法でシトレ大将を宇宙艦隊副司令長官に抜擢したことも、なぜ本作戦の総司令官に据えたのも分かる筈だ。

 

 投入される戦力の主力部隊は第七艦隊及び第一二艦隊、第八地上軍である。ここにそのほか総司令部直属部隊・方面軍直属部隊、星間航路巡視隊・星系警備隊が編入される事になる。総兵力は七五〇万四二〇〇名、戦闘・支援用艦艇五万五八〇〇隻。数的戦力では半年前に実施された『レコンキスタ』の半分以下ではあるものの、それでもかなりの大動員である。

 

 これほどの戦力の投入は大袈裟に思えるかも知れないが、何せ範囲が範囲である。その上、星間国家にとって航路の安全は社会・経済的に文字通りの死活問題である。末期の銀河連邦は議会と財政の混乱から辺境の治安を維持出来なくなり、地方の民心と加盟国の離反を招き、諸勢力の台頭と抗争の時代を経てルドルフの強権政治を市民が支持する原因ともなった。同盟としてはかつての銀河連邦同様の事態だけはどうしても避けなければならない。

 

 故に相手が戦力的に圧倒的に格下であろうとも同盟政府は全力でそれを叩き潰すつもりだ。同盟警察の巡視艦隊や地方自治体の星系警察や自警団、地元各企業の有する警備部隊等もこの作戦に協力する事が決まっていた。

 

 確かに、これだけの動員を行いながら対帝国戦にまで遠征部隊を派遣するのは難しいだろう。彼らの肩を持つ気はないが、暫く大規模な遠征を控えたいという気持ちは分からなくもない。

 

『掃討作戦の期間は凡そ六か月、来年の二月までには該当範囲の治安を正常化し、市民の生活の安全を回復させる次第であります。改めまして議会と市民の軍への協力を御願い致したく思います』

 

 そう取材に答えたのは第二次マクドナルド政権の国防委員会委員長イノウエ議員である。第二次ティアマト会戦にて右腕と右足を喪失し自由戦士勲章も授与された八六歳の地上軍予備役中佐は人当たりの好い笑みを浮かべ深々と頭を下げる。

 

 その後ろにはトリューニヒト議員、ネグロポンティ議員を始めとした数人の現職国防委員議員が控え、更に一歩下がった場所に丸々太ったガマガエルのような異様な風貌を纏う国防委員会補佐官が目立たぬように小さく液晶画面に映りこんでいた。 

 

 先代後方勤務本部長たるワン・ジェンミン大将は国防事務総局と並び同盟の国防体制の方針を決定する影の支配者だ。階級と役職こそヴォード元帥が凌ぐものの、それはあくまでも適材適所として配属された結果に過ぎない。純粋に軍人として国政に関わりたいのならば国防委員会補佐官か国防事務総局局長の地位に着任するのが一番だ。

 

 その点で言えば、ワン大将は純粋な軍事的指揮能力こそせいぜいが分艦隊司令官が限界であるが、それ以上に後方勤務としての手腕は抜群であった。

 

 近年の成果と言えば『780年代軍備増強計画』であろう。同盟軍の後方支援体制や艦艇調達体制の改革、単座式戦闘艇スパルタニアンやラザルス級宇宙母艦の採用に当時のジャムナ国防委員会議長とタッグを組んで取り組んだ。

 

 更に過去の軍歴に遡れば憲兵総監として軍部の極右クーデターの阻止に成功し、第三方面軍司令官時代には事務処理体制の改革で人件費の抑制と業務の効率化を推進、第一輸送軍司令官時代にはアレックス・キャゼルヌやシンクレア・セレブレッゼ、ジョセフ・ロックウェルと言う名だたる若手の逸材を引き抜き自ら現場の実習と技能を徹底的に叩き込んでいる。お陰様で同盟軍の後方支援体制は今後数十年は安泰と言われていた。恐らく此度の辺境正常化作戦の予算採決でも裏で暗躍している筈だ。ヤングブラッドの上司の一人でもある。

 

 一方で後方勤務本部長時代に物資調達等のコンペで企業から多くの賄賂を受け取り私腹を肥やしていたとも言われる。そのため、一部では同盟軍の典型的な腐敗将校とも囁かれる。

 

「兎も角も、これで前線への大規模な遠征軍派遣は完全に頓挫した訳だな」

 

 私の呟きは誰もいない部屋全体に静かに反響する。

 

 屋敷の居間の一室、ニュースを流す衛星テレビの備え付けられたその部屋で、私はソファーで足を組みながらノイエ・ヴェルト紙の見出しに視線を移す。辺境正常化作戦……正式作戦名称『パレード』……の投入戦力や諸将の一覧の端に申し訳程度の同盟軍の国境派遣部隊の人事についてのコラムがあった。

 

 一個戦隊に三個師団。余りにも少な過ぎる国境への増援部隊であるが、これですら恐らく苦しい予算とローテーションの中で捻り出したのであろう事を考えると、つくづく同盟軍の総戦力の絶対数不足が悲しくなってくる。

 

 同盟正規軍の増援に対しての小さな取り扱いとは打って変わって、次のページに印刷された記事は遥かに大きな空間が割かれていた。

 

『ヴァラーハ星系政府議会、本邦に対して星系警備隊派遣を可決!!』

『エルゴン星系政府首相、義勇軍募集を認可。来年度までにアルレスハイム星系に派遣する事で調整』

『ポリスーン星系政府、星系警備隊の国外派遣を示唆。派遣先はアルレスハイム星系か?』

 

 本来ならば星系警備隊を国外派遣なぞ世論が許さないだろう、それが国境諸星系が前線への動員を計画しているのは『レコンキスタ』の直後であり有権者の理解が得られやすいからだ。

 

 また彼らからすればエル・ファシルの悲劇を繰り返したくはなかったのだろう。国境諸星系でも特に重武装のアルレスハイム星系政府が陥落すればその軍事的衝撃はエル・ファシル陥落を超える。難民の数も馬鹿になるまい。

 

 国境地域の経済にも大打撃を与える。この周辺宙域にて商工業が最も発展しているのはエルゴン、ヴァラーハ、アルレスハイムの三星系であり、ほかの国境諸星系政府も含めこれらの星系は経済的には相互依存関係にある。その一角であり一人当たりGDPに至っては最も高いアルレスハイム星系が戦火で荒廃すれば、唯でさえ中央宙域に人口が流れ込み気味ある国境宙域経済にとっては致命的だ。同盟政府が『パレード』の実施に踏み切った以上彼ら自身で動かざるを得ない。

 

「憂鬱になるな……」

 

 残念ながら私もアルレスハイム星系の戦いの正確な年と月日は覚えていない。そもそもこんな立場になるなんて想像もしていなかったからそんな細かい設定なぞ暗記出来る訳がない。それ以前に私のせいかそれ以外の理由か、あるいは元々パラレルワールドなのかは知らないが既に細かな所では原作と乖離していた。故にアルレスハイム星域会戦すら原作通り始まるかは分からない。だがもしこの世界でも会戦が起こるとすればその原因は恐らく………。

 

「……前線の状況も厳しくなっているか」

 

 ノイエ・ヴェルト紙の三ページ目に視線を移せば戦局についての情報もある程度推測出来る。

 

 アルレスハイム星系政府は段階的に予備役の動員を繰り返しているが、今月に入り更に予備役一八個師団の動員、同盟及びフェザーンの民間軍事会社より追加で五万名に及ぶ傭兵の雇用契約を結んでいる。

 

 防衛戦力たり得ない女子供の一部や亡命政府各機関、亡命貴族の妻子の疎開計画も始まっており、ハイネセンポリスのシェーネベルク区等の各地の帝国人街、亡命貴族の所有する後衛の私有地への避難が行われていた。戦局が更に悪化すれば各種企業や工業設備、温存が必要な熟練労働者や技術者、学者、専門家等の『希少価値の高い人材』の避難も検討される筈であった。尤も、大多数の市民の避難は貴重な予備戦力確保のために、また物理的困難性故に行われないと思われる。

 

 フォルセティ星系を突破した帝国軍はシグルーン星系に達し、その周辺宙域にて亡命政府軍との激闘が繰り広げられている。

 

 亡命政府軍はこの星系の各所に防衛拠点を構築し星系全体を要塞化、周辺星系を出城として同盟軍と共同して幾度も帝国軍の攻勢を弾き返している。

 

 しかし帝国軍が『レコンキスタ』の敗北から立ち直り増援部隊が最前線に到着すれば防衛線の突破は時間の問題だ。その後方にも幾つかの防衛線はあるが、何れもシグルーン星系のそれに比べれば簡易的なものであり、そこまで長い抵抗は不可能であろう。このままでは本土たるアルレスハイム星系に帝国軍が進出を果たしてしまう。そうなれば……

 

「その前にどうにかしないとな……」

 

 尤も、色々と前途は多難であるが。特に母とか母とか母とか……。心苦しいが事が事だ、最悪は強硬手段を出るしかあるまい。というか多分十中八九強硬手段に出る事になりそうだ。あぁ、今から腹が痛くなる……。

 

 まぁ、それはそうとして……。

 

「おい、何部屋に入ってきて自然に人の靴にしゃぶりつこうとしていやがる?」

 

 取り敢えず悩みは棚に上げるとして、私は足元で跪き発情期の犬みたいにはぁはぁ荒い鼻息をする騎兵隊軍服の従士に尋ねる。

 

「いえっ!若様のお靴が汚れていそうなのでここは忠実なる従士のお務めとして一つお掃除をして差し上げようかと……!」

「そうか、まずは病院で治療を受けてから掃除をしたらどうだ?多分PTSDか何かに罹っているぞ。間違いない、私が保証する」

「先日定期健康診断を受けて正常との結果が出ております!!」

 

 腹立つ程のキメ顔で敬礼をする従士。亡命政府軍の医務局も人材不足のようだ、こんな奴を精神状態問題なしとして通すなんて弛んでる。

 

「弛んでいませんよ!あ、それともむっちり系がお好みでしょうか?」

「いや、体形の事じゃない」

 

 衣服を上に上げ腹を地肌ごと見せ抓る馬鹿に私は冷静に突っ込む。(相手が相手の事もあるが)この程度の事でいちいちドキマキする程私も初心ではない。

 

 因みにこの馬鹿の脂肪は(一部を除いて)そんなに多くない。パイロットなので筋肉が引き締まるのだろう、腹を抓るも然程肉はないのが分かる筈だ。

 

「きゃっ!若様が私の身体を隅々まで舐め回すように観察してる!」

「おう、目玉腐ってるな」

 

 自分自身を抱きしめるように両手を交差し赤面しつつ軟体動物のようにくねくねと動く中尉。その恥を晒しまくっている姿を歴代の御先祖様が見れば血涙を流して嘆き悲しむ事であろう。

 

「むー反応薄いですよー。泣いちゃいますよー」

「一人で泣いてろよ」

 

 私が淡々と返答して新聞に視線を移すので若干不満気にムスっと頬を膨らませる栗毛の女性士官(子供か)。私が胡乱気な視線を向けると漸く彼女はこの馬鹿げた会話を終わらせる。

 

「はぁ!むっつりスケベの若様は仕方ありませんね!それでは改めまして御挨拶を!イングリーテ・フォン・レーヴェンハルト亡命軍宇宙軍中尉、宇宙暦790年7月16日を持ちまして此方ティルピッツ伯爵家私有地ミネルウィアの警備に配置換えになりました!どうぞ宜しくお願い致します!!」

 

 諦めたように溜息を吐いてから姿勢を正し、私の目の前でニコニコと笑顔を浮かべ再度敬礼するレーヴェンハルト従士家の面汚し娘である。その姿と口上を見聞きして正直もう色々とげんなりしてきた所ではある。とは言え……。

 

「……ああ、着任御苦労だ。フォルセティでは大変だったな」

 

 胸元の戦傷章と空戦徽章をちらりと見やり仕方なしに私は労いの言葉をかける。流石に母艦が吹き飛んだ上に空戦中に軽傷とは言え戦傷した家臣を罵倒し続ける程私は性格が悪い人間でもない。

 

 昨年の『レコンキスタ』において、陽動・牽制として第24星間航路方面で攻勢に出た同盟・亡命政府軍の混合部隊に参加したイングリーテ・フォン・レーヴェンハルト少尉はしかし、艦隊が帝国軍の奇襲を受けた事で母艦であったホワンフー級宇宙空母『テーティス』が爆散、命からがら発艦した所で敵味方の入り乱れた乱戦に参加する事になった。

 

 空戦で五機のワルキューレのほか砲艇二隻を撃沈、巡航艦一隻を共同撃破したのと引き換えに流れ弾で機体が中破、飛び散った機体の破片が腕に食い込む怪我を負い後方の友軍の下に撤退を余儀なくされた。

 

「いやぁ、機体がスパルタニアンで幸運でした!グラディエーターでしたらどうなっていた事か!」

 

 へらへらと頭を掻いて笑う中尉であるが実際の所は笑えない。一世代前のグラディエーターに比べてスパルタニアンは搭乗員の生還率を飛躍的に向上させた。一例として大型化による装甲強化に新規採用の耐Gスーツ、機体内部の漂流時用の備品も拡充されている。

 

 何より注目すべきは『子守唄』とも称される自動着艦システムであろう。正確にはこのシステムと類似のものはグラディエーターやカタフラクト等の前世代型の単座式戦闘艇にも備えられていたが、スパルタニアンに装備されているそれは出来が違う。

 

 機体の損傷やパイロットの負傷に合わせて簡易人工知能が母艦ないしその場で最も近い収容可能艦艇の下に敵の攻撃を回避しながら向かうそれはパイロットの生命線だ。また長距離航行中等の自動操縦・自動警戒も受け持ちパイロットの負担軽減も行ってくれる。レーヴェンハルト中尉も腕の負傷で操縦が難しくなった所でこのシステムのお陰で退避出来た。その意味では確かに幸運だ。

 

「全治一か月だったか?」

「プラスでリハビリに一か月です!」

 

 シャキーン!と言ったポーズで答える中尉。こいつはいちいち人をムカつかせながらでないと返事が出来ないのだろうか?

 

「そうか、どちらにしろもう元気そうでなりよりだ。後遺症もないのだろう?」

 

 そう尋ねると中尉は雷に打たれたような衝撃を受けた表情を浮かべる。

 

「若様が私を心配している!?もう終わりです!銀河は滅びます!けどいいわっ!この愛に包まれて死ねるのなら!!」

「よし、そろそろふざけるの止めような?」

 

 流石にガチで腹立ってきたぞ。

 

「それで?ここに来る次いでに訪問して来たのだろう?会えたのか?」

 

 私は新聞を閉じ横に置くと目の前の従士に『本題』について尋ねる。

 

「それについてですが……まず御屋敷全体の空気が御通夜でした。家人から使用人、奉公人まで屠殺を待つ家畜みたいでしたよ?あ、後凄くもてなされました」

 

 帰りにお菓子貰ったのですが要りますか?と何処からともなく菓子箱を出して来る。いらんがな。

 

「腐ってもレーヴェンハルト家の直系だからな。少しでも味方が欲しいんだろうな」

 

 目の前のこいつの脳味噌が腐敗しているとはいえ、レーヴェンハルト従士家自体は伯爵家の家臣団の中でも重鎮に類する。大変不本意であろうがそこの本家長女をもてなさない道理がないし、まして面会を謝絶も簡単には出来まい。寧ろ今後の事を考えると少しでももてなさないといけないだろう。

 

 彼女が此方に人事異動になったのを良い事に、私は中尉に一つ『御使い』を頼んでいた。即ち、ゴトフリート家への訪問である。いや、正確に言えばハイネセンのゴトフリート家別邸で『療養』しているベアトへの面会と言うべきか……。

 

 ベアトは私と共に『リグリア遠征軍団』に回収された後、最低限の治療を受けてそのまま病院船で移送されハイネセンの第四軍病院で療養、その後ゴトフリート家が半分程力ずくで連れ帰り、疎開に備えてハイネセンのド田舎に買っていた別荘で『自宅療養』を受ける事になった。

 

 私も重傷を負っていたのでテレジアと違い匿ってもらえる場所を用意する時間は無かった、恐らくは私のローデンドルフ少将への『御願い』がなければ今度こそ母の命令で怪我が悪化して『急病死』していた事だろう。それは回避されたが相変わらず連絡を取る手段は無かった。前回と違って問うべき『罪状』そのものが消失しているものの此方が使者を送っても丁重に誤魔化されてしまう。

 

 臨時雇いの新参食客で駄目ならばどうするか?もっと格のある使者を送るだけだ。本人の人格は兎も角として家柄は優れている目の前の従士ならば下手に追い出される事はないと踏んでいたが、どうやら正解だったらしい。

 

「まぁ、彼方の御当主さんと御隠居方達と軽ーく駄弁りましてね?何だかんだあって会わせてもらいましたよ!」

 

 あの手この手でやんわり言いくるめて御帰り頂こうとしたのかも知れない。まぁ、こいつには効かないのだが。

 

「それで?様子はどうだった?」

「あー、そうですねぇ………」

 

 私の更なる質問に対してレーヴェンハルト中尉は少し歯切れが悪そうにする。

 

「何と言いますか、精神的に中々堪えているようでして……」

 

 余裕が無さそうでした、と答える従士。

 

「余裕がない、か」

「はい、客間で面会が許されましたが真っ先に若様の御容態についてしつこく聞かれましたよ」

「まぁ、彼方からすれば責任問題だからな」

 

 ベアトは味方に回収された段階でかなり意識混濁状態だった。私の腕が斬り落とされている事も気付いておらず、知ったのは間違い無く医療用ベッドの上の筈だ。最後まで護衛の立場でいた身からすれば気が気でなかっただろう。下手すればある日いきなり自裁強要も有り得た。

 

「念のために聞くがベアトの方は……」

「少なくとも手酷い目には遭っていない筈です。会話も出来ましたし、痣なども残っていません。歩く事も出来ていました」

「……それは良かった、か」

 

 少なくとも逃げないように足を折ったり、会話が出来ないように喉を潰すような『躾』はされていないと言う訳だ。まずその事実に安堵する。え?それ虐待じゃねぇかって?帝国は家長制の傾向が強いし周囲への面子のためなら可能性は低いにしろ有り得ない事ではないから困るんだよ……。

 

「そうか。言付についての返事はどうだ?」

「それは……自分の事はお忘れ下さい、と」

 

 少し困った表情を浮かべて、頬を掻きながら気まずそうに答える中尉。

 

「……そうか」

 

 私はその伝言に暫く瞠目し、一言も口にせず沈黙する。その言葉の意味を咀嚼し、飲み込み、分析し、生じる感情を処理してから、私は再度口を開いた。

 

「ご苦労だった、レーヴェンハルト中尉。此方の警備に配属との事だが……まぁ、見ての通り、こんなハイネセンの田舎を襲撃する物好きなぞいないからな。実質有給休暇みたいなものだ。暫く羽を伸ばしてくれ。車は言えば借りられるだろうから近くの街に観光に行ってもいい。好きにしてくれ」

 

 私は『お使い』を終えた臣下に労いの言葉を伝える。実際、明らかに航空科の彼女を警備としてここに配属するのは通常ならば可笑しい事であり、実態は負傷と軍功による休暇を与えられたと言うべきだった。私からの仕事も終えた以上後は気楽に過ごさせてやるのが筋であろう。尤も、当の本人は少し違う意見があるようであった。

 

「いえいえ、御心配なく!御用とあらばいつでも仰って下さいませ!私も基本的に此方に滞在致しますので!」

「?別にパイロットを必要とするような仕事はこっちでは無いが……」

「御手持ちの食客ではやりにくい御役目も色々ありますでしょう?折角此方に派遣されたのですから私が受け持った方が良いのでは?」

「………」

 

 ニッコリ笑みを浮かべて尋ねる中尉。私は少しだけ彼女の企みについて逡巡し、答える。

 

「……正直お前さんに益は無いんじゃないか?」

 

 唯でさえ呆れられているのにそこにトラブルの片棒まで担ぐ必要もあるまいに。こいつそのうち勘当されるんじゃないか?

 

「何を仰る!若様と秘密を共有する絶好の機会!二人だけの爛れた秘密なんて背徳的で興奮しませんか!?」

「あっそう」

「あはっ!完全に関心失ってますよ!!」

 

 私はどうでも良さそうに返事をしながら新聞を読み直し始める。こいつの話に付き合った私が馬鹿だった。

 

「冗談ですから!本当冗談ですから真顔で新聞読まないで下さい!」

「おっ、ヘンスローグループの業績が上がってるな。この分だと来期の配当は期待出来そうだな……」

「マジすみません!ふざけないので無視しないで下さい!!」

 

 ギャーギャーと騒ぐので仕方なしに視線を戻してやる。普段からふざけなければ周囲も冷たい目で見てこないと言うのに……。

 

「うー、マジで凹みますー。私も無視られ続けたら流石にきついんですよー?」

 

 涙目になりながらうーうーと唸る従士令嬢(の筈の存在)。

 

「それで?お前さんも私の反抗期に協力すると?後で母上から怒られるぞ?」

「私は奥様の臣下では御座いませんので」

 

 一応の警告をするが中尉はどこ吹く風とばかりに嘯く。確かに正確には母上は伯爵家の出身ではないが……酷い屁理屈だ。

 

「お前さんの忠誠は我が伯爵家と?」

「それは正確ではないですねー」

 

 そう呟いてレーヴェンハルト従士は改まったように立ち上がり咳払い。背筋を伸ばして敬礼する。

 

「私、イングリーテ・フォン・レーヴェンハルト従士は若様に仕え、忠誠を尽くしているが故に奥様の勘気を問題視していないのです」

 

 その端正な容貌に怜悧な表情を浮かべ、中尉は断言する。そこには先程までのふざけた女の姿は一欠けらも無かった。

 

「……言ってろ」

 

 私は暫く沈黙した後、仏頂面でそう短く返答した。本当に酷い屁理屈であると私には思えた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その若干薄暗い室内では会話が続いていた。

 

「あぁ、そうだ。暫くはそちらに戻れそうにない。本邸に残した者達だけで業務をしろ。再来月には其方に戻る。……あぁ、分かっている。この難事の時期に代々禄を食んできた我々が尻尾を巻いて逃げ出すなぞ有り得ん事だ」

 

 優美な格調を持ち、しかしどこか過剰な装飾気と退廃感も備えるヴィクトリア様式の執務室。その奥でベルベット生地張りの椅子に座り、マホガニー製の執務机に備え付けられた黒電話の受話器に話しかける壮年貴族の会話だけが室内に反響する。その声調は低いが、僅かに苛立ちと疲労も読み取れる。

 

 ルドガー・フォン・ゴトフリート亡命政府軍准将、自由惑星同盟軍予備役大佐とゴトフリート従士家当主、シュレージエン州グライヴィツ郡長を兼任する金髪紅瞳の男は電話越しの会話を終えるとガチャンと若干荒く受話器を戻して険しい顔を作り出す。

 

「そうだ、有り得ん事だ。我が家がそのように恥知らずな家系である訳がない……!」

 

 静かに、しかし苦々し気に近頃流れる不愉快な噂を否定する一族の当主。そしてその不快感を胸に抱えたままルドガーは執務室の壁に掛けられた肖像画の数々に視線を向ける。

 

 そこに描かれるのは誇り、讃え、敬うべき自身の先祖、名誉ある歴代のゴトフリート従士家の当主達の姿であった。

 

 総勢二八人に昇る歴代当主、その彼らの大半が自身と同じく豊かな金髪に紅玉のような瞳を有する。それは幼少時から主家に忠実に仕えた崇拝すべき初代当主から代々受け継いだものであった。

 

 賢臣がいた、主家を守るためにその身を犠牲にした忠臣がいた。武功を重ねて軍将官や高官に昇進した者もいるし、帝室や主家から格別の褒美を賜った者、主家の庶子を妻に貰った者もいる。

 

 だがそんな彼らが今はただ不安げに、心配そうに此方を見つめているように彼には思えた。無論、彼らはあくまでも絵画であり絵が動く訳がない。それでも彼にはどうしても今の状況から目が錯覚するのか、彼ら先祖達が憂いを秘めた瞳で彼の動きを見ているように感じられてしまうのだ。

 

 唯一違う表情で此方を射抜いているとすれば一族の始祖であろうか?高圧的に、侮蔑するかのように彼を見下ろすその視線に肖像画である事を理解していてもルドガーは思わず溜め息をつく。

 

「分かっておりますとも。……えぇ、分かっております」

 

 現当主は始祖に対して弁明するかのように小さく呟いた。当然ながら返答はないし求めてもいない。その意味では何方かと言えばそれは自身を奮い立たせるものであったかも知れない。

 

「………」

 

 暫く沈黙した壮年の当主は、次の瞬間覚悟を決めたように椅子から立ち上がる。

 

 執務室を出た先の廊下は妙に薄暗かった。回廊と展示室を兼ねるロングギャラリーを進めば、その端で奉公人出身の数人の女中や執事達が不安げに立ち話を囁き合う声が聞こえて来る。

 

「どうなると思う、これから?」

「俺に分かるわけ無いだろう?そんな事……」

「まさかとは思いますけど……流石に御取り潰しまでは……」

「だけど伯爵家の奥様は御嬢様に相当お怒りだってよ。あっちで女中してる従姉妹が言ってたぞ?」

「最悪、親戚を頼ってほかの仕え先探すしかないな……」

「ほかの家からも少し距離取られ始めているしな。御当主様はどう考えているんだ……?」

「お嬢様さえしっかりしてくれたら我々もこんな気苦労なんてしなくていいのに……!」

 

 苛立ちと焦燥感に駆られた彼ら彼女らの言葉。相当話に熱中しているようでお陰でその当主が傍に来ている事に気付いていないように思える。

 

「卿ら、何をしている?遊ぶでない。仕事に戻れ」

 

 淡々と声をかけるルドガー。その声に顔を青くした奉公人達は慌てて彼の方を振り向き礼をすると気まずげにそそくさとその場から退散する。その奉公人達の後ろ姿を見つめ、彼は渋い表情を作る。

 

「一族だけでなく、奉公人共にも噂は広がっているようですね、御父上」

「……ジークムント、もう此方に着いたのか?」

 

 ゴトフリート従士家の当主は背後からの声に振り向く。そこにいるのは彼同様に豊かな金髪に血のように赤く輝く瞳を持つ、三〇代半ばを過ぎているであろう亡命政府軍の軍服を着た端正な紳士だった。その足元には荷物があり、彼が屋敷に来たばかりである事が分かる。

 

「ええ、先日の便で此方に来ました。……話によれば可愛い妹がまた何か仕出かしたとか?」

「浮ついたような声で話すでない。事の重大性を理解出来ないか……!」

 

 ロングギャラリーに飾られた絵画を鑑賞しながら口を開く息子にルドガーが叱責するように注意する。既に主家に提供した一族直系の娘が何度やらかして来た事か、まして今回は失態の規模が違う。責任の所在こそ有耶無耶になっているが、少なくない家々が表立って口にはしないもののゴトフリート従士家に非難の視線を向けている事をルドガーは知っていたし、それが一族に与える影響も理解していた。下手をすれば従士家としての立場を失う可能性すら零ではないのだ。

 

「あの愚女一人の失敗で一〇〇名を超える一族同胞と一〇〇〇名もの家臣とその家族が路頭に迷う事になりかねんのだ。全く、あの一族の恥晒しめが……!」

 

 ルドガーの娘を貶める言葉は、しかし父親としては兎も角一族の当主としては極めて全うなものであった。一族直系の令嬢として彼の娘は一族と家臣達の立場を守り、主家に滞りなく、従順に奉仕する義務がある筈なのだ。それが蓋を開けてみれば誠心誠意仕えるどころか失態の繰り返し、それどころか将来主家を継ぐであろう嫡男の腕を目の前で斬り捨てられ、しかも足手纏いになっていたともなれば……!

 

「本来であればアレは今すぐ自裁して御当主様と若様にお詫びしなければならぬ立場だ。それを……」

「助命は妹がお願いした事ではないでしょう?全てあの子に入れ込んでいるお坊ちゃまの我儘だ」

 

 肩を竦め嘲るようにゴトフリート従士家本家の長男は指摘する。

 

「ジークムント、口が過ぎるぞ……!!」

 

 主家の嫡男を貶めるような言い草を注意するように叱りつける当主。彼の『長男』の立場を考えればそれはある意味当然の事であった。尤も、当の彼はどこ吹く風ではあるが。

 

「そうお怒りにならずとも良いではありませんか?事実でしょうに。それに……『御父上』も本当はあの子の事が心配でしょう?」

「………」

 

 口では罵詈雑言を吐きつつも長男は父が父なりに妹を愛している事を見抜いていた。子供達の中で年が離れた唯一の娘であり、今は亡き妻に最も顔立ちが似ているがため、目の前の父が赤子の頃から愛情を注いでいた事位ジークムントは知っている。

 

「寧ろ御叱りを受けるべきは彼方では無いですかな?全く、前線になぞ首を突っ込まずにオフィスで食べて飲んで寝ての生活をしておけば良いものを……我儘に付き合って血を流すのはいつも我らが一族だ」

「ジークムント……!」

 

 剣呑さを僅かに含んだ苦い父の声に、しかし嘲笑と仄かな憐憫を含んだ笑みを浮かべる長子。顔を横に振り形ばかりの謝罪の言葉を口にする。

 

「口が過ぎましたね、どうぞ御容赦下さいませ御父上。長旅で疲れてしまい口元が緩んでしまっているのですよ」

 

 何せ前線から一月半も船旅でしたから、と続けるジークムント。

 

「……そうだな。疲れれば心にもない言葉を口にする事もある」

 

 彼の『父』は周囲で話を聞いている者がいないか入念に警戒した後に続ける。

 

「お前は良く我が家と主家に仕えてくれている。我が一族を継ぐに相応しい良き『息子』だ。そのような言葉、一時の気の迷いだ。分かったな?」

「……はい、『父上』」

 

 その仰々しい返事に僅かに眉間に皴を寄せるルドガーは、しかし暫しジークムントを見つめ、踵を返してその場を去る。恐らくは屋敷の一室で軟禁状態の娘に会いに行くのだろう。

 

「……やれやれ、父上も貧乏籤を引いたものだ」

 

 父の背中を嘲りと哀れみを混ぜ合わせた瞳で見つめるジークムント。あの怒りの半分程は事実としてももう半分程はポーズに過ぎない事を彼は読み取っていた。寧ろ、あれくらいの怒りを見せなければ他家や分家への示しがつかないのだ。

 

 警備や雑務を行う奉公人や食客達も親戚が他家に仕えており、それを経由して父の態度や発言をある程度伝え聞いているだろうし、それ以上に分家や長老衆が面倒だ。立場の弱く打算的な半分はゴトフリート従士家の権威を守るために、盲目的で忠誠心過剰判断力過少の半分は純粋な怒りから本家の末娘を文字通り『吊るし上げ』ようとしているのだから。そう思えば敬愛すべき『父』の立場にある種同情の念すら浮かんでくる。

 

「本当に困ったものだ。そうでしょう?初代様?」

 

 ジークムントは壁に掛けられた油彩画を見つめる。そこには明らかな敵意の感情が籠っている。

 

「貴方の身勝手な信仰で我々は今でも血を流し、犠牲を払っているのですよ?そろそろこんな因習や呪いから解放されたいのですがね?我々も一人一人意思を持ち、感情のある人間だ、飽きられたら捨てられる門閥貴族の従士(玩具)じゃない」

 

 語りかけるような、罵倒するような、詰るようなその言葉に当然ながら答える者はいない。

 

「………我々はもう十分過ぎる程に主家がために犠牲を払って来ました。もうこれ以上我々が貴方の信条に付き合う義理なんて無い筈だ」

 

 少なくとも私は貴方の主義のために自分の子供達を、家族を贄にするつもりはない、と冷たい声で続ける一族の末裔。

 

 彼の独白に対して、彼の睨みつける油絵に描かれた教条的なルドルフ主義者であり狂信的な貴族主義者でもあったという一族の始祖は静かに、しかし剣呑な表情で彼を非難するように見つめ続ける。少なくとも彼にはそのように見えた。

 

 分かっておりますとも。この恩知らずの放蕩者が、とでも言うのでしょう?と末裔は内心で尋ねる。成る程、そういう見方もあろう。

 

 だが彼からしてみればそれこそが可笑しい。どれ程に報酬があろうとも誰が好き好んで自らの兄弟姉妹の命を差し出し、自分の子供を贄にし責め立て、一族で失態を演じた者を侮蔑せねばならないのか?家族同士で憎しみ合わされなければならないのか?その報酬を有り難がるなぞまるで我々は飼い犬……いや、奴隷以下の卑しい存在ではないか?

 

「………我々に後どれだけの一族を、家族を生け贄に差し出せと言うのです?」

 

 ジークムントは目を伏せながら視線を逸らし暫し間その場に佇む。だが数刻もすると静かに彼はその場を去る。薄暗いロングギャラリーの奥から階段を上り宿泊部屋に向かうつもりだった。その一歩進む度に暗くなる長い廊下が一族の行く末を隠喩しているようにジークムントには思えた。



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第百三十三話 焦って事を行うとミスしやすいという話

糞どうでもいいけどヴィンランド・サガを見ました
ノルマン人(ゲルマン)の野ばn……勇猛さが思う存分見れて良かったです

後ロードエルメロイ二世の事件簿、生意気系金髪ロリ幼女が義妹になるとか最高かよ!


 帝国における門閥貴族同士の面会や訪問には、大概大仰な調整が必要になる。

 

 元々門閥貴族達は普段から遊んでばかりの暇人のように見えて、実際の所は暇ではない。祝宴や狩猟は遊びではなく接待や談合の相談であるし、公的な官職に就いていれば一部の窓際部署を除けば普通に激務だ。それ以前に領地経営を始めとした業務がある。寧ろ官職にしろ領地経営にしろ管理職故に残業代なぞ出ないし、明確な私生活と仕事の境界線がないために場合によっては富裕な平民よりも忙しい場合もあり得た。そんな中で時間を作る必要がある。

 

 男性だけでなく女性もまた帝国上流社会では暇ではない。女性の社会進出が同盟・フェザーンより遅れている帝国ではあるが、代わりにやるべき事は幾らでもある。

 

 以前にも触れたが、銀河帝国の女性は同盟やフェザーンに比べ社会進出こそ遅れているが、社会的立場が低い訳でもその重要性が低い訳でもない。貴族令嬢・貴婦人の家庭での仕事は晩餐会、舞踏会、茶会にサロンの主催、その場に呼ぶべき者の選別と手紙の執筆を当主や夫と共に相談して決める。それらは宮廷での勢力図や各家の血縁・力関係、噂や財力、性格を基に決める訳だが、貴族貴婦人令嬢の蜘蛛の巣のように複雑な(そして時に陰湿な)人間関係はその際の重要な情報源である。

 

 儀礼も大事だ。幼少期から詩に古典・現代文学、裁縫に美術史、哲学、神学、語学、書道、家政学、ヴァイオリンやピアノ等の楽器演奏……これらの教養は社交界に出るまでに身に着ける事が出来て当然として扱われる(どれも実生活では役立たずの時間の無駄遣い?貧乏帝国騎士の金髪の小僧には貴族の洗練された文化が分からんのです!)。そこに場の空気と参加者の機微を汲み取り場に相応しき会話をし、味方を増やす話術、気遣い……一族の繁栄を影ながらも支えるのが貴族令嬢・貴婦人であった。彼女達からすれば何も考えずに遊んでいると思われるのは心外だろう(無論、楽しんでいるのも事実であろうが)。

 

 こうした理由から入念な段取りを経て面会するタイミングが決められるのだが、敢えて面会する機会を遅らせる(される)場合もある。これは当事者の上下関係を知らしめるための一種のパフォーマンスである。尤も、これは面会に来る相手側に準備の時間を与えるための場合もあるが……(特に貧乏貴族の場合は体面を保つための人と物を揃えるのも簡単ではない)。

 

 ……さて、その点で考えた場合、今回彼女への見舞いが遅れた理由は大きく分けて二点あろう。一点目が私がヤングブラッド大佐等との面会を優先する必要があった事、二点目は後程詳しく語るが恐らくはこれまでの私の(意図せぬ)所業の数々から色々と勘違いした母による完全なる善意のせいである。

 

 そしてその結果が八月の始まり頃という、当初の申し出から半年近くも遅れた末の見舞いの訪問という訳であった。

 

 さて、上記の事については私も色々と含む事はあるが、この際は何を言っても言い訳にしかならないのは理解している。だが、せめて……せめてこれだけは言わせて欲しい。…………ストレスでお腹痛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めまして、此度の御昇進誠におめでとう御座います。旦那様の御栄達、一族を代表して御祝いさせて頂きます」

「アッハイ」

 

 ソファーに座る二十歳にもなっていない少女は手元のティーカップをテーブルの上に戻すと深々と頭を下げ、完璧な礼儀と形式でそう会釈する。明らかに嫌がらせであろう月日を待たされたにも関わらず、不快気を一切表さずに微笑みながらそう答えられると一層の罪悪感に襲われる。

 

 いや、可笑しいなとは思ってたんだよ。此方に来てから順番に見舞い客とは会って来たんだ。爵位や血統順に両親の親族を始めとして色々な見舞い客と顔を合わせたんだよ。それなりに忙しかったし、ヤングブラッド大佐達や食客達との連絡もあって正直忘れていたんだよ。

 

 気づいたのはヴァイマール伯爵家の小娘達が見舞い(とは言え儀礼的に仕方無く行かされたらしいが)に来た時だ。

 

『ねぇ、従兄。何で私らのグラティアちゃんの御見舞いの手紙だけ無視するわけ?虐め?元から従妹のお尻を奇声上げながら遠慮なくぶっ叩く性根の腐った糞従兄とは思っていたけどそろそろマジで失望するんですけど?』

 

 見舞いに来た(筈の)小娘から塵を見る目で睨まれて漸く事に気付いた。婚約者からの手紙が全て母上の方に流れているじゃないですかやだー。後自然に言っていたから気付けなかったがいつからお前達の伯爵令嬢になった?

 

 取り敢えず従妹からそう言われたと同時に私は母の私室にエキサイティングに突入した。そして母からおおよその内情を聞いた後急いで呼ぶように『お願い』した。

 

 うん、微妙に大変だった。『もう少し待たせた方が良くてよ?どちらが格上かを見せつけないといけないでしょ?』なんて笑顔で言われるんだもん。いや違うんだ母上、全て偶然なんや……結果的には奇跡的な程アレでも別に今まで彼方さんにマウンティング取るつもりなんて微塵も無かったんや……。

 

 どうにかしてこれ以上婚約者の私への印象を下げないようにするため(もう地面にめり込んでいるなんて言わないで!)に見舞いの訪問を了承する手紙を母に書いてもらった。このままだと夫婦生活を始めてすぐに背後から愉悦の笑みでアゾット剣で刺されかねん。

 

 その結果がこれである。以前会った時に比べると僅かに大人びて、しかしやはりどこか幼さを強く感じさせる少女はソファーに座り私に微笑み掛ける。

 

 とは言え外面は何も問題無さそうにしているが中身は分かったものじゃない。普通に考えれば何ヵ月待たしてんだよ!である。私ならばぶちギレているだろう。絶対内心私の事を罵倒しまくってくれているだろうね。

 

「申し訳ない。此方に来てから色々とたて込んでいまして、グラティア嬢をお出迎えする準備を出来なかったのです。どうか御容赦下さい」

 

 予め考えていた言い訳を述べる。もしここで更に深掘りの追及をされても問題はない。あらゆる対応に合わせて三十通りもの返答を用意しているからな!!

 

「いえ、家々ごとに事情がおありでしょう。こうしてお会いさせて頂く事が出来るだけで望外の幸せで御座います。お気になさらないで下さいませ」

 

 小鳥のような声で歌うように答えた後、にこりと愛想笑いを浮かべるグラティア嬢。お、おう……。

 

 正直ここまでへり下られたら何か滅茶苦茶悪い事した気分になる。というか色々考えていた自分が醜く思える。

 

 恐らくは謙遜であろうがそれでも随分と良く出来た娘だと感心する。それだけ厳しい躾を受けて来たと言う事でもあろうが……。

 

「それよりも………」

 

 そこまで言って僅かに陰りのある表情を浮かべるグラティア嬢。その視線は手袋をした私の右手に注がれていた。

 

「……御負傷為されたとお聴き致しまして眠れぬ日々を過ごしておりました。幻痛は御座いませんか?何かありましたら我が家も可能な限り御協力させて頂きます。何なりとお申し付け下さいませ」

 

 僅かに躊躇した後、しかし憂いを秘めた視線を此方へと向けてそう語る婚約者。私が身体欠損した事を慮る。

 

 とは言え先程の言葉を額面通りに受け取る訳にもいくまい。此方への印象は良くないだろうからな。心配していたのは嘘ではないかも知れないが、それは私個人というよりも負傷が遠因となって婚約が破談なり延期なりを憂慮しての事だろう。

 

 目の前の令嬢に心から慕われていると考える程私も自惚れてはいない。そもそも貴族間の婚姻は九割方が政略結婚であり、しかも殆どの場合親や長老衆同士での合意で決められる。まして彼女の家の状況が状況である。私の仕打ちも含めれば打算で心にもない言葉を言われたとしても仕方がない事だ。

 

「御心遣い痛み入ります。ですが御心配は無用です。後遺症は御座いませんし義手も漸く身体に馴染んで来た所です」

 

 もう本物の腕同然です、と手袋を着けた右手の指を動かして見せる。特注のオーダーメイドだから私の神経に合わせてちゃんと調整もされている。感覚と反応だけならば限りなく本物に近いだろう。

 

「それは幸いで御座います。そ、その………」

 

 ふと、何かを考えたように言い澱む婚約者。

 

「どういたしましたか?」

「い、いえ……何も御座いません」

 

 私が反応するものの、当の婚約者の方は僅かに慌てて自身の態度を否定する。

 

「そんな事はないでしょう?……気になるのなら触れて見ますか?」

 

 そういって私は右手の手袋を外して機械仕掛けの腕を差し出す。少女の視線から逆算しての私の提案だ。

 

「で、ですがそんな失礼な事……!!お気になられないで下さいませっ!!」

 

 血相を変えて必死に否定しようとするグラティア嬢。まぁ、義手に触れてみたいなんて言えば見方によっては悪趣味に思われるだろうから否定もしよう。とは言え……。

 

「……いえ、やはり将来夫婦となるからには私の義手に不安を覚えるのも当然の事でしょう。そう深く考えないで下さい」

 

 少し触られる程度ならば気にしませんよ?、とゆっくりと右腕を差し出す。

 

「……そ、それでは誠に失礼ながら」

 

 不安げな表情でグラティア嬢は恐る恐るといった体で身を乗り出す。髪形を変えたのだろう、プラチナブロンドのウェーブのかかったハーフアップにしていた頭が身長差もあり丁度私の首元に来る。ほのかに甘い柑橘類の爽やかな香りが鼻孔から感じた。

 

「そう言えば髪形、お変えになられたのですね?確か……以前はロングヘアーでしたか?」

 

 世間話と緊張感を解き解す目的から私は何気無しに呟いた。

 

「えっ?あ、はいっ……!その……お気に召しませんか……?」

 

 一瞬何を言われたか分からないような顔をして、しかしすぐに理解した伯爵令嬢は上目遣いで此方の態度を窺う。立場が立場とは言え、一々私の機嫌に敏感にならないといけない彼女に気の毒な気分になってくる。

 

「そんな事はありませんよ。貴方の金色の髪に良くお似合いですよ」

 

 取り敢えず貴族教育で学んだ知識の引き出しから貴族令嬢を褒める単語を思い出してそう答える事にする。嘘か真か、女性は髪形や服装、化粧の違いを認識し褒められるのが好きらしい。

 

「そ、そうですか。おほ……いえ、お褒めに預かり光栄ですわ」

 

 一瞬はにかんだような笑みを浮かべた婚約者は、しかし次の瞬間何かを思い出したように沈んだ表情を浮かべ、次いで沈んだ口調で限りなく儀礼的に返答した。解せぬ、然程気の利いた言葉を口にした訳ではないがそこまで落胆される言葉を口にしたつもりは無いのだが……。

 

「あ……改めまして失礼致しますわ」

「あ、あぁ……」

 

 私の思考でも読み取ったのか、僅かに動揺した声でグラティア嬢はそう伝え話題を逸らす。一瞬生じる重い雰囲気。その流れを変える意味もあって再度戸惑いつつも最終的に彼女は銀色に光る腕へとその新雪のように白くか細い指を触れさせる。

 

「……冷たい、ですね」

「まぁ、機械ですから」

 

 大昔の機械式義肢に比べて排熱効率も大幅に改善しているのでよほどの激しい動きかリミッターが解除されない限りは然程熱は感じられないだろう。金属特有の冷たさを纏う機械の腕……。

 

「……触れている感覚はあるのですか?」

「ええ、表面に圧力センサーがありますから」

 

 正確には超極薄の膜のようなものが義手に貼られており、それが圧力を検知すると内部で受信し圧力データを電気信号に変換、コネクタを通じて肉体の神経から伝わり脳が圧力を認識する……と、流石にここまで言う必要はないかね?

 

「………」 

 

 グラティア嬢は沈痛そうな表情を浮かべ義手に流れるように触れていく。優しく、労るように撫で回しその手は次第に指から手首、腕に続き……肘のコネクタ部分で止まる。

 

「お話ではお聴きしましたがこんな所まで………」

 

 痛ましげに肘の機械と生身の身体の境界線部分を見つめ、撫でる。丁度生身の右腕の肘部分に婚約者の手が触れた瞬間、私は僅かに仰け反った。

 

「ど、どういたしましたか!?やはりまだ痛みが……?」

 

 小さな動きではあったが私の反応に怯えと不安を含んだ瞳で尋ねるグラティア嬢。尤も、実態は彼女が思う程深刻なものではない。寧ろ遥かに下らない事だ。

 

「い……いえ、大丈夫ですよ。ただやはり機械からの信号と生身の神経の感覚は微妙に違いましてね。突然生身の方に触られて少し驚いてしまっただけですよ」

 

 私は苦笑する。何と言うべきか……義肢の電気信号は感触として理解出来るしその温度や柔らかさも理解は出来るが、やはり人工の感覚である事が分かってしまう。対して生身の神経だと無機質的だった感覚とは訳が違う。

 

 柔らかく、しかも温かみのある伯爵令嬢の手の感触が突然来て思わず驚いて仰け反ってしまった。碌に女子と手を繋いだ事もない学生かよ、と突っ込まれるかも知れないが、間に義手を挟むどこか無味無臭な感覚で暫く過ごして慣れてしまうと案外これがびっくりするのだ。

 

「ほ、本当で御座いますか……?御無理は為されてはいけなせん。私に落ち度があるのでしたら御遠慮なく……」

 

 表情を青くして小動物のように震える一回り以上年下の婚約者。私は落ち着いた表情を作るのに努め、彼女を安心させるために言葉をかける。

 

「怪我をして心労をかけた身でこう言っては何ですが、それ程心配して頂けるのは嬉しい限りです。御安心下さい、実生活で影響を与える程のものではありませんよ。少なくとも貴方に迷惑がかかるような事は殆ど無いでしょう」

 

 正直、婚約者が毎回危険な目に遭って死にかけるだけでも気苦労するだろう。まして結婚生活に入る前に利き手欠損の義手生活となれば精神的に結婚に戸惑いが生まれるのも仕方ない事だ。とは言え、先程言った通りに彼女からすれば自分からの婚約の破棄なぞ考えられないし許されない。

 

 彼女の悩みやストレスを増やす元凶がどの口で語るか、であるがそれでも実生活で問題無い事をアピールするのはしないよりもマシであろう。

 

「いえ御迷惑をかけるなぞ仰らないで下さいませ。我が家も曲がりなりにも武門の出です。一族にも家臣にも義肢を利用している者はおります。普段の生活で問題がない事は理解しておりますわ。それよりも……」

 

 と私の義手を悲し気に……少なくとも外見としては……見つめて続ける。

 

「覚悟はしていたつもりでしたが……やはり甘い覚悟で御座いました。御怪我をしたと聞いて見苦しくも取り乱してしまいまして……それにこうして実際に腕を見せて頂くと……中々胸のざわつきが収まらないものです。正直今も少し動揺している所が御座います」

 

 そして義手を見ていた視線を此方に合わせる。此方を何度目かの上目遣いで見つめ、若干戸惑い気味に語る。

 

「このような事を口にするのは宜しくないのかも知れませんが……どうか出来得る限り御怪我を為さらず、御壮健で御帰り下さいませ。私も微力ながらも日々旦那様の無事の御帰りを祈らせて頂いておりますれば、どうか御体を御自愛下さいまし」

 

 以前……ハイネセンポリスのクレーフェ侯爵主催の宴会でも彼女の似たような言葉は聞いた事があった。

 

 だが、あの頃の義務的かつ淡々とした言葉に比べて今日の彼女のそれはより感情のこもった、より本音に近いものに聞こえた。少なくとも私にはそう聞こえたし、それが只の勘違いであるとは出来れば思いたくない。

 

「……善処致しましょう」

 

 断言しないのは私の狡い所である。実際問題本当に危険なのはこれからであるのだから。あの金髪の小僧が台頭し始めるとそれこそ命が幾つあっても足りない。故に誤魔化すようにそう答えるしかなかった。

 

「……はい」

 

 しかし義手に両手で触れる目の前の少女はそんな誤魔化しの言葉にそれでも口元を緩め、少し安堵した表情となる。本当は私の誤魔化しを理解している可能性もあるが……それでもその美貌と幼さ、健気さも合わさり僅かに私は惚けていた。同時に自身の『これからの予定』を思うと罪悪感で胸が重苦しくなる。

 

「………そろそろ帰宅の準備を為された方が良いでしょう、この辺りは思いの外暗くなるのが早い。見送りますよ」

 

 どれ程の時間が経ったのか、壁掛け時計が1800時……午後六時の時刻を告げる鐘の音を鳴らす。その音で我に返った私は表情を取り繕いそう進言する。だが次の瞬間に目の前の伯爵令嬢は怪訝な表情を浮かべる。そして口を開いた。

 

「……?今夜、いえ二週間程此方に宿泊する事は御伝え致した筈なのですが‥‥…御聞きになられておりませんか?」

 

 その不思議そうな表情に一瞬私は思考がフリーズしていた。だが、すぐに脳内の思考はフル回転し目の前の婚約者の言葉を分析し、その答えを導き出す。

 

「も、もし御迷惑でしたら今回は「い…いえ、そんな事御座いませんよ?ははは、失念しておりました、申し訳ない!どうぞごゆるりとお過ごし下さい!」

 

 伯爵令嬢の瞳に不安と失望の色が映り退席の言葉を口にしようとしたのを殆ど無理矢理阻止する。若干震えた声で、しかし可能な限りの笑顔を浮かべ歓迎の言葉を吐いた。これ以上彼女を失望させる訳にはいかなかった。

 

(おいおいマジかよ………!)

 

 この時点で私は(殆ど自爆であるが)自身が凄まじい失敗をした事に気付いたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

   

 

「不味い、ミスった、ファック!糞っ!糞ったれ……!ヤバい…ヤバい…ヤバい……どうする?いや待て待て……だが、いや時間はないし……今からでも連絡を取って計画の修正を……いやしかし……!?」

「慌て過ぎではないですかな?まずは深呼吸して落ち着いたらどうですかな?短気は損気ですぞ?」

 

  撞球室のソファーで一人思考の海に浸り葛藤する私に不良帝国騎士が呆れ気味にそう声をかける。因みに他人事のようにそんな事を言う本人はファーレンハイト二等帝国騎士とその部下のザンデルス中尉と共にポーカーに興じていた。因みに掛け金は私のものである。人から小遣い貰っていてその他人事感は酷くないですかねぇ?

 

「しかし、確かにこの時期に御訪問、それどころか滞在為されるとなると少々困りましたな」

 

 私の対面のソファーに腰かけるダンネマン一等帝国騎士は顎を擦りながら考え込む。此方は若者衆と違い険しい表情を浮かべていた。

 

 困った。そう、大変困った事態になっていた。何もかもタイミングか悪すぎる。いや、此度の課題については私の落ち度もあるが……。

 

「訪問して見舞いだけで終わり、と楽観視した私が甘かったな……」

「そうは言ってもあのまま一度も訪問を許さずに夜逃げ決行、という訳にも行かなかったでしょう?それこそご令嬢の面子は丸潰れですからな」

「滞在中に夜逃げされるのも大概だと思うぞ……?」

 

 不良騎士の慰め(?)の言葉にしかし私は現実を見て答える。どっちを選んでも将来アゾット剣で刺されそうだ。

 

 私のこの別荘兼監獄脱出計画は少なくとも口で説明するだけならばそう複雑なものではない。文字通りこの場にいる者達を中心とした周囲の協力を得ての夜逃げである。(大体私のせいだが)色々拗らせている母の説得は難しいのでほとぼりが覚めるまで遠方に逃げようという訳だ。まぁ、複雑ではないと言いつつも実働の面で言えばそう簡単にはいかないのだが……。

 

 もう少し詳しく言えばレーヴェンハルト中尉を始めとしたメンバーに屋敷警備の穴を調査してもらい、場合によっては作ってもらう。もうすぐ夏到来で梅雨の時期なので闇夜の大雨に紛れて脱走、領地の外で用意された車に乗って付き人と合流、ハイネセン軍事宇宙港に突入する。ヤングブラッド大佐が予め人事異動の書類と宇宙船の便を調整してくれているのでその場で書類を直受けして宇宙船に乗り込む。途中で母が気付いてあの手この手で探しだそうとするだろうがその辺りの対策と偽装は万全だ。……多分。

 

 母の宥め役は父に近い親族にやってもらう予定だ。流石に最前線に送るのは親戚一同反対するであろうが、同時にこの国難の時期に武門貴族の嫡男が何年も安全なハイネセンの片田舎で食っちゃ寝生活している訳にはいかない事は一族の役割としても、ほかの諸侯への外聞としても理解している。

 

 同盟政府からしても私という小道具が軟禁されて使えない、なんて状況は喜ばしくない。自分で言うのも何だが、才能は兎も角血統と階級的には私は中々代わりが用意出来ない道具であると自負している。必ず必要な道具でなくとも少なくとも『子離れも出来ない箱入り娘の我儘奥様』のために使えなくなるのは受け入れられないのだ。

 

 そして……色々と課題はあるのは確かであるがここに来て新たな、そして思いのほか厄介な課題が参戦してきた。

 

「まさか夜逃げ秒読みな時期にお泊りされるとはな……」

 

 正確には夜逃げ一週間前に我が家に婚約者が二週間滞在の予定でやってきてしまったのだ。

 

 二週間の滞在自体は可笑しくない。数日に渡って宿泊する客なんてものは珍しくない。というよりも貴族階級の屋敷が無意味に広いのは見栄もあるが、家臣や客が大所帯でかつ長期間宿泊する事も少なくないためだ。まして婚約者なんて立場ならば何日と言わず泊り込む事も有り得なくはない。

 

 とは言え本当にこの時期に長期間滞在されるのは予想外だった。本来ならば女学院がある筈なのだ。まさか学院を休んでまで……だが、元々見舞いの手紙が来たのは二月頃なのだ。冬先である。学院も休みの時期なのだ。その時期に手紙で二週間の滞在を予定した手紙を送っていた訳で……。

 

 向こう側からすればこの時期になって返しの手紙なんて出されて困った事だろう。学院を二週間も休まないといけない。しかし今更手紙の内容の訂正はやりにくいし、訂正の連絡を入れて悪感情を抱かれたくもない筈だ。結構無理して短期休学の許可を貰ったのだろう。

 

 あの場でもし私が帰させていたら半年近く手紙無視して今更来いと言って、無理して学院休学してきたらその日の内に突き返されたという糞みたいな対応をした事になる。完全に下に見てるよ。全力でマウンティング取ってるよ。刺されても文句言えねぇよ。まごう事なき(精神的)DV婚約者だよ。

 

「近年稀に見る高慢畜生貴族の爆誕ですな。嫁にされる令嬢の何と悲劇的な事か……」

「止めろ不良騎士、その言葉は私に効く」

 

 ダイレクトアタックだよ、急所に当たってるよ、効果は抜群だよ。

 

 うーん、と私は項垂れる。八割くらい自業自得ではあるが流石に精神的にクるものがある。

 

「まぁまぁ!そう悩まずに!いやーな事は飲んで忘れるに限ります!一杯どうですか!?」

 

 背後から現れるのはにこにこと笑顔でブランデーを注いだグラスを差し出すレーヴェンハルト中尉だ。ああ、そうだな。貴様がブランデーに怪し気な薬を入れてなかったら気分転換に一杯くらいは呷っていたかもな?

 

「心外です!ブランデーにただムラムラする栄養剤を入れただけじゃないですか!?」

「完全に有罪じゃねぇか!」

 

 グラスを奪い取って中身を糞従士の顔面にぶちまける。結構高い銘柄なのに勿体ない事をさせやがって……!

 

「皆様、もう少し真剣に考えられてはどうか?若様がお悩みになられているのですぞ?」

 

 ダンネマン一等帝国騎士が非難がましい視線を私以外の者達に向ける。余り冗談の類が効かない中年の騎士にとってはほかの者達の態度は愉快なものではなかったのだろう。

 

「そう言いましてもねぇ、どうするのです?今更急な予定変更は難しいのでは?」

 

 ファーレンハイト二等帝国騎士は肩を竦めて指摘する。今回の計画は数ヶ月かけて調整したものだ。数日ズラすのも簡単ではない。宇宙船や人事異動の書類の発行、赴任先のポストの空きを作るのも、母や母の人脈に気付かれないように手を回すのもそれなりに手間がかかるのだ。しかも時間がかかればそれだけ企みに気付かれかねない。

 

「かといってこのまま抜け出すのもなぁ……」

 

 これまでの所業に更に見舞い途中を狙っての夜逃げとかひょっとしなくても殺意を持たれかねない行為だ。だからと言って変更もいかない訳で………。

 

「八方塞がりだな………」

「いっそ婚約者も連れて夜逃げしますかな?」

「論外だな」

 

 冗談めかして不良騎士が語るが当然却下だ。そもそも連れていける訳がない。

 

「では婚約破棄でも奥様にお願いしますかな?確か噂では余りあのご令嬢を推していなかったそうじゃないですか?」

「不可能ではないが……そんな事したらお前さん、私を見下げるだろう?」

「塵を見る目で失望しますな」

 

 揃えたストレートをゲーム上に繰り出した後、堂々と断言する不良騎士。どこぞの女をとっかえひっかえしている世界線ならば兎も角、この世界では愛妻家の娘大好き人間で通っている。金とコネであちこちでやりたい放題の道楽貴族のボンボンより実家のために健気に尽くす若々しい婚約者の肩を持つのは当然だ。

 

「別に貴方が幾人愛人侍らせようが私としては構いませんよ?無責任に手を出さずちゃんと面倒を持つならばね」

 

 逆に言えば好き勝手した後に無責任に婚約者を放り投げるような扱いは騎士道精神からして許さん、と言う訳だ。まぁ、騎士道精神(と給金)で雇用されているのだから当然だろう。

 

「お前さんも勇気あるな。こちとらお前さんの家族の疎開を後回しに出来るんだがな?」

 

 不良騎士殿の妻と娘、妻の家族は当然アルレスハイム星系にいる。そしてアルレスハイム星系は当然戦火が近付いており家族愛の強い不良騎士は疎開させたい筈である。そして私はそれに口添え出来る立場な訳で……。

 

「それこそ、その時は私の見る目が無かったという訳ですな?」

 

 不敵な笑みを浮かべるシェーンコップ上等帝国騎士。私がしない事を見越しているらしい。そりゃあしないけどさぁ。戦斧で頭かち割られたくないもん。

 

「恰好つけている所で悪いがフルハウスだぞ?」

「あ、フラッシュです」

 

 そう言って机上に手札を公開するファーレンハイトとザンデルス。当然ながら役としては不良騎士の負けである。

 

「おいおい、マジか。お前さん達いつ手札を揃えたんだ?イカサマじゃあなかろうな?」

 

 先程の不敵な笑みから打って変わって納得いかない表情を浮かべるシェーンコップ。薔薇の騎士達の中では娘の養育費を稼ぐために荒稼ぎしているらしい彼も食い詰めとその部下の前には劣勢になる事が多かった。

 

「イカサマとは人聞きが悪い。ルール違反はしていないぞ?ルール違反はな」

 

 それ以外はしているという事である。帝国にいた頃も食費のために賭け事に勤しんでいたそうだ。仲間と組んで場の手札を殆ど暗記して相手の持ち札を推測していたという。どこぞのボンボンの富裕市民や門閥貴族の道楽息子から賭け金を毟り取っていたとか……流石に報復されるから手加減はしたらしいが……。

 

「これではいけませんな。若様、どうです?貴方も参戦しませんか?」

「誰が毟り取られにいくかよ」

 

 あのテーブルは魔窟だ。参加すれば雑魚の私では下着までひん剥かれる事請け合いだ。君子危うきに近寄らずである。

 

「さてさて、どうしたものかな………」

 

 私は今後の事を思い、今はただ天を見上げ嘆息する事しか出来なかった………。

 

 

 

 

 

 

 

「それではごゆるりと御過ごし下さいませ」

 

 案内の女中が頭を下げ退出する。それを見届けた後、ケッテラー伯爵家直系の一人娘は僅かに陰鬱な雰囲気を漂わせながら自室に視線を向けた。

 

「随分と贅を尽くした部屋ですね……」

 

 グラティアはぽつりと呟いた。確かに領地が貧しく財政も苦しいとはいえ、ケッテラー伯爵家は曲りなりにも権門四七家に名を連ねる大貴族だ。唯でさえ質実剛健な気質のある武門貴族の中で特に厳格である事を含めても、流石にそこらの成り上がり男爵子爵なぞにに比べればその暮らしは奢侈を尽くしたものである。

 

 それでも尚、やはり彼女の嫁ぎ先は彼女の実家に比べ遥かに裕福である事をこの宿泊する部屋の内装だけで思い知らされる。人を丸まる焼けそうな暖炉に壁にかけられた名画の数々、マホガニー製の家具に、床には深紅に染められた絹と金糸で作られた厚い絨毯が敷かれ、天蓋付きの大きなベッドが鎮座する。細やかな調度品の数々もその一つ一つが職人が時間をかけて作り上げた工芸品である。

 

 実家との違いに思わず溜息が出てしまう。コルネリアス帝の親征によりケッテラー伯爵家の統治していたフローデン州は荒廃し、多くのインフラを喪失した。臣下の多くも失いその影響は一世紀以上経過した今でも深い傷を残している。

 

 一方で同じ武門貴族でもティルピッツ伯爵家やバルトバッフェル侯爵家が親征で受けた傷は無傷とはいかないまでも然程深くない。両家とも亡命した初代皇帝ユリウスを一応支持はしたが、元々亡命前は別の皇族を皇帝に担ぎ上げようとしていたのだ。亡命政府の前身組織結成の時点で彼らはユリウスから距離を取り旧帝都のあった東大陸以外を領地として開拓した。

 

 親征の後、帝国軍の攻撃で荒廃した東大陸から帝都を移転させた際、ユリウスとその子孫から距離を取り戦力と財力を温存していたこれらの諸侯の勢力は巨大化した。帝室は彼らの支持を得るために帝都としての機能をアルフォートに移転し接近を図る。

 

 当然帝都に近くなれば経済的にも、政治的にもこれらの諸侯の領地は発展する。翻って荒廃した東大陸を領地としたユリウスの初期の支持諸侯達の勢力は衰微する訳だ。一応援助や転封等の救済処置はあったが……。

 

「嫌われないようにしないと……」

 

 もう殆ど顔も覚えていない父が少なくない臣下と共に戦死したのは十五年程前の事だ。唯でさえ裕福とは言えない領地、しかも多くの人材を失い、後継者争いで更に疲弊した。故に援助を受けるための人身御供として彼女は選ばれたのだ。

 

 此度の見舞いもそんな相手の婚約者が重傷を負った故のため、恵んでもらう立場である以上せめて態度だけでも下手に出て機嫌を取り、同時に相手の心変わりが起こらないように観察し時として梃入れの役割も与えられていた。流石に手紙を出して半年近く無視を決め込まれるのは予想外であったが……学院を少しの間休む必要があったが仕方ない事だ。その程度の事で取り止めを伝えたらそれこそ婚約破棄されかねない。

 

 それだけは許されない事だった。弟はこの時期になっての招待に反発したが祖父は急いで仕度するよう命じて学院に休学の連絡を入れていた。従士家も不満を浮かべていた者が多かったが最終的には了承した。それだけ一族の生活が苦しい証拠であった。

 

「っ……!」

 

 僅かに立ち眩みに襲われ体がふらつく。それはきつく締めあげたコルセットだけが理由では無かろう。自身の一挙一動で数千の従士と数万の奉公人、いや領民や食客も含めれば数えきれない数の者達の生活が左右されるのだ。大学生にもなっていない少女には荷が重すぎる。ストレスからくる心労が身体を異様に重く感じさせた。

 

 降りかかる倦怠感にそのままベッドに倒れる。やけに弾力があり柔らかなベッドに更に実家との財力の差を見せつけられた気がして気が沈む。

 

(大丈夫……ですよね?)

 

 ベッドの上で仰向けになり、彼女は今日面会した未来の夫の事を思い返す。

 

 正直な話、腕を喪失したと聞いた時目の前が真っ暗になった。実家を救うための政略結婚だがそのための相手が死んでしまったら元も子もない。生命は無事でも障害があるかも知れないし、精神的に気落ちしているかも知れない。それが元で婚約の解消もあり得たので気が気でなかった。面会の要望に対しての返事がなかったので不安は日に日に肥大化して眠れぬ日々が続いたものだ。

 

 こういっては何だが……蓋を開けて見れば予想以上に穏やかで落ち着いていて内心では驚いてしまった。

 

 実家でも義肢を使う親族や家臣はいるが、流石に二人に一人はショックを受けていた。まして従士や分家なら兎も角大貴族の直系である。相当落ち込んでいるのではないかと危惧していたのだが……笑みを浮かべ義手を触ってみるかとまで言われたのは予想外だった。

 

(いえ、それも当然なのかも知れませんね……)

 

 思い返せばあの態度も当たり前なのかもしれない。耳にしたこれまでの軍功や捕虜収容所で直接目にした姿がそれを補足する。紳士的な所はあるがその本質はローデンドルフ伯爵家の夫人のようなものなのだろうか……?どちらにしろ………。

 

「落ち込んでおられなかった事はとても幸いでした」

 

 無論、腕を失う事は辛い事である。だがそれでも逞しく、此方への気遣いが出来る程に落ち着きを払っていたのは幸運であっただろう。少なくともそれだけで此度の見舞いにおける不安の半分近くは霧散した。

 

 グラティアはその時自身が心底安堵し、口元に微笑を浮かべている事に気づいた。

 

 恐らくはそれは打算的ものの筈であった。婚約者が死なず、約定の破談も無さそうな事への安堵感であった。

 

 だが……その事を自覚すると同時に自身のその考えに言語化出来ない不快感と嫌悪感の感情が生じている事をグラティアは気付いていた。そしてその事に何とも説明出来ない困惑の感情が続く。

 

 虚しく、悲しく、息苦しい、後ろめたく胸につかえるような感覚が彼女を襲った。その幼さを色濃く残す美貌が曇る。一瞬その脳裏に然程顔を合わせた訳でもない筈の婚約者の姿が過っていた。彼女は苛立つように自身の『ブロンド』の髪に触れる。

 

「所詮、政略結婚ですから」

 

 何かを否定するように、険しく硬い表情を浮かべ、冷たい口調で、誰かに言い聞かせるようにグラティアは呟いた。その呟きは妙に室内に反響したように彼女には感じられた。

 

 暫しの間、ベッドの上で彼女は沈黙する……。それは何十秒か、あるいは何分か、何十分であったかは分からない。ベッドの上に横たわる彼女の時間の感覚はいつの間にか妙に曖昧なものになっていた。

 

 そんな彼女の時間感覚を現実に引き戻したのは扉を叩くノックの音であった。

 

「……?鍵はしてないわ。開けて構わないわよ?」

 

 使用人であろうか?と考え少し面倒そうな口調でそう答えた事を数秒後にグラティアは死ぬほど後悔した。

 

「あらあら、屋敷までの道程で御疲れだったかしら?ごめんあそばせ?」

 

 家臣のように侍女を複数人引き連れて入室してきたその貴婦人を目にした時、グラティアの若く温もりのある顔は瞬時に青白く凍り付いていた。

 

「お、おか……伯爵夫人、申し訳御座いません!お見苦しい所を……!」

 

 ベッドから急いで起き上がった少女は最低限見苦しくないように急ぎ足で伯爵夫人の下に向かう。そして頭をさげながら義母様、と口にしようとして次の瞬間に鋭い眼光を受け言い直す。

 

「ふふふ。いいえ、安心して下さいな。その程度(・・・・)の事、気にしないでしてよ?」

 

 笑みを浮かべる屋敷の女主人の言葉に、しかしグラティアは全く安心出来なかった。目の前の婦人の言葉は寧ろ今の非礼を許すというよりも既に手遅れであるが故にこのような些事はどうでもよい、というような意味合いに聞こえたのだ。

 

 肉食獣に捕まり今まさに捕食されようとしている小動物のように縮こまるグラティア。その姿をどこか嘲りを含んでいるように思える笑みを浮かべる伯爵夫人。鮮やかな絵巻の描かれた扇子で笑みに歪む口元を隠し、言葉を紡ぐ。

 

「もし宜しければ……少し御話でも致しませんか?色々と(・・・)、互いに知りたいものでしょう?ヴィレンシュタインの御嬢さん?」

「あっ……」

 

 グラティアは思わず絞殺される鶏の断末魔のような声を漏らしていた。生まれながらに貴族社会で蔑みと好奇と観覧の目に晒されてきた彼女には義母となる筈の貴婦人の笑みが全く違って見えた。

 

 表情こそ優し気で慈悲深いが、その瞳の奥は冷めきっており、鑑識するかのように不躾であり……何よりも狼の群れの主が新参者を見聞するかのように見下す冷酷さが垣間見えた。

 

 同時にグラティアは理解する。此度の訪問において最も注視し、注意すべき人物を完全に見誤っていた事に。この屋敷において彼女が最も媚び、許しを請い、頭を下げるべき相手は……。

 

「さぁ、夕食前ですから軽食しかありませんが、御茶の用意をしたのですよ?御一緒にどうですか?」

 

 御淑やかに、有無を言わせず、凍り付くような笑みを浮かべてティルピッツ伯爵夫人はグラティアの手を半ば無理矢理に引く。

 

 当然、少女がそれに逆らう術なぞありはしなかった………。



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第百三十四話 妹に恋愛感情を持つ異常性癖者は社会秩序維持局員の御世話になって下さい

 黄金色の壁紙に虹色に輝くシャンデリア、深紅に金糸の絨毯にマホガニー製の机には極彩色の刺繍、金塗りの燭台が机上に並べられ透明なワイングラスには黄金色にも見える白葡萄酒が注がれていた。出席する高官達の多種多様な軍服に煌びやかな勲章、装飾を纏った姿も合わさり、銀河帝国亡命政府軍宇宙艦隊最高幕僚会議は到底一国の軍隊の会議とは思えぬ程に豪奢で華美に映る事であろう。

 

 とは言え、その外見の煌めきとは対照的に、議場の空気はある種陰鬱なまでの緊張感を伴っていた。

 

「昨年の反攻作戦における艦艇損失は四〇〇隻を超えております。今年に入ってからは毎月の喪失艦艇は九〇隻から一二〇隻の振れ幅で推移しており、本年7月1日時点での我が方の稼働中の大型戦闘艦艇は三七〇二隻、損傷によりドックにて補修・整備中の艦艇は六三六隻に及びます。残念ながら艦艇の調達に対して喪失分の補充はここ八か月成功しておらず保有艦艇の絶対数は減少中であります。訓練とローテーションを加味致しますと戦線に常時配備が可能な戦闘艦艇は一二〇〇隻から一五〇〇隻が限度となります」

 

 銀河帝国亡命政府軍宇宙軍幕僚副総監兼第二部長フィリップ・フォン・ハーゼングレーバー大将は現状の宇宙軍の稼働戦力について議場で報告する。

 

「戦闘艦艇だけではありません。輸送船、病院船、揚陸艦、工作艦……後方支援艦艇も損失は軽微ですが稼働率は限界近くまで達しております。防衛線への人員物資の補充と施設の補修の達成率は先々月より目標を下回り始めました」

 

 次いで幕僚総監部第一部長たるヤノーシュ中将が報告する。提示する資料は前線の後方支援体制の悪化を示唆していた。

 

「これは厳しいな……」

「このままでは主力艦隊は磨り潰されるのではないか?戦線の整理をするべきではないかね?」

「戦力の集中運用が必要だな」

 

 宇宙軍高官の幾人かが配布資料に視線を移し、相談し合う。

 

「それが出来れば苦労しません。問題は地上軍の方針です」

 

 宇宙艦隊副参謀長ヴィクトール・フォン・ヴァイマール中将はうんざりした表情で口を開く。眼鏡の度が合わないのか手元の書類と睨み合いながら眼鏡を近づけたり遠ざけたりと繰り返していた。

 

「正直な所、地上軍の頑固さには手を焼いております。彼らの粘り強さは賞賛するべきなのでしょうが……後退よりも玉砕を選ぶような輩ですからねぇ。我々からすれば見捨てる訳にはいかないせいで補充した端から無意味な戦線で艦艇を失う羽目になっております」

「ヴァイマール中将、それは言い過ぎではないか?地上軍は賊軍共との戦いに全力を注ぎ我らが亡命政府に寄与しているのだぞ?降伏という不名誉よりも死して皇帝陛下に尽くすその姿勢を批判する事は問題ではないか?」

 

 若干非難するように宇宙艦隊副司令長官ケッテラー上級大将が意見する。元より保守的で教条的なまでに勤皇的なケッテラー伯爵家らしい言葉であった。

 

「それが問題なのですよ。降伏は兎も角、撤退すら中々行わないせいで貴重な戦力を消耗しているのです。我々の人的・物的資源が常に欠如している事実は御理解している筈。その『資源』が投入された端から『溶けて』いくのですよ!精神論を振りかざさないで頂きたいものですね……!!」

 

 統帥本部統合兵站課長、軍務省経理次長を歴任した事務屋は最後は噛みつかんばかりに不機嫌な口調で宇宙艦隊副司令長官に指摘する。第四次イゼルローン要塞攻防戦にて遠征軍首脳部として共に働き数年かすれば遠縁になる筈の二人であるが、特にヴァイマール中将にとってこの上官は不必要な程高慢で協同していた同盟軍の神経を逆撫でする面倒な上司であった。

 

「愚痴を言っても仕方あるまい。地上軍に苦言を言うのは当然として、ならば戦線の整理について我々も案を作らねばならんだろう。その上戦線の整理のためにも戦力はいるしその戦力の捻出も困難なのだからな。今は状況が変化するまで堪え忍ぶしかあるまいて」

 

 バルトバッフェル侯爵家の分家筋に当たるホーエンベルク伯イシュトヴァーンは宇宙艦隊総参謀長として仲裁に入る。高齢の上級大将からの声に流石に宇宙艦隊副司令長官、宇宙艦隊副参謀長双方共黙るほかない。そして黙り込むのは二人だけでなく議場のほかの高官も同様だ。

 

 戦力不足……それが全ての悪循環の根源だ。戦力が不足するから部隊のローテーションが困難になるし、戦線を下げるための支援も出来ない。それが各地の戦線の更なる綻びと兵士の酷使に繋がり損害を増加させる。

 

 帝国軍も未だに『レコンキスタ』の大敗から立ち直っている訳ではないが、同時にそれが時間の問題で有ることも自明の理、そしてそれを分からぬ程この場に列席する者達は無能ではない。

 

「戦力もそうですが疎開計画も遅々として進まないのはいけませんな。市民軍からも戦線に近い所領からの撤収を提案されていますが現地の認可が下りない有り様です。お陰様で彼方との折衝が難しくなりつつあります」

 

 ハーゼングレーバー大将が新たな懸案について述べる。自然と場の注目はその新しい課題に集中した。

 

「領主も領民も、自発的な疎開では碌に集まらん。やはり組織的に強制疎開させるべきではないか?」

「馬鹿な、それこそ有り得ぬ事だ。我が軍の基本防衛計画から逸脱しているではないか?」

 

 比較的柔軟な思考を持つ若手や同盟軍での軍務経験のある者が提案し、保守派の将官がその意見に反発する。

 

「本土に至るまでの各拠点にて賊軍を消耗させ、補給線を引き伸ばすは本土決戦計画の基本要領では無かったか?教本にも記されている基礎中の基礎を反古にしようと言うのか?」

 

 一世紀以上前、莫大な犠牲と引き換えに帝国軍を排撃したケッテラー元帥の作成した対帝国軍防衛計画、それを雛型として構築された『基本計画64号』は特に亡命政府軍保守派にとってはある種の聖典である。市民軍……自由惑星同盟との信頼関係が深く無かった時代の戦略ドクトリンを引き継ぎ、増援の期待出来ない孤立無援の状況での防衛戦を想定しているそれは現代では時代に沿わない面も強いが、それでも尚その完成度から少なくない軍人から支持を受けているのが現実だ。特に宇宙艦隊副司令長官たるケッテラー上級大将を始めとした亡命政府軍以外における軍役の経験がない者達にとっては……。

 

「そうは言いますがね、作戦の雛型が作成されたあの頃とは政治的にも、経済的にも状況が違いますよ。もし今あの頃と同じ作戦を実施すればその損害はかつての比ではありません。勝利は出来たとしてもその後の復興に必要な予算と時間は尋常なものではありませんよ?それよりも市民軍の増援を待つべきです」

 

 ヴァイマール中将が苦言を呈す。戦時法が作成されたために最終的な犠牲者は前回を上回る事はあるまい。だが碌に同盟経済と結びつきがなく独力による自給自足を行っていた時代とは訳が違う。今そのような本土決戦を行えば戦後の復興はどれ程厳しいものになろうか……。

 

「しかし……第六艦隊を始めとした同胞諸部隊も昨年の作戦で少なからずの損失を出しましたからな……」

「その通り、市民軍の申し出なぞに従わなければこんな事にならんかったのだ。ましてこの危機的状況に碌な増援部隊を送らんとは……!!」

 

 保守派は同盟政府の対応を非難する。第六艦隊、第六地上軍を始めとした帝国系移民の比率の高い部隊は『レコンキスタ』において主力部隊の一角を担い主戦場へと投入された。

 

 亡命政府軍からすれば同胞からなる部隊である。自身の戦線で投入を望んでいたのを同盟の申し出に従いアルレスハイム方面ではなく最も激しい抵抗があるであろうエル・ファシル方面に投入するのを黙認したのだ。それが作戦が終わればアルレスハイム方面のみが敗北し一転して最も危機的状況に陥る事となった。その癖同盟政府は辺境正常化作戦に大軍を送りつけながら自分達に提供した援軍は一〇万にも満たない。保守派の同盟政府に対する信用は加速度的に低下していた。

 

「そうは言いますが現実問題として……!」

「ふんっ!まぁ、ヴァイマール伯爵からすれば困るでしょうな?御領地が戦火で荒らされるのは嫌でしょう?」

 

 そう嫌味のように言ったのは東大陸出身の保守派の将官であった。いや、実際それは嫌味であっただろう。一世紀以上前の本土決戦で東大陸が経済的に大打撃を受けたのと対照的に北大陸に封じられた諸侯は然程犠牲を出しておらず、寧ろ戦後は帝都移転と戦後復興で急速に発展した。保守派の多い東大陸の諸侯からすれば以前と同じように『怖気づいた』北大陸の穏健派諸侯が卑しくも市民軍を頼りにして本土決戦を嫌がっているように思えたのだろう。そう、まるでフェザーンの守銭奴共のように。

 

 議場全体に剣呑な雰囲気が広がる。保守派と穏健派、富裕な諸侯と貧しい諸侯、若手と長老衆……銀河帝国との対立と複雑な婚姻関係によって棚上げされている亡命政府内での課題がパンドラの箱からその姿を覗かせつつあった。

 

「……静まれ皆の衆、この国難の一大事に我らが皇帝陛下の心労を煩わせるような仲違いをしてどうする?」

 

 重々しく、厳粛な声が場の出席者全員を糾弾した。一人を除く全ての参列者がある者は気まずそうに、ある者は憮然としてその声の主……亡命政府軍の宇宙軍最高司令官に視線を向けた。

 

 最高司令官……しかしそれは寝ているのか起きているのかすら分からない齢九〇歳の宇宙軍幕僚総監トスカナ大公の事ではない。寧ろ老大公に上座を譲る堂々たる偉丈夫の事だ。

 

 漆黒のマントに黄金の飾緒を纏い、胸元に多種多様な宝石を嵌め込んだ勲章で飾る宇宙艦隊司令長官アドルフ・フォン・ティルピッツ伯爵は巌のような表情を浮かべ腕を組む。ちらほらと白髪の見える中高年の元帥の眼光を前に場の大半の者達は黙り込む。

 

「諸君の意見は了解した。だが前提条件が変わっているな。まず端的に言えば本土決戦は行う事はない」

 

 その発言に保守派、東大陸出の諸侯を中心に非難する視線が元帥に向かう。だがそれも元帥は物静かに睥睨すれば思わずその敵意を含んだ視線を逸らす。流石に彼らも武門貴族三家の本家当主に喧嘩を売る度胸はないようであった。

 

「……ふむ、誤解を与えたな。許せ。より正確には現状の戦局では本土決戦を行う必要はないのだ」

 

 その発言に僅かに反発する諸将の態度が軟化したのを元帥は感じ取っていた。

 

「軍務省と宮廷から正式な知らせは受けている。本年度末には各国境星系の星系警備隊が増援部隊として派遣される見通しがついている。また……」

 

 ここで一旦言葉を切り、周囲の反応を見やる。それだけでは驚く者はいない。その程度の動向であれば新聞にも載っている事柄であるからだ。だが、その次に元帥が口にする言葉は流石に伝えられている者は極僅かであろう。

 

「また、私の方から市民軍の第二方面軍司令部から直属の辺境域分艦隊の投入の確約をさせた。質は兎も角、数だけならば星系警備隊と含めて四、五〇〇〇隻に達しよう。それだけあれば戦線整理のための戦力の捻出は可能な筈だ」

 

 今度こそ参列する将官達が小さくどよめく。辺境域分艦隊は文字通り分艦隊規模の戦力でしかないが練度と装備は正規艦隊にすら匹敵する。ハイネセン駐留の独立艦隊に比べても即応性は高い。極めて有力な増援部隊だ。

 

「流石元帥閣下……水面下でそのような確約を取り付ける事が出来たとは……」

 

 提督の一人は感嘆の声あげる。元帥が元同盟軍の提督として少なくない同盟軍人とのコネクションがあった事、『パレード』の作戦範囲の一部が第二方面軍の管轄域と重なっていたために辺境警備部隊の一部に余裕が生まれた事……この二点が予想より簡単に第二方面軍指揮下の部隊を借り受ける事が出来た理由であった。

 

 期待に若干明るくなる議場の反応を観察してから元帥はホーエンベルク伯爵に視線を移す。

 

「先程口にしたように大まかな派遣戦力については既に確約が取れている。後は各戦線からの撤収計画について各方面の参謀で詰める事だ」

「了解致しました」

 

 宇宙艦隊総参謀長たるホーエンベルク伯爵は恭しく答える。実の所伯爵は既にこの事実は知っていたので然程驚きは無かったが敢えて深々と礼をして見せる。それがこの場での元帥の立場を補強する一助となりえるからだ。

 

「地上軍の撤収計画への賛同は私からも協力を呼びかけよう。友軍を見捨てる訳には行かぬし、貴重な戦力を無意味な場所で失う訳にもいかぬ。さて……」

 

 そこまで言うと宇宙艦隊司令長官は警備の兵士に命令してテーブルに設置されたソリビジョン投影機を作動させる。

 

「私個人としては今年の年末まで持久戦の体制を維持したいと考えている。その上で増援部隊到着と共に戦線縮小のための限定攻勢に出る。前線基地としてはシグルーン星系以外の全ての星系を放棄する。また本土防衛としてはヘリヤ星系に防衛拠点と戦力を集中させる」

 

 その提案に議場の将官の幾人かから意外そうにするどよめきが生じた。

 

「思い切った提案ですね。シグルーンは要塞化されているから兎も角としても、ヘリヤ星系まで後退するとは、本土の目と鼻の先では無いですかな?」

 

 ヘリヤ星系はアルレスハイム星系から僅か八・四光年の距離しかない。本土決戦を否定するにしては余りにも距離が近すぎる。

 

「だがワープポイントの数と座標を考えればここが最重要拠点である事は事実だ。付近のほかの星系ではワープポイントの数と安定性から見て大軍の移動は容易ではあるまい」

 

 ほかの周辺星系を中継してでもアルレスハイム星系に侵入する事自体は現状の恒星間移動技術をもってすれば不可能ではない。

 

 しかしそれは単艦ないし少数部隊での話であって、大規模な艦隊の移動として考えればワープポイントの数も安定性もヘリヤ星系が最も優れている。他の星系を中継する場合ならば帝国軍は最大でも百隻前後の艦艇による恒星間航行を何十回に渡り行わなければなるまい。その程度の規模であれば機雷原の敷設と若干の待ち伏せ部隊である程度の足止めは可能であるし、アルレスハイム星系に進出するのもまた戦力の逐次投入とならざるを得ない。故に数こそ大規模であろうともその実質的な脅威は数分の一となる事だろう。

 

「翻ってこのヘリヤ星系であれば数千隻単位の恒星間航行を数回で総力を我らが本土に投入出来る。この星系を取られる訳にはいくまい。そして我々の戦力には限りがある。ならば戦力の選択と集中は当然の事だ」

 

 その説明に大半の将官は納得する。増援部隊が来ようとも半数は星系警備隊であるために質的に言えば数程の働きは出来ない。そのために戦線縮小のための奇襲攻撃や地上拠点と連携出来る防衛戦に活用するのは当然であるし、希少な戦力を可能な限り分散しないように地理的優位を最大限活用するにもまた同様である。『基本計画64号』においても本星系確保の重要性は触れられていた。

 

「それは宜しいが……それでも戦力的に劣勢なのは事実、このままでは最終的に戦線突破と本土決戦は既定路線、またその場合においても本土までに幾つもの諸侯の所領があります。これらに対しては如何対応するおつもりなのでしょうか?」

 

 そう尋ねるのは亡命政府施政権外周部に鉱山を領地として領有する将官だった。

 

「神聖不可侵たる皇帝陛下のおわす本星への賊軍の侵入なぞ絶対に許されぬ!!まして宮中を戦火に晒すなぞ持ってのほかだ……!!」

 

 次の瞬間、元帥は議場全体に響き渡る勢いで机を叩く……いや殴りつけた。もし音だけを聞いていたとすれば爆弾が爆発した音と勘違いした者もいた筈だ。会議の参加者の殆どがその怒気を含んだ叫びもあり竦みあがった。唯一耳が遠く呆け気味な宇宙軍幕僚総監のみが呑気な笑みを浮かべていた。

 

 周囲に鋭い視線を向ける元帥。荒い鼻息をして、落ちつくように深い溜息を漏らす。そして暫くして漸くまだ険のある低い声で説明を始めた。

 

「第一の質問に対しては交渉は順調だ。市民軍は来年10月までに艦隊の派遣を行う事で調整しておる。万一それが叶わぬのならばその時こそ本土決戦の時だ。戦力集中もありシグルーン、ヘリヤ両星系とも長期に渡り防衛は可能の筈、焦土戦の代わりにこの両防衛線にて賊軍共の戦力を削る!その上でヴォルムスに残存戦力を集中させ、補給線が伸び切った所で宇宙艦隊のゲリラ戦と地上戦で賊軍共に消耗を強いる事となろう……!」

 

 保守派も狼狽える程に血気盛んな口調で叫ぶ元帥。とは言え口調に騙されてしまいそうになるが提案自体は決して過激な発言ではなく、寧ろ相当に穏健であった。音量と口調、そして前置きの皇帝賛美によってそのイメージを無理矢理に誤魔化していた。小賢しい小手先の手ではあり暫くして冷静に作戦を考えれば気付かれる事であるが構わなかった。今誤魔化す事が大事なのだから。

 

「また、このために外縁部の所領は引き上げを命じる……!」

 

 その発言に幾人かの将達が僅かに息を飲む。

 

『基本計画64号』においてはこれら本土周辺の所領は領主、臣民共に最後の一兵卒に至るまで徹底抗戦する事で本土に侵攻する帝国軍の戦力分散と消耗、遅滞を強要、帝国軍が無視するのならば後方を攪乱する事が役割となっている。特に鉱山は小改造で頑強な要塞となりえるためにこれらの所領は文字通り一秒でも長く本土が防衛体制を整えるための捨て石として扱われる事となる。

 

 これら『本土』たるアルレスハイム星系周辺星系に所領を封じられた諸侯は親征で荒廃した所領から転封された帝室への忠誠心の高い元東大陸の中小諸侯、あるいは亡命政府成立後に亡命した諸侯等……『保守派諸侯』が中心である。それ故に初期の亡命政府では降伏せず、粘り強く抵抗する事が期待されていた。それを本土に引き上げさせるとなると……。

 

「ケッテラー元帥が御存命の頃とは軍事的な前提条件が最早違う。艦艇の航行能力はこの半世紀だけでも急速に向上しておる。今となっては後方撹乱どころか各個撃破される遊兵を作るだけ、という懸念自体は以前から指摘されていた事だ」

 

 第二次ティアマト会戦の数年後には技術的なブレイクスルーにより艦艇の機関技術は急速に高性能化・小型化された。それまでひたすらに大型化という力業で出力を上げていたのが技術革新によって航行エンジンがダゴン星域会戦時代のそれに匹敵するまでコンパクト化、質量の減少とエネルギー変換効率の改善の相乗効果によりそれ以前とそれ以降とでは最早艦艇の機動力は帆船と蒸気機関船に等しい性能差が生まれている。

 

 そしてそれはそのまま戦争のペースを加速させた。孤立無援の各所領の部隊が効果的なゲリラ戦を行う前に包囲殲滅される危険性は十年以上前から指摘されていた事だ。

 

 尤も、当時の戦局では本土決戦の可能性もその研究の優先順位も低く、結局はかつての作戦の焼き直しと微修正がなされた程度であり抜本的な改訂は後回しにされていた。此度元帥はその懸念を下に所領の撤収を提案する。

 

「一部の懸念は了解している。だが……外周域の諸侯と臣民もまた同じく帝室に奉仕する同胞だ。それを無意味に討たせる訳には行かぬ」

 

 そして元帥は会議に参加する外周宙域出身の諸将の方を見つめる。

 

「数世代に渡り開拓し、子々孫々に伝え、先祖が眠る土地だ。受け継いだ所領への愛着は強いものがあろう。だが……皇帝陛下を御守り申し上げる事が我らの最優先の使命である。含む所はあろうが抑えてもらいたい」

 

 そういって目元を伏せて小さく礼をされれば皇帝の名前を出された事もあり真っ向から批判をする訳にもいかない。同時に元帥の言葉は彼らに『逃げ場』を作り出すものであり、それ故に彼らは元帥の言葉を受け入れざるを得なかったのだった……。

 

 

 

 

 

 

「宇宙軍所属の保守派を抑え込めただけでも幸いですな」

 

 会議が終了し、出席者の殆どが立ち去った議場にてヴァイマール中将は本家当主に尋ねた。

 

「宇宙軍を抑えるのはそう難しくはない。問題は地上軍と在野諸侯の説得だ。特に地上軍は保守派の基盤が強い。難儀なものだな」

 

 会議中の威風堂々とした顔を崩し、椅子に深く腰掛け肩を落とし、疲労の色の濃い表情を作り出すティルピッツ元帥。明らかにその表情は健康的ではなかった。それだけストレスと疲労が積み重なっている証拠であった。

 

 銀河帝国や自由惑星同盟に比べれば所帯が小さく、同胞意識も強く、婚姻関係も深いのでまだ一体感はあるにしても、それでも組織というものはどれ程小さくても派閥が生まれる。亡命政府内……正確には亡命政府内の諸侯は穏健派と保守派、政治的に言えば立憲君主党と帝政党に分かれている。両者は決定的な対立こそなくとも協調と緊張関係を続けて来た。

 

 亡命政府の主導権を握る穏健派・立憲君主党はコルネリアス帝の親征により保守的な諸侯の勢力が減衰した後に台頭した。当時形式的に皇帝を支持し、財力と兵力を温存していた穏健派諸侯は第二代皇帝ゲオルグ一世に憲法と議会の設立を容認させ現在の亡命政府の基盤たる立憲君主制を形成した。

 

 無論それは別に民主主義に当時の穏健派が感化された訳ではない。単に同盟政府に亡命政府の存在を認めさせ支援させるために、そして皇帝の権力を抑え自分達が政治の主導権を握るためである。

 

 尤も、当初は険悪な関係で始まった穏健派と皇帝の関係も月日が流れる事で逆に結びつきが強くなった。婚姻関係は当然として帝室も立憲君主制の利点に気付きそれを利用するようになったからだ。穏健派もまた当初は建前であった民主政に対してしかし官僚候補の留学や同盟軍士官学校に入学する者の増加で少なくともその利点に気付きある程度は尊重しその制度を取り入れるようになった(尤もその解釈と運用は同盟人からすれば完全にアウトであるが)。

 

 逆に帝政党・保守派はコルネリアス帝の親征時に皇帝派として激しく抵抗した諸侯と亡命政府成立後に亡命した諸侯の大半からなる。前者はそもそも立憲君主制そのものに否定的であり、新参諸侯は帝国時代の意識が抜けず民主政への理解も皆無に等しい。当然亡命政府内での士官学校や大学には入学するがハイネセン等に留学する事もない。その価値観は限りなくオーディンの貴族達に近い。

 

 対立はあった。それでも同じ諸侯であり、帝国の脅威もあり決定的対立は無かった。それが本土決戦と焦土戦の有無で今更のように意識されるようになった。財力があり失う事を恐れる穏健派とそもそも財力が少なく帝国的な価値観の強い保守派とで本土決戦に向けた意識がすれ違うのは当然であったのだ。

 

「一世紀以上対立を棚上げしてきた皺寄せだな。問題を先送りして大事な場面で表面化する。これではハイネセンの議会を笑えんな」

 

 自嘲気味に笑うティルピッツ元帥。厳格で古風な軍人であり同時に妻は皇族、一人息子は保守色の強いケッテラー伯爵家本家の娘と婚約させ、しかし一族自体は穏健派であり同盟軍での軍歴もある元帥は軍部にとっては穏健・保守双方共宇宙軍実戦部隊の総司令官として妥協出来る立場の人物であり、宇宙軍幕僚総監が今や実質的に重石役以外を期待されていないトスカナ大公(大昔ならば獰猛かつ切れすぎる程に頭が切れる事で有名な宇宙軍の総支配人であった……大昔は)が着任している事もあって事実上宇宙軍の頂点にある。だがそれ故に軍務だけでなく各種の折衝もありその仕事は激務だ。

 

「御苦労お察し致します」

 

 同情するようにヴァイマール中将は口を開く。その言葉には最早憐れみすら漂う。

 

「父上と兄上が生きてさえ頂ければな……」

 

 ぼやくように元帥は呟く。父は決して高齢ではなく、兄に至っては正妻までいた。数年もすれば甥も生まれていただろう。まかり間違っても自分が実家に戻る事は無いと思っていたが………現実はヴァルハラに旅立った父と兄の代わりに似合わない調整役ばかりをやる羽目になったのだから人生とは想像もつかないものだ。

 

「市民軍……いえ、同盟軍時代が懐かしいですか?」

「当然であろう?少なくとも若白髪は生えんかったからな。卿もハイネセンに住んでいた頃の方が楽しかったろう?」

「否定はしませんな。背負いこむものが余りない分自由でしたから」

 

 肩を竦めながら中将は肯定する。門閥貴族の中では『比較的』リベラルな中将は元帥の言を良く理解していた。流石にちらほら聞こえて来る娘の奔放さには頭を抱えてはいるが……。

 

「そうだな。その通りだ………」

 

 呟くように肯定し、憂いを込めた表情で物思いに沈む当主。

 

「私のせいで妻にも子供にも苦労をかけてばかりだ。どうにかしたいとは考えているのだがな………」

 

 現実は簡単にはいかないものだ。家族と中々会えないばかりに妻は伯爵家の家内の責任を一身に背負いそれもあって異様に息子を溺愛する。息子もまた唯一の本家の男子であるが故に立場を必要以上に拘束せざるを得ない。娘に至ってはまだ幼く甘え盛りなのに碌に構ってやる事も出来なかった。ましてや現在進行形でまた新たな負担を家族に背負わせ続けており……。

 

「位人臣を極めようと家族関係一つままならぬとは……人の世は中々に滑稽な事であるな」

 

 頬杖をしながらティルピッツ伯爵家の当主は今頃ハイネセンの一角に住まうであろう家族の事を思う。

 

(今頃彼方は就寝する頃か……余り面倒な事になっていなければ良いが……)

 

 しかし、それが恐らく希望的観測であろうことを認識し当主は再度溜息を吐く。そこにはどこまでも……どこまでも深い悲嘆と自責、そして倦怠の色が垣間見えた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あのっ……お兄さま!い、いま……だいじょうぶです……か?」

 

  婚約者が訪問したその日の夜、参加した腹痛のしそうな夕食会(一応話題を振ったが全て簡潔に返された)が漸く終わり書斎で就寝前の読書をしていると扉を静かに開かれた。その隙間から歳の離れた妹が顔を覗かせて恐る恐ると私を呼び掛ける。

 

「?こんな時間にかな……?」

 

 時計の針を見つめ私は尋ねた。針は2130時、即ち午後9時30分を指していた。

 

 先に言っておくが別に嫌な訳ではない。だが最近どうにか普通の会話が出来る程度の仲になれた妹がこの時間に態々書斎に訪れてまで私に会いに来るという事が極めて珍しく……というよりも初めてであった……ために驚きがあったのだ。

 

「だ……だめ……ですか……?」

 

 不安げに尋ねる妹。その大きく幼げな瞳が臆病に震える。当然ながらここで断ればどうにか上向きつつある私の印象が再びマイナスに捻じ込む事請け合いである。故に私の答えるべき言葉は一つしかない。

 

「私はお前に閉ざす扉なんて持っていないよ。余り長くは相手は出来ないが……それで構わないのなら此方に来なさい」

 

 私が(可能な限り愛想よく)笑み浮かべて手招きすれば漸く安心したのか銀髪にナイトキャップ、ふんだんにレースを編み込んだ薄桃色のネグリジェ、両手で御気に入りのテディベアを抱き抱えた子供が緊張気味の表情を緩めてとてとてと小さな足で此方に駆け寄ってくる。いつでも就寝出来る出で立ちだ。

 

 子供とはいえ午後の9時半に寝間着というの少し早過ぎるように言われるかも知れないが帝国では極普通な事だ。

 

 以前にも触れたが帝国貴族……いやそれ以外の帝国臣民も特別な理由がない限り夜更かしは余りしない。夜更かしは健康を害する上に資源を浪費し、労働者の生産効率を低下させる悪徳であるというルドルフ大帝の有難い(笑)教えがあるためだ。今でも帝国や亡命政府では消灯時間が決まっており、一部の歓楽街以外は警邏が夜中の徘徊者をしょっ引き、朝には全臣民を喇叭の音が叩き起こす。企業の深夜営業や残業は管理職以外許されない。

 

 余談ではあるが、帝国企業の労働生産性の対同盟企業比の低さは機械化もあるが同時に先程の規則等による労働コストの高さも一因だ。労働時間や残業時間、有給・休日出勤、最低賃金等の面で実の所帝国企業は下手な同盟のブラック企業よりも遥かに待遇が良かった。というよりも帝国の市民生活にすら入り込んだ管理体制は元々は治安維持や社会福祉、労働・自然環境の保護等が目的のものなのだから当然である。無論、そのために同盟やフェザーンに比べて圧倒的に経済的効率が悪いのだが……。

 

「んっ…しょっと………!!」

 

 愛すべき妹はてくてくと此方にやって来ると……極自然かつ当然のように私の膝に乗っかって来た。うん、流石に一気に距離詰め過ぎ。え?両親(特に父)や侍女達には普通にしてもらっていた?じゃあ仕方無いね。

 

 扉から此方を覗く数名の侍女達のジェスチャーでの報告に半分諦め気味に私は納得する。折角それなりになついてくれたのにここで膝から下ろして好感度を落とす訳にはいくまい。背後からブラスターで頭を撃ち抜かれるフラグを立てないためにもここは我慢するべきだ。

 

(あ、結構軽い)

 

 子供だから当然ではあるが膝に乗った妹の体重が存外に軽かったのに私は内心驚いた。同時にこんな軽い子供にこれまで色々とストレスの元を提供してきた事を思い内心良心が傷ついた。

 

「おにいさま?」

 

 子供というものが人の細やかな機敏に敏感なようで私のそんな心を見透かしてか此方を振り向き少し不安そうに首を傾げる。

 

「問題ないよ。それよりも……何用かな?」

 

 微笑みながら答えればどうにか安心した表情を作り出して目の前の幼い妹はつたなさの残る声で私に伝え始める。

 

「えっとね?きょうね?お家にきたひとっておにいさまのおよめさんなの?」

「いきなり直球で尋ねるな……」

 

 食事の時同席したが従姉なり叔従母なりと親族の年上の女性と会う機会は多いので臆病で人見知りな妹も流石にそれ程怯える様子はなかった。それはそれである意味幸運ではあるのだが逆にそれが子供の好奇心を刺激した可能性があるようだった。

 

(正確に言えば婚約者なんだがな……いや、この歳の子供には然程違いは無いか?)

 

 そもそも二回り以上歳が違う面識の薄い兄が十近く年下のいたいけな少女と婚約しているのって妹という立場から考えるとどう思われるんだろうか?何となく嫌悪されそうな気がしない訳でもない。とは言え事実は事実なので私の答えるべき答えはJa(ヤー)しかないのだが。

 

「そうだな。ケッテラー伯爵家本家筋のご令嬢だよ。家名位は知っているかな?」

 

 膝の上でコクリと首を縦に振り妹は肯定する。うん、可愛い。

 

「ナーシャにとっては余り良く知らない人だろうけど、怯える必要はないからな?後は……出来ればで良いから仲良くはして欲しいかな?」

「なかよく?」

「出来れば、だよ。無理はしなくて良いけどね?」

 

 色々面倒を起こしている私が言えた義理では無いが親戚関係を拗れさせていらぬ御家騒動を起こす訳にもいかない。今の内に危険の芽を摘んでおくに限る。

 

「んー……」

「難しいか?」

 

 悩まし気に首を傾ける妹。初対面の筈で良い印象は無かろうが少なくとも悪い印象も無い筈なので妹のその反応に私は内心で意外に思えた。私が見ていない所で何かトラブルでもあったか……?

 

「え、えっとね?べつにきらいじゃないの!けどね?けど……おかあさまがあのひとのことについていろいろいっていてね?その……」

 

 そこで少し言い淀む銀髪の幼女。私に対して何というべきか悩んでいるようであった。

 

「……大丈夫、怒りやしないから。焦らずに聞いたまま言ってくれ」

 

 私は妹にゆっくりと、穏やかにそう安心させる。少し考えてから、妹は漸くその言葉を私に伝えた。

 

「あ、あのひとは……その……血が卑しいから…あまりいっしょにいちゃダメって」

 

 その言葉を聞いて私は一瞬沈黙する。だがそれが妹を不安にさせる事を理解しているために私はすぐさま返事をした。

 

「そうか……悪い事を聞いたな。済まない」

 

 恐らく妹はかなりこの言葉を口にする事に迷った筈だ。この歳の子供にとって母の言う事は絶対だ。だが同時に圧倒的に立場が上の私が婚約者の事で仲良くするように頼まれれば当然私が彼女を嫌っていないと認識する筈だ。その上で血が卑しいとは………凡そ門閥貴族階級にとっては考え得る限り五本の指に入る程の罵倒である。そんな言葉を娘に言うとなると……。

 

「お、おにい……さま……?」

 

 上目遣いで此方の事を伺う妹。私は内心のざわめきを誤魔化すようにナイトキャップ越しに頭を撫でる。少し動揺しつつも最終的にはこそばゆそうに目を伏せて妹はそれを受け入れる。

 

「二人共、喧嘩しているみたいだな。困った事だよ、仲直りしてもらわないとな?」

 

 別に同意を求めた訳では無かったが妹は此方の事を慮ってか小さくコクリと頷く。この娘は口下手だが存外聡明なのかも知れない。

 

「えっと……」

「私のお願いは忘れてくれていいよ?私の問題でもあるからね、この事は私の方で問題はどうにかしよう。……そうだ、寝る前に本でも読もうか?それともほかにやりたい事でもあるかな?」

 

 私が話題を変えれば妹も此方の意思を汲んだのだろう、婚約者の事にそれ以上触れなかった。本当に賢い娘だ。

 

 私は扉の向こう側で控えている侍女達に妹のお気に入りの本を持って来させる。そして待っている間に私は逡巡する。

 

(まさかとは思うが夕食の時……)

 

 私と面会した時と食事会の時の態度、そして母の性格から考えると……ああ、嫌な気しかしないなぁ。この時期にこのような事の対応をしなければならないとは……とは言え本を正せば私の責任か。

 

「おにいさま?」

「ナーシャ……」

 

 此方を見上げる妹に私は困った表情を向けて告げる。

 

「もしかしたら……またナーシャに迷惑をかけてしまうかも知れない。その時は……済まない」

 

 許してくれ、とも言えないので謝罪の言葉を予め口にする。いい迷惑であろうがそれ以外に今の私にとってはそれくらいしか出来ないのもまた確かであった。

 

「……」

「……ナーシャ?」

「……えいっ!」

 

 暫しの間、ひたすら此方を見つめていた妹は何を思ったのか次の瞬間、ぺちんとその小さな手で私の頬を叩く。叩く、と言っても勢いもなく、むしろ触れると言った方が遥かに近いのだが。ぺちんぺちんとどこか気の抜けた音が室内に幾度か響く。

 

 十回位可愛らしいビンタを終えると妹は満足そうな笑顔を浮かべた。そして答える。

 

「これはおしおきね?おにいさまがまたおかあさまをこまらせるっていうからおしおきしないといけないの」

「予告はしたがまだやっていないんだけどな……」

「うん、だからもうたたいちゃったからおにいさまもいたずらしないといけないよ?」

 

 笑顔で答える妹の言葉で漸くその意図を理解し、目を丸くする。

 

「………ナーシャは本当に良い妹だな」

 

 私は再度妹の頭を撫でる。それは労わりの意味があった。まだまだ私に色々蟠りがあるだろうに……この妹は相当に賢く良く出来た娘だった。

 

「ほめてくれていいよ?あとね?またあしたもここにきていい?」

「当然、悪い兄からすれば偉い妹のお願いを断る訳にはいかないからな」

 

 そう答えると非常に妹は機嫌良さそうな笑みを浮かべる。そしてその笑みだけで私の心は幾分か軽くなっていたのだった……

 



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第百三十五話 悪い噂程中々消えない

 血統……即ち血縁、家柄、血筋の事であるが、帝国人は帝室や貴族階級は当然として、下層の農奴、時として奴隷階級すら血統による出自を重視する。 

 

 同盟人やフェザーン人の大多数にとっては黴臭く、前時代的で、非合理的な考え方に思えるだろう。一三日戦争……いや原始産業革命以前の封建時代でもあるまいに、と嘲る事請け合いだ。

 

 無論、同盟やフェザーンでもある程度の縁故や家柄の重視は当然ある。そうでなければ所謂名家なぞ生まれようもない。代々続く一族経営の財閥やコンツェルン、高級士官を幾人も輩出する軍人家系、先祖の支持基盤を受け継いだ二世・三世議員は珍しくもないしハイネセン・ファミリー長征派の如く歴史ある家柄から強い特権意識を持つ者だって存在する。

 

 それでも……それでも帝国の血統主義は多くの同盟・フェザーン市民にとって教条的かつ極端であり、その拘りは異様にみられる事が多い。余りに時代錯誤な考えであり、血筋によって国家の指導階層を独占するのは非効率的であると指摘される。

 

 ……より専門的な学者達は別の分析をする。彼らの研究結果は帝国の別の側面を照らし出す。

 

 第一に、帝国は同盟やフェザーンの一般市民が思う程に不平等な社会体制ではない。帝国は階級により経済的に断絶しているが、逆説的に一種の社会的セーフティでもある。

 

 帝国では貴族なら貴族、平民なら平民、奴隷ならば奴隷としてその階級の最低限の待遇は帝国政府により保証されている。厳格な階級制度を敷く以上、逆説的にその階級から落ちぶれないようにする事も帝国の国家的な責任であるのだ。薬物等の依存症にでもならない限り家庭や生活が破滅する事は滅多にない。

 

 例えば、貴族階級で最も落ちぶれる者の多い貧乏騎士達には所得に応じて最低限生活可能な額が貴族年金として支給される。年頃の娘ならば宮内省や典礼省に頼めばそれなりの資産を持つ家の正妻なり妾なり、自身と家族を養って貰える先を紹介してもらえる。

 

 平民階級はそもそも徒弟制や世襲制で職に就く者が多い。あるいは郷土臣民兵団や諸侯の私兵団は軍隊と派遣労働力を兼ねる人気の職場であるし、殆ど出血サービスな政府の職業斡旋所に行けば取り敢えず飯を食える働き口が紹介される。

 

 農奴階級や奴隷階級はかなり待遇に差はあるが、それでも最低限生活は保証される。危険性の高い仕事に就く者が多いために事故死の可能性はほかの階級に比べて高いが、少なくとも計画的に過労死や餓死に至らしめる程の安全を無視した強制労働は行われない。特に帝国史上最も幸福な時代であった『五賢帝時代』になると開明的な皇帝達によって流刑地の待遇改善が始まり奴隷階級の労働組合の結成が許可され、支給品や労働時間の改善要求まで行われるようになった。

 

 その上、決して才能ある奴隷や平民がその実力を活かせない体制でもない。弱肉強食・適者生存・優勝劣敗の原則に従い、才能ある者が上に伸し上がる道自体は険しいものの存在する。

 

 そもそも貴族と平民や奴隷は直接関わる事自体が珍しいのだ。同盟に当てはめるなら、例えば大企業の社長が平社員を一々確認なんてしないようなものだ。実力ある平民や奴隷は普通にある程度までは昇進出来るし、そもそもそういう存在を諸侯は見逃さない。才能ある者は余程に反骨精神溢れる者でもなければ頭角を現した時点で積極的に食客や奉公人、従士として取り込まれる。

 

 え?貴族は碌に働かないのにすぐに昇級する?それは勘違いだ。貴族階級が平民や奴隷よりも昇級や昇進が早いのは、単に学歴や実力を期待されて功績を上げやすい部署に配置される例が多いからだ。無能なのに昇級している者はしかし、大概は名誉職で飼い殺しにされ実権なぞ与えられていない。実権ある立場にある貴族は当然のように実力もある。

 

 また才能ある平民や奴隷に対して帝国は同盟やフェザーン人が思う以上に広く門戸を広げている。少なくとも下級貴族になるのはある程度の手腕があれば不可能ではない。帝国政府のエリート官僚の登竜門たる帝国高等文官試験(帝文)の内容も合格水準も貴族と奴隷とで殆ど差はない。

 

 オフレッサー家は士族から代を重ねて男爵位を得た。諸侯ですら簡単に就けぬ顕職に一族を送り込んで来た士族の名門コーゼル家、現国務省政務秘書官ワイツ二等帝国騎士は三代前まで平民であったが帝文にて次席で合格した事で帝国官僚組織のエリートコースを邁進しているし、現社会秩序局副局長ハイドリッヒ・ラングは下層平民の出である。

 

 皇帝のすぐ側に仕える者達すら例外ではない。アウグスト流血帝の近衛軍団司令官シャンバーグは奴隷階級出身、コルネリアス一世元帥量産帝時代の単座式戦闘艇総監は自治領民と平民の混血は元帥号を受け取っていた、エーリッヒ一世酷薄帝の時代なぞ帝国宰相は元鉱山奴隷、近衛軍団司令官は自治領出身、侍従武官は賞金首の宇宙海賊という信じがたい面子だ。

 

 原作におけるミューゼル家やロイエンタール家も元平民であるのが事業の成功で富裕な貴族階級となり、前者は兎も角後者に至っては零落れたとはいえ門閥貴族から借金の補填を代価に娘と婚姻出来る程の資産を稼ぎ出す事が出来た。帝国軍の双璧を筆頭とした名将達は言わずもがな、金髪の孺子が台頭する前から将官や佐官と言った高級士官だった。これらの例は本人達の才能もあろうが、それ以上に帝国の体制が存外才能ある者に対しては公平である事を示している。

 

 一方で帝国社会の研究家達はそのような実力主義社会である帝国が翻って血統や血筋を妄執的に貴ぶ理由も分析している。

 

 以前にも触れたが、星間国家において国民の連帯と同胞意識を保つのは簡単ではない。それ故に文化・宗教的な統一を行う事で人工的な『民族主義』を形成し、一方で『伝統』を以て体制の存続を図る。

 

 そして門閥貴族階級は帝国の国家体制存続の文字通りの最も重要な柱として存在している。

 

 血統による政治権力の相続は帝国において『正義』に他ならない。代々領地を統治するが故に支配に関して責任を持ち、長期的視野に立った地方自治を行う事が出来、また領民との距離も近くなり銀河連邦末期のような腐敗と搾取を抑制することも可能となる。寧ろ帝国的価値観においてはどこの馬の骨とも知れぬ者に統治権がある方がおぞましい。いくら優秀であろうとも外国人に統治などされたくないと思う感覚と言えば分かりやすいだろう。臣民にとって領主は中央に対する地方の権利の代理人である。

 

 中央から見ても、諸侯という地方の代理人とだけに交渉の窓口を一本化できるのは政策の推進の面で極めて効率的だ。また諸侯と諸侯、諸侯と帝室との婚姻による結び付きは帝国の同胞意識の醸成と利権調整の面でも効果的だった。

 

 門閥貴族の血統に平民や下級貴族の血が混ざる事が嫌がられるのは正にこの利点が失われるからだ。

 

 正確に言えば当主の血に卑しい血が流れる事が大きなデメリットであった。平民や下級貴族の血が流れている事は即ち諸侯との血の結び付きが薄れる事を意味する。支配階層の自覚が薄れ、その同胞意識が失われるのではないかと訝しまれ、距離を取られるのだ。

 

 諸侯同士と同じく、あるいはそれ以上に領主の血に下賎な血が流れる事を嫌うのは領民である。ほかの諸侯や宮廷から距離を取られればそれは即ち領主の領民の権益の代理人としての役割を果たせなくなる事を意味し、同時に領主の領地に対する責任意識の希薄化が起こるのではないかと恐れられるのだ。

 

 故に門閥貴族の正妻は殆どの場合門閥貴族に限定される。下級貴族や平民の妾からの子供は爵位を継ぐ事は一部の例外を除いて殆どあり得ないし、分家を立てるとしても帝国騎士家か従士家が大半だ(無論、その後に功績で爵位を得る場合はあるが)。

 

 そもそも妾ですら一部の好色家や放蕩貴族を除けば単なる性欲のためだけに抱えている訳ではない。臣下の家々や有力な領地内の富裕市民との結び付きを強め、また爵位を継ぐ必要のない帝国騎士位の分家を形成して領主と領民を仲介する中間支配層を作り上げる、あるいは本家と血縁の繋がる将校や官僚を帝国政府内に送り込み派閥形成の駒とするためだ。

 

 即ち、門閥貴族階級が血統に拘るのは文化的側面もあるが、それ以上に実利的理由が大きいのだ。賎しい血が混ざれば宮廷からも領民からも白い目で見られ、宮中政治どころか領地経営すらままならなくなりかねない。

 

 それは諸侯よりも遥かに権威のある帝室すら……むしろ、だからこそ例外ではない。現在でこそ同盟歴史学会にて帝国中興の祖とされている(尤も、ひと昔前の評価はまた大きく違ったが)マクシミリアン・ヨーゼフ二世晴眼帝も母方の家柄からその即位には当時猛反発が行われた。

 

 ‥‥…尤もこの事に関しては別の要因もある。一つには帝室の権威の低下が挙げられるだろう。特にリヒャルト二世忌血帝時代の『領内平和令』以降一世紀以上に渡り続いた軍縮とダゴン星域会戦における大敗により帝室の武力は弱体化しており、またエーリッヒ二世止血帝時代に諸侯と結ばれた『盟約』がルドルフ大帝時代に始まりジギスムント二世恥愚帝を経てエーリッヒ一世酷薄帝時代に完成した帝室の専制体制を拘束した事も公然とかつ大規模な帝室への反発を助勢した一因だ。

 

 兎も角も、半ば強行された晴眼帝の即位は最終的には血統卑しき皇帝に対しての一部保守派大諸侯による分離独立運動すら引き起こした。『シュヴァーヴェン四諸侯の反乱』や『ユグドミレニア公の反乱』、『コスモバビロニア王国建国戦争』はその代表例だ。

 

 皇妃ジークリンデの存在もまたそれに拍車をかけた。従士家の名家であり幾らか諸侯の血が含まれようともワーグナー家は所詮は下級貴族。寵妃なら兎も角、皇妃なぞおこがましいにも程がある。晴眼帝が帝室の遠縁から養子を迎えたのはその養子……コルネリアス一世元帥量産帝の才覚もあるが、それと同じ位に皇妃と自身の子供を次の皇帝に据えるのは諸侯の反発から極めて困難であったためだ。仮に子を成して即位を強行しても百日帝や亡命帝の如く即座に暗殺された事であろう。

 

 まぁ、このように門閥貴族の当主が正妻や後継者に同じ階級以外の血を入れる事はかなり稀な事という訳だ。それこそほぼ宮中に出仕する事のないようなかなりのド田舎の小諸侯か、逆に相手の一族が相当の資産や才覚を有しているかでもなければ……いや、それでも尚理解を得る事は容易ではなかろう。

 

 まして、オーディンの本家とは違うとも名門中の名門のサラブレッドたる私の母の血統に対する鑑識眼の厳しさは、当然ながらそこらの諸侯とは比較にならない程のものであったのだ……。

 

 

 

 

 

 

 水晶のシャンデリアに金塗りの壁、ベルベット張りの椅子とマホガニーの長テーブル、その上に絹のテーブルクロスが敷かれ、黄金色の燭台に花々を生けた花瓶、高級な陶磁製と銀製の食器の数々とそれに盛りつけられた朝食……煌びやかな朝の会食はしかし、余りにも静か過ぎた。

 

 いや、給仕服や燕尾服、調理師服を着て控える数十名の使用人達が沈黙するのはいつもの事だから構わないのだ。問題は本来ならば朗らかな会話が交えられてもいい筈の屋敷の主人達と客人の間ですら重苦しい空気が流れている事であろう。

 

 銀のフォークとナイフが料理を切り分ける音すら殆どしない。もし公の場でそんな事を行えば宮中マナー違反になり暫くはパーティーに参加出来なくなるので門閥貴族たる者子供の内に食事の作法位マスターさせられる。可愛くて幼い妹すら少し苦戦しつつも殆ど雑音を奏でずに食事を進めている事からもそれは分かろう。

 

 故にこの場で明瞭に聞こえる音と言えば精々壁掛け時計の針の音かこの朝食用食堂(当然のように食堂が複数あるんだ……)に設けられた窓から漏れ聞こえる小鳥の囀り位のものだ。

 

(………気まずい!!)

 

 私は殆ど作業的に焼き立てのパンを千切って口に放り込みながら内心で叫ぶ。

 

 余りにも静か過ぎて辛い……。妹の方に視線を向ければ不安そうな表情を作りつつ母や婚約者と目を合わせないように目の前のパイを食べる姿が見える。この場で自分が下手に話題を振る事の危険性を理解しているようだった。

 

(というか、昨日の夕食も似た感じだよな……アレ?まさか私滅茶苦茶空気読めて無かった?)

 

 昨日の自分を思い返して腹痛すら感じ始めて来る。とは言え……私なぞよりも婚約者の方が針の筵なのだろうが……。

 

 取り敢えず昨日妹から聞いた話もあり、私としても自分自身や信用出来る食客や使用人を通じて情報を集めている所ではあるが……うん、今分かった情報だけでも結構エグいわ。

 

 まさか伯爵令嬢も初日からマウンティングされるとは思ってなかっただろう。私は知らなかったが昨日の内に(強制)お茶会に参加させられてた。断片的に分かる内容だけで完全に頭抑えにかかってるぞ。

 

 母が余り伯爵令嬢との婚約に賛成していない事自体は聞いていた。皇帝陛下や父、軍部と典礼省等が政略的な理由で賛同しどうにか納得させた事も聞いていた。説得した者達が者達である。母も従うしかないし、一度認めた以上は当然ながら簡単にそれを反古にする事なぞ出来ない。平民と違い皇族であり貴族でもある母の言葉は重い。故に私もそこまで無茶な事はしないと思ってはいたのだが………。

 

「どうかしら御客様?我が家の朝食は?」

 

 一見優しげに、しかし聴く者が聴けば明らかに冷たい美声は母から客席に向けられたものであった。

 

「あっ……は、はいっ!大変美味しゅう御座います!どの料理も新鮮で、それに調理も素晴らしいものです……!流石伯爵家の御屋敷であると感服致しました……!」

 

 いきなり話題を振られた伯爵令嬢は一瞬身体を震わせて、しかしナプキンで口元を拭いてから取り繕った笑みを浮かべ賛辞を述べる。まぁ、貶す言葉なんか言えないからねぇ。

 

 しかし、この極平凡かつ過失のない言葉に対して母の返答は実に意地の悪いものであった。

 

「あら、それは良かったわぁ。料理長が言うには今日の食材の質は然程宜しくなくて出来もなかなか上手くいかなかったそうなの。ですからお口に合うか随分と不安だったのだけれど……特にオムレツの出来だったかしら?」

 

 フリルをふんだんに使ったドレスを着こなした母の白魚のような白い手が口元を隠す。クスクス、と加虐的で冷えた笑い声が食堂に反響した。

 

 一方で蛇に睨まれた蛙……というよりは栗鼠、というべきか。怯えるように婚約者は肩を震わせる。それは怒りよりもどちらかと言えば恐怖から来るもののように思えた。彼女のすぐ目の前には先程まで口にしていたバターとクリームたっぷりの半熟のオムレツがある。うわ、絶対これタイミング狙っていたわ。

 

 陰湿過ぎるように思えるが、そもそも母は名門中の名門の血筋だ。即ち宮廷女性社会の主要プレイヤーの一人である。これくらいの意地悪は残念ながら『可愛い』ものでしかないのかも知れなかった。

 

「あっ……」

「粗食なぞ提供し、我が家としては恥じいるばかりでしたのよぅ、けど……どうやら御満足して頂けて幸いでしたわ」

 

 何か謝罪しようと声を震わせた伯爵令嬢に、しかし機先を制してそう続ける母。謝罪の言葉すら許さないとは……。

 

「………」

 

 ここは流石に助け船を出さないといけないだろうなぁ、私の立場としては。

 

「……味が少し濃いな、バターと塩を入れすぎたか?」

 

 自分の手元のオムレツをスプーンで一口口にすると私は肥満気味の料理長に優しく尋ねた。

 

「は、はいっ……!その通りで御座います……!大変申し訳御座いません……!」

 

 この剣呑過ぎる空気の中でいきなり私に声をかけられたために料理長は僅かに狼狽えた声で答える。

 

 別に私としては料理長を責めるつもりは微塵もない。そもそもオムレツは料理の基本中の基本だ。それをそこらの民間シェフなら兎も角、代々厨房を預かる門閥貴族のお抱え料理人集団が味付けを間違えるなぞ……正直どこまで只のミスなのか怪しいものではあったし巻き込まれた立場であろう料理長に対して寧ろ同情の念の方が強かった。

 

「いや、構わんよ。正直……私も従軍中は濃い食事ばかりだったからな、少し懐かしくなったよ」

 

 そして横槍が入る前に婚約者の方を見て続ける。

 

「フロイラインは濃い味付けがお好みのようだ。御実家は常在戦場の武門の家ですから幸いでした。……どうか此度の食事は御許し下さい」

 

 私は自然な流れで伯爵令嬢に軽い謝罪の言葉を口にする。 

 

「い、いえ……問題御座いませんわ、おきになさらないで下さいませ」

 

 少し緊張気味に、しかし確かに安堵するようにグラティア嬢は顔を僅かに伏せて答えた。

 

「そういう事だ料理長、悪いがこれから私のものは少し濃い味付けで頼めるかな?」

「し、承知致しました……!」

 

 深々と頭を下げて了承する料理長。その額の汗は多分私の申し出が理由ではなかろう。

 

「……そろそろ朝食も終わりかしら?」

 

 その声に導かれるように私は母の方向へと視線を映す。ナプキンで口元を拭くその姿は優美であるが同時にその表情には不機嫌……というかむくれたような感情が垣間見えた。あー、うん。虐めネタが無くなるのは不満だよね、貴族のお嬢様にとっては。

 

 正直介入したのが私だからこの程度で済んでいるのだ。これがほかの者ならもっとあからさまに不機嫌な表情を浮かべていただろう。というか裏工作で宮廷から永久に追放された筈だ。無論、もしグラティア嬢が母に楯突いていれば同じように彼女の実家は詰む事になるだろう。逆らう事が出来ないのを良いことにエゲつないなぁ。

 

「ええ、私はオムレツと珈琲を頂いてそろそろ終わりますよ。無論、まだ食べ終えていない方はこのまま残って下さって構いませんよ?」

 

 とは言え下手にそれに触れるのは家族関係としても礼儀作法から言っても宜しくないので私はにこやかにそう切り返す。

 

「ナーシャはもう少し食べた方がいいかもしれないね、今は育ち盛りなんだから遠慮しない方が良い。それに……急ぐと身体に悪い」

「えっ……?う、うん……はい」

 

 私はそういって慌てて手元の杏子とホイップとチョコレートソースのかかったパラチンケを食べ終えようとしていた妹を落ち着かせる。そして既に珈琲を淹れていた給仕からティーカップを受けとった。せっせとオムレツを珈琲と共に頂くとナプキンで口元を拭いて立ち上がる。

 

「それでは御先に失礼致します」

 

 家族と伯爵令嬢に礼をして私はその場を何事もないかのように去る。うーん、背後から突き刺さる母親の視線が辛い……。

 

「ああそうだ。これを後で渡してくれ……部屋に戻った後に、な?」

 

 そして、食堂から出たと同時に私は伯爵令嬢の世話役を仰せ付けられている使用人の一人で伝言の手紙を差し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 正直な所、ここまで冷遇されるとは彼女……グラティア・フォン・ケッテラー伯爵令嬢も流石に想像していなかった。

 

 無論、彼女も婚約に至るまで宮廷にて行われた各種の交渉と談合は断片的に耳にしていたし、婚約相手の母親が最大の反対者であった事は聞いていた。それでも尚、甘いと言われたとしても現実は彼女の想定以上であったのだ。

 

『こちらではオーディンとは勝手が違いますの。不慣れかも知れませんけど貴方の御実家の作法は一旦お忘れになった方が宜しくてよ?』

 

 昨日の御茶会で彼女の義母となる筈であるその夫人は本当に四〇の半ばの女性とは思えない程に妖艶で妖精の如き美貌で笑みを浮かべていたが、その口から放たれる言葉はナイフのように鋭く、毒々しかった。

 

 実家……それがケッテラー伯爵家を指す言葉ではないことは彼女をヴァレンシュタインの令嬢として呼んだ時点で確定しているし、当然ながら勝手が違うとは御茶会の礼儀作法なんぞではない。

 

 即ち、義母の言葉から礼を消して訳すると大方次のような意味合いになる。

 

『オーディンの偽帝の時みたいに下品で淫らな色香で我が家を乗っ取れるなぞと甘い事を思うなよ?この下賎な血が流れている分も弁えぬ恥れ者がっ!!』

 

 言い過ぎ?いや、寧ろこれでも控えめな表現かも知れない。それほどまでに義母になる筈の貴婦人が自身を敵視している事をグラティアは確信した。

 

「完全に言い掛かり、といえないのは確かですが……」

 

 伯爵令嬢は沈痛かつ重苦しく嘆息する。そう、確かに義母の言葉は言い掛かりでない。

 

 ヴァレンシュタイン公爵家……いや、子爵家が時の皇帝ウィルヘルム一世武帝に娘を献上し、ウィルヘルム二世の御代に外戚として専横を尽くしたのは事実だ。それだけで子爵家の娘を貰い受ける家からすれば不快な事この上無かろう。

 

 まして彼女の父……当時のケッテラー伯爵は保守的な一族の中で比較的開明的で知られ、周囲の反対を押し切って母に求婚し、添い遂げた(それだけの功績を立てていた事もある)。それが第二次イゼルローン要塞攻防戦による当主の不幸な戦死とそれによる混乱、それらが収拾された時に残されたのは夫人が統治する弱体化したケッテラー家である。

 

 母方の一族の歴史を客観的に見返せばまともな諸侯ならば相当な拒絶観を持つ筈だ。そして彼女が嫁ぐ理由は政略のためで……成程、あのような罵倒も可笑しくない。自分は警戒されてしかるべきであり、同時に自分はひたすらに頭を下げ、それこそ奴隷の如く卑屈に嫁ぎ先の一族に尽くさなければならない。

 

 そう、それこそどのような辱めを受けようともだ。全ては実家と臣下と領民の生活と繁栄のために………。

 

 故にグラティアは陰鬱な覚悟を持ってこの屋敷を訪れた。だからこそ思う。

 

「あの人は何を考えているのでしょう……?」

「はい?何か御座いましたか?」

 

 ぽつりと口にした独り言に先導する紺色の騎兵服……パイロットである事を意味している……を纏った妙齢の士官が緊張感のないあっけらかんとした表情で答えた。

 

 針の筵のような朝食を終えていそいそと退席した時、使用人から伝言の手紙を受け取り、それに従い部屋で待ってれば迎えに来たのが目の前の女性士官だ。後は結構無理矢理に連れられて屋敷の庭先を歩む。

 

「い、いえ……何も御座いません」

 

 慌ててそういい繕い、グラティアは栗毛の将校の階級章と勲章をちらりと見る。亡命政府軍宇宙軍中尉……帝国軍と違い、人的資源が不足しつつも国是から可能な限り高級将校に貴族階級を着任させたがる亡命政府軍には、市民軍の影響もあり貴族階級の女性将校も少なからず存在している。

 

 とは言え、流石に従士家とは言え本家筋の者が最前線で暴れるのは極めて稀であったが……。

 

(そういえば……)

 

 自身の婚約者が常に傍に置いていた付き人も本家筋の従士であった事を思い出す。物腰が良く、大人らしく、豊かな金髪……。

 

「………」

 

 さわり、と自身の髪に触れる。一見薄い金糸のように見えるそれはしかし虚飾でしかない事は何よりも自分が理解していた。高圧的な母方の祖父がどこからか仕入れた話に従い染めた髪は、しかし近寄って観察すれば目敏い者であれば亜麻色の地毛に気付かれてしまうかも知れず常に戦々恐々としていた。

 

 何せ『国政の名君、後宮の凡君』と称されたアウグスト一世愛髪帝の前例があるし、かなり薄いにしても皇族との婚姻を幾度も行ったためにティルピッツ伯爵家の直系にはその血脈が流れているのだ。流石に愛髪帝程尋常な『趣味』ではないにしても歴代伯爵の中には黒髪をこよなく愛した者やウェーブをかけた者ばかり妾にしていた者もいた。

 

 ちらりと再度先導する従士の髪を見やる。馬の鬣を連想させる豊かな栗毛を少し短めに切り揃えている。その事に少しだけ羨望の感情を抱く。

 

(この人の髪は地毛……ですよね?)

 

 恐らくは自身と違い染めていないのだろう。自身の婚約者は数いる従士の中から態々豊かな金髪の従士を寵愛し、次いで義母から与えられた別の従士も一説ではその髪質から愛用していたと噂されていた。そのためティルピッツ伯爵家に仕える従士家の中でも名家に属するレーヴェンハルト従士家本家の長女が栗毛を、それも短いままにして平然としている事に軽い驚きがあった。

 

「?髪が気になりますか?」

「えっ?」

 

 少々子供っぽくにこにこと笑みを浮かべて振り向く従士に、グラティアは一瞬反応が遅れる。

 

「いやぁ、もっと長くしてみたいのですけどねぇ。ヘルメットを被るとなると中々長く伸ばせないんですよぅ。腰辺りまで伸ばしてみたいんですが……」

「は…はぁ、そうですか……」

 

 到底主人の婚約者に向ける口調ではないがその独特の空気のせいであろうか?グラティアは無礼と言う感情も不快な感覚も抱かず、寧ろあっけに取られてしまう。

 

「まぁ、若様は別に髪フェチって訳でもないですけど……それでも長い方がプレイの幅も広がりますよね!巻いてこすったり出来ますし!」

「それは確かに……ふぇ!?」

 

 適当に返答しておこうかとそう口にした所で口が止まるグラティア。ちょっと待て痴女、今の言葉どういう意味だ?グラティアの内心の突っ込みに、しかし目の前の従士は当然答えず興奮気味に話を続ける。

 

「ですよね!!やっぱり手数は多い方が良いですよね!同じプレイばかりだとマンネリ化しますよね!人間たるもの、向上心を持って新しい事にチャレンジすべきですよね!大帝陛下も向上心の無い輩は馬鹿だと遺訓を残しておりますし、飽くなき(快楽に対する)開拓心の発露は社会全体の発展のためにも正しいですよね!」

 

 顔を紅潮させ、鼻息を荒くして叫ぶ従士。酷い遺訓の曲歪である。ルドルフ大帝が聞けば血の涙を流しながら筋肉バスターをかけていた事だろう。

 

「えっ…えっと……」

 

 グラティアは少し引き気味になりながら……といよりも幼さの残る顔立ちを引き攣らせて周囲を見渡す。庭師や使用人が近くにいなくて幸いであったと心から思う。こんな話をしている恥女と話しているだけで自身と一族の格式が地面にめり込みそうな錯覚を覚えた。

 

「そ、そう…です……か。その貴女は旦那様の……」

「激しく(スポーツ飲料を)頭からぶっかけられて(買ったスポーツ飲料の)臭いを体まで染みつかされてべとべとにされるような関係です!」

 

 恐らく本人が現場にいれば悲鳴を上げながらスライディングしていた事であろう、悍ましき情報操作が行われていた。完全に名誉毀損であった。カッコを外せ、カッコを。

 

「な、成程……」

 

 たじろぎながらも振り絞るようにそう答えるグラティア。ここまでの言葉で気丈に振舞おうとしていた心が半分位粉砕されていた。

 

「むふふふふ!」

「……」

 

 目の前で異様な声を漏らし何か得体の知れない事を妄想する婚約者の部下を見つめながらグラティアは思う。これからどこに連れて行かれるのか?何のために呼ばれるのか?何をされるのか?

 

 時たま耳に聴く婚約相手の不穏な噂が脳裏に過り、グラティアの胸中に言い知れぬ不安が薄暗く広がっていた………。

 

 

 

 

 

「と言う訳で若様!ケッテラー伯爵令嬢を無事御連れ致しました!」

「ぶっ殺すぞど阿呆が!!?」

 

 私は嬉々とした表情でグラティア嬢を連れて来た糞パイロットに中指を突き立てる。いや、可笑しいだろ!何お前人の好感度引き摺り落としてんの!見ろよあの娘の視線!完全に強姦魔の色情狂見ている目だよ!怯えと蔑みしかねぇよ!?

 

「えっ? 好感度が下がった……?では敏感になるように再開はt……ぐべぇ」

 

 取り敢えず背負い投げしてノックアウトし黙らせる。漢字が違うわっ!!

 

「はぁ……完全に人選を間違えたな」

 

 同じ女性だから警戒されないかと思ったが完全に逆効果だった。これならば不良騎士の方が紳士的に先導してくれただろうに……まぁ、彼方は屋敷の女中達に伯爵令嬢がどこか行くのを見られないようにナンパ紛いな事をしてもらったので仕方ないが……(因みに嫁がいるからと滅茶苦茶渋られた。お前さんを並行世界の自分に会わせてみたいよ)。

 

「あ、あの……」

「あ、これは申し訳ありません。使いの人選を間違えました。どうぞ御容赦下さいませ」

 

 取り敢えず謝罪の言葉を口にし頭を下げる。これに関しては完全に此方の落ち度なので残当だ。

 

「い、いえ……問題は御座いません。それよりも御用件の方はな、何用で御座いましょう?」

 

 当惑し、同時に怯えつつも気丈に現実に向き合うように此方の目を見て答える伯爵令嬢。おう、覚悟完了している目だよ。家族を守るために身を捨てる主人公の目だよ。完全に婚約者に向ける目じゃねぇよ。

 

「あー、いや……御気持ちは分かりますがそこまで身構えなくても良いですよ?はぁ……」

 

 私は頭を抱え心底困った表情を浮かべる。

 

「少し誤解を招いたようですね、私としましては謝罪とその穴埋めをしたいと思っていたのですが……」

「謝罪と…穴埋め……ですか?」

 

 一層困惑の表情を強めるグラティア嬢、まぁそれも当然か。

 

「ええ、一つは昨日も御伝え致しましたが見舞いの手紙への返礼が遅れた事、もう一つは……母上の事について」

「っ……!」

 

 その単語にびくっ、と肩を震わせる少女。小動物を連想させるその姿に何ともいえない罪悪感を感じつつ、私は誘いの言葉を紡ぐ。

 

「少し散歩しながら話しませんか?」

「……はい」

 

 少しだけ迷ったような表情を浮かべつつも少女は気丈に答える。その姿は勇敢で輝かしく、故に痛々しく思えた。無論、口にはしないが……。

 

「では行きましょう。……中尉、警戒に回れ」

 

 私は婚約者をエスコートして歩み始める。次いでに足元で倒れている変態に起き上がるように命じた。お前さんがもう回復している事位分かっているんだぞこの野郎。

 

「うー若様ぁ、貞淑かつ健気にお仕えしている家臣への待遇が酷すぎませんかぁ……?」

「抜かせ」

 

 私が部下の要望を一笑に付せばぶーぶー文句を垂れながらレーヴェンハルト中尉は立ち上がり周囲の警戒に向かう。

 

 そして……そのまま極自然な動きで去る中尉は、擦れ違い様にグラティア嬢の耳元に近づいて小さく……本当に小さく囁いた。

 

「御気持ちは分かりますが……私個人としては、寧ろ亜麻色の髪の方が中々に新鮮に感じられると思いますよ?」

「……!!」

 

 グラティア嬢がレーヴェンハルト中尉に驚きと怯えの視線を向ける。一方、レーヴェンハルト家の従士は一瞬怪し気な色彩を目に浮かべるがすぐにあっけらかんとした表情に戻る。

 

「……?どうした?中尉、まさかまたある事無い事彼女に耳打ちした訳ではなかろうな?」

 

 何事かを囁いた事はどうにか分かったが何を口にしたのかまでは分からなかった。グラティア嬢の動揺する表情からまた碌でも無い事を口にしたのでは?と勘ぐる。

 

「嫌ですねぇ!そんな訳ないじゃないですかー!私が若様の不利益になる事なんてとてもとても……あっ!それでは、私めは周辺警備に就かせて頂きます!」

 

 態とらしく嘯くレーヴェンハルト中尉。あははは……と空笑いして、悪さをした子供が親に見つかり逃亡するようにそそくさとその場を去っていく。

 

 その緊張感の欠片もないその後ろ姿に、ただただ私は呆れの溜息しか出てこなかった……。

 

 

 

 

 

 

「はぁ…はぁ……ふぅ………」

 

 脱兎の勢いでその場から離れたその女性従士は、暫くすると駆け足気味であったその足を緩め、ゆっくりと歩きながら息を整える。

 

 そして……手元に握る一本の髪の毛を摘まみ上げるとそのアーモンド状の瞳を細め静かに見つめる。そう、ウェーブのかかった亜麻色の長髪を……。

 

「別に若様に地毛への拘りがある訳でもないから問題はないのですけどねぇ」

 

 とは言え、自分の立場でその事を指摘するのは非礼極まりないし、何より今の段階で新たな火種を創出する必要もないので少女にも、自身の主人にも口にしない。和解して秘密を口にすればそれで良し、後々に交渉のネタに出来ればそれも良し、少なくとも今の段階で自身が口を挟む必要はない。一ディナールの価値もない。

 

 故に指摘しない。今はただ静かに観察する時だ。それこそが最も利益ある選択肢であるために……。

 

「そうです、私が若様の不利益になる事なんて畏れ多くてとてもとても……」

 

 妖艶で鋭い目つきを浮かべ、同時に口元を楽しげに吊り上げながらレーヴェンハルト従士家の長女は甘く低い声でそう嘯いたのだった……。

 



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第百三十六話 恋愛シミュレーションは現実では役に立たない

ノイエのPVが出ました、愛国の言葉を口にするフレーゲル男爵の顔がそこそこイケメンです

ノイエ版リップシュタット戦役……きっと由諸正しく誇り高い門閥貴族達が小賢しい金髪の小僧を散々に打ち負かすんだろうなぁ……(遠い目)


 地球がそうであったように、惑星ハイネセンもまた地軸のズレと公転の影響から四季が存在する。少なくとも住み心地の良い人口密集地域では大なり小なりそれが存在した。

 

「明日か明後日にでも梅雨に差し掛かるそうです。そうなれば暫くは庭先を歩く事は出来ません。今の内に楽しむ事に致しましょう」

 

 ハイネセン北大陸……より厳密に言えばその内陸部ではもうじき春が終わろうとしている。梅雨が始まりそれが終われば夏となるだろう。

 

 幸い人口一〇億余りかつ発電は大半が核融合炉や水素、あるいは太陽光や地熱、風力等の自然エネルギーで賄われ、工業にしても西暦時代とは比較にならない程にエネルギー変換効率が高く、また最先端の建材からなる建物は熱を溜め込まず、都市計画も緻密を極めているので転生前のような温暖化とはこの時代の人間は無縁だ。

 

 都市部ですらそうなのでドが付く程の田舎の避暑地であるこの領地は山から流れてくる風もあり気候は悪くない。交通の便が悪い内陸部であるが黄金狂時代のような好景気であれば都市開発計画の対象になっていた可能性もある位には住み心地は良かった。

 

「……随分と手入れがされておりますね。彼方は……花園でしょうか?素晴らしい造形ですわ」

 

 一歩下がりグラティア嬢は私に続く。日傘を差してゆっくりと、優雅に歩みを進め庭先を鑑賞していた。

 

 貴族の邸宅の庭園はそれ自体が一つの芸術作品だ。噴水とカスケードがあり、庭師により色彩と輪郭の調和を整えられた花壇と芝生、トピアリーに並木の連なりが広がる。大理石の動物や神々を象った彫刻が厳かに佇み、各所に設けられた四阿はそれぞれが庭園を美しい角度から鑑賞出来るように計算されていた。本邸に比べれば遥かに小さいが庭先の先々に小屋も幾つか建築されている。

 

 当然これらの整備に必要な人と物と財力は莫大であり、それを有する領主一族の権勢を極めて分かり易く示してくれる。多くの訪問者は本邸であれ別荘であれ、庭先の広さと優美な庭園、そして屋敷の大きさでまず相手の実力を見積もる。庭園は交渉における最初の牽制の役割を果たしてくれるのだ。

 

 また余談ではあるが、屋敷の裏口等にはこれまた相応に広大なキッチンガーデンやハーブガーデン等も広がり、荘園と並んで領主一家の食卓に上がる食物を供給していた。

 

「……少し日差しが強くなってきました。彼方の四阿でお休み致しませんか?」

 

 暫し屋敷外苑の庭園を見回りした後、私はとある四阿を指して提案する。時刻は午後になっていた。

 

「……全て旦那様の御随意のままに」

 

 片手で日傘を差したまま、もう一方の手でフリルのスカートとちょこんと持ち上げ淑女として最大限の礼節を持って少女は答えた。即ちお好きにして下さいという訳だ。尤も、彼女も私が休憩を提案した理由は分かっているであろうしそれに反対する選択肢は元からありはしないのだが……。

 

(何を言われようと従うしかない、という訳か……)

 

 目の前の一回り以上歳下の少女が周囲からの目や噂に耐えながら私に恭しく従っている事を考えると何度目か分からない罪悪感が疼いた。

 

 四阿では既に準備が整っていた。テーブルの上に染み一つない真っ白のテーブルクロスが掛けられている。ティースタンドにはサンドイッチやハム、ケーキと焼き菓子が載せられており、ポットには注ぎたての湯の湯気が立っていた。氷バケットは二つ用意されており片方には果物が、もう片方にはワインボトルが砕けた氷の中に沈んでいる。

 

「御苦労、後は私達だけでいい。下がってくれ」

「はっ!」

 

 使用人服を着て敬礼する恰幅の良い彼らは、しかし伯爵家の者達ではなく休暇中の『薔薇の騎士連隊』の隊員達だ。より正確に言えば『薔薇の騎士連隊』の中でもどこかの家の紐付きでなく、不良騎士にスカウトされて此方に来た者達だ。

 

 エル・ファシルの激戦にて、『薔薇の騎士連隊』こと第501独立陸戦連隊戦闘団は司令部と主要指揮官こそ生還したものの、人員の四割を失う損害を出すに至った。

 

 一応、基幹部隊は無事なので人員の補充と訓練さえ積めばある程度は再建は可能だ。だがそれも今すぐとには行かない。熟練の兵士はどこからかポンポンと生えてくるわけでなし、それが亡命帝国人からのみ選抜するとなれば尚更だ。また連隊長リリエンフェルト大佐の准将昇進を始めとしたメンバーの昇進と勲章授与に伴う連隊戦闘団の組織再編も検討されていた。

 

 結果として、連隊戦闘団は人員の補充が不十分なため少なくとも今後半年は従軍が無くなった。つまり、生還者の内、重傷者は治療に専念するとして、それ以外の大半は個人から中隊単位での訓練以外では暇を持て余している。そこで、色々と人手が欲しい私は不良騎士を通じて臨時バイト兼暇潰しを探している帝国騎士を一個分隊発注した訳だ。金で揃えられる臨時雇いは母や家の息がかかっておらず、今の私には極めて重宝出来る存在だ。え?給金どこから出すって?お小遣いの国債や株式の利子収入ならがっぽりあるよ?

 

「うむ、……ああ、待て。御苦労だった。これは卿らの分だ。悪酔いはしてくれるなよ?」

 

 そう言って彼らがセットしてくれた昼食の用意から氷バケットに沈んだワインボトルの一本を左手で引っ張り出して差し出す。表面に水滴が出来てひんやりと冷えたそれは宇宙暦760年物の白だ。物としては……まぁ、中の上位のものだな(門閥貴族基準で)。

 

「よ、宜しいので……?」

 

 流石にこの行動は予想出来なかったのだろう、一番階級が高いバイト騎士が窺うように尋ねる。まぁ、門閥貴族基準でそこそこの品である。平気で同盟軍新米士官の給金三か月分が飛ぶなど普通だ。本当に賜下されるか半信半疑にもなろう。

 

「構わんよ、色々準備は不慣れだっただろう?……後片付けも頼めるな?」

 

 ワインボトルを受け取ろうとする帝国騎士の腕を義手の右手で掴んだ後に、後半の言葉を続けた。口にはしないが聞き耳を立てない事と周辺警戒もな、と目で伝える。

 

「し、承知致しました……!」

 

 僅かに身を竦ませて答えた騎士。その答えに微笑んで私は右手を離してワインボトルを明け渡す。ボトルを受け取りつつも掴まれた腕を摩り私を見て、小さく頭を下げて帝国騎士は下がる。

 

 彼は恐らく私のひんやりと冷たい感触と、生の腕では有り得ない握力が加えられた事にたじろいだ筈だ。

 

 ……間違いなく単純な陸戦技能では彼の方が上手であっただろう。下手したら秒殺されかねん位には実力差がある筈だ。だが義手をつけているというのは認識したものに相応の修羅場を生き残ったという先入観を与えるものだ。はったりに過ぎないがこれで悪ふざけや仕事をさぼるような事はするまい。

 

「……それでは人払いもしましたので、軽く休憩しましょうか?」

 

 私は彼らがある程度離れてから振り向いて伯爵令嬢に着席を進めた。無論、警戒感や不安は与えないように先程のやり取りは私の背が影になるように行った。そのため僅かに訝しげな表情を浮かべつつも伯爵令嬢は私の勧めに従い席に座る。私もまたそれを見てから対面の椅子へと腰を据えた。

 

 冷えた度数の低い食膳酒のコルクを抜いて、水晶のワイングラスに注ぎ込む。白よりも寧ろ黄金色に近い液体は気泡を作りながら日光とグラスの反射で虹色の光を放っていた。グラスの一つはグラティア嬢に、もう一つは私の手元に置き、豊穣神への軽い祈りを込めてから乾杯する。

 

「まず、今朝の事は申し訳ありません。母も悪気はないのですが……本領を離れる事になって気が立っているのです。まして私が問題ばかり起こすもので……周囲に負担をかけてばかりで心苦しいばかりです」

 

 一口呷ってから、私はワイングラスを置き謝罪の言葉を述べる。

 

「いえ、当然の事です。領地もご子息も、共に欠かす事の出来ない存在です。寧ろそのように御母様がお悩みになられている所を不躾に訪問してしまい、まして失言すらしてしまった自身の未熟さに恥じ入るばかりですわ」

「御謙遜を」

「いえ、心からの意見で御座いますわ。旦那様、そう御自身や御家族を卑下なさってはなりません」

 

 そして伯爵令嬢は一旦言葉を切り、暫く言葉を考えてから、私の目を見つめて続ける。

 

「朝の事については寧ろ感謝申し上げなければなりません。あのように助け船を出して頂き……その、御母様にあのような事を口にして、旦那様のお立場が悪くなるような事があれば………」

「それこそ杞憂と言うものですよ。あれでも母は私には甘過ぎる人ですから。あの程度の事で気分を害するなぞ有り得ませんよ。……さて、私もそろそろ小腹が空いて来ました。御先に失礼します」

 

 そういってティースタンドに載せられた卵とハムのサンドイッチを頂く。

 

「ふむ、このように野外での食事も悪くはありませんね。戦場と違い落ち着いて料理を味わえるし、見る景色も素晴らしいものです」

 

 私はそう言ってグラティア嬢にも料理を勧める。

 

「……失礼します」

 

 暫く私の食事を観察していた伯爵令嬢は漸く料理に遠慮がちに手を伸ばす。手に取ったサンドイッチを栗鼠のように小さく口を開き口に入れた。

 

「あ、美味しい……」

「それは良かった。御領地の味付けについて調べさせましてね。少し濃い味付けをさせて頂きました」

 

 幾分か宮廷に入り浸った文化であるティルピッツ伯爵家やバルトバッフェル侯爵家に対して、ケッテラー伯爵家はより保守的であり質実剛健だ。客人を招いた席なら兎も角、普段の食事の場合は(門閥貴族水準で)質素で戦場での食事を意識したものが出されるのは良く知られている。故に今回は彼女の舌の合わせた味付けにしていた。……まぁ、朝の事があったからその配慮だ。

 

「申し訳御座いません、旦那様にこのようなご配慮を……本来ならば私の方が旦那様の御実家に合わせるべきなのですが………」

 

 本日何度目か分からない恐縮そうな表情を浮かべるグラティア嬢。

 

「そう何回も謝られても私の方が困ります。……余り片意地を御張りになるのはお止め下さい。こう言っては何ですが此方もやりにくいのです」

「ですが……」

「だからこそですよ。私としては……ああいや、済まない。私の立場で貴女を責めるべきではないし、卑怯でした」

 

 彼女からすれば私も母もマウンティングばかりかけているのだ。まして私が片意地張るなと言って過度な敬語を止めさせても今度は母に睨まれる。此方を立てれば彼方が立たない……唯でさえ家の立場から上下関係がはっきりと分かっているのだ。彼女の視点からすれば虐めでしかなかろう。

 

「いえ、そんな事は……」

 

 遠慮がちに私の過失を否定する伯爵令嬢。だがそれは十中八九本音ではあるまい。彼女から見た私は随分と意地悪な婚約者に見えている事請け合いなのだから。無理している事位分かる。

 

「警戒なさる理由は分かります。我が家の、そして私の貴女へのこれまでの仕打ちは余りに惨いものです」

 

 ここから先を口にするべきであろうか?真実を口にしたとして、それはそれで別の不満と怒りに変わるだけではなかろうか?そんな思考により口にする事に躊躇いが生じる……いや、しかしこのまま黙っておく事も出来まい。どの道これまでの私の仕打ちのせいでここまで関係が拗れたのだ。意図したことではないとは言え、責任は私にある。ならば私がその責任の清算から逃げる事も目を逸らす事も許されまい。

 

「貴女にとってはとても不快な事でしょう。そして……私は貴女に不必要で理不尽な負担を背負わせ続けて来た事を謝罪せねばなりません」

「?それはどういう……」

 

 私の触れようとする事に思い至らず、困惑の表情を浮かべずにはいられないグラティア嬢。その幼さと純粋さの感じられる顔立ちが一層私の罪悪感を刺激する。

 

「……全て、私の考えなしの言動が原因なのです」

 

 ……私は淡々と説明を始めた。即ち、彼女と彼女の実家に対する私の態度の本当の真意について……いや、そんな高尚な物ではない。ただただ、私のその場凌ぎの言い訳が彼女の一族に負担と不安をかけて来た事実をだ。

 

 私が一つ一つの事例に対しての説明を語る間、彼女はある時は不安を、またある時は疑念を、時として困惑を表情に浮かべる。当然だ、悪意が無かったと言われても余りに偶然と不運が重なり過ぎている。言い訳に聞こえてしまうのも仕方無かろう。

 

 ………殆ど事実なのが質が悪いんだよなぁ。

 

 私が彼女の実家に対する事を粗方口にし終えた時、手元のワイングラスが水滴で濡れていた事に気付いた。水滴が重力の法則に従い雫となってテーブルクロスに落ち沈む……。

 

 ……恭しく話を聞き終えた伯爵令嬢は両手を膝の上で重ねて口を開いた。

 

「……御話は理解致しました。しかし……にわかには信じがたい内容です。今の内容を信じろと……?」

 

 困惑と警戒感と不快感が合わさったような声音であった。精一杯礼節を守った彼女の声には、しかしやり場の無い怒りの感情が僅かに混じっているように思えた。

 

 当然であろう。これまでの私の仕打ちが全て意識したものではなく、まして偶然と不運の産物等と言った所で誰が信用するものか。ふざけているのかと敵意を向けられるであろうし、その不愉快な事実を受け入れれば今度はそんな下らない事に翻弄された事実に理不尽を感じざるを得ないであろう。

 

「御気持ちは御察し致します。突然このような世迷い言を語られて信じろ、と言われて誰が信じましょうか?……ですが全て事実です」

 

 一旦言葉を切って、精神を落ち着かせ、続ける。

 

「後はこれを信じるかは貴女次第、私には無理強いは出来ませんし、信じて頂けなくても構いません。ですがせめてもの誠意として、私自身の口禍で貴女と貴女の一族に要らぬ心労をかけた事を御伝えしたいと考えていました」

「そのためのこの席、ですか……?」

 

 儚げに、そしてどこか陰鬱そうな表情で伯爵令嬢は尋ねた。それは搾り出すような声だった。

 

「………」

 

 恋愛遊戯に興味も関心もない私でも殆ど本能的に理解した。ここでかける言葉を間違えたらいけないと。

 

 とは言え、私は恋愛巧者かつ偽名で恋愛攻略本まで執筆していたリヒャルト一世美麗帝のようなやり手ではない。目の前の令嬢が今この場でどのような答えを求めているのかを直感的に理解出来る訳ではなかった。

 

 故にこの刹那の時間、私は貴族として学んだ社交術(女性の取り扱い方編)の知識を脳細胞から掘り起こし、該当する事例を捜索するのだが……。

 

(いや、ねぇよそんな例題っ……!!)

 

 実家の家庭教師もこんな状況想定している訳ねぇだろ!!と脳内で自分自身を罵倒する。糞ったれ!!

 

 私は時間稼ぎに手元のワイングラスを手に取り一口口に含む。舌の上に渋さと甘さの混在する刺激が広がった。その短い所作の間に思考をフル回転して最も適当であろう答えを探し出す。

 

(どうすればいい……?素直にイエスか?静かな所で話したかったって?土下座でもすればいいの?おいふざけんなよ誰か模範解答寄越せよ!!)

 

 そうこうしている内に貴重な時間稼ぎの時間はあっという間に終わる(そもそも数秒やんけ)。

 

 私はグラティア嬢と目を合わせ、咄嗟に謝罪のために、と答えようとする……が。

 

 ……その時私は感じ取った。目の前の一回り以上年下の少女の瞳に期待と不安の感情が滲んでいた事を。それに似た瞳を私は知っている。そう、それは失態を犯した時の、あるいは命令を実行し達成した後に私に向ける『彼女』のそれであり……。

 

 同時に私は何故かすとん、と彼女が現在何を望んでいるのかに気付いた。そうだ、彼女の……彼女の家の立場に立って考えれば何を望んでいるか想像するなぞ簡単な事ではないか?

 

「……いや、梅雨入りする前に貴女とこの庭先で過ごして見たくてね」

 

 次の瞬間に私は自身の回答が少なくとも誤答でない事を理解した。彼女の瞳には明らかな安堵の色が見えたから……。

 

「……このような日に私一人の都合で水を差す話をしてしまい済まないと思っている。だが……今朝の事もあってね、すぐにもこの話をしなければ貴女も不安であろうし、私個人としても今日を楽しめないと思えて……短慮であったと思う。済まない」

 

 そこまでの言葉は考えていた訳でもなく自然と口から吐き出された。自分自身の事しか考えていないのにまるで相手の事を想って行動してしまったという完全なる責任転嫁であった。まるで詐欺師の所業だ。

 

「そう…ですか……」

 

 絞り出すような少女の言葉。しかしその口調からは刺々しさも息苦しさもなかった。

 

 彼女の求めていた事は分かっている。彼女にとって私の謝罪なぞ根本的にはどうでも良い事なのだ。問題は私が彼女に一抹でも好意を抱いているのかどうかだ。それこそ彼女にとっては実家から突き上げを食らう程に死活問題であるのだ。私のせいで苦しめられている事位少し考えれば分かる事であった。

 

「正直な所、御話だけであれば半信半疑であったと言わざるを得ません。だって随分と出来すぎでありますもの。ですが……」

 

 そこまで口にして一旦迷うように考え込み、しかし……次の瞬間彼女は少し高い、しかし品のある声で答える。

 

「ですが……私もケッテラー伯爵家の娘です。そして旦那様に嫁ぐ身でもあります。諸侯の妻たる者、例え最後の唯一人となろうとも主人を信じ、御支えせねばなりません。ならば……恥を忍んで誠意を御見せ頂いた以上、それを信じ、答えるのが私の当然の務めで御座います」

 

 その常に張り詰めていた彼女の雰囲気が弛緩したのを私は気付いた。微笑を称えて僅かにはにかみつつも私を見つめ微笑む。自然な笑みだった。白磁のような肌をし可憐なドレスを着たビスクドールのような少女が優し気で温かみのある瞳で私を見つめる。

 

「あっ……あぁ……はい………」

 

 正直に自白しよう。僅かな時間だけ私は放心した。随分と美人を目にして美形耐性は獲得してきたつもりであったが甘かったらしい。身内でない事もあるが……美男美女の血を何十代にも渡って加えて作り上げた素材、そこにコスト度外視であろう美容法を幼少時より行い磨き上げる。高度な教養とマナーを叩き込み、平民では到底手に入らない華美なドレスやネックレスでその身を飾りたてる。丹念に化粧をほどこして、最後は男性を堕とすために磨きに磨いた声と微笑を使った一撃である。不意打ちであった事もあり流石に私にも内心では動揺を隠せなかった。今の笑み一つのために何十万ディナールの投資がされたのだろうか?ある意味芸術品だ。

 

 美貌というのは存外馬鹿に出来ないものであると再確認した。精神性は兎も角、人間というものは相手の外見のイメージにかなり影響される。大貴族の御令嬢にここまで健気な態度を取られれば常人では平静ではいられない。

 

 同時に門閥貴族が美男美女の血を積極的に混ぜようとする理由も分かる。仕える臣下や領民にとっては美しく品のある女性とアウグスト二世のようなラードの塊とでは忠誠を尽くすにしてもやる気は段違いな筈だ。門閥貴族令嬢の美貌の効果が無いとすれば、それは相手が同性愛者であるか、生まれつき性欲が希薄であるか、あるいは女性という存在を蔑視しているような者であろう。

 

 ……幸運にも怪しまれる前にどうにか私は気を取り直す事が出来た。その後の食事は比較的、和やかな雰囲気であった。最初の方こそ母の話に戻り、私から可能な限り庇いだてるという申し出をしたが……。

 

「御母上の御指摘は一族を取り仕切る御立場としては尤もな事、寧ろ不勉強な私こそ努力し、学ばなねばならぬ身で御座います。御配慮は嬉しく思いますが、今は御気持ちだけ頂戴させて下さいませ」

 

 と言われて丁重に断られ、余程の事でない限り出来るだけ首を突っ込まない事を約束させられた。私は不安げな表情を浮かべたが、それを見た伯爵令嬢は健気に笑みを浮かべて私を安心させようとする。まるで先程までの会話を立場を反対にしたようであった。

 

 その後、より私的な話題に会話は移る。庭園の草花の話に料理の話、学院での話に領地の話、最近流行の書籍や歌劇の話に宮中の噂話へと度々話題の重点は移り変わる。

 

 武門の家柄であるために然程抵抗がないのだろう、私の従軍の話にも会話は飛び火した。流石にR‐18Gな内容(オフレッサーとかオフレッサーとかオフレッサーとか……)は口にする訳にもいかないのである程度誤魔化して話したが、伯爵令嬢は専門用語も多いのに健気にも最後まで聞いてくれた。

 

 私も自慢話が好きな訳ではないために最初の内は控えめに語るだけであったが、こうして良く相槌と質問をしながら武功話を聞いてくれる女性は付き人以外には滅多にいないので途中から熱を入れて長く語ってしまっていた。

 

「余りこのような話、御令嬢には面白くもないでしょう?」

 

 私は途中で我に返り、謝罪するようにグラティア嬢にそう尋ねた。

 

「そんな事はありませんわ。旦那様の御栄達の御話で御座います。武門の家の妻となる以上、その軍功を知るのは寧ろ当然の事ですわ。どうぞお気になさらずお聞かせ下さいまし」

 

 そう言われたら私も最後まで説明するしかない。嘘か真か、女性は別の女性の話をされるのを嫌がるという。ベアトやテレジアの事はぼかしてであるが、私はいつしか長々と自身の軍歴と経験について説明していた。

 

「おっと、流石に話し過ぎましたね。この辺りにいたしましょう」

 

 テーブルの上の料理を粗方食べ終えてしまった所で私は自身を律した。こういっては何であるが、彼女とこうした雑談をした機会は幾度かあったが、今日程に楽しめたのは初めてで当初の予定以上に長くなってしまった。

 

「そうですね。片付けの方は使用人が?」

「ええ、放っておけば準備をしていた者達が戻ってやってくれるでしょう」

 

 ワインボトル一本でならば精々全員で一杯と少し程度しか飲めまい。度数も低く味もあっさりとした物を選んでいるのでまかり間違って泥酔する者なぞいやしないだろう。

 

「そうですか。では……あっ……」

「おっと、失礼」

 

 立ち上がろうとしてふらついた婚約者を私は駆け寄り肩を持って支える。その頬は少し紅潮していたがそれは気恥ずかしさもあるがそれ以上に別の要因があるように思われた。

 

「申し訳ありません。長く話をしていたので……つい、飲み過ぎてしまいました。お恥ずかしい……」

 

 酒気を帯びた顔を少し背けながらグラティア嬢は謝罪する。会話が弾み、酒が進むのは良くある事だ。一応食膳酒ではあるがそれでも三、四杯も飲めば軽い酔いも回ろうというものだ。

 

「成程、これでは散歩は少し疲れそうですね……」

 

 私も自身が僅かに酔っているのを自覚していた。酒精が身体の血行を促進し、僅かに火照らせる。尤もある程度は予想はしていた。だから私は肩を支えたままの姿勢で彼女にこう提案した。

 

「どうです?この後、一つ涼みにでも行きませんか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 領内には幾つかの河が流れている。その中でも最も大きく長いそれの川辺に私はいた。

 

「私が支えます。どうぞ此方に」

「し、失礼致します……!」

 

 先に停泊した小舟に乗り込み私が手を差し出せば、若干怯えつつも純白の絹で編まれたオペラ・グローブに包まれた女性らしい小さく細い手が添えられる。

 

「失礼」

「え?きゃっ……!?」

 

 私は添えられた手を掴み一気にグラティア嬢を小舟に引き寄せた。小さな悲鳴を上げながら伯爵令嬢は両手で私の腕を掴み埠頭から小さく跳躍し小舟に乗り込む。

 

「い、いきなりはお止め下さいませ……!思わず河に落ちるかと思いました……!」

 

 少しだけ涙目になりながら少女は声を荒げて私を糾弾する。

 

「御謙遜を、御上手な乗船でしたよ?」

「御戯れもお止め下さいませ……!」

 

 とは言え安全対策を完全に行うのならかなり近づいて腰回りに手を添えねばならない。流石に婚約者相手でも直に会った事がそう多くない少女が相手となると憚られる接触だ、勘弁して欲しいものである。まぁ、口にはしないが……。

 

「申し訳御座いませんフロイライン、どうぞ御許し下さいませ」

 

 仰々しく私は胸元に手をやり深々と頭を下げる。家令が主人に向けて許しを乞う礼の仕方だ。流石に冗談であってもこのような礼を婚約者にいつまでもさせられる程彼女の神経は太くない。すぐに「お止め下さいませ!」と慌てて叫ぶ。

 

「いや、いっそこのままにさせるのも一興ではありませんかな?慇懃無礼に主従の礼を取っているのです。このまま御望み通り尻に敷いてやるのも悪い選択肢ではないと思いますよ?」

「おい船頭、煩いぞ」

 

 私は小舟の船尾で櫂を手にカンカン帽姿で待機する食い詰めを詰る。お前さんは護衛と船の操舵をしとけば良いんだよ、特別手当は出すから私で遊ぶな。

 

「え、えっと……」

「これは失礼致しました。いと貴き御身の前でご紹介が遅れました事どうぞ御許し下さいませ。ファーレンハイト、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト二等帝国騎士と申します。ティルピッツ伯世子殿下(エルプグラーフ)・ヴォルター様の下に召し抱えられ食客として忠誠を御誓いしている身で御座います」

 

 船頭とは思えない優雅な一礼をして慇懃に名乗る食客殿である。因みにエルプグラーフとは権門四七家に名を連ねる伯爵家の嫡男を公的に極めて改まった形で呼ぶ際の形式だ。因みにこれが帝室の皇太子なら皇太子殿下(クロンプリンツ)、公爵家の場合なら公世子殿下(エルプヘルツォーク)等と呼ばれる。

 

 グラティア嬢はちらりと私の方に視線を向けた。私が肩を竦めながら承諾の意思を態度で示すと漸くそこで彼女も名乗る。

 

「ケッテラー伯爵家の長女グラティアですわ。ご存知と思いますが貴方の主君、ティルピッツ伯世子殿下(エルプグラーフ)と婚約を結んでいる身ですわ」

 

 宣言するようにグラティアはそう答える。

 

「はい、存じております。貴婦人への奉仕は騎士の義務にして誉れ、お困りごとがあれば何なりとお申し付け下さいませ。騎士道に基づいて助力させて頂きましょう」

「おう、挨拶は良いが私の出番を奪うな」

 

 主人よりも目立つ食い詰め騎士に私は愚痴を入れる。

 

「御安心下さい、『騎士道恋愛(ミンネ)』は既婚者に対して向けても道徳的に何ら問題ではありませんよ?精神的なものですから」

 

 飄々と言い逃れを宣う食客である。因みにより正確に言えば『騎士道恋愛』は忠誠を捧げ奉仕する貴婦人のために自身に試練を課しその精神性を高めていく事に神髄がある。恋愛と言いつつ根本的には主人と下僕の絶対的な上下関係があり、貴婦人への忠誠がために自身の命すら投げ出す奉仕の精神がある事が美徳とされる。そして貴婦人がその見返りに下僕に与える愛はラブではなくライクである。あるいは飼い主がペットを可愛がる事に近いか………。何方かと言えば主従関係の確認に近い所がある。まぁ、そんな事は今どうでも良い訳で……。

 

「いいからお前さんは自分の仕事をしろ。手当出さんぞ」

「それは困りましたね。ではフロイライン、我が主君は些か狭量で嫉妬深いようですので申し訳ありませんが職務に戻らせて頂きます」

「いちいち言葉が多いな……」

 

 本当に忠誠心があるのか怪しい食客は冷笑を浮かべて漸く櫂を漕ぎ始める。木製の小さな小舟は少しずつ河を進み始める。小舟の操舵は案外体力を使いコツもいるが問題ない。軍人はそもそも体力と筋力をつける仕事であるし、特に帝国軍は反乱鎮圧等もあって宇宙艦隊所属の兵士にも陸戦の教練を行っている。ファーレンハイト中佐もまた海上揚陸時に向けての各種小型水上船舶操舵の訓練を受けており櫂を使う経験はある。

 

「さっさと出してくれ、私達は涼みに来たんだぞ?」

「どうぞ、宜しく御願い致しますわ」

 

 私が首元のネクタイを緩めながら、グラティア嬢は日傘を差してそれぞれ食い詰めに出港を命じる。

 

 穏やかな日差しが降り注ぐ中小舟は河を下る。

 

 内陸部であるが故に冬の間に深々と降り積もった雪が少しずつ溶けて河に流れ込んでいた。そのため瑠璃(ラピスラズリ)色に輝き、同時に透明感の強い河の水は夏の入り口に差し掛かろうというこの時期になっても案外冷たい。

 

 暑さが少しずつ近づいているとはいえ、曲りなりにも春である事に変わりはない。川辺には冬の終わりに種子から芽吹いた色とりどりの草花が咲き誇り、幾羽かの蝶が気紛れ気味にその間を舞っている。川中では川魚が群れを作り岩場の影で身を休めていた。

 

 これと言って語る事はない。ただ清涼な山風に身を任せ、静かに移り変わる景色を鑑賞する。昼食で空腹を満たし、酒精で火照る身体にはそれで充分であった。

 

「寧ろ日差しが心地よくて……少し微睡そうな程です」

 

 日傘を差して川辺の草花を鑑賞しながら伯爵令嬢は語る。食膳酒で少し赤らんでいた頬は涼風によって随分と冷えてきており普段の白磁のそれに戻りつつあった。

 

「そうですね、確かに心地よい暖かさです。ん、あれは……」

 

 暫く河を下り続けると反対の川辺の森から何かが姿を現す。

 

「鹿、ですか?」

 

 伯爵令嬢の視線の先には数頭の小鹿が川辺の水を飲む姿があった。此方を警戒しているのか、それとも物珍しいのかちらほらと獣達も視線を向ける。

 

「ああ、そうか……ここは……」

 

 丁度、河を挟んだ反対側は狩猟園であった。他の場所は柵で仕切られているが、ここは河があるので川底に網があるだけらしい。因みに狩猟園の下層で放し飼いされているのは安全な草食獣か小型の雑食獣だけである。アオアシラやイャンクック等の危険な肉食獣は上層の特別飼育地域で有刺鉄線と電気柵に囲まれた森で飼育されている。

 

「ふふ、可愛いですね」

「今年生まれたばかりでしょうね。……そうだ、ファーレンハイト中佐」

「承知致しております」

 

 櫂を漕いで食い詰め騎士が小舟を反対側の岸に寄せる。同時に私は懐から昼食の残り物のパンを取り出した。

 

「何をする御積もりで?」

「いえ、少しね」

 

 元々は野鳥か川魚にやる予定だったが……まぁ良かろう。

 

 私達の小舟が近寄って来たので警戒してビクッと川辺から離れる小鹿達。しかし、次の瞬間私が千切ったパン屑を投げつけてやると反応は変わる。

 

 向こう岸に投げつけられたパン屑に駆け寄る小鹿達は鼻先で臭いを嗅ぐと危険性が無い事を理解して我先に食いついた。

 

 パン屑にありつけなかった小鹿は返す刀でこちらに小さな足で駆け寄って来る。流石畜生の類である、最早そこに先程までの警戒心は欠片も見られず唯々おこぼれを貰おうと群がるだけだ。

 

「きゃっ……!?」

 

 食い意地が張った一頭は河の中に突っ込み水飛沫を上げながら此方に来て早く寄越せやとばかりに口をがっつりと開ける。グラティア嬢は水飛沫に驚き此方へと寄って来た。

 

「大丈夫ですよ、パンが欲しいだけです。ほら、あげて見て下さい」

 

 そう言って私はパン屑を差し出す。グラティア嬢はそれを受け取ると恐る恐ると泳ぐ小鹿に差し出す。小鹿は急いで少女の白魚のような白い掌からパン屑を掠め取った。

 

「わっ……!?」

 

 掌に感じた生暖かい小鹿の舌の感触に、今度こそ驚いた婚約者はのけ反った。そしてそのままドレスのスカートに足を引っ掻けてバランスを崩す。

 

「っ……!失礼!」

 

 こけて怪我をしないように、あるいはそのまま河に落ちてしまう可能性すらあったので慌てて私は婚約者を支える……が次の瞬間バランスを崩した小舟が揺れる。それによって私もまたよろけた。

 

「きゃっ……!?」

「うおっ……!?」

 

 次の瞬間、日傘が宙を回転しながら舞い、水面へと落ちた。私とグラティア嬢は一緒に小舟の上で倒れる。幸い私が婚約者の下になる形でクッションになったため彼女に怪我は無かった……と思いたい。

 

「痛……」

「も、申し訳御座いません……!御怪我は……」

 

 そこまでグラティア嬢は口にして突然口を止める。尤もそれもある意味仕方の無い事だ。彼女が気付いた時には鼻の先がぶつかる寸前な程私と彼女の顔は近かったのだから。

 

 この時、仰向けになっていた私の胸元に婚約者の顔がある状態で倒れていたようだった。恐らく反射的に小舟から落ちないように抱き寄せていたらしい。視線が重なり互いの吐息の温かみが分かる程の近さだ。鼻孔から柑橘類のほのかに甘い香りを感じた。

 

 あー、うん。向こうの実家に知られたらぶっ殺されそう(少なくとも保守的な門閥貴族の娘相手だと婚姻前の不純関係は基本的に向こうの私兵が笑顔で屋敷の扉蹴り上げてお邪魔する案件だ)。

 

「し、失礼致しました……!きゃっ!!?」

 

 半分程現実逃避していた私に対して、ある意味より理性的に反応したのは婚約者の方であった。慌てて飛び跳ねるように私から離れようとする。尤も、これは悪手であったが。

 

 唯でさえ揺れていた小舟で咄嗟に飛び跳ねれば余計揺れるのは当然の事である。結果的に足を解れさせて今度こそ河に頭から落ちかけるグラティア嬢。

 

「ちぃ……!」

 

 私は彼女の腕を掴みそのまま強引に引っ張る。痛いのは我慢して欲しい、河に落ちてずぶ濡れよりはマシな筈だ。尤も、私自身も小舟に落ちそうになるのでそのまま落ちないように身を低くせざるを得ない。つまり何が言いたいかと言えば……。

 

「おい、余計悪化したぞ」

 

 取り敢えずさっきの状況の上下を反対にしたような状況になった訳だ。流石に私が未婚の淑女の胸元に突っ込むなんて事はないが……所謂床ドンみたいな位置関係になっていた。いや、船ドンというべきか……?

 

「あ…あうあ……」

 

 私が下らない事を考えていたのとは反対に船ドン?される側は当然正気ではいられなかった。私の目の前にいる御令嬢は頬を赤く染め、不安と怯えで目元を潤ませて声にならない声を漏らしていた。うーん、歳の差もあってこれは事案だ。ひょっとしなくても見る者が見れば完全にレから始まりプで終わる事を実行しようとしている糞貴族だ。とは言えここから再度勢いよく飛び跳ねて無限ループを行う訳にも行くまい。

 

「御無礼、御許し下さい。舟が揺れておりますので収まるまで御容赦を」

「ふぇ……?、ひ…ひゃい……」

 

 緊張と怯えと恐怖から若干訛ったような口調で伯爵令嬢は答えた。尤もそれを嘲笑う程私も性格は悪くもないので指摘はしない。

 

「ほぅ、若様も中々食い意地が張っておいでのようで……」

「お前河に突き落とすぞ」

 

 耳元で楽し気に囁いた臨時雇用の二等帝国騎士を私は罵倒する。実際伯爵令嬢に聞こえるような声だったら突き落としていた。酷い風評被害だ。

 

 ……どれ程の時間が経ったろうか。揺れる小舟の上で互いに黙ったきりで固まり続ける。唯相手の視線が気になるのか互いの目だけは見つめ合っていた。

 

 小舟の揺れも収まり漸く私は婚約者の上から身体をどかした。そそくさに婚約者は上半身をあげて小さく礼を言ったっきり目も合わせずに崩れた髪の手入れを行い、食い詰め騎士が回収した日傘を受け取るとそのまま畳んで隣に置いた。当然何も口にしない。……まぁ、ある意味当然の反応ではある。

 

「ん?おいこら離せ、しゃぶるな」

 

 取り敢えずまだ食い足りないのか泳ぎながら私の礼服の袖に噛みつきしゃぶり回す小鹿の頭にデコピンを加えてやった。小鹿はぐへっ!と言った風体で小さい鳴き声をあげてしゃぶっていた袖を吐き捨てる。おい、何だその目は、畜生の分際で生意気だぞ。はぁ………。

 

 私は内心で溜息をつきながら伯爵令嬢の方を見る。あ、また目を逸らされた。

 

「………」

 

 うん、空気重い。故意ではないとはいえ、いきなり船ドン(仮称)なんかされれば空気も重くなろう。少し前まで朗らかだった空気が今では碌に会話も出来なくなってしまった、畜生。

 

「……若様、そろそろ小屋に着きます。下船の準備を御願いします」

「マジか……」

 

 視線を向ければ船着き場に河にかかる橋、それに狩猟園側に建てられた休憩用の小さな小屋が見えて来た。即ち舟遊びの終わりである。予定では出迎えの馬車が来るまで小屋で待機する筈であったが……。

 

(予定では明るい雰囲気で終わる予定だったんだけどな……)

 

 いつも綿密に計算しても想定外の事態で台無しになってしまう。全く持って腹が立つ。

 

「延長は……無理だな。仕方ない」

 

 後は馬車が来るまでに少しでも機嫌を直してもらうしかあるまい。

 

 小舟が船着き場に着岸する。食い詰め騎士に労いの言葉をかけた後休憩と馬車を待つ予定を少女に伝え、小舟を降りるように頼み込む。よそよそしくも承諾してくれた伯爵令嬢に手袋をした右腕で降りるのを手伝う。

 

「………」

 

 一瞬手袋越しで差し出された手を見つめ立ち止まるが、すぐに伯爵令嬢はその機械仕掛けの掌に自身の手を添えた。

 

 狩猟の休憩所である小屋は然程大きくない。精々が一階建ての寝室を含めた数室、内装も程々と言ったものだ。下手しなくても平民の家より小さい。無論、そもそも一時休憩用の部屋と生活の基盤たる家を同列に語るのは可笑しいのだが。

 

「何か御飲みになられますか?」

「いえ、結構ですわ」

 

 小屋に設置されていたソファーに座り込むグラティア嬢。足を閉じ、両手を膝の上に置いて、時たま崩れた髪形を直し、髪に触れる。そして伏し目がちにちらほら此方を見つめる。……うん、ひょっとしなくても気まずい。

 

「その……先程の事は改めて謝罪致します」

 

 私は対面のソファーに深く腰掛けた後、謝罪する。誠意を見せるにしても立っていると圧力を感じるであろうし、土下座されても逆に引くだろう。此方が気分を害して襲い掛かって来ないように(あるいは襲うのにタイムラグを作るために)少し距離のあるソファーですぐに立ち上がれないように深く座る必要があった。

 

「先程の事は……」

 

 何か口にしようとするがすぐに黙りこくる伯爵令嬢。当然ながら碌に男性耐性なぞ無かろうし、まして上に乗りかかられるなんて経験なぞある訳ない。かなり内心では動転しているように思えた。

 

「故意ではなく事故ですが……御気分を害されたでしょう、申し訳御座いません。餌やりなぞ言い出したのが軽率でした」

 

 私の謝意は決してやり過ぎではない。同盟人相手ならラッキースケベやらサービスタイムなぞとほざきビンタ一つで済んでも帝国貴族令嬢にとっての純潔と風聞は何気に死活問題だ。

 

 帝国貴族総処女厨という訳ではないにしろ、そもそも帝国ではお見合いや政略結婚が全体の九割を占めているし、オーディン教の教義では貞節の重要性を説いている(連邦末期の文化的・性道徳的な退廃からルドルフの命令によって再編されたオーディン教団は道徳教育に注力していた)。帝国社会的に婚前交渉や不倫は極めて不潔で無礼だと敵視されている行いだ。

 

 そして、貴族階級は一族の血を残し家を守らなければならないのだ。確実に自家の血統を残すために嫁の清廉と貞節を重視するのは当然だった。故に特に保守的な貴族は婚前までは相手に触れない精神的恋愛に拘る家が多く、宮廷やパーティー以外の場所でどこの馬の骨とも知れぬ男の元に娘を晒す事を厭う者も多い。

 

 それに性質は遺伝するという(似非)遺伝学的意識が強く、緩い女性は親族や子孫もそうであるのではないか?と差別的な目で見られる。そうなったら洒落にならない。母親や本人の素行一つで娘の嫁入り候補全滅なんて事もあるし、そうなったら貴族としては詰みだ。結婚して子供を作れないような令嬢にどれ程の価値があるか……少なくとも大抵の場合は世間に隠して飼い殺しされる(尚、当然の如く男側は経済的に豊かで認可のある者は妾を囲う事多いのでひょっとしなくても男女差別である事に触れてはいけない)。

 

 その点、何もなかったとはいえ舟ドン(仮称)は当然のように奨励されるものではなかった。ケッテラー伯爵家にとっても虎の子の政略結婚の駒でありその取扱いにはかなり注意していた筈だ。男性耐性が低いであろうし、相当恐怖を感じただろう。それ故の謝罪だった。

 

「お、お気になさらないでください。アレが事故である事は承知しております。それに……」

 

 伏し目がちの顔をあげてグラティア嬢は続ける。

 

「その……あの時お助け頂いて二年前の事を思い出しておりました」

「二年前?……ああ、あの時の事ですか」

 

 グラティア嬢が言うのは十中八九、サンタントワーヌ捕虜収容所でのあの騒動の事であろう。

 

「あの際もあのように御守り頂きましたね」

「あの節は申し訳御座いません、余りに緊急の事でしたから」

 

 流れ弾やガラス片が飛んで来る可能性もあった。無礼を承知でも覆いかぶさるしか安全を確保する手段は無かったのだ、勘弁して欲しい。

 

「承知しております。……そうでした、旦那様。私も非常に非礼な事をしている事に気が付きました」

「ん……?」

 

 優し気に目を細めた小柄な少女が私と目を合わせる。そして何の事を言っているのかよく分かっていない私を見て小さく口元を綻ばせた。

 

「あの時、身を挺して私を御守り頂き誠にありがとう御座いますわ。ふふ旦那様、これで互いに非礼を行いました。御相子で御座いますね?」

 

 そう言って無邪気な子供のようにはにかみ笑う少女。それは食事中に語った私の非礼と小舟でのアクシデント、その双方の過失を不問にする、という事を暗に示していた。

 

「……勿体なき御言葉です、フロイライン」

 

 そしてその寛容な言葉に、私は苦笑して同じように頭を下げたのだった。

 

 気付けば小屋の外では迎えであろう馬車が近づく音が響き始めていた………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 尚、その後屋敷の撞球室にて…………。

 

「そう言えば若様、惚気話も結構ですがもうすぐ御屋敷から脱走する頃合いです。その事をご婚約者に御伝えしてご了承は得られましたかな?」

「………ミスった」

 

 私は最後の最後に事態を悪化させただけだという事に気付いたのだった。




信頼が高くなれば高くなる程裏切られた時の衝撃と絶望は大きくなると思うんだ(唐突なフラグ立て)


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第百三十七話 子供は親の気苦労を知らぬもの

 その日は前日の麗かな好天とは一転して豪雨だった。ハイネセン気象局の予測によれば約二週間半程かけて断続的に降る大雨であるという。春の終わりと初夏の始まりを告げる曇天に雷、そして冷たい雨の嵐……。

 

 屋敷の執務室で当主代理として書類に羽ペンで優美な宮廷帝国文字のサインをしたためていたツェツィーリア・フォン・ティルピッツ伯爵夫人はちらりと窓に視線を向けた。

 

「……嫌なものね」

 

 ぼんやりと、しかし明らかに不快気に彼女は呟いた。四十も中頃とは思えぬ美貌の伯爵夫人はこの梅雨が極めて不快であった。

 

 正確には梅雨とは地球の東アジア地方で春の終わりに降り続く雨の事であり、現在固有名詞として利用されているのは諸惑星における季節の移り変わりに降りしきる大雨が暫定的に『梅雨』と呼ばれているだけである。故に人生の殆どの期間をヴォルムスに住まう彼女も梅雨自体は知っていたし、正確にはハイネセンのそれとヴォルムスのそれは別物でもある事も知っていた。それでも尚、彼女にとっては一番嫌いな時節であった。

 

 この嵐の音で思い出すのだ。可愛い息子が幼い頃『新美泉宮』の北苑で行方不明になったあの日の事を。

 

 門閥貴族の女の役割は嫁ぎ先の跡取りを産み育て、娘をどこに出しても恥ずかしくない淑女に育て、社交界や屋敷で夫を支え、夫がいない時には代理として家中を取り仕切る事だ。ほかは兎も角、一番大事な跡取りが中々出来なかった時には伯爵家での生活は厳しいものだった。

 

 妊娠はしているのに死産流産と続けば母体の方に問題があるのではと勘ぐられるのは当然で、義母には詰られたし、最初は笑顔で歓迎していた伯爵家の長老衆や義叔母達に次第に白い目を向けられるのも辛かった。実家からすら焦りと困惑の気持ちがありありと分かる手紙が毎日のように送られて来たのだ。皇族でなければ離縁されていた可能性があるし、そうでなくても見限られて別腹で跡継ぎを作ろうとされても可笑しくなかった。実際、夫が反対して味方になってくれなければそうなっていただろう。

 

 今でも鮮明に覚えている。嫁ぎ先で漸く生まれてくれた可愛い我が子。何ら健康に問題なく呼びかければてくてくと自身の元に来てくれる我が子。普段は使用人に我儘を言いつつも自分が抱きかかえてあやしてあげれば大人しくお願いを聞いてくれる我が子………愛しい息子は文字通り目に入れても痛くない宝であり希望だった。

 

 そんな息子が、僅か七歳の息子が野生動物が蠢く北苑に侵入し、しかも大雨と雷まで鳴り響く中で行方を晦ませたのだ。その衝撃と絶望は今でも覚えている。漸く健康に生まれ、拙い声で自身の名前を呼んでくれる息子に何かあれば……気付けばヒステリックに役目も果たせなかった使用人や近衛兵達を罵倒してそこらにある物を手当たり次第に投げつけた。見かねた皇帝たる叔父や夫に制止された後には過呼吸から眩暈を起こして失神してしまった程だ。

 

 近衛兵達によって無事保護された息子を見た時には淑女にあるまじき事に駆け足で走っていた。そのまま小さな我が子を抱きかかえ、感極まって泣き叫んでいた。それ程までに安堵していたのだ。

 

 本家で唯一の跡取り……それだけでも過保護に育てるのは当然であったし、ツェツィーリアにとっても腹を痛めて漸く得た我が子だ。

 

 しかも当時は家内の状況も決して安穏としたものではなかった。唯でさえ前当主と夫の兄が相次いで戦死したのだ。通常ならば滅多にあり得ない事であり謀略や暗殺だって疑われていた。義父と義兄が争い相討ちになった、夫たるアドルフが当主になるために手を下した、義叔父がアドルフを傀儡にして実権を握ろうとした、あるいはアドルフとの婚姻で縁を結んだバルトバッフェル侯爵家が糸を引く陰謀だとも心ない者は囁いた。実際、従軍直前に義父と義兄の仲が険悪だったという噂もある。

 

 これに影響されてか機会と見たからか、長らく一部の分家が本家に養子や妾を送りこもうと不穏な動きをしていた。息子に万一の事があれば事実は兎も角、外部から見れば家督争いの御家騒動として見られていたであろう。そうなれば家の名誉は………。ツェツィーリアは一層息子に深い愛情を注ぎ、嫁いだ家のために尽くそうと決意する。

 

 それ以来、偏に我が子のために為すべき事は為して来たつもりだ。幼年学校から士官学校に入学させたのも愛情だ。武門の家柄であるからには本家の嫡男が軍人にならぬなぞ有り得ないし、いざと言う時に備えて自衛も出来なければならない。ならば中途半端に予備役士官の教育をするよりも正規の充実した軍人教育をする方が遥かに息子の将来の箔付けになるし、世俗から隔離気味なので陰謀に巻き込まれる可能性も低い。ある意味では未だ水面下では緊張状態にあった一族の元に置くよりも安全だった。ツェツィーリアは自分のせいで不必要に伯爵家の家督争いが激化したのを理解しているし、それを次代に持ち込ませるつもりは無く、自身の代で雑事は片付けるつもりだった。息子に一族に対する偏見を持たせないためにも最善の手であっただろう。

 

 無論、士官学校を卒業すれば現役軍人だ。実戦がある。その危険に備え可能な限り安全な任地に護衛付きで配属させていた。客観的に考えればこれで負傷や戦死は有り得ないだろう。宮廷では流石に過保護であると言われたし、未だに次期当主の座を諦めきれていない一部の分家筋は彼女を裏で揶揄したが、そんな事は息子の安全のためならば取るに足らない事だった。

 

 計算違いがあったとすれば息子が亡命政府軍ではなく市民軍に入隊した事、そして不思議な力で毎回安全な任地や役職で死にかける事であったが………。

 

 息子が危険な経験を積むたびにツェツィーリアは立ち眩みを起こした。息子が後継になるのを厭う者か市民軍の陰謀ではないかとすら疑った。それは証拠が揃わず分からずじまいではあったが、怪我の功名として喜ばしい副産物もあった。

 

 一人息子とは言え武門の出でありながら女々しいまでに過保護にされ過ぎている事に伯爵家一門で……特に次期当主の椅子を狙う一部の分家で……不満が立ち込めていた。

 

 だがそれも毎回の軍功とそれに伴う受勲と昇進により霧散した。息子の功績により彼女の伯爵夫人としての立場は盤石となり、今では『出来息子』の母親に反対意見を述べられる者は伯爵家一門ではほぼいない。『母体として不出来』な妻から生まれた息子が戦死した時の『スペア』のために本家に妾や養子を送り込もうと画策していた者達も今では誠心誠意ツェツィーリアに従うしかない。

 

 ……別に息子の軍功に期待していた訳ではない。寧ろ何も功績を立てられずとも構わなかったし、それどころか毎回死にかける事にショックを受けた。だが結果としてそれが彼女の立場を補強してくれているのだ。本人の自覚は兎も角、彼女にとっては健気ななまでに親孝行な我が子であった。

 

 そのためツェツィーリアにとっては息子は絶対的な愛情を注ぐべき対象であったし、恩人でもある。だからこそ可能な限り苦労をさせたくないしお願い事は聞いてあげたい。何よりも危険な目には合わせたくない。それが自身の伯爵家での立場を怪しくする事であっても母親としての愛情の証であった。だからこそ(夫に宥められた事もあるが)使えない……あるいは信用出来ない……付き人であっても排除せず所有する事を(かなりの葛藤があっても)許してきたし、可能な限り息子の自由にさせてあげた。そして当然貴族の嫡男として最も政治的に重要な婚姻の相手の選定も素晴らしい、息子が喜んでくれるような満足いく相手を探していたのに………。

 

「………そうよ、あの人も、伯父上や義叔父上まであんな『物』を推すなんて……」

 

 ツェツィーリアは窓に映る自身の顔が険しくなるのも視認する。残念ながら嫌悪感丸出しのその表情は若い頃妖精と称される程の美貌を有していた女性とは思えない位に恐ろしかった。

 

 成程、理屈は分かる。亡命政府政界の主流を占める穏健派、立憲君主党にとっては確かに保守派、帝政党の衰微は無視出来ない。派閥的には対立しているものの同じく貴族階級を基盤とした『価値観を共にする同胞』だ。立憲君主制廃止を謳う過激派の自立党との政治闘争の矢面に立つ彼らに弱られたら主流派からしてみれば困る。

 

 しかも帝政党支持の諸侯の中でケッテラー伯爵家は最も勤皇的かつ直情的であり帝室からしても扱いやすい。ほかの帝政党諸侯への求心力も高い家だ。そこが没落すれば帝政党の急進派が暴走する可能性もある。急いで保守派の梃入れが必要であった。

 

 帝政党所属諸侯に対して帝室と立憲君主党は出来る限りの援助を行った。その一つが婚姻関係の構築であり、幾つかの婚姻の内で特に注目されたのが叔父でもある皇帝グスタフ三世の次男であるアレクセイとブローネ侯爵家長女シャルロッテの婚姻とティルピッツ伯爵家の長男とケッテラー伯爵家の長女の婚姻だ。

 

 ツェツィーリアは蝶よ花よと育てられた皇族であり大貴族の娘だ。傲岸不遜であるし余所者に対して冷淡ではあるが、宮廷の力学について十分に理解もしていたし宮中工作の重要性も理解している。だから辛うじて理解は出来る。だが……理解出来るのと納得出来るのとでは別問題だ。

 

「あんな混じり物の雑種を選ぶなんて……!せめてもう少しマシな相手もいたでしょうに!!」

 

 ケッテラー伯爵家の血を取り入れるのは良かろう。だが悪い噂しかないヴィレンシュタインやたかが帝国騎士の血を取り込もうなぞ名家中の名家の生まれである伯爵夫人からすれば身の毛もよだつ思いだった。妾としてなら良かろうが栄光ある伯爵家の本家の正妻になぞ信じられなかった。

 

「っ………!」

 

 ツェツィーリアは奥歯を噛みしめて吐き出したい怒りを抑える。あの猫被りな小娘の媚び諂う顔を思い出すだけで腹が立つ。バレていないとでも思っているのか?貴様の家の所業位知っているのだ!どうせ見舞いに来たのも息子を心配しての事ではなく婚約が破談にならないか観察しにきただけであろうが!私の息子を何だと思っている……!

 

 百歩……いや、万歩譲って皇帝たる叔父上や夫の命令である婚姻自体は認めるしかあるまい。だが……だが伯爵家を、自身が嫁ぎ、受け継ぎ、守って来たティルピッツ伯爵家の伝統と権威と財産を好きにさせてたまるものか!所詮は借り腹だ、妻としての実権なぞ欠片も渡すつもりはない。ツェツィーリアはグラティアを徹底的に躾をして飼殺すつもりだった。跡取りのために一人か二人程『製造』させた後はすぐさま取り上げて自分で愛情をこめて教育するつもりだった。母親と一言も話させるつもりはない。作り終えれば用済みだ、どこぞの荘園に強制的に軟禁してやるつもりだった。

 

 ……正直、見ず知らずの第三者から見れば過激にも思える企てであったが、ツェツィーリアからすれば最大限温情をかけた考えだった。その気になれば彼女はケッテラー伯爵家の小娘を適当な陰謀で名誉を傷つけて婚約破棄に持ち込む事が出来たし、子供が出来ない(出来ないようにする)事を理由に『返品』しても良かった。少々リスキーだが家柄の良い妾でも宛がって先に跡取りを作らせてその後ろ盾になって追い込む事だって出来たのだ。いや、やろうと思えばもっと悍ましい謀略による排除だって思いつく。それらに比べれば遥かに『穏健』である。少なくとも跡取りを産ませてやるのだから感謝して欲しい位だと本気で伯爵夫人は考えていた。

 

「そうよ、私が守ってきたこの家を好きになんてさせないわ……!」

 

 代々の先祖が守り抜き、愛しい夫が受け継いで、自身が嫁いでからは必死に順応し支え、愛しい我が子や孫に譲り渡す予定の家だ。下賤の生まれの余所者に好きにさせてたまるものか……!

 

 ツェツィーリアの家族愛の形とその表し方は決して門閥貴族の妻として逸脱したものではなかった。寧ろかなり善良で深い部類であっただろう。それこそ家によっては我が子を完全に家内や宮廷での政治の道具としか見ていない所だってあるのだ。それらに比べれば彼女の家族に向けた情愛は少々独善的な部分はあろうとも慈悲深く、寛容で、家庭的ですらあった。そう、『家族』に対する愛情は……。

 

「それなのにあの子は……」

 

 だからこそ彼女の表情は憂う。第三者からは兎も角、少なくともツェツィーリアは今の我が子が優しい出来息子であると認識していたし、それを疑ってもいなかった。家族と家のために危険な戦いにも怯えずに参戦し、親族のために自身の右腕が無くなろうともその責任をだれにも追求しようとしなかった。失態を繰り返す臣下相手にも寛容だ。そう、寛容過ぎる程に。

 

 我が子の数少ない欠点であると母親である彼女には思えた。それではいけない。親族や家臣を思いやるのは良い。だが信賞必罰は支配階級にとって当然の義務。無能な臣下を甘やかすなぞ言語道断だ。ましてや一部は贔屓にし過ぎているし、その性格を利用している者共がすぐ傍で媚を売っている事に気付いているのだろうか?

 

 そして何よりも……。

 

「ねぇ、昨日の報告は本当なのかしら?」

「確認は取れておりませんが恐らくは」

「そう……」

 

 伯爵家に嫁いでから長年支えてもらった老家政婦長に聞き、ツェツィーリアは極限まで瞳を冷たくし、苦虫を噛みしめる。これは自身の失態でもある。昨日、気付けばあの色目使いの小娘がいなくなっていた。それだけなら良い。どこでもほつき歩いておけば良い。問題は息子までどこかにいなくなっていた事だ。

 

 夕方には帰って来た。そして家政婦長が仕入れた情報も合わせて予測出来る息子の動向は極めて不愉快なものであった。

 

「僭越ながら、若様は奥様のグラティア様への接し方に御同情為されてたのではないかと愚考致します」

「でしょうね。あの子は優しいから構ってしまうのでしょう。それに……どうせアレがそういう媚びた態度でも取っていたのでしょう。本当、人の屋敷に来てまでよくあんな厭らしい目付きをしていられるものね。どういう教育をされてきたのかしら?まるで発情した雌猫みたいじゃないの?」

 

 嫌悪感丸出しで伯爵夫人は吐き捨てる。手元の扇子を広げ口元を隠す。その裏側に隠れた口元はきっと敵意と憎しみに醜く歪んでいる事だろう。だがそれも仕方あるまい、自身の息子の性格に付け込むなぞなんて阿婆擦れであろうか……!いや、事実アレの母も曾祖母も、高祖母もそうではないか!

 

「私の責任ね。あの程度の警告では駄目だったらしいわ」

 

 それどころか息子を巻き込もうとするなんて……血は争えないとはよく言ったものだと彼女には思えた。淑女を気取っても血は水より濃いのだ。良くも悪くも……。

 

「やっぱりあの子は放っておけないわ……私が守らなくちゃ……そうしないと……」

 

 何度も何度も死にかけ、口と色気ばかりの出来の悪い家臣に言いくるめられる。終いには簡単に卑しい血の娘に媚びられ、懐柔される……。

 

 これまで『甘く』見てきたが息子の右腕が無くなった時点でその忍耐も限界だった。ツェツィーリアの主観ではこれ以上息子を手元から手放すなぞ論外であった。そしてそれは息子のためだと信じていた。きっともっと大きくなればその事を分かってくれるだろう。だってあの子は『良い子』なのだから……。

 

 ツェツィーリアは決して無能でも愚か者でも無かった。門閥貴族の令嬢としては良識的で善良で、博識ですらあったろう。ある意味真っ当過ぎる程に真っ当だ。家だけではなく夫も、息子も、娘だって自身の命に換えてでも守りたいと思える程に深い愛情の持ち主だ。

 

 そしてその愛情は高慢で、傲慢で、独善的であった。故に、彼女は息子の考えもその価値観も理解出来なかったのだ………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 西暦時代の中東地域で誕生した弦楽器ラバーブを源流とするとされるヴァイオリンは、銀河帝国においてピアノ、フルート等と並び中流階層以上における当然の教養として定着している。貴族階級ならば全てを当然に演奏する事が求められる程だ。

 

 銀河連邦末期の文化的退廃はありとあらゆる分野を蝕んだ。音楽もまた同様であり、享楽的かつ道徳を軽視し、過剰なまでの社会風刺と体制批判を込めた歌詞、基本的な音階も糞もない雑音の如き歌が粗製乱造され、消費され続けた。

 

 いや、都市部はまだマシだったかも知れない。辺境はもっと悲惨で、カルト的な教義や破壊的な歌が生み出された。ウォー・ボーイズ達によってテクニカルトラックに括りつけられ大音量のドラムとギターを交えた教団ソングを七二時間に渡り(強制的に)聞かされ続けた初代ブラウンシュヴァイク伯爵は、それ以来ロックの類がトラウマになった。

 

 音楽には人を動かす力があると言うが、本能のままに生き、秩序を嘲笑し、あるいは怪し気な教義を垂れ流す歌ばかりが流行されては厳格かつ狭量なルドルフ・フォン・ゴールデンバウムとしてはたまったものではなかっただろう。政治家への転身と共に対策に乗り出した。

 

 新進気鋭の新政党、国家革新同盟はその成立と同時に幾つかの外郭団体を結成していた。公秩序と安定の維持、社会の活力と健康の振興……国家革新同盟の党是を目標とした各種団体が各方面で荒廃し堕落した市民の教化に乗り出す。

 

 国家革新文学団は文学を通じ道徳と社会の重要性を布教する。国家革新教員同盟は各種連邦教育団体にて青少年達に対して行きすぎた自由主義と我欲の自制を教育した。国家革新同盟労働奉仕団は浮浪者への炊き出しや援助、職の斡旋を通じ労働意欲の向上と社会復帰を支援し、国家革新運動同盟は商業的なスポーツ界を批判、頑健な肉体を作るためのトレーニングや市民の結束を重視したチームスポーツを推進した。国家革新医師同盟は麻薬規制の厳格化だけでなく煙草やアルコール、そのほか電子ゲームやインターネット等の健康と社会性を害し依存性の高い娯楽製品の規制を訴えた事で知られている。

 

 国家革新音楽同盟は極度に退廃的かつ社会風刺的な現代音楽からの脱却を目指した。美しい音と旋律の調和を通じた市民の一体感、そして教育的な歌詞を通じた道徳心の向上を目指す。古典的なクラシックと讃美歌を中心とした帝国式音楽の原点である。

 

「あっ、まちがえた」

 

 ヴァイオリンの弾くべき弦を誤り鈍い金切り音がサロンに響いた。妹は不快そうに当てていた馬尾毛を張った弓を下ろし、唐檜(スプルース)(メイプル)で出来たヴァイオリンの本体を肩から離す。

 

「むぅ……またしっぱいした!!」

 

 四歳六ヶ月になろうかという幼い妹はうんざりした声で何度目かの叫び声を上げる。

 

「いやいや、今のは惜しかったよ。最後に油断したね」

 

 私は少々癇癪気味になり頬を膨らませる妹を宥める。彼女の先程まで演奏していた『歓喜の歌』はヴァイオリン演奏の基礎中の基礎であるが、まだ学び初めて数ヶ月、漸く『カイザー』を演奏出来るようになったばかりの子供には少し荷が重いらしい。

 

 私は自身のヴァイオリンを肩に乗せ、先程まで妹が練習していた曲をゆっくりと弾いてやる。私?伯爵家の長男だぞ?ヴァイオリンどころかピアノもフルートもそれなりになら演奏出来る。というか小さい頃に出来るまで厳しく指導された。門閥貴族の家庭教師って案外スパルタなんだよなぁ……。

 

「もういや!ばいおりんなんておもしろくないっ!!げーむしよっ!!」

 

 小さなヴァイオリンと弓を振り回しながら妹は文句を垂れる。こらこら、子供用とは言え手作りのオーダーメイド品だぞ?それだけで軽く兵士の給金二ヶ月分はするから止めなさい。

 

「そうは言うが私に御願いしたのはナーシャの方だぞ?自分の言葉にぐらいは責任を持ちなさい。母上も言っていただろう?」

 

 別にこのサロンの一室で妹の御世辞にも上手くないヴァイオリン演奏を聴いていたのは私の望みではない。目の前の妹が練習の手伝いを御願いしてきたのが切っ掛けだ。

 

「張ってある弦の場所を一々確認するんじゃなくて覚えるんだよ。とは言え、これは慣れが必要なんだけどな?」

 

 ヴァイオリン演奏……いや、それに限らず楽器の演奏は慣れと練習回数が物を言う。特に記憶力が高くスポンジのように覚えていく子供時代から始めるのが一番だ。つまりここで諦めれば妹は演奏技術を向上させうる貴重な時間を自ら捨てる事になる。兄としてはこれを見過ごす訳には行くまい。

 

「まぁ、兄の演奏を良く観察してみなさい」

 

 そう偉そうに語って私は用意された大人用サイズのヴァイオリンを再度構える。そして妹の演奏していた曲をゆっくりと、見やすく演奏する。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 西暦一八世紀、ゲルマン第一帝国こと神聖ローマ帝国出身の作曲家、ルートヴィヒ・ファン・ベートーホーフェン……つまりベートーヴェンの作曲した交響曲第九番第四楽章『歓喜の歌』は、決して長い曲ではないし複雑な技術が必要でもない。

 

 歌詞自体は元々同じく神聖ローマ帝国のシラーの作り上げた『自由讚歌』を更にフランス革命に影響を受けたドイツ学生達がラ・マルセイエーズのリズムで歌いあげたものが源流だ。当然歌詞は自由と平等を連想させるものであり本来ならば銀河帝国で歌い上げて良いものではない。

 

 とは言えベートーヴェンもシラーもゲルマン文化の中では偉大な文化人であるためその創作物を無かった事にする事も出来ない。なので逆説的に歌詞の解釈を変えて、乱雑な文化と階級により分断されている連邦市民が皇帝とゲルマン文化、オーディン信仰の下に一つに結束し同胞となる……というこじつけ的なとらえ方が帝国の音楽界の見解となっている。……まぁ、そもそも帝国人自体遺伝子的には混血に混血を重ねたなんちゃってゲルマン系ばかりなのだがね。

 

(確かベートーヴェンは自由主義者だったか?本人がこの帝国の解釈を聞けば卒倒しているだろうな)

 

 まさか数千年の未来の時代に自分とは真逆の思想の国家で作曲した作品が愛用されているとは思うまい。歴史の皮肉と言うべきだろう。

 

 じーっと私の演奏を観察している妹、恐らくは一度では分からないであろうから何度も何度もゆっくりと演奏を繰り返し、次いで背後に回って演奏の手伝いをする。

 

「どーにか……できた?」

「少し怪しいけどな」

 

 五度目であっただろうか?私が指の動かすのを手伝って少々途切れ途切れながら漸くナーシャは演奏をやり遂げて見せた。

 

「えっと……もーいっかいやっていい!?」

「いいよ。落ち着いて、ゆっくりやるんだよ」

 

 うんっ!と笑顔を浮かべて小さなヴァイオリンを構えて今度は一人で弾いていく。プロに比べたら拙い演奏ではあるが子供が一生懸命に弾いていると思えばとても微笑ましいものだ。

 

「できた!」

 

 短い曲をたどたどしくもどうにか弾き終えると花が咲き誇るような純粋な笑顔を浮かべるナーシャ。赤ん坊同様の白い肌に母譲りの銀髪には鼈甲と宝石で作り出された髪飾りを添えて、翠石(エメラルド)色に輝く瞳を持つ妹は何十代に渡り美姫の血を加えて作り出された美貌を此方に向ける。ロリコンでなくても油断したら一撃でノックアウトされていただろう。私も身内でなければ少し危なかった気がしなくもない。

 

「演奏をしておいででしたか?」

 

 ふと、背後から尋ねるような声音が響いた。さっ、と目の前のナーシャが私の影に隠れるのを確認して私は声の主が誰か把握した。

 

「いえ、妹がヴァイオリンを習い始めたのでその手伝いをしていた所です」

 

 私は振り向いて若干社交辞令的な笑みを浮かべ答える。サロンの入り口に佇むグラティア嬢が視界に映り込んだ。

 

「ナーシャ、挨拶を」

「……あい」

 

 私の背後に隠れて婚約者を窺う妹。その姿は私が警戒されて母の背後から睨まれていた頃の姿を彷彿とさせる。この妹は人見知りで警戒感は人一倍の癖に、一度解けば心配になりそうな位に無防備になる娘のように思われる。将来が少し不安だ。

 

「グラティアさま、ごきげんよう」

「はい、アナスターシアさんも御機嫌よう」

 

 拙い言葉で挨拶し小さく会釈する妹に対して、しかし伯爵令嬢は……少なくとも一見すると……特に妹の態度を咎めずに笑みを浮かべ品のある挨拶で返答する。

 

「旦那様も御演奏を?」

「見本を見せていただけですよ、私も小さい頃に学びましたが中々……最低限の技術があるだけです」

 

 妹にはしたり顔で教えているが、文化的な功績で帝国騎士の位を得たプロとは比べる方がおこがましいレベルだ。女性なら兎も角、武門貴族の嫡男なら最低限の教養で良いのも理由ではある。流石に宮廷儀礼のために学ばない訳にはいかないが、そうは言っても軍事教練の方が優先されるのは当然であるし、私も死にたくはないので其方に比重を置いて学んでいた。

 

「御謙遜ですか?」

「事実ですよ」

 

 私は肩を竦めて苦笑いを浮かべる。

 

「……グラティアさまはばいおりんできるのですか?」

 

 少しだけ興味深そうにナーシャは尋ねた。尤も私の背中に隠れたままであったが。

 

「実家で指導されましたから。……弾いて見せましょうか?」

「うーん……じゃあかいざーわるつ!」

 

 西暦時代のオーストリア・ハンガリー二重帝国における音楽家の名家シュトラウス家の一員、ヨハン・シュトラウス二世の代表曲『皇帝円舞曲』(カイザー・ワルツ)が妹の所望した選曲であった。壮大にして幻想的、明るく朗らかで何より巧緻で演奏が思いのほか難しい曲だ。ワルツであり宮廷舞踏会でも私的なパーティーでも良くこの曲を基に踊る紳士淑女は多い。

 

『皇帝円舞曲』(カイザー・ワルツ)……ですか?自信はありませんが……良いでしょう」

 

 流石に有名どころではあるが少々難しいこの曲が選曲されるとは思って無かったのだろう。少しだけ難しそうな表情を浮かべ、しかしすぐに覚悟を決めたように承諾の返事を口にする。

 

「ヴァイオリンをお借り出来ますか?」

「私の物で良ければ」

 

 私は妹に見本を見せるために使っていたヴァイオリンを差し出す。一礼をして受け取るグラティア嬢は弦を少し弾きその音色を確かめる。工業規格のある同盟の大量生産品は兎も角、帝国や亡命政府の職人御手製のオーダーメイドのヴァイオリンには一つ一つ微妙な癖がある。演奏の際にその微妙な癖を計算した上で、あるいはそれすらも活かした演奏が求められていた。

 

 弓で二、三度弦を奏でて癖を調べた後、小さく深呼吸をし……少女は演奏を開始した。

 

「これはまた……」

 

 借り受けたヴァイオリンの演奏だと思えば十分合格点であったろう。元々リズム感が良くない曲なので多少引っ掛かるのは御愛嬌だ。少なくとも本来の使用者たる私よりかは上手であった。曲の頭部分は軍隊の行進曲のようにも牧歌的なリズム感にも思わせる。優美な中盤の美しい音色、そこから終盤に入ると一転して急激な結びに移り、力強く終わるのが印象深い。

 

 約六分に渡る演奏を終えた時、傍らからパチパチと拍手の音が響いた。機嫌が良さそうに妹が小さな手を叩く。

 

「はぁあっ!!きれい!じょうずっ!!」

 

 心からの称賛である事は明らかだった。瞳を輝かせてナーシャはグラティア嬢を見つめる。

 

「お褒めの言葉、有り難く頂きますわ。アナスターシアさんも練習を続ければこれくらいなら演奏出来るようになりますよ」

「本当に?」

「はい、私も実は余り演奏は得意な方ではないですから。寧ろアナスターシアさんこそ同じ頃の私よりも御上手ですわ。羨ましいものですね」

「えへへ、おにいさまがおしえてくれるからね!かていきょうしのアグネスたちよりもおにいさまのほうがやくだつもん!」

 

 にっこりと笑みを浮かべて報告するナーシャ。これ、家庭教師達が可哀想だろうが。というよりも腕は間違いなく彼ら彼女らの方が上であろう。妹が無責任にそう宣うのはどちらかと言えばやる気の問題のように思える。

 

(とは言え、警戒心が和らいでいるのは良い事か……)

 

 先程の演奏と伯爵令嬢が物腰を柔らかくして対応している事もあって、この臆病で気紛れな妹もそこそこ心を開いているようだった。

 

(そういえば弟がいるのだったか……?)

 

 年下の弟がいるから手慣れているのかも知れない。

 

 更に妹は『美しく青きドナウ』に『千夜一夜物語』(どちらもヨハン・シュトラウス二世の曲だ)等を強請り伯爵令嬢はその姿に優しく微笑みながら答えていく。

 

「そうだっ!グラティアさまっ、あのねっ!あのねっ!これからねっ!ばいおりんのれんしゅうおわったらげーむしよっておにいさまとはなしてたのっ!いっしょにどう?」

 

 最後の曲を弾き終えた後、称賛の拍手と共に期待した表情を浮かべてナーシャは尋ねた。母から余り接触するなと言われてた筈だが……やはり子供は決まりよりも欲望を優先するものらしい。にこにこと屈託の無い笑みを浮かべてナーシャはグラティア嬢を見つめる。

 

「アナスターシアさん、御気持ちは嬉しいですが……」

 

 私や母の事を考えてか、ちらりと此方を一瞬見やり断りの言葉を口にしようとするグラティア嬢。うーん……。

 

(私の立場からすればここで借りを作りたくはないからなぁ……)

 

 母が怒った時は私が宥めるしかあるまい。ここで気を使わせてしまうと後々余計逃げにくくなる。それに……妹の前で話す訳にはいかないが密会の約束位は出来るだろう、という打算もあった。

 

「いいではないですか。ナーシャも望んでいるようですし……私ともぜひご一緒下さいませんか?」

 

 その返事に少し驚いた表情を浮かべる伯爵令嬢。少しの間視線を泳がせ、次いでその視線を妹の方へと向ける。期待の眼差しに複雑そうに笑みを浮かべて、私に尋ねる。

 

「御迷惑になりませんか……?」

「ならない、とは断言は出来ませんが……ナーシャの期待も裏切りたくはありません。貴女とももう少し友交を深めたいですしね。何かあれば私の方からも口利きさせてもらいますので、御願い出来ませんか?」

「そうですか……」

 

 少し迷いつつ、しかし最終的には伯爵令嬢は妹の目を見つめる。そしてその返答に妹は嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、じんせいげーむしよっ!!」

 

 ……おう、ここで何とも言えない微妙なチョイス選ぶな妹よ。

 

「だめ?」

「……早く準備しなさい」

「うん」

 

 ……え?妹に甘いって?いやだってあの子には色々負い目もあるし後ろからブラスターライフル撃たれたくないし……嘘じゃないよ?

 

 私は自身の本音を誤魔化すように内心でそう宣言していた。うん、可愛いは正義だからね、仕方ないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、漸く終わったわね」

 

 ツェツィーリアは書斎での執務から漸く解放された。夫が軍務に専念せざるを得ないものの、分家や家臣にある程度は領地や私有地の統治や資産や事業、基金の管理を任せる事は出来る。

 

 それでも五世紀に渡り貯蓄し、投資し、収集し、膨張させてきた伯爵家の不動産、企業、証券、債権、特許、貴金属、現金、美術品といった財産は膨大であるし、どうしても判断を仰ぎ、あるいは知らせなければならない事案、本家一族以外が対応する事が許されない事柄もある。そうなればツェツィーリアは夫人としてだけでなく当主代理としての役割も果たさないとならない。

 

 面倒ではあるが同時にそれは自身が嫁ぎ先の家で信頼され、かつ確固たる地位に就いている事の証明でもある。それ故に執務が出来る事は名誉であるし、誇りに思ってもいた。

 

 とは言えやはり疲れるのは事実、唯でさえ息子や夫の事でストレスが溜まる日々なのだ。夫は話し合いで共にいる時間や手紙のやり取りも増えたがそれも戦局の悪化で再度交流が減ってしまった。

 

 そのために彼女からすれば一家団欒……というには夫がいないが、せめて子供達との時間は大切に取りたいと思っていた。

 

 殆ど一緒にいられない息子との交流は貴重であるし日に日に成長する娘を見ているとそれだけで口元が緩む。特に息子に構ってしまうがそれは仕方ない事だった。娘と違い中々会えないのだ。会える時に可愛がるのは当然の事だ。娘には済まないと思ってはいるがこればかりは変えられない。

 

「そういえば一緒に演奏の練習をしているのだったかしら」

 

 執務中に女中に様子を見させにいきその事をツェツィーリアは知っていた。最初のうちはぎこちなかったがここ暫くは息子と娘の仲が良好になっている事は彼女も母である以上知っていたしそれを喜ばしい事だとも理解していた。

 

「ふふ、私も交ざろうかしら?」

 

 兄妹仲が良いのは素晴らしい事だ。同じ血を分けた身内である、一族が結束し和やかなのは良い事だ。それが次代、次々代まで続けば尚良い。

 

 ツェツィーリアからすれば二人がヴァイオリンの練習をしているのなら自分も共に手伝っても良いと思っていた。息子や娘に宮中でも絶賛された腕を見せてやるのも良い。そんな事を考えていると自然に顔が綻び妖精のような美貌に喜色の笑みが浮かぶ。

 

 故に、彼女が子供達のいるサロンに足を踏み入れた時、そこに『部外者』がいる事にまず眼を見開き唖然としていた。

 

 そして子供達が自身に気付かずに『部外者』と共に楽しげに遊んでいる姿に対してツェツィーリアは不快感をありありと見せつけたし、その容貌は氷のように冷たくなっていた。

 

 そこにあったのは子供達への怒りではない。寧ろ子供達に対しては心配すらしていた。今すぐにでも『部外者』と引き離さなければと思っていた。

 

 娘が何かを口にしていたのに気付く。それに『部外者』が少しだけ頬を染めて恭しく答えるのが見えた。その態度が彼女には癪に障った。そしてそこに息子が困り顔で何かを語りかけていた。

 

 客観的に見た場合、それはある意味微笑ましい姿であったのかも知れない。少し気恥ずかしそうに微笑を浮かべる伯爵令嬢と礼儀正しく会話を交える伯爵家の嫡男の姿は少なくとも険悪では無かったし、妹と義理の姉の関係もこのままであればそう悪くはなるまい。第三者から見れば少なくとも悪くない状況であった筈だ。

 

 だがツェツィーリアから見れば違う。元々経歴から『部外者』に対して偏見しかなかったし、彼女はストレスから気が立っていたし不安や悩みもあった。何より家族愛が深かった。

 

 だからこそ、その姿は彼女の心情にマイナスに作用していた。その『部外者』の健気な姿すら媚びを売るふしだらで一族に害になる毒婦の笑みに見え、同時にその黄金色の髪も相まって息子が入れ込んでいる牝猫を連想させた。

 

 そして思ったのだ。『あぁ、悪い娘には躾が必要ね』と。

 

 

 

 

 

 彼女、ツェツィーリア・フォン・ティルピッツ伯爵夫人の瞳に宿っていたのは余りに独善的であり、しかし確かに家族にとって害となると信じている物から子供達を守ろうとする一人の母親のそれであった。



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第百三十八話 躾の加減は時代によって変わる

 少なくともゲームは決して退屈なものではなかった。いい歳こいて子供っぽいと言われるかも知れないが、フェザーン製の帝国貴族用の最高級の人生ゲームは最後まで勝敗が分からない博打性に加え、濃厚なストーリーと高いクオリティを有したものであるし、それ以上に共に遊ぶ幼く純粋な妹の素直に楽しむ姿を見ているだけでも十分過ぎる程に満足出来た(変は意味はないぞ?)

 

「あっ!おにいさま。しょうえんちょうだい」

「アッハイ」

 

 止まったマスの指示に従い侯爵閣下な妹に荘園の献上を要求される私(男爵)である。うん、別に気にしてないよ?(白目)

 

「あ、すみません。……御屋敷を頂いても宜しいでしょうか?」

「……喜んで」

 

 今度は孔雀石の賽子を振り圧力イベントマスに止まった伯爵様なグラティア嬢から屋敷の献上を要求される。田舎の貧乏男爵は肩身が狭いなぁ。門閥貴族達が派閥を作る訳だよ、群れずに油断していたら法律とブラスターライフルで武装した諸侯に満面の笑みで財産を要求される。そりゃあ面倒見と気前の良いブラウンシュヴァイク公が持て囃される訳ですわ。

 

「まだだ、まだ死んだ訳じゃないぞ。一発逆転の機会は幾らでもある……!」

 

 ソファーに座った私は輝石から削り出して作られた賽子をマホガニー材のテーブルの上で転がす。狙いは三か五だ。前者は昇爵イベントが、後者は鉱山事業成功で大量の株式の配当があるのだ。

 

「あ、りょうちでさいがいはっせいだって。ふっこうのためにしさんきりくずしてって」

「ガッデムっ!!」

 

 何故だ、何故そこで四が出る!?死ねと?死ねというメッセージかこの野郎!?毎日祈ってやってるんだ、少し位運気寄越せや糞大神野郎が!!

 

「つぎわたしねっ!!えーと……あ、てんれいしょうしょににんめいだって。グラティアさまつぎどーぞ」

 

 駒を進め栄達を続ける妹は次のグラティア嬢に賽子を渡す。なぁ、私達兄妹だよな?もう外聞とかどうでもいいから養ってくれない?駄目?ですよねぇ。

 

「私ですね。これは……」

 

 妹から受け取った賽子を振る伯爵令嬢。その出目に従い駒を進めていき……そのマス目の内容に一瞬沈黙した。

 

「ん?えっとこどもをひとりとつがせてって。だれにする?」

 

 マス目を覗いて内容を口にしたナーシャが尋ねる。彼女の駒を有している子供の内から娘を一人ほかのプレイヤーの家に嫁がせるイベントであった。このイベントは相手の家格の差によって若干の違いがあり、基本的に娘嫁を出す家は相手の家格が上の場合は持参金を持たせ、相手の家格が下の場合は結納金を受け取る事になっている。

 

 これは帝国における結婚事情と同じだ。一つには極端に階級差のある者同士の婚姻を抑制する意味がある。特に階級が格下の男性が求婚してきた場合に振るいとして機能する。馬鹿げた額の結納金を要求する事で相手の経済力や才覚を見定めるのだ。当然その程度の事も出来ない者に娘を預ける者はいない。

 

 また嫁ぐ立場からすれば持参金や結納金はある種の嫁ぎ先に対する人質であり、離婚時に夫に瑕疵がある場合は慰謝料代わりに持参金を数倍に上乗せして、結納金の場合は返還せずに済み、花嫁の嫁ぎ先での立場を補強する材料となる。

 

 因みに支度金を受け取ると言うものは帝国人にとっては恥に等しいものだ。嫁ぐに際して持参金も用意出来ない家に対して夫の家が恵む物であり、娘の実家からすれば対等ではなく、嫁ぎ先での立場を保証出来ない事を意味する(逆に言えば身分に差があろうとも持参金や結納金があれば一応形式だけでも嫁ぎ先と関係は対等であると言える)。人身売買……とは言わずともある意味身売りに近い。煮るなり焼くなり好きにして下さいと言う訳だ。大抵の場合平民等から豪商や貴族に妾になる事を強いられた場合に多い。

 

 そりゃあ金髪の孺子がぶち切れる訳だわな。痴愚帝様は後宮に寵姫を納めさせる際に多額の持参金を要求したそうだ。痴愚帝はやり過ぎだとしても大抵の場合後宮に上がる娘は良い所の令嬢なので持参金を背負って召し上げられる。

 

 当然、後宮での扱いやマウント勝負は持参金の多寡(と身分であるが大体両者は比例している)で決まる。持参金を出す所か逆に支度金を下賜される程貧しく情けない家柄なぞ下手しなくても運が良くて孤立、場合によっては虐めの対象であり、下手したら宮中の陰謀に巻き込まれた末に蜥蜴の尻尾切りされかねん。ミューゼル家は確か歴史も浅く血縁も少ない筈、頼れる者もほぼいないだろう。

 

 陰謀渦巻く後宮でそれは殆ど死んで来いって言っているようなものだ。……いや、あの孺子の場合だと持参金を出せる立場でも普通に駄々こねそうだけどな。

 

 逆にあの姉貴はそんな底辺から良くも成り上がったものである。本人の気質を知る者や近い場所にいる者なら兎も角、縁無く、遠くで見聞きしている者達からすればがつがつしたハングリー精神の塊にも見えただろう。ベーネミュンデ侯爵夫人が毛嫌いした一因かも知れない。皇帝から、というよりも姉貴から迫っているように見えても可笑しくないのだ。

 

「えっと……あの………」

 

 話を戻し、マス目の指示に難しそうに悩むグラティア嬢だった。それはゲームそのものではなく、より現実的な意味で悩んでいるように見える。ちらり、と一瞬私と視線を合わせてすぐに俯くように下に落とす。

 

 ゲーム的に言えばこれは資産巻き上げイベントである。自身より下の者に娘を嫁がせて資産を結納金としてごっそりと貰う訳だ。ゲームだけ考えていれば選択肢はほぼ私狙いになるであろうが……。

 

(まぁ、言いにくいだろうな……)

 

 彼女の立場はある種の人身御供だ。階級はほぼ同じなので仮に式を挙げれば持参金と結納金を双方が交換する事になる(大抵の場合双方が見栄と家庭の力関係のためにより高額を支払おうとする)。だが現実には殆どティルピッツ伯爵家にケッテラー伯爵家が頭を下げ援助を受ける形であり暗黙の内に上下関係は出来上がっている事だろう。

 

 そんなケッテラー伯爵家の人質役の小娘が私に『娘を下賜』し、莫大な『結納金』を支払わせようというマウントを取りに行くような真似をゲームであれ口に出来る訳がなかった。

 

 貴族は生まれながらの権力者だ、故に口にした言葉一つでいらぬ勘繰りをされてしまう。言葉は大事に使いなさい、口は災いの元……その手の躾は貴族であれば幼少期から受けていよう。そんな事は口が裂けても言えない筈だ。

 

「……ここはゲームのセオリーでいえば私がお受けするべきなのでしょうね。結納金はこれだけで結構でしょうか?」

 

 なので、私は自身から話を進める。持参金に本物の純金や白金で特別に鋳造したゲーム用貨幣を幾枚か、それに債権と株式の権利書(の玩具)を婚約者のテーブルに移動させる。伯爵家の御令嬢を受け取る事が出来るギリギリの資産だ。私の手持ち財産余り無いから許して……。

 

「えっ……は、はい。えっと……此方、御譲り致します」

 

 一瞬、話を理解出来なかったのかぽかんとしていた婚約者は、しかし慌てて承諾の返事をする。そのまま手元の娘の駒(象牙製に鼈甲のティアラが装飾されている)を差し出す。

 

「ええ、丁重にご家族に迎え入れさせて頂きますよ」

「は、はい………」

 

 恐縮そうに伯爵令嬢は答える。……あ、ミスったな。今の言葉は意味深げに聞こえるか……私も大概舌禍ばかり引き寄せるな……。

 

「とは言え、此方は貧乏男爵ですからね。伯爵家の御嬢さんに満足して頂ける生活をご提供出来るかは怪しいものですが」

 

 私は冗談めかして会話をそう続ける。あくまでも純粋にゲームの事を口にしただけというメッセージだ。これで誤魔化せれば良いのだが……。

 

「?わたしたちのいえってはくしゃくじゃないの?」

 

 不思議そうに妹が横槍を入れて来た。……おう、急にリアル持ち込むな。

 

「今のお言葉はゲームの内容ですよ、アナスターシアさん。……旦那様は今は男爵の駒ですからね」

 

 一瞬だけ重い沈黙が場を支配した。しかしすぐに伯爵令嬢は妹にやんわりと誤解の修正を行う。私の呼び方に少し迷ったようにも見える。

 

「あ、そうだった。ねぇねぇ、グラティアさまはいつおよめさんにきてくれるの?おとうさまがいってたよ?およめさんにきてくれたらわたしのおねえちゃんなんだよね!」

 

 楽し気に話す妹とは正反対に私の方は胃袋がキリキリしてきていた。うん、気持ちは分かるよ?けど今は止めような?お願いします、突っ込まないで……。

 

「それは……申し訳ありません。まだ諸事情があるので正確には……」

 

 少し困ったような微笑みを浮かべて答えるグラティア嬢。彼女からすれば複雑な心境であろう。寧ろ一番気にしているのは彼女であろうから。妹の純粋無垢な瞳が見ていて居た堪れない。

 

「そうだな、今は父上も御忙しいから……今のお仕事が終わった後にまた色々と調整が必要かな……?」

 

 私は妹の頭を撫でて、伯爵令嬢の方を見つめる。私が妹を誤魔化すためのフォローを入れた事は理解しているようで安堵したように小さく息を吐いて頭を下げる。それに答えるように私は何とも言えない笑みを浮かべた。

 

「あら、随分と楽しそうねぇ?私だけ除け者なんて妬けちゃうわ」

 

 刹那、背後から響いたその声に弛緩しつつあった場の空気は一気に冷えきったのだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、随分と楽しそうねぇ?私だけ除け者なんて妬けちゃうわ」

 

 その声はフルートの音のように優し気で、それでいて有無を言わさぬ重苦しさが併存しているように思えた。

 

 私はゆっくりと体を振り向かせる。途中、妹も伯爵令嬢の表情を覗き込んだ。その顔は確かに恐怖で血の気が引き青くなっていた。貴族の血は高貴な蒼き血……等というがこれでは本当に青い血液が流れていそうだとすら思える程だった。

 

「……母上」

 

 私は部屋の入口で佇む肉親に殆ど漏れ出すような声でそう呟いていた。背後に幾人もの小間使いや侍女、執事を侍らせた(その内若い者達は妹同様に顔を青くしていた)中年とは思えない美貌の夫人。

 

 しかし私には分かっていた。その女神像のような微笑を浮かべる表情の内側にどれだけの激情が漏れ出しているかを。氷のように冷たく、しかし溶岩のように苛烈なその感情が誰に向けられているのかを。

 

「あ……」

 

 小さく、本当に小さく漏れ出たその悲鳴を私は聴いた。その声の主は正に今怒りの矛先を向けられている少女である事に疑いの余地はない。私は寧ろ称賛すらしていた。戦場に出た経験もないであろう少女だ、下手すればその視線だけで気絶してしまうのではないかと本気で思えたからだ。

 

(不味いな………)

 

 不機嫌になる可能性は高いとは思っていたがここまで逆鱗に触れるとは思って無かった。私の想定は余りにも甘すぎたようだった。

 

(私とグラティア嬢は逃げる訳にはいかないか。ならば避難出来る者だけでも逃がすべきか……)

 

 私は取り敢えず被害軽減のために妹の避難を優先する事にした。

 

「……ナーシャ、自分の部屋に戻って勉強でもしておきなさい、良いね?悪いけど遊びの時間は終わりだ」

 

 静かで、それでいて余りに冷たく思えるこの状況で、私は無理矢理口を動かして妹にそう伝える。

 

「えっ……けど……」

「ナーシャ?」

 

 私が強く名前を呼ぶと黙りこみ、此方を窺いながら小さく首を振る。良い子だ。

 

「ナーシャは私の付き添いです。こんな話に巻き込む必要もない筈です。でしょう、母上?」

「……ヴォルターがそう言うならまぁいいわ。早くお行きなさい?」

 

 少しだけ考え込み、しかし母は最終的には私の意見に賛同する。母としても必要以上に娘を責める理由はないし、年が年なので然程ちゃんとした会話は出来ないと思ったのだろう。幼い娘の戦線離脱を許可した。

 

「あ……ぅ……ばいばい」

「ああ、ばいばい」

 

 侍女達に誘導されてナーシャがサロンを出る。退席直前に不安げにこちらを見つめ、手を振ったので安心させるために小さく手を振り返しておいた。

 

「……さて、お話を再開しようかしら?」

 

 妹の姿が消えてから、心底不快げに母が話を切り出した。扇子を広げて口元を隠す。その目は尋問をしようとしているように見えた。

 

「グラティアさん。これはまた、私の知らない間に随分と子供達と仲良くしていたようね?」

「えっ……は、はい。このような機会も中々御座いませんので友誼を深められたらと思いまして……」

「あらそう」

 

 グラティア嬢の丁寧な説明に、しかし冷淡に、そして興味のなさそうにそう答える母。

 

「けど……少し身勝手ではありませんかしら?確か家の娘はヴァイオリンの練習をしていた……筈だったわよね?ヴォルター?」

 

 優しく、しかし問い詰めるように母は尋ねる。

 

「ええ、しかしその点については伯爵令嬢の責任ではありませんよ。練習が少々疲れてしまいまして、気晴らしをしていた所でした。その際に彼女にも参加を御願いしただけの事ですよ」

「そう……」

 

 疑るようにグラティア嬢を見つめる……というよりも睨み付ける母。

 

「母上の御気持ちは分かります。演奏の練習を途中で投げ出してしまいましたから。その点については謝罪致します」

 

 そう言って私は謝意を伝えた。

 

「……いいえ、ヴォルターは良いのよ。………話は変わりますが、丁度良いわね。昨日の事ですけれど、グラティアさんはどちらにおいでに?」

「えっと……」

「どちらに?」

 

 再度追及の矛先が婚約者に向かった。昨日の事を口にするべきか彼女も判断しかねているようで若干迷う素振りをして、答える。

 

「その……庭先の散歩を……」

「御一人で?」

「それは……」

「……私の方から御誘いさせて頂きました」

 

 見ていられないので私は婚約者を庇いだてする事にする。どの道呼んだのは私だ。嘘ではない。私は視線でグラティア嬢に話を合わせるように伝える。 

 

「ヴォルターが?」

 

 怪訝そうに母は私を見つめる。

 

「はい、折角私の御見舞いのために此方に来て頂いたのです。お手数をお掛けした事になりますからせめて私が直々に客人に対して庭先の案内をしたいと思いまして。丁度梅雨入りの時期ですから暫くは雨ばかりです。その前に一度見てもらおうかと」

「ふぅん……本当に庭先を散歩しただけ?」

 

 私に更に追及の手を伸ばす母。うーん変な所で勘がいい人だなぁ。

 

「……食事や川下り等もして持て成さして頂きました」

「……へぇ」

 

 明らかに母の眼差しに意地の悪い光が差し込めた。

 

「ヴォルターの気持ちは分かりますけど、余り軽挙は頂けないわよ?賢い貴方なら自分の立場は分かっているでしょう?怪我の療養もあるのです。無理をしてはいけませんよ?」

「……承知しています」

 

 母にとっては私は唯一の直系の跡継ぎだ。愛情が無い訳ではない。私の我が儘をいつも最終的には呑んでくれるのがその証明だ。しかし同時に自身のためにも勝手な行動はして欲しくはないのが本音だろう。特に相手がグラティア嬢となると……。

 

「御心配をおかけして申し訳ありません母上。自らの立場を考えぬ浅慮で御座いました」

 

 取り敢えず私は素直に謝罪する。ここで母に不必要に逆らい事態を悪化させても何の益もない。下手に反発しても悪目立ちして伯爵令嬢にも飛び火しかねない。 

 

「良いのよ。外で食事というのも悪くはないわ。雨が止んだら今度ナーシャも連れて三人で川下りもしましょうか?それよりも……」

 

 と切り返すように次の瞬間には母はグラティア嬢に再び標的を変えた。

 

「ヴォルターが御誘いを?」

「は、はい。大変良く持て成して頂きました。良く配慮が行き届いており、流石伯爵家を御継ぎになられるお方だと思い感服致しました」

 

 お世辞半分に少しだけ慌て気味に伯爵令嬢は答える。婚約者として私を立てるのは当然であるし、可能な限り私を立てて敵意を剃らしたい意図が見えた。だが……ある意味ではこれは悪手であったかも知らない。

 

「そう、それにしては随分と貴女は怠慢な事ね?」

「えっ……?」

 

 その言葉にグラティア嬢は困惑した。何故責められたのか分からなかったからだ。

 

「あら?気付かないのかしら?随分と御一人で楽しんでいたようねぇ……」

 

 粘り気のある声で小さく嘲笑の笑みを浮かべて続ける。

 

「察しが悪いようですから特別に教えてあげましょう。貴女は見舞いに来た立場、即ち……未来の夫を支える立場なのよ?その自覚が足りな過ぎると言っているのです」

 

 この上なく不快げに、そして不満げに表情で母は説明を……いや、糾弾を始めた。

 

「ヴォルターは戦傷をしてまだ万全ではないのよ?それを無理を押して貴女のために散歩を提案したの。本来ならばヴォルターの身体のために気分を害されてでも遠慮した方が良いでしょうに。その程度の配慮も出来ないのかしら?」

「あっ……」

 

 それは殆どこじつけに近かった。しかし、その剣呑な眼差しに婚約者は反論も出来ない。

 

「それは……!」

「それだけではないわ。まさかとは思うけど護衛は十分つけたのでしょうね?警備の責任者から何も知らせも受けていないのだけれど。それに散歩自体私は何も聞いていないわ。ヴォルターは我が家の唯一の嫡男よ?代理当主の私への言付けの一つも出来ないのかしら?ああ、何よりもその事をどうしてヴォルターに尋ねて見なかったのかしら?従順だけならどんな木偶にでも出来るわ。夫を立てるのは当然として見落とていないか然り気無く尋ねる事位は最低限出来る筈よね?」

「母上……!」

「ヴォルターっ!少し黙っていなさい!!私はこの小娘に教育をしてあげているのよっ!!」

 

 その怒気を含んだ声に流石に私も少したじろいだ。私ですらそうなのだ。敵意を向けられている伯爵令嬢は肩を震えさせ、母のその迫力に顔を恐怖の色に染め上げていた。僅かながらその瞳も潤ませていた。とは言えその程度は母の同情を買う事は出来なかった。

 

「あらやだ、嘘泣きかしら?およしになさい。みっともない!それとも同情でも誘っているのかしら?そんなものにほだされる程私は甘くないわよ?」

「あ、いえ……私は…決してそんな事は……!!」

 

 必死に弁明しようとする婚約者をしかし、一瞥して母は責め立てる。

 

「ふんっ!どうかしらね?私からしてみればこんな事で泣かれても困るのだけれど?武門の誉れ高いケッテラー伯爵家に生まれてこの程度の事も飲み込めずにお泣きになるとは何事ですか?一体どんな教育を受けて来たのかしらっ!!?……ああ、そうだったわね」

 

 ここで態とらしく思い出したと言った風情で母は口元を釣り上げる。それは獲物をいたぶる猛禽を思わせた。

 

「半分は武門は愚かお里の知れるような係累だったかしら?まして御父上は確か若くして御亡くなりになったのでしたわね?と言う事はお母様から御指導されたのでしょう?なら納得ですわ。さぞかし素晴らしい教育をお受けになられたのでしょうね?」

「母上!言い過ぎです!!落ち着いて下さい……!」

「だ、旦那様……!お止め下さいませ……!伯爵夫人の御言葉は御尤もで御座います……!私は気にしてはおりませんので……!」

 

 母の罵詈雑言を止めようとする私をグラティア嬢は制止しようとする。後になって思えばあるいはこの時点で彼女は薄々と最悪の事態を想像していたのかも知れない。私の行動が火に油を注ぐ行いと気付いてそれを食い止めようとしていたのかも知れない。尤も、視野の狭い私の方はそれに気づく事が出来なかったが。

 

「……っ!?あ、あら、私の指導なんて気にしないのね?これはまた随分と大きく出たわね?」

「それは……!」

 

 私が噛みついて動揺していた母は、しかしすぐに私を相手するのではなく婚約者に絞って叩こうという戦略に出ていた。言葉尻を捉えるような追求。しかし貴族にとって言葉は重い意味を持つ。安易な言葉遣いはその者の教養と思慮不足を晒す事である。

 

「本当、どういう教育を受けて来たのかしらね!?言っておきますが我が家は貴女の実家程甘くはありませんからね!こんなのが家の子の婚約相手だなんて……!これで社交界で本当にやっていけるのかしらっ!?ヴィレンシュタイン家は男に色目ばかり使う不良品を押し売りでもして……」

「母上っ!!」

 

 遂に私は母の言葉を怒鳴るように遮った。

 

「今の言葉は何ですかっ!?幾ら母上でもその御言葉は見過ごせません!私の婚約者をそこまで貶めるとは何事です!!?貴女にそんな権利が御有りですかっ!?今すぐ訂正を御願いします……!!」

 

 私自身その態度は悪手ではないかと危惧はしていた。しかし流石に母の口にした言葉は言い過ぎだ。余りに度を越している。本人だけでなく親や先祖まで掘り返して詰るなぞ相当であるしグラティア嬢の行いから考えるとその扱いは酷すぎる。知らぬ所でなら兎も角目の前でここまで罵倒されれば彼女の名誉のために私は口出しせざるを得ない。

 

「……!!?」

 

 私は母から敵意を向けられると思っていたが実際に返ってきたのは驚愕と困惑の視線であった。私の口出しに対して信じられないといった態度だ。恐らくここまで私が強く反発するとは思わなかったのだろう。

 

「ヴォルター!?どうして……!?どうして貴方がそんな事を言うの……!!?」

 

 悲しげな感情すら浮かべて母は叫ぶ。ここまで私が食い下がるのは想定外だったのだろう。寧ろ私からすれば想定外だったのは母のリアクションだが。

 

「母上こそ落ち着いて下さいっ!!折角見舞いに来た客人にこのような態度でもてなすのが我が家の流儀ですかっ!!?他の家の噂になりますよ!?」

「それはっ………!?」

 

 苦い表情を浮かべる母。流石にややこじつけの色が強く言い過ぎな事は自覚しているのであろう。返答に詰まり視線を逸らす。

 

「だ、旦那様……」

「申し訳ありません。このような所を御見せしたくはなかったのですが……」

 

 怯えたような不安な表情を浮かべる婚約者に、私は苦味のある微笑みを浮かべて謝罪する。

 

 ……しかしこれは失敗だった。謝罪は必要であったが少しタイミングは悪かったかも知れない。あるいは彼女の私への呼び方に媚びた印象を受けたのだろうか?こういう時はどんな行動も悪く見られるものだ。

 

 ……兎も角も、我々が地雷を踏んだのは事実だった。

 

 次の瞬間、私から逸らしていた視線を、母は憎悪に溢れた眼光と共に伯爵令嬢に向けていた。

 

「ヴォルター……そう……貴女……貴女ね……?私の大切な家族に……可愛い子供達に見境なく媚びを売って誑かして……!!何て手が早いのかしら……!?」

「えっ……?」

 

 グラティア嬢は自身に一層濃厚に向けられたその感情に困惑していた。

 

「母上……!いい加減にして下さい!流石に客人に無礼過ぎますよ……っ!?そんな事も御分かりになりませんかっ!!?何があったんですか……!?」

 

 私は声を荒げて母の敵意を非難する。実際、母のその思考にうんざりしていた面はあるがそれ以上に恐らくは私自身の伯爵令嬢に対するこれまでとこれからしなければならない行いによる負い目がその敵愾心を煽っていた。

 

「……!?」

 

 私の今日一番の鋭い視線に一瞬母は驚愕し、戦慄し、衝撃を受けたように思えた。

 

 顔を蒼褪めさせて信じられないと言うような表情を浮かべる母は、しかし次の瞬間には肩を震わせて客人を射殺さんばかりに睨みつける。私が生まれて初めてあからさまな憎悪を向けた事が相当衝撃的であったのだろう、そして母はそれが目の前の小娘の差し金であると判断したらしかった。

 

「よくも……よくも子供達を……私の子供達を……!!盛りついた牝猫めっ!」

 

 顔を紅潮させ、母は到底客人に向けて口にするべきではない言葉を吐いていた。明らかに母は頭に血が上っていた。日頃からのストレスに私の(母の目から見た)裏切り、そして客人の小動物のように縮こまり怯える姿すら癪に障っていたのだ。そうでなくとも高貴な生まれであり我慢なぞ……特に彼女が自身より下と考えている者に対して……殆どした事が無かったし、少なくとも彼女は立場的にグラティア嬢に対して遠慮する、という考えは埒外の事であった。

 

 それが母に一線を越えさせる事になった。

 

「私から……私から大切な家族を奪わないでっ!!早く……早くこの部屋から出ていきなさい!!出ていけっ!この淫売の女狐!!」

 

 これまで聞いた事のないヒステリック気味に、金切声に近い悲鳴を上げる母。恐らく衝動的であった事だろう。若干血走った母の視線は偶然傍に置かれていたアンティークな馬の置物に目が移っていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「っ………!!」

 

 あるいは別の置物であれば良かったのだろうか?少なくとも馬の置物なのが余計に母の怒気に触れたのは間違いなかった。ケッテラー伯爵家の家紋は一角獣だ。その事を咄嗟に思い出した母は条件反射的に息を飲み顔を青くする。

 

 母は殆ど反射的に母はそれを掴んでいた。そして怯えと怒りをその眼に浮かべて……。

「奥様……!?」

 

 咄嗟に家政婦長と数名の侍女が母の凶行を止めようと駆け寄り抑え込もうとする。だがそれは少し遅かった。次の瞬間には母は手に持つそれを乱雑に投げつけていた。

 

「きゃっ……!?」

 

 恐らく敢えて狙った訳ではなかっただろう。だが偶然にも狙いをつけずに投げたそれは明確に伯爵令嬢を狙い済ましていた。そして彼女自身はいきなり固形化して向けられた敵意に怯み足を竦ませてしまっていた。

 

 放物線を描きながら飛ぶ銀塗りの馬の置物。恐らくはブロンズ製に銀箔を張り付けた物だろう、当然ながらぶつかれば死ぬ可能性は低くとも怪我をしかねない。故に……。

 

「っ……危ない!」

 

 私は咄嗟に両者の間に割って入った。伯爵令嬢の守るように盾になる。客人を怪我させる事も婚約者を怪我させる事も貴族社会では十分に醜聞であったし、それ以上に自身の問題で無関係な伯爵令嬢に傷つける訳にはいかなかった。

 

 次の瞬間、室内に鈍い音が響いた。衝撃が私の頭部を襲い、次いでゆっくりと、そしてじんわりと焼けるような鈍痛が広がる。視界が揺れて、切れたこめかみから熱い物が顔を伝い流れ落ちる感覚がした。

 

 その場にいた全員が戦慄して、唖然として、静まり返っていた。いや、私と母だけは違った。私は(恐らくは)冷静に周囲を観察していたし、母は我を忘れたように荒い息をして此方を凝視していたからだ。床に落ちた置物の反響する音が鳴り響く。

 

 私が冷静に置物を投げつけた相手を静かに見つめている一方、はぁはぁ、と怒りに震える母ははっと我に返る。同時に自身が何を行ったかを理解してみるみるとこれまで見た事がない程に急速に顔を青ざめさせた。……そこまでショック受けなくても良いんだけどなぁ。

 

「えっ?………あ……あぁ………!!?ヴォ…ヴォルター……?ち、違うの……これは………」

「……いえ、母上。私も熱くなり過ぎました。お陰様で冷静になる事が出来ました、感謝致します」

 

 私は慇懃に頭を下げてそう伝える。傷口から垂れた血が床に垂れ落ちて数滴の血痕を作り出す。ミスったな、床が汚れてしまった。私はすぐに頭を上げた。

 

 先程の言葉には嘘偽りも無ければ当然嫌味でもない。私も内心で少し暴走しかけていたし、母もかなり気が立っていたのだろう。私は母の愛情の深さは理解しているつもりだ。決して簡単に私に手を出す人ではない。つまりそれだけ母も不満やストレスが溜まっていた。そして私はそれを配慮出来ていなかった。それだけの事だ。

 

「いやっ……ちが……私はただ……ただこの家と家族を……!!」

 

 打ち震える声でそう呟く母の言葉は、しかし要領を得ない。怯えを含んだ瞳で私を凝視し、一歩、二歩と下がる。それだけ混乱しているのであろう。その姿に対して母親相手に不遜ではあるもののある種の憐れみの感情すら感じてしまう。

 

「母上、客人がいる場です」

 

 そう口にすると動転した思考で事態を把握した母は葛藤するように顔を歪ませて、最終的には黙りこむ。母もこれ以上他所の家の者に醜態を見せるべきではないと理解しているらしかった。その場で茫然自失と言った顔で項垂れる。

 

「そ、それよりも傷が……!」

 

 その事に最初に気付いて指摘したのは背後に隠れていた少女の悲鳴だった。グラティア嬢はドレスのポケットに入れていた絹のハンカチを取り出すと若干母に怯えつつ、しかしすぐに私の方を向いてこめかみの傷に当てがう。

 

 それに触発されて動いたのは侍女や使用人達であった。ある者は応急救護キットを取り出し、ある者は椅子を用意する。応急処置の心得のある執事が恭しくグラティア嬢からハンカチを受け取り傷口を抑え、背後から女中が私を椅子に座らせる。

 

「針で縫う必要はあるか?」

「いえ、角度が幸い致しました。この程度であれば冷却スプレーで止血すれば大事は御座いません」

「それは重畳」

 

 赤…というより赤黒い染みを作ったハンカチを離して傷口を見る執事(うわぁ、我ながらドン引きものだ)。横から侍女が応急救護キットの蓋を開いて差し出す。

 

「ひっ……」

 

 横で小さくそう声を漏らしたのは婚約者であった。目元を潤ませて何をどうするべきか分からずに捨てられた子犬のように此方を見つめ指示を待っていた。とは言え、この場で出来る事は限られているんだよなぁ。

 

「お恥ずかしい所を御見せしました、申し訳御座いません。……どうか今日はお休み下さい」

 

 それで良いですよね、と目で正面の椅子に座らされている母に伝える。尤も母の方は情緒不安定気味に自分の両手を見つめていたので返答は無かった。仕方なしに傍の女中に命令する。

 

「し、しかし……」

 

 女中から場を離れるように促される伯爵令嬢はそれを拒否しようとする。

 

「退席を御願いします。御気持ちは分かりますが私も今は貴女に構う余裕がありません、非礼ながらどうかご理解下さい」

 

 止血途中の私に若干不機嫌そうにじろりと睨まれれば流石に反論は出来ないようだった。びくり、と肩を竦ませてから母と同じく顔を青くして小さく承諾の返事を呟く。私がそれに頷けば両脇から女中に肩を支えられて婚約者は退席した。

 

「……少し乱暴な言い様だったかな?」

「いえ、この場合は少々高圧的に接しなければ御言葉には従わないかと。妥当な判断で御座いました」

「だといいがね」

 

 応急処置の作業中の執事が治療に集中しながらも意見した。手慣れた動きで骨や脳に問題がないか調べて、それを確認し終えると止血する。ガーゼと冷却剤を優しく押し当て、包帯で巻いて固定していく。流れるような動きだ。門閥貴族の執事たるもの応急処置は有事の際に備えて当然のように習得しているしほかにも実用的な技能を有している。人材を集め、育て、独占出来るのは門閥貴族の強みだ。

 

(さてさて……厄介な事になったな)

 

 ちらりと母を見ながら私は陰鬱な溜め息を吐く。

 

(ここに至っては最早どうしようもない。もう少し母を懐柔してから脱走を考えていたが……そうも言ってられないな。こうなったら悪いがあの人にアフターケアを投げるしかないな……)

 

 あの人なら流石の母も強気には出れまい。私の夜逃げの後の抑え役には丁度良い。……問題は逆に母が虐められないかだが。その辺は穏便に宥めてくれるように御願いはしてみるが配慮してくれるかどうか……。

 

「家政婦長」

「此方に」

 

 いつの間にか傍らで控えていた老家政婦が返事をする。優秀な事で。

 

「母上を自室に御願いしたい。侍女と小間使いも必要なら呼んでいい。面倒を押し付ける形だが……頼まれてくれるな?」

「承知致しました」

 

 家政婦長が視線を侍女達に向ければ侍女達が恭しく頭を下げて答える。家政婦長はこの場で最も冷静に物事を判断出来るのは私だけである事を見抜いたようだった。侍女達と共に母を優しく支えて退席しようとする。

 

「えっ……?ヴォルター?駄目っ……私はっ……違うのっ……!離してっ!!ヴォルター!!違うのよっ!!?私は貴方をっ……!!」

「分かっております、御心配なさらないで下さい。ですがこの事態です。今日一日だけは落ち着くためにも御休憩を御願い致します」

 

 なにかを必死に弁明しようと悲鳴を上げる母。私はそんな母を安心させるように落ち着いて声をかける。家政婦長も同じく声を掛けながら母を私室に連れていく。

 

 別に粛清なんてしないし出来ないしするつもりもない。ただ単に自室で落ち着くまで休んでもらうだけだ。尤も、母の悲鳴は粛清や監禁されるというよりも寧ろ私と離れ誤解される事を恐れているように思えた。あるいは私がそう思っているだけかも知れないが……。

 

「……悪いが少しの間、全員ここから退席してくれ。一人になりたい」

 

 私は母の姿と悲鳴が聞こえなくなると共に残る使用人達に静かに命じる。この場の主人たる私の命令は絶対だ。淡々と、黙々と使用人達が礼をして退席する。

 

 ……あるいは彼ら彼女らもここから去りたいと思っていたかも知れない。尤も、すぐに命令に呼ばれて来れるように扉の裏側に待機しているであろうが。

 

「……はぁ」

 

 深い溜め息をした後、私はガーゼを当てたこめかみに触れる。大したものではない。母の全力とは言え、子供時代の私を除けばフォークとナイフより重たい物は持った事もない人だ。当然鍛えている訳でもない。出血しているとはいえこれまで私が軍人として受けたどの怪我よりも軽い怪我でしかなかった。

 

 だが………。

 

「流石に……少し辛い……かな?」

 

 躾ですら一度として母に手を出された事も、叱られた事もない。まして敵意を向けられた事なぞある訳がなかった。

 

 だからこそその精神的な衝撃はこれまで経験した事もないものだった。しかし、そこに宿る感情は自身に手を出した母への憎しみではなく、寧ろあそこまで母を怒らせ、傷つけた事への罪悪感で……。

 

「………」

 

 痛みこそ大したものではないが、これ程辛い怪我をしたのは初めてだった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お!これはまた、随分と珍しい方がお迎えに来ましたねぇ」

「何か御不満かな?フロイライン?」

「いやいやまさかぁ」

 

 ゴトフリート従士家のハイネセン別邸の待合室で遠慮もなく紅茶と焼き菓子を頂戴していたイングリーテ・フォン・レーヴェンハルト中尉はニコニコと手を振りながらそう答えた。とは言え、内心では小さな驚きがあった事は否定出来ない。

 

 端正な顔立ちをどこか虚無的で冷笑的な笑みを浮かべる礼服で着飾った金髪紅瞳の男性、部屋に入室した彼はレーヴェンハルト中尉の目の前のソファーに深々と座り込み、足を組む。

 

「にしても、いつ此方に御帰りで?」

「これは酷いな。同じ便なのだけれど……覚えていないのかな?」

 

 ジークムント自身、一月前までレーヴェンハルト中尉と同じフォルセティ星系の防衛線に巡航隊を率いて参加しており相応の軍功も立てた上で同じ人員輸送艦に乗ってハイネセンに休暇を兼ねた転属をしていた。

 

「フォルセティの?……あー、確かいたかも知れない?ですねぇ」

 

 口元に手を添えて記憶を探っていきそうはっきりしない返答をするレーヴェンハルト中尉。相手の立場を考えれば本来ならば非礼とされるがそこは本人の立場とこれまでの所業からか相手のジークムントも強くは出ない。いや、出たら負けという空気が伯爵家の家臣団の間でも広がっていた。

 

「相変わらずの態度ですね。レーヴェンハルト閣下も不運な方だ、貴女のような人物が直系の長女とはね。随分と頭を抱えておいででしょう?」

「いやぁ、それ程でも」

「……いや、褒めていないのだがね」

 

 真性で照れくさそうにするレーヴェンハルト中尉に不機嫌そうに吐き捨てるジークムント・フォン・ゴトフリート亡命宇宙軍中佐。母親から受け継ぐ血のような紅色の瞳は、胡乱気に問題児として評判の女性従士を映し出す。

 

「……そうでした、我が家の不肖の妹と御会いしたいと?」

「えぇ!ベアトちゃんが一人で謹慎していると聞いて今なら結構弱ってるかなぁ?と。その心の隙間に付け込んであの鉄壁の心を融解させればきっとムフフな展開も待っているじゃないかと思う次第でして」

 

 胡麻擦りしながらにまにまと貴族令嬢にあるまじき笑みを浮かべる女性従士にあからさまに肩を竦めうんざりした表情を作るジークムント。

 

「冗談ではないと言いきれないのが笑えない所ですね。話は聞いていますよ。前回訪問された際は扉を開いた瞬間ベッドにダイブしてきたとか……」

 

 同席していた監視役が四人がかりでどうにか引き離した事も聞いている。顔を紅潮させて涎を垂らし、荒い息に目を潤ませている姿は元々の顔立ちも良いので状況が状況で無ければ相当の破壊力があった筈だ。いや、それを目撃した者達には別のベクトルで破壊力はあったが……。

 

「いやぁ、ベッドで寝込んでいたベアトちゃんを見ると我慢出来なくてつい……」

「笑えない返事ですね。全く、妹さんの爪の垢を煎じて飲んではいかがですか?」

 

 小さく溜息をするジークムント。ふと気が付いたようにレーヴェンハルト中尉の傍に置かれた空になったティーカップに目を向ける。

 

「おや、これは失礼。もし必要でしたらお代わりを入れましょうか」

「おや?良いんですか?」

「勿論ですとも」

 

 そう口にして傍らのティーポットの中身を確認した後、体を若干浮き上がらせてティーカップに薄紅色の熱い液体を注ぎ込む。

 

「いやぁ、名家たる『ゴトフリート従士家』の本家嫡男から直々に紅茶を注いでもらえるとは、何とまぁ贅沢ですねぇ!」

「それは此方も同じですよ。名家たるレーヴェンハルト家本家の長女たるエースパイロット様に紅茶を提供出来るとは光栄の至りです」

 

 互いににこやかに『御世辞』を語り合う従士達。尤も、表情は温厚で微笑んでいてもその瞳には一切の喜色が無かったが。

 

「どうぞ」

「はいどうもー」

 

 受け皿ごとジークムントが差し出すティーカップをニコニコとレーヴェンハルト中尉が受け取ろうと手を伸ばす。……それと同時だった。ティーカップを受け取ったレーヴェンハルト中尉の腕をジークムントが強い力で掴んだのは。

 

「ん?何事ですか?はっ!?まさか私見初められちゃいました!?もう君を離さない的な!?いやぁ照れますねぇ!!がつがつしたり無理矢理な人は嫌いじゃないですけどぅ。けど困りました今私は……」

「残念ながら私は愛妻家ですので」

 

 にやにやと笑みを浮かべながら捲くし立てるレーヴェンハルト中尉の声を静かに、冷淡にジークムントは遮った。そして平坦な声で続ける。

 

「……そろそろ今回は何の用で此方に来たのかお伺いしても?」

「……何の事ですかねぇ?」

「御冗談を、態々こんな日に面会しに来たら怪しみもします」

 

 ゴトフリート従士家の当主にしてジークムントやベアトリクスの『父』であるルドガーは職務でハイネセンの屋敷を空けていた。まして梅雨時で大雨も降る中、今日に限って来る理由なぞ無い筈だった。ならばそこに別の目的があると考えるべきだろう。

 

 とは言え、正面から尋ねた所で意味は無かろう。口を割る理由は彼方には無いし、だからと言って尋問する訳にもいかない。唯でさえ立場が怪しいゴトフリート従士家がほぼ同格かつ比較的中立的なレーヴェンハルト従士家本家の娘にそんな事すればどうなるかは火を見るよりも明らかだ。レーヴェンハルト中尉の行動を牽制出来る者はゴトフリート従士家にはいない。故に主家のボンボンは彼女を寄越して来たのだろう。こういう時にばかり頭が回るとは厭らしい事だ。

 

「私の立場から言わせて貰えれば余り面倒事に巻き込んで欲しくないのですがね?坊っちゃんは随分と妹に御執心のようですが、正直余り入れ込まれ過ぎても周囲からの目というものがあって此方が迷惑なのですよ。選り取りみどりなのですから他を当たってくれるように御伝え出来ませんか?」

 

 ここで一拍置いて、ジークムントはレーヴェルハルト中尉に顔を近付ける。その表情は剣呑だった。

 

「もし、それが容れられぬ時は此方も相応の手段を講じざるを得ません。我が一族の存続と伯爵家家臣団の安寧のため、どうぞ御容赦と御理解を御願いしたい」

「それって忠告ですかねぇ?」

「警告ですよ」

 

 ふっ、と小さく冷笑してジークムントは漸くレーヴェルハルト中尉の腕を離した。

 

 警告より寧ろ脅迫に近かったかも知れない。だがジークムント個人としては今の言い方でも問題ないと考えていた。知れる限りの情報では少なくとも当主代理を勤める伯爵夫人は息子の入れ込みを歓迎しないだろう。寧ろここで息子が下手な事をすればその敵意はゴトフリート従士家に向けられかねない。

 

 恐らくは何かを仕掛けて来るであろうが、家臣団の大半は伯爵夫人の息がかかっている。夫人の意に沿わぬ命令では動くまい。子飼いの食客が幾らか存在していると言うが数は知れている。その程度の者達が動いても屋敷の者達だけで対処は可能だ。

 

「……それは御当主の御意思でしょうか?」

「言う必要があるかな?」

「其方方全体の意思なら兎も角、『たかが』一個人の判断程度なら汲む必要があるかなぁ、などと愚考致しましてね?」

 

 目を細め、相手を値踏みするように不躾な視線を向けるレーヴェルハルト従士家の長女。

 

「そちらこそ、『たかが』一個人の命令ではないのかな?我らが奉仕して尽くすべきなのは個人ではなくて家だろう?」

「いやぁ、私は家に尽くしているつもりはないのですがねぇ」

「……成程、君が言うと説得力が違うね」

「貴方こそ、本来ならば『何方の血の立場でも』そのような不用意な御言葉を使うべきではない筈では?」

「その事に触れないで欲しいね、吐き気すらしてくる」

 

 互いに探りを入れるように剣呑に見つめ合う、いや睨み合う従士………だがそれも次の瞬間に奉公人の女中が扉を開き連絡に来ると終わる。

 

「御客様、御面会の準備が……ひっ!?」

「ああ、御苦労。案内をしてくれると助かる」

 

 入室した年若い女中が室内の剣呑な空気に怯えるがジークムントはソファーに戻ると足を組み淡々とそう命令を下す。一瞬迷ったような表情を作る女中であるが先程とはうって変わってニコニコとどこか弛んだ笑みを浮かべる客人を見て狼狽えながらも命令に従った。

 

「……それでは、御検討頂けたら幸いです」

「はい、お互いにとって良い結果となれば幸いですねぇ」

 

 退室間際に互いにそのように言い捨て合い、視線を交差させた。しかしそれも刹那の事で次の瞬間には柏材の扉が閉まり両者の間を遮った。

 

「これはまた皮肉なものだ。本来ならば家柄的に立場は逆が順当なのだが……」

 

 ソファーに深く沈み、先程の応酬を思い返してゴトフリート従士家の長男は呟く。これが初代ならば立場は完全に逆だった。忠誠心『だけ』で従士に取り立てられたゴトフリート家と銀河連邦軍で代々職業軍人としてコネとノウハウを有していたために引き抜かれたレーヴェルハルト家とでは本来後者こそがリアリストの集まりの筈だ。実際忠誠心が無いわけではないが彼女の実家は必ずしもジークムントの家のように盲目的で狂信的な家風ではない。

 

「何が琴線に触れたのやら……。まぁ、どの道私には理解し難い事だね。彼処まで坊っちゃんにしてやる義理がどこにあるのだか」

 

 ふと、湯気を引く紅茶を見つめながらジークムントは独白するように呟いた。それが自身が生まれた時には既に存在を必要とされず、落胆されたジークムントの本音であった。どれだけ経済的な恩恵があったとしても一族の子々孫々まで血の一滴まで『私有財産』として扱われるなぞぞっとする事実だ。まして彼処まで尽くす理由なぞある筈がない。

 

 そしてよりぞっとする事は幾つかの幸運……あるいは不運……が無ければ彼自身、それに疑問も持たずに唯々諾々として従っていたであろう事だった。

 

「『常識とは成人まで身に着けた偏見の塊である』だったか?……さて、誰の言葉だったかな?」

 

 少なくとも同盟の中央で教育を受けた者にとっては『我々』の存在は吐き気を催す存在である事は間違い無い。『自由』と『平等』、『自主』、『自律』、そして『人権』……同盟人が凡そ思い浮かべる人間にとって最重要な権利を簒奪され、喪失しながら盲目的な圧政者を崇拝し、媚び、その支配の手先となる事を進んで行う異質な存在だ。同盟では階級差別と不平等が蔓延する帝国の体制に唯々諾々と従う者達は皇帝と貴族によって無学に貶められ、洗脳され、偏見を植え付けられた被害者とする意見は根強い。

 

 同盟人が感じる程の嫌悪感がある訳ではないが、ジークムントも一歩間違えれば恐らくは実家のほかの者と同じような価値観の下に一切の疑問も持たず生きてきた事であろう。

 

 そうならなかったのは一つには当時の主家の事情から彼自身の存在が手に余り、もう一つには父が比較的同盟の文化に理解があったためだ。そのため弟が生まれた時には既にハイネセンに移住していた。同盟の自由な気風を存分に学び、同時に少しずつ自身の置かれた状況を理解した。

 

 自身の立場に幼いながらも足元が崩れ去りそうな虚無感と幻滅感を受けたのは事実だ。だがそれでも……それでも生まれた家である。必要以上に不当に扱われた訳ではないし、親元から離された理由も分かる。『両親』の愛情は決して偽りではなかったし、彼なりに先祖からの役目を果たすべきという仄かな帰属意識と使命感はまだ残っていた。そう、まだ残っていた筈なのだ。だが……。

 

「あんな仕打ちを見せられれば残滓のような忠誠心も消し飛びもしましょう」

 

 小さく嘲笑の笑みを浮かべるジークムント。自分だけなら兎も角、弟や妹の境遇を思えば残された主家への帰属意識も霧散する事請け合いだ。幼少時から忠誠心を仕込まれ、植え付けられた弟妹はそれでも盲目的に忠誠を誓うかも知れないが……少なくともジークムントからすればそれは正常なものとは思えなかった。

 

 とは言え、それを一族郎党の前で口にする訳にもいかない。言った瞬間に自身の立場が危うくなる事位理解している。今は自身の本音を口にするべきではない。今はただ嵐が去るのを待つ時だ。下手を打てば気が立っている伯爵夫人によって妹の身が、いや一族から幾人かが犠牲になりかねない訳で……。

 

「………っ!」

 

 ジークムントはふと苦い、思い出したくもない記憶が脳裏に過る。

 

 いつの記憶であろうか?幼い頃、本当に幼い子供の頃の事だ。彼は『母』に手を引かれて『鷲獅子の宮(グライフ・シュロス)』の庭園に設けられた小さな離宮から出ていく記憶だ。

 

 屋敷が急に慌ただしくなっていたのは覚えている。いつも屋敷に訪れ自身を可愛がってくれたその人が来なくなってからだ。『母』が泣いていたのを覚えている。幾人かの老貴族が『母』に何事かを詰め寄る。服の裾を掴み懇願する『母』。その結果が生まれた時から住んでいた屋敷を出ていく事だった。いや、追放と呼ぶべきか。もう、屋敷は新しい主人の物、もう『母』にも彼にも住む資格なぞ無い。

 

 そして『母』は泣く泣く実家に戻った。尤も、元々病弱であった母は心労が重なりいつの間にか消えるように……。

 

 部屋の隅で泣きじゃくっていたのを覚えている。そしてそんな彼を迎え入れてくれたのは………。

 

「……あんな思いはもう沢山です」

 

 ぎりっ、と奥歯を噛み締め、ジークムントは嘯く。そうだ、あんなのはうんざりだ。家族を失うのは……いや、奪われるのは一度きりで良い。まして妹を散々慰み者にして、追い詰めて、ましてこれ以上自身の都合を強いるならば……!

 

「流石に『相応』の対応を取りませんと、ね?」

 

 忌々しく、冷淡に、そして毅然とした覚悟を決めた表情を浮かべ呟いていた。その姿は少なくとも彼なりに一族と家族の身を案じる『兄』そのものだった……。




小ネタ
同日・ハイネセン某フェザーン人向け酒場

「おう!お前さん久し振りだな、まさかハイネセンで会うとはな。何か美味い儲け話でも見つけたか?

 俺か?ふふ、実はこれから商売しにいこうと思ってな。実は今この星に大層高貴な生まれの伯爵夫人が滞在していてな。ああ、亡命貴族様って奴よ。そこに仕入れた美術品を売りにいこうと思っているのよ。へへ、同盟の成金共は兎も角帝国の貴族様は傲慢だが審美眼は本物だ、贋作は売りに行けねぇが本物ならケチらずに大枚叩いて買ってくれるからな。

 ん?何を売りに行くかって?見て驚くなよ?何と一三日戦争以前の物品だぜ?特にこいつはかなりの一品でな、三大陸合衆国の政府要人用核シェルターの中に埋まっていたもんなんだよ。

 ん?名前知っているのかって?あたぼうよ、美術品を売りに行くんだ。名前や背景位理解出来てねぇとな!おうよ、こいつはイリヤ・レーピンとかいう画家の描いた作品でな、『イワン雷帝とその息子』って言うんだよ!」


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第百三十九話 これが自分から人望を上げて失墜させていくスタイルである

 サジタリウス腕、そして自由惑星同盟の中心地たるバーラト星系には無数の宇宙基地や人工衛星が設けられている。その大半は民間仕様であるものの、同時に首都星防衛のために少なくない軍事衛星が配備されている事も事実だ。惑星ハイネセンを囲むように配備された無人防衛衛星『アルテミスの首飾り』がその代表格であろう。

 

 だが『アルテミスの首飾り』の配備前は別の軍事衛星がその代表格を務めていた。ハイネセン衛星軌道上に設けられた長方形状の造形をした巨大な宇宙桟橋がそれである。

 

 より正確には、それは各々で大気圏突入・地上係留能力を有さない同盟宇宙軍正規艦隊の一万隻近い艦艇の収容と整備・修復を行い、更に地上との往復用に数千隻のシャトルを同時に管制し、造船ドックでは数百隻の宇宙艦艇を同時に建造出来る。それどころか医療施設や娯楽施設、補給基地に通信施設、訓練施設、弾薬の製造施設にミサイル発射機や防空レーザー、長距離ビーム砲台等を完備した高度な防衛システムを備え、各艦隊の司令部まで併設されている程だ。流石に人工惑星を丸ごと使う帝国のイゼルローン要塞やガイエスブルク要塞と比べれば半分弱の能力であるが、下手な補給基地とは隔絶した規模を誇る。

 

 そして、一つでも純軍事的に脅威となりえるそれは何と一一基も配備されている。もうすぐ完成する一二番目のそれが稼働すれば全一二基となるだろう。

 

 各同盟宇宙軍正規艦隊を係留する人工衛星型超巨大宇宙母港『オリュンポス』は、単価で言えば同盟宇宙軍にとって最大にして最高価の資産であり、『アルテミスの首飾り』と共に惑星ハイネセンを防衛する要であった。コルネリアス元帥量産帝の親征を辛くも凌いだ同盟軍が半ば狂気に駆られて建造したそれは艦隊の強力な後方支援基地であり、第一艦隊の母港でもある第一船渠『ゼウス』の建設以降改修と拡張工事を繰り返しながらハイネセンの地上基地、各種無人防衛衛星、周辺の宇宙基地と合わせて首都決戦時には宇宙艦隊を支え、平時においては各艦隊の母港として、また一部では政府行政や民間船舶の航路管制や臨検、受け入れ等の役割をも担う。

 

 そのうちの一つ、第六艦隊の母港である第六船渠『ヘルメス』の一角に見慣れぬ艦艇が入港しようとしていた。

 

 モスグリーンに塗装された一個巡航隊の帝国軍ブレーメン級巡航艦、それに『ヘルメス』の防備戦隊に厳重に護衛された大型民間クルーザーが軍港に着岸する。

 

 港内の空気は緊張していた。恐らく極秘の移動であったためであろう、入港許可を求める通信が『ヘルメス』に来た時、艦隊司令官たるロボス中将以下の主要メンバーはスパルタ市で会議に出席する事となり不在であった。故にこの場で第六艦隊の儀仗兵や軍楽隊達と共に訪問者を出迎える主な高級士官は第六宇宙軍陸戦隊司令官兼『ヘルメス』警備陸戦隊司令官レオポルド・カイル・ムーア少将と『ヘルメス』鎮守府司令官クヌート・フォン・ティルピッツ少将、『ヘルメス』港務部長アルノルト・ゴドノフ大佐の三名位のものだ。

 

「なんて事だ、この時期にあの方が此方にお見えになるとは……」

 

 数年のうちに退役して予備役編入は確実なクレルベン=ティルピッツ帝国騎士家出身の老少将は歳に似合わず項垂れて緊張に額を汗で濡らす。どうやらこれから出迎える客人をどう応対するべきか悩んでいるようであった。

 

「ロボス司令官達が居れば良かったのですが……我々では中々荷が勝ち過ぎますな」

 

 帝国士族とフェザーン人の混血であるゴドノフ大佐は同じく困り果てる。相手の立場を考えれば非礼な態度は致命傷になりかねない。だが残念ながらこの場に宮廷儀礼に精通する者は皆無であった。いや、より正確には同盟軍人の立場で最大限帝国式の儀礼を行える者、というべきか。

 

「……宜しいのですかな少将?職務中である事を盾に欠席する手もありますが」

 

 頼りなさげなティルピッツ少将の姿を一瞥した後、ゴドノフ大佐は陸戦隊司令官に尋ねる。

 

 肩幅の大きく鍛え抜かれた巨躯を有する偉丈夫、ムーア少将は憮然とした表情で問題無い事を返答する。

 

「俺はあくまで命令に基づいて部隊を貸し出したのだ。本人も危険を承知で従軍している。事後のブリーフィングでも私の過失は無い事は証明された、何を怯える必要がある?」

 

 帝国系クォーターとして四分の一帝国士族の血を引く猛将は堂々と答える。そこには一切の怯懦も疑念もない。元来帝国人街出身の混血であるために亡命政府に対する帰属意識が薄い事もあるが、第三次イゼルローン要塞攻防戦にて同盟軍で初めて要塞表面に揚陸した経歴のある自由戦士勲章受勲者に相応しい態度でもあるだろう。

 

「しかし……」

「しかしも糞もない。何を如何しろと言うのだ?何も過失が無いというのに赦しを乞えと?それこそ先祖に申し訳が無い。仮に客人が気分を害して俺を私刑にしようとしても構わん。堂々と正面から迎え撃ってやる。俺は無能者になろうとも卑怯者にはならんぞ?」

 

 鋭い眼光で正面を睨み、鼻を鳴らし、不敵な笑みを浮かべ冗談半分に答える。意味もない敵前逃亡を厭い、負傷した味方を率先して救助し、後退の際には殿を務める真の戦士は僅かの恐怖感も無いようだった。

 

「何、それにまさか俺をどうこうするために態々ここに来た訳でもあるまい。そこまで暇でも無かろうよ。俺達は唯上からの連絡通り御丁寧に歓迎して入国手続きを行うだけだ」

「やれやれ、貴方達は気楽ですな。矢面に立つのが私だからと……」

 

 腹部を摩りながらティルピッツ少将は嫌味を言う。士族階級の混血児達は気楽なものだと憤慨する。尤も、それを口にする事はない。意味が無いし、何よりその時間が無かったからだ。

 

 刹那、喇叭の音が港内に鳴り響く。着岸したクルーザーから客人の警備隊が次々と姿を現し深紅のカーペットを広げていく。同時に第六艦隊の儀仗隊が捧げ銃を行い、軍楽隊が音楽を鳴らし始めた。

 

 ティルピッツ少将以下のメンバーが要人を歓待する掛け声と共に体勢を整えて一斉に敬礼を行う。そして、それを確認したかのようにクルーザーからその人影は堂々と、鷹揚と、高慢に降りて来たのだった……。

 

 

 

 

 

 

「これはまた、我らが雇用主殿はどんな安全地帯でもお怪我をする才能があるようですな、このワルター・フォン・シェーンコップ感嘆致しました」 

「お褒めの言葉有り難く頂くよ。てめぇ、ボーナス削るぞ」

 

 雨嵐が窓から聞こえて来る。屋敷の薄暗く、そして仄かに酒精臭漂う撞球室で私はソファーに倒れ込みそう言い捨てた。おい、てめぇ何勝手にブランデー開けて楽しんでるんだよ。

 

「いちいち細かくケチな雇用主ですな。ほれ、これで誤魔化しなさい」

 

 そう言って水晶のように輝く氷と黄金色のブランデーを注いだひんやりと冷たいグラスを差し出される。渋々と私が受け取るとシェーンコップ一等帝国騎士は自身の飲みかけのそれを手に小さなテーブルを挟んで反対側の椅子に腰がけた。

 

「麻酔代わり、と言った所か。余り健康に宜しくはないな」

 

 まだちくりと地味に痛む額……正確には額の右側辺り……に包帯で留められたガーゼに触れる。流石に一日ではまだ少し痛むか……。不本意ながらブランデーを口にする。泥酔する必要はないが程よい酔いで痛覚を誤魔化すのは古今東西で良く行われる事だ。

 

「正直な話本当に誉めてはいるのですぞ?お陰様で随分とやり易くなりましたからな。まさかと思いますが……狙っていた訳ではないでしょうな?」

「おいおい、私がそんな用意周到な人間だと思うか?」

「用意周到にしても最後でヘマをして御破算する人間ではありますな」

 

 にやにやと此方を見つめる一等帝国騎士に私は憮然とした表情を向ける。こいつ、遊んでやがる。

 

「運が良いのか悪いのか……いや、悪運かね、これは?」

 

 極めて遺憾であり認めたくない事ではあるが、正直な話を言えば先日のトラブルのお陰で私としては大変動きやすくなった事実は否定出来ない。

 

 先日の騒動の結果として現在私に対する監視はかなり緩んでいる。というよりも家を取り仕切るべき代理当主……即ち母が沈黙して自室に閉じ籠ってしまったからだ。

 

 私が怪我をした件は故意というよりは衝動的な物であり、しかも狙いは私ではない殆ど事故に等しい物であった。然程大それた怪我でもない。それでも母としてはかなりのショックを受けているようであり、私が使用人達に命じて自室で『休息』を取らせたものの、それ以来室内に閉じ籠ってしまっていた。

 

「小間使いに様子を見て貰ったが相当落ち込んでいるみたいだからな………それ程私が敵対したのが辛かったのか」

「怪我させた事か、あるいはその両方か……ですかな?」

 

 続けるようにバリトンボイスが言葉を紡ぐ。

 

「過保護って笑うか?」

「呆れていないと言えば嘘になりますが、その逆に比べれば幾千倍もマシではあるのでしょうな。貴方みたいな方を前提として考えれば辛うじて理解出来る範囲ではありますしね」

 

 前世の基準では過保護で過干渉な嫌いもあるが門閥貴族の、しかも私の立場とこれまでの所業を思えば母のそれは必ずしもやり過ぎという訳ではない。『貴族』という立場で見た場合善良な人である。尤も、だからこそ質が悪いのだが……。

 

「もっと穏便に話し合う事が出来れば最善ではあるのだがな……」

 

 心労から来るのか怪我から来るのか、仄かに疼くような頭痛を感じて私は再度手元のグラスを呷る。灼熱の液体が喉から食道に、そして胃へと向かい身体全体を火照らせ、その感覚を鈍らせるのを自覚する。

 

「それが難しいからこその強硬策でしょう?若様とてこれまで話し合いをして来なかった訳ではない筈ですが?」

「分かってはいる。しかし分かっていても後悔や罪悪感は消えんさ」

 

 生まれた時からの付き合いだ。何だかんだ言っても母の価値観は理解しているし、目上相手でなければ簡単に自身の意見を変える人でもない。私に対してに至っては甘く、優しいが同時にいつまでも過保護で子供として扱う人だ。生まれ持っての特権意識も合わさり説得は困難を極める。ましてや軍への復帰を許可するとは思えない。かといって銃口を突き付けて脅す訳にもいかないし(そもそもそれすら効果を期待出来るか怪しい)、だったら戦うよりも逃げる方が合理的だ。

 

「そっちの首尾はどうなってる?」

「人と備品は用意出来ました。後は移動して全てが上手く行くのを祈るのみですね。何事もなくスムーズにいけば一番ではありますが」

 

 危険手当は弾んで頂きたいものですね、そう言って肩を竦ませる不良士官である。

 

「それくらいは払う。寧ろ備品の方が私としては問題だ。アレで貯金の四割消えたんだぞ?壊してくれるなよ?転売して少しでも元金取り戻したいんでね」

 

 この期に及んで金についてせびる忠臣に嫌味半分にそう答えてやる。全く持って私は部下に恵まれているね!ん?皮肉に決まってるだろが!

 

「………」

 

 内心で二分程悪口を言いまくった後、一旦落ち着くと、手元のグラスを見つめながらふと目の前の帝国騎士にとって私の行いはどう映るのだろうかという疑問が頭に浮かんでいた。

 

 確か幼少期に祖父母に連れられてフェザーン経由で亡命していた筈だ。両親との記憶は殆どあるまい。別世界における彼は兎も角、少なくともこの世界線においては古き良き帝国騎士の気風を受け継いだ家族思いの愛妻家だ。そこに家族恋しさの深層心理が無いとも限らない。誰だって本当の意味で根無し草にはなれないし、心の拠り所は多い方が幸福だ。

 

 更に言えば実の所私の行いは婚約者や付き人と言った周囲にも迷惑をかける事だ。いや、父や大叔父からの認可は受けているとは言えもっと大きな、『ティルピッツ伯爵家』全体から見ても私の行いは余り褒められる事ではない。

 

 そもそもな話、帝国の価値観で考えれば私が仕出かそうとしている事は門閥貴族としては落第だ。門閥貴族にとっての『公益』は必ずしも国家のためのものとは限らない。彼らにとっての『公益』は一族と家臣団、領地と領民の利益を守り、拡大する事だ。銀河連邦末期の中央政府の搾取と無責任の果てに見捨てられ荒廃した地方に赴任した諸侯達は領民を厳しく統制する鞭を振るったが同時に中央政府に地方の要求を伝え認めさせる飴を与える事が務めであった。中央に逆らう事が『公益』であったとすら言える。そしてその特性上門閥貴族にとって『公益』と『私益』は表裏一体だ。

 

 その面で考えれば一見『ティルピッツ伯爵家』よりも『自由惑星同盟』のために動こうとしている私……少なくとも外面ではそう見えるだろう……は確かにとんだ放蕩者にも見えよう。

 

 母から見れば散々甘やかしてやったのに裏切られるのだ。随分と親不孝な息子な事だろう。少なくともシェーンコップにとっては私は自身と違い幼い頃から愛情を精神的にも物質的にも散々与えられてきた坊っちゃんだ。そんな私が実の母親に心労と迷惑をかけるような計画を立てている事に対してどう感じているのだろうかと疑問を抱いてしまう。

 

 ……とは言えその疑念を口にはしない。ここに来て態々軋轢の元を作る必要なんてない。無用な詮索なぞすべきではなかろう。少なくとも彼はプロだ、思う事はあろうとも仕事は全うしてくれる、それで良いではないか……私は半ば無理矢理自分を納得させる。

 

「……済まない。お代わり貰えるかな?」

 

 水滴で濡れ始めていたグラスの中身を全て飲み切った私はそう頼み込む。本当なら今後のために母と妹に書置きを残していくべきなのだろうが……この先に待ち受ける気苦労を思い、それから一時的でも目を逸らすために今は酒精の力が欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「失敗しました……」

 

 少女は与えられた客室に戻って以降、ずっと天蓋付きのベッドに倒れこみ青ざめていた。

 

「御嬢様……お身体に障ります。御気持ちは分かりますが少しでも食事をお取り下さいませ」

 

 傍に控える中年の女中が恐る恐ると提案する。その背後に控える数名の若い少女共々グラティアが実家から連れて来た使用人達は不安げに自身の主人を見やる。先日の昼にあった騒動以来既に日を跨ぎ次の日の夕方頃……既に丸一日以上が過ぎていた。

 

 本来ならば客人を招いて食事をするのを伯爵夫人が臥せってしまい各自が用意された食事を自室か食堂で摂るようにティルピッツ伯爵家の執事から要請されていた。とは言え、壮絶な失態を演じた彼女に食欲なぞ最早一欠けらとして存在していなかったのだが……。

 

「食欲なんてもう無いわ。もう駄目……もう終わりよ……こんな………」

 

 わなわなと震える声で呻きながらベッドの布団を被るグラティア。その姿は大人びた品格ある門閥貴族令嬢の面影は殆ど見えず、年相応に現実に打ちのめされた少女そのものであった。

 

 どこがいけなかったのか?どこで間違えたのか?こんな筈では無かったのに!唯自身の夫になる人の見舞いに行き、次いで義母となる筈の伯爵夫人に挨拶し、機嫌取りをするだけだったのだ。それが蓋を開けてみれば機嫌取りをするどころかあそこまで明確に敵視されるなんて!!

 

「うぅ……どうしたらいいの……?」

 

 グラティアは消え入りそうな声で呟いた。本当にどうしてこんな事になってしまったのか……?

 

 正直な話婚約が決まった際に蟠りや戸惑いが無かった訳ではない。寧ろ祖父や母から最初にその話を聞かされた時点で不安で一杯だった。

 

 嘘か真かは真偽はつかなかったが散々に問題児で変わり者である話は聞いていたし、事ある事に実家を悪しく口にする事から彼女と彼女の一族にも好印象を抱いていないであろうとは思っていた。

 

 無論、それでも婚約が決まった以上は好き嫌いの問題ではない。既に彼方の当主等から具体的な話を持ち掛けられているのは聞いていたし、それが一族のためである事も聞いていた。

 

 ならば自身に選択肢なぞ元からある訳がない。家のために『良き伯爵夫人』になるだけだ。例えどれだけ嫌われていようとも品のある佇まいに愛想の笑みを浮かべて妻としての役割を果たすのが門閥貴族の令嬢に生まれた以上果たすべき義務だった。

 

 互いに形式ばかりを重んじた手紙のやり取りに面会、グラティアはそこで婚約者が宮中の礼儀を弁えた紳士である事は知る事が出来た。しかしそれだけだ。寧ろ本音を見せない様は……お互い様ではあるが……心を開いてくれない事を意味していたし、礼儀を弁えている事が分かるからこそ敢えて噂になるのを理解した上で実家を悪しく言う事実に恐怖していた。それだけ敵視していると思うのが当然だし、仮に結婚したとしてもその後どのような生活が待っているのか考えれば身が竦む思いだった。

 

 ある出征から帰り後方勤務となった婚約者との食事会、そしてその後に婚約者の職場で巻き込まれた事件で彼女の認識は少しだけ変わった。決して完全に心を開いた訳では無かっただろう。しかし自身の失態や危険に際して……政略的理由があった可能性があろうとも……身を挺して庇ったその姿に少なくともグラティアは自身の夫となる相手に借りが出来たし、彼女をぞんざいに使い捨てるような性格ではないと思えた。

 

 エル・ファシルでの従軍で重傷を受けた知らせを聞いた時にはその事もあり内心では必要以上に狼狽していた。少なくとも完全に政略のためだけの結婚相手として割り切れない程度には情はあったのだろう。だから一早く見舞いの手紙も出した。随分と長く返信を待たされる事になったが。

 

 今更のように招待された事に思う所が無かった訳ではない。夫になる伯世子の療養する屋敷に親戚や上官が相次いで見舞いに来ている事は聞いていた。それらが粗方終わった後の招待である。それが意味する事は理解出来る。それでも元より上下関係は分かり切っていた事だ。食事会や職場での態度と貴族の社交界での態度は別というのは可笑しい事ではない。若干の失望はあったが幻滅する程の事でも無かった。最悪、愛が無くても結婚は出来るのだから。

 

 だが……計算違いだった。いや、前提条件が違っていたのだ。身構えていたよりも夫となる人物は高圧的でもなく、寧ろ謝意を伝え此方を気遣ってくれた。以前ハイネセン南部で会った時の態度は演技でも幻想でもない事を再認識する事が出来た。そして心労と心配の何割かは解消されたと思った矢先に……。

 

「………前提条件が間違っていました」

 

 そう、寧ろ本当の彼女の課題は………。

 

「あそこまで敵視されているのは予想外でしたが……」

 

 家柄から見てかなり貴意の強い人物であるとは理解していた。圧力を受けて『躾』をされる事自体も想定は可能だったが……流石にあそこまで憎まれているとまでは思い至らなかった。

 

(それだけ家族愛の強い御方であるのでしょうが……)

 

 貴族の女性としては愛情の深い人物であるとは聞いていたが………政略最優先の祖父に比べれば大違いだ。

 

 まして先日の……結果論ではあるが自分が義母と夫の関係を拗らせる原因となってしまった。義母は勿論であるが、夫や義妹、他の一族の者達からもどのように見られる事になるか……。

 

 唯でさえティルピッツ伯爵家の前代の頃は当主と次期当主の間で険悪な関係だったと聞く。伯爵家の長老たる軍務尚書からすれば不安要素は可能な限り排除したいだろう。元々敢えてティルピッツ伯爵家がケッテラー伯爵家との婚姻に賛同したのは宮中の勢力均衡もあるが立場上煮るなり焼くなり好きにしやすいために後々トラブルが生じても処理が簡単だからと軍務尚書や隠居した前当主夫人が判断したからとか……。

 

「……!!」

 

 ぞわり、と身体が震える。そうだ、上下関係は分かりきっているのだ。祖父の頑迷さと執着心を思えば嫁ぎ先で何かあればこれ幸いに口出ししようとするだろう。しかし相手は『あの』軍務尚書である。彼女の存在が害悪になれば最悪命すら危うい。

 

「はぁ、どうしてこんな事ばかり………」

 

 グラティアは苦悩にその美貌を歪ませる。彼女は自身の巡り合わせの悪さに嫌気すら感じていた。

 

 うちひしがれ、絶望する主人を見て付き添いの使用人達もまた暗い面持ちを浮かべる。彼女達も目の前のまだ成人もしていないしていない主君がとれだけの物を背負い、そして苦悩しているのかを良く理解していた。そしてそれに対して殆ど手助けが出来ない事も……一族と領地のために身を削る少女に同情しない者なぞこの場にはいない。

 

 重苦しい空気が室内に充満する中、部屋をノックする音が響く。

 

「……私が参ります」

 

 一人の女中が名乗り上げてそそくさと応対に向かった。こんな時に誰が何の用か、そんな苛立ちすら使用人達の間では立ち込めていた。

 

「何用で御座いましょうか……っ!?し、少々お待ち下さいませ!!」

 

 重厚な扉を開けて慇懃無礼にそう答えた女中はしかし、次の瞬間には悲鳴に似た声を上げてそう要望し、急ぎ足で室内に飛び込んだ。明らかに使用人は動転していた。

 

「何事ですか!栄えある伯爵家の女中がそのような慌てぶりなぞはしたない!」

 

 憤慨するように使用人の長がその若い女中を糾弾する。先日の件に続きこの様ではケッテラー伯爵家の恥を晒す事に等しい。

 

「で、ですがっ……!」

 

 女中が驚愕と動揺と共に訪問者の名前を口にする。その次の瞬間にはベッドから伯爵令嬢が飛び起きて、同じく使用人達が水を打ったからのように出迎えのための主人の身支度を始めていた……。

 

 

 

 

 

 

 

「昨日はお見苦しい所を御見せしてしまい申し訳御座いません。母は決して悪い人ではないのですが……貴意が高くて世話好き過ぎる所がありましてね。改めて私の方から謝罪させて頂きます」

「承知しております。気にはしておりませんわ」

 

 屋敷の廊下を歩みながらグラティアは疲れきった心を奮い立たせ、必死に笑みを形作り先導する青年貴族の言葉に答える。正確には気にしていない訳ではないが彼女からすれば下手な事を口にする事が出来ないと言える。

 

「私の方こそ……その御怪我の具合はどうですか?それに……伯爵夫人の方は……?」

 

 恐る恐るとグラティアは尋ねる。その視線はこめかみのガーゼに向けられている。

 

「ああ、私の方はお気になさらず。全く自慢になりませんが、この程度ならば戦傷の内に入らない位ですよ。何方かと言えば母の方が課題なのですが……こればかりは時間が解決してくれるのを待つしかありませんね」

 

 苦笑気味に答える青年貴族。そこには自嘲と苦渋の色が僅かに見て取れた。同時にこれ以上立ち入るべきでは無いとも判断する。だからこそグラティアは話を変えて別の質問へと移る。

 

「そうですか……旦那様、今一つお尋ねしても宜しいでしょうか?」

「えぇ、勿論ですとも。何でしょうか?」

「何故そのような出で立ちなのでしょうか?」

 

 僅かに強い口調で、そして追及するように、糾弾するようにグラティアは尋ねた。

 

 目の前の青年貴族の服装は明らかに室内で着こなすものではなかった。防水加工をした外套に帽子、その下に僅かに見え隠れするのは自由惑星同盟軍の士官軍装であると思われた。

 

「……ここから御出に?」

 

 取り繕っても尚少し震える声は尋ねるというよりは確認に近かった。そして僅かな疑念と非難の感情が乗せられていた。

 

「……散歩ですよ」

「外は雨嵐で御座いますが?何時頃お戻りになられるのでしょうか?警護は手配為されましたか?」

「………」

「お答え出来ませんか?」

 

 不満と不安を綯い交ぜにした視線が伯世子を射抜く。

 

「……御分かりと思いますが誤魔化した訳ではありませんよ?」

「存じております」

 

 流石にグラティアも今の天気にこのような出で立ちで唯の散歩と言われて騙される程愚かで世間知らずではないし、目の前の婚約者が自身をそこまで過少評価していない事位は理解している。

 

「……何故この時期にそのような事を為さるのでしょうか?」

 

 一見淑やかに、下手に出るように、しかしその言葉の隅に棘を含んでいた。見る者が見れば裁判の被告を問い詰めている検事のようにも見えたかも知れない。

 

 しかしそこはグラティアにも言い分はある。本来ならば婚約者と母との間で確執が生じているのだ。最終的に嫁ぐ側の婚約者が全面降伏するのは既定の路線としても、その仲介と仲裁位は当の本人が自ら申し出ていたのだ、してくれても良い筈だ。それを自身で口にしていながらトラブルが生じた途端に夜逃げとばかりに出ていくなぞ有り得ない行動ではないか!

 

「それは理解しています。私もまさかこのような事態になるとは思わず……」

 

 元々予定されていた事であると弁護、いや言い訳をする伯世子。

 

「このような事にならずとも私の滞在中にどこぞに御行になろうとしていた事については今は追及は致しません。ですが……その予定は変更は出来ないのですか?」

「こう言っては厚かましいのですが、それが出来れば苦労は致しません。私用ではなくある種の公務ですから。それに私個人としてもやらねばならぬ内容でもあります」

「……内容について教えては……頂けませんでしょうね?」

「……申し訳御座いません」

 

 公務、そして出で立ちから見てそれが恐らくは自由惑星同盟軍人としてのものである事は間違いない。話では義母に軍務から遠ざけられていると聞いているが……どうやら本人はそれに従うつもりはないようだった。

 

「母の御気持ちは分かります。本来ならば粘り強く話し合う方が良いのでしょうが……あの人は頑固ですから。それに、私としても然程長々しく交渉を出来る時間も立場もありません」

「しかしそれだけ夫人が旦那様の事を御心配しているのでしょう?」

「まぁ、そうなのですが……」

 

 少し迷うような素振りをして、しかし目の前の青年貴族は一度だけ自身の母が閉じ籠る部屋の方向を見つめ、視線を正面に戻してから再度口を開く。

 

「ですが……時として親不孝と分かっていてもやらなければならぬ事もあります。それが家族や故国のためならば尚更です。理解されずともやらなければなりません。無論……」

 

 一階広間に続く二階の大階段前に出ると青年貴族は首だけをグラティアに向けて補足する。

 

「無論、その家族の中には貴女も含まれていますし、同時に貴女の故郷のためにもなると私は考えております」

 

 証拠の提示は出来ませんが、と最後に気まずそうに続ける。

 

「………」

 

 グラティアはすぐに答えず、その『言い訳』を吟味し、噛み砕き、熟考して、怪訝な表情を浮かべて尋ねる。

 

「そのためにここから離れたい、と?」

「はい、貴女を置いていく事になります。貴女を危険な場所に連れ出す訳にも行きませんし、置いていかざるを得ません。世間からは婚約者から逃げられた、等と悪い噂を口にする者も出て来るかも知れませんね」

「………」

「諸々の問題の始末は私が付けさせてもらいます。貴女に責任が向かないように手配します。母との事については私も保護者を手配しておいたのでその人に頼って欲しい。貴女と貴女の家が恥をかくような真似はさせません。信じて欲しい」

 

 広間の階段を下りながら震える声で婚約者は語る。

 

「信じる、ですか」

「私なんぞが口にしても信用出来ないでしょうが……」

「いえ、そんな事は……!」

 

 グラティアは必死に否定する、が彼女の婚約者は自虐的な笑みを浮かべる。

 

「いえ、私の言葉を疑うのは当然の事です。貴女には余り会う事も出来ないのに御迷惑ばかりかけて心苦しい限りですね」

 

 グラティアはその自身の婚約者の言葉が心からの本音である事に気付いていた。彼女は婚約者が自身に向ける視線に謝罪の色しかない事を知覚していたからだ。それは生まれながら様々な不躾な視線で見られ続けていた彼女だから気付けた事かも知れない。

 

「………私としてもこのような事態に巻き込む事は筋違いだと考えています。貴女の立場を思えば控えるべきだとも思う。だが……すみません。どうしても私には今やらなければならない事があるのです」

 

 そこで一目の前の婚約者は一旦言葉を切り、苦渋と苦悩に彩られた苦い表情を浮かべる。そして一階広間に降り切った所で足を止めて振り向く。

 

「だから貴女にこれから行う非礼を許して欲しい。……いや、許さなくても良い。非礼な行いによる被害は私の力及ぶ限り清算させて欲しい。唯……恨むのなら家族ではなく私だけを恨んで欲しい、そして清算するまでの時間が欲しいのです」

 

 歯切れ悪そうに、しかし怯えの色を含みつつ自身の目を見据えて語る婚約者の姿にグラティアは内心で意外にも反発よりも好感を感じていた。無論、抽象的な説明であるが故に内容が分かりにくい事も理由ではある。だがそれ以上に婚約者が彼女と目を合わせても逃げようともせずまっすぐ、真摯に向き合っている所は悪く無かった。それに……。

 

(……少し可愛い所があるのですね)

 

 言葉の節々に感じ取れる怯えの感情。目の前で説明をする彼は幾度も激しい戦場で軍功を挙げ、勲章を授与されるような気性の荒い人物である筈だ。しかしそんな彼が自身と口を聞く時に内容を加味しても緊張気味に語るその姿をグラティアは非礼を承知で、場にそぐわない感情であると理解しつつもどこか初々しく、可愛らしくも思えていた。

 

「………」

 

 とは言え、グラティアとしても感情と理性は別物だ。こんな状況で婚約者が屋敷を出ていきたい、等と口にすれば彼女の立場からすればその場で快諾なぞ出来よう筈もない。寧ろ絶対に止めなければならない立場であった。

 

「……態々説明をする必要があるのですか?そのつもりになれば私なぞに教える必要も無いでしょうに」

 

 グラティアは疑問をぶつける。成程、婚約者が義母の意志に反する行いをしようとしているらしい。その過程でグラティアも被害を被るようだ。そこまでは良い。だが、それを何故態々自身に説明する?

 

 既にティルピッツ伯爵家とケッテラー伯爵家の立場は目の前の婚約者も分かり切っている筈だ。どれだけ貶されようと、嘲笑されようと、無碍にされようと彼女は下僕の如く従う以外の道はない。それだけの力の差が生まれているのだ。この場で言いにくそうに説明しなくても無断で出ていこうとも何の問題があろう、無意味どころか目の前の婚約者にとって不利益でしかないのではないか?いや、それどころかここで聞かせる事自体何かを企んでいるのではないか?自身はその出汁にされているのではないか?

 

「む?あー…、そういう解釈も出来るか……」

 

 グラティアの瞳に浮かんだ疑念と不安を察したのか、婚約者は苦い顔を浮かべる。

 

「そう、だな。……まぁ、確かにそれでも構わなくもないが……貴女としてはそれも困りましょう?」

「はい、この時期にいきなりそのような事をなされれば……ですが旦那様にとっては避けられない事なのでしょう?」

「その通りです。仮に貴女が泣いても、あるいは脅しても、母に告げ口しようとも、私の行動は変わりません」

「ではなぜ……」

 

 必要もないのに説明した……?

 

「それは……まぁ、自己満足と言えばそれまでなんでしょう。親の事情とは言え婚約した間柄です。そして私は貴女に負い目が幾つもある。どの道傷つける事になるとしてもよりマシな物を選びたい。私が緊張して腹痛を催す位は当然の報いですから」

 

 未来の夫はそう言って笑みを浮かべる。微笑んではいるが、見る者が見ればそれは無理矢理のものであると分かる。手と足元を見れば外套の隙間から僅かに震えているのが確認出来た。それが彼女が向けるであろう敵意に対して身構えているためだとすぐにグラティアは理解した。

 

「罵倒を受けるのを待っている、と?」

「必要ならばそれ位は受けても良いと思っています。それとも平手打ちが良いかな?」

 

 周囲を確認して今ならおやりになっても大丈夫そうだ、と補足する。

 

「成程………そういう事ですか」

 

 グラティアは小さく呟いた後、俯きながらゆっくりと記憶を反芻した。そして考える。目の前の婚約者がどういう人物であるのかを……。

 

(何とまぁ、チグハグと言うべきか物好きと言いますか……)

 

 軍歴と勲功から見て好戦的で無謀な人物であるのは間違い無い。人を好き嫌いする程偏見や拘りは無いのかも知れないが、従士の事を思えば執着的で頑固な人物なのかも知れない。その癖不用意に誤解を受ける行動を行う程に軽挙だ。

 

(ですが……)

 

 グラティアが思い返すのは食事会の時の記憶であり、捕虜収容所の時の記憶であり、四阿で謝罪を受けた時の記憶であり、何よりも先日の事件の記憶だ。咄嗟に庇われて目の前の男性がこめかみに傷を負った記憶だ。

 

 確かに軽率だ、不用意だ、不注意な人物だ。だが少なくとも自身のために、圧倒的な上下関係のある自分のために血を流す覚悟がある人ではあるのだろう。恥を忍んで謝罪する覚悟はあるのだろう。自分を……自分の事を慮ってはくれているのだろう。

 

(嫌ってはいないんでしょう……?)

 

 それが相手に向けてか、それとも自分自身への問いかけか、グラティアは自身でも判断をしかねた。兎も角も、彼女の答えは決まっている。

 

「……旦那様の御気持ちは分かりました。実にふざけた物言いで御座いますね」

 

 きっ、と睨みつけるように鋭い視線を向けられて僅かに動揺する婚約者の姿をグラティアは可笑しく思う。戦場ではもっと鋭く禍々しい殺意を向けられた事もあるだろうに、成人もしていない小娘の弱弱しい視線に怖気づく姿はどこか滑稽に思えてしまった。

 

「分かってはおりますが手厳しいですね」

「当然で御座います。幾ら私の立場が人身御供とは言え、ここまで侮辱を受ける謂れはありません」

 

 気まずそうにしつつも、しかし目の前の婚約者は視線を逸らさずに聞き続ける。

 

「本当に屈辱です。恥辱です。旦那様、残される私の御気持ちが分かりますか?あのような事が起きた屋敷で奇異の視線を向けられて耐え続け、阿る立場の気持ちが御分かりになられますか!?」

「………」

 

 伯爵家の嫡男は一言も口にしない。だが決して無視している訳でもない事はその瞳を見れば分かる。唯ひたすら謙虚に聞き入る。だからだろうか?グラティアは自分自身でも驚く程に本音を吐露していた。

 

「私も我儘なぞ申しません、武門の貴族の娘ですもの。道具であり人質です。理不尽には慣れております。ですが、昨日今日に謝罪の御言葉を頂きその舌の根も乾かぬうちに御見捨てになられると言われれば御恨みもしたくなります」

「うっ……」

 

 言葉通り恨みがましい視線を向ければ居心地悪げな表情を浮かべる婚約者。しかしそこに彼女への敵意は皆無だった。だからこそ、彼女は続ける。

 

「ですから私は旦那様を信じます」

「……え?」

 

 目を丸くして心底意外そうに驚く青年貴族を見やり、グラティアは内心で小さく笑ってしまった。やはり聞き入り、読み込んだ軍歴や噂との落差が大き過ぎるのだ。だが……だからこそこれが素の姿だと彼女には思えた。

 

「四阿で昼食を御馳走になった際も御伝えした筈です。私は諸侯の、ティルピッツ伯爵家の妻となる身、そうであれば例え最後の唯一人となろうとも主人を信じ、御支えせねばなりません」

 

 グラティアはそこで漸く剣呑な表情を消して微笑む。

 

「旦那様が頑なに行かねばならないと仰るのならば、それは即ち本当にそうせねばならぬ事と言う事でしょう?ならば……旦那様が恥を忍んで誠意を御見せくださった以上、それを信じ、答えるのが妻としての当然の務めで御座います」

 

 そしてドレスの裾を掴み、彼女は優美に答える。

 

「どうぞ行ってらっしゃいませ旦那様。妻となる身として、旦那様の武運長久をお祈り致します」

 

 その振る舞いは間違いなく、武門貴族に嫁ぐ令嬢のそれであった。

 

 

 

 

 

「それはそうと、旦那様はどのように私の立場を保証してくださるのですか?」

「えっ……?あ、あぁそうです。それを伝えなければなりませんね」

 

 私は一瞬目の前の婚約者の堂々として、凛々しく覚悟を決めた姿に見惚れていた。それ故に次に来た言葉への反応が一瞬遅れる。慌てて我に返った私は平静を装った。

 

「そうですね、一つは先程も触れましたが今日か明日にでも貴方を保護してくれる後ろ楯が来る手筈です。後もう一つは……その前に確認致しますが少々貴女には負担をかける事になりますが構いませんか?」

「武門貴族の娘に二言は御座いませんわ」

 

 僅かに不機嫌そうにグラティア嬢は宣言する。

 

「これは失礼。ではまずは準備から」

 

 そう口にして私は懐から呼び鈴を取り出し盛大に鳴らす。少々やり過ぎな程度鳴らし続ければ廊下の奥からそそくさと家政婦長が数名の使用人を連れて参上する。

 

「御待たせ致しました若様。ただいま参りました。……何用で御座いましょうか?」

 

 ちらりとグラティア嬢の姿と私の出で立ちを見て怪訝な表情を浮かべる家政婦長は、しかし頭を下げて申し出る。

 

「まぁな、少し用事でね。……あぁそうだ、ケッテラー伯爵家の使用人もいる筈だな?何名か呼んでくれるかな?」

「……?分かりました。ケッテラー伯爵令嬢様、宜しいでしょうか?」

 

 家政婦長がグラティア嬢に許可を求める。ティルピッツ家とケッテラー家の上下関係は分かり切った事とは言え、流石に他所の家の使用人を相手側の許可なく呼び寄せる程ぞんざいに扱う訳にはいかない。グラティア嬢の許可を得た上で家政婦長が部下に呼び寄せさせる。

 

「……旦那様?一体何を行う御積もりなのですか?」

 

 私の行動の意味を理解出来ないのだろう、困惑気味に婚約者は尋ねる。私の行動がどう自身の立場を保証するのか?そう考えるのは当然だ。

 

「うん?あぁ、こうするんだよ」

 

 そう言って私は平然と、堂々と、飄々とした演技で目の前にいた少女を抱き寄せた。さて、覚悟を決める、か。

 

「えっ?」

 

 何事か分からずにそう声を漏らした伯爵令嬢の言葉は、しかし続かなかった。まぁ当然であろう、いきなり口を塞がれていればねぇ?

 

「お嬢様?何事でしょ……」

 

 ケッテラー伯爵家の使用人達がグラティア嬢の姿を見て呼ばれた理由を尋ねようとして凍り付く。それは近くで控えていたティルピッツ伯爵家の家政婦長や使用人も同様であった。

 

 それは口づけとしては決して深いものではなかった。舌を入れる訳でもない唇同士を軽く合わせるだけのライトキスに過ぎない。とは言え、手の甲や頬へのそれとは全く意味が異なる。

 

 即ちそれは『傷物』にした訳であり、同時にそれを婚前に行うという意味は……。

 

「若様っ……!!?」

 

 家政婦長が唖然とした表情で叫ぶ。だが私はその声に反応せずに(自分でも驚く程に)冷静に周囲を観察する。

 

(これだけ証人がいれば十分だな)

 

 我が家の使用人達だけでは口裏を合わされる危険があるので婚約者の実家側の証人も欲しかった。この分だと揉み消される事はあるまい。……私の醜聞がまた増えそうだけど。

 

 何秒程唇を合わせていたのか、私は漸く顔を引く。目の前には何をされたのか分からないとばかりに茫然とした表情をする年相応の少女がいた。その頬は赤く染まり、その瞳は混乱し、動揺に揺れている。

 

「な、なにを……」

「申し訳ありません、これが貴女の立場を考えると一番確実でしたから」

 

 私は周囲に聞かれぬよう耳元で囁くように謝罪する。正直恥ずかしいのは私も同様であるがこういう時だけでも強がらないと情けないので我慢せねばならない。

 

「あ…うあ……」

 

 譫言のようにそう口をぱくぱくとさせる婚約者。恐らく私の言葉は殆ど入ってきていないと思われた。仕方あるまい。パニックになり足に力が入っていない程だ。私が腰を抱えて支えなければ床に倒れ込んでしまうだろう。

 

 尤も、彼女の身体は(正直驚いたが)羽毛のように軽いので然程負担ではないが。

 

「誰か、彼女を支えてあげてくれないか?」

 

 私の言葉に第一に反応したのはケッテラー伯爵家から来ていた使用人達だった。私から奪うように婚約者を抱え込み守るように距離を取る。彼女達の視線には明らかな敵意と侮蔑が含まれていた。まるで獣でも見るかのような眼光である。あーうん、覚悟していたけどかなりキツい。

 

「それでは失礼。彼女は御疲れのようだから客室でお休み頂くと宜しいでしょう。私は気晴らしに少し『散歩』にでも行かせてもらいます」

 

 そう言って(外見上は)飄々とした態度を取る私はケッテラー伯爵家の使用人達が叫ぶ余り愉快ではない言葉を無視して踵を返し屋敷の正面玄関に歩みを進める。

 

「若様っ!?一体……何てことを……!!」

 

 おろおろする実家の使用人達の中で唯一、家政婦長が私の傍に駆け寄り追及を行う。その顔は信じられないとばかりに驚愕していた。唯でさえ門閥貴族同士、しかも特に古い価値観の住民である彼女の衝撃は人一倍であろう。

 

「あー、その場の気分?」

「気分……なんて……そんな……」

 

 愕然とした表情でこれまた口をぱくぱくと開く家政婦長。うん、色々ごめんなさい。

 

「余り追及してくれるな。あぁ、彼女達への応対は丁重に頼むよ?……なぁに、今日か明日にでも私の火遊びの後始末をしてくれる方が御来訪なされるのでその御方に全て投げてくれ」

「後始末、ですか?………まさか!?」

 

 家政婦長は暫しの逡巡の後、最後の私の言葉の意味を理解して叫ぶ。よしよしどんどん驚いてくれ。他の事で一杯になって私を引き留めようなんて頭から抜け落ちてくれ。

 

「そう言う事だ、大変だろうが……まぁ、頼むよ?」

 

 私は驚きに茫然とする家政婦長にそう命令し、早歩きで未だ大雨の降る夜道に、当然のような態度で出ていったのだった……。




冒頭の宇宙桟橋はノイエ版のものを念頭にしております。
藤崎版では軌道エレベーターがあるようですがこの世界線では採用はしておりません。


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第百四十話 吊り橋効果は広義における洗脳だと思う

「愛する人の欠点を愛する事の出来ない者は、真に愛しているとは言えない」
                 ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ




自由惑星同盟において、人は生まれながらにして自由で平等であると言われているが、少なくとも彼女はそのような言葉を信じない。彼女の一族は先祖代々『私有資産』であり、その一切合切の存在意義は生まれながらにして既定されているからだ。

 

 別に珍しくない事だ。そもそも銀河帝国であれば真の意味での自由人は皇族と諸侯だけである。それ以外の存在……下級貴族も平民も農奴も奴隷も自治領民も、全てが社会を回す歯車に過ぎない。

 

 考える必要はない。唯整然と、変わらず、唯々諾々と与えられた命令に従い、与えられた役割を演じていれば良いのだ。無知蒙昧にして軽挙妄動の輩が我欲のままに生きれば、そこに生まれるのは互いが互いの利己のために憎み合い相争い続ける万人の万人に対する闘争しかない。教養と使命感に燃え、かつ『公益』を尊び同胞意識に富んだ帝室と諸侯だけが物事を考えれば良いのだ。それこそが社会の安定と発展に資する。開祖ルドルフ大帝の……長い月日の中でその意味を歪められた……遺訓である。

 

 故に従士家と言う帝国社会の下位エリートに生まれた彼女の人生もまた、彼女を産んでからすぐに逝去した母親同様に、主家への奉仕と一族の繁栄のための道具であり礎に過ぎない。そこに個人の自由意思が介在する必要は無いし、疑問を持つ必要もまた一切存在しない。末端の末席なら兎も角、本家の一人娘である。その資産的価値は高価かつ重要であり、数百数千の一族と家臣のために人柱になるのは余りにも当然の義務である。

 

 ……とは言えそれは建前だ。どのようなイデオロギーを並べ立てようとも人間は所詮人間に過ぎない。生まれながらにしてそのような存在になれるならそもそも銀河連邦末期の混乱と無秩序なぞ起こり得ない。人間とはある意味で蟻や蜂等の下等生物にすら劣るような浅ましく、貪欲で、高慢で、自堕落で、欠陥だらけの社会性動物なのだ。故に大帝陛下の理想とする整然かつ健全的な秩序ある社会の実現のためには欲望に満ちた獣を教化する教育が不可欠である。

 

 彼女もまた一族に生まれた瞬間から教育を受け続けた。主家を信奉し、一族を愛で、先祖を敬い、帝室を崇拝し、大神の教えを信仰する。そこに余計な価値観が介在する余地は一切ない。そして幼い子供にとって周囲の世界が全てであり、周囲の大人の言葉は絶対である。帝国建国までの歴史にルドルフ大帝の思想、オーディン教の戒律に主家と一族の連綿と続く繋がりを真摯に学んだ。

 

 それはあるいは一般的な同盟人やフェザーン人にとっては到底教育とも呼べない代物であったかも知れない。思想と偏見と信仰と忠誠心の植え付けであり暗示であり矯正であり全体主義的な洗脳と言えた。自由主義的に育てられた長兄と違い、彼女は初代から続く典型的な一族の狂信を受け継いだ。

 

 唯一の救いは当時の彼女が所詮子供であった事か。どれだけ偏見に凝り固まった教育を受けようとも子供の理解力には限界がある。

 

 しかも彼女の忠誠を誓うべき対象は未だ言葉や文字としてしか知らず、形あるものとして一目目にする事すら無かった。それ故に当時の彼女のそれは忠誠心と呼ぶには拙く、あやふやで、はっきりしないものでしかなかった。

 

 それがはっきりとした色と形を持ち始めたのはいつの事であったろう?

 

 ……そう、それはまだ口にする言葉は拙く自身の足で歩く事も下手糞な程に幼い頃だ。女心なぞ当然ある訳もなく厭々おめかしをさせられて愚図っていた少女は唯一の親であり最愛の父に抱っこされながらその屋敷に足を踏み入れた。

 

「わぁ……!!」

 

 その玄関を抜けると、少女は先程まで愚図っていた事をすぐに忘れてしまった。

 

 そうだ、誕生日だった筈だ。その御祝いのために主家の豪邸に多くの分家や親族、家臣が詰めかけていた筈だ。天井に吊るされる虹色のシャンデリアに豪奢に着飾る紳士淑女、テーブルの上に盛られた煌びやかな料理の数々、大広間に響くクラシックの演奏に参加者から主家に献上された山のようなプレゼント……その全てが幼い彼女には幻想的で興味をそそるものだった。

 

「おとーさまっ!あそこっ!あそこいこっ!!あれたべたい!!」

「待て待て、そう急かすものではないぞ?ほら、御兄さんと一緒に行きなさい」

 

 年相応に食い意地の張った子供らしくテーブルの上の御馳走の山に視線が向かう。父が他の参列者に挨拶に向かうと言って自身を降ろし、二つ上の兄……次男は出席していた気はするが長男がその場にいた記憶は無かった……と共に部下の奉公人に預けられる。

 

 彼女は次兄共々その奉公人を急かして料理で満たされたテーブルに駆け寄った。奉公人やその場にいた伯爵家の給仕に命令して欲しい物を盛りつけさせれば別のテーブル席に座って笑顔を浮かべて次兄と御馳走を頬張る。

 

 あるいは宴会に来ていた他家の子供達と拙い礼儀作法で自己紹介もした。挨拶した後に何が面白いのか顔を突き合わせるだけで互いに笑顔を浮かべ笑い声をあげる。

 

 見知らぬ者ともすぐに仲良しになれるのはこういう幼い時期だけであろう。特に下級とは言え貴族のような立場の者にとっては。もう少し成長すれば相手と顔を合わせるとその血縁や家柄、本家分家の関係を意識するようになってしまう。純粋に同年代と仲を深める事が出来るのは幼少時だけの特権だ。

 

 子供らしく彼女達は食べながらお喋りをして悪ふざけをして、遂には各々のお目付け役から脱走して追いかけっこをして宴会の会場を、遂には屋敷中を逃げながら探検していた。皆でワイングラスを運ぶ給仕達の隙間を通り抜け、目付け役からカーテンやテーブルクロスの中に入る事で隠れて、慌ただしい厨房でカップケーキを拝借した所を包丁を手にした料理人達に怒鳴られて歓声を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げる。

 

 彼女は無邪気に同年代の子供達と遊び回る。子供らしく年相応にはしゃいで我を忘れるように走って、逃げて、隠れて……そしてふと夢から醒めたように現実に立ち返ると気付いてしまった。

 

「あ、あれ……?ここ……どこ?」

 

 追っ手から逃げるために人気のない方人気のない方……と向かっているうちに両隣にいた他の同年代の子供達もいつの間にか消えていた。

 

 薄暗い廊下は幼い彼女には永遠に続いているように思え、広大な屋敷は怪物の住まう迷宮のように思われた。悲しい事に多くの客が宴会に集まっているために大半の使用人達も広間におり警備のために屋敷内部を巡回する者は殆どいなかった。

 

「あっ……あ……おとーさま……?おにいさま……?どこっ……?どこにかくれてるの?どこに……いるの……?」

 

 魔法から覚めたようについ先ほどまでの楽しさは消え失せていた。その後に襲い掛かるのは圧倒的な孤独感と不安だ。とてとてと小さな歩幅で廊下を歩む少女。震える声で大切な家族を呼ぶが当然の如く返答はない。

 

「おとーさまっ!?おにーさまっ!?どこっ!!?どこぅ……!?」

 

 若干声を荒げて呼んだ所で、ただただ虚しく声が反響するだけであった。そしてその反響する声が特に理由もなく彼女をより一層不安にさせる。

 

「うっ……ひくっ……おとーさま……うぅぅ…………どこにいったのぅ……?ひくっ……ねぇ…どこぅ……?」

 

 次第に不安は増大していき、目元は潤み始め、鼻づまりし始める。それが泣く前の前兆である事を理解し必死に止めようとするが逆効果となって寧ろ余計に涙を誘う。

 

 そのままその場に踞りぽたぽたと瞳から熱いものが落ち始める。父がこの日のために新調したドレスが涙で濡れ、床について汚れ、皺がよる。整えた長い髪は駆けまわっていた事もありくしゃくしゃになってしまい顔を少し隠してしまった。しかし幼い子供にはそんな事まで気にする事は出来ない。ただ今は父や兄……特にやんちゃで意地悪な次男ではなく優しい長男の方の名を呼んで……に助けの言葉を口にしながら泣きじゃくるだけしか出来なかった。

 

 そう、泣きじゃくる事しか出来なかった。その人影が目の前にやってくるまでは………。

 

「……おい、さっきから五月蝿いぞ。……子供がこんな所で何をやっている?」

「えっ……?」

 

 そのぶっきらぼうで不機嫌な、面倒臭そうで腹だたしげな、しかし確かに思いやりのある言葉に彼女は反応して潤んだ瞳で顔を上げる。

 

 そこにいたのは声から想像出来る程不機嫌そうな少年の姿だった。同い年位だろうか?此方に対して関心の薄そうな、いやどこか疲れ切ったような、到底年不相応に疲弊した表情を浮かべる子供が立っていた。

 

「おい、返事をしろ。何でこんな……」

「うっ……うぅぅ………うえぇぇん……!!」

「なっ……!?おいっ!!?何だ!?やめっ……!?」

 

 別に他意があった訳でもない。もしこの場に父や兄達が入ればそちらに突撃した筈だ。このような可愛げのない少年から寧ろ距離を取ろうとするだろう。

 

 ただ一人っ子一人見当たらない場所で寂しくなり泣いていた幼女にとってはそんなひねくれていそうな少年ですら救いだった。気付けば藁をもすがる思いで立ち上がり泣き顔のままに目の前の少年に抱き付いていた。抱き付いたまま泣いていた。

 

「おいっ!?止めろ!服が汚れっ……この……離しやがれ……!」

 

 泣きじゃくる彼女のせいで目の前の少年の衣服は涙と鼻水で汚れていく。最初は心底嫌そうに引き剥がそうとするが相手は我を忘れた子供である。いやいやこわい、と文句を言って歳不相応な握力で縋りつく。

 

「ちぃっ!……糞ったれが、静かにしろってんだ。……ああ糞!分かった!おらおら泣くな、落ち着け!黙れ!」

 

 結局根負けして絹で出来た衣服を汚されるがままで少年は諦める。舌打ちし、仕方なしにと言った表情で慰めの言葉をかけ、頭を少し乱暴に撫でる。

 

「うう……おとーさまぁ……おにーさま……さみしいよぅ………こわいよぅ……」

「……本当、間が悪いな畜生」

 

 本当に嫌々ながらである事が分かるが彼女の嗚咽の声を聞くと歯切れが悪そうに頭を撫で続け、背中を摩り続ける。そこには少なくとも相手を心配する優しさがあった。少なくとも縋る物のない彼女にとってはそう思えた。

 

 鼻を啜り、涙を(少年の衣服で)拭き取って漸く落ち着いたのは十分位経った頃だろうか。目元を赤く腫らして少女は漸く「ごめんなさい」と小さく呟く。本来ならば幼い子供の粗相である。寛容な人間ならば仕方ないと許しても良いのだが……目の前の少年はそこまで心は広くはなく、べとべとに濡れた自身の服を見て不機嫌そうにする。

 

「謝る位なら最初からこんな事するなよ。全く、これだから餓鬼は嫌いなんだ……」

 

 ぶつぶつと文句を言う少年に少女は再度目元を潤ませる。二番目の兄相手なら兎も角、基本的に蝶よ花よと一族本家唯一の娘として周囲から可愛がられてきた彼女にとって見ず知らずの少年からあからさまな敵意と悪意を向けられる事に慣れていなかった。

 

「う……ううぅぅぅぅ」

「ちぃっ!泣くな泣くな!気付かれるだろうがっ!!……もういい、気にするな!たくっ……何でこの歳で御守りなんてしないといけないんだ?いや、ある意味当然なのか……?」

「うぅ?」

「何でもないって言ってんだろ!面倒な事してくれやがって!」

「ひっ……ご、ごめんなさぃ……」

 

 舌打ちに鋭い眼光に身を竦ませて少女は小さく謝った。ふんっ、と鼻を鳴らす少年、少女は目を合わせないように注意しながら怒る少年を恐る恐ると見やる。

 

(うぅぅ……どこのこなんだろう……)

 

 自分が汚してしまったものの、衣服は高価そうであり少なくとも使用人や奉公人の子供ではないだろう。となれば同じ従士だろうか?それとも招かれた食客の家の子かも知れない。あるいは爵位を持っている家の可能性も無い訳ではない。

 

「あ、あのぅ……」

「……?何だ?」

 

 廊下の扉の一つを背伸びして開こうとしていた少年が振り返って尋ねる。その目付きの悪さにまた怯えるが少女は勇気を出して尋ねる。

 

「えっと……あなたはなんておなまえなの?なんでここにいるの?まいごなの?」

「迷子はお前さんだろうが。……少し隠れているだけさ。名前は……」

 

 そこで少年は僅かに悩まし気な表情を作る。

 

「……いや、これは聞かない方が良いだろうな、互いに」

「?なんで……?」

「こっちもやんちゃして周囲に迷惑かけている身でね。お前さんもそうだろう?大方パーティーではしゃいで迷子と言った所かね?」

「う…うん……」

 

 図星の少女は気まずそうに頷く。その態度に優越感でも感じたのか尊大そうに少年は提案した。

 

「なら互いに知らない方が良かろうよ。態々互いの家に恥を塗る必要もあるまい。知らぬ存ぜぬが一番だ。この場ではな」

 

 そう言って少年はうんざりした表情で廊下を指差す。

 

「あっちだよ。ずっと進んで突き当りを右、また突き当りに来たら今度は左、二つ十字路を過ぎて左に曲がれば広間に辿り着く。……ほら、さっさと戻ったらどうだ?」

「えっと……みぎ…ひだり…えっと…あれ?」

「右・左、十字路二つ過ぎて左だ」

「えっと……みぎで…ひだりで…ううん?」

 

 残念ながらもう少し大人であれば兎も角、五歳やそこらの子供にはこの程度の事でも覚えるのは容易な事では無かった。何度か反芻するが最終的に分からない!と投げ出してしまう。

 

「……それで?お前さんが帰り道が分からないのは構わんが。どうして私について来るんだ?」

 

 背筋を伸ばしてつま先立ちして漸くドアノブに手をかけて屋敷の物置を兼ねた薄暗い一室に入室した少年。そのまま様々な荷物がうず高く積まれて置かれた床の隙間に座ると、彼の背後にてくてくとついて来た彼女に不満ありありで尋ねる。

 

「だめ……?」

「理由を聞いているんだが?」

「またまいごになっちゃうもん。ひとりはいや、だったらいっしょにいる……だめ?」

 

 そう言って部屋の床に並んで座る少女は傍らの少年の衣服の袖を掴んで上目遣いで尋ねる。決して意識してやった訳ではないが人によっては相当の破壊力があっただろう。……尤も、目の前の少年には然程意味を為さなかったが。

 

「こっちにも都合ってものがあるんだがな……」

 

 不本意この上ない、と言った表情を浮かべる少年。もう少し優しければ少年が案内するのだが生憎と彼にはそんな事をする事は出来なかったのでそのまま少女を放置せざるを得ない。

 

 一方、少女の方はこれ幸いに会ったばかりの少年に子供らしい好奇心から次々と質問していく。少年は適当に答えていくがそれでも答えてくれた事それ自体が孤独で寂しさに襲われていた少女には満足であり、次から次へと追加の質問をしてしまう。

 

「おい、しつこいぞ。後声が大きい、もう少し位静かにしろよ」

「う……なんかさっきからおこってる?」

「さぁな、いちいち餓鬼に怒る程無駄な事なんかしないさ」

 

 どこか見下し気味な言い草に先程まで御機嫌だった少女は栗鼠のように頬を膨らまして拗ねる。

 

「むぅ……おなじまいごのくせに」

「一緒にするんじゃねぇよ。……私は隠れているだけだ」

 

 憤慨するように少年は呟く。

 

「かくれてるの?なんで?」

 

 少女は子供らしく脳裏に浮かんだ疑問を躊躇なく尋ねた。

 

「いちいち質問する奴だなぁ。………今日は何の日か知ってるか?」

「うん!はくしゃくさまのいえのおたんじょうびなんだよね!」

 

 途端にぱぁ!とした笑顔を少女は浮かべた。まだまだ忠誠心と言うには幼過ぎるがそれでも彼女の脳内では『はくしゃくけ』はとても偉く、敬うべきものであるという思考回路が強固に構築されていた。その『はくしゃくけ』の誕生日(誰のかまでは彼女には良く分からなかったが)は心から喜ぶものであると教えられていたし、見知らぬ人が多く最初は嫌がっていた彼女も多くの知り合いが出来、御馳走を食べられたために今ではそれはとても素晴らしいものであると認識していた。

 

「あんなもののどこが良いんだかな。税金の無駄遣いだろうに。無意味で無価値な事この上ないな」

 

 しかし少年は少女とは真反対の事を乾いた笑いと共に口にする。

 

「う?たのしくないの?」

「愉快ではないな。無駄に豪華で派手過ぎる。あんな誕生日を開く伯爵家の気が知れないな。正直参加なんかしたくないよ、あんなもの」

 

 その皮肉と嫌味をたっぷり含んだ言葉に彼女は不機嫌になる。

 

「だめなんだよ!はくしゃくけのわるぐちはいけないの!ばちがあたっちゃうよ!!?」

 

 少年の台詞に少女は叱りつける。少なくともそれは彼女の主観では善意からの注意だった。生まれながらに主家に忠誠を誓うように育てられた彼女は極極自然に、素朴に『わるいこ』にそう注意したのだ。そう、彼女の主観では。

 

「なにが罰が当たるだよ。んな訳あるかよ。そんな有難がるような奴らかね?所詮は特権に胡坐を掻いた貴族のボンボンじゃねぇか」

 

 しかし少年は冷笑気味に、そして嘲るようにそう言い返す。善意からの言葉を完全に馬鹿にするような物言いだった。寧ろ少女を憐れんでいるようにも聞こえる。

 

「むっ!そんなわるぐちいったらだめなんだよ!はくしゃくけはとってもえらいんだよ!いうこときかないとだめなんだよ!!」

「貴耳賎目ってか?別にお前さんが直接見てそう考えた訳じゃないんだろう?もう少し自分の頭で考えたらどうだ?どうせ周囲がそう言っているから信じているだけだろう?実態は案外幻滅するものさね」

 

 少年の言葉は本人は真摯に言っているつもりだったのかも知れない。いや、飄々としつつも良く観察すれば言葉の節々に吐き捨てるような怒りと理解して欲しいという懇願の感情を読み取れたかも知れない。

 

 尤も、その意味では少年も所詮は身勝手で独りよがりな人間でしかなかったのだろう。自身の生まれ持っての価値観をこう上から目線で徹底的に罵られて怒らない人間が、まして子供がどれだけいるのだろうか?当然の帰結として少女は怒り心頭で叫ぶ。

 

「もう!えらそうにいわないでよ!おなじこどものくせにうえからめせんなの!それにはくしゃくけのわるぐちばっかり!もういいもん!そんなわるいこはおとーさまにいいつけてやるもん!!それではくしゃくにおこられたらいいもん!」

 

 むすっと立ち上がり感情のままに叫ぶ少女。そのまま勇み足で父親の元に向かおうとする。先程まで迷子だった事はもう忘れてしまったようだった。そしてそれ以上に軽率だった。

 

「おい馬鹿!危険だぞって……」

 

 冷静ならば流石に気付けた筈である。うず高く積み上げられた荷物の山は不安定であり、子供とは言え、いきなり立ち上がり勇み足で、両手両足を思いっきり振りながら走ろうとすればどうなるか。

 

「えっ!?」

 

 結果としてうず高く積まれた荷物の一部が揺れて幾つかの小物が重力に誘われて落下する。その内の幾つかは陶器や硝子器であり、真下には丁度少女がいて……。

 

「ちぃ!!?」

 

 慌てて立ち上がる少年はそのまま殆ど突っ込むように少女に飛び掛かる。幼い身体ではこの位乱暴に動かなければ落下物を避ける事は難しかった。

 

「きゃっ!?」

 

 飛び掛かった少年ごと、少女は押し出されるように倒れる。ほぼ同時に硝子か陶器が割れる音が室内に響き渡った。何か鋭い破片が顔のすぐ後ろを通り過ぎる。

 

「大丈夫か?怪我は……まぁ、無さそうだな」

 

 その声に釣られて視線を向けて少女は漸く気付いた。床に倒れた自身の上に少年が乗りかかる体勢でいた事に。鼻先が当たりそうな程の至近で顔を合わせていた事に。同時に薄暗い室内で余り判別の付かなかった相手の顔立ちがとても端正であった事に気付いた。相変わらず目付きは悪いし不機嫌そうではあるがそれでも幼心に『かっこいい』と思える程には整った顔立ちだった。

 

「えっ…あ…あり…がとう?」

「何で疑問形なんだよ。ほら、さっさと立て」

 

 気恥ずかしさからか顔が赤くなるのを自覚しつつも少女は謝意を述べる。助けられた以上感謝の言葉を口にするのは当然の礼儀だ。尤も少年は若干小馬鹿にするようにそう言い捨てて立ち上がり、少女が起き上がれるように手を伸ばす。

 

 少女はその手を少し迷って、しかし受け取って立ち上がると次の瞬間には床に散乱する硝子片を見て顔を蒼褪めさせる。

 

「うう……どうしよう……」

 

 『はくしゃくけ』の物を壊してしまったのだ。怒られてしまうと少女は不安に曇る。どうなってしまうのだろう?捨てられてしまうのではないか?等と怖くなり涙目になる。

 

「あー、泣くな泣くな。これくらいなんでもない。私に任せろ。……母上にでもお願いすれば良い。どうせこんな所に置いてある物なんて安物だからな」

「だけど……」

 

 既に半泣きで視界が良く見えていない少女を少年は慰める。それは嬉しかったが同時に悲しみが消える訳ではなく、寧ろ自分のせいで彼にまで迷惑をかける事への罪悪感に苛まれそれが一層の悲しみを誘っていた。

 

「いいから気にするな。どうせ……ああ、来たな」

 

 先程の音に気付いたのか扉が開かれる音が聞こえた。嗚咽を漏らす少女は扉の方向を見るが涙で良く見えなければ精神的な焦りから周囲の声も良く聞こえない。

 

「おお、何やら音が響いておりましたから来ましたが……ここに居られましたか!おや、それは……」

「丁度いい、迷子だ。親元に連れていけ。鉢合わせしたんだが……私がふざけていたせいで瓶を割ってしまってね。その音で泣かしてしまった」

 

 少年の使用人であろうか?自分を庇うように少年は入室した大人達に語る。何やら言いたげな使用人達に有無を言わさずに少年は泣きじゃくる少女を親の元に返すように命じる。そして半泣きの少女にそれに逆らう余裕は無かった。

 

「えっ?あっ……」

 

 女中に抱きかかえられて部屋から少女は退出させられる。当然抜け出す事は出来ない。唯彼女に許されたのは、朧気に瞳に映る使用人達に命令する少年の何処か孤独な背中を見つめる事だけであった……。

 

 

 

 

 

 

「おぉぉ……良かった!心配したのだぞ……!?」

「あっ…う……お、おとーさまぁ!」

 

 控室で父と再会した時、少女は安堵感から本格的に泣き出して抱きついていた。最初は躾のために軽く叱ろうとしていた父もそれを止めて娘をあやすほかない。そして泣いて、泣いて、泣ききった後、漸く落ち着いた少女は父親に頼み込む。

 

「あ、あのね……!」

 

 それは自分と共にいた少年の事であった。その少年が硝子瓶を割った自分の身代わりになった事、そのために助け船を出してくれるように、と。少女は家族や家庭教師から素直に、そして正直に育てられていた。故に嘘偽りなく答える。唯一答えなかったとすれば少年の『はくしゃくけ』に対する暴言位か。流石に少女も自身が助けられた手前それを言及する程意地悪くも、恩知らずでもなかった。

 

「そうか、成程……」

 

 父はその話を聞くと次いで使用人からも何かを耳打ちされ、何とも言えない難しい表情を作り出す。普段ならば厳しくともお願いを聞いてくれる父のその表情に少女は不安に駆られた。

 

「いや、安心しなさい。大丈夫だ、『その御方』ならば伯爵様も、まして奥様も叱りつける事はあるまい。だが……」

「……?」

 

 堂々とした身持ちをした父の、その歯切れの悪い言葉に少女は怪訝な表情を浮かべていた。尤も……数刻後に彼女にもその理由は分かった。

 

 伯爵家の使用人達の助けも借りて、皺だらけで汚れた衣装を急いで着直し髪形を整えた少女は父や一族、家臣達と共に祝宴の続く広間に戻る事になる。とは言え、その間少女の心中にあるのは心配だった。

 

(あのこはだいじょうぶかな?)

 

 同じように誕生日のパーティーに参加する事になっていたのだろう少年を慮る。父は大丈夫だと言っていたが……『はくしゃくけ』は兎も角親に叱られていないだろうか?服を汚してしまったが大丈夫だろうか?それに助けられていながら碌な御礼も出来ていない。

 

(きらわれていないといいけど……)

 

 そこまで考えるとどっと更なる不安が彼女の心に圧し掛かる。これでは折角の楽しいパーティーも台無しだった。

 

(……けっこう……かっこよかった…かな?)

 

 恐らくは同い年であろう、にも関わらずどこか年に似合わない大人びた雰囲気に整った顔立ちは彼女に強く印象に残っていた。何よりも二度も助けられた事実は思考回路が単純な子供が純粋な好意を抱くのも当然と言えば当然であり、それ故に場にそぐわぬそのような事も考え次いで余計に少年の身を案じて落ち込む事になる。

 

 彼女が陰鬱な気持ちのままに広間に辿り着くと既にそれは始まっていた。数百人は余裕で収容出来る広間では出席者の内レーヴェンハルト家やライトナー家、クラフト家やデメジエール家等の主だった従士家や食客家の代表者達が上座を見据えながら整列し深々と、恭しく頭を下げ臣下の礼をしていた。少女達も急いでその列に加わる。

 

 彼らより近場では伯爵家の分家の代表者達が並ぶ。長老格筆頭の軍務尚書が軍服姿で一族全体を代表して祝意を述べ、次いで皇帝を始めとした貴人からの祝電を厳かに読み上げる。特に皇帝からの祝辞は周囲が僅かにどよめいた。恐らくはこの日のために伯爵夫人が何度も『お願い』したのだろう。残念ながら五歳児の彼女にはその複雑な内容もその政治的な意味も殆ど理解出来なかったが。

 

 そして……少女は上座の席を見つめ、そこで初めて自身の主家、忠誠を誓うべき者達をその眼に見た。そして思わず溜息を吐いていた。

 

「はぁ……」

 

 美しかった。眼下で頭を下げる臣下達を一切気にもせずにバルトバッフェル家やゴールドシュタイン家の当主、あるいは帝室の第三皇女殿下と朗らか談笑する伯爵夫人の肌は雪のように白く、ドレスと合わさり幻想的にさえ見えた。『妖精』、そんな言葉が余りにも当たり前に脳裏に過った。万一、上座に座ってなくともその醸し出す雰囲気だけで少女はその女性が伯爵夫人であると分かった筈だ。

 

「わぁ」

 

 その横の一際豪奢な椅子に座る軍服姿の偉丈夫はその堂々たる姿からすぐに伯爵家の棟梁であり、自分達の主君である事が分かった。この方以外にこの場で主君に相応しい威風を纏う人物はいないと幼心でも理解出来た。誰であろうか老夫人に何かを囁かれ慇懃に頷くと家令に何やら命令している。

 

「あのひとがはくしゃくさま?」

 

 若干緊張気味に少女は父を見上げて尋ねる。その瞳は明らかに興奮していた。父はそんな娘に苦笑を浮かべる。

 

「ああ、そうだよ。ティルピッツ伯アドルフ様だ。我々の主君だ」

「じゃあ、わたしもおおきくなったらあのかたにおつかえするの?」

「いや、お前は若いからな。若様にお仕えする事になろう」

「わかさま?」

「ああ、今日で五歳になられた。今日はその御祝いの日なのだよ。おお、ほらお見えになられた」

 

 そう言う父の言葉に促されて少女はその小さな瞳で再度正面を見つめる。

 

「ふぁ……!?」

 

 そして同時に驚愕に見開いた。何故なら……盛大な拍手と共に多数の使用人達に導かれて現れた少年の姿は余りにも見覚えがあったからだ。

 

 あの後に着替えたのだろう、豪華な軍服風の衣装に整えられた髪形、端正で線の細い顔立ちは母方の血が濃いのだろう、逆に瞳と髪の色は父方に似ているかも知れない。この両親からならこういう子供が生まれるだろう、そう思える美少年がそこにいた。そしてほんの数刻前に肩を寄せ合ってお喋りし、助けてもらった少年がそこにいた。

 

 ……伯爵家の次期当主たる事を約束された少年がそこにいた。

 

 驚愕で思考が止まり次いで働いて来た無礼の数々に顔を青くした少女は、しかし……次の瞬間、少年のその表情に疑念を抱き、不安を抱いた。

 

「えっ……?」

 

 少女には分かっていた。盛大なパーティーにプレゼントの山、御馳走の数々に巨大なケーキ、それらは子供ならば誰でも嬉しいものであった筈だ。だが……。

 

「どうして……?」

 

 彼女の持つ知識に照らし合わせれば少年は何もかも手に入る立場の筈だった。誇るべき血筋の筈だった。選ばれし生まれの筈だった。それがどうして……どうしてあんな辛そうな『瞳』をしているのか?

 

「あれが伯爵家の、我々の次の主君と言う訳か」

 

 近くで数人の従士や食客、分家の大人達が密かに囁き合っているのに少女は気付いた。

 

「あの顔立ち……死産流産と続いての出産でしたから焦った夫人が他所の種でも使ったのではないか等と噂もありましたが……流石にそれは無かったようですな」

「それはそうと可愛げがないものだな、子供の癖に碌に笑わないそうじゃないか?やはり母胎が悪いので知能に障害でも……」

「いやいや、知能テストは良好、寧ろ比較的高めのようだ。だが……」

「使用人に親族がおるので話は聞いておりますよ。気難しくて大層我儘だとか。知ってますかな?今日のパーティーに出るのを嫌がって暫くの間逃げていたとか」

「まさか!流石にそれは……」

 

 一旦、正面の『次期当主』を探るように見つめ、再度彼らは互いを見やる。

 

「……何方にしろアレではまだまだ前途多難です。漸く兄上周辺の問題を片付けたというのに、あれでは養子なり妾なりを押し付けようとする者もまだ居りましょう。当主は無論、後ろ楯の軍務尚書殿や御隠居様も苦労なさいましょうな」

「それもこれも元はと言えば夫人の責任で御座いますよ。さっさと御役目を果たしていれば鎮火した御家騒動が再燃せずに済んだのですから」

「とは言え夫人も良くやる。バルトバッフェル侯にアウグスタ様までお呼びするとは。ましてや陛下から祝辞を寄越させるとなると宮廷での根回しは上々という訳ですな。流石甘え上手の御姫様、と言った所ですか」

「我らも身の振り方を決断せねばなりませんな。……この歳で強制的に隠居させられるのは御免です」

 

 ……その会話の内容はよくよく理解出来なかったが決して穏やかなものでは無い事だけは彼女にも分かった。

 

「佞臣共め……」

 

 父のその呟きに少女は顔を見上げた。そこにいたのは苦虫を噛み締め、やり場のない感情を耐える父の姿だった。それは唯の怒りではない。様々な感情を綯い交ぜにした形容しがたい感情の奔流に無理矢理蓋をしているように見えた。

 

「………」

 

 気まずくなって少女は再度正面を見据える。伯爵夫人であり母であるツェツィーリアが少年を膝の上に乗せて笑みを浮かべていた。

 

 ……あるいはよく観察すればそれがいざ銃撃なり爆弾が投げ込まれるなりした時にいつでも子供を抱いて逃げるなり覆い被さって守るなり出来る姿勢である事に気付く者がいたかも知れない。

 

 一方、抱かれる少年は挨拶に来る親戚や長老達に不機嫌そうな表情を浮かべる。しかし困り顔の母親が何事かを優しく語りかければ葛藤した表情を浮かべ、渋々ながら言われた通りに答えていく。そうすると満面の笑みを浮かべた夫人は優しく息子の頭を撫でる。

 

 実の母親からのそれである、本来ならば喜んでも良いのだが……残念ながら当の少年は嫌がる素振りをしていた。その瞳に映るのは虚無であり、徒労であり、苦痛であり、深い悲しみであり、何よりも筆舌し難い孤独のように思えた。

 

「………」

 

 気付けば、その姿に胸が締め付けられるような痛みを少女は感じていた。

 

 それは忠誠心の目覚めであったのだろうか?それとも………。

 

 どちらにしろ、彼女が彼に会った時に賽は投げられていた。最早この胸に広がる激情を無かった事には出来ないし、引き返す事も出来ない。だから……。

 

「おとーさま……」

 

 本来ならばどこぞの従士家なり伯爵家の分家なりの妻にでもなって一生を終える筈であった彼女はこうして父にその希望を御願いしたのだ…………。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

「寝てましたか……」

 

 ベッドの上で静かに、ベアトリクス・フォン・ゴトフリートは覚醒した。壁掛け時計の指し示す時刻は0000時、即ち夜中の零時、日付が変更されたばかりである事を意味していた。窓に視線を向ければ真夜中の空は厚い雲に覆われ雨嵐が吹き荒び、星空はおろか月光すら見る事が出来ない。

 

「……随分昔の夢を見ていましたね」

 

 本当に昔の記憶だ。流石に今となっては掠れ始めている記憶である。きっと彼は覚えていないだろう。あれから数年後に自分が付き人に任命され対面した時の態度からもその事は分かる。

 

 尤もそれも仕方無かろう。自分ですら前後の記憶は忘れかけているのだ。ましてあの薄暗がりに荒れた髪型、口調すら変わっては朧気な記憶も合わさり忘れている方が自然だ。元々『彼』にとってはあの日の事は大した記憶ではあるまい。寧ろ不快でしかなかっただろう。

 

「別に構いませんが……」

 

 ………それでいい、覚えているのは私だけで良い。何も望みはしないし期待する積もりもない。自分が抱くだけの質量の思いを相手に求めるのは高慢と言うものだ。寧ろその身分差と犯して来た失敗の数々を考えれば今の待遇ですら望外と言うべきであろう。これ以上は強欲というものだ。

 

 だから自分にとっては『今の関係』で構わない。自身の心の内の神殿に住まうあの人の絶望しきった瞳が、疲れ切った声が、孤独な背中が自分の運命を変えてしまった事なぞ知られる必要はない。知らせてはならない。

 

 自分は今の『私』の立場と存在に十分に満足しているし後悔もしていないのだから。だから……彼に不要な罪悪感を抱かせる必要も、知ってもらう必要もないのだ。

 

「っ……!」

 

 付き人は背中に刺すような痛みを覚えて一瞬身震いするが、すぐにベッドから起き上がる。いつまでも過去の思い出に浸る資格も余裕も彼女には存在しなかった。

 

 まずはこれからやるべき事の準備を始める。既に必要な物の大半は自室に幾度か来訪したどうしようもない客人から密かに受け取り隠していた。潜入工作員用の小型ハンドブラスターに同じく小型ナイフ、地図が記録されている小型ソリビジョン投影器に雨具、発信器……受け取った後隠していたそれを取り出すと同盟軍士官軍装に着替えた後に装備する。

 

 部屋の扉の鍵を内側からかけた後、高価なベルベッドのカーテンを外して、結びつけ、一階に降りるための綱を作り上げる。

 

 窓を小さく開けば夜の曇り空、大雨の嵐に雷と視界は最悪である。室内の明かりを消せば窓が開いているとは簡単には分からないし屋敷の周りを歩いていようと視界不良で誰かすぐには分からない。いや、暗視装置無しには存在を視認するのも簡単ではなかろう。型落ちの無人機とゴトフリート家に仕える食客や奉公人、軍役農奴の兵士が巡回しているが、絶対数は少ないし手練れは大半が前線だ。巡回スケジュールも訪問客から教えられている。この時間に逃げればすぐには気づかれまい。

 

 贅沢に高級カーテンで作られた綱を外に投げる。カーテンは雨露と泥で汚れていく。だがこれで地上に降りるための命綱は出来上がりだ。

 

「………」

 

 一瞬、窓から身を乗り出したままゴトフリート家の長女は動きを止める。だがそれは降りる事に恐怖を感じて身体を強張らせたためでは決してない。

 

(本当に……本当にこれで良いのでしょうか……)

 

 それは後で伯爵家から糾弾される、あるいは実家が追求されたり自身が放逐される等という恐れからのものではなかった。そんな事は既に覚悟している。

 

 寧ろ彼女が悩んでいるそれはより単純に自身の行いが本当にその忠誠を誓う人物のためになり得るか、といったものであった。

 

(嫌ならば来なくても良いとは言われましたが……)

 

 客人のどうしようもないパイロットを代理としてその言葉を聞いた時、彼女は迷った。自身が本当に主人の役に立っているのか?この失態ばかり犯して尻拭いをさせている自分が?本当は自分なぞいない方が良いのではないか?

 

 迷いに迷った。只でさえ贔屓にされている自覚はあった。本来ならば今回の失態は問答無用で自裁物である。それが主君の口添えにより首の皮一枚で助かっている事も知っている。そんな状況で主人と共に脱走なぞしてみろ、今度こそ後がない。次戻った時には失態が無くてもその場で拘束される可能性は十分過ぎる程にある。いや、それ以前に残された実家が先に危ないだろう。

 

 ならば動かない方が良いのではないかとも思えてしまう。だが、それでも………。

 

「若様を置いてはいけませんから」

 

 自分が動こうが動くまいが、主人は逃げる積もりだ。自分が動かなければ?最悪主人は一人でどこか危険な場所に向かってしまいかねない。それだけは許されない。

 

 自身が役割も果たせない無能である事は分かっている。それでも自分を信じて傍に置いてくれる主人には恩義があった。それを見捨てるなぞあり得ない。例え盾代わりであろうとも、一族を危険に晒そうとも、自身に未来が無くとも……。

 

「……それだけはあり得ません」

 

 忠実な従士は歯を食い縛り、絞り出すように答える。彼女の脳裏に主人の姿が過る。

 

 それは彼女が初めて主人と出会った大きくて小さな孤独そうな後ろ姿であり、あの嵐の日に泣き叫んで助けを求めていた子供の泣き顔であり、雪原で敵兵に囲まれる中自分の名前を必死に呼ぶ傷だらけの青年の姿であり、破壊された巡航艦の中で寝入っていた時に捉えた誰かに縋りたそうにする寂しげな表情だった。

 

 ………そう、傍らにいなければいつの間にか消えてしまいそうな姿だった。死んでしまいそうな姿だった。だからこそ……。

 

「若様。このベアトリクス、非才の身なれども御一緒致します……!」

 

 彼女にとって……ベアトリクス・フォン・ゴトフリートにとって孤独そうなあの少年を傍で支え、守り、その心の苦しみを少しでも晴らす事が出来るのならば、それ以外の何も惜しくはなかった。

 

 ……それこそが彼女の幼き日に誓い、今も続く忠誠であった。そして呪いでもあった。

 

 恐らく、それは多くの間違いを繰り返して来た彼女の主人にとって最初にして最も絶望的な過ちであっただろう。そして彼女の主人がその事実を知らない事は一番の幸運であった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「若様、お嬢が動き出しましたぜ?」

 

 雨嵐の中、狙撃銃のスコープ越しに山道を必死に走るベアトリクスを観察する者がいた。いや、正確には者達というべきであろう。

 

 完璧な偽装工作をして周辺の景色と同化している五十近い白髪交じりの中年男性……自由惑星同盟軍地上軍所属グンナル・フォン・ゴトフリート大尉は傍らに控える本家の『長男』に尋ねる。

 

「やれやれ、賢い我が妹なら伯爵家と一族のために合理的にかつ最善の選択を取ってくれると思っていたのだけどね。……どうやら坊っちゃんとの付き合いが長すぎて視野狭窄になっているらしい」

 

 電子双眼鏡を目元に当ててジークムント・フォン・ゴトフリート中佐は僅かに失望したような、手間のかかる妹に苦笑いするような何とも言えない苦笑を浮かべる。

 

 実際、妹は責任感が強い性格だ。自身のこれまでの失態から鑑みてこのような逃亡を図れば自身の命も、まして一族の立場も危険に晒されるとは分かっていた筈だ。その上でこのような行動……。

 

(……相変わらず、我らが一族の忠誠心は最早病的だね、ここまで来ると狂気すら覚えるよ)

 

 脳裏に浮かぶ朧気な『母』の姿を消し去ってジークムントは冷たく呟く。滅私奉公、変わらぬ伝統と忠誠心、素晴らしい美辞麗句だ。使う側にとって、支配する側にとっては実に都合の良い道具である。

 

 忠誠心は麻薬に似ている。それが効く間は忠誠を誓い自己犠牲をする自分にいつまでも酔っていられる。だがそれがふとした瞬間に夢見心地から醒めるとそこに残るのはぼろぼろのになった自身の身体だけである。いや、それだけならマシだ。多くの一族が、そして『母』がその命すらも………。

 

「少しだけ躾が必要のようだ。余り手荒な真似はしたくないけれど……ウルスラ、狙撃で動きを止めるからお手柔らかに確保を頼むよ?」

『ふふふ……承致しましたわ再従兄様。御命令通り再従姉様は『可能な限り』無傷でお戻り頂きますわ』

 

 無線機から若干嘲笑うような少女の声が返ってくる。分家筋の彼女もまだ若いが幾度か前線での兵士を率いての従軍経験がある、任務を与える上で問題はない。二個分隊の兵士と共に狙撃で動きを封じた妹の確保をしてもらう予定だ。

 

「さてさて、このまま逃がしては奥様に申し訳が立たない。大尉」

「了解です」

 

 ふっ、と小さな含み笑いを浮かべ大尉はスコープを最後覗き見る。風量や重力を計算に入れての警告射撃である。

 

 大昔に比べてかなり微調整が機械で可能になったとは言え最後の出来は未だに狙撃主自身の技量による所が大きい。まして警告なのでまかり間違って本家の御令嬢を傷つける訳にはいかないが………。

 

 消音装置を敢えてつけなかったのは相手に狙撃していると伝えるためだ。乾いた発砲音、数秒も立たずに山道を必死に逃走していた少女の目の前に火花が飛び散る。すぐ手前の岩場に着弾した弾丸によるものだ。

 

「中々の腕前だな」

「お褒めの言葉、一ディナールの価値もありませんがまぁ有り難く頂いておくとしましょうかね?」

 

 動く目標にギリギリで当てずに、しかもこの距離と気候で警告射撃に成功した親族にジークムントは称賛の言葉をかける。流石元グリーンベレー所属だ。若い頃は帝国領に潜入しての要人暗殺や反帝国ゲリラへの狙撃指導をしていただけの事はある。

 

 咄嗟に妹が草むらに隠れる。狙撃によって脚を撃ち抜かれるのを警戒しているのだろう。あるいは実家が自身を始末しようとしていると考えている可能性もある。

 

 妹がその場から身動きが取れなくなった所で暗視ゴーグルを装備した歩兵部隊が交互に支援出来る散開陣形で迫る。

 

「さて、これで一気に終わらせられれば最善ではありますが……っ!!」

 

 まずその光にグンナルが、僅かに遅れてジークムントが気付きその場から身を翻して逃げる。 

 

 同時に何処からともなく飛んで来た弾丸が狙撃銃のスコープを貫通し、狙撃銃ごと弾き飛ばす。

 

「うぉいっ!何てことしてくれやがった!!?人が細心の注意で微調整している銃を手荒に扱うんじゃねぇよ!」

 

 地面に伏せながら自身の狙撃銃を傷つけられた事に舌打ちするグンナル。口では毒を吐きつつもその身体は這いずり回りながら傍のトランクに納めている予備の狙撃銃へと向かう。

 

「坊っちゃんが送り狼を送りつけてくる事位は予想はしていたが………ほぅ、凄いな。距離九〇〇、いや九五〇と言った所かな?よくも当ててくれるものだ」

 

 一方、伏せながらジークムントは電子双眼鏡で弾の飛んできた方向を拡大していく。狙撃に絶好の地点は粗方調べている。予めそこにいたならすぐに気付けた筈だが……。

 

「そんな場所に構える狙撃手は素人ですぜ。逆に潜伏場所だと気付かれて狙い撃ちされますから。寧ろ狙撃に適した地点を狙える場所に構えるのが基本なんですよ」

「先に敵の狙撃手を処理する訳か。ならば……」

 

 ジークムントはそれを念頭に入れて捜索していく。そして………。

 

「……ビンゴ」

 

 

 

 

 

「おいおいマジか、あの一撃を避けるか?完全に奇襲だぞ!?フツーそこは負傷してリタイアだろうがっ!糞ったれ!!」

 

 一キロ近い距離を挟んで狙撃の姿勢を取っていた迷彩服に追加の偽装を施した出で立ちのビクトル・フォン・クラフト准尉は吐き捨てる。上司の誘いでこの高額バイトに乗ったがどうやら割に合う仕事では無いらしい。

 

「うおっ……!?」

 

 反撃の弾丸がすぐ頭の上に一発飛んできて慌ててクラフトは頭を下げる。

 

「この順応性にこの精度、それに弾の音から見て……うげ、まさかと思うがグンナルの糞爺が相手か?」

 

 うえ、今すぐバックレてぇ……等と今更のように後悔の台詞を口にする。

 

『クラフト、どうだ相手の狙撃手の方は?足止め出来そうか?』

 

 雨嵐の中、すぐ傍の携帯無線機から雑音混じりの声が響く。

 

「最悪ですわ、正直彼方さんが二枚位上手です。悪いですけど逃げても良いですかね?」

『構わんが違約金が発生するぞ?』

「はは、ブラックバイトに捕まっちまった」

 

 上司でありバイトを紹介してもらった帝国騎士相手に肩を竦めるクラフト准尉。だが今更後悔しても遅い。舌打ちしつつ彼は狙撃手同士の静かな睨み合いを始めるしかなかった……。

 

 

 

「ふっ、諦めろ。別に殺害なんて求めちゃいないからな。我らがお姫様が逃避行に成功するまでの間、悪い悪い追っ手から御守り申し上げれば良いのだからな」

 

 一方、無線機にバリトンボイスでそう若干ナルシシズム的に言い放つのは『送り狼』の長たる不良騎士であった。

 

「御守り申し上げるねぇ」

「どっちかというと人拐いの類いじゃないですかねぇ、俺達」

「純情で夢見がちなお嬢ちゃんを甘い言葉で信用させて扉を開いた途端に誘拐って訳か」

「おいおいそりゃねぇぜ、盗賊騎士かよ俺ら。騎士物語だとやられ役じゃねぇかよ」

 

 迷彩服を着たシェーンコップの周りでは同じような出で立ちの兵士達が銃器を装備して軽口を言いながら展開していく。その口調は軽いが翻ってその動きは正にプロの陸兵そのものの洗練されたそれであった。

 

「貴方達は……」

 

 そしてそんな彼らに護衛された状態のベアトリクス・フォン・ゴトフリートは驚いた表情を浮かべる。ニヤリ、とシェーンコップは目標の『護衛対象』に振り向くと不敵な笑みと共に敬礼した。

 

「お久し振りです、少佐殿。ワルター・フォン・シェーンコップ以下休暇中の薔薇の騎士連隊隊員総勢一二名、若様の御雇いの下フロイラインの護送を仰せつかっております。どうぞ雇われの荒くれ騎士の集団ですが騎士は騎士、大いに御頼り下さいますよう御願い致します」

 

 それは実に慇懃無礼であり、しかし実に騎士らしい騎士の自己紹介であった。

 




Q:どうしてベアトは自己中でドクズ貴族な主人公なんかに尽くすん?
A:ゴトフリート家の血筋はダメンズ好きの血筋だから


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第百四十一話 サバゲーは安全確認を怠るな!

少し短めです


「はぁ……はぁ……はぁ……ちっ!しつこいなっ!!」

 

 大雨が降り注ぐ夜の林道を私はびしょ濡れになりながら必死に駆けていた。後方から聞こえて来るのはガシャガシャという機械音。この大雨で臭いは霧散するため有角犬は使えないが、地上ドローンなら話は別だ。疲労せずにいつまでも目標を追う事が出来る。後ろを振り向けば遠くから鬼火のように揺れる赤いカメラの光を確認出来るだろう。

 

「流石に勢いに任せて誤魔化すのも限界だったな……!!」

 

 地上ドローンが私に差し向けられたのは私が逃亡を図ってから三〇分も経っていない。ネットガンを装備したドローンの後方からは恐らく同じく非殺傷兵器で武装した警備兵が続いている筈だ。

 

「はぁ…はぁ…まぁ……空から監視されていない……だけ……マシかっ!?」

 

 息切れし、口の中に鉄の味を感じながら私は呟く。この天候では航空ドローンは飛ばせないし、無理して飛ばしたとしても地上軍兵士用にも使われる私の外套はセンサー類に対する若干のステルス塗装も為されている。簡単には見つけられまい。

 

 ……まぁ、だからこその地上ドローンが厄介なのだが。

 

 この屋敷に配備されている警備ドローンは軍用のそれの型落ちとは言え、碌な装備もない生身の人間が勝てる道理はない。原作でドローンが殆ど描写されないのは帝国軍や同盟軍にとっては電子戦を仕掛ければ碌に戦闘もせずに無力化も可能な雑魚であるためだ。

 

 だが、二大星間大国に比べて遥かに技術力が格下のテロ組織や犯罪組織、外縁領域の宇宙海賊や軍閥、下町を襲うただの強盗程度では正面からドローンの相手にならないのも事実。当然ながら、私にもドローンを無力化するための時間的余裕も機材もない。そのため、到底軽視出来る存在ではなかった。

 

「とは言え、人でないだけ誤魔化しも利くんだがな……!」

 

 私は漸くそこに辿り着く。森の一角、高いフェンスに囲まれたそこは広大な狩猟園の外縁部である。そのフェンスの一部は明らかに不自然に縫われた柵がある。

 

さもありなん、ペンチでフェンスの鉄線を切り取ってから嵌め直したそこに私はしゃがみこむとガチャガチャとフェンスの網を揺らす。外れるフェンス、私は殆ど這いずりながらその抜け道から狩猟園に入り込む。泥で衣服が汚れるが知ったことではない。

 

「あばよっ……!!」

 

 フェンスの網を直してから私は狩猟園の森の中に逃げ込んだ。ドローンは狩猟園まで侵入する事は出来ずにそのまま失踪した私を探すために索敵モードに入りながら周辺を捜索していくだろう。後から到着した警備兵達も雨で消えていく足跡とこの暗闇ですぐにはフェンスの異常には気付けまい。その間に警戒の薄い狩猟園を抜けて伯爵家の敷地を抜けてやる積もりだ。

 

「はっ!ここまで行けば半分勝ったものだなっ……!!」

 

 早すぎるが私は半ば確信して勝鬨を上げる。ベアト達の方は兎も角私個人に限ってはこれで逃げ切れたも同然だった。後は狩猟園に面した自動車道で地上車と合流すれば良い。

 

 ……そう、本来ならばそれでどうにかなる筈だった。それだけの事の筈だった。後になって心底後悔したよ。いつもの事じゃないか。最後の最後にドぎついミスを仕出かす事位、な?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 激しい雨と雷光が響く中、ゴトフリート従士家が私有する山林では闇夜に紛れて静かに暗闘が続いていた。

 

『後退しろ、頭を押さえられた。東から迂回して横合いの高地を確保しろ』

『了解、戦闘を打ち切り転進する』

 

 雑音混じりの無線機を使い双方の歩兵部隊は暗視装置で視界を確保し闇夜の森で移動を続ける。

 

 戦闘、と言ってもそれは対帝国戦におけるそれに比べれば決して激しくない可愛いものだった。

 

 いや、それは双方の兵士の戦意や練度が低いからという訳ではない。寧ろ下手な同盟地上軍兵士よりも彼ら個々人の兵士としての質の水準は遥かに上回っている。

 

 にも拘らず戦闘行為の殆どが消音付きの小口径ライフルによる牽制射撃に留まるのは、一つには双方共に不用意な死亡者が出る事を望んでいないためだ。

 

 もう一つには所謂身内、家臣団内部での対立であり、そもそも友軍である事が挙げられる。別にそれで銃撃に躊躇するという訳ではないが、家督争いの命をかけた抗争という訳ではないのだ。下手に犠牲者が出ても伯爵家と家臣団としては不必要な『損失』に過ぎず、無駄に伯爵家の戦力を消費する愚行を敢えて行おうとは思えなかったし後処理が(政治的にも法的にも)面倒に過ぎた。

 

 今一つの理由としては、特にゴトフリート家からすれば確保したい……いや奪還したい対象が流れ弾で死亡されては困るという事情もあった。それは土足で上がり込んで来た『送り狼』達も同様だ。激しい戦闘で護衛対象を死なせるよりも追っ手を適当にあしらい逃亡する事を優先していた。それ故に戦闘は中々激化することは無かった。

 

 ……とは言え、実際に戦う者達からすれば命懸けである事に変わりは無かったが。

 

「ロイシュナー、ハルバッハ!先行しろ!西側から三人来ているからそいつらを追い払って血路を作れ!」

 

 雨嵐の吹き荒れる森、激しく雨が降りかかり弾かれる岩場の影から追っ手の接近を阻止するためにフェザーン製サブマシンガンの弾をばら撒くシェーンコップ。その命令に従い支援射撃に乗じて迷彩服の若者二人が身体を低くしつつ叢を駆ける。

 

「やれやれ、存外甘い見立てでしたかな?」

 

 使い切ったサブマシンガンの弾倉を交換しながらシェーンコップは苦笑いを浮かべる。別に油断していた訳でなければ馬鹿にしていた訳でもない。雇用主からは油断禁物と注意されていたし、事前に様々な戦況に合わせたシミュレートを重ね、予行練習までしていた程だ。

 

 だがそれでも相手がここまで粘り、部分的には追い詰められるのは若干想定外であった。別にゴトフリート家は陸戦専門と言う訳でもない。一族と家臣の大半、それも精鋭は前線に投入されており、この屋敷を守るのは一部を除けば二線級の警備兵が殆どだ。しかも仕掛けるタイミングと場所は此方が選べる。決して不利ではない。

 

「数による物量が一番の原因ですが、地の利も上手く活用していますな。ドローンも使えないのに初動も早い」

 

 そう相手側の動きに感想を述べるのはゼフリン中尉だ。

 

 今回の潜入救出作戦の最大の障壁が警備用ドローンであったが、其方は雇用主が用意したフェザーン製型落ちの野戦用電子戦装置でデータリンクを妨害してほぼ無力化に成功していた。ところが、屋敷と敷地警備の最前衛である『触覚』が使えなくなったにも関わらずこの迅速な動き……どうやら相手……少なくとも指揮官級は……もそれなりに修羅場を潜っているらしい。

 

「嵌められましたかな?」

 

 そうシェーンコップに意見するゼフリン。シェーンコップはその意味をすぐに理解する。

 

「私達を引き摺り出すためにお姫様を泳がしていた、と言う事ですかな?」

「っ……!」

 

 シェーンコップの傍で外套を被りながら隠れる従士が苦虫を噛み、打ち震える。それは屈辱と恥辱によるものであった。自身が尾行されていたのもそうだが、それ以上に自身の存在そのものが主人の足枷となっている事に対して彼女は憤りを感じていた。

 

 追っ手はシェーンコップ達を生け捕りしたがっている。それが意味する事はそれを元に彼女が逃げ出そうとした責任そのものを主人に拉致されたものとし、遂にはこれまでの失態そのものの責任の転嫁を意図しているに違いなかった。

 

 いかな理由があろうとも、流石に周囲に相談なく謹慎中のお気に入りの従士を私兵を使って無理矢理誘拐しようとしたとなれば次期伯爵家当主の評判が下がるのは避けられまい。

 

 同時にそれを阻止したとなれば針の筵なゴトフリート家の印象は好転しよう。色情に駆られて暴走気味の伯世子を畏れ多くも諫めた事になる。ひいてはこれまでの周囲のゴトフリート家に抱いている『娘を提供して取り入ろうとしている佞臣』のイメージは払拭され相対的にこれまでの悪行の数々も付き人より寧ろ伯世子本人により問題がある、と印象付ける事が出来る。いや、実際にそこまでしなくても伯世子の評判が落ちると思わせるだけでもゴトフリート家からすれば交渉の材料としては十分であろう。

 

「余り気にせん事ですな、付き人殿。どうせ遅かれ早かれ追っ手は来てたでしょうから。貴女は唯この場を逃げ切り我らが雇用主殿の下に落ち延びる事だけ考えて頂ければ良いのです」

 

 シェーンコップのその台詞は嘘ではない。何はともあれまずは護衛対象が逃げ切る事だ。自分達が捕まっても目標さえ達成出来れば幾らでもやり様はある。最悪の事態は目標が失敗した上捕まる事だ。それさえ回避出来れば良い。

 

「ギーファー!我らが御姫様を先導申し上げろ。怪我一つ負わせるな、傷物にした御令嬢を御渡しするなぞ騎士の名折れだぞ?」

「了解です、貴婦人御令嬢に尽くすのが帝国騎士の本懐ですからね!」

 

 冗談気味にシェーンコップがそう命令すればノリノリでギーファー少尉が答える。今年の六月に士官学校を卒業したばかりの騎士道精神に溢れる若者は、実戦はこれが初めてではあるが成績優秀で将来有望な陸兵の一人でもある。

 

「……中佐、御武運を祈ります」

「早くお行きなさい。雇用主は私のような捻くれ者よりも貴女が無事でいる事を御喜びになるでしょうからな」

 

 ギーファー少尉と共に場を離れる護衛対象。ちらりと一瞬だけシェーンコップはその小さく華奢な後ろ姿を見つめる。

 

「……やれやれ、まさかエル・ファシルで生き残ったと思えばハイネセンでスポンサーの愛人の護送をする羽目になりましょうとは」

「ゼフリン、お前さんにはあれが愛人に見えるのか?」

 

 ぽつりと呟くゼフリンに興味深そうな笑みを浮かべる不良騎士。

 

「……?普通に考えればそうでしょう?昨年の従軍では幾度かお見かけしましたが、随分と距離も近いようでしたし。そもそも態々女性を付き人等と……」

 

 帝国軍や亡命政府軍なら兎も角、同盟軍では愛人を連れて戦場に出るなぞ不可能だ。そして付き人は大抵の場合(例外はあるが)同性の者を選ぶ。そうなると同盟軍で態々女性の付き人を連れ回すとなると同盟軍で合法的に愛人を連れ回す位しか思いつかないであろう。

 

 無論、ゼフリンも決して人を見る目が無い訳ではないし今回の任務を命じた臨時雇用主の軍功も理解している。それでもここまでしてでも付き人を連れ出そうというのだ、その依怙贔屓ぶりもあって勘繰られる事自体は仕方ない事だ。

 

「……まぁ、そう思われるのは若様の責任だろうな」

 

 ゼフリンの言い草を咎めるでもなく、唯シェーンコップはにやりと意地の悪い表情を浮かべる。彼からすればゼフリンの勘違い(?)を訂正する必要を感じなかったしその義務も無かったのでそれを放置する。

 

「それよりも奴さん、距離を詰めて来てますが。どうします?」

 

 物陰から別の部下が尋ねる。試しにシェーンコップがちらりと顔を出せばすぐに鈍い音(消音装置の効果であろう)と共に銃弾の嵐が襲い掛かり首を引っ込める。

 

「距離一五〇と言った所か?いやはや随分と距離を詰められたものだ。急遽の寄せ集めながら思いの他連携が上手い」

「後退しますか?」

「……いや、御姫様がお逃げになるまでもう少し粘ろう。近距離の銃撃戦だ。互いに小口径の低反動弾を使っているとは言えこの距離となると当たれば只じゃあ済まん。お前達、気を引き締めろよ?」

 

 そう不敵な笑みを浮かべながらシェーンコップは森の西側から迂回し横合いから襲い掛かろうとしていた敵兵に牽制の鉛玉をばら撒いた。

 

 

 

 

 

 

 

「何をしている……!此方は賊共の倍はいるのよ!?手数は此方が上、地の利もある。何故押し切れない……!?」

 

 一方、雨具を着て木々の物陰から指示を出すウルスラ・フォン・ゴトフリート亡命政府軍地上軍中尉は無線機を通じて不甲斐ない部下達を責め立てていた。

 

 一族の多くの者に共通する豊かな金髪をポニーテールで縛り、仄かに薄暗い紅玉色の瞳には不快感と苛立ちが浮かぶ。リンニッヒ=ゴトフリート家出身の二二歳の女性士官にとって現状は余りにも不本意であった。

 

 当初の手筈では乱心して逃亡を図る愚かな再従姉とそれを回収しようとしていた次期当主の私兵を兵力差と地の利の力づくで抑え込む積もりだった。次期当主とは言え伯爵家の兵力を動かす事は夫人がいるので出来ない。子飼いの食客の数は限られている。負ける道理はない筈だった。

 

 それがどうだ?蓋を開けてみれば此方は寡兵に対して攻めあぐねているではないか!我らが!代々伯爵家を守護し奉る我らゴトフリート家の兵士が金で雇われた食客風情に!

 

 ……計算違いがあるとすれば一つには彼らが仕えるべき次期当主の考え方を見誤った事にあろう。彼らからすればこのような後ろ暗く、失敗が許されない仕事は信頼出来る子飼いの部下達に任せるのが当然と認識していた。

 

 まさか、手が空いているとは言え何の接点もない兵士達をアルバイト感覚で一個分隊雇用してしまうとは思っていなかったのだ。しかも、雇われたのはよりにもよって『一個連隊で一個師団に匹敵する』とさえ謳われる『薔薇の騎士連隊』の騎士達である。

 

 数を見誤り、質では最高水準の兵士を送り込まれれば苦戦もしよう。ゴトフリート家の私兵は最精鋭を最前線にとられ、この場で用意出来たのは質では二線級、当然と言えば当然の結果だ。いや、寧ろエル・ファシルの激戦を生き抜いた薔薇の騎士相手にここまで粘れるだけでも客観的に見れば十分過ぎる働きであろう。

 

 あくまでも客観的に、ではあるが……。

 

 ゴトフリート中尉にとっては健闘なぞどうでも良い事だ。任務を達成出来なければ意味がない。この任務で賊の捕縛と本家の再従姉の『保護』が出来なければ一族の沽券に関わる。

 

 彼女自身は典型的なゴトフリート従士家一族の人間だ。主家を崇拝し、盲信し、信仰している。

 

 ……そう、伯爵家をだ。

 

 決して蔑ろにする積もりはないが将来的な成長は兎も角、今の次期当主は伯爵家を継ぐ身として必ずしも適当とは彼女は思っていない。

 

 無論、軍功は敬服に値するがそれだけが当主の素質ではあるまい。特定の臣下を贔屓し過ぎ不和を煽るのは当主としては落第だ。ましてその贔屓の相手が一族本家の娘ともなれば彼女としても他人事ではない。

 

 一族本家に敵意はない。それでも本家の再従姉は失態を繰り返すし、それを何度も不必要に次期当主に庇い立てされてもゴトフリート家にとっては決して嬉しくはない。寧ろ悪目立ちする。他の従士家や伯爵家とその分家からの視線がどんどん胡乱気な物になればさもありなんだ。

 

 彼女からすれば伯爵夫人に一族が睨まれ代々の忠誠心が疑われるような事になるなぞ持ってのほかであり、それ故に此度の伯世子の暴走を諫め、失態続きの上に周囲に嫌疑をかけられる再従姉の愚考を止める此度の任務は寧ろ主家と一族双方のためのものであると認識していた。

 

「それにしても何と情けない……!仕方無いですね、前線司令部も前に出て正面戦力を拡充しますよっ……!」

 

 そう語りウルスラは後方に控えていた数名の兵士を前線に投入し、自身も二名の兵士を連れて無線で指揮をしながら進出を始める。

 

 無論、戦力では勝っているとは言え敵の兵の質は油断出来ない。それ故周辺警戒は怠らない。

 

 ……そう、油断はしていなかった。故に直前まで気付けなかったのは彼女の怠慢によるものではない筈だ。

 

「なっ……!!?」

 

 ウルスラは視界の端にその影を見た。殆ど同時に彼女は条件反射で猫のように後方に跳躍し、闇夜から振るわれるその一撃を回避する。

 

「今のを避けるとは、中々の手練れのようだ。是非に手合わせ願いたいものですな」

「抜かせ……!」

 

 ウルスラを守るように近場にいた二名の兵士がライフルを発砲する。下手人は後退してそれを避ける。

 

 恐らくは同年代であろう、脱色した藁色の髪に闇夜の中で蒼翠色に輝く瞳を持つ端正な青年将校が彼女の目の前に佇む。

 

「酷いものだわ、これでも時たま社交界に出る淑女ですのに。今の一撃、顔面を狙っておられたでしょう?」

「これは失礼を。まさかこれ程うら若き御令嬢がずぶ濡れで指揮を執っているとは思わず、どうぞ御許しを」

 

 と礼を取って見せる薔薇の騎士。ウルスラはその所作を見て不快気に鼻を鳴らす。

 

「その物腰、貴族ではないわねぇ。士族階級でしょうか?不愉快だわ、まさか格下に足を掬われかけるなんて……!」

 

 手信号による指示に従い中尉の正面に立つ兵士達がライフルを構え直す。

 

「おや、ここで人死にが出るのは避けたいのでは?」

「承知しております。ですが、栄誉ある我が一族の敷地に土足で上がりこみ、ましてや再従姉様を拉致しようとしたのです。手足をもがれる位の御覚悟は出来ておりますね?」

「それは厳しい」

「寧ろ命を取らぬ分慈悲深いと言って欲しいですわ。……撃て」

 

 空虚な笑みを浮かべ、冷たくそうウルスラは命じた。比我の距離は一五メートル程、一方刃物や鈍器の間合いはどれだけ広めに見積もっても五メートル前後である。まして二対一、この距離であれば殆ど勝利は約束されていた。

 

 ……そう、まともな敵が相手ならそうであった。

 

「なっ……!?」

 

 あるいは部下達も先入観に囚われていたのかもしれない。この距離から発砲されれば十人に六人まではそのまま撃たれていただろう。良く訓練された三人ならば咄嗟に駆けて物陰に隠れる事であろう。そこまでは彼らも予測は出来た。

 

 まさか正面から突っ込んで来るなぞ思いもよらない事だった。

 

 相手の銃口と視線から射線を予測、身を低くする事で被撃面積を最小限にして青年は弾丸の雨を掻い潜った。

 

 そしてライフルは距離数メートルの近接格闘戦では却って取り回しが難しい武器である。

 

 懐に入り込む青年、それでも相手にする兵士達は最善を尽くそうとしたと言えるだろう。慌てて腰元よりナイフを抜いて斬りかかる。

 

 だが……。

 

「ふぐっ……!?」

 

 一人の斬撃を身体を捻って回避するとその勢いのままに首元に叩きつけられる裏拳。その衝撃にふらついた兵士に情け容赦なく電磁警棒の一撃が降りかかる。感電して身体を一時的に麻痺させ、同時にその激痛から一瞬にして意識を刈り取られた。

 

「ちいっ……!!」

 

 背後から死角に入っての突きであった。垂直のナイフは青年の身体に押し込まれる。これで一気に形勢は逆転する。そうもう一人は思っただろう。

 

「甘い……!」

「ぐおっ……!?」

 

 その腕を捕まれて一気に背負い投げを食らった。馬鹿な!?背後から刺されたのだぞ!?激痛に耐えてそのような事……。

 

「悪いが、俺は刺されていないぞ?」

 

 そう、刺されていなかった。ナイフで突き刺される直前に身体をずらし脇でナイフを挟んだ結果だ。そのまま血のついていないナイフを蹴り捨てて首に衝撃を与える薔薇の騎士。素手で意識を奪うのは彼がそれだけ格闘戦と人体構造について精通している事を意味していた。

 

 ここまでの所要時間は恐らく十秒もかかっていない。実際にその所業を見た者達であれば何が起きたのか理解するのに相応の時間を要した事であろう。

 

 その意味で言えばウルスラは少なくとも人並み以上には対応力があったと言える。

 

 目の前で部下二人が無力化された光景を見た若い中尉は目の色を変え、その表情を険しくする。そこには既に一欠片の油断もなく、彼女の取りうる最大限の警戒態勢で身構えていた。

 

「成る程、これが一個連隊を以て一個師団と渡り合うという薔薇の騎士団ですか」

 

 一〇センチはあろう炭素セラミック製の軍用ナイフを腰から引き抜き、中尉は名乗り出る。

 

「……たかが士族と侮った先程の非礼、お詫びしましょう。私の名はウルスラ、リンニッヒ=ゴトフリート家のウルスラ・フォン・ゴトフリート中尉ですわ。……御名乗り頂けますでしょうね?」

「ほぅ、貴族様から御名乗りを頂けるとは光栄の由、なれば薔薇の騎士団の端くれとして私が名乗らないのでは連隊全体の不名誉になりますな」

 

 不敵に笑みを浮かべた青年は電磁警棒を構えて名乗り出る。

 

「リンツ、『薔薇の騎士連隊』小隊長を務めるカスパー・リンツ准尉と申します。どうぞ良しなに御願いしたい」

「そうですか。此方こそどうぞ宜しく御願い致しますわ。…………じゃあ、死ねっ!」

「笑わせるっ!!」

 

 雨嵐の中で二つの影が交差した………。

 

 

 

 

 

 

「うぐっ……!?」

 

 森の中で小さな悲鳴が上がる。ゴトフリート家からの追っ手が足を拳銃弾で撃ち抜かれて渋々と後退する。

 

「これで全員追い払ったかな……?」

「問題は増援が来るかだぜ?……今のところは大丈夫そうだが………」

 

 迂回して回り込もうとしていた三名の敵兵を後退させたロイシュナー軍曹とハルバッハ伍長は機関拳銃を手に山林を進む。

 

「それにしても案外しぶとかったな。寄せ集めの分際でやってくれる」

「何、多少手古摺っても俺達には敵わんよ」

「それはそうだがな……たく、割に合わねぇバイトだな、こりゃあ」

「それは言えてるな。ん……?」

 

 ふとハルバッハ伍長は違和感を感じて背後を振り向く。

 

「……どうした?」

「……いや、何もない」

 

 警戒はしてみるものの気配を感じないためにハルバッハ伍長は前を向き直し前進しようとする。そして……次の瞬間意識を刈り取られていた。

 

「ん?」

 

 物音に気付き振り向いたロイシュナー軍曹は同僚の姿が消えている事に気付きただちに全方位警戒態勢に移った。背後を取られぬように木々の根元に陣取り短機関銃に腰の拳銃を引き抜いて絶えず視線を移動させる。だが……。

 

「さて、悪いが少しの間眠っていてくれ給え」

「なっ!?糞っ…こっ……」

 

 木々の上から飛び込んできた人影に上から泥の水たまりの中に叩き込まれたロイシュナー軍曹。関節技で足と右腕を拘束される。次の瞬間、人影は懐から閃光を散らせる棒状の物体を抜き取る。電磁警棒に違いなかった。

 

「な、舐めるなぁ……!」

 

 泥水で濡れ切ったロイシュナー軍曹は左腕で相手の警棒を持つ手を掴む。幾ら強靭な『薔薇の騎士連隊』の戦士達も人間を止めてはいない。高電圧を帯びた電磁警棒を急所に浴びれば瞬く間に激痛と共に意識を奪われる事請け合いである。それで無事なのは精々帝国の石器時代の勇者位のものだ。それ故に何としても阻止せざる得ない。

 

「残念、さようならだ」

 

 しかし人影はまともにロイシュナー軍曹と戦う積もりは無かった。次の瞬間掴まれた手から電磁警棒を離す。高圧電流の流れる鉄棒は重力に従い落下し……。

 

「ファック!」

 

 泥沼に落下すると共に感電したロイシュナー軍曹は小さな悲鳴を上げて気絶した。

 

「………」

 

 小賢しい侵入者の無力化を確認した人影はゴム製の手袋で電磁警棒を回収、電源を切りその柄を短く収納して懐に戻す。

 

「……さて、予想より少し早いね。困ったなぁ、本来なら待ち伏せの罠を仕掛ける予定だったんだけどね?」

 

 立ち上がった人影は正面の従士と護衛に胡乱気な視線を向ける。

 

「全く、暫く顔を会わせない内に不良になってしまったみたいだ。朱に交われば赤くなると言うが……実に嘆かわしい限りだね」

 

 その声に付き人の少女は目を見開き、肩を震わせる。そして恐る恐る声の方向に振り向く。ギーファー少尉は護衛対象の前に出て身構えた。

 

「まぁ、そうは言っても大切な妹である事に変わらない。さぁ、家に帰ろう。大丈夫さ、父には私も共に謝ろう。……それにしてもこれは酷い、雨でずぶ濡れじゃないか。風邪をひく前にシャワーに入って着替えないとね。温かい夜食も用意させようか?」

 

 闇夜の中からその人影は姿を表す。心底優しげに、そして思い遣り可愛がるべき妹に諭すようにかけられる声は少女が幼い頃のそれと変わらない。

 

 だが、それがベアトリクスにはまるで死刑執行を宣告する裁判官のそれに聞こえていた。それは声の主の気迫もあるが、恐らくは彼女自身の性格にも由来していただろう。帝国人の家庭は家長制の傾向が強い。それ故に序列が上の者に下の者が逆らうなぞそうそうない。

 

「ジーク…お兄…様……」

 

 ベアトリクスは絞り出すように追っ手の愛称を呟く。付き人になる前、留学から一時帰国する度に何度も遊んでもらおうと甘えて呼んでいたその名前を。

 

「さぁ此方に来なさい、ベアト。可愛い私の『妹』よ」

 

 落雷が周囲を照らした。それが大雨の降りしきる木々の間から姿を現した青年を照らし出した。

 

 雨具に身を包んだジークムント・フォン・ゴトフリート、ベアトリクスの『兄』……そして彼女の『義兄』であり『従兄』である男は高圧的に、しかし確かな肉親への憐れみと慈しみを込めてそう手招きしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 激しい雨が降り注ぐ。『ソレ』は大柄な身体を揺らしながら雨粒を弾き広大な森の中を歩み続ける。

 

『ソレ』は飢えていた。『ソレ』が、正確にはその個体が鳥籠の中の生態系において限りなく最下層に位置していたからだ。

 

 比較的幼く体躯の小さい個体である『ソレ』は鳥籠の中では搾取される側であった。同族のより巨躯な個体やあるいはより狂暴な種族の前に『ソレ』は餌を前にしながらそれにありつく事すら許されず、ただただ威嚇され、逃げ惑うしかなかった。

 

 抵抗は無駄であった。下手をすればその牙を、その爪を奮う前に噛み殺されてしまうだろう。実際同じように飢えに勝てずがむしゃらに襲いかかった弱い個体が上位種に食い殺される所を『ソレ』は何度も見ていた。

 

 ……本来ならば、自然界ならばこのように逃げ惑う必要なぞない筈だった。『ソレ』は確かに同族の中ではかなり劣る存在ではあるが、あくまでもそれは補食する側としての事である。本来の自然界ならば『ソレ』に食われるだけの多くの存在が森に満ちている筈であり、飢えを感じる事なぞあり得ない筈だった。

 

 『ソレ』の生まれた森においては違った。鋼鉄製の鉄柵と有刺鉄線で囲われたその森は決して狭くはなかったが幾つかの区画で仕切られ、その内側に住まうのは『ソレ』と同じく捕食者のみ、自らの糧となるのは森に住まう同じ捕食者か『ソレ』から見て小さく弱弱しい生き物が柵の向こう側から放り投げる肉塊だけであった。

 

 鉄柵の向こう側で悠々と歩きまわる草食獣達を幾度食い殺したいと思ったか数知れない。肥え太った鹿や猪が無警戒に目の前を通り過ぎていった。自然界においては無謀かつ無警戒なその行いもこの箱庭の中では許される。自らと捕食者の間を塞ぐ鋼鉄の柵、常時高電圧が流れるその存在が自らの安全を保証してくれる事をか弱い獣達は理解していた。

 

 幾度か飢えに耐えかねて鉄条網に突撃した事はある。その度に身体にかかる電流の前に『ソレ』は情けない悲鳴を上げて逃げざるを得なかった。

 

 そして今もまた、『ソレ』の目の前には一頭の小鹿がいた。自らの存在を理解しつつ無警戒に草を毟るその存在に『ソレ』の獣としての矜持を傷つけられる。

 

『グウウゥゥゥ………!!』

 

 飢えと怒りと不快感から『ソレ』は唸り声をあげる。

 

 既に『ソレ』の我慢は限界であった強烈な飢えが唯でさえ少ない『ソレ』の理性を完全に奪う。目の前の柔らかそうな獲物に食らいつきたい……それだけが『ソレ』の思考を支配していた。

 

 ……それは偶然だった。数日に渡る嵐、そして落雷によって送電線の一部が一時的に切断されていた。その結果として狩猟園の鉄条網の極狭い一角において電流が途絶えていたのだ。無論そのうちに復旧する筈ではあったがその僅かな時間が運命を分けた。

 

 刹那、その小鹿は驚愕していた事であろう。本能のままに鉄条網を引きちぎり、飛び込み、乗りかかってきた『ソレ』の存在に。

 

 いつもならば電流が流れている筈の鉄柵にそれが無かった……その事に疑問を感じる程畜生に高尚な知能なぞある訳もなく、次の瞬間には驚いた小鹿は逃げ出す隙も与えられずにその小さな頭を叩き潰されていた。

 

 泥のぬかるみの中に赤い血と桃色の脳漿と白い頭蓋骨の破片が四散する。ぐたりと糸の切れたマリオネットのように倒れる小さな肢体。それに飢えた獣はその顎を全開まで広げて噛みついて、食い千切る。骨ごと肉を噛み砕く。固い肉繊維を無理矢理に噛みちぎり、流れる生暖かい血を啜り、贓物を踊り食いする。

 

 相当な飢えであったのだろう、『ソレ』はあっと言う間に殆どの可食部を腹に納めてしまった。暗闇の森の中、まるで狼の遠吠えのように血に濡れた口で雄叫びを上げる。『ソレ』の脳内では自由を得た解放感と飢えを満たした喜びに満ち満ちていた。

 

 だが……それだけでは終わらない。

 

『ソレ』は四足で未だ足を踏み入れた事のない森の中を進む。まだだ、まだ飢えは満たしきっていない。長年空腹に苦しめられていた『ソレ』はまだまだ食べ足りなかった。

 

『ソレ』は次の生贄を求め、山岳部を降りていったのだった………。




次は兄貴回の予定、今章は今回除くと後四、五話位で終わると思います


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第百四十二話 何かを得るためには何かを捨てなければならないという話

 ティルピッツ伯ヴォルフラムの長子、第二八代ティルピッツ伯爵家当主ルートヴィヒ(ルートヴィヒ三世)は典型的な門閥貴族であり、武門貴族の棟梁であった。厳格かつ抑圧的、厳粛にて高慢な大貴族である。特に鋭い目つきが見る者に威圧感を与えていたという。公的には銀河帝国亡命政府軍宇宙艦隊司令長官とシュレージエン州知事、アルレスハイム星系政府議会貴族院議員と複数の顕職を兼ねるだけの財力と才覚を持ち合わせていた。

 

 大貴族が大貴族と婚姻関係を結ぶのは常識中の常識であり、それは亡命貴族も変わらない。当時のゴールドシュタイン公の次女ゲルトルートを妻に迎え長男アムレートと次男アドルフ、長女アレクサンドラを授かった。また数人いた妾から女子が三人、男子が二人生まれ、特にこれ等の庶子は分家や他家への嫁入りや養子、教会への出家と言った政略の道具として利用された。

 

 少なくともその初期において家庭環境は円満、と言わずとも険悪ではなかった。家長たるルートヴィヒは厳しい人物ではあったが彼の求める水準に妻も子供も十分達していたので殊更に叱りつける理由はない。

 

 妻は亡命政府政界の重臣、開祖ルドルフ大帝の三女を始祖とするゴールドシュタイン家の生まれである。極度に貴族主義的な価値観の持ち主であったが、夫婦にとってそれは良い方向に作用していたと言えるだろう。もし夫が矜持が高いだけの無能であれば何くれと無く口出していたかもしれないが、軍事にも政治にも、統治にすら敏腕を振るう傑物であったため殊更口を挟む事は無かった。彼女は唯黙って家を支えるだけであり、ルートヴィヒが妻に望むのもただ自身に従う事だけであった。

 

 嫡子たる二人の息子と娘の養育にも問題は無かった。長男アムレートも、次男アドルフも、生来の素養と金に糸目を付けぬ英才教育の成果によりまず水準以上の知性と上流階級として十分な礼儀作法を身につけていた。末のアレクサンドラは母譲りの美貌を持ち、機転の利く賢い子供だった。人格的にも、父親と違い厳格過ぎず穏やかで誰に対しても優しい長男と、そんな兄を立てる生真面目な次男はその仲も良く、御家騒動の心配はない。そんな兄二人に可愛がられていた器量良しのアレクサンドラも分家筋のヴァイマール伯爵家に嫁ぎ、その家族関係は良好だった。

 

 このように、門閥貴族の家庭としてはまずまずの合格点と言えただろう。実際この時期の伯爵家は権勢も強く、分家や家臣団もかなり伯爵家の将来を楽観視していた。

 

 どこで選択を誤ったのであろうか?ゴトフリート家から献上された純情な少女に年若いアムレートが入れ込み過ぎた事であろうか?アムレートにとって信頼出来る相談相手であった次男アドルフが自由惑星同盟軍に入隊し疎遠になってしまった事であろうか?あるいは父ルートヴィヒが狭量で息子に高圧的過ぎた事か、いやもしかしたら妻であり母であるゲルトルートが不干渉に徹さず双方を宥めていれば良かったかも知れない。

 

 兎も角も、ゴトフリート家本家の長女オフィリアに心底惚れ込んだアムレートは妾としてではなく妻に迎え入れようと望み、当然のように父親と激しく争う事となった。堂々とした好青年であったアムレートが正面から父に直訴すれば貴族主義者のルートヴィヒは悪鬼のような形相で息子を怒鳴りつける。

 

 ルートヴィヒは『彼なりに』息子を大切にしていたが、父に逆らうとなれば話が変わる。息子にその様なことなぞ許されるはずはないし、その内容も論ずるに値しないものであった。幾ら重臣の家の娘だろうと正妻とするには立場が釣り合わなすぎた。

 

 一方、冷酷で抑圧的な父とは似つかぬ義侠心と深い愛情を持ったアムレートもまた、一歩も引かなかった。その性格は分家や家臣団からの評判も良く、特に同世代や若い世代からは父ルートヴィヒの厳格さと冷酷さへの反発もあって高い支持を集めていた。特にゴトフリート家当主の長男でありそしてアムレートの付き人でもあったオフィリアの兄はその立場もあって重臣の筆頭だった。

 

 古参や長老衆を従えるルートヴィヒと若手の有力な家臣達を率いるアムレートの対立構造であると言えよう。対立を嫌った者達は抗争から遠ざかり、同盟軍で生真面目に軍功を重ねるアドルフや同じく中立に立ったヴァイマール伯爵家のアレクサンドラを頼り身を寄せる。

 

 騒動の渦中にいたオフィリアは、良くも悪くも何らの関与もしなかった。元々『献上品』として教育された彼女は穏やかで、素直で、健気で、淑やかで、何よりも愚かな娘だった。無菌室で純粋培養された少女は悪意にも敵意にも無頓着であり、人懐っこい愛玩動物以上の存在ではなかった。背中を押す事も自重を促す事もなく、ただひたすらに自らの主人と刷り込まれた相手を愛し、尽くし、付き従うだけの哀れな存在でしかなかった。

 

 アムレートはそんな彼女をただの都合の良い女と見なす程に冷淡でも自己中心的な性格でもない。それは一個人としては確かに美徳であったが、この情勢では悪手と言わざるを得ない。

 

 オフィリアが産んだ男子にアムレートが嫡男同然に接すると父子の緊張は更に高まる。そして、父が半ば無理矢理見繕った名家の婚約者を懇切丁寧に事情を説いたとは言え引き取らせてしまうと父子の関係はいよいよ修復が困難なレベルとなった。伯爵家の亀裂は遂に、いつ嫡男アムレートの勘当に踏み切るかと言う段階に達したのだ。

 

 しかもその間に父の手の者か一部の独断か、あるいは第三者の手によるものか、オフィリアやその子に対して毒殺の危険が幾度か差し迫っていた。息子は一層父を責め立て追及し、父は知らぬ存ぜぬ息子の戯れ言だと切って捨てる。最早決裂は時間の問題であった。

 

 そんな折に行われた出征であった。亡命政府軍宇宙艦隊約三三〇〇隻は二手に別れて帝国軍に攻勢を仕掛ける予定だった。主力艦隊の指揮官をルートヴィヒが、別動隊をアムレートが率いる。

 

 恐らくであるがそれは決して故意ではなく、まして互いに足を引っ張った結果でもなかったと思われる。当主もその息子も私情を戦場に持ち込む人物ではなかったし、そもそも作戦自体幾人もの参謀や将軍が練ったものだ。生き残った艦隊の主要幹部からの事情聴取でも両者がわざと味方の危険を見過ごしたような痕跡は見られない。

 

 それ以前に、そのような危険があれば軍部も宮廷もこの二人に艦隊を任せなかっただろう。少なくともその意味では信頼されていた。

 

 兎も角も、残された事実は時の帝国軍『七提督』の一人、エックハルト少将率いる分艦隊の待ち伏せを前にまず嫡男アムレートの別動隊が奇襲攻撃を受け半壊、次いで五里霧中の中で前進した主力艦隊が包囲網に引っ掛かり同じく大打撃を受け両艦隊の指揮官が戦死した事である。

 

 軍部も宮廷も、そして当然の如く伯爵家も混乱した。ルートヴィヒの腹違いの弟アルフレートはこの非常事態の収拾に奔走した。敗戦に対する伯爵家の責任を最小限に止め、次いで空席となった当主・次期当主の席をどのようにして埋めるかの家内の意見対立を説得し、あるいは粛清して迅速に一族と家臣団を纏め上げた。

 

 こうして同盟軍にて将来を嘱望されていたアドルフは半ば強制的に伯爵家の当主の座に就任させられた。そしてこの新当主就任の影で密かに屋敷に住み込んでいたアムレートの愛妾が息子と共に追放されたのは当然……むしろ慈悲ですらあった。

 

 真偽は兎も角、此度の騒動の原因を愛妾の存在による両者の不仲に求める者は少なく無かったし、そうでなくとも生き残ったアムレート派の残党は自分達の立場もありその息子を神輿に担ぎ出そうと悪足搔きをしていた。アドルフを推していたアルフレート以下の主流派としては心底目障りであった。

 

 それらを加味すると、母子への処遇は門閥貴族から見た場合極めて『寛大』であった。

 

 実の所、伯爵家の長老達からすれば伯爵家のために母子共々殉死を強要して抹殺しても良かった位である。情けは無用なのだ。かつて、エーリッヒ一世酷薄帝は愛らしい顔立ちに優しい表情を称える純粋な少年として有名だった。その彼が一二歳の頃、自身と皇后であった気の弱い母が異母兄アルブレヒトとその親族に文字通り殺されかける事件が起こった。彼は重傷を負いながらも襲撃者を返り討ちにして生き延びたが、以来性格が豹変し、異母兄弟姉妹を謀殺し尽くして皇帝となった。あるいは読書を趣味とする病弱で大人しい性格だったオットー・ハインツ一世能書帝は、皇位の対抗馬に担ぎ上げられた自分を慕う健康優良な弟を周囲の進言を容れて自裁させた。マクシミリアン・ヨーゼフ二世晴眼帝に至っては自作自演で兄を毒殺し、自らを脅かす弟二人をギロチンの露と消してしまった。

 

 帝室の皇位継承に限らず貴族の家督争いでもこの手の話は探せばごまんと出て来るものだ。帝国貴族は血縁と家を重視する。遠縁であろうとも一人が害されれば一族郎党総出で相手に報復する。その一方で、必要であれば一族全体の安寧ために涙を飲んで不要な枝葉を斬り落とすかのような所業を当然のごとく行うのだ。しかも相手が同じ門閥貴族の血統なら兎も角、所詮は従士である。事実、オフィリアの父は娘達を自裁させるべきかアルフレートに尋ねた程だ。

 

 最終的に母子の自裁が為されなかったのは当主就任に際してアドルフの行った口添えのお陰だった。少なくとも彼は母子に恨みは無かった。寧ろ良き夫であり良き父であったであろう兄を失った母子を憐れんですらいた。流石に面会は周囲に止められたのでしていないが、アドルフは二人に害意を持った干渉はせず、養育費だけ与えて実家に帰らせた。

 

 尤も、五体満足で帰って来た娘を父は軟禁したが。そして娘は殆ど亡霊のような表情でそれを唯々諾々と受け入れた。

 

 軟禁された娘は兎も角、主家の血を引き継ぐ孫は流石に一応の礼節を持って遇された。とは言えその子供には何の慰めにもならなかった。

 

 可憐で無邪気な優しさに溢れていた母は、外出はおろか庭先での散歩さえ許されなかった。殆ど座敷牢のような地下の一室で日に日に弱り、それでも一日の大半を死んだ夫の安眠のため、祈りを捧げる事だけに費やしていた。時たま面会を許された息子が心配しても儚げに問題ない事を伝え、死んだ父の事ばかり口にする。

 

 実際、愚かで哀れな娘だった。生まれた時から何も知らぬままに主人に気に入られるように『教育』され、身勝手に愛されて、望んでもないのに御家騒動の渦中に放り込まれた。主家にとっていらなくなれば邪魔者として屋敷を追放され、実家に戻れば軟禁される。そして未だ若く美しいのに再婚する所か恋をする事も、その発想に至る事も許されず、何らの人生の楽しみもなくひたすら不幸の元凶のために祈りを捧げながら弱っていくだけの生活だ。これを哀れと言わずに何と言おうか?

 

 ………何よりも、息子にすらそのように思われている事がこの娘を一層惨めで哀れにさせていた。

 

 伯爵家本家にて新しく一族の女主人となった皇女が死産流産を立て続けに経験していた頃、オフィリアは死んだ。一応は衰弱死であったが時期が時期だけにいらぬ噂が立ったのも事実だ。

 

 だがゴトフリート家からして殆ど出家したも同然の本家の娘が死んだ事なぞどうでも良い事だ。寧ろひっそりと死んでくれたのは幸いだった。実際葬式も埋葬も家柄に対して余りに簡素であり出席者も少数だった。

 

 まぁ母親は死んだから良い、問題は半分とは言え高貴な血を引くその息子だ。

 

 下手をすれば火種になりかねない、そうでなくとも生かしているだけで要らぬ疑惑を与えかねないこの子供をどうするべきか、一族の年長者達は悩んでいた。

 

 そこに手を差し伸べたのは本家の次男であり次期当主であったルドガーであった。御家騒動中は中立の立場にあり、現伯爵家当主アドルフからの信任も厚い彼は姉の忘れ形見を冷遇する積もりは一切なかった。妻と相談して養子として、長男として甥を受け入れる。

 

 正直な所、ルドガーにとってもこれは命懸けの決断であった。御家騒動が勃発した初期からアドルフの所に身を寄せていたため長老衆達からも信頼され、一族の立場を復権させた彼であるが流石に甥を養子に引き取るリスクは低くはなかった。

 

 少しでも甥が野心を見せていれば即座に粛清されていただろう。名門従士家の権力は平民から見れば十分巨大で、数百人の一族に数千人の奉公人、幾つもの荘園と企業を有している。だが大貴族の当主の権力はその数十倍に上るのだ。人の欲望は際限がない、実父が生きていれば得られたかも知れない伯爵家当主の椅子、そこに自分ではない幼子が座っている。そこに叛意を抱きはしないか………ルドガーの心配はそこにあった。

 

 その意味では養父の心配は無用の物だった。引き取られたばかりの長年腫物を扱うように育てられていた(そしていつ処断されるか恐怖で病んでいた)幼い甥の心は荒み、やさぐれていたが同時に伯爵家を嫌いこそすれその頂点に立とうとは思ってもいなかった。幾人かの邪な企みの誘いを甥は即座に断って通報さえもした。甥は権力闘争の道具にされるのを嫌っていたし、『あんな家』に戻るのに至ってはもっての外であったらしい。

 

 寧ろ甥は養父母の愛情を受けて真直ぐに育った。父親に似た生来の優しさを取り戻した彼は血の繋がらない両親を心から愛したし、同じように血の繋がらない幼い弟妹も心から可愛がった。特に妹は死んだオフィリアに顔も性格も良く似ており家族の中でも特に気に入っていたようだった。

 

 長男の血筋を知る者は最低限に限定された。ルドガーの実の子供達も兄の本物の血筋は知らない。ルドガーはそれで良いと考えていた。下手に血統を騒ぎ立てて荒事を起こす必要はない。長子自身にも自身の血に悩む事や利用される事がないように宮廷とは距離を置いて育てた。ハイネセン留学で学んだ価値観は彼の劣等感や苦悩をある程度は拭ってくれるだろうし、次代のゴトフリート家の当主となった時には実務面でも役立つだろう。異常な貴族主義と主家の崇拝から距離を置いていた『息子』は一族を上手く舵取り出来る筈だとルドガーは考えた。

 

 実際、それは途中までは上手く行っていたと言えた。

 

 ハイネセン留学から夏季や冬季休暇で帰って来る息子は屈託のない笑みを浮かべていた。その姿に葛藤はなく、理知的で広い視野も持っていた。主家に対する蟠りはあるようだが、家族の存在もあって自身の中である程度の折り合いをつけていたようだ。主家を唯々盲信するのではなく、しかし現状を受け入れ自身の感情よりも一族の安寧を優先出来る現実主義を選ぶ事も出来る。これからの時代の従士家当主として理想的な人物となり得る筈だった。

 

 ところが、我儘で問題児の伯世子に可愛がっていた弟が付き人の立場から追い返された。次いで妹がその次期当主のせいで北苑で遭難した。そして溺愛された……これらの出来事は長子の主家に対する敵意を再燃させるに十分だった。

 

 まして異常な程にその伯世子が妹に入れ込み戦場に連れ回す。その度に問題が起きて妹が怪我をし責任を追及される。それを伯世子が庇いだてすれば余計妹に怪訝な視線が集中する事になる。正に悪循環であり、オフィリアの前例もあって実家の立場が再び悪くなるのも当然であった。一度ならばまだ入れ込んだ側の責任かも知れないが二代続けば確信犯扱いもされよう。

 

 あの大切な妹が!実母の生き写しであり、病弱でありながら血の繋がらない自分に愛情を注いでくれた育ての母がその命と引き換えに生んだ妹が!よりによって『あんな一族』の放蕩息子の慰み者にされて!戦場に連れられてボロボロにされて!ましてや周囲に疎まれるなんて!

 

 実母の末路を思えば到底このままあの放蕩息子の下に預け続けるなんて許容出来る筈がない。妹が盲目的に主人を敬う姿なぞ見ていて痛々しいだけだった。惨めで愚かで哀れな母を思い出すだけだった。その余りに献身的で歪な感情が彼女の生来のものとは彼には思えなかった。植え付けられた、作られた感情としか思えなかった。

 

 正直、伯爵夫人の勘気に触れて伯世子から引き離されたのは幸運だとすら思っていた。深い怪我を負ったが障害はない。このまま暫くは謹慎であろうがあの放蕩息子の傍に妹が引きずり回されないだけで良かった。どうせ伯爵夫人にお願いすれば幾らでも『代用品』を貰える立場なのだ、妹をこれ以上拘束して苦しめるな!

 

 彼は一族を愛していた。家族を愛していた。この身体に流れる半分の高貴で身勝手な吐き気すらする一族の血なぞではない。もう半分の血を愛していた。自分を迎えてくれた家を愛していた。

 

 ……だからこそ、問題児の伯世子が妹を奪おうと画策している事を知った時、彼……ジークムントの心中に憎悪の黒い炎が燃え上がったのは余りに当然過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 雷鳴は未だ鳴りやまない。どしゃ降りの大雨は数日に渡り続いているがここに来て一層激しく降り始めているように思えた。

 

 そんな中、ベアトリクスは足を止める。止めざるを得ない。忠義深い彼女ですらその声を振り払うのは容易では無かった。

 

 彼女の『兄』は優しく微笑みながら愛すべき妹に呼び掛ける。

 

「さぁ、早く此方に来なさい」

「お兄…様……」

 

 優しさに溢れた呼び掛け、しかし従士はそれに応じる積もりはない。だが同時に向けられる圧迫感から逃げる事も出来ず、ただただその場に佇む事しか出来なかった。

 

「ベアト、気持ちは分かるよ。この事が知れたら父上は大層御立腹されるだろうからね。……だけど今なら私が父上を宥められる。何、可愛い妹のためだ、安心して家に戻って来なさい」

「わ、私は……」

「おっと、兄貴か何か知らんがそれは出来ないぜ。御姫さんは今から駆け落ちデートを為さるからな。いい歳こいてるんだ、シスコンは止めたらどうだい?」

 

 ベアトリクスを守るようにギーファー少尉が身構える。挑発するような物言い、尤も少尉の内心は戦慄と緊張に満ちていた。

 

(おいおい、ロイシュナーとハルバッハがやられてるのかよ。冗談きついぜ……?)

 

 先行していた筈の二人、その片割れがやられたのは目の前で確認出来た。十中八九もう一人も無力化されている事であろう。双方とも数年に渡る厳しい訓練とエル・ファシルの激闘を経験した精兵だ。それを無力化するなぞ……正直士官学校を卒業したばかりのギーファー少尉では荷が重い。

 

(俺一人では勝てないな。ならば足止めして御姫さんにはお逃げ頂くしかない、か……)

「止めておいた方が良い。君が動けば私は妹の足を撃つ。我が妹が幾ら軽いとは言え人一人抱えてこの悪天候の中逃げるのは簡単ではないだろう?」

 

 相手の思考を見透かしたようにジークムントは警告する。

 

「これは酷いな、可愛い妹と言いながら平然と撃つと宣言するとは。まるで鬼だぜ?」

「いやいや、私も本当に心臓を抉られる気持ちだよ。言葉にする事すら辛い。だけど、妹が悪い男に騙されて行ってしまうよりはマシさ。ちゃんと後遺症も残らないような場所に撃つから安心してくれていいよ?それに……」

 

 暗い笑みを浮かべてジークムントは雨具を開き懐のハンドブラスターを見せつける。

 

「君のお仲間から拝借した。これで撃たせてもらう。当然傷口は後で照合される。妹を撃ったのが君達のハンドブラスターだと分かればどうなるか、分かると思うんだけどね?」

 

 見る者によっては敷地に土足で入り込んだ『送り狼』共が撃ったと捉えかねないだろう。

 

「君達の雇用主が最後まで君達を守ってくれるかな?君達の雇い主は『伯爵家』ではないだろう?一個人の独断、ならば君達が捕まれば縁を切って知らぬ存ぜぬを決め込む事もあるだろうさ」

 

 そうなれば周囲の理解は兎も角、公的には薔薇の騎士連隊所属の一部の隊員が無断でゴトフリート家の屋敷に入り込み本家の娘を拉致、追い詰められてその娘を撃った……そう記録されるだろう。伯爵夫人としても息子の不名誉な記録なぞ残って欲しくあるまい。ギーファー達は双方から蜥蜴の尻尾切りされる可能性すらあろう。

 

「そうだ、取引をしないか?妹を返して降伏してくれないかな?後、事情聴取にも協力して欲しいかな?君達が雇われただけなのは知っているし、今なら事を公にせずとも裏で手を回せば内々で処理も出来る。……そうだ、君達に支払われる謝礼の倍の礼金も上げようじゃないか。悪い話ではないと思うけどね?」

 

 ジークムントは大幅に譲歩した条件を提示して揺さぶりをかける。彼ら薔薇の騎士が雇用主さえ見捨てれば一切損のない条件と言えた。

 

「………」

 

 護衛対象の従士は薔薇の騎士を不安げに見やる。流石の彼女も兄と薔薇の騎士双方を相手にして逃げ切る自信なぞ一切無かった。

 

 ギーファー少尉は悩まし気に頭を掻いて……面倒そうに答える。

 

「旨そうな話だが……御断りさせて頂きましょうかねぇ?」

「……へぇ」

 

 あっけらかんとした薔薇の騎士の言にジークムントは冷たく呟く。

 

「意外だね、金で雇われた身でありながら変な所で忠義深い」

「いやいや、だからこそですぜ。主従契約は命に代えても遵守せねばならんものでしょう。常に誇り高い騎士として振る舞えが副連隊長の教えでしてね。まして……」

「……まして御姫様を御救い申し上げようと言うんです、騎士冥利に尽きるってものですよ。このような大役、逃す手はありますまい」

 

 ギーファー少尉に続けるようなバリトンボイスが響き渡る。ちらりとジークムントが視線を向ければ肩にブラスターライフル……型式からして明らかにこの屋敷の警備兵から強奪したものだった……を背負う迷彩服の青年紳士が不敵な笑みを湛えながら姿を現す。

 

「君は……」

「ワルター・フォン・シェーンコップ上等帝国騎士で御座います。ゴトフリート従士家本家の長子ジークムント様ですな?軍功はかねがね聞き及んでおります。此度は土足で御屋敷に訪問いたした事、誠に御迷惑をおかけしております。どうぞご容赦下さいませ」

 

 ジークムントの怪訝な表情に反応して大袈裟に帝国騎士は挨拶の口上を述べる。

 

「構わないよ。小汚い鼠が庭先をはい回ろうと気にしないからね。それよりも、そんな鼠共が我が家の可愛い妹を連れ出してどこに向かうのか、聞かせてくれてもいいかな?」

「さて?御年頃のご令嬢ですからな、どこぞで逢い引きの御約束でもしているのでしょうよ。良い歳なのです、いつまでも妹離れ出来ずにお出掛け先についていっては嫌われてしまいますぞ?」

 

 嘲笑うように帝国騎士は指摘する。その挑発に対してジークムントは肩を竦めて辛辣に返答する。 

 

「一般論ならその通りだけどね。流石に悪い虫を超えて毒虫が誘惑しているとなると心配性の兄としては世間知らずの妹に代わって消毒をしないと気が済まないのさ。君は確か既婚者だったかな?娘に軽薄な男が寄って来ても同じ事は言えるのかな?」

「我らが主人を毒虫扱いとは、これはまた手厳しい。ですが今の例えを言われると否定が難しくなりますなぁ……」

 

 参戦してきた帝国騎士は悩まし気に語る。実際、てくてくと可愛らしい足取りで自分の下に駆けよって来る娘がどこぞの遊び人と駆け落ちすると考えると……戦斧片手にその糞野郎の家の玄関を蹴り飛ばしているだろう。

 

 まぁ、それはそれとして………。

 

「残念ながら追っ手の方は粗方寝てもらうか逃げ帰って頂きました。私としましては曲がりなりにも重臣の御坊っちゃんを傷つけるのは避けたいのが本音でしてな。お引き取り願えませんかな?」

「脅しかい?」

「それ以外の言葉に聞こえたなら私の言い回しが悪いのでしょうな」

「成る程………」

 

 ジークムントは小さな溜息を漏らす。

 

「……流石に本職が船乗りの私では君を相手に早撃ちで勝負しても勝てないだろうね。このまま抵抗をしたところで無意味だろう」

「御理解頂けたら何よりですな」

「ああ。……だから応援を貰おうかな?」

 

 ジークムントは不敵な笑みを浮かべた。次の瞬間、ギーファー少尉の肩が撃ち抜かれる。

 

「痛てぇ!!?」

「っ……!狙撃かっ!?」

 

 事態を察したシェーンコップはギーファー少尉の撃たれた角度から狙撃手の潜伏先を逆算し咄嗟に物影に隠れる。

 

「……流石だね、大尉。良くもこの雨の中狙えるものだ。……尤も、もう少し早めにやってもらえた方が助かったが」

『いやはや、遅くなってすみませんねぇ?何せあの糞餓鬼暫く見ないうちに随分と腕を上げたみたいですので……。それに本命はどの道今の場所では狙えませんのでよしなにお願いしますよ?』

 

 イヤホン型の短距離無線機越しに形式的な謝罪が為される。本来ならばシェーンコップこそ狙撃し無力化するべきであったが仕方ない。そもそも先ほどまでのギーファー少尉とのお喋りはゴトフリート大尉の狙撃地点移動のための時間稼ぎだった。ジークムントも本気で妹を撃つ積もりなぞない。あくまでも脅しだった(無論、ギーファー少尉が裏切りに乗ってくれるならそれに越したことはなかったが)。尤も、当初の目標のギーファー少尉より遥かに厄介なシェーンコップは射角の関係で狙撃する事は出来なかったが。

 

「ちぃ、おいクラフト。何遊んでいやがる?お前さん仕事はどうした?」

 

 一方、一本取られたシェーンコップは舌打ちしながら無線機越しにクラフトに愚痴を言う。

 

『んな事言ってもよぅ……!痛ててて……こっちは狙撃銃撃ち抜かれた上に尻撃たれたんですよっ!?うぐぐぐっ……!?』

「知るかボケっ!肛門が二つになった位で泣くんじゃない!!」

 

 涙声で尻の激痛を訴えるクラフトを叱責しつつ不良騎士は策を考える。狙撃手が復活したとなるとかなり行動が制限される事になる。相手の腕は中々のものだ。不用意に出ては鴨になるだけだった。

 

「うぐっ……」

 

肩を撃ち抜かれ倒れ込んでいたギーファー少尉はそれでも手元から落としたブラスターライフルをジークムントに向けようと試みていた。だがそれは徒労に終わる。

 

 ぬかるんだ地面に落ちたライフルを握ろうとした手は次の瞬間踏みつけられた。

 

「ぐっ……!?」

 

 小さな悲鳴。ライフルに向かっていた腕を足で払われる。泥の中に沈むライフルを拾ったジークムントは内部のエネルギーパックを取り出すと無感動に茂みに放り捨てる。ライフル自体も逆方向に投げ捨ててから、憎々し気に此方を見上げるギーファー少尉の腹を淡々と正面から蹴り上げて沈めた。その一連の流れは実に事務的だった。

 

 ……そして能面のような表情を温かみのある笑みに変えて振り向く。

 

「さてベアト。邪魔者はいなくなった事であるし、家族同士の話に戻るとしようか?」

 

 ハンドブラスターを構えつつも、手足が震えて発砲する事も、その場から動く事も出来ない哀れな妹に兄は嘯いた。

 

 

 

 

 

 兄の表情は穏やかそのものだった。彼にとって大切な妹は敵意を向ける対象でなければ憎しみを向ける対象でもない。過ちを犯したのであれば唯優しく諭すだけである。そう、小さい頃に接してきた時と同じように……。

 

「ベアト、落ち着いて考えておくれ。私がお前のためにならない事をこれまで一度としてして来たかい?」

 

 ジークムントの言に偽りはない。家族思いの彼は血の繋がらない弟妹達を可愛がって来たし、二人のためにならない事なぞした事がない。

 

「…………」

 

 妹が気まずく、罪悪感に顔を引きつらせる。彼女とて、兄を慕い敬う気持ちは嘘ではなかったし、兄の言葉が実際自分の事を思いやっての事であるのは自覚していた。

 

「君の忠誠心は見上げたものだよ。実に献身的だ。従士の鑑だよ。だが……冷静に考えなさい。お前の行動は本当に伯爵家のためになるのかい?」

 

 ジークムントは妹を揺さぶる。彼自身は当の伯世子も伯爵家も嫌いであったが流石に妹にまでそれを強要する積もりはない。故に彼女の行動が彼女の忠誠を捧げる『伯爵家』に貢献するのかを通じて説得を図る。

 

「お前がこれまで多くの失敗をしでかした事は良く理解している。特に今回は特大だ。奥様が大変ご立腹している事は承知しているね?」

「……はい」

 

 落ち着いた兄の声に、しかしベアトリクスは震える声で短く答える。尤も、兄もそれを咎めない。誰だってこういう時は委縮するものであろうから。

 

「ではお前が付き人から外されたのも、我が家に軟禁されているのも当然の処遇だ。その点に異論はないね?」

「……承知しています」

「じゃあ、御当主はおろか奥様の、ましてや父上の御許可もなく家を出るなぞもっての外である事も理解出来ている筈だね?」

「………」

 

 ベアトリクスは肯定の返事を口にしない。その代わりに小さく頷いた。ジークムントにとってはそれだけで十分だった。妹の自身の非を素直に認められる点は美徳であると彼は確信していた。

 

「ベアト、君の忠誠心がいけない訳ではないんだよ?けど今回の行動は良くないね。ついて来るように命じたのは若様かな?随分と気に入られているようだけど、だからと言って今回ばかりは従うべきではないね」

 

 ジークムントは理詰めで妹を論破し、諦めさせようと説明していく。あくまでも今の妹の主人は『伯世子』に過ぎず当主ではないのだ。即ち『伯爵家の筆頭』ではない。十年後であれば兎も角、今現在を考えれば妹が自身の主人に従う事は必ずしも『伯爵家』のためになるとは限らない。そもそも今回の行動自体問題だ。

 

「どうやら若様はご自身が伯爵家の次期当主としての自覚が足りないようだ」

「そ、そんな事はありません!若様は……!」

「いけないねベアト、私の話は終わっていないよ?」

「っ……!」

 

 妹の反論を鋭い口調で咎めるジークムント。その警告に口ごもる妹に小さな溜息を漏らす。どうやらあのような感情ばかり優先する男の下に長年いたせいで妹も随分悪い影響を受けてしまったようだ。

 

「付き人として今の言を否定したいのは分かるけど、冷静に考えなさい。武門の当主たる者、確かに軍功が大事なのは同意しよう。だけどそれ以上に自らの安全を確保する事が大事なのは言うまでも無い事だね?ましてはアドルフ様の唯一の嫡男であらせられる。尚の事自らの立場を自覚するべき、そうだろう?」

 

 それが蓋を開けてみればどうだろう?軍功を挙げる事は良いが、それと引き換えにどれだけ無用の危険を冒しているのか?カプチェランカでは逃げられる立場でありながら殿の下に戻り後一歩の所で戦死しかけた。ヴォルムスの地域調整連絡官としては味方が来るまで待っていれば良いのに単独で突入した。第四次イゼルローン要塞攻防戦でも伝令から降りる事が出来たのに率先して参加し遭難。エル・ファシルでは武功に目が眩んだ結果として挽肉製造機に目をつけられた。それ以外でも小さな問題は数えきれない。

 

 成程、軍功は挙げただろう。文句の付けようがない程の軍功だ。だがそれに目を眩ませてはならない。その代わりに何度一粒種の嫡男が死にかけた?何度周囲に負担をかけた?軍功を挙げる事は大事だがそれだけが当主の仕事ではないのだ。その点でいえばその素行は不合格と言わざるを得ない。

 

「此度の事もそうだ。お前の事を大層気に入っておいでのようだがこのようなやり方は頂けないね。外に漏れれば酷い醜聞になるだろう、まして唯でさえ微妙な立場の我が家の立場まで危うくなりかねない。伯爵家だけでなく重臣たる我が家の立場すら配慮出来ないとなれば次期当主として手放しに肯定する訳にはいかないだろう?」

 

 ジークムントの説明は正論だった。まごう事無き正論であった。

 

「それは……」

 

 妹は兄に反論しようとするが言葉が出ない。少なくとも兄の言葉に間違いはなかったからだ。実際兄の口にした幾つかの言葉は彼女もまた主人に口にした事のある内容であったからだ。だが………。

 

「ベアト、ならお前が自分の主人のために本当にやるべき事が呼びかけに馳せ参じる事ではないのは分かるだろう?」

「………」

 

 ベアトリクスは葛藤の表情を浮かべる。そして……ゆっくりとハンドブラスターの銃口を下げる。頭の良い彼女の事だ。決してジークムントの指摘に気付いていなかった訳ではあるまい。だがそれ以上に主人からの命令であるために忠誠心を優先してしまったのだろう。妹はゴトフリート家の者らしく、いや本家であるために一層主家への献身を第一とするように刷り込まれている。

 

(そしてそれを良いように利用している訳かな……?)

 

 苦し気な表情の妹を見てジークムントは『実母』の姿を思い出して自身の良心を痛めると共に一層伯爵家と次期当主への敵意を強める。可哀そうに。理不尽かつ身勝手に弄ばれて、無理難題ばかり押し付けられ、少しでも問題があれば一方的に責め立てられる。正直これまでそんな妹に何ら手を貸してやれなかった自身の無力感が腹ただしい程だ。

 

 だが、それも今日限りだ。今回の件を報告すれば流石に伯世子の希望であろうとも引き離しが取り消される事はあるまい。伯爵家からしてもこれ以上の入れ込みは困るが、だからと言ってゴトフリート家の取り潰しは出来まい。妹を自裁させてもどのようなリアクションが来るか分からない。となれば距離を取らせて忘れさせる事になるだろう。大概の感情は時間と共に風化するものだ。

 

 恐らく最初の内は妹も裏切ったともいえる行いに罪悪感を感じて苦しむ事になるだろう。少しずつ傷を癒していけば良い。そして世界がもっと広い事を知っていけば良いとジークムントは思っていた。

 

 主家のために命を使い潰す事だけが人生ではないのだ。もっと多くの楽しみを知り、自分のために生きていけば良いのだ。恋愛をしても良いだろう。与えらえた、植え付けられた好意ではなく自分で好みの人物と添い遂げて幸せに生きてくれたら一番だ。相手が誰であろうとも彼は妹の味方をする積もりだった。それだけ彼は妹の事を心から愛していた。

 

(それに……)

 

 ジークムントは脳裏に母の姿を、『養母』の最期の姿を思い浮かべていた。『あんな男』の事ばかり想っていた夢見がちで愚かな『実母』ではなく、自身を見て愛情を向けてくれたあの病弱な『母』の最期の姿を。か細い手で生まれたばかりの妹を抱き抱えて自分と弟に守ってあげるように頼んだ母の姿を。だから……。

 

「さぁ、ベアト。雨で随分と濡れてしまったろう?早く家に帰ろう」

 

 ジークムントは穏やかな笑みを浮かべ妹の肩に手を添えて優しく、優しく帰宅を促した。大切な物を、壊れ物を扱うように。

 

 彼の妹に対する愛情は誠実で、真摯で、本物だった。それに疑う余地はない。だが……彼にとって悲しい真理は、愛情と言うものは注いだ分だけの見返りがあるような単純なものではない事だった。

 

「えっ……?」

 

 次の瞬間、彼は目の前に突きつけられるハンドブラスターの銃口を見た。刹那、視界にとらえた此方に銃口を向ける妹の表情は苦悩に歪み、その瞳からは大粒の涙を流していた。そして、彼は妹の考えている事を悟った。

 

「ごめんなさい、お兄様」

 

 悲痛な謝罪の言葉と共にブラスターの発砲音が嵐の森の中に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

「あー、若様。生きてますかねぇ?」

「……ああ、一応ね。急所は外れているようだからね」

 

 森の中で倒れるジークムント、その視界の端から見下ろすようにゴトフリート大尉が姿を現す。

 

 あれから何時間経ったのだろうか?妹の撃った閃光を脇腹に受けて倒れたジークムントはしかし、激痛の中でも碌に止血もせずにただ暗黒の空を見上げていた。いや、正確には止血するだけの気力が無かったというべきか。

 

「あらあら、随分と盛大に出血してしまってますね。仕方ない、今止血するので我慢してくださいよ?」

 

 大尉は面倒臭そうに木陰にだらだらと半分高貴な血を流すがままのジークムントを引きずった後、その手に持つ医療キットで応急処置をしていく。

 

「……部下達はどうだい?」

「半分位は伸びちまって、残り半分は大なり小なり負傷してますね」

「そうか……」

 

 ジークムントは心底無念そうに呟く。絶望、失望、諦念、悲嘆……その表情は様々な感情が混ざりあっていた。

 

「はは、また随分とまた滑稽な形で失敗したものだね」

 

 その笑い声は空虚だった。無念に打ちひしがれた男のものだった。

 

「傷口を塞ぎますよ。本格的な治療は屋敷でやる事になりますが……どうします?動かせる人員を搔き集めて追跡しますか?」

「……いや、止めておこう。今回集めた人員で駄目だったんだ。残った人員で追っても返り討ちに遭うだけだろうね。それに……」

 

 妹が逃亡したであろう方向に憂いを込めた視線をジークムントは向ける。

 

「妹を本気で傷つけたくはないし、自殺させたくもない」

 

 自身を撃った妹の表情を思い浮かべる。相当悩み抜き、葛藤したのだろう。それでも最後は兄と家族を捨てたのだ。万一確保出来たとしてもその時こそ自ら命を絶ちかねない。そんな事はしたくなかった。

 

「流石に兄を撃つのは想定外でしたね。あのお利口だったお嬢も結局は女って訳ですか。感情で動くし一族よりご主人様との色恋優先という訳なんですかね?」

「その言い方は承服しかねるね。女性と妹、双方を侮辱しているよ」

 

 ゴトフリート大尉の差別的とも取られかねない発言をジークムントは不機嫌そうに注意する。女性が感情を優先する生き物であるという認識は必ずしも正しい訳ではないし、まして可愛い妹を色情魔扱いなぞ不愉快だ。

 

「その妹に撃たれた兄の言う事ですかい?」

「私の説得の詰めが甘かっただけさ」

 

 肩を竦めてジークムントは自嘲する。交渉が上手く行かなかったとしてその責任を全て相手に求めるのは甘えと言うものだろう。

 

「……周囲を抑えるのに苦労しそうだね」

 

 ジークムントは小さな溜息を漏らす。今回の騒動で一族の中でも外でも一層妹への風当たりは悪くなるだろう。そんな中彼はいざと言う時に妹が帰る事の出来る席を用意しなければならない。

 

「若様も気をつけなければなりませんよ?これを機会に貴方の立場と血縁を利用しようとする輩が絶対出てきますからね」

「それに面倒事になる前に始末しようか、とかもね?」

 

 長老衆の軍務尚書閣下や祖母辺りは極端に貴族的であり、同時にリアリストだ。血が繋がっていても火種になるなら『処理』だって行うだろう。身内を大事にすると言っても半分が下賤な従士の血ならそこまで葛藤もするまい。

 

「まぁ、上手く立ち回るしかないね。それでも危なそうな時は……頼むよ?」

 

 ジークムントは幼少の頃、自分と母の『護衛』であり『監視役』として助言し、守ってもらった付き人に尋ねる。

 

「マジですか?危険手当も出ないのでしょう?……本当、付き人なんて真っ黒なお仕事ですよ」

 

 自身の主君に対して皮肉気に語る大尉は、しかし困り顔であったがその表情は父親か兄のように大らかに苦笑していた。

 

 

 

 

 

「はぁ…馬無しで歩くと……はぁ……思ったより広いな」

 

 大雨が降り続く狩猟園を私は必死に走っていた。迷子にならないように方位磁石の向きを確認して進む。獣道が多く地面は雨でぬかるんで足場は悪い。草食獣しかいないとしても猪辺りに刺突されたら結構危険なので注意が必要だ。しかも装備品にも限度がある。そんな中で冷たい雨に何十分も当たり続ければ想定以上に体力を消耗するようだった。

 

「後……三〇分位歩かんとな」

 

 恐らくそれ位歩けば狩猟園の外縁部、星道に接したフェンスに辿り着く筈だ。そこが各自の集合場所であり、地上車が停めてある。ベアト達の方は上手くいけばそろそろ集まっている頃だろう。私も早く合流しなければなるまい。

 

「急ぐべきかな……ってうおぃ!ビビらせるな!ボケ!」

 

 逡巡していた私は自身の軍服の袖を引っ張る感触に驚く。慌てて振り向けば小鹿が私の袖口に食いついてしゃぶりついていた。おいてめぇ、まさかこの前の河にいた奴じゃあるまいな?

 

「おい止めろべとべとになる。ちょっと待て、ガチで離してくれない?殴るぞコラ」

 

 何が気に行ったのか袖口を美味そうに舐め回す小鹿である。私の軍服はキャンディーか。頭をぺんぺん叩いて離そうとしない。

 

「おいいい加減にしろ。糞が。丸焼きにされてぇのか?」

 

 私は小鹿と低レベルな争いを演じる。いい歳こいて私は何をしているんだろう?

 

「おいコラしつこいぞ。いい加減に……お、漸く放したか?」

 

 暫く小競り合いを続けているといきなり小鹿は袖口から口を離した。と、一瞬ブルっと身体を震わせると一目散に跳躍しながらその場を去っていく。

 

 ……そう、それはまるで何かから逃げ出すように。

 

「な、何だ?いきなり……糞、折角洗ったばかりの軍装がベとべ『グウウウウゥゥゥゥ!!!』………はい?」

 

 その獣が唸るような声に私は嫌な予感を背筋に感じながら、引き攣った表情を浮かべゆっくりと振り向く。

 

 闇夜の森の中でもそのシルエットは良く見る事は出来た。全長にして二メートルは超えているだろう、筋肉質な身体はしかし、同種の中ではそれでも小柄で痩せている方であるらしい。

 

 尤も、それでもその牙の威力は西瓜を焼き菓子のように噛み砕くし、その爪は一撃で猪の腹を引き裂く事が可能だ。蒼い毛色の頭部に翠がかった腹部は印象的であろう。嵐の中でもその荒い鼻息は良く響き、暗闇の中で紅い瞳が不気味に輝いていた。

 

「……はは、マジかよ」

 

 いっそ乾いた笑い声すら浮かんでくる。おいこの世界はスペースオペラじゃなかったのか?いつから私はハンターになったんだ?

 

『グオオオォォォォ!!!!』

 

 雷鳴と共に猛獣は咆哮を上げた。それは明らかに私に向けた威嚇であり、死の宣告であった。

 

 一三日戦争と九〇年戦争……その帰結による大規模絶滅のために新品種開発を推進した地球統一政府、その後期に遺伝子操作により誕生した大型雑食哺乳類『青熊獣』……別名アオアシラが私の前に姿を現したのだった。




殺戮者のエントリーだ!


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第百四十三話 夢の国の熊「僕の親戚なんだ、皆も仲良くしてくれると嬉しいなぁ」(純粋な眼差し)

ヴィンランド・サガを視聴する度に見せつけられるゲルマン人の野蛮具合よ


「痛てて……尻が……うぐっ…まだ何か尻の中に異物感があるんだけど……」

「弾は抜いてやったぞ?まさかもう一発貰ったのか?」

「首が痛い……あがっ…あの野郎素肌に電磁警棒なんて使いやがって……!!」

「そっちは一過性の麻痺でしょう?それよりこっちは肩撃たれたんですよ?糞っ!もう二度とこんなバイトするものかっ!!糞ったれ!」

 

 山林地帯を通る星道をフェザーン系企業からレンタルした数台のトラックで走りながら薔薇の騎士達は愚痴る。皆大なり小なり負傷しており、流石に名門従士家に正面から殴り込みをかけるのは彼らをしても簡単な事ではなかったと物語っていた。

 

「おいお前達、御姫様の前でグチグチ言うな。情けないぞ、全く……」

 

 荷台で駄弁る部下達を見て情けないとばかりに叱責する不良騎士。そしてふと目の前で三角座りで荷台に座り込む護衛対象に視線を向ける。憂いを秘めた表情で俯き先程から口一つ利かずに黙っていた。

 

「……御体調が優れませんかな?姫様?」

「……その呼び方は止めて頂けませんか?」

 

 シェーンコップの呼びかけに顔を上げた護衛対象は若干不快気にそう伝える。

 

「これは失礼しました少佐殿。もうすぐ目的地に辿り着く筈です、今少し御待ち下さい」

「そうですか、連絡ありがとうございます……」

「……心残りが御有りで?」

「………」

 

 従士は答えない。より正確には言葉が出てこなかった。

 

「……あれは私の失態でした。護衛対象である少佐の手を煩わせてしまい申し訳ありません」

 

 複雑そうな表情を浮かべ、不良騎士は謝罪する。狙撃手の存在で動きを封じられた彼に代わり兄を撃ったのだ。彼女の心中は形容出来ない思いが渦巻いている事は間違い無かった。

 

「……いえ、あの場で私が兄を撃つのは当然でした。時間の余裕もありませんでしたし」

 

 大枚を叩いて入手した簡易電波妨害装置でドローンの運用や長距離無線を妨害していたが、それにも限界がある。思いのほか追っ手が粘った事もありもたもたしていれば警備会社や伯爵家からの増援が来ている可能性もあった。実際、予定が押していたために雇用主が回収を命じていた電波妨害装置やそのほか多くの装備を逃亡のために放棄せざるを得なかったのだ。あの場で迅速に幕引きを図るにはあれが一番であったのは間違いない。

 

 とは言え、理屈と感情は違う。彼女にとっては家族を裏切り、兄を傷つけた事に変わりはないのだ。いや、これから実家に向けられる視線を考えれば文字通り一族を捨てたも同然の行いをしたと言える。そう簡単には家に帰る事なんて出来ないし、帰ったとしても針の筵であろう。

 

「……本来ならばもっとスマートに行きたかったのですがね。いやはや、これではある意味依頼は失敗ですな」

 

 苦笑いを浮かべて頭を掻く不良騎士。本当なら護衛対象にあのような事はさせたくなかった。名目上は無理矢理拉致された、という形にしたかったのが本音だ。そうすれば後々彼女が家に戻る時も建前を取り繕い易かった。

 

 実際は現当主の長男であり次期当主たる彼女の兄にバッチリと撃つ所を見られてしまった。死人に口無し、とも言うが流石に立場的に殺す訳にも行かないのでベアトリクスが自ら逃亡しようとし、しかもそのために兄を撃った事はほぼ確実に知れ渡る事になろう。その意味では確かに失敗とも言えた。

 

「……お気にしないで下さい。中佐は私と違い良く仕事をしてくれました。正直、これほどの軽装備で良くもまぁ我が家の追っ手を返り討ちに出来たものだと関心する程です。中佐も、中佐の部下も……私なんかより遥かに優秀です」

 

 そうベアトリクスは不良騎士達を褒め称える。尤も、その表情は物悲しげで自虐的であったが。

 

 シェーンコップはその表情から相手が何を考えているのかほぼ完全に察する事が出来た。彼の不器用でどんくさい妻が刹那の瞬間に見せる表情に良く似ていたからだ。

 

 ……そう、妻が粗相をやらかしその尻拭いをする時の感謝の言葉の後に見せる複雑そうな表情に。

 

(劣等感、と言った所ですかな?)

 

 客観的に見れば兎も角、この従士の視点で見れば自身を無能扱いしている事に間違いなかった。主人を支えるどころか毎回のように失態を繰り返す。その一方、新参者で飄々としている食客が自分を階級で追い越し、ましてや自分よりも役立って頼りにされているとなればこうもなろう。

 

(こんな美人なご令嬢を曇らせるとは、伯爵殿も中々性悪なお方ですな)

 

 内心で冗談半分に雇用主を罵倒しておく。本人が聞けば理不尽だと騒ぎ立てるだろうが知った事ではない。女の涙に勝てるものはないというのが騎士たる彼の持論だった。……特に妻と娘の涙には絶対に勝てないと確信している。

 

 まぁ、冗談は置いておいて………。

 

「余り自分を卑下にするものではありませんぞ?謙虚なのは家臣として美徳かも知れませんが、過ぎれば卑屈ですからな。子供の頃から付き従う付き人ならば多少主人の威を借りても宜しいでしょうよ」

「ですが……」

「それに」

 

 ベアトリクスの反論を遮るように力強くシェーンコップは口にする。

 

「それに我らが雇用主は貴女を取り返すために我らを派遣したのです。我らを消耗しても貴女が欲しかった訳ですな」

 

 もちろん、使い捨てる積もりは無かっただろうとはこの不良騎士も理解している。流石に私戦に官品を使う事は出来ないので雇用主が彼らのための装備全てをポケットマネーでかき集めていたのは知っているし、そのために雇用主個人の私財をかなり使った事も知っている。

 

 それだけに、投入した私財と人材から見て雇用主が何れだけ重要視しているか分かろうものだ。

 

「つまりは我々全員よりも貴女を優先しているのですよ。まぁ随分と高く買われておられるようですな、羨ましい限りです」

「私はそんな……」

「先程も言いましたが自身を卑下するのは良くありませんな。それほど高く評価されて求められているのです、喜ぶべき事でしょう?」

「………」

「まぁ、そういう事です。いじけている暇があれば期待に応えようと努力する方が生産的でしょうよ。無論、本当に今の立場がお嫌であれば代わってあげましょう、手当ても良さそうですからな?」

 

 最後は敢えて不純な動機を意地悪な口調で言ってやる帝国騎士。それは本気で、というよりも発破をかけるという意味の方が強いように見えた。無論、その手の冗談が彼女に通じない事も見越しての発言である。実際ベアトリクスはシェーンコップの身も蓋もない発言に若干不機嫌そうに顔を歪ませる。

 

(まぁ、泣いてるよりは怒ってる方がマシでしょうな)

 

 背中に感じる敵意の視線を自覚しつつ、飄々と帝国騎士は笑みを浮かべた。

 

 そうしている間に地上車は目的地に辿り着く。山間部を貫く星道の一角、既に数台の地上車が停車する地点に到着したシェーンコップは、しかし怪訝な表情を浮かべ、次いで嫌な予想が脳裏に過る。

 

「おいっ!どちらが来ていないっ!」

 

 既に停車する地上車の手前でトラックを停めて身を乗り出しながらシェーンコップは叫ぶ。帰って来た答えは面倒なものだった。

 

「此方の護衛は達成している」

 

 ダンネマン大佐の一派は既にリューネブルク伯爵の別荘から護衛対象を護送し終えた状況だった。想定した追っ手等からの襲撃は無く、大佐の乗る地上車の後部座席には不安げな表情を浮かべるノルドグレーン大尉の姿があった。睡眠不足なのか少し窶れ気味の姿ではあったが。

 

「ちっ、となると若様の方ですな?いやはや、言い出しっぺが一番遅刻ですか……!」

「はは、お恥ずかしぃ」

 

 シェーンコップの舌打ち、彼らの雇用主を護送する筈だったレーヴェンハルト中尉は地上車の運転席で困った表情で頭を掻く。人員の頭数が理由で彼女が雇用主の護送役に選ばれて伯世子は全力でごねていたが、流石にボイコットのために遅刻した訳ではあるまい。集結した者達はある者は怪訝な、ある者は不安そうに互いを見やる。

 

 ダンネマン大佐の地上車の助手席から出て来たファーレンハイト中佐が深刻そうな表情を浮かべる。

 

「一応既に屋敷から脱走している事は判明している。だが……」

「予定時刻を大幅に超過していながら未だに現れない、と?」

 

 シェーンコップの続ける言葉にファーレンハイトは頷く。傍でその会話を聴き入っていたベアトリクスは顔を強張らせると共に嫌な予感を覚える。そして……。

 

「……!」

「お、おい!?」

 

 シェーンコップ達が制止の言葉をかける。だが従士は逆に命令を口にした。

 

「一、二台だけ待機して残りは計画通り移動して下さい!こんな星道に何台も止まっていては怪しまれます!」

 

 そう言い捨てて狩猟園外縁部のフェンスに足をかけて一気に中への侵入を果たす。

 

「若様……!」

 

 彼女はこれまでの経験から恐らく自身の主人に何か不穏な事が差し迫っているのを確信していた。そして一刻も早く助けに行かなければならないだろう事もまた理解していた。その迅速かつ迷いなき行動はある意味ではその高く純粋な忠誠心の証明であったろう。

 

 ……だが、より冷静になって考えれば彼女が向かう必要は無かった事にまで考えも及んでいただろう。護衛対象でもある彼女よりも薔薇の騎士達を数名送り込んだ方が良かった筈だ。その点でいえば彼女の判断は忠誠心過剰の判断力過少の誹りは免れまい。

 

 無論、直前に兄を撃ち、家族を捨てた事が重しとなりその分思考が主君重視となっていた……より正確にはそうして現実から目を背けようとしていた側面もあろう。そういう意味では一種の逃避行動であったかも知れない。

 

 何方にしろ、現実は変わらない。ベアトリクスは背後からの声を完全に無視して森の中に駆け出していたのだから……。

 

 

 

 

 

 

 西暦二〇三九年、当時地球を大きく二分する勢力であった『北方連合国家』と『三大陸合衆国』の対立は全面核戦争に発展した。数十億の人間が大都市と共に焼き払われ、多くの文化財と知識が永劫に消失し、死の灰が地上に降り注ぎ核の冬が到来した。放射能が地球の大地を汚染し、残された人類は自らの共同体の生存をかけた戦乱の時代に突入する。

 

 大打撃を受けたのは人類だけではなく、地球の生態系そのものも同様であった。

 

 元々二〇世紀後半より指摘され始めた環境破壊の懸念は人類人口の急激な増加、それに伴う資源と食料消費量の拡大、その帰結としての乱開発により悪化の一途を辿っていた。そもそも二大超大国自体、長く続く異常気象や食料不足、それらを要因とする民族・宗教紛争やテロ、それらから逃れようとして生じた難民の増加、世界経済の不安定化に対する危機感から成立したものである。

 

 一三日戦争と九〇年戦争は地球の環境と生態系を壊滅寸前に陥れた。大規模な気候変動や放射能汚染、残された人類による乱獲によって野生動物や原生植物の多くが絶滅した。

 

 地球統一政府による地球再生計画において遺伝子工学はその禁忌を破られ大いに活用された。放射能除去や汚染物質分解、酸素や水の浄化を行う各種微細生物群は元を辿れば宇宙移民事業を計画していた『北方連合国家』が火星テラフォーミング用に遺伝子改良して産み出したものがその起原である。そのほか、各地の核シェルターや月面都市に保管されていた遺伝子情報や数少ない生存個体を基に絶滅ないし個体数の激減した動植物のクローニングを行い生態系の復興に努めた。

 

 地球再生計画によって培われた遺伝子工学は後に商業化する。まず家畜用の遺伝子改良によって多くの新品種の生物が開発された。セレ豚やトリウマはその代表格だ。ペットとして開発されたキツネリスやナキネズミはその愛らしさと飼育のしやすさから地球統一政府時代だけでなくその後も何度もブームを巻き起こした。化石等から採取した遺伝子を基に一三戦争以前に絶滅した生物の復活も試みられ、その究極がカリブ海に浮かぶイスラ・ヌブラル島で開園した『ジュラシック・パーク』と言えるだろう。

 

 当然『北方連合国家』がそれを目的としたように宇宙開発においても遺伝子工学は活用された。テラフォーミング用の微生物や植物の開発、低重力ないし高重力下で生存・繁殖可能な動植物の開発が試みられ、その大半が成功を収めた。知的生命体こそ発見されなかったものの、宇宙探査を通じて地球外起原の複数の原始的生命体の発見とその遺伝子情報の採取・活用も行われ、幾つもの惑星で地球と似た、あるいはまるで異世界のような独自の生態系が形成された。

 

 地球統一政府中期以降、遺伝子工学の活用は退廃的な傾向を帯びて来た。ペットとしての新種開発がより盛んになると共に、古代ローマのコロセウム宜しく公然と闘技場で遺伝子改良により作り出された動物同士を戦わせ、殺し合わせる娯楽が人類圏全体のブームとなり、これまでとは一線を画す異形の生物達が生み出された。通常の自然界では到底生まれ得ない強靭な肉体と腕力、鋭い牙や爪を保持したまるで神話に登場するような幻想的で狂暴な怪物達が娯楽のために消費された。

 

 植民星の不満の蓄積、その末に勃発したシリウス戦役時代、遺伝子工学技術は軍事転用された。今や帝国で広く飼育される有角犬やかつて同盟軍で活用されていた剣虎等はそのルーツを地球統一政府軍や特別治安維持組織『ティターンズ』の運用していた軍用動物にまで遡る。より殺傷力を追求したものとしてはT‐ウィルスやG‐ウィルス等のウィルス兵器とそれらを転用したB.O.W生物群がロンドリーナやカシャ等での対ゲリラ戦で一部投入された記録が現存している。

 

 シリウス戦役に投入された生物兵器で最も有名かつ悪名高いものは間違いなく環境破壊兵器『アスタロス』である。

 

 戦役の最終局面にてシリウス政府首相カーレ・パルムグレンや経済相兼運輸・交通相ウィンスロー・ケネス・タウンゼントは地球統一政府の名誉ある降伏を支持していた。地球は憎き敵ではあるが、前者はその理想主義から、後者は地球の銀河金融における重要性からこれ以上の地球に対する攻撃に対して消極的であったのだ。情報相兼公安警察局長チャオ・ユイルンの進言も容れて軍事施設や一部インフラ等への軌道爆撃を行いつつ兵糧攻めによる降伏を迫る。主戦派かつ過激派の首魁ジョリオ・フランクールとその一派に配慮し、二か月の兵糧攻め後の全面攻勢が基本方針とされていたが、実態は既にイオ自治政府やマーズ・ポート商工組合の仲介の下、裏ルートで地球政府の降伏と汎人類評議会による新人類社会秩序の成立が半ば決定していた。

 

 しかし降伏が予定されていた時刻の僅か一四時間前、黒旗軍はヒマラヤ山脈の地下シェルターに破壊工作を仕掛けた。地球統一政府首脳部や閣僚、軍司令官の多くが破壊された用水路から溢れ出た濁流に飲み込まれて溺死、地球の中央政府は文字通り麻痺状態となった。当然降伏の意思表示なぞ行える筈もなく、これを降伏の意思無しと見なした黒旗軍は地球と武装解除の準備をしていた地球軍に対して全面攻撃を仕掛け、その止めとして『アスタロス』が投入された。

 

 元々テラフォーミング用に開発された繁殖力旺盛な遺伝子組み換え植物を兵器として転用したそれは五〇〇年もの時間をかけて回復した地球の生態系を僅か二週間で文字通り回復不可能なまでに徹底的に壊滅させて見せた。後世の歴史家によれば、地球のその後の衰退を決定づけたのは苛烈な軌道爆撃や人類社会の盟主の座からの転落より、寧ろこの『アスタロス』投入による所が多いとまで言われている。地球は緑に覆われた死の星となり果てた。

 

 この『アスタロス』による災厄は後の銀河の歴史を大きく変えたと言えよう。地球は銀河系における資本と金融の中心地であり、諸惑星にとって食料・資源・軽工業製品の巨大な輸出先であり、航路上の中継拠点であり、宗教権威が衰退した後の人類社会統一の精神的支柱・象徴でもあった。地球の壊滅はまず経済面で銀河系を恐慌状態に導いた。次いで諸惑星の連帯感に亀裂を入れる事になる。パルムグレンはその収拾に奔走し過労で疲弊、病死した。ビッグ・シスターズやプロセルピナ通商同盟との連携でギリギリの所で銀河経済破綻を回避したタウンゼントはフランクールと冷戦状態に陥って後の軍部のクーデター未遂、そしてタウンゼント独裁体制の成立と崩壊に繋がる。

 

 シリウス戦役とその後の『銀河統一戦争』による戦乱で人類同士が殺し合いを続ける中、かつて遺伝子を徹底的に改造された生物達は研究所や動物園、あるいは闘技場から逃げ出し野生化していった。

 

 自然界への離散後、多くの種は環境の変化により死滅したが、一方でそのまま外来種として現地の生態系の一角を担うようになった生物もいるし、様々な理由で他惑星に輸出され放流された種すら存在する。宇宙暦8世紀ともなれば、自然界において一三日戦争以前から存在した生命体とその後に産み出された生物が各々の立場を作り、元からそうであったように共存していた。それどころか余りに繁栄し過ぎたせいで一般市民が一三日戦争以前から存在する『原種』であると勘違いしている種すら多数に上る程である。

 

 え?何でこんな長々と逃亡中に関係なさそうな説明をするかって?煩い!察しろ馬鹿野郎!

 

「ぐっ……!はぁはぁ……おいおいこんなのありかよっ、糞ったれ!」

 

 嵐の続く森の木陰、その一角に隠れながら私は自らの厄運を罵る。ふざけるな!世界観が違い過ぎるだろうがっ!!おかげ様で少しの間脳内教科書読み返して現実逃避してたわ!!

 

 ……確かに地上戦における脅威は敵兵だけとは限らない。気候や生態系も無視出来ない強敵だ。地球時代においても風土病や不衛生から来る伝染病、虫害は軍組織全体の悩みの種であった。熱帯地方等では河に潜む鰐や平野に生息する獅子や狼に襲われる何て事例はあったし、そうでなくても興奮した大型草食動物に踏み潰されたり蹴り殺された兵士だっている。撃沈された水上艦艇からの脱出者は鮫の群れに襲われたし、都市部での戦闘では機械類の配線を齧歯類に噛み切られて戦闘時に車両が動かなくなったなんて事例もある。そしてこれらの問題は宇宙暦8世紀においても根本的解決とは程遠い状況だ。

 

 フェザーンを介した戦時条約によって生体兵器や生物兵器の投入こそ禁止されているが、あくまでもそれだけだ。大気と酸素のない惑星は兎も角、現実にはカプチェランカやカキンのように特別な装備なく生存可能な惑星を巡る争奪戦は当然あるし、それらの惑星に生息する野生生物群は同盟軍と帝国軍の区別なぞしてくれない。

 

 地下資源と水資源、酸素が豊富で生態系豊かな惑星カキンにおける獣害はかなり深刻だ。泥沼には有毒性の大量の雑菌や寄生虫がひしめき、傷口に少しでも触れたらアウト。そこらの土を掘り返せば毒虫が大量に這い出て来る。海では毒水母やリアルジョーズが血の匂いに誘われてくる。高地で無警戒で佇んでいたら空から襲い掛かるレオノプテリックスに餌としてお持ち帰りにされるし、熱帯雨林で孤立すればランポスの群れに嬲り殺しにされて白骨死体の出来上がりだ。もっと単純に蛭や虱、蚤の虫害もある。

 

 これらの獣害や伝染病の対策のために帝国も同盟も莫大なリソースを投入しており、それ故に実戦においては表面的な被害としては中々目立つものではない。しかし、逆に言えば、莫大な予算を費やして対策しなければ下手すれば被害は部隊単位にまで波及する重大な課題である事も事実だった。

 

 全身を改造手術でもしない限り、所詮人間は強靭な筋肉も鋭い牙や爪も無い、無駄に大きくその癖貧弱な中型哺乳類でしかない。文明外において人間という生き物は寧ろ食われる立場の存在に過ぎないのだ。それは分かる。分かるのだが……。

 

「このタイミングとなると流石に笑えるな……!」

 

 誰にも聞こえないような自嘲の笑みを漏らす。漏らさざるを得ない。笑ってないとやっていけねーよ。何だよこの状況!私はしたっぱ時代のルドルフ大帝じゃないぞ!?

 

「グウウゥゥゥ!!」

「って!?うおぉっ!!?」

 

 その唸り声で私はその野獣が此方を見つけたのに気付いた。同時に背筋が凍り付く。木陰の裏側から巨大なシルエットの大熊が赤い不気味な瞳でもって此方を見下ろしていた。

 

 より正確に言うならば大型雑食哺乳類『青熊獣』、別名をアオアシラ……地球統一政府中期に遺伝子改良と品種改良で生み出された獰猛な大型雑食性哺乳類が私をつけ狙う獣の正体であった。

 

「ちぃっ!!?」

 

 咄嗟に手にするハンドブラスターを発砲する。闇夜に光る細い一筋の熱線、しかしそれを胸に受けた獣は僅かに仰け反るがそれだけであった。

 

「……おい、マジかよ」

 

 そりゃあ低出力のハンドブラスターの貫通力なんてたかが知れてるよ?熊さんの厚い被皮に分厚い脂肪、強靭な筋肉と太い骨の頑強さ位知ってるよ?(正面から受けた猟銃の弾丸を角度次第では頭蓋骨が弾き返すレベルらしい)まして熊さんを遺伝子組み換えしまくったアオアシラさんの硬さ位予想はつきますよ?けど流石にほぼノーダメはたまげたなぁ。

 

「グオオォォ!!」

「ひいっ!?」

 

 降りかかる鋭い爪の一撃を私は身を翻す事で木の幹を盾にして防ぐ事に成功する。ちょっ……待ってっ!?爪が!爪が幹を豆腐みたいに抉っているんだけどっ!!?

 

「ちぃぃ……!!」

 

 私は踵を返して必死にその場を離れる。同時に右腕の義手のリミッターを緩和する。うん、別に戦う積もりはないよ?いやあんなの完全武装の一個分隊で遠方から集中攻撃しないと殺せないから?ハンドブラスター一丁とか無理ゲーだからね?

 

 戦う積もりはない。私がリミッターを外して握力を高めた義手に期待するのは戦闘ではなく避難のためである。

 

「くっ……!このっ……!!」

 

 近場で最も太く長い木々の上方に全力で跳躍、そして義手で枝木の一つを掴みそのまま片手で身体を持ち上げる。うおっ!?私がさっきまでいた空間にアイアンクローがっ!?下手しなくても木に登るのが後数秒遅かったら足持ってかれた!?

 

「ふ、ふざけんなコンチクショウ!!誰が食われてやるかってんだっ……!!?」

 

 私は涙目になりながら雨で濡れて滑りそうな木々を登っていく。義手の握力と滑り止めのお蔭で比較的スムーズに登る事は可能だった。生身の腕だとここまで簡単には登れなかっただろう。その点では義手に感し……いや待て、そもそも腕無くなってなきゃこんな状況に陥ってないじゃねぇかよ!!?

 

「っておい!止めろ止めろ!そんな鼻息荒くして登ってくんなワレェ!!」

 

 私が木の上に避難したのを見てか、うんしょっと木の幹に爪を立てて登って来ようとするアオアシラ。こっちに来んなとばかりにハンドブラスターを数発撃ってやるが少し痛がって距離を取るだけの効果しかなかった。てめぇ何文明の利器の前に平然としてんだよ!!素直にくたばれよ!?

 

 ハンドブラスターが嫌がらせ程度の効果しかないのは本当に笑えない。こんな現実を目にするとふと昔読んだ(読まされた)ルドルフ大帝の回顧録の内容が思い浮かぶ。遭難したからって半裸に自作の槍一本で狂暴な成獣ガララワニ仕留めて食ったとか絶対誇張だわ。え、本当?ノンフィクション?マジかよ………。

 

「グウウゥゥゥ………!!」

 

 しつこいハンドブラスターの銃撃にうんざりしたのか渋々と木の幹から降りるアオアシラ。威嚇するように唸りながら猛獣は木の周囲をうろつき回り、時たまに見上げて私を睨みつける。

 

 どうやら私が下りて来るのを待ち構えている事にしたらしかった。

 

「誰が下りるかよ、この畜生が……!」

 

 私は焦燥感を誤魔化すように小さく呟く。こんな所にアオアシラは住んでいる筈がない。となれば狩猟園の猛獣区画から逃げ出した、と考えるのが普通だろう。問題は管理する下人達が逃げ出したのに気付いたか、だな。

 

 私の捜索も続いているだろう、余り時間はかけたくはないのだが………とは言えあんな猛獣にハンドブラスター一丁ではどうしようもないのも事実。私としては飽きてさっさと別の獲物にでも注意を向けて欲しいのだがな……!!

 

「持久戦か。流石にこんな状況は想定外だぞ……!?」

 

 逃亡のために走り続けたのと激しい雨に打たれ続け体力を削られる。当然眠る事は出来ないし、油断したら手足を滑らせて地面に落下して大熊のご飯だ。割かし厳しい状況だな……!

 

「グオオオォォォォ!!」

 

 何分、いや何十分たったのだろうか?暫くすると痺れを切らしたかのか、アオアシラは苛立つような遠吠えと共にその巨体を利用し木に体当たりを仕掛け始めた。木が大きく揺れる。更には鋭い爪でガリガリと木の幹を引っ掻き……いや、そんな可愛いものではない。その爪で幹を豪快に抉っていって木が倒れやすくなるように削り取っていく。少し削っての再度の体当たり。それは最初の揺れよりも明らかに揺れは大きかった。

 

「くっ……!!?糞……どうする……?」

 

 大熊は少しずつ、しかし確実に私を食い殺そうと追い詰めにかかっていた。糞がっ!ただの畜生の分際で……!!

 

「ふざけやがって……!!これでも食らえっ!!」

 

 ハンドブラスターを向けて頭部……目に向けて発砲しようとするが相手は動いている存在、しかも私の動きを学習したのか頭部を腕で守りやがった。腕にブラスターの閃光が吸い込まれるが固い毛皮と分厚い皮下脂肪、強靭な筋繊維によって殆ど有効なダメージを与える事は出来なかった。貴重な弾の無駄遣いだった。

 

 そうしている間に三度目の体当たり……。

 

「うおっ……!!ひっ……!?」

 

 今のは少し揺れが大きかった。身体のバランスが崩れそうになり義手で幹を跡が残る程強く掴む。不味い……これは本気で不味い。

 

(まだ耐えられそうだが……長くは持たないか?糞っ!いっそ降りて別の木に登る?いや、中途半端な太さの木だとすぐに倒される。走って逃げる?論外だな)

 

 熊の走る速度は図体に似合わず洒落にならない位には速い。どれだけ全力で走ろうと一〇数える前に追いつかれ背中から襲われる事だろう。無謀過ぎる。

 

(糞っ!糞っ!糞っ!ふざけんなよ!流石に食い殺されるとか想像出来るかよっ……!!戦斧で殺されるより質が悪いじゃねぇか……!!?)

 

 私は内心で運命を罵倒し尽くす。正直かなりやばい事態だった。色々戦死の仕方は想像してきた。艦艇の爆発に巻き込まれて即死出来るとは限るまい。生きたまま焼け死ぬ事も内臓を零してゆっくり死ぬ事もあり得る。大破した艦から真空に投げ出される事もあるだろうし、地上戦の砲撃で四肢が吹き飛ぶ事も想定内だ。だが……だが、生きたまま食い殺されるなんて考える訳がないだろう……!?

 

 恐怖で動転しそうな脳を必死に落ち着かせつつ私はこの場を助かる方策を必死に考える。文字通り恐怖を押さえつけて考え続ける。

 

 ………尤も、私が何等かの方策を導き出す前に状況は変わってしまった。尤も、悪い方向にだが。

 

「若様っ……!?」

 

 とても懐かしい付き人の声を、私は最悪の状況で聞く事になった。

 

 

 

 

 

 

「若様、どこにおられますか……!?」

 

 森の中を必死に駆けて、息を上がらせながら彼女は自身の主君を幾度も呼び続けていた。暫く前に自身がシェーンコップ達の呼び止めを無視した事が失敗である事に気付き内心で自身の無能さを罵り落ち込んだが今更後戻りも出来ない。それ故にがむしゃらに彼女は捜索を続け、漸くその姿を見出したのだった。

 

「若様っ……!?」

 

 暗い森の中で必死に辺りを探す。そんな状況で咄嗟にある木々の上でよじ登った人影を見つけ出しほぼ同時にそれが自らの主君のものであると理解出来た彼女の観察眼と洞察力は素直に称賛するべきであったろう。

 

 だが、その掛け声が彼女の主君の下にいた獣の注意を引いた。

 

 不幸としか言えない。ベアトリクスもまさか主君がアオアシラに襲われて避難している時であろうとは想定していない。距離があったのと茂みや木々のせいでアオアシラの姿を見つけにくかった。そもそもこの一帯は草食獣の飼育区域である筈だった。故に想定しろというのは余りに酷過ぎた。

 

 無論、だからと言って現実が彼女に配慮してくれる筈なぞないのも確かであった。

 

「ベアトっ……!?」

 

 驚愕する主君の自身を呼び掛ける声に従士はまず安堵し、歓喜した。彼女自身気付かなかったがそれはある種の代償行為であったのだろう。家族と袂を分けたが故に、彼女は一層主君に忠誠を誓う事に自身の存在意義を見出し、そして依存していたのだ。故に普段以上に自身を呼ぶ、しかも求めるような声に反応したのだろう。

 

 だが次の主君の言葉にベアトは硬直し、次いで自身のミスを思い知らされた。

 

「ベアトっ!今すぐ逃げろっ!!」

 

 必死の形相の主君の命令、同時に漸くその脅威に気付いた。ベアトリクスは目を見開き、殆ど反射的に腰のハンドブラスターを構え、連続で発砲する。だが……。

 

「横に避けろぉぉ!!」

 

 木の上から降り立ちながら気が狂ったような大声で主君が叫ぶ。八発目まで撃ち、全弾命中しても尚突っ込んで来る猛獣の姿を見てベアトリクスは身を翻すように横に跳んだ。ほぼ同時に背中を引っ張られるような感覚を感じ、泥の中に突っ込む。

 

「ベアトっ!?」

「っ……!も、問題ありません!服が破れただけです!」

 

 悲鳴のような呼び声に、彼女は僅かに動揺しつつも自身の受けた被害を正確に報告した。擦れ違い様に背中に受けた爪の一振りはしかし彼女の衣服に爪痕を残したが実際それだけの事で薄皮を僅かにひっかけただけであった。無論、コンマ一秒動きが遅ければ致命傷になりえたのは事実である。

 

 伯世子はハンドブラスターを乱射しつつ従士に駆け寄る。ブラスターの銃撃はアオアシラの強靭な肉体を貫通する事は出来ないがそれでも僅かながらにダメージは蓄積され得る。表面に小さな傷跡が確認出来た。

 

 ……本当に小さな傷跡であったが。

 

「手を掴め!早く立つんだ!!」

 

 ぬかるんだ泥に足を掬われそうになる従士の腕を掴み立ち上がらせる伯世子。視線を向ければ木の幹に頭をぶつけ不快そうに頭を振り木片を払うアオアシラの姿が映り込む。

 

「走っても追いつかれる!一旦木の上に避難するぞ……!」

「わ、分かりま……若様!来ています!」

 

 目を見開いて叫ぶ従士。次の瞬間その意味を察した青年貴族はそのまま従士を押し倒し、振り向いた。そこにはもう距離を詰めた猛獣が大きく振りかぶった腕を振り下ろしていた。

 

 

 

 

 

 

 

「ぐおっ……!!?」

 

 咄嗟の機転が幸いした。身体を捩じり、アオアシラの腕の一振りを私は辛うじて避けていた。

 

 それは客観的に見て幸運だったと言える。仮に顔面に受けていれば恐らく衝撃で私の首は螺子切れていただろうから。

 

 だから、爪が掠って私の右耳が千切れたとしても、それは幸運であった事に間違いはなかった。

 

「若っ……」

 

 一瞬、私は押し倒されたベアトが目を見開き、何かを思い出すように絶望に顔を引き攣らせている姿を確認出来た。同時に千切りにされた耳の小さな肉片と血が従士の頬を汚す。次の瞬間には彼女は金切声に近い悲鳴を上げて手に持つハンドブラスターを乱射していた。

 

「グオオオオオオォォォォ!!!??」

 

 猛獣もまた金切声のような咆哮を叫ぶ。ベアトの乱射した一発がアオアシラの左目を撃ち抜いていたのだ。流石に眼球は肉体に比べ頑強ではない。片目を失い血を流しながら激痛にのたうち回る獣。

 

 尤も、凶悪な両腕を見境なしに振り回すので危険は変わらないのだが。

 

 ひゅん、伏せる直前私の頭のすぐ上をアオアシラの腕が通り過ぎる。数秒遅れてさらっ、と数本の髪の毛が落ちるのが視界に映った。多分少し頭下げるのが遅れてたら脳味噌が辺りに散乱していただろう。はは、笑えねぇ。

 

「ベアト!逃げるぞ……!」

 

 泥にめり込むように這いずり私はベアトに叫ぶ。右耳から鈍い痛みが走るが傷の酷さと出血の割には痛くなかった。多分興奮し過ぎて一時的に痛覚が麻痺していと思われる。……落ち着いた後の激痛が怖いな。

 

「わ、若さ……」

「落ち着け!この程度問題ない!」

 

 地面で尻餅をついたまま硬直するベアト。私を……より正確には私の千切れた耳を見て打ち震えている。このままでは二人共危険なのでベアト叱咤しつつ引き摺るように私は退避を開始する。

 

「私は……私はまた……いや……」

 

 ベアトは私に引っ張られて一緒に逃げるがその表情は明らかに絶望に歪んでいた。糞、合流していきなりミスったな……って!

 

「やべっ!横合いに跳ぶぞ!」

 

 私は後方から飛び掛かるように突進してくる化物を回避するためベアト共々横合いに跳躍し本日何度目か分からない泥中へのダイブを果たす。はは、もう外套の中までずぶ濡れだな。ファック!

 

「それにしても……!随分とタフだな……!」

 

 もう痛みから立ち直ったとは畏れいる。元々猛獣同士の殺し合いのために作られた品種なだけあって痛みに対して我慢強いのだろう。そのままアオアシラは我々が先程までいた空間を抜けそのまま木の一つにぶつかり大きく幹を揺らす。怒りの咆哮と共にアオアシラは片目で我々がどこにいるかを探そうとする。

 

「片目になっている筈だから死角がある筈だ!そちらの方向からこの場を逃げるぞ!」

「き、来ました!!」

「畜生の分際で判断力が高いな糞がっ!!」

 

 視界が潰れたので臭いで此方のいる方向を探り当てたのだろう。既に走り出して殆ど茂みと木々に隠れていた私達の下に視界が悪いのに一直線で突進してくる。

 

 私達は走りながら後方にハンドブラスターを撃ちまくるが当然その勢いは止まらない。咄嗟に木陰に隠れる事でその突進から身を守る。

 

 激しい衝撃と共に木の幹に突っ込んだアオアシラは、しかしその巨体に似合わない俊敏さで木陰に回り込み、心底腹ただしそうな唸り声と共に我々を見つけ出す。そして腕を振り上げ……。

 

「ベアトっ……!」

 

 大熊の一撃を庇うように私は前に出た。同時に右腕を構えて身構え……殴りつけられた衝撃で私は軽く吹き飛んだ。ベアトだったら即死していただろう。

 

「ぐおっ……!?」

 

 脳震盪を起こしそうになる衝撃だった。右腕から嫌な音が響く。泥の中に勢い良く叩きつけられたのがどうにか分かった。

 

「グオオオォォ!!」

「熊公がぁ!!」

 

 崩れた私に怒りの唸り声を上げながら覆いかぶさるアオアシラ。そのまま熊の習性に従い生きたまま頭に齧りつこうとする。私は右腕で襲い掛かるその牙を受け止めた。ゴリッ、と鈍い嫌な音が響き渡る。

 

「ぐおぉぉっ……!!?」

「若様ぁっ!!!??」

 

 すぐ傍でベアトが金切声に近い悲鳴を上げる。目の前で主君が生きたまま食い殺されようとしているのだから当然だった。必死の形相で此方に駆け寄ろうとするが……。

 

「ぐっ……だ、駄目だ!!絶対にこっちに来るな!」

 

 私は怒声を上げて此方に向かうのを止める。ビクッ、と殆ど条件反射で足を止める従士。だが、それだけでは駄目だ。

 

「ベアトっ!今すぐ離れろ、命令だっ!!」

「ですが……いや…だって………!!」

 

 私が離れるように命令するがわなわなと声にならない声を呟く。

 

「命令の一つも聞けないのかっ!?邪魔だから失せろって言っているんだぞ!?」

「け、けどっ……!!」

「いいから距離を取れってんだ!ぐっ……!?頼むからそれ位聞いてくれ!!」

 

 クソ熊の腕に噛みつきながらの腕の一撃を寸前で避けて私はヒステリック気味に叫んだ。あ、頬が少し切れてる。痛い……。

 

「あぁ…あ…う………!?」

 

 私の重ね重ねの命令に漸くベアトは少しずつ距離を取るように離れていく。その表情は良く見えないが少なくとも平静でないのは漏れ聞こえる声から分かった。

 

「よ、よし……良い娘だっ……!」

 

 私は噛まれ続ける腕をもう片方の手で支えながらシニカルな笑みを浮かべ小さく呟いた。

 

 ……いや、別にもう助からないから彼女だけでも逃がそうとかそういう義侠心溢れる理由では無いんだ。本当にそう……あれだ。『巻き込み』が怖いからね?

 

「グウウゥゥゥッ!!!??」

 

 私の右腕に齧りついている畜生は今更のように違和感に気付いたらしい。当然だろうが、お前さんの噛力に生身の腕が数秒も持つかよ。アッと言う間にへし折られているわ!

 

 私はにやりと意地悪な笑みを浮かべ、アオアシラが必死に義手を噛み砕こうとしている姿を見つめる。うん、痛みがないのに腕ががりがり噛まれて穴が開いたり凹んでいる感覚が分かるのって凄く気持ち悪いわ。

 

 まぁ、それはそれとして………まぁ、あれだ。角度と向きを調整して空いている手で支えて……と。

 

「そんなに腹減ってるなら食わしてやるよ。ちゃんと味わって食えよ……?」

 

 炭素クリスタル製の破片を、な?

 

 次の瞬間、パンッ!と弾けるような爆音が森中に響き渡り、私自身にも反動が襲い掛かり身体に叩きつけるような衝撃が走る。

 

「グウオオオオオォォォ!!!??」

 

 同時に悲鳴に似た咆哮が鳴り響いた。それは獣の断末魔の声だった……。

 

 

 

 

 

 オーダーメイドの義手、本来ならば必要ないはずの予備を作る際に、おまけとして追加機能を組み込んだものを一つ用意させていた。……まぁ、御分かりだろう。所謂仕込み武器という奴だ。

 

 内容は腕部の表面と内部の間に挟みこまれた炭素クリスタル製の板と火薬……簡単に言えばある種の爆発反応装甲である。相手が目と鼻の先にいる近接格闘戦の際に起動し、火薬の爆散と共に砕けた破片が正面の敵に襲い掛かる訳だ。

 

 ……おう、正直な話作ってもらってから滅茶苦茶後悔したよ。使い勝手悪すぎるしな!角度間違えたら下手したら自分も破片に当たるし使った時の衝撃がエグい。しかも飛距離はそれ程でもないので文字通り相手が目と鼻の先にいないと効果が期待出来ない。完全に糞装備じゃねぇか。

 

 職人も私の提案を聞いて微妙な顔で止めるように申し出ていた。私の提案の欠点位分かっていたのだろう。尤も私が一つだけと言って強制的に作らせたけど。ああ、そりゃああのミンチメーカーにエンカウントなんかすればトラウマになってこんな装備も作らせようよ。流石に出来たものを一度試して後方に吹き飛んだら自分がどれだけ冷静でなかったのかを自覚したが。今回この義手で逃亡を図ったのもあくまで手持ち装備が少ないので気休め程度で装着していたのだが……。

 

「ぐっ……まさか…こんな絶好のシチュエーションが来るとはなっ……!」

 

 押さえつけられた状態で目と鼻の先でしかも義手を噛み砕かれつつある状況、背後は衝撃を吸収しやすい泥、しかも相手に飛び道具なぞない。完璧過ぎる条件。そこで腕に仕込んだ炭素クリスタル製の破片の散弾を顔面に、口内に食らえばどうなるか、分かり切った事だった。

 

「グ……ォ……」

 

 目の前にいたのは顔じゅうに小さな穴を空けて大量の血を流す怪物の姿だった。牙がへし折れ、鼻は抉れ、舌は半分千切れてぶら下がり、喉から蛇口のように赤黒い血が噴き出す。壮絶な姿だった。悍ましい惨状だった。

 

「っ……!」

 

 ベアトによって撃ち抜かれなかったもう片方の目から殺意と敵意に満ち満ちた眼光を向けられている事に気付いた。惨たらしいその姿と相まって私は打ち震える。その瞳とよく似たものを半年以上前にも見た事があった。私の片腕を持って行ったあの野蛮人と同質のものだった。野性的で原始的で根本的な、根源的な恐怖を感じさせる純粋な殺意……もしここで目の前の獣に一撃顔面を殴られれば相手が瀕死とは言え私の顔面は挽肉になっていたであろう。

 

 しかしそうはならなかった。代わりにむせるように口から吐き出した血が私の顔面に降りかかる。

 

「あっ……」

 

 生暖かいものを頭から被った事にどこか非現実的な感覚を感じていた。気味が悪い以上に殴り殺されなかった事に幸運を感じていた。緊張の糸が切れて、荒い息をする。

 

 尤も、それは安易な考えであった。

 

「あっ……」

 

 ぐらり、と死に絶えた獣が崩れ落ちると同時に私はそれに気付いた。重量数百キロの猛獣はその質量自体が凶器なのだという事実に。

 

 このすぐ後、雨の中崩れ落ちるアオアシラの死骸を必死に義手で支えながら先程離れるように命じた従士に助けを求める涙目の門閥貴族のボンボンの姿がそこにあったのだった……。

 



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第百四十四話 来いよ、らいとすたっふルール!訴訟なんて捨ててかかってこい!(震え声)

今章は次回で終わりです


「はぁ……はぁ……済まん、助かった」

 

 大雨が降りしきる山林の中で全身(熊公の吐き出した血で)血塗れになった私はそう謝意の言葉を口にした。数百キロの重量のあるアオアシラの下敷きになればそれだけで圧死しかねない。殆ど半壊していた義手とベアトに支えて貰った事で、どうにか私は地面と死骸の間から抜け出す事に成功した。

 

「し、失礼致します……!」

 

 尤も、彼女の方は私の謝意なぞ望んでいないらしい。そんな事よりもどこからかハンカチを出したベアトは来て私の右耳を抑える。千切れた耳から流れ出す血で白地の絹のハンカチは瞬く間に赤黒く染まっていく。

 

「……少し抑えておいてくれ。……ぐっ、こりゃあ駄目だな。中の配線がイカれてやがる、外すか」

 

 ベアトに右耳の傷を抑えたままにするように頼んだ後、アオアシラのアイアンクローで盛大に凹み、次いで盛大に噛みつかれてくっきり歯型がついてズタボロになった義手を見て私は呟く。

 

 まぁ、ここまでやられてまだ一応動くだけでも市販の大量生産品に比べれば上出来ではあるが、それでも誤作動が怖い。このままでいるよりは捨てた方がまだ動きやすいだろう、勿体ない気もするが仕方ない。

 

 泥まみれになった軍服の袖をめくり上げ、義手と生身の腕との間を橋渡しするコネクタ部分に触れる。数秒もせずに右腕の感覚が突如消失した。同時にボロボロの義手が落下、そのまま泥の中に落ちてゆっくりと沈み込んでいった。

 

「若様……」

「待て、大体言いたい事は分かる。それは後回しだ」

 

 耳の傷口を抑えるようにハンカチを結んだ後、何か言いたげな表情を浮かべるベアト。しかし疲労困憊した口調で私はそれを制止した。今は逃亡を優先するべき時だった。私は重い腰を上げる。そして……。

 

「マジふざけんじゃねぇぞこの糞熊公がっ!!畜生の分際で分を弁えろボケッ!!!」

 

 取り敢えず怒りに任せてくたばったアオアシラの死骸に蹴りを入れる。更にズタボロのミンチになった頭に数発ブラスターを乱射してやった。熊の頑強さと狡猾さは知っている。遺伝子改良していない原種の熊ですら猟師が仕留めたと思って近づいたら平然と起き上がって襲い掛かって来たなんて逸話がある程だ。ましてアオアシラ相手となれば念には念を入れてこれ位やるのは当然だ。断じて殺されかけた事への恨みつらみが理由ではない。……嘘じゃないよ?

 

 ある程度意趣返しをして気分を落ち着かせた私は肩で息をしつつハンドブラスターを構えていた手を降ろす。

 

「……済まん、無駄な時間を使ったな。ベアトの方は背中の傷は大丈夫か?」

「……も、問題はありません。……軍服のお陰で薄皮を少し削られただけです、出血はしていません」

 

 原作では然程役立っているようには見えないが、一応の防刃・防水・難燃性能を有している同盟軍制式採用の暗緑色の上着である。今回の従士の身の安全に役立ったのなら幸いの事だった。

 

「そうか。………それじゃあ、行くか?」

 

 疲れ切った表情で深い安堵の息を吐き、私は笑みを浮かべてベアトに提案する。

 

「わ、分かりました。そ、それでは先導を致します……」

 

 どこかぎこちない、バツの悪そうな所作でベアトは私の案内を行おうとする。だが……。

 

 次の瞬間何かに気付いたかのように、らしくもなく周囲をキョロキョロと見渡した後目を見開き、次いで顔を青くして怯えるように此方に視線を向けた。私は嫌な予感を感じていた。そしてそれはすぐに現実の物となる。

 

「若様、何方に向かえば宜しいのでしょうか……?」

 

 恐る恐ると、この場において致命的な質問を従士は口にした……。

 

 

 

 

 

 

 現在位置と方角が分からなくなった。GPSの使える携帯端末は位置を逆探知される危険から私も従士もそれぞれの屋敷に残していた。方位磁石も熊公との戦闘で行方不明となり、天測で座標を割り出そうにも曇天に大雨となればそれも不可能と来ている。即ち、人はこのような状況を一般的に遭難と呼ぶ。

 

 遭難、その状態で不用意に動くのは本来危険であるが、そうも言ってられなかった。この大雨に軽装備で全身びしょ濡れである。寒さが先程までの戦いと合わさり体力を削る。千切れた耳を始め傷口は痛むし、何より酷い倦怠感が全身を襲う。このままでは凍死の危険性すらあった。

 

 幸運と言えるかは分からないが、ここは狩猟園の敷地である。探せば幾らでも休憩用の小屋はある筈だった。中には暖を取るためのストーブや毛布、食料もあるだろう。天気予報が正しければ明日にもこの梅雨の大雨は止む筈だ。危険性はあるが一旦小屋に引き籠り休息するしかなかった。最悪逃亡に失敗したとしても、生物学的に死亡は御免だ。

 

「とは言ったものの、その小屋探し自体が案外辛いものだな……!」

 

 ベアトと共に私は山道を歩き続ける。脳内に叩き込んだ地図を周辺の地形と照らし合わせるが、そもそもこの辺り一帯は森と山ばかりで見分けるのも困難を伴う程だ。

 

「若様、足元にご注意下さいませ」

 

 先行するベアトが手を差し出す。私はそれを掴み滑りやすくなった傾斜を降りていく。片手ではバランスを取りにくく、足を掬われても身を守りにくい。故に小まめにベアトの支えが必要だった。

 

「はぁ……はぁ……有難う。はは、まるで士官学校の山岳地行軍訓練だな」

 

 私は同盟軍士官学校時代の訓練を思い出して苦笑する。小隊や中隊単位で山岳部を一週間かけて走破する訓練だったが、当然ただ山を登るだけではない。気候は敢えて悪い時期を選び、野宿や食事、飲み水の補充は部隊単位で行う。しかも他の班や完全武装のアグレッサー部隊が敵役として襲撃をかけて来た。教官達が大人気もなく亡命政府軍から貸与して貰ったフェルディナンドに乗車して笑顔で戦闘中の生徒達を横合いから殴りつけて来た時はスコットは当然としてコープやスミルノフのような優等生組すら「ふざけるな!」と教官達を絶望顔で罵倒していた。

 

 確かあの時も途中でベアトと共に迷子になって山をさ迷っていたな……。しかも本隊合流はベアトに先導して貰っていた筈だ。悲しいなぁ………。

 

「山岳地訓練ですか……。私としては寧ろ……いえ、それよりもここから先の土は柔らかそうで泥に足を掬われます。より一層ご注意を御願いします」

 

 付き人は一瞬、何かを思い返すような表情を浮かべ、しかしすぐに義務的な注意を行う。その態度に怪訝な印象を受けるがそれを指摘する余裕もないので粛々と私はその言葉に従った。

 

「………」

「………」

 

 傾斜を降りて水溜まりと木の根に気を付けながら我々は沈黙の内に徒歩で歩き続ける。しばしば此方の様子を窺うように後方を振り向いたり周囲を警戒したりもするがそれだけだ。雑談もせず互いにひたすら歩き続けるだけ………。

 

(……急に重苦しくなったな)

 

 ずきずきと疼くような痛みを右耳に感じながら私は逡巡する。彼女の内心についてはある程度想定出来るが……全くもってタイミングが悪い事ばかりだ。よりによって初っ端からこの様とは。下手に罪悪感を植え付ける積もりは皆無なのだがな………。

 

 ちらり、と私は先行する従士に視線を向ける。数えきれない程見て来たその背中は元々小さいが今は一層頼りなく、弱弱しく思えた。

 

「……若様!見て下さい!小屋を見つけました!」

 

 ふと、物思いにふけていた所にその叫び声が響いた。僅かに喜色を浮かべてベアトが此方を振り向いて目的の場所を指差す。そこは私も知っている小屋だった。

 

「こりゃあ、まぁ……因果なものとでも言うべきなのかね……?」

 

 狩猟園と庭園の境界線にあるその小屋に私は見覚えがあった。

 

 ………何せほんの数日前に休憩に使った覚えがあったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 当然ながら外部から明かりが見えたら小屋に隠れているのがばれるので、光源は最小限にしたかった。その上で暖も取りたかったので備え付けられていた照明も、燈も使わなかった。

 

「お待ちください、今火を起こします」

 

 湿気気味の薪に紙を追加して従士は薪ストーブ(飾り気の少ないペンシルバニア・ストーブだった)に点火した。私は泥と血で汚れたびしょ濡れの外套を脱ぎ、同じく泥と血で汚れた上着を脱いだ。うわぁ、下のカッターシャツまで完全に染み込んでやがる。

 

 白地な分汚れは丸わかりだ。こりゃあ後で捨てるしかないな。上着含め新品をヤングブラッドに仕入れてもらうしかあるまい。

 

 私は半裸状態になると鼻を啜り、身体を震わせる。今更ながら身体が冷え切っている事に気付いた。下手に少し暖かい小屋に入ったために自身の身体がどれだけ冷たいかが分かってしまう。小屋の中にあったタオルで雨水と泥と血で汚れた身体を拭いていく。

 

「若様、御傷の方を失礼致します」

「ん?あぁ……頼む」

 

 マットが地味に硬い簡易ベッドに座り、毛布に包まる私に外套を脱いだだけの従士が駆け寄った。びしょ濡れの上着に雨水の滴る髪のままで小屋から探し出したのだろう救命キットを持って傍に来る。右耳を縛るように結んでいたハンカチを外していく。あー、うん。真っ赤所か黒ずんでるな。

 

「痛みますが御容赦下さいませ」

「任せる」

 

 そう返答したかどうかというタイミングで鼻孔に消毒液のアルコール臭が漂ってきた。滴る液体が触れる感覚と共にズキズキという痛みを感じたがそれも次第に薄れていく。恐らくは局所麻酔を使用したのであろう。止血用の冷却スプレーが傷口を凍結させ、細胞を活性化させるための成分を含んだ軟膏が塗られる。そしてガーゼで抑えられた状態で包帯で覆われる。

 

 一応これで化膿する可能性は最小限に抑えられたと言えよう。救命キットの装備は所詮は応急処置用ではあるがまずは上々だ。まぁ、再生医療があるので最悪片耳が腐り落ちようとも切除した後に細胞片から培養した耳を縫い付ければ良いだけだがね。

 

 ………耳を千切られて平然とこんな事考えている自分はとっくの昔に末期な気がしない訳でもないが。

 

「残念ながら川幅は広く、荒れています。橋を渡るのも川を泳ぐのも推奨出来ません」

 

 そもそも待ち合わせ場所とは違うので、橋が渡れようとも地上車の停車場所まで歩かなければならない。

 

「方角は分かりました。川伝いに歩いていけば待ち合わせ場所に辿り着けます。今は体力の回復を優先し、その後に向かいましょう」

「あぁ、流石に寒いし疲れたからな。休憩したい」

 

 ベアトの提案に私も賛同する。今の位置的に徒歩で、しかもこの天候では一時間以上は歩かねばなるまい。どうやら我々は山林をさ迷って見当違いの方角を進んでいたようだった。失敗だな。

 

「幸い防寒具の類はこの小屋に完備されております、暖は取れるでしょう。衣類の汚れを落とすのは難しいですが乾燥は出来そうです。御食事も保存食なら御座います、温めて召し上がりますか?」

「ああ、そうだな……貰おう」

 

 相当疲労していたのだろう、少し空腹感を感じて私は賛同する。

 

「それでは少々お待ちを……」

「いや、私がやろう」

 

 私は調理を行おうとしていた従士の手を止める。

 

「若様……?」

 

 ベアトが怪訝そうな表情を浮かべるので私は補足説明を行う。

 

「それより彼方の部屋で身体を拭いてこい。いつまでも捨て犬みたいにびしょ濡れじゃあ敵わんからな。それに、お前だと二人分の所を一人分しか作らなそうだしな?」

 

 私は冗談めかしてそう口にする。その時脳裏に過っていたのは幼少期の記憶だった。拗ねた私が北苑の狩猟園で迷子になった時の記憶だ。あの時は皇帝の財産だから小屋の保存食を食べようとしなかったので命令して食べさせたのだったか……。

 

「ここの飯は伯爵家の財産だが気にするな。お前みたいな信頼出来る部下のためなら飯一人分所か屋敷一軒と引き換えても問題ない位だからな、遠慮せずに食べとけ。私としてもいざと言う時に空腹で力が出ないなんて言われたら笑えないからな」

 

 冗談めかして私は語る。実際にベアトが自分の分を作ろうと考えてなかったかは分からない。私の自惚れかも知れない。それでもいつまでも彼女をびしょ濡れにする訳には行かなかったし、少し位は手伝いもしたかった。それもあって調理を受け持つ事にした。

 

「ですが……いえ、了解致しました」

 

 僅かに迷った素振りを見せつつも、最終的に彼女は私の意見に従った。隣の部屋に向かうのを横目で確認しつつ私も薪ストーブの方へと向かう。

 

 ポットにペットボトルのミネラルウォーターを注いで薪ストーブの上に鎮座させる。木箱の中で包装されていた銀皿とカップを取り出す。

 

「門閥貴族の避難小屋ともなるとそれなりに豪華なものだな」

 

 カプチェランカやエル・ファシルでは帝国軍から鹵獲した冷製ヴルストや黒パンばかり食べていたが、流石に伯爵家の狩猟園に完備されている保存食は戦場での摂取を想定していない分、幾分かマシな内容だった。

 

 パンは缶入りのミッシュブロート、真空パック入りのコトレット(カツレツ)は加熱処理して封を切ればソースの香ばしい匂いが漂う。ビーフ・ジャーキーは即席のツヴァーベル・ズッペ(オニオンスープ)に含めればスープ自体にも旨味が染み出て肉も柔らかくなるだろう。デザートはドライ・フルーツがある。即席の珈琲も豆は厳選された品種だ。

 

 生粋の軍用戦闘糧食に比べればコストはかかるし匂いが強くて居場所がばれやすい。しかも火を使う等手間暇がかかるし消費期限も短い。前線だと味だけは好評だろうが大半の兵士は嫌がるだろう代物だった。

 

「ふぅ………」

 

 ある程度の準備をして後は湯が出来るのを待つだけ、という状態になると私は毛布に包まりながら当てもなく薪ストーブの火をぼんやりと見つめ続けていた。

 

「………震えるな」

 

 小刻みに震えている左腕を見つめ、自嘲気味に小さく呟いた。その震えは寒さによるものではない事は知っていたが、同時に情けないといって止める術も無かった。カプチェランカの時と違い抑えるべきもう片方の手は存在しない。唯ひたすらに震えが自然に止まるのを待つしかなかった。

 

「……っ!」

 

 フラッシュ・バックしてくるのはほんのついさっきまで殺し合いを演じていた獰猛な畜生の姿だった。同時にそれと重なるように思い出されるのは同じ位に、いやそれ以上に野生的な蛮人の戦斧を振り下ろす光景だ。

 

「……はっ、あれを素手で締め殺すとかマジかよ?」

 

 私が相対したアオアシラは小柄で痩せていたが、あの石器時代の勇者は信じがたい事に赤い大物を素手で殺して剥製にしたという。命中すればまず四肢が引き千切れる爪の一撃を避けて懐に入り込みそのまま腹を連打、厚い毛皮と脂肪を貫いて内臓に食らった衝撃で苦しんでいる所を脇腹から背後に回り込み、背骨が砕けそうな程の握力で首を締め上げて窒息死させたのだとか。うん、何言ってるか分かんない。

 

「……結構、辛いものだなぁ」

 

 ひたひたと懐かしい、そして出来れば二度と感じなくなかった『あの』感覚と感情が広がっていくのを私は感じ取っていた。

 

「イゼルローンで遭難して以来か?いや……」

 

 実の所、オフレッサーに右腕を斬り落とされた時から私は『あの』感覚を感じてはいた。唯、私が誤魔化していただけだ。目前の目標に集中する事で自分自身、この感覚を見て見ぬ振りをしていただけだ。自覚したら気が狂いそうになってしまうから。

 

 ……尤も、糞熊公のお陰で意識させられてしまったがね?

 

「………若様?」

 

 その不安げな声に反応して私は肩を震わせて声の方向に振り向く。だが、ある意味ではそれは失敗だったかも知れない。

 

 ……流石に濡れたカッターシャツ一枚に毛布を被る女性の姿はなかなか反応に困った。

 

「あっ……いや、拭き終わったのか?」

 

 一瞬言葉に詰まったがすぐに当然の事だと理解する。

 

 頭から吐き出された血液を被った訳ではないにしろ、泥水で相当衣服も汚れていた筈で、しかも濡れたまま着ていれば当然風邪も引くだろう。比較的すぐに乾くカッターシャツは兎も角それ以外は脱いで乾かした方が良かっただろう。

 

 とは言え、絞ってはいるだろうが濡れて若干透けているカッターシャツ一枚に毛布を被っている姿は少し倒錯的ではあったが。

 

(いや待て、この程度今更だろうが)

 

 頭を振って意識を切り替える。この程度の露出なぞ今更気恥ずかしく思う程ではない。下着一枚位までなら何だかんだあっても見慣れている。全く問題ないではないか。

 

 ……いや、それはそれで問題な気もするが。

 

「若様……?」

 

 先程と同じように怪訝そうに従士は呼び掛けた。いや、先程よりもより不安そうに、そして疑念を浮かべるような尋ね方だった。

 

「あー、気にしないでくれ。……少し考え事をしていてな?」

「そう……でしたか。その……何というべきでしょうか……若様がどこか別の宇宙にでも思いを馳せているような目付きでしたので」

「はは、何だそりゃあ?」

 

 歯切れが悪そうにそう答える従士に私は乾いた笑い声をあげる。実際、彼女も自身の表現力が今一つであると理解しているのか何も口にはしない。

 

「……湯が沸騰してきたな。もう少し待っておいてくれ。そこのベッドかソファーに座って休憩してくれれば良い」

「……了解しました」

 

 恭しく礼をした後ベアトはベッドの方に座り身に纏う毛布を一層深く着込む。どうやら彼女も相当に疲労が溜まり寒さに耐えているらしかった。出来るだけ早く温かい物が必要だろう。

 

「……即席の珈琲だが先に飲んでおけ。疲れているだろうから砂糖は多めに入れておいたぞ?」

「はい、申し訳ありません……」

 

 湯気立つコーヒーカップを食事の前に差し出す。恭しくベアトは受けとるが口にはせずただコーヒーカップを両手で持ち見つめ続けるだけだった。

 

 暗闇の中、コーヒーカップを見つめ続ける金髪の美女の姿が薪ストーブの灯影に照らし出される。長い金色の髪と紅玉の瞳が輝く姿は中々幻想的だった。

 

「………」

 

 その姿にほんの少しの間だけ見惚れた私は、しかしすぐに作業に戻る。数分後には調理を終えた料理を銀皿と椀に乗せてベアトに差し出していた。私は対面のソファーに腰かける。

 

「大した内容ではないが仕方ない。取り敢えず豊穣神達に祈ってから頂くとしようか?」

「はい」

 

 頂きます、と殆ど同レベルに形式的な食前の祈りの後に私達は漸く食事に手をつけた。より正確にはまずは砂糖を多めに注いだ珈琲を頂いた。

 

「甘いが酸味もあるな。まぁ、こんなものだろうな」

 

 即席珈琲の酸味はやはりどうしようもない。エリューセラ産の激安官給珈琲よりはマシではあるが、ここ暫くロースト仕立ての高級豆ばかり頂いて舌が高級品に慣らされてしまっている私にはそれなりに苦痛な味ではあった。舌が馬鹿になるので余りやりたくないが誤魔化すために更に砂糖を追加しておく。

 

「……若様、大分遅れてしまいましたが先日の……いえ、此度の事に関しまして謝罪申し上げます。私は……」

 

 暫く食事をしているとスープを掬っていたスプーンを止めて、ベアトが震える声で口を開こうとする。

 

「本当に今更だな」

 

 私が被せるようにそう続ければ肩を震わせて従士は顔を青くする。その姿を見つめ久し振りに見るな、等と考えてしまい、そんな意地悪な自身に嫌悪感を感じた。

 

「……別に構わんさ。熊公の事なら寧ろ助かった。戦わずに済ませる術は無かったし、私一人だとぶっ殺せてもその後に圧死していただろうからな。エル・ファシルの事なら……」

 

 ふと、特に理由もなく私は自身の肘までしかない右腕に触れる。

 

「……あれこそ不可抗力ってものだよ。誰があの場にいても大して運命は変わらなかったろうさ。いや、お前の代わりに一個分隊いてもより悪い状況だったかも知れない」

 

 嘘ではない。最低限あの野蛮人を相手にするならばシェーンコップにリューネブルク伯爵がいなければどうにもならないだろう。それですら時間稼ぎ出来れば幸い、といった所が私の見立てだ。寧ろあの場で私の付き人は咄嗟の内に身を張って最善の判断をしてくれた。

 

「ですが……!!」

 

 悲壮な表情を浮かべて此方を見つめる従士に、しかし私は疲れた表情でそれを見つめ続けるだけであった。

 

「いいから、この話はしたくない。しても互いに辛いだけだ。それに……お前も去る積もりは無かろう?」

 

 石器時代の勇者にまつわる話なんてするだけ苦痛でしかない。誰が好き好んで腕を斬り落とされた話をしたいのか?それにベアトも色々と覚悟して合流した筈だ。ならば今更議題にするべき話とは思えなかった。

 

「………了解しました」

 

 私の右腕を見つめ、顔を辛そうに歪ませる従士。それだけで彼女の忠誠心の高さは理解出来る。私としてはそれだけで十分に思えた。自分でいうのも何だが無駄に彼女の罪悪感に付け込むような事はしたくない。

 

「……食事を続けよう」

 

 そこからの食事は重苦しい沈黙の内に過ぎていった。互いに疲労と思う所があったためにそれなりに美味しい食事を義務的に摂取し続ける。

 

「若様……」

「先に寝ておいてくれ。まだ眠りたくない」

 

 淡々と食事を終えた後、就寝しようとする従士に私は静かに命じた。静かだが、有無を言わさぬ口調だったように思う。

 

「……了解致しました。何かあれば直ぐに起こして下さいませ」

 

 そう言って私のすぐ傍にハンドブラスターを置き、まだ若干濡れた髪のまま付き人は毛布に包まり眠りに落ちる。一瞬彼女の丸みのある太股、次いで項に視線が向かうがすぐに私はそれを止める。

 

 暫くして小さな小鳥の囀りのような吐息が響いてきた。

 

「………」

 

 私は物音も立てずに食事の支度中のようにストーブの中で燃えながら崩れていく薪を見つめ続けていた。外は激しい風と雷雨が未だ止まない。

 

 ふと、背筋が凍るような寒さに肩を震わせた私は小さく呟く。

 

「……生きているんだよな?」

 

 その主語が自身と従士を指している事は言うまでもない。

 

「………っ!」

 

 私は蹲り、震える左手で目元を押さえる。今更のように溢れ出そうになる感情の奔流を抑えるためにそれが必要だった。深く、深く深呼吸をして息切れするように途切れ途切れになりそうになる呼吸を落ち着かせようとするがそれは困難だった。当然だ熊公のせいで思い出したくもない記憶を思い出してしまった。

 

 あの大熊に遭った時、私はオフレッサーと遭遇した時と同じように恐怖していた。絶望していた。トラウマになっていた。

 

 あの野性的で狂暴な風貌と死臭、圧倒的な迫力は見る者をそれだけで怯えさせる。一対一ではまず助からない。狙われたら十中八九殺されるだろう。

 

 実際、私はあの時遅かれ早かれ殺されている筈だった。まさに瓜二つだ。それぞれ腕一本と右耳で済んだのは僥倖過ぎる。

 

「はは、久々に思い出して来たなこの感覚……」

 

 ベアトが寝入ってしまい、先程まで感じていた感覚が再度私に這い寄って来る。

 

 小さい頃に良く感じていた感覚だ。想像していた感覚だ。覚悟していた感覚だ。恐れていた感覚だ。

 

 冷たくて、苦しくて、辛くて、痛い……死ぬ前に感じるであろう攻め苦を幻痛のように感じ取り、孤独感と絶望と不安感に苛まれていく感覚……いや、実際何度も死にかけてその感覚はある意味幼少期よりも遥かにリアリティを持って私の五感を侵して来る。犯してくる。冒してくる。

 

 仄暗い絶望が、常人には理解出来ないであろう孤独感と恐怖が私を苛む。

 

「……いや、それだけじゃあない。そんな事じゃない」

 

 死の恐怖がすぐ目の前にあった、それは私に幼少期の苦しみを思い出させる一因にはなっただろう。だがそれだけじゃない。それだけならまだ耐えられた。我慢出来た。本当の苦しみはそれだけではない。

 

「ベアト……」

 

 私は小さく自分の苦しみを共有してくれたあの子供の名前を呟いていた。

 

 そうだ、本当の苦しみは痛い事でも、寒い事でも、辛い事でも、苦しい事でもない。それらを共有出来ない事だ。理解して貰えない事だ。吐き出せない事だ。孤独な事だ。

 

 人は一人では生きていけないし、孤独には耐えられない生き物だ。喜びも悲しみも、幸福も不幸も誰かと分かち合わなければ生きていけない生き物なのだ。

 

 そして、私は二重の意味でそれが出来なかった。一つは貴族として、今一つは転生者として。

 

 孤独で孤高な存在が門閥貴族だ。誰かの後をついていく事は出来ないが故に、貴族は臣民を導き、先導する。だから弱みを見せられないし、弱音を吐けない。だからと言って諦める事も、投げ出す事も許されない。彼らが心を許せるとすれば同じ一族位のものだろう。だから貴族は身内を重視し、大切にする。

 

 恐らく私が前世の記憶なぞなく、唯の帝国貴族であればそれでどうにか耐えられただろう。だが……私にはそれが出来ない。

 

 転生した事を周囲に伝えるなぞ論外であるし、まして未来に来るであろう破滅なぞ信じてもらえないだろう。訳の分からない妄言を言い続ければ周囲の顰蹙を買うだけでなく一族にまで迷惑がかかる。だから私は自身の苦しみも絶望も口に出来ないし、それを共有も出来ない。

 

 そうだ……あの時、寒くて小さな小屋の中で毛布に包まって泣いていた糞餓鬼の訳の分からない、要領を得なければ具体性もない苦しみを優し気な笑みを浮かべ受け止めてくれた少女、みっともなく喚く糞餓鬼を抱きしめてあやしてくれた少女だけが私の孤独な心を癒してくれたのだ。理解はしていなくても、完全に分かり合えてはいなくても、それでも私の惨めな弱さを受け入れてくれたから、傍で守ってくれたから私は今日まで自暴自棄にならずに済んだのだ。それを……。

 

 あの石器時代の勇者の一撃が盾になった彼女の背中に振るわれた時、私は恐怖した。そして……。

 

「また、同じ失敗をしちまった………」

 

 そして、あの獣の鋭い爪が彼女の背中を切り裂いた時、私は同じ失敗を繰り返した事を悟り、同時にどれだけ絶望しただろうか?そして……そして………。

 

「うっ……うぅ………」

 

 激情により私の平静は決壊寸前だった。目元は熱くなり、目元は潤み、視界はぼやける。頬が紅潮するのを自覚した。表情がひしゃげたように歪むのを感じた。様々な感情が頭の中で入り組んでぐちゃぐちゃになり纏まった思考は出来そうに無かった。

 

「こわい……いたい……さむい………もういやだ……もうがんばりたくない………」

 

 薪ストーブに近寄って毛布に包まっていても私は寒さに苦しんでいた。身体が寒いのもあるだろうが、多分それ以上に心が寒かった。寒さに震えていた。孤独に震えていた。

 

 私は死への恐怖と孤独への恐怖から明らかに平静を欠いていた。どうして自分ばかりがこんな目に合わないといけないのか?苦しまないといけないのか?そんな詰まらない事ばかりが頭に浮かぶ。

 

 非生産的な現実逃避だった。只の甘えだった。完全に私は正気を失っていた。

 

 だからきっと、その責任は私一人に帰するべきなのだろう。全て私の責任だった。

 

「若様……?」

 

 不安げな、どこか幼げなその声に反応して私は振り向いていた。いつの間にか起きていた彼女は泣きはらした私の顔を見て目を見開く。

 

 同時に私の心の中に目覚めさせてはいけない欲望の灯火がついた事に気付いた。そうだ、目の前の少女は誰だ?従士だ、私の従士だ。分かっている。それは分かっている。だが………。

 

「な、何か御座いましたでしょうか……?」

 

 毛布にくるまり震える私の姿に小動物のような怯えた表情を向けて立ち上がる。毛布を被ってはいるがうっすらと曲線を描いた身体の輪郭が浮かび上がる。

 

「い、いや……何もない。気にするな………」

 

 その肉体美に一瞬見惚れた私は、しかしすぐに邪な感情を無視するように視線をストーブに移して吐き捨てた。

 

 だが、それは失敗だった。動揺しながら吐き捨てた言葉は震えていて寧ろ彼女の疑念を強めただけであった。

 

 此方に寄り添うように来る従士に私は仰け反るが、そんな事は気にせずに彼女は私の左腕に両手を添えた。

 

「御無理はいけません、御要望が御座いましたらどのような事でも何なりとお申し付け下さいませ」

 

 優しげでいて不安げな、母性と幼さと純情さを感じさせる表情に真摯で、そして誠実な口調で彼女は語りかけた。

 

 ……だが、それはある意味では悪手だった。

 

「えっ……?」

 

 彼女の小さな驚きの声が聴こえた気がした。残念ながら後々の私のその時の記憶は曖昧で実際の所は声を上げていたのかは分からない。しかし、恐らく彼女はすぐにこれから自身に降りかかる不本意で身勝手な未来を理解した事だろう。

 

 小柄な人影が固いベッドの上に押し倒されていた。身を包んでいた毛布ははだけ、半乾きの薄いカッターシャツ一枚のみを着ている均整の取れた肢体は半ば無理矢理ベッドの上に寝かしつけられていた。

 

 私は不躾にこの幼馴染みの家臣の身体に視線を這わせていた。女性特有の曲線の目立つ柔らかそうで、しかし軍人らしく引き締まった身体だった。腰は括れ、胸元は程好い大きさの張りがあり、手足は細く、衣服から出ている範囲だけでも染み一つない白い肌だ。まず世間一般で魅力的と言える体つきであると言えた。

 

 ベッドの上で広がる金髪が暗闇の中で仄かに照らされる。この時点で私は彼女が薄いシャツの下に下着も着こんでいない事に気付いた。

 

「ベアト……」

 

 私は熱に浮かされたように従士の名を呼び、おどおどしく、しかし厚かましく彼女のカッターシャツの釦に左腕を伸ばそうとする。

 

「若…様………」

 

 無表情を装っていた表情が強張り、紅玉色の瞳が震えている事に気付いた。それが僅かに私の獣染みた思考を正気に戻した。

 

「………」

 

 首元の第一釦に伸ばされていた私の腕が止まる。私達は互いを見つめ合う。尤も、私は兎も角彼女の瞳に映るのは十中八九恐怖の感情であっただろうが。

 

「あっ……」

 

 私はどうにか溢れかえりそうになる欲望を押さえつけて、伸ばしていた腕を彼女の頭の上に乗せた。そして小さく撫で回し、その金糸の髪を弄ぶように触れる。

 

「済まん……タガが外れる所だった。すぐに……すぐにどくから……少しだけ……少しだけ赦してくれ……」

 

 頭を撫でながら私は震える声で懇願し、哀願する。それが身勝手なものだと言う事は理解していた。それでも、嫌悪の視線を向けられたとしても今の私は人肌の温かさが欲しかった。孤独と恐怖を誤魔化すためにどうしてもそれが不可欠だった。

 

「若様………」

 

 震えた、そして怯えた瞳が私を射抜く。私はその視線に身動ぎし彼女の頭に触れる手が止まる。

 

 私は彼女に向けられていると思える感情を想像し、顔を青ざめさせていた。きっと失望されているだろう。覚悟はしているがそれは辛くて怖いものだった。

 

 醜い欲望を見られてしまったのだ、もう以前の関係に戻れない……私の脳裏に後悔と恐怖の感情が宿る。だが………。

 

 次の瞬間、か細い腕が私に伸ばされた。そして冷たくて、しかし温かな白い手が私の頬に触れる。

 

「大…丈夫……です………」

 

 優しく、壊れ物を扱うように頬を撫でながら、ベアトは私を見つめる。

 

「私は…大丈夫……です…から……」

 

 絞り出すような、悲しげで儚い声で彼女は囁いた。そして私は薄幸そうで、寂しげな幼なじみのその言葉の意味を正確に理解していた。

 

「ですから……一人で我慢なさらないで下さいませ」

 

 耐えるような、堪えるようなそれでいて慈しむような笑みを浮かべて彼女は私にそう申し出た。彼女も子供ではない。その言葉の意味位理解している筈だった。つまり………。

 

「済まん……済まない……済まない………ごめん………ごめん…………」

 

 私は優しげに微笑む従士に何度も、何度も何度も謝罪の言葉を口にする。目元からは溢れんばかりに涙が流れていた。それは自身の自制心の無さと情けなさに対する嫌悪感であり、彼女の献身に対する償いであった。

 

 だが……だが、その言葉とは裏腹に私は己の内にある残酷な嗜虐心と汚れた情欲を自覚していた。目の前の付き人が一時の私の心の安らぎのために自らを捧げる姿に明らかな満足感と優越感を抱いていた。

 

 それは恐らくどこぞの金髪の皇帝が最も嫌悪するものに違いなかった。余りに高慢で、傲慢な腐敗した特権階級の持つ無分別で無遠慮な欲望そのものだった。

 

(多分……碌な死に方しないんだろうな………)

 

 多くの命を殺しておいて今更ではあるが、私は自身の運命についてそのような事を心の中で考えていた。

 

 そして……そうやって言い訳をしながら、そうやって自己正当化しながら、私は従順で献身的な少女を無理矢理に組伏せていたのだった。

 

 

 

 

 

 古代の言葉に『藁にもすがる』と言う言い回しがあると言います。文字通り藁のような頼り無く、すぐに切れてしまうような存在ですら苦し紛れに頼り、すがってしまう事を意味します。

 

 今更のように私はその言葉を脳裏で反芻し、自嘲します。何と今の私にぴったりの言葉なのだろうか?と。

 

 ……そうだ、私は藁だ。追い詰められた人間が、絶望に溺れる人間が少しでも心の安寧を求めてすがり付く、波間に漂う金色の頼りない細い細い、藁の糸だ。

 

 だからきっと私の存在価値は本当にその場限りの、いらなくなれば捨てられ、忘れ去られしまう藁のような存在なのだろう。

 

 それでも……そうであるとしても…………。

 

「構いません。それでも……それでも『今だけ』でも私の居場所があるのなら、私の存在価値があるのなら、私を傍に置いて下さるのなら……私はそれで……それで…………」

 

 欲望と衝動のままに貪られ、食い荒らされ、なぶられ続ける金髪の少女が……それでも濁った瞳で愛しげにその頭を見つめ、抱き寄せ、愛撫しながら囁いたその言葉を、しかし彼女の主人は聴きとる事は無かった………。




ひょっとしなくても婚約者に色々フラグ立てた小屋で夜戦始める主人公は普通に道徳的にドクズ。腐敗した門閥貴族は族滅しなきゃ(使命感)




・御報告

作者「ふぅ、投稿完了だな。ではそろそろこの書き上げた夜戦回(二万字)を投稿予約するか。けっ!何がらいとすたっふルールだよ、お高く留まりやがって!んなもん怖かねぇ!訴えられようがブッ飛ばしてやんよ!」
らいとすたっふルール=サン「ドーモ鉄鋼怪人=サン。らいとすたっふルールです」
作者「アイエェェェェ!!?」
らいとすたっふルール=サン「アナタ、会社の二次創作のルール破った。ケジメしてもらう、いいね?」
作者「ザッケンナコラー!スッゾコラー!」
らいとすたっふルール=サン「ハイクを詠め!」
作者「サヨナラ!」

 意訳
本番(約二万字)は訴訟の可能性もあるから作者のパソコンの中で永久封印ですわ、すまんな



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第百四十五話 イケメンの屑発言の美化補正率は一五〇%位ありそう

今章最終です


「何をやっているのっ!!?貴方達は我が家から無駄に禄を食むだけの役立たず共ですかっ!!?どんな手段を使ってもいいから早くあの子を見つけ出しなさいっ!!」

 

 屋敷の広間で扇子のへし折れる音と共に殆ど悲鳴に近い叫び声が響いた。その場にいた使用人や警備兵達は恐怖にひきつった表情を浮かべて必死に捜索を続ける。

 

 屋敷の広間で豪奢なドレスで着飾りつつも髪形は崩れ、目を血走ったように見開く夫人が先程の叫び声を上げた事で息切れ気味に呼吸を行う。足元にはへし折られて最早使い物にならない扇子の残骸が打ち捨てられており恐る恐ると使用人達が回収する。

 

 ツェツィーリア・フォン・ティルピッツ伯爵夫人にとって状況は今にも気絶しそうなものだった。

 

 ふしだらな小娘の諍いの煽りを受けて息子が怪我をした事への衝撃で彼女は一旦は精神的に疲弊しベッドで呻く事しか出来なかった。そこに伯爵家に輿入れした時からの付き合いのある家政婦長からの知らせである。

 

 これまで殆ど死んだような状態だった彼女の精神は瞬時に活性化し、次いで発狂寸前となった。息子の婚約相手の小娘にとった行動もそうだが、そのまま場の混乱に紛れて屋敷を夜逃げ……しかもこんな天気で!……して未だに所在が掴めないのだ、こうもなろう。彼女は使えるコネと人員をフル回転させて息子を連れ戻そうと躍起になっていた。

 

 尤も、広大な敷地を捜索するにはその人手は不足しており、しかもよりによって安全とは言い難い狩猟区に逃げたとは考えてもいなかったのである意味でその努力は空振りであったのだが。

 

「奥様っ!グッデンハイム伯との御電話が繋がりましたっ!!」

「早く持ってらっしゃいっ!!」

 

 警備兵からの報告に夫人は怒鳴りつけるように命令する。すぐに台座に載せられた電話機(外見はクラシックなデザインだった)が兵士達によって運ばれてくる。ツェツィーリアは咳き込むように喉の調子を整えると受話器に耳を当てる。

 

「こほん……夜間遅くに失礼致しますわ。グッデンハイム伯エルンスト様でしょうか?」

『そのお声は……!?まさかティルピッツ伯爵夫人で御座いますか……!?』

 

 先程までの叫び声と同一人物とは思えない程の小鳥の囀ずりのような透き通った上品な声、しかしその声に受話器の向こう側の男の眠気は一瞬で吹き飛んだ。

 

『は、伯爵夫人……こ、これはまた……この時分に如何なる理由で御電話を……?』

 

 スパルタ市に設けられている第一方面軍司令部司令官宿舎で就寝していた所を無理矢理起こされ不機嫌気味になっていたエルンスト・フォン・グッデンハイム大将は室内の壁掛け時計を見た後、慌てて宮廷帝国語で挨拶を行う。時計の針は0300、午前三時を指していた。

 

「申し訳ありませんが長々とお喋りしている時間はございません、要点だけお伝えしますわ。伯爵、貴方確か首都防衛軍を含むハイネセンの部隊の命令権がありましたわね?」

『そ、そうですが……』

 

 惑星ハイネセンを含む同盟中央宙域の諸惑星と航路の安全を確保し防衛するのが第一方面軍であり、当然バーラト星系防衛を担当する首都防衛軍もまた間接的に指揮下にある部隊である。

 

「理由は詳しくは言えないのだけれど……息子がハイネセンから出国するかも知れないの。貴方の権限で今すぐ憲兵隊を動かしてあの子を保護して下さいな」 

『はいぃっ!!?』

 

 伯爵夫人のいきなり過ぎる命令に流石に大将は困惑と驚きの声を上げる。大将は詳しい説明を求め、夫人は苛立ちながらも息子の家出を多少婉曲的に伝える。

 

『し、しかし伯爵夫人!!亡命政府軍であればいざ知らず、市民軍を私的に動かすのは極めて困難で御座います!ここは警備会社や相互扶助会の人員を使った方が……』

「っ……とっくに命じていますわっ!!それだけじゃあ足りないから言っているのよっ!?そんな事も分かりませんのっ!!?」

 

 グッデンハイム大将の態度に小さく舌打ちし、次いで叱りつけるような伯爵夫人の言葉に大将は電話機越しに怖じ気づく。電話の向こう側の夫人がどれだけ怒っているのかが彼には嫌な程分かった。

 

「あの子が軍服を着て出ていった事は聞いてるわ!恐らく市民軍辺りがあの子に何か意地悪な命令でもしたに決まってるの!!あいつら私の息子の腕を奪っただけじや足りないのかしらねっ……!!!?いいからさっさと憲兵隊を動かしてあの子を保護しなさいっ!!ほかの者達にも私から電話はしているわっ!星道!空港!海港!宇宙港!軍なら交通インフラを監視する位は出来るでしょ!!?」

『ですがっ……!』

 

 確かに伯爵夫人の言う通り交通インフラの監視程度ならば然程の兵力を動かさなくとも可能ではあろう。監視カメラ等で本人の向かう方向を確認次第行先に先回りしてしまえば良い。だが………。

 

 物理的に可能としても政治的には簡単にはいかない。家出の原因が同盟軍上層部の命令と関わるのならグッデンハイム大将も易々と動けない。自身に何の連絡もないのなら恐らく命令元は統合作戦本部か国防事務総局、あるいは情報局辺りからの物であろう。民間インフラを使うのなら同盟警察や情報・交通委員会の職権にも触れる必要がある。下手にちょっかいをかけて藪蛇になるのを伯爵は避けたかった。

 

「……そう言えば来月姪子さんの結婚式でしたわね?」

『……伯爵夫人?』

 

 中々首を縦に振らない伯爵に対してふと、気付いたように伯爵夫人が低く冷たい声で尋ねる。

 

「確かヴィーンゴールヴの聖堂でマイスナー枢機卿直々に挙げてもらうそうですね?ふふ、知ってるかしら?我が家は信心深く、教会にも寄進をおりますのよ?それに夫の弟には教皇庁に勤める枢機卿もおりますのよ?マイスナー枢機卿とは修道院時代からの旧友だとか」

『……伯爵夫人、今すぐにでも憲兵隊を動かさせて頂きます』

 

 グッデンハイム大将は次の瞬間には重苦しい口調で承諾を返事をしていた。返事せざるを得ない。伯爵夫人のその言葉の意味が分からない程大将は無知な貴族ではない。

 

 宗教権威が衰微しているとは言え、決して死滅している訳ではない。特にオーディン教会においては多くの貴族が自分の子弟……特に平民や下級貴族の妾腹の子を……を一族の目や耳として送り込んでいる。皇帝が教皇を従える事実は変わらないものの、安全な結婚や葬式の主催、家督争いや決闘、諸侯同士の私戦の仲裁や帝位争いから遠ざかるための出家先としての価値から、彼らは帝国と宮廷の傀儡ではあっても決して無力ではない。

 

 伯爵夫人の言に逆らえばほぼ間違いなく姪の結婚式は悪い意味で忘れられないものになるだろう。典型的な門閥貴族の思考回路を持つ伯爵にとって姪の一世一代の大舞台に恥をかかせる事だけは自身の社会的地位に危険が及ぼうとも出来なかった。

 

 望み通りの言葉を聞けたために、受話器の向こう側で困り果てているだろう伯爵を完全に無視してツェツィーリアは優美な声で一礼をしてから一方的に切る。

 

「ひっ……!?」

 

 同時に電話機を運んで来た兵士達が小さな悲鳴を上げる。受話器を置いた後豹変したような夫人の、その炎のように燃える怒りを近くで見せ付けられたせいだ。表情こそ微笑みを浮かべているがその実、側仕えの侍女達すら視線を逸らす程の怒りが烈火の如く滲み出ていた。

 

「さて、これで主だった関連各所への連絡は終わったかしら?後は……」

 

 にこにこと引き攣った微笑みを浮かべながらツェツィーリアは踵を返して屋敷の廊下を進んでいく。途中出くわす使用人達は小さな悲鳴を上げながら頭を下げる。彼ら彼女らは一目で自身の主人の内で煮え滾る激情を察知していた。

 

 伯爵夫人の向かう先は可愛い可愛い娘の部屋だ。慌てて侍女の一人が先行して部屋の扉を開く。本来ならば部屋の主人は暗くした部屋の中で夢の国に旅立っている筈であるが……。

 

「ナーシャ、少し貴女の侍女を借りていいかしら?」

 

 にこり、と笑みを浮かべてお願いするツェツィーリアに、しかし寝間着姿のままベッドの上で起きていた娘は恐怖に顔を引き攣らせる。そしてすぐにやるべき事を思い出したように傍に控えるお気に入りの侍女の手を握り、庇うように立ち上がる。

 

「え、えっとね……!ずっとね?りゅーにはね?えほんよんでもらってたの!だからもうつかれてるからね?きょうはもうおそいしねっ!あしたっ!あしたならいいよっ!!」

 

 必死な表情でアナスターシアは母に言い訳をする。彼女は予め兄から事について密かに聞いていた。その上で幾つかお願いされており、ダンネマン大佐の娘であるリューディアの保護もまたその一つであった。

 

 より正確には今回の騒動の後始末を頼まれたある人物が来るまでの間、という前頭詞が付くその仕事をアナスターシアは母と侍女に迷惑をかけるために可愛らしく怒り、ぺちぺちと自分よりも遥かに大きな兄の頬を叩いて『お仕置き』をしてから仕方無く聞いて上げた。元々リューディアは彼女の最も親しい侍女の一人だ、そのために彼女は必死で母親に立ちはだかる。

 

 尤も、ツェツィーリアからすれば息子の食客として雇われ現在行方不明のダンネマン大佐の娘がいるのだから今すぐ髪を掴んで引き摺ってでも尋問したくもなる。それ故に娘の行動は不愉快であった。

 

「ナーシャ、少しの間借りるだけよ?代わりの侍女ならお母さんのを幾らでもあげるから。ね?お願い?」

「やっ」

 

 優しく、身体を屈めてお願いする母親に額から緊張の余り汗を流しつつも首をぷるぷる振って拒否する娘。その姿に背後にいるリューディアに冷たい、家畜を見るような視線を向けるツェツィーリア。ひっ、と侍女は小さな悲鳴をあげて身体を震えさせる。

 

 伯爵夫人は内心で凍えるような冷たい口調で呟く。

 

(本当、どいつもこいつも私の可愛い子供達をたぶらかして………!!)

 

 どうして我が子ばかりが周囲にこう都合良く利用されてしまうのか、とツェツィーリアは苛立ち、頭に血が上っていた。

 

 本来ならばもう少し穏当な手段もあったのだが、彼女の最も嫌う金髪の従士は謹慎中であり、二番目に嫌いな息子の婚約者は今や自室に引き籠り入口は警戒する使用人達のせいで近付く事も出来ない。故にツェツィーリアは一層、目の前の侍女に半ば八つ当たり気味になっていた。

 

 女帝のような冷酷な態度で、ツェツィーリアは兵士達に命じる。

 

「お前達!ティルピッツ伯爵家当主代理のツェツィーリアが命じるわ。今すぐナーシャをたぶらかすその小娘を引っ捕らえなさい!その後、私が来るまでに息子の事で知っている事を尋も……」

「あら、孫の事で何をしようと言うのかしら?」

 

 伯爵夫人の命令に被せるような老婆の声が響き渡った。

 

 そして……その声にツェツィーリアはかつて妖精とも、天使とも称された美貌を恐怖で引き攣らせた。

 

 そう、恐怖で引き攣っているのである。怯えるように伯爵夫人はゆっくりと振り向いていく。それだけ声の主は彼女にとって恐怖の対象であり、逆らう事の出来ない相手であったのだ。その場にいた使用人達や警備兵も凍ったように声の主の方を見つめる。

 

 彼女がここまで怯える相手なぞそういないだろう。いたとすれば今は亡き皇帝グスタフ三世の皇后か。あるいは実の母か母方の幾人かの伯母、そして……。

 

「義母……様……?」

 

 ツェツィーリアは黒い喪服姿に幾人もの御付きを引き連れた鋭い目つきの老貴婦人を視界に収める。

 

 震える声で、怯えるような声で呟くツェツィーリアの態度に鋭い視線を細める老婦人は、これまた年齢に似合わず上品で、しかし鋭い口調で糾弾する。

 

「あらあら、随分騒がしい事ですこと。私が訪れても出迎えひとつ無いなんて、随分と伯爵夫人が板についたようですわね、ツェツィーリア?」

「それは……!?」

 

 明らかに嫌味であり、いちゃもんの類の言葉であった。実際、彼女は乗って来た地上車に家紋のエンブレムも旗も掲げず、しかも事前連絡も無しに夜中の屋敷に押し入り、中の警備兵や使用人達に報告をせぬよう命令しながらここに来たのだ。それ故、ツェツィーリアが屋敷の入り口で恭しい持て成しの挨拶を出来なかったのは当然ではあった。

 

 ……尤も、そのような言い訳が通る訳もないのも確かではあったが。

 

「あらあら、そこにいるのはナーシャかしら?うふふ、随分と大きくなったわねぇ?」

 

 とっくの昔に荘園での隠遁生活に興じていた前ティルピッツ伯爵家当主ルードヴィヒの妻でありツェツィーリアにとって義母に当たるゲルトルート、ゲルトルート・フォン・ティルピッツ伯爵夫人は義理の娘に嬲るような視線を向けた後、優し気な表情を浮かべて孫娘に呼びかける。

 

「おばーさま?」

 

 普段荘園に隠遁しているため然程面識のないアナスターシアは一瞬戸惑いの表情を浮かべるが、背後にいたリューディアの耳打ちで相手が自身の祖母であると教えられて改めて老貴婦人の顔を見つめる。そして幼くあやふやな記憶から祖母の姿を見出すと本能的に荒れている母親から避難するように祖母に駆け寄る。

 

「あっ……!」

 

 引き留めようと手を伸ばすツェツィーリアは、しかしすぐに義母からの冷たい視線に再度凍り付く。

 

「おばーさまっ!」

「あらあらナーシャちゃん、本当に愛らしく成長した事!小さい頃の子供達そっくりねぇ」

 

 手を伸ばして抱き着く孫娘に対して膝を折り、老婆はそれを迎え入れる。愛情たっぷりの抱擁を交わした後、にこにこと孫娘を自らの侍女に任せてリューディアにも手招きをする。

 

「話には聞いていますわ。貴女はナーシャのお気に入りだそうね?侍女でしたら責任を持って常に傍にいるものですよ?」

「義母様!いけませんっ!それは……!」

「お黙りなさい、いつ私が貴女の発言を認めました?」

 

 義母のその冷たい問いかけにあぅ、と小さな悲鳴を上げるだけで黙り込む現伯爵夫人。

 

「さぁ、貴女も早くいらっしゃい」

「えっ?あ、はぃ……!」

 

 猫なで声のような、しかし有無を言わさぬ迫力を持ってゲルトルートはリューディアを呼び寄せる。ちらり、と一瞬侍女は伯爵夫人を見やる。伯爵夫人の方は口を開いたまま何か言いたげにするだけでそれ以上の事は出来なかった。

 

 リューディアがアナスターシアの元に駆け寄ったのを見届けた後、老貴婦人は改めて義娘に視線を向ける。微笑を湛えた冷たい視線だった。

 

「さてさて、この部屋に来る傍ら使用人共に問い詰めたのだけれど……色々と面倒な事が起きているらしいわね?ケッテラー家のご令嬢さんとか、家出した孫の事とか、ね?」

 

 御淑やかなに放たれたその言葉に、しかしツェツィーリアの背筋は凍り付く。その尋ね方は彼女が輿入れしたばかりの頃に何度も向けられたそれと同じであったから。

 

「折角我が家を任せられるようになったと思ったのだけど………この分だと少しお話しなければならないようねぇ」

 

 頬に手を添えて、目を細めながら老貴婦人は嘯く。

 

「あ……ぅ………」

 

 ツェツィーリアはこれから始まるであろう追及の嵐に激しい立ち眩みを覚えたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 温かい微睡の中、私は何とも言えない充足感と共に鈍い倦怠感を全身に感じとっていた。

 

 そして少しずつ混濁した意識は覚醒し、気づけば私は薄っすらと瞼を開いていた。

 

 寒い……それが殆ど思考の利かない私が最初に感じた感覚だった。今になって思えばストーブに汲んだ薪が全て焼けてしまったからであろう。外では何時間も冷たい雨が降っていたと記憶している。冷たい空気が小屋の隙間から入り込み、中はそれなりに冷え込んでいる筈だ。まして私は毛布しか被ってなかっただろうから尚更であった。

 

「うぅ…さむい………あったかい………」

 

 それ故に私は暖を求めて一層『それ』に抱き着く。柔らかく、じんわりと優しい温もりを称えるそれを抱き枕のように抱きしめると再度睡魔が襲い掛かって来た。

 

「わかさま………」

 

 優しく、労わるように『それ』に抱きしめ返され、頭を母親が子供にそうするように撫でられる感覚がした。私はそれに甘えるように一層強く抱き締め返し、同時にそのまま心地好さに抱かれたまま、睡眠欲に従い瞼を閉じて夢の国へと旅立っていく。

 

(……?そういえば……昔も…こんな事があった……か………?)

 

 僅かに脳裏に浮かぶその疑問も、すぐにあやふやに霧散していく。次の瞬間には、私はヒュピノスの導くままにその意識を完全に手放した………。

 

 

 

 

 

 

「………?」

 

 次に目覚めたのは一人固いベッドの上だった。

 

「あっ………」

 

 一瞬、私はここは何処であったか思い出せずに茫然とする。窓からは未だ少し暗いが朝焼けの光が注ぎ込んでいた。傍らには少し前からつけられたのだろう薪ストーブの火が燃える。私自身は毛布一枚の姿で傍らには丁寧にたたまれた衣服があった。きちんと整えられているがやや湿っており、泥と血で少し汚れている。

 

 そこで漸く私はここが何処かを思い出し、次いで今まで何があったかを思い出した。思い出して……血の気が引いた。

 

 そうだ、私はあの時……付き人をベッドに押し倒したのだ。よりによって私を必死に慰めようと健気に寄り添おうとした幼馴染みを!そして……そして…………!!

 

「うっ……!?」

 

 胃液を吐き出しそうになるのを寸前で堪える事が出来たのは幸いだった。いや、寧ろあんな記憶を思い出したのに吐かずに済んだのは良くない事かも知れない。罪悪感や後ろめたさがある振りをして実の所何の良心の呵責がないのを誤魔化しているだけなんじゃないかと思えてしまった。

 

 ………いや、今はそんな事はどうでもいい。私個人の感情なぞどうでもいい!それよりも………!!

 

「ベアトっ……!?」

 

 私はこの場にいない幼馴染でもある部下を必死に探す。

 

「はい、何でしょうか?」

「えっ……?」

 

 返事はあっさりと戻って来た。いつの間にか小屋の玄関が開いていた。入口に軍服を着こなして髪を整えた従士が此方を見つめていた。

 

「ベアト……?」

「席を外して申し訳御座いません。出立の準備と外の様子を見ておく必要がありましたので先に起きておりました。此方濡らしたタオルです、身体をお拭き下さい。洗面器に水も入れております」

 

 淡々と、従士はそう報告する。昨夜の事なぞ何も無かったかのようにいつものように、平然とタオルを私に差し出す。

 

「出立前に軽食の準備をしております。着替えは其方に置いております」

「ああ、知っている。その……」

「何でしょうか?」

 

 薪ストーブの前で軽食の準備をする従士が反応する。その義務的な口調と表情の前に私は口にするべき言葉を失う。その態度はまるで昨日の夜の出来事なぞ夢でしかなかったかのようにすら思えた。

 

「……いや、何でもない。御苦労だ」

 

 暫くの逡巡の後、私は追及をする事を止めた。これからやるべき事を思い出しここで話題にする事による悪影響を懸念して……というのは言い訳で実際はベアトが何を考えているのか判断出来ず怖くなって逃げたのだ。

 

「いえ、お構いなく」

 

 ちらりと此方を見た従士は視線を薪ストーブの火に戻す。私は重苦しい空気の中、出来る限り距離を取って濡らしてから水気を絞ったタオルで身体を拭き取っていく。乾いた体液で汚れた身体を……。

 

(………いや、汚したのは私だろうが)

 

 ベッドを良く見れば毛布やシーツが新しいものに交換されていたのに気付く。どうやら私が寝ている間に為されていたらしい。

 

 洗面器で顔を洗い、口を漱ぐ。自身の髪を少し整え、残った獣の血と泥が乾いてこびりついた衣服を着こんだ私が振り向けば時間を計っていたのかのように軽い朝食が用意されていた。

 

(情けないな……)

 

 自分自身が紐男のように思えた。いや、これ位常日頃から使用人にして貰っている事ではあるが……何故か今日に限って自分が他者に甘えて世話されるだけの紐男だと強く思えていた。

 

 気付け用に砂糖入りの珈琲に昨日と同じスープにはパンと干ビーフジャーキーが浮かんでいた。缶詰の桃がデザートという量も質も昨日には及ばぬものではあるがどの道朝からがつがつ食える訳で無ければ時間もない。小屋を出れば山歩きの再開なので余りキツい食事も出来ないとなればこんなものであろう。

 

「………取り敢えずは食べないと、か」

 

 豊穣神に簡単に祈りを捧げた後、必要に迫られているために義務的に朝食を腹に収める。その後、最低限必要な荷物を手にシェーンコップ達と合流を図る訳だが……。

 

「御待ち下さいませ、耳のガーゼの交換を」

 

 ベアトが恭しく申し出る。昨日の耳の怪我を応急処置はしたものの、物が物である。包帯とガーゼは染みが出来るように少し赤黒く汚れていた。どうやら傷が少し開いているようだ。まぁ、昨日の夜の所業を考えれば自業自得でしかないが。

 

「いや、今は合流を急ごう。時間がない」

「ですが……」

「行くぞ」

「……了解しました」

 

 私が強く命じるといつもに比べてどこかしおらしく従士は命令に従う。彼女なりに昨日の事に思う事があったのだろうか……?残念ながら私は思春期の少年のような気恥ずかしさを感じ、指摘する勇気を持てなかった。

 

 尤も、私としても昨日の事を考えるとベアトがすぐ顔の近くまで来てほしく無かったので彼女がすぐに従ってくれたのは好都合であった。もし目と鼻の先で視線が合えば私自身どのような反応をするのか分からなかった。

 

 重苦しい足取りで私達は小屋を出た。天気予報通り梅雨が降り止んだまだ薄暗い赤紫色の空の下、私達は歩き始める。そろそろ御婆様が屋敷に到着している頃であろうが一応上空に注意する。梅雨が明けた今なら空中ドローンの視界も良好ですぐに私達を見つけてしまうだろう。出来る限り木陰を歩く。

 

 一時間余りかけてフェンス沿いに歩いて私達は漸くそれを見つけた。

 

「着いたぞ……!待ち合わせ場所だ……!!」

 

 どこか能面で、あるいは険しい表情のままでいた私はそこで漸く喜色を浮かべていた。

 

 フェンスのすぐ向こう側はアスファルトで舗装された星道であった。そして星道の傍らには一台の地上車……トラックが停車している。その型式は私が予め借り上げていたものと同一だった。

 

 フェンスをペンチで千切り穴を作ってそこから敷地の外に私は抜け出す。それとほぼ同時の事だった。正面から飛び掛かった人影が私の目の前に来ていたのは。

 

「あっ!若様っ!漸く来られましたかっ!!ぐへへっ!衣服が汚れて半濡れな若様も中々に乙なんですなぁ!」

「げっ……ぐほっ!?」

 

 衝撃に一瞬私は噎せる。星道に停車していた地上車から這いずるような気持ち悪い動きで飛び出して来たレーヴェンハルト中尉が涎を垂らしながら抱き付いて来たようだった(避けたかったが疲労のせいで出来なかった)。

 

「や、止めてくれないか?気持ち悪い」

「嫌ですよぅ!!はふはふはふ!!ペロペロ!!ぐへへぇ!!濃厚な若様の体臭!!!興奮しますなぁ……ってんんん??」

 

 引き離す体力も気力もない私を抱き締めながらすはすはと軍服を嗅ぐレーヴェンハルト中尉は、しかし急に入念に鼻を押し付けて、首を傾げて怪訝な表情を浮かべる。

 

「ど、どうした……?」

 

 軍服を嗅ぎ、次いで胸元、首元、顔へと場所を変えていく中尉。

 

「何か若様……獣臭い、いや牡臭いような牝臭いような?」

「………」

 

 その発言に私は一瞬凍り付く。決して誉められた行為でない事は理解しているが、それでも私自身の名誉と信頼のためにもこの場で昨夜の事を勘繰られる訳にはいかなかった。

 

 私が言い訳の内容を考えて脳を回転させようとした所で傍らに控えていた付き人が口を開く。

 

「今この場では時間が惜しいため詳しくは後ほどとなりますが、若様は獣の血を浴びて汚れておられました。タオルで拭ってはおりますが、臭いが落ちきっていないのでしょう。それに此方に来るのにまた汗をかかれてしまったようです」

 

 昨夜の事をおくびにも出さず、淡々とベアトが答えた。双方共に嘘ではないが……。

 

「はぁ、成る程って……若様、耳にお怪我を?」

 

 何とも言えない表情で納得する中尉は、そこで私の耳の包帯に気付き表情を硬くする。次いで視線をいつの間にか私の傍に控えていたベアトに向けていた。

 

「……ちょっとした怪我だ、問題ない」

 

 付き人を庇い立てる意味もあるが、実際問題生命に危険がある程緊急性がある訳でもないので私は気にしないように命じる。私としてはさっさと車に乗ってこの場を去りたかった。祖母がそろそろ屋敷に乗り込んでくれている筈だが私を追跡している者はまだいるだろう。さっさと逃げるべきだった。

 

「中尉殿、時間がありませんのでそろそろ……」

「えっ?は、はいはい了解しましたよぅ!」

 

 催促するように背後から現れたシェーンコップ中佐。その催促にどこか釈然としない表情を浮かべつつ、レーヴェンハルト中尉は地上車の運転席に戻る。

 

「若様も、色々おありでしょうが取り敢えず荷台にお乗り下さい」

 

 目を細め、此方を探るような口調で催促する不良士官。私を見て、次いで従士を観察する。そしてどこか納得したような表情を浮かべる。

 

 その姿に私は自分の秘密を見透かされたのではないかと勘繰る。いや、十中八九バレただろう。面倒な……。

 

「あ、あぁ……」

 

 私はどこか居たたまれない気分になりながらもその勧めに応じる。後方から黙々とベアトは付き従う。

 

「随分と派手な冒険をしてきたようですな。耳が千切れておりますな。また家族と喧嘩を?」

「いや、庭先でヘマしてね」

「何をどうヘマすれば庭先で耳が千切れるのですかな……?」

「ケーキ作りに失敗でもしたんじゃないか?」

「我が家の嫁だと有り得なくもないですが……」

「マジかよ……」

 

 護衛役としてずっと残っていたらしい不良騎士とそんな下らない会話をしつつ、私は荷台に乗ってぐったりと座り込む。地上車の発車と共に騎士殿は医療キットを持ってくる。

 

「それでは失礼します。……中々痛々しいですな。本当、一体何があったのだか………」

 

 化膿しないように改めて消毒しつつ麻酔をかけていく騎士。彼としても耳が千切れるなんて事例は戦場でいくらか見てきただろうが、流石にアオアシラのアイアンクローを貰うなんて経験は聞いた事なかろう。

 

「中佐、私が代わりますので……」

「いや、私がしましょう。少佐も少しでも疲労回復した方が良いでしょう?」

「ですが……」

「いや、シェーンコップの言う通りだ。お前には世話になった、少し休め」

「……了解しました」

 

 私はシェーンコップの意見に賛同してベアトに休憩するように命じる。それは単純に彼女の疲労を気遣った事も理由だが……分かりきった事であろうがそれ以上に臆病な私の保身が理由だ。

 

「………大体予想はつきますが、中々に初初しいものですな?まるで思春期の学生のようです」

 

 暫くして、毛布を被り横になったベアトから小さな寝息が聞こえ始めてから 、シェーンコップは私の傍に来て小さな声で尋ねる。

 

「行動や年齢は初らしさから千光年位離れてそうだけどな」

 

 主従関係から色々段階を飛び越えすぎな気がしない訳でもない。というよりもそもそも、私が望めばベアトはどれだけ嫌がろうとも拒否する事が出来ない立場だ。そんな中でその場における感情の処理のためだけに『使った』ともなれば純愛も糞もない。自分の行った事であるが今更になって後悔ばかりしている。

 

「そうは言いますが二十年来の付き合いなのでしょう?それこそ今更では?」

「ライクとラブは違う事位言わなくても分かるだろう?」

 

 彼女は優秀だ。優秀な軍人であり、護衛だ。だがそれだけだ。常人のように恋愛に関心を持った事も興じた事も、学んだ事すらない。その方面でいえば初心な学生以下かも知れない。献身的で、純情で、忠実で、都合が良くて、扱いやすい愚かな女性である事を私は彼女以上に良く理解していた。彼女の昨夜の行動もそうだ、あれは、あの発言は私には忠誠心からのものに見えた。

 

「それは貴方の思い込みでは?人の好意を無碍にするものではありませんぞ?」

「だとすればベアトが混同しているんだろうさ。面倒見が良いからな」

 

 元より植え付けられ、仕込まれた忠誠心だ。立場的に恋愛経験なぞある訳ないし、許されない。愛情と親愛の区別がついているかも怪しい。元々世話好きな性格だし、忠誠心から私を慰める事を愛情と思い込んでいたとしても可笑しくない。はっ!だとすれば私は人の純粋な好意と善意に付け込んだ屑男って訳か!

 

「……やれやれ、ここまで落ち込むとは思ってませんでしたなぁ」

 

 陰鬱で、自虐気味な私を見て呆れ気味に肩を竦めるシェーンコップである。

 

「何だよ?ハイにでもなっとけば良かったか?」

「悲劇のヒーローのように落ち込まれるよりはマシでしょうよ。少なくとも相手をした方からすれば落ち込まれるのはそれはそれで複雑な心境でしょうな。自分を提供したのにそんな態度をされたらショックですよ」

「それは違いない」

 

 愛妻家になってもどうやら女性の扱いが上手なのは変わらないらしい。この帝国騎士は妙に女心の機敏に聡い。

 

「それにこう言っては何ですがね、仮に貴方の言う通りとしても、植え付けられた価値観とは言えそれを捨てるのは中々難儀なものですよ。腐っても自分を形作って来たものですからな。一度捨ててしまえば案外大したものではないのでしょうが覚悟を決めて捨てるまでが難しい」

 

 その口調は自身の経験を語っているようにも見える。

 

「どの道、もう時計の針は戻らないのですよ。貴方が誰それ構わず唾をつけるような人物ではない事位は理解してますよ。少佐殿との関係を、ここで一旦はっきりさせるべきでは?」

「はっ、他人事と思って言ってくれるな。私はお前程女受けする人間じゃない」

 

 私は詰るように不良騎士の発言を切って捨てる。

 

「おやおや、もう少し自分に自信を持ったらどうですかな?そりゃあ性格は兎も角として貴方も顔はそれなりに見栄えは良いでしょう?金銭面は言わずもがな。普通に考えれば優良物件ですよ?門閥貴族の立場を考えれば正妻でない方が逆に気楽ですしね」

 

 手のかかる子供に数式を説明する数学教師のような表情を浮かべながらそう嘯くシェーンコップ中佐である。

 

「そういう打算をする女を蔑む積もりはないがね。……ベアトはそういう性格じゃない」

 

 私の付き人にならなければ……恐らく彼女の性格だと身分や家柄が釣り合うかを気にするだろうがそれ以外だとそういう俗な物に然程拘らないように思えた。少なくともちゃんと相手の性格を見て人生を添い遂げる相手を見つけるだろう。

 

「だから不安だと?」

「……」

 

 シェーンコップ中佐はここで漸く私の核心を突いた。いや、狙いすましたのだろう、彼は私の瞳を見据える。私はその言葉に胸を突き刺されたような感触を受け、黙り込んでいた。

 

「だから怖いと?」

「……」

 

 追撃するようにシェーンコップ中佐は続ける。私は教師に悪だくみを暴かれた子供のように彼から向けられ続ける視線を逸らす。

 

「だから拘束するのですな?相手の好意が忠誠心からのものだけだと思えて、いつか自分なんかよりも余程人間として出来た男の元に行ってしまわないか怖いと?ならば自分の手元に縛り付けて他の者を見ていられなくすると?いやはや、貴方も中々貴族らしく、御人が悪い」

「……あぁ、その通りだ」

 

 にやり、と不敵な笑みを浮かべる中佐。私は深く深呼吸をして……恥の上塗りを承知で小さく頷いた。

 

 不良騎士殿の言う通りだ。色々言い訳を口にしているが……結局は怖いだけなのだろう。今でこそ、私は彼女に忠誠という『好意』を捧げられている。だから昨日のような事も『家臣として』恭しく受け入れてもらった。

 

 だが……仮に将来、彼女が本当に誰かに恋した時はどうなのだろう?彼女が本当に誰かに『好意』を向けた時、私は素直に受け入れる事が出来るのか?あんな事があった後に、いや昨日の事が無かったとして、私はそれを受け入れられるのか?

 

「無理だろう、そんなの………」

 

 私はすぐに答えを導き出す。無理だ。どうやら自分が思っている以上に私の性格は執着的で、独占欲が強く、嫉妬深いらしい。

 

 ベアトが本当の恋をしたとしても、まず周囲が許さないだろう。

 

 そして……きっとそれを言い訳にして私はベアトが恋した相手を処断してしまうだろう。いや、少なくともそうしようとするほかの家臣の動きを見て見ぬ振りをしても可笑しくはなかった。

 

 だって……っ!彼女は私の味方だから!幼い私の醜い醜態と独白を受け入れてくれたから!私を何度も助けてくれたから!手放したくなんかない!ずっと手元から放したくない!ずっと傍に居て欲しい……!!

 

 だから私は怖い。普段は気にしないで良いと思っているのに一皮剥けば私から出てくる本音はこんな醜悪なのだ。ベアトが私の事を主家の一人息子ではなく一個人として、一人の男性としてどう見ているのか……それを知りたくて、同時に怖くて知るのを先延ばししたくなる。

 

 彼女が植え付けられた私への好意なんて捨てて本当に誰かを愛するようになったら?もしかしたら深層心理ではその事を理解していて、それが怖くて私は二十年もあやふやなままで彼女を手元に置いたのではないか?

 

「堂々と正面から告白する勇気もない。だから取り敢えず手元に置いておく、という訳ですな。優秀だからというのも嘘ではないのでしょうが……それ以上に手元に置いてお気に入りだと周囲に見せておけば余程の愚か者か思い人でない限り少佐には近寄りませんからな」

 

 不良騎士は私の代わりに説明する。私自身決して意識して行っていた訳ではない。だが無意識のうちにそういう考えがあったのは間違い無かった。そうでなければこんな罪悪感に圧し潰されそうな気持ちなんかになる訳が無かった。

 

「中佐……私は……」

「別に責めている訳ではありませんよ。人は得手不得手がありますからな。私の人生とてそう褒められたものではありません。偉そうに講釈をたれるべき身ではないでしょう」

 

 ですが、と接続詞を繋げて、不良騎士は続ける。

 

「貴方がそこまで人を蔑ろに出来る程割り切れた人間でない事は理解しています。ですから助言位はしましょう。貴方が本当に従士の事を思うなら優柔不断な態度で決断を引き延ばすのだけは止めた方が良いでしょうよ」

 

 その言に私は気まずく俯く。中佐の言う事は余りに正論だったからだ。

 

「貴方にも色々と言いたい事があるでしょうが、二十年も好き勝手に引き摺り回して来たのです。挙句に今回の出来事、そろそろツケの清算をするべきでしょうな。引き摺り回した分慰謝料を支払うか、思いを伝えて責任を持つか、あるいは貴族の権力に物を言わせて監禁してしまうか」

「最後の選択を選んだらお前さん、離反しそうだよな?」

「当たり前でしょう?女性を紳士的に扱えないような悪漢は騎士として打倒せねば」

 

 平然と私をぶっ殺す宣言を宣う食客である。最悪権力を使えば妻子がどうなるか自覚しているのだろうか?

 

「態々バッドエンドルートを教えてやっているのですよ。余り失望させないで下さい。これでも貴方には恩があるのでね、貴方に戦斧を向けるような事態は『楽しくない』のは確かですよ。それに……」

 

 ちらり、とシェーンコップ中佐は毛布に包まり、丸まるように熟睡するベアトを一瞥する。

 

「私としては健全な形で貴方達に幸せになってもらう方が労働環境的に好ましいのですよ」

 

 不良騎士は出来の悪い弟を見るような表情を向けてそう言葉を紡いだ。

 

「……やっぱり他人事だっ!」

 

 私は逃げるようにそう吐き捨て、視線を反らし、黙りこむ。シェーンコップも言うべき事は言ったとばかりにそれ以降口を開く事はなかった。トラックが星道を走る走行音だけが聞こえる。

 

「………」

 

 ふと、私は複雑な表情を浮かべてベアトの寝姿を見つめた。無垢で幼げな寝顔だ。愛らしくて、可愛らしくて、どこか子供らしい笑顔。見た者は彼女を可愛がりたくて、愛でたくて、優しくしたくて、笑顔にさせたいと思うだろう。私も同様だ。

 

 そして……そして同時に、昨夜の事を思い返す。私がそんな彼女にどんな所業を行って来たのかを思い出す。

 

 私は欲深い、傲慢だ、身勝手だ、だから昨日のような事をしてきたし、これまでのように彼女の自由を奪い続けて来た。そんな私が彼女に告白を?

 

「本当に、私にそんな資格はあると思うか………?」

 

 私の小さな独白に答えてくれる者はいなかった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハイネセンポリス港湾部から全長一キロの鉄橋を通り抜けた人工島にあるのがハイネセン民間宇宙港だ。一日一〇〇〇隻の民間宇宙船舶が出入港し、利用客は八〇万人を超えるサジタリウス腕最大の宇宙港であり惑星ハイネセンの宇宙の玄関である。

 

「さっさと着替えるぞ……!」

 

 流石に今の軍服で民間宇宙港に行く訳には行かなかった。駐車場に予め置かれていた地上車の中にあった民間の衣服に着替え、身分証明書、IDカードを懐に入れる。流石情報局、用意周到だ。途中着替える私に襲いかかろうとした中尉は気絶させてトラックの荷台に投げ込んでおく。

 

「それでは私は失礼致します」

「ああ世話になったな、銀行口座に給金は振り込んでいるから好きにしてくれ。今回の事で何かあればリューネブルク伯爵か御婆様に頼んでくれ、味方してくれる筈だ」

「承知しました。いやぁ、太っ腹ですな、若様の用意した装備、回収の余裕なかったので放棄したのに報酬減額無しとは!流石大貴族、懐が深いですなぁ!」

「えっ!何それ聞いてない!?」

 

 笑顔の帝国騎士は地上車に乗り込むと全速フルスロットルで逃げ出す。おいこらテメェ!!給料振り込まれたのを確認してから暴露しやがったな!!?

 

「若様っ!御気持ちは分かりますがお待ち下さい!!あれを……!!」

「っ……!?」

 

 トラックに追い縋ろうとした私は、私服姿に着替えたベアトに左腕を掴まれて止められる。一瞬その行動に動揺するが、すぐに彼女の言葉の意味を理解する。

 

「ちっ!!流石憲兵隊、仕事が早いな糞ったれ!!」

 

 私は視線を鉄橋に向け、舌打ちする。

 

 視線の先には既に鉄橋を走る第一方面軍憲兵隊の装甲車両の隊列が見えていた。

 

「母上もやり過ぎでしょうに……!」

 

 私は何とも言えない気分になる。恐らくは同盟軍に所属している帝国系軍人に電話でも掛けまくって無理矢理動かしたのだろう。流石にここまでするとは思ってなかった。

 

 私的な軍隊たる帝国軍や貴族の私兵軍なら兎も角、同盟軍は国家と市民の軍隊だ。一部の緊急事態を除き、上層部への報告や認可無しに部隊を動かすのは至難の技である。それをここまで……どのような理由をこじつけたか知らないが結局は私達を連れ戻す事が目的だ。この事実が知られれば同盟市民からすれば発狂ものだろう。全体の極々一部とは言え、自分達の軍隊を軍人ですらない貴族が独断かつ私的な目的で動かしたのだから。

 

「御婆様が荒れるな、これは……」

 

 序でに帰ったら私もかなり厳しく叱られそうだ。憂鬱になってくるね……!

 

 多くの利用客でごった返す宇宙港の入口に人の波を掻き分けながら私達は向かう。

 

「っ……!?押し流されそうになるなっ……!!」

 

 首都圏全域の市民が利用するほか、物流面でもハイネセンポリスの玄関である。極東のスクランブル交差点なぞ比較にならぬ人が出入りしていた。一歩進む事に人や荷物に当たりそうになる。

 

 その様子を見ていたのだろうか……ふと、左手に温かな感覚を覚える。

 

「……ベアト?」

「離れ離れになる危険があります、御容赦下さいませ」

「あ、あぁ……」

 

 私の左手を掴み先導しながら義務的に答えるベアトに私は狼狽え気味に承諾する。同時に昨日の事をまたもや思い出してしまい複雑な気持ちとなる。

 

(……今更に恥ずかしくなるな)

 

 公衆の面前なのもあるが、ただ手を繋ぐだけの行為にまるで恋人の出来た学生のような似合わない緊張をしていた。

 

 自分でも馬鹿馬鹿しく思えた。これまでも手を握りあったり握手したり何ていくらでもしてきたのに、あんなに絡み合った後に今更こんな行為が恥ずかしくなるなんて、自分の価値観が分からなくなりそうだった。

 

 いや、それも当然かも知れない。糞っ!これも不良騎士のせいだっ!!

 

(呆れるな、これでは到底告白なんて出来んぞ……。寧ろベアトの方が私よりもずっと男らしくて果敢だ……な………?)

 

 ふと、私は自分の腕を引っ張るそのか細い手が震えているのに気付いた。

 

「………」

 

 私は唖然として正面を見つめる。私を引っ張りながら人の波を掻き分けて進む幼馴染みのの表情が僅かに震え、その顔がほんのりと赤くなっている事に気付いた。

 

 同時に彼女が度々私の耳の怪我を治療しようと進言していた事を思い返す。それは怪我を心配したがためである事は間違いない。しかし……。

 

 私はそこで漸く彼女が普段よりも義務的だったのかを理解した。私と同じなのだ。ただ私が接触を避けていたのではなく付き人の殻を被り意識していないようにしていたのだろう。そして、同時にきっと彼女もきっとその内に………。

 

 私は彼女の掴む手を強く、絡ませるように握り返した。小さな、温かな手だった。

 

 答えるように彼女の手がより強く握り返したように私には思えた。

 

 

 

 

 

 

「あっ……」

 

 その人物が視界に入ったと同時に私は繋がっていた手を手放す事になった。その事に一抹の寂しさを覚えるが、だからといって駆け寄ってくる部下に八つ当たりするのは道理に合わない。私は努めて笑みを作りもう一人の付き人を迎える。

 

「若様!お待ちしておりました!!」

「……あぁ、待たせたな」

 

 宇宙港のターミナルにはファッション雑誌のお手本のような私服姿のテレジアが待っていた。恐らく衣服を準備する役だった情報局のお役人が雑誌の例通りそのまま購入したのだろう。

 

 とは言え、元々テレジアも美貌でいえばかなりのものだ。そのため他人が碌に顔も合わせずに買い揃えたとは思えない位その出で立ちは調和が取れていた。こんな時でなければ少し位は見惚れていただろう。

 

 ……まぁ、こんな時に目立つ衣服なのはどうかとも思うが。

 

 私がそんな詰まらない事を考えている一方、テレジアの方は私の出で立ちに息を飲む。まぁ、右腕がなくて片耳を包帯を巻いていればそうもなろう。顔を青くする従士に私は声をかける。何で私の方が冷静なんだろうな………。

 

「腕の方は話は聞いているだろう?気にする事じゃあるまい。それに耳の方はお前とは一切関係ないし大した傷じゃない。余り動揺するな、今は目の前の仕事だ」

「いえ、しかし………了解致しました」

 

 僅かに思い悩むテレジアは、しかし傍らで落ち着いた態度で控えるベアトを一瞥した後、私の言った通り今は目前の仕事を優先する事に決めたらしかった。表情を固くして頷く。

 

 私はその姿に緊張するな、と一言言ってターミナル内部を進み始める。憲兵隊がやって来るまでに乗船すれば此方の勝ちだ。急がないとな……。

 

 すぐ横を宇宙港の警備員と武装警察が通り抜けていった。恐らくヤングブラッド大佐かその派閥が動かしたのだろう。流石に無断で憲兵隊が民間宇宙港にやって来たとは言え、常ならいきなり完全武装の対テロ警察部隊が前面に出てゆくとは思えなかった。

 

(動きが早いな。公安畑出の奴が動かしたのか?いやはや、学年首席も顔が広いものだな)

 

 宇宙港のターミナル出入口では遠目で見る限り防盾を構えた警察が憲兵隊と睨み合いとなっていた。民間人は慌ててその場を離れ、あるいは野次馬となって携帯端末でその様子を撮ろうとする。宇宙港職員がそんな客を危険と称してその場からひっぱたいて退去させていた。怪我人が出ないと良いが……まぁ、その辺りはヤングブラッド大佐かその上のご老人方の仕事だ。

 

 我々は利用客に紛れる形で関係者以外立ち入り禁止の札が掲げられた宇宙港の裏口に入る。途中幾つかのセキュリティと警備員に見つかるがIDカードを認証させればすぐに通された。

 

「若様、これは……」

 

 ターミナルを進むに連れてその船に近づき、テレジアは私達の向かう先、引いてはその任務について何事かを気付いたようだった。

 

「悪いが説明は乗り込んでからだ。今は黙ってついて来い」

 

 私はテレジアの質問に、しかし説明の時間も惜しかったので少し乱暴にそう話を打ち切る。悪いな、時間が結構余裕がないんだよ。

 

「済まん、少し遅れたな?」

 

 ハイネセン宇宙港最南端のターミナルビルに辿り着く。そこでは既にヤングブラッド大佐達の息のかかった憲兵総監部直轄の中央憲兵隊が幾人かの政府職員や宇宙港職員と何やら相談していた。ほかに一般の利用客は一人もいない。そこに私の姿を見つけた中央憲兵が慌てて私の傍に駆け寄る。

 

「大佐、もうすぐ出発致します。えっとお連れの方は……」

「予定通りだ。護衛二名、必要なら生体認証すれば良い」

 

 私の背後にいた付き人二名について中央憲兵達に機先を制して説明する。彼らには彼女達の姿がどう見えているのだろうか……?

 

 しかし、中央憲兵は私と付き人を何度か見比べると暫く逡巡し、最低限の個人認証を行うとすぐに乗船するように勧める。議員や軍部高官の護衛や監視等を行う中央憲兵達はどうやら藪を突くような事はしない事にしたらしい。半分位は間違っていないから言い訳出来ないな。

 

 こうして私達はタラップを通じて政府所有の公用クルーザーに乗り込んだのだった。

 

 

 

 

 

 自由惑星同盟政府所有の公用クルーザーは帝国や亡命政府のクラシックなそれと違いモダンな内装であった。

 

「ティルピッツ大佐で御座いますね?お待ちしておりました」

 

 クルーザーの通路に控えていた黒服のシークレット・サービスがそう一礼した後、真新しい軍服を差し出して来た。サイズもぴったりだ、素晴らしい位の用意周到ぶりだ。

 

「怪我の治療が必要とは存じますが、どうかその前にお召し替えの上、応接間に足を御運び下さい」

 

 宮廷帝国語で丁寧にシークレット・サービスが連絡する。

 

「……ああ、構わんよ」

 

 私は同盟公用語で答えてやる。シークレット・サービスが黒いサングラスの奥で少しだけ目を見開いた気がした。

 

 そのままシークレット・サービスの脇を抜けて奥の着替え室に入室する。

 

「テレジア、先に着替えてくれ。ベアト、今後の事で少しだけ相談したい事がある。ここで待機してくれ」

「了解しました」

「……?承知致しました」

 

 少し訝し気な表情を浮かべるが私が機密に触れる話だ、と指示すればテレジアは恭しく頭を下げて命令に従う。

 

 そしてテレジアが通路を去り、その奥の着替え室に入ったのを確認すると共に………。

 

「っ……ベアトっ!!」

「んっ……わか…さま……」

 

 何方が先に動いたのか分からなかった。ほぼ同時に動いていたと思う。いつの間にか私は目の前の幼馴染を抱きしめて、壁に彼女の身体を押し付けながら口元を貪っていたし、彼女の方は私の腰に手を回し従順に獣のように盛っていた私を迎え入れていた。

 

 本当に短い時間だったと思う。数十秒も無かっただろう。昨夜の夜に比べれば私はずっと理性的であったから引際を弁えていた。

 

 まぁ、公務中にいつ誰に見られるか分からないのにこんな事している時点で理性が蒸発していると言われるかも知れないが。

 

「若様……はぁ、駄目です……今は……」

「分かってる……こんな時に済まない」

 

 私は顔をどうにか引き離す。離した口元から銀糸が伸びたのが一瞬見えた。それに刹那の時間注目してから、彼女の目を見据え、小さな声で先程までの行為について謝罪する。

 

 とは言え、本心では自分がなぜ謝罪しないといけないのかと思えてしまうのも事実だった。

 

 そもそも本来ならば普通に会話を切り出す積もりだったのだ。それがターミナルで手を握り合ってから彼女は執着的な視線を断続的に私に向け、私もまたそれに応えて何度も何度も互いを密かに見つめ合い続けていた結果だ。

 

 そうでなくても先程の短い時間の間に窒息しそうな程私の口内を蹂躙したのが誰なのか、目の前で髪を乱し頬を上気させながら色香に満ちた表情を浮かべているのは誰なのか、ましてや麻薬中毒者の如くどこか夢見心地な視線を向ける姿を見てしまえば自身の考えが唯の責任転嫁に過ぎない事を承知で彼女の方こそこの事態の責任があるのではないかと言いたくなってしまう。

 

 本当に短い時間でマラソンでもしたかのように息を切らし、顔を赤らめる幼馴染の従士に、私はこれから人生初めての告白をしようとする青年のように口を開く。いや、実際それは半分程間違ってはいなかった。

 

「その……昨日の事は……世話になったな」

 

 済まなかった、というのも失礼だが有難うというのも気恥ずかしく思えて私はそう表現する。

 

「いえ……私の方こそ……昨日は粗相を致しました。申し訳ありません」

 

 私の発言に昨日の夜の事を思い出したのか、赤面した表情で彼女は答える。その姿は彼女が二十台半ばの軍人であるとは到底思えなかった。まるでハイスクールに通う女学生のようにも思える初々しさ……それは彼女の恋愛経験が余りに少ない事が理由だと思われた。

 

 その純情さに見惚れてこのままもう一度目の前の女性を抱きしめたくなる欲望に駆られるが流石にそれは理性で無理矢理捻じ伏せる。今はそんな事をしている場合ではないのだから。

 

 ……そして覚悟を決めて私は本題に入る。

 

「……その、何だ。お前も色々理解しているとは思う。身分やら家の決まりとかな」

「……はい」

 

 私の発言に幼馴染は重苦しく答えた。先程までの彼女の内にあった熱は瞬時に数度程下がったように感じられた。だがそれは失望した、というよりも髪を引き摺り回されて強制的に夢から現実に引き戻されたような面持ちだった。

 

「………本当ならここで何もかも捨て去って君と生きる、なんて言えたら格好いいのだろうけどなぁ」

 

 私は情けない笑みを浮かべて自嘲する。ドラマティックで素晴らしいが、そんな事は現実には不可能だ。これまでの立場を全て捨てて生きるなんて簡単な事じゃない。私もベアトも貴族社会の常識にどっぷり漬かった世間知らずのボンボンだ。

 

 どうせすぐに尻尾を出して家の追っ手にベアトが始末され、私は引き摺られて家に戻る事になるのがオチだ。そもそも私自身両親や妹、ほかの家臣を見捨てて一人安穏と出来る程神経は太くなかった。そんな神経ならば元々小さい頃に一人で逃げている。

 

 ……とは言え、彼女と人生を添い遂げるなんて事も出来る訳もない。身分の差は亡命政府の中でも未だ根強い。シャフハウゼン子爵のような行動は宮廷では無謀とも狂気とも言える行いだ。いや本当、あの子爵絶対温厚に見せかけてヤクザ並みに肝が据わっているよ、あいつどうやって親族や家臣黙らせたんだ?

 

「若様……その、昨日の事については忘れて頂いて結構ですので。その……余り深くお考え為さらないで下さいませ」

 

 被害者は彼女の方なのに、此方に対して済まなそうに、労るように、下手に出る従士。長年の付き合いからその態度が決して同情を引こうとする悪女の演技ではなく、本心からのものである事が分かってしまうから私の胸は罪悪感で締め付けられる。

 

 だから……せめて言い訳のように私は彼女に伝える。

 

「……今は公務もある。それに立場があるのも分かってる。だから……せめて今は待ってくれ」

 

 キープする、なんて言葉が脳裏に過る。自分がとんでもないド屑貴族なのだと改めて自覚させられた。だが今更過去の出来事は消せないし、彼女を手放す事も出来なかった。

 

「結婚は出来ない。分かっていると思うが……それは危険過ぎて出来ない。……だが、出来るだけ責任は取る!その……私が出来る限りの事は何でもする!望むものがあれば私がどうにか手に入れる!周囲の陰口なんかあれば私が対処する!だから……だから私から離れないでくれっ!!」

 

 多分、端から見たら屑の上にストーカー気質の弱虫野郎に見えた事だろう。執着的な上、権力で相手を靡かせようとする癖に、最後の方は声が震えきって怯えていた。御先祖様からの遺伝で顔が良くなければドン引きものだったと思う。

 

「若様……私にそこまでの価値は………」

「そんな事は無い!!」

 

 思わず私は声を荒げてしまった。その声にベアトがびくりと怯えて私は自分が平静を失っている事に気付き、感情の高ぶりを落ち着かせるように深呼吸をして続ける。

 

「……お前に本当に価値が無ければ、態々この腕を犠牲になんかしない」

 

 少し卑怯だが私は失った右腕を出汁にする。私が右肩に左手を触れれば今にも泣きそうな表情でベアトは私の失われた右腕を見つめる。

 

「若様……私は………」

「言わないでくれ。卑下する言葉は聞くだけ悲しくなる」

 

 そう言って私はベアトの逃げ場を潰していく。身分と罪悪感を盾とした酷い話術だがこの際手段は選べなかった。私もまた彼女に拒絶されるのが怖かったから。

 

「私にとってはお前は公私双方にそれだけ大事な存在だと思っている。お前や周囲の意見は問題じゃない。私がそう思っているんだ。右腕と引き換えにしても失いたくないとな。そしてそれは今も変わっていない」

「………」

 

 ベアトは私を上目遣いで見つめるだけだ。私にその先の言葉を求めているのだろう。そう思いたい。私は彼女の目を見て、覚悟を決めた表情で告げる。

 

「……お願いだ。私の傍にいてくれ。小さい頃そうしてくれたように私を傍で支えてくれ。私の右腕代わりになって欲しいんだ……!!」

 

 言葉だけ見ればある意味ロマンティックかも知れないが結婚出来ないと言ってしまっている事を考えれば只の屑発言だった。今の発言を簡単に訳せば「僕と契約して愛人になってよ!」である。完全に淫獣の台詞であった。もし私と彼女がただの同盟市民なら私は今頃彼女の親兄弟に銃殺されていた事だろう。

 

 まして本来ならせめてデートに指輪を差し出しながら告白という順序を通してから肉体関係に至るべきなのに先にそれらを飛ばして関係を持ってから言い訳染みた告白である。客観的に言えば唯の糞野郎なのは明らかだった。

 

 それでも……それでもベアトは息を飲みながら私を見つめていた。その震える紅色の瞳が緊張に強張る私の顔を映し出していた。

 

 そして次の瞬間、その頬を一筋の涙が伝っていた。

 

「あっ………」

「えっ?……いえ、申し訳ありません。その……どうか……どうか少しだけ……御待ちください」

 

 一瞬、私は彼女の涙に怯えた。彼女が泣く姿なぞ殆んど見た事がなく、その大半が私が死にかけている時の事だったからだ。

 

 彼女もまた驚いたようにぽたぽたと零れ落ちる雫を掌で、腕で拭き取っていく。だが拭き取っても拭き取っても涙の雫は溢れていく。

 

「わ、若様……そのっ……あっ………」

 

 彼女が望む事を言語化されなくとも私は直感的に感じ取っていた(あるいはそう思い込んでいた)。

 

 だから私は殆んど極自然に彼女を抱き寄せていた。それは先程の情欲に溢れた強いものではなく、そっと寄り添うそれに近かった。

 

「その……これで……いいか?」

 

 私が不安げに尋ねる。これで私の行動が勘違いで彼女の要望が全く別の物であれば私は自意識過剰の恥晒しであったろう。

 

「……はい」

 

 彼女は小さくそう答え、私の胸に顔を埋める。幸運な事に私は正解を答える事が出来たらしい。

 

「若…様……少し……少しだけお待ち下さい……すぐに落ち着きますので……」

 

 付き人は小さく嗚咽を漏らしつつも、息を殺しながら啜り泣く。私は……こんな時に気が利けば良いのだが余りに想定外の事のために声もかけられなかった。只、そっと背中から抱き寄せて頭を撫でるように触れるのみだった。

 

 何分経ったのだろうか?いや、そんなに時間は経っていなかっただろう。彼女は迅速に自身の感情を宥めて、俯きながら私の元から離れる。

 

 そして、震える、若干涙声となりながら言葉を絞り出し、紡ぎ出す。

 

「私は……先程申した通り、若様が思う程の価値なぞありませんし、そこまで多くの物なぞ望んでません。私は従士で……付き人です。先祖代々伯爵家に、私個人も若様の御厚意に与り続けていた身の上です。若様が御望みになれば私はこの命でも喜んで差し出させて頂きます。そこまでの好意を向けられても困惑してしまいます」

 

 その言葉は彼女にとっては、ベアトにとって好意も献身も主人に、私に差し出すものであり受け取るものではない事を意味していた。寧ろ私の発言にどうしてそのような事を言うのか、と戸惑いの感情が見てとれた。

 

「ベアト………」

 

 その態度に私は小さなショックを受け、同時に怯えた。彼女がこれからどのような言葉を紡ぎ出すのか怖くなったのだ。

 

 ……尤も、彼女が私の事を考えない言葉を口にする筈もなかった。ベアトは不安げな表情を浮かべる私の左手を両手で握り締めた。そしてその俯かせていた顔を上げる。

 

 涙の後の残る顔はしかし、優しい、慈しむような微笑みを浮かべていた。きっと、彼女は私が何を恐れているのか理解していたのだろう。

 

「ですが……そこまで私なぞを慮って下さっている事はとても嬉しく思います。その……今は立て込んでおりますのではっきりと言う事は出来ません。ですが……その…非才の身で失態も多くはありますが、……望んで頂けるのならば……私も若様の御側におりたいと考えております」

 

 そこで彼女は私の目を見つめた。普段の家臣としての表情でも、軍人としての表情でもない、年相応の物腰の柔らかい女性のそれであった。

 

「ですから……若様が御望みにならない限り決して御側を離れる事は御座いません。その事だけは……どうか御信じ下さいませ」

 

 潤んだ瞳に、気恥ずかしげにそのような事を口にする彼女を、私は初めて目撃した。

 

 その笑顔はこれまで見る事が出来なかったのが悔しく思える位魅力的なものであり、その言葉は私がずっと望んで止まないものであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 少しだけ長引いた着替えの後、同盟軍の士官軍装に着替えた私は待たせていたシークレット・サービスの先導に従いクルーザーの応接間の前に辿り着いた。

 

 片腕の私に配慮し、シークレット・サービスが部屋の扉を開く。

 

 公務である。私は先刻までの内心の私的な歓喜と興奮を押さえつけ、平静を装いながら敬礼し、官姓名を口にする。だが……返事がない?

 

「……どうぞご入室なさってください」

「……あぁ」

 

 怪訝な表情を浮かべつつも、シークレット・サービスに促されて私は応接間に入室した。

 

 応接間は極めて未来的なデザインをしていた。帝国の時代錯誤なものとは異なる、文字通り宇宙暦と言える機能美溢れたデザインの間取りと家具。しかし……人の気配はない?

 

 私が応接間に入ると同時の事だった。背後から誰かが入室した気配を感じる。咄嗟に私は警戒を強めて踵を返す。そして同時に目を見開く。

 

「ははは、気付かれてしまったようだね?背後から驚かそうと思ったのだが……経験のお陰かな?流石に勘が良さそうだね」

 

 その人物は人好きのする笑い声を上げた。どうやら私が入室した後に部屋に入り、背後から驚かせようとでもしていたのだろう。彼は不躾とも言える笑い声をあげ続けた後、私が無反応だった事に気づいて口元を僅かに歪め、笑いを止める。

 

「……君が私の護衛兼補佐役だね?噂は聞いているよ。色々と、ね」

 

 私はその特徴的な声、次いで話者の顔立ちを視認し、同時に苦笑いを浮かべる。成る程、宇宙港の警察があれほど迅速に動ける訳だよ!

 

「話には聞いておりましたが……まさか貴方程の人の補佐をする事になるとは。光栄の至りで御座います」

 

 私は表情を僅かにひきつらせながら身体を相手に向ける。同時に心の中でヤングブラッドを罵倒する。おい、確かに話は聞いていたがよりによってこいつとは、本当に笑えない!

 

「君とは出港前に話しておきたくてね、医務室に行きたいかも知れないが少しだけ話に付き合って欲しい」

「いえ、私の方こそ一大佐の身の上で議員とこのような形で対面出来た事、身に余る幸運で御座います」

 

 私のすぐ傍を通り過ぎた後、内情を窺い知れない笑みと共に室内のソファーに彼は腰かける。対して私は頭を下げてそうお世辞を口にし、背筋を伸ばす。

 

「改めて御報告致します、ヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍大佐、宇宙暦790年8月8日1300時をもって使節団代表護衛兼特別補佐官として着任致します!」

 

 姿勢を正し、左手でその人物に敬礼した。軍における階級も軍功も私が遥かに上であるが、そんな物役に立たない程絶対的な立場の壁がその人物にはあった。何よりも原作を知っていれば少なくとも彼を必要もなく敵に回さない方が良いと誰もが思うだろう。それ故に私は最大限の礼節を持って応対する。

 

「ほぅ、若いながらに殊勝な心構えだね。……その姿を見るにどうやらここに来るまでにすら色々あったようだ。立っているのも疲れるだろう?さぁ、心置き無く座るといい」

 

 私の態度と行動に僅かな驚きとそれ以上の満足を含んだ声を出す。そして、その人物は張り付けたような、それでいて観察するような笑みを浮かべる。

 

「さて、先程は少しふざけて失礼したね。……私からも改めて挨拶をさせてもらおうか。君も良く知っていると思うが国防委員会に所属している自由共和党のヨブ・トリューニヒト上院議員だ。今回のフェザーン極秘使節団の代表役を務める事になっている。……彼方では色々と頼りにさせてもらうよ?」

 

 不敵に、賑やかに、そして底の知れない不気味な笑顔と共に原作における同盟最大の妖怪は私に自己紹介をしたのだった。

 



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幕間
闇が深くなる時代の、ある臣下の記憶


幕間です、本編とは一ミリも関係ありません。後の作者の構成ミスのせいで長いです。
次話から本編に入ります


 暗い室内で寝台の軋む音が響く。むせ返るような体液の臭いと荒く気味の悪い男の野太い息遣いが耳障りだった。組み伏せられる一糸纏わぬ姿の少女……一〇歳を超えているかどうかだろう……の視界はリズミカルに揺れていた。

 

 気持ち悪い感覚だった、吐き気を催す感触だった。だがそれに文句を言う事はない。言った所で改善される筈はないし、寧ろ殴り飛ばされるのが関の山だった。そもそも偶然顔が良かったせいで物心ついた時から既に『教祖』の『親衛隊』の一員として慰み者にされていた少女には抵抗の意志すらあったか怪しい。唯々彼女に出来る事は天井の染みを数えてこの不快でしかない時間……『洗礼』の時間……が過ぎ去る事だけだ。

 

 既に軍も行政機関も逃げ去ってしまった銀河連邦の辺境部に位置するこの惑星で彼女に圧し掛かる老人に逆らえる者なぞいない。聖典と麻薬と配給で星の住民を洗脳し、僧兵達が銃で不信仰者を弾圧し、反逆者は見せしめに生きたまま火炙りの刑に処される。元々他惑星との交流がほぼ途絶えた閉鎖空間、あらゆる物資が不足し自棄になっての自殺や犯罪が深刻化、その果てに生じた内戦が唯でさえ絶望的だったこの植民地の社会体制を回復不可能なまでに貶めた。

 

 物資を巡り離合集散を繰り返す武装勢力、戦禍が食糧生産に打撃を与え飢餓が惑星全体を覆った。人々は絶望の中に精神的な救いを求め、宗教権威が復活した。最悪の形で。

 

 惑星外の宇宙海賊と繋がりを持っていたあるカルト教団がこの星の覇権を握った。商品としての人間と引き換えに惑星外から齎される麻薬と腐敗した連邦軍から横流しされた兵器が教団の勝利を決定づけた。それ以来二〇年近くに渡りこの星は狂気に満ちたカルト教団の支配下にある。

 

 地獄……人類社会の中心地たるテオリアの市民がこの惨状を見れば皆が口を揃えてそう言うだろう。確かに地獄には違いない。尤も、食料不足から人が人を食うようになったり、核弾頭による集団自決を奨励する教団の支配するような星に比べればここは『まだマシ』なレベルにあるのが悲しい事実ではあった。

 

 本来ならば後一時間程『洗礼』が続いていた筈であった。それが中断されたのは教団の聖堂を襲った激しい震動によるものだ。

 

「何が起こった……!」

「導師、侵略です!不信仰者による聖域への侵略で御座います……!」

 

 室内に入って来た司教が慌てふためいて先程まで少女を嬲っていた老人にその事実を伝える。既に衛星軌道上に展開していた傭兵を兼ねる宇宙海賊達は奇襲攻撃により一方的に撃滅され、揚陸艦が惑星の主要拠点に上陸し陸戦隊を展開させていた。

 

「不信仰者……キオスの奴らか!?」

 

 導師の脳裏に最初に浮かんだのは取引関係にある宇宙海賊と敵対しているというキオス星系の別の海賊集団であった。あるいはオンダロンの旧連邦軍系の軍閥か、あるいはセスヴェナに拠点を構えているという悪魔信仰系教団国家か……?

 

「いえ、違います……!監視衛星の映像は……」

「馬鹿なっ!?何故奴ら今頃になってこんな僻地に……!?」

 

 司教が映像タブレットを差し出せば凝視し、驚愕しながら導師は喚く。その姿に僅かに彼女は驚いた。この俗物的な宗教指導者がここまで恐怖に凍り付く姿は初めて見たから。

 

「聖戦である!信徒達に伝えよ!不信仰者に屈服してはならぬと!最後の一人となるまで戦い抜くのだ!さすれば殉教者は天の身元へと導かれよう!決して命を惜しんではならぬとっ……!!」

 

 必要以上に大仰に導師は命じる。そして急いで服を着れば我先に聖堂の地下……かつての銀河連邦軍が放棄した地下施設……に向けて逃げようとしていた。

 

「おお、貴様も逃げ……避難するのだ。ささ、早く服を着なさい」

 

 皴だらけの木乃伊のような腕で少女の肩に触れ笑みを浮かべる導師。しかしその先程までの行為にその瞳に浮かぶ獣のような欲望を見ればそれが善意ではない事は明らかだった。

 

「……はい」

 

 その幼い美貌を能面のように凍らせる少女はそのように呟くしかなかった。それ以外の答えが望まれていない事位理解していた。だから少女は所々痛む身体を無理矢理起こし、適当によれた衣服を着直して愛用するブラスターライフルを手に『神聖不可侵なる』導師に付き従うしかなかった。

 

 導師は部屋の外に待機させていた『親衛隊』が待っていた。幼い美少年と美少女のみで編成されている事から彼ら彼女らの仕事が単なる護衛任務だけでない事は明らかであった。彼ら彼女らの顔は、先程まで『洗礼』を受けていた少女と同じく明らかに感情が欠けており影があった。

 

「状況はどうなっているのだ……!?」

「す、既にこの聖堂の近くまで侵略者共は来ていると……!」

「馬鹿な!?早すぎる!!」

 

 地下に続く階段を駆けながら導師は恐怖に顔を引き攣らせる。話には聞いていたが導師もここまで一方的かつ素早い動きとは思っていなかった。彼らの相手している存在がこれまでのような武器も持たない市民から税金の『徴収』を行うゴロツキ部隊でなければやる気のない地方部隊でもない事は明白であった。

 

「信徒共は何をしているのか!このような事あってはならぬ!彼奴らを聖堂に侵入させるなぞ何を……うおっ!?」

 

 次の瞬間、導師達の通る通路が横合いから派手に吹き飛んだ。恐らくは壁の向こう側から固形ゼッフル爆材でも爆破させたのだろう。コンクリートが砕け、粉塵が舞う。共に逃げていた司教が石片に頭をぶつけ床に倒れていた。床にピンク色の何かが飛び散っていた。恐らく頭蓋骨が砕けて死んでいた。

 

「ひいぃ……!お、お前達!守れ!私を守るのだ!」

 

 目の前で死んだ司教の姿に奇声を上げて導師は叫ぶ。同時に親衛隊員は各々が手に持つ武器を爆発して出来た通路の穴に向けようとして……次々と倒れた。

 

 爆破された穴からゆっくりと現れたのは赤い陽炎のような光を湛えた人影だった。

 

「っ……!!」

 

 その正体に少女達は目を見開き絶望する。

 

 特徴的なシュタールヘルム型のヘルメットに宇宙空間や毒ガス散布下に対応したダクト付きマスクと暗視装置やセンサーを集積させた赤く光る二対のカメラが備え付けられていた。けたたましい機械音と共に人影が近づいて来る。

 

 宇宙暦292年に採用された最新鋭重装甲服、正式名称92式特殊強化装甲服は260年代後半に猛威を奮ったザンスカール帝国のゾロアット重装甲服を仮想敵としてそれを圧倒出来るように設計されたものだった。生産性だけでなく整備性、装甲、機動力、通信能力、快適性……全てが既存の重装甲服を隔絶する性能を有している。極稀に横流しされるそれは辺境勢力同士の小競り合いにおいて恐怖の象徴とされる程だ。

 

 この時点で勝負はついていた。子供でも扱える旧式の銃器では頑強な92式特殊強化装甲服の装甲を貫通するなぞ不可能だった。ましてそれを操作するのは間違いなく『あの』銀河連邦宇宙軍装甲擲弾兵である。

 

「きゃっ……!」

 

 彼女は自身のすぐ横でブラスターライフルを構えていた少女の悲鳴を聞いた。手にしていたブラスターライフルの銃身が破壊されたのが分かった。続くように重装甲服の一団が小口径拳銃やパラライザー銃を次々と発砲、釣られるように彼女達も銃の引き金を引いていた。

 

 完全武装の兵士達の練度は親衛隊員とは名ばかりの子供とは明らかにレベルが違った。武器、あるいは腕や足に発砲して最小限の動作とダメージで相手を無力化していく。それは彼らが良く練兵された本当の意味での『兵士』である事を証明していた。

 

「っ………!」

 

 そんな中、少女は強かな反撃を行った。決して導師のためではなかった。唯死にたくなかったからだ。そのためには目の前の存在を殺す以外に手はないように思えた。

 

 第一撃を伏せて避け切った少女はライフルを発砲する。一人の敵の装甲服の足の関節の隙間……装甲ではなく繊維生地で防護されていた場所を撃ち抜いた。近場の別の敵がその事実に驚いたのがその挙動から分かった。負傷した兵士に肩を貸して警戒しながら後退する。これで二人を戦力外と出来た。

 

「……!」

 

 別の人影が此方に銃口を向けたのを少女は見た。慌ててライフルを向ける。

 

「……?」

 

 刹那の時間、少女は僅かに訝しんだ。一つはその人影のシルエットが違う事、もう一つは向けられた銃口からの発砲がない事に。

 

 唯一人重装甲服ではなく銀河連邦軍の高級士官軍装に身を包んでいたその人影は、明らかに此方の存在に戸惑いを見せていた。その理由は分からなかったが別に良かった。少女は迷わずに発砲、ブラスターの光は人影の右腕を撃ち抜いた。だが……。

 

「!?」

 

 流石に間髪入れずにその人影が銃を捨てて此方に向けて突入してくるのは予想外だった。慌てて迎え撃とうとするが全ては遅かった。

 

 次の瞬間には勝負は決していた。ブラスターライフルの第二、第三撃は寸前で回避されて、あっけなく奪われていた。片腕を負傷していようが子供と大人、素手で戦えば何方が勝つかは火を見るよりも明らかだ。

 

 視界が回転していた。背中から床に叩きつけられたのはどうにか分かった。咳込み、急速に意識が混濁する。衝撃で軽い脳震盪を起こしたのかも知れない。

 

「うわぁ、すんません司令官。ミスりました。これ手配書の司教だと思うんですが……爆破に巻き込まれて頭割れてます」

「……そうか、蘇生は出来そうか?」

「いやいや無理でしょう。これ、中身出てますよ?」

 

 重装甲服を着た兵士達は司教の死体を囲みながら内容にそぐわない程軽いノリで報告する。

 

「……そうか、仕方無いな。ライトナー少佐、二個小隊与えるから聖堂の資料室と財務室を急いで抑えろ。死人から情報を聞き取れないならそれしかあるまい」

 

 床に倒れる少女は揺れる視界の端で、重装甲服の兵士達に命令していく士官軍装の男の姿を何となしに収めていた。

 

 コンパクトに、かつ良く鍛えられた均整の取れた体付きはシンプルな銀河連邦軍准将の軍装に見事にマッチしているのが学も鑑識眼もない少女にも分かった。口から放たれる連邦公用語は育ちの良さを思わせるように優美で地方特有の訛りは一切感じさせなかった。

 

「それにしてもこんな……年端も行かない餓鬼の分際で躊躇なく撃ってくるとは。話には聞いてはいましたが辺境は地獄ですね」

「ひひ、この程度でドン引きなんてしていたら先が思いやられるなぁ新人?これくらいなら可愛いもんだぜ?」

「アトンのカルト共の相手はヤバかったな。どいつもこいつもサイオキシンキメやがるからなぁ」

 

 威圧感を与える重装甲服を身に纏う兵士達が気軽な声で駄弁る。声の声質からみて若い兵士だろうか?

 

「お前達、無駄口を叩くなよ。早く手錠で拘束しろ」

「り、了解です……っ!!?司令官、御怪我を為さりましたか!?今軍医を……!」

「いらん、軽傷だ。それよりも……例の手配犯はどこだ?」

 

 その男は部下達を叱責すると自身で肩口の傷に包帯を巻きつつ通路の端で怯える導師を見つけ、その下に向かう。その僅かな一瞬、彼女はその自分を叩きのめした男と視線が合った。

 

「………」

 

 端正で理知的な男が目を細め少女を見下ろしていた。

 

 いや、正確には彼女だけでなく床に倒れ次々と拘束されていく少年兵達を見つめていた。僅かに男の表情が歪む。だがその理由も、抱いているであろう感情も彼女には理解出来なかった。

 

 そして捕らえられていく子供を通り過ぎた後………男の浮かべたその感情は漸く少女にも理解出来た。怒りだ、その軍人の男の感情は怒りに溢れ、明らかに視界の先の相手を蔑んでいた。

 

 壁にもたれかかり、腰を抜かしながら撃ち抜かれた腕を抑え怯える導師の前で男は立ち止まった。そして男は懐から書類を取り出すと導師に見せる。高級紙には青と白を基調にオリーブと天秤の描かれた紋章が刻まれ、そして羽ペンとインクで書かれたのだろう、銀河連邦公用語による文章が羅列されていた。

 

 将校は淡々と文章を読み上げ、通告する。

 

「導師、貴方と貴方の宗教法人は銀河連邦憲章の条項、及び連邦刑事法に抵触する複数の犯罪行為に加担している容疑があります。よって現時刻、宇宙暦306年9月18日テオリア標準時1900時をもって連邦警察及び連邦最高裁判所、連邦検察庁から委託を受けた我々銀河連邦軍第一二統合任務遠征群による『強制調査』を実施させて頂きます。ついては導師にも『事情聴取』のために我々の『護衛』の下によるテオリア中央裁判所への出頭をお願いします」

 

 形式美の極致とも言うべきその言葉と同時に、老人の両脇を重装甲服に身を包んだ屈強な兵士が掴み無理矢理立たせる。

 

「尚、この出頭勧告は自由意志を尊重した任意ではなく、終身執政官の請求に基づく強制執行である事を御理解下さい」

 

 文書を戻しつつ冷淡に、義務的に男は通告を終える。同時に老人を兵士達が乱雑に連行していった。この惑星の支配者であった男は喚くように神罰を訴え、次いで賄賂の支払いを訴えるがそれに耳を貸す者は当然の如く皆無だった。

 

「………」

 

 少女は只ひたすら連行される犯罪者の背を睨む男をぼんやりと見つめていた。鋭い目付きに険しい表情を作る三〇前半程の男の立ち振る舞いは威風堂々としており、力と才気に溢れ、逞しくも知的なエリート軍人の風格があった。だが……。

 

 だが……少女は見逃さなかった。そして生涯忘れる事は無かった。それは自分よりも圧倒的な『強者』である筈の彼がその場の去り際の刹那に見せた子供のように物悲し気な、弱弱しく、寂寥感を思わせる表情で………。

 

 

 

 

 

 

 

「っ……?」

 

 ガタン、という揺れと共に彼女……ヘルガは目を覚ました。

 

「………」

 

 地上車の後部座席に座っていたヘルガはすぐ側の窓硝子に映る自身の姿を見つめる。漆黒に銀縁の装飾の為された官給コートを着こんだ二〇代半ばかどうかという感情に乏しい若い女性軍人の姿がそこにあった。

 

 次いで視線は自身のすぐ横の座席に向かう。護衛であり地上部隊幹部でもあるライトナー上級大佐が不機嫌そうに腕を組んで目を瞑っていた。顎髭を伸ばした下町の親父のような印象を受けるこの上官は暇があればこうして居眠りしているかと思えば実は起きていたりもするためどうにも判別がつかない。

 

「………」

 

 彼女の視線は正面に映る。そこには優美な漆黒に銀縁の装飾を施した『帝国軍』の将官軍装を纏う彼女の『主人』が、書類を片手にノルドグレーン社会秩序維持局エリュシオン軍管区支局長と惑星カプルのナルヴァ州自警団の帝国地方警察組織編入計画について意見を述べ合っていた。

 

 夢に現れたそれよりも年季の入った顔立ちだった。左頬にある顎から耳近くに伸びる傷跡と右目に巻かれた眼帯……それは自宅に送り付けられた小包に入っていた時限爆弾の破片によるものであった。

 

 暫くの間、書類に視線を落とし深刻な表情に気難しげに熟考を重ねていた中将は、しかしその視線に気づくと漸く彼女と正面から向き合うように首を上げる。そして子か孫を労わるような険しさの中に優しさを感じさせる知的で穏やかな視線を彼は彼女に向けた。

 

「起こしたか?」

「申し訳御座いません。居眠りをしておりました、身辺警護として失態で御座います」

 

 淡々と、客観的に彼女は自らの過ちを認める。突如襲い掛かった睡魔に負けて彼女は知らぬ内に気を失っていたらしい。これでは護衛としては無能に過ぎる。

 

「近頃は残業や休日返上が続いていたからな……無理が出たのだろう。済まんな、もう少しすればスケジュールに余裕を持たせられそうなのだが……」

 

 しかし、目の前の彼女の『主人』は寧ろ申し訳なさそうにする。彼は目の前の少佐がどれだけ仕事をこなし、疲労していたのかを知っていた。

 

「それがお分かりならば我々にも休暇を与えて欲しいものですな。閣下ならばお分かりでしょうが我々の仕事量は最早限界近いのですがね?毎日のように出動していた結果曜日感覚がなくなった隊員がどれだけいるかお分かりで?」

 

 ライトナー上級大佐は胡乱気に彼の上官に上奏する。彼も上官の軍事的・経済的手腕は評価しているが、それでも限られた人員による任務は最早完全にオーバーワークと化していた。過労で倒れる部下は数知れず、不眠症になる者や精神的に疲弊して過食症や拒食症になる者も続出している。

 

「人員の増員は計画している。来月の予算案にも盛り込む予定だ」

「予算化したとしても兵士が育つには二年はかかりますよ。それも最低限の練度を持たせるだけでです。閣下もお分かりでしょう?」

 

 尚も不満そうに追求する上級大佐に、しかし『主人』はこれ以上の妥協はしなかった。

 

「理解している。その上でやれと言っている。これ以上の妥協はほかの部署との兼ね合いもある。不可能だ」

 

 剣呑な空気が両者に流れる。……だがそれも一瞬の事ですぐにライトナー上級大佐は椅子に深く座り込み溜め息をつく。

 

「本当に、可能な限り早くお願いします。私も部下達からかなり詰められているのです。手当てでは誤魔化し切れません。そもそも銀行残高を確認する暇もない者も多いのですよ」

「分かっている。今少しだけ頑張って欲しい。辛い仕事を押し付けてしまい済まないとは思っている」

 

 下手に出る上官に上級大佐は毒気を抜かれたように再度の溜め息を吐く。彼もまた上官の立場を理解していて自らの要求が無理筋なものである事を理解していた。

 

 それでもストレスや不満は溜まる。それ故に時としてこのような強い要求をしてフラストレーションを解消したくもなる。

 

「………」

 

 すぐにライトナー上級大佐はそのまま居眠りを、『主人』は書類の読み込みを再開する。その姿は先程まで殺気を向けあっていた仲とは到底思えないものだった。ただノルドグレーン支局長のみが不満そうにライトナー上級大佐を睨むが『主人』に注意されるとバツが悪そうに視線を書類に戻し議論に戻る。

 

「………余りそう見られても息苦しいのだが」

「申し訳御座いません、今別の方向を向きます」

 

 じーっと、感情の起伏の乏しい表情で見つめ続けられる事に辟易気味に『主人』が注意すれば彼女は淡々と謝罪をし、その首を曲げて視線を窓に向け固定する。

 

「いや、そこまでしろとは……いや、構わん。好きにしなさい」

 

 若干呆れ気味に小さく息を吐き、『主人』は仕事に戻る。ちらり、とヘルガは一瞬『主人』の表情を見やり、再度窓に視線を固定した。

 

 ボロボロのコンクリートや鉄骨の町並みを地上車は通り過ぎているようだった。所々砲弾が爆発したアパートや機関銃によって窓が砕けた店舗、あるいは老朽化で崩落したビル等も見受けられる。そこに、貧しげな市民、瓦礫や老朽化した建物を取り壊していく作業員、テロを警戒して巡回する兵士の姿が見える。恐らく地上車は旧市街を走っているのだろう。

 

 旧市街はこの惑星が『帝国』の施政圏となる前の星都中心街である。

 

 いや、その実態は星都というには烏滸がましいし、新市街と並べて語るのも非礼と言わざる得ないだろう。そもそも現地を統治していたのは政府とも呼べない軍閥で、その軍閥すら各地の犯罪組織を放置せざる得なかった。不衛生で危険で、治安もインフラも完全に崩壊していたような都市なぞ人の住む場所ではない。

 

 建設業界は元々不景気の煽りを受けやすい業界である。只でさえ末期の銀河連邦が拝金主義の餓鬼道に堕ちていた。道徳は軽視され、法律が軽視され、生命が軽視されていた。重要インフラにおいても予算の中抜きは当然だった。

 

 そして『銀河恐慌』以来、建設業界全体が腐敗し堕落した。社会インフラを含むあらゆる建設物が欠陥を抱えたまま手抜き工事で建てられ、しかも社会の混乱と戦乱による物流と通信の断絶により保守点検すら疎かにされた。

 

 その行き着く帰結は単純明快だ。集合住宅ではシックハウス症候群が流行し、鉄骨を削減されたアパートは倒壊し、腐った排水溝からは汚水が逆流し、老朽化した水素エネルギー発電所は吹き飛んだ。しかもその大半で業者は市民の訴訟に勝利した。マフィアを使い原告団を襲撃し、多額の賄賂で裁判官や検察を丸め込んだ。義侠心のある者は命を以てその愚かな選択の罰を受けた。

 

 まして、辺境ではそんな違法建築に囲まれた都市でテロや紛争が行われ続けた。只でさえ倒壊しそうな建物の状態は最低最悪となった。

 

 騒乱で発生した難民がそんな衛生的にも安全的にも劣悪な街に流れ込み麻薬の売買や売春に励む。マフィアやギャング、物乞いに孤児で溢れた巨大なスラム街が辺境のあらゆる場所で生まれた。

 

 この旧市街もまた十年前までそんなありきたりなスラム街の一つであった。今では新市街や各地の開拓村に人口が流出し、また軍や警察が迷宮のように入り組んだ街の深部や地下で犯罪組織を摘発、身寄りのない孤児や強制労働者を保護しつつ外縁部から少しずつ建物を撤去しているが、まだまだ旧市街の完全な解体には時間がかかりそうだった。

 

 街道を跨いだ次の瞬間、街並みは一変していた。

 

 赤い屋根の煉瓦と木材で作られた中近世を思わせるようなクラシックで、しかし清潔で秩序だった街並みが姿を表した。並木が植えられ街灯が立つ街並みを、先程までとは打って変わり活力に富んだ市民が彼方此方へと忙しく行き交い、路面電車が大量の人と荷物を詰めて線路を走る。

 

 商業区では市が開かれていた。露店や行商が領内各地から、あるいは領外から買い取られた食料品や日用品を山積みにして見せびらかす。巡回する警官により強盗や万引きの恐れは限りなく低く、主婦が子供連れで安心して市場を見て回る。取引は数年程前に取り入れられ、漸く末端にも普及するようになった帝国マルクによって行われていた。物々交換だとか地方や軍閥が独自に発行した通貨による取引は殆ど見られない。既に帝国マルクは領民にとって十分信頼される通貨としての地位を確立していた。

 

 あるいは工業区では工員達が昼食を終えて仕事に戻ろうとしていた。統治府の運営する公営企業勤務の労働者が多いが、近年カストロプ・グループやブッホ・コンツェルン等中央宙域から参入してきた大企業や現地の起業家の興した新興企業の雇用者も多い。かつてに比べ厳格な安全管理が行われ、真っ当な仕事をすれば真っ当な給金を支払われるようになった事で工員達も十年前に比べれば随分と勤勉に働くようになった。

 

 再建された金融街では新規事業立ち上げのために国営の帝国銀行に今日も数多くの起業家が押し寄せる。あるいは帝国銀行だけでは対応出来ないのでギャラクティック・バンキング・グループやロームフェラ財団の民間銀行を利用する者もいた。あらゆる金融取引は帝国法に基づく適正な審査と適正な利子によって行われている。三年前に開設した帝国株式市場の相場掲示板は再建された汎銀河ネットワークである『ライヒスネッツ』によりリアルタイムで帝国全土の株式の相場を表示していた。

 

 この惑星が『帝国』の統治下に収まり、総督府の星都と定められて以来、新市街は拡張の一途を辿り、その都市人口は日々急速に増加している。

 

 その理由は何よりも安全と利便性にあろう。街区ごとに交番が置かれ勤勉な警官が駐在し、軍の歩哨分隊や地上用ドローンが列を作りながら街を巡回している。各地に設置された監視カメラは小さな犯罪すら見逃さない。

 

 インフラは完璧に機能している。新しく建設されたガス、電気、水道、通信、医療設備は臣民の生活とビジネスに必要な十全なサービスを提供しており、街道は舗装され物流も淀みなく新市街に生活必需品を供給し続けている。

 

 安全かつ必要な物資が揃い、そして消費者がいる場所に仕事が生まれるのは当然だ。領地の内外から多くの企業や個人事業者が新市街に店舗や工場を建て、仕事を求め人が集まり、雇用された労働者が消費を行えば更に需要は伸び、それが新たな雇用を生み出す源泉となる。

 

 一時期は退廃の極みにあったこの惑星は、しかし僅かに十年にも満たない期間で領民と経済はその活力を復活させ、その生活は向上と繁栄の入口に差し掛かり始めていた。  

 

 いや、それはこの領地に限らない。人類社会そのものが復興を始めていた。悪徳と腐敗と不正が糾弾され、強大な権限を有する『帝国政府』の下に行われる各種改革が着実に実を結び始めている。人類社会はかつての秩序と安全を取り戻しつつあった。

 

 新市街を走る事三〇分余り、中心部近くにある宮殿のような様式のエリシュオン軍管区総督府庁舎……先月ティルピッツ伯爵領統治府庁舎と改名したその建物の前に地上車は停車した。

 

「着きましたね」

「そのようだな。……降りるとしようか?」

「それでは私から失礼します」

 

 そう言ってまずライトナー上級大佐が周囲を警戒しつつ、次いでノルドグレーン社会秩序維持局支局長が盾となる形で地上車から降りる。

 

 その後、懐から飲み薬を数錠飲みこんでから堂々とした出で立ちで彼女の『主人』が地上車から姿を現す。そうすれば出迎えのデメジエール少佐の掛け声と共に漆黒の礼装に身を包んだ儀杖兵達が抱え銃の体勢で領主を歓迎した。

 

 最後に、『主人』の後を追うようにヘルガは前後を護衛の装甲車に挟まれた地上車から降り立つ。『主人』から一メートル後方からその後を着いて行きながら周辺を警戒する。懐にはいつでも引き抜ける位置にハンドブラスターが隠されていた。

 

「相変わらず、余り趣味が良いとは言えませんなぁ?伯爵殿?」

「そう言うな、あのデザインは皇帝と政府からの要請だ。時代錯誤ではあるが従うしかあるまい」

 

 屹立する統治府庁舎を見つめながらぼやくライトナー上級大佐に、生真面目さに僅かに呆れた感情を込めて『主人』は答える。

 

 目の前のクラシックなデザインの巨大な総督府庁舎は一見長い歴史を感じさせるが、その実昨年建設が完了したばかりの新築であった。荘厳な庁舎は、しかし地上よりも地下に張り巡らされたフロアの方が業務の主体であり、艦砲射撃や質量攻撃に備えたシェルターとしての役割も持つ。周囲にはテロを警戒して多数のドローンと歩哨が警戒を行っており、それが地上部の政庁舎デザインと反発し妙な可笑しさを醸し出していた。

 

 『主人』やノルドグレーン行政補佐官に続きヘルガは庁舎のフロントに向かう。その直前何気なしに彼女はふと空を見上げていた。庁舎の旗竿に自然に視線が向かう。青空に高らかに掲げられる格調高いデザインでありながら明らかに真新しい国旗が瞳に映り込んだ。

 

 黒地に帝冠を被り王杓を掴む双頭の鷲に黄金樹……銀河連邦の正統なる継承国家にして人類史上初の専制的全人類統一政権『ゴールデンバウム朝銀河帝国』の国旗は誇り高く、威風堂々と青い空にはためいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 「本年の食糧自給率は開拓村の軌道が安定したのと農業政策の改革により前年比一二パーセント向上致しました。物流網の問題はありますがこれにより一応全領民の需要を賄うだけの食糧生産が達成されております」

「問題はその物流網だな。古代より食糧危機は飢饉よりも物流機能の問題が大きい。未だ政情は安定からは程遠い。それによる一部市民の買い占めや業者の過剰な値上げも課題だな」

「しかし不用意な民間経済への介入は却って危険ではないか?」

「お前は中央宙域から来たばかりだったか?辺境でその原理は通用せんよ。この辺りの民間経済はここ数年で漸く再建されたようなものだ。少し前まで貨幣経済すら破綻していたのだからな。表面上は兎も角、経済の基幹は脆弱だ。寧ろ積極的に政府が介入しなければすぐに破綻してしまう」

「航路の宇宙海賊掃討は順調だが地上部の武装集団の掃討が課題だな。地上軍の護送があるとはいえ運送業者や兵士達に手当を出さねばならん。毎日となればその分の予算の負担も大きい」

「西大陸は特に此方の統治が及びにくいからな。未だに複数の都市が此方の支配圏外にある。境界線付近では襲撃や略奪、虐殺も起きておる。現地の自警団や駐留部隊だけでは対処仕切れん」

 

 一月前までエリュシオン軍管区総督府と呼ばれていたルドルフ大帝の肖像画の掲げられている政庁の会議室にてスーツや制服、作業着、あるいは時代錯誤的なジュストコールを着こなした官僚や軍人、各部署の代表がソリビジョンに映る各種の領内生産や物流網のデータを見やり議論を重ねていた。

 

 上座では帝国政府よりエリシュオン軍管区総督府総督に任じられ、一月程前に成立した『帝国身分法』に基づき『伯爵位』等と言う歴史の遺物のような役職を『叙爵』されたティルピッツ伯オズヴァルトが神妙な面持ちで議論に耳を傾ける。

 

「だが軍の派遣も至難の業だぞ?只でさえ人手不足なのだ。我々はこの星都の治安維持のための兵力すら揃える事に苦労している。まして惑星内とは言え部隊を派遣するなぞ……」

 

 苦言を口にするのは元エリシュオン軍管区総督府民政長官であり、一月前にティルピッツ伯爵領統治府民政長官に任じられたゴットリープである。元々現地の一市長でしかなかったのがその行政能力を買われ今では広大な領地と領民の生活に責任を背負うようになったこの中年の禿頭男は、会議で出される軍事作戦実施の意見に不機嫌そうに反対する。

 

 彼の意見は統治者として無責任なものとは言えない。寧ろ現状を良く把握するからこそ出て来る意見であった。

 

 帝国暦9年7月時点で暫定的に三つの有人惑星を含む三四星系、及びそれらに付随する人工天体・鉱山・ドーム型都市・通商航路の管理・整備・運営を任されているティルピッツ伯爵領統治府(旧エリシュオン軍管区総督府)は、その統治範囲と人口、行政・公共サービスの運営内容に比してその統治要員は極めて少ないと言わざるを得なかった。

 

 元々予算も人員も不足していたのだ。帝国政府は連邦政府時代、それもルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが台頭する以前から徴税システムも、福祉制度も、インフラすら崩壊寸前であった。毎年税収は縮小の一途を辿り、国債発行は議会の対立で不可能であり、予算不足から国家としての最低限の役割すら果たせず、長期に渡る政府の行政停止すら珍しく無かった。末端の役人や兵士、警官への給料の支払いは遅延に遅延を重ね、多くの者が副業や不正に手を染めていた。

 

 終身執政官となったルドルフが最初に実施したのが大規模な政府関係者の綱紀粛正である。不正を重ねた政府職員や軍人、警官等四〇〇〇万を超える者達に免職や懲役、罰金刑と言った処置が為された。殺人及びその協力、武器・麻薬・人間の売買等、余りに悪質な犯罪に手を染めたために処刑された者は一〇〇万近くにも及ぶ。

 

 市民はその容赦呵責ない処置を拍手喝采したが、それは同時に政府の手足となる者達が大量に失われた事も意味した。

 

 ルドルフは給与制度を変更した。給金は滞りなく支払われ、職務はよりやりやすく、研修制度も改訂した。待遇は遥かに改善された。再教育や新しく募集した職員は職務意識が高く、不正や怠慢とは無縁であった。それでも……政府の人員不足の改善は容易では無かった。改革により新たな仕事が次々と出来、帝国の各行政機関は徹夜当然、休日返上上等の不夜城である。特に変えが利かない中間管理職以上の人材が過労で倒れるのは最早日常であった。

 

 辺境鎮定に派遣され、そのまま現地の管理を委託された総督府の人材と予算の欠乏は中央宙域よりも更に悪い。唯さえ危険過ぎる辺境行きを希望する者は少ないので強制せざるを得ない。しかも中央すら人も物も金も不足しているから必要最小限、いやそれ以下で派遣させられる。

 

 各地の総督は無い無い尽くしの中で工夫を凝らして現地の敵対勢力の駆逐と統治を強制される。余りに足りなすぎるので現地である程度問題無い人材がそのまま組織に組み入れられる事も、中間管理職以上が少ない給料でサービス残業するのも、それどころか現地の最高責任者が私財を投じて兵士の給料支払い等を行うのが当然化する有様であった。『神聖不可侵』たる皇帝に上奏して資金や人員の援助を申し出てみる事もあるのだが帰って来た電信による御言葉は「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」である。

 

 この返信を受け取ったリッテンハイム大将は罵倒しながら『偉大なる』ルドルフ大帝の肖像画を丁重に蹴り飛ばし、唾を吐き、窓から投げ捨てた。エーレンベルク上級大将は『感動に打ち震えながら』返信文を藁人形に括り付けて五寸釘を打ち込んだ。ゾンネンフェルス中将とカルテンボルン中将はオーディンでの会議に集まった際に前者が皇帝の頬を『丁重に』メリケンサックで武装した拳で殴りつけ、続いて後者が『皇帝を敬愛しつつ』筋肉ドライバーを加えた。他の総督達もそれぞれの方法で皇帝に対してその揺ぎ無い忠誠心を見せつけてくれた。

 

 ティルピッツ伯爵領統治府も事情は全く同じである。最早逆転される事は無いにしろ、治安部隊も行政職員も常に不足し、領内の経営は赤字続きで総督の私財や地方債発行、高級幹部のボーナス返上で補填する有様であった。今大規模な掃討作戦の実施なぞ予算面でも、人員面でも綱渡り過ぎた。下手すれば星都に潜伏する反体制派が息を吹き返し大規模なテロ攻撃を仕掛けて来る可能性もある。

 

「何を仰りますか!臣民の保護と反逆者への妥協なき弾圧は皇帝陛下の御意志で御座います。それを民政長官は蔑ろにしろと言うのか!?」

 

 ゴットリープ民政長官の現実論に対して反発するのはエリシュオン総督府官房長官……否、ティルピッツ伯爵領統治府官房長官、更には領内書記官長にも任じられているケストリッツであった。三十半ばの帝国本土出身のエリート官僚は現場組のゴットリープを嗜めるように続ける。

 

「ましてや先日、閣下は畏れ多くも皇帝陛下より伯爵位を授与されたばかり。陛下への大恩に報いるためにも帝国に仇なす叛徒共に誅罰を与えねばなりますまい!」

 

 そしてそのまま上座に座る伯爵に向け一礼して上奏する。

 

「伯爵様、どの道将来的な叛徒共の掃討は既定の路線で御座います。であるのならば今この時期にこそそれを行うべきで御座いましょう。臣民を保護し、その民心を安んじさせるは皇帝陛下より与えられし伯の義務でありまする。また授爵の御恩に対して今行動で報いれば、皇帝陛下の伯に対する信頼は一層深まりましょうぞ!!」

 

 恭しく申し出る官房長官に向け、幾つもの失笑した視線が向けられる。彼らは鎮定軍の初期から伯爵と同行していた古株の官吏や将校達であり、政治的には民主派・中道派に属する幹部達である。即ち、皇帝の権威を然程信じていない者達であった。

 

 伯爵位の授与という皇帝への御恩に報いるための軍事作戦……滑稽な事この上ない。爵位なぞ当の昔に歴史上の遺物であるし、授与された所で何らの権威も恩恵もありやしまい。寧ろ与えられる者達からすれば害でしかなかった。

 

 そもそも長らく各地の総督や帝国政府首脳陣が無給同然に職務に精励させられ、それどころか予算不足から私財すら投じさせられてきたのは周知の事実だ。その反発を抑え込むために爵位なぞと言うものがでっち上げられたとすら思われた。

 

 給料の支払いを拒否して代わりに領地とその徴税権を与える……話だけならば時代錯誤であるが魅力的な提案だろう。しかし、現実は甘くない。実態は徴税なぞ不可能な惑星や人っ子一人いない惑星を与えられる者が殆んどだった。中には未だ武装勢力が跋扈し帝国政府の統治が一切及ばない惑星を『下賜』された者すらいた。

 

 爵位なぞお飾り、付随する領地の提供に至っては実質的には帝国にとって負担となる辺境の統治をさせられるだけであった。赤字経営の自治体の経営を個人に押し付けた訳だ。

 

 多くの総督にとっては現状と変わらぬどころか負担を押し付けられた上に将来的な給金の支払いまで拒否されたに等しいものだった。何十年かすればあるいは黒字経営となり子孫が潤うかも知れないが、少なくとも孫の世代までは自己破産すら許されない負債であり、デメリットしか存在しない。

 

 よって官房長官の言は内情を知る者にとっては余りに馬鹿げた物言いであった。流石オーディンの内務省で働いていた勤皇派のエリート官僚様である。言う事がいちいちぶっ飛んでいた。

 

「………」

 

 上座にて腕を組み、目を瞑りながら一か月の歴史を誇るティルピッツ伯爵家初代当主オスヴァルトは逡巡する。一歩引いた場所で腕を背中で組み、直立不動の姿勢で佇む『身辺警護大隊』の隊長ヘルガが軍官の幹部達を一瞥した後、神妙な面持ちを浮かべる『主人』を視線だけ移動させて見つめる。

 

「……予算の方はどうする?」

「現状、帝国銀行、そして統治府の信頼は高いもので御座います。長期返済の地方債の発行で対応するのが良いかと」

「馬鹿な、現状ですらインフラの整備に少なくない債権を発行しているのだぞ?ここに来て生産性の低い軍事作戦のために更なる発行なぞ……」

 

 ゴットリープ民政長官が否定的な反論を述べる。元々軍事より民政優先の彼の立場からすれば軍事作戦に何十億という帝国マルク債権を費やすのならばその金で掃き溜めのスラム街一掃を行いたいのが本音であった。旧市街なぞ財政的にも治安的にも重荷でしかない。住民の移住先を拵えた上でさっさと再開発した方が良い。

 

「兵力はどこから持って来るので?現状の戦力だけでは治安維持だけでもかつかつなのですがねぇ」

 

 軍部においてはライトナー上級大佐が意見し、追従するように他の幹部が肯定する。現状の軍・警察・社会秩序維持局の人員規模は領内に蠢動する不穏分子を押さえつけ続けるのが精一杯だ。

 

「……宇宙軍を使った面制圧ならどうだ?」

「マジですか?地図を書き換える必要がありますねぇ」

 

 考えを纏めたのだろう、オスヴァルトの提案に苦笑いを浮かべる上級大佐。

 

「人口密集地での戦闘は多くはあるまい。大半は森林地帯や山岳部に潜んでいる筈だ。作戦と並行して避難も行えば一般市民の巻き添えは最小限で済む。それと目標は大型装備や車両類の破壊を優先する。皆殺しにする必要はない。装備さえ喪失させれば無力化は可能だ。奴らに物資の自給なぞ出来まい、そのうち立ち枯れよう」

「……火力の集中と目標限定による短期決戦、という事ですかね?」

 

 上官の提案についてライトナー上級大佐は分かり易く訳する。それはどちらかと言えば同席する文官達に配慮するためであった。

 

「……作戦期間は二週間、地上部隊は最大でも旅団規模より大きな部隊は投入しない方が良いでしょうな。軽量部隊を中心にしなければ迅速な展開は難しいでしょう」

 

 暫く悩んだようにしてライトナー上級大佐が答える。

 

「閣下!」

 

 非難がましく民政長官が叫ぶがオスヴァルトはそこから先の言葉を制する。

 

「民政長官の言は理解している。だがこれは好機でもある。此度の掃討作戦が上手くいけば西大陸に貼り付けている治安部隊を削減出来る。……それにあの辺りの残党共が付近の市町村を略奪しているのは事実だ。放置が長引けば民心が離れ、将来的に禍根が残ろう。我々は余所者だ、現地の信頼を失う事態は避けたい」

「……仕事が増えますが」

「済まないと思っている」

「相変わらず口だけは達者ですな」

 

 むすっとした表情を浮かべつつも民政長官は恭しく『主君』に礼をする。言いたい事が無い訳ではない。だがそれでも目の前の上司がこの異郷の地のために私財を投げ打ち、幾度も危険に身を晒している事もこの現地人は理解していた。その犠牲があるからこそ渋々ながらもその決定を承諾する。

 

「戦力の抽出は星都の予備戦力と治安警察の重装備部隊を中心に編成するとしよう。星都の警備の穴は社会秩序維持局、足りなければ警護大隊や儀仗部隊、民兵隊も動員する」

「それで行けますかねぇ?」

「不安ならば上級大佐、可能な限り迅速に終わらせてくれ」

 

 そう言い切って伯爵は議場の者達に出兵の賛否を問う。暫し悩みつつも結局代表達の五分の四が出兵に賛成し、エリュシオン西大陸の反帝国勢力残党に対する掃討作戦実施は可決された。

 

 それを確認したオスヴァルトは正式に出兵を宣言し、場の出席者達が一同に、恭しく頭を下げその決を受け入れる。

 

 ……ケストリッツ官房長官が頭を下げながらその口元を吊り上げていた事に気付く者は皆無であった。

 

 

 

 

 

 約一週間の準備期間と部隊配置の末、帝国暦9年8月2日に掃討作戦は始動した。

 

『赤作戦』と呼称された同作戦に投入された兵力は三個歩兵旅団を基幹として一個装甲旅団、一個砲兵大隊、二個装甲擲弾兵大隊、支援航空隊、支援宇宙群から編成されていた。更には補助戦力として重武装に身を包んだ警察機動隊三個大隊が参加する。

 

 総兵力は二万二一〇〇名、総司令官にはグレーヴ・ライトナー上級大佐が正式に任命されていた。その作戦目標は惑星エリシュオン西大陸内陸部四州における反帝国勢力の掃討、及びそれによる惑星地上の物流網復旧と治安改善、現地市民の保護にある。

 

「弾着……今っ!!」

 

 平原地帯で幾条もの放物線が青空を彩り、次の瞬間には撃ちあげられた榴散弾が地上十数メートルの所で破裂、無数の破片が草原を耕した。迫撃砲による支援砲撃だった。

 

「よし!第二大隊前進!!第四大隊、側面から森林地帯を抜けろ!!」

「第三大隊、周辺地域の捜索完了……何てこった。駄目です、焼け出された村の生存者は現状確認出来ません。皆焼かれている……!!」

「此方第六大隊、糞ったれ!!一五五ミリの砲撃だっ!狙いは甘いが前進出来ん!!爆撃でも砲撃でもいい!今すぐ奴らを黙らせてくれ!!」

「了解、航空部隊による上空観測を行わせ……待て!高高度偵察機より通信、誘導レーザーの照射を確認との事!……あっ!今対空ミサイルの発射を確認しましたっ!!」

「回避を命じろ!チャフ・フレア散布!丘の電子戦部隊に連絡!妨害電波の出力を最大まで上げさせろ!!」

 

 作戦の初日、最前線から二〇キロは離れた平原のキャンプ場に設けられた野戦司令部、その天幕ではざっと並べられた無線機がひっきりなしに鳴り響き最前線の情報を司令部に伝達し、同時に指示を求める通信で溢れかえる。

 

「地上の観測班に連絡しろ、誘導レーザーの照射を開始しろとな。見つけ次第、防空システムの類いは衛星軌道の駆逐艦が吹き飛ばす。航空隊は防空網を無力化するまで安全第一を心掛けて囮に徹しろ!!」

 

 野戦司令部にてライトナー上級大佐は戦況モニターに視線を向け、淡々と命令を下す。対ゲリラ掃討作戦に限らず陸戦にてまず重要なのは制空権の確保だ。航空部隊と宇宙部隊、陸上部隊が連携しつつ敵の対空装備を刈り取っていく。

 

「まさか……たかがゲリラ風情が高高度目標を捕捉迎撃出来る程の能力を有しているとは………」

 

 士官学校を卒業して以来三年間中央宙域にて勤務をしており、ほんの一月前に人事異動で参謀スタッフとして転任してきた若い帝国軍中尉は唖然とした表情を浮かべる。

 

 ゲリラと言う話を聞いた彼の脳裏によぎったのは精々が旧式の装甲車や携帯式ミサイルで武装した烏合の衆であったのだが……実態は大型野戦砲や各種レーダー装置付きの大掛かりな防空ミサイル、挙げ句の果てに旧式とは言え複数の戦車の目撃報告すら上がっている有り様だ。辺境でちまちまと略奪を働くゲリラ?いや、これではちょっとした軍隊並みの武装ではないか!

 

「なぁに。これ位ならば可愛いものさ」

「これでも何方かと言えば軽武装なのですがね。ここに降りたばかりの頃は大変でしたね。機甲部隊と装甲歩兵が出しゃばって来た時は肝が冷えましたな」

 

 一方、比較的外地勤務の多い参謀達は軽い口調に以前の任務との比較を始める。元々腐敗していた上に兵士への給料すら遅延していた銀河連邦軍が装備を犯罪組織に売り払うなぞ良くあった事だし、軍団単位や艦隊単位で辺境の駐留軍が軍閥となる事も良くあった事だ。終身執政官時代のルドルフの政策に反発して軍を離脱した部隊も少なくない。

 

 今となってはそれらの抵抗勢力の過半は撃滅されたものの、中小規模の反帝国組織はまだまだ存在するし、残党が装備ごと犯罪組織等に合流していたり、傭兵となって民兵の軍事教練を行っている者も多い。ゲリラ掃討とは言え、決して油断は出来なかった。

 

「まぁ、この程度ならばまだマシだろうなぁ」

 

 ライトナー上級大佐は椅子に座り、前線からの映像を見つめつつぼやく。いくら元軍人が流れていようとも、軍の装備があろうとも、全体で言えば烏合の衆だ。改革により良く練兵された帝国軍将兵にとっては手強くはあっても勝てない相手ではなかった。実際各部隊の動きは良く、連携しつつ勇敢に戦い敵を押し上げ、包囲網を着実に形成しつつある。

 

「流石ライトナー上級大佐ですな。教科書通りのゲリラ掃討です。装備の破壊が目標だった筈ですが……この分ですと包囲殲滅も叶いそうですな」

 

 戦況モニターを見て皮肉気にそう評するのはエリート然とした風貌の一〇歳は年下の軍人であった。ティルピッツ伯爵領における航空軍・宇宙軍空戦隊の総指揮を取るヘルマン・レーヴェンハルト大佐である。どこかニヒルで人を小馬鹿にするような態度をするこの佐官は、しかし実際にほかの者達から余り好かれている訳でもない。恐らくは彼自身が連邦軍士官学校を上位席次で卒業しており、エリュシオン駐留軍の佐官達の中で最も若い事も一因であろう。

 

「ふぁぁ……いやいや、油断は禁物ですよ。烏合の衆の残党共とは言え窮鼠猫を噛むとも言います。最後の最後まで、完全に『殲滅』するまで手は抜けませんよ」

 

 上級大佐は下士官出身らしく欠伸しながら頭を掻くと言う粗野な態度で返答する。その下卑た姿に案の定しかめっ面をしてレーヴェンハルト大佐は視線を戦況モニターに戻す。上級大佐はそんな大佐に意地の悪い笑みを浮かべ、モニターに視線を戻す。

 

「上手く行けば一週間程度で終わるかね……?」

 

 そう上級大佐が呟いたと同時の事であった。慌てて駆け寄って来た通信士が電文を読み上げる。その単純明快で、同時に極めて深刻な内容にレーヴェンハルト大佐は目を見開き、ライトナー上級大佐は少々困ったように頭を掻いた。

 

 電文の内容は以下の通りであった。

 

『星都において反乱軍が蜂起せり』

 

 

 

 

 

 帝国暦9年8月2日は帝政初期における反帝国運動において特筆すべき日の一つであり、大きな転換点となった日であった。

 

 この日、帝国領各領邦において反帝国組織による同時多発的な武装蜂起が行われた。爆弾等による破壊工作が実施されたほか、帝国政府内部の共和主義者による政府要人の暗殺、主要都市ではレジスタンスと治安部隊による市民を巻き込んだ市街地戦が勃発。宇宙空間においては帝国軍や航路警察が旧銀河連邦宇宙軍残党や宇宙海賊と主要航路や軍事工廠を巡った中規模の艦隊戦を各地で繰り広げた。

 

 そしてティルピッツ伯爵領惑星エリュシオン星都フォンブールにおいてもそれは同様だった。

 

 1330時、新市街二八か所にて爆弾テロが発生、同時に市内に潜伏していた共和派レジスタンスが駆け付けた警察や消防士、医療関係者を襲撃し市民を含む多数の死傷者が発生した。

 

 同時期に旧市街においても推定八〇〇〇名の反帝国軍主力が決起した。恐らく迷宮化していた地下下水道を通って展開したと見られている。

 

 旧市街において治安維持任務についていた帝国軍警備部隊は激しい抵抗の末に玉砕、彼らの足止めによって時間を稼いだ星都の帝国軍・警察部隊は反乱軍主力部隊の新市街流入を阻止すべく防衛線を構築し、新旧市街の境界線では激烈な市街地戦が繰り広げられる事になる。宇宙空間においても領内において最も重工業の発達していた惑星ナルメア周辺宙域に反乱軍一二〇〇隻が進攻、伯爵領駐屯の宇宙艦隊との艦隊戦の戦端が開かれようとしていた。そして……。

 

「……始まったな」

 

 統治府執務室の窓からティルピッツ伯オスヴァルトは黒煙の上がる新市街地を淡々と見据える。

 

「これで良いのかな?支局長?」

 

 オスヴァルトは目の前で慇懃に頭を下げるノルドグレーン社会秩序維持局支局長を若干非難の感情を込めて睨む。

 

「はい、伯爵様。これは必要な犠牲で御座います。此度のこの争乱は絶好の機会で御座います。この機に領内に潜伏する叛徒共の過半は掃討出来ましょう」

 

 一方、支局長はにこやかに笑みを浮かべる。

 

 全ては帝国政府の……正確には社会秩序維持局局長エルンスト・ファルストロングの計画通りであった。反帝国武装組織による大規模な決起、そしてその殲滅の準備は密かに、そして緻密に進められた。社会秩序維持局諜報部第二部(シュタージ)から齎された大規模な決起計画を逆用し、寧ろ潜入させた工作員によって指導層を囃し立て、煽り立て、突き上げてその計画を準備不足のまま前倒しで実施させたのだ。

 

 末端部隊は兎も角、帝国政府上層部は大半が反乱軍の計画を承知していた。部隊が密かに展開される。これを機会に過激路線を貫き社会不安の要因でもあった主要な国内武装組織の一掃が成功する手筈だ。

 

「旧市街における叛徒共の主力部隊殲滅は時間の問題でしょう。既に社会秩序維持局(此方)の保安衛兵連隊の展開は完了しております。事前計画に基づき軍・警察と連携すれば無力化は可能でしょう。ナルメアの宇宙軍についても弟君が航路を待ち伏せしております」

 

 各地に展開している正規軍や警察部隊には目前の敵殲滅を優先させ、星都への援軍に行く事を制止させている。星都での戦いは社会秩序維持局エリシュオン支局の保安衛兵連隊が鍵を握る事になろう。先月各地の支局にて秘密裏に編成された本連隊は正規軍並みの装備と治安戦に特化しており、此度の地上戦の決戦戦力となる筈だ。

 

 宇宙戦に至ってはオスヴァルトも一切の心配はしてなかった。弟は政治も経済もさっぱりではあるが事軍事に関してだけは天性の感性の持ち主だ。間違いなく彼の期待以上の戦果を挙げてくれる筈だ。

 

「それは結構だ。問題は……新市街におけるレジスタンス共だ。其方を放置するとはどういう了見だ?」

 

 隻眼の伯爵は鋭い視線で忠臣を睨み付ける。その眼光は誤魔化しを許さない事を示していた。それ故に支局長もまた慇懃に、恭しくその理由を答える。

 

「民衆とは愚鈍なものです。彼らは施しはすぐに忘れ、恨みは中々忘れません。与えられた環境と権利に順応し、すぐに当たり前のものと誤認致します。そして全体の事なぞ考えず利己的に要求をエスカレートさせていくのです」

 

 醒め切った、嘲るような、諦念に満ち満ちた眼で黒煙を上げる新市街を見つめるノルドグレーン支局長。その表情はオズヴァルトが初めて顔を合わせた時のような理想と正義に燃える青年の姿はなく、ただただ打算的に、効率的に謀略を弄ぶ陰謀家の姿しかなかった。

 

「彼らに立場を分からせるため、と?」

「世論調査を実施した限り、そろそろ彼らもつけ上がり始めていたようですから。ここは上下関係を分からせるべきでしょう。そうしなければ今後の統治にも差し障りましょう」

 

 社会秩序維持局諜報部第二部(シュタージ)の『細胞』を通じて市井の世情についてノルドグレーン支局長は良く理解している。同時に臣民の帝国政府に対する意識がここ数年渡り尊大になっている事実もまた把握していた。

 

 かつて、帝国政府が改革に邁進していた頃は誰もがそれを喜びながら受け入れた。生命の安全すら保証されない環境にあった彼らにとって総督府の行った政策はまず最低限の生命の安全を、次いで衣食住を保障し、次いで職場を提供、健康を、教育の場を提供した。

 

 帝国に対する信頼と支持は次第に高まっていった。長年望んでも得られなかった物を、健康で文化的な生活を得る事が出来たのだから。善政の基本は飢えない生活だ。その前では多少の人権の制限や政治的権利なぞどうでも良いものであったし、そもそもそのような物を気にしていたら帝国の改革は無し得なかっただろう。

 

 しかし……所詮臣民は衆愚であり、飽きやすい存在である。生活に余裕が生まれれば彼らは次第に不満を吐露するようになる。

 

 かつては全肯定といった有り様だった出版業界は今では人気取りのために帝国政府の施策を次々と中身のない内容で非難し、政治権力の臣民への返還を要求する。市民は社会保障のための増税と安全と健康のために制定される細やかな法律に不満を漏らし始めていた。

 

 愚かなものだ、彼らの得た安定と秩序は未だ薄氷の上のものでしかないというのに。今臣民に政治権力を返してみろ、減税をしてみろ、管理体制を緩めてみろ、あっという間に全ては十年前に逆行する事になろう。

 

「彼らは保護される側であり、閣下は保護する側で御座います。此度の共和主義者共の横暴は良い薬になりましょう。閣下が、帝国が無ければ彼らは唯食われるだけの弱者でしかない事を思い出すでしょうから」

 

 幸運な事に新市街における攪乱目的のテロ計画についてその完全な情報が伝わっていた。重要インフラでのテロだけは阻止し、価値の低い中流階層以下の市街地等でのテロは敢えて放置する。後は愚かな『共和主義者』が自らの行動によって臣民の憎悪を駆り立ててくれるだろう。

 

「……天国等というものがあるのならば、我々はそこには永遠に行けないであろうな」

 

 オスヴァルトは、ノルドグレーン支局長の言に冷たくそう独白する。彼のその言葉は現実と理想の狭間で葛藤し、疲れきった人間のそれであった。

 

 そして彼はそれっきり口を開かず、唯険しい顔で市街地を見つめ続けた。まるでその惨状を眼に焼き付け、忘れないと言わんばかりに。

 

 その姿をノルドグレーン支局長は沈痛な面持ちで見つめ続ける。本来ならば万が一に備えて地下のシェルターに避難してもらいたかったが……こればかりは恐らくどれだけ言ったとしても受け入れてもらえないだろう。故に支局長はいざと言う時に備え主君の傍に控える。

 

 そしてふと気付いたように腕時計を見やり目を細め、次いで目の前の『主君』に恭しくその報告を行った。

 

「伯爵様、そろそろ時間で御座います。これより領内に巣くう寄生虫共の排除を実施致します」

 

 

 

 

 

 乾いた発砲音が響き渡る。統治府や軍・警察内部の共和主義者達は新・旧市街における蜂起に時間差をおいて呼応した。西大陸のゲリラ、あるいは旧市街や新市街の『陽動部隊』に誘引された中心街と統治府の警備はその混乱もあり平時に比べかなり弱体化している筈であった。

 

 全てはこのためであった。忌々しい『独裁者ルドルフ』に媚びへつらう権力の犬共を暗殺し、統治府を制圧する。独裁者の代理人である領主を討ち取り指導者層のみスライドさせる事で行政組織と軍を可能な限り無傷で確保するのだ。いや、しなければならなかった。

 

 既に長く続く反ルドルフ抗争によって反帝国派各組織の疲弊はかなりの水準にまで達していた。既に降伏する組織や地下に潜り戦力を温存する事を選んだ組織、外宇宙に逃れて体勢を立て直そうとする組織が続出していたのだ。

 

 所詮は烏合の衆でしかない反帝国派は独裁者ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの改革によって精強に生まれ変わった帝国軍と帝国警察、そして狡猾にして姑息な謀略家エルンスト・ファルストロングを頂点とする社会秩序維持局の前に数的な優勢をとうに失っていたし、質的な優劣は絶望的なレベルまで突き放されていた。

 

 だからこそこれは反帝国派にとって最後の大規模な国内蜂起であった。国内での徹底抗戦を掲げる各組織は十年近い時間をかけて帝国政府各部署に潜入させた同志を使い帝国を、その領域の一部なりとも切り取る。そこを基盤として解放区を形成し帝国に対して将来的に正面決戦を挑むだけの国力を蓄えるのだ。

 

 だからこそ………。

 

「我々は独裁者ルドルフ・ゴールデンバウムに追従する共和主義の反逆者にして連邦市民の裏切者オスヴァルト・ティルピッツを討つのだ!これはテロリズムではない!共和主義と民主主義を防衛するための正義の行いであり、悍ましき全体主義から人類社会を救済するための聖戦なのだ!!」

 

 ティルピッツ伯爵領統治府官房長官『だった』ディーター・ケストリッツが演説する。だが、その表情から威勢の良さは消え去り、悲壮感が漂っていた。

 

 既に彼らは追い詰められていた。決起と共に統治府の領主執務室を目指した五〇名程の共和主義者は執務室に繋がる庁舎内の廊下で本来ならば有り得ないその存在を見る事になる。。

 

「馬鹿なっ……!!?」

 

 先頭を走っていた同志達は驚愕し、次の瞬間には旧市街地の反乱鎮圧に派遣されている筈だった『身辺警護大隊』のブラスターライフルの一斉砲火を受けて蜂の巣となった。

 

 『身辺警護大隊』と共和主義者達の戦いは元より勝負が決まっていた。人数も、練度も、装備も、全てが隔絶していた。僅か三〇分の戦闘で彼らの数は半分にまで減り、今では統治府庁舎の一角に立て籠もり絶望的な籠城戦を繰り広げるだけである。そしてそれは迫りくる運命に対する儚い延命処置でしかなかった。

 

 それでも彼らは降伏しない。いや、出来ない。降伏すれば待つのは社会秩序維持局による容赦ない取り調べである。知っている情報を吐き出させるために彼らが行う様々な手段を思えばここで玉砕する方が遥かにマシであった。

 

「戦え!戦い英雄になるのだ!いつか……!いつか我らの末裔が民主主義のために殉じた我らの犠牲に涙し、哀悼を捧げる日がきっと来るであろう!なればこそ!最後の一秒まで前を向き誇り高く戦おうではないか!勇気を奮いたたせ、子孫達が誇りを持って語り継げるように!」

「「「自由と民主主義万歳!!祖国を簒奪せんとする独裁者とその手先共に死を!!」」」

 

 ケストリッツの演説に中半ヤケクソになりながら彼らは叫び、戦う。そうしなければ彼らは目の前に着実に迫りくる死の前に絶望し、発狂してしまっていただろう。現実逃避ともいえるがこの場においてイデオロギーに殉じる事を強調し、陶酔する事は数少ない彼らに出来る選択であった。

 

 無論、それは所詮時間稼ぎに過ぎず、遂に破局の時は訪れる。

 

 窓を突き破り催涙ガス弾が撃ち込まれた。室内に響く悲鳴、次いでガスマスクを装備した『身辺警護大隊』の精鋭部隊が窓から部屋に突入する。視界を奪われつつブラスターや火薬銃でもって健気な抵抗を行う共和主義者達は、しかしその努力にも関わらず淡々とパラライザー銃の前に倒れ、生け捕りにされていった。

 

 催涙ガスによって泣き腫らしながらもケストリッツはそれを見た。

 

 銃を乱射する同志が次の瞬間腹を殴られて糸の切れたマリオネットのように倒れる。別の同志がそれを見て銃床で殴りかかるのを腕で守り、次いで回し蹴りを頭に叩きつけ一メートル程吹き飛ばされる。喚きながら躍りかかる同志は受け流され、肘で首裏を殴られてそのままの勢いで床に突撃した。

 

 あっという間に三人の同志が無力化された。そしてその人影はゆっくりと此方を振り向く。ガスマスク越しに紅い、深紅に輝く双眸が彼を獲物を見据える肉食獣のように捕らえた。

 

「ぐっ……おのれ……おのれ……!!」

 

 怒りに震えながらケストリッツはハンドブラスターを構える。目の前の『身辺警護大隊』の隊長について、彼は然程親しかった訳ではない。

 

 官僚と軍人という所属の違いがあったし、それ以上に無口で無表情で、殆どを総督の傍に控えるだけの小娘と話す機会はなかったのだ。余りに若い風貌に少佐の階級、そして愛想さえ良ければ美貌と言える顔立ちから総督の情婦だという噂もあったというが……先程見た事実からするにそれは全くの見当違いであるらしかった。

 

 だが、そんな事は問題ではない。

 

「糞っ!!帝国の犬め!ルドルフの犬め!専制の手先が!」

 

 ケストリッツはその顔を憎悪に歪ませる。長年勤皇家と偽り自らの本性を隠して来た彼にとって、今回の蜂起は文字通り人生そのものを賭けたものだった。そして、それが今まさに道半ばで潰えようとしていた。

 

「認めん……認めんぞ!!貴様らの存在なぞ認めぬぞ!!」

 

 確かに父は公人としては清廉潔白ではなかったかも知れない。それでも上司に脅迫され協力させられただけでギロチンに掛けられる謂れはないし、貧困からスラム街に住まうしかなかった母が強盗の人質にされそのまま目の前で巻き添えで警察に銃殺されなければならない謂れもない筈だ。

 

 狭隘で、独善的で、主観的な『正義』を振りかざし、多くの人々の生命を無遠慮に、粗雑に、無造作に奪っていく帝国の支配が正しい訳がない。まして人々の自由意思を許さず、服従だけを強い、衆愚である事を求めるその在り方は人間という存在そのものを侮辱していた。

 

 更に帝国中枢部にパイプを持つ同志によればあの独裁者は近々新たな法律の制定を目指しているという。その法律が可決されれば帝国の思想と人権の統制と監視体制はこれまでとは比べ物にならないレベルに拡張するらしい。

 

 唯でさえ厚顔無恥に自己神格化を推し進め自らの正義を恥じらいもなく振りかざすあの皇帝の事だ。これ以上の権限を与えれば最早帝国に対する国内での大規模な蜂起は困難となり得るし、その弾圧の犠牲となる者がどれだけの人数に登る事か知れたものではない……!!

 

 ……それだけは阻止しなければならなかった。目先の利益のためだけに独裁者に迎合する市民の代わりに我々は自由のために戦わなければならない!!取り返しのつかない事態になる前に……!!

 

 怒りと義務感と恐怖に打ち震えながらケストリッツは自動拳銃を構える。

 

 官僚であるために銃を撃つ経験は少なく、しかも催涙ガスで視界が霞む状態だった。一発必中は期待出来ない。故に彼は殆んど恐慌状態になりながらヘルガに向けて引き金を引き、拳銃を乱射した。

 

 そして……その銃弾は銃口の前で掲げられたヘルガの掌によって止められた。

 

「流れ弾が危ないですから」

 

 そういって握りしめた弾丸を淡々と捨てると拳銃を掴み、次の瞬間には握り潰す。彼女からすれば乱射した弾が生け捕りにした他のテロリスト共に当たっては後で『尋問』出来なくなるので阻止しなければならなかった。

 

「ひっ……!?化物っ!!?」

 

 流石に拳銃を握り潰されるとは思って無かったのだろう。余りに化物染みた握力に悲鳴を上げるケストリッツ。その隙が致命的過ぎた。

 

「うっ……!?」

 

 腹部に受けた拳の一撃は彼に嘔吐させるに十分な衝撃を与えていた。床に倒れ嘔吐し、咳き込み、息切れする。余りの苦しみに意識が朦朧とする中、彼は自身を見下ろす女の両手が金属製である事に気付いた。

 

 同時に思い出す。そうだ、オーディンに勤務していた時に偶然聞いた話だ。確か数年前の事だ、エリシュオン軍管区総督をテロから守り両腕を失った兵士がいたらしい。皇帝ルドルフは古くからの忠臣の一人を身を呈して守ったその兵士を褒め称え、オーダーメイドの軍用義手を贈ったという………。

 

 相手の正体を知り、呻き声を上げるケストリッツをヘルガは能面の表情のままにその首を掴み締め上げる。

 

「あっ……がっ……!?」

 

 機械の腕が人間には不可能な握力で元官房長官の首をメリメリと絞めていく。余りの力にケストリッツは白目を剥き泡を吹き始めた。

 

 しかし彼女は……ヘルガはその能面のような顔に口元を僅かに愉悦に歪め、尚もゆっくりと腕力を強めていく。ゆっくりと、ゆっくりと苦しめながら絞め殺していく。

 

 ……当たり前だ。こいつらは裏切り者だ。逆賊だ。帝国の正義に逆らい、『主人』の命を狙った下郎共だ。

 

 ましてこいつは信頼厚く、多くの職務を委ねられていた事を彼女は知っていた。関わらずこいつはその期待を裏切ったのだ。ならばその罪に相応しい罰を与えねばなるまい。楽な殺してやるものか。可能な限り長く苦痛を味わわせなければなるまい。そうだ、長く、長く、長く………。

 

「隊長っ!お止めください!!尋問する必要が御座います!!これ以上は後遺症や障害が残る危険が……!」

「っ……!」

 

 慌てて傍らにやって来てそう静止の言葉をかける部下。ヘルガはその声に我に返るとその手を離していた。床に倒れ咳き込む元官房長官……。

 

 そしてふと気づいたように次第に催涙ガスが晴れていく室内を見渡す。

 

 既に立て籠もっていた反逆者のほぼ全員が呻き声をあげ、もがき苦しみながら床にひれ伏していた。電磁手錠により手足を縛られ引き摺られるように連行されていく。

 

「………拘束を」

 

 咳き込むケストリッツの腹を蹴りあげ気絶させたヘルガは淡々と命じる。

 

 忌々しい下手人が駆け寄って来た部下達に拘束され、連行されていく。その姿をヘルガは唯黙って、その感情を伺い知る事の出来ない双眸で見つめ続けていた……。

 

 

 

 

 

 帝国暦9年8月2日に生じ、同月24日までに完全に鎮圧された後世『ヴァンデミエール騒乱』と呼称されるこの武装蜂起は帝国政府の冷静かつ適切な対応によってその規模に比してかなり小規模な損害によって鎮圧された。

 

 一月近くに渡り帝国全土が戦闘の舞台になったにも関わらず、帝国軍及びその他治安維持機関の死傷者は二〇万七〇〇〇名、市民の犠牲者は僅か一〇〇万前後でしかない。帝国政府幹部の中では元銀河連邦地上軍元帥・銀河帝国軍外部顧問官クリィル・ターキン、銀河帝国宇宙軍帝都防衛軍司令官ベルント・フォン・ヴァルテンベルク中将、野戦機甲軍総監オットマー・シュトラハヴィッツ中将、帝国衆議院議長兼国家革新同盟総務会長ハーメン・リッペントロップ等が犠牲となったが、逆に言えばそれ以外の主要幹部、そして皇帝も無事だ。対して反帝国派の損害はその後の掃討作戦を含めて推定一八〇万を超える。

 

 主要な反帝国派はこの敗戦に文字通り戦意を喪失した。各地で帝国軍主力部隊を陽動した上で戦力が手薄となった筈の地理的・経済的・政治的中枢部だけに狙いを定め、大量の内通者を活用したこの攻勢の失敗は内外に対して帝国政府が如何に磐石であるかを知らしめた。ここ数年かけてどうにか練兵した精鋭部隊は撃滅され、重装備の大半を喪失ないし鹵獲され、その後の追撃により指導層が壊滅ないし降伏した抵抗組織も少なくない。

 

 最大の反帝国武装組織であった『銀河連邦臨時政府』及び第二の規模を有する『オリオン腕共和国予備軍』はその最後の主力部隊を喪失し、首脳陣及び残存戦力を外宇宙に撤退させた。『三色旗人民軍』は総司令部に逆撃を受けマルタン・トルトリュリエ元銀河連邦軍中将以下指導層が全滅、『黒旗軍評議会』と『ポロックス連合軍』は全面降伏を選び『自由海賊同盟』は継戦派と徹底抗戦派に分裂してしまった。そのほかの中小規模の組織も多くが壊滅か降伏か逃亡の選択を迫られている。

 

 帝国政府は同月30日、帝都オーディンの『新無憂宮』勝利広場にて高らかに戦勝式典を開催した。

 

 数年前に復旧した全銀河通信ネットワークインフラ『ライヒスネッツ』を通じ、帝国領全域にて反帝国派に対する全面勝利を宣言、全長一九五センチメートル、体重九八キロの頑健な巨体を持つ銀河皇帝ルドルフ一世は堂々たる姿でソリビジョンにその姿を現した。つい先日宮殿に潜入したソウカイヤのニンジャ達の襲撃を受け、臣民達からその生命の安否が心配されていたが……案の定、鋼鉄の巨人はその全員を素手で殴り殺して健在のようであった。

 

「この勝利は時計の針を逆回転させようとしている愚かな叛徒共に対する余と臣民の勝利である!!」

 

 ルドルフ一世はそう叫び、帝国政府の正統性を宣伝すると共にと臣民を犠牲にする武力闘争を行う叛徒の行動を糾弾、臣民に対して自身と政府を支持する姿勢に謝意を示しつつ帝国の更なる発展と安全のための政治権限移譲への理解を求めた。

 

 内務尚書兼社会秩序維持局局長エルンスト・ファルストロングは社会に混乱を齎すテロリストに対して「汚物まみれで下水道に隠れようとも全員引き摺り出してやる」と反体制派の徹底的な掃討を行う姿勢を見せ(あるいは皇帝の代わりに代弁し)、帝国警察総局局長兼帝国麻薬取締局局長ラルフ・オットー・フォン・ブラウンシュヴァイクは官僚然とした態度で臣民に対する哀悼の言葉と蜂起鎮圧に貢献した全警察官を賞賛している。

 

 特に注目を集めたのは老境の軍務尚書ハンス・ヨアヒム・フォン・シュリーター元帥がテオリア防衛戦にて活躍したフェリクス・フォン・バルトバッフェル上級大将を総司令官とした征伐軍の編成を行うと言及した事であろう。皇帝ルドルフ一世の数少ない親戚であり尚且つ比較的穏健で皇帝に意見出来る上級大将の起用は、その強い言葉とは反比例して専門家には帝国政府が此度の軍事作戦において降伏者に比較的寛容な待遇を約束する事を暗に示していた。事実、この掃討作戦では上級大将の『温情』を頼りそれ以前に比べ多数の敵兵が降伏する事になる。

 

 オーディンにおける式典の後、『ライヒスネッツ』は各地の総督……地方の式典に映し出す場所を変える。リッテンハイム伯、カストロプ公、ノウゼン侯、ローエングラム伯、カルステン公、カイト伯、ブッホ侯、エーデルフェルト伯……ルドルフ一世により戦乱に荒れる辺境に派遣され、その手腕によって広大な軍管区の総督として君臨し、そして現在は伯爵位以上の爵位と領地を授けられた大諸侯達の式典。誰もが悠々と、堂々とした出で立ちで勝利の演説を行う。それは芸術の域にまで高められ洗練された、民衆を熱狂させる扇動であった。

 

 彼らは一人の例外もなく軍事・政治・経済……あらゆる面でその道の秀才に相応しき才覚と実績を有する指導者であった。時代が違えれば恐らくは歴史に残る大国の建国者であり、神話の英雄であり、諸国に名を知られる名将、あるいは戦乱の時代に終止符を打った王朝の開祖か衰退する祖国を復活させた中興の祖として称えられていたかも知れない。

 

 文字通り全員が規格外の才人であり、だからこそ空前絶後の超新星ルドルフから信認を得る事が出来た者達である。

 

 ティルピッツ伯オズヴァルトもまたその例に漏れる事はない。彼が領内で開いた式典はそれを如実に証明していた。

 

 多数の警備兵に守られた庁舎前の広間には一〇万の領民が集まった。庁舎のテラスにて複数の重臣達が控えると共に彼らの主君たるティルピッツ伯オズヴァルトが豪勢に着飾った軍服で堂々と現れる。

 

「無知蒙昧にして烏合の衆でしかない叛徒共が幾ら徒党を組もうとも恐れるに値する物ではない!皇帝陛下の下、我々臣民が一致団結し己の役割を果たせばそれだけで勝利は我らの手の内にある!!」

 

 伯爵は要点を突いた力強い演説で帝国と皇帝を賛美し、反逆者共を糾弾する。その演説内容はノルドグレーン支局長以下の者達が何度も修正し、伯爵自身幾度も練習を重ねたものだ。

 

「讃えよ!!神聖不可侵なる銀河帝国を!讃えよ!精強なる銀河帝国軍を!最早我らの秩序を揺るがせる脅威なぞこの銀河のどこにも存在しない!!我らが臣民の守護者にして父、銀河皇帝万歳!!」

 

 天に拳を突き上げ伯爵が叫ぶと共に民衆が歓声を挙げてそれに答える。BGMに勇ましい国歌が流れるのは民衆を興奮させるためにタイミングを見計らったものであり、また民衆に潜伏したサクラ達もまた大声で帝国と領主を賛美する事で周囲を誘導する。

 

 俗に言う大衆誘導である。民衆等というものは周囲に流されるし、多くの者達と一体感を感じる事に幸福を感じる物である。

 

 此度の騒乱では叛徒共によって民衆もまた少なからずの犠牲を強いられた。それでも、領主がその急先鋒となり叛徒共を糾弾し、そこに幾つもの心理的効果を狙った小細工を加えればこの程度の扇動は手慣れたものであった。

 

 伯爵が歓声を鎮めさせた後に行われるのは追悼の儀だ。此度の騒乱で死傷した兵士や警官、文官、巻き添えとなった一万人近い市民に伯爵が沈痛な哀悼を捧げる。

 

「諸君達の中にも家族や友を失った者達が居よう。その悲しみは私も共有する所だ。私もまた右腕として長らく頼んでいたケストリッツ官房長官を初め、多くの忠君なる部下達を失った。諸君の受けた喪失の悲しみは私の共有する所である!!」

 

 伯爵の身を裂かれるような悲しげな、しかしそれに耐えようとする気丈な声と態度に民衆は重々しく黙りこむ。

 

 しかし裏事情を知る者達は冷笑したかも知れない。統治府や軍・警察犠牲者の中には実際は叛徒に通じて処理された者、拘束され現在進行系で『尋問』を受けている者達も含まれていたのだから。  

 

 帝国政府の内部に内通者がいたなどと帝国の名誉を汚すような事実はあってはならないし、民衆に事実を公表するくらいならば彼らには名誉の死を遂げて貰う方が遥かに体裁が良かったのだ。死人に口無しである。恐らく冷笑した者達の中では、全てを知る伯爵が一番自身の道化ぶりを自虐していただろう。世の中、知らない事が幸せな事もある。

 

 喜劇は戦功者達の受勲式、そして捕虜となった叛徒共の集団処刑で最高潮となる。特に新市街にてテロ活動等に従事した者達であった。処断される前に拘束された状態で民衆の前に晒され罵倒と投石を受ける。これも民衆の憎悪を駆り立てると共に大衆を纏め上げる小細工の一環だ。大衆を纏め上げるには共通の敵が最も有効である事を伯爵は知っていた。

 

 次いで法務士官がどこか芝居がかった態度で罪状を読み上げ、ギロチン台に首を押し付けられる。ギロチンによる断頭を残虐に思う民衆は少なかった。即死出来るなぞ慈悲深いとすら思っていた。ほんの十年前まで軍閥と犯罪組織が跋扈していたこの惑星の住民達はもっと恐ろしい処刑を為された者達を幾らでも見た事がある。寧ろ帝国と領主のやり方は甘いとすら思える程であった。

 

 振り落とされる幾つもの刃が反逆者達に帝国に反抗する罪に相応しい罰を与える。掲げられる首に民衆が歓声を挙げた。

 

「見よ臣民達よ!これが帝国の下す正義の鉄槌である!!我らは腐敗した連邦政府とは違う!!罪人共にはそれに相応しき罰が与えられるのだ!!帝国の権威の及ぶ限り、如何なる不正も罪も逃れ得る事は出来ない!!正義は今執行された!!」

 

 伯爵の宣言に興奮しながら大衆は応えた。多くの不正と腐敗と理不尽を強いられて来た彼らにとって銀河帝国の執行する『断罪』は平等であり、正義であるように思われた。それ故に秩序をもたらした帝国と、皇帝と、領主に素直に歓声を持って賛美出来た。

 

 心から崇めるように、そして熱病に受かれるように帝国万歳!皇帝陛下万歳!ティルピッツ伯万歳!と叫ぶ大衆……そして、そんな彼らを見下ろした当の統治者は、テラスから消えると共にその顔に険しくし、疲労の色を濃く表していた。そこには明らかに大衆に対する恐怖と侮蔑と、哀れみの感情が見てとれた。少なくともその場にいた家臣団にはそう見えた。

 

「伯……」

「問題無い。次の予定を終わらせるとしよう。……時間は有限だからな」

 

 しかしその表情を伯爵はすぐに消して普段の堂々と、軍人然とした表情を浮かべ、秘書官や補佐官のに予定を尋ねつつ統治府の廊下の奥に消えていく。まだまだ此度の式典の仕事は残っており、彼はその貼り付けた表情を崩す訳にはいかなかった。

 

「………」

 

 僅かに憂いを秘めた瞳でその大きく、しかし小さな背中を見つめた『身辺警護大隊』の隊長はしかし、一瞬だけ目を伏せ、しかし今は自らの職務を遂行するべくその後に続いた。

 

 それだけが今の彼女に出来る精一杯の献身であったから。

 

 

 

 

 

 

 丸一日に及ぶ式典はその最後に統治府内のメインホールで行われた晩餐会でフィナーレを迎えた。伯爵が主要な軍功者や官僚と共に商工組合や運輸組合、現地の地主や帝国本土からの投資家や企業家と立食式の宴会に興じる。

 

 一見煌びやかな権力者の遊興に思えるがそれは違う。寧ろ統治府の者達にとっては戦場であった。領内で生じた戦いで投資家や企業家はこれ以上の資本投下に及び腰になりかねない。商工組合や運輸組合に対しての安全の保障、地元の権力者は特に切実だ。彼らの中には帝国政府への協力で命を狙われた者もいる。

 

 帝国政府が強権的に見えるのは少なくともこの時期においては表面だけのものだ。

 

 未だ帝国の体制は磐石とは程遠い。改革は半ばであり、実を結びつつあるがふとした失敗で全てが失敗しかねない。それを支える経済界との結び付きは帝国政府首脳部の最優先の目標であった。

 

 改革の必要性を説き、地方への投資を促し、治安維持のための軍備増強の支持を取り付ける。特にティルピッツ伯爵領のような辺境においては地元有力者と中央からの融資家の双方の顔を立て、その利害を折衷しなければならない。どちらも領地復興と市民生活の安定のためには不可欠だった。

 

 それ故に統治府が財政難である事を承知してでも最高の酒と料理を振舞い彼らを持て成し、取り成し、笑みを浮かべて接待する。それはある意味苦行に近い。

 

 ……無論、『新無憂宮』で行われている祝宴に参列している者達に比べれば遥かにマシではあるのだが。

 

 日付が変わって漸く宴会が終わっても領主の仕事は終わらない。寧ろ今日一日が式典で潰れたのだ。溜まった書類の確認や決裁の作業が残っている。祝宴で飲んだワインによる酔いを酔い止めで誤魔化し、豪勢な料理による胃もたれは嘔吐剤で胃の中の物を吐き出して解決する。

 

 そして眠気覚ましの珈琲を片手に深夜から一人で執務を始めるのだ。

 

 ……統治府内の巡回を終えたヘルガは執務室の窓が仄かに明るくなっている事に気付き、その部屋の前に足を運んでいた。深夜から執務を始めている事は聞いていたが既に時刻は夜中の三時を過ぎている。本来ならばもう終わっている筈だった。

 

 彼女は執務室の前でノックと官姓名を答え入室の許可を貰おうとした。しかし二度、三度ノックしても返事はない。それ故に僅かに彼女は警戒しつつ執務室の扉を開ける。

 

 どうやら光は執務机の上の電灯によるものであったらしい。そして執務机の上には倒れ込むような人影が見えた。

 

一瞬、危機感と共に駆け寄ろうとするがそれはすぐに止めた。その人影は明らかに身体を上下させて呼吸はしていたし、その寝息には何らの危険な兆候はなかったから。

 

「伯爵様、失礼致します……」

 

 故に頭を下げつつ小さくそう申し出て、非礼を承知で彼女は執務室に倒れこむように眠る『主人』の下に足を運ぶ。

 

 眼帯を巻いた帝国軍中将は、僅かに酒精の匂いの漂う、それでいてその険しい顔立ちに似合わぬ小さな吐息を立てていた。すぐ手元には飲みかけのワインボトルがあった。そのほか、机の上にあるのは無数の書類の山であり、薬品の瓶で……。

 

「………」

 

 そっと手に取った薬瓶のラベルを見やり、ヘルガは無表情なその顔を僅かに悲痛そうに歪めた。

 

 向精神薬に抗鬱剤、睡眠導入剤に胃腸薬、精神安定剤………それらのラベルを読み上げるだけで目の前で睡眠を取る人物がどのような精神状態であるのかが理解出来よう。しかもこれ等の薬瓶だけでは耐えきれなかったのを手元のワインボトルの存在が示していた。

 

 指導者は孤高であり孤独だ。領民や部下の生命と生活の安定の責任を一人でその肩に背負う。迷う姿も悩む姿も見せられないし、無責任に、思考を止める事も出来ない。誰もが指導者に付いていくのだから。

 

 ましてやそれだけの責任を常時背負い、生命を狙われ続けるのだ。いつ殺されるか分からない恐怖……常人には到底耐えられるものではないし、仮に英雄と呼ぶに相応しい者達にも限界はある。

 

「伯爵様……」

 

 殆んど表情を変える事なく、しかし僅かに暗い面持ちで彼女は自らの『主人』の傍らに寄り添い、羽織っていた官給コートをかける。今夜は少し冷える。身体を壊しては大変だ。このままそっと隣の部屋のベッドに運ぼう。だがその前に……。

 

 ヘルガは特に意味もなく『主人』のその寝顔を無表情で見つめる。その感情を伺い知る事の出来ない紅玉色の瞳はひたすら目の前の男を映し続ける。

 

 彼女にとってそれは至福の時間だった。それだけで満足な筈だった。……故にそれに気付いてしまったのは彼女にとっては不幸だった。

 

 ヘルガは、『主人の』右手薬指に目が向いた。白金製のシンプルで品のある指輪が窓の星明かりを反射して光ったのに気づいてしまったのだ。

 

 そして、それから咄嗟に視線を反らそうとすれば執務机に置かれた写真立てを不運にも見つけてしまった。いや、それは必然であっただろう。彼女の記憶が正しければそれは普段は誰にも見られないように机の引き出しの中にあった筈だから。

 

 写真には此方を見つめる女性と子供の姿があった。女性は三十代前半だろうか?鋭い目つきをした気の強そうで堂々とした表情を浮かべる美女で、令嬢と呼ぶに相応しい姿だった。いや、実際令嬢なのだ。話によれば遠縁の資産家の娘で、小さい頃から兄妹同然の仲であったという。

 

 その膝に座り無邪気な笑顔を浮かべるのは十歳にもなってなかろう子供だ。きっと『主人』と写真の女性を足して割ればこんな顔立ちになるのだろう、そう思わされる可愛らしい少年の姿だった。

 

「…………」

 

『主人』がもう何年も家族と、妻子と会っていない事は彼女も知っていた。危険な職場である。総督の家族と言うだけで幾らでも命が脅かされる可能性があった。それ故に家族を守るために安全なオーディンに置いて来たという話を彼女は聞いている。

 

 そして精神的に困憊した際、家族に恋い焦がれる心理を彼女も理解出来た。『主人』が愛妻家であり、子供好きである事も知っていた。

 

 ……そう言えば一度だけオーディンの邸宅まで警護のために訪れた事があった事を思い出す。その時の姿を彼女は忘れる事はないだろう。『主人』のあの穏やかで安らかな表情を浮かべている顔を。

 

 ……彼女があの時以外見たことのない、彼女に絶対に向ける事のない愛しげな表情を。

 

「ぎっ………」

 

 何の理由も無しに彼女は歯を食い縛り、その表情を険しく歪めていた。鋭い、剣呑な視線を写真立てに向けている事に気付きその事実に困惑しながら視線を反らす。彼女は殆んど本能的にこれ以上この事に触れるべきでない事も、そのような感情を向ける資格なぞ一切ない事も理解していたから。

 

 だから自身の感情を誤魔化すように『主人』をベッドまで運ぶために再度呼び掛けを行おうとする。

 

「………伯爵様」

 

 可能な限り無色に、無味に、感情を込めずに彼女は『主人』を小さく呼んだ。その積もりだった。

 

 ……自分でも驚くような敬愛するように、愛しげに、寂しげに、そして甘えるような声が室内に反響していた。ヘルガは自身の失態に気付き、その呼び掛けに答えられる事に恐怖した。

 

「………」

 

 彼女の呼び掛けに答える者はいない。その事はとても幸運だった。きっとあのような声を聞かれる事で一番後悔するのは自分だったから。蔑まれるような視線を向けられただろうから。

 

 ……分かっている。自分のような汚れた存在がその感情を向けるに相応しくない。家柄も、立場も、経歴も、何もかもが釣り合わな過ぎる。

 

 だから自分はこのままで良い。今の関係で良い。武器ならば幾ら汚れてようが何らの問題もない。武器としてならば彼女の存在価値は十分にあり、何も可笑しくなく……傍に居続けられる。

 

 だからそれで良い、良い筈なのだ。そう自身を無理矢理納得させようとして何度か小さく深呼吸を行う。一瞬それは半ば成功を収めたように思えた。しかし……。

 

「………」

 

 脳裏に、小さい頃焼き付いたあの表情が蘇ると塞き止められていた感情の奔流は容易に理性を決壊させた。今一度写真立てに視線が向く。その時にはヘルガの表情は普段の怜悧で能面のようなそれとは完全に別物だった。

 

 そこにいたのは嫉妬と憎悪と、羨望と憧憬の複雑に入り交じる一人の女の姿だった。

 

 殆んど身体が勝手に動いていた。激情に駆られて次の瞬間には写真立てに掴み掛かっていた。そしてそのまま忌々しげに腕を振りかぶって写真立てを床に……。

 

「うんっ……」

 

 僅かに呻いた『主人』の、次の瞬間小さく呟いた寝言に、名前に、彼女の激情は寸前に押し留められた。

 

 ……最も不本意な形で。

 

「………伯爵様、ここで寝ては風邪を引かれます。寝室までお運び致します」

 

 闇夜の中その身体を小刻みに震わせる人影。そして小さく、小さく、何度も、何度も深呼吸を繰り返した後、そこにいたのはいつもと全く変わらない能面顔の従卒だった。これまでで最も感情の籠らない呼び掛けを行うと返答も待たずに炭素セラミック製の義手で『主人』を支える。

 

「うん……あぁ、お前か………まだ…仕事が………」

「然程量は御座いません。明日早くに処理すれば宜しいかと。今行っても効率は宜しくありません」

「そう……か………ああ、分かった………済まないが……寝室まで誘導してくれ……この足では……少し難しい」

「承知致しました」

 

 混濁した意識で『主人』が頼み込むのを恭しく、内心では歓喜に打ち震えながら承諾する。少なくとも『今』はまだ頼られるだけで、求められるだけで、必要とされるだけで彼女は幸福であり、満足だった。

 

 ゆっくりと魘される『主人』の肩を支えてヘルガは執務室を離れていく。

 

「………」

 

 ………特に意味もなく彼女は執務机の上を一瞥した。そして点けっぱなしの電灯を消すと、僅かに逡巡した後に写真立てを倒していた。そしてそのまま彼女は黙々と自身の役割に集中する。

 

 その瞳からは何らの感情も伺い知る事は出来なかった。

 

 

 

 

 ……国内治安体制の改善及び社会保障制度改革のために帝国政府が『劣悪遺伝子排除法』を公布するのは凡そこの三ヶ月後の事である。



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第一一章 中立国での任務なら生命の危険はないと思ったか?
第百四十六話 初っぱなから回収してみる事にしたって話


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自治領主(ランデスヘル)、14時30分より同盟通商商工組合のハオ副会頭との面会が控えております。そろそろ移動するべきかと」

 

 自治領主府の執務室、その机の前に立った浅黒い肌に禿頭の自治領主補佐官は、小さく頭を下げつつ慇懃に報告した。その声は発せられた言葉に比べてどこか粘り気があり、聴く者に謎の警戒感を与える性質があるように思われた。

 

「やれやれ。奴らめ、我々が海賊共の裏にいるとでも思っているのかね?下衆の勘繰りも良い所だな」

 

 補佐官の連絡に、正面に座る老人は鼻で笑うようにそう言い捨てる。海賊共にしてやられるのは自分達の危機管理体制が未熟なだけであろうに。

 

「正面戦力拡充のために随分と航路巡視隊を削ったようですからな」

「そこに帝国軍の残党の流入か。国境も随分荒れたからな、治安も悪くなろうて」

「我らがフェザーンの主要警備会社がこれを機に同盟国内の治安維持サービスのシェアを高めたいと具申しております。つきましては自治領主府からも同盟政府に働きかけを願いたいとも」

「……ふん、成る程な、我々ではなく警備会社の方の策謀か」

 

 タイミングの良い国内警備会社の申し出に自治領主は冷笑を浮かべる。守銭奴たるフェザーン人にとってマッチポンプなぞいつもの事だ。そして、各企業や独立商人共が好き勝手やった後にその責任を自治領主府に押し付ける事もまた珍しくない。

 

 ビジネスは信頼、という言葉があるが、フェザーンにおいてはそれと同じ位には他者を陥れる狡猾さもまた大事であった。ようはバレなければ、あるいは証拠さえなければ握手しつつテーブルの下で相手の靴を足ごと踏み潰そうが一切問題はないのだ。

 

「奴らに言っておけ。火遊びし過ぎるなよ、とな」

 

 やれやれ、と老人は執務室の椅子から立ち上がると、ベランダから一望出来るメガロポリスを一瞥する。天空まで聳え立つ透明な高層ビルの連なり……自治領のセントラル・シティは銀河において最も人口過密なエリアであり、今視界に映っている都市部だけでも軽く一〇〇万を超える市民が経済活動に従事している事だろう。

 

「……さて、その後の予定は何だったかな?」

 

 老人は執務室を出てレッドカーペットの敷かれた廊下を歩きつつ尋ねる。

 

「15時15分から帝国穀物公社のシュヴェンクフェルト総裁との投資計画についての意見交換会が控えております。その後17時よりスターリング財閥のジョンストン氏との会食が予定されております」

「意見交換会……?ああ、あれか。氷の塊を農業用水にして輸出用作物のプランテーションを作ろうとか言う……」

「我々としても安価に食糧を外縁部に密輸出来るわけですか。成功すれば」

 

 どこかあげつらうような表情を浮かべる補佐官。

 

「含む言い方だな?」

「私としても採算が合うのか試算してみたのですが……現状のままでは収益を上げるのは簡単ではないかと」

「そんな事、百も承知よ。それをどう採算に合う事業にするかが我々フェザーン人の知恵の見せ所だ。利益は掠めとるものではなく自ら作り出すものだ。それがビジネスというものよ」

 

 若造を指導するように老人は注意する。この補佐官の知謀自体は彼も決して過小評価していなかった。寧ろかなり高く評価している程だ。

 

 しかし、同時にこの男の知恵は創造的というよりも寧ろ破壊的に思えるのも事実だった。謀略家としては超がつく程に一流でも、政務を行い祖国を発展させる指導者としては二流と言わざるを得ない。

 

 老人からすればその覇気と共に気性も抑えられたならば次の次の自治領主に相応しいと考えているのだが………。

 

「……ビジネスと言いますと、そう言えば同盟政府より融資の話が来ておりますな」

 

 補佐官は上司の僅かな感情の機敏を察したのか態とらしく話題を変える。しかし老人はそれを咎める事はない。その話題はその話題で極めて重要なものであったから。

 

「……使節団が此方に向かっている筈だったな?」

「日程通りであれば今頃ランテマリオ星系近辺かと。到着は10月半ば頃になりましょう。……お請けになられるので?」

「私としてはそうしたい所だがね」

「僭越ながら、近年の自治領主はあからさまに同盟を贔屓し過ぎに見えますが。帝国は当然として不必要な接近は元老院、それに『教団』からも疑念の視線が向けられ始めております。そろそろ方針転換を行うべきでは?」

「ふん、馬鹿馬鹿しい」

 

 補佐官の意見を、しかし自治領主は冷淡に切り捨てる。

 

「奴らは所詮井の中の蛙よ。フェザーンが上手く帝国と同盟を転がせていると本気で勘違いしておる」

 

 自治領主府の正面フロントを出る老人。そこには既に自治領主専用の防弾仕様の高級地上車があり、その前後をフェザーン警備隊所属の装輪装甲車が護衛している。周囲には黒服を着こんだシークレットサービスが警備に就いている。

 

「所詮我らフェザーンは帝国と同盟に挟まれた一惑星に過ぎん。我らの策謀だけでは勢力均衡の維持は困難だ。我らは利用価値があるから存続を許されているに過ぎん。………そして戦争が帝国の勝利に終わるのだけは何としても避けなければならん」

 

 そこに強い意思すら込めて老人は断言する。どんな形であれ、フェザーンがこの二大超大国同士の戦争の後も生き残るには、同盟が勝利する以外の道はないと彼は信じていた。

 

「『奴ら』に言っておけ。自治領主府はフェザーンのために最良の選択を取り続けていると。安全地帯で無責任に命令する貴様らの指図を受ける必要はないとな」

 

 第四代フェザー自治領自治領主ゲオルキー・パプロヴィッチ・ワレンコフは宣戦布告とも取れる言葉を口にする。それは老人がフェザーン自治領成立の最初期の市民を先祖に持つ生粋のフェザーン民族主義者である事を改めて証明する行動であった。

 

「……承知致しました、自治領主」

「うむ、元老院の方は私が調整しよう。君は使節団の歓待計画でも作成しておいてくれたまえ」

 

 老人は補佐官にそう命じた後、地上車に乗り込んだ。地上車は間を置かずに同盟通商商工組合幹部との会談を予定している『ホテル・バルトアンデルス』に向けて発車する。

 

 自治領主補佐官はそんな自治領主に頭を下げながら見送りする。

 

「やれやれ……老いましたな、自治領主殿も」

 

 地上車が去ると共に小さく自治領主補佐官は呟く。昔はもう少し慎重な人物であったのだが……どうやらもう歳らしい。明らかに焦っているのが彼には分かった。

 

 補佐官は踵を返して自治領主府へと戻る。同時にその脳内では今後に生じるであろう出来事をシミュレートし始める。

 

(帝国と教団と、同時に事を構えるか……十年前ならば兎も角、今の自治領主では到底無理だな。さて、問題はどのタイミングで消えるかだが……)

 

 若い頃からその才気を買われ、自治領主府幹部とするべくワレンコフ直々に手塩にかけて指導された男は、しかしフェザーン人らしくその事に恩義を感じる事もなく、その恩人がこの世から消えた後の状況にどれだけの利益を得ることが出来るかを計算していた。

 

 ……いや、仮にワレンコフにかつての如く覇気と才気が満ちていれば、この男もその感度の低い忠誠心を少しは刺激されたかも知れない。

 

 だが、今の自治領主では駄目だ。少なくとも今の小手先の手段ばかり上手いあの老い耄れでは全力で襲い来る『教団』や帝国の暗部には到底太刀打ち出来まい。それと心中する程彼はロマンチストではない。

 

 それ故に補佐官は考える。自治領主亡き後、どうするべきかを。

 

「決まっている。男たる者、生まれたからには野望に生きねばな?」

 

 ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべたフェザーン自治領主補佐官アドリアン・ルビンスキーは懐の携帯端末を取り出してダイヤルを合わせる。電話の相手は彼の情婦であり、野望の協力者である。

 

 黒狐は周囲に聞き耳を立てる者が居ないことを念入りに確認した後、携帯端末の向こう側の人物に指示を出し始めた……。

 

 

 

 

 

「此方第一九〇八哨戒隊、定時報告異常無し。引き続き哨戒任務に当たる」

 

 ランテマリオ星系第六惑星近辺宙域を哨戒中の第19星間航路巡視隊所属第一九〇八哨戒隊旗艦巡航艦『キプロス8号』のオペレーターは、第19星間航路巡視隊司令部にそう電文を送った。

 

 宇宙暦790年9月3日、第一九〇八哨戒隊所属の巡航艦三隻、駆逐艦一二隻は交易航路を襲撃する宇宙海賊対策のために定例哨戒を実施中であった。

 

 星間航路巡視隊は一般市民にとって星系警備隊と同様最も身近に存在する同盟軍実戦部隊である。対帝国戦を主任務とする正規艦隊、番号付き地上軍と違い、星間巡視隊は文字通り宇宙海賊等に対する航路の警備に民間船舶の警護、事故や宇宙災害に対する救難活動を主任務としている。

 

 即ち、星間物流の守護者である。星間国家にとって物流網は社会経済の根幹に他ならない。その任務は市民生活と密接であり、故に一般市民にとっては第一線部隊よりも遥かに親しみがある部隊とも言える。

 

「索敵班、どうだ?小判鮫達はついて来てるか?」

「ええ、ばっちりです。がめつい事ですよ」

 

 艦長の確認に艦橋のオペレーターは呆れ気味に答える。

 

 同盟軍の定例哨戒は一般にも公表されており、そのためこの機に無料で護衛してもらおうと時間を合わせて航行する民間船も少なくない。実際第一九〇八哨戒隊の索敵レーダーは十隻以上の民間船舶を確認していた。

 

「たく、警備会社の護衛を雇えばいいのにケチな奴らだな」

「そう言うなよ、去年の作戦で随分とジャガイモ野郎共が散らばったからな。警備会社よりも軍に護衛してもらった方が安全なんだろうよ」

 

 昨年の『レコンキスタ』により同盟軍は占領地域の大半を奪還したが、帝国軍の残党は宇宙海賊や反同盟勢力に装備ごと合流し星間航路におけるゲリラ活動を継続している。そのあおりを受け保険料や警備会社の護衛費は鰻登りで、大手運送会社は兎も角、船を一隻失うだけでも破産しかねないような中小個人事業主からすればその負担は非常に重荷となっている。ならば多少運送効率が悪くなっても同盟軍の哨戒にただ乗りした方が良いという訳だ。

 

「いやいや、同盟船舶ならまだ良いが……何でフェザーンの奴らまでついて来てるんだよ。あいつら税金払ってねぇだろうが」

「守銭奴らしいじゃねぇか。普段俺ら同盟人を笑っていて厚顔無恥に頼るなんてよ。いざ目の前に海賊共が出れば嫌でも戦うしかないからな、商魂逞しい事だ。まぁ、『パレード』が終わるまでの我慢だ。諦めようぜ」

 

 オペレーター達は紙コップの珈琲を飲みながら雑談を交わす。腑抜けているようにも見えるが、そもそも宇宙海賊なぞ武装民間船、良くて大型戦闘艇や駆逐艦程度の武装が関の山だ。電子戦能力に至っては軍用艦艇とは勝負にならない。数もそんなに多く無かろう、先手を打たれるなぞ滅多にないし、打たれたとしても後手でも対処出来る。帝国軍の残党が合流したり武器の援助もあるため油断は出来ないが……それでも四六時中張り詰める程の事ではない。

 

 それに既に大規模辺境正常化作戦『パレード』が始まり各地で大部隊が宇宙海賊掃討を行い始めていた。

 

「哨戒の頻度は三倍、哨戒担当部隊は二倍になったからな。しかも新型が漸く此方にも来た。そこに手当てもついたのだから言うこと無しだな」

 

『キプロス8号』の艦長は顎を擦りながら機嫌良さそうにする。その視界はスクリーンが捕捉している友軍の単座式戦闘艇に向かっていた。グラディエーターと共に真空の宇宙を駆けながら周辺警戒を行うのは真新しいスパルタニアンだ。巡視隊は警備隊程でないにしろ全体として旧式装備が多い。『キプロス8号』に配備されたスパルタニアンは第一九〇八哨戒隊に初めて配備された物である。

 

 哨戒頻度が増えれば航海手当が入る。大軍が展開すれば自分達の任務の危険度は下がる。そこに新装備が加われば巡視隊からすれば言う事無しだ。

 

 緊張感のない空気が艦内を満たす。それを打ち破ったのは管制官の言葉であった。

 

「っ……!重力場の異常確認!空間座標は……3-7-6!!」

「ワープかっ!!航路局からの交通予定記録はっ!!?」

 

 同盟領域内の主要航路を航海する民間船舶は同盟航路局の管轄下にある。出航時に航行ルートと立ち寄り先、到着予定日時等を事前提出し、定期的に連絡を行う事になっている。即ち、その記録にない艦艇は民間船舶ではない、つまりは宇宙海賊のそれである可能性が高い訳だ。

 

「航路局に問い合わせ中!!民間船舶に同時刻に本宙域にワープアウト予定の艦艇無し!!」

「全艦、第一級戦闘準備!!」

 

 オペレーターからの報告に艦長は先程とは打って変わって険しい剣幕で叫ぶ。艦橋の兵士達もその表情を強張らせて艦を第二級警戒態勢から第一級戦闘態勢へと移す。艦の自動航行システムを切り、各レーダーと通信機材、エネルギー中和磁場の出力は最大とする。電子戦の準備を行うと共に艦首の砲門が開き射撃管制装置が起動する。それらを瞬く間にこなして行く姿は彼らが確かに高度な訓練を受けた軍人である事を物語っていた。

 

 光学カメラが漆黒の空間の一角に捩れを確認する。CGで補正された映像が巡航艦のスクリーンに映りこんだ。宇宙艦艇によるワープアウトの際に生まれる空間の乱れである。

 

「主砲、照準合わせっ!!」

「航路局より入電!戦闘態勢を解いて下さい!」

 

 緊張しながら艦長が命じると同時に通信士が慌てて叫ぶ。艦長がその言に殆んど反射的に反応し、急いで各艦艇に主砲の照準を止めるよう通達した。

 

「同盟航路局第19星間航路支局より入電です。現宙域にワープアウト予定の船団はレベル5級機密予定船舶であるとの事です。船団との通信はせず、周辺民間船舶に対して箝口令の発令を行うようにとの事」

「レベル5だと?これはまた珍しいな」

 

 航路局の船舶航行予定記録はレベル1からレベル7まで大別される。一般市民の所有するクルーザーならレベル1、大手運送会社が戦略的鉱物資源を満載する運送船団ならばレベル4、最高評議会議長の乗船する政府専用クルーザーならレベル7となりその航行予定が機密とされる。とは言え一般的にはレベル4より高い機密を課せられる船舶と鉢合わせするなぞ滅多にない事だ。それ故に艦長以下の乗員達は純粋な興味からワープアウトしてくる艦艇に注目していた。 

 

 レーダーはまず複数の小型艦艇のワープアウトを確認した。敵味方識別信号が発動し、姿を現したのが同盟宇宙軍の駆逐艦である事を証明する。次いで巡航艦、そして戦艦。

 

「うおっ!?空母までとはたまげたなぁ」 

 

 一隻だけとは言え、全長一キロに及ぶラザルス級宇宙空母がワープアウトした時には艦橋の兵士達が驚愕した。艦の下方に百機余りのスパルタニアンを満載したその姿は圧巻であるし、その航空戦力を含めた火力は運用次第では一個戦艦群を瞬く間に撃滅するだけの潜在力を有していた。

 

 総数にして三〇隻近い護衛、この辺りの航路が最近治安悪化しているとは言えここまで重装備の護衛部隊はそうそう御目にかかる事は出来まい。

 

「贅沢な事だなぁ」 

「最後の艦船がワープアウトする模様です。敵味方識別信号に反応、同盟政府国防委員会所属、公用クルーザー『メイフラワー』!」

「国防委員会所属か……」

 

 オペレーターの報告に艦長が呟く。艦橋スクリーンにはワープアウトを終えた全長四〇〇メートル程のクルーザーの姿が映っていた。

 

「あの方向から見ると……フェザーンが目的地か?」

「豪華な船だなぁ、きっと飯も旨いんだろうな」

「こちとら仕事で忙しいのにあんなに護衛を連れてフェザーンか。羨ましい限りだねぇ」

 

 艦橋の兵士達が愚痴半分にぼやく。同盟議員が適当な理由で接待尽くしの『フェザーン詣で』に向かうのは良くある事だ。とは言え、前線で激戦が続き後方では宇宙海賊との暗闘が続く中、悠々とそれをやられると兵士達も思うところがある。

 

「お前達、口より手を動かせ!ほらほら周辺警戒を怠るな!近隣船舶に回線繋げ!離れるなとな!商人共、あっちの方が護衛が豪勢だからって浮気しようとしているぞ!砲門向けてでも阿婆擦れ共を連れ戻せ!」

 

 艦長がそんな部下達に叱責すれば彼らも我に返り仕事に戻る。その姿に溜め息を吐き、艦長はベレー帽を脱いで頭を掻くと改めてスクリーンを見つめる。

 

「やれやれ、仕事が増えそうだなぁ」

 

 第一九〇八哨戒隊司令官兼『キプロス8号』艦長クリント・ザーニアル中佐は厄介事を持ち込んでくれた公用クルーザーを一瞥すると胡乱気に指揮官としての仕事……民間船舶からの苦情対処に取り掛かる事にしたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 所謂『長征一万光年』と称される大航海に参加したのは当時のアルタイル星系第七惑星東大陸ノイエ・パーペンブルク第二級強制収容所(コンツェントラツィオンス・ラーガー)にて鉱物資源の採掘・精錬・加工労働に従事していた三九万一〇二八人の奴隷と同じくアルタイル第七惑星の山岳部や地下に隠れ住んでいた流浪民一万三二九人の合計四〇万一三五七人であると言われている。

 

 実の所、この脱出計画は『建国神話』で語られている内容とは若干違う。ある意味で現実はより詰まらないものであり、またある意味では神話以上に運命的なものでもあった。

 

 まず脱出計画が三ヶ月で計画された事自体が大嘘だ。当然ながら僅か三ヶ月で社会秩序維持局の監視の目を逃れて四〇万人と協力し、船体をドライアイスで代用するにしても宇宙船を作り出すのも、航海中の物資を貯蔵するのも不可能だ。

 

 実の所、宇宙船の建造自体はもっと昔から行われていた。それを行っていたのが『建国神話』にて抹殺された流浪民達である。

 

 連邦末期から帝政初期にかけてルドルフの強権政治を嫌い辺境にて作られた独自の閉鎖的コミュニティ、そこに逃亡奴隷達が加わって形成されたのが流浪民達だ。

 

 帝政初期の時点で十数億人が存在し、その後過酷な生活環境や疫病、宇宙海賊やマフィアの人狩りやそれに伴う帝国政府への帰順により現在は帝国国内に数千万程しか残存していないと見られる彼ら。当時のアルタイル星系第七惑星にも数万人が居住していたとされるが、建国神話ではハイネセンの神性を補強するためか余り触れられる事はない。

 

 彼らと帝国政府は基本的に互いに関知しない間柄ではあったが、現場レベルでは時として帝国政府が彼らを雑務や奴隷の監視役に雇い入れたり、あるいは廃棄された機械等のスクラップを売却する等の関わりも有しており、ノイエ・パーペンブルク第二級強制収容所もまた人手不足な辺境の強制収容所という事もありその例から外れる事は無かった。

 

 イオン・ファゼカス号内部の機械類の殆んどは彼らが一世紀余りかけて組み立てて来た宇宙船が基である。極寒の惑星からの脱出のために買い取っていた機械類を分解して流用、あるいは一部の部品は工作機械を使って自作し、密かに移民船を組み立てていたのだ。無論、最も多くの金属を使う必要のある船体材料の量が足りず、また技術者の絶対数が不足しており彼らの計画も長らく中断されていたのだが。

 

 祖父は社会秩序維持局の職員として共和主義者や不満分子の弾圧に精励して帝国騎士に列せられた新興貴族であり、父は男女関係の縺れから門閥貴族の息子を殺害し処刑、その罪の連座より生まれてすぐに奴隷に落とされた青年アーレ・ハイネセンは祖父の躾により宮廷貴族語や礼儀作法を身につけ、その一方でカスパー一世短命帝崩御……当時は退位して行方を晦ましたなぞ発表されていなかった……の混乱に乗じて勃発した『シリウスの反乱』参加の咎で奴隷階級に落とされた長老グエン・ウォン・ファンから極めて正確な民主主義の思想と精神を学んだ。

 

 また、その出自から比較的看守達の監視が緩かった(奴隷達の間で待遇に差をつけて結束を阻害するという帝国の奴隷政策も原因ではある)彼は、子供の頃に偶然怪我をして遭難していた流浪民を助け出した事を切っ掛けに彼らのコミュニティと交友を深めた。その一方で奴隷仲間達にはそのコネを使い医薬品等を無償で分け与え、また類い稀なリーダーシップを発揮して幅広い同胞からの信頼を得ていたとされる。

 

 そして偶然流浪民達の建造する宇宙船の秘密を知ったハイネセンは、数日前に一人の少年が遊んでいた氷の船を思い出しドライアイスを船体に活用する事を思い付いた。

 

 流浪民の棟梁ルキウス・ジョアン・パトリシオや幼馴染みでもあるその一人娘エミリアを説得しハイネセンは以前から胸の中に抱いていた計画を実行に移す。

 

 この頃、若くして奴隷達の自治会幹部となっていたハイネセンは親友たるグエン・キム・ホア、あるいはザカリー・エドワーズ、アンソン・アッシュビーと言った自治会の長老格に宇宙船による流刑地脱出計画を密かに持ちかけた。ハイネセンは異常なまでの熱心さで自治会を説き伏せ、遂に自治会は奴隷の技術者や工員を事故死に偽装をして流浪民達の宇宙船建造に協力させる事を決断する。同時に密かに航海に必要な物資も集めていく。

 

 しかし宇宙船の完成率八割の所に来て遂に社会秩序維持局に計画の尻尾を捕まれかける事になった。奴隷共の計画を知るべく幾人かの同志が社会秩序維持局の拷問官に『尋問』される事になる。

 

 ……計画が露見すれば全ては終わる。自治会内で今後の対応について紛糾する中、拷問にかけられる同胞が自白する事を恐れた脱出計画参加者達の内の過激派が動いた。

 

 武装……その殆どはスコップとニードルガンだった……した奴隷達は看守として雇われていた流浪民達の協力を得て監獄を襲撃し、通信機材を破壊して外部との連絡を断った。この襲撃に参加した奴隷達は四万を超えるとされている。

 

 千人余りしかいなかった看守達はその殆どが就寝中であったため皆殺しの憂き目にあった。生存者は僅かに十数名、その中には後の帝国内務尚書として共和主義者の大弾圧を行うクリスティアン・フォン・オーテンロッゼ公世子、その腹心であり第二八代社会秩序維持局局長となるフーベルト・ルッツの名も存在する。また一部の看守達は激しく抵抗し、奴隷達にもまた三〇〇〇名以上の死者が出た事も記録されている。その中には自治会自警団団長アイザック・ラップの弟でありアーレ・ハイネセンの親友の一人だったカーチス、イオン・ファゼカス号の船体となるドライアイスの山脈を刳り貫く掘削工事総監督責任者であったアンガス・アラルコンが含まれている。

 

 激しい戦いの末、奴隷達は拷問に掛けられた同志の解放に成功、そして過激派の暴挙によって最早後に引けなくなった彼らは他の流刑地の看守達や帝国軍が察知する前に闇夜に紛れて未完成の宇宙船に乗り込んで、文字通り殆んどヤケクソ気味になりながらイオン・ファゼカス号を宇宙へと打ち上げた。

 

 当時の技術者の記録では二割の確率で途中で推進材が切れて山岳部に墜落、一割の確率で打ち上げ途中で船体が衝撃で爆発四散すると計算していたという。宇宙船打ち上げ最中の船内管制室の通信記録は罵声と悲鳴の嵐だった。グエン・キム・ホアに至っては成層圏近くで船体の一部(全長数キロ)がボロッと乾燥したクッキーの如く罅割れて落ちた際に絶望の余り気絶し、失禁した事が記録されている(同時にエミリア・ジョアン・パトリシオは「こんな酷いアンモニア臭のする室内で死にたくない!」とガン泣きした)。

 

 このように文字通りイオン・ファゼカス号の打ち上げはかなり成功率が低い一世一代の賭けであったが……少なくとも彼らは『打ち上げ』の賭けには勝利した。

 

 だが幸運は続かない。イオン・ファゼカス号は成層圏突破と共に偶然衛星軌道を哨戒していた帝国軍と鉢合わせしてしまう。

 

 幸いな事に事前に何も知らされなかったために、いきなり目の前で打ち上げられた巨大なドライアイスの塊に帝国軍は相当混乱したとされている。逃亡者達はその隙を突いてイオン・ファゼカス号を急いでワープさせる。

 

 エンジンに向けて混乱しつつも乱射された帝国軍の砲撃が命中する直前、ギリギリに一度だけワープは成功、しかし元々安全性に不安のある未完成エンジンである。ワープアウトして通常空間に出ると共にエンジンはド派手に吹き飛んだ。

 

 その後ボロボロの宇宙船でどうにか帝国外縁部の無名の惑星の地下に隠れた逃亡者達、彼らはそこで資源を回収し、あるいは偶然通りがかった宇宙海賊達と取引、あるいは襲撃により機材と人員を(強制的に)調達、最終的に八十隻の恒星間移民船を建造し帝国の支配の及ばない宙域への半世紀に渡る大航海を開始した。

 

 後は歴史書に記された通りだ。危険なイゼルローン回廊を抜ける途中の事故でアーレ・ハイネセンを失い、求心力を失った船団は幾つかに分裂した。グエン・キム・ホアの率いる最大派閥の船団は宇宙海賊や旧銀河連邦植民地との幾度かの小競り合いの果てにバーラト星系惑星ハイネセンを見いだして入植、そして各地に散らばる同胞を纏め上げ星間連合国家『自由惑星同盟』が建国される事になる。

 

「しかし一般に流布されている『建国神話』ではハイネセンの出自はおろか、流浪民の存在も、宇宙船建造の経緯も、脱出計画を主導した当時の自治会の代表達の功績も、大航海中の内部対立とそれを遠因とするハイネセンの事故死、それによる醜い船団分裂すら殆んど触れられない有り様だ」

 

 政府所有の公用クルーザーの晩餐室にて、円卓を挟んで向かい合うヨブ・トリューニヒト国防委員は実に興味深そうな表情で自由惑星同盟の始まりの『神話』について語った。その手元には長征の民が航海中に愛飲したとされる合成アルコールに香料を突っ込んで作り出した代用赤葡萄酒こと、アライアンス・ワインが注がれたワイングラスが掲げられている。

 

 宇宙暦790年9月3日に行われた船内晩餐会は正直私にとっては愉快なものではなかった。

 

 理由は四点もあった。一つ目は私の右耳はまだ再生治療の途中で包帯巻きの上、義手が急ぎのためアーム型の安物であり見栄えも手の動作も余り宜しくなかった事。二つ目はワープアウトにより(公用クルーザーのためかなりマシではあったが)軽いワープ酔いにかかっていた事、三つ目はそんなコンディションで食事メニューがアライアンスであった事である。

 

 そして、最後の項目にして最大の理由が食事を共にする出席者達の面子のせいであった。

 

「さて、ではどうしてこのような史実と異なる『建国神話』が成立したか分かるかな?」

 

 私の内心のストレスを知ってか知らずか、トリューニヒト議員は含むような笑みを浮かべ私に質問した。

 

 私は暫しトリューニヒト議員の表情からその質問の真意を汲み取ろうとする。だが目の前の食えない政治家の俳優のような甘い微笑みからその意図を察するのは非常に困難だった。故に、私は客観的かつ現実的な『模範解答』を答える。

 

「過去の偉業が単純化されたり、あるいは誇張して伝わるのは歴史的に見ても良くある事ではありますが……それ以上に考えられるのはそれが都合が良かったのではないでしょうか?」

「ほぅ?」

 

 楽しげに此方を見つめる議員殿であるがそれは本音ではなかろう。寧ろ内心で私の答えを在り来たりなものと感じていた筈だ。

 

「同盟の歴史は分裂と内戦の危機の歴史です。仰る通り、長征時代には流浪民と奴隷の対立、そして帝国による奴隷間の待遇差からの相互不信がありました」

 

 それを辛うじて指導力で纏めていたのがアーレ・ハイネセンであるが、その彼が失われれば船団の分裂は必定であっただろう。

 

「自由惑星同盟建国時もその対立は続きました。バーラトの中央政府と途中分離して諸惑星に入植した同胞との感情的な、そして政治経済的な対立がどれだけ激しかったかは専門書籍を見れば一目瞭然でしょう」

 

 無論、今時その専門書籍を態態読み込む同盟市民はそう多くないだろうが。なんせ、二五〇年以上前の出来事だ。前世で言えば江戸中期の出来事について態態調べるようなものだろう。同盟の政府指定教科書の大半がこの時代についてかなり簡潔にかつ暈して記述しているのは神話程に市民が団結せず、寧ろ利権や政策を巡り激しく対立しあっていたからだ。

 

「『建国神話』が成立したのは拡大期でしたね?高度経済成長が続いた黄金時代と説明されてはおりますが、当然ながら拡大が万人に利益をもたらした訳ではない事は私も理解しております」

 

 旧銀河連邦系の植民地勢力や宇宙を流浪する商人兼宇宙海賊達を取り込む中で当然対立が生じた事も、それが当時の長征の民達の連帯を悪い意味で促した事も幾度も触れてきた。

 

 ……いや、そもそも同盟の拡張政策自体が内部対立から市民の目を逸らさせる事が理由であったとの主張すら一部の反同盟派からは提唱されている。卵が先か鶏が先か……兎も角も『外敵』の存在が後にハイネセン・ファミリーと称される建国以来の名家達の団結に寄与したのは間違いない。

 

 同盟の急速な拡張はハイネセン・ファミリーに莫大な富をもたらした。しかし、人口的に圧倒的多数派の『余所者』を国内に引き入れた事実、そして彼らに対して経済的・政治的抑圧を加え続けた事は結果として反同盟抗争の激化を招き、『狂乱の580年代』バブルの発生とその崩壊、幾つかの政治的スキャンダルと相まって最終的にハイネセン・ファミリーは彼ら『余所者』に妥協し対等の立場を約束せざるを得なくなった。『607年の妥協』である。

 

「『607年の妥協』から銀河帝国との接触までの三〇年余りの時代はその後の同盟史において最も重要でした。妥協の成立が旧連邦の植民地の安定に繋がり、また同盟外縁部の反同盟勢力の懐柔と加盟を促進しました。経済的にも各種の規制が撤廃され交易や開発が拡大した結果、同盟経済は再び上向きの成長を開始し今の同盟社会を支える中間層の増大に繋がります」

 

 この時期の(表面的な)国内対立の解消と同盟加盟国の飛躍的増加、それに伴う人口増加と経済成長、それによる税収増加や科学技術の発展が無ければ同盟は帝国と接触するまでに曲りなりにも対抗しえる国力を得る事は出来なかっただろう。

 

「そして妥協の成立、帝国との接触は『建国神話』を一層補強しました。前者の時期においてはハイネセン・ファミリーと現地人との対立を煽り折角の経済の上向きに水を差したくなかったから。後者の時期は圧倒的国力を有する帝国との全面戦争に際して挙国一致体制の構築のために……ですよね?」

 

 特に多種多様な惑星出身の者が集まるバーラト星系においてはその傾向が顕著だ。同盟史は幾らでも歴史問題の火種がある。下手に突いて対立を再燃させる必要もない。同盟の歴史教育はアルタイル星系脱出からダゴン星域会戦までを妙に抽象的かつ簡略に終わらせている。義務教育に至っては態々地球の人類のアフリカ誕生から始められ、大概連邦末期の独裁者ルドルフの台頭からイオン・ファゼカス号脱出辺りに触れた頃合いで最後まで終われず卒業、なんて事が良くある有様だ。『同盟人の近代史離れ』等とフェザーンでは言われ社会問題として取り上げられる事も珍しくない。

 

「一切主観的判断のない学問的説明、大変御苦労だった……というべきかな、大佐?それとも伯世子殿と呼ぶべきかね?」

 

 一連の私の説明に対してしわがれた声が問う。その声の主は私とトリューニヒト議員と共に円卓を囲み、大蛙ステーキの無重力栽培トマトソース添えを食べ進める白髪の老学者であった。

 

 同盟国立中央自治大学学長にして法学・政治学教授、エンリケ・マルチノ・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ氏は、その発した単語に比して若干憮然とした表情を浮かべていた。無論、その理由は分かっている。先程までの話と解釈に私個人の意見は一切含まれてはいない。寧ろ………。

 

「オリベイラ先生の『近代サジタリウス政治史論』からの抜粋かな?内容は良くてもコピペしては論文として落第ものだからねぇ」

 

 私も先生の論文を参考にし過ぎて怒られたものだ、とトリューニヒト議員は苦笑する。

 

「士官学校の社会学で教授の著書を勉強させて頂きました。こういっては何ですが、教授の論説は完成度が高過ぎて独自解釈の余地が少な過ぎます。後世の学者方に仕事を奪ったと恨まれないか心配な程です」

 

 私は御世辞半分、本音半分と言った具合でそう答える。

 

 実際、この言は誇張ではあっても虚構ではない。オリベイラ教授の法学・政治学著書の多くは同盟・フェザーンの学会において極めて高い評価を受けており、宇宙暦8世紀における最も偉大な学者・政治顧問の一人として評価されている。

 

 その研究姿勢は同盟人よりも寧ろフェザーン人に近いとされる。イデオロギー的な固定観念が薄く、中立的かつ多面的な視点から膨大な資料を調べ上げ、徹底的な理詰めで分析を行うその姿勢は、特に長年反帝国を基軸とし銀河連邦を過剰に理想化する『バーラト史観』が蔓延していた当時の同盟学会において激しいバッシングを受けたものの、宇宙暦750年代に初の純粋な非ハイネセン・ファミリー出身の最高評議会議長トマス・ミラード・ガーフィールドの顧問の一人として同盟経済の高度成長と地方・文化対立の緩和で手腕を示した。

 

 760年代にはフェザーン商科大学の近代商法学の外部委託講師として評価を受けつつワレンコフ自治領主等自治領主府要人に対する親同盟政治工作仲介に従事、その後同盟国内におけるサイオキシン麻薬蔓延問題の対策顧問に抜擢、宇宙暦771年にフレデリック・ジャスパー退役元帥を初め多くの著名人が事故死したロイヤル・アラスター号事件における功績が認められ同盟政界の最重要ブレーンとして認められた。

 

 そして宇宙暦773年以降、同盟軍士官学校、ハイネセン記念大学に並ぶ名門中の名門大学『同盟国立中央自治大学』の学長に就任、以来現在に至るまで派閥とイデオロギーの垣根を越えて同盟の著名な官僚・政治家・企業家等を育て上げて来た。フェザーンの政財界にも顔が利く。その政治的影響力はたかだか同盟軍の一大佐では到底歯が立たないだろう。ぶっちゃけるとこうして食事を一緒にしたくない。下手な事を口にして魔術師宜しく何かの陰謀の際に生け贄にされたくなかった。

 

 一方、教授の方がその憮然とした表情を一層不快そうに歪める。

 

「全く、門閥貴族らしいと言えばらしいが警戒心の強い事だな。そこまで怖がらんでも取って食いはせんと言うに」

「利用価値のある内は……でしょうか?」

「私を何だと思っているのかね?」

「同盟政界の四大妖怪の一人じゃないですかね、先生」

「貴重な発表会よりも鳥人間コンテストを優先した君のような人物が我が国の国防委員で今回の特使代表と言う事実に私は亡国の運命を幻視するよ」

 

 ふざけ気味に横槍を入れたトリューニヒト議員に対してオリベイラ教授が辛辣な言葉を吐き捨てる。ちょっと教授、その幻視、冗談だと笑えないんですけど………。

 

「曲がりなりにも孫が世話になったようだからな、そうぞんざいな態度を取る程礼儀知らずではない。……そもそも最高評議会もいつまで私を政治の世界に引き摺りこむ積もりなのかね?お陰様で次の学会までに作成中だった研究発表が間に合いそうにない」

 

 心底機嫌悪そうにする教授。その態度は、少なくとも表面上は演技には見えない。

 

 オリベイラ教授のこのフェザーン極秘使節団における役割は使節団のアドバイザーと仲介だ。特にフェザーン学会の政治・経済御用学者達を通じて自治領主府やフェザーン元老院に『目的』の達成のために働きかける役割が期待されているらしい。

 

「確か世間向けの訪問理由はお孫さん……ミゲル教授に会いに行くためでしたか?」

「うむ、フェザーンの学会で博士号を取得したらしいからな。全く、ハイネセン記念大学に行くわ、惑星地理学なぞ学ぶわ、とんだ放蕩息子な事だ」

 

 オリベイラ教授は愛憎織り交ぜた複雑な表情で切り分けた蛙の足肉を口に放り込む。オリベイラ家の出身者は代々政治学や法学、経済学、経営学と言った分野で活躍してきた。ましてハイネセン記念大学は同盟国立中央自治大学とは優秀な学生の奪い合いという意味で永遠のライバルのような間柄だ。その一方で孫の栄達が嬉しくない筈も無く。祖父としては複雑な気持ちであろう。

 

「ミゲルさんの方も気に病んでいました。その上で今の生活の方が性に合っているとも聞きました。部外者の身で口を挟める立場ではありませんが……私個人としてはあの方は優秀な研究者だと考えます」

 

 私はやんわりとお孫さんの方のオリベイラ氏をフォローする。私の方は兎も角、彼の方は義理堅い性格で毎年クリスマスカードを送ってくれるような人だ。性格も決して劣悪な人物ではない。少し位は擁護するべきであろう。

 

「むぅ……その程度言われんでも分かっておる」

 

 しかめっ面で、しかし困ったような表情も浮かべそそくさと逃げるように糞マズのアライアンス・ワインを呷る教授。トリューニヒト議員が小さく耳元で「船に乗る前にどう孫に会うべきか私にしつこく意見を聞いていたんだよ」と教えてくれた。これが私を油断させるための嘘でなければ幸いなのだが。

 

「あー、全く不味いワインな事だ。これだから政府の晩餐会は嫌なのだがね、アライアンスなぞ出されて誰が嬉しいのだろうな。やはり葡萄酒は帝国産に限るよ、君もそう思わんかね?」

 

 心底不味そうにオリベイラ教授はぼやき、私に尋ねる。

 

「国父アーレ・ハイネセン達が国造りを語り合いながら飲み明かした祖国の味だと理解しています」

「それも私の著書の言だな。MWC(マルドゥーク・ワイナリーコーポレーション)に頼まれて渋々入れたフレーズだ。まぁ、たったそれだけの事で帝国暦410年物の白が手に入ったから文句はないが」

「………」

 

 おう、同盟最古のワイン醸造所よ。プライドはどこに置いて来た。

 

「そもそもアライアンス自体、この飽食の時代に好き好んで食べるようなものではないからねぇ。最近はアレンジされて随分マシな味だけれど、それでも人気は底辺だ」

 

 国防委員殿も本当に不味そうに脱脂粉乳と遺伝子組み換え馬鈴薯(繁殖効率最高味は最悪)のスープを啜る。本当、悲しい事にこの糞マズ料理はこれでも政府専用クルーザー厨房で調理されている事とアライアンス自体が初期に比べて調理方法が改良されているためにかなり味が改善されている状況なのだ。航海中に口にされていた物は恐らく料理と呼ぶのもおぞましいナニかだったに違いない。

 

「国父達が普段食べていたのは収容所の厨房で種子を拝借した繁殖能力最優先作物に食用昆虫、ご馳走が蛙肉だったからねぇ。到底味なんて無視せざるを得まいよ。同盟の食文化の大半は外部からもたらされたものだ」

「無論、帝国料理も今では立派な同盟食文化の一員だ。葡萄酒と麦酒、豊富なヴルストと馬鈴薯料理、豪華なデザートはライヒの魅力だな」

「お褒めの言葉、謙遜するのも非礼なれば有り難く受け取りましょう。同期の星たるヤングブラッド大佐からも士官学校で似たような言葉をいただきました。亡命者もまた同盟を構成し、発展させていくための大切な同胞だと。………それが貴方方の総意だとも」

 

 国防委員と学長の言葉に慇懃に、そして探るように私は返答した。

 

 さてさて、雑談も程々にしてそろそろ本題に入らないといけないんだろうなぁ。

 

 場の空気が変わった事を感じ取り、私は内心緊張しつつも言葉を紡ぎ出す。

 

「若造の身で恐縮ではありますが、そろそろ今回の交渉の目的をお聞かせ願いませんでしょうか?いくら何でも演目の説明が無ければ役者としてはどのような道化を演じれば良いのか皆目見当がつきません」

 

 私は心底恐縮するような表情を浮かべ、右腕のアームでグラスを掴み、中に注がれたミネラルウォーターで喉を潤す。残念ながら高級葡萄酒に舌が慣れきった私ではアライアンス・ワインは不味いを通り越し条件反射で嘔吐すら有り得た。なので、護衛としての役割を盾に言い逃れをする事で私はこの食事の席で溝水の親戚を口にする事を回避していた。

 

 我ながら英断だった、こんな緊張する場でそんな不味い葡萄酒を口に含んでいれば間違いなくリバースものだろう。

 

「………ティルピッツ大佐、君も士官学校で学んでいるだろうが……我らが同盟と帝国の国力差は一説によると四〇対四八とも、四対五とも表現されている。しかしこの数字が仮初のものでしかない事は理解しているね?」

 

 ナプキンで口元を拭いた後、トリューニヒト国防委員が重々しく私に事前知識の有無を確認する。私は小さく頷いてそれに答える。

 

 原作においても同盟と帝国の国力が伯仲していると良く語られているが、それは正確には正解であり不正解だ。実質的な意味において同盟と帝国の国力比はそんな可愛いものではない。

 

 少し考えれば分かる事だ。原作において同盟はアムリッツァの敗戦と宇宙軍の壊滅によって実質国家としての命脈が尽きた。それ以降は単なる消化試合であり、悪足搔きに過ぎなかった。同盟は遂に最後の最期までこの損失の補填が出来なかった。

 

 一方帝国は原作のみにおいてもダゴン・第二次ティアマト両会戦で宇宙艦隊が消し飛んだにも関わらず迅速にその損失を補完して見せた。現実にはそれらと共に名が挙げられるシャンダルーア・フォルセティ両会戦でも帝国宇宙艦隊は半壊している。原作のリップシュタット戦役においては降伏した兵士も相当数いただろうがそれを差し引いても相当数の戦力が消し飛んだであろうし、その分の警備戦力の補充を帝国正規軍が行う必要があった筈だ。にも関わらず帝国は数年で地方の治安維持戦力を確保しつつ同盟に大遠征を行うための艦隊を用意して見せた。

 

 艦艇そのものの質も問題だ。同盟軍宇宙艦艇はその任務を限定する事で性能の効率化と徹底的なコスト削減および人員削減を行っている。対して帝国軍は正規艦隊戦よりも治安維持・航路管理を主任務としている。同盟軍のそれより大柄であり大気圏内を含む多様な任務に対応するように出来ている。当然運用のための必要最低限の人員も同盟のそれより多く、建造コストもまた高い。

 

 そして何よりも帝国軍の総戦力は同盟軍のそれの倍近い。イゼルローン要塞を初め、保有する宇宙要塞の質も量も同盟とは隔絶している。それらを支える社会インフラと人的資源を含めれば到底前述のような国力比率等出てくる訳がない。

 

 正直な所、帝国と同盟の国力比は正確には戦争に参加している『帝国皇帝直轄領』と同盟『全土』の国力比に過ぎない。実質的な独立国として後方支援や限定的な従軍を行う貴族領、毎年少額の朝貢だけを行うだけの自治領、殆んど自給自足状態となっている流刑地惑星、皇帝に形だけの臣従を誓う外縁部の小勢力等はその必要性が薄い事から帝国と同盟の国力比を比べる際には排除されてしまう。

 

 結局、同盟と帝国の伯仲した戦いは幾つもの偶然と幸運がもたらした結果でしかない。ブルース・アッシュビーは宇宙艦隊を文字通り消し炭にし、武門貴族・士族・軍役農奴といった帝国の伝統的軍人階級層に致命的な損失を与えていた。それでも帝国軍は最新型の艦艇を工業力に物を言わせて大量生産し、大規模な平民階級の徴兵を断行して肉壁とし、それによって稼いだ時間を使ってイゼルローン要塞をスピード建造して見せた。730年マフィアはブルース・アッシュビー亡き後も紛う事なき名将であったが、遂にこの帝国軍の無理矢理な戦略を阻止出来なかった。帝国の底無しの国力が分かろうものだ。

 

「銀河帝国と接触して以来、同盟の存続は常に綱渡りだった。純粋な軍事力だけでは全面戦争になれば劣勢は明らかだからね。今日まで自由惑星同盟が存続出来たのは同盟軍の功績でもあるが、同時に政治と情報部の努力の賜物でもある」

 

 ダゴン星域会戦で同盟軍が質は兎も角数だけでも二万五〇〇〇隻もの艦艇を用意出来たのは、パトリシオ最高評議会議長とヤングブラッド国防委員長が同盟加盟国や星間交易商工組合と粘り強い交渉を続けた結果だ。コルネリアス一世による同盟滅亡を回避させたのは情報部の工作活動であるし、シャンダルーア星域会戦はナレンドラ・シャルマによる四個艦隊殲滅で有名であるが、それ以上に政府や情報部が会戦の結果をその後の銀河皇帝後継者問題にまで飛び火させ、マンフレート亡命帝即位と講和会議主催まで漕ぎ着けさせたことに注目すべきであろう。宇宙暦700年代から730年代の同盟政府の指導力は帝国軍の度重なる侵攻を阻止し続け、ジークマイスター機関の設立とブルース・アッシュビーの才覚と結びついた結果が同盟に未曾有の大勝利を齎す事になる。

 

「特にコルネリアス帝の親征以降の同盟の存続はフェザーン自治領の存在とそこにおける活動による所が大きい。フェザーンは勢力均衡を望んでいる。それこそが彼らに利益を齎すからね」

「だが実態は中立を謳いつつ限りなく同盟側として各種の支援を続けて来た。当然の事だ、そうしなければ同盟は帝国に呑まれてしまうのだからな」

 

 トリューニヒト議員とオリベイラ学長はフェザーンの政治的スタンスについて私に説く。その点は私も知っている。原作の知識なぞ必要ない。フェザーンが飲み込まれないためには常に国力で劣勢な同盟に肩入れし続けなければならない。

 

「そして、今我々はまた重要な危機にある。軍事的にも、政治的にも」

「アルレスハイム星系のせいで、ですか?」

「そこまで君達を一方的に責める程高慢ではないよ。私達にも落ち度はあるからね」

 

 ニコニコと笑みを浮かべる国防委員。気の良さそうな言い方ではあるが、その内容は逆に言えば幾らかは此方の責任でもあると暗に伝えている事も確かであった。

 

「こうしている間にも君の故郷……アルレスハイム星系に帝国軍の手が伸びているのは知っていると思う。残念ながら同盟政府と同盟軍は現状纏まった戦力を投入して星系の防衛を行う事は困難と言わざるを得ない」

 

 トリューニヒト議員は現状の危機について語る。

 

 ここ数年の苦境……イゼルローン要塞建設とそれによる長期に渡る劣勢下での戦いは降り積もる砂粒のように少しずつ、しかし確実に同盟軍の戦力と同盟政府の財政に打撃を与えて来た。此度の危機は長年蓄積されたその負担が限界を超えた結果だ。

 

「エル・ファシル星系までの有人星系を奪還してもその再建には膨大な復興予算がかかる事は理解しています。まして相当数の帝国軍残党が武器と共に現地の宇宙海賊や犯罪組織と結託して航路の安全を脅かしています。それ故に今すぐ大軍の派遣が出来ない事情も承知しております」

「納得は出来ていない、と?」

「これはまた意地悪な御質問ですね?……誰であれ、故郷が危険に晒されるのを喜べる人間なんておりません」

 

 私は一般論を以て答える。彼らが私を試している事は分かっていた。だから私は彼らの期待する態度を取る。

 

「……ふむ、ヤングブラッド大佐の推薦の通りだ。君は信用出来そうだね。いや、気を悪くしないで欲しい。唯君の同胞達は少々気の強い人物が多くてね。共に仕事をするのが難しい事も多いのだよ」

 

 トリューニヒト国防委員は誤解を招かないように補足説明する。それ位私も承知している。良くも悪くも亡命貴族は激情家が多く、この手の故郷や身内の関わる交渉事に参加させるのは難しい。

 

 ………端的に言ってしまえば、今回のフェザーンへの密使の仕事はフェザーンを通じて帝国の軍事活動の阻害と同盟支援の取り付け、より明け透けに言えばフェザーン元老院や自治領主府から金を引き出して来い、という話だ。トリューニヒト国防委員が自治領主やフェザーン元老院議員を、オリベイラ学長は自治領主や元老院議員お抱えの専門家達を丸め込む事を期待されている。そして私は………。

 

「泣き女の役ならば私なぞより御令嬢を御連れした方が良いのでは?その方が御老人方の同情が得られますよ?」

「残念だがフェザーン人に泣き落としは通用しないよ。『親でも国でも売り払え』が彼らのモットーだからね。まして元老院の御老人方は金の亡者だ、そんな安い手には乗ってくれないよ」

 

 私の提案に国防委員は即答する。まぁそうでしょうねぇ。フェザーンの独立商人は自分達こそがフェザーン人の代表であるとして自治領主府の役人や元老院議員を向上心も覇気もない無能と断言するがそれは間違いだ。フェザーンで一番怖くて手強いのはその覇気も向上心もない小役人と御老人達だ。

 

「君の役割は助言と仲裁、それと情報収集だ。帝国、特に帝国宮廷の複雑怪奇な文化と慣習は幾ら事前勉強しても理解し切れるものではない。此度の交渉には亡命政府からも人員が出向している。彼らと我々の協力のための仲介を頼みたい」

「それと帝国宮廷の動向の助言と情報収集だね。フェザーン側が帝国の動きをどう読んでいるか君の考えを教えて欲しい。それに帝国も一枚岩ではない。できうる限り宮中の情報を集め、可能ならば利用したい」

 

 改めてオリベイラ学長とトリューニヒト国防委員が私の仕事、その詳細について説明した。

 

「成程、そういう事ですか。確かにその内容であれば私に白羽の矢が立つ理由は分かります」

 

 寧ろ私位しか適性が無かろう。私が此度の同行者に選ばれるのは当然ではある。尤も……。

 

「確かに理解は出来ますが……」

「が?」

「敢えて触れていないのかも知れませんが、当初私に伝えられた仕事内容には護衛も含まれていた筈です。もしかしなくても………そういう事ですか?」

 

 私が苦笑いを浮かべながら尋ねる。特使たる二人は視線を反らしながら暫し沈黙を続け……国防委員が誤魔化すような爽やかな笑みを浮かべて答えた。

 

「安心したまえ、情報部から護衛が手配されているからね。それにフェザーンでの任務中の死亡率は『それ程』高くはないよ」

「ガッデム!」

 

 ‥‥………まぁ、あれだ。いきなり章題回収になってしまうがこういう事だな。

 

 中立国での任務なら生命の危険はないと思ったか?

 



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第百四十七話 職場で友人とあってもはしゃいではいけない

 宇宙暦790年時点において天の川銀河におけるオリオン腕とサジタリウス腕の間には危険な暗礁宙域(サルガッソー・スペース)が広がっており特殊装備を施した単艦であれば兎も角、纏まった数の宇宙艦艇が安全に両腕を行き来可能なのは二つの回廊に限定される。その一つがイゼルローン回廊であり、今一つがフェザーン回廊である。

 

 恒星フェザーンの有する四つの惑星、その恒星と同じ名を冠する第二惑星は同時に銀河帝国フェザーン自治領の首都星でもある。

 

 惑星フェザーンの歴史は銀河連邦中期にまで遡れる。正確な年代は不明であるが宇宙暦220年代から230年代頃には既にフロンティアの最外縁部の交易拠点であり、同時に宇宙海賊の根城であり、連邦中央宙域から賞金首として指名手配されるような犯罪者や諸事情から身分を偽る必要のあった者達が流れつく掃き溜めであった。

 

 『銀河恐慌』とその後の混乱により銀河連邦側が確認していたフェザーンに関する情報は宇宙暦272年を最後に途絶えている。しかし幸運な事に、バルバリア海賊団団長兼フェザーン大総統兼ガルト・ハダシュト星間航路帝国皇帝を自称したチュルガット・オルチとその子孫達の努力によって断片的ながらフェザーンの記録が後世に残されている。

 

 それによると、多くの旧銀河連邦最外縁部の植民地と同様に、当時のフェザーンもまた中央宙域との貿易が途絶えた事で経済的な混乱を来した。ほかの地域と違ったのは、彼らが不完全ながらも比較的早期に秩序を回復できた点であろう。破産して夜逃げしたとはいえ元はカストロプ・グループやギャラクシー・トレード・フェデレーションと肩を並べた大星間交易企業の元締めであったチュルガット・オルチ率いるバルバリア海賊団を筆頭に幾つかの宇宙海賊が連合し、フェザーン回廊及びそのオリオン・サジタリウス両腕の回廊周辺諸惑星の自治を行うようになった。

 

 これら海賊団幹部は意外にも高学歴者や知識人が多く、現状の危機について深い理解力を持っていた。現状のまま混乱が続けば辛うじて維持されている現在の技術文明は途絶えてしまうだろう。治安秩序を維持し、交易を保護しなければ自分達まで滅びる事になる。その恐怖が彼らを団結させた。

 

 フェザーン及びその周辺の人工天体、ドーム型都市、鉱山、漂流船団が統合される形でカルト・ハダシュト星間航路帝国が成立したのは宇宙暦290年の事である。事実上の『国軍』と化した宇宙海賊が航路と国土の保護を司り、その庇護下で各自治体は領域内、及びその外側の諸勢力と貿易と相互扶助を行う事で、じりじりと技術レベルを落としつつも恒星間航行技術を維持出来る程度の文明を守り抜くことに成功した。当時の銀河辺境部の諸勢力の中では彼らは最も成功した部類と言えるだろう。領域内の総人口は宇宙暦310年帝国暦1年の時点で四〇〇〇万に上っている。チュルガット・オルチが仮に銀河帝国と接触し恭順を示していればルドルフ大帝は彼に侯爵位でも授爵していた事であろう。

 

 その後の二世紀半余りの間、星間航路帝国は領域の拡張をせず……その余裕がなかった事もあるが……外部との接触は同じように群雄割拠する諸勢力との交易と稀に侵入してくる漂流船団化した宇宙海賊達との抗争に限定された。国内でも権力抗争や小規模紛争こそあったが全体としては治安は維持されていたと見て良い。

 

 異変が生じたのは宇宙暦560年代から570年代であるとされている。フェザーン回廊両岸から諸勢力からの難民が国内に流れ着き始めた。それは最初は少数であり、次第年月を経るごとに少しずつその数は増加し、遂には濁流となった。

 

 それはある意味時代の必然と言えた。サジタリウス腕において建国された自由惑星同盟はその拡大期に突入し周辺諸国の併呑を始めていた。ほぼ同時期、オリオン腕の銀河帝国においてはリンダーホーフ侯爵によってアウグスト二世流血帝が打倒、エーリッヒ二世止血帝の即位から始まる帝国の黄金時代『五賢帝時代』が幕を開けようとしていた。偶然とは言え両腕における大国がほぼ同時期にその勢力の拡張を開始し、それに押しやられる形で中小の辺境勢力が……正確にはその内の何割かが……当時周辺で最大の勢力を維持していた星間航路帝国に逃げ込んで来たのである。銀河史において『6世紀の大移動』と称される出来事だ。

 

 フェザーン回廊に雪崩れ込んだ難民人口はその後の混乱もあり不明瞭ではあるが最低でも五〇〇〇万、最大で二億近いのではないかとも言われている。当時の星間航路帝国の領域内総人口が五〇〇〇万に満たない事を思えばそれがどれだけ凄まじい混乱を招いたか想像に難くない。国内の治安は急速に悪化し、内戦に近い状況を生んだ。

 

 星間航路帝国は実質的に破綻した。混乱と抗争により幾つかの勢力に分裂したのだ。特にサジタリウス腕側にて海賊行為と交易に明け暮れていた漂流船団は宇宙暦590年代頃に同盟と接触、610年代頃までにその勢力に取り込まれた。

 

 オリオン腕側においてもほぼ同時期に外縁部の人工天体や鉱山都市、ドーム型都市が帝国の調査団と接触した事が帝国の公式記録に残されている。これら『服わぬ民』の半分が自治領として帝国行政に編入、もう半分が銀河皇帝への臣従と朝貢、保護契約を結ぶ事になる。宇宙暦622年には帝国政府の命を受けた辺境宣撫軍がフェザーンにまで進出、星間航路帝国を保護下に置き銀河帝国に臣従する事、帝国の名称を辺境総督府に変更する事等と引き換えに現地政府に対して軍事支援・経済支援を行い現地政府の政権維持に協力する事になる。この『銀河帝国麾下フェザーン星系辺境総督府』が後のフェザーン自治領主府に繋がる。

 

 この時期、帝国も同盟もフェザーン方面に対して実は高い関心を抱いていなかった。銀河連邦時代よりフロンティアの開発は寧ろイゼルローン回廊方面が主であり、フェザーン回廊方面はおまけのような物であったからだ。それ故フェザーンをド田舎のそこそこ勢力のある地方政権、程度の認識でしか二大大国とも考えておらず、その遠さから基本的に放置されていた。同盟に至っては存在こそ伝え聞いているが正確な座標も帝国に臣従している事すら把握していなかった。

 

 宇宙暦640年の同盟と帝国のファースト・コンタクトとダゴン星域会戦は一層両国の関心をフェザーンから逸らす事になった。その後、二大超大国が抗争を繰り広げる中、フェザーンには両国から少なくない数の難民が流れていき、コルネリアス一世元帥量産帝による大親征によってその流入人口は最盛期を迎えた。

 

 親征で国内に大打撃を受けた同盟と、莫大な戦費と人的資源を費やしながら得る物が無かった帝国。両国はこの頃にフェザーン回廊がイゼルローン回廊と同じく暗礁宙域の向こう側に繋がっている事実を把握した。しかし疲弊した二大超大国にとってはフェザーンからの敵国侵攻なぞ論外、寧ろこれ以上の戦火の拡大を避けたいのが実情であった。

 

 両国は戦火を抑える必要性を痛感した。また交易拡大による国内の財政・復興問題の解決を図り、親征により両国において多数生じた捕虜の交換や絶滅戦争染みた悲惨な戦闘の経験からの戦時条約終結のための外交窓口も求められた。

 

 そのために二大超大国は緩衝地帯にして交易・交渉を仲介する第三国の存在を必要とする事になる。幾つか挙げられた候補地の中で地理的に最も適正であり、かつ地球自治領出身の大商人レオポルド・ラープを始め複数のスポンサーを味方につけた事でフェザーンにその白羽の矢が立った。

 

 こうして宇宙暦682年帝国暦373年に、公式には銀河帝国皇帝から内政自治権を授けられた形でフェザーン自治領が成立した。ラープは帝国同盟問わず、それ所か外縁宙域すら巻き込んでオーディンからフェザーン、ハイネセンに繋がる長大な交易航路を整備、フェザーンそれ自体を経済特区として銀河中の企業の投資を呼び込む事に成功した。

 

 第二代自治領主ヴィッテンボルクはラープの路線を継承、フェザーンの仲介貿易を促進するための軌道エレベーター建設事業と造船事業に力を入れる。そのために特に外縁宙域から多数の低賃金労働者を『準市民』として移住させた。第三代自治領主ハミルトンは経済の多角化を促進し歓楽街や娯楽施設等の整備を促進、両国からの旅行者を招き入れると共に自治領存続のために政治家や貴族のための資金洗浄用秘密銀行や合弁会社設立を推進、また有事における『人質』の役割も兼ねて両国に対して『租界地』の租借を認めている。

 

 そして宇宙暦761年に第四代自治領主に就任したワレンコフ氏は勢力均衡を志向するフェザーン民族主義者として有名な人物である。尤も、宇宙暦764年帝国暦455年のクレメンツ大公の事故死とそれに伴う帝国の外交的圧力、それに乗じた同盟政府の親善外交攻勢の結果、実質的にフェザーンは三十年近くに渡り親同盟政策を推進している。

 

「幾ら皇族関係の事とは言え、帝国は外交的に重大なミスを犯したのだよ。フェザーン人の自尊心を余りにも無視した行動が元老院や独立商人の反発を生んだ。結果、ワレンコフは急速に帝国から距離を置く事になった。イゼルローン要塞建設事業における融資打ち切りや資材費の集団値上げはその一端だな」

 

 そしてその結果、当時のイゼルローン要塞建設総責任者リューデリッツ中将はイゼルローン要塞建設費用の飛躍的増加に苦しみ、最終的には時の皇帝オトフリート五世から死を賜る事になった。

 

「学長もその工作に協力をしていた事はお聞きしています。寧ろ学長の人脈が決定打だったとも」

「それは流石に買い被り過ぎだな。私は理論武装の構築に協力したに過ぎん。……人間の感情は予測出来んからな、ヤングブラッドとマカドゥーにその辺りは放り投げてしまったよ……あぁ、お前さんの同期ではなくてその祖父の事だぞ?」

 

 自由惑星同盟軍大佐フロスト・ヤングブラッドの祖父に当たるチャーリー・ヤングブラッド元国務委員長は現役時代にワレンコフ自治領主との粘り強い交渉の末にその政策転換に導いた事で知られている。

 

「民族主義者の扱いは一筋縄ではいかんな。元老院の輩も手強かったがそれでもまだ利権をちらつかせれば乗って来た。だがイデオロギー持ちの主義者は厄介だよ。どこに地雷があるか分からん」

 

 オリベイラ学長はそう言ってからソファーから若干ふらつきながら重い腰を上げる。居住性の良い公用クルーザーとは言え、七〇近い老人、それも軍人でもない一介の学者に一月半の船旅はそれなりに堪えるようであった。

 

「肩を御貸ししましょうか?」

「いらんいらん。人を要介護者と同じにするな。これ位問題無い」

 

 相変わらずの不機嫌そうな態度で私の勧めを却下し、学長は一足先にターミナルに向かう。その傍には黒服のシークレットサービス達が付き添っている。

 

「……さて、そろそろ私達も降りるとしようか?」

 

 私が手元のベレー帽を被り背後に控える同行者……従士達にそう呼びかけたのは単なる連絡以上に気難しい老人に向かう敵愾心を逸らす目的もあった。

 

「若様、しかしあの老人の態度は……」

「言わせておいたらいいさ。どうせ今回の任務だけの短い関係だ、それに下手に関係を拗れさせて上手くいく交渉を拗れさせたくない。分かるだろう?」

 

 私は非難がましい視線をオリベイラ学長の背に突き刺すテレジアをそう宥めすかす。私の言葉を理解していても、やはり不満はあるのか何とも言えない苦い表情を浮かべる。

 

「ベアトも、今回は少し甘く見てくれ。不本意だがあの老人の存在は今回の交渉の重要な鍵だ。そして今回の交渉は皇帝陛下と亡命政府のためにもなる」

「承知しております。若様の御随意のままに」

 

 テレジアの隣で此方を見つめるもう一人の従士は私の言葉に素直に、そして恭しく答えた。その態度にどこか怪訝そうな表情を浮かべ、テレジアはちらりと僅かに同僚に視線を移す。

 

「……我々も行くか」

 

 しおらしいその態度の理由は大体予想出来る。同時に私は決まりの悪さと気恥ずかしさが相まって、それを誤魔化すように踵を返し、そのまま歩み始める。背後からはっきりとした返事と共について来る足音が二人分響いた。

 

 宇宙暦790年9月17日1230時、自由惑星同盟政府国防委員会所属公用クルーザー『メイフラワー』はフェザーン自治領の玄関口でもある軌道エレベーター『頂きなき大樹』(アズ・エーギグ・エーレ・ファ)静止軌道第三宇宙港に入港した。

 

 

 

 

 

 軌道エレベーターという発想自体は西暦一八九五年にロマノフ朝ロシア帝国の物理学者にして文学者コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーが自著において触れている。建材面の課題はあったものの東西冷戦終結後アメリカ合衆国、及びその継承国家たる北方連合国家が建造に向けた研究・企画立案し、実際地上施設や衛星軌道において部分的に建造作業が行われていた。一三日戦争と九〇年戦争の戦禍で無意味と化したが。

 

 地球統一政府は早急な宇宙進出のために初の軌道エレベーターを建造した。半世紀近い計画の末、太陽光発電システムも併設した軌道エレベーターは『豆の木』(ビーン・ストーク)の名称で長年地球市民に親しまれた。

 

 軌道エレベーターが廃れたのはシリウス戦役における戦災による所が大きい。『豆の木』(ビーンストーク)を始め当時の人類圏にて運用されていた各惑星の軌道エレベーターはその大半が破壊され、倒壊した軌道エレベーターは地上に甚大な被害を与える事になり、生き残った数少ないそれも『銀河統一戦争』によって失われてしまった。

 

 損壊時の地上への被害、そして建造に必要な資材と資金の量、更には宇宙船技術の発達から大気圏脱出が容易になったため、その後七〇〇年余りに渡り軌道エレベーターは人類史から忘れ去られる事になる。

 

「第二代自治領主クラウス・フォン・ヴィッテンボルク氏が軌道エレベーターの建設を提案した際、両国の政府要人や投資家の多くは困惑したと記録しています。何故今更そのようなものを?と」

 

 ニコラス・ボルテック一等理事官は軌道エレベーターの貴賓用人員昇降機内で饒舌に説明する。背後の強化硝子の窓からは高度五万メートルのフェザーンの大地を映し出し、昇降機が凄まじい速度で地上に向けて下降している事実を内部の者に証明していた。

 

「しかし、その疑問もすぐに氷解しました。最後の軌道エレベーター喪失から七〇〇年経過した技術は、かつてより遥かに堅牢かつ低コストでのエレベーター建造に寄与しました。また当時は同盟・帝国間における和解運動が盛んになりつつあり、軌道エレベーター建設という歴史的事業への協力は両政府にとっても魅力的なものでありました」

 

 にこやかにニコラス・ボルテック一等理事官は軌道エレベーター建設事業の外交的成果を強調する。事実、これが当時の帝国政府の和平派と同盟政府要人が主戦派に怪しまれずに複数回面会する機会を作る事になり、その信頼関係醸造にも寄与したと言われる。

 

 無論、ボルテック一等理事官が口にしない賛同理由もある。幾ら材料や建設技術が発達したとはいえ、軌道エレベーターが倒壊すれば大惨事は必須だ。両国政府は有事……特にフェザーン占領……に際して軌道エレベーターの破壊をちらつかせる事で迅速に自治領主府やフェザーン市民の抵抗を封じようとしたとされている。

 

 まぁ、フェザーン人の方も抜け目なく、星内に両国の租界地を提供するにあたって軌道エレベーターの倒壊で確実に被害を受ける地域を選んだのだけどね。ひでぇ話だ。

 

「『フェザーン詣で』するのは初めてでね。何か此方で注意するべき事項はあるかな?」

 

 私はソファーに深く腰掛け、足を組み、頬杖をつきながら尊大に尋ねた。背後には従士が二人直立不動の体勢で控える。勲章をみっちり装着した白布の同盟軍礼装に身を包んでいても、その中身の態度は完全に門閥貴族のそれであった。無論、これは別に私の意志ではなく、事前に「横柄で貴族らしい態度をしておいてくれ」と指示されたからだ。

 

「そうですねぇ……このフェザーンにおいて手に入らぬものは理論上御座いません。伯世子様をおもてなしするため、御要望が御座いましたら自治領首府が可能な限り迅速に実現させて頂きます。注意事項も同盟の国内法とほぼルールは変わりません。強いて言えば、自治領主府としても使節団の安全確保に責任がありますので、治安が劣悪な『裏街』へのご訪問はお控え頂きたいと考えております」

 

 そこまで口にして此方の傍に寄る一等理事官。背後の従士達が警戒するが私が義手の手でそれを制止する。一等理事官は従士達に「唯の機密事項で御座います」と伝え、にやりと笑みを浮かべ耳元で囁く。

 

「時間と金銭さえご用意して頂ければ、同盟法では実現が出来ない娯楽や商品やサービスもご提供出来ますよ?同盟の資産家だけでなくオーディン宮廷の貴族紳士方からもレパートリーが多く素晴らしいサービスだと人気があります。どうぞ御一考下さいませ」

 

 わぉ、予め研修で聞いていたがマジで言って来やがった。守銭奴フェザーンの国家ぐるみの真っ黒営業ですよ、皆さん!!

 

「……そうだな、気が向いたら試させて貰うよ。君に言付ければ良いのかな?」

 

 私はその提案を撥ね付けず、寧ろ俗っぽい笑みを浮かべて興味がありそうに尋ねる。相手は他国の外交官である。ここで賢しくする必要はない。せいぜい付け込みやすそうな態度を見せて油断させた方が良かろう。

 

 まぁ、準備して貰うための追加費用なんて払う余裕もないんですけどね?ゴトフリート家ハイネセン別邸に遺棄された電波妨害装置二〇〇万ディナールですよ。形落ちとは言え軍用品は馬鹿みたいな値段がかかるわ。正直、今の銀行残高はかなり御寒い状況で、仮に特別サービスを受けたくても出来る状況ではない。

 

「はい、いつでもお待ちしております」

 

 私の経済的事情は兎も角、態度に対して満足そうな笑みを浮かべた後、ボルテックは再度距離を取ってフェザーンの観光名所の説明……お勧めのホテルやレストラン、カジノ、アミューズメント、バー等の娯楽施設……についての説明に入る。うーん、完全に私、議員らの付き添いで観光に来た道楽貴族に見られてるなぁ。多分美食・美酒・美女の三点セットで取り込む積もりなのだろう。

 

 ……私は宇宙港のターミナルでトリューニヒト議員やオリベイラ学長、その他の使節と引き離され個別に昇降機に乗せられた。使節団を分断して個別に攻略するのは自治領主府の常套手段だ。

 

 フェザーン人が巧妙なのは決して脅さない事であろう。外交官も後々脅されると分かっていればこんな安い手には乗らない。潜在的協力者として長期に渡り飼い慣らし、必要な時に機密情報を本人が罪悪感を抱いたり周囲に疑念を抱かれない範囲で提供させ、交渉の際には相手政府が一方的に不利にならないような妥協しうるギリギリの条件までしか譲歩させない。協力者に無理なく、良心の呵責を抱かせない、そして協力の見返りは十分に提供される……一応フェザーン勤務や訪問する政府要員には入念に事前教育が行われているが、こんな好条件ならば誘惑に負ける者もいるだろう。

 

 まぁ、引き際の良い者は三点セットを楽しみまくり要求をされる前にとんずらしたり、偽情報を暴露して逆用する猛者もいるというがね。

 

 貴賓用昇降室が地表……というよりも海上の巨大メガフロートに到着して、漸く私達はほかの使節と合流する事が出来た。彼らにも各々に理事官が甘い誘惑を囁いてくれた事だろう。裏切り者が出ない事を祈るばかりだ。

 

 メガフロートの一番ゲート(要人・外交使節用ゲート)を出れば黒塗りの要人輸送用高級地上車が数台と、護衛の装甲車が眼前に現れる。地上車は同盟政府のフェザーン高等弁務官事務所からのそれであり、装甲車はフェザーン警備隊のものだ。周辺は更にフェザーンの契約している民間軍事会社の傭兵が警戒している。

 

「悪いが二人は別の車両に乗ってくれ」

「了解致しました。お気をつけ下さいませ」

 

 トリューニヒト議員らと共に地上車に乗り込む私はベアト達にそう命じる。若干ベアトが心配そうにしたがすぐに敬礼で答え後方の車両に乗り込む。流石に二人では立場的に相乗りは難しい。

 

 理事官達が恭しく頭を下げる中、地上車は発車する。今日は同盟フェザーン高等弁務官事務所に行き休み、明日以降自治領主達との面会と根回しが行われる事になろう。

 

「フェザーンの役人達からの説明はどうだったかな?」

 

 真横の席に座る使節団団長が含み笑いを浮かべて尋ねる。本来ならば軌道エレベーターを降りる際にバラバラにされたためにボディチェックが必要であるが問題ない。衣服に無線機やら盗聴・盗撮用小型ドローンが付けられていようともこの地上車は三重の電波吸収素材に通信妨害装置付きである。リアルタイムで盗聴や盗撮される危険性は最小限だ。

 

「表のサービスなら全部彼方持ち、裏サービスも何でも御座れだそうです」

「私は最高級キャバクラ貸し切りを提案されたよ。接待役の美女も至れり尽くせりだそうだ」

「お受けしたのですか?」

「出立前に妻に変なサービス受けたら離婚すると言われていてね。義父も妻を溺愛しているし、娘も妻の味方だ。家庭内で集中攻撃を受けたくないね」

 

 肩を竦ませてトリューニヒト国防委員は残念そうに苦笑する。実際の所は不明であるがマスコミ媒体では議員は恐妻家であり家庭では妻に尻に敷かれていると言われている。

 

「私の方は案の定何も言われなかったな」

「先生は頭が切れすぎますからね、彼方も慎重になりますよ」

「本場の高級フェザーン・ラムやフェザーン・ウィスキーを飲めると思ったのだがな。肩透かしだよ」

 

 そう言いつつもオリベイラ学長は大して不満そうな表情を浮かべていない。彼なりの冗談なのかも知れないが然程笑えないので冗談のセンスは無いようだった。

 

「お孫さんに御会いになる時にアルコール臭を漂わせていては嫌がられますよ。フェザーンの酒は度数の高いものが多いそうですし今回ばかりは控えた方が良いでしょう。さて……」

 

 トリューニヒト議員は改まった態度を取り私の方を見る。私もまた議員の方を見て疑問の答えを聞こうとしていた。議員は私の正面の席に座る同盟軍少佐を紹介する。

 

「ティルピッツ大佐、此方情報局フェザーン支部から派遣されたラウル・バグダッシュ少佐だ。君の補佐を担当する事になっている」

「お初にお目にかかります。『フェザーン租界宇宙軍特別警備陸戦隊司令部付』ラウル・バグダッシュ宇宙軍少佐であります。フェザーン駐在の間、大佐のサポートをさせて頂きます。どうぞご遠慮なくお使い下さい」

 

 目の前の諜報員は国防委員の紹介を堂々と修正し慇懃に、しかしどこか無礼な最敬礼を行ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェザーンにおける同盟の政府関係機関は大別して三系統存在する。一つはフェザーン・帝国との外交窓口たる同盟弁務官事務所、今一つがフェザーン内に存在する同盟人コミュニティの居住する租界地の行政管理を行うフェザーン租界工部局、最後が同盟軍情報局フェザーン支部である。

 

 一つ目は原作で亜麻色髪のイゼルローン共和政府軍最高司令官様が着任した事のある任地だ。フェザーンのセントラル・シティにあり弁務官を頂点として首席補佐官以下の官僚十数名、そこに武官として准将ないし大佐がフェザーン首席駐在武官として任じられその下に佐官ないし尉官からなる武官六名、下士官からなる武官捕一五名で構成される。彼らはフェザーンの表の外交工作と諜報活動を司る。

 

 二つ目のフェザーン租界工部局は宇宙暦731年に設置されたものだ。フェザーンにて各種ビジネスを行う同盟人租界のインフラ整備や各種行政サービスの提供、対外ビジネス支援活動を行っている同盟のれっきとした行政区分である。選挙で選ばれた租界市長を筆頭に市民議会と行政組織、租界地の治安維持・防衛のための約二万八〇〇〇名のフェザーン租界宇宙軍特別警備陸戦隊が駐屯する。租界人口は約八〇〇万人。当然本国同様に全国選挙も実施され、同盟議会の議席すら用意されている。

 

 三つ目は当然ながら政府及び同盟軍の公開組織図には記述されていない。フェザーン自治領成立以来、この中立地帯における盗聴・誘拐・暗殺も含めた裏の諜報活動に長年従事しているのが同盟軍情報局フェザーン支部である。本部の所在、構成員数、組織図、責任者も不明。そもそも情報局自体幾つもの特務機関や分室を抱えており、味方にすら秘匿して単独活動している部隊ないしエージェントもいる。全容を知るのは同盟軍全体で十人もいないであろう。

 

 目の前で不敵な微笑を浮かべる口髭を生やした紳士ラウル・バグダッシュ少佐……諜報員の常として偽名だ……は当然三つ目に属している人物だ。一応公式記録には二番目のフェザーン租界宇宙軍特別警備陸戦隊司令部の事務員であるが。

 

 ……ここから先は私だけが知っている事だ。宇宙暦797年の救国軍事会議クーデターに参加、その後イゼルローン駐留艦隊に情報工作活動を仕掛け捕虜となる。帰順後ハイネセンでクーデターが帝国の工作活動である事を暴露した。同盟政府の降伏後はレンネンカンプ高等弁務官の外交的圧力に屈した同盟政府による魔術師謀殺を妨害、ヤン・イレギュラーズからエル・ファシル革命政府軍・イゼルローン共和政府軍の情報部門に籍を置き各種諜報活動に従事していた。原作においても最後まで生存していたと思われる。

 

(………多分、同一人物だよなぁ?)

 

 対面に座る諜報員を観察するように一瞥し私は考える。宇宙暦8世紀の技術を使えば今時赤の他人への変装も成形も難しくない。諜報活動で性別すら変更する事だって可能だ。指紋も虹彩も、声帯だって偽装出来よう。

 

 とは言え態々あの人物を狙いすまして変装する理由もない。寧ろ原作のあの顔自体が既に変装なり成形した後ホログラムで微調整したものである可能性も有り得た。即ち私が知っているバグダッシュの顔自体本人のものとは限らない。

 

「……?はて、大佐殿。私の顔に何か付いておりますかな?」

 

 流石諜報員だ。私の怪訝な視線に気付いたのだろう。紳士的に、しかし恐らくその眼の奥底では警戒するように尋ねる。不良士官との付き合いが長くて良かった。奴との付き合いが無ければ気付けなかった程の僅かな変化だった。

 

「いや……少佐はフェザーン勤務は長いのかな?」

「此方に来て三年目ですね。当初は戸惑いましたが今ではそれなりにフェザーン事情には通じていると自負しております」

「成る程、それは頼もしい」

 

 少なくともド素人よりは安心だ。

 

「とは言え、正直な話余り楽観視は出来ません。何せ我々が確認している限りにおいても既に一個小隊に上る帝国諜報員がフェザーンに入国しています」

「そりゃあまた……大盤振る舞いだな」

 

 諜報員の育成コストは当然高価だ。しかも帝国政府は公的には情報機関を保有していない事になっている。正確には幹部はいるが実働部隊は各諸侯家のハウンドからの出向だ。それ故横の繋がりが薄く、その癖代々幼少時代から洗脳教育を受けているので体制への忠誠心は狂信的だ。そのため帝国の諜報員は全体として同盟のそれよりも圧倒的に能力が高いとも言われている。

 

 無論、同盟側も様々な工夫を凝らす事でその個個人の技量差を埋めて互角の戦いになってはいるのだが……この情報が余り愉快なものでないのには変わりない。

 

「いえ、先程の発言と矛盾しますがそう悲観するものでもありませんよ。諜報員とは言え全員が同じ目的で入国した訳でも、まして一枚岩という訳でもありません」

 

 特にオーディンの宮廷で大貴族達が足を引っ張り合うのは日常茶飯事だ。此度の案件においても帝国宮廷内でアルレスハイム方面への戦力増強を進言した一派とそれ以外の一派との間で謀略が繰り広げられているという。うーん、この味方同士での潰し愛(誤字にあらず)……亡命貴族に生まれた今もハードだがオーディンに生まれても無事生き残れる気がしねえ。

 

「特に現状、宮廷では大きく派閥が四つに分裂しつつあります」

 

 バグダッシュ少佐は現状の帝国情勢について説明する。

 

「一つ目は皇帝フリードリヒ四世を支える長老方からなる旧守派ですね」

 

 即ち、国務尚書リヒテンラーデ候、軍務尚書エーレンベルグ元帥を中核とする派閥である。現状の権力体制……即ち自分達の利権やポストの維持を望む老人達と言う訳だ。因みにこの派閥は皇太子ルードヴィヒを次の皇帝として担ぎ上げている派閥でもある。

 

「二つ目はカストロプ公にオーテンロッゼ公、リトハルト侯……所謂地方一六爵家を中心とした分権派です」

 

 権門四七家のうち、地方一六爵家はほかの大貴族と違い爵位と領地を帝国から下賜されたと言うよりも追認されたと言える者達だ。彼らを始めとした地方貴族達は銀河連邦末期に地方で自立した国家を統治し、ルドルフ台頭後に戦う事なく臣従した者達である。それ故全体として領地は豊かで爵位は高く、帝国に対する帰属意識は……カルステン公爵家等極一部を除き……相対的に薄い。彼らが国政に関与するのは帝国の政策を通じて自領に利益を誘導するためのものだ。

 

「三つ目はブラウンシュヴァイク公やハルテンベルク伯、キールマンゼク伯等を代表とする統制派ですね」

 

 非武門貴族、特に文官貴族を中心とした彼らは内政重視派であり、その点では分権派と親和性があるが、同時に地方の統制も志向しておりその点では険悪だ。当然ながら軍部や老人とはポストや軍縮指針から敵対関係にある。

 

「四つ目リッテンハイム侯を盟主にシュリーター侯、ヒルデスハイム伯等が所属する革新派です」

 

 正確に言えば『新革新派』と言うべきかも知れない。ファルケンホルン元帥以下の地上軍の要職者がエル・ファシルの敗戦の責で多数予備役送りや左遷させられた後、その残党がリッテンハイム侯の傘下貴族や軍部の実戦派の一部と合流して再編された派閥だからだ。

 

「今年の三月頃にベルンカステル侯が病没して以来ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の対立が表面化したのだったな」

 

 元々クレメンツ大公追放クーデターを主導しフリードリヒ四世の即位を主導した三諸侯は先代までは協調し合っていた。フリードリヒ四世の皇妃はベルンカステル侯爵家の者で、その娘二人はそれぞれブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家の跡取りオットーとウィルヘルム三世に嫁いだ。先代ブラウンシュヴァイク公、先代リッテンハイム侯の死後は先代ベルンカステル侯が両家の先代当主の盟友として、そして義理の祖父として義孫達の手綱を引いていた。

 

「先代ベルンカステル侯が死去して以来、リッテンハイム侯は方針転換を行い派閥の強化を進めています。我々が把握する限り、既に統制派も無視出来ない規模となっているようです。まぁ、当然と言えば当然ですな。何方の娘が次の皇帝になるかですから」

 

 先代以来、武門貴族と文官貴族の仲介役の立場を維持していたリッテンハイム侯爵家であるが、先代ベルンカステル侯と言う重石が消えたと同時に次期皇帝レースのライバルたるブラウンシュヴァイク公に明確に対立姿勢を見せている。

 

 具体的には武門十八将家の中でもカイト家やカルテンボルン家等の衰退した家々、旧革新派や実戦派の内貴族系士官等を搔き集めて短期間の内に軍部に少なからぬ影響を持つまでとなっている。特に今年四月に装甲擲弾兵総監に就任したオフレッサー上級大将、それに長らく士官学校教官や諸侯家の私兵軍軍事顧問を務めていたシュターデン少将は前者はその獰猛さと軍功から、後者はその事務処理能力と教え子達の広い人脈から派閥入りを注目されていた。

 

「まぁ、他にも中立派閥や他の皇帝候補を立てる中小の派閥がありますがここでは気にしなくても良いでしょう。問題は此度のアルレスハイム星系侵攻をどの派閥が推進しているのかという事です」

「立案は分権派のカストロプ公、追認は旧守派だな?」

「軍事予算の縮小に宇宙軍重視、両者の思惑が重なった結果ですな」

 

 旧第九地上軍を始めとしたエル・ファシル攻防戦の敗残兵の少なからぬ数がそのままアルレスハイム方面の戦線に投入されたのは各方面からの情報収集から既に分かっている。

 

「皆で協力してパイを増やす……が理想ではあるが、宮廷闘争は基本零和ゲームだからな。誰かの得点が誰かの失点に繋がる。旧守派や分権派の計画を潰したい、あるいはケチをつけて足を引っ張りたい奴らも入国済みと言う訳か」

「何割かはそうでしょう。我々情報局からすれば彼らが潰し合ってくれれば万々歳なのですがね」

 

 肩を竦め、バグダッシュ少佐は国防委員と学長の方に視線を向ける。

 

「此方の上司からもまた話と護衛の派遣はあると思いますがどうぞご注意下さい。帝国軍務省からしても今回の交渉は失敗させたいでしょうから。油断しているとどのような妨害があるか分かりません。特にオリベイラ学長はお孫さんがフェザーンに駐在しているそうですね。常時護衛が本人にも気付かれないように派遣されております、最悪の事態はないと思いますが……」

「分かっている。孫も自分がどこの家の人間か分からぬ程愚か者でもあるまい。ある程度危険は承知だろう」

 

 オリベイラ学長は僅かに憂いを秘めた、しかし毅然とした表情で答える。フェザーンが安全安心なんて嘘っぱちだ。租界地の中なら兎も角、フェザーン『市民』の生活する表街ですら両国が間抜けにもやって来た相手国の要人子弟を誘拐する事があるのだ。唯の一市民がフェザーンに留学や旅行に行くのならばともかく、要人子弟が行くとなれば決して呑気な覚悟で行える事ではない。

 

「中立地帯とは良く言ったものだな」

 

 私は地上車の防弾硝子製の窓越しにフェザーンの景色を見ながら呆れ気味に呟く。

 

 メガフロートからフェザーン中央大陸にあるセントラル・シティに向かう鉄橋……そこから見えるのは沿岸地域に沿って天に聳え立つ緑化地域の高層ビル群からなる『表街』、そしてその足元にありフェンスで区切られた背徳と犯罪の充満する『裏街』、そして地平線の先にある荒涼とした内陸部の広大な砂漠地帯だった。それは正に銀河で最も繁栄する惑星の縮図であり、グロテスクな真の姿で………。

 

「自由と交易を国是とする商業中立国、か……」

 

 本当に……本当に良く言ったものだと私は思った。

 

 

 

 

「皆さん、長旅お疲れ様です。漸く到着しました」

 

 フェザーンセントラル・シティの一角を借用した自由惑星同盟高等弁務官事務所の入場ゲート前に地上車は辿り着く。フェザーン警備隊と同盟政府が雇った警備会社の傭兵、そして地上ドローンが周辺警戒を行いながら列を作る地上車の人員と車両を確認する。登録されている人物がいるか、部外者がいないか、爆発物等が地上車に仕掛けられていないかを確認してからゲートが開かれる。

 

 ちょっとしたホテルのような高等弁務官事務所に併設された駐車場の空き区画に地上車は停車する。駐車場周辺はフェンスと並木で囲まれており遠方からの侵入や狙撃を妨害するような配置だ。無論、建物本体も華美に見えてその実防弾硝子や鉄筋コンクリート、対ビームコーティング等が為されており有事の際に立て籠れるように設計されている。

 

「あれは………」

「ああ、亡命政府からの特使団の車だね。確か我々より半日早く到着しているのだったかい?」

 

 地上車から降車した私が既に駐車場に停車していた数台の黒塗り高級地上車を見つけるとトリューニヒト議員が説明し、バグダッシュ少佐に確認を取る。

 

「はい。彼方の代表としては国務尚書ハーン伯爵、軍部からは軍務省軍務局長ベーラ少将が出席しております。後帝室からも代理が出ているようです。確か……」

 

 そこまで言ってバグダッシュ少佐がど忘れした名前を思い出そうとして暫し考え込む。

 

 恐らくそれは偶然であっただろう、本当に何と無しに私は周囲に視線を向けているとふと高等弁務官事務所の正面入り口を何やら書記官と話し合いながら出て来る人影を見つけた。銀の釦に金糸の飾緒と肩章、胸元に輝く宝石をあしらった勲章と亡命政府軍士官学校首席卒業者に送られる腰元のサーベルは見る者に一目でその人物が相当の貴人である事を証明していた。

 

「あっ……」

 

 恐らく私とほぼ同時に彼方も此方の視線に気付いた。そして少々間の抜けた呟きも同様だった。端正な顔立ちに瞳を驚きに見開き、次いで笑みを浮かべて此方に駆け寄る若い亡命政府軍の将官。そして気付けば私の方も喜色を浮かべ彼の元に向かっていた。

 

「成程、君が同盟側の付き添いかい?」

 

 彼は好意しか含まれていない笑みを浮かべ、昔のように私に気さくに尋ねる。

 

「どうやらそのようらしいよ。それにしても随分と贅沢な軍装だ。似合い過ぎるのが妬ましいなアレクセイ!」

 

 銀河帝国亡命政府軍軍務省法務局副局長アレクセイ・フォン・ゴールデンバウム宇宙軍准将は鋼鉄の巨人のような表情を綻ばせて私の言葉を受け入れたのだった。

 




各媒体でバグダッシュの顔違い過ぎ問題=全員成形した同一人物説

恐らく世界線によっては妖艶系年上お姉さんにTSしたバグダッシュがユリアンを揶揄い遊ぶルートもある筈……!(願望)


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第百四十八話 アルコールの飲み過ぎは良くないって話

 第八代銀河帝国亡命政府皇帝グスタフ・フォン・ゴールデンバウム(グスタフ三世)には宇宙暦790年9月時点で二人の男子と三人の女子が存在している。より正確に言えば彼ら以外に死産した女子が一人おり、夭折した男子が一人いる。

 

 長子にして皇后の嫡男たるロートリンゲン大公フレゼリクは知能の面でも人格の面でもこれと言った問題はなく、あるいはあったとしても周囲の忠臣達の支えがあればまず暗君になる事はない人物であり、これからも何も無ければ将来的に第九代皇帝フレゼリク二世としてアルレスハイム星系と全帰還派亡命者の頂点に君臨する事になるだろう。

 

 長子フレゼリクの次に生まれたのは三名続けて女子である。全員が大貴族の一族に嫁いでおり、三女であるアウグスタ以外はこれと言った問題は存在しない。

 

 ブローネ侯爵家の分家筋の寵姫カタリーナが産んだアレクセイ・フォン・ゴールデンバウムは帝室としては重視する事も軽視する事も難しい立ち位置の存在である。帝室としては男子がフレゼリクだけに比べれば『予備』がある事は決して悪い事ではない。とは言えフレゼリクは勿論一つ上のアウグスタとすら一回り以上歳が離れている事もあり、ほかの兄弟姉妹と関わりにくく、将来の禍根になる可能性も否定は出来ない。

 

 しかも、やはり歳を取ってから生まれた子供は誰だって可愛いものだ。皇帝グスタフ三世は決して公私共に無能ではないが、それでも末の息子を可愛がったのは仕方の無い事であろう。それ故に彼の取り扱いと教育は無用な漣を立てないように細心の注意が払われた事であろう。

 

 尤も、本人自身は(アウグスタを除く)兄と姉達と僅かに距離はあるものの、まず歪む事もなく成長する事が出来た。三年前にブローネ侯爵家本家のシャルロッテと結婚すると同時にシュヴェリーン大公に授爵されている。

 

「その大公殿下がこんな所で油を売っていて良いのかね?」

「久し振りなのに連れないじゃないか。もう何時間も紹介と仲裁をしたんだ。残り時間位旧友と会っても良いだろう?」

 

 自由惑星同盟在フェザーン高等弁務官事務所で行われた使節団歓迎会……参加者は同盟政府の職員のみであり、フェザーン側の用意した歓迎会は翌日に準備されている……その終盤、未だ列席者がワイングラス片手に歓談を行っている大広間(メイン・ホール)のすぐ外の廊下に設けられた休憩席のソファーにテーブルを挟んで私達は座り込んでいた。

 

 背後には白い礼装を着こんだ付き人が二人、正面にはその件のシュヴェリーン大公……即ちアレクセイが座っている。彼の背後には近衛軍団から出向したのだろう護衛がこれまた二名控えていた。

 

 大公殿下は先程まで同盟側の使節や高等弁務官と亡命政府から派遣されたハーン伯爵率いる使節との仲介と仲裁に精励していた。その甲斐あってトリューニヒト議員らは亡命政府の使節とまず穏当なファーストコンタクトを取る事に成功していた。

 

「向こうの話も思ったよりスムーズで安心したよ。此方に航海中個別教師でもしてた?」

「議員らも事前知識はあったし変な教条も無かったからな。その点は助言しやすかったよ」

 

 これが長征派ならば第一声の呼び掛けに宮廷帝国語での挨拶をする事を受け入れてくれなかっただろう。まぁ、教条が無いので原作のアレな事をやらかした可能性もあるのだがね……。

 

「それで?そっちはどうよ?」

 

 私はここで話題を変える。旧友と会って仕事の話ばかりは余り愉快ではない。

 

「どうもこうも無いよ。こっちは相変わらずさ。強いて言えば、シャルに帰って来るのが遅いと小言を言われる位かな?」

 

 アレクセイは苦笑の笑みを浮かべて年下であり又従兄妹に当たる妻について答えた。

 

「結婚は人生の墓場、とか言ったのは誰だったかな?大公夫人は元々気紛れそうな性格だがこの分だと随分と苦労してそうだな?」

「大佐には言われたくないなぁ。こっちも独自のルートで色々聞いているよ?エル・ファシルで腕が吹き飛んだと聞いた時もかなり驚いたけど……」

 

 と、ちらりと私の安物の義手を一瞥し僅かに暗い表情を作った後、私の目を見つめて冗談めかして続ける。

 

「ハイネセンでまたトラブルを起こしてくれたね?ケッテラー家の御令嬢に粉かけた後愛人連れてフェザーン旅行とは、まぁ派手な事だね。怖いもの知らずとはこの事だよ」

「おい止めろ、笑えない」

 

 冗談半分……実際、聞いた話を脚色しているだろう……に語るアレクセイであるが、私からすれば笑い飛ばす事は出来ない。特にベアトとの関係とかベアトとの関係とかベアトとの関係とか。

 

 目の前の大公様も流石に私が従士にやらかした事まで知らないだろう。テレジアもだ。誤魔化し続けるのは難しいだろうが、少なくとも今公衆の面前で知られたくはない。兎も角話を逸らさねば。

 

「そっちに戻ったのは去年以来だな。どうだ、其方の状況は?」

 

 テーブルの上に置いていたワイングラスを手に取り私は故郷の状況について尋ねる。どの道、この事は気になっていた。

 

「……余り楽観出来る状況ではないね」

 

 アレクセイは笑みを消して、次いで険しい表情を浮かべて答えた。

 

「疎開計画は進んでいない。施政圏内の最外縁部は兎も角、今後主戦場になると目されているシグルーン星系やヘリヤ星系すら避難が完了していない有様だよ」

 

 前者は二〇万、後者に至っては八〇万近い人口がある。酸素のある居住可能惑星こそないが、人工天体とドーム型都市、鉱山があり、それらは事実上行政執行官である諸侯が皇帝に封じられた所領として統治している。

 

「避難させる船が少ない事もあるし、避難しようにも避難先でどう生活させるべきか。その前に、そもそも退避しようと決めてくれる地元領主がなかなか居なくてね」

 

 困った表情を浮かべるアレクセイ。亡命政府施政圏外縁部に所領を持つのは亡命してから歴史の浅い貴族や荒廃した東大陸から転封された諸侯だ。領主の領地に対する執着は人一倍であるし、元々それらの所領は本土決戦に向けた遅延戦闘のための抵抗拠点として設けられたものであるため臣民も士族階級や軍役農奴の血統が多くかなり好戦的だ。疎開についても抵抗感は強かろう。そしてなにより、そもそもの輸送力が足りない。

 

「戦力も厳しいね。予備役の動員を続けているけど動員する端から削られている。今年中はどうにかなるだろう。来年の半ば辺りまで行ってもまだどうにかなるだろうね。けどそれ以降となると……今投入されている分だけでなく賊軍は更に追加の増援を編成しているという情報もある。そうなれば本土決戦は避けられない」

「それは……不味いな」

 

 エル・ファシル攻防戦の敗残兵をそのままアルレスハイム方面の援軍に転用しているのは聞いているがここに来て更なる追加戦力となると………。最悪の最悪、亡命政府にも奥の手はあるが、余り使いたい手でもない。

 

 事の重大性に場の空気は重苦しくなる。私もアレクセイも、恐らく背後のベアトとテレジアも同様に焦燥感を漂わせた表情を浮かべている事だろう。

 

「……はは、そう気落ちする事はないさ。今回の融資交渉が成功すれば同盟軍の艦隊を動かせる。そして交渉はかなりの確率で成功するだろうからね。そこまで思い悩む必要もないさ」

 

 場の空気を読んだアレクセイが私を気遣うように明るい表情でそう答える。その態度に周囲の者達も同様にその瞳に希望が宿る。

 

(とは言え、本音じゃないんだろう?)

 

 流石演技をするのが御仕事の皇族である。周囲を鼓舞するのが上手い、が……私も彼を小さい頃から知っている。久方ぶりの再会であるが、その表情と内心の感情が同一とは程遠い事を私は殆ど確信していた。

 

 ……無論、口にはしないがね?

 

「本当にそうだな。折角の再会だ、悩む理由もない話で暗くなるのは損だな。明日からは仕事だが、今日位は明るい話をしようじゃないか?」

 

 だから、私はこの旧友の望む方向に話題を変える事にした。元々生真面目過ぎるきらいがある大公様だ、私が話題を先導しなければまた気難しい内容に変わってしまいそうだった。こんな日まで暗い話ばかりして旧友に心労をかけるのは私も本意ではなかった。

 

「そうだね、それが良い。幸いここの葡萄酒も中々良いものが揃っているしね。良い酒は楽しい話をする時に飲みたいよ。それはそうと………」

 

 そこで思い出したようにアレクセイは私に顔を近付け、そして耳元でほかの誰にも聞こえない声で囁いた。

 

「随分とベアトリクスと仲が深くなっているけど、何かあったのかい?」

 

 そう一方的に呟いてからソファーに深く腰がける大公殿下殿、その表情は歳と身分に似合わない悪戯っ子のそれに思えた。

 

 ………ははっ、バレてーら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 高等弁務官事務所から与えられた部屋は正直な所『悪くはない』ものだった。一国の顔となる高等弁務官事務所が貧相な内装をしている訳にはいかないし、使節団の議員の宿泊先として、時として亡命したフェザーンや帝国の要人を匿う必要もある。それ故に全体として高級感漂う広々とした部屋が私にも貸し出された。

 

「少々お待ち下さいませ、盗聴器や監視カメラがあるかも知れません。調査致します」

 

 そう言って私物を入れたトランクから音波探査機材や金属探知機を取り出して、あるいは高級家具を動かして目視で部屋の隅々を調査し始めるベアトとテレジアである。おう、お前ら案内役の前で容赦無さすぎだぞ。

 

「あー、悪いな。別に疑っている訳ではないのだが……」

 

 私は部屋まで直々に案内してくれたフェザーン駐在武官参事官ウィッティ少佐に対して苦笑いを浮かべながら弁明を行う。

 

 実際ここまであからさまに行うなぞ高等弁務官事務所の警備体制を信用していないといっているようなものだ。確かに念のため使節団の方でも高等弁務官事務所が自治領主府に篭絡されている可能性を考えて調査はするが……本人達の目の前で堂々とやる事ではない。

 

「そ、それでは私は失礼させていただきます。どうぞごゆるりとお寛ぎ下さいませ」

 

 ウィッティ少佐は咳払いをした後気を取り戻しそう答えると、居心地悪そうにその場を去る。少佐で参事官でしかない彼の立場で私に不満の言葉を吐く訳にもいかないだろう。多分部屋を出た後で愚痴られるだろうなぁ、等と私は半ば達観していた。

 

「若様、どうやら盗聴・盗撮機材は存在しないようです。流石情報戦の最前線たる高等弁務官事務所です。防諜体制はかなり整っています」

「おうベアト、その言葉参事官がいた場で言うべきだったな?」

 

 満足そうな表情を浮かべるベアトに私は肩を竦めて返答する。

 

「まぁいい。それで?お前達の部屋の方も調べなくて良いのか?」

「?我々も此方の部屋で若様の護衛として待機する予定ですが?」

「うん、知ってた。言ってみただけだよ」

 

 半ば予想ついてて暴露されても最早全く驚かない自分はやっぱり末期だと思う。

 

「ふぅ、それにしても今回は随分と責任の重い仕事だな」

 

 私は近場のソファーに座り込むとベレー帽を傍のテーブルに置く。礼装の首元のスカーフを外し釦を外すと肩を鳴らす。すかさずベアトが背後に移動して肩を揉んでくれた。うん、船旅と歓迎会のせいで肩凄い重いの。

 

「ハーン伯爵にベーラ子爵、祖国も今回の交渉を何としても成功させたいらしいな。ましてアレクセイまで連れて来るとは」

 

 交渉役に帝室関係者を連れて来るのは実務面よりも寧ろ政治的・心理的意味合いの方が大きい。亡命政府がフェザーンの危険性を承知で、それでも尚此度の交渉を重視している事の表れであり、また当事者を連れて来る事で相手に断りにくくしている訳だ。誰だって御本人の面前で断りの言葉は言いにくいし、余りぞんざいに扱えば今後のビジネスにも影響する。アレクセイは血筋のお陰でいるだけで相手に圧力をかけられる訳だ。流石はグスタフ三世陛下である。帝室一家の使い時を弁えている。

 

「僭越ながら、若様がそこまで心配なさる必要はないのではないでしょうか?大公殿下も仰っておりましたがフェザーンの守銭奴共が亡命政府の危機を放置する可能性は低いかと思いますが……」

 

 テーブルの上のベレー帽とスカーフを帽子掛けに掛けながらそう疑問を口にするのはテレジアだ。実際国境経済の中心地であり、資産家(亡命貴族)も多いヴォルムスが荒廃するのはフェザーン経済にとっても愉快な事ではない。普通に考えれば率先して融資してくると考えても可笑しくない。

 

「そう問屋が卸さないのがフェザーン人だからな」

 

 確かにヴォルムスが焦土と化したらフェザーンもかなり困るだろう。だがそれはあくまでもヴォルムスが焦土と化したら、である。逆に言えばヴォルムス以外の周辺宙域がどれだけ荒れ果てようが亡命政府軍が壊滅しようがフェザーン人には問題ない訳だ。

 

「寧ろ我らが亡命政府や同盟政府が必死に融資を受けようとするのにつけこんで利率や交換条件を釣り上げようとするかもな」

 

 しゃぶれる限りの利益をしゃぶり尽くしたがるのが『守銭奴』たるフェザーン人だ。まして今回のリスクは決して高いものではない。最悪交渉引き延ばしがミスってヴォルムスが壊滅してもそれはそれで株式や債権の空売りで利益を得ようと逞しく考えるだろう。

 

 そうでなくても長らく続くワレンコフの親同盟政策のせいで帝国との商いをしているフェザーン企業や商人の中には不満も溜まっていよう。彼らの嫌がらせも有り得る。

 

「それは………」

 

 私の言に歯噛みして怒りに表情を強張らせるテレジアである。無論その怒りの矛先は私ではなくフェザーンである。

 

(尤も、危険性があるのはそれだけではないのだがね………)

 

 フェザーン企業や元老はオリベイラ学長がまだ押さえられるだろう。フェザーン人は守銭奴だ。守銭奴だからこそ合理的な理論と利益を説明されれば賛同を得る事は決して難しくはない。

 

 問題は利益で動く訳でない者達……イデオロギーで動く者達、即ちフェザーンの裏で蠢く輩だ。

 

 地球教……奴らが今回の交渉に干渉して来ないのなら万々歳なのだがな。

 

「いつ頃だ……?ワレンコフが消えるのは……?」

「若様?」

「ん?いや、独り言だ。気にするな」

 

 肩揉みしていたベアトが私がつい呟いた言葉に反応したので誤魔化す。

 

 ……そうだ。もう原作なんてあやふやな記憶だが、ワレンコフは確か親同盟に傾き過ぎて地球教に消された筈だ。

 

 無論、実際はフェザーン自治領主なんて四方八方から恨みを持たれているし、地球教も数あるフェザーンの裏方スポンサーの一員に過ぎない。それでも単独行動とは限らないまでもあのカルト団体が一枚噛んでいたのは間違いない。

 

 ワレンコフ自治領主の生存……少なくとも亡命政府の当面の危機が遠退くまで最低限、彼には生きてもらわないと私としてはかなり困る。自治領主、交代するのいつだったっけ?

 

「……今日はさっさと寝てしまうに限るな。二日酔いは避けたいし」

 

 祝宴会の常として、決して暴飲した訳ではないがそれなりに酒類を口にして少々酔っていた。このまま明日を迎えるのは不味い。身体には宜しくないであろうが水と酔い止めを飲んで就寝してしまうべきであろう。

 

「それでしたらペパーミントティーを御用意致しましょうか?カフェインが含まれていませんので就寝前に丁度良いと思われますが」

 

 そう意見したのはテレジアである。元々予備役の頃に女学院で家政学を修めている従士は即座に私に求められるものを提案して見せた。ペパーミントは胃腸の調整効果があり食べ過ぎ・飲み過ぎ・食欲不振・吐き気に効くとされている。二日酔い対策に合致した提案と言えるだろう。

 

「ふむ……、では貰おうかな?蜂蜜も少し入れてくれるか?」

「承知致しました」

 

 僅かに逡巡した後私が提案を受け入れれば、恭しく頭を下げてからトランクの中に用意していた茶葉やティーセットを手に調理部屋の方に行くテレジアである。恐らく五、六分もすれば極上のペパーミントティーを淹れてきてくれる事だろう。

 

 テレジアが出ていった後、私と背中を揉みほぐすベアトと二人だけが部屋に残される。

 

「それにしても、まさかアレクセイが此方に来るとはな」

「大公殿下として、実に凛々しく、堂々とした御姿で御座いました」

 

 私の言葉にベアトが答える。彼女もアレクセイとの面識は古い。正確に言えば、私が初めてアレクセイと会ってから三か月もせずにベアトが付き人になった。そのため、彼女が正式に私の傍に控えるようになってから私が彼と遊んでいる時は侍女や執事と共に着いていき、歳が近いため遊びに加わる事も度々の事であった。

 

「随分と高評価じゃないか。私よりも、か?」

 

 意地悪気味に、冗談半分に私はそう口にしてみる。

 

 実際かなり意地悪な質問だった。彼女がアレクセイを高評価するのは彼の出で立ちと態度から当然であるし、万一美辞麗句の羅列から現実が離れていても身分的に当然そういうべき事だ。寧ろ私こそ凛々しさとも堂々さとも無縁な存在だ。実際並べれば十人いれば十人彼の方が優秀で敬愛すべき人物として選ぶ事であろう。

 

「御冗談を、若様よりも敬愛し、お慕い申し上げるべき人物なぞ私には御座いません」

 

 一切の逡巡もなく返って来た言葉に流石に一瞬沈黙した。豆鉄砲を撃たれた鳩のような表情を浮かべ、数秒してから私は肩を竦めて苦笑を浮かべる。

 

「……お前に言われると御世辞でも心底嬉しいね」

「御世辞では御座いませんよ?」

 

 肩揉みを止めて即答する従士。私が黙ったまま首を斜め上に上げると、そこには目と鼻の先に此方を見下ろす幼馴染の姿があった。真剣に、そして優しげに此方を見つめる視線……。

 

「……御信じ頂けませんか?」

 

 凛々しげに、柔らかな微笑と共に、しかし瞳の奥を僅かに震わせながら囁くように幼馴染みは尋ねる。

 

「まさか、お前の言葉まで信じられなくなったら人間不信になってしまうじゃないか?」

「深い信頼の御言葉、恐縮の至りで御座います」

 

 そう言って、私達は協力して悪戯を計画する子供のようにクスクスと小さく笑った。

 

 そして……笑いながら私はそっと、極自然な仕草で生身の左手で右肩に乗せられた幼馴染みの手に触れ、引っ張った。

 

「あっ……」

 

 彼女は小さくそう声を漏らしつつもそれに逆らう事なく、彼女の上半身は私の腕に引き摺られ、次の瞬間には私は彼女と額が触れ合う程顔を近付けていた。互いの生暖かい吐息が肌に触れる。金糸の髪から仄かに甘い柑橘系の香りがした気がした。

 

「若様、余りこのような場所では………」

「分かっている、ほんの悪ふざけだよ」

 

 そう言いつつも困り顔の彼女も、当然私も互いに見つめ合い続けたまま動かない。寧ろ互いに額を擦り合わせるように一層触れ合う。彼女の左手は私の首に巻き付き、右手は私の右手と重ね合わさり、指は絡み合う。

 

 最後までしてしまう積もりはない。今は仕事中であり、ここは高等弁務官事務所の一室であり、そう長くしない内にテレジアも戻って来る。呑気に、そして後先考えずに理性のタガが外すなぞもっての外だ。そもそもあの日以来ああいう事は一度もしていない。口にした通り、あくまでもスキンシップを兼ねた悪ふざけだ。

 

 ……恐らく、ほろ酔い気分で気が緩んでいる事も今日に限ってこんな事をしている一因だろう。理性でこの先まで進むのは宜しくない事は自覚しているが、同時に無性に心地好い今の状況を直ぐに切り上げたくもなかった。

 

 故にこのまま互いに見つめ合い、手を絡め合わせるだけに留めてる。別に肉欲にひた走る訳ではないが、これ位許されても良い筈だ。

 

 尤も、相対性理論を引き合いに出す積もりは無いが心地好い時間というものはいつだって短いものだ。すぐにタイムリミットはやって来た。

 

「若様、ペパーミントティーの方が出来ました。……若様?」

「ん?あぁ、入ってくれ」

 

 扉のノックする音に私は若干の名残惜しさを感じつつも幼馴染から顔を離し、答える。同時にティーカップとティーポットを載せた銀のトレーを持ったテレジアが物腰の柔らかい笑みと共に入室した。

 

「………」

 

 私はちらりとベアトの表情を盗み見していた。そこにいたのはいつも通りの生真面目な表情を浮かべる家臣の姿だけだ。その割り切ったような態度に一抹の寂寥感を思い、暫しの間目を伏せて沈黙した後、次の瞬間には私は視線を真っ直ぐに向けてテレジアの方を見た。

 

「良い香りがするな。それに落ち着く。頂くぞ?」

 

 手元に来たトレー、そこに載せられたティーカップからは湯気が漂っていた。ミントの清涼な香りが鼻孔をくすぐった。これは確かに酔い止めに良さそうだ。

 

「はい、どうぞお召し上がり下さいませ」

 

 恭しく頭を下げそう申し出る従士。私はティーカップを義手で掴み顔まで持っていく。その香りを改めて楽しんだ後に口に含む。爽やかな味わいに注文した通り蜂蜜の仄かな甘さがあった。

 

「……良い味わいだ」

「光栄の至りで御座います」

 

 再度頭を下げて、そして賑やかな表情を浮かべてテレジアは答えた。どこか安堵したようにも思える。その表情に私も同じように安心していた。

 

 尤も………。

 

(美味しいのは間違いない。だが………)

 

 非礼であり、身勝手な我が儘である事も百も承知であるが、いつの間にかレモンティーかマーマレード入りのロシアンティーが飲みたく思えたのも事実だった。同時にその考えに思い至る理由は分かりきっていたので罪悪感が私の胸の内にのし掛かる。

 

「……御代わり、貰えるかな?」

 

 少し急いで飲みきった後、私はもう一杯注ぐように従士に命じる。それが罪悪感からか、酔い止めの効果を期待したものか、注文した私自身分からなかった。ただ一つ言える事は笑顔を浮かべて命令した臣下がそれに応えてくれたという事だ。

 

 新しく注がれたティーを私はその香りを楽しむ振りをしながら顔に近付ける。

 

 ふと、波立つ薄い緑とも紅色とも言い切れない色合いの茶の水面に自身の表情が見えた。客観的に見て端正で品位があって……しかし実に軽薄で冷淡で、性格の悪そうな男の姿がそこにあった。

 

「……私にはお似合いの姿だよ」

 

 私は肩を竦めながら自虐気味な笑みを浮かべた後、気付けば一気に手元のティーカップを飲み干していた………。

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、同盟政府と亡命政府からの使節が漸く来たようですな」

「使節?集りの間違いではないかね?」

「何でも構わんよ、我らの利益になる話であればね」

 

 フェザーン自治領の実質的な星都であるセントラル・シティ、金と陰謀と欲望が常時渦巻く眠らない街、銀河経済の中心地、人類圏最大の人口密集地帯、背徳と退廃の都………周辺都市を含む域内総人口は三億人に迫るこのメガロポリスの中心部近くに最上流階級用の歓楽街がある。

 

 主にフェザーンの大財閥の幹部や豪商、投資家に自治領主府の高級官吏、あるいは旅行や役所仕事、ビジネスで訪れた門閥貴族や同盟・帝国の役人や富裕市民、更には三国で暗躍する大規模な犯罪組織や宇宙海賊の幹部、何世紀も戦乱と混乱の続く広大かつ人口希薄な外縁部に住まう有力者達がこの最上流階級用歓楽街の主な顧客だ。

 

 中には三国問わず治安組織に捕まえられれば死刑確実な御尋ね者もいるが、そんな事はフェザーン自治領主府は関知しない。莫大な金銭さえ支払えばこの歓楽街で彼らの身柄が確保される事は絶対にあり得ない事である。そんな事をすればこの歓楽街の信用は地に落ちるであろう。時として社会や経済、あるいは多くの人々の人生と生命に影響を与える陰謀や交渉、合議、談合の行われるこの歓楽街でそれは許さない事だ。

 

 そもそもこの一種の治外法権を得ている歓楽街で行われているサービスの中にはフェザーン・帝国・同盟の刑事法をギリギリどころか完全に踏み越えているものすら多々あるのだ。万一にも警察が踏み込むなりジャーナリストがマスコミに暴露記事を書くなりすれば利用者達の立場もあって銀河全域規模での大スキャンダルになりかねない。この街がフェザーンに落とす収入も魅力的だ。触らぬ神に祟りなしである。道徳的には兎も角、現実的にはこの街で行われているあらゆる背徳は見て見ぬ振りをする事が最上の選択肢であった。

 

 寧ろ、無用な調査や報道させないためにフェザーン自治領主府が民間軍事会社の完全武装した傭兵や武装ドローンで歓楽街周辺を警備している程で、何年かに一度正義感に燃える同盟人ジャーナリストや一攫千金を狙うフェザーン人パパラッチが制止を振り切り中に入ろうとして射殺されるなんて事件も起きている(そしてその批判は有力者達のマスコミへの圧力で揉み消されるのが常であった)。

 

 そんな最上級歓楽街の一角にその酒場はあった。若くして栄達したある女優が情夫の後ろ盾の元に経営しているこの店は決して常時満席という訳ではないが、それは決してこの店が周囲の他の店に劣る事を意味していない。

 

 寧ろその店の客質は周囲の店に比べても頭一つ突き抜けていた。決して万人が知る程に有名という訳ではない、しかし知る人ぞ知る極上の酒を始めとしたサービスで高い評価を受けていた。469年物ノイエ・ヘッセンの赤や419年物のシュベルムの白、あるいはカルステンの四十年物やドラケンベルグの三十年物のキルシュヴァッサー、同盟産であれば770年物のパルメレントの赤や三五年物のカッファーのブランデー、最上級のフェザーン・ラムも取り揃えている。

 

 カウンターの棚の上に乗せられた410年物の白のボトルはその道を究めたソムリエには玉座に君臨する皇帝に見えた事だろう。合法非合法ありとあらゆる物品の揃うフェザーンにおいても同じものは恐らく十本もあるまい。まだ未開封のそれは、店主が酒場を開店した時に情夫から贈呈された店の一番の目玉である。無論、同時に強盗に奪われる可能性もあるために屈強な武装警備員も雇いいれなければならなくなったが。

 

 先程まで自由惑星同盟及び銀河帝国亡命政府から訪れた『乞食』達の噂をしていた三人のフェザーン元老院議員……同時に彼らは銀河でも有数の財閥の会長であり、豪商であり、富豪でもある……も棚のワインボトルに視線を向ければ憧憬の念を抱かずにはいられない。

 

「あら、お酒が進んでいないようだけど。私の店の物は御口に合わないのかしら?」

 

 そんな元老院議員達の居座る一角に壇上で歌われるジャズの生演奏をBGMに一人の女性が印象的にそう言いながら歩み寄って来た。

 

 若々しく、しかし実年齢が二十代前半であるとは思えない程に歳不相応な妖艶さを醸し出す美女であった。赤茶髪のウェーブがかった髪に翠玉色の瞳、口元の黒子はどこか官能的な印象を見る者に与えていた。

 

 出で立ちは赤を基調とした下品にならない程度に露出度の高いドレスだった。短いスカートやざっくりと見える背中や首回りは妙に肉感的で染み一つない白い肌である。

 

 踊り子にして歌手にして女優、そして近年幾つかの酒場や宝石店をも経営するようになった最上流階級用クラブ『鹿の園』の店主ドミニク・サン・ピエールは知性と、陰と、淫靡さが複雑に交じり合う微笑を浮かべていた。

 

「いやいや、そんな事は無いよドミニク」

「そうさ、ここの酒と料理、それに女性達は最高さ」

「無論、一番素敵なのは君だけれどね?」

 

 元老院議員達は朗らかな笑い声をあげて弁明する。その口ぶりは半分程は御世辞であるが、少なくとももう半分は心からの言葉であるようだった。

 

「あらあら、そこまで褒めてくれると嬉しいですわね。私も背伸びしてこんな高級街でクラブを建てた甲斐がありましたわ」

 

 怪し気な、それでいて色気のある笑みを浮かべる店主は蛇のように這い寄りながら議員達と対面するようにソファーに腰がける。肉付きの良い太腿を重ねるように足を組むと世間話をするように極自然に話題に入り込む。

 

「それにしても、随分と険しい表情で御話ししていましたわね?お酌する娘達もいないし、何か御有りなのかしら?」

「ドミニク、君は相変わらず鋭いねぇ。男だったらきっとあのバランタイン・カウフの再来になっていただろうよ」

「そうなれば我々のライバルと言う訳だな。いやはや、希代の大商人誕生が仮定の話となった事を嘆くべきか喜ぶべきか。何とも判断がつきませんな」

 

 元老院議員の一人が茶化すように言って別の議員がそれに乗っかるように小さく笑う。

 

「あら、これはまた最高の御世辞ですわね。ですけれど私もフェザーンに住む女、折角の面白そうな御話をそうやって煙に巻こうだなんて許しませんわよ?」

 

 そういって不敵な笑みを浮かべて店主はテーブルの上のブランデーのボトルを手に持つ。三人の議員達は肩を竦めながらグラスを店主に向け、店主は一人一人丁寧に酌をする。

 

 場で最年長の議員は金色に輝くブランデーのグラスを一気に呷ると観念したように口を開く。

 

「やれやれ、君には敵わんな。いやなに、『乞食』達からどう金を巻き上げるか思案していた所さね」

「『乞食』?幾つか心当たりはありますけれど……今日に限って貴方方が口にするとなると同盟の特使団の事かしら?」

「ほぉ、正解だ。これはまた耳が早いな?」

「宇宙港の高官も私の店を気に入ってくれているの。話題作りで教えてくれたわ」

 

 くすくす、と子供のように、しかし同時に淫魔のように小さくくすぐるような笑い声を漏らすドミニク。

 

「それならば話は早い。奴らがこの時期に我らのフェザーンに来た動機、それは一つさ」

「大方我々から出兵用の予算を借り上げたいのだろうよ。全く、同盟人は非生産的な事だな。戦争なぞ新たな価値を生まず消費するだけの行いだというに」

 

 別の元老院議員が話を続け、嘲るように笑う。尤も、その議員も此度の融資案件が下手をすればフェザーン経済にまで悪影響を与えるものだとまでは口にしない。そこまで懇切丁寧に教えてやる義理はないし、その程度の事実を自身で見抜けないようではこの退廃の街で店を構えるなぞ出来やしないのだから。

 

 そして目の前の女店主は恐らく議員の口にしていない事実に気付いていた。口紅を塗った赤い鮮やかな口元を僅かに吊り上げて意味深げな笑みを浮かべるドミニク。

 

 その時であった。鈴の音と共に店の扉が開かれたのは。ドミニクはちらりと壁に掛けられたクラシックな時計を見ると内心で少し遅かったわね、と小言で呟く。

 

 燕尾服を着こんだ店員に案内されてその客は元老院議員達とドミニクが飲む席へと顔を出した。

 

「これはこれは、元老の皆様方。御忙しい中私めなぞの呼びかけに参集して頂き誠にありがとう御座います」

 

 黒いタートルネックのセーターに淡緑色のスーツという出で立ちの異相の男がにこやかに、しかし油断ならない笑みを浮かべてそう口を開いた。フェザーン自治領主府自治領主補佐官アドリアン・ルビンスキーの顔を知らぬ元老達はいない。

 

 そして、此度彼らがこの店に来店した理由もまたこの褐色の禿男からの申し出によるものだった。

 

「ドミニク、私が今日の支払いは全て持つ。上物を遠慮なく開けてくれて良いぞ?」

「あらそう?じゃあ御言葉に甘えてたっぷり楽しませてもらうわよ」

 

 そういって給仕をしていた娘に何本かの高級フェザーン・ラムとフェザーン・ブランデーを持って来るように伝える。

 

「ルビンスキー、この店は良い店だが我々も暇ではない。時間が惜しい、本題から入ろうか?」

 

 最年長の元老院議員が代表して自治領主補佐官に尋ねる。

 

「皆様がどれだけ多忙かは承知しております。しかし物事には順序というものが御座います。いきなりそのような無粋な切り出し方は宜しくないでしょう?まぁ、お待ち下さい」

 

 しかし応揚にルビンスキーは議員達にそう言ってのけた。そうしているうちに店員によってボトルが持って来られる。ドミニクが皆のグラスに氷を入れ、ブランデーを注ぎ込む。

 

「さて、舞台が整いましたな。では皆様も御待ちかねのようで御座いますしそろそろ私からのプレゼンに入りましょうか。………此度の融資交渉において同盟と帝国と亡命政府、そして自治領主、四者から最大限我々の利益を引き出すためのご提案を、ね?」

 

 禿男はブランデーが注がれたグラスを掲げて、心底不敵な笑みを浮かべた。

 



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第百四十九話 風邪と痔と禿げには薬は効かない

 自由惑星同盟政府及び銀河帝国亡命政府が派遣した使節団をフェザーン自治領主府が歓待する祝宴会を開催したのは宇宙暦790年9月19日の夜からの事であった。フェザーン自治領セントラル・シティの省庁街に程近い繁華街に建てられた高級ホテル『ホテル・バタビア』がその会場である。

 

 尤も、一国の代表団を歓迎する上で本来ならば『ホテル・バタビア』は決して最善の選択肢とは言えない筈であった。確かにこのホテルは高級ホテルが軒を連ねるフェザーンにおいても決して格落ちするものではない。だがそれでもフェザーンにおける最高レベルとは到底言えない事も確かであった。

 

 それでもこのホテルが歓待の場に選ばれた一因に、経営者が同盟系フェザーン人のため代々同盟高等弁務官事務所が信頼して懇意にしている、という要素があっただろう。誰だってアウェーで密談もあるパーティーを主催したくないものだし、自治領主府もそんな同盟側の心象を忖度していた。

 

『ホテル・バタビア』における一番広いパーティー会場、高級絨毯が敷かれ、煌びやかなシャンデリアに照らされた大部屋には同盟・亡命政府・フェザーンの要人が集まっていた。その中には社会的著名人も少なくない。私もまたその出席者の一人である。(残念ながらベアト達は居残りした)

 

「皆様方、此度はフェザーンへの訪問を心から歓迎させて頂きます。どうぞ今日は『両国』の友好関係を一層深化させるべく心行くまで交流を深めましょう」

 

 パーティーは壇上でシャンパングラス片手にそう笑顔を浮かべた老人の宣言から始まった。白い豊かな髭を蓄えた第四代フェザーン自治領主ゲオルキー・パプロヴィッチ・ワレンコフがグラスを掲げ乾杯の言葉を口にする。同時に広々とした会場を満たす両国の要人達が同じようにグラスを持ち上げ同じく乾杯の言葉と共にそれを口元に運んだ。

 

 こうして酒精混じりに自由惑星同盟(及び銀河帝国亡命政府)とフェザーン自治領の腹を探り合う宴会は幕を開けた。

 

「どうですかな?大公殿下はフェザーンへの行幸は初めての事であるとか。何かご興味を抱かれたものはありましたでしょうか?」

 

 ワレンコフ自治領主はトリューニヒト議員、ハーン伯爵、オリベイラ学長……という重要な者から順番で十名程のゲストに挨拶した後、私と軽い会話を交わしていたアレクセイこと、シュヴェリーン大公に宮廷帝国語でそう呼びかけた。

 

「ワレンコフ自治領主、お気遣い有難く頂こう。そうだね、今日も少し見させて貰ったが……流石フェザーンというべきか、物珍しさに年甲斐もなく目を惹かれてしまったよ」

 

 宮廷帝国語によるアレクセイの上から目線の発言に、数名の同盟側の出席者が顔を強張らせる。尤もトリューニヒト議員もオリベイラ学長も、無論私も驚きも焦りもしない。驚愕した者達には悪いが、彼らはもう一度フェザーンについて勉強し直すべきだ。寧ろフェザーンと亡命政府の関係としてはこれが旧友の取るべき正しい態度であった。

 

 フェザーン自治領は銀河帝国の行政区分において、正式には『フェザーン星系第一等帝国自治領』と呼称される。

 

 銀河帝国国内における自治領は元々銀河連邦建国期における初期加盟国等……その多くは『銀河統一戦争』時代からの独立国でもある……を中心に約一〇〇星系前後が自治権を認められ、一八〇億前後の人口が自治領民として内包されている(自治領の中に更に細かく自治区と自治区長が設けられている場合もある)。

 

 彼らは最低でも政治体制の自由が認められており、また徴兵義務を負う事もない。その特権と引き換えに、形式的とは言え銀河帝国を連邦の正統なる後継国として承認し、銀河皇帝を全人類の支配者にして全宇宙の統治者である事を認め、(形式的とは言え)一家臣として臣従する事を求められていた。

 

 自治領及び自治領主の帝国国内における行政区分・宮中席次を定める目的から、また自治領間の連携を阻害する目的から、帝国自治領は五段階に区分されている。即ち『第一等帝国自治領』から『第五等帝国自治領』までである。宮中席次ではそれぞれ公爵から男爵に当たり、その差は帝国の自治領主に対する待遇と自治領の得る自治権の範囲に比例する。また自治領内の自治区の長も同様に宮中席次として子爵ないし男爵相当の待遇と共に帝国への臣従を義務付けられている。

 

 実際の所、特に理由もなければ大半の自治領は第三等ないし第四等自治領として区分されているとされる。かなりの自治権が認められている第二等自治領に指定されるのは現状、旧銀河連邦首都惑星が存在する『アルデバラン星系第二等帝国自治領』と開祖ルドルフ大帝生誕の地である『プロキオン星系第二等帝国自治領』の二つのみである。歴史上に出て来る有名な惑星で言えば、地球を含む太陽系が『ソル星系第三等帝国自治領』の立場にある。他に、シリウス星系は元々第三等帝国自治領であったが、カスパー一世短命帝失踪後の混乱に乗じて起こした反乱から現在では『シリウス星系第五等帝国自治領』に宮中席次を格下げされている。

 

『フェザーン第一等帝国自治領』の呼称は文字通りフェザーンが他の帝国自治領に比べ異様な程幅広い自治権を有している法的根拠だ。制限付きとは言え独自の恒星間航行能力を有する自衛戦力の保持を認められ、独自通貨発行の権利と独立した外交権限、自治領内外に対する完全な関税自主権等を有する。自治領主は参勤交代義務を免除され、帝国の宮廷席次では実質は兎も角、形式的には公爵に準ずる扱いが為され、『銀河帝国サジタリウス辺境部通商航路総督』の役職を与えられる事になっている。自治領と自治領主としては破格の高待遇である。

 

 フェザーン自治領成立時、当然ながら亡命政府も同盟政府と共に自治領成立の交渉に立ち会っており、特に亡命政府とフェザーンの関係性について要求を行って受理されている。

 

 亡命政府もまた形式的であるにしろフェザーンを『自国の自治領』として認める形を採る事で帝国政府同様フェザーンの自治権を認め、自治領主に対して公爵位に匹敵する宮廷席次を認めている。

 

 逆に言えば亡命政府から見ても形式的にはフェザーン自治領主は亡命政府及び皇帝の『臣下』である訳だ。であるならば当然『大公』たるアレクセイから見た場合ワレンコフ自治領主は名目上は目下の存在となる訳である。それ故一見横柄にも思えるこの態度は寧ろ正しい。

 

 亡命政府にとっても同盟政府にとっても、この事実は案外対フェザーン外交の上では軽視出来る事ではなかったりする。幾ら名目的とは言え両者が明確に立場の上下を了解して理解している状況は、外交交渉の上でも心理的駆け引きの上でも相応に優位に働き得るのだ。

 

「それは喜ばしい事で御座います、大公殿下。どうぞ此度の御訪問、満足いくまでフェザーンをお楽しみ下されば幸いです」

 

 ワレンコフ自治領主はアレクセイの態度に不快感を一切表さず当然の態度を取る。フェザーンにとっても成立時の協約で(形式的な)主従関係がある事は勿論、亡命政府は主要なビジネスパートナーであるし、万一亡命政府が本物の銀河皇帝に返り咲いた時、あるいは帝国と和解し相応の立場に復帰した際の事を思えば態々相手からの印象を悪化させる必要はない。口先だけでも下手に出る位何の問題があろうか?

 

 自治領主の世辞と打算に満ち満ちた態度と言葉に大公は小さく苦笑した。そして僅かに目を細めて口を開く。

 

「そうしたいのは山々だけれどね。此度は仕事での訪問だ、そう遊び惚けてばかりいられないのが残念な所だ。それに一人で楽しんでは妻も拗ねる。フェザーン観光は別の機会に妻と一緒にやらせてもらうよ」

 

 アレクセイの言葉は軽い警告だ。近いうちに妻と旅行する程に余裕が出来る、即ち目下の帝国軍のアルレスハイム侵攻をどうにかした後でと言っていた。つまりフェザーンの努力を期待したいと言外に伝えているのだ。

 

 ワレンコフ自治領主は微笑を浮かべ小さく頭を下げて大公の言葉に応じた。言質を取られないようにしつつ、この場を切り抜ける正しい応対の仕方だった。

 

 アレクセイも深く追及しない。この程度の揺さぶりで要求を呑ませる事が出来れば陰謀渦巻くフェザーンの自治領主に三十年居座るなぞ到底出来まい。あくまでも今の言葉に警告以上の意味合いは無かった。

 

「さて……」

 

 ワレンコフ自治領主は次いでアレクセイのすぐ傍にいた私に視線を向けた。ちらりと胸元の自由戦士勲章に注目した後、私の顔を見つめる。そして恐らく思考をフル回転させ何某かの答えを導き出し、貼り付けたような笑みを浮かべる。

 

「活躍については私の耳にも入っておりますよ。エル・ファシルでの軍功、誠に見事でしたティルピッツ大佐」

「使節団代表特別補佐官ティルピッツ大佐です。自治領主殿の下まで御話が伝わっている事、恐縮の至りで御座います」

 

 ワレンコフ自治領主のにこやかな表情を浮かべての言葉が御世辞、あるいは皮肉の類であろう事は分かり切っていた。

 

 そもそも自治領主にとってパーティーの出席者の顔と経歴は予め暗記しておく類のものであるし、それ以上にフェザーンの政財界にとって私の名前は余り愉快でない意味で最近有名になってしまった。

 

 エル・ファシル攻防戦における私の行動は偶然であるにしろ、多くのフェザーン商人達の不興を買った。

 

 エル・ファシル攻防戦のフェザーンにおける前評判は今年二月から三月頃まで続くと予想されており、多くの企業や商人がそれを前提に運輸業務や航海日程の作成、物資の先物買い、証券・債権の売買を行っていた。だが実際は攻防戦は一月の頭にはほぼ終結してしまった。

 

 その一因は間違い無く帝国地上軍第九野戦軍の戦線崩壊であり、その根本的理由は第九地上軍司令官エーバーハルト・フォン・ツィーテン大将が同盟軍及び亡命政府軍の捕囚となった事……即ち私のせいである。

 

 正直私もあの戦いは何度も死にかける程酷い有様であったし、友軍や家臣達のためにも後悔する事ではない。とは言え、私のせいで予定が狂い損失を出したフェザーン企業や商人も少なくない。

 

 戦争も商売も想定外の事は幾らでもある事はフェザーン人も理解しているだろう。それでも少なからずのフェザーン人が私に何とも言えない感情を抱いているのは確実であろうし、自治領主もその辺りの諸事情は把握している筈だ。私に対して何とも言えない感情を持っていても可笑しくなかった。

 

 ……まぁ、後五、六年もすれば私の仕出かした事とは比べ物にならない程戦争の前評判は酷い推移をする事になるんだろうけどね?アスターテ、第七次イゼルローン、帝国領遠征作戦………恐らく原作におけるフェザーン市場は大荒れ所じゃなかっただろう。冗談抜きでフェザーン商人総アヘ顔雌堕ち状態だった筈だ。ビルの屋上からエキサイティングにヴァルハラ急行に乗った奴ら絶対山程いただろう。私なんかで荒れている場合じゃないぞ?

 

 ……さて閑話休題、話がそれたな。

 

「先日の戦いにおけるフェザーンの尽力に感謝致します。『レコンキスタ』におけるフェザーン企業の後方支援の数々は極めて心強いものでした。分不相応ではありますがあの戦いに従軍した全ての兵士達に代わり御礼申し上げます」

「いやいや、全ては各社の自由意思によるものですよ。フェザーンの住民は商魂逞しい者達が多いですからな。適正な報酬さえあれば誰のどのような要望でもお答えします。それがフェザーン人の誇りと言う物です」

 

 私が『レコンキスタ』作戦中に同盟政府から下請けとして雇用された後方警備や輸送・補給・その他のサービスにおけるフェザーン企業の活躍に謝意を示せばワレンコフ自治領主は慣れたように謙遜する。実際慣れているのだろう、トリューニヒト議員も恐らく同じような言葉でワレンコフ自治領主と会話していただろうから。

 

「それでもです。幾ら商人の国たるフェザーンと言いつつも全ては自治領主府あってこそのものです。自治領主府が秩序と規則を定め監督しているが故に今のフェザーンの繁栄がある。ならば自治領主府の代表たる貴方に謝意を示すのは当然の道理というものでは?」

 

 私は軽く自治領主をおだてて見せる。とは言えまるきり嘘でもない。フェザーンが今日の経済的繁栄を享受してきたのは歴代自治領主府首脳部の経済政策と政治政策の功績だ。「フェザーンでは無能が役人になる」なんて話は鵜呑みにする類のものではない。寧ろ彼らこそがフェザーンで一番手強いビジネスマンだ。

 

「過分な評価、有難いものですな」

 

 ワレンコフ自治領主はそう(少なくとも外面は)機嫌良さそうにそう笑顔を浮かべ、次いで一礼してから同盟フェザーン租界工部局長チアン氏と同盟フェザーン租界防衛司令官兼フェザーン租界宇宙軍特別警備陸戦隊司令官コリンソン少将の元へと踵を返した。

 

「最初にしてはそこそこ良いジャブだったかな?」

 

 自治領主と入れ替わるようにやって来たトリューニヒト議員は人好きする、しかし内心の窺い知れない笑みを浮かべながら私達の元へと来た。どうやらフェザーン元老院の議員との挨拶を終えた所のようだった。アレクセイの方を向くと小さく頭を下げる。

 

「シュヴェリーン大公、彼方の総裁方が御話しをお望みです。御足労をお掛けしますが御同行を御願いします」

 

 そういって国防委員はテーブルの一角に視線を向ける。フェザーン中央銀行副総裁に北極星銀行理事長、フローラル金融グループ会長にサバロフ銀行総裁……即ちフェザーンを代表する意地汚い金貸し屋達が雁首揃えて控えていた。交渉相手の下見と言った所か。

 

「分かりました、国防委員。ヴォルター、悪いけど失礼するよ?」

 

 旧友は僅かに肩を竦め、私の方を向いてすまなそうに口を開く。

 

「仕事だからな、仕方あるまいさ」

 

 アイサツは大事、古事記にも書いてある。実際、商売人達にとっても面子は大事だ。名より実を取るべき、等というが甘い。強欲なフェザーン商人の中には両方欲しがる者だって珍しくない。

 

 トリューニヒト議員がアレクセイと共にその場を離れると今度は私が標的にされた。私の下に来たのはフェザーンの警備会社と軍需企業の役員連中であった。まず間違いなく私の家柄狙いであろう。父は宇宙艦隊司令長官、大叔父は軍務尚書とティルピッツ伯爵家は亡命政府軍の重鎮であり、領地たるシュレージエン州は当然のように軍事工廠が集まるヴォルムスの重工業地帯の一つだ。私に唾をつけてビジネスの足掛かりにしたいのだと思われる。

 

 正直彼らに這い寄られるのは愉快ではないが無視出来る存在でもない。亡命政府にとっても彼らは重要な協力者であり、何よりもフェザーンの『軍事力』の根幹だ。

 

 フェザーン自治領府独自では数十万の警備隊しか軍備を有していないが、フェザーンに拠点を置いて密接に結びつく民間軍事会社の傭兵は数だけでいえば総数一〇〇〇万にも及ぶ。これ等の企業は有事にはフェザーン自治領首府に戦力を提供する契約を結んでいた。自治領府では寧ろ運用に制約のある警備隊よりも必要な時に何時でも何処でも如何なる目的でも安く利用出来る彼らの方が使い勝手が良いと言う意見すらある。

 

 特にフェザーン民間軍事会社最大手の一つ、アトラス・セキュリティ・カンパニー(ASC)のスペンサー社長と交流出来たのは幸運というべきだろう。アトラス社は亡命政府軍に対して主に外縁宙域出身の傭兵の教育と斡旋を長年受け持っている得意先だ。現最高責任者たるスペンサー社長はフェザーン元老院五〇人議会の一員でもあり、次期フェザーン自治領主候補の一人でもある。

 

 ……正確には亡命政府が候補として援助しているというべきかも知れないが。

 

「我が社は長年貴国に対して上質な兵士を供給してきた実績があります。近年の戦況は予断を許しませんが我々としても今後も出来る限りのサービスは提供させて頂きます」

「それは有難い限りです。我が家としても御社と今後も深い付き合いを続けていきたいと考えております」

 

 片や五〇代の初老の老人であり片や三〇にもなっていない小僧であるが互いに長年の友人のように手を握り合う。私も彼も互いに互いが必要な事はよくよく理解していた。社長にとっては亡命政府は最大の契約相手の一つであり、亡命政府にとってもアトラス社は貴重な兵力の供給源だ。

 

 そしてこの短い挨拶でスペンサー社長が『此方側』なのはほぼ確実だった。まずは一人、と言う訳だ。

 

(ワレンコフ自治領主と元老院の親同盟派は此方側として……問題は親帝国派だな)

 

 ちらりと視線を移動させる。ルナ・ネクサス社のトンプソン幹事長に星海貿易公司のタオ社長、ハロルド・ロイド保険組合のコンラディン総帥………彼らは同じくフェザーン元老院五〇人議会の議員達であり帝国との繋がりが深い者達だ。いや、より正確には帝国自治領との繋がりか。

 

 宇宙暦707年に第二代自治領主ウィッテンベルクは帝国・同盟からの新規移民を一部例外を残して禁止した。両国が自国の人的資源がフェザーンに流出する事を嫌い自治領主府に圧力をかけた結果である。

 

 とは言え、この時点でフェザーン自治領成立から既に四半世紀が経過している。その間に流入した人口は推定四億人、それ以前に流入したそれを含めれば六億人に迫る。戦火を嫌い多くの人と企業がフェザーンに逃げ延びた。

 

 特に帝国からフェザーンに流出したのは自治領民と自治領企業であろう。帝国の階級社会や厳しい法規制、自治と引き換えの星間移動・ビジネスの制限……自治領の法人企業はそれらを疎んで帝国に比べ遥かに規制の緩いフェザーンに新天地を求めた。彼らは故郷との繋がりを維持しつつフェザーン人としての立場を利用し、これまで多数の障壁で保護されていた帝国市場を蚕食していった。

 

 特に第二次ティアマト会戦敗北や諸侯の反乱の相次いだコルネリアス二世の治世において帝国財政が破綻一歩手前にまで陥りかけると、帝国政府は遂にフェザーン企業と妥協せざる得なくなった。オトフリート皇太子(オトフリート三世餓死帝)は帝国直轄領の公社の権益は維持しつつ、同時にいつ反乱を起こすかも分からぬ諸侯の勢力を削るために法改正を断行した。帝国政府と皇帝の『代理』としてフェザーン企業は諸侯の領地に押し入り数々の保護政策で守られていた地元企業と対等の立場で勝負し、その多くでシェアを奪い取った。帝国政府はその利益の何割かを受け取り軍の再建に費やす。

 

 この事例はその後の帝国史に意外な程の影響を与えた。名君たり得た筈のオトフリート三世はこの件による貴族の反発もあってか偽アルベルト大公事件で掌返しの上で命を狙われ人間不信から餓死コースに至り、しかしこれによって帝国政府が一時的であれ持ち直した結果、後の強精帝の滅茶苦茶な行動が可能となった。吝嗇帝の時代にはクレメンツ大公の一件から経済的結びつきの強まっていたフェザーンの梯子外しを受けてイゼルローン要塞建設が遅延する事となる。

 

 無論、経済的結びつきが深まれば、それは多くの場合一方的な依存ではなく相互依存である。自治領企業……その多くは地球統一政府や銀河連邦時代にルーツを持つ老舗企業でもある……もまた四〇〇〇を超える貴族領に広くビジネスを展開し暴利を貪っていた所にクレメンツ大公の一件があり、両国関係が冷え切ると一転して大損害を受けた。多くの諸侯はこの機に地元企業を援助して勢力を盛り返したために貴族領におけるビジネスは停滞し、苦闘し、最終的に市場から叩き出された。

 

 この件で最も利益を得たのはカストロプ公オイゲンであろう。このハイエナは毎回の事ではあるが本当に廃品リサイクルが上手い。吝嗇帝の緊縮で下級貴族が困窮すれば彼らから搾り取り、リヒャルト派・クレメンツ派の抗争で双方の諸侯が没落すれば彼らからも搾り取り、叩き出されたフェザーン企業に対しては帝国直轄領でのビジネス参入の口利きをして見せて手数料を懐に収めた。

 

 当時はオトフリート五世が身を持ち崩した辺りからフリードリヒ四世が即位したばかりの時期である。大諸侯カストロプ公の協力は必要不可欠であったし、フェザーンとの緊張緩和も必要だった(一時期フェザーンへの同盟艦隊駐屯や回廊通行許可の交渉まで行われていた)。何よりもフリードリヒ四世の無気力さが決定打となり当時のベルンカステル・ブラウンシュヴァイク・リッテンハイムの三諸侯は条件付きでフェザーン企業の帝国直轄領参入を認めざるを得なくなった。

 

 フェザーン企業からの手数料で財を成したカストロプ公は、その財を元手に宮廷工作を仕掛けて財務尚書となり更に暴利を貪る事になるが……その辺りは話が逸れるので今は置いておこう。兎も角そういう経緯からワレンコフの親同盟政策への恨みとカストロプ公爵への義理もあってフェザーン元老院議員の中の親帝国派は結束が強い。帝国のアルレスハイム星系侵攻はカストロプ公も一枚噛んでいる事もあって彼らの切り崩しはかなりの困難を伴うと思われる。

 

 と言うかカストロプ家フェザーンとズブズブじゃねぇかよ。そりゃあ息子も軍事衛星買ったり亡命先にしようとしますわ。お前ら仲良すぎじゃね?ズッ友かよ。こうなるとカストロプ動乱も違う見方が出て来るな……。

 

(そうなるとやはり攻めるべきは………いや、今は眼前のパーティーに集中するべきか)

 

 其方の所在調査はバグダッシュ少佐以下の情報局に任せておけば良かろう。

 

 そう思い気を引き締める私は、しかし次の瞬間会場で妙に印象に残るその人影を見つけると小さな呻き声を漏らしていた。

 

 とは言え、同盟側の使節団と陽気に世間話を交える恰幅の良い禿頭褐色の自治領主補佐官を見ればそのリアクションも許容してもらいたかった。

 

「アドリアン・ルビンスキー……ねぇ」

 

 この年三五歳、一四年前にフェザーン高等官吏試験に首席合格して以来優秀な官僚として同盟・帝国との各種の交渉に功績を上げて来た。その功績を自治領主ワレンコフに見込まれ七年前に帝国高等弁務官補佐官に任命、その後自治領主府商務局参事官、そして二年前に自治領主補佐官に任命されて以来その右腕として敏腕を振るっている。入念な根回しと執拗なネゴシエーション、自治領主府でも有数の帝国通である事で知られている。そして、そう遠くない内にフェザーンの頂点に君臨するであろう人物だ。

 

 ……おわぁ、会話したくねぇ。けど立場的にアレ絶対来るよね?

 

 というか何度も遠目に監視していたけどあのオーラ怖っ、近づきたくねぇ!!

 

 そんな風に内心で嘆息している内に笑顔で使節と別れた自治領主補佐官はシャンパングラス片手に周囲を見渡し……ふと私と視線が合った。

 

(あ、やべ)

 

 ズンズンと此方に歩み寄って来る禿げ男に私は何処か逃げようかとも考えるが、すぐに悪手であると気付き止める。立場的に相手の不興を買う訳にはいかないし、それ以上に警戒されたくない。

 

(けど御話ししたくない!)

 

 糞みたいなパラドックスで私の脳内は一瞬混乱していた。そしてそれが致命的であった。気付けば肩幅の広い身体が照明の角度もあるのか、私に影を作り出していた。

 

「これは武勇で知られたティルピッツ伯爵家のヴォルター大佐でしょうか?お初にお目にかかります。ワレンコフ自治領主の元で補佐官に任命されておりますアドリアン・ルビンスキーと申します。若輩者ではありますがどうぞお見知り置きください」

 

 口元を歪めて人好きのするような、しかしどこかふてぶてしく、あるいは不敵にも思える笑顔を浮かべる補佐官。私は脳内で軽い罵倒を吐きつつ対面を取り繕って軽く頭を下げる。

 

「此度の使節団の護衛を務めておりますヴォルター・フォン・ティルピッツ大佐です。此方こそお初にお目にかかります。ルビンスキー氏……で宜しかったでしょうか?」

 

 私は自信無さげに答える。パーティー出席者全員の名前を覚えきれていない貴族のボンボン、という風に見てくれれば幸いであるが……。

 

「遠くで見させて頂きましたが、シュヴェリーン大公殿下と随分と親しいご様子でしたな」

 

 ファック!結構前からロックしてやがる!

 

「幼馴染というものでしてね。身分の差異を弁えず子供の頃は随分と御迷惑をかけてしまいました」

「今は違う、と?」

「いえ、訂正しましょう。今も結構迷惑をかけています」

 

 この禿げ男の探りに私は困り顔で道化を演じる。いい歳こいてトラブルばかり起こす道楽息子扱いしてくれれば良いのだがね。

 

「旧友と言う事ですか。成程、信頼出来る右腕と言う事ですな?」

「その表現は余りぞっとしませんね。大公殿下の忠臣なぞ名誉ではありますが責任も重そうです。私では力不足ですよ」

 

 おどけ気味にそう答え私はグラスのシャンパンを呷る。額から緊張のあまり汗が流れそうなので冷たいシャンパンで身体を冷やしたかった。

 

「……少し小腹が空きましたね」

「奇遇ですな。私もですよ。どうでしょう、彼方で丁度子牛の丸焼きが焼けた所です。御知りの事でしょうがガーランドの牛は帝国、延いては銀河一ですよ。さぁ此方です」

「アッハイ」

 

 適当な理由をつけて一時避難を試みようとしたら先回りするように機先を制されたでござる。うん、そうだね。根回し先回り得意だったね。仕方ないね。

 

 一見ルビンスキー氏に先導させながら悠々と、内心刑務官に手錠付きで連行されるような気分で私は会場の端に向かう。ビュッフェ形式のようでコック達がその場で出来たての料理を提供していた。

 

「ううむ……ステーキを二枚、それにこのローストビーフを四、いや五枚くれ。あぁ、その子山羊の香草焼きも良い匂いがするな、一個貰おうかね?」

 

 皿の上に肉、肉、肉……実に肉汁に満ち満ちた取り合わせに止めに度数三〇度超えのフェザーン・ウィスキーを受け取るルビンスキー氏。

 

「おや、どうしましたかな伯世子殿?そのように小食ではパーティーに付き合い続けて終わりまで体力が持ちませんぞ?」

 

 私のマリネやらカナッペを乗せた皿を一瞥した後、ルビンスキー氏は機嫌の良さそうな笑みを浮かべて一枚のローストビーフを一口で丸飲みし、それを流し込むようにウィスキーを一気飲みして見せる。ごめん、私そんな大食いでも酒豪でもないんだ。

 

「これはまた……豪勢な食べ方な事で………」

 

 ステーキを数等分してフォークで突き刺すと、みるみるうちに口の中に消していく自治領主補佐官。やべぇな、大食い選手権狙えるぞこいつ。

 

「ははは、御遠慮なさらずとも結構ですとも!貴族階級からすれば随分と品の無い食事の仕方に見える事でしょうからな」

 

 私の返答に対してルビンスキー氏は心底愉快そうに笑う。自虐するようでいて、しかしそこには負の感情は一切見えなかった。

 

「私は元々貧困層の生まれでしてね。父の代にビジネスに失敗して負債を抱え込みました。物心ついた時には『裏街』で空き缶やら鉄屑集めで小銭を稼いでいた程です。中等学校も中退しました。まぁ、どうせ汚い服装で飯も我慢していましたからな。学年で馬鹿にされる位なら止めてやって良かったと思っています」

 

 そういって追加のフェザーン・ウィスキーを受け取りグラスの中の金色の液体をどこか神妙に、そして楽し気に見つめる補佐官。

 

 

「……初めて聞く話ですね。聞く限り随分と苦労を重ねたのですね?」

「えぇ。……思えばいつも腹を空かせていましたなぁ。いつも怒ってもいました。美味い物を食べたい、馬鹿にされなくない、偉くなりたい、見返してやりたい、とね」

「………」

「フェザーンが実力主義で助かりました。官吏試験に学歴は関係ないですからな。一八歳以上なら年齢制限も関係なく当日の試験成績だけで採否が決まります。学校を中退して以来、仕事しながら中古の参考書片手に勉強漬けの日々を続けた甲斐があったというものです」

 

 ふっ、と小さく笑った後下町の中年のようにグラスを一口呷り、彼は続ける。

 

「……やはりテーブルマナーを学んでも駄目ですな。こういう時になるとつい地が出るものです。食べられる時に食べて飲める時に飲んでしまう。周囲の視線を気にせずね」

「補佐官……」

「伯世子殿、この光景をご覧ください」

 

 ルビンスキー氏は小さな声でそう言うと会場全体を見渡す。内装で七色に輝く会場では着飾った議員に官僚、資産家に企業経営者が美酒の注がれたグラス片手に彼方此方へと移動し、空虚で虚飾に溢れた会話を交じ合わせている。煌びやかで、そして虚しくおぞましい光景………。

 

「私は享楽主義者です。そして機会主義者でもあります。小さい頃に人生は太く長く、そして愉快に生きようと決意しました。少しでも上の世界に上れるチャンスがあればたじろぐ事なぞせず突き進みます。そして得た権力を持って美食に、美酒に、美女、あるいは賭け事に芸術……心を豊かにしてくれる娯楽は何でも全力で楽しむと決めております」

「御祝い致します、補佐官はその望みを達成しましたよ」

「本当にそう思われますかな?」

 

 不敵な視線を此方に向けるルビンスキー氏。

 

「昔ならばこの歳のこの立場に登り詰めただけで満足していたでしょう。実際路地裏で塵漁りしていた小僧としては上出来でしょう。ですが、権力というものは一種の麻薬でしてね、得ても得てもより強大な権力を、より多くの財を求めてしまう質の悪い代物です」

「補佐官……?」

 

 私はただ間抜けにそう呟く事しか出来なかった。彼の言いたい事が分からなかった。いや、正確には分かっているが困惑せざるを得なかった。この短い会話でこの男がそこまで私の底を見抜くとは思えなかったから。

 

「いやはや、流石に伝え聞く話とは違うので私も困惑致しましたよ。もう少し気が強く、選民意識に凝り固まった人物でしたら助かりましたが……いや、困りましたな。思ったよりも思慮深そうだ。やはり生の情報に勝るものはありませんな」

「……私がどのような性格だとお聞きになられたので?」

 

 私が困ったような表情を浮かべて下手に出て尋ねれば一層彼は……『黒狐』は狡猾で不気味な笑みを浮かべる。

 

「そうやって頭の足りない振りをされて情報を探ろうとなさる。貴方も大概小狡い方だ」

 

 ……はは、見抜かれてやんの。

 

「まぁ良いでしょう。………私の聞き及ぶ範囲では貴方の評価は散々ですよ。御気に入りは金髪、見境なしに唾をつけようとする典型的な好色家。小さい頃から拘りが強く気難しい我が儘坊やだったそうですな。無茶ぶり上等の周囲の苦労を気にもかけない猪武者、しかも注意力散漫なせいで怪我ばかり、そのお蔭で配慮に配慮を重ねて大佐に昇進し自由戦士勲章まで手に入れた。これでは同盟軍も御仕舞いだ、だそうです」

「それはまた……間違ってはおりませんが」

 

 言い方は悪いが本質的には間違ってはいない評価である。悲しい事にな。私としては目の前の男が決して正確とは言えないが間違っている訳でもない評価を取り消す理由が分からなかった。

 

「そのように下手に出る時点で既に伝え聞く性格とは違うのですよ。私の知る大貴族であれば私の食べ方を冷笑しますし、私の先程の発言に怒り狂う筈なのですがね」

 

 そもそも私を見る目が普通の貴族とは違う。

 

「………」

 

 その指摘に今度こそ私は黙らざるを得ない。冷たく笑みを浮かべるルビンスキー氏。

 

「少し前に申しましたが私は昔ドン底の生活をしていました。お陰様で相手の自身に向ける感情には存外敏感なのですよ。特に貴族の方々であれば表面上は兎も角、目の奥には『劣等種族』、あるいは『下賤の民』でしょうかな?大概蔑みと嘲りの色が見て取れます」

 

 肩を竦めて嘲笑する黒狐。その表情はまるで「まぁ、そうやって見くびって貰った方がやりやすいのですがね」とでも言いたげだった。

 

「伯世子はこのパーティーが始まって以来、遠目でずっと私を警戒しておりましたね?」

「……失礼ですが流石にそれは自意識が過剰では?何故私がそのような事をしなければならないのでしょう?」

「本当、その通りですな。自意識過剰であれば良いと思います」

 

 私とルビンスキー氏は互いの目を見つめ合っていた、あるいは睨み合っていた。周囲の人々が表向きであれ朗らかに会話を楽しむ中、明らかに互いに警戒感を剥き出しにしていた。

 

「……ふむ、このホテルの肉料理は中々の物ですな。素晴らしい逸品でした」

 

 先に視線を外したのは黒狐の方だった。しかしそれは彼が逃げた訳ではなく、寧ろ精神的な余裕の証明に思えた。ナプキンで口元を拭くと給仕に汚れた皿と飲み終えたグラスを持っていかせる。

 

「それでは失礼を、私もまだまだ顔合わせが済んでいない方々がおりますから。あぁ、此方よろしければ」

 

 そういって差し出すのは名刺であった。禿頭の顔のすぐ横には数字の羅列が記されている。恐らくは電話番号であろう。

 

「それでは」

 

 黒狐は堂々と人の海の中に入り込み進んでいく。向かう先は先程私が観察していた親帝国派元老院議員達の集まるテーブルだ。

 

「厄介な人物に目をつけられたな」

「オリベイラ学長、厄介とは?」

 

 フェザーン金融局の局長との会話を終えたオリベイラ学長が私の下にゆっくりと近付きながら語りかける。

 

「少しでも考えれば分かる事だ。アレは次の自治領主候補だ。今のワレンコフ氏の年齢は?」

「八〇過ぎでしたね?」

「うむ、後十年も自治領主の椅子に座り続けることはなかろう。少なくとも体力的にそろそろ引退はせねばなるまい。そうなれば次の自治領主の最有力候補はスペンサーかあるいはアレという訳だ」

「一応他にも候補はいる筈では?」

「先程まで私が集めた情報から言えば大半は最早当て馬だよ。スペンサーが第一候補、アレが期待のダークホースと言った所かな?」

 

 そこまで聞いて私は嫌な気配がした。

 

「学長、まさかと思いますが私……出汁にされました?」

「されたな。ちらほら注目していた者達もいたぞ?」

「ファック!」

 

 スペンサー社長のすぐ後ってのが不味い。周囲や社長から変な誤解を受けかねない。あれだけ長々と彼方の話を聞いていたんだ。しかも食事をしながらだ。最後には名刺まで貰っちまった。スペンサー社長以下の周囲から関係を疑われる事は必至、しかも妙に警戒されてしまうというおまけ付きである。え、嘘……私御話一つで完敗してる?

 

「見事に利用されたの。今頃お前さんを侍らせて操作した印象を彼方で存分に活用しとるじゃろうて」

「はは、ワロスワロス」

 

 最早乾いた笑いしか出てこねぇ。もう嫌……。

 

「いきなり尻拭いだな。安心しろ、民間軍事会社ともなれば経済や政治分析の御用学者もごまんと抱えているものだ。其方のルートから儂が口添えしておこう」

「うぐっ……申し訳ありません」

 

 私は情けない表情で謝意を示し、へこたれる。初っ端からこれとは……先が思いやられるな。

 

 私は溜息をつく。そして同時にその視線は気付けば元老院議員達との歓談に勤しむ褐色の禿げ男の背中に向いていた。同時にどうでも良い事が気になっていた。無論、所詮は私を拘束しその底を推し量るための小道具であろう。あの小賢しい『黒狐』がそこまで素直とは思えない。

 

 だが……それでも思うのだ。先程の彼の話は……一体どこまで作り話だったのだろうか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 銀河中の人が集まり、銀河中の企業が集まり、銀河中の物品が集まる。ファッションと流行、運動、報道の発信地であり、多種多様な言語、民族、人種、宗教、イデオロギーのコミュニティが集まるのが『万物の坩堝』たるフェザーンであり、その中心地が沿岸地域に沿って数百キロに渡って一〇〇階建てのビルが林立し、ソリビジョンの看板がそこら中に掲げられ、人と地上車が圧死しそうな程に地上を覆い尽くすセントラル・シティである。

 

 そんなセントラル・シティの中心街の一角、全高四メートルの鉄筋コンクリート製の塀の上には有刺鉄線が敷かれ、軍隊と見紛うばかりの重武装の兵士達が整列していた。地上には暴徒鎮圧用の放水銃やパラライザーガン、あるいは殺傷用のガトリングガンを装備した二足歩行型ドローンの群れ、上空には航空ドローンに武装ヘリコプターが巡回している。

 

 一見軍事施設か何かと勘違いしてしまいそうになるこの場所は、しかし当然ながらセントラル・シティのど真ん中にある以上そんなものではない。この塀の向こう側は極楽であり、魔窟である。そして恐らく完全に腐り切っている場所だった。

 

「まさかこんな場所に……いや、寧ろ当然なのか」

 

 『ホテル・バタビア』でのパーティーの翌日、昼過ぎの事だ。私は内心失敗したな、とぼやく。護衛にベアトやテレジアを連れてきたのは失敗だった。情報局からエージェントを追加で要請したほうが良かっただろう。

 

 戦闘装甲車まで配備されている正面ゲートにバグダッシュ少佐の運転する同盟軍情報局の偽装地上車が止まる。多数の地上ドローンと傭兵が地上車の傍に集まり、窓を開けるように要請される。

 

「大佐、身分証の提示を御願いします」

「あいよ。二人も用意してくれ」

 

 後部座席で丁度左右に控える黒スーツ姿の従士達が答える。懐から自身の身分証明書を取り出した。

 

「失礼します」

 

 明らかに帝国人ではない傭兵は流暢な宮廷帝国語でそう言い、我々のID付き身分証明書を一つずつ受け取り手元の携帯端末でデータを読み取る。同時に端末の液晶画面に映し出される顔と身分証の持ち主の顔を見比べる。地上ドローンが首部関節を引き延ばして車内に侵入してきた。先端の高解析度カメラがまずバグダッシュ少佐の、次いでテレジア、ベアト、私の順に顔をじっくり確認する。AIが骨格や網膜をスキャンして『予約』を入れている本人かを確認しているのだ。

 

「お客様、お待たせしまして申し訳御座いません。どうぞごゆるりとお楽しみ下さいませ」

 

 全ての検査をクリアした後、車内に侵入したドローンが下がり、周囲の傭兵は銃口を下に落とす。寧ろゲートがゆっくりと開くまで彼らは一転して地上車を守るように展開した。

 

 ゲートが開ききると共に地上車が進む。そこから先は別世界だった。

 

 セントラル・シティのメインストリートも相応に整然として美しい街並みではあったが、この最上級歓楽街には負けるだろう。ゲートを出ていきなり現れるのは銀河中のブランドが集まる高級商店街と来ていた。優美な街灯が並ぶ通りにはカフェにレストラン、骨董品店に美術品店、宝石店、書店に仕立屋、衣服店、歌劇場に映画館……多種多様な店舗の収まる百貨店が軒を連ねていた。その中には大貴族すら御用達にするブランドも存在する。街を行きかう者達はその半数が使用人や雑用を連れているようで、また全員が明らかに景気の良い出で立ちに身を包んでいる。それだけでこの街に入場する者達の所得水準を推し量る事が出来よう。この街を利用する客は銀河全体で上位〇・一パーセントの権力者のみだ。

 

「ここはコーベルク街の外周です。外縁部の店舗は堅気も利用するのでまだまともな店が多いですが……問題はその奥ですよ」

 

 高級地上車が行き交う車道を走りながらバグダッシュ少佐が口を開いた。

 

「街は全一二区、街の人口は凡そ一〇〇万人、これはこの街で働いている者達の人口で、利用客はもっと少ないと考えて良いでしょう」

 

 仕事柄何度もこの街に来た事があるらしい少佐が皮肉げに説明を続けていく。

 

「酒場にカジノ、ホテルはギリギリセーフですかね?高級娼館に金持ちの悪趣味道楽クラブ、薬物バー、殺人を含むシチュエーション何でもござれの賭け試合闘技場に美術品や武器の闇オークション、丸ごとやら『バラした』やらの人身売買の競り場と……まぁ街の奥地に行く程お坊ちゃんには信じられないような場所になっている仕様です」

「話には聞いているが……よくもまぁ自治領主府もこんな場所放置しているな」

「利用客が御偉いさんだらけですからね。それにこれでもこの街は名義的には『表街』です。自治領主府にとって摘発すべきは『裏街』ですよ。彼方と違いここは税収は良いですからね。接待漬けにするにも絶好ですし」

「それはまた……」

 

 私は車内で頬杖をつき呆れる。私も資料や書籍からだけの知識しかないが、公に得られる知識だけでも『裏街』をあれだけ弾圧し抑圧しておきながら、セントラル・シティのど真ん中にあるこの街は厚い護衛付きとは……亡命貴族の私が言えた義理ではないがフェザーンもまた前世の意味で公平で平等からは程遠く思えた。

 

「所詮は金と生まれ、か」

「大佐?」

「……独り言だよ。目的地に急いでくれると助かる」

 

 私は自嘲の笑みを浮かべ少佐にそう命じると外の景色に視線を移す。

 

 地上車は街中を奥に、奥にと進んでいく。同時に街並みは輝かしい高級商店街から次第に昼間だというのにどこかどんよりと薄暗く、怪し気な雰囲気を醸し出し始める。

 

「本当に例の人物はこんな場所に、しかもこんな時間からおられるのですか?」

 

 真っ昼間から無駄にネオンの光を全開にした賭博場が軒を連ねるカジノ街に地上車が入った頃、ベアトが怪訝な表情を浮かべ質問した。このような俗悪な街に件の一門の人物がいるとは彼女の価値観からは理解出来なかったのだ。

 

「いえ、二日前からカモにした店で入れ食いしているようです」

「入れ食いって……それイカサマだろ?」

 

 私は顔を顰めて尋ねる。ギャンブルなんてものは基本店側が勝つように仕組まれているものだ。極稀に幸運を掴む者がいるが本当に幸運だ。勝つのは兎も角、勝ち続けるのは明らかに普通ではない。

 

「ええ、そうでしょうね」

「店から摘まみだされないのか?」

「フェザーンの諺にこういうものがあります。『バレなきゃ犯罪じゃない』、とね」

 

 その言葉に私は理由を即座に理解した。

 

「証拠がなければ摘まみだせない訳ね」

「それはそれで命懸けですよ。バレれば罰金、払えなければ黒服達に裏手に連れていかれます」

「帰って来た奴は?」

「とんと知りませんね」

 

 それはまた怖い事だ。

 

「……家柄からして金には困らん筈なのにな。何故態々イカサマなんかするんだ?スリルでも求めてるのか?」

 

 こんな時間から沢山の道楽家達が下僕やら女やらを連れてカジノや酒場を梯子する様を見ながら私は尋ねた。原作を見る限りあの一族は帝国有数の権勢を持つ。イカサマなんてしなくても金には困らないし、ギャンブル依存でもしているなら尚更イカサマなんて手段をとってはワクワク感も半減だと思うのだが。

 

「いえ、話によれば一族の付き人が護衛をしておりますが仕送りは本人が断っているそうです。自分の食い扶持は自分で稼ぐ、と」

「はぁ?それでカジノに入り浸りか?正気か、そいつ?」

「さて、私にも理解し難い事です。彼方でも相当な変人扱いされている程ですから」

 

 肩を竦めて心底理解不能、と言った表情を浮かべるバグダッシュ少佐。そんな話をしている内に漸く地上車はあるカジノに辿り着いていた。昼間っから露出度の高いバニーガールが客達の手を引くそこはこの街でも十本の指に入ろうかと言う巨大カジノの一つだった。

 

「……待っておくか?」

 

 帝国人の価値観からすれば今すぐに取り壊したいであろうド派手で情緒もない建物である。従士達に車内で待機する事の許可も出す。

 

「……いえ、問題御座いません」

「わ、私も御同行させて頂きます!」

 

 僅かに躊躇しつつもベアトがまず、次いでテレジアが答える。若干無理してそうだが……まぁ、良かろう。

 

 カジノは会員制(そのための金も馬鹿みたいな額だ)であったがバグダッシュ少佐が事前に登録していたらしい。門前の黒服に二、三言付ければすぐに中に通される。

 

 入った瞬間酒精の匂いに僅かに私は顔を顰めた。

 

「意外と混んでるな」

 

 こんな昼間にしてはそこそこの客がゲームに興じていた。顔採用なのか美形が多く、結構服装がギリギリのバニーガールがグラスを彼方此方も運び、テーブルの各所で人垣が出来、何やら騒いでいた。こいつら仕事いいのか……?いや、いいから来ているんだろうけど。

 

「見つけました、彼方です」

 

 バグダッシュ少佐が指差した先に私の視線が移動する。私はカジノの中心地から外れた撞球エリアに数人の人影を見つけた。

 

 男は熟睡していた。ベルベット調の高級な椅子に深々と座り、足はビリヤード台の上で組む。可愛らしく幼げな少女が椅子の肘に腰がけて座っており、周囲には飲み切ったビール瓶がビリヤード台の上とも床の上とも言わず散乱していた。開いたポルノ雑誌を被せて顔を隠し下品な鼾をかいている姿は下町の中年男を思わせるが、品が良く質も良さそうなコートと数名の手練れであろう黒服の護衛の存在がそれを否定していた。

 

「旦那様、御客様がいらっしゃいました」

 

 黒服の護衛が厳かな態度で鼾をかく男の耳元で囁く。男はむずむずと身体を揺らすと鬱陶しそうに顔面の上の雑誌を投げ捨てる。

 

「んんん……?あ、やべぇ。いつの間にか寝てんじゃん俺。……うえぇ、二日酔いしてやがる。やっぱウォッカのラッパ飲みがミスったか。うー、店に水……それと適当に飯寄越すように言っておけ」

 

 男は寝癖のついた頭を抑え、次いで不機嫌そうに髪が伸び気味の頭を掻く。そして気付いたように此方を振り向くと愉快そうな表情を浮かべていた。同時に漸く私は男の顔を見る事が出来た。三十にはなっていないだろう。先程までの惨状とは裏腹にその顔立ちは予想外に端正だった。目元が酔いで据わっていて頬が真っ赤なのを除けば。

 

「あー、そうだったな。もう待ち合わせ時間だな。今日はバグダッシュ君だけじゃないようだな。お、イイ女!どうよ?良いホテルがって……付き人かよ」

 

 男はベアト達を見ると初対面でそんな事を言いかけて、私を視界に収めると心底落胆する。

 

「悪いですが、男爵殿。見目麗しい女性ならば幾らでも取り寄せられる立場でしょう?今回はどうか御控え下さい」

 

 バグダッシュ少佐は恭しく『男爵』に頭を下げる。それはまるで臣下が主君に向けて行うそれのようにも見える。尤も、ガワだけであろうが。

 

「へいへい、分かったよ。で?お宅かい?俺を通じて新無憂宮にちょっかいつけたいって抜かす坊っちゃんは?」

 

 にたにたと嘲るような、それでいて探るような笑みを浮かべる男爵。その姿に私は気を引き締める。絵に描いたような放蕩貴族であるが彼の家名を聞けば到底舐めてかかる事も油断する事も出来なかった。

 

 銀河帝国の五本の指に入る権門ブラウンシュヴァイク一族……銀河帝国の諜報組織と治安組織に深々と根を張り巡らせる陰謀と謀略に長けた帝室の藩屏、その分家の当主にして一族最大の放蕩児であり問題児、ヴェルフ=ブラウンシュヴァイク男爵家当主シュバルツ・フォン・ブラウンシュヴァイク男爵は真っ昼間から愛人を侍らせて、小さくゲップをしながら私を観察していた。

 




ちょっとした補足説明:実は幾つかのイベント(アルレスハイム星域会戦等)は主人公のせいで数か月早く進行中だったりする、養ってくれた故郷への恩を仇で返す主人公は屑貴族の鑑です。


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第百五十話 誰だって身内には甘くなる

「それでは避難は出来ないと仰るのでしょうか?」

「当然でしょう。この所領は男爵家が血の滲むような努力の果てに開発した土地です。それを一戦も交えず、まして一人逃げようなぞ亡き夫、それに男爵家の先祖に対する不義というものですわ」

 

 豪華な調度品が飾る屋敷の応接間の窓際に立つ男爵家の暫定当主でもあるザルツブルク男爵夫人ビルギッタはソファーに座る老紳士然とした宮廷の使者に向き直るとそう答えた。美しかったであろう若い頃の面影を残す齢六〇半ばの老男爵夫人は品のある、しかし強い意志を込めて所領を捨てて避難する事を拒否する。

 

「それよりも領民……せめて女子供だけでも避難させるための船舶を要求している筈ですが、其方はどうなっておいでですか?」

 

 男爵夫人は窓際から見える景色を見つめながら使者に尋ねる。既に賊軍と亡命政府軍の戦闘は男爵夫人の所領のあるヘリヤ星系外縁部でも小競り合いレベルではあるが生じている。要塞化されたシグルーン星系の防衛線突破も時間の問題となれば一日でも早く臣民の避難をさせるべきであった。だが……。

 

「何分、軍の輸送能力にも限界がありまして。輸送船は無論、その護衛も満足に抽出出来ず……」

 

 使者は渋い表情を浮かべ現状について言及する。最前線のシグルーン星系すら未だ三〇万もの臣民が残されており、現状その避難に集中せざるを得ない。また前線は常に戦力的に優勢な帝国軍と綱渡りの戦いを続けており民間船舶すら支援艦艇として各種の業務に転用する有様だ。行きは兵士と物資と新品の兵器を満載し、帰りは負傷兵と損傷した装備と『特別貨物』を持って帰る、なんて事が常態化している。到底男爵夫人の領民を避難させる時間も余裕もない。だからこそ宮廷はせめて夫人だけでも安全な『新美泉宮』に避難する事を勧めているのだが……。

 

「御気持ちだけは受け取らせて頂きますわ。陛下にはたかが一男爵夫人に過分な配慮をして下さる事、感謝致しますと御伝え下さいまし」

「男爵夫人……!」

 

 ザルツブルク男爵夫人の言葉に使者は思い直すように声を上げる。だが、男爵夫人の決断は変わらない。

 

「夫は何十年も前に戦死致しました。子供達にも先立たれ、我が家はもう私一人しかおりません。今命を惜しんで避難しても遠からず男爵家は途絶えるでしょう。それは構いません、覚悟はしております」

 

 そう言って視線を向けるのは壁にかけられた一族の肖像画である。若い頃の彼女と共に描かれた夫も、息子達も戦死してしまった。親族も似たようなもの、唯一肖像画の中で生きているのは自身と、妹の腕に抱かれたまだ赤子の甥位のものだろう。

 

「甥が……ヘルマンが所領と領民と、家を継承する事になりましょう。その時に前領主であり血縁たる私が所領を捨て逃げたとなればどうなるでしょうか?ザルツブルク家同様、リューネブルク家もまた亡命政府成立以来の家ではありません。領民も先祖代々の者達ではなく個々に亡命した者達の寄せ集め、私が逃げればほかの諸侯から血縁である故に軽視され、相続するこの所領の領民からの信用も失いましょう。甥に負債は残したくありません。それ位ならば子孫のために戦って討ち死にしましょう」

 

 男爵夫人は使者に振り向きそう強い声で答える。その瞳には文字通り命をも賭けようという覚悟が宿っていた。

 

「ビルギッタ……」

「……港までお見送りしましょう。どうぞ、陛下に良しなに御伝え下さい」

 

 使者の自身を呼ぶ声に男爵夫人は僅かに苦笑を含んだ笑みを浮かべ、しかし未練を断ち切るように会話を打ち切る言葉を放つ。そこには妥協を許さない強固な意志が垣間見えた。

 

「……承知致しました。それではそろそろ御暇致しましょう」

 

 男爵夫人の覚悟の程を確認し、使者もここは折れるしかなかった。少なくともこの老男爵夫人は最低限領民の避難が完了しなければこの所領を去る事はないだろう。

 

 使者は夫人と共に屋敷を出ると重力制御が為された臣民居住区を護衛付きの馬車で抜け、鉱山地区、そして港湾部へと向かう。港湾部では強化硝子越しに小惑星の間に築かれた港に停泊する戦艦が視界に映る。使者がこの所領に出向く際に乗艦した艦だ。周囲には男爵家私兵軍の大型戦闘艇や民間小型船舶も停泊していた。

 

 ヘリヤ星系外縁部、ザルツブルク男爵領たるノイメクレンブルクは居住地区や農業地区のある全長九キロの『主島』及び周辺宙域から運び出され『本島』ないし其々連結された全長一〇キロから四〇キロまでの六つの鉱山小惑星からなる『採掘島』、及び掘り起こした金属の精錬加工を行う『工業島』によって構成される人口一〇万程の所領であった。それは帝国の男爵領としてはギリギリ及第点という規模ではあるが、殆ど領民も家臣もいない状態から築いた事を思えば文字通り血と汗の結晶と呼ぶべきものである事も確かだった。

 

「皇帝陛下の公使、リスナー男爵の御出立に礼!」

 

 宇宙港ではザルツブルク男爵家私兵軍の儀仗兵達が捧げ銃の姿勢で使者であるリスナー男爵が戦艦に乗り所領から去るのを見送る。

 

「……男爵夫人、御言葉は御伝え致しますが……恐らく今一度、皇帝陛下からの名代として其方に御出迎えに来るになりましょう。どうぞ、その時までに御出立の御準備を為さって下さいませ」

「兵士は兎も角、領民の分の船を用意して頂ければ私も喜んで宮廷に参上致しましょう。どうぞその事を御伝え下さい」

 

 恭しい男爵夫人の態度にリスナー男爵は小さく頭を振り、戦艦に乗り込む。

 

 出港準備の整った戦艦は周囲の数隻の護衛駆逐艦と共に管制塔の指示に従い港湾部をゆっくりと出ていく。港湾部のターミナルでは尚も男爵夫人と兵士達が見送りの礼を続ける姿が確認出来、要人輸送用戦艦『ヘルゴラント』艦橋ではリスナー男爵が小さく溜息を吐いた。

 

「失敗致しましたか?」

「そのようだな、艦長。……まぁ、所領を捨てよと言えばこうもなろうよ」

 

 リスナー男爵は彼女を強く責める気にはなれなかった。貴族にとって所領は文字通り家であり故郷そのものだ。それが戦火で焼かれると知っていて捨てられる者がどれだけいよう?まして一族が一度領地を捨て、一から再度開拓した領地であればどうか?子孫の名誉を考えればどうか?そこまで考えれば死ぬのを承知でも縋りつきたくもなろう。特に男爵夫人は弱冠一〇歳の頃に嫁いで以来半世紀に渡り住まう地、愛着は相当のものであろう。

 

「しかし……軍も戦力に余裕はありません。援軍なぞ送れないでしょう。そうなれば男爵夫人は手持ちの戦力だけで戦わざるをえません」

 

 人口一〇万と少しの男爵領である。常備軍は一個連隊程度、予備役や後備役を総動員しても地上部隊一万、男手を根こそぎ動員しても二万やそこらの戦力にしかなるまい。練度も高くはなかろう。宇宙戦力に至っては巡航艦一隻と駆逐艦三隻、そこに大型戦闘艇が十数隻という有様だ。文字通り艦隊は鎧袖一触にされる事だろう。坑道を使ったゲリラ戦を行えば地上部隊はある程度は持とうが……どの道運命は変わらない。

 

「領主に兵士、領民総玉砕か。愉快な話ではないな」

 

 より笑えないのはそれは局地的な悲劇ではなく、最悪本土ですら起こり得る事態であるという事だろう。

 

「その前に市民軍が纏まった戦力を派遣出来るか、ですな」

「うむ、不愉快な事実ではあるがな」

 

 そのためにも大公殿下方の御尽力に期待するしかないか……リスナー男爵は今頃極秘裏にフェザーンに入国しているであろう使節団の事を思い、その幸運を内心で祈る。

 

 リスナー男爵にとっても、生き残っている最後の姉妹を見殺しにしたくなかったから……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国に存在する四〇〇〇を超える諸侯の内、伯爵家以上の大貴族は二〇〇家余り、全体の五パーセントにも満たない。

 

 そんな大貴族の中においてもブラウンシュヴァイク一門は、宇宙暦790年時点において帝室との婚姻関係すら有する、帝国国内で五本の指に入る権勢を保持する大諸侯である。

 

 ブラウンシュヴァイク家は権門四七家の一つにして宮中一三家の一つにその座を占める帝国開闢以来の名門中の名門であり、初代当主たるベルトルト一世は帝国警察総局局長、帝国検察庁長官、司法尚書、国務尚書を歴任、同時に辺境においては崩壊した地方警察組織・司法組織の再建と再編に尽力した重臣だ。その性質上、代々帝国の暗部の仕事にも携わり帝室と帝国を裏で支え続けて来た一族でもある。

 

 時代は下り、その現在の勢力は驚嘆すべきものだ。本家たるブラウンシュヴァイク公爵家だけで有人惑星三個、衛星ドーム型都市二七個、大規模小惑星鉱山一八個、人工天体六個を保持し、分家は諸侯だけでも同じブラウンシュヴァイクを名の有する家が二二家、フレーゲル侯爵家やコルプト子爵家、シャイド男爵家等名を変えて独立した家及びその分家は一六家、帝国騎士号を有する有象無象の下級分家は恐らく一〇〇家は下るまい。一族の者の総数は数千人に及ぶ。

 

 無論、婚姻関係にある諸侯も名家が名を連ねる。カルステン公爵家、ハルテンブルク伯爵家、ルーゲ伯爵家、カルテナー子爵家等はその代表例と言えよう。

 

 陪臣すらアンスバッハ従士家を筆頭に下級諸侯に匹敵する名家が七つも存在する。従士家全体の数は二〇〇〇家に上り、奉公人の家は万に届こう。食客を数千人抱えて、私兵軍は全ての分家を合わせれば一〇〇万を超え、領民・農奴・私有奴隷の合計は同じく推定一〇億人になるのではと言われている。傘下貴族は諸侯だけでも数百家に達する。この強大な勢力に正面から対抗可能なのはカストロプ家かリッテンハイム家位であろう。正に帝国随一の権門だ。

 

 フェザーン・コーベルク街の高級カジノ一角で我が物顔で居座るのはそんな銀河帝国の名家の末席を占める男爵であった。

 

 ヴェルフ=ブラウンシュヴァイク男爵家当主にしてブラウンシュヴァイク家一門の当主オットーを伯父に持つ……彼の父はオットーの腹違いの兄弟だ……シュバルツ・フォン・ブラウンシュヴァイクはこの年二七歳。今から一三年前……即ち宇宙暦777年、当時のブラウンシュヴァイク公爵家の当主継承問題のとばっちりで両親が新無憂宮で『事故死』して以来、領地を捨てて数名の臣下と幾らかの資産と共にフェザーン『旅行』を一三年に渡り続けており、その間コーベルク街を一度も出ていない『半亡命貴族』というべき人物だ。

 

 そして、自由惑星同盟軍情報局の有する帝国宮廷に対する『アセット』でもある。

 

「おいおい、その言い方は誤解を招くから止めてくれないかねぇ?まるで俺が帝国の裏切り者みたいな表現じゃないか?」

 

 喧噪の止まないカジノの一室で膝に愛人であろう少女……若く、少なくとも二十歳になっていない大人しそうな顔立ちだった……を乗せて護衛の黒服に注文した料理を食べさせながらニタニタと此方を観察する男爵。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「俺はあくまで叔父上の使者やこの街で羽を伸ばしている貴族仲間から聞いた話を世間話で話して見返りの『チップ』を貰っているだけだぜ?神聖不可侵なる皇帝陛下や一族に弓を引くなんてとてもとても……」

 

 自分でも口にしている程信用していない言葉を吐きながら肩を竦める男爵。護衛がスプーンで掬ったミルヒライスを子供のように口を開き咀嚼する。

 

 祖国たる帝国を半分程裏切っているにも関わらず悪びれる様子が一切無いのは、この男爵の高慢さもあろうが、それだけが理由ではないだろう。彼は帝国政界、特に統制派と同盟政府間との貴重なパイプラインの一つだ。

 

 文官貴族中心の統制派は特にイゼルローン要塞建設以降、出兵には否定的な立場を主張している勢力だ。余りに実入りが少ない対同盟戦争に精を出すよりも国内の統制……特に共和主義者の弾圧や独立志向の強い地方貴族への圧力強化……を進め、軍事費を国内経済の活性化に振り向けるべき、というのが彼らの主張だ。文官貴族は帝国直轄領に対する既得権益が多いし、戦争では宮廷闘争のための功績稼ぎが難しい事も理由だろう。それ故に武門貴族の多いリッテンハイム侯の革新派や地方貴族の多いカストロプ公の分権派、また慣例主義でポストに居座り惰性で戦争を続ける旧守派と対立している。

 

 無論、だからと言って親同盟的と言う訳でもない。事実三〇年前の宮廷クーデターではベルンカステル・リッテンハイム両家と共に同盟に対して大幅譲歩し、ジークマイスター機関残党と結託していたクレメンツ大公を追放する事に手を貸しているのがその証明だ。その意味では反戦派というよりは非戦派と呼ぶべきかも知れない。

 

 それでも統制派は同盟政府からすれば比較的対話しやすい立場である事も確かであるし、統制派からしてもこういった窓口を通じて他派閥の足を引っ張るために同盟政府は『利用』出来る相手でもある、それ故彼のような人物の存在が帝国宮廷に許されている側面があった。

 

「まぁ、一番の理由は叔父上が甘甘な所なんだけどな?」

 

 ビリヤード台の上にあった飲みかけのビール瓶を掴み流し込むようにして飲んだ後、口元を袖で拭いて男爵はへらへらと笑いながら答える。

 

 ブラウンシュヴァイク公爵の身内への寛容さは有名な話だ。

 

 若い頃から鷹揚で気前の良さで知られていたブラウンシュヴァイク公オットーは公爵位を継承するまでは青年貴族達の棟梁的存在として知られていた。彼の父もまた前皇帝オトフリート五世の緊縮政策の煽りを受けて困窮する貴族達を援助して貸しを作り勢力を拡大する等強かであったが、オットーの場合はより表裏無く同年代の友人達を助け、また年下の貴族子弟に対してもその面倒見の良さで知られていた。

 

 当然ながら同年代や年下の友人にそのように接する以上、身内に対しても(良くも悪くも)愛情が深く、それ故にこの公爵は身内がどのような問題児であろうとも、不祥事を起こそうとも勘当や叱責もせずに寧ろ尻拭いしてしまう傾向があった。

 

 特に彼が公爵位を得る過程で生じた幾つかの宮廷の小事件、弟同然に可愛がりブラウンシュヴァイク公爵家が後見人にもなっていたフリードリヒ四世三男フランツが成人し皇太子になる前日に大量の血を吐きながら『病死』した事、その後も多くの皇族が早世した結果として愛娘エリザベードの皇位継承が現実味を帯びるようになると周囲への猜疑心が強まり、反比例するように一層身内贔屓が強まっているように見える。領地の管理も一族の集まりも、参勤交代の皇帝に対する面会すら行わずに延々とこの街で堕落した生活を続けているこの男爵が未だ廃嫡されていないのはオットーの尽力あってこそであろう。

 

「まぁ、そんな事には興味は無いんだったよな、伯世子殿?いやぁ、バグダッシュ君が会わせたい人物がいると言うので会ってみれば……まさか最近世間で話題になってる彼方の伯爵家の跡取り様とは驚いたよ」

「噂、ですか?」

 

 彼が触れている世間は恐らくは新無憂宮の事であると思われた。市井も報道も関係ない。それは平民にとっての世間だ。貴族達にとっての世界、そして世間は宮廷であり、即ち新無憂宮以外に無い。

 

「ツィーテン公を捕虜にしたのもそうだが、それ以上にあの野蛮人から逃げ切れば話題にもなるさな。前者も大概だが後者なんてドン引き案件だぜ?腕一本飛んで一昼夜そのままで逃げてたんだろ?良くもまぁ生きているもんだわ」

 

 私の義手に視線をやってから男爵は心底呆れ果てるようにぼやく。あの石器時代の勇者は伝統ある武門貴族や叩き上げの士族将官すら顔を引きつらせざるを得ないようなクレイジーな人物だ。亡命したとは言え名門武門貴族の一員がそれとエンカウントして命からがら逃げ延びたのはそれなりに話題性のある話ではあるだろう。

 

 一方、背後の従士達は僅かに顔をしかめた。曲がりなりにも自分達の主人が死にかけた案件を酒のつまみのようにオーディンの貴族達に話題にされたともなれば愉快ではないのだろう。私自身も同感だ。

 

「そりゃあどうも。これから銀河の其方側の貴族と会う時には自己紹介には困らん訳だな」

 

 恐らく野蛮人に右腕切り落とされたティルピッツ家の小僧です!とでも言えば彼方の高貴な家柄の方々はきっと名前を思い出してくれるだろう。素晴らしいね。

 

「おやおや、嬉しくなさそうだな?名が売れるなんて貴族として最高の栄誉だろうに」

 

 男爵は皮肉気味に自虐の笑みを浮かべる私を冷笑する。同時にその笑みには僅かに嘲りと同情の念が込められているようにも見えた。

 

「……さて、今日勇敢な軍人たる伯世子殿が如何わしいカジノに来たのは別にオーディンでの評判を尋ねに来た訳でもないのは理解しているよ。用件は………叔父上をカストロプの野郎に嗾ける積もりといった所か?」

 

 男爵は手元の飲みかけのビール瓶を気だるげにぶらぶらと揺らしながら見つめると口元を三日月状に吊り上げ、限りなく正答に近い内容を言い当てる。

 

「こんな所で閉じ籠っていても色々話を持ってきてくれる『友達』はいてね、昨日か二日前位か?何ともまぁ豪華な顔触れじゃないか?大公殿下が自ら足を運ぶとはね。この分では随分と公王様も焦っているようにお見受けする」

 

 その言葉に背後に控えていた従士二人が殺気を放ったのが分かった。神聖不可侵たる皇帝……それも『偽帝』ではなく本物の『皇帝陛下』を嘲られればそれはある意味当然の事ではあった。だが流石に今この場で彼女達の行動は不味い。  

 

 殺気を察知した男爵背後の黒服達が懐に手を突っ込みながら前に出る。恐らくは背後の二人も拳銃に手を添えているだろう。バグダッシュ少佐が慌てて場を収めるために動こうとする。

 

「止めろ二人共」

 

 私はちらりと背後に視線を向け鋭い、有無を言わさぬ強い声で二人を叱責する。びくっ、とベアト達はその声に身体を硬直させる。

 

「わ、若様!しかし今の発言は皇帝陛下の御名誉をっ……!」

「安い挑発だ、こんなものに乗ったらオーディンの馬鹿共にアルレスハイムの貴族は底が浅いと笑われるぞ?どうせこれで貸し一つ……とでも言う積もりだったんだろう。なぁ、男爵?」

 

 声を荒げるテレジアを宥め、私は小馬鹿にするように男爵に尋ねる。黒服達の視線がサングラス越しでも分かった。うん、怖い。

 

「……ふぅむ、一人位撃ち殺してくれれば『損害賠償』を請求出来たんだがな、道楽者の戯れ言程度じゃあ本気で怒らせるのは無理みたいだな。残念」

 

 心底残念そうに肩を落としながら膝に乗せた少女の頭に手を添えて飼い犬にするように撫で回し弄ぶ男爵。そのまま黒服達に下がるように命じると、黒服達は恭しく頭を下げて後方に退く。

 

「さて、曲りなりにも帝室の系譜に連なる公王家への非礼だな。取り敢えず謝罪はしようか」

 

 流石にこのまま話を続けるのは宜しくないと判断したのか、心の伴わない形ばかりの謝罪の言葉を紡ぐ男爵。

 

「此方としては不満足だが……まぁ、『今回』は大目にみましょう。私も今回の場をしつらえた少佐の顔を汚したくはない。それはそうと……」

 

 出汁にされたバグダッシュ少佐が眉を顰めるのは無視し、私は多少演技がかった怪訝な表情を浮かべる。そして続ける。

 

「……カストロプ公やリヒテンラーデ侯の失点はブラウンシュヴァイク公にとっても決して損では無いと愚考しますが?貴方にとっても保護者たるブラウンシュヴァイク公に奉公する良い機会でしょう?」

 

 私は挑発的な言葉を吐いた男爵の真意について探る。同盟政府と亡命政府に裏で便宜を図るのはブラウンシュヴァイク家にとって必ずしも悪い内容ではない筈だ。ここで敵意を煽る必要性はないが……。

 

「リッテンハイム家はどうよ?他方の勢力が弱まれば別の勢力が強まるのは道理だろう?美的センスが糞なデブと棺に片足突っ込んだ狸爺ではあるが、あれでもチョビ髭の牽制にはなるからな。叔父上の立場でいえば三者同時に消えてくれるのが一番なのは分かるよな?」

 

 私の質問に偉そうに頬杖に足組みをしながら見下げるように此方を見やりながら青年貴族は答えた。その態度は原作の根拠のない自信に満ち満ちた高慢貴族のそれと非常に良く似ていた。

 

 ……尤も、『似ている』と『同じ』では全く意味合いが異なるのだが。

 

「そうでなくても、下手に動けばリッテンハイム侯が叔父上を国賊扱いしかねないしな。あるいは三者が組む事もあり得るか?奴ら全員に従妹は目障りな存在だからな、嬉々として手を結びかねんわけよ」

 

 顎を摩りながら逡巡しつつ男爵は自分達が動かずにいるべき理由を口にする。

 

 正直な所、フリードリヒ四世死後の皇帝レースにおいてブラウンシュヴァイク公オットーの娘エリザベードは最有力候補の一人だ。

 

 現在唯一の皇太子ルードヴィヒは慣例主義の旧守派から一応の支持を得ているが、あくまでもそれは消極的な支持であり、そもそも老人ばかりの彼らは今後十年、二十年皇太子の傍で仕える事は不可能だ。かといって次世代を担う若手主要貴族の大半は下級貴族を母に持つルードヴィヒ皇太子を疎んじブラウンシュヴァイク・リッテンハイム・カストロプ等が後ろ盾となる後継者を支持している。残る貴族も遥かに血筋の良いリンダーホープ公の擁するボヘミア大公やノウゼン侯の保護するローゼンフェルト大公の方がまだ勝機があると踏んでいた。仮に皇位を継いでも帝国の運営は至難の業であろう。

 

 特にルードヴィヒ皇太子にとって唯一の逆転の目となり得、旧守派主要幹部からも薦められていた政略結婚による後ろ盾獲得を本人が蹴ったのは致命的だ。当時、カルステン公やノイエ・シュタウフェン公、クライン公、ベルンカステル侯等の大諸侯が数年程前まで半分程愛国心と帝室に対する義務感……善意で皇太子に親族の娘を勧めていた。

 

 それを何をとち狂ったのか、皇太子が下級貴族である臣下の娘と恋愛結婚してしまったのだから宮廷は絶句した事だろう。いや、宮廷や教会に正式な婚姻を認められていないので事実婚であろうか。兎も角も、これで恥をかかされた家々の支持を得るのは絶望的になってしまった。

 

 となればルードヴィヒ皇太子が皇帝に即位する事は、万一即位出来たとしてもそれが長く続く事も、ましてその血脈が次代に続く事も限りなく困難となった。

 

 ここで注目されるのがブラウンシュヴァイク公爵家のエリザベードである。一族は帝国の暗部に関わり広範な文官貴族の支持を得ている。母アマーリエはフリードリヒ四世の皇后の娘であり、リッテンハイム侯の妻クリスティーネの同腹姉でもある。彼女自身もサビーネよりも二つ年上の従姉だ。ブラウンシュヴァイク公・リッテンハイム侯の仲は険悪ではあるが、妻同士・従姉妹同士の仲は少なくとも互いに族滅し合う程溝は深くないとされ、仮に後継者争いになっても流血は精々敗者側の諸侯の当主達の総自裁と幾らかの領地の召し上げで済むだろうと言われている。当然ながら宮廷のハイエナとして悪名高いカストロプ公の神輿にしている後継者なぞ文官貴族も武門貴族も願い下げだ。ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム両家の支持者の中にはカストロプ公に恨みのある者は少なくない。女性である事を除けば最も最善の候補者であるのは明らかだった。

 

 逆説的に言えば、最も玉座に近いエリザベードを擁するブラウンシュヴァイク家を陥れるという唯一つの目的のために、残る者達が一時的な同盟を組む可能性もあった。特に追い詰めすぎたり、勢力バランスが崩れそうな行為を行った場合は。

 

「そんな中で危険を冒してまで亡命政府の手助けする(火中の栗を拾う)馬鹿がいるか?それに最近クロプシュトックの負け犬辺りも妙な動きをしているしな。其方への注意もある。……なぁ、伯世子様は何か知らね?」

「クロプシュトック?旧クレメンツ派ですか。さて、敗北者同士で同窓会でも開いているのでは?まぁ、現実的に考えればどこぞの派閥に合流するか新しい候補者擁立でも企てている、と言った所でしょうね」

 

 内心で私にその話を振るな!と叫びつつ極極常識的な内容で答える。実際嘘は言っていない。彼方と同盟政府の連携については私は別部署なので詳しく知らないし、候補者(?)がいるのは間違いないのだから。

 

「ふぅん……いやな?三〇年近く引き籠り生活していた負け犬が急に彼方此方に献金したり、手紙出したり、後は豪勢に領地で宴会開いたりすれば誰だって怪しむものだろう?」

 

 おいボンバーマン侯爵、めっちゃ怪しまれとるやんけ。やる気出たからってはしゃぎ過ぎだろうが。周囲の視線考えろ馬鹿。……いや、ブラウンシュヴァイク家の諜報能力あっての情報かも知れんが。

 

「成程、確かに怪しむべき内容ではありますね。とは言え我ら亡命政府にとっては関係の無い事ですよ」

「そう、御宅らには関心の無い事だろうさ。そして此方にとっても御宅らの存亡は然程興味のない事さ。寧ろ、可愛い可愛い従妹の事を思えば皇族は少ない方が良いと思わないか?」

 

 ここで他派閥の動向に警戒して動くよりも亡命政府が勝手に消えてくれる方が良い、という訳か。さて、どこまでが本音でどこまでがブラフなのやら……。

 

(いや、最悪何方に転がっても良いとでも思ってそうではあるかな?)

 

 一方に掛け金を賭けるのは三流のギャンブラーだ。一流の謀略家は可能な限りリスクを分散する。そしてどう事態が推移しても最低限の利益を手に入れて見せるものだ。

 

 まぁ、超一流になると逆に思い切りよく勝ち馬に一点賭けして見せるものだが……少なくともブラウンシュヴァイク公にそこまでの才覚は無かろう。

 

「旦那様」

 

 暫し剣呑な空気が漂っていた場の沈黙を破ったのは一人の黒服であった。懐の金の懐中時計を開き時間を確認すると耳元で何やら男爵に囁く。男爵は高慢な態度でそれに頷き、私とバグダッシュ少佐に向けて答える。

 

「悪いがそろそろ失礼させてもらうよ?此方も次の予定があってな。コロセウムの特等席で観戦予約してるんだ。デビル大蛇とナルガクルガの注目カードだ。両方中々狂暴でね、賭け金も鰻登りらしい。伯世子殿も興味があれば今からでも間に合うから一口賭けてみたらどうだい?」

 

 そう言い捨てると膝元の少女をどかせて、ブラウンシュヴァイク男爵は立ち上がった。そしてそのままバグダッシュ少佐の制止を無視して飄々とその場を去っていったのだった。当然ながら、私にはそれを見送る以外の選択肢はなかった。

 

 

 

 

 

 

「それでどうだ?お前達から見てあの男爵様は?有効活用出来そうか?」

 

 カジノを出てからコーベルク街外周区の高級喫茶店『レ・ミゼラブル』の二階にある個室席を借りた私は、注文した紅茶の毒見が済まされた後、第一声でそう質問した。目の前にはテーブルを挟んで従士が二人、個室の扉のすぐ傍に椅子を置いてバグダッシュ少佐が足を組んで私達を観察していた。全員紅茶か珈琲を注文している。

 

「個人的な所見を申し上げますと然程期待出来る人物ではないかと」

 

 真っ先に答えたのはテレジアだ。

 

「その根拠は?」

「確かに男爵は彼のブラウンシュヴァイク公爵家一門の末席に座を占める人物ではあります。ですが逆説的に言えばそれだけの人物です。一三年に渡りフェザーンから出た事すら無いのです。情報は人伝いという事になります。となれば必ずしも男爵の有する宮廷動向が事実に即しているとは限りません」

 

 テレジアはまず男爵の情報収集能力について疑問を呈する。

 

「それともう一点の疑問は影響力です。ブラウンシュヴァイク公が親族に対して慈悲深いのは事実でしょう。ですがそれと親族の意見を汲み取り、支持するかは別問題で御座います。世間一般の常識として男爵は宮廷でも名を知られた放蕩児で御座います。公爵自身は兎も角、一族や統制派全体が彼の言葉で動くのは余り期待出来ないかと」

 

 コーベルク街はルドルフ大帝の価値観でいえば存在そのものが許しがたい悪徳の都だ。帝国の価値観を極めて厳正に守れば飲酒は当然、煙草も賭博も、電子ゲームにネットサーフィン、女遊びに間食に朝まで夜遊び………それらは人間の精神を腐敗させ、家庭と社会を崩壊させる第一歩だ。

 

 無論、流石にルドルフ大帝の言を完全に守れる人間なぞ大帝の生前ですら皆無、大帝自身それらを一切の例外なく守らせ、全う出来ない者に死を与える事は出来なかった。

 

 だが、だがである。例えそうであるとしても一三年も朝っぱらから卑しい平民の飲む麦酒やウォッカを飲み泥酔し、賭博に電子ゲームにネットサーフィンを真夜中どころか朝日が昇るまで熱中し、娼館巡りを公然と行うような領地をほったらかして領主としての責任を放棄し官僚になるでも、軍人になるでもない文字通りの放蕩児が男爵なのだ。

 

 原作では門閥貴族の放蕩が良く触れられたが、現実では放蕩貴族なぞ全体の極一部である。帝都で馬鹿騒ぎするような貴族は悪目立ちするし、逆に責任感のある貴族は態々市井で姿を見せる事は稀だ。重役を背負う者の場合であればそれこそ一時の気晴らしであろう。本当の意味で遊んでばかりの馬鹿貴族共が国政を左右しているのなら帝国は五〇〇年も続くまい。大半の諸侯は才能は兎も角、権力者としての最低限の責任と節度は弁えているものだ。

 

 その意味では確かに男爵は文字通りで家柄だけの人物のように思える。ブラウンシュヴァイク公も暗愚ではない。少なくとも宮廷闘争と内政においては少なくとも素人ではない。あれでも倍率三桁に達する帝国の帝国高等文官試験を突破したエリートだ。そんな人物が放蕩者の親戚の言葉にどこまで影響されようか?というのがテレジアの主張だ。

 

「亡命政府の一大事であるこの時期に、よりによってあのような男爵との面会で貴重な時間を浪費するなぞ……!バグダッシュ少佐、少佐や情報局は何を考えておいでなのですか!!?もっと他に良い交渉窓口は無かったのですかっ!!?」

 

 テレジアは不満をありありと見せながらバグダッシュ少佐の方向を向いて問い詰める。彼女からすれば只でさえ堕落仕切った一族の七光りだけが取り柄の男爵に亡命政府と皇帝、そして主人を小馬鹿にされ、袖にされたように思えただろう。それ故にその怒りは苛烈だった。

 

(とは言え……流石に少し気が立ち過ぎかね?)

 

 元々ベアトよりも落ち着いて、冷静な性格の筈なのだが……最近の彼女は少し冷静さが足りないように見えた。無論、私の気のせいかも知れないが………。

 

「そう申しましてもね、男爵は曲がりなりにもブラウンシュヴァイク公の身内です。即ち血筋として統制派中枢に極めて近い人物なのは間違いありません。……当然ながら国政中枢を担う帝国貴族は公用なら兎も角、私用でフェザーンを訪問する者は余りおりません。良い噂が立ちませんからね」

 

 フェザーンが銀河の外交と経済の中心地であるために、公務やビジネスが目的ならば国政に携わる大貴族が訪れる事は少なくない。

 

 しかし実の所、私用となるとこれが中々事例は限られるのだ。

 

 フェザーンの町並みは同盟に近く、しかも同盟以上に俗らし過ぎる。ルドルフ大帝の唱えた美的価値観からは程遠い存在だ。特にコーベルク街なぞ、伝統的な門閥貴族にとっては少なくとも頻繁に出向く事は推奨されないような街である。少なくとも伯爵家以上の大貴族が年に何度も入場するような街でも、長期滞在する街でもない。そして同時に、合法的に同盟人諜報員が門閥貴族と接触出来る街はコーベルク街等の一部例外を除きそう多くはなかった。

 

 フェザーンの表街は実はそう簡単に同盟人や帝国人が出歩ける場所ではない。過去、戦乱や徴兵から逃れるために中立国であるフェザーンの街に亡命する者、敵国の工作員に誘拐される者、あるいは買収されて機密情報を流出させてしまう者が後を断たなかった。それ故に同盟と帝国はフェザーンに圧力を掛けて宇宙暦707年にはフェザーンへの移民や居住に制限をかけた。

 

 だが、フェザーンは銀河ビジネスの中心地である事もまた事実。ビジネスを行うには流石に直接人をフェザーンに送り込まなければならないし、諜報員を潜り込ませるにもフェザーン居住の自国人は多い方が紛れ込ませやすい。しかし先程のような問題がある。その解決策としてフェザーン第三代自治領主ハミルトンが提案したのが両国がフェザーンにそれぞれ租借する『租界』である。

 

 実の所、フェザーン居住の同盟・帝国人の大半が居住するのがこの『租界』だ。フェザーン旅行に来る旅行者の大半がこの『租界』を観光し、その外のフェザーン人達の住まう『本物のフェザーン』の街を出歩く事は殆んどないし、両国政府、そして自治領主府が許さない。両国人が『租界』の外に外出又は居住するには相応の手続きが必要だ。

 

「当然、『租界』の周りはフェザーンないし同盟への逃亡を阻止するために帝国の駐留軍が警備している。フェザーンに訪れる大貴族が私用で『租界』の外に出る事はなく、フェザーン居住の亡命貴族は大抵権力中枢から追い出されているから情報源以上の価値はない。その点、コーベルク街に居座り続ける男爵は公爵との繋がりがまだあるので丁度良い立ち位置な訳か」

「御賢察、恐れ入ります大佐殿」

 

 テレジアに責められるバグダッシュ少佐は私の助け舟に堂々と乗り、恭しく称賛の言葉を口にする。よくもまぁ、心にも無い言葉をぬけぬけと……。

 

「まぁ、そういう訳だ。テレジア、気持ちは分かるが同盟の情報局も無能揃いじゃあるまい。交渉窓口として男爵の利用価値が高いのは間違いないのだろうよ。そう怒ってやるな」

 

 私は苦笑を浮かべながらテレジアを宥める。彼女の苛立ちの理由は今一つ分からないが立場上手綱を引けるのは私位のものであり、今回の任務の特性上それを躊躇するべきではなかった。

 

「し、承知致しました……」

 

 歯切れ悪くそう謝罪の言葉を口にし、テレジアはバグダッシュ少佐への矛を渋々抑える。それを確認した後、私はベアトの方に尋ねる。

 

「ベアト、お前はどう見る?」

「少なくとも完全な道楽者ではないかと」

 

 僅かに考え込んだ後、ベアトは口を開き答えた。

 

「……理由を聞いても?」

 

 私は彼女に続きを促す。

 

「はい、確かに一見道化を演じておりますが、男爵は我々の状況をほぼ完全に把握しておりました。バグダッシュ少佐、失礼ながら我々についてあそこまで情報を提供なされましたか?」

 

 確認するようにベアトはバグダッシュ少佐に質問する。

 

「いえ、亡命政府出身の貴族……即ちティルピッツ大佐との面会を希望しただけです。無論、大佐のお名前は出してはおりません」

「僭越ながら宮廷というものは常に様々な流言や噂が話題となる空間です。失礼ながら若様の事もその一つに過ぎません。しかもブラウンシュヴァイク家は文官貴族、亡命した武門貴族についての話題をフェザーンに籠り切りの男爵が偶然それだけ有していたとは考え難い事です。恐らく男爵はオーディンに流れる噂について幅広く把握していると考えられます」

「らしいが、バグダッシュ少佐?」

「はい、此方も男爵とは長年の付き合いではありますが彼方の漏らす情報に明らかな嘘はないと判断しております」

 

 テレジアの方に視線を一瞬移した後、少佐は断言する。

 

「次いで、私が観察した限りですが、若様個人の情報だけでなく、此度の使節団についても情報をかなり詳しく把握している模様です。シュヴェリーン大公殿下の存在は特に緘口令が敷かれている程の重要事項の筈、バグダッシュ少佐、まさかとは思いますが同盟軍の防諜体制はそこまでザルなのでしょうか?」

「それについては情報局全体を代表して謝罪しましょう。ですが我が方も長年帝国軍の諜報部門と暗闘を繰り広げて来た身、決して雑な体制を敷いていた訳ではないと明言いたします」

「その点については私も心配していた。君を通じてのお願いになるが大公殿下の警護体制の強化を御願いしたいな。でだベアト、バグダッシュ少佐の言葉を信じるならば、大公殿下の情報が漏れたのは同盟からではない事になる。つまりは漏らしたのはフェザーン、という認識で間違いないな?」

「私見ではありますが」

 

 ベアトの返答に場の空気が険しくなる。ワレンコフ自治領主が漏らした訳ではあるまい。となるとそれ以外のフェザーンの要人からとなる訳か。ワレンコフ自治領主も馬鹿ではない。可能な限り交渉が成功するように親帝国派への情報開示はギリギリまで行っていまい。そして昨日のパーティーで知られたとしても男爵の下に届くには早すぎる。

 

「つまり男爵はフェザーンにそれ以外の情報網を持っている、あるいは自治領主府や元老院の親帝国派から優先してその手の話が伝えられる程に重視されていると言う訳だ」

 

 そう考えれば油断出来る人物でも、軽視出来る人物でもない。新無憂宮の動向だけではない、フェザーンの親帝国派の動きを探る上でも重要な立ち位置にいるという事……。

 

「そうなると無碍には出来ない訳だな」

 

 統制派に対する影響力だけではない。フェザーンの親帝国派にもある程度の繋がりがあるとなれば粗略に扱う訳にもいくまい。

 

(フェザーンの親帝国派の大半は別に帝室を崇拝している訳ではない。あくまでもビジネスのために帝国に肩入れしている輩だ。その辺りを突けば統制派とフェザーン、双方を味方にする事も不可能ではない、か………?)

 

 私は一人で思考の海に浸かりじっくりと考察する。今回ばかりはミスは許されない。故郷の命運が掛かっているのだから………。

 

『私の歌を聴けー!!』

 

 突如として個室に響いたのは何処かで聞いた事のある生意気な小娘の掛け声と共に始まるロック風味の音楽であった。

 

 昨年フェザーン・ツアーでは三日間の公演で一枚五〇〇フェザーン・マルクするチケットが三〇〇万枚即完売、ネットオークションではプレミアがついて最高で一枚三〇〇〇フェザーン・マルクの値までついた程フェザーンでの人気は絶好調、フェザーンに浮かぶマグロ・ツェッペリンのソリビジョン広告でちらほらその姿は見る事が出来る程なので、着メロに指定している者がいるのは可笑しくはない。可笑しくはないのだが……。

 

 私はジト目で音の方向に視線を向ける。そこには髭を生やした同盟軍情報局のエージェントがいる訳で……。

 

「あ、連絡ですね。失礼、少し席を離します」

 

 携帯端末を懐から取り出したバグダッシュ少佐が着信元を確認すると飄々とそう答えて個室から出て小さい声で電話に出る。おう、待て。平然と応対しているが色々待て。何さらりと流しているの?誤魔化すなこの野郎!!

 

 内心で私は携帯端末の着信メロに突っ込みを入れまくる。まさかと思うがその着メロ最初から入っていた訳ねぇよなぁ?元からならそれはそれで闇が深すぎるわ。

 

 正直色々追及しまくりたいのだが……残念ながら、そんな呑気な私の考えも次の瞬間にバグダッシュ少佐が口に走らせた言葉で霧散していた。

 

「何っ……!?使節団を狙った爆弾テロかっ!!?」

 

 バグダッシュ少佐は思わず険しい口調で叫んでいた。

 

 事態を理解した従士達が目を見開きが絶句する中で、無駄に異常事態に慣れきってしまった私だけが比較的冷静に状況を受け入れてしまえていた。そして注文してから少し冷めてしまった紅茶を一口啜り、ぼやく。

 

「こりゃあ、また少し荒れそうだなぁ」

 

 やっぱり中立国なんて碌なものじゃない、と私は思った。



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第百五十一話 嫌な思い出程記憶に残り、嫌な予感程良く当たる

 フェザーンは戦火の及ばぬ平和の星……それは半分本当で半分嘘と言える。

 

 確かに一隻だけでも馬鹿げた値段がつく最新鋭の宇宙戦艦を何万隻も並べて正面からぶつけ合うなぞ帝国と同盟にしか出来ない行いだ。両国辺境や外縁宙域で蠢く宇宙海賊や中小国、あるいは軍閥、その他の武装勢力が有するのは二大超大国から見れば旧式も良い所な艦艇をせいぜい数十から数百隻、現在確認されている最大規模の勢力すら一〇〇〇隻あるかどうかであろう。性能や練度を含めればその戦力差は更に広がると思われる。

 

 一五〇年にも渡り大戦争を繰り広げる両国の争いはフェザーンや周辺小勢力群から見れば正に神々の戦いに等しい。確かにそんな物と比べればフェザーンは正に平和そのものと言えよう。相対的に考えれば。

 

 銀河中の金と欲望が集まり、格差の大きいコミュニティでは犯罪が蔓延るものだ。フェザーン警備隊や傭兵、フェザーン自治領警察軍が配備される『表街』であれば兎も角、広大かつ碌に戸籍も記録されていない貧しい『準市民』でごった返す『裏街』ではマフィアやギャングが幅を利かせている。しかも大概の場合それらの犯罪組織は背後にスポンサー企業がいたりするので各治安組織も『表街』や『市民』に被害が及ばない限りは『裏街』で何があろうとも放置している有様だ。

 

 逆に言えば、『表街』でテロが起こるなぞ滅多に有り得ない事でもあり、その事実はフェザーン上層部に強い衝撃を与えた。

 

「自治領主に二点お尋ねしたい。先日、即ち九月一九日午後三時四五分フルンゼ街第二ハイウェイで生じた爆弾テロ事件についてです。一、本事件において爆弾が自由惑星同盟及び銀河帝国亡命政府からの外交特使の乗車する地上車を標的としたものである事は事実でしょうか?二、本事件において第二ハイウェイは約六時間に渡り封鎖され、それによる経済的損害は推定で五〇〇万から五五〇万フェザーン・マルクに及ぶと商務局及び財務局は概算しております。これらの損害について治安維持に責任を持つ自治領主府は如何に責任を取る積もりでいるか、以上二点についてお答え願いたい!」

 

 フェザーン自治領主府の一角に設けられた円形会議場……元老院五十人議会議事堂の議員側の一席で怒声にも似た声が上がる。親帝国派として帝国鉱物資源・エネルギー公社との金属ラジウム採掘事業を行う業界大手企業の若手役員のものであった。彼の声と共に一ダース程の元老達が同意するような野次を飛ばす。

 

 五十人議会と言いつつも、フェザーン自治領成立以来一世紀、人口の増大と企業や財閥、コミュニティの勃興、それによる新興勢力の政治参画の要求から議席は増加し、その議会組織は複雑化していった。今では議席の総数は一〇〇席を超え、その役割も細かく細分化されている。議事堂建設の頃の想定の倍の議員が犇めく事もあってか、伝統的に市民の目に公開される事のない秘密会議でありながら、フェザーン最高議会の議事堂は妙な熱気に包まれていた。

 

 議会議事堂の自治領府行政側の席から高価なスーツを着込んだ自治領主ワレンコフが壇上に上がる。壇上に設置されたマイクに向けて老自治領主は説明する。

 

「まず一点目に関しまして、爆弾の爆発地点の近隣に両国の特使の乗車する地上車が存在したのは事実であります。幸い一般市民及び特使達に死亡者が発生しなかった事は極めて幸運であると考えております。二点目に関しましては此度の特使の護衛のためにハイウェイの部分的封鎖を行っていたがために損失を最小限で食い止められたものと自負しております。方々にて此度の被害に遭われた企業・個人に関しては個別の事情を考慮しつつ必要に応じて自治領主府より救済措置も検討中であります」

 

 ワレンコフの政治家らしい応対に議場の彼方此方から再度野次が飛ぶ。

 

「自治領主、他人事のように言ってもらっては困ります。即ち、此度の事件は銀河帝国と自由惑星同盟による軍事抗争に我々フェザーンが巻き込まれ、フェザーン市民及び経済が危険に晒された訳です。これが如何なる意味を持つか自治領主は御理解しておいでですかっ!!?」

 

 若手議員は自治領主よりも寧ろ他の元老院議員に問いかけるように声を荒げる。

 

「皆様、このフェザーン自治領は独立独歩を旨とする商人の国です。帝国にも同盟にも組せず、ひたすらに中立の立場でビジネスに専念するのがフェザーン人であり、自治領主府はそのための政治的調整と交渉のために存在する筈!」

 

 議員が口にするのはフェザーン自治領成立時の理念と建前である。その歴史的経緯から元より商人や船乗りが多く、また戦火から逃れた難民の集まるフェザーンに、ある日地球出身の商人レオポルド・ラープが訪れ語った。

 

「戦争で故郷を捨て、財を捨て、家族を失った者達よ、血を流すのは帝国と同盟に任せておけ。戦争に奪われたのならば戦争から取り戻そうではないか。奴らが流した血を以て、この星を我らの楽園としよう」

 

 実際は然程韻を踏まず、もう少し散文的であったであろうがラープが実際に似たような発言をしたのは事実だ。

 

 元より多くの人々が初期は拡大を続ける二大超大国から、次いで激しく抗争を繰り返す両国から逃れて来た。それが海賊達をルーツに持ち長らく独立国として振舞って来た原住民のアイデンティティーと同化した結果生まれたのがフェザーン人特有の反骨精神旺盛かつ反権威主義・独立志向・孤立主義・平和主義・物質主義の価値観である。それ故にフェザーン人は同盟と帝国の戦争に巻き込まれるのを極端なまでに嫌う。

 

「自治領主は長らく帝国による吸収合併に対抗するためと称し、親同盟政策を推進して来ました。ですが、私からみた場合、寧ろその政策こそが帝国の軍事的圧力を助長しているように見えます」

 

 そして元老達の方に視線を向け議員は更に口を開く。

 

「皆様方、自治領主は凡そ三〇年に渡り同盟に肩入れをして参りました。その結果得たのは何でしょうか?帝国市場における損失と同盟から押し付けられた多額の低金利債権だけではないですか!これではラープの説いた言葉と真逆!フェザーン建国の理念に反する行いです!そして今我々は金銭だけでなく生命すら脅かされようとしている!!」

 

 若い議員の言葉に帝国ビジネスや金融業界に携わる元老を中心に賛同の声が上がる。

 

「確かにワレンコフ氏は同盟に肩入れし過ぎだな」

「お陰で最近の共和主義者共は我らに高圧的だ。我らが金の湧き出る魔法の壺とでも思っているようだ」

「帝国との繋がりもぞんざいにしてはならん。帝国の市場は同盟よりも大きい。潜在力を鑑みればまだまだ投資の価値がある」

「そろそろ政策の修正が必要かも知れませんな」

「左様、共和主義者共に灸を据えなければならん」

 

 思いのほか多くの議員から上がる肯定的な声にワレンコフは苦々しい表情を浮かべる。

 

「いや、それは筋違いというものだ。そもそも此度の爆弾事件が帝国側の工作によるものという証拠がない。それに、仮に帝国の行いであったとしてそれを元に親同盟政策の転換を行うのは道理に合うまい。寧ろその場合は帝国にこそ抗議の声を挙げるべきだ」

 

 自治領府と自治領主の擁護の声を挙げるのはスペンサー議員であった。これに同調するように同盟との結び付きの強い議員達が騒ぎ立てる。

 

「だが実際問題、同盟に肩入れし続けても得られる利益はいかほどのものだ?帝国に肩入れしろとは言わぬが同盟ばかり贔屓にするべきではなかろう」

「現帝国財務尚書であるカストロプ公爵は帝国において数少ない親フェザーン派だ。現在アルレスハイム方面で進んでいる軍事行動も公爵が一枚噛んでいるという。ここで早急に借款しては只でさえ厳しい帝国国内での事業が一層厳しくなろう」

「然り然り、自治領府の行いは我らフェザーンの経済発展を不必要に束縛しておる。その是正を願いたいものですな」

 

 中堅から老境の議員達が立て続けに語り話題をある方向に誘導していく。彼らが皆、帝国における開発事業に多額の投資をしているのは言うまでも無かった。

 

(カストロプめ、相当金をばら撒いたな……!)

 

 ワレンコフ自治領主は議場の者達に聞こえないように小さく舌打ちする。あのハイエナのように狡猾な強欲公爵はフェザーン人よりもフェザーン人らしい守銭奴であるが、同時に決してオトフリート五世のような無分別な吝嗇ではない。必要な時に必要な金を使うだけの器量があった。此度の案件においても相当額の工作資金をばら撒いていると思われる。

 

 議論は次第に今回のテロ事件の説明から自治領主の管理と政策に対する責任追及の場へと移行していく。スペンサー議員以下、親同盟・ワレンコフ支持派の議員が議論の逸脱を批判するが、その中にすら寝返る議員が数人おり、議論は混迷の様相を見せ始める。フェザーン人は個人主義者と拝金主義者と功利主義者の集まりだ。こうなれば収拾をつけるのは簡単ではない。

 

「リコールだ!リコールを要請する!」

 

 一部の議員達のその宣言に会場は、特に行政側の議員席に座る閣僚や官僚達は困惑と驚愕にどよめく。リコール、即ち自治領主の進退を決める投票を行いたいとまで言い出すのだ。フェザーン政界では激しい政策対立がこの一世紀幾度か生じた事はある。だが流石に基本終身制たる自治領主の退任の要求なぞ制度上は可能でもこれまでなかった事だ。ましてやこの程度の事で………。

 

「……ルビンスキー」

「はい、自治領主殿。何用でありましょう」

 

 罵詈雑言が飛び交い混乱する議会を尻目にワレンコフは小さく補佐官の名を呼ぶ。すぐにスーツを着込んだアドリアン・ルビンスキーは自治領主の傍らに控えた。

 

「元老院がここまで拗れるとなると帝国の貴族共だけが動いている訳ではなさそうだ。教団と証券業界……それと『裏街』の溝鼠共辺りも探るべきかな。内偵に動向を調べさせろ。それと……」

 

 苦々し気に議会を一瞥した後、ワレンコフは続ける。

 

「同盟・亡命政府の特使に連絡を。借款契約は少し遅れそうだとな。この混乱では承認も難しかろう。安全対策のために警備も割り増しさせると伝えてくれ。全く、すぐに金に釣られる馬鹿共め」

 

 愛国者にして、民族主義者である自治領主は傍らの補佐官以外に気付かれないように吐き捨てる。それはフェザーン全体ではなく自分達の組織や企業のためだけにフェザーン政界を掻き回し、混乱させる議員達に対する非難であった。

 

「やはり奴らにこのフェザーンは任せられんな、ルビンスキー。どれもこれも一国を背負う責任感が欠如しておる。ここは一つ大掃除が必要なようだ」

「はっ、その通りで御座います」

 

 ルビンスキーは恭しく、同意するようにワレンコフに頭を下げる。少なくとも外面は。

 

 混乱する議場をルビンスキーはそっと離れ、裏手に向かう。そして誰も見ていないのを確認し、低い笑い声を漏らす。

 

「これはとんだ喜劇(バーレスク)だな」

 

 ワレンコフ自治領主の推察は半分正解だ。確かにこの元老院の混乱した惨状は確かに旧守派や分権派だけによるものではなかろう。その事に物的証拠無しにすぐに辿り着くのは流石自治領主というべきか。背後にいると疑った者達も妥当であるし、実際幾人かは正解だ。

 

 だが同時に余りに滑稽な事は………。

 

「さて、勝ち抜くのは誰かな?帝国か、同盟か、フェザーンか……」

 

 禿頭の男の脳裏にこの陰謀と欲望が入り乱れるゲームのプレイヤー達の顔が過ぎ去る。そして愉快気に口元を吊り上げる。

 

「あるいは、この俺かな?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、流石に驚いたよ。十メートルも離れていない路上で即席爆弾だからね。爆風で地上車が横転して頭をぶつけたよ」

 

 自由惑星同盟・フェザーン高等弁務官事務所の貴賓室のソファーでははは、と困ったような笑い声を上げるのはシュヴェリーン大公ことアレクセイ・フォン・ゴールデンバウム銀河帝国亡命政府軍宇宙軍准将だ。その態度は一見すると爆弾テロの標的にされた人物とは到底思えない。

 

「随分とまぁ、呑気だなぁ?爆発が後数秒遅れてたら危なかったんだろう?」

 

 幾ら装甲を張っている要人輸送用の特殊地上車とは言え、最前線に投入される装甲ゴテゴテの大型車と違いガワは一般高級地上車と然程差異はない。物理的な耐爆性能は限界がある。実際、防弾硝子はズタズタにヒビが入っていたし、装甲も内側まで鉄片がめり込みかけていた。

 

「それこそ杞憂ってものさ。私を本気で殺そうなんて相当覚悟がいるよ。私が死ねば亡命政府は無論、フェザーン自治領府も動かざるを得ないからね」

 

 アレクセイは肩を竦めて答える。アレクセイは皇族だ。そして外交使節だ。それが殺害されれば間違いなく亡命政府も、面子を潰されたフェザーンも全力で相手に報復するだろう。そのリスクを取れる程の者達は限られる。

 

「アレは恐らく本気で殺しにかかったものではないだろうね。本気でやるならもっと威力を高めるか、いっそハイウェイ自体を倒壊させてしまう方が確実だ。暗殺は一度失敗するとハードルが上がる、やるなら一撃で仕留めないといけない」

「それにしては警備体制を潜り抜けて爆弾を設置出来たのに威力も爆破のタイミングも稚拙だな。となると目的は……」

「寧ろ借款交渉の遅延を狙っている、といった所だろうね」

 

 私とアレクセイはほぼ同時に答えに辿り着く。

 

「ワレンコフ自治領主は『表街』でテロが行われた事による責任を議会で追及されている」

「外交使節団も安全の確保のために暫く交渉は延期してこの高等弁務官事務所に缶詰めだそうだ。今後の交渉時期は未定らしいよ」

「考えられる犯人は?」

 

 私は此度の『火遊び』の犯人について旧友の意見を求める。

 

「亡命政府なりフェザーンなりに恨みを持つ組織や個人は幾らでもあるけど、実際にこの手の手段を実行出来る能力を有するのは限られているからね。帝国であれば最有力は旧守派に分権派辺りになるのかな」

「同盟の極右はどうだ?奴らは我々亡命政府が嫌いだろう?」

「動機はあっても能力が無いだろう?右翼自体は大きくても極右は少数だ。トリューニヒト議員は与党の中道右翼、つまり右翼の大半は今回の交渉に賛同している。身内の跳ねっ返りの手綱位は引いている筈さ」

 

 同盟の極右勢力はその筆頭たる『サジタリウス腕防衛委員会』が780年に小規模な内部紛争を起こし、統一派の援助を受けた(比較的)穏健派が主導権を握り内部の粛清と引き締めを行って以来大人しいものだ。ほかの極右系武装組織にはフェザーンの厳しい警備網を抜けてこんな大それた事は出来まい。

 

「後はフェザーンの親帝国派辺りに戦争ビジネスをしているマフィアか宇宙海賊辺りか……いや、後者は流石にリスクが高いか?後は………」

「後は?」

「いや、何でもない。実行犯は兎も角裏で糸を引けそうな輩はこんなものだな」

 

『地球教』……そのフレーズが脳裏に過った私はしかし、この場でその事は口にしなかった。この世界に生きて二六年になるが、その常識からすればこの場であのカルト教団の名を口にしても怪訝に思われるだけだ。

 

「それよりも無事で良かったよ」

「心配してくれたのかい?」

「そりゃあそうだ。死ぬどころか怪我一つですら一緒にいる私にも責任が来るからな。ここに来るまで戦々恐々だったよ」

 

 私の尻ぬぐいのせいで良く心労気味になるベアトやテレジアを思えば……同じ思いをするのは御免だ。

 

「酷い言い草だなぁ。親友と思っていたのは私だけなのかい?」

 

 アレクセイは悲し気にしくしくと腕で涙を拭う仕草をする。涙声を美味く演技しているのは評価するが口元のにやけでモロバレだぞ?

 

「おいおい、嘘泣きなんて止めろよ。気持ち悪い。女の涙は武器だが男の涙は見苦しいだけだぞ?」

「ヴォルターは相変わらずだね。こんな下手な演技でも他の人達なら結構慌てるんだけど……ヴォルターは小さい頃からこういうのはスパッと切り捨てる性格だったから」

「あー、そういう事もあったな……」

 

 私は僅かにしかめっ面を浮かべて応じる。心当たりはある。私が色々と拗らせていた頃だ、止めろよ恥ずかしい。

 

「あの頃に比べたら随分と丸くなったものだよね。確かあの頃は遊びを勝手に止めて逃亡したりお願いしても即答で拒否されたりしたよね?」

「止めろ止めろ、人の黒歴史を掘り返してくれるな」

 

 今冷静になって思えば笑えない位無礼な事をしていた事は自覚している。アレクセイが次男であり、私の両親の立場がなければ血の気が引くような行いだった。完全に中二病と高二病が併発してたよ………。

 

「私の寛容さを喜んでくれよ?これが兄上ならカンカンだったんだから」

「流石に皇太子殿下とは歳が離れすぎてるだろ?餓鬼相手に大人気なく怒るかよ?」

「もし怒ったら?」

「アウグスタ様にでも泣きつく」

「結局他人頼みじゃないか」

 

 暫くの間、互いに転げるように笑う声が室内に響く。そして……笑い声が自然と消えていくと共に、互いの瞳を見つめる。

 

「ハーン伯爵が心配症でね、私が怪我したら心底困るらしい」

「此方も厳しい。トリューニヒト議員も軽傷を負った。お前同様暫くはここで引き籠ってもらうしかない」

 

 国防委員会財務・会計副委員長たるヨブ・トリューニヒト議員は今回の借款交渉の調印権限を持つ重要人物だ。ここで爆死されたら借款交渉自体が停滞、最悪は御破算してしまう。それだけは回避しなければならないので、彼もまたこの高等弁務官事務所に閉じ籠る以外の選択肢はない。最低でも本国から調印権限を持つスペアが来るまでは。

 

 更に言えばトリューニヒト議員だけでなくオリベイラ学長も同様の理由で動きにくくなっている。いや、ある意味此方はより深刻だ。

 

 個々人の議員に対して学会人脈を通じて切り崩そうにも、既に議題は借款の是非から自治領主の進退の是非に変わってしまっているのだ。しかも帝国に対する諜報網からあのゼーフェルト博士が派遣される事が発覚した。

 

 アロイス・ベルントルト・フォン・ゼーフェルト騎爵帝国騎士は帝国学術協会・帝立哲学協会・帝国科学アカデミーの名誉会長を務め、国立オーディン文理科大学の理事長も務める言わば『帝国版オリベイラ学長』とも言うべき人物である。私の記憶が正しければ確かあの獅子帝の時代でも学芸尚書として重用されていた筈だ。御用学者としてその理論構築能力・交渉能力・人脈は中々のものだ。他の数名の帝国政財界要人も入国しているのも含め、親帝国派議員達に対する協力と説得に駆り出されているのだろう。

 

「となると、もう動けるのは私位な訳だな?」

 

 肩を竦め半分程自嘲気味に私は尋ねる。分かり切った事だ。アレクセイもトリューニヒト議員もオリベイラ学長も、次いでに言えばハーン伯爵も今現在スペアの効かない調印に必要不可欠な存在だ。

 

「一方私は失っても比較的痛くない立場、となれば私が代わりに飛び回るしかないわけだ」

「……別にヴォルターを失っても良い訳ではないよ?君は伯爵家の跡取りだし……何より私の友人だ」

 

 少し言いにくそうにアレクセイは声を漏らす。そこには仄かな罪悪感が見て取れた。

 

「別に構わんさ。お前は勿論、学長も修羅場慣れしている訳じゃあないからな。トリューニヒト議員は……まぁ現場を離れて久しいからな」

 

 学者であるオリベイラ学長は当然銃の撃ち方すら知るまい。アレクセイは幼年学校時代に実際に命の取り合いを経験しているが逆に言えばそれだけだ。トリューニヒト議員は同盟警察に所属していた頃極右・極左組織に犯罪組織相手の取り締まりや暴動鎮圧の現場に関わった経験があるというが、議員になってからは流石に体も鈍っていた。一方、私は現役軍人であり、嫌になる程死にかけている。危険地帯に突っ込むには絶好の人選と言う訳だ。

 

「正直いつものパターンを考えると滅茶苦茶不安になるが……まぁ、流石にフェザーンの街中で戦車や装甲擲弾兵に襲われる事は無かろうよ」

 

 工作員が中立国のど真ん中で使うとなれば重装備は密輸出来まい。拳銃や爆弾程度、頑張っても機関砲が精々だろう。そう考えると凄い気が楽だ。

 

 ………うん、こんな惨状で安心出来ると思えるのが悲しくなってきた。

 

「ヴォルター……御免ね?」

「だから気にするなよ。無理ゲーは慣れてる。寧ろこれならイージーモードだろうさ。但し、代わりに餓鬼の頃の恨みつらみは掘り返すな。あの頃の話は私に効く」

 

 いや、マジで掘り返されると恥ずいんだよ……。今思い返すだけでも格好つけな自分に悶絶するぞ……。

 

「けど……」

「なぁに。お前さん達がここに引き籠るお陰で浮いた情報局のエージェントを此方に回してくれるらしいからな。それに……」

 

 そこで私はちらりと貴賓室の玄関にて直立不動の体勢で控える従士二人を見据える。私の視線に気付いたのか、改めて彼女達は姿勢を正す。

 

「私と付き合わせているせいであの二人も随分鍛えられている。どこぞの石器時代の勇者なら兎も角、軽装備の工作員相手なら遅れを取る事も無いさ」

 

 私は冗談めかしてそう嘯く。ふとベアトと目が合い、口元を綻ばせて応じると相手も答えるように微笑む。

 

「そうか、なら……安心だね」

 

 一方、アレクセイは僅かに憂いを含んだ声でそう呟く。

 

「アレクセイ?」

「いや……悪いね、やっぱり少し疲れたみたいだ」

 

 少しだけ力がない声で私に向け答える旧友。

 

「悪いけど、そろそろ休みたいかな。見舞いに来てくれて感謝するけど……」

「分かっているよ。私も長居し過ぎちまったな。後は私に任せて、精々偉そうにこのビルでふんぞり返っておけよ?」

「ヴォルター、やっぱり私の事嫌ってるよね?」

「いやなに、唯の意趣返しだよ」

 

 困り顔のアレクセイに意地悪な笑みを浮かべて私はソファーから立ち上がる。ハイネセンやベアトの事で揶揄ってくれたからね、仕方ないね。

 

 私はそのままベアトとテレジアと共に部屋を去る。さてさて……不本意ではあるが旧友のためにも一働きしようかね?

 

 

 

 

 

「………本当、ヴォルターは意地悪だなぁ」

 

 旧友達が部屋を去った後、シュヴェリーン大公ことアレクセイ・フォン・ゴールデンバウムは一人静かに苦笑しながらぼやく。室内に反響したその声には好意と親しみと、何よりも複雑でほろ苦い感情が混合されていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『地球教』……原作において様々な陰謀を企てた巨悪であり事実上のラスボスはしかし、この時点における世間の知名度は決して高くなく、ましてやそこまで大それた存在とは見られていない。それは諜報において何でも有りであり、国内の安定のために強力な監視体制を敷いている銀河帝国においても同様だ。寧ろ比較的安全な宗教団体とすら見られている。

 

 ソル星系第三等帝国自治領を運営する地球自治委員会、そこに強力な影響力を有する宗教法人『地球教』のルーツは新興宗教と言うくくり分けとは対照的に古い。

 

 その思想的源流は地球統一政府初期に流行した地球シオニズムであるとされている。地球を人類発祥の聖地として人類はそれを保全・保護し、汚染せぬように全人類を宇宙に移民させるべきという考えだ。

 

 この思想は宇宙開発が進み、宇宙人口が増大すると多くの植民諸惑星の市民が宇宙移民第一世代の地球に対する哀愁の念を引き継いだ事もあり一層流行し、シリウス戦役以前の段階で宗教というよりかはイデオロギーとして人類社会全体に広がっていた。無論、単純に地球を保護したいというだけでなく地球人に対するある種の羨望と嫉妬、そして経済的打算もあったと見られる。地球統一政府独立治安維持組織『ティターンズ』は植民星共栄思想・銀河合衆国構想等と共に反地球統一政府思想として長年このイデオロギーを弾圧してきた。

 

 地球生まれでありながら地球シオニストの両親に連れられ少年時代にロンドリーナに移民したカーレ・パルムグレンは、反地球統一戦線の指導者となった後も『地球の地球人の欲望からの解放』を何度も口にしてきた。シリウス戦役末期には経済的理由を下に地球総攻撃に反対するタウンゼントと共に地球統一政府の名誉ある降伏を幾度も促した。まぁ、最終的には植民星共栄思想を奉じるフランクール以下前線の軍人の暴走で地球は壊滅したが。

 

 信仰の対象たる地球の壊滅にタウンゼントの暗殺、『銀河統一戦争』の勃発……戦乱の時代の中で地球シオニストの大半はそのイデオロギーを捨て故国の星系の国益を優先する星系ナショナリストに転向したが、極一部は別の道を進んだ。

 

 黒旗軍十提督の一人であり、フランクールと対立する地球シオニストであった故にタウンゼントの粛清の嵐から逃れたアンドルー・サディアス中将は同胞を結集させると荒廃と混乱の最中にある地球に降り立ち、地球の復興と地球市民の追放活動を始めた。元より環境的にも経済的にも生活が困難となり流出が続いていた地球の人口減少はこれにより急速に加速する事となる。

 

 それ以降彼らは地球自治委員会を称し、閉鎖的なコミュニティを運営して地球の環境復興を何世紀も続けていた。銀河連邦成立後も形式的な加盟だけをして内に籠り切り、外部との交流は暫く行われなかったのだ。

 

 そこに微妙な変化が生じたのは連邦末期、『銀河恐慌』以降である。当時、混乱し閉塞感と無秩序が広がる時代の流れか、多くの新興宗教や既存宗教の分派が救いを求める市民の間に流行した。

 

 しかしながら、それらの信仰は社会の不安定化と閉塞、衰退に伴い次第に過激に、あるいは封鎖的となり暴走を始めたものも珍しくない。救世教恭順派、箱舟教終末派、シンワット教、ニュー・ユニゾン・ソサエティーズ、肉と死からの解放教団……これらの新興宗教は連邦末期から帝国初期にかけて社会に多大な混乱と破壊をもたらしたがためにルドルフにより徹底的に弾圧された。

 

 現在の地球教の雛型はこの時期に成立したとされる。地球自治委員会が地球復興のための資金供給源としてかつての地球シオニズムを宇宙暦三世紀の価値観で再解釈・宗教化したそれが現在に繋がる地球教だ。西暦時代のそれをプロト・テラリズムとしてネオ・テラリズムとも呼ぶ。

 

 地球教は他の新興宗教勢力と違い、武力闘争や反帝国闘争・反社会活動に手を伸ばさず、寧ろ既存宗教勢力同様に銀河帝国の諸政策に対して穏健で従順な態度を取り続けた。更に、当時の帝国政府は資金難や人手不足が慢性化していたために、親帝国派宗教団体に向け、邪教徒認定したカルト教団に対する『十字軍令』を認可した事例も存在する。ゼウス教、エリス教、輪廻教、月光教、飛翔せし偉大なるスパゲッティ・ウィズ・ミートボールモンスター教と言った長い歴史と莫大な資金、私兵すら抱える宗教団体は、この帝国の方針により独自の自治領を有したり諸侯等との経済・政治的結びつきすら有するようになる。オーディン教に至っては事実上の国教となった。

 

 地球教は十字軍に参加こそしなかったものの、帝国の社会福祉政策への資金援助や独自の難民保護等を行い連邦末期から帝政初期の社会的混乱の収拾に寄与、それ故に比較的帝国の警戒を受ける事なく、それどころか連邦時代同様に地球の自治を続ける事を許された。

 

 宇宙暦640年のダゴン星域会戦を契機に帝国国内の様々な宗教組織がサジタリウス腕に領域を持つ自由惑星同盟に対して伝道を試み、帝国政府に支援を嘆願したがそれらが認められる事は無かった。宇宙暦669年のコルネリアス一世元帥量産帝の親征においては帝国は巧妙で、各宗教組織に対して遠征軍と随行して布教を行う認可と引き換えに出兵費用の一部を支払わせる等と言う手が講じられたという。地球教も帝国政府に対して寄付を行うと共に司教や伝道師を幾人か派遣したとされる。尤も、これらの宗教団体の派遣人員は帝国の侵略の手先として同盟軍レジスタンスのテロ活動の標的にされる事も少なくなかった。

 

 結局、親征の中止により地球教を含む宗教団体も同盟における布教活動を再び凍結させる事となった。そして、彼ら宗教団体は別のルートからの布教活動を試みた。

 

 宇宙暦682年のフェザーン自治領成立において地球教が同盟・帝国双方に対して賄賂を支払った事自体は公然の秘密だ。だがそれを行ったのは別に彼らだけではない。多くの宗教団体や企業、自治領がフェザーン成立を後押しし、地球教の名はその他大勢のスポンサーの一員でしかない。本格的な布教活動開始は宇宙暦690年以降とされる。

 

「まぁ、それも簡単ではないのですがね。唯でさえ初期に流れた宗教組織が起こした問題で警戒されていましたし、帝国国内で合法化されていた宗教団体は当時の同盟国内では銀河皇帝の手先として偏見に晒されていましたから。地球教に限らず、帝国から流入した宗教団体は良く極右団体の襲撃や焼き討ちを受けたものだと記録されています」

「確かあの頃は憲章擁護局も幅を利かせていたんだったか?」

「そもそも帝国から流入した危険思想の取り締まりが設立理由ですからね。ダゴン星域会戦後に同盟に流れた宗教団体は碌なものがありませんでしたから」

 

 マクシミリアン・ヨーゼフ二世晴眼帝時代の司法尚書『弾劾者』こと、オスヴァルト・フォン・ミュンツァーの策謀である。彼は帝国の混乱を収拾し、逆に同盟社会を混乱させるべく国境警備の緩和を皇帝に進言した。国内の不穏分子……特に旧ヘルベルト及びリヒャルト派諸侯、急進的共和主義者、宇宙海賊やマフィア、その他危険思想集団等を追い立て、同盟に押し付ける事での帝国国内の治安回復を狙った。

 

 この作戦は見事に成功し、彼らを迎えいれた同盟と同盟警察は国家的危機とまでは行かぬもののその後何年にも渡りこの国外から流れついた犯罪集団との抗争を強いられる事となる。その中には反社会的であり帝国から長年弾圧されてきたカルト教団の数々も名を連ねている。コルネリアス一世元帥量産帝の親征の被害と共にそれが同盟史において悪名高い憲章擁護局設立の遠因となった。

 

「今となれば滑稽な話です。地球教に限らず、フェザーン経由から来た宗教団体は初期に来た輩と違い教義的にも運営的にもまだまともだったのに、堂々と信教の自由を無視して同盟は弾圧したのですからね。お陰様で敵を増やすだけの結果となりました。地球教教会も良く抜き打ち査察や言い掛かりによる教会封鎖があったそうです。結果として多くの宗教団体同様、同盟の地球教総本山たるバーラト教会は地元住民の支持を得るために現地の気風に順応、反帝国・民主主義擁護の立場を取り始め帝国の庇護下で自治を認められ政治的に中立姿勢に立っていた地球教会と対立、結局フェザーンでの公会議の末に両教会は決裂しました。正式に分裂こそしてませんが今でも軽い冷戦状態だそうですよ」

 

 地上車を運転するバグダッシュ少佐が同盟情報局の有する情報を後部座席に座る私に説明した。と言ってもどれもギャラクシーペディア(同盟公用語版)にも乗っているような基本中の基本のような内容ばかりなのだが。

 

「地球教が麻薬……サイオキシンを密売しているなんて話を聞いた事があるが、どうなんだ?」

 

 私は少佐に好奇心からのものを装ってそう質問する。

 

「私は同盟警察じゃあありませんので詳しい事は知りませんが……サイオキシン麻薬自体は違法薬物の中では人気のある種類ですからね。信者の中に中毒患者がいたりするのは可笑しい事ではないでしょう。他の宗教団体でも信者にジャンキーがいた、なんて話は幾らでもあります」

「成程」

 

 つまり地球教が組織的に麻薬の密造・密売をしている疑念も証拠もない、とバグダッシュ少佐は暗に伝えた。それが同盟情報局の能力不足か、機密故に私に伝えないのか、彼自身も伝えられていないのか、あるいは本当に現時点では地球教がサイオキシンを扱っていないのか……少なくとも一番最初のパターンだけは勘弁願いたいものだ。

 

 コーベルク街のコロセウムに向かう傍ら、私は極極自然な形で地球教、及び彼らの陰謀についてバグダッシュ少佐に情報を求めたのだが……中々期待出来る内容は現状出てこない。

 

「それにしても大佐殿がこんな話を振って来るのは意外ですね。どうしました?合法麻薬吸引店に興味でも出ましたか?流石にこの街の中では合法でもお薦めは出来ませんが……」

 

 バグダッシュ少佐は顔を顰めてそう意見を述べる。コーベルク街の幾つかの店ではコカイン、マリファナと言った基本的な違法薬物からバリキドリンクにニトロラープ、サイオキシン等の高高度依存性有害薬物、電子ドラッグまで販売・使用を半ば公認されている。

 

「成金が良く薬をキメてから店で高級娼婦達と遊ぶんだそうです。で、一度二度の火遊びで終わらす積もりがズルズルと……御興味があってもやらない方が安全です。少なくとも今回の任務が終わるまではお止め下さい」

 

 それは逆に言えば任務が終わった後は勝手にしやがれ、という風にも聞こえた。まぁ、少佐からすれば任務中に薬中になられたら困るだろうからね……主に自分の生存率的に。

 

「若様……」

 

 直ぐ隣に座るベアトは少しだけ不安げに私を呼ぶ。あー、何か言いたい事は分かった。うん、私、一時期内緒でソシャゲ課金してたね、完全にガチャが出来る(アへ顔)!!してたね。

 

 残念ながら電子ゲームも課金もルドルフ的には不健全で退廃的な悪い文明である。連邦末期、所詮電子データのために生活を破綻させる中毒者がどれだけいた事か……その社会的悪影響から帝国刑法において違反した際の罰則は麻薬の使用に準ずる程だ。というかお前まだ覚えてたの?そりゃあ二人だけの秘密だよ?けどあんな下らん事まだ覚えていたの?

 

「少佐、僭越ながらそのような誹謗中傷はお止め下さい。若様はオーディンの堕落した者達とは違います。そのような卑しく下劣な不健全娯楽に御興味を持たれるなぞあり得ません」

 

 一方、助手席に座るテレジアが可能な限り下手に出つつも、不快そうに上官を詰る。うん、君は士官学校時代の私の所業知らないからね、仕方無いね。

 

「あー、テレジア。お前の忠誠心は分かったからそこまでにしとけ。曲りなりにも少佐は上官だ、余り軍の階級序列を無碍にするな」

 

 取り敢えず話題を逸らす意味も込めて私はそうテレジアを宥める。こう言われれば根が生真面目な彼女が逆らう事は有り得なかった。

 

「し、承知致しました。……少佐、出過ぎた発言でした、申し訳御座いません」

 

 テレジアが私の方を見て僅かに戸惑った後に、義務的に謝罪の言葉を口にする。バグダッシュ少佐の方は肩を竦めてシニカルな笑みを口元に称える。

 

 

「いえ、此方こそ貴方方の立場を理解していながら先程の発言は軽率でしたね。此方こそ御容赦を。さて……到着致しました。どうぞ降車の用意を御願いします」

 

 バグダッシュ少佐はそういってから表情を引き締める。ふと、外から大きな歓声が響いた。私は窓越しに地上車の向かう施設に視線を向けた。巨大なドーム状のスタジアムが夜の街に照明の光で不必要な程鮮やかに照らされていた。

 

 

 

 

 

『グオオオオォォォ!!!』

『ギャアアアォォォ!!!!』

 

 古代ローマの円形闘技場を思わせるスタジアムの中央で二体のけたたましい獣声が響き渡る。そこで行われていたは文字通り獣達による殺し合いであった。

 

『おっと!!御覧ください!!今ガウチの喉元が!!食い付くっ!!食い付く!!鋭い牙が厚い脂肪に食いついて肉を引き裂いております……!!』

 

 取っ組み合いをする獣の争いをリポーターが会場を沸かせるために巧みに、そして興奮気味にリポートしていた。会場に浮かぶブックメーカーの数字は賭けの対象達のオッズをコンマ一秒単位で変動させ続けている。

 

 次の瞬間にはゴキッ!!と不気味な音が響くと共に巨大な海豹を思わせる獣は首をだらりと垂らして床に倒れこんだ。白目を剥き、身体をピクピクと痙攣させ、口から真っ赤な血を吐き出す。そして、古代人が空想したような西洋竜を思わせる怪物が海豹の上に乗り、翼を広げ王者の如き咆哮を轟かせる。

 

 レフリーとリポーターがティガレックスの勝利を叫ぶように宣言した。その宣言に強化硝子とソリビジョンモニター越しに観客席の観衆が生命を賭けたこの『見世物』に歓声を上げ、あるいは罵声を上げて宙には何百、何千枚という紙屑となった籤が舞い散った。

 

「獣や剣闘士奴隷を活用した見世物の起源は古代カンパニア地方に遡れるそうだ。古代ローマでは最初故人を偲ぶ祭事として、次第に『パンとサーカス』を求める衆愚達の娯楽へとなり果てた」

「結果として刹那的な流血を望む観衆の需要に答え競技は次第に残酷化し、死者も多発した。良く言われるキリスト教の普及は副次的要因に過ぎず、『サーカス』の衰退の本当の原因は剣闘士奴隷の供給が減少と消耗した事、それに流血を優先したために肝心の試合から芸術性が消え去り面白みが失われた事である、でしょうか?」

「御名答だ、伯世子殿」

 

 観客席で膝にこの前と同じ愛人を乗せ、傍らに数名の黒服を控えさせたブラウンシュヴァイク男爵が私に気付いて振り向きながら古代ローマのコロセウムの歴史を紐解けば、その続きを私が答える。民主政から帝政へと移り変わったローマ史の熟知は帝国貴族の当然の嗜みだ。衆愚政治が蔓延した古代ギリシア史に流血と粛清が続いたフランス革命、東欧を民族紛争の坩堝に変えたハプスブルク帝国崩壊とゲルマン第二帝国の解体によるナチス・ドイツの台頭、二大超大国による『一三日戦争』、地球統一政府崩壊から始まる『銀河統一戦争』等と共に、ローマ史は民主共和政の批判と銀河帝国の思想・制度的正統性を擁護する実例とされる事が多かった。

 

「お隣失礼しても?」

「生憎隣の席は自由席で、俺はその席を金で予約していない。ならフェザーンのルールに基づけば俺は拒否する権利がないぜ?」

 

 嘲るようにそう宣言し、男爵は続ける。私は軽く会釈して観客の一人として自由席の使用権を行使した。背後には従士達とバグダッシュ少佐が控える。こういう場所に慣れている少佐は兎も角、ベアト達は会場の空気に溶け込めずに顔を顰めていた。

 

「この街に長年住んでいると人間の本質なんてものは何千年、何万年経とうが毛皮を着てマンモスを追っていた頃と大して変わらん事が良く分かるね。古代ローマどころか地球統一政府や銀河連邦でもここと似たような娯楽があったそうだ。遺伝子を弄り回してドーピングしまくった獣を食い殺し合わせる番組がゴールデンに放送されていたなんて狂気じゃあないか。それどころか末期には税収確保のために国営で人間を使ってそれをやっていたんだぜ?人間の欲望と加虐心は際限がないものだな。結局帝国政府が強権で停止させたが闇では似たような見世物は続いたし、このフェザーンに至ってはここまで堂々と開催されている」

「一応、法的には志願者と死刑囚等の重犯罪者に限定はされていたそうですがね」

「重犯罪者ね……末期の地球政府や連邦政府が公平で公正な裁判をしていたと思うか?」

 

 隣のスタンドに座った私に意地の悪い笑みを浮かべブラウンシュヴァイク男爵は尋ねる。末期の地球統一政府では反地球思想は凶悪なカルト思想扱いであったし、連邦末期は賄賂で白が黒に黒が白になるような超拝金社会だ。到底まともな裁判が行われていたとは思えない。身分制度がある帝国の法廷の方がまだマシではないかと言えるレベルだ。

 

「……このスタジアムは世界の縮図みたいなものさ」

 

 誤魔化すような笑みを浮かべた私に男爵は嘲るように嘯いた。

 

「縮図?」

「ああ、さしずめ、あれが帝国と同盟と言った所かね?」

 

 そういって指差すのは強化外骨格に身を包んだ職員とドローンによりスタジアムに引きずり出された新しい怪異達だ。ラギアクルスとリオレウスがパラライザーの電撃に悲鳴を上げながら姿を現す。あの興奮具合を見るにドーピングもされているようだった。全身に噛まれたり引っ掻かれたような傷跡が幾つも見られる。

 

『さーて!次の試合です!今回参加のラギアクルスは前回の試合では前評判を覆しイビルジョーを絞め殺した個体で……』

「運営が両国政府とフェザーン、今賭けのオッズを注視しているのは商人や企業と言った所かね?ああ、フェザーン人だけじゃないぞ?当然帝国と同盟の商人共も戦争(ゲーム)の推移には興味深々だろうさ」

 

 運営の言葉を遮るように男爵はほくそ笑み自論を述べる。

 

「後賭けではなく単純にエンターテイメントとして見ているのは両国にフェザーン、それに外縁部の民衆と言った所か。戦争つっても今の時代、大半の輩には他人事さ。そりゃあ国境なら兎も角、それ以外が戦火に焼かれるなんてないからな。たまに増税やら身内が死ぬのは御愛嬌さな。小銭で遊び感覚で掛金を捨てる程度のリスクさ。それでほれ、あそこで訳アリ達が悪巧み中という訳だ」

 

 同盟や帝国から旅行で来たのだろう富裕層に属するだろう観客をそう評し、次いで防弾硝子の張られた貴賓席を指し示す。

 

 貴賓席に居座る面子の悪い意味で豪華な事、驚嘆するべきであっただろう。同盟最大規模のサイオキシン麻薬密売組織の幹部に外縁宙域から帝国・同盟の領域境界を幾度も脅かす凶悪無慈悲なボスコニア海賊団の副団長、外縁宙域から同盟に大量の不法移民を斡旋しているナイジェル&カーター星間運輸会社の役員、大量の戦争犯罪から軍法会議の欠席裁判で満場一致で死刑宣告を受けた今現在は外縁宙域で傭兵会社を営んでいる元同盟軍士官……他の輩も似たり寄ったりだろう。

 

「役満じゃねぇかよ。良くもまぁこんな場所で顔を出せるものだな。本来ならお天道様なんざ拝める立場じゃなかろうに……いや、こんな場所だからか?」

 

 大半が懸賞金付きのお尋ね者である。賄賂や横槍が無ければ公平公正な裁判で確実に絞首刑にされる面子だ。そんな輩が安全な貴賓席で警備に守られて高級酒片手に雑談しながらショーを見物しているのだ。同盟警察なり社会秩序維持局の職員が見たら発狂する事間違いない。

 

「げ、バーレ将軍までいやがる」

 

 同盟政府が後押ししていたマーロヴィア星系暫定政府軍に最後まで抵抗していた軍閥の長は同時に特大の戦争犯罪者だ。街を丸ごと略奪虐殺するのは当然として宇宙海賊や一部のフェザーン商人に占領地の住民を口減らしもかねて売り払う等合計一三四件の犯罪に手を染めた彼は、戦争の最終期に一部の部下と大量の資産を持って行方を晦ました。同盟警察が一億ディナールの懸賞金を掛けている一級の危険人物がこんな所でブランデー片手にショーを楽しんでいた。その隣で悠然と御話中のガウンを着た端正な顔立ちの青年貴族は……。

 

「叔父上の伝手で聞いた話だ。人身売買業者にとってカストロプ家は良いお客さんらしいぜ?そっちの宇宙からもそこそこ卸されているらしい。その辺りは少佐も知っているだろ?」

 

 マクシミリアン・フォン・カストロプ公世子を一瞥した後ちらり、と男爵は私と共について来ていたバグダッシュ少佐を一瞥し含み笑いを浮かべる。

 

「決定的証拠は未だ把握できていませんが……」

 

 歯切れの悪そうにバグダッシュ少佐は答える。この分では帝国の司法省だけでなく同盟軍情報局や同盟警察もハイエナ公爵に相当煮え湯を飲まされているようだった。

 

 カストロプ公オイゲンが莫大な巨利を上げている手段は合法非合法多種多様であるがその一つは非合法奴隷の売買や利用であるとされている。帝国には一五〇億を超える奴隷階級が存在しているが、彼らにも最低限の人権は存在している。少なくともあからさまに使い潰す事も虐殺も公然とは容認されてはいない。外縁宙域や帝国・同盟各地からの誘拐で掻き集められた非合法奴隷はカストロプ公に現在進行形で富を齎していた。

 

『さて!まもなく試合が始まります!さぁ!本日一番の注目試合です!何方が勝利するのか?オッズは激しく値動きをしております!……おや、通信障害でしょうか?動きが遅いですね、少々お待ち下さい』

 

 ナレーターが空中に投影されるソリビジョンモニターに映る勝敗のレートの動きが鈍い事に気付いて何やら運営と相談を始める。観客の一部が運営の動きの悪さに身勝手なブーングコールを鳴らし始める。

 

「全く、醜い事だよ。このスタジアムも、この世界もな。誰も彼も身勝手で自己中心的な事この上ない。大帝陛下が日常生活から内心に至るまで全て管理しようとした気持ちを嫌でも分からされる」

 

 そんな運営と観客を観察した後、目を細めながらそう呟き男爵はゆっくりと私の方を向く。

 

「私の所にのこのことまた顔を見せに来た理由は察しがついているぜ?どうやら何処ぞの輩が火遊びしたらしいな?おかげ様で議員殿も大公殿下もヒキニート生活だって?」

 

 男爵は昨日今日に決まった決定を既に知っているようだった。流石ブラウンシュヴァイク一門と言うべきか。ここまで来ると同盟側に二重スパイがいても不思議じゃないな。

 

「ええ、何処ぞの馬鹿のせいで私の仕事がオーバーワークになりそうですよ。男爵は今回の火遊びについて何か御存じではありませんか?」

「おいおい、よしてくれ。俺は全知全能の神様でも質問に何でも答えてくれる魔法の鏡でもねぇぞ?このフェザーンで好き勝手している輩共一人一人の動向なんて知るものかよ」

 

 私の質問に笑いながら男爵は嘯き、次いで疑惑の視線を向ける。

 

「寧ろ、私からして見れば君達こ…そ………」

 

 そこまで口にして男爵は表情を強張らせる。その視線に気付き私は男爵と同じ方向を見やった。スタジアムの下層席を黒い軍装に身を包んだ一団が進んでいた。顔をヘルメットで隠し銃器を持つその姿は一見会場警備の傭兵にも見えたが……。

 

「若様……!」

 

 ベアトが耳元で私に険しい表情で耳打ちする。視線を移せばスタジアムの上方出入り口から姿を現す一個分隊程の武装兵。私の脳裏で急速に最悪の事態への懸念が浮かび上がる。

 

 周囲に注意を向ければ観客の一部が携帯端末が繋がらない事に気付き、何やらざわつき始めていた。カチャリ、という音に視線を移せば男爵の黒服達が周囲の警戒しつつ懐からハンドブラスターを引き抜く準備をしているのが視界に映る。私は顔を男爵の方へと向けた。男爵の方も偶然此方の方に顔を向けていた。

 

「男爵、私は長年の経験で今非常に嫌な予感がしているんですが、心当たりはございますか?」

「奇遇だねぇ、伯世子殿。俺も長年この如何わしい街で住んでいた経験から本能が警報を発している所さ」

 

 私と男爵は互いに悲惨な笑みを浮かべた。同時に次の瞬間にはスタンド椅子を蹴飛ばして周囲の観客達を盾にする形で床に伏せた。

 

 完全武装した傭兵達の手に持つブラスターライフルの引き金が引かれたのはほぼ同時の事だった。




本作貴族はイケメンが多い設定なので必然的にドラ息子さんの媒体は全裸幼女連れてる方になった模様、尚妹以外にもギリシャな肥満体とボクシング上手そうな弟もいるかも知れない


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第百五十二話 スタジアムでは大人しく試合を見よう

 それは十数秒で終わった。観客席の下方から来た警備兵達は我々が伏せたのと殆ど同時に手に持つ銃火器の引き金を引いていたのだ。我々から見て観客席の上方に展開していた兵士達は不意討ちに近い形で鉛弾を浴びて全滅した。

 

 観客達が悲鳴と共に騒ぐがすぐに残った警備兵達が場を治めるように宣言する。

 

「本スタジアムに侵入しました武装集団は無力化致しました!!観客の皆様はそのまま席にてお控え下さい!!」

 

 そして一個分隊の兵士達が周囲を警戒し、隊長らしき者が数名の部下と共に床に伏せていた体勢から立ち上がる我々に向け敬礼する。

 

「自治領主府より特務使節補佐官及びブラウンシュヴァイク男爵の暗殺計画の情報が御座いました。無線通信に関しましてはコーベルク街通信センター支局が破壊工作を受けたため使用出来ず、事前連絡を行えなかった事を謝罪致します」

「………」

 

 官姓名を名乗った後、そのフェザーン治安警察軍の隊長は今回の一件について説明する。

 

「外に地上車を待機させております。大佐も男爵もどうぞ御同行下さいませ」

 

 恭しく部隊長はこのスタジアムからの移動を要請する。私はその言葉に対して引っ掛かりを覚え、一応念のために周囲を見渡す。ベアト、テレジア、バグダッシュ少佐、そして男爵の表情を見て、アイコンタクトをして互いに事態に対する認識を共有する。そして……私は口を開いた。

 

「ご苦労、要請は承知した。ところでだが………何故男爵まで同行する?」

 

 私はヘルメットで顔の見えない隊長に微笑みながら尋ねる。問い質すような訪ね方で。

 

「……男爵様も暗殺の対象であるからです」

 

 質問されるのは想定してなかったのか、僅かに困惑しつつ答える隊長。

 

「フェザーン自治領主府が保護を?悪いが男爵の同行は止めた方が良かろうよ。承知の事だろうが自治領主は我々との繋がりが強すぎる。この時期に男爵を保護のためとは言え連れ出すのは要らぬ疑念を招きかねないから宜しくなかろう。男爵、御守りをしてくれそうな店はありますかね?」

「いざとなればユージーン&クルップスの護衛が駆けつける契約を叔父上が結んでいるんだがね」

 

 自嘲気味にブラウンシュヴァイク男爵は答える。状況を理解した上での自虐的な笑みだった。

 

「だそうだ。ユージーン&クルップスの護衛は何時頃来る?もう連絡はしているのだろう?」

「それは先程申しました通り通信センターが破壊工作を受けまして……」

「ユージーン&クルップスがコーベルク街に本社を構えている訳ないだろう?そもそも民間軍事会社だ、有事の際や現場でのトラブルに備えて他社や自治領主府との有線ホットライン位は設けている筈、ここにお前さんらが到着するまでの間に連絡する時間位あっただろう?いつ彼方の部隊は来る?ブラウンシュヴァイク一門が契約している会社だ。君達程じゃなくてももう近くまで来ていても可笑しくない筈だが……」

「………」

 

 私は空気が剣呑になるのを感じ取る。

 

「そもそもこの街に治安機関が立ち入るのはリスクが大きい。本来なら信用出来る会社の傭兵を派遣する筈だ。急いでいたとしても可能だろう?」

 

 ここまで口にした後、私は嫌な予感を感じつつ、しかしあらゆる事態を想定した上で嘲るように尋ねた。

 

「なぁ?お宅ら何処から(・・・・)来た?」

「………!」

 

 次の瞬間、沈黙していた隊長とその部下二名が手に持つモシンナガン・ライフルを構えようとしたと同時にその頭が弾けた。一人はベアト、もう一人はテレジア、最後の一人はブラウンシュヴァイク男爵の護衛の黒服の隊長によるものだった。

 

 同時に此方に振り向き銃撃しようとした分隊の残りと十秒足らずの短いながらも濃密な銃撃戦が起こった。奇襲であった事もあり戦闘は迅速に終了した。此方の損害はバグダッシュ少佐が情けなくも右肩に軽傷を受けたのみだった。

 

 観客達が悲鳴を上げながら逃げ始める。同時に私は舌打ちしながら観客席の上方と下方の観客出入り口から現れた武装集団の姿を視認する。

 

「糞ったれ!!何が中立国だ馬鹿野郎!!」

 

 次の瞬間、私は床に倒れる敵兵の亡骸からモシンナガン・ライフルを拾い、吐き捨てるようにそう叫びながら引き金を引いていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 単純な話だ。恐らくは加害者とそれを阻止しようとした者達が真逆だったのだろう。恐らく暗殺あるいはそれに類する情報を得たのはブラウンシュヴァイク一門が出資しているユージーン&クルップス社の諜報部門であったと思われる。そしてフェザーン治安警察軍に見せかけたのが下手人共だった訳だ。

 

 そもそもコーベルク街は銀河中の富裕層と訳アリな人物が集まる繁華街だ。例え治安警備のためとはいえ、直接治安警察軍が足を踏み入れ、まして初手でいきなり発砲は躊躇する筈だ。流れ弾がどんな背景を持つ者に命中するかも分からないのだから。

 

 特にユージーン&クルップス社の傭兵達は下手人達をその出で立ちから同業者と認識したのだろう。ブラウンシュヴァイク男爵の保護を任務とする彼らは、恐らく下手人共も同様に私を保護するために居合わせたと考えたのだろう。ユージーン&クルップス社の傭兵達はこのデリケートな時期に無用な火種を作らぬように、お上品にも先制攻撃を行わず相手の素性を確認しようとした。あるいはユージーン&クルップス社すら関係なく、もう片方の部隊すら下手人達がマッチポンプで用意した存在かも知れない。その場合も事前に素性確認をするように命令していた事だろう。

 

「そして不意の攻撃で有無を言わさず全滅ですか……!!」

 

 観客席の一つを陰にしてベアトが隠れながらハンドブラスターのエネルギーパックを取り換える。スタジアムの一角ではこの場から逃亡しようとする我々と何処の誰が背後にいるのかも分からない傭兵部隊が銃撃戦を繰り広げていた。

 

 幸運なのは周囲に無関係な者達がいない事……正確にはほぼいない事であろう。スタジアム自体にはまだ逃げ惑う観客が何万人もいるが、我々の周囲にいるのは逃げ遅れて床に伏せて時が過ぎるのを待つ者か流れ弾で絶命した者しかいなかった。それ故移動の上で人だかりが邪魔になる可能性は最小限である。とは言え、この騒動は後で弁明が面倒などころの話じゃないな………。

 

「僭越ながら、下手人共に心当たりは御座いますか?」

 

 銃火の中を掻い潜り下方の出入り口に向かおうと私のすぐ傍の観客席の陰に辿り着いたブラウンシュヴァイク男爵の黒服護衛隊長……今更のように声質で女性だと気付いた……が尋ねる。

 

「いえ、残念ながら候補が多いので何ともね……!」

 

 そう言って私は観客席の陰から迂回するように近づいて来た敵兵数名を出合い頭に反撃を許さず全員火薬銃で始末する。どこに雇われたのかは知らないがマジで殺しにかかって来ているのだ、私だって手加減なぞ出来ない。そんな実力なぞ無い。なので致命傷を与える事に躊躇はしていられなかった。

 

「なんて事だ……噂は本当だったとはねっ!」

 

 一方、舌打ちしながら残る二名の黒服護衛と共にブラウンシュヴァイク男爵の傍で情報出入り口から湧き出る敵兵達に牽制射撃を行うバグダッシュ少佐が忌々し気に吐き捨てる。

 

「噂?何の噂だい?」

 

 銃弾が四方から飛び交う危険地帯と化しているにも関わらず、拳銃一つ持たずに愛人を連れて床に伏せる男爵が興味津々な嫌な顔を浮かべ尋ねる。どうやら戦闘は護衛に任せて本人は命のやり取りをする積もりは皆無のようだった。

 

「いや何、この死神伯世子様と一緒に仕事すると助からないって話ですよ!毎回異動先でトラブるようで……これは確実に悪霊が憑いてますね!」

「いや待って!それ風評被害!」

 

 おいコラ、男爵に勝手に偏見を植え付けるな!唯でさえ一般の(亡命系ではない)味方から本格的に一緒に仕事するのを避けられそうなんだよ!この前高等弁務官事務所で書類受け取るだけなのに事務員達が役目の押し付け合いしてたの見てショック受けたんだぞ……!

 

 私が悲鳴に似た声で身の潔白を叫んだ次の瞬間、唸り声のような激しい銃声がスタジアム内に響き始めた。

 

「若様っ……!!」

 

 ベアトが私に飛び掛かり無理矢理に伏せさせた。ヒュンヒュン、と次の瞬間空を切る音が響き、観客席の椅子が粉々に砕け散って周囲が粉塵まみれとなる。

 

「ベアト!?」

「だ、大丈夫で御座います!若様こそ御怪我は!?」

 

 私に向け僅かに引き攣った笑みを浮かべる従士。その献身的な態度の前に僅かの間私は言葉を失い、しかしすぐにその瞳を見つめて謝意の言葉を述べた。

 

「いや、大丈夫だ。お前はやっぱり頼りになるな」

「お褒めに預かり光栄で御座いま……っ!失礼!」

 

 再度周囲の観客椅子が次々に砕け散り、ベアトは私を押し付ける形で床に伏せる。

 

「ちぃ……!おいおい、マジかよ!!どこからそんな物用意して来やがった!?」

 

 ベアトに守られながら私は激しい舌打ちをする。今周囲一体にミニガンを乱射してくれたのは明らかに人間からかけ離れたシルエットの持ち主だった。

 

「強化人間……機械化強化歩兵ですか?これまた時代錯誤なものが出ましたね……!!」

 

 バグダッシュ少佐が呆れ気味に叫ぶ。おおよそ成人男性の平均体格を二回り程大きくしたような人影は、スタジアム上方観客出入り口から姿を現し機械音を鳴り響かせながら赤いモノアイで粉塵の舞うスタジアム観客席を見渡す。

 

 強化人間は肉体的・精神的に機械化・薬物投与・暗示・遺伝子改良等を単独ないし複数種利用した改造兵士の総称であり、機械化強化歩兵……サイボーグは特に機械化を中心に外科手術を施された『歴史の遺物』だ。

 

 シリウス戦役において大規模動員された強化人間は生身の人間を素材にする以上、画一的な大量生産ができる代物ではなく、生産コストに問題があった。また、稼働率や精神的安定性にも不安が残る結果となった。何よりも志願者が少なく、強制的に改造しようにも高い金をかけて改造したのに反抗されたら困る。

 

 その『個』としての性能とて歩兵やパイロットとしては強力であろうが、所詮は機械や戦術で幾らでもカバー出来るものでしかない。寧ろ、一人一人がオーダーメイドである強化人間よりも、部隊単位、軍単位で強化出来る最新型の強化外骨格や対Gスーツ、補助AIの開発に人と金を注ぎ込んだ方が遥かに効果的だ。

 

 実際シリウス戦役時の植民星連合軍や銀河連邦末期から帝政初期の帝国軍はそれで対抗した。これは機械化強化歩兵だけでなく精神強化や遺伝子改良型等の他タイプの強化人間でも同様だ。結局は人間、個々の『性能』を多少強化しようが最新の装備を揃え、練度の高い兵士達に対強化人間用戦術を行わせるという当たり前の対応で当たり前のように無力化出来てしまう程度のものでしかないのだ。

 

 使い勝手と費用対効果の悪さを思えば強化人間が衰退するのは時代の必然、宇宙暦8世紀現在では殆んど戦場で見る事はなくなってしまった。以前にも触れた通り地上軍等では負傷兵の一部が義肢化の際におまけ扱いで強化型のそれを選ぶ事があるが、所詮はおまけ程度の代物でしかない。余りに高性能でピーキーな義肢を使われても画一的な練度の兵士が欲しい軍組織では扱いにくいし、高性能な物は大抵コストがかかるか整備が面倒(あるいはその両方)だ。それに、そもそも四肢や内臓を損傷する程の負傷兵はPTSDに罹っている場合も多いので後方勤務に回されるか予備役編入される事が多い、軍組織で運用する上ではデメリットがメリットを完全に上回っている。精々が一部の諸侯の私兵や傭兵団に交じっているかどうかといった所だ。

 

 ……まぁ、そんなレア物が正に目の前にいるんだけどね?体内にミニガン内蔵とかありかよ……!

 

「いやいや、正規軍は兎も角、裏稼業なら結構いるんだぜ?」

 

 愛人を抱き寄せ、床に伏せながらブラウンシュヴァイク男爵は私の愚痴に懇切丁寧に答えてくれた。軍や警察組織に比べて少数かつ人道や安全規定等を気にしなくても良い犯罪組織等は、比較的機械化強化歩兵が所属している割合が多いらしい。機材は軍の横流し品の義肢類を違法改造し、薬物は自前で扱う商品を、対象者も国家組織と違い金に脅迫に洗脳等入手方法は何でも御座れと来ているのだ。

 

 とは言え、正規軍や警察組織も馬鹿正直に正面から相手にせずドローンやらハッキングで対応するという。帝国の共和主義系の反体制派なぞ覚悟がガン決まりなせいでエンカウント率が高いそうな。やっぱ帝国の公務員はブラック体質だ。

 

「つーか何でスタジアムの警備は動かないんだよっ!!怠慢だろこれは……!!」

「考えられる可能性としては何等かの物理的ないし制度的理由で動かないか動けないのではないかと……!」

「運営が認めているのか、あるいは警備そのものが襲って来ているという可能性もあります!」

「全て承知済みって事か?それが最悪のパターンだな……!」

 

 ベアトとテレジアの返答に私は悪態をつく。最悪の最悪、全ての責任を擦り付けられる可能性もある訳か……!死人に口なし等と良く言うが降伏も出来ないな。命と引き換えに譲歩や妥協させられかねん、この状況ではそれだけは避けなければなるまい!!

 

 十数秒の間、鉛弾の嵐が吹き荒れるが、次第にその嵐が途切れる。恐らくは弾を撃ち尽くしたのだろう。人体内蔵型の機関砲なぞ容量的問題で搭載出来る弾数はたかが知れている。恐らく光学的機能以外にも赤外線センサーや射撃管制装置も兼ねていると思われるモノアイレンズは怪し気に揺れ、右腕を此方に向けた。っておい!ロケット弾なんて格納してんのかよ!?こりゃあ脳以外殆ど機械化してるな……!!

 

「ヤバい逃げろ……!」

「させませんよっ……!!」

 

 私が皆にロケット弾の射線から逃れるように指示をするがその必要はなかった。次の瞬間には黒服隊長が倒れた下手人から強奪したモシンナガン・ライフルでサイボーグを狙撃したからだ。

 

「ッ……!!?」

 

 自動小銃の7.62ミリ弾による狙撃は一〇〇メートル近く距離のある相手のモノアイの義眼レンズを正確に破壊した。その衝撃でのけ反った機械化強化歩兵は驚愕したようで腕に収容していた無誘導ロケット弾の狙いを外したまま発射してしまった。

 

「なっ……!?」

「やばっ、避けっ……!?」

 

 スタジアム下方観客席に展開していた兵士達は驚愕する。ロケット弾が私達の上空を通過して彼らに向けて飛んで行ったのだから当然だ。慌てて敵兵達は射線から逃げ出した。

 

 スタジアムの強化硝子に命中したロケット弾は爆発の轟音と共に黒煙と紅蓮の火炎を周囲にまき散らした。弾頭の破片がある兵士のボディアーマーを砕きそのまま内側の人体を負傷させ、またある兵士は軍装に火が燃え移り必死に消そうとのたうち回る。どうやらロケット弾に可燃薬品の類いが仕込まれていたらしい。

 

 爆発の混乱に付け込み我々は一気にスタジアムの下方に向けて走り出す。迎撃しようとする敵兵達は一人、また一人と倒れていく。下方観客出入り口を確保した私達は男爵達後続組が来るまで上方で銃撃してくる敵に牽制攻撃を行う。

 

 だが……そこで私はふとその視線に気付いてしまった。

 

「んっ……?」

 

 鋭い、殺気に満ちた気配に振り返れば、そこには強化硝子越しに此方を睨みつける人ならざる存在がいた。

 

「あー、ヤバいなこれ」

 

 私は小さく、半ば諦め気味に呟く。唯でさえ強化硝子は流れ弾で所所罅が入っていたのだ。そこにロケット弾、ここまではスタジアムの運営側は安全対策をしていたようでどうにか強化硝子はギリギリ耐えた。だが……。

 

 「頭を伏せろ!」

 

 私は悲鳴に似た声を上げて全員に叫んだ。次の瞬間、ロケット弾の衝撃に反応したラギアクルスが咆哮を上げながらボロボロの強化硝子に頭部を打ち付けた。強化硝子は軋みながら砕け散り、その穴から巨大な怪物が首を、次いで身体を突っ込み観客席に躍り込んだ。

 

『グオォォォ!!』

 

 身体を伏せてなければ間違いなくラギアクルスに丸飲みされていただろう。観客席に躍り込んだラギアクルスは興奮剤を投与されていたために相当狂暴化していた。どうやら先程までの銃撃戦の騒音で相当気が立ってるようだった。そして不運にも観客席に乗り入れたこの怪物の視線は上方出入り口から展開していた敵兵達と重なっていた。

 

「うおぉぉ!?」

 

 下手人達はいきなり観客席に突っ込んできたラギアクルスに驚愕の表情を浮かべる。そりゃあそうだ。こんな都会のど真ん中で普通あんなでかい図体の怪物に出くわす想定なんてしないだろう。

 

「ひぃっ!?化物っ!?」

「う、撃てぇぇぇ!」

 

 その巨体と響き渡る咆哮に半分パニック状態になりながら敵兵達は会場に乗り込んできたラギアクルスに銃撃を始める。突然の全身への刺すような痛みに悲鳴を上げながら暴れる怪獣。兵士達が其方に対応する隙に私達は観客出入り口から会場を逃げようと走り抜ける。うおっ!?尻尾掠った危ねぇ!?

 

『グオオオオオ!!!』

 

 ラギアクルスに尻尾で壁に叩きつけられた敵兵の方向に視線を向ければ丁度リオレウスが雄叫びを上げながらラギアクルスがこじ開けた穴から飛び出て来たのが確認出来た。対応させられる者達には悪いが私からすれば精々暴れ回ってくれたら嬉しいものだ。

 

「若様っ!!」

「分かっている!!」

 

 皆が観客出入口に入り、最後の一人となった私にベアトが呼び掛ける。

 

 私も逃げ遅れたくないので直ぐにそちらに向けて走った。そして出入口に駆け込む刹那、一瞬だけ私は貴賓席に極自然に視線を向けていた。一瞬、誰かが私を見ていたような気がするが誰かまでは分からなかった。

 

 尤も、今はそんな事を気にする余裕も皆無であった。そんな事よりも……!!

 

「男爵!取り敢えずこのスタジアムから逃げましょう!男爵がご契約先に保護されるまで御同行致します!」

 

 スタジアム内の通路を走りながら私は愛人を御姫様抱っこする男爵に進言した。このまま同盟高等弁務官事務所に連れていくのも手ではあるが、それはそれで統制派に人質を取っているとの疑念を与えかねない。取り敢えずブラウンシュヴァイク家御用達のユージーン&クルップス社に身柄を引き渡した方が無用の混乱を避けられるだろう。男爵には統制派に今回の事態について同盟政府や亡命政府が無関係であると釈明をしてもらう必要があった。

 

「問題は逃げられるのかって事だがね!」

 

 男爵は苦々し気に吐き捨てる。通路の先から此方に銃口を向けて駆けて来る敵兵達の姿を視認して我々は慌てて通路を右折した。同時に響き渡る銃声。

 

「やば、弾切れかよ……!」

 

 私は拾い物のモシンナガン・ライフルを捨てて腰からハンドブラスターを抜く。まさかこのコーベルク街で工作員との暗闘なら兎も角、完全武装の兵士相手に本格的な銃撃戦をする羽目になるなんて予想してなかったのでエネルギーパックは内蔵している分しかなかった。相手が体面に拘らず直線的な暴力に訴えてくるとはね、相変わらず私の見通しは甘過ぎるらしい。全く笑えない。

 

「全くですよ……!ここで逃げ切れても事後処理が大変です!『表街』の、しかもこの街で騒ぎを起こしたともなれば元老院で顰蹙の嵐は確実ですからね!あぁ、上にどう説明したら良いのだか……!!」

 

 バグダッシュ少佐は頭を抱える。訳アリな人間や富裕層が集まるコーベルク街では警察機関が乗り込むのも、人死にが出る銃撃戦も本来タブーだ。そんな事をすれば後ろ暗い談合や取引の場であるコーベルク街の存在価値が下がってしまうのだから。それ故に騒動を起こした当事者の一方たる我々に対するフェザーン元老院の印象は一気に下がる事になろう。

 

 とは言え、あのまま素直に御同行したらどうなっていたか分かったものでは無い訳で……。

 

「それにしても準備が良いな……!糞、先回りしてやがる!」

 

 逃げ惑う観客に紛れる我々をスタジアム内から逃がさないとばかりに行く先行く先で先回りして追って来る下手人達。スタジアムの外に出たいのだがどうやらそれは難しそうだった。

 

「こりゃあ駄目だな。少佐!そろそろ緊急用の脱出路を教えてくれないかね?」

 

 スタジアムの倉庫室の一つに一旦隠れた後、私はバグダッシュ少佐に尋ねた。諜報員が事前に行先や宿泊先で緊急用の脱出ルートを確保しているのは当然の事だ。

 

「あるにはありますが……余り良い裏道ではありませんよ?」

 

 心底嫌そうな表情を浮かべるバグダッシュ少佐。

 

「構わんよ。取り敢えずここで死ぬか捕まるよりはマシだろうからな!」

「男爵、其方はどうされますかな?」

 

 バグダッシュ少佐はブラウンシュヴァイク男爵に裏ルートからの逃亡に同行するのか尋ねる。十五、六歳の感情表現に乏しい愛人を床に降ろしてぜいぜいと肩で息をする男爵。おい愛人、お前さん自分で走れよ。

 

「馬鹿野郎!病弱体力糞雑魚のマイレディになんて事言いやがる!鬼かよ伯世子様はよ!」

「汗びっしょりで死にそうな表情で言わないでくれませんかね?」

 

 体力無いのは男爵も同様だろうに……自分で言うのも何だが男爵も色々訳アリの立場なのだ。私の立場としてはいざって時に備えて不摂生は止めて運動に力を入れるのをお勧めしたい。

 

「はぁはぁ……悪いな、努力するのは何か負けた気がするんだよ……アンスバッハ、水くれ」

「は、旦那様」

 

 黒服隊長は懐から水筒を取り出すとアイスティーを注ぎ差し出す。「お前らにはやらんぞ」と言ってから呑気に一気飲みしてから答える。

 

「……さっき言おうと思ってたんだけどな。まさかとは思うがここまでの騒ぎ、御宅らの自作自演って訳じゃあないだろうな?」

 

 息を整えて胡散臭そうに男爵は詰問する。

 

「自作自演?」

「おうよ。昨日のテロは危機感を抱かせるのと前置き、今回の騒動は俺が殺されかけるのを助けて吊り橋効果を狙うなり、叔父上に恩を着せるなりの自演ってな」

「このような回りくどい上に危険な真似をするとお思いで?」

「謀略は時にして大掛かりで大袈裟なものの方が成功する場合もあるからな。それに同盟の情報局の倫理観も大概だ。違うかい、少佐?」

 

 男爵は気さくな表情で私からバグダッシュ少佐に視線を移す。帝国の情報関係部署もそうだが、同盟もその点は決して潔白な存在ではない。ブラウンシュヴァイク家の出ともなればその辺りのエグイ話もある程度聞き及んでいるのだろう。それ故に男爵は警戒するような表情を浮かべる。

 

「心外ですな。少なくとも男爵も故意に危険に晒す積もりはありません。まして昨日今日のこの騒動で我々の得る益は皆無、私のような諜報員がいれば警戒するのは分かりますが流石に言い掛かりではありませんか?」

 

 バグダッシュ少佐は自身と同盟政府の身の潔白を主張する。

 

「言い掛かり、ね。まぁ物的証拠は何も無いから言い掛かりであるのは間違い無いが……」

 

 顎を摩りながら私とバグダッシュ少佐を交互に見つめるブラウンシュヴァイク家の放蕩児。そして暫く考える素振りをし……はぁ、と心底面倒臭そうな溜息をつき頭を掻く。

 

「仮にあの下手人共がお前さん達と無関係だとしたら、どの派閥が裏にいたとしても俺を殺す気だっただろうな。そうだよな?アンスバッハ?」

 

 主人の確認の言葉に髪を短く整えた黒服隊長が恭しく頭を下げて答える。

 

「仮に反乱軍の関与がなかった場合、その目的は時期的に考えてブラウンシュヴァイク公及び統制派と反乱軍との間の交渉の破綻であると考えられます。現フェザーン自治領主府は反乱軍との繋がりが深いので治安警察軍に扮した上で旦那様の殺害が行われれば交渉そのものが決裂致しますし、第三者の行動であるとしても交渉窓口が消える事で交渉そのものが遅滞するでしょうから」

 

 同盟政府以外のどの派閥の差し金であるとしても男爵の殺害の利があるであろうと護衛隊長は答える。

 

「オーケーオーケー、モテる男は辛いねぇ。確率論的には自作自演の可能性よりは高い訳だな?はは、俺もそうである事を願うよ」

 

 肩を竦めて眉間を押さえて何やら悩む表情を浮かべる男爵。再度の溜息の後、口を開く。

 

「自分達の役人に扮した不届き者に気付けなかったか、あるいは社員の中に紛れていたのかは知らねぇが、自治領主府の御役人連中には後でザル管理の迷惑料を支払って貰いたいものだな。ええ?」

 

 同意を求めるように男爵は私に尋ねる。

 

「そうですね、そのためにもまずは生きてここから逃げるべきです」

「同感だ。少佐、裏ルートと称するんだ。碌な道順ではないんだろう?其方も後で追及させてもらうぞ?ではでは……」

 

 不肖不肖と言った体で覚悟を決め、男爵は尋ねた。

 

「そんで?誰も先回りしようなんて思わない碌でもない抜け道ってどこよ?」

 

 

 

 

 

 

「中々面白い見世物だったな、将軍?」

「さ、左様ですな……」

 

 傍らのソファーで悠然と座るガウンを着た青年の言葉にカストロプ公爵家食客たるバーレ将軍は若干戸惑いつつも答えた。

 

 貴賓席から防弾強化硝子越しに見える光景は凄惨の一言であった。全身に火傷や穴を空けた二体の獣の死骸がスタジアムの観客席に倒れていた。周囲には怪物やら人間の肉片がそこら中に散っている。ある者はその巨大な尻尾で叩き潰され、ある者は半身を爪で切り裂かれていた。どれ程遺伝子的に強化しても生物は生物、戦車砲や機関砲を使えば殺せない事は無いが、密閉空間かつ歩兵の使用可能な火器で近距離から戦えば相応の犠牲が出るのは必然だった。

 

 いや、兵士達はまだ死ぬ覚悟があるだけマシであろう。スタジアムに転がる死体の中には観客の物も数十人分はあった。怪物と兵士との戦闘、そしてその前の銃撃戦で巻き添えを食らった無辜の市民だ。いや、この街に、しかも違法な試合を行うスタジアムにいる時点で必ずしも無辜とは言い難い側面はあるのだが……。

 

 ちらり、とバーレ将軍は再度傍らの『主人』を見つめる。戦乱と騒乱の絶えない外縁宙域サジタリウス腕側で軍閥の長を務めていた彼から見ても流石に先程まで目の前で行われていた戦闘には動揺を禁じえなかった。特に強化硝子を砕いて化物共が観客席に上がり込んで来た時には思わず椅子から転げ落ちてしまった程だ。それを……。

 

(あの状況を見世物と楽しむかっ……!)

 

 傍らのカストロプ公爵家の跡取りの言葉に内心で将軍は吐き捨てる。軍閥の司令官時代、残虐な行いもあくまでビジネスや戦略・戦術上の必要から実施してきた彼であるが、決して快楽殺人鬼と言う訳ではない。全ては自身の資産を増やし、兵士を食わせるための『仕事』に過ぎなかった。だがこの公世子は違うらしい。

 

「今度、私もやってみようかな?領地に丁度放し飼いをしている狩猟園があるんだよ。今度奴隷を何人か放ってみよう。何日目まで生き残れるのだろうな?将軍は何日持つと思う?」

 

 はははっ!と楽し気に青年貴族は笑う。新しい娯楽を思いついて嬉しくてたまらないと言った態度だ。将軍はこの青年貴族がこれまで開催してきた『余興』の事を思い僅かに顔を顰めた。戦車で逃亡者を追う逃走ゲームや免罪を掛けて死刑囚達に監獄島で行わせるサバイバルデスマッチ、食うや食わずの貧民達に大金か死かを掛けて騙し合いと裏切りを競わせるライアーゲームは特に彼の脳裏に鮮烈に残っていた。どれも悪趣味であるのは共通している。

 

「お客様、本日はとんだ御迷惑をおかけしまして大変申し訳御座いません。此度の安全管理の瑕疵につきましては……」

 

 歳を取ったスタジアムの運営幹部が顔を引き攣らせて青年貴族に謝罪の言葉を口にして深々と頭を下げる。三〇ないし四〇歳は年下の青年貴族に必死に土下座するその姿は情けないという感情を通り越していっそ哀れにも思えた。

 

「それは何方についての謝罪だ?怪物共(飼い犬)が暴れた事か?それとも暗殺対象(獲物)を取り逃がした事か?」

 

 足を組み、探るような口ぶりで青年貴族は運営幹部の言葉を遮る。運営幹部は視線を泳がせてその追及を誤魔化そうとした。

 

「ふむ……ラーデン、あれらの顔に覚えはあるか?」

 

 運営幹部が口を開かない事に僅かに不快の表情を浮かべ、青年貴族は傍らの人物に尋ねる。燕尾服を着こなした壮年の優美な執事は恭しく答える。

 

「確実には申せませんが、片方につきましてはブラウンシュヴァイク公爵家一門のヴェルフ=ブラウンシュヴァイク男爵殿ではないかと思われます」

「ヴェルフ?ああ、聞いた事があるな。確か先代は野茨の間で……くくっ!ああ、そういう事か。これはまた随分と迂遠な事をするものだな」

 

 青年貴族は頬杖をついて冷笑する。全くもって回りくどい事だ。しかも姑息だ。よりによって自身がこの場にいる時にとは!下賤の分際で随分と小賢しい真似をしてくれるものだ。

 

「まぁ良い。それよりももう一人は誰だ?あの義手の愉快な輩は?」

「写真でしか見た事は御座いませんが、恐らくはティルピッツ伯爵家のヴォルター様ではないかと。丁度フェザーンに反乱軍の密使が滞在しております。補佐官辺りとして御同行為されているのではないかと愚考致しますが……」

 

 執事は自身の記憶と状況証拠から限りなく正解に近い返答をして見せる。

 

「おお、思い出したぞ?あのオフレッサーがしてやられたのだろう?ツィーテン公を捕らえた者をみすみす取り逃がしたとな。お陰様でリッテンハイム侯が尻拭いする羽目になったそうだな?愉快な事だ」

 

 致命的ではないにしろ、エル・ファシルでツィーテン公以下の第九野戦軍司令部の主要幹部が丸ごと捕虜となり、その張本人を目の前で取り逃がしたの事が石器時代の勇者の名誉を幾分か傷つけたのはまごう事なき事実であった。そのためにオフレッサーの装甲擲弾兵総監就任に際して他派閥がネガティブキャンペーンを展開し、その火消しに後ろ盾のリッテンハイム侯が奔走させられた。一時期リッテンハイム侯が一世紀以上前のティルピッツ家との血縁を宣伝し手を煩わせた張本人の事を宮廷で褒め称え話題にしていたが、それはある意味責任回避の裏返しでもあった。

 

「幾分プロパガンダが混ざっているのは疑いありませんが、先程の戦闘を見ますところ、実力が伴っていない訳ではないようです」

 

 執事は冷静にティルピッツ家の伯世子の実力について言及する。宮廷の噂は有象無象、人伝いする内に尾びれどころか翼に牙がつくような事も珍しくないが……少なくとも先程までの騒動で件の人物が見せた動きだけでも相応の護身術は身に着けているように思われた。万一暗殺を計画したとしても成功させるにはかなり厳選した者達を送り込まねばなるまい。

 

「ほぉ?随分と高評価だな?それにしても……」

 

 青年貴族は先程の光景を脳裏に思い浮かべる。伯世子の家臣であったのだろう黄金色の髪の女、それが無粋な機械人形の攻撃から主人を守ったその瞬間を彼は印象深く見ていた。彼には分った。あの時、互いの瞳を見つめ合う主人と家臣の関係が唯の主従関係ではなく、唯の愛人関係でもなく、もっと深いそれであろう事を。恐らくは互いに相手のために命も惜しまぬだろう双方向のそれを目撃した時、彼は極極自然に感銘を受けた。そして自然にこう思ったのだ。

 

「あの顔を歪ませて見たいものだな」

「若様?」

 

 ぽつりと呟いた言葉に隣に座っていたバーレ将軍は僅かにたじろぎ、うすら寒い感触を背筋に感じた。目の前の主人の残忍で底意地の悪いその微笑に本能的な恐怖を感じ取ったのだ。

 

「おい、貴様。お前のボス達に言え。『自分達だけで楽しむな。私も交ぜろ』とな」

「若様、しかし御父上は……」

 

 控える執事が自らの主君を諫めようとするが当の主君の方はその諫言に不愉快そうに舌打ちする。

 

「頭が高いぞラーデン?私が決めたのだ。面白そうなゲームだ、一口加わらせてもらう。何、この程度で父上が足を掬われるのならば父上も老いたというだけの事だ。そうなれば父上には全ての責任を背負い御隠居してもらうまでの事だ」

「ですが……」

「ラーデン、二度とは言わぬぞ?貴様は私の何だ?」

 

 青年貴族は鋭い視線を執事に向ける。それは有無を言わさぬものだった。執事はそれが幼い時から世話してきた主君の最大限の譲歩であると理解した。これが仮にほかの有象無象の従士達であったならとっくの昔に解任され、処断されていただろう。執事は彼の主君が束縛され、耐え忍ぶ事を心底毛嫌いしている事を知っていた。

 

「私は若様の付き人にして執事、それ以上でもそれ以下の存在でも御座いません」

 

 僅かの逡巡の後に老執事は頭を下げて答える。青年貴族はその態度に満足そうな笑みを浮かべる。

 

「そうだ、それで良い。そうでなくてはな。ははは、フェザーンでの遊興も飽きて来て退屈に思っていた所だったが……相手が大貴族とはっ!楽しそうになってきたじゃないか!!」

 

 年不相応にも思える子供のようにわくわくとした表情を浮かべ、青年貴族は立ち上がった。そして手元の鎖を引っ張り、人型の姿をした『ペット』を引き連れ貴賓席から立ち去ろうとする。バーレ将軍や護衛の兵士、使用人達はその異様な光景に何一つ指摘せず……というよりも敢えて目を逸らしながら……その後についていく。

 

 ラーデン、老執事だけは寂寥感を浮かべた表情で主君の後ろ姿を見つめていた。

 

「暗愚な御方ではないのだが……」

 

 カストロプ家の英才教育を仕込まれて来たのだ、決して無能な次期当主ではない。ないのだが……この主君はそれ以上に加虐心が、嗜虐心が強すぎる嫌いがあった。理性ではある程度理解していてもそれ以上に他者の苦しむ姿に快楽を感じる感性の持ち主であった。

 

「昔は……子供の頃はそこまででは御座いませんでしたが………」

 

 幼少時から片鱗こそあったが決して異常という程でもなかった。それがどうしてここまで歪んでしまったのか……何方にしろ、その責任の一端は幼少時より傍らで仕えながら主君が道を逸脱するのを止めきれなかった自身にもあるのは明白であった。

 

「おい、ラーデン!何をしている!!早く来ぬか!」

「は、ただいま参りまする」

 

 急き立てる主君の声に恭しく執事は答える。そうだ、少なくとも主君の今の惨状の責任の一端は自身にある。ならばどうしてその責任から逃げられよう?彼に出来る事は主君を支える事のみ。そしてその望みに答え、助け、そして力及ばぬ時は……。

 

「ヴァルハラまで御供申し上げるまでの事です」

 

 それが貴方様に対する私の責任でありますから……誰にも聞こえることなくそう囁き、彼は主君の傍らに、マクシミリアン・フォン・カストロプ公世子の下へと控えたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 その『塵捨て場』は二〇メートル近い高い壁で摩天楼と切り離されていた。

 

 フェザーンのセントラル・シティを始めとした大都市群から発生した一日何十、何百万トンという各種の工業・商業・日常廃棄物は、地下の迷宮のように入り組んだ下水道やダストシュートを通りここに……フェザーンの『裏街』に辿り着く。いや、降り注ぐ。

 

 そして廃棄された塵の数々はその大半が街の『準市民』達によって回収され、彼ら自身の生活の糧となる。鉄屑やプラスチック片等を数日に一度訪問してくる『表街』の回収業者が相場の数分の一で持っていくのだ。それはこの街では工業区での日雇い労働と共にこの街の『比較的まとも』な仕事であり、特に力が必要ない事もあり半ば暗黙の了解で女子供の独占する仕事として分けられている風潮があった。

 

 とは言え、大量に投棄される塵の中から業者が金を払ってくれる程価値のある資源を纏まった量回収するのは簡単な事ではない。金になる塵にはすぐに同業者が群がり、時として殺し合いが生じる程激しい奪い合いが起こるし、それでも集められる量は限界がある。籠に数杯分の鉄屑を集めようが引き取り業者は一フェザーン・マルク支払ってくれるかも怪しい。文字通り朝から晩まで塵拾いを続けてどうにか食べていける程の稼ぎを得られるかが現実であった。

 

 それ故に彼女はこの冷え込む深夜の砂漠の中でも同業者の『食い残し』を目当てに、散乱し山積みの廃品の中から売れそうな物を捜索していく。

 

 塵山の上で彼女は高い壁を、その先にある輝かんばかりのイルミネーションに彩られたセントラル・シティを視界に収める。そこは決して今の彼女が足を踏み入れる事の許されない場所であった。

 

「……仕事しなきゃ」

 

 彼女は暫しの間、街の夜景を苦々し気に見つめ続けるがすぐに現実に立ち返り仕事に戻る。そんな現実逃避をする時間は彼女にはなかった。フェザーンは帝国なんぞより余程慈悲もない弱肉強食の星だ。弱者はひたすら貪られ、骨の髄までしゃぶり尽くされるだけだ。そう、家族のように……。

 

 壁の傍にまで彼女は歩き出す。ダストシュートの出口であれば捨てられたばかりの廃品があるかも知れないからだ。マスクに手袋をして、懐中電灯の明かりを頼りに山積みの塵を漁り始める。

 

「痛っ……!」

 

 塵を漁っている内に鋭い鉄片か何かに引っかいてしまったらしかった。安物の使い回しでは限界があってか手袋をしていても手に切り傷が出来てしまう。場所が場所だけに衛生的には宜しい環境ではない。後で消毒して包帯をしなければ……そして悲しい事にそれも決して安い買い物ではない。

 

「せめて……せめてもう少しだけ………」

 

 このままでは暫くの間、水だけで誤魔化さなければならなくなる。それだけは避けたいのが彼女の本音だった。一応手っ取り早く金を稼ぐ手段はあった。何ならスカウトもあった。だが少なくとも彼女はまだ最後の手段を取るまで落ちぶれる積もりはなかった。それだけは彼女の持つ最後のプライドが許さなかった。

 

 掌から血が流れるに任せて彼女は探索を続ける。せめてもう少しだけ金になりそうな塵を回収しておきたかった。

 

「えっ……?」

 

 周囲が夜中で静かだったから彼女はそれに気付けた。

 

 耳をすませば、目の前の……正確には五メートル手前かつ三メートル上に設けられたダストシュート廃棄構の中から悲鳴のような声が鳴り響くのが分かった。咄嗟に彼女は警戒する。それは次第に近付いていき、そして………。

 

「うおおおっ!!!?」

 

 廃棄構から殆ど団子状態になった数人の人間が塵をクッションに吐き捨てられた。

 

「うぐぐぐっ!?何故私が一番下で下敷きに……あれ?ベアト?テレジア?どこ?嘘、まさか逸れた?」」

「ゲホゲホっ、これはまた何て事を……!よりによって『裏街』に出るとは!しかも携帯端末が無くなるなんて冗談じゃありませんよ!?」

「ははは、お前さん。やっぱり何か憑いてるだろ?あーあー、結構高いスーツなのに……これじゃあもう着れた物じゃないな。お前は大丈夫か?」

「………」(コクリ)

 

 ダストシュート廃棄口から吐き出された四人の男女……正確には成人男性三人が下敷きとなり一番上に少女が乗っている状態……は口々に闇夜の塵山で騒ぎ立てる。それを見ていた彼女は目の前の惨状についてこれずに顔を引き攣らせて彼らを見ている事しか出来なかった。

 

 そしてふと、一番下で下敷きになっていた二十代の中頃だろう青年が此方に気付くと苦笑いを浮かべ、そして懐から何かを取り出すと彼女に向けて口を開く。

 

「ははは、フロイライン。悪いが少し頼まれ事をしてくれないか?無論、タダでとは言わない。あー、今はこれくらいしか手持ちにないが……これでどうか頼まれてくれないかな?」

 

 青年はそう言いながら見事な鷲獅子を象った細工を為された金塗りのライターを代金代わりに差し出して、要求するのだった……。

 



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第百五十三話 他所様の家では態度に気をつけよう

 冷え切った深夜の世界をそれは舞うように飛び続けていた。地上からの色鮮やかな対空砲火の光の間隙を鋼鉄で作り出された人工の鳥が潜り抜ける。

 

 自由惑星同盟軍地上軍航空軍所属のシャドーホーク無人攻撃機の機翼より一条の光が撃ち出される。ミサイルは地上からの迎撃をすり抜けると内部に格納された三十六発もの小型誘導爆弾を陣地に撒き散らす。数瞬の後、陣地の各所で人間や装甲車、あるいは野砲が業火に焼かれ地獄を演出する。

 

 だが一方的な攻撃はいつまでも続かない。遠方から無人戦闘爆撃機を遠隔操作しているパイロットは操縦席で警報ブザーが鳴り響く音を受け取った。ほぼ同時に闇の中を幾条もの弧を描きながら地対空ミサイルが襲い掛かる。

 

『マスタング・スリー!ロックされた!!回避運動に入る!!』

 

 無人攻撃機は複数種の妨害電波を放ちながらチャフとフレアを漆黒の空にまき散らす。外縁宙域で運用されている旧銀河連邦製の骨董対空誘導兵器相手ならば本来これで完全に無力化出来る筈であるが……。

 

『糞っ!二発抜けやがった!ケツに付かれた……!』

 

 急激に機体を旋回させてミサイルのセンサーから逃げようとする無人機はしかし、次の瞬間には内部に搭載された帝国製戦術AIが軌道を読み先回りしていた別のミサイルの正面からの激突の前に火球と化す。

 

「マスタング・スリー、ロスト!」

「糞ったれ!これで航空支援機は全滅かよ!」

「何が簡単な斬首作戦よ!あんな戦力が展開しているなんて話と違うじゃないの……!!」

 

 コンクリートで築かれた旧銀河連邦時代の入植地廃墟の一角で、自由惑星同盟軍宇宙軍陸戦隊の隠密作戦装備に身を包む彼らはそう司令部の甘い見通しに罵倒を浴びせる。軍閥側の兵力と装備は、質量共に事前情報よりも遥かに強大でかつ充実していた。フェザーン製や帝国製の装備は勿論、既存装備も改修されているようだった。兵士も軍事教官の指導を受けているようで動きが良く、陽動と支援を受け持っていた別動隊は既に撤退、本隊もまた敵軍の迫撃に晒されていた。

 

「アサシン・ワンよりHQへ、追加の航空支援を求める」

『此方HQよりアサシン・ワン、現在展開中の最近隣の部隊でも作戦エリア到着まで二時間を要する。事実上これ以上の航空支援は不可能と考えられたし。偵察衛星からの敵部隊の展開情報はリアルタイムで提供されている筈だ。敵部隊の迫撃を回避しつつ回収ポイントEに向かわれたし』

 

 分隊長の要請に対して、しかし高性能携帯式長距離無線機からの返答は冷淡この上無かった。

 

「ハイネセンの背広組め、無茶な要求をしてくれる……!」

「一度此方に来たらいいわ。歩兵だけでどうやってあの大軍から逃げ切れっていうのよ……!!」

 

 無線機から漏れ聞こえる声に恨めしい声を上げるのは分隊機関銃手のアサシン・ツーと対物狙撃ライフルを備えたアサシン・ファイブだ。そんな中、片腕を撃たれて地面で座っていた彼は疲労困憊の表情で隊長たるアサシン・ワンを見据える。

 

「分かった。これより移動を開始する。ルートの誘導は可能だな?」

 

 淡々と、しかし鋭い口調で部隊長は尋ねる。その気迫はその場にいた者が身震いするだけでなく、無線機の先の司令部要員すら思わず一歩仰け反る程のものであった。

 

『わ、分かった。此方より可能な限りのルート誘導は行う』

「了解した。此方は最善を尽くす。そちらも頼むぞ」

 

 HQ、即ち司令部からの答えに短くそう答える部隊長。そして部隊長は周囲の部下達に宣言する。

 

「今ここで口喧嘩をする暇はない。帰ってからでも司令部のエリートさん達の顔面を殴り付ける機会位はある。今は全員、この事態からの脱出に全力を集中せよ」

 

 ベテランかつ貫禄ある部隊長の命令に司令部への不満をぶちまけていた部下達も気を引き締めて了解する。彼らも腐ってもプロである。こんな所で駄弁っていても時間の無駄であることは理解していた。

 

「……アサシン・フォー、どうだ怪我の具合は?」

 

 部隊長は負傷する彼の視線に気付くと気遣うようにそう声をかける。情けない事に彼はこの第一分隊の中で唯一の損害……負傷者であった。

 

「し、止血処理はしましたっ!戦線への復帰は可能でありますっ……!」

 

 肩を抑え、呻きつつも彼はアサルトライフルを手に持ち立ち上がる。専門が言語・情報収集分野である彼にはその行動自体辛いものであったが、それでも気丈に問題無い事を強調した。今はそんな言い訳を出来る状況ではなく、するべきでもない事は彼も理解していた。

 

「宜しい中尉、ではライフルを寄越すがいい」

 

 部隊長はその返答に小気味良く頷き、至極当然のように彼のアサルトライフルを奪い取り中の弾を拝借する。

 

「隊長……?」

「その腕ではライフルの狙いをつける事も碌に出来まい。弾の無駄だ、俺が貰う」

 

 そういって護身用のハンドブラスターを懐から引き抜き部隊長は彼の胸元に押し付ける。

 

「火薬銃よりもブラスターの方が負担も少ないだろう?お前はスリーと共に回収ポイントに向けて先行しろ」

「隊長……!!」

 

 それは即ち先に逃げろと言っているに等しかった。彼は震えながら隊長を呼ぶ。

 

「勘違いするなよ?専門が非戦闘分野の上に負傷兵では殿は務まらんからな。何、この程度の修羅場なら幾らでも経験はしてきた。問題ない。ファイブ、狙撃支援を。ツーは俺と一緒に一仕事だ」

「了解しましたっ……!」

「サー!イエッサーっ!!」

 

 命令を下された以上四の五も言う暇なぞない。ただ命令を完遂するのみだ。先達であり同僚でもあるアサシン・ツーとアサシン・ファイブは部隊長の命令に答え迅速に命令実行のために動き始める。

 

「どうした?早くしろ。一人が命令に従わんと全員が危険に陥るぞ……!」

「……アサシン・フォー、命令を了解しました」

「うむ、行け。司令部のエリートさん達を殴りつけた後に皆で一杯やろうじゃないか」

 

 不敵に笑う部隊長に敬礼をしてから彼は破壊工作を専門とするアサシン・スリーと共に回収ポイントへ先行する。回収ポイントのルートとポイント確保が彼らの任務であった。

 

(そうだ。これは逃亡ではないっ!!仲間を助けるためだっ……!)

 

 肩の痛みを堪え忍びながら彼は廃墟の中を走る。そうだ、自己満足のためにあの場に残る事こそ愚行だ。今はただ課せられた任務を一秒でも早く完遂しなければならない。その事を彼はよくよく承知していた。していたが……。  

 

「馬鹿なっ……!?重戦車だとぅ!?」

 

 だが次の瞬間、廃墟の横合いの通路から突如と現れた帝国製の重戦車に流石に彼もそう叫んでしまった。外縁宙域の軍閥風情がまさかあんなものまで所有しているなぞ……!!

 

「不味い……!」

 

 彼は重戦車がこの場に出張って来た理由にすぐに思い至り無線機で警告を叫ぶと共にアサシン・スリーと共に対戦車戦闘に移ろうとする。だが全ては遅かった。

 

 次の瞬間、激しい轟音と共に重戦車の主砲、二一〇ミリ電磁砲が火を吹いた。電磁砲から打ち出された特殊コーティングが為されたタングステン弾頭は砲撃音とほぼ同時にマッハ八の速度で部隊長達が展開している廃墟に突っ込んだ。そして………。

 

 

 

 

 

 

「……ここは?」

 

 うだるような暑さにコードネーム『バグダッシュ』の名前を受けたエージェントは不機嫌そうに目を覚ます。

 

 薄暗く小汚ない室内だった。室温は高く、しかも砂っぽい。外ではガヤガヤと小煩い音が鳴り響いていた。

 

「ここは……痛っ……!?」

 

 目を覚ました人間によくある倦怠感を圧し殺し起き上がろうとしたが、それは肩の激痛で中断された。身体を支えようとした右腕が肘を折り身体がシーツの上に倒れる。

 

「おー、漸くお目覚めか少佐殿?もしあるんならとっとと反乱軍と連絡取る方法教えてくれねぇ?ここマジ暑過ぎ、こいつもぐったりしてるしな」

 

 その声に顔を向ければそこには微妙にくたびれた衣服を纏うブラウンシュヴァイク男爵が膝に常に一緒に置く愛人と共ににぼろぼろの椅子に座っていた。団扇で少しでも涼もうとしているようだが二人揃って今にも死にそうな顔をしている。

 

「これはブラウンシュヴァイク男爵、ご無事でなりよりです。ここは……バラック小屋、ですか?」

 

 全体的に小汚ない、古くさい家具が並んだ室内を見えバグダッシュ少佐は第一印象を口にする。可能な限り綺麗にしようとしているのは分かるが元々の家と

家具に限界がありどう見てもハイネセンポリスのダウンタウンにある低所得者向けの中古アパートのような印象を受けざるを得なかった。

 

「ああ、汚ねぇのは同意だがそこは我慢だな。残念ながらこのインテリアでも……そもそも屋根と壁がある時点でこの街ではかなりマシらしいからな」

 

 くっくっく、と肩を竦めながら男爵は不敵な笑みを浮かべる。

 

「……そうだ!大佐殿は!?伯世子殿はどちらにっ!?」

 

 暫しぼーっとしていたバグダッシュ少佐は、しかし急に思い出したように叫ぶ。そうだ、確か我々は昨日コーベルク街で……!!

 

「俺も正直あんま分からねえから詳しい話は御本人様に聞く事だな。お、丁度帰って来たな……!」

 

 かつかつ、と足音が近づいてくる音が聞こえて来る。バグダッシュはその相手が誰かをおおよそ理解しつつも念のためにシーツの下からハンドブラスターを抜く。コンコンとノックが為され男爵が気だるげに開いてるぞー、と声を上げれば扉は軋みながら開かれる。そこにいたのは………。

 

「ぜいぜいっ……男爵、それに少佐も起きてるか?じゃあ悪いけどこれ運ぶの手伝ってくれない?」

 

 大量の水入りペットボトルを背負う亡命貴族が汗びっしょりに息切れしながらそう懇願していた。

 

「もうっ!この程度でへたれないでくれないっ!!?私の方が持ってる量多いのよっ!!?」

「ぎゃひんっ!!?」

 

 後ろから同じようにペットボトルを背負う群青色の髪をした少女に尻に蹴りを入れられる伯世子、情けない声を上げながら室内に叩き込まれる。

 

「……いや、何があったんですかね?」

 

 取り敢えずバグダッシュ少佐は脱力した表情で周囲にそう尋ねる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

『裏街』……そう呼称される地域は、フェザーン第一等帝国自治領において自治領首府の庇護下から外れた『準市民』が不法居住する、碌なインフラ設備も緑化事業もなされていない広大なスラム街の事を主に指し示す。

 

 フェザーンにおいて自治領主府の統治下にある『市民』とは、主にフェザーン自治領成立時にその領域内に居住していた者達とその後宇宙暦707年まで流入した移民、及びそれ以降の移民規制法の厳しい条件に合格した者達とその子孫の事を指す。彼らの生命と財産及び基本的人権は、フェザーンが極端なまでの功利主義・拝金主義・資本主義社会であるとは言え、それでも自由惑星同盟並みに保護されている。

 

 宇宙暦707年以降、移民規制法により合法移民は特殊技能・資格保持者、高所得者、高額な特別市民権購入者等に限定されたものの、尚も各種の理由から帝国と同盟、そして外縁宙域から多数の非合法移民が流入を続けた。特に外縁宙域からの生活苦と戦乱から流入する難民は数知れない。フェザーン市民からも犯罪者や事業破産から逃亡した商人が合流し、いつしか彼らは都市郊外に巨大なスラム街を形成し始めた。

 

 当初、自治領主府は彼らの強制送還を実施していたものの、最終的にはその膨大な数の前に方針の転換を強いられた。

 

 宇宙暦790年現在、不法移民は完全にフェザーン経済に取り込まれ、その繁栄の支柱として酷使され続けている。金融・貿易・小売・サービス・情報通信・不動産・コンサルティング・マスメディアを始めとした職業に二〇億人のフェザーン『市民』が携わる中、建設・鉱業・工業等の内で特に特殊技能を必要とせず尚且つ危険な職業に対しては低賃金での不法移民の酷使が行われるようになった。

 

 公式の戸籍調査こそされていないが、約一〇億前後の数に及ぶであろうと推定される彼ら不法移民とその子孫は、フェザーンの法律上『存在しない人間』であり、それ故にあらゆる面で差別の対象となっており、幾ら『壊れて』も使い捨てに出来る労働力として重宝されている。

 

 また、帝国・同盟・フェザーンにおける三角貿易においてフェザーンは第一次産業製品の加工貿易や『苦力』派遣等で莫大な利益を出している。それらの利益は無論フェザーンの地理的・国際情勢上の立地もあるが、それ以上に常軌を逸した程の安価な労働力による所が多い。金属製錬所や食品加工工場では同盟や帝国の労働法における最低賃金の三分の一以下で一日一五時間に及ぶ過酷な作業を不法移民に強いている。エリューセラ星系の珈琲豆プランテーションやインゴルシュタット星系の金属ラジウム採掘事業は何十万という『苦力』が劣悪な環境で酷使されている事で有名だ。

 

 その酷さは同盟の高名なフリージャーナリストであるパトリック・アッテンボロー氏から『西暦一七世紀の黒人奴隷の如し』と糾弾されるものであり、事実幾度か同盟・帝国の政界でもその所業が問題になる程だった。尤も、同盟・帝国双方の政財界がこのフェザーンの提供する低価格労働力から相当の利益を得ている事も、またそれにより一般消費者レベルでも多くの恩恵を受けている事実もあり、過去幾度も非人道性が取り沙汰されつつも根本的解決策は示されないままにこの所業は凡そ一世紀近くに渡り続き、最早銀河経済のシステムの一部分として是正は不可能であるかに思われていた。

 

 無論、この劣悪過ぎる環境への不満から過去幾度かの暴動やストライキも発生したが、それらは自治領主府の治安警察軍や各企業の雇い入れた傭兵により、時に実弾射撃も含めた実力行使で鎮圧される事となる。弾圧する傭兵達の中にも少なからず不法移民が含まれている事を考えるとフェザーン社会のグロテスクさがより分かるだろう。各企業の後ろ盾を受けた現地犯罪組織が輸出する『苦力』の頭数を揃えるための草刈り場であり、フェザーン国内外での売春の斡旋、違法薬物の売買等を担っている事なども含め、不法移民と彼らの街は正にフェザーン社会の最底辺であり、あらゆる経済的矛盾の皺寄せの先であり、交易国家フェザーンの繁栄の影にある闇であった。

 

 不条理と理不尽と不正の温床、それが第二のフェザーンとも裏フェザーンとも、あるいはアンダーグラウンドとも呼称されるフェザーンの『裏街』なのである。

 

「で、何でそんな『裏街』の一角に逗留しているかだよな?」

 

 バラック小屋の窓から外を一旦様子見してから私は続ける。

 

「少佐の提示した裏ルートは要は地下のダストシュートからのものだ。フェザーンの地下は銀河連邦時代から拡張されていて、今や自治領主府でも把握出来ない迷宮だからな」

 

 旧銀河連邦時代からフェザーンは地下の開発が盛んだった。単に下水道等のインフラの整備もあるが、惑星自体がまず乾燥している都合で、いっそ地下都市を作る方が居住環境は良い。そのためフェザーンが自治領となる前は地下都市が相当発展していた。自治領化後は更に増加する人口に対応するべく地下下水道や地下鉄等が大々的に整備された。  

 

 バグダッシュ少佐の裏ルートはスタジアムからダストシュートを通って地下迷宮から地上に再度帰還するルートであったのだが……少し甘かった。

 

 広大な地下区画には浮浪者がいるし、とんでもない生物もいる。何よりも入り組み過ぎている。途中地下下水道に住むアリゲーターが先回りしていた追っ手を捕食している現場を見てルートを変更、その先でも異常進化した巨大鼠や一万年後には「じょじ」とか言ってそうな野生の大型G型生物兵器の大群が来て食われそうになったりしながら全速力で逃げた。浮浪者の群れを撃退した後、後少しで漸く地上に着くと思った所で私が歩いた床が老朽化していたのだろう。巨大でほの暗い地下通路は次の瞬間崩落、私は男爵の袖を咄嗟に掴み、男爵はバグダッシュ少佐の足を掴み巻き込んで三人(正確には四人)仲良く流された。恐らくベアト達は無事地上に出られたと思うのだが……。

 

「俺らはそのままダストシュートを滑り落ちてどこか分からぬ『裏街』の廃棄口からこんにちはって訳だな」

 

 男爵が最後を纏めてくれた。うん、そうなの。あれ?ひょっとしてこの遭難って私のせい……?

 

「何を今更の事を仰っているんですか?それよりもこのスラムに来てからどうして我々はこのボロ小屋に居候しているんですかね?」

 

 若干疲れ気味のバグダッシュ少佐が私に尋ねる。その質問に私の隣で椅子に座るこの家の主がむっ、と表情を不機嫌にさせる。

 

「ちょっと私の家に偉そうに文句言わないでくれるっ!!?此方は匿ってあげたのにっ!!それともあんた達この辺りをシマにしてる奴らにしょっぴかれたいのかしらっ!!?」

 

 帝国本土訛りの強い帝国フェザーン方言でそう叫んだのは煤けた群青色の髪を肩口まで伸ばした気の強そうな少女であった。吊り目がちの鋭い空色の瞳でバグダッシュ少佐、そして私達全員を非友好的に睨み付ける。

 

「……失礼、お嬢さん。大佐、噂には聞いていましたが流石にこんな状況で手を出すのが早すぎではないですかね?」

「「ぶち殺すぞ貴様?」」

 

 殺意に満ち満ちた私と家主の声がハモる。家主は当然としても私も愉快でない噂がこれ以上広がって欲しくないので説明をする。

 

 帝国系フェザーン準市民たるこの少女……アイリスと名乗ったこの年一六歳の地元民が我々をこのマイホームに匿ったのは、当然ながら善意ではなく打算一〇〇パーセントである。

 

 この『裏街』の生活はかなり過酷だ。そもそもまともな仕事が殆んどない。市民権自体がないために産業革命時代の大英帝国も真っ青のブラック環境な職場ばかりだ。広大なスラム街で生活する者達の三割は一日二フェザーンマルク以下の生活、まともに稼げるのは犯罪行為や売春位のものと来ている、行き着く所まで行った状態だ。

 

 私も井戸水の汲み取りに同行させられたが……何あれ、路上の死体を野犬が食ってんだけど?何なら明らかにサイオキシンで夢の国にトリップしている乞食がダース単位で野宿してるんだけど?事前知識は学んでいたものの、ここがあの治安が良く清潔な『表街』と同じフェザーンの一部だとは到底信じられなかったね。

 

 私が、正確には私達が彼女と会ったのは文字通りこの街に来てすぐだ。廃棄口から団子になって吐き出された時に丁度深夜の塵拾いをしていた彼女に遭遇した。同時に追っ手から捜索される危険、あるいは『裏街』の危険な非合法組織に襲撃される可能性を考えた私は彼女を『買収』した。

 

 つまり、私の手持ちの品と引き換えに同盟軍情報局なり高等弁務官事務所なりが助けに来てくれるまで現地人に匿ってもらう事にした訳だ。日々の生活費にも苦労しているらしいこの家の家主は当初私を怪訝な目で訝りつつも、最終的にはこの提案に乗ってくれた。

 

「私だって帝国系とは言えフェザーン人よ。チャンスがあれば乗るわ。そもそもあのライター、純金に宝石まで嵌め込まれていたじゃないの。提案に乗らない馬鹿はいないわ」

 

 少女アイリスは当然、といった表情で答える。『裏街』の盗難品専門骨董品店で足が付かないように即座に転売して二〇〇〇フェザーンマルクで売ったそうな。

 

「糞爺共、私の財布が厳しいのを見透かして足元見てきやがったわ。本来の半分以下で売らされる事になるなんて!!」

 

 忌々しげに少女は毒づく。物が物なので出自の危険性から大分値切られてしまったらしい。本来ならばもっとじっくり交渉するのがセオリーらしいが我々の衣服やら食事やら薬品やらを考えれば即金が欲しかったので仕方無い所だ。

 

「何他人事のように言ってるのよっ!!折角手に入る筈だったお金を諦めないといけなかった此方の気持ち分かる!?」

「そう怒らんでくれませんかね、フロイライン?この街の環境を思えば惜しい気持ちは理解しますが……謝礼なら後から幾らでもしますから」

 

 私はこの街における唯一の事情通の友軍を宥め、煽てる。余り気分を害したら我々を探しているだろうスタジアムで襲撃してきた誰かさん達に売られかねない。

 

「……余り甘く見ないでくれるかしら?」

 

 ふいに苦笑いして宥める私の額にハンドブラスターの銃口が添えられた。バグダッシュ少佐が咄嗟に射殺しようとするのを私は手で制し、それから(表面上は)恭しく御令嬢に接するように口を開く。うん、正直心臓バクバクしてるよ?

 

「あー、何か気分を害する言葉を口にしましたか、フロイライン?でしたら私めが誠心誠意謝罪致しますが?」

「うわっ、嘘臭い台詞……!」

 

 私の言葉に顔をしかめる家主。

 

「こういう時は大体物で釣ってから用済みになると消されるもの、と相場が決まっていると思うのだけど?これでも十年近くこの街に住んでいるからそれくらいの警戒はするわ。……正直貴方達が何者かはどうでも良いし、深入りはする積もりもない。けど、私も出来るだけお金が欲しいのも事実、言いたい事分かるわよね?」

「勿論ですとも。バグダッシュ少佐、説明を」

 

 私は懐から銀製のシガレットケースを取り出すと献上するように差し出し、同時にバグダッシュ少佐に説明を促す。

 

「……はぁ、承知しましたよ、大佐殿」

 

 私に話を振られ面倒そうに溜め息を吐き、その後物臭げにバグダッシュ少佐はハンドブラスターを腰元に戻して慎重に説明をしていく。

 

「お嬢さんの懸念は承知しています。ですがその辺りは少々誤解がありますね。帝国やフェザーンの諜報員なら兎も角、我々は自由惑星同盟の人間です。自由と人道の守護者たる我々にとって、協力者を不要になったからと切り捨てるような非人道的な行いなぞあり得ませんよ」

 

 良く言うぜ、とブラウンシュヴァイク男爵が茶化すように囁くのを心外そうな表情で非難した後、少佐は再度アイリス嬢の方を見据える。

 

「此方の男爵の戯れ言は無視してくれて結構です。実際この街に十年近くも住んでいれば同盟の諜報員の話位は聞いた事がある筈です。我々同盟は『アセット』を決して使い捨てるような国ではありませんよ」

 

『裏街』もまた陰謀渦巻くフェザーンの一部、様々な国家や組織、団体が人員を送り込み暗闘を繰り広げている魔窟である。人伝いでも同盟の諜報員がどうような者達であるかを知っているであろう?とバグダッシュ少佐は尋ねる。

 

 ……尤も、同盟の諜報機関が比較的『アセット』の保護に意欲的なのは確かであるが、使い捨てが皆無かと言えば嘘であるし、多分に協力者獲得のためのプロパガンダ的な側面があるのも事実である。

 

「同盟……?これは意外ね。そこの奴をさっきから男爵って連呼しているからてっきり帝国人かと思ったのだけど……違うのかしら?」

「正確に言えば半分正解で半分不正解だな。少なくとも俺とマイレディはまごう事なき帝国人だぜ。で、そこのちょび髭君は同盟の薄汚い溝鼠君だ」

「随分と辛辣な評価ですな」

「間違っちゃいないと思うんだがな?」

 

 皮肉気に詰る男爵にしかめっ面を浮かべるバグダッシュ少佐。

 

「ふぅん。……じゃあ差し詰めあんたはそこの御貴族様の家臣様って所かしら?」

 

 額にぐいぐいと銃口を捻じ込み、自身の群青色の髪を撫でながらアイリス嬢は尋ねる。恐らく私の顔立ちや呼ばれ方、敬意の受け方、手持ち等から判断したのだろう。流石にこんなにぞんざいな扱いをされている私が伯世子とは想像出来んわな。

 

 ……尤も、その方がある意味私も都合は良いが。

 

「何ニヤニヤ笑ってるのよ、気持ち悪い」

 

 私の内心なぞいざ知らず、家主様はそう蔑みの感情を含んだ声で吐き捨てる。釣り目の人を見下す視線も相まって何か別の趣向に目覚めそうな迫力があった。私的には薄い黒ストッキングを穿いた細い足を上からもっと良く見せてくれたら嬉しい限りなのだが……。

 

「余りふざけた事言っているとドタマ撃ち抜くわよ?それとも此方のタマをぶち抜かれたい訳?」

 

 履いた靴でちょんと両足の間で触れて来た家主。いやぁ、ちょーっとそっちはマジで勘弁してくれませんかねぇ?

 

「だったら余りふざけないでくれるかしら?」

「イエスマム!」

 

 私の媚びるようでふざけるような返答に肩を竦める家主は、バグダッシュ少佐の方向を見る。あ、私が役立たずだって気付いたな。うん、諜報機関のネットワークとかフェザーンの地理とかあんまり知らない私って実は唯の財布役以上の存在価値無いんだよ、知ってた。

 

「……いつになったらお仲間達が来る訳?」

「生憎と繁華街と地下道での遊びで無線機類は何処かいってしまいましてね。外部との連絡のしようがありません。この街は広大過ぎますし、余所者がうろちょろし過ぎると目立ちます。何より諜報部門は横の繋がりが薄い。ですので我々が自分から味方に会いに行くのは難しいです。『表街』に入るのも簡単じゃありませんし」

 

 小汚く戸籍もない『準市民』を『表街』に迎え入れたがるフェザーン市民は多くはない。侵入しようにも高い壁があり、ゲートは監視されている。無理矢理入ろうとすれば射殺されよう。しかも、ゲートに我々を襲撃した輩のシンパがいないとも限らない。不用意に身元を明かして自治領主府の保護を求める訳にもいかなかった。

 

「此方のエージェントが捜索は続けている筈です。この広大な『裏街』とは言え数日、長くても一週間程時間があれば発見はされると思います。無論、お嬢さんに対して正式に相応の報酬は用意させて頂きますよ?」

 

 期待させるような口振りでバグダッシュ少佐は我々を保護する利点を売り込む。暫し家主は少佐の目をじっと見つめ続け……僅かに迷った後私の額に捩じ込んでいたハンドブラスターを服の下へと戻す。次いでに当然とばかりに私の献上したシガレットケースをふんだくる。

 

 シガレットケースを検分しながらアイリス嬢は口を開く。

 

「……嘘は言っていないようね。どうして同盟の諜報員が門閥貴族と一緒かは問わないわ、私も藪蛇をつついて危険な目に遭いたくないもの」

 

 そしてバグダッシュ少佐、次いでに男爵の方を向いてアイリス嬢は警告じみた声で念を押す。

 

「五日、それが匿える限度よ。それ以上は流石に誤魔化し切れないわ。追加の報酬はいらないからトラブルが舞い込む前にどっか行って頂戴。それが貴方達のためでもあるわ。分かった?」

「……了解」

「あいよー」

 

 家主の言葉にバグダッシュ少佐は重々しく、男爵は気軽に答える。あれ?私は聞かれていない?

 

「当然でしょ?見た所貴方この中だと完全に御飾りじゃないの。あ、このシガレットケースは有り難く受け取っておくわ。宿代としてね」

「アッハイ」

 

 私は殆ど反射的に返答していた。ここまで当然のように貶されると否定する気になれねぇ、というか別に間違っていないのが悲しい。

 

「それよりも飯にしましょう。幸い売っ払ったライターのお陰でお金はあるから、久々にまともな物が食べられるわ」

「何その言い方、怖いんだけど。普段何を食べてる訳?」

「知りたいの?」

「止めときます」

 

 私は即答する。世の中知らない方が良い事もあるのを私は知っている。

 

「賢明ね。……安心しなさいよ。貴方達でも食べられるような物だから」

 

 家主が食品を棚から取り出して行く。消費期限ギリギリの廃棄寸前の缶詰めに形が悪く不揃いの野菜類、これは……乾パン?

 

「民間軍事会社の放出品よ。味が悪くて硬いから『表街』の奴らは一部の物好き以外買わないの。だから安く買い付け出来るわけ。確かコンロがこっちにあるから………」

 

 宇宙暦8世紀にすらガスコンロがある事実に謎の感動を覚えつつ、私は家主が鍋に井戸水に廃棄予定の不揃い野菜をさっと洗って投げ込み、大量に塩と香辛料を突っ込む。熱と塩と香辛料で殺菌して味も誤魔化そうという魂胆が透けて見えた。三十分余りして『裏街』にしてはかなり文明的だという朝食が完成する。

 

「文明的ねぇ、金納農奴共の飯の方がマシだな」

 

 男爵は出来上がった朝食をそう評すとオーディン教の豊穣の双子神と大神に祈りを捧げた後愛人と食事を始める。おい、いちいちスープを冷まして食べさせてやるなよ、その小娘は赤ちゃんか何かか。

 

「消費期限ギリギリ……というか当日の缶詰めまでありますね。……製造年が四十年前とかマジですか?」

 

 微妙に錆び付いた缶詰の製造年月日を読んで唸るように少佐は呟いた。因みに中身は悪名高いアライアンス・ビーンズだった。超高速成長インゲン豆を人類史上最悪の方法で調理した長征系同盟人の豚の餌(ソウルフード)である。そりゃあ消費期限ギリギリまで残る筈だ、態態缶詰にしてまで作るなんて食材に対する冒涜だ。

 

「というか缶詰の大半がアライアンス料理を突っ込んだ物なのはどういう訳だよ……」

 

 私は手元に取った食用鼠の全身煮の缶詰を見て呟く。勿体無い精神で内臓や血液すら煮込み、しかも徹底的に殺菌するかの如く塩と酢と酒精を注ぎ込んで密封したそれは肉食が殆ど出来なかった航海中、蛙肉と並びご馳走だったそうな。

 

「安いし在庫が沢山放出されるから便利なのよ?味は最悪だけど栄養価はあるし」

「最悪で済めば良いけどな。初めて食べた時吐きそうになったぜ?」

「食えるだけマシよ」

「なぁ、本当に普段何食べてるの?」

 

 産業廃棄物の如き味のアライアンス料理の缶詰を淡々と食べ続けていく家主に心から戦慄せざるを得ない私であった。

 

 吐きそうになるのを我慢して(水で流し込もうとしたがその水すら貴重なので止めさせられた)私は小一時間かけて漸く食べきった。余談ではあるが男爵と愛人は途中から乾パンとスープだけを摂取するようになった事もあり余計私が食べなければならない量が増えた事を追記しておく。

 

「久々に満足出来るまで食べられたわ」

「そりゃあどーも」

 

 拷問のような朝食を食べ終わった我らが保護者は、食器類等を炊事場に置くとペットボトルの水を数本、男爵に渡す。

 

「はい、貴方達はこれね?あ、貴方はこれ」

 

 次いで、にっこりにした笑顔でバグダッシュ少佐に箒と雑巾と塵取りその他掃除用具を当然のように渡す。

 

「で、あんたはこれね?」

 

 彼女は最後に私に籠とトングを差し出した。我々は互いに渡されたものを見合わせ、次いで何となくその目的と理由を察し……そして代表して私がその言葉を切り出した。

 

「あのぅ……これは?」

 

 私が若干引き攣った笑みを浮かべると家主はにこにこと笑顔を浮かべて当然のようにこう答えてくれた。

 

「働かざる者食うべからず、当たり前でしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「報告は以上となります」

 

 秘書官の一人がその報告を終えた後、そこに……フェザーン自治領主府の最高責任者の座る椅子に乗っていたのは脱力し、半分放心気味の老人の姿であった。

 

「馬鹿な……この短期間でこんな馬鹿な事が続けて……」

 

 先日の深夜に発生したコーベルク街の非合法試合を催していたスタジアムでの騒動について伝えられたワレンコフ自治領主の顔は、早朝でありながら夜勤明けのサラリーマンのように思われた。

 

「死傷者の対処と関係各所への説明もそうですが特に重大な問題は……」

「特使らの所在と武装警察軍か」

 

 苦虫を噛み締めながらワレンコフは呟く。前者は当事者の一員でありしかも所在が不明と来ている。しかもブラウンシュヴァイク家の一族もセット、下手をすれば特大の爆弾だ。

 

 後者の方は更に質が悪い。騒ぎを起こしたもう一方は、フェザーン自治領主府所属の武装警察軍を名乗ったらしい。コーベルク街の特殊性、そして起こった騒ぎの内容から責任の追求と賠償、管理体制等に対する説明を求める声が各方向から届いている。

 

「装備やIDがかなり再現されていたらしいな。横流しか?」

「武装警察軍内部及び各装備品納入業者への査閲を開始しておりますが、まだ何とも……」

 

 スタジアムの死体は回収出来たが身元は不明、装備品は武装警察軍制式採用品とほぼ同一で、ID番号等を記録した身元証明書もまた不正取得されたものであった。少し調べた程度では武装警察軍と判別がつかない程である。しかも生き残りは迅速にその場を去ったせいで尋問も出来ない。お陰様で自治領主府も否定しようにも証拠の提示を要求されてそれに答えられないという状況だった。

 

「……最早何が起ころうが可笑しくないな」

 

 腕を顔の前で組んで逡巡する自治領主は暫しの間目を閉じて物思いに耽けり、命令を下す。

 

「警備隊及び治安警察軍に第一級警戒態勢を発令しろ。同盟・帝国双方の回廊に臨検及び哨戒部隊を展開、どのような不法侵入者、脱出者も許すな。また防衛協力契約を結んだ全警備会社に通達だ。契約内容の第四条、及び八条第二項、一一条第一項及び四項に基づいた人員の供出を要請するとな」

 

 それは大きな決断であった。合法非合法の様々な交易事業はフェザーン経済を支える重要な支柱の一つである。第一級警戒態勢におけるフェザーン警備隊及びフェザーン治安警察軍の臨検は普段の簡易的なそれとはレベルが違う。徹底的な臨検はその分時間がかかり、それはフェザーン経済に悪影響を与える。非合法交易に従事している商人や企業、犯罪組織は更に反発するだろう。

 

「だからこその傭兵共だ。これ以上このフェザーンで余所者共に好きにさせん。徹底的な監視体制を敷け。これ以上馬鹿騒ぎなぞ起これば我々の体面も丸潰れだ」

 

 ましてや自治領主の管理責任に既に飛び火しているのだ。約二〇〇万の傭兵部隊を臨時にフェザーン自治領主の管轄に移管するのはその牽制の意味合いもある。

 

 これ以上の騒動の発生を防ぎ、実行犯達を捕らえ、尚且つこの機に暗躍する親帝国派を押さえるためにワレンコフは強硬的な手段を取る覚悟を決めた訳である。ここ数日の間に漸く大掃除のための見通しがついた事も戒厳令発令を行う覚悟を後押しした。

 

「それでは我が社からも別に自主的に部隊を派遣致しましょう」

 

 執務室の端のソファーで控えていた人物が割って入るように申し出る。

 

「警備任務に特化させた警備員を二万名、要請の供出義務とは別に御貸し致しましょう。自治領主府の防備に御使い下さい」

「おお、スペンサー社長!それは本当ですかな?頼もしい限りだ!」

 

 ASC社の社長であり第五代フェザーン自治領主の最有力候補者であるスペンサー社長はワレンコフ自治領主に申し出、自治領主は心強いとばかりにその申し出を受け入れる。政治方針を共にし、此度の大掃除にも協力し、次期自治領主の最有力候補者であるスペンサー氏は自治領主の信用出来る数少ない味方であった。

 

「コーベルク街で無法を働いた輩についても御安心下さい。我らが星で余所者共にこれ以上好きにはさせません」

「うむ、治安警察軍だけでは不安もあるからな。愚か者共を捕らえれば君の次期自治領主としての立場も盤石になろう。まさかとは思うがそれが狙いかね?」

「私もフェザーン人ですので」

 

 スペンサー氏は慇懃に自治領主の指摘に答える。フェザーン人は功利主義であり、好意だけで動くなぞ有り得ない。スペンサー氏もまたその遺伝子を継いでいるようであった。

 

 幾つかの相談と確認を行った後に、恭しく民間軍事会社の社長は執務室を出る。エレベーターに乗り込もうとして偶然に出て来たその異形の男に鉢合わせした。スペンサー氏は口を開く。

 

「おや、これはルビンスキー補佐官、朝から御忙しい事ですな」

「いや全くです。これで来週の旅行計画を取り止めにしなければならなくなりました。折角買ったサーフィンボードが埃を被ってしまいますよ」

 

 不敵で底知れない笑みを浮かべた禿げ頭の男は妙に粘り気のある声で飄々と答えた。

 

「おや、そのような計画があったのですかな?気の毒な事ですな」

 

 スペンサー氏は一歩次期自治領主候補のライバルに近づき、その耳元で囁く。

 

「何やら企んでいるようだが無駄だぞ。貴様のような若造に何が出来る?」

「年長者としての忠告ですかな?御言葉だけは有難く受け取っておきましょう。御言葉だけは」

 

 言葉だけは、という部分を強調するルビンスキー。

 

「……後悔しても遅いぞ?」

「その御言葉、そのまま御返し致しましょう」

「ふんっ………賢し気な餓鬼がっ!」

 

 二〇以上年下の自治領主補佐官の態度にそう鼻を鳴らしてスペンサー氏はエレベーターに乗り込む。自動扉が閉じるその瞬間まで、二人は互いに鋭い視線で睨み合っていた………。

 



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第百五十四話 どんな仕事でも適当にしてはいけないという話

「成程、状況は理解したよ。災難だったね」

 

 自由惑星同盟、フェザーン高等弁務官事務所の一室で、アレクセイ・フォン・ゴールデンバウム銀河帝国亡命政府軍准将は少々困り気味の顔で労いの言葉をかける。問題はその言葉を受け取る側であった。

 

「た、大公殿下……か、可能で御座いましたら我々も今すぐ若様の捜索に参加をさせて頂けませんでしょうか……?」

 

 顔を青くして、震える声で申し出るテレジア・フォン・ノルドグレーン同盟宇宙軍中尉に、しかしシュヴェリーン大公は首を横に振る。

 

「余り今回の事は大事にしたくない。君達は曲りなりにも使節団に同行する武官だ、下手に動いて事態が注目されたら困る。……まぁ、もう随分と注目されているようだけどね」

 

 苦笑いを浮かべてシュヴェリーン大公は手元のフェザーン主要新聞社の朝刊を見やる。コーベルク街はマスコミもほぼ侵入不可能の筈であるのだが……流石フェザーンのマスコミという所か、朝刊一面に事件についてデカデカと記事が出されていた。まだ断片的内容であり、重要な部分については発覚していないが、それも時間の問題であろう。

 

「ブラウンシュヴァイク男爵の行方も分からないのは困ったね。万一の事があればかなり苦しい事になるけど……そこはヴォルターに任せるしかないかな?男爵の家臣方は独自に捜索をしているらしいけど現場で行き違いが起こらないようにしないとね」

 

 フェザーン大手新聞社の一つが発行する『コメルサント・プラウダ』の一面の内容を一瞥し、次いで控える旧友の臣下を見つめて退出と待機を命じる。敬礼と共に退室しようとする二人を見て、ふと思い出したように大公は言葉を加える。

 

「ああ、そうだ。ゴトフリート少佐、君は少し残ってくれ」

「……了解致しました」

 

 ベアトリクス・フォン・ゴトフリート同盟宇宙軍少佐はその言葉に応じて退室するのを止めてその場に留まる。

 

 若干怪訝な表情を浮かべるもう一人の従士は、しかし命令が出ている以上はその場に留まる訳にもいかないために僅かに後ろ髪を引かれる思いをしながら退室した。

 

 厚い防音扉が閉まり切った後、椅子に深く座り込んだシュヴェリーン大公……いやアレクセイは私人として目の前の幼馴染みに声をかける。

 

「ヴォルターの事は残念だったね。安心して欲しい、この事は私が出来る限り伯爵家に伝わらないようにしておくよ。ヴォルターにとってもその方が都合が良いだろうしね」

 

 只でさえ旧友はかなり無理矢理に伯爵家を出て来たのだ。しかも従士の方も連れ出すのに相応に騒動があったのもこの皇族は知っていた。これまでの事も含めて何も知らせない方が目の前の従士の、ひいては旧友のためになる事を彼は理解していた。

 

「……大公殿下の御配慮、感謝致します」

 

 ゴトフリート少佐はアレクセイの言葉に深々と頭を下げて謝意を伝える。

 

「そう畏まる必要もないさ。君達と私の仲じゃないか」

「ですが……」

「そのために人払いもしたんだ。もう少し柔らかく対応してくれると私も嬉しいんだけどね?」

 

 苦笑しながらも若干強い声でアレクセイは頼み込む。

 

「……御容赦下さいませ、アレクセイ様」

 

 ここまでが譲歩出来るラインであると従士は子供時代の呼び方を口にする事で暗に示した。アレクセイは頷いてそれを承諾する。

 

「無理言って済まないね。残念ながら私が余り気兼ねせず気楽に話せる相手は少なくて、ついこういう時に我が儘を言ってしまう」

 

 アレクセイはそう言って肩を竦める。同時に自嘲するような複雑な表情を浮かべる。

 

「ベアトリクスも、ヴォルターも、それにホラントも市民軍だからね。皆一緒で一人除け者では正直寂しい所だよ」

「私は若様の付き人で御座います。どうぞ御許し下さいませ」

「分かっているよ。その点に思う所が無いわけではないけれど仕方無い事さ。お陰でヴォルターも何度も助かったって言っていたしね。いやはや、本当昔から色々と巻き込まれるものだよね」

 

 小さな、半分程呆れたような笑い声を上げるアレクセイ。ゴトフリート少佐の方は困ったような表情を浮かべるしかない。目の前の人物の発言は主人の名誉を傷つけこそしていないが笑っている。しかし同時に発言自体は事実であり、何よりも主人よりも目上、そして決して悪意のある発言ではなかったためだ。

 

「……無責任な言い様だけれど、ベアトリクスも余り気にしない事だよ。ヴォルターの事だからそう簡単に死ぬ事はないだろうからね」

「……理解はしております」

「納得は出来ない、と?」

「………」

 

 俯きながら黙りきり、小さく頷くゴトフリート少佐。その表情はどことなく物悲しげであった。

 

「ベアトリクス、分かっていると思うが『裏街』を探しに行くのは駄目だよ?彼処は治安が悪すぎる。軍人とは言え、地理に不案内な女性一人で彷徨くのは余りに無謀だ」

「分かっております。現地の諜報員と『アセット』に捜索を命じた方が効率的である事は承知しております。それに万が一私に何かあれば発見された若様が再度危険な行動を取る可能性もあります。今は大人しく待機させてもらいます」

 

 若干の葛藤はあったものの、付き人はそう答えた。彼女もそれ位の分別はあったし、学習もしている。それに………。

 

「少し落ち着いたかな?」

「はい?」

 

 皇族軍人のその言葉に従士は首を捻って答えた。何を言っているのか良く分かっていないようだった。アレクセイは再度苦笑する。

 

「いやね、昔は結構余裕の無さそうな性格だったじゃないかベアトリクスは。けど今回はこんな騒動でも落ち着いているし、素直だなって思ってね」

「それは………」

 

 ゴトフリート少佐は言い淀む。その理由は何となしに彼女も理解していた。はっきり断言出来る事ではないが、とある一件以来彼女は主君に対する信頼が増しているのを自覚していた。少なくとも彼女はそう認識していた。互いに好意をはっきり口にした事が一因であろうと彼女は当たりをつけており、それは少なくとも間違いではない。

 

 より客観的に言えば彼女の潜在的なストレスの軽減が理由と言えた。主君の明け透けな思いを知り、同時に自身が必要とされている事、自身の忠誠が独り善がりでない事を知る事が出来たのが心の余裕に繋がっていた。だからこそきっとこのような状況でも主君が自身に失望している筈がないと理解出来、それが軽率な行動を取る事に歯止めをかけていた。無論、それでも心配ではあるのだが。

 

「ふぅん、随分と『仲良く』なったみたいだね。……友人としては喜ぶべきなんだろうね。ヴォルターに直接言ったら怒るだろうけど」

 

 興味深そうな表情でアレクセイが言えば目の前の従士は何から来る感情か、ほんのりと頬を高潮させていた。そのどこか子供のように初初しい態度にアレクセイは思わず目を見開く。

 

「……君のそんな顔初めて見たな。悪い悪い、意地悪しようって訳ではなかったんだよ。君なら涼しげな表情で答えそうだと思ったんだけど……あー、少しデリカシーが無かったね」

 

 相手の想定外の態度を前に、若干言いにくそうにアレクセイはそう謝罪の言葉を口にする。今更になって自身の言葉がセクハラの類にあたる事に思い至ったらしい。

 

「いえ、そのような御言葉は必要御座いません。その……若様からご寵愛頂いております事自体は恥じ入るような事ではありませんので……」

 

 彼女の声はそう言いつつも、どこか小さく辿々しい声であった。無論の事、ここでの寵愛は主従としての事を含んでいるがそれのみを指して言っている訳ではない。

 

 ……とは言え、実際の所もう一つの意味で寵愛されたのは未だ一回だけの事なのだが。

 

「あー、藪蛇だったかなぁ?」

 

 目の前の幼馴染みの姿に何とも言えない表情を浮かべて小さく呟くアレクセイ。時たま抜けていたりズレていたりする所がある生真面目な彼女がここまで女性的な態度を取るのは流石に予測してはいなかった。

 

「も、申し訳御座いません。その……少し緊張しておりまして………」

「うん、分かってる」

 

 渋い表情を浮かべる幼馴染みの内心は恐らくかなり緊張で混乱しているのだろうとアレクセイは想像していた。大人らしく凛々しい所がある彼女も男女の事になると意外(?)な程耐性が低いようだった。

 

「長く引き留めてしまって済まなかったね。疲れているだろう?退室して構わないよ」

 

 落ち着かせて、かつ慰めの言葉を幾つかかけてからアレクセイはゴトフリート少佐を退室させた。

 

 そしてゴトフリート少佐が退室した事で静かで人気のなくなった室内を見渡した後に皇族軍人はふぅ、と溜め息をつく。その後、暫し物思いに耽り思い出したように懐に手をやってそれを取り出した。

 

 純金製のロケットの表面には黄金樹が刻まれ、その上には王冠を被り王杓と剣を握る双頭の鷲が君臨していた。その瞳は小さな金剛石で出来ており、それ以外にも紅石や藍石で鮮やかに装飾されている。それは帝室の紋章と帝国の国章を合わせた意匠であった。裏側には贈り主の家紋である盾を支える鷲獅子の紋章が象られている事であろう。

 

 小さい頃に誕生日に贈呈されたそれは、毎年家族や諸侯から大量に贈られる品々の中でも特にお気に入りの品であった。中を開けばそこには僅かに古ぼけた写真が収まっており、十歳にも満たない三人の男女の姿がある。その屈託のない笑顔から一目で三人の仲はとても深いものだと分かる事だろう。それは四半世紀の間生きて来た皇族の青年にとって最良の時代の思い出だった。

 

「やれやれ、本当に昔からトラブルばかり引き起こすね、ヴォルターは。少し位は尻拭いする此方の立場も考えて欲しいんだけどねぇ。まぁ、ヴォルターの事だからそれが出来るなら苦労しない!とでも言いそうだけれど」

 

 そう言って苦笑してからロケットに嵌め込まれた写真に写る幼い旧友の姿をアレクセイは目を細めて見つめる。その瞳には憧憬と羨望と嫉妬と好意が複雑に交錯していた。

 

「確か専制主義は主従を作り、民主主義は対等の友人を作る思想……だったかな?」

 

 幼い頃に、まだ旧友がグレていた頃の言葉を反芻するように呟く。きっとこの発言をした本人は当時の事を心底後悔している事であろうが、アレクセイには大した問題ではなかった。寧ろ、感謝している位だ。今の旧友ならばこんな言葉、口にしてくれないだろう。

 

「ヴォルター……私はまだ友人だよね?」

 

 主従ではなくて、とは口にしなかった。それを口にするのは少し怖かったから。

 

「早く帰っておいでよ。……まぁ、どうせまだトラブルの渦中なんだろうけどね?」

 

 最後に僅かに冗談めかして、しかし心の底からアレクセイは友人の無事を祈ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 悪臭と有害物質の渦巻く塵山での仕事も三日目になれば慣れるものだ。

 

 塵拾いもとい廃品回収の際に必要な装備はまず籠にトング、次いで有毒物質や悪臭対策のために手袋、マスク、ゴーグルである。それらで完全防備した上で日除けのスカーフと上着で直射日光を防ぐ。砂漠に近い『裏街』では黄砂が来るためにその対策という面もある。

 

 ぞろぞろと塵拾いに向かう人々がスラム街から郊外の投棄所へと列を作って向かう。その集団を武装した柄の悪い集団が監視する。この辺り一帯をシマとする中規模マフィアグループ『カラブリア・スピリット』の構成員であるである。

 

 約一〇億人にも及ぶ人口が集まる『裏街』は主に海岸線に連なる『表街』に沿う形で分散して広がっている。銀河中から多種多様な不法移民が寄り集まるためにその内情は混沌の一言だ。言語だけでも帝国語フェザーン方言・帝国公用語・同盟公用語の三大公用語だけでなく、帝国・同盟の地方方言、帝国自治領の独自言語、外縁宙域のマイナー言語が飛び交う。宗教・民族・人種・イデオロギー・出身地・価値観の異なる集団が過密で劣悪な環境で混在し、衝突やいざこざが絶えない。

 

 そんな中で特に勢力を強めるのはマフィアやギャング、ヤクザ、黒社会、麻薬カルテル、密輸団等の犯罪組織だ。利益、あるいは宗教や民族、イデオロギー、出身地等々をバックボーンにして纏まる彼らはフェザーン・帝国・同盟の大企業、あるいは自治領主府、帝国諸侯、諜報機関、外縁宙域や外宇宙の中小国、他の犯罪組織の後ろ盾を得ながら数千に及ぶ組織に分かれて広大な『裏街』を仕切る。それぞれのシマで住民からみかじめ料を徴収し、外部との取引を独占し、暫定的な警察・司法機関としての役割も兼務する彼らはこの『裏街』という社会構造の寄生虫と言えた。

 

 我々の潜む『裏街』の一角を支配する『カラブリア・スピリット』はそんな数ある犯罪組織の一つである。構成員は数百人余り、話によれば武器と麻薬密輸に人身売買、シマでの店や公共設備でのみかじめ料の徴収を主な収入源としている組織で、帝国の諸侯や外縁宙域の宇宙海賊等ともビジネス上の繋がりがあるらしい。

 

 最近、彼らの行動に微妙な変化が現れた。明らかに人探しをしていたのだ。これまで半分無視してきた塵山を漁る女子供相手にいちいち顔を見せるように要求する。それが私達の存在と無縁であると思える程私もお気楽ではない。バグダッシュ少佐によればこの辺りの組織は同盟政府や同盟軍の諜報機関との繋がりがなく、また行方不明の友軍を捜索する際の特徴も皆無だと言う。つまりはそういう事なのだろう。

 

「おい、お前。スカーフとマスク、ゴーグルを脱いで顔を見せろ」

 

 煙草を吸いながら詰まらなそうに二十歳前であろう『カラブリア・スピリット』の構成員らしい青年は命令した。顔を隠し厚着で体形を誤魔化す私を怪しんでの事ではないだろう。本当に狙っているのなら一人二人ではなくもっと大勢で囲んでいる筈だ。少なくともその点は幸運と言えた。……それ以外では最悪だが。

 

「………」

 

 当然ながら私は口を開く事は出来ない。そう厳命されていた事もあるし、そもそも口を開けば男だとバレる。そうなればより一層怪しまれる事になる。というか詰む。

 

「………」

 

 故に黙り続けるしかないのだが当然そうなるとそれはそれで怪しまれる。

 

「ああ?お前耳聞こえているのかぁ?それとも舐めてるのか?えぇ?」

 

 舌打ちしながらマフィアの青年は此方にガンを飛ばす。うん、確かに迫力はあるんだがそこまで恐怖はない。恐らくこの街のならず者だから人の二、三人位は殺しているかも知れないが、当然ながらその程度の人間なら今まで何人も見ている。銃を腰に備えているようだが、その場所も体勢も、軍人として見た場合素人同然だった。正規の戦闘訓練を受けていないたかが「武装した人間」程度でしかない。石器時代の勇者やら森の熊さんを見た後だとぶっちゃけ余り危険を感じられなかった。

 

 ……それはそれで不感症で問題がありそうな気がするが気にしてはいけない。

 

(って、現実逃避だな。さてさて……どうするべきか………)

 

 ゆっくりと近づいて来る青年マフィアに対して私はどうするべきか悩んでいた。顔を見せるのも声を上げるのも論外。となれば一撃で反撃や味方を呼ばれる前に殺すか気絶させるか……。

 

「あっ!ヘラルド!?ここにいたの!?良かった!!」

 

 次の瞬間、その可愛らしい声と共に死角から誰かが私に抱き着いたのが衝撃で分かった。首を動かせば視界の端に印象的な群青色の髪が映り込む。

 

「おい、お嬢ちゃん。そいつはお前さんの知り合いかって……アイリスか?」

 

 剣呑に脅すような口調で、しかし途中から目を見開き驚いた表情を浮かべる青年マフィア。その顔は目の前の存在が信じられないようだった。

 

「ええ、そうだけど……私のヘラルドに何の用かしら?」

 

 私の腕に抱き着き棘のある、警戒する表情を浮かべるアイリス嬢。その態度に青年マフィアは少し後ろに下がって臆しながら答える。

 

「い、いや……そいつの顔を見せるように言おうと思ったんだが……お前の知り合いなのか?」

 

 恐る恐ると尋ねる青年マフィアに対してアイリス嬢は無言の私に体重を乗せ、腕に抱き着き屈託なき笑顔で答える。

 

「私の『良い人』ですが、何か?」

 

 

 

 

 

 

『ヘラルド』はアイリス嬢の子供時代の幼馴染であった。大人になったら結婚すると指切りした程の深い仲であるが、その後彼は外出中に出稼ぎ(誘拐)でとある鉱山で『苦力』として何年も苦しい重労働を強制される事になった。契約の満期は十年、劣悪な環境での苦しい仕事を、彼は記憶に残る恋人の姿だけを頼りに耐え続けた。しかしその契約終了間際に鉱山での事故で彼は顔を含めた全身に火傷を負い、右手を失い、喉と肺のダメージで口を聞けなくなり、しかも聴覚にすら障害が残ってしまった。残念ながら、そして当然のように保険料は殆ど支払われず、契約満期の報奨金と共に労働者として使えなくなった彼は鉱山を追い出された。失意にくれた彼は故郷たるフェザーンの『裏街』に帰って来る。そして打ち捨てられたかつての自分の家を見つめていると背後から声がした。自身の名を呼ぶ、その懐かしい声は……。

 

「いや、恋愛小説かよその設定」

 

『ヘラルド』役こと、ヴォルター・フォン・ティルピッツ大佐……つまり私は痛い設定に突っ込みを入れる。内容が出来過ぎな上にロマン主義過ぎるな。現実的に考えて男の方は非現実的な位不幸過ぎるし、女の方も子供時代の約束なんか覚えている訳ねぇだろうバーカ!

 

「はいはい、『ヘラルド』は口聞けないので話したら駄目だからね?」

「ぐばっ……!?」

 

 腹部にキツイ一撃を食らい私は塵山の一角で蹲る。うぐぐ……咄嗟に腹筋に力を入れて防御した筈、しかも厚着でこのダメージだとぅ……?化物め……!

 

 青年マフィアからの追及を先程の設定とアイリス嬢の話術でどうにか誤魔化した我々である。私に仕事を手伝わせ、尚且つ彼女の金回りが良くなった理由とついでに彼女の家に人が上がり込んでいる理由付け、及び私自身も情報収集に出歩くために先程の設定に従い口も聞けず、耳も聴こえない、顔も見せられない『ヘラルド』になり切っている訳だが……流石に限界が来ているように思われる。顔を見せろと言われたのは今回が初めてだがそう長く誤魔化すのは無理だろう。

 

「うぐっ………それにしても随分と面倒な設定だな。そこまで拘る必要もないだろうに」

「あら、それは違うわよ。あんたには最後、私に内緒でプレゼントを贈るお金を貯めるために塵漁りしていて野生のドスガレオスかダイミョウザザミ辺りに食い殺されてもらうんだから。で、十年来の恋人と再開出来たのに今度は永久の別れを強いられた私は一人号泣するの」

「女優かよ。どんだけ悲劇のヒロインしたいんだよ。嘘臭え」

「そうでもないわよ?大それた嘘程案外上手くいくものなの。それに周囲も触れにくくなるから後になって掘り返さなくて済むから都合が良いわ」

 

 鼻を鳴らして冷笑するアイリス嬢である。何こいつ、計算高過ぎて怖っ!

 

「それにあんたらとの契約が終われば私も『裏街』でももう少し治安の良い場所に移住しようと思ってるし。それまでの魔除けにもなるわ」

「魔除け、ね」

 

 その言葉に私は彼女の現状でのこの街での立ち位置について思い出す。本人から然程詳しく聞いた訳でもないが、周囲の会話、それに独自に変装して街中で味方のエージェントとの接触を図り次いでに情報収集もしているバグダッシュ少佐の言とを合わせれば、彼女の立場が決して単純なものでも、まして安定的なものでもない事が分かる。

 

 断片的な内容ではあるが話を総合する限り、どうやら既に死んでいる彼女の父親の方がこの辺りをシマにしているマフィアから借金をしたらしい。笑える事にトイチである。それで母方の方はその返済のために仕事に追われ、しかし法外な利息の前に最後は金を借りていたマフィアのボスと愛人契約を結んでいたそうだ。

 

 そして母親の死亡後もまだまだ借金は残っている訳でその取り立てが彼女に来そうだったのを、しかしとある自治領主府勤務の高官が後ろ盾になったために阻止されてしまったらしい。借金自体は利息を停止し即座の支払いが中止されただけらしいが……そのマフィアのボスと自治領主府の高官の暗闘の間をこの小娘は現状上手く泳いで甘い汁を吸っているらしい。

 

「いや、そいつらロリコンかよ」

「ん?何か言った?」

「独り言だよ」

 

 アイリス嬢が此方に振りかえって怪訝な表情を浮かべるが、すぐにどうでもよくなったのか塵拾いに戻る。背中に自身と同じ位の大きさの籠を背負いその中には金属片等で埋まっている。その姿を見て小さく溜息をつく。

 

 現一六歳、母親が死んだのが二年前らしいので当時一四歳である。一四歳の小娘を巡って良い大人が相争うというのも見るに堪えない惨状だろう。尤も、顔だけが理由と考えるのは早計かも知れない。

 

(群青色の髪か……)

 

 その髪の色、そしてその身体能力から見ると案外顔だけが理由ではないかも知れない。確かに一般的に美形と言えるものではあるがベアト達と比べて隔絶している、という程ではない。マフィア組織のトップや自治領主府高官ならば同レベルの上物を手に入れるのは手段さえ問わなければ不可能ではあるまい。少なくとも争う程のものとは思えない。となればそれ以外の理由がある筈だ。考えられる可能性は二つ、いや三つか……?

 

「にしても少し火遊びが過ぎないか?幼馴染みとは言え男泊めてるなんて聞けばスポンサー様方がお怒りになるんじゃないのか?」

「誰がスポンサーよ。彼方が勝手にやっているだけの事よ。流石にあんたらの存在を無かった事には出来ないから仕方無いでしょ?買い物だけでも足がつきかねないんだから、だったら最初から同棲している設定の方が変な憶測が出ないだけマシよ」

「恋人でなくても良いだろう?」

「だったらどうなるのよ、ヒモ?そっちの方が嫌よ。女泊めてる設定はそれはそれで嫌だけど、それ以上にあの生意気な男爵様が手放さないから外で見せられないでしょ?」

 

 ブラウンシュヴァイク男爵の御気に入りを使って宿泊者を偽装しようという案もなくは無かったが、体力がなくて無口過ぎ、しかも男爵自身が頑なに手元から手放したがらなかったのでその計画は頓挫した。糞、こんな時にまで我が儘言いやがって放蕩貴族めっ!!

 

「となると結局この設定が一番ベターな訳か」

「そういう事ね。さぁ、仕事に戻りなさいな。それと余り離れないでよ?さっきみたいに声かけられたら困るでしょ?」

 

 そういって黙々と塵拾いを再開する家主様である。私はその言に従い黙々と仕事に戻る。塵山の向こう側から幾人か人影が来た事も理由だ。

 

「あら、アイリスちゃん。どう仕事の調子は?」

「ハロルドさんはお身体大丈夫かしら?」

 

 声調からして中年位だろう、井戸端会議でもしてそうなおばちゃんのノリの婦人の集団が我々に声をかける。口調はハイネセンポリスの住宅街にいそうなのに、身なりは塵拾いのために完全装備なのがシュールだ。

 

「ええ、結構溜まりましたので、それにハロルドも手伝ってくれてますから」

 

 柔らかい声で愛想笑いを浮かべる家主様である。おい、猫被りかこの野郎。

 

「本当、ハロルドさん良い人ねぇ」

「出稼ぎのお金貯めてたんでしょ?それに仕事の手伝いも。本当に真面目な方よねぇ」

「ウチの人も見習って欲しいわよねぇ、朝からお金もないに安酒飲みながらギャンブルばかり。本当穀潰しなんだから」

 

 あーだこーだと語る婦人方である。スラム街で稼げる仕事は多くはない。特別な技能を持たない大多数の内、男の場合は度胸のある者なら犯罪組織に加わるのだろうが、そんな覚悟のある奴なぞそうそういない。『表街』の工場や出稼ぎは過酷過ぎる重労働、屋台類を開くのは大多数が女性ともなれば、一日中働かない無気力な者もそれなりの数いるようだった。

 

(それにしても………)

 

 設定通りだんまりを決め込みながらちらりと家主達の方を見やる。

 

「本当、この前はごめんねぇ。解熱剤高かったでしょう?」

「井戸水もねぇ、融通してもらって心苦しいわ」

「別に構いませんよ、それ位。どうせ私の物じゃありませんし」

 

 心から済まなそうにする婦人達に対してあっけらかんとした表情でアイリス嬢は答える。どうやら立場を利用して薬や水を近所の者に融通しているらしい。この強かでがめつい小娘にしては意外な事だ。思えばここ数日塵拾いしている際も年下の子供に金になる塵を分けたり集め方のコツを偉そうに指導していたのを幾度か遠目で見た。

 

「……何?ジロジロ横目で見ないでくれる厭らしい」

 

 おばちゃん達に笑顔で手を振り別れた後、此方の視線に気付いたようで警戒と不信感に満ち満ちた声で私を詰るアイリス嬢。

 

「厭らしいって……その出で立ちのどこに色気を感じろってんだ?流石に言い掛かりを言われると辛いものがあるんだが……」

 

 目と喉を保護するゴーグルとマスク、日差し対策のスカーフを頭に被り手を保護する手袋、厚く汚れても構わない上着を羽織り身体の輪郭所か素肌も殆ど見えない。これで色目で見る事が出来れば上級者だ。

 

「そんな事言って、家に戻ってから縄で縛ってマワそうかとか考えたりしないでしょうね?」

「お前さんを力づくとか無理だろ。下手しなくても肩の骨位外せそうだ」

 

 今小娘の背負っている籠は恐らく重量にして三、四〇キロはあるだろう。二十歳にもなっていない細い身体で完全装備を身に纏い、そんな重量の塵を背負っていながら汗一つかいていない。相当な体力だ。そんな奴を縄だけでどうにか出来るなんて考えるのは見通しが甘過ぎる。

 

「理解していたら結構。さて、この辺りは金になりそうな物はないわねぇ。まぁ、一日で回収出来そうな物なんてこんなものね。あんたの方は……あら、そっちもぼちぼちね。どうするの?もう帰る?」

「……いや、まだもう少し拾っておこう。稼げる時に稼いだ方が良いからな。お前さんの方もその方が都合が良いだろう?」

「……ええ、まぁね」

 

 私の質問に奇妙そうな表情で肯定し、少しして再度彼女は此方を向く。

 

「初日から思ったけど、真面目に塵拾いするのね。……貴方、帝国の貴族か何かでしょうに。馬鹿馬鹿しくない訳?」

 

 黙々と作業をする私を観察しながら家主は尋ねる。

 

「……どうして帝国の貴族と思った?」

「別に特別な理由はないわよ。あんたの渡して来たライターにシガレットケースは帝国の意匠の結構な値打ち物でしょ?まぁあれ自体はあんたの私有物とは限らないかも知れないけど、少なくとも同盟人があんなものは持たないわ。それにあのニートみたいな性格の男爵と軽い口調で会話していたでしょう?普通の男爵様なら平民相手にそんな事許さないわ。後は大佐って呼ばれていたけど、コネと家柄でもなければあんたの歳と性格で大佐なんて無理よ」

 

 ここまで証拠を提示した上で、どこか得意げな口調で彼女は結論を口にする。

 

「つまり考えられる可能性は爵位持ちなら精々男爵、あるいは下級貴族って所。同盟軍の少佐?と一緒にいてダストシュートから飛び出て来た事と隠れたがる所から考えると追われていると考えられるわね。となると私の見立てだと同盟に亡命でもしようとしてミスった、と言う所かしら?違う?」

 

 彼女の導き出した答えは正解ではなかったが、それを嘲笑うのは酷というものだろう。状況証拠からの推測は真っ当な内容だった。寧ろこの場合答えを導きだせる方が異常だろう。現実は小説より奇なり、という事だ。まともに考えて私達の境遇を導き出せる訳がない。

 

「さてね。ノーコメントと言わせて貰おうかな?というか私は男爵以下確定なのか?」

「あら違うの?貴族ってだけで変にプライドの高い馬鹿って多いのよ。まぁ大体こんな街でオーディンに住んでいた頃みたいなノリをしてもすぐ死ぬけど。流石に大貴族様が塵拾いなんてプライド的に有り得ないでしょ?」

「せやな」

 

 私を除けばな、とは言わなかった。言っても戯れ言扱いされそうだし、そこまで情報を教えてやる義理もない。

 

「まぁ、そんな訳であんたらを下級の貴族辺りと考えたのだけれど……話を戻すけど、気分的にどうなの?塵拾いなんてしていて」

 

 どこか興味深げに家主様は尋ねる。

 

「どう、って言われてもな。食うためとお前さんの機嫌を取るためにはやらざるを得ないだろう?それとも餓鬼みたいに駄々を捏ねたらいいのか?」

「残念ながらこの街の子供は強かよ。駄々捏ねるなんて子供以下ね」

 

 ここ数日の記憶を掘り返して見る。この街の糞餓鬼達は逞しい。物心ついた時から日銭稼ぎのための仕事をしている。塵拾いは定番だし、何なら命懸けでスリや泥棒だってして見せる。確かに駄々を捏ねるなぞ餓鬼以下だ。

 

「それは結構。私も餓鬼以下のメンタルしかないなんて思われたくないのでね。どうせ顔見知りが見てる訳でもあるまい。これ位我慢するさ。匿って貰ってる義理もあるしな」

 

 半分位家主様を煽てるようにそう私は口を開く。まぁ、戦闘で腕もげたり頭皮捲れたりするよりは百倍マシだしね。

 

「……そう。あんた結構変人ね?」

 

 一方、アイリス嬢は私の言葉に怪訝そうで、意外そうな表情を浮かべた。彼女の言から見るにこれまでこの街で馬鹿やって死んだ御貴族様を何人か見ているのだろう。それ故にプライド処か誇りも矜持も無さそうな私の発言と行動で珍獣を見ているような気分になっていると思われた。

 

「……そう言われたら私としてももう少し頑張るしかないわね」

 

 塵拾いを続ける私を見、次いで自身の籠を見てから彼女は答える。彼女の籠ももう少しだけ入りそうだった。この街の住民のプライドとしてはスラムライフ三日目の御貴族様よりも先に上がる事にどこか敗北感を感じるようで、若干不満げに彼女もまた仕事に戻る。

 

 結局、我々がこの塵山から去ったのはそれから更に一時間程後の事であった。

 

 

 

 

 

 

 

 諜報員、あるいはスパイと呼ばれる者に必要な技能は何であろうか?戦闘能力?言語能力?それとも人々を魅了する美貌?

 

 部分的にはそれは合っているだろう。可能な限り戦闘は避けるべきではあるが、緊急時には単独で敵中を突破する必要もあるだろうし、多種多様な言語、特に同盟軍の対帝国諜報員には宮廷帝国語の読み書きは必須だ。顔立ちも時として整形してでも取り入る相手の好みに合わせる事だってあろう。

 

 しかしそれ以上に、何よりも諜報員にとって必要な技能、それは目立たぬ事である。正確には対象以外の周囲の者達の注目を浴びないようにする技能というべきか。

 

無論、敢えて注目を浴び目立つ事が必要な場合もあるが、基本的に諜報活動は地味な情報収集が基本だ。現地の新聞やニュースのチェック、廃棄処理された書類の回収と再生、様々な物品の価格の変動や株式のチャート推移、一般市民や企業人といった末端から高級士官や官僚、貴族の立ち話に直接聞き耳を立て、あるいは盗聴器で盗聴する。そういった地道な作業の繰り返しだ。

 

 この手の活動は案外馬鹿に出来ない。運輸会社の日雇い労働者や街中の婦人方の会話から逆算して敵軍の大規模な出征の兆候を掴む事だってあるのだ。無駄な情報なぞない。一つでも多くの情報を集め、そこからノイズを取り払い、統計化したそれから表面からは見えない国家規模の蠢きを見つけ出す作業が諜報活動なのだ。

 

 それ故に諜報員は極々自然な振る舞いで市井に溶け込む。違和感を感じられないように、当たり前といった素振りで人々の中に入り込む。そしてより有益な、より多くの情報を有していると見込んだ者達に声をかけ、瞬く間に十年来の友人のように相手の警戒心を解き解しその知りうる全ての情報を吐き出させ、それが終われば再度目立たぬように、霧のように消え失せる。

 

 食用蛙や食用虫の串焼き、あるいは砂丘で捕らえたゲネポスのモツ煮にガレオス骨ラーメン、廃油を再利用したデルクスのから揚げ……不衛生かつ半分程腐っていそうな食材を熱と塩と酢と香辛料で誤魔化した濃いめの味付けで提供する露店の数々が『裏街』の一角に軒を連ねていた。多くの住民が朝っぱらからこれまた安くて若干怪しいアルコールと共にそれらの料理を食し、不正受信した『表街』のテレビ番組を見て、あるいは一部の趣味人達によってゲリラ放送されるラジオを聞きながらボードゲームやカードゲームに興じ、分煙なんぞ気にせず煙草を吹かしながら政治や社会、職場や家庭に対する無責任極まりない不平を漏らす。時には酔った勢いで喧嘩が起こり周囲が勝敗に対して賭け事を行い、あるいはヒートアップして銃声が鳴り響く。

 

 多くの同盟市民がその光景を見たら眉を顰めるだろう。街の匂いは酷いし、料理も不味く、住民の知性と良識と品格は最低だった。

 

 尤も、多くの住民はそんな事は気にしない。まるで銀河連邦末期の暗黒街のような惨状ではあるが、それでもこの街の住民、あるいはその先祖が住んでいた外縁宙域と比べれば、『裏街』の繁華街は遥かに豊かで安全な場所であるのだから。

 

(まぁ、市民には信じられないでしょうがね)

 

 変装して目立ちにくい出で立ちとなったバグダッシュ少佐は、繁華街の一角で比較的安全そうな安酒(『表街』で異物混入の疑いで自主回収された上で二束三文で『裏街』に放出されたものだった)にこれまた比較的安全そうな養殖された食用蛙の串焼きを手に現地の日雇い労働者達の雑談交じりのゲームに付き合っていた。

 

「それにしてもよぅ、困ったもんだぜ。この前から警備が急に厳しくなりやがってよ。これまでおざなりだった下水道の抜け道すら傭兵共がうようよいるんだぜ?お陰様で商売上がったりよ」

 

 百足の串焼きを食べながら『裏街』と『表街』との間で商品を密輸する運送屋の男が文句を垂れる。両街間の日用品や雑貨、その他非合法商品の往き来は本来元締めの犯罪組織や治安機関に利益の一部を上納しなければならない。それ故にそれを抜ける密輸はそれなりの儲けがあった。当然ながら見つかって捕まれば即射殺されるが。どうやら急に『表街』の警備が強化されたらしく、商売は一時停止してこの居酒屋で暇を潰しているらしい。

 

「困ったものだなぁ。警察の方も宇宙港や軌道エレベーターの方で抜き打ち調査してるって聞いたぞ?密出国者がいないか探してるらしい。お陰様で卸していた薬やら密航者が次々と煽りを受けて見つかっちまった」

 

 薬の売人も片手に持った安酒を飲み、麻雀を嗜みながら愚痴る。調査がいつ終わるかも知れず、仕入れたサイオキシン麻薬が宇宙港の倉庫で見つかり焼却処分されまくるせいで彼の元締め組織は在庫の販売を価格吊り上げ目的もあって売り渋っていた。そのため彼もまた今日は仕事もせず朝からここで飲んで、遊んでいる。

 

「本当困ったもんだぜ。酒も飯も日用品も薬も銃も入って来なくなった。これまでみたいな振りじゃねぇ。お上の奴らガチだぞ」

「一体誰を探しているですかねぇ」

「この前『表街』で馬鹿やった奴らだろう?」

「卸している組合や組織はどこも売値を値上げする積もりらしいぞ?いつこの騒動が終わるか分からんからな」

「買い溜め防止のためだろうが……金ある奴はするからな。で、餓えるのは俺らって訳だな」

「一週間二週間なら兎も角……一月以上続いたらマジで厳しいな」

 

 食料や日用品、医薬品すらその殆どを『表街』からの取引で仕入れている『裏街』にとって一月以上物流が滞るのは文字通り住民の死活問題であった。

 

「その時はどうします?」

 

 極々自然に麻雀と雑談に交ざっていた諜報員は尋ねる。

 

「へっ、そんときは仕方ねぇ。一暴れするしかないだろ?」

「まぁ十中八九鎮圧されるだろうがな」

「まぁ、ガス抜きにはなるだろうし口減らしにはなるからな。どうせお上が雇っている傭兵共相手には勝てねぇからなぁ」

 

 ブツブツと文句を言いながらギャンブルと酒で彼らは現実から逃げる。元より全ては彼らの関知し得ぬ遥か上の権力者達によって決定される事、彼らが何を考えようとも何の影響も与えられやしない。それ故に彼らはそのような不愉快な現実から目を反らし、刹那的にひたすら目の前の娯楽に熱中しているようだった。

 

「成る程」

 

 バグダッシュ少佐は聞く事は聞いたとばかりに手元の料理と酒を残してトイレを理由にその場から退席する。ゲームに熱中している住民はその事に殆ど注意を払わない。

 

 店主に金を払い、バグダッシュ少佐は繁華街を歩き出す。道行く住民の視線に入らず、注意を引かないように巧みに大通りを進むため、恐らくすれ違った者達は少佐の存在に気づいてすらいなかった事であろう。街並みを観察しながら、同時に四方八方で交じ合わされる会話にも聞き耳を立てつつ彼は進む。ふと、バグダッシュ少佐は視界の端にその集まりを確認した。

 

「炊き出しか」

 

 スラムの大通りに出来る惨めで無気力な貧者の列を上着と風船帽の隙間から見やりながらバグダッシュ少佐は小さく呟く。宗教団体は古来より無知な民草を搾取してきたと同時に社会的なセーフティーネットの役割を果たして来たのも事実だ。

 

『裏街』は最低限の慣習と掟こそあるがそれは法治国家のそれとは基準が別物である。それ故に合法・非合法、様々な宗教団体が教義に従い、あるいは信者獲得のための手段としてその日暮らしの人々に糧を授ける。輪廻教は肉のないベジタリアン料理を、月光教は禁忌食物を抜き福音を与えた料理を、飛翔せし偉大なるスパゲッティ・ウィズ・ミートボールモンスター教は聖技によって調理された大量のミートソーススパゲッティを皿に盛りつけ提供する。帝国・同盟双方でカルト教団として弾圧される救世教終末派にベーコンエッグ教の信者が炊き出しをしている姿も見える。

 

「あれは……地球教か」

 

 栄養バランスを考えたオーガニック食材でのみ作られたと分かるカレー料理を人々に提供していたのは地球教の一団であった。二〇代であろうか、純白の衣服を着こんだ細身の若々しい司祭が子供達に温かい笑顔を浮かべながらルーをたっぷり注いだカレーを授けていた。

 

 地球教は特に貧者救済に対する取り組みで有名な宗教団体だ。銀河連邦末期から帝政初期にかけて主要な親帝国伝統宗教団体が『十字軍』を派遣した中、彼らは戦地や被災地での食料の配給や医療支援に徹しており、それは現在も変わらない。今目の前で働いている司祭……ゴドウィン司祭はこのスラム街で炊き出しだけでなく医療支援、悩み相談にミサ、無償で臨終の告解と葬儀等も手掛けており、その献身的姿勢から住民の評判も高かった。

 

「……どの道、今はそんな余裕はありませんね」

 

 一瞬、脳裏に彼の現在の臨時上司の言葉がよぎるが、バグダッシュ少佐は深い調査を行うのは避ける事にした。僅かに気になりはするが所詮一大佐の証拠もない戯言、しかも今はそんな脇道に逸れた事をする暇はなかった。

 

 ………そう、背後をつけ回す輩がいるような今は。

 

 

 

 

 

 その二人組が露店や居酒屋を梯子する男に注意を向けたのには幾つか理由がある。単に見慣れない顔であったのもあるし、その巧みな話術で瞬く間に無警戒な住民から話を聞き出す能力、更には周囲の視線や注意を逸らす身振り手振りの所作が余りにも優秀であった事が挙げられる。無警戒な有象無象の住民なら兎も角、元から怪し気な余所者を探している彼らにはその優秀さが逆に注意を惹いてしまったのだ。

 

 唯でさえ『表街』では面倒な騒動が起きているのだ。そこに見慣れぬ異様に潜入工作に秀でていそうな男の存在である。どこの諜報機関か、あるいは組織の者かは知らないが、それを放置するなぞ有り得なかった。ボスが組織の構成員達に人探しの命令をしていた事もある。どうやら商売先から要請されているらしく、生け捕りすればかなりの報奨金を支払う事を約束されたらしい。もしその関係者なら自分達にもそれなりのおこぼれが支払われる事だろう。

 

 様々な出で立ちの人々でごった返すスラムの繁華街を二人の人影が尾行する。対象の人物は流れる人の波を巧みに影にしつつ、時に道を曲がり、時に足を速めて進む。それは潜入工作員の基本的な尾行の撒き方であった。

 

 次第に速まる対象の足音。尾行する二人組もまた歩みを速める。次第に対象は入り組んだ、人気のない区画に入り込む。

 

「糞っ、撒かれた!」

 

 尾行の一人が吐き捨てる。狭い路地裏を曲がった対象を追いかけていた二人が同じように街角を曲がった時には既にその人物の姿は影も形もなかった。周囲のバラック小屋の住民を何件か銃で脅して探すが問題の人物は見つからない。

 

「糞ったれ。折角の報奨金がパーじゃねぇかよ!」

「まだ遠くには行ってねぇ筈だ。探すぞ……!」

 

 追跡者二人は二手に分かれて走り出す。どうやらまだ報奨金を諦めていないようだった。そのがめつさはある意味賞賛するべきであっただろうが、ある意味では単なる無謀であっただろう。何せ……。

 

「あぐっ!?」

 

 次の瞬間、人気のないバラック小屋の一つから伸びた腕が追跡者の一人を助けを呼ぶ暇すら与えずに内部に引きずり込んだ。

 

「て、てめぇ……あぎぃ……!?」

 

 取り敢えず自由惑星同盟軍制式採用の近接格闘戦技によって床に組み敷いた後即座に利き手の腕の肩を外し、その口元に声を上げられないようにハンカチを捻じ込む。惚れ惚れするような手際だった。

 

 追跡者の腰元からナイフと拳銃を奪い取りその戦闘能力を無力化するバグダッシュ少佐。

 

「さて、どうやら唯の怪しさではなく報奨金目当てのご様子。これは聞き捨てなりませんね」

 

 そう言って自身の懐から潜入工作員用万能ナイフを取り出す。所謂アーミーナイフともツールナイフとも言われるそれは、本来戦闘ではなく工作用等に使われる物である。しかし、専門の訓練を受けた諜報員にとっては同時に多種多様な尋問に使える『拷問道具』に変貌し得た。

 

「さて、余り時間を浪費するも人を苦しめるのも好みでもない。スマートに、迅速にいくとしましょうか?」

 

 万能ナイフから鉤爪のような針を抜き出して男の左手の指の爪と肉の間に触れさせ、バグダッシュ少佐は事務的に尋ねる。その瞳は職務中の諜報員らしく冷淡で、感情の窺い知れない仄暗い闇に染まっていた。



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第百五十五話 夜中に食べる拉麺は最高だぜっ!

 バラック小屋でシーツにくるまり、身体を丸めて寝入っていた少女はふと目を覚ます。惑星の殆ど全域が乾燥帯に属するフェザーンは気温が高くとも湿度は比較的低く、その点では暑さはマシではあるが、あくまでもマシであるだけだ。やはり砂漠地帯に程近い人口過密なスラムでの睡眠は余り良いものではなかった。

 

 長い黒髪に黄金色の瞳の端正な少女……アントニアはまず意識を取り戻すとその感触がない事に怯え、次いでパッと身体を起き上がらせて周囲を必死に見渡す。白く碌に日差しも浴びてない肌はみるみるうちに青くなり、動悸は荒くなり、瞳は震える。それは恐怖と不安によるものだった。 

 

「起きたのか、アン?済まないな、俺はここにいるぞ」

 

 その声に振り向いた彼女は常日頃傍にいて、片時も離れた事のないその人物を見つける。口元にスカーフをマスク代わりに巻き、手に持つ雑巾は汚れていた。恐らくバラック小屋の掃除をしていたのだろう。

 

 家主はこのスラム街に住んでいるにしては綺麗好きでバラック小屋にしては手入れされているもののどうしても黄砂で室内は砂っぽくなってしまう。ブラウンシュヴァイク男爵にとっては不本意でも自分のため、そしてそれ以上に彼女のためにも掃除をせざるを得なかった。

 

「あっ……に………!」

「分かってる分かってる、離れて悪かったな。許してくれ。……アンスバッハ達が居れば俺がこんな事しなくても良いのだがねぇ、伯世子様の不運に巻き込まれてから酷いものだな。宿泊先は不潔だし、飯は糞みたいな味、しかもこの砂っぽさと来てはな」

 

 アントニアを膝の上に座らせてグチグチと今の状況について毒づく男爵。曲がりなりにも門閥貴族として相応しい至れり尽くせりの環境で生活してきた彼にとって、スラムでのニート生活は最悪であった。これは文明人の住まう環境ではないと彼は確信していた。

 

「まぁ、家主なりに頑張ってはいるのだろうがね。その辺りは評価してやらんとな?」

 

 膝に座るアントニアに向けてそう語りかければ黒髪の少女はコクりと頷く。丸三日間このバラック小屋で寝泊まりし、その間家主の観察と家の調査をしていた男爵は既にその事に気付いていた。それ故に男爵も、アントニアもある意味良く似た境遇の彼女には『多少』は同情するだけの心持ちはあった。……あくまでも多少ではあるが。

 

 暫しの間、沈黙が室内を支配する。暑さで喉が渇いた男爵がコップにペットボトル入りの井戸水を注いで飲み、次いでアントニアにも分け与える。

 

 喉を潤した男爵はため息をついてから話題を変える。家主の事は正直彼にはどうでも良かったし、それ以上に彼らにはより気にかけるべき事があった。

 

「それにしてもあいつらどこからの差し金だろうな?まさかとは思うが叔父上の所じゃあないと思うが……」

 

 数日前にスタジアムで自身の生命を狙ってきた下手人共について男爵は考える。暗殺や謀略と言えば自身の叔父が最初に思い浮かぶが………。

 

「まぁ、そりゃあねぇな」

 

 確かに男爵、いや男爵達はブラウンシュヴァイク一門にとって死んでくれた方が都合が良い存在ではある。あるが、あの叔父上が損得勘定で身内を謀殺するとは到底思えなかった。そもそも本気でブラウンシュヴァイク一門が暗殺を目論むなら今頃彼らはこの世にいない筈だ。あのスタジアムでの出来事はブラウンシュヴァイク一門が仕掛けたにしては杜撰過ぎる。

 

「となると考えられるのは髭と豚と狸辺りが候補かね?」

 

 宮廷の派閥動向を考えつつ有り得そうな下手人の飼い主について男爵は候補を挙げる。

 

「髭は……無いな。下手に飛び火したらあいつら自身がヤバい」

 

 となると、候補はギリシャ趣味の豚とくたばり損ないの狸爺辺りとなるが……。

 

「どちらにしてもやはり杜撰過ぎるな。特に豚だとすればあからさま過ぎる」

 

 よりによって息子があの場にいるのにあんな疑惑を生みそうな真似はするまい。狸にしても石橋を叩いて渡るような奴だ。もし狸の差し金とすればあんなギャンブルみたいな事はしないだろう。

 

 となると、やはり同盟の自作自演の可能性も………。

 

「いや………」

 

 いや、正確にはあの三人以外にも候補はいる。いるが………。

 

「まさか……だとすれば流石にそれは悪手ってもんじゃねぇかな?だろう、皇子様よ?」

 

 

 

 

 

 夕暮れ時になり恒星フェザーンが橙色に輝きながら地平線の向こう側にその姿を半分消しつつあった。マスクとゴーグルとスカーフで顔を守る人の群れが塵山からスラム街に向けて帰宅の途に就く。その人の群れの中に私と家主もまた交じって進み続けていた。

 

「結局いつも通り夕暮れ時になってしまったわね」

 

 はぁ、と溜息をつきながらアイリス嬢はぼやく。あの後、結局予想以上に金になりそうな廃品が見つからず、回収出来た廃品とかけた時間を考えれば余り良い成果とは言えなかった。

 

 塵拾いの集団はスラム街のすぐ傍に留まる数台の大型トラックの元に列を作る。『表街』の廃品回収業者達が塵拾い達の集めた籠の内容物の種類と重さを基にぞんざいに買い取り金を押し付ける。周囲には護衛役の『カラブリア・スピリット』のメンバーが面倒臭そうにその作業を観察していた。

 

 集めた数十キロもの廃品であるが、回収業者達から受け取れるのは精々数フェザーン・マルクでしかない。文字通りその日の食事で消えてしまう程の薄給だ。当然ながらそれは業者が不当な安値で買い叩いている事もあるし、元締めのマフィアがみかじめ料を受け取るためでもある。

 

 それでも大半の者達は文句も言わずに淡々と代金と受け取る。逆らっても目をつけられるだけであるし、命の危険もある。何よりも日々の生活に疲れ、逆らうだけの気概が最早ないのだろう。寧ろ、こんな劣悪でどうしようもない街で勝ち気な家主の方がどちらかと言えば異端なのかも知れない。

 

「あいよ、この量と中身だと……二フェザーン・マルク八一ペニヒだな」

 

 重量と中身を適当に確認した作業服を着こんだ回収業者はあくびをしながらそう家主の籠の中身の価値を計り、小銭をテーブルの上に雑に置く。

 

「この前だと同じ内容と重さで四フェザーン・マルクに六〇ペニヒはあった筈だけど?」

 

 アイリス嬢は詰るように業者を問い詰める。普段から叩き売りさせられているが、どうやら今回はいつもより安過ぎるようだ。

 

「ちっ……相場が変わったんだよ。お上の指示だ。文句言うなら他所で売りな」

 

 業者は舌打ちしてからそう詰まらなそうに語る。ほかの所と言ってもこの辺り一帯の回収業者は彼らだ。別の業者の買い付け場所は余りに遠過ぎて態態足を運ぶのは非現実的だった。彼女にそんな事が出来ないのを承知での言葉なのだろう。

 

「おらっ、後がつかえているんだよ。早くしてくれ。たくっ、この街は相変わらず酷い臭いで汚ねぇ」

 

 早くこの仕事を終わらせたいとばかりに去るように暗に促す。周囲の用心棒を兼ねた『カラブリア・スピリット』のメンバーがガンを飛ばしながら腰元の拳銃を弄ぶ。

 

「くたばれ豚野郎……!」

 

 そう吐き捨て中指を突き立て売上金をふんだくる。そして列を抜けて私の番となる。

 

「はっ、やんちゃな小娘なこった。顔が良くてもあれじゃあいけねぇな。やっぱ女は従順で愛嬌がなきゃあな。そう思わねぇか?」

 

 嘲るような笑みを浮かべ回収業者は私にそう尋ねる。当然ながら私は設定上応答は出来ないのでだんまりを決め込む。

 

「ふんっ、だんまりかよ。おらよ、さっさと受け取って失せな」

 

 二フェザーン・マルク三六ペニヒの小銭をテーブルに置いて去るように回収業者は命じる。私の運んで来た廃品はそこそこの量だった筈だが、『表街』での学生アルバイトの一時間どころか三〇分にも満たない代金であった。因みに宇宙暦790年現在のフェザーンの学生アルバイトの法的最低賃金は時給一〇フェザーン・マルク八〇ペニヒである。ブラック企業かな?

 

「っ……!馬鹿にするのもいい加減にしなさいっ!流石にこの量でその代金なんて安過ぎるわよっ……!!」

 

 傍で私の代金支払いを待っていた家主様が再度噛み付く。どうやら私も相当安く買い叩かれているらしい。

 

 彼女の立場からすれば今後の事も含めて余り安く買い叩かれる前例を作りたくないので文句を垂れるのは当然であろう。だが……ここで目立つのは少々不味い。

 

 私は回収業者に文句を言い続けるアイリス嬢の肩に黙って左手を添え、首を小さく振る。設定から言葉を発する訳にはいかないので身ぶり手振りで此方の意思を伝えざるを得ないのだが……流石スラム育ちというべきか、直ぐに此方の都合を理解する。

 

「あのねっ……!!……っ!?」

 

 此方に鋭く咎める視線を向ける家主であるが、私が添える手の握力を僅かに強めれば此方の意図を察して周囲を見、次いで苦々しげな表情を浮かべて回収業者に食い下がる。

 

「あああっ!!もう分かったわよっ!!はいはい!!もういいわよっ!さっさと行くわよっ!!」

 

 腹立たしげに踵を返すアイリス嬢に、私は代金を受け取り後ろから着いていく。列を作る幾人かの同業者がちらほらと此方を見たが、大多数の者達は黙々と疲れた表情で無関心そうにしていた。私としては注目を浴びたくないので幸いではある。

 

 一方で不満の表情を浮かべるのは傍らで共に歩く群青色の髪を揺らす家主様だ。回収業者と代金を受け取る同業者の列から少し離れたスラム近郊の砂丘を歩く彼女は、周囲を見て近場に人影がないのを確認した上で口を開く。

 

「何?確かに目立つ行動だったけど仕方無いじゃないの。彼奴ら、完全に仕切り値を下げて来てたわ。あそこで私だけでも噛み付かなきゃこれからもあの値段で固定されちゃうわ」

 

 忌々しげに理由を口にするアイリス嬢。

 

「お前さんはこの街からトンズラする予定じゃ無かったのか?」

「その予定よ」

「だったら……」

「それとこれとは話が別よっ!!」

 

 彼女は腰に手を添え、憤慨するように吐き捨てる。

 

「塵山での仕事をしているのは大概女子供、それに後はあんたの設定みたいな碌な仕事が出来ない身体の奴ね。ようはこの掃き溜めみたいな街でも特に弱い奴らばかりってのは知ってるわよね?」

「ああ」

 

 確認するように尋ねるアイリス嬢に私は頷きながら答える。この時点である程度彼女の怒りの理由は見えていた。

 

「だったら話は早いわ。塵拾いで生きてる奴らにとって仕切り値を下げられるなんて一大事なのよ。今回の代金なんてその日、頑張っても次の日の腹を満たすだけで消えるわ。当然貯金なんて無理だし、いざ病気か何かでもあればそれっきりよ。彼奴ら、本格的に私達の口減らしでも考えてるのかしら?」

 

 彼女自身はそう遠くないうちに棚ぼたの収入で逃げ切るとしても、このスラムには知り合いが多いのだろう。特に子供相手にはガキ大将みたいな事もしているので、そんな彼女からすれば残していく知り合いを見殺しにするような真似を嫌ったか。

 

「別にそこまで善意での事でもないわ。……ただ母さんも朝から夕方まであの仕事して私を養ってくれてたから。それに汗水垂らして働いた仕事には相応の報酬ってものがあって当然よ。彼奴ら只でさえ中抜きしてる癖にまだぼったくろうとしているから厚かましくて腹が立つのよ。薬なり銃器なり密売して儲けている癖にこんなせせこましい事……欲が深過ぎると思わない?」

「内容には同意だな。仕事には見返りが不可欠だ。流石に飢え死にしかねん程搾取するのは強欲ってものだな」

 

 帝国人的価値観で私は肯定してやる。初代皇帝ルドルフ一世が劣悪な待遇と危険な業務を敷き続けたブラック企業と戦い続けた事は帝国では常識だ。

 

 銀河連邦末期、終身執政官に就任したルドルフは、これまで法の穴から逃げ続けた悪徳企業を徹底的に取り潰し、国営化し、主要幹部を弾劾し、労働環境を改善した事で下層民の広範な支持を取り付ける事に成功した。そのため銀河帝国の義務教育では現在でも大帝陛下は臣民の守護者として教えられているし、同盟人のイメージと違い思いの外労働者の権利は保護されている。え?奴隷階級の事を忘れてる?誰かがババを引かないといけないからね、仕方無いね。い、一応大半の奴隷は飢え死にしない位待遇に配慮はしてあるから……(震え声)

 

「てか私は兎も角、家主様って仕事中汗一つかいたようには思え……ひでぶっ!?」

 

 膝裏に蹴り入れられてその指摘は途中で阻止させられる。解せぬ。

 

「いちいち細かい難癖をつけないで頂戴。男の癖にみみっちいわね」

「うぐぐ……ズタボロの身体で恋仲の幼馴染の所に帰って来た健気な青年になんて態度だ!」

「嫌がってた癖に都合の良い時だけその設定利用しないでくれる?」

 

 はぁ、と呆れたとばかりに塵を見る目で私を見下ろし溜息をつく少女。ううう……癒しが欲しい。全て終わったら取り敢えずベアトに泣きついて膝枕して貰おう、うんそうしよう。

 

「ほら、さっさと立ち上がりなさいな。幾ら郊外とは言え砂漠なんだから。余り長居していると迷い込んできたガレオスに食われるわよ?」

「うぐぐ……分かったよ………」

 

 いじけながらも私は渋々立ち上がる。と、同時にその騒音に気付いたアイリス嬢が鋭い視線を背後に向けて舌打ちする。

 

「ちっ、また面倒そうな屑共が来たわね」

 

 私が彼女の視線の先を見れば其方から砂漠走行用に改造された地上車が来ていた。

 

 所謂テクニカルトラックという奴であった。トラックに描かれた絵柄に同盟公用語の文字から推察するに、元々ハイネセンのダウンタウン辺りで個人営業されていた天然トーフ屋のものだったらしいそれは薄汚れていて、荷台には機関砲がポン付けされていた。同盟製地上車は部品の高い互換性による整備のしやすさから、帝国製地上車は信頼出来る枯れた技術を中心とした設計による頑健性から、中古品のそれらが大量に外縁宙域に放出され、様々な組織に転売されていた。

 

 我々の近くで停車した地上車の荷台から目付きの悪いマフィア達が煙草を吹かしながら降りて来る。地元の者達にとっては恐ろしいだろうが……うん、やっぱり豆腐屋のトラックから降りて来る姿ははっきり言ってシュール過ぎた。ゴーグルとマスクとスカーフをしていて正解だ。微妙ににやけ顔なのが気付かれずに済む。

 

「……何の用かしら?恐喝なら私のような塵拾いよりももっと稼いでいる奴相手にでもしたら?」

 

 古く、どこまで整備しているか怪しいとは言え銃器を持つマフィア数名相手に、しかし我らが家主様は一切怯えを見せずにそう宣う。それは決して無謀な行いという訳では無かった。少しでも弱みを見せればこの『裏街』では致命的なのだから。彼女の手は腰に添えられつつ極極自然な仕草でいつでもハンドブラスターを引き抜ける姿勢を取っていた。

 

「ははは、相変わらずどぎつい御言葉だぜ、可愛げの無ぇ糞餓鬼だ」

「顔は悪かねぇのにな。ボスも物好きだよなぁ」

「母親みたいにもっと大人しくて物分かり良くなった方が良いぜ?その方が可愛がってもらえるぞ?」

 

 冷やかすような、あるいは嘲るような仕草で口口に挑発するような声をかける『カラブリア・スピリット』の構成員達には見覚えがあった。先程まで並んでいた廃品回収業者の護衛の一部のようだった。

 

「臭い口で話さないでくれるかしら?歯磨きしてる?下水より酷いのよ。で、何の用?私をマワして後でボスに私刑にされたい訳?」

 

 胡乱気な瞳でそう言い捨てる家主様である。ハイネセンポリスの女学生ならここで怯えて涙目になっているだろうが、彼女の場合は少なくとも表面的には言葉に一切の恐怖は感じ取れなかった。この程度の事は慣れた事と言わんばかりだ。実際こういう街で少女の一人暮らしともなれば相応に場慣れしているのだろう。

 

「はっ、餓鬼の分際で!ボスや成り上がりの禿げから贔屓にされてるからってお高く留まりやがってよ!」

「臭いってんならお前さんだって塵拾いなんぞしてんじゃねぇよ。もっと稼ぎの良い仕事なら幾らでもあるだろ?母親みたいによぅ?」

 

 茶化すようにそう言いながら一人が家主のスカーフを掴む。

 

「ちょっ……汚い手で止めなさいよ!」

 

 咄嗟に嫌悪感を顔に浮かべながらその手を叩く少女。しかし既に捕まれていたためにその衝撃で僅かにスカーフがズレてその特徴的な群青色の髪がはみ出してしまった。

 

「おいおい、髪切ってんじゃねぇかよ。勿体ねぇな」

「ばっさり切っちまってるな。……母親は確か腰位まで伸びてたっけな?」

「ああ、ボスの好みドストライクだったんだよ」

 

 そんな事言いながら距離を詰めようとする男達。

 

「まぁそれは置いといて。そろそろ覚悟決めたかどうか聞きに来てんだよ。こちとらお気に入りに餓死されたら洒落にならねぇからな」

「廃品回収の仕切値が下がるらしいからな。そろそろ諦めて身売りした方が得だぜ?」

「そうだそうだ、プライドじゃあ腹は膨れねぇからな。……これは善意で言ってるんだぜ?どこぞの安宿で春売りさばくよりずっとマシな筈なんだからな?こっちだって餓死したお前さんを連れていきたくねぇんだ。ボスにブっ殺されちまう」

 

 そう言って一人が彼女の腕を強引に掴み問い詰める。言葉だけならば懐柔に近いがその態度は実質脅迫に類したものであるのは明白だった。

 

「ちょっ……いい加減にっ……!!」

 

 家主の掴まれていない方の腕がハンドブラスターに伸びるのが見えた。その口調からかなり彼女が激高しているように思われる。下手したら脅しではなく本当に射殺するかも知れない。彼女とこの数日付き合い、それなりにその強かさは知っているが、流石にここに来て尚彼女が冷静であるのかと言えば、私には断言し切れなかった。故に……。

 

(いらん御世話かも知れんがな?)

 

 次の瞬間、私は彼らと家主の間に割り込み家主の細腕を掴む対照的に太いそれを義手で握りしめていた。

 

「痛ぇ!?」

 

 一見安物(いうよりも実際安物)のアーム型の義手だが、それでも機械である事に変わりない。当然与えられる最大級の握力は生身のそれと同等かそれ以上だ。故に多少力を入れればそれなりに鍛えているであろう男の逞しい腕相手でもこのように悲鳴を上げさせる事が出来た。細腕を掴む力が弱まったようで家主が男の腕を振り払う。

 

「何だってんだてめえ……!!?」

 

 別のマフィアの男が拳銃を引き抜こうとしたので私はもう生身の左腕でその鼻先にハンドブラスターの銃口を向けて動きを止めさせる。

 

「やる気かっ!?ドタマぶち抜くぞっ!ゴラァ!!」

「あんたこそ脳天ぶち抜くわよ?豚野郎」

 

 最後の一人が背負っていたライフルを私に構えた所で家主様がその男の頬にハンドブラスターの銃口を捩じ込み尋ねる。当然ながらこのまま進めば場は凄惨な事になるので全員が動きを止めざるを得なくなる。

 

「……よう、色男。止めてくれよ、彼女の前で物騒なもん構えるもんじゃないぜ?グロい事になっちまう」

 

 ヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべるのは私にハンドブラスターを向けられた男であった。隙が出来るのを狙っているのだろうか?どちらにしろ、私は何も答えられないし答える積もりもなかった。

 

「……うぉい、アイリス。どうにか言ってくれよ。そこのヒモ男に暴力は良くないってよ?お前さんも言ってただろう?真面目に働いて暴力を振るわない男が好みだってよ?」

「ええそうね。けど私、別に非暴力主義者でも平和主義者でもないから。それにいざって時に身内も守れない男はもっと好みじゃないの」

「ちっ、アバズレがっ!」

 

 男はアイリス嬢の懐柔に失敗して舌打ちし、罵る。当の少女自身はそれに対してどこ吹く風とばかりに涼しげな表情だ。まぁ、貴女は銃口向けられてないですしね。

 

 沈黙と緊張が場を暫し支配する。それを破ったのは遠くから聞こえて来た砂が蠢く音だった。

 

「……ちっ、砂鮫共め、俺らの騒ぎに寄って来やがった」

 

 マフィアの男の一人が毒づく。私はゴーグル越しに砂丘の地平線の先をちらりと覗き見る。砂丘の中から鮫のヒレのような突起が沈み行く恒星フェザーンの光に当てられ不気味に蠢いていた。

 

 恐らく銀河連邦時代に何処かの馬鹿が放流して野生化し繁殖した魚竜目有脚魚竜亜目砂竜上科ガレオス科に属する砂漠魚竜ガレオスは、フェザーンの広大な砂漠地帯の全域で繁殖する害獣であり、同時に『裏街』の住民の貴重な食糧だ。軽装備の『裏街』の住民では狩るのにも一苦労、市街地外縁に迷いこんで死者が出る事も珍しくないが、その鱗は保湿性が高く、宇宙暦8世紀現在でもその粉末は天然保湿クリームの原材料として重宝されているし、肝は珍味でそれ以外も可食部分は多い。

 

 一説では元々は地球統一政府の恒星間移住時代に植民した砂漠型惑星での食用、そして美容・医療用保湿剤の原料として遺伝子改良された養殖用魚類が原種とされているが、正確な所は不明である。シリウス戦役で少なからずの西暦時代の各方面の資料が喪失・散逸してしまったからだ。因みに夜行性で、夜になると昼間以上に狂暴になる。

 

 遠目に見れば砂漠の地平線の向こう側でごそごそと幾つもの動く影が見える。砂漠の中を泳ぐガレオスは視覚が退化している代わりに聴覚に優れているため長居していると此方に大挙して押し寄せかねない。この場はさっさと退散するに限るだろう。……早く退散したいなぁ。

 

「……あー、分かったよ。俺達も食われたかねぇ。引き下がってやるよ。だから勘弁してくれよ?……なぁ?」

 

 仕方無さげに私にライフルを向ける男は手を上げて銃口を私から離す。釣られるように残り二人も戦闘態勢を解除し、私と家主もまた答えるようにハンドブラスターを下げて……。

 

「何て言うと思ったかよ!!バーカ!!てめぇはぶち殺……ぎゃっ!!?」

 

 最初に銃を下ろした男が本心によるものではないのは分かっていたので、私は腕を掴んでいた男を投げつけて砂漠に叩きつけてやる。

 

「この野郎……!ぐおっ!!?」

 

 ナイフで襲いかかって来た三人目の突きを受け流し、腕を掴み背負い投げ、倒れた所で容赦なく腕を踏みつける。激痛でナイフを離した隙にそのナイフを蹴り上げて砂丘の何処かに沈んでもらう。危ない玩具を持つのは止めような?

 

 そうしているうちに背後から殴りかかって来たのは私に腕を掴み投げつけられた男だった。

 

「てめぇ!良くも人を投げ飛ば……ぐあっ!!?」

 

 復讐に燃え襲いかかってきた男に、振り向き様にその顔面に義手で一撃入れる。義手は金属製なので当然ながら勢い自体は大した事なくても結構痛そうだ。鼻血をぽたぽたと砂の上に落としながら鼻先を手で抑えて悶える男。

 

 最後に私は仲間を投げつけられて体勢を崩していた最初に銃を下ろして和平を主張した男の所に向かう。私に気付いて慌てて火薬銃を構えたので発砲直前に一気に距離を詰めて義手で銃身を掴み、そのまま銃身を上に持ち上げて射線をギリギリで逸らした。うおっ!!?危ねぇ!!

 

 最後にライフルの銃身を義手で握り潰して彼の飛び道具を無力化する。唖然とした男をそのまま銃ごと砂丘に押しやり尻餅させて見下ろす。

 

「……ハロルドがさっさと失せなさいって。あんた達、さっさと逃げなさい。次は殺されるわよ?」

 

 設定の事を覚えていた家主様が私の傍らに来て此方の言葉を代弁してくれた。さっさとこの場を去らないと命がないと脅し、男達は我々を憎悪の視線を向けて睨み付ける。

 

「あら、負け犬にしては随分と勇ましい視線ね?良いわよ?まだ喧嘩を続けたい?それとも……鮫の餌の方がお望みかしら?」

 

 ザザザ、という音に気づいた男達がそちらを見れば、先程よりも近くをさ迷う数頭のガレオスの姿が目に映る。

 

「くつ……畜生っ!ふざけやがって糞アマにヒモがっ!!」

 

 そう吐き捨てながらも男達は怪我した部位を押さえながらテクニカルトラックに乗り込み、直ぐ様エンジンを掛けてその場を去っていく。実際とぼとぼしていたら下手すればガレオスに食われてしまうので当然の判断だった。あれだけ挑発されても置き土産に機関砲を撃ち込んで来なかったのは幸いだ。

 

「………はぁ、本気で危なかったぁ」

 

 私は周囲に隠れている者がいないのを確認してから肩を下ろし、脱力した。

 

「あら、結構余裕そうだったじゃないの?武器持った男三人相手にあれだけ出来るなんて、案外やるのねあんた。ただのヘタレ貴族という訳でもないのね?」

「ド素人相手だ、誇れる事じゃあないぞ?」

 

 帝国軍装甲擲弾兵所属の狂戦士達ならば素手で全員を殴り殺しただろうし、厳しい訓練で鍛えられた同盟軍地上軍の一般兵士でも私と似たような事は出来た筈だ。武器を持っているとしても相手の動き自体は完全に素人だった。路地裏での喧嘩で我流に鍛え上げた技量では、徹底的に相手を無力化し殺害するために合理化・最適化されたプロの軍人の徒手格闘戦術のそれには遠く及ばない。しかも此方は義手つきで戦闘能力が底上げされている。

 

 寧ろ、これだけ有利な状況が揃っていても尚、私自身は内心ひやひやしたし結構危なかった程だ。扱いが素人でも武器は武器、下手したら私が返り討ちにあって殺されていた。その点は相手が油断しきっていたのが有利に働いたと言える。

 

「それはそうと……不味いな。今の、悪目立ちしただろう?目をつけられたんじゃないか?」

 

 介入した今になって後悔しそうになる。本当はもっと穏当にしたかったのだが思いの外彼方が引き下がってくれなかったのでこの様だ。

 

「あれ位なら平気よ。死人が出た訳でもないし、誰かに見られた訳でもないしね。あいつら、どうでも良い事でプライドが高いから。逆にだんまり決め込むかもね」

 

 楽しげに笑う家主様である。何がそんなに楽しいのかね?

 

「最高よ、あいつらがあんなにみっともなく逃げる姿なんて初めてよ?あいつら、バックに大貴族やら大企業やら付けててこの辺りだと結構ブイブイ言わせていたから。それがあの様……ふふ、傑作ね!」

「そりゃあどうも」

 

 ころころと歳相応に笑う彼女を胡乱げに私は見つめる。笑う姿は可愛らしいが内容が笑えない。

 

 ひとしきり笑い終えた後、深呼吸した家主様は機嫌良さそうに自宅とは反対の方向に足を向ける。

 

「予定変更よ、久々に機嫌が良いわ。少し寄り道するわよ。良く働いた者にはそれ相応の手当をつけてやらないとね?」

 

 此方に振り向きながらそう私に呼びかける彼女の姿はお茶目な女学生のようだった。

 

 

 

 

 

 朝から夜までこのスラムの繁華街は人で賑わう。それは余り健全ではないだろう、要は朝っぱらから仕事もせずに飲んだくれている奴が多いって事だ。

 

 しかも露店や居酒屋の衛生環境は最悪だ。地面はコンクリート等で舗装されておらず、砂と土がむき出しだ。廃棄物が捨てられて野良犬やゴキブリがそれを餌にしている。食中毒や密造酒で死ぬ者は数知れず、ジャンキーが野垂れ死んでいても無視、客引きの女達は多分性病を盛大に媒介してくれている。一見貧しいなりに人々で明るく賑わっているように見せて内実は最悪この上ないのは、映像記録で見た事のある銀河連邦末期のテオリアの下町を彷彿とさせていた。

 

「安心しなさいよ、私だって食あたりで死ぬなんてご免よ。ちゃんとした店だから安心して」

 

 この街でのちゃんとした基準って何だよ?、と言いたくなったが口にはしない。私は設定上口も利けない障害持ちだ。

 

「あら、お兄さん。どうだい?仕事帰りならうちによらないかね?うちの娘達はどれも上玉だよ?」

 

 そう声をかけて目の前を遮って来たのはスラムにしたはそこそこ小綺麗な衣服を着た婆さんだった。娼館の客引きの類だろう。あるいは穿って見れば連れていかれた先にヤーさんがいて尻の毛まで毟られるかも知れない。

 

「………」

「おっと、そう無下にしなくても良いだろう?ねぇ?」

 

 だんまりしてその場を去ろうして、婆さんはその意図に気付いて道を塞ぐ。

 

「……悪いけど私の連れなの、客引きは止めてくれないかしら?」

 

 若干呆れ顔を浮かべた後、助け船を出すようにアイリス嬢は私の前に立ち、客引き婆さんと相対する。

 

「なんだい。アイリス、お前さんの連れかい?」

「ええそうよ、文句ある?」

 

 客引き婆さんは舌打ちしながら私に声をかける。

 

「あんた、その女は止めた方が良いよ?面倒な奴らに目をつけられているからね。そのうち皮剥がされてガレオスに生きたまま食われちまうよ?」

「勝手な事言わないでくれるかしら?……安心なさい、いざって時は私が話をつけてやるわよ」

 

 婆さんの話は恐らく以前に彼女に近寄ってマフィアにでも殺された男がいるのだろう。目をつけている女に近寄る虫は始末するって事か。

 

「まともに口説いてくれれば良かったのにね。強姦しようとして返り討ちに遭わした後の事よ。同情なんてしないわ」

 

 鼻を鳴らしてつまらなそうに補足説明をしてくれる家主である。

 

「それよりも、さっさとどいてくれるかしら?こっちも暇じゃないの。客ならほかのを当たりなさいな」

「ふん、ちょっと顔に恵まれただけで御高く留まってんじゃないよ小娘がっ!お前さんこそ随分と逞しい事だね。あの小僧がいなくなって落ち込んでいると思えばもう別の男を……」

 

 そこまで言おうとして客引きの婆さんは黙りこむ。それだけアイリス嬢の眼光が殺気立っていたからだ。

 

「……早くいくわよ」

「………」

 

 私は彼女のその命令口調の声に従い後を追う。僅かにではあるがその声が震えていたような気がしたのは気のせいだったのか、私には判別がつかなかった。

 

「ほら、ここよ。この辺りだと一番マシな店なのよ。金ならあんたのライターの売上から補填するから気にしなくていいわ」

 

 そう言って家主様は繁華街の外れにあるビニールハウスに入る。暫し私は後を追うか迷うがこのままここに留まる訳にもいかないし、何かの罠の可能性も低いだろうと考えてそのまま中に入った。

 

(あ、下はビニールシートなのか)

 

 店の出入口で泥を落とす空間があり、そこで靴の汚れを落としてから私は内部へと足を踏み入れた。

 

「らっしゃーい。あれ?アイリスの嬢ちゃんかい?久し振りだねぇ、おやその連れは………」

「余り詮索しないでくれない?此方も色々事情があるのよ。吾朗拉麺二つ、野菜と脂はマシでお願いね?」

 

 両腕が義手の上に顔に大きな切り傷をつけたおっさんが厨房でラーメンを作っていた。

 

「何してんのよ、さっさと座りなさいな。後ここでは口利いても問題ないわ。……そうそう、マスクとゴーグル、それに上着も脱ぎなさい。食事の時に塵の臭いなんて嗅ぎたくないわ、食欲が失せるもの。オッケィ?」

「アッハイ」

 

 ……取り敢えず、命令通り上着等を脱いでから大人しく席に座る事にした私だった。

 

 

 

 

 

 

「この『裏街』で拉麺屋をしているジョーンズだ。まぁ、お見知りおきを、とでも言っておこうかな?」

 

 決して広くない、ラジオから小賢しい銀河の妖精の歌が店内全体に響く拉麺屋の店主は、麺を湯掻きながらそう口を開いた。

 

 元自由惑星同盟軍宇宙軍陸戦隊所属のジョーンズ氏(恐らく偽名)は脱走兵なのだと言う。十年以上前に戦地でフェザーンの亡命斡旋営業マンのサービスで脱走、紆余曲折あって今ではこの『裏街』で拉麺屋台をしているそうだ。うん、何言ってるか分からないだろうが私にも分からん。

 

「嬢ちゃん、まさかとは思うけどその連れ軍人かい?」

「あら、分かるの?」

「同業者は佇まいで分かるさ。え?まさか俺軍法会議にでもかけられるの?」

 

 私が同盟軍の法務部なり憲兵本部からやって来たエージェントではないかと疑う店長。いえ、完全に偶然です。

 

「安心なさいよ。こいつ多分帝国貴族だから。同盟からの追っ手なんかじゃないわよ。そもそも店主そんな追っ手に狙われる位偉かったの?」

 

 残念ながら一五〇年も戦争が続けば脱走兵の数は洒落にならない。当然ながら個人単位だけでなく戦艦で、あるいは部隊単位での脱走兵すら過去の事例には存在する。

 

 半分程はそのまま行く宛もなく帰って来るのだが、逆に言えば中にはそのまま宇宙海賊や犯罪組織化したもの、また両国の未開拓惑星に住み着いたり、外縁宙域まで逃げて傭兵や軍閥化するものすらある。一五〇年の間に脱走してそのままとなった兵士の数は数百万近くに上る。余りに多すぎるため、両国ともいちいち下っぱの捜索に力を入れるようなことはない……というよりか人手がない。佐官以上の士官が含まれていたり、あるいは数百人や数千人単位で纏めて組織的逃亡でもしない限りは市民の注目も浴びる事もないだろう。少なくともこんな『裏街』で拉麺屋台をしているおっさんがそれに該当するとは私には余り想像出来なかった。

 

「まぁ、人生色々あってねぇ。ほら吾朗拉麺お待ちっ!!」

 

 そう言って野菜(主にモヤシ)がてんこ盛りで乗っかった吾朗拉麺(ガレオス骨味)が出される。うん、凄く……多いです。

 

「ほら、さっさと食べるわよ。……麺が伸びたら辛いのよね、これ」

 

 そう言うが早くレンゲと割り箸で脂がたっぷり浮かんだスープに麺と野菜を絡めて淡々と食べ始める家主様である。その姿を見た後、私は目の前の湯気を発するガレオス骨の出汁をベースとした吾朗拉麺を見やる。

 

「おう兄ちゃん、安心しろよ。うちのはほかの店と違って安全だからよ。あ、それとも吾朗拉麺は帝国人的に駄目か?」

「い、いや……そういう訳ではないが………」

 

 少なくとも表向きは文化的、また農業政策・経済政策的理由からゲルマン食文化の普及を推し進めたルドルフ大帝が数少ない国家的弾圧を加えた料理がその源流を一三日戦争以前にまで遡れると言われる吾朗拉麺である。

 

 その暴力的なコレステロール値と化学調味料ドカ盛りの味付け、その麻薬染みた依存性とその常食による生活習慣病患者の数は、当時の銀河連邦の社会保険制度に強かな打撃を与え、何度も帝国政府は国内の全飲食店にその調理と顧客への提供禁止を皇帝の名の下に布告したが一向に守られる事はなかった。

 

 最終的には帝国暦17年、吾朗拉麺及びそのインスパイア系調理品は法的に『高依存性・高有害性禁止料理』のカテゴリーに指定、一種の摂食麻薬として帝国政府の徹底的な弾圧を受ける事になる。

 

 極一部の帝国貴族のみが知る事実であるが、初代ゾンネンフェルス伯爵モーリッツは長年その依存性に苦しめられ、遂にある日帝都下町の違法露店で野菜にんにく脂マシマシ吾朗拉麺を食べていた所を偶然店を摘発しに来た社会秩序維持局に見つかった。ルドルフ大帝はこの報告を受けた後暫く沈黙し、伯爵の家督を息子に譲らせたあと、吾朗拉麺の店がない田舎にモーリッツを隠居をさせるように指示したとされる。長年謎とされてきた初代銀河帝国軍統帥本部総長モーリッツ・フォン・ゾンネンフェルス元帥の粛清の真相である。(御先祖様の手記にあったので多分事実だ)

 

 ルドルフ大帝時代に主だった店は封鎖され、その調理法レシピ焼却もされたものの、その後もちらほらと違法屋台等が摘発され、その度に多くの中毒患者が地獄のリハビリ生活を送る事になる。因みに同盟やフェザーンでは旧銀河連邦植民地で代々暖簾分けされた幾つかの店が続いており、その後同盟の拡大と共にこの料理も再び銀河に広まる事となる。市民の間では中毒性の高い料理として知られているが、帝国と違い流石に法的に禁止されてはいない。

 

「そう気負わなくても良いわよ?世間で言われる程中毒的でもないわ。ほどほどにたのしむ分なら美味しいだけの拉麺よ。あ、スープは流石に残しなさいよ?」

 

 そう言いながらパクパクと拉麺を口の中に消していく家主様である。年頃の女性らしく上品に、しかし確実に拉麺は消費されていく。

 

「……頂きます。あ、旨い」

 

 正直ベアトとかの目があって罪悪感から一度も屋台を見ても手を出せず憧れていたのだが……いざ口にしてみるとこんな『裏街』の拉麺なのに普通に美味かった。少なくともアライアンス料理の缶詰の千倍は美味い。

 

「うちは主流とは違って化学調味料は少な目に、しかも豚骨じゃなくてガレオスの骨と煮干しを使っているからな。結構あっさりしてて食べやすいだろう?」

「はぁ、まぁ確かに……」

 

 通常ならば豚の骨を使う所をフェザーン『裏街』特産の新鮮なガレオスの骨と煮干しから取ったスープはしつこさがなく深い味わいだった。麺はどうやら古くなった『表街』の小麦粉を使っているらしい。野菜は九割モヤシに極一部がキャベツだった。どうやらモヤシはこの時代でも低所得者の救世主らしい。叉焼はガレオスの股肉だった。意外な程柔らかく、しかも甘かったって……何で私グルメリポーターみたいな事言ってるんだっ!!?

 

「うるさいわねぇ、食事位静かにしなさいな。子供じゃないんだから」

「ははは、嬢ちゃんの小さい頃思い出すねぇ。母親に叉焼もっと欲しいってごねてたっけ?」

「店主、お口チャックしないと縫うわよ?」

 

 煙草を吸いながら私達の姿を見て笑う店主とそれをジト目で睨む家主様である。仲が良い事で。

 

「一〇年来の付き合いのマブダチだからな!お、兄ちゃん。余り嫉妬はいけないぜ?男の嫉妬程見苦しいもんは無いからな。嬢ちゃんを口説きたかったら正面から堂々とするこったな。ここだけの話、ブイブイ言わせているがその実結構メルヘン趣味……」

「やる気なのね?そうなのよね?この糞店主今から口縫うから動いちゃ駄目よ?」

「ちょ……マジタンマ……!!?」

 

 どこからか裁縫用の糸と針を出して淡々と店主に襲い掛かる家主様である。宇宙暦8世紀になろうとも拉麺店を営むには体力が必須なので店主もそれなりに鍛えている筈だが結構店主が劣勢だった。まぁ、私は気にせずに麺にスープを絡めてふぅふうと冷ましながら啜り続ける。うん、美味い。

 

「……家主様よ、そろそろその辺で勘弁したらどうだ?少し麺が伸びて来てるぞ?」

「何っ!?……くっ、忌々しい!」

 

 数分程してそろそろ本気で店主の口が縫われそうになった所で渋々私はそう言って場を収めた。目の前で人の口が縫われているのに美味しく拉麺食える程私の神経は図太くはなかった。

 

「はぁはぁはぁ……兄ちゃん、マジ助かった。このお嬢ちゃん有言実行な性格だからな。言っとくが今のじゃれ合いじゃねぇぞ……?」

 

 ガチで汗だくで顔を青くした店主が指摘する。だったら言うなや。

 

「それにしても随分と付き合いは長いのですか、御二人は?」

「付き合いという程でもないわ。唯の店と客の関係よ。小さい頃から行きつけの店だったから。……母や友人とね。とは言え値段が張るから月一回位しか来ないのだけど」

 

 どうやら月一回の贅沢、という事らしい。六フェザーンマルク九〇ペニヒはこのクオリティを考えれば破格の値段設定ではあるが、それでもこの街の住民には気軽に食べに行ける訳ではないらしい。

 

「最近は塵の買受の仕切値に限らず『表街』との仕事は値下げの嵐だからな。噂だとこの辺りの再開発のために自治領主政府が圧力をかけているんじゃないかって話もある。……そういやあの馴染みの坊主はここ暫く顔を見ないな。嬢ちゃん、何か知らないか?家向かい側だっただろ?」

 

 ふと思い出したように店主は家主に尋ねる。途端に彼女の箸の動きはぴくりと止まる。

 

「……さぁね。この街じゃあ急にいなくなるのも、気付いたら死体が見つかるのも良くある事だから。あいつ、どこか捻くれている所あったからね。ああいうのは長生き出来ないんだけれど」

 

 物憂げな、それでいてどこか寂し気な口調で家主は呟く。そこにはどこか自嘲に似た乾いた笑みを浮かべていた。

 

「って、急に話が暗くなったわね。店長、あんたのせいよ。折角人が飯食べに来たのに気分壊さないでくれない?こっちは月一の贅沢してるのよ?そこ理解してくれる?」

 

 私や店長の視線に気付いてか、ムスっとした表情を浮かべてそう文句を口にする家主である。

 

「ほら、あんたも箸が止まってるわよ?話も良いけどどんどん食べる!」

「あ、ああ。……そういえば私達はここで食うが残りの分はどうするんだ?」

 

 ふと、私はバグダッシュ少佐や男爵様方の事を思い出して尋ねる。少佐はどうせ居酒屋を梯子している事であろうが男爵達の夕食はどうするべきか。

 

 私が尋ねれば家主様はガレオスの叉焼を頬張りながらこう偉そうに答えてくれた。

 

「働かざる者食うべからず、よ。まぁ、飯抜きという訳にはいかないから好き嫌いするなら今日は乾パンだけで我慢してもらうわ」

 

 実に無慈悲な宣告であった。

 

 

 

 

 

 

 途中から流石に食べるのが辛くなったのをどうにか詰め込み私は吾郎拉麺を食べ切る事が出来た。あっさり目のガレオス骨味で幸いだった。脂ギドギド系だったらリバースしていた事だろう。家主様、あんた何で平然と食べ切ってんの?お前の体内のどこに食べた分消えてんの?

 

「好きな時に好きな物食べられる御貴族様と違ってこっちはたらふく食べるなんて滅多に出来ないのよ。流石にスープを飲み干すのは厳しいけどね」

 

 満足げな表情で勘定を始める家主様である。会計中僅かに値段を見てうーうーと唸っていたが最終的に諦めて支払い店外に出ていく。私も上着を着てスカーフ・マスク・ゴーグルの三点セットを装着して後を追おうと椅子を立ち上がる。

 

「兄ちゃん、有難うな?」

 

 私が店に出ようとする直前、背後から店主からそう声を掛けられる。

 

「何がですか?」

「いやなぁ……嬢ちゃん、母ちゃんが死んでから随分とカリカリしていたからよ。馴染みの小僧もいなくなったようだしな。あそこまで元気なのを見たのは久々でな」

 

 エル・ファシル産の安物煙草を咥えながら店主はそう語った。

 

「臨時収入が入って来たからでしょうね。会って数日ですが逞しいものですよ」

 

 私が知る限りでもあの家主の境遇は何気にヤバいんだよなぁ。前世の記憶がある訳でも無かろう、そう考えればこの街の糞みたいな環境で育ったにしては(がめつい所があるにしても)結構真っ当な精神に育っているように見える。

 

「会って数日?そりゃあまた随分と手早いものだな?」

「金の力は偉大という訳ですよ」

 

 私は変な誤解を生まないようにそう言い返して店を出た。砂漠の夜は冷える。恒星フェザーンの落ち切った夜の街は厚い上着を着ていても寒かった。

 

「早く帰るわよ。油断してたら凍死しちゃうわ。偶に飲んだくれた馬鹿が外で寝てそのまま死ぬ事もあってね」

「そりゃあ酷いな。さっさと帰るに限る」

 

 私がそう答えると私の口元に人差し指を(マスク越しに)添え、ジト目で家主様は注意する。

 

「設定」

 

 そう不機嫌そうに言い捨てる彼女に肩を竦め、私は恭しく頭を下げ、恭順の態度を示す。

 

「分かれば宜しい。さぁ、行くわよ。居残り組が飢え死にしない内にね」

 

 外食したのは内緒でね、と付け足すその表情はやはり年相応の子供だった。

 

 暫くの間、スラムの繁華街を家主様が一方的に愚痴や説明をしながら進み続ける。夜中になってスラムの中は一層活気に溢れていた。余り健全な方向ではないが。

 

 三〇分程歩けばスラムの繁華街を通り抜け、閑静なバラック小屋が軒を連ねる道に入る。ハイネセンポリスでなら所謂住宅街と言える地域だ。窓に明かりが灯る小屋は少ない。家主がいないのか、寝静まっているのかと言った所だろう。前者は宵越しの銭を持たないとばかりに繁華街ではしゃぎ、後者は仕事の疲れと明日への体力温存のために寝ているのだ。

 

「まぁ、こんな場所で強盗する奴は余りいないでしょうけど一応気をつけなさい」

 

 小さな声で先導する家主様は私に注意を促す。この辺りの貧民を襲ってあるかどうか分からない小銭を奪うなら繁華街で強盗した方が実入りも良い。それでも一応『裏街』に慣れているとは言い難い私にそう伝える。

 

「って、あんたなら大丈夫かもね。何だかんだ言っても軍人だし、その腕を見るに実戦は経験していそうだから、ここらの強盗程度、怖くないでしょうね」

 

 私の義手の右腕を見て、そして夕方頃のトラブルを思い出してから家主はあっけらかんとした表情で苦笑する。

 

「危なくなったら頼むわよ?御貴族様なら幼気なご令嬢を守るのは騎士道的に崇高な義務なんでしょ?ついでに身包み剥いでプレゼントしてくれれば完璧よ?」

 

 誰が幼気なご令嬢だよ。更に言えばそれじゃあ私達の方が追い剥ぎじゃねぇか。どう考えても騎士様達に討伐される方だろうが。

 

 そんな意志を込めてゴーグル越しに呆れ顔で見つめてやれば「冗談の通じない男は面白くないわよ」と論評される。お前さんには言われたくない。

 

「そもそも……っ!」

 

 そこまで言って家主様、ほぼ同時に私もその気配に気付いて振り向いていた。夜道に此方に近づく足音が妙に反響していた。

 

「これはこれは御嬢さん、夜中まで出歩くのは余り宜しくありませんぞ?」

 

 バラック小屋が軒を連ねる通りの横道からその人影は我々にそう呼びかけた。アイリス嬢はその声に警戒感と不快感を露わにした表情を浮かべる。私もまたマスクとゴーグル越しに密かに驚愕していた。その声、そして人影の風貌を私は知っていたから、そしてその人物がこの場にいる事が信じられなかったためだ。

 

「あんた……何の用?」

 

 アイリス嬢は先程までとは打って変わり、これまで私達にすら向けた事のない嫌悪と侮蔑の視線を人影に向ける。しかし当の視線を向けられた人物はどこ吹く風とばかりに不敵な笑みを崩さない。

 

「おやおや、随分と冷たいじゃないか。折角の可愛い顔が台無しだ。……まぁそう言わずに、一つ自宅訪問をしても宜しいかな、フロイライン?」

 

 黒いタートルネックのセーターに淡緑色のスーツというこのスラム街では清潔過ぎる出で立ちのアドリアン・ルビンスキーは、月明りにその身を照らされながら意味深げな微笑を湛え我々の前に現れたのだった。



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第百五十六話 何事も勝手な判断はせずに確認作業する事が大事

 時は僅かに遡る。 

 

 宇宙暦790年九月二三日、この時点でフェザーン全土は自治領首府の発令した治安維持法を根拠として第一級警戒態勢に入り、動員された警備隊・治安警察軍・傭兵部隊により戒厳令下に置かれていた。

 

 軌道エレベーターは勿論、主要宇宙港・海上港・空港・ハイウェイ・星道の臨検は数倍厳しくなり、主要な国内倉庫は抜き打ち検査を受けている。その余波を受けて多数の密輸品や違法取引商品が政府当局により押収され、また物流も停滞する事となり、既に一部においては商品物価の値上げ、またその促進を目論んだ一部の豪商の買い溜めや企業の売り渋りという経済的打撃が生じつつあった。

 

 都市内においてもインフラ設備、主要企業、政府関連施設、繁華街等で治安警察軍や傭兵による警備や巡回が始まっていた。多くの一般市民が行き交うスクランブル交差点の中央に装甲車が停車し、銃を持った傭兵が身構える。あるいは主婦や学生で賑わうショッピングモールを隊列を並べた治安警察軍の要員が練り歩き巡回する。そんな光景が日常になっていた。

 

「いやねぇ、こんな場所まで巡回だなんて」

「テロの警戒ですって。困った事よねぇ景観が台無しよ」

「御店の商品ももう値上げですって。早く終わらないかしら?」

 

 いつ直ぐ傍で銃撃戦や爆弾の爆発が起きるかも知れないにも関わらず、『表街』のカフェ『フルレット』のテーブルの一つでは中流階級に属する婦人達がブランド物のバッグや衣服に身を包み夫の給金で一杯六、七フェザーン・マルクはする珈琲と、それとほぼ同額のケーキを楽しみながら宣う。その口調には国家とか政治といった意味での危機意識は一ミリも存在しなかった。

 

「交通規制とかダルくない?いちいち持ち物検査させられるとかウザ過ぎよね?」

「ホントホント、臨検とか言って電車停めるとか酷いわよ。お陰でこの前学校遅刻しちゃったし」

「夜遊び禁止も酷いよねー、コンビニが一〇時閉店とかマジ最悪」

 

 またあるテーブルではハイスクールの帰りなのだろう、学生服を着た女学生達が口々に文句を垂れる。彼女らもまた自分達が犯罪に巻き込まれる事なぞ想像もしておらず、故にスイーツに舌鼓を打ちながら自治領首府の発令した戒厳令に対して呑気に、そしてねちねちと毒づく。

 

「ええ、そうです。警備隊の臨検が厳しくなりまして……はい、今輸送船はシュパーラ星系で足止めされてまして到着が遅れそうなんですよ。保険?ええ、一応問い合わせはしているのですが全く繋がらないんです。恐らく他の業者からも電話が鳴っているんでしょうね」

「すげぇな、見ろよこの相場。先物買いの全銘柄が上がってやがるぜ。財閥や豪商共め、欲張りやがって!」

「保険会社の株は乱高下しているな。問題はこの戒厳令がいつまで続くかだよな。……最悪交易関連株は全部売らんとならんな。戦況は同盟が若干押され気味、この分だと帝国国債が安全マージンかねぇ?」

 

 ビジネスマン達は安い珈琲を注文するとそれを冷え切るに任せて口にせず、ひたすらに携帯端末とタブレット端末、ノートパソコン等で電話をしつつ国際情勢や政治動向、株式市場についての分析と相談に明け暮れている。彼らはこの混乱から可能な限りの利益を吸い取り、同じく可能な限り損失が生まれるのを食い止めようと企てていたのだ。それは今まさに目の前で生じている事実すら帝国と同盟が遥か遠くで繰り広げている戦争と同じく他人事として捉えているようにも思われた。

 

(愚かしい。実に呑気で、平和ボケで、愚かしいものですね……!)

 

 そんなフェザーン市民の雑談を聞き入りながら彼女は、テレジア・フォン・ノルドグレーン同盟宇宙軍中尉は小さく舌打ちした。

 

 カフェのテーブルの一角で足を組む彼女は当然軍服姿ではない。フェザーンの街中を歩いていても可笑しくない紺色のワンピースにクリーム色のカーディガンを羽織り、控えめな彩を添えたネックレスをかけている。白いキャスケットを被り、バッグを膝に置きシロン産の高価な茶葉から注がれた紅茶を飲む姿は良く似合っており、その美貌と滲み出る育ちの良さや品性も伏せてお忍び中の若手女優と言っても通用するかも知れない。実際今日だけで二回程見知らぬ男性にナンパに誘われた程だ。尤も、鋭い眼光で睨まれてすぐに退散してしまったのだが。

 

「どうしてこうもフェザーン人というのは危機意識がないのか、理解に苦しみますね」

 

 そう呟いてテーブルの上に置かれた携帯端末を操作する従士。電子ニュースの一覧を見れば、同盟・帝国双方のフェザーン租界にて駐留軍が動員され、フェザーン警備隊と睨み合いを開始したと報じる記事、国境宙域にて警備隊の巡視船が同盟・帝国の治安機関のそれと睨み合いになっていると知らせる記事、同盟・帝国両政府が相次いで自国の首都に置かれたフェザーンの高等弁務官事務所に抗議の連絡を入れた事を伝える記事がすぐに見つかる。

 

 自治領首府の対同盟借款を巡る三国間の綱引きに、先日のコーベルグ街における騒動によって同盟側使節団の一員と帝国の名門一族の一人が行方不明になった事、三日前に発令された戒厳令による国際貿易の停滞……それらがフェザーン回廊における軍事的緊張を急速に高めていた。

 

 無論、最初の借款についてはフェザーン人の大半は使節団の存在を知らないだろう、コーベルグ街での一件も誰が行方不明になったかまでは自治領首府の工作で未だ大半のメディアは報道していない。だが、それを差し引いても少しでも考えればこのフェザーンで何かが起きている事位は分かろうものだ。にも拘らず………。

 

「まるで他人事ですか。まさに愚民、選挙権がないのも当然でしょうね」

 

 セントラル・シティの巨大な街頭モニターではこんな時期にも関わらずバラエティー番組が放映され、漫才グループやアイドルがグルメの旅をしていた。SNSや個人ブログ、ネット掲示板ですら碌に話題にすらなっていない様子だった。幾分かは世論操作されているにしろ、それを加味しても余りに話題にならな過ぎる。そして恐らくそれがフェザーン人の大半の思考を代弁しているように思われる。

 

 過去幾度かフェザーンの自治権が脅かされてきた事は誰もが知る事実だ。その度に自治領首府とフェザーン元老院は老獪かつ狡猾な外交によってそれを阻止してきた。だが大半のフェザーン人にとっては自治領首府も元老院も尊敬の対象ではなく、不満の捌け口でしかない。

 

 フェザーン市民にとって自治権も、権利も、平和も、権益も、豊かな生活も、全ては与えられて当然のものであるらしい。それは独立独歩を主義とする独立商人すら例外ではない。彼らに与えれらた交易上の各種権利や安全は自治領首府と元老院が同盟と帝国からもぎ取ったものだ。にも関わらず、フェザーン人の多くはもっと利益を寄越せと厚顔無恥に主張する。フェザーンが増長すればそれは二大超大国によって侵略される原因となりかねず、それ故にフェザーンは勢力均衡に苦心し綱渡りでその独立を維持してきたというのに。

 

 ノルドグレーン中尉からしてみればその無責任さ、他者への関心の無さ、利己主義性は忌まわしき銀河連邦末期の市民のそれに重なる。成程、選挙権がなくて当然だ。そんな事をする位なら一部のエリートだけで政府運営する今の体制の方が遥かに賢い。少なくとも彼女にはそう思えた。

 

「調査、と言っても何ら見るべきものがありませんね。これならばやはり『裏街』に足を運んだ方が良いでしょうに」

 

 ティーカップに優雅に口をつけた後、不満気に従士は呟く。本来ならばもっと優先するべき事があるように彼女には思えた。

 

 コーベルグ街のスタジアムでの騒動の後、事情聴取と報告を終えた彼女に暫定的に命じられたのは市井における世論調査とも言うべきものだった。流石にこの騒ぎでは借款交渉は停滞するし、情報局のエージェントは騒動の火消しや彼女の主君の捜索、帝国側のエージェント対策で人手不足となっているようだった。そこで手の空いている彼女に命じられたのがフェザーンの『表街』の市民の世論、特に対同盟世論の調査という安全な雑務だ。

 

『裏街』での捜索任務随行への志願を断られた彼女からすれば不満のある命令であったが、命令は命令、従うほかない。ないのだが……。

 

「やはり焦燥感がありますね」

 

 チョコレート・トルテの最後の一切れを食べ終えて彼女はぼやく。一個九フェザーンマルク六〇ペニヒするそれなりに高い品であるものの、彼女からすれば努力は認めるがそれでも帝国のそれを猿真似した『それなり』の味でしかなかった。やはり甘味はノイエ・ユーハイムの職人のものが一番であると再認識する。フェザーンのデザートは味もデザインもどこか俗物的で成金趣味に思えた。これならば全く別ベクトルで勝負しようとする同盟の甘味の方がまだ好感が持てる程だ。

 

 いや、それはフェザーンそのものか。ハイネセンポリスの武骨なビル街も嫌いであるが、それでもまだ独自性を貫く姿勢は賞賛しよう。フェザーンの街並みは同盟より退廃的で空虚で、その癖帝国の景観主義も意識しているちぐはぐで下品な猿真似だ。少なくとも彼女の主観ではそう思えた。

 

「はぁ、ゴトフリート少佐もどうして……」

 

 紅茶を最後の一口飲み終えてぼんやりと呟く。自身の上官であり同僚である従士の行動が中尉には不可解だった。本来ならば立場上自身よりもより一層主君捜索への同行を進言するべき立場であるのに。

 

「最近違和感も感じますし……」

 

 元々、幼少の頃から仕えている付き人である。それ故に距離が近く贔屓される事自体は可笑しい事ではないし、特段指摘するべきでもない。行き過ぎは問題だが良識の範囲内であれば寧ろその手の信頼出来る忠臣は多い事に越した事はない。

 

 だが、それはそうとして今回の任務を拝命するのと前後して妙に主君と少佐の間に純粋に主従関係だけではない妙な違和感を感じる事があるのも確かだ。どこか立ち入りにくい、排外的な空気を……。

 

「いえ、今はそんな事を考えるべきではないですね」

 

 エル・ファシルで主君から我儘を聞いて貰った身である。その上でまだ文句を言うなぞ臣下として論外だ。唯今は下された命令を黙々と遂行するの………。

 

「あれは……」

 

 ふとカフェに面した街道を行き交う人波の中でその人物が目に入った。

 

 杖をつくその老紳士の頭は見事な白髪に覆われており、同じく雪のように白い髭も上品に整えられていた。高級なスーツを着こなしたその歩き方は背筋がきりっと伸びており気品に溢れている。

 

 ……だが問題はそこではない。重要なのは寧ろ別の所にある。

 

「あれはカストロプ家の……」

 

 スタジアムの貴賓席にいたカストロプ公爵家の嫡男、その傍らに控えていた執事と老人の顔が重なる。

 

「っ……!カード、置いときます!後で戻るので支払いしておいて下さいっ……!!」

 

 クレジットカードをテーブルの上に置いて彼女は立ち上がる。帽子を深く被り街道に出て人波に紛れて後を追う。

 

(カストロプ家と言えばブラウンシュヴァイク家同様謀略に長けた家……いや、もっと質が悪いですね)

 

 カストロプ公爵家は元をたどればラパート星系に本社を置いていた銀河連邦十大財閥の一つカストロプ・グループの創業一族がその源流であり、国家革新同盟をその最初期から支援したスポンサーでもある。それ故帝政成立後は地方一六爵家の筆頭であり、またかなり独立性が高い大諸侯でもある。帝国と帝室に対する帰属意識と忠誠心は薄く、代々の当主はかなり独自の方針を取り、それが時として帝国の権益を犯した事も珍しくない。一族と自領の利益のためならば何でもするのがカストロプ公爵家と言えるだろう。

 

 この時期のあの場にカストロプ公爵家一門がいた事、そしてここ数日の騒動が無関係と思うなぞ彼らが歴史的に行ってきた所業の数々を思えば到底信じられるものではない。ともなれば……。

 

「多少尾行する程度なら問題はない筈……」

 

 流石に危険を冒す積もりはない。だがこの焦燥感ばかり感じる中、折角回って来た機会だ。物の序でに多少遠目に調べる位なら問題あるまい……どうしてもやる気になれない雑務をこなす最中、その誘惑に彼女は抗えなかった。

 

 尾行対象の老紳士と適切な距離を取りながら従士は歩き続ける。相手が振り向いたり鏡等での反射を利用して背後の視界を確認する事も想定した上でだ。それ位の考慮はティルピッツ伯爵家のハウンドを管理してきたノルドグレーン従士家の一員として教育されてきた彼女でも出来る。老紳士がバスに乗れば彼女も目立たぬように乗り込み、バスから降りれば彼女も他の客に紛れて降りる。

 

(どこに行く積もりでしょうか?この先は……旧市街ですか?)

 

 セントラル・シティ郊外にある旧市街はフェザーンの自治領化前、ないし自治領成立初期に開発された都市である。今では政治・経済的な中心が移動したため空洞化が進んでいる街であるが、それでも『裏街』のようにスラム化し治安が悪化している訳ではない。レトロな懐かしさのある下町、といったものだ。

 

(よりによってカストロプ家の従士が何のために?)

 

 元が財閥であり、各方面との合法非合法のビジネスに精励するカストロプ家がフェザーンに会社や法人を構える事自体は全く可笑しくないし、そこに足を運ぶ事も違和感はない。だが旧市街なぞに一体何の用が……?

 

 市街の裏通りに曲がったのを確認して従士は足を早めて後を追い曲がる。そして……。

 

「えっ……?」

 

 横道を過ぎた先には誰もいなかった。

 

「嘘、確かこの道を曲がって……」

 

 そう呟いて横道に入ったのと同時である。頭部に衝撃が走ったのは。

 

「ぐっ……!?」

「おや、意外ですな。今ので意識を刈り取り切れませんでしたか」

 

 淡々とした物言いに頭部を押さえてノルドグレーン中尉は背後を振り向く。そこには頭部を殴りつけたのだろう杖を持った尾行対象の老紳士がいた。

 

 何故?と驚愕する中尉。実の所、尾行に気付いていた老紳士は建物の横窓の手摺を使い建物の二階に登り、中尉が通り過ぎた所で数メートルの高さから飛び降りつつ杖で殴りつけたのだがその事までは彼女はまだ気付けない。

 

「っ……!」

 

 懐からハンドブラスターを抜いて発砲しようとする従士。しかし老紳士は杖術で彼女の足を刈り取り仰臥位に彼女を押し倒す。結果として発砲した光線は天に向かって空しく放たれるだけだった。

 

「そろそろ終わらせましょうか」

 

 倒れたままハンドブラスターを向けようとするのを杖で腕を殴りつける事で阻止する老紳士。恐らく指の爪が割れ、骨に罅が入っただろう、余りの激痛の前にノルドグレーン中尉は思わずハンドブラスターを落してしまう。

 

 最悪の手段であるが悲鳴を上げて周囲の人々を呼び寄せようと画策する中尉だが、それは叶わなかった。次の瞬間、背後から飛び掛かって来た人影が彼女の口をハンカチで塞いだからだ。同時に首筋にスタンガンを差し込まれ電流による衝撃で彼女の意識は瞬時に奪われた。

 

 ぐたり、と倒れる従士。数名の人影が集まり彼女の口元に猿轡をかけ、手足を縛り、目隠しをしていく。発信機の類がないか調べ、見つけた場合は捨てる。

 

「どうにか上手く行きましたな、ラーデン様」

 

 人影の一人が老紳士の方を向いて尋ねる。

 

「うむ、中々手古摺ったものだな。本当ならば最初の一撃で意識を奪う積もりだったのだが……いやはや、曲りなりにも軍属だな。意外と良い動きだったものだ」

 

 老紳士……ラーデン従士は偽造のために装飾が為された炭素セラミック製の戦杖を見ながら呟く。決して油断した訳でも、甘く見た訳でもない。それでもあの短い戦闘の間限りなく最善の行動をしようとしたノルドグレーン中尉に対して同じ従士階級として賛辞を口にしていた。

 

「本来ならばもう片方の方が良かったのでしょうが……仕方ありませんね。此方だけでも確保しましょう」

 

 本来ならばもう一人の従士の方が良かったのだが……我慢嫌いの彼らの主君は痺れを切らして「もう片方の方を使うのも一興」と妥協したのはある意味幸いであった。そうでなければ確保するのに高等弁務官事務所を襲撃しなければならなかった。流石にそれはリスクが高すぎる。もう一方が低いリスクで確保出来るならその方が賢明な判断だろう。

 

「長居は無用だ。撤収するとしよう」

 

 周囲の一般市民の視界を隠すように横道を塞ぐように黒塗りの地上車が止まる。老紳士は部下と共に気絶させて確保した同盟軍人と共に迅速に地上車に乗り込む。そして、扉を閉じると共に地上車は急いで発車した。

 

 残念ながら人通りの少なさとその迅速さから、犯行に気付けた者は皆無であった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「近頃はどうかね?何か物入りならば取り寄せるが?こんな掃き溜めのような街では足りない物は幾らでもあるだろう?」

「お生憎様ね。確かに物質的に満ち足りているとは言えないけれど、少なくともあんたのような男に物乞いしないといけない程困窮はしていないわ」

 

 真っ暗なスラムの夜道で私の背後から尋ねる声にしかし、目の前の少女は憎々し気にそう斬捨てるように答える。

 

「おいおい、随分と酷い言いようじゃないか?これでも小さい頃は近所の優しいお兄さんとして遊んであげた記憶もあるんだがね?」

「戯言をほざかないでくれるかしら……!あんたのような人間の屑と遊んでたなんて虫唾が走るわ……!!」

 

 振り向いてルビンスキー氏を睨む家主の表情は憎悪に歪んでいた。軽蔑と敵意に満ち満ちていた。その形相は唯人ならばこれ以上言葉をかけるのを躊躇わせ、怯ませる程のものであったが、それを向けられる本人はと言えば実に飄々としたものであった。あるいは面の皮が厚いとでも言うべきか。

 

「ふっ、中々辛辣な言葉な事だ。余り汚い言葉を使うと亡きお母様が嘆き悲しむ事になろうに」

「あんたに私の母を同情される謂れはないわ。そんな余裕があるならルシア姉さんのお墓で土下座でもしていれけば!?可哀そうに……あんたのような屑の帰りをずっと待っていたのよっ!?」

 

 心底残念そうにそう語るルビンスキー氏に対して家主は腹立だしげに詰った。

 

「ふっ、死人に詫びた所で何らの益も無かろう?そんなものは時間と労力の無駄というものだ。そんな暇があるなら恩義のある相手の娘を取り成してやった方が余程有意義だと思わんかね?」

「私に肯定の返事なんて求めないでくれない?吐き気がするわ!……出世して随分と口も回るようになったようね。本当、典型的な『守銭奴のフェザーン人』よ。おめでとう!!」

 

 侮蔑するようにそう言い切り、私の上着を引っ張りさっさと帰宅するように促す。私はゴーグル越しに自治領主補佐官を一瞥し、次いで彼女に従いこの場を去ろうとする。原作で暗躍しまくっているこの黒狐の事である。今回の騒動に対してノータッチなんて事有り得るかと言えば望み薄な訳で、となると私としては信用出来ない彼に身元が知られるのは愉快な事にはならなそうだ。幸い私は素顔を隠しており、しかも声も一言も発していない。どうにかこの場を去れば誤魔化しきれる……かも知れない。

 

「待て、アイリス。最近どこぞの余所者を家に住まわせているそうだな?」

 

 強い声で自治領主補佐官は尋ねる。あ、はい。私らです。

 

「……えぇ、そうよ。だからどうしたの?」

「今すぐに家から放り出す事だ。お前だって無関係のいさかいに巻き込まれて無駄死にしたくはなかろう?」

 

 そう言って私を睨みつける禿げである。止めろよ、私を見るなよ……。

 

「はぁ?あんたに命令される必要があるの?」

「命令というには語弊があるな。これでも珍しく善行を積もうとしているつもりなのだがな。お前さんがお母様に似て面倒見の良い女なのは認めよう。此方としても心掛かりの世話をしてくれていた事は感謝している。だが悪い所も似過ぎたな。今だけはその信条を捨てろ。そうしなければ俺も責任は持てん」

「何?どこかの三下が組織の金盗んでこの辺りでも逃げ込んだの?」

「そんな細事なぞではない。もっと大きな、もっと面倒な輩に追われている輩がいてな。この時期に得体の知れない居候なぞ養うな」

 

 先程より一層強い、そして険しい表情で私と家主を見据える黒狐。その表情を見つめるアイリス嬢は不機嫌そうに顔を顰める。

 

「……あんたなりに義理を通すための忠告なのは理解したわ。けど、こっちはもう約束したし対価も受け取っているのよ。私だって面子があるわ、今更そんな無碍な事出来ないわ」

 

 堂々と家主は言い切る。その表情はスラムで気丈に、逞しく生きる者としての誇りが確かにあった。

 

「……やれやれ、不器用な生き方な事だな。御両親の悪い部分ばかり似てしまったようだな」

 

 そう語るルビンスキー氏の表情は渋い、困り果てているようにも見えた。

 

「それは私なんかよりも言うべき相手がいるわね。あいつもあんたに良く似ていたわ。悪い意味でね」

 

 アイリス嬢は皮肉気に言い返す。

 

「全くその通りだ。どうやらアレは俺に悪い意味で似過ぎたらしい。御嬢さんのような美人を放って俺のような色気もないむさい男に夢中のようだからな。中々趣味が悪い事だと思わんか?」

 

 自嘲気味に笑うルビンスキー氏。そして禿頭の男は家主の、そして私達が宿泊しているバラック小屋の方向に歩みを進め先行する。

 

「……夜道を余り甘く見ない事だ。付き合おう。それに……どうやら少し其方の御仁と御話をしないといけないらしい。承諾してくれるかな?ハロルド君?」

 

 黒狐は私を見据え、意味深げな笑みを浮かべながらそう尋ねたのだった。その声質には有無を言わさぬ圧力があった。

 

 まぁ、うん。つまりあれだな…………はっは、バレてーら。

 

 

 

 

「ほいほーい、遅い御帰りだなぁ?夕食がなくて俺もマイレディも今にも餓死しそうだったんだよ。帰ってきていきなりだが飯の用意をって……おいおい、まさかと思うが、俺売られたのか?」

 

 バラック小屋の玄関を開いたブラウンシュヴァイク男爵は褐色の禿げ頭を視界に収めると私と家主に対して口を尖らして尋ねた。

 

「これはこれはブラウンシュヴァイク男爵、このような場所で御会い出来て光栄ですな。失礼ながらお邪魔しても宜しいですかな?」

 

 二コリと笑みを浮かべ、慇懃に尋ねる自治領主補佐官。

 

「え、嫌」

「あんたの家じゃないでしょ?不快だけれど仕方ないわ。上がりなさい。ハロルド……じゃなくて大佐だって?あんたもその装備外していいわよ。御苦労様」

「あー、出来れば付けたままが良いんだが……」

「つべこべ言わずに外しなさい。その出で立ちで上がられたら家が汚れるの」

「アッハイ」

 

 淡々と家主様から命令をされたために私は取り敢えずそう返事してスカーフ・マスク・ゴーグルの三点セットと塵拾いの過程でボロボロに汚れた上着を脱ぎ、バラック小屋の玄関の隅に置いておく。うん、禿げ頭そんな愉快そうな表情で此方見ないでくれない?

 

(……バグダッシュ少佐はまだ帰っていない、か)

 

 ちらりと三点セットと上着を玄関近くに置く際に室内を確認する。どうやら少佐殿はまだ外のようだった。となると面倒だな。私だけでこの場を持たせ切れるか……?

 

「お茶に菓子……を出して貰える程余裕は無かろうが、せめて水位は出してくれるだろう、アイリス?」

「随分と偉そうな客ね」

 

 嫌悪感丸出しで、義務的に汲み上げた井戸水を貯めたペットボトルのキャップを外し古いコップに注ぎこむ。そして少々乱雑にテーブルに叩きつける。

 

「やれやれ、客人にはもう少し礼節を持つべきだと思うのだがね?」

「だったらもう少し客人らしく態度に気を付けなさい。少なくともその点だけでそこの居候はあんたよりは百倍マシよ」

 

 そう言ってクイッと首を動かし私を指し示す。話題に上がった私は愛想笑いを浮かべその場を誤魔化す。

 

「どうやらそのようだな、大佐は俺と違って実に勤勉な人物のようだからな。だが……偽名にハロルドは流石に趣味が悪いぞ?未練がましい」

 

 その嘲るような声に鋭い眼光を飛ばす家主。禿げ男は「怖い怖い」と大して怖く無さそうに肩を竦め此方に視線を向ける。

 

「此方に来てから数日といった所ですかな?良くもまぁ、この短期間でこの街に馴染まれたものだ。塵拾いなぞ名誉ある門閥貴族らしからぬ行いでしょうに」

「社会見学って奴ですよ。尤も、やるにしても出来ればもう少し安全な見学先で体験したい所ですが」

 

 私は肩を竦めてテーブルに備え付けられた椅子に座る。

 

「精々二、三日で音をあげるかと思いましたが……いやはや逞しい事だ。貴方の器量を過小評価し過ぎていたようですな。謝罪しましょう」

 

 皮肉げに笑みを浮かべ禿げ頭もまた椅子に座る。それを見て家主様はルビンスキーと正面から対峙する形で私の隣の席に座り腕を組む。

 

「それで?あんたら面識があるようだけどどういう事なのかしら?説明位はしてくれるわよね?」

 

 私とルビンスキー氏の双方を見やり、尋ねる家主。私は意味深な笑みを浮かべるルビンスキー氏を、次いで部屋の隅の壁で愛人を膝の上に乗せて我々を興味深げに見物中の男爵を一瞥し、両者からその視線で承諾の返事を受けて口を開いた。

 

「……さてさて、どこから説明したものかな?」

 

 取り敢えず私は可能な限り機密に触れないようにここに至るまでの状況と関係について説明する。それはアイリス自身に対してであると共に、ルビンスキー氏に対してのものでもあった。尤も、このタイミングで彼が私達の目の前に姿を現した事を考えれば既に独自に我々がどういう経緯でこの『裏街』の家主の小屋で世話になっているか把握していそうではある……というよりかここまでの全てをお膳立てしている可能性すらあるが。

 

「まぁ、まずは私の立場から伝えるべきだろうな。以前フロイラインの推理した答えは半分正解で半分不正解と言った所だ。確かに私は貴族だが帝国人でもなければ帝国軍人でもない」

 

 ざっくりと省略しつつ、それでも聞く者にとって大筋は分かるように私が短い説明を始める。

 

「そちらの某男爵様、悪いが御本人のためにも仮名にさせて貰うが……そちらと一緒なのは事故のようなものでしてね」

 

 私が亡命政府や同盟政府から雇われて『仕事』をするためにフェザーンに赴任した事、その過程で男爵やルビンスキー氏と面識を得た事、何だかんだあって所属不明の方々に襲われ逃亡の最中にこの『裏街』に迷いこんだ事を伝える。

 

 大雑把な説明を終えてふと傍らに視線を向ければ、そちらでは家主様が私の説明に疲れた表情を浮かべて頭を抱えていた。

 

「成る程、あんたは帝国のお貴族様であり、同時に同盟軍人って訳ね。随分とややこしい立場な事。……で、そこの男爵様御一行共々誰かさんに命を狙われていると?」

 

 呆れ気味にアイリス嬢は確認するように尋ねる。その表情は完全に、こいつ何やってんだ?って顔だった。そりゃあお国の代表として仕事しようって奴が熱心に塵拾いの仕事していればそうもなろう。

 

 因みに彼女に私が亡命政府出身の貴族であり軍人であるとは伝えているが、流石に家名や爵位までは伝えていない。此方から態態そこまで伝える義理はないし、重要な事でもない。聞かれたら答えざるを得ないがそれまでは此方からは口にしなくても良かろう。そもそもここでルビンスキー氏が現れた時点で私も彼女に対する警戒心が更新されている。どこまで話が共有されているか知らないが不必要な情報を自分から口にする必要は感じられなかった。

 

「此方としては寧ろフロイラインと……そこの自治領主補佐官殿の御関係について興味があるのですが?差し障りのない範囲で御説明願い出来ますかね?」

 

 私の質問に愉快げな表情を浮かべるルビンスキー氏と不機嫌そうな家主が沈黙の内に数秒睨み合う。

 

「……私から説明しても構わないわよね?」

「勿論だとも、君としても変な勘違いをされたくないだろうからな。それとも、私から君の魅力を御伝えしてあげようか?」

「ほざくな、屑が」

 

 そう忌々しげな視線を向けて吐き捨てて、私の方向に顔を向けて家主は口にするのも嫌そうに言葉を紡いだ。

 

「こいつは……私の小さい頃隣に住んでいた男よ」

 

 

 

 

『裏街』に住まう者の九九パーセントの者達はそのどん底の生活から抜け出す事はほぼ不可能と言って良い。そのどうしようもない環境から抜け出すには文字通り血の滲む努力と鋭い才能、そして幸運が必要不可欠だ。それにしたって殆どの者はあくまでも『裏街』に寄生する犯罪組織の棟梁や幹部と言ったもので、到底堂々と表の世界で生きていけるものではない。

 

 その意味で言えばアドリアン・ルビンスキーと言う男は異端と言えただろう。破産した商家の息子として生まれた彼は直ぐに家族と共に『裏街』に逃亡、その後父親は借金の取り立ての中で殺害され、母親は情夫と共に失踪した。残された義務教育も碌に積んでいない少年は本来ならばそのまま野垂れ死ぬなり、あるいは犯罪組織の下っぱとして何処かで撃ち殺される筈だっただろう。

 

 その意味において少年は野心家であり、努力家でもあった。朝から夜まであらゆる仕事をして日銭を稼ぎ、古本屋や廃棄処理される筈の書籍を元に独学で勉学に励んだ彼は遂には義務教育も受けずに自治領主府の高等官吏試験に合格して見せた。その点では学歴すら問わず只ひたすらに実力主義のフェザーンらしい話である。フェザーン・ドリームの生きた代表例と言えよう。

 

「とはいっても何事も上手くいく訳ないわ。何処だって嫉妬や妬みや派閥ってものはあるらしいの。『裏街』育ちの卑しい身分の癖に首席合格したから同僚や御上に睨まれたようね」

 

 高等官吏試験を首席合格したルビンスキー氏の研修後の最初の仕事は『裏街』でのものだった。未開発区画の各種調査……というのは建前で、完全に出世コースから離して左遷させてやろうと言うエリート様達の嫌がらせである事は明らかであった。当然上司に抗議はするが、後ろ盾の一つもない『裏街』の小僧に一体何が出来ようか?屈辱感と無力感を感じつつも若い官吏は『裏街』に住まい、その名目ばかりの調査に明け暮れる事になる。

 

「で、その時にこいつが住んでいた街がここって訳」

 

 家主は補足説明する。少年時代住んでいた街に送り返されるのは間違いなく上司達の嫌がらせであった事だろう。

 

「とは言え、今にして思えばそう悲観したものではありませんでした。この街で得た情報とコネクションは私が出世する上で中々役に立ちましたからな」

 

 皮肉気に笑いコップの水を口にするルビンスキー氏。「相変わらず黴臭い味だな」と飲み水の味を評する。この辺りで利用されている井戸は二〇〇年近く前に掘られたものであり、汲み出し機材は相当劣化している。

 

「……一〇年前、私の両親が帝国で馬鹿やってね。まぁ色々あってフェザーンの糞商人に騙されて亡命に失敗したの。文字通り無一文にされてそのまま人買いに売られる前にどうにか『裏街』に逃げ込んだそうよ。それでその時に住んでいたこの家のお向かいさんがそこの禿げよ」

「余り冷たい物言いは止めて欲しいのだがね。確かに当時の私は自治領首府の下っ端で大した助けは出来なかったが個人として出来得る限りの助けはしてやったと思うのだが?」

「恩着せがましく言わないでくれない?あんたが態々得にもならない人助けを率先してする性格でない事位知っているわ。どうせルシア姉さんが最初に言ったんでしょ?」

 

 話によれば亡命時のトラブルで財産を失った家主の両親は偶然当時『裏街』に寓居し、生活していたルビンスキー氏と面識を持ったそうだ。家主自身もまたこの時に黒狐と知己を得たらしい。

 

「御安心下さい大佐。私も欲望には素直な性格ですが流石に当時一〇歳にもなっていない子供に手を出す程自制のない人間ではありませんからな」

 

 家主とルビンスキー氏を相互に見ていた私の視線に気付いた黒狐は意地の悪い表情を浮かべそう茶化す。彼から私がどういう人間に見えているのかは知らんが……私もそんな会って数日の少女に劣情を抱く程手が早くはないのだがね。

 

「ねぇ?さっきから不快な言葉を挟むの止めてくれないかしら。吐き気がするわ」

「やれやれ、小さい頃はもっと素直な子だったと記憶しているのだが。時間の流れとは残酷なものですな、大佐?」

「ほざけ」

 

 殺気と敵意を剥き出しにする家主に対して、黒狐は明らかに愉快気に彼女との会話を楽しんでいるようであった。その姿は私が原作から知っている打算的で冷血な陰謀家とは遠い存在に思えた。これが演技であるとすれば彼には陰謀家としてだけでなく俳優としての才覚もあると断言して良いだろう。

 

「……フロイラインの後ろ盾をしているそうですね。何か理由があるので?」

 

 ここまで話を聞けば家主様をマフィアのボスの魔の手から保護している自治領首府高官が誰かなぞ子供でも分かる。問題はその理由であるが……。

 

「唯の義理人情……というのは建前で、当然理由はありますよ。御覧の通りこの美貌ですからな。知っておられますか?彼女の母はそれなりに有名な女優でしてな。こんな『裏街』において置くのは勿体ない。個人的に愛人にしてみたいというのもありますし、本人が嫌がるならそれはそれで女優なりなんなりにスカウトしてスポンサーになっても良い。金のなる木を放置するなぞフェザーン人の名折れですからな」

 

 そう言って家主の方に視線を向けるルビンスキー氏。家主の方は黒狐に意識を向けられるだけで顔を顰める。彼女の目の前の男に対する印象が最悪なのがそれだけで良く分かった。

 

「まぁ、私もワレンコフ自治領主に引き抜かれてからはこの街とは随分と疎遠になっておりますが、こうして時たまかつての故郷に戻り、次いでに彼女にラブコールを送っている訳ですよ。とは言え、このように毎回すげなく断られてしまう訳ですが」

「あんたに媚びて頼るのだけは死んでも御断りよ。その位ならこの街で餓死して鼠の餌になる方が千倍マシだわ」

 

 冗談めかした黒狐の言に少女は冷たく即答する。

 

「私なんかよりもあんたはもっと気にかけてやらないといけないのがいるでしょうに………」

 

 そして顔を背けてぽつりと小さく呟いた。

 

「………さて、私や彼女の詰まらぬ過去話はこれ位にしておきましょう。そろそろ本題に入りましょうか?」

 

 家主の言葉に僅かに沈黙した後、しかし此方を見つめて意味深げな視線を向けて話題を変更する黒狐である。私もその言葉に乗って疑問をぶつける。

 

「同感ですね。……それで?態々補佐官殿が我々の前に現れて接触を図る理由は何でしょうか?このような手の込んだ段取りで顔見せするとなると何か事情があるのでしょう?」

 

 普通に考えて見れば分かる事だ。広大な『裏街』で偶然に黒狐の知己と会い、偶然に今日この日に御本人が顔を見せるなぞ出来すぎている。

 

 となれば此度の騒動について間違いなく裏で動いているだろうルビンスキー氏の事である。ここまでの我々の行動全てを把握していたとしても可笑しくない。下手したらスタジアムでの襲撃に一枚噛んでいる可能性まであり得る。実際どこまでこの男の掌の上なのかは分からないが、少なくともここで接触を図って来たという事は何らかの交渉か取引、あるいは脅迫をしに来たと考えるべきだろう。

 

 更に言えば本当に単独で来たかすら怪しい。私ならば数個小隊程の兵士を潜ませていざという時に備える。実際、外を見れば僅かながらも殺気と気配を感じる。最低でも二桁は控えているだろう。

 

(流石に家主様もグルだとしたら辛いが……)

 

 先程の発言がどこまで事実なのか、これまでの会話内容のどこまでが真実なのかは分からない。だが少なくともスタジアムから逃げた後この『裏街』で出くわした住民が偶然黒狐の知り合い、なんて出来過ぎた話を信じる奴なぞいまい。ある程度会話の節々にあった嫌悪感から事実も混じっているだろうが、我々が家主様に会って匿われるまで計算の内か、あるいは依頼していたのか……。

 

(いやはや、参ったなこれは……)

 

 私なりに家主様には敬意を持っていたのだが一杯食わされたとなると少しだけショックを受け、それ以上にその演技を称賛したくなる。一応警戒していたが全く気づけなかったぞ?

 

「ちょっと、何か変な勘違いしていないかしら?私、別にあんた達を売った覚えはないし、こんな屑と手を組んだ覚えなんか無いわよ?」

 

 私の表情から察したのか心底不機嫌そうに家主様は答える。同時に黒狐もまた私の態度に首を捻り訝しげに口を開く。

 

「大佐、一体何の話をしておられるのですかな?今一つ話が見えませんが………」

「余り惚けられても話が進まなくなるので困るんですがね?もう察しはついていますよ。そろそろネタバラシをお願いしたいのですが?」

 

 勿体ぶる補佐官に私は尋ねる。直球で聞くのは芸がないが、相手の考えが読めない以上は仕方なかった。

 

「それは此方の言葉ですよ。流石に飄々とした態度で人の知り合いと一緒にいられるとなるとゾッとしませんな。一体どんな情報網を持っているのか気になって仕方ありませんよ」

「はい?」

「ん?」

 

 私は黒狐の困ったような声に思わず意味が分からず首を傾げる。彼もまた此方の反応に意図を掴みかねているように顔をしかめていた。互いに疑念の視線を相手に向ける。

 

 何か嫌な予感がする。………もしかしたら、私は今回の顔合わせについてとんでもない思い違いをしているのかも知れない。

 

「……失礼、一応お尋ねしますが、貴方は私達に会うために今日この場に現れたのですよね?」

「これまた妙な質問ですな。大佐殿こそ、よりによって私用でこの街に来ている時にこのような不意打ちで私に接触してきたのはどのような意味があっての事かお尋ねしたいのですが?まさか栄えある貴族様が平民相手に人質でも取るのですかな?」

「ち、ちょっと待って下さい。先日の騒動、アレは補佐官殿が関わっておいでではないのですか?少なくともここに匿ったのはある程度計算してますよね?」

 

 私は恐る恐る尋ねる。おい、止めてくれよ……前提条件を崩してくれるなよ………?

 

 だが、現実は非情である。次の瞬間、心外そうにルビンスキー氏は答える。

 

「馬鹿な、そんな事ある筈がないでしょう?あのような稚拙な襲撃を私が計画するとでも?まして彼女をこのような面倒事に巻き込むなぞ……大佐こそ情報局からの連絡で既に相手に察しはついているのでしょう?だから比較的安全な私に接触を図った、違いますかな?」

「いや、全然」

「は?」

 

 ルビンスキー氏は此方に驚愕の視線を向けて驚いていた。明らかに混乱していた。

 

「いや、しかし現に男爵と接触しておりましたし……エル・ファシルでの任務もその成果ではなかったではないですか?」

「済まないが何の話をしているのか私には全く分からないのです……」

「あー、御話の途中で悪いんだが……今気づいたんだがアレなんだ?」

 

 私は混乱気味の黒狐に反論しようとして、男爵の言葉に口を止める。そして少し顔を引き攣り気味の男爵の指差す方向を全員が向く。

 

 薄暗いバラック小屋の隅っこでその透明がかった銀色のフォルムが揺れていた。

 

 其処にいたのは虫だった。いや、違う。その造形は虫に近かったが明らかにその材質は虫のそれではなかった。私はそれと良く似たものを一度見た事があった。ハイネセンの、サンタントワーヌ捕虜収容所で恐らくは同じ用途のそれをである。

 

 透明感のある蜘蛛か、あるいはアメンボのような造形のそれは、個人携帯用昆虫型偵察ドローンはいつからか我々を監視していて、今もその胴体部分に備えつられた暗視機能付き光学カメラで監視し続けていた。逃げる素振りは無かった。同時にバラック小屋の外の複数の気配を思い出す。そして目の前の黒狐の言葉、それらを総合した上で導き出される答えは………!!

 

「不味いっ……!!?伏せろっ!!」

 

 私は叫ぶ。そして、その悲鳴からほんの数刻遅れで金切り音のような爆音と共に衝撃と爆風が我々に襲いかかってきたのだった……。



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第百五十七話 車の運転はかも知れない運転を心がけよう

「自治領主から内々の面会の要望?この時期にか?」

 

 自由惑星同盟駐フェザーン高等弁務官事務所にその申し出が来たのは九月二三日の標準時刻1930時、即ち午後七時三〇分の事であった。弁務官事務所の貴賓用応接室に集まる要人達は皆顔を見合わせる。

 

「このような時期に急な話ですな。自治領主は今は議会とマスコミの対策で精一杯で此方に会う余裕があるとは思えませんが。しかも我々同盟政府ではなく亡命政府に向けての申し出とは一体何用か………」

 

 フェザーン高等弁務官であるリアム・スターリングは怪訝な表情を浮かべて口を開く。同盟の大財閥一族の末席に座る同盟議員でありフェザーンにおける同盟の外交官筆頭である中年男性は現状のフェザーン政界の状況を把握しているが故にこの内々の連絡に首を捻らせる。

 

「先生はどう思いますか?正規のルートからの連絡ですので偽造は難しいと考えますが……」

 

 同盟側使節団の全権委任者である国防委員会財務・会計副委員長トリューニヒト議員は連絡自体は記録に残る偽装不可能なものである事を指摘する。少なくとも今回の借款交渉を潰したがっている工作員や反同盟派閥がテロやら誘拐事件やらに巻き込むための餌として呼び掛けている訳ではない事は間違いなかった。

 

「……ふむ、考えるに借款交渉を強硬する積もりではないかな。戒厳令を敷いた時点で想定は出来る事態ではある。ここまで強硬策を執ったとなれば親帝国派を押さえる算段がついたのやも知れんな」

 

 ソファーに深く腰かけるオリベイラ学長がその可能性を指摘する。

 

 戒厳令は諸刃の剣だ。自治領主の権限を一時的に飛躍的に強化する代わりに経済面においては各方面で統制が開始され、フェザーン経済そのものに打撃を与えかねない。

 

 そして自治領主のフェザーン社会における最大の存在意義が経済面におけるフェザーンの権益の拡大と維持と保護にある事を思えば、戒厳令の長期化は自治領主府の立場を却って弱める事になりかねない行いだ。帝国や同盟に攻め込まれているなら兎も角、たかがテロの警戒のためだけにここまで厳しい統制を続けるのは難しい。

 

 ともなれば、自治領主からすればこの権限強化が為されている間に懸案そのものを解決してしまいたいと考えるのは決して可笑しい考えではなかった。

 

「親帝国派を抑えるとなると……やはり例の件でしょうか?」

「エル・ファシルで回収された『アセット』からルートについての情報は確保したのだろう?」

「ええ、しかしもう……?」

 

 オリベイラ学長の指摘にトリューニヒト議員は懐疑的な表情を浮かべる。相手はあの帝国宮廷の保身の怪物である。たかがスパイ一人の情報で足がつくものなのか?しかも情報提供から半年やそこらの時間で?

 

「ワレンコフは……あの民族主義者は無能ではない。頑固ではあるが優秀な政治家であり、商人だ。脅迫と懐柔による切り崩しはフェザーン人の十八番だよ。驚くに値すまい。強いて言えばワン君とトージョー君が頑張ってくれたのだろうね」

 

 同盟国立中央自治大学学長は国防議員の疑念に対して否定する。元同盟警察のキャリア組からは到底信じられないであろうが、彼と長い付き合いの学長はそれを確信していた。

 

「粛清と根回しが終わるのはいつ頃と予想しますかな?」

 

 親帝国派の無力化にかかる時間をハーン伯爵は尋ねる。

 

「一週間、長くても一週間半であろうな。その後反対派を一掃した議会で一気に借款の認可を採決する……その当たりが自治領主の描く青写真だろう」

「となると此度の面会の要請は………」

「いや、事前交渉の側面は確かにあろうがそれだけとも思えん。我々ではなく伯爵方をお呼びするとなると……ふむ、やはりこの前のトラブルが一番の理由であろうな」

「やはりですか」

 

 帝国の名門一族かつ訳ありの男爵様が亡命政府の伯世子と共に騒動に巻き込まれて行方不明ともなれば新無憂宮は大騒ぎであろう。その筋ではフェザーン当局はてんてこまいの筈だ。帝国政府に対して釈明するにしろ、亡命政府との口裏合わせやら釈明文の内容を相談するなりと実際に顔を合わせる必要があった。あるいはそのまま帝国側の高等弁務官と面会する可能性もある。

 

「我々の助けを求めている、という訳ですね?ならば私がお会いしても構いませんが?その方が彼方も助かりましょう?」

 

 この会話の最中、ずっと防弾硝子製の窓から高等弁務官事務所の夜の庭園を観賞していたシュヴァリーン大公がそう提案した。全員の視線が彼に集まる。

 

「……大公殿下、それは流石に危険では?確かに申し出自体は罠ではないでしょうが道中が平穏無事とは限りますまい。はっきり申し上げますと今のフェザーンの市街は何が起きるか分かったものではありません」

 

 亡命政府側の外交使節代表たるハーン伯爵は顔をしかめて皇族を諭そうとする。確かに申し出自体は本物だろう、しかし先日の爆弾テロにコーベルグ街での襲撃、更には今日には同盟側使節団に同行した従士が消息を断っており未だに帰って来ていない。最早中立地帯という言葉なぞ影も形もなく、自治領主府に向かうまでの道程は安全からは程遠い。途中待ち伏せでも受けたらどうなるか……。

 

「ですが電話の会談という訳には行きませんよ。ホットラインとは言え盗聴される可能性はありますし、何より誠意がない。それに伯爵や同盟側の代表が向かう訳にもいきません、違いますか?」

 

 亡命政府より全権を委任されているハーン伯爵に何かあれば借款の取り決めが出来ないし、同盟側の代表達に至ってはそこに加えて帝国側を宥める権威も信用もない。当然ながら直接顔合わせしないとなると自治領主の面子を潰し無駄な悪印象を与えかねない。

 

「正直、やる事が無くて辟易していた所です。ヴォルター……ティルピッツ大佐とは私も交流は長いので適任でしょう。違いますか?」

「それはその通りではありますが……」

 

 発言内容は理解出来る。確かに皇族であるとは言え、シュヴァリーン大公の正式な立ち位置はあくまでもハーン伯爵の付き添いのようなもの。ならばハーン伯爵には安全を確保してもらい、大公が自治領主府に向かうという判断は可笑しくない。皇太子という訳でもないので最悪死亡しても皇統の存続としては問題ない。とは言えやはり皇族を危険に晒す事に伯爵は抵抗があるようだった。

 

「何、護衛は彼方にたっぷり用意させてもらいますよ。……行動するならば早い方が良い。この時期に無駄に待たせて印象を悪化させる訳にはいきません、違いますか?」

 

 皇族軍人の言葉に、今度こそ合理的に反対出来る者は皆無だった。

 

 

 

 

 

 

 深夜の『裏街』の空に、空を切る金切り音とけたたましい轟音が鳴り響く。

 

「ふむ、中々必中とはいかんものだな。狙いが逸れたぞ?」

 

『裏街』の中では比較的丈夫で頑健な古いコンクリートの三階建ての建物、その屋上でマホガニー製の椅子に座る青年貴族は迫撃砲の着弾について評した。その手元には象牙と白蝶貝、そして金塗りに装飾されたハンドル付きのオペラグラスがあり丁度砲撃を受けている数百メートル先のバラック小屋を楽し気に覗いていた。現在進行形で撃ち込まれ続けるバラック小屋は、しかし砲弾の大半は周辺の泥地や他の小屋に着弾しており、数発が運良く命中したものの未だにその外観をほぼ維持していた。

 

「迫撃砲となりますと仰角の関係上、直接射撃が出来ません。この風の上、扱う者があの通りでございますれば、命中率は致し方ないかと……」

 

 傍らに控えるバーレ将軍が雇用主の疑問に答える。急遽取り寄せたフェザーンの軍需企業製の迫撃砲及び各種測量装置であるが、扱うのが『裏街』のチンピラ共となればやはり性能通りの命中精度を期待する事は出来なかった。

 

「ふむ、そういうものか。まぁ良かろう。このままあっけなくゲームオーバーでは興醒めだからな。舞台を用意した側としては精々彼らには大立ち回りをしてもらわんとな?」

 

 そう言って公世子は楽し気な表情を浮かべオペラグラスをすぐ側のテーブルに置くと女中が注いだ珈琲のカップを掴みその香りを、次いで苦い味を楽しむ。そして指を鳴らせば燕尾服を着た執事達が木箱を持って公世子の元に跪く。愉快そうな表情を浮かべながら彼は鼻歌交じりに木箱の蓋を開き、中に収められた古めかしい装飾の為されたライフル銃を取り出す。

 

「ふふっ、良い物だろう?職人共に拵えさせた猟銃の中ではこれが一番良い出来でな。これで『猟犬』で追いたてた色々な『獲物』を仕留めたものだよ」

 

 残酷な笑みを浮かべ将軍にそう伝える公世子。彼の言う『獲物』がただの狐や鹿ではない事は明らかだった。更に言えば猟犬だってまともでない事を将軍は知っている。

 

 公世子は猟銃を膝の上に置いて再度湯気を上げる珈琲に舌鼓を打ち、上機嫌な口調で告げる。

 

「下方の賤民共に伝えろ。私は花火を見に来たのではない、そろそろ次の段階に進めとな。……さて、お手並み拝見と行こうではないか?」

 

 そう言って極極自然な所作で青年貴族はカップの持つ手を伸ばし、自身の足元に蹲る首輪をした小さな『ペット』の真上で止めた。そしてにこやかな笑みを浮かべながら当然のようにゆっくりとカップをひっくり返して中身をぶちまける。

 

 足元で頭の上から黒い熱湯を被った『ペット』があげる子供らしい悲鳴をBGMに、マクシミリアン・フォン・カストロプは再度オペラグラスを目元に寄せて楽しそうに次のショーの観戦に興じるのだった……。

 

 

 

 

 

 

「あー、皆?生きてる?」

 

 粉塵と黒煙の舞うバラック小屋だったものの床に伏せる私は同居人達に安否確認の質問をする。

 

「おう、俺とマイレディは見ての通り元気だぜ?それで?そろそろ花火大会は終わりかい?」

 

 テーブルの下に隠れて愛人様を抱きしめた体勢で伏せていた男爵様は煤まみれの姿でへらへらと答えてくれた。御無事で何よりです。あんたに死なれたら割かし洒落にならんからな。

 

「うっ……ぐぅ……?アイリス、悪いが俺が住んでいた頃はもう少しこの街は平和だったと思うのだが?いつからここらは酸性雨の代わりの砲弾が降るようになったのだ?」

 

 粉塵に咳込みながら尋ねる禿げ頭の自治領主補佐官殿である。幾らか浅い怪我はしているようだが大体無事のようだった。

 

「けほけほ……そんなの知らないわよっ!今のって砲弾?馬鹿共の抗争の流れ弾……じゃあないわよね?あれだけ撃ち込まれてたら。……ちょっとどいてくれない?重いんだけど。こんな時に強姦でもする気?」

 

 咳込む家主様の声が私のすぐ下で響く。荒っぽく上に被せた塵拾いの上着からむずむずと頭を出した少女が此方を見て口を尖らせる。

 

「失礼フロイライン、何せ相手が相手ですので。どうぞ御容赦願いたいものですな?」

 

 私は肩を竦ませて助命嘆願する。迫撃砲弾で注意するべきなのは衝撃と弾片だ。それ故に砲弾の音が聞こえたらすぐに身体を伏せて何でも良いので身体を保護するために被るのが最善だ。真上に落ちてきたら?諦めろ。

 

「……この様子だとどうやら文句を言う余裕も無さそうね。ちっ、曲りなりにも住宅地よここ?あんなに撃ち込んで来るなんて非常識過ぎるわ!……ていうか私の家っ!?あぁ、もう最悪っ!!」

 

 最早屋根すらない程にボロボロになってしまった自宅を見て、家主様は憤る。幾ら小汚いバラック小屋とは言え、彼女にとってはマイホームである事に変わりはない。それが砲撃でズタボロになれば声を荒げて怒りもしよう。

 

「この街の住民の命なぞ一フェザーン・マルクの価値もないという事だろうな。それこそ幾ら消費しても増えていくからな。多少ご近所様達が巻き添えになろうが構わんって事だろう」

 

 若干頭を上げて正に現在進行形で火災中だったり倒壊している豚小屋……ではなく巻き添えを食らったご近所様のバラック小屋を観察するルビンスキー氏。よく見れば地面なり瓦礫に肉片がこびりついていた。その一方で全速力で避難をしようとする者達もいた。尤も……。

 

「おっと、危ないっ!」

 

 黒狐が慌てて頭を下げるとすぐに真上をレーザーの光が通り過ぎていった。闇夜に目を凝らせばブラスターの青白い光が飛び、逃げようとした人影がばたばたと倒れる姿を確認出来る。

 

「準備砲撃、にしては砲撃が不徹底だ。こりゃあ正規軍じゃないな」

「うちの手の奴らでもねぇな。暗殺にしては品が無いし不確実過ぎる。叔父上の部下なら砲撃せずにそのまま熟睡中に首を斬るな。確実に殺した事が確認出来る」

 

 男爵様が首が落ちる表現を手で行いにやにや笑う。これで同盟・帝国の正規軍、そしてブラウンシュヴァイク家の線は消えたな。

 

「あんたら、何でこの状況で冷静に分析してんのよ……」

「男爵は知りませんが少なくとも私は経験済みですので」

 

 ジト目の家主にそう切り返す。カプチェランカやエル・ファシルの砲撃に比べればあんな素人臭い砲撃なぞ可愛いものだ。………可笑しいな、何で伯世子が砲撃に慣れないといけないんだ?

 

「というか私はアレ、補佐官殿の部下か何かと考えていたんですが違ったんですか?」

「武器で護身するのは三流ですよ。護衛を雇うのも結構金がかかりますからな。一流は立場と状況を活かして身を守ります」

「仰る事は尤もだがこの状況では滑稽だな。護身術に心得は?」

「生憎、ハンドブラスターも碌に持っていない平和主義者でしてな」

「成程、戦力外と。役立たずめ」

 

 舌打ちしながら私は腰元のハンドブラスターを引き抜く。エネルギーパックは予備二つ、相手の数は……二、三個小隊辺りか?無駄弾は撃てんな。

 

「おやおや、随分と態度の悪い事だ。それが素ですかな?」

「……あんた正気?あれだけの人数相手に出来るの?」

 

 黒狐と家主様がほぼ同時に私にそう声をかける。微妙に声が重なり片方は愉快そうに、もう片方は心底不愉快そうに互いを見やる。そしてまず家主が舌打ちしながら、次いで補佐官が苦笑しながら此方に視線を戻す。私はその様子を見て肩を竦めさせた。

 

「では尋ねますが、いきなり迫撃砲弾を撃ち込んで、しかも無関係な御近所様ごと我々を殺害しようとする輩相手に話し合いが通じるとお思いで?」

「まぁ、交渉する積もりもないのは明らかだわな」

 

 真っ先に苦笑いを浮かべながら返答するのは男爵様である。

 

「因みに男爵殿は射撃の御経験は?」

「悪いがその手の荒事は全てアンスバッハらの領分さね。俺はマイレディとここでハムスターみたいに怯えておくよ」

「さいですか。……自治領主補佐官殿、この場で妙案があれば伺いますが?」

「……残念ながら、ですな。俺も口は回る方と自負しておりますが、最初から殺しに来るような輩相手ではどうしようもありません」

「でしょうね。……はは、男二人が戦力外とは酷い面子な事だ」

 

 そう嘆きながら義手を伸ばし、安全装置を外そうとしているアイリス嬢からハンドブラスターを頂戴する。

 

「ち、ちょっ……!!?何するのよ!?」

「残念ながら無駄弾を撃たせる余裕はないものでしてね。お尋ねしますが今まで人を撃ち殺した御経験は?」

「………っ!!」

 

 気取られたのか小さく舌打ちする家主様。この態度から彼女のハンドブラスターが脅しに使われた事があっても実際に人を射殺した経験が皆無なのだと分かる。

 

「……あんた気付いていたの?」

「何となくですがね」

 

 ……まぁ、私も曲がりなりにも人殺しのプロだ。銃よ構え方や僅かな機微でその事については大方予想は出来ていた。碌に試し撃ちもした事無かろう。そんな素人に任せても貴重な弾の無駄使いだ。

 

「これだけ面子が揃っていて碌に射撃の経験があるのが私だけってのも笑える話だな。……さて、お喋りはこの辺りで終わりだな」

 

 私は苦笑いしつつ物陰に隠れながら二丁のハンドブラスターを構えた。視線を向ければ薄っすらと人影が複数此方に向けて近付いているのが分かった。当然ながら彼らは善良な一般人ではない。

 

「ではでは、見苦しい悪足掻きといきましょうかね?」

 

 本当に軽い口調で、私は絶望的な戦いを始める事にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

「ぎゃっ……!?」

「マルコフっ!?糞っ垂れが!!撃ち返せ!!」

「相手は精々数人だっ!!一気に潰せっ!!何をしてやがる!!」

 

 砲撃の後にバラック小屋に向かうマフィアグループ『カラブリア・スピリット』の構成員達は苛立ち交じりの怒声を上げる。もうすぐ二〇分になろうとしている銃撃戦は戦力で圧倒的にマフィア側の優位でありながら未だに決着はつかなかった。それどころか反撃の射撃が放たれると共に急所や足を撃たれて死亡ないし無力化される者の数は刻一刻とその数を着実に増やしていた。

 

 本来ならば勝負にもならない銃撃戦が思いの外長引いている理由は幾つかあるが、最大の理由はやはり質の問題であったろう。

 

 所詮『カラブリア・スピリット』の構成員は皆武装した一般市民の範疇を出るものではなかった。互いに碌な連携も援護も出来ない。足音や銃撃音、掛け声は隠蔽する素振りすらなくその居場所を自ら曝け出す。薬物でハイになっているのか物陰に隠れずに銃を乱射する者は中途半端に負傷させても意味がないので頭部を狙撃して即死させ、物陰に隠れる者もその出来が宜しくないので咄嗟に身を乗り出した瞬間を早撃ちで仕留められる。比較的賢く立ち回る者には敢えて即死しない重傷を受けてもらい、その叫び声で周囲の士気を挫く材料になってもらった。

 

 僅か二〇分の間に死亡したマフィアのゴロツキは八人、負傷者はその二倍に及ぶ。対して彼らは未だに目標に大した損害すら与えられてはいなかった。

 

「畜生がっ!!あいつら、この暗闇の中で良くやってくれやがる……!!」

「何してんだっ!!反撃してきやがるのは二、三人だろうっ!!?早くぶっ殺せっ!!」

 

 その苛立ち交じりの叫び声と共に数台のテクニカルトラックが前衛に押し出される。荷台に背負う機関銃が暗闇の中で周囲を機銃で掃射する。

 

「きゃっ……!?」

「うおっ、危ねっ!?」

 

 闇雲な乱射とは言え機関銃による集中射撃である。地面にへばりついてやり過ごすにも限界がある。特に跳弾や粉砕された建材の破片の殺傷力は馬鹿に出来ない。

 

「ちぃ………舐めるなよ、素人共め……!!」

 

 私は暗闇の中で僅かな光源を頼りにテクニカルトラックの銃手を見据える。そして狙撃する。

 

「ぎゃっ……!?」

 

 頭部を撃ち抜かれた銃手はそのまま倒れながら機関銃を傾ける。引き金に指をかけられたまま弾を吐き出し続ける機関銃はそのまま周囲にいた味方を殺傷し、隣のテクニカルトラックに数ダースの弾丸を叩き込んだ。エンジンか燃料かあるいは弾薬類か、何かに引火してトラックが吹き飛ぶ。爆風と鉄片が周囲に屯していたゴロツキ達を一掃した。

 

「おっ!凄ぇな今の!」

「ただの手品だよ」

 

 男爵の言葉にそう吐き捨てて、私は報復とばかりに叩き込まれる鉛弾の嵐を伏せてやり過ごす。先程のは訓練中に不良士官様に教えてもらった小細工だった。狙撃の角度と部位とタイミングさえ合わせればそこまで難しいものではない。まぁ、でかい打ち上げ花火が上がったのは偶然であるが。

 

「皆、まだ生きてる?」

 

 泥の中に身を潜めてハンドブラスターのエネルギーパックを交換しながら闇の中に問い質す。全員の返答を聞いて一安心し、サイオキシン麻薬で痛覚が麻痺した鉄砲玉の突撃を迎撃する。相手がキマっている場合は足や腕を撃っても普通に反撃してくるので頭や喉、心臓を撃ち抜いて即死させるのが一番だ。夜空の光や周囲の僅かな光源、銃撃の光を頼りに見据え、射殺する。奇声を上げ銃撃しながら疾走してくる音が途切れる。よし、無力化したな。

 

 現状、此方の被害はほぼ無し。対して相手の被害は相応だ。単純な被害率ならば此方の圧勝ではあるが当然この場合はそんな足し算引き算の話ではない。寧ろ、我々は着実に追い詰められつつあった。

 

「包囲が狭まって来ているな?それに、弾もそろそろか?」

 

 愛人様を守るように物陰に隠れて体育館座りする男爵様が他人事のように尋ねる。二丁のハンドブラスターの内、自前の一丁は最後のエネルギーパックであり、お借り中のもう一丁は中のエネルギーを半分まで使いきっていた。全弾合わせても六〇発を切っているだろう。相手の手持ちを拝借しようにも一番近場の死体に駆け寄る前に射殺される事請け合いだった。つまり割かし追い詰められていた。

 

「このままではじり貧かっ……!!うお……!?」

 

 撃ち込まれるロケット弾に私は伏せる。至近に着弾したのだろう、爆発の熱風と激しい轟音が私を襲った。糞、耳鳴りがしやがる……!!

 

「痛ぅ……そろそろ本気で怒らせたかな……?っ……!?あれは………」

 

 余りに状況が悪すぎて笑いそうになるが、直ぐに私はゴロツキ達が屯する彼方側で何やら騒ぎが起きているのを確認し、次いで驚きに目を見開く。

 

 数人のゴロツキを轢きながらそれは現れた。大きな影がけたたましい騒音と共に近づく。くたびれたキャンピングカーが丁度マフィアと我々の間に割り込むように急停止した。

 

「旦那様っ!御無事で御座いますか!?」

「大佐殿、これはまた随分と派手な事になっていますな……!!」

 

 後部扉から男爵の護衛であるアンスバッハ従士が、運転席からバグダッシュ少佐がそれぞれ姿を現し我々にそう呼び掛けた。その面子に若干鼻白むが小言を言う暇はなかった。直ぐに私は叫ぶ。

 

「早く車に乗り込めっ!!さっさとしろ……!!」

 

 その言葉にまず愛人様をお姫様抱っこした男爵様が真っ先に反応し、次いで事態を把握した自治領主補佐官が家主様の腕を無理矢理引き摺ってキャンピングカーに向けて走る。私はキャンピングカーから降りた数名の黒服と共に足止めの仕事に移る。

 

「撃たせるかよ……!!」

 

 バズーカ砲にロケット弾を再装填をしようとしていたゴロツキに狙撃、腕を射ぬかれた男はロケット弾を落とし、同時に地面に向けて発射された弾頭が泥の地面に突き刺さり爆発する。弾頭の破片と礫が周囲の者達を殺傷して混乱を引き起こした。

 

「畜生があぁぁ!!」

「舐めてんじゃねぇぞ余所者がっ!!」

 

 アサルトライフルを持ったゴロツキ達がそんな仲間の惨状を気にせず射撃しながら奇声を上げて突っ込んで来た。薬物を使って恐怖心が減衰し、同時に思考能力が低下しているからこそ出来る所業だ。正規の訓練を受けた軍人ならば到底こんな危険な事出来ない。

 

「知るかよっ!!さっさと黙れ……!!」

 

 金切声にうんざりしつつ即座に片方の頭を、もう片方の心臓を撃ち抜いて無力化する。

 

「大佐っ!!早くっ!!」

 

 運転席のバグダッシュ少佐が叫ぶ。気付けば既に私以外はキャンピングカーに逃げ込んだらしい。キャンピングカーの窓から銃撃の光が見える。

 

「マジかっ!!?おいおい置いていくなよ……!?」

 

 後方からの銃撃から逃れながら私はキャンピングカーに向けて全力疾走する。待て待て、動き出すな!!てめぇらマジで私を置いていく積もりかよっ!!

 

「何タラタラしてるのよ!?早く乗って!!」

「タラタラって言っても……うおっ!?」

 

 後部扉から手を伸ばしてそう叫ぶ声。私がその腕を掴むと同時に一気にキャンピングカーに引き摺りこまれる。

 

「よしっ……痛ぇ……!!?」

 

 キャンピングカーの中に突っ込んだと同時に左足の脹脛に激痛が走る。恐らくライフル弾が掠ったのだろう、視線を足元に向ければズボンに出来た穴から豪快に血が流れていた。脹脛の肉の一部を持っていかれたらしい。

 

「ちぃ……!!?痛いだろうがボケ………」

 

 そのまま姿勢を変え、後部扉の前に座りこむ形で私は銃撃を始めようとして、それが視界に映りこんだ。

 

 コンクリート製だろう古い建物の屋上にそれが見えた。銃口から硝煙をたなびかせる古めかしいアンティークライフル銃を構える人影がフェザーンの衛星(月)を背後に纏い浮かび上がっていた。

 

 『裏街』に似合わないベレー帽にジャケットという貴族の狩猟時に纏う華美な出で立ちに端正な顔立ち、それを残酷に歪ませるその風貌。……その人物を私は見た事がある。それもほんの数日前にである。

 

「お前は……」

 

 何故こんな場所にカストロプ家の放蕩息子がいる?そんな疑問が脳裏に過るがそれも一瞬の事だった。キャンピングカーは全速力で走るためにその人影は直ぐに見る事が出来なくなった。同時にけたたましい銃声が響き私の意識はそちらに奪われる。

 

 視線を移せば数台のホバーバイクやらテクニカルトラックに乗った追っ手がキャンピングカーの直ぐに後ろに追い縋って来ていた。

 

「うおおっ!!?止めろよっ!!?これで仕舞いだろっ!?付いて来るなよ!?」

 

 荷台やら運転席やら後部座席の仲間やらから元気に銃撃を仕掛けて来るゴロツキ達に向けて私は罵倒しながら殆んど反射的に撃ち返す。ここはもう幕引きでいいだろっ!?てめぇら仕事熱心過ぎだ!そんなに勤労意欲あるなら堅気の仕事でもしてろよ!?

 

 明らかに彼らの執念は異様だった。それはあるいは何かに急かされ、脅されているようにも思えた。完全に主観ではあるが。

 

「大佐っ!迎撃をっ!!」

 

 スラム街の夜道でキャンピングカーを全速力で疾走させながら叫ぶ情報局将校。キャンピングカーを激しく動かし追い縋るホバーバイクの一台に故意にぶつかれば質量差からホバーバイクは前屈みに地面に突撃、安全ベルトもしていなったのだろう、運転手と後部座席の銃手が空中に投げ出され誰かのバラック小屋に突っ込んだ。多分首の骨が折れて即死しているだろう。

 

「迎撃を、じゃねぇよ馬鹿野郎!ちぃっ……!?」

 

 そう罵倒すると同時に自分の直ぐ側の車体で火花が散る。斜め右隣を走るテクニカルトラックの機関銃からの銃撃によるものだ。色々エージェント様に追及したいことがあるがまずは迎撃の銃撃を行う事に集中しなければいけないらしい。

 

「失礼致しますっ……!!」

 

 私が揺れる車体にしがみつきながら発砲していると後方、つまりキャンピングカーの中から現れる黒服が短機関銃を両手に持って躍り出る。両手撃ちで毎分数百発もの拳銃弾が至近でトラックに叩きつけられた。

 

 銃座の男が仰け反り振り落とされる。同時にタイヤに被弾したのだろう。パンクしたテクニカルトラックはスピンしてそのまま回転、後方の別のトラックを捲き込み横転する。

 

 次いで正面からホバートラック。後部座席の男が筒状の何かを此方に向けようとしていた。というか明らかにロケット弾だった。撃たれたら終わりなので数名の黒服と私が集中攻撃を行い蜂の巣にしてやった。

 

「不味い……!!」

 

 バグダッシュ少佐の舌打ち。テクニカルトラックの一台が横合いに、取りつき車体に機関銃をばら蒔く。装甲なぞ碌にないキャンピングカーである。銃弾は貫通し、火花が飛び散りタイヤの一つを破裂させる。

 

「うおおおっ……!?」

「きゃっ!!?」

 

 元より無舗装で乗り心地が悪い車内の揺れが激しくなる。そこに銃撃が弾ける音が響く。キャンピングカーの奥に避難していた男爵やら補佐官やらが銃弾から身を守るために体を伏せる。

 

「ぐっ!?」

 

 黒服の一人が肩に負傷して苦悶の声を上げて倒れる。三次元機動を活かして奇襲するように死角から現れたホバーバイクからのものだった。

 

「糞っ!!次から次へと……っておいおいマジかマジかマジかっ!!?」

 

 死角から現れたホバーバイクがそのまま速度を上げて銃撃しながら此方にやってくる。それが意図する所を私は操縦席から立ち上がる男の姿から理解した。

 

「全員!奥に行けっ……!!」

 

 振り返りそう叫んだと同時の事だった。激しい衝撃と共に後部扉に突っ込むホバーバイク。運転手と後部座席の男はそのままバイクから降りて拳銃とナイフという閉所戦闘を念頭においた装備を手にキャンピングカー内部に躍りこむ。

 

 瞬く間に突撃の衝撃で床に倒れていた黒服の一人に発砲、肩と足を撃たれて戦闘不能に追い込まれる。更に操縦席の男は男爵達に銃口を向ける。

 

「ちぃっ!?」

 

 土足で入り込んできたゴロツキ達の狙いに舌打ちしつつ咄嗟に男爵は手元の少女を庇うように抱き締め男に対して背中を向けた。

 

「させるかぁ!!」

 

 横合いから現れた黒服隊長がサバイバルナイフを抜いていた。振り下ろされる刃。拳銃を持った腕が宙を舞い悲鳴を上げる男をアンスバッハ従士が正面から蹴りあげ情け容赦なく車外に突き落とす。

 

 後部座席から躍り込んでいたもう一人が仲間の仇とばかりに反撃しようとする。足を負傷して床に倒れていた私は咄嗟に撃たれていない方の足で相手の足を払い姿勢を崩させた。ゴロツキが転げながら小さな悲鳴を上げる。アンスバッハ従士達を狙っていた銃弾は天井を撃ち抜いた。

 

 その瞬間の事だった。キャンピングカーが激しくターンした。遠心力が働き男が後部扉から外に振り降ろされる。

 

「っ……!!」

「こいつ……っ!?」

 

 男は咄嗟に私の足を掴んでいた。同時に遠心力によって男と共に私は外に引き摺り出される。

 

「あっ……!?」

 

 私の手を掴む感触があった。僅かな瞬間、私は視線を動かし目を見開きながら私の下に駆け寄り手を握る家主様の姿を視界に納めた。しかし、残念ながらその行いは悪手であった。

 

 刹那、男と私と家主はターンし切った瞬間に慣性の法則と遠心力に従いキャンピングカーから外に向けて一気に投げ出された。キャンピングカーの中から此方を見て驚愕する黒服や黒狐達の姿を見る事が出来た。だがそれも一瞬の事で次に見えたのは迫りくる砂であった。

 

「糞ったれ!!」

 

 私は空中で家主の腕を引き、懐に抱き締めながら襲いかかって来るだろう衝撃に備える。

 

 数秒もせずにそれは来た。砂の中に突っ込み視界がぶれると共に呼吸器にダメージを受けて噎せた。激しく砂の絨毯に転げ回る。そしてそのまま砂丘の下に向けて転げ落ちたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

「うっ……ぐっ……覚悟していたがマジで痛ぇな………!!」

 

 一瞬ブラックアウトした意識は恐らく数分もせずに回復した。但し、それは激痛によるものであったが。足を撃ち抜かれているのは勿論、恐らく時速三桁に迫る勢いで走っていたキャンピングカーから飛び降りれば全身むち打ちしたような痛みもしよう。下が砂で可能な限り上手く落ちた積もりだったのだが流石に限界があるらしい。

 

 ……一瞬、欠損しなかっただけ幸運だと思ってしまったのが色んな意味で悲しい。

 

「うっ……うんっ……こ、ここは………?」

 

 懐から呻くような声がした。ああ、忘れてた。お前さんいたんだったな。

 

 汚れた塵拾いの上着に包むように抱き締めた家主様が此方を見上げた。

 

「一応上手く落ちた積もりだが手足はどうだ?折れたりヒビが入ってないといいんだが……ぐえっ!?」

 

 次の瞬間家主様に頬をひっ叩かれた私は絞められた鶏のような悲鳴を上げた。

 

「何人の尻と腰触ってるのかしら?セクハラなの?痴漢なの?死ぬの?」

 

 私の腕の中から抜け出て立ち上がり、衣服についた砂を手で払いながら塵を見る目……いや塵以下を見る目で此方を見てくれる家主様である。酷い!不可抗力だっ!!

 

「何が不可抗力よ。こういうのはね、どんな理由があろうと触った時点でアウトなの。嫁入り前の娘になんて事してくれるのかしら?この放蕩糞貴族!」

 

 詰るようにそう言ってくれる家主様。厳しすぎる……と思うのはベアト等の従順過ぎる女性ばかり傍にいたせいだろう。まぁ、衝撃に備えるためとはいえ割かし尻とかがっつり掴んでいたからね、仕方ないね。……結構小さくて良く締まってたな………。

 

「おい、今何考えていた?」

「な、何の事かな……?」

 

 ジト目で此方を睨む家主様に対して視線を泳がして誤魔化す。

 

「全く、男ってのはどいつもこいつも……っ!?」

 

 何かに気付いたように凍り付いた表情を浮かべる少女。その視線の先に私も釣られるように顔を向ける。そこには我々と共に車内から転げ落ちたゴロツキの姿……。

 

 いや、そんなものはどうだって良い。それよりも問題は砂丘の先から近づいて来る影と砂の中を蠢く不気味な音であり………!

 

「不味いっ……!!」

 

 砂の中から跳ねるように全長三、四メートルはあろう影が現れた。漆黒の闇の中でその黄金色の瞳が怪し気に輝く。

 

『グオオオォォォォ!!!』

 

 狼が遠吠えを上げるように叫ぶそれはエイを連想させる独特の顔部造形を持っていた。両手と尻尾は巨大なヒレ、並んだ牙は夜の光に反射して怪しく輝く。

 

 黄土色の肌を持つ二足歩行の鮫とも蜥蜴とも表現出来そうなそれは砂鮫……凶暴な肉食動物として有名な野生のガレオスの姿そのものであった。

 

「ひっ……」

 

 思わず悲鳴を上げようとした家主の口を私は手で閉じさせる。獰猛な夜行性大型肉食動物であるガレオスの目はしかし退化しており、視力は決して良くない。逆に言えば聴覚はかなり発達している。声、それどころか個体によっては呼吸音ですら此方の場所を気付かれてしまうだろう。そして見つかればこの距離の上、装備は私の拳銃程度である。まず一撃で仕留めるのは不可能であり、この肉食動物を殺しきる前に十中八九此方は両方噛み殺される。我々にとって最善の行動は相手の視力の悪さに賭けてこの場を誤魔化す以外なかった。

 

「うっ……ぐっ……痛てぇな……!この糞野郎共め!!」

 

 私達と共に砂丘に転がり落ちたマフィアもどうやら今の咆哮によって意識を取り戻したらしい。足を挫いたようでふらつきながらも、此方を視界に収めると思い出したかのように怒気を強め懐の拳銃を引き抜く。だが、それはこの場においては余りにも無謀な行いであった。

 

「ふざけやがって!!両方ぶち殺してや……ぎゃっ!!?」

 

 次の瞬間男は頭からガレオスに食いつかれる。

 

「ぎぃやあぁぁぁ!!?い、痛いっ!!?いだっ……ひぎぃっ……!!?」

 

 頭に食いついたガレオスはそのまま男を振り回し、次いで砂の上に何度も叩きつける。血飛沫が辺りに飛び散る。骨が砕けるグロテスクな音が闇の中で響く。くぐもった獣のような悲鳴が鳴り響く。私の頬に生温かい何かが跳ねたのを感じた。

 

「っ……!!」

 

 家主は此方に抱き付いて顔を私の胸元に埋めてそのおぞましい光景から目を逸らした。恐らく耐えきれなくなったのだろう。私にすがりつく彼女の身体は震えていた。私は彼女が悲鳴を上げないように耳を塞ぎ、その身体を抱き寄せる。

 

「い、いやっ…じにだく…だ、だすげ……ひぎゅ……あっ…ぐっ……!?」

 

 足の骨が両方折れたのだろう男が身体を引き摺って此方に助けを求める。噛み傷が身体中にあり、血塗れだった。頭皮の一部は捲れて骨が見えていた。震える涙声を上げる男。

 

 ガレオスがその背中を踏みつけたと同時にゴリッ、という擬音が響き渡った。数百キロの体重を持つ肉食獣に踏みつけられたのだ。その衝撃で背骨は折れ、内臓は圧迫され一部は潰れた事だろう。身体を痙攣させ、咳き込みながら血を吐く男。怪物は口を開きその頭を咥え………。

 

 グチャリ、という音と硬い何かを噛み砕く咀嚼音が暫く響き続けた。耳を塞いでいるので聞こえていない筈だがその音が鳴り続ける間胸元の少女は息を震わせて怯えていた。一方、私は視界を背ける訳にもいかないので目の前で行われる惨劇を見続ける。丁度、目の前の肉食獣は手足を食い千切り手頃な大きさになった所で人体を口で持ち上げ、蛇が鼠をそうするように丸飲みを始めていた。ギチギチ、と到底人間の身体から響くべきでない音が鳴り響く。

 

『グウウゥゥゥゥ………』

 

 漸く食事を終えたガレオスの、黄色く闇の中で光る眼光が此方に向いた。

 

(……大丈夫だ。視力は良くない。普通の野生動物は他の動物がいるような状況で無防備に食事なぞしない、ならば完全に此方に気付いてはいない筈………)

 

 此方の至近で唸るような鳴き声を上げるガレオスを睨みながら私は自分自身に言い聞かせる。息はとっくの昔に止めていた。呼吸音で気付かれてこの距離から飛び掛かられてはまず避けきれなかった。

 

 胸元に抱き着く少女は一層その握力を強め、私に密着していた。恐らく事態を理解しているのだろう、呼吸音はずっと前からしなかった。

 

『グウウゥゥゥゥ………?』

 

 目の前で喉を鳴らし、鼻息を吐くガレオス。止めろよ、妙に生温かい息なんか吹き掛けるな気持ち悪い……!

 

(さっさと行ってくれよ。息が苦しいだろうが蜥蜴めっ………!!)

 

 赤黒い血液と粘液のへばりついた、鮫を思わせる鋭く均等に並ぶ牙を見つめながら私は内心で罵倒する。この野郎、フカヒレスープにしたろか?

 

 まぁ、それは兎も角として………。

 

「…………」

 

 私は視線だけ動かして暗闇の中でどうにかそれを見つける。砂の中に半分沈んだ火薬式拳銃だ。

 

(……やるしかないか)

 

 私は先程食い殺された男のものだろうそれにゆっくりと、音が響かないように注意しながら手を伸ばす。

 

『グウウゥゥゥゥ………』

 

 拳銃を拾うと同時に視線を動かし威嚇するように一層唸る砂鮫。凄ぇな、今の拾った時の僅かな音に気づくのかよ……!!

 

(落ち着け、落ち着け、落ち着け、焦るな………!!)

 

 私は自身にそう言い聞かせる。ガレオスはまだ警戒はしているが目の前に私達がいる事には判断しかねているようだった。よしよし良い子だ……。

 

「っ………!!」

 

 私は拳銃を思いっきり投げた。遠くに捨てられた拳銃が砂の中に落ちる。聴覚に優れた砂鮫はすぐにその砂丘に反響した震動に反応した。

 

『グオォォォ!!』

 

 躍りこむように拳銃の投げ捨てられた方向に向けて突っ込むガレオス。暫し獲物を探すように辺りを暴れるが、当然そこには誰もいない。

 

『グウウゥゥゥゥ………?』

 

 少しの間周囲を警戒するガレオス、しかし何者もそこに存在しない事を理解するとそのまま砂の中に沈みこみ、砂を擦るような独特の音と共にその場を立ち去る……。

 

「…………もういいぞ。どうやらもう近くにはいないようだ」 

 

 暫しの間警戒し続け、それが確実に去ったのを確認すると深呼吸しながら私は告げる。文字通り息も出来ない状況だったのでそう口にすると同時に何度も深い呼吸をしていた。

 

 それは私にしがみ付いていた少女も同じようで、次の瞬間にはマラソンを終えたランナーのように荒い呼吸を繰り返し肺に新鮮な酸素を補給し始める。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……助かった……の……?」

 

 此方を見上げながら目元を潤ませ、怯え気味に家主様は尋ねる。

 

「どうにか、と言った所だな」

 

 頬にこびりついた血を拭き取りながら私は答える。

 

「そう………」

 

 心底ほっとした表情を浮かべる家主様である。

 

「……随分としおらしいですね?そりゃあ食い殺されるなんて銃やナイフを向けられるのとは別種の恐怖ではありますが貴女のような逞しい御方がそんな兎みたいに怯……すみません」

 

 私の指摘は腹を抓られて生じた鋭い痛みで中断させられる。潤んだ瞳で此方を睨みつける家主様に私は苦笑いしながら赦しを乞う。

 

「あー、申し訳御座いません。御許し下さい。……自分から悪ふざけして何ですがそろそろこの辺りから離れましょ……痛ぇ……あの砂鮫がまたやって来たら今度は誤魔化し切れるか怪しいですしね」

 

 私は銃撃で出血する足の痛みを我慢して立ち上がると営業スマイルを浮かべながらそう謝罪と同時に提案する。家主様はそんな私を不満と非難と僅かな怒りを含んだ涙目で睨め付ける。

 

「言われなくても分かっているわ。こんな危険な砂漠さっさと……っ!?」

 

 ツン、と不機嫌そうにそう言い捨て立ち上がろうとした家主様はしかし、次の瞬間驚き、次いで苦い、そして顔を紅潮させプルプルと顔を震わせる。

 

「……フロイライン?」

「………」

「……」

「……」

「……フロイライン?」

「……足が震えて立てない」

 

 家主様は私の一度目の呼びかけには沈黙で応じたが、二度目の呼びかけには苦悩と葛藤と羞恥の感情を織り交ぜた表情と声でそう答えた。所謂腰が抜けた、という事だろうか?どうやら身体が強張って一人では立ち上がれないようだった。

 

「……承知しました。それでは不調法者ではありますがエスコートさせて頂いても宜しいですか、フロイライン?」

 

 ここ数日の観察から家主のプライドの高さは理解していたし、彼女の発言が相当悩んだ末のものであっただろう事も私は分かっていた。なので彼女の面子を立てるように下手に出て私は左手を差し出す。

 

 そんな私の表情を忌々し気に一瞬睨み、しかし背に腹は代えられない事をよく知っている現実主義者である少女は不機嫌そうに私の手を取った。私は足の痛みを我慢して一気にその細い腕を引っ張り彼女を立たせる。

 

 両手で私の腕を持って立ち上がった家主様は一瞬視線を逸らし、次いで不機嫌そうに此方を見てこう吐き捨てた。

 

「……私の家、後で精神的苦痛の分も含めて賠償してくれるわよね?」

「勿論ですともフロイライン」

 

 彼女の精一杯の意趣返しに対して、私は内心呆れつつも恭しくそう答えたのだった。本当に逞しいご令嬢な事であった。

 

 

 

 

 

 

 出来れば止血したかったが余裕はなかった。取り敢えず足の痛みを我慢しながらこの危険なスラム外れの砂丘を登る。

 

「……大丈夫なの?結構血が出てるけど」

 

 血液でびっしょりと濡れているズボンを見て尋ねる家主。

 

「まぁ、大丈夫だろ。……こういうのは慣れてる」

「慣れてるって……はぁ」

 

 呆れきった表情で溜め息を吐かれる。此方だって好きで慣れた訳じゃないんだがね?

 

「はいはい、言い訳言わない。……まぁ、取り敢えずはこれで我慢しなさいな。後でやり直すから」

 

 そういって自分の衣服の布地から比較的汚れていない部分を適当に破いて私の傷口に当てて締め上げる少女。止血処理について私が礼を言えばズケズケと「治療費は後で貰うわ」と吐き捨てられる。ですよねぇ

 

 手当てをしてもらい再度砂丘を登り始め、丁度登り切った所で正面から銃弾跡や焦げ跡でデコレーションされたキャンピングカーが遠目に現れ、此方に向かって来たのが見えた。どうやらしつこいストーカーの処理は終わったようで周囲を小判鮫のように連れ添うテクニカルトラックやらホバーバイクの姿は見えない。

 

「ああ!良かった!!大佐御無事で何よりです!!」

「おいおい、これが無事に見えるか?少佐、ちょっと辞書で『無事』の意味を調べ直したらどうだね?」

 

 我々のすぐ傍でキャンピングカーが停車し、運転席から安堵の表情を浮かべながらそんな事をほざいたバグダッシュ少佐に嫌み半分にそう言い捨てる。これのどこが無事なんですかねぇ?

 

「………補佐官?」

 

 足音に気付いて視線を運転席からキャンピングカーの後方に移る。砂漠をブーツで歩く自治領主補佐官が視界に映し出された。

 

「思ったよりも元気そうですな大佐殿」

「誉められている、と解釈したいな。それじゃあ………」

 

 キャンピングカーの後部扉から顔を覗かせる男爵様を一瞥する私。へらへらと軽薄な笑みを浮かべながら手を此方に振っている。そちらも御無事そうで何より。

 

 ではでは………。

 

「………あんたらと、少し茶飲み話をする必要があるらしいな。えぇ?」

 

 お互いの認識と事情を共有するために、そして今回の馬鹿騒ぎの全貌についての答え合わせのために、私は嫌な予感を感じつつもそう尋ねたのだった………。



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第百五十八話 誰に対しても隠し事は良くないって話

「と、まぁこういう訳ですね」

「成る程、説明は理解したよ」

 

 砂丘で回収され、足の痛みを堪えつつキャンピングカーに設けられたソファーに座り、家主様の治療を受けながらバグダッシュ少佐達の話を聞き終える。私が返答の言葉を口にした時には既に応急処置は終わり、脹ら脛の怪我を包帯でくるまれ、強く締め付けられていた所だった。痛い痛い。ご免、もっと優しくしてくんないかな?

 

「馬鹿おっしゃい。消毒はしたけど止血はまだまだ怪しいわ。これくらい我慢しなさいな」

「うぐっ……むう………」

 

 私の足に包帯を巻き続けながら家主は答える。キャンピングカーに回収されてから彼女に私の応急処置の大半をしてもらっている以上文句は言えなかった。

 

「くくっ!よう大佐、介護される気持ちはどうだい?」

「敬老精神は大切だって気づけたよ」

 

 私を茶化す男爵の声に呆れ気味に言い捨てる。そして、同じく男爵に不快げな冷たい視線を向けつつ私を治療をしてくれている家主様から視線を正面に移す。

 

 顔を上げた私の目の前にはキャンピングカーの運転を黒服の一人に代わってもらったバグダッシュ少佐と自治領主補佐官が正面の椅子に座り、少し離れた所ではベッドに男爵、その膝の上に少女が座り、当然のように怪我を応急処置した数名の黒服がその周囲に控えていた。

 

「……それじゃあ、話を聞いた上で理解の確認をさせてもらうぞ?」

 

 色々と言いたい事はあるが……兎も角、端的に説明すれば全ては私の勘違いであった訳だ。此度の騒動はアドリアン・ルビンスキーによるものでなければ、寧ろ彼もまた命を狙われる側であったらしい。

 

 黒狐とバグダッシュ少佐の言を合わせて考えた結果、此度の騒動を裏で糸を引いている者達は恐らく二者であると予想された。即ち、カストロプ公爵を筆頭とした地方諸侯からなる帝国分権派、そしてフェザーン傭兵派遣企業最大手アトラス社社長にしてフェザーン元老院議員たるスペンサー氏の一派である。

 

 前者については説明しなくても理解出来よう。そもそもアルレスハイム方面への出兵を主導したのはこの分権派と旧守派である。少なくとも数日前の使節団に対する爆弾テロとフェザーン元老院における自治領主に対する各種妨害はまずこの二者のどちらか、あるいは両方によるものと見て間違いない。問題はスタジアムでの襲撃に関与したと思われるスペンサー氏の存在だ。少なくとも表向きは親同盟派であり、ワレンコフ自治領主との関係も良好な社長が何故彼方側であるのか疑問ではあるが……。

 

「以前から噂自体はありました。正確に言えばカストロプ公がフェザーンを通じて同盟との各種密貿易をしており、フェザーン元老院の有力議員がそれに関与しているという内容です」

 

 私の疑問に対してバグダッシュ少佐が補足説明を行う。

 

 基本的に帝国と同盟の間を航行出来るのは暗礁宙域を貫く二つの回廊のみであり、一方のイゼルローン回廊は当然ながら両軍の厳しい警戒網が張られている。ステルス性能に特化した特殊潜航艦艇なら兎も角、密貿易とは言え貿易に使用する輸送艦艇ではその警戒網突破は極めて困難と言わざる得ない。

 

 ともなれば、当然ながら密貿易で主に使用される航路はフェザーン回廊である。当然此方の回廊も両国の警戒が行われているが、その密度はイゼルローン回廊程厳しい訳ではない。ましてフェザーン船籍の貨物船に対する臨検体制は一世紀に渡るフェザーン自治領主府の数々の政略により比較的緩い。

 

 当然、それでも密貿易を行う事自体は簡単ではないが……協力者に元老院議員と輸送警備を下請けする大手民間軍事会社があれば話は別である。

 

「無論、それだけが理由ではありませんよ。サジタリウス・オリオン両腕内の反政府勢力に宇宙海賊、その他の犯罪組織、外縁宙域の中小勢力、彼らに対する武器弾薬、日用品、消耗品、機械類、人材の派遣とその見返りの御禁制品の輸入……この密貿易は両国とも利権を持つ有力者は多い」

 

 ルビンスキー氏は補足説明する。帝国・同盟共に長い戦争で兵器は日進月歩の進歩を遂げ、同時に旧式兵器は毎年のように値崩れを繰り返している。

 

 二大超大国の支配に反発する両国内諸勢力、外縁宙域で抗争を繰り返す国外中小勢力にとっては両国軍では大昔に陳腐化した兵器でも羨望の的だ。無論、これ等勢力が求めるのは武器以外にも常に不足する日用品に消耗品、輸出規制のかけられている各種機械類、技術力的に自作出来ない恒星間航行用宇宙船舶等々幾らでもある。

 

 カストロプ家はスペンサー社長を初めとしたフェザーンの協力者を通じそれらの商品を密かに輸出し、代わりに資源や商品としての人間、違法薬物等を輸入して莫大な利益を上げたのだという。確かに十年以上前から生じている同盟国内の宇宙海賊の重武装化はカストロプ家による武器密輸がその一因とも噂されていたし、スペンサー氏が急速にアトラス社経営陣として頭角を現した時期とも一致する。表向きは凶悪化・重武装化の進む宇宙海賊からの民間船舶護衛分野の事業改革によるものとされているが……それ自体は嘘ではなかろうが、どうやらそれだけではなかったらしい。下手したらマッチポンプだった可能性すらあり得る。

 

 ……さて本来、ここまで滅茶苦茶すれば同盟・帝国双方から潰されても可笑しくはないのだが……やはりオイゲン・フォン・カストロプは狡猾で辛辣だ。

 

 密貿易で得られる利益の少なくない額が同盟・帝国・フェザーンの軍人・政治家・官僚・警察機関・企業にばら蒔かれている、というのは昔から噂レベルで伝わっているが、どうやら少佐と補佐官の言から察するにそれは真実らしい。また密貿易の合間に得られる敵国内の情報、売り払われる商品による武装勢力の敵国内及び外縁宙域での活動の活性化は双方の諜報機関にとっても極めて有益なものであったという。

 

 また幾らカストロプ公が手広く闇社会で荒稼ぎしているといっても全ての組織と商談している訳ではない。寧ろ広い銀河ではカストロプ公とビジネスをしていない組織の方がどちらかと言えば若干多い位だ。

 

 そして商売仇である非カストロプ派武装勢力・犯罪組織はカストロプ公とその傘下勢力によって過去、幾度も攻撃を受けている。同盟と帝国から見れば、カストロプ公系列の密貿易・犯罪組織を潰すよりも寧ろ放置して他の組織を弱体化させてもらった方が治安上効率的な側面があった。あるいはカストロプ公がそう両国治安機関に吹き込んだのかもしれない。

 

 そもそもカストロプ公が全てを元締めしているだろう事は九割方事実と見られていたが、その証拠を中々掴ませないと来ている。過去無理矢理な強制捜査が行われた事もあるが、証拠類は悉く処分され空振りに終わった。下手をすれば報復すらあり得る。両国とも、カストロプ公とその系列組織の調査と弾圧を行う労力があれば別の方向に向けた方がまだ生産的であった。

 

 あらゆる違法行為に手を染めながら、しかしその存在が有益であり、撲滅が困難を極めるがために放置される存在、それがオイゲン・フォン・カストロプ公爵であった。そして、宇宙暦790年においてフェザーンにおけるカストロプ公の最大の協力者が今やアトラス社の社長にまで上り詰めたスペンサー社長であるという訳だ。

 

「正確に言えばフェザーン・同盟間、ですがね。アトラス社は同盟政府や亡命政府と数多くの契約を結び傭兵を派遣しています。その輸送船舶、あるいは彼らへの補給のための補給船舶は密貿易を行う上で都合が良かったのでしょう。近年反同盟勢力から帝国製兵器の鹵獲や犯罪組織からのサイオキシン麻薬等の回収事例が増えていますが、恐らくそれが原因かと」

 

 同盟軍情報局将校は補足的にそう答える。

 

「ふむ、カストロプ公と、その要請を受けたスペンサー氏が借款交渉を叩き潰すためにこれまでのおもてなしをしてくれたって訳か」

「私はワレンコフ自治領主の補佐官、借款交渉に協力する身です。どうやら私もそのせいで暗殺の対象だったようですな。しかもあのタイミングです、彼らにとっては鴨が葱を背負って来たようなものでしたでしょう。あのチンピラ共の襲撃から見るに、恐らくこの辺りのマフィアは密輸事業に協力しているらしい」

 

 ルビンスキー氏は自身について来て襲撃した者達についてそのように分析する。

 

「私は尾行してきたマフィアを尋問して事態を把握しました。ブラウンシュヴァイク男爵家の方々と合流出来たのは同じくこの辺りのマフィアが大佐方を襲撃しようと妙な動きをして注目されていたのが理由です。双方共に救助が目的なので比較的協力関係を築くのは簡単でした。このキャンピングカーは男爵家の方々が急いで用意したものです」

「成る程な。補足説明ご苦労」

 

 ふむふむ、と私は大仰に、納得したとばかりに頷く。そして、穏やかな表情で私は口を開いた。

 

「……それで?実際の所はどうなのよ?」

 

 二者の『建前』の御説明を聞き終えて、一拍置いてから私は彼らに『真実』について尋ねた。

 

 当然だ。本当に彼らの言う通りならばカストロプ公は使節団の地上車を完全に吹き飛ばしているだろうし、襲撃してきたヒットマンによって私はスタジアムで死亡しているだろうし、運良くそれを生き延びたとしてもバラック小屋への砲撃でミンチになっていたたろう。少なくともカーチェイス中に放蕩者として有名なカストロプ公の嫡男が顔見せする訳がない。

 

「嘘を言っていないのは確かだろうさ。だが……真実も言っていない、そうだよな?」

 

 私の質問に対して少佐はむすっと不機嫌そうに顔をしかめ、一方自治領主補佐官は意味深な笑みを浮かべる。

 

「いやはや、やはりその事に気付きますかな?」

「当然さ、これでも一応門閥貴族だもんでね。……因みに口止めしようと提案したのはどちらよ?」

 

 私が問い質せば自治領主補佐官は少佐を指差す。まぁ、妥当な線ではあるな。

 

「大佐、私は……」

「あー、別に気にしてはないさ。同盟軍の情報局からすれば余所者の私がこの件に首を突っ込み過ぎるのを嫌うのは当然だろうからな」

 

 まぁ、代わりに裏話についてはちゃんと聞かせて貰うがね?

 

「で?誰が説明してくれるんだ?」

「……私が答えましょう」

 

 自治領主補佐官殿が恭しく、そして白々しい態度で内実について説明を始める。

 

「まずハイウェイにおける使節団に対する爆弾テロについてです。あれは確かにカストロプ公の手の者による犯行である事に間違いありません。ですが、実際彼方が本気で暗殺を目論んでいればあんな可愛い花火では済まなかったでしょうな」

 

 その言い回しは如何にも態とらしさがあった。そしてそれだけで私は黒狐の口にしたい事が何であるのかを理解した。

 

「……事前に把握してたんだな?」

「正確に言えば私と同盟、それに亡命政府の使節団が、ですな。本来ならばあのハイウェイは完全に爆破されて倒壊していました。ですが、爆弾は一部を残して私の手の者が密かに撤去しておりました」

「成る程、撒き餌か」

 

 どうやらカストロプ公自身はかなりの覚悟を決めていたらしい。曲がりなりにも皇族たるアレクセイを中立国で白昼堂々爆殺する積もりだったとは。かなり政治的リスクは高かっただろうに。それだけ公爵は今回の借款交渉を邪魔したかった訳か。いや、それよりも重要な事がある。

 

「トリューニヒト議員やシュヴァリーン大公はテロを事前に把握していた訳か。安全確認はしていただろうが……随分と肝が据わっている事だな」

 

 ルビンスキーの言から察するに、同盟政府と亡命政府どちらの使節団もテロ計画は把握していた。そして『敢えて』爆弾の待ち構えるルートを『わざと』爆弾を一部残したまま通った訳だ。恐らく目的はカストロプ公と繋がりのあるフェザーン元老院議員を炙り出すため。

 

「中途半端な形でテロが起きてしまいましたからな。カストロプ公もこれには焦った事でしょうよ。火消しと借款潰しのためにパイプのある議員を急いで総動員しているようですな。流石に予想外の事態らしく、お陰様でこれまで判別の付かなかったパイプまで炙り出せましたよ」

「それは結構。ワレンコフ自治領主はこの事を?」

「いえ、あの件につきましてはあくまでも私が独自に動きました。全て自治領主閣下の預かり知らぬ所ですよ」

「……へぇ」

 

 その返答は私も予想外だった。親同盟派のワレンコフ自治領主に同盟が話を通していないとは。となるとその理由は……。

 

「……少佐、スペンサー氏がカストロプ公と組んでいる事は事前に知らされていたか?」

「いえ……」

「だろうな。伝えられたのはカーチェイスで私が振り落とされた後だろう?……同盟政府と亡命政府にはスペンサー氏の事は伝えず、ワレンコフ自治領主には爆弾テロに対する工作を報告しなかった。随分と危ない橋を渡っているな、補佐官?」

 

 この禿げ男の魂胆は分かっていた。パイプ役の素振りを見せての情報操作、恐らく我々を潰し合わせて漁夫の利でも得ようとしたのだろう。思えば原作でもルビンスキーはワレンコフの死後、もう一人の自治領主候補と争って自治領主の地位についていた筈だ。そのもう一人の候補者が恐らくスペンサー氏だろう。

 

 多分、原作でも似たような陰謀はあったと思われる。本来ならば同盟政府とワレンコフ派の残党はスペンサー氏を支持した筈だ。帝国の諸派やフェザーンの他派閥企業にしてもワレンコフの補佐官であったルビンスキーを推す筈がない。

 

 恐らくはこの情報操作が決め手だったのだろう。借款交渉が潰れた所で同盟政府とワレンコフ派にスペンサー氏とカストロプ公の繋がりを示す情報をリークしてスポンサーを奪い取った。

 

 あるいは勢力均衡派に接近した可能性もある。スペンサー氏が自治領主となればカストロプ公の影響を強く受けるだろうし、両者の繋がりが暴露されれば同盟はフェザーンに確実に干渉してくる。勢力均衡派からすればルビンスキーを推した上で全てがバレる前にスペンサー氏を処理するという選択肢もある筈だ。少なくとも情報の隠匿と重要局面での活用が彼が自治領主の地位を得た一因である事は間違いない。

 

「チャンスには食いつくのがフェザーン人ですので」

「そして今や命を狙われる立場か?」

「いやはや、耳が痛いですな。……次の件について説明しても?」

 

 私は補佐官の言葉に応じる。彼のせいで我々も色々と面倒な事になったがここで彼を詰るのは余り生産的な選択ではなかった。

 

「さて、次はスタジアムで大佐殿を襲撃した騒動についてです」

「ああ、実行はスペンサー社長、黒幕はブラウンシュヴァイク公と亡命政府間の協力を妨害したいカストロプ公だっけか?」

 

 それ自体は話の筋は通る。特にブラウンシュヴァイク公は治安機関・諜報機関系列に地盤とコネクションを持つ人物だ。非合法行為を行うカストロプ公からすれば目の上のたん瘤、あのような騒ぎを起こすのは可笑しくはない。

 

「だが、ここで話題にする位だ。そんな簡単な話じゃあないんだろ?」

 

 私が尋ねれば楽しそうに自治領主補佐官が口元を吊り上げる。

 

「直接的にスタジアムで貴方を襲撃したのはスペンサー氏の駒で間違いないでしょう。ですがあのような無謀な策はあのカストロプ公に似つかわしくない、そう思いませんかな?」

「本当にカストロプ公なら今頃私も男爵もヴァルハラ送りだろうよ。まして、曲がりなりにも次期当主たる息子があの場にいたのに慎重な公爵が動くものかよ。あからさまに疑惑が向くし、一族を殺されたブラウンシュヴァイク一門は全力で潰しに来るだろうな。そんなリスク誰が背負うんだよ」

 

 となれば、あの場で襲撃を企てたと考えられるのは……。

 

「同盟政府や統制派の自作自演、はないな。利点がない。リッテンハイム侯も今は派閥の結成に集中したいだろうからこれも有り得ない。旧守派にしてもあの襲撃は余りにも稚拙過ぎる。腹黒狸爺の計画ではないな。だが……」

 

 となると誰が計画した?ほかの派閥や勢力で残念ながら計画の実行自体難しいが……。

 

「派閥が常に一枚岩とは限らんさね」

 

 ここで話に割って入ってきたのは私と共にあの騒ぎに巻きこまれたブラウンシュヴァイク男爵だった。キャンピングカーの簡易ベッドの上で胡座をかき膝に表情の乏しい少女を乗せて此方を見やる。

 

「一枚岩……まさか、皇太子ですか?」

 

 私は僅かに帝国の宮廷の勢力事情と文化について考え、その答えを導き出す。男爵は僅かに驚きながら口笛を吹く。

 

「御名答!案外すぐ分かったな?もう少し思いつくのは遅れると思ったんだけどな?」

「男爵の中で私はどれだけ過小評価されてるんですかねぇ?」

 

 現状の帝国政情、あるいは帝国宮廷の常識に対する知識があれば決して難しい発想ではない。

 

 旧守派はルードヴィヒ皇太子を次期銀河皇帝に押す派閥である。だが、それは必ずしもルードヴィヒ皇太子に対して本当の意味で忠誠を誓っている訳でなければ積極的に皇位継承に相応しい人物と考えている訳でもない。

 

 以前触れたように、ルードヴィヒ皇太子はブラウンシュヴァイク公爵夫人アマーリエ及びリッテンハイム侯爵夫人クリスティーネと違い、宇宙暦786年に死去したフリードリヒ四世皇后ルイーゼの子ではない。それどころか後宮に納められた諸侯の子女でもなければ宮内省の役人がスカウトした娘の子ですらない。

 

 皇帝の地方行幸の際に偶然目に入りそのまま勝手に摘まみ食いして連れ帰ってしまったロンバルト二等帝国騎士家の娘、それがルードヴィヒ皇太子の母である。

 

 百歩譲ってこれが歴史ある騎爵帝国騎士家、あるいは千歩譲って上等帝国騎士家の家柄であったとして、正当な手続きを経て後宮に入宮し、どこかの派閥の一員として御手付きになってから懐妊したのなら味方もいよう。だが、宮廷事情も何も知らない田舎の小娘をいきなり拉致って懐妊させて出来た小僧に誰が好意を持てる?

 

 経緯の時点で既に諸侯の好意は限りなくゼロに近かった。ましてルードヴィヒ皇太子の母は田舎の歴史の浅い下級貴族らしく、宮廷人からしたら余りに品がなく、庶民的で、後宮の姫君達や諸侯の地雷を(恐らく本人に自覚なく)盛大に踏み、その精神を逆撫でする性格と価値観の持ち主だった。

 

 まぁ、あれだ。宮廷的には「あ、こいつ死んだわ」とすぐに分かるような人物だったそうだ。実際後ろ盾皆無なのでルードヴィヒをすぐに臣籍降下してなかったら真っ先に暗殺されていただろう。

 

 問題は仁義なき次期銀河皇帝レースの主要参加者達が軒並み現世から強制リタイアした事だ。お陰様で臣籍降下した筈のルードヴィヒに御鉢が回って来た訳だ。

 

 当然、母方の事もあり主要な諸侯の支持は得られない。かといって他の次期皇帝候補者もそれはそれで様々なベクトルで問題があった。結果、国務尚書、軍務尚書を始めとした旧守派の消極的な支持を受け、ルードヴィヒは皇太子の地位に就く事に成功する。

 

 だがそれも薄氷の上の地位でしかない。二等帝国騎士の子供を皇帝に?確かに歴代の皇帝の中には大貴族以外の腹から産まれてきた者もいない事はない。

 

 だがそれでも精々男爵、どれだけ妥協しても準男爵や騎爵帝国騎士の立場はあったし、ちゃんと後ろ楯も用意はしていた。ルードヴィヒとは違う。

 

 仮にフリードリヒ四世に新しく息子が生まれれば、その瞬間にルードヴィヒ皇太子は旧守派からすらお役目ご免にされる可能性が十分にあった。いや、立場を失うだけならまだ幸運だ、下手すれば後顧の憂いを絶つために現世からも追放されかねない。

 

 実際、フリードリヒ四世の寵妃が懐妊する度にルードヴィヒ皇太子の大公位と皇太子位剥奪の噂が宮廷中に立った。偶然か否か、ベーネミュンデ侯爵夫人をはじめとして流産か死産、あるいは赤子の内に急死、寵妃自身が事故や病死する例もあり、結局は何も変わらなかったが。ルードヴィヒ皇太子が手にかけたとも、抜け駆けを阻止しようとした他の派閥が潰し合いをしたからとも、単なる偶然だとも言われるが真相は不明である。

 

 それは今この状況ではどうでも良い事だ。問題は正にルードヴィヒ皇太子が自派閥にすら軽視され、信用出来ない事にある。求心力が少ない皇太子からすればそれは致命的である。

 

「ルードヴィヒ皇太子の独断とすればあの杜撰な襲撃も納得出来る訳か」

 

 借款交渉を潰して派閥内での自身の功績を上げ、同時にその犯行をカストロプ家に押し付けブラウンシュヴァイク家と潰し合わせる事が出来れば次期皇帝レースで優位に立てると考えた訳だ。

 

「だが、待て。少し矛盾があるぞ?スペンサー氏はカストロプ公爵と繋がっていると言った筈だ。あのスタジアムの襲撃がルードヴィヒ皇太子の仕組んだものとして、それではスペンサー氏はカストロプ公を売ったのか?それは損得勘定に聡いフェザーン人らしくないぞ?」

 

 誰が考えてもカストロプ公とルードヴィヒ皇太子を天秤にかければ前者を選ぼう。後者を選ぶのは勝負に勝てばリターンは大きいだろうがリスキー過ぎる選択肢だ。スペンサー氏が密貿易等の非合法な手段で頭角を表したとしてもそれもまた実力であり、当然有能なフェザーン商人である事は事実である。ならばほかの派閥にも唾をつける位の事はしてもカストロプ公爵家を売ってまでルードヴィヒ皇太子に味方するのは明らかに不自然だ。

 

「おやおや、流石にそれは酷い言い草でしょう?カストロプ公を捨てルードヴィヒ皇太子に駆け込むような投機をせねばならなくなったのは貴方のせいではありませんかな?」

 

 こいつは何を言っているんだ?とばかりに答えるのは黒狐だ。

 

「私の……?」

「おや?当事者意識がない?やれやれ、これはスペンサー氏も空回りしましたな。まさか一番警戒していた人物が何も知らないとは………」

 

 肩をすくませ、スペンサー氏に同情するような口調でルビンスキーはぼやく。

 

「……エル・ファシル、ここまで口にすれば大佐であれば思い当たる件が大有りでしょう?」

 

 黒狐の代わりにバグダッシュ少佐が呆れながらそうヒントを私に与えてくれた。

 

「エル・ファシル?エル・ファシル……エル・ファシル………っ、まさか……?」

 

 少佐のヒントを呟きながら私は記憶を掘り返して行き、それに思い至る。もしかしたらあれか……?

 

「シャルルマーニュ、か?」

「正解です」

 

 そのコードネームを口にすればバグダシュ少佐が頷く。黒狐と男爵は今更かよ、といった表情で同じく私の出した答えを肯定する。

 

 公式に公表はされずとも、エル・ファシル攻防戦の最終局面で同盟軍の勝利を決定付けたのは帝国地上軍第九野戦軍内部の『アセット』による帝国軍の作戦・部隊展開情報の漏洩にあるのは事情を知る者達の共通見解である。

 

 そして、帝国軍より情報を手にして逃亡したという『アセット』を保護したのはあの『薔薇の騎士連隊』であり、大軍に包囲され玉砕一歩手前にあった彼らを救援したのは当時私の指揮下にあった部隊である。更に言えば再編中に司令部を丸々失った第九野戦軍であるが、それを実行したのは私であり、司令部の移動経路もまた『アセット』からもたらされた情報だ。

 

「『アセット』は確かコネクションのためにどこぞの麻薬密売組織に所属していた、だったか?……カストロプ系列の組織か?」

「正確にはその下請けですがね。それでも立場的にそれなりに高い地位に就けたそうです」

「成る程な、カストロプ公とスペンサー氏からすれば大変だな」

 

 恐らく、『アセット』経由で密貿易に関する情報も相当量流れた事だろう。カストロプ公が出征を後押しする理由も分かろうものだ。単純に帝国軍の定員を削ろうとする以外にも出征で同盟政府を戦争に釘付けにしてその間に全力で同盟方面における密貿易に関する証拠の廃棄処分と店仕舞いを進めている事だろう。

 

「カストロプ公のバックアップが喪失し、しかも調査が進めばいつかスペンサー氏まで尻尾がつく。その前の次のパトロン探しという訳か……」

 

 スペンサー氏からすればエル・ファシルでの『アセット』回収に私が一枚噛んでいると考えていても可笑しくない。そして、私がブラウンシュヴァイク男爵と接触すれば疑念はますます深まる訳だ。彼からすれば密貿易やそれに関わる者達の摘発について協力関係を結ぼうとしているように見えたのだろう。カストロプ公爵の庇護が望めなくなり、摘発が近付いたとなればスペンサー氏も保身のために新たな協力者が必要となる。

 

「統制派は長年密貿易で対立してきたので論外、革新派も武門貴族中心のためスペンサー氏からすれば因縁が有り過ぎる。となれば旧守派と組むのは当然です」

「そしてフェザーン人らしく、最も自分を高く売り付ける事が出来る相手に売り付けた訳だな?」

 

 私はバグダッシュ少佐の言わんとする事を代弁する。リヒテンラーデ侯やエーレンベルグ伯はリスクを考えて態態スペンサー氏と組もうとはするまい。少なくとも直ぐに取り込む事はしない筈だ。そしてスペンサー氏もその事をよくよく理解しているだろう。

 

 となると、もし旧守派に接近するとなればその相手は独自に味方を集める必要があるルードヴィヒ皇太子しか有り得ない。

 

(話の道理はあっているな。だが……)

 

 成る程、確かにスペンサー氏がルードヴィヒ皇太子と組む合理的理由はあろう。

 

 ……しかし、私個人としてはまだ理由が不十分に思われた。確かにルードヴィヒ皇太子はスペンサー氏がフェザーンのおける親旧守派、いや親ルードヴィヒ皇太子派と言うべきか、その立場につけばかなり厚遇するだろう。だが、ルードヴィヒ皇太子の立場は常に不安定。

 スペンサー氏が皇太子と組むのは未だリスクがあるように私には思われたのだ。

 

(少佐達の言葉は嘘ではない。たが……だが………)

 

 まだ、何か大事な事が隠されているようにも思えた。尤も、これ以上は私にも見当もつかないのだが………。

 

「…………」

「……?」

 

 私が今回の騒動について状況を整理していると、ふと足下で私の手当てを終えた家主様がちらりと横目に誰かを、あるいは何かを見つめ続けている事に気付く。私は気付かれないように家主様の視線を追う。彼女の視線の先にいたのは男爵様……いや、正確には彼の膝の上にちょこんと座り込んでいた愛人の少女の姿……。

 

(いや待て?……いや、それならば辻褄は合うのか?いや確かに可能性はゼロではない、か………)

 

 原作知識と私個人の亡命貴族として知っている知識、そして状況証拠が一つの仮説をもたらす。そして私は暫しの間考え、最終的にそれが恐らく事実であろう事を確信する。

 

(……いや、今はこんな事は後回しで良い。それより目下の問題は……!!)

 

 私は脳裏に過った仮説を振り払い、これからやるべき事を彼らに問い質す。正確にはもう一つ私には疑問があったが、それは後回しにしておこう、それよりも優先するべき事がある……!

 

 既にある程度私は彼らの狙いに気付いていた。特に意味もなくこんな裏事情について私に教える筈もない。つまりここまで私に説明するのは別の理由がある。

 

「……それで?何か問題でもあるんですかね?」

 

 私のその言葉に漸く諜報員と自治領主補佐官と男爵、全く食えない三者が意味深げに口元を吊り上げる。漸くスタートラインに辿り着いたな、といった表情だった。

 

「ええ。深刻な、しかも随分と面倒な事態になっているようです」

 

 話を切り出したバグダッシュ少佐は苦い、深刻な表情を浮かべて口を開いた。そこには葛藤と焦りの表情が窺い知れた。

 

 どうやら、本当に面倒臭そうな話はこれからの事らしかった………。

 

 

 

 

 

 

 どうやら、偶然の積み重なりはスペンサー氏を不必要に、かつ不用意に追い詰める事になってしまったらしい。

 

「戒厳令を逆手に取られました。ワレンコフ自治領主からすれば治安警察軍やフェザーン警備隊を信用しきれなかったので味方のスペンサー氏から傭兵部隊を借りたつもりなのでしょうが……」

「フェザーン自治領主府の主要施設はアトラス社の傭兵で固められているようですな。いざ命令が下れば政府機能の乗っ取りは容易でしょう」

 

 バグダッシュ少佐は忌々し気に、ルビンスキー氏は皮肉気に語る。今やフェザーン自治領の主要政府施設は実質的に帝国と繋がっているスペンサー氏の傭兵部隊の支配下にあると言って良かった。しかも自治領主も、元老院議員も、お役人連中も誰もその事に気付いていない。

 

「問題は自治領主府から高等弁務官事務所に通達が入った事です。自治領主が亡命政府側の使節と交渉したい事があると呼び出しがあり、一名が既に向かっているそうです」

 

 バグダッシュ少佐のその情報はカーチェイスの前、即ちルビンスキー氏からスペンサー氏の裏切り情報が齎される前に他の諜報員から得たものであるという。

 

「それは恐らくスペンサーが口添えしたものでしょうな。ワレンコフ自治領主は此度の借款交渉を旧守派や分権派から妨害される事を予め想定していました。ですので自治領主はこの機に同盟・亡命政府が得た密貿易の情報を基にカストロプ公の協力者を一斉摘発、分権派のシンパを壊滅させた時点で借款を成立させる積もりでした。私とスペンサーは裏でその実務を受け持っておりましたが……」

 

 その実務者がカストロプ公の協力者だった、という訳だ。ワレンコフ自治領主は人を見る目がないらしい。もしくは耄碌したか……。

 

「昔はもっと頭が切れた方でいらしたのですがね……」

 

 嘲笑するような、それでいて憐れみを含んだ声で黒狐は呟く。彼はワレンコフ自治領主とは浅からぬ関係があるのでさもありなんである。

 

「兎も角も、スタジアムでの一件以降にスペンサー氏が亡命政府使節団との面会を自治領主に勧めていたのは事実です。一応表向きは亡命政府とのブラウンシュヴァイク一族に対する対応についてや借款交渉の見通しに対する意思疎通と意見交換ですが……当然ながら彼自身には別の目的があります」

「別の目的?」

「自治領主府の警備体制はアトラス社がほぼ管理しています。自治領主や使節が落命しても最初に発見するのも、状況調査するのも彼らです」

「っ……!」

 

 私はその言葉の意味を理解して舌打ちする。自治領主が死ねばそれだけで借款交渉は終わりだ。しかも使節も死ねば……いや、唯死ぬだけなら良い。例えば自治領主を殺害した下手人扱いして逮捕しても、その場で射殺しても良い。兎も角もどのようなスキャンダラスなシチュエーションをセッティングするのも彼らの自由という訳だ。

 

「随分と過激な手だな?リスクが高過ぎないか?」

「それだけ追い詰められている、と考えるべきでしょうな。時間が立てばその分、彼の外堀は埋められます。ならば多少無理矢理でもそれどころの話ではない事態にするしかないと考えたのでしょう。バグダッシュ少佐からの話を聞くに、恐らく私が大佐と鉢合わせしたのが決め手です。アイリスの家で我々が会談を始めた頃に高等弁務官事務所に連絡が来たそうですよ。大急ぎで自治領主に進言したのでしょうね」

「それはまた……随分と急な事ですね」

 

 尤も、偶然とは思えない事ばかり起こるスペンサー氏からすれば文字通り必死なのだろうが。

 

「少佐、これってひょっとして不味い事態?」

「えぇ、確実に不味い事態ですよ」

 

 だよなぁ……。

 

「使節や高等弁務官事務所に警告出来そう?」

「通信センターは既にスペンサー氏の影響下でしょう。当然盗聴されているでしょうし、危なくなれば無線を切られます。すぐに我々の居場所は逆探されるでしょう。自治領首府に向かった使節も、我々も殺されます」

「だよなぁ……」

 

 時間がない上に監視されているとなると下手に同盟政府と接触するのは藪蛇になるか……。

 

「各地に点在している諜報機関の要員ならば動かせない事もありませんが少数に留まります、武装も軽装でしょう」

「とは言え、自治領主と使節の保護をしない訳にはいかないしな……。自治領主補佐官殿、一応聞きますが自治領主府に抜け道とかありますかね?非常用の脱出口とか」

「私が口にするとお思いで?」

「その返答、あるって事ですよね?」

 

 寧ろ無いと考える方が可笑しい。フェザーンの中立は常に薄氷のものであり、歴代自治領主は常に同盟と帝国の軍事侵攻に備えて来た。原作のルビンスキーの隠れ家のような場所はそれこそダース単位であるだろうし、自治領主府の主要施設には秘密の部屋や抜け道もゴロゴロあるだろう。

 

「このまま行けばかなりの確実で自治領主が代替わりする事になります。そして空いた椅子に座るのは貴方ではないでしょう。スペンサー氏が自治領主となれば貴方は粛清されます」

「………」

 

 私が突き付ける事実に不敵な笑みを浮かべる黒狐。正直、かなり彼も追い詰められている筈なのだが……こういう危機的状況ですら楽しめるとは神経が図太い事だ。

 

「私が協力した場合の見返りは?」

「少佐?」

「私に振るのですか?」

 

 ルビンスキー氏の質問を私はそのまま少佐に振る。いや、だって私に権限あるの?

 

「それこそ私にあるとお思いで?」

「想定位はしてるだろう?」

 

 私は嫌みたらしく尋ねる。少佐は苦虫を噛むように口を開く。

 

「察しが良いのか悪いのか、どちらなんですかね?……補佐官殿が情報の一部を隠匿していた事実については不問とします。そして、仮にワレンコフ氏が死亡した場合は同盟政府が貴方の支援をすると約束しましょう。表側からも、裏側からも」

 

 最後のその点を強調するバグダッシュ少佐。

 

「確約出来ますかな?口約束なぞ信用出来ませんからな」

「その点については……」

 

 ちらりと少佐は私を見やる。おい、止めろよ此方見るなよ。黒狐、てめぇも見るな。

 

「………」

「………」

「…………ちっ、てめぇら都合が良い時に私を使いやがって……!!」

 

 私は立場上絶対に借款交渉を成功させなければならない立場である。つまり断れない立場だ。こいつら、その事見越して足下見やがって……!!

 

「ああ分かったよ!!判子でもサインでも血判でも何でもしてやるよ、糞っ垂れが!!」

 

 私の半ば投げやりに吐き捨てる言葉に少佐も補佐官もニッコリ微笑む。こいつら鼻へし折ってやろうか?

 

「まぁ、それも全ては本題が解決されなければ意味が無い訳だが………」

 

 準備万端とばかりにルビンスキー氏が差し出す契約書の内容を熟読しつつ、私は肝心の人手について思索する。同盟軍に対する連絡は当然無線傍受されているだろうから困難、同盟政府と繋がりの深い民間軍事会社も同様だ。となるとどこから人手を集めるか………。

 

「あった」

 

 暫しの間悩む私は、そこで一つの案を思い付いた。にやりと私はベッドに座る男爵に視線を移す。男爵は私が注目した事に怪訝な表情を浮かべる。

 

「復讐は高貴な血の欲する所、だったか?」

 

 嘲笑気味に私は門閥貴族の間で当然のように認識される信条を口にした。

 

「男爵、未遂でもそれは該当するかな?」

 

 私の質問に対して男爵は僅かに首を傾げ、次いで合点がいったように苦笑いを浮かべる。

 

「おいおいお前さん、結構性格悪くねぇか?」

「お褒めの言葉と受け取っておくよ。……その様子だとセーフだよな?」

 

 私の問いに男爵は肩を竦める。つまりそういう事だ。私は足の痛みを我慢しながら立ち上がる。足元の家主様が文句を言うのを適当に宥め、若干激痛で涙目になりながら私は補佐官を見やる。

 

「だそうですよ。自治領主補佐官、携帯端末をお貸し下さいませんかね?……少し連絡を入れたい人物がいましてね」

「先程言った通り、高等弁務官事務所に連絡するのはお勧め出来ませんが?通信センターに入り込んだ相手方が監視しているでしょう。恐らく逆探された上で途中で通信を切断されます」

 

 サインをした契約書を押し付けた後、私は手を出して携帯端末を寄越すように尋ねる。そんな私に警告する黒狐殿。なぁに、それくらい理解しているさね。

 

「余り私を馬鹿扱いしないで欲しいんですけどねぇ。まぁ、貸して見ろってな?」

 

 そう言ってルビンスキー氏から携帯端末を半ば無理矢理に受け取る。

 

「……通信費はそちら持ちでお願いしますよ?後で領収書を発行します」

「滅茶セコいな、おい!?」

 

 補佐官の言に突っ込み、携帯端末にとある携帯番号を打ち込んで通話ボタンを押し耳元に当てる。

 

 着信音が鳴り響き、暫しの時間を置いて電話の向こう側の人物が通話に出てくる。

 

「ああ、ボルテックさん?御言葉通り欲しいものがあるんで電話したんだが?……まぁまぁ細かい事は気にしないで。……そんな事よりも今すぐ営業マンを派遣して欲しいんだよ。ああ、三〇分以内にな。なぁに、こう言えば直ぐに彼らも動くよ。『オーナーに対する汚名返上のチャンスをやる』って言えばな?」

 

 私は相手の立場や事情を一切無視する我が儘放蕩貴族らしくそう言い放ったのだった……。

 

 

 

 

 

「はははっ!!あははっ!!!あははははっ!!!お前達っ!!見たかっ!!?あれをっ!!あのショーをっ!!最高じゃないかっ!!素晴らしいっ!!素晴らしいっ!!最高のショーだったじゃないかっ!!!」

 

 スラム街に建てられたコンクリート製の古い建物の屋上でマクシミリアン・フォン・カストロプは狂ったように笑う。嗤う。狂喜する。  

 

 周囲に控える執事も、女中も、護衛も、誰もが無言で反応せずただ静かに佇み沈黙を守る。ここで反応するのを主君は別に求めていない事位理解していた。

 

「あれだけの敵の銃撃を避けて反撃して見せるとは素晴らしいっ!!しかも見たかねあの横入りしてきた車をっ!!最高に盛り上がるタイミングじゃあないかっ!!しかも!しかもだぞ!?あの男、私の撃った弾を避けてくれたと来ている!!あはははっ!!止めの弾を外したのはいつぶりだろうなっ!!?」

 

 マクシミリアンはその端正な顔をひきつらせ、狂ったように笑う。いや、明らかにその精神には濃厚な狂気が含まれていた。

 

「最後はあのカーチェイス!!はははっ!!あんなショー、どこのサーカス団に大金積んでも見られんぞ!!お前達、ちゃんと録画保存はしただろうな?くくくっ!!新無憂宮のほかの貴族が羨むぞ!!あんなショーを生で見る事が出来たのだからなっ!!」

 

 ビデオカメラでスラム街で起こった騒動を最初から最後まで記録していた使用人にそう叫びながら確認を取る公世子。使用人達は一言も発さずただ頭を恭しく下げる事で主君の質問に返答する。

 

「くくくっ、これは久し振りに心踊る狩猟が出来そうだな!」

 

 心底楽しそうな笑顔を浮かべるマクシミリアン。何せ亡命したとは言え門閥貴族、しかも大貴族にして権門四七家に名を連ねる家の嫡男が狩りの対象なのだ。

 

 これまでも莫大な財産を費やし二、三度門閥貴族に名を連ねる人物を使い狩りをした事はある。しかしそれも男爵家か精々子爵家……それも没落した一族の末席が限界だ。そんなもの、舌のこえきった彼にとっては三流の獲物でしかない。それに比べれば今回の獲物は正に極上だ。

 

『グルルル………』

「おお、お前達も楽しみか?くくく、分かるぞその気持ちはなっ!!」

 

 足下に駆け寄って来た二体の『猟犬』が上げる唸り声に応揚に頷く公世子。これまで幾度も狩りの勢子役に連れ出した彼らにもちゃんと役割を与える事を彼は教える。

 

「さて、そろそろここは引き払うとしよう。……ああ、下の奴らには代金を払ってやれ。これからも御父上を宜しくとな」

 

 思い出したように面倒そうに執事にそう命じるマクシミリアン。カストロプ公爵家の密輸事業の下請けを受け持つ数多い犯罪組織の一つであり、今回の公世子の道楽のために脅迫され、その構成員を動員し数多くの犠牲者を出した『カラブリア・スピリット』に対して彼は既に関心を失っていた。既にこの公爵家の嫡男にとって全ての関心は逃げた獲物の行き先に先回りし、どうなぶり、苦しめ絶望させるかしかなかった。

 

 高笑いを浮かべながら公世子は鎖を手にし、少し前に熱い珈琲を頭からぶっかけられた『ペット』の横腹を全力で蹴り上げる。骨の折れる嫌な音が鳴り響き子供の咳き込み胃液を吐き出す音が夜空に木霊する。身長一八四センチメートルの均整の取れ、引き締まった恵まれた体格から放たれたフルスイングの蹴りは大の大人ですら無事ではすまない。ましてその靴には鉄が仕込まれていたのだから尚更だ。

 

「さっさと歩け。移動するぞ?」

 

 咳き込み、嘔吐する『ペット』にそう笑顔で嘯くとそのままコンクリートの床に引き摺るように『ペット』鎖で引っ張っていくマクシミリアン。その後ろを使用人達はただただ無言でついていく。

 

「ふふっ、それではそろそろ本番と行こうか?……最高の舞台を用意してやるのだ、失望させてくれるなよ?」

 

 性格破綻した青年貴族は、獲物のこれから向かうだろう場所を予想し、そしてそこでの狩猟に思いを馳せて、恍惚の笑みを浮かべるのだった………。



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第百五十九話 ゲームは皆でした方が楽しいよ!

 彼にとって、世界というものは穏やかで、静かで、優しくて、詰まらないものであった。

 

「ねぇ、これもうあきちゃった。ほかのおもちゃほしいな」

「分かりましたわ、皇子様。次はどんな玩具がお望みで御座いますか?」

 

 広い、沢山の玩具で山積みになった部屋で彼が我が儘を言えば、乳母や女中達が笑顔を浮かべ、恭しく答える。

 

 どれもこれも高級なオーダーメイドの玩具であり、しかも彼の元に与えられて数日しか経っていない、それをもう飽きたといって一欠片の関心も示さない子供を本来ならば叱りつけるのが当然であるのだが、残念ながら彼を叱りつけるような存在はこの場には存在しなかった。

 

 当たり前の事だった、少なくとも彼を世話する三ダースに及ぶ使用人達にとっては『この程度の事』で神聖不可侵なる銀河皇帝の血を引く少年を叱りつけるなぞ、想像の外の発想であった。

 

「……なんでもいい。おもしろいのがいい。ここのじゃつまんないもん。おもしろくない」

 

 絹の生地に金糸を編み込み、宝石を嵌め込んだ軍服をモチーフにした子供服を着た端正で可愛らしい少年はしかし、何でも言う事を聞いてくれる使用人達の発言に不機嫌そうに拗ねると、そう言い捨ててプイッと玩具の山に向かって行ってしまう。少年にとっては彼ら彼女らの言葉なぞ何度も聞いており、期待していなかったからだ。だから仏頂面で玩具の山に座り込み、視界に映りこんだ近場の玩具を適当に弄び、頬を膨らませて乱暴に放り投げる。

 

「つまんないなぁ」

 

 おおよそ、望み得る物であれば殆んど何でも手に入る恵まれた立場にある少年は、しかし心底うんざりした表情でそう呟く。彼にとって、何物も、何者も詰まらないものであった。

 

 欲しい物は何でも手に入る。食べたい物は何でも食べられる。思い付いた事は何でも実現出来、周囲の人々はどんな事でも言う事を聞いてくれる。遊び相手が欲しければ幾らでも従順で年の近い家臣が用意される。しかし、彼にとってはそれは詰まらないものだった。

 

 恵まれた立場なのは幼いながらも聡明な彼の頭は理解していた。だが、それでも彼の心の内には明らかな欲求不満があり、何かを渇望していた。そして問題はそれが何なのか年の割には賢くはあっても、まだまだ拙い思考しか出来ない子供である彼には言語化する事も、自覚する事も出来なかった事だ。

 

 それ故に彼はそのやり場のない不満に不機嫌になり、不必要に物を欲しがり、そしてそれが望む物でないと理解すると直ぐに関心を失ってしまうのだ。そして周囲の大人達もまた、少年が何を欲しがっているのかを理解せず、ただただ従順に物を与え続けるだけだった。

 

 ハリセンボンのように頬を膨らませて、拗ね続ける少年は、しかし暫くすると自室の扉の向こう側が騒がしくなるのに気付いた。そして壁に掛けられたクラシック時計の針を見やるとその事に気付いて立ち上がる。部屋の扉が開いたのはほぼ同時の事だった。

 

「お、アレク!ここにいたかぁ!御姉様が来てやったぞぅ?」

「あうぐすたねえさま!」

 

 恐らくは宮殿の近衛兵達の訓練に(勝手に)参加したすぐ後なのだろう、上着を脱いで薄着に汗を拭いたタオルを首に掛けたラフな姿の姉……それも一番歳が近く問題児との評判の……が豪快な笑い声と共に現れる。周囲では女中達が立ち眩みしそうな顔で慌てて姉の汗や訓練で付いた汚れを拭き取り、ゆったりとしたドレスを着せようと群がっていた。

 

 深雪色の鮮やかな長髪に紅玉を思わせる鋭い瞳、男勝りな所がある顔立ちは多くの美姫の血を取り込み続けた黄金樹の血脈を確かに引いているのだろう、逞しさと美しさを見事に調和させていた。その白い肌は当然のように染み一つ存在しない。

 

 大股で歩く度に揺れる豊かな胸元に細い線を描く腰、そして引き締まった臀部は薄着の上からでもその魅力的な女性美と健康美を兼ね備えた彼女の体格を十二分に連想させる事が出来る。正直、それだけでも大抵の男性には目に毒であっただろう。

 

 無論、当の本人は自身の身体を隠そうとする女中達を無視しながら屈託のない笑みを浮かべてずけずけと異母弟の部屋に当然のように歩を進める。余り女性としての意識が強くなく、しかも相手が幼い弟ともなればさもありなんである。執事等も周囲にいたが彼女にとってはそんな爵位も持たぬ下賤の者共なぞ『人の数に入らな』かった。

 

 当然ながら彼の方も歳が歳であり、また相手が母が違うとは言え血を分けた実姉となればその姿に特に感情を揺さぶられる事はなかった。美女に見慣れており、しかも淑女と言うべき性格の者が多かったのも一因だろう。

 

 それでも笑顔を向けて少年が姉の元に駆け寄るのは数多くいる周囲の人々の中で、比較的彼女が『楽しい』人物であったためだ。純粋無垢で、豪快で負けず嫌いな彼女との時間は少なくとも少年にとっては心から楽しめる時間であったのだ。

 

「おうおう、そんなに必死に駆け寄って可愛い奴め!」

 

 にかっ、と満面の笑みを浮かべて、姉は駆け寄って来た弟の頭を乱雑に撫でる。一見乱暴なそれも、しかしその立場上滅多に頭を撫でられる事がなく、数少ない少年の頭を撫でる事が出来る者達も恐る恐ると、あるいは優しく慎重にする事が多いために、撫でられる本人は寧ろ新鮮に感じられた。

 

「ふわっ……!へへっ、おねえさまくすぐったいよ!!」

「にひひ、嘘は駄目だぞぅ?これが大好きな事位よーく知ってるんだからなぁ?」

 

 ワシャワシヤと頭を撫でられ子供らしい嬌声を上げる弟に姉であるアウグスタは悪戯っ子のような笑みを浮かべる。家族思いの姉はいつも不満げで仏頂面の弟が心から楽しそうな声を上げる事に機嫌を心底良さそうにする。

 

「さて、今日はな。お前さんに新しい友達に会わしてやろうと思っていてな」

 

 弟の頭から手を離してから第三皇女は腕を組んでしたり顔をする。少年はそんな姉の言葉に首を傾げる。

 

「ともだち?」

「ああ、私の尊敬する従姉様の子供でな。まぁ、少し気難しいが同い年だし家柄も良い。きっとお前とも気が合う筈だぞ?」

「えー」

 

 異母姉の言葉に、しかし少年は懐疑的な声を上げる。大好きな姉の紹介とは言え、変わり者の姉の紹介でもある。それに既に多くの友人のいる彼にとっては今更そんなものに魅力を感じられなかった。どうせ、ほかの友人と似たようなものだろうと予想をつけていた。

 

「おいおい、そんなに幻滅するものじゃないぞ?まずは会ってから考えてもいいと思うぞ?それに……こういっては何だが少し気難しくてな……。

 

 どうやらその人物は余りほかの同世代と仲良くないらしい。もしかしたらこの紹介は寧ろ従姉が自身の子供に友人を作らせるためのものではないかとすら少年は訝しむ。

 

「うーん、わかったよ。おねえさまがそういうなら……あうだけだけど」

 

 暫し考え込んでから、少年は答える。別に紹介される友人に期待はしていないが大好きな異母姉のためならば会う位なら我慢しよう、と考えたためだ。 

 

「!そうかそうか!!よしよしっ!!やっぱりお前は良い子だなぁ!」

 

 一回り以上年上でありながら天真爛漫な子供のように、はっきりと感情を表に出して姉は喜び、弟を抱き締める。

 

 この姉の喜びようだけで少年は面倒な顔合わせも我慢しようと素直に考える事が出来た。好悪の感情を分かりやすく浮かべ、家族思いで表裏のないこの姉の性格は大人らしくない代わりにガキ大将のように同い年や年下の子供の好意を良く集めるようだった。

 

「うぅん……おねえさま、すこしくるしい……」

 

 尤も、流石に窒息しそうな程強く抱き締めるのは止めて欲しかったが。

 

「おお、すまんすまん。さて……ヴォル坊!此方に来なさい!お前に良い友達を紹介してやるぞ!!」

 

 心から苦し気に呻く弟の声に慌ててアウグスタ皇姫は抱擁を止める。そして大声で部屋の外に控えているらしいその子供に呼び掛ける。

 

「わか……およ……」

「いや……そんな……かって……」

「?」

 

 姉の呼び掛けと共に扉の向こう側では何やら言い争い……いや、正確には一方がもう一方に対して愚図るような囁き声が聞こえた。少年はその事に再び首を傾げる。これまで歳の近い子供が紹介される時は大抵呼び掛けと共に緊張した態度で入室して来るのだが……。

 

「分かったよ……糞っ!」

 

 何やら根負けしたような疲れきった口の悪い声が響き、若干大きい足音と共にその人影は室内に入室した。

 

「あー、ティルピッツ伯爵家のヴォルターって言う。一応ここでは初めましてって言うべきかな?って……げぇっ!?」

 

 入室した育ちの良さそうな端正な、しかし目付きが悪い少年は半分程投げ遣り気味に自己紹介をし、同時に彼の顔に視線を向けたと同時に蛙が死ぬような声と共に驚愕の表情を浮かべる。

 

 それが彼の恐らく一番の、そして最も気負いなく、飾り気もなく付き合える旧友との最初の出会いで……。

 

 

 

 

 

「っ……うたた寝してしまったかな?」

 

 高級地上車の走行による僅かな揺れにアレクセイ・フォン・ゴールデンバウムは夢の世界から現実に引き戻された。どうやら疲れが溜まっていたらしく、暖房の効いた暖かな車内の気持ち良さに意識を手放してしまったらしい。未だ若干ぼやける視界はフェザーン・セントラルシティの煌びやかな夜景でチカチカと輝いている。

 

「綺麗なんだろうけど、あのネオンの光は少し目に悪いね」

「全く下品な光です。フェザーン人には調和や品性と言った美意識が足りませんな」

「左様、明るすぎて喧しいものです」

 

 正面に座る銀河帝国亡命政府の護衛を兼ねた書記官達は大公の発言に頷きフェザーンの町並みに不快感を示す。彼らにとってフェザーンは堕落し、退廃し、下品な事この上ない存在であった。

 

「ははは……」

 

 別にそこまでは思っていないのだが、と内心で呟きつつアレクセイは再度外の景色を見やる。眠らない街とは良く言ったものだとアレクセイは街の輝きに関心する。

 

「それより、ヴォルター……ティルピッツ大佐の身柄はどうだい?」

 

 ぼんやりと夜の街を観賞しつつ、大公は尋ねる。書記官達は互いの顔を見合せ、気まずそうな表情を浮かべる。

 

「我々、それに市民軍の諜報員が捜索を続けております。ですがやはりこの広いフェザーンで内密に探すとなりますと時間がかかりますので……」

「そうか。いや、分かっているよ。我が儘を言ったね。忘れてくれ」

 

 数時間に一度は質問している事を自覚しているアレクセイは苦笑いを浮かべ、部下に質問した事を無かった事にするように命じる。同時に内心で自身の落ち着きのなさに呆れ返る。

 

(やれやれ、らしくない。どうせ本人は結構気楽そうにしているんだろうねぇ)

 

 旧友のどこか庶民的な一面を思い浮かべアレクセイは嘆息する。尤も、旧友がこういう事に巻き込まれたからには簡単には終わらない事もまた彼は熟知していた。

 

 ふと、そんな事を考えている内に地上車は緩やかに停まる。気付けばそこは地上四〇階地下二五階建てのセントラルシティの自治領主府ビル前であった。その周囲には完全武装した傭兵と装甲車両群、ドローンが展開しテロや襲撃に備える。

 

「どうやら着きましたな」

 

 書記官の一人が答える。

 

「ああ、そのようだね。……自治領主直々のお出迎えとはね」

 

 地上車の窓越しにアレクセイは自治領主府ビルの出入口前で複数のボディーガードを周囲に侍らせて佇むフェザーン民族衣装に身を包む老人を見つける。

 

「待たせる訳にはいかないな。……行こうか?」

 

 そう微笑みを浮かべ、アレクセイは自動で開いた地上車から降り立ったのだった……。

 

 

 

 

 

 

 フェザーンは表面の凡そ六割を海が占め、残る陸上の大半は乾燥した岩盤と砂漠に覆われた惑星である。それ故に、フェザーンは銀河連邦中期に入植が開始されて以来、常に緑化事業が推進されてきた。

 

 所謂『表街』はフェザーン入植最初期に緑化事業が進められた肥沃な沿岸部が中心であり、内陸部においては移民規制法成立以前は増え続ける人口対策のために灌漑設備と地下水による点と線のオアシスが開発され続けた。移民が規制されフェザーンの(表向きの)急速な人口増加が停止した後は大規模な開発はその殆どが凍結、一部放棄されたオアシス等は『裏街』の一部に飲み込まれた。

 

 それでも緑化事業が完全に停止した訳ではない。主に観光用・富裕層居住用のリゾート地としての運用を主目的に、自治領主府や企業は細々と緑化事業を進めて来た。

 

「とは言え、予想した通りそれだけが目的じゃあないという訳だな?」

 

 沿岸部の『表街』からも治安の悪い『裏街』からも若干距離を置いた緑化事業開発地区、砂漠のど真ん中に広がる八〇〇平方キロメートルに及ぶ湖と森林によるオアシス地帯……表向きは開発途中のためドローンにより立ち入り禁止となっているその地域の奥に、観測衛星からも見えないように偽造された広く豪華な邸宅が佇んでいた。

 

「ワレンコフ自治領主の指示で建てられた非常用のセーフハウスです。無論、自治領主府が隠し持つ数多くある施設の一つに過ぎませんがね」

 

 我が物顔で電磁キーで邸宅の玄関扉を開いて中に立ち入るルビンスキー氏である。中は貴族の邸宅と言わんばかりに華美な内装と家具で彩られ、秘密基地と言うよりかは金持ちの別荘である。

 

 ルビンスキー氏の案内で辿り着いた何となくOVAで既視感のあるこの邸宅は、フェザーンのセントラルシティの自治領主府省庁街の近隣から地下通路で繋がっている秘密基地であるらしい。電気と通信は巧妙に細工されながら発電所や通信基地と繋がっており、フェザーン各地の様々な情報をここで知る事が出来る。地下には核シェルターや政府移転用の各種設備、武器庫に食糧庫、自家発電機等も備わっているようで、どうやら最大数百人が数年立て籠もる事を想定して設計されたようだ。恐らく原作の黒狐はこの邸宅で金髪の小僧を標的としたテロや陰謀を計画していたのだろう。

 

「お、このソファー結構いい品じゃねぇか!んじゃ俺らは寛がせてもらうぜ?」

 

 まるで自身の家であるかのようにリビングのソファーに愛人を膝に乗せて大の字で座り込むブラウンシュヴァイク男爵である。つい先ほどまで命狙われていたのにこの態度、神経が図太過ぎない?

 

「んな事言ってもよぅ。俺はお前さん達と違ってこれと言ってやれる事もないし?何より育ちが良くてね、もうへとへとだから後はまったりと休憩したい訳よ。あ、腹減ったから誰か食い物と飲み物持って来てくれない?」

 

 育ちが良いというよりもゆとりなだけではないか?等と内心で私は呆れかえる。無論、実際男爵が実務的な意味でこの場において殆ど役に立たないのも事実ではあるが……。

 

「セーフハウスと言いますがスペンサー氏はこの場所の事は?」

「無論、彼もこの場所の事は知りませんよ。確かに彼はワレンコフ氏の後継として有力視されてはいますが、それでも全ての機密に触れられる訳でもない。そもそもこの施設の建築の実務指揮は自治領主から私に命じられたものですからな。無論、建築資金も帳簿上偽装してますし、実際に開発した会社は自治領主の親戚がオーナーをしている所で、作業の大半はドローンで、現場労働者にも嘘の計画で働かせましたので位置がバレる心配はありませんよ」

「成程」

 

 懸念を口にするバグダッシュ少佐に対して黒狐は自信満々に答える。実際、私の記憶が確かなら帝国軍の来襲後も相当長期に渡ってこの屋敷に潜伏していた筈だ。機密保持体制はかなり巧妙にされていたのだろう。

 

「とは言え、これでこのセーフハウスはもう駄目ですがね。やれやれ、機密保持のために随分と苦労したのですが……」

 

 同盟の諜報員に帝国のブラウンシュヴァイク一族の放蕩貴族、亡命政府の大貴族出身の同盟軍人に知られたのだ、実質的にこの隠れ家の価値は失われたに等しい。加えて言えば、これから更に多くの者達に知られる事になる。

 

 警告音のサイレンと共にリビングの天井から収納式の液晶画面が下りて来る。受像すると、そこには外のオアシスを進むトラックの列が映り込む。ボルテック一等理事官はどうやら優秀な官僚らしい。注文の商品は時間ぴったりに来たのだから。

 

「さてさて、それでは期間雇用社員の出迎えに行きますかね?」

 

 出迎えと共に銃撃されない事を祈りながら私は屋敷の外に向かう。

 

「私も御供しましょう。仮に襲撃された場合は……」

「ああ、足止め頼むよ。とは言えスムーズに行くのが一番だが……」

 

 少佐はスタジアムで腕を、私はカーチェイス中に足を負傷している。対して彼方さんはスタジアムと違って猛獣の襲撃もなく、ましてスラム街と違って素人集団でもなかろう。もし駄目だった場合は諦めるしかない。

 

「という訳だ。皆皆様、自分の身は自分で守ってくれ……ん?その手は何ですかね?」

 

 リビングに残る補佐官達にそう言って出迎えに向かおうとした所を扉を遮る人影。偉そうに佇む家主様は右手を開いて此方に差し出す。

 

「自分の身は自分で守れ、でしょ?そろそろ私のブラスター返してくれないかしら?」

 

 不機嫌そうに宣う家主様である。成程、そりゃあ失礼。

 

「これは申し訳ありません。序でに家の弁償費用も支払った方が良いですかね?補佐官、立て替え出来ますか?今手持ちの現金無いんですよ」

「この屋敷の金庫に有事に備えた現金と換金用の貴金属がありますよ。ご案内しましょうか?後で伯爵家に請求書は出しますがね」

 

 私の質問にルビンスキー氏が答えてくれる。そりゃあ一安心だ。

 

「だそうです。弁償費用を確保した後は念のため下のシェルターにでも隠れておいて下さい。多分大丈夫でしょうが安全第一で考えるに越した事はないですからね」

 

 私はバラック小屋での銃撃戦の時に拝借したハンドブラスターを腰から抜き出すと家主様に返し、助言する。私としても彼女には色々と迷惑をかけた意識がある。今回の一連の騒動に巻きこまれた善良な一般人を……少なくとも直接的に関係のない彼女をこれ以上危険に晒す気はなかった。

 

 私からハンドブラスターを受け取った家主様は私の言に何故か不機嫌そうな表情を浮かべる。そしてまずハンドブラスターを見て、次いで黒狐の方を見て、最後に私を見やると押し付けるようにハンドブラスターを返す。

 

「フロイライン?」

 

 私が怪訝な表情を浮かべると腰に手を置いてふんぞり返るような態度を浮かべる家主。

 

「気が変わったわ。私だって相手の命の危険がある時に我を通す程子供じゃないわよ。どれ位役立つかは知らないけど、もう少し持ってなさいな。後!間接的であれ、あの糞野郎からお金を貰うなんてまっぴら御免よ!?支払いは貴方が直接しなさいな」

 

 そう言い捨てると男爵様達から少しだけ離れた別のソファーに勢いよく座り込み、首をくいっと振る。さっさと行け、と言った事だろう。

 

「……配慮が至らず申し訳御座いません」

 

 恭しく社交辞令を返した後、ハンドブラスターを再度借りて腰に差し込み、私は出迎えの準備に向かった。これは弁償に利子が付きそうだな、と冗談半分に思い浮かべ、私は肩を竦めるのだった。

 

 

 

 

 

 

「ブラウンシュヴァイク男爵殿との共同依頼者たるティルピッツ伯爵家伯世子ヴォルター様で御座いますね?ユージーン&クルップス社より委託依頼を請けて派遣されました現場責任者アントン・フェルナー中佐であります。此度の職務、宜しく御願い致します」

 

 隠れ家の庭先で妙に薄っぺらさを感じる敬礼と共にブラウンシュヴァイク家が筆頭株主であるフェザーン民間軍事会社の一つユージーン&クルップス社から派遣された士官は名乗りを上げた。その背後では市街地・室内・閉所戦闘等を想定した装備で控える特殊訓練を受けた軽装歩兵凡そ二個小隊がトラックから降り立ち整列して並ぶ。

 

「こりゃあ、また………」

「大佐?」

「あ、いや、なんでもない。……御苦労。時間通りか、迅速だな」

 

 あっけに取られた表情を浮かべる私に怪訝な視線を向ける諜報員。私はすぐに気を取り戻してそう答えた。

 

 ……此処でお前さんが出てくるのかよ、と言いたくなったがその言葉は口にしない。そんな事言っても隣の諜報員は無論、目の前の傭兵にとっても意味不明であるし、無用な不信感を与えるだけだろうから。

 

「即応部隊ですので数こそ残念ながら少数に留まります。ですが練度は実戦を幾度も潜り抜けた精兵ばかり、大佐殿の御要望に最大限叶えられると我が社としても自負しております」

 

 私の言葉を数の少なさへの苦言と受け取ったのか、部隊長兼営業マンであるフェルナー中佐は宮廷帝国語で恭しく答える。いや、別にお前さんか率いているから部隊の実力の面での心配は余りないのだが……。

 

(これは流石に予想外だったな……)

 

 私は気付かれないように目の前の傭兵を観察する。勝ち気で、不敵な表情を浮かべる若く端正な男はしかし、ある意味で原作の最重要人物の一人である。

 

(まさか傭兵を注文したら義眼の右腕がやって来るなぞ考え付く訳ねぇだろ……いや、経歴からしたら可笑しくはないのか……?)

 

 私は混乱しそうになる思考を一旦落ち着かせて、改めて現状についての整理を行う。

 

 人手が欲しく、しかし同盟軍は勿論、同盟やフェザーンの息のかかった傭兵すら情報漏洩や通信傍受の危険で頼れなかった私が頼ったのは逆転の発想だった。即ち、帝国の息のかかった、しかも確実にカストロプ公やスペンサー氏と繋がりのない会社から傭兵を雇う事だ。そしてその白羽の矢が立ったのが『ユージーン&クルップス社』であった。

 

 統制派の首魁たるブラウンシュヴァイク家が株式の過半数を所有するフェザーン民間軍事会社『ユージーン&クルップス社』は当然株主の性質上カストロプ公爵家やスペンサー氏、自治領主府を警戒した防諜体制を敷いているだろう。その上、彼らは有事の際にブラウンシュヴァイク一族の一員である男爵の救助と警護を請け負う契約を結んでいた。

 

 そんな彼らの現実はと言えばスタジアムで救助に失敗し、その後護衛対象は行方知れず、救助部隊を殺害し護衛対象を襲撃した輩の正体は分からず報復も出来ない状況がこの数日続いているという状態であった。はっきり言おう、大失態である。

 

 オーナーたるブラウンシュヴァイク一族から相当の抗議が来て、しかも醜態からほかの契約先からも悪評が立ち会社の株価は九パーセント、事業収益も僅か数日の内に五パーセントも下落したらしい。彼らからすれば緊急事態そのものであっただろう。

 

 そこにフェザーン自治領主府一等理事官ニコラス・ボルテック氏を仲介して私は彼らに接触しこう伝えた。即ち、ブラウンシュヴァイク男爵の身柄の無事、そして彼らに対する下手人への報復の誘いをである。

 

 彼ら自身株主たる公爵への釈明のために、そして男爵自身に同じく報復の依頼を注文されれば選べる選択肢は一つであった。

 

(とは言え本当に誘いに乗るとはな。フェザーン企業はどいつもこいつも気が狂ってるな)

 

 報復の相手を伝えられ、しかも連絡してきたのが亡命貴族とは言え同盟軍人であるのに当然の如く誘いに乗るフェザーン企業の態度に私は今更のようにこの星の人間は拝金主義が極まっていると呆れ返る。

 

「ティルピッツ伯世子殿、此方我が社に初の御依頼を頂いた事への心ばかりの御礼で御座います。どうぞお納め下さいませ」

 

 私が現状の整理(現実逃避)をしているとフェルナー中佐はそう申し出て、傍らに控える副官が高級感溢れる木箱を差し出す。

 

「これは……」

 

 木箱の中身が開けられる。そこにあるのは義手であった。それもフェザーン製の高級品!

 

「スタジアムの監視カメラの映像を見るに、恐らく御入り用であろうと思いまして。オーダーメイドの品に比べれば質は落ちますが、どうぞ御容赦下さい」

 

 フェルナー中佐は詫びの言葉を口にする。確かに一人一人の体格と欠損状態に合わせた一品物に比べれば使い勝手では劣る大量生産品の義手ではあるが、それでも今の私のズタボロになった間に合わせ物に比べれば雲泥の差である。

 

「大佐、余り不用意に装着するのは……」

「いや、問題はなかろう。……有り難く頂こう」

 

 警戒するバグダッシュ少佐を宥め、私は直ぐに既存の義手を外すと代わりにコネクタに新品の高級品を接続する。次の瞬間に神経接続の鈍い痛みが走り、次いで右腕の感覚が復活する。

 

 指を、手首をくるくると回す。そこには殆どラグは無かった。

 

「良い品だな。……さて、時間がない。では手短に作戦会議とでも行こうか?後について来てくれ」

 

 取り敢えず顔合わせでいきなり撃たれる事は無かった事から『ユージーン&クルップス社』と背後に控えるブラウンシュヴァイク家一門は私の提案に本当に乗っかる積もりらしい事は分かった。なので私も警戒を解いて中佐と副官に即興で立てた作戦を説明するために屋敷の中へと誘う。少佐は先頭に、次いで私と中佐、中佐の副官の順で進む。

 

「……中佐は帝国風の名前だが、元は帝国軍人なのかな?」

 

 屋敷の廊下を進みながら私は極自然に、世間話の体で尋ねた。これから尋ねる事は今後の課題を考えると少なくとも私にとっては極めて重要な内容であった。

 

「元帝国軍人である、と言うのは事実です」

「含みのある言い方だな?」

 

 元帝国軍人、と言う経歴自体は珍しくない。フェザーンの民間軍事会社は同盟・帝国軍の退役や予備役入りした軍人、退職した警察官等を大量に雇い入れている。しかしこの物言いは……。

 

「アントン・フェルナーは帝国軍時代の通名です。元アスカリ軍団所属ですので」

「アスカリ?それはまた珍しい出身だな?」

 

 その用語から、原作でも触れられなかったこの男の前半生に私は若干の好奇心を混ぜて更に尋ねた。

 

 通常帝国軍に志願ないし徴兵されるのは帝国臣民のみである。それ故に自治領民や奴隷階級等は反乱の可能性も考慮して本来は兵士として取り立てる事はない。その数少ない例外の一つがアスカリ軍団である。

 

 自治領民及び奴隷階級、外縁宙域出身者、捕虜となった反乱勢力(同盟軍人を含む)からの志願兵を中核とするアスカリ軍団は帝国軍の補助部隊的存在である。

 

 思想的に問題無しと認可された自治領民・奴隷階級・外縁宙域人・反乱勢力軍兵士からの志願兵で編成されたアスカリ軍団は、当初は流刑地やに自治領での反乱が生じた際における鎮圧後の治安部隊としての役割が期待された。帝国軍が直接鎮圧後の治安維持を行と地元の市民感情を刺激する可能性が高く、また同じ奴隷や自治領民、反乱勢力等の思考や価値観を熟知している彼らは現地における宣撫工作に有効、更に言えばダゴン星域会戦以前の軍縮時代には歴代皇帝の自治領や奴隷階級に対する融和政策の一環でもあり、またその人件費の安さも手伝って予算削減に喘ぐ軍部は彼らを積極的に活用したとされる。

 

 対同盟戦争勃発以後は反乱の可能性もあり削減されたアスカリ軍団は、しかし第二次ティアマト会戦以降再度拡充が行われた。余りに甚大な貴族・士族・軍役農奴の喪失と財政的な損害を前に迅速な戦力再編を迫られた帝国軍は、平民の徴兵強化と共に安価なアスカリ兵の一時的拡充で部隊の頭数を揃えようとしたのだ。

 

 特にオトフリート五世の時代にはその総戦力を五〇〇万近くまで拡大させたアスカリ軍団は急速にその軍部内での発言権を強化した。尤も、それ故に帝国軍の主流派に危険視され、またその性質から保守的なリヒャルト大公と対立していたリベラル派のクレメンツ大公に接近、その後三諸侯の宮廷クーデターの余波を受けてアスカリ軍団は大規模な粛清を受けその規模を縮小させ、現在では最盛期の数分の一の規模を維持するばかりである。

 

「私は帝国臣民ではなくシリウス自治領出身の自治領民です。身寄りがなく、故郷ではまともに食える仕事もありませんでしたので志願しました。最初は兵士として雇用され准尉に昇進した後、戦場で会社の営業マンにスカウトされました。何せ捨て駒の殿を用命されましてね、そうでもしなければ今頃戦死していましたよ」

 

 さらりとエグい過去を暴露する中佐である。おい、そんな事原作で聞いてないぞ。しかもあのシリウスとは……。

 

 シリウス第五等帝国自治領は一〇〇余りある帝国自治領の中でも最も貧しく、内政が不安定でかつ、腐敗している事で有名だ。帝国史の中では曰く有りの惑星でもある。

 

「一兵卒から准尉に、しかもその年で……随分と早い昇進だな?」

 

 取り敢えず言いたい事は幾つかあったがその事は一旦脇に置き、まずはその事について触れる。前世の記憶等というものがなければまずはこの事に注目する事だろうから。

 

 アスカリ軍団の士官の大半は兵士の反乱を抑圧する事を目的として帝国軍の正規ルートから選ばれた者が着任する。自治領民や奴隷出身者もいない事はないが、圧倒的に数は少ない。それを傭兵になる前に既に准尉にまで昇進していた事実は彼が軍人として相当に優秀である事を証明している。

 

「別に嘘ではありませんよ?一応帝国軍時代には突撃勲章と狙撃勲章を頂いております。今の雇用先での経歴は後程会社に御問い合わせ下さい。とは言え、社外秘の仕事も多かったので結構黒塗りですがね」

 

 堂々と自身の能力と実績を自慢気に答える傭兵。それはまるで営業マンのセールストークのようだった。いや、訂正しよう、この後の発言から見て間違いなく、それはセールストークだった。

 

「……それで、私は伯世子様殿の一次面接に合格出来ましたかな?」

 

 此方の反応を楽しむように極々自然な態度で中佐は私にそう質問した。それは私の考えが読まれている事を意味していた。

 

「バレたか」

「たかがその場限りの派遣の傭兵に色々と聞いてくればある程度予想は出来ますよ。貴方の質問は経歴確認のような印象を受けますしね。無論、私としては都合が良いのですが」

「都合が良い?」

 

 不敵な笑みを浮かべるフェルナー中佐に対して私は首を傾げる。

 

「いえ、私も機会があれば転職をと考えておりましてね。今の職場は以前よりは好待遇ですが、所詮は雇われの傭兵ですから。出来ればもう少し遣り甲斐があって福利厚生が充実した職場に転職したいと考えているのです」

「ほぅ」

 

 フェルナー中佐の言わんとする事を私は理解した。同時に原作での行動も。

 

 この男にとっては別に帝国が祖国という意識はないのだろう。そして主君を次々と変える事もまたしかり、文字通り彼にとってはブラウンシュヴァイク公爵も、ゴールデンバウム王朝も、ローエングラム王朝だってただただ転職に過ぎないのだ。そこには他のローエングラム王朝の諸将のような理想はない。

 

 正直、その性格を理解して部下にしたいかと言えば敬遠したい所ではあるが……原作でのイベントを考慮すると彼にブラウンシュヴァイク公の所に転職してもらうのは止めてもらいたかった。

 

「それで?私はどうだ?」

 

 取り敢えず、現段階における彼の評価を尋ねる事にする。そもそも誘っても断られたら滑稽だ。

 

「まだまだ判断は保留と言った所でしょう。確かに福利厚生は良さそうですが職場と職務のミスマッチは避けたい、転職活動も経歴が多すぎれば採用先の信頼を損ねますからね。それに、貴方も雇用する労働者の能力を確認してからでなければ採用しようとは思わんでしょう?」

 

 飄々とした態度を取る機会主義者の傭兵。原作では恐らく福利厚生抜群であっただろうブラウンシュヴァイク公爵家に雇用されたこの男は、幸運にもどうやら私の事も転職先候補の一つとして見定めているらしい。

 

「一応聞くがブラウンシュヴァイク家から直にスカウトのオファーが届いたりした事はあるか?」

 

 私は確認のために尋ねる。

 

「いえ?出来ればオファーを貰いたいとは思っておりますがね。彼処は大手ですから、食客待遇でも福利厚生は最高です」

 

 若干怪訝な表情を浮かべて答えるフェルナー中佐。演技の可能性も否定は出来ないが……そこはまた後々調べれば良い。どちらにしろ、彼の存在は今後の事を考えれば手元に確保した方が得であろう。最悪既に公爵の唾つきでもリップシュタット戦役の時点でオーディンにいなければ十分だ。

 

(何にせよ、今の時点では捕らぬ狸の皮算用か……)

 

 まずは目の前の課題の対処が先である。原作スタート後の話はその後に考えれば良かろう。

 

「そうか。私も軍人である以上優れた人材には大枚を叩いてでも手元に置きたいと思っていてな。此度の君の仕事ぶり次第ではスカウトしようかと考えていてね。何せ社運を賭けた今回の仕事の受注、只の傭兵なぞ送るまい?」

 

 私の質問に肩を竦める中佐。

 

「ほぅ、初対面で随分と高評価ですな。期待に沿えるように努力致しましょう」

「そうしてくれ、此方としても失敗出来ない仕事でね。……どうやら到着だ。入ってくれ」

 

 バグダッシュ少佐がリビング兼作戦会議場に向かう扉を開き、私は先行し中佐らを招き入れる。ここからが本題であり、勝負になりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

「本当に大丈夫なのか?この策が失敗すれば我々は御仕舞いだぞ……!?」 

「今更何を言いますか?もう後に退けないのは御存知でしょうに。もう貴方には口封じを行ない、全てを混乱の中で揉み消す以外に道はない。違うかな?」

 

 うっすらと意識を取り戻した彼女……テレジア・フォン・ノルドグレーン中尉が耳にしたのはその会話だった。

 

(視界が……見えない……目隠しされている……?痛っ……頭がっ……!?)

 

 目覚めても尚、彼女の視界は真っ暗に染まり、神経の感覚が少しずつ戻って来ると共に頭に鈍い鈍痛が蘇る。身体の自由は何かに縛られ奪われているようで、何者かの会話が耳を通じてまだまだ思考の定まらない彼女の頭の中に響き渡る。

 

「それは……」

「それに卿が御父上を見限り次の後見人に乗り換えようとしている事も知っている。この事が発覚すれば帝国・同盟・フェザーン、何処にも卿の居場所はなかろう?」

「………」

 

 粘りけのある若い男の声に、もう一方の初老の男の声が沈黙する。

 

(これは……何の会話……?)

 

 未だに意識がはっきりしないテレジアは、しかし必死に会話の内容を覚えようと努める。殆んど本能的にその会話を聞き漏らしてはいけない事を彼女は直感していた。

 

「なぁに、安心するが良い。我が家にとっても卿のやろうとする事には益がある。だからこうして協力しているのではないか?いざとなれば我々は一蓮托生だ、逆に成功すれば御父上も卿の事を無下には出来まい。私が直々にこの場に来ているのだ、信用するが良い」

「……信用して良いのだな?」

「勿論だとも。何やら嗅ぎ回る犬がいるが……最悪我々にはこれがある、何の問題もない」

 

 苦い口調で初老の男が念押しすれば応揚に青年の声が応じる。その後幾度かの会話を交え初老の男のものだろう、何処か頼りない足音が響き渡り、それはゆっくりと離れていった。

 

「ふっ、アレは終わりだな。愚かなものだ、身の丈に合わぬ野望なぞ抱くからこんな事になる。賎しい生まれは賎しいなりに分を弁えれば良いものを、よりによって同じ下賎の皇子と手を組むとは。実に滑稽な事とは思わんかね?」

 

 若い青年が問い掛ける。それは周囲にいるのだろう者達に向けたもののように思われた。僅かに何かが動く擦れた音がした。恐らく御辞儀か何かで青年の言葉に応じたのだろう。

 

「ふっ、形式通りの同意か。全く、詰まらん奴らな事だな」

 

 恐らく型通りの返答であった事に僅かに嘲笑するように鼻白む音。そして足音が響き、それは彼女の元に近づいて来る。そして、青年は愉しげに叫んだ。

 

「さて、いつまで寝た振りをし続ける積もりかな、御嬢さんっ?」

 

 その声と共に彼女に掛けられた目隠しが強引に引き剥がされる。

 

「っ……!?」

 

 長時間闇に慣らされた彼女の瞳孔に広がったのは強い照明の光であった。それも真正面、それ故に彼女の視界は黒から白に塗り潰される。

 

「君が随分前から意識を取り戻していたのは分かっていたよ。ラーデン、薬を打ったそうだが予想よりも目覚めるのが早いな?どういう事かな?」

「少々お待ち下さいませ」

 

 そう言えば眩い光の中から人影が現れる。それは未だに意識が混濁する彼女の顔を下から掴み上げる。顔が近付き、それが意識を失う前に尾行していた老紳士のものである事を脳の片隅で彼女は理解した。老紳士は検分するように彼女を観察した後その手を離して恭しく答える。

 

「初歩的な薬物と暗示、洗脳に対する精神的耐性を付与されております。恐らく先程までの会話も全て深層心理のレベルで記憶しておりましょう」

 

 老執事は薬物を注射された彼女の口調や瞳孔の開き具合と動き等からそのように結論付ける。そして、それは間違いではなかった。

 

「ほぅ?流石に権門四七家に仕える従士家の名家だ、こんな小娘にもそういう調整を施しているのか」

「ノルドグレーン家と言えばティルピッツ伯爵家の諜報と治安部門に代表される一族です、その直系となればこの程度の初歩的な調整は寧ろ当然かと」

「ふむ………」

 

 老執事の言葉に興味深そうに顎を擦りテレジアを見下ろす公世子。

 

「まぁ、記憶がはっきりしているなら、それはそれで一興だ。これの絶望に歪んだ反応を見るのも面白い」

 

 にやり、と口元を凄惨に歪ませた笑みを浮かべるマクシミリアン。それはどこまでも加虐性に満ち満ちたものであった。

 

「鏡を持ってこい。あぁ、もう照明は要らん。消せ」

 

 その青年の命令と共に眩いばかりの光は消え失せる。そして、彼女は自身のいる場所が広いホールのような場所だと言う事を把握した。思考が定まらないまま、殆んど条件反射的に視線を動かしその場にいる者達の人数と顔を彼女は脳裏に焼き付ける。

 

(執事……女中……護衛……あの男は……カストロプ家の………)

 

 吟味するように自身を観賞する青年貴族をぼんやりと、しかしきっちりと記憶に覚えさせるテレジア。同時に何故この男が自分の前に姿を現しているのかという疑問が浮かび上がる。 

 

 だが、その疑問もすぐに忘れ去る。女中二人がかりで運び込まれ目の前に置かれた立て鏡に映りこむ姿を見れば……。

 

「っ……!!?」

「どうかね?一応プロにやらせて見たのだがね、やはり本物ではなく写真や動画越しでは微妙に違いがあるかな?遠目からなら誤魔化せるとは思うのだが……」

 

 目を見開き驚愕するテレジアとはうって変わり、気軽そうに放蕩貴族は宣う。

 

「貴様……うごっ……!?」

 

 鋭い眼光で青年貴族を睨み付けようとしたテレジアは、しかし次の瞬間布地で口に猿轡をされ強制的に発言を中断される。その姿を見てマクシミリアンはその端正な顔を機嫌良さそうに綻ばせる。

 

「おやおや、そんなに怖い顔をしないで欲しいのだがね、折角化粧したのにこれでは台無しだ。囚われのお姫様は大人しく、可愛げある態度をしてもらわんとな?やってくる獲物に失礼だろう?」

 

 猿轡されたテレジアの両頬を掴み、その顔を改めて観賞するマクシミリアン。それは人の顔というよりかは宝石やアンティークの質を確認する鑑定家のようにも見えた。いや、実際彼は彼女に一個人としての価値なぞ一ミリとして抱いていない。

 

「『代用品』でも磨けば見掛け位はどうにかなるものだな」

「っ……!!」

 

 マクシミリアンの放ったその言葉にテレジアは震え上がり、怒り狂う。それは彼女にとっては自尊心を土足で踏みにじる言葉であったから。特に今の彼女にとっては。

 

「ほぅ、これは……!」

 

 一方、マクシミリアンはそんな人質の姿を見て、その意味合いを理解して口元を愉しげに吊り上げた。それは新しい楽しみが増えた事に喜ぶ無邪気な子供のようだった。

 

「どうやら今回のゲームはとことん楽しめそうだな。結構な事だ」

 

 そう嘯くマクシミリアン、同時に遠くから何かが爆発する音と小さな震動が響く。天井の照明がチカチカと点灯をし、周囲の使用人達が青年貴族の周囲を守るように囲む。

 

「狼狽えるな、見苦しい。……ラーデン!」

「はい、郊外の送電線が爆破されたそうです。恐らく陽動かと」

 

 耳元のイヤホンから情報を得たのだろう、老紳士は一切の淀みなく淡々と主人に報告を上げる。そして主人はこれまでにない程に笑みを浮かべていた。肉食動物が獲物を食い殺す時に浮かべる笑顔だった。

 

「ふふふ、それでは漸く本番という訳だな?さてさて、まずはお手並み拝見といこうか。なぁ、ラーデン?」

 

 青年貴族は踵を返し愉しげに部屋の窓に顔を覗かせる。執事はそんな主人に対して恭しく礼をもって答える。口を利けない人質だけが顔を青くして絶望していた。

 

 九月二三日2100時、フェザーン・セントラルシティ郊外フルトン街の送電線の爆破、それがゲームの始まりを告げる合図であった……。



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第百六十話 本当はイヴに投稿したかったけど忙しくて無理だったんだぜ!

多分今年最後の投稿です


「き、教授!こんな遅くまで残っているなんて珍しいですねっ!き…今日は残業ですか!?」

「やぁ、カウフ君。いや、生徒達のレポートの評価が長引いてね。そういう君は論文の作成かい?」

 

 フェザーン科学アカデミーの食堂で肉うどん定食を食べていた自然学地質学科教授ミゲル・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ氏は、トレーにボルシチとフォルシュマーク、ピロシキと言ったフェザーン料理を載せて偶然通りがかった同僚に呼びかけられ、笑顔で返答した。

 

 カザーニ街に鎮座し、多くの政治家・法律家・企業経営者を輩出するフェザーン商科大学と対を成すのが多くの技術者・科学者を輩出するオムスク街のフェザーン科学アカデミーである。元々は第二代フェザーン自治領主クラウス・フォン・ヴィッテンボルクが軌道エレベーター建設のために各分野の科学者・技術者を育成する目的で設立したこの大学は、今では銀河で最も最先端の科学理論と技術を学ぶ事の出来る名門大学となっている。

 

 尤も、多くのフェザーン人は技術や理化学方面の学問への関心が薄く、金儲けのためにフェザーン商科大学に進む者が多いために、多くの教授や生徒は同盟や帝国からのヘッドハンティングや留学生が占めてはいるが……。

 

 昨年発表した論文がフェザーン学会で認められてこのアカデミーの教授職に就任したミゲル・ボルジェス・デ・アランテス・エ・オリベイラ教授は、特に理由もなく親睦を深める目的から目の前の同年代の女性助教授に食事を共にしないかと誘う。

 

「え!?え…えぇ!!構いませんとも!そ、そそ…そうだ!教授、あ、今作成している論文があるんですが……出来れば後ほど読んでもらえませんか?来月の学会で発表したいんですが……正直初めてなもので不安で……えっとやっぱりお忙しいですかね……?」

 

 植物学を専門とする小柄で赤毛の可愛いらしいフェザーン娘……半世紀近く前の伝説のフェザーン商人バランタイン・カウフの孫娘にしてフェザーンの大手不動産会社ラビット・ハウス社役員たるドナート・カウフの三女カリーナは慌てた口調で、そして顔を僅かに赤く、次いで青くしておずおずと不安げに尋ねる。

 

「?それ位なら構わないよ。とは言っても私の専門は惑星開発だからね。確かに植物学との関係はあるけど……余りちゃんとしたアドバイスは出来ないよ?」

 

 見るからにお坊ちゃん育ちだと分かるオリベイラ教授は優し気な笑みを浮かべ申し訳無さそうに答える。その温もりに満ち満ちた表情をオリベイラ一族を良く知る同盟政財界の有力者達が見れば目を見開くだろう、到底同じ血を引いているとは思うまい。

 

「だ、大丈夫ですっ!ち、ちょっと助言を頂ければ結構ですので!!」

 

 少々上がり気味に叫ぶ助教授。そんな年下の同僚に若干驚きつつも、教授は包容力に溢れた微笑みを浮かべて答える。

 

「そうかい?だったらいいんだけど。……助教授も余り根を詰め過ぎないでいいよ?発表は毎年あるんだからね、無理して体調を崩す方が問題だ。うーん……」

 

 そういって緊張する助教授に顔を近づける教授。

 

「ふぇ…!?」

「うん、やっぱり顔が赤いね。熱があるかも知れないなぁ……」

 

 教授の顔を直視して、一層顔を赤らめ上気させるカウフ助教授。そのままうぅぅ……と小動物のようぬ呻き声を上げる。その仕草は自然体であり、男の庇護欲を誘うものであったが……残念ながら目の前の天然な側面がある教授には効果は然程期待出来なかった。

 

「大丈夫かい?薬でも用意しようか?」

「い、いいえ……その心配は……あっ、そのでしたら……えっと……膝枕を……」

 

 心底心配そうに尋ねる教授に、女性助教授は混乱する脳細胞を全力で回転させ、そのチャンスを掴もうと御願いをしようとして……。

 

『こらー!大学内での不純異性交際は御法度だよー!!』

「ひゃあっ!?」

「うわっ!?」

 

 横合いから現れた巨大な影が叫んだ機械音で合成された幼い子供の声に二人は驚いて跳び跳ねた。

 

『もー、ミゲルさんはそーやってすぐに雌猫達に隙を見せるんだからー。駄目だよ?その気もないのに周囲の女の子を勘違いさせちゃー』

 

 巨大な影は巨大な蜘蛛のようなロボットだった。四本足にロボットアームの手をフリフリして感情を表現する大型ホバーバイク程の大きさを誇るそれは、銀河帝国軍の思考戦車型の旧式地上用ドローンから武装と装甲を撤去し、塗装を青くしてプログラミングを改良したものだった。本来ならば無機質な機械音で最低限の会話が精々の筈のそれは流暢に、人間らしい言葉でお喋りする。

 

 帝国とフェザーンで電子工学・機械工学の博士号を持つリヒター博士が独自にプログラミングした試作学習AIを搭載したこのドローンは、愛称を『シュヌッフィ』と名付けられ、大学内の教授や職員、学生から可愛がられているマスコット的存在だ。因みにミゲルはこの大学に来て直ぐこのドローンと遭遇した際に天然オイルを上げて以来、かなり懐かれていた。

 

「おいおい『シュヌッフィ』、心外だなぁ。余り助教授をからかうものじゃないよ?まるで私があくどいホストか何かみたいな言い草じゃないか。それよりも何の用だい?今日の天然オイルは注いであげた筈だけど……」

『いやだなぁー、ミゲルさん!そんなの博士の御夜食、いえ朝御飯のために決まってるじゃないですかー!博士ー、食堂着きましたよー?』

 

 そんな子供がはしゃぐような機械音と同時に蜘蛛型ドローンの丁度腹部に当たる部分がパカンと開く。元々は同行する歩兵部隊への補給用武器弾薬を積載する空間だったそこから現れたのは小柄な、いや小さな白衣姿の女の子だった。

 

「お前、はしゃぎ過ぎ……やっぱりこれ失敗作……」

 

 金糸の長髪に金銀妖瞳の眠たげな瞳を浮かべる仏頂面の彼女は、銀河帝国から科学技術研究交流を名目にこの大学の教授に就任したイングリート嬢であった。

 

 その実家は元々銀河連邦の名門政治家一族に連なり、ハッサン・エル・サイドの孫に当たるヘクマティアルが初代当主を務めた権門四七家にして宮中一三家でもあるリヒター家であり、血統上は現帝国財務省銀行局局長でもあるリヒター伯爵家当主オイゲンの次男の子、リヒター伯の孫娘に当たる。端的に言えば大貴族のお嬢様だ。

 

「リヒター博士、その様子ですとまた昼夜逆転の生活をしているんですか?余りやり過ぎるとまた病気になりますよ?」

「……その時はまた介護してもらう」

 

 明らかに起きたばかりに見えるドローンの上に乗っかった幼い博士の言に呆れた表情を浮かべるオリベイラ教授。この異例の若さ、いや幼さを誇る博士は同時に帝国宮廷における異端児であり、問題児であり、変わり者である事をオリベイラ教授は理解していた。

 

『嫌だなぁミゲルさん!そもそもこの大学にいる教授連中なんて奇人変人の巣窟じゃないですかぁ!帝国や同盟の学会から鬼才奇才の掃き溜め扱いされている事位御存じでしょう?その点、博士の変人具合なんて可愛いものですよぅ!』

 

 ボディをフリフリと動かして指摘するドローン。銀河帝国も自由惑星同盟も長く続く戦争の結果研究内容・方針の合理化が推進され、所謂社会経済・軍事に転用出来る研究に優先的に予算が重点配分されるようになって久しい。そのため本当に知的好奇心・探求心を重視した研究を行うのは極めて難しくなっている。それこそ羽振りの良い門閥貴族のパトロンを得るか、このフェザーン科学アカデミーのような場所でなければ不可能だ。

 

 それ故帝国・同盟問わず国家の科学研究方針から反発した、あるいは世間や学会とは思考回路や価値観がかなりズレたりした者が自由な研究を求めてこの大学に流れ着き、帝国や同盟の公的機関であれば呆れて予算も出ない研究に豪勢な資金を使い邁進している一面があった。そして両国学会ではそんなフェザーン学会の特徴に嘲笑と羨望の双方の意味を込めて『狂科学園(マッドサイエンス・パーク)』等と呼ぶ事も少なくない。

 

 目の前のお喋りなドローンの上でぐったりと倒れる幼女もその例に漏れない。門閥貴族の名家出身の癖に宝石にも花にもドレスにも大して興味を持たず、機械いじりばかり楽し気に行い十歳で博士号まで得てしまったこの貴族令嬢は、当然帝国の社交界では許容される存在ではない。源流を帝国議会の共和派議員に持つリベラルな風潮の強いリヒター伯爵家でなければ人格を矯正されていただろうし、そんなリヒター伯爵家ですら流石に手元に置くのは憚りフェザーンのこの大学に科学技術研究交流を名目に遠ざけてしまった。無論、本人は大して気にしていないようであるが。

 

「……朝眠い。今ご飯食べてる?ランチ?」

 

 腹を子供らしくぐー、と鳴らした博士は食事中の教授と助教授を見やり、その無表情の顔を傾げる。

 

「いや、これは何方かと言えば夜食だね。太るし余り健康に良くはないけど……今日は少し寝るのが遅くなりそうだからね」

 

 オリベイラ教授はははは、と困った笑い声を漏らす。対面の助教授は「明日は食べる量減らそう……」等とカロリーの高い目の前の注文済みのフェザーン料理を見ながら小さく呟いていた。

 

「そう……教授、あーんして」

「えぇ、流石にそれは困るなぁ……」

 

 幼女博士が愛らしく口を開けて強請るが流石に色々と疎い教授もこれには抵抗感を見せる。

 

『博士ー、ミゲルさん駄目だってー、間接キス作戦失敗だねー、次はどうするー?』

「煩い、失敗作」

 

 アハハ、と無邪気な笑い声を鳴らすドローンをこつんと叩き、無表情な顔を不機嫌そうに歪める博士。叩かれたドローンは痛覚なぞ無い筈だが『痛ーい!』としょんぼりする仕草を浮かべる。

 

「こらこら、『シュヌッフィ』に当たっちゃ駄目だよ博士。何か注文あるならまだ厨房は開いているから注文しにいったらどうだい?」

 

 そう指差す先には数名の教授達が並ぶ食堂の厨房、奇人変人も多いのでこの大学の食堂は深夜営業も当然である。

 

「うん、分かった。抱っこ」

 

 ドローンの上から当然のように眠たげ表情で手を伸ばす博士。それは子供が抱っこしてと言っているような仕草だった。いや、実際彼女はそう要求していた。

 

「いや、『シュヌッフィ』に乗っているからそのまま行けば良いんじゃないかな?」

「やー」

 

 オリベイラ教授の言に年相応の声で駄々を捏ねる幼女な博士。

 

「博士、何でしたら私が御連れ致しましょうか?教授は仕事で忙しく疲れていますから」

『カウフさんは黙っていてよー、折角博士がアタック中なのにー!人の恋路を邪魔する雌猫はフルフルに食われて死んでしまえって諺知らないのー?』

「失敗作、黙らないとデータ削除するわよ……?」

『あーうー……』

 

 貼り付けた笑みを浮かべ提案する助教授に、プンプンとその行動に口を尖らせるドローン、そしてそんなドローンを叱りつけた博士はジーと助教授を無表情に睨み付ける。それに対して張り合うように助教授も同じく笑みを称えて(序でに博士よりはある)胸を張って答える。

 

「え、えっと二人とも……何をそんなに剣呑な雰囲気なのかな……?」

 

 明らかに不穏な空気を察して恐る恐る尋ねる教授。因みに自身が元凶である事に気付いてはいなかった。

 

『もー、ミゲルさんは本当に天然誑しだよねー!この前だって確か同盟の人的資源委員会から来たお姉さんをナチュラルに口説いてたよねー?本当、モテモテだよねー?よっ!女誑し!』

「ち、ちょっとその話もっと聞かせて下さいっ!?」

「……記憶データ、早く開示して?」

 

 助教授と博士が同時にドローンと教授の方を向き、圧力のある眼光を向ける。ドローンは『ひゃー、怖いよミゲルさーん』とハンドアームを頭を守るように乗せ教授に助けを求める。

 

「え、えっと……二人共、『シュヌッフィ』が怖がっているから落ち着こう……?」 

「き、教授こそ!毎回毎回顔を合わせた人を勘違いさせる言動は止めて下さい!!本当っ!教授は何でいつもいつも人を勘違いさせるんですかっ!?」

「その通り、私は寛大だけどどこの馬の骨とも知れない賎民の雌に性病を移されたら大変。やっぱり教授を守るために私と同棲するべき。ね?同棲しよ?」

 

 良く状況が理解出来ず、取り敢えず自分に良く甘えるドローンを擁護すると助教授と博士の矛先が当人に向けられる。助教授は顔を赤くして必死な形相で、博士は無表情で有無を言わさぬ圧力を持って教授に迫る。その態度に、しかし色々と無自覚な教授は困惑を深めるばかりだ。

 

 因みに周囲で食事する教授や博士が舌打ちしながら「糞、見せつけてんじゃねぇぞ。リア充氏ね」とか「急いで嫌われスイッチ作らなくちゃ!」とか「ふふ、分かってねぇな。本当の愛は男同士でしか成立しねぇ、だろミゲル君?」等と好き勝手に戯れ言を口にするが教授自身は目の前の二人の事で手一杯で碌に聞いていなかった。

 

 取り敢えず物凄い剣幕で此方を睨む二人を宥めようと教授は口を開く。その次の瞬間であった。震動と共に食堂の電灯がチカチカと点滅したのは。

 

「きゃっ……地震!?」

「いや、この揺れは違う」

 

 カウフ助教授がよろめきながら叫ぶのを、地質学に造形が深い教授は即座に否定する。そもそもセントラルシティは地震が発生するような不安定な土地にまで開発の手を伸ばしてはいない。

 

「『シュヌッフィ』」

『うーん……あ、今ソーシャルネットワークに投稿されたよ博士。三ブロック先の水素エネルギー発電所で爆発だって。あ、別の人が動画サイトにリアルタイム動画投稿し始めた!』

 

 背後からニョキニョキと通信アンテナを出したドローンが通信衛星を利用してネットワーク内部で該当する情報を検索・分析して場にいる人々に伝える。

 

『ううん……?』

「どうしたの……?」

 

 頭を傾げるようにボディを傾けるドローンに対して幼い博士は怪訝な表情を浮かべる。

 

『何かねー、ほかの所でも事件が沢山起きてるみたいなのー、フルトン街で送電線が切断……ハルモネラ街で水道管破裂……あ、今通信回線が切れた!』

 

 恐らく中継の電波塔が何らかの理由でその機能を喪失したらしい。周囲の教授や大学職員達が電波圏外となった携帯端末や何の番組も放映しなくなったソリビジョンテレビをを見ながら不安げに相談を始める。

 

「こ、これって……テロ……ですよね?」

 

 少動物のように怯えながら植物学助教授は目の前の教授に尋ねる。彼女の脳裏にここ数日立て続けに発生した物騒な事件の報道が蘇る。元来争いごとに疎い『表街』の女性であり、ましてお嬢様でもある助教授のこのような事態に対する耐性は限りなく零に近かった。

 

「こういう時は余り勝手に動かない方が良いだろうね。幸い、警備員がいるから素直に命令に従おう」

 

 不安そうにする同僚に対してオリベイラ教授は安心させるように伝える。彼は何年か前に戦争の最前線で乗っている潜水艦ごと遭難した経験がある。そこで学んだのは、少なくとも正規の公的組織が側にある場合は自身で勝手に動いてはいけない、という事だ。情報も準備もなく不用意な行動を取れば自分だけでなく周囲の命すら危険に晒す事を彼は理解していた。

 

『うーん……』

「どうしたの……?」

 

 何やら考え事をするように唸るドローンに、その上に乗っかる開発者でもあるリヒター伯爵家の末裔は尋ねる。

 

『えっとねー、さっきネットが切断されるまでに集めた情報を纏めてたんだけどねー?これって多分陽動なんだよねー?』

 

 元々軍事用に製造され、旧式化した事で後備役装備として長らく帝国軍の倉庫に眠っていたドローンは、自身に搭載され未だ削除されていない古いタイプの戦術戦略理論と過去のデータ、そして先程まで収集したネットワーク情報を参照して現状の状況について仮説を立てる。

 

「陽動?」

『うん、だから安心していいと思うの。ここには危険はないだろうからね』

 

 呑気な口調で、しかし確信のある口ぶりでドローンはこの大学は安全であると主張する。

 

「『シュヌッフィ』、一応聞くけど……だったらどこが危険なんだい?」

 

 オリベイラ教授は念のために、これから何処が危険になるのかについてドローンに尋ねた。

 

『うん。多分ねー、僕の分析が正しいんなら、この攻撃の本命は自治領主府だと思うんだー』

 

 第二次ティアマト会戦の大敗による人的資源の不足から官営工廠にて製造されて以来三十年近くに渡り帝都オーディンに配備され、ミヒャールゼン提督暗殺事件における軍務省敷地封鎖に統帥本部で発生したカップ大佐反乱事件鎮圧、クレメンツ大公に対する三諸侯のクーデターにも実働部隊として出動した記憶のある警備ドローンは、自身の電子基盤に刻まれた経験と知識から子供を連想させる無邪気な声でそう答えて見せたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「これは陽動だ。乗せられるなっ!!」

 

 アトラス社から雇用されたセントラルシティ自治領主府政府省庁街の警備司令官に任じられた雇われ将軍は司令部要員全員に向けて叫ぶ。

 

 元自由惑星同盟軍地上軍大佐、その後外縁宙域の紛争地における客将、そしてアトラス社の傭兵部隊の指揮官として雇用され、一民間軍事会社の社内での階級とは言え将官にまで栄達したスコットウィル少将は、自治領主府ビルの一角に設けられた防衛司令部のソリビジョンマップに追加されていく都市インフラへの攻撃の印とそれによる被害と救援要求の連絡に対してそう判断し、それは事実正しい判断であった。

 

 フルトン街における送電線の爆発を皮切りにセントラルシティ各地で生じる破壊工作やテロは既に一〇件を超えていた。だがそれはあくまでも本命に向けて注意を逸らすための陽動に過ぎない。

 

 破壊工作が実施された地点自体は必ずしもフェザーンの『自治領主府』にとって重要な地域と言う訳ではない。少なくとも自治領主府所有の重要施設なぞなく、また武装警察軍や傭兵部隊の警備も薄い優先順位としては然程高くない場所ばかりである。

 

 テロや破壊工作において守備側を撹乱し、その予備戦力を封じて本命の警備を手薄にする事、そしてそのために周辺地域で嫌がらせの破壊工作を行う事は最早市街地戦において基本であると言って良い。ならばここで無闇に重要施設の防衛要員と手元の機動展開用の予備戦力を派遣する事は下策であろう。

 

「周辺部隊の派遣を急げ。消防及び警察軍と連携しつつ破壊されたインフラ復旧に取り掛かれ。それと、自治領主府及び重要施設の警備段階を最高レベルまで引き上げろ」

 

 警備司令官は当然のように副官に命令する。

 

「恐らく、そろそろ本命へのアプローチが始まる頃だぞ……」

 

 警備司令官がそう呟いたと同時にオペレーターが嵐のように報告を始めた。

 

「商務局より通信です!局ビルの庭先に砲弾の落着確認っ!!迫撃砲弾によるものと推定……!!」

「中央物流管制センターにおいても銃撃戦が発生!!正面ゲートに無人トラックが突入しました!!」

「航路局ビル敷地内に侵入者有り!!」

「自治領主府ビル西門にてセンサーが生命反応を感知しました!!西門に展開中の警備隊との無線通信断絶!!増援部隊が急行しております!」

「来たな……!!」

 

 最初の周辺地域における各種破壊工作の連続から一時間程経過した2000時、傭兵部隊が厳重に防備を固める重要施設に対して次々と敵対勢力の攻撃が開始される。

 

 尤も、敵対勢力の襲撃のタイミングや手法はプロのそれではあるが、対する防衛側も無能ではない。アトラス社が自治領主府省庁街に展開した警備部隊は市街地における対テロ・ゲリラ戦を念頭に練兵された精兵部隊である。しかも襲撃の規模を見る限り敵部隊の規模は数個小隊、最大限に見積もった所で一個中隊と言った所か。

 

「その程度の戦力で重厚な警備の敷かれた施設を襲撃しようとは、無謀な事だな」

 

 自治領主府省庁街及びその周辺街区に展開するアトラス社の傭兵部隊は凡そ二万名に及ぶ。総人口二〇億に及ぶ惑星の統治機構ともなるとその規模も大きくならざる得ず、無論省庁街の敷地も広大だ。それでも武装警察軍やその他企業の傭兵部隊、ドローン等も含めればその守りは鉄壁と言っても過言ではない。襲撃者達は巧妙に展開し、捕捉撃滅されないようにヒット・アンド・アウェイを仕掛けてはいるが、警備部隊はその全てを最小限の被害で撃退する事に成功していた。

 

「相手方の展開が素早過ぎますな。恐らくは隠し通路か何かを利用しております」

「となれば此度の襲撃、フェザーン内の有力者が関与していると見るべきでしょう」

 

 司令部内で参謀として会社に雇用された数名の士官が言及する。同盟や帝国、あるいはそれ以外の勢力で教育を受け、実戦の洗礼を幾たびも浴びて相応の実績と才覚を示してその職に就いた彼らは、襲撃者達が厳重に警戒網を掻い潜り突然攻撃を仕掛け、そして忽然とその場から消えていく状況からその答えを導き出し、それはほぼ事実であった。

 

「面倒ですな。大元を撃破出来ませんのでいつまで経っても埒が明かない」

「とは言え迫撃しようにも不用意に追い縋ればトラップで無用の犠牲が出ます」

「だがこのまま攻撃されるがままというのも……」

「ふむ……」

 

 戦況を確認しつつ参謀達は相談を続ける。彼らに命じられた使命は第一に自治領主府幹部を始めとした政府職員及び政府施設の保護である。そのための選択肢としては、一つにひたすらに防衛に徹する道があり、他方で積極的に脅威の殲滅を志向する道がある。アトラス社から自治領主府に派遣された彼ら傭兵達は、その二つの戦略方針の何方かを選ぶ必要に迫られていた。

 

 

 

 

 

「ですが、恐らくは積極攻勢の選択肢は取らないでしょう」

 

 懐中電灯片手に暗い地下通路を通り抜け、非公式の非常用階段を上りながらアントン・フェルナー中佐は答える。それは傭兵側目線での意見であった。

 

「所詮我々傭兵は給金のために働いていますからね。武器弾薬は豊富、敵は精鋭なれど寡兵、依頼自体は失敗を許されない類の物、と来れば当然の選択です」

 

 戦闘が長期化する程危険手当が支給され、弾薬の欠乏の心配はなく、敵勢力は少数精鋭故に僅かな隙を突かれる可能性があり、仮に何等かの理由で依頼主に被害が及んだ場合の事を考えればその選択は余りに当然のものであった。生憎とフェザーンの省庁街に展開するようなお行儀の良い部隊である、亡命政府軍に向け発送するような戦闘ジャンキーなぞまず有り得ないであろう。あるいは兵力の差を活かして敵側の物資と体力を消耗を狙う可能性もあろう。何方にしろ、彼らが安全牌を取る事は明白である。

 

「成程、それを逆手に取る訳か……」

 

 相手が即刻陽動に派遣した『ユージーン&クルップス社』の傭兵と同盟軍情報局の工作員を人海戦術で圧し潰さないのは此方にとっても都合が良かった。一〇〇名にも満たない軽装歩兵戦力である。全力で撃滅を図られたら数の差と火力の差で一気に決着がついてしまった事だろう。此方からすれば寧ろ相手が慎重姿勢でいてくれるお陰で寡兵で大軍の足止めが出来て万々歳である。

 

「とは言っても長くは持ちません。そもそも陽動部隊は軽装ですから継戦するのも限界がありますから」

 

 背後でそう言及するのはフェルナー中佐の副官であるヤーコプ・ハウプトマン大尉である。その背後には室内戦闘を前提とした迷彩服と軍装に身を包んだ傭兵が一個分隊続く。

 

 言ってしまえば単純明快かつ当然の事である。地上でフェザーン自治領主府の重要施設に襲撃をかけて警備部隊を挑発し続けている傭兵達もまた陽動に過ぎない。彼らが地上で大軍を引き付けてくれている間に私達はルビンスキー自治領主補佐官を始めほんの数名しか知り得ない緊急脱出用の地下通路からフェザーン自治領主府ビル内への侵入を試み、それは八割方成功しつつあった。地下通路、そして非常階段から自治領主府ビルを上り続け、我々は既に地上二五階の地点に到達していた。

 

「ここで非常用階段は終わりのようですね」

 

 地上二五階に辿り着き、周囲を懐中電灯で確認し、それ以上上る階段がない事を先頭で先行するフェルナー中佐が確認する。

 

「ああ、聞いていた通りだな。ここから先は裏技は無しって訳か」

 

 即ち、ここからは敵に絶対に遭遇しない安全なルートなぞ存在しないという訳だ。素晴らしいね。

 

「先に我々が突入します。依頼人に死なれたら困りますからね……行くぞ!」

 

 内心そもそも任務に着いて来る事に疑問すら抱いてそうな口ぶりでフェルナー中佐は数名の部下と共に隠し扉からビル内部に突入した。

 

 恐らく部署の部長クラス執務室であろう、何方かと言えば装飾目的の壁に埋めこむ形式の暖炉の薪入れがどうやら隠し通路への出入り口のようだった。執務室内の脅威の心配がない事を確認した中佐達が我々にハンドサインで後に続くように伝える。

 

「人気が少ない?どういう事だ……?」

 

 執務室の扉を僅かに開き数機の偵察用小型ドローンを送り出した中佐は、手元のタブレット端末を睨みつけると疑問を口にする。ドローンのカメラがとらえた執務室を出た廊下の映像は殆ど無人に近かった。全くの無人ではないが警備が少なすぎる。

 

「我々の存在がバレたか?それとも罠か?」

「下階の確認も行っておりますがどうやら二〇階までは傭兵と各治安機関の武装要員で固められているようです」

 

 ハウプトマン大尉が同じく下階の偵察に出したドローンが届ける映像を見て報告する。

 

「どう致しましょう?」

「どうするも何も、我々は雇われの身だ。全て依頼主の意向次第だよ。どう致しましょうか、大佐?」

 

 部下の質問に対して傭兵隊長は私に放り投げるように尋ねて来る。

 

「……中佐個人の意見?」

「罠としては少々まどろっこしい物ですね。態々ここまで侵入を許す必要はありません。地下通路で挟み撃ちすればそれだけで良いですからね。自治領主府内部まで引き込むのはリスクが高過ぎます。このビルを爆破して纏めて仕留めるのなら中途半端に人員は残さないのでその点は安心出来ますがね?」

「ふむ……では何故人気がないと思う?」

「自治領主の命令ではないのは確かでしょう。後は、合理的理由が見いだせないのでしたら合理的な内容ではない、と考えるべきでは?」

「つまりお手上げと?」

 

 肩を竦ませて無言で肯定の返答をする中佐。無責任にも思えるが、実際私も彼同様合理的な理由を見いだせていない。

 

「……考えても埒が明かないな。少々野蛮だがこの際考えるのは後回しにしよう。考えている間に自治領主と使者殿に死なれたら笑えない。……まだおっ死んではいないよな?」

 

 私は確認の質問をする。ここで既に死んでいたら全て無駄な上に我々が犯人役になってしまう。

 

「偵察ドローンが自治領主の入室中と思われる室内に潜入しました。網戸で侵入は不可能ですが自治領主の声帯データを確認、何らかの会話中の模様です」

 

 通気口を通りながら自治領主執務室のある地上三五階に侵入に成功したドローンが震動センサーでその声を拾った。声の方向に移動するドローンはしかし通気口内に設置された網戸でそれ以上進む事が不可能であったが、少なくとも過去の自治領主の演説等から採取された肉声の声帯データと拾ったそれのデータがほぼ一致したらしい。少なくともまだヴァルハラ送りにはされていないようだ。有難い限りである。

 

「ならば急ぐとしようかね?ここまで来たんだ、生きたまま保護したい」

 

 我々は進軍を再開する。途中で邪魔な位置に居る警備員を数名、リアクションを起こされる前にパラライザー銃で失神させる。スペンサー氏の息がかかっているかは不明であるが、もしかかっていたら面倒だ。無関係であれば不運であるが、暫しの間眠っていてもらう事にしよう。定時連絡があろうから拘束した上で無線機に応答する人員だけ残して我々は上階に向けて上る。

 

 侵入者が一気に上って来るのを警戒してか、エレベーターもエスカレーターも封鎖されていたので階段で地上二五階に上る。そしてそこで、恐らく先が大広間になっているであろう重厚で大きな扉が目の前に現れた。

 

「大佐、我々が先行します。ハウプトマン、大佐の警護を」

 

 そう副官に命令したフェルナー中佐は二名の部下とジェスチャーで意志疎通をした後、一気に扉を蹴り開けて銃器を構えながら広く薄暗い部屋の中に躍り込む。それは待ち伏せを警戒しての行動であった。尤も、どうやらそれは杞憂であったようだ。

 

「ここは……食堂か」

 

 ゆっくりと室内に入りながら、事前に黒狐から教えられた自治領主府ビルの内部構造を思い出して私は呟く。

 

 少なくとも公式的には地上四〇階地下二五階建てとなっているフェザーン自治領主府ビル、その地上二八階から三〇階までをぶち抜いたこの広いホールは、自治領主府ビル内で働く数千人の胃袋を満たす関係者専用食堂であるそうだ。壁は殆ど強化硝子製であり省庁街、更にはその先のネオンで彩られる繁華街を一望出来る。

 

 天井の一角には主に株価やニュースを伝える大型液晶ディスプレイが設置され、また各所の柱にも補助用の小型テレビが幾つも設けられているようだった。数百もの円形、ないし長方形のテーブルとその数倍の椅子が置かれており、部屋の中央には初代フェザーン自治領主レオポルド・ラープの原寸大の銅像があった。銅像はネオンの輝く繁華街の方向を向き敏腕商人を思わせる不敵な笑みを浮かべているようにも見えた。

 

「人影は今の所見えませんが……念のため暗視装置を装着しましょう」

 

 背を屈め周囲の警戒するフェルナー中佐の進言に従い我々は暗視装置を頭部に装着する。暗視装置のレンズ越しに周囲を見渡すが、やはり人影は見られない。その事に安堵し、私は構えるブラスターライフルの銃口をゆっくりと下げ……。

 

「大佐!上ですっ!」

「っ……!?」

 

 フェルナー中佐の叫び声に私は即座に視線を上方に向け、同時に驚愕に目を見開き身を翻した。私がいた床の大理石が乾いた金切り音と共に粉々に砕かれたのはそのほんの数秒後の事である。おい、沢山侵入者がいる中で何故私をピンポイントで狙ったし!?

 

『ギギ……ギ……ッ!!』

 

 天井に張り付いていたそれが足部の電磁式吸着機能を止め落下、空中でボディを回転させ、丁度食堂ホールのど真ん中に設けられていたレオポルド・ラープの銅像を圧し潰しながら着地する。激しい震動が室内に響き渡る。

 

 照明がついていない、全面ガラス式の壁から入る街のネオンと星の光だけが覗く薄暗い食堂ホールのど真ん中で、それは頭部の赤く光る目のような六つの多機能センサーを独立させ動かし周囲の状況を確認する。

 

 全身を黒塗りに塗装されたバス程の大きさのあるそれはAIを搭載した多脚戦車ドローンであった。背中に対地兼用の対空機関砲、蜘蛛の顎に当たる部分には二門の機関銃が備え付けられている。相手が室内で装甲車両や重火器を運用出来ない事、上空から侵入してくる航空機による襲撃を迎撃する目的からの装備と考えられた。

 

「糞っ!ハウプトマン……!!」

「承知しております……!!」

 

 殆ど即座に遮光機能付きのガスマスクを装着してグレネードランチャーから発煙弾をばら撒き始めるフェルナー中佐。ハウプトマン大尉や他の傭兵達も同様にマスクを装着した上で発煙弾と閃光発音筒を辺り一面に撃ち込んだ。私はその行為の意味する事を直ぐに理解する。

 

 発煙弾と閃光発音筒が広い食堂全体を煙と光と轟音で包み込んだ。その影響でドローンに装着された光学カメラ、熱探知センサー、金属探知センサー、震動探知センサー、音響探知センサー等と言った索敵装置は一時的に無力化される。私はその隙に倒れたテーブルの影に慌てて潜り込んだ。

 

『大佐、どうやら随分と面倒な物が現れましたね』

「らしいな。糞ったれが……!!」

 

 イヤホン型無線機から聞こえて来るフェルナー中佐の声に私は悪態をつく。此方は急ごしらえの上に地下の隠し通路から潜入せざるを得なかった。それ故に手持ちの重火器の量に限界があった。それでも相手も同じく室内のために条件は然程変わらないと思っていたのだが……まさかあんな物が控えていたとは!

 

『剣菱重工製の中型ドローンですね。まさか室内にあんなもの持ち込んで来るとは想定外です。あんなのが暴れれば被害も馬鹿にならない筈なんですがね……!」

 

 苦々し気にハウプトマン大尉が相手が何物か導き出し、同時にそれがこの場にいる事に疑問を呈する。

 

「んな事言ってもいるんだから仕方ないだろ?……ドローンの無力化は電子戦がセオリーではあるが……これはちょっと厳しいか?」

 

 無人兵器群は人的な被害なく軍事行動を行う事が出来る兵器ではあるが、残念ながらそれが通用するのは技術的に格下の勢力に対してのみである。

 

 西暦の二〇世紀末頃に最初期型の無人兵器が誕生して以来、今日に至るまであらゆる軍事組織において運用されて来たが、結局、技術的に同格の勢力同士の戦いとなった場合、電波妨害によって敵味方識別信号や司令部からの通信、データリンクは無意味と化すし、ハッキングやコンピュータウィルスによるプログラムの改竄、電源のシャットアウト、友軍に対する攻撃を行った事例は枚挙に暇がない。

 

 スタンドアローンにより外部からの一切の通信を断つ方法も考えられたが、敵味方識別信号無き場合における人工知能の敵味方判断能力や戦場における例外事例・緊急事例における柔軟な対処能力の欠如、データリンク遮断による友軍との連携能力の喪失、緊急時の即応的な機能停止命令発令の困難性、何よりも人工知能に対し高度過ぎる自由裁量権を委ねる事への危険性からその選択肢はすぐに放棄された。

 

 宇宙暦八世紀においてAIそのものは支援用インターフェースとして宇宙戦艦から水上艦艇、航空機、戦闘車両に幅広く利用されるものの、それはあくまでも有人兵器における兵士のサポート用、あるいは有人兵器との連携を前提としたものであり、完全に独立した無人兵器は実用化に成功していない。結局の所、戦場において最も信頼出来、敵味方の選別等の判断が出来る存在は人間である訳だ。

 

 とは言え、である。技術的に格下相手であれば無人兵器は今でも重宝される存在だ。流石に軍の高度な電子プログラムや通信技術をそこらのテロリストやゲリラ、宇宙海賊なぞが一方的にかつ短時間で無力化出来る筈もない。それ故にデータリンク等で司令部等から判断支援等を受ける半独立型の無人兵器は同盟・帝国双方で大量に配備され、主に後方での治安維持や警備任務、前線では局面にもよるが小規模戦闘や大規模戦闘での露払い、特攻同然の偵察任務、実弾使用演習における標的等にて運用されている。

 

 そして現状に話は立ち戻れば私の言いたい事は分かるだろう。ドローンが一番活用される任務の一つが軽武装・高度な電子戦能力を持たない対テロリスト・ゲリラ相手である。そして我々は当然ながら時間的にも持ち運べる重量的にもそのような事が可能な電子戦装備を保有していなかった。ましてや中型ドローンの装甲を撃ち抜ける程の重火力も殆ど有していない。

 

「無視して上の階に上る……のは少し難しそうだな」

 

 態態面倒な相手に挑む必要は本来ないのだが、今回の場合はその選択は困難だろう。次の階に向かう階段は何の遮蔽物もない螺旋階段である。階段に向かう前に挽き肉にされそうだし、上っている途中で良い的になりそうだ。

 

「後は引き返して別のルートに行くか……」

 

 一瞬そう考えるがこれも少し難しい。……おい、丁度私の居場所が入った扉とドローン挟んで反対側なんだけど?

 

『後は有線で直接内部をハッキングするかですか』

「間接部を集中攻撃か粘着弾で稼働不能にして動きを封じる案はどうだ?あるいはセンサーを破壊してしまうとか」

『前者については上部の機関砲は旋回式です。意味ありません。後者はセンサーは頭部のものがメインとは言え、サブセンサーは全身にあります。因みに目眩ましして逃げるのも駄目ですね。階段に上れば流石にセンサーに捕捉されそうです』

「合理的な反対理由の言及御苦労様だ。ファック!!」

 

 つまり選択肢は決まった訳である。

 

「どこに電子コネクタがあるか分かっているんだよな?」

『当然です。プログラムインストール用のコネクタが腹の下側にある筈です。下側からハッチを抉じ開けて直接プラグを差し込んでコンピュータウィルスを流し込めばいけるでしょう』

「簡単そうに言ってくれるな。因みにそのままドローンを乗っ取ったりは出来ないか?」

 

 苦笑を浮かべつつ物のついでに尋ねてみる。

 

『元々扉等の電子ロックを解除するためのものです。そこまでは流石に』

「だろうな。……さてさて、やるからには早く動くべきだな。作戦はもう考え付いたんだろう?」

 

 先程の震動や衝撃から下階の警備兵が登って来ている可能性があった。さっさとあのドローンを無力化して先に進むべきだった。

 

「たかがドローンでは味気ない獲物だが、一狩りするとしようかね?」

 

 フェルナー中佐の作戦を聞いた後、私はブラスターライフルを構えながらそう強がるように嘯いた。内心?勿論糞ファックだよ……!

 

 

 

 

 

 

 センサー類で恐らく隠れているのだろう、先程まで捕捉していた敵味方識別信号を放たない侵入者をドローンは捜索していた。全身に装備された各種カメラが三六〇度全体を警戒する。ドローンは人間と違い焦れたりしない。ただただ、予めインストールされた室内対人戦闘プログラムに従い敵が痺れを切らして行動を開始するのを待ち続ける。

 

 そして、遂にその時が来た。

 

『ギギギ……!!』

 

 周囲の柱や倒れたテーブルの影から幾つもの線条が現れる。それは白煙と共に強力な発光と爆音を発生させ、ドローンのセンサーとカメラの大半を無力化して見せる。

 

 カキーン!カキーン……!!

 

 全身から何かが弾ける音が響く。自身の全身に展開させたセンサー類から、自身が複数名による銃撃を受けている事をドローンのAIは確信する。

 

 銃撃を受ける方向から敵の推定展開位置を逆算、ドローンは顎部の二門の一二・七ミリ機関銃と上部に備えた三〇ミリのチェーンガンを周囲にばら蒔いた。瞬時に途切れる銃声音。

 

 敵を無力化、ないし牽制に成功したとAIは判断した。だが次の瞬間にはそれが間違いだと気付く。

 

 次の瞬間、放物線を描く弾頭は空中で爆発、同時に足元に何かが滑り込むように転がってくる。それが何かをAIが判別する前に爆発しドローンに向けて多数の鉄片が襲いかかった。

 

 幾つかのセンサーが無力化されたのをドローンは把握した。それは上部からの攻撃は小銃擲弾により、下方からは転がすように投げ込まれた破砕手榴弾によるものであった。

 

 ドローンは瞬時にプログラムに従い周囲一帯に弾薬をばら撒いた。センサー類の一部が無力化された以上、敵兵の近接攻撃を阻止する必要に迫られたのだ。銃撃が室内の支柱やテーブル、椅子、床材、観葉植物を粉砕する。

 

 粉塵の中で閃光が輝く。同時に頭部の射撃管制レーダーの一つが損傷する。ドローンは攻撃の方向に光学カメラを向けた。プログラムに標準装備されたコンピュータグラフィックモデルが粉塵の中で自身を狙撃した人影の姿を補正する。AIはすぐにそれが最初に自身が天井に張り付いていた際に銃撃し避けられた侵入者である事を認識した。

 

 プログラミングされた条件に基づき、AIはその人物の戦闘能力評価を上方修正し侵入者達の中での無力化優先度を上げる。高い脅威から優先的に撃破するのはドローンのAIに刻まれた基本プログラムだった。

 

「うわっ、やっべ!狙って来やがった……!」

 

 腹部上方の旋回式のチェーンガンを脅威対象に向ける。射撃管制レーダーは一部破損しているためそれ以外のセンサーで支援、発砲。

 

「ちぃ……!」

 

 横に向けて駆け出す人影。チェーンガンの銃撃はその人影の動きを追う。数秒後には銃撃は追いつき、人影を肉塊に変えるだろう。しかし……。

 

『ギ……!』

「危ねぇ!?」

 

 八四ミリクラスであろう無反動砲弾の直撃、それはしかし対戦車榴弾ではなかったようで、ドローンの装甲を撃ち抜く事は出来なかった。しかしその衝撃はセンサーの一部を破壊し、銃撃の照準を狂わせるには十分だった。センサーの死角から撃たれたのだとドローンはすぐに把握した。先程の目標は支柱かどこかにギリギリで隠れたようだった。

 

 光学カメラで捜索、煙幕が室内の半分近くを満たし、閃光発音筒による光が未だ眩い中、床に無反動砲が打ち捨てられているのを確認する。どうやら発射と同時にその場から撤退したのだろう。

 

『ギギギ……』

 

 ボディを動かしドローンは無反動砲の方向に向かう。そして周囲を警戒し先程射撃したと思われる人物を次の脅威対象に指定する。

 

 直後に煙幕の中から幾条もの閃光。ドローンは先程の狙撃から学習し、自身のセンサーを守るように体勢を動かす。そして銃撃が止まると同時に数倍の火力で報復を開始する。

 

 今の攻撃で少なくとも数名の侵入者を無力化したとドローンは確信した。銃撃が止み、反撃までのタイムラグを計算すれば人間の身体能力では退避不可能な筈だ。

 

 AIはしかし、すぐにその結論を取り消す。煙幕が次第に晴れていく中で光学カメラは人間及びその肉片に該当するものを確認出来なかったからだ。

 

 支柱等に括りつけられた小火器類、そしてそれらに施された細工から先程の銃撃が無人射撃装置によるものであるとドローンは気付く。

 

「それ、機械の癖に油断してるんじゃねぇぞ……!」

 

 その声に反応して頭部の向きを変えたと同時の事だった。目の前に向かって来る複数の物体、それが手榴弾と認識する時には既にそれらは炸裂していた。多数のメインカメラとセンサーが密集する頭部に看過出来ないレベルの被害を被る。

 

 各部の生き残るサブカメラとセンサーを使い状況を瞬時に把握、襲撃者は物陰から接近してきたのだろう事を察しをつける。射撃を行おうとするが……。

 

「流石にその面じゃあ無理だろう?」

 

 ノイズが混じる視界に映る敵兵が嘲るように笑う。射撃管制レーダーとセンサーの過半を喪失した今のドローンに正確な銃撃を行うのは不可能であり、また室内対人戦闘を前提に戦闘プログラムをインストールされているドローンは、今の状態で不用意な銃撃を行う事を条件設定で禁止されていた。

 

 故に即座にドローンは武装及び戦闘方法を変更して対応した。

 

「あ、やべ。逃げよ」

 

 傷がついた光学カメラが顔を引き攣らせて必死に逃げようとする敵兵を捕捉する。元来工作用に装備されたヒートバーナー付きの隠し腕を二本引き出したドローンはバーナーを発熱させながら突進する。

 

「此畜生が……!」

 

 必死に身を翻し質量攻撃を避ける敵兵。そのまま窓にぶつかるものの、頑丈に作られた厚い防弾硝子は大きく罅割れたが砕ける事は無かった。硝子からボディを後退させ、向きを変えるドローン。

 

「大佐、退避を……!」

 

 数名の敵兵が小火器で銃撃を加える。だがドローンの装甲には殆ど効果はなかった。そして、ドローンのAIは殆ど無意味な攻撃を加える雑兵よりも目の前の幾度も攻撃を回避し的確に索敵システムに損害を与えて来る対象を危険と判断していた。

 

 戦闘プログラムを変更、バーナーで確実に仕留める……!

 

 一歩ずつ進みながらヒートバーナーを構えるドローン。目の前の敵兵はブラスターライフルを乱射するがセンサーを守りつつ一歩、また一歩と接近する。

 

「おいおいおいおい、何でいつも狙いすまして襲って来るんだよ……!」

 

 ブラスターライフルが弾切れを起こしたのだろう、慌ててエネルギーパックを交換しようとする敵兵。そこを隠し腕で素早く銃身を掴みブラスターライフルを奪い取る。

 

 ミシッ……!

 

 ブラスターライフルをアームでへし折り確実に戦闘能力を奪うドローン。その音とライフルのひしゃげる有様に敵兵が苦笑いを浮かべるがドローンは特に気にする素振りは無かった。

 

 腰元からハンドブラスターを抜いて乱射する敵兵。だがブラスターライフルでも撃ち抜けない装甲が、ましてハンドブラスターで撃ち抜ける道理もない。

 ヒートバーナーを点火した隠し腕を敵兵の頭部に高速で殴りつける。

 

「っ……!?」

 

 ドローンの動きにギリギリ反応した敵兵は隠し腕の一撃を寸前で避ける。もし直撃していたら頭部が粉砕されていた事だろう。尤も、右耳を半分程削り取られたが。

 

 同時に床に倒れ顔を歪ませる敵兵。AIはその体勢から片足に何等かのダメージを受けている事を予想する。無論、だからといって手加減するなどと言う考えが無ければ憐れみも同情の心も機械にはない。唯々侵入者の無力化という命令に従いドローンはゆっくりと近づき敵兵の生命活動を停止させようと隠し腕を振るいあげる。

 

 そして殆ど悪足搔きに近い形でハンドブラスターを向ける敵兵に無機的に、感慨もなく、淡々と止めを刺そうとして……ドローンの電源は次の瞬間シャットダウンした。

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……間に合ったのか?」

 

 目の前でドローンの光学カメラの赤い光が消え、その動きを停止させたのを確認して私は息切れしつつ呟いた。

 

「どうにか……ですね。痛たたた……大佐、御無事で?」

 

 滅茶苦茶に動くドローンの下腹部にしがみ付いていたために全身に打撲一歩手前の傷を受けたフェルナー中佐がよろめきながら尋ねる。

 

「無事な訳ねぇだろ……と文句を言う訳にもいかんな。お前さんのその有様ではな」

 

 応急キットの冷却スプレーで折角再生治療で治したのにまた千切れた耳を止血する。今更ながら私の耳って千切れる事多くない?

 

 ドローンのセンサーとカメラを無力化しつつ隙を見て(今回の場合は私が手榴弾でドローンのメインカメラとセンサーを損傷させたタイミングだ)、ドローンに肉薄したフェルナー中佐が気付かれないように内部プログラムにウィルスをインストールして機能を停止に追い込んだのだが……たかが無人兵器と馬鹿に出来ないな。ゲリラやテロリスト相手に有効な筈だ。電子戦能力が低い相手ならばやっぱり無人兵器は怖い相手だ。

 

 数名の傭兵がフェルナー中佐の容態を確認し、別の数名が私の元に来て治療を手伝いする。

 

「止血はしたから包帯をしてくれるだけで良い。足の傷は……痛みはあるが出血はしていないか、幸いだな。下から奴さんは来ていないか?」

 

 あれだけ派手に暴れれば確実に気付かれていそうであるが……。

 

「いえ、それが……」

 

 偵察ドローンのカメラ映像を確認する傭兵が怪訝な表情を浮かべていた。

 

「どうした……?」

「それが……此方で確認可能な限り下層の警備部隊に動きが見られません」

「何だと……?」

 

 傭兵からの返答に私が、そしてフェルナー中佐や他の傭兵達も不審そうな顔になる。これは明らかに不自然だった。

 

 だが、それについて議論をする時間は無かった。次の瞬間、暗い食堂の照明が一斉に点灯したからだ。

 

「っ……!?」

 

 傭兵達が私と中佐を囲むように円陣を作り周辺を警戒する。気付けば我々は室内を囲むように設けられた吹き抜け通路に展開する兵士達に銃口を向けられていた。

 

 警備兵に見つかった、そう思い苦虫を噛みしめる。だがそれはすぐに間違いだと気付いた。我々を見下ろす兵士達の出で立ちは明らかに傭兵のそれでは無かった。傭兵の出で立ちはあんなに華美ではない。

 

 パチパチパチ……そんな風に拍手の音が妙に印象的に室内に響き渡る。その音に導かれて私が視線を向け、同時に口元を自嘲気味に引き攣らせる。

 

「ははっ、真打ちの登場ってか?」

 

 吹き抜けの螺旋階段の上から加虐的な笑みを浮かべて此方を見下ろす端正な青年貴族を見やり私は吐き捨てるように呟く。何でこんな場所にカストロプ公爵家の御嫡男殿がおられるんですかねぇ?

 

 その出で立ちは狩猟に出るかのようにジャケットにベレー帽であり、この場における彼のその心境を明確に示していた。おいおいおい、私は狩りの獲物かよ……!

 

「素晴らしい、期待していたがここまでとは予想以上だよ。私としてはそこのドローンに挽肉にされるのではないかと思っていたが……まさか撃破するとは予想外だったな」

「そりゃあどうも。素晴らしいショーだと思ったんならチケット代を要求したいんだがね?」

 

 楽し気に宣う貴族の坊っちゃんに私は皮肉で返す。とは言え、面倒だな……。

 

(見た所2個小隊って所か……?)

 

 私は気付かれないように視線を泳がし、上層から此方を囲むように銃口を構えるカストロプ公爵家のだろう私兵達の人数を凡そ数え終える。そう言えば『裏街』でもこいついたな。何で態々御嫡男様がお出まししているんですかねぇ?

 

「いやいや、済まないが入園料は既に支払っていてね。残念ながら獲物に払う代金は無いよ」

「ここは狩猟園ですかね?ではそこのドローンはさしずめ追い込みのための勢子ですか?」

「御名答、理解が早くて助かるよ」

「高貴なる公爵家の御曹司様のお褒めの言葉、感謝感激で涙が出そうだね」

 

 本当、涙が出そうだ。序でにそのままベアトにでも泣きついて慰めてもらいたいものだ。

 

「くくく、そう皮肉を言わんでくれたまえ。……それと、裏でこそこそするなよ?もうお別れしようなぞ、寂しくなってつい卿らを射殺したくなってしまうではないか?」

「ちっ……!」

 

 加虐的な笑顔を浮かべる公世子の言葉に私は舌打ちする。私が密かにここから逃亡するための準備を傭兵達に命じていたのを気付かれたようだ。

 

「……何せ此方も諸事情がありましてね、出来れば御茶会や狩猟のご招待なら後ほど招待状をお送り下さい」

 

 まぁ招待状が来ても見なかった事にするけど。

 

「だからそう無碍にしてくれるなよ。まぁ、今を輝く伯世子殿も御忙しいだろうからな。仕方あるまい。だが……これならば少しは関心を示してくれるのではないかな?」

 

 そう言って心底残虐で、楽し気で、純粋な笑みを浮かべ公世子は背後に控えさせたそれを引っ張るように連れて来る。そしてそれが誰なのかを視認すると共に私は驚愕に目を見開き、次いで明らかな敵意の視線を目の前の青年貴族に向けていた。

 

「貴様……!!」

 

 私の視線の先では口を猿轡され手足を痛々し気に縛られた、ドレスに身を包んだ金髪の少女が晒されていたのだった……。

 




糞どうでも良い設定ですが教授は学園物ラノベのハーレム系主人公の素質があります、尚、主人公がいない原作時空ではカプチェランカで遭難死しております



おまけ
本作世界線の設定でルドルフ大帝を主人公にしたアニメを作った場合のOPEDを作者の脳内ストーリーと歌詞を見比べつつ適当にアニソンから選曲(ただの今年最後の投稿な事による悪ノリ)
内容はOVAに倣い全四期・110話構成を妄想、外伝も有り
・第一期 少年時代~士官学校卒業まで 
  OP Stand Up To The Victory
  ED 君の知らない物語

・第二期 軍人時代(少尉~大佐時代) 
  OP Survior 
  ED 名前の無い怪物

・第三期 軍人時代から首相時代まで
  OP 儚くも永久のカナシ 
  ED RE I AM

・第四期 終身執政官時代~ファルストロング死亡まで 
  OP カミイロアワセ
  ED All alone With You



前書きでも書きましたが多分今年最後の投稿になりますので聖夜と年越し、双方この場にてお伝えさせてもらいます
MerryChristmas!良いお年を!


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第百六十一話 新年最初のサービスサービスぅー♪(CV三石 琴乃)

2020年、新年明けましておめでとうございます。本年が皆さまに幸多き年となる事を願います。


 時間は僅かに遡る。

 

「門閥貴族とは何か?それは人類種の指導者であり、強者であり、優良種に他ならない」

 

 薄暗い室内で赤葡萄酒の注がれたワイングラスを揺らし、傍らに執事を控えさせるマクシミリアン・フォン・カストロプは、銀河帝国においても五本の指に入る権勢家の嫡男は高慢に、傲慢に、尊大に、目の前の人質に宣った。

 

「……」

 

 目の前の敵意と殺意に満ち満ちた鋭い眼光を向ける従士の娘は、しかし何も言わない。いや、何も言えないというべきであろう。猿轡に加えて手足も縄で縛られてしまえば口を利く事も、身体を動かす事すら叶わない。故にすぐ傍らで女中達が彼女の衣服を一枚ずつ剥ぎ取り、その豊満で美しい肢体を少しずつ晒されていく事に抵抗も出来やしなかった。そしてその事を一番理解しているがために鮮やかな金髪の従士は喚く事をしなかった。

 

「……やれやれ、年頃の雌ならばそのようなあられもない姿にひん剥かれて泣き言の一つや二つ叫ぶのが道理であろうに。これまで遊んできた玩具と勝手が違うな、面白くない」

「ひぐっ……!」

 

 公世子のすぐ下で小さな悲鳴が漏れる。マクシミリアンが詰まらなそうに深く、そしてより一層深く座った事で重心がズレ、下着すらろくに着させてもらえない傷だらけの背中を椅子代わりにさせられている幼い奴隷の少女が苦しみその手足を震わせる。尤も、そんな事に高貴な公爵家の嫡男は一切興味も関心も持たなかったが。椅子が壊れたなら別の物に交換し、使い古しは粗大塵に出すまでの事でしかない。

 

「さてさて、話を戻そうか?先程述べた通り、我々高貴な血の使命は蒙昧な愚民共を導いてやる事だ。それこそが偉大なる開祖ルドルフ大帝の理想、優秀な血をひたすらに混ぜ合わせ、それに最高の環境を与える事で強大な権力と責任を背負うに値する鉄人を生み出す。それこそが我々選ばれし血統、門閥貴族だ。……ふ、ふふふ……ふははははっ!」

 

 そこまで応揚で芝居がかった口調で説明し、次いで公世子は吹き出すように笑い声を漏らす。周囲の使用人はそんな主君に対して一切何も尋ねず、顔色一つ動かさない。唯々目の前で下着姿の従士だけが青年貴族の態度の意味を理解しかね怪訝と不審の視線を向ける。

 

「はははっ!くくくっ……!実に滑稽な建前と思わんかね?ルドルフの妄想のなんと愉快な事か!優秀な血脈?強大な権力と責任を背負うに値する鉄人?馬鹿馬鹿しい事だ」

 

 銀河帝国、そして貴族社会にて有数の権力を誇る一族の末裔は彼自身の生きる世界の基本原理そのものを否定し、嘲笑する。

 

「物欲、色欲、食欲、所有欲……この五〇〇年、ひたすらに我欲を膨らませ、自尊心を肥大化させたのが我々だよ。権力はそれが誕生した瞬間に腐敗を始めるものであって、保持すればするだけ所有者を堕落させる麻薬に過ぎん。あの成り上がりの男にはそれが理解出来なかったらしい」

 

 マクシミリアン・フォン・カストロプはそれが宮廷に漏れれば致命的ともいえる暴言を気紛れに口にする。その発言に衝撃を受ける従士は青年貴族を信じられないとばかりに目を見開き睨みつける。

 

「くくく、怖い顔だ。だが、それはそれで中々そそるな」

 

 これまで幾人かの少女を様々なシチュエーションで弄んで来た経験のある彼も、ここまで反抗的な態度を向ける者は珍しいために、寧ろ楽し気に従士の反応を鑑賞する。その反抗的な精神を決定的に貶め、凌辱し、侮辱し、へし折って、完全に屈服させたその姿を持ち主の前に見せ付ける、それはそれで楽しめそうだが……残念ながらそんな事はもう遠の昔に実演済みである。折角の二度と狩猟の機会があるかも分からぬ極上の獲物、二番煎じのシチュエーションを行うのは勿体無い。もう少し趣向を凝らすべきであろう。

 

「ふふふ、『偉大なる』大帝陛下を貶されて御立腹か。まぁ、貴様からすればルドルフの思想を貶められるのは自身の一族とその主家を否定されるようなものだろうからな。だが……私は違う」

 

 一言で言えば、マクシミリアン・フォン・カストロプは決して無能ではなかった。確かに退廃的で、享楽的で、嗜虐的であるが、彼の知能は決して低くはない。

 

 当然だ。その一族の血統を遡れば地球統一政府の宇宙引っ越し公社最後の総裁に行き着き、シリウス戦役ではその勝敗を最も早期に予期してタウンゼントと接触、銀河統一戦争の戦乱を掻い潜り、銀河連邦の成立のスポンサーに名を連ねた。連邦最盛期には巨大な財閥を形成、その衰退期には辺境で半独立国家を建国し、国家革新同盟の成立時にはルドルフを早期に援助し、帝国の最も古い公爵家の一つに名を連ね、その後も陰謀渦巻く宮廷を泳ぎながら合法非合法数々の手段でその財と権勢を拡大し続けて来たのがカストロプ家だ。

 

 代々優秀な当主を生み出すために一族の行って来た教育はエリート教育やスパルタ教育等というレベルではない。ある種非人道的とも言える程の凄まじい教育方法がカストロプ家の代々の天災的な当主を生み出した。

 

「私を有象無象の門閥貴族共と同じにして欲しくはないものだな」

 

 その果てに生まれたのが目の前の青年だ。歴代当主達ですら文字通り狂気に支配され、血反吐を吐く思いで達成した試練の数々を平然と乗り越えて見せた目の前の公世子は、間違いなくカストロプ家の最高傑作とも言える存在だ。帝国最難関の大学の最難関の学部を一五歳で卒業し、既に複数の企業を経営してその全てで多大な利益を生み出している。

 

 多くの者はその荒唐無稽な実績を父オイゲンが箔付けのために手を回したと噂するが、それは間違いだ。冷酷にして残酷なカストロプ公は子供にそんな情をかける男ではない。全てはこの若い御曹司の実力によるものだ。

 

 だが……。

 

「優秀なのも困ったものでな。何でも出来るのは詰まらんものだよ」

 

 才能と財産と血統……手に入らぬものはなく、成し遂げられぬ事はなく、しかしそれが当たり前過ぎて面白みもない。故にこの青年貴族の心中に渦巻くのは砂のような味気のない倦怠感と退屈であった。

 

 そして、彼は恐らくは最も捻れた手段でその欲求不満を解消する事にしたのかも知れない。

 

「命は素晴らしいものだ。そうは思わんか?皇帝も、貴族も、平民も、奴隷も、いや畜生や虫ですら命は平等だ。平等に一つしかなく、定命の存在だ」

 

 誰しもが命は有限で、そして替えが効かない不可逆的なものだ。それ故に生命は尊い。

 

「だからこそ、狩猟は素晴らしい。その命の限りに、あらゆる手段を、知恵を使い抗う獲物の姿は、そして苦しみもがきつつも最後に無念にその命を奪われる時の絶望した瞳……あぁ、その命の散り際の輝きは正に美しき芸術品と言えるだろう。そう、それがどれ程才能もない詰まらぬ者共であろうとも、な」

 

 グラスの中の赤い液体を恍惚の表情を浮かべて見つめる公世子。その脳裏に浮かぶのはこれまで弄び、絶望に叩き落としてから仕留めて来た幾多の獲物の最期の姿である。どれ程下等な、地位も権力も才能もない者達ですらその散り際は素晴らしいもので、まして有能で長く抵抗を重ねる者のそれを奪う時なぞ……その達成感と快感は長年かけて醸造した葡萄酒を呷いだ時のそれに似ていると彼は思った。

 

「ふっ……」

 

 そして正面に向き直したマクシミリアンは立ち上がるとドシドシと駆け足気味にテレジアの目の前に来るまで近寄る。そして傍で人質に着替えをさせていた女中達を押しのけ、囚われの少女の胸元の白いレース下着を無遠慮に握り……一気に引き裂いた。

 

「っ……!!」

「ほぉ、中々魅力的なものだな。だが、勿体ない。その様子ではまだ男を知らない生娘と見える。……意外なものだ、未使用品だったとはな」

 

 幾ら気丈な従士でも流石に下着を破かれその身体を露わにされるのは応えるらしく、羞恥と憎悪の表情を浮かべるテレジア、そしてマクシミリアンはその態度に興味深そうに瞳を細め宣う。それは情欲にまみれるというよりかは家畜を見定めるような目付きであり、これまでの多くの経験から目の前の女性がどのような『経験』を重ねて来たかを限りなく正確に見抜いていた。

 

「ふむ……」

「ひっ……あっ……!」

 

 青年貴族は訝し気な表情を浮かべ、女性特有の柔らかさを兼ね備えたそれをワイングラスを持たぬ方の手で厚かましく、乱暴に、汚辱するように掴み、揉みしだき始める。その手つきは似たような行為に随分と慣れ親しんでいるようだった。人質から屈辱と羞恥と不快感、そしてほんの僅かな快楽からの小さな悲鳴が漏れ聞こえる。その反応にマクシミリアンはより一層目を細めた。

 

「本命の方ではないが、態々似せた物をもう一つ手元に置いているのだ。代用なり、同時に楽しむなりしていると当たりを踏んでいたのだがな。いやはや、それだけ一途なのか、性癖が変わっているのか、中々興味深いものだな。おや……?」

 

 そう嘯いた公世子は、目の前の従士の驚愕するように目を見開く姿に疑問を浮かべ、次いでその聡明な頭脳はすぐに僅かなヒントだけで正答を導き出す。

 

「おやおやおや、これはまた愉快な事だな。貴様、付き人として傍にいながらそんな事すら気付かなかったのかね?くくく、唯の代用品として化粧した積もりだったが……!」

「っ……!?」

 

 凄惨な笑みを浮かべるマクシミリアンは揉みしだくその手を鋭く爪を立てる。薄っすらと血が流れる程のその痛みにテレジアは身体を震わせる。いや、確かに鋭い痛みも震えの一因であろうが、それだけが原因ではないのもまた確かであった。

 

「ふふふ……ふふふふふ、これはワクワクとするな。心が躍る……!たかが暇潰しのためのフェザーンの遊興であったが……本番前で既にここまで気分が高揚出来るとはな!」

 

 ワイングラスの中身を見つめ、マクシミリアンは独白する。その顔は純粋で、天真爛漫な子供のように興奮していた。

 

「さぁ、今回の獲物よ。その命を以て、存分に私を楽しませてくれたまえよ?」

 

 最早目の前の存在への興味を失い、身を翻した公世子は、心の底から楽しそうにグラスの中の液体を呷った……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてさて……これは面倒な事になったな」

 

 目の前の人質に我々を囲む兵士達、そして目的……それらを吟味し、推測し、この場での『正解』を導き出した私はフェルナー中佐に声をかける。

 

「中佐、折角苦労した所を悪いがこのルートは駄目みたいだ。遠回りになるが他の道から上に向かってくれ!」

「そうしたいのは山々ですが……この状況で簡単に後退出来るとでも?」

 

 此方を見下ろし、囲み、ブラスターライフルの銃口を向けるカストロプ家の私兵達を見やりながら呆れ気味に答える傭兵隊長。

 

「いんや、その心配は多分無用だ。なぁ、公世子様?」

 

 私が尋ねるように呼びかければ人質の金色の長髪を指に絡めて弄んでいた青年貴族様が楽し気に微笑む。

 

「あぁ、構わんとも。私が興味があるのはそこのレア物だけでね。貴様らおまけに興味はない。この舞台の邪魔をしなければ何をしようと構わんよ」

「だ、そうだ。中佐、時間がない。早く行ってくれ。……あ、ブラスターライフルと予備のエネルギーパックだけもらって良い?」

 

 心底どうでも良さそうな声で答えるマクシミリアンと、それに甘えてフェルナー中佐に急ぐように言う私である。

 

「大佐……了解しました。では我々は別ルートから上階に向かいます」

 

 フェルナー中佐は奇妙な、珍獣を見るような視線を向けた後、暫し逡巡してからそう答える。うん、返事が早いのは助かるけどそれより武器頂戴ね?

 

「私の銃を寄越せと?」

「私雇い主だから。それ位配慮しろよ」

 

 私はブラスターライフルと弾薬を(中佐と少しの間奪い合いをしてから漸く)受け取る。代わりにハウプトマン大尉の銃を横から失敬したフェルナー中佐は恭しく敬礼した後(一刻もここから逃げたいかのように)颯爽と部下達と後退する。……あくまでも後退だよな?逃亡じゃあないよな?

 

 ジト目で傭兵達の背中を見つめ、内心で訝しみつつも私は視線を上方に戻す。そこには先程から興味深そうに此方を鑑賞なされる御貴族様がおられる。

 

「随分と好き放題しているらしいな公世子殿?ここに顔を出す事、御父上に連絡も許可も貰ってないだろう?」

 

 それどころかこの騒動にこんな形で首を突っ込む事すら想定外であろう。態態一族の嫡男が自ら顔を出してこの場に出てくる事を普通は許すまい。即ち、この舞台そのものが目の前の男の独断専行に過ぎない訳で……。

 

「ふふふ、気遣いは無用だ。我が父ならばこの程度の不祥事、上手く切り抜けてくれるだろうさ。切り抜けられないのならば、父上の器量はそれまでの事、大人しくヴァルハラに旅立ってもらうまでの事よ」

「正気かよ?こんな下らん余興のためにルードヴィヒ大公とスペンサーに手を貸すのか?スタジアムでの騒動を見るに、責任を押し付けるために公世子殿を巻き込んだのだろうに。敢えてそれに乗ると?」

 

 慌てて密貿易の証拠を揉み消して事業を店終いする中で、カストロプ公が拘束される危険性の高いスペンサー氏と縁を切り、それに反発するようにスペンサー氏はルードヴィヒ大公と接近、両者の思惑が合致した結果がスタジアムでの襲撃に始まる一連の騒動……という解釈は大体合っているだろう。最初の地上車の爆弾テロはカストロプ家のものであるにしろ、それ以降の出来事は基本的に無関係な筈。それを……。

 

「まさか、利用されているって気付いてないのか?」

「重々、理解しているとも。だが、それがどうした?奴らが私に、私の一族に疑惑を肩代わりさせようとしようがそんな事はどうでも良いのだ。そんな事、この舞台を準備するための必要経費に過ぎん」

 

 陰謀に巻き込まれ、下手すれば一族の滅亡すらあり得る状況にあるにも関わらず道楽放蕩貴族様は一切気にしていないらしい。マジでこいつ気が狂ってんな。

 

「なぁに、最悪は御父上に自裁して頂くだけの事よ。ブラウンシュヴァイクにしろリッテンハイムにしろ、どうせ死ぬなら私のような放蕩者よりも何度も辛酸を舐めさせられて来た御父上を指名するだろうからな、私の心配は無用だよ」

 

 いや、お前さんがどうなろうがどうでも良いんだけどな?いや、原作展開的に良くはないが……まぁ、原作乖離なんて不安に思うのも今更だけど。

 

「ははは、私ってそんな気を引くようなアピールしたかな?悪いが婚約者相手にすら心掛けの足りない恋愛下手なんだがな?」

「少なくとも私は君の魅力に夢中さ」

「そりゃあ、どうも」

 

 どうせならもっと美人な御姉さんに言われたかったな。変態公世子に惚れられるとか誰得だよ?

 

「見ての通りだ、君の興味を引きたくて引きたくて、恋する乙女のように心踊らせて拵えた舞台だよ。君がここに来る事は分かっていたし、コレを前にしてまさか私を袖にする事はあるまい?」

 

 そう語りながら拘束される人質を引っ立ててより私の見易い位置に引き寄せる公世子。その首元には何か光る物が確認出来た。おいおいこれは………!!

 

「時限爆弾だよ。見ての通り外すためには鍵穴に鍵を嵌め込まんとならん。そして鍵は……私が持っている」

 

 手元に金製の鍵を揺らしながら見せつけるボンボン貴族。ちっ……!面倒な趣向ばかり凝らしてくれる……!!

 

「君の御気に入りを助けたければ私の催すこのショーで私から鍵を奪い取る以外に手はない、という訳だな。お分かり頂けたかな?」

「あぁ、お前さんが最高にイカれているって事がな」

「お褒めの言葉と受け取っておこうかな?」

 

 私の言葉にそう鼻を鳴らし、懐に鍵をしまうマクシミリアン。実際、私の言葉はこの場ではただの負け惜しみに過ぎなかった。

 

(はっ!そりゃあフェルナーも疑問を抱くだろうさっ!!合理的に動く積もりがない気違いの思考回路はマジで訳が分からねぇな……!!)

 

 内心で陥ったこの状況をそう吐き捨てる。無論、いつまでも現実から目を反らし、罵詈雑言を喚き散らす時間なぞなかった。目の前の御曹司が仕掛けたからだ。

 

「さぁ、御行き。カフカ、ラヴクラフト!」

 

 青年貴族のその掛け声と共に上方の吹き抜け廊下から飛び降りて来たのは二頭の、いや二体の影だった。

 

 それは犬の形をした鉄の塊だった。鋭角状の頭部には左右三つ、計六つの赤いカメラアイ、その口には鋸状の炭素クリスタルの牙が並び、尻尾は鋭いナイフ状となって宙を触手のように舞う。機械の稼働音のようなくぐもった唸り声……!!

 

「犬型のドローン……いや、サイボーグかっ……!?」

 

 一瞬またドローンと思ったがその動物的な動きからそれが恐らくは狩猟用の有角犬から脳を抜き取り機械のボディに載せ替えたサイボーグである事に私は気付いた。何と悪趣味な。

 

『グウゥゥゥゥ!!』

『ガルルル!』

「はっ……趣味もネーミングセンスも糞みたいだ……!」

 

 唸り声を上げ、襲撃のための体勢を執る二体の猟犬に対して私は吐き捨てるようにぼやく。ただの猟犬でも危険なのにまして機械化してるとなるとその危険性は二段階位上げなければなるまい。その牙は間違いなく骨を噛み砕くだろうし、その爪は軍用ナイフのように肉を引き裂き、その尻尾の一撃は四肢を綺麗に切断するだろう。

 

「貴様らは手を出すなよ?……さぁ!心躍るショーを始めようではないか!!」

 

 マクシミリアン・フォン・カストロプは銃口を下方に向ける私兵達にそう厳命した後、はしゃぐような声で舞台の開幕を告げた。そして、掛け声と共に飛び掛かる二体のサイボーグ犬に、次の瞬間に私はブラスターライフルを構えていたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 サイボーグ犬は当然、生身の猟犬よりも手強かった。プログラムで動くドローンと違い予想がつきにくい思考、鋼鉄のボディと炭素クリスタルの牙と爪、それだけでもかなり厄介な存在であった。しかもその変幻自在に動かせる尻尾は只の猟犬には不可能なトリッキーな戦法を生み出していた。

 

 ある個体が牙や爪を以て飛び掛かる。それを避ければ振るわれる尻尾の一撃、それを避けても一体が横合いから襲いかかって来て反撃の隙を与えない。

 

「ちぃ……!!」

 

 背後から襲い来る猟犬の頭を、振り向き際にブラスターライフルの銃床で思いっきり殴り付ける。

 

『キャインッ……!?』

 

 おぞましい見た目の癖に妙に可愛らしい悲鳴を上げるサイボーグ犬。そのままブラスターライフルを発砲するが直ぐにボディを捻るように閃光を回避する。

 

「ふーん♪ふんふんふんふんふんふんふん♪ふんふんふんふんふーんふふん♪」

「うー…うー!うー!!」

 

 私がサイボーグ猟犬と戯れている間に拘束され猿轡をかけられているためにヴーヴー唸る事しか出来ない人質に首輪をして引き摺っていく公爵家嫡男様である。ご機嫌に鼻唄を歌いながら螺旋階段を下りているが、恐らく歌っているのはベートーホーフェンの『歓喜の歌』であろう。音調は腹立つ程合っていて優美であるが、今の私からしてみれば妹のぎこちないヴァイオリン演奏の方が百万倍マシに思えた。

 

「ちぃ……!何が歓喜だよっ!糞ッ垂れがっ……!!」

 

 猟犬のナイフ状に研ぎ澄まされた尻尾の一振りを頭を下げてどうにか避ける。パラパラと切れた髪の毛が宙に舞うのが一瞬見えた。危ねぇ、頭蓋骨切断で中身をぶちまける所だった……!!

 

『グウゥゥゥ!!』

 

 二頭の機械仕掛けの猟犬は威嚇するように唸り声をあげる。どうやら脳味噌はドローンと違い生のままのために、いつまで経っても決定打を与えられない事に苛立ち始めているらしい。……こいつはチャンスっ……て!?

 

「糞っ……!!?」

 

 猟銃の発砲音とほぼ同時に跳び跳ねてその場から逃れる。コンマ数秒後には床に弾丸がめり込み床材を削って石片が飛び散る。

 

「ふむ、やはりスラムでのあれは偶然ではないな」

 

 命からがら避けた私に対して螺旋階段の上から猟銃の調子を調べながらふむふむと呟く青年貴族様である。人を狩りの獣扱いしやがって!!

 

「うー!うー!」

「ふむ、少し黙ってくれたまえ」

 

 人質が暴れようとすれば猟銃の銃床で腹を殴りつけて黙らせる公世子である。糞っ垂れが、誉ある公爵家の御曹司ならもっと紳士らしく淑女を扱えよ!

 

「人の従士を手荒に……くっ……!?」

『グルルル……!!グァウ!!』

 

 私が文句を言おうとするのを邪魔するように一体のサイボーグ犬が疾走して襲いかかる。同時に上方から降りてきたマクシミリアンが再び猟銃を向けて来る。やべっ、これ片方に対処したらもう片方に殺られるパターンだ!!

 

「こんのぉ!!」

 

 私は半分程ヤケクソになりながらも覚悟を決めて賭けに出た。

 

 襲い来る猟犬の炭素クリスタルの牙の一撃を寸前で身を翻して回避すると、同時にその頭を蹴り上げる。

 

『ギャウンッ!!?』

 

 金属を蹴る鈍痛を足の先に感じるが、しかしこれは正しい判断であった。次の瞬間蹴り上げられて宙に浮いたサイボーグ犬は私と猟銃の間を遮った。

 

 殆ど同時に鳴り響く銃声、目の前で火花が刹那に弾け、次いで頭部を粉砕されて周囲に部品をぶちまけるサイボーグ犬の姿が目の前に映る。

 

「ラヴクラフト……!?」

 

 驚きに満ちた御貴族様の声が室内に響く。はっは!ザマァ見やがれって……。

 

「糞っ!少しは隙を見せやがれっ……!」

 

 すぐに鳴り響く発砲音に私は身を一回転してその場から退避する事でどうにか回避に成功する。続いて駄目押しに来る鉛弾を走りながら避け、そのままハッキングされた事で機能停止した中型ドローンの影に滑り込むように逃げ込んだ。

 

「おぉ、ラヴクラフト……!やってくれたなヴォルター・フォン・ティルピッツ!」

 

 マクシミリアンは頭部が吹き飛んで機能停止した愛犬の元に駆け寄るとそう叫び、震える声でライフル銃に銃弾を装填する。その足元では仲間の死を悲しんでか、クゥーンと沈痛そうな鳴き声を上げるもう一体のサイボーグ犬。

 

「知るかボケっ……!!そもそも三対一とか卑怯だぞ!!正々堂々戦えこの野郎……うおっ!!?」

 

 私はドローンの影から身を乗りだしそう吐き捨て、此方に向けて鳴り響く銃声と共に再度隠れる。危ねぇ……!!

 

(畜生め、人質は……まだそれほど離れていないな)

 

 そっと再度ドローンの影から相手側を見やる。先程犬公を一体仕止めたのは公世子のヘイトを集めて人質と引きはなそうという魂胆もあったのだが……この距離ではまだまだ駄目だな。

 

「私の銃撃を避けた上に可愛いラヴクラフトがこんなあっけなく……狐や鹿の類ではないとは思っていたがこれではまるで獅子狩りだな。そう言えば君の家の家紋は鷲獅子だったかな?成程、となればこれは鷲獅子狩りと言う訳か……!」

 

 公世子の質問に、私はブラスターライフルでの狙撃で答える。光条は、しかし良く狙ったにもかかわらず最小限の動きで回避されたが。ちっ……銃撃が来る……!!

 

「カフカ、追いこむぞ……!」

『グルルルル!』

 

 猟銃での銃撃で私の射撃を押さえた後に、マクシミリアンが猟犬をけしかける。主人の命令に答えるように遠吠えをした後に疾走するサイボーグ犬。糞っ、どっちから来る?右回りか!?それとも左回りか……!?

 

 シャットダウンしたドローンの影で左右交互に首を振るう。さてさて、答えは……。

 

「上かよ!」

 

 足元に浮かび上がった影ですぐにその答えを導き出して上方を向く。そこにはドローンの背中を乗り越え口を開いて襲い掛かって来る犬公の姿……。

 

「人間舐めるなよ、畜生の分際でっ!!」

 

 爪を立てて飛び掛かるサイボーグ犬の一撃をブラスターライフルを盾にして受け止める。そのまま腹部を蹴飛ばすと床に叩きつけられる犬公。

 

『ガウッ!』

「おらお座りだぞ、ポチ!!」

 

 そう言い捨ててから威嚇のためか唸り声を上げるサイボーグ犬の顔面を銃床で殴り付け、ブラスターライフルの銃口を捩じ込み即座に発砲する。

 

「糞熊を相手にするよりはマシだな。っ……!!?」

 

 その視線に気付いて咄嗟にブラスターライフルを構えるが次の瞬間には猟銃から撃ち込まれた弾丸で銃身が弾けてブラスターライフルは唯のでかい文鎮同然の存在に成り下がる。

 

「舐めるんじゃねぇぞ……!」

 

 腰のハンドブラスターを引き抜き発砲、身を翻したためにレーザーの閃光は公世子の肩を掠るだけだった。再度の銃声をバク転で回避、御礼の御返しの発砲……!

 

「ほぅ、やるな……!だが……!」

 

 胸を狙ったのに気付いたのだろう、瞬時に猟銃を盾にして致命傷を回避したマクシミリアンは使い物にならなくなった猟銃を投げつける。

 

「この程度……!何っ!?」

 

 投げつけられる猟銃は囮だった。猟銃を回避するために一瞬私がマクシミリアンから視界を外したと同時に彼は此方に向けて距離を詰めつつ袖の下に隠していた電気鞭を引き抜き作動させた。電流が流れる鞭が生き物のように振るわれ、ハンドブラスターを持っていた義手にその先端が叩きつけられる。

 

「糞がっ!」

 

 電流の衝撃で義手が一瞬不具合を起こしハンドブラスターを落す。そこに追い打ちをかける一振り……!

 

「精々良い鳴き声を上げてくれ!」

「ざけんな、ボンボンがっ!」

 

 私は咄嗟に腰元から実用性と機能性のみを重視した炭素クリスタル製軍用ナイフを引き抜く。鞭の一振りを凝視し、その軌跡を注視する。獲物を狙う蛇のように襲い来る攻撃をギリギリで回避すると、同時に一歩進みナイフの一振りでその鞭を途中で切り払った。正直賭けに近かったが上手くいったな……!

 

「ほぉ、お見事!!ふふふ、まさかこの私がここまで追い詰められようとはな……!!」

 

 一方、電気鞭を失った御曹司様が次の瞬間に懐から取り出すのは銀製の芸術的なデザインの折り畳み式の西洋剃刀だった。いや、剃刀というには少し丈夫で大きすぎる。明らかにそれは髭反り以外の目的のために造られていた。良く見れば剃刀には西洋竜の刻印がある。宝物を守る貪欲な黒竜はカストロプ家の家紋を象徴していた。

 

「これは私のお気に入りの一つでね。これで幾多の獲物の喉笛を切り捨てたものさ」

「犬といい鞭といいお前、マジで悪趣味なんだよ……!!」

 

 私はうんざりした口調でそう吐き捨てながら自由惑星同盟軍宇宙軍陸戦隊近接ナイフ格闘戦技の教本通りに軍用ナイフを構える。んな事実知りたくねぇよ……!!

 

 ニヤリと歪に歪んだ笑みを浮かべ突貫する美青年。私は咄嗟に横にステップして回避、そのまま遠心力を利用して回転しつつ相手の喉元に刃を振る。おう、当然のように肘で腕を殴り付けられて失敗したな。

 

「痛っ……!!」

 

 私は体勢を立て直すためにワンステップ、そしてツーステップ後方に跳んで距離を取る。ちぃ!この動きは装甲擲弾兵の近接格闘戦技、しかも特級か……!!

 

「くくく!本当に素晴らしいなぁ!ここまで手古摺る獲物は……本当に初めてだ!君は本当に素晴らしい!」

「さいですか、私は最悪の気分だよ……!」

 

 瞬時に距離を詰めて来た公世子の首を狙う一撃を首を捻り回避、御返しに死角からナイフを首元の動脈を狙い振るうが上半身を後ろに曲げて優雅に避けて見せる。イナバウアーかよ!?てめぇ、貴族なんか辞めてフィギュアスケートでもしてやがれ……!

 

「ふふふっ!そう邪険にしてくれるな。寂しいじゃあないか!折角私と肩を並べられる程の腕前なのに……!」

 

 身体を起こしながら私のナイフを持つ手を掴み上げ、そのまま私を背負い投げをっ……!?

 

「がはぁ!!?」

 

 視界が回転し、次の瞬間には背中と頭に強い衝撃!私が床に叩きつけられたのは間違い無い。目の前には私のナイフを持つ手と肩を掴み此方を見下げる無駄に顔は良いボンボン貴族が上下反転して映り込む。

 

「才ある者達はいつだって孤独さ。周囲の無能共に理解されず、排斥され、疎まれる。だがそれもまた真理であり、特権だ」

 

 ニタニタと気味の悪い笑みを此方に向けるマクシミリアン。

 

「それが正しい姿だ。草食獣が肉食獣の思考を理解する必要も、その逆も必要ない。捕食者は唯高慢にあれば良い。有象無象の雑種の運命なぞ気にする必要はない。孤独を受け入れ、孤独を恐れず、我が道を行くため周囲を養分として搾取する。搾取される弱者に同情する必要なぞない。弱者を貪り、強者と争い食らう!」

 

 ルドルフ的選民思想をより濃縮したような持論を語りながらマクシミリアンが剃刀を振るう。その一撃を私は相手の手首を反対の手で掴み抑える事でどうにか阻止する。うおっ!?腕の力強いいいいぃぃぃ!!?

 

「故に君は素晴らしい!あのオフレッサー男爵から生き残ったと聞いた時には眉唾物かと思ったが!スタジアムで見た時に注目し、スラムで銃撃を避けた時に確信したよ!間違いなく君は食う側の人間さ!爵位なぞではない!才能によって選ばれたね!」

「知るかよ……!」

 

 身体を捩じって右側に回転しながら拘束を引き剥がす。そのまま回転しながら立ち上がると剃刀を振り下ろして来る御貴族様がいるので頭を捩じってギリギリで避ける。ちぃ!頬が少し切れた……!

 

「そしてだからこそ一層興味がそそられるな!身分と才能、双方ある君も相当孤独だった筈だろう?それを……!」

 

 剃刀の二撃目を振るわれる手首を掴む事で抑える。反撃のナイフの一撃を贈呈しようとするが彼方さんもまた私と同じように手首を掴み上げて抑えつけられる。互いが互いの武器を持つ手を掴み、互いに相手の拘束から逃れようと力を加え、状況は膠着する。

 

「それを……私は見ていたぞ?あれは唯の快楽目的の肉体関係ではあるまい?貴様、あの雌と何があった?何故貴様は……!!」

「中二病を卒業しただけだよ……!」

 

 苛立ちと焦燥と呆れを混合した声でそう言い捨てる。お前の自分語りなんざ一ミリも興味は無いんだよ!誰得だよ糞が……!

 

「はぁはぁ……そもそもっ……!何が才ある者だよっ……!自分が天才なんざ口にするんじゃねぇよ、自惚れやがって……!」

 

 互いにこれ以上は限界だと悟り相手を押しやり後方に後退してから、体勢を整え息を整えながら私は言い捨てる。てめぇは所詮赤毛の噛ませだろうが!噛ませの分際の癖に戦闘力高過ぎるんだよ……!

 

「私よりも肉弾戦の上手い奴なんざ幾らでもいるんだよ!ましてや、他の才能含めその程度の実力で悲劇のヒロインぶって私なんかに注目してるなんざ……はっ!井の中の蛙とはこの事だな……!」

 

 私は本物の天才を、いや天災を識っている。一人は士官学校で既に遠目ながら肉眼で見た事があり、今一人は恐らく肉眼で見るのは私が殺される時だろう。

 

 それ以外にも幾らでも化物共はいる。予め名前を知る奴らとの実力は隔絶しているし、予め知らなくても絶対に勝てないと確信出来る奴らもごまんといる。

 

 彼らに比べて自分が雑魚の凡人だって事位理解している。そして、そんな彼らだって完全な孤独ではない。少なくともそんな下らん事を理由にこんな悪趣味なショーを主催する奴らなぞいない。

 

「はぁはぁはぁ……ふふふ、貴様の言う強者共にも興味はあるが………それは今は後回しだ。ここまで苦戦しようとはな。全く、心底楽しませてくれるものだな貴様は!」

 

 明らかに何度か死にかけているというのに目の前の放蕩貴族は楽し気に口元を歪める。マゾ属性でもあるのかよ貴様は……!

 

「いやいや、これは最高のスリルだよ。私とて一方的な狩りばかり楽しんできた訳ではない。ちゃんと相手にも対等の条件でゲームをした経験もあるのだぞ?尤も、どいつもこいつも手ごたえのない雑魚ばかりだったがね?……よもやこれ程のスリルを味わえるとは!」

「そりゃあどうも。最高のエクストリームスポーツだろう?満足したならそろそろ本日の営業終了だ、さっさと失せろよ……!」

「それは出来ないな。こんなわくわくするタイミングで終了なぞ生殺しも良い所だ。今暫く楽しませてくれたまえ伯世子殿?」

「シット……!」

 

 心底うんざりした心境で私は舌打ちする。何で私がこんな異常者のために命懸けの付き合いをしないといけないんだよ!?

 

「そう毛嫌いするな、名門カストロプ家の嫡男が夢中になっているのだぞ?泣いて喜んで欲しいものだな?」

「情愛が深すぎないかね?」

「情愛は深すぎるくらいが丁度良いものさ。気狂いするほどでなければそれは愛ではないよ」

「今時パスカルかよ……!」

 

 互いにお喋りしつつ体力の回復と相手の隙を窺っていた我々の内で、先に仕掛けたのは私だった。身を低めての吶喊、瞬時に上半身を影にしてナイフの軌跡を誤魔化しながら下から上に振るう。首筋を狙った一撃は、しかし剃刀で受け止められる。火花が散る。

 

「流石は権門四七家なだけあって今の引用が分かるかっ!余り教養ある獲物を狩る機会は少ないのでな、このような会話が出来るのは嬉しい限りだ……!」

「糞して寝てろっ!教養なんざ所詮マウント取りの道具だろうが!」

「それもパスカルの言葉だな……!」

 

 自身が押されている事に気付いた私は、覚悟を決めて互いの刃が交差する中で一歩前進する。そして、機械仕掛けの義手のリミッターを解除した。

 

「っ……!?」

 

 腕力が瞬時に向上して刃の鍔迫り合いは一気に私の優位に傾いた。飛び散る閃光、マクシミリアンの剃刀が弾けて宙に弧を描いて手から離れる。

 

「止めだ……!」

「甘いな!」

 

 私がナイフで止めを刺そうとしたのは結果的に早計だった。公世子の回し蹴りは私の手からナイフを奪い去る。どの方向にナイフが跳んだのか確認している暇はなかった。視界の端から高速で近づいて来る影が頭部を狙っていた。

 

「ちぃ……ぐっ!?」

 

 金属同士のぶつかる鈍い反響音。咄嗟に義手で頭を守ったがこの音と衝撃……!野郎、靴に鉄板を仕込んでやがったな!?まともに食らっていたら頭蓋骨に罅が入って脳震盪を起こしていたぞ!?

 

「ほぅ、防いだか……!っ……!」

 

 私は素早くしゃがみこみマクシミリアンの足を払い姿勢を崩そうと図る。しかしそれはダンスのステップのように跳躍された事で失敗に終わる。そのままの飛び膝蹴り……!

 

「ぐっ……うおぉぉ!!」

 

 姿勢と距離から回避が不可能と即座に判断した私はその力を受け流す事にする。近付いて来る足を掴みそのまま相手の運動エネルギーを利用して逆に床に叩きつける。

 

「がっ……!?」

 

 上手く決まったのか驚愕と共に激痛に耐える表情を浮かべる青年貴族である。端正な顔立ちが苦し気に歪む。ザマァ!!……ってうおっ!?

 

 私はもう片方の足による頭部への一撃を防御しようとするが、しかしそれはただの囮だった。防御に意識が向かった事で拘束が緩む。次の瞬間にマクシミリアンは後ろ回転しながら立ち上がり、振りかぶっての拳の一撃……!

 

「ちっ!?」

 

 義手の掌でそれを受け止める。機械の腕に生身で全力で殴りかかれば当然ながら生身の腕の方にダメージが向かう筈だ。そう、普通に殴りかかったのなら。

 

「ぐっ……!?拳鍔か…!?」

 

 その一撃の衝撃に私は直ぐに答えを導き出す。その拳にはいつの間にか炭素セラミック製の拳鍔が嵌め込まれていた。電気鞭といい、鉄板仕込みの靴といい、この野郎随分と用意が良い……!!

 

「猟銃の一撃を避けた貴様の事だ!私も本気で準備させて貰ったよ!流石にここまで追い詰められるのは想定外だがな!?」

 

 拳鍔を両手に嵌め込んだままプロボクシング選手並みの動きでジャブを放ってくる公世子。この野郎、殴り慣れてるな……!?

 

「ぐっ……くっ……!!痛いだろうが……!!」

 

 両手でジャブを受け止めるが義手の右手は兎も角、生身の左手で防ぐのはマジで痛い。絶対内出血していた。このまま殴られっぱなしでは骨に罅が入るだろう、故に反撃に義手で全力の一撃で殴りかかる。

 

「ふっ……!流石に疲れたか?動きが単調だぞ!?」

 

 鼻っ柱をへし折る積もりの一撃を紙一重で回避され、そのまま右腕を引っ張られる。肘で此方の腕関節に上から一撃を受ける。所謂肘打ちである。だがその目的は純粋な攻撃というよりも此方の姿勢を崩すためのように思えた。ただの攻撃ならば態態機械の腕関節なぞ狙うまい。

 

 肘打ちした後に返す刀で手刀で私にチョップを横合いから掛けてくるマクシミリアン。

 

 拳鍔を備えた上での顔への手刀は思いのほか凶悪だ。当然だ、顔面に金属が狭い表面積で叩きつけられるからだ。痛いに決まっている。だからこれは絶対に防がなければならない。

 

 直接チョップを止めるのは危険なので咄嗟に出した左手は掌ではなく相手の手首を掴みその動きを止める。そのま裏拳で相手のイケメン顔にカウンターをしてやる。

 

 だが……。

 

「これは先程の御返しだ……!」

 

 裏拳にかかった運動エネルギーを逆用する形で私は腕を掴まれ、次いで足払いによって重心を失った私は一気に形勢を逆転される。腕を掴まれて持ち上げられて受けるのは先程私がマクシミリアンに対して行った、そして既に一度食らった背負い投げだった。

 

「ぐっ……!?二度もノーガードで食らうかよ……!??」

 

 床に叩きつけられる直前義手の右腕でガードして身体にかかる衝撃を最小限に抑える事に成功する。そしてすぐに立ち上がろうと顔を上げたと同時に網膜に映ったのは此方に向けて全力キックを放つ御曹司の姿で……。

 

「ぎぃ……!?」

 

 横合いから頭部に対して激しい衝撃と激痛が走った。視界が揺れて、次いで転がる。それは靴底の鉄板で攻撃力を増強しての一撃であった。この野郎、人の頭をサッカーボール扱いしやがった……!

 

「がっ……ぐっ……!?」

 

 流石に頭部にこの一撃は重すぎる。余りの苦しみと痛みに私は床に倒れこみ、切れた頭皮を抑える。一瞬、意識が飛んだのが分かった。ちぃ……血が止まらねぇ……!!

 

「はぁ……はぁ…………ふっ、中々良い勝負だったな。だが……これでチェックメイトだ……!!」

 

 額に汗を流し、息継ぎをしながらも不敵な笑みを浮かべる公世子。ゆらゆらと疲労の色が深い表情で周囲を見渡し、自身の剃刀を見つけるとゆっくりとそちらに向かいそれを拾い上げる。

 

 マクシミリアンが剃刀を手にゆっくりと近付いて来るのが分かった。歪む視界の中で見えるその顔は勝利を確信しているに違いない愉悦の笑みに歪んでいた。糞っ……!痛みで思考が纏まらねぇ……!

 

「ぐう……ぅ……!!」

 

 必死に立ち上がろうとするがそれも腹を全力で蹴られてしまえばどうしようもない。咳き込み、頭痛に耐える以上の行動は困難を極めた。目の前には私の髪を掴み剃刀を構える男の姿があり……。

 

「ううううぅぅぅ………!!!」

「何……?ぐっ……!?」

 

 たたた!と言う足音にマクシミリアンは振り向くと共に自身に突っ込んで来た人影に押し倒される。それは猿轡をされ、腕は未だに拘束されながらも足だけは拘束から抜け出した金髪の従士だった。必死の形相で公世子に襲い掛かる。

 

「何を……がっ……!?」

 

 起き上がろうとするマクシミリアンに全力の頭突きをお見舞いする従士。小さな悲鳴と共にボンボン貴族は額を押さえる。

 

「ぐっ……どう…して……?っ……!!私のナイフかっ……!」

 

 私は視線を移して床に落ちた切れたロープとナイフを見て答えを導き出す。恐らくは蹴りを受けて思わず手元から落としてしまった私の軍用ナイフで密かにロープを切断していたのだろう。手足まで切らなかったのは時間が無かったからか……私がもう少し頑張るべきだったな……!!

 

 私はゆっくりと、頭痛で意識が朦朧とする中、従士に加勢しようとよろよろと立ち上がろうとする。だが精神ではそれを理解していても身体は簡単にそれに答えてはくれない。内心の焦りと裏腹に疲労の溜まった身体の動きは緩慢過ぎた。

 

「うー!!う……ううー!!」

 

 手足が縛られたままでマクシミリアンを押さえつけようとする従士。だが、只でさえ男女の性差に体格の差まであるのだ。そこに手足が縛られていては勝ち目なぞ元から無かった。

 

「ちいいいぃぃぃ!!いつまでも小賢しいぞ、女がっ!!」

「うっ……っ!?」

 

 暴れる従士の顔を殴り、次いで腹を蹴りあげて数メートル飛ばし床に叩きつけるマクシミリアン。ゲホゲホ噎せる少女。てめぇ……だから女の扱いが荒すぎなんだよ、肉食系かよ、ボケが……!

 

「はぁはぁはぁ……神聖なゲームを邪魔するな凡俗がっ!!……ふっ、精々そこで観賞するが良い。目の前で貴様の主君の殺される姿をな……!!」

 

 嫌悪を剥き出しに、次いで嘲るようにそう言って、マクシミリアンは私の元に早歩きで近づく。やっべ、まだ意識が回復仕切っていないんだぞ………!?

 

(不味い……っ!!?)

 

 必死に突き立てられる剃刀の一撃を避けようとしたが私の状態とアスリート選手のように鋭い御貴族様の素早い動きからして、それは難しかった。

 

「さぁ、これで鷲獅子狩りも締めだなっ……!!」

「っ……!!」

 

 せめて足を動かそうとしたが無駄だった。その時には既にマクシミリアンが私の肩を掴み、次いで一気に剃刀を心臓のある場所に突き立てていたからだ。

 

 ザクッ、と音と衝撃が胸に響いた。

 

「うーーー!!!??」

 

 恐らく猿轡されてなかったら大声で叫んでいただろう。従士の言語化されぬ悲鳴。

 

 マクシミリアン・フォン・カストロプは勝利を確信していた筈だ。剃刀は間違いなく心臓のある場所に突き刺さっていたのだから。そして心臓を刺されれば現状治療しようにも機材も、時間もありやしなかった。即ちこの場ではどうしようとも助からない訳である。詰みであろう。

 

 そう、詰みだ。誰だって心臓を刺されたら助からない。……心臓を刺されていたら、な?

 

「何……?」

 

 文字通り額同士がくっ付き合う位の距離で口元を吊り上げ笑みを浮かべる私に、マクシミリアンは驚愕の表情を浮かべていた。唖然としていたと言って良い。そりゃあそうだ、私も心臓を刺した相手が此方見て笑ったらドン引きするね。

 

「……まぁ、毎度毎度私は幸運には恵まれなくても悪運は良いみたいだな」

 

 自嘲するようにそう言って……私は次の瞬間、目の前の男の肩を掴み逃げられないように固定する。そして笑顔を浮かべて全力でその鼻っ柱に頭突きを食らわした。鼻の骨が折れる嫌な音がボロボロの食堂に響き渡る。人が倒れる音がそれに続いた。

 

 場は静まり返るように静かだった。カストロプ家の使用人や私兵達も、私の従士も一言を発しなかった。何が起きたのか良く分かっていないようだった。

 

「まぁ、そりゃあそうだろうさ……」

 

 私は暫くぽつんと佇み、次いで懐からそれを取り出した。家主様から受け取ったにも関わらず、近接戦闘にもつれ込まされたために引き抜くタイミングが無かったハンドブラスターには、一目で分かる深い刺し傷が出来ていた。この分ではもう使い物にはならないだろう。

 

「弁償物だな、これは」

 

 悪鬼のように怒り狂う小娘の姿を脳裏に浮かべ肩を竦ませて、私は産業廃棄物と化したハンドブラスターを床に投げ捨てたのだった……。




次いでにどうでも良い豆知識
主人公の家の家紋にもある鷲獅子は伝承によれば馬を嫌い、敵視しているらしいです。そして牡馬は食い殺し、牝馬は無理矢理犯して仔を生ませるそうです。

どうでも良いですが婚約者の家の家紋は一角獣です。


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第百六十二話 大人になるという事はお年玉を貰う側からあげる側になるという事(挿絵的なもの有り)

「社長……」

「うむ、これは好機だ。奴らが、どこからこれだけの人手をかき集めて来たかは知らぬが……これで一応の言い訳も立とう」

 

 自治領主府ビルの一室、そこで防弾硝子製の窓から散発的な襲撃を受ける省庁街を見やるスペンサーは秘書官や数名の側近達と顔を見合せて、頷く。

 

「では動くとしようか」

 

 手袋をして机の引き出しから抜き取るのは闇ルートで製造した製造番号も刻まれていない拳銃である。

 

 フェザーンに限らず、同盟や帝国においても一般市民の武器の保有は法律的な規制を受けて所持記録が残る上、軍や警察等の政府機構、民間軍事会社の保有する銃器も当然通常は各工場で充てられた登録番号が存在し使用者や貸与者の記録が残される。故に今回のような企てに関しては足跡を辿られないように正規ルート以外の、番号記入もなく記録にも残らない機密工廠ないし犯罪組織や外縁宙域勢力が建てた違法な武器工廠で製造されたものを使うべきであり、スペンサー達も当然その事を理解していた。

 

「ふっ、まさか直接私が武器を取る事になろうとはな。……銃を持つのは久し振りだな、腕が鈍っていないと良いが」

 

 ハンドブラスターのエネルギーパックの残量を手慣れた手つきで確認するスペンサー。彼は半世紀も前に飢えと暴力に満ち満ちていた外縁宙域の名もなき惑星に孤児として生を受け、地獄のような故郷から逃げるために商人の密貿易船に潜りこみ、餓死寸前の状態でフェザーンに辿り着いた。そして『裏街』の物乞いから鉱山労働者、傭兵、フェザーン市民権を手に入れ貿易会社や民間軍事会社の社員として上司の合法非合法問わず無理難題をこなしていき、出世のためにライバルを陥れ、あらゆる努力の果てに遂には元老にまで上り詰めた。そんな老人の身体は、自身が戦わなくなってから二〇年以上経た今でもその感覚を失っていないようであった。

 

「よし、行くぞ……!!」

 

 事前に自治領主府ビルの上層階は人払いを済ませ、数名の銀河帝国亡命政府からの来訪者を除けば自治領主の信頼する職員とスペンサーの子飼いの部下達以外は存在しない。自治領主にはそれを工作員の潜伏を危惧してのものと伝えているが、その実はこれから行う行為の目撃者を最小限に抑えるためのものである。

 

「もう少しだ。もう少しで自治領主の椅子が手に入るのだ。手が届く所まで来たのだ。こんな所で終わって堪るものか……!!」

 

 そうだ、全ては自治領主の椅子のために努力して来たのだ。故郷で、フェザーンで、企業で、孤児である事を、密入国者である事を、『裏街』の住民である事を、傭兵である事を、名誉フェザーン市民である事を嘲笑されて来た。彼は多くの迫害と差別と陰謀と試練を乗り越えて来た。耐えて来た。全てはフェザーンの頂点に君臨し、フェザーン社会を変えるためだ。

 

『フェザーンを真に自由の国に、そして平等の星に変える』……そしてそのために自治領主となり、フェザーン市民の特権を打破し、移民法を撤廃する……スペンサーはそのために如何なる行いも辞さなかった。

 

 そのためならば余所者に冷淡な民族主義的な自治領主にも近づくし、強欲なカストロプ家の弱者を食い物にするビジネスにも協力しよう。多くの挫折と裏切りを経験してきたスペンサーは理想主義者であっても夢想家ではないし、理想のためならば幾らでも現実主義にでもなれた。権力を手に入れるためには金と暴力とコネクションが必要不可欠である事を多くの経験から彼は理解していた。

 

 表向きは自治領主に近づくために民間軍事会社の親同盟派を装い、裏では帝国で五本の指に入るカストロプ家と協力し密貿易で莫大な利益を上げる。表裏双方の世界で金と暴力とコネクションを蓄えて来た。後少し、もう少しだったのだ。本来ならば老い先短い自治領主の引退か自然死で問題なく自治領主の座に就ける筈だった。

 

 それを……以前から多くの者達が自身を追い落とそうとしていたのは彼も承知していた。表としての顔でも、裏としての顔でもスペンサー程の立場になればその存在自体が目障りと思う者は幾らでもいる。帝国の主戦派に反カストロプ派やカストロプ系列と対立する犯罪組織、フェザーンの親帝国派や勢力均衡派、同盟の反戦派、アトラス社内の反スペンサー派に同盟の治安機関、幾つかの宗教勢力に、ワレンコフの片腕として次期自治領主の椅子を争うアドリアン・ルビンスキー……それでも長年彼は上手くこの危険な橋を渡り歩いて来たし、二重三重の保険をかけて来た。全ては万全の筈だった。

 

「それをあんな小さな一件でここまで追いつめられる事になるとはな……!」

 

 間違いなく全ての歯車が狂ったのは昨年のエル・ファシルの一件だ。

 

 表向きは典型的な帝国の道楽貴族将官、裏の顔はサイオキシン麻薬の密売や軍需物資を横流しするカストロプ公爵系列の犯罪組織の幹部、真の顔は帝国軍内部でスパイ活動をする貴族社会内の隠れ共和主義者……権門四七家ではないとは言え、帝国諸侯の上位五パーセントに名を連ねる大貴族フォルゲン伯爵家の三男坊にして地上軍の主計准将と言う立場は犯罪組織の幹部としても、共和主義者のスパイとしても有用であった。

 

 カストロプ公らからしても別にフォルゲン伯爵家の三男が共和主義者のスパイをしていようがどうでも良い事であった。

 

 寧ろこれでいざ密貿易で帝国警察総局なり憲兵本部、社会秩序維持局に追及された時に何も知らないフォルゲン伯爵家を無理矢理共犯に仕立て味方に引き入れる好機と考えていた。恐らくは警察総局に探りを入れるためだろう、ハルテンベルク伯爵家の令嬢にカール・マチアスが接近したのも好都合だった。連座制が適用される帝国司法である、警察総局の局長を脅迫出来るネタが出来て万々歳だ。

 

 だが、組織を裏切るのは良くない。どれだけ帝国軍や宮廷の情報を同盟に渡そうともカストロプ家もその利権の関係者も気にしなかったであろうが、その売る情報に彼ら自身の事も含まれているならば話は別だ。危険の芽は早めに折ってしまうに限る。

 

 それ故にカール・マチアスが犯罪に手を染めた隠れ共和主義者である事が極自然な流れで発覚するように彼らは仕向けた。フォルゲン家とハルテンベルク家はリヒテンラーデ侯やエーレンベルク元帥の助力を受けカール・マチアスを『名誉ある戦死』に追い込み、それはすぐに果たされる筈だった。

 

 偶然の積み重ねの結果と誰が信じよう?最悪の結果がカストロプ家とその取り巻き達に伝わった。カール・マチアスは亡命政府と同盟政府の保護下となり、多くの情報が流れた。密貿易に関するルートと協力者の芋蔓式の摘発は時間の問題だった。

 

 カストロプ家はあらゆる手を使い被害の最小化を図った。同盟辺境部での反同盟勢力や宇宙海賊の活動活発化は帝国軍の敗残兵の流入もあるが、カストロプ家の武器と資金の援助も一因だ。いや、帝国兵の流入すらカストロプ家が一枚噛んでいる。アルレスハイム星系方面への出兵もそうだ。全てはカストロプ家の保身のため、各種の政治工作を行う時間を稼ぐためのものだ。

 

 スペンサーもまた少しずつカストロプ公から遠ざけられ始め、当然スペンサーもカストロプ公に代わる協力者を探し求め、見つけ出した。皇太子は確かに未熟で政治的なハンディキャップも多いが、それでもその理想と理念はスペンサーの野望とシンパシーが強く、また勝利した際のリターンも大きい。

 

 それ故、スペンサーは新しい協力者とのパイプを強化し始めた。そこに来たのがあのボンボン貴族である。

 

 客観的に見た場合、このタイミングで使節団にティルピッツ伯爵家の嫡男が随行した事を深読みしないなぞ有り得なかった。相手はエル・ファシルにおいてカール・マチアスの保護に一役買った存在だ、その人物の随行にスペンサーは警戒したし、その疑念は同盟軍の諜報員が補佐として配属され、ブラウンシュヴァイク公爵家に連なる裏事情に詳しい男爵と接触した事で決定的となった。スペンサーは伯世子の影に同盟政府そのものを見た。疑惑が決定的となり次第、自身の命は無いものに思えた。

 

 しかしそれは神の視点で俯瞰した場合、それは過剰な警戒であり、深読みし過ぎた事であった。同盟政府も亡命政府もカストロプ公のシンパが数多くいる事自体は把握していてもスペンサーに対してはその手は及んでいなかったし、唯一それについて決定的な情報を有しているのはアドリアン・ルビンスキーのみ、それも彼自身はその情報をワレンコフにすら伝えていなかった。警戒される訳が無い。

 

 それでも後ろめたい秘密を持つ者は疑心暗鬼になるものだ。そこに追い打ちを掛けたのが新しい協力者からの要請だ。ブラウンシュヴァイク一門の男爵に、男爵が保護する人物、その双方を標的とした皇太子からの要請は危険でもあったが、相応の政治的リターンが期待出来、何よりも絶好のタイミングであった。標的と自身を探る(とスペンサーは認識していた)者達を纏めてヴァルハラに送り届け、しかも殺害の嫌疑は元より周囲から危険視されるカストロプ家のそれも良い噂のない道楽の放蕩息子に押し付ける……上手くいけば彼は野望に一気に近づく筈であった。……上手くいけば。

 

 スタジアムでの策は失敗に終わり、それどころかカストロプ家の放蕩息子の介入を許す事になる。しかもその放蕩息子が彼方此方で勝手気ままに動いてくれるお陰で事はどんどん大事になってゆく。アドリアン・ルビンスキーと伯世子達が接触したのを襲うのは良い。だがスラムとは言え街中で迫撃砲を撃ちこみ、大騒ぎを起こした挙句に取り逃がすとは……!

 

「狩猟などと……馬鹿馬鹿しい……!!」

 

 マクシミリアンかスペンサーを内心で冷笑するように、スペンサーもまたマクシミリアンを内実侮蔑していた。彼が何を考えているのかはどうでも良い。彼の悪ふざけが成功しようと失敗しようと全ての責任を押し付ける準備は出来ている。

 

 何にせよ、後はこの襲撃を受けたタイミングに乗じて自治領主と使節に消えてもらうだけだ。本来ならばテロか事故か、あるいは交渉が険悪化した事による殺人事件でも仕組む積もりであったが……これはこれで好都合だ。このタイミングであれば死亡したとしてもそれは襲撃者によるものと弁明しても違和感は持たれず、疑惑を向けられたとしても幾らでも偽装出来る。

 

 そして使節と自治領主の死は自治領主府の政治的な混乱を招き、その混乱は借款交渉そのものを潰す事になるだろう。その悪影響は最終的には同盟政府と亡命政府のカストロプ系列密貿易組織の摘発の延期にも繋がろう。

 

 そして自治領主の椅子を手に入れると共に裏で怪しげに動く黒狐を始末し、次いで皇太子から要求されている目標も確保すれば良い。それで全ては闇に葬られ、危機は遠のく。

 

 そうだ、確かに追い詰められてはいるが絶望的ではない。この危機を機会に変えろ。それこそがフェザーンに住まう者の本質ではないか。与えられた状況で最大限の利益を生み出す、それがフェザーン市民の主義であり、スペンサーもまた幾度も自らの生命を賭け金として危険の橋を渡ったものだ。この程度の危険、乗り越えられない訳が無かろう……!

 

「ちぃっ……!あの放蕩貴族めっ!何をしているっ……!?」

 

 自治領主の執務室に向かう最中、侵入者阻止のために停止しているエスカレーターの下方から銃声が響く。鉛弾はスペンサー達のすぐ傍の壁を削り、周囲の側近達が慌てて反撃の銃撃を浴びせる。

 

 マクシミリアン・フォン・カストロプの警告から、一応念のために取り逃がした伯世子達が自治領主府ビルにまで侵入してくる事を想定はしていた。その上で目撃者を最小限にするためにビル上層階は手薄にし、その代わりにマクシミリアンの要求を受け入れ彼に登って来る侵入者の排除を受け持ってもらっていた。にも拘らずこんな所にまで侵入を許すとは……!!

 

 まさかスペンサーも数十名の兵士を連れながらマクシミリアンが目的の伯世子以外興味がなく、足止めすらせずに傭兵達を見逃すとは想定もしていなかった。そのような常軌を逸した異様な行動なぞ思いつく筈もない。それ故スペンサーは下層階にいたマクシミリアンがもう敗れ去った事を想定し、その頭脳はこの場での最善の判断を導き出した。

 

「ここは我々が足止めします……!」

 

 秘書官以下数名の側近達がスペンサーの出した結論を先読みして志願する。彼らは末端の金目的で密貿易に加わる者達とは違い、スペンサーと志を同じくする同志であった。彼らもまたスペンサーのように格差と差別の激しいフェザーンで苦汁と辛酸を舐めて、才能と努力と幸運で今の地位を手に入れた。そして地位を得る事でより一層不公正で悪徳に満ちたフェザーンの実情を知り、それを変えるために手を組んだ同胞だった。

 

「……うむ、頼むぞ」

 

 僅かに苦虫を噛み締めた表情を浮かべ、しかしスペンサーは秘書官達の言葉を受け入れる。マクシミリアン達が敗れ去った可能性から考えればここで傭兵共を拘束するのは最優先するべき問題だ。彼らが使節や自治領主と接触し、保護すればスペンサー達は終わりだ。

 

 無論、足止めする彼らの中には直接戦闘の経験が殆どない者もいる。その動きから恐らくプロと思われる傭兵相手にどれだけ持ちこたえられるかは怪しい。それでも彼らの志願を受け入れて足止めとして切り捨てる。切り捨てざるを得ない。ここまで来るのに多くの犠牲を払って来たのだ。その犠牲を無駄にしないためにも非情でもやらねばならぬ事がある。

 

「何、我々の中にも犠牲がいた方が怪しまれずに済むことでしょう。無論、我々とてここで死んでやる積もりはありませんがね」

 

 両親共に『裏街』生まれで父を鉱山事故で、母を貧困と病気で失った秘書官は苦笑しつつ答える。苦難の末に貧困から抜け出してもその先にあるのは『裏街』出身というだけで受ける差別だった。『裏街』出身というだけでまるで犯罪者扱いされ、明らかに不当な評価を受け続けた秘書官はスペンサーの計画に全てを賭けていた。それは他の側近も同じである。

 

 秘書官以下の側近達が下階から駆け上がろうとする傭兵達を迎撃している間にスペンサーは残りの側近達と共に自治領主執務室へと向かう。そして合理主義を優先とするフェザーン建築らしい自動扉の前に立つ。この扉にはセンサーと自動ロックシステムがあり、入室者を記録しつつ専用のIDカードを保持しない者の入室を拒む仕様だ。当然、扉自体は合金製で携帯火器による銃撃や爆弾の炸裂に十分耐えられるように設計されている。だが、その防犯システムにもまた改修時にスペンサーは罠を仕掛けていた。

 

 入室記録を残さない特殊仕様のIDカードで扉のロックが解除される。一〇年前にアトラス社に防犯システムの近代化改修の発注が為された際、何等かの役に立つだろうと裏鍵を作っていたのだ。無論、自治領府のシステムエンジニアが調べても問題ないように表向きは自治領主が記録に残らない会談を行うため、という理由をつけて幾枚かのIDカードは自治領主府に提供している。スペンサーの使ったカードは自治領主府にも伝えていないものだ。

 

 正規のIDカードで入室したように見せかけるスペンサー達は、照明を消しているために暗くそして広い執務室の奥、扉から離れた壁際のソファーに視線を向ける。向かい合う形でそこにいたのは自治領主ワレンコフに銀河帝国亡命政府から来た皇族の使節、そして彼らの数名の補佐官兼護衛。

 

「自治領主、まさか照明を消しておられるとは」

「この騒動だからな、君の警備体制を疑う訳ではないが念を入れるべきだろう。照明は消して窓際からは退避させてもらったよ。流石に堅牢なこの部屋から出てはいないがね」

 

 ソファーに座りながら老人特有の皴枯れた声で答える自治領主。この自治領主執務室は実際堅牢だ。窓はロケット弾にも耐えられるし、壁は防音の上に装甲を張っている。空気清浄機はほかの部屋とも独立していて放射線や毒ガスに対応したフィルター付きだ。

 

「成程、賢明な御判断です。……御話の方の進展は?」

「互いの利害は一致していますからね、スムーズに進んでいますよ。それはそうと、貴方は何故此方に?」

 

 亡命政府の若い皇族将官が微笑みながら尋ねる。恐らくスペンサーが同じ歳の頃は戦闘技能以外無知で無学な傭兵の一人に過ぎなかった筈だった。

 

(まだまだ私は完全には疑われてはいないらしいな、だが……)

 

 だが、それも時間の問題だ。時間が経てば疑惑は事実となり、政治的にも、生物学的にも彼の破滅は確実だ。それ故、スペンサーは次の行動に移る。

 

「少し前より外部からの攻撃を受けているのはご存じでしょう」

「あぁ、ここも危ないので避難の要請かな?」

「避難、いうのは間違ってはおりませんな。尤も、避難されるのは少将の御言葉を借りればヴァルハラという事になりましょうが」

 

 淡々とそう答えたスペンサーはハンドブラスターを目の前の集団に向けた。側近達もそれに続く。

 

「まさかっ!?裏切るのかっ!?スペンサー……!?」

「……表立っただけですよ、自治領主殿」

 

 此方に銃口を向けるスペンサーにワレンコフは叫び、当のスペンサーは淡々とハンドブラスターの引き金に指をかける。ドラマや映画の悪役のように無駄話なぞしない。迅速に、かつ確実に彼らには死んでもらう積もりだった。

 

 驚愕に目を見開く自治領主は、しかし次の瞬間には苦虫を噛む。そしてこの部屋に居座る第三者に向けて不本意そうに声をかけた。

 

「そうか。……残念だがどうやら君の言う通りだったらしいな、少佐」

「っ……!?」

 

 その気配に最初に気付けたのはスペンサーだった。それは第六感というべきものだっただろう。若い頃、いや幼い頃から幾度も生命の危機に出くわした事による直感が背後からの殺気に気付けたのだ。

 

「がはっ……!?」

 

 だが、それだけだった。既に傭兵としての現役の時代は遠い過去の事である。ましてや五〇代ともなれば経験の差で肉体の衰えをカバーするのも難しい。そして相手は間違い無くプロだった。背後の数名の人影から撃たれるブラスターの光はスペンサーとその側近達を確実に戦闘不能にした。

 

「ぐっ……この……がっ!?」

 

 致命傷こそ受けずとも手足や関節を撃たれて戦闘能力をほぼ喪失したスペンサーは、尚も激痛を気力で堪えて床に落ち血塗れになったハンドブラスターを拾おうとするが、それはハンドブラスターを踏み抑える足によって阻止される。

 

「社長、どうかご抵抗はお止め下さい。その歳では体力も落ちてるでしょう?我々としても貴方に死なれるより生存している方が価値がありますから」

 

 床のハンドブラスターを踏みつけ、スペンサーの額にブラスターライフルの銃口を向ける暗視装置を装備したラウル・バグダッシュ少佐は淡々とした表情でそう口にする。その背後には同じく銃器を持った同盟の工作員が二名。恐らくはデスクやソファー等の家具に隠れていたのだろう。照明を消せば元からいると知らなければ先入観も手伝いその存在に気付けようもないだろう。いや、それよりも問題は……。

 

「ぐっ……馬鹿な、どうしてここに……」

 

 侵入者達は未だ下の階にいる筈だ。少なくともこの自治領主執務室に入室した者がいない事は扉に備え付けられている防犯システムの記録がある限り間違いない。それなのに何故この同盟軍の諜報員はこの部屋にいる……?

 

「いえいえ、そんなに難しく考える必要はありませんよ」

 

 そう言うバグダッシュ少佐の背後の壁が割れると中から数名の銃を構える兵士達が現れる。その出で立ちからして恐らくは同盟軍情報局の工作員であろう。

 

「まさか……隠し扉から逆に侵入したのかっ……!?」

 

 恐らくは自治領主が有事の際に利用する隠し通路から逆に執務室に侵入したのだろう。隠し通路の扉にセンサーなぞつける筈もなければ機密である以上その存在を知るのは本当に一部しか有り得ない。

 

「くっ……何故だ?こんな隠し通路があるならば外の、下の階の者共なぞ必要ない筈……!?」

 

 そうだ、こうして直接侵入出来るなら各地で陽動の破壊工作をする必要も、別の隠し通路から自治領主府ビルに侵入する必要もない筈だ。スペンサーはそう考えていたからこそ既に執務室内の隠し通路からの侵入はないと思い込んでいた。それを………。

 

「少佐、それは私も疑問に思っていた点だ。大佐は何故そのような回りくどい手を打ったのかね?しかも、よりによって大佐自身は少佐と同行しないとは……」

 

 護衛に守られながら裏切り者の疑問に同意してワレンコフはバグダッシュ少佐に尋ねる。始めから執務室に繋がる隠し通路からのみ使えば室外での戦闘はなく、市街地での破壊工作も必要無かったのではないか……?

 

 何か裏の理由があるのではないか?ワレンコフがそう訝しむのは飛躍した考えではない。バグダッシュ少佐は自治領主の瞳に疑念の色が浮かぶのを察し、慌てて弁明を述べる。

 

「いえ、何せ隠し通路には遮蔽物がありませんので……万一隠し通路の存在が露見していればその時点で我々は全滅です。資産は分散せよ、と言えば自治領主には御理解頂けるかと」

 

 無論、それだけが理由ではない、と更に少佐は付け加える。

 

「更に加えるならば、隠し通路から御避難後の追っ手の事もあります。外の部隊が騒ぎを起こしていればその分此方に向けられる人手も減りますし、何よりも今回のように油断を誘える訳です。その結果、このようにスペンサー氏の裏切りも御見せ出来た訳ですな……!」

 

 そう言って少佐は倒れ伏しながら密かに床に落ちた拳銃に手を伸ばそうとしていたスペンサーの側近を電磁警棒で殴り倒す。スペンサーはそれにより反撃の手段を完全に断たれたのを見せつけられ、項垂れる。

 

「……さて、理由については御理解頂けましたでしょうか、自治領主殿?」

「……うむ」

 

 渋々ながらもワレンコフは諜報員の言に賛同せざるを得なかった。実際少佐達がこの執務室に入室して事情を説明した際にはワレンコフは信頼するスペンサーの裏切りを信じ切れず、その結果本当に裏切るのかをこのように目の前で証明する必要があった。そしてその結果がこれだ。

 

「スペンサー、志を同じとする君には期待していたのだが、このような事になるのは残念だよ」

 

 ワレンコフは心底失望した表情で縛られていくスペンサーにそう言い捨てた。一方のスペンサーは自治領主を心底侮蔑する顔を向ける。

 

「貴方が言えた義理ですかな?その隠し通路が何よりの証拠ですよ。やはり貴様らは身内贔屓の差別主義者だ、強欲なフェザーン人め……!!」

 

 そこまで言ってハンドブラスターにより出来た銃創の痛みに呻き声を上げつつ連行されていく社長。その背中を一瞥した自治領主は小さな溜息をついて力なくソファーに座り込む。

 

「……少佐、そう言えばまだ言っていない事があるんじゃないかな?少なくとも大佐が君と別行動する必要はないだろう?……少なくとも此方の班に同行しないのなら隠れ家で吉報を待つ選択肢もあっただろう?」

 

 場の空気を換える積もりか、はたまた純粋に疑問が浮かんだのか、使節団から来ていたアレクセイ・フォン・ゴールデンバウムが少佐に尋ねた。尤も、その表情から見て質問は何方かと言えば確認に近いように思われた。その口ぶりは既に大方の理由は理解しているようだった。

 

「確かにそうだ。それについては弁明はあるのかね?」

 

 場の重苦しい空気の払拭を狙ってか、ワレンコフも皇族軍人の質問に乗る。一方、質問を受けたバグダッシュ少佐は何とも言いにくそうな表情を浮かべる。それは言えない理由があるというよりも馬鹿馬鹿しさから説得力がないので答えるのを渋っているように見える。

 

「いえ、特に理由もなく……正直、私も居残るように進言はしたのですが……」

「が?」

 

 歯切れの悪い言い方にワレンコフは首を傾げる。バグダッシュ少佐は観念したように、可能な限り淡々と言葉を紡ぐ。

 

「いえ、大佐が仰るには『居残って隠れ家を危険に晒したり、少佐の班に付いていって成功率を下げるより、それが一番悪影響が少ないだろう』、との事だそうです」

 

 上官の言葉を自分で口にして呆れつつ、しかし一切の合理的理由もない癖に、その理由はどんな理屈よりも論理的なようにバグダッシュ少佐には思えたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ざわめきが聞こえた。それは上方に控えるカストロプ公爵家の私兵と使用人達の困惑と動揺によるものだった。

 

 ボンボンが『狩り』と称する馬鹿げた催しを行っている間は決して無かった事だ。公世子の発言も含めて考えると恐らくはこれまでも似たような行いを幾度も実施してきて、そして全てにおいて勝利してきたのだろう。彼らも主人の行いに賛同しなくてもまさか返り討ちに遭うとは考えていなかったらしい。

 

 まぁ、人質取って三対一の戦いだ。実際、公世子が舐めたような戦い方をせず、そして私の悪運がなければ勝負は彼らがいつも見ている通りになっていた筈だ。そう考えると今更ながらぞっとする。

 

 色々と皆が好き勝手に暴れたせいでズタボロに散らかる食堂ホールに暫しの間立ち尽くし、息を整え、精神を落ち着かせた私は宣言する。それは未だホール上方の吹き抜け廊下でライフルを構えるカストロプ家の私兵達に向けたものだった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ………撃つんじゃねぇぞ?別にこいつの首を狙いにここまで来た訳じゃねぇからな、お前達が下手な事しない限りは此方も下手な事はしねぇよ。……但し、鍵を貰うぞ?元々そのために付き合ったんだからな」

 

 そう宣言してから、ゆっくりと、私兵達を刺激せずにその場にをしゃがみ込んだ私は鼻の骨が折れ、鼻血を垂れ流しながら白目を剥いて倒れているボンボン貴族の懐に手を入れる。無論、いきなり起き上がって襲い掛かって来る事も想定して最大限、警戒は怠らない。

 

「どこだ……糞っ……頭が痛てぇな……これ……か……?」

 

 頭痛と額から流れる血が目に少し入る事で視界がふらつき、霞む中、どうにか私はそれを見つけ出す。遠目で見た純金製の鍵をマクシミリアンの懐から抜き取る。

 

「……一応、これも拝借しておくか」

 

 偶然視線の先に映った『それ』を安全と(言い訳の)土産物として折り畳み懐に入れる。そして若干ふらつく足取りで私は従士の元へと向かった。時限爆弾付きの首輪である、起爆する前にさっさと外さなければなるまい。

 

 手を縛られ、顔に若干殴られた傷を作っている従士が此方を唖然とした表情で見ていた。まぁ、普通の反応だわな。というか何で私は刺されて死にかけてるのに黙々と行動しているんだろう……慣れ?さいですか。

 

「うっ……」

「あぁ、動くな。酷いものだな、顔を殴る事なんて無いだろうに。跡が残ったらどうする積もりだよ、糞が」

 

 嫁入り前の娘なのに……そう半分冗談交じりに、しかし確かに不快感を滲ませて毒づく。何やら言いたげな視線を向ける従士に、私はしかしお喋りするよりも先に首輪を外す事を優先しなければならなかった。赤い液晶パネルのカウントダウンの数字は二分を切っていた。外してもカウントダウンが止まるかは分からない。サイズ的には精々人一人を殺せるかどうかの炸薬量しか無かろうが……捨てて避難する時間も考えればさっさと外してしまうべきだった。

 

「動くな、今すぐ外す」

 

 従士にそう言い聞かせてから長い金髪を纏め、顎を上げさせる。そうやって鍵を差し込みやすくしてからその鍵穴に拝借した鍵を差し込み……。

 

「まだゲームは終わらんよ、伯世子殿?」

「ちぃ……がっ……!?」

 

 背後から、耳元で囁くその粘り気のある声が何であるか私は即座に理解し、次の瞬間には左手で裏拳を放っていた。だがその一撃は手首を掴まれた事で阻止される。同時に左頬に鋭い衝撃を受けた。明らかに拳鍔を嵌めた拳による殴打によるものだった。衝撃で口の中は切れたが歯は折れなかったのは幸運だった。無論、それだけの事だが。

 

「ふふふ、油断したなティルピッツ?狩猟で最後の最後に油断するのはご法度だぞぅ……?」

 

 私の髪を掴み、後ろから引っ張り上げる鼻血を流したままニタニタ笑うマクシミリアン。テレジアが立ち上がって私に助勢しようとするのを懐から取り出した電磁警棒で殴りつける事で阻止する。こいつ、まだそんな物を持っていやがったのか……!

 

「てめぇも人の事言えねぇだろう……ぎゃあぁぁ!!?」

 

 売り言葉に買い言葉を言い放った途端全身の神経が焼けたと錯覚するような激痛が走り、私は獣のような悲鳴を上げる。電磁警棒が首の裏に触れた事による電流の痛みだ。ぐっ……散々人に使った経験があるがこんなに痛いのかよ……!!?

 

「安心するが良い。これの電流は低く設定してあるからな。ふふふ、失神した獲物を仕留める趣味はない。やはり止めは意識があるままやらんとな?」

「ぐぉ……だからてめぇ……悪趣味なんだよ………!!」

  

 身体を痙攣させて、憎悪に満ち満ちた視線をマクシミリアンに向ける。しかし当の公世子は、寧ろその反応に嬉々とした笑みを浮かべ、流れる鼻血を狩猟着の袖で拭く。

 

「ここまで手古摺ったのは初めてだよ。まさか鼻をへし折られるとは、後で手術せねばなるまい。……だが、だからこそこの狩猟には価値がある。ここまで苦労して仕留めた獲物だ、貴様の皮は剥製にして、骨は削ってパイプにして、それぞれ私のコレクションの一番のお気に入りに並べてやろう。くくく、泣いて喜ぶが良い……!!」

「もう喋るんじゃねぇ、このサイコパスが……!」

「なっ……があぁっ!?」

 

 次の瞬間、マクシミリアンの悲鳴が響く。私が先程鍵と一緒に拝借した剃刀を死角から取り出してマクシミリアンの左足太腿に突き刺したからだ。崩れ落ちるボンボン貴族。私はその隙を見逃さず、電磁警棒を奪い取り、相手の顔面にフルスイングを食らわせる。やったぜ、奥歯が二本飛んで行きやがった!

 

 これ以上この馬鹿と付き合う時間なぞない。電磁警棒を遠くに投げ捨てると身体を殆ど無理矢理動かす。床を探し回り黄金色に輝く鍵を見つけるとそれを拾い、電流で痺れる身体を這いずらせて従士の元に向かう。

 

「うっ……うぅ………」

 

 電磁警棒の一撃を食らい、床に蹲り呻きながら虚ろな視線を向ける部下。その様子だとかなりダメージを受けているようだった。金髪の間から見える首元のタイマーの秒読みは既に一分を切っていた。

 

「糞ったれが……!!」

 

 ぜいぜいと息切れしつつ私は従士の元に辿り着く。その震える視線が何を訴えているのかはタイマーの残り時間から考えて大体予想はついていたし、当然それを受け入れるのは論外だった。

 

「安心しろ、急げば……急げばまだ間に合う。はっ、この位の修羅場ならまだまだマシだぜ……!」

 

 少なくとも石器時代の勇者や糞熊相手に無理ゲーするのに比べたら可愛いものだ。え?比較対象可笑しい?私もそう思うよ。

 

 私は震える手で鍵を鍵穴に差し込もうとするが、やはり若干麻痺気味の手では中々鍵穴に差し込めない。

 

「糞っ……!落ち着け……落ち着け……!」

 

 自分自身にそう言い聞かせるが既にカウントダウンは三〇秒に差し掛かっていた。不味い、早く何とかしない……と……!?

 

「てめぇ、マジでしつこいんだよぅ!!噛ませは噛ませらしく退場しろよ……!」

 

 足に掴みかかるマクシミリアンにもう片方の足で蹴りを入れる。どかどか、と顔に足蹴りを受けるが当の御曹司様はギラギラと肉食獣を思わせる眼光を向け続け此方に一層向かって来た。そろそろ得体の知れない恐怖すら感じて来そうだった。

 

「ちぃ……!」

 

 もう時間がない。この気違いの対処は後回しだ。それよりも首輪を……。

 

「ぎゃっ……あっ……!?」

「ううううぅぅぅ………!!?」

 

 次の瞬間、突如として視界の半分が黒く塗り潰された。顔の左半分に激痛が走ると共に悍ましい感触が広がる。残る右側の視界では従士が目を見開き、恐怖に顔を歪ませていた。おいおい……こりゃあ……マジかよ……?

 

「ふふふ、どうだ……!?流石にこれは堪えただろう……!!?」

 

 奇声に近い叫び声をあげるマクシミリアン。ごにょごにょと、ぐちゃぐちゃと、左目の眼孔の中で特大の蚯蚓が這いずり回るような感触が広がる。あー、つまりこれはアレだな。目が潰れたか。

 

「ぐっ……やってくれる……!?」

「ははははっ!そんな女無視して私の首を狙えば良いものを!ティルピッツ!判断を誤ったなっ……!!」

 

 何やら叫ぶボンボンの声はもう反応するのも面倒になって来たので無視しておく。左目の中でごりごり動く指の感触がキモいが我慢するしかあるまい。うん、右腕斬り落とされた時に比べればマシだ。幸い、電磁警棒の一撃のお陰で痛覚は若干麻痺している。やはり私は悪運にだけは恵まれているらしかった。

 

「入った……!」

 

 漸く鍵穴に鍵が差し込まれる。すぐに回転させ首輪を外す。秒読みは既に一〇秒を切っていた。強引に私は首輪を掴み取るとそのまま自身の内股を通して後方に滑り込ませるように投げ込む。

 

「伏せろ……!」

 

 私は背後で色々と勝ち誇ったように喚き散らす馬鹿を無視して従士を抱きしめそのまま伏せる。上方からカストロプ家の私兵や使用人達の叫び声が響き渡る。それに反応してマクシミリアンが歪んだ笑みを浮かべながら背後を向いたのがちらりと見えた。もう遅いわ……!

 

 次の瞬間、クラッカーの弾けるような音と共に獣の叫び声のような悲鳴が食堂ホールに響き渡った。

 

 

 

 

 

 まぁ、あれだ。種明かしは簡単な事だ。明らかに私に夢中になっていたマクシミリアンは私が滑り込ませた首輪爆弾に寸前まで気付けなかった。爆弾は彼の背後で爆発し、その鉄片は、無防備な彼の背中を傷つけた。

 

 悪運が強い事に爆弾自体は小型のために死んではいないようだが……流石にこのズタボロの姿で尚襲って来たらホラーだな。

 

「ぐっ……痛てぇ、てめぇいつまで人の目玉に指捻じ込んでんだよ……!」

 

 起き上がる私は痺れる手でマクシミリアンの腕を掴み、若干荒々しく目玉に突っ込まれる指を引き抜く。次いでにボキッと指を折っておいた。小さな呻き声が聞こえるがどうでも良かった。それ位どうせすぐに治るだろうがっ!

 

「はぁ…はぁ……少し待ってろ。まずは手の方を……」

 

 唖然とした、それでいて恐怖に震える従士の、その手を縛る綱を外し、次いで悪趣味な猿轡も外す。同時に私に抱き着いた従士は私の顔に手をやり私の顔を、正確には多分左側を凝視していた。震える口元が何か言おうとするがそれは言語化される事は無かった。それだけ気が動転しているようだった。

 

「わ……わかさ……「ふふふ……ふはははっ!フハハハハハ!!」

 

 そして、漸く口を開いた従士の声を、狂ったような嗤い声が遮った。おい、マジお前邪魔なんだけど。

 

 胡乱気な私の視線にも関わらず、全身血塗れのままで床に倒れるマクシミリアンは唯々嘲るように嗤い続ける。心底楽しそうに、意地の悪そうに。

 

「ははははっ!くくくっ……!!ティルピッツ……私をここまで惨めにして囚われの姫を奪還した手腕は素晴らしいよ。げほっ……だが……だが私は非常に残念な事実を伝えねばならないようだなぁ?」

 

 ぜいぜいと死にそうな息切れをしながら、それでも心底楽し気に顔を歪ませる変態である。正直、私は恨みとか嫌悪とかそんなものすら忘れまだこんな大声で笑う元気がある事にドン引きしていた。おい、その怪我で良くそんだけ笑う元気あるな?

 

 一方、解放された従士は顔をさっと青くさせる。それはまるでこれから死刑を待つ囚人のようだった。

 

「貴様のお気に入りの雌の事なら調べたぞ……!?スタジアムで貴様を庇ったあれはゴトフリート家の小娘だろう?げほっ……くくく、眼球を犠牲にしてまで助け出した覚悟は騎士道物語らしく麗しいが……残念だったなぁ?それは貴様のお気に入りじゃあない!!それは……「ノルドグレーン家のテレジアだろうが。何年の付き合いだと思っているんだよ、人の目を節穴扱いするな。それ位知っているわ」

 

 声が五月蠅過ぎるのでとっとと黙らせるために先に私は言い切る事にした。マジで耳障りなんだよ、貴様は。

 

「………はっ?」

 

 死にかけの癖に腹立つ程の笑みを浮かべ続けていたマクシミリアンは遂に初めてその表情を強張らせ、凍らせ、唖然とする。それはまるでずっと楽しみにしていた大好物のおやつを目の前で取り上げられた子供のようだった。

 

「若様………?」

「全く悪趣味だよな?こんなコスプレみたいな古臭いドレスに同僚の化粧だものな。そりゃあ見慣れていない奴相手なら誤魔化せるだろうが……流石に何年も仕えている従士相手ならよっぽどの事がなければ間違えるかよ、なぁ?」

 

 小動物のように怯え、不安そうに此方を見やるテレジアを安心させるように苦笑を浮かべる。

 

「そ……そうです…か。私は……それ程ゴトフリート少佐とは違うのですか」

 

 暫く沈黙し、歓喜と、絶望のない交ぜになったような震える口調で、テレジアは漸くと言った風に言葉を紡ぎだした。

 

「そうだな、テレジアはベアトとは違う。性格も物腰も特技もな、ベアトとは別に色々助けられているよ」

「っ……!!」

 

 従士の恐れている事に予想はついていたので私はその差異を認める、認めた上で感謝した。

 

 テレジアとベアトはそりゃあ似ているが近くで長年一緒にいれば幾らでもその差異が、その個性の違いが目に映る。技能は当然として、テレジアはベアトよりも髪はウェーブがかっており色素は薄い。その紅玉色の瞳はより大きく開いている。物腰は柔らかく、表情が豊かだ。化粧していようが幾らでも区別をつけるポイントは口に出来る。間違える訳がない。

 

 そしてその差異は別に不快なものではない。テレジアはベアトのスペアではないのだ。寧ろベアトが二人いても困る。確かに長所ばかりではないだろうが、それでも二人ともそれぞれ強みと個性があり、だからこそ私は二人を傍に置いている。それが厳然たる事実だ。私も物好きではない、自分が生き残る上で役立たずの無能を控えさせる余裕なんてない。ましてその忠誠心はとっくの昔に知っている。

 

 だからこそ私は命がけでこの馬鹿げたショーに付き合ったのだ。主催者は狂っているし、舞台の趣味も最悪だが……それでも目の前の従士の命と引き換えとしてならば喜んでこの下らない演目にも付き合うし、替えの利く目玉の一つ位なら捨てる覚悟がある、というか実際捨てた。前述したが四肢を一つ失うのに比べれば安い犠牲だった。

 

「若様……わ、私は……私は………」

 

 そこまで口にするが、そこから先は言葉にならなかった。これまでの恐怖や様々な感情が爆発したのか瞳を潤ませ、啜り泣き始める。

 

「テレジア……」

 

 私は一瞬戸惑うが、すぐに啜り泣く目の前の従士の、その頭を撫でて彼女か泣き止むまで慰める。無論、周囲の警戒は怠らないがね。

 

 一方、タッタッタッ!!と慌ただしけな複数の足音が室内に響き渡る。幾らかの使用人達が必死の形相で螺旋階段を降り立ち瀕死のマクシミリアンの下に駆け寄る。恐らくは応急処置をしようと言うのだろう。流石に勝敗が決まった後の主君をそのまま見殺しにする訳にはいかないらしい。

 

 「馬鹿な……こんな……こんな事……ゲボッ……これでは…これでは私は完全に敗北したと言うのか?この私が……カストロプ公爵家の嫡男たる私が……?有り得ん……そんな事有り得ん……そんな事……!」

 

 使用人達に治療と介抱をされながら、そんな事一ミリも関知せず唯々吐血しながら絶望にうちひしがれ、喚き散らすマクシミリアン。いや、こんな状態の時点でどう考えてもお前の負けだろうが。そもそもてめぇの勝利条件って何なんだよ?私が元から人質の正体に気付いていた事位でそこまでショック受けてるんじゃねぇよ。

 

「ひくっ……ひく……あぁ……何て事……若様……も、申し訳御座いません。私が情けないせいで……こんな……目が…………っ!!」

 

 未だ涙目に嗚咽を漏らしながらも、すぐにテレジアは精神を落ち着かせ立ち直り、同時に再度絶望したように顔を曇らせる。私の顔を見て、死人みたいな表情となる従士に、しかし言いたい事は既に分かっているので先に答える。

 

「何、人格は兎も角家は腐っても公爵位だ。そこの嫡男相手にしたんだ、片目位安いものだと思わないか?……それよりもお前は大丈夫か?」

「私の怪我は大したものではありません。それよりも血を……!!」

 

 高級なドレスの裾を躊躇なく破いてそれをハンカチ代わりに私の頭と左目から流れる血を拭き、次いで左目を覆う眼帯のように頭に巻く。蜂蜜色に染色された絹地はしかし、じんわりと左の眼球のある場所から深紅色に染みが生まれ、広がっていく。その様を見て、従士は再度沈痛な表情を浮かべ、顔を青くする。

 

「若様……あぁ、何て事に……」

「あー、気にするな。目玉位なら今時どうにでもなるだろ?」

 

 培養して作った目玉を移植するなり、義眼嵌め込むなりやりようは幾らでもある。流石宇宙暦8世紀である。脳さえ無事ならば大体どうにかなる。寧ろ足蹴りで頭蓋骨に罅入ってそうだけど中身大丈夫かな………。

 

「……さて、ではショーの幕引きなのでそろそろ決算と後始末をしたい訳だが……執事、其方の代表は其方で宜しいかな?」

 

 テレジアを守るように抱き寄せつつ、私は背後に控えるカストロプ公爵家の執事を見据え、尋ねる。確か上方でマクシミリアンの最も近くで控えていた老執事だ。恐らくは名門従士家出身のマクシミリアンの付き人なのだろう。いや、あのボンボンの性格から見て目付け役と言った方が正解に近いかも知れない。

 

「ぐおおおぉぉぉぉ!!!ラアァァデエェェン!!勝手に出しゃばるのではないぞおおぉぉ!!?私は!私はまだ負けていないぃ!!このマクシミリアン・フォン・カストロプが!選ばれし真の天才である私がっ!!負ける筈がないだろう……!!」

 

 私が幕引きを願うのとは反対に、マクシミリアンは口から吐血しつつ、目玉が飛び出さんばかりに眼を見開いて、鼻や全身からダラダラと赤黒い血を垂れ流しながらも介護しようとする使用人達を振り払い、立ち上がる。その顔は怒りと屈辱に満ち満ちており、般若の如き形相であった。

 

 対して、ラーデンと呼ばれた老執事は粛々と、淡々とした様子で短く事実の報告をする。

 

「いえ、主君よ。私の如き下賤の身が高貴なる方々の話し合いに口を挟む資格なぞ御座いません。私は唯お知らせに参っただけで御座います。交渉人ご到着の由、お知らせ申し上げます」

 

 老執事が言い切ると共にその音が室内に響いた。遠くから、次第に近付くそれは機械音だった。その場にいた我々は全員命じられた訳でもなくそちらに視線を向ける。

 

 それはドローンだった。首のない馬か牛を思わせる四足歩行型ドローン。首の断面に当たる部分にはカメラが嵌め込まれ、その柔軟で強靭な足部は機械と人工筋肉で形成されどのような険しい地形でも問題なく走破出来る。恐らくは山岳部等での部隊随行用物資運搬に使われているのだろう。

 

 てくてくとどこか生物染みた足取りでドローンは我々の目の前に来た。カメラがキュィィィンと動いて我々を暫し見つめる。

 

「……何なんだ?」

 

 私はそのドローンが意図する事を計りかね、自覚なくそう呟いていた。

 

 そのすぐ後の事だった。ドローンは私達の目の前で姿勢を横向きに変え、座りこみ、次いでその背部からスクリーンが現れる。とうやら本来物資を詰め込む格納庫部分を丸ごと換装して液晶ディスプレイを容れているようだった。

 

 電源がついて液晶ディスプレイが明るくなり、映像が映し出される。ほぼ同時に私は、いや傍らのテレジアも、カストロプ公爵家の私兵や使用人達すらも目を見開き、絶句していた。

 

 ディスプレイに姿を見せる人物は大柄だった。脂肪の塊のように膨らみ弛んだ顔つき、口と顎に生えるのは白い髭であり、白髪交じりの髪はうっすらと禿げている。

 

 醜悪……だが、そんなことはどうでも良かった。

 

 その眼はどんよりと濁っていた。蛇のように絡みつき、それでいて昆虫のように無機質気味で、それでいて全てを剥ぎ取り、見透かし、嘲笑うような瞳……それに比べればその堕落した外見なぞ取るに足らない。本当に見かけ通りの人物であればそんな瞳なぞ持っていない。

 

「はは、漸く真打の登場って訳だな……」

 

 私は苦笑いを浮かべる。それはこれから来るであろう困難から逃避するための行動だった。

 

 頬杖をして、鑑賞するような態度でカストロプ公オイゲンは映像の向こう側から我々を見つめていた………。

 




近年のAIの発展は素晴らしく、今ではどうやらAIでキャラクターデザインも可能らしいです。作者もちょっとした御遊びでAIで本作キャラのイラストを制作して見ました。

軽いノリで作ったのと、結構ラノベ風のデザインなのとで銀英伝の作風とは合わないかもです。「糞作者の妄想デザインなんかで俺の脳内イメージが壊れるか!ぶっ殺してやらぁ!」という気概の方だけ、どうぞ以下のイラストをご覧下さい。

AI作成の限界でノイズや変な所もあるのでご注意を



【挿絵表示】

ベアトリクスです。少し幼い頃かも?



【挿絵表示】

ノルドグレーンさんです。これも作ってからきゃぴきゃぴしてるように思えたので多分十代の頃です。



【挿絵表示】

天使な妹様です。尚、ルートを間違えると将来紫色のマスクを装備して主人公のド頭ぶち抜きます。


【挿絵表示】

変態さんです。身体の部分の衣装がAIのせいで何か変態チックにも見えるかもですが良く考えれば元より変態なので問題ない事に後から気付きました。


【挿絵表示】


【挿絵表示】

家主様です。何故か二枚作りました。


以上です、これらのイラストを皆様が気に入られたのであれば幸いです。


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第百六十三話 親の愛情の形は人それぞれ(キャライメージ画像有り)

「それでは包帯を外します。一瞬視界が不鮮明になるかも知れませんが安心して下さい。接続している視神経が信号に慣れていないだけの事です。すぐに鮮明になるでしょう」

 

 眼科医局長はそう説明してから私の左目を覆っていた包帯をほどいていく。

 

「っ……確かにこれは直ぐには慣れないな」

 

 左目の瞼を開いた私は室内の光に目を細める。光コンピュータの内蔵された義眼が光量を調節していき、左目の視界は次第に鮮明に移り変わっていく。

 

「視界が見えるのなら神経は接続されています。義眼が動くか動作を確認して下さい」

 

 眼科医の言葉に従い生身の眼球を動かすのと全く同じように私は義眼を動かしていく。その動きは滑らかでほぼタイムラグはない。流石フェザーンの最高級ブランドである。

 

 最高級ブランドと言っても、この手の義眼は消耗品であるのが前提だ。そのために寿命が長くなく何度も買い換えないといけないのが玉に瑕であるがその辺りは妥協するしかあるまい。本来ならば培養した生の眼球を移植したくはあるが……それはどこぞの獅子帝の脅威が消えた後で良かろう。移植手術自体は後からでも可能だし、どうせ義眼の交換も全て他人の財布持ちである。私の財布は一切痛まないので何の問題もない。

 

「神経接続は良好です。後遺症や身体の拒絶反応も無さそうですね。この分でしたら今年中に退院は可能でしょう」

 

 私の左目の様子を確認し、教授は断言する。

 

 所謂大学病院というものは街の自営開業医と違い、直接的な医療行為よりも、寧ろ最新の設備や理論に基づいた医学教育・臨床・研究を行う側面が強い。そしてフェザーンに数ある病院でも最も先進的な医療設備と潤沢な人材を擁するのがフェザーン医科大学付属病院である。

 

 宇宙暦8世紀において銀河で最も栄える惑星の最高峰の医療施設である。その設備と体制は銀河一であるし、実際銀河中から富裕層や難病患者が集まるためその医療ノウハウもまた充実している。更に言えば私の入院については非公式ながら銀河帝国亡命政府と自由惑星同盟政府、フェザーン自治領主府、そして銀河帝国からすら細心の注意を払って専念するように口添えされていた。既に耳の再生治療や切り傷の縫い合わせ等は名医達によって丁寧に行われて、最早その跡すら分からない。

 

 当然、今目の前で私を診断している人物もまた唯の眼科医ではない。フェザーン医科大学付属病院眼科医局の教授であり、そのトップの医局長である。第六世代型光コンピュータ義眼の開発や急性虹彩異常症候群の治療手術方法の提案、変異性角膜萎縮症の原因究明等で知られるその道では五本の指に入る高名な医者だ。その発言を訳もなく疑う理由はないし、更に言えば私のような『よくいる患者』の診断をさせるよりも医療研究に従事させる方が余程人類社会の発展のためになるまである。

 

「そうですか。それは幸いです。……流石にいつまでも病院に缶詰にされるのは退屈ですからね」

 

 ははは、と私は社交辞令染みた笑みを浮かべる。私がこの病院に入院してから今日で既に三週間が経とうとしていた。

 

(尤も、入院してなかったらそれはそれで憂鬱な仕事をこなす事になるんだろうけどね……)

 

 窓から見える暖かそうな秋口のフェザーンの青空に視線を移し、私は三週間前の夜に交わされた糞みたいな交渉を思い返すのだった……。

 

 

 

 

 

 

『やっほー!ティルピッツ家のヴォルター君、見えてる~?』

 

 液晶ディスプレイの中から野太い、何処か頭の悪そうな声で手を振るのは銀河帝国においても五本の指に入る名門貴族カストロプ公爵家の当主オイゲン・フォン・カストロプその人であった。手を振るごとに皮下脂肪で満たされた顎や頬がプルプルと震える。その不摂生を連想させる肥満体は到底頑健で健康な肉体を賛美する帝国の有力者とは思えない。

 

「……これはこれはお初にお目にかかりますカストロプ公、ティルピッツ伯爵家の長子ヴォルターで御座います。このような品のない出で立ちで御会いする事、見苦しかろうと存じますがどうぞご容赦を」

 

 私は一瞬帝国の大貴族にそぐわな過ぎる出で立ちのカストロプ公に唖然とし、しかし電磁警棒の一撃で未だ痙攣する筋肉を無理矢理動かして立ち上がり、怪我を感じさせないように宮廷作法に基づいて頭を下げる。端から見れば馬鹿馬鹿しくもあるが相手が相手だ、ここで見くびられる訳にはいかなかった。

 

『ふむふむ、挨拶は大事だからのっ!結構結構、あっ!少し待ちなさい』

 

 そう言うとカストロプ公は画面から見えない所に控えていた女中にジュースを飲ませるように命令する。恭しく差し出されるグラスのストローを咥え、下品な音と共に公爵はジュースを飲んでいく。ゴクゴク、とディスプレイから音が響く。

 

『ぷはぁ、やっぱりフルーツジュースはマーシャルの果物を使うに限るのぅ。あそこはシャンプールのように暑くての、お蔭で果物が甘いわ甘いわ。それにエキゾチックな南国風の美女が沢山いての、ぐふふ……!!』

 

 口元から飲みこぼしのジュースが零れる事を気にする事なく下品な笑顔でどうでも良い事を捲し立てる公爵。周囲の使用人達が淡々と零れたジュースを拭き取っていくがそんな事気にも止めずに話し続ける。

 

『まぁ、儂の南国の島でのプレイボーイ振りを語るはまたの機会として……ふむふむ、これはまた随分と手酷くやられたみたいだな可愛い可愛い息子よ。その姿、まるで巣から追い出された溝鼠のように惨めじゃあないかな?』

 

 血塗れでズタボロな息子に、心配すると言うよりも嘲笑するような口振りでカストロプ公爵は声をかける。実際その表情は満面の笑みを浮かべていた。それは明らかに血の繋がった息子に向ける類いのものではなかった。

 

「グゾオヤジイィィィィイッ!!!フザケるなよぉぉぉ!!?デメェェェェ人の楽しみに勝手に首を突っ込む積もりかあぁぁぁぁッ!!!?」

 

 最早獣の咆哮に近い声でマクシミリアンは叫ぶ。その鋭い怒りに満ち満ちた眼はこれまでで一番殺気立っていた。彼の態度もまた、実の父親に向けるべきものとは思えない。

 

 尤も、ディスプレイ越しとは言え、カストロプ公は息子の怒声に鈍感そうな態度をとる。マクシミリアンの怒りを見ても興味無さそうに視線を此方に移して鼻をほじる。

 

『さてさて、ヴォルター君。儂はのぅ、今とってもとっても傷ついておるのだよ。見ての通り可愛い息子がこんな哀れで無残な敗北者の姿を晒しておるのだ。実の父親として、そんな痛々しい姿を見ると心が痛んで仕方ない。分かってくれるかな?』

「私も父は兎も角、母が今の私の姿を見れば卒倒するでしょうね。御気持ちは分かりますよ。……ですがその事で私を追及する積もりならばそれはお門違いというものです。御誘いをかけに来たのは息子さんなんですから。その辺りの事はどうせご存じでしょう?」

 

 私は公爵に尋ねる。このタイミングで態態ドローンで中継して顔を見せたのだ。ここに至るまでの推移をこの公爵は間違いなく把握している事だろう。映像を見るに公爵自身は領地にいる、そしてこんな通信をオープン回線でやる筈もないので秘匿通信でしている筈だ。そして私的な秘匿通信を使うのならば事前に中継地を準備する必要もある。昨日今日で出来る事ではない。

 

 つまり、この男は息子のふざけたお遊びを最初から最後まで把握していたと考えるのが妥当な考えだ。

 

『うーむ、そう言われてしまったら儂としては反論出来なくなるのぅ。じゃが、一つ忘れとらんかね?』

 

 顎を擦り、心底困ったといった表情を浮かべる肥満体はしかし次の瞬間には何の気無しに手を挙げる。そして続けた。

 

『君達の生殺与奪は儂の掌にあるのじゃぞ?』

 

 カチャカチャ、と銃器を構える音が室内に響き渡る。上を見ればそこにはマクシミリアンが連れて来ていたカストロプ公爵家の私兵達が銃口を此方へと向けていた。

 

「若様……!!」

 

 私を庇うように立ち上がるテレジア。しかし、私は彼女の肩を掴みどかす。そして肩をすくめて問い掛ける。

 

「随分と品のない挑発ですね。名門カストロプ公爵家の当主らしくありませんよ?」

 

 私の嫌みっぽい言い様に、公爵は笑みを崩さずに言い返す。

 

『ふむ、ヴォルター君。君はこれが挑発に見えるのかね?』

「えぇ、それも安い挑発です。あるいは脅迫ですかね?どちらにしろ、余裕がない様子な事で」

 

 敢えて嘲るように私は言い捨てる。公爵がこの場で私達を殺す積もりならとっくの昔に死んでいるだろう。少なくとも態態顔を見せて無駄口を叩く必要はない。そして公爵は放蕩者な息子に比べれば遥かに合理主義者で知られている。ともなれば先程の発言の真意は威嚇であり、本音では私達と交渉を望んでいると考えられる。……多分ね。

 

(その実、息子と同じで面倒臭い奴だったらかなり困るが………)

 

 子が子であれば親も大概であっても可笑しくない。内心ではドキマギしっぱなしであるが……幸いな事に、今回はどうにか予想が当たったようだ。

 

『……ふむ。まぁ、そこそこ交渉する事が出来る頭はあるらしいな?伯世子殿?』

 

 そう語ると共に、ディスプレイ上に映るカストロプ公の纏う空気は明らかに変わった。どこか間抜けな表情は口が裂けそうな程釣り上げられた笑みに変わり、脂肪で重そうな瞼で半開きのその瞳を一層細く、しかし鋭くする。その口調もまた馬鹿貴族から明らかに知性を感じさせるものに変わっていた。

 

(演技って訳ね……)

 

 恐らくは肥満体なのも、馬鹿っぽく振る舞うのも周囲を油断させる演技なのだろう。あるいはリトマス紙か。

 

 どこまで効果があるかは兎も角、自身の道化ぶりを見せつけ、それに相手がどのような態度を示すかで相手の力量を測り、どのような交渉をするべき相手なのか探っているのだろう。あるいは油断を誘う事も狙いかも知れない。

 

『……実の所、今回の騒動は私も心苦しく思っていてね。全く、強欲なフェザーン人共の口車に乗って息子が迷惑をかけた。まずはそれを謝罪しよう』

 

 そういって、完全に形式的な謝意を口にする公爵。背後ではその息子が怒り狂ったように何やら叫ぼうとしているが使用人達によって迅速に押さえつけられてその行動は阻止されていた。

 

「謝罪の言葉は受け取りましょう。……ですが、まさか口でだけ謝れば許されるとお考えではないでしょう?此方は色々と損害を被っておりましてね。名門カストロプ家の家名に相応しい誠意を見せて頂きたいと考えております。何を以て証明して頂けますでしょうか?」

 

 当然ながら、今の謝罪だけでこの騒動が収拾される訳ではない。どこで手打ちにするか、生じた損害を誰が受け持つのか、責任問題は誰に押し付けるのか、課題は幾つもある。

 

『当然、儂もそんな高慢ではないよ。これでも儂は取引では『誠実』な性格だと自認しているのだがね?君に、いや君達が喉から手が出る程欲しがるだろう手土産を用意させて貰っているよ』

 

 公爵はニタニタと、これから取って食う獲物を吟味する肉食獣染みた笑みを浮かべていた。一目見るだけでその加虐性が分かるような表情だ。そして、そんな表情で公爵はその提案を口にした。

 

『儂は同盟政府の三〇年満期長期戦時国債一〇〇〇億ディナールを、無利子で負担する準備が出来ている』

 

 当たり前といった風に、あるいは大した事ではないかのように抑揚もなくそう答えるカストロプ公。しかし、その発言の中身は自由惑星同盟政府や銀河帝国亡命政府にとって、余りにも甘過ぎる誘惑だった。

 

「……成る程」

 

 暫しの沈黙の後、私はカストロプ公の狙いを理解した。どうやら公爵はこのままやっても逃げ切るのは難しいと判断したらしい。そして出血を最小限にするために、逆に手打ち話を提案してきたという訳だ。

 

(流石カストロプ家、見切りと思い切りが上手いなっ……!)

 

 それが足下を見られた提案だと、法の正義から余りに逸脱した事だと理解していても、それでも尚、公爵の提案は余りに魅力的過ぎた。長期貸付国債一〇〇〇億ディナール分を無利子でかつ、即決で引き受ける事が出来るような存在なぞ銀河に五人もいない。余りにも条件が良すぎてこの場で直ぐに取引に応じてしまいたくなる。

 

「我々がそんな確証もない言葉に靡くとでも?」

『靡かせようなどと、心外な言葉だねぇ。儂は本当に心からの謝罪のために提案しているのだがね?……無論、儂とて大金をそう簡単に動かせる訳ではない。変な妨害が入ればそれも簡単にはいかなくなるだろうなぁ?』

 

 カストロプ公をこのまま三国の反カストロプ陣営で追い詰める事は不可能ではあるまい。不可能ではないが……容赦なく摘発しようものならば、死なば諸共とばかりに彼らが暴発しかねない。この時期にそんな事が起きて見ろ、借款交渉を進めるのは困難になるだろう。

 

 いや、既にスペンサーが仕出かした事でフェザーンの親同盟派はガタガタだ。当然スペンサー以外にもカストロプ公に繋がっている者はいるだろうし、そもそも親同盟派のナンバーツーが消えてしまったのだ。まともにやり合って借款がスムーズに進むと考えるのは楽観的過ぎる。

 

 そうなればカストロプ公の提案は渡りに船だ。今現在最も迅速に同盟軍の出兵予算を支払えるのはカストロプ公位のものだ。そして同盟とフェザーンでカストロプ家の密貿易ネットワークを摘発してみろ、火の粉は帝国にも波及する。カストロプ家がその火の粉をどのように払うのかは兎も角、その資産の少なからずは帝国政府のものとなるだろう。政治的にもかなり追い詰められよう。

 

 そうなればもう一ディナール分すらカストロプ家は同盟国債の購入は難しくなる。同盟政府と亡命政府が借款を成功させるためにはカストロプ家と妥協し、その莫大な資産で同盟国債を購入してもらうのが確実なのだ。

 

『無論、それだけではない。今回の騒動による損失……死傷者とその遺族への補償に市街での破壊されたインフラの被害、自治領主府ビルの修繕費、そして……勿論君のその左目の補償金も支払おう』

「その代わりに摘発を止めろ、という訳ですか」

『時間が欲しいだけだよ。儂も無実の罪を被せられる等不名誉な事は御免でね。無罪潔白の証明は容易いんだが、手間だけはどうしてもな』

 

 白々しく肩を竦める肥満公爵。今の言葉を意訳すれば「証拠を揉み消す時間を寄越せ」という所だろうか。カストロプ家の無罪潔白を訴える発言程に嘘臭い言葉もそうそうお目にかかれまい。

 

「公爵の仰る取引内容については把握致しました。……ですが、敢えて聞きたい。公爵ならばこの自治領主府ビルに自治領主なり、亡命政府の使節なりが滞在している事は御存じの筈。何故、態々私に御声を?」

 

 公爵程の人物である、同盟・亡命政府・フェザーン自治領の各有力者がどこにいるか把握しているであろうし、私があくまでも使節団の護衛兼随行員に過ぎない事も分かっている筈だ。私にはここまで重要な提案に対する決定権なぞない。私に提案するのは無駄とは言わずとも優先順位は本来高くない筈だ。

 

 それ故、私は公爵が何の目論見があってこのような場で私なんぞにこんな重大な提案をしているのか、その真意を測りかねていた。

 

(一体何故……?)

 

 怪訝な表情を浮かべる私に、カストロプ公爵はその答えを口にする。

 

『ぐふふ、分からぬかね?そう難しく考える事もあるまい。これはな、つまりは獲物にブランドの付加価値を与えているに過ぎんのさ』

 

 カストロプ公爵は私の彼に向ける表情から疑問の内容を予想し、答えを口にした。こいつ、何意味不明な事言っているんだ?

 

 私の内心を見透かすように、公爵は頬杖をついて説明していく。

 

『いやいや、別に可笑しな趣向で称賛している訳ではないよ。確かに先程口にしたように血の繋がる息子がここまで惨めに敗れるのは想定外ではあるし、一族の恥ではある』

 

 だが、と公爵は注目するようにそう呟き、言葉を続けて口にする。

 

『だが、だからこそ意味がある。中々に問題児ではあるが息子はそこらの有象無象の貴族共とは格が違う、天才と言っても良い程さ』

 

 元々、門閥貴族はコスト度外視の教育環境のお蔭で性格は兎も角、平均的な能力は大半の平民とは隔絶している存在だ。カストロプ公が言うにはマクシミリアンは、そんな貴族達の中でも群を抜いて優秀なのだと称賛する。

 

「息子自慢ですか?何故今そのような説明を?」

『息子自慢?ふむ、当たらずといえども遠からずだな。でだ、そんな素晴らしい息子だが、だからこそマクシミリアンは中々に困った奴でな。何事にも本気にならんし、すぐに飽きっぽくてな。儂も中々苦労しておるのよ。それを……』

 

 そこでカストロプ公はこれまでで一番の笑みを浮かべた。それは明らかに人を虐め、いたぶる際に浮かべる類いの、ものだった。

 

『君は息子相手にここまで立ち回って、まして溝鼠の如く惨めな姿に変えて見せた。素晴らしい、実に素晴らしい。見てみたまえ、息子のあの憎悪に満ちた顔を。復讐に燃える顔を。折角息子が全力で潰したいと思える強敵が現れたのだ。父親としては息子の成長のために敵を一層成長させたくなるじゃないか?』

 

 パパ頑張っちゃうぞ?等とほざく公爵様である。あー、つまりこれはあれか。

 

「私は発破材かよっ!?」

 

 恐らくは、カストロプ公爵は息子を奮起させるため(そしてそれ以上に息子と私への嫌がらせのために)今の提案をしたのだった。確かに私には提案の決定権はない。だが、カストロプ公が私を通じて提案する事で私に態と功績をやって、息子が私を追い落とすために向上心を高める事を期待しているようだった。

 

 あるいは、息子が敗れた事に対して私を持ち上げる事で被害軽減を図る側面もあるのかも知れないが……どちらにしろ、カストロプ公は私を平然と貴族社会の火中に放り投げてくれた訳だ。というかマクシミリアン君まだ私を狙う積もりなの?マジ洒落にならないんだけど?もう二度と会うのもご免なんだけど?

 

『くくくっ!あの野蛮人から逃げ切って、あまつさえ我が息子をこれ程までにぼろぼろにしてくれたのだ。君を仕止めて武威を示そうと血気盛んな青年貴族達からモテモテであろうな』

「ファックだっ!門閥貴族なんて皆糞ファックだ!!」

 

 恐らくは息子が敗れた事をこの糞デブはこっそりと、そしてガンガンと宮廷で噂してくれるだろう。あの獅子帝相手にすら狩りの獲物としてその首を狙おうとしていた青年貴族達の事である。私の首にどれだけの価値を見出だしてくれる事か……おい、笑えないんだけど?

 

「んんんんんんっ!!!!」

 

 口を塞がれたマクシミリアンが目を飛び出さんばかりに見開き、怒り狂ったように顔を赤くさせる。残念ながら叫び声こそ使用人達に口を塞がれて言語化されなかったが大方の内容は予想出来た。自分の獲物を横取りさせるような真似をする父親にマジギレしているのだろう。おい、それキレる所違くね?

 

 正直、だからお前その怪我で元気あり過ぎない?と思いつつ、私は視線をディスプレイ上の公爵に戻す。

 

「成る程ね。流石は何でもかんでも再利用する守銭奴のカストロプ公だ、相手に与える功績すら嫌がらせに使うなんて感心するよ」

 

 一ミリも尊敬しないけど。

 

『くくっ、ヴォルター君程の人物からの称賛だ、有り難く受け取っておこうかの。さて、では……』

 

 慇懃無礼に私に礼を述べるカストロプ公は、次の瞬間視線を遠くに向ける。それは私の背後、そして恐らくは騒ぎ立てるマクシミリアンよりも更に遠くを見てのものだった。

 

 私は背後を振り向く。私がこの部屋に入る際に開いた奥の扉から二つの人影がうっすらと現れ、次いでその影はすぐにその細部まで照らし出される。その顔立ちを私は良く知っていた。

 

『さて、では折角ヴォルター君のお蔭で最低条件は整ったのだ。そろそろ交渉も本番と行こうかね?大公殿、自治領主殿?』

 

 カストロプ公は、護衛を付けた状態でこの食堂階にまで降りて来たアレクセイとワレンコフ自治領主に対して、展開を予想していたようにそう嘯いた。

 

 そして、私は理解した。ここまでの会話すら、恐らくは全てカストロプ公の予想範囲のもので、恐らくは彼らが降りて来るまでのお遊びに過ぎなかったのだろうという事を……。

 

 

 

 

 

 

「とまぁ結局、そのまま一番大切な部分は周囲に任せてしまった訳だがね?」

 

 清潔かつ広いフェザーン医科大学付属病院の入院室に戻った私は大きなベッドの上ではぁ、と溜め息をつく。傍のテーブルには様々な所から来た見舞い品が山を形成していた。

 

 回想終わり!である。残念ながらそこから先はアレクセイにワレンコフ、更に後には高等弁務官事務所にいたトリューニヒト国防委員やオリベイラ教授達、専門家の出番であり私に出る幕は無かったのだ。まぁ、どの道あの時点で私も怪我が怪我なので治療に専念しなければならなかったのも事実ではあるが。

 

「たく、やってらんねぇな。えぇ?」

 

 特に理由もなく、私は見舞品が重なるように置かれたテーブルの上にあった『それ』に手を伸ばし、手の中に納めればその刃を開く。銀色に輝く西洋剃刀の刃は鮮やかな光沢が照明の光を反射し、その取っ手にはとぐろを巻く黒竜の姿が刻まれ、その瞳に当たる部分には紅玉が嵌め込まれていた。それは五〇〇年の歴史を持つカストロプ公爵家の紋章である。

 

 私個人としては左目を失った言い訳を考える必要があった。流石に実家の手は直ぐにここまでは届かない、その間にアレクセイも巻き込んで可能な限り母や祖母を宥める事の出来るアリバイが欲しかった。そのアリバイの一つにして、交渉とそれによる手打ちの結果、私が獲得した賠償の一つがこの西洋剃刀である。

 

 ……私が左目を失ったのは公式には悪趣味なゲームではなく、マクシミリアンとの私的な決闘によるものである事になった。遠くで未だ真実を知らぬ母達を納得させ、ベアトやテレジアに可能な限り怒りの矛先が向かないようにするには残念ながらこの言い訳がベストだった。

 

 即ち、公式には私はフェザーンにて言い争いとなった名門カストロプ公爵家の嫡男にいちゃもんをつけられた上に決闘を申し込まれ、銃と剣で戦い左目と引き換えにこれに勝利した事になっている訳だ。

 なお、同盟政府の記録を見れば私は使節団に随行しながら私的な理由でトラブルを起こして重傷を負った大馬鹿者という事になる。最高だね。

 

 同盟的価値観で言えば呆れて声も出ないような大馬鹿者であるが、笑える事に帝国視点ではこの印象が百八十度変わって英雄扱いだ。決闘自体は私戦権を失って以来続く貴族の誇りを守るための特権であり、決闘を申し込まれたらそれを断るなぞ恥である。 

 

 しかも、相手は名門カストロプ公爵家、更には嫡男本人だ。帝国では代理人を立てる事も少なくなくなっているが、カストロプ公爵家程の名門の嫡男本人が戦うとなれば礼儀として此方も本人が出るのが道理、勝利の結果としてカストロプ家から賠償金とこの家紋入り西洋剃刀等、幾つかの戦利品を得た事になっている。伯爵家からすればこれは素晴らしい功績だ。

 

 ……こう言ってはなんだが正直、相手がカストロプ公爵家だったのはある意味幸いではあった。これがどこぞの子爵家や男爵家相手の怪我なら問題だが、流石に公爵家ともなれば話が違う。

 

 同じ権門四七家に名を連ね、しかも爵位の面では格上の家の嫡男相手の決闘で勝ったのだ。伯爵家にとってはこれは名誉ある事であるし、相手の家の家紋が刻まれた武器や道具を手に入れたのは子孫に対して誇るべき偉業である。

 

 それ故に私の怪我に実家があからさまに騒ぎ立てる事はなかった。この前ソリビジョン越しに実家と連絡を取った時も祖母は呆れ返り、立ち眩みを覚える表情を浮かべてはいたが、遂に叱る事は出来なかった。まぁ、あの祖母の場合は最悪私が四肢を失い芋虫状態になろうが生殖器さえ無事ならば納得しそうな人ではあるが……。

 

 序でに言えば母も私を怒鳴りつけて叱る事は出来なかった。私の怪我を見た瞬間にショックで気絶したけど。うん、ご免なさい。

 

 ……正直、母に気苦労ばかりかけている私は結構ド畜生な気がしない訳ではないが……この際は仕方ない、不可抗力だ。実際、私の怪我はマクシミリアンのせいだし、その放蕩息子様が馬鹿やってくれたお蔭で同盟政府や亡命政府が政治的に非常に助かったのは事実なのだ。リターンの事を考えれば私の替えの利く目玉位は我慢するべきなのは明らかだった。

 

 ……まぁ、特に私個人としても、此度の騒動で偶然ながら幾つかのコネクションを得る事が出来たし、また普段は分かりにくい帝国宮中における秘密を幾らか知る事が出来たのは非常に大きな成果だった。そう、ゴールデンバウム王朝における特大のスキャンダルとかね?

 

「……吃音症、ね」

 

 私は窓の景色をぼんやりと見ながら小さく呟いた。それが私が直接カストロプ公より教えられた現オーディン=ゴールデンバウム一族に受け継がれる、そして恐らくは原作においてはヘルクスハイマー伯爵が知った『遺伝的欠陥』の正体であった。

 

 吃音症、発声中に円滑な会話やスムーズな発声が出来ない……例えば発語時に言葉が連続して発声してしまう、あるいは発声できずに無音状態が続く、語頭を伸ばして発音してしまう等の症状で代表される病気である。歴史的に見た場合、フランス=ブルボン王朝のテュレンヌ大元帥、第二次世界大戦時代の大英帝国皇帝ジョージ六世、シリウス戦役時代のラグラン・グループの一員チャオ・ユイロン、第六代銀河連邦首相モスタファー・レザ・ザリーフ等が代表だ。

 

 正確に言えば吃音症は純粋な遺伝病ではない。吃音症自体は遺伝子的な問題がなくとも精神的な理由から特に幼少期に発症する事が多々ある事が知られており、遺伝子はあくまで発症させやすくなる要因に過ぎない。その辺りは所謂癌や糖尿病等とも同じであり、その遺伝子があるからと言って絶対に発症する訳でもないし、遺伝子的な理由がなくとも発症する者はいる。そして発症したとしても意思疎通の面で多少の不便はあろうとも、それ自体は実生活の中で致命的なものとはなり得ない。……無論、それに関連して併発する病気もあるにはあるが。

 

 それに、仮に発症したとしても各種の治療・矯正の手法自体は西暦時代に既に確立している。百人いれば百人全員が完治する……とは流石に行かないが、それでも絶対的多数は日常生活に支障を来す事はない。そう、絶対的多数派は。

 

 フリードリヒ四世は宇宙暦790年現在の時点で皇后ルイーゼを始め六人の寵妃を計二八回妊娠させて、内流産と死産で一五人が死亡、誕生した一三人の内公式に生存しているのはブラウンシュヴァイク公夫人アマーリエ、リッテンハイム侯爵夫人クリスティーネ、そして皇太子たるルードヴィヒの三名のみとされている。そう、公式には。

 

 恐らく一夜の関係も含めれば数百人、あるいは千人以上と関係を持っているだろうフリードリヒ四世には御落胤もそれなりにいると思われるが、一応それは横に置いておこう。今回問題なのは公式には死亡扱いされている皇族だ。

 

 二十年以上前に行われたクレメンツ大公に対する宮廷クーデター後、皇太子となったフリードリヒ大公は、クーデターの首謀者の一人、ベルンカステル侯爵の娘ルイーゼを妃に、つまりは未来の皇后に迎え入れる事になった。

 

 当時、この行いは口の悪い貴族達に悪評のネタにされた。帝室を擁護する勤皇派の諸侯すら渋い表情を作った。多くの者達はこれを豚に真珠を、猫に小判を、フェザーン人に勲章を与えるようなものであると噂した。

 

 ベルンカステル侯爵の長女ルイーゼは気立て良く、聡明で、口が上手く、何よりも美しい事で評判であった。社交界の華であり、多くの貴公子から言い寄られる人気の存在だった。何度か彼女を巡って青年貴族達が自らサーベルを持って決闘した事件が起きた程だ。

  

 一方フリードリヒ大公と言えば顔こそ美男子であったがそれだけだ。兄リヒャルトのように学問と芸術を愛するような教養溢れる人物ではなく、弟クレメンツのように社交性とウィットに長けた快活な人物でもない。

 

 兄弟達が熾烈な次期皇帝レースに興じる中で帝王教育を敢えて受けずに帝都の酒場を渡り歩いて馬鹿騒ぎに興じていたのは暗殺を恐れて道化を演じていたと言えない事はない。仮に兄弟達の共倒れを狙っていたとすれば謀略に長けた賢帝の素質があっただろう。

 

 だが、それが演技としても借金苦で平民に土下座したり、新無憂宮に大量の催促状が送られて来るような事は許される筈もない。真に有能であれば自らの借金すら利用して有力な諸侯に自らの売り込みをかけただろう。

 

 実際は熾烈な皇帝レースの中で密かに自らの借金立て替えと引き換えの高官ポストの提示をして諸侯を取り込んで見せた事で知られている。フリードリヒの行いは演技としても論外だ。

 

 皇太子になった後も、その素行の悪さは兄弟達が生存していた頃に比べればマシとしても、到底彼らの評価基準では落第ものだ。皇太子になってからも帝王教育を受けず、各種の講義の成績も兄弟に比べれば遥かに劣る。学問・芸術・狩猟と言った健全な趣味に興味を示さず、漁色のためだけに帝都の下町に無断で御忍び外出をする。皇宮警察が総動員で帝都を捜索して漸く皇太子を見つけた場所は大概売春宿や酒場であり、一度は性病で死にかけた事すらある。

 

 そんな『ろくでなし』の所に社交界でも人気の姫君を嫁がせようなぞ、少なくない宮廷人達が反対した。それでも元より政治的基盤が弱いフリードリヒ皇太子のてこ入れのためにこの婚姻は実行された。

 

 ルイーゼ自身も義務感からか積極的に夫となる皇帝を支えようとしたと言われている。だが、皮肉な事に当の皇帝はそんな皇后を嫌ったらしい。

 

『理由は大体予想はつくがね。あの放蕩で、無気力で、その癖ナルシチズムに酔った男の事だよ。皇帝としての自分を支えようとする女なぞ目障りだろうさ』

 

 ぐふふ、とディスプレイ越しにローストチキンを貪りながら嘲笑気味にカストロプ公爵が嘯いた記憶が脳裏に甦る。フリードリヒからすれば皇帝になりたくも無かったのにさせられて、しかもその首謀者の娘が嫁いで皇后として自身にあれこれ言って来たのだから嫌いもするだろう。皇后が自分と違い社交界での人気者で、貴族らしい貴族なのも疎んじた理由かも知れない。

 

 滑稽なのは、恐らく皇后側はそんな皇帝の思考を理解して無かっただろうという事だ。彼女からすれば夫を支えれば支える程に夫が自分を嫌う悪循環な訳だ。そして夫婦仲が悪くなって宮廷で悪評を言われるのは不人気なフリードリヒの方である。(因みに面白い事に、庶民の間では下町に良く顔を見せた皇帝より貴族的に御高く留まる皇后の方が悪口の的になったらしい)

 

 話が少し脱線した、元に戻そう。そんな皇帝と皇后でも夫婦としての義務は果たしていたようで先述の二八回の妊娠の内、皇后によるものは六回である。アマーリエとクリスティーネ、それに皇太子になる寸前に急死した三男フランツ、二回の流産を経て最後に生まれたのが幼少期に病死されたとされる皇姫アントニアである。

 

 ここまで言えば大体察しがつくであろう、ゴールデンバウム王朝の皇族の中で皇姫アントニアは病死していない。幼少期に吃音症を発症した事で皇族から抹消されたのだ。

 

 皇女が吃音症を発症した……これが銀河帝国の指導層に激震を走らせた事は疑いない。

 

 一応、『劣悪遺伝子排除法』もあらゆる遺伝子障害を迫害した訳ではない。そもそもが『劣悪遺伝子排除法』自体はルドルフ台頭以前に銀河連邦が発布した政府に不平不満を叫ぶ貧困層の弾圧と抑圧のために制定された法律を基にしたものだ。『劣悪遺伝子排除法』それ自体も少なくとも最初期には遺伝的障害者の虐殺よりも、寧ろ各種の凶悪犯罪者の弾圧に、高齢者や障害者、病人の効率的な政府管理・福祉監督を主目的としたものであり、殺戮を目的としたものではなかった。

 

 エルンスト・ファルストロングの行った組織的処刑も基本的には重犯罪者に対するものであったし、公式記録上は辺境へ流刑に処され消息不明になったとされた者も多くは銀河帝国の管理の及ばない後の外縁宙域に逃亡したか帝国国内の流浪民になったかに過ぎない。安楽死政策は主に有機ハイドロメタル中毒等の当時猛威を奮っていた公害病で永続的に激痛や障害に苛まれる病人や脳死したまま緩慢な延命処置を施されていた者を主眼に制定されたものだ。そもそも「絶対的多数の安寧のために一握りの危険分子を排除した」という発言自体、後世に混同されるがファルストロング本人の発言ではない。寧ろその発言をした後任のアルブレヒト・フォン・クロプシュトックの悪評(帝国的には功績)を何割か押し付けられた(付与された)という側面があった。

 

 それでも、例え『劣悪遺伝子排除法』の排除の対象として明文化されてなくても、晴眼帝条項によって法が公式に有名無実化しても、カスパー一世短命帝やグスタフ一世百日帝のような類似事例があったとしてもそれは看過出来る事ではなかった。そもそもそれらの前例だってその直系は帝位を継いでいない。

 

 より深刻なのは調査の結果、恐らくその遺伝子的要因が皇帝ではなく、皇后側にあったと思われる事だ。それはある意味皇帝側に問題があるよりも深刻だった。

 

 三諸侯のクーデターの後に帝国国政を主導したのはベルンカステル・ブラウンシュヴァイク・リッテンハイムの三家である。しかも、ベルンカステル侯爵はアントニアが吃音症を発症した時点で既に孫娘たるアマーリエとクリスティーネをブラウンシュヴァイク・リッテンハイム両家と婚約させていた。いや、それどころかかなりの密度で婚姻や養子縁組みを相互に行っているのが帝国貴族だ。ベルンカステル家と婚姻や養子縁組みをしてきた家はこれまで何家ある……?

 

 仮に遺伝子的な因子がアマーリエとクリスティーネに受け継がれていなくても、また受け継がれても発症に必要な因子の一部分に過ぎなかったとしても、それが完全に受け継がれていたとして本人達が発症していないとしても、その事実自体が爆弾になり得た。

 

 それ故に帝国政府はその事実を隠匿した。アントニアは死亡扱いで代々多くの帝国の機密に携わってきたブラウンシュヴァイク家に預けられた。その上で皇帝フリードリヒ四世の漁色を積極的に支援し、世継ぎのスペアを一人でも多く製造する事が期待された。

 

 ルイーゼは宮廷の窓際に追いやられた。自裁が命じられなかったのは事がベルンカステル侯爵家だけの問題でなかった事もあるが、皇后本人の人望や同情もあっただろう。それでも何よりも衝撃を受けたのは本人だったのだろう。結局風邪を拗らせて、そのまま医者に診せようともせずに自殺同然に病死してしまった。

 

「皇太子ルードヴィヒが狙う訳ですな。彼はルイーゼ皇后の腹から産まれた訳ではない。その上にその事実を手に入れればブラウンシュヴァイク家やリッテンハイム家を次期皇帝レースから脱落させる事も、場合によっては味方につけるなり、お家の御取り潰しにする材料にもなり得ますからな」   

「おい、何自然に人の推理の中に入り込んでるんですかね?馬鹿なの?死ぬの?」

 

 私の考察に横入りして言及してきたアドリアン・ルビンスキー氏に対して私は尋ねる。何当然のように部屋に入って来ているんですかね?

 

「おやおや、これは心外ですな。共に自治領主と使節団を危機から救った同志ではありませんか?」

「何仲良さそうに取り繕ってんですかねぇ。今回の騒動は結局お互いに利用していただけでしょう。というか一つ釦を掛け違えてればお前さんのせいで我々が被害受けていたんだけど?」

 

 スペンサーがカストロプ家と繋がっていたのを知りながら自身の成り上がりのために同盟政府どころか自治領主にも何も伝えてなかったのは下手すれば戦犯行為だ。本当、上手く立ち回ったものだ。

 

「此方が把握している密貿易ルートに顧客リスト、それに大佐の口添えのお蔭ですな。どうにか物理的に首が繋がりました」

「御世辞はいりませんよ。……これで数年以内に補佐官殿が次期自治領主なのは確定ですか?」

 

 スペンサーが自治領首府に捕らえられたので次期自治領主候補から外されたのは当然として、ワレンコフの救出に関わった事で同盟政府、そして親同盟派の後ろ盾を得、更には親帝国派や勢力均衡派からも黒狐は一定の評価を得ていた。

 

「評価、というよりは取引ですよ。親帝国派が軟化したのは主にブラウンシュヴァイク公とカストロプ公が手を回した結果です」

 

 前者は甥っ子の男爵の保護の報酬とルードヴィヒ皇太子への嫌がらせ、後者は今回の騒動におけるカストロプ公の譲歩の結果だ。

 

 フェザーン内部のカストロプ公の紐付きの実刑と各種の証拠の公表を見逃す代わりに、公爵は幾つかの譲歩をする羽目となった。その一環として自治領主府に対して莫大な賠償金を裏で支払い、フェザーンの同盟債権引き受けやロビー工作への部分的協力を引き受ける事になった。しかも、長期的にはカストロプ公と繋がっている元老や官僚、企業重役には『引退』し田舎で静かに余生を過ごして貰う事になるだろう。

 

「それはそうと、流石はカストロプ公だな。帝国への愛国心の欠片もない。自家と領地のためならば祖国が損しても構わないとはな」

 

 尤も、それはブラウンシュヴァイク公も五十歩百歩だが。ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯はカストロプ公を帝室への畏敬の念もない寄生虫であると裏で詰るが、そんな彼らとて宮廷闘争のために同盟との戦争に政治を持ち込み、結果何万何十万という兵士が死のうとも気にも留めない。全く、高慢な事だ。

 

「それが貴方方でしょう?そういう貴方はカストロプ公から教えられた帝室のスキャンダルを活用しないのですかな?」

 

 ベッドの傍に置かれた椅子に腰を据えて不敵な笑みを浮かべる禿げ男。おい、何見舞品食べ始めてるの?アイドルしてる小娘にしろ、不良士官殿にしろ、何で皆して私の見舞品を当然のように食べるのかな?

 

「まぁ、そこを突っ込むのも疲れますがね……それはそうと、私を舐めすぎでしょう?使えませんよ、あんな秘密を利用するなんて」

 

 アルレスハイム=ゴールデンバウム家と亡命政府、そして同盟政府が帝室にばら撒かれた遺伝的欠陥を知ったとして、それを使うのは諸刃の剣だ。

 

 そもそも証拠が無い。事実だとしても、口だけで伝えられた裏付けのない話では無価値だ。だからと言ってブラウンシュヴァイク男爵の所にいた少女の遺伝子を無断で調べる事は『劣悪遺伝子排除法』を人類史上最悪の悪法と叫び、『遺伝子の権利』が保証されている同盟政府では許されない。仮に調べられたとしても姉妹や姪子のそれと比較しなければ血縁関係の証明なぞ出来まい。当然、そのためのサンプル回収は困難を極めよう。

 

 それらをクリアした上で事実だと声高に叫んだ所で、帝国政府は反乱勢力の戯言と切り捨てて帝室侮辱の懲罰行為として出兵を行うだけだ。寧ろ、これまでにない規模の戦力が動員される可能性すら有り得るし、下手すれば普段然程協力的でない諸侯達まで積極的に帝国政府に協力する可能性もあった。ベルンカステル侯爵家は名門だ、血縁関係のある家は数えきれない。折角(ルードヴィヒ皇太子への報復として)アルレスハイム方面の出兵の妨害に協力する事を約束してくれたブラウンシュヴァイク公爵家が敵に回る事にもなる。

 

 同盟市民も拍手喝采するか、と言えば一部極右支持者以外はあからさまな称賛はすまい。幾らゴールデンバウム一族であるとは言え、いやだからこそその遺伝子の欠陥を嘲るのは五〇〇年前にルドルフが行った事と何の違いがあるというのか?

 

 当然、フェザーンもこの情報を何等かの交渉に使う事なぞ危険過ぎて有り得ない。下手したら自治領主の首が年に複数代わる事も、帝国軍がフェザーンに侵攻する可能性もあった。あくまでも帝室のスキャンダルは帝室の、宮廷内での争い以外には価値がない。私や亡命政府には殆ど活用出来ないのだ。

 

 寧ろ、私なぞは証拠こそないとは言え秘密を知る身である、表向きブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯から敵視されていないが、裏では確実に警戒されている筈だ。というよりも多分カストロプ公はそうやって潜在的な緊張関係を作り出すために私に暴露したに違いない。流石カストロプ公というべきか、性格が悪い。

 

「それで?件の男爵と御姫様は今いずこに?」

 

 ブラウンシュヴァイク公爵家本家から皇族の姫君を預かっていたヴェルフ=ブラウンシュヴァイク男爵家は一三年前、ブラウンシュヴァイク一門の間で生じた混乱で当主と夫人が死亡したのは以前にも触れた。

 

 男爵が姫君を連れて逃げたのは、恐らく一族内で生じた混乱に原因があるのだろう。大方、遺伝子的な問題の疑いがあるアマーリエを妻にしたオットーを当主にするべきかで一族の一部が騒いだといったあたりか。いざという時にアマーリエとアントニアが同じ場所にいるのは遺伝子サンプル入手の面で危険があると判断したのかも知れない。下手に帝国にいるよりもフェザーンの方がこの際安全と考えたのだろう。自治領主府や同盟政府にも身元がバレた現在彼らはどこにいるのだろうか……?

 

「アイリスの話ですと傭兵共を連れて『裏街』の領主を始めているそうですよ」

「いや御免、何言ってるか全然意味分かんない」

 

 うん待って。………どういう過程を経たらそういう形に行きつくんだよ!?

 

 ……どうやら黒狐の話によれば、あの騒動の後にスペンサーの逮捕(表向きは公金横領や贈賄容疑という事になっている)により売り注文殺到で大幅に株価を下げたアトラス社は少なからずの傭兵を解雇したらしい。

 

 そして男爵はそんな傭兵を解雇された傍から何やら提案して雇用していき、そのまま『裏街』に突っ込むとその市街の一部を制圧、現地のマフィアを駆逐して(残念ながらカストロプ公が密貿易から全力で足を洗っていたために支援もされずに壊滅したらしい)実質的に領地化してしまったそうだ。しかも御丁寧に、制圧した土地を好き勝手するために自治領主府へ地代を支払って購入するという律儀さである。

 

「アイリスから聞いた話ですと男爵曰く、『自衛のためには自分の国を作るのが一番だって、はっきり分かんだね』と嘯いていたそうです」

「いや、何もはっきり分かんねぇよ。斜め上過ぎる解釈だよ。何勝手に経営シミュレーション始めてるの?」

 

 そりゃあ、安全が保証されている筈のコーベルグ街ですら死にかけたのだ。自衛のために自分で兵士と金を拵えるのは理解出来るが……スラムの一角を占拠して領地宣言はどうよ?

 

「いえ、正直フェザーンとしては下手に保護するよりも男爵殿が自衛してくれるなら助かりましてな。責任問題は勘弁です。当然同盟や帝国に行く訳にも行きません」

「そうなるとどの国も実効支配していない管理責任のない『裏街』で好き勝手してもらった方がマシ、と?酷い理屈だな」

「触れぬ神に祟りなし、です。どこも男爵や姫君に下手に関わって藪蛇は御免のようですね」

「実際、藪を突いたスペンサーはお縄についたしな。皇太子様は知らないが……少なくとも明確にブラウンシュヴァイク一門を敵に回したな。ブラウンシュヴァイク公は身内贔屓だ。身内に手を出す奴を野放しにはしないだろう」

 

 無論、腹違いの妹を確保した後なら話は別であろうが……残念ながら現実は皇太子にとっては不愉快極まりない状況だ。

 

「今回の騒動について断片的に耳にしたリッテンハイム侯も皇太子殿下を警戒し始めているそうです」

「だから見舞品の中にリッテンハイムの物も交じっている訳ね……」

 

 正直、一応敵陣営なのに良いのか?と思ったりもするが……うん、所詮門閥貴族にとっては亡命政府との戦争自体兄弟喧嘩みたいなものだからね。兵士がどれだけ死のうが大した問題じゃない。やっぱり身分制度は悪ってはっきり分かんだね。

 

「まぁ、見舞品自体は諸侯の資産から見れば子供のお小遣いみたいなものでしょうし、カストロプ家に対する嫌味という面もあるでしょう。大佐からしても助かるのでは?御実家への言い訳の材料が多いのは喜ばしい事でしょう?」

「その辺りの事バレてるのね」

「大佐がお怪我なさる度に御母堂が卒倒している話は少し調べれば分かりますよ」

「さいですか」

 

 おい止めてくれない?他所様に恥ずかしい家庭事情知られるとか赤面物なんですけど。

 

「そう言えば補佐官殿の見舞品はないんだな?それに……お世話になった家主もか」

 

 見舞品の山を見ながら私は尋ねる。どれもこれも差出人は御貴族様か自治領主府関連、あるいはトリューニヒト議員を始めとした同盟政府関係者だ。当然ながら自治領主府と同盟政府からのものは形式的なものか、あるいは一種の口止め料だ。

 

「アイリスの場合はそんな余裕ありませんし、そもそも貴方は賠償する立場でしょう?それに、私の場合は大佐に見舞品なぞ贈っても無意味でしょうに。……理由は知りませんが何故か貴方は顔を合わせた直後からずっと私を警戒していたようですから。私は無駄な事にコストを支払う気はありませんよ」

 

 ふふっ、と怪しさ満点の笑みを浮かべるアドリアン・ルビンスキー。うーん、これは正しく黒狐!

 

「鏡を見てからそんな戯れ言は言って欲しいものですね。あわよくば同盟政府を出し抜こうとしていた奴が言う事ですか。……本当、油断ならないですよね?一番大事な事は最後まで隠してくれて」

 

 そう言って、私は探るような笑みを浮かべる。対する黒狐の方は既にその不敵な笑みが消え失せていた。その表情から感情は窺い知れない。半分カマかけたようなものだが……どうやらビンゴであるらしい。

 

「そこまで信頼されていないのは心外ですな。私が此度の騒動で企てていた事は洗いざらいお話しましたよ?余り私を陰謀ばかり好む謀略家扱いするのは止めて欲しいものです。私はそこまで大物ではありませんよ」

 

 黒狐の言葉は原作を知る私からすればどこか白々しいが、恐らくは本人は本気でそう口にしているのは分かった。今現在謀略を考えていないのは事実だろう。そう、謀略は。

 

 だが、秘密が常に陰謀とは限らないし、ましてや人は見かけにはよらない。人間の感情や嗜好、主義主張は複雑であり、数式のように絶対的なものではない。だからこそ、原作からすれば想像出来ない私の予想も、存外的外れではないようだった。

 

「本当でしたら目立たずに保護する積もりだったのでしょうが……今回の騒動は失敗でしたね。お蔭で計算外な注目を浴びた筈です。まだ気付かれてはないでしょうがそれも時間の問題、でしょう?」

 

 そして、それが知られれば黒狐にはそれを保護する事は出来まい。正確にはワレンコフが許すまい。この面倒な時期に態態爆弾を増やそうなんぞ自殺行為だ。

 

「ワレンコフ自治領主は下劣でも冷酷でもありませんが典型的な民族主義的なフェザーン人です。だからこそ温情は期待出来ませんし、貴方もまた自治領主の命令に逆らう事は出来ない筈だ。婿養子の貴方には」

 

 自治領主府官吏としてワレンコフにその優秀さを認められ、その娘を妻にする事で彼の出世街道は開けた。だからこそ、自治領主に身内として信頼されるがこそ黒狐はスペンサーすら知らない隠し通路の存在を知らされていた。そんな彼が、しかも次期自治領主の椅子を出汁にされてワレンコフの意思を公然と無視なぞ出来まい。

 

「……やはり貴方は小狡い人だ。本当に出会したのは偶然ですかな?」

 

 はぁ、と小さな溜め息と共に諦念気味にルビンスキーは尋ねる。

 

「残念ながら偶然だ。私がそんなあからさまな嘘を言うと思うか?どうやら私は変な所でばかり悪運が良いらしくてね」

「嘘臭さしかない発言ですが大佐が言うと説得力に満ち満ちているのが悔しいものですな」

 

 ルビンスキーに釣られるように私は冷笑する。私もそう思うよ。

 

「それで?答えは?」

「私の独断で決めるべき事では有りませんよ。彼女の自由意思に任せます。どうせ私が舗装した道は死んでも通りたがらないでしょうから」

 

 肩をすくめ、呆れた表情を浮かべる黒狐。そこには相手への呆れと親しみが見て取れた。

 

「成る程、ではそう御願いしますよ」

 

 私も無理強いはしない。私個人としては実家への言い訳の一つに出来るので回収出来た方が都合が良いが、絶対しなければならない訳でもない。彼女が今更此方の世界に関わるのが嫌ならば一向に構わない事だった。無論、薦められるのなら付いて来てもらった方が良いのだがね?

 

「引き際が宜しいですな。自信でも御有りで?」

「まさか。ただ短い付き合いではありますが彼女の逞しさは散々知っておりますから。どのような選択肢を取ろうとも彼女ならば上手く生き抜いて見せるでしょうよ」

 

 私は『裏街』での家主様のがめつさを思い返して答える。あれは少なくとも馬鹿ではないし、現実を直視しない性格でもなかろう。私の期待に沿わない選択をした所でそれでおっ死ぬ事はあるまい。その時は宿泊費と賠償金に色を添えて支払うまでの事だ。

 

「だと良いのですがね。……大佐はまだ御経験がないのでご存知ないかも知れませんがね、子供というものは大概良く親を見ているものです。そして大概一番親の真似をしなくて良い所を真似してしまうものなのですよ」

 

 ふっ、と困ったような、そしてどこか楽し気な笑みを浮かべるルビンスキー。その表情に私は一瞬目を見開いて瞠目する。どこか晴れ晴れとしたその表情は到底原作で陰謀ばかり企んでいた冷笑家には思えなかったから。

 

「おや、最後の最後で一泡吹かせられましたかな?……それでは、そろそろ私は失礼しましょうか。どうやら後ろも閊えているようですからな」

 

 そう言って見舞い品の菓子を食べ終えた黒狐は椅子から立ち上がるとさっと背後の扉を開いた。

 

「あっ……!?」

 

 どうやら病院の廊下で控えていたらしいテレジアが驚いたような表情で此方を向いていた。私がルビンスキーと面会していたのでずっと待っていたらしい。良く見ればベアトとアレクセイも一緒に廊下にいた。

 

「これはこれは大公殿下、先日の交渉以来ですな。殿下も大佐殿と御面会を?」

 

 黒狐は先程の憑き物の落ちたような表情から一変、いつものように底の知れない微笑を称えてアレクセイに尋ねる。一方、アレクセイの方は慣れた態度で肩を竦める。

 

「いや、そう思ったが私は別の機会にする事にするよ。それよりも補佐官、どうだい?折角の機会だ。これから昼食でも?積る話もあるだろう?」

「それは素晴らしい。お互い、まだまだ話すべき事は多いでしょうからな」

 

 ふふふ、ははは、と互いに何処か空虚な笑みを浮かべる大公と黒狐。会話は親し気であるが恐らくは互いに警戒しっぱなしであった。お互いの立場が立場だしね、仕方ないね。

 

「そういう訳だ。ヴォルター、私達は行かせてもらうよ?また明日にでも顔は出すから」

「あ、あぁ……」

 

 アレクセイの言葉に、私はそう答えるしかなかった。そんな力ない態度に口元をへの字にして溜息をつくアレクセイは私の元に来ると耳元に顔を近づけてだらしない子供を注意する母親のような口調でこう口にした。

 

「子供じゃあないんだから、堂々と頼むよ?」

 

 私の耳元から顔を離したアレクセイは私の顔を見て苦笑する。そして「この前の騒動、助かったよ」とウィンクと共に小さな謝意を口にすると、大公はそのまま踵を返して黒狐とその場を退場してしまった。その動きはどこか演技染みていたが、何故かとても様になっているように思えた。

 

 その場に取り残される私と従士二人。

 

「あー、見舞品あるけど……食べる?」

 

 暫しの沈黙……そしてそれにいたたまれなくなった私はベッドの上から焼き菓子の箱を掴むと誤魔化すように尋ねる。

 

「いえ、結構です。……若様、僭越ながら私は室外で控えておきます。ですので、どうぞ……」

 

 軍服姿で直立不動の姿勢を取るベアトはちらりとテレジアを、次いで私の方向を見るとそう提案する。その表情と視線から私はベアトの意図する事を察する。

 

「ゴトフリート少佐!私は……」

「そうだな、ベアト。助かる」

 

 何事か言おうとするテレジアの発言を遮る形で私は答えた。少々強引ではあるが、それがベアトなりの配慮であり、助け舟である事を私は理解していた。

 

「そういう事だ、テレジア。部屋に入って来てくれ。ベアト」

「はっ!」

 

 敬礼して答えるベアトはテレジアに室内に入るように視線で命じる。

 

「少佐、私は……」

「若様の御命令です」

「……了解しました」

 

 何やら気まずそうにするテレジアに、しかしベアトは何処か高圧的に命令である事を強調する。そうなればテレジアに否定の返事をする事は不可能だった。どこか渋い、緊張する表情で室内に入って来る従士。もう一方はそれを確認すると私の方を見つめる。私もまた彼女を見つめていた。それだけで、視線を交差するだけで、私はベアトの言いたい事が理解出来た。あるいはそう思っていた。

 

 音もなく、扉が閉められる。同時に私は自身以外で唯一この部屋にいる従士を見つめる。捨てられた子犬のように震えるその姿はどこか気の毒であり、しかし何故かコミカルな笑いが思い浮かんでいた。さて、取り敢えずは……。

 

「そうだな、まずはそこに掛けてくれ。飲み物は紅茶と珈琲、何方が良いかな?」

 

 先程まで黒狐が座っていた椅子を指差して、私はまずこの従士の緊張を解き解す事にしたのだった……。




ゴールデンバウム家の遺伝的欠点の事実についてはOVA奪還者から、また映画「英国王のスピーチ」からも着想を得ました。作者的には奪還者において獅子帝を回収役に任たのは恐らく皇帝かルードヴィヒ皇太子だと考えていたりしています。少なくともブラウンシュヴァイク・リッテンハイム家が態態獅子帝を指名はしないと思います。


本当は今回で今章を終わらせようと思いましたが長くなったのでもう一話追加しそうです。
 
謝罪として御母様のイメージイラスト貼ります


【挿絵表示】

御母様(主人公を産んで直ぐ位?)、こんな美人な母親に抱っこしてもらったり添い寝してもらってました。主人公には勿体な過ぎますね。


【挿絵表示】

もう一枚、主人公が従士の擁護やら平民への配慮を口にすると心底不思議そうに首を傾げます。次いでに主人公が余り貴族的でない事ばかりやったり怪我すると優しく叱りつけて、それも聞かないと大泣きします。

尚、ベアトや作者のような平民と目が合うと扇子で口元を隠して塵を見る目で見てくれます。やったね!(錯乱)



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第百六十四話 やっぱり屑貴族は屑なんだって、はっきり分かんだね

今章ラストです。次は幕間を入れて次章に入ります


 テレジア・フォン・ノルドグレーンにとっては今回の任務は最初から憂鬱なものであった。

 

 元々、エル・ファシルにおける失態の時点で彼女は半ば死を覚悟していた。主君が右腕を欠損した他、全身傷だらけで回収されたのだ。もう一人の従士と違い主君の命令で途中で離れる事になったとは言え、連帯責任は免れないように思われた。これまでの失敗の数々も含めれば家に帰った途端に目の前に毒入りのワイングラスを用意されていたとしたも驚かなかっただろう。

 

 ある意味その方が気楽だったかも知れない。現実は主君が予めリューネブルク伯爵に頼み込みその屋敷に保護される事になった事で、彼女は実家の家族と顔を合わせる事も、主家の伯爵夫人に詰められる事もなかったが。

 

 だがハイネセン滞在中は主家や実家から毎日のように使者と手紙が送りつけられ、彼女を精神的に追い詰めていった。大半はリューネブルク伯爵とその臣下が対処したものの、その事実そのものが彼女への圧力となっていた。

 

 そこに、大怪我を負った主君への心配と罪悪感が更なる追い討ちをかける。最初の出会いから負い目があり、失態を何度も演じ、ましてエル・ファシルでは危機的状況の中で勝手に病み、錯乱し、面倒をかけて、その癖に懇願までした身であった。従士の分際で主君に対して迷惑をかけて、懇願を聞き入れられて、その直後にこの様である。今となってはその事実すら彼女を陰鬱にさせる。

 

 それでも恥を忍んで耐えたのはそれこそが主君の命令だからだ。何があろうとも主君の命令が絶対なのは身分制度を絶対とする帝国貴族社会では最低限の規則だ。主君が自身の身の安全を図る事を望むのなら何があろうとも、どれ程後ろ指を指されようとも従うのは当然、まして彼女に主君の意思に逆らうなぞ有り得ない事だ。

 

 だからこそ彼女はその連絡が来た時、一切の躊躇はなかった。寛大で、自分を信頼してくれる主君のために彼女は主君との合流を図った。

 

 そうだ、それが最初の違和感だった。トラブルで合流が遅れた主君がもう一人の従士と共に現れた時、彼女はその妙な空気に違和感を感じた。

 

 元々、主君が自分よりももう一人の従士と付き合いが長く、信頼している事は承知しているし、その事は問題ない。問題ない筈だ。だが……その距離感がこれまでに比べて近すぎないか?

 

 その違和感自体は直ぐに主君の怪我と、次いで時間に追われる中で直ぐに意識から外れた。彼女は物事の優先順位を良く良く理解出来る程には賢かった。そして、それ故に使節団を乗せた船が航海中、その事を忘れ去る事もまたなく、純粋な疑問とどこか粘りつくような疑念を抱き続けていた。

 

 それは主君とスタジアムで離れ離れになった後、一層意識させられた。いや、正確には自分よりも伯爵家での立場が悪く、忠誠心の高い筈のもう一人の従士の態度を見てか……。少し化粧をして仕草を工夫すれば双子の姉妹にも見えるゴトフリート家の同僚は、これまでは主君の危険を知れば必死になり、悲痛な表情で四方八方手を尽くし駆けずり回るほどに生真面目で、爪先まで忠誠心の塊のような人物であることを彼女は知っていた。

 

 だからこそ、テレジアは同僚のいつもと違う態度に不審を抱いた。常ならばあらゆる手を尽くして行方不明の主君を探そうとする筈のベアトリクスが、しかし今回に限り余りに大人しく、しおらし過ぎた。ひたすらに主君の帰りを待つその姿は忠臣というよりかは寧ろ……。

 

 無様にもカストロプ公爵家の捕囚の身となり、そこで公爵家の気狂いに洗いざらいの事実を教えられた際、彼女は勿論驚愕はしたが、同時に極々自然にその言葉を受け入れる事が出来た。出来てしまった。

 

 それを公世子の戯れ言等と切って捨てる発想は微塵もなかった。それは彼女の忠誠心が不足しているというよりも、寧ろ余りに公世子の語った言葉と自分の感じていた違和感が合致したからだった。自分の感性と直感は誤魔化せない。

 

 そうだ、誤魔化せない。テレジアは愕然とした。そうだ、少し考えればその答えに行き着く事位出来たであろうに!!

 

 ある意味ではテレジアは僅かに、ほんの僅かにこの瞬間、目の前の放蕩貴族に感謝した。恐らくは自身が潜在的に見て見ぬふりをしていた事実を教えてくれた事に。尤も、それでも自分を同僚の姿にされて『代替品』扱いされた事には自尊心を傷つけられたし、衣服を破かれ視姦され、あまつさえ胸を鷲掴みにされて跡まで残されたのは屈辱であったが。

 

 マクシミリアンのふざけたショーは彼女の自尊心を更に踏みにじった。予め放蕩貴族から今回の件の全貌は教えられていた。(間違いなく彼女自身を苦しめるためというだけの理由だろう) ショーが開催されたからといって主君が残る理由は何一つない。そんな事よりも大公殿下達の救出を指揮するべきだ。残った理由は間違いなく自分のためだった。……いや違う。自分と良く似た、それでいて自分なぞとは違い主君に寵愛されている同僚のためだ。自分ではない。

 

 ショーは終わった。当然のように主君が勝利した事に、驚きこそなくとも心から安堵していた。腐敗し、堕落したオーディンの貴族ごときが、伯爵家の直系たる崇拝すべき主君に勝てると考えるなぞ思い上がりも甚だしい。それでもやはり不安は覚えるものだったが……テレジアは自身に近寄って来る主君に自身の事を伝えて失望の表情をされる事を覚悟しつつも喜んだ。

 

 本当に御目出度い頭をしていると思う。もっと注意していれば警告も出来た筈だ。そうすればこんな取り返しもつかない失態を演じる事もなかった。

 

 首の爆弾を外され、小賢しい公世子が無力化されても、何の意味もなかった。そんな事のために支払った代償は余りにも大き過ぎた。法外だとさえ思える。

 

 死にかけの敗北者が喚き散らす言葉にテレジアは絶望した。目の前の主君の姿を見る。その左目は赤と黒に塗り潰されていた。明らかに潰れた眼球、溢れるような血が涙のように頬を伝って床に血溜まりを作り出す。それは従士にとって、あってはならない事だった。

 

 彼女は全てを知った主君が失望する姿を幻視した。テレジアは自身の主君が寛大で家臣思いな事を知っている。だが、それでも片目を引き換えに救いだした愛人が別人ともなれば、怒る事はなくてもさぞ落胆することだろう。そして、それだけで既にボロボロな彼女の矜持はあっけなく崩れ去る筈だった。

 

『ノルドグレーン家のテレジアだろうが。何年の付き合いだと思っているんだよ、人の目を節穴扱いするな。それ位知っているわ』

 

 次の瞬間、その言葉を聞いてまず唖然とし、次いで安堵し、不安と期待とが彼女の内心を支配した。

 

 安堵したのは当然だ。自身の存在そのものに失望される事態を回避したのは幸運であったし、自身が同僚の『代替品』として認識されていない事は嬉しかった。

 

 だが……安堵のすぐ後に不安を感じたのは彼女の複雑で矛盾に満ちた欲望によるものだっただろう。『代替品』として見られていなかったのはこの上なく嬉しくても、同時にそれは彼女が主君のある種特別な存在である同僚とは異なる事も証明していたのだから。その意味では仮に主君が彼女の存在を見抜いていても見抜いていなくても、彼女はどちらにしても傷付いたのだろう。

 

 だからこそ、主君の告げた言葉がどれだけ彼女の心を奮わせたか!同僚の……ベアトリクス・フォン・ゴトフリートの代わりに愛でる玩具としてではなく、ましてや彼女に劣る模造品でも、ノルドグレーン家の付属品としてでもない。テレジアは目の前の主君がそんな前置詞なぞ端から意識せず、ただただ『テレジア』という一個人を見ていた事を感じ取る事が出来た。

 

 そして、だからこそ一層彼女は傷付いた。其ほどまでに自身を見て、信頼し、尊重してくれる主君を、彼女は自身の怠慢によって傷つけたのだ。左目を奪ったのだ。その事実が彼女の精神を追い詰め、罪悪感を植え付ける。

 

 それはあるいは自罰的過ぎる思考であったかも知れない。確かに一般的な同盟人でも多少の罪悪感は抱くであろうが、それにしても行き過ぎであった。

 

 そして、その理由は帝国的な価値観、封建的な忠誠心も一因であろうが、恐らくはそれだけが原因ではなかった。無論、この時点では当の本人も自覚していなかった。そして、彼女の暗い気持ちは病院の廊下を歩み、件の主君の元に近付くにつれて、より一層悪化しつつあって………。

 

「中尉?大丈夫かい?何処か具合が悪い所でも?」

「えっ……?い、いえ!問題は御座いません!」

 

 ノルドグレーン家の次女は、共に病院の廊下を歩くシュヴェリーン大公の言葉に慌ててそう返答する。同時に額から僅かに緊張の汗を流す。皇帝の次男の言葉に上の空だったなどと知られようものならば、帝国貴族としては終わりに等しい。少なくともオトフリート一世灰色帝のような極々少数の例外相手を除いてはそのような行いをするなぞ非礼の極みである。

 

 ましてやシュヴェリーン大公は無能からも怠惰からも、倦怠からも程遠い。精力的で聡明で、社交的な人物だ、多くの帝国人にとって理想的な皇族と言えよう。自身がそんな人物に声をかけられながら全く別の事を考えていたと知られたら……!

 

 平静を装うテレジアに、足を止め振り向いたままの姿勢の青年皇族は目を細め、観賞するように友人から借り受けている従士を見つめ続ける。その瞳にふとテレジアは非礼を承知でカストロプ公爵家の気狂い息子を連想した。

 

「いや、別に良いんだよ。人それぞれ悩み事はあるものだからね。外面は兎も角、内面まで干渉しようと思う程私は拘りが強い訳ではないよ。ただ、私は良いとしても他人が鬼の首を取ったように騒ぎ立てる事もあるからね。その辺は注意する事だよ?」

「し、承知致しました……」

 

 賑やかに微笑む大公に対して恐る恐ると頭を下げて謝意を伝えるテレジア。ようは見逃されたのだ。それどころか忠告までされた。幸い、この病院に訪問した大公の見舞いにおいて、傍に控える護衛役を仰せつかっているのは彼女ともう一人のみだった。この場に地上車に置いて来た専属の近衛が居ればどうなっていた事か……大公の言葉は完全な善意であった。尤も、それはテレジアのためではないかも知れないが。

 

「………」

 

 ちらりとテレジアはすぐ傍にいる顔立ちの良く似た同僚に視線を向ける。共に皇族の護衛を仰せつかる従士は普段通りの物静かな態度に徹し、何を考えているのかは窺い知れない。

 

(やはり、やりにくいものですね……)

 

 先日の騒動の後、主君の命令によりテレジアはもう一人の同僚と共にシュヴェリーン大公の下で護衛の任に着いていた。それが彼女の主家や実家からの追及を避けるための手立てなのは直ぐに理解出来た。

 

 流石に主家や実家も大公が預り、使役する従士を今すぐ引き寄越せなぞ言えない。リューネブルク伯爵家の預りになった時もそうであるが、本人が治療等のために動けない時は信頼出来る身分ある者の下に渦中の人物を貸しておくのは貴族社会のある意味でセオリーではある。

 

 だが無論、預け先が皇族ともなれば中々ある話ではない。しかも、もう一方の同僚は大公との交流も深いものの、テレジア自身はそういう訳でもなかった。

 

 ともなれば、大公と同僚に比べどこかぎこちない雰囲気が生まれるのもある意味では当然であった。大公は明らかにテレジアに配慮し、客人として尊重していたが、だからこそテレジアもどのような反応をするべきか測りかねていた。

 

「やれやれ、そう硬くならなくても良いのだけれどね……。おや、これは………」

 

 その部屋の前に辿り着いた大公は、僅かに開いていた入院室の扉から漏れ聞こえる会話の音に気付く。

 

「………おやおやこれはまた、相変わらず妙なものにばかり遊ばれるものだねぇヴォルターは」

 

 恐らくは室内にいるであろう存在が誰なのかを理解した大公は、僅かに呆れの色を含んだ仏頂面を浮かべた。あるいは見方次第では嫉妬しているようにも見えたかも知れない。

 

 そして、僅かに考え込むとどこか悪戯っ子のような幼さを感じさせる表情を浮かべ大公は呼ぶ。

 

「ノルドグレーン中尉、此方に。扉の前に来てくれ」

「は、はっ!」

 

 いきなりの呼び出しにテレジアは困惑しつつもそれに従う。命令に従わない選択肢なぞ元から無かった。そして彼女が扉の前に立ったと共に大公は満足そうな表情を浮かべ、二人をからかうようにこう放言した。

 

「二人共、出向御苦労様。だけど残念、辞令だ。そろそろ元の職場に出戻りする頃合いだね」

「えっ?あっ……!?」

 

 どこかふざけたその声にテレジアが困惑の言葉を口をしたのと、目の前の扉が異貌の自治領主補佐官によって勢い良く開かれたのは殆んど同時の事だった。

 

 

 

 

「そうだな、まずはそこに掛けてくれ。飲み物は紅茶と珈琲、何方が良いかな?」

 

 殆んど仕組まれたかのような経緯を経て、テレジアは一人病室に置いていかれた。従士は僅かに戸惑いと不満を抱き顔を伏せるが、直ぐに観念するように顔を上げ、自らの主君の顔を拝む。

 

 ほんの僅かに色彩の異なる双瞳で目の前の主君は彼女を見つめていた。片方の眼球を抉られて代用品を使う身にしては、特に影のない他者を慮る優しげな笑顔を浮かべている。……少なくとも表面上は。

 

「……では、紅茶に致しましょう。丁度茶葉なら御座います。私が御淹れします」

 

 そういって彼女が視線を向ける先にあるのは見舞品に交じったアルト・ロンネフェルトの茶箱であった。テレジアは自身の主君がどちらかと言えば珈琲よりも紅茶の方が好みな事を知っていた。

 

「テレジアは紅茶よりも珈琲を淹れる方が上手いと記憶していたが?」

「紅茶でも標準以上の腕は御座います」

 

 苦笑を浮かべる主君に恭しく従士は答える。未だに『テレジア』という名で呼ばれている事に安堵と感動を覚えるが、その事に気付かれる程に彼女は演技が下手な訳でもなかった。

 

「そうか。……いや、自分から尋ねておいて悪いが、珈琲の方を頼めるか?……そこに焼き菓子があるだろう?それ甘過ぎてな、苦めの珈琲の方が合いそうなんだよ」

 

 フェザーン自治領主府から贈られた見舞品の菓子箱を指差して済まなそうに主君は頼み込んだ。菓子箱は帝国や同盟のブランドの支店ではなくフェザーンの老舗菓子店の銘柄のようだった。フェザーン民族主義者かつ保守的なワレンコフ自治領主らしい見舞品であるが……残念ながら熱い土地柄のフェザーンの伝統菓子は同盟人や帝国人には若干甘過ぎる。

 

 菓子箱の中で行儀良く並ぶバスブーサも例外ではない。殻粉にピスタチオとシロップを混ぜて焼きココナッツを添えたそれは、フェザーンの激甘菓子の一つだ。一言で言えばシロップ漬けのパイである。

 

「……承知致しました。少々お待ち下さいませ」

 

 そう答え、テレジアは珈琲を淹れる準備をする。幸い、珈琲豆の方も高級品を誰かが見舞品として用意していたらしい。それを使い手慣れた所作で黒い液体をマグカップに注いでいく。

 

「御苦労、テレジアもそこに座ると良い」

 

 マグカップを受け取った主君が先程まで自治領主補佐官が占拠していた椅子を指差して勧める。

 

「いえ、私はこのまま……」

「長話になるかも知れん。それに、立ちながらだと飲み食いもやりにくいだろう?座る事だ、それとも命令した方がお前には気楽かな?」

「いえ……了解しました」

 

 それは嫌味ではなく、寧ろ配慮である事はテレジアも分かっていた。帝国人にとってはこの場で「座っても構わない」と言われるよりも「座れ」と命令される方が余程気が楽であるし、言い訳も出来る。それが分かっていてもテレジアは殆んど言い掛かりに近い不満を抱いてしまう。

 

(少佐でしたらどう答えていたのでしょう?)

 

 言われずとも最初から座っていただろうか?勧められてからすぐ座ったのだろうか?それとも……。

 

 無意味な仮定であるし、想像した所で意味のない事だ。それでも彼女は自分と、自分と良く似た同僚を無意識に比較し、そして目の前の主君がどう見比べてどう考えるのだろうか?等とついつい生産性の皆無な思考ゲームをしてしまう。

 

「……意識しているのは私ですね」

「ん?」

「いえ、何でも御座いません」

 

 そう答えて従士は腰を下ろした。軍服の下からでも分かる肉付きと形の良い臀部を乗せ、背筋を伸ばす。気品と愛嬌のある佇まいは、間違い無く彼女もまた厳然たる階級社会における貴族階級の一員である事を証明していた。

 

「……まぁ、あれだな。私もそろそろ退院出来るらしいが、其方はどうだ?怪我や後遺症はあるか?」

 

 恐る恐ると言った風にベッドに腰かける主君は尋ねる。その言い方は明らかに遠慮がちであった。

 

「いえ、怪我という程のものはありません。精々が軽い痣が出来た程度で御座います。それも今では殆んど痕は残っておりません」

 

 これは事実だ。確かに電磁警棒の一撃は特に酷い痣を作ったが、少なくとも刃物で斬り合い、素手で殴り合いをし、頭部を鉄板仕込みの靴で蹴りあげられ、あまつさえ眼球を抉られた主君に比べれば取るに足らないものでしかない。

 

「なら良いんだがな。特に後遺症の類いは時間が経ってから来る事も多いからな、注意する事だ。……うん、やはり甘味が強過ぎるな。珈琲を選んで正解だった」

 

 菓子箱のバスブーサを一つ摘まんで口に放り込み、苦笑いを浮かべてマグカップを口に含む。そしてテレジアがそんな姿を見つめていれば、視線に気付き菓子箱を差し出す主君。

 

「ベアトには断られてしまったが、どうだ?正直見舞品の量が量でね。食べないといけないのは出来るだけ食べてしまいたいんだよ。偏見かも知れないが甘い物は嫌いじゃあないだろう?」

 

 助けを求めるような口調で伯世子は頼み込むように尋ねる。それは家臣に向けて、というよりも気心の知れた友人に向けたものに近かった。

 

「……そう仰るのであれば頂きましょう」

 

 余り主君の言葉に遠慮するのも失礼だ。恐る恐るとテレジアは白魚のような白い透き通った手を伸ばし、菓子箱から一つ摘まみ上げる。

 

 菓子屑が落ちないように注意しながら一口サイズのバスブーサを口に放り込む。その所作一つ一つが優美で品があり、彼女の育ちの良さを証明していた。

 

(確かに甘いですね……)

 

 サクッとしたナッツ入りのパイ生地の食感、次いで糖度の高いシロップが少々強く自己主張する。それでも一応は銘菓のブランド物である。これが一般庶民向けの屋台や工場の大量生産品だったらどうなる事か……大昔のまだ貧しく市民の殆んどが齷齪して炎天下の下で働いていた頃の味付けは現代では諸手を挙げて歓迎はされないようだ。

 

(ですが……)

 

 甘いが、味気ない……そう思うのは菓子が悪い訳でなければ味覚障害になった事が理由でもないだろう。それは彼女の精神的な部分に原因があった。

 

「どうした?浮かない顔だな?やはり味が好みではないか?」

「いえ、そんな事は……」

 

 ばつが悪そうにテレジアは答える。そんな臣下を見て、伯世子の方もまた渋い顔を浮かべて、しかし決心したように口を開く。

 

「あー、目玉の事か?それとも捕まった事か?何にせよ、今更落ち込まれても困る。それについては確かに問題もあったが……幸い、結果論的には私にも都合が良い事もあった。そもそも腐っても相手は公爵家だからな、そう恥じ入る事もあるまいよ」

 

 伯世子の言葉は半分程建前であるが、少なくとも半分は本気であるし、一応の筋も通っていた。そもそもカストロプ家の馬鹿息子が呆れた企みをしなければ結果的に同盟政府や亡命政府は政治的・軍事的・経済的に大きな打撃を受ける事になっていたであろうし、見方によればそれが避けられたのは彼女が人質になったお陰でもある。そもそも、一従士がカストロプ家相手に何が出来よう?そして何を期待出来よう?

 

 特に後半は目の前の主君が必死に祖母に向けて強調した事だし、逆説的にだからこそ孫の成し遂げた結果がより称賛される理由ともなり得る。それ故に祖母は不機嫌気味な溜め息混じりに孫の言い訳を受け入れ、不出来な従士の失態を『見逃し』た。

 

「承知しております。若様の御慈悲には感謝に堪えません」

 

 ですが……と、一旦言葉を切りその先を口にするべきかを迷った。この場でその事を言うべきか悩んだのだ。このような私情の交じる質問をするのは軽率であり、しかも緊張感も反省の色もないように思われたのだ。

 

「言いにくい内容かな?……無理に、とは言わんが出来れば聞かせて欲しいな。幸い、この病室は防音だ。それに悩みや不満は溜め込んでも負担になるからな。内容によるが話して楽になる事も、解決策が出てくる事もあると思うが……どうかな?」

 

 微笑みながら尋ねる主君に、しかしテレジアは若干の不満を抱いた。このような事を悩む自身も自身であるし、半分程八つ当たりに類する事は分かっていても彼女の悩みに深く関係する当事者にこのように気楽に言われると、やはりどうしても言葉に出来ない感情が生まれるものだ。

 

「分かりました。ではお尋ね致します」

 

 もやもやとした心情を吐き出すように、僅かに復讐心を含んだ口調で彼女はその言葉を切り出した。

 

「……最近、ゴトフリート少佐と何か御座いましたか?」

「っ……!?」

 

 その言葉に主君は咀嚼していたバスブーサを噴き出しそうになり噎せる。ゲホゲホと咳き込む目の前の上官。その顔が赤らみ動揺するのは噎せた事だけが原因ではないだろう。

 

「……その御様子ですと、やはり話は真実でしょうか?」

「げほ…げほげほ!?て、テレジア……その話は何処で……?」

「公世子が私を捕囚とした後に申しておりました」

「はは、成る程……」

 

 顔を引きつらせながら乾いた笑みを浮かべ、納得するような表情を浮かべる主君。その態度にテレジアは改めて全てが事実である事を確信した。同時に苛立ちを覚える。

 

「それで、真偽の方は?」 

「……隠していた訳じゃない……訳でもないな。まぁ、うん。想像の通りだよ」

 

 渋々と、そして何処か恥ずかし気に伯爵家の跡取りは自供する。

 

「御関係はいつ頃でしょうか?」

「あー、別にそう昔の事じゃない。その……エル・ファシルの後、いや今回の任務を拝命する直前の事だ」

 

 つまり、屋敷から抜け出した後であり、任務を拝命する前となるとその機会があるのは……。

 

「成る程、あの時という訳ですか」

「ま、まぁ。そういう事だな……」

 

 歯切れが悪そうにテレジアの言葉を認める主君。

 

「今回の任務中、ずっとお隠しになっていたのですね?」

「んんんっ……!それは……!」

 

 何処か非難がましく追及するテレジア。その態度は本当ならば家臣が主君に向けるべきものではなかったし、実際テレジアも直ぐにその事に気が付いた。幸い、声をかけた相手はその事に思い至らないようでかなり焦っている様子だった。

 

(随分な慌てぶりな事ですね)

 

 相手が慌てているためだろうか、テレジアは妙に冷静になって主君を観察する事が出来た。そのために内心の怒りも激発する事はなかった。

 

 尤も、だからと言って許した訳でもないが。

 

(許す?全く呆れたものですね。私がそんな事出来る立場でもないでしょうに)

 

 自身の内心での発言に肩を竦める従士。同時にふと、テレジアは自嘲気味な苦笑を浮かべていた。今更ながら自分はこんなに執着心が強く、独占欲に満ちた嫉妬深い女だったのか、と思ったからだ。まるでこれでは愛人の存在を夫に問い詰める平民の主婦ではないか。

 

(そう言えば御姉様にも言われましたね……)

 

 小さい頃から両親や親戚に姉が褒められていると頬を膨らませて間に割り込み甘えていた、と姉にからかわれた事をテレジアは思い出す。

 

「あー、つまりだな?別に他意があった訳ではないんだよ。そもそも私も仕事があった訳でって……」

 

 一方、視線を泳がせ、気まずそうな表情を浮かべ続ける青年貴族。その口調は明らかに早口で、何処か要領を得なかった。顔もどことなく青ざめている。

 

 正直な所、ここまで効果があるとはテレジアも考えていなかった。自身の主君がどのような危険な状況でも苦笑いか、あるいは焦燥しつつもその頭は冷静に、かつ合理的に行動し切り抜けて来た事を彼女は知っていた。それ故にこの動揺は予想外だった。

 

(もう少し淡々と認めるのかと思いましたが……)

 

 少なくとも、帝国的な価値観においては主君の立場であれば愛妾の一人や二人囲っていようとも何ら問題は無いのだ。隠す必要性すらない。流石に御家騒動まで引き起こせば話は違うが……。

 

「落ち着いて下さいませ。私は何も若様を責めている訳ではないのですから」

 

 そもそもそのような事を口にする資格もないのだ。

 

(とは言え、ここまで困惑しているお姿は中々可愛くはありますが)

 

 普段は何だかんだあっても冷静で勇敢な主君が初な乙女のように慌てる姿というものも中々珍しい。珍しいと同時に親しみと親近感すらも抱く。そして……。

 

(ああ、そういう事か)

 

 ここで漸くテレジアは自身の感情に正面から向き合った。そして、彼女の内に眠るどす黒い欲望が目を覚ました。

 

 そして、彼女はその感情の赴くままにその手段を取った。

 

「テ、テレジア……?これは何の積もりかな?」

 

 次の瞬間、自身の手を掴む目の前の従士にその行動の意味を問い掛ける主君。その表情は僅かに強ばっている。それは、多くの身の危険を経験した結果獲得した、ある種の第六感が警報を鳴らしているのかも知れない。

 

 ……どの道、手遅れではあったが。

 

「そんなに私に怒ってる?」

「いえ若様、別に他意なぞ御座いませんわ。ですが折角の機会ですもの。入院生活にも御飽きで御座いましょう?このような『お遊び』も一興かと」

 

 次の瞬間、ガチャッ!と言う機械音と共に青年貴族はベッドに押し倒される。青年貴族は照明を遮るように自身を見下ろす家臣の顔を確認する。同時に伯世子は自身の右腕の感覚が消失している事に気付いた。焦りながら視線を向ければ、既に機械式の義手は腕のコネクタから外され、鉄の塊はベッドの上で布団とシーツに深々と沈みこんでいた。自身を見下ろす家臣と目を合わせるヴォルター・フォン・ティルピッツ。

 

「はは、マジかよ。冗談だよな?テレジア?」

「冗談と御思いですか?」

「そうであったら安心するのだけれどな」

「それは残念な事です」

 

 何処か芝居がかったやり取り、押し倒される伯世子はあはは、と誤魔化すように笑いながら視線を動かしこの状況をどう切り抜けるかを考える。だがそれも両頬を掴まれて無理矢理に視線を合わさせられる事で無意味と化す。

 

「色々と想像はしていたが……こういう展開は想定外だったな」

「そうでしたか?私が若様の下に贈られた元々の理由を考えればそこまで可笑しな話ではないと思ったのですが」

 

 少女のように可憐で、しかし何処か妖艶な微笑を浮かべ首を傾げる従士。その瞳の奥からはドロドロとしたものが蠢いているように伯世子には思えた。

 

「……贈られた、ね。そういう考え方もあるにはあるな。とは言え、個人的な考えでは私は結構恨まれているかと思ったのだがな?」

 

 いつだってもう一人の同僚と比べられ、そして一線を引かれる。しかも主君たる自身はトラブルの種ばかり作り出すのだ。恨まれても可笑しくないし、少なくとも不満を持たれるのは当然だと伯世子は考えていた。

 

「はい。御恨み申しておりました。こうやっていつもいつも中途半端にお優しくなされて、その癖に大事な事では仲間外れですから。恨みもしましょう、生殺しです」

 

 そういって頭を入院服の上から主君の胸元に埋める。耳では聞こえなくても、彼女には主君の心臓の鼓動が速くなっているだろう事を殆ど確信していたし、それは恐らくは事実だった。

 

 そのまま主君の胸元を何度か頭で擦り、そしてそのまま身体を密着させ、見上げるように顔を主君の方向に向けた。

 

 媚びるような寂しげな微笑だった。

 

「っ……!あー、私はどう反応したら良いのかな?」

「自分で考えて頂けませんか?」

「少しこの問題は難しそうだな」

「成る程、意地悪な事ですね」

 

 クスッ、と悪戯っ子のような笑みを漏らす従士。その態度に気難しそうに視線を一瞬泳がす伯世子。深い深呼吸をして、自身を落ち着かせようとするがそう簡単にはいかない。

 

 これまでも密着する事自体は皆無ではなかったが、このもう一人の付き人と何も命の危険もない状態でここまでした事はなかった。腰に手が回っていた。腹部に柔らかい感触がした。家臣の太股が自分のそれに触れ、足は絡み合っていた。命を賭けた場面では一々意識しない事であるが、今はその一つ一つまで全てを必要以上に認識させられてしまっていた。同時に自身と幼馴染みとの関係を知られた事による羞恥心も相まってその動悸は間違いなく高まっていた。表情にこそ出さないがその思考は混乱の極みにあった。

 

(不味いなぁ……これはどうすれば良い?)

 

 当初は単に慰めて、謝罪して、許して終わらせる……従士の精神面でのアフターケアを目標にしていたのだが、どうやらそうは問屋が卸さないようだった。それどころか事態はあらぬ方向に向かっていた。

 

 同時に、この事態に対して自身の奥底でほの暗い欲望が浮かび上がっている事に嫌悪感を抱き、伯世子は内心で舌打ちしていた。

 

「テレジア。ベアトの事を言わなかったのは本当に済まないと思っている。だが別にお前の事を疎んでいる訳でも、信頼していない訳でもないんだ。信じてくれないか?」

「何故私が疑うのですか?若様は私がそんな事を理由に今の行為を行っているとお思いで?」

「違う、といいたいのか?悪いが私はエスパーじゃあないのでね。はっきり言われないと分からん」

 

 おどけるように答える伯世子。しかしそれがこの場の状況を誤魔化すための痩せ我慢に過ぎない事をテレジアは見抜いた。主君が家臣の出で立ちを見抜けるように、家臣もまた主君の事を良く観察してその僅かな所作の癖を熟知していた。そして、その上で彼女もまたその嫉妬と不満と僅かな悪戯心から口元を吊り上げて目の前の主君を虐める。

 

「あらあら、酷い事で御座いますわ。ここまでしていて何も分からない振りをするのですね?若様は本当に酷い御方です。そうやって私の心を弄ぶのですね?」

「むっ……」

 

 泣きじゃくる振りをするだけで口元をへの字にして困ったような表情を浮かべる伯世子。その態度は周囲に秘密で同僚と関係を持ち、あまつさえ多くの命がけの戦いに身を投じて来た人物とは到底思えなかった。まるで二十歳にもなっていない不機嫌な恋人を必死に宥めようと悩む純朴な青少年のようだった。

 

「……そう難しい事ではありませんわ。元より私は少佐同様、若様に全てをお捧げする立場で御座います。ましてやこれまでの御恩を思えば可笑しな事ではないのでは?」

 

 本来ならば相手しろ、と命令されれば嫌でもするしかないのが彼女の立場なのだ。ましてや付き人として自身がどれだけ失敗し、どれだけ許されてきたのかを彼女は良く知っている。文字通り死ぬ筈の所を助けられてもいるのだ。好意を持つ事自体は可笑しくはない。可笑しくはない、が……。

 

「だが、恩があっても、だからと言って恋愛感情に繋がる訳でもないだろう?」

 

 しかし、主君はその感情に粗捜しするかのように疑問を呈する。それだけでは納得出来ない、といった態度だ。実際、彼は付き人の行動をある種の暴挙のように見ているのかも知れない。

 

「吊り橋効果って奴じゃないのか?それとも自罰的になっているんじゃないか?正直、私は顔と生まれ以外はそんなに魅力的なものじゃないと思うんだけどな?何の才能もない……凡人だからな」

 

 自嘲気味に笑う伯世子。それは自虐的であり、寂しげで、しかし謙遜しているようには見えなかった。それは事実のみを口にしているように思えた。そして、だからこそ力なく、辛そうな表情を浮かべていた。

 

 そして、そんな姿にテレジアはチクリと胸に痛みを感じた。それは本能的に目の前の主君の悩みが心の底からのものであり、同時に自分では到底解決出来ない類いのものだと察せられたからだ。

 

「………若様」

 

 目を細めて、従士は考える。この人の悩みは何なのだろうか?それは自分には教えてくれないのか?他の人になら教えるのだろうか?そして……自分は彼を助ける事は出来ないのだろうか?

 

 そこまで考えて、同時に既に確信していた。少なくともその悩みは自分にはどうしようも出来ないものなのだろうと。そして、きっとそれを乗り越えるためにこの主君は文字通り自身のあらゆるものを犠牲にするのだろうと。その寂しげな、下手すれば消え去りそうな何処か儚い笑みはいつも、危険に襲われた時、自身の犠牲すら覚悟する時のそれに良く似ていたから……。

 

 だから……。

 

「失礼を」

「えっ……?んっ!?」

 

 口をいきなり塞がれた事に伯世子は目を驚愕に見開いていた。その瞳には至近距離で自身を見つめる付き人の姿が映る。 

 

「んっ……んん……」

 

 丁寧に優しく、礼儀正しく、優美に、しかし同時に獣のように激しくテレジアはその口を貪った。舌を捩じ込んで蹂躙するような欲望にまみれた口付け……。

 

「はぁ……はぁ……どうでしょう?少佐に比べて上手かったですか?」

 

 銀糸を垂らしながら口を離した従士は、赤い唇を舌で一舐めした後、顔を赤らめつつも蠱惑的に微笑んだ。

 

「……二、三回しかした事ないから分からねぇよ」

 

 暫し唖然として、それから羞恥と焦りを含んだ何処か苦々しげな顔で伯爵家の嫡男は答えた。

 

「あら、結構少ないのですね?」

「そもそも本番自体一回しかしてねぇよ」

「そうなのですか?」

 

 もっと何度も経験しているだろうと勝手に想像していた事もあり、テレジアは心から意外そうに驚く。そして、同時にほの暗い欲望が溢れ出す。それは普段の澄まし顔の彼女のではなく、寧ろ彼女本来の性格から生じたものだった。

 

「ふふふ、良いお話を聞きました。でしたら私もまだまだ挽回の機会はありそうですね」

 

 するり、と従士は首元のスカーフをほどいた。それだけの動作がどうしようもなく官能的で、艶やかで、魅力的だった。それは思わず相手の伯世子が唾を飲む程だった。

 

「……なぁ、今ならまだ引き返せるから止めないか?」

「何て殺生な事を仰いますか。私にそこまで魅力が御座いませんか?」

「い、いや……ほら、音が聞こえるし」

「この病室は防音だったと記憶しておりますが」

「………」

 

 暫く沈黙した後、伯世子は忠告する。

 

「なぁ?私なんか狙うのは悪食じゃないか?」

「では少佐も悪食という事でしょうか?」

「はは、口で説得しようとした私は愚か者だったな。完全に丸めこまれてるじゃないか」

「御理解頂けて何よりですわ」

 

 くすり、と妖艶な笑みと共にテレジアは優美な手つきで上着を脱いだ。それだけの事なのに、その所作は凄まじい色気が漂っていた。

 

 同盟軍制式採用の薄いカッターシャツにズボンの出で立ち、その白い生地の上からも彼女の豊かな胸元が分かる。

 

 どうしようもなくちらりとそちらに視線を向け、しかしすぐに付き人の目を見つめる主君。その行為が何処か子供ぽく思えて、可愛いらしく、愛おしくも思えるのは彼女の元々の趣向なのか、それとも教育による後天的なものなのか、彼女自身も分からなかった。しかし、同時にそんな事はどうでも良かった。そういう感情を向けられる事自体が彼女には嬉しかった。

 

「……ははは、ベアトに言い訳を言うのが怖いな」

 

 自虐的気味にそう語る主君の、しかしその瞳の奥で蠢く欲望をテレジアは見逃さなかった。そして、それを表側に引き摺り出すのは簡単な事だとも彼女は本能的に理解していた。

 

「御心配なさらないで下さい。所詮は『お遊び』で御座います。一度使って、お気に召さなければそれきりお忘れ下さいまし」

 

 すまし顔で、妖艶に微笑む姿は到底一度も経験のない乙女のようには思えなかった。その耳元で囁く言葉は優しげで、淫蕩だった。

 

 多くの者はその笑みだけで心を奪われ、その囁き声だけで理性を失うだろう。そしてそのまま獣のように彼女を押し倒し、その欲望に身を委ねていただろう。それほどまでの魅力だった。

 

 ……無論、例外もいるのだが。

 

「……私がそんな無責任な奴に見えるか?」

 

 欲望に負けそうになりつつもギリギリで耐えて、若干不快そうな声を上げる伯世子。

 

「遊びではなく本気だと?」

「……どうなんだろうな。少なくともそれきりに出来る程割り切れる性格ではないと自覚しているよ」

 

 そう語る彼の左手が彼女の小さな肩に触れていた。その瞳には様々な感情が入り交じり、一言では言い表せそうにはない。だが、少なくとも彼女を嫌っている訳でない事は確かだった。

 

 だからこそ、彼女はその態度を受容と認容であると理解した。そして彼の内心の葛藤と迷いを振り切れるように語る。

 

「では、後程共に言い訳を考えさせて頂きましょう。ですが今は後先考えず……どうぞお楽しみ下さいまし」

 

 そう妖艶に唄い、目の前の青年の病院服に手を潜り込ませ、テレジアは身を寄せた。主君は複雑な表情を浮かべつつも、それを拒絶する事はなかった。

 

「………」

 

 奉仕を始めつつ、彼女はちらりと気付かれないように視線を扉の方へと向ける。締め切った筈の扉が僅かに開いていた。

 

 その瞳を細めながらテレジアはその扉を開けたのが誰なのかを殆ど確信していた。恐らくは先程までの会話は全て聞かれていただろう。

 

 知っていた。そう、彼女はそんな事元から知っていた。その上で……いや、だからこそ彼女は行動を起こしたのだ。宣言したのだ。要求したのだ。抜け駆けした彼女に自分にも分けるように、そして何らの行動もなかったのはそれが認められたという事だった。

 

 ……尤も、痴話喧嘩の類いは起こらない事をテレジアは最初から確信していた。そもそもそんな事の出来る関係でもないし、同僚は少なくとも自分と違いそんな嫉妬で動く性格ではない事を知っていた。寧ろ、複雑な心境を持ちつつも認めざるを得ないだろう。外面だけでなく、心からも。だって………。

 

(だって、少佐も似たような事をお思いでしょうし……)

 

 頼れる相手が、執着出来る相手がいなければ、この人は多分そのうち何かを守るために腕や目だけでなく、その命まで平気で引き換えにしてしまうだろう事を、彼女も、テレジア・フォン・ノルドグレーンもまた理解していたから……。

 

 

 

 

 

 

「そんで?今度は何の用なのよ?まさかまた飯を集りに来た訳でもないでしょう?こちとら家吹き飛んで金欠なんだけど?というか滅茶苦茶交通の邪魔なんだけど?」

 

『裏街』の貧相な市場の前に停まる場違いな黒塗りの高級地上車。その後部座席の窓が下がって禿げ頭の男が微笑を浮かべて顔を出す。

 

「やれやれ、だからそう無下にしなくても良かろうに。それに、今の生活は然程悪くはないのだろう?」

 

 カストロプ公の影響力の低下やどこぞの放蕩男爵が好き勝手したくれたお蔭でこの辺りを仕切るマフィアの勢力もとばっちりを受けるように弱体化しており、彼女にちょっかいをかけるような暇はない。更に言えば、自治領主府からも今回の口止め料が支払われている。はした金ではあるが、『裏街』では十分に大金と言えよう額であり、慎ましく暮らせば暫くは持つであろう。

 

「結局当面の生活がマシになっただけよ。働かなきゃすぐに無くなるわ。ねぇ、あんたには期待してないけどあの義手の奴から何か無かった?腹立つから利子つけて家賃と賠償金支払わせたいんだけど」

 

 冗談でもなく明らかに本気で少女は尋ねていた。そのがめつさと逞しさに、呆れ気味に苦笑を漏らした補佐官は一枚の紙を差し出す。

 

「丁度その事で話があった。彼方からの賠償支払いプランだよ」

「ふぅん、自分から顔を見せずに態態メッセンジャーを雇うなんて良い身分な事ね。生意気だから利子上乗せしてやろうかしら。それで?中身は……」

 

 鼻を鳴らして尊大な態度を取るアイリスは受け取った紙の上の文字に目を通し始め……顔を強ばらせる。

 

「………ねぇ、これって」

「そういう事だな。どうやら君の出自は知られているようだ」

 

 漸く我に返って恐る恐ると尋ねるアイリスに、肩を竦めてルビンスキーは答える。

 

「私自身も彼の意見には賛成だ。今回の騒動で君に注目する者もいるかも知れん。その中には君の御両親の事まで辿り着く者もいるだろう。不意に別の騒動に巻き込まれるのに比べればマシであろうし、考えて見れば寧ろ本来の形に戻っただけとも言える。私としても賛成だ。少なくとも私が見る限り大佐はそこまで劣悪な性格でもないし、君をぞんざいに扱い利用するようなまねはしないだろう。そんな割り切りが出来る程器用ではあるまい」

「言いたい事は分かっているわ。けど……」

 

 何処か歯切れの悪そうな口調で理解の言葉を呟くアイリス。そこには何やら葛藤があるようだった。そして黒狐にはその心当たりがあった。

 

「あいつか」

「………何か悪い?」

 

 否定的な印象を受けるルビンスキーの言にアイリスはむっとした表情を向ける。

 

「いやいや、あいつも幸せ者だと思ってな。全く、こんな別嬪がいるのに家出とは呆れる。それでお前はあいつの帰る場所を守っている訳か?」

「………」

「無言はこの場では肯定だぞ?やれやれ、困ったものだな」

 

 はぁ、と溜め息をつくルビンスキー。そんなルビンスキーにアイリスは尋ねる。

 

「あんた、実はあいつが何処にいるか知ってる?」

「………」「無言は肯定と認めて良いかしら?」

「ふん、全く変な所で勘が良い事だな」

「お褒めの言葉ありがとう」

「褒めてない」

 

 勝ち誇ったような顔をするアイリスを見て、再度溜め息を吐くルビンスキー。彼女が何を要求しているのか彼は察しがついていた。

 

「今更会っても仕方無いと思うのだがな?」

「それはあんたが決める事じゃないわ。けじめは必要よ。どうせあんた、これを機会に新しいコネクションを作りたいんでしょう?これくらいは協力しなさいな!」

 

 ふんっ!と要求をするアイリス。少女の要求に黒狐は断るなどという選択肢は存在しなかった。

 

 

 

 

 そこはフェザーン内陸部のとある金属ラジウム鉱山であった。

 

 今となっては生産量は其ほどではないが、フェザーンが自治領となるより遥か昔、銀河連邦崩壊以降の混沌の時代から採掘事業が行われ、フェザーンの最も苦難の時代を支えて来た歴史ある鉱山であり、経済的な目的よりも寧ろ資源小国であるフェザーンの資源自給政策と技術ノウハウの継承、伝統の維持、そしてある種の社会保障政策的な理由から操業が続けられていた。

 

「あいつ、こんな所で働いているわけ?呆れた、あんたを追い越すって啖呵切ってた癖に何で鉱夫やってるのかしら」

「いやいや、そう馬鹿にしたものでもないぞ?ここの待遇は思いの外良いからな」

 

 採算を考慮していないこの鉱山は、当然ながら多くの『裏街』の不法労働者が働くそれと違い安全対策は万全であるし、給金や福祉厚生も少ないとは言えまともな部類ではあった。

 

 何よりも社会福祉政策の一環として主に『裏街』の労働者向けの自由参加の夜間講座が開かれている。『裏街』の住民には義務教育も受けていない者が多いが、この鉱山での夜間講座で成績が良好な者には大学受験、そして学費の補助金が支給される事になっていた。

 

「一応聞くけど、あんたが自治領主府でプレゼンしたの?彼方さんの官僚達は私らみたいなド底辺の溝鼠の事なんか考えないでしょう?」

「別に同胞に同情した訳ではないさ。ただ『裏街』の人口は膨大だ。私は帝国人のような血統主義者ではないのでね、才能と意欲がある者は有効活用するべきと考えただけの事だ」

 

 『裏街』出身者が増えれば派閥的にも利用出来るしな、と不敵な笑みを浮かべて付け加える黒狐。その口調と態度は恐らくは照れ隠しではなく本音を語っているのだと言う事を少女は知っていた。彼女の弟分でもある幼馴染みも、そう言う時は瓜二つの表情を浮かべていたから間違いなかった。

 

「血は水より濃い、というけど……あんたを見てると真実だって思えるわね」

「それは正確ではないな。正しくは親の悪い所に限って似るのさ。お前もそうだろう?あのだらしない馬鹿貴族に似ていれば塵拾いなぞすまい?」

 

 残念ながら顔立ちだけでなく性格まで母親の方に似てしまったらしい、と黒狐は嘯く。あの没落貴族様は金銭面でどうしようもなく、見栄張りで、その癖女を口説き落とすのは巧かった。翻って独特の蒼い髪に美貌と美声で知られた元オペラ歌手の母親の方は気安く、明るく、そして面倒見が良過ぎた。

 

「やれやれ、君の御母上は情に厚すぎる。とっととあのような男捨ててしまえば良かったものを」

「父も母も愚かだったのは否定しないけどね。余り人の親を否定しないでくれないかしら?愚かであっても親は親だから」

「自分で馬鹿にする分は良くても他人に罵倒されたくないと?」

「悪い?」

「いや、だが……」

 

 不機嫌そうに睨み付けてくる少女を何処か愉快げに笑みを浮かべる黒狐。

 

「御母上は兎も角、御父上に対しても、と思ってな。あのフリードリヒ大公の放蕩仲間ともなれば子爵がどれだけ愚かで短絡的な人物なのか分かりそうなものであるのだがな」

 

 当時の主流派貴族であれば当然リヒャルト大公かクレメンツ大公のどちらかに与した事だろう。あるいは大穴狙いで傍流の他の皇族に付くのも野心家としては一手であっただろう。中立の立場を取る者がいるのも理解は出来る。

 

 だが、フリードリヒ大公の下に集まったのは当然野心家ですらない。皇帝から命じられて侍従ないし侍従武官として面倒を見ていた数名を除けば、大半は家から勘当された、あるいは同然の不良貴族に放蕩貴族ばかりである。アイリスの父もまた興隆と没落を何度か経験しているものの、一応は帝国建国以来続く武門の子爵家の直系であったのだが……。

 

(借金で首が回らなくなってよりによって武器や機密情報を売り渡すとは後先考えぬ愚か者というべきか……)

 

 ルビンスキーは若手官僚の頃に『裏街』で面識を持った、顔だけは良い自堕落男の事を思い出す。軍務省軍需局の一部長だったその大佐は、当初はカストロプ公達に廃棄予定の旧式兵器を横流しし、次いでそれだけでは飽きたらず接触してきた同盟のエージェントに軍の機密情報を売り払うようになった。その中には第二次イゼルローン要塞攻防戦の作戦立案の前提となる要塞の主砲射程や内部構造に関する内容も含まれていた。

 

 同盟軍の作戦自体は不発に終わったものの、帝国軍は同盟がどのようなルートから情報を獲得したのか調べ抜いたし、幾人かいた情報提供者の中で最も警戒感が薄く、短絡的であった子爵が最初に機密漏洩をした事を知られるのは当然の事だった。

 

 慌てて屋敷内の宝石類をかき集め、妻と幼い娘だけ連れて亡命を図った子爵はある意味では悪運は強かったのかも知れない。

 

 愚かな子爵の事である、罪の軽減のためにカストロプ公への兵器の横流しの事を自供するかも知れず、カストロプ公に雇われた幾人かの暗殺者が亡命先で待ち構えていたのだが……当の子爵はフェザーン商人に騙され財産の大半を失い『裏街』に流れる事になり、この暗殺は空振りに終わる。

 

「分かっているわよ。あの大馬鹿者の愚図はどうしようもない奴だって事位ね。けど母さんはそんな屑でも愛してたみたいだし?余り罵倒したら母さんが悲しむわ」

 

 心底不本意そうな表情で溜め息をつくと「昔話なんて止めてさっさと行きましょう?」と言い捨てて鉱山の方に向かう少女。

 

「………」

 

 その気性に比べて遥かに小さな背中を見据えながらルビンスキーは昔の記憶を思い浮かべる。

 

 無謀な起業やギャンブルに明け暮れて、遂に愛想を尽かした少女の母がすやすやと眠る幼子を抱えて彼と彼の最初の妻が住むぼろ屋敷に夜逃げして来た日の事を。

 

 半泣きの男が追いかけて必死に土下座していたのをルビンスキーは覚えていた。妻と共に彼らの子供を預かる間、外からは女性のヒステリック気味な怒鳴り声とあたふたと恐れおののきながら謝罪する情けない没落貴族の泣き声が漏れ聞こえていた。当事者でなくてもその声には思わずうち震えたものだ。

 

 和解して、漸く真面目に働くようになった男は、しかし全てが手遅れだった。男は突如失踪した。カストロプ公の追っ手に見つかったからだ。

 

 和解した妻と幼い娘は連れていかなかった。間違いなく逃げ切れないし、寧ろ連れて行く方が家族を危険な目に遭わせる事を知っていたから。ルビンスキーが最後に彼と話したのは電話越しの事だった。震える声で彼は彼の知る秘密を伝え、そして懇願された。彼の家族の事を。

 

 彼の死体が見つかったのは数日後の事だ。『裏街』で死体が出るのは良くある事だ。そして、失踪も。

 

「知らない方が幸せな事もあるからな」

「?何か言った?」

「いや、お前が気にするような事ではないさ」

 

 黒狐は不敵に笑い、少女を追い抜いていった。

 

 

 

 

「げっ!?どうしてお前がここに!?」

「誰がお前じゃこらっ!!アイリス姉さんとお呼び!!」

 

 鉱夫としての仕事の合間、休憩室で古びた参考書を熟読していたその少年が血の繋がらない姉と近所の幼馴染みを兼ねていたその少女の存在に気付いたのは、文字通り彼女が目の前に来た時の事だった。

 

 同時に肉食獣のような加虐的な笑みを浮かべたアイリスはそのまま年下の幼馴染みに抱き着き……その首を締め上げる。

 

「うぎゃああああっ!!?」

 

 少年は喉から凄まじい悲鳴を上げる。一見すればか弱い少女のか細い腕による締め付けである。その反応は周囲で唖然とした表情で見やる鉱夫達にとっても大袈裟に見えただろう。

 

 だがそこはその常人には有り得ない天然の蒼い髪からも分かるように、シリウス戦役時代に調整された強化人間の先祖返りである。その上『裏街』で幼い頃から肉体労働に従事している身である。その締め付ける筋力は下手な男以上だ。

 

 ましてや近所の子供と喧嘩する度にこてんぱんにやられ、その度に大泣きして姉代わりの幼馴染みに助け出された少年が勝てる道理なぞない。

 

「な、何でお前が……痛たたたたっ!?」

 

 そう叫べば更にきつく締め付けられる少年である。

 

「だ・か・ら!!誰がお前だ泣き虫ハロルド?あんたいつから私をそんなぞんざいに呼べる位偉くなったのかしら、ええ?おらおら!謝罪する時の言葉位覚えているでしょう?」

 

 意地悪そうに、楽しそうに、そしてどこか懐かしそうに宣うアイリス。そろそろ窒息しそうな少年は若干白目を剥きながら観念したように叫ぶ。

 

「わ、分かった!アイリス姉さん!いや御姉様!俺がっ!俺が悪かったですっ!!マジ許して下さい!!」

 

 懇願するように叫ぶ少年に少女は一旦その腕の力を緩める。そして目があった少年に向けて爽やかな笑顔。青ざめる少年。それが少女の処刑執行前の合図だと、彼はこれまでの経験から知っていた。

 

「何の断りもなく養ってやってる保護者の所から離れて偉そうに言ってんじゃないわよ!!この大馬鹿野郎がっ!!」

「うおおおっ!!?ぐえっ!!?」

 

 腰を掴み、大声で叫びながら少女は少年にジャーマンスープレックスを食らわせた。打ち込みは完璧だった。屠殺される鶏のような悲鳴を上げる少年。

 

「ふー、すっきりした」

 

 完全に戦闘不能になっている少年を投げ捨てて風呂上がりのような笑みを浮かべアイリスは額の汗を拭う。何故か周囲でそれを見ていた鉱夫達は思わずプロレス観戦をする観客のように拍手する。ルビンスキーだけが髪が壊滅している頭を抱えて唸り声を上げていた。当然ながらそれは日々行っている育毛が上手く実を結ばないためではない。

 

「済まない、この小僧を少し借り受けたい」

 

 ルビンスキーは年長の鉱夫達に自身の立場を伝えそう申し入れる。当然ながら拒否される事はなかった。

 

 鉱山の離れに引き摺られた少年が目覚めたのはそれから凡そ十分程が経過した頃の事だった。

 

「うぐっ……!?ね、姉さん、流石に野外であれはないって……痛てて……マジであれは死ぬか……」

「久しいな、ハロルド?いや、ルパートと呼ぶべきかな?」

「っ!!?貴様っ!!?どうしてここに!?」

 

 その声に反応して振り向いた少年の視界に禿頭の異形の男が映りこむ。同時に少年は目を見開き、その表情は怒りと敵意に満ちる。今にも目の前の男を殺さんばかりであった。

 

「貴様……貴様あぁぁ「五月蝿いわよ、ハロルド」ぎゃっ!!?」

 

 今にも黒狐に襲いかかろうとする少年をの後頭部を、手慣れたように遠慮なしに容赦なく殴り付けるアイリス。再び悲鳴を上げて後頭部を抑えながら蹲るハロルドと呼ばれる少年。

 

「やれやれ、その様子だとまだまだその娘には頭が上がらないと見えるな」

 

 その様子を見ていたルビンスキーは、息子がその本質は最後に会った頃と変わっていない事を見抜き、呆れ気味に首を振る。

 

「うぐっ……!!それがどうしたっ!!?貴様、よくもぬけぬけと俺の前に現れてくれたなっ!殺してやる!!今すぐに殺してやる!!」

 

 憎悪しかない視線で実の父を睨み付ける少年。鉱山での登録名は『ルパート・ケッセルリンク』であるが、当然ながらそれは偽名である事をルビンスキーも、アイリスも知っていた。『裏街』の住民には戸籍がなければ住民票もない。それ故に名前程度いくらでも自称出来るし、それを確認する術なぞなかった。とは言え……。

 

「甘いな。俺を狙うなら当然ながら同じように自治領主府に出世せざるを得まい。となれば勉学に打ち込むのは必然だ。『裏街』出身かつ年齢が合う勉学家ともなれば調べ出すのは簡単だったぞ?」

 

 本人は偽名でバレないと思ったかも知れないがまだまだ詰めが甘いな、とルビンスキーは内心で息子を採点する。

 

「貴様ああぁぁぁ!!「だから静かにしなさいな!」うぎゃ!?」

 

 再度アイリスにより後頭部にチョップを食らい蹲る息子に溜め息をつく黒狐。

 

「はぁ、全く興奮したら視野狭窄になるのはあの女そっくりだな。怒るのは構わんが、何故私がお前に会いに来たのか、そして彼女がここにいるのか位考えたらどうなんだ?」

「っ……!?」

 

 苦々しげに父を睨む男はしかし、その指摘を受けてはっ、と幼馴染みを見る。幼馴染みは肩を竦めて呆れたように深い溜め息を吐き……彼の言葉に答える。

 

「私から御願いしたのよ。最後にあんたに会いたいってね」

 

 何処か寂しげな表情を浮かべる姉でもある幼馴染み、その表情に言葉を失い、次いで尋ねるように父を見やる少年。

 

「そうだ。彼女を連れて行きたいと申し出ているさる高貴なお方がいてな。彼女自身はお前がいつか帰って来る時に備えて期限を引き伸ばして誤魔化していたが……遂に観念せざるを得なくなったのだよ。それで彼女の回収を仰せつかった私が同時にその願いを叶えるためにお前の所に現れた訳だ」

 

 ルビンスキーはアイリスの態度から何を望んでいるのかを察し、それに乗る事にした。何処か芝居がかった口調でルビンスキーはある亡命貴族が彼女の血筋を知り、自身の手込めにするためにあの手この手で彼女を追い詰めている事を伝える。

 

「馬鹿なっ!!?そんな……!?」

「おや、随分と驚いているじゃないかハロルド?お前、まさか彼女を一人置いていって何の危険もなく生きていけるとでも思っていたのか?」

 

 ルビンスキーは虐めるように尋ねる。実際、この馬鹿息子は母親が病死した後、恩義もある幼馴染みに何も言わずに父に復讐するために飛び出してしまったのだ。あるいは自身が成り上がった後に迎えにいく積もりだったのかも知れないが……その意志をいつまでも変えずにいられるかは分からないし、どちらにしろアイリスにとってそれは裏切りであっただろう。ルビンスキーはその事についても追及し、その度に息子は屈辱に顔を俯かせる。

 

「ね、姉さん……お、俺は別にあんたを捨ててなんて考えて……」

「お前がどう思おうが構わんが、結果としては折角自腹を切って養っていた貴様が何の前触れもなくいなくなったのは事実だ。しかも家出したきり一度も顔を出していないらしいな?だから彼女がどういう状況にいたのかも分からないのだよ。ふっ、お前は私に良く似ているな?」

 

 愉快そうに黒狐が挑発すれば悔しげに歯を食い縛る少年。そしてそのままアイリスの方を向く。アイリスの方は自嘲気味に笑みを浮かべる。

 

「あんたが何を目的にしてるかは知ってたわ。ルシア姉さんは良い人だったし、それを見捨てたそいつに復讐したいってのも分かりはするのよ。だから色々誤魔化して来たけど……駄目みたいなの。あんたの帰る場所はもう守れないみたい」

 

 心底済まなそうに答えるアイリスに少年は困惑し、次いで慌てながら口を開く。

 

「そ、そんな事……!姉さん、だったらこの鉱山に隠れてくれよ!!め、飯なら俺が稼ぐよ!ほら、ここは結構給金も良いんだ!姉さんみたいな少食なら一人位養え……」

「駄目よ。どうせ気付かれるわ。そうなったらあんたの命まで危険に晒されるわ」

「そんな……!!?」

 

 幼馴染みからの無慈悲な宣告に絶望する少年。

 

「言った筈だ。彼女を要求して来たのは高貴な亡命貴族様だとな。貴様程度の力と浅知恵では時間稼ぎにもならん。だからせめて最後にお前に会いに来たんだ」

 

 父の言葉に青ざめる少年。いきなりどうしようもない宣告を受けて混乱しているようだった。

 

「そんな……俺はただ……」

「ハロルド」

 

 アイリスのその言葉に、少年はびくっと怯える。叱られると思ったからだった。だがそれは違った。アイリスは彼のこれまで見たことのない穏やかな表情を浮かべていた。そして続ける。

 

「私も、あんたを少し縛り過ぎたとは思って反省しているわ。だから今回の事は別に気にしなくてもいいわよ」 

「で、でも……!」

「でも、じゃないわよ!もう、子供じゃないんだからそんな言い訳染みた言い方止めなさい!」

「うっ……」

 

 母親が子供を叱りつけるようにアイリスは宣った。そして、優しげに、そして何処か幼い笑みを浮かべて注意する。

 

「あんたが一人立ちするのは構わないわ。けどね、これだけは注意するわよ?ちゃんと朝は一人で起きなさいよ?」

「……あぁ」

 

 アイリスの言葉に悔しげに、そして寂しげに答える少年。

 

「朝ごはんは時間がなくても食べなさい」

「あぁ」

「朝家を出る時はこけないように注意よ?」

「あぁ」

「仕事は途中で小まめに水を飲みなさい!」

「あ、あぁ……」

「お昼ご飯は抜かない!」

「あ、うん………」

 

 これだけ、といいつつ五月蝿い母親のように三十近くの注意を次々と指摘するアイリス。流石に少年も途中から注意が多すぎて少し歯切れが悪くなる。

 

「それと……あら、もう来たのね。早いわ」

 

 最後の注意を言おうとすると背後から数台の地上車がやって来るのが見えた。振り向いてそれを見ながら寂しげな表情を浮かべるアイリス。少しげんなりしていた少年も、そこで漸く現実に引き戻される。

 

 地上車が停まり、中から数名の武装した傭兵達が出迎えるように降りる。それを見て、今更のように少年は事の重要性を理解した。アイリスは再度少年の方を向き、そして笑みを浮かべた。

 

「じゃあ最後よ。お腹が冷えないように、寝る時はちゃんと服を着なさい。ハロルド、元気でね?あんたの無事な姿見られて嬉しかったわ」

「姉さん……!!」

 

 駆け寄ろうとした少年を止めたのはアイリスの盾のように現れた傭兵達と、少年の肩を掴んだ黒狐の腕力だった。再度、少年は少女を呼ぶ。しかし、アイリスは二度と振り向く事はなく、一言も口にせずに地上車に乗りこんでいった。

 

「私も見届け人として着いていく事になる。私もお前とはおさらばだ」

 

 ルビンスキーの言葉に、しかし少年は殆ど関心を示さなかった。彼の視線は幼馴染みの乗り込んだ地上車にだけ向いていたから。

 

「……取り返したいか?」

「………」

 

 ルビンスキーのその言葉に、無言で少年は振り向いた。

 

「ふっ、言っておくが、私は取り返すための手は貸さんぞ?それに私とてどうにか出来る力がある訳ではない。だが……貴様が彼女を救うための力、それを手に入れるための指導ならしてやれる」

 

 その言葉に目を見開いて驚く少年。

 

「そう驚く事はあるまい。交換条件さ。お前が力を得るための援助をしてやる。代わりに貴様は私の栄達に協力しろ。ギブアンドテイクだ。簡単だろう?」

 

 意地悪な笑みを浮かべるルビンスキーに、ぎっ、と奥歯を噛み締め悔しそうにする少年。だが、それに何の意味もない。今の少年は余りに無力過ぎた。

 

「ふん。貴様が私を恨んでいるのは知っている。だが、それがどうした?貴様はその程度の男か?私を追い落としたいのだろう?そして彼女も救いたい筈だ。だったら話は簡単だ。今だけは私と組め」

 

 ルビンスキーは実の息子に契約を持ち掛ける。すっ、と腕を差し出す黒狐。

 

「貴様が真に血反吐を吐いてでも目的を達成する覚悟があるのなら私の腕を取れ。詰まらんプライドが大事ならば好きにするが良い。私もその程度のちんけな男に興味はない。二度と貴様に自ら会う事はあるまい」

 

 にやり、と相手を試すような不敵な微笑を浮かべる黒狐。それは普通ならば実の父が息子に向ける類いのものではない。

 

 だが、それでも未だ成人もしていない少年にとっては自身の野心と目標を遂げるための機会に他ならなかった。そして、この少年は父親と似てそのためならば手段も選ばない覚悟と冷徹さと、誇りを持っていた。

 

「良く選んだハロルド。いや、ルパート・ケッセルリンク。では行くとしようか、貴様程度の凡人でも肉食の獣になれるように、私が厳しく躾けてやろうじゃないか」

 

 自身の手を苦々しげに握る少年に向けて、アドリアン・ルビンスキーはそう力強く約束した。

 

 そして、同時に内心でこう考えてもいた。

 

(あの小娘、当て付けの積もりか?最後に馬鹿げた三文芝居なぞしよって)

 

 ユージーン&クルップス社が寄越した出迎えの地上車の中で、恐らくは小僧の反応に笑い転げているであろう少女の事を思いながら、ルビンスキーは息子にまずは相手の芝居を見抜く目を養わせようと決心した。

 

 

 

 

 尚、ハイネセンにて………。

 

「あら?貴女は誰かしら?……へぇ。婚約者なの?私?アイリス、アイリスディーナ・フォン・ナウガルトよ。貴女の婚約者に再興する家の後ろ楯を御願いしているの。……えぇ、確かにフェザーンでは『色々』とあったのだけれどね。まぁ、そういう事だから……どうぞ末永く宜しく御願いしますわね?」

「………」

(あ、死んだわこれ)

 

 宇宙港で心配そうに婚約者を出迎えたケッテラー伯爵家の娘がナウガルト家の少女に自己紹介された時、伯爵令嬢の瞳からハイライトが消えたのを、婚約者は見誤る事なく確信する事が出来た。




ケッテラー家とナウガルト家の関係は原作外伝で確認してね!


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幕間
とある騎士の追憶と誓約


次から次章です


「ミカ!遅かったじゃないか?いつまでも来ないから待ちくたびれたぞ?」

 

 青年は長年連れ添って来た親友の声に、しかしすぐには反応する事が出来なかった。それほどまでに彼は放心し、絶望し、苦しんでいたから。

 

 その事に気付いたのはいつの事であっただろう?いや、きっとその事に本当はとっくの昔に気づいていた筈なのだ。

 

 ただ……ただ、気付かない振りをしていただけであったのだ。今の関係を壊したくないから。その繋がりを失いたくないから。

 

「ミカ?……おいミヒャエル、どうしたんだ?そんなに顔を青くして。どうせまた宇宙酔いする癖に酔い止めを飲み忘れて本を読んでたんだろう?お前は几帳面な癖に大事な事に限って忘れるからな?」

 

 駆け寄って来た親友は何事もないかのように青年に向けて屈託のない笑顔を向ける。そう、何事もないように。

 

「………」

 

 青年は渋い表情で親友を見つめ、思い返す。

 

 ……気難しく、話下手で、アウトドアを嫌う文学少年だった自分とは正反対の活動的で、社交的で、話上手で、そして幼年学校と士官学校でフライングボールチームのエースに輝いた親友は彼の合わせ鏡のようで、同時に憧れで、そして決して届き得ない目標であった。

 

 だからこそ……だからこそ、ある意味でこれは必然であり当然の帰結であったのだろうと青年は思う。それは身分が釣り合っているだけでなく、余りにもお似合いで、しかも彼女の幸せのためでもあったから。

 

 ……無論、だからと言って納得出来るかは別問題なのだが。

 

「あら、ミカ?漸く来たの?もう!遅いわよ、待ちくたびれちゃったじゃない!……顔色が悪そうだけど大丈夫?」

 

 親友の背後からやって来たのは天使だった。ムスっとして、次いで心配そうに彼の顔を覗く少女はまるで神話に出てくる美女神のようだった。妖精の笑みを浮かべる快活そうで、気品があって、何よりも美しい金髪碧眼の少女……。

 

「あ、ああ。クリスの言う通り酔い止めを忘れてね。大丈夫だよ、直ぐに良くなるさ」

 

 本当は酔い止めを忘れてなんかいなかった。今回のために彼は必死に、入念に、何度も忘れずに準備をしてきたのだ。様々なシチュエーションを想定して、下見も何度もしてきた。指輪だって彼が手に入れられる最高の物を用意してきた。

 

 だが、それも全て無駄だった。無重力酔いなんて可愛いものじゃない。気持ち悪くて、えずいて、胃液しかないのに今すぐ嘔吐してしまいそうだった。

 

 これでは道化だ。自分はとんだ間抜けだ。大馬鹿者の愚か者だ。その事を自覚していても、しかし彼は全てを投げ捨てる事は出来なかった。確かに腹立たしくても、憎々しくても、悔しくても、しかし彼には全てを捨て去る勇気なんてなかった。

 

「全く、呆れた奴だな。ほら、肩を貸してやるよ。あっちにソファーがあるからそこで休もうぜ?」

 

 親友は何の気負いもなく、苦笑しながら彼に肩を貸す。青年はそれが完全な善意である事を長年の付き合いから知っていた。

 

 だがそれでも……それでも彼を憎らしく思えるのは仕方ない事だった。彼女の、ヨハンナの甘い香水の匂いが彼の上着から仄かに漂って来たのだから。

 

 そして、青年は遂に自身が目撃した事を追及する事が出来なかった。ほんの半刻前に二人が人工滝で二人きりだった事を。そしてそこで………。

 

 

 

「被告人!入室されたし!」

 

 監視役の憲兵隊長の声で、彼は三四年前の夢の世界から現世に強制的に引き戻された。

 

 周囲を見渡す。ほんのり薄暗い貴族将官用被告人控え室は、豪華な調度品と世話役に二人の使用人が控え、同時に警護と逃亡防止を兼ねた一個分隊の憲兵が睨みを利かせる。軍服を着た彼の腕には電磁手錠が嵌められ、その身体は凶器の類がないか徹底的に調べ尽くされている。

 

 本来ならば例え敗軍の将とは言え、門閥貴族出身の将官をこんな重犯罪者の如き待遇に貶めるのは異例ではあるのだが……この対応が彼に対する帝国軍上層部の意思とその処遇を匂わせていた。

 

 彼は宣告に従い椅子から立ち上がると直ぐ隣に隣接する広い部屋に足を踏み入れる。上方では厳めしい顔立ちの軍の高官達が彼を鋭く睨み付ける。

 

 照明で照らされた被告人席に佇むと、裁判長を務める銀河帝国軍軍務省法務局長シュトロンハイム大将が法廷全体に聞こえる高らかな声で文章を読み上げる。

 

「それではこれより、高等軍事法廷案件第四八四号、即ち帝国暦481年三月におけるヘリヤ星系における会戦及び作戦指揮について、ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング中将の過失の有無に関する公判を開始する!」

 

 小槌を数回打ち鳴らしながら、法務局長は敗戦の将を弾劾する銀河帝国軍高等軍事法廷の開催を厳かに宣言した。

 

 

 

 

 軍事法廷は形式を一ミリと破る事なく淡々と進行した。

 

 まずは被告人の姓名・経歴について確認する形式で始められた。

 

 ミヒャエル・ジギスムント・フォン・カイザーリング銀河帝国宇宙軍中将は、生年月日を帝国暦426年六月七日、年齢は五七歳。生家はジギスムント一世公正帝時代に成立したカイザーリング伯爵家の分家ゴルトベルク=カイザーリング男爵家の長子であり、父より一〇年近く前に爵位を継承している。

 

 典型的な門閥貴族将校らしく、帝都オーディンの帝国軍幼年学校を席次一二位、次いで銀河帝国軍士官学校を席次一九位で卒業。双方において消極的で自己主張に乏しい部分があるものの品行方正かつ公明正大な人物として教官達に高く評価されており、特に前者においては学内風紀委員会会長を務めていたと記録されている。

 

「士官学校における戦略シミュレーションの評価は用意周到かつ勇猛果敢であるか。宙陸両用作戦と緻密に計算された伏撃において特筆するべき点があるな」

「ほぅ、研究科は宙陸統合戦研究科か。花形ゼミだな、羨ましい限りだ」

 

 法廷に出席する将官達がカイザーリングの学生時代の成績を見ながら称賛半分、冷やかし半分に宣う。しかし、当のカイザーリング中将はと言えば直立不動の姿勢のまま表情を変える事もなく、唯ひたすらに寡黙な態度を続けるのみであった。

 

「ふんっ。軍歴については……幼年学校時代に白色槍騎兵艦隊艦隊司令部の従卒経験有りか。当時の艦隊司令官からの覚えも良いらしいな。446年に士官学校を卒業、最初の勤務地は……ゾースト星系の補給基地の司令部勤務か」

 

 カイザーリングの態度に不快そうに鼻を鳴らした後、将官の一人が経歴の確認をしていく。

 

 帝国暦446年から449年までゾーストⅣ=Ⅱ兵站基地司令部勤務、その間に着任一年で規定通り少尉から中尉に自動昇進している。

 

 帝国暦449年には事務処理能力を評価され大尉に昇進、同時に宇宙艦隊幕僚総監部第一部第二課長副官を務めこれを453年まで職務を全うする。

 

 帝国暦454年に少佐に昇進すると、第三重騎兵艦隊宇宙軍陸戦隊大隊長として帝国暦459年までにイゼルローン要塞建設を妨害せんとする反乱軍に対する防衛戦に六度に渡り従軍して一一回の地上戦に参加した他、宇宙海賊との戦闘三度、辺境反乱の鎮圧作戦に一度参加。その間に戦傷章を一度、突撃勲章を二度、鉄十字勲章を一度授章する。帝国暦460年には大佐に昇進する。

 

「460年から462年まで第四軽騎兵艦隊の作戦参謀スタッフを経験、463年から466年に第二重騎兵艦隊所属の戦艦群司令官に着任、463年の反乱軍のイゼルローン要塞侵攻に対する防衛戦に参加したようだな」

「467年に准将昇進、アルトミュール星系根拠地隊司令官として二年、469年に第三竜騎兵艦隊の戦隊司令官に着任、ここでも二回出兵に従軍して武功を挙げていると。素晴らしい経歴だな」

 

 471年二月、宇宙軍少将に昇進。475年の六月までの四年間を銀河帝国軍士官学校教頭として勤務。古風で厳格であるが公明正大な、そして実戦経験から学んだ貴重なノウハウを体系化・理論化し惜しみ無く生徒達に指導した優秀な教員として評価されている。

 

 475年六月に前線勤務に復帰、同年のシュタインホフ大将による反乱軍勢力圏に対する攻勢ではエルシュ星系第五惑星衛星軌道においてデブリ帯に紛れての奇襲攻撃により同盟駐留艦隊を撃破、地上部隊の降下による基地占領に成功する。476年にオーバーライン帝国クライスに駐留する第十胸甲騎兵艦隊司令官に就任、オーバーライン帝国クライスはイゼルローン回廊と接する国境地帯であり、ここの駐留艦隊司令官に任じられる事は艦隊司令官として極めて高く評価されている事を意味していた。

 

「そして479年中将昇進、サジタリウス腕討伐軍副将としてアルレスハイム方面遠征軍の司令官に着任。480年の反乱軍の反抗を撃破し、この方面の賊将の首魁を敗死せしめるか」

「この功績に皇帝陛下はいたく感動しておいでだ。昨年の四月には双頭鷲勲章を授与し、報奨金を賜下なされた。帝国軍人として、最高の名誉であるな」

 

 軍事法廷出席者達はカイザーリング中将の功績を褒め称える。しかし、それはこれからの追及の前座に過ぎなかった。

 

「しかしながら……そのような皇帝陛下から多大な御恩を授かっている中将が此度の敗戦。正直な所、失望を禁じ得ませんな?」

 

 冷たい声でカイザーリング中将を非難する声が法廷に響いた。口にした者とてどこまで本気であの放蕩で、陰気で、無気力な皇帝を信奉しているかは分からない。しかし、その声調からは少なくともカイザーリング中将に対する明確な敵意がある事は明らかであった。

 

「……それではそろそろ本題に入りましょうか」

 

 経歴の確認を終えて、遂に法廷の話題は彼が、カイザーリング中将が収監される切っ掛けとなった前月の敗戦に移る。即ち、帝国暦481年三月上旬に生じたヘリヤ星域会戦についてである。

 

「この時点で、アルレスハイム遠征軍の戦力は各種の増援部隊を合わせ宇宙艦艇八〇〇〇隻余り、地上軍は凡そ七〇万という大軍を擁しておりました。……間違いありませんな?カイザーリング中将?」

 

 査閲局長の確認に、カイザーリングは無言でただ頷いて肯定の返事をする。

 

「たかが一中将としては過分な戦力ではありますが、一先ずはカイザーリング中将はこの方面において戦力的に劣勢な公王軍、及びそれに加担する反乱軍を撃滅しつつ、三月一四日、遂にヘリヤ星系外縁部に到達致しました」

 

 政治的理由から銀河帝国亡命政府を半分身内として認識しているために査閲局長は敢えて銀河帝国亡命政府軍をアルレスハイム公王軍と、そして自由惑星同盟軍は公王に臣従する辺境の反乱軍と形式的に称して帝国軍の『転進』に至るまでの説明を行う。

 

「航海参謀及び憲兵参謀、作戦参謀からの聴き取りによれば遠征軍主力は強固な防衛線が構築されていると予測されるヘリヤ星系攻略のため、最外縁を周回する第一八惑星を前哨基地とするべく揚陸作戦を敢行、現地の小部隊を殲滅して三月一六日までにこれを占拠した、とありますがこれは事実ですか?」

 

 カイザーリング中将の無言の肯定を受けて、査閲局長は説明を続ける。

 

「遠征軍は現地の防衛戦力及び陣容を把握するために斥候部隊を展開しました。戦力として宇宙艦艇六〇〇隻、地上戦力五万名に及びます。敵軍もまたこれに対応するべく小部隊を散開、三月一六日から三月二〇日までの間に一二四隻の宇宙艦艇と六五〇九名の地上戦力を喪失、引き換えにヘリヤ星系における大まかな敵戦力の陣容を確認する事に成功致しました」

 

 三月二二日、遠征軍主力は公王軍及び反乱軍の大規模な防衛線の敷かれた第一一惑星・第九惑星を各種の地上基地、軍事衛星群、小惑星基地を繋いだラインに攻撃を仕掛ける。敵軍の総戦力は四二〇〇隻、地上戦力三〇万に及ぶ。

 

「戦況は遠征軍優位に推移致しました。三月二四日には別動隊による迂回作戦が成功し、敵軍は六〇〇隻の艦艇と地上軍八万名の損害を受けて後退、第五惑星にまで戦線を下げる事になります。対して遠征軍の損失は敵軍の四割程度と見積もられます」

 

 数的優位があったとはいえ、敵軍にとっては防衛戦であり地の利があった。それを踏まえれば、短期の内に敵より軽微な損失で勝利したのは特筆すべき点であろう。

 

「以来、敵軍は全面衝突を避け、ゲリラ的攻撃に方針を転回致しました。遠征軍もまた小部隊を複数展開してこれに対応、同時に敵軍の補給を断つために各所の補給拠点の撃滅に乗り出します」

 

 三月二六日までに計八ヶ所の補給施設を破壊、三月二七日には星系外縁部において大規模な補給施設となっている事が確認された鉱山基地『ノイメクレンブルク』の存在を確認、これの攻略に主力部隊を動員する。

 

「さて、ここからが問題です。カイザーリング中将、鉱山基地攻略のために地上部隊一五万を輸送する予定でしたが、ここで大きな問題が起こります。三月二九日に地上部隊の収容作業中、大規模な爆発事故が発生しましたね?」

 

 弾薬庫の事故によって人的被害こそ少なかったものの、多量の地上部隊用の弾薬、及び酸素、食糧等が喪失、その収拾に丸一日の時間を要する事になる。

 

「更に三月三一日には傍受した通信と偵察部隊からの報告によって大規模な敵の増援を察知したと記録されております」 

 

 財政難の反乱軍のどこからそんな金が湧いて出たのか、一個艦隊の宇宙軍に加え二個遠征軍規模の地上軍の存在は帝国軍を驚愕させた。

 

「遠征軍司令部における会議における討論の結果、中将は待ち伏せと奇襲による各個撃破を狙った。間違いありませんな?」

 

 カイザーリング中将は首を縦に振り肯定する。正面からの戦闘は論外であった。戦力比は勿論、物資は心許なく、兵士の士気も低下していた。一部の部隊では長期の前線勤務から精神失調や麻薬の蔓延も発生しつつあった。カイザーリング中将自身はその戦歴と実際の指揮能力から幅広く兵士達の信望を得てはいたが、それでも限界がある。

 

 撤退は難しかった。敵の大軍が接近している中での撤収は地上部隊の動きの悪さやヘリヤ星系内に展開するゲリラの存在もあり困難を極めたし、何よりも本国と軍総司令部内では派閥抗争の混乱から撤退許可がいつまで経っても認可されなかった。

 

 撤退が許されないならば勝つしかない。より正確に言えば、一度勝利してから後退する事で撤退による懲罰を勝利による功績で帳消しにしようとした。そのためには何としても勝たなければならなかった。それも短期の内に。

 

「鉱山基地『ノイメクレンブルク』攻略を偽装しヘリヤ星系内の敵部隊を誘引しつつ、遠征軍主力は増援が通過するとされる第一四惑星、その小惑星帯に百隻単位の小部隊で散開しつつ潜伏致しました。機関、及び主要なアクティヴセンサーは逆探知の可能性から停止、光学機器を始めとしたパッシヴセンサーのみを利用し周辺警戒を行いつつ機増援部隊に対する奇襲を準備したと記録されます。四月二日0800時の事です」

「………」

 

 そう、カイザーリングは思い出す。あの時の事を。幾つか不確定要素はあったが、それでもやれる事は全てやった筈だった。鉱山基地『ノイメクレンブルク』に対してダミーと電子戦を用いて敵残存部隊の過半を誘引し、かつ増援部隊にも自分達の目的を錯覚させた。通信基地や偵察基地を小部隊をばら撒いて虱潰しにする事で主力の移動を捕捉されないようにした。艦隊の暴走が起こらないように兵士達の統制も万全であった。そう、不運でも起こらなければ増援部隊に対する効果的な奇襲は成功する筈であった。実際、彼らの動きや傍受した通信はカイザーリング達の存在を把握していなかった事を示していた。

 

 そう、いきなり背後から出鱈目な形で敵部隊が現れなければ。

 

「同日1845時の事です。横腹を晒したまま鉱山基地『ノイメクレンブルク』救援に向かう反乱軍に対して遠征軍主力は攻撃を仕掛けようとしました。しかしその瞬間、遠征軍は背後から攻撃を受けたのです」

 

 それは推定で艦艇三〇隻から五〇隻前後の、しかも反乱軍と公王軍の様々な艦種の混合編成であった。動きから見るに統制が取れているとは言えず、恐らくは急造の混成艦隊であったと思われる。それがよりによって遠征軍旗艦が展開する宙域に背後から突っ込んで来たのだ!

 

「何故そのような事が?奇襲部隊が逆に奇襲を受けるなぞ、警戒部隊は何をしていた?」

「その点については二つ理由があるようです。一つは反乱軍増援艦隊を注視していたために後方に対する警戒が薄くなっていた点、二点目としては探知の危険から探知をパッシヴセンサーに限定し通信も統制していたため、後方の警備部隊が司令部に警報を発する事が出来なかった点が挙げられるでしょう」

 

 軍事法廷に参加する軍人達の内、艦隊勤務の経験のある将官達が分析して推測する。

 

 この後方からの予想外の襲撃は遠征軍主力にとって細やかな、しかし致命的な失敗を招く事になった。後方から突入してきた小艦隊は文字通り狙いもつけずに気が狂ったかのようにあらゆる武装を四方八方にばら蒔いた。奇襲の上に、予想がつかない乱射の前に遠征軍主力は一気に混乱する。中には味方艦艇の爆発に巻き込まれるものや敵艦艇と衝突事故を起こしたものもある。

 

 しかも旗艦の至近である。混乱の中で殆んど回転しながら暴れる戦艦の一隻と旗艦はニアミスする。そして、その時放たれた電磁砲弾の一発は遠征軍の旗艦に直撃した。損傷自体は軽微であったが……通信装備が破壊された事実はある意味では撃沈されるよりも事態を悪化させる。

 

 旗艦が沈んだなら、軍規に従い次席の司令官が指揮を継承すれば良い。だが、なまじ旗艦が生存していたが故に諸提督は混乱した。幾人かは旗艦の通信装備が損傷を受けた事すら把握出来ていなかった。

 

 艦隊の混乱と撃沈艦艇の発生は当然のように反乱軍増援艦隊に伏兵の存在を知らしめる事となった。

 

「結果として、碌な指揮も執れぬまま、しかも小部隊に分かれ機関を停止していた遠征軍宇宙艦隊は猛烈な砲撃を前に四割の戦力を喪失、しかも地上軍の内残存する戦力の半数に及ぶ三〇万を回収出来ずに降伏とは……カイザーリング中将、これが帝国と皇帝陛下の権威を著しく貶める行為である事は御承知でしょうな?」

「………」

 

 俯き、ただ沈黙を守る艦隊司令官。

 

「ふんっ!ここまで来て黙りか!ダゴンのインゴルシュタット上級大将の真似かね?潔さを印象づける積もりかも知れんが却って見苦しい限りだな!!」

 

 ダゴン星域会戦において敗戦責任を問われたゴットリーブ・フォン・インゴルシュタット上級大将は中将として軍事法廷で一切の弁明を行わず銃殺刑に処され、その後マクシミリアン・ヨーゼフ二世晴眼帝の時代に名誉が回復されて死後二階級特進が許された人物だ。

 

 軍事法廷の出席者達はカイザーリング中将の態度をインゴルシュタットと重ね合わせようとしていると解釈したらしかった。自身を処断すれば後世に汚名を残すであろう、と。  

 

「ダゴンの時とは状況が違うわ!奇襲の失敗は貴様の過失である事は明らかである!」

 

 出席者の発言は半分正解であるが半分は間違いであった。確かにカイザーリング中将にも奇襲作戦失敗の原因の一因はあるだろう。だがそれと同等かそれ以上に遠征軍が政治の道具とされた事も事実である。そもそも上層部の都合によって彼自身既に疲労は限界に近かった。そうでなければ流石に予想外とは言えもっと上手くあの局面を切り抜ける事もできただろう。

 

「………」

 

 しかし、それでも恨み事の一つも老将は言わず、ただひたすらに沈黙を守る。それは彼の贖罪であった。何はともあれ彼の指揮によって多くの兵士が死に、あるいは不具となり、捕囚の身となった。そしてその何倍もの家族を失った遺族が生まれた。彼はその事を自覚していたし、見苦しい言い訳を述べてその責任から逃れようと思う程恥知らずではなかった。故に全ての責任を甘受する覚悟があり、それ故の沈黙であった。

 

 ……尤も、それだけが理由ではないし、法廷出席者達にとっては逆に反感を抱かせるのも確かであったが。

 

 法廷の出席者達が交代しながら中将を糾弾し、敗戦の責任を一個人の過失に貶める。それは此度の敗北が組織や派閥抗争に起因するという批判の目を逸らさせ、矮小化しようとする目的があった。同時にそれは敗戦の老将を精神的に追い詰めて、ある提案を行うためのものでもあった。

 

「……まぁ、待ちなされ諸君。カイザーリング中将は長期の遠征で疲労している身、しかも御高齢だ。そうよって集って言い詰めるものでも無かろうて」

 

 そうカイザーリングに助け船を寄越したのは単眼鏡を顔に掛けたこの場の最高階級者……いや、銀河帝国軍における最強権力者であった。

 

 ヘルムート・レべレヒト・フォン・エーレンベルク元帥は賑やかな、人当たりの良い笑みを浮かべ、老将を労るように部下達に言葉をかける。だがそれは決して善意からではなく、寧ろこの法廷自体が彼によって完全に計算された政治ショーでしかなかった。

 

「軍務尚書殿、そうは仰いますがカイザーリング中将の失態は……」

「待て待て、そう焦るものではない。カイザーリング中将にも擁護するべき点は多々ある。反乱軍は大軍であったし、失敗の原因たる敵の奇襲部隊は武勇で誉れ高いあの伯世子が指揮官であったと聞く。幾ら歴戦の闘将たる中将とて勝利は容易ではあるまい。それに……」

 

 ちらり、と単眼鏡越しに意味深げな視線を向ける老元帥。そして、優しげに、しかし明らかに探るようにエーレンベルクは中将に尋ねる。

 

「それに、だ。報告書を読む限りでは事故によって物資も不足しつつあったと聞く。更に言えば一部の部隊では……誠に遺憾な事であるが麻薬汚染も広がってたそうだな?これではどのような提督であろうとまともな指揮は出来まい」

 

 そこで軍務尚書は目を細めた。

 

「だが不思議な事だとは思わんか?麻薬なぞ我ら栄えある帝国軍は勿論、反乱軍ですら禁止している代物、一体何処からそんなものが兵士達に流れているのか。報告書を読む限り少なくとも数千から数万人は汚染されていたと思えるが……それだけの者達が個人的に薬物を入手していたとは思えん」

 

 心底不思議そうに、そして態とらしくエーレンベルク元帥は言って見せる。そして、再度敗戦の将に尋ねる。

 

「カイザーリング中将、貴官とて軍の統制のために査閲将校や憲兵隊と取り締まりに動いていた筈だ。どこから違法薬物が流れて来たのか、調べはつかなんだか?」

「………残念ながら」

 

 短く、感情の籠らない言葉でカイザーリング中将はそう答えた。

 

「貴様ぁ……!!折角の元帥の御厚意を……!!」

 

 法廷に出席する将官達があからさまな怒気を湛えながらカイザーリングに罵声を浴びせていく。圧倒的に劣勢な立場の中将に対して軍務尚書が持ち掛けた取引を冷淡に拒絶されたのだから当然の事であった。

 

「…………」

 

 当のエーレンベルク元帥は無言で、剣呑で、冷酷で、酷薄な視線を被告人に向ける。老元帥はカイザーリングの言葉に取り合わず、目の前の男をどのように追い詰め、問い詰めるべきか思考を巡らせていた。そこには一切の怒りはなく、しかしそれ以外の感情も見て取れなかった。ひたすらに目の前の男をどうやって有効利用しようかという計算があるのみだった。

 

(余り使いたくない手であるが……)

 

 相手が取引に応じないのならば仕方無い。それならば彼の最も望まない方法で黒幕を引き摺り降ろすしかあるまい。幸運にもこの中将の周囲にはその起爆剤となり得るものは幾らでもあった。そのために……とある老貴婦人が一人陰謀に捲き込まれようと、何らエーレンベルクの良心を痛める事は有り得なかった。

 

 そして、エーレンベルク元帥が茶番染みた法廷を次の段階に進めようとしたその瞬間の事であった。法廷に慌てた表情の副官が現れたのは。

 

「ぐ、軍務尚書閣下……!!」

 

 軍務尚書副官に任命されている士官が優秀な軍人である事は疑いない。そんな者が驚愕仕切った表情で駆け寄る。

 

「貴様ぁ!神聖な裁判中に何を……」

「待ちたまえ。副官、何事かね?」

 

 出席者達が咎めるのを制し、副官に何の知らせを持ってきたのかを尋ねる軍務尚書。耳元でエーレンベルク元帥は恐縮する副官からのその連絡を聞き取り……次いで僅かに目を見開く。

 

「……法務局長」

 

 エーレンベルク元帥は裁判長を兼ねる法務局長に声をかける。同じく連絡を受けた法務局長は動揺した表情を浮かべ、それでもどうにか頷くと震えた声で宣告する。

 

「……か、火急の連絡を受けたため本日の法廷は一旦ここまでとする。じ、次回の開催については未定……追って日時を通達する!!」

 

 以上閉廷!と小槌を若干粗っぽく叩き鳴らし無理矢理裁判を中断させる裁判長。その行為に他の出席者達は困惑し、ざわめき立つ。

 

 それはカイザーリング中将も同様であった。あからさまな動揺こそ見せぬものの、このまま敗戦責任を問われ極刑を言い渡される事も覚悟していたのだが……。

 

「カイザーリング中将、面会希望者がお待ちです。どうぞ此方に御同行を」

 

 被告人として立ち尽くす彼の傍にいつの間にか控えていたのは無表情を装う憲兵将校であった。電磁手錠を解錠された上で憲兵達によって恭しく法廷から退出を促されるカイザーリング。

 

 その間にも困惑と混乱に法廷のざわめきは一層大きくなる。そんな中、軍務尚書だけが落ち着いていた。そして、静かな怒りを内心に渦巻かせていた。

 

「………小僧め、好き勝手やってくれるわ」

 

 憲兵達によって案内される老将の背を睨みつつ、エーレンベルクは半ば秘密となっているこの軍事法廷を察知し、介入を仕掛けた人物に対して吐き捨てるようにそう呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 混乱する法廷を尻目に促されるままに退出したカイザーリングは、まず被告人控え室に再度入室させられ……次いでその事実に気づいて一旦足を止めた。

 

「貴方様はっ………!?」

 

 中将は室内で待ち構えていた人物に驚愕し目を見開いた。

 

 一個分隊の使用人を控えさせ椅子に座るのは、若く、そして筋骨隆々ながら端正な青年貴族であった。

 

 その姿は異様であった。顔面に顎の治療用コルセットを装着した青年貴族は片手で重量十キロはあるダンベルを何度も上げては下げ、もう一方の手にはシュタイエルマルク上級大将が執筆した事で知られる戦術指南書を携え鋭い視線で睨み付ける。その形相は何か怒りに突き動かされているようにも思われた。

 

「マクシミリアン様、男爵がお出でで御座います」

「うん?そうか。失敬した。教官の指導でな、参考書の予習をしていた所なのだ。許せ」

 

 執事からの言葉に反応し、尊大な態度で答える青年貴族。その事自体は問題はない。伯爵家分家の男爵家当主である彼でも、流石に帝国宮廷で五本の指に入る権門の嫡男……それが宮廷で悪評と醜聞の塊のような人物であろうと……より格上である等と自惚れてはいない。

 

 そう、問題はそんな事ではない。何故、『あの』カストロプ公爵家の長子がこのような場で、軍事法廷の被告人控え室なぞで自身を待っていたのか、それこそが重要であった。

 

 たらり、とカイザーリングは額から一筋の汗を流した。質実剛健かつ、厳格で、禁欲的で、古風ながら格調ある騎士であり、今回の軍事法廷でも元より死刑をも覚悟していた彼ではあるが、それでも尚目の前の人物の意図には最大限に警戒せざるを得なかった。

 

「お初にお目にかかります、マクシミリアン公世子殿。ですが、私の如き栄誉ある帝国軍に泥を塗った一敗将になぞ、今更何のご用でありましょう?」

 

 厳粛に、完全に礼を執った優雅な口調でカイザーリングは目の前の青年貴族に尋ねる。放蕩者であり、傲慢であり、残虐な、しかし同時に先年以来宮廷の笑い者となり公の場に姿を現さなくなったこの公爵家の跡継ぎが何故軍事法廷の場に、しかも彼の裁判の時に姿を現したのか?

 

「くっくっくつ、随分と訝しんでいるようだな、男爵?何、そう警戒する事ではない。何も卿を獲物に狩猟を楽しもうという訳でないのだからな。そのような詰まらぬ趣味に興じる暇は私には最早ありはしない」

 

 そう言っている間にもダンベルを振り、額から大量の汗を流し続ける公世子。

 

「卿に今回会いに来たのは依頼をしたいと考えたからだ」

「依頼、で御座いますか?」

 

 公世子の発言に思わず首を傾げるカイザーリング。それは当然の事であった。絶大な権力を持つ彼が態態敗軍の将に何の依頼をしようというのか?

 

「そうだ。卿に、いや卿だからこそこの依頼をしたいのだ」

「……如何なる御用向きでありましょう?」

 

 マクシミリアンの口調から並々ならぬ意思と覚悟がある事をカイザーリングは察する事が出来た。そして、それ故に緊張した表情を浮かべカイザーリングは公世子が強く望む依頼のその内容を尋ねた。

 

「……卿に我が軍略の師として、その知識と経験を指導して貰いたい」

 

 戦術指南書を閉じて、カイザーリングを見据えながらマクシミリアンは有無を言わせぬ気迫を漂わせて答えた。

 

「っ……!?な、内容は理解致しました。ですが何故態態私なぞを指名を?帝国軍には現役、あるいは退役した経験豊かな名将は幾らでもおります。その中で何故私めのような愚かな敗将なぞを御指名なされるのでしょうか?」

 

 その気迫に歴戦の名将は一瞬狼狽えつつも、直ぐに調子を取り戻し冷静にその理由を尋ねる。

 

 貴族の師弟が所謂家庭教師を雇うのは極々普通の事である。そして、その中において政治や行政、軍事に関わる生の知識や心得、ノウハウを学ぶために現役ないし引退したばかりの帝国政府に仕える官僚や軍人を食客として招くのもそれ自体はありふれた話である。

 

 だが、当然ながら他所から招き寄せるのだ、有象無象の輩を招請するなぞ有り得ない。実際に功績を残し、経験豊かな人物を選び抜くものだ。それを、態態敗戦の弾劾を受けているカイザーリングの下に公爵家の嫡男が足を運び、教官として請うなぞ異常としか言い様がない。カストロプ公爵家であらば他にもっと優秀で名声のある将官に声をかける事も可能ではないか?

 

「ほぅ?愚かな敗将か。良くもまぁ堂々とそのようなものを言えるものだな?この私が態態卿に請うているというのに、言うに事欠いて自身の事を愚かなどと言うとはな。卿は私の目が節穴だとでも言いたいのかな?」

「い、いえ。決してそのような事は……!」

 

 カイザーリングの言葉に不機嫌な態度を示したマクシミリアンに男爵は慌てて言葉を修正しようとする。だが、それは無用であった。次の瞬間にはマクシミリアンは高らかに笑い声を上げる。

 

「くくく、くはははは!!いやいや、その疑問は尤もだよ。確かに私の財力があればそれこそ有望な将とて幾らでも呼びつける事が出来よう。ましてや、悪評を数え上げればキリが無い私なのだ、卿が警戒するのも至極当然であろうな?」

 

 心底愉快そうに、しかし底意地悪く嘲る公世子に恐縮するカイザーリング。ひとしきり笑い切った後、頬杖をつきながらマクシミリアンは質問に答える。

 

「そうさな。理由は三つある」

 

 そういって指を一本突き上げる青年貴族。

 

「一つ目は推薦だな。既に教えを受けている教官から卿を推薦された」

「推薦、でありますか?」

「うむ、私は今幾人かの教官の下で将としての指導の受けている。その中でシュターデンとオフレッサーから卿の推薦を受けた。士官学校の教官時代に面識があったそうだな?」

「成る程、そういう事ですか」

 

 その両名の名前にカイザーリングは納得の表情を浮かべる。両名共士官学校の教頭時代に教員として生徒指導をした関係がある。当時の学生達からは頑固なカイザーリングと小うるさいシュターデン、罰則指導員のオフレッサーは地獄の組み合わせであった。

 

「理論ではシュターデンが、陸戦指揮ではオフレッサーが其々己が上とほざいていたが、同時に実戦と宙陸の連携戦では卿が上とも言っておった」

 

 そしてくくく、と再度、嘲るように笑いながら続ける。

 

「知っての通り奴らは我がカストロプ家とは派閥が違う。借り受けるためにリッテンハイムには大枚を支払わされた、故に奴らもいい加減な事は言っておるまい。そもそも奴らはその道の専門家だ。性格的にもプライドは人一倍、そんな者達の推薦を受けたのだ、余り謙遜すると推薦者を貶める事になるぞ?」

 

 鼻を鳴らしながら品定めするようにカイザーリングを見やるマクシミリアン。そしてそのまま指をもう一本上げて、宣う。

 

「次にだ。これは寧ろ敗北した卿だからこそ雇いに来た、という側面があってな。卿の待ち伏せが失敗したのは反乱軍の一部と偶発的に遭遇したためであったな?」

「はい。その通りですが……何か関係が?」

「関係?大有りだな。卿の綿密な作戦を台無しにしたのは……したのは……!!!」

 

 そこで身体を震わせ、悪鬼の如き表情に豹変するマクシミリアン。そのままみしゃり、と手に持つ参考書が握り潰される。

 

「っ……!」

「お、おおっと。これは失敬したな。ついあの屈辱的な記憶を思い出してしまってな。怒りで我を忘れてしまったようだ。くくく!」

 

 怯える周囲の使用人やたじろぐカイザーリングを見て、歪に歪んだ笑みを浮かべるマクシミリアン。そして、続ける。

 

「さて、話を戻そう。卿も門閥貴族の端くれならば私がここ一年近くの間、社交界に一切顔を出していない事位は把握しておろう?」

「はい。親戚からの話ですが、僅かながらも聞き及んでおります」

 

 門閥貴族は四〇〇〇家余り、総勢にしても一〇万人もいない。そしてその多くが婚姻や養子縁組み等で繋がっており決して広くない世界である。ましてや大貴族、それもカストロプ公爵家の嫡男の動静ともなればその積もりがなくとも聞こえて来るものだ。

 

「どのような話かね?」

「それは……」

 

 余り愉快な話ではない。少なくともマクシミリアンにとっては。相手に非礼になる話を素直にするべきか、老男爵は一瞬迷う。

 

「ふん、その程度の事で今更卿を責めたりなぞするものか。私が宮廷でどれだけ物笑いの種にされているかなぞ、何より私自身が良く知っているわっ!!」

 

 不機嫌気味に言い捨てる公世子。正確には、あの底意地悪くサディスティックな父が嬉々とした笑顔で態態息子がどのような間抜けを演じたか、尾びれどころか翼が付いたような話を方々で広めていると笑顔で教えてくれた。そして、屈辱で怒り狂う息子を見て公爵が満面の笑みを浮かべて快感を感じているのをマクシミリアンは知っていた。

 

「……フェザーンにて、亡命した某伯爵家の長子と口論になり決闘に及んだと聞いております」

「そして自ら挑んでおきながら惨めに敗北した、と?くくく、随分と遠慮したものだな。どこの誰かは知らぬが、もっと私を蔑んだ話くらい幾らでもあっただろう?」

 

 マクシミリアン自身の放蕩具合もあるが、元々カストロプ公爵家自体、歴代当主の所業もあって嫌われている事もあり、この期とばかりに散々悪口のような噂が宮廷で広がっている始末だ。多少なりとも公平な内容を語るのはロマンチストで芸術家気質なランズベルク伯の広める話位のものだろう。それはそれで称賛するファンも少なくないが美化され過ぎである。

 

「まぁ良い。その某伯爵家が何処なのかは今更言うまでもあるまい。……ここまで言えば私が卿を敢えて雇う理由も分かろう?私と卿、双方の名誉を回復する良い機会だ」

 

 復讐は貴族の権利である。マクシミリアンも、男爵も、形は違えどティルピッツ伯爵家に泥をかけられた。ならばこそ、復讐のために誘いをかけるのもまた必定である。共に敗れ、名誉を汚された者達同士だからこそ報復もまた映えるというものだ。

 

「……理由は理解出来ました。ですが私は……」

 

 マクシミリアンの口にする理由は分かる。だが、その上で彼はこの誘いに気乗りしなかった。今の彼は名誉を回復したい、という望みなぞなかった。今の彼にあるのは倦怠感と虚無感と罪悪感だけであった。寧ろ、このまま名誉を汚されたまま寂しく、消えいくように一生を終えるのがせめてもの贖罪であるように彼には思えたのだ。

 

「待ちたまえ、まだ最後の理由について説明していないぞ?返答ならばその後でも遅くはない筈だが?」

「いえ、公世子殿、私はもう歳で後は下り落ちるだけの老い耄れで御座います。お恥ずかしいながら既に教官となる体力も、才気と覇気に溢れる青年方の復讐に加わる気概も持ち合わせては……」

「それが卿が長年望んでいた者を奪い返す機会としてもかね?」

 

 マクシミリアンの発言に老紳士は言葉を失った。余りに抽象的な目の前の青年貴族の発言、しかし男爵には何故かそれが意味する所を察してしまった。より正確に言えば心当たりがついてしまった。

 

 マクシミリアンは足を組み、愉快そうに笑みを浮かべる。

 

「ヘリヤにおける戦いに際して、確か卿の司令部には昔馴染みも参謀として共に戦ったのだったな?役職は後方参謀で名前は……そう、確か名前はバーゼル、クリストフ・フォン・バーゼル少将だ。高々一〇〇年の歴史もない田舎で家業を営む小諸侯の生まれだったか!」

「っ……!」

 

 カイザーリングの表情が強張るのをマクシミリアンは見逃さなかった。獲物に狙いを定める豹のように目を細め、青年貴族は芝居がかった声で迫撃をかける。

 

「バーゼル少将の妻も男爵と昔馴染みであったな?若い頃は大層な美貌のご令嬢であったとか。三人も子供が出来、可愛い孫娘にも恵まれているらしいな?」

「………」

「御友人夫妻は実に順風満帆な人生で羨ましい限りでだ。だがしかし……」

 

 敢えて一旦間を置いて、老人の表情の変化を確認しながらマクシミリアンは囁く。

 

「知っているかね?査閲局や憲兵総監の方で、大規模な捜索が始まっている事を。どうやら横領やスパイの一斉摘発の準備が進んでいるとか」

 

 それは実に態とらしい言い様であった。実際、半分は自作自演であった。

 

 カストロプ公爵家は同盟政府及び亡命政府との裏取引の後、更に秘密裏にブラウンシュヴァイク公とも取引を密かに行っていた。カストロプ公は自身が把握する組織外の不正を働いた軍人、あるいはカストロプ公爵家系列の組織に属していたものの末端であったり、組織にとって不都合になった人物を、ブラウンシュヴァイク公爵の軍部における影響力強化に使えるようその不正内容や証拠を揃えて売り払った。

 

 更に言えば、これはルードヴィヒ皇太子や同盟政府に対するある種の復讐と嫌がらせも兼ねている。ルードヴィヒ皇太子の旧守派に対してはブラウンシュヴァイク公爵の台頭そのものが、同盟政府や亡命政府にとっては摘発される将校の中に内通者が含まれている事がそれである。そして当然………。

 

「バーゼル少将についてだが……ビジネスの面で少将の企業は我がカストロプ家と繋がりもあってな。そこで此方の事務員が奇妙な書類を見つけたのだよ」

 

 にやり、笑みを浮かべるマクシミリアンに対して、カイザーリングの顔は完全に青くなっていた。

 

「誉れある帝国貴族ともあろう者が反乱軍と繋がっていた等と正に恥、どのように処理するべきか迷っていてな」

 

 嘘である。カストロプ公爵はバーゼル少将が亡命政府に繋がっている事を元より知っていた。知った上でカストロプ公爵はこれまで放置し続けていた。なぜなら、バーゼル少将の手掛ける麻薬ビジネスや軍需物資の横流しの手腕が公爵家に少なからぬ財をもたらす事を理解していたから。

 

 だが、バーゼルはやり過ぎた。確かに旧第九野戦軍を始め、アルレスハイム方面遠征軍は各地から少なくない敗残兵を糾合していた。故郷にも帰れず年単位で戦地に、しかも半分程捨てられた形で留まり続けるのだから、その軍規も少しずつ崩壊していく事は必然だった。

 

 それ故にサイオキシン麻薬を始めとした違法薬物は、部隊内で密売すればした分だけ売れる。軍需物資も書類を偽造して幾らでも横流し出来る。カストロプ公爵にバーゼルはそう売り込んで遠征軍の補給を受け持つ役職に自身を捩じ込ませた。だが、それは建前であり、偽装であった。

 

 銀河帝国亡命政府の設立した帝国宮廷内の貴族からなるスパイ網『フヴェズルング』のメンバーの一人クリストフ・フォン・バーゼル男爵はカストロプ公爵のビジネスに取り入る事を隠れ蓑にこれまで様々な情報を亡命政府に提供してきたし、今回に至っては軍需品の横流しとサイオキシン麻薬を蔓延させる工作をする事で亡命政府軍及び同盟軍の防衛戦を側背面から支援し続けた。終いには地上部隊の弾薬庫において破壊工作を仕掛けてその撤退を妨害し、会戦全体における帝国軍の敗北を決定づけた。亡命政府のスパイとしては十分過ぎる働きだ。目立ち過ぎて疑惑を持たれる程に。

 

「バーゼル少将は確かに我が一族に莫大な利益を提供し続けてくれた。だが、目立ち過ぎたのも事実だ。我々としても彼をどう処遇するべきか議論中でね。でだ、私としては卿の気持ちを知りたいのだ」

 

 無言で悲惨な顔の老人に、加虐的な笑みを浮かべるマクシミリアン。

 

「父上は亡命政府への貸しを作りたいのと、まだまだ使い道があるだろうという考えでな。一応生かしておくべきだと言っているんだが、私は違う」

 

 優しげな顔で公世子は囁く。

 

「此度の敗北が卿一人の過失でないことは明らかだ。ましてや、バーゼルは卿の思い人を抜け駆けして奪い取った卑怯者らしいな?この機会、どう思う?カイザーリング男爵?」

 

 その口調は人の醜い欲望を知り尽くしているマクシミリアンらしい心の隙間に這い寄る印象を受けた。カイザーリング男爵は狼狽え、顔を引きつらせる。

 

「そのような卑怯者に愛しい女を独占され続けた気分はどうだ?卿が一人で苦悩していた間、奴は卿の思い人と何をしていた?狡いとは思わんかね?卿の幸福を盗み、尚且つ私腹を肥やし続け、遂には卿の名誉を踏みにじったのだぞ?」

 

 それは正に悪魔の囁きであった。カイザーリングの中に眠る復讐心を、憎悪を、欲望を引き摺り出そうとするその話術は一流と言っても過言ではない。

 

「復讐、ですか……?」

「そうだ。君の思い人はあのような男の物であって良い訳がない。いや、それどころかあのような男と共にいてはいつか破滅さえしよう。不道徳等と考えるな。これは寧ろ善行なのだよ?何も知らぬ思い人を悪逆で強欲な裏切り者から救い出すのだ。そして奴から全てを奪うのだ。彼女は勿論、財も、名誉も、奴の信じる物すらも。奴も、奴と協力して卿の名誉を汚した亡命政府も同じだ。全て地獄に落としてやると良い。私がその一助となってやろうじゃないか?」

 

 甘い甘言は、しかし嘘ではない。実際、その程度の事はカストロプ公爵家の力があれば容易き事であった。その程度の出費でこの男を部下に引き抜く事が出来ればそれは安いものである。それに何よりも……。

 

「………」

 

 無言で苦渋の表情を浮かべ俯く老男爵を見やり、マクシミリアンは加虐的な微笑をする。マクシミリアンにはこの老提督の内面でどのような葛藤が起きているのかを考え、一層楽しそうにしていた。

 

 実際、カイザーリングの心は葛藤していた。

 

(私は……いや、しかし……だがっ!!)

 

 彼の脳裏に甦るのは自身が道化に過ぎなかったと知ってからの色褪せた、虚無感に満ちた日々であった。

 

 彼にとってあれほど心を揺さぶられた女性はいなかった。元々色恋に疎い彼ではあったが、彼女だけは……ヨハンナだけは違った。その美貌は勿論、太陽のような明るい性格、品性の中に快活性のある口調、すぐに他者と打ち解けて友人となれる人となりは陰気で物静かな彼にとっては真逆であり、同時に眩しかった。

 

 だが、そんな彼にとっての太陽は彼自身が知らぬ間に既に他者の……友人の虜となっていた。魅いられていた。

 

 敗北するのはある意味当然だった。自分よりも家柄の悪く、せっかちで、口の悪い友人は、しかし自分よりも遥かに人に好かれる魅力に満ち満ちていた。

 

 そしてとっくの昔に彼女が見ているのが友人だけである事も分かっていた。それでも……それでも彼は僅かな希望にすがって告白した。そしてそれを悲惨な、それでいて此方を窺うような遠慮がちな表情で断られた時、カイザーリングは彼女との間に二度と直らぬ断絶が生まれたのを自覚させられた。

 

「初恋というものは特別であるからな。卿の執着は痛い程分かるぞ?」

 

 マクシミリアンもまた、激しい執着心を内に込めているが故に語る。その感情のベクトルは男爵とは全く違うものの、彼もまたあらゆるものを犠牲にしてでもそれを優先する程に恋い焦がれていた。

 

(そう、次こそは奴を徹底的に屈服させ、絶望させるためならばな……!!)

 

 マクシミリアンにとって法廷に横槍を入れ男爵に助け船を出したのはそれだけが理由である。フェザーンで受けた屈辱と敗北、そして宮廷で失われた名誉を取り戻す手段は一つ、古式ゆかしい復讐のみだ。屈辱を受けた相手を打ち負かし、侮辱し、自らの力を誇示する事だけが汚名を雪ぎ、自らを救い、この激しい衝動を解消する方法である。

 

「男爵、私の提案はそう悪いものではあるまい?そうだろう?」

 

 立ち上がるマクシミリアン。男爵の傍から囁くように誘惑し、提案を受け入れるように勧める。公世子はどうやらこの優秀な提督をスカウトすると共に、彼自身がこの誘惑にどう判断するかもまた楽しんでいるようだった。

 

 この厳格で古風な、しかし純情で騎士道精神に溢れた老人が長年恋い焦がれた女を奪い、親友であった男をどう追い落とすのか……それを見届ける事もまたマクシミリアンにとって興味が惹かれる事であった。

 

 一方、老人の心中は葛藤が一層激しく荒れ狂っていた。一方の感情は愛する人から彼女の夫にして親友を奪い貶め、悲しませる事を非難する。それでいてもう一方の感情は彼の人生の喜びを盗み、その名誉まで汚した裏切り者に報復し、愛する人を取り戻せと叫ぶ。

 

「公世子、このような事今すぐに選択せよ等と言うのは困難でございます。僭越ながら……」

「駄目だ。今すぐに選びたまえ。人生というものはその場その場選択の連続だ。それ故に時間は大切にせねばならんよ。違うかね?」

 

 マクシミリアンは男爵の時間稼ぎを許さない。同時にその言葉は知ってか知らずか、彼の人生そのものを糾弾しているようにも思えた。そう。若い頃、愛する人を羨望しつつも自身の劣等感故にその感情を吐露出来ず、あまつさえ数十年に渡り縛られ続け、その癖何もしてこなかった自身への糾弾に……。

 

 彼は思い出す。三四年前のあの光景を。

 

 まだまだ個人恋愛が少なかった時代の事だ。彼はあの地で、彼女と初めて出会ったあの人工滝を背景に天体内を一望出来るテラスに一人足を踏み入れる。告白の準備のための最後の下見だった。このために待ち合わせ時間よりも早く、密かに彼はクロイツナハⅢに訪れたのだ。

 

 そして見てしまったのだ。仲睦まじそうに横に並んで歩き、談笑する二人を。

 

 咄嗟に隠れてしまった事が正しかったのか、彼にも分からない。ただ分かる事は二人が心底楽しげに語り合っているという事実だけだ。

 

 そして………彼が告白する舞台として密かに目をつけていたその場で親友は立ち止まる。

 

 そして騎士のように膝をつき、頭を下げて優雅に彼は彼女に愛の言葉を囁く。そして懐から取り出し、差し出されるのは金剛石の指輪だ。それは彼の得られる給与と実家の財力と比例した、決して大きなものではなかった。確実に自身の用意していたそれより二回りは小振りだった。

 

 だがそれでも、金剛石の大きさなぞ何の問題でもない事は分かってしまった。そんなもの、親友の詩人の如く洗練された愛の言葉と、彼自身の優美な振る舞いの前では関係ない。

 

 驚いた表情を浮かべる少女は、しかし次の瞬間には目元に涙を浮かべて、顔を赤らめる。それは怒りではなく、喜びから来るものである事を遠目からも彼は分かってしまった。

 

 笑顔で抱き合う二人、そして交わされる口づけを彼は見ている事しか出来なかった。……あれほどまでに恥ずかしげにはにかみ、しかしうっとりと熱に浮かされたような美しい彼女の笑顔は、彼は初めて見た。

 

「っ……!!」

 

 思わず歯を食いしばっていた事を老将は思い出す。そして長らく忘れていたこの高ぶる感情が何なのかを思い出す。怒りだ、底のない、煮えたぎるような怒りだ。

 

「そうだ男爵。怒り憎しめ。自らの感情と欲望を解放するが良い。さぁ、私の手をとりたまえ」

 

 差し出される手に、男爵はゆっくりと震える腕を伸ばす。そうだ、これで良いのだ。今こそ耐え続け、抑え続けていた自らの本性に素直になるが良い。この公世子の力さえあればその自らの望みは、欲しいものは幾らでも手に入るのだから!

 

 

 カイザーリングは目を見開き、ゆっくりと誘惑者の手を掴もうとして………。

 

 

 

 

 

『君は騎士道物語が好きなのか?』

 

 走馬灯のように記憶が甦る。あれはいつの事だったか?少なくとも四十年以上昔の事であった筈だ。

 

 社交的でお喋り好きな両親に連れて来られた煌びやかなパーティーは、しかし幼く、人見知りな少年にとってその時間は苦痛でしかなかった。だから一人休憩室のソファーに逃げて本を読み耽っていた。そんな時だった。そう呼びかけられたのは。

 

『あ……うっ………』

 

 確かその時、自身はそう呻くような声を漏らしていた筈だ。他に誰か来るとは思っていなかったためだ。目の前に立っている同い年位の少年は微笑を浮かべ自身を見つめていた。

 

『それ、「アーサー王伝説」だろう?随分と集中して読んでいたよな?』

 

 にかっ、と人好きのする笑みを向ける少年。それに対して気弱な彼は視線を逸らして、本で顔を隠していたと思う。恐らく恥ずかしかったからだ。身体が弱く、内気で、気が弱い。その癖に……いや、だからこそ勇敢で力強く、礼儀正しい物語の中の騎士に憧れていたから。

 

『おいおい、返事位してくれてもいいだろう?あぁ、自己紹介がまだだったな。クリストフ、バーゼル家のクリストフ・フォン・バーゼル。……まぁ大層な言い様だけど実態は出来たばかりの新参者の家だけどな?おかげ様で碌に声もかけられないと来ている。父さん達も困り顔だよ、折角オーダーで高いスーツ仕立てたのにってね』

 

 だんまりな自身に対して口を尖らせた後、ははは、と冗談めかして自虐する目の前の少年。

 

『君の名前は?こっちも退屈でね。一人か二人位話し相手が欲しいんだよ。駄目かい?』

 

 相変わらず親しみやすそうに少年は尋ねる。その優し気な態度に内気な男爵家の跡取りは恥ずかしげに小さく名を呟く。

 

『……僕は……ミヒャエル……ミヒャエル・ジギスムント……』

『ふーん、長いからミカって呼ぶけど良いよな?』

『ええっ!?』

 

 出会っていきなり渾名をつけられて、思わず目を見開き驚きの声を上げるミヒャエル・ジギスムント・カイザーリング。そんな彼にクリストフを名乗った少年はまた楽し気な笑い声をあげて、手を差し出す。

 

『いいじゃないか。結構可愛いと思うぞ?』

『可愛いって……』

 

 むすっと拗ねると、バーゼル家の息子は手を差し出す。

 

『おいおい怒るなよ?ほら、本読むのもいいけど折角のパーティーだぜ?はみ出し者にされてんだ、精々飯だけでもたらふく食っていってやろうぜ?』

 

 いたずらっ子のように宣うクリストフ。それは本を読んでいたミヒャエル・ジギスムントも、自分の家と同じ新興貴族の子弟と思っての発言だった。実態はカイザーリング家の本家は四〇〇年近く続く旧家であるし、その分家たる男爵家も少なくともバーゼル家の一〇倍は歴史がある。

 

 例え知らぬ事とはいえ家格が、身分が全ての帝国社会において、それは明らかに非礼な行いであっただろう。

 

 だがそれでも……いや、だからこそ、彼はミヒャエル・ジギスムント・カイザーリングは不安そうに恐る恐ると、しかし彼の視線を目の前の少年に向けると、勇気を振り絞って腕を伸ばし……。

 

 

 

 

「……公世子殿、私の望みは二つ御座います」

「……何かな?言ってくれたまえ」

 

 落ち着いた口調で、そして澄みきった瞳で顔をあげた男爵に、マクシミリアンは若干不機嫌そうに答えた。

 

「一つはバーゼル男爵、そして彼の家族の安全を保証して下され」

 

 その言葉に、マクシミリアンは心底失望した表情を浮かべる。

 

「折角の復讐の機会をふいにするのかね?」

「私個人として、彼に思う所があるのは確かです。ですが、復讐の相手にはなり得ません」

 

 愛する人が友を選んだ事に何も感じなかった訳ではない。しかし、あの恋は公平な戦いだった。少なくとも、彼は堂々と戦って勝利したのだ。まして彼女を幸せにしたのならばカイザーリングに友を恨む筋合いなぞない。それは彼の騎士の道に背く愚行である。

 

「無論、彼の罪は罪です。それは許されるべき事ではありますまい。……ですが友の道を正せなかった私にも責任はありましょう。彼には法を犯す行いから全て手を引くように、またこれまでの贖罪として不正に蓄えた資産を被害者とその遺族への補償に使うように命じて下され」

「それが二つ目の要求か?」

「身勝手かつ我儘な望みでありましょう。ですがどうぞ、公世子殿にお頼み申し上げます」

 

 それが決して道義的に正しい行いでない事は分かっていた。それでもカイザーリングは頭を下げてマクシミリアンに頼み込む。許されない罪を犯したのは事実でも、親友もまた彼女と同じ位彼にとって大切な存在であったから。

 

「……ちっ、期待外れだな。詰まらん男だ」

 

 舌打ちするマクシミリアン。その顔は好きな玩具を奪われて不機嫌になる子供のようだった。

 

「申し訳御座いませぬ」

「仕方あるまい。失望した分は働きで返して貰おう。カイザーリング中将、追って知らせが来るであろうが卿は予備役中将行きだ。そして直後にカストロプ公爵家の客将の地位に就いて貰う」

「はっ。……公世子殿、失礼ながら、今一つ要望が御座いますが宜しいでしょうか?」

「……何だね?」

 

 詰まらなそうにマクシミリアンは先を言うように求める。

 

「客将としての給金は求めませぬ。その代わり、その分の金銭を此度の戦死者の遺族基金に回して下さいますように御願い致します」

「無給で働くと?」

「はい」

 

 頭を下げたままの老将に、マクシミリアンは黙ったまま見据え続ける。

 

「……ふん、古ぼけて黴臭い騎士め。良かろう、貴様の望み通りにしてやろう。だが、男爵殿、騎士であるならば二言はあるまいな?後から復讐や給金の要求は受け付けぬぞ?」

 

 憎らしく、嫌らしく、挑発するように宣うマクシミリアン。そんな彼に対して、カイザーリング中将は顔を上げて答える。

 

「無論で御座います、我が主よ。……騎士に二言は御座いませぬ故に」

 

 古風で格調ある老騎士は、そんなマクシミリアンに対して堂々と、凛々しい態度でそう断言したのだった。

 

 




誰得なマクシミリアン強化イベント、尚本人だけでなく妹も強化される予定。(人格が綺麗になるとは言っていない)

後、どうでも良いですが顎コルセットしているのはオフレッサーとのタイマン訓練で顎の骨が粉砕されたためです。もしまた主人公とエンカウントして白兵戦になったらオフレッサー秘伝の肉体強化剤(ドーピングコンソメスープ)を血管注射して筋骨隆々になって襲い掛かって来ます。主人公は確実に死にます。


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第一二章 将官になったなら死亡フラグは立たないと思ったか?
第百六十五話 統計学的に考えて御祖母ちゃんは大体孫が好きって話


 まず一言弁明させてもらうとすれば、それは一時の気の迷いであり、酒精と雰囲気と勢いに呑まれてしまったせいであって私の常日頃からの欲望ではなかったという事だ。

 

 夕食後に食客達と賭け事に興じ(そして金を搾られ)ながら酒を飲んでいたのはいつもの事だし、普段から負けっぱなしなのもまたいつも通りの筈だった。

 

 このような事態に陥った原因を強いて言うならば二点あるだろう。

 

 一点はどこぞの不良士官殿が娘の習い事のために普段以上に容赦なく私からむしり取っていった事だろう。私から搾り取れるだけ搾り取るために挑発し、そして単純な私はそれに乗っかって更にむしられるという負のスパイラルに陥った。その憂さ晴らしだ。

 

 もう一点は私の生存計画に大きな齟齬が生じた事だ。宇宙暦791年、この年は私の安寧な人生に対する最大の障害が世に放たれる年だった。

 

『白銀の谷』……だったか。あの金髪と赤毛の孺子共が存在しているのは近年皇帝フリードリヒ四世の側に金髪の憂いを秘めた美女が控えるようになった事からほぼ確実だろう。その寵妃の名前がアンネローゼである事、今年一月にグリューネワルト伯爵家の爵位を受け取りグリューネワルト伯爵夫人の呼称で呼ばれるようになった事も、彼女があの金髪の孺子の姉御である事実を補強する。

 

 私も愚かではないし、身の程知らずでもない。あの大神と戦神と原作者様の加護を浴びる程受け取っているぶっ壊れチートと正々堂々と戦って勝てるとは思わない。経験値と権限のないしたっぱの内に殺るしかないのは間違いなかった。

 

 彼らがカプチェランカに赴任するのはうろ覚えであるが今年の七月か八月といった所だった筈だ。即ち、その間にカプチェランカに向かう輸送船を沈めまくり、運悪く揚陸されたとしても薔薇の騎士達を総動員して全力で狩りを行えば奴らの息を止められる……等と考えていた時期が私にもありました。おう。カプチェランカ、完全に同盟軍の勢力圏やんけ。

 

 正確には今年の六月末の時点でカプチェランカ地上部の主要な帝国軍の拠点が全て陥落した。どこでバタフライエフェクトしたのか正確には分からない。問題はお陰様で奴らがどこに赴任するのか、それどころか今後の赴任先まで完全に予想がつかなくなった事だ。

 

 あるいは私のせいなのかも知れないが、だからといって私も軍功を挙げなければ影響力を高めて同盟軍を私的な理由で動かす事など出来なかったという、どっち道詰みという状況な訳だった。

 

 その事実に気づいたのは本当に最近の事だ。必死にカプチェランカの司令官に赴任するべく工作していた時にそのニュースが舞い込んで来た。ニュースを聞いた時の私の脱力感と絶望感は皆さんにお分かり頂けるであろう。

 

 お陰様でその焦燥感と絶望感を和らげる意味もあって……つまりは現実逃避だ……ここ数日はっちゃけて部下達を呼んで酒を飲みゲームに興じ、そしてズタボロに負けて更に飲酒量が増えていた。既に記憶が曖昧だが夜のゲームが御開きになった頃には私はかなり酩酊していた筈だ。 

 

 ベッドで寝かせるため、寝室まで付き人達に運ばれたのは記憶している。朧気ながら、肩を支えられて暗い廊下を千鳥足で自室まで歩いてきた覚えがある。

 

 恐らくは運が悪かったのだろう。私も普段ならばそのような気持ちになったとしても流石に家族のいる屋敷でこんな事に及ぶなぞ考えない筈だ。『酒は飲んでも呑まれるな』、この言葉は至言であると思う。何世紀経とうとも酒は人類の悪友であるし、人の理性を溶かして誘惑してくる魔女と言っても良い。

 

 だから私も、本当ならば全ての罪を酒精に押しつけて知らぬ存ぜぬを貫きたいと思う。だが、現実は無情であり、いくら言い訳をした所でそれを素直に聴いてくれる訳でもない。

 

 つまり、何が言いたいかと言えば………。

 

「……非常に不味い」

 

 取り敢えず衣服を着ずにベッドで布団にくるまった私は髪が乱れ気味の頭を左手で抱えて呻くように呟いた。序でに言えば同じベッドの布団の中に後二人分の盛り上がりがあるし、片目分しかない視界で眼球を動かして見れば布団の端から美しい金色の長髪がはみ出て、しなだれているのが見えた。室内には酒精と香水と汗と雄の混じりあったような嫌な臭いが立ち込める。

 

 えっ?まだギリギリ直前に寝ちゃった可能性があるだろう?諦めたらそこで試合終了?済まんな、断片的だけど記憶あるんだわ。

 

 言い訳を追加させて貰えば流石に同時にしたのはこれが初めてだ。そもそも二人と同時に関係持っている時点でダウトだし、それ以前に婚約者いるのにお前何してるのとか言ってはいけない。

 

 色々手遅れ感は感じていたがそれでも最低限の良識は保持していた積もりだし、そんな肉体的な関係ばかり追求していた訳でもない。普段は寧ろプラトニックな関わりを結んでいる事の方が多いし、夜の営みだって関係を結ぶようになってから精々月に二、三回である。しかもあくまでも一対一である。

 

「不味い。これは流石にあかんだろ……」

 

 文字通り悪酔いしていたとしか言い様がない。ベッドまで連れて来て貰った所で泥酔していた私は軽い気持ちで二人をそのまま布団の中に連れ込んだのだ。そこから先は……うん、良く二人共言う事聞いてくれたよね。

 

 正直、正気に戻った今の私の顔は真っ青だ。今のこの屋敷でしかも二人同時には地雷要素しかない。もう今すぐそこら辺に転がってる酒瓶をラッパ飲みして永遠に現実から逃げ去りたかった。いや、マジ起きた二人とどんな顔で何話せば良いの?ララァ、教えてくれ。一体どうしたら良い……?(錯乱)

 

「んっ……若……様?」

「えっ……?あっ………」

 

 私が背後からの声に気付いて振り向く前に背中に温かな、そして柔らかな感触を感じた。耳元に感じるどこか蠱惑的な吐息。私は身体を緊張で強ばらせてそのまま動かない。動けない。

 

 背中から抱き着いて来た存在が誰であるか、私は既に気付いていた。そしてその姿も。私は緊張気味に尋ねる。

 

「ベアト、起きたのか?」

「はい。申し訳御座いません。私の方が先に起床して身支度しておくべきでしたが……少し疲れておりまして……」

 

 うん、凄く分かる。

 

「……いや、構わんよ。それよりも身体に問題はないか?」

「いえ、問題は御座いませんが……?」

 

 その口調は何故そのような事を尋ねて来るのか分からない、という感じであった。まぁ、同衾してから朝に起きてそんな質問されても困惑するだろう。

 

「だったら良いんだ。その……昨日は色々と雑な所があったから……」

 

 酒の勢いなので行為も力づくで、余り相手に配慮してなかったように思う。断片的な記憶のせいで曖昧であるが多分乱暴気味だったとも思う。男女の筋力や体格差、ましてや私も軍人なので比較的そこらの男性よりかは鍛えていると思うので怪我でもさせていないか心配だった。……ご機嫌取りが目的じゃあないよ?嘘じゃないよ?

 

「………」

「ベアト………?」

 

 付き人が私の背中に体重を預け(それでも驚く位軽かった)、私の首に折れてしまいそうな華奢で白い両腕を伸ばす。そして私の頭上に自身の頭を乗せて胸元に引き寄せて優しく抱きしめてくる。鼻先に長く、鮮やかでしかし少し乱れた金髪が触れて爽やかな香水の匂いが鼻腔に漂ってきた。

 

「お気になさらないで下さいませ。これでも身体は丈夫だと自任しております」

「丈夫、ね」

 

 首元に巻き付いて来る細い腕を見てもそれには賛同出来なかった。確かに軍人として鍛えてはいるだろうから見かけよりかは丈夫であろう。だが、あくまでも見かけよりかである。私が力を込めたら骨が折れてしまいそうにも感じた。……まぁ、体術の技術的な面では負けてるけど。正直この体勢で首を締め付けられたら多分碌な抵抗も出来ずに死ぬ自信がある。

 

「それに、もしそのような事が御望みでしたら私には反対する権利は御座いません。どうぞ気の向くままに、何なりと御自由になさって下さい」

 

 私に背後から抱き着いたまま、恭しく、献身的に申し出る従士。しかしその声は少しだけ事務的で、か細いものに思えた。

 

「……止めてくれ。この関係にそういうのは望んでいないんだよ。いやまぁ、どの口でほざいていやがるって話ではあるんだがな……?」

 

 今の捻じれて歪んだ関係のままで何言ってやがる、と言われそうではあるが私個人としてはこういう関係を無理強いしたい訳でもない。建前論とでも言われそうだし、不純過ぎるとも思われそうだが、あくまでも私はこの関係を主従ではなく対等の男女のそれを基礎としたものにしたいと考えていた。少なくとも完全に命令による関係にしたくはなかった。

 

「確かに形式として尽くし尽くされの形ではあるが……お前が望んでいないならこういう関係は……」

 

 そこまで言った瞬間だった。首を無理矢理振り向かされてそのまま強引に口づけされたのは。

 

「んっ……」

「んんっ……!」

 

 口内に無理矢理に舌を捻じ込まれ、蹂躙される。舌を絡ませて、貪るような口づけは数十秒程続き……私の息が苦しくなって来た所で漸く口が離された。

 

 私は、二人の口から伸びる銀の糸をなまめかしい舌でなめとり、次いで唇に這わせる彼女の姿を見た。

 

 一見普段と変わらない幼さを残しつつも落ち着いた顔立ちをした幼馴染みの瞳の奥はしかし妖艶で、蠱惑的で、首を小さく傾げて心底恍惚気味に、そして愛おしげに尋ねる。

 

「これでも今の関係を望んでいないとお考えで御座いますか?」

「……いや、疑って悪かったよ」

 

 その朝っぱらから人の情欲を掻き立てる彼女の証明方法に、私は降参するように申し出る。先程の情熱的な証明が演技であるとは思いたくなかった。演技であったなら私は女性不信に陥っていただろう。

 

「それは大尉の方も恐らく同意見でしょう」

「大尉?……あぁ、テレジア。起きていたか?」

 

 布団から顔を覗かせるベアトとよく似た少女が若干眠たげな顔で起き上がり恭しく礼をする。尤も、私はすぐに彼女に向けていた視線を泳がせた。

 

 布団以外は何も身に着けていない彼女の身体は扇情的過ぎ、不躾に見たくなかったからだ。その布団から見える太股に脚、胸元は隠されていたがその豊かな谷間の深さは良く良く分かっていた。真っ白な両肩と背中は文字通り一糸も纏わぬ剥き出しの姿で、昨日のせいで疲労がうっすらと見える上目遣いの表情は比護欲と加虐心を共に煽る程に魅力的過ぎた。

 

 正直このまま押し倒したくもなるが……起きて早々猿のように発情する必要もないだろう。何よりも彼女をそんな自身の欲望のためだけに使う道具としたくなかった。……今更手遅れとか言わないで。

 

「あー、二人共、取り敢えず朝の仕度をしよう。色々と昨日は反省が必要だが今の姿でする必要もないだろう?取り敢えず……」

「取り敢えず湯浴びをするのがよろしいかと」

「そうそう、取り敢えずは湯浴びを……んんん?」

 

 ベアトでもテレジアからでもない年配の女性の声に私は気付き、次いで若干絶望しつつゆっくりと視線を声の方向へと向ける。そこには複数の人影がいた。いつの間にか部屋の扉は開いていた。ははは、全く気配しなかったぜ。

 

 ベッドのすぐ目の前で控えるのは母が伯爵家に嫁いで以来常に仕える家政婦長である。その背後には一ダース程の女中達が臣下のように控える。

 

 ……あー、まぁ色々言いたい事はあるよ?ただまぁ、一言言わせて頂くとすればねぇ………はは、これ詰んだわ。

 

 

 

 

「御二方は此方に、湯浴びと着替えの準備をしております」

 

 老境の家政婦長は一ミリの動揺もなく、そしてその心情も見せず義務的にベアト達に申し出た。申し出た、と言っても実質は強制である。中年のベテランの女中達が手慣れた手つきで二人に毛布を被せて連れていく。その様子を私は何も言えずに黙って見ている事しか出来なかった。

 

「えっと……その若さ」

「目につきますし、風邪を引きます。お早く御願い致します」

 

 ベアトが此方を見て何か言おうとするのを家政婦長が遮る。こうなるとベアトもそれ以上逆らう事は出来なかった。テレジアの方はと言えば一礼してから素直に女中達の案内に従い先に部屋を出る。その背後に私が部屋に散乱させていた酒瓶を抱えて撤収する女中が続く。

 

 二人が出ていって、室内には全裸の私と家政婦長、それに従う数名の女中達だけとなる。

 

「若様、本家用の浴場でも湯が沸いております。どうぞ御入浴を御願いします」

 

 毛布を差し出してから恭しく礼をする家政婦長。背後の女中達も同じく黙々と頭を下げる。尤も、この場においては単なる羞恥プレイに過ぎないのだが。

 

「あー、いやけど……」

「妹君が久し振りに朝の散歩をお望みでございます。お話によれば昨夜御約束したとか」

 

 うん、思い出した。可愛い妹に御願いされて夕食の後に約束したね。

 

「えっと……流石に今の気分的にそれは……やっぱ取り消しは……」

「ここ数日家臣方とのお付き合いばかりで寂しがっておられました」

「いやだから……」

「時間も迫っております。どうぞ御入浴を御願い致します」

「アッハイ」

 

 淡々とした、しかし何処と無く圧力のある口上に私は命令に従うように答える。あれ?私もしかして今軽蔑されてる?……いやまぁ、自業自得ですけどね?

 

 浴場での入浴に女中が数名当然のようについて来たがそれには丁重にお帰り頂き、三〇分程かけて汗と臭いとその他諸々を洗い落とした私はそのまま脱衣場で待ち構えていた使用人達に当然のように身支度をしてもらった。(された、とも言う)

 

 流石に義眼は怖いから自分で捩じ込むが、義手はそのまま使用人に装着してもらう。そして下着にシャツ、自由惑星同盟軍の略服を着せられる私は何を考えているかも分からない使用人や家政婦長の視線から逃げるように顔を背け、そしてそのまま偶然目に入った立て鏡を見て、思い出したように苦笑いを浮かべた。

 

「……はは、まさか私がねぇ」

 

 立て鏡に映る軍服姿の私、その襟元の階級章を見やり私は自嘲気味に呟いた。階級章は、その持ち主が自由惑星同盟軍宇宙軍准将の地位にある事を示していた。

 

 

 

 私ことヴォルター・フォン・ティルピッツは、宇宙暦791年六月を以てヘリヤ星域会戦の戦功及びそれ以前の功績の再評価によって宇宙軍大佐から宇宙軍准将に昇進した。

 

 二八歳二ヶ月の准将は宇宙暦791年九月現在において自由惑星同盟軍に所属する現役将官級将校全四四二九名中六番目の若さであり、士官学校784年度卒業生の中においては四番目の昇進速度となる。私の士官学校の卒業席次の低さも含めて異常な昇進スピードと言えるだろう。

 

 一般的に自由惑星同盟軍における将官は軍組織において最上級のエリート中のエリート達であると言われている。

 

 最下級の准将ですら宇宙軍においては戦隊司令官、地上軍においては軍団長、後方の事務方においては一部署における部長等に就任する資格を持つ。特に実戦部隊においては万単位の部下を指揮し、その生命に責任を持つ事になる。

 

 同盟中のエリートの集まりである士官学校卒業生においても、退役直前のお情けまで含めて全体の一割半程度しか昇進する事の出来ない難関だ。大抵は五十代後半から六十代の退役直前に大佐から昇進し、そのまますぐに予備役送りなんて事も珍しくない。卒業席次の上位に入って漸く三十代後半から四十代で准将にありつける。

 

 尤も、前述を良く読めば分かるが、私の昇進速度も大概だが上には上がいる。現在において同盟軍に所属する将官の内、二〇代の将官は計一八名も在籍している。そしてその内三名は同期であるし、二人は一つ下の卒業生だ。また、歳こそ私より上であるが、下士官から二十代で将官となっている者すら二人もいると来ていた。当然ながら同盟軍は無能を将官等に昇進させない。やべぇーな、こいつら化け物かよ。

 

 まぁ、士官学校卒業生の内二十代で将官になる者は一学年で平均三、四人はいるとされているが……まさか自分がそうなるとは思ってなかった。私の准将昇進を知ったコープは「同盟軍の人材は枯渇したのっ!?」等と絶望の悲鳴を上げていた。うん、凄く分かる。

 

「そもそもまともな昇進じゃあないしなぁ」

 

 先程言った通り、私の昇進理由は『ヘリヤ星域会戦の戦功及びそれ以前の功績の再評価』である。しかし実態は結構様相が異なる。

 

 本来ならばヘリヤ星系の戦いにおける戦功が無くても昇進予定だった。紆余曲折あった昨年のフェザーンにおける騒動と、その結果であるカストロプ公からの借款取り付け、同時にフェザーン内部の親同盟派の保護、同盟国内の国際的密輸組織の勢力弱体化……それらの関係者として、また左目が抉られた事に対する亡命政府への補償として元々昇進は決まっていた。

 

 無論、流石に将官ともなると尉官や佐官の昇進とは訳が違う。表向きの理由が必要であるし、公式記録に残り後々の軍人達の将官昇進のための基準ともなる。適当な理由をつける訳にはいかなかった。派閥調整やポストの問題もある。かといって事実を公開記録に残す訳にもいかない訳で……。

 

 結局、各所の兼ね合いもあり、私が二九歳になってから主に功績の再評価を理由として昇進させる事で手打ちとなったのだが……ここでもう一つの昇進理由が加わる事になる。

 

 今年……即ち宇宙暦791年三月から四月に生じたヘリヤ星域会戦、それが当初決められた同盟軍の昇進スケジュールを狂わせた。

 

 アルレスハイム星系に至るまでの最終防衛線たるヘリヤ星系に遂に帝国軍遠征軍が進出、既に借款によって大規模な増援部隊が動員されていたが、それでも動員の完了と移動に相応の時間が必要と考えられた。そのため、同盟軍及び亡命政府軍は増援部隊到着までの遅滞戦闘を敢行すると決定。亡命政府軍と同盟軍は当時動かせた戦力の殆んどをヘリヤ星系防衛のために投入した。

 

 当時大佐であった私もまた、特に亡命政府軍将兵の士気高揚のために、司令官が戦死して空席となっていた同盟宇宙艦隊の戦艦群の群司令官として急遽着任する事となった。

 

 元より戦力が少なく、数年に渡りじりじりと消耗させられて来た同盟・亡命政府軍は、なおも各指揮官の奮闘もあって何とか持ちこたえていたが、最終的には帝国軍司令官カイザーリング中将の巧妙な偽装によって察知されずに迂回してきた別動隊による側面攻撃で打撃を受けた。全軍の二割近い損害を出した同盟・亡命政府軍は後退、小部隊によるゲリラ戦に切り替える必要に迫られた。

 

 ……尚、私の乗艦は友軍と逸れたが。

 

 自己弁護させてもらうならば、混乱の中では戦域を離脱するので精一杯だったのだ。どうにか帝国軍を撒くと、取り敢えず周辺に散った他の友軍艦艇と通信して少しずつ集まり、友軍主力と合流を図りつつ帝国軍に対してゲリラ戦を実施する事になる。

 

 通信妨害に加え、監視基地や哨戒部隊を潰し合っているせいであろう、敵味方双方の主力部隊の位置は全く分からず仕舞いだった。さらに、逃げ散った艦の寄り合い所帯のため、同盟・亡命政府軍の多種多様な艦種の寄せ集めとなっている。内部対立や連携不足で足並みは中々揃わず、戦闘どころか航海だけでも一苦労と来ていた。対立の仲裁でストレスマッハである、地獄だったよ。

 

 幸運は増援としてハイネセンより派遣されていた第七艦隊の通信を傍受した事だ。現在までの戦況データを提供し補給を受けるため、そして何よりもこのストレスから解放されるために、私は寄せ集め艦隊を第七艦隊と合流させる事にした。帝国軍に捕捉されないように小惑星帯や惑星の影を利用して密かに移動を開始する。

 

 暫定旗艦にして私の乗艦である戦艦『オバノン』の艦長ニルソン中佐は、元々乗り組む宇宙艦艇が軒並み超常的な悪運に恵まれる癖に戦死者は一人も出さない事で有名だったが、同時に単独撃沈経験一一隻に共同撃沈経験三六隻のエース艦長であり、どんな危険な暗礁宙域でも艦に傷一つつけずに渡り切る優秀な航海士でもあった。それ故に今回も即席艦隊を先導して警戒網の隙間を縫って増援部隊と合流する航行ルートを作成し、『ほぼ完全に』渡り切る事に成功した。

 

 ん?どうして『ほぼ完全に』かって?そりゃあ小惑星帯を進んでいると帝国軍の主力艦隊と鉢合わせしたからに決まってるだろ?……うん、広い宇宙で互いの存在も把握してないのにどうして鉢合わせするんだろうね?多分艦長のせいだ!(断定)というか上層部、どうして私と艦長をセットにした?ヤバい物は一纏めにした方が安全?さいですか。

 

 取り敢えず思わぬ所で敵と鉢合わせした混成艦隊は混乱した。そしてそのまま戦闘に突入した。

 

 数千隻の敵艦隊に対して数十隻の我々である。正面切って戦うのは自殺行為に過ぎた。と言っても、このまま後退するのも混乱する中ではリスクが高すぎる。

 

 結果として、私が命じた命令はこうである。「狙いをつけるな!撃ちまくりながら突っ切れ!!」

 

 当時の事を思い返すと、恐らく私も半分発狂していたのだろう。全速力で小惑星と敵艦隊の隙間を突っ走りながら艦長にビームと電磁砲とミサイルをばら蒔くように叫んだ。艦長の腕が無ければ多分途中で小惑星か敵艦艇に衝突して戦死していただろう、その意味では感謝しなければなるまい。

 

 ……まぁ、途中で艦長のジンクスが発動して慣性制御装置に被弾し、トリプルアクセル所か何回転しているか分からない程乗艦が振り回される事になったけど。え?私の方じゃないかって?知らんね。

 

 艦橋は大惨事だった。固定されていない物はそこら中に吹き飛ばされた。艦橋要員は椅子やら柱に掴まり壁に叩きつけられないように踏ん張る。私もゲロを撒き散らしながら必死に柱にしがみついたよ。

 

 因みにこの時、同盟軍宇宙艦艇の七不思議の一つ、謎の殺人ワイヤーが途中で引き千切れて私の方向に跳んで来てたりもしている。まぁ、幸いにも片耳をかすめて切断されただけの軽傷だけど。綺麗に切れたので再生治療も要らずに後で縫い合わせるだけで済んで良かったよ。……軽傷って何なんだろうな。

 

 まぁ、そんなこんなで艦内が大惨事になる中、艦長が必死に回転する艦を操縦して敵味方との衝突を回避していた次の瞬間である。一瞬の事で私も気付かなかったが、どうやら敵艦隊の旗艦とニアミスしたらしい。同時に同じく半狂乱になっていた砲手達が狙いもつけずに撃ちまくった結果、砲弾の何発かが不運な旗艦に命中、その指揮機能を停止させたと言う。

 

 後は混乱する敵艦隊を増援艦隊が正面から叩き潰してヘリヤ星域における会戦は同盟・亡命政府軍の勝利で終結した。そしてこの際の後方からの(結果的に)奇襲(となった鉢合わせ)が会戦の勝利を決定づけたと評価される事になる。

 

『第二次ティアマト会戦の再現!!帝国軍中枢部を後方から奇襲!!』

 

 会戦の結果に対してとある右翼系主要新聞はこう見出しをつけた。少数の味方、不利になる戦局、後方からの一撃による逆転とその後のワンサイドゲームから執筆者は連想したのだろう。実際は細かく状況を比較すれば第二次ティアマト会戦と此度のヘリヤ星域会戦は全く性質の違う戦いであるし、計算づくの作戦が成功した訳でもない。寧ろ事故に近い。無論、広報部も司令部の者達もそんな事口にしないが。

 

 そういう訳で私はめでたく予定を四か月前倒しで宇宙軍准将に昇進、また二枚目の同盟軍名誉勲章や宇宙軍一等銀星勲章、柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章等の勲章を口止め及び宣伝目的で同盟軍と亡命政府軍より授けられた。そして直後には一言一句まで用意された原稿通りにテレビや雑誌インタビューに答えた。仕事だからね、仕方ないね。

 

 そして昇進予定を四か月も前倒ししてくれやがったコネ出世准将閣下を今すぐ捻じ込めるポストなぞ皆無、ついでに同盟軍及び亡命政府軍志願者増加のために広報活動してこいや!という言外の命令を受けて約一か月に渡りテレビ・ラジオ・雑誌・ネット動画に出演し続け、その後は静かに休暇を過ごす事となったのであった。

 

「まぁ、その方が気楽なんだけどさぁ」

「んー?どうしたの?」

 

 母譲りの銀髪を揺らした少女……妹のアナスターシア、ナーシャは私を見上げて不思議そうに首を傾げる。ほんの一年前に命からがらで脱獄した別荘、その庭先で今平然と妹と朝の散歩している事に感慨深く、同時に妙な違和感も感じていた。

 

「いや、毎日ナーシャと一緒に散歩出来て嬉しいなって話だよ」

 

 内心を誤魔化す目的もあってまだまだ幼い妹の頭を生身の左手で撫でようとして……ふと、私は一瞬強張る。それは昨夜の情事を思っての事だった。屋敷の防音は完璧なので音は響いていないのだろうが……酷く自分が強欲で醜く思え、この汚れ切った手で純粋で純情な妹の頭を撫でるのは彼女を汚す行為に思えたからだ。

 

(とは言え、右手も大概だがな……)

 

 機械の手で妹を撫でるのも忌避感があった。尤も、それを言えば軍人である以上当然とは言え、これまで当然のように何人も人を殺めて来た私は全身汚れ切っているので今更感もあるが。

 

 そして……既に汚れ切っている癖に色欲に溺れて部下を穢し続ける愚行を何度も演じている訳だ。泥沼だね。

 

「……行こうか?」

「?、うんっ!」

 

 私が手を引っ込めてそう尋ねれば銀髪の少女は若干疑問を抱いたような表情を浮かべる……が、すぐににっこりと太陽のような、そして澄み切った笑顔で応じてくれた。

 

 ……そして当然のように小さな手で私の左手を握って来た。

 

「ねぇねぇ、はやくいこー?」

 

 私が僅かに驚いた表情を浮かべるのを知ってか知らずか、陰のない笑みで散歩を再開する事を催促するナーシャ。

 

「………あぁ、そうだな。行こうか?」

 

 可愛らしく、精一杯握った手を引っ張る妹に対して、私はその小さな手を握り返して穏やかにそう答えた。

 

 ……その後一〇分程庭先をお喋りしながら散歩し、屋敷の方へと戻れば玄関前で老境の執事が私の事を待っていた。

 

「何用かな?」

「大奥様がテラスで御呼びで御座います」

「……そうか」

 

 その連絡に一瞬だけ苦い表情を浮かべ、しかしすぐに態度を整え承諾の返事をする。

 

「おばあさまにあさのごあいさつにいくの?」

「ああ。ナーシャは先に母上に御挨拶してきてくれるかい?今日の散歩をナーシャと出来なくて寂しがっているだろうから」

「うん!」

 

 私が先に母の下に朝の挨拶をしに行くようにお願いすれば妹は笑顔で頷き、女中達に案内されながら母の下へと向かう。祖母がこの屋敷の最高権力者になってからというもの、これまで女帝のように君臨していた母は逆にびくびくとその顔を窺う有様である。

 

「見られていたかな……?」

 

 今日、母がナーシャとの散歩に参加しなかった理由を私は推測する。この分だと庭先の庭園を一望出来るテラスのある部屋に祖母がいる事を察知したのだろう。恐らく私と妹の散歩は祖母に終始見られていたと思われる。

 

 執事に先導されて屋敷を進んでいく。途中で出くわす使用人の礼に答えながら祖母が待つ一室に向かう。

 

「大奥様、ヴォルター様をお連れ致しました」

「そう、入れて頂戴」

 

 オーク材の重厚な扉をノックして執事が連絡すれば祖母からの返答が淀みなくくる。執事が丁重に扉を開いて私を導くと、私もまた当然のようにその居間に足を踏み入れる。

 

 開かれたベランダにテラス、そこから朝の少し冷たく陽気な風が私に吹きかかった。視線を移す。壁に置かれた本棚に暖炉、置時計、幾人かの御先祖様が描かれた絵画……強いて言えばヴィクトリア様式に近い絢爛豪華で、しかし何処か空虚な所のあるインテリア群。

 

「ナーシャと一緒にツェツィーリアに挨拶しに行く予定だったのでしょう?時間を取らせて悪いわね」

 

 ソファーに座りティーセットで一人お茶を楽しんでいた品の良い喪服姿の老女が賑やかに微笑む。齢七〇は越えているだろう、半世紀程若い頃は絶世の美女と分かる面影を強く残していた。何も知らなければ二〇は若く見える筈だ。

 

 ゲルトルート・フォン・ゴールドシュタイン公爵令嬢……ティルピッツ家に嫁いでからはゲルトルート・フォン・ティルピッツ伯爵夫人と呼ばれるようになった目の前の老婆は、隠居しても尚、アルレスハイム宮廷各方面に隠然たる影響力を持つ御仁として恐れられている存在であった。それこそ皇族の縁者たる我が母よりも、である。

 

 開祖ルドルフ大帝とその皇后エリザベートの間に生まれた四人の皇姫は後に全員がルドルフ大帝が自ら見出だした優秀な若手軍人や官僚と結婚した。そして成立したのが準皇族、皇統の予備とも言える皇統四家である。

 

 第二代皇帝ジギスムント一世公正帝の出身としてルドルフ大帝の長女カタリナとその婿ヨアヒムが立てたノイエ・シュタウフェン家、次女ヴィルヘルミーナの立てたユグドミレニア家、三女アーデルハイトを始祖とするゴールドシュタイン家、四女シャルロッテから始まるブローネ家がそれに当たる。

 

 実際はこの四家以外にも皇族の係累の一族はいるのだが、それでもこの四家は別格扱いされ、万一の際に帝室を継ぐ高貴な一族として権門四七家や皇帝一家と何度も婚姻を結んで来た。

 

 そして実際前述のノイエ・シュタウフェン家出身のジギスムント一世公正帝、カスパー一世短命帝失踪後に帝位に継いだユリウス一世はゴールドシュタイン家の婿養子であったし、ブローネ家からはジギスムント二世恥愚帝が、アウグスト二世流血帝による殺戮によって皇族が激減したために第一五代皇帝は傍流のリンダーホーフ家が、第一九代皇帝レオンハルト一世苦悩帝は血筋ではなく才覚から選んだためにこれまた傍流から選ばれたものの、彼が五等分された後に引き継いだ第一八代皇帝フリードリヒ二世はユグドミレニア家の直系でこそないものの、それに連なる生まれだ。

 

 四家に大きな変化が訪れたのはダゴン星域会戦とそれと前後して始まった『暗赤色の六年』とそれによる宮廷の大混乱だ。

 

 宮廷闘争の結果少なくない皇族が暗殺され、一族が族滅した。保守的かつ頑迷なゴールドシュタイン家とブローネ家は宮廷闘争に敗北し同盟への亡命を強いられた。

 

 マクシミリアン・ヨーゼフ二世晴眼帝は皇統四家と縁もゆかりもない下級貴族を母に持つ人物であった。彼の即位に反対したユグドミレニア家は多くの諸侯同様この卑しい血を引く皇帝僭称者に反乱を起こし、壊滅する。

 

 実質的に四家の内三つが短期間の内に失われた結果、帝国の皇統の存続が危ぶまれる自体に陥った。晴眼帝は皇室存続のために残る皇族一族から三家を『御三家』として新たに任じ、この事態に対応した。第二四代皇帝コルネリアス一世元帥量産帝は御三家の一つ、ローゼンフェルト家の出である。尤も、これは寧ろ逆で、優秀なコルネリアスを問題なく皇帝にするために晴眼帝は御三家をでっち上げたのだとも言われる。

 

 一方、同盟に亡命したゴールドシュタイン家とブローネ家は『最後の正統なるオーディン=ゴールデンバウム家出身の皇帝』エルウィン・ヨーゼフ一世の、そしてフリードリヒ三世敗軍帝とも兄弟であるユリウス・フォン・ゴールデンバウムとその血筋を正統皇帝と戴くアルレスハイム星系を根城とした銀河帝国亡命政府と合流する事となる。

 

 現在は帝室を支え、『古き善き帝国の秩序』を守る亡命政府内の最右翼を形成、政治的には皇帝の独裁体制の認可、劣悪遺伝子排除法の復活、法的な階級制度及び特権の復活、奴隷制度の復活等々、一般的同盟市民が聞いたら一発アウトな公約を掲げる『帝政党』の中核を担っている。そしてその片方の現当主の妹が目の前の祖母であった。

 

「いえ、お婆様の申し出で御座いましたら断るなぞ有り得ません。どうぞ御遠慮なさらぬよう御願い致します」

 

 内心断られるなんて思っていないでしょうに、と呟きながらも恭しく伯爵家の長老に私は答える。母は無論、下手すれば大叔父殿や父すら凌ぎ兼ねないこの祖母に真っ向から敵対しようなぞ論外だ。少なくとも形式的であれ下手に、礼節と敬意を持って接しなければなるまい。

 

「まぁ、貴方の立場ではそう言うしかないでしょうね。……さぁ、お座りなさい、砂糖は少な目で良いですね?」

「はい、御願い致します」

 

 私が答えれば手慣れた手つきで紅茶を注いでいく祖母。執事が一礼して室内から去ると、私は祖母と対面する形でソファーに腰を下ろす。

 

「先程のナーシャとの散歩を見てると懐かしくなりましてね、つい呼んでしまいました。アドルフもアムレートと一緒にサンドラの面倒を見ながら良く朝の散歩をしていたものです」

 

 紅茶の注がれたティーカップを受け皿共々差し出しながら祖母は口を開く。アムレートは三十年前に戦死した父の兄、サンドラは妹でありヴァイマール伯爵家に嫁いだアレクサンドラの愛称の事であろう。当然ながら腹違い等ではなく祖母が腹を痛めて産んだ子供である。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「そ、そうですか……」

 

 私はそう歯切れ悪く答えるとよそよそしくティーカップに口をつける。若干温めの紅色のそれは喉を通り抜けて寒い朝の散歩で冷えた身体を温める。

 

「えぇ。やはり家族と言う事が良く分かります。庭先での貴方はアドルフやアムレートに良く似ていましたよ」

「確かに髪や瞳は父似ですが……伯父上と似ている所なぞありましたか?」

 

 基本的に髪や瞳は父から、全体の造形は母から受け継いだと言われる事が多いが、帝国軍によってヴァルハラ送りにされた会った事もない伯父と似ていると言われたのは初めての経験である。

 

「以前肖像画や写真を見た事はありますが……似てますかね?」

 

 一見する限りでは父は祖父似、伯父は祖母似なのは何となく分かるが、私が伯父と似ているかと言えば……。

 

「顔立ちは無論違いますよ。……ですが雰囲気はアドルフよりかはどちらかと言えばアムレートに近いように思えるわねぇ」

 

 ほほほ、と口元に手を当てて品の良い笑い声を上げる祖母。

 

「成る程……」

 

 だから何なんだ?と言うのが私の本音であった。態態私をここに呼びつけた意図が掴めない。別に偏見がある訳でもないし、目の前の老夫人が冷淡という訳でもないが、同時に中身のない話だけのために私を一人呼び寄せるなぞ有り得ないように思えた。

 

 私は精神的な疲労と内心の困惑を誤魔化すために再度ティーカップに口をつける。その直後の事であった。祖母が私に爆弾発言を投下してきたのは。

 

「あらあら、御疲れかしら?まぁ、若いとは言え昨夜は二人も相手をしていたから仕方ないのかしらねぇ?」

「ふごっ!?げほっ……ごほっ!ごほっ……!!?」

 

 紅茶が気管に入り私は激しく咽る。正確に言えばそこに動揺が含まれ若干呼吸困難に陥る。

 

(ど、どこでそんな話知って……いや、当然なのか……!?)

 

 この屋敷は祖母の天下である。使用人も警備もほぼ全員祖母の管理下にあると言っても良い。当然屋敷の誰がどこにいるのかも、どの部屋が使われているかも筒抜けと考えても良い。当然使用人達が部屋に来た時点で遅かれ早かれ祖母の耳に入るのは確実だろう。尤も、こんな朝っぱらにもう伝えなくても良いだろうに……!!

 

「げほっ……あ、えっと……あのっ……お婆様、それについては………」

「あら、照れなくても良いのですよ?それ自体について私から何か口にするべき事は有りませんから」

 

 私が慌てて弁明しようとする前に、祖母は淡々と結論を口にする。

 

「えーと、それは………」

「寧ろ都合が良い事です。お陰様でゴトフリート家とノルドグレーン家に睨みが利かせられますからね」

 

 私は何事もないように紅茶を飲みながらそう口にする祖母に息を飲む。まるで今日の天気について語るかの如く、平然と祖母は続ける。

 

「いいですか?分かっているとは思いますが貴方は我らが一族を受け継ぐ身、即ち貴方が当主となれば貴方の意向が一族郎党の全てを決定するのです」

 

 その上で、と祖母は此方を見つめる。その瞳は冷たく、鋭い。

 

「その上で彼女達を生かしてある事、手元に置いている事は両家も意識せざるを得ません。今の当主達は『意外と』娘達に情がありますからね。両家の一部からは小娘達を『処理』しようと言う意見もあったそうですが……その程度の事で失態を帳消しにされては堪りません」

 

 寧ろ生かしている方が両家共、名誉挽回のために一層伯爵家のために忠誠を誓い、働いてくれるでしょう、と続ける。正確に言えばそうしなければ彼らの一族郎党の立場が無くなる。

 

「小娘共も一族郎党の運命が賭かっていますから馬鹿な事なぞ考えず自身の役目を果たしてくれるでしょう。何事も生かさず殺さずが一番ですね」

 

 優しげな、それでいて冷酷な微笑みを浮かべる祖母。恐らく祖母はベアト達が私をたぶらかして一族の便宜を図ろうとする事に警戒しているのだろう。下手に彼女達に自裁されて罪状を帳消しされるよりも敢えて生かして一族と彼女達に主家に必死に奉仕させる方が良い、という訳らしい。

 

「え、えっとお婆様……その懸念は理解しておりますがベアト達は別にそのような事はこれまで一度も……」

「ヴォルター、良いですか?女というものは生まれながらの女優、一見健気で純情に装っても一皮剥けば強かで小狡く、性悪なのですよ?上辺に騙されずにちゃんと手綱は引かなければなりません。遊ぶのは構いませんが入れ込まず、良く良く飼い慣らす事を忘れてはいけませんよ?」

 

 にこり、と孫に年長者の知恵を授ける祖母であった。額面だけなら微笑ましいかも知れないが内容が酷い。というか女は女優って……言い様が同じ女が言う内容じゃねぇ。

 

「同じ女だから言うのですよ。貴族の娘が妻なり妾なりに贈り込まれるとなれば、当然贈る家は娘を通じて一族に便宜を図らせようとするものです。少なくとも娘に自覚が無くても贈る側はそれを期待するものです」

「さいですか」

 

 顔を若干引きつらせながら私は答える。うん、内容自体は理解出来るよ?理解出来るが余り堂々と言われるとねぇ……?

 

 そんな私の態度を見やり、小さく溜め息をつく祖母。

 

「……はぁ、やはり貴方はアムレートに良く似ているわ」

「はい?」

「……ただの独り言です。気にする事はありませんよ」

 

 小さく頭を振り、祖母は自身のティーカップに紅茶を再度注ぎ込む。

 

「兎も角、貴方がいくらあれらで遊ぼうとも私は一向に構いません。強いて上げるとすれば蒔いた種が芽吹いても過剰に構ってはいけませんよ」

「えっと……それは………」

「小娘共が孕んでも、次の当主の椅子を約束なぞしてはいけないという事です」

「っ……!」

 

 僅かに怒気を含んだ声に私は若干身体を強張らせた。一見すればその表情に大きな違いはない。だが身に纏う雰囲気が祖母が心底不機嫌になっている事を証明していた。

 

「返事は?」

「えっ!?は、はい……理解しております。それはもう……はい……」

 

 情けなく私は頭を下げる事しか思いつかなかった。無論、私もそれくらいの事は理解している。前世や同盟社会における道徳的には醜悪で、吐き気すら催す内容であるが、だからと言って私が何を騒いでも仕方無い事であるし、祖母には恩義もある。

 

 そもそも下手に子供に伯爵家を継がせようともこの後の歴史を思えば寧ろ危険に晒す行為であるし、それ以前に道徳的には私は人の事を言えない。故にその点に関しては素直に返答出来た。

 

 無論、その有り方自体に疑問がない訳ではないが。

 

「……紅茶、御代わりは要るかしら?」

「……頂きましょう」

 

 私の返答に一応の満足したらしく、威圧感をさっと消し去った祖母は優しく尋ねる。私は承諾してティーカップを差し出すと祖母は名人染みた所作で紅茶を淹れていく。

 

「別に止めろとは言っていませんよ?分別さえ守ってくれれば私も叱りはしません。寧ろ奨励しましょう、アドルフは頑固で仕事人間ですし、ツェツィーリアの立場や彼方の実家に対する配慮もありましたからね。お陰様で本家筋が随分と痩せてしまいました」

 

 私は御代わりのティーカップを祖母から受け取る。

 

「貴方については最初は拘りが強いだけだと思っていましたが、何年か前にツェツィーリアから何もしていないようだと聞いた時は本当に困りました。軍功こそ良く良く立ててくれましたが、貴方は直系の唯一の男子です。女気が全くないのは問題ですし、最悪庶子であれ子供がいれば万一の事があっても事の深刻性は全く違います」

 

 最悪私が結婚せず、あるいは正妻との間に子供がなく死んだとしても、庶子がいればその本人は当主になれなくても爵位持ちの何処かの家に養子に出して、本家に近く血筋の良い分家の男なり女なりと婚姻させる事が出来る。そしてその子供に家柄の良い妻をあてがい次の当主に据えればギリギリ『高貴な血筋の本家』と言い張る事も出来ようものだ。少なくとも本家の血筋が絶えて分家筋や親戚関係の他所の家が仁義なき爵位継承戦を始めるよりも遥かにマシだ。

 

「無論、貴方が直系の血を引く男子を作ってくれればそれが一番ですが。ナーシャの子に期待するのも手ではありますがそちらはリスクが高過ぎます。これからの事を知らせる前にまず自覚して欲しかったのでお話ししました」

 

 そう言って、ティーカップをテーブルに置いた祖母は私に本題について連絡する。  

 

「二つ、大事なお知らせがあります。一つは貴方に市民軍から次の任務が与えられました」

「思ったよりも早いですね。もう一月位は休みがあると思いましたが……」

 

 私が四ヶ月前倒しで准将に昇進して三ヶ月も経っていない。

 

「市民軍の方で大きな動きがあるそうです。大規模な軍事行動を計画していて、その作戦司令部の設立のために参謀達を集めているとか」

「大規模な軍事行動……」

 

 私の脳裏に過ったのはあの存在であった。

 

「イゼルローン要塞……!」

「……軍事に関しては私は然程明るい訳ではありませんので深くは知りません。そちらの方は今日にも説明のために人が来るのでそちらと良く良くお話しして下さい。……さて、私としてはもう一つの連絡の方が重要です。先方との話し合いで漸く式のめどがつきました」

 

 その言葉に私は視線を泳がせる。また私の失態が掘り返される事が分かっていたからだ。

 

「婚約者と顔合わせして六年……婚約期間は長ければ長い程良いとはいいますが流石に長すぎますからね。無論、ここ数年賊軍との戦いが苛烈で予算と時間の都合がなかったのも理由ですが……漸くめどがつきました。来年の六月に式を挙げる事で調整しました」

「来年の六月……九ヶ月後ですか」

「貴方は本当に妙な所で運が良いですね。出征が丁度終わる頃になります。最初の予定でしたら重なって面倒な事になってました」

「ははは……」

 

 私は誤魔化すために笑うしかなかった。

 

 ……フェザーンからの任務で帰った後のケッテラー家の反応は大変だった。何せ後ろ楯をするために連れて帰った小娘の家柄がアレであるし、それだけなら兎も角私に嫌がらせのために平気で爆弾発言を投げてくれやがった。あの野郎、騒ぎになった後地上車の中で笑い転げてやがった。笑い過ぎて過呼吸になって死にかけていた。そのまま死ねばよかったのに。……マジで殺意が湧いて来たな。

 

「承知しましたが……まぁ、先に私から言いましょう。式までに私が注意するべき事は御座いますか?」

「これ以上トラブルを起こさないで下さい。前回の事はナウガルト家のご令嬢にも責任がありますし、保護自体は我が家にも利点はありました。ですがそれを除いたとしても貴方は問題を起こし過ぎです」

「は、はい……」

 

 心底疲れた口調で祖母は答え、私は気まずげな顔で俯く。今度こそ私が言い訳出来ない内容だった。

 

「……確かに政略結婚ではありますし、彼方の血筋に不満があるかも知れません。だからと言って相手を軽視し過ぎては行けません。何十年も付き添い、世継ぎを産んでもらうのですから。世間体もありますし、子供の教育的にも夫婦仲が良い事に不都合はありませんよ?」

「分かってはいるのですが……」

 

 別に嫌ってる訳ではないんですよ……いや、自爆しているのは私なんだけどね?

 

「……お祖父様とお祖母様の仲はどうだったのですか?残念ながら私は生前のお祖父様と顔合わせした事がないので伝聞ばかりしか知りません。今後の参考のため、一つ御話しを聞いても宜しいでしょうか?」

 

 半分自身への叱責の矛先を反らすために私は祖母に尋ねる。

 

 一方、祖母の方は私の質問に目を見開いて驚いた表情を作る。そして僅かに困惑してから、少し恥ずかしげに答えていく。

 

「そうですね。周囲からどのように見られていたかは分かりませんが、私個人としては決して悪い関係ではなかったと思いますよ?」

「……お祖母様にしては曖昧な返答ですね?」

 

 若干失礼にも思えたが私は敢えてそのように口にした。一方、祖母はほろ苦い笑みを浮かべる。

 

「あの人は気難しくて、厳格で、いつも不機嫌そうな顔をしてましたから。アドルフは知っているでしょうけど躾も厳しい人でした」

 

 祖母は亡き夫であり、私の祖父に当たる人物について思い出すように答える。

 

「兎も角出世欲と競争心が強くて、それに抑圧的な人で知られてました。優秀ではありましたがお陰様で中々妻の成り手がいないようでしてね。やはり、厳し過ぎて切れ過ぎる男についていける娘も、そんな男を義理とは言え息子に出来る度量のある当主もそう多くはなかったようです」

「お祖母様のお父上にはあったと?」

「……どうなんでしょうね?婚約を伝えられる前から何度か宮廷の宴会でお会いはしましたが、礼節は完璧ですが無愛想な方でした。父も然程親しくはなかったでしょうし婚約する事を伝えられた時には私も驚きました」

 

 そう言い切って肩を竦める祖母。

 

「正直、嫁ぐ時には心配でしたよ。宮廷の社交界では気が強くて気性が荒い、可愛いげのない女として知られてましたから。そんな女が厳しくて怖い事で知られている伯爵の妻になるんですよ?多分喧嘩ばかりして冷えきった関係になるんだろうな、と式の最中ずっと考えてました。だってあの人、文通の手紙は形式通りで、デートも予定をこなすように淡々とするんですもの」

 

 そしてそこで、ころころと笑い始める祖母。その屈託のない笑いに私は僅かに驚く。私の中での祖母のイメージと目の前の子供のように笑う老女が別物であったからだ。

 

「それであの人、誓いの口付けの時に不満顔の私からヴェール取った時どんな顔していたと思う?顔真っ赤にしていてね、思わず爆笑してしまって父上に叱られてしまったわ。厳粛な式が台無しよ……まぁ、お陰様で結構蟠りは消えたのだけれどね。あの人、誤解されやすいですけど、結構甘いし、決して冷たいだけの人じゃなかったわ。それこそアムレートの事だって……」

「お祖母様?」

 

 寂しげに呟く祖母に私が声をかけると、ふと我に還ったように祖母は此方を見、誤魔化すように笑みを浮かべる。

 

「老人ののろけ話なんて聞いていても愉快ではないでしょう?ここまでにしましょうか。ヴォルター、叱られるのが嫌だからと言って話を逸らそうとしては行けませんよ?特に妻と言い争いになったら。女というものはそういう昔の話を忘れません」

「は、はい……」

 

 祖母からの追及の再開に私は身体を縮こませる。うん、私の作戦バレてーら。

 

 私が数分程小言を食らっていると、部屋の扉がノックされた。祖母が開けるように命じればまず現れるのは私を案内した老執事である。

 

「大奥様、予定通りお客様が参りました」

「そう、通して頂戴。ヴォルター、ここから先は貴方に任せるわね?」

  

 執事と祖母の言葉から、客人が先程祖母が言っていた同盟軍の大規模軍事作戦の関係者である事を理解する。

 

「了解致しました」

 

 私はソファーから立ち上がり部屋を退出しようとする祖母に向けて礼をする。敬礼であった。

 

 そんな私の敬礼を見て、祖母は何処か懐かしそうに、そして寂しげな表情を浮かべ、左手で私の肩に触れ、囁いた。

 

「……もう一つ、注意するべき事を言い忘れていました。我が家は武門の家柄であり、貴方は軍人です。だから何時でも覚悟はしております。最悪貴方が死のうとも、植物人間になろうとも、子供がいるなり、下半身が無事ならば構いません」

「アッハイ」

 

 祖母の酷い宣告に私は思わず表情を固まらせてそう機械的に答える事しか出来なかった。

 

「ですが……貴方が怪我したり、死んだりしても良い訳ではありません。貴方がどう思っているかは兎も角、私個人としては貴方が傷つけば悲しみます」

 

 そして右手を伸ばして私の頭を撫でる祖母。

 

「ですから、危険は出来るだけ避けて下さいね。お婆ちゃんとの約束ですよ?」

 

 穏やかに、優しげにそう言われて、私は一瞬沈黙してしまった。

 

「……はい」

 

 そしてこれまでの会話と同じように、私は歯切れの悪い返答をするしかなかった。

 

 祖母はそんな私の態度に小さく笑い、しかし次の瞬間にはいつも通りの気品と圧力のある凛々しい老女の姿に戻り踵を返していた。扉の方向に向かい、恐らく待っているのだろう客人と小さな挨拶を交えてに行く。

 

「………」

 

 扉の方で挨拶を交える祖母、それに対して私の方はと言えば、特に理由もなくソファーで座り込んでいただけだった。そして、撫でられた頭に生身の左手で触れる。まだそこには温かい感触が残っていたがそれも刻一刻と消えていく事もまた実感していた。

 

「約束、か」

 

 別に祖母が嫌いな訳ではない。恩義もある。だが……これからの事を思えばそれは簡単には出来ない事も分かっていた。だからこそ、素直にそれに応じる事は出来なかったし、これから与えるであろう気苦労を思い、私は暫しの間陰鬱な気分となっていた。

 

 尤も、それも少しの間の事であったが。扉から同盟軍の軍服を着こなした人影が現れる。私はそちらを見て、その階級章が同盟宇宙軍中将である事を確認して慌てて立ち上がり敬礼する。

 

 肩幅の広く、背は低めだが筋肉質の逞しい体つき、口髭を蓄えた美形といえる顔立ちを神経質そうに強張らせた中将殿は………私の顔を見るとニカッ、と気持ち良い笑顔を浮かべた。

 

「おおっ!ヴォル坊!久し振りだな!准将昇進おめでとう!!」

 

 心底嬉しそうに、そして親しそうに私の昇進を祝う中将殿。私はそんな中将殿に答えるように笑みを浮かべ、次いで深呼吸した後、口を開く。

 

「………いや、あんた誰っ!!!??」

 

 自由惑星同盟軍宇宙軍中将、第六艦隊司令官にして極秘裏に第五次イゼルローン要塞遠征軍副司令官に任命された、そしていつの間にか別人のようなダイエットに成功していたラザール・ロボス中将に対して、殆んど悲鳴のような声で私は叫んだのだった。




どれだけ酷い目にあっても次章になると再生して元通りになるので
主人公の耳=某宇宙戦艦の不死身の第三艦橋説を押したいこの頃



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第百六十六話 蝶の羽ばたきが都合の良い方向に進むと誰が言った?(出番ない方のイメージ画像あり)

本話に一切出番がないけど折角作ったのでシルヴィアちゃんのイメージ画貼っときますね。えっ?こいつ最上型重巡だろ?……知らない子ですね。


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……贅沢言わないからこんなムチムチな女学生の従兄になってお小遣いあげたいだけの人生だった


「これはこれは……随分と賑やかな面子が参集された事だなぁ、えぇ?」

 

 宇宙暦792年九月三日、同盟標準時刻1100時の丁度五分前、自由惑星同盟軍の軍令における最高司令部……つまりスパルタ市中央に君臨する地上五五階地下八〇階建ての統合作戦本部ビル、その地下二六階に設けられた一室、暫定的に『三五三号作戦臨時司令部』と命名されたその部屋に入室した私は、そこに集う士官達の顔触れを見て嘆息した。

 

「それは此方の台詞なんだけど?本当、信じられない!何でこんな奴が将官に、しかもこの司令部に参集してくれているのかしら……!!?」

 

 集まる人の塊の中からかつかつと良く響く足音と共に現れ、心底苦々しげに声を上げたのは赤毛の勝ち気な女性軍人であった。恐らく同じく参集したのだろう姉が抱き着くのを引き離してやって来る。襟元の階級章が表す立場は自由惑星同盟軍宇宙軍大佐である。その姿を見て、今回ベアト達がこの場に呼ばれなくて幸いだと内心で思った。……まぁ、どうせ後々追加の参集で出くわす事になろうがね?

 

「やぁ、コープ大佐。上官にその言いようは無いんじゃないかな?ほら?品行方正なる同盟軍人なら上官に何をするべきか分かるだろう?」

 

 取り敢えず私は遠くで緊張感もなく妹の友達に挨拶するようににこにこと両手を振る姉の方のコープ大佐に礼をしてから、打って変わって意地悪な笑みを浮かべてコーデリア・ドリンカー・コープ大佐にそう嘯いた。

 

「うぐぐぐ……!!?」

 

 私の言葉に顔を真っ赤にして屈辱感に満ち満ちた唸り声を上げる妹の方のコープ。と、次の瞬間に彼女の背後から大柄な偉丈夫が姿を現す。

 

「ならばお前は先に私に敬礼をするべきではないか?ティルピッツ准将?」

「げっ!?ホーランド、お前もかよ!?」

 

 銀河帝国亡命政府軍幼年学校からの知り合いが現れれば呻き声を上げるのは私の方となる。身長一八八センチメートルの均整の取れた、厳つさこそあるものの美男子と言える顔立ちのウィレム・ホーランド、その軍服の襟元にある階級章は、彼が同盟軍宇宙軍准将である事、そして胸元の略章は彼が自由戦士勲章の受勲者である事を示していた。そして、彼が准将に昇進したのは私より一ヶ月前の事である。

 

「……ちっ、仕方ないな。ほらよ。これで満足か?」

 

 私は渋々といった態度でホーランドに敬礼をする。私がハイネセンの屋敷で遊んだり、フェザーン旅行に興じたり、ヘリヤ星系で大道芸を演じていたりしている間、武功を立てまくって宇宙暦784年度卒業組の中で最速で将官に昇進したこの男の実力は認めざるを得ない。

 

「それにしてもホーランド、お前まで呼ばれるとはな」

「それは此方の台詞だ。今回の作戦の司令官を考えれば貴様が参集されるのはかなり意外な事だな」

「本当よ、最悪だわ。あんたがいるだけで作戦の成功率が低下するのよ。というか私達を命の危機に晒す前にさっさと帰って欲しいものね。正直この瞬間にビルの直下で大地震が起きて全員生き埋めって事すら有り得そうで戦々恐々しているのよ、この気持ち分かる?」

 

 心底不愉快そうにホーランドに同調するコープである。私を見やる彼女のしかめっ面は、私に向けられる嫌悪感の高さを示していた。まぁ、裏は兎も角としても表の経歴だけですら私を遠ざけようとする理由が分かり過ぎるから笑えない。

 

「お、こりゃあ懐かしい顔触れじゃねぇか。お前達も呼ばれたのか?」

 

 私が誤魔化すようにコープ達から目を逸らしているとそんな叫び声が上がる。人垣を掻き分けて私達の所にやって来る人影。私はそれに見覚えがあった。

 

「スコット?お前も呼ばれているのか?」

 

 私は士官学校で知己のあるグレドヴィン・スコット中佐に意外そうに尋ねる。決して馬鹿ではなかったが極めて優秀とも言えない彼が此度の作戦に対して参集されたのは意外だった。……いや、それ言ったらそもそも私も席次的にあれだが。

 

「電子戦計画の参謀要員としてな。俺も驚いているよ。同期だと後ファンとコナリーの顔を見つけたわ。後方参謀と作戦参謀の所にいたのは見た。……あぁ、そういやマカドゥーは情報参謀様の首席副官としてドヤ顔してたな。それ以外にも何人かちらほらと見覚えある奴もいるぜ?」

 

 スコットの指差す方向を見れば、確かに幾人か士官学校で見知った顔が見つかる。その中で作戦参謀の一員として召集されたコナリー准将は手を振って友好的な態度を取ってくれたが、残りは此方を見つけると顰めっ面を浮かべるか絶望した表情を見せる。マカドゥー中佐に至ってはにっこりと塵を見る目で見てくれた。解せぬ。

 

「それにしても結構凄い面子が集められているな。後方部の元締めはセレブレッゼ中将か?マカドゥーの上司の情報部長はホーウッド少将、作戦部長は校長殿の懐刀で有名なマリネスク少将とは……随分と豪華な事だな」

 

 セレブレッゼ少将はロックウェル少将やキャゼルヌ大佐、ヤングブラッド准将と共に『次期後方勤務本部長の予約者』と称される後方支援の専門家、ホーウッド少将は第四次イゼルローン要塞攻防戦で総司令部後方部門のトップを担った人物であり参謀としてはその用心深さを、艦隊司令官としてはその勇猛さを高く評価されている人物だ。マリネスク少将は少なくとも表向きには二年前の一大反攻作戦『レコンキスタ』においてシトレ大将の右腕として様々な作戦を立案し一方的に帝国軍を撃滅する功績を上げた権謀術数の秀才と称されている。

 

 いや、それだけではない。液晶モニターにコンソールが壁一面に設けられ、その他三ダースはあろう長机の上には大量の資料に携帯端末、パソコン、その他事務作業用具が用意されていた。そんなこの部屋に集まる人員は士官だけでも百名近い。補佐や雑用のための下士官兵を含めれば一個中隊に届くかも知れない。その全員が同盟軍において最高クラスの人材である。しかも、今後作戦の具体化と共に追加の増員もある筈だ。

 

「事前にある程度話は聞いていたが、やはりこれは……」

「そうね。前線は久々に此方が優勢だそうだし、帝国軍は暫くは大規模な侵攻はないだろうから。そうなるとこれだけの人材を集める理由は一つしかないわ」

 

 六年前……宇宙暦785年に実施された第四次イゼルローン要塞攻防戦、それ自体は同盟軍の一方的敗北という訳ではなかった。戦死者数は第二次攻防戦を除けば歴代の戦いに比べて少なく、また殆んど偶然とは言え要塞駐留艦隊司令官ブランデンブルグ大将を戦死させた他、少なくない歴戦の帝国軍諸将を討ち取る事にも成功していたからだ。

 

 だが、それでも尚同盟軍が受けた損害は人的にも、物的にも、そして財政的にも無視出来ない規模であったのも事実。しかもエル・ファシル陥落以降同盟はその領土の奥深くまで帝国軍の侵略を許し、市民の避難に反撃、戦災地の復興と多くの財政的負担を背負う事となった。

 

 その後、先に触れた『レコンキスタ』の成功に続けて実施された国内の治安安定化作戦『パレード』、そしてアルレスハイム星系方面に進撃する帝国軍の撃破により、六年近く続いた同盟の軍事的負担は漸く解消する事が出来たのだ。

 

 本来ならばここで数年来の軍事行動によって受けた損失、そして国力の回復に全力を注ぎたいのが軍部の本音ではあるのだが……そうは問屋が卸さないのが実情だ。

 

「来年が選挙、となれば従うしかないのが辛い所ね」

 

 舌打ちしながらそうぼやくのはコープである。

 

 宇宙暦785年に成立した第二次マクドナルド政権は宇宙暦781年に成立した第一次政権の続投政権である。

 

 自由惑星同盟最高評議会議長は通常一任期を四年、最大二期八年まで継続する事を許可されている。

 

 とは言え、曲がりなりにも同盟は戦時国家である。当然ながら戦局によっては悠長に選挙を行う暇がない、という状況も少なくない。実際、同盟の選挙制度には様々な特例も存在する。

 

 一番多く利用されるのは一個艦隊以上の衝突する大規模会戦が選挙と前後する際に採決される『戦時政権臨時延長制度』であろう。選挙から一ヶ月前後以内に会戦が生じると予測される場合、選挙の必要性がある場合でも暫定的に最大四〇日間の政権の延長が許される。ダゴン星域会戦以降、平均して全国規模の選挙の四回に一回はこの制度が適用され、時の政権が帝国軍の侵攻に全力を挙げて対応してきたとされている。

 

 第二次マクドナルド政権が採決した制度は前述の『戦時政権臨時延長制度』の上位制度とも言うべきものである。『戦時政権緊急延長制度』は帝国軍ないしその他の軍事勢力によって同盟国土が大規模な侵略・占領を受けた際に宣告される法律である。

 

 主に人口百万人以上の居住する自由惑星同盟加盟惑星が不法占拠された際に宣言されるこの制度は、侵略行為への対処と国土回復のために時の政権に年単位での政権延長と問題対処のための権限拡大を認めている。その政府の権限拡大の内容は事実上の国家総動員体制への移行を意味する『全権委任法』の採決に次ぐもので、実際にダゴン星域会戦やコルネリアス帝の遠征時など、同盟の歴史で過去七回布告・発動された記録がある。

 

 宇宙暦788年八月に『戦時政権緊急延長制度』に基づき政権が強制的に延長された後、しかし政権支持率は下がり続けた。エル・ファシルに続き一ダースを超える有人惑星が陥落し、大量の難民が生まれ、経済と財政が打撃を受ければ当然の事だ。『レコンキスタ』の発動のために戦時国債の追加発行に加えて増税を行った事もあり、作戦が同盟軍の勝利に決した後も支持率の向上は一時的なものであった。それどころか、アルレスハイム方面における同盟軍の動きの鈍さは最終的には帝国軍の撃退に成功したものの一部の帝国系市民の不審を買った。

 

「前回の選挙はギリギリ中道かつ主戦派の国民平和連合が勝ったが今回はどうなるか分からないからな……」

 

 極右極左両野党共、前回の雪辱を果たすべく大規模なネガティブキャンペーンを開催中だ。幸い、増税に帝国軍による国土占領、軍事以外では幾つかの政権内や閣僚の失言に汚職と突き上げのネタには困らない。

 

 同盟軍としては和平を唱える極左にも、無謀で論外な外征を唱える極右にも勝利して欲しくないのが本音だ。現政権にはここ数年来の軍事作戦に必要な莫大な予算を議会で通して貰った借りがある。その借りを返すためにも一発支持率向上のために勝利してこい、というのが同盟軍首脳部の考えな訳だ。

 

「ヴォード元帥が考えそうな事だな。それともキングストン局長かワン国防委員長補佐官かな?」

「同意を求めるように此方を見ないで欲しいわね。別に私達が独断かつ積極的に推進している訳じゃないわよ」

 

 先述の三者が全員軍首脳かつ政治に近く、そして長征一万光年に関与した一族の出である事と長征派を繋げる事に不快そうな態度を取るコープ。実際、彼ら以外の者達がその椅子に座っていたとしても状況は大して変わらない筈だ。寧ろ彼らは皆そういう面においては自分達のイデオロギーに固執しない柔軟性のある『話せば分かる人物』である。

 

 まぁ、だからと言って折角コープに嫌みを言う機会を逃す手はないので一応釘は刺した訳であるが。

 

「そもそもそれなら……お喋りはここまでのようね。主催者方のお出座しよ」

 

 私に文句を言おうとした所でそれに気付いたコープが口喧嘩をするのを止めて小さく呟く。彼女の視線を追うように私やホーランドもその方向に振り向いた。

 

 部屋に入室して来た一団の中で最初に視界に映り込んだのは身長二メートルはあろう恰幅が良く屈強な黒人提督であった。厳めしさの中に優しさを称えるのは今年六月に退役したカーン元帥に代わり宇宙艦隊副司令長官に就任したシドニー・シトレ大将である。第三次イゼルローン要塞攻防戦に二年前の一大反攻作戦『レコンキスタ』、そして昨年行われた辺境安定化作戦『パレード』……大軍の運用経験が豊富な現在の同盟軍の中で五指に入る名将である。

 

 左右を固める人物も大物だ。シトレ大将の右側に控えるのは宇宙艦隊副参謀長にして本作戦の遠征軍参謀長を拝命したレ・デュック・ミン中将であり、宇宙暦784年に生じた第九次カキン星域会戦を勝利に導いた功労者だ。

 

 そしてシトレ大将の左側の人物は本作戦遠征軍副司令官にして第六艦隊司令官を兼任するラザール・ロボス中将である。艦隊運用の専門家であり、艦隊司令官・参謀・後方勤務の全てにおいて水準以上の能力を見せる万能の名将であり、本作戦の総司令官シトレ大将とは士官学校時代からのライバルである。元々ストレスからの過食により肥満気味だったが、ここ数年急激なダイエットに成功し最早往年のたるんだ頬は影も形もない。

 

「いや、それダイエットに成功したんじゃなくてストレスで窶れただけじゃないの……?」

 

 横からコープが疑念を口にするが無視する事にする。ストレスで窶れた?何の事かな?さっぱり分からねぇな。

 

 シトレ大将にロボス中将、レ中将……此度の参集をかけた三者、そしてその背後に控える佐官ないし尉位クラスの副官やら補佐官達が一斉に敬礼をした。

 

「総員、敬礼!」

 

 誰の命令か、殆んど自発的にかかった掛け声に合わせて我々もまたシトレ大将達に向けて直立不動の姿勢で上官に向けた敬礼をしていた。

 

「っ……!!」

 

 同時に、私はシトレ大将の傍に控えるその人物達を見つけ緊張と同時にある種の感動を覚える。元よりそこにいるだろう事は予測はしていたし、遠目で見た事はあるから今更ではあるが……それでも尚、私は内心で感動していた。

 

 一人は中尉だった。もつれた毛糸のような鉄灰色の髪をした快活で反骨精神の強そうな彼の名前はダスティ・アッテンボローという。士官学校において有害図書委員会等というクラブを違法に立ち上げる等、素行不良で有名であり、それによる大幅減点があっても尚その卒業時の席次は何と全五〇一八人中六八位、もし減点が無ければ確実に五位以内に食い込んでいたであろうと言われる秀才であり、同時にシトレ大将に直々に引き抜かれた次席副官である。

 

 今一人は眠たげな顔をした美男子にも見えない事もない青年士官だった。襟元にある階級章は彼が同盟宇宙軍少佐である事を示しており、胸元の自由戦士勲章を始めとしたきらびやかな勲章の数々は彼が過去に残した功績を象徴している。無論、その実態から見てその事実を認める事に苦悩する者も多いが……。

 

 シトレ大将の秘蔵っ子にしてマリネスク少将の知恵袋と称され、そして何よりもエル・ファシルの英雄!二年前の『レコンキスタ』では第八艦隊司令部作戦課参謀、昨年の『パレード』においては総司令部にて後方参謀に任じられたその人物の名前はヤン・ウェンリーと言う。本作戦においては遠征軍司令部参謀長補佐の地位にある。恐らくは此度の作戦が終了すればこれまでの功績とシトレ大将、マリネスク少将の後押しもあり昇進する事であろう。

 

「うむ、諸君楽にしてくれたまえ。……本日は良くぞ集まってくれた」

 

 私が何とも言えぬ感動に震えていると、シトレ大将は敬礼していた腕を下ろし、参集された我々を労るように賑やかにそう口にする。周囲が既に敬礼を終えたのに気付き私は若干遅れて手を下ろした。私を待っていたのか、偶然か、私が敬礼を止めたのと殆ど同時に黒人提督は会話を再開する。

 

「さて、ここに集められた諸君の中には疑問を持つ者もいるだろう。何故この顔ぶれなのか、とな」

 

 集まる参謀達に向けてシトレ大将はまず彼等が内心で抱いていたであろう疑問を先に口にした。

 

 そうだ。私も口にはしないもののその疑問を抱いていたのは事実だ。集まる参謀やスタッフ達……彼等は確かに優秀であろう。だが、それ以上に注目に値するのは彼等の立場である。

 

 シトレ大将とロボス中将の立場の違いは言うまでもない。私とコープ、ホーランドが同じ司令部に配属というのも本来ならばかなり問題だ。マリネスク少将はフェザーン移民系、ホーウッド少将は同盟加盟国の中でもアルレスハイム星系政府に次いで特異な星の一つであるパルメレント出身、レ中将は名家とはいかぬまでも長征系の家系である。セレブレッゼ中将は旧銀河連邦植民地の一つであるカルミラの出身で長征系や帝国系と距離がある。

 

 別に別派閥や異郷出身者と仕事で組む事自体は決してあり得ない事ではない。だが……まるでモザイク画の如くここまで各派閥、出身者が入り交じるのは余りに特異過ぎる。防衛戦は兎も角、遠征ともなれば何処か一つは主導する派閥があり、その派閥を中心に司令部や実働部隊が選抜される筈なのだが……。

 

「まず最初に言わせてもらえば、今回の遠征につき、私は特定の集団を贔屓にする積もりはない。これは私個人の信条でもあるが、同時に君達の上司からも承諾を得ている事でもある。まずそれを覚えておきたまえ」

 

 幾人かの優秀ではあるが派閥意識の強すぎる士官に釘を刺すようにシトレ大将は言及する。釘を刺された者達は若干不愉快そうに視線を反らす。彼等もプロなので仕事に手抜きはしないであろうが、それでも変に派閥意識を持ち出して司令部の空気を険悪にする可能性もある。シトレ大将の言はそんな彼等の機先を制するものであった。

 

 シトレ大将達は歩き始める。向かう先は室内中央に設けられたソリビジョン投影機である。シトレ大将が直に投影機の操作パネルの前に来て操作を始める。

 

「……さて、本題に入るが、このような混沌としたメンバーを集めて一体何処を攻めるのか?多くの者達は察しがついていようが、改めてここに宣言するとしよう」

 

 そう言うと共に室内に投影されるのは真空に浮かぶ漆黒の球体であった。その姿に過去の遠征に参加した何人かは息を呑み、別の何人かは苦虫を噛む。

 

「イゼルローン要塞。過去四度に渡り我々はこの要塞の前に敗北を喫し、多くの屍の山を築いて来た。この中には過去の遠征でそれを間近に見てきた者も少なくないだろう」

 

 過去一九年、四回による遠征の総死者数は既に二五〇万人を超えていた。前線での小競り合いも含めれば要塞によって失われた同盟軍の兵力は倍近くなるかも知れない。その存在は長年に渡り同盟軍首脳部の悩みの種となっていた。

 

 シトレ大将の発言の前に重苦しい空気が広がる室内。しかし、その空気を打破したのもまた、シトレ大将であった。

 

「だが、それも過去形で終わらせる時が来た!」

 

 踵を返し此方を振り向くシトレ大将。力強く、高らかに声を上げる司令官に室内の全員が思わず視線を向ける。向けざるを得ないだけの存在感がこの黒人提督にはあった。彼は傍らに控えるロボス中将に手を向ける。

 

「前回の敗北以来、私は六年以上に渡り旧友たる彼、名将の誉れ高いロボス中将と研究を重ねて来た。そして、遂に我々はその方法を見付け出した!」

 

 次の瞬間、背後に映る要塞表面が次々と轟音と共に爆発する。巨大な要塞が打ち震え、紅蓮の炎に包まれる。

 

「我々は四個艦隊、六万隻の大軍を持ってイゼルローン要塞遠征に向かう!!情報収集目的の前回の遠征等とは違う!我々は総力を上げてあの要塞を陥落させるのだ!!」

 

 シトレ大将の発言に私を含めた全員が目を見開いた。六万隻!過去最大規模の要塞攻略作戦ですら五万隻に満たなかったというのに!それだけで軍首脳部が今回の遠征に注ぐ本気具合が分かろうものだ。

 

「もう理解してくれたと思う。これは同盟軍の派閥や柵を越えた一大作戦だ!そのために私は手ずからに司令部要員も、更には実働部隊も全て最高の人材で固める事にした。それが諸君らである!今こそ、我々は一丸となりあの漆黒の女王を口説き落とすのだ!!諸君っ!今こそ我々にその力を貸して欲しいっ!!」

 

 そこまで叫び、シトレ大将は改めて直立不動の姿勢を取り、腰を九〇度曲げて頭を下げる。現役の宇宙軍大将が、宇宙艦隊副司令長官がこのような態度を取る事に皆が衝撃を受けた。いや、礼をしているのは彼だけでない、両脇を固めるロボス中将とレ中将も同様だった。

 

「………!!」

 

 誰が始めた訳でもなかった。ただそれが当然の事と言うように私達もまた司令官達の誠意に応えるように頭を深々と下げていた。皆が厳粛な気持ちと胸の内に興奮を抱いていた。私もまた同様だった。

 

(あるいはそれが目的か……?)

 

 形式通りの言葉だけでは各派閥の敵愾心を完全に霧散させるのは困難だったのだろう。故にシトレ大将はこのようなある種劇場型のパフォーマンスをして見せたのかもしれない。皆の内にある軍人としてのプロ意識と功名心、愛国心に訴えかけ、同時に興奮を共有させて一時的にであれ皆の連帯感を高める……恐らくこの想像は間違っていないだろう。

 

(無論、全員が全員では無かろうがな)

 

 ちらりと頭を上げればシトレ大将達の後ろで渋々と言った態度で頭を下げている二人組の姿が見えた。中尉の方がにやけ顔で小さく何かを囁き、少佐の方がその発言に肩を竦める。どうやら、こんな状況でも良くも悪くも彼らは彼らであるらしい。

 

(緊張感がないというべきか、それとも芯が強いというべきか……まぁ、だからこそ心強いとも言えるのだろうがねぇ)

 

 どちらにしろ、賽は投げられたのだ。ならば、後はやれる事をやるだけである。

 

 私は皆と共に頭を上げながら、そう覚悟を決めたのだった……。

 

 

 

 

「……とまぁ、格好をつけて見たものの、やる事は地味だよなぁ」

 

 あの後、シトレ大将及び遠征軍司令部各部の部長らの指示に従い我々は各々の課ないし班に別れて作業を開始した。私の役割は遠征軍司令部航海部に二人配属される副部長の一人である。因みにもう一人はと言えば……。

 

「そろそろ交代だな。お前も休むといい」

 

 数時間に渡り配属されたスタッフ達と遠征軍航海計画を作成中の私に休憩を終えたウィレム・ホーランド准将が呼び掛けたのはその日の昼過ぎの事であった。

 

 周囲のスタッフ達は明らかにほっとした顔を浮かべる。私の酷い経歴はどうやら皆知っているらしく作業中も何が起こるのか気が気でなかったのかも知れない。あるいはこの数時間の間に既に私と彼の能力差を把握しているからかも知れないが……。

 

「おうよ。じゃあお前さんが必死に私の溜め込んだ仕事をしてくれている間、暫く休ませてもらうぞ?」

「あぁ、そうしろ。休む事も立派な仕事だ。詰め込み過ぎると作業効率が落ちるからな」

 

 私の嫌味を少し含んだ冗談に、しかしホーランドは特に気にも留めずにそう答えた。

 

「えぇぇ………」

「何だ、その声は。お前は私に何を期待していた?」

 

 明らかに不愉快そうな顔をする私に引き気味に尋ねるホーランド。いや、だってよう?

 

「もう少し愉快な反応してくれても良いと思うんだがなぁ」

「何が愉快な反応だ。基準が分からん」

「いや、なぁ?」

 

 私の苦々しげな態度に肩をすくめるホーランド。

 

「やれやれ、貴様は変わらんな。いつまで経っても子供みたいにふざけおって」

「小さい頃の純粋な心を忘れていないだけだよ」

「ピーターパンでもあるまいし。お前も曲がりなりにも将官だぞ?もっとしっかりしろ」

 

 困ったように、呆れたように、そして小さく笑うホーランド。その事に私は内心衝撃を受けた。

 

「……お前、随分と柔らかくなってるな?」

「ん?」

「いんや、一人言だよ。んじゃ私は行くわ」

 

 雑談ばかりしていても周囲に迷惑となるので私は手を振ってさっさとその場を去る事にする。

 

 広い遠征軍司令部室、そしてそこで作業をする人々の間を私は抜けて一角に設けられた休憩スペースへと向かう。そして……。

 

「げ、またいた」

「あんたねぇ、一々人を見てゴキブリに出会したみたいな態度取らないでくれるかしら?」

 

 休憩スペースに置かれた自動販売機からアイスティーを取ったコープ大佐(妹)が不愉快そうに宣う。お前さんも人を見て毛虫見たみたいな顔するからお互い様だろうが。

 

「あんたは見られて当然よ。お付きの女二人に手を出したばかりかフェザーンで少女誘拐?加えていたいけな年下の婚約者を虐めるのが趣味とか女の敵よ」

「最初以外冤罪だ」

「最初の時点で極刑よ」

 

 言い訳に対して速攻で説得力しかない反論を言い捨てられる。おう、せやな。

 

「噂の出所は予想がつくから後で情報処理課の所へ締めに行くとして……まぁ、久し振りの再会だからもう少し建設的なお話でもしようぜ?」

「私は会話すらしたくないのだけれど?」

「おい、私の心に痛覚が無いとでも思ってる?私の心って硝子製なんだけど?」

「粉々に砕けろ」

「もう粉々だよ」

 

 涙目になりながら私は自動販売機にホットミルクティーを注文、カップを取るとソファーに座り携帯端末を操作しながら中身を飲み始める。そして、彼女がアイスティーに口をつけた瞬間を見計らい私は反撃の言葉を口にする。

 

「そんで?昨日の晩餐会は楽しかったかいっ?」

「ぶほっ……!!?げほっ、げほっ!?あんたねぇ………!!」

 

 淑女にあるまじき勢いで盛大に噎せ返りながら私を憎々しそうに睨み付けるコープ。よっしゃ、これですっきりした!

 

「情報の出所は大体予想はつくわ。後で締めに行ってやる……!!」

 

 可哀想に。スコットはどうやら格闘戦訓練を連戦する羽目になりそうだった。あいつ、陸戦技能雑魚だったからなぁ。こりゃああいつ死んだな。

 

「余り照れ隠ししなくても良いんだぜ?私もあいつとは結構付き合いが古いんだ。お前さんの事は嫌いだがあいつが満足してるなら別にちょっかいなんざかけねぇよ」

「腐敗した門閥貴族の言葉なんて信用出来ないわよ。屑が」

 

 ジト目で此方を睨みながらハンカチで口元を拭いていくコープ。そして、思い出したようにコップを口元につけて呟く。

 

「……あいつもあいつで鈍過ぎるのよ。全く、頭でっかちで呆れるわ」

 

 ぶつぶつと恨みがましく不満を呟いていくコープ。まるで呪詛である。怖っ!

 

「あいつ頭悪くない癖に、そういう所ははっきり言わないと気づけないからなぁ。しかも普段は自分の感情をはっきり口にしないと来ている」

 

 幼少期の環境のせいだろうか?ホーランドは他者が自身に向ける敵意や悪意には敏感だが好意や友好は理解出来ない……というよりかは懐疑的な側面があった。そして同時に弱味や本音を見せるのを嫌がる面があるように思われた。私が理解する限りでは彼が強気に出ている時のそれは寧ろ虚勢であり、拒絶であり、緊張している時であるように思われた。

 

(あの時はどうだったんだろうな……?)

 

 私が知る限り、原作での彼は明らかに高慢であり、傲慢であり、尊大だった。当然ながら軍人である以上、上官……同階級であれば先任者が上位に来るのが基本であり、それに逆らうなぞ本来ならば有り得ない事だ。ましてや私が知る限り彼は理性的であるし、数倍の敵に一人で立ち向かうなぞ用兵の邪道だという事も承知している筈だった。ならば何故………。

 

「……?何よ、急に黙りこんじゃって」

「あ?いや、晩飯何にしようかなって思ってな」

「何それ?呆れたものねぇ。本当に何であんたみたいなのが准将なんかになっているのよ」

 

 思い出したように苦々しげに言い捨てる同期生。

 

「酷いなぁ。私だって結構修羅場を潜って来ているんだ……ぞ……!?」

 

 肩を竦めてそう弁明しながら、時間潰しのために携帯端末のタッチパネルをスクロールさせていた私は偶然その記事が視界に留まったと同時にコープに向けて紡ぐ言葉を止めていた。

 

 ……帝国軍の発行する公式官報のそれをフェザーンのミリタリー系出版社が転載・翻訳し独自の分析と言及を加えていたその記事は、それ自体は同盟と帝国の前線における小競り合いとしては余りに良くある内容であるために極々小さく目立たないものであった。

 

 だが同時に私は殆んど直感的にそれの重要性を理解していた。そして同時に焦燥感と絶望が襲いかかる。 

 

「……ティルピッツ?」 

 

 急速に顔を青くしていた私に気付いて怪訝そうにコープは私の名を呼んだ。しかし、私はそれに反応する余裕がなかった。震える手で私は記事をタッチしてその内容に目を走らせる。

 

 記事の内容は長年同盟と帝国が争奪戦を繰り返す砂漠の惑星アクタヴにおける戦闘を報告していた。帝国軍の報道部曰く、アクタヴにおいて帝国宇宙軍陸戦隊の旅団駐屯地が同盟地上軍の奇襲攻撃を撃破、返す刀でオアシス地帯に建設されていた同盟軍基地を陥落させた、というものだ。

 

 フェザーンの出版社や専門家によると、現地や関係者から漏れ出る情報から見て帝国軍が大規模な電子戦で同盟軍に勝利した可能性があると推測しており、それが事実とすれば長年言われ続けて来た同盟軍のソフトウェア面における優勢が崩れる切っ掛けになり得るとして帝国軍の電子戦技術に何らかのブレイクスルーがあったのではと注目しているそうだ。

 

 一方、これに関して取材を受けた同盟軍の広報部関係者はその説を強く否定し、本戦闘における敗因について最新機材の初期不良が原因として一局地戦における敗北に過ぎず、既に不良原因についてのシステムアップグレードは完了していると発言したと記されていた。

 

 実際同盟軍公式サイトの官報にアクセスすればほぼ似たような内容の報告を見つける事が出来た。同盟マスコミがこの記事に殆んど関心を示さないのは決して報道管制が敷かれている訳ではなく、実際に戦闘の規模としては細やかで、大した事ではないからだ。

 

 それは確かにこの時点では同盟政府にとっても、同盟軍にとっても然程大きな事件ではないだろう。だが、私にはそれがこの国が破局に向かう小さな、しかし最初の一歩である事に気付いていた。

 

 私は恐怖に打ち震えながら、息を呑む。大理石の床に携帯端末が落ちる音が響いた。それは同時に私の足元が罅割れ、崩れ落ちる音のようにも思われた………。

 

 

 

 

 

 

 

 爆発は一個分隊の憲兵達の命を一瞬で刈り取った。砂丘に隠れていた赤毛の忠臣は手に持っていたロケットランチャーで彼らの乗車していた戦闘装甲車を鉄の棺に作り変えた。

 

「なっ……!?馬鹿なっ……!?ぐっ……!!?」

 

 そして、その事実に驚愕した時には手遅れだった。彼らが拘束し、今正に殺害しようと電磁手錠で拘束し、頭部にブラスターライフルを向けていた金髪の少年はその隙を見逃さず咄嗟に身を翻した。一人の憲兵の頭部に足技を叩きつける。射殺しようとしたもう一人の憲兵が撃ったのは結果的には少年に盾にされた同僚だった。

 

「なっ……!?がっ……!?」

 

 味方を撃った事に動揺したのが命取りだった。ロケットランチャーを捨て去り、ハンドブラスターを抜いていた伏兵はもう一人の憲兵の額を正確に撃ち抜いた。

 

「この糞餓鬼……ぐっ!?」

 

 憲兵少佐は腰のハンドブラスターを引き抜こうとしたが遅かった。盾にされた憲兵の死体ごと突入してくる殺害対象。そのまま押し倒され、身体を拘束される。

 

「ラインハルト様っ……!!」

「キルヒアイスっ!早く銃と鍵をっ!!」

 

 駆け寄って来る赤毛の少年は主君の声に従い直ぐにハンドブラスターを抜いた憲兵少佐の手を思いっきり踏み潰した。バキッ!と骨の潰れる音と憲兵少佐の悲鳴が響く。

 

 しかしそんな事を気にせず、赤毛の家臣は憲兵少佐の懐に手を突っ込んだ。手繰り寄せるのは電磁キーである。

 

「ありました……!今解除致しますっ!!」

 

 電磁キーで主君の手錠を解除する准尉。金髪の少年は親友に優しげに微笑み、しかし直ぐに険しい顔立ちを浮かべて憲兵少佐のハンドブラスターを拾い上げる。

 

「最早これまでだっ!降伏しろっ!」

 

 夜明け前の砂漠、その一角で金髪の少尉と赤毛の准尉は彼らの命を狙った憲兵少佐にハンドブラスターの銃口を向けた。最早勝負は決まっていた。

 

「…………」

 

 激痛に苦悶の表情を浮かべる憲兵少佐は周囲を見渡し、そして最早どうしようもない事を理解する。そして、彼は自身が生かされている理由を直ぐに察した。

 

 ……もし仮に降伏したとしても自身の寿命が少し伸びるだけであろう、それどころか家族や主君にまで類が及ぶ事も良く知っていた。

 

 故に、彼は苦渋の表情を浮かべ『最終手段』を実行した。

 

「っ……!!不味い!毒かっ!!」

 

 二人が漸く追い詰めた憲兵少佐は、しかし奥歯に仕込んだ神経毒を使い自殺を図った。息が出来ないかのように苦しみだし、泡を吹き、白目を剥く男。二人の少年が飛び掛かり毒を吐かせようとしたのは結果として無駄な行いだった。その時には全てが終わっていた。

 

「糞っ……!!」

 

 蘇生を諦め、少年達は憲兵少佐をその場に放置する。砂漠の砂に沈む下手人達。恐らくは時間をかけて彼らの死体は灼熱の光に照らされ干からび、残る肉は砂漠に住まう獣達に消費される事になるだろう。

 

 特に二度に渡り自分達を暗殺しようと企み、あまつさえ姉の事を卑しい売春婦の如く貶める言葉を吐いたこの男にはお似合いの最期だと人間離れした美貌を誇る金髪の少年は心から思った。すぐ傍に控える赤毛の親友も同意見であろうとも彼は確信していた。無論、可能であったなら彼の口から此度の全ての事情を法廷で吐かせたかったのたが……。

 

 荒涼とした砂漠の地平線から太陽の光がゆっくりと浮かび上がり、漆黒の空を青紫色に染めていく。銀河帝国軍宇宙軍少尉の砂漠陸戦用の軍装に身を包む少年の髪が太陽の光に照らされ幻想的に輝く。夜明けの砂漠に佇む少年とその従者……それは最早神聖な宗教画の一場面にすら思われた。少なくともそれを目にした大佐にはそう思えた。

 

「……砲声が止みましたね。恐らくは反乱軍の基地が陥落したものと思われます」

「意外と早かったな、キルヒアイス。ふん、お陰で俺達が手柄を立てる機会が無くなってしまった。こんな奴らの相手をしていたせいでな」

 

 糸の切れたマリオネットのように砂漠に倒れる死体を一瞥する美少年。その瞳には怒気が宿り、相手に対する底知れない憎悪と軽蔑の意思が垣間見られた。

 

「ラインハルト様……」

「……分かっているよ、キルヒアイス。こんな奴の事なぞいつまでも構っている暇なんかない。俺達には一分一秒だって惜しいんだからな」

 

 髪を一撫でし、小さく鼻を鳴らしてから金髪の少年は踵を返す。そして向かうのは事の一部始終を目にして、関わっていた『彼』の下だ。

 

 憲兵少佐達と共に来た第二一八独立機械化歩兵旅団の司令官マーテル大佐は疲れきった目で自身の元へと歩いて来る二人の若者を見やる。

 

 恐らく自分は彼らに殺されるのだろう、その事を理解していても最早彼にはそれに抗うだけの気力は残っていなかった。

 

 全てが狂ったのはどこなのだろうか?彼らを確実に始末するために自らこの場に赴いた事からか、それとも最初の任務で彼らが戻って来た事か?いや宮廷から派遣されたというあの憲兵の口車に乗せられた時かも知れないし、もっと以前……カプチェランカで生き残ってしまった事が理由かも知れない。

 

 六年前……カプチェランカでのあの戦いは本当なら直ぐに終わる戦いの筈だったのだ。最大限に見積もっても精々一個小隊かそこらの反乱軍、対して此方は完全武装の一個連隊、負ける筈がなかった。しかし……。

 

 廃墟で戦う反乱軍は彼らの予想を上回る程に頑強に抵抗した。あまつさえ、空から攻撃機による爆撃にへリボーンしてくる地上部隊……連隊長は捕囚となり、連隊は半数以上の損失を出しながら惨めに逃げる事となった。

 

 相手の中に亡命した名家の者がいたとは言え、僅か数名の反乱軍相手に、しかも指揮官まで捕らえられたとなれば帝国軍はその名誉を大いに傷つけられる事となった。

 

 しかも捕囚となった連隊長の実家は最早寵愛が別の者に移ったとは言え神聖不可侵なる銀河皇帝のお気に入りの寵妃の家の家臣をそのルーツに持つ。下手に責任を追及すれば藪蛇にもなろう。

 

 ともなれば責任を追及されたのは捕囚となった連隊長の下にいた者達だ。

 

 帝国地上軍第一五四七歩兵連隊の生き残り達は殆ど見せしめに近い形で最前線をたらい回しにされた。六年に渡り懲罰部隊として最前線に立たされ続けた彼らは他の似たような境遇の兵士達と共に地獄の日々を送り続けた。祖国に、故郷に戻る事も、家族と手紙のやり取りをする事すらも許されず、危険な任務を押し付けられ続けた連隊の生き残りは最早十人に一人しかいない。

 

 運良く地獄の戦場を生き残り続け、的確な指示で功績を上げ、同じように地獄に立たされる兵士達の信頼を勝ち取り、遂に大佐にまで昇進したマーテルは、だが既に限界であった。

 

 日々故郷や家族の事を思い死に絶える兵士達、補給はいつも後回し、危険は常に最優先……旅団長として四〇〇〇人以上の部下を率いる彼も人間だ。家族の下に、故郷に戻りたい。兵士達が一人、また一人と死ぬ度に彼の精神は恐怖と責任感に追い詰められ、苦しめられる。

 

 そこにやって来たのが目の前の金髪と赤毛の幼年学校を卒業したばかりの少年達であり、彼の下に宮廷からの使者として来た憲兵隊だ。

 

『いと貴きお方』から派遣されたという憲兵隊はマーテルに取引を持ち掛けた。着任したばかりの二人の少年を戦死に追い込む事と引き換えに彼と彼の部下達を祖国に返す……その約束が本当に履行されるかも分からない。全てが終わった後、口封じされるかも知れない。それでもこの話を持ち掛けられた時点で、その事実を知ってしまった時点で、彼には最早選択肢はなかった。

 

 だから砂漠のど真ん中で枯れ死ぬように少年達を偵察任務に放り出したし、彼らが生き残ったばかりか攻め込んで来た反乱軍の動きを封じた後には彼らの提案に乗って反乱軍の基地に攻めこみそのどさくさに彼らを殺害しようとした。結果はこの通りである。余りにも呆気なく、鮮やかに彼と憲兵少佐の企みは砕かれた。そして、断罪の時は既に目の前まで来ていた。

 

「……マーテル大佐、この一件に対して貴官の言い分を聞こうか?」

 

 ハンドブラスターを向ける少年達を見つめながら諦念の表情を浮かべるマーテル大佐は小さく答える。

 

「……部下達はこの事について何も知らない。全ては憲兵隊と私だけで計画した事だ。彼らに対して大逆罪を提訴するのだけはどうか止めて欲しい」

 

 折角地獄のような戦いの日々を続けて久方ぶりの勝利なのだ。そこに部隊丸ごと大逆罪を押し付けられたらどうなるか……彼らが軍籍を剥奪され処刑されるだけではない。連座制の下に最低でも彼らの三等親までが処断されるだろう。それだけは避なければならない。それ故に大佐は憲兵少佐からの命令に部下を一人も巻き込まなかったのだ。

 

「ほぅ、命乞いはしないというのか?皇帝の寵妃の弟を暗殺しようとしたのだ。法廷ではまず極刑は免れまい。いや、簡単に死ぬ事も出来まい。凄まじい拷問を受けた上で人間としての尊厳を奪われるだろう。それでも良いと?」

 

 嘲るように宣う金髪の美少年。三十近く年の離れた子供のその言葉に、しかしマーテル大佐は怒りを覚える事はなかった。彼には既にそのような感情を抱ける程の気力は無かったし、何よりも彼は自身の部隊長としての義務を忘れてはいなかった。

 

「…………」

 

 沈黙するマーテル大佐を暫く見つめ続けてから、小さく溜め息をつく金髪の少年。彼は傍らに控える赤毛の親友に視線を向けて呼び掛ける。

 

「だそうだ。キルヒアイス。どう思う?」

「ラインハルト様のお考えの通りにするのが正解かと。残念ながらあの憲兵少佐は自殺してしまいました。物的な証拠も残されていないとなると追及は難しいでしょう」

 

 折角金髪の少年が自ら囮となって会話内容を録音させていたというのに憲兵少佐は用心深く、自分達の命を狙ったのが誰なのかもはっきり口にせず、その証拠も残さなかった。無論、マーテル大佐にも具体的な黒幕が知らされていないのは既に把握済みだ。

 

「ここで追及したとしても、全ての罪は大佐やその部下に押し付けられるでしょう。それでは却って黒幕に警戒感を与えるだけです」

 

 今回はたかが子供二人と思っていたであろうが……今度はより狡猾な手段を取られる事になろう。下手すれば直接姉が害される可能性もある。それは避けたい。

 

「……そうだな。それに無関係な者達を貴族共の生け贄にしたくはない。彼らも犠牲者だ」

 

 金髪の少尉は沈痛な表情を浮かべて呟く。

 

 この旅団に着任して以来、帝国軍の腐敗と理不尽は嫌になるほど目にした。不利になって後退した者、貴族の不興を買った者、上官の不正を告発した者……そんな彼らが最前線で死ぬ事を期待されて集められ、そして酷い状態で戦う事を強いられる。彼らは明らかに帝国の理不尽で不公平な社会の犠牲者だった。

 

 そして納得したような表情でマーテル大佐の方を振り向く美神の化身。その表情は到底幼年学校を卒業して数ヶ月の新米士官なぞではなかった。一瞬、マーテル大佐は目の前の少年が純白の元帥服を纏い数百万の将兵を率いる姿を幻視した。

 

「マーテル大佐、貴官には二つの道がある。一つは此度の事を全て忘れる事だ。憲兵達は戦闘中に行方不明になった。私達は軍功を挙げ昇進と共に転任、それで貴官は最早この件に関して無関係となるだろう」

 

 若い少尉の口にしている事は大佐も理解していた。最前線での事、憲兵達が行方不明になろうが珍しくはない。しかも宮廷に蔓延る隠謀家達が注視しているのはあくまでも目の前の少年達であり、その姉である。たかが一大佐の事なぞいつまでも気になぞしないだろう。

 

 それで良い。それで面倒な宮廷の都合から解放される。だが、それからは……?

 

「だが、それから続くのは昨日までの日々と同じ地獄だ。死なせるためだけに最前線で戦わされる終わりのない日々だ。貴官はそれで良いのか?」

「っ……!!」

 

 金髪の少年達は目の前の上官について部隊に着任してから既に調べ尽くしていた。部下思いであり、優秀な地上軍の指揮官だ。そうでなければ今日まで彼は生きていまい。だが、だからこそ彼が帝国と帝国軍により理不尽な処遇に追いやられている事も事実であった。

 

「マーテル大佐、もし貴官にまだその意志があるのなら私達……いや、俺達と共に来て欲しい。今はまだ俺達は一隻の軍艦も指揮出来ない子供だ。だが十年後、いや五年後には俺達は必ずや誰にも文句を言わせない立場に上り詰める。そして貴官達のような理不尽な処遇を受ける者達が生まれないようにする積もりだ」

 

 故に、共にその理想のために手を貸せ、と宣う新米少尉。

 

「私は……」

 

 たかが成人もしていない下級貴族の孺子の戯れ言……そうマーテル大佐はそれを嘲る事は出来なかった。それだけ若者の言葉に説得力が有りすぎた事もあるが、彼自身その提案に魅力を感じてしまったからだ。

 

 そして、金髪の少年士官が追い討ちをかけるようにマーテル大佐に手を差し出した。

 

「大佐、まだ貴官に指揮官としての責任感があるのなら、名誉を取り戻す機会を掴みたいのなら、そしてこの国の理不尽に怒り、変えようという意志があるのなら……今すぐにこの手を取れ!!」

 

 少年の言葉と殆ど同時の事であった。地平線から浮かび上がる恒星の光が少年士官を輝かしく、黄金のように照らし出したのは。

 

 マーテル大佐はそこに間違いなく英雄の姿を見た。そして目の前の少尉がただの誇大妄想や大言壮語を吐く愚か者ではなく、まさしく口にした事を成し遂げるであろう希代の傑物である事を、この時殆ど本能的に察した。同時に胸の内に眠っていた抑圧されていた屈辱と怒りを思い出す。社会の理不尽に苦しめられてきた不満を思い出す。

 

 故に彼は、次の瞬間二回り以上年下で、五も階級が下の少年に対して一切の躊躇も、葛藤もなくひざまづく事が出来た。そして平民出身である筈の彼は、まるで本物の騎士のように恭しく礼をし、自らの主君と定めた少年の手を取った。

 

 同時に少年は……銀河帝国軍宇宙軍少尉ラインハルト・フォン・ミューゼルは小さく笑みを浮かべその忠誠を受け入れた。

 

 それは希代の英雄が、その傘下に後に地上戦の名手と称される将軍を手に入れた瞬間であった。

 

 宇宙暦791年、帝国暦482年八月二八日銀河標準時刻0850分、後世に『常勝の天才』と称される英雄はここに、銀河の歴史に最初の一歩を書き記した。

 

 伝説が、遂にその幕を開けたのである。

 




補足説明
本作世界線では原作に比べてエル・ファシル戦が早期に終わり、アルレスハイムが本土戦・焦土戦をしていないので同盟政府の財政及び与党の支持率は(比較的)安定しております

次いでに金髪がカプチェランカに行ってないのはB夫人(夫人のガワは藤崎版+道原版共に滅びちゃう系執事装備)の実家の部下であるヘルダーが主人公のせいで捕虜になったのも一因です。

 ……尚、態態憲兵送らなくとも最初の予定通りカプチェランカに赴任させれば普通に基地陥落(単独偵察任務がないので)から捕虜ないし戦死させる事が出来た模様。金髪の小僧の死亡フラグをへし折っちゃうどころか原作にはいない強化版マーテル=サン加入フラグまで提供しちゃうシュザンナちゃんは本当にうっかり屋さんだな!


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第百六十七話 日本人は会議下手って良く言われるよね!

 宇宙暦791年九月一八日1400時まで後一分程、スパルタ市統合作戦本部ビル下二六階、『三五三号作戦臨時司令部』の分室の一室で、三五三号作戦第三回作成会議が行われようとしていた。

 

 書類や飲料水入りのペットボトルが置かれた巨大な長テーブルの上座にて構えるのは本作戦の総司令官に任じられた宇宙艦隊副司令長官シドニー・シトレ大将、その左右の席を副司令官ラザール・ロボス中将、総参謀長レ・デュック・ミン中将が固め、その背後には総司令官首席副官及び次席副官、副司令官首席副官、総参謀長補佐官、総司令部最先任下士官、総司令部首席監察官が控える。

 

 シトレ大将らから僅かばかり離れて長テーブルの両翼に並ぶのが総司令部の各分野の参謀部長と副参謀達である。筆頭は副参謀長も兼務する作戦部長マリネスク少将だ。それに続いて情報・通信・後方・計画・人事・衛生・輸送・航海・砲術・航空・法務・会計・陸戦・憲兵の各部長は少将ないし准将、副参謀長は一名ないし二名であり准将ないし大佐が充てられている。私は航海部長ネイサン・クブルスリー少将の影に隠れるようにこの会議に出席していた。

 

 士官学校の同期ではホーランドが私のすぐ隣に控えており、コナリー准将とコープ(妹)が作戦副部長として、後方副部長のファン・スアン・ズン大佐がおり、それ以外にもこの場にいないだけで参謀やスタッフとして一ダース半程が総司令部に在籍している。輸送副部長の一人であるオーレリア・ドリンカー・コープ大佐は会議が始まろうとしているのにまるで街中で出くわしたかのように対面の席に座る妹にニコニコと手を振っており、コープは若干恥ずかし気に顔を赤らめながらかれこれ十分以上ガン無視していた。

 

 そんな事をしていると部屋の壁に掛けられていたデジタル時計が1359と照らされている数字を1400へと変えた。同時に室内に1400時、即ち午後二時丁度を知らす鐘の音が鳴り響く。内心、学校のチャイムのようだ等と場違いな事を思っていると、漸く主催者たるシトレ大将が会議の始まりを宣言した。

 

「諸君、ここ数日の職務御苦労。さて、私は時間を浪費するのは嫌いであるし、君達もそれは同様であろう?故に前置きは無しとして単刀直入に言おう。諸君からの報告や提案、そして我々の作成していた原案を併せて暫定的に決定した本作戦の目標及び作戦について一度諸君らに説明しようと思う。また、その中で疑問点や新たな提案があれば遠慮なく指摘してもらう事になる。ではまず総参謀長補佐官ヤン少佐、概論を頼む」

「はっ!」

 

 シトレ大将の命令により背後の席にいた若い東洋系士官が立ち上がる。

 

「あれか、エル・ファシルの英雄……」

「シトレ大将の秘蔵っ子か……」

「あのワイドボーンを破った生徒だろう」

「所詮まぐれではないか、実際アレ以降はワイドボーンに勝てなかったと聞いているぞ」

「だがエル・ファシルの撤退では大騒ぎだったではないか。それに二年前の『レコンキスタ』でもかなり活躍したと言う話も聞いているぞ……?」

 

 会議に出席している参謀達の幾人かが……特にシトレ大将と縁の薄い派閥出身者が……若干ざわつきながらエル・ファシルの英雄の姿を見て囁き合う。

 

 十年に一人の秀才と称され、現在第二艦隊司令部作戦参謀に名を連ねるマルコム・ワイドボーン少佐は長征派の名家の出身者であり、二十年後の宇宙艦隊総参謀長の有力候補である。一度だけとは言えそのワイドボーンを破った、というだけでも士官学校を優秀な成績で卒業した(私以外の)参列者達には注目に値する。ましてやエル・ファシルでの奇跡とそれによる自由戦士勲章の授章、『レコンキスタ』におけるマリネスク少将からの重宝、『パレード』では態態シトレ大将が名指し指名で総司令部の参謀に引き抜き、此度の作戦では総参謀長補佐官の任に任じられている。そうなればシトレ大将の御気に入りとして注目されるのも当然だ。

 

 因みにワイドボーン少佐はコープの従弟でもあるために、作戦副部長コープ大佐は特に従弟に恥をかかせた魔術師殿に非好意的な視線を向ける。尚、姉の方はいつも通りぽよぽよとした緊張感のない笑みを浮かべたままであった。

 

 参列者達の噂話や不躾な視線に総参謀長補佐官は、しかし一瞬頭を掻きそうになってそれを止め、面倒臭そうに小さな溜め息を吐くと手元の資料を手に口を開く。

 

「えー、まず最初に認識して頂きたい事は、本攻略戦は情報収集を目的とした六年前の第四回攻略戦とは全く性質を異としたものとなる事です」

 

 覇気のない、若干眠たげな表情でヤン少佐は説明を開始した。そんな表情でも彼の言葉は理路整然とした、聞く者にとってその意味を理解しやすい説明の仕方であった。それは彼の外面とは裏腹に、その知性は世間一般の平均以上である事を示していた。

 

「六万隻という戦力からも御理解頂けるでしょうが、本攻略戦は文字通りイゼルローン要塞の攻略、ないし要塞の無力化を念頭に置いたものです」

 

 ヤン少佐が席に設けられたコンソールを若干迷いながら操作すれば長テーブルの中央から立体戦略ソリビジョンが浮かび上がる。ソリビジョンはイゼルローン回廊及びその周辺星系を映し出していた。

 

「当然ながら本作戦が本腰を入れた要塞攻略のための一大作戦である以上、前回のように情報を公開する事も、ましてや情報を察知されて要塞の防衛戦力が増強される事も避けねばなりません。理想は第三回攻略作戦同様に完全な奇襲攻撃を仕掛ける事です。最低でも要塞から第一艦隊速力で一〇〇時間以内の距離までは気取られないようにする必要があります。この点に関しましては軍情報機関、及び総司令部の情報部及び通信部の防諜・陽動・偽装活動の努力に期待する事となります」

 

 その言葉に同盟軍情報部から出向しているマクファーソン准将、遠征軍司令部情報部長ホーウッド少将、同通信部長ガエナ准将が頷く。彼らが同盟軍の大規模軍事活動の存在を防諜、あるいはその時期と規模、目的の偽装が出来るかどうか、それがまず最初のターニングポイントだ。

 

「無論、艦隊の動きそのものはこの規模の遠征軍である以上、情報操作や電子戦のみでは隠蔽するのには限界があるのが現実です。そのため、艦隊の動きそのものを物理的に捕捉されないようにする必要があります」

 

 そのためには、第一に物理的に帝国軍の索敵網を破壊するという選択肢がある。実際、同盟軍の国境部隊は本作戦に先立ち帝国軍の通信基地・偵察衛星・哨戒部隊に対する破壊活動を行いその索敵能力を低下を図る事が決定している。

 

「また航海部の方では帝国軍の索敵網及び哨戒部隊の航路を逆算、帝国軍の最も警戒の薄い宙域を繋ぎつつ艦隊を航行させる進撃航路及び計画を作成して頂いております」

 

 破壊活動も、航路作成も、十年前に当時のヴォード大将を司令官とする第三回攻略作戦で実際に行われた策である。帝国軍の目と耳を完全に奪い、その上で慎重に慎重を期した回廊の危険宙域ギリギリを迂回した艦隊の隠密移動は帝国軍の不意を突いた。

 

 要塞司令部も、要塞駐留艦隊も、同盟艦隊が接近している事に気付けたのは戦端が開かれる僅か一〇四時間前の事であった。当然本国からの増援部隊なぞなく、要塞駐留艦隊も即応部隊以外は直ぐに発進する事も出来なかった。

 

 同盟軍は帝国軍の本国に向けた救援通信を妨害しつつ要塞に殺到した。碌な迎撃準備も出来なかった帝国軍は艦隊を小部隊単位で逐次投入する事を強いられ、要塞の浮遊砲台も、空戦隊もその能力を十全に発揮する前に殲滅される。散開した艦隊には要塞主砲『雷神の槌』は殆ど効果を発揮出来ず懐に入られ、陸戦隊が降下した。

 

 要塞表面の流体金属層が事前情報に比べ大幅に強化された事でその破壊に手間取った事、定時連絡の不通に疑念を持ったミュッケンベルガー中将が落伍艦が出るのを承知で艦隊を急行させなければこの時点で同盟軍は要塞を陥落させていたかも知れない。

 

「奇襲自体は定石として、問題は要塞自体をどう攻略するのかだな」

「艦砲では弾かれるからな。レーザー水爆ミサイルにしても相当量を短期間に叩きつけねばなるまい。しかもミサイルの射程は短い。下手すればミサイル艦部隊が要塞主砲で吹き飛ばされかねん」

 

 特に一発当たりの火力の高く射程距離の長い長距離ミサイルはしかし艦載量が少なく、命中まで時間がかかるため迎撃されやすい。だからと言って短距離ミサイルを大量に叩き込もうにもミサイルの射程は要塞主砲のそれよりも短い。不用意に接近しても消し飛ばされるのがオチだ。

 

「現在、同盟軍が認識しているイゼルローン要塞の攻略における課題は計三点あります。一つ、要塞駐留艦隊及び増援艦隊の無力化。二つ、要塞主砲『雷神の槌』の無力化。三つ、流体金属層及び要塞本体を覆う四重装甲の破壊です」

 

 参謀達が頭を抱える課題にヤン少佐が触れる。

 

 帝国の精鋭艦隊を無力化するには単純に考えれば大戦力で押し潰すのが一番だ。だが要塞主砲がそれを許さない。かといって少数精鋭でいこうにも要塞の防御力は生半可な火力では破る事が出来ないと来ている。イゼルローン要塞攻略はこれらの矛盾に満ちた課題を全て解決しなければならなかった。

 

「本作戦において過去最大の六万隻の艦艇を準備したのは、これら三点の課題を『同時平行』で解決するためです」

 

 ヤン少佐の言い方に作戦参謀達以外のメンバーが怪訝な表情を浮かべる。

 

「並行追撃か……!!」

 

 参謀の一人がその答えに辿り着く。同時に司令部の参謀達は困惑と動揺に囁き合い始める。

 

「並行追撃……確かにそれなら要塞主砲は使えんが……」

「無茶苦茶だっ!狭い回廊内で六万隻の並行追撃だと?タイミングを間違えたら却って的になるぞ……!?」

「それだけではない。混戦に持ち込むのならかなりの接近戦になる。近接戦兵装は帝国軍の方が充実している。此方の被害も馬鹿にならん……!」

「だからこその大兵力なのだろうが……実際にぶつかる実戦部隊からすれば不満が充満するだろうな」

 

 参謀達の意見は六対四といった所で賛同よりも不満と疑念が優勢だった。それだけ並行追撃はリスクの高い戦法であったのだ。

 

「その点については承知している。しかしそれ以外に手がないのが現実なのだ。幸い、副司令官のロボス閣下は艦隊運用の専門家、また司令部も艦隊運用の経験豊かな人材を多数取り揃えている。当然ながら実戦部隊もその点を留意して編成する積もりだ。決して不可能ではないというのが我々作戦部と航海部の見立てだ」

 

 作戦部長マリネスク少将が動揺する諸将に向けてそう答える。航海部長クブルスリー少将も同じく厳めしい表情で頷く。

 

 マリネスク少将もクブルスリー少将も共に知識と経験豊かな実戦派の提督である。その二人が断言すれば場の動揺は次第に収まり始める。無論、それでも尚幾人かの参謀は懐疑的な表情を浮かべていた。

 

 魔術師は見計らったように説明を再開する。

 

「……並行追撃自体は帝国軍が迎撃に出てこなければ不可能な選択肢です。ですが、この場合は恐らく駐留艦隊は迎撃に出るでしょう。今の要塞司令部の確執は深刻です」

 

 元より反乱防止のためにイゼルローン要塞には同列同階級の司令官が二人着任するという歪な指揮体系ではあったが、ここに来て両ポストの対立は激しさを増していたのである。

 

「原因は前回、第四回攻略作戦において要塞駐留艦隊司令官ブランデンブルグ大将、及びその他諸提督に多数の戦死者が発生した事が挙げられます」

 

 当時のブランシャール元帥の指揮する同盟軍の猛攻の前に、艦隊側は司令官を含む複数名の提督と多数の兵士が戦死したのに対して、要塞防衛部隊は司令官ミュッケンベルガー大将(当時)を含め、主要幹部、末端の兵士に至るまでほぼ無傷で戦いを乗り越える事となった。

 

 それだけでも艦隊と要塞、双方の司令部にわだかまりが生まれるのは当然であった。ましてや艦隊側はブランデンブルグ大将の死により迫撃の機会を失い。帝国艦隊は同盟軍を要塞主砲の射程内に押しこむ事に苦戦し、過去の遠征に比べて同盟軍に与えた被害は限定された。

 

 と、なれば要塞司令部では艦隊に対して折角の戦果拡大の機会をふいにしたという印象を受けるのは当然であったし、対して艦隊司令部からすれば要塞司令部は安全地帯で土竜のように立て籠っていただけの存在と感じたのは不思議な事ではなかった。

 

「現要塞防衛司令官グライスト大将、要塞駐留艦隊司令官ヴァルテンベルグ大将は両名共に実務経験豊かな第一線級の将官であるのは事実ですが、同時に六年前の第四次攻略作戦にも参加しております。当然ながら当時の戦いを知る立場という事もあり、その関係は過去の司令官達の中でも特に険悪、要塞と艦隊が連携しつつ我が方の並行追撃を阻止する事は難しいと予想されます」

 

 その説明に尚も懐疑的であった参謀達も光明を見たように表情を明るくする。並行追撃は確かにリスクある選択肢であるが、同時に帝国軍とて戦力差もあり、おいそれと大艦隊の肉薄を阻止出来る訳ではない。一時的に出来たとしても要塞側との連携がなければ咄嗟の要塞主砲の発射も困難だ。両司令官の確執は並行追撃の成功率を飛躍的に高める事になるだろう。

 

「そして一番重要な要塞表面の装甲の無力化です」

 

 そう、艦隊と要塞主砲を無力化しても、要塞そのものもまた規格外と言える程に強固なのだ。

 

 要塞本体の直径は約六〇キロ、その本体を覆うのは対ビーム用鏡面処理を施した超硬度鋼に結晶繊維、スーパーセラミックの四重複合装甲であり、その厚みだけで数十メートルに及ぶ。更にその上の流体金属層は重力制御装置で要塞表面に張り付く形で留まり、光学兵器は弾き返し、ミサイル等の実弾兵器に対してはその衝撃を減衰させる。しかも第四次攻略作戦の後、流体金属は更に注ぎ足されその深度は一五〇メートルにも及ぶ。その海の中に潜むのは大量の浮遊砲台に索敵レーダー、戦闘艇射出機である。当然その装甲を引き剥がしても内部は迷路のように広大で、無人防衛システムと要塞陸戦隊、装甲擲弾兵団が待ち構えている。

 

 特に問題なのは、要塞が完成して以降も改修をされ続け、その能力を向上させ続けている点だ。元々イゼルローン要塞は直径を九〇キロ、六重の複合装甲に守られ、艦艇五万隻を収容しつつ造船所で艦艇の修繕どころか建造能力を持ち、その上三つの要塞主砲を隙なく連続で撃ち続ける事が出来、ワープ能力すら持つ空前絶後の大要塞として完成させる積もりだったという。噂では将来、再度皇帝親征が行われれば、この要塞を総司令部にして何十万という帝国艦隊が同盟領に雪崩れ込む、なんて計画も夢想されたとか。

 

 その初期計画こそ同盟とフェザーンの妨害により予算超過して御破算したが、尚も帝国軍はイゼルローン要塞内部の多数の利用されていないフロアを活用し、また要塞の流体金属や浮遊砲台を追加をする事で少しでも初期計画に要塞の能力を近づけようと計画していた。時間を経るごとに要塞攻略が困難になっていくのも同盟軍が要塞の陥落に固執する理由だ。

 

「要塞の装甲を引き裂く上で最も重要なのは瞬間火力です。断続的な攻撃では流体金属の前にその打撃の殆どは吸収されてしまいます。そのために強力な火力を短時間に叩きつける必要があります。そのために我々が想定している手段は二点あります」

 

 ヤン少佐がコンソールに触れると張横のソリビジョンに投影される映像が変わる。それはシミュレーション映像のようであった。要塞表面から現れる浮遊砲台は接近する同盟軍の戦艦や巡航艦にビームの嵐を叩き込む。艦艇はエネルギー中和磁場を盾にその攻撃を凌ぎつつ出力を最大にして要塞に接近し……次の瞬間流体金属の海に突っ込み巨大な火球へと変わる。

 

「おお……!」

「これは……特攻?」

 

 参謀達はその爆発の威力に驚嘆し、同時に困惑する。シトレ大将が咳払いをして補足説明を行う。

 

「無論、今の攻撃を有人艦艇で行う訳にはいかん。今のは無人艦艇を突っ込ませた場合のシミュレーションだ」

「先程の映像は無人操縦の標準型戦艦、及び標準型巡航艦にレーザー水爆ミサイル及び液体ヘリウムを積載出来る限界かつ最も高威力になる比率で搭載して突入させた場合の被害計算を算出したものです」

 

 少しだけバツの悪そうにするシトレ大将に対して淡々とした態度でヤン少佐が続ける。その何処か冷たそうな表情に幾人かの参謀は眉を顰めるが、当の本人は気にしていないようだった。いや、別に本人は恐らく冷たい態度を取っている積もりはないのだろうが……社会に対して一歩引いているような厭世的な彼の纏う雰囲気は人によっては反感を買ってしまうのかも知れない。

 

「この無人艦突入戦術は、第四次攻略作戦における無人艦自爆による敵艦隊攪乱をヒントとしたものです。本戦術の利点は三点あり、まずミサイル等と違い中和磁場を展開出来るために迎撃されにくい点、ミサイルと違い艦載出来る炸薬量が多く、また艦艇そのものの質量と速度もあってその火力が極めて高い点、そして巨大質量の衝突であるために帝国軍将兵に対して心理的な圧力を与えられる点です」

「理論上、戦艦クラスであれば一〇隻、巡航艦クラスであれば一八隻から二〇隻を同一地点に叩き込めば流体金属及び四重装甲をほぼ完全に破壊出来ると思われる。現在想定している計画ではこれ等無人艦艇を二〇〇隻余り準備、内半数を大小の宇宙港出入り口、及び索敵レーダー等の設備の破壊に、残る半数を要塞内部侵入のための突破口確保に充てる次第である」

 

 無人艦艇の特攻の利点を挙げるヤン少佐、そしてこの作戦の具体的な運用をシトレ大将が答える。

 

「もう一点の作戦とは?」

 

 後方部長たるセレブレッゼ少将がそれについて尋ねた。輸送部長と共に全軍の補給に責任を持つ彼にとっても六万隻の艦隊の後方支援は初めての事であった。ましてや無人艦突入だけでも相当の負担であるのに、その上更にもう一つの作戦があるとなれば真っ先にその内容について尋ねるのは当然の事である。

 

「それについては私が説明しましょう」

 

 そう答えたのは同じくシトレ大将達の背後に控える軍人であった。プロアスリートを思わせる黄金比率の十二頭身、しかしその顔は決して悪い訳ではないが何処か陰気で神経質で、高慢さも感じられた。

 

 ロボス中将の首席副官、その官姓名をアンドリュー・フォーク大尉と言った。

 

 

 

 

 

 

「無人艦の突入は確かに有効な戦術であります。しかし同時に、その準備が大掛かりになり対応の時間的余裕を与えるのも事実。また要塞の制圧のために内部に揚陸したとして、当然のように帝国軍の陸戦部隊も展開している事でしょう。故にこの作戦と並行し、帝国軍の対応能力を飽和させるべくもう一つの作戦も計画しております」

 

 フォーク大尉はコンソールを操作してソリビジョンの映像を変更する。イゼルローン回廊に要塞、入り乱れる両軍の艦隊が映し出される。そして同盟軍主力の背後から回廊の危険宙域やデブリ帯を影に少数の艦隊が要塞背後に回り込む。

 

「同盟側出入り口において無人艦による突入を行うと共に、少数……想定としては八〇〇隻程のミサイル艦に強襲揚陸艦を一五〇隻、その護衛に巡航艦及び駆逐艦合わせて一〇〇隻程度、これが要塞の索敵網に掛からずに隠密に動かせる最大限の戦力でしょう。これを要塞の帝国側出入り口に回り込ませ、背後よりミサイルによる飽和攻撃を仕掛けます」

 

 浮遊砲台の大半は主戦場たる同盟側に展開しているために迎撃は最小限で済むと想定されていた。ミサイル艦の装備するミサイルは長距離・短距離合わせて一隻辺り四〇〇発、八〇〇隻のミサイル艦は約一五分の間に三二万発のミサイルを要塞表面に叩きつける事になる。当然ながら『雷神の槌』は同盟側に展開する大艦隊に向けているので、ミサイル艦部隊がミサイルを叩きつける間消し飛ばされる心配はない。

 

「本作戦の目的は要塞中枢部の制圧です。即ち揚陸作戦において帝国軍陸戦隊はその大半が同盟側に主力を展開しております。そのため正面からの揚陸作戦では要塞陥落までに相当の犠牲を払う可能性が高くなります。その対処として同盟側から揚陸するのとは別動隊が手薄な背後からミサイルによる飽和攻撃で要塞装甲を引き剥がし、特殊部隊を始めとした精鋭部隊が突入、要塞司令部及び要塞主砲管制室、要塞通信管制室、要塞宇宙港管制室、要塞換気管制室、要塞動力炉の最重要六施設を迅速に制圧します。これにより要塞内部の帝国軍の指揮系統及び通信網を破壊し、要塞内部の敵部隊から移動の自由を奪います」

 

 後は何が起きているか分からないであろう内部の帝国軍陸戦部隊を正面から揚陸した主力部隊で各個撃破していく、という訳だ。

 

「……本遠征に投入する地上部隊の規模は?」

「同盟側からは橋頭保確保のために先遣部隊として宇宙軍陸戦隊五個師団、後続として地上軍二個遠征軍を、別動隊は宇宙軍陸戦隊を中心に二個師団余りを想定しております。また後方の兵站確保や周辺宙域の監視等に二個遠征軍を必要とすると考えられますので、全体としては一一〇万から一二〇万の地上部隊を投入する試算となります」

 

 陸戦部長パーカー少将からの質問にしたり顔で答えるフォーク大尉。その数字に苦虫を噛むような顔を浮かべるのはパーカー少将ら陸戦参謀達だけでなく後方・輸送部の参謀達もだ。

 

「一二〇万、宇宙艦隊が動員するのは六万隻である事も考えれば後方支援要員も含めると最大で九〇〇万近い動員か……!食料に医薬品、弾薬の消費量は馬鹿にならんぞ」

「想定される負傷者の数も馬鹿になりませんねぇ。これは過労で倒れる医師が続出しそうだ」

「狭いイゼルローン回廊でそれだけの兵員を養う物資を輸送するとなると眩暈がしそうですわ。護衛は当然としてマンパワーは頂けるのでしょうね?」

 

 頭を抱えるのは後方部長セレブレッゼ少将だった。衛生部長ツクダ准将は嘆息の溜息を吐く。一方、若干不満気な表情で輸送部長リャン准将はシトレ大将に追加の人手の手配について尋ねた。

 

「無論、我々もその点については承知している。各艦隊の後方支援体制のみでは能力が不足するだろう事もな。後方勤務本部直轄の各独立支援部隊の貸し出しについて交渉する手筈になっている。諸君らにも最善の仕事は求めるが、物理的に不可能な職務を押し付ける積もりは毛頭ない」

「言質は頂きました。そう仰るのならば我々もプロとして職務を果たしましょう。無論、実際にリソースを頂けるのでしたら、ですが」

 

 尚も棘のある言い様で、しかし一応納得したようにリャン准将は承諾する。四十代の女性将官は凛々しく顔立ちも悪くないが、そのキツめの性格のせいで結婚も出来ず行き遅れた事で有名だった。無論、そんな話を本人の前でいえば命はないが。経費が……と青い顔で呟くのは経理部長ハブロブ准将であったが全員敢えて視線を逸らし無視した。

 

「……此度の遠征は同盟の国運を掛けた決戦です。故に我々軍人は国家の要求に答え万難を排して作戦を達成しなければなりません。例え困難とは言え、それに対して軍人である我々が不満を述べる事は御控えした方が良いかと愚考致しますが」

「餓鬼には聞いてないのよ。士官学校出て数年のぺーぺーは黙ってなさいな」

 

 後方部門の参謀達の態度にフォーク大尉が愛国心に燃える建前論を述べる。尤も、後方部門を代表してリャン准将に速攻で言い返されたが。数名の参謀が失笑を漏らす。フォーク大尉は士官学校首席にして戦略研究科でも優秀な成績を残した秀才ではあるが同盟軍の後方部門士官の中でもキャゼルヌ大佐等と共に毒舌家ランキングでベスト一〇以内に確実に加わる准将の前ではまだまだ小僧扱いらしかった。

 

「………」

「……フォーク大尉、説明御苦労、着席したまえ」

 

 幾人かの参謀達の嘲笑と不躾な視線に沈黙する首席副官に上司であるロボス中将は席に座るように命じる。フォーク大尉は僅かに身動ぎしつつもすぐに上官に頭を下げて椅子に座り込んだ。

 

「ヤン少佐、説明を続け給え」

「はっ、それでは続いて本作戦の兵站についてですが………」

 

 シトレ大将が若干溜息をついた後ヤン少佐に向けて説明の再開を求めた。ヤン少佐は一瞬沈黙したがすぐに本作戦の兵站・後方支援体制について言及を開始した………。

 

 

 

 

 

「ふむ、そろそろ時間か。諸君も意見は出し尽くしただろう。今回の会議はここまでとする。各員、此度の意見と提案、疑問に対して各々の部署で検証と評価を行って欲しい。次回の会議は……うむ、七日後を予定している。各員解散っ!」

 

 1530時、シトレ大将のその一声によって第三回会議は終了した。会議の参列者達は書類と携帯端末を纏めながら隣合う者達と議論を、あるいは雑談をして会議室を退出していく。横目で見ればコープが姉に纏わり付かれながらうんざりした表情で部屋を去る姿、魔術師様が自称革命家と部屋の隅で何か語り合う姿を確認出来た。

 

 私もまた書類を整えると、長々とした会議に疲れて一つ小さく欠伸をする。

 

 ……残念ながら私の事務処理能力や考察力は准将としてはかなり下であると言わざるを得ない。本来ならば上司たる航海部長殿と今回出た提案について議論するべきなのだろうが……それについては今クブルスリー少将とホーランドが生真面目に語り合っており私の出る幕ではない。

 

(いやまぁ、ある意味当然ではあるんだけどなぁ)

 

 そもそも私が今回の遠征に同行するのも半分箔付けみたいなものだ。クブルスリー少将もその事は重々承知しているから然程私に期待はしていないだろう。それは良い。良いのだが………。

 

(問題はなぁ……)

 

 此度の遠征計画、それに付随した個人的な課題に私は内心で陰鬱な気持ちとなる。うん、言いたい事は分かるよ?意見したり相談したりした方が良いと思うけどね?でも私だって好き勝手発言したり動く訳にもいかないからさぁ!

 

「はぁ……」

「ヴォル坊、どうかね?職務の方は順調かな?」

「おじ……ロボス閣下!」

 

 内心の悩みに小さく溜息をしていると語られた言葉に私は顔を上げる。気付けば此方が座る椅子の直ぐ傍にまで再従伯父殿が、即ちロボス中将が来ていた。私は一瞬私的な呼び方をしそうになって、慌てて軍務中である事を思い出して閣下呼びをしながら立ち上がり敬礼をする。

 

「そう畏まらんでも良かろうに。いつも通り気さくに話してくれて構わんぞ」

 

 ははは!と懐の深そうな笑い声を上げるロボス中将。その雰囲気は確かにあの肥満体で調子の良い親戚のおっさんであった。尤も、ガワは最早別人であったが。

 

 ……おう、どこのライザップだよ。ビフォーアフターしてるよ。匠の技だよ。ダイエットの神が降りてるよ。どう見ても骨格のレベルで変わってるよ。正直未だに一瞬誰か分からないレベルで痩せてるよっ!

 

 ここ数年の間に体重マイナス六二キロの超減量に成功したロボス中将の外見は、一言で言えば背が低めで肩幅の広い細マッチョである。余りにも変貌し過ぎたせいで軍の個人顔認証システムが本人と判定出来ず、認証データ書き換えのために統合作戦本部ビル出入口前で二時間も待ちぼうけを食らい、会議中に他の軍高官達から誰か分からずに困惑されまくり、未だに第六艦隊司令部の廊下で部下達に二度見されるという斜め上な理由でスパルタ市で話題となっている。明らかに無茶な減量を達成した理由は言うまでもない。

 

 正直な所、幾ら身内とは言えここまで来ると疎まれそうな気もするのだが、当のロボス中将は未だにフレンドリーな事に内心いたたまれない気持ちになる私である。いや、本当すみません……。

 

「いえ、流石にまだ周囲の人の目がありますので……」

 

 微笑むロボス中将に苦笑いを浮かべながら誤魔化すように私は答える。まぁ、特に貴方の背後の人の視線とかキツいですし、ねぇ……?

 

「おお、そうだった。坊にも紹介せんとな。彼は私の首席副官、フォーク君だ。先程の会議ではまぁ、経験がまだ少ないのであれだがとても優秀な人物だよ。私も随分と助かっている」

「アンドリュー・フォーク大尉であります。准将殿のお話はロボス閣下よりお聞きしております。どうぞお見知りおき願います」

 

 再従伯父殿の首席副官にして宇宙暦790年度士官学校卒業生総勢五四四八名の頂点に立つ青年士官は完璧に形式に則った、逆に言えばそこから一歩も逸脱しない姿勢と敬礼と態度で自己紹介をする。

 

「あぁ、ヴォルター・フォン・ティルピッツ准将だ。ロボス中将から以前一度御話は聞いている。閣下の首席副官ともなると相当な職務量だが、大過なくこなしているようで羨ましいよ。私が中将の補佐をしていた頃は大変だったからな」

 

 私は嫌悪感や敵意を向ける訳にもいかないので外向きの笑みを浮かべ友好的な態度を取った。全てが原作通りに進めば目の前の青年士官は同盟滅亡に大きく貢献した戦犯であるが、少なくともこの時点でそれを理由に彼に不当で無礼な態度を向けるのは人としても、世間体としても褒められる行為ではない。

 

 そう、彼は十中八九の確率で『あの』アンドリュー・フォークである。若手参謀達を纏め上げ、同盟政府に私的なルートで出征計画を持ち込みアムリッツァでの二〇〇〇万将兵喪失の一因となったアンドリュー・フォークである。その後もクーデターやらヤン暗殺やらで顔を出したあのアンドリュー・フォークだ。

 

 ……正直な話、原作の記述だけでもう好感度がマイナスに突き抜けそうな人物なのだが、これでも私では及びもつかぬ学年首席なのである。既に士官学校の教育と評価基準は馬鹿に出来ないものである事は重々承知しているし、実際にその能力は軍務で発揮されている。士官学校卒業して一年三か月で大尉と言う昇進速度は一部の可笑しい奴らを除けば普通に早いペースであり、ロボス中将自身も助けられている。

 

 若干気難しい所と鼻持ちならない部分、そしてほぼ今回が初めて直接会うというのに余り好かれていないようではあるが……だからと言って此方も敵意を剥き出しにするのも可笑しいし不審がられる。少なくとも今は様子見に徹するべきだった。

 

「いえ、この程度の事務大したものでは御座いませんので。准将殿こそ、お仕事がお忙しい事と存じます。どうぞ、ご無理を為さらず」

 

 小さく礼をするフォーク大尉の発言は、しかし聞く者が聞けば微妙に嫌味が含まれていた事に気付けたであろう。恐らくは六年前の第四次遠征の頃に再従伯父殿の下で行った仕事よりもフォーク大尉の仕事が数倍の量である事も、航海副部長たる私が職場で別にそこまで期待されていない事も重々理解しているであろう。その上で先程の言葉となれば当てつけと思われても仕方ない言い様であった。

 

「ふむ。坊、どうだね?実は私達は昼食を食べ損ねていてね。良ければ一緒に来ないかね?そんなに金額はしないが奢ってやるぞ?坊も大尉も期待の新鋭だ。親睦を深めるのも悪くは無かろう?」

 

 私とフォーク大尉の間に流れる微妙な緊張を察してかロボス中将が取り繕ったような笑みを浮かべて提案する。再従伯父殿からすれば私は身内であるし、フォーク大尉は青田買いした期待の新人だ。その仲が険悪になるのを望んでいないようであった。

 

「それは……」

「済まんが先約していてな。家族での食事会は別日にしてくれんか、ロボス?」

 

 私が自身でもどう答えるべきか困り果てていたその時であった。背後からの声に思わず私は振り返る。

 

 目の前にあったのは逞しく、恰幅の良い胸部であった。すぐにその巨大な影に気付き見上げれば自身よりも二〇センチ近く高身長な黒人提督の姿を視界に映し出す事が出来た。同時に私は一歩後ずさる。

 

「シトレ…大将……」

「別に校長先生と呼んでくれても構わんのだぞ、ティルピッツ准将?」

 

 にかっ、と歳と階級に似つかぬ悪餓鬼か悪戯っ子のような笑みを浮かべる宇宙艦隊副司令長官。その笑みだけでこの同盟軍現役将官の中でも五指に入るこの人物が魔術師や自称革命家の師に当たる人物であると確信出来た。

 

「シトレ、人の親戚に何用かね?」

 

 ロボス中将は会話を邪魔されたからか、派閥的な理由からか、明らかにシトレ大将に対して不愉快そうで警戒感に満ちた表情を浮かべる。一方、そんな視線を向けられたシトレ大将の方はどこ吹く風とばかりに笑みを崩さない。うん、やっぱり弟子達同様神経が図太いわ。

 

「おいおい、私は准将の士官学校時代の校長だぞ?ましてや今や総司令部の司令官と参謀という関係だ。何か問題があるのかね?」

「問題しかないわ!」

 

 楽し気に笑みを浮かべるシトレ大将、一方でロボス中将は腕を組んでそんな彼にむすっと顔を顰める。

 

「お、先輩あれ見て下さいよ。面白そうな見世物が始まりそうです。校長とロボス中将……さしずめ巨人(ギガース)土精(ドヴェルグ)の喧嘩と言った所ですかね?」

「いやぁ、何方かと言えば河馬と疣猪じゃないかなぁ。今のロボス中将、痩せて小さく見えるしね」

 

 相対するシトレ大将とロボス中将に部屋に残っていた幾人かの参謀が気付く。部屋の隅にいた魔術師と自称革命家に至っては呑気にそんな表現を述べる始末である。

 

 実際の所、総司令官と副司令官が睨み合う状況なぞ司令部の他の面子からして見れば洒落にならない事態だ。故に私はその収拾に動く。同時にこの機会を活かす事にした。

 

「ラザール叔父さん、御気持ちは嬉しいのですが……一緒に食事するのは別の日でも宜しいですか?」

 

 再従伯父殿に近づき、囁くような声でかつ下手に出ながら私は意見を述べる。

 

「ヴォル坊、しかし……」

「いえ、別に我慢してではありません。私としてもこの機会に接近してきたシトレの意図が気になりますしね。まぁ、他の蛙食い共に比べれば穏健だそうですし、流石にこのスパルタ市で殺されるなんて事はないでしょう」

 

 私の申し出に再従伯父殿は心配そうな表情を浮かべる。

 

「私もシトレが……奴がそんな小者とは思わん。だが危険性が無い訳でもあるまい?坊、お前には危険な目に良く遭わせてしまったからな。流石に安全だとは思うが……」

 

 心底不安そうに呟くロボス中将。うん、凄く分かる。いつも安全対策してもらっているのに変なトラブルに遭って本当すみません。

 

「いえ、それは此方の話です。いつも御迷惑をおかけしてすみません。なぁに、いざ何かあればそれはそれでシトレの失脚ネタの一つ位にはなりますよ。……それでは、次のお誘いのために良さそうな店でも探しておいて下さい」

 

 最後に冗談半分にそう宣い、踵を返した私はシトレ大将と正面で向き合う。

 

「司令官閣下の御申入れ、有難く承ります」

 

 敬礼して慇懃に、僅かに無礼に思えるように私は答える。遠目に私達を見ていた幾人かの参謀がそんな私の態度に鼻白む。

 

「ふっ、宜しい。時に生徒に飯を奢るのも教師の仕事だからな」

 

 ははは、と豪勢な笑い声をあげるシトレ大将。私の態度を一切気にした様子がないのは予想は出来ていたがやはり度量が広いとしか言えない。外野で独身主義者が「何だ、もう終わりですか?」等と詰まらなそうな言葉を吐いたのが僅かに聞こえた。マジで無責任な言葉言うの止めてくれませんかねぇ?

 

「ははは、では行こうかね准将っ!」

 

 どんっ、と力強く私の背中を叩き上げて催促をするシトレ大将閣下。その行為にロボス中将は再度顔をしかめるが私は小さく頭を下げてその場を誤魔化した。

 

 そのままシトレ大将はどうでも良さそうな雑談を語りながら私と共に歩き始める。あー、余り元気な声で話しかけないでくれませんかね?無駄に注目されますから。え?元より色々注目されてるから今更?さいですか。

 

 私は若干悟り顔でシトレ大将と共に会議室の出口に向かった。自分から申し出を受け入れた身であるが早くも後悔しそうになり、げんなりする。再従伯父殿の心配そうに私を見つめる視線が背中から感じられた。……うん、頑張ります。

 

 私は陰鬱な溜め息を吐くと、気を無理矢理奮い立たせて歩みを強くした。そうでもしないと精神的な疲労で腹痛がしそうだったから。

 

 ……そして、私はこの時点で気付かなかった。ロボス中将以外に二人の人物が……一人は無気力な視線で何と無しに、今一人は明確に敵意を向けて私の背中を見つめていた事を。

 

 

 

 

 

 

 同盟軍では明確に階級と身分によって待遇が変わる帝国軍と違い、機密保持の会議を兼ねる場合や帝国系部隊、情報部所属将校等、一部例外を除き、元帥も二等兵も同じメニューを同じ食堂で食べる。

 

 スパルタ市に勤務する同盟軍将兵は二〇万を超える。それ故に市内各地に、また統合作戦本部ビルにも幾つもの食堂が設けられている。以前捕虜収容所着任の辞令を受けた後に昼食を食べたビルのすぐ隣に建てられた食堂はその一つだ。

 

 統合作戦本部ビル一八階の食堂はメニューこそ他の所と大して変わらないが、出入口を憲兵隊が警備し、大人数が防音製の個室で食事が出来るために作戦会議を兼ねる将校達が良く利用する場所であった。

 

 以前何処かで見た事があるような気がする『貴殺』とかいう文字が刻まれるメンポを装備した憲兵の横をそーっと通り抜けて食堂に入る。ウェイターに案内された部屋に入ると私とシトレ大将はそれぞれ昼食を注文する。

 

「そうだ。このハンバーグ定食のライス大盛、アスプ風海鮮焼きそばは特盛でパルメレント海老チーズ焼きは三皿だ。ヴルスト盛り合わせに……カッシナハニートーストを四枚頼む。サラダはシーザーとチキンの両方貰おう。カッファー風野菜スープも貰おうか。デザートは帝国風チョコティラミスにパルメレント・ロイヤル・レアチーズケーキ。あぁ、それとこのカッシナ蜂蜜パイを四つに蜂蜜プリンも二つ貰おうかな」

「は、はぁ……」

 

 注文を受けるウェイターはシトレ大将の注文に笑みを浮かべた顔をひきつらせる。

 

「准将、君も遠慮せずに注文すると良い。私から誘ったのだ、ましてや元生徒となれば校長としては度量を見せねばならんからな」

 

 にっこりと白い歯を見せてそう申し出る黒人提督。私もまたウェイター程あからさまではないが乾いた笑いしか出てこなかった。

 

 メインは牛肉のザウアーブラーデン、スープにアイントプフを注文した。それ以外にはパンとサラダ、そしてシトレ大将同様に同じく帝国風チョコティラミスを頼む。大量のメニューではあるが食堂の料理人は手早いのか然程時間もかからずに料理の山はやって来た。

 

「ふむ、小食なのかね?軍人たるもの、身体のコンディションの維持は重要だぞ?過食はいかんが食べないのも問題だ。これも食べたまえ」

 

 そういってたっぷりと蜂蜜のかけられたカッシナ蜂蜜パイの載った皿を差し出すシトレ大将。いえ、どう見ても貴方が食べ過ぎなだけです。後布教は止めてくれませんかね?

 

 質実剛健を旨とするシトレ大将の信条は軍内の食事にも表れている。後方勤務本部兵糧調達部副部長時代と士官学校校長時代には軍内と士官学校内での食事内容やレーション構成に介入し、メニューと量の増強に寄与した。同時にカッシナ産の蜂蜜を利用したメニューをやたら考案した事で知られている。因みにシトレ大将の大好物はカッシナ特産の蜂蜜料理であり、彼が介入するまで軍内におけるカッシナ蜂蜜のメニューはほんの数種類しかなかった。

 

「ははは……」

 

 やんわりと拒絶の笑みを浮かべるがお構いなく蜂蜜パイと蜂蜜プリンを私の所に持って来る校長。うん、諦めるしかないね。……別に不味い訳ではないけどさぁ。

 

 げんなりとした私を差し置いて、シトレ大将はばくばくと料理を食べ始める。二メートルの肩幅の大きい黒人提督が豪快に料理を口に流し込んでいく姿は圧巻だ。ダイエット前のロボス中将の食べっぷりを思いだす。尚、シトレ大将は士官学校学生時代の校内大食い選手権で四年連続で一位に輝いた大食漢でも知られている。二位は当然ロボス中将で、卒業席次三位であったフェルナンデス中将は小食で二人に張り合おうとしていつも一回戦で吐いていた……というのはロボス中将から聞いた話だ。

 

 その食べっぷりに、私は声をかけるタイミングを逃す。元々この食事の誘いに乗ったのはシトレ大将の狙いを知るのと、やんわりと私が懸念している作戦の穴について触れたいと思っていたからなのだが……うーん、ここまで全力で食事されると中々言いにくいな……。

 

 攻撃は時機を見極める必要がある。タイミング外れの行動は無意味、それ故に私は暫くの間ちびちびと注文した料理を食べる事に専念した。あ、このアイントプフ素朴な味付けだけど美味しい。

 

 私は食べながら機会を狙っていたが、残念ながら人間というものは物事を客観的に見る事が難しいらしい。自身が考えていた事を何故他人が考えていないと思えるのだろうか?

 

 即ち、食事の中盤に私が気を緩めた僅かな隙にその口撃は放たれたのである。

 

「さて、准将には何か伝えたい事があるのではないかね?」

「えっ……?」

 

 バクバクと食事をしながら何とかしと言った口調でシトレ大将が口にした言葉は、しかし的確に私の意表を突いていた。渡された蜂蜜パイの甘さに僅かに辟易していた私は動揺で食事の手を止め、暫しの間沈黙する……。

 

「おや?違うのかな?会議中、准将が何度か発言したそうにしていたからな。結局口にしなかったのは様子を見るに余り周囲に知られたくない内容だと推測したのだが……私の考え過ぎだったかな?」

 

 首を僅かに傾げて能天気そうに発言の理由を説明する校長殿である。その態度に私は若干毒気を抜かれ、次いで目の前の人物が油断のならない、しかし他者に対して配慮の出来る頭の回る人物である事を理解する。

 

 ……いや、そもそも私なんかより遥かに優秀なのは当然なんですけどね?

 

「……いえ、その通りです。流石宇宙艦隊副司令官閣下です。敵いませんね」

「余り仰々しい呼び方をせんでも良い。他に見てる相手がいる訳でもあるまい。校長先生とでも呼んでくれても良いのだぞ?」

「流石にそれは遠慮したいのですが……」

 

 冗談とも言えないシトレ大将の言に苦笑いを浮かべる私であった。一方、当の校長殿はこれまた豪快に、気前の良い笑みを見せる。人好きのする笑みだ。この大将閣下は厳粛であり、厳格であり、生真面目であり、その癖に豪快で愉快な感性の豊かでメリハリのある人物だった。即ち、人間的魅力に溢れている性格だった。あるいはそんな人物だからこそ自称革命家や魔術師のような変わり者な性格の生徒にも慕われていたのかも知れない。

 

「ははは、済まん済まん。……ふむ、こう見るとやはり噂は当てにならんな。ラザールから聞いた通りだ」

「ロボス中将から……?」

「此方の話さ。それで?先の作戦について准将の思い浮かべた疑念とは何かね?私は君が無能ではない事を知っているし、帝国通である事も知っている。そんな君の懸念事項には私としても関心を持たざるを得なくてな」

 

 そこでシトレ大将は、その愉快な表情を引き締めて私に尋ねた。私はその豹変具合に息を飲む。成る程、やはり原作の英雄の一人である。物凄いオーラだ。

 

「はい、それは……」

 

 私はその意見について述べようとして、一瞬迷う。内容が内容であるし、何よりも発言するのが『亡命した門閥貴族』である私である。その印象の悪さはこの上ない。だからこそ私はあの会議で発言する事を躊躇ったのだ。内容は亡命政府や亡命貴族、あるいは亡命帝国人そのもののイメージを悪くしかねないものだ。しかし……。

 

(言った方が良いからな……)

 

 金髪の孺子の動きが原作から逸れた以上、今更原作沿いにするだけは然程意味がないし、何よりも今回の介入ポイントはアムリッツァやクーデター、バーミリオンに次ぐ位には重要なターニングポイントであるとも私は考えていた。それ故にこの事を言わない手はない。

 

 同時に、目の前の人物ならば恐らくは私がこのような発言をしたとしても私の出自も伏せて決して悪意的に解釈する事はないだろうと感じていた。あるいはそれは原作や校長時代の記憶による錯覚かバイアスがかかっていたのではないかとも後々考えたが……それでも私が自身の発言を口にする相手としては最善の人物であったのもまた事実だった。

 

「……此度の並行追撃作戦、果たして敵は本当に『雷神の槌』を射たぬという保証があると思いますか?」

 

 だからこそ、私はこの蝶の羽ばたきが嵐を起こす事を心から望み、そう口にしたのだった……。



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第百六十八話 門閥貴族「貴様はこれまで取ったマウントの数を覚えているのか?」(キャラ画像あり)

今回はちゃんと出番のある再従妹のイラストです。


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 宇宙暦791年の九月上旬頃より、自由惑星同盟軍は五回目の要塞攻略に向けた下準備を開始した。即ち、国境地帯における帝国軍偵察衛星・通信基地・哨戒部隊等によって構成される多重早期警戒網の破壊工作及びハラスメント攻撃である。

 

 国境に置かれた四つの軍管区及びシャンプールの第二方面軍司令部は宇宙艦隊司令本部及び地上軍総監部より直轄部隊を派遣され、各軍管区及び第二方面軍司令部の部隊と共同で作戦を開始する。

 

 目標となる星系はシャンダルーア星系にアルトミュール星系、ダゴン星系等全三三星系、大軍を動かせば帝国軍により作戦の意図を気取られる。それ故、選抜された少数の精鋭が縦横無尽に遊撃戦を行う。

 

 恐らくではあるが、原作で中尉となった金髪の孺子の大立回りの舞台となるハーメルンⅡが遭遇した戦闘は、この同盟軍の軍事行動であったと思われる。待ち伏せして帝国軍哨戒部隊を削り取っていこうとしたのだろう。

 

 私としてはここで獅子帝を仕留める事が出来れば最高なのだが……残念ながら私は遠征軍総司令部勤務であり、アルトミュール星系での軍事活動を担当する第一〇九独立戦隊司令部に足を運ぶ事は出来ないし、足を運んだ所で百戦錬磨の戦隊司令官マルコ・パストーレ准将に命令を下す如何なる権利も無かった。

 

 そもそも、既に私のせいで孺子の最初の勤務先が変わっているのだ。となれば今回もアルトミュール星系の哨戒任務に参加しているとは限らなかった。というか確実に参加してなかった。えっ?何で分かるか?

 

 九月中に第一〇九独立戦隊は一一回の軍事行動を実施し、偵察衛星二一基、地上通信基地二つ、哨戒艦艇三〇隻を撃沈し、六隻を降伏させた。捕虜の総数は一〇〇〇名近い。その投降させた艦艇の中に『ハーメルンⅡ』という名前があり、私は大急ぎで捕虜のファイルに目を通したのだが………。

 

 

 

「何でいねぇんだよ、糞ったれが……!!」

 

 ソファーの上で足を組み頬杖をする私はその事実を思い出すと同時に苦々しげに呟いた。残念ながら『ハーメルンⅡ』の乗員名簿にはラインハルト・フォン・ミューゼルという名も、ジークフリード・キルヒアイスという名も存在しなかった。念のために全員の顔写真を確認し、諦めきれず他の船の捕虜のデータも閲覧したのだが……見事に空振りだった。超光速通信で二人の存在を知っていそうな数名に事情聴取をしたが結果は同様、どうやら奴らの勤務先は原作とは違うようだ。ふざけやがって……!!

 

「……はぁ、悩んでも仕方ないか」

 

 怒りを吐き出すように深呼吸をして、私は苛立ちを沈静化させる。現実は受け入れるしかないのだから。

 

 カプチェランカが空振りした時点で覚悟はしていた。寧ろここは前向きに考えるべきだろう。確かにアルトミュール星系で奴らを仕止める事は出来なかった、だが態態現地に向かって無駄な時間を浪費せずに済んだとでも考えよう。

 

 その代わりにイゼルローン要塞攻略作戦に関われるのだから結果として満足するべきであろう。原作における影響力、そして私が昇進する上でのキャリアのためにも遠征軍総司令部勤務は喜ぶべき事の筈だ。そうとでも思わなければやってられない。

 

「……さて、それはそうとシルヴィア。お前さん、いつまで人の顔を蔑むような目付きで見ていやがる。親戚のお兄さんに失礼過ぎるとは思わないか?」

「ちぃーす、糞従兄!凄い難しそうな顔してたけど自分の罪を数えてた?もし覚悟決めたんなら私が切腹の介錯してあげよっか?」

「罪のない人生なぞ、香辛料を使わない料理のように味気ないとは思わないかな?」

「ははは、チョーウケる。恰好つける余裕なんてあんの、従兄?」

 

 宇宙暦791年一〇月二二日の昼頃、忙しい作戦会議が続く中でどうにか有休を捻じ込んで顔を見せた私に対して笑顔で容赦ない現実を叩きつけてくれる従妹であった。止めろ、その言葉は私に効く……。

 

「シルヴィア、流石に口が過ぎますわよ。再従兄様、御機嫌麗しゅう御座いますわ」

 

 シルヴィアの後を追うように広間に入室してきたユトレヒト子爵家の長女は、従妹よりも遥かに常識人だった。フォーマルなドレスを着た彼女はスカートの先を摘まみ上げ、宮廷儀礼に基づいて目上の親族に礼を尽くした優美な挨拶を述べる。うんうん、良い娘には後でお小遣い上げちゃうね。再従兄ちゃんは味方になってくれる家族がいて嬉しいよ。

 

「いえ、まぁ流石に再従兄様のやり口は酷過ぎるとは思いますが……」

「ははっ、ですよねぇ!」

 

 視線を逸らして困り顔で答えるディアナ嬢に私は諦めたように叫ぶ。うん、知ってた!流石にあのやり口は酷いよなぁ!

 

 クレーフェ侯の御屋敷にて合流した彼女達が糾弾した内容が私の婚約者に向けた仕打ちの数々なのは明らかだった。おう、流石に情で縛って油断させてからのファーストキス略奪、家主様連れての帰還は酷過ぎるよな!傷物にして返品出来なくなってからのこのマウントだもんな!完全に銀河帝国の卑の意志が為せる所業だよ!門閥貴族の卑劣な策略だよ!

 

「流石にアレはないわぁ。そもそもこれまでの所業すら結構ギリギリアウトだったのに、あのタイミングでナウガルトの女なんか連れて来るとか完全に擁護出来ないわぁ。狙ってんの?鬼畜過ぎない?女ならいくらでもいるっしょ?何で態態地雷だけ踏みにいくの?マジあり得なくない?」

 

 最早塵を見るような目付きで私を詰る従妹である。止めてっ!従兄ちゃんのライフはもうゼロよっ!

 

「御願いだから死体蹴りは止めてくれよ……。そういうお前達だってどうなんだ?この前プライベートビーチで写真撮られて騒ぎになってたが大丈夫か?」

 

 私は話題逸らしと共に反撃に移る。ハイネセン記念大学の夏期休暇中にハイネセン西大陸のプライベートビーチで過ごしていた従妹達が水着姿を激写されてゴシップ誌に掲載されたのは記憶に新しい。プライベートビーチ自体は一応ガチガチに警備されていたのだが……やはりアルレスハイム方面の戦闘でハイネセンの警備要員が不足していたのが不味かった。相手のパパラッチが元フェザーン警備隊の特殊部隊出身なのも理由だろう。というか何故特殊部隊からパパラッチに転職を……?

 

 ビーチに設けられたパラソル付きのテーブル、そこで向かい合って食事しながらお喋りしている時を捉えたのだろう写真は、再従妹の方こそ水着の上に上着をかけていたので然程素肌が見えなかったが、従妹の方は水色のビキニにパレオ姿なのでまぁ、大事な所は兎も角深い谷間なり太股なりが完全に丸見えだった。

 

 因みに記事の内容はアルレスハイム方面で多くの兵士が犠牲となり、平民が徴兵と増税に苦しむ中でハイネセンに逃げ込んだ貴族達がどんな贅沢三昧をしているのか、という実態を探り糾弾する内容だったのだが……他の貴族達の記事もあったが特に従妹の写真がネットでお祭り状態になっていた。理由?そりゃあアイドル顔負けの美女の水着姿だからねぇ。

 

 取り敢えず亡命政府やヴァイマール伯爵家、その本家筋たる我が家がブチキレたのは言うまでもない。出版された雑誌の買い占めと焚書、ネットに流出した画像は削除しまくった。一部民間の個人用パソコンへの不正ハッキングとデータ削除、出版社の建物へ謎の武装集団がバズーカ砲を撃ち込んだ凶悪事件(死亡者はいないものの大量の資料喪失)が発生したのは偶然と思いたい。パパラッチ?送り込んだアサシン達からギリギリ逃げて行方眩ましてるってよ。何でそんだけの技量あってパパラッチなんかやっているんですかねぇ?

 

 当然ながらどれもこれも超法規的な行動である。同盟警察が頭を抱えたのは言うまでもない。明確な犯罪行為を無視すれば世論から突き上げを食らうし、だからといって調査なり起訴すれば亡命政府がマジギレしかねなかった。事態の収拾をさせられた上層部の苦労が忍ばれる。

 

「えー、見て見てよ。上手く撮れてるっしょ?結構可愛いじゃん!」

「シルヴィア、それ再従兄様に見せるの止めて下さい!」

 

 私の前でその件のゴシップ誌を開いて写真のページを見せる従妹、ディアナの方は然程露出している訳ではないが、それでも恥ずかしいのか顔を真っ赤にして従姉妹に蛮行を行うのを止めるように叫ぶ。というかこの従妹、自分の水着姿晒されてるのに良く平気な顔してるな。

 

「下着なら兎も角水着だしねぇ、それにネットだと結構大人気じゃん」

「ポジティブなのは良いが婚約者が良い顔しないだろう?」

「大丈夫大丈夫、あいつ性格ちょろいから。嘘泣きしてもうお嫁に行けないっ!て電話越しに言ったら『一生君を離さないっ!』って叫んでさぁ。いやぁ、正直笑い堪えるのに苦労したわぁ」

「うわっ!性格悪っ!!」

 

 この小娘、新無憂宮でもないのにこれ程の卑遁を……信じられん!

 

 ……冗談抜きで正直な話、ハーゼングレーバー子爵のお孫さんに私は心底同情した。こんな小娘と何十年も連れ添う事になるとか罰ゲームかよ。

 

「従兄、それブーメランしてるんですけど?そもそも、私達がまだ結婚出来ないのは色々理由はあるけど、地味に従兄にも責任があるんだからね!」

 

 もう!と頬を膨らませて拗ねる従妹である。子供か。いや、まぁ言いたい事は分かるがなぁ……。

 

 シルヴィアもディアナも、共に今年二一歳を迎えた身であるが未だに結婚をしていなかった。正確には出来なかったというべきか。

 

 今年の三月には帝国軍が来寇しており、あわや本土決戦まで亡命政府は覚悟していたのだ。当然結婚をしようにも式を行う時間も予算もないし、それをクリアしたとしても参列者がいない。

 

 というか、相手が典礼省に勤めているディアナの方は兎も角、シルヴィアの方の婚約者は同じ門閥貴族とは言え軍人だ。万一にも戦死する可能性を考えれば、彼女の家の立場では急いで結婚なぞするべきではなかった。仮に結婚して直ぐに夫が死んだらこの先何十年も未亡人として過ごす事になりかねない。

 

 その上に、目上の人物となる私が結婚していないのに先に結婚するのは一族の面子からして少し憚られるのも理由だった。しかも私のこれまでの仕出かしでジリジリと結婚も様子見で何度か後ろ倒しになり、止めは昨年のフェザーンからの帰国の一件だ。

 

「本当っ!ティアちゃんが可哀想だよね!!人質同然に嫁がされるのによりによってその相手が鬼畜で放蕩で外道な我らが従兄様なんだからね!あの娘、人のいない所で何度も泣いてたんだからっ!」

「うぐぐぐっ………!!?」

 

 ぐぅの音も出ない正論である。どこまで取り繕おうが究極的には私と婚約者……グラティア嬢との婚姻は援助と引き換えの人質受け渡しなのだ。

 

 無論、政略結婚の人質とは言え、必ずしも不幸になるとは限らない。そもそも大なり小なり門閥貴族の婚姻は政略的なものであるし、だからと言って一切の愛が無いかと言えば、流石にそういう訳ではない。普通は血縁関係や容姿、性格等について慎重に吟味した上で顔合わせをさせるし、可能な限り婚約期間を長く設ける事で当事者達に互いに理解し合い、どうしても不可能であれば婚約破棄をさせるための猶予を作っている。

 

 私の場合は流石に長過ぎる所があるが……それでも逆説的には本来ならば仲を深める時間が多くあったとも言える筈なのだ。……本来ならば。

 

 おう、やっぱりあの掌返しはエグ過ぎるよなぁ……。いや、別に私だって態とした訳じゃないんだが……。

 

 そう自己弁護に走るが、当然親戚の娘達にそんな言い訳が通じる筈もなく、私は冷たく非難がましい視線から目を逸らし気付かない振りをする。うん、辛いわ。コープ辺りから普段から塵を見るような目で見られているがやっぱり身内だと効果もひとしおだわな。

 

 私が溜め息をつきながら近場のソファーに力なく座りこんだのと、この劣勢の戦況を挽回し得る切り札が参戦してきたのは同時の事だった。

 

「おにいさまー?あっ!シルヴィアおねえさまにディアナおねえさまだっ!!」

 

 侍女達に扉を開いて貰いてくてくと広間に入ってきたのはこの歳六歳になる妹だった。可愛らしいフリルのドレスを着た少女は笑顔で両手を上げて親戚の姉達に駆け寄る。

 

「よーし、ナーシャ大きくなったわねぇ!にひひ、ほれほれ捕まえたぞぅ?高い高いしてやろーかっ!!」

「きゃー!!」

 

 態とらしくにやにやと笑うシルヴィア。駆け寄る妹を抱き寄せ、脇に手をやって持ち上げれば本人は楽しそうな悲鳴を上げる。

 

「あぁ!もう可愛い奴めぇ!!」

 

 純粋で素直な妹の反応に従妹は頬擦りして、額や頬に親愛を示す口づけをしていく。ナーシャもまた御返しのように従妹の頬に拙い口づけを一回行った。

 

「……ナーシャ、二人と待っていなさい。私は他の人と挨拶しにいくからね」

「はい、おにいさま!あ、おちゃかいまでおねえさまたちとあそんでいていい?」

「ああ、構わんとも。怪我したり服を汚したりしないようにな?」

「はいっ!」

 

 シルヴィアとディアナに挟まれて可愛がられながら妹は健気に答える。私は優しい笑みを浮かべて妹の質問に答えると、扉の向こう側に控える親族への応対を考えその場を後にした。

 

 極自然に広間を退出した私は、直ぐ様直立不動の姿勢で待ち構えていた人物に対して敬礼した。

 

「バルトバッフェル中将殿、ティルピッツ中将殿、御壮健で何よりで御座います!」

 

 一人はカイゼル髭を生やし背筋を伸ばした初老の紳士であり、今一人は眼鏡を掛けた強面で気難しそうな中年男性であった。共に自由惑星同盟軍の礼服で、胸元に勲章を飾り付ける。

 

 前者の官姓名を自由惑星同盟軍第六地上軍司令官アルフォンス・フォン・バルトバッフェル中将と言い、後者のそれを自由惑星同盟軍統合作戦本部情報部部長ゲルハルト・フォン・ティルピッツ中将と言った。

 

 その肩書きから分かる通り、双方共にたかが同盟軍将官の端っこに過ぎない私と違い軍中枢の大物で、同時に私の同盟軍における後ろ楯であり、亡命政府から同盟軍に送り込まれた代理人であり、何より私の親類に当たる。正確に言えば前者が私の母方の伯父に当たり、同時に次期バルトバッフェル侯爵家当主。後者は父方の再従叔父に当たり、マイドリング=ティルピッツ子爵家の当主であった。

 

「ふむ、ヴォルター君も壮健で何よりだ。それはそうと君は自由戦士勲章を授与されているのだ、先に敬礼はしなくて良いのだよ?年長者を敬うのは良いが軍規は大事なのだからね」

 

 紳士らしく髭を擦りながら甥である私に宮廷帝国語でそう優しく忠告するバルトバッフェル中将。所謂高慢で細身の優美で知識人的な要素を濃縮した伯父は、母の兄妹である事が瞬時に分かる程その言葉遣いも優雅であった。

 

「壮健、というのは少々不適切ではありませんかな、バルトバッフェル侯世子殿?……若様、義手と義眼の方の調子は如何ですかな?今日は重要な日でございます、具合が悪ければ直ぐにでも取り替えた方が宜しいかと」

 

 神経質で細かい再従叔父はバルトバッフェル中将の言葉にそう指摘し、彼なりに私の身体を労る言葉をかける。決して酷薄な人物ではないが、元々感情を表に出さない性分なのと話し方のせいでこの親族は冷たい人物のように思われがちであった。

 

「いえ、問題ありません。無論、体調の方も万全ですよ。流石に御二人も来てもらうとなれば私としても健康には気を使います」

 

 実際、二人共その立場から見てどう考えても暇な訳がないし、亡命政府の、帰還派の大物軍人である。幾ら親族とは言えそんな二人に父の代わりとして来て貰うともなれば、私も当日に寝込んだりしないように健康に最大限気を使う。彼らはそう気楽に休日を取れる訳もないし、取れたとして普通ならば態態休日に頼まれ事を請け負う余裕がある筈もない。その負担を思えば私も誠心誠意の態度を取るのは当然だった。

 

「それよりも母と祖母にはもうお会いになりましたか?二人とも今日の機会を心待ちにしておりましたが」

「妹にならもう会ったよ。ティルピッツ伯のようにとは行かぬが伯父として役割はきちんと果たすようにと念押しされたね。やれやれ、ツェツィはまだ不満があるようだね。あの子らしくはあるが……」

 

 困り顔で苦笑するバルトバッフェル中将。母の兄であるこの伯父は、妹がどれだけ頑固な性格をしているのか良く知っているようだった。

 

「困りましたな。確かに睨みを利かせるのは良いのですが、限度があります。如何に卑しい血が混ざっていようともそれをネタにいびり過ぎられては、それはそれで彼方の家の権威が堕ち切ってしまいますからな。それでは婚姻を結んだ意味がない」

 

 ティルピッツ中将も渋い表情を浮かべる。確かに下賤の血が幾分か混じっているのが不満なのは分かるが、今の宮廷の序列と秩序が乱れる方が余程亡命政府には問題だ。だからこそ婚姻で梃入れしようというのに伯爵夫人は全体の利益よりも身内のみの都合を優先し過ぎて困る……という訳だ。当然、再従叔父も彼方側の血が下賤だという前提条件は一切否定する積もりはないようだった。

 

「前代のケッテラー伯も困ったものですな。気に入った娘なぞ、適当に妾にでもして飼っていれば良かったものを。全く、悪い意味でアムレート殿の影響を受けたからねぇ」

「ローラント殿はアムレート様の後輩でしたからな。ある意味、宮廷から見れば尻拭いなのかも知れませんが……」

「あー、それはそうと御二人方の都合がついて幸いでした。私も統合作戦本部で仕事をしているとちらほらと噂を聞きますので。次の人事異動で異動されるとか?」

 

 私は会話が不穏な方向に向かいそうな事を本能的に察してそう話題を逸らす。幼少期時代からちらほらと噂で前ティルピッツ伯……即ち祖父の代に面倒事があったらしいのは知っているし、祖父と父の兄が纏めて戦死した事に暗殺説等がある事も一応知っている。余り知りたいとも思わないし、それがどう繋がって私の婚約相手選びに関係したかも理解したくなかった。今ちらほら聞こえた内容だけで何故か覚えのない罪が増えそうだった。世の中知らない事の方が幸せな事があるって事が良く分かる。

 

 尤も、私が逸らした話題も決して適切なものとは言い難かったのだがね。

 

「ふん、蛙食い共の姑息な事よ。我々が領地を守るべく奮闘していたというのに奴ら、浅ましくも我々の足を掬いに来ておる……!」

 

 情報部部長は眼鏡をかけ直し、忌々しげに呟く。カイゼル髭の叔父も同じく不愉快そうに顔をしかめる。

 

「ハーゼングレーバー子爵もそろそろ御引退だからね。グッゲンハイム伯は悪くないポストに収まっているが、私は余り期待出来そうにない」

 

 呻くように溜め息を吐く伯父。同盟軍内部における亡命政府の立ち位置は微妙に劣勢だ。

 

 アルレスハイム方面での戦闘に亡命政府が注力している間に、溺れる犬に石を投げるかの如く他の派閥……特に長征派は軍中央で勢力を拡大した。ヴォード元帥が統合作戦本部長に昇進したのはその一環であるし、シトレ大将が近い内に宇宙艦隊副司令長官の役職から副が消えると囁かれるのも幾分かはそれが理由と言える。

 

 特に来年六月には同盟地上軍副総監でもあるハーゼングレーバー子爵が大将昇進と同時に予備役に編入される事が既に内々に決定していた。長年亡命政府出身の貴族将官達の中で中心的役割を果たして来た四人の内の一人であり、最年長の大人物である。これは痛い。更にはバルトバッフェル中将は第六地上軍司令官から水上軍総監に、ティルピッツ中将は統合作戦本部情報部部長から第五方面軍司令官にそれぞれ転任する事が半ば決定していた。

 

「左遷と言った方が適切ですがね。本当に忌々しい。特に私は兎も角、バルトバッフェル侯世子の異動は痛い」

 

 ティルピッツ中将は再度憎らし気に呟く。水上軍総監は地上軍における水上部隊の管理・育成を受け持つ部署であり決して窓際部署ではないが、番号付き地上軍の司令官に比べればやはり見劣りするのが現実だ。第五方面軍に至っては同盟軍の設ける五個方面軍の中で一番辺境というに相応しい宙域を管轄する方面軍である。何せイゼルローン回廊からバーラト星系を挟んで真反対側の宙域である。管轄領域は探索が途上のせいで航路は長大で悪路が多い、人口希薄で低開発な星系政府ばかりと来ていた。都会と言えるのは司令部が置かれるネプティス位のものだろう。

 

 因みにティルピッツ中将の現所属先は統合作戦本部情報部であるが、同盟軍、正確には同盟政府が保有する諜報機関はそれだけではない。寧ろ、諜報機関としての情報部の権限と掌握範囲は比較的狭いものだ。あくまでも統合作戦本部の情報部が把握するのは主に帝国軍との戦闘における情報収集と整理・分析であり、国外に対する軍事的なものに限定されている。

 

 国内部門においては同盟警察公安委員会が、国外の軍事的のみならず政治的な要因まで内包する分野では国防事務総局中央情報本部の方が遥かに権限も予算も、人員も豊富だ。統合作戦本部情報部はその意味では下位に置かれていると言って良い。因みにいつぞやのクレメンツ大公の御息女の回収は国防事務総局中央情報本部からのものであるし、恐らくはバグダッシュ少佐も含められた任務の性質からいってそちらの所属であると考えられた。

 

 その意味ではバルトバッフェル中将の異動よりはマシではあるが……それでも統合作戦本部の部長職から飛ばされるのは十分に左遷であるし、亡命政府から見ても痛い。

 

「来年の遠征でヴォルター君を司令部の参謀に捩じ込めたのは幸いだった。ロボスも存外使えるものだな」

「『薔薇の騎士連隊』も思いの外軍功を挙げておりますしな。雇い入れた食客共も良く戦っている。いやはや、若様の見立てには感服致しますよ」

「うむ、鑑識眼もあるし、人の使い方も随分と上手くなったものだな。伯父としても喜ばしい限りだ」

 

 そこで第五次遠征計画と私の従軍の話題となり、両中将は途端に機嫌を良さそうにする。その表情は心から喜んでいるように思えた。

 

 とは言え、私の立場からすれば余り喜べないんだがね。……特にその言葉の裏側の意味を思えば。

 

(やはりどれだけ昇進しても、功績を上げようと、血統への拘りが優先か)

 

 バルトバッフェル中将の言い様からも分かるが、二人共、ロボス中将を明確に一段下げた存在として認識していた。それはケッテラー伯爵家に対するものと同様に混ざり者に対する蔑視であった。

 

 幾ら遠縁に帝室の血が流れていようとも、所詮妾腹の上に父親は帝国貴族ですらない。無論、同盟国内にも長征派やパルメレント王家等の非帝国系王侯貴族、あるいは地元の名家等有力者は幾らでもいるし、場合によっては帝室も諸侯も婚姻を結んでいる。それでも亡命政府の中ではまるで古代中国の華夷秩序的な侮蔑意識があるのもまた事実だった。それは銀河帝国の推し進めた民族・文化的同化政策や帝王教育の齎した負の側面であり、今でも長征派を始めとした諸派閥が亡命政府を公的であれ潜在的であれ、警戒している一番の理由であった。

 

(原作ではどうだったんだろうな)

 

 この世界が原作と寸分違わぬのか、よく似たパラレルワールドなのかは分からないので完全に比較は出来ない。しかし仮に同じようにロボス中将がその血統から同盟政府と亡命政府双方から潜在的に差別されていて、アルレスハイム星系での戦いで亡命政府が大打撃を受けていたとしたら………それ以降の彼の行動は一体どのような内情からのものであったんだろうか?

 

「………」

「若様?」

 

 思考の海に沈む私を怪訝に思ってか、再従叔父は奇妙そうに私に声を掛ける。私は中将の方を向き、次いで廊下の向こう側から近寄って来る足音に視線を移す。

 

「……どうやら、着いたようですね」

 

 私は、態々そのだらしない図体を揺らし汗をかきながら客人の到来を告げるクレーフェ侯を見つめつつ、二人の親戚に向けて声をかける。

 

 ………さて、腹痛どころか胃潰瘍になりそうな時間の始まりだな?

 

 

 

 

 

 クレーフェ侯の屋敷の一角に設けられた広々とした客間にて、それは主催される事になった。

 

「あー、それでは両家共、今日は私の主催する茶会に参加してくれた事に謝意を表したい。ぶひっ……まぁ、今日は私的な催し、然程格式ばる事はせずに気軽に交流を深めていこうかの?ぶひっ!」

 

 養豚場の豚のように汗臭いクレーフェ侯が間に立ち参列する両家の者達に向けてそう申し出た。同時に侯爵は額の汗を夫人に拭いてもらい、使用人から差し出されたアイスティーをストローで飲み干していった。これを切っ掛けに双方の家が形式がかった挨拶を始めた。

 

「おおっ!これはこれは、随分と手厚い御出迎えですな。クレーフェ侯、それに伯爵家の丁重なご厚意と持て成し、痛み入りますぞ」

 

 皴枯れた声で白髪に白い髭を生やした老人は慇懃に、そして若干卑屈に頭を下げた。元ヴィレンシュタイン子爵家当主であり、今は隠居した身であるルーカス・フォン・ヴィレンシュタインである。

 

「これは大奥様、御無沙汰しておりますわ。御会いするのは御久し振りの事で御座いますね?以前御会いしたのは確か宮廷の……典礼省での事でしたでしょうか?」

 

 そう小鳥のような穏やかな声で祖母に尋ねるのは亜麻色の髪をした貴婦人だった。黒いピルボックス帽に紅色のゆったりとしたドレスを着た未亡人、ヴィレンシュタイン子爵夫人ドロテアは扇子を開いて口元を隠すとにっこりと意味深げに笑った。無論、目は笑っていなかった。続くように数名のケッテラー家分家筋の付き添い人が挨拶をしていく。

 

 帝国軍の侵攻に備え、武門貴族の男子を除く多くの貴族達がハイネセンを始めとする各地の帝国人街に疎開し、そしてヘリヤ星系での勝利で危機こそ脱したが未だに予断を許さないためにその大半が未だに領地に戻る事が叶わなかった。祖母は逆にこの機会を通じて少々拗れ気味なティルピッツ伯爵家とケッテラー伯爵家の親睦を深めるためにクレーフェ侯爵を仲介役として細やかな御茶会を主催させたのだった。

 

 とは言え、父は軍務で参加出来ないし、母は未だに不満を持って兄を連れて来るし、婚約者の祖父は兎も角母親は一物抱えていそうであって、恐らくは今日だけで関係が改善する事は無さそうだった。いや、それくらいは祖母も理解しているだろうが。

 

「あっ………。……ヘルフリート、貴方もご挨拶しましょうね?」

 

 ソファーに小さくちょこんと座る少女……私の婚約者であるグラティア・フォン・ケッテラー伯爵令嬢はまず私の顔を見ると何かを思い出したかのように気まずそうに視線を逸らした。そして、暫く黙り込むと傍らに共に座る少年を思い出したような表情を浮かべ、優しい口調でそう勧める。

 

「………」

「……ヘルフリート?」

「……ヘルフリートです。どうぞ宜しくお願い致します」

 

 少年は、一瞬私の方を若干睨み付けるような眼光で射ぬくと、しかし姉が困惑するようにもう一度名前を呼んだ時には短く、最低限の礼節で持って挨拶をする。

 

 私の婚約者の弟にして、ケッテラー伯爵家の次期当主である事を定められた亜麻色の髪の少年の名前はヘルフリート、ヘルフリート・フォン・ケッテラーと言う。歳は先月一四歳になったばかりである。

 

 故ケッテラー伯爵が第二次イゼルローン要塞攻防戦にて戦死する直前に作った……より正確に言えば戦死した時に夫人の腹の中にいた一人息子である。銀河帝国亡命政府軍幼年学校にも通っているらしく、成績はかなり上の方であると聞いていた。

 

「………」

 

 直ぐにあからさまな敵意を隠したのは歳と私の姉に行ってきた所業の数々を思えば寧ろ良く出来たと評価出来るだろう。少なくとも私はそう思った。しかしながら他者へのマウント取りと粗捜しを当然の義務とすら考える生粋の門閥貴族な身内達はそんな甘い評価はしてくれない。

 

「随分と良く躾が行き届いておりますな、子爵夫人殿?」

 

 バルトバッフェル中将の言葉はその内容とは裏腹に相手を嘲るような口調で放たれていた。子爵夫人は扇子で顔の下半分を隠したままにこりと微笑む。

 

「お褒めの御言葉有り難く頂きますわ。……伯世子殿こそそのお歳で随分と良く教育されているようで、私のような身では到底これほどの指導は出来ませんので羨ましい限りですわ」

 

 売り言葉に買い言葉であった。私がフェザーン旅行に行く直前の所業を念頭に入れたものである事は明白だった。

 

「ちっ、忌々しい淫売の雌猫共が……」

 

 舌打ちと共に放たれた言葉を聞き取れたのは私だけであり、同時に耳を疑った。傍らの椅子に座る母が慈愛の笑みを浮かべつつ扇子の影で呟いた言葉とは到底思えなかった。表情と口にした内容の落差が余りに激しすぎた。

 

 クレーフェ侯と夫人を間に挟んで出席者達は険悪な空気を纏いつつ社交辞令的な微笑みを浮かべ続ける。間の侯爵はその空気に唯でさえ多い汗を更に流し、使用人達は状況から逃避するように自らの気配を限界まで薄めていた。侯爵夫人だけがニコニコと状況を理解しているのかしていないのか怪しい笑顔で紅茶を注文していた。

 

 ……そんな余りにも重苦しい場の空気を、しかし最初に破ったのは放蕩者な私の従妹であった。

 

「ティアちゃん、おひさー!ねぇねぇ元気してた?そのドレスやっば!ちょー可愛いじゃん!写メ撮っていい?」

「シルヴィアっ!何しているのですかっ!!?」

 

 奥の方のソファーに居座っていた従妹は大人勢の険悪な空気なぞ何処吹く風とばかりにはしゃぎながら婚約者の下に駆け寄る。共にソファーで妹をあやしていたディアナは同い年の親戚の暴挙に悲鳴を上げていた。

 

「ごほん。……シルヴィア、楽しむのは結構ですがここはクレーフェ侯の御屋敷です。礼節を持って騒がないようにしなさい。分かりますね?」

 

 何事か言おうとした両家の大人勢を、しかし祖母は咳一つで黙らせた後、賑やかな笑みを浮かべてそう注意した。

 

「ちぃーす。婆ちゃん、ティアちゃんあっちに連れていって良い?」

「宜しいですとも。そうねぇ、ヴォルター?そちらの弟さんを連れて貴方も彼方にお行きなさい。妻を傍で見守るのも夫として大切な事ですよ?」

 

 顔を赤くして何か口にしようとした母を、一瞥して沈黙させた祖母は私にも場を離れるように言った。

 

「ほほほ、それは宜しいですな。いや、どうせでしたら親睦を深めるためにもいっそ御二人で別室でいても……」

「そうそう、侯爵夫人。貴女も宜しければどうでしょうか?友人のツェツィと御話ししたい事は沢山御座いますでしょうけれど……失礼ながら今は侯爵閣下を交えた仕事のお話をしたい所でしてね。御迷惑でしょうけれどその間孫達の面倒を見てやって頂けませんか?」

 

 前子爵家当主ルーカスの提案を切り捨てるように祖母はクレーフェ侯爵夫人にそう申し出る。次いでちらりと婚約者の祖父を見やる祖母の目は完全に冷たく、相手を蔑んでいた。尤も、卑屈気味に笑う老貴族にどこまで効果があるかは不明であったが。

 

「はい、構いませんよ?ツェツィちゃん、じゃあ私は子供達と一緒に彼方の方に行かせてもらいますね?」

「……えぇ、侯爵夫人、宜しくお願いしますわ」

 

 ほわほわとした口調でクレーフェ侯爵夫人は祖母の申し出を受け入れた。母は若干不満気にするが、最終的には苦虫を噛んだ表情で女学院時代の友人に懇願をする。

 

「それじゃあシルヴィアさんにヴォルター君、グラティアちゃん、後は……ヘルフリート君ね?おばさんと一緒に行きましょうか?あ、そうそう……」

 

 到底おばさん、と言えない見かけの夫人がそう催促の言葉を口にし、そして思い出したかのように夫人はグラティア嬢の右手を掴むと次いで当然のような自然な所作で私の左手も掴む。そして、まるでそれが当たり前とでもいうように私の手の上に婚約者の手を重ねる。私とグラティア嬢は同時に身体を震わせて互いを、次いで侯爵夫人を見据える。少なくとも私が夫人の方を向く瞳には困惑と非難と若干の怒りの感情が含まれていた。無論、そんなもの侯爵夫人には大して効果は無かった。

 

「うふふ、お似合いですよ?近い内に夫婦になるのですから、二人共照れたりせずに今の内に慣れましょうね?……ではシルヴィアさんとヘルフリート君はおばさんと手を繋ぎましょうか?」

「えー、私ティアちゃんが良いのにー!」

「こらこら、駄目ですよ。我儘を言われては……」

 

 不満気にする従妹を宥める侯爵夫人。そして同時に彼女の左手は余りにも自然な手つきで婚約者の弟と手を結んでいた。

 

 当の弟はその事に不本意そうで、次いで私の視線に気付くとすぐに恥ずかしそうに視線を逸らされた。弟にとっても侯爵夫人の行動は不本意なのであろうが……今目の前でヘルフリート少年を即時に降伏させ、次いで奔放なシルヴィアまで宥めすかして誘導していく侯爵夫人の姿は何処か幼稚園の園長のように思えた。

 

「えっと……」

「フロイライン、行きましょうか。妹も待っておりますし」

 

 困惑する伯爵令嬢に対して、取り敢えず私は恭しく申し出る。ここは私がエスコートするのがエチケットであったし、何よりも周囲の年長勢の注目の視線からさっさと避難したかった。

 

「……はい、そう致しましょう」

 

 婚約者も私の思惑に気付いたのか賛同の声を口にする。特に私の母の剣呑な視線が恐ろしいようで肩を震わせていた。うん、凄い分かる。

 

 そそくさに退避する私達。と、背後から声がかけられた。

 

「伯世子様」

「……何でしょうか?子爵夫人?」

 

 追撃するように私を呼ぶヴィレンシュタイン子爵夫人に私はよそよそしく答える。母や伯父殿がまだ何か文句があるのか?とばかりに子爵夫人を睨む。

 

 子爵夫人はふふふ、と怪しげな含み笑いを浮かべ母達を一瞥すると、私の方に視線を戻して思い出したかのように語りかける。

 

「風の便りですが近々……そう遠くない内に出征があると御聞きしましたが本当かしら?」

「……軍機に属する内容ですので詳しくは御伝えは出来ませんが、事実です」

 

 僅かに左手の上に震える感触を感じた。僅かに視線を動かし、しかし私は直ぐに子爵夫人に注意を向ける。子爵夫人は口元を扇子で覆い隠してにこり、と微笑み返す。

 

「少し早いですが、同じ武門貴族の家として此度も伯世子様の武運長久を御祈りさせて頂きますわ。どうぞ、御無事に、そして先祖に恥じぬ武功を立てられます事を」

「……恐縮で御座います」

 

 何処か意味深げに、そして若干威圧感のある声でそう口にする子爵夫人に対して、私は短くそう返すと逃げるように踵を返した。

 

 左手に感じる震えは、結局手を離すその瞬間まで止まる事は無かった。

 

 

 

 

 

「あー、漸く来た!従兄、ティアちゃん返して!」

「少なくとも彼女はお前のものじゃないだろ。ていうかもう取ってるし……」

 

 私がグラティア嬢と共に妹達の待つソファーの場所に来たと同時に、従妹は既に強奪するように人の婚約者を引っ張って抱き寄せていた。

 

「シルヴィア義姉様!?御戯れはお止し下さいませ……!!?」

「ふふふ~!良いではないか!良いではないか!」

 

 背中から抱きしめられて頬擦りされる婚約者は従妹の手の内で細やかな抵抗を試みるが、残念ながら従妹の前では無意味なようであった。

 

「はぁ、何てみっともない事を……」

「シルヴィアおねえさま、グラティアさまいじめてるの?」

 

 従姉妹の行為に眩暈がするように疲れた表情を浮かべるユトレヒト子爵令嬢。妹は二人の行為を見て、心配そうな表情を浮かべる。うん、やっぱり我が家の妹は天使だわ。

 

 ディアナ達を対面、クレーフェ侯爵夫人と半ば強制的に一緒に座らされた義弟(予定)が左側のソファーにいる位置に設けられた長椅子(ベルベット生地に腕掛け付き)に私は座ると若干怒気を含めて従妹を注意する。

 

「シルヴィア、遊ぶのもそこまでにしなさい。フロイラインはお前の玩具じゃないぞ」

「従兄、その言い方まるで私がお嬢様(フロイライン)じゃないみたいなんですけど?」

「お前さんはお転婆娘(ヴィントファング)……いや、精々じゃじゃ馬娘(ヴィーダーシュペンスティゲ)だろうが。お嬢様(フロイライン)と呼ばれるのは百年早いな」

「うわ!辛辣っ!!」

 

 渋々とグラティア嬢を手放した従妹は口を尖らせて私に文句を垂れるとすぐ傍のソファーに座り込み、置かれていたソファークッションを抱き枕のように、あるいは婚約者の代替品のように抱きかかえ、べーっ!と舌を出す。二〇過ぎの大人が実に呆れた行動であった。

 

「はぁはぁ……え、えっと私は……」

「グラティアさんはヴォルター君のお隣が空いているから其方に座ったらどうかしら?さぁさぁヴォルター君、グラティアちゃんが座れるように寄せて頂戴ね?」

 

 ほんわかした表情で提案するのはクレーフェ侯爵夫人であった。グラティア嬢は一瞬迷うが、周囲を見渡して空いている席が他にないのを確認すると私の方を見やる。私が位置をずらして婚約者の座れる空間を作ると申し訳なさそうに頭を下げながら彼女は横にちょこんと着席した。

 

「さぁさぁ皆さん、お昼になって小腹も空いているでしょう?折角だから食べながら御話しましょうね?」

 

 ホスト役のクレーフェ侯爵夫人がそう言えば控えていた使用人達が恭しく手前のテーブルに菓子類を中心に料理の盛られた皿を置いていく。別の使用人達は飲み物の方を入れていた。

 

「はぁ、おばさま!もう食べていい?」

「えぇ、勿論ですよ。たぁーんと食べて下さいね?」

 

 子供であるが故にすぐに空腹になるナーシャは、出された料理に目を輝かせ、クレーフェ侯爵夫人に許可を貰えばすぐに手を伸ばし始める。蜂蜜とバターとクリームたっぷりのスコーンを女中から貰い受けると心から嬉しそうな表情を浮かべ、小さな口でぱっくりと齧りつく。傍らのディアナはナプキンでそんなナーシャの口元や手の汚れを拭きながら世話をし始める。困り顔ではあったが少なくともシルヴィアの世話をするよりは楽しそうではあった。

 

「私もお腹減ってたんだよねぇ。あ、私はアイスミルクティーでお願いね?」

 

 使用人に飲み物を注文した後、キャラメルコーティングしたアーモンドスライスをまぶしたフロレンティーナを口に放り込む従妹。心底美味しそうな笑みを浮かべ、使用人からミルクティーを受け取るとその性格からは想像出来ない優美な所作で口に含み始めた。

 

「ヘルフリート君も沢山食べて下さいね?男の子は成長期ですからね、御代わりも用意してますよ?」

 

 傍らに座る少年に慈愛の笑みを浮かべてそう勧めるクレーフェ侯爵夫人。その声に一瞬身を竦ませ、次いで内容に困惑し、縋るようにヘルフリートは姉を見た。同時に私とも視線が合い、顔を僅かに歪ませる。

 

「……折角の侯爵夫人のご厚意です。失礼のないように楽しみましょうね?」

 

 少しだけ逡巡した後、グラティア嬢は弟に諭すようにそう微笑んだ。ヘルフリートはその言葉に小さく頷いた後、遠慮がちにテーブルの上の料理に手を伸ばす。サンドイッチを一切れ掴むと周囲を上目遣いで見渡してからハムスターのように一口食べ、二口食べ……と食事を始める。

 

「……フロイラインは何を御飲みになりますか?」

 

 弟の大人しく食事をする姿を暫し見つめてから、私は婚約者にそう尋ねた。グラティア嬢はびくり、と身体を一瞬震わせる。そして伺うように私の方向を向いて顔を見上げた。

 

「……そうですね。旦那様は何を御飲みになるのでしょう?」

 

 短く、しかし酷く悩んだ末に、緊張気味の顔を無理矢理笑わせたような表情を浮かべる婚約者。私はその表情の裏側に複雑に絡み合った感情が隠されている事を直感的に理解していた。

 

「そうですね。この時期のハイネセンはまだまだ暑いですから、冷たいレモンティーを頂きましょうか?同じもので宜しいですか?」

「はい、宜しくお願い致します」

 

 私は彼女の意思を尊重して敢えて同じもので良いかと確認だけをした。使用人が恭しくグラスに紅茶を注ぎ、砂糖とレモン汁を加えて、差し出した。

 

「……そういや従兄ってさ。次いつ仕事の休暇取れんの?」

 

 私とグラティア嬢の会話を詰まらなそうに見ていた従妹がぶっきらぼうに私に尋ねる。それはどこか私を非難する言い方のように思えた。いや、事実非難しているのだろう。

 

「いつって言ってもな……。余り部外者に口外出来ないからはっきりとは言えないけど、来年の五月一杯位までは忙しくなる事はあってもその逆は無いんじゃないかな?」

「何それ、最悪じゃん。気が利かなすぎない?」

 

 私の返答に心底失望したかのように吐き捨てる従妹。その理由については大体予想はついていた。シルヴィアは婚約者の事を良く可愛がっているし、私と婚約者の関係が微妙なのも良く理解していたのだから。

 

「おにいさま、またおしごといっちゃうの?」

 

 スコーンを食べていた妹が会話を聞いて寂しそうな表情を浮かべる。妹もハイネセンに来て随分慣れて来た所であるし、母は無論、祖母や他の親戚、使用人や友人がいるために我慢出来ているが、父とはかなり長く会っていなかった。その分幾分打ち解けた兄である私がいる時は甘えてくれるのだが……逆に私がいなくなる事に不安を抱いているようだつた。

 

「家に帰らない位忙しくなるのはもっと後だからね。今はまだまだ大丈夫だよ」

 

 私はそんな妹を宥め、安心させるようにそう答えるのだが……。

 

「こんどのおしごとはけがしない?」

「……ああ、大丈夫だよ。多分」

 

 心底心配そうに尋ねる妹の言葉に私は若干表情を引き攣らせながら答える。おう、帰って来る度に腕なくなったり、目玉潰れている兄貴なんて軽くホラーだもんね、仕方ないね!

 

「ほんと?」

「本当だとも。嘘だと思うのなら指切りしようか?」

「うん、する!」

 

 ディアナが口元を拭いているのも忘れてぱっと立ち上がり、テーブルを迂回しててくてくと私の下にナーシャがやって来る。そして小さな小指を差し出して来た。

 

「ゆーびきーりげんまんうそついたらはりせんぼんのーます!ゆびきった!」

 

 小指を交えながら御機嫌そうに指切りの掛け声を口にするナーシャ。うん、可愛い。指切りの掛け声の内容は物騒だけど。これ絶対意味理解していないよなぁ……。

 

「ねぇねぇ、グラティアさまもしんぱいならゆびきりする?」

「えっ……?」

 

 私と指切りして満足そうな笑みを浮かべた妹が隣に座るグラティア嬢を見て尋ねる。不意打ちだったのだろう、グラティア嬢は驚いたように小さく声を上げる。

 

「い、いえ。私は……以前も思いましたが旦那様はアナスターシアさんととても仲が宜しいのですね?」

 

 少し動揺して、次いで話題を逸らすようにグラティア嬢はそう尋ねた。

 

「うん、おにいさまとね、ナーシャはね、とってもなかがいいの!」

 

 にこにこと笑いながら私の足に抱き着いて答える妹。糞、天使かよ。……いや、少し前まで寧ろ怖がられていたんですけどね?子供は昔の事なんてすぐに忘れるからなぁ。

 

「……グラティア嬢こそ、弟さんとは大変仲良さそうですね?」

 

 話題に出されたヘルフリートが侯爵夫人から勧められたパイを食べるのを止めて、此方を若干警戒気味に見ているのが分かった。

 

「そう……見えますか?」

「ええ、弟さんの事を良く見ていましたから」

「その……弟は少しやんちゃな所があるので……」

「男の子はそんなものですよ。私も人の事は言えません」

 

 恥ずかしそうに答えるグラティア嬢に対して私は擁護するように答える。そして視線を侯爵夫人の傍らに座る少年に移す。

「確かヘルフリート君は、幼年学校に通っているのだったかな?」

「はい、幼年学校四年生であります」

 

 私の質問に軍人的かつ義務的な形で答えるヘルフリート。

 

「別にここは学校でなければ基地でもない。もっと柔らかい言い方で良いよ?」

「いえ、ティルピッツ准将も軍人でありますし、軍服を着ていない時でも規律は守るべきかと」

「そ、そうか………」

 

 私の進言は義務的に却下された。うん、内容は間違ってはいないけどさぁ………いや、まぁ立場的にも階級的にも格上なマウント取り野郎相手に気楽に話そうなんて言われて信用する奴なんているわけないだろうけどね?

 

 明らかにヘルフリートは此方に対して形式を盾に壁を作っていた。いや、警戒しているのかな?まぁ、それはそれで構わないのだが。

 

「話は聞いているよ。かなり成績優秀な生徒だとか。羨ましい限りだよ。私は中々微妙な成績だったからね」

 

 私は自分の幼年学校時代を思い出しながらそう口にする。アレクセイやホーランドは当然としてベアトにも普通に負けていた。全体としては辛うじて上の下に食い付けた、といった所かな?

 

「御謙遜でしょうか?」

「事実だよ。幼年学校を卒業した後の進路は決めているのかな?」

 

 若干、本当に若干棘のあるヘルフリートの返答に苦笑しつつ、私は尋ねる。幼年学校を卒業した後はそのまま准尉として任官するか、同盟軍ないし亡命政府軍の士官学校に入学するか、珍しいが全く別の方向の学校に進学すると言う手もある。

 

「同盟軍士官学校に進学するのを目標としています」

 

 義理の弟になる予定の少年が口にした答えは若干意外だった。私としては亡命政府軍士官学校に進学する可能性が一番ありそうだと思っていたからだ。

 

「そうか。同盟軍の士官学校は入学するのは難しいし、その後も厳しいぞ?覚悟しなさい」

「従兄が言っても説得力なくない?」

「おいシルヴィア、横から茶々入れるな」

 

 私でも入学出来て卒業出来た、と言われると急に同盟軍士官学校の格式が落ちる気がしないわけでもない。いやいや私だって結構真面目に、死ぬ気で食らいついていたんだぞ?

 

「あー、まぁ人の目標に口を挟む資格なぞないからあれこれ言う訳には行かないが……。彼方の士官学校は同胞以外も多いからな。勝手や常識が多少変わっているから注意しなさい。ちょっとした擦れ違いが大事になって退学なんて事になったら笑えないからな」

 

 どの口が言っているんだか、等とシルヴィアのいる方向から小さな小言が聞こえたのは無視しておく。ブーメランなのは分かっているが、だからと言って言わない訳にも行かないだろう?

 

「……御忠告、感謝致します」

 

 本当に僅かに不快そうに表情を動かして、しかし直ぐにそれを打ち消したしおらしい態度でヘルフリートは謝意を述べる。これは警戒されているかな……?

 

「ふふふ、士官学校に入学するのならまたヘルフリート君にはお会い出来ますわね?ヴォルター君もそうでしたけど受験の時も、それに学校が休日の時も、屋敷はいつでも自由に使ってくれて構いませんからね?」

 

 クレーフェ侯爵夫人は賑やかにそうヘルフリートに声をかける。クレーフェ侯爵はハイネセンにおける亡命政府最大の支援者の一人であり、アルレスハイム星系や他の帝国人街から士官学校等に入学しようとする生徒を毎年のように援助してきた。私の時も受験生達に屋敷の部屋を貸し与え生活の面倒を見ていたし、合格して学生寮での生活になった後も休日や夏季や冬季休暇の時に利用させてもらった覚えがある。恐らくはヘルフリートも士官学校を目指すのならクレーフェ侯爵家の世話を受ける事になるだろう。

 

「は、はい……」

 

 子供のような笑顔を向ける侯爵夫人から視線を逸らして、婚約者の弟は小さく答える。どうやら彼には侯爵夫人に何処か苦手意識があるらしかった。

 

「ヘルフリート……」

 

 一方、婚約者は弟の進路を聞いて心配そうな表情を浮かべる。そこには単に弟が家を離れる事、あるいは軍人になる事を心配する以上の何かがあるようにも感じられた。

 

「御姉様、心配する御気持ちは分かります。ですが私も伯爵家を継ぐ身です。御姉様に恥をかかせない……いえ、御支え出来るような存在になりたいと考えております。ですから、どうか御許し下さい」

 

 姉の憂うような表情を見て罪悪感を感じているらしいヘルフリートは、しかしそう言い切る。文面だけを読み取れば姉思いの善き弟にも思えるだろう。だが、ケッテラー伯爵家の立場やこれまでの騒動を考えて、穿つように読み取ればまた微妙に違った意味合いも感じ取れるかも知れない。

 

(姉を守るための栄達か、いやはやこりゃあ私は悪役だね)

「ひよっとしなくとも従兄って元から悪役じゃん?」

「おい止めろ。人の心を読むな」

 

 耳元でぼつりと囁く従妹に対して苦々しげに私は突っ込みを入れる。事実だとしても身内としてそこは否定するべきだろうが。

 

「グラティア嬢も私に対して含む所があるようだし、お前から何とか取り成し出来ないか?」

「はぁ?人の取り成しを悉くふいにした従兄が言えんのそれ?自分の尻は自分で拭いてくれない?」

 

 小さく私は依頼したが速攻で却下された。うん、理由が理由だから文句言えねぇ。

 

「と言ってもな……」

 

 実力不足とは言え、私もイゼルローン要塞攻略作戦の参謀要員なのだ。そんな今日みたいに休暇を取れる暇なんかそうそうない。とは言え、遠征が終わったら直ぐにでも式が控えている訳で……結構キツいな、これ。

 

「おにいさま?」

「……ナーシャ、ディアナの方に戻ろうか?寂しがっているからね」

 

 私の考え込む顔を見て首を傾げる天使にそう告げる。私の言い付けに元気に頷き又従妹の所に戻る妹を見ていると後方……離れた場所で親御陣営のみで茶会をするテーブルから笑い声が響いていた。それは楽しさから来ると言うよりも形式的な、あるいは互いに相手を嘲るような不穏な印象を受けた。

 

 私は視線を隣に移す。恐縮するように、そして怯えるように小さく縮こまりながら座る少女の姿がそこにあった。私と視線を交えると此方の機嫌を窺うような微笑みを浮かべる。

 

「グラティア嬢。その……この前の事についてですが………」

「そちらの話については伺っております。私の勘違いで随分と御迷惑をおかけ致しました。申し訳御座いません」

 

 私が弁明する前に謝罪の言葉を口にする婚約者。しかし、それが必ずしも心からのものだと思える程私も楽観的ではなかった。

 

(とは言え、何を言えばいいのだか)

 

 良く良く考えれば彼女にとってこの場で謝罪なり何なりされるのも不本意だろう。従妹達は彼女に友好的とは言え、結局はティルピッツ伯爵家一門だ。クレーフェ侯爵夫人は母の友人である。私がこの場で謝罪しても、アウェーである以上受け入れないという選択肢はない。私が何を言っても形式的なものに過ぎない。

 

(シルヴィアの言う通り休暇でも作ってイーブンな場所で謝罪するのが良いのだろうが……)

 

 母は無論、祖母も流石にそこまでサービスする積もりはないだろう。仲が険悪なのは良くないが、力関係が微妙に此方が優位なのは寧ろ望む所な人だ。警戒もあるのだろう。

 

 何よりも物理的に私に時間があるかと言えば………。

 

 助けを求めるように私は視線を移動させる。最初に映りこむのは此方を非難するような目付きの従妹、次いで触らぬ神に祟りなしとばかりに妹に付き合い視線を逸らす又従妹、そして良く分からずに、しかし何か違和感を感じてきょろきょろと周囲を見渡す妹がそこにいた。

 

 更に視線を移せば微笑みつつも困り顔の侯爵夫人がいて、その傍らには悔しげに俯き此方を窺うケッテラー伯爵家の次期当主の姿。あぁ、うん。ここで誰かに頼れるなんて考えていた私が甘ちゃんだよね?正直今すぐこの部屋から逃亡してベアトにでも膝枕して慰めて欲しい。……そんな事したら本当に畜生だけど。

 

(全く、カプチェランカの空振りといい、この前の食事の時といい、中々上手くいかないものだな)

 

 私の脳裏に過るのは会議の後に校長殿とした食事の際の会話であった。言うべき事は言ったが……提案を口にする事は出来る。だが、問題はそれが実際に起こりうる可能性と、それに対してどこまで対策出来るかだった。

 

 無論、シトレ大将も無策ではないのだが……分かってはいるが提案のみでどうにかなるものではないのが辛いものだな。

 

「旦那様……?」

「……すみません、少し考え事をしてまして」

 

 私が険しい表情で考え事をしている事に気付いたのだろう。婚約者が恐る恐ると呼び掛け、私はそこで我に返り、誤魔化しの笑みを浮かべた。答えるように目の前の少女は優しく、微笑み返し労りの言葉をかける。

 

 それは此方の望んでいた態度だった。従順で、しおらしく、そして都合の良い女の態度………それが彼女の本音でない事位は私でも分かる。同時にこんな状況でも私が目の前の傷つけられまくっている少女よりも、仕事の事で悩んでいる事実に軽い自己嫌悪も感じていた。というか、私が婚約者の事以外を考えていたのを察したのだろう、従妹は明確に不機嫌そうに此方を見ていた。私は視線で従妹に謝罪するが見事に顔を背けられた。まぁ、残当だわな。

 

(……本当、碌でもねぇな)

 

 私はこれからの事を思い嘆息しつつ、内心で小さくそう呟いた。半分程自業自得ではあるが、縒りを戻すのは一筋縄ではいかなそうだった。

 

 

 

 

 ……シャンダルーア星系にて帝国軍早期警戒網への破壊工作に従事していた第一〇六独立戦隊が、取り逃がした哨戒部隊からの通報で駆けつけたシュムーデ少将率いる帝国軍一個悌団の前に戦わずに撤退したのはこの翌日の事である。

 




糞どうでも良い裏設定

幼少期に好感度をMAXまで高めるとヒロインをシルヴィアにするルート解放可能。
尚そのルートでグラティアと婚約したら本作ルートとは真逆にシルヴィアが学校で生徒や教師まで抱き込んで陰湿な虐めを開始します。トイレでバケツの水ぶっかけたり、ロッカーや鞄に画鋲とかゴキブリを入れたりしてきます。人気のない階段で後ろから突き落としとかもしてきます。多分足を挫いて怯えてながら見上げる婚約者を猫なで声でクスクス嗤います。因みにユトレヒトの方の好感度をMAXにしても似たような事になります。

主人公の所業含めてやっぱりティルピッツ家一門は帝国貴族の卑の意志を継いでますわ


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第百六十九話 人の性質というものは中々変わらない

今更気付いたけど目次PV200万、通算PV600万越えとるやんけ!
これは御礼にお気に入り一つ当たり感謝の正拳一万回しなきゃ!!(使命感)


「並行追撃中に帝国軍が味方ごと『雷神の槌』で撃つ可能性の検討、ですか?」

 

 統合作戦本部ビル二六階、窓際に設けられた士官サロンの一席で、珈琲入りの紙コップを手にしたダスティ・アッテンボロー中尉は先輩でもある上官が口にした言葉を反復する。

 

「うん。先日ね、シトレ大将とレ中将から分析した報告書の提出を命じられてね。元々の仕事の上に追加だから、手が回らなくて大変だよ」

 

 対面に座るぼんやりとした顔立ちの少佐は手元の紙コップ入り紅茶の表面を何となしに見つめつつ仕事の大変さを溢す。その何処か危機感の薄い態度にアッテンボロー中尉は僅かに脱力したように顔を歪め、しかし直ぐに先輩らしいと思い至り肩をすくませる。

 

「作戦の前提条件が覆るような要件を今更分析しろってのも可笑しな話ですが……それで、先輩の見立てではどうなんです?」

 

 湯気の立つ珈琲をふぅ、と冷ました後に一口啜り、鉄灰色の髪をした反骨精神の権化は尋ねる。

 

「うーん、五分五分といった所なのかなぁ?」

 

 歯切れが悪そうに、自分自身でも断定出来ないとった表情で少佐は語る。

 

「帝国軍は元々装備の運用概念は兎も角、用兵思想的には人命に対して頓着しない組織なんだ」

 

 アマチュア歴史学者を自称する同盟宇宙軍少佐は語る。帝国軍の艦艇や車両は最新鋭テクノロジーよりも、寧ろ機械的安全性と整備性を重視した枯れた技術を中心に活用されるものが多い。

 

 また同時に帝国軍の装備は防御力や生存性を重視している事でも知られる。同盟のそれよりも強固な装甲、エネルギー中和磁場、ステルス性能、脱出装置……帝国軍の人命軽視の象徴とされる盾艦や単座式戦闘艇ワルキューレにしても、前者はそもそも性能の全てが防御に割り振られている上に前線に出る事はまず有り得ないし、後者は装甲が薄く撃墜時や遭難時の生命維持機能も同盟軍のスパルタニアンより粗悪だがそもそもワルキューレの運用思想は艦隊防空・敵戦闘艇迎撃戦闘を前提にしており艦隊から離れて運用する事を想定していないので大した欠点ではない。

 

 寧ろ、機動力や展開能力を重視するが故に同盟軍宇宙艦艇は防御力が低く、スパルタニアン等の単座式戦闘艇は制宙戦闘に哨戒、対艦戦闘等多彩な任務を一機で対応するマルチロールファイターを目指したが故に操縦士に時として無茶を要求する代物になっている。地上軍の装備の充実性は質量共に明確に帝国軍に対して劣位にあるのは同盟軍の常識だ。緊急時の故障率も最新テクノロジーを重視するが故に帝国軍に比べて高い。

 

 だが、それらの兵器の思想とは打って変わり、帝国軍の用兵思想は兵士の生命を軽視している。捕虜となる事を恥とし、どのような劣勢であろうとも最期の一兵となるまで徹底抗戦を要求するのが帝国軍兵士指導の基本要領である。今でこそこれらの軍規や要領は平民出身の軍人が増えている事もあって実質的に有名無実化しているが、特に第二次ティアマト会戦以前の帝国軍との戦闘は勝利した後も残敵掃討で同盟軍を陰鬱にさせたものであった。

 

「精神主義で体罰は当然、内部における階級対立も深刻だ。特に帝国軍の高級士官の大多数を占める門閥貴族にとって下級貴族や平民、農奴が消耗品に過ぎないのは過去の記録が証明している」

「では味方ごとでも撃つと?」

「それがまた難しい。帝国軍は確かに兵士の生命を軽視しているし、一昔前ならば高級士官の大半は武門貴族が独占していた。その前提に立てば、勝つために味方を撃つ事に躊躇いはなかっただろうね」

 

 そう、一昔前の帝国軍であれば。

 

「第二次ティアマト会戦の結果、帝国軍における主だった武門貴族は壊滅している。頭数こそ揃えているが、今尚その損失は甚大なんだ」

 

 銀河帝国の階級社会の頂点に君臨する門閥貴族は凡そ四三〇〇家あるとされる。そのうち三分の一が官僚等を輩出する文官貴族であり、残る三分の一が地元に根付いた地方貴族であり、最後の三分の一が帝国軍正規軍に勤める高級士官を輩出する所謂武門貴族と言われる存在だ。

 

 第二次ティアマト会戦は帝国貴族社会における武門貴族の勢力に致命的な打撃を与えた。門閥貴族の総数は最大限に見積もっても一〇万人、これは女子供に老人まで含めた数だ。単純に武門貴族だけだとこの三分の一、更に女子供と老人を除けば更に半分以下となる。

 

 第二次ティアマト会戦や付随する地上戦、戦闘後の追撃戦で戦死した武門貴族は数千人に及ぶ。その後の同盟軍との激戦、特にイゼルローン要塞建設に向けた戦いで更に武門貴族は消耗したし、リヒャルト大公とクレメンツ大公の権力抗争によって残り少ない力ある武門貴族はその殆んどが処断された。

 

「今の宮廷において、武門貴族の発言力は限りなく失墜していると言って良い位なんだよ。どうにか発言力があるのはリッテンハイム侯爵家やエーレンベルグ伯爵家等数える程度しかない。その穴埋めは主に平民……特に平民階級の中でも最上位にある富裕市民層、それに新興の下級貴族や士族、そして武門以外の門閥貴族達で行われた」

 

 より正確に言えば、帝国軍は第二次ティアマト会戦以降、同盟軍の猛攻に対して質を捨て、物量で対抗した。艦艇を始めとした装備こそ第二次ティアマト会戦の損失を機に最新型に更新されたが、それを操るのは大幅に条件を緩めて新規徴用した兵士であり、艦長や部隊長は促成した平民士官に乱造した下級貴族や士族階級である。これまで門閥貴族階級出身者が就任していた提督や将軍職を勤める者すらかつてない規模で現れた。

 

 激減した武門貴族の生き残りは一部を除き後方勤務に回された。只でさえ一族や家臣の多くを失ったのだ。生き残った彼らまで失われれば大量の諸侯一族が断絶する事になる。それは帝国貴族社会の崩壊を意味した。それ故に七提督を始めとした極一部以外は大切に温存され、あまつさえ一族の大半が戦死してしまったため、御家断絶を防ぐ目的で軍役を拒否してしまう家まで公然と現れた。そして時の皇帝コルネリアス二世不運帝はそれを咎める事も出来なかった。

 

「武門貴族の激減が平民階級の台頭をもたらしたのは知っての通りだが、もう二つ台頭した勢力がある。それが文官貴族と地方貴族だ」

 

 武門貴族の絶対数の不足、また質を量で補うための艦隊や野戦軍等の編成規模の拡大……富裕市民や下級貴族、士族階級が空いた、あるいは新設されたポストに次々と捩じ込まれた一方で、文官貴族や地方貴族もまた同じようにそれらのポストに就く事となった。

 

「無論、文官貴族や地方貴族は軍事の専門家じゃない。中には地元では私兵軍の群や連隊の指揮経験しかないような田舎男爵が分艦隊や軍団の司令官になった例もある。当然、実戦での指揮ぶりは散々なものだったそうだよ」

「そこまでして、何で態態貴族の坊っちゃん方を指揮官にしたんです?当時の帝国軍が人材不足とは言えそれくらいは予測はつくでしょうに。それこそそんな素人を使う位なら曲がりなりにも実力ある平民提督に指揮させるべきでしょう?当時の帝国軍にそんな道楽をする余裕はない筈ですよね?」

 

 余裕が無い癖に非効率な運用をした当時の帝国軍の行動にアッテンボロー中尉は顔をしかめる。対面の少佐はその姿に僅かに苦笑いを浮かべ、紅茶を一口口に含んでから話を続ける。

 

「今でこそ帝国軍でも門閥貴族階級以外の将官は珍しくないけれど、当時の宮廷にとってはかなり覚悟のいる選択だったのさ。時の皇帝コルネリアス二世の二つ名は『不運帝』、その名の通りこの時代の帝国と皇帝の威信は度重なる不運で大きく揺らいでいたんだからね」

 

 コルネリアス二世は本人の実力こそ決して劣悪ではなかったが、その度を過ぎた不運のせいで醜聞と悪評にまみれた皇帝として知られている。即位の前にはアルベルト大公の失踪に前皇帝ヴィルヘルム二世の皇后コンスタンツェと寵妃ドロテーアの対立(そして暗殺)、即位後にはいきなりヴィレンシュタイン公が、次いで権門四七家に名を連ねるグリンデルヴァルト侯まで反旗を翻しその鎮圧に相当な労力を消費した。

 

 内政の不満を外征で誤魔化すのは権力者の常套手段であるが……残念ながら時代は七三〇年マフィアの最盛期、帝国軍は同盟軍相手に連戦連敗と来ていた。不運帝の晩年に至っては彼の有名な『偽アルベルト大公事件』があり、それが遠因となり名君として期待されていたオトフリート四世餓死帝は人間不信となり僅か一年で衰弱死すると言う有り様だ。それ以外にも彼の在位中に生じた中小の問題は数知れない。

 

「当然皇帝と帝国の権威はがた落ちさ。記録によるとこれを機会とばかりに帝国では大規模な民衆反乱や民主化運動もあったそうだね。帝都で反乱した兵士との市街地戦が起こる程さ」

 

 そうなれば軍人とは言え、兵権を平民に預けるなぞ宮廷にとっては恐怖以外の何者でもない。少々無理にでも文官貴族や地方貴族を司令官にした方が遥かにマシだ。

 

「無論、それはそれで無茶な指揮で失敗して余計民衆の反発を受けるんだけどね。結局一部の能力を認められた者は兎も角、大多数の門閥貴族は前線勤務を止めて別の形で軍役に就く事になったんだ」

 

 事に憲兵隊や法務局、査閲局等、軍組織を監視する部署は飛躍的に権限を拡大し、増設したポストに彼らは就任する事になる。こうして帝国軍は平民や下級貴族の前線指揮官の比率を高めつつ、その監視のために後方勤務や部隊司令部所属の門閥貴族軍人が大量に発生するようになる。

 

 また、多くの武門貴族が弱体化し、更に平民や文官・地方貴族の軍内部における発言力・政治力が拡大した事は生き残りの武門貴族達に大きな方針転換を強いる事になる。

 

「生き残った武門貴族はこれまでのように戦争による武功だけで発言力を維持するのを放棄せざるを得なくなった。即ち、これまで政治的には主戦論の推進以外は一丸となって中立を維持してきた武門貴族達は、これ以降、地方貴族や文官貴族、あるいは政財界や後宮と急速に距離を近づけ極めて政治的影響を受ける勢力になったんだ」

 

 帝室と婚姻を結び、ブラウンシュヴァイク家やベルンカステル家と連携していた前代リッテンハイム侯爵、軍務尚書として皇帝フリードリヒ四世の軍内での後ろ盾となっているエーレンベルグ元帥等がその代表格であろう。

 

「……さて、アッテンボロー。お前さんならここまで前置きすれば今の帝国軍が味方ごと同盟軍を吹き飛ばすリスクについて分かるだろう?」

「弱体化しどっぷり政治に足を突っ込んだ武門貴族、しかも戦場に文官貴族やら地方貴族やらがいるのでは到底撃てませんね」

 

 実戦指揮こそ平民や下級貴族が執るとしても、憲兵隊や査閲将校、あるいは法務将校として群や戦隊司令部に門閥貴族が共に乗艦する事例は少なくない。

 

 特にイゼルローン要塞に常駐する『有翼衝撃重騎兵艦隊』は最前線にして国境を守る精鋭艦隊、当然艦長から指揮官まで主だった士官達は全て実力主義で選ばれているために門閥貴族以外の階層の者が他の艦隊に比べても多く、そしてその監視のために多くの門閥貴族も憲兵や法務士官、査閲士官として所属している。しかも、そんな彼らの多くは文官貴族や地方貴族出身者であった。

 

 同じ武門貴族ならばある程度味方ごと吹き飛ばされても状況次第で納得するかも知れない。だが元より戦死する積もりなぞない地方貴族や文官貴族は話が別だ。そして門閥貴族は血の結束で結ばれており、平民が幾ら死のうとも意に介さぬが、一人であろうと身内が死ねば仇を決して許さない。

 

「そうでなくても味方撃ちをすれば武門貴族達は宮廷での政治抗争で不利になるだろうね。ブラウンシュヴァイク公爵を盟主とした文官貴族達の統制派、カストロプ公爵を盟主とした地方貴族達の分権派がこの機会を逃すとは思えない」

 

 故に、どれ程追い詰められたとは言え要塞砲で味方ごと撃つ可能性があるかと言えば……しかし零ではなく、確実に発射しないとは言い切れなかった。

 

「やれやれ、理解は出来ますが帝国の宮廷は面倒この上ないですねぇ。面子に派閥に階級……此方も大概ですが、帝国の事情を知るとかなりマシに見えてしまいますよ。彼方さんは戦争している自覚があるんですかねぇ?」

 

 先輩でもある上官の分析に、アッテンボロー中尉は辟易とした表情を浮かべて嘆息する。

 

「帝国は何だかんだあっても五〇〇年近く継続してきたからね。無論、その間に幾人もの暗君と暴君が現れたし、大規模な反乱、同盟と接触した後は第二次ティアマト会戦のように幾度か歴史的大敗をした事もある。……逆に言えば帝国はそんな災禍からも何度も蘇って来たから、逆に危機感が薄いのさ。まして、今やイゼルローン要塞のお陰で国土の大規模な侵攻を受ける可能性は限りなく低い。そうなれば誰も彼もが一層政争に精を出すわけさ」

 

 そして青年士官は、だからこそ幾ら腐敗していようとも専制政治よりも民主政治の方がよりマシなのだと考える。少なくとも煽動政治家達は形だけとは言え市民に向け訴えかけ、選挙という洗礼を受けてその政争の決着をつけるのだから。形式的な市民への利益もなく、ましてやその存在を一切考慮しない一握りの狭い世界しか関心を持たぬ貴族達によって政治を好きに弄ばれるよりは遥かに良い筈だ。

 

「それで?校長殿はどう考えているんです?半々の可能性で要塞砲を味方ごと撃つかも知れないのなら下手したら作戦そのものが根底から覆るんじゃないんですか?」

 

 若干温くなり始めている珈琲に口を近づけ、ふとその事に気付いた遠征軍総司令官副官は疑念混じりに尋ねる。少佐は何とも言えない笑みを浮かべてゆっくりと後輩の言葉に答える。

 

「いや、それがね。シトレ大将は恐らくある程度は味方撃ちを想定して今回の作戦を計画していたんだと思うよ。だからこその二段構えの作戦なんだろうね」

「だからこそ?」

「うん、これは偶然聞いた話なんだが、シトレ大将が当初作成していた作戦は並行追撃と無人艦特攻だけだったらしい。動員戦力も五万隻程度を計画していんだとか」

 

 無論、決して豊かではない同盟の財政からすれば五万隻の動員でもかなり難しいものではある。

 

「その話は俺も聞いてますよ。副司令官に任命されたロボス中将が功績欲しさに無理矢理ミサイル攻撃も捩じ込んだとか。会議の時のあの副官……確かフォーク大尉でしたっけ?まるで自分達の作戦が本命と言わんばかりでしたでしょう?」

 

 独身主義者を自称する中尉は面白くなりそうな話題ににやりと笑みを浮かべて食いつく。その態度に現金なものだと少佐は思いつつ、説明を続ける。

 

「無理矢理かは兎も角、シトレ大将とレ中将がロボス中将の提案に基づき作戦の修正をしたのは事実らしいよ。ロボス中将によれば、当初の作戦では最悪恐慌状態になった帝国軍が味方ごと『雷神の槌』を発射する可能性がある、とね」

「それ、あのロボス中将が言ったんですか?」

 

 何かを思い出したかのようにアッテンボロー中尉は苦い顔を浮かべた。

 

「修正したのは事実、その理由については噂だよ。私だって興味の薄い話だから本当に偶然聞いただけなんだよ。兎も角も、味方ごと要塞主砲で凪ぎ払われる事も想定しているのなら二段構えなのも納得出来るんだ」

 

 財政的にも、動員可能戦力的にも然程余裕のある訳でもない同盟軍である。ましてや総司令官シドニー・シトレ大将は質実剛健であり決してケチ臭い訳ではないが、同時に無駄な出費を好む人物でもない。要塞を攻略する積もりならば五万隻による並行追撃と無人艦突入戦法だけでも十分に勝算がある筈だ。

 

 少なくとも眠たげな表情をした二四歳の少佐の計算ではそうであったし、自分よりも遥かに経験豊かで様々な情報を把握しているシトレ大将がその結論に辿り着かないとは到底思えなかった。

 

「口にはしてないけれど、シトレ大将は最初の並行追撃と無人艦特攻は最悪失敗する事を計算に入れているんだと思うよ。ある意味で正面の主力艦隊は注意を逸らす囮なんだ」

 

 その上でミサイル艦と揚陸艦からなる別動隊が死角から要塞の装甲をこじ開け制圧する。司令部からすれば『雷神の槌』が撃たれなければそれで良し。撃たれたならばそれはそれで要塞駐留艦隊も混乱するから碌な迎撃も出来ない。要塞内部の兵士も動揺しているだろう。何方に傾いても問題なし、という訳である。

 

「無論、流石に帝国軍が自棄っぱちになった時に備えて要塞主砲範囲からの緊急退避の計画は立てているだろうけどね」

「成程、あの副官の態度もある意味は当然と言う訳ですか。最悪一、二発撃ち込まれても駐留艦隊を殲滅し、ミサイルで壁を抉じ開けて要塞の制圧と維持をする事が出来る戦力が六万隻、と。……まぁ、今回で確実に陥せるのならば多少の犠牲は許容範囲という戦略自体は理解は出来ますが」

 

 元ジャーナリスト志望の宇宙軍中尉は不快感半分、納得半分にぼやく。信条としては犠牲前提の作戦に嫌悪感がない事もない。しかし士官として指導された五年の月日とそこから得た知識と思考法は、その作戦の合理性を正しく認識させていた。財源も無限ではない。中途半端な作戦と戦力で失敗して犠牲の山を増やすよりは多少の犠牲は覚悟してでも確実に要塞を陥落させる事が軍事的にも、国家戦略的にも合理的である事をアッテンボロー中尉は理解していた。

 

 無論、先程言った通り決して納得はしていないが。

 

「……それで?先輩殿の見立てではどうなんです?今回の作戦は成功しそうなんですか?」

「うーん……どうなんだろうねぇ」

 

 先輩の要領を得ない発言に総司令部副官は予想外とでも言うように目を見開く。そして心底不思議そうに尋ねる。

 

「いける、と先輩が断言してくれないのは怖いですね。俺の見立てですと流石にここまで想定していれば情報漏洩でもない限りは成功すると確信するのですが……」

 

 最悪要塞主砲を撃たれる事すら計算に入れた作戦だ。ここまで覚悟を決めた作戦が成功しないなぞ有り得ない。いや、失敗したら困るのが後輩の気持ちであった。

 

 しかし同時に、アッテンボロー中尉が目の前の士官学校の先輩の分析力を他のどのような専門家のそれよりも高く評価しているのも事実である。そんな人物に渋い表情をされるなぞ気が気ではない。少なくともアッテンボロー中尉は、父親の自己都合で無理矢理ならられた軍人としての職務でその一生を終える積もりは毛頭なかった。

 

「……普通に考えれば確実に要塞を陥落させられるとは思うんだ。だが………」

 

 そう、現状の作戦計画が順調に進んだ場合、同盟軍はイゼルローン要塞陥落に成功するだろう。多少のミスは有り得るとしても、カバーの方法は幾らでもあるし、既にその方面についても分析と想定は始まっている筈だ。そう、何も問題もない。……唯一つの懸念を除いて。

 

「……まぁ、それこそ作戦が根底から覆りかねないんだけれどね」

 

 それは最早議論するに当たらない懸念であった。寧ろ無意味というべきかも知れない。総司令部の首脳達に進言した所でどうしようもない内容である。いや、話を聞いて貰えるかすら怪しいものだ。

 

「何か言いましたか、先輩?」

「……いや、世の中考えても仕様もない事柄が多いと思ってね」

 

 そう言いながら彼は紙コップの中の冷めてしまった紅茶を呷るように飲み干した。

 

「渋いな。これだから自販機の安物は好きじゃないんだよ。まぁ、置いてないよりはマシだけどね」

 

 空になった紙コップをゴミ箱に放り投げたヤン・ウェンリー同盟宇宙軍少佐は自嘲を含んだ微笑を浮かべ、統合作戦本部に設けられた自動販売機のインスタント紅茶をそう評したのだった……。

 

 

 

 

「あぁ!もう最悪っ!!折角気取られないように国境の部隊を削っていたのに!!前線の奴らは何をしてるのよ……!!」

 

 第五回イゼルローン要塞遠征軍総司令部の置かれたアイアース級旗艦級戦艦『ヘクトル』の艦橋で苦々しげにコーデリア・ドリンカー・コープ大佐は舌打ちする。彼女の癇癪の原因はほんの一か月前にシャンダルーア星系で生じた前線部隊の失態についてだった。

 

 シャンダルーア星系にて帝国軍哨戒部隊を取り逃がした結果、帝国軍に国境宙域に対して大規模な警戒強化を実施させる事となった。具体的には三ダースの通信基地の建設に合計三個悌団規模の艦隊と二個遠征軍規模の地上軍の動員がそれである。

 

 帝国軍の警戒強化は同盟軍にとって喜ばしい事ではない。来年に実施される予定である遠征計画は第三回遠征同様に奇襲を前提にしている。帝国軍が要塞に駐留させる艦隊を増員すれば、同盟軍の作戦は当然のように困難なものにならざる得ない。

 

「いつまでも文句を言っても始まらん。そちらの対処は別の部署の受け持ちだ。我々は目の前の職務を果たすだけだ、違うか?」

 

 未練がましいコープの愚痴をそう切り捨てるのは同じく『ヘクトル』艦橋に詰める総司令部航海部副部長ウィレム・ホーランド准将である。腕を組みデスクに腰掛ける厳めしい表情の青年に視線を向けたコープはむっと顔をしかめるが、同時にその言が事実でもあるために反論の言葉が出る事はなかった。

 

「陣形崩壊!要塞主砲が発射されました!!第四艦隊右翼半壊……!!」

 

 宇宙艦隊支援総隊から出向した士官が叫ぶ声にコープ達は正面のモニターを見つめる。

 

「問題は、その目下の課題も前途多難な事ね」

 

 モニター上で壊滅判定を受けた艦隊の有り様を見て、コープはぼやいた。ホーランドも、周囲の他の参謀やスタッフ達も無言で、かつ脱力気味にその主張を肯定した。

 

 宇宙暦791年一一月二八日、自由惑星同盟軍宇宙艦隊に所属する第四・第五・第六・第八艦隊及び第一輸送軍、その他部隊はポリスーン星系にて大規模な演習に従事していた。

 

 この時期に大規模な演習を開催するとなると、その目的は一つしかない。そして、今回の演習に参列する艦隊は遠征参加予定の全ての部隊ではないにしろ、その主力部隊たることを期待されており、それ故に演習は極めて激しく、厳しいものとなっていた。

 

「第四艦隊の第三、第五分艦隊に通信、何をしているのかとな!前進と後退のタイミングを間違えるな馬鹿者共!!これが本番だと貴様らは死んでいるぞ……!!」

 

 遠征軍総参謀長レ中将が怒声を上げる。モニター上の第四艦隊は第五・第六艦隊と共に仮想敵役である第八艦隊と相対していたのだが、第八艦隊の攻勢の前にその右翼部隊が陣形を崩し、現在進行形で崩壊しつつあり、演習を支援する宇宙艦隊支援総隊は崩壊した艦隊右翼が『雷神の槌』により壊滅したとつい先程判定していた。

 

「何をしているっ!?自動衝突回避システムを使えっ!演習で死人が出たら堪らん!!」

「ああ、糞!緊急連絡だ、第四三と四四戦隊は演習中止っ!!戦隊司令部に連絡!送信したルートで演習宙域から離脱しろとな!!さっさと失せさせろ!!」

「彼処はこの前損害の補充が完了したばかりだからな。新兵共を指揮するとなると流石にグリーンヒル中将とは言え簡単にはいかんようだな……」

「やれやれ、初っぱなから随分と派手に吹き飛んだものだな」

「演習が終わるまでに何回艦隊が壊滅しますかねぇ」

 

『ヘクトル』艦橋内の各所で参謀やスタッフ、オペレーター達のぼやき声が響き渡る。

 

 俗に『D線上のワルツダンス』と称される艦隊運動は決して一朝一夕で出来るものではない。データリンクすら妨害されるイゼルローン要塞正面の狭い回廊宙域で何万という宇宙艦艇が帝国軍と砲撃戦を展開しながら一糸乱れずに前進と後退を繰り返すのは常識的に考えて職人技と言わざるを得ないのだ。

 

 タイミングを逸したら突出して敵艦隊に袋叩きに遭おう。後退し過ぎたら味方に隙が生じてやはり火線が集中するだろう。回避運動に集中し過ぎたら回廊の危険宙域なり、味方に衝突してやはりアウトだ。陣形が崩壊したらそのまま要塞主砲射程内まで押し込まれ千隻単位でプラズマに還元される事だろう。

 

 漆黒の女王に求愛するダンスは同盟軍宇宙艦艇の優れた電子戦能力と機動力、そして実際に艦隊を動かす上は提督、下は兵士までが徹底的な鍛練を重ねる事で漸く可能な正に芸術そのものであったのだ。

 

 特に第四艦隊は宇宙暦787年四月に生じた第三次シャマシュ星域会戦において旗艦アキレウスを喪失した他、艦隊全体の三割余りを失う大敗を喫した。育成・練兵能力に定評のあるドワイト・グリーンヒル中将が宇宙暦788年に艦隊司令官に着任してからは訓練と部分的な補充を受け宇宙暦789年に実施された大反攻作戦『レコンキスタ』に参戦したものの、それは司令部直轄の予備戦力としてであり、実際戦闘自体は動員された他の艦隊に比べ至って小規模であった。

 

 即ち、第四艦隊の練度は他の艦隊に比べ若干格下と言わざるを得なかった。そのために本演習においても真っ先に陣形を崩して要塞主砲の洗礼を受ける事となったのである。

 

「ふむ、これはまた……来年の遠征までに練兵が間に合うかな……?」

 

 『ヘクトル』艦橋の総司令官専用席に深く座りこんだシドニー・シトレ大将は、顎の辺りを擦りながら渋い顔で第四艦隊の動きにそうこぼす。

 

「間に合うかではありません、間に合わせるのです。徹底的にしごくしかないでしょうな。グリーンヒル中将は人を誉めて伸ばす達人ですが、今はそんな悠長な事は言ってられません」

 

 モニターを睨み付けながら、やや憮然とした表情でレ中将が答える。グリーンヒル提督とレ参謀長が飴と鞭で鍛えていくしかないだろう。

 

「そうは言いますがグリーンヒル提督は状況のわりに良くやっておりますよ。寧ろ、私としては第五艦隊の動きが想定以上に良いのが驚きです」

 

 そこで会話に加わったのはシャトルで第六艦隊司令部との打ち合わせ会議より帰還したネイサン・クブルスリー総司令部航海部長であった。

 

「ビュコック提督は老練の宿将だ。漸く名将が名将に相応しい立場に就任したというだけの事さ」

「そうは言いますが艦隊司令官ともなれば職務の幅が違いますよ。一兵卒から昇進して現場指揮だけでなくあれだけの事務仕事もこなせるとは、正直侮っていた自分が恥ずかしい限りです」

 

 シトレ大将の言に頭を掻きながら苦笑する航海部長。士官学校を優秀な成績で卒業するエリート士官は多かれ少なかれ兵士や下士官からの叩き上げ提督を侮りがちな側面がある。

 

 宇宙暦791年六月より第五艦隊司令官に着任したアレクサンドル・ビュコック中将は軍歴五〇年以上、第二次ティアマト会戦を筆頭に大規模艦隊戦への参加回数七七回、小競り合いを含めた総戦闘参加数八六〇回……無論戦闘とは言え必ずしも最前線に出るとは限らないし、自身の乗船する艦艇が一発も砲弾を撃たずに戦闘が終了する事もある。しかしそれを差し引いたとしてもこれだけの戦闘に参加した老将は滅多にいない、正に現場の神と言える存在だ。

 

 だが、逆に言えばそういう人間は大抵現場だけとも言える。一兵卒であればそれだけで良いが、一〇〇万を超える将兵を率いる艦隊司令官ともなれば事務仕事も膨大である。たかが事務仕事と侮り滞らせれば、それだけで艦隊のパフォーマンスは低下し、実戦でもその実力を発揮出来ない状況に陥るだろう。その点、ビュコック提督は現場一筋の人間には珍しく事務仕事も少なくとも一応合格点と言えるレベルでこなせる希有な存在らしかった。

 

 シトレ大将やレ中将と各艦隊の練度や司令官の能力について語り合うクブルスリー少将の下に人影が近付く。

 

「航海部長、帰投御苦労様です。持ち場預り中の問題は特に発生しておりません。権限を返上させて頂きます」

 

 クブルスリー少将が第六艦隊司令部に訪問中、総司令部航海部の責任者を受け持っていたホーランド准将はデスクから立ち上がると上官の下に参上し敬礼と共にそう通達した。

 

「うむ、引き継ぎ御苦労」

 

 クブルスリー少将は二人いる副部長の内、特に優秀な方に対して労いの言葉と共に答礼する。実の所、数個艦隊を指揮する総司令部の部長の仕事なぞ滅多に経験できるものでもない。それ故に少将は敢えてホーランド准将を残して短い時間であるもののそれを体験させてやろうという意図から彼を総司令部に残していた。

 

「………」

 

 ホーランド准将は僅かに怪訝そうにきょろきょろと視線を動かし始める。その様子にクブルスリー少将もまた奇妙そうに首を傾げ尋ねる。

 

「ん?どうしたのかね?」

「いえ、同行していた副部長はどちらに?」

「ん?先程まで隣にいたと思うのだ……「うげえぇぇぇ!!」………」

 

 ガマガエルが潰れる時に上げる悲鳴のような呻き声が『ヘクトル』艦橋内に響き渡る。思わずその場にいたシトレ大将やレ中将、幾人かの部長、その他艦橋内にいた参謀スタッフやオペレーター達がひきつった表情でその音の方向に視線を向ける。仄かに胃液の嫌な臭いが彼らの鼻に漂ってきた。『ヘクトル』の艦内管理AIが異常を関知して艦橋内の換気を始める。

 

「若様、しっかりしてくださいませっ!濯ぎの水を用意しました……!」

「此方、新しいビニール袋ですっ!!御無理は為さっては行けません!最悪窒息する可能性もあります……!!」

「だ、大丈夫だ。流石に酔い止めのお陰でそこまで……あ、やっぱ無理」

 

 ウエェェェ、とグロテスクな音源と共に何かが吐き出される音が響く。『ヘクトル』艦橋内の誰もが沈黙していたからその音は良く響いた。

 

「……ティルピッツ准将、司令官命令だ。医務室で休養を取りなさい」

「り、了解し……うぇぇぇぇ!!」

 

 シトレ大将は艦橋の裏側でビニール袋に顔を突っ込み、副官二人に介抱される総司令部航海部副部長にそう声をかけた後、臭いから逃れるようにその場から離れたのであった………。

 

 

 

 

 

 

 恒星ポリスーンを中心に一一個の惑星に四六の衛星、六万を超える小惑星等から構成されるポリスーン星系は、宙域座標的にはバーラト星系より九一六光年の位置にある、自由惑星同盟建国初期にその勢力圏に取り込まれた無人星系だ。居住可能惑星は無いが、金属ラジウムやボーキサイトの採掘のために宇宙暦540年代より開発基地が設けられ、最盛期には三〇万人余りが採掘業に従事していたとされている。

 

 宇宙暦620年代には採算性のある主だった鉱脈は枯れ、鉱夫達もその殆んどはこの星系を見捨てた。しかし、ダゴン星域会戦の後に本星系は再び脚光を浴びる事となる。

 

 イゼルローン回廊とバーラト星系の中間の位置にあり、尚且つ主要航路から外れる人目のつかない立地が同盟軍により注目された結果、本星系は大規模な演習宙域かつ帝国軍の侵攻に対してはその補給線を叩くゲリラ戦の拠点として密かに整備が進む事になった。事実、コルネリアス帝の親征に際して、当星系は同盟軍の後方撹乱部隊の一大拠点としてその当初の存在意義を十分に果たす事になる。

 

 ダヤン・ハーン基地は元々は直径二八キロの小惑星鉱山で、その鉱脈の大半を堀尽くされた残り滓を再整備した築一五三年の相当年季物な宇宙要塞型補給基地である。当時の一個艦隊の定数分、五〇〇〇隻近くの収容と補給・整備・修繕を可能とした国内有数の大規模補給施設ではあるが……やはりそれでもオンボロ過ぎる。

 

 少なくとも原作の帝国領遠征失敗後の同盟軍にはその古さもあり、維持費が余りに重過ぎ無理に管理するメリットが無かったのかも知れない。バーミリオン星域会戦直後に離脱したメルカッツ独立艦隊が屯していた事から見て、少なくともバーラトの和約締結前には既に放棄されていたらしい。もし大まかな歴史の流れが変わらなければこのまま七年以内には原作同様同盟軍に放棄される事になるだろう。

 

 無論、それは未来の事であり、宇宙暦791年の時点では常時四万名の同盟軍が基地を管理しているし、現在に至ってはポリスーン星系で訓練を行う四個艦隊を始めとした大軍の支援のため、その機能をフル稼働させている。流石にこの規模の演習ともなるとダヤン・ハーン基地の機能だけでは支えきれないので星系内の他の基地や臨時に設置した駐屯地と協力しての事であるが。

 

「で、正に今そんな基地の支援能力の御世話になっている所な訳であるが……」

「演習中に怪我したなら兎も角、ただの宇宙酔いで将官用入院室を占拠しているようなのは伯世子殿だけだと思いますぞ?」

 

 死にかけな顔でダヤン・ハーン基地医務室の将官用個室入院室のベッドに横たわる私にそう冷酷に事実を突きつけるバリトンボイスであった。うん、知ってた。

 

 第六艦隊司令部へのシャトル移動で宇宙酔いした私は『ヘクトル』の医務室に最初御世話になり、その後も体調が優れないので『ヘクトル』がダヤン・ハーン基地に停留した時により設備が揃い安定している基地の医務室に移動する事になった。うん、当然のように補給と整備を終えた『ヘクトル』は私を置いて演習の続きをしに行っちゃったよ。完全に私の事なんて気にしてないよっ!まぁ、コネ昇進のコネ人事で遠征軍総司令部に捩じ込まれたような存在だから、多少はね?

 

「やれやれ、毎回の事ながら良くもまぁここまで体調を崩せるものですな。確かに宇宙酔いしやすい人間は少なくはありませんがここまで酷いとなると……」

 

 湯気の立つ珈琲カップ片手にそう肩を竦めて呆れるのは、第五〇一独立陸戦旅団第二連隊長ワルター・フォン・シェーンコップ同盟宇宙軍中佐であった。

 

 エル・ファシル攻防戦を始めとした『レコンキスタ』における一連の戦闘で、多大な軍功と共に相応の損害を受けた第五〇一陸戦連隊戦闘団は再建と増強の対象となり、約一年半をかけて第五〇一独立陸戦旅団へと改変された。兵員定数は後方支援と事務員も含めて四六〇〇名、司令官は部隊の連隊時代まで含めると第一一代目となるヘルマン・フォン・リューネブルク同盟宇宙軍大佐、上位司令部はヘルムート・フォン・リリエンフェルト同盟宇宙軍准将を司令官とする第六宇宙軍陸戦隊第一揚陸軍団である。

 

「若様の体質の問題、不可抗力で御座います」

「それよりそちらはどうなんだ?随分な大任を受け持っているんだろう?」

 

 私の傍らで控える従士二人の内、ヘリヤ星系での会戦の功績で中佐に昇進したベアトが若干不愉快そうにそう口を開く。私の方はと言えば、詰まらない私の体質の話を止めて、より重要性の高い食客の状況について尋ねる。

 

 此度の遠征計画においては絶対安全な総司令部の航海部副部長たる私よりも、この不良士官とその所属部隊の方が遥かに危険な任務を受け持つ事が予定されていた。

 

 第六艦隊直属となる第六宇宙軍陸戦隊に所属する第五〇一独立陸戦旅団、その基幹部隊はあの武勇で誉れ高い第五〇一独立陸戦連隊『薔薇の騎士連隊』(ローゼンリッター)である。

 

 亡命政府系においても同盟軍地上戦闘部隊においても十指に入る精鋭部隊である彼らは、今回のイゼルローン要塞攻略作戦でもその類い稀れなる戦闘能力を期待されていた。そして、彼らは今回の作戦において最も危険な部分を受け持つ部隊の一つでもあった。

 

「要塞背後、ミサイルで吹き飛ばした外壁から突入する別動部隊の一員。まぁ、功績と能力から指名されるだろうとは思っていたが、改めて考えると気が狂ってるな」

 

 私は薔薇の騎士達に要求された任務の重大性と困難性に呆れ返った。

 

「平時におけるイゼルローン要塞の要塞防衛軍の兵力は推定五〇万から六〇万、内六割は整備要員に航空要員、索敵要員、要塞砲術要員にオペレーターだから純粋な陸戦部隊は二〇万から二四万、そこに無人防衛システムが加わる訳だ。一方突っ込む別動隊の陸戦戦力は二個師団、最大限に見積もっても三万余り。特殊部隊と精鋭部隊で固めるとは言え、一個軍団並みの戦力で要塞の主要設備を占拠しろとは……荷が重くないか?」

 

 無論、呼応して正面からも無人艦艇の特攻で抉じ開けた穴から大部隊を揚陸させる計画ではあるが……下手しなくても迷宮のような要塞内で各個撃破される危険はあるし、最悪攻略が失敗したら置いてけぼりを食らう可能性だってある。私ならば到底参加はご免である。

 

「軍人である以上命令に逆らう訳には行きませんからな。まぁ、その辺りは我々の実力を信じて頂くしかないでしょう。何、最悪味方の艦隊が逃げても我々だけで要塞を陥落させてご覧にいれますよ。寧ろそれ位した方がオーナーたる伯世子殿にとっても都合が良いでしょう?」

 

 足を組みながら飄々とした態度で中佐は嘯く。一時期は有名無実化していた『薔薇の騎士連隊』に人材と予算を集中的に投入して精鋭部隊に舞い戻らせたのは亡命政府であり、特に最初に投資を始めたティルピッツ伯爵家の発言権は大きい。それ故に我が家はある意味で『薔薇の騎士連隊』のオーナーとも言える立場だった。当然、連隊の活躍は伯爵家と私の功績にも還元される。

 

「随分と大言壮語を吐く事だな。今回の競争率は高いぞ?搦め手にはお前さん達以外にも精鋭部隊を集中的に投入するからな」

 

 要塞中枢を制圧する予定の別動隊である。当然亡命政府系以外の派閥としても要塞攻略後の発言力を見越して同じように子飼いの精鋭部隊を捩じ込んで来ている。まぁ、どうせ亡命政府系列だけで精鋭部隊を二個師団分集めるのはきついし、失敗した際の喪失が怖いので良いのだが……問題は現場で功績の奪い合いで足を引っ張らないかだな。

 

「流石にプロなだけあってそこまで酷い事はありませんよ。少なくとも帝国軍……賊軍の内情に比べれば最低限協力は出来ていますよ。そう言えば、伯世子殿の仰っていた例の傭兵方も参加するらしいですな?演習時に顔を合わせましたよ」

「あぁ、あいつらね。亡命政府軍からか」

 

 多くの帝国軍投降兵をその戦力とし、また亡命貴族やスパイの持ち込む情報もあって、亡命政府はイゼルローン要塞内部構造についてかなり詳しく理解しているとされている。そして揚陸する同盟軍に対する水先案内人として、艦隊とは別に地上戦要員も少なくない数が同行する予定だ。

 

 元銀河帝国軍アスカリ軍団所属、フェザーン傭兵部隊を経て現在はティルピッツ伯爵家が後ろ楯を務めるナウガルト子爵家の食客として雇用されているアントン・フェルナー中佐以下二個小隊は、再建途上で殆ど家臣のいないナウガルト家の貴重な私兵戦力であり、同時に今回の遠征に従軍する部隊の一つだ。彼らの大半がアスカリ軍団出身であり、移動にある程度制限があったもののイゼルローン要塞の内部構造に理解があるので案内役を一部を受け持つ予定だった。

 

「フェルナー中佐から此方も色々と聞きましたが、改めて考えると随分と畜生な行いですな」

「だろう?あの場面で悪戯とは言えあんな冗談はキツ過ぎるだろ?」 

「いや、若様の行動がですよ」

「貴様も敵かよっ!!?」

 

 ファック!と私は吐き捨てベッドに倒れこむ。どいつもこいつも私を責めやがって!もう良いよ!私の味方は従士二人だけで良いよ!!二人に膝枕して慰めてもらうからよっ!!

 

「若様、大丈夫で御座いますか?」

「シェーンコップ中佐、少々言葉が過ぎませんか?」

 

 いじける私を抱き寄せて甲斐甲斐しく背中を撫でるベアトであった。一方、大尉に昇進しているテレジアは不快そうに不良中佐に口を尖らせる。

 

「罪の上塗りとはたまげましたな。楽な方向に行きたい気持ちは分かりますが現実と戦うのも大切ですぞ?」

 

 従士二人に世話される雇用主を見て情けない、とばかりに溜め息をついて無慈悲に現実を突き付ける食客であった。止めろ、その言葉は私に効く。

 

「やれやれ、良い歳して呆れますな。別に私としては妻や娘がどうこう無ければ若様の御乱行に文句を言う訳ではないんですがね。ただアフターケアは大事だと言っておるのですよ」

「それ位は分かる。分かるがなぁ……」

 

 当然のようにベアトに膝枕してもらっている私は苦い顔を浮かべる。こんな私だって、別にふざけている訳じゃない。嘘じゃないよ?

 

 ……思いっきり婚約者が警戒しているし、疑心暗鬼になっているからなぁ。そりゃあ、折角許した男がいきなり自分を傷物にしてきて、ましてや裏切り同然の行動してきたらああもなろうよ。最早どんなに言葉を尽くそうが信用されないだろう。私なら信用しないね。だからこそどうしようもなくて現実逃避しているのだ。

 

「いやいや、私の見立てではまだギリギリリカバリーが出来ると踏んでいるんですがね。諦めたらそこで試合終了ですぞ?」

「そういうならどうか助言して欲しいものだな。こういう時に雇用主を助けるのが食客の役目じゃないのか?」

 

 どこぞのバスケ部コーチのような台詞をほざく食客にそう言い捨てる。言うが易し行うは難しである。口だけ言うのは簡単でも実行者の気持ちになって欲しいものだ。

 

「模範解答が欲しいという事ですかな?」

「カンニングしたいんだよ。お前さんならその辺りの女性相手の機微に聡そうだからな」

「前前から言ってますが人を漁色家みたいに言わんで欲しいですな」

 

 心底心外そうに顔をしかめる不良中佐。その発言は平行世界の自分にでも言ってくれ。

 

「そうですなぁ……ふむ、若様としては婚約者殿の好感度をどうにかしたいと言う解釈で宜しいですな?」

「……まぁ、端的に言えばな」

「腹の内を晒してしまうのも手ではありますが、似たような手口は一度してしまいましたからな。しかも酷い掌返しをしましたので二番煎じは避けた方が良いでしょう。同じ手で騙せるとたかをくくっていると思われかねません」

 

 顎を擦り、妻と娘一筋の癖に妙にそれらしい事を言って見せる不良中佐である。おい、お前さん本当に浮気とかしてないんだろうな?

 

「となればやはり贈り物でもするのが良いかと。無論、そんなもの普段からやっているでしょうから工夫が必要ですな」

 

 そもそも貴族同士ともなれば高価な贈り物位普通だ。何なら私自身が聞いてなくても家の方が私名義で勝手に山程相手に贈る事がある位だ。

 

「やはり大事なのは場面と前置きの言葉、後は内容ですな」

「その言い方だと私が直接渡すのか?」

「寧ろ他人にやらせるのは誠意がないので止めた方が良いでしょうな。特にそこの二人には」

 

 食客は私の傍に控える従士二人を見て渋い表情を浮かべる。ベアト達は首を傾げて不思議そうにするが私には分かる。うん、この二人を使いに出すのはあかんわ。

 

「とは言え、此方だって遊んでいる訳じゃない。そうそう時間なんてないぞ?」

「だからこそです。彼方も武門の家柄、ともなれば逆に時間を取って自ら足を運ぶ意味位理解出来る筈ですよ」

「むむむ……!」

 

 言いたい事は分かる。分かるが……従妹が言う通り直接足を運べば相応の誠意を見せる事は出来るだろうが、そう簡単に時間が取れたら苦労しないのだ。

 

「いやまぁ、時間についてはどうにかして作るしかないのだろうが……。それで?具体的にはどうすれば良い?」

「そうですな……その前にそちらの御二人には暫しの間退席して貰っても宜しいですかな?」

 

 若干考え込んでから、不良騎士は私にそう要求する。その発言に従士二人は不快そうな表情を浮かべる。

 

「何故そのような事をする必要が?」

「私が望んでいる、というよりかは若様のためですよ。無論、我らが主君が『否』と言えば構いませんが。どうですかな?」

 

 愉快そうに、そして試すように私にそう尋ねる上等騎士。私は僅かにむすっ、と顔をしかめるが直ぐに観念したようにベアトの膝枕から起き上がり命令する。

 

「二人共、悪いが少し部屋の外で待機してくれ。看病で疲れているだろう、休憩代わりとでも思ってくれ」

 

 私の言葉に従士達は一瞬顔を強張らせるが、互いを見やり次いで素直に承諾してくれた。

 

「了解致しました。何事かありましたら直ぐにお声かけ下さい」

 

 心配そうにベアトはそう言って、テレジア共々退室する。その姿を見やるシェーンコップ中佐は残る珈琲を飲みきってから意地悪そうに口を開く。

 

「流石に長々と愛人の前で婚約者の機嫌取りの話をするのは辛かったでしょう?御愁傷様です」

「言ってろ」

 

 私は舌打ちして言い捨てる。確かに少し気まずかったのは事実だが、改めて言われれば不愉快にもなる。

 

「いやいや、別におちょくってる訳ではないのですよ?寧ろ良くやってると思っている位でしてね。女性を複数人、同時に機嫌を取る難しさは分かりますぞ?私とて妻と娘の相手で齷齪してますからな」

「お前さんの場合と比較するなよ……」

 

 妻と娘の機嫌取りは一般家庭でもある事だ。私のような糞みたいな男女関係と同列には語れまい。というか我ながら本当に糞だよな……。

 

「御二人共、元よりそういう教育を受けていますからな」

「普通だとこれ後ろから刺されてそうだよなぁ」

 

 ベアト達と婚約者の関係を考えると気分が重たくなるが、かといって婚約破棄は論外だし、今更従士をポイするのも畜生なのだ。うん、底無し沼に落ちてるなこれ。

 

「私で良ければ協力しますから、痴情の縺れで死ぬのだけは勘弁して下さい」

「貴重な収入源だからか?」

「大正解です」

 

 うん、知ってた。麗しい主従関係な事だ。

 

「じゃあ、私がこれ以上フラグを立てないように我が忠臣殿のアドバイスを聞くとするかね?」

 

 私は未だに宇宙酔いで顔を青くしながら、目の前の騎士から貴重な助言を伺う事にしたのだった。金髪の孺子を仕止める前に背中にナイフなんか生やすのはご免だった……。



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第百七十話 どうせ門閥貴族なんて録な奴らじゃねぇんだ!見つけ次第殺るぞ!!(訳: 二周年だ、やったぜ!!)

三周年記念の癖に話は余り進まないかも……取り敢えず主人公の四肢麻酔無しで揉いで読者に土下座させよう!!


「母上、やはり自分には納得出来ませんっ!!あの視線をご覧になったでしょう!?姉上を、我々を見るあの不躾な視線を!!またあんな奴らと顔を合わせるというのですか……!!?」

 

 ハイネセンのホテルカプリコーン・ハイネセンポリスの地上六〇階の廊下を進みながら少年は、ケッテラー伯爵家直系唯一の男子であり、跡取りであるヘルフリート・フォン・ケッテラーは噛みつくように母に向けて叫ぶ。一方、母であるドロテアはいつも通りに開いた扇子で口元を隠し、そのまだ若々しさと美しさを保つ顔を若干しかめて、言葉を紡ぐ。

 

「ヘルフリート、伯爵家の長男がそう声を荒げるものではありませんよ?何があろうとも余裕を持って泰然としなくては。短慮な賎民共でもないでしょうに」

 

 その美貌通りの美声で幼子を躾け、窘めるようにドロテアは答える。しかし、その内容は息子にとっては却って苛立たしさを悪化させるだけであった。

 

「話を逸らさないで下さいっ!!あのような奴らの風下に立つ事を母上は受け入れるのですかっ!?ましてあのような男の下に姉上を……!!」

 

 ヘルフリートは肩を震わせて叫ぶ。あの家の……姉の嫁ぎ先の家人達の視線を彼は覚えている。特に長老勢を始めとした一族の大人達はあからさまにケッテラー伯爵家を観察し、蔑み、侮蔑し、軽んじていた。それは此度の婚姻に反対する伯爵夫人の一派だけでなく、推進する老貴婦人すら例外ではない。反対はしなくても、一見は温かく迎え入れているようでも、間違いなくあの目は姉を格下として見下しており、取引の商品としてしか見てなかった。

 

「今夜の祝宴会も、結婚も、もう決まった事ですのよ。ここまで漕ぎ着けるのにどれだけ会談と根回しがあったと思って?今更全て無かった事にするなんて論外なのは貴方でも分かると思うのだけれど?」

 

 ドロテアは、自身の息子に教師が出来の悪い生徒に言い聞かせるように答える。実際、ケッテラー伯爵家がここまで漕ぎ着けるまでに凄まじい苦労があったのだ。

 

「ですが……!私はあんな家、到底信用出来ません!ましてや親族扱いなんて……!!」

「して貰うしかありませんね。寧ろ、本来ならば貴方だって土下座してでもそれを頼まなければならない立場なのですよ?」

 

 息子の叫びに若干険の籠った口調で子爵夫人は指摘する。

 

「奴隷のように卑屈におもねろと?そのために姉上をあんな何をされるかも分からない家に嫁がせろと言うのですか……!?」

「……私達には責任があるのですよ。一族と家臣と領民に対してね」

 

 鋭い眼光で非難する息子に、その視線を反らし不愉快そうに母は答えた。扇子で顔の半分を隠している事もあって、その内心は窺いしれない。

 

「お止めなさいヘルフリート。御母様を困らせるものではありませんよ?」

 

 そこに背後から響く小鳥の囀ずりのような透明感のある声音。背後を苦々しげに振り向く少年は直ぐに年の割に何処か幼げに見える姉の姿を見つけた。

 

 青いドレスの下はきつくコルセットをしている事であろう、腰元は細く曲線を描くように締め付けられていた。鼈甲の櫛を髪に刺し、首には絹地のレースチョーカーを巻いた姿は半ば没落しているケッテラー伯爵家の娘とは思えない。少なくとも外面は社交界に出ても可笑しくない立派な貴族の令嬢であった。

 

「姉上、しかし……」

「御母様やお爺様を困らせるものではありませんよ。ね?」

 

 姉は弟の元まで来ると食い下がる弟に対して優しげに、そして何処か儚げにそう諭すように語りかける。

 

 二十歳前の、自身よりも五歳年上の姉はしかし、元より小柄な事もあってその目線は弟のそれとほぼ等位置であった。あどけなく、そして幼げな顔立ちもあって弱々しい印象を与える。しかし、確かに目の前の人物が自分の姉である故に弟は本能的に気後れし、彼女に強く出られずにいた。そのためにヘルフリートの態度は母に向けるそれから急にしおらしくなる。

 

「………」

「これは貴方のためでもあるわ。私がお務めを果たせばこの家と貴方の助けにもなるのよ?だから、ね?」

 

 黙ったまま、しかし納得出来ないと言った表情の弟に姉は更に優しく、言い聞かせるように語りかける。

 

 元よりケッテラー伯爵家はバルトバッフェル侯爵家やティルピッツ伯爵家に比べ決して豊かではないし、政治的にも主流派ではない。武門三家の中では残る二つに比べかなり格差があった。一世紀以上昔にコルネリアス帝の親征に対して矢面に立った影響を未だに引き摺っていた。

 

 まして先代当主が多くの一族郎党と共に死んで、御家騒動で残った余力も使い果たした。残る伯爵家の直系は混じり物であり、後塵を拝していた他の武門貴族は宮廷における伯爵家を引き摺り降ろしその立場に成り代わろうと何度も策謀を巡らしていた。

 

 宮廷が諸侯の序列と秩序が乱れるのを嫌った事、先代との関わりと打算がありティルピッツ伯爵家が援助を申し出た事はケッテラー伯爵家にとっては僥倖であった。娘一人を差し出し、頭を下げるだけでその見返りは絶大だ。

 

「貴方だって可愛い許嫁を紹介して貰ったでしょう?これで貴方の立場も安泰、宮廷でも苦労せずに済むの。私も安心だわ」

 

 そう言ってグラティア嬢が思い出すのはゴールドシュタイン公爵家傍流の幼い少女だ。恐らく一〇歳にもなっていないだろう少女は、しかし大人になれば間違いなく美女に成長するだろう片鱗を覗かせていた。しかも血筋も素晴らしい。混じり物として中々結婚相手の見つからなかった弟に望みうる限り最高の許嫁が出来たのは一族の存続のみならず、宮廷における扱いにも大きな影響を与えるだろう。ティルピッツ伯爵家次期当主の義弟であり、ゴールドシュタイン公爵の義理の孫という立場になるとなればさもありなんである。

 

 グラティア嬢もまた、この決定に喜んでいた。同じ血を分けた大切な弟が宮廷で苦労するのを彼女は望んでいなかった。

 

「てすが!私は……俺は自分のために姉上を犠牲にするなんて出来ません……!!」

 

 悔しげに声を荒げる弟。彼にとって目の前の気弱で、優しく、幼げな姉が嫁ぎ先で上手く暮らせるとは到底思えなかった。いや、これが普通の嫁ぎ先であれば兎も角、あんな獣の巣では余りにも荷が重過ぎる。どれだけ嫁ぎ先の家族を立てようとも、見る者のレンズが歪んでいればあらゆる行いが悪意を以て解釈されよう。ましてや、妻を守るべき夫があの態度では……!!

 

 そう、ヘルフリートにとって姉が政略結婚の道具にされるのも不愉快ではあった。それでも嫁ぎ先で幸せになれるなら我慢もしよう。だが、嫁ぎ先の一族があからさまに姉を虐げ、貶め、嘲るならば話は別だ。姉の夫となり、自身の義兄となる人物に至っては余りにも論外であった。

 

 少年時代に相当の問題児だったのは矯正されたと聞いていたが、ヘルフリートには到底そうとは思えなかった。功名に逸り、無謀な行いをしては傷を負い、その癖反省の色は見えないように少年には思えた。話では愛人を二人召し抱えていて、しかも周囲の顰蹙を買う位に耽溺しているとも聞いた。私的になら兎も角、同盟軍内部ですら公然と連れ回しているとなればかなり重症だろう。

 

 何よりも姉に対する余りに身勝手で無慈悲な所業の数々が一番少年には許せなかった。それは到底婚約者に向ける態度ではなかった。寧ろ、婢に対する扱いに等しい。姉を好き勝手出来る玩具か何かとでも思っているのだろうか?あの男の行い一つ一つが姉の立場を貶め、嘲笑の対象とし、その名誉を傷つけ続けたというのに……!!特に昨年、あの男が見舞いに来た姉を傷物にしたと聞いた時なぞヘルフリートは思わず失神しそうになった。式を挙げていない姉に対して、それは最早許嫁に対する所業ではない。

 

「ヘルフリート……」

 

 悲しげに姉が自身を見据える姿に、少年は心を抉られる。同時に少年は姉の髪の色を思い、一層悔しさに苛まれた。そのくすんだ金髪は本来少年のそれと同じ色であった筈なのに……!!

 

 半ば無理矢理姉の亜麻色の髪が染色させられたのは強欲な祖父の命令だった。婚約者が金髪好きだという噂を聞き付けてそれにおもねるように染めさせた。婚約して式さえ挙げてしまえば後戻り出来ないとばかりの所業だ。当時は他にも候補者がいた事もあって手段を選んでいられなかったそうだ。姉の本来の髪の色を知っているヘルフリートには、それが姉が欲望に汚されたようにも思えて不愉快だったし、それ以上に染色なぞしていると知れた日には姉の立場は……!!

 

「大丈夫。大丈夫だから、ね?心配しないでヘルフリート」

 

 強く握る拳にそっと触れる姉。か細い、少し力を入れたらへし折れてしまいそうな白い腕……ヘルフリートの拳を両手で優しく包み込みながら姉は少年に慈愛の視線を向けて宥める。

 

 だが、姉の言葉を聞いても……いや、だからこそヘルフリートは少しも安堵出来なかった。いつだって、どれ程苦しい時だって姉はそうやって自分を安心させるように偽りの言葉を吐き、無理した笑みを浮かべていたのだから………。

 

 沈黙が廊下と、そこに佇む親子の間を支配する。それを破ったのは不躾な大声であった。

 

「おおっ!そんな所におったかっ!!お前達、何をしておるっ!!早く車に乗らんかっ!!折角お呼び頂いた祝宴に遅れてしまうではないかっ!!」

 

 全く、とあからさまに不愉快そうな表情を浮かべるのは紳士然としたスーツを着こんだ祖父の姿だった。皺が深く刻まれた気難しそうな老貴族が早足に廊下を進み娘と孫達に向けて叫ぶ。

 

「……分かっておりますわ、御父様。遅刻する積もりはありません。先に降りていて下さいな」

 

 扇子で顔の下半分を隠したドロテアは心底うんざりとして、そして不愉快そうに実父にそう言い捨てる。その視線には明らかに嫌悪の感情が込められていた。

 

「ふんっ、此度の祝宴は極めて重要なものだ。挨拶回りのためにも早めに出席しなければならんのだ。急いで下に来る事だな、遅刻程度で諸侯の不興を買うなぞ笑えんからな!」

 

 諸侯の血を引きつつも、半分は下級貴族の血を引くが故に混じり物扱いされ軽んじられてきた元子爵は、娘の生意気な態度に鼻を鳴らし先にホテルの地上階に向かうためのエレベーターに向かう。ドロテアは剣呑な表情でそんな父の背中を射抜き、次いで小さく溜め息をついてから傍らの子供達に視線を向ける。

 

「……グラティア、ヘルフリート。話は聞きましたね?行きますよ。あの人の言葉を肯定するのは癪ではありますが、だからといって他の方々の不興を敢えて買う必要なぞありません」

「どの道、酒の肴として物笑いの種にされるでしょう?」

「卑しめられるよりかはマシというものです」

 

 息子の嫌味を淡々と切り捨て、ドロテアは廊下を歩み始める。グラティアはそんな母に恭しく付き従うように歩き始め……そんな母と姉を見たヘルフリートは心底悔しげな表情を浮かべ、小さく舌打ちすると渋々とその後を続いた。

 

 彼もまた分かっていたのだ。母も姉も自分が何をしようとも招待された祝宴に参加するであろう事を。そしてその場に自身が我が儘を言って参加しなければそれが家族を嘲笑う噂の種にされるであろう事を……。

 

 

 

 

 

 宇宙歴792年三月一二日のハイネセンポリスの夜、ゴールドシュタイン公とクレーフェ侯を主催者とした祝宴会は盛況だった。ハイネセンにおける亡命帝国人コミュニティはアルレスハイム星系を除けば最大規模を誇るためでもあるが、それだけが理由ではない。

 

 ダゴン星域会戦から今日に至るまで、様々な理由で同盟に亡命した帝国諸侯は二〇〇家近い。断絶した家を除いても亡命政府に加入する諸侯家は一五〇家は超えるだろう。一族単位ではなく個人単位で亡命した者を含めれば更に増える。

 

 亡命者のうち、かのジークマイスター上等帝国騎士のように熱烈な共和主義者を除く大半の帝国貴族は亡命政府に合流した。同時に大半の諸侯は宮廷の存在や文化的・政治的理由からアルレスハイム星系に在住する事を望んだ。そのためにこれまでハイネセンで主催される祝宴会に参加する諸侯の絶対数は決して多くはなかった。

 

 ところが過日、アルレスハイム星系に帝国軍が迫り、それに備えて多くの諸侯が疎開した。武門貴族の当主は兎も角、その妻子や文官貴族等は居残っても仕方無い。数百、ないし千に迫る数の門閥貴族がハイネセンを始めとした同盟各地の帝国人街に避難し、ヘリヤ星系での勝利により帝国軍の脅威が失われた現在も幾らかの理由により大半の貴族は未だに領地に戻る事はなかった。

 

 それ故、これまで宮廷で頻繁に行われていた宴会への出席者は激減し、その代わりにこのハイネセンにて開かれるそれにはかつてない数の貴族達が参列していたのだ。

 

 シェーネベルク街の一角に建てられた王宮の如きホテルは贅を極めていた。それはこのホテルが元来ハイネセンに行幸する皇帝や皇族一家を持て成すためのものだからだ。そして、ホテルの宴会ホールもまた、元来は皇帝とハイネセン在住の貴族達の親睦を深めるために用意された。そのために多くの諸侯が参列する宴会の会場とされても決して格式が不足する事はなかった。

 

 絢爛な装飾に数十万ディナールはするシャンデリア……数千人を収容する事も可能なホール会場に参列した諸侯ないしその家族は約一〇〇家、そこに準男爵位を得た下級貴族や同盟社会で独自に財を成した富裕な平民、更には亡命貴族と婚戚関係のある王政同盟加盟国の要人も若干交ざっていた。

 

 誰もが平民の年収並みか、あるいはそれを超える豪奢な装束に身を包み、特に貴婦人や令嬢達は貴金属や宝石を品格を損ねない程度に散りばねた髪飾りに首飾り、ネックレスに指輪で武装する。それは彼女達自身の美しさに磨きをかけるだけでなく、その家の財力をも見せつけるためだった。

 

 会場の彼方此方で給仕する大量の使用人達、裏手で数ダースにも及ぶ一流の料理人達が高級食材をその技術の粋を集めて調理したご馳走の山は絹のテーブルクロスがかけられた幾つものマホガニー材のテーブルの上で高価な食器に芸術的に盛られていた。会場に流れるクラシックなBGMはプロの楽団による生演奏だ。

 

 今回ゴールドシュタイン公とクレーフェ侯が主催したこの祝宴のためだけに投じられた資金は、恐らく数千万ディナールに及ぶ。未だにアルレスハイム星系の情勢が予断を許さない状況でありながら、多くの領民を置いていった貴族達がこのような贅沢をしている事を知れば、同盟市民の大多数は怒り狂う事だろう。

 

 尤も、主催した二人の諸侯からすれば寧ろ参列者の数に比べてかなり経費を抑えた、と述べるであろうが。亡命政府軍の損失や亡命政府の財政や経済を考えて節約したのが今の状態であった。同盟市民から見れば一ミリも努力の痕跡が見えないが、彼らは自らの節約具合を恥ずかしげもなく自画自賛した事であろう。我々はオーディンの腐敗した者共とは違う、民主共和政を奉じるルドルフ大帝の正統なる理念を受け継いだ真の貴族であると。

 

「……本当、失笑物だよ」

 

 主催者を始め、幾人かの力ある諸侯に挨拶回りをした後、祖父や母姉と別れたヘルフリートは、小さくそう嘲笑した。酷い喜劇(バーレスク)だと思った。そして皮肉気に会場に掲げられた巨大な三つの肖像画を見上げた。

 

 開祖ルドルフ大帝、国父アーレ・ハイネセン、そして現皇帝グスタフ三世の厳粛な肖像画は、しかし帝国でも同盟でもこの三者を同時に並べるなぞ想像も出来ない事であった。節操がないとすら言えるだろう。その意味で亡命政府は同盟でも帝国でもない異物である事がありありと分かる。

 

(まぁ、異物なのは俺達も何だろうけれど……)

 

 挨拶回りを一旦休憩し会場の端の壁に持たれるように佇むヘルフリートは、ジロジロと不躾にかつ横目に自身を覗く視線に内心で不快感を感じていた。

 

「あれかしら?ケッテラー伯爵家の次期当主というのは」

「直系唯一の男子だとか。いやはや、折角の男子が混じり物とはケッテラー家も不幸な事ですな」

「ゴールドシュタイン公の御孫さんが婚約者だったかしら?こういってはなんですけれど、少し血筋が釣り合わないのではなくて?」

「逆ですよ。だからこそです。陛下も名家たるケッテラー家の没落なぞ望んでおりませんから。仕方無く、血を継ぎ足して面目を保たせてやろうという事でしょうな」

「母親といい、姉といい、媚びを売るのが御上手なのでしょうね。本当卑しい事ですわ」

「いえいえ、祖父と曾祖母もですわ。流石は淫売の血筋というべきでしょうね」

「全く、仰る通りですわ」

 

 クスクス、と宮廷雀達が囀ずる。血統を至上とし、特権意識に凝り固まる彼ら彼女らからすればヘルフリートも、その母も娘も軽蔑の対象以外の何者でもなかった。

 

「っ……!!」

 

 気付かれないように奥歯を食い縛り、ヘルフリートは怒りを抑えつける。自身を罵るのはどうでも良かった。祖父が嘲られても気にしないだろう。しかし母や姉が貶められる事は耐えられなかった。

 

(大枚使ってやるのが自慢話に悪口大会か、本当にふざけた集まりだっ……!!)

 

 ましてや、そんな祝宴会に必死に準備して参加して、笑われる自分達は何をやっているのか等と考えると滑稽ですらある。唯一の幸運と言えば、今回はあの忌々しい男が軍務で出席していない事位だろうか?

 

「………」

 

 苛立つ意識を逸らすように視線を移動させる。そして偶然目をやった会場の一角を見れば、そこには軍服に身を包んだ高級軍人の群れがあった。ハーゼングレーバー同盟地上軍予備役大将にグッゲンハイム同盟宇宙軍大将、バルトバッフェル同盟地上軍中将に亡命政府軍地上軍第一五軍団司令官カールシュタール准将、あの問題児として知られるローデンドルフ伯爵夫人(亡命政府軍地上軍少将)までいた。同盟軍に所属している者達は白生地の礼服であるが、亡命政府軍に所属する者は独自に仕立てた華美な軍礼服を身に纏う。ローデンドルフ伯爵夫人が何やら大声で笑いながら語り、若干困り顔の周囲はそれに付き合っているようだった。所謂接待状態である。

 

 大笑いながらワイングラスの中身を呷る伯爵夫人は、ほろ酔いがちで機嫌良さそうな表情で周囲を見渡す。そして……何となしにヘルフリートと視線が交わる。

 

「えっ……?」

 

 がつがつと、外套をはためかせながらやって来る伯爵夫人にヘルフリートは困惑と、混乱から立ち竦む。彼には彼女が何故自分の元にやって来るのか全く理解出来なかった。しかし、それを待ってくれる筈もない。気付けば既に皇姫将軍はヘルフリートの目の前に立っていた。

 

「っ……!!」

 

 身長の差も在るだろう。顔の傷が威圧感を増すせいもあるだろう。しかしそれ以上に、最前線で繰り返した殺し合いの経験が生み出す圧にヘルフリートは気負されていた。思わず息を呑み、自身を見下ろすローデンドルフ伯爵夫人を見つめる少年。

 

「……確かお前さんがケッテラー伯爵家の嫡男だったか?」

「……は、はい。伯爵夫人。ケッテラー伯爵家長男のヘルフリートで御座います」

 

 鋭い視線で尋ねる皇女に、気後れしつつも敬礼で答えるヘルフリート。そんな彼を暫しの間将軍は見つめ……次の瞬間ニヤリ、と子供っぽい笑みを浮かべる。

 

「えっ……?うわっ……!?」

 

 その表情の豹変に驚いたヘルフリートは、しかし次の瞬間には身体を引き寄せられ、視界が奪われていた。顔に何か柔らかい感触がした。

 

「そうかそうか!お前がヴォル坊の義弟だなっ!じゃあ私はお前の義理の叔従母って訳だな!!はっはっはっ!!私が義叔従母かっ!よいよい!これからは遠慮せずに義叔従母と呼ぶが良い、可愛い奴め!!」

 

 豪快に笑いながらヘルフリートを抱き寄せて、わしゃわしゃと可愛がるように髪を撫でるアウグスタ。そこにあるのは純然たる好意だけであった。

 

「よしよし!今丁度バルトバッフェルの従兄達と話していた所でな!お前さんにも紹介してやろう!!同じ軍人の先達だ、顔を知っていて悪い事なぞあるまい?」

 

 独善的にそう言って、心底ご機嫌そうにヘルフリートの腕を掴み引き摺り始めるローデンドルフ少将。その力は到底か弱い姫君のそれでは無かった。

 

 半ば力尽くでヘルフリートは諸将達の下に連れられ、そしてローデンドルフ少将はヘルフリートの背中をバンッ!と叩きながら勝手に彼らに向けて紹介を始めた。

 

「おお!!こいつだこいつ!ヴォル坊の嫁の弟のヘルフリートだ!私の義理の従甥でなっ!お前達も可愛がってくれ!!」

 

 同盟人からすれば殆ど他人のような間柄のヘルフリートを堂々と身内として紹介して見せるローデンドルフ少将である。元より帝国貴族は一族の身内意識が強く、しかもこの皇女殿下は一際その拘りが激しい。それ故に彼女は何ら躊躇もなくそう宣言する事が出来た。

 

「あ、その……へ、ヘルフリート……ヘルフリート・フォン・ケッテラーで御座います。亡命政府軍幼年学校四年生であります……!!」

 

 此方に集まる将官達の(幾人かは敵意も混じった)視線に気後れしつつも、しかし姉のためにもここで恥を晒す事は許されない。ヘルフリートは直立不動の姿勢を取って教本通りの敬礼を行う。

 

「……ふむ。ヘルフリート君、暫くぶりだね。そう言えば貴家も招待されていたのだったかな?同僚達との話で夢中で、つい挨拶をするのを忘れていたよ。済まないね」

 

 義理の伯父に当たるバルトバッフェル中将はそのカイゼル髭を擦りながら、優雅にかつ自然体で非礼を詫びる。しかし、ヘルフリートは口にせずとも分かっていた。彼は挨拶を忘れたのではない、敢えて無視していた事を。

 

「これはヴィレンシュタイン家の子息殿ですな。随分と大きく、逞しくなられましたな、大変喜ばしい事です」

 

 グッゲンハイム伯爵の笑みは相手を嘲るようなものであった。武門三家最弱のケッテラー伯爵家の立ち位置を虎視眈々と狙っていた彼にとって、ヘルフリートは到底好意的に接する事が出来る人物ではなかった。

 

 ハーゼングレーバー予備役大将とカールシュタール准将は比較的平凡な挨拶をヘルフリートに行った。前者の家もグッゲンハイム伯爵家同様ケッテラー伯爵家の立場を狙っているとは言え、宮廷の意向を了解しているし、今更敵意を向けても何の生産性もない事も熟知していた。後者の家はそもそも関知する積もりもなく、ティルピッツ伯爵家の婚姻問題に距離を取っていた。何よりも両家共に何よりも目の前の皇女の面子も立てる必要もあった。

 

「そういえば、幼年学校を卒業した後は市民軍の方の士官学校に行く予定だったか?となると気軽に会えんようになるなぁ、寂しい限りだ。……軍種は宇宙軍と地上軍どちらを目指す積もりだ?」

 

 思い出したかのようにはぁ、と心底残念そうに溜め息をついてから、ローデンドルフ少将は好奇心の赴くままに尋ねる。内心で舌打ちしつつ、しかし相手が相手である。答えない訳にもいかない。ヘルフリートは渋々と、そして恭しく質問に応じる。

 

「……宇宙軍の方を目指す予定です。出来れば前線勤務を志望する積もりです。そちらの方が手柄を立てやすいですから」

「宇宙軍の前線勤務か。その分では将来的には正規艦隊の提督が狙いかな?」

 

 カールシュタール准将が少年の狙いを見抜く。常設艦隊であり、主力艦隊でもある同盟宇宙軍正規艦隊は同盟軍に冠たる精鋭であり、その提督職は数千人いる将官達にとっても花形部署だ。

 

「そうかそうか!となればヴォル坊と一緒になるかも知れんな!そうだ、私からも坊にお前さんを重宝するように口利きしてやろうか?」

 

 完全な善意でローデンドルフ少将は提案するが、それはヘルフリートにとって論外な提案だった。

 

「い、いえ……御気持ちは嬉しい限りですが態々ローデンドルフ少将のお手を煩わせたくはありませんので……」

 

 着任して早々にあんな男の下で働くなぞ吐き気すら催す。それどころか下手すれば自分が姉に対する人質にされかねない。自分を危険に晒さないために姉があの憎らしい男に跪き、涙を浮かべて懇願する様が脳裏に過ったヘルフリートは丁重に提案を断る。

 

「むぅ?別に遠慮する事はな……む、どうやら主役の登場らしいな」

 

 若干むくれっ面でヘルフリートの言葉に愚痴を言おうとするローデンドルフ少将は、しかしそのざわめき声に振り向いて呟く。

 

 ……二ダースの侍従と侍従武官に守られながら現れたのは白髪に同じく雪のような顎髭を揃えた老人であった。

 

 漆黒を基調にして金糸で作られた正肩章に袖章、飾緒が輝く。釦は全て双頭の鷲が刻印された銀製であり、胸元で輝くのは銀河帝国亡命政府軍大元帥を表す巨大な金剛石の嵌め込まれた星章を筆頭に亡命政府、あるいは同盟政府や同盟加盟国から受勲された勲章である。その背に纏う外套は紫の生地に金糸で鮮やかな刺繍が為されていた。恐らくはそれだけで何十人という熟練の職人が十年以上の月日を必要とするだろう細密さである。

 

 銀河帝国亡命政府皇帝にしてアルレスハイム星系政府首相でもあるグスタフ・フォン・ゴールデンバウム三世は齢八〇を超えても尚、その体躯は頑健であり、その顔立ちは実年齢よりも十は若々しく、覇気と活力に溢れていた。仮にオーディンに住まうもう一人の皇帝を見てから彼を見た者は何方が老齢であるかを確実に間違えるだろう。

 

 それ程までに不健康で困憊し新無憂宮の奥に閉じ籠る皇帝よりも皇帝らしく、大帝国をその背に背負うとしても十分な器があるように思えた。ルドルフ大帝には及ばないにしても、銀河帝国歴代皇帝の過半に勝る指導力を有する事は、即位から三〇年余りに渡り帝国と同盟の狭間で亡命政府を存続させてきた事実が証明していた。

 

「おお……」

「流石皇帝陛下、この御年になられても何と頑健な」

「何と雄々しく、覇気に溢れたお姿か」

「正に銀河皇帝に相応しき威風、オーディンの偽帝とは訳が違いますな」

 

 ユリウス一世長寿帝のように在位が長いだけでただただ不健康に後宮で美女を貪るだけの老皇帝であれば軽視され、うんざりされるであろう。しかしグスタフ三世は皇帝と星系政府首相を兼任し、老境に至っても尚多忙を極める身である。その実績もあり、この会場に集まる諸侯達がこの老皇帝に敬意を持つ事はあってもその逆は有り得なかった。

 

 諸侯が次々に皇帝に頭を下げ、礼を執る中でとある人影が近付く。彼らの出で立ちはこの場に集まる諸侯の中では僅かに異彩を放っていた。彼らの出で立ちは貴族的ではあったが帝国的なデザインとは僅かに外れていた。

 

 護衛と付き添いの侍従を侍らせた一団の主役たる少女は、老皇帝の下に来ると予め用意させた内容に基づいて口上を述べる。

 

「ゴールデンバウム家当主グスタフ三世陛下、御壮健で何よりです。我らがパルメレント王家から代表して今宵の祝宴会の招待に対する感謝の御言葉を贈らせて頂きますわ」

 

 そう言って優美にカーテシーを行う銀髪の美少女。帝衣を纏うグスタフ三世はその挨拶に慈愛の笑みを浮かべる。

 

「同じく、パルメレント王政府からもアルレスハイム星系政府からの招待に対して感謝の言葉を申し上げます」

 

 同盟議会におけるパルメレント星系政府選出議員もスーツ姿で同じく頭を下げてアルレスハイム星系政府首相でもあるグスタフ三世に挨拶を行う。

 

「うむ、パルメレント王家、及び王政府からの言葉、確かに頂戴した。共に価値観を共有する同志として貴国と貴国の王家の繁栄を心から御祈りさせて頂こう。……マリアンヌ、今宵は良く出席してくれた。細やかな祝宴であるが心行くまで楽しんでくれたまえ」

「はい、御爺様!」

 

 私的に声をかけられ、グスタフ三世に向けて花が咲いたような笑顔を向け、親しげに返事を向ける姫君。実際、彼女にとって目の前の皇帝は他国の君主であり、同時に自身の親族でもあった。

 

 存命するグスタフ三世の子供は二男三女。内、第二皇女たるオクタヴィアは亡命政府との交流が深いパルメレント『王国』の国王に嫁ぎ、一男二女を授かっている。今回の祝宴に参列しているのは次女のマリアンヌのようであった。齢にしてまだ一二歳の溌剌とした王女である。

 

 銀河連邦末期の混乱と戦乱の中で放棄、ないし分離独立したサジタリウス腕の植民地はその大半が戦争や資源や食料不足、技術力の衰退で崩壊し、コミュニティそのものが全滅した。どうにか生き残った勢力もまたその大多数は銀河連邦時代に比べてかなりの文明後退を強いられる事になる。恒星間航行技術を喪失した勢力も少なくない。

 

 危険に満ち満ちたイゼルローン回廊を通り抜けたアルタイル星系の強制労働者達は、サジタリウス腕でその支配圏を拡張する中で様々な政体を取りこの混沌を生き抜いた諸勢力と遭遇する事になる。

 

 それらの中には同盟政府同様に民主政を取る勢力もあったが、無論それだけではない。社会主義に似た国民監視体制を以て混乱を纏め上げた独裁国家、神権政治を以て人民を管理した宗教国家、一部の有力者による議会政治を行う寡頭体制、他勢力を屈服させる事で資源不足に対処した軍国主義体制、領土すら持たずに略奪と交易で生計を立てる放浪船団、そしてカリスマ的な指導力と血統により人民を統治する王政国家……自由惑星同盟が宇宙暦527年に成立した時点で、主要な勢力だけでも一〇〇を超えるコミュニティが、かつて銀河連邦において『ニュー・フロンティア』と呼ばれた宙域を舞台に抗争と講和、統合と分離、いつ終わるとも知れぬ離合集散を繰り返していた。

 

 自由惑星同盟の拡大、特に圧倒的な軍事力と科学技術を背景とした旧銀河連邦植民地の併呑は一面では一方的な侵略ではあったが、同時に曲りなりであれサジタリウス腕において慢性的に続いていた『戦国時代』に終止符を打ち、抑圧的で独善的ではあるものの平和と秩序を齎したのは紛れもなき事実である。だが、いつ滅亡するかも知れぬ弱小勢力は兎も角、列強とも称されたサジタリウス腕の大国群からしてみれば、寧ろ自由惑星同盟の存在は自国の進めていた覇権を台無しにした憎き外敵であったのもまた事実であった。

 

 宇宙暦335年から342年頃に成立したと思われるパルメレント王国もそんな列強国の一つである。恐らくは現地で自立した旧銀河連邦軍高官が軍事独裁制から更に推し進めて王政国家として成立したと思われるこの国は、一方で主星パルメレントが膨大な人口を養うだけの資源と食料生産能力を有し、もう一方で旧銀河連邦軍の系譜を受け継ぐ近代的な軍事力を持って『戦国時代』のサジタリウス腕における大国の地位を得ていた。

 

 宇宙暦578年までに軍事的敗北によりパルメレント王国は自由惑星同盟に屈服、間接統治を行う同盟の政治工作による国内世論対立と王政府に対する弾圧を耐え忍び、『607年の妥協』以降は立憲君主制をとって自由惑星同盟に加盟する諸国の内、尚も王政ないしそれに準ずる政体を取る加盟国と共同して同盟議会内に一定の勢力を維持し続けた。

 

 歴史的推移と政体故に同盟加盟国の中では比較的対帝国融和派加盟国の一つに数えられ、また亡命政府との交流も政府レベルから民間レベルでも密接である事も知られている。二十年以上前に行われたアルレスハイム=ゴールデンバウム家からのパルメレント王家への降嫁もその一環であった。帝政党を始め保守派からの反発もあったが、結果的にはこの同盟加盟の他王政国群との交流は亡命政府にとって政治的にも経済的にも多大な利益をもたらしたのは疑いない事実であった。

 

「おお、陛下!!相変わらず堂々たるお姿で御座いますな。ぶひっ!このクレーフェ侯、その御尊顔を拝せましたこと感激の至りで御座います。ぶひっ!」

 

 パルメレント王国からの客人に続いたのは、豚のように鼻を鳴らし、臭い汗を流しながらずしずしとグスタフ三世に歩み寄り礼をするクレーフェ侯爵である。形式は間違っていないのだが、この侯爵の場合礼儀作法以前にその体型のせいで何処か不敬な存在に見えてしまうように思われる。その背後からやって来る老境の貴族は亡命政府に属する諸侯の中でも一、二を争う名家ゴールドシュタイン公爵家の当主であろう。

 

 祝宴を主催する二人の大貴族からの挨拶にグスタフ三世は応揚に答える。そして、それ以降は各諸侯がひっきりなしに皇帝の下に足を運び挨拶をしていく。

 

「我々も御挨拶に向かわねばなりませんな、遅れれば不敬に当たります」

「とは言え、出来るだけ早く終わらせたいものだな。父上もお年だし、暫く御忙しくしていたからな。今回のような祝宴に参加為されたのも久し振りだ、負担はかけられぬよ」

 

 バルトバッフェル中将の言に、腕を組んでローデンドルフ少将が答える。ヘリヤ星系での勝利以前、そして勝利以降も皇帝が援軍の要請や疎開、借款等の交渉のために同盟中に足を運び奔走していた事は娘である彼女も承知していた。

 

「どうだね?ヘルフリート、お前も私達と一緒に行くか?」

「……いえ、私は皆様とは少し格が劣りますので。母や姉と共に御挨拶させてもらいます」

 

 ローデンドルフ少将が善意から提案した内容を恭しくヘルフリートは断る。ローデンドルフ少将達は皆現役の軍人かつ文句のない名家の生まれである。そんな中に混ざり物の餓鬼である自分が入り込んでいたら悪い意味で目立ってしてしまう。それで姉に要らぬ迷惑をかけたくはない。

 

「ふむ、そうか?」

「ローデンドルフ少将、行きましょう。皇帝陛下を御待たせする訳にはいきますまい」

 

 残念そうにする皇女に、バルトバッフェル中将が催促する。若干名残惜しげにヘルフリートを見た後、少将は踵を返して他の将官達と共に皇帝の下へと向かった。

 

「利口な判断だな。今後とも、そういう風に姉同様自身と家の立場を弁える事だ。そうすればそれなりに引き立ててやろう。……可愛い妹や甥の体面もあるからな、感謝する事だ」

 

 去り際に、バルトバッフェル中将が小さく、ヘルフリートにだけ聞こえるようにそう言い捨てた。その言葉にはあからさまに蔑みと嘲笑の感情が籠っていた。

 

「っ………!!?」

「ふっ」

 

 屈辱に震える少年を冷笑するように一瞥し、バルトバッフェル中将はローデンドルフ少将達の後ろに続き皇帝への挨拶に向かう。一瞬見えた侯世子のその目は乞食を見下すように冷酷だった。

 

 そして、ヘルフリートはそんな無礼しかないバルトバッフェル中将に対して怒り狂いつつも、しかしその立場の差から何も言う事が出来なかった。そして、その無力感から少年は絞り出すような声で小さく呟く。

 

「くっ……!糞がっ……これだから貴族共はっ……!!」

 

 それは彼が同い年の他の子供よりも冷静でかつ、自制心を有している証左であったかも知れない。

 

 だが、だからこそ少年は自らの懐に抱くその感情を屈折させ、その憎悪を肥大化させていた事もまた、事実であった。

 

「あっ、ヘルフリート!其処にいたのね!」

 

 いつまでその場に立ち尽くしていたのだろうか?その声に僅かに苛立ちながら少年は振り向く。気付けば周囲で談笑や食事に興じていた参列者の殆どはいなかった。皆、皇帝の下に馳せ参じてしまったらしく、だだっ広い会場の一角に人だかりが出来ていた。そしてそんな中で彼に若干慌てた風に駆け寄る実の姉。その姿に直ぐに少年は怒りを霧散させる。

 

「姉上……」

「ヘルフリート、もうすぐ皇帝陛下への御挨拶の順番になります。早く御母様達の元に行きましょう?」

「順番、ですか……」

 

 ちらり、と視線を移せば人だかりの中心でティルピッツ伯爵夫人ツェツィーリアが義理の祖母であるゲルトルートと共に皇帝に挨拶をしている所であった。その背後では次の挨拶に備え、母が祖父と共に控える。その順列に幾人かの貴族は興味深そうに、また他の幾人かは不快そうな視線を向けている。

 

 一昔前ならばケッテラー伯爵家の夫人がティルピッツ伯爵家の次に皇帝に挨拶の口上を述べるのは間違ってはいなかっただろう。一昔前ならば。

 

 前当主が戦死し、御家騒動のゴタゴタで弱体化して以来、グッゲンハイム家やヤノーシュ家、ホーヘンベルク家、ハーゼングレーバー家等が本来ケッテラー伯爵家の並ぶ順列に捩じ込んで来るようになった。帝室からすればケッテラー伯爵家が弱体化し当主が失われている以上、軍内の高位ポストを押さえている他の諸侯を優先せざるを得ない。実権なき家を理由もなく厚遇する余裕なぞ亡命政府にはないのだ。

 

 逆に言えば、その順列が戻ったという事実は皇帝がケッテラー伯爵家をどう遇する積もりなのかを公然と示していた。即ち帝室の遠縁たるティルピッツ伯爵家の婚家として厚遇し、その当主に将来的にそれに似合う地位を与える事を意味していた。

 

(まぁ、善意ではないんだろうけどね)

 

 母の元に行き、ちらりとゲルトルートに品定めされるヘルフリートは内心で呟く。全ては所詮宮廷の勢力バランスと秩序を維持するためだけだ。ケッテラー伯爵家とその家人を心配してでは断じてないのは周知の事実である。

 

「皇帝陛下、今宵は御会い出来た事誠に光栄で御座います。ケッテラー伯爵家を代表して感謝申し上げますわ」

 

 ティルピッツ伯爵家の夫人達が退くと、まずドロテアがカーテシーをして伯爵家全体の代表者として皇帝に挨拶の口上を述べた。それに続くようにヴィレンシュタイン子爵家を代表して祖父が頭を下げる。

 

「うむ、ケッテラー伯爵家も壮健で何よりな事だ。帝国の建国以来帝室を支える貴家の貢献は良く良く理解している。これからもより一層の忠誠と奉仕に励まれたい」

「無論で御座います。我らがケッテラー伯爵家一族とヴィレンシュタイン子爵家一族、共に皇帝陛下が恩ために今後とも役務に精励させて頂きますわ」

 

 皇帝と子爵夫人が型式通りの言葉を交わす。しかし、その微妙な言い回しにこの場の諸侯達の大半が皇帝の意志を理解する。

 

「……そちらの二人がお子さんかな?」

「ケッテラー伯爵家長女グラティアで御座います、陛下」

「同じく、長男ヘルフリートで御座います」

 

 優しげにドロテアの背後に控えたグラティアとヘルフリートにグスタフ三世が触れれば二人は礼儀作法通りに名を名乗り、皇帝に礼を執る。

 

「うむ、前当主も大変帝室を敬い、公明正大な御仁であった。諸君も御父上と一族の名誉と歴史に相応しい人物となる事、楽しみにさせて貰おうかの」

 

 そういって、特に次期当主たるヘルフリートに優しく、若者の成長を期待するように微笑む皇帝。内心は兎も角、完全に取り繕った外面はそうと理解しているヘルフリートですら思わず警戒心を緩め忠誠心を刺激される程のものであった。

 

「……陛下よりの激励の御言葉を頂戴し、感激の至りで御座います」

 

 ヘルフリートは小さく頭を下げ、そう無難に答える。

 

「宜しい。……そしてそちらのグラティア嬢は、確か婚約中であったな?随分と淑やかなフロイラインな事だ、式の際には私からも祝辞を贈らせて貰おう」

 

 ヘルフリートの返答に一応の合格点を付けた後、老皇帝は長女の方に視線を向けて『梃子入れ』をした。それは周囲の諸侯や夫人令嬢の決して友好的でない視線に対する牽制もあった。皇帝が公に祝い、祝辞も贈ると言えば、流石にあからさまに敵対的な態度は取れないからだ。

 

「は、はい!陛下の御厚意、感謝致します……!!」

 

 一方、グラティア嬢の方は皇帝の言葉に感動に打ち震える。彼女とて無能ではない。皇帝の言葉が何を意図するかはある程度考えが思い至ってはいた。それでも尚、門閥貴族として教育された事による思考回路が彼女に計算や打算を越えた感動を与えていた。特に現皇帝がどこぞの無気力な偽帝と違い敬服に値する人物である事と、彼女にとって皇帝からここまで厚遇する言葉を受けた事が初めてであった事が彼女の受けた衝撃に拍車をかけていた。

 

「……後ろが控えているようですし、それでは私達は一旦失礼致しますわ」

 

 ドロテアがそう言ってグラティアとヘルフリートを連れて退出を申し出る。祖父ルーカスは娘の言葉に一瞬反対しようとするが、ドロテアが首を振り背後を指し示すと素直に従った。背後に控える他の諸侯の視線に気付いたからだ。皇帝に接近出来る大きな機会ではあるが、だからといって諸侯から敵視される危険を犯せない。この辺りが引き際であろう。

 

 最後に一礼をして、ヘルフリート達は退出する。そして、人だかりから少し離れてから、グラティアは緊張の糸が切れたようにほぉ、と小さく息を吐いた。

 

「姉上、大丈夫ですか……?」

「大丈夫よ、ヘルフリート。流石に陛下とあそこまで近付いて御話しした事が無かったから、少し緊張してしまっただけ」

 

 心配そうにする弟に、グラティアは優しく答える。

 

「ふん、この程度の事で一々上がるでない。ヴォルター殿は陛下や他の皇族と御会いする事も少なくないと聞く。お前も嫁いだ後には同じように顔を会わせる事になろう。早く慣れる事だな」

 

 通りがかった使用人からワイングラスを受け取った祖父ルーカスは、グラティアにそう言い捨ててから葡萄酒を呷る。母親が準皇族である事もあり、孫娘の婚約相手が皇帝や他の皇族の覚えが良い事を老貴族は知っていた。彼からしてみれば貢ぎ物の孫娘が一々皇族相手に緊張して粗相をされては堪らなかった。

 

 祖父の態度に不快そうにヘルフリートは横目に睨み付け、次いで心配げに姉を見やる。一方、姉の方はと言えば祖父の言葉を悲しげに、しかし素直に甘受して、受け入れていた。いや、元より彼女に他者に逆らう等という発想があるのか怪しかった。そう、相手に喜ばれる都合が良く、扱い易い贈与品として躾られた彼女には……。

 

「………彼方はお客人も多く、御忙しい事ですわね」

 

 ドロテアは、娘の様子を見た後に呟く。彼女の視線の先には皇帝への挨拶を終えたティルピッツ伯爵夫人と御隠居の前当主夫人、そしてそれを取り巻く貴婦人や諸侯の姿があった。ティルピッツ家本家に仕える分家の令嬢や夫人も少なくない。

 

 ツェツィーリアはその美貌と権力とセンスから社交界の華であり、ブローネ侯爵夫人と並び夫人令嬢の流行の先駆者である。隠居した身である前当主夫人ゲルトルートも人脈が豊富であり、今回の祝宴の主催者ゴールドシュタイン公は実の兄である。ティルピッツ伯爵家自体の権勢もあって篝火に誘われる羽虫の如く人々が集まっていた。そしてそれは、そのまま今のティルピッツ伯爵家とケッテラー伯爵家の格差でもある。

 

「……前もってお聞きしておりましたが、やはり今日も旦那様は御出席なされておりませんね」

 

 ツェツィーリア達の周囲を見てから、その事実を改めて確認し、グラティアは小さく溜め息を吐く。現伯爵家当主アドルフは亡命政府軍宇宙艦隊司令長官であるためにアルレスハイム星系から離れる事は有り得ないとして、グラティアの……彼女の婚約者もまた軍務のために何ヵ月もこのような祝宴会を欠席していた。

 

 恐らくそう遠くない内に大規模な軍事作戦が実施されるのだろう。事実、本来ならばこの祝宴に参加していても可笑しくないロボス中将やムーア少将、クーデンホーフ少将、リリエンフェルト准将、リューネブルク大佐等大なり小なり亡命政府との繋がりのある名のある第一線級の実戦部隊指揮官達の姿も同じように何ヵ月も姿が見えなかった。

 

「そうですか……いえ、お役目であれば仕方ありませんね。ただ、お怪我等をなされていなければ良いのですが………」

 

 ヘルフリートがそう伝えると、何やら思い悩むように、憂いを秘めた表情を浮かべる姉。その切なそうで、儚い表情は血の繋がるヘルフリートですら、あるいはだからこそ思わず息を飲んでしまうものだった。

 

 同時に少年の心中に苛立ちの感情も沸き起こる。姉が何を考えているのかは分からない。しかし、その感情を向ける相手は分かっていた。それ故に姉にこのような顔をさせるこの場にいない男に対してある種の嫉妬と憧憬にも似た感情すら生まれていた事に、しかしヘルフリートはそこまで自覚は出来なかった。

 

「……姉う「ヘルフリートさま!!」えっ……?」

 

 姉に対して掛けようとした言葉は元気の良さそうな少女の言葉に掻き消されてしまった。ヘルフリートはその事実に腹を立て、しかしその声の主が誰かと思い至るとその感情を表情に出す事をギリギリで止める事に成功した。そして、振り向くと共に取り繕った表情を浮かべて少年は優しげに答える。

 

「そのお声は……レルヒェルート様ですね?」

 

 付き人でもある女中二人に追われながら走り寄って来たのは豊かな蜂蜜色の髪に碧玉のように輝く瞳の少女だった。パルメレント王家から来たマリアンヌ王姫も幼かったが、少女はそれ以上だった。間違いなく一〇歳にもなっていないだろう。デビュタントも済ませていない礼儀作法も習得仕切っていない子供である。しかし、同時に少年にとって、そして諸侯達にとっても軽視出来ない子供でもあった。

 

 ヘルフリートの婚約者として定められたレルフェルート・フォン・ゴールドシュタインは故人であるゴールドシュタイン公の妾腹の三男、その娘である。妾腹とは言え、祖母も母も末席ながら門閥貴族の娘であり、下級貴族や平民の女とは訳が違う。両親共に故人でもあり、その分自由に使いやすいゴールドシュタイン公の大切な『駒』の一つである。

 

「御挨拶をしておらず申し訳御座いません。まさかレルフェルート様まで参列しているとは思っておりませんでした」

 

 それは心からの驚きであった。正式な社交界デビューであるデビュタントの年齢は早熟でどれだけ早くても一二歳、遅くて一六、七歳であるとされている。無論、非公式に子供として参加する事も不可能ではないが、積極的に奨励されている訳でもない。マリアンヌ王姫が参加したのはどちらかと言えば外交的理由が強く、ティルピッツ伯爵家本家の長女アナスターシアは今夜の祝宴に参列してない。

 

「へへっ、ヘルフリートさまが参加なさるとお聞きしました。ですのでお祖父様に少しだけ顔見せできるようにおねがいしてしまいました」

 

 照れながらも、はにかんだような笑顔を浮かべるレルヒェルート嬢。そこにあるのは年相応の純情で、屈託のない好意だけであった。

 

「あ、ドロテアさまにルーカスさま、グラティアさまもこんばんはでございます!今宵はお祖父様のひらいた祝宴会にご出席いただき光栄です!」

 

 婚約者の傍で、ヘルフリートの家族にそう幼いながらも一生懸命に覚えた挨拶を述べる少女。年を考えればその礼儀作法は最低限満足出来るものであった。妾腹の孫娘とは言え、公爵が彼女の教育をぞんざいにしていない証拠であろう。

 

「これはこれはレルヒェルート様、今宵も実にお美しい限りで御座います」

 

 真っ先に半世紀近い年の差のある少女に媚びを売ったのはルーカスであった。ヴィレンシュタイン子爵家、いや公爵家の復活と繁栄のためには、このゴールドシュタイン公爵家の小娘に最大限取り入らなければならない事を老貴族はこれまでの経験から理解していた。

 

 少し遅れて子爵夫人、そしてグラティアも恭しく少女に礼を執る。レルヒェルート嬢もカーテシーをして返事をすると待ちわびたように再度ヘルフリートに視線を向けて、甘えるように抱き着く。

 

「お嬢様、流石にはしたなく御座います」

「他の貴人方の目も御座います、どうぞご自重下さいませ」

「うぅ……けど………」

 

 付き人の女中がはしゃぐ主人にそう申し出るが、当の少女は名残惜しそうにヘルフリートを見上げる。何処か寂しそうなその表情にヘルフリートは罪悪感を感じ取っていた。

 

「……ヘルフリート、レルヒェルート様と暫し会場を回って来なさい。ちゃんと指導したのでエスコート位出来るでしょう?」

 

 僅かに考える素振りを浮かべ、ドロテアが提案する。直ぐルーカスがその提案に食い付く。

 

「それは良い。ヘルフリート、レルヒェルート様を良く御守りし、先導して差し上げろ」

「えっ!?そんな……いきなり!?」

 

 ヘルフリートは困惑して姉に助けを求めようと一瞬思い付くが、直ぐにその言葉を飲み込む。祖父と母の提案に姉が逆らえる筈もない。寧ろ姉を困らせるだけだった。

 

「うっ……」

「ヘルフリートさま!」

 

 苦い表情で傍らで自分の礼服の裾を掴む少女を見下ろす。当の少女は期待半分、不安半分といった表情でヘルフリートの態度を見守っていた。その姿は心ある者にとって到底断り難いものであった。

 

「……承知しました。では、エスコートさせて頂いても宜しいでしょうか?」 

「はぁ……はい!」 

 

 結局、ヘルフリートには最初から選択肢なぞ皆無であった訳だ。教科書通りに恭しく膝をつき、手袋をした手を差出すヘルフリート。婚約相手の少女はそんなヘルフリートに顔を赤らめ、同時に心底嬉しそうに答える。

 

 内心で何とも言えない表情を浮かべながらヘルフリートは婚約者を連れて会場を回る事にした。家族に一礼をして、その場を後にしようとするヘルフリートは……その時に姉の表情の変化に気付いた。

 

「姉上……?」

「?何かしら、ヘルフリート?」

「い、いえ……何も………」

 

 若干動揺しつつも、そそくさにヘルフリートはその場を離れる。彼は気づいていた。姉が自分と婚約者の姿を見て、その会話を見て、その触れ合いを見て、何処か羨ましそうにしていた事を。そして恐らくはその意味は……。

 

「ヘルフリートさま?なにかございましたか?」

「……何もありませんよ、フロイライン」

 

 ヘルフリートは婚約者を安心させるように優しく笑みを浮かべる。そうすれば目の前の年下の婚約者は恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに笑みを浮かべる。端から見れば仲の良さそうな婚約者に見えるらしい。恐らくは母や祖父はその仲の良さを諸侯に見せ付けるために付き添いを命じたのだろう。

 

(尤も、形だけだけどね……)

 

 少女は兎も角、ヘルフリートには未だ目の前の婚約者を幼すぎる事もあってか妹のように可愛いがるなら良いとしても到底婚約相手として見る事が出来なかった。彼の少女に対する応対はレルヒェルート嬢の受ける好意にもかかわらず、所詮は全て躾られた通りのものに過ぎなかった。

 

 それでも尚、目の前の少女は偽りの善意と優しさを疑う事なく、笑みを浮かべていた。

 

「っ……!!?」

 

 思わず、ヘルフリートは顔を歪めていた。それが、自分がやっている事がどれだけ残酷なのかを自覚していたからだ。これではまるで、自分は姉を虐げるあの男と同類ではないか……!!

 

 無論、ヘルフリートには何の選択肢もない。家族のために、姉の顔を立てるために、家臣や領地、領民のためにも自分も姉も我が儘を言えない事位分かっている。そう、分かっている。そんな事は分かっているのだ。

 

 そしてだからこそ……いや、だからこそヘルフリートはこの道徳も、良識もない打算的で封鎖的な自分が生きるこの世界について思うのだ。

 

「貴族なんて、最低だ……!!」

 

 誰にも聞こえない小さな小さなその呟きは、彼の心の底からの独白だった……。

 




尚、婚約者が主人公の事心配している時、当の本人は多分従士に膝枕され甲斐甲斐しく世話されている模様、やっぱり門閥貴族なんか録な奴らじゃねぇな


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第百七十一話 直前の予約変更は店に迷惑がかかるもの

前回題名、良く見たら二周年が三周年になっとるやんけ!

……修正しました。単純な算数も出来ないとか作者の知能は小学生低学年以下かな?


「何?失敗したと言うの?」

 

 夕焼け空の窓辺に佇む青みがかった鮮やかな黒髪の貴婦人はその知らせに顔を歪めた。

 

 美容と健康に湯水の如く資産を注ぐ事で知られる門閥貴族は、特に夫人令嬢は平民に比べ平均して実年齢よりも一〇から二〇歳は若々しく見える事で知られており、わけてもこの侯爵夫人は類い稀なる美貌で知られる人物でもあった。それでも尚、貴婦人の表情は怒りと不快感で見る者を怯えさせる程におぞましく変貌していた。

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国の帝都オーディン、その中枢部に設けられた人類史上最大の王宮の名を『新無憂宮』、末端の近衛兵や使用人まで含めれば数十万、一都市の人口にも匹敵する人々が住まう絢爛豪華な宮廷……特にその内苑が一つが銀河中の美女を集めた後宮『西苑』であり、この貴婦人は『西苑』に設けられた大小の離宮の中でも特に巨大で華美な一宮の女主人であった。

 

 金孔雀宮(ゴルド・プファオ・パレス)と称されたその離宮は歴代皇帝の中でも特に御気に入りの寵姫が住まう慣例で知られていた。恋多き事で知られた第三代皇帝リヒャルト一世美麗帝の最愛の寵姫ルイーズ、第九代皇帝アウグスト一世愛髪帝がその髪を貪った事で知られるルシア、第二八代皇帝ヴィルヘルム一世武断帝に取り入ったヴィレンシュタイン子爵家のゾフィーに、その息子である第二九代皇帝ヴィルヘルム二世狂狼帝の寵愛を受け皇后と対立したドロテーア等がその代表格である。

 

 今代のフリードリヒ四世は歴代皇帝の中でも漁色家として知られる人物であり、手を付けた美女の数は優に千人を超えるが、現状四半世紀に及ぶその在位中にこの離宮を与えられた人物は唯一人であり、その人物がそのまま現在の家主でもある。

 

 髪の色に合わせた藍色基調のロココドレスに身を包み、翠玉の嵌め込まれた耳飾りに真珠の首飾りで着飾る貴婦人の名前はドランバルト子爵家の長女シュザンナと言った。弱冠一六歳で後宮に納められ、それから一年もしないうちに親子程の歳の差のある皇帝に純潔を捧げ、その寵愛を受けてベーネミュンデ侯爵夫人の称号を与えられたかつての『西苑』の女主人は怒りに打ち震えながら手元の扇子を思わずへし折っていた。

 

 天然物の孔雀の羽根を使い、職人が丹精込めて仕立てたそれの値段は優に一万帝国マルクはする筈であったが、当の本人はそれを塵にした事に一抹の罪悪感もなかった。彼女の思考を支配していたのはただただひたすらにどす黒い憎悪と嫉妬と焦燥のみであった。

 

 それもその筈、折角あの忌々しい下級貴族の女狐の弟を決闘にかこつけて抹殺出来ると思えば皇帝の仲裁で決闘そのものが中止させられ、仕方なく今度は暗殺者の群れを屋敷に送り込んだと思えば全員があっけなく返り討ちにあってしまったのだから。

 

「ま、まさか……幾ら何でもプロの暗殺者を四七人も送り込めば流石に仕止められると思いましたが……」

 

 宮廷侍医のグレーザーが髪の薄い頭から溢れる汗をハンカチで拭いながら答える。その口調は明らかにもたらされた事実に動揺し、恐怖していた。

 

 一人二人の暗殺者を返り討ちにしたのならまだ分かる。だが完全武装のプロの暗殺教団のメンバー四七人である。しかも相手は当の暗殺対象含めほんの数名でしかないというのに!挙げ句の果てには襲撃して来た暗殺者の半分が目標によって刀で斬り捨てられたとはなんだ!?意味が分からない……!!

 

「集めた情報によりますと、どうやらあの決闘で目標を仕止め損ねたあの男が事前に襲撃を伝えてきたそうです。そこで目標も万全の態勢で襲撃に備える事が出来たとか」

 

 ベーネミュンデ侯爵夫人に幼少期から仕える執事が誰にも気付かれぬうちに部屋の隅から現れて新たな報告をする。その知らせに齢三〇を越えても尚少女のように若々しく美しい侯爵夫人は、只でさえこれ以上ないと思えた恐ろしい風貌を更に般若のように獰猛に変貌させた。

 

「あの男め……!!仕事をし損ねたばかりか寝返りよったか!!」

 

 実の所、態態グレーザー医師を通じて手出しするなと警告したのにそれを無視して別の、しかも代々商売敵である組織の暗殺者達を雇用されたのだ。誇りを傷つけられた最初の暗殺者のちょっとした意趣返しであった。尚、その後、日を置いて改めて目標に決闘(暗殺)を挑んで失敗したばかりか、その覇気に当てられて臣下になってしまったのだが……流石に執事もそんな斜め上過ぎる展開までは把握していなかった。

 

「全く以て忌々しい!!姉弟揃って男をたぶらかす才能でもあるらしいわね、それならば後宮やら軍やらにおらず寒空の下で娼婦なり男娼なりなっていれば良いのよ!血筋も性分もなんて穢らわしいものなのかしら……!!」

 

 ギラギラと瞳を憎悪で輝かせるベーネミュンデ侯爵夫人。彼女にとっては自分の居場所を奪った小娘も、小癪なその弟も心底目障りな存在であった。

 

 いや、より正確には彼女は恐怖していたのかも知れない。彼女にとってあの姉弟は自分の存在と人生そのものを盗む存在に思えたのかも知れなかった。

 

 まともに考えれば分かる事だ。フリードリヒ四世と言う男は美貌こそ先祖代々美男美女の血を取り込んだ帝国の特権階級の常として平均以上の水準ではあるが、抜きん出る程の人物でもなかった。長らく続けた放蕩が肉体を蝕み、その顔は不健康そうにも見えた。皇帝としての権威に至ってはこれまでの行いの数々から形式的にこそ敬われているとしても、多くの諸侯は内心では軽蔑すらしていた。

 

 シュザンナ・フォン・ベーネミュンデにとって、皇帝の寵愛を受ける事はその人生の全てであった。そう、生まれた時から教え込まれて来た。

 

『皇帝の御心に添うように』

 

『皇帝のお気に召すように』

 

『宮廷での地位を揺るぎ無いものにするように』

 

『子爵家に繁栄をもたらすように』

 

 何度も何度も、物心がつく頃からそう教え込まれて続けて来た。その言葉を実現するためだけに彼女はその人生を費やして来た。そのために美貌を磨き、性格を矯正し、宮廷儀礼を覚え、教養を学んだ。彼女にとって愛を捧げるべき相手は『皇帝』以外に教えられてこなかった。

 

 そして、愛するべき『皇帝』の子供を産む機会を三度に渡り失い、飽きられ、その寵愛をどこの馬の骨かも分からぬ女に盗まれたとなれば、彼女の怒りは寧ろ当然の事であったのかも知れない。彼女には『皇帝』の寵愛を受ける以外の目的なぞ元より教えられてこなかったのだから。『皇帝』を奪われた彼女には最早何も無いのだ。唯一の存在意義を奪う少女を許す訳がない。許せる訳がない。

 

 ……彼女にとってのもう一つの悲劇は、皇帝が彼女の内心に然程関心を払って無かった事であろう。再三に渡り死産流産をしたにもかかわらずフリードリヒ四世は何の警備体制の変更もしなかったし、ましてや心を痛める寵妃を慰める事もせず、ただただ薔薇の世話か他の寵妃の元に訪れていたのだから。彼女にこれまで皇帝が授けた贈り物の数々も彼自身ではなく、侯爵夫人の好みや他の寵妃との派閥関係等を考慮した上で宮内尚書が取り揃えたものだった。当然ながら侯爵夫人はそんな事は知らない。

 

 無気力で虚無的な皇帝からすればベーネミュンデ侯爵夫人は所詮『都合の良い良質な女』以上のものでは無かったのだろう。幾ら献身的であっても、彼は寵妃が奉仕している対象は『皇帝』であって『フリードリヒ』ではない事を知っていた。恐らくは彼女は自分の兄や弟が『皇帝』であっても同じ位に兄弟達を愛した事であろう。少なくともフリードリヒ四世はそう思っていた。

 

 故に、フリードリヒ四世は気付かない。自らの行いが誰を苦しめているのかを。特に感慨もなく、美貌だけで手をつけた令嬢がどれだけ苦しみ、悶えているのかを。

 

「許せぬ……許せぬ………許せるものか………!!」

 

 離宮の窓辺で身体を震わせ続け、賎しい血筋の姉弟への呪詛の言葉を呟き続ける侯爵夫人。震えるグレーザー医師にはその姿が暖かい巣から追い出され怒り狂う猛禽のように思えた。

 

 しかし、今一人この部屋に控える彼には、彼女の姿が外の世界を知らず、関心すら持たず、飼い慣らされた哀れな籠の鳥に感じられた。

 

「シュザンナ様……」

 

 そして哀れな小鳥を、漆黒の燕尾服を着こんだ男は小さく誰にも聞こえぬ声でその名を呟き、そして直ぐに目を伏せて、静かに影のように付き添い続けた。

 

 自らの感情を押し殺して………。

 

 

 

 

 第五次イゼルローン要塞遠征作戦のための事前作戦は第二段階に移行した。即ち、同盟軍の軍事作戦に対する防諜と、欺瞞情報の流布による国境帝国軍に対する陽動である。国境に展開する帝国軍を可能な限りイゼルローン要塞から引き剥がし、その駐留戦力を削減する事が目的である。

 

 イゼルローン要塞駐留艦隊こそ要塞防衛以外の目的のために動く事は有り得ないとしても、その他の予備戦力まで相手にする必要はない。同盟軍は係争地域における攻勢を強め、一方で特殊部隊や諜報員により扇動した奴隷や諸侯、平民に反乱や暴動を起こさせ、また訓練や兵器・資金を提供した宇宙海賊や過激派共和主義者、その他の反帝国勢力による帝国国内における破壊工作や暗殺等のテロ活動、軍事行動を支援する。

 

 これ等の活動はまず順調に成果を挙げていると言えるだろう。帝国軍は国内と最前線に戦力の展開を始め、イゼルローン回廊における警戒網は弱体化しつつある事が情報収集艦や偵察型スパルタニアン、極秘に建設した監視施設等からもたらされる情報で判明した。

 

 宇宙暦792年三月一九日、マル・アデッタ星系にて同盟宇宙艦隊はイゼルローン要塞遠征に向けた最後の大規模極秘演習を実施し、その最終局面を迎えていた。

 

「成果は上々、と言った所でしょうか?」

「うむ、かなり厳しい訓練計画であったが……想定よりもかなり練度は向上したな。あの艦隊運動の動きを見たまえ。この妨害電波と攻撃を前にあれだけ息のあった連携が出来るとは」

 

 第八艦隊旗艦であり、先月末を以てシトレ大将の宇宙艦隊司令長官就任に合わせて同じく宇宙艦隊総旗艦に昇格した『ヘクトル』、その艦橋で総司令部航海部長クブルスリー少将が私の感想に頷く。

 

 遠征動員予定部隊の九割が参加する今回の演習は、総司令部にとって極めて満足いく結果を出していた。小惑星帯により形成された回廊をイゼルローンのそれに見立てて、電子戦部隊が最大出力で妨害電波を発生させて行った演習は、ここ数ヶ月の間に実施された演習に比べても遥かに苛烈で危険であり、下手をすれば四桁の死者が出かねないものではあったが……。

 

「到底通信妨害下とは思えない整然とした動きですね。沈没艦が未だ出ていないのも幸いです。これならば実戦でも十分通用しそうです」

 

 演習参加の艦隊の動きは、文字通り『一糸乱れぬ』というべきであろう。前回の遠征に参加した時も遠征艦隊は芸術的な艦隊運動をして見せていたが、今回の動きはそれに勝るとも劣らない。しかも大規模な訓練に付き物の死亡者や負傷者も想定を遥かに下回る数字に抑えられていた。数隻程が衝突事故を起こしたものの、損傷艦こそあれ沈没艦は皆無である。

 

「そう言えば貴官は第四回遠征に参加していたのだったな。私も第二回と三回に参加した事がある。イゼルローン要塞は難攻不落であるが……これだけの戦力を動員するのだ。今回の遠征を成功させたいものだな」

 

 腕を組みながら、クブルスリー少将は重々しく呟く。イゼルローン要塞遠征において最も重要な役割を受け持つ部署が航海部である。その最高責任者として、クブルスリー少将の肩に乗る責任もまた重かった。

 

 私は上官の発言に頷くと、視線を戦況モニターに戻す。六万隻の艦隊がデータ上に映される帝国艦隊とワルツを躍りながら砲撃戦を展開する中で、その背後から一〇〇〇隻程の別動部隊が作戦を開始する。

 

 データ上の帝国艦隊の後退に合わせて第四・第六艦隊を中心とした同盟艦隊が急速前進して並行追撃に持ち込む。第五艦隊が後方から支援砲撃を実施し、総司令部の置かれる第八艦隊及び独立部隊は全体の戦況を見渡しつつ増援部隊の投入や要塞の注意を反らすための攻撃を実施する。その隙にキャボット少将率いるミサイル艦中心の別動部隊が回廊危険宙域……ここでは代役を小惑星帯が宛てがわれている……をギリギリ迂回して見せる。

 

 元よりキャボット少将は艦隊運用の面で同盟軍において五本の指に入る名将である。ましてや今回、別動部隊は副司令官エドウィン・フィッシャー准将以下戦隊・群・隊レベルに至るまで全員が艦隊運用の専門家で占められ、個艦レベルでは全艦が熟練の艦長で固められていた。部隊内艦艇の一割にエース艦長が乗艦しているというのだから凄まじい。

 

 文字通り精鋭中の精鋭だけで固められた別動艦隊は平然と危険宙域と何重にも敷かれた警戒網を潜り抜け、イゼルローン要塞(役のマル・アデッタ補給基地)の背後に要塞の索敵班に気付かれずに展開して見せた。その動きに『ヘクトル』艦橋の各部署では感嘆の声が上がる。

 

「何と素早い!」

「あれだけの警戒網をあっさりと……」

「しかも陣形を維持したままとは、たまげたな」

「個艦レベルまで最高の人材で固めましたが、流石にここまでとは……キャボット少将は良く部隊の統率が出来ているようです」

「荒くれ者の艦長共をこうも使いこなすとはな」

 

 六万隻の艦隊運動も壮大であるが、キャボット少将の指揮もまた大胆にして緻密であり、その鮮やかさは目を見張るものがある。特に今年一月に別動部隊が編成された際に別動部隊参謀長役を兼務し始めたホーランドの助言もあり、編成されてから僅か数ヶ月の艦隊はまるで歴戦の勲功艦隊のようだった。

 

(ある程度本隊の練度が整った後に兼務してくれて助かったな。数ヶ月前倒しだったら激務で倒れてたぞ、私)

 

 六万隻の航海や陣形展開、そのための序列や推進材や燃料の消費量計算と補給・訓練計画を行うなぞ、かなりの重労働だ。下請けスタッフがいるし、最終決定は航海部長がいるとは言え笑えない仕事量だった。

 

 正直ホーランドの抜けたタイミングが絶妙過ぎた。少しズレていただけで多分スケジュールが狂っていただろう。繁忙期の仕事の内私とホーランドの仕事比率は多分三:七位だったぞ……?

 

「若様」

「ん?あぁ、受領書だな」

 

 ふと傍らに来たテレジアが差し出した書類を見て、私は懐からペンを取る。後方部からの推進材の受領確認書類であった。私が受領者の欄に受け取り確認のサインをしなければならない。

 

 因みに同じくベアトとテレジアも総司令部の航海部に捩じ込まれたが、当然ながら私よりも遥かに仕事をこなしている。何ならさっきいった三:七の比率すらベアトとテレジアの協力付きである。というか私なんでこんなに仕事とろいのに副部長なんかやっているんだろう……。

 

「疲れたのかね?顔に疲労が溜まっているぞ、副部長」

 

 書類を返してから小さく溜め息をつく私にクブルスリー少将が心配そうに尋ねる。尚、この人は私よりも遥かに忙しい仕事をしています。はは、ワロス。

 

「いえ、問題ありません」

「遠慮する事はない。人それぞれのペースがあるからな。貴官の能力で出来ない事を無理をしてまでやる必要はない。必要ならばサポートの体制は整える。本番で無理が祟る方が困るからな」

「ぜ、善処致します……」

 

 若干飽きれ気味な表情で、しかし労るようにクブルスリー少将は私にそう伝える。実際、本番での失敗が一番困る上に少将は既に私の能力の限界値について把握していた。過剰な期待も負担もかける積もりはなさそうだった。

 

「別に貴官の実力を見くびっている訳ではないぞ?無論、ホーランド准将の方が仕事は早いし正確だがあれほどの人材はそうそういるものではないからな。貴官とて、その分ならば分艦隊クラスの参謀職はどうにかなるだろう。経験を積む事だな。………さて、そろそろ作戦の本題だな」

 

 クブルスリー少将の言に釣られモニターを注視すれば、今回の遠征の作戦の肝が始まっていた。並行追撃で要塞主砲を封じた主力艦隊は空戦隊による要塞周辺宙域の制宙権を確保、そして(データ上の)無人艦部隊が護衛と共に前進する。ほぼ同時に要塞背後を取った別動隊が演習用のミサイルを一斉に吐き出す。

 

 無人艦隊とミサイルの飽和攻撃により要塞外壁を短期間の内に破壊した同盟軍は揚陸艦隊を前進させる。前衛と背後双方から揚陸艦が要塞に陸戦部隊を投入する。

 

「要塞表面異変!」

 

 オペレーターの発言に艦橋内の兵士達がどよめく。

 

「何だ?演習内容にはないぞ?」

「サプライズという訳かっ……!!まさかと思うが味方ごと要塞主砲を撃つのか!!?」

「射線内の艦隊を退避させろ!」

 

 艦橋のオペレーター達は大騒ぎで各部隊に無線通信を始める。モニター上の同盟艦隊は陣形を崩しながら射線から避難しようとするが、そう簡単には行かない。回廊自体の空間的余裕がないのは当然として、データ上の帝国艦隊の反撃が開始されたためだ。瞬く間に数百隻の艦艇が撃沈判定を受ける。そして………。

 

「『雷神の槌』、来ます!!」

 

 オペレーターの一人が叫ぶ。次の瞬間にはモニター上に巨大なエネルギー波の映像が映し出される。そして、要塞主砲射程圏内に展開していた二〇〇〇隻を超える艦艇が撃沈判定を受けた。

 

「………」

 

 艦橋内の参謀やオペレーター達が沈黙する。そして、ゆっくりと艦橋の一角に視線を向けた。総司令官用の座席に座るシドニー・シトレ大将はモニター上の散々な結果を見て腕を組み合わせ、唸った。

 

「うーむ、参謀長。これはいかんな。どうやらまだまだ我が軍の訓練は足らんらしい」

 

 何処か態とらしく、肩を竦めて傍らに控えるレ中将に向けてそう声をかけるシトレ大将。レ中将はそんなシトレ大将の態度に呆れ気味に首を振る。当のシトレ大将はそんな参謀長を無視して司令官用の座席から立ち上がると、無線通信回路を開き艦橋だけでなく、全艦隊にも聞こえるようにしてから意気揚々として宣言する。

 

「という訳だ。諸君、これが本番前の最後の大規模演習だ。妥協は許されん。故に、総司令官権限によりこれより演習を一週間延長しようと思う!!」

 

 自信満々に宣言したシトレ大将に艦橋要員達は互いに顔を見合わせる。互いに笑顔を浮かべ、再度シトレ大将の方を向いて、次の瞬間叫んだ。

 

『「ふざけんじゃねぇぞゴラァ!!!」』

 

 肉声と同時に、艦隊中のオープン回線から叫ばれた通信は、余りの量に一時的に『ヘクトル』の通信回線をシャットダウンさせた程であった。喧騒により大騒ぎになる艦橋……。兵士達が顔を真っ赤にして罵詈雑言が飛び交う中、私だけが顔を青くして、表情を引きつらせていた。

 

「……はは、マジかよ。タイミング悪過ぎだろう?」

 

 絶望したように、私はそう呻き声を上げていた……。

 

 

 

 

 

 

「ははは、これは凄い苦情の山だな!」

「総司令官、笑い話ではありませんぞ。兵士達の不満は爆発寸前だったんですから。憲兵隊が上手く処理しなければ暴動の可能性すら有り得ました」

 

 宇宙暦792年四月一日、通信管制を敷き、演習の存在そのものすら気付かせずにバーラト星系に帰還した六万隻の宇宙艦隊は、その大半がハイネセン衛星軌道上の宇宙桟橋に停泊し、補給と補充、補修を受け、乗員の多くもまた桟橋内の兵舎に帰り、遠征に向けた最後の休暇を楽しんでいた。いや、楽しんでいたというのは少し語弊があるだろう。事実、第八艦隊停泊用の宇宙桟橋『ヘスティア』の司令部のデスクには大量の抗議メールの山が築かれていたのだから。

 

「仕方無かろう。事前に言っても誰も味方撃ちなぞ半信半疑で到底真面目に取り組まんだろうし記憶に残らんよ。兵士達に印象付けて危機感を与えるにはあのようなデモンストレーションを行った上で追加訓練を行うのが一番だ。……それに、どの道機密保持もあるから大半の人員は地上に降りる事は出来んよ」

 

 デスクの上の手紙の山を一つ一つ読みながら黒人提督はレ中将に向けて苦笑を浮かべる。将官クラスの高級将校なら兎も角、末端の兵士ともなれば演習の内容を簡単に口にしてしまいかねない。作戦の機密保持のためには遠征までの最後の休暇もこの軍事施設であり民間人との接触も難しく通信も監視しやすい宇宙桟橋内の部屋で住まわせる他無かった。無論、それならまだ理解を示す兵士も多いだろう。だが、土壇場で演習期間延長は流石に我慢出来なかったらしい。

 

「ふむ、首都星に帰還してすぐ食えるように予約したデリバリーピザ食い損なったから賠償しろ!か。此方は……コンサートの生放送見逃したふざけんな!か」

「もうすぐ大遠征だというのにふざけた内容ですな」

「彼らにとっては大真面目だろうさ。今回の遠征で生きて帰れるか分からんのだ。残り少ない貴重な休暇を棒に振ったとなれば怒るのも仕方あるまい」

 

 士官ならまだしも、下士官や兵士ともなれば決して愛国心や信条だけで軍に就職した者ばかりではない事をシトレ大将は良く良く理解していた。

 

「……閣下、まさかとは思いますがかこの手紙全て読む積もりですか?」

「そうだがね、何か問題でもあるかな?」

 

 一〇〇〇通近くありそうな手紙を当然のように全て読むと言い切る宇宙艦隊総司令官に、レ中将は鼻白む。

 

「一応危険物はないか検査はしましたが……余り生産的な事とは言えません。所詮は末端の兵士達のいい加減な不平不満です。彼らも出しただけで満足して読まれるなんて期待しておらんでしょう」

 

 そもそも宇宙艦隊司令長官が態態一兵士の不平不満をしたためた手紙を読むなぞ馬鹿げている。そんなのは総司令部法務部なり憲兵隊の末端にでも任せておけば良いのだ。大将には大将の、二等兵には二等兵の役目がある。望遠鏡が顕微鏡の仕事をやる必要性は何処にもない。そんな事をする位ならば総司令官としての役目を果たすべきだ。

 

「そう言うな。ちゃんと総司令官としての仕事はしているだろう?今だって休憩時間ではないか。休憩時間をどのように使うかは個人の自由だろう?」

「屁理屈ですな。総司令官の仕事は楽ではありますまい。休める時に休まねば困りますぞ」

「別に無理はしてはいないさ。……それに、ふざけた作戦を指揮する身としてこれくらいの事はしてやらんといかんさ」

 

 手紙を読みながら神妙な表情を浮かべるシトレ大将。

 

 やるべき事は全てやった。しかし、それでも尚、此度の遠征では夥しい犠牲が出る事になるだろう。そしてシトレ大将は兵士達に死ねと命じる立場の存在であった。

 

 ましてや、今回の遠征における作戦はある意味で犠牲を前提とした内容だ。帝国軍が味方ごと『雷神の槌』を撃ち出す事すら想定し、それでも尚要塞を陥落させる事が可能な戦力を取り揃えたのだ。今回の遠征において、同盟軍首脳部は百万を超える大損害すら覚悟し、不退転の決意で作戦を作成していた。兵士達からすれば堪ったものではない。

 

「それでも、この遠征が成功すれば休戦への道が開けるのは確かだ。少なくとも将来的な犠牲は大幅に減らせるからな」

 

 シトレ大将は苦味の籠った声で呟く。そう、百万を超える犠牲を出したとしても要塞さえ攻略出来れば同盟軍はその軍事的な負担を大きく軽減出来るし、戦略・戦術双方で帝国軍に対して優位に立てる。そして、その分犠牲は減らせる。

 

 更に言えば、大量の犠牲を出してでも要塞を陥落させる事が出来れば主戦派も直ぐには軍事行動を起こそう等とは考えまい。荒唐無稽であるが無血開城したなら兎も角、大損害との引き換えであれば主戦派もそれ以上の出兵には及び腰になる事は当然であった。後はそのままの状態を維持すれば実質的な休戦状態に追い込む事も不可能ではない。

 

「だからこそ、そのために死なせる兵士達の愚痴を聞いてやる事は私の義務というものだよ」

 

 肩を竦めておどけて見せるシトレ大将。そんな上官に対して生真面目で気難しい遠征軍参謀長は顔をしかめ、嘆息する。

 

「職務に支障を来さない範囲でお願い致しますよ」

 

 そう言い捨てて、参謀長はデスクの上に書類を広げ自身の仕事に取り掛かる。参謀長は、休暇時間とは言え残り少ない貴重な時間を無駄遣いするような性格ではなかったのだ。

 

「やれやれ、君も人の事は言えんだろうに」

 

 若干呆れつつも、シトレ大将は手紙を読むのを再開する。遠征軍がイゼルローン要塞に進発するまで、残り九六時間を切っていた………。

 

   

 

 

 第五次イゼルローン要塞遠征軍に参加する予定の兵力は地上部隊と後方支援部隊も含めて八八六万七九〇〇名に及んだ。

 

 過去最大の動員である今回の遠征は、同時にその規模から情報の漏洩に最大限の注意が払われた。そのために一部の高級将校は兎も角として、投入兵力の九九・九パーセントは延長が為された地獄の演習日程終了後も地上に降りる事は許されず、流石に艦艇内では窮屈であるがために大多数は衛星軌道上の宇宙桟橋を始めとした軍施設内で遠征に向けた最後の数日間を過ごす事となった。

 

「とは言え、これではまるでお祭り騒ぎだな」

 

 私は第六艦隊が停泊する宇宙桟橋の廊下を歩きながら手に持つパンフレットを見てぼやいた。

 

『総員シネマスタジアム集合!!徹夜でギャラクシー・ウォーズシリーズ全話放映会開催!!最新エピソード・ナインも民間に先駆け先行上映!!参加費無料!!』

『遠征参加艦隊対抗大食い大会、優勝者は一年間購買部無料券提供!!参加者募る!!』

『第五艦隊所属要員限定!第五艦隊宇宙桟橋にて先着百名様限定で基地内パブ「虎猫亭」一日無料借り切り飲み放題!!急げ!!』

『第八艦隊ギャンブルサークル主催ビンゴ大会!一等にはサジタリウス腕一周銀河旅行券贈呈!その他豪華商品多数!!』

『第六艦隊陸戦競技場にて遠征軍参加部隊統一白兵戦技能大会主催!陸兵以外も参加可能!強者達よ来たれ!!』

『ドキドキ動画にて銀河の妖精フレデリカのハイネセンポリスコンサート無料生放送!!実況見逃すな!!』

 

 パンフレットにみっちり書かれた内容は到底軍隊内部で正式に交付されているものとは思えないものであった。

 

 イゼルローン要塞遠征等、同盟軍の大規模な攻勢的出征の直前には良くある光景である。機密保持の観点から民間での休暇を許されない兵士達の慰労と士気向上のために、上は総司令部から下は個艦単位に至るまで、様々な部署がイベントを主催するのだ。予算は軍の厚生費やカンパから出ており、各艦隊・地上軍内部に作られた同好会グループやマスメディア、軍と契約した飲食店や娯楽施設等も協力している。今持っているパンフレットは通りがかった総司令部広報部の軍属事務員から貰ったもので、これだけでは載せきれないので内容が異なるものがダース単位で存在した。

 

「相変わらず随分と酷い騒ぎな事です。出兵前にこんな体たらくとは……」

 

 これまでの出兵前の同盟軍兵士の惨状を思い出したベアトが顔をしかめる。出征前に宇宙桟橋内に設けられた歓楽街区画の酒場や飲食店、カラオケボックスにゲームセンター、キャバクラ、ホストクラブ、映画館等が兵士達で満たされるのは毎度の事だ。艦隊内同好会が様々なイベントを開きお祭り騒ぎを起こすのもいつもの事だった。ベアトにはそれが実に統制と軍規の取れていない状況に思えるらしかった。

 

「仕方無いさな。流石に同盟軍程の規模となれば末端の兵士にまで高い意識を植え付けるのは不可能だからな。亡命政府軍とは違う」

 

 唯でさえ、自由惑星同盟軍は現役兵力だけで六〇〇〇万以上、予備役を含めれば一億近い人員を有する人類史における最大級の巨大軍事組織である。これに匹敵、ないし越える軍事的勢力は現在と過去を見渡しても銀河帝国軍と銀河連邦軍、地球統一政府軍しか存在しない。そして同盟軍においては帝国軍のような洗脳染みた思想教育は民主共和政に似つかわしくないとして禁止されている。ましてや亡命政府軍に至っては規模が小さい事もあってその統制は本場の帝国軍以上である。比較する事すら出来まい。

 

 無論、兵士達の中には馬鹿騒ぎを好まず普段通りに最後の休暇を過ごす者もいる。もしくは部屋に閉じ籠り切りの者、怠惰に丸一日眠る者もいる。あるいはアライアンス・ネットワークシステムの軍内専用回線もこの時期は遠征軍兵士に対して優先的に回されていて、機密に触れない範囲で家族や友人とのテレビ電話も許可されているし、検閲こそあるが基地内や艦隊内部に設けられた郵便部に家族宛の手紙を出す兵士もいた。遺言書は軍規により可能な限りの全兵士に記入が義務付けられている。

 

 帝国軍とは違い、軍規を守り情報さえ漏らさなければ何をどうするも自由、それが民主主義国家たる自由惑星同盟の国軍であった。兵士もまた投票権を持った市民である以上、末端兵士で見れば帝国軍に比べ同盟軍兵士は遥かに福利厚生面で優れており、また権利も保障されていた。

 

「ほい、チーズ!」

「あっ?」

 

 背後からの声に思わず振り向けばフラッシュの音と共にパシャ!と言うシャッター音。何処か古めかしいフィルムカメラを手にしたグレドウィン・スコット中佐がニヤニヤした姿で此方を見ていた。慌ててベアトとテレジアが盾になるように前に出て腰のハンドブラスターに手をつけて警戒する。

 

「おいおい、二人共こんな所で撃つな。……射殺するなら人目のない所でやれ」

「おい、その止め方待てよっ!!?」

 

 私の言い草に迅速に突っ込みを入れるスコットであった。いや、だってお前さんには結構恨みあるし……。

 

「けっ!相変わらず美人を連れてリア充しやがってよ。俺だってファッションに気を使っているから見た目は悪くない筈なんだがなぁ……」

「まずナルシストな性格を直すこったな。そんなんだから合コンでも相手いないんだよ。つーかいきなり写真なんて撮るんじゃねぇよ。何してんだ?」

 

 髪を弄くるスコットにそう言い捨て、フィルムカメラを指差して私は尋ねる。

 

「あー、これか。俺の私物なんだけどな。遠征前に同好会で写真撮る企画があってよ。広報部が予算くれるってんで正に今出征前の遠征軍将兵の勇姿を写真に納めているって寸法さ」

 

 電子戦・コンピュータ関係の専門家である事もあってか、若干幽霊部員ではあるものの自由惑星同盟軍写真・動画撮影同好会にも加入しているスコットであるが、どうやら同好会丸ごと広報部に協力しているらしかった。

 

「そんで俺は同期の奴らの部署に顔出して写真を撮っている訳だな」

「要塞陥落したら広報誌に貼られ、負けたらお蔵入りか。副業なんかせずに仕事しろよ」

「仕事なら終わったよ。いや、正確には交代制でまだ少し仕事はあるが出立前にやれる事はほぼ終わってるぜ?」

 

 そう言っている間にもパシャパシャと遠慮なくカメラレンズを向けてシャッター音を切るスコット。おい、明らかに私じゃなくてベアトとテレジアの方撮ってるよな?

 

「俺だって誰を撮るかの自由位あるさ。少なくとも放蕩貴族よりも美人を撮る方が精神衛生に良いだろうよ」

 

 スコットの物言いに私は肩を竦める。ベアト達は随分不愉快そうな顔を浮かべるがスコットの方は一切気にしていないようだった。

 

「もういいからお前失せろ。私以外にも従軍する同期は結構いるだろう?」

「へいへい、ほれよ。撮影代だ、くれてやるよ」

 

 しっし、と私が立ち去るように手を振れば、漸く観念したようにスコットは撮影を止めて撮れ立ての一枚の写真を差し出す。振り向き際の私の写真だった。両脇には同じく若干驚き気味に振り向く従士の姿もあった。

 

「……結構上手く撮れてるじゃねぇか」

「伊達に隠し撮りばかりはしてねぇよ。さて、次はホーランドの所にでも行くかね。コープが一緒にいたらまた面白いのが撮れそうだ」

「お前、死ぬぞ……?」

 

 士官学校でもそれなりの成績だったのだから頭は悪くない筈なのだが……このお気楽さと学習能力の無さには呆れ返る。

 

「んじゃあ、あばよ。お互い生き残ろうぜ。俺もお前さんを最後に撮ったのがリア充してる写真なんてご免だからな!痴話喧嘩でぶたれているシーン辺りにしたい」

「言ってろ、ボケ!」

 

 くっくっくっ、と妄言を吐くスコットにそう言い捨てて、若干逃げ気味に立ち去るその後ろ姿を見やる。中佐にもなって本当に呆れたものだった。

 

「全く、無礼な人物ですね」

「スコット中佐は無能ではないのですが……人格的に問題がありすぎます」

 

 テレジアが、次いでベアトが殺気を帯びた視線で逃げるスコットを睨み付ける。その姿に私は苦笑を漏らす。

 

「危機感が薄い奴だからなぁ。放っとけ。………とは言え、悔しいが腕はやはり良いな」

 

 再度受け取った写真を見て、私は呟く。あれでも合コンにばかり出るためか同期の戦友達に顔が広く、戦没した同期の家族に顔を出す度に撮り貯めた同期の写真を遺族に差し出しているとも聞いた事があった。

 

「さて、無駄な時間を使ったな。行こうか?」

 

 私は小さく溜め息を吐くと写真を今一度一瞥する。そして小さく笑った。

 

「……本当、良く撮れているな」

 

 ベアト達が、と心の中で付け足す。そしてそれを上着の内ポケットに入れると、私は踵を返して当初の目的地に向けて再度歩き始めたのだった……。

 

 

 

 

「総員倣え!敬礼!!」

 

 その掛け声に練兵所に控えていた重装甲陸戦兵達は戦斧を掲げ、礼を執る。一目でその練度と規律の高さが分かる惚れ惚れとした動きであった。重量のある重装甲服を着込み戦斧を掲げているにもかかわらず直立不動で微動だにしない。

 

 私と背後に控える従士二人は彼らの横を通りすぎながら敬礼する。我々の行き先のリングでは丁度二人の陸兵が激しい白兵戦を繰り広げていた。

 

 多分、私だったら三〇秒も持たずに肉塊にされるだろう戦斧による鍔迫り合い。互いに相手に刃を振るい、受け止め、受け流し、フェイントを織り交ぜた反撃を仕掛ける。

 

「どちらも随分と疲弊しているな。どれだけ戦っているんだ?」

「はっ!訓練開始より十分程が経過しております!!」

 

 私の質問に答えたのはリングのすぐ外で控える第五〇一独立陸戦旅団所属第五〇一独立偵察大隊長エッダ・フォン・ハインライン少佐であった。此方は重装甲服ではなく、通常の平時用迷彩軍装にベレー帽である。

 

「マジかよ。確か重装甲兵同士の平均戦闘時間は四〇秒だった筈だよな……?」

 

 十分もこの激しさで戦闘を継続していたとか泥沼過ぎない?

 

 と、私がベレー帽を脱いで若干呆れ気味にしていると、重装甲兵の片方が私の存在に気付いたらしい、フルフェイスヘルメット越しに私と視線が合う。そして、その僅かな隙が致命的だった。

 

 次の瞬間には重い戦斧の一撃に私と視線が合った重装甲兵がギリギリで戦斧の柄で受け止めるが大きく仰け反る。そして、もう片方はその重心のバランスが崩れた所を攻め立てる。

 

「そこだっ!!」

「ぐっ……!?」

 

 重心が崩れた重装甲兵は、そのまま利き手に訓練用戦斧を叩きつけられた。

 

『右腕大腿骨切断、出血性ショックで戦闘不能・出血多量で二〇分後に死亡』

 

 重装甲服に備え付けられた訓練用AIが合成音声でそう宣言する。腕を切断された重装甲兵は低電圧電気ショックを受けた右腕を痛そうに擦りながら肩を竦めた。

 

「いやはや、旅団長殿。あれだけ一進一退の戦闘を繰り広げたのです。最後の最後にアレはないでしょうに」

「卿は戦場でも装甲擲弾兵に対してそう言い訳をするのかな?残念ながらこの旅団では甘えは許されんよ。甘いのは奥方と娘さん相手にだけにする事だ」

 

 バリトンボイスでの愚痴に対して、上官である勝利者は苦笑しつつ部下の言い訳を切り捨てる。

 

「リューネブルク大佐、お見事な腕前です。流石は薔薇の騎士団の騎士団長閣下といった所でしょうか?」

「その言い方は少々仰々し過ぎて恥ずかしいですな。普通に旅団長と言って頂きたいものですな」

 

 フルフェイスヘルメットを脱ぎ、汗だくの顔を従士から受け取った濡れタオルで拭きながらリューネブルク大佐は尋ねる。若干呼吸は荒く、それが試合がどれだけ熾烈なものであったかを証明していた。

 

「して、総司令部の航海部副部長がこのような所にお越しとは、何用ですかな?まさか戦斧の訓練に参加したいという訳では御座いませんでしょう?」

「いえね、少しの間そこの食客を御借り出来ないかと思いましてね。中佐もご苦労、最後しか見てないが良い戦い振りだったぞ?」

 

 リングから降りて、傍らのベンチに座りこみながら栄養ドリンクを飲む不良騎士殿にそう激励の言葉をかける。

 

「伯世子殿が来るのが後五分程遅ければ勝鬨を挙げる姿をお見せ出来たのですがね、ままならぬものですな」

 

 相も変わらず不敵な笑みを浮かべて、どぎつい台詞を吐いて見せる不良騎士である。私とリューネブルク大佐双方を詰っているようにも思える発言にベアト達を含む場の数名が不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。尤も、当の私とリューネブルク大佐はその発言を冗談として聞き流したのだが。

 

「元気そうで何よりだ。……大佐殿、問題御座いませんか?」

「構わんよ。この試合とてウォーミングアップでやっていたようなものだからな。それよりもシェーンコップ中佐の都合を聞くべきだろうな。中佐はな、明日の白兵戦技能大会に参加予定なのだ。しかも、自分の優勝に五〇〇〇ディナールも賭けていてな。負ける訳にはいかんらしい」

「娘を社交界に出しても恥ずかしくない一流の淑女に育てなくてはなりませんのでね。幼稚園から御嬢様方御用達の所となると費用が嵩むのですよ」

 

 肩を竦めて心底大変そうに答えるシェーンコップ中佐。うん、年間費だけで二万ディナールだもんね。雑費加えると一・五倍位するもんね。宮仕えで支払うのは大変だ。

 

「いやはや、子育ては大変な事だな。同情するよ。……だが、こちとら高給を支払っている雇用主なのでね。少し位時間を割いてくれても悪くないと思うのだが?」

 

 若干の憐憫を感じつつも、私は雇用主の権利を盾に偉そうに宣う。嫁のクロイツェルの方は大してそういう御嬢様教育について志向している訳ではないらしいが……やはり伯爵家次期当主の食客の娘という肩書きと、私も詳しくは聞いていないが娘に勝手に手を出した事もあってクロイツェルの実家が結婚するのを許可する代わりに嫁と孫の生活についてかなり高い要求をしてきたという事情もあるらしい。まぁ、その辺りは自業自得なので諦めて。

 

「お陰様で実家に中々帰れず寂しいものですよ」

「昨日テレビ電話はしたんだろう?」

「えぇ、帰ったら娘に遊園地に連れていく事を要求されましたよ」

 

 苦笑を浮かべる不良騎士は重装甲服を脱ぎ、片付けて、汗を拭いてから上着とズボン、スカーフにベレー帽を着込むと直立不動の姿勢を取り、敬礼する。

 

「ワルター・フォン・シェーンコップ中佐、只今参りました。出来れば手短にご要望を終わらせて頂けましたら幸いで御座います、伯世子殿」

 

 恭しく、華麗に、慇懃無礼にそう言って見せる不良騎士であった。口にする内容が無礼でも所作と言い回しで随分と印象が変わるものである。

 

「何、まぁ以前話した事の続きだよ。……そう面倒臭そうにしないでくれないか?時間から見て昼食は食べてないだろう?まぁ、奢るから来てくれや」

 

 あからさまに顔をしかめる不良騎士にそう餌をぶら下げて、漸く食客殿は同行を承諾した。やれやれ、私の財布もきついんだがね………。

 

 リューネブルク大佐に一礼してから私は従士二人に不良騎士を連れて第六艦隊収容用宇宙桟橋の歓楽街区画へと向かった。正確には歓楽街区画の一角に建てられた高級士官用レストラン『七匹の子山羊亭』に来店した。因みに当然のように支払いは私である。

 

「悪いがベアトとテレジアは別の個室で食べてくれ。好きな物を注文してくれて構わないから」

 

 不良騎士と共に宇宙が見える窓がある豪華な個室に案内され、その個室に入室すると同時に私は従士達にそう命じた。

 

「……承知致しました。隣の部屋で控えさせて頂きます。何かあれば直ぐに扉を開いて下さいませ、隣の扉は常に開いておきます。……シェーンコップ上等騎士、若様の護衛、お頼み致します」

 

 ベアトは僅かに苦い顔を浮かべ、しかし私の顔を見ると心配そうにしつつもそう言い、シェーンコップ中佐に役目を預ける。テレジアも同様に少し困りつつも承諾した。

 

「このワルター・フォン・シェーンコップ、微力なれどフロイラインの思し召しとあらば全身全霊を以て応えましょう」

 

 若干ふざけ気味で不良騎士が礼をしてベアトの申し出に答える。私は顔を振って呆れ、次いで従士二人に食事を楽しむように伝えてから防音製の扉を閉じた。

 

「やれやれ。あれでは付き人でも愛人でもなく、幼児を託児所に預ける母親ですな。……まさかとは思いますが幼児プレイ等やってはおりませんな?」

「何さらりと人の性癖調べようとしてんだよ」

 

 個室食堂に設けられた椅子に座りながら私は吐き捨てる。流石にそんなマイナープレイはしてないわ。

 

「その言い様ですと他のプレイはしているのですかな?」

「知るか」

 

 若干憤慨しつつ、私は気を落ち着かせるために窓から外の景色を見やる。直ぐに外には孤を描くように、青々しく神秘的な惑星ハイネセンの地表が映る。その周辺には大小の軍用ないし民間宇宙船舶が彼方此方へと航海していた。サジタリウス腕の経済・政治的中心であるハイネセンは民間だけで毎日一万隻を超える宇宙船舶が離着陸している事で知られていた。

 

「失礼致します。前菜とスープを御持ち致しました」

 

 フィンガーボールで手を洗い、ナプキンを敷いた所でノックの音と共に燕尾服を着た給仕が手押し車に乗せた料理を運んできた。前菜は魚介類と野菜のカナッペとゼリーサラダ、スープはクラーレ・リントズッペであった。両方、ライヒのコース料理としては一般的メニューとしては定番の料理だ。ワイングラスに食前酒が注がれると私は次の料理が来るまで給仕を退出させる。

 

「それで、何用ですかな伯世子殿?今の貴方の懐事情からして、お高い店を人に奢る余裕なぞ無いでしょう?」

 

 乾杯と同時に手慣れたように葡萄酒の香りを楽しみ、次いで呷った後、食客は尋ねた。

 

「まぁな。この店の代金は振り込まれたばかりの今月の給金で支払う積もりだ。それよりも問題は………」

「あー、大体予想がつきますよ。一応お聞きしますが、一体何方の方でお困りなのですか?」

「……女性関係」

「でしょうねぇ。予想出来ました」

 

 肩を竦めて前菜を食べ始める食客殿である。

 

「具体的には何が問題なので?以前に助言の方はさせて頂いたと思うのですが?」

「あぁ、うん。それがな……いやまぁ、助言通り贈り物は用意したのよ。でな?きついスケジュールを詰めてギリギリ時間は作ったのよ。無論、色々とご機嫌取りのポエムも考えた訳なんだ。それでな?………一度お願いしまくって時間空けてもらった約束を破った後って、どうやってもう一度誘えば良いのかな?」

「………あー、まぁ命かかっていないだけマシ、と考えるしかないですなぁ」

 

 私の恐る恐る尋ねた面倒過ぎる内容に、食客殿は食事の手を止め、頭を抱えて呻くように嘆息したのだった……。

 




某実況走者「残念ながら通常プレイの獅子帝『決闘者』イベントでは諜報能力・護衛能力が高い暗殺者を味方に加入出来ません。加入させるには正規ルートより功績点を挙げる事でうっかりシュザンナちゃんの慢心ポイントを減らし、暗殺者忠臣蔵ルートに入ってもらう必要があります。
 だから『チュートリアル・地上戦』では砂漠ステージに、『駆逐艦航海士』イベントでは駆逐隊旗艦に乗るまで何度も再走する必要があったんですね!」(唐突なRTA風味)


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第百七十二話 電気というものは現代社会の基盤という話

少し短めです


 宇宙暦792年四月四日……この年のハイネセン北半球は十年ぶりの厳冬から漸く麗らかな春の戸口に入ろうとしている時期であり、長く冷え込む夜は少しずつではあるが短くなりつつあった。

 

 それでもまだ雪は深々と降り、その寒さは到底コートやマフラー無しで夜を過ごすのは無謀と言える程のものではあった。ここ数日降り続ける雪はハイネセンポリス市が保有する除雪ドローンでは処理しきれず、街道の端では仕方なく積もった雪が山を作っていた。市の行政は除雪ドローンの追加調達も視野に入れていたが、ここ数年続く同盟財政の赤字と、それによる部分的な緊縮政策もありその提案は却下されてしまった。

 

 そんなハイネセンポリスの夜に、グラティア・フォン・ケッテラー伯爵令嬢はホテルカプリコーン・ハイネセンポリスの借りきった地上六三階のスイートルームの窓際で、緋色の絨毯が下に敷かれた安楽椅子に座りながら編み物をしていた。

 

 クラシックな趣の室内でカーディガンを纏いながら、暖炉の前で黙々と編み針を動かす姿は手慣れていて、また様になっていた。幾つもの配色……軽く一ダースは越えているだろう……の毛糸をよどみなく編み上げてゆくその手腕は十分に玄人はだしと言えよう。

 

 実際、彼女は女学院に通う前から粗方の淑女としての教養は最低限仕込まれていたし、その中でもヴァイオリンや作詩と並んで編み物はどちらかと言えば彼女にとって得意な分野でもあった。弟の幼い頃に帽子や手袋、靴下を作って上げた事もある。

 

 それは財政が豊かではないケッテラー伯爵家にとっても都合は良かった。本来ならば高級なオーダーメイドを購入すべきであるがそんな金銭もなく、かといって大量生産の工業製品を使うのも体面が悪い。門閥貴族の令嬢が自身の時間を使って手作りで編み上げた衣類は、その意味で実際の値段以上の価値がある代物であり、伯爵家にとっても辛うじて言い訳が出来た。

 

 ふと、グラティアは編み物をする手を止める。部屋の奥から足音が響いたからだ。視線を上向かせて彼女は部屋の奥を見つめる。

 

「春が近づいているにしては随分と冷え込みましたね、姉上。……今夜の祝宴会の出席はどうなさるお積もりなのですか?」

 

 軍服を基調とした礼服を着こんだ弟は、若干緊張した面持ちで姉にそう尋ねた。

 

「……御招待して頂いたリヒター男爵には恐れ多い事では御座いますが、欠席すると伝えて下さい。旦那様の御友人方に男爵の御親族がおりますので御納得頂けるとは思います」

「姉上!?」

 

 憂いを秘めて、困り顔で、本当に済まなそうに答える姉に対して駆け寄るヘルフリート。その表情は不満と怒りに打ち震えていた。

 

「男爵は確かに御納得頂ける事でしょう!ですが他に出席する貴族連中は別です!この前の欠席だって顰蹙を買ったんです!!あんな連絡無視してしまえば良いではないですか……!!?」

 

 そう言ってヘルフリートが視線を向けるのは姉弟から少し離れた場所に置かれたマホガニー材のテーブルであった。より正確に言えばテーブルの上に置かれた二つの封筒であった。共に高級紙が使われ、封筒には鷲獅子の蝋封が為されている。中に納められた便箋には達筆かつ完璧に礼を執った宮廷帝国語による連絡が記されており、恐らくは薫り付けのためであろう、ラベンダーの香水の仄かな香りも漂っていた。

 

 おおよそ、帝国貴族が婚約者に贈る手紙としては完璧な形式と礼節を備えたものであると言えよう。尤も、ヘルフリートからすれば所詮形式以外何もない存在であった。義兄となる筈の男がつい先日して見せた所業を思えば、その中身の時点で今すぐにでも封筒ごと手紙をズタズタに引き裂き、燃え盛る暖炉の中に投げ捨てたい気持ちであった。

 

「これまでの所業から薄々気付いてはいましたがね。まだ姉上はあんな男に従う積もりなのですか……!!?」

 

 ヘルフリートは、義理の兄となる筈である男のして見せた裏切りに顔を歪ませる。

 

 全ては二週間前の事に遡る。

 

 ここ数ヶ月、グラティアは自身の婚約者と同じハイネセンに住んでいても碌に顔を合わせる事もなかった。一つには婚約者が重要な軍務があり休暇を取る事が困難であった事もあるし、グラティア自身もハイネセンに集まった貴族達のサロンや御茶会、酒宴への招待に応じる必要があったためだ。そのため連絡は主に手紙によるやり取りであったのだが………。

 

「いきなり直接顔合わせしたいだなんて身勝手な事を。ましてや姉上が必死に時間を作ったのに約束を反古にするなんて……あいつはどれだけ姉上を馬鹿にしているのだ!!」

 

 ヘルフリートが詰るのもある意味では当然であった。グラティアは、ケッテラー伯爵家はこの十数年の間その血筋と御家騒動による弱体化から他の諸侯達から敬遠されていた。前当主は開明的過ぎる事で眉を顰められていたものの、一応は同じ門閥貴族として遇されてはいたが、その妻や子供達は違う。社交界への誘いは激減し、疎遠となる家もかなりの数に登った。

 

 そんな数少ない誘いでも参列者達はケッテラー伯爵家の妻子に対して不躾な視線を送る事も珍しくなかった。珍獣扱いならば、まだ好意的だ、貴族主義の強い家の中にはあからさまに蔑みの視線を向ける者も少なくない。

 

 ティルピッツ伯爵家やゴールドシュタイン公爵家との婚姻が確定した事で漸く少しずつ社交界への誘いが増えて、尚も蔑視する者も少なくないとは言え、以前程軽視されなくなったのは事実だった。皇帝から姉への配慮の言葉も効いた事だろう。漸く、漸く姉への風当たりが緩まって来たと思えたタイミングでその手紙は来た。

 

 婚約者が直接会いたい、その手紙の内容は簡潔に言い表すとそういう内容となる。しかし、だからと言って気軽に会える訳でもない。婚約者も、姉も、共に自由に使える時間は少なく、その少ない時間を合わせるのも至難の技であった。当然、会うといっても外で会う訳にも行かない。大貴族を出迎えるとなると相応の準備も必要だった。

 

 祖父はサロンや茶会の一部で姉を欠席させてでも婚約者の要望に答えるように姉に命じたのは、この一件でティルピッツ伯爵家側の機嫌を損ねたくなかったからだ。そうして姉は婚約者に望みの時間で出迎える事を手紙で伝え、その間の時間を幾つかの誘いを、それこそ誠心誠意謝罪して出席を断る事となった。

 

「そうやって姉上が作った時間を、事前の連絡無しに無為にするなんて……!!」

「落ち着いて、ヘルフリート。旦那様にも事情があるのですから」

「事情があれば許されるのですかっ!?仮に事情があったとして、姉上がこう何度も何度も辱しめられる必要なぞないでしょう!!?」

「ヘルフリート………」

「っ……!!」

 

 姉の悲しげな表情にヘルフリートはそれ以上の言葉を封じられる。

 

 ヘルフリートにとって、姉を取り巻く余りに身勝手な環境は、そして姉を虐げいたぶる男の存在は憎しみの対象でしかなかった。それ故に彼には姉が何故そこまであの放蕩貴族を庇いだてするのか理解出来なかった。

 

「……もう御時間です。貴方はお行きなさい。どの道私はこれから準備しても間に合いません。貴方まで遅れる訳には行きませんよ?」

 

 優しく、諭すようにそう声をかけるグラティア。歯を食い縛り、悔しそうにしつつも、しかし姉の言の通り彼もまた遅れる訳には行かなかった。それ故に葛藤しつつも彼は一礼する。するしかなかった。

 

「……分かりました姉上。失礼致します」

「はい、ヘルフリート。どうぞケッテラー伯爵家の嫡男として恥ずかしくないように。……余り緊張せずに楽しんで下さいね?」

 

 最初は厳しげに、しかし最後は優しそうにそうグラティアは弟に言った。その姿に、ヘルフリートは内心で一層無力感を感じつつも粛々とその場を去るしかなかった。

 

「……」

 

 弟が部屋を去るのを最後まで見届けると、ふと極自然にグラティアは窓辺に視線を向けた。ホテルの高層階からは広大なハイネセンポリスの摩天楼、そして多くのトレードマークを視認する事が出来る。

 

 第一区の最高評議会ビル、第四区にあるハイネセンポリス最大の高層ビル『リパブリック・エレメンタル・ビルディング』は七七七階建て全長一キロメートルを越える複合ビルであり、大企業オフィスや高級レストラン、有名ブランドのショップが軒を連ねている。目を凝らせば市街地を一望出来る郊外の山地に佇む全長一八八メートルのアーレ・ハイネセン像もうっすらと見る事が出来るだろう。港湾部に近い一〇区にあるハイネセン記念スタジアムでは今夜有名アイドルのコンサートが行われるために花火が打ち上げられ、虹色の照明の光が遠くからもはっきりと視認出来た。どれもハイネセンポリスの観光名所である。

 

「雪もそれなりに積もってますね。この分では道が少し渋滞するかも知れません」

 

 幾ら宇宙暦8世紀の効率化された交通インフラとは言え、この雪に大規模なイベントが重なっているとなれば渋滞も十分にあり得た。特に長年に渡る戦争による高度かつ熟練の専門技術者の慢性的不足は少しずつ、未だに表面化はしていないが同盟社会システムに罅を入れつつある。ともなれば油断は出来ない。

 

「地上車は暖房が効いているでしょうが……一応準備だけでもしておくに限りますね」

 

 呼び鈴を鳴らし、奉公人の女中達を呼び出し、万一に備え温かい飲み物と毛布を用意するようにグラティアは命じる。そして。それを終えると再度外の景色を見やり、小さく溜め息をこぼし、彼女は編み物を再開したのだった………。

 

 

 

 

 

 ハイネセンポリス・リムノス湾の人工島に建設されたハイネセン民間宇宙港に着陸したシャトル、そこから降り立った私を出迎えたのは冷えきった冬の風と深々と静かに降り注ぐ雪であった。遠征軍総司令部人事部に掛け合って紆余曲折の末にハイネセンポリスへ降り立つ事が出来たのは不良騎士との食事をして助言を受け取ってから三日が過ぎての事であった。

 

「若様、失礼致します」

 

 背後から直ぐ様ベアトが私の軍服の上に防寒着を被せる。

 

「あぁ、有り難う。……行こうか」

 

 カプチェランカに派遣された時とは違い日帰りの予定なのでアタッシュケース等の大柄の荷物は持ってきていなかった。『アレ』を除けば精々がハンドブラスターに財布、携帯端末程度のものだ。それは連れ添う従士二人も例外ではない。

 

「旅行シーズンでもないのに存外混み入っているな……」

 

 ハイネセン民間宇宙港のターミナルを進みながら私はぼやく。例年に比べてこの時期に比べて客が異様に多いように思えたのだった。いや、確かに冬季であろうともアルビカ氷河湖やマウント・レジャイナ等観光やレジャーに向いた場所はあるが……それを差し引いても若干混んでいるように思える。

 

「あー、大方お前のせいだな?」

 

 ふと、ターミナルの壁に貼られた広告を偶然見つけ、私は足を止めて苦々しく呟いた。私の視線の先には生意気にウインクするヘーゼル色の髪をした美少女がいた。広告の見出しは『超銀河級!!銀河の妖精ハイネセン記念スタジアムで三日連続コンサート!!』である。

 

 フレデリカ・グリーンヒル、愛称としてフリッカ、フレイ等とも呼ばれるこの少女は宇宙暦792年四月時点で一六歳、若さと美しさと話題と技術を兼ね備えた油の乗り切った大人気美少女アイドルである。

 

 気さくさと可愛らしさ、そして時たま見せるキレキレの毒舌は老若男女の心を掴み、歌唱力だけでなく、その記憶力や演技力からアニメの声優やCM・ドラマ・映画で子役やヒロイン、主役としても幅広く仕事をこなす。

 

 しかも父親は自由惑星同盟宇宙軍第四艦隊司令官ドワイト・グリーンヒル中将であり、惑星エル・ファシルでの脱出劇にも関わり、挙げ句には政府のサービスとは言え民間人でありながら自由戦士勲章を受けた数少ない受章者であった。銀河三大映画祭の内サジタリウス腕映画祭とフェザーン国際映画祭の双方で主演女優賞を受賞した事、ギャラクシー・レコード一七週連続一位を三度経験した点も見逃せない。

 

 止めは所属プロダクションであろう。銀河七大プロダクションにしてサジタリウス・アイドル事務所四天王の一つである大手老舗プロダクション『クワトロ・ワン・プロダクション』の筆頭アイドルの地位は全銀河のアイドル達の羨望の的だ。

 

 ……因みに年収では既に父親を遥かに凌駕しているので課税対策のために収入を分けているそうな。最早どちらが生活費を稼いでいるのか分からない位らしい。この前グリーンヒル中将が娘のコンサートをCDで見ながら遠い目で教えてくれた。娘に養われる父親って悲しいね、バナージ。

 

「いや、まさかこんな形で原作改変されるとか誰が想像するかよ……」

「……若様?何か仰りましたか?」

「んっ!?い、いや……大した事じゃないさ」

 

 独り言に反応してテレジア(此方も軍服姿にコートだった)が尋ねる。私は肩を竦めて誤魔化し、そのままターミナルを出て駐車場に停車する無人タクシーを捕まえる。

 

 身分証明書を兼ねるクレジットカードをかざせばセンサーで存在を探知した無人タクシーが扉を自動で開いてくれた。

 

 助手席にベアト、後部座席に私とテレジアが乗り込むと、それを確認したベアトが音声で行き先の指示を出す。次の瞬間には車載AIが安全確認とシートベルト着用の呼び掛け、目的地と人数を復唱して扉を閉め、若干雪が積もるアスファルトの道を発車した。

 

「そう言えばこのルートで降りるのは久し振りだな」

 

 人工島とメガロポリスが広がる大陸の間に架かる大橋を無人タクシーが走る中で私はふと、思い出してベアトに問いかけた。普段はスパルタ市の軍事宇宙港から降りる事が多いので、民間宇宙港を使うのは本当に久し振りの事であった。具体的には士官学校入学試験のために初めてハイネセンを訪れた時以来だ。

 

「随分と昔の事で御座いますね」

「十年以上前の事だからな。いやはや、時間の流れは早いものだね」

 

 そう言って、頬杖をしながら私は窓から外の風景を見やる。そして、目を細める。

 

「……まぁ、あの頃と変わらないのは喜ぶべきか悲しむべきか、悩む所ではあるがな」

 

 ハイネセンポリス程の大都会ともなれば常に建設作業や再開発が為されるものだ。そして宇宙暦8世紀の建築技術は前世より遥かに迅速に高層ビルの建設を行って見せる。十年もあればそれなりに市街地の姿が変貌していても可笑しくはない。しかしながら………。

 

(昔と変わらんな。いや、僅かに寂れている?人気も記憶にある頃よりは若干少ない気がしない事もない、か……)

 

 夜のオフィス街に灯る電灯、あるいは商業区のテナントやネオンの光を、もしくは歩道を歩く人々やハイウェイの車列を過去の記憶と比較して、私は僅かに焦燥感を抱く。

 

 流石にあからさまには衰退はしていないにしても、私が士官学校に入学してから今日までの間に同盟政府は段階的に、少しずつではあっても確実に増税し、軍事費を拡大してきた。そしてそれと連動するかのように同時に毎年の戦死者数も微増を続けて来た。

 

 イゼルローン要塞の存在が、補給の限界から限定されていた同盟・帝国間の軍事的対立を激化させてきたためであるが、それによる同盟経済の軋みは刻一刻と、確実に社会そのものを蝕みつつある。

 

 特にエル・ファシル陥落から発生した十数もの有人惑星の陥落と一億に迫る難民の発生が同盟経済に大打撃を与えた事は記憶に新しい。難民の発生は国境宙域の経済活動を停止させ、同盟政府の税収の減少と歳出の増大、航路の治安の不安定化とそれらの要因による株価下落、企業業績悪化による不景気を引き起こした。そして、同じような事は今後何度でも起こり得る。

 

(アルレスハイム星系まで陥落していたら洒落にならんかっただろうな……)

 

 単純計算で難民が倍近くまで増えたら同盟政府の財政予算的に洒落にならない。原作の帝国領遠征でも一億二億の占領地住民を養うので精一杯であった。国内なのを考慮してもどれだけの財源を確保出来た事か……。

 

(これでも『まだマシ』かも知れない訳か。笑えんな)

 

 私の存在が、あるいはそれ以外の理由でどれ程原作と状況が乖離しているのか正確には判断出来ない。ただ、少なくとも原作の状況よりはマシである可能性が高い。それだけは救いであった。

 

 ………無論、必死に改善しても全てひっくり返される可能性もあるのだがね?

 

「はぁ、まるで賽の河原の石積みだな……って、うん?」

 

 ふと次の瞬間、それが私の視界に映りこんだ。横断歩道を通り過ぎる刹那、突如市街の電灯が次々と消え、またたった今通り過ぎた横断歩道に設けられた信号機の色もまた、一瞬で全て消え去った事に気付く。そして………。

 

「……!!若様、失礼致します……!!」

「えっ!?」

 

 鳴り響くクラクション、急停止する無人タクシー、慣性の法則に従い前のめりになる私を誰かが伏せさせた。そして、次の瞬間には私は激しい衝撃に襲われていた。

 

 宇宙暦792年四月四日午後六時三五分、ハイネセンポリスの三割を占める市街地で大規模な停電が発生した。宇宙暦746年に発生した『アッシュビー暴動』による送電設備破壊による大規模停電以来、首都を襲った四六年ぶりの大停電であった。そしてそれは、慢性的に続く戦争の負担により自由惑星同盟の社会インフラが崩落し始めている事を表す最初のシグナルであった………。

 

 

 

 

 

「首都にて大規模停電?」

 

 その報告を受けたシドニー・シトレ大将は神妙な顔付きとなった。補佐官なるダスティ・アッテンボロー中尉は報告を続ける。

 

「治安機関と憲兵隊の調査の結果、幸い破壊工作の類いではないようです。どうやら老朽化した送電システムにガタが生じたのが原因だそうで。現在発電会社と警察、消防、首都防衛軍等が混乱の収拾を開始しております。二四時間以内に送電は再開されるかと。統合作戦本部及び国防事務総局からも遠征軍は本件に介入するな、との事です」

 

 事件性はなく、しかも大規模な遠征前である。下手に遠征部隊を動かして機密情報が漏れる事を政府と軍上層部は恐れているのであろう。被害自体は決して重度のものではなく、一日前後で復旧する程度のものである事も理由だろう。とは言え、遠征軍に一切の影響がないかと言えばそれも嘘ではある。

 

「被害地域とのテレビ電話が出来ない事で一万件余りの苦情が遠征軍より出ています。その他宅配等の遅配が六〇〇〇件余り、また被害地域に降りていた将校等四〇三名の内、一一八名との連絡が未だに取れていません」

 

 出征前の家族友人との最後の電話が出来ない事は兵士達の士気に大きな影響を与える。宅配便の大半は私的なものではあるが時期が時期だけにこれも問題だ。大半が少尉以上の将校であり、全軍の中では極々一部とは言え、遠征軍参加の軍人が出発までに帰還出来なければこれはこれで問題であった。

 

「ふむ、成る程。国防事務総局との会談が必要だな。……それにしても、首都でこれ程の大停電が起こるとはな」

 

 宇宙暦8世紀においたは地震や津波、火山活動といった自然災害はほぼ完全な予測が可能となっており、そもそも都市の大半はそう言った自然災害の起こりうる地域に設けられる事はない。故に此度のような事が起こりうるのは機械的・人的な理由による事故かテロや暴動、破壊工作によるもののどちらかである。そして、過去四六年に渡りその双方の面でここまでの規模の大停電が発生したのは初めての事だ。

 

「単純な事故ではありますが、そう楽観的に考えるのは早計ですね」

 

 アッテンボロー中尉は此度の大停電が単なる事故であり、同時にそれだけでない事も熟知していた。特にイゼルローン要塞建設とそれによる戦闘の激化が同盟の民間インフラ・人材投資に悪影響を与えている事を、士官学校において品行以外は優秀であった彼は見抜いていた。

 

 特に兵器がハイテク化の一途を辿る宇宙暦8世紀においては銃を撃つだけの無学な戦闘屋は殆んど役に立たない。末端の兵士に至るまでハイテク兵器運用のために大なり小なりの科学知識と機械工学的技術が求められる。事務方や後方勤務にしてもそれはそれで高度な専門知識が必要だ。自由惑星同盟軍は確かに人口比による動員兵力は歴史上の国軍に比べて格別に高い訳ではない。しかし、その動員する兵士達の教育面での質は同盟社会の上澄みであり、その喪失は単なる数以上のものである事は確実なのだ。

 

「数年前から経済開発・情報交通・人的資源委員会の三委員会が軍部に対して専門技術者の民間放出を要求していたからな。財政委員会も軍事費の削減を要求していた。軍部の上層部は今が国防の正念場であるとして要求を拒否してきたが」

 

 ここで言う国防の正念場とは、即ちイゼルローン要塞の攻略である事は疑いなかった。あの要塞さえ陥落すれば帝国国境の警備の負担は予算的にも人員的にも数分の一となろう。国境星系の『帝国リスク』も消え、投資と開発も活発になる筈だ。故に、此度の遠征は政府も軍部も何としても成功させねばならず、そのための六万隻という過去にない大動員が行われたのだ。

 

「逆に今回の遠征が失敗したら、財政的にも人的資源的にも一層苦境に立たされるという訳ですか」

「今回のような案件が今後も頻発しかねない訳だな。何とまぁ、責任重大な役目な事さ。さて、アッテンボロー中尉。国防事務総局との会談の調整を頼む。彼方もてんてこ舞いとは言え、我々も出立まで時間がない。無理にでも時間を作るように言っておいて欲しい」

「了解しました。いやはや、まさか最後の最後でこんな仕事が舞い込んで来るとは……だから宮仕えは嫌なのですがねぇ」

 

 肩を竦めてから、自称革命家中尉は上官に向け敬礼、そして執務室を退出する。副官の姿が見えなくなった後、シトレ大将は溜め息を吐く。その表情には緊張による徒労が伺えた。

 

「……そうだ。今回の遠征で勝たねばならん。一刻も早くこの戦争を終わらせねば」

 

 椅子に持たれかかり、腕を組ながら、天井をぼんやりと見つめながら宇宙艦隊司令長官は呟く。彼はその階級と社会的地位から自由惑星同盟という巨大国家が如何なる状態であるのかを良く良く理解していた。そして、それ故のその焦燥感と責任感もまた、ひとしおのものであった。

 

「そうでなければ、同盟は……」

 

 深く溜め息を吐き、紡がれる言葉は静かにオフィスに反響した。彼以外誰もいない室内で、その言葉に答える者はいなかった………。

 

 

 

 

 

「………っ!?」

 

 むち打ちのように全身に感じる鈍痛に私は目を覚ました。視界は揺れていて、何が起きているのか良く分からない。ただ、顔は視界を満たすエアバッグのような柔らかい物で包まれており、背中もまたクッションのような感触がしていた。

 

「わ、若様……ご無事で御座いますか……?」

「ベアトか……?あ、あぁ。少し身体が痛いが……別に血が流れていたり、骨が折れるなりなんなりは無さそうだって……ん?」

 

 私はここまで口にして、違和感に気付く。ベアトの声がするのは良い。問題はそれが妙に近くから聞こえて来る事だ。それこそ丁度頭の上辺りから………。

 

「あっ……」

 

 視界を上に移動させた次の瞬間、私は紅色の鮮やかな瞳と視線が合った。

 

「ベアト……?」

「は、はい……若様。ベアトで御座います。お、お怪我はございませんか……?」

 

 淡々とした口調で、しかし少しむず痒そうな表情で尋ねる従士。私は一瞬呆けた表情でそんな彼女を見続け、咄嗟に我に帰り肯定の返事をしようと首を振り、柔らかい隙間に顔がめり込む。

 

「ふぇっ……!?」

「んっ……わ、若様……それは少しくすぐったいですのでどうか………」

 

 若干顔を赤らめる従士が何か言おうとするが、その前に私は今自分が何処に顔を埋めているのかを理解する。同時に飛び上がるように立ち上がった。当然だ、幾ら肉体関係があり、その下着姿やそれ以上のものを見た事があるとはいえ、流石に相手の胸の谷間に顔が埋まっている状態で平然とする事は不可能だった。

 

「済まんベアト!!気付か……痛てぇ!!?」

 

 立ち上がった私はそのままタクシーの天井に頭をぶつけて後ろに倒れる。

 

「きゃっ……!?」

 

 次いで後部座席に倒れた私は誰かをクッション代わりにした事に気付く。いや、誰かでは無かろう。私がベアト以外に常に側に置く従士も、この無人タクシーに乗せた人物も残り一人しか存在しなかった。

 

「テレジアっ……!?済まないっ……!!うわっ……ちょっ……!!?」

 

 再度慌てるように跳び跳ねるように立ち上がり、私は思わず足を縺れさせた。そのまま私はテレジアを下敷きに倒れそうになり、ギリギリで腕で身体を支え、どうにかそれを阻止した。

 

「糞っ……そう言えば地上車の中だったか。何があったんだ?ベアト、テレジア、怪我はあるか……?」

「わ、私は身体を打ちましたが問題はありません……」

 

 背中を痛そうに擦りながらテレジアは答える。恐らく私を守るために覆い被さり、後部座席のクッションに叩きつけられたのだろう。

 

「っ……私も問題はありません。少し頭が切れましたが傷は深くはありません」

「そうか……いや、待て。それは普通に危険だからなっ!?」

 

 私は慌てて自分の首元のスカーフをほどいて血の流れるベアトの頭部を押さえる。出来れば消毒もしたい所ではあるが……。

 

「取り敢えず降りるぞ……!!」

 

 ひび割れた無人タクシーのフロントガラスを一瞥した後、シートベルトを外して私は従士達に降車を命じる。テレジアが先導で降りて周囲の安全確認した後にベアトの肩に手を回して、その頭の出血をスカーフで押さえながら降りる。

 

「こりゃあ、酷いな。クラッシュしてやがる」

 

 恐らくはAIが路上で急停止したのだろう。無人タクシーは十字交差点で正面から別の地上車とぶつかった状態で停車していた。周囲には似たように停車する地上車が何台かあり、私達の乗っていた無人タクシー同様に衝突事故を起こしているものもあった。乗員の多くは途方に暮れるか、言い争いをするか、何処かに携帯端末で連絡を入れようとしている者もいる。繋がらないようであるが。

 

 見たところ、軽傷者も何人かいるようだが幸い重傷者は確認出来なかった。腐っても宇宙暦8世紀の地上車は安全設計も前世とは比べ物にならないらしい。

 

「とは言えこれは……信号機だけじゃなくて市街地の照明も大半が消えているな」

 

 商業区画なのもあって少なくない市民が建物の内外で混乱しているのが良く見えた。

 

「この分だと……やはりか」

 

 携帯端末を取り出して見るが圏外。基地局が停電なのだろう。尤も、暫くすれば自家発電に切り替わるかも知れないが。

 

「若様、これは……」

「テロないし破壊工作、という線も否定は出来ないが……それにしては静か過ぎるな」

 

 送電の停止による都市部及び通信施設・交通設備等のインフラへの電力供給の断絶が今の状況であると思われる。災害ではないとして、起こり得るのは事故か事件かだが……ハイネセンのインフラを攻撃出来る程の組織等滅多にいないし、可能だとしても都市部の停電だけで済むとは思えない。

 

 寧ろ停電を陽動にキプリング街の国防委員会及び国防事務総局ビル、あるいは最高評議会ビルや同盟議会に大規模な襲撃をかけるだろう。今の所遠くから爆発音なり銃声なりは聞こえない。となればここはやや楽観的であるが単純な事故と思う方が良いだろう。

 

(原作でも似たように事はあったしな……)

 

 うろ覚えであるが、原作では魔術師が亜麻色髪の養子と停電の家で一晩明かしたり、交通機関のミスで校長殿やレベロ議員とヘリに乗り込む場面があったような気がする。

 

(寧ろ、これまで何十年もそのような事がなかった訳だからな。嫌な意味で原作に事態が近付いているという事か……)

 

 そう思うと余り愉快な事では無さそうだ。

 

「テレジア」

「承知しております。少々お待ち下さいませ」

 

 私が一〇〇ディナール札を渡せば直ぐに要望を理解したテレジアがそれを受け取り近場の薬局に向け小走りする。その間に私はベアトを安全な歩道まで歩かせて、すぐ近くの喫茶店から椅子を借り受けて座らせる。

 

「さてさて、どうするべきかね……」

 

 この規模の大停電となれば、警察や消防だけでなく、首都防衛軍辺りも出動していても可笑しくはない。一日以内に事態は収拾されるだろう。しかし………。

 

(遠征軍の出立もそう時間がないからなぁ)

 

 婚約者の滞在するホテルは直線距離で一四キロはあるだろう。交通網が麻痺しているために徒歩で行くしかあるまい。しかも猛吹雪とは言わずともに雪が降っている。行き帰り含めると遠征軍に戻る時間は厳しい。

 

「とは言え、またドタキャンも少しなぁ……」

 

 これまでのマウントに更に約束の無断キャンセルで相手の顔に泥を塗った身である。いくら理由があろうとも二度目は流石に厳しい。と言うよりもこれまでの所業を許してくれた婚約者様は聖女かな?

 

「若様、此方を……」

「あぁ、ご苦労。……ベアト、少し痛いが我慢してくれ」

 

 一〇〇ディナール札を押し付けてから薬局から籠ごと商品を持ってきたテレジアに私は謝意を伝え、ベアトの怪我の手当てを始める。血塗れのスカーフを傷口から離してミネラルウォーターをかける。次いで一旦水分を拭き取り消毒液をかけて、冷却スプレーで止血、ガーゼを傷口に当てて、包帯で巻いて固定する。後で遠征軍に戻ったら再度見てもらった方が良かろうが今はこれで十分だろう。

 

「ベアト、大丈夫か?傷は浅く見えるが……何処か異常はあるか?」

「はい。脳震盪でしょう、少し意識がふらつきますが……暫し時間を頂ければ問題御座いません」

 

 その返事に私は頷き、次いでテレジアにも念のため尋ねる。此方も問題ない事を伝えられる。幸いな事だ。

 

「分かった。無理はするなよ?違和感があれば直ぐに言ってくれ。後は……軍用回線は復旧したか」

 

 軍から配られている携帯端末から着信音が鳴り響く。内容を確認すれば送信者は統合作戦本部からのものであった。機密保持のために遠征軍の名称を使いたくないためであろう。代わりに統合作戦本部が命令する形になっているようだった。

 

 内容について言えば、此方も婉曲的な言い方で遠征軍の名称こそ使われていないが、読む者が読めばそれは実質今回の停電に遭遇した者を含む全てのハイネセン滞在中の遠征軍参加将校の可能な限り迅速な帰還を命令したものだった。

 

「参ったな、これは……」

 

 遠征軍総司令部からしてみれば当然と言えば当然の事ではあるのだが……私個人としては中々従いにくい命令であった。

 

 婚約者との約束もあるから直ぐに帰る訳には行かない。いや、それどころかこの事態である、彼女がどうしているのか心配でもあった。まぁ、流石に停電程度であれば家臣もいるので余程の事がなければ大丈夫であろうが……。

 

(そうは言っても、ベアト達を置いていくのもなぁ……)

 

 ちらり、と私は椅子に座るベアトと寄り添うテレジアを横目に見て考える。従士達、特に怪我しているベアトを置いてきぼりと言うのも愉快ではない。かといって連れていくのも宜しくない。怪我をしている女性に何キロも歩かせる訳にもいかなかった。

 

「ふむ………」

「若様、私の方は問題御座いません。どうぞお気になさらずに御願い致します」

 

 私の視線と、考え込む姿に気付いたのか、ベアトが答える。

 

「そうは言うがね……。ん、あれは………」

 

 腕を組み、ベアトの発言に難色を示す私は道路の向こう側からやってくる眩い光に気付く。道路を走る地上車の音が響き、目を凝らせば次第に近付くその姿が見えてくる。

 

「首都防衛軍の地上部隊か」

 

 ジープやトラック、雪上車、電源車、救急車等を中心とした迷彩柄に車体を包んだ一〇数台の地上車の列がライトを付けてやって来ていた。備え付けられた部隊章は首都防衛軍第一二歩兵師団所属の部隊である事を示していた。暗闇での行軍だからか市民に気付かれるよう夜間迷彩も都市型迷彩もしないグリーンの車体であり、戦闘も想定していないので戦車や戦闘装甲車等も引き連れていない。全て非装甲車両である。

 

 当然トラック等から降り立つ兵士達も精々ハンドブラスターを装備する位のもので、戦闘用ではなく災害派遣用の装備であった。懐中電灯ないし暗視装置で周囲を把握し、負傷者の治療や市民の誘導、星道を塞ぐ車両の撤去、その他交通整理や、救助作業、治安維持任務を実施し始める。

 

 初動にしては迅速ではあったと言えるが、残念ながら兵士達の現場での動きとしては余り誉められたものではなかった。兵士達自身、首都での大規模停電における対処を実際に対処した経験がないためであろう。只でさえ首都防衛軍は実質ハイネセン星系警備隊が名前を変えただけの存在であり、兵員の半分以上は最前線での対帝国戦闘を想定していない士気と練度の低いハイネセン市民からの徴用兵だ。ハイネセンポリス駐留部隊は比較的練度は高いとは言え大半は任務経験は要人や重要施設等の護衛と警備、軍事パレードへの参加、極々小規模なテロ事件の鎮圧程度しかない。大都市での災害派遣任務なぞ想定していなかった。

 

「すみません、現在停電中のようでして。この寒さですから市民の皆様には屋内か公共シェルターへの避難を御願いしたいのですが……」

 

 交通整理と市民誘導のための誘導棒を持った兵士が頭を低くして私達の元に駆け寄って来た。旧式の六六式鉄帽にこれまた旧式の迷彩服、その上に古ぼけた防寒コート四型を着こんだ若い兵士であった。恐らくは徴兵されて訓練期間を終えたハイネセン在住の新兵であろう。首元の階級章の星は彼が一等兵である事を示していた。

 

「いや、それならジープを一台用意してくれ。付き添いがこの騒ぎのせいで怪我をしてね。歩いて宇宙港に戻らせたくない」

 

 私は上着の下の軍服の内ポケットから軍内での所属を表す手帳を見せる。

 

「ほえ?……!?じ、准将閣下で御座いますかっ!?これは失礼を……!!」

 

 一瞬呆けた顔つきで手帳を見やり、次いでその内容を読み取り理解した兵士は慌てて敬礼をした。自由惑星同盟軍における少尉以上の士官の割合は一割も有りやしない。ましてや准将ともなれば大半の兵士達からしてみれば遠目で見る事はあれど、直接会話なぞまずあり得なかった。首都防衛軍の徴兵されたしたっぱが驚愕するのもやむ無しであろう。とは言え、私も時間がないので余り長話をしたくなかった。

 

「別に構わんよ。それよりジープを頼む」

「す、少しお待ち下さい!!今小隊長に連絡致しますので……!」

 

 白い息を吐きながら慌てて車列の方に走る一等兵。その姿を一瞥してから私はベアト達に命令する。

 

「余り時間はない。二人は先に借りたジープで宇宙に戻ってくれ」

「若様はどうなさるのでしょうか?」

 

 私の命令にテレジアが容赦なく疑問をぶつける。まぁ、そうだろうねぇ。

 

「私は……当初の予定があるからそれを終えてから合流する。御上がさっさと戻れと言っている以上、私的な理由でお前達まで遅刻させる訳には行かないからな」

 

 正直、この選択も既に命令違反なのだが……まぁ、ピクニックに出発するまでに合流出来ればセーフな筈だ。

 

「ですが……せめてもう一台ジープを用意させては?ここからホテルまで徒歩というのは……」

「先程と同様の理由で却下だな。もっとしたっぱの頃なら兎も角、准将だとジープだけ借りるって訳にも行かないからなぁ」

 

 確実に護衛と運転手もセットで来るだろう。宇宙港に行くだけなら良いが、寄り道するというのは兵士や機材を借り受けて動かす法的根拠としては少々厳しい。というかここ最近ハイネセンに疎開する者が増えたせいで結構亡命貴族の好き勝手をすっぱ抜かれているのに私が新しい叩きネタを提供する訳にはいかない。

 

 ……無論、それ以外にも打算的な理由もあるのだがね?

 

「しかし、それでは……やはり単独では危険では御座いませんか?そうでなくても出立に遅れますと……」

 

 尚も不安そうに渋るテレジアである。ベアトの方も口には出さないが心配そうに此方を見やる。そんな二人に対して私は安心させるように笑み浮かべた。

 

「いや、一応策は思いついたんだよ。思いついたんだが……」

 

 恐らく最低限満足行く結果となろうが、余り使いたくない手段なんだよなぁ。しかし………。

 

「背に腹はかえられない、か」

 

 私自身、葛藤を重ね、迷いながらも携帯端末のその連絡先を打ち、端末を耳に当てる。残念ながら他に上手い解決方法を私は知らなかった……。




原作フレデリカはコンピュータの又従姉並みの記憶力を持ち、魔術師の前で猫被る演技力持ち、顔については言わずもがなでノイエ版基準だと中の人が銀河の妖精

……そりゃあオールマイティな大人気アイドルにもなれますわ


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第百七十三話 飼い犬の躾は大切という話

思いのほか前置きが長引く……。
流石に次で遠征前の前置きを終わらせて、次の次で遠征本番に入る予定です。


「そうだ、倉庫の寒冷地用の防寒具は全部放出するんだ。……分からないのか?まだ冬場なんだぞ、下手に放置して凍死は兎も角、低体温症で凍傷になる可能性は十分あり得るだろう?今時のハイネセン市民がそんな事にまで気が回っていると思うか?……あー、少し待て。……何だ?物資配給の割り当てならもうした筈だぞ?星道を警察が封鎖している?全く、縦割り行政はこれだから……」 

 

 スパルタ市の首都防衛軍司令部後方参謀と輸送参謀を兼任するアレックス・キャゼルヌ准将は、電話に出る傍ら書類の決裁と副官からの報告の応対も同時にこなしつつ嘆息する。

 

 上の娘の三歳の誕生日という事で今日の業務を時間に余裕を持って終わらせて、繁華街の玩具屋で予約していたぬいぐるみを受け取ってから官舎に帰ろうとしていた所だ。そんな中で正に司令部ビルを出ようとしていた時に生じたハイネセンポリスの大停電である。首都防衛軍がその事態収拾に駆り出されるのは当然の事であり、特に市民に対する対応のためにロジスティックスの専門家たる彼がこき使われる事もまた、自明の理であった。

 

「すげぇ、あれだけの案件を次々と……」

「信じられねぇ、限られた情報を基にあんなに正確で素早い指示が出せるものなのかよ……」

 

 部下のスタッフ達が少し遠くのデスクで冷や汗を流しながら呟く。

 

 ハイネセンポリスの人口は優に三〇〇〇万を超える。そして技術への過信からか、大規模な停電等を殆んど想定してなかったがために市庁を始めとした行政組織と民間企業もこうした大停電の対策や備えもおざなりとなっていた。ましてや通信や物流もストップしてしまったのだ。大量の不正確かつ雑多な情報が首都防衛軍司令部に集まり、その情報の整理と分析だけで他のスタッフ達の対応能力はパンクしかけていた。

 

 そんな中で、雑多に集められ濁流のようにもたらされる情報の中から確実な情報を見出だし、それを基にこの大停電に対応する計画を立てて指示していくキャゼルヌ准将の姿は部下達を瞠目させるに十分過ぎた。

 

「流石ワン大将の教え子って所だな」

「あの分だと艦隊に補給する麦袋一つまで脳内で記憶しているって冗談もあながち嘘じゃないな」

 

 幾人かのスタッフ達が他人事のように語り合う。

 

「聞こえているぞ、口より手を動かせ」

 

 鋭い視線と剣呑な言葉にスタッフ達は肩を竦めて慌ててその場を去る。その情けない姿を見てから、毒舌家の後方参謀はその険悪な態度を消して心底憂鬱そうに溜め息をつく。

 

「……全く、参ったな。これは洒落にならん被害だぞ?」

 

 市街地全域が停電した訳ではないとしてもそれでも一〇〇〇万人は被害を受けたであろう。丸一日だけ停電したとしてもその経済的損失は何十億ディナールに及ぶ事か……。防寒具や電源車、食料の配布も必要だ。負傷者の治療に星道を塞ぐ車両の撤去、火事が起きている建物もあるかも知れない。現在も降雪しているから雪掻きもしなければならない。何よりも動員した首都防衛軍将兵の人件費!!

 

 ただでさえ同盟は財政難であるのにこれでは泣きっ面に蜂である。迅速に、かつ可能な限り予算を圧縮してこの事態を乗り切らねばなるまい。何より悲しい事実は官舎のあるシルバーブリッジ街は停電の範囲外という事だった。今頃娘は父親が誕生日プレゼントを持って帰ってくる事を心待ちにしている事だろう。当然ながらその願いが叶えられる可能性は限りなく零である。

 

「あぁ、これはサービス残業だな。……この分だと暫くは冷たい飯の世話になりそうだ」

 

 管理職の悲哀を感じさせるようにげんなりと肩を下げた。何故なら、ロジスティックスの専門家はその脳裏に冷えきったアイリッシュシチューを凍えるような笑みで自分に差し出す白い魔女の姿を幻視していたから……。

 

 

 

 

 

 時間は少し遡る。

 

 大停電の直後、ケッテラー伯爵家の少女は天井の電灯が前触れもなく消灯した事に僅かに驚き、編み物をしていた手を止めていた。

 

「御嬢様!御無事で御座いますか!!?」

 

 同じく異変に気付いた女中達が慌てて部屋の中に飛び込んで来てグラティアの無事を確かめるように傍に駆け寄った。

 

「えぇ、問題御座いません。停電……でしょうか?」

 

 グラティアは窓辺の景色を見て尋ねる。ホテルカプリコーン・ハイネセンポリスの大窓から見える輝く摩天楼は、しかし現在進行形でビル単位、あるいは区画単位で次々と照明が消えていっていた。遠目から見るに照明やネオンが消えていない地域もあるようだが、残念ながらこのホテル周辺はあっという間に漆黒の世界に変貌してしまっていた。

 

「ハイネセン程の惑星でこの規模の停電なんて……」

「何か事件でもあったのでしょうか?それとも災害でも?ねぇ、情報は何か無いの?」

「すみません、ネットに繋ごうとはしているのですが……電波が届かないようでして………」

 

 口々に不安そうに話し合う女中達。彼女らも辺境のド田舎なら兎も角、同盟の首都惑星でこれ程の大停電が起きるなぞ想定していないようであった。

 

「御母様達の向かったシェーネベルク区の方はどうなっていますか?彼方も停電を?」

「し、少々お待ち下さいませ……!」

 

 主人に命じられた女中の一人が慌ててテラスに向かい、双眼鏡でハイネセンポリスの帝国人街の事第二一区の広がる方角を確認する。

 

「いえ、彼方の方は電灯が点いております!確認出来る限り第二〇区と二二区も健在です……!!」

 

 シェーネベルク区は元々歴史的理由から非効率を承知でハイネセン在住の帝国人達が独自に電気会社を設立して発電・送電を各地の帝国人街に対して行っているのでこの大停電でも影響を受けない事自体は可笑しくはない。それ以外の区画も電灯が点いているという事は恐らくはテロを始めとした事件が原因ではなかろう。事件性があるとすればこの規模の停電では中途半端過ぎる。となれば過信は禁物であるがこの事態は十中八九事故か何かであろう。

 

「では御母様やヘルフリートの方は安心ですね。……とは言え、一応の警戒は必要でしょう。警備の者達にそう申し付けておいて下さい」 

 

 それは同盟国内の反貴族、あるいは反帝国移民を掲げる極右勢力の組織的な襲撃というよりかは単純に混乱に乗じる物取りや暴徒に対する警戒であった。特にホテルカプリコーンは同盟の高級ホテルブランドとして有名であり、下手をすれば略奪の対象にもなり得たからである。

 

「それはそうとして……まだ電気は戻らないのですか?」

 

 使用人達にある程度の指示を出し終えてから、グラティアはその事に気付く。停電したのは仕方無いにしても、ホテル自体の自家発電もないのだろうか?

 

「お待ち下さい。今、ホテルの者から聞いて参ります」

 

 一〇分程してホテルのオーナーが慌ててグラティアの前に現れ頭を下げたが、その内容は愉快なものではなかった。

 

「まさか自家発電を何年も点検していなかったので動かないなんて……!」

 

 女中達は呆れかえり、同時に心底不快そうにオーナーが語った説明を思い返し囁き合う。

 

 ……ケッテラー伯爵家の名誉のために言わせて貰えば、ホテルカプリコーンは決して三流ホテルではない。寧ろ純同盟系の高級ホテルとしては五本の指に入るであろうサービスを提供してくれる老舗である。しかし、そんなホテルでも油断はある。

 

 ハイネセンポリス程の大都会で大停電なぞ約半世紀ぶりの事、ホテルカプリコーン側も大規模な停電が起こる事を殆んど想定していなかった。いや、正確にはここ数十年の経営陣は、であろうか。

 

 約一世紀前、ホテルが完成した直後は真新しい自家発電機があり、毎年の保守点検もなされていたのだが……今となっては発電機は埃まみれの油まみれであり、動かそうものなら怪しい音を立てる程であって到底安全を保証出来るものではなかった。歴代のオーナー達は使う事があり得ない発電機よりも、ホテルサービスの質の向上に資金を使うのが合理的と判断していたらしかった。

 

「本当に呆れ果てたものですわ」

「見てくださいな。彼方のフェザーン資本のホテルは電気が点いてましてよ。守銭奴のフェザーン人の方がここの経営陣より優秀ですわね」

「彼方の方が格が低いので此方を選びましたが……どうやら失敗でしたわねぇ」

 

 グラティアの傍で女中達は口々に、姦ましくホテルの悪口を言い合う。不満が溜まっているのもあるだろうし、恐らくは暇潰しも兼ねているのだろう。

 

 ……尤も、ケッテラー伯爵家の方もホテルを一〇フロアを丸ごと借りた際に流石にそこまで確かめていなかったので余り追及し過ぎれば墓穴を掘りかねないのだが。

 

 どちらにしろ、グラティアからすれば今更そんな事はどうでも良かった。寧ろ、気になる事と言えば………。

 

「流石に……この状況では難しいでしょうね」

 

 グラティアは窓の外の状況を見ながら小さく呟く。つい数刻前まで絢爛と光輝いていた摩天楼は今では真っ暗となり、しんしんとビルも街道も雪が降り積もっていた。普段ならば除雪用ドローンがある程度回収してくれるのだが、交通管制システムまで部分的に停止しているせいか情報の共有が出来ず作業効率は低かった。

 

 恐らくはこの分だと約束は無理であろう。交通システムは停止し、無人車両の多くは交通管制センターとの連絡が取れないし、信号も動かないので走る事も出来ない。そもそも、軍部はこんな事態となれば帰還を命令するだろう。態態上官の公的な命令に逆らい私的な約束を守る必要性はないし義務もない。

 

「………」

「御嬢様……」

「いえ、大丈夫です。……少し冷えますね。暖炉の火を強くしてくれますか?」

 

 年配の女中が心配そうに主人の事を呼べば、グラティアは優しげに、そして少し無理した笑みを浮かべてそう頼みこむ。彼女はそうしなければならない事を理解していた。誰もが指示を待っているのだから。

 

 そんなグラティアを一瞥して、年配の女中は一礼して薪を暖炉に追加でくべて火を強くする。別の女中は主人が冷えないように毛布を主人の背中に被せる。

 

「ありがとう。もう少し洋灯を近付けてくれない?手元が暗いから」

 

 そう言うと、彼女は黙々と静かに編み物を再開した。

 

「………」

 

 女中達はそんな物静かな伯爵令嬢を心底哀れそうに見つめる。元々政治の道具として扱われるのは仕方無いにしろ、彼女を取り巻く環境は余りに不憫過ぎ、不幸過ぎ、不遇過ぎた。彼女自身は健気で忍耐強い性格なのもあり、その境遇は仕える女中達の同情を誘っていた。尤も、グラティアからしてみればそんな憐れむような視線を向けられても嬉しくはなかったが。

 

(そう、ですよね。……仕方無い事です。責める事は出来ません)

 

 グラティアは内心での苛立ちと悲しみをそう誤魔化す。結局二度も約束がご破算した事になるが、双方共に理由はあるのだ。相手を責める事なぞ出来る訳がない。その事は理解している。それに、ある意味でこの停電は彼女にとっては幸運だった。

 

(会うのも……苦しい事ですしね)

 

 正直の所、グラティアは今夜の約束に憂鬱だった部分があった。しかし、それは決して相手を嫌っているからではない。

 

 確かに約束が破られる事は理由があっても辛い事ではある。ナウガルト家の存在も彼女にとっては焦燥感を与える案件ではあった。だが、それはまだ良いのだ。それよりも彼女が会うのを戸惑う理由は………。

 

「………」

 

 殆ど無意識にグラティアは自身の髪に触れていた。金糸のように輝く『メッキ』の髪を彼女は美しいとは思えなかった。寧ろ余りに醜く、浅ましくも思えた。

 

(……メッキですか。ある意味私にお似合いの髪なのかも知れませんね)

 

 如何にドレスや宝石で飾り立てようとも、所詮は下級貴族や成り上がり諸侯の血を引く存在として敬遠されている事を、彼女はもう散々に思い知らされていた。そうだ。お似合いの髪ではないか。青銅像にケッテラー伯爵家という金のメッキを塗りたくり黄金像に誤魔化している自分には………。

 

「………はは」

 

 グラティアは笑った。力無く、乾いた声で笑った。そして彼女は自分が安堵し、同時に悲嘆している事を自覚する。そして嗚咽を漏らさず、その光のない瞳は静かに涙を流していた。その理由を、彼女は言語化出来なかった………。

 

 

 

 

 

「……意外と、皆緊張感が無いんだな」

「この分では、寧ろちょっとしたイベント扱いですね。お気楽なものですよ。まぁ、ハイネセンでこんな事が起きるなんて本来有り得ないですから、程好く非日常を味わう機会とでも思っているんじゃないですかねぇ」

 

 雪が降り積もる街道を進む私のぼやきにレーヴェンハルト大尉が答える。実際、彼女の言葉は一面では的を射ていた。

 

 実の所、ハイネセンポリス市民の過半数以上はこの大停電をある意味楽しんでいた。大都会に住む彼らにとって停電自体が生まれて初めての経験であり、しかも一両日中には解決すると聞かされればさもありなんである。街が雪化粧に包まれる光景もあり、市民の多くはこの小さな事件を心行くまで楽しんでいた。

 

 実際、酒場等では蝋燭の光等で照らしながら若者達がはしゃいでいるし、外の様子等を携帯端末でネットで実況する動画配信者もちらほら見られた。ドローンが処理出来ずに積もる雪でかまくらや雪ダルマを作る子供もいる。何処から用意したのか外で炊き出しを始める者もいて、市民達がざわざわと愚痴交じりのお喋りをしながら並んでいた。切り取ったドラム缶を使って、あるいは新聞紙等を燃やして道端で焚き火をする者もいたし、挙げ句その火を使って焼き芋や焼き魚をするお気楽者達までいる有り様だった。

 

 ……これだけ言えば市民の大多数がこの事態に何の緊張感も抱いていない事が分かろうものだ。無論、より視野の広い者達からすればこの大停電が一過性のものではない事も、この大停電が同盟社会の大きなターニングポイントになるであろう事も理解していよう。

 

 ……それでも、今のところは多くの市民はこの事態を悲観する事なく、ちょっとした話題として楽しんでいた。

 

「っ……、それにしても揺れるな。下手したら振り落とされそうだ」

「ですから若様、安全のために私めにぎゅっと抱き付いてくれても構いませんよ?というか抱きつきましょうよ!!そのまま暖を取るためなんて言い訳しながらカーセックスしましょうよ!!」

「お前に抱き付く位なら振り落とされて地面に頭部強打した方がマシだね」

 

 公序良俗に違犯して逮捕されるだろうが、と内心で思いながらそう吐き捨てる。いつまで立っても成長しない従士の性格に肩を竦めながら私は激しく揺れる艝の手刷りを強く掴んで正面を見た。

 

 その視線の先には防寒具を着て手綱を握るレーヴェンハルト大尉、そしてその手綱の先にいるのは大柄な二頭の犬……いや響狼であった。雌雄で毛並みの色が異なる大型有角狼犬は、一応プロブリーダーなら届け出と刺や角の切除処置さえすればギリギリペットとして認可はされるが……。

 

「オルガロンで犬艝なんて……もっと良い足はなかったのか……?」

 

 そう、私は今レーヴェンハルト大尉が手綱を引く犬艝に乗って大量の地上車が放置されて塞がれている街道の路肩を突き進んでいた。

 

 原種を地球統一政府時代の軍用犬に辿る事が出来、銀河帝国においてはルドルフ大帝が愛育した事が切っ掛けで軍用から民間まで幅広く飼育されている有角犬。今、犬艝に使っているのはその中でも特に狂暴で大柄な犬種だった。牙獣種有角目響狼科に属するオルガロンは犬というよりかは狼犬、ないし狼と呼ぶべき種だ。法律により幼体の飼育と繁殖はプロが行う必要があり、帝国では軍警察や警備会社、貴族の狩猟園で運用される程気難しい事で知られる。下手しなくても専門の訓練をしたオルガロンは銃を持った人間すら十秒程度で噛み殺す。よりによってこんなので……

 

「寧ろ、この交通状況ですと一番マシですよ。この雪ですと他の足は使えませんから!オルガロンなら大の大人の乗る艝二つ位簡単に引き摺れますし!!」

 

 自信満々にかつご機嫌に答えるレーヴェンハルト大尉。今回のイゼルローン要塞遠征任務に参加せずアルレスハイムの民間警備会社に出向していたこの従士が私の呼び出しに応えて持って来た足が二人乗りの犬艝に警備会社で飼育している軍用犬ならぬ軍用狼犬二頭であった訳だが……うん、流石にこんなもの持って来るとは想定してなかったので私も驚愕した。

 

 ……一応弁護をしてやるとすれば、話を聞く限り彼女の判断は間違ってはいないのだ。交通網が麻痺しており、しかもこうしている間にも刻一刻と雪が街道に降り積もり続けている。当然ながら同盟の地上車は殆んどが無人運転を前提にしているのでこの状況では大量の車両が道を塞いでいた。大型車両の類は使えない。

 

 かといって自転車や自動二輪車、ホバーバイク等の小型車両や軽車両の類も使えない。前者二つは道が雪で埋まっているから、後者は市街地でのホバーバイク使用が法律に抵触するためだ。

 

「犬艝は交通法ですと軽車両みたいですからね!当然市街地でも使えます!しかもこの渋滞と降雪の中ですと他の車両よりも小回りが利きやすいと来ています。となれば当然この選択肢をするのが一番という訳ですよ!!」

 

 ふふん!!と自慢気に語る大尉であった。こうやって言われてしまうと納得出来てしまうのが悔しい。だが、普通に考えればここで犬艝なんて発想が出てくる奴なんて変態的な思考回路を持つ奴だけだと思い至る。うん、だったら仕方無い。

 

「あれ?今私、若様に内心で罵倒された……?こ、興奮で身体がゾクゾクしますねぇ!下着がぐちょぐちょに濡れてしまいそうです……!!」

「………」

 

 身体を蛞蝓みたいにくねらせて頬を赤く染めて悶える従士を無視して、私は腕時計を見つめる。

 

「………間に合うかな?」

 

 これまでがこれまでだ、出来れば余り待たせたくないし、帰りが遅れたら洒落にならない。私一人のために遠征軍を遅らせる訳ないだろうから置いてけぼりにされかねない。後から駆逐艦の一隻でもチャーターしてくれるだろうが……顰蹙だろうなぁ。

 

「大丈夫ですよ!この距離ならばこのまま進めば十分間に合いますから!」

「だといいがな。……たく、これじゃあ見世物だな」

 

 恐らく避難なり屋内待機が知らされたのだろう、周囲の市街地は次第に人気が少なくなる。それでも街道を犬艝で走破する連中なぞ悪目立ちするものだ。幾人もの通行人がぽかんと口を開いて犬艝が通り過ぎるのを見ていたのを私は見ている。

 

「法律違犯じゃなくても、これでは後々騒がれそうだな……」

「いやぁ、ヘリを使う選択肢もあったにはあったんですがね?速攻で首都防衛軍がハイネセンポリス上空を全て飛行禁止空域に指定してしまいまして。手続きするのも通信自体が混雑していますし、彼方の司令部も混乱しているので無駄に時間がかかるかと思ったものでして」

「別に弁明はいらんよ。お前さんが態度は兎も角、一応仕事は真面目にしてるのは理解しているからな」

 

 出来れば認めたくはないがね。

 

「デレた……!!若様がデレた……!!」

「いや、デレてはいないからな?」

 

 後何処ぞのアルプスの少女みたいな発音で言うのやめーや。

 

「ぐへへへ、これで若様の心の壁がまた一枚剥がれましたね!!このまま好感度を上げていけば遂に私とも肉欲と愛欲に爛れたフラグが立ちそうです!!流石に気分が高揚しますね!身体中が火照ります!!」

「おう、私の気分は氷点下まで下がってるよ」

 

 きゃーきゃー、と発情した獣のような顔で綱を激しく振る変態。そんなのだから喪女なんだよ、てめぇは。

 

「酷い!私のような美女がこんだけ好意を向けているのにそんなそっけない表情!釣った魚には餌をやらないなんてサディスト過ぎますよぅ!!」

「釣った覚えもないけどな」

「うわぁぁん!!若様のイケズ!人でなし!畜生貴族っ!!って……うおおっ!?」

「余りふざけた事……!?うわっ……!!?」

 

 変た……レーヴェンハルト大尉の悲鳴に私が正面を向いたのとそれはほぼ同時だった。正面に雪の中から飛び出すように黒い何かが現れるのが見えた。艝がその上を通り過ぎると共にガコッという何かが削れる嫌な音が艝から響く。

 

 恐らくはそれは雪に埋もれながらも除雪作業をしていた除雪ドローンであったのだろう。元々の数不足に交通管制センターとのデータ通信も満足に出来ず、結果半分雪に埋もれてしまったのだと思われた。ましてや大停電によって視界が悪い。そのせいで接触する直前まで気付けなかったのだと思われる。

 

 いや、それは良い。そんな事は良いのだ。問題は除雪ドローンの上を凄まじい速さで通り過ぎた結果で、艝がバランスを崩した事にあった。もしかしたら艝が少し削れたかも知れなかった。物凄い振動が艝を襲う。レーヴェンハルト大尉は先程までのふざけた態度を消し去って慌てて速度を落とすべく手綱を引き締めた。急停止しようとする響狼二頭。しかし、残念ながら少しだけ遅かった。

 

「あっ、やばっ……!!」

 

 正面にガードレールが見えた。速度から見てほぼ確実に衝突は免れないだろう。私は慌てて頭を守る。そしてその直後……。

 

「失礼致します……!!」

 

 大尉の鋭い声、同時に強く抱き締められる。そして……激しい衝撃と共に私の身体は空中を跳んでいた。

 

「痛………!!?」

 

 そして叩きつけられるように雪の上に衝突する。一瞬意識が飛んだのが分かった。意識がふらつく。糞……今日は厄日だ。一日二回も交通事故に遭うとはな。

 

「あいたた……若様、御無事ですかぁ?」

 

 何処か間の抜けた声は私の下から響いていた。私は視界を下に向ければ、丁度私と雪原の間でクッションになるようにレーヴェンハルト大尉が雪の中に沈んで倒れていた。

 

「あぁ、済まない。今退くぞ……」

 

 年上かつ背が高いとは言え、女性をいつまでもシート代わりにするほど私も畜生ではない。ガードレールから庇われた負い目もあるのでとっとと退く事にする。

 

「ええぇ……!!そこはこのまま雪の中で獣欲に身を任せて野外プレイに興じるのがお約束でしょう!?」

「何のお約束だよ………」

 

 前言撤回である。別に感謝しなくても良いかも知れない。

 

 立ち上がる私に、大柄な黒白の狼犬が駆け寄る。一瞬、その獰猛な姿に身体を竦ませるがそれが尻尾をブンブンと振りながら近寄っている事と、ハアハアと興奮した息遣いをしている事から警戒を解く。狼犬側も此方の警戒感が薄れたのを見計らったように前足を上げて此方に抱き付き、舌を出して頬を舐め始める。それは犬や狼が怪我をした場所を舐める時の動きに似ていた。

 

「随分と懐かれるな。初対面の筈だが……」

「匂いで調教してますからねぇ。万一にも若様にお怪我をさせる訳にはいかないので生まれて直ぐに伯爵家の方々には敵意を向けないように育てています」

 

 私の疑問にふらつきながら雪の中より起き上がったレーヴェンハルト大尉が答える。調教、ね。まるで従士と同様だな。

 

「……これは酷い、乗るのは難しいかな?」

 

 番のオルガロンを宥めながら、ガードレールにぶつかって半壊した艝を一瞥して私はぼやく。とてもではないが、これに乗るのは無理だろう。

 

「派手にぶつけてしまいました。不甲斐ない限りです。申し訳御座いません」

「仕方無い事だから気にするな。というかお前が真面目に謝って来ると何か気持ち悪いな……」

「流石にちょっと酷すぎません!?」

「普段の行いを省みろよ」

 

 苦笑しながら私は大尉を起き上がらせるために手を差し出す。しかし、私の差し出す手を一瞥した大尉は、私の視線を見つめて答える。

 

「私の事はお構い無く。先にお行き下さいませ」

「先に、とは言うが……この雪に足を取られながらか?」

 

 この大停電から何時間経ったのだろうか、場所によるが雪は既に足首を完全に沈ませる所まで降り積もっていた。しかもまだまだホテルまで距離がある。当然ながらこれから更に降り積もるだろう。この分だと行って帰って来るまで、時間的にかなり厳しかった。

 

「艝は使えませんが、足は残っています」

「……おい、まさかと思うがこいつらに乗れと?」

 

 私は顔をしかめて、ハアハアと荒い息を吐きながらペロペロと人の顔をキャンディーみたいにしゃぶるオルガロン二頭を指差して尋ねる。当の狼犬達の方はわたしの指差しに何を思ったのか遠吠えを上げる。……御近所様から五月蝿いって言われるから静かにしような?犬科のペットは吠えるのが難点だよね。

 

「一応背中の刺は大体処理してますので問題ないかと。……もし気になるのでしたら」

 

 と、口笛をすれば黒い毛皮をした雄の方のオルガロンが舌を出しながらレーヴェンハルト大尉の方に来てお座りした。

 

「よしよし、良い子です」

 

 懐から餌であろうジャーキーを出して口に投げ入れてやれば必死に干し肉にかぶり付く狼犬。私の元にいた白毛皮の雌が不満そうに唸るが、大尉が待ての指示を出せば渋々と言った態度で下を向いて鳴く。

 

「雌よりも雄の方が体力があるので良いでしょう。指示は馬と大体同じ要領で調教してますので難しくはないかと」

 

 そういって自身の防寒具を脱いでオルガロンの背中に乗せる。鞍代わりという訳だろう。手綱は艝のそれを代用出来そうだった。

 

「鐙がありませんので少しゆっくり行かなければなりませんがどうにかなるかと。……若様、士官学校でも馬術はトップクラスだったので大丈夫ですよね?」

「同盟人に乗馬する奴が何人いるんだよ……」

 

 残念ながら平均レベルが低かったのでトップクラスになれただけである。というか、門閥貴族の癖に乗馬すら首席になれないとか恥ずかしくないのかな?

 

 というか、エル・ファシルに続きハイネセンでも乗馬をするのか。しかも、正確には乗『馬』ですらないし……。いや、本当私何やってんだろ……。

 

「では他に代案が?」

「………分かった。それで行こう」

 

 十秒程、余り役に立たない脳細胞をフル回転させて、脳細胞が全会一致でレーヴェンハルト大尉の意見に(渋々)賛成したのを確認した私は、かなり葛藤しつつもそう答えた。糞ったれが……!!

 

「行かずに諦めるという選択肢は無いんですねぇ」

「……流石に結婚した日に背中刺されたくないからな」

 

 視線を逸らして白状する。あるいは絶望して喉切って自殺されそうですし。どちらにしろ、積極的に恨まれる必要性はない。

 

 ……それに、今更のようではあるが私も婚約者を不幸にしたくはなかった。

 

「分かった。で、お前は?」

「流石に私でも手綱も鞍もないままでは無理ですよぅ!」

 

 もう一頭のオルガロンにビーフジャーキーを見せて近寄らせながら大尉は答える。それもそうだな。

 

「分かった。じゃあ私だけで失礼しようか。……だがその前に」

「?」

 

 何用かとへらへらとした表情で首を傾げる大尉に、私は着こんだ防寒着を投げ渡す。

 

「若様?」

「流石にこの雪だと寒いだろう?まぁ、私は最悪彼方でコートでも貰うさ。余り気にするな」

 

 私は半分程照れ隠ししながら答える。余り認めたくはないが、いざという時には頼りになる部下としてはそれなりに彼女の事を信頼はしているのだ。先程もガードレールにぶつかりそうになった時に助けられたばかりだ。この位の事はするのが道理というものだ。

 

「若様……ううう、このような御厚意を頂けるとは感動です!ううう……ぐへへ、若様の汗の匂いがしますねぇ?あぁぁ、興奮して来ました!」

 

 ……やっぱり、信頼しない方が良いかも知れない。

 

 私はジト目になりながら、雄の方の狼犬の背中に乗ると、そのまま半分逃げるようにホテルカプリコーンへと向かわせた。婚約者を待たせたくは無かったし、何よりも私の身の危険があったためであった……。

 

 

 

 

 

 

「……行きましたかね?」

 

 スーハースーハー、と蕩けるような表情で防寒具の匂いを食い入るように吸っていた従士は、漸く我に返ると自身の右腕をゆっくりと動かす。そして……。

 

「痛たたた……これは……流石に骨が折れましたかね?」

 

 ガードレールから主人を庇った際の衝撃であろう、右腕は重症とは行かないものの、まず折れているのは間違いなかった。少しでも指を動かすだけで悶えそうな程の激痛が走る。

 

「つ~、これは中々辛いですねぁ。あー、腫れてるじゃないですかぁ!」

 

 服の右袖を捲れば、腕が若干赤く膨らみ、腫れていた。その腫れている場所を軽く触れて軽く涙目になるレーヴェンハルト大尉。

 

 正直辛かった。この怪我を誤魔化すのは簡単ではなかった。以前スパルタニアンが被弾して右腕に破片が捻れ込んだ経験が無ければ流石に我慢仕切れなかっただろう。その意味では幸いであった。少なくとも、腕や足が可笑しな方向に曲がったり、肩の骨が外れた訳でもないのだから。激痛であるがこの程度なら我慢出来る。

 

「余り痛がると、心配されちゃいますからねぇ……」

 

 受け取った防寒具を着込み、口笛を吹けば寄り添い、支えるように雌のオルガロンがレーヴェンハルト大尉の傍らに立つ。オルガロンに左肩を貸して、ゆっくりとレーヴェンハルト大尉は近場の店に向かった。

 

 どうやら店員や客は避難しているらしい酒場に無断入店すると、近場にあった高アルコールのスコッチを掴み、そのまま店のテーブルに座りこんで呷るように喉に流し込んでしまう。口元から一部が零れてしまうが気にしない。寒さを誤魔化し、腕の痛みを和らげるには酒精の力を借りるのがこの場において唯一の選択肢であったのだ。

 

「ぐっ……、ふぅ‥‥…まぁ、これでどうにかなるでしょう」

 

 小さな一瓶をあっという間に飲みきって、スコッチの瓶を床に捨てたレーヴェンハルト大尉は若干震える声で呟く。それが寒さからか、痛さからか、それ以外の理由からかは第三者には見当がつかなかった。

 

 はぁはぁ、と僅かに深呼吸をした後……漸く落ち着いたのか、従士は受け取った防寒着に触れる。そして、僅かに考え込んだ。……そして呟く。

 

「薄着で送っちゃいましたねぇ……」

 

 匂いが惜しくてつい貰ってしまったが……よくよく考えればこの寒さで薄着で送り出すのは少し配慮が足らなかったかも知れない。下手したら自分が実家に叱られてしまうだろう。

 

「………まぁ、これはこれで彼方様へのパフォーマンスとしては有り、ですかねぇ?」

 

 それは呑気な、しかしその中に僅かに嘲りと冷笑を含んだ声であった。その脳裏に過るのは亜麻色髪に『メッキ』をした薄幸そうな伯爵令嬢の姿であった。

 

「さて、ではここはお一つ若様の女誑しで詐欺紛いな話術のお手並みを拝見するとしましょうかね?」

 

 近くの棚から新しいスコッチの瓶を拝借すると、真っ暗な店の天井を仰ぎ見ながら、ポツリとレーヴェンハルト大尉は嘯いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 上着に防寒帽を被り、雪避け用の傘を持ったグラティアはホテルの廊下をゆっくりと下っていく。残念ながらエレベーターもエスカレーターも動かないために徒歩で何十階という階段を下りなければならなかった。

 

「まだ電気が通らないのですか?噂では市庁や軍の発電車が投入されているそうじゃないですか、どうしてここには来ないのです……!?」

「此方としても催促はしているのですが……発電車については病院等の公共施設やインフラに優先的に回すように通達が来ておりまして……」

「まぁ!このまま丸一日お嬢様に寒い室内で凍えていろと仰るのですね!?流石同盟最高級のホテルですわね!」

 

 漸く一階フロント前に来た時、そこではオーナー達を女中や執事達が激しく責め立てていた。彼ら彼女らにとって自らの主君であり、ティルピッツ伯爵家に献上される『貢ぎ物』がぞんざいに扱われる事も、ましてや寒さで健康を害する事も許容出来る事ではなかった。

 

 無論、グラティアはこれだけオーナー達を責めた所でどうにもならない事は理解していたが。同盟政府の行政組織は帝国政府や亡命政府とは全く異なる論理と理念で動いている。同盟の行政組織は貴族だからといって特別扱いしてもらえる程甘くはない。ましてや、ケッテラー伯爵家のような影響力の低下した家ならば尚の事である。

 

「余り騒いではいけませんよ?たかが電気程度でみっともない騒動を起こす必要もないでしょう。静かに、淡々と待つ事にしましょう」

 

 此方に気付いたように礼をする使用人やホテルの職員達。そんな彼らに対してグラティアはにこり、と義務的な笑みを浮かべ、ホテル側を激しく追及していた使用人達を宥めた。

 

 正直、彼女自身も少し参ってはいたが、騒いだ所でどうにかなる問題でもない。ましてやそれが元で新聞なりゴシップ紙のネタにされたらそれこそ恥の上塗りというものであろう。ならば、静かに耐える以外に道はない。そう、これまでの人生のように………。

 

「お嬢様、これは……」

「余り部屋に籠っていても気が滅入りますからね。少し手間が掛かりますが周囲を散歩するだけの事です。……そうですね、帰りもまた階段を上るのは流石に面倒ではありますから、一階か二階で、大部屋があれば借りたいのですが、宜しいですね?」

 

 実際、電気が無ければ彼女の部屋の換気は簡単ではなかった。ホテル自体がそもそも停電を想定した設計ではないし、電気が切れているので換気扇が動かず、部屋を暖めるのは原始的な暖炉である。最悪窓を開ければ良いのだが、それはそれで部屋が凍てつくように冷え込む。再び部屋を暖めるまでの間、寒さに耐えねばならないだろう。ならば気分転換も兼ねて、散歩に出るのも一つの案ではあった。

 

 無論、それだけが理由ではないのだが。寧ろ、それは副次的な理由だった。本当の理由はあの部屋で待っていたくなかったから………。

 

「……それでは失礼致しますね?」

 

 朗らかに、しかし何処か虚無的で取り繕ったかのような笑みを浮かべて、グラティアはホテルのフロントを退出する。

 

「お嬢様………」

 

 フロント前にいた使用人達は心配そうに小さく呟く。元より小柄な事もあるが、それでも彼ら彼女らが見る主君の後ろ姿は寂しげで、とても小さなものに見えたからだった。

 

 

 

 

 恐らくはこれが雪雲に覆われる季節でなければ夜の空はもっと美しかっただろう。これが夏であれば、ハイネセンポリスの夜空は満開の星空が彩った筈だ。ハイネセンの冬の大三角形も見る事が出来たと思われる。オーディンやフェザーンと並び銀河の三大惑星として数多くの称号を持つ惑星ハイネセンは星座や彗星観賞の有名観光スポットだ。

 

 残念ながら冬の雪雲に空が覆われているために、今宵のハイネセンポリスはただの停電の日以上にどんよりと暗かった。

 

 ホテルカプリコーン・ハイネセンポリスの広大な庭先を散策するグラティアに随行するのは約半ダースの女中に、同じく半ダースの護衛であった。皆同じくコートを着込み、女中達はグラティアと同じく傘で雪で衣類が濡れるのを避ける。護衛達は残念ながらいざという時の動きが遅れないために傘を差していない。

 

「雪がこんなに積もるものなのですね。領地は兎も角、ハイネセンでもここまで雪が積もったのを見た事がないで新鮮ではあります」

 

 雪化粧に美しく彩られたホテルの庭園を観賞しながら、グラティアは女中達に向けて囁いた。ケッテラー伯爵家の領地たるフローデン州は荒れ地が多いものの、冬場とは言えそこまで冷える訳でもなければ雪が降る事も少ない。ハイネセンポリスは言わずもがな、毎年雪が積もるような不便な地域に態態人口一三〇億に上る超大国の首都なぞ置く事はない。

 

 実の所、同盟の正式に定められ固定化された首都としては、ハイネセンポリスは三つ目の首都であった。自由惑星同盟建国期の最初の十年間は加盟国の輪番制で中央議会のある惑星を指名し、その後は惑星ハイネセンにおける最初の植民都市であるノア・ポリスが、同盟が周辺勢力との抗争を本格的に始めると軍都にして後に自由惑星同盟軍総司令部の置かれるスパルタ市に首都が移転、その後宇宙暦581年頃に移転したのがハイネセンポリスである。

 

 ハイネセンポリス自体は、当時名前負けしているとからかわれるような北大陸の小都市に過ぎなかったが、特に地質学・気候学的に災害等で被害を受ける可能性が極めて少ない事、小都市であるがために再開発による同盟経済の発展に都合が良い事、また他の放漫に拡大した初期植民の大都市とは違い一からの計画的な都市開発計画が可能な事が首都として選ばれた理由とされている。

 

 そんな側面もあり、滅多に大雪の降らないハイネセンポリスの雪景色は珍しい筈であったが……しかし、随行員達は気付いていた。主人の発した言葉は文面上は感嘆していても、その実その言葉には殆ど正の感情が籠っていない事を。この散歩の途中、グラティアの表情は何処か上の空で、厭世的で、虚無的であった。

 

 そして、時々遠くをぼんやりと見つめている事もまた、彼ら彼女らは気づいていた。そう、それはまるで誰かを待っているかのようで………。

 

「ふふ……」

「お嬢様……?」

 

 それは漏れるような、そして嘲るような笑い声であった。自身を不安そうに呼ぶ女中に対して、グラティアは顔を向ける。その表情は何処か疲れきっていた。

 

「いえ、今更何を考えているのでしょうと思いましてね。………本当、何を考えているのでしょう、私は」

 

 最後に呟いた部分は控える女中達にも聞き取れない程に小さく、そして凍えた声音であった。それは単に空気が寒いだけが理由ではなかっただろう。寧ろ、凍てついているのは彼女の心の方であった。

 

(恥ずかしい。今更期待しているなんて……)

 

 グラティアは自身が随分と未練がましい事を考えていたのだと自分を冷笑した。まともに考えれば来る筈ないのは道理なのだ。それをいつの間にか恋に恋する乙女の如くやって来るのを期待しているなぞ……我ながら実に女々しく、純情な事だろうか。……どうせ、来たら来たで辛いだけの癖に。

 

(あぁ……そうです。淡々と、期待せずに、流されるがままにお役目だけを果たせば良いだけですのに。何故私はこんな事を考えるのでしょうね?)

 

 グラティアは思う。遥か昔に祖父から指導されたではないか。ただ家と家臣と、領民の繁栄のために……自分はそのためだけの『人質』であり、『道具』な筈だった。それも混じり物に『メッキ』しただけの紛い物だ。元より期待する方が間違っているのだ。『道具』は『道具』らしく何も考えなくて良い。ただ、全てを受け入れて、甘受するのが一番楽なのだ。

 

 それが……それが………あぁ!いつから自分は期待しているのだろうか!何度も裏切られているのに馬鹿みたいに……!!

 

 そうだ!部屋で待っているのが辛いと言っておきながら、散歩なんてかこつけて自分は待っているのだ!!来ないと分かっている癖にもしかしたらと期待して、一分一秒でも早く会うためにこの庭先で………!!何て馬鹿馬鹿しい……!!

 

「っ……!!」

 

 ぎゅっ、と傘の柄から僅かに軋む音が響く。自分の腹立たしい思考と行いにやり場のない怒りを感じたからだ。

 

「………気分が悪くなりました。帰りましょう」

 

 顔をしかめて、グラティアは踵を返す。こんな所でいつまでも自分を誤魔化して待っている自分が酷く惨めに思えて、同時に顔を合わせた所で何も知らない彼にどんな表情を向けたら良いのか分からなく怖くて、何よりも彼女自身自分が何をしたいのかが分からなくて、それら全てから逃避しようとしての行動だった。

 

 しかし幸か不幸か、その決断は少し遅かった。

 

「お嬢様、お待ち下さいませ……っ!?この音はっ!!?」

 

 控える女中の一人が不愉快そうで、それでいて泣き出しそうな主人を追おうとして、暗闇の中で響いたその奇妙な音に気付いた。それは獣の唸るような響き声だった。

 

「………?」

 

 グラティアも、そして、他の女中や護衛達も一瞬遅れてその音を認識する。そして、同時にそれが余りに近すぎる所から聞こえてくる事にも気付いた。

 

「あっ………」

 

 グラティアはそこで気付く。雪化粧に覆われた庭先で、しかしその真っ黒な影に。そして、それは余りに近過ぎた。恐らくは暗闇と雪が降り積もった並木のせいで視認出来なかったのだろう。その巨大な影は彼女から五メートルも離れてなかった。

 

「っ……!?お嬢様、御下がり下さい!!オルガロンです!!」

 

 そして、その影が何であるかを知った護衛が腰元のハンドブラスターを引き抜いて叫ぶ。その言葉に幾人かの女中は顔を青ざめさせる。あんな狂暴で獰猛な有角犬が何故こんな場所にいるのか、彼ら彼女らにはその理由が分からなかったし、想定もしていなかった。それでもその実、極めて危険な事だけは分かっていた。

 

 闇夜から現れたその偉容に、グラティアは恐怖から一歩足を下げた。この数メートルの巨体は、転がるだけで身長一六〇センチメートルと少ししかない彼女を押し潰す事が出来るだろう。その鋭い牙は彼女の柔肌を簡単に切り裂き、その強靭な顎は骨を砕く事も容易かろう。

 

「ひゃっ…………!?」

 

 グワッ!!と口を開き威嚇するオルガロンにグラティアは思わず腰を抜かし、小さな悲鳴を上げてその場に倒れた。

 

「グオオォォォッ!!!」

「い、いや……!!た、助け……!?」

 

 そんなグラティアに反応して、咆哮を上げつつ今にも飛び掛かろうとする狼犬。その姿を前に、思わず彼女は震える声で思わず誰かに向けて助けを呼ぶ。いや、それは誰かではなかった。助けを呼ぶ彼女の脳裏には極々自然にその姿が過っていたから。その人物の名は………。

 

「っ……!?おい待て!!噛みつくなっ!!」

 

 突如として響いたその声に今にも飛び掛かろうとしていたオルガロンは立ち止まり、威嚇を止めた。それどころか膝まで突いて、尻尾を振ってクゥンと鳴き声を上げた。

 

「えっ……?」

「何が………?」

 

 突然の狼犬の態度の変わり様にグラティアも、護衛達も困惑する。狂暴なオルガロンは、しかし先程とは打って変わって今では飼い犬のような態度を取り続ける。

 

「よしよし、落ち着け……良い子だ………」

 

 グラティア達はそこでオルガロンの背中に乗馬するように乗るその人影に漸く気付いた。暗闇の中で、その騎乗する青年は明らかに寒さに身体と声を震わせていた。

 

「済まない。この種類は直ぐに威嚇してしまって困るよ。……だから余りこの犬種を市街で走らせたくはなかったんだがなぁ」

 

 そういって、悴んで弱った身体でオルガロンから降り、そのまま震えながら狼犬の傍らで凭れながら青年は語る。その声に、彼女は聞き覚えがあった。

 

「貴方は………」

 

 まさか!と、グラティアは思わず震えた声で呟く。そして思わず立ち上がって護衛の一人が持つ洋灯を奪い取る。そのまま彼女は洋灯を前に出してゆっくりと一人と一匹の元に近付く。そして、彼女は絶句した。

 

「悪い。この辺りにホテルカプリコーンって所、あるかな?」

 

 殆ど凍傷寸前で身体中を震わせながら尋ねる彼女の婚約者の姿が、そこに照らし出されていた………。

 

 



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第百七十四話 お前ら、今日からのノイエ再放送見逃すなよ!

やべぇ、自宅と職場のある町両方でコロナ感染者出てるやんけ……これは駄目かも分らんね




「げっ、おいおいマジかよ……。まさか、こんな場所でフロイラインと鉢合わせするとは………」

 

 洋灯に照らし出された青年貴族は眼前の一団を、その先頭の少女の姿を認めると目を丸め、驚いたような口調でぼやいた。

 

 一方、グラティアもまた唖然としていた。それはそうであろう。ホテルの庭先を散歩していれば、いきなり響狼が……オルガロンが飛び出して来て、しかもその上からへとへと顔の婚約者が降りて来て、そのまま雪の上に座りこんだのだから。周囲の女中や護衛達すらあんぐりと口を開き、一瞬茫然としてしまっていた。

 

「……!!い、今すぐに旦那様の介護を!!誰か上着を!それと……温かい飲み物を用意して下さい!!旦那様、大丈夫で御座いますか!?」

 

 真っ先に介抱する、という発想に辿り着いたのは何の因果かグラティアであった。命令を受けた女中や護衛が我に返ったように慌てて動き出す。グラティアはそんな彼らを一瞥するとオルガロンに凭れるように倒れる婚約者の元に駆け寄ろうとして、次の瞬間足を竦めた。

 

 それは別に貴族令嬢にあるまじき行いだからと思った訳でもないし、婚約者への意趣返しでもなかった。もっと単純な事だ。傍らの狼犬が唸り声を上げてグラティアを威嚇したからだ。尤も、狼犬からすればいきなり飛び掛かるかのように走り出した人間を警戒するのは当然であったのだが。

 

「ひっ……!?」

 

 人質にされる等修羅場を経験した事のあるグラティアでも、流石により野性的で根元的な恐怖を思わせる獣の威嚇を相手にすれば足が竦むのも仕方のない事であった。寧ろ、下手に悲鳴を上げたりしなかっただけ胆力があったと誉めてやるべきであろう。

 

「お嬢様、危険です!御下がり下さい!!」

 

 慌てて護衛達が安全装置を解除したハンドブラスターを構えて前に出る。その指は引き金をいつでも引ける状態であった。

 

「駄目です!!旦那様に当たりますっ……!!」

 

 しかしグラティアは半分程悲鳴に近い声で発砲しようとした護衛達を制止した。狼犬の直ぐ傍らには彼女の婚約者がいるのだ。流れ弾が当たりかねない。それだけはあってはならなかった。

 

「……大丈夫だ。落ち着け……落ち着け………」

 

 ぐったりとした青い顔の同盟宇宙軍准将は、唸り声を上げるオルガロンを宥める。その声にグゥ、と若干不機嫌そうにする狼犬であるが、鋭い視線で婚約者が睨めば残念そうにお座りの姿勢を取りフリフリと不満げに尻尾を揺らす。

 

「……大丈夫だ、噛みやしない。ほれ、これでも食って機嫌を直せ」

 

 傍らの青年貴族が懐から幾つかの干し肉を見せつける。オルガロンはそれを凝視し、鼻息を荒くする。数回程揺らして狼犬の注意を完全に惹き、ぴょいと投げれば途端にご機嫌そうにオルガロンは雪の絨毯に落ちたそれに飛び掛かり、食らいついた。

 

「………!旦那様!!身体が冷えております!!此方を……!!」

 

 大人二人分のサイズはあろうオルガロンの、その飼い犬のような態度に暫し瞠目して、しかしグラティアは直ぐに思い出したように自身の着込んでいたコートを脱いで婚約者の肩に被せる。とてもではないが凍てつくようなこの野外を出歩くには彼女の婚約者の姿は薄着に過ぎて、実際身体中が一歩間違えれば凍傷になりかねない程に冷え切っていた。その顔も若干赤い。

 

「ははは、寒冷地での訓練も実戦もしているのですがね……やっぱり装備不足だとキツイみたいだ」

「ご冗談はおよし下さいませ……!!今ホテルの方にお連れ致します!!電気は動きませんが雪と風は防げますから、どうぞ……!!」

 

 婚約者の態度に若干怒るような態度でグラティアは叫ぶ。青年貴族はそんなグラティアの態度に若干驚愕し、しかしすぐに慌てる護衛に肩を貸されてホテルに向かう。

 

「お嬢様もお冷えになっては行けません。どうぞ此方を……」

「えっ……?あ、有り難う」

 

 声を荒げて気分が高ぶったのかホテルに移送される婚約者の後ろ姿を見つめ震えながら呼吸をしていたグラティアに、女中の一人が進言しつつ着こんだコートを差し出す。ほんの少し前まで全ての理不尽を虚無的に受け入れていたのに、気がつけば淑女らしくもない慌てた態度をしていたと今更ながらに気付いたグラティアは少し気まずそうに礼の言葉を言うと、視線を逸らした。

 

「……」

 

 そして、極々自然に彼女はどうして自分がここまで興奮していたのかと、今更のように疑問を浮かべていた。いや、寧ろその疑念はどちらかと言えば………

 

「どうして………」

 

 来る筈のない人物がどうしてここに来たのか、とまでは言わなかった。ただ、彼女は自身の婚約者が寒さに打ち震え、弱る中で自身の目の前に現れたという事実に歓喜し、安堵し、安心していた。してしまっていた。

 

 無論、その事はおくびにも出さないし、口にする事は無かったが………。

 

 

 

 

 

 

 半ば連行されるような形で私は急いでホテル二階の空き部屋に通された。ホテルの電気は使えないので木炭ストーブで慌てて部屋を暖めて、毛布を何枚も集めて最低限の暖を取る。女中達は電気もガスも通らない中で、急いで温かい紅茶を私に用意してくれた。

 

「此方、ロシアンティーでございます」

「あぁ……有り難う。頂こう」

 

 私は凍死一歩手前な身体を震わせながら女中に礼を言う。そして銀スプーンでジャムを一口含んで紅茶を飲む。暖を取ると共に糖分も補給出来るロシアンティーはこのように冷えきった身体には丁度良かった。

 

「……!!これ、旨いな」

「……それは宜しゅう御座いました」

 

 思わず、と言った体でぽつりと呟いた私の感想に、彼の対面のソファーに座った伯爵令嬢は安堵したような表情を浮かべた。

 

 ……後に知った事なのだか、紅茶と共に用意されていたマーマレードと林檎ジャムは元々私の訪問時のために用意されていたものだったらしい。私が婚約者の元に訪問の際の持て成しのためにケッテラー伯爵家が領地の果樹園で採れた林檎や柑橘類で作った高級ジャムである。家が用意出来る最高質のそれを仮に私が不味いと言ったらかなりショックを受けた事であっただろう。

 

 ……まぁ、(無意識に)マウント取られてばかりだから不安になるのも分かるけどさぁ!

 

「ふぅ………」

 

 暫しの間部屋の中は沈黙が支配していた。婚約者はちらちらと此方に視線を向けて何か話したそうにしているが、その度に強く口を結んでいた。恐らくは私の体調を考えての事だろう。冷えきった人間に色々と追及する積もりはないらしかった。

 

 ……数分程してからだろうか、紅茶を飲みきって漸く体力と気力が戻って来た所で私は口を開いた。

 

「あー、まぁ……色々語らないといけない事はあるが、まずは有り難う。お陰様で凍死せずに済んだよ」

「いえ、当然の事をしたまでの事で御座います。それよりも……その………何故、此方に?」

 

 婚約者は、少し迷いつつもそう尋ねた。その口調は……恐らく彼女自身は意識していなかったが……期待半分不安半分と言ったものであった。何処かいじらしく、しかし震える声音。

 

「そりゃあ当然、約束しましたからね。一度は兎も角、流石に二度まで約束を違えるような無礼をする訳には行きませんよ。ですので多少無理してもここに参上した次第です。……まぁ、それはそれで御迷惑をおかけしたようですが」

 

 私は僅かに苦笑いを浮かべて、しかし当然の事のように答えた。尚、実際に見通しが甘くて凍傷を負いかけたので糞迷惑過ぎるのだが。

 

「そう……ですか。御厚意には感謝致しますが……出征が近い中でこの騒動、態態お足をお運び頂くなど御迷惑では御座いませんでしたか?もし、時間がないのでしたら一旦この話は置いておいて、出征が終わってから改めてお会いしても構いませんが………」 

 

 婚約者は私の方を窺うように尋ねた。それは何処か義務的で、内心の不満を我慢しながらの提案に見えた。まず間違いなく私に配慮しての発言である。とは言え、そうも行かない。

 

「いえ、それでは時間が足りません。出征から帰ればもう直ぐに式でしょう?私としてはその前に話す事だから意味があるので……」

「そ、そうですか……」

 

 私は気まずげに、しかし言い訳をしたくないためにそう答える。一方、婚約者は私の言葉に歯切れが悪そうに、若干苦し気な表情で応じた。そして私と視線が合うと一瞬見つめて、逃げるようにそれを逸らした。

 

「………」

「………」

 

 互いに一分程沈黙して、互いをちらちらと見やる。たまに視線が合うと、グラティアは気まずげに視線を逸らす。私も何とも言えない感覚に囚われ、同じように黙り続ける。

 

(はは、これではまるでミドルスクールの学生じゃないかよ)

 

 それはまるで初で、初心な、互いを嫌いではない学生の男女の距離感であった。いや、未だ二十歳にもなっていない婚約者の方ならまだそれでも良かろうが……私まで同様というのはある意味無様だった。

 

「………ふぅ、それでは少しお付き合い下さい」

 

 私は深く深呼吸した後、覚悟を決めてそう語り始める。

 

「……その、グラティア嬢。私が今回貴女に顔を見せに来た理由は謝罪と弁明のためでして………」

「弁…明……ですか?」

「その……この前出迎えに来てくれた時の事でして……」

「出迎えの時……ナウガルト家のご令嬢の事でしょうか?」

 

 私は婚約者の……グラティアの指摘に気まずそうに、しかし目を見て頷く。ここで視線を逸らしても仕方無い。

 

「恐らくは御理解はしているでしょうが、あの戯言はただの悪ふざけでして……いえ、確かに配慮は足りませんでした。それは私の落ち度です。申し訳御座いません。私の浅慮で貴女に無用な心労をおかけしました。まずその事について謝罪致します」

 

 私は胸に手をやり、頭を下げる。私なりに誠意を込めてはいるが、もしかしたら第三者から見ると叱られて謝る子供のように情けなく映ったかも知れない。

 

「それについて謝罪するためにお越しに……?」

「………無論、先日のお約束を違えた事についても、貴女の名誉と信頼を傷つけたと理解しております。出来るのならば、この場を借りてその謝罪もしたいと考えております」

「そう、ですか………」

 

 何処か神妙そうに、唇を噛み締めるように強く結ぶ伯爵令嬢であった。その姿は何処か葛藤しているようにも見える。

 

(やべ、少し大仰に言い過ぎたか?)

 

 あのような謝罪をしてしまえば、立場上は下になるケッテラー伯爵家としては私に余り強く追及は出来まい。婚約者の態度は怒りがありながらそれを耐えているようにも見える。

 

「うっ……その、貴女のお気持ちは分かります。毎回毎回貴女への御迷惑ばかりおかけしているのですから。嫌われるのは仕方ありません」

「い、いえ……決してそんな事は………」

 

 婚約者は無理矢理気味に笑みを浮かべて否定するが、それを真に受ける訳には行かなかった。私もそんな楽観主義者ではない。やはり、より分かりやすい形で『誠意』を見せるべきであろう。

 

「無論、口ばかりでは信用して貰えないのは理解しています。かといって、流石に私の一存で貴女に便宜を図る事も出来ません……」

 

そこまで口にして、一旦私は口を止める。それは、これから要望する内容が私が行ってきた所業を思えば余りに厚かましいものであったためだ。とは言え……。

 

 私が苦い表情で視線を其方に向けると、目の前の伯爵令嬢は此方の要望を即座に理解したらしかった。彼女は小鳥の囀りのような声音で室内に控える女中達に命令した。

 

「……貴女達、少しの間この部屋から退室を」

「お嬢様……!?」

「流石にそれは危険です……!!」

 

 女中達は主人の言葉に、しかし直ぐに了承は出来ず、声を荒げる。

 

(当然だよな……)

 

 何せ相手は公衆の面前で自分達の主人を傷物にしたような男だ。二人きりなぞにすれば今度はどうなるか知れたものではない。当の私も女中達の心情は良く理解出来る。下手すれば彼女達の責任問題だ。承諾出来ない。

 

 だが、同時に拒否出来るかと言えばそれもまた難しいものであった。

 

「大丈夫です。何かあれば直ぐに声をかけます」

「ですが……!!」

「お願いします」

「っ……!?……し、承知致しました」

 

 食い下がろうとする女中達は、しかし婚約者が念を入れるように頼みこむと、渋々と従う。従わざるを得ない。主人の命令に他所の家の者がいるにも関わらず公然と、かついつまでも逆らう訳には行かないのだから。ケッテラー伯爵家の使用人達からすれば婚約者の言葉に逆らう事もまた出来なかった。

 

「お嬢様……お声さえ上げてくれれば直ぐに駆けつけます。どうぞご注意を」

「はい。分かっていますよ」

 

 女中達は労るようにグラティアに声をかけ、次いで私を警戒するように一瞥し、退室する。……うん、前科犯の身としては無礼な態度だななんて言えねぇな。

 

「……自業自得ですが、やはり警戒されますね」

 

 苦笑しつつ、私は目の前のソファーに小さく座り込む伯爵令嬢を見据える。

 

「御迷惑ばかりかけてきた立場で態態このような場面の用意までさせてしまい申し訳御座いません」

「いえ、この程度の事は……以前に申し上げた通り、私は武門貴族の妻となる身で御座います。故に、最後の唯一人となろうとも旦那様を信じ、その望みに答えるのが私の当然の務めで御座います」

 

 グラティアは以前、川遊びの後に小屋で伝えた言葉を繰り返して答える。その言い様は当然の事を当然のように答えているようにも見える。

 

(まぁ、流石に言葉通りには受け取れんがね……)

 

 凛々しい態度で答える少女の、しかしその重ね合わせて膝に置かれた手は、かすかに震えていた。部屋は確かに少し寒いが、当然それだけが理由でないのは自明の事である。

 

「そう……ですか………」

「私の事はお気になさらず、それよりも何のためでしょうか?」

「え、えぇ……その、ある意味詰まらない理由ではあるんでしょうが……」

 

 私は若干迷い、緊張し、気負つつも、深呼吸をしてから………私は姿勢を正して彼女を、グラティアを見つめた。さて、覚悟を決めるかね?

 

「グラティア嬢、人払いをして頂き申し訳御座いません。流石にこれを贈るとなると気恥ずかしく……」

 

 私がそう前置きしてから懐から取り出したのは藍色の小さな箱であった。グラティア嬢は一瞬訝し気に首を傾げ、しかしそれが何なのかを理解すると思わず息を呑み、目を驚きに見開く。

 

 私はゆっくりとリングケースを開く。その中に納められたのは指輪だった。指輪本体は白金製で、中央に大粒の金剛石が嵌め込まれたソリティア・リング………。

 

「だ、旦那様……これは………」

 

 グラティアは震える声で呟く。私は気恥ずかしさと緊張感を圧し潰しながら説明する。

 

「正直、安物だって不満だと思う。その……伯爵家から毎週もっと良い贈り物が届いているからこんなもの、と思うだろう。一応、弁明するならばこれは伯爵家からじゃなくて私からのものなんだ」

 

 伯爵家の財力ならばこれよりずっと高級な指輪を贈れるだろう。指輪だけではない。ネックレスも、ジュエリーも、ティアラだって贈れる筈だ。但し、この指輪は伯爵家からではなく、目の前の婚約者からの贈り物なのだ。

 

「元々、金には困っていないから必要な時以外軍の給与はそのまま塩漬けでね。不満はあるとは思うが……私が働いて稼いだ貯金をほぼ全額費やして購入させて貰った。伯爵家じゃなくて、私個人として、婚約指輪をとね」

 

 不良騎士と相談を重ねて、最終的に私が誠意として用意したのはオーダーメイドの婚約指輪であった。軍人としての給与の入った預金口座、その中にあった残額の八割を注ぎ込み拵えたのがこの大粒の天然金剛石を使い、フェザーンの有名宝石店がプロの研師に依頼してデザインした五万五〇〇〇ディナールの婚約指輪であった。

 

 当然ながら、一般の同盟人が婚約者に差し出すものとしては破格の値段であるが、逆に門閥貴族の基準としては特別に高級という訳でもない。

 

(寧ろ名門伯爵家の嫡男としては少し安い位なんだよなぁ……)

 

 正直な話、私も相談して提案された際には喜ばれるか怪しいと考えたのだが……最終的には食客からの強い押しもあり、この指輪を贈る事を誠意とする事に決めた。ただ、こんな安物を差し出す事を婚約者の周囲の家臣達に見られたくはなかった。それ故の人払いだった。

 

「感傷的と思われるかも知れないが……私が危険な軍務で得た給与で買ったこの婚約指輪だ。これで少しだけでも良いから、貴女に対する私の誠意を示せるのなら、どうか受け取ってくれないか……?」

 

 そして、再度深呼吸して私は宣う。

 

「フロイライン……グラティア、この婚約指輪は私の誠意です。どうか御受取下さいませ」

 

 膝を屈して、捧げるように私は指輪を差し出す。私の言葉の最後は緊張で少し震えていた。そんな情けない態度ではあるものの、私は……少なくとも自分としては……主君に仕える執事のように、あるいは貴婦人に忠誠を誓う騎士のように恭しく頭を下げて目の前の婚約者の反応を待った。

 

 何秒か、あるいは十数秒か、数十秒か……ホテルの壁に掛けられた針時計のカチカチという音が妙に室内に響いていた。

 

 伯爵令嬢からの言葉はない。しかし、私は何も口にせず、微動だにせず、限りなく永遠に思える時間を不動の姿勢で待ち続ける。

 

(やっぱり、駄目かねぇ………?)

 

 ……体感時間で数分程、不良騎士からロマンチックで誠意の分かる贈り物なら喜ばれる、等と口車に乗せられたのを私は後悔し始めていた。顔を打たれるか、花瓶を頭に投げつけられる事位は覚悟しよう、と心に決める。

 

「旦那様……お顔を……お上げ下さいませ」

 

 震える伯爵令嬢の声、それがどのような感情を意味しているのか悩みつつ、私は最悪の事態を覚悟して緊張しながらゆっくりと顔を上げた。

 

 そして顔を上げきった所で……私は思わず驚きに息を呑んだ。

 

 だが、それもある意味当然の事だった。

 

 目の前にいた女性は……泣いていた。美しい美貌を歪めて、目に涙を浮かべて、泣いていた。そして、許しを乞うように小さく、しかし妙にはっきりとした発音でこう呟いたのだ。

 

「ご免なさい………」

 

 それは、余りに気弱で、内気で、優しく、そして憐れな少女の慟哭だった………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その謝罪の言葉を聞いていたグラティアは、その実相手の青年貴族に対する怒りは殆どなく、寧ろ罪悪感を感じた。

 

 彼女自身、確かに幾度も自身の立場を嘲られるような仕打ちの数々を受けて来た事に思う所があったのは事実である。

 

 しかし、同時にそれは別に婚約者である目の前の青年貴族に対してばかりではない。元より彼女は祖父や多くの貴族からそのような酷い仕打ちを受け、軽蔑される事が少なくなかった。そのため、必ずしも自身の夫となる予定の者に殊更憎しみを抱いている訳ではなかった。

 

 そして、彼女は捕虜収容所とハイネセンの別荘、その双方で目の前の青年貴族に助けられた事実を理解していた。寧ろ、生来の彼女の気弱で自罰的な内向的性格と、この雪の中来る筈がないと決めつけていた事による負い目、凍傷を負いかけてまでこの場に来た誠意、そして理由自体には一定の妥当性があるがために彼女は怒る処か、却って同情に近い感情すら少し抱いていた程だ。

 

 それらの要因が複雑に絡み合った結果、グラティアは自分が一方的に相手を責める事の出来る立場ではない事を自覚していた。そして、その事実を目の前の婚約者の姿を見ると一層強く突きつけられているように感じられた程だ。故に彼女は数多くの仕打ちを受けたにもかかわらず不満を抱かなかった。

 

(いえ。そもそも不満を言う資格も………)

 

 そして、グラティアは目の前の青年貴族に対して自身が犯している最大の裏切り行為を思い出して自覚もなく沈痛な表情を浮かべていた。この時点で相対する婚約者は彼女の渋い表情を不満と怒りの表れと認識するが、当の彼女はその事に気付く事は無かった。

 

 そして、婚約者たる青年貴族が改まった態度を浮かべた時、ふと彼女はその精神を軽く揺さぶられる。

 

(あっ……)

 

 一瞬子供のように気恥ずかしげに顔を背け、次いで深呼吸をしてから………目の前の伯世子が自身を見つめている事に彼女は気付いた。そしてグラティアは思わず息を呑んだ。此方を強く見つめるその顔立ちは元の出来が良い事もあるがその背筋を伸ばした堂々たる姿勢も相まって、その風貌がとても凛々しく、魅力的に映ったからだ。

 

 そして差し出されるリングケースを視界に収めた時、彼女は驚愕した。それが何なのか彼女は直感で理解したが、同時に卑屈な彼女の理性がそれを否定する。期待しないと決めたばかりだというのに……だが、直ぐに彼女は自身の直感が正しかった事を知る。

 

 リングケースの中から現れた大粒の金剛石の輝きにグラティアは思わず見惚れた。彼女は強欲でなければ守銭奴でもないが、世の中にいる大多数の女性同様に素朴に宝石を貴ぶ価値観を有していたし、同時に物を見る目も持っていた。

 

 その色合いと輝きは大多数の同盟人が婚約時に贈る人造金剛石ではなく、天然物のそれである事を彼女は正確に見抜いていたし、同時にそのデザインがプロの研磨士によるものである事も把握していた。強いて言えば名門貴族の子息が贈るものとすれば少し格が落ちるものである事であるが……そのかすかな不満は直ぐに払拭される。

 

(自分の給与で……?)

 

 彼女はその事実に打ち震える。これまで彼女も形だけの贈り物ならば幾らでも貰った事はある。同時にどれも形式的で、本人が選んだ訳でない事も、何の心も籠っていない事もまた分かっていた。どれもこれも形ばかり、所詮は「ケッテラー伯爵家の長女」か「ティルピッツ伯爵家次期当主の婚約者」に向けてのものであり、「グラティア・フォン・ケッテラー」という一個人に向けてのものなぞ皆無。その事について彼女は理解していたし、また仕方ないと諦念し、期待もしていなかった。

 

 それがどうだ?この指輪は一族の資産も使わなければ家臣に選ばせた訳でもない。文字通り、目の前の婚約者が自分自身の金銭で、そして自分自身の意思で購入したものなのである。

 

(旦那様自身がっ………!!)

 

 何とも言えない衝撃と高揚感がグラティアの身体を駆け巡った。感動とも言えるかも知れない。

 

 彼女にとって目の前の婚約者の行動は想定の外のものであった。確かに指輪は伯爵家次期当主が贈るものとしては決して高価なものとは言い切れない。だが、それは問題ではないのだ。そんな事は問題ではないのだ。

 

 自分のために!自分の事を考え、悩み、思索、時間を費やしながら考えた贈り物!ましてや自身の血肉を糧に得た資金を持って取り揃えた贈り物!!それは唯高価である以上の付加価値を与えていたし、特にグラティアのような性格の少女にとっては一層象徴的なものであっただろう。

 

 それ故に彼女は感動する。歓喜する。狂喜する。そして同時に……自身の立場を思い出して絶望したのだった。

 

「あぁ……」

 

 嘆息するように彼女は息を吐いた。いつの間にか彼女の瞳は潤んでいた。極自然に、当然のようにその白い頬から涙が流れる。

 

 そして、そしてあまりにも自然に、そして悲痛に満ちた声で彼女はその言葉を口にしていた。

 

「ご免なさい……」

 

 

 

 

 

「ご免なさい……。御許し下さいませ。私に……私は……それを受け取れる立場ではないのです」

 

 震える、怯え切った、絶望し切った声音で目の前の少女は震えた声音で言葉を紡いだ。それは今にも死にそうな位弱弱しく、悲し気な返事であった。無論、その表情は声以上に深刻で、顔面蒼白の婚約者の姿は一瞬私を絶句させた。

 

 正直、最悪駄目かと覚悟していたが……殴られるんじゃなくて泣かれるのは少しだけ想定外だった。いや、性格的に復讐するより一人で泣いてしまうタイプなんだろうが………。

 

「その……申し訳御座いません。どうやら私の独り善がりな行いでした。このような形で謝罪なぞ……」

「違います……!!」

 

 私が指輪を机の上に置いて謝罪しようとした瞬間、それを鋭く、悲痛な泣き声が阻止する。目の前の婚約者は身体を震わせて、涙を流しながら私を見つめる。その表情は明確に怯えていた。

 

「ぐ、グラティア嬢……?」

「ち、違うんです。違うんです……違うんです……。旦那様が悪い訳じゃないんです……!!嬉しいんです……嬉しいんですよ……?けど……けど受け取れないんです!私は、私は受け取れないんです。……受けとる資格が無いのです……!!」

 

 嘆くように、悲嘆するように、絶望するように彼女は、グラティアは私にその事を告げた。

 

「私は……ずっと嘘をついて来たのです」

 

 グラティアが嗚咽交じりに語り出したのは彼女の、いやケッテラー伯爵家側の仕出かした細やかな小細工についての事だった。

 

「………成る程」

 

 半ば錯乱気味の彼女の途切れ途切れの話からおおよその内容を理解した私は、静かに頷く。

 

 彼女の話によれば、私の従士の髪の色から私が金髪趣味なのだと噂されているとか。

 

 そして婚約話が提案される過程で、どうしても婚約にこぎ着けるように祖父に髪を染色させられたのだという。

 

 ………恐らくはそれ自体は限りなく婚約に影響を与えた訳ではないと思う。父も祖母も、たかが髪の色で私の相手を決めるような人物ではない。グラティア嬢の祖父ルーカスの行いはやらないよりはマシ程度の殆ど徒労に近いものであっただろう。問題は、既に婚約してしまって今更その事を言えなくなってしまった事だ。

 

 これも恐らくは今更言った所で婚約解消する訳にも行かない。そもそも政治的な理由からの婚姻なので私の好みなぞ介在する余地もない。極論すれば最悪愛さえいらないのだ。宮廷からすればただ結婚したという事実と、跡取りが出来ればそれだけで良いのだ。

 

 無論、それは此方だから言える事である。ケッテラー伯爵家からすれば染色がバレたらどうなる事か分からないという恐怖があろう。婚約者はずっとその秘密を隠し続けて精神的に苦悩していたらしい。まぁ、結婚した後バレたらと思うと怖いよね……。

 

(しかし、問題は何故今頃そんな事を……?)

 

 秘密を暴露するにも、タイミングというものがある。幾ら秘密にしていても一度結婚さえしてしまえば取り消し出来ないのだからその後に言えば良いのだ。今このタイミングで言った所で彼女に何の得があるのだろうか?

 

「……私には、これ以上旦那様に嘘がつけません」

 

 ぽろぽろと涙を流しながら、苦しそうに彼女は私の疑問に答えてくれた。

 

「旦那様は私を何度も助けて下さいました。その上、こんな贈り物をして頂けるなんて……なのに……なのにこんな嘘を………」

 

 グスグスと、嗚咽を漏らしながら彼女は私に助けられた恩義を、そして今回私の用意した贈り物に衝撃を受けた事を語る。その上で良心の呵責からこれ以上偽る事が出来ないのだと伝える。

 

「特にこの指輪は……旦那様が御一人で選ばれたのでしょう?恐らくとても長く悩んで選ばれた筈です」

「ま、まぁな……」

 

 ハンカチで涙を拭きながらの質問に私は気恥ずかしさもあり、歯切れ悪く答える。何せ貯金の大半を叩いたのだ。当然一度きりの機会である。失敗出来ない。婚約者の好みや流行を考えて、身分を偽り宝石商や職人からも何時間も意見を聞いて最終的に注文したのが目の前の婚約指輪だ。

 

「そうでしょう。婚約指輪とて、実際に自分で選んで頂ける方は滅多にいないと聞きます。殆ど家臣に任せてしまうと。……その、非礼ながら私などのために御忙しい時間の合間を割いてお選び頂いた指輪、それだけで旦那様の誠意はありありと分かります」

 

 グラティア嬢は顔を赤らめ答える。そして……直ぐにその表情を暗くする。

 

「私も恥というものは知っております。ここまでして頂いて、今更騙し続けるなぞ良心が許せません」

「だから、暴露したと?」

「……今更だとは思われるでしょうが」

 

 ソファーに座るグラティア嬢は顔を強張らせ、苦悩の表情を浮かべる。それは全てを諦めた顔だった。

 

「………」

 

 その彼女の告白はかなりの覚悟を持ってのものである事を私は理解していた。彼女にとっては一切のメリットなぞないのだから当然だ。私の実家は勿論、彼女自身の実家すら敵に回す行為だった。仮に私がこの会話を暴露したら………。

 

(……ここで見捨てるのもなぁ)

 

 仮にこれを基に私が破談を要求したら母辺りが賛同して成功するだろう。しかし、そうなるとグラティア嬢の立場があるまい。最悪、命すら危ないだろう。

 

 私からすれば彼女に敵意も殺意もさらさらないのだ、そのような寝覚めの悪い事は御免である。

 

(そもそも髪の色に拘りがある訳でもなし……。それに……)

 

 少なくとも、私に対して誠実な彼女を嫌いにはなれなかった。

 

「……フロイライン、貴女の地毛の色は亜麻色ですね?」

「っ……!!」

 

 私の質問に顔を更に青くし、打ち震える婚約者。打ち震えつつも、小さく頷く。

 

(母親や弟の髪の色から適当に尋ねてみたが、どうやら正解らしい。成る程………)

 

 そして私は観察するように彼女を見つめる。恐怖に怯える少女は私が何をしようとしているのか分からずに、此方の様子を窺い続ける。

 

「グラティア嬢」

「は、はい………」

 

 私が鋭い視線を向けて彼女の名を呼べば、グラティア嬢が顔面蒼白で答える。同時に全てを覚悟した表情を浮かべる。婚約の破棄か、そうでなくても私の不興を買ったと思っているのだろう。健気な事である。

 

 故に、私は宣う。この先の言葉を。

 

「でしたら少しウェディングドレスの手直しが必要ですね。髪の色が違えばドレスの映え方が違いますから」

 

 屈託のない笑顔で私が口にした言葉に、目の前の少女は今日一番の驚きに目を見開いた。

  

「えっ……それは………」

 

 私の言葉の意味を咀嚼し、理解し、しかし困惑するような表情を浮かべる少女。不謹慎ではあるが、それは私が彼女と初めて顔を合わせてから一番感情豊かで、人間味のあるように思えた。

 

「少し手間がかかりますが……まぁ、仕方ありませんね。お互い一世一代の晴れ舞台ですから、職人方には徹夜して貰いましょう。追加料金を請求されそうですが」

 

 私は半分からかうように苦笑する。目の前の婚約者はその態度に更に困惑して何とも言えない表情となる。その姿が一層私の笑いを誘った。

 

「その……」

「貴女自身がどれ程お悩みか、どれ程苦悩したかは残念ながら私には想像出来ません」

 

 グラティア嬢が何か言おうとする前に、悪いが私自身の意見を先に言わせて貰う。

 

「ですが、少なくとも私にとって貴女は六年間も交流を続けて来た間柄です。今更この婚姻を取り消しするには情が有り過ぎますよ」

「ですが、御家族は………」

「それこそ、私が抑えましょう。私は伯爵家の次期当主です。その程度の事出来なければ立つ瀬がありませんよ」

 

 私がそう申し出れば目の前の婚約者は悲しげな表情を浮かべて反対する。

 

「そ、そのような事はお止め下さい……!!私なぞのために旦那様のお立場が悪くなります!!」

「無論、言葉は選びますよ。ですが同時にこの婚姻に反対する事も許しません」

「何故……何故そのような………」

 

 理由が分からない、という表情でグラティア嬢は私の顔を見やる。童顔な所があるためか、彼女のその表情は怯える子供のようにも思えて可愛らしくも思えた。

 

 私は跪いたまま、相手を安心させるように微笑む。

 

「難しく考えるまでもありません。私だって結婚するなら良く知る相手の方が良いですし、皇帝陛下や宮廷の意向には配慮したい」

 

 それに、と私は冗談めかした口調で続ける。

 

「亜麻色髪の貴女も、随分と御美しいでしょうからね。折角の優良物件、性格が悪いと思われるかも知れませんが誰にも渡したくありませんよ」

 

 私の意地悪そうな、身勝手で我欲丸出しの言い様に、婚約者は泣きながらも呆れるように笑ったのだった。

 

 

 

 

「旦那様、折角足を御運び頂き、贈り物も頂戴したのです。本来ならばもっとおもてなしさせて頂きたいとは思うのですが……」

 

 ホテルカプリコーン・ハイネセンポリスの正面入口にて、厚着した婚約者は恐縮そうに語る。彼女は今の状況を良く理解していた。

 

「いえ、新しい足を頂けただけで幸いですよ。このままでは宇宙港に間に合うのか怪しい所でしたから」

 

 庭先では用意された数台の軽雪上車が並んでいた。三人乗りのそれらには既に複数人の人員が乗り込んでいる。運転手と護衛役であろう。

 

「具体的な話は帰って来てからですが……お婆様や父には手紙で話を通しておきますので余り不安にならないで下さい」

「はい。数々の御配慮、痛み入ります」

 

 心底済まなそうに答えるグラティア。いやまぁ、配慮と言えば私こそ色々アレな事してきた立場だからね………。

 

「その……恐らく宇宙港まで時間がかかりますので、もし御不満がなければ此方をお受け取り下さいませ」

 

 若干不安そうに、そしてよそよそしそうに差し出されるそれ。私はそれを受け取り、広げればそれが何なのかに気付く。

 

「マフラー、ですか」

「御寒いでしょうから。職人ではなく私なんかの手作りで申し訳御座いませんが………」

「手作り!?」

 

 婚約者の言葉に私は若干変な声を上げてしまう。その声に驚いて婚約者はびくっと身体を震えさせた。あ、いや別に怒っている訳じゃないんだけどね………?

 

「あ……す、済まない。別に不快感がある訳じゃなくてな。寧ろ少し驚いてしまって。はぁ、これを………」

 

 私はマフラーを広げて、感嘆するように息を吐く。

 

 編み物自体は別に貴族令嬢として問題がある訳ではない。寧ろ、驚いたのはその刺繍であった。

 

「良くもまぁ、これだけ緻密にしたものですね………」

 

 金糸や銀糸、絹糸等、多種多様な種類と色の糸を使用したのだろうマフラーに縫われた刺繍は、到底アマチュアのレベルではなく、職人の芸術品のように思われた。多種多様な唐草文様に植物や鳥をモチーフにした絵柄が鮮やかに縫われ、それは到底人の手で行われたとは信じがたいものだった。特に中央に置かれた鷲獅子は明確に私の実家の家紋がそのモデルである事に間違いはないだろう。全てを縫うのに相当な時間を要した筈だ。

 

「……有り難く受け取りましょう。今使っても?」

「勿論です」

 

 その了解の返事を受けて私はコートの釦を少し外して首元にマフラーを巻き付ける。その肌触りは良く、マフラーとしての機能を十全に果たしていた。  

 

「……良い着心地ですね。有り難う御座います」

「いえ、これほどの物を贈り頂いておきながらそのような物しか用意出来ず、申し訳御座いません」

 

 本当に恐縮するように両手を胸元に重ねて憂うような表情を浮かべる少女であった。その利き手の人差し指には私が贈ったばかりの指輪が光っている。うん、やはりモデルのレベルが高いから良く似合うね。

 

「いえ、寧ろ有難い事ですよ。私のは職人にやらせたものですからね。貴女の誠意には叶いません」

 

 苦笑するように私はフォローする。実際、これだけ緻密な刺繍を施したマフラーを作るのには相当時間が必要だっただろう。

 

「もし良ろしければ、これからも私のために色々作ってくれますか?」

「は、はい。その……今すぐには出来ませんが………」

「ええ、構いませんよ。時間ならこれから幾らでもありますから。そうでしょう?」

「あっ……そう、ですね」

 

 私がそう答えれば、漸く緊張気味の表情を和らげて小さな、そして柔らかい笑みを浮かべる婚約者。

 

「伯世子様、大変恐縮ですがそろそろ……」

 

 背後より、ケッテラー伯爵家の私兵が催促の言葉をかけて来る。うん、ごめんね。いきなり時間に余裕のない仕事命令した癖にだらだらと本人がしていたら駄目だよね。

 

「では、そろそろ」

「はい。その……武運長久を……いえ、どうかご無事にお帰り頂ければそれ以上望むものは御座いません。どうか……どうかご壮健である事を御祈り致します」

 

 少し憂いを秘めた表情で、心配そうに、しかし気丈にグラティア嬢は私にそう最後の声をかける。その姿は実にいじらしく、健気なものであった。

 

「………えぇ、分かりました。私もこのマフラーを見て、貴女の事を思い続けさせて頂きますよ。我が花嫁(マイン・ブラウト)?」

 

 そう言った私は彼女の指輪を嵌めた手を引っ張り、当然のようにその手の甲に軽い口付けをする。実に芝居がかった行いであった。

 

「あっ……あ………」

 

 私の行為に少女はぱっ、と顔を赤らめて、そのまま手を引き戻してしまう。そして、その手を優しく擦り、恥ずかしげに、しかし愛しげに此方を見つめて来た。

 

(あ、やべ。ミスった)

 

 ……うん、実の所半分冗談めかした行いであり、笑いながら言い返されるか、打たれるか辺りを想定していたのでこの反応は想定外だった。これまでの所業からして指輪一つでガチでデレるなんてウッソだろお前!?

 

「そ、それでは………」

 

 私は居たたまれなくなり視線を逸らし、次いで踵を返して軽雪上車の方へと急いで行ってしまう。何か背後からあっ、とか言う寂しげな声が聞こえたが私の自惚れによる幻聴だと信じたい。

 

「……遅くなったな。出してくれ」

 

 軽雪上車の後部座席に押し入るように座りこみ、私は逃げるように運転手に命令する。その命令に従い軽雪上車のエンジンが唸るように始動した。

 

「早く出してくれ」

「はっ、しかし……」

 

 運転手が横目に何かを見て、神妙な表情を浮かべる。私が嫌な予感と共にそちらを見れば小さく手を振る少女の姿……。

 

「………」

 

 私は精一杯の笑みを浮かべて手を振り返せば、彼女はそれだけで満足してくれたように安心した表情となる。

 

「……早く出せ、命令だ」

「はっ!」

 

 二度目の私の命令に従い、軽雪上車が発車する。私の乗り込む物に、護衛が数台、闇夜の街にヘッドライトを照らしながら雪の上を駆け始めた。

 

「……取り敢えず、寝るか」

 

 宇宙港到着まで一時間はかからないだろうが……私は寒さを耐える事と、疲れの解消、そして心の整理のために椅子に凭れると瞼を閉じ静かに身体を睡魔に委ねた。  

 

 ……宇宙港に着いた時、私を待っていた従士達を見て、ケッテラー伯爵家の護衛達からの鋭い視線を背後から受けて個人的に気まずい空気であった事はここに明記しておく。

 

 

 

 

 宇宙暦792年四月八日2130時、自由惑星同盟軍第五次イゼルローン要塞遠征軍は幾つかに別れた形で未だに混乱の渦中にあるハイネセンより出立した。総戦力は宇宙艦隊にして支援艦艇含めて六万二二〇〇隻、兵員にして八八六万七九〇〇名、過去最大の戦力を動員してのイゼルローン行軍は、しかしその航海計画と運用を司る各部署もまた最高クラスの人材を惜しみなく導入した事により計画通りに、かつ隠密の内にイゼルローン回廊同盟側出入り口に展開する事を可能とした。

 

 尚、遠征軍総司令部の公式記録によればこの行軍中、遠征軍総司令部航海部の副部長の一人が宇宙酔いと風邪により、その行軍期間の大半をベッドの上で呻きながら過ごしていた事が記されている……。




本話のまとめ

・屑貴族がチョロインな婚約者を安物の指輪で適当に宥めすかしてからそいつに用意させた足で愛人と合流して宇宙旅行に行ったって話

………主人公、容赦無さすぎない?


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第百七十五話 四月は人事異動と入社の季節(前書き画像・後書き設定語りあり)

今回は余り進まないかも
次辺りから漸く戦闘開始だと思います

謝罪として本当ならば前話の時に貼っとくべき婚約者の画像出しておきますね。尚、染色していない地毛バージョンです。


【挿絵表示】



【挿絵表示】


此方は帽子付きです


【挿絵表示】


此方は髪切ってイメチェンした場合かな?


【挿絵表示】


こんな美少女を虐め抜いた上で安い指輪でその行為を帳消しにして愛人と高跳びする屑貴族がいるらしい


 銀河帝国軍は、少なくとも建前上はその存在意義を帝国の支配体制の護持と治安維持に重きを置いた組織体制である。少なくとも公式においては人類社会における唯一の統一政体に対する外敵は存在し得ず、技術的・練度的・戦力的に同規模の軍事勢力との正規戦闘の生じる余地はないとされているためだ。

 

 それ故に銀河帝国軍は、その編成や戦略・戦術、用兵思想、兵器運用、兵器開発体系を治安戦を念頭に置いたものとしている。帝国宇宙軍における正規一八個艦隊においてもその大半は正面からの艦隊戦よりも寧ろ広域における哨戒や警備、反乱勃発地域における揚陸戦闘等を主眼として編成され訓練を施されているし、個々の宇宙艦艇もまた同盟宇宙軍のそれとは違い設計段階から正規艦隊戦を然程重視していなかった。過去一五〇年に渡り国力面において劣る自由惑星同盟が銀河帝国と互角の戦いを演じる事が出来た一因である。

 

 そんな中で数少ない例外の一つが『有翼衝撃重騎兵艦隊』を正式名称とするイゼルローン要塞駐留艦隊であった。

 

 艦艇定数一万六〇〇〇隻、戦艦・空母等の大型艦の構成比率が高く、個々の艦艇の兵員充足率も他艦隊に比べて高い。提督から末端の兵士に至るまで熟練の実力者を重点的に配属し、その訓練は正規艦隊戦を想定した実戦的かつ苛烈なものとして知られている。多くの軍事評論家が銀河帝国軍において最も精強な艦隊はどれかと尋ねられれば『黒色槍騎兵艦隊』、『第一重騎兵艦隊』等と共に必ずその候補として名を挙げる艦隊の一つである。

 

 とは言え、そんな『有翼衝撃重騎兵艦隊』とて何も欠点が無い訳でもない。寧ろ、帝国軍の最精鋭艦隊の一角であるこの艦隊は、同時に帝国軍において最もその組織的欠点が浮き彫りになっている艦隊でもあった。

 

 その欠点とは、即ちは身分対立である。

 

 提督から末端の兵士まで実力主義で編成された『有翼衝撃重騎兵艦隊』は、しかしそれ故に部隊内部は様々な出自の者達が雑多に寄せ集められた艦隊でもある。高級将校の過半を占める門閥貴族に限っても古くからの武門貴族と文官貴族、地方貴族、そして新興貴族の間の静かな対立があるし、下級貴族に士族階級や富裕市民層、それどころか下層市民や農奴階級、奴隷階級から成り上がった高級士官も少なくない。『有翼衝撃重騎兵艦隊』は銀河帝国正規艦隊少尉以上の士官の内、平民階級以下出身者の比率が最も高い艦隊であり、将官に至っては准将以上の将官六三名中三四名が下級貴族以下の身分出身者で占められていた。この数字は他の艦隊と比べ異例中の異例である。

 

 そして同時に、この支配階級たる門閥貴族以外の者達が当然のように羽振りを利かせる艦隊がよりによって帝国の精鋭艦隊であり、帝国国境の最重要拠点たるイゼルローン要塞を守護する立場である事が、宮廷の警戒心を生んでいた。帝国本土防衛のために要塞に駐留する精鋭艦隊の存在は不可欠、しかしその精鋭艦隊が反乱を起こす可能性も決して低くはない事もまた事実であった。そして、一度イゼルローン要塞が陥落すればそれを奪還するには多大な犠牲と予算が必要となろう。

 

 故に、『有翼衝撃重騎兵艦隊』を抑えるために帝国軍は様々な安全弁を用意していた。要塞防御司令官と要塞駐留艦隊司令官の対立を長年黙認し続けて来たのはその一例である。また、反乱防止のために編成されている要塞及び駐留艦隊における艦内憲兵隊の数、及び査閲将校や法務将校の赴任数もまた他艦隊の群を抜いている。当然憲兵隊の部隊長や査閲将校、法務将校における門閥貴族出身者、特に文官貴族や地方貴族出の者の比率もまた他艦隊に類を見ない高さであった。少しでも反乱の嫌疑のある言動があれば査閲将校がそれを咎め、憲兵隊がその者を拘束し、法務将校が恣意的な軍法裁判を実施する事になろう。

 

 これ等の厳しい監視体制により、帝国軍はこの反乱予備軍とも言うべき艦隊を牽制し、督戦し続けて来た側面が確かにあった。

 

 その意味において、イゼルローン要塞駐留艦隊第Ⅲ悌団第八一八戦隊第二一〇駆逐群第六四〇九駆逐隊司令官兼駆逐艦エルムラントⅡ艦長に任命されたラインハルト・フォン・ミューゼル少佐はかなり幸運な部隊に配属されたと言える。

 

「ラインハルト・フォン・ミューゼル少佐及びジークフリート・キルヒアイス中尉、貴官らが第八一八戦隊、第二一〇駆逐群第六四〇九駆逐隊司令官兼駆逐隊旗艦エルムラントⅡ艦長及び同艦副長に着任した事をここに確認する。上官として、貴官らの活躍に期待するや切である」

 

 イゼルローン駐留艦隊第Ⅲ悌団第八一八戦隊司令部査閲部の次長であり、同時に戦隊副司令官として戦隊管理下の宇宙艦艇五九二隻の監督と綱紀粛正に責任を持つヘルムート・レンネンカンプ大佐は厳めしく、しかし決して尊大過ぎない態度で青年、いやまだ少年と言える年頃の部下の配属を確認した。

 

 レンネンカンプ大佐は三〇〇年一五代に渡り有望な士族階級として一族の男子の多くが軍人として帝国に奉仕してきたレンネンカンプ家の出世頭であり、典型的な軍国主義者であった。だが、それ故に合理主義者であり、公明正大な誇り高く、面倒見の良い武人である事もまた事実である。少なくとも査閲の名の下に難癖に近い追及を行うような人物ではない。その意味においては不当な処遇に処される事がないので幸いな事と言えよう。

 

「過分なご期待、恐縮の至りです。……それはそうと大佐殿。僭越ながら、この場合本来ならば戦隊司令官方に御挨拶に向かうのが手順であると記憶しておりますが……」

 

 一見初初しそうに、しかし見る者が見ればそこに嘲りの色が見えるような微笑を浮かべて彼は首を捻る。

 

「戦隊司令官どころか参謀長、査閲部長、直属の上司である第二一〇駆逐群司令官まで不在と言うのはどのような理由でしょうか?」

 

 そう、本来ならば此度の着任の挨拶を目の前の髭を蓄えた神経質な大佐にするのは奇妙な事であった。

 

 確かにレンネンカンプ大佐もまたこの金髪と赤毛の少年士官の上官ではある。しかし、同時に数多くいる上官の中で真っ先に彼に挨拶するべき必然性は何処にもなかった。いや、寧ろ戦隊司令部に挨拶に来て出迎えたのが副司令官兼査閲次長一人という状況は異様と言う他無かった。

 

「……戦隊司令部も暇ではない。日々の業務に会議と職務は幅広い。残念ながら主だった者達は日程が会わずに顔合わせが出来なかったようだな」

 

 真に残念な事だ、と髭を擦りながらレンネンカンプ大佐は呟く。尤も、そう嘯く彼の顔は若干気まずそうであったが。

 

「成る程、そのようですね。日々職務に精励される上官方の努力は、若造に過ぎない私には理解の出来ない世界なのでしょう」

「……貴官らも着任早々で疲れておろうな。そろそろ退室すると良かろう」

 

 大袈裟に、大仰にそう宣って見せるミューゼル少佐。レンネンカンプ大佐は、その部下の言葉に反応する事は無かった。ただ若干疲気味に瞠目し、次いで退室を促す。

 

 金髪の少佐はそれに応じて二、三言会話を終えると踵を返して淡々と、迅速に戦隊司令部執務室を出ていく。そして……呆れ気味にぼやいた。

 

「ふん。別に腐臭の漂う貴族共が俺に挨拶したくないのなら寧ろ此方からしても好都合な事ではあるがな。全く、こんな下らん事で嫌がらせしてくるとはまるで駄々っ子だな。そう思わないか、キルヒアイス?」

 

 にやり、と不敵な笑みを浮かべる主君であり親友である少年の言を、苦労性な赤毛の幼馴染みは苦笑を以て返した。この赤毛の少年は目の前の親友の神経の図太さを良く理解していたが、どうやらまだまだ評価を上方修正する必要があったようだった。

 

 二人共、レンネンカンプ大佐の言を元より真に受けてはいなかった。成る程、確かに戦隊司令部という役職は確かに暇では無かろう。しかし、同時に着任の挨拶に全員が全員欠席を決める程忙しない役職でもない事は明白であった。

 

 戦隊司令官バーベンベルク准将以下の戦隊幹部の大半が武門貴族であれ、文官貴族であれ、地方貴族であれ、皆が皆門閥貴族の係累か、あるいは帝国騎士であれ従士であれ少なくともそれなりの富を有する富裕な者達であった。そして、その皆が皆欠席し、只一人士族階級出身のレンネンカンプ大佐が顔を出した事実が何を意味するのかが分からぬ程金髪と赤毛の二人組は愚かではなかった。

 

「戦隊司令部にとって、我々は招かれざる客のようですね」

「はっ!別に此方から指名して参上した訳じゃあない。恨むなら軍務省の人事局長でも恨むが良いさ」

「あるいは、ラインハルト様とアンネローゼ様の命を狙う宮廷の陰謀、でしょうか?」

 

 険しい表情を浮かべる赤毛の親友の指摘に、金髪の少佐は意味深気に目を細める。

 

「ベーネミュンデ侯爵夫人か。あるいはそれ以外の大貴族の息がかかっているかも知れない訳か……」

 

 ラインハルトはこれまで自分達に降りかかった陰謀を思い起こす。

 

 砂漠の惑星アクタヴでの憲兵隊による暗殺は戦闘のどさくさに紛れて返り討ちにしたものの下手人は不明、先日の決闘騒ぎとその後の屋敷への襲撃はベーネミュンデ侯爵夫人のものである事は証拠はないものの暗殺者本人から確認する事が出来た。

 

「とは言えベーネミュンデ侯爵夫人、あるいは他の大貴族共が伸ばした悪意としては実に分かりやすいじゃないか?奴らがそんな端から俺達に警戒される手段を取るかな?」

 

 アクタヴでの暗殺は結局物的証拠は何一つ手に入らなかった。決闘にかこつけた暗殺は一歩間違えたら事故死の一言で片付けられていただろう。二個小隊に及ぶ腕利きの暗殺者達の襲撃は事前に情報が伝わらなければ死んでいたのは此方だ。

 

 どれも、僅かな釦の掛け違いで死んでいただろう。しかもその下手人の一人であるベーネミュンデ侯爵夫人の存在すら、推測出来たのは決闘騒ぎを起こした暗殺者の裏切りあってこそ。それがなければ五里霧中の中で見えない敵を警戒するしかなかった筈だ。

 

「大方、あれは単なる嫌がらせの類だろうな。ふっ、俺達の存在が鬱陶しくて顔も見たくないって訳さ。……俺だって姉上を裏で侮蔑している奴らなんか顔を見るだけで不快だから構わないがな」

 

 蔑みと敵意に満ち満ちた言葉を吐く金髪の主君。それが負け惜しみの言葉ではないことをキルヒアイスはこれまでの付き合いから良く良く理解していた。特に姉……あの天使のような美貌に慈愛の笑みを漂わせる姉アンネローゼの事となれば尚更の事である。

 

「……はぁ。それはそうと、戦隊司令部への挨拶は終わりましたからそろそろ部隊と艦の方にも顔を出した方が良いですね。確か第六四〇九駆逐隊所属の艦船は纏めて第三二宇宙港が停泊先であった筈です」

 

 僅かに呆れたような感情を込めた溜め息を吐き、キルヒアイスは提案した。確かに彼も自身が敬愛し、信愛するあの女神の事を正面で侮辱されれば怒り狂うだろう。

 

 しかし流石に目の前の親友であり主君である少年と違い、顔も見ておらず、直接何かされた訳でもない戦隊司令部の貴族達にそこまで殺伐とした敵意を向ける程、彼の気性は激しくもない。故に彼は親友に対してその言に安易に乗らずに建設的な意見を述べた。そして、それは親友の望んでいた言葉でもあった。

 

「……そうだな。いつまでもあんな奴らの事なんて気にする事もない。却って無視されたり放置された方が都合が良いかも知れないな。俺達が手柄を立てる邪魔をされないで済む」

 

 親友の言葉に漸く陽的な笑みを浮かべるラインハルト。ニヤリと口角を吊り上げる様は年相応なやんちゃで悪戯っ子な少年のようにも見えた。

 

「それじゃあ行こうか、キルヒアイス?同盟軍との戦いがいつあるか分からないからな!この前の駆逐艦の時同様兵士達に舐められる訳には行かない。戦いのない内に素直に命令に従うように躾けてやらないと!」

 

 思い立ったら吉日とばかりに踵を返して要塞内モノレールの備え付けられた方向に向かい始めるミューゼル少佐であった。まるで姉の焼いた玉葱パイを熱い内に食べに行こう、と言うような年相応の笑みを浮かべる。

 

 無論、これから親友が向かう先にあるのは玉葱パイではなく第六四〇九駆逐隊の入港している宇宙港であるのだが……旗艦エルムラントⅡを含む駆逐艦八隻にその乗員全一〇九七名の大半が先年配属された駆逐艦の乗員達同様親友と、その家臣のように付き添うキルヒアイスの事をアンネローゼの七光りで苦労もせずに昇進したお坊ちゃんとでも思っている事だろう。当然ながらそんな状況ではいざ実戦で命令に素直に従ってくれるか分かったものではない。

 

(言いたい事は分かるんだけど……もう少し言い方があるんじゃないかなぁ)

 

 初めて会話を交えたあの日以来、歯に衣着せぬ言い様で他者の敵意を受けやすかった親友でもある主君に内心で苦笑いを浮かべる。その尊大さは困った所ではあるが、同時に魅力であり、何よりも非才な自分が傍にいられる数少ない理由であるのも確かだった。

 

「おいキルヒアイス!何しているんだ?丁度モノレールが止まっているぞ、早く乗らないと行ってしまう!」

 

 少年時代のやんちゃぶりを思い出し、天使のような親友の背中を感慨深く見つめていると大声でそう呼びかけられる。巨大なイゼルローン要塞内部は複雑にして広大だ。歩いていては軍港まで辿り着くまで何時間もかかるし、下手したら道に迷って遭難しかねなかった。故に長距離移動をする際は要塞内に設けられたモノレールやエレベータを使うのが当然の事であるし、何百万人も詰め込まれる要塞内での人の移動も盛んで直ぐには次のモノレールが来る訳でもない。故に急かすのも分かるのだが……。

 

「ラインハルト様、余り大声で叫んでしまっては少佐としての威厳がありませんよ?」

 

 肩を竦めた後、笑いながらキルヒアイスは親友の後を追って駆け出した………。

 

 

 

 

 

 

 

 イゼルローン回廊同盟側出入口にそれは配備されていた。

 

 監視機能を備えた帝国宇宙軍の軍事衛星は各種のセンサーと光学カメラによる二四時間の警戒を実施していた。人力ではなく疲労を感じず、ましてはルーチンワークを気にしないAIだからこそ可能な事であった。仮に反乱軍の侵攻があれば多数の中継衛星を通じてイゼルローン要塞にまで瞬時にその情報を通達する事になるだろう。

 

 そして、軍事衛星はそれを察知した。反乱軍の勢力域方向より確認される無数の光源。それが近隣星系で生じた超新星爆発や恒星の光ではなく、宇宙艦艇の航行時に確認される放熱である事を軍事衛星内部に内蔵された各種機器と搭載AIは直ぐに理解した。軍事衛星のAIは直ちに収集・分析したデータを要塞に向けて送信を試みるが……それは果たされなかった。

 

 自身に向かってくる無数の青白いエネルギーの奔流、それが軍事衛星の光学カメラが見た最期の映像であった。そして、軍事衛星から送信される筈であった観測データは強力かつ複数種類が複合された妨害電波によりただのノイズとして塗り潰されてその意味合いを喪失していた。

 

 ……尤も、強力な通信妨害がなくても、どの道先行した特殊部隊により中継衛星も同時期に破壊ないしハッキングされていただろう。その意味では艦隊が急いで監視衛星を破壊する必要性は皆無であったのだが……何はともあれ、中性子ビームの束を浴びて爆散した監視衛星の設置されていた宙域を無数のモスグリーンの宇宙艦艇が通り過ぎていく。

 

 宇宙暦792年四月三〇日1400時時点において自由惑星同盟軍第五次イゼルローン要塞遠征軍は徹底的な隠密行動と情報封鎖により何重にも敷かれた帝国軍の警戒網をほぼ完全に気付かれずに突破し、浸透し、イゼルローン要塞まで通常航海で一〇〇時間という近距離にまで接近する事に成功していた。

 

 それは過去の遠征作戦の経験が十全に活かされたものと言えるだろう。特に過去四度行われた攻略作戦において最も成功に近づいた第三回遠征の経験は徹底的に研究され、分析され、それを更に磨き上げたのが此度の遠征の航海計画であった。

 

「今の所は上手く行ってはいるが……」

「油断は禁物です。要塞に接近すればするだけ捕捉される可能性は高まりますからな。欲を言えば、出来れば後二〇時間分は距離を稼ぎたいものです」

 

 第八艦隊旗艦にして宇宙艦隊総旗艦である『ヘクトル』艦橋で宇宙艦隊司令長官シドニー・シトレ大将と遠征軍参謀長レ・デュック・ミン中将が緊迫しながら言葉を交える。両者共に緊張しつつモニターを見つめていた。

 

 要塞駐留艦隊一万六〇〇〇隻とは言え、常時に、そして即応的にその全艦艇を投入出来る訳ではない。定期的な点検に最低限の哨戒任務があるし、同盟軍が今回の遠征のために前線各地で行っている陽動作戦によって幾分かの戦力は分遣されているであろう。同盟軍としては帝国軍に気付かれる前に一光秒でも接近する事で慌てて出港する艦隊の数を減らしたいのが本音であった。帝国本土からの増援を遅らせる目的もある。

 

「うむ……今回の作戦は長丁場にする訳にもいかんからな」

 

 作戦計画において、本次要塞攻略作戦は過去の遠征に比べて短期決戦を想定していた。

 

 その理由はやはり補給線の脆弱性故であろう。六万隻に及ぶ艦隊は過去の遠征に比べても比較にならない大軍であるが、同時にその大戦力故に消費する物資の量もまた比較にならない。しかも遠征軍は帝国軍の警戒網を掻い潜る形で進軍しているがためにその補給線は不安定であり、物資の七割以上は同行させた輸送艦隊が担う事になっている。後方勤務本部直属の実働支援部隊である第一輸送軍の大型輸送艦一八〇隻と補給艦六〇〇隻の存在は今回の遠征において欠かす事の出来ない重要な存在だ。

 

 同時に遠征を短期間の内に終わらせなければならないのは挟撃を防ぐためでもある。前線各地ではダース単位での陽動作戦が行われてはいるが、それとていつまでも誤魔化し切れるものではない。要塞の危機が発覚すれば戦線を放棄してでも帝国軍前線部隊は要塞に向けて急行する事だろう。

 

 幾ら六万隻の大軍とは言え、いや寧ろそれ程の大軍だからこそ挟撃されれば身動きが取れなくなってしまう危険性があった。後方の支援部隊や揚陸部隊が大打撃を受ける可能性もある。そうなれば作戦計画は根底から覆る。当然ながら帝国本土からも大軍が増援として派遣される事は間違いない。

 

 それ故に同盟軍は短期決戦を挑む必要に迫られていた。計画では帝国軍の哨戒網に捕捉されてから一週間以内に要塞を陥落させる事を目標とし、一〇日以内に陥落させる事が出来なければ例え戦局が優勢でも全速力で要塞から撤収する事を想定していた。この一〇日という数字は理論上引き返した帝国軍による挟撃と補給線の遮断を阻止出来るギリギリの日数であった。

 

「索敵部隊より暗号通信!第54独立空戦隊所属機が1-8-4宙域にて帝国軍哨戒部隊確認!!」

 

 シトレ大将が目前の困難に思いを馳せて苦い顔を浮かべていれば、『ヘクトル』艦橋の通信士が叫ぶように連絡する。艦隊の触覚として各所に散らせた単座式戦闘艇部隊が帝国軍の哨戒部隊を捕捉したらしい。

 

「此方の存在は気取られているか?」

「索敵部隊によれば通信量の増加等は確認されておりません。恐らくまだ捕捉はされていないかと」

 

 通信士と某かの会話した後、情報参謀ホーウッド少将がシトレ大将の質問に答える。仮にこんな奥地で索敵部隊が捕捉されたとしたら当然哨戒部隊内における通信量は瞬間的に増加する筈だ。それがないとすればまだ単座式戦闘艇はその索敵網に引っ掛かっていないと判断出来た。

 

「先程から進路変更ばかりか。流石イゼルローン要塞の警戒網だな。一光時進むのも簡単にはいかんか、想定以上の警戒体制だな」

「そろそろ捕捉される覚悟が要りますな」

「……ここ数日が勝負時か」

 

 総司令官用の座席に深く腰かけてシトレ大将は漆黒の宇宙の広がるモニターを見つめる。

 

「特務通報艦を要塞至近まで出すとしよう。少々危険だが要塞側の警戒体制の動向を探りたい。……総司令部の参謀達と各艦隊、空戦隊からの代表者に集まるように通達。戦端が開かれるのももうすぐだ。最終ミーティングで段取りを確認したい」

 

 総司令部要員達は緊張に顔を強張らせ、沈黙のままに敬礼で答えた。シトレ大将の提案に反対する者達は、皆無であった。決戦は、目前であった……。

 

 

 

 

 

 

 虚空の宇宙を一機の流星が進む。いや、それが流星ではないのはその光の機敏な機動で分かるだろう。

 

 つい数刻前に帝国軍哨戒部隊を捕捉し、その後四時間に渡りその背後を追尾して航路情報と通信を収集していた単座式戦闘艇スパルタニアンは、その任務を別機に交代して母艦に機首を向けていた。

 

 やがてスパルタニアンの光学カメラはその進行方向に無数の光源を観測し、それが密集して航行する同盟軍の大艦隊である事を確認する。スパルタニアンはそんな艦隊の一角を構成するその艦艇に向けてその速度を落としながら接近していく。

 

 無数に航行するモスグリーンの軍艦の中でもそれはその異彩と巨体から一際存在感を放っていた。

 

 ラザルス級宇宙航空母艦……ワシントン級、カサブランカ級、ホワンフー級に続く自由惑星同盟宇宙軍の最新鋭の艦隊決戦型宇宙航空母艦は、過去数十年に渡り同盟軍が蓄積した軍事ノウハウの結晶であった。

 

 全長九二八メートル、全幅二四一メートル、全高三七九メートル……一昔前の旗艦級戦艦と同等かそれ以上のサイズを誇る巨艦は、一隻で一個空戦隊を収容し、同時にその空戦隊に対して広大な戦域での指揮管制を行うだけの強力な通信・索敵能力、また高度な機体整備・補修能力と弾薬・燃料補給能力、更には操縦士に対する支援として高い居住性を有していた。常時実機での訓練が出来ない事も想定して艦内部に空戦シミュレーション室すら設置されている。

 

 空戦隊に対する支援能力だけでなく、その生存性に対してもかなりの工夫が施されている。半開放形式で単座式戦闘艇を艦載する設計は艦下方部に対する構造的脆弱性を有するが、同時に緊急時には瞬時の艦載機の発艦と脱出を可能としていた。

 

 また、艦載機の中には戦闘部隊とは別に複数の救命型スパルタニアンも事前に搭載されている。そのため轟沈でもしない限り、撃沈までのタイムラグの間に整備員を含む相当数の乗員が迅速に脱出出来るように配慮されていた。その他、艦内各所にはかなりの数の緊急用救命ポッドも設置されているし、応急処理用ドローンやダメージコントロール要員も戦隊旗艦レベルで充実している。前面装甲の厚さは旗艦級戦艦に匹敵する程であり、戦艦の主砲が直撃しても数発程度ならば耐えきって見せるだろう。

 

 その上、初期生産型はカンチェンジュンガ級、中期生産型以降はアイアース旗艦級戦艦の核融合炉をそのまま転用する事でその船体サイズに似合わぬ快速性能と強力なエネルギー中和磁場の展開を可能としていた。艦首の主砲は二五〇ミリ長距離中性子ビーム砲八門、側面及び後方に針鼠の如く並べられた副砲を兼ねる防空レーザー砲は一門一門が駆逐艦の主砲並みの火力であり、その総数は五五門。加えて一発で軍艦を大破させうる破壊力を秘めた大型対艦ミサイルのランチャーが全一六門、更に防空ミサイルを搭載したVLSも多数設けられている。

 

 重武装と言うに相応しいラザルス級のその火力は正面から一方的に戦艦を撃沈出来る程であるし、直掩防空隊と連携すれば理論上敵単座式戦闘艇の数個中隊程度であれば逆に撃滅出来る程の高度な防空能力を有していた。当然ながら、艦載する一個空戦隊の戦闘能力は適切に運用すれば瞬時に数個戦隊の艦艇を殲滅出来るだけの瞬間火力を秘めている。正にこの航空母艦は小さな要塞と称せよう。

 

 スパルタニアンは次第にラザルス級のその船体に塗られた白地の所属ナンバーが読み取れるまで接近していく。その番号を見る限り、件のスパルタニアンが帰還しようとしたのは第二〇一独立戦隊所属のラザルス級であるらしかった。

 

 第二〇一独立戦隊……所謂宇宙艦隊直轄の独立部隊の一つであるこの部隊は、航空母艦を中核とした編成であり、二八隻のラザルス級宇宙航空母艦とそれを護衛する巡航艦と駆逐艦合わせて一五六隻の計一八四隻の宇宙艦艇から構成されていた。

 

 自由惑星同盟軍単座式戦闘艇部隊は宇宙軍の便利屋だ。帝国軍よりも物量に劣る同盟軍は単座式戦闘艇をあらゆる任務に活用した。ワルキューレに比べて大柄であり、それ故に火力や航続距離、拡張性の高いスパルタニアンや、それ以前の世代であるグラディエーターやカタフラクトは、多少の改良や装備変更で対艦戦闘に防宙戦闘、偵察、哨戒、潜入工作、救命等多種多様な任務に運用される。

 

 第二〇一独立戦隊もまた旗下にある二八個独立空戦隊二四〇〇機の内凡そ三割をレーダー等に捉えられにくいステルス改修・秘匿通信改修を行い、遠征軍を中心に半径一〇光時の範囲を他の部隊と共にローテーション警戒、帝国軍哨戒部隊を捕捉次第密かにその後を追い、その航路と通信内容を探って遠征軍司令部に送信していた。

 

 第二〇一独立戦隊旗艦にして第五四独立空戦隊母艦に指定されたラザルス級航空母艦『ホウショウ』……正確には宇宙暦782年建造のラザルス級宇宙航空母艦前期型の九六番艦の底部に向けてスパルタニアンは非常にゆっくりと回り込んだ。この時点で操縦士は既に『子守唄』との別称で知られる艦載AIによる自動着艦状態に移行していた。

 

『管制よりワイヴァーン・イレヴンへ、第三八格納庫に着艦されたし』

「此方ワイヴァーン・イレヴン了解」

 

 機体識別ナンバーにワイヴァーン・イレヴン……即ち第五四独立空戦隊のワイヴァーン中隊の一一番機の称号を付与されたスパルタニアンは管制から誘導された格納庫に向かう。

 

 古来より航空機の母艦からの発着艦は極めて難しい作業と言われて来たがそれも過去の事、同盟宇宙軍の最新鋭単座式戦闘艇スパルタニアンは操縦士の負担を極限まで抑える設計となっており、AIが機体と母艦の相対距離を計算しスラスターで微調整しながら接近、操縦士がその補助と確認を取る形式だ。母艦が誘導レーザーを照射してスパルタニアンが指定された格納庫の真下に辿り着けばワイヤーが射出され機体を絡めとる。そして母艦に設けられたアームがスパルタニアンに伸びてを格納庫に収容しコックピットブロックの与圧が開始された。

 

「っ……!」

 

 操縦士は格納と与圧作業の開始と共に身体の重くなる感触に軽く苦虫を噛んだ。スパルタニアンが『ホウショウ』の発生させる人工重力の影響下に入った事を意味していた。パイロットスーツに埋め込まれたパイロットサポートAIが状況を理解して身体を若干強く締め付け、あるいは軽度の電気ショックで筋肉を刺激する。突然重力の影響を受けて身体が感覚異常や貧血等の症状が出るのを回避するための処置である。

 

 一〇分程度して身体が人工重力に慣れれば、漸くコックピットが解放された。既にスパルタニアンの周囲を数人の整備員とその数倍の数の各種整備ドローン(アストロメク・ドロイド)が取り囲み機体メンテナンスを開始していた。無論、恐らくは真空空間に開放されている機体の下半分でも既に同じように宇宙服を着た整備員とドローンに群がられている事であろう。

 

「サインを御願いします」

 

 まだ二十歳にもなっていないであろう、専科学校を卒業したての女性整備員が機体から降りた操縦士にタブレットを差し出す。整備に関する同意書らしかった。

 

「あいよ、お嬢ちゃん。操縦中左側のスラスターが少し動きが悪かった。悪いけど見てくれねぇかな?」

「り、了解です」

 

 タブレットにタッチペンでサインをし、それを返しつつウインクして可愛らしく頼み込む操縦士に整備員が若干困惑しつつ敬礼で返した。恐らくは自身が整備担当した箇所だったのだろう。

 

 少し慌てたように踵の返す整備員の背中をニヤニヤと一瞥した操縦士は倦怠感に肩を鳴らすと、近場を通りがかっていたドラム缶に似た胴体に三本足のCシリーズ軍用整備ドローンを避けてシャワーを浴びにヘルメットを取り外しながら歩き始めた。

 

「おやおやおや?女の尻ばかり追う餓鬼顔が漸くお帰りかい?どうだい?今回の警戒任務は流石に簡単だから泣き虫なお前さんでもヘマせずに済んだかね?」

 

 粘り気のあるその声に、ヘルメットを脱いで人参色の髪をたなびかせた若い操縦士……ワイヴァーン・イレヴンことオリビエ・ポプラン曹長はその幼さの残る愛嬌ある表情を心底不快気に歪めた。

 

「ええ、グリゴリー中尉。俺は中尉と違って幸運の女神様方に愛されているようでしてね。このように五体満足、鼻の骨も折れずに無事に任務を引き継ぎ帰投出来た次第ですよ!」

 

 嫌味に対して同じく嫌味で返すポプラン曹長である。目の前の上官が……イーサン・グリゴリー中尉と自分が絶対に分かり合えない性格である事を彼は知っていたから自重する気は一切無かった。

 

「っ……!!ポプラン家の、いや長征の裏切り者が粋がるんじゃねぇぞ……!?」

 

 士官学校を卒業して数年しか経ていない血気盛んな中尉は顔を歪めて叫ぶ。ポプランと同郷にして昔馴染みでもあった中尉は、しかし心から軽蔑するような視線をポプラン曹長に向けていた。

 

「はっ!二言目にはいつもそれですかい中尉殿?女口説く時もそんな台詞しか言えないからモテないんですよ。少女漫画でも読んでその壊滅的な恋愛センスを磨く事を小官はお勧めしますがね?」

「てめぇ……!撃墜数が俺より上だからって調子に乗っているんじゃねぇぞ!泣き虫の意気地なしのオリビエ・ポプランが!いつまでも女のスカートの下に隠れられると思うなよ!?」

 

 グリゴリー中尉が高圧的に怒鳴る。ポプラン曹長と同じ宇宙暦771年生まれの中尉は、しかしポプランが専科学校の航空科を一六歳で卒業して六年弱軍務に就いているのに対して士官学校を卒業して一年余りしか経過していない。それ故に二人のパイロットとしての軍歴には雲泥の差があった。そしてその口調を見るに中尉の敵意の何割かはそれに対する劣等感から来ているらしかった。

 

 尤も、それについては指摘するのも酷な話かも知れない。グリゴリー中尉も、実戦経験ではポプラン曹長に劣るとしても、その才能と実力は本物だ。彼もまたスカウトを受けて第五四独立空戦隊の末席に所属している事がそれを証明していた。

 

 本遠征に参加予定の第五四独立空戦隊と言えば同盟人で知らぬ者はいない銀河最強の空戦隊として呼び声の高い部隊の一つである。長征系を中心としたハイネセン・ファミリーがスポンサーを務めるこの空戦隊は、当然ながら予備を含めた一〇〇名近い操縦士の全員が戦闘艇単独撃墜数一〇機以上の戦果を有するエースパイロットであり、同時に全員が純血のハイネセン・ファミリーで構成されていた。

 

 空戦隊隊長には単独撃墜数四〇〇機以上、同盟・帝国軍両軍の歴代全エースパイロットの中で最強の個人空戦技能を有するハワード・マクガイア大佐が君臨し、実務面での実質的司令官を務める副隊長は同じく空戦隊指揮に類い稀な才能を持ち自身もまた戦闘艇単独撃墜数三一八機、撃沈艦艇四九隻を数える同盟軍歴代撃墜王ランキング第七位ローランド・シマダ中佐、その他単独撃墜数二〇〇機超えだけでも『シャンダルーアの餓狼』に『幻影蝶』、『アスターテの踊る死神』等八名、単独撃墜数一〇〇機超えは一九名……その全員が二つ名持ちであり同じエースパイロット達からも畏怖される化物共だった。グリゴリー中尉もまた士官学校卒業して以来一年少しの間に単独撃墜数一一機に共同撃墜数七機、駆逐艦二隻の撃沈の成果を上げており、その将来性から空戦隊司令部からのスカウトを受けた身である。

 

「糞がっ!そもそもてめぇみたいな恥知らずな前科持ちがこの部隊にいる事が可笑しいんだよ!!」

「はっ、それは此方の台詞って奴ですよ。……俺だって好きでこの戦隊に来た訳じゃねぇ」

 

 最後の部分は殆ど吐き捨てるような口調でポプラン曹長は呟いた。

 

 殆ど勘当同然でありながらも、一応戸籍上は地方とは言え長征派の名士にして代々続く厳格な軍人家系の血を引くオリビエ・ポプランもまた、二十歳前に単独撃墜数三〇機を越えた時点でこの多くのパイロットの憧れを集めるエース部隊のスカウトを受けた。受けたのだが……。

 

(やってられねぇな。これなら以前の部隊の方が一万倍マシだったぜ……)

 

 これまで自身が赴任してきた幾つかの部隊を思い返してポプラン曹長は内心でぼやいた。全部が全部良い部隊だった訳でもないし、嫌な同僚や上官がいなかった訳ではない。それでもこの空戦隊よりはずっとマシだ。

 

 誉れ高い第五四独立空戦隊にスカウトされたのを知って壮行会を開いてくれた前任の空戦隊には悪いが、ポプラン曹長にとってこの最強の空戦隊は部隊に漂う空気の時点で最悪だった。

 

 気分屋で陽気な空戦隊長やスカウトに来た幼馴染みの姉貴分は兎も角、それ以外の者達は自身がハイネセン・ファミリーの血筋である事を誇りにしている者が大半であったし、過半数はそれを理由に異常に誇り高く、排他的で、排外的で、差別的な性格の者達ばかりであった。その禁欲的で、息苦しく、ストイックな風潮は、彼にとっては昔の嫌な記憶を思い出させ、彼の気質には合わな過ぎた。

 

 ましてや、彼が家族から勘当同然となった落ちこぼれの厄介者である事も、昔に地元で仕出かした前科も既に知られている。その事もあって同僚達の彼を見る目は決して優しくはなかったし、居心地も良くなかった。正直な話、スカウトに来た姉貴分の面子が無ければ転任届を提出していた所だ。

 

「それこそ情けねえ話とは思わねぇか?天下の第五四独立空戦隊様がお前さんのようなぺーぺーを、ましてや女のスカートに隠れるオカマ野郎をスカウトしなきゃならねぇ位人材不足って情けねぇ事実をよ?」

「てめぇ、言わせておけば!!ぶち殺してやる……!!」

「はっ!それは此方の台詞だぜ……!?」

 

 ポプラン曹長は襟首を掴んで殴りかかろうとするグリゴリー中尉に吐き捨てた。同時に彼は上官の足を払い背負い投げの準備に入っていた。そして………。

 

「止めんか貴様らっ!!」

 

 殺気だった怒声が格納庫に響き渡った。その聞き覚えのある声にポプラン曹長もグリゴリー中尉も、更に言えばいつの間にか野次馬根性で二人の周囲に集まっていた他の操縦士や整備員達もその声の方向に視線を向ける。同時に渦中にある二人以外の野次馬達は慌てて姿勢を正して直立不動の体勢で敬礼する。

 

 元来反骨精神や我の強い者が多いエースパイロット達すら例外ではない。まるでそこらの二等兵のように緊張しての敬礼は、しかし野次馬達が道を開けて姿を現した者達を見れば彼ら空戦隊員達の態度は寧ろ当然の事であったかも知れなかった。

 

 真っ先にポプラン曹長達の視界に映りこんだのはこめかみに青筋を浮かべた神経質そうな茶髪の黄色人種系佐官であった。空戦隊副隊長シマダ中佐はこの騒ぎに対して完全に不快気な態度を見せていた。

 

「おやおや喧嘩かい?随分と楽しそうな集まりじゃないか。いやぁ、若いって良いよなぁ」

「戦隊長、余り不用意な発言は止めた方が良いかと思いますが。戦隊長はいつも良く考えずに発言なさりますね?」

「ははは!誉めるなよ!」

「……誉めておりませんよ?」

 

 そんなシマダ中佐の背後から現れるのは一人は四〇代になろうかどうかだろう、気が良さそうで楽天的な赤毛の長身男性士官であり、彼と会話を交える今一人は清廉でお淑やかそうな一見すれば二〇代にも見える黒い長髪の女性士官であった。

 

 前者は言わずと知れた銀河最強のエースパイロット第五四独立空戦隊空戦隊長ハワード・マクガイア大佐であり、同じく後者は全構成員が単独撃墜数一〇〇機以上のエースパイロットだけで編成された同空戦隊最強と称されるドラグーン中隊中隊長『シャンダルーアの餓狼』こと、ミルドレッド・キャンベル少佐であった。その技量こそ空戦隊長、副空戦隊長に一歩譲るが、単独撃墜数だけでも二二四機に登る正真正銘のエースパイロットであった。

 

「……っ!!?せ、戦隊長殿!た、大佐方にお恥ずかしい所お見せ致しまして申し訳御座いません……!!」

 

 グリゴリー中尉が慌てて、そして恐縮しながら敬礼する。尤も、小心者と嘲笑う訳にも行かないだろう。単座式戦闘艇に乗り込むパイロットであればこの豪華過ぎる面子を見れば誰でも萎縮しよう。いや、下手に実力があるからこそ彼らがどれだけの力量があるのかを明確に理解させられてしまい余計緊張するのかも知れない。無論、それだけが理由ではないが……。

 

「………」

 

 一方、ポプラン曹長は拗ねたような態度で押し黙る。グリゴリー中尉程に卑屈になる性格ではないが、それでも彼は未だに自身の技量が目の前の上官達の足下にどうにか食らいつけるかどうかという事実を厳粛に受け止めていた。更に言えば、彼にはこの三者の内の一人に絶対に強く出られない相手がいた。それ故に故意に煽る程ふざけた態度も取る積もりは流石になかった。

 

 それはそうとして、騒動を起こしたポプラン曹長達に対して、特に実質的な管理責任者であるシマダ中佐は怒り心頭と言った表情を浮かべる。

 

「全く!これだから我の強いパイロット共というのは……!!原因なぞ興味はないが下らん喧嘩は止めろ!人材を無駄遣いする積もりか……!!?野次馬根性出している貴様らもだ!!悠長に見とる暇があるなら仲裁しないか!!?」

「おいおい、そう怒鳴るなよ。皆萎縮するだろうが?喧嘩するなんて元気で宜しいじゃないか?……いやぁ、若い連中は羨ましいねぇ」

「他人事みたいに言わないでくれませんかね?本来ならば大佐が指導するべき案件ですよ……!?」

 

 楽天的にかつ楽しげに語るマクガイア大佐に、シマダ中佐は憮然とした表情で反論する。戦略眼や政治力、コネクションではなく文字通り個人的な武功と広報的な理由のみで大佐に昇進して見せるという極めて珍しく例外的な経歴を持つマクガイア空戦隊長に対して、事実上の実務を取り仕切るシマダ中佐は教条的な信念や拘りはないにしろ、余程官僚的かつ政治的な思考をしていた。

 

「言いたくはないがね、今回の遠征は悪い意味で注目されているんだぞ?何と各スポンサーの戦歴トップフォー空戦隊の揃い踏みだ!ヘマなんてしてられないし、ましてや実戦前にトラブルなんて起こされたら堪らん!!」

 

 帝国系、より正確には帰還派がスポンサーの第一三四独立空戦隊を初め、今回の遠征では第五四独立空戦隊に並ぶ実力者が揃う空戦隊が他にも幾つか動員されていた。それはイゼルローン要塞攻略のために派閥の壁を越えて精鋭部隊をかき集めたという側面があるがそれだけが理由でもない。

 

 イゼルローン要塞陥落後の功績の分け前比率は、当然のように攻略に際して動員した部隊の数と質に比例するだろう。それ故に本腰を入れての要塞攻略作戦のために、その後の政争のためにも各政治派閥もまたその切り札を切らざる得なかった。

 

 つまり、裏を返せば派遣された各部隊の活動はそのまま背後のスポンサー達による戦後の政治力学を左右する事になる訳だ。第五四独立空戦隊もまた長征派を筆頭としたハイネセン・ファミリー系からの後援を受けている以上軍功を挙げる事を期待されこそすれ、無様な姿を晒す事は許されない。下らない諍いで貴重なパイロットが使い物にならなくなる事も、公式記録に残る不祥事を起こさせる訳にもいかなかった。

 

「御気持ちは分かりますが落ち着いて下さいな。余り興奮すると頭の前線が後退しますよ?」

 

 キャンベル少佐は、うんざりとした表情で肩を竦めて指摘する。目の前の上官が政治的手腕も事務能力もからっきしな戦隊長の代わりを受け持ちそのストレスから抜け毛が増えている事を彼女は把握していた。

 

「っ……!!兎も角だ!貴様ら、戦端が開かれるまで数日あるかないかという今の時期に下らん騒動なんて起こしてくれるなよ……?無様な行いを見られたら延々と物笑いの種にされるぞ?暴れるならばこれから幾らでも出来るんだ、こんな所で闘争心を無駄遣いしてくれるな!…・・・返事はどうした!?」

「「り、了解です!」」

 

 キャンベル少佐の一言多い諫言に鼻白みながらも、気を取り直してシマダ中佐は怒鳴るように注意する。その迫力にグリゴリー中尉もポプラン曹長も慌てて大声で返答する。その表情はかなり緊張していた。

 

「……宜しい。諸君、各々の職務に戻り精励するように。大佐、ではシャトルに乗りましょう」

 

 尚も不満そうにしつつ、しかし腕時計を一瞥すると小さく溜息をつきながらシマダ中佐は周囲の者達に鋭い視線を向けてそう命じる。野次馬達はその視線に苦笑いを浮かべつつ誤魔化すようにそそくさと逃げていき、自身の職務に戻っていった。

 

「俺は愛機に乗り込んでも良いんだけどなぁ」

「我々が困るのですよ、遠征軍総司令部も困惑します。我儘は言わずに早く向かいましょう。……キャンベル少佐、どうした?早く来ないか?」

 

 直接自分の愛機である単座式戦闘艇で『ヘクトル』まで行きたがる上官を宥めて、シャトルの待機する格納庫に向かうシマダ中佐は共に同行予定のキャンベル少佐が足を止めているのに気付いて振り向くと非難するように尋ねる。

 

「あ、副隊長。直ぐに向かうので先に行って下さい。……自分は少し話が残っているので」

「……手短にしたまえよ?」

「了解です」

 

 シマダ中佐の言にウィンクしながら敬礼で答えるキャンベル少佐。その階級に似合わないおどけた態度に呆れ気味に首を振りながら副空戦隊長は児童を引率するかのように上司を連れてシャトル格納庫に向かっていく。その姿を一瞥し、キャンベル少佐は目の前の幼馴染にして弟分の青年二人に肩を竦める。

 

「全く、昔から良く喧嘩しているけれど、二人共大人なんだしもう少し仲良く出来ないかなぁ?今回は何方から始めたのかしらねぇ?」

「姉御!俺はやはり納得出来ません!何故こんな奴を俺らの部隊に……!!」

「イーサン、オリビエの実力は本物よ?貴方も一緒に転任試験を受けた時に見てたでしょ?」

 

 もう幾度目かのグリゴリー中尉の不満に対してキャンベル少佐が物分かりの悪い弟に姉が言い聞かせるように説明する。同郷で子供の頃家の近かった二人をスカウトしに来たのは彼女であるが、無論無条件で転任出来る訳でもない。第五四独立空戦隊への転任試験は厳しい要件をクリアしてスカウトされたパイロットの五人に四人が落第する位には厳しい。グリゴリー中尉とポプラン曹長がこの空戦隊に正式採用されたのはスカウトしたキャンベル少佐の目が正しかった事を証明していた。

 

「そういう問題じゃないですよ姉御!こいつは俺ら同胞の落ち零れの裏切り者だ!それを姉御だってこいつのせいで…!」

「イーサン、いつまでも昔の事をほじくり返すのは止めなさい!!女々しいわよ!!」

 

 グリゴリー中尉が口にしようとした言葉を、キャンベル少佐は鋭い口調で咎める。

 

「けど姉御!!こいつは……!!」

「イーサン!!」

「っ……!姉御はいつもそうだ!ポプランに甘すぎる!!そんなのだからこいつは付け上がるんだ……!!」

 

 グリゴリー中尉は苦虫を噛むとそう吐き捨てて憮然な態度でその場を立ち去ろうとする。

 

「イーサン!?何処に行くの!?」

「シミュレーション室ですよ!予約していたのを思い出しました。遅れる訳にも行きませんので失礼致します。では!」

 

 拗ねたような態度でグリゴリー中尉が言い訳染みた声でそう言い捨てて去る。その後ろ姿をキャンベル少佐は悲し気に見つめる。

 

「……キャンベル少佐。自分も帰投したばかりですので、そろそろ帰室しても良いでしょうか?」

 

 ポプラン曹長は気まずそうに幼馴染の上官に質問する。非常に義務的で、感情の籠らない言い様であった。

 

「……分かったわ。御疲れ様、ゆっくり休んでね」

 

 暫しの沈黙の後、寂し気に、同時に優しい表情を向けてキャンベル少佐は労いの言葉をかける。ポプラン曹長は憮然とした態度で敬礼すると、そのまま気まずそうに踵を返し、その場を立ち去る。

 

「……畜生。これだから調子が狂うんだよ」

 

 忌々しげにポプラン曹長は呟いた。恐らくは善意なのだろう。優しさなのだろう。それは分かっている。あの姉貴分はそういう性格だ。面倒見が良すぎる人間だ。だからこそ自分のような落ちこぼれの裏切り者のような存在相手でも見捨てないのだろう。

 

 それでも、いやだからこそ彼にとっては既に捨て去った過去に自分を引き戻すこの部隊が、この空気が、そして姉貴分の上官の存在そのものが不愉快であり、耐えられなかった。

 

「糞ったれ……!!」

 

 それが八つ当たりであり、不当な感情であり、ある意味で自業自得である事を理解しつつも、それでも尚オリビエ・ポプランは苦悩の表情でやり場のない怒りを吐き出していたのだった……。




原作の記述を入念に読んでいくとポプランの原作以前の人生って闇が深そう……。

話は変わって、ついでに同盟軍独立航空隊編成(捏造)の設定について少し触れます。

原作ドーリア会戦内で「ウイスキー、ウォッカ、ラム、アップルジャック」とポプランが中隊名を口にしているので一個空戦隊=四個中隊と仮定します。

また、最初期の空母ワシントン級では艦載機は一二機、ホワンフー級では八〇機前後だったそうです。またバーミリオン会戦でウォッカ中隊が一四機生存という台詞があります。そのため一個中隊=一二機~一六機、一個空戦隊=最大で八〇機と仮定しております。

また原作登場人物においてコールドウェル大尉が第二空戦隊副戦隊隊長、アップルジャック中隊にモランビル大尉がいるために中隊長=大尉以上、空戦隊長=少佐以上が確定します。

ですので戦闘部隊の基本的な編成としては
一個独立空戦隊(空戦隊長は大佐ないし中佐)
・司令部直轄部隊(エースパイロットによる遊撃隊・精鋭部隊二個小隊で構成された中隊編成六機~八機・少佐ないし大尉が隊長)
・第一中隊(中隊長・大尉・空戦編成)
・第二中隊(中隊長・大尉・空戦編成)
・第三中隊(中隊長・大尉・空戦編成)
・第四中隊(中隊長・大尉・爆装編成)

 となり、戦闘部隊としての単座式戦闘艇の定数は最低五六機~最大七二機とします。尚、空戦編成は文字通り敵戦闘艇との空戦を、爆装編成は原作では触れてませんが対艦攻撃を主体としているとしています。原作バーミリオン会戦で他部隊と比べても壊滅的被害を受けたアップルジャック中隊は第一空戦隊内の爆装編成部隊であり機動力が低かったのがその理由としています(そもそもアップルジャック中隊は空戦する積もりがなく、残る空戦編成三中隊が押し込まれてしまい已む無く空戦に持ち込まれたと解釈)。因みに帝国側では本作内でも触れてますが対艦戦闘は基本雷撃艇等に任せワルキューレは制空戦闘を主体としているとしています。映画版アスターテで同盟側の空母や戦艦を沈めていたワルキューレのパイロットは多分相当の手練れです。

 上記の編成に加えてホワンフー級ではここに予備機及び偵察機等が八機~二四機編入して満載、最大八〇機で一個空戦隊とします。ラザルス級では一〇〇機搭載可能ですがこれはホワンフー級では一個空戦隊を搭載すればそれ以上格納出来ず搭載機運用面での余裕がなかったために収容可能機体数を増やしただけであり、ラザルス級でも一個空戦隊の定数は変わりません。

 ラザルス級では独立空戦隊に当てられていない残る格納庫は
・母艦直属の護衛部隊専用格納庫
・運用中の格納庫が損傷した際のスペア
・他部隊の損傷機収容用の臨時格納庫
・救命型・工作活動型スパルタニアン等支援機を収容する格納庫

等に活用されていると本作では設定しております。また空戦隊には事務管理隊や整備部隊も編入されている(整備主任トダ大尉等)ので全体の編成としては

空戦隊司令部(空戦隊長は大佐ないし中佐)
 (支援部隊)
    ・総務部
    ・人事部
    ・装備部
    ・衛生部
    ・空戦隊付憲兵隊
  ・空戦隊整備群(群司令官は少佐ないし大尉)
    ・検査隊
    ・装備隊
    ・修理隊
    ・補給隊
 (実働部隊)
   ・司令部直轄部隊(エースパイロットによる遊撃隊・精鋭部隊二個小隊で構成された中隊編成六機~八機・少佐ないし大尉が隊長)
   ・第一中隊(中隊長・大尉・空戦編成)
   ・第二中隊(中隊長・大尉・空戦編成)
   ・第三中隊(中隊長・大尉・空戦編成)
   ・第四中隊(中隊長・大尉・爆装編成)
   ・空戦隊偵察小隊(小隊長・大尉ないし中尉)
   ・空戦隊電子戦分隊(分隊長・大尉ないし中尉)
   ・空戦隊予備隊

 で編成されていると設定致しております。

 また、現実的に考えた場合、一個艦隊の全ての単座式戦闘艇搭載可能艦にスパルタニアンが艦載されているのは非現実的ですので基本的に常時艦載しているのは宇宙空母(一個戦隊に二、三隻、一個艦隊で五〇~八〇隻)、艦隊・分艦隊・戦隊・群・隊旗艦までと仮定、それ以外の艦艇は必要に応じて艦隊司令部等から派遣される形式とします。結果的に、同盟宇宙軍一個艦隊のスパルタニアン定数は七〇〇〇~八〇〇〇機前後になる設定しております。


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第百七十六話 職場の上下関係は面倒臭い

ノイエ再放送三話の一番の見所は多分冒頭の歴史部分、原作考察し甲斐のあるシーンが盛り沢山です


 過去幾度も生じた要塞攻防戦、それ以前から続く両軍の小競り合いの結果、イゼルローン回廊には無数の宇宙艦艇の残骸の他、放棄されたジャマーや宇宙機雷が大量に漂流しており、主に帝国軍が定期的な掃海作業を行っているが、完全にはカバー出来るものではなかった。ましてや回廊自体も暗礁宙域からの恒星風や宇宙嵐の影響を受けており、帝国本土や同盟本土に比べて宇宙艦艇の索敵能力はどうしても限定的なものにならざるを得なかった。

 

 それ故に、高度なステルス性能を有する特殊艦艇は複数なら兎も角、単独行動であれば一般市民が思うのに比べて意外な程容易にイゼルローン要塞に接近する事が可能であった。

 

 モスグリーンの船体に巨大な索敵・通信アンテナを備え、特徴的なブロック状の艦首を有する自由惑星同盟宇宙軍特務通報艦『グランディエール』は、雑多な宇宙艦艇の残骸や隕石その他のデブリに紛れる形でイゼルローン要塞から五・一光秒という至近の位置にまで肉薄する事に成功していた。

 

「要塞の暗号通信を傍受……本国に向けた定時連絡と推定」

「要塞の警戒レベルに変更なし。第三級警戒態勢のままです」

「要塞から放出される排熱量にも変化ありません。要塞内部に活発な活動の気配なし」

「要塞周辺の哨戒部隊の数量及び警戒航路も変化はありません。……現状収集可能な情報を統合する限り、帝国軍は未だ我が軍の進出を認識していないと考えられます」

 

 各種の観測機器から算出されるデータが帝国軍が未だに同盟軍の接近を把握していない事実を伝えていた。『グランディエール』の艦長はオペレーター達の報告に頷き、モニターの一角を見据える。そこには友軍主力部隊の展開する推定座標が映し出されていた。順調であれば、同盟軍は既に要塞より八三光時の位置まで距離を詰めている事であろう。

 

「要塞表面異変……艦艇の浮上を確認。数九隻、全艦駆逐艦と推定。哨戒部隊と思われます」

「この時間にか?………一応総司令部に航海ルートを通達しろ」

 

 オペレーターの連絡に情報科出身の艦長は訝しげな表情で命令する。哨戒部隊の出港するおおよその時間は決まっているし、同盟軍はその諜報・情報収集によりおおまかなイゼルローン駐留艦隊の哨戒日程も把握していた。この時間帯に一個駆逐隊規模の哨戒部隊が出港するのはその兆候も含めてこれまで収集した情報にはない。それ故に杞憂であるとは思っていても念のために総司令部への報告を行う。

 

「まさかとは思うが……警戒されたか?」

 

 遠征軍の浸透は細心の注意を以て行ってはいるが……六万隻という大軍ともなればその行軍をいつまで誤魔化し切れるか分からない。艦長も乗員達も、互いに緊張した面持ちで顔を見合わせるしかなかった。

 

 ……だが実の所、それは前述の通り杞憂であった。計画外の哨戒任務は特にこれといった確固たる目的があった訳でも、帝国側が何等かの兆候を察知した訳でもなかった。それはある意味では帝国特有の、そして滑稽な理由であった。

 

「ふん、哨戒任務か。いや、奴らに言わせれば雑用というべきかな?」

 

 哨戒部隊の旗艦『エルムラントⅡ』の決して広くない艦橋で、ラインハルト・フォン・ミューゼル銀河帝国宇宙軍少佐は艦長椅子に腰掛け、足を組んだ悠然とした風体で嘯く。そこには明確な嘲りの色が見えた。

 

「キルヒアイス、どうやら戦隊司令部の上官方は哨戒任務を嫌がらせの対象と認識しているらしい。全く、軍事的に必要不可欠かつ基本的な任務に対してそんな認識とは、軍人として恥ずべき怠慢としか言えないな」

「ラインハルト様も、お人が悪いですよ」

「おいおい、酷い裏切りだな?お前はあいつらの肩を持つのか?」

 

 ラインハルトは冗談半分に副官に食ってかかる。戦隊司令部から命じられた臨時哨戒任務が、新人イビリのためだけに計画されたのは明らかな事であった。哨戒任務とて適当に艦隊を出せば良いと言う訳でもない。警戒網の隙が出来ぬように綿密に計算されて航海計画が立てられているのだ。余程の事がなければ哨戒部隊を追加で動員なぞすまい。幾ら哨戒とは言え平時の待機状態に比べて物資は消費するのだから。

 

 にもかかわらずこの急な哨戒任務の発令である。戦隊司令部がこの時期に必然性のない雑用任務を押し付ける目的が唯の嫌がらせである事は確定的であろう。あるいは可能性は低いが迷いこんだ同盟軍の哨戒部隊とでも遭遇して慌てて逃げ帰って来たら良いとでも思っているのかも知れない。

 

「いえ、肩を持つ積もりはありませんが、意味の薄い哨戒任務ともなれば我々は兎も角、兵士達の士気は上がりませんよ」

 

 苦笑いを浮かべて弁明を述べる副長。明確な目的のある任務であれば、あるいは臨時の報酬でも約束されているのなら兵士達のやる気も上がろうが、今回のような目的に意味のない性質の任務ともなれば兵士達の士気向上は期待出来まい。

 

「可能性は高くありませんが、仮に反乱軍の小部隊と遭遇すれば突発的な事もあって兵士達の動揺はかなり大きいでしょう。果たしてまともな指揮が執れるのか……」

 

 キルヒアイス中尉は若干不安げに答える。最悪、この『エルムラントⅡ』だけでも、いや目の前の黄金色の親友であり主君でもある青年だけでも脱出させねばなるまい。

 

「ふっ、寧ろ俺からすれば望む所さ。漸く一国一城……とは言えまいが、駆逐隊とは言え艦隊を率いる立場になったのだ。艦隊を手足のように動かせるようになった以上、これまでよりも明確に戦局に影響を与え、武功も立てやすくなるだろうからな。……いっそこのままイゼルローンに侵入してくる同盟軍哨戒部隊を俺達だけで全滅させてしまおうか?」

「御冗談を、流石に最小編成の一個駆逐隊では荷が重すぎますよ」

 

 無論、目の前の親友も本気ではなかろうが、それでも苦笑を浮かべてその提案を却下する。

 

「おいおい、直ぐに却下は酷いだろう?アクタヴでいっそ二人で敵の基地を乗っ取ってしまおうと言い放ったのは何処のどいつだ?」

「それは……ごほん!それにしても、たった一年足らずの内に少佐と大尉ですか。長いようで短い時間ですね。私もまさかこれ程早くラインハルト様が少佐に為られるとは予測出来ませんでした」

 

 主君の指摘にキルヒアイスは一瞬言葉を詰まらせ、次いで誤魔化すように咳をしてから話題を変える。

 

 帝国軍幼年学校を卒業したのが昨年の六月の事である。そしてそれから今日で一一カ月……本来ならば准尉からの所を少尉から始めた事を加味しても、例え背後に(不愉快な事であるが)皇帝の威光があると言えども、キルヒアイスにとって主君の昇進速度は余りに規格外なものに思えてならなかった。大貴族出身の士官学校首席卒業生でも果たして可能かどうか……。

 

「当然だ。俺達の目的のためには力がいるんだ。その力を一日でも、いや一分一秒でも早く手に入れなければならないんだ。俺に言わせればこれでも遅過ぎる位さ」

 

 苦々しげに若すぎる駆逐隊司令官は呟く。そう、彼らには目的がある。彼らの大切な家族を忌々しい老人から取り戻すという小さな、しかし余りに大きな目的が。そのためには力がいる。誰にも命令されないで済む力が。その前には軍の少佐の地位なぞ皮切りに過ぎない。

 

「いっそ、同盟軍とやらを称する反乱軍が要塞に攻勢でもかけてくれればなぁ……。前線ではそれなりに大きな戦闘が始まっているらしいが、幾らか俺達の方にも来てくれてもいいんじゃないか?出来れば俺達が軍功を稼げる位に手頃な規模が良いな」

 

 小さく溜め息をついてから、何処か拗ねるような態度でラインハルトは嘯く。その姿に子供時代と変わらない親友の姿を見てキルヒアイスは何とも言えない笑いを漏らしていた。

 

「反乱軍の兵士達が聞けば顔を真っ赤にして怒り出しますよ?」

「怒らせておけば良いさ。寧ろ怒り狂ってくれた方が好都合だ。貴族の道楽息子共もそうだが、頭を使わずに感情に任せて突っ込んで来る奴らは御しやすい。精々上手く料理してやろう」

「同盟軍は猪ですか?」

「そうさ、猪肉だ。ふむ……じっくり煮込んでフリカッセにしたら旨いかな?姉さんが兎肉で作ってくれた事はあったんだが……」

「……猪肉は臭みがあるそうなので好みが分かれそうですね」

 

 ふと顎に手を当てて大真面目に考え込む主君を見て、今度こそキルヒアイスは苦笑を漏らした。何とも緊張感のなく、しかもふざけているような会話が今まさに命の危険すらある哨戒任務の最中に行われている事実に何とも言えない奇妙さと滑稽さを感じたためであった。

 

「猪肉が臭うですって?それは血抜きする奴がド下手なだけですよ。葡萄酒や麦酒に浸すのも臭い消しの上では有りですがね。とは言え市井に並ぶのは質が悪いのが多いですからねぇ、本物の猪肉が食いたければ御貴族様の狩猟園で団栗を食ってたっぷりと太ったのを手際よく処理する事ですよ」

 

 狭い艦橋故に会話も聴こえる。柄の悪い砲雷長が聞き耳を立てていたように若い艦長と副長に進言する。彼の実家は帝都オーディンの肉屋であるらしく、猪肉に対して適切な処理と上等品の見抜き方を知っていた。

 

「猪肉ねぇ、俺は一度でいいから霜降り高級牛の赤葡萄酒煮って奴を食ってみたいもんだ。お高い葡萄酒で肉が蕩けるまで煮込んでいるんだろう?」

「バーカ、それって門閥貴族のお歴々が開くパーティーで出るもんだろうが。味の区別もつかないようなてめぇの貧しい舌には勿体ねぇよ。大人しく成形肉の豚ヴルストでも食っているんだな」

「そう言えば今日のヴルストも不味かったな。せめて豚は豚でもヴルストより厚切りのベーコンが欲しいものだぜ、半熟卵が御付きだったら言う事無しだな」

「駆逐隊司令官殿、申し訳ありませんが戦隊司令部に飯の質の向上を上申して頂けませんかね?流石に毎日安物のヴルストがメインなのは堪えるんですよ!」

 

 やいのやいの、艦橋要員の士官下士官達が口々に話題に参戦する。参戦した上で皆が好き勝手に言って内容は当初のそれから大きく逸脱し、遂には慇懃に意見具申までして見せた。着任前は若すぎる上官二人に対して不平不満を感じていた熟練の兵士達であるが、着任直後に二人の行った部隊の引き締めと隊内の風紀粛清に不正摘発、更に言えば要塞の廊下にて門閥貴族達が焚きつけて差し向けた不良兵士の一個小隊をたった二人で鎮圧して見せる等という武勇伝を作り上げられれば彼らも二人の実力と度量を認めざるを得なかったようである。

 

 元々要塞駐留艦隊に所属する以上、その品行は兎も角彼ら兵士達の練度は本物だ。そんな彼らを少々フレンドリー過ぎるとは言えこの短期間の内に心服させ、信頼を獲得して見せた事実は、この金髪の駆逐隊司令官と赤毛の副長の器の広さと統率力の高さを証明している言えた。

 

 無論、当の本人達からすれば別の感想もあるのも確かだが……。

 

「……キルヒアイス、これは俺達が舐められていると受け取っていいのか?」

 

 若干顰めっ面の主君の言葉にキルヒアイスは困り顔で分かりません、と言った態度を示していた。ラインハルトは頬杖をついて口を僅かに膨らませる。そしてこの哨戒任務が終われば部隊の兵士達を徹底的に訓練で扱いてやろうと心に決めたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 その語源に遡れば『駆逐艦』とは元々『水雷艇駆逐艦』と呼称されていたと言う。

 

 西暦一九世紀末、宇宙軍なぞ影も形もなく、艦艇と言えば海軍の水上艦艇を指し、また急激な科学技術の進歩とそれによる火砲技術、造船技術の発達によって大艦巨砲主義の萌芽が見られつつあった頃……この時代に生まれた魚形水雷、即ち魚雷は、小型の舟艇にも列強が有する巨大軍艦を倒し得る火力を与える兵器であり、弱小国の海軍は安価な戦力として高機動性を強みに大型艦に肉薄雷撃を仕掛ける水雷艇の配備に着手した。

 

 同時にそれは長大な海岸線を守るためにも有用であり、大型艦を外洋での活動に出したい大陸の大国が水雷艇を大量に配備すると、対抗する海洋国家はそれらを駆逐し、同時に自らも魚雷を運用する艦艇を……水雷艇駆逐艦を建造するようになった。

 

 そしてその手頃な船体規模からか、時代を経るにつれ、駆逐艦は当初の役割を越えた多種多様な任務に駆り出される文字通りの雑務艦としての色を濃くしてゆき、同時に艦隊の数的主力ともなった。それは宇宙時代になっても変わらない。

 

 宇宙暦八世紀において、正規宇宙艦隊の編成比率は空母や輸送艦、工作艦等の例外を除けば概ね戦艦:巡航艦:駆逐艦で一:三:六の割合を求める事が出来、その戦闘能力の対比もまた同様に求める事が出来る。戦艦一隻のカタログ上・数学上の戦闘能力は正面からかつ対等な条件であれば駆逐艦六隻に匹敵した。

 

 そして前述の比率からも分かる通り、正規一個艦隊定数の半数以上を駆逐艦が占める訳であり、それ故に帝国軍と同盟軍の軍事ドクトリンの差異が最も明確に表れる艦種でもあった。

 

 宇宙暦760年代半ばから建造・運用が開始されたローレライ級宇宙駆逐艦は全長一七〇メートルの全幅三八メートル、全高四七メートル、直方体の艦首にエンジンが後方から生えだしたような独特にして異形のフォルムを有していた。

 

 主砲は五二門に及ぶ電磁投射砲である。前級のノルトランド級が四門の低出力レーザー砲を主砲としていたのに対してかなり思いきった設計であった。ウラン二三八を砲弾としたそれは、射程の短さの代わりにエネルギー中和磁場では止められず、特に乱戦や閉所空間における接近戦においては破格の火力を備えており、前級がその出力の低さから中途半端な戦闘能力となったのと比べれば寧ろその運用方法が分かりやすい。同時に備える二四門のミサイル発射管の存在、小柄な船体から来る機動力、船体構造から生じた偏った重心が生み出す旋回能力、小回りの良さも合わせれば帝国宇宙軍の駆逐艦が完全に近距離戦闘を前提としている事は明らかであった。

 

 また帝国軍のその他の艦艇同様にローレライ級駆逐艦もまた大気圏単独突入・離脱能力を有し、また半解放式であり二機しか収用出来ないとは言え単座式戦闘艇ワルキューレを運用する設備も備える。ここまで説明すれば、帝国軍が駆逐艦に求める役割も見えて来る。

 

 射程が短く継戦能力の低い実弾武装を主体として単座式戦闘艇の運用能力が付与されているのは、同格の軍事勢力に対する艦隊戦よりも寧ろ航路の哨戒や高性能な中・長距離光学兵器を有する可能性の低い宇宙海賊等との戦闘を前提としている事を証明していた。大気圏突入能力は地上の反乱鎮圧のためのものであろう。大気圏離着陸能力を艦艇に付与するコストも馬鹿にならない。消耗品である駆逐艦にまでそれを与えているのは、表向きの建前としては帝国軍が宇宙艦艇が多数沈められる状況を想定していない事を示している。

 

 当然ながらその性能と武装から帝国軍駆逐艦は通常宙域における艦隊戦には不向きと言わざるを得ない。同盟軍駆逐艦が少なからず無理をしながらでも中距離射程を有する光子レーザー砲を主砲としている以上、艦隊戦の序盤において艦隊の大多数を占める帝国軍駆逐艦は戦力外であり、双方の火力に大きな差異が生まれるのだから。

 

 ……逆に言えば、近距離戦において帝国軍は一気に火力面で同盟軍を圧倒する可能性を秘めていた。そしてイゼルローン回廊のような空間が狭く近距離戦が発生しやすい宙域は、小回りが利き、実弾兵器が充実した帝国軍駆逐艦にとって適した地形であった。本級がイゼルローン要塞建設と前後して採用されたのは偶然ではない。

 

 また前級のノルトランド級に比べて船体がコンパクトに収まり、乗員定数が削減されている点は現在の帝国軍の実情ともマッチしている。第二次ティアマト会戦以来続く人材不足に対して、艦の小型化や高度な技術を必要とする光学兵器の廃止は船員不足の解消だけでなく整備員の絶対数不足の解決にも寄与していた。

 

 同盟軍の標準型駆逐艦が防空と正面からの大規模中距離砲撃戦を志向して多数の光子レーザー砲を備え、その引き換えに艦の大型化と航続距離の不足に悩まされている事を考えれば正にその設計思想は完全に真逆であると言えるだろう。同盟軍駆逐艦を西暦時代のモニター艦に例えるならば、帝国軍のそれは哨戒任務にも使われる魚雷艇と言えるかも知れない。

 

「言うなれば雀蜂みたいなものだな。小柄で脆弱だが素早くて、肉薄されてその針の一撃を食らえば御陀仏という訳だ。……となればイゼルローン要塞はさしずめ蜂の巣というべきかな?」

 

 自由惑星同盟軍イゼルローン遠征艦隊、その最前衛を担う第四艦隊の更に最前衛にある第二分艦隊第六八戦隊の前方展開部隊に所属する第六八戦艦群遊撃担当艦、戦艦『ヴィットリオ・ヴェネット』の艦長ニルソン中佐は、会敵した駆逐隊を見て不敵に呟いた。

 

 ……尚、艦橋にいたオペレーター達は知らんがな、とばかりに艦長をジト目で見ていた。格好をつけているが、この艦長は腕は立つにしろそれ以上にその超常的ジンクスから乗員達にそれなりに嫌がられていたからだ。昨年この艦長の乗っていた戦艦が敵陣のド真ん中でローリングした事も、二年前には敵味方の砲火が交差する最前線で電源が吹き飛び乗艦が漂流していた事も、四年前に着任した巡航艦は避難訓練で乗員全員が退避した瞬間に謎の爆沈を経験した事も彼らは風の噂……というよりも広報雑誌で知っていた。八年前艦長を勤めた駆逐艦に至っては艦橋に未発のレーザー水爆ミサイルが突っ込んで来た事が四度もあったという。全てのケースにおいて乗員達は全員生還はしたが大概酷い目に合っていた。彼らが艦長に不満気な表情を浮かべるのは至極当然の事であった。

 

 宇宙暦792年五月四日1500時、その姿を隠匿して少しずつイゼルローン要塞に接近していた六万隻に及ぶ同盟艦隊は、この瞬間、遂に帝国軍にその存在を捕捉された。帝国軍駆逐艦の索敵レーダーは凄まじい数の妨害電波とその膨大な艦艇数の前に完全にノイズと敵艦反応で埋め尽くされている事だろう。

 

 実際、この時彼ら帝国軍はこの偶発的遭遇の時点で同盟軍の戦力が最低一万隻以上という事以外の情報を把握出来なかった。駆逐艦の索敵能力は完全に飽和状態に達していた。

 

「帝国軍哨戒艦隊、急速に反転後退します!」

 

 オペレーターが叫ぶ。それは余りに当然の行動のように思われた。六万隻の大艦隊に対して僅か九隻の駆逐艦に何が出来ようか?駆逐艦の乗員達は今頃大パニックになって要塞に対して敵艦隊発見の電文を打っている所であろう。だが、それは許さない。

 

 専用の電子工作戦艦を含んだ六万隻の大軍による通信妨害の前に、哨戒艦隊の通信能力が勝てる道理もない。哨戒部隊が要塞に向けて乱発する伝令文は全てが強力な妨害電波の飽和攻撃の前に掻き消される。

 

「遠征軍総司令部より連絡!『奴らを逃がすな』です!」

「だろうな」

 

 ニルソン中佐は肩を竦めてオペレーターの言に同意する。イゼルローン要塞まで七七光時、これは同盟軍が帝国軍に気付かれずにイゼルローン要塞に肉薄した最高記録である。普通の善良な人間であれば欲張るのは良くないとこの辺りで満足するが、今回に限っては何百万という将兵の生命が関わる以上そうは行かない。見逃す訳には行かなかった。ジャミングの範囲圏内に哨戒部隊がいる今ならばまだ速やかに全艦を沈めてしまえば間に合う。いずれ定時連絡が途切れれば怪しまれるだろうが、それでも後六、七光時は時間を稼げる筈だ。今の同盟軍にとって時間は金剛石より遥かに貴重であった。

 

「戦隊司令部より本艦含む遊撃担当艦に迫撃命令が出されました!」

 

 流石に六万隻が猛ダッシュで追いかける、となれば帝国軍の哨戒網に引っ掛かりかねなかった。故に全軍でゆっくりと、慎重に前進する。それだけでも蜘蛛の子を散らすように必死に逃げる哨戒部隊にとっては大きな心理的圧力がかかっている事であろう。

 

「その上で追い立てて仕留める猟犬は我々遊撃担当艦という訳だな」

 

 ニルソン中佐は顎を擦り、尊大な口調で嘯いた。そこには明確な自信が見てとれた。

 

 地上部隊における諸兵科連合部隊……師団や旅団、連隊戦闘団……に当たる宇宙軍の最小統合部隊の単位が戦隊である。平均して一個戦艦群に三個巡航艦群、六個駆逐艦群を基幹に数隻の航空母艦に工作艦に輸送艦、病院船に宇宙軍陸戦隊付の揚陸艦等から編成される二〇〇隻~六〇〇隻の艦艇群を指す。

 

 そして地上軍の単一兵科のみで編成される連隊に当たるのが宇宙軍の群である。各群は艦種にもよるが艦艇二〇~五〇隻前後で編成され、多くの場合駆逐艦群は中佐が、巡航艦群は大佐が、戦艦群の場合は戦隊副司令官ないし最先任の大佐が着任するのが慣習となっている。

 

 各群は更に八隻から一二隻前後で構成される隊を数個、そして予備戦力の意味を兼ねる一、二隻の遊撃担当艦から編成される。『ヴィットリオ・ヴェネット』はこの遊撃担当艦に所属していた。

 

 他艦との連携をせず単独での戦闘をも想定し、緊急時には戦線の穴を埋める役割も担う遊撃担当艦は、多くの場合熟練艦長や単独撃沈艦五隻以上の記録を有するエース艦長の座乗する艦が指名される。ニルソン中佐はそんなエース艦長の一人であり、同時に哨戒部隊の追い立てを命じられた戦艦二隻と巡航艦六隻、駆逐艦一四隻もまた第六八戦隊内各群で遊撃担当艦として割り当てられた精鋭艦であった。遊撃担当艦は急速に速力を上げて戦隊から、そして遠征軍から突出する。

 

「よし!主砲斉射!当たらなくても良い!奴らの動きを封じろ……!!」

 

 ニルソン中佐の叫び声と共に『ヴィットリオ・ヴェネット』が、それ以外の追撃する戦艦と巡航艦も一斉に主砲たる中性子ビームを艦首の内蔵式砲門から放つ。青白いエネルギーの光条は若干距離がある事と哨戒部隊が乱数回避をしてくる事で命中する事はなかったが、そんな事は想定内である。ニルソン中佐も、他の艦長達も初撃から命中させられる等と考えてはいない。

 

 寧ろそれは哨戒部隊が散り散りに逃げ去る事を防止するためであった。全ての敵艦が別々の方向に逃げ去ってしまえばそれら全てを追討するのに手間がかかるし、確実性が低い。彼らの逃亡方向を誘導し、拘束するのが砲撃の目的であった。

 

「止めは奴らに任せるとしようか」

 

 ニルソン中佐がそう口にする中、『ヴィットリオ・ヴェネット』の真横を高速で艦影が駆け抜ける。帝国軍のそれよりも大柄な同盟軍駆逐艦が、足の遅さのために砲撃に専念する戦艦や巡航艦を横目に帝国軍哨戒部隊に迫る。

 

「奴ら、相当慌てているな!物資や艦載機を放棄してやがる……!」

 

 オペレーターの一人が嘲るように口を開いた。光学カメラが帝国軍駆逐艦が格納している単座式戦闘艇ワルキューレや電磁砲の弾薬等を放棄している映像を捉えていた。どうやら逃げの一手を選んだようで、船体を軽くするために捨てられるものは何でも捨てているようだった。その必死さはある種の憐れみすら感じさせる。無論、だからといって手加減してやる理由はないが。

 

「撃て!ジャミングされている宙域から奴らを逃がすな!」

 

 駆逐艦から次々と砲撃が撃ち込まれる。更に下部に設けられたミサイルランチャーからは中距離対艦ミサイルが斉射される。

 

 帝国軍駆逐艦は慌ただしく迎撃ミサイルを発射した。光学兵器よりも遥かに遅い誘導ミサイルは、実際の所発射から命中まで数分から十数分のタイムラグが出てしまうので迎撃は難しくはない。大規模艦隊戦のように一斉に十数万から数十万発のミサイルを発射された場合ですらその九九パーセントは撃墜出来る。通常、艦隊戦においてミサイルは相手の足止めや牽制のための存在であった。

 

 追撃する同盟軍駆逐艦もまたそのセオリーに忠実に従っていた。ミサイル攻撃に帝国軍駆逐艦の意識が割かれる間に一気に距離を詰める。帝国軍駆逐艦は後方への武装が少ないトップヘビーな事もそれを容易にさせた。迎撃される可能性が低ければその分無駄な回避運動をせずに済む。

 

 追撃部隊の駆逐艦の攻撃は、距離を詰められて当然のように刻一刻とその命中率が向上していく。帝国軍駆逐艦に次々と砲撃が命中し、その度にエネルギー中和磁場で弾かれる。反撃するかのように対艦ミサイルを撃ち出すがそこは防空能力に優れた同盟軍駆逐艦である。容易にそれらを撃破し、あるいは機動力を以て避けきって見せる。

 

 最後尾の帝国軍駆逐艦が被弾する。エネルギー中和磁場がレーザーを受け止めきれなかったのだ。距離と磁場によって減衰していたがために、そして弾薬等を放棄した事、当たり所が良かったために小破だけの被害に済んだが、次被弾すれば恐らくは撃沈は避けられまい。

 

『これより我々は敵艦隊に突貫する!!各戦艦と巡航艦は援護されたし!!』

 

 先行する友軍駆逐艦からの通信。同時に更に友軍駆逐艦は速力を速めて帝国軍の損傷艦に向けて襲いかかろうとする。帝国軍の損傷駆逐艦はそのまま逃げの一手を取るが最早逃げきれない。十秒もせぬ内にそれは恐らくは原子に還元される運命にあるように思われた。

 

「艦長、敵艦艇に照準固定しました!!」

 

 そして全軍の最前線をひた走る単独撃沈艦艇数一八隻の記録を保持するケイリー・ロバーツ少佐が艦長を務める駆逐艦『エルム四号』は火器管制レーダーを作動させて手負いの帝国駆逐艦に主砲の照準を合わせた。

 

「撃てぇ……!!」

 

 そして、ロバーツ艦長の号令と共に『エルム四号』の艦首レーザー砲門が鈍く光始め……丁度その瞬間であった。最後衛の帝国軍駆逐艦を正に撃沈しようとしていた『エルム四号』が爆発したのは。

 

「何っ!?」

 

 更にすぐ隣を進んでいたもう一隻の……同盟軍駆逐艦『アクティオン』……そのどてっ腹で続くように青白い爆発が発生した。

 

 爆発の光は直ぐに消えるが、だからといって艦が無事であると言う保証は何処にもない。寧ろ爆発の後に残ったものは十分に酷い惨状であった。二隻共撃沈はしていないが大破していると言って良い被害を受けていた。その外見を見るだけでまずこれ以上の航海や戦闘は不可能と言える程の損傷具合であった。乗員も少なからず犠牲者を出しており、特に『アクティオン』の方は単独撃沈艦艇九隻の記録を保持する若きエース艦長アンドレア・グリンビィ大尉が戦死するという有様であった。

 

「何だっ!?」

「伏兵か……!!?」

 

『ヴィットリオ・ヴェネット』の艦橋に詰めていたオペレーター達が叫ぶ。何処から来たかも分からない攻撃に彼らは動揺し、混乱していた。

 

「っ……!!違う、機雷だっ!!面舵を切れ!!艦の航行コースを読まれている……!!」

 

 艦長のニルソン中佐が『ヴィットリオ・ヴェネット』の乗員達の中で、いや追撃部隊の中で最も早く事態に気付き叫んだ。熟練の航海長がその声に殆んど反射的に反応して指示に従う。

 

 かなり無茶な軌道で『ヴィットリオ・ヴェネット』は面舵を切り船体を傾けた。中の乗員の多くが慣性制御装置では殺しきれなかった遠心力によってよろけて、一部は艦内の床に転がった。無理な動きによって船体は極僅かに軋んだ。しかし、その数秒後には艦長の判断の正しさが証明された。

 

「四時方向より小型自動機雷……!!」

「対空迎撃!!」

 

『ヴィットリオ・ヴェネット』の対空レーザー砲が火を噴いた。帝国軍駆逐艦の内蔵するステルス塗装の為された小型自動機雷は漂流していた所を機雷内部のセンサーが熱源を感知して、スラスターを吹かして一気に『ヴィットリオ・ヴェネット』に向けて突っ込んで来た。もし舵を切ってなければ至近過ぎて迎撃する暇もなかった筈だ。

 

 艦の中央部に突入してきた機雷は、しかし着弾するコンマ数秒の差でそれを阻止された。レーザーに焼かれて爆散する機雷。しかし幸か不幸か、その爆発は余りに近過ぎた。そして同時に駆逐艦に詰める小型機雷であるために爆発は小さ過ぎた。

 

 結果として『ヴィットリオ・ヴェネット』は機雷の爆風によってその船体を大きく揺らし、その装甲の一部が吹き飛び、罅が入った。船内にいた乗員の多くが衝撃で倒れ、あるいは運が悪い者は壁や床に体を強く叩きつけられて打撲を負ったり、骨折等の怪我を受けた。それでも、船員に死者はおらず、そして艦自体も小破したものの致命的な損傷を受ける事はなかった。

 

 先行していた駆逐艦二隻、そして『ヴィットリオ・ヴェネット』の受けた損失に残る追撃部隊は何が起こったのかを理解し、慌ててその足を止めた。そして慎重に索敵をすれば………。

 

「機雷です。機雷が航行コースに沿って漂流して来ています」

「敵駆逐艦、急速に宙域を離脱していきます。機雷群を迂回して追撃しては恐らくはもう………」

「機雷の破壊も出来ますが慎重にやらなければ熱探知で突入して来ますので撃沈される危険性もあります」

「何故機雷が……?どうして気付けなかった!?」

 

 イゼルローン要塞遠征軍総旗艦『ヘクトル』の艦橋でオペレーター達が動揺を隠しきれない表情で報告する。

 

「あの時か……!?」

 

 参謀の一人が機雷の存在に気付けなかった理由に気付いた。

 

 そう、機雷を散布したタイミングは帝国軍駆逐隊が弾薬やワルキューレを投棄した時であろう。投棄した物資の中に機雷を紛れ込ませたと考えられた。

 

「しかし広い宇宙空間でたかだか一〇〇基に満たぬ機雷が当たるなぞ……!?」

「いや、迫撃部隊の航路を読むのは難しくはない。此方も奴らが散開しないように砲撃を加えていたからな。となれば此方がどのルートから追跡するかも分からん事はない」

 

 同盟軍駆逐艦と帝国軍駆逐艦のカタログ上の速力に然程違いはない。ともなれば双方速力全開で航行すれば下手に迂回なぞしたら追いつけなくなる。帝国軍側は物資を投棄していたから船体が軽くなっているので尚更だろう。と、なれば追撃部隊の駆逐艦は素直に帝国軍駆逐隊の後方をなぞるように追うしかなく、そうなれば帝国軍からしてみれば自分達に追いついて来るための最短ルートを逆算して機雷をばら撒けば、少数でも短時間の足止め程度ならば十分な機雷原を作れるという訳だ。

 

 無論、あの短時間にそのような作戦を思いつき、あまつさえ気付かれないように巧妙に機雷原を展開するのは容易な事ではない。緊急時に、六万隻の大軍を確認して尚も冷静な思考回路を維持出来る者がどれだけいるか?ましてや錯乱してても可笑しくない兵士達を統制して作戦を実施させるだけの統率力もまた誰でも持っている訳でもないのだから。

 

 ……答えを導き出した全員が、そう『ヘクトル』の艦橋に詰めていた全ての兵士達がその結論に気付くと共に沈黙して、唖然としていた。目の前の事実を信じきれず、混乱していた。

 

 油断していたとは言え、六万隻の艦隊が目の前の十隻に満たぬ哨戒部隊に出し抜かれ、あまつさえ強かな反撃を食らい逃亡を許したのだ。その事実がどれだけ非現実的な内容であるかは、軍人教育を受けずとも理解出来よう。ましてや職業軍人達にとってはその衝撃は計り知れない……。

 

 同時に衝撃を受けた者の多くが、殆ど偏見で哨戒部隊の指揮官を実戦経験豊富な老練の現場の叩き上げ士官であろうと想像していた。甘やかされた門閥貴族の子弟が、ましてや幼年学校を卒業したばかりの一五歳の若造の指揮であろう等と考える者はいる筈もなかった。……ただ一人を除いて。

 

「追撃だ!一個戦隊、いや一個分艦隊を差し向けてでも奴らを沈めろ!一隻たりとも絶対に逃がすな……!!」

 

 艦橋の沈黙を真っ先に破ったのは半狂乱気味に響いた若い男の叫び声であった。シトレ大将が横に顔を向ければ一〇メートルも離れていない艦橋の一角でモニターに映る帝国軍駆逐艦を指差す同盟宇宙軍准将の姿が視界に入る。その顔は真っ青になっていて、目は飛び出さんばかりに見開かれ、そのモニターを指差す手は震えていた。元々宇宙酔いしやすく超光速航行の後は毎回死にそうな顔をしていたが、今回の表情はそれに勝るとも劣らない位に悲惨だった。まるでサイオキシン麻薬の禁断症状でも発症したかのような状態である。

 

 彼が誰なのかをシトレ大将はその背後関係を含めて良く知っていた。悪い意味で有名な若手将官であり、末席とは言え本遠征軍司令部の幹部でもあって、好敵手であり友人でもある男の親族であり、何よりも短い期間とは言え校長として士官学校から送り出した生徒でもあった。そして、同時に善良で優秀かは兎も角、決して愚かな人物では無い事も知っていた。それ故にその異様な姿に思わずシトレ大将は驚いていた。

 

「ふ、航海副部長……落ち着いて下さい!副部長殿は参謀です!緊急時でも無ければ実働部隊の指揮権はありませんよ……!?」

 

 無線オペレーターが暴れながら迫撃を命じる副航海部長を宥めて、命令に従えない理由を述べる。

 

「煩い!いいから回線を繋げっ!そうだ……!第六艦隊司令部に回線を!いや、第四機動戦闘団でも良い!早く!!」

 

 准将はオペレーターから端末の権限を無理矢理奪おうとして暴れる。そのままオペレーターと取っ組み合いになり、慌てて周囲のオペレーターや他の参謀スタッフが仲裁に入ろうとして騒ぎとなる。

 

「早く命令をっ……!!?おい、何をしている!?早くしないと逃げられるだろうがっ……!!?くっ……お願いだから追撃をっ……!!」

「わ、若様!?い、一体どうなされたのですか……!!?」

「どうぞ落ち着いて下さいませ!これ以上騒ぎを起こすのは……!!」

 

 部下の名目で配属されている家臣二人が主人の行動に困惑しながらも混乱しながらも口を開く。彼女達の事を「道楽貴族が禁欲生活が我慢出来ずに同行させた軍人コスプレの愛人」等と口悪く囁く者も少なくは無いが、実態は兎も角その職務は完璧にこなしているためにシトレ大将は然程不満は持ってはいなかった。それに会話内容を見る限りにおいても思考停止のイエスマンでなければ、必要とあらば諫言も出来るらしい。

 

 ……それはそうと、当の主君は失神一歩手前な形相で手足を縛られながらもじたばたと半分子供のように暴れていた。何が彼を駆り立てるのか、尋常ならざる表情だった。

 

「何の騒ぎだ!?遠征軍総司令部に詰める将官が何を新兵の如く喚いている……!?」

 

 数名の参謀と共に丁度艦橋に入って来たレ中将が騒ぎを聞き付けて怒鳴り声を上げる。流石にそれに驚いたのか必死に抵抗していた航海副部長は渋い表情を浮かべる。

 

「えっと……それは………」

「何だ?貴官も士官学校を出ているだろう!?報告ははっきりと、明瞭に話せ!!」

 

 青い顔で口を震わせる副航海部長に対してレ中将が不快そうに詰問する。彼からすれば艦橋に来ていきなり騒ぎを起こしたコネ出世のコネ人事参謀に対して好意的になり得る理由が無かった。

 

「それは……それは………」

 

 騒ぎを引き起こした准将はオペレーターや参謀スタッフ達に身体を拘束された状態で正面の参謀長とモニターに映る逃亡する駆逐艦を相互に見て身体を震わせる。その顔は元より青かったのに、更に青々しく染まり、その動悸は激しくなる。

 

「ティルピッツ准将?落ち着き給え、一体どうしてしまったのだね?」

 

 直属の上官たるクブルスリー少将が怪訝な表情で、しかし心配そうに尋ねる。クブルスリー少将からしても人並み以上の好印象こそないが、それでも嫌う程疎んではいない。それ故に部下の所業に不快感よりも先に心配と困惑の感情が浮かんでいた。

 

「そ、それは……それは………早くあれを……あれをどうにかしないと……早く………ここで逃がす訳にはいかないんだ……あれは……あれは……!」

 

 震える声で航海副部長は譫言を呟き続ける。これ以上悪くならないと思えた顔は更に青くなり、まるで死人のようであった。正常な精神状態で無い事は明らかであった。

 

「ティルピッツ!?っ……!全く、お前は何をしている……!?」

 

 そう叫んで駆け寄ったのは、同じ航海部副部長である長身の男であった。膝をついて取り押さえられている同期に声をかける。

 

「おい、ティルピッツ!まだ正気は残っているか!?」

 

 怒鳴るような声に、件の准将は肩を竦ませて驚き、視線を正面にいるもう一人の航海部副部長に向けた。

 

「ホーランド……か?そ、そうだ!お前も協力してくれ!!早くあれを、あれを追わなければ……!ここであれを逃がしていけないんだ………!!」

「協力するのは後だな。取り敢えずお前は少し寝ていろ」

「えっ……?あっ………」

 

 恐怖と絶望に染まりきった昔馴染みに対して、ホーランドは他の誰にも聞こえない声でそう囁き、そして一見労わるような手つきで、しかし瞬時にかつ誰にも気取られぬ見事な動きでその意識を刈り取った。

 

「じ、准将殿……?」

「若様!?」

「いや、どうやら気を失っただけのようだ」

 

 取り押さえていたオペレーターや参謀スタッフ、付き人の士官が悲鳴を上げる中で、昔馴染みの意識を刈り取った当のホーランドは悠然とそう伝えて安心するように言う。

 

「………」

 

 ホーランドは気を失った同僚を一瞥し、しかしすぐに立ち上がるとレ中将を始めとした上官達に敬礼をした。

 

「……ティルピッツ准将はどうしてしまったのかね?」

「いきなりあのように喚き出す等……」

「軍医を呼んだ方が良いのでは?」

 

 レ中将が不可思議そうな表情を浮かべ、他の参謀達も困惑と心配を混ぜ合わせた様子で話し合う。失神した准将は確かにコネ人事で来た様々な意味での問題児ではあるが、流石に今回の騒ぎは常軌を逸していた。心配にもなる。

 

「恐らくは緊張と体調不良で錯乱でもしたのでしょう。ティルピッツ准将とは面識がありますが元よりプレッシャーやストレスに弱い性格でしたから。ましてやここ何週間も宇宙酔いで身体的に疲労していた上、今回の遠征計画の航海計画で精神的に摩耗しておりました。帝国軍哨戒部隊に逃げられた以上、計画の大幅な変更は必要になりますのでそのストレスで……同僚の体調管理に気が回らなかった自分の落ち度でもあります。申し訳ありません」

 

 何か言いたげな付き人二人を視線で黙らせた上で、もう一人の副航海部長は報告する。

 

「……そうか。ならば後で他の参謀達の体調管理についても確認が必要だな。誰かティルピッツ准将を医務室に運べ。体調が回復するまで休養を取るようにとな。……彼には不本意かも知れんが未遂とは言え司令官の命令権を侵し、司令部の混乱を招いたのだ。意識が回復し、体調の整い次第始末書の提出をするようにとも伝えておけ」

 

 レ中将がそう命じれば、周囲の兵士達がそそくさにそれに従う。

 

「若様……」

 

 憲兵達に担架で運ばれる主君に寄り添うように付き人二人が心配そうに艦橋から退出する。その姿を艦橋に詰める幾人かは羨ましそうに、また幾人かは不快そうに顔を顰め、しかし大多数の者達は直ぐに意識を切り替えて眼前の課題に意識を集中させた。

 

「……工作艦に機雷の処理を命じるように。それと損傷艦の救助に数隻を残すように伝えてくれ。それ以外の艦艇は要塞に向けて行軍を続けよ」

 

 騒動が収まったのを確認してシトレ大将は指示を飛ばし、兵士達はその命令に従い端末を操作して、彼方此方に移動を開始する。

 

 その中に紛れるように不快そうな表情を浮かべる作戦参謀の一人に腕を掴まれて何処かに連れていかれるホーランド准将を一瞥し、しかしすぐに興味をなくしたレ中将はシトレ大将の元に来て尋ねる。

 

「逃げ出した敵部隊はどう致しましょうか?念のために追撃しましょうか?」

 

 その言に、司令官席に座りこみ、静かに腕を組んでいたシトレ大将は暫しの間逡巡して……決断した。

 

「……構わん、捨て置け。所詮哨戒部隊であるし、遅かれ早かれ最早これ以上の偽装は出来ん。深入りして無駄な消耗をする事もあるまい。我々の獲物はあんな小物ではないのだ。イゼルローン要塞攻略の大目的を忘れてはならん」

 

 下手に追撃して藪の蛇をつつく必要もない。たかが哨戒部隊一つにのめり込むよりもより広い視野で動くべき……シトレ大将の判断は決して間違ったロジックを基に形成された訳ではなかった。所詮は一個駆逐隊である。遠征軍がそんなものを全力で追撃するなぞ余りに馬鹿げていた。これは仮に先程の航海部副部長が騒ぎを起こさなくても、あるいは粘り強くシトレ大将と交渉しても同じ結果であっただろう。それ程までに当たり前の判断であった。

 

 そう、シトレ大将の判断は正しい。少なくとも一般論、そして常識論としては。極極少数の例外を、あるいは可能性を考えて貴重な戦力を危険に晒してまで追撃しようという愚かな判断をするような人物が同盟軍の大将には昇進出来る筈もない。

 

 シトレ大将の言は直ぐに全軍に通達され、尚も追撃を仕掛けようとしていた数隻の艦はその命令に従ってその足を緩め、後退し、隊列を整えていく。

 

 そして同時に、大艦隊は帝国軍哨戒部隊が悠々とジャミング影響下から離脱をしていくのを、唯々苦虫を噛んだような表情で、しかし仕方なさそうに見届けたのだった。

 

 ……宇宙暦792年五月四日1640時、第五次イゼルローン要塞攻防戦、その鏑矢となる小さな戦闘はこうして幕を閉じた。

 

 参加戦力は同盟軍が遠征軍主力凡そ六万隻に対して帝国軍が哨戒として展開していた第六四〇九駆逐隊に所属する駆逐艦九隻……戦力の差は明らかであったが帝国軍は大軍の長距離砲撃と駆逐艦の肉薄攻撃に対して巧妙な撤退戦を演じ、その結果戦闘は帝国側が駆逐艦一隻の小破及び十数名の負傷者を出したのと引き換えに、追撃に出た同盟軍駆逐艦二隻が宇宙機雷で大破、同じく戦艦一隻が小破し四〇名近い戦死者とその二倍の負傷者を出すという予想外の形で幕を閉じる事となる。

 

 無論、この戦闘自体において生じた損害自体は両軍の戦力から見れば全体の〇・一パーセントにも満たぬ取るに足らぬものであり、それ自体は戦略的にも戦術的にも何らの意味も影響も齎さない戦いに過ぎなかった。

 

 しかし、偶発的な遭遇戦に過ぎないこの戦いは双方に、特に同盟軍側に内心大きな衝撃を与えたのも確かであった。圧倒的な戦力差がありながらの実質的な敗退、それは損失の小ささに比べて少なくない動揺を兵士達に与えた。その幸先の悪さがまるで今後の要塞攻防戦の結果を予見するかのように思えたのだ。六万隻という大軍の存在に自信を抱き、何処か楽観的になり安穏としていた同盟軍将兵達はこの小さな敗北から過去四度に渡る大敗の記憶を無理矢理に思い出させられたと言える。

 

 一方、帝国軍はこの細やか過ぎる勝利を大いに宣伝した。戦いの規模としては無価値に等しくとも、勝利には違いない。そして圧倒的な戦力差に奇襲を受けたという事実から兵士達の注目を逸らすために駐留艦隊首脳部は必要以上とも言える程にこの戦いの結果を褒め称え、英雄化し、将兵の動揺を抑えようとした。そしてそれはある程度実を結ぶ事になる。

 

 結果として、両軍共に将兵達はこの余りに小さく無価値に近い筈の遭遇戦を実際の軍事的影響以上に意識する事になったのである。

 

 そして、その裏側でこの戦いの主役を演じた一人の少佐が敵味方双方の多くの将兵達から畏怖と尊敬を集めた事は、しかしこの段階では両国の首脳部共にその重要性を理解する事は無かったのだった……。

 



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第百七十七話 嫌な夢程大概記憶に残るもの

つ、次の話の頭からはちゃんと戦闘に入るから……(震え声)


『我が忠良にして精強なる『有翼衝撃重騎兵艦隊』全将兵に通達する!

 

 知っての通り、先日哨戒に出た部隊が重要な情報を司令部に報告してきた。

 

 即ち、現在自由惑星同盟軍を僭称してサジタリウス腕を不法占拠する反乱軍は、推定六万隻に及ぶ艦隊をもって帝国本土を守護せしこのイゼルローン要塞に接近しつつある!これは真に不遜にして傲慢な行為であり、皇帝陛下に向けて剣を向けようという許されざる大逆行為に他ならない!

 

 我ら一騎当千の要塞駐留艦隊は、これより全軍をもってこれを迎え撃つ!敵軍に比して数の上においては劣勢なれど、私は一抹の恐れも抱いていない。何故ならば諸君らは常勝無敗の銀河帝国軍の精鋭であり、卑しき奴隷共が寄り集まっただけの烏合の衆に劣る等、絶対にあり得ぬ事である事を私は確信しているためである!

 

 我らは堂々と要塞前方に展開し、突撃してくる敵先鋒部隊を、その精強さを以て出鼻を挫く!そして時期を見て無知蒙昧な奴隷共を要塞主砲『雷神の槌』の射程内に誘いこみ、要塞砲にて纏めて殲滅、その後に取り逃がした残敵を掃討せんとするものである!

 

 思いあがった身の程知らずの反乱軍に対して、降伏はこれを認めず、完全に撃滅し、もって皇帝陛下の栄誉と帝国の権威を知らしめること、全艦出撃せよ……!』

 

 

              第五次イゼルローン要塞攻防戦における要塞駐留艦隊出撃時に発せられた艦隊司令官ヘルムート・フォン・ヴァルテンベルク大将の訓令より抜粋

 

 

 

 

 

 同盟軍は、その存在が帝国軍に発覚したために速攻に転じた。隠密の進軍を放棄して堂々と全軍が隊列を整えてイゼルローン回廊奥にまで大艦隊が雪崩れ込む。一方、帝国軍もまた各方面からの友軍に対して救援要請を行いつつ、哨戒部隊を下がらせて要塞駐留艦隊本隊を宇宙港から抜錨させた。

 

 宇宙暦792年五月六日0250時、ヴァルテンベルク大将を司令官とするイゼルローン駐留艦隊の内、この時点で即応展開可能な全戦力に当たる一万三〇〇〇隻はイゼルローン要塞の壁となるように要塞より三・六光秒の位置に展開した。

 

 同日0400時には要塞駐留艦隊最前衛部隊がイゼルローン要塞同盟側出口より凄まじい数の宇宙船舶の光を確認する。その総数、推定六万隻以上……過去四度の遠征軍を遥かに超える規模のそれは同盟軍による十年に一度の、いや二十年に一度あるかどうかの大侵攻であった。

 

 同日0450時、自由惑星同盟軍イゼルローン要塞遠征軍は第四・第五艦隊を先鋒に、第六艦隊及び各種独立部隊、銀河帝国亡命政府軍派遣軍を第二陣に、戦略予備として第八艦隊を中核とした戦闘部隊を最後衛として地上戦部隊、後方支援部隊を控えさせた三列の横陣を形成し、要塞前方に展開した。

 

 第一列を構成する第四艦隊は、780年代軍備増強計画において乙編成として再編された比較的コンパクトかつ機動力に富んだ艦隊であり、小型艦を中核として艦艇一万二二〇〇隻、司令官は教育・参謀畑を歩んだドワイト・グリーンヒル中将である。優秀な軍人である事は間違いないが、本人は不本意であろうが世間では『銀河の妖精のパパ』としての肩書きの方が有名であるかも知れない。

 

 同じく第一列を構成する第五艦隊は正面決戦を前提とした大型艦を中核とした甲編成の艦隊である。艦艇は一万四一〇〇隻、司令官は第三艦隊司令官ルフェーブル中将と共に老練かつ戦歴豊かな老将として誉れ高いアレクサンドル・ビュコック中将である。

 

 第二列の主力を構成するのは乙編成の第六艦隊だ。艦艇数一万二六〇〇隻。その人員の七割は帝国系、ないし帝国系の混血が占める所謂『インペリアル・フリート』である。司令官は帝国系ハーフにして次期宇宙艦隊司令長官候補としても期待されるラザール・ロボス中将、先年のエル・ファシル会戦では消極的で精細を欠いたが本来は豪快かつ思い切りの良い大胆な機動戦闘を得意としている猛将であり、遠征軍の副司令官も務める。

 

 その他、第二列には第六艦隊の左右を支える第四・第七機動戦闘団を中核とした各種独立部隊五七〇〇隻の艦艇が控える他、銀河帝国亡命政府軍もまた六二〇隻を派遣していた。艦艇数はここ数年の戦乱により亡命政府軍自体が相当に疲弊しているため少ないものの、練度は同盟正規艦隊に引けを取らない。

 

 後詰めと予備戦力を兼ねる第八艦隊が第三列である。司令官は宇宙艦隊司令長官と第五次イゼルローン要塞遠征軍総司令官も兼ねるシドニー・シトレ大将であった。乙編成の艦隊の定数は一万二七〇〇隻、シトレ大将自身は全軍の司令官としての職務があるために実質的な指揮運用は副司令官アル・サレム少将が執ると思われる。その他司令部直属の工作艦・補給艦・輸送艦・病院船等の後方支援艦艇が伏せて二〇〇〇隻、地上軍を輸送する揚陸艦が一九〇〇隻に及ぶ。

 

 シトレ大将の艦隊司令官としての実力はこれまでの戦歴から疑いなく、数個艦隊を指揮する能力も先年の『パレード』の結果から問題は無かった。副司令官アル・サレム少将は参謀等のデスクワークを中心とした経歴の持ち主であるが、それでも尚一個艦隊を指揮するだけの実力は十分に有していた。

 

 現在時刻は0530時、両軍は凡そ四五光秒の距離で相対する。帝国軍の有する長射程の戦艦ですらその最大射程は三〇光秒、有効射程となれば二五光秒である事を思えば、両軍は互いに相手を捕捉しつつも戦いの火蓋を切るには未だ遠すぎる距離にある。

 

 とは言え、実際に相対する両軍兵士達からすれば既にこの瞬間から凄まじい緊張と圧力に晒されており、戦う前より相応に疲弊していた。これから数十分以内に殺し合いが始まる事を理解していれば当然の事だ。

 

 無論、例外もあるのだが……。

 

「糞っ、何たる事だ!キルヒアイス、見てみろ!六万隻だ!六万隻……!二十年に一度あるかないかの同盟軍の大侵攻だぞ!?折角軍功を稼ぐ機会だというのに……どうして俺達は出撃出来ないんだ……!?」

 

 要塞内部の小宇宙港の一角で巨大なソリビジョンモニターを睨みつけながら金髪の少年……ラインハルト・フォン・ミューゼル銀河帝国宇宙軍少佐は苦虫を噛む。その表情は苦渋に満ち満ちていた。

 

「艦隊司令部が出撃禁止等と……!これも嫌がらせの一種なのか!?」

「いえ、恐らくは完全な善意だと思いますが……」

 

 悔しがる親友であり主君である少年に、キルヒアイス中尉は何とも言えない表情で呟く。そう、これは善意。完全に善意であったのだ。

 

 六万隻の同盟軍を最初に捕捉する事に成功し、あまつさえ小さくはあろうとも強かな一撃を敵に与えその鼻っ柱をへし折って見せた哨戒艦隊とそれを指揮するラインハルトは、要塞に帰港するや否や要塞駐留艦隊司令部から英雄扱いされた。その場で鉄十字章を受勲された上に、要塞全体に生中継された式典でヴァルテンベルク大将から直々に感服状が授与される栄誉を与えられた。こうして、ラインハルトと彼の駆逐隊は士気高揚のための道具として祭り上げられた。

 

 そして、当然ながらこの手の宣伝工作は当の英雄が何等かの要因で死亡すれば一気に冷え切り、重苦しくなるものでもある。しかもその出自と来たら皇帝のお気に入りの寵姫グリューネワルト伯爵夫人の弟と来ている。そんな人物を駆逐艦に乗せて最前線で六万隻の大軍と戦わせる?ナンセンスだ。既に昇進するのには十分な功績は立てた。要塞駐留艦隊司令部からすればこの機会に英雄の保護を兼ねて休暇を与えるのが一番であり、それ故にこの一隻でも多くの軍艦が必要とされる時期でありながら第六四〇九駆逐隊は流体金属と四重装甲に守られたイゼルローン要塞の要塞港での待機を命じられたのだった。

 

「駐留艦隊司令官から昇進の推薦状を頂いたのです。今回はこれで良しとしましょう。これ以上の望みは少々欲が深いと言うべきでは?」

「………お前はそう思うのか?」

「客観的に見れば、ですが。それに今回の要塞攻防戦、見るに恐らくはこれまでとは様相が違いそうです。下手に最前線で危険を冒すよりかはこの安全な要塞で敵味方の用兵ぶりを観戦する方が良いかと」

 

 好戦的な主君を諌めるように赤毛の副官は進言する。

 

「……そういう考え方もある、か。キルヒアイス、お前はいつもながら前向きな性格だな?」

「楽天的なだけかも知れませんが……」

 

 困り顔で乾いた笑みを浮かべる副官に、ラインハルトは優しく、温かな微笑で応じる。

 

「謙遜するな。俺は短気だからな、キルヒアイスがいなきゃ今頃俺は死んでいたかも知れない。お前には感謝してもしきれない位さ」

「恐縮です」

 

 心底恐れいる、とばかりに頭を下げるキルヒアイスに、ラインハルトは苦笑で応じた。と、そこに人影が近付いて来る。

 

「これは艦長に副官殿!こんな所で何をしておいでで?折角頂いた麦酒、このままだと空になっちまいますがお飲みにならないので?」

 

 上機嫌そうな砲雷長がビールジョッキ片手にやって来た。その頬は若干赤い。ほんのりと酔いが回っている事を表していた。背後からやって来る他の兵士達もそれは同様だ。

 

「砲雷長、程々にしておく事だぞ?確かに今は待機中だがいつ出撃命令が下るか分からん。二杯位に我慢しておく事だ、いざその時になって酔っ払ってたせいで撃沈されただなんて笑えないからな」

 

 ラインハルトは渋い顔を浮かべて指摘する。先日の軍功で駆逐隊に賜下された高級麦酒樽(各駆逐艦に一樽ずつの計九樽)にはしゃいで、売店で買ってきた摘み片手に軍港内で軽い飲み会を始めてしまっている兵士達に金髪の司令官は呆れた溜め息しか出てこない。

 

 軍務中、しかも正にこれから戦闘が始まろうとする中でかなり異例の事ではあるが……公然と黙認されて、いや暗に推奨すらされたのは部隊を出撃させないための駐留艦隊司令部の策略だろう。上位部隊司令官たるレンネンカンプ大佐も、本来ならば憲兵隊を連れて兵士達を取り締まり独房入りさせていただろうが、今回に限っては渋い顔で放置するしかなかった。

 

「それにしても受けましたよ。艦隊司令官からの褒美に、兵士全員に厚切りベーコンの提供をお求めなさるとはね!」

 

『エルムラントⅡ』の砲雷長は式典の時の場面を思い出したように大笑いし、他の兵士達もそれに続く。兵士にあるまじき緩んだ笑い声であったが、実際それ程まで笑えてしまう内容であったのだ。

 

 要塞帰還時の式典で勲章と感服状を与えられたラインハルトは、更にヴァルテンベルク大将から大将の裁量の範囲での要望を尋ねられた。多くの場合、報奨金やら休暇やら、後方への人事異動、あるいは酒場や売店、娼館等の要塞内の施設の無償利用権が嘆願されるのが相場なのだが……ラインハルトが要塞全体で生放送されている中で要求した褒美は以下の通りであった。

 

『日夜反乱軍と相対する要塞の将兵のため、全下士官兵の食事に一日辺り一〇〇グラムのベーコン、及び卵二個の追加を嘆願致します』

 

 当然ながら式典会場は一瞬静まり返り、次いで参列していた駐留艦隊司令部と要塞防御司令部の幹部達が困惑しきった表情を浮かべていた。ヴァルテンベルク大将が思わずもう一度聞き返してラインハルトが即座に同じ要求を口にすれば、大将は遂に真顔で黙りこんでしまった。

 

 その次の日から毎日の朝食がパサパサした数本のヴルストから厚さ一センチメートルの大きなベーコンが豪勢にも二切れ、半熟で焼けた目玉焼き三つに胡椒と粉チーズを振りかけたベーコンエッグセットに変貌した。それどころかおやつとばかりに熱々のアプフェルシュトルーデルまで追加されていた。三ダース程に分散されている要塞各所の下級兵士用食堂が歓呼の声で満ち足りた事は言うまでもない。

 

 現金なものだと思われるかも知れないが、やはり戦いが迫っているともなれば出来るだけ美味しいものを食べたいというのが人情であるし、特に帝国軍の下級兵士の食事は唯でさえ粗食である上、しかも一部では予算の中抜きがされているので更に質が悪くなる。

 

 敵軍がかつてない規模である事も要因だろう。難攻不落のイゼルローン要塞に駐留する彼らは精兵ではあるが、それでも六万隻と正面からぶつかるともなれば平然としてはいられない。兵士達のはしゃぎようはある意味では現実逃避であり、その事は上層部も承知している。だからこそ要求が容易にかつ、おまけまで付けられて通ったのだから。たかだか食事代でこの危急の事態において兵士達の士気崩壊を防げるならば安すぎる出費だ。

 

「あの時のお偉方の顔と言ったら……!艦長殿にまさか御笑いのセンスがあったとは、お見逸れしましたよ!」

 

 最早半分涙目になりながら爆笑するのを堪える砲雷長。一方、憮然とした表情を浮かべるのはラインハルトである。

 

「……言っておくがあれは別に他意があった訳じゃないぞ?俺だって幼年学校や任官先での食事は酷いものだと常々思っていたさ」

 

 幼年学校での食事はディナーですら主食にドライフルーツを混ぜたシュヴァルツヴェルダーブロート、ベイクドビーンズにスープは具の少ないオニオンコンソメ、そこに乾ききったクラッカー数枚、チョコレートバーであり、アクタヴでの食事に至っては最前線のため基地の食事が補給が滞り節約していたとはいえ基本缶詰のヴルストに硬い黒パンと来ていた。士官ですらそれなのだから、下士官兵の食事内容は推して知るべしである。栄養価は計算されているのだろうが、到底食事と呼べる代物ではないだろう。家畜の餌というべきだ。

 

「しかもだ。幼年学校の校長は自室に高級ブランデーやキャビアを隠していてな。大貴族の子弟なんぞ学校側で用意した食事を捨てて実家から連れて来た料理人に高級食材を調理させていた程さ」

 

 開祖ルドルフ大帝は特に厳しい戦いに耐え、競争心を高めるためと言う建前で兵士の食事を粗食とし、階級を上げるごとに待遇に大きな差を与える事を定めたという。本当の理由は恐らくは予算の節約であっただろうが……何はともあれその建前に従い待遇としては下士官に過ぎない門閥貴族の子弟も通う幼年学校での給食もまた、敢えて粗末にして彼らの忍耐心を鍛えるように努めて来た筈なのだ。

 

 しかしラインハルト達が入学した時にはルドルフの定めた校則は完全に骨抜きにされていた。下級貴族や小諸侯の師弟に鞭を打って口汚く叱責する鬼教官達ですらぞろぞろと使用人を連れて身の周りの世話をさせる某公爵家のボンボン息子に対しては見て見ぬ振りをしていたのをラインハルトは記憶している。

 

「高級将校方は毎日ステーキにチョコレートケーキを戴いているんだ。戦いの直前位、兵士達に少しでも美味いものを食わせてやるべきだと思っただけだ。……実際に血を流して戦うのはお前達だからな、先日の戦闘もお前達が冷静に命令を遂行してくれなければ今頃俺もキルヒアイスも宇宙の藻屑だった。ならば少しは労ってやるのが道理というものだ」

 

 当然のように淡々と、そして堂々と持論を述べたラインハルト。そこに見栄や虚栄心、ましてや下心なぞ皆無である事は実際にその場で彼の話を聞いた者であれば確信出来た筈だ。実際、ラインハルトも先日の戦闘に対して冷静にかつ的確な指示を出してはいたが、一番の懸念はそれが正確に遂行されるかであった。どんな正しい指示であろうともその通りに行われなければ意味がない。そして彼の部下達は期待通り、あるいはそれ以上の結果を出した事をラインハルトもまた認めていた。

 

「艦長殿……」

 

 砲雷長以下の兵士達は息を呑み、金髪の若い少年の言葉に驚愕した。階級社会である帝国において、目上の者は目下の者の忠誠と奉仕を当然のもののように甘受する者が多い。そしてラインハルトは上官であり、同時に貧乏貴族とは言え二等帝国騎士であり、何よりも皇帝の寵愛深いグリューネワルト伯爵夫人の弟である。将来的には少なくとも将官になるであろうし、爵位も得るであろう未来の雲上人である。そんな人物が当然のように礼を述べると言う事実は砲雷長達にとっては天地がひっくり返るような出来事であったのだ。

 

(こりゃあ……年甲斐もなく感動するなんて似合わねぇな)

 

 中年間近の砲雷長は内心で苦笑する。帝都に店を構える肉屋の三男が就職口に困って大昔に比べて入りやすくなった専科学校を経て、最前線で軍功を重ねて漸く少尉となった身である。元々帝都は家から放逐されたり勘当されるような若い放蕩貴族が良く見かけられる場所である。まして軍人となってからも家柄や財産ばかりある無能か、理不尽で冷酷な、あるいはそれらを全て兼ね備えた貴族の上官なら幾人も見て来た。既に貴族階級なんてものに幻想を抱くような頃ではない。

 

 にも拘らず、彼の心中に生じた感情は感動であった。まさか遥かに年下の貴族の少年からの言葉に自分が心を揺さぶられるとは思っていなかった。同時にそれだけ彼は自身が目の前の上官を気に入っている事実を自覚し、そしてその事を自分でも意外な程に気に入っていた。

 

 にやり、と笑みを浮かべる砲雷長以下の兵士達。一方、その態度に気恥ずかしさかむず痒さでも感じたのかラインハルトは小さく鼻白み、その姿を赤毛の副官は穏やかに見つめる……と、そこで彼らは漸くその騒ぎに気付いた。

 

「何事だ?」

 

 宇宙港の入り口でなにやら人だかりが出来、騒がしい声が響き渡る。

 

「ありゃあ『バーデンⅦ』の奴らですな。喧嘩でも始めましたかね。少し釘をさしてきますよ」

「私もいこう。部下の監督責任は隊司令官たる私にもあるからな」

「……了解致しましたよ。お前達、艦長殿を御守りしつつ馬鹿野郎達を懲らしめにいくぞ!!」

 

 砲雷長の宣言に『エルムラントⅡ』の兵士達はがやがやと叫んで応じる。数分後にはラインハルトを先頭にした隊列が騒ぎの仲裁と鎮圧のために宇宙港のターミナル内で行進を開始していた。

 

「お前達、何をしている!余りに軍規が緩むのなら慰労は取り止め全員独房入りを厳命するぞ!……ん?なんだこれは?」

 

 堂々と騒ぎの場所に足を踏み入れて、まるで元帥のような威厳と覇気で兵士達にそう宣言したラインハルトは、しかしそこで見た光景に思わず眉を顰めた。

 

 ラインハルトの目の前で、酒精で悪ノリした兵士達によってアルハラ紛いに麦酒を飲まされ、結果的に泥酔して白目を剥き口から泡を吹き出したグレゴール・フォン・クルムバッハ少佐以下二個分隊の憲兵達が床に倒れていたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 喧騒、悲鳴、怒声、銃声、警報、爆発音、轟音………それが義眼が失われ、生の眼球だけとなった私の視界に映り込む赤黒い世界で満ちていた音の全てだった。そこに小さな、しかし決して鳴ってはならなかった音が混じった。目の前で生じた肉の抉れる、あるいは弾ける音であった。

 

「あっ………?」

 

 生暖かな液体を頭から浴びた私は、小さな声を上げていた。それは何が起きたか分からずに子供が発した声のようであり、そして実際私はその瞬間何がおきたのか一瞬理解出来なかった。正確には理解したくなかった。

 

「テレ……ジ…ア………?」

 

 正面から私に倒れかかる従士に私は震える声で声をかける。返事は無かった。虚ろな瞳からは光が失われていた。そしてただただ、砕かれた頭部から流れる液体が溢れ出し、私の軍服を恐らくはじんわりと赤色に染め上げ、広げていた。

 

 幸運な事に既に照明は非常電源の赤色灯しかついていなかったお蔭で、彼女が流す液体の色も、私を庇って食らった鉛弾で床に飛び散った『中身』もはっきり見えなかった。もし、通常の蛍光灯であったら今頃私は狂乱しつつ床に散った脳の欠片を拾い集めていただろう。

 

 大切な、そして信頼し、親愛する従士の遺骸を抱きながら私は正面に立つ長身の青年を見据える。分かりにくいが恐らくは赤毛の人当たりの優しそうな少年は目を見開いて私を見ていた。その片手には火薬式のライフルがあり、その銃口からは淡い発砲煙がたなびいていた。

 

 私はその少年を良く知っていた。一度も会った事もない癖に良く知っていた。その赤毛でのっぽの少年が、しかし偉大な黄金獅子の片腕にして、朋にして、忠臣である事を私は知っていた。そして……今まさに私にとって復讐するべき相手である事も!!

 

「っ………!!」

 

 殆ど反射的に私は手にしていたハンドブラスターを発砲していた。光条は、しかし利き腕である右腕の義手は戦いの最中に動かなくなっており、ために左手で構えた射撃は目標の額ではなく胸元を射抜いた。

 

「っ……!?」

 

 驚愕の表情を浮かべて口から吐血する少年。一回り以上年下の少年を撃つという道徳的に唾棄すべき行いをしたにもかかわらず、その時の私は少年から吐き出された血を浴びながら口元を歪めていた。そして引き攣った、凄惨な笑みを浮かべていた。同時に頭の中で罵倒を浴びせる。ふざけるな、即死させられなかったなんてどれだけこいつらは幸運の女神に愛されているんだ……!!?

 

「キルヒアイス……!」

 

 その透き通った美声の悲鳴と共に、私が目の前の赤毛の少年に止めをさそうと半ばまで引き金を引いていたハンドブラスターに光に当たったと思えば弾け飛ぶ。同時に私の左手の人差し指と中指が失われた。

 

「あがぁぁあぁぁぁあああ!!!??」

 

 全身既に生傷だらけである癖に、今更出来た指の欠損程度の痛みに私は獣のような悲鳴を上げる。右腕が動かせないために傷口を抑える事すら出来ない私は出血して震える左手に何も出来ず唯々その激痛を耐え忍ぶ事しか出来ない。そんな私に瀕死状態の赤毛の少年が最後の力を振り絞って再度火薬式のライフルを私に向け……。

 

「若様っ!!」

 

 MG機関銃の、その鋸で木材を削り取るような音と同時に赤毛の少年は薙ぎ払われた。流石に憲兵隊と死闘を演じ、テレジアによって更に負傷し、私に胸元を撃ち抜かれたともなればその攻撃を察知する事は出来なかったようだ。七・九二ミリのタングステン合金弾は確実に赤毛の少年の命を刈り取った。

 

 床に倒れる直前、私は少年と目が合った気がした。しかしその相手の瞳からもすぐに光は消え去る。その事実に私は嘲りと勝利の確信に暗い愉悦の笑みを浮かべた。本当ならば、こんな運命でもなければ私は寧ろ彼がこんな所で命を奪われた事実を悲しみ、怒り狂った所だろう。原作を知っている生粋のファンであれば彼の幸福な運命を願っただろうし、もし可能ならばそのために手段を講じただろう。私だって力があり、それが可能な立場ならばそうしたかも知れない。……しかし、寧ろ今の私にとっては彼の死は歓喜すべき事だった。彼がいなければあの忌々しい孺子が同盟を滅ぼす事も、故郷や家族が失われる事もない事を知っていたから。何よりも、大切な従士の仇を取れた事が最高だった。

 

 遠くで先程の美声が響いた。怒りと絶望と悲しみを掛け合わせた慟哭の声だ。しかし再度MG機関銃の独特の銃声が響けばそれも掻き消される。そして息を荒げて私が良く知る彼女が絶望した表情を浮かべて駆け寄って来た。

 

「若様……!?ああ、何と言う……!撤退命令が出ています、撤収致しましょう……!!」

 

 自分でもどうして生きているのか分からない血塗れの傷だらけの姿にベアトは血の気を引かせて、手にするMG機関銃を落とす。しかし直ぐに為すべき事を思い出したように重装甲服を着た部下二名に命令してから私の左手の出血をハンカチで抑えると、そのまま私に肩を貸して立ち上がらせようとする。

 

「あっ……ま、待ってくれ……テ、テレジアが……」

「遺体を連れていく余裕はありません。既に揚陸艇の大半が脱出を開始しています。早くいかねば置いて行かれます……!」

 

 私が立ち上がったために床に頭から落ちて鈍い音を響かせる従士の死体。私が譫言のようにそれを連れ帰ろうとするが従士は淡々と要求を拒否する。

 

「そんな事……!」

 

 私はその事に怒りの余り罵倒しようとするがその気持ちもすぐに霧散した。横目に見る彼女の耐え忍ぶ表情を見て何故なおも我儘を言えようか?彼女の冷酷な決断は何よりも私のためでもあるというのに。

 

「中佐!早く撤収を……!!時間の余裕はもうっ……!!」

「……っ!分かっています!!」

 

 部下の兵士達の促しに応えてベアトは私を背負って走り始める。朦朧とする意識の中、近くで銃声と怒声が響くのが聴こえる。

 

「新手だ……!いや、こいつっ!?さっきの……がはっ!!?」

「何っ!?ぐがっ!?」

 

 後方から二人の兵士の悲鳴が漏れた。視界を横に移せばベアトが信じられないという表情で後ろを振り向いているのが見えた。慌てて腰のハンドブラスターを引き抜く従士……次の瞬間には激しい衝撃が私達を襲った。

 

「あ…がっ………!?」

 

 床に前のめりに叩きつけられた私は横腹と背中に焼けるような、そして鋭い痛みを感じながら悶える。騒音が満ちる中、かつかつと妙に印象的な足音が響く。

 

「わ、若様…は、早くお…にげ…がっ………!?」

 

 銃声が鳴り響いた。視界の端に映った最愛の彼女の最期に私は声は上げなかったが同時に無力感と虚無感に襲われていた。……まぁ、正確に言えば声を上げる体力も無かっただけなのだが。

 

「俺の友を良くもやってくれたものだな、忌々しい……!!」

 

 従士に止めを刺した『奴』は次いで私の存在に気付いて此方へと歩み始める。その表情は明らかに激昂していた。

 

「ちっ……腹立つ位美形なこったな。畜生……!!」

 

 薄暗い中でも輝いて見えそうな鮮やかな黄金色の髪だった。美女神の寵愛を一身に受けたような端正な顔立ちは下手すると美女のようで、その美しさと神々しさは額から血を流しても尚、健在だった。そんな少年が怒りと屈辱に顔を歪めてハンドブラスターの銃口を私に向ける。

 

「俺の驕りのせいだな。キルヒアイスが殺られるとは……貴様らが銀河帝国亡命政府等という浅ましい組織に属しているのは知っている。宮廷に独自の繋がりがある事もな。という事は俺達の命を狙うように宮廷の何者かに要請でもされたのか?その傷では助かるまい。素直に話せば楽に死なせてやるぞ?」

 

 冷淡な表情で少年は疑念を尋ねる。そりゃあそうだろう。同盟軍人にして将官たる私が態態一少佐を付け狙い要塞内で追い掛けっこをしていれば訝りもする。私が誰かと繋がっているのではないかと考えるのは可笑しくない。

 

「………」

 

 私は指が欠損して震える手で横腹に触れる。ぬるりという感触と激痛を感じた。はは、こりゃあ中身が少し出ているな。確かにこの状況じゃあ助からねぇ。

 

 私は口元を強く結んでゆっくりと視線を上向ける。ラインハルトはそれで私の意志を理解したらしい。首を小さく横に振る。

 

「答える気はない、か。ならば良い。貴様はそこでゆっくり苦しんで死ぬが良い」

 

 そういって悪鬼のように美貌を歪ませる未来の大英雄様。こりゃあ……駄目だな。逃げようがねぇ。

 

(私が死ぬのは良いが……)

 

 ちらりと私は床に倒れる従士の亡骸に視線を向ける。私の愚かな賭けに彼女らを付き合わせた結果がこれか……漁夫の利を狙って介入して、結局仕止められたのは半身の方だけとは。収支としては大幅黒字なのだろうが、私個人として失ったものは余りに多すぎる。私だけが死ぬなら兎も角彼女達までとは。

 

(済まない………)

 

 私は心の中で深く、深く謝罪の言葉を呟く。二人には最初から最後まで迷惑をかけてしまった。ましてや私のためにその命まで散らさせてしまった。余りに私のためには勿体なさ過ぎる従士だった。

 

「げぼっ…だが……せめて………!!」

 

 口から赤黒いものを大量に吐き出して、私は最期の力を振り絞ろうとする。ベアトが引き抜こうとしていたハンドブラスターに手を伸ばした私はその銃口を背を向けて赤毛の少年の死体を抱き抱える金髪の孺子に向ける。ベアト達は命を以て片腕を仕留めたのだ。私も義務を果たすべきだろう。赤毛の片腕がいないとは言え、運命の女神は残酷だ、暗殺から奴を助ける者が別に見繕われないとは限らない。残された家族と家臣のために不安要素を極力排除しなければならなかった。

 

「く、た……ばれ……き…んぱ………おげっ………!!?」

 

 再度大量の血を吐き出した私は急に全身の力が抜けてしまった。引き金を引く直前だったハンドブラスターは床の血溜まりに落ちて、感覚を失った手がその上から力なく落ちてくる。

 

「ま、まぢか…よ……!?じょ…だん、だろ!!?ぐぞ……!!あ……あどい、いつ…ぼ…ごぼっ…なの…に………!!」

 

 血を吐きながら、その血が肺に入るのも最早気にせず私は叫ぶ。視界がだんだんと暗くなり、全身が冷たくなっていくのを感じる。急速に孤独感と恐怖が私の精神を支配し、同時に情けなさに私は涙を浮かべる。

 

(畜生……!畜生……!ここで終わりかよっ!こんな形で終わりなのかよ………!!?)

 

 結局、最期の最期まで私は情けなく、みっともなく、締まらない人間だった。あるいは奴が運命に愛され過ぎているのか。どちらにしろ、私がもうお仕舞いである事に変わりはなかった。

 

「……ぐ…いや、だ……じ……じにだぐ、ない、…いだい…いだ、い………ざむ、い……だす…け……」

 

 血と涙を一緒に流しながら私は嘆き、助けを求める。しかしいつもならいの一番に助けてくれるその相手が既に死んでいる事を思い出し一層絶望と孤独感を覚えて、私は更に絶望する。

 

「う、うぐ…いや、だ……いや……い………べあ……」

 

 感覚の消え行く身体を芋虫のように動かして、私は直ぐ傍に倒れる彼女の亡骸に手を伸ばす。最早彼女が返答をする事も、ましてやその身体に温もりがない事も百も承知していた。

 

 それでも私は彼女に向けて残り少ない命を削ってでも近寄る。それだけが……そう、それだけが私が体験する恐ろしい程に痛くて、孤独で、寒くて、苦しい自身の生命の終わりに際して自らの恐怖を誤魔化せ、その意識を逸らせる目的であったから。そして……そして…………。

 

 

 

 

「うう……いたい…いたい…さむい……いたい……こわい…こわい…こわい……!!」

「あっ、んんっ……!?わ、若様……流石にそれは痛いです……」

「………えっ?」

 

 寝惚け半分にがしり、と力一杯に温かくて、柔らかくて、心地よい香りに誘われてそれに爪を立てて顔を埋めるように抱き締めているとそれは、いや彼女はそう艶めかしくも困ったような声を上げて苦言を漏らした。そして、それによって私は現実の世界に戻された。

 

 ぐずった赤子のように顔を赤くして、涙目の、ひしゃげたような表情で私は片方しかない目を見開く。目の前にあったのは黄金色の髪だった。鼻腔に感じた心地よい香りは次第にはっきりとして来てそれが甘味のある柑橘系の香水のそれである事に気が付いた。

 

 顔を上げれば半分しかない私の視界は此方を見下ろす彼女の顔を映し出した。同時に私は気付く。自身がベッドの上にいて、従士の膝枕に乗り上げる形でその腹部に顔を埋もれさせていた事に。彼女の軍服の腹部や膝は涙やら鼻水やらではっきりと分かる位にぐちょぐちょに汚れていた。

 

「若様……大丈夫で御座いますか?何か悪い夢でも見ましたか……?」

 

 目の前の従士は私を見下ろしながら心底心配そうな表情で尋ねる。

 

「ベア、ト……?ほ、本当にベアト……だよ、な?」

「?はい、ベアトはここにおりますよ?」

 

 私が確認するように尋ねれば僅かに怪訝な表情を浮かべて、しかし直ぐにいつも通りの温かい笑顔で微笑む幼馴染み。

 

「そうか……そう、か…………ゆめ?ゆめ、だったんだな……?」

 

 私は安堵の溜め息を漏らし身体を崩す。しかし、直ぐにまた全身に凍えるような寒気を感じて私は再度彼女に抱きついた。

 

「あ……あぁ……あ…あ………あああぁぁぁああああぁぁ…………!!??」

 

 そして今度こそ子供のように泣き出した。恐らくこの姿を第三者が見ればドン引きされる事間違いなしであろう。良い歳した大人がいきなり女性にしがみつき、奇声を上げるかのように号泣しているのだから。

 

「ふっ、んんっ……若様、御安心下さいませ。ベアトはここに居ります。いつでも若様が御望みとあれば馳せ参じますし、御要望があればどのような事でも承ります。ですのでどうぞ落ち着き下さいませ」

 

 少しむず痒そうにしながらも優しく、慈愛に満ちた声で、従士は自身の腰に縋りつくように抱き着いた主人である私を慰める。いや、頭を撫でて、背中を摩るその姿は母親が赤子をあやしているようにも見えたかも知れない。何方にしろ、私の姿はみっともなく映った事であろう。

 

 それでも尚、私は恐怖に打ち震えながら彼女の膝に乗り上げて、彼女の胸元に顔を埋めるように抱き着いて打ち震え続けていた。今は少しでも人肌の温もりが欲しかったし、慰めの言葉が欲しかった。何よりも彼女が、ベアトが生きているという確証が欲しかった。

 

「ひくっ……そ、そうか……ひっ……そうか……はぁ、夢、か。あれは……本当に夢だったんだな……?」

 

 どれくらい経っただろうか?号泣し続けて泣き疲れた私はベアトに抱き着きながら何度も呟き、確認する。それはどちらかと言えば自身に言い聞かせるための言葉であった。余りに現実的な夢は、私にそれが本当に夢なのか現実なのかを混乱させていた。だからこそ、私は五感を総動員して今こそが現実なのだと何度もしつこく確認する。

 

「となると、ここは………」

 

 心を落ち着かせてから、私は尋ねる。従士は恭しく返答の言葉を口ずさむ。

 

「『ヘクトル』の医務室のベッドで御座います。……失礼ながら、お眠りになる前の事は覚えておられますか?」

「あぁ、問題ない。……済まないな、離れる」

 

 そう言って、しがみついていた左手と身体を彼女から離そうとする。しかし……それはベアト自身の両手によって止められた。

 

「ベアト……?」

「御無理なさらないで下さいませ。まだ顔が青いですし、手も震えております。もう少し横になられた方が良いかと」

 

 心底心配そうに従士は私にそう勧める。

 

「……そう、だな。じゃあもう少しだけ休憩させて貰おうか?」

 

 私は彼女の言に従い、再度うつ伏せの体勢でその膝枕に顔を埋める。埋めた上で目を閉じて呼吸を整え、考えを纏めていく。

 

「……テレジアの姿が見えないが、どちらに?」

「二人共抜ける訳にも行きませんので……ノルドグレーン大尉とは交代で職務を遂行しております」

「そうか……。世話をかけるな」

 

 ベアトの返答に、私は一応確信はしていたがテレジアが無事な事に安堵の溜息を零した。一方、私の声に「いえ……」と返答したベアトは、次いで迷うような仕草をして、しかし覚悟を決めたようにおもむろに口を開いた。

 

「……若様、恐縮ながら私なぞには若様のお考えを全て理解する事が出来ません」

「………ベアト?」

 

 私はゆっくりと目を開き、無言で彼女を見上げた。沈黙に、ベアトは何か憂いの表情を浮かべ、しかしそれを直ぐに消し去って続ける。

 

「当然ですが、若様がその点について御説明を好まぬのでしたら私めも言及は致しません。唯、御命令さえ頂けたなら万難を排してお望みのままに致しましょう。ですから……」

 

 何処か頼み込むように、そして願うように彼女はその先の言葉を紡ぐ。

 

「ですから……、必要でしたらいつでも御頼り下さいますよう御願い致します。どうか、御一人で苦しまれる事なきよう」

 

 少し寂しげな、しかしやはり慈愛に溢れた微笑みを浮かべての言葉であった。

 

「……そうだな。じゃあ、さっきみたいに優しく頭を撫でてくれないか?出来れば子守唄も頼みたい。職務復帰の前に、過労対策としてリラックスでもしたくてね」

「……承知致しました」

 

 暫し沈黙した後に、私の口にした頼みを彼女は嬉しそうに応えてくれた。まるで私の全てを肯定しようとでも言う態度である。

 

 実際ベアトの動きにためらいは無く、次の瞬間には私の頭を再度優しく、愛しげに撫で始め、静かに子守唄を口ずさみ始めた。プラームスの子守唄であった。同時に極自然に差し伸べられたベアトの手は気付けば私の左手に重ねられて指一本一本まで絡め合わせる。所謂恋人繋ぎであった。

 

(………さて、どうするべきかな) 

 

 ベアトの世話になりながらその膝で横たわる私は、穏やかな子守唄をBGMとして項垂れつつ、気絶させられる直前の事を思い出す。そして心を落ち着かせて考える。

 

 ……恐らく、十中八九あの駆逐隊にあの忌々しい金赤コンビがいたのは間違いない。あんな事が出来るのがそう何人もいては堪らない。

 

(原作から外れているから今回は配属されていないかもと思ったが……ふざけやがって、何だよあれは!?寧ろ強化されてやがるじゃねぇか……!!)

 

 現状奴らの階級が何なのかは不明だ。原作では確か少佐で、帝国軍において駆逐隊司令官は通常少佐、駆逐艦艦長は少佐ないし大尉と定められているのでその辺りだとは思うが……どちらにしろあの戦果だけでも昇進は確実だろう。糞ったれ、折角奴らをヴァルハラの面食い戦乙女共に明け渡す機会が……!!

 

 まさか、あんな事になるなんて思ってもなかった。六万隻を手玉に取るなぞ……しかもだ、士官学校に通った者であれば普通に考えてあれ以上深入りなぞ考えもしないだろう。余りに鮮やか過ぎて元から待ち伏せていたと考えても可笑しくない。別の罠の存在を恐れて様子見するのが定石だ。当然ながら私なんかではシトレ大将やエリートな参謀方に全力追撃なんていう悪手な提案をし、しかも賛同を得る事なぞ不可能だった。

 

 加えて参謀長ならいざ知らず、私は一介の参謀に過ぎず形式的には一兵、一艦すら指揮する権限はない。何よりも時間がなかった。故に亡命政府の影響が強い第六艦隊や第四機動戦闘団に通信を入れようとしたのだが……まぁ、今となって思えば通信したとしてもあんな命令を聞いてくれるか怪しい所だった。

 

(結局、周囲から顰蹙を買っただけ、か)

 

 今更ながら自分の行動を呪う。お陰様で医務室で寝込む事になってしまった。

 

「……医務室の静けさを見るに、戦闘は……まだ始まっていないのかな?」

「両軍共に戦列を整えて相対している所で御座います。恐らくは今頃戦闘艇による制宙権確保の小競り合いが生じている頃かと」

「じゃあ、本当にもうすぐだな」

 

 持って後数時間か。ならばそろそろ退院しないといけないな。私に出来る事は少ないにしろ、何もせずにベッドで寝続けるのは外聞が悪過ぎる。

 

「……流石に遠征中ずっと医務室って訳にはいかないよなぁ。後一時間位したら職務に復帰するとするかね?」

「その前に若様に始末書の提出が通達されていますが……」

「えっ!?マジ?」

 

 ベアトからの一言に私は心底げんなりとする。うーむ、自業自得ではあるが………。

 

「……急にやる気がなくなってきたな。もうこのままヘイト集めるの覚悟で戦闘が終わるまで仮病していた方が良い気もしてきたぞ……?」

「若様がお望みであればその通りに対処致しますが………」

 

 私のぼやきに、心配そうにベアトは答える。いや、冗談だからな?

 

「本気にしなくても良いからな?余り甘えてばかりは不味いのは私も分かっているさ。まぁ、今だけはもう少し休んでおきたいけど、ね……?」

「えっ……きゃっ……!?」

 

 次の瞬間、半分悪ふざけでそのまま膝枕してくれているベアトを左手で押し倒して上下逆転した。僅かに驚いた表情を浮かべたベアトは次の瞬間目と鼻の先にいる私を見上げた。その表情は困り顔だ。

 

「若様、流石に今この場所では……」

「少しじゃれただけだ。本気にするな」

 

 そういいつつ、私は当然の権利のように彼女の白磁のような頬に触れ、彼女もまた当然のようにその行為を受け入れた。私も別にこんな場所で始める程放蕩ではない。私も時と場所位は考える。唯……。

 

(温かいな……)

 

 左手から伝わる温もりに改めて安堵の溜息を漏らす。

 

「ベアト」

「は、はい……何で御座いましょう?」

「………いや、何でもない」

 

 首を傾げるベアトの頭を理由もなく撫でる。何処かくすぐったそうに、しかし微笑みながら、優しそうにその行為を受け止める従士。その姿を見ながら私は考える。

 

(本当に……夢でよかったな)

 

 これまでの経験のお陰か、あの光のない瞳も、冷たい身体も、嫌な位リアルだったせいで思い出すだけで私の体は震える。

 

「っ……!!」

 

 私は頭を振って、先程の夢を忘れようとする。しかし、そうしようとすればするほど先程の夢の記憶がこびりつくように思い出せてしまう。本当に忌々しい。

 

「若様……?」

 

 私の心境の機微に気付いたのか、身体を震わせて少し怯えるベアト。その姿に私は気まずさを覚え、次いで可愛らしく思い、しかし若干の苛立ちを覚えていた。彼女が私の焦りと恐怖と絶望を完全に共有は出来ない事は分かっていたから。……無論、この考え自体八つ当たりに過ぎないが。

 

「………」

 

 私はその瞳に怪しい光を映しながら視線を下に移動させていく。潤んだ瞳、柔らかそうな口元、白く細い首にその下の膨らみから引き締まった腰、腹の部分までの布地は濡れていた。私の涙と鼻水によるものだった。その事に、私はそれが下劣な感情だと理解しつつも優越感と満足感を感じていた。

 

「ベアト……」

 

 愛らしくその名前を口ずさみ、私はその豊かな黄金色の髪を弄んでいた手を下にゆっくりと下ろしていく。頬から首に、肩口から横腹……同時に私は首を下げる。こつん、と額同士が当たった音がした。互いの吐息が良く分かった。

 

「わか……」

「大丈夫だ。唯じゃれてるだけだから、な?」

「あ……う………」

 

 不安そうな、しかし熱に魘されたように頬を赤くして、瞳を潤ませて、子犬のような哀れな視線を向ける彼女の姿に私は黒い、黒い欲望の炎が灯る。確かに自分が『これ』を髪の毛一本まで『所有』しているのだという事実を再確認し、歪んだ安心を覚える。きっと彼女は今『所有者』たる私が望めば、最後までそれを受け入れてしまうのだろう。その上で全身全霊を以て奉仕してくれる事だろう。その事に独占欲が燃え上がる。

 

(そうだ。奴らにくれてやるものかよ……!!)

 

 私も、私の所有物の命も、故郷も家族も、何一つとしてあの孺子共にくれてやるものか。寧ろ奪ってやる。そう、奴らからあらゆるものを。そうでなければ、そうでなければ私は……私は………!!

 

「ゴトフリート中佐、どうだ?ティルピッツの方は目覚めた、か……?」

 

 堂々と扉を開いてホーランドが見たのは、丁度従士に覆いかぶさって加虐的で悪役的な笑みを浮かべていた糞貴族……つまり私だった。

 

「……」

 

 私は表情を凍り付かせて、ゆっくりと半開きの扉の方向を振り向いた。この状況に何処か既視感があった。具体的には一六七話位前に。

 

「……取り込み中に邪魔したな」

 

 真顔でそっと扉を閉めるホーランド。そっ閉じである。尚、一緒にいたテレジアの瞳からはハイライトが消えていて、コープは蔑みしかない表情で舌打ちしていたのを追記しておく。

 

「いや、ちょっと待ってえぇぇぇ!!?」

 

 私はベッドから飛び上がると半泣きで弁明を開始したのだった……。



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第百七十八話 仕事中は公私を分けて働こう(後書きにイラスト等あり)

本話開始時点での展開図


【挿絵表示】



 宇宙暦792年、帝国暦にして483年五月六日0630時、イゼルローン要塞前面に展開した自由惑星同盟軍イゼルローン要塞遠征軍は要塞駐留艦隊に向けて全軍を以て微速前進を開始した。

 

「司令官、総司令部からの通達です、『勇者達は気分屋な虚空の女神に求婚せり』!」

「始まったか……!」

 

 第四艦隊旗艦でもあるアイアース級旗艦級戦艦『レオニダス』艦橋にて、その通信を受けとったオペレーターが叫ぶ。第四艦隊司令官ドワイト・グリーンヒル中将はその報告に険しい表情で頷くと、前衛部隊たる第二分艦隊に前進を命じた。同様に五艦隊においてもアレクサンドル・ビュコック中将の命令を受けたラムゼイ・ワーツ少将率いる一個分艦隊が整然と隊列を整えて前進を開始する。

 

『第九二独立空戦隊は全機発艦を完了した。続いて第三四、六八、六九、一一三独立空戦隊も周辺宙域の警戒及び制宙権確保のためただちに発艦を開始せよ』

『イゼルローン要塞攻略作戦「マリアージュ」の発令を確認。現時点を以てオペレーションはフェーズ・ツーに移行する。全軍第一級戦闘態勢!』

『0635時を以て機密保持・通信処理容量確保のため遠征軍全部隊における全ての通信はレベル・ファイブクラス秘匿暗号通信に限定する。以後、私用通信は原則として厳禁とする』

『全部隊の戦略・戦術データリンクシステム接続を確認!最前衛第三八戦隊、及び五五戦隊は紡錘陣形での突入を開始します。……じゃが芋野郎共に一泡吹かせてやれ!』

 

 まさに戦闘の秒読みに入った同盟軍全部隊間における通信量は飛躍的に増大していた。そして同時に第一級戦闘態勢に移行した事でその通信はランダムで周波数が変更され、なおかつ高度に暗号化されたがためにその内容の特定もまた帝国軍にとっては困難となる。しかし、そこは帝国軍の精鋭たる要塞駐留艦隊の司令部である。現状、把握出来る同盟軍の動きのみで凡そその狙いを看破して見せる。

 

「格闘戦に特化した戦闘艇部隊が散開しておりますな。此方の肉薄攻撃を警戒しているのでしょう。この分では雷撃艇による近接戦闘は不可能でしょうな」

「反乱軍は二個分艦隊相当の戦力を先鋒に突入を開始しました。更にその中から二個戦隊が急速に前進しております」

「急速に突入してくる二個戦隊は陽動でしょう。其方に攻撃を集中させた隙に前衛二個分艦隊の主力が中距離まで進出してくる積もりと思われます」

 

 帝国軍の精鋭たるイゼルローン要塞駐留艦隊の旗艦……重厚な装甲と強力なエネルギー中和磁場を保持し、一個戦艦隊に匹敵する火力、何よりも指揮通信設備が充実したヴィルヘルミナ級旗艦級戦艦『タングリスニル』の艦橋にて、参謀達はスクリーンに映る敵軍の動きをそう説明する。

 

「とは言え、突出する敵を無視も出来ぬ。此方が放置すれば奴らは嬉々として肉薄してこよう。第三悌団に突出する二個分艦隊の対応に当たらせよ。本隊は敵第四・第五艦隊を牽制する。総員、艦隊戦用意……!!」

 

 銀色を基調としたロココ風の装飾の為された司令官専用の座席に深く座り込んだ中年の痩せた男が叫ぶ。ヘルムート・フォン・ヴァルテンベルク大将は権門四七家には劣るものの第三代皇帝リヒャルト一世美麗帝の治世より続く名門貴族家の当主であり、同時に最早絶滅危惧種に近くなった最前線で軍功を重ねた実戦派の貴族将校でもある。七年前の第四次要塞攻防戦ではその終末期において第一一艦隊の側背を強襲する事で全軍の勝利に貢献した。猛将に類するために戦略面では多少不安があるものの、無能からは程遠い。

 

 両軍は共に微速で前進した。それは互いに相手の間合いを警戒しているようでもあった。互いに一発のビームもミサイルも撃たず、整然と並んで行進する様はまるでマスゲームのようにも思えた。しかし、そのような静けさはいつまでも続かない。演目が始まるのは文字通り直ぐそこに迫っていた。

 

「ファイエル……!!」

 

 0645時、ヴァルテンベルク大将はその手を重々しく振り下ろした。ほぼ同時にやや弧を描いた陣形を展開していたイゼルローン駐留艦隊に所属する戦艦部隊が一斉にその主砲を斉射した。数万もの青白い光条がスクリーンを埋め尽くさんばかりの光点に殺到する。

 

 銀河帝国の標準戦艦、その主砲たる大口径の中性子ビーム砲は砲門数六門、最大射程三〇光秒と同盟軍標準型戦艦の八門二五光秒に対して射程にて勝る。故に帝国軍は同盟軍に対して先手を打つ事は理論上は可能である。

 

 とは言え、光秒単位での距離が離れ両軍が高速で移動している以上、長距離で砲撃戦をした所でその損失はたかが知れていた。

 

 事実、前衛部隊に到達した砲撃の嵐は、しかしその大半が回避されるかエネルギー中和磁場で弾かれる。不運な艦艇が数十隻程爆散して短命な小太陽を生み出すが、その程度の損害は想定内であった。

 

「前衛第四・第五艦隊、反撃せよ……!!」

 

 同時にその射程内に入った同盟軍前衛艦隊の標準型戦艦が、シトレ大将の宣言と同時に報復の砲撃を開始した。数倍はあろうかという砲撃の雨を、しかし帝国軍の標準型戦艦は、その巨体に相応しい頑強な中和磁場でエネルギーの奔流を悠然と受け止めた。

 

「前進だ!!前衛の戦艦は中和磁場の出力を三〇パーセント上げろ、接近すればビームのエネルギーは収束する事を忘れるなっ……!!巡航艦!射程に入り次第戦艦の影から支援砲撃を開始せよ!!」

 

 殆んど損失の出ない戦艦同士の砲撃戦に巡航艦が参戦するのは両軍間の距離が二〇光秒から一五光秒に差し掛かった時であった。所謂中距離砲撃戦である。ここからが両軍にとって重要な局面だ。

 

 同盟軍駆逐艦の有する光子レーザーの最大射程は一五光秒前後、帝国軍駆逐艦の持つ電磁投射砲の有効最大射程は約一〇光秒である。両軍艦艇の六割を占める駆逐艦を如何に有効活用するか。これが通常の会戦であれば帝国軍は接近戦の機会を窺い、同盟軍は等間隔を継続して火力の優越の維持を図るのがセオリーだ。

 

 しかし同時に、イゼルローン要塞における攻防戦においては同時に帝国軍は同盟軍との距離を保たねばならず、同盟軍は逆に大火力に曝されるのを承知して接近戦を仕掛ける必要に迫られる。ここに両軍にとってのジレンマが生まれる。

 

 帝国軍が同盟軍を要塞主砲射程圏まで引き摺りこむには味方撃ちを回避するためにも中距離を維持する必要がある。一方、同盟軍からすれば要塞主砲を封じるには損害が激しくなる近距離まで詰めなければならなかった。それは特に帝国軍に比べ人命を重視する同盟軍にとってその選択は極めて厳しい判断であったが……。

 

「構わん!損害は気にするな、ひたすらに前進せよ……!!」

 

 前衛集団たる第四艦隊第二分艦隊司令官アップルトン少将は声を枯らして叫ぶ。軽装編成たる第四艦隊において最も戦艦の比率が高く、また練度が高いが故に第二分艦隊は前衛部隊として常に第四艦隊の前衛であり、要として機能していた。司令官の奮起の叫びに応えるように帝国軍の激しい砲撃の応酬を前にしても、第二分艦隊は前進をし続ける。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「むっ!止まらんのか……!?」

 

 第三梯団を指揮する老将エイルシュタット少将は思わず呻吟を漏らした。その言葉への返答は同盟軍駆逐艦の突進と主砲三連射であった。

 

 戦艦を盾にしていた駆逐艦部隊は近距離戦の間合いまで詰めると、一気に全速前進で吶喊して砲撃を開始した。瞬間的に火力が増強された事で対応していた要塞駐留艦隊前衛を務める第三悌団は傘下の艦艇が次々と撃沈されて悲鳴を上げる。そこに第四艦隊の他の分艦隊も参入すれば一気に宙域は屠殺場に変貌した。無論、接近戦は第四艦隊にも少なからずの犠牲を強いるが同盟軍は気にする素振りも見せなかった。

 

 要塞駐留艦隊の四倍から五倍近い戦力を叩きつけた理由は正にこのためであった。要塞駐留艦隊との近距離戦で大損害を受ける事を想定し、それでも尚その抵抗を押し倒すためにはかつてない大軍の投入が必要だった。単艦には分隊を、分隊には隊を、隊には群を、群には戦隊を、戦隊には分艦隊を……物量の手数で圧倒する事で艦隊戦で撃ち負けるのを回避するのが総司令部の示した冷徹な方針であった。

 

「ぬぅ……反乱軍め、何と無茶な戦いを……!!」

 

 同盟軍の猪突猛進とも言うべき突撃は完全に帝国軍前衛部隊の意表を突いた。エイルシュタット少将は軍歴四〇年を超える宿将であったが、それ故に同盟軍は損害を厭うという固定観念を抱いていたのだ。

 

 そして、その固定観念が同盟軍の突進への対処を遅らせた。同盟軍の損害を度外視した突撃は、帝国軍が後方の駆逐艦を前進させる機会を奪い去った。帝国軍前衛部隊は戦艦と巡航艦を後退させ、駆逐艦を前進させようとするが激しい砲火の中で隊列が混乱する。

 

「やむを得ん、駆逐艦の前進は諦める。電磁砲の斉射は取り止め後方からミサイルによる支援のみをやらせよ。……この戦力差では正面から撃ち合いを続けても消耗するだけだ。戦艦は温存し巡航艦には防空任務に集中させよ」

 

 エイルシュタット少将はこの場で最善の命令を下すが、だからといって戦局が好転するとは限らない。次の瞬間には第三梯団旗艦『インターラーケン』のすぐ傍を航行していた戦艦『アルプナッハ』が一個駆逐隊の集中砲火を受けて爆散した。爆発の衝撃が『インターラーケン』を激しく揺らす。

 

「ぬぅ……!反乱軍め!!」

「想定以上に敵前衛部隊は頑強なようです。我ら第三梯団のみで抑えるのは難しいかと……!」

 

 付き人でもある副官がエイルシュタット少将に向けて進言する。実際、同盟軍第四艦隊第二分艦隊及び第五艦隊第三分艦隊は帝国軍の艦列に殴り込みをかけるために熟練指揮官とエース艦長を可能な限り集めており、その士気と練度は両艦隊においても随一のものであった。

 

「あの乱れた艦列を見ろ、チャンスだ!全艦に通達、我が戦艦群はこれより敵の懐に突撃するぞ……!」

 

 全軍の先頭の更に先頭に位置する第四艦隊第二分艦隊第三八戦隊、その副司令官にして第三八戦艦群司令官グエン・バン・ヒュー大佐は獣のような雄叫びを上げて宣言する。同盟屈指の名家たるグエン家に名を連ね、士官学校では三大花形研究科の一つ艦隊運用統合研究科に加入し席次一一三位という上位で卒業した男は、しかし本人の外見はそのような知的な一面は全く見えなかった。

 

 グエン大佐の乗り込む戦艦群の旗艦『カリュドーン』は六万隻の艦隊の文字通り先頭に立って帝国軍の戦列に躍り込んだ。主砲も副砲も乱射しまくり帝国軍第二三三巡航隊所属の『オストアルプⅤ』と『エスリンゲン』を一撃の下に粉砕すると、そのまま正面に立ち塞がった駆逐艦『カッセルⅨ』を主砲三連斉射で撃破する。

 

「はっはっは!いいぞ!どっちを向いても敵ばかりだぁ!狙いなぞつけんでいい!撃って撃って撃ちまくれ!!撃てば敵に当たるぞ!!精魂果てるまで撃ちまくれ……!!」

 

 サイオキシン麻薬でもキメているのかと錯覚する奇声を艦橋で上げるグエン大佐。『カリュドーン』の二割の勇気と八割の狂気によってこじ開けた間隙に後続の艦艇が突入しその亀裂を更に拡大させていった。

 

「他艦に遅れを取るな!我々も行くぞ!」

「士官学校出身の若造共に負けられんわ、我らも突撃だ……!」

 

 同じくエース艦長にして第二三〇六駆逐隊司令官のマリノ少佐、第六八四巡航隊司令官ラルフ・カールセン中佐等がグエン大佐に続いて部隊を率いて第三梯団の懐で縦横無尽に暴れ始める。瞬く間に第三梯団所属の第三六五戦隊は旗艦『トリーア』が周囲の護衛艦もろとも撃沈、司令官ルーテルボルク准将以下司令部が全滅して半身不随状態に陥った。

 

「既に第三梯団の損耗率は二割近くに達しております。既に最前列は突出した反乱軍との混戦状態に陥っている模様です」

「むぅ、エイルシュタット少将程の宿将が、これ程あっさりと劣勢に陥るとは……」

「数が違い過ぎるのだ。幾ら少将でも数倍の敵と正面から戦うとなればこうもなろう」

「増援部隊を送るべきでは?」

「増援だと?そんな余裕がどこにある?我らが一個戦隊を送れば奴らは一個分艦隊を送り付けて来る。せせこましく戦力を投入しても消耗戦に陥るだけだぞ?そして総戦力で我々は劣勢だ」

 

 最前線で苛烈で熾烈な戦いが続く中、要塞駐留艦隊司令部ではスクリーンを見ながら参謀達が議論を重ねていた。

 

「……エイルシュタット少将からの増援要請は来ているか?」

 

 豪奢な椅子に腰がけたヴァルテンベルク大将が通信士に向けて尋ねる。

 

「……御座いません」

 

 通信士は、一度確認作業を行った後、重々しく答える。

 

「司令官、これは……」

「うむ、エイルシュタット少将は古風な武人だ。この状況で増援の要請はするまい」

 

 ヴァルテンベルク大将は厳しい表情を浮かべる。大将は第三梯団司令官の意図を既に理解していた。

 

 この圧倒的戦力差である。尚且つ要塞近縁に近づくまで隠密行動していたとなればその戦略は第三次攻防戦と同様のものであると想定出来る。要塞駐留艦隊を大戦力で粉砕、そのまま後退する要塞駐留艦隊に紛れる形で要塞に肉薄・揚陸する積もりであろうと思われた。

 

 であるならばここで援軍を送るのは悪手である可能性があった。寧ろ帝国軍にとって最も最善の手段は……。

 

「エイルシュタット少将は自軍を殿にする事で我々の後退を支援しようとしているのだろうな。少将らしい考えではある」

 

 第三梯団を無理に回収しようと前進した所で並行追撃に持ち込まれるだけ、ならば第三梯団を殿にする事で反乱軍との距離を維持した方が良い。

 

「閣下……!」

「この戦力差ともなれば多少の犠牲はやむを得ん。無論、そのまま見捨てる訳にはいかぬが……第三梯団以外の部隊はゆっくりと後退させよ。距離を取ってから長射程の戦艦部隊を最前列に展開し前衛の第三梯団を支援するのだ。急げ!」

 

 ヴァルテンベルク大将は主力部隊を後退させつつも、射程の長い大型艦を前に出し砲撃を行わせる。それにより第三梯団を援護し事態の変化を待ち、かつ第三梯団の救援の機会を窺おうとした。その戦略方針自体は間違ってはいない。

 

「帝国軍主力部隊、戦略パターンEに基づいた行動を開始しました!」

 

 ……しかし、それは同盟軍が長年かけて研究し、想定していた行動予測の範疇を越えぬものであった。通信士の報告に『ヘクトル』艦橋では浮足立った参謀スタッフ達が歓声を上げる。

 

「今の所は上手くいきそうですな」

 

 レ中将が重々しい口調でシトレ大将に向けて呟く。

 

「うむ……、前衛部隊の損失はどうだね?」

「第五艦隊第三分艦隊の損失は一割程度ですが……近接戦を行っている第四艦隊第二分艦隊は敵主力からの支援砲撃を集中して受けている事もあり、かなりの損失を受けています。既に戦闘不能艦は三割に達したかと……」

 

 シトレ大将の質問に次席副官アッテンボロー中尉が答える。

 

「予想はしていたが中々の損害だな……第四艦隊に通達、次の段階に移れとな」

 

 腕を組んで苦虫を噛んだシトレ大将は、次の段階に移るように命じる。0840時、同盟軍の最前衛を預かる二個分艦隊はその損害……特に物資の消耗と人員の疲労からその動きを鈍らせた。

 

「今だ!!全軍反転攻勢に出ろ!!対艦ミサイル斉射、反乱軍の足を止める!!第三梯団の退避を支援しつつ反乱軍を要塞主砲『雷神の槌』射程内まで引きずり込むぞ……!」

  

 0850時、同盟軍の動きの鈍さに気付いたヴァルテンベルク大将は前衛第三梯団の回収と共に反乱軍に打撃を与え、挑発しようと目論んだ。大将の命令と同時に要塞駐留艦隊に所属する全艦艇は総計十万発に及ぶミサイルを発射する。

 

 これに対して慌てたように同盟軍駆逐艦が前進して防空レーザーによる迎撃を開始する。そしてその隙を突くように半壊しつつあった第三悌団は反転後退を実施した。

 

「後方の反乱軍には構うな!本隊の戦艦部隊が支援砲撃をしておる、その間に距離を稼ぐのだ!!……部隊の残存戦力は如何程か?」

「梯団の損害は四割に上ります。物資も相当に消耗し、これ以上の戦闘継続は困難でした。反乱軍が先に動きを鈍らせたのは幸いです……!」

 

 副官がエイルシュタット少将の質問に答える。第三梯団の消耗率は既に相当な水準に達していた。正面の近距離から二個分艦隊と、更に後方から二個艦隊の支援砲撃を叩きつけられていた事を考えれば寧ろその損害は抑えられているとも言えるが……それでも到底無視出来る被害ではなかった。

 

 そして、損害以上に深刻なのは、梯団の疲弊であった。

 

「くっ!梯団の動きが鈍すぎる……!!全艦、陣形が崩れても構わん!一刻も早く戦域から離脱せよ……!!」

 

 その怠慢な動きからエイルシュタット少将は梯団の組織だった後退は困難であると悟り、個々の艦艇での後退を厳命する。最悪混乱の中で衝突する艦艇が出てくる可能性もあったがこの際は許容するしかなかった。本隊のミサイル攻撃で同盟軍の足が止まっている間に距離を稼がなければならない……!!

 

 ……だが、その行動すら同盟軍の想定範囲内の命令であった。

 

「今だ!第六艦隊は帝国軍の後ろに食らいつけ!」

 

 シトレ大将の叫び声と同時か、少し早く第六艦隊は動いた。

 

「小型艦は全速前進で対空迎撃を行う第一列を潜り抜けよ!混戦状態を作り出せ……!!」

 

 体重が激減したために声まで変質して逞しくなったように思えるラザール・ロボス中将の命令に従い、第六艦隊所属の巡航艦と駆逐艦は一斉に動いた。小回りが利き高速の巡航艦と駆逐艦は前方で大量のミサイルを迎撃し始めていた第四・第五艦隊の艦列を混乱する事なく擦り抜けて、撤退する帝国軍の最後尾に、一気に食らいついた。個々の艦艇で離脱するために艦と艦の間が広く開いていた第三梯団はあっけない程に易々と第六艦隊の浸透を許してしまった。

 

 

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「無理に沈めんで構わん!後方の帝国軍は小回りの利かん大型艦と疲弊した第三梯団のみだ!艦隊の間に潜り込めば碌に攻撃は出来ん!」

 

 第六艦隊は帝国軍第三梯団、更には浸透したまま進撃をする事で殿の戦艦部隊との混戦状態をも作り上げる。第三梯団は既に疲弊し、弾薬も消耗していた。本隊の戦艦部隊は物心両面で余裕はあったが戦艦の主砲は威力が高過ぎて不用意な近接戦闘は出来ない。故に一度懐に入ってしまえば帝国軍の最後尾は殆んど攻撃の選択肢がなかった。主力部隊もまた混戦状態に陥った最後尾を砲撃する事は出来ない。これで最後尾の帝国軍の動きは完全に封じられた。

 

「よし。敵本隊が第六艦隊に注目している今がチャンスだぞ!我々第四艦隊主力も敵艦隊に突入する!!」

 

 疲弊して後方に下がった第二分艦隊を除く第四艦隊もまた節約していた物資を使い速力を上げる。第六艦隊によって混在状態になった最後尾をどうするか戸惑っていた要塞駐留艦隊本隊に機動力を活かして側面に回りこみ突撃した。

 

「な!?は、早い……!!?」

 

 要塞駐留艦隊は混乱していた所を横合いから殴り込まれて一瞬壊乱状態に陥りかける。

 

「おのれ……!!全艦、撃ち返せ!思い上がった反乱軍を一隻も生かして返すな……!!」

 

 横合いから殴り付けられた第五梯団司令官ゼークト中将が声を荒げて反撃を命じる。側面の副砲で迎撃に出る帝国軍。勇猛な提督の指揮を前に帝国軍は短期的にではあるが持ち返す事に成功する。

 

 しかし、やはり一個悌団に対して四個分艦隊では分が悪すぎた。四倍の火力の差は指揮官の能力ではカバーしきれなかった。次第に限界に来た第五梯団の艦艇は砲火を浴びて爆散し、戦列に次々と穴が開く。更に後方からは第五・第七機動戦闘団、亡命政府軍も前進を始めていた。

 

「閣下!このままでは艦隊が分散されます……!!」

「おのれ反乱軍め……!!くっ、最早仕方無い。全軍、要塞まで全速力で後退せよ!」

 

 ヴァルテンベルク大将は苦渋の決断をする。

 

「しかし……これでは奴らの並行追撃を許す事に!」

「やむを得ん!このままこの場で堪え忍んでも数で圧倒的に劣る我々に勝機はない!」

 

 そして、艦隊の壊滅は要塞にとっても王手同然の状況であった。無敵の要塞なぞない。要塞主砲とて散開すれば決して多くない犠牲で要塞表面に肉薄出来る。イゼルローン要塞の難攻不落の神話は要塞そのものと艦隊、双方があるからこそ成り立つものであった。その片方が失われれば……!!

 

「それだけは避けねばならぬ!確かに我らが後退する動きを見せれば、奴らの並行追撃を仕掛けて来るのは明白だ。しかし、逆説的に言えば奴らも並行追撃のため我ら駐留艦隊を全力で叩き潰しはすまい……!」

 

 要塞駐留艦隊を撃滅したとしても、同盟軍は要塞に肉薄するまでに数発の「雷神の槌」を受けなければなるまい。薄く散開して接近したとしても最低でも一〇〇〇隻以上の艦艇を失う事になろう。それは同盟軍にとっても大きな覚悟を必要とする行為である。

 

 だが、要塞駐留艦隊がイゼルローン要塞に向けて後退すれば同盟軍はこれを完全に撃滅する事はないであろう。同盟軍からすれば駐留艦隊は大事な盾になりうる存在、態々自分達でそれを捨てる可能性は低かった。

 

「我々からしてもここで玉砕するよりも要塞に引きずり込む方がまだ勝機はあろう。要塞主砲は使えなくとも浮遊砲台と要塞空戦隊があれば彼我の戦力差をある程度は埋められる……!」

 

 それ故に、ヴァルテンベルク大将は後退の決断を選んだ。要塞に揚陸せんと同盟軍は要塞にレーザー水爆ミサイルを落とすかも知れないが、それとて要塞の防空能力、そして流体金属に四重の装甲を以てすれば相当の時間は守り切れると思われた。それならば……!!

 

「後で宇宙土竜共に笑い物にされるだろうな。おのれ反乱軍め、この屈辱必ずや晴らしてくれるわ………!!」

 

 ヴァルテンベルク大将は怒りに拳を強く握り締め、その余りの強さに手から流血する程であった。それは奴隷共の思惑に乗らされる事への怒りであり、同時に常日頃から互いを軽蔑し合う要塞防衛司令部の戦力に頼る事への恥辱によるものであった。

 

 だが、ヴァルテンベルク大将以下の要塞駐留艦隊司令部の幹部達も、気付かなかった。確かに要塞主砲を封じる上で並行追撃は悪手ではない。だが、六万隻の大軍による並行追撃そのものが壮大な囮に過ぎない事を……。

 

 

 

 

 

 

 ……ヴァルテンベルク大将が後退を指示して凡そ三〇分余りが経過していた。追い縋る同盟軍と抗いつつも後退する帝国軍……両軍の戦いは刻一刻と激しさを増している。そして漆黒の宇宙を無数の光条と爆発の光がいっそ神々しく照らし上げた。それは醜くも、芸術的な光景であった。

 

 

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 そして、『彼ら』はその光景をモニター越しに静かに、そして冷徹に鑑賞していた。いや、より正確にはモニターを凝視し続ける事で彼らの役割のための機会を窺い続けていた、と言えるかも知れない。

 

 ……そして、遂にその時が来る。

 

「よぅし、本隊の手筈は上々だな。さぁて、錨を上げろ!俺達も行くぞ……!!」

 

 戦艦『アウゲイアス』の艦橋の椅子にふんぞり返り、浮浪者のように好き放題に生やした髭を擦るキャボット少将は、獣のような獰猛な笑みを浮かべて命じた。同盟軍第八艦隊の後方に隠れるように展開していたミサイル艦とステルス揚陸艦、そしてそれらの護衛艦からなる混成艦隊はまるで群体で一つの生物のようの鮮やかに帝国軍の索敵網を擦り付けて突き進む。

 

「第五、第四艦隊の影に隠れながら要塞側面に回り込むぞ。各艦索敵網に掛らぬように散開、全速前進!勢いあまって暗礁宙域に突っ込んで爆沈するようなヘマはするなよ?」

 

 キャボット少将の言葉はまさしく杞憂であった。この別動隊に編入された部隊長や艦長は誰もが航海術において第一級のプロのみで固められている。ましてや何か月にも渡る厳しい訓練を経た彼らが砲撃も受けていないというのにそのような自滅をするなぞ有り得なかった。別動隊は第四艦隊と回廊暗礁宙域の間を滑るように走破する。その先頭に立ち先導するのは『アウゲイアス』だった。

 

「流石提督ですな。これ程の速度を出しながら帝国軍に気取られぬとは……」

 

 回廊の暗礁宙域と第四艦隊の僅かな間隙、そこにある帝国軍の小さな死角を凄まじい速度で潜り抜けて見せる艦隊を見て、改めて総司令部から派遣されたウィレム・ホーランド准将は感嘆の声を上げた。

 

 本遠征計画の成否を左右する別動隊の司令官キャボット少将は優秀な指揮官であり、艦隊機動において同盟軍でも五指に入る用兵家である事は間違い無い。だが同時に激情家であり、暴走しやすい人物である事も事実でそれ故にホーランド准将は総司令部から助言役と目付け役を兼ねた立場でこの『アウゲイアス』に派遣されていた。仮に作戦の中止ないし失敗によって総司令部が撤退を決めてキャボット少将がそれに従わない場合、その指揮権の剥奪と副司令官への譲渡を指示する権限を彼は与えられていた。

 

(優秀ではあるのだろうが……)

 

 能力面は十分ありながらも、その性格と気質から分艦隊司令官に甘んじ、かつ総司令部からお目付け役が派遣されるようなキャボット少将を一瞥するホーランド准将。同時に、その目付けとして派遣された自身はどういう目で見られ、どう認識されているのだろうか?等と似合わぬ事をふと考え、次いで彼は冷笑した。

 

(防御力の低いミサイル艦に足の遅い揚陸艦を中核とした別動隊、一個分艦隊でも差し向けられればまず助からんな。作戦が中止か失敗の時点でどの道助かるのは厳しいか……)

 

 見方によっては貧乏籤を引いた生贄要員に見えるかも知れない。無論、実際はそんな事有り得ないので悪く考えすぎているだけなのは間違いはない。仮にそうだとしても、成功時の功績や名誉と言ったリターンを考えれば悪くはない賭けだろう。ひと昔前の自分ならば不安も疑念も抱かずに堂々とこの職務を受け入れていた筈だ。

 

「私も柔になったものだな……」

 

 名誉や昇進よりも生きて帰りたい、生きて帰りまた友人達との日常を過ごしたいという思いが心の片隅にある事を自覚し帰化帝国系同盟人は苦笑を浮かべる。それこそあの帝国人の巣窟だった幼年学校や、出自や派閥でギスギスとしていた士官学校で学んでいた頃には思ってもいなかった事であった。自分自身で軟弱で甘ったれた人間になったものだと呆れる。呆れるが……。

 

「………ふっ」

 

 ふと、ホーランド准将は懐から手帳を取り出す。その中に止めてある写真を見つめ、笑った。いつぞや、士官学校での公開戦略戦術シミュレーション大会で惜敗した際に、反省会等と言い繕ってテルヌーゼンのビュッフェ形式のレストランでチームで食事をしていた時に撮った写真だった。士官学校の学生は半額キャンペーンだったせいでその日に戦ったコープ達のチームと鉢合わせしてしまい丁度双方が妖怪を見たような表情を浮かべている場面を運が良いのかスコットがカメラに納めてしまったのだ。コープは特に皿にケーキの山を載せていた事もあって放蕩貴族やホーランドと真正面から出くわして普段の態度からは信じられない程大慌てしている。

 

 ……そう言えばこの戦いが終わったらまたケーキ屋巡りに同行する約束だったか……そんな事を思い出して、尚更自分が随分と変わった事を思い知る。

 

「さて、約束を違えんためにも今回は勝ってしまいたいが…………これは本当に、もしかしたらもしかするかも知れないな」

 

 手帳を直し、ベレー帽を被り直して、スクリーンに映る映像を見つめたホーランド准将はらしくもなく上ずった声で呟いた。帝国軍の動きから見るに、彼らは本隊との戦いで精一杯で別動隊の存在を完全に見逃しているようであった。別動隊は要塞の索敵網をも潜り抜けて回廊の帝国側出入り口近くまで回り込みつつあった。

 

 同時に同盟軍本隊もまた少なからずの犠牲を出しつつも要塞駐留艦隊に対する並行追撃を八割方成功させつつあるように思われた。信じがたい事に、ここまでの戦闘の推移はほぼ完全に同盟軍の想定の範囲内で進んでいた。

 

「さて。ここからが本番、だな………」

 

 腕を組ながらスクリーンを食い入るように凝視するホーランド准将。同盟軍の総力を上げた遠征はその作戦の第二段階に移ろうとしていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……どうにか作戦通りに行ったか?」

 

 私、ヴォルター・フォン・ティルピッツ准将は戦闘が事前の計画通りに進行した事を確認すると緊張の糸が切れたように艦橋の一角に設けられた椅子にへたりこんだ。

 

「准将、御苦労だった。各局面での判断、的確だったぞ?」

「いえ、シトレ大将と現場の指揮官方の実力あっての事です。私は事前に想定された計画と実際の状況を照らし合わせて進言しただけですので……」

 

 背後から現れた航海部長クブルスリー少将に向けて私は額に汗を流したままに答える。実際それは謙遜ではなく事実だ。

 

 ホーランドが一番大事な別動隊の監督のために出張し、直属の上官たるクブルスリー少将が要塞に肉薄する次の段階の監督を行うための準備をする必要があった以上、先程の前哨戦にて全軍の進軍と部隊展開に対してその指導と提案、監督を行っていたのは何を隠そう私だった。……無論、前哨戦は一番難易度が低く、統合作戦本部で何ヵ月もかけて数百のパターンを想定していたし、演習時にも何度か似たような経験はあったので、実地で私がしなければならぬ事はそう多くはなかったのだが。

 

「そう謙遜する事はあるまい。准将にとっても良い経験になっただろう?六万隻の大軍の進軍に責任を持つ体験なぞ滅多に出来ん事だ。実戦でこう問題なく対処出来たのなら上々であろうさな」

 

 クブルスリー少将が笑みを浮かべて擁護する。

 

「暫くの間は戦局が激変する、等という事はあるまい。アーネド大佐に役務を引き継がせて准将も休息に入ると良かろう。病み上がりで無茶する必要はない」

「り、了解です……」

 

 半分以上善意からのものと知りつつも、クブルスリー少将の言に、私は苦笑いするしかなかった。周囲からすれば訳も分からずにぶっ倒れてほんの少し前までベッドで寝ていたのが私である。軍医から健康証明書を発行してもらった後、急いで簡易な始末書を提出して役務を引き継いだ私の存在は、周囲からすれば不安の塊である事は想像に難しくない。

 

 総司令部航海部参事官アーメド大佐に任務の引き継ぎをした後、私は『ヘクトル』のスクリーンモニターに視線を向ける。

 

「若様、御疲れ様で御座います。お飲物を用意致しました」

「ん……御苦労様」

 

 艦橋の座席の一つに腰掛けてテレジアから差し出された紙コップ入りの珈琲を義手で受け取り口に含む。うん、流石安物だな。不味いとまでは言わないが確実に美味くはない。  

 

 私が珈琲を飲んでいる間、テレジアは恭しく、そして当然のようにハンカチを取り出して私の額の汗を拭き取っていく。遠征軍全軍の進軍を監督中、精神を張り詰めていたために冷や汗をかきまくっていたのだ。

 

「まぁ、当然だな。それにしても前衛の分艦隊を中心に結構手酷くやられたものだな。ええっと?ここまでの喪失艦艇は……」

「ここまでの前哨戦での損失艦艇一七六三隻……統計漏れと報告の遅れもあるだろうからプラスで二、三〇〇隻って所かしら?安心しなさいな、あんたが行軍の責任を務めたにしては案外少ない損害よ。……正直驚いたわよ?作戦部の方だと後三〇〇隻位は損害が出ると思っていたのだけれど」

 

 私が携帯端末で既に報告された遠征軍の損害を調べようとして、横槍を入れるように話題に加わったのは書類の束を抱えた士官学校の同期でもある作戦部副参謀殿であった。若干警戒気味にテレジアがコープから私を守るように前に出る。

 

「……それは嫌味の類いかね、コープ准将?」

「そこまで穿った考えなんかしなくて良いのに。あんた、相変わらずひねくれているわね?……いや、爛れているのかしら?良くもまぁ当然のように職場に愛人同伴させられるものよね?しかも複数人も」

「微妙に間違っていないから反論出来ねぇな……」

 

 私は視線を逸らしてコープの糾弾を誤魔化す。止めてくれよ、医務室での一件の後機嫌を直させるのに私がどれだけ口八丁したか……女性の機嫌を取るのは階級による上下関係があっても簡単じゃないんだぞ……?

 

「それにしても、二時間余りで一個分艦隊並みの損失か。物量頼みに力押ししたのだから当然だろうが……作戦部はもっと悲観的な損害を覚悟していたのか?」

 

 テレジアに後ろに下がるように命じてから、私は話題逸らしの意味を含めて作戦部の予測に話を振る。

 

「別にあんたの出来の悪さを計算に入れていたからじゃないわよ?要塞駐留艦隊の精強さは私達も良く知ってるわ。ましてや接近戦を主眼においている帝国艦を相手にするならこれ位の覚悟はいるわ。……大軍でかつ此方が追撃している状態だから喪失艦艇に比べて人的損害はそうでもないわね。一〇万は超えないんじゃないかしら?」

 

 喪失艦艇と言っても数秒で爆散する艦艇は全体の数割だ。多くの艦艇には脱出するだけの時間はある。仮に爆散しても高度にブロック化してダメージコントロールしている同盟艦艇ならばデブリとなった区画に閉じ込められている状態であれ生存している兵士も少なくない。そして我々は今迫撃中の身だ。それらの漂流兵の回収は容易だ。

 

「軍人なんてやっていると感覚が麻痺しそうだな。一〇万名の戦死者が少ないと思ったぞ?」

 

 この一パーセントしか死んでいないとしても本来は異常なのだが。

 

「こんなもの序の口よ。まともに『雷神の槌』を食らったらこれと同等かそれ以上の兵士があっという間に消し飛ぶわ」

「そちらの最悪の想定は肉薄と揚陸までに二発は食らうんだって?」

「……出来るだけ散開して、緊急離脱も視野に入れているのだけれどね。それでも作戦部長のお気に入りの計算によれば最低でも一発で半個分艦隊は吹き飛ぶそうよ。その上で混乱を押し止めて突入すれば二発と二〇万から三〇万の犠牲でどうにかなるそうよ」

 

 淡々と答えるコープ。しかしその言葉には僅かに嫌悪感がにじみ出ていた。彼女とてそこまで冷酷ではない。兵士の犠牲を最初から勘定に入れている作戦部の計算に言いたい事の一つや二つはあるだろう。その上で彼女は参謀であり、将官である。私情で動く事が許される立場ではない。不満を押し殺して自らの役割を果たす事に余念はないようだった。

 

「あら、噂をすれば件のお気に入りの御登場かしら。どうやらあんた同様休憩タイムのようね」

 

 コープの言に視線を移せば間に椅子を五、六個挟んだ端末デスクの席で足を組み、ベレー帽を脱いだ若い士官の姿があった。若干青みのある黒髪の端正だがぼんやりとした表情の宇宙軍少佐……。

 

「確か、ヤン・ウェンリー宇宙軍少佐でしたか?エル・ファシルの英雄、だったと記憶しておりますが……」

 

 思い出すようにテレジアが呟く。彼女の記憶力は悪くない。この総司令部に努める数百名の参謀達の顔と官姓名、その経歴もその積もりになればスラスラと言えるだろう。目の前の存在感が薄い眠たげな態度の少佐が例外なだけだ。認識障壁でも張っているのかな?

 

「無害な顔に騙されたらいけないわよ。エル・ファシルの功績なんて所詮味方を生贄にしたものでしょうに。『レコンキスタ』の時も詐欺師みたいな作戦ばかり立てたって話よ。今回だって『雷神の槌』でどれだけ犠牲が出るかのシミュレーションをしたのはあいつだし……マキャベリズムの極致みたいな奴ね」

 

 敵意しかないと言った口調でコープは語る。その意見は部分的には誤りとは言えないが、それでも恣意的という誹りは免れないであろう。彼女が魔術師殿を嫌う一番の理由は従弟が士官学校でのシミュレーションで大恥をかかされた事である事は間違い無い。

 

 本遠征軍にも従軍している第五艦隊第二分艦隊司令部作戦スタッフたるマルコム・ワイドボーン少佐が事ある毎に魔術師と比べられ、兵站を理解しない秀才様(笑)とか頭でっかちの坊っちゃん等と妬み半分に悪口を囁かれている事を私も人伝いに聞いていた。

 

「随分と辛口評価な事だな。ハイネセン・ファミリーの英雄シトレ大将の秘蔵っ子の一人だろうに」

「シトレ大将の能力は認めるわよ。けど主義主張にまでは同意出来ないわね。特にああも出世していてどこの派閥にも入らないなんて目障り過ぎるわ。せめて統一派にでも加わってくれたらまだやりやすいのに」

 

 シトレ大将の軍人としての能力は疑うに値しない。政治家としても優秀だろう。独自のコネクションもある。しかしだからこそ統一派にすら加入せずに中立的な立場にいるのは面倒でもあった。今回の遠征軍の構成を提案したように各派閥と繋がりが無い訳ではないが……軍事的・政治的に優秀で社会的立場があり、多くの有能な教え子や部下を子飼いにしている高級軍人というのを各派閥のお偉いさん方が手放しで容認出来るかと言えばねぇ。

 

「今はヴォード元帥が手綱を握っているから良いけれど、あれが統合作戦本部長なんてなったら面倒この上ないでしょうね。子飼いの教え子も奇人変人が多いのに、あれがトップになったらそんな濃い面子が軍高官を独占する事になるわ。それくらいなら個人的にはあんたの所の太っちょがなってくれた方が幾分かマシよ」

「俺ら帰還派の高級軍人の絶対数は少ないから、か?」

 

 亡命政府軍に流れる者も多いので亡命帝国人……特に亡命貴族や貴族主義者の同盟軍人の絶対数は多くはないし閉鎖的だ。そのため同盟軍という巨大組織の重要役職を独占出来ない。その点で帰還派はある意味他の派閥から安心されているという側面があった。

 

「というかそんな話を私にしていて良いのか?此方からすればお前達建国以来の名家組の仲間割れ情報ゲット、な状況なんだが?」

「その情報で以て貴方に出来る事があるわけ?安心しなさい、貴方の器量では大してそっちの派閥に役立てるだけの能力も覚悟もないわよ」

「嫌な信頼だな……」

 

 鼻を鳴らして冷笑するコープに私は肩を竦める。まぁ、私としてもシトレ大将程の能力を持つ人物に策略を練る能力もなければ必要性もない。聞いた所で役立てようがない。……よしよし、テレジア落ち着け。安い挑発に乗るな。

 

「ですが若様……」

「これくらい唯のじゃれ合いだよ。いちいち反応する必要はないさ。そっちもいつまでも油を売ってる時間があるのかね?その手元の書類はサイン貰いに来たんだろう?」

 

 ちらりと視線を動かせば漸くシトレ大将とマリネスク作戦部部長の会話が終わった所であった。大方話が終わるまでの時間潰しとして私は使われた……という所だろう。

 

 私が再度視線を戻せばふっ、と小さく嘲笑うような笑みを浮かべ雑に手を振ってその場を去るコープ。よしよし、だからそんな挑発に乗らんで良いからなテレジア?

 

「若様に向けてあのような無礼な態度を取るなど……!」

「テレジア」

「っ……!承知致しました」

 

 私が優しく諭すように名前を呼べば不肖不肖と言った風にではあるがそう矛を収める従士。その従順な態度に私は笑みを浮かべる。

 

「何だかんだ言っても素直で忠義深いのはお前の美徳だよ」

「おだての御言葉は御止し下さいませ。……自分自身でも面倒な性格なのは良く理解しております」

 

 私の言葉に複雑そうな表情をするテレジア。ホーランド達にも弁明をして医務室から退場してもらった後ハイライトのきえた彼女の調子を元に戻すのに少し手間取った。やはり、薄々思っていたが彼女は少し執着的で嫉妬が強い性格らしい。とは言え………。

 

「少なくとも半分以上は本音だぞ?それを言ったら私はお前よりも遥かに面倒な人間だからな」

 

 下手打ったらハイライトが消えるだけならば可愛いものだ。……そもそも彼女のハイライトを(故意にではない?にしろ)毎回抹殺している奴が言えたものではない。しかもトラブルメーカーの放蕩貴族である。最早役満の殿堂入りである。毎回小事を大事にするのに比べればテレジアの狭量気味な性格はそこまで問題があるものではない。それに……。

 

「……」

「……若様?どうか致しましたか?」

「……いや、少し疲れてしまってな。ぼうっとしてしまっただけだよ」

 

 急に黙り込んで自身を見つめていたからだろう、少し困惑気味に声をかけてきたテレジアに私は微笑みながら応じる。彼女の頭が弾ける光景を思い出していたなんて言える筈もない。

 

(攻略戦直前に縁起でもない夢を見た事だな……)

 

 彼女ならば夢の内容同様咄嗟の時に肉壁にでもなってくれそうではある。それに比べれば性格の欠点なぞ無きに等しい。……まぁ、そもそも何で総司令部の参謀が要塞内部に揚陸しているんだって話なのだがね。

 

「んっ……!?若様……?このような場で……」

「なぁに、じゃれてるだけじゃないか?それとも命令してやろうか?」

 

 冗談半分で私はそう嘯きながら彼女の頭を撫でて、その髪を弄ぶ。テレジアの方は困り顔で、しかし嫌がる事もなくそれを受け入れた。彼女にとって私の要求に拒否する選択なぞ元より考えもしない事だから。寧ろ、少し機嫌が良さそうだった。

 

 それは一見、恋人同士でふざけているようにも見えるかも知れない。しかし実際は……少なくとも私にとってそれはベアトに対するもの同様、テレジアが無事かを確かめている行為だった。無論、その事をテレジア本人に言う事はないが。

 

「本当、こんな時期に碌でもないな……」

 

 ……微笑みの中で、しかし瞳だけは笑わずに、私は誰にも聞こえない位小さな声で呟いた。

 

 

 

 

 宇宙暦792年五月六日1300時、同盟軍は帝国軍と並行追撃・混戦状態に入りながらイゼルローン要塞『雷神の鎚』射程圏内に雪崩れ込んだ。虚空の女神への通算五度目の求愛行為は、次のステージに突入したのである……。

 




 c.m.先生様から素敵なイラストを頂けました。差分含めてここでご紹介させて頂きます!


【挿絵表示】


 なんだこの屑貴族の癖に外面だけイケメンは!?……こんな顔の癖に職場で愛人囲って婚約者には容赦無きマウントを取っているんですよね……やっぱ門閥貴族は根切りにしなきゃ(使命感)

以下は略章等を変更した差分です


【挿絵表示】

艦隊司令官バージョン


【挿絵表示】

宇宙艦隊司令長官バージョン


【挿絵表示】

統合作戦本部長バージョン

 他にも差分がありますが、其方については第一話後書きにこれまで作者がAIで制作したイラストと纏めて貼らせて頂きます。素晴らしい出来ですので残りの差分についてもぜひご覧下さいませ

 改めてc.m.先生様に対して感謝の言葉を贈らせて頂きます。



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第百七十九話 慌ただしい時は一歩引いて考えるのが大切

 要塞防衛司令官エーヴァルト・フォン・クライスト大将は、短躯なれど広い肩幅に筋骨隆々な肉付きを持った巌窟を思わせる険しい表情に禿頭の男であった。その見かけだけでいえば地上軍の下士官か兵士上がりの叩き上げに見えるかも知れないが、実際の経歴は良くも悪くもかなりその外見からの印象を裏切るものであった。

 

 フォンの名称を頂く通り、大将は歴とした貴族階級である。しかしながら爵位を有する門閥貴族階級出身ではなく、帝国黎明期まで辿る事の出来る騎爵帝国騎士の家系である。更に言えば、武門貴族ですらなく、学術・技術畑の出身であった。

 

 銀河連邦が崩壊の一途を辿った宇宙暦三世紀末から四世紀初頭において、科学技術の多くが喪失の危機に陥った。産業革命以降、化学技術は複雑化・高度化を続け、専門化・分化していった。

 

 当然ながら超光速航行技術を始めとした宇宙船舶技術、それ以外にも惑星改造技術や遺伝子操作技術等も広範な理論と、膨大な技術を応用して作り出される高度な機械を用いなければ再現出来ぬものである。

 

 連邦末期においては中央宙域や一部の富裕な星系を除き科学技術に対する投資は減少し、また高度な専門教育機関どころか義務教育制度すら半ば崩壊していた。各種の専門技術を有する人材の供給は先細りし、技術レベル全般の衰退を促した。

 

 どうにか確保された技術者も、しかしその多くは十全に活用されなかった。銀河規模にグローバル化し、相互依存するようになった銀河経済において、治安の悪化から星間物流が停滞した。どれ程知識を蓄えていようとも、それを物質化出来なければ意味がない。宇宙船舶一隻を建造するのに数千の企業が供給する数十万の部品を求められて、数万もの工程が必要とされる。物にもよるが、その部品一つ、工程一つが欠ければ場合によってはそれだけで宇宙船舶も使いものにならなくなるのだ。そして、治安が悪化し星間物流が停滞すればその手の問題が銀河中で噴出する。

 

 その悪影響は、工業基盤が脆弱で農業や鉱業等第一次産業に依存していたフロンティアの星系、逆に高度に経済が発展してしまい金融サービス等第三次産業の比率の高かった星系において特に顕著だった。特に前者にとってそれは破滅的であった。数百の開拓惑星が放棄され、ほぼ同数の惑星が破綻して崩壊した。

 

 成立初期、予算と人材が慢性的に不足していた銀河帝国は、貴重な高度技術者・専門家を下級貴族として世襲化、あるいはギルド化する事で、安価で良質な人材の安定的供給を図ろうとした。幼少期から徒弟制で教育する事により一定量の人材を低コストで生産する……少なくともそれは混乱期にあった当時の銀河情勢に合致していたのは間違い無い。困難であろうと言われた最盛期の銀河連邦の科学水準を辛うじて維持し得たのだから。

 

 無論、それは当時の社会情勢での最適解であって、五〇〇年近く時代を経た宇宙暦八世紀においてはその国策が腐敗と利権の温床となっている面は否定出来なかった。

 

 ……兎も角も、そのような専門家一族の出であるクライストが銀河帝国軍人となったのは、やはり第二次ティアマト会戦の影響が大きいだろう。武門貴族や士族の多くが死滅した結果、他分野の貴族がその穴埋めに動員される事となった。

 

 銀河帝国地上軍工兵科の技術将校として動員されたクライストは比較的マシな方であっただろう。代々中央省庁の文官を務めながらいきなり最前線で歩兵部隊の指揮官や戦艦の艦長に捻じ込まれた貴族すらいる事を思えば、まだしも工学の専門家である分、工兵部隊の運用はその範疇内の職務であったのだから。同じような出自の貴族としては、二年前のエル・ファシル攻防戦にて叛徒の捕囚となったアントン・ヒルマー・フォン・シャフト技術中将等の例が存在する。

 

 宇宙軍と地上軍の縄張り争いの例もあり、銀河帝国においては宇宙要塞の司令官に地上軍出身者が就任する例は少なくない。その上で、イゼルローン要塞の反乱を考慮して要塞駐留艦隊司令官との関係は険悪である方が帝国軍上層部にとっては都合が良かった。

 

 当然ながら司令官の身分は最低限貴族階級であるべきであり、その上で要塞駐留艦隊司令官ヴァルテンベルク大将は武門貴族出身であるために同類の武門貴族以外であるのが良いだろう。その上で地上軍出身かつ、相応の管理能力を有し、尚且つ階級で不足ない人物、という半分消去法でクライスト大将は名誉ある要塞防衛司令官の地位に着任した。

 

 そして、案の定クライスト大将は、ヴァルテンベルク大将とは決して職務で互いの足を引っ張る事はなくとも私的には冷たい対立状態を保っていた。それはイゼルローン要塞という特殊な立地の反乱を警戒する帝国軍上層部、そして帝国政府にとって正に期待通りの状況であった。

 

 ……最前線と言う環境にありながら故意にそのような人事を行うのは、帝国軍がまたイゼルローン要塞というハードウェアに信仰に近い信頼を寄せている事の証左であり、同時にその信仰が決して張り子の虎でない事は過去幾度も行われ無残な失敗に終わった同盟軍の侵攻からも分かるだろう。

 

 そう、イゼルローン要塞は難攻不落の要塞である。銀河においてこれよりも頑強な宇宙要塞は少なくとも今現在において他にはないであろう。

 

 しかし、いやだからこそ帝国軍はその事を忘れていた。如何なるハードウェア、道具であろうとも、それを扱う人物に能力と意志がなければその実力を最大限に発揮出来ない事を。そして、その立場にある者達の間に軋轢がある以上、イゼルローン要塞が本当の意味で難攻不落とは成り得ないという事実を………。

 

 

 

 

「第三、及び第四防空砲兵大隊展開完了しました。第七防空砲兵大隊の展開まで後三〇分を要します」

「第四八警戒群、定時連絡の報告をせよ……」

「各要塞空戦隊、第一級警戒態勢を維持せよ。哨戒部隊の交代時間は……」

「各宇宙港に通達、駐留艦隊が近づきつつある。港務部はただちに損傷艦受け入れ準備に入られたし」

「装甲擲弾兵第一六師団、即応態勢に入りました。第七〇八警備大隊は第三通路に展開せよ……」

 

 イゼルローン要塞のほぼ中心部に存在する三重の隔壁で仕切られたその空間こそが、要塞の脳に当たる要塞防衛司令部である。華美な装飾に彩られた高等学校の体育館並みの空間には各種のオペレーターが百人以上詰め、要塞内部に犇めく五十万近い兵員を指揮統制していた。司令部の一段高い場所に設けられたデスクでは要塞の主要幹部が肩を並べて要塞防衛司令部に設置された巨大なスクリーンモニターに視線を集中させる。

 

「ふははっ、駐留艦隊の奴らめ、必死に逃げて来おるわ!だから私の言う通りにしておれば良かったのだ、間抜け共め!」

 

 要塞防衛司令部の仰々しい司令官席に腰かけるクライスト大将は巨大スクリーンモニターを見つめながら嘲りを含んだ笑みを浮かべた。クライスト大将は敵軍の戦力が四倍から五倍である情報を伝えられた時点で艦隊による前哨戦そのものに反対していた。

 

 反乱軍が『D線上のワルツダンス』を狙って来るのは過去の攻防戦から明らかであり、尚且つ圧倒的な戦力差がある以上、クライスト大将は要塞のすぐ傍に艦隊を展開させた上での籠城戦をするのが最善と判断していたのだ。過去の遠征と違い、同盟軍は勢力圏境界の帝国軍を撃滅して要塞に雪崩れ込んで来た訳でもない。過去の遠征のように反乱軍は長期間に渡る戦闘は困難、ならばこれまでのように艦隊を囮にして要塞主砲でこれを吹き飛ばさずとも時間稼ぎして反乱軍の兵站の限界と増援到着を待てば良い、という訳だ。それを……。

 

「全く、ヴァルテンベルクの猪め!此方が懇切丁寧に説明しても聞く耳を持たん!これだから武門貴族と言うのは厄介なのだ……!」

 

 クライスト大将は先日の作戦会議を思い浮かべると憮然とした表情で、傍らに控える従兵からブランデーの注がれたグラスをふんだくると呷るように一気飲みした。そしてデスクの上にグラスを叩きつけて深く息を吐き出す。それは内心の苛立ちを発散して冷静にこれから始まる戦闘の指揮を執るためのものであった。

 

 ……先日行われ、怒声の飛び交った作戦会議における意見の相違は、武門貴族とそれ以外の貴族の価値観の差異が如実に現れたと言えるだろう。帝国に仇なす反乱軍を見逃さず、徹底的に粉砕しようという意志が真っ先に出て来る武門貴族のヴァルテンベルク大将とは違い、クライスト大将は外見は兎も角その根っこの価値観は技術者のそれである。無理してまで反乱軍を撃滅せずともその侵略の意志と目的さえ阻止出来れば十分という意見であった。

 

 双方が重きを置いているものが違う以上、作戦会議が紛糾するのは当然の事である。最終的にはクライスト大将には艦隊指揮の権限もノウハウもなくヴァルテンベルク大将の出撃を止める術はなかったのだが……この分ではこの戦い以降要塞の実質的な頂点に君臨するのはクライスト大将の方になりそうであった。

 

「ふん、まぁ良い。駐留艦隊の奴等共、精々貴様らはそこで我々が反乱軍を殲滅する光景を指を咥えて見ているが良い。……主砲発射準備っ!」

「はっ!『雷神の鎚』発射用意……!」

 

 くわっ!と目を見開くように叫ぶクライスト大将。そしてその命令に答えるように通信士が要塞主砲管制室に向けて指示を発する。同時に要塞表面からは八つの特殊砲台が円を作るように浮き上がり、莫大なエネルギーを放出し始める。

 

「九七……九八……九九……要塞主砲のエネルギー充電完了!」

「っ……!?お待ち下さい!大変です!敵と味方の距離がありません!り、両軍入り乱れて混戦状態に陥りつつあります……!」

 

 通信士の一人が要塞防衛司令部にとって勝利の福音とも言うべき要塞主砲発射準備完了の知らせを、しかし直後に別の通信士が悲鳴に似た声でその事実を報告する。同時に要塞防衛司令部のスクリーンに映し出される展開図。プロでなくてもそこに映し出される帝国・同盟の両軍が陣形を乱して完全に混合されている状況を読み取れた筈だ。要塞防衛司令部に詰める士官や兵士達は動揺して騒めき始める。

 

「な、何ぃ!?馬鹿な、これでは『雷神の鎚』が撃てぬではないか……!?艦隊の連中は何をしておる!!?役立たず共め……!!」

 

 そして、動揺して慌てたのはクライスト大将もであった。要塞駐留艦隊が何故このような無様な状態で反乱軍を呼び込んだのか彼は理解出来なかった。

 

 ……ヴァルテンベルク大将からすれば要塞の戦力を当てにしていたのではあるが、クライスト大将からすれば唯の良い迷惑であった。無論、要塞駐留艦隊の壊滅は要塞にとっても軽視出来る事態ではないし、ヴァルテンベルク大将の選択は必ずしも誤りではない。だがそれでも本当に敵軍と混戦状態となったままで後退してくるなぞ……!

 

「おのれ、ヴァルテンベルクめ。ふざけた事をしてくれよって……!浮遊砲台に支援砲撃をさせろ!艦隊に距離を取らせねばどうにもならんわ!」

 

 怒りのあまり頭部に青筋を浮かべつつもクライスト大将は的確な命令を通達した。数千にも及ぶ浮遊砲台を集めて、要塞駐留艦隊に追い縋る反乱軍……第五艦隊だった……に向けて一斉に砲撃を放った。浮遊砲台は戦艦並みの口径があり、しかも要塞の核融合炉から莫大な電力を供給されている。それ故にその射程は長く、その速射性と破壊力も高い。要塞駐留艦隊の最後尾をつけていた第五艦隊はその砲火を前に、初撃で一〇〇隻近くの艦艇を撃沈又は大破させられた。止む無く第五艦隊は追撃を取り止めて、『雷神の鎚』射程ギリギリの線から長距離砲による要塞との砲撃戦に移る。

 

 

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 ……そしてそれすら同盟軍にとっては想定の範囲内であった。

 

「第五艦隊に浮遊砲台の攻撃が集中しております!」

「構わん、作戦通りだ!第五艦隊は要塞に長距離攻撃をさせて此方への注意を逸らさせろ!」

 

 『ヘクトル』艦橋、通信士からの報告にレ中将は叫ぶ。帝国軍からすれば追撃してくる同盟軍の足を止めようとの砲撃であろうが……そもそも機動力で劣り大型艦の比率の大きい第五艦隊を肉薄攻撃要員とする積もりは更々なかった。要塞側が第五艦隊を攻撃したのは、彼ら自身が選んだというよりも同盟軍が彼らにとって真っ先に狙い易い宙域に展開させた事が理由だった。 

 

 つまり、ある意味で帝国軍は乗せられたのだ。クライスト大将は無能ではない。しかし地上軍かつ工兵科出身であるために艦隊戦のノウハウではその道の専門家に一歩譲る。同盟軍はそこまで計算に入れて各艦隊を展開させていたのだ。

 

「良いぞ!第五艦隊に注意が向いている今の内に第八艦隊も突入!このまま乱戦状態になって要塞に肉薄しろ……!」

 

 シドニー・シトレ大将の命令と同時に『ヘクトル』も前進し、要塞主砲『雷神の鎚』射程内にまで突入する。それは兵士達に安心して突撃をさせるためのポーズであり、また要塞からの通信妨害が激しくなる中前線部隊への連絡のための苦肉の策でもあった。無論、『雷神の鎚』が放たれても反転して全速力で離脱すればギリギリ脱出出来るよう座標に注意してはいるが……。

 

「はははは、此方の作戦が見事に図に当たりましたね!要塞の奴ら、主砲を撃てずにきっと泡食ってますよ!見て下さいあの慌てよう、碌に陣形も作れていません。あんな戦列では足止めも出来ませんよ!」

 

 司令官次席副官アッテンボロー中尉が心底愉快そうにスクリーンを見やる。丁度、要塞から大型戦闘艇が姿を現していた。雷撃艇やミサイル艇、砲艇等、一人ないし数名が乗艇する超光速航行能力を持たぬ艦艇群……二個戦隊一〇〇〇隻程度であろうか。要塞への肉薄を阻止するために出撃したのだろうが相当混乱しているようだ。統制が利いているとは思えぬグダグダな隊列であった。それこそ一個駆逐艦群が突撃でもすればそれだけで突破出来そうだ。

 

「このままいけば主砲を撃たれずに揚陸も出来そうですね」

 

 元々軍人嫌いではあるものの、それでもやはり数十年に渡り同盟軍を苦しめ続けたイゼルローン要塞を陥落出来そうともなれば感じるものがあるのだろう。アッテンボロー中尉の声には明らかな興奮の色があった。

 

「そうだと良いけどね」

 

 楽観的な空気が広がりつつある艦橋でその声は妙に良く響いた。アッテンボロー中尉以下、その声を聴いた数人が顔を強張らせて その声の主に視線を向ける。

 

「安心するのはまだ早いさ。本当に主砲を撃たないなんて保証は何処にもないからね。……余り愉快な想定ではないが楽観論は禁物さ」

 

 そこに冷や水をかけたのは次席副官のすぐ傍のデスクでぼんやりと座っている総参謀長補佐官ヤン・ウェンリー宇宙軍少佐であった。感情を読み取れない表情で静かに戦況モニターを見つめ続ける。

 

「確か先輩のシミュレーションでは二〇万から三〇万でしたか。けど、本当に有り得るのですか?いくら何でも味方ごと撃つなんて真似は……」

「その可能性について言及した高級将校が数名いたそうだからね。それも帝国通の顔触れが揃っているとなればそれを前提とするべきだろう」

「………」

 

 ぼんやりとした表情で冷徹な言葉を淡々と口にするヤン少佐。さしもアッテンボロー中尉もこれには言葉を失う。周囲の他の参謀スタッフ達も沈黙して重苦しく、不安げな雰囲気でスクリーンモニターに視線を向ける。そして、祈る。最悪の状況が発生しない事を。

 

 ……尤も、ヤン少佐が彼らの心情を聞けば困った表情を浮かべただろう。彼らの思う『最悪』は残念ながらこの魔術師にとっては少なくとも『最悪』ではなかった。

 

 とは言え、やはり魔術師は言及しない。したところで避けようもないのだから言っても仕方ない。それに、万一帝国軍がその選択をしたとしても、同盟軍にとっては遠征が五度目の失敗に陥るよりかはまだマシではあるのだ。

 

「……さて、そろそろ作戦は第三フェーズに移行かな?」

 

 腕時計の針と戦況モニターを見比べた後、ちらりとヤン少佐はシトレ大将の方を見やる。そのシトレ大将は参謀長レ中将、作戦参謀マリネスク少将と顔を合わせて頷いていた。そしてヤン少佐の想定通りにシトレ大将は宣言する。

 

「よし!各艦、空戦部隊を出撃させろ!駆逐艦部隊と共同して要塞周辺の制宙権を確保せよ……!」

 

 遂に同盟軍による要塞に向けた直接攻撃が始まった。

 

 

 

 

 

1230時頃、第八艦隊と共に前線に出て来ていた第二〇一独立戦隊にシトレ大将の無線通信が届けば、戦隊は事前の計画通りに行動を開始する。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『これより第四一二、四一三、六一〇駆逐艦群が敵戦闘艇部隊の戦列に穴を空ける。第一次攻撃部隊は要塞表面の防空レーダー及び浮遊砲台を爆撃せよ。訓練通りやれば糞餓鬼でも出来る簡単な任務だ、後続部隊に無駄な手間を取らせるなよ?』  

 

 戦隊航空参謀の通信を、スパルタニアンの操縦士達は操縦席に設けられた無線越しに聞いていた。その上で機器の状態の最終チェックを行いつつ不敵な笑みを浮かべる。そこにあるのは厳しい訓練によって培って来た明確な自信であった。

 

 整備員やドローンが機体から離れていく姿がスパルタニアンの光学カメラからの映像で確認出来た。親指を立てる整備班長にパイロット達が敬礼で応じれば、機体にシャッターが下りて減圧作業が開始される。そして次の瞬間にはスパルタニアンの操縦席から見える映像は漆黒の宇宙に変わっていた。彼方此方で敵味方の艦艇が砲撃の応酬をして、巨大な爆発の光が真っ暗な世界を美しく彩る……。

 

『さぁ、野郎共。気取った女神様の厚化粧をひっぺ返してやれ!スパルタニアン第一中隊出撃……ゴーッ!!』

 

 各航空母艦の管制官の宣言と共に爆装したスパルタニアンの群れが母艦から切り離され、同時にブースターを噴射して一気に彼らは流星のように飛び去った。初速ですら秒速数十キロという高速での発進によって母艦は一分もせずに豆粒よりも小さな光へと消えていった。軽く二〇〇〇はあろう、同盟軍単座式戦闘艇による第一次攻撃部隊は艦隊同士の火砲の雨を掻い潜り眼前にそれを収める。

 

『此方ブラヴォー中隊、要塞を視認!』

『チャーリー中隊も同じく!』

『ガンマ中隊も確認した!ちぃ、来たぞ!正面に敵大型戦闘艇部隊……!』

 

 要塞に向けて突入せんとする単座式戦闘艇部隊の前に立ちはだかるのは帝国軍要塞防衛司令部に所属する戦闘艇部隊である。ワルキューレには劣るものの駆逐艦以上の機動力によって即座に戦場の穴を埋めて防衛線を構築し得る彼らは、同時にスパルタニアンを遥かに超える大火力を有している。

 

『攻撃来ます!ぎゃ……!?』

 

 砲艇であれば四門の光子レーザー、ミサイル艇であれば八連装対空ミサイル、雷撃艇に至っては二四門の電磁投射砲を備えた大型戦闘艇部隊の一斉攻撃の前に、スパルタニアン達は乱数回避を行うものの不運な何機かは被弾して爆散する。

 

『ちぃ!マルコスが殺られた!?各機落ち着け!軍艦なら兎も角、スパルタニアンの機動力ならば早々当たらん!』

 

 想定よりも激しい砲火を前に動揺する各機を中隊長ないし大隊長達が落ち着かせるように叫ぶ。

 

『ですが隊長!此方の武装では射程が足りず反撃も出来ません!このままでは……うわっ!?』

 

 バーミリオン中隊に所属していたバーミリオン・セブンことネタニヤ・ポロンスキー軍曹が中隊長に向けて叫び、次の瞬間近接信管が作動したミサイルの断片を正面から食らってスクラップと化した。

 

『ポロンスキー!?ちぃ、あいつら、早く来い……!』

 

 部下の喪失に苦虫を噛みつつバーミリオン中隊の中隊長は『それ』を待つ。そして次の瞬間にはスパルタニアン部隊が待ちかねていた心強い味方が彼らの頭上から要塞に向けて突入した。

 

 正面斜め上から光子レーザー砲の雨が帝国軍大型戦闘艇部隊に降り注いだ。完全な奇襲を前に大型戦闘艇部隊は次々と爆散する。駆逐艦以上の軍艦と違い、彼女達に遠方からの流れ弾は兎も角射程内から放たれた艦砲を防ぐだけの出力のエネルギー中和磁場発生装置なぞ備えていなかったのだ。

 

 スパルタニアン部隊の掩護のために大型戦闘艇に向けて突進するのは同盟軍駆逐艦凡そ三個群である。主砲だけでなく側面の副砲、更にはミサイルも乱射して動揺する戦闘艇部隊を屠殺していく。

 

『よし、穴が開いたぞ!全機スラスター最大!一気に突き抜けろ……!!』

 

 友軍駆逐艦部隊が砲撃でこじ開けた穴に向けてスパルタニアン部隊は次々と突入する。この時点で二〇〇〇機の第一次攻撃部隊は一〇〇機近い損害を出していた。それは総司令部の作戦部と航空部の想定した損害の許容範囲内のものであった。

 

『見えた……!』

 

 第一次攻撃部隊の文字通り目の前に要塞のその強大な姿が映り込む。遠目からは完全な球体に見えた表面は、しかしスパルタニアンの光学カメラによる拡大映像からハイドロメタルによる『海』である事がその波立つ姿から確認する事が出来た。

 

『アルファからデルタ中隊、御先に行かして貰うぞ!』

『了解、諸君らの健闘を祈る!』

 

 真っ先に先陣を切っていた一〇〇〇機余りのスパルタニアンが要塞に向けて吶喊する。

 

『安全装置解除、各機急降下爆撃用意!』

『さぁ、行ってこい!自由と民主主義のために!』

『たっぷり食らいな、じゃが芋野郎共!!』

 

 スパルタニアンから次々切り離されるのは水中貫徹爆弾を改良して宇宙用に拵えたものである。イゼルローン要塞の流体金属層は光学兵器であればこれを反射し、ミサイルや電磁砲であればその衝撃を吸収してしまう。

 

 同盟軍の爆装型スパルタニアンがその解決のために選んだのは、一つに対潜水艦用に開発された深々海用特殊爆雷を宇宙用に改修してスパルタニアンに搭載する事、第二にイゼルローン要塞の質量と表面重力制御による引力を逆用した急降下爆撃であった。

 

 スパルタニアンは流体金属層の表面ギリギリまで急降下する事で速度を速めて爆弾を要塞に叩き込む。叩き込まれた爆弾はその造形から流体中での抗力を軽減するように設定されており、通常爆弾よりも遥かに流体金属層の奥深くまで突き進む事が出来た。そして内蔵されたソナーが要塞本体の四重装甲、その第一層の存在を感知すれば……。

 

「ぐおおっ……!?」

 

 途中で切り離しに失敗、あるいは突入角度を誤って最深部まで到着しなかったものもあれど、それでも八〇〇近い小型レーザー水爆爆弾が要塞表面第一層に到着し、爆発した。さしもの流体金属層もその衝撃を完全には封じきれなかったようで、その震動は要塞防衛司令部まで伝わる程であった。イゼルローン要塞着任以来初めて経験した震動を前に思わずクライスト大将は呻き声をあげる。しかし、彼も無能ではない。拳を握りしめすぐさま反撃の指示を言い放つ。

 

「おのれ反乱軍め、いい気になりおって!『雷神の鎚』が無くともこの要塞は無敵だと言う事を思い知らせてやれ!防空部隊、迎撃せよ……!!」

 

 その命令と同時に流体金属層から浮上した数百の浮遊砲台とミサイルランチャーが急降下爆撃を果たして無防備となったスパルタニアンに激しい報復を開始した。回避運動を取ろうとするも背後を取られて、かつ上昇中のために軌道は読みやすい。一〇〇機以上ものスパルタニアンが要塞の防空システムに撃墜されていく。

 

「ははは!落ちろ、卑しい奴隷共の玩具め!」

 

 浮遊砲台E-四三二の指揮官が嘲りの笑い声をあげながら兵士達に砲撃命令をする。内部には砲兵将校にして指揮官たる中尉以外に砲術士と観測員として下士官二名、防空警戒要員として兵士二名が詰める。戦艦に匹敵するエネルギーを帯びた光条が連射され瞬く間にスパルタニアン二機が撃墜される。

 

「次は四時方向、仰角五六度!アレを墜とすぞ……!」

 

 観測員の誘導に従い砲術士が砲の仰角を動かす。そして最高責任者たる中尉が砲撃命令を下そうとした直後の事であった。

 

「爆撃来ます……!」

 

 防空警戒要員の兵士がレーダー反応を探知して悲鳴をあげた時には手遅れだった。浮遊砲台E-四三二内部を激しい衝撃が襲い、次の瞬間には爆風が内部にいた者達全員の生命を奪い去った。

 

『へっ!油断は禁物だぞ?プレゼントはまだまだあるんだからな……!?』

 

 それは、要塞砲の反撃の瞬間を狙っていた残るスパルタニアン部隊が、流体金属層から顔を出した浮遊砲台に向けて爆撃を開始したためであった。此方は通常爆弾であり、スパルタニアン部隊が元より要塞側の反撃を想定していた事は間違い無い。浮遊砲台群はその罠にかかり次々と撃破されていく。

 

「ちぃぃ!!ワルキューレ部隊出撃せよ!煩い蝿共を叩き落とせ!」

 

 第四次攻防戦でもワルキューレ部隊を指揮・監督した要塞空戦隊司令官シュワルコフ少将が怒りに声を震わせながら叫ぶ。要塞の流体金属層から次々と現れたカタパルトデッキから射出されるのは特徴的なX翼……四枚の羽を持った純白の死の天使達である。次々と要塞表面に展開する銀河帝国宇宙軍航宙騎士団の単座式戦闘艇ワルキューレ……。

 

『地の利は此方にある!要塞砲と連携して袋叩きにしろ!』

『叛徒共の品のない戦闘艇なぞ恐るるに及ばん!我ら航宙騎士団の力、見せてやれ……!』

 

 戦乙女達は浮遊砲台群と連携して直線的で進路を予測しやすいスパルタニアンをその低出力レーザー砲で次々と撃墜していく。特に爆装型は動きが鈍重なために良い的であった。

 

『糞っ!舐めるな……!』

 

 スパルタニアンの操縦士達はバルカン砲と低出力レーザーを乱射して弾幕を張って対抗する。火力においてはスパルタニアンはワルキューレを圧倒していた。

 

 戦乙女達は得意の旋回能力を持ってトリッキーに動きスパルタニアン部隊の弾幕を回避していくが……直後に頭上から降り注いだ攻撃の前に次々と撃墜され、そのまま流体金属の『海』に機首から突っ込んでしまう。彼女らを襲ったのはスパルタニアン部隊の第二次攻撃部隊であった。此方は帝国軍がワルキューレ部隊を投入してくる事を見越しているのだろう。空戦型が占める比率が高かった。

 

『ええい、小賢しい!』

『何機来ようが皆殺しにしてやる……!』

 

 ワルキューレ部隊は機体を上昇させて第二次攻撃部隊と格闘戦に移る。帝国軍は浮遊砲台、同盟軍側は艦砲射撃の支援を受けつつ両軍の単座式戦闘艇部隊もまた艦隊同様入り乱れた乱戦状態に突入した……。

 

 

 

 

 

「敵は並行追撃作戦を成功させたようですね」

 

 ドッグに停泊する『エルムラントⅡ』の艦橋、そこで戦況を伝えるスクリーンモニターを一瞥しながら赤毛の中尉は艦長席の金髪の主君に向けて囁いた。

 

 要塞内での待機を命じられていた『エルムラントⅡ』以下第六四〇九駆逐隊所属の各艦艇であるが、同盟軍の並行追撃、更には爆雷攻撃が開始されるに及び、いつでもドックから発進出来るように命令が通達され、結果的に兵士達は酒精に顔を若干赤らめながらも緊張しつつ各々の部署で待機して発進の準備をしていた。尚、先日帝都オーディンから派遣されてきた謎の憲兵隊の一団は全員酔い潰れて要塞奥部の医務室に連行されている。

 

「みたいだな。要塞の連中の慌てふためく姿が目に見えるようだ」

 

 要塞側の浮遊砲台や単座式戦闘艇の必死の抵抗を見ながら、艦長席で足を組むミューゼル少佐は赤毛の副官の言葉に応じる。

 

「……にしても品の無い戦い方だ。戦略は理解出来る。しかしそのための戦術は随分と野蛮だ。要は物量による力押しじゃないか?」

 

 ミューゼル少佐は艦橋に僅かに漂う酒精の匂いに鼻白みながら、同盟軍の戦い方について副官に向け言い放つ。

 

「とは言え、物量を効率よく活かすのも司令官の手腕の見せ所です。此方の四倍から五倍の戦力、それを隠密裏に回廊まで進軍させ、しかもあの動きを見る限り指揮系統も殆ど混乱していないようです。敵司令官の手腕はかなりのものかと」

 

 イゼルローン要塞の強力な通信妨害を受けながら、回廊危険宙域に突っ込む事もなく並行追撃の態勢を維持しているのは流石というべきであろう。

 

「翻って我が軍の指揮系統は酷いものだ。あの様子だと艦隊と要塞で碌に意志疎通も出来ていないんじゃないか?」

 

 個別に見れば駐留艦隊と要塞の戦いは光る所もあるのだが、そこに連携している様子は贔屓目に見ても余り感じられない。同盟軍の妨害もあるのだろうが……それを考慮に入れてもその戦いぶりは褒められたものではなかった。

 

 呆れと失望を混合した溜息をつくミューゼル少佐、ほぼ同時にドックを唸るような震動が襲う。艦橋に詰める兵士達が動揺に互いの顔を見合わせる。

 

「……艦隊司令部に待機を命じられた時には腹が立ったが、これは寧ろ幸いかも知れないな」

 

 乱戦の中、流れ弾で乗艦が撃沈されていた可能性もある。実力及ばず死ぬのは仕方ないにしろ、流れ弾で不運の戦死なぞ彼は御免であった。

 

「キルヒアイス、お前ならここからどうする?」

 

 ミューゼル少佐が悪戯っ子に似た意地の悪い笑みを浮かべてここから先の敵の狙いを尋ねる。

 

「そうですね。現在の爆雷攻撃だけでは多少の損傷は与えられるでしょうが要塞の四重装甲を貫通するのは難しいかと。同盟軍もその事を想定していない筈はありません。となると……恐らくは無人艦艇に爆弾を詰め込み高速で叩きつける、等の攻撃で装甲を引き剥がそうとするのではないでしょうか?」

「随分と乱暴なやり方だな?……俺も同意見だ。ここまで艦隊が肉薄して、かつ制宙権確保に躍起になっている様子を見るにそんな所だろうな」

 

 そう言ってから、「流石キルヒアイスだな」とミューゼル少佐は目を細め、親友の若干癖のある赤毛に手を伸ばし気紛れに弄ぶ。そんな主君に対してキルヒアイスは少しだけ困り顔を浮かべつつも受け入れた。その光景は本人達は別に他意があった訳ではないにしろ下手に双方共顔立ちが整っているために何処か妖しく、退廃的な雰囲気も感じられた。

 

「だが……」

 

 暫し親友の髪で遊んでいたミューゼル少佐は、その言葉と共にその手を止め難しい表情を浮かべる。

 

「だが、少し引っ掛かるな。あの指揮からして敵軍の司令官の実力は凡そ分かる。であるならばあの戦力はこの作戦に比して少し戦力が過剰ではないか?」

 

 顎に手を置いて、険しい目つきで戦況モニターを睨みつけながらミューゼル少佐は疑念を浮かべる。自由惑星同盟とやらの反乱勢力が、決して財政的に豊かでない事は知っている。でありながらこの過剰戦力……敵の司令官の手腕ならばもう一万隻は少なくともこの作戦を成功させる事は十分に可能なように金髪の少年には思われたのだ。

 

「過剰な戦力……並行追撃……混戦……無人艦攻撃………まさか…………!!」

 

 次の瞬間、黄金色の少年は目を見開き、艦長席から立ち上がった。その表情には驚愕の色があった。

 

「艦長殿?」

「ラインハルト様、一体何が……」

 

 その変貌ぶりにキルヒアイス中尉を始めとした艦橋に詰める兵士達は一斉に上官に向けて視線を集める。

 

「至急駐留艦隊司令部、あるいは要塞防衛司令部に通信を!急げ、これは反乱軍の罠だ……!!」

 

 焦りながら叫ぶ指揮官に困惑しつつも通信士は直ぐに無線連絡をしようとする。しかし……。

 

「駄目です!駐留艦隊司令部との連絡はつきません!」

 

 同盟軍からの通信妨害と他の部隊との通信に対応を追われている駐留艦隊司令部にとって、たかだか一駆逐隊からの無線連絡を優先する事は不可能に近かった。

 

「っ……!要塞防衛司令部はどうか!」

「駄目です!彼方とは指揮系統が違います、此方からの通信は後回しにされてしまっています!!」

「くっ……!愚か者共め!」

 

 怒り狂ったような激しい形相を浮かべる少年。そして、切迫した口調でその命令を下す。

 

「本駆逐隊全将兵はただちに下船!陸戦の用意をせよ……!」

 

 それは今次遠征の趨勢を決める重要なターニングポイントであった。

 

 

 

 

 

『此方第七機動戦闘団前衛部隊!要塞表面に取り着きました!やったぞ……!』

『第四艦隊三分艦隊も同じく肉薄しつつあり!これより爆雷攻撃に移る……!!』

 

 1415時頃、同盟軍の最前衛部隊はイゼルローン要塞の一部表面への肉薄に成功する。浮遊砲台からの攻撃を防ぎつつ単座式戦闘艇部隊と共に制宙権の確保に成功、戦艦と巡航艦部隊の一部は機雷を改造した爆雷を流体金属層に向けて次々と投下し始める。要塞の各所で生じるハイドロメタルの水柱。

 

 同盟軍の爆雷攻撃を阻止せんと流体金属層より数隻の駆逐艦が浮上して電磁投射砲による砲撃が行われる。奇襲攻撃の前に何隻かの同盟軍巡航艦が轟沈するがそれだけの事であった。

 

『へへへ、頂きぃ!』

『沈め、専制政治の手先共め!』

 

 流体金属は液体金属であるがために重量と粘度があり、しかも要塞そのものが発生させている重力の存在から流体金属層より浮上する瞬間の艦艇はどうしても緩慢な動きとなる。そこを狙って雀蜂のように死角から襲い掛かったスパルタニアンの前にミサイルポッド等の急所を狙い撃ちされて大爆発を引き起こす帝国軍駆逐艦。一隻に至ってはレーザー水爆ミサイルに引火して流体金属層に船体を沈めた後核爆発を起こした。巨大な核爆弾と化した駆逐艦によって要塞が震えるように揺れる。そこに更にスパルタニアンや軍艦による爆雷攻撃が叩きつけられる。

 

「後一押しだ!もう一押しで要塞は落ちるぞ……!!」

 

 『ヘクトル』艦橋でアッテンボロー中尉が叫ぶ。その言葉はまだ要塞外壁が完全破壊されていなければ揚陸作戦も行われていない以上少々勇み足が過ぎるものではあったが、同時に決して誇張の類ではなかった。『ヘクトル』艦橋に詰める他の参謀スタッフ達もまた同じ意見であったからだ。

 

「いける……いけるぞ!?」

「単座式戦闘艇部隊、第三次攻撃部隊出撃!要塞表面の抵抗を完全に沈黙させろ!」

「第四次攻撃部隊も発進準備に入れ!ここからが最後の追い込みだぞ!揚陸部隊の護送するんだ!」

「揚陸部隊に前進を命令しろ!外壁を引き剥がしたら奴らの出番だぞ!」

「凄い!これはもしかして本当に……!?」

 

 『ヘクトル』のスクリーンに映し出される要塞表面の惨状を凝視して、普段は冷静沈着なエリート参謀達は興奮に顔を赤くして声を荒げる。若手だけならば兎も角、中堅やベテランまで興奮の色を隠せないようであった。同盟軍がこれ程までにイゼルローン要塞に打撃を与えたのは初めての事であったのだから。

 

「凄い迫力だな……」

 

 ヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍准将……即ち私もまた『ヘクトル』の艦橋から見える光景に圧倒される。艦橋のスクリーンからは四方八方で行われる砲撃戦が映し出されていた。圧倒的な戦力差もあり、同盟軍が優勢ではあるが要塞駐留艦隊も帝国軍の精鋭でありその抵抗は激しい。

 

「前衛第四艦隊の物資の損耗が想定以上です。これ以上前線に投入するのは厳しいかと……」

 

 傍らで控えるベアトがタブレット端末片手に意見具申する。開戦以来最前線で戦闘を続ける第四艦隊は、損害こそ想定範囲内であるが、それは弾薬と燃料をどか食いしての事であった。既に第四艦隊の戦闘効率は一五パーセントも低下している。

 

「第四艦隊の後退を具申するとしよう。第六艦隊はまだ余裕がある筈だから穴埋めに使える。……ロボス中将も功績を立てる機会だから了承してくれる筈だ」

 

 問題は『雷神の鎚』が発射される際真っ先に狙われそうな点であるが……第五艦隊は接近戦に向かず、総司令部の置かれた第八艦隊を更に前進させる訳にもいかない。第六艦隊が編制的にも一番最善である事を思えばそれ以外の選択肢はないであろう。

 

(……それにしても意外なのは亡命政府軍か。いつもならもっと血気盛んなのだけれどな)

 

 今回の要塞攻略作戦で派遣された亡命政府軍は過去最少の規模であり戦力温存を基本戦略としている事、司令官が(比較的)穏健なヴァイマール中将である事を差し引いても、要塞主砲射程範囲に一歩も足を踏み込まずに長距離砲撃に限定している姿は何処か違和感があった。まるで、何かを恐れている、いや困惑している……?

 

「……直ぐに提案内容の体裁を整えよう。ベアト、手伝ってくれ」

 

 何処か引っ掛かる所があるものの、いつまでも考えている時間は無かった。私はベアトと共に総司令部への意見具申の書類の作成に入る。

 

 私の提案はクブルスリー少将を通じて直ぐにシトレ大将に承諾された。シトレ大将も既に似たような考えを持っていたらしい。命令は迅速に実行される。そして、同時にこの艦隊の入れ替わりに紛れるように司令部が待機させていた『ソレ』も前進する。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「始まったな……」

 

 『ヘクトル』のすぐ隣を通り過ぎる戦艦と巡航艦の戦列を見て私は息を呑む。作戦は遂に第四フェーズに移ろうとしていた。同時に、それは原作同様の推移を辿るとすればあの惨劇が近い事も意味していた。

 

(本当ならば安全のために要塞主砲自体を破壊出来れば良かったのだが……)

 

 その案は私自身提出したものの……結果は散々たるものだった。要塞主砲は八つの特殊砲台を連動させて発射するものだ。その一つ一つが結構頑強に作られている上に、砲台自体には予備もあるので一つや二つ破壊しても意味がない。そもそもその程度の事は帝国軍も想定しているのでその周辺の防空態勢はかなり強固だった。少数で破壊しにいかせても全滅するだけだし、大軍で攻撃しても狙い撃ちにされる。

 

 そもそも並行追撃している以上撃たれる可能性は低いのに、そんな事すれば却って敵を追い詰めて要塞主砲発射という暴挙を寧ろ促しかねない……結果、要塞主砲破壊案は再三理由や方法を変えて提案したが、見事に総司令部から返却された。態々赤字マーカーで策戦案各所に大量の駄目出しを書き込まれた上で、である。

 

(あれは正直ショックだったなぁ。まぁ、戦略研究科出身の作戦参謀方からすれば、専門外の余所者は黙ってろという事かね?はぁ……)

 

 小さく溜息をつく私である。しかも駄目出し内容はかなり真面目に考察・分析したものなので文句の言い様もないのが泣けて来る。

 

「……ベアト、テレジア。唐突な質問で悪いが、お前達から見てこの乱戦状態で帝国軍が味方ごと『雷神の鎚』を撃つ可能性はどの位あると思う?」

 

 ふと、私は背後に控える従士二人に尋ねて見た。私が把握できていないだけで、原作と今回とで戦闘に変わっている場所があるかも知れない。そのために帝国的な価値観を持つ二人に聞いて見ようと言う訳だ。

 

「……敵方の状況が不明瞭なので確定は出来ませんが?」

「構わんよ。そこまで小難しく考えずに、二人はどう思うかを知りたい」

 

 私の言葉にベアトとテレジアは互いの顔を見合い、次いで何方が答えるのかを決めたらしく此方を再度見ればベアトが口を開く。

 

「それでは、私からお答えさせて頂きます。私としましては……」

 

 そして淡々と、当然のように口を開いたベアトの意見の内容に私はまず目を見開き、次いで驚愕し、絶句した。当然だった。何せ、彼女の説いた内容は………。

 

 

 

 

 

 

 

「敵艦、次々に要塞外壁に肉薄して来ています!」

「敵単座式戦闘艇、第三次攻撃部隊来ます!」

「爆雷攻撃開始されました!総員、衝撃に備え……くぅ!?」

 

 その声と同時に総司令部を震動が襲う。オペレーター達はデスクやすぐ傍の支柱に体を固定してそれを耐え凌ぐ。

 

「聖チュートン航宙騎士団、損耗率三〇パーセントを突破!」

「第五四二砲塔から五六七砲塔全壊!」

「E九ブロックに亀裂!流体金属層が侵入してきております!ダメージコントロール要員はただちに出動せよ!」

「第一一六警戒基地沈黙中……!」

 

 イゼルローン要塞防衛司令部では混乱が加速度的に拡大していた。同盟軍の度重なる攻撃とそれによる損害の前に総司令部に詰める兵士達は次第に平静を失っていた。

 

「慌てるな!この程度の被害、このイゼルローン要塞にとってはどうという事はない!要塞の重要区画は未だ傷一つついてはいないのだぞ……!」

 

 クライスト大将は声を枯らして兵士達を叱責する。その表情は怒りに満ちていた。

 

「要塞自体はまだまだ余裕がありますが……やはり兵士の動揺からか動きが鈍くなりますな」

 

 要塞防空軍司令官アルレンシュタイン少将が苦虫を噛む。浮遊砲台を始めとした要塞砲群の展開と対応の悪さは当の責任者にも明確に分かるものであった。イゼルローン要塞に詰める防空戦闘要員となれば経験豊かであり、厳しい訓練もこなしているので決して無能ではない。しかしそんな彼らですらこのような事態となれば平静ではいられないようであった。

 

 この時点においても要塞防衛司令部幹部達の間では心の片隅に何処か楽観的な空気があった。大量のレーザー水爆爆雷の前に各所で四重装甲に亀裂こそ入り、浸水こそ発生しているものの、その規模は全体としては決して深刻なものではなかった。これだけの攻撃を受けつつも要塞はその機能の大半を維持している。現場の末端の兵士達は兎も角、戦局全体を見ている将官クラスの者達ともなればこの夥しい損害が、しかし要塞全体から見れば取返しの付かない程の被害ではない事を正しく認識していた。

 

 しかし、次の瞬間にその楽観的な戦況も急転する。

 

「反乱軍の小艦隊要塞外壁に向けて前進……!!」

「浮遊砲台に迎撃させろ!第一六五から一九一砲台まで増援に送れ!」

 

 流体金属の水面下を移動する事で安全かつ隠密に移動する浮遊砲台が一斉に浮上して戦艦主砲クラスの中性子ビーム砲による奇襲攻撃を開始する。浮遊砲台の強みの一つは流体金属層の下を航行する事で奇襲的な攻撃が可能な事だ。

 

 案の定、奇襲砲撃によって前進してきた小艦隊の前衛数隻が成す術もなく撃沈される。同盟軍は人命を重視する、それ故に小艦隊ならば本来今の攻撃だけでも足を止めさせる事は十分に可能であった。しかし……。

 

「敵艦隊、尚も前進!続けて迎撃に移ります……!!」

 

 まるで先程の友軍艦艇の損失を意に介さないかのように最大戦速で突き進む同盟軍の小艦隊。オペレーターはそれに若干驚きつつも浮遊砲台に更なる攻撃を命じる。浮遊砲台、更には格納式ミサイルランチャーからの対艦ミサイルの雨が小艦隊を襲い、更に十数隻の艦艇を殲滅する。

 

 しかし、敵艦隊の足は止まらなかった。それどころか寧ろ小艦隊は加速していた。まるで要塞に正面からぶつかる積もりのような減速する気のない突進……この時点で漸くオペレーターはそれが要塞外壁への肉薄を目的としての行動ではない事に気付いた。

 

「敵艦、突入して来ます。これはまさか………!?敵艦艇内部に生体反応無し!無人艦による特攻です!!」

「なにぃぃ!!?」

 

 オペレーターの叫び声にクライスト大将は驚愕に目を見開く。直後要塞防衛司令部のメインスクリーンが高速で突っ込んで来る同盟軍の旧式巡航艦の姿を映し出していた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「うわぁぁぁ!!?」

 

 それが外壁に設けられた光学カメラからの映像である事を理解しつつも、スクリーンに映る軍艦の速度と迫力を前に多くの司令部要員が思わず悲鳴を上げて手で頭を守ろうとした。

 

 次の瞬間には大量のレーザー水爆ミサイルと液体ヘリウムを腹に抱えた同盟軍の無人艦艇が次々と要塞に衝突した。数万トンもの巨大な鉄塊が流体金属の『海』を質量と速度で力づくで貫通して、既に大量の爆雷で亀裂が入っていた要塞の四重装甲に衝突し爆発、その衝撃は装甲を突き破るのに十分過ぎた。要塞防衛司令部をこれまでにない規模の震動が襲う。

 

「ぐおおお!!?」

「後続艦、更に突っ込んで来ます!」

 

 オペレーターが声を上げると共にほぼ垂直で流体金属層に突っ込んだ全長三〇〇メートル超えの旧式巡航艦が巨大な火球と化す。一〇〇発近いレーザー水爆ミサイルと数十万トンの液体ヘリウムを満載した上での大爆発は爆心地の四重の装甲の第一層を完全に吹き飛ばし、第二層を引き剥がすように抉り取る。

 

「おのれ、叛徒共め!何と野蛮な……!」

「また来ました!次は二隻同時に……」

 

 オペレーターが悲鳴のような声を上げた直後二隻の戦艦が要塞外壁の同一地点で衝突と大爆発を起こした。数百発のレーザー水爆の一斉起爆で生まれた小太陽が数百万トンもの流体金属を一気に蒸発させ、要塞表層を文字通り焼き尽くす。凄まじい衝撃があらゆる攻撃を想定している筈の外壁を粉砕して、吹き飛ばす。

 

『C4ブロック完全破壊、生存者無し!』

『D2ブロック半壊。現状維持不可能、放棄の許可を乞う……!』

『C7ブロック応答なし、繰り返すC7ブロック応答なし……!』

『第一四二通路、倒壊により使用不能っ!』

『流体金属が浸入中、R9ブロックの兵員はただちに脱出せよ!』

『第九〇七砲台炎上中!爆発の危険あり、消火隊の出動求む!』

『G4ブロックより空気流出中、隔壁を緊急封鎖する!』

『B5ブロック応答せよ!B5ブロック応答せよ……!』

 

 要塞防衛司令部に次々と報告が上がる。その内容の幾つかは驚くべき事に難攻不落の筈のイゼルローン要塞の外壁が破壊され、要塞本体に被害が及んでいる事を意味していた。特にC4ブロックやB5ブロックの被害は凄まじく、軍艦の特攻により出来た巨大な穴から大量の空気と無機物と有機物が吸い出されていく。流体金属層の流入がそれを無理矢理閉ざしていくものの、それは同時に同ブロックを放棄せざるを得ない事も意味していた。

 

「ぬおぉぉ!!?馬鹿な!?イゼルローン要塞の四重装甲が破壊されているというのか……!?す、数十メートルもの厚みのある特殊装甲が!?」

 

 次々と送られてくる報告にクライスト大将は愕然とする。これ程甚大な被害はイゼルローン要塞が完成して以来初めての事であった。

 

「要塞工兵隊出動せよ!第三一一隔壁から三三〇隔壁までは封鎖する、各所の応急修理のために動かせるドローンを搔き集めろ!D2ブロックは放棄する、第八三防衛中隊残存戦力は外壁より撤退、急げ……!」

 

 要塞防衛司令副官兼要塞後方支援集団司令官シュトックハウゼン地上軍中将が叫ぶ。それは最早要塞防衛司令部は外壁を半ば放棄したも同然の内容であった。

 

(馬鹿な!?この要塞が……イゼルローン要塞が落ちる!!?よりにもよってこの私が司令官の任にある時にか!?そんな、そんな事があってたまるか……!!)

 

 次々と悲鳴のような報告が要塞防衛司令部に届く中、クライスト大将の頭の中では混乱と怒りと恐怖が渦巻いていた。確かに本当の意味で弱点の存在し得ない最強の要塞なぞ存在しない。しかし、だからといって何故自身が司令官の時にそれが起きなければならないのか?

 

 ましてや、要塞主砲が封じられているのが駐留艦隊の失態のせい(だけであると彼は確信していた)であるというのに……仮に要塞が陥落すれば落ち延びる事が出来ても要塞失陥の責任を本国で追及されるだろう。軍法会議に告発されれば騎爵帝国騎士とは言え死刑は免れまい。

 

 いや、それだけならば良い。軍人として銃殺刑か、貴族として毒を呷るならば名誉は守られるだろうがそんな保証はない。最悪一族まで連座して、騎士号剥奪から族滅まであり得た。国家予算を湯水の如く注いだイゼルローン要塞失陥はそれだけの失態であった。

 

『G2ブロック、放棄許可願います。G2ブロック放棄許可を……!』

『R9ブロックで爆発!当ブロックの兵員はただちに退避せよ!』

『第九二通路で換気ダクトが崩落!多数の人員が下敷きになった模様!至急救護班を……!』

「………っ!」

 

 直後に追加でもたらされた被害報告が遂にその選択を後押しした。クライスト大将の瞳の奥底に理知的な狂気の光が宿った事に気付いた者がどれだけいたであろうか?彼はこの瞬間、宮廷の様々な力学を計算し、損得勘定をした上で遂にその覚悟を決めた。

 

「『雷神の鎚』発射用意……!!」

 

 こうしてクライスト大将は要塞防衛司令部の要員達が驚愕に目を見開く中でその言葉を叫んだ。

 

 後世、歴代で最も悲惨で凄惨であったと伝わる第五次イゼルローン要塞攻防戦は、その中盤戦に差し掛かろうとしていた……。



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第百八十話 UA200万突破とかマジかよ!

感謝感激です!


 その前触れに気付いたのはイゼルローン要塞の主砲付近で護衛任務に展開していた要塞防衛司令部直属第三要塞護衛群所属の巡航艦『エギールⅢ』であった。主砲と副砲を四方八方に乱射して、要塞に取りつこうとしている同盟軍駆逐艦や単座式戦闘艇を迎撃している最中、オペレーターがその事実に気付く。

 

「艦長!要塞主砲が……!」

 

 丁度巡航艦の下方にあった八つの要塞特殊砲塔群、そこから放電する青白いエネルギーの輝きは、明らかにその強さを増しつつあった。巡航艦に搭載されたセンサーは要塞主砲から放たれる熱量が指数関数的に増大しつつある事実を彼らに伝えていた。

 

「これは……!?」

「要塞防衛司令部より通信!っ……!!?要塞防衛部隊所属の各艦艇及び戦闘艇部隊はただちに要塞主砲射線上より退避せよとの命令です!」

「何い!?た、ただちに回避運動に入れ!急げ……!」

 

 艦長の命令に慌てて兵士達は要塞主砲射線からの避難のために動き出す。

 

「我々はまだ間に合うが……何故要塞駐留艦隊は動かぬのだ!?このままでは叛徒共もろとも消し飛ぶぞ!!?」

 

 戦況スクリーンに映し出された要塞主砲射線上で混乱する敵味方の艦艇の動きに『エギールⅢ』艦長は叫ぶ。いや、実際は同盟軍の艦艇群はまだそれなりに組織的な動きで要塞砲の射線上から退避しつつあるが、要塞駐留艦隊の方は文字通りに混沌としていた。

 

 要塞駐留艦隊は要塞主砲がエネルギーを充填して発射の準備に入ろうとしているにもかかわらず個艦、或いは部隊単位で完全にバラバラに動いていた。お構いなく砲戦を行う艦、あるいは組織的に退避しようとする部隊があったかと思えば、我先に逃げようとして敵どころか味方に衝突する艦艇まで散見された。少なくとも、その統一性のない動きが明確な軍令に基づいたものではない事は確実だった。

 

「これはまさか……要塞防衛司令部は、クライスト司令官は要塞駐留艦隊に警告を………!?」

 

 そこまで艦長が呟いたと同時の事であった。巡航艦のスクリーン全体を、眩いばかりの黄金色に輝く『悪意』が呑み込んだ………。

 

 

 

 

 

 限りなく同盟軍の密集率の高い宙域を狙い、同時に味方の巻き添えを最小限するために拡散率を絞って放たれた要塞主砲の一撃は、しかしそれでも一隻の味方も巻き込まずにいる事は物理的に不可能であった。

 

 敵味方合わせて数千隻の艦影が光の中に溶けて、消えていく。主砲が放たれる直前に彼女らは、その所属に関わらず持ちうるエネルギーを全て中和磁場に注ぎ込んでこの光の濁流を凌ごうとしたが、それは限り無く徒労に終わった。

 

「うわっ……誰か助け………」

「か、母さ………」

 

 同盟軍の戦艦『オケアノス』の乗員達の言葉は最後まで紡がれる事は無かった。必死に要塞主砲射程外に避難しようとしていた『オケアノス』は周囲の敵味方と共に光の渦に飲み込まれて消えていく。

 

 余りにも強大なエネルギーの奔流は要塞主砲射程内にいた彼女達の必死に展開した中和磁場を瞬時に飽和させた。次いで装甲の対ビームコーティングを蒸発させ、三重の複合装甲を焼き焦がし、船体そのもの、更には目の前に迫る死に悲鳴を上げる兵士達のその最期の絶望の断末魔さえをも、全てを光の中に平等に、無慈悲に、そして残酷に虚無に還元していく………。

 

 数十秒に渡り放出された巨大な光の柱は漆黒の宇宙を爛々と照らし上げ、そしてそれが静かに消えた後、そこに残されたのは完全に分解された幾千という宇宙艦艇であったものの残骸だけであった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「第八二戦艦群半壊!第八四三、八四四巡航艦群壊滅!」

「第六六戦隊司令部応答無し!第一六九戦艦群旗艦『ライデン』撃沈を確認……!」

「第九〇六駆逐艦群は戦力の八〇パーセントを喪失の模様……!」

「ぐぅ……思いの外持っていかれたな……!」

 

 第六艦隊旗艦『ペルガモン』艦橋にて、司令官ラザール・ロボス中将は渋い表情を浮かべて立て続けに届く損害報告を聞いていく。第六艦隊右翼を消し飛ばした『雷神の鎚』の一撃は、物心両面で同盟軍に衝撃を与えた。

 

 事前に帝国軍が味方ごと要塞主砲で吹き飛ばす事は想定はしていたし、そのために艦隊を狭い回廊内で可能な限り散開させ、いざとなれば緊急回避出来るように準備もしていたとは言え……それでもその被害は馬鹿にならない。

 

 推定被害はまだ統計が取れていないものの、同盟軍の艦艇損失は第六艦隊を中心に一二〇〇隻から一三〇〇前後と予想された。戦死者数は一〇万人を軽く超えるだろう。過去の要塞主砲による損失を思えば比較的損害は限りなく極小化されてはいるが、それでも二、三個戦隊が一瞬で消滅してしまったのである。これは本戦闘が始まってからこの瞬間までに生じた損害の三割から四割に当たる。

 

 より深刻なのは心理的なものであろう。勝利を目前に放たれた『雷神の槌』は兵士達の浮わついた心を凍りつかせた。『雷神の槌』は同盟軍にとってトラウマと呼んでも良い。ましてそれを味方ごと撃つなどと…!!

 

「慌てるな!『雷神の鎚』の再充填まで時間の猶予はある!今の内に要塞に肉薄せよ!要塞にさえ取りつけば要塞主砲に狙われん!未だ我らの方が戦力面で敵よりも圧倒的に有利にある事を忘れるな……!」

 

 ロボス中将が叱責するように叫べば、動揺しつつあった第六艦隊所属の各艦艇は隊列を建て直し、要塞主砲が放たれる直前と同じように前進を開始する。何はともあれ事前に味方撃ちの可能性が伝えられていた事と、四倍から五倍の戦力差は彼らの統制を回復する上で大きな心の支えとなっていた。

 

 実際問題、ロボス中将の言う通り要塞に取り付けさえすれば『雷神の鎚』は無力化出来る。そして完全にD線の内側に展開している以上、今更無防備な背中を晒して要塞主砲射程外に逃げるよりかは遮二無二突撃する方が勝算は高いように兵士達には思われた。敵味方が入り乱れているため、最悪周囲の敵を道連れに出来る。ならば腹を括って前に出るのが最善の判断であった。

 

 一方、激しく動揺したのは帝国軍であった。特に要塞駐留艦隊のそれは大きい。

 

 同盟軍ごと消し飛ばされた帝国軍の艦艇は推定で六〇〇隻から七〇〇隻と推定された。同盟軍よりも数的には損害は小さいが、それは何の慰めにもならない。寧ろ両軍の総戦力数から考えれば多すぎる位であろう。事前にある程度の対策していた同盟軍に比べて、要塞駐留艦隊にとっては文字通り背後からの一刺しであった。要塞主砲発射の予備動作を一種のブラフであろうと考えていた艦も少なくなく、本気で撃つ積もりであろうと察した艦もその衝撃を前に迅速な判断が出来なかったのも多かった。それが要塞駐留艦隊の被害の甚大さに直結した。

 

「何と言う……何と言う事を……!」

 

 レンネンカンプ大佐は目を見開き、友軍の引き起こした暴挙に絶句する。モニターには直撃こそ回避したものの、要塞主砲のエネルギーの余波を受けて甚大な損傷を受けた敵味方の艦艇が、黄金の柱が消えた後に遅れて次々と爆発して小太陽と化していく姿が映し出されていた。シャトルやランチが殆どスクラップ同然となり現在進行形で炎上する艦艇群から次々と、我先にと離れていく。

 

 しかし間に合わずにそのまま艦の爆発に巻き込まれるもの、あるいは四散したデブリで破壊されたり、慌てて逃げだして別のシャトルやランチと衝突するものも散見された。絶望的な状況で必死に逃げ惑う兵士達の姿……その光景は正に地獄絵図と言うに相応しい。

 

「き、救助作業を急げ!装甲の厚い艦艇が反乱軍の攻撃に対して盾となりその間に小型艦は兵士達の救助作業に入るのだ……!」

 

 レンネンカンプ大佐は同盟軍との戦闘に対応しつつも目の前の兵士達の救助作業を命じる。古臭い軍国主義的な士族と思われるかも知れないが、実の所第二次ティアマト会戦以降の帝国軍構成人員の変化の影響もあり、階級や出自を全く気にせず平等主義的なレンネンカンプ大佐は名門士族階級としてはまだ(比較的)先進的な考えの持ち主であった。これが帝国では絶滅寸前な本当に古い価値観の武門貴族や士族であれば一応最低限の合理性のあるこの味方撃ちは想定出来ない行いではなかっただろうし、舌打ちしつつも絶句する程ではなかっただろう。寧ろ……。

 

「ふむ、要塞の司令官は漸く撃ったか。今更ではあるが……撃つならばもっと早くすれば良いものを」

 

 要塞主砲射程外にて長距離砲と長射程ミサイルでの掩護攻撃に徹していた銀河帝国亡命政府軍イゼルローン要塞遠征派遣軍司令官ヴィクトール・フォン・ヴァイマール中将は眼鏡の汚れをハンカチで拭きかけ直すと無感動に目の前の惨状をそう評した。亡命政府軍において決して武闘派でも過激派でもない彼ですら、イゼルローン要塞防衛司令部の愚かで遅すぎる判断に冷笑を浮かべていた。

 

「寧ろ、第六艦隊が受けて正解でした。幸い損害は艦隊全体の一割と少し、犠牲としては最小限です。被害要員となった事で戦後の我ら帰還派の発言力は寧ろ高まりましょう」

 

 副官の従士の冷徹な言葉にヴァイマール中将は頷く。

 

「そうだな。……ふん、クライスト、だったか。あれほど要塞に肉薄されて、外壁を傷つけられてからやっても遅いだろうにな。やはり非武門貴族となれば最善の行動を選べぬか」

 

 ヴァイマール中将は痛烈な言葉で道義ではなく効率性を基に批判の言葉を吐き捨てる。

 

 ……クライスト大将の暴挙は、結局の所、全ての立場の者達から顰蹙を買う行いであった。亡命政府の大多数を占める古い帝国貴族達からしてみれば味方ごと撃つにしては余りに遅すぎる判断であったし、同盟軍の多くの将兵からしてみれば味方撃ちなぞ論外である。

 

 帝国軍においても、一族の子弟を奴隷共と纏めて吹き飛ばされたという事実に特に地方貴族や文官貴族達は怒り狂おう。武門貴族達は行為自体にはまだ理解を示すだろうが、行ったのが非武門貴族であり地上軍の工兵科出身のクライスト大将の手によるものというだけで条件反射的に蔑視する事だろう。富裕市民を始めとする平民士官からすればそれは貴族階級の高慢な行いに見えたであろう。士族階級にとってはクライスト大将が貴族であるために武門貴族程には本人の存在そのものに含む所はないのだが、遅すぎる判断が結果的に無駄な損害を増やしたと考え不満を抱いたであろう。

 

 何よりも、クライスト大将が事前に駐留艦隊に警告を一つもせずに要塞主砲を放った事が彼らの怒りを買った。クライスト大将からすれば下手に警告して要塞主砲による戦果、そして同盟軍に与える衝撃を減少させたくなかったという理由はあったものの、だからといってそれを許せるはずもない。要塞駐留艦隊は要塞防衛司令部に不信感と憎しみを募らせる。

 

 結果として要塞駐留艦隊の動きは明確に鈍り、そして精細を欠き、混乱していた。武門貴族や士族はクライスト大将と要塞防衛司令部に罵詈雑言を吐きつつも、兎も角目下の課題の解決……即ち、同盟軍と距離を取りつつ戦闘を続行しようとするが、平民や非武門貴族の将校は文字通り狂乱して戦闘どころではなかった。我先に要塞砲の射線から逃げようとする。同盟軍はそんな彼らを撃ち、彼らの混乱に乗じて戦線を突破して次々と要塞への肉薄を図る。

 

「は、反乱軍更に進出してきます……!」

「何ぃ!そ、そんな馬鹿な……!」

 

 要塞主砲発射と共に沈黙が暫し支配していた帝国軍要塞防衛司令部は動揺する。それはクライスト大将も同様だった。これが仮に同盟軍が味方撃ちを想定してなければ同盟軍は混乱の中にあっただろう。恐らく全軍が我先にと逃げ出し始め、それは結果的に同盟軍と帝国軍の引き離しを促した筈だ。同盟軍の遠征軍総司令部にそれを止める術はなく、クライスト大将はその機会を逃さず今度は敵だけを狙った第二撃発射を命じた筈だ。実際、クライスト大将はそこまで想定して最初の要塞主砲発射を命じた。

 

 だが、同盟軍はクライスト大将の経験と知識から来る予想を裏切って前進を開始した。特に帝国系同盟人の比率が高い第六艦隊の動きは素早い。要塞主砲で最も被害を受けたにも拘わらず半ば捨て身の覚悟で突進する。尤も、それは自殺願望ではなく、彼らに言わせれば死中で生を掴み取るための行動ではあったが。

 

「『雷神の鎚』第二射用意……!叛徒共の肉薄を何としても阻止するのだ!」

「っ……!?り。了解!!」

 

 クライスト大将の命令に防衛司令部のオペレーター達は動転してその指示に従うべきか迷うが、要塞が再び爆雷攻撃で揺れ出せば必死の形相で作業を開始する。

 

「『雷神の鎚』充填率三〇……三一……三二……」

「一〇〇パーセントでなくても良い!五〇パーセントになり次第要塞に接近してくる叛徒共の一団を吹き飛ばすのだ!拡散率二五パーセント、仰角六五度、銀河基準面に対してプラス三〇の地点に照準!」

 

 クライスト大将の言に従い要塞主砲管制室では要塞主砲の仰角調整に入る。突出して接近を図る第六艦隊第四分艦隊を中心とした先頭集団に照準が定められる。無論、味方ごとである。

 

「『雷神の鎚』、エネルギー充填率五〇パーセントに到達!システムオールグリーン、管制室より発射権限の委譲を確認!」

「『雷神の鎚』発射……」

 

 クライスト大将が声を荒げて要塞砲の第二射を放とうとした瞬間、同盟軍の切り札が切られる。

 

「っ……!?ミ、ミサイル群確認!直撃来ます!!」

「なっ!?」

 

 オペレーターの絶叫と共にそれは濁流のようにイゼルローン要塞に襲い掛かって来た。

 

 

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 要塞防衛司令部のスクリーンに映し出されるのは暗黒の宇宙に星空のように輝くレーザー水爆ミサイルのブースターの光だった。直後迎撃対策として予備燃料に着火して最終加速に移ったミサイルの雨は、次の瞬間には要塞の流体金属層に次々と着弾して青白い火球を産み出していった。要塞内部は再び激しい衝撃に襲われる。

 

「ぐおっ!?な、何故直撃を許した!!?」

 

 雨霰のように降り注ぐ大量のレーザー水爆ミサイルの爆発の衝撃で大きく揺れる要塞防衛司令部、シュトックハウゼン中将が疑問半分怒り半分に敵の接近を許した理由を問い質す。

 

「完全に死角を突かれました!まさか……!?正面敵主力艦隊の動きは陽動です!!」

「馬鹿な!六万隻の艦隊が、陽動だとぉ……!!?」

 

 今度こそクライスト大将はその人生で最も驚愕に目を見開いた。それは最早目玉が飛び出しそうな程であった。当然である。六万隻の大軍を囮にするなぞ、まともな戦略ではない。つまりは、反乱軍にとっては無人艦特攻すら陽動に過ぎなかったというのか……?

 

 クライスト大将が動揺する中でも、同盟軍の攻撃は続く。要塞はミサイル攻撃の前に先程からずっと激しく揺れ続けていた。

 

「ミサイルの衝撃で流体金属層が吹き飛ばされています!隔壁が露呈!第一が破壊!第二層に損害が及びつつあります!」

「攻撃を受けているのは第二宇宙港のあるブロックです!このままでは第二宇宙港が破壊されてしまいます……!」

 

 流体金属層自体はレーザー水爆の攻撃なぞ元より想定しているが、それでも限度があった。同盟軍のミサイル攻撃は文字通りその打撃力を持って流体金属を『吹き飛ば』し、『押し流す』と言う荒業で無力化、そして要塞本体を守る四重の複合装甲を無理矢理に晒け出させる。

 

 要塞外壁にミサイルが直接着弾するようになり、要塞内部の震動は最早地震のように激しさを増す。要塞防衛司令部の動揺は既に末端の兵士達だけでなく幹部達にも共有されていた。不安げに彼らは司令官に視線を向ける。

 

「ぜ、前方で戦闘中の戦闘艇部隊を呼び戻させますか……?」

「狼狽えるでないわっ!!それこそ叛徒共の思う壺だぞ!そもそも既に前線の戦闘艇部隊にそんな余裕なぞないわ!!」

 

 イゼルローン要塞防衛司令部副官シャンネハイム少佐の意見に怒鳴るようにクライスト大将は否定する。

 

「で、では……!」

「浮遊砲台で迎撃せよ!敵は少数だ、イゼルローン要塞の防空能力を見せつけてやれ!!」

 

 クライスト大将の命令は、しかし完全には実行されなかった。慌てて移動と浮上をした浮遊砲台は余りにも少数であったのだ。一つには要塞前方での戦闘に既に多くの浮遊砲台が投入されていた事、第二に同盟軍の別動隊が要塞の帝国側の外壁に攻撃を仕掛けたためだ。帝国本土のある方角から敵が来るなぞ少なくとも組織的には限りなく困難であり、そんな場所に待機させている浮遊砲台は圧倒的に少数派であったのだ。折角健気に迎撃の中性子ビームの弾幕を形成する帝国軍防空部隊は、しかし十倍……いや二十倍はあろうという火力の滝の前に瞬時に破砕されていく。

 

「第三層まで突破されました!第四層に被弾!外壁が破られるのは時間の問題ですっ……!」

「単座式戦闘艇第三格納庫大破!」

「第一七三層連絡途絶えました!」

「第四通気口全壊!このままでは軍属用居住区が危険です!」

 

 要塞防衛司令部の通信は事態が急速に悪化している事を示していた。要塞駐留艦隊は身動きが取れず、要塞直轄の戦闘艇部隊も粗方出払っている。浮遊砲台だけではこの苛烈な攻撃に対抗するのは不可能だった。クライスト大将は要塞の重力磁場を調整して流体金属をミサイルにより攻撃されているブロックに集中させようとするが、その度に大量のミサイルで流体金属は弾き飛ばされ、あるいは強力な熱線により蒸発させられる。

 

「くくく!いいぞぅ、もう一息だ!各艦、攻撃を緩めるんじゃねぇぞ!」

 

 別動隊司令官キャボット少将は獰猛な笑みと共に叫んだ。八〇〇隻程のミサイル艦は絶え間なくレーザー水爆ミサイルを吐き出し続ける。同盟軍別働部隊のミサイル艦部隊に割り当てられたレーザー水爆ミサイルは凡そ三二万発、計画ではその全てをミサイル攻撃開始から一五分以内で撃ち尽くす事になっていた。

 

 三二万発……数もそうだが、真に驚くべきはその集弾率と攻撃のタイミングであろう。

 

 元より流体金属層を押し剥がすためには狭い範囲で集中的にかつ大量のミサイルを叩きつけなければならず、それは広大な距離のある宇宙空間では容易ではない。それは別動隊のミサイル艦部隊の練度の高さを証明するものであっただろう。

 

 同時に要塞主砲の第二射を実施しようというタイミングでの攻撃は絶妙だ。要塞主砲の第一射で駐留艦隊が動揺して動きが鈍くなった直後であり、同時に主砲が移動出来ないため別動隊の攻撃が『雷神の槌』に晒される事もない。そして何よりも要塞主砲の発射そのものを封じられる。

 

 別動隊のミサイル攻撃の予定は僅かに一五分、そして既に一〇分が経過しており流体金属層の厚化粧は無惨にも吹き飛ばされて、露呈している要塞外壁はその第四層までミサイルの雨によって破壊されていた。浮遊砲台の抵抗は最早殆ど沈黙していた。

 

「よし、今だ!揚陸部隊前進……!!」

 

 別動隊の艦列から前進するのは強襲揚陸艦一五〇隻とその護衛として戦闘艦艇一二〇隻である。旗艦は戦艦『プトレマイオス』、護衛部隊の司令官は艦隊運動の専門家でもあるエドウィン・フィッシャー准将、揚陸部隊司令官は同盟軍において屈指の宙陸両用戦の専門家であり、第三次イゼルローン要塞攻防戦にて要塞表面への揚陸にも成功したレオポルド・カイル・ムーア少将である。

 

 

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「正面、敵防衛部隊……!」

「迎撃せよ!揚陸部隊に手を出させるな……!!」

 

 要塞主砲射程内に突入して肉薄を図る別動隊揚陸部隊の前に立ちはだかるのは明らかに雑多に寄せ集めた一〇〇隻余りの艦艇と戦闘艇であった。恐らくは周辺宙域に偶然展開していたか、要塞内部に残留していた予備部隊等なのだろう。急行していたためか、隊列も碌に整えられずにがむしゃらに揚陸艦に砲撃を仕掛けるそれを、護衛部隊は一隊が揚陸艦の盾になるように中和磁場で受け止め、次いでもう一隊が側面に回り込み苛烈な砲撃で一蹴する。その鮮やかさは副司令官の艦隊運用能力を証明すると共に索敵網を抜けるために少数に留めざるを得なかった護衛部隊が、しかしその質は選り抜かれたエース級のみで編成されている事を示していた。

 

 迎撃部隊を打ち破り、その間に駆けつけた少数の帝国軍をも足を止めずに撃破し、続いて要塞外壁で待ち構える生き残りのワルキューレと浮遊砲台を護衛部隊がミサイル攻撃で叩き潰せば、次々と揚陸艦艇群が要塞表面に取りつき、そのまま流体金属の『海』に波を打ちながらその船体を沈めていく。当然ながらそれは沈没ではなく揚陸であった。

 

 同時期、ミサイル艦部隊によるミサイル飽和攻撃が止む。ミサイルを撃ち尽くしてしまったのだ。三二万発のレーザー水爆ミサイルはその三割が浮遊砲台や艦砲射撃、妨害電波で無力化されたものの大半はイゼルローン要塞に打撃を与えていた。しかし……それでも尚、帝国が国家財政を傾かせながらも構築した要塞の流体金属層による『海』とその下に設けられた数十メートルに及ぶ四重装甲の外壁は文字通り首の皮一枚で同盟軍のミサイル攻撃に耐えきって見せた。そうミサイル艦の攻撃には。

 

 次の瞬間、金切り声のような轟音が要塞全体に響き渡る。それは帝国軍にとって絶望を意味していた。

 

「敵揚陸艦艇群より爆雷攻撃っ……!が、外壁の第四層が完全に破壊されましたっ!!続いて第二宇宙港管制塔より連絡、爆雷で出来た亀裂部より大量の流体金属の流入を確認との事!それに………!敵揚陸艦艇を確認、繰り返します、敵揚陸艦艇を確認!反乱軍が要塞内部に侵入して来ました……!!」

 

 要塞防衛司令部のオペレーターは悲鳴に近い声で叫ぶ。それはこの瞬間、イゼルローン要塞はその歴史上初めてその無敵の外壁を突破された事を意味していた。

 

 

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「港内の防空隊に迎撃させろ!!要塞内の全兵に通達、第一級戦闘態勢に移行せよ!要塞内の無人防衛システムを作動、装甲擲弾兵第一三軍団を送れ!!一兵たりとも生かして返すなぁ……!!!」

 

 クライスト大将の怒声が、要塞防衛司令部に鳴り響いた。それは新たな惨劇の幕開けを意味していた……。

 

 

 

 

 

 突如として宇宙港にサイレンの音が鳴り響いた。何処か不気味な、聞く者を不安にさせるその音は、四半世紀以上前の要塞建設時に宇宙港への敵軍侵入を警告するように用意されたものであったが、同時にこれまで演習は兎も角実際の戦闘において流された事は一度もないものであった。

 

「凄い、こんな巨大な宇宙港初めて見ましたよ……!?」

 

 流体金属の『海』を泳ぎきり、そのまま爆雷によって生じた要塞外壁の亀裂から要塞内部に侵入し、雷雲を切り裂きながら突き進んだ同盟宇宙軍所属、強襲揚陸艦『ケイロン三号』……その陸兵待機室に設けられた強化硝子の窓、その窓越しに現れた景色を見て、今年六月に第五〇一独立陸戦旅団『薔薇の騎士旅団』に転属したライナー・ブルームハルト准尉は思わず感嘆の声を上げた。

 

 イゼルローン要塞には駐留艦隊を始めとした二万隻の宇宙艦艇を収容するために最小で数個隊規模、最大で一万隻近くを収容可能な大小六〇を超える宇宙港が整備されている。その中でも帝国側の方向にあり、艦艇五〇〇〇隻を収容可能なイゼルローン第二宇宙港は文字通り要塞内の宇宙港の中で二番目の規模を誇る巨大な要港施設である。

 

 一番小さい駆逐艦でも一五〇メートルを超える、そんな軍艦を五〇〇〇隻も収容し、整備と補給を行う第二宇宙港はそれ自体が一つの都市のようなものだ。しかも、そんな第二宇宙港すら巨大な空間を擁するイゼルローン要塞のほんの数パーセントを占めるに過ぎない。それだけでイゼルローン要塞がどれだけのスケールを有するのか理解出来るだろう。恐らくは第二宇宙港に侵入に成功した他の揚陸艦艇でも多くの兵士達が同じく同盟軍が初めて目にするイゼルローン要塞内部の威容に驚愕し、瞠目している事であろう。

 

「子供のようにはしゃぐのも良いが、精神衛生のためにも余り外は見ない方が良いぞ?」

 

 窓越しに宇宙港を見続けるブルームハルト准尉に、直ぐ近くの座席でシートベルトを締めて腕を組む上司がバリトンボイスで警告する。重装甲服に身を包んだ第五〇一独立陸戦旅団第二大隊長ワルター・フォン・シェーンコップ中佐である。

 

「え?隊長、それはどういう……」

 

 ブルームハルト准尉がそこまで呟いた時であった。宇宙港の一角から閃光が上がる。次の瞬間にはすぐ傍らを飛行していた強襲揚陸艇『ヒューイ七号』に突っ込み、次いで爆散する。横腹を吹き飛ばされた『ヒューイ七号』は破片と人間を大量に吐き出しながら急速に高度を下げ……大爆発を起こして四散した。

 

「あ……う…あ……」

「さてさて、随分と手荒い歓迎な事だな、これは?」

 

 直ぐ近くの味方艦艇が爆散した事に衝撃を受けて唖然とした表情であうあうと口元を震わせるブルームハルト准尉、一方バリトンボイスの子持ち大隊長は肩を竦ませてそんな新入りの姿に困り顔を浮かべた。船内の他の陸兵達は不敵な笑みを浮かべ、別の陸兵は口笛を吹き、あるいは敬虔なオーディン教徒は戦神か、あるいは戦乙女への祈りを捧げる。

  

 『ヒューイ七号』の撃墜を皮切りに、第二宇宙港の各所から次々と対空ミサイルの光弾と防空レーザーの光条が放たれた。イゼルローン要塞防衛軍の第二宇宙港防空隊による攻撃だった。

 

「怯むな!こっちもお返しの爆撃をしてやれ……!!」

 

 揚陸部隊の司令官ムーア少将は司令塔となる揚陸艦『ノルマンディー』から叫ぶ。その命令通り、『ノルマンディー』が先頭に立ちながら、各種揚陸艦艇の船底に設けられたハッチが開かれ、そこから絨毯爆撃をするかのように返礼の爆弾が落とされる。あるいは揚陸艦艇に装備された電磁機関砲や低出力レーザー、ハードポイントに装着された空対地ミサイルやロケット弾等が第二宇宙港の各所に放たれる。一気に第二宇宙港全体で爆発の光が発生し、港は地獄絵図と化した。

 

「レーダーが高速飛翔体確認!これは……!?こ、航空機です!敵航空機部隊の発進を確認しました!!」

 

 揚陸艦の艦橋でオペレーターが驚愕の声を上げる。レーダーと光学カメラは宇宙港の電磁カタパルトデッキから次々と上がる帝国軍の大気圏内戦闘機の姿を捉えていた。

 

 流石に音速越え、となると空間的余裕がなかったのだろうが、それでもティルトローター戦闘機等という代物が中部を飛び回るだけの広さがあるなぞイゼルローン要塞のような超巨大要塞位のものだ。同盟軍も捕虜や諜報員からの情報で存在そのものは聞いていたが、実物を目にするとなると驚愕せざるを得ない。

 

「慌てるな!此方も宙陸両用戦闘艇を出せ!迎撃させろ、格闘戦だ……!!」

 

 ムーア少将からのその声と共にビームバルカン砲と空対空ミサイルを搭載した同盟宇宙軍陸戦隊の宙陸両用戦闘艇部隊が揚陸艦から発進し、帝国軍要塞防衛軍の要塞航空隊との空戦を交え始める。余りに広大なせいで雲すら存在する第二宇宙港の『空』で次々とドッグファイトによる黒煙と爆発の光が生じる。そんな光景を横目に同盟軍の揚陸艦艇群は次々と低空を滑空して着陸態勢に移る。

 

「叛徒共にこの要塞に足を踏み入れさせるな!撃ち墜とせ……!」

 

 悪足搔きとでもいうように宇宙港から現れた黒衣の軽装陸戦隊が個人携帯可能な機関銃や携帯式地対空ミサイルで着陸態勢に移る揚陸艦艇に攻撃を仕掛ける。あるいは整備員であろうか?つなぎを着た人影ががむしゃらに小火器を乱射するが……流石に大気圏突入すら想定した揚陸艦艇の頑強な装甲にそんなものは殆ど効果はない。下部に設けられた銃座からの制圧射撃に軽装陸戦隊や臨時陸戦隊は次々と殲滅される。圧倒的な火力の差によって宇宙港の防空部隊はその戦力の大半を喪失した。

 

『乗り上げるぞ!乗員は衝撃に備え……!!』

 

 『ケイロン三号』の艦長が叫ぶ。その数秒後には船内を地震と思わんばかりの激しい衝撃が襲った。『ケイロン三号』は艦首の低出力レーザー砲で港内の戦艦用ドックを、その封鎖用シャッターを吹き飛ばした後無理矢理突入した。ドック内のクレーンや作業車を艦首が吹き飛ばし、船腹がドックと擦れてけたたましい悲鳴を上げる。当然『ケイロン三号』の方も無傷とは行かずアンテナが何本か持っていかれた。

 

『艦長、勢いが強すぎます!このままでは正面から衝突します……!!』

『分かっている!!今だ、艦首バーニア全開!!』

 

 艦長の叫びと共に艦首のバーニアを逆噴射してその勢いを殺す事で『ケイロン三号』は頭から激突する事なくドック内に着岸する事に辛うじて成功した。同時にこの瞬間、『ケイロン三号』は揚陸部隊において最初に着岸に成功した艦艇としての栄誉を手に入れる事となった。同時にその栄誉は乗員する兵士達もまた同様であった。

 

『着岸成功!繰り返す、着岸成功……!!』

「よし、総員降船しろ!行け行け行け……!!」

 

 『ケイロン三号』の横腹に設けられたハッチが降りるやいなや、白い甲冑姿の人影が次々と躍り出る。同盟軍の重装甲服に身を包んだ兵士達が凡そ六個小隊及び中隊・大隊司令部要員。総員にして三六七名……宇宙暦792年五月六日1800時、この瞬間『薔薇の騎士旅団』の第二大隊第一中隊は今次作戦において、そして同盟軍兵士として初めてイゼルローン要塞内部に降り立った戦士達となったのである。

 

 ……尤も、この段階においてはそんな事は誰も気にも止めていなかったし、その事実に感慨を抱く余裕も無かったのだが。

 

 薔薇の騎士達は『ケイロン三号』周辺に展開すると、敵が存在しない事を確認して即席の陣地を築き上げる。

 

「橋頭堡を確保しました!これより他中隊との合流のために前進を……」

「おいおい、余所見をするな。危ないぞ?」

「はい?うおっ!?」

 

 周辺警戒の後、大口径の火薬銃を肩に下げてから報告をしようとした若い陸兵の肩を不良騎士は引っ張った。次の瞬間、若い陸兵の頭があった空間を炭素クリスタル製の鏃が通り過ぎて、その先にあった『ケイロン三号』の船体装甲に火花を散らしながら弾かれる。

 

 正面を向いた薔薇の騎士達の前に現れたのは灰色の甲冑に身を包んだ髑髏に赤い瞳を湛えた剣呑な集団だった。ドック内で待ち構える帝国軍装甲擲弾兵の一団……より正確に言えばイゼルローン要塞に駐屯する装甲擲弾兵第一三軍団第五五師団第一一八連隊第一大隊に属する者達であった。挽き肉製造機が直々に率いる装甲擲弾兵第三軍団には流石に及ばずとも、精兵である事は彼らの立ち振る舞いから見てまず間違いなかった。

 

「さて、御迎えの御到着だな」

「ひえぇ、随分と大層なおもてなしなこったな、モテる男は辛いぜ」

「目標は要塞主砲管制室、工作員からの地図が正しいのならここから六キロといった所ですね」

「とっとと片付けようぜ?他の部隊も目標に向かっているんだ。一番乗りにはボーナス支給らしい、負けられねぇよ」

 

 軽口を語り合いながら薔薇の騎士達は次々に戦斧を構えた。それに応じるように髑髏の軍団は雄叫びを上げながら戦斧を両手に携え突貫を始める。薔薇の騎士達は獰猛な声と共にそれを迎え撃った。

 

 激しく鳴り響く足音、戦斧同士のぶつかる金切り音が音楽のように鳴り響き、悲鳴と共にドックは鮮血に彩られた……。

 

 

 

 

 

「別動隊より連絡。揚陸した陸戦部隊、要塞内部への揚陸に成功……!」

 

 オペレーターがその事実を伝えた瞬間、遠征軍旗艦『ヘクトル』艦橋は歓声に支配された。宇宙暦767年にイゼルローン要塞が完成して以来二五年、その間四度の大規模遠征、大小十数回の特殊部隊や諜報員による工作作戦、莫大な兵力と資産と時間、優秀なエリート参謀の頭脳をつぎ込んでも尚、同盟軍は一兵すらあの忌々しい虚空の女神の内に送り込む事すら果たせなかったのだ。それを数万規模の揚陸部隊の上陸に成功したのだ、興奮しない筈がない。

 

「気を緩めるな!まだ要塞が陥落した訳ではないぞ!第七機動戦闘団は要塞駐留艦隊から別動隊を守れ!第四艦隊は再編成と補給完了次第散開陣形で再攻撃を行わせよ!此方の揚陸部隊も投入するぞ、突入準備に入らせろ!」

 

 シトレ大将以下の遠征軍総司令部の最高幹部達は一時の興奮に囚われる事なく、矢継ぎ早に命令を下していく。

 

「イゼルローン要塞内部の敵戦力は五〇万から六〇万前後、半数以上が後方支援要員であるとしても陸戦部隊は二〇万から三〇万と言った所でしょう。此方の別動隊に随行させた陸戦部隊は艦艇要員や司令部要員等も含めて三万名、帝国軍も正面からの揚陸を警戒していたでしょうから直ぐに大軍を投入される事はないでしょうが……精鋭を集めたとは言え、地の利が敵にある以上そこまで期待は出来ません。我が方も可能な限り早く主力を揚陸させるべきでしょう」

 

 作戦部長マリネスク少将が語る。以前会議で目付きの悪い第六艦隊司令部副官が高慢に別動隊こそが主役と語っていたが、それを唯々諾々と認める程マリネスク少将は楽観的ではなかった。無論、要塞司令部や主砲管制室を制圧出来れば喜ばしい事ではあるが、それを期待するだけで何もしないというのは作戦参謀としては唯の怠惰というべきであろう。

 

「現在、帝国領に建設した監視基地より帝国軍の増援部隊が移動している事が確認されています。オーバーライン帝国クライスの第一〇胸甲騎兵艦隊先遣部隊がリューゲンより出港したのが確認されております。周辺宙域の正規軍及び一部私兵軍も招集を始めているようです」

「フォーゲル少将か、流石に動きが早いな。想定ではもう少し時間がかかると思ったのだがな」

 

 情報部長ホーウッド少将からの報告に顔を顰めるのは航海部長クブルスリー少将である。帝国軍の動きを過少評価していた訳ではないが、それでもその迅速さには舌を巻かずにはいられない。

 

イゼルローン回廊に繋がる帝国の国境宙域たるオーバーライン帝国クライスはイゼルローン要塞が建設されるまで帝国の対同盟戦争の最前線であった。そのため軍役農奴や士族の入植する『軍役属領』(シルトラント)を始めとした皇帝直轄領が多く、代々大総督や軍司令官も実戦主義的な武門貴族や士族出身者が任命される傾向にあった。

 

 尤も、イゼルローン要塞が建設され帝国本土が大規模な侵攻を受ける可能性が低下してからはその情勢も変化があり、イゼルローン要塞の後方支援として、今一つには新たな利権の温床として文官貴族や地方貴族、後方適性のある軍人が行政や軍の責任者として配属される例が増えていた。現オーバーライン帝国クライス大総督ロッテンシュタイン伯爵等はその代表格であり、典型的な官僚的で俗物的な貴族である。

 

 同盟軍が今回の遠征においてオーバーライン帝国クライス内において最も警戒した人物が本クライス内における帝国地方宇宙艦隊の主力たる第一〇胸甲騎兵艦隊司令官フォーゲル少将であった。名門士族出身の帝国軍でも希少になった古風で実績ある提督である。二年前までの帝国軍による同盟国境宙域への大規模侵攻、その鏑矢となったエル・ファシル攻防戦時の帝国側司令官でもある。

 

「後方の様子はどうだね?」

「其方は各戦線の部隊が奮闘中ですので、今少し此方に向かって来るには時間がかかるでしょう」

 

 シトレ大将の質問に通信部長ガエナ准将が答える。遠征軍の通信状況は比較的良好であり、後方の状況をほぼ正確にかつリアルタイムで把握出来ていた。

 

「そうか。彼らの奮闘に報いるためにもここでイゼルローン要塞を落としたいものだな」

 

 そう呟いて気難しそうに、そして深刻そうに腕を組むシトレ大将。しかし、彼は思う。本当にこのまま上手くの行くのかを。敵は……帝国軍は半ば狂乱状態に陥っていたと言え味方ごと同盟軍を吹き飛ばすような暴挙を行うのだ。

 

(事前に想定してなければこの時点で勝負がついていたな……)

 

 それは幸運な事であった。だが、味方撃ちをする程覚悟を決めている敵がこのままみすみす要塞が陥落するまで指を咥えているであろうか?シトレ大将には到底そんな気楽な事は考えられなかった。

 

(まさかとは思うが……)

 

 ちらり、とシトレ大将は艦橋を見渡し、その人物を発見する。後輩の中尉と何某かを話しながらデスクで足を組み紙コップに入った紅茶を啜る教え子でもある少佐……。

 

「………」

 

 一瞬、シトレ大将は彼に自身の疑念をぶつけて見ようかと考えるが、すぐにその考えは頭の片隅に押しやられる。傍らに立つ数名の参謀スタッフが書類を持って並んでいたから。九〇〇万近い大軍を指揮する大将にはこうしている間にも多くの判断するべき課題と裁可するべき書類があった。時間も体力も有限、そのため現状作戦は順調に進んでいる事もあり、その脳裏に過る疑念の解決は後回しにされてしまう。

 

 それ故シトレ大将は、後回しにする。それ自体は当時の状況から言って特別に非難される判断ではなかったし、仮に質問して答えを得てもそこからどうするかはまた極めて厳しい判断であっただろう。結果的には何も変わらず、あるいは悪化した可能性すらある。

 

 それでも……それでも大将は後にどれだけ後悔した事であろう?それはこの五回目のイゼルローン要塞を巡る攻防戦の第二のターニングポイントであったのだから。

 

 そして……。

 

「パーカー少将、戦局は重要な局面に入った。この『ヘクトル』はイゼルローン要塞に取りつく訳にはいかん、君には総司令部からの代理として揚陸部隊の陣頭指揮は頼めるかね?」

 

 シトレ大将は若い少佐の知恵に頼る事はせずとも可能な限り作戦成功のための布石は打った。実戦部隊長としても勇将として名声を馳せるパーカー陸戦部長を総司令部からの代理人として送る判断をする。

 

「承知致しました。ですが、揚陸部隊も大所帯です。それにあの乱戦の間隙を縫って乗り上げるとなると簡単ではないでしょう。艦隊運用面で参謀を一人御貸し頂きたい」

「うむ、その点は承知している。問題はその参謀であるが……」

 

 シトレ大将はパーカー少将の申し出に頷き、次いでその参謀を任命しようとする。問題はこの切迫した重要な時期に艦隊運用に能力があり、かつ階級としては大佐か准将、その上で手の空いていそうな参謀がいるかどうかであるが……。

 

 キョロキョロと艦橋を見渡して、ふとシトレ大将はその人影に視線を止める。そして、僅かに逡巡した後、その能力が最低限必要十分なものを満たしていると判断した大将は決断する。そして口を開いた。

 

「ティルピッツ准将、暇しているのならこれから命じる任務を頼まれてくれるかね?」

「………はい?」

 

 サンドイッチを片手に間食を摂っていた貴族将校は、思いもかけない呼び掛けに首を上げてきょとんと、次いでその意味を理解して額に一筋の汗を垂らし顔を引き攣らせたのであった。

 

 

 

 ……恐らくは、それは誰もが予期し得なかった三番目のターニングポイントであった。



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第百八十一話 選択肢があるようでない状況は社会では良くある事

戦況挿絵を作成しない代わりに今回は地図を作製して見ました。尚、同様の図表を第一話後書きのイラスト集最後に追加しました

自由惑星同盟・サジタリウス腕星図

【挿絵表示】



同盟・帝国星図(帝国側は制作途中)

【挿絵表示】



皆様の作品世界のイメージ補完となれば幸いです


「醜悪なものだな。あれだけの暴挙を行って、結局はそれすらも利用されるとは」

 

 人類社会を大きく二分する二大超大国が乱戦を繰り広げるアルテナ星域、その一角に展開する巡航艦の艦長席で頬杖をついてそう嘯いたのは妖精のように美麗な男だった。

 

 蒼と黒の金銀妖瞳、戦女神の心すら一瞬で奪ってしまいそうな美貌、男なら誰もが羨む均整の取れた筋肉の引き締まった長身……多くの人々の思い描く理想の存在を思わせる男の名前はオスカー・フォン・ロイエンタールと言った。階級は宇宙軍中佐、銀河帝国宇宙艦隊の精鋭たる『有翼衝撃重騎兵艦隊』、その一角を占める第三一五戦隊第九九一巡航隊司令官である。

 

『全く、ひやひやしたものだ。まさか要塞の奴ら、俺達ごと同盟軍を吹き飛ばそう等と考えるとはな。お前の警告がなければ俺も危なかったぞ』

 

 第九九一巡航艦隊旗艦『エグスタット』のスクリーンの一角に映される蜂蜜色の髪をした青年士官が腕を組み不快気にぼやく。同じく第三一五戦隊所属の駆逐艦群の一つを率いるヴォルフガング・ミッターマイヤー中佐である。彼の駆逐艦群は乱戦の最中、親友からの助言を受けて半信半疑で要塞主砲の射線から事前に退避していたのだが……結果としてその判断は正しかったと言えるだろう。尚、彼らの上位部隊たる第三一五戦隊司令部は要塞主砲により消し飛んでおり、戦隊残存部隊は指揮系統が混乱して個々の部隊で判断して戦闘中である。

 

「奴ら帝国貴族にとって、末端の兵士なぞ幾らでも使い捨てに出来る消耗品に過ぎんからな。自分達の保身のためであればこれ位の所業、当然のようにして見せるだろうさ」

 

 ロイエンタール中佐の皮肉と冷笑を含んだ物言い、しかしながらその内容を唯の誹謗中傷と断ずる事は出来ない。少なくとも戸籍上の父方は金で騎士号を買った下級貴族であれその資産は下位の男爵に匹敵し、母方の家は実情は兎も角、名目上は大貴族であるマールバッハ伯爵家の生まれである。帝国貴族社会にどっぷりとは言わずともそれなりに浸かり、社交界にも顔を出す権利があるこの男は門閥貴族の独善的で歪んだ価値観を良く良く理解していた。

 

『それに付き合わされる方は堪ったものではないな。………それにしても貴族、か』

「?どうしたのだ、ミッターマイヤー?そんなげんなりとした表情をして。お前らしくもない」

『嫌な記憶を思い出した。エル・ファシルだ』

「……あぁ、エル・ファシルか」

 

 戦友の言葉に直ぐに合点がいくロイエンタール中佐。『貴族』という単語で一昔前まで二人が思い浮かべたのはオーディンの馬鹿貴族達であったが、今となっては二年半程前の戦場での酷い経験が真っ先に思い浮かぶ。

 

『楽な任務と思って舐めたのが悪かったな。最終的には失敗して、追われて、散々だった』

 

 そう言って溜息をつく小男。ズタボロの亡命貴族の青年がマジギレして乱入してきた兵士達を褒賞を餌にけしかけ、自分達を追わせまくったのは嫌な思い出だ。命からがらに逃げ切ったと思えばこれまで一進一退を繰り広げていたエル・ファシルの地上戦線が急速に崩壊して、その後何度迫撃を受けて死にかけた事か。エル・ファシルから撤収する帝国軍艦艇の最終便にどうにか合流出来たものの、一歩間違えればそのまま見捨てられて戦死か捕虜となっていた。

 

『嘘か真か。プロパガンダでは第九野戦軍を降伏させたのはあの中佐だったらしいじゃないか?だとすれば逃がした魚は大きかったな。確か大貴族の一人息子だったか?』

「あぁ、建国期から続く名門だそうだな。全く、宮廷闘争で惨めに負けて、共和主義者の国に逃げてまで貴族である事を誇るとは。……何度聞いても滑稽な話に思えるな」

 

 宮廷や士官学校で幾度か耳にした事がある銀河帝国亡命政府……主に宮廷闘争に敗れた門閥貴族が寄り集まり結成したそれは、帝国政府において名目上では共和主義者が建国した自由惑星同盟の『宗主国』であり、同盟国であり、帝国諸侯と私戦中の存在とされている。

 

 帝国政府の体面としては、曲りなりにも亡命した皇族と諸侯達が結成した亡命政府が奴隷達の国より下にあってはならず、また彼らとの戦いが反乱となっては族滅しなければならず、そうなると血統を辿れば未だ帝国に残る諸侯達にまで飛び火してしまうからだ。そして、同盟政府からしても帝国系移民の統制や帝国政府との交渉窓口の一つとして、亡命貴族の資産や人員、戦力等を合法的に利用するためにその存在を認めているとされている。

 

 そのような高度な政治的状況を利用する事で、亡命政府と亡命貴族達は専制主義と共和主義という二つのイデオロギーが血を血で洗う戦乱の時代で一世紀半に渡り特異過ぎる体制を維持してきた訳だが……ロイエンタールからすればその在り方は無様で愚かで、醜悪に思えた。

 

『随分と辛辣だな、ロイエンタール。確かに俺も馬鹿貴族共は好きになれんが……エル・ファシルで会ったあの男は実力は兎も角、覚悟はそれなりに賞賛に値する奴だと思うがな?見る限り部下の忠誠心も高いようだったしな』

「そうか。お前にはそう思えるか。ミッターマイヤー」

『お前にとっては違うのか?』

「違うな。アレも、根本的には変わらんよ。何も、な」

 

 戦友の比較的好意的な評価に対して、しかしロイエンタールは渋い表情を浮かべる。そこには亡命政府と亡命貴族という存在への明確な軽蔑の色が見えた。

 

(確かに血反吐を吐く程度には努力はしたように見えたが……だとしてもあの蛮勇も、ましてや部下の忠誠心も何の指標にもならんぞ、ミッターマイヤー?所詮、貴族は貴族。骨の髄まで奴らの精神は病んでいるのだからな)

 

 帝国の貴族階級そのものが封鎖的で排他的で、差別的で、常軌を逸した価値基準が支配している。特に古ければ古い貴族程。その醜悪さを敢えて口にはしないものの、その狂った世界は目の前の小柄な戦友のような善良で素朴で、勤勉な中流の平民階級出身者には想像も出来まい。

 

 そもそも門閥貴族にとって自分達以外の存在も同じ人間だという認識があるかすら怪しいものであった。究極的には平民なぞ、家畜位にしか考えていまい。例外こそあれ、大半の有能な門閥貴族達にとってそこに至るまでの努力の源は差別意識である事をロイエンタールは知っている。平民共に敗れる事を許せず、認めず、恐れる。それ故に彼らはそんな『卑しい血』を捻じ伏せるために自らを磨くのだ。

 

 それは誇りと呼ぶには歪んでいた。歪んだ選民意識と特権意識、それこそが彼らの力の源だ。だからこそ、貴族共は皆基本的に冷酷で冷淡で、高慢で尊大なのだ。それは有能でも無能でも変わらない。いや、ある意味では有能な方が余計質が悪いかも知れない。

 

 そして、そんな諸侯に侍る従士や奉公人も、主君達と同程度かそれ以上に狂った存在だ。元より箱庭の中に生まれ、代々に渡って思想教育を受けた彼らの忠誠心は信仰と呼んでも良い。有能だから、忠誠に値するから付き従うのではない。元よりそれ以外の生き方を知らぬから彼らは従うのだ。それこそどれ程理不尽でも、どれ程おぞましくとも、それしか知らぬ者にとっては地獄も地獄と認識出来ない。そして人間という存在は基本的に保守的で、変わる事を恐れる存在だ。

 

「だからこそ奴隷のように従い、犬のように尽くす訳だ。だからこそ、な………」

 

 小さく呟くロイエンタールの脳裏に思い起こされるのは、エル・ファシルで戦った従士の記憶である。それは一人は漆黒の森の中で自らの死を覚悟して自身を足止めした従士であり、今一人が主君と互いに信頼して、心から思い立っているように見えた金髪の女性士官で……。

 

「………」

 

 特に強く彼の記憶に残ったのは後者の方であった。最後まで自身の主君の命と名誉を守ろうとして命を懸けて、主君もまたそんな彼女を守ろうと怪我を顧みず、名誉すら諦めようとしていた。その光景は『貴族』と『女性』の双方を軽蔑していた彼にとって強く脳裏に焼き付いていた。

 

 戦友の妻のように清らかな心を持つ女性も存在する事は理屈では理解している。しかし、貴族社会の醜さと異質さを知る彼にとって、片方がどっぷりと特権に浸り切ったであろう大貴族の子弟で、今一人が同じく『貴族』たる従士の女性ともなれば話が違う。本来ならばそこに戦友とその妻のような繋がりなぞ有り得ぬ筈である。

 

 ……それが唯の主従関係でなければ、肉体だけの男女関係とも違う事を、彼は直感的に理解していた。その上でロイエンタールはその直感を無意識の内に否定し、彼の知る低俗な貴族の、そして男女の関係に貶める。

 

 それはあるいは一種の羨望であったかも知れないし、嫉妬であったかも知れない。そう、同じ貴族としての羨望、そして自分の得る事はないであろう女性との関係への嫉妬………。

 

「……ロイエンタール?」

「……それはそうと、困ったものだな。これでは要塞に一旦退却、という訳にもいかんな」

 

 普段とは何処か違う戦友の姿に庭師の息子が首を傾げて呼び掛ければ、呼び掛けられた帝国騎士の息子は不敵な笑みを浮かべ、そう語った。それは自身の心境を誤魔化すためでもあった。

 

「ん?あ、あぁ。全く困ったものだ。同盟軍の別動隊が揚陸を始めている。安全な要塞の中に逃げ込もうと思ったがこれでは要塞内も危険だな」

 

 ミッターマイヤー中佐は一瞬戦友の変貌に狐につままれたような表情を浮かべるが、直ぐに気を引き締めてその会話に答える。同時に『エグスタット』のスクリーンの一角に新たな映像が映し出される。そこに見えるのはズタズタに傷ついた要塞の表面に次々とモスグリーンの艦艇が取りつき、あるいは現在進行形で流体金属が流れ込む外壁の亀裂に沈む姿である。

 

「前方の戦局も悪化の一途を辿っている。元より戦力差が大きすぎるからな、完全に消耗戦に持ち込まれて駐留艦隊は削られ続けている有り様だ。しかも此方は此方で要塞表面に何隻も敵が取りつき始めている。揚陸部隊も前進を始めているからそう遠からず要塞内部でも第二戦線が構築されるだろう」

 

 難攻不落を誇るイゼルローン要塞もこうなればいつまで持つか……増援部隊を要請しているがそれとていつになったら来るものか。

 

『俺達に一個梯団でもあれば勝つのは無理でも時間稼ぎのしよう位はあるのだがな。今手持ちの戦力ではどうにもならん。ここに至っては戦力の温存しかないな』

「全くだ。どの道このような混戦、付き合っていても意味があるとは思えん。ここは他の奴らに任せて我々は一旦後退するのが吉だろうな」

 

 要塞駐留艦隊本隊がこうしている間にも混戦の中で無意味な出血を続けている。無論、それはヴァルテンベルク大将が無能であるという一言で片付けられるものではない。同盟軍もまた要塞駐留艦隊との混戦状態を維持しようと躍起になっている。

 

 ましてや圧倒的な戦力差ともなれば要塞駐留艦隊が主導権を奪われ続けるのも無理はない。

 

 だがそれはそれとして、この混戦に付き合う義理がないのもまた事実である。既に戦端が開かれて二〇時間以上が経過していた。各部隊単位で将兵の休息を摂っているとは言え、兵士達の疲労は確実に溜まっている。彼らに本格的な休息を行わせるためにもここは一旦戦場から離れるのが上策であろう。

 

 結論が出たならば後は実行するだけである。二人の中佐は互いの部隊を連携させてこの混戦状態からの離脱を試みる。途上、同盟軍の妨害行動が行われたが、それを二人は逆撃して同盟軍の一個戦隊を半壊させて旗艦を撃沈、司令部を全滅させる。そうして出来た混乱の間隙を縫って双方合わせて五〇隻に満たぬ小艦隊はイゼルローン要塞の裏側まで避難する事に成功した。

 

 当然の事ながらそれは両軍合わせて七万隻以上が入り乱れるこの会戦においては本当に細やかな勝利に過ぎず、その勝利に戦略的な意味はなく、戦術的にも殆んど戦局に寄与する事はなかった……。

 

 

 

 

 

「進め進め!帝国軍が態勢を立て直す前に一気に攻めろ……!」

 

 要塞外部にて両軍の艦隊が熾烈な砲撃戦が続く間、イゼルローン第二宇宙港地上部でもまた激しい戦闘が続いていた。上『空』を帝国軍の大気圏内戦闘機や戦闘ヘリコプターが飛び交い、同盟軍の宙陸両用戦闘艇と空中戦を繰り広げる。『地上』に目をやれば千隻もの同盟軍の揚陸艦が周囲の施設を圧し潰す形で無理矢理揚陸し、装備する対空レーザーで防空戦闘を行いつつ兵士と車両を吐き出す。艦船整備ドッグの各所では戦闘による黒煙が上がり、あるいは爆発の光が生じる。銃声と怒声は鳴りやむ気配すらなかった。

 

『よし、第二一二陸戦連隊は第五搬入ゲートに向かえ!そこが敵陸戦部隊のメイン通路だ、そこさえ抑えれば敵の増援はかなり絞れる……!』

『管制塔では激しい戦闘が継続中の模様!制圧までまだ時間がかかります……!』

『一個大隊を援軍に送るからさっさと陥落させろ!そこが健在だとドック内での戦闘が不利だ!如何なる犠牲を払ってでも落とせ……!』

『宇宙港Sエリアより連絡。……戦車部隊を確認!?さ、最低でも大隊規模の機甲部隊が進軍中の模様!』

『ちぃ……!動ける対戦車部隊を全て搔き集めろ!話には聞いていたが本当に機甲部隊まで編成されているのか、糞ったれ……!』

『此方Fブロック、こん畜生め!要塞の奴ら後方の隔壁を閉じやがった!手持ちの爆薬では破砕不可能、前方からは敵装甲擲弾兵が接近中!このままでは孤立する、至急揚陸艦に対地ミサイルによる支援攻撃求む……!』

 

 要塞の地下を突き進む兵士達が耳を澄ます無線機からは次々と味方の通信が流れ込んできていた。その内容はイゼルローン要塞に奇襲揚陸に成功した兵士達が決して一方的に善戦している訳ではない事実を伝えていた。

 

 巨大過ぎるイゼルローン要塞、そこに何十万という兵士が詰め込まれ、多量の銃火器に装備、それらに装填する豊富な弾薬、各種の無人防衛システム……地の利に火力の差、圧倒的な数、同盟軍が精兵を帝国軍の虚を突いて上陸させ、帝国軍の士気が落ちているとしても尚帝国軍の持つアドバンテージは崩れていなかった。同盟軍は現在進行形で要塞内に進軍し、ブロック単位で制圧空間を広げているものの、それも今だけの事であろう。

 

 帝国軍が大規模な防衛部隊を差し向け始めれば最終的に要塞から叩き出されるか、あるいは包囲されるか……全滅するか降伏するかの違いこそあれそれが愉快な事ではないのは言うまでもない。事実既に部分的にであれ部隊の一部が孤立し包囲されていた。

 

 故に同盟軍は帝国軍が未だ動揺し、混乱する今の内に短期決戦を図るのが最善ではあるのだが……。

 

「はぁ、はぁ……漸く全員黙らせたか。糞っ、二線どころか三線級の部隊相手に存外苦戦したな……!」

 

 鈍色の壁が続く通路で息切れしながら同盟地上軍の室内戦闘装備を装着した軽装歩兵が呟いた。多機能電子ゴーグルで目を覆い、口元には防毒マスク、黒色の鉄帽を被り身に着けるのは同色の防弾着に迷彩服を着こむ。前者は重装甲服と違い防御力こそ劣るが継戦能力と機動性を確保しつつも急所を守るために追加プレートが各所に仕込まれており、後者は難燃性と防刃性、防水性を兼ね備えた特殊繊維に更に熱探知を考慮したコーティングが為されている。手に持つのはG-44自動小銃、特殊作戦や対装甲擲弾兵戦闘において活用されるそれは重装甲服すら砕く大口径の実弾銃であり、弾丸の大型化による装填数の減少をケースレス化で補っていた。

 

 別動隊に随行した揚陸部隊の一つたる同盟地上軍所属、第三八歩兵連隊第一大隊所属の対装甲軽歩兵達は目前の抵抗を完全に排除すると前進を再開する。足元に転がるツナギを着た数十という死体、恐らく整備員を急遽動員したのだろう、帝国軍の臨時陸戦隊はしかし軽装であり火力も練度も劣悪、到底同盟地上軍の第一線部隊に本来ならば太刀打ち出来る筈もないのだが……やはり地の利は馬鹿に出来ないようで、格下の敵部隊を完全排除するのに彼らは三〇分もの時間を浪費してしまった。

 

「よし、情報が確かならこの先の通路を抜ければ整備工廠だ。行くぞ……!」

 

 小隊長達が命令して部隊単位で散りながら兵士達は廊下を進む。通路を抜ければその先に待ち構えるかなり広い空間に兵士達は出る事になった。

 

「此方第一小隊、クリア!」

「第二小隊同じく!」

「第三小隊先行せよ。警戒しつつ下のブロックに続く通路を捜索、確保せよ……!」

 

 広い空間に出て二個小隊が周辺警戒、次いで第三小隊が前進を開始して目標の通路の確保に向かう。

 

「凄い規模の設備だな、こりゃあ」

「全くだ。良くもこれだけの要塞を建設したものだぜ、馬鈴薯野郎共も」

 

 工廠を突き進みながらも、周囲の光景に同盟地上軍兵士達は驚嘆せざるを得ない。

 

 第二宇宙港の一つ下の空間に広がるのは燃料や弾薬を搬入する巨大な通路である。更にその隣には恐らく前線に送る大気圏内戦闘機や地上車両、水上艦艇の整備工廠であった。恐らくはここで整備を終えると積載量一〇万トンの巨大貨物用エレベーターで宇宙港まで運ばれて、そのまま輸送艦等に積まれて前線に送られるのだろう。

 

 全長四〇〇メートル余りの核融合炉搭載の水上航空母艦がドックに何十隻も並んでいる光景を横目に見る兵士達。宇宙艦艇ならば精々巡航艦より一回り大きいだけのサイズとは言え、宇宙と地上とではスケールの感覚が違う。これ程巨大な水上艦艇用ドックが重力のある宇宙要塞の中に完備されているなぞ同盟軍の常識からすればとんでもない事だ。

 

「本当に広すぎるな、この要塞は。……っ!新手が来たぞ!」

 

 その銃撃を前に第三小隊は咄嗟に隠れ、同時に小銃を構える。恐らくは蝿取蜘蛛をモデルにしたのだろう、成人男性より二回り程大きなドローンの集団である。四足の足でのしのしと床を進み、機械整備用の二本のマニュピレータを有するそれは元々整備部隊所属であったのだが、今では擲弾筒とチェーンガンを無理矢理固定してOSが戦闘用に書き換えられていた。カメラをぐるぐると回転させて、不慣れな動きで同盟軍兵士達の前に立ち塞がる。

 

 尚、当然ながらフェザーン在住の何処ぞの伯爵家の娘が所有する同型とは違い、態々無駄な会話機能と人間臭い感情表現機能なぞで貴重なデータ容量を無駄食いするような事はしていないので言葉を口にする事なく、カメラアイの発光による光通信で各機で情報交換を行っている。とは言え……。

 

「……動きは鈍い。間に合わせ物だな、データリンクも十全に出来ていない。鴨だ、とっとと仕留めるぞ……!」

 

 ドローンの鈍い動きと銃撃の命中率の低さから小隊長は口元を吊り上げる。元々戦闘用ドローンなぞ対ゲリラ戦や対テロ戦なら兎も角、正規戦では足止めにしかならない。ましてや整備員達が急造で拵えたものなぞ、小隊長が口にする通り、文字通り鴨でしかなかった。

 

「よし、行け……!」

 

 その掛け声と共に物陰に隠れて銃撃を凌いでいた兵士達は一瞬の銃撃の隙を突いて行動を開始する。一隊が反撃と牽制の銃撃を放つと同時に別の一隊は整備工廠の影から迂回して後方と側面から小銃擲弾とロケット弾を叩き込み、駄目押しの銃撃を開始する。

 

 ドローンは数こそいたものの戦闘用ではないために装甲なぞ無きに等しく、そのボディの旋回能力は低く、装備の射角も広くはない。それ故に死角から一気に火力を集中されてしまえばそれだけで三〇以上展開していたドローンは第一撃で半数近い数が戦闘不能に追い込まれた。

 

「よし、いけるぞ。このまま残敵を……ぎゃあっ!?」

「おい、どうした!?いきな…がっ!?」

 

 後背と背後から回って来た兵士達の声は次々と戦斧の振るわれる音と共に断末魔の悲鳴に変わり、そして二度と発せられる事は無かった。皆、戦斧の露に消え去った。

 

「ちぃ!装甲擲弾兵……!」

 

 小隊長が叫ぶ。恐らくは正面のドローンは囮であった。同盟軍の軽装歩兵達がドローンに注意が向いていた所に襲い掛かって来たのは髑髏の重装甲服に戦斧を構えた集団であった。一人が同盟軍兵士三人とも五人とも匹敵すると謳われる銀河帝国装甲擲弾兵……!

 

「弾幕を張れ!接近を許すな……!」

 

 第一撃を生き残った同盟地上軍の兵士達は巨大な防盾を構える装甲擲弾兵に向けて一斉に銃撃を浴びせる。幾ら小口径実弾銃や低出力ブラスターライフルの銃撃を無力化する重装甲服とは言え、それを想定したG-44の銃弾が命中すれば貫通は免れない。故に装甲擲弾兵達はその動きを封じられるのだが……。

 

「ぎゃ……!?」

 

 そのチェーンガンの銃声と同時に同盟地上軍兵士の一人の足が噴き飛ぶ。

 

「ちぃ!?ドローンが残っていたか……!?」

 

 スクラップの山と化したドローンの残骸、それを乗り越えながら手元に無理矢理装備されたチェーンガンを乱射する蜘蛛型ドローン。迂回した部隊が装甲擲弾兵によって半壊したためにドローンを全て仕とめ切れなかったらしい。

 

「不味い!挟撃される……!?」

 

 一瞬の隙を突いて防盾を投げ捨てた装甲擲弾兵が突入してくる。ドローンと装甲擲弾兵の連携攻撃を前に第三八歩兵連隊第一大隊対装甲歩兵部隊は瞬く間に敗走していった。

 

「進めぇ!思いあがった共和主義者共を良く良く躾けてやれ……!」

 

 装甲擲弾兵団の小隊長が叫ぶ。それに応えるように獰猛な掛け声と共に髑髏の集団は数十キロの重量の重装甲服を着こんだまま駆け出し逃げ出す同盟軍兵士を後ろから次々と切り伏せていく。

 

 逃げ惑う同盟軍兵士と追い縋る装甲擲弾兵……それは装甲擲弾兵の自尊心を満たすのに十分だった。

 

(そうだ奴隷共め、そうやって泣きじゃくりながら逃げ惑うが良い!)

 

 帝国軍の精鋭たる装甲擲弾兵は貴族か士族しかなれぬ聖職、帝国に楯突く逆賊を一切の容赦呵責なく嬲り殺す勇猛にして獰猛で、狂暴な戦士達である。それが逃亡奴隷共の子孫を一方的に追い立てる状況に装甲擲弾兵達は残虐に口元を吊り上げる。それは愉悦の笑みであった。

 

 逃げ惑う共和主義者達を追う狂戦士達の前に立ち塞がるようにフルフェイスヘルメットにクリーム色の重装甲服を着こんだ一団が現れる。同盟宇宙軍の重装甲陸戦隊である。

 

「うおぉぉぉ!!邪魔だぁ、どけえぇぇ!!」

 

 流血に酔うように装甲服を返り血で真っ赤に彩っていた先頭の装甲擲弾兵が前のめりに突撃しつつ斧を振り下ろす。渾身の一撃は奴隷共の頭を装甲服ごと打ち砕く……筈だった。

 

 ガキン、と金属の鳴り響く音が反響した。装甲擲弾兵の振り下ろした戦斧は同盟軍兵士の頭蓋を砕く事なく、兵士の構えた戦斧によりあっけない位簡単に防がれていた。

 

「ぐっ!!?こ、この………!?」

 

 装甲擲弾兵はヘルメットの下で目を見開き驚愕しつつも戦斧を再度振り上げようとする。そして、次の瞬間には……その首は転げ落ちていた。

 

 血を噴き出しながら頭部を失った装甲擲弾兵の躯は糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちる。その光景にこれまで殺戮に酔っていた他の狂戦士達は息を呑み、動揺し、狼狽える。先程まで怒声と悲鳴が鳴り響いていた通路を支配する静寂……そして、彼らは目の前の敵兵達の装甲服に刻まれた紋章に気付いた。

 

「おいおい、嘘だろ………」

「まさか、そんな……!?」

 

 赤薔薇に甲冑を着た騎士のエンブレム……それが何を意味するのか知らぬ装甲擲弾兵なぞいなかった。それは数少ない彼ら帝国軍の精鋭戦士と互角かそれ以上の技量を備えた同盟軍部隊の象徴であったから。

  

 一斉に戦斧を構えて疾走するように駆け出し始める同盟軍の陸兵達。装甲擲弾兵達はこれまでの勇猛ぶりは何処へやら、その迅速な動きに後退りして、怖じ気づく。彼らは戦う前から既に完全に気圧されていた。

 

「ひ!?ろ、ろ……『薔薇の騎士団』(ローゼンリッター)……!!」

 

 悲鳴を上げて叫んだ装甲擲弾兵が最期に見たのは戦斧を振り下ろす騎士達の姿だった。

 

 

 

 

 

「ふん、近頃は装甲擲弾兵の質も下がったものだな」

 

 整備工廠から更に一つ下のフロアまで続く通路までを血で塗装した薔薇の騎士達は呟く。味方からの救援要請に駆けつけて、そのまま逃げ散る装甲擲弾兵を追撃しつつ突き進み、ヴァーンシャッフェ大佐率いる大隊は眼前に現れる敵を次々と屠りながらイゼルローン要塞の第二八通路まで辿り着いていた。

 

「おやおや、これは参りましたな。まさか大佐殿が先に来ているとは。随分と急いで進んでいたのですがね?」

 

 その声にヴァーンシャッフェ大佐旗下の陸兵達は咄嗟に声の方向を振り向き身構える……が、横合いの通路から目の前に現れた戦士達が自分達と同じ薔薇の騎士である事に気付くと構えるブラスターライフルの銃口を下ろしてその先頭にいる声の主に敬礼した。

 

「……シェーンコップ中佐か。貴官にしては思ったよりも遅かったな。敵の排除に手間取ったか?」

 

 ヘルメットのフェイスを上げて、カイゼル髭を生やした大佐は友軍の先頭を歩く大隊長に尋ねる。大佐は地上に揚陸前に遠目に『ケイロン三号』が敵の多く展開する場所に乗り上げたのを確認していた。故に直ぐに旅団内でも屈指の戦技と指揮能力を持つ目の前の士官学校の後輩が自分よりも進軍が遅い理由に辿り着く事が出来た。

 

「ミスりましたね。まさか乗り上げていきなり装甲擲弾兵の一個大隊と鉢合わせするのは予想外でしたよ。……ですがそれは結構早めに処理したんですよ?問題はやはりこの迷宮のような要塞の構造です。内部構造はある程度把握出来ても彼方さんは好きに道を変更出来ますからな」

 

 元々は火災や空気流出のために設けられた要塞内部の数万という隔壁であるが、それは同時に揚陸してくる敵兵や反乱部隊の制圧にも効果を発揮する。大半の隔壁は最悪爆弾で破壊出来るとしても、特に重要な区画となるとそうはいかない。そして隔壁封鎖で孤立化させたり、罠を仕掛けたルートに誘導されてしまえば……シェーンコップ中佐の部隊はそれらを次々と突破して見せたが……。

 

「一応尋ねるが中佐の部隊の消耗はどれくらいかね?」

「兵員の損失は一割に満たぬ程度、しかし弾薬の消耗は結構厳しいですな。手持ちは四割方使い切りました」

 

 精鋭揃いの薔薇の騎士達とは言え、地の利が無ければ苦戦は避けられない。そして苦戦する中で人的被害を抑えるには必然的に武器弾薬の消耗は激しくならざるを得なかった。それはシェーンコップ中佐程の指揮官でも同様である。

 

「此方も兵士の損失は一割半と言った所だな。弾薬は半分近く消費してしまった」

「どうします?一応このままでも後二、三フロア下には行けるでしょうが。我々にとっては時間は敵です。時間が経つ程敵の迎撃は激しくなりますが……」

「それは理解している。しかし疲労して弾薬も無しに戦える道理もない。出来れば補給と人員補充のために後続が来るのを待ちたい所ではあるが……」

 

 ヴァーンシャッフェ大佐がそう答えた次の瞬間の事であった。けたたましい音と共に彼らの通り抜けた数十メートル後方の通路が分厚いチタンセラミック合金の耐ビームコーティング付きシャッターで封鎖されたのは。

 

「……残念ながらその希望は叶いそうにありませんな」

「……どうやらそのようだな」

 

 がっちりと閉じられた隔壁を神妙な、しかし何処かシリアスな笑いが漏れそうな表情で見つめるヴァーンシャッフェ大佐とシェーンコップ中佐。

 

 彼らの部隊の保持する火器と爆薬では恐らく厚さニメートルのシャッターを破壊するのは不可能。最早後方には下がれない。となれば道は一つのみである。

 

「前進するしかありませんな。なぁに、情報によればあの悪名高い挽肉製造機はいないらしいですのでまだマシでしょう」

 

 肩に戦斧を載せて苦笑を浮かべる不良騎士。正直余り愉快な状況ではないが……その情報があるだけで少しは気が楽になるというものだ。幾ら自分の白兵戦技に自信のある兵揃いの第五〇一独立陸戦旅団の戦士達でも流石にあの化物と出くわしたとなれば下手をしなくても皆殺しにされかねない。それが無いだけまだ希望はあろう。

 

「ふむ……仕方あるまい、か。元より決死の作戦、ここで怖気づく訳にもいかぬか」

 

 本隊の揚陸部隊があるとはいえ、それが計画通り揚陸出来るとは限らぬし、揚陸出来ても先行した別動隊は少なすぎる。本隊が揚陸出来た頃には壊滅している可能性は十分想定されていた事である。ましてやここで留まっていても相手に時間を与えるだけ、であるならば進み続けるのが最善の手であろう。無論、ヴァーンシャッフェ大佐も唯がむしゃらに突撃する程無策ではない。可能な限りの手段はとる。

 

「最悪出くわした敵から武器弾薬は拝借するとしよう。多少はそれで持つだろうからな。それと………一番先行している部隊はあるか?虎穴に入るのも味方は多い方が良かろう」

 

 小部隊で孤立して一つずつ包囲殲滅される訳にはいかない。せめて同じように突出している部隊があるならば彼らと合流した方が全体の継戦能力は上がるだろう。そしてそれは敵戦力を誘引し、他の味方の戦闘に有利に働く筈だ。

 

「少々お待ち下さい……これは……無線が繋がりました。位置は……二つ下のフロアからです!」

 

 ヴァーンシャッフェ大佐の言に従い背負い型の大型無線機で近場の友軍部隊の通信を探り出し、漸く見つけた通信士が報告する。

 

「二つ下とは……それはまた随分と先行してますな」

 

 二つ下のフロアという言葉にシェーンコップは目を見開いて僅かに瞠目する。自分達も相当他の部隊に比べて先行している筈なのだ。ましてや自分達よりも更に二つも下のフロアにで辿り着いている部隊がいるという事実は驚愕するのに十分過ぎる。

 

「部隊名は分かるか?連絡は?状況は?」

「試して見ます。………妨害電波で雑音が混じりますがどうにか意思疎通は出来そうです。そうだ、此方第五〇一独立陸戦旅団である。そちらの部隊番号は?……うむ、了解した。大佐、先行している部隊は第六宇宙軍陸戦隊所属、第七八陸戦連隊戦闘団です」

 

 通信士の述べた言葉に……いや、より正確には述べた部隊番号にヴァーンシャッフェ大佐とシェーンコップ中佐は同時に、そして互いに顔を見合わせた。そして双方はほぼ同じタイミングで渋い表情を浮かべた。それは気まずさと困惑の入り交じった何とも形容しがたい独特の表情であった……。

 

 

 

 

 

 

 遠征軍主力部隊に随行する同盟軍揚陸部隊本隊の戦力は地上軍二個遠征軍五二万名に宇宙軍陸戦隊五個師団六万名に及ぶ。当然ながら宇宙を生身で進軍するなぞ出来ないので彼らを運ぶために地上軍及び宇宙軍所属の約一九〇〇隻の各種揚陸艦艇が用意されている。

 

 同盟軍の保有する揚陸艦艇は三種類に分類出来る。即ち大中小の各型の揚陸艦だ。

 

 小型揚陸艦は原作の『薔薇の騎士』達が活用して金銀妖瞳やら獅子帝やらの乗艦に突っ込んだものがそれに当たる。駆逐艦よりも一回り小さいサイズの船体に五〇名を一個小隊とした重装甲兵部隊五個小隊=一個中隊及び支援部隊や中隊司令部要員等を乗せる事が出来るそれは小回りが利き、それ故に主力に先行して敵軍により陣地の築かれた惑星や要塞への強行揚陸、敵艦艇への強襲接続等に多用される。それ故に強襲揚陸艦とも称される。

 

 中型揚陸艦は小型揚陸艦に続いて揚陸する大隊から旅団規模の部隊を乗せる事が出来る巡航艦と戦艦の中間サイズの艦艇だ。積載量と武装、機動力のバランスが最もとれており、それ故に使い勝手が良く多くの戦場で活用される揚陸艦である。

 

 大型揚陸艦は師団単位の部隊を収容する全長一キロ近い巨艦である。中型揚陸艦でもある程度の戦車や自走砲、各種ヘリコプター等を格納は出来るが、大型揚陸艦ともなれば百機単位での大気圏内戦闘機に水上艦艇まで揚陸させる事が出来る。巡航ミサイルを収納したVLSや大口径電磁砲等、対地上支援火力も充実しており、また通信能力を活かした強力な司令部機能も保持する。その代わりに鈍重であり、艦隊戦ともなれば一応兵員保護のために自衛レベルの対艦用武装と装甲こそあるものの、精々が巡航艦に対応出来る程度でしかない。戦艦に出くわせば諦めるしかないだろう。

 

 尚、これ等より更に小型の小隊や分隊規模の兵士を揚陸させる揚陸艇もあるが此方は航続距離が短く、超光速航行も出来ない代物である。そのために輸送艦等に格納して戦域まで輸送しなければならない。

 

「揚陸部隊の内訳としては大型揚陸艦が一〇〇隻、中型が七〇〇隻に小型が一一〇〇隻ですか。中々の大所帯ですね」

 

 第五次イゼルローン要塞遠征軍、その後方に展開する主力揚陸部隊の旗艦である同盟地上軍第四三遠征軍所属の大型揚陸艦『アシュランド』艦橋に足を踏み入れた私は受け取ったタブレット端末に映し出された部隊編成表と戦力数に目をやり呟く。

 

 揚陸部隊の保有する艦艇数は一見すれば過剰に見えるだろう。宇宙軍陸戦隊と地上軍の遠征軍を合わせた兵力は五九万一六〇〇名、この数は本来ならば大型揚陸艦だけで収容してかつお釣りが来るレベルだ。

 

 尤も、大型揚陸艦で戦闘中に揚陸するなぞ自殺行為、多くの揚陸作戦においては小型ないし中型揚陸艦で敵の砲火の中護衛部隊と共に突撃、ある程度橋頭保を確保して安全を確認してから大兵力と指揮通信能力を兼ね備えた大型揚陸艦が降下するのがセオリーだ。当然ながらこの乱戦の中突っ切って大型揚陸艦でイゼルローン要塞に乗り上げるなぞ無謀行為過ぎる。元よりそんな選択肢なぞない。セオリー通りで行くならば実際に要塞に張り付くのは小型・中型揚陸艦の仕事となるだろう。

 

「護衛としては第八艦隊より二個戦隊が派遣されていますが………」

「その戦力では足りないかね?」

「いえ、今回に限っては一個分艦隊があっても取りつくのは簡単にはいかないでしょう」

 

 私同様、遠征軍総司令部より派遣されたパーカー少将は私に尋ねるので、私は宇宙軍の航海術の専門家として答える。残念ながら、既に事態は多少の護衛の過多は問題ではない段階に入っていた。

 

「只でさえ乱戦状態で何処から弾が飛んで来るか分かりません。ましてやあからさまに足の遅い揚陸艦を護衛を揃えて進出させても要塞主砲の的になるだけでしょう」

 

 それこそ、犠牲者のトレードオフとしては大量の兵士を詰めた揚陸艦相手ならば味方ごと吹き飛ばしても差し引き大きなプラスである。ボーナスステージと言っても良い。

 

「それではどうするというのかね?先行した別動隊は三万程度、特殊部隊や精兵を集めたとは言え数と地の利は敵にある以上、彼らだけで要塞の完全占拠は困難だ。補給も出来ない以上我々主力部隊が揚陸する他はない」

 

 私の発言に若干刺のある言い方で返答するのは揚陸部隊本隊の司令官であるダグラス・ゲイズ地上軍中将である。第五一遠征軍司令官、第八地上軍副司令官、第四方面軍司令官を歴任してきた歴戦の軍人であるが、残念ながら惑星降下作戦なら兎も角宇宙要塞への大規模揚陸作戦となると同盟軍人でも碌に経験した者はいない。そのために航海術と地上戦双方に一応知見のある私が揚陸部隊司令部に派遣されたのだが……中将からすればよりによって私のような奴が送り込まれて来るのは想定していなかったように見える。

 

「無論、先行した別動隊を見殺しには出来ません。とは言え、このまま何の策もなく突き進む訳にも行きません。リスクが高過ぎます」

「となれば古典的であるが陽動作戦を持って此方の本命の動きを誤魔化す他ないと思うが、どうだね?」

 

 私の説明に、パーカー少将が質問する。古来より、戦略レベルでの大規模揚陸作戦の肝は揚陸する地点を誤魔化し、可能な限りその抵抗を最小化して無傷で部隊を揚陸させる事にある。一三日戦争前の第一次世界大戦におけるガリポリ、第二次世界大戦のノルマンディーに沖縄、朝鮮戦争の仁川、地球統一政府航空宇宙軍が外惑星動乱において実施したカリスト=ガニメデ作戦、シリウス戦役におけるシリウス奇襲降下作戦にジュバ強襲、銀河統一戦争におけるカリカヴ要塞揚陸戦にバーナード星系制圧戦……その成否は兎も角、軍事史に残るどの大規模揚陸作戦においても揚陸する側は欺瞞や情報工作、陽動を活用する事で敵に対してその揚陸する地点を隠匿しようと試みてきた。今回もそれに倣うだけの事だ。

 

「別動隊が第二宇宙港に揚陸したように、揚陸部隊が侵入するならば要塞宇宙港に降下するのが定石です。見境なく要塞表面に降りても歩兵部隊が侵入する通路が無ければ意味有りませんから」

 

 その点、宇宙港に突っ込んでしまえばまだ部隊を降ろしやすい。敵部隊の迎撃を受けやすいとは言え、宇宙港の通路伝いに進めばほぼ確実に要塞中枢に辿り着ける。各種の諜報活動を行っているとはいえ同盟軍は要塞内部の構造を完全に把握している訳ではない。主要な施設と通路はある程度分かっても細々な部分となれば帝国軍ですらどれだけ正確に管理出来ているかも怪しい。抵抗が激しいからと言って隠し通路から迂回なぞ考えて逆に部隊規模で遭難、なんて事すら有り得る。外壁については既に爆雷や無人艦艇の突撃によって正面宇宙港の殆んどが相当の損傷を負っている。破壊するのは然程難しくはない。

 

「故に帝国軍からすれば第一宇宙港、あるいは第四、第七、第八宇宙港からの揚陸を警戒している事は想像に難しくありません」

 

 一万隻近くを格納出来る第一宇宙港を筆頭に残る三つの宇宙港も戦隊規模の収容設備を持ち、尚且つ要塞の同盟側前面に設けられている。同盟軍が揚陸するならばこれ程良い揚陸地点は本来ない。

 

「当然だな。問題は本来の要塞攻略の基本から今回の戦いは大きく逸脱している点かね?」

「ええ、本来ならば艦隊と要塞砲を無力化して、迎撃能力を奪うべきなのでしょうが……」

 

 ゲイズ中将の言葉に私は肯定の返事をする。残念ながら並行追撃作戦をしているために艦隊は完全に撃滅出来ていない。まぁ、そちらは敵艦隊も疲弊しているのでやり様によってはどうにか出来ない事もないが……問題は要塞砲だろう。主砲は頑強過ぎて、副砲たる浮遊砲台も数が多すぎて完全な無力化は不可能、更に言えば帝国軍は味方ごと要塞主砲を撃ちかねない。

 

「一見すると、犠牲を覚悟して突入するしかないように思えるが?」

「しかしそこで思考停止しては我々参謀の存在意義が問われるでしょう?御安心下さい。一応手は考えてあります」

 

 揚陸部隊司令部は私の若干自信のない物言いに半分は不安そうに、もう半分は怪訝な表情を見せる。そうは言っても仕方ない。私は何処ぞの魔術師と違って相手の思考を手に取るように推理出来る訳じゃない。

 

「……無論、私も作戦の押し売りをする積もりはありません。まずはご説明から始めましょう。その上で皆様が最終的な判断をしていただく事になります」

 

 そうは言うが、私は半分以上の確率で自身の提案か採用されるだろうと確信していた。揚陸部隊に限らず同盟軍遠征軍首脳部の大半は本気で要塞主砲による味方撃ちを想定していた訳ではない。ましてや歴戦の地上戦の専門家でも要塞攻略戦のノウハウは実例が少ないがためにそこまで豊かではない。何よりも私にはこの提案の賛同を得るための……余り頼りたくはないが……切り札があった。

 

(だからって、自信がないなら大量の人命がかかっているのに提案するなって話ではあるがね)

 

 とは言えシトレ大将から推薦されたのに何も提案しない訳にも行かないのが私の立場である。シトレ大将からすれば熟考して私を任命したのだろうが……私としては出来るなら辞退したかったのが本音であった。

 

(……まぁ、作戦の成否にかかわらず作戦の承認は司令官方の役目であり、参謀は提案した作戦に然程責任はないのは救いだ)

 

 責任追及されたら?……まぁ、魔術師宜しく頭を掻いて誤魔化すとしようかな?許されるかは知らないけれど。

 

「……では、説明を開始させて頂きます」

 

 周囲のお歴々方の様子を見た後、私は立体ソリビジョンを起動させてから、説明を開始したのだった。

 

 

 

 

 宇宙暦792年五月六日2100時、この遠征中、同盟軍イゼルローン要塞遠征軍総司令部の後方に待機し続けていた揚陸艦部隊は遂に前進を開始する。イゼルローン要塞占拠のための地上部隊を詰め込んだ船団は護衛部隊に守られながらゆっくりと要塞主砲射程内に侵入を開始した……。

 

 

 



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第百八十二話 他人の家に上がる時はマナーを守ろう

 宇宙暦792年五月六日2130時の事であった。要塞防衛司令部は正面に展開する同盟軍の新たな動きを察知する。

 

「反乱軍に動き!揚陸部隊主力と思われる艦影見ゆ。数約一二〇〇隻、一〇〇隻から二〇〇隻程の小集団に分割して護衛部隊と共に前進してきております!」

「ぐぬっ……!小集団に別れて『雷神の槌』による掃滅を回避する積もりか……!!駐留艦隊の奴らは何をしている……!?こういう時のための艦隊だろうが!!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 戦端が開かれて以来ずっと要塞防衛司令部に詰め続け、現在進行形で別動隊の揚陸部隊迎撃の指揮に専念しているクライスト大将は疲労困憊の表情で、しかし唾を吐き散らかしながら怒鳴るように叫ぶ。度重なる失敗とストレスによってこの要塞攻防戦が始まってから急速に彼の風貌は老け込んでいるように思われた。

 

「し、しかし……!!駐留艦隊の動きは鈍く、しかも此方の要請も通信状況が悪いために届かないようでして………」

 

 オペレーターは動揺しながらも報告する。戦端が開かれて半日以上、圧倒的な数の同盟軍により平行追撃に持ち込まれた要塞駐留艦隊は部隊を交代させて休息を取らせる事にも苦慮していた。

 

 強力な後方支援機能のあるイゼルローン要塞も、それを活用出来なければ意味がない。同盟軍はその手数を活かして要塞駐留艦隊を拘束し、その交代と休息を阻止する事で兵士の疲労と弾薬と燃料の不足による戦闘効率の低下を狙っていた。無論、要塞駐留艦隊の動きが鈍いのはそれだけが原因ではないが……味方撃ちによる士気の低下、特に再度『雷神の槌』により揚陸部隊ごと自分達も吹き飛ばされるのではないかという不安が駐留艦隊各艦の揚陸部隊迎撃を消極的にさせていた。

 

「おのれ役立たず共め!こうなっては構わん!奴らの望み通り要塞主砲を使ってやる!『雷神の槌』発射態勢に移行せよ!!」

「目標はいかがいたしましょう?反乱軍の揚陸部隊は散開しておりますが……」

「第一宇宙港への軌道を取るものが最優先だ!!続いて主要港を目指すものを近い順に吹き飛ばしてやれば良い!!」

 

 クライスト大将の優先順位の判断自体は間違っていない。イゼルローン要塞は広大であり、その内部を迅速に制圧するためには多くの通路と繋がり、かつ比較的内部情報が入手しやすい主要宇宙港に揚陸するのが当然である。

 

「『雷神の槌』エネルギー充填完了!目標捕捉、第一宇宙港に向けて航路を取る反乱軍部隊、数二五〇隻余り!」

「エネルギー拡散率二五パーセントに設定、システムオールグリーン!主砲発射可能です!」

「ファイエル……!!」

 

 クライスト大将の宣言と共に黄金色の柱が宇宙に生まれる。射線内に展開していた乱戦中の同盟軍と帝国軍の艦艇はそれを避けようと迅速に回避行動を行うが、それでも三隻に一隻は間に合わずに光の渦に消えた。一〇〇〇隻近い艦艇を呑み込んだ白い光はそのままその先に展開していた揚陸部隊に直撃した。

 

「主砲命中!揚陸部隊の八六パーセントを撃破!」

 

 

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 要塞防衛司令部の巨大なスクリーンには爆散していく中小の揚陸艦艇とその護衛艦艇の姿が映りこむ。射程ギリギリの宙域に向けて撃ったために全滅させる事は叶わなかったが、それでも相当の打撃を与えた事は想像に難しくない。

 

「目標集団、後退していきます。しかし、その他の集団は尚も前進を止めません!!」

「馬鹿な!!?奴ら、『雷神の槌』が目に入らぬのか!?」

 

 オペレーターの報告に参謀の一人が驚愕するように叫ぶ。スクリーンには未だに複数の揚陸艦艇を中核とした集団が前進を続けていた。

 

「構わん!どいつもこいつも纏めて吹き飛ばしてくれる!要塞主砲再充填急げ!一〇〇パーセントでなくて良い!」

「り、了解!」

 

 クライスト大将の叫びに、怯みつつもオペレーター達は答える。しかし、その内心は複雑だ。何せこの混戦の中である。揚陸部隊を狙い撃ちするには『雷神の槌』は威力が高すぎる。故に揚陸部隊を要塞主砲で殲滅するという事は即ち、味方ごと吹き飛ばす事に他ならない。実際最初の砲撃では、そして先程の砲撃でも一度目より減ったとは言え巻き込まれた味方が少なくとも二〇〇隻は消し飛んだ筈であった。

 

 既に一回撃ったがために今回の二発目の味方撃ちの罪悪感は軽減された……かと言えばそうでもない。

 

 万一、最初の砲撃でこの戦いの雌雄が決していればオペレーター達も自身の行いを勝利のための已む無き手段と正当化出来たかも知れないが、現実は寧ろそれを逆手に取られただけである。ましてやこうしている間にも駐留艦隊からは部隊どころか個艦単位で殺気立った追及の通信が入って来るのだ。オペレーター達の動揺と葛藤は果てしない。

 

「つ、続いて揚陸艦集団が第四、第七、第八、第一六、第四七、四八宇宙港に向かう軌道で接近……!い、一斉に突撃してきます!」

「怯むなぁ!『雷神の鎚』は無敵だ!続いて最も接近している第七宇宙港を目指す集団を狙え……!!」

 

 クライスト大将の怒鳴り声を前にオペレーター達は必死の形相で要塞主砲発射の準備に入る。

 

「ファイエル……!」

 

 クライスト大将のその掛け声と共に第七宇宙港を目指して突進してきていた中小二〇〇隻余りの揚陸艦部隊はその九割が消し飛んだ。今回は周囲の同盟軍と帝国軍はその殆どが事前に退避していたがために巻き添えを食らったのは双方合わせても四〇〇隻に満たなかった。

 

 それでも残る揚陸艦部隊は他の集団が吹き飛んだにも拘らず前進を止めない。寧ろその隙に要塞に取りつこうとしているようにも思われた。その動揺すら見られない一糸乱れぬ動きは何処か無機質的で、あるいは軍隊蟻の行進のようにも思えた。

 

 

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「ぐぬぬ……!『雷神の鎚』、次発発射用意!奴らめ、まさかあれは無人艦を囮にしているのか……!?」

 

 余りにも犠牲を度外視した揚陸艦部隊の動きにクライスト大将は先程の無人艦突入作戦の記憶を思い出す。

 

「と、いいますと……?」

「恐らくはあの分割された揚陸艦は殆どが囮だ!恐らくは先程吹き飛ばした集団は無人艦に過ぎん、我らが『雷神の鎚』を撃ち、再充填の時間を使いあの中に交ざった本命が距離を詰めようとしているのだ!」

 

 クライスト大将は限りなく正解に近い答えを出していた。実際、先程吹き飛ばした二つの揚陸艦部隊は双方ともその護衛まで全て無人艦艇で構成されていた。

 

「奴らめ、考えおったな!見てみるが良い!要塞駐留艦隊の奴ら揚陸艦部隊から我先に離れていっておる!」

 

 要塞主砲が何を標的にしているのか、乱戦中の同盟・帝国艦隊共にこの時点で察していた。そしてその巻き添えになっては敵わぬと周囲で戦闘していたそれらの艦艇は我武者羅に突き進む揚陸艦部隊から逃げるように離れて行っていた。それはつまり、揚陸艦部隊は乱戦の影響……特に要塞駐留艦隊の迎撃を受けない事を意味していた。

 

 しかも、嫌らしい事に要塞側は殆どが無人艦艇の集団だとしても対応しない訳には行かなかった。それこそ先刻の無人艦特攻から考えて内部に液体ヘリウムとレーザー水爆ミサイルを満載していても可笑しくない。放置してそれらに突っ込まれては堪らないし、無人艦に偽装した本命にそのまま接岸される可能性もあった。本来ならばこうした手合いを処理するのは要塞駐留艦隊の仕事なのだが……そもそも圧倒的な数の暴力の前に対応能力が飽和しているし、そうでなくても敵(あるいは無人艦)諸共味方の要塞主砲で吹き飛ばされたがる者なぞいる訳がない。更に要塞と駐留艦隊間の通信は妨害と混乱で混沌としており殆ど意思疎通も出来ていない。故に要塞側は自ら対応せざるを得ないのだ。

 

「奴らめ、開けた道から一気に要塞に接近する積もりだ……!」

 

 クライスト大将の言を証明するように、同盟軍と帝国軍の両艦隊が慌てて退避する事で出来る空白宙域を快速性の高い小型揚陸艦を中心に幾つもの集団が要塞へ向けて一気に直進し、要塞への肉薄を図る。

 

「浮遊砲台とワルキューレに防衛線を張らせ……!?」

 

 要塞主砲の再充填に必要な時間、残る吶喊して来る揚陸艦の集団の数と速力から見て、その全てを殲滅する時間がないのは明らかであった。その上要塞駐留艦隊があてにならないとなれば後は浮遊砲台と戦闘艇で要塞への肉薄を阻止するしかなかったが、クライスト大将の命令は途中で要塞防衛司令部を襲う震動で阻止される。

 

「ぐおっ!?この震動は……!?」

「叛徒共の単座式戦闘艇による爆雷攻撃です……!浮遊砲台に損害多数!」

 

 タイミングを計ったように行われる同盟軍の単座式戦闘艇による攻勢。それはここまで数回に渡って行われた攻撃の中では参加機体数こそ少なかったが個々の技量と戦果は寧ろ優越していた。主力揚陸部隊を突入させるために事前に温存されていた精鋭部隊は正確無比な急降下爆撃で浮遊砲台と防空レーダーを破壊し、帝国軍の単座式戦闘艇ワルキューレを撃墜していく。

 

「ぐっ、小賢しい……!『雷神の鎚』第四射用意!」

 

 同時にクライスト大将は考える。残る揚陸艦集団の内、どれが本物でどれが偽物か。

 

(叛徒共にとって時間は敵、ならば迅速に部隊を降ろして要塞重要区画を制圧したい筈……!)

 

 帝国本土、そして恐らくは前線でも既にイゼルローン要塞を救援するための部隊編成が行われている筈、あるいは部分的には発進したかも知れない。ともなれば同盟軍の揚陸部隊も挟撃を恐れて短期決戦せざるを得ない。となれば……。

 

「第一宇宙港に向かうあの集団を撃滅する!要塞主砲発射用意!」

 

 幾つかある揚陸部隊の内、主要宇宙港に向かい、かつ小型・中型揚陸艦を主体とする集団が本隊の候補となるのは余りに当然の事であった。第一宇宙港を目指す一五〇隻余りの集団が第四射の目標となった。

 

 周辺の同盟・帝国軍艦隊もまた、クライスト大将と同様の答えに辿り着いたのだろう。要塞主砲が目映いばかりのエネルギーを放出して充電している間にその集団から必死に距離を取ろうとする。

 

 第四射がその揚陸部隊を吹き飛ばし、拡散率を七〇パーセントまで引き上げた第五射がもう少しで第八宇宙港に肉薄しようとしていた中型揚陸艦の集団を纏めて凪ぎ払う。

 

「要塞主砲第六射発射用意……!!」

 

 クライスト大将が次の目標に照準を合わせるように命じた瞬間、再び要塞を激しい振動が襲った。

 

「な、何事か……!?」

「こ、これは……!揚陸艦です!大型揚陸艦が一〇隻以上要塞外壁に……第四七宇宙港のゲートを破壊して反乱軍の大型揚陸艦が強行揚陸しています!!」

 

 オペレーターの叫び声に応じて要塞防衛司令部のスクリーンの一角が第四七宇宙港内部の監視カメラの映し出す光景をクライスト大将達に見せつける。巨大な揚陸艦が流体金属の『海』に突っ込んだかと思えば度重なる爆雷と無人艦攻撃で既に半壊気味であったゲートを、その巨体の質量で無理矢理突き破り、そのまま港内に停泊していた数隻の帝国軍駆逐艦と大型戦闘艇を圧し潰しながら港内に乗り上げる。揚陸艦の横腹から無数のハッチが下りたと思えばホバーバイクやランチに乗った重ないし軽装甲服に身を包んだ兵士達が次々と躍り出て、殆どいない港内の警備部隊の細やかな抵抗を火力と数で圧殺し、通路を駆けていく。

 

 

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「は、反乱軍の新手が要塞内部に侵入……!数、最低でも一〇万以上と推定……!」

「何ぃ!?」

「馬鹿な!?それ程の数が侵入を……!!?」

「何故だ!?たかが一〇隻かそこらの艦ではどれ程詰め込もうがそこまでの数は……」

「良く見ろ!あれは大型揚陸艦だ!詰め込めば師団規模の収容スペースはある……!」

「それより何故ここまで肉薄されても気付かなかった!?大型揚陸艦なぞ大柄で鈍足だろうが!?」

 

 要塞内部で叫ぶ主要幹部達の疑念は、軍事上の先入観と常識を逆用したものであった。囮を以て肉薄までの時間を稼ぎ、同時に本命に対する注意を逸らす……そこまでは要塞の主要幹部達とて想定はしていた。しかし、よりによって鈍足で逃げようのない大型揚陸艦を、ましてや第四七宇宙港などという戦略・戦術的にも価値の低い軍港に突っ込ませるなぞ……!

 

「兎も角迎撃しろ……!!近場の部隊を集めて主要通路の守りを固めるのだ。早くしろ……!!」 

 

 要塞陸戦隊司令官イーゼンブルク少将が叫ぶ。要塞防衛司令部は同盟軍の作戦と狙いの不可解さに混乱しつつも迎撃部隊を投入する。せざるを得なかった。幾ら部隊の展開と移動に時間と手間のかかる小港とは言え一〇万を超える陸兵に揚陸されたとなれば放置出来る訳がなかった。

 

 こうしてイゼルローン要塞内部における血で血を洗う戦いはより熾烈な第二線が形成される事になったのである。

 

 

 

 

 

 

「ぐおぉ……!?我ながら結構無茶苦茶な作戦を立てたものだな……!?」

 

 私、つまりヴォルター・フォン・ティルピッツ同盟宇宙軍准将は地震のように大揺れする大型揚陸艦の艦橋で支柱に身体を預けながら顔を引き攣らせて嘯いた。

 

 私の立てた作戦は揚陸戦においてある意味で平凡であり、基本中の基本であった。即ち、囮を使った欺瞞とそれによる本命の揚陸部隊と揚陸位置の偽装だ。

 

 一〇個用意した揚陸集団の全てが無人艦による囮であった。これ等を先行させて要塞防衛司令部の注意を逸らし、その迎撃に集中させる。これは同時に乱戦する敵味方の戦いから本命の揚陸部隊を守るためのものでもあった。そりゃあ、『雷神の槌』の目標になるような奴らの傍に来たい奴らなんていやしない。  

 

 要塞防衛司令部が一つ一つ揚陸部隊を吹き飛ばしている内に、本命の揚陸部隊が欺瞞しながら接近する。『雷神の槌』で吹き飛ばされた宙域は暫くの間はエネルギーの残滓と破壊された艦艇の残骸によって索敵の精度は低くなる。同時期に攻撃を始める単座式戦闘艇でレーダー施設を可能な限り破壊して更にその探知能力を限定せしめる。要塞の触覚代わりになり得る駐留艦隊と単座式戦闘艇も同盟軍主力との戦闘で完全に対応能力を飽和させられている。今のイゼルローン要塞は周辺の状態についてかなりその索敵能力を低下させていた。

 

 帝国軍からしてみれば元より探知は困難な所に、更に保険のために狙われる優先順位が低くなるように工夫を凝らした。万一捕捉されたとしても、鈍足な大型揚陸艦を使う事であからさまに囮の艦艇に見せかけた。あるいは十隻程度の小集団かつ護衛をつけない事で察知されにくくした、他の無人艦揚陸部隊を先行させる事でそちらへの対処に専念させた。要塞駐留艦隊と要塞防衛司令部ともに疲弊するタイミングを狙って作戦を実施する事で、疲労による思考の単純化、それによる人的ミスを誘発する事で察知されないように誘導した。

 

 だが、恐らく気取られなかった一番の理由は突入したのが防衛の優先度の低い第四七宇宙港であった事だろう。数個群しか収容出来ぬ小規模宇宙港なぞ本来ならば大規模な揚陸地点としては不適合、更に言えば重要区画に繋がる通路も限定されるが故に迎撃のための防衛線構築も然程手間はかからない。そのために要塞防衛司令部もこの港に対する警戒はかなり優先順位が低かったようで、肉薄も突入も私が想定したよりも遥かに容易に達成する事が出来た。

 

 ……なんて述べるとまるで全て私が考えたように見えるかも知れない。いや、実際は違うけどね?私一人でここまでの作戦を即興で考えるなんて不可能だからね?実際は揚陸部隊の作戦参謀や私と一緒に移動した遠征軍総司令部の参謀スタッフからの助言を受けて、更には過去に考案された作戦計画からも結構内容は流用している。この作戦の母体は結局本格的戦闘になる前に終結した第二次イゼルローン要塞攻防戦にて準備されていたものである。流石当時のエリート参謀方である。多少アレンジしているとは言えここまでスムーズに成功するとは驚きだ。

 

「問題はここからであるがな、准将。それで?其方の者達が例の案内役かね?」

 

 『アシュランド』艦橋で同じく激しい揺れを椅子に体を預けて凌いだゲイズ中将は、体のバランスを立て直すと私と、丁度艦橋に入橋して来た面子を一瞥して尋ねた。

 

「えぇ。ファーレンハイト中佐、フェルナー中佐、部隊の編成は?」

 

 私の質問に軽装甲服を着こんだ食客と傭兵は敬礼で答える。

 

「この周辺区画での勤務経験のある兵士を中心にイゼルローン要塞勤務経歴のある者を集め終えました。二人一組で約五〇組程度揃えております。即興ですが、大隊司令部レベルならばどうにか大半の部隊には配備可能かと」

 

 ファーレンハイト中佐は文字通り騎士らしく胸に手をやり礼をして恭しく答える。

 

「此方もイゼルローンに滞在経験のある部下を中心に幾らか人員を揃えました。私自身も此方に滞在した事があります。裏道の方も幾つか把握しているので多少は役立つかと」

 

 フェルナー中佐の方は不敵な笑みを浮かべて自身の付加価値を上げてセールストークするようにそう申し出る。

 

 私はその報告に頷いてゲイズ中将に向けて再度視線を向ける。

 

「可能な限りの手は打ちました。後は各部隊が案内役を信用してくれるかですが……まぁ、そこは亡命政府の立場を信用してもらうしかありませんね。亡命政府の一員として言わせて頂くならば、人員の調査と選出は厳正に行っておりますので御心配なさらないで下さい」

 

 どうせ、私の言葉なぞ半分以上信用されないんだろうと思いつつも、一応私はそう同胞のための弁明を行うのだった。

 

 

 

 

 

 普通であれば揚陸部隊にとっては悪手に思える第四七宇宙港を狙ったのは帝国軍の裏をかくのが目的であったが、同時にある程度は揚陸地点のデメリットを解消出来ると踏んだのも大きい。

 

 亡命政府軍、及び同盟軍より元投降帝国兵……それも比較的近年イゼルローン要塞の、それも第四八宇宙港周辺ブロックでの勤務経験のある兵士を中心に急いで引き抜き揚陸部隊に司令部単位で付属させたのは、彼らを広大かつ複雑な要塞内における道案内役として使えると踏んだからだ。

 

 原作でも触れられるように、イゼルローン要塞内部は余りに広大過ぎて使用されずに埃を被ったブロック、設計者や要塞防衛司令部すら把握しきれていない通路も珍しくない。それは要塞の中枢部や重要区画から離れれば離れる程その比率が高まる。要塞の定期的改修によって図らずも増築されるブロックや通路もあった。扱きに耐えかねて逃亡兵が隠れたり、逆に道に迷って遭難する兵士、あるいはそれらの迷宮化したブロックや通路を使って物資の横流しや各種の秘密の集会を開催している輩だって存在する。実際に数年前にはサイオキシン麻薬や密造酒を筆頭に、同盟軍捕虜から押収したアニメCD、アイドルソング、その他帝国国内法における御禁制品や不健全娯楽の裏バザールを要塞内で行っていた密入国フェザーン商人や帝国兵達が憲兵隊の一斉摘発で逮捕されるなんて事案もある位だ。

 

 そして、その手の非公式でマイナーな通路やブロックについては士官よりも下士官兵の方が余程知見がある。

 

「私も活用した経験がありますよ。老朽化と事故で廃棄された通路が倉庫と繋がってましてね。そこから医薬品や食料をせしめて横流しした経験があります。いやぁ、これが結構金になりましてね?正直アスカリの安い月給よりも割の良い副業でした」

「なぁ、お前さんがアスカリ時代に殿として捨てられたの、それバレたからじゃないのか……?」

 

 ほぼ完全に制圧された第四七宇宙港の港湾部に降りた私は、タブレット端末に映し出される要塞内部の地図に追加の通路を記入するフェルナー中佐に向けて疑問をぶつける。

 

 同盟軍からすれば投降兵、それも下士官兵を道案内に活用するのは構想されなかった訳ではないが、同時に積極的に考案された訳でもない。何だかんだ言っても投降兵を何処まで信用して良いのか怪しいし、どうせならば態態そんな裏口を活用するよりももっと確実に同盟軍が把握している第一宇宙港や第二宇宙港から繋がるメイン通路を使った方が遥かに情報面での信頼性が高い。

 

 そもそも要塞にここまで大規模な揚陸に成功したのは今回が初の事である。総司令部は当初味方撃ちの可能性は最小限と認識していたために第一宇宙港を初めとした主要宇宙港からの揚陸を前提とした揚陸計画作成にリソースの大半を注いでいた。故にこんな要塞の端の端のような場所の裏口活用なぞ殆んど議題にも上がっていなかったのが実情である。

 

 当然ながらこの状況においては第一宇宙港に向けて揚陸艦が突っ込めば味方が射線にいる事なぞ気にせずに要塞防衛司令部は『雷神の鎚』を叩き込むだろう。ともなれば道案内のために元投降兵の動員は必然であった。多くの投降兵を再教育して自軍に編入している亡命政府軍と亡命政府が同盟に貸しを作れる事、そういう建前で私がコネクションを活用して迅速に準備出来るのもこの手法を選んだ理由である。

 

「とは言え、これでも戦力不足か……」

 

 私は続々と要塞内部の通路を駆け抜ける装甲兵の列を遠目に見やりぼやく。流石に大々的に船団を組めば幾らズタボロになったイゼルローン要塞の防空網でも発見されてしまう。それ故に突入艦艇の数は絞るしかなかった。そして艦艇数を絞れば突入出来る戦力が限定されるのは必然である。

 

 航空機や水上艦艇類を輸送しない分スペースが空いたとは言え、それでも移送出来た兵力は凡そ一四万前後といった所だった。兵力があっても弾薬類がなければ意味がないので兵員よりも寧ろそちらの方を重点的に積載した。

 

「要塞内部の敵兵の半分が戦闘要員以外とは言えな……それでも数では劣るし、地の利は彼方にある。ともなれば此方が勝つにはやはり要塞主砲をどうにかするしかない」

 

 そして要塞主砲を確実に封じる手段は四つ、要塞防衛司令部の占拠、主砲管制室の占拠、要塞主砲にエネルギーを供給する動力炉の占拠、そしてその動力炉と要塞主砲を繋ぐ送電線の破壊である。

 

 この中で手段として論外なのは要塞防衛司令部の占拠であろう。平時ですら六重のセキュリティチェックがある上に、要塞防衛司令部は部屋としては半独立した構造を持っており、換気や温度調節は室内の設備のみで循環しているために通気口等は存在しない。緊急時には厚さ四メートルの隔壁が下りて司令部は完全に外部との繋がりが封じられる。司令部そのものが一つのシェルターになっているのでたかが戦車砲や爆弾ではまず部屋の壁を破壊出来ないだろう。真横にレーザー水爆を置く位しか手はない。

 

 動力炉の占拠はその次位には非現実的だ。要塞の文字通り中枢部までの道のりは遠すぎる上にそこに辿り着くまでにどれだけの防衛網が敷かれている事か……OVA?そりゃあ要塞システムを完全停止すれば防衛網の大半は無力化出来るからね、仕方ないね。いや、それでも限りなく無茶ではあるが……。

 

 主砲管制室の占拠は前述の二点よりはまだ現実的ではあるだろうが、それでも相当の困難を伴う事は事実である。最も実現性の高いのは送電線の破壊となるのだが……。

 

「現状の要塞主砲が接続している送電線は恐らく位置座標から見て第一二送電線でしょう。ここさえ断ち切れば別の送電線に移動して再充電を行うまでに二〇分から二五分は時間を使います。その間に要塞主砲射程ギリギリから肉薄するまで、全速力で行けば不可能ではありません」

 

 ファーレンハイト中佐がタブレット端末に映される地図を見て解説するが、私にとっては何らの励ましにはならなかった。

 

 少し説明させてもらおう。諸君は浮遊砲台とは何だと思っている?イゼルローン要塞の要塞砲?その返答では七〇点だ。より正確に言えば『イゼルローン要塞表面に貼り付けられた流体金属の海に平時は潜航・充電し有事には浮上する特殊環境用防空潜水艦』である。つまりはだ、浮遊砲台は広義における潜水艦であった。

 

 イゼルローン要塞から流体金属の『海』を剥ぎ取れば、全高数十メートルはある四重装甲の外壁に数千か所の『コンセント』が設けられているのが分かるだろう。平時の浮遊砲台は動力炉で発電される電力を要塞外壁のコンセントから受けてエネルギーを充電しつつ、人員や物資、空気の移送が実施される。そして有事となれば浮遊砲台はコンセントから引き抜かれて浮上して攻撃、弾切れ、エネルギー切れとなれば再び流体金属層に沈んでコンセントに接続して補給・修理等を受けるのだ。

 

『雷神の鎚』を放つ要塞主砲特殊砲台は流石に事前に充電したエネルギーだけで賄うのは不可能だし、それ以前に一発撃つ度に沈み込んで再充電する訳にはいかない。なので砲台が充電するために沈むのではなく、逆に要塞外壁に設けられた配線が伸びて砲台に繋がり動力炉からの莫大なエネルギーを直接受け取る方式となっている。

 

 故に『雷神の鎚』は一度充電を始めてしてしまえば砲台は一定範囲内から移動する事が出来ない。移動したいのならば配線を切り離し充電したエネルギーを全て霧散させなければならない。その上で再度要塞主砲を撃ちたければ移動した場所で浮遊砲台と要塞間の送電をし直さなければならなかった。

 

 とは言え、要塞外壁に設けられた要塞主砲用の特殊送電設備は全部でも三〇を超える程度である。無論、それでも要塞表面から角度と拡散率さえ調整すれば回廊の危険宙域の存在もあり『雷神の鎚』の死角となり得る要塞の周辺宙域は皆無。

 

「しかも各送電設備は全滅しないように独立して動力炉と繋がっていると来たものだ。どのような形で攻略しようとしても二重三重の対策が敷かれる。本当知れば知る程凄まじい要塞だよ、イゼルローンは」

 

 心底呆れた口調で私がぼやく。ハードウェアとしてはこれ程完璧な要塞は他にないだろう。そして国防上の脅威としても。四半世紀前に同盟軍にとって五本の指に入る悲惨な敗北に終わった第一次遠征以来、同盟軍が躍起になってこの要塞を落そうとする訳だ。

 

「ファーレンハイト中佐は以前この港に勤務していたんだったな?道案内役、期待するぞ?」

 

 第四次イゼルローン要塞攻防戦の際に引き抜いた食い詰め中佐であるが、以前他の食客共々私をトランプで鴨にしていた頃にその話は聞いていた。ダンネマン大佐の巡航艦はこの第四七宇宙港を母港としていた事、その事もあり要塞内部の秘密賭博等に参加していた中佐がこの辺りの抜け道に詳しい事を。

 

「いやはや、憲兵にビクビクしながらカードをしていたのが、こんな形で返って来るとは。人生とは分からないものですな」

「不満か?」

「いえ、非礼ながら若様の下で働くのは結構気に入っていましてね。シェーンコップ騎士の言葉を借りるならば、少なくとも退屈せずに済みそうで良い事です」

「おい、それ褒められているのか貶されているのか何方と解釈すれば良いんだ……?」

「若様の御気持ち次第ですよ」

 

 食い詰め騎士の言葉にげんなりする私である。というか、ちらほら思うけどお前さん不良騎士と結構仲良い?ちょくちょくカードしてたり飲んでたりするの見かけるんだけど?

 

「ああ、そうかい。じゃあ精々雇い止め受けないように給金分は働いてくれよ?功績を上げたら特別ボーナスも支給してやるからな」

「了解です、我が主君殿」

  

 私の半分投げやりな言葉に礼を以て応える食い詰め騎士殿。その所作は貧乏貴族と言われつつも帝国騎士としての矜持と教養に満ち満ちていた。強いて言えば最後に不敵な笑みを浮かべるのは止めて欲しかったがね?

 

「特別ボーナスですか。そう言うのならば私としても頑張り甲斐がありますね。具体的には月給何ヵ月分でしょうか?」

「そうだな。給金の……っておい、自然に会話に交じるな。……そもそもお前は我が家の従士でも食客でもなくね?何極自然な流れで報酬貰おうとしてるんだよ」

 

 私は当然のように報酬にありつこうとする傭兵に突っ込みを入れる。思わず脳内で給与計算しちまっただろうが。

 

 元帝国軍アスカリ兵にしてファザーン民間警備会社大手ユージーン&クルップス社元社員、そして今は再興したばかりのナウガルト子爵家食客として亡命政府軍の派遣軍に従軍するアントン・フェルナー銀河帝国亡命政府軍中佐は、少なくとも名義上は家主様が雇用主の筈である。褒美を求めるなり労働条件を変更したいのなら、彼を派遣軍に従軍させた彼女にでも言うべきだ。

 

「それこそ今更な御話でしょうに。我らが主君とその家を牛耳るのは貴方とその御実家なのですから」

 

 肩を竦めて含みのある笑みで宣う。中佐の言葉は悔しいがある意味真実を突いていた。

 

 ティルピッツ伯爵家が再興したばかりのナウガルト子爵家に援助を惜しみなく……いや、寧ろティルピッツ伯爵家が積極的に後援のスポンサーとなった理由は言うまでもない。ルドルフ大帝時代に任命された諸侯には及ばずともナウガルト家もまたそれなりに長い歴史を持つ家である。そして家臣団も土地も金も殆ど何もないのならば、ある意味でこれ程都合の良い小娘はおるまい。

 

 援助漬けにして、殆ど唯一ともいえる一族の生き残りの小娘を自分達の息のかかった男と結婚させ、そうして生まれた子供の教育と人間関係さえ管理すれば次代のナウガルト家当主はティルピッツ伯爵家を頼り、親しみ、半分身内のような血縁関係となるだろう。ティルピッツ伯爵家一門に与する貴族院議員の席を新たに一つ確保出来る訳である。

 

「私が決めた事じゃないのに責めないでくれない?どの道他の貴族にだって似たような事された可能性は高いだろう?それに……その程度の事で泣き出すようなタマじゃないだろう、お前さんの雇用主は?」

 

 私の指摘は責任逃れではない。実際の所、フェルナー中佐も彼の主君な少女もそこまで事態を嘆いてはいない事を私は良く知っていた。

 

 ティルピッツ伯爵家の後ろ盾が最終的にはナウガルト子爵家の間接支配と取り込みを目指したものだと言う事は普通の貴族からすれば腹だたしい事であろうが、生憎彼も彼の主君もそこまでナウガルト家の名前に拘りも幻想も抱いていなかった。その程度で金と人と土地が援助されるなら安いものだった。

 

 二人とも取り敢えず飢え死にしなければどうにかなる、という少し極端な現実主義者であったのが幸いした。何処からか話を聞き付けた幾人かのナウガルト家家臣団の生き残りやその子孫、親戚筋が帝国やフェザーン、同盟国内から(勝手に)参集してきて状況を嘆いていたが、この際は無視して良かろう。一応仕事はするので今のところ追い出す必要も無い。方針に力ずくで逆らうなら相応の対応は必要であろうが。

 

 領地経営が上手く行っているのも幸運だった。ティルピッツ伯爵家の治めるシュレージエン州は比較的開発されているとはいえ、それでも手付かずの土地は多い。州の中でもとりわけ不便な土地ではあるが……それでも酸素と水が豊富で宇宙用の防護装備がいらないだけ、有事の際の足止め要員としても想定されている宇宙鉱山を開発させられる他の新参亡命貴族より恵まれている。

 

 領民については少々グレーゾーンではあるが、フェザーンの『裏街』から『輸入』していた。帝国系不法移民を中心とした住民を、何を間違えたのか最近『裏街』の覇王への道を突き進んでいるブラウンシュヴァイク家の分家男爵から購入していた。男爵からすればただ同然の不法移民で外貨を稼げ、家主殿からすれば安い金で過酷で理不尽な労働に順応している領民が手に入るのだから、双方共に好都合であった。序でに言えばフェザーン自治領と亡命政府、同盟政府から見ても都合が良いので半分人身売買染みたこの貿易は黙認されていた。……名目上は移民と出稼ぎだから(震え声)。

 

 後は彼らが唯々諾々と新しい御領主様の指図を聞くかであるが……本当に宮廷しか知らない頭蓋の中がカスタードクリームな貴族令嬢なら兎も角、新生ナウガルト家当主の図太く小賢しい性格を思えばそこまで懸念はないであろう。我が家……特に祖母様からすれば少し上手く行きすぎて困惑している程であった。本音を言えばもう少し苦闘して伯爵家への依存を強めて欲しかったので、その意味では期待を裏切られた側面があったらしい。

 

「それでも流石に宮廷からの従軍要請に応えて来るのは予想外だったけどな?」

 

 雇い入れた傭兵と輸入した領民から雇用した私兵(治安維持というより雇用対策用)合わせて一八〇名……一個中隊の陸戦部隊はフェルナー中佐のようなイゼルローン要塞勤務経験から道案内役となった一部を除けば殆ど形式参加であるが、再興して一年少々の子爵家が宮廷のために派遣した戦力としては上出来であろう。

 

「お嬢様が言うには働かざる者食うべからず、だそうです。一応購入した領民が暴動なり略奪なりする事を想定していたそうですが……いやはや、カリスマか人徳か。皆意外とお利口さんで仕事熱心なお陰で私達も暇になってしまいましてね?このまま穀潰しする位なら働いてこいと従軍させられてしまいました」

 

 やれやれ、と自嘲するような笑い声をあげる傭兵。そりゃあどうも、御領地が平和で何よりだ。軍人が暇なのは喜ばしいぞ?

 

「……まぁ、雑談はここまでとした方が良いかな?そろそろお前さん達も行った方が良いだろうよ。折角軍団司令部に割り振ってやったんだ。出し惜しみせず情報を洗いざらい吐き出してくれや」

 

 私は皮肉たっぷりに宣う。とは言え、これは彼らの安全対策のためでもある。イゼルローン要塞に投入した揚陸部隊のうち、現在その主力たる第七七地上軍団及び第一五五地上軍団が宇宙港周辺ブロックの制圧を続けている。

 

 その中でファーレンハイト中佐が前者の、フェルナー中佐が後者の軍団司令部の案内役に割り当てられたのは階級の高さもあるが、私なりに安全に考慮しつつ大きな功績を挙げられるように配慮したからだ。末端の大隊司令部よりも軍団司令部の方が全体の戦局が良く掴めるし、大部隊の展開に影響を与えられる。私としても彼らが相応に功績を立ててくれれば間接的に功績となるので万々歳であった。

 

「では一仕事するとしましょうかな?」

「人使いの荒いお人な事ですねぇ。転職したのは失敗でしたかね……?」

 

 食い詰め殿と機会主義者殿が其々に敬礼して、二三言嘯いてその場を去る。その後ろ姿が彼方此方に走り回る兵士達の人垣によって見えなくなるのを確認すると、私は肩を竦めてベレー帽を脱いで顔を仰いだ。

 

「まぁ、軽口を叩いてみたものの……だな」

 

 正直ここから先はどうなるか私には全く判断がつかない。そもそも原作で正攻法でイゼルローン要塞が陥落した試しがない。同盟軍の長年の悲願であった大規模な要塞内部での陸戦が達成されても尚、戦局は予断を許さない。ここからでも小さな釦の掛け違いから同盟軍が大敗を喫する可能性は十分過ぎる程にあった。

 

 そしてより辛いのはここから先は全てが私の権限から外れる事だ。私は揚陸部隊の首脳でなければ部隊長、それどころか陸戦参謀ですらない。イゼルローン要塞に揚陸部隊を無事突っ込ませた時点で殆ど御役目御免なのだ。後は味方の勇戦を見守るだけしか仕事はない。まぁ、それはそれで安全ではあるが何とも言えぬ歯痒さがあるのも事実だ。いや、罪悪感と言うべきか……。

 

「実は参謀は向いていないのかねぇ?」

 

 命懸けの実戦部隊や責任のある司令官職よりも気楽な参謀職ではあるが、この状況に至っては却って何も出来ない立場である事に焦りを感じるのも事実だ。私は言い知れぬ妙な感覚に思わず頭を掻いて溜息を漏らす。

 

「若様、どうか致しましたか……?」

「何か御心配事でもありましたか?」

 

 私の焦燥感を感じ取ったのか、背後から困惑気味にそう尋ねて来たのは今回の作戦を立てる上で私と共に転任した参謀スタッフであり、付き人でもある従士二人である。

 

「……いや、単にストレスが溜まっているだけさ。全く、この際撤収でも良いから出来るだけ早く終わって欲しいものだよ。やっぱりいつまでも敵地に居座り続けるのは愉快じゃないな」

 

 私は二人を安心させるように冗談めかして、無責任気味にそう放言した。後になって私は後悔した。その冗談半分の不謹慎な発言が後に実現したからだ。それも、ある意味では最悪の形で………。

 

 

 

 

 

 

 イゼルローン要塞動力炉に続く第一一〇通路は死屍累々だった。敵味方の死体が散乱し、白磁色の通路は真っ赤に染まっていた。それは正に地獄絵図と呼ぶに相応しい。

 

「こりゃあ酷ぇな……」

 

 先行する第五〇一独立陸戦旅団のヴィクトル・フォン・クラフト准尉はその惨状に思わず顔をしかめる。

 

「随分と強行軍ですね。我々よりも先を行ってるとは……」

「その分抵抗も激しい筈さ。この通路の荒れようを見ればどれだけの激戦だったか馬鹿でも分かる」

「確か我々と一緒に揚陸したんでしたか?いくらなんでも損害も馬鹿にならないでしょう……まさか全滅するまで前に進む積もりでもないでしょうに」

 

 クラフト准尉の部下である小隊員達が口々に友軍の苛烈過ぎる強行軍に疑問を抱く。いくら今回のイゼルローン要塞攻略作戦が重要であるとしても、流石にここまで無茶な進軍は本来はあり得ない。薔薇の騎士達ですら補給の面から一時進軍を止めるべきか躊躇ったというのにここまで平然と、損害も気にせず突き進み続けるなぞ……まさかではあるが玉砕でもするつもりであろうか?

 

「……いいや、そのまさかかも知れないぞ。この分だとな」

「はい?」

 

 クラフト准尉が嫌な予感と共に渋い表情を浮かべて呟く。若い帝国騎士の部下がその呟きに首を傾げた瞬間であった。通路に金切り声のような悲鳴が響いた。

 

「っ……!?」

 

 思わず薔薇の騎士達は戦斧と銃器を構える。次の瞬間には通路の横合いの道から何かが飛び出して来た。

 

「装甲擲弾兵!!?」

 

 クラフト准尉の部下の一人が叫ぶ。同時に彼らは敵を前にして混乱し、困惑した。当然だ、勇猛で残虐で知られる装甲擲弾兵達が武器を捨てて雑兵のように逃げ散る姿なぞ滅多に見られないのだから。

 

「ひいぃぃぃ……!?ば、化け物!!ぎゃっ!?」

「や、止めてくれ!こ、降伏する!降ふ……ひぎぁ……!!?」

 

 床に転がり、命乞いを哀願する装甲擲弾兵達の願いに対して、それを追って来たベージュ色の重装甲服を着た兵士達の返答は戦斧の一撃であった。文字通り頭蓋骨を正面から叩き潰す無慈悲な殴打。深紅の粘液が通路の天井まで飛び散り聞く者に不愉快な気持ちを覚えさせる破砕音が鳴り響いた。

 

「……おやおや、これは驚きましたね。そこにいるのはクラフト家のヴィクトル君じゃありませんか?こんな所で会えるなんて奇遇ですねぇ」

 

 全身返り血塗れの重装甲兵がのほほんとした声を上げた。

 

 それは一見柔らかく、お淑やかで、甘い音色に聞こえた。先程までの残虐で残酷な所業を行った者と同一人物とは思えぬ物腰の柔らかそうな女性の声音。

 

 尤も、当のヴィクトルからすればそんな気安そうな声は何の意味も持たない。その声の主が、いや正確には彼女の一族がどれだけイカれているのかを彼は良く知っていたから。

 

 陸兵は少佐の階級章を装着した装甲服のヘルメットを掴みフェイスを上げる。琥珀色の瞳にベージュ色の髪を装甲服を着るために纏め上げているのはデメジエール家出身のエーデルハイトであった。ゴトフリート家に並ぶ位にはルドルフ主義と貴族主義をキメていた気狂い一族の一員はニコニコと友好的な笑みを浮かべるが、その程度ではクラフト准尉の警戒心は解けない。

 

「これはこれはエーデルハイトの姉御じゃないですか。驚きましたよ、まさかこんな奥地で出会すとは。どうですか調子は?」

「そこそこですね。あ、そうそう拳銃でもいいんですが何か飛び道具ありませんか?一応持てるだけ武器は持ってきてたのですが弾切れの上に殴打を繰り返していると折れてしまいまして……流石にそろそろ戦斧だけで暴れるのは辛くなって来た所なんですよ」

 

 微笑みながらびっちょりと血の滴る戦斧を見せる女性士官。明らかに肉片と脂のこびりついたそれは女性が持つべきものではない。

 

「……補給が滞っているのなら一旦進軍を停止すれば良いでしょうに」

 

 そこに現れるのは同じく全身血に濡れた重装甲兵の集団であった。その多くが装備を失い、満身創痍で、負傷兵も少なくない。まずはっきり言って部隊の交代が求められる程に消耗し、疲労困憊していた。

 

「デメジエール少佐、余りはしゃいで前に出るな。……ん?友軍?……お前さんはクラフト准尉か?という事は無線で連絡してきた薔薇の騎士の到着か。助かる、折角抉じ開けた血路だ、どうせならば有効活用して貰った方が良いからな」

 

 そう口を開いたのは彼らの先頭を進むヨルグ・フォン・ライトナー中佐は淡々と口を開く。恐らくは苛烈で熾烈な戦いを続けていただろうというのに、その口調は落ち着いていた。しかし、その物言いは何処か奇妙であった。

 

「ライトナー中佐、此方第五〇一独立陸戦旅団第二大隊第二中隊偵察隊指揮官クラフト准尉であります。通信を聞いて先遣隊兼伝令として参上しました」

「ああ、御苦労だ准尉。して、本隊の方は何時頃此方に来るのかね?」

「その件につきまして報告があります。第五〇一独立陸戦旅団第一大隊第一・第三中隊及び第二大隊第一中隊は現在隔壁及び敵防衛部隊との戦闘により本隊に対して孤立、さすれば近隣の友軍部隊との合流と再編を計画中であり、第七八陸戦連隊戦闘団に対しても合流、及びそのための戦線整理と一時後退を求めるとの事です……!」

 

 クラフト准尉は敬礼と共に報告する。そして同時に場の空気が変わった事を感じ取った。それも恐らくは宜しくない方向に。

 

「後退……後退ですか。武勲の誉高い薔薇の騎士達がそのような敗北主義的な行動を取ろう等というのは実に意外な事ですね」

 

 デメジエール少佐の皮肉気な言葉は先程同様朗らかで、しかしクラフト准尉はそこに激しい激情が隠れている事を嗅ぎ取った。クラフト准尉は殆ど反射的に近接白兵戦用の構えを取っていた。

 

「デメジエール少佐!見苦しい真似をするんじゃない!いや、済まんな。其方の事情は承知した。……貴重な精鋭部隊を無駄に消耗させる訳には行かんからな」

 

 剣呑な態度で何かをしようと動き出そうとしたデメジエール少佐とその部下達を殺気を込めた視線で無理矢理阻むライトナー中佐。じっと、デメジエール少佐は微笑みながらその声に一礼して一歩下がった。尤も、その瞳には一切の優しさも温かさもなかったが。

 

「………」

 

 クラフト准尉はそこで自分がぼんやりと脳裏に思い浮かべていた予測が正解かも知れない事に気付き小さく舌打ちした。

 

(これだから大貴族って奴は面倒なんだよなぁ……!)

 

 そして、クラフト准尉は説得の言葉を口にしようとするが……それは第七八陸戦連隊戦闘団に配属された通信士が僅かに焦燥を浮かべた表情でライトナー中佐の耳元で何事かを囁く。同時に苦い表情を浮かべるライトナー中佐。

 

「本当か?ちっ、賊軍共にも勘の良い奴がいるな。二個中隊増援に送ってやれ。敵は寡兵だ、突き崩せ……!」

 

 ライトナー中佐は若干不快気に命令する。そして再度クラフト准尉達の方向を見やった。

 

「了解した、と言いたい所ではあるがそれは難しい。我々は今第一一〇通路を前進している所だ。前進するにしても後退するにしてもこの通路から引く訳にはいかん。この大動脈路を賊軍共に明け渡せばそれこそ追撃を受けて全滅してしまう。動力炉の制圧を目指す我々にはその要請は到底受け入れられん」

 

 薔薇の騎士達同様に別動隊として揚陸し、そして亡命政府と伯爵家から無言の内に命令を受けている第七八陸戦連隊戦闘団にとって、クラフト准尉の要請に従う事は戦術的な理由、そしてそれ以上に誇りと名誉から受け入れる事は出来なかった。

 

「しかしながら……」

「其方と此方で事情が異なるのは承知済みだ。此方と歩調を合わせる必要はないと連絡する事だ、准尉。お前達にはこの遠征が失敗しようとも何らの責任もないのだからな」

 

 話はここまでとばかりに踵を返すライトナー中佐に、クラフト准尉は義務的に敬礼を返す事しか出来なかった。同時にもまた同情も禁じえなかった。

 

「無茶を言ってくれるものだな宮廷も。動力炉までとは一個連隊には荷が重すぎるだろうに」

 

 たった一度の失敗でまるで……いや、殆ど懲罰的に間接的殺人とも呼べる任務を負わせる亡命政府軍のやり方にクラフト准尉はうんざりする。それに唯々諾々と従う方も従う方ではあるが……。

 

「とは言え、実際問題不用意に後退も出来ないのは事実、か。となると上の判断を仰ぐ他ないかねぇ?」

 

 クラフト准尉は数名の部下を伝令として本隊に向けて送り返す。後退と結集を拒む第七八陸戦連隊戦闘団の目的と状況を伝えなければならなかった。

 

「連隊が壊滅する前に早く返事が来れば良いんだけどな……」

 

 クラフト准尉は肩を竦めて嘯く。相当苛烈な戦闘を続けているように見える連隊戦闘団は人員も物資も自分達よりも相当激しく消耗しているように思われた。居残るクラフト准尉からすればいつ敗走しても可笑しくない連隊戦闘団への加勢で消耗するのは御免であった。

 

 しかし、現実は上手くいくものではない。第一一〇通路と第一七通路を結ぶD-マイナス二七五ブロックで増援として投入された二個中隊を含む第七八陸戦連隊戦闘団前衛部隊が巧緻を極めた帝国軍の臨時陸戦隊に敗北したのはこの命令から僅か三〇分後の事であった。そしてこの戦闘を一つの切っ掛けとして、同盟軍揚陸部隊の別動隊組は攻勢から防戦に攻守の逆転を強いられる事となる……。




本作のイゼルローン要塞描写における補足説明

 イゼルローン要塞の巨大さについては外伝イゼルローン日誌等を参考に考察しました。実際に原作によると使用されていない区画も多く、帝国の工作員が密かに隠れていても可笑しくないと書かれております

 因みに本作イゼルローン要塞では直径六〇キロは四捨五入してかつ流体金属と外壁を差し引いた「要塞本体の大きさ」と設定しております。そのため本作イゼルローン要塞は実際は直径六〇キロよりも一回り位大きいと解釈しております

尚、イゼルローン要塞(本体)の体積は
4×30×30×30×3.14÷3=113040……即ち一一万三〇四〇立方キロメートルですが要塞収容可能艦艇二万隻を
・帝国軍戦艦(全長六七七メートル・全高一七九メートル・全幅二二八メートル)
・帝国軍巡航艦(全長五七六メートル・全高一四四メートル・全幅一四一メートル)
・帝国軍駆逐艦(全長一七〇メートル・全高四七メートル・全幅四四・五メートル)
(注・ニミッツ級原子力空母のサイズが全長三三三メートル・全高一二・五メートル・全幅七六・八メートル)

 として、ドックの余裕を見積もり全高・全高・全幅を全て一〇〇メートル+して、比率について戦艦・巡航艦・駆逐艦の数量を一:三:六で見積もり、立方体の計算方式(縦×横×高さ)で求めると要塞内部における宇宙艦艇に関わる(弾薬や燃料庫等付随施設は考えないとして)その体積は

戦艦=約一四二立方キロメートル
巡航艦=約二三九立法キロメートル
駆逐艦=約六九立方キロメートル
合計=四五〇立方キロメートル

要塞体積450(全艦艇体積)÷113040(要塞体積)=約0.004……んん?〇・四パーセント?……〇・四パーセント!?

……計算間違えた?


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第百八十三話 ダイソンの掃除機は吸引力が変わらないらしい

 日付が変わり五月七日に入った頃より、同盟軍の攻勢は衰え、要塞周辺での駐留艦隊との砲撃戦、要塞に対する爆撃は徐々に下火になりつつあった。

 

「何故です!何故我が軍の攻撃は緩んでいるのですか!!?今一歩!今一歩で要塞は陥落するのです!ここで弾薬の出し惜しみをする必要なぞない筈!にもかかわらず何故攻勢が緩んでいるのです……!?」

 

 第六艦隊旗艦『ペルガモン』艦橋、艦隊司令部で叫ぶのは艦隊司令官副官アンドリュー・フォーク大尉であった。少々ヒステリック気味に叫ぶ姿は見る者の眉間に皺を寄せさせるものの、彼の口にする内容自体は否定出来るものではなかった。

 

 何ヵ月もシミュレーションを重ねた上で計算された同盟軍の弾薬消費量……それに合わせて同盟軍は後方支援部隊に大量の弾薬類を輸送させていた。本来ならば優に一週間分は持つ弾薬があるというのに、何故初日を終えたばかりの今、各部隊は弾を撃ち惜しみ始めているのか……!!?

 

 原因は複数あった。一つには初期の大攻勢における同盟軍の乱射にあっただろう。要塞の外壁に傷をつけ、部隊を揚陸させるという過去に例のなかった成功を前に同盟軍の将兵達は興奮し、過剰な程の攻撃を続けていた。それが軍首脳部の計算した弾薬消費のペースを超える事態を生み出していた。

 

 第二に帝国軍、それも要塞駐留艦隊の頑強な抵抗にあった。四倍から五倍の同盟艦隊との長時間に渡る乱戦は、同盟軍の常識に照らせばとっくに組織的抵抗が不可能になっていても可笑しくなかった。

 

 無論『雷神の槌』を封じるために完全な掃滅こそせぬようにはしていたものの、それでも同盟軍は激しく粘り強く食らいついてくる要塞駐留艦隊との戦闘に少しずつ出血を積み重ね、弾薬の消費も想定を徐々に上回っていたのだ。

 

 しかしながら、最大の原因は弾薬を補給出来ない事そのものであっただろう。いや、正確に言えば補給する余裕がない事か。

 

 同盟軍の乱射と要塞駐留艦隊の頑強な抵抗……その二つの理由から来る激しい弾薬の消費。加えてある程度想定していたとは言え、帝国軍を射線に誘導しても味方ごと要塞主砲を撃つと発覚したがために、後方支援部隊を要塞主砲有効範囲内まで前進させて迅速に補給するという目論見が潰えてしまった。そればかりか、只でさえ隙を見せぬよう気を遣う補給のための後退に、更に慎重を期さねばならなくなった事が、同盟軍の想定外の弾薬不足に繋がっていた。

 

 即ち、後方支援部隊の輸送艦には十二分な弾薬が残っているにも関わらず、実戦部隊はそれを取りに行く事が困難であり、結果として最前線では弾薬不足になる事態に陥っていたのだ。

 

 そして、このタイミングである意味最悪の連絡が彼らの前に入ってきた。

 

「別動隊より連絡!要塞内部に揚陸した別動隊陸戦部隊は劣勢に陥りつつありとの事です!」

 

 その言葉に第六艦隊の参謀達は動揺する。

 

「馬鹿な、要塞側は態勢を立て直したとでもいうのか?」

「予定よりも少数とは言え二個軍団規模の本隊も揚陸したというのに……反撃が早すぎる!」

「不味いぞ。本格的に防戦に回る事になったら最悪全滅もあり得る。この混戦の中で陸戦部隊の撤退なぞ至難の技だ」

 

 イゼルローン要塞内部は広大だ。ましてや第五艦隊を始めとした同盟軍との砲撃戦や駐留艦隊への支援を行いながら揚陸部隊の迎撃ともなると本国からの人員の増強が行われていない今の要塞防衛司令部にとってはマンパワーの面で人員不足になっていても可笑しくない。そこに三万に及ぶ精鋭部隊……確かに補給の懸念はある。地の利も敵にある。数も敵が上だろう。しかしもう防戦状態にまで追い込まれるとは……。

 

「現場の兵士達に不満をぶつけても仕方あるまい。それよりもこの事を揚陸部隊の主力は把握しているのか?総司令部は?」

 

 参謀達の不満を制止し尋ねるのは完全に平均体形な第六艦隊司令官ラザール・ロボス中将である。寧ろ少し痩せてしまい微妙に顎の骨が見えている。毎日一般兵二人分の食事を摂っているのに体重が増えないのは流石に問題かも知れない。

 

「総司令部、及び第四・第五艦隊は事態を把握している模様です。揚陸部隊本隊の方は……」

 

 強力な通信妨害能力を有するイゼルローン要塞に突っ込んだ揚陸部隊主力との通信は断続的なものであり、中々安定しない。総司令部との最後の通信では不意打ちの事もあり順調に進撃しているとの事であったが……それも三〇分以上前の事である。

 

「内部の地上部隊との通信網を作る必要がありますね。スパルタニアンと通信工作艦を前進させましょう」

 

 通信参謀と情報参謀を兼ねるビロライネン准将の提案に従い、第六艦隊は通信中継装備を備えた通信型スパルタニアンと通信工作艦を護衛付きで最前線にまで進出させる。そして短期間の内に『ペルガモン』、更には総司令部の通信・電子戦部門の要員の協力を取り付けて遠征軍旗艦『ヘクトル』までを結んだタイムラグが限りなく小さく、防諜対策も施した安定した通信網を形成する事に成功した。艦艇の装備出来る通信設備は要塞の巨大なスペースを豪勢に使用したそれに比べてどうしても性能面で劣るものである。にも拘らずこれだけの通信網を形成出来たのはビロライネン准将の手腕、そして同盟軍のソフトウェア面における優位性を証明していた。

 

「司令官、揚陸部隊司令部との回線開きました」

「うむ、モニターに出してくれ」

 

 オペレーターに指示を出して『ペルガモン』のメインモニターの前で直立不動のまま、ストレスで痩せ衰え戦闘指揮による過労で疲弊しても尚、威厳に溢れた風貌で、ロボス中将は揚陸部隊の姿が現れるのを堂々と待つ。そして……。

 

「此方遠征軍揚陸部隊司令部です。ゲイズ中将以下主要幹部が戦闘指揮中のため、総司令部より派遣された航海参謀ティルピッツ准将が代わりに応対します。御用件は……って、伯父さん?」

 

 モニターの前に現れた人物を見た瞬間、ラザール・ロボス中将はショックから白目を剥き、泡を吹いて失神し、数分程意識を失ったのであった……。

 

 

 

 

 別動隊揚陸部隊が劣勢に陥ったのには複数の要因がある。補給不足、広大過ぎるイゼルローン要塞内部で戦線が広がる事による戦力分散、イゼルローン要塞自体の防衛機構……しかし一番の要因は間違い無く別動隊の進撃の出鼻を挫かれた事であろう。

 

 第六艦隊麾下第六宇宙軍陸戦隊に所属し別動隊揚陸部隊に派遣された第七八陸戦連隊戦闘団は、別動隊揚陸部隊の最前衛としてイゼルローン要塞を進軍し、D-マイナス二七五ブロックに進出すると共に半壊近い損害を受けて一時後退を余儀なくされた。

 

 第一一〇通路と第一七通路を結ぶこのD-マイナス二七五ブロックはこの方面イゼルローン要塞内部において幾つかある交通の要所であり、同時にこのブロックを抜ければエリア単位で管理統括する大型の空気清浄設備、給水設備、電源室、通信室等が存在し、更には第一七通路から第四通路に進めば要塞中核部の動力炉、第九通路に進めば要塞防衛司令部にまで進出する事も不可能ではない。それ故に絶対とは言わずとも可能な限り守らねばならぬ区画であり、第七八陸戦連隊戦闘団は亡命政府の『期待』に応えるためにも如何なる犠牲をもってしてもこの区画の確保をしようとした。

 

 弁明するとすれば、第七八陸戦連隊戦闘団も無謀であったが無策であった訳ではない。要塞側の対応が遅れる内に前進出来るだけ前進しようという判断は間違いではないし、実際要塞側も装甲擲弾兵団や正規の陸戦部隊の多くは要塞の外壁近くのブロックに重点的に展開されていた。故に前進すればするだけ迎撃に出る部隊は二線級の、非戦闘職ないし非陸戦職の兵士を臨時編成した特別陸戦隊等ばかりとなる。

 

 ましてや、亡命政府としても半分死兵扱いしているとはいえ、無意味に玉砕させる積もりは無かった。少なくとも武器弾薬類に限って言えば潤沢かつ豪勢に用意はしてやっていた。士気も十分、ましてやD-マイナス二七五ブロックの防衛を行っていた部隊は確認出来る限り宇宙艦艇要員による臨時陸戦隊に他のブロックでの戦闘で壊滅した部隊の敗残兵からなる混成部隊、数も精々二個大隊程度ともなれば第七八陸戦連隊戦闘団が無理矢理に突破を図ろうとしたのも無理はない。この戦いに関して言えば時間は金剛石よりも貴重なのだから。

 

 実際、その戦闘の序盤において第七八陸戦連隊戦闘団は優勢に戦いを進めた。敵方はこんな要塞の奥でいつから準備をしていたのかバリケードとブービートラップ等でブロックを要塞化、そこにドローンも補助戦力として投入するという状況……にもかかわらず連隊戦闘団はその練度を活かして防衛線を信じがたい速度で突破していった。要所要所で帝国軍は勇敢かつ頑強に抵抗したが最終的には増援部隊を投入してこれを捻じ伏せた。

 

 そして第七八陸戦連隊戦闘団はそのまま余勢を駆って未だ秩序だって隣のブロックへと後退する敵部隊を追撃しようとし……次の瞬間D-マイナス二七五ブロックは倒壊した。

 

 未だ二〇〇〇近い戦力を保持していた連隊戦闘団は瞬時にその戦力の四割を失った。同時に別通路から一斉に攻勢をかける帝国軍。重武装の主力部隊の大半を喪失した連隊戦闘団は近隣に展開していた第五〇一独立陸戦旅団第一大隊第一・第三中隊及び第二大隊第一中隊を中核に第三〇七機動歩兵連隊第三大隊第二・第三中隊、第八八一対装甲歩兵連隊第四大隊の支援を受けて辛うじて後退、しかし同時に後方を装甲擲弾兵団と隔壁により封鎖されこれ等総勢二六〇〇名に及ぶ戦力は要塞内部で孤立状態へと陥った。

 

 これは別動隊から揚陸した陸戦部隊の内、その戦闘部隊の一割を超える数である。これだけの、しかも突出していた部隊が包囲下に置かれればそれだけで揚陸部隊の進撃速度は鈍る。ましてその包囲網を突破して孤立部隊を救助しようとした二度に渡る攻撃が頓挫したとなれば本格的に別動隊の揚陸部隊は後退と防戦を強いられる事態に陥った。

 

「帝国軍は各ブロックで反撃に出ています。本隊の方は未だ攻勢を受けておりませんが……」

「本隊の進撃速度は素早い。彼方も対応に追い付けないのだろうな」

「しかし如何せん、やはり交通事情が悪い。重要区画まで進むのには時間がかかる。その間に帝国軍は此方に戦力を集中させて各個撃破を狙っていると思われます」

「イゼルローン要塞内部は広大だ。多少ブロックを取られても防衛線に厚みがある。だからこそ取れる策だな」

 

 イゼルローン要塞第二宇宙港の一角に無理矢理乗り上げ、現在進行形でミサイルとレーザーで防空戦闘を続ける別動隊揚陸部隊旗艦『ノルマンディー』の指揮所で高級参謀達が囁き合う。

 

 彼らが視線を向けるテーブルには要塞内部の構造と部隊展開、損耗率等がリアルタイムで示された液晶画面がある。味方を示す青い点は徐々にではあるが削られ、赤い点は次第に要塞外壁に向けて進みつつ、その数は増していた。

 

「とは言えここで撤退するのは判断が早すぎる。本隊が重要区画を制圧さえ出来ればまだまだ逆転は可能だ。それに孤立した味方を見捨てる訳にもいかん。今は遅滞戦闘を行い時間を稼ぐしかなかろう。総司令部からも撤収命令が出ていないのがその証拠だ。違うか?」

 

 腕を組み、苦々しい顔で参謀達にそう尋ねるのは別動隊揚陸部隊を指揮するレオポルド・カイル・ムーア少将である。第三次イゼルローン要塞攻防戦にて同盟軍が初めて地上部隊を外壁に取り付かせた際の揚陸部隊指揮官の発言力はこの場において隔絶している。同時に遠征軍総司令部からの撤退命令がないという事は上層部はまだ要塞攻略を諦めていないと言う事だ。

 

「現状戦闘中の前線二個ブロックを放棄する。この際は宇宙港を確保し続けるのが最重要だ。帰り道を失ってはどうにもならんからな」

 

 周囲の参謀達を一瞥してからムーア少将は提案する。無論、ただ放棄するだけでは芸がない。宇宙港ブロック入口の防備を固めるためと足止めのための各種トラップを設置しておく。多少ならばこのトラップ類の解除のために進撃は遅滞せざるを得なくなる筈だ。ただの時間稼ぎでしかないが……。

 

「孤立した前衛部隊には軽挙な行動は行わぬように釘を刺しておけ。特にあそこには血の気の多い部隊が一つ取り残されている。包囲網の内側だけで攻撃を仕掛けても撃退されるだけだとは理解しているだろうが………」

 

 渋い表情を浮かべるムーア少将。常に勇猛果敢で恐れ知らずの陸戦隊指揮官のその表情に幾人かの同席者が奇妙なものを見るように目を丸くした。

 

「珍しいですな、閣下がそのような表情を浮かべるのは」

「私とて苦手なもの位はある。流石にあそこの流儀には半分身内の私でも中々付いていけんよ」

 

 付き合いの長い参謀の一人が呟くように言えば、ムーア少将は肩を竦ませて困ったように宣う。祖母が士族階級の名門出身の帝国系クォーターとは言え、ムーア少将は古い帝国の気風を必要以上に引き継いではいなかった。同盟軍においては五指に入る猛将と謳われる彼ですら銀河帝国亡命政府の価値観を前にすれば少々眉間に皴を寄せずにはいられない。

 

「兎も角も、今は耐える時だな……」

 

 テーブルの上に移る刻一刻と悪化する戦況を見つめながら、ムーア少将は小さく呟く。周囲の参謀達はその発言に唯々沈黙するのみであった。

 

 何処かで大きな爆発音が響いた。恐らく弾薬庫辺りが戦闘の影響で吹き飛んだのだろう、鈍い震動が司令部を不気味に揺らす。それは彼ら別動隊の揚陸部隊の未来を暗示しているようにも思われた……。

 

 

 

 

 

 

「プラスB-六八七ブロック陥落。第三三防衛大隊は六九一ブロックに後退します!」

「第七〇通路に反乱軍侵入、現在無人防衛システムが対応中です……!」

「プラスE-九〇一ブロックより救援要請!現地守備の臨時陸戦隊の損耗率四割を超えています!」

 

 イゼルローン要塞防衛司令部の内部に漂う空気は、要塞周辺における同盟艦隊の攻勢の停滞、第二宇宙港に揚陸した同盟軍揚陸部隊に対する反攻の開始、それら帝国軍を利する要因により明るく……なる事は無かった。

 

「第二宇宙港を占拠した反乱軍の撃退は遅かれ早かれ時間の問題だ。しかしそれだけの事でしかない」

 

 そう、ここに至って要塞防衛司令部にとっては第二宇宙港に揚陸した同盟軍の命運なぞ然程重要なものではなかった。

 

 同盟軍が戦況の打開に苦しんでいるように、帝国軍もまた事態に苦慮していた。

 

 既に要塞駐留艦隊の損害率は四割に達していた。撃沈艦艇数は四〇〇〇隻に達する。同盟軍の損失艦艇もまた六〇〇〇隻に及ぶがその何割かは無人艦艇であり、同盟軍の投入した艦艇数が六万隻を超える事を思えば損耗比率は寧ろ同盟軍を大きく上回っていると言えた。

 

 第二に要塞内部に構築された第二線であろう。別動隊の揚陸部隊を漸く撃破する光明が見えて来た時に数倍する部隊が揚陸してくれば対応に苦慮するのも道理だ。しかも、頼みの綱たる広大かつ迷宮のような要塞内部構造を活用した足止めは当初の想定程に効果を現さない。

 

「隔壁の封鎖や通路のバリケード化は出来ている筈だ。にもかかわらず何故止めきれん?」

「要塞内部構造は広大過ぎます。この要塞防衛司令部でも全てを把握出来ておりません。恐らくは未使用や放棄された通路等を使用しているのかと……」

 

 ブロック単位に分割するだけでも一万近いブロックに要塞は別けられる。ましてや部屋や通路となると末端を含めて数十万、数百万に及ぶだろう。それだけの数の部屋と通路の監視と管理は容易ではない。故に要塞の持ち主たる帝国軍すら要塞内部を完全に把握しきれず、それらを利用されてしまえば対処が遅れるのもまた当然である。イゼルローン要塞建設計画が当初の計画から二回り以上縮小された要因の一つは予算もあるが、同時に広大な内部面積に対するマンパワー面での管理の難しさがあった。

 

「一応、現在周辺ブロックも纏めてプランWの適用によってある程度の足止めは出来ておりますが……」

 

 しかしそれも軽装歩兵に対しては兎も角、軽・重装甲兵相手には嫌がらせ程度の影響しかないが。

 

「………増援が来るまで後如何ほどの時間が必要か?」

 

 要塞防衛司令部の司令官席に項垂れるように座り込み、手を組んで呟く男の顔は明らかに平静を欠いていた。血走った、そして充血した瞳、木乃伊のように硬直した表情からは感情は窺い知れず、その声には明確な疲れの色があった。

 

「……最低でも二日はかかるかと」

 

 それも先遣隊だけで、である。本格的な増援部隊が到着するにはまだまだ時間がかかる。そしてそれまでに要塞駐留艦隊が残存する可能性は低く、要塞駐留艦隊が壊滅すれば同盟軍は散兵しつつ何万隻という数で要塞に取りつくであろう。要塞主砲も同時に解禁されるものの、要塞駐留艦隊無くして散兵する同盟軍の大軍を全て吹き飛ばすなぞ不可能である。大多数は要塞に張り付くであろう。

 

「そうか……」

 

 クライスト大将はオペレーターの言に小さく呟いた。どこまでも徒労感を感じさせる声であった。

 

(どうすれば良い?このままでは要塞陥落は時間の問題だ。いや、万一要塞を守り切れたとしても……)

 

 守り切れたとしてもクライスト大将に殆ど希望は無かった。味方撃ちによって多くの貴族からの恨みを買った。それだけならばまだ勝利さえすれば言い訳も出来ただろう。しかし、実際は叛徒共に付け入る隙を与えただけであり、失態でしかない。ましてや自分が要塞防衛司令官の任にある時に、イゼルローン要塞の外壁を初めて突破され、十万以上の陸兵に揚陸される等という失敗をしでかした。

 

 弁明の余地はない。イゼルローン要塞と要塞駐留艦隊が被った損害は甚大だ。そして多くの有力者から怨嗟を買った。となればこの戦いの後に彼に待ち受ける運命は唯一つである。いや、自分だけならば良い。最悪は……。

 

「そうだ。功績が必要なのだ。私には功績が……」

 

 それも強大な戦果が、でなければ自分だけでなく………。

 

「それにしても第二宇宙港に揚陸した叛徒共の足を止められたのは幸いでしたな。戦闘によってブロックが一つ崩落したと聞いた時には立ち眩みがしましたが……今になって思えばブロック一つを犠牲にしただけで奴らの進撃を止められたのは安い損害でしたな」

 

 シュトックハウゼン中将は場の陰鬱な空気を払拭する目的も含めてそう宣う。D-マイナス二七五ブロックの防衛に出たのは偶然展開していた臨時陸戦隊と敗残兵の寄せ集めであり、その死守は当初絶望的かと思われたが、激しい戦闘による影響で『偶然』ブロックが崩落したお陰で敵部隊に大打撃を与え、その足を止める事が出来た。それどころかこの反撃である。その幸運はまるで戦神が帝国軍に与えし恩寵のようにも思われた。

 

「………そうか。その手があったか」

「……司令官?」

 

 クライスト大将は次の瞬間に勢いよく立ち上がった。目を見開き、その視線は要塞防衛司令部のメインスクリーンに映る要塞内部の戦況を凝視していた。同時にクライスト大将は不気味な笑みを浮かべる。何処か狂気を感じさせる仄暗い微笑みだった。

 

「第二宇宙港、それに第四七宇宙港のゲートだ。ゲートを外壁ごと崩落させて出入り口を封じよ」

 

 クライスト大将の言葉に周囲の将兵は動揺し、困惑する。

 

「それは……侵入者を要塞内部に閉じ込める、という事でしょうか?確かに補給線と脱出路を断ち切る事は出来ましょうがそれでは叛徒共が追い詰められた鼠となりましょう?」

 

 シュトックハウゼン中将は進言する。その手は別に荒唐無稽な内容ではない。ないのだが……余り戦局の好転に寄与するようには彼には思えなかった。下手に出入り口を塞ぐとなると、揚陸してきた同盟軍は逃げられなくなり、それこそ窮鼠のごとく必死に戦うだろう。そうなれば要塞の防衛部隊も無駄に損害を積み上げる事になる。寧ろ逃げ道を作ってやった方がいざと言う時に直ぐに逃げ出してくれるだろう。無駄な犠牲を出さずに済む。

 

「そもそも、宇宙港ブロックを外壁ごと破壊すると言いましても……既にあの周辺は叛徒共に制圧されてしまい我々が間接コントロールで爆破する事は難しいかと。工兵部隊に爆破作業をやらせるとしても時間と損害が……」

「そんなまどろっこしい事はせんで良い。……確か要塞の影に駐留艦隊の一部が逃げ込んでいたであろう?」

 

 シュトックハウゼン中将の意見を、重々しい口調でクライスト大将は遮り、その手段を提示する。

 

「はっ、補給切れ、あるいは損傷や指揮系統からの孤立から五〇〇隻程が反乱軍の主力艦隊から要塞の影となる宙域に回り込み集結しております。……まさか!?」

 

 そこまで口にして、シュトックハウゼン中将は目を見開いて絶句する。クライスト大将は、そんな部下の態度に凄惨な笑みを浮かべて、命令を口にする。

 

「そうだ。どうせ役立たずの駐留艦隊の、更に逸れ者共だ。これ位の命令、従って貰っても罰は無かろう。そうは思わんか?」

 

 クライスト大将の命令は味方殺しに比べればまだ穏当であった。しかし、それでも尚狂気には違いなかった。そして、それすらもクライスト大将の本物の狙いの前座でしかなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

「まさかこんな手段で足止めを仕掛けて来るとはな……これは想定外だったな」

 

 軍港内の惨状を『白い息』を吐きながら私はぼやく。まさかこんな手があったとはね。

 

 私の視界には真っ白に染まった軍港の姿があった。いや、それだけではない。現在進行形で軍港内に『雪』が降っていた。

 

 要塞側は想定外の手段で我々に嫌がらせを行って来た。

 

 即ち、要塞内部に設けられた空調設備を使って、帝国軍は同盟軍に占拠された、あるいは争奪中のブロックや通路をマイナス三〇度以下、場所によってはマイナス四〇度以下まで急速に冷却してきた。これは特に外壁に近いブロック程宇宙空間に近いためか激しく低温化していた。

 

 更にそこに追い打ちをかけたのは火災用、あるいは機械冷却用のスプリンクラー及び液化窒素放出器、無人防衛システムの暴徒鎮圧用放水銃等である。唯でさえ氷点下を下回る気温に大量の水と液体窒素をばら撒かれたらどうなるかは分かり切った事であった。

 

 現在進行形で宇宙港内には氷結したスプリンクラーからの水が雪となって降り積もり続ける。各ブロックや通路も壁一面が凍結し、床は大量の氷が積み重なっていた。宇宙空間を含む全環境対応の重・軽装甲服であれば兎も角、通常の軽装歩兵となると寒冷地対応の装備を用意しなかったためにこの寒さを耐え凌ぐのは容易ではなかった。実際この手を使われた当初は少なくない凍傷者が発生した程だ。

 

 それだけでない、揚陸させた車両類や兵士達の装備の多くは寒冷地仕様ではない。劣悪な宇宙空間での使用を想定している装備もあるとはいえ、寒冷地と宇宙空間では同じ劣悪な環境でも条件は同じではない。弾薬や爆薬類の中には凍結して不発になるものが出て来る事例すら報告されていた。車両類も積雪で進めず工兵や歩兵が宇宙要塞内部で雪掻きをする有り様だ。

 

 彼方さんからすれば凍え死にさせようという訳ではないだろうが……そこまで期待はしていないだろう。しかしながら帝国軍の嫌がらせ行為は致命的とは言わねど同盟軍の進軍を足止めする上で意外な程効果を上げていた。此方も換気設備からガス類を送り込むなり水道設備を破壊してブロックを丸ごと水没させる位の事は事前に想定してはいたのだがね……。

 

「カプチェランカ勤務の経験がある私でも、この手は考えもつかなかったな」

 

 そう呟いてから、私は首元に巻いたマフラーに触れる。寒冷な環境で暖を取るための貴重なこの装備は私物だった。ハイネセンのホテルで婚約者から受け取ったそれはホテルから宇宙港、そして遠征軍総司令部まで直通で持って来てしまったものであったが、こんな所で役立つとは思ってなかった。

 

「小賢しいものです。このような子供染みた手で時間稼ぎを図ろう等と……前進中の部隊からは進軍速度が半減したと言う報告も上がっております」

 

 背後を振り向けば軍服を重ね着して寒さを凌ぐベアトの姿があった。被るベレー帽の上には真っ白な粉雪が積もっていた。首元には酸素マスクをかけており、仮に帝国軍が港内の酸素を吸い出したり、毒ガスを流入させようとすればこれを即座に装着する事になるだろう。当然ながらそれは私も同じだ。

 

「現在工兵部隊が換気口への工作作業を行っておりますが……この港はどうにかなるでしょうが全ての区画、それも前線ではそれも難しいでしょう」

 

 渋い表情を浮かべノルドグレーン大尉は答える。イゼルローン要塞内部の温度・気圧の調整は一応中央の要塞防衛司令部で間接的にコントロール出来るが、物理的には中・小型の換気設備によって一〇〇〇区画以上に分割されている。これは前者は要塞内部で発生した反乱を中央の司令部で迅速に制圧するため、後者は外部からの物理的攻撃による設備破壊で要塞全体の換気設備が機能不全になる事を避けるためである。

 

 故に同盟軍の電子戦部隊による要塞内部システムへのハッキング、そして工兵部隊による物理的な工作作業によってこの小賢しい嫌がらせに対処しようとはしているが……流石に制圧中の区画全てで作業する人員はないし、ましてや鉛弾の飛び交う最前線で工作を行うだけの余裕はない。

 

 丁度目の前では港内の外壁をひっぺ返され、要塞内部のプラグに電子端末を繋いだ電子戦要員が液晶画面に眉間に皴を寄せてキーボードを叩いていた。その真上では工兵科の兵士達が重機で巨大な換気ダクトを剥き出しにしてどのようにして注入され続ける液体窒素を止めるか頭を抱えて相談し合っていた。

 

「はぁ、下が働いているのにこうして暇しているとなると中々居心地が悪いな」

 

 ベレー帽を一度脱ぎ、積もった粉雪を払い落して被り直しながら私はぼやく。軍港に突入してからやる事なく、折角見つけた外との応対要員のポジションもロボス中将がショックでぶっ倒れたせいで直ぐに御役御免となった。この分だと亡命政府軍からもそのうち呼び戻しの要請が大量に遠征軍総司令部に寄せられる事になるだろう。というか既に揚陸部隊の司令部は私にさっさと帰還願うために色々と調整中だ。外では未だ乱戦中であるが戦艦と空母を何隻か見繕えないか提案してると聞いた。危険物の移送かな?いやまぁ、これまでがこれまでだから仕方無いんだがね?

 

 ……と言うか視線が痛いんだけど。遠目からちょくちょく見られてるからな?あの目は確実にあれだよ。「上も下も必死に仕事してんのに何であの准将は金髪美女二人侍らせて遊んでんの?」とでも思っているぞ。くくく、どうだ雑兵共!遊んで給料が出る身分だぞ!羨ましいか!?……あ、いえ。調子に乗ってすみません………。

 

 一応(既にこれまでの所業で地面にめり込んでいそうな)世間体のためにベレー帽とマフラーで顔を隠して見る私である。うん、ニート生活はやっぱ辛いわ。

 

「さてさて、出迎えが来るまでやる事もなし。どうしたものかねぇ」

 

 要塞内で深々と雪が降り積もる奇妙な光景を一瞥しながら私は呟いた。そして同時に私は奇妙な感覚に襲われた。あるいはそれは私のこれまで運良く死地を切り抜ける事が出来た事で培われた第六感的なものであったのかも知れない。……出来ればそんなものが役立つ時なぞ来てほしくなかったが。

 

 兎も角も、その爆発に直ぐに反応出来たのはこれまでの経験のお陰であった。激しい衝撃を前に私は思考をする前に殆ど条件反射的に体を伏せていた。

 

「っ……!!?」

 

 そして、一瞬の意識の空白から復活した私は、首を上げてそれを視界に入れる。

 

 数キロは上空であろう、軍港の天井部の壁面から爆炎が上がり、四方に広がる。同時に天井に巨大な亀裂が不気味な金切り音と共に生じ、粉塵が、続いて鉄筋や鉄板、ケーブルが流体金属から押し流される形で飛び散って軍港内に降り注いできた。

 

「……はは、嘘だろ?」

 

 私は小さく呟いた。残念ながらこれがドッキリでない事位は私の鳥頭でも理解していた。

 

 爆炎により軍港内を支配していた底冷えする冷気が急速に温められる中、衝撃と爆風を切り抜けた私は次の瞬間には駆け出していた。それは背後の従士達も同様である。いや、より正確には咄嗟に私に上着をかけて、私の手を掴み二人は私を誘導する。

 

「な、何だ……!?」

「ま、不味い!逃げ……」

 

 何が起きたのか分からないという表情の兵士達が叫び。次いで彼らの真上に数十メートルの巨大な鉄骨が落ちて来てその言葉を轟音と共に掻き消した。最早事態を理解しているかどうかは関係なかった。ある兵士は唖然とし、ある兵士は悲鳴を上げて殆んど本能的に走り出す。

 

 この場において賢明と言える選択は第一に落下物を避けながら駆け出す事であり、第二にそれは停泊中の揚陸艦ではなく、要塞内部に繋がる通路に向けてであった。何故ならば数十から数百メートルに及ぶ大量のかつ大質量の建材が宇宙港に落下してきて揚陸艦が無傷な訳がないし、爆散せずとも大量の流体金属が損傷部分から流れ込んで来る事は確実であったためだ。実際私は視界の端に二〇〇メートルはあろう巨大な鉄板の落下で船体の後ろ三分の一を斬り落とされてしまい、そのまま姿勢を崩して壁に艦首から突っ込む揚陸艦を確認した。

 

 直ぐに視線を正面に戻す。次の瞬間背後からの轟音と眩い光を感じた。爆風らしい強風が背後から私達を吹き飛ばす。受け身の姿勢を取って正解だった。すぐ傍で同じように吹き飛ばされ、そのまま壁に衝突して首の骨が折れた兵士が見えたから。

 

「若様……!」

「分かっている!走るぞ……!!」

 

 従士の悲鳴に直ぐに私は応え、立ち上がる。この場に残るのは確実な死を意味していた。大量の落下物を仮に避け切っても流体金属がこの軍港内を埋め尽くすだろう。あるいは外と繋がって空気が流出するかも知れない。残念ながら今の私は宇宙服を着ていなかった。当然真空空間に放り投げられたら即死である。

 

 私達と同じように咄嗟に最善の判断を下した兵士達は起き上がると共に邪魔な装備を放り捨てて、あるいは脱ぎ捨てて必死の形相で走る。ある兵士は必死に走る余りに落下物に気付かずにプレスされ、ある兵士は冷え切って滑りやすくなった床に転がりそのまま軍港の下に転落死する。運良く滑落死しなくてもダース単位の味方に踏まれて内臓破裂する兵士すらいた。それでも多くの兵士達は走り続ける。この事態を把握した軍港のコンピュータが軍港内部の隔壁を下ろす前に。……いつの間にか軍港内の電灯は点滅する赤色に変わっていた。

 

「糞っ!まだ沢山いるのに閉まんじゃねぇぞ……!!?」

 

 軍港内の人員・貨物移送用通路のゲートはまだ逃げ遅れる兵士達が大勢いるというのに次々と、自動で隔壁を降ろしていく。その隙間に潜り込もうと兵士達は次々と滑り込む。隔壁の隙間から仲間に引っ張って貰う者、今にも締まりそうな隔壁を分隊で必死に持ち上げる者達もいた。無論、ゲートを潜り抜けるのが間に合わずに上半身と下半身が泣き別れした兵士も幾人かいた。

 

「若様……!此方に!」

 

 多くの兵士達が閉じた隔壁を半狂乱になって叩く中、テレジアが私を呼んだ。瞬時に其方を向く。恐らくは電源が切れた時のために設けられたのであろう手動のエアロックだった。私とベアト、それに数名の兵士が其方に駆け寄り、エアロックの鍵を回す。

 

 エアロックの取っ手は冷え切っていた。かじかみそうになりながらそれを回転させ、重い扉を引っ張る。ゆっくりと私達はエアロックを開く事に成功する。

 

「よし!此方だ!ここからなら逃げられ……」

 

 そこまで口にしたと同時の事である。恐らく数キロ程離れた場所で大爆発。恐らく停泊していた別の揚陸艦が大破した所に弾薬か何かに引火したのだと思われた。問題はそれが要塞に穴を空けた事だ。

 

「うわぁぁ!?」

「嫌だ!誰か助け……」

 

 爆発の影響で吹き飛んだ兵士達は、次いで漆黒の宇宙に繋がる穴から吸い出されていく。装甲服や宇宙服を着ている兵士ならまだ吸い出されても希望はあるだろうが、それ以外の者達にとってはそれは絶望そのものであった。そして、この宇宙港に残っていた者達の多くは後方支援部隊であり、装甲服を着ている者は少数であった。そして無慈悲にも要塞に空いた穴は勢いよく空気と粉塵と建材、揚陸部隊が下した車両や物資コンテナ、更には生身の彼らを呑み込んでいく。

 

「早く中に入れ……!!」

 

 私が叫んでいる間にも一緒にエアロックを開いた兵士数名が踏ん張り切れずに宙を舞った。私がその手を取る前に既に彼らは悲鳴を上げながら虚空に吸い出されていた。

 

「っ……!ベアト!テレジア!先に入れ!!」

 

 目の前で起きた事に一瞬ショックを受けたが感傷に浸る余裕なぞ無いことは分かっていた。あらゆるものが吸い出される中、私は義手でエアロックを掴み従士二人に先に入るように命じる。二人が吸い出されないように壁を伝いながら中に入るのを確認すると私もエアロックに向けて壁に手を添え、足を踏ん張りながら進む。

 

「若様……!」

 

 ベアトが伸ばす手を私は掴む。そのままベアトに引っ張られながら私はゆっくりとエアロックの中に進み……次の瞬間何かに足を掬われて私は宙を浮いていた。

 

「うおっ!?な、何が……!!?」

 

 ベアトに手を引っ張られているお陰でどうにか吸い出されずに宙を浮かぶ私はその感触に気付いて下を向く。そこには同じく装甲服も宇宙服も着ていない若い兵士が必死の形相で私の足を掴んでいた。彼もまた足は宙を浮き、私の足にしがみ付く以外は体のどこも壁にも床にも触れていなかった。恐らくは宙を舞いながら吸い出される中で偶然私の足に手を触れたのだろう。

 

「ぐっ……!?い、痛い痛いっ……!!?」

 

 足が引き抜けそうな痛みを前に私は叫んでいた。当然だ、平均的に考えても六〇から七〇キロの人間が足首にしがみ付き、しかもその人間が宙を浮く程に勢いよく引っ張られているのだ。当然、私の足にかかる負担は笑えないものだった。ひょっとしなくても足が千切れそうだった。

 

 私は半分位殺意も込めた視線で兵士を睨むが、それも兵士の絶望に満ち満ちた必死の形相を前にすれば霧散してしまう。彼の脳裏に過る感情を私は痛い程良く理解出来てしまっていた。誰だって死にたくはない。軍人なんて職業に就いていたとしてもだ。

 

「若様、頭をお下げ下さいませ」

「っ!?よせテレ……」

 

 そこに響き渡る冷淡で感情の起伏の感じられない声を、私は一瞬誰の声なのか認識するのに時間がかかった。そして私が言い終わる前に銃声が響いた。

 

 恐らく一撃で即死したと思うし、思いたかった。足に感じる痛みと重みが消えたと共にベアトが顔を歪ませながら一気に私を引っ張りあげた。同時にテレジアが分厚く重いエアロックを真空が空気を吸い出す勢いと自身の体重も利用して閉じ始める。

 

 宇宙港では再度、そして、一際大きな爆発が生じる。大地震が生じたのかと思わんばかりの震動が響き渡る。その衝撃の方向に私は覚えがあった。揚陸部隊の旗艦『アシュランド』が停泊していた方向であった。

 

「っ……!!」

 

 目の前に迫る紅蓮の炎に息を呑みながら私は生身の手で手摺を掴んで固定して、義手の腕を使いテレジアの助力をするように数百キロの重さのあるエアロックを押し込んだ。

 

「う……うおおぉぉぉぉ!!!」

 

 義手のリミッターを解除して、獣のような声を上げて私は必死に力を込める。爆炎が目と鼻の先に来ていた。エアロックが完全に閉じる直前、私は自身のベレー帽が吸い出され、そして業火の中に呑み込まれ消えていったのを目撃した……。

 

 

 

 

 

 

 宇宙港にいた者達の殆んどは何が起きたのか理解出来なかっただろう。

 

 宇宙暦792年五月七日0230時、要塞駐留艦隊の一部部隊がミサイル攻撃をイゼルローン要塞に向けて敢行。要塞の陰からその流体金属層の上空ギリギリをシースキミングしながら突き進むミサイル群は同盟軍主力艦隊からしてみれば要塞駐留艦隊の拘束のために殆どの艦艇は気付く事が出来ず、数少ない気付いた艦艇もまさか要塞を狙いとしているとは考えてもいなかったために対応が遅れざるを得なかった。

 

 たかだか六〇〇〇発程度のミサイル群は、本来ならばイゼルローン要塞に大した傷を与える事は出来なかった筈であった。しかし同盟軍に外壁をズタズタに傷つけられ、ゲートを無理矢理こじ開けられて極端に防御力が低下した後、更には要塞側が重力場を操作して宇宙港周辺の流体金属層を薄くしていたとなると話は違った。

 

 第二宇宙港・第四七宇宙港に着弾したミサイルは外壁を文字通り崩壊させた。そして要塞の重力制御装置により発生した引力に従い数千万トンに及ぶ要塞の建材と同じく数億トンの流体金属は二つの宇宙港を文字通り圧し潰して、物理的に封鎖した。この攻撃により同盟軍は宇宙港ブロックに残していた戦力の八割、数万名が生き埋めとなって壊滅する事になる。特に第四七宇宙港に着弾したミサイルは多数に上り、揚陸した揚陸部隊主力は旗艦『アシュランド』が大量のセラミックの塊によって潰され、司令官ゲイズ中将以下司令部要員の大半をこの瞬間に喪失する事となる。

 

「なんて事だ……帝国軍め。味方撃ちだけでは飽き足らずこんな事までするのか……!?」

 

 シトレ大将は絶句する。自らの要塞にミサイルを撃ち込むなぞ、ましてや第二宇宙港では未だに数千を超える帝国兵の残存部隊が抵抗を続けていたとの報告を聞いていた。今の攻撃はその必死に抵抗する味方も纏めて生き埋めにする事を意味していた。それ故にその非人道性は目に余る。

 

「要塞内部にはどれだけの戦力が取り残されている?」

「こ、これまでの損害から恐らくは一五万前後の地上部隊が孤立したものと思われますが……」

 

 参謀の一人がオペレーターに尋ねる。オペレーターの発言に『ヘクトル』内部の参謀達は顔を苦々しく歪める。

 

「やってくれたな。補給も通信も切れた、下手すれば指揮系統も混乱した陸戦部隊がそう長く抵抗出来るとは思えん」

「撤退のしようもないとなれば玉砕か降伏かしかあるまい。となれば……」

 

 同盟軍からすれば二つの選択を強いられる事になる。即ち、一つはこのまま内部の味方が要塞を陥落させるか、あるいは降伏か玉砕か、どのような道を辿るのかは兎も角彼らを救助をせずに放置するという選択である。そして今一つは『雷神の鎚』に鏖殺されるのも覚悟で艦隊を前進させて大々的に救援に向かうか……そして、同盟軍は市民の軍隊である。幾ら危険があろうとも一五万を超える兵士を見殺しにするなぞ論外であった。

 

「各部隊を散開させる!散兵陣形を取れば要塞主砲の犠牲は最小限に抑えられる!第五艦隊は遠方からの支援攻撃を継続、第六艦隊は要塞駐留艦隊の拘束を続けよ。その間に第四・第八艦隊は散開陣形を取り、要塞に肉薄する準備に入る!こうなれば仕方あるまい、ここで勝負を決めるぞ!」

 

 即ち、孤立した揚陸部隊を回収すると共に二個艦隊を要塞に乗り上げさせて臨時陸戦隊を上陸させようというのだ。ここに至っては最早犠牲を厭う訳には行かなかった。残る陸戦部隊に、更に二個艦隊の兵員三〇〇万を乗り込ませて圧倒的な数で要塞内部の抵抗を圧殺する覚悟を遠征軍総司令部は決断した。

 

 シトレ大将の決断は、危険こそ高かったが同時に非難される選択ではなかった。この遠征に賭けた同盟軍の人員と予算は膨大であり、同時にここまで要塞を追い詰めたのも初の事である。文字通り後一歩決定打さえ与えればイゼルローン要塞陥落は夢ではない。ここで要塞攻略に失敗すれば次の遠征では二度と同じ作戦は通用しないであろう。同盟軍は更に今後の遠征で多くの犠牲を出す筈だ。

 

 であるならばここで更に数十万の犠牲を出そうとも、無理をしようとも手負いの要塞に止めを刺す……その判断は間違ってはいないのだ。

 

 ……しかし、ある意味でそれは愚かな決断であった。シトレ大将も、参謀達も、いや遠征軍総司令部全体が目の前で幾度も悍ましき惨劇を目撃しているというのに、未だに心の片隅で自分達も気付かぬ間に帝国軍の理性を信じ切っていたのだ。

 

 そして、同盟軍の味方の救助を行おうとするその行動すら、クライスト大将は予見していた。そして、彼はその最終手段の結果を最大化するためにその動きを敢えて無視するのだった。

 

 悪意と狂気に満ちた微笑と共に……。



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第百八十四話 二度ある事は三度あるもの

ノイエアムリッツァの帝国軍がオーディンから出港して画面を埋め尽くすシーン好きぃ
尚、多分全帝国艦隊(正規・私兵含む)の三分の一程度に過ぎない模様



フリーツール「Fantasy Map Generator」を使って主人公の故郷の地図を作製して見ました


【挿絵表示】


同様のものを第一話の挿絵まとめに追加しておきます。またエル・ファシル地上戦についても同様のツールを使って二枚程簡単な戦況図を作製しました。第百十六話と第百二十一話に置いておきます。多少矛盾や変なところがあるかもですがどうぞ御容赦下さい



「馬鹿な……こんな事が………」

 

 ウィレム・ホーランド准将は目の前で生じた現実に目を見開き小さく呟いた。

 

 いや、それは彼だけではない。イゼルローン要塞側背に展開していた同盟軍別動隊の旗艦たる戦艦『アウゲイアス』艦橋では誰もが声を失っていた。恐らくは孤立した、あるいは士気の低下か指揮系統が崩壊して離散してしまい、補給も兼ねて一時退避を決断したと思われる帝国艦隊の存在自体は、彼らも把握していた。

 

 損傷艦艇も多数含んだ五〇〇隻前後の艦隊というより集まりと呼ぶべきそれらを、彼らは軽視していた訳ではないにしろ、積極的な手出しが必要な対象とは見ていなかった。

 

 第二宇宙港に突入した揚陸艦艇は除くとしても、同盟軍別動隊の戦力は弾薬の殆どを消費したミサイル艦八〇〇隻程度、そこに護衛を兼ねた一二〇隻程の小艦隊……ミサイル艦は防御が弱くミサイルも撃ち尽くしたために戦力に数えるには相応しくない。護衛艦隊はエース艦長が座乗する歴戦の艦ばかりより集めた質の面では最高レベルの部隊であったが、数で大きく劣る以上積極的に戦闘に投入する訳にはいかない。

 

 故に別動隊の宇宙戦力は積極的な戦闘よりも、寧ろ制宙権確保と牽制に集中していたのだが……。

 

「しくじったな、まさか宇宙港を吹き飛ばすとは……!」

 

 キャボット少将は腹立たしそうに親指の爪を噛みながら呟く。当初要塞の流体金属層を沿いながら飛んできたミサイル群を彼らは自分達に向けられたものと考え防空態勢の強化を命じたのだが、まんまと嵌められたと言ってよい。

 

「第二宇宙港内にはまだ幾らか帝国軍が展開していた筈だぞ!?奴ら見境なしか!」

「味方ごと『雷神の鎚』を連射してくるような奴らだぞ!これ位しでかしてくれるだろうよ!」

「コロンブスの卵だな、後からなら幾らでも言える!問題はまんまと港を崩落させられた事だ!」

「揚陸部隊の安否は!?『ノルマンディー』のムーア少将に呼びかけを……!」

 

 参謀達が口々に叫ぶ。しかし、彼らには動揺し、状況を整理する時間は与えられなかった。

 

「て、敵艦隊接近します!これは……先程ミサイル攻撃を仕掛けて来た部隊です!」

「考えたな。港を先に潰して此方の動きを封じた上で狙って来たか……!」

 

 揚陸部隊の回収はおろか、その安否すら通信不全で不可能となれば艦隊もまた次の行動をどうするべきか混乱する。そこを狙う訳だ。帝国軍も良く考えたものだとキャボット少将は考える。

 

 尤も、キャボット少将の考えはある種過大評価に類した。実際の所、この攻撃は現場の独断に近いものであった。

 

「砲撃来ます!」

「ちぃ……!」

 

 イゼルローン要塞の影から現れた帝国軍の前にミサイル艦部隊は次々と爆散していく。

 

「全軍散開しろ!的を絞らせるな……!」

「直撃来ます!」

「っ……!」

 

 オペレーターの叫び声にキャボット少将は舌打ちする。

 

 次の瞬間、帝国軍駆逐艦の放った電磁砲弾の一発が『アウゲイアス』の横腹を撃ち抜いた。対ビームコーティングの為された四重装甲を叩き割って艦内の数個ブロックをそのまま吹き飛ばす半プラズマ化したウラン二三八弾。

 

 激しい揺れが『アウゲイアス』を襲った。次の瞬間、キャボット少将の身体は座上する椅子から振り落とされ激しく背中から床に叩きつけられる。他の参謀達も同様に床や壁に体から勢いよく突っ込んだ。ある参謀に至っては衝撃吸収用の艦橋ワイヤーが瞬間的かつ強力な負荷に耐えきれずに引きちぎられ、それが弾かれるように飛んできた事で体を薙ぎ払われた。

 

 余りに激しい衝突は彼らの多くの内臓損傷や骨折を招いた。キャボット少将自身は背骨の強打に肋骨を数本骨折、その肋骨が内臓に刺さって重傷を負う事となる。宇宙艦艇には衝撃を相殺するために艦載AIが慣性制御や重力制御を活用したダメージコントロールシステムがあるがそれでも多くの場合被弾すれば未だにこのような惨状が生み出される。

 

 これはダメージコントロールシステムの完成度が低いというよりも、それだけ衝撃が激し過ぎる事を意味した。これが仮に何の対策もしてなければ内部にいた乗員の過半が被弾の際の衝撃だけで死亡していた筈である。その意味ではシステムはその本分を果たしたと言えた。直撃したブロックは兎も角、『アウゲイアス』全体では当たり所が悪く負傷者こそ相当の数に上るが、この被弾による死者は高々数個小隊分に過ぎない。

 

 無論、だからといって楽観出来る内容は全くないのだが。

 

「ぐっ……!?き、キャボット少将!司令官閣下はどこに……!?」

 

 『アウゲイアス』の艦内に響き渡るサイレン音にホーランド准将は全身の痛みに耐えながら目を覚ます。状況を見るに、直撃弾を受けてまだそこまで時間は経っていないらしかった。メインスクリーンに艦の被害状況が映し出され、同時に艦載AIがドローンを射出して損傷箇所の応急修理を始めた事を伝えていた。

 

「ぐっ……げほっ……お、おう……俺はぁ、こっちだぜ……?」

 

 そのくぐもった声にホーランド准将は走り出す。そして彼は床に倒れて口から吐血するキャボット少将の姿を確認する。

 

「閣下……!」

「体は動かすなよ?この分だと恐らく肺の辺りに骨が突き刺さってやがる……!」

 

 次いでげほげほと咳込むキャボット少将。その咳には血が混じっていて濃緑色の軍服にかかるとその部分を黒く染め上げる。

 

「ほ、他の奴らはどうだ……?」

「……モハメド中佐、それにサナダ少佐は軽傷のようですが……」

 

 咄嗟に艦橋の様子を見てホーランド准将は答える。参謀長たるサンダース准将は床で唸っていた。その右腕は明らかに可笑しな方向に曲がっていた。作戦参謀たるヴィッテ大佐も壁に頭を叩きつけたようで重傷で、額からどくどくと血を流して苦悶の表情を浮かべる。どうにか任務に復帰可能な参謀達は半数に満たない。これはオペレーター達も同様だ。

 

「そりゃあひでぇな。糞ったれが……」

 

 ぜいぜいと苦しそうに息をしながら悪態をつくキャボット少将。そこに漸く軍医の一団が駆け付ける。

 

「……今の時間は何時だ?」

「……0235時になります」

 

 軍医に触診されながらキャボット少将が尋ねれば、ホーランド准将は官給品の腕時計を一瞥した後に報告する。

 

「そうか……。現時刻を以て本ミサイル艦部隊及び別動隊全軍の指揮を任せたい。どうやらお前さんがこの場で無事な最高位の士官らしいからな」

 

 キャボット少将の指揮権委譲の発言に、ホーランド准将は目を見開いて驚いた。

 

「っ……!?しかしながらまだ別動隊にはムーア少将とフィッシャー准将がおりますが……」

「馬鹿野郎。ムーアは音信不通、生きてるかも分かりゃしねぇ。フィッシャー准将は僅かにお前より先任だが所詮は航海の専門家だ、戦闘の専門家じゃねぇ」

 

 何よりもホーランド准将は士官学校次席、戦略研究科出身で司令部の意思を良く理解している別動隊の目付け役である。民間の予備役士官出身のフィッシャー准将よりもこの場での指揮官としては相応しいように思われた。旗艦を変えるのは多少なりとは言え混乱の元となるという理由もある。

 

「提督、それ以上お話になるのは……」

「ああ、分かっている。げほっ……そういう訳だ。まぁ頑張れよ。俺もベッドの上で戦死したかねぇからな」

 

 軍医の勧めに従いそれだけ言い捨てるとキャボット少将は激痛に耐えるように目を瞑る。軍医が看護師に命じて担架に乗せると慎重に運び出す。その様子を暫しの間見つめていたホーランド准将は、しかし直ぐに自身の役目を思い出すと急いで艦隊の秘匿通信回線を開く。

 

「………ふん、奴の事を心配するだけ無駄か」

 

 一瞬、彼は表面が荒れ果てたイゼルローン要塞を、正確にはその中にいるであろう古い知り合いの事を考え、次いで指揮下に入った部隊に対して連絡と命令を伝達した。眼前の戦いに集中しなければならなかったし、何よりも彼には知り合いの安否についてこの上ない確信があったから。

 

 そして、その確信は非常に非科学的ではあったが、少なくともこの場においては間違ってはいなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁはぁ………どうにか助かった、か?」

 

 数百キロはある手動のエアロックをどうにか閉じた私は、白い吐息を吐きながら激しく肩を上下させる。身体を床に崩せば同時にどっと全身から汗が流れるが、それは直ぐにそれは凍てつくような冷たい空気によって冷やされた。どうやら軍港や他の同盟軍の制圧したブロック同様この通路も暖房を切られているらしい。

 

 私が脱力するのとは対照的に、従士二人はハンドブラスターを構えて周囲を警戒し続ける。

 

「…………」

 

 そんな二人を何も語らずにただ見つめていれば、先に視線に気付いたらしいテレジアが私の方を向いて膝をつく。

 

「先程は静止の御命令を無視した事申し訳御座いません。何分、火急の事態でありましたので。若様の身の安全を最優先に致しました。もし御不興を買ったのであれば後程処分はお受け致します。ですが……」

 

 そこまで口にした所で私は手を振ってその言葉を止める。

 

「いや良いんだ。済まない、助けられた」  

 

 正直な話、私に彼女を非難する権利はない。私は彼女に助けられた側だ。あの場で味方を撃たなければ私まで宇宙に放り出されるか、あるいは爆炎に呑み込まれていた事であろう。

 

 そう考えれば帝国人的価値観に基づかなくても、あの選択は苦渋とは言え仕方無いものであった。ましてや軍組織的に言えば下っぱの一兵士と宇宙軍准将とではどちらを優先するかは決まっている。余り愉快な事ではないが、彼女の行いは其ほど非難出来る内容ではない。実際あの光景を誰かに見られたとしても不快には思われるだろうが、軍法会議で告発されるかと言えば怪しい所であるし、告発されたとしてもやむを得ない事態として訴えが棄却されることだろう。(無罪判決が出る訳でない所は注目するべき点であろう)

 

 私の言葉に、テレジアは複雑な笑みを浮かべ一礼する。そしてハンドブラスターを構えて再度周囲の警戒に移る。従士がそうしたように私もまた過去、あるいは未来の事よりも今現在の事について目を向けなければならなかった。

 

「一体どうして軍港があんな事に……いや、言わなくても大体の想像はついたけどな?」

 

 私はベアトが何か言おうとする前にそれを制止する。良く良く考えれば分かる事である。外の艦隊が味方のいる区画を誤射したのでもない限り、加害者は帝国軍以外にあり得ない。そして、ベアトが即座に説明しようとした事から逆算すればすぐさま不愉快な答えは想像出来た。まぁ、味方ごと要塞主砲を撃つような組織であればこれ位の事はやっても可笑しくないな。

 

 それは良い。いや、良くないがこの際は置いておこう。どのように軍港が吹き飛んだのかを考えてもこの場においては余り意味の無い事だ。寧ろ我々が生存するために本当に知るべき事はと言えば……。

 

「どうしたものかな?ベアト、この通路は何処に繋がっているか分かるか?」

「残念ながら、殆んど使用されていない通路のようですので……」

「だろうな。埃が溜まっている。相当使用されずに放置されていたらしいな。お陰様で端末に入力した情報にも無い」

 

 足の力を振り絞って若干よろけつつも立ち上がりハンドブラスターを腰から引き抜いた後、通路の壁や電球に溜まった埃を見て、次いで手元の軍用携帯端末に入力された要塞の内部構造を一瞥して私はベアトの言葉に同意する。

 

「一応照明が点いているのは幸いだな。真っ暗だったら暗視装置を装備した猟兵辺りに出くわしたら終わってた。……一応聞くが武器はどれだけある?」

 

 私は然程期待していない口調で二人の従士に尋ねる。答えは予想通りハンドブラスターに予備のエネルギーパックが二人で計一ダース、それに幾本かのナイフ、それに閃光手榴弾と炸裂手榴弾が二つずつ……いや、訂正。思ったよりもずっと良かった。……って、おい!

 

「いやおかしいだろう。なんで三〇発入りのエネルギーパックを一人六個に閃光手榴弾と炸裂手榴弾を一つずつ持ってんだよ!?司令部勤務なのにちょっと重装過ぎない!?」

 

 ハンドブラスター以外だと予備弾倉二つにナイフ二本の私が無用心みたいなんだけど!?手榴弾なんて艦隊司令部で普通持ち歩かないよ!?

 

「これまでの経験から備えました。正直今回は油断しまして軽装なのが悔やまれます……」

 テレジアが心底悔しそうに答える。おう、大体私のせいだな!私のせいなんだな!?………すみません。

 

「微妙に自分の境遇が泣けて来るな。……まぁ良い。ベアト、先行してくれ。テレジアは私の背後で後方警戒。戦闘時は掩護を頼む」

 

 取り敢えず現実逃避をしている時間は無かった。私達は相互に支援し、死角を潰すように進む。とは言え、手榴弾は兎も角ハンドブラスターでは装甲擲弾兵の重装甲服を撃ち抜くのは不可能ではないにしろ至難の業だ。単独でも出くわしたくないが……恐らく出くわすとすれば帝国軍の陸戦教本の基本内容に基づけば最低二人以上だろう。獰猛で狂暴な帝国軍の精鋭兵士に遭遇しない事を祈るしかない。

 

「さて、余り気は進まないが……このままここに留まる訳にもいかないからな。嫌な予感しかしないが行くとしようかね……!」

 

 暖房なぞない冷え切った薄暗い通路を見据えた私はまず唾を呑んで、次いで暖を取るために首元のマフラーにそっと手を触れてから、最大限の警戒をしつつ前進を開始した……。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても何だったんだあの震動は?相当揺れてたぞ?」

「外の奴ら。まさか俺達がいるのを承知でレーザー水爆の絨毯爆撃でもしているんじゃないだろうな?このイゼルローンをあれだけ揺らすなんて……」

「何、丁度良いじゃねぇか。この際水爆だろうと何だろうと暖を取れるなら十分だぜ?」

「まったくだ。寒くて敵わねぇな」

 

 人工の雪が降る中、装甲服を着て、そのヘルメットや肩に雪を載せたままに任せた一団はほんの数十分前に生じた要塞を激しく揺さぶった震動について嘯く。この時点で最前線の一兵卒に過ぎない彼らは第二宇宙港及び第四七宇宙港のゲートが外壁ごと倒壊した事を把握していなかった。

 

「おい、ロイシュナー。ライターの油切れた。お前持ってねぇ?」

「ん?紙煙草か?良くもまぁそんな肺に悪いもの吸えるもんだなお前さん?」

 

 そんな一団の一角で、身体を丸めるように縮こまらせたロイシュナーはヘルメットの前面を上げて口元に煙草を咥えるハルバッハに向けてそう言い捨てて肩を竦めた。

 

「おいおい、これは一応門閥貴族様だって吸う高級品だぞ?エル・ファシル産の安物とは訳が違う、毒性は最小限だぜ?」

 

 一本(一ケースにあらず)八ディナール五〇セントという同盟の最安価ブランドの一五倍以上の値が張るヴォルムスのメーメル州産のその紙煙草は本来中産階級向けの代物ではあるが、煙草好きの貧乏男爵が顔を隠して購入しにいく位には品質は悪くない品である。

 

 銀河帝国成立後、各種麻薬や課金ゲームと違って全面禁止とまではならなかったものの、酒類や煙草類といった健康に影響のある嗜好品は大きな法的規制を受ける事となった。

 

 特に強力に規制されたのは安全性である。当時の悪徳企業は依存性を高めると共にコスト低減のために劣悪な品質の煙草類や酒類を多く製造していた。それどころか犯罪組織が密造して資金源にしていた程で、多くの連邦市民がニコチンやアルコール中毒に侵され、あるいは癌や失明等の病に侵され、それでも依存症にあらがえずに犯罪を犯してまでして煙草や酒類を入手しようと躍起になっていた。当然ながらその行為は連邦の治安悪化と社会保障費の増大、反比例した税収の減少や健康寿命の低下を招いた。

 

 ルドルフ大帝はまず違法な、あるいは危険な商品を市場から力ずくで一掃した。次いでニコチン依存症患者やアルコール依存症患者を収容所に無理矢理閉じ込め、最後に国家主導で人体に対する毒性や依存性を最大限抑制するように改良に改良を重ね、また階級ごとに入手出来る品目や数量を厳格に規定する事で銀河連邦末期から飽和化していた煙草や酒類に関わる犯罪や健康被害の最小化を図ろうとした。無論、今となっては形骸化している部分も多いが……。

 

 亡命政府においてもその制度は受け継がれ……いや、形骸化したオーディンの帝国政府に比べれば本来の制度が遥かに厳格に維持されている。アルレスハイム星系政府の生産する煙草や酒類の安全基準は銀河でも有数であり、同時にその生産量や流通量、購買手段も特に非貴族階級に対しては厳しく管理されていた。余りに基準が高過ぎて同盟やフェザーンの企業の中にはこれをアルレスハイム星系政府の自国企業保護政策として批判し、市場開放を要求する程だ。

 

「紙煙草な時点でナンセンスだな。そもそも俺は禁煙家だからライターなんて持ってねぇよ」

 

 ロイシュナーは心底嫌そうな表情を浮かべる。ハルバッハの咥える紙巻煙草もヴォルムス産な以上、生産段階で毒素を可能な限り抽出し、浄化用の特殊加工紙を幾枚も重ねてフィルターを作っていた。無論周囲に対する副流煙に対しても最大限配慮されている。実質的な有害性や依存性は一般的な同盟製やフェザーン製の数十分の一でありながら、その味わいは十分満足出来る出来だ。それでも有害である事は変わりない。大貴族ともなると同盟・フェザーンにおいては破格の安全性であるこの紙煙草でも人体への悪影響を嫌がり、より安全性の高く満足感を得られる代わりに高価なパイプ式や葉巻式を好む者が多数派である。そもそも帝国の上流階級や亡命帝国人に禁煙家は少なくない。

 

「それにライターなら代わりになる奴がすぐ傍にあるだろう?それを使いな」

「おいおい、マジかよ。冷たいなぁ。……たく、仕方ない」

 

 ロイシュナーのぞんざいな態度に眉間に皴を寄せて舌打ちし、ハルバッハは渋々と言った態度で咥えていた紙煙草を指で挟み取り出し、そっと上に上げる。次の瞬間、鋭い銃声と共に青白い光の筋が彼の頭上を通り過ぎた。そっと煙草を持つ手を下げれば紙煙草の先端はプスプスと黒く焼け焦げていた。その様子に周囲の同僚達は口笛を吹く。

 

「こりゃあ見事な手並みだぜ」

「流石本場の狙撃猟兵共だ。まるで曲芸だな」

「おい、味の方はどうだハルバッハ?猟兵共に着火して貰った煙草の味は格別か?」

 

 同僚達が冷やかしの笑い声をあげた次の瞬間、彼らは身を伏せる。同時に次々と響き渡るブラスターライフルの発砲音。彼らは体を低くして、防盾の影で銃撃の嵐を凌ぎ、次いで反撃のために手に持つ小銃の引き金を引く。

 

 そんな中、ハルバッハは憮然とした表情で紙煙草を咥え、一服する。

 

「……やっぱライターで火をつけねぇと風味が落ちるな」

 

 半分以上残っている紙煙草を雪が降り積もった床に捨てると、ハルバッハは床に飛び込むように伏せると共に横合いの通気孔から背後に回ろうとしていた雪原迷彩服を着た帝国軍軽装歩兵部隊の先頭を、その姿が躍り出た所に手持ちのサブマシンガンを乱射した。銃身から勢いよく金色の薬莢が吐き出される。

 

「ちぃぃ!次から次と来やがって、賊軍共が……!」

 

 ハルバッハの正確な射撃は先頭の一個分隊を瞬く間に死体に変え、次いでその後続部隊と彼は激しい銃撃戦をおっ始める。

 

 そして彼の足元、純白の雪が敷き詰められた床にぽつんと落ちていた紙巻き煙草は、その雪が一面真っ赤に染まり切った頃でも尚、うっすらとその先端から煙をたなびかせていた……。

 

 

 

 

 

 イゼルローン要塞中枢部である要塞中央動力炉より直線距離にして一六キロの地点、帝国軍においてはE-マイナス一一九ブロックと呼ばれるエリアが彼らの臨時司令部の置かれた場所であった。

 

「参ったな。ムーア少将との連絡がつかん。それどころか包囲網の外側の味方との通信すら混乱していて碌に出来んとはな」

 

 ヴァーンシャッフェ中佐は大隊司令部が保有する中型無線機の前で苦虫を噛む。兵士達も噂する先刻の激しい震動の後、第二宇宙港に揚陸した別動隊揚陸部隊の孤立した前衛部隊はそれでも包囲網の外側の味方との通信は辛うじて繋がっていたのだが、今や無線機の受話器に耳を当てても聴こえて来るのは雑音ばかりであった。

 

 実の所、クライスト大将の暴挙ともいえる軍港破壊によって別動隊揚陸部隊旗艦にして部隊間の通信を統括していた『ノルマンディー』が大破した事で、別動隊揚陸部隊の通信網は壊滅に近い被害を受けていた。

 

 宇宙艦艇の備える通信機材は当然陸上部隊の保有するそれとは出力も処理能力も桁違いである。それを喪失したのだ。未だ各部隊の有する無線・有線通信機は健在で、周辺に展開する部隊とある程度の通信こそ可能ではあるが、少し距離が離れれば帝国軍の妨害電波によりそれは不可能となり、それどころか情報の統合・共有にも大きな悪影響を被っていた。何よりも要塞外部との通信がほぼ不可能となったのは彼らにとって余りに痛手である。

 

 そしてその機会を逃す帝国軍ではない。既に孤立した別動隊揚陸部隊の前衛部隊の立て籠もるこのE-マイナス一一九ブロックにブロックに繋がる六つの通路、それに要塞中に張り巡らされた上下水道や換気口、隠し通路等から次々と帝国軍の陸戦部隊は侵攻を開始していた。推定規模は凡そ三万、狭い通路での戦いのため正面戦力の差は生じにくいものの、補給不足から同盟軍は徐々に継戦能力を喪失していった。

 

「しかも装甲服をいつまでも着込む訳には行きませんからな。軽装甲服で五時間、重装甲服では二時間が限界です。にもかかわらず既に限界時間を超えて着こんで戦う者ばかりですからな。私も出来れば汗をシャワーで洗い流したいものですよ」

 

 ヴァーンシャッフェ中佐の背後で飄々とした態度で嘯いたのは重装甲服のヘルメットを脱いだワルター・フォン・シェーンコップ中佐である。その額は汗で濡れきっており、その身につける重装甲服は殆んどが返り血で真っ赤に染まっており、先程まで彼が激しく苛烈な戦いに身を投じていた事を証明していた。

 

「……シェーンコップ中佐、貴官には第六四五通路の防衛を命じた筈だが?」

「その侵攻は撃退しましたよ。それなりに損害は与えたので一時間位は安全と見込みます。ですので交代の休憩を使って顔を見せに来た訳ですな。とは言え……」

 

 ヴァーンシャッフェ中佐の手に持つ携帯端末に映る戦況情報を見て、少々困り顔を浮かべる不良軍人。

 

「私一人が頑張っても他の通路が芳しくなければ意味がありませんからなぁ」

 

 携帯端末に表示される戦況は芳しくはない。各部隊奮戦しているものの、ジリジリと損耗し、戦線は押されつつある。無論、全面的な崩壊はせず、その後退は慎重かつ計画的であったが、それら戦線の整理は時間稼ぎのためであり、逆転の見通しがついている訳ではなかった。

 

「このままではじり貧は目に見えてます。元々前進し過ぎて物資不足だったのがこの孤立と包囲ですから。武器弾薬は最悪敵から奪えば多少は持ちます。ですが食料、それに一番重要な医薬品の方は既に必要量を下回っています」

 

 同盟軍は地上での苛烈な戦闘に備えて前線用移動手術ユニットを配備しているが、それとて実際に銃撃戦が発生する場所から最低でも数キロは離れている事を想定した代物だ。ユニットは重く、足は遅く、電力も必要で、しかもそれがあっても尚軍医や看護師がいなければ意味がない。

 

 そして現状包囲されている彼らの元にある医療リソースはと言えば、手術ユニットが無いのは元より、軍医が数名に一ダース程の看護師、後は衛生技能を有する衛生兵が数個小隊であった。彼ら衛生兵は一人から数名単位で小隊や中隊に分散配備されている。医療品も既に底を尽きかけていた。軽傷者は碌に手当ても受けていない。

 

「今は良いでしょうが軽傷者も無理はさせられません。ましてや重傷者には今にもヴァルハラに行きそうな者もいます」

 

 そして何が起きたのかはまだ彼らも正確には把握出来ていないにしろ、あの震動と通信の断絶から見て、恐らくは第二宇宙港が無事である訳がない。孤立し、しかも味方の脱出路すら寸断されたとなれば近いうちに救援が来るとは考えにくい。ともなれば……。

 

「不本意ですが、ここは最悪の事も覚悟せねばならぬでしょうな」

 

 そこで不良騎士は口元をきつく結んで、深刻そうな表情で呟く。

 

「……我々は降伏なぞしません」

 

 その弱弱しい声に導かれるように、直ぐ傍で簡易椅子に座る中佐に不良士官は視線を向ける。全身に血の滲んだ包帯を巻いて、隻腕の中年男性がそこにいた。ヨルグ・フォン・ライトナー中佐は憮然とした表情で静かに肩を上下させて息をする。

 

「ライトナー中佐、そう意固地にならんでも良いでしょうに。たかが臨時陸戦隊に手玉に取られた屈辱は理解しますが、雪辱を果たす機会はいつか来るものです。こんなつまらぬ場所で玉砕するなぞ芸がないと思いませんかな?」

 

 不良騎士は息も絶え絶えの中年を過ぎた従士に向けてそう嘯く。一見すると軽々しい物言いであるが、それなりに付き合いのあるライトナー中佐はそれが彼なりの慰めの言葉である事は理解していた。だからこそ傍で剣呑な表情を不良騎士に向けるデメジエール少佐を制止してからライトナー中佐は言葉を紡ぐ。

 

「今回こそがその雪辱戦だったのです。……エル・ファシルで我々は本来死ぬべきでした。それを温情を承り、十分な支援を受け、勝算ある戦で汚名を雪ぐ機会すら与えられました。その癖にこの醜態ともなれば到底主家にも、本家にも面目が立ちません」

 

 ライトナー中佐は恭しく宮廷帝国語で答える。階級は同じ中佐、立場は従士に対して上等帝国騎士、外面的な階級と身分は然程差異がないが、片や従士家の本家ではなく分家の末端で下士官から叩き上げとなった連隊長であり、片や士官学校を優秀な成績で卒業し亡命政府の宣伝する精鋭の薔薇の騎士達の大隊長、しかも主家の次期当主直々にスカウトしたお気に入りの食客である。それを含めれば年齢で上回ろうとも実質的な『格』が何方か上かなぞ、帝国人ならば一目瞭然だ。

 

「上面だけとは言え、中佐にそこまで下手に出られるのは相変わらずこそばゆくて慣れぬものですな。初めて御会いした時のようにもっと砕けた言葉を使って頂いても宜しいのですよ?……加えて言わせて頂ければ、そこまでお困りであれば雇用主にでも泣きつけば宜しいのです。あの人ならば慌てて奔走してくれますよ。何なら私から口利きしても宜しいですが?」

「中佐、食客の分際で……」

「少佐、分を弁えろ」

 

 シェーンコップ中佐の雇用主を軽く見る発言にデメジエール少佐が怒りを爆発させようとするがライトナー中佐が先程とは別人のようなドスの利いた荒々しい声でそれを止める。デメジエール少佐は体を震わせてライトナー中佐を見るが、上官のそれだけで人を殺せそうな鋭い視線に僅かに臆し、舌打ちをして一歩下がる。そして非礼を詫びるように不良騎士に一礼した。

 

 ライトナー中佐は再度帝国騎士を見据える。

 

「御厚意には感謝しましょう。しかし御気持ちだけで結構で御座います。そのような若様にご迷惑をお掛けするような願い、する訳にはまいりません。既に一度ご厚意に甘えながら自身の無能を二度も許されようなぞ、特別な理由もなければあってはならぬ事です」

 

 重々しく答えるライトナー中佐。尤も、不良騎士からすればその内容は思わず肩を竦めてしまうものではあったが。そもそもそれを言えば(亡命政府目線で)失態を繰り返した従士が二人程雇用主の傍にいつまでも控えているのだが……ライトナー中佐の価値観からすればそれは完全に別枠なのであろう。

 

「……従士としての御覚悟は御察し致しましょう、ライトナー中佐。しかし、現状において貴官らは我々の貴重な戦力です。ムーア少将も電文を送っておりますが、無用の戦闘を仕掛けてこれ以上に戦力を浪費するのは御遠慮頂きたい」

 

 帝国貴族として、そして同盟軍人としてこの場において最高位の権限を有するヴァーンシャッフェ中佐がライトナー中佐に向けてそう釘を刺す。

 

「承知しております。最早これ以上積極的に戦闘を仕掛けたとて拝命した任務を全うする事は確実に不可能でしょう。さりとてこのままおめおめと逃げ帰る訳にはまいりません。であるならば、友軍のために我らも可能な限りの貢献を為すのは寧ろ道理でありましょう」

 

 さも当然とばかりにライトナー中佐は答える。それが味方のための捨て石になる事を意味するとしても。

 

 ライトナー中佐の覚悟に対して、ヴァーンシャッフェ中佐はこれ以上言及する事は無かった。そこまでの覚悟を彼自身は求めてはいなかったが、この重傷の従士の意志をここで否定しても何の意味もない事も理解していたし、説得も時間を浪費するだけである。ただただ今は不用意な攻撃をしない事を確約させる事だけで十分であった。

 

「……さて、それにしても手詰まりだな。援軍もなく、さりとてこのまま防戦一方という訳にも行くまい。状況の変化を待つとしてもいつまで持つ事か」

 

 再度戦況を見据え、小さく呟くヴァーンシャッフェ中佐。その言葉に答えられる者はこの場において皆無であった。広がる重苦しい沈黙……。

 

「……?失礼、今前線からの連絡が入ったのですが……」

 

 しかし次の瞬間、無線機と相対する通信士が怪訝な表情を浮かべて集まる指揮官達に向けて口を開く。

 

 そして、その内容はこの場にいた者達に困惑と、非常に難しい二者択一を強いる事となった……。

 

 

 

 

 

 

「おい、侵入者の姿は見たか?」

「いや、この通路には見えなかった」

「そんな訳あるか!カメラには映っていたんだぞ!?何処かに隠れておるに決まっている!」

「糞、このブロック何年放置されてたんだ?碌に地図もありゃあしねぇ」

「そもそもこの要塞自体広すぎるんだよ。その癖人員は少なすぎるのさ。せめて今の倍位の人員がいなきゃあ管理しきれねぇよ」

 

 帝国軍軽装歩兵の集団が駄弁りながら第一八三三通路を進む。イゼルローン要塞建設以来殆んど使われる事すら無かったこの通路を彼らが進む理由は知れている。

 

 公式非公式含めて数千から数万はあるかも知れないイゼルローン要塞内の通路、その中から第一八三三通路に彼らが足を踏み入れた理由は反乱軍の侵入者を掃討する以外に有り得ない。どうやら、侵入から一時間近く経過してやっと彼らはこの通路に反乱軍の兵士がいる事に気付いたらしい。

 

「気付いてくれるなよ………」

 

 そして、そんな帝国軍の軽装歩兵達の会話を、私はその足元で聞いていた。より正確に言えば真下に設けられた回線ケーブル補修用通路から聞いていた。換気用に網戸のついた薄い金属製の板一枚挟んだ人一人が漸く通れるかという空間で私は寒さに耐えて、息を殺し続ける。

 

「んっ……わ、若様……あの……そこは……」

 

 私の義手の右手が(人工神経を挟んで)何か柔らかい物を掴んだ感触を感じ取ると同時に、耳元で困ったような、それでいて艶めかしいテレジアの囁き声が響いた。因みに言えば義手の握力なので出力をキープしていても生身のそれに比べれば握る力は若干強かっただろう。ん?聞きたいのはそんな事じゃない?さいですか。

 

「大尉、気付かれます。静かにして下さい」

 

 直ぐ息が私の顔に当たる距離でベアトが白い息を吐きながら同僚に囁く。私を挟んで反対側にいるテレジアはそれに黙って頷く事で答えるが、その顔は薄暗い中でも僅かに上気し、何処かくすぐったそうであった。

 

 ……まぁ、あれだ。敵兵から咄嗟に隠れるためには時間がなかったのだ。唯でさえ暖房を停止されて冷えきっている狭い補修用通路でぎゅうぎゅう詰めになるのは仕方ないし、前後から従士に密着されるのも仕方ない。ましてや右手がテレジアの身体の何処かを掴んでいてもそれはどうしようもない不可抗力である事は疑い様もない事実である。……不可抗力だよな?

 

「……?今何か物音がしなかったか?」

 

 内心で自己弁護に走っていると、丁度私の頭の上辺りで立ち止まった帝国兵が周囲に向けて尋ねた。やべっ。

 

「物音……?」

「鼠か何かか?」

「待て、静かにしろ……」

 

 同僚の言葉に他の帝国兵達も足を止めて、聞き耳を立て始める。ちぃ……!

 

 私は息を殺して身動き一つせずにその場を切り抜けようとする。それは従士達も同様だ。どうせ聞こえないのは分かっていても激しく脈うつ心臓の音が異様に煩く感じられた。

 

(早く行ってくれよ……!!)

 

 私は心の中で叫ぶ。恐らく一個分隊の軽装歩兵、それも軽装とは言え陸戦の用意すら碌にしていない我々にとってはブラスターライフルや火薬式実弾小銃であろうとも十分過ぎる程の脅威だ。しかも遮蔽物も殆んどないとなれば此方が不利過ぎる。戦わない事に越した事はないのだ。

 

「…………」

 

 軽装歩兵達は沈黙したまま、遠ざかる足音だけが響き始める。これは……行ってしまったと見るべきか?それとも………。

 

「っ……!?」

 

 僅かに警戒を緩めて私は視線を上に向けようとした次の瞬間である。鉄板が外される音と共に照明の光が薄暗い回線ケーブル補修用通路を照らし出した。

 

「くっ……!?」

 

 照明の光に私は一瞬目を細める。同時にうっすらと見えた銃口に私は慌てて手元のハンドブラスターを構えようとする。

 

「ひゃっ……!?」

「うおっ……!!?」

 

 思わず嬌声を上げるテレジア。それは丁度私が掴むハンドブラスターが振り上げられると共に彼女の豊かな胸元の谷間に引っ掛かったからだった。当然のようにそれにより私がハンドブラスターを構える姿勢は阻害された。それはあるいは傍目からすればギャグのように思えたかも知れない。しかし、私自身にとっては死をも覚悟した重大な過失であり、失敗であった。

 

 ……本当にこれが命のかかった状況であったら、な?

 

「……御取込み中のようなので失礼します」

 

 狭苦しい空間で従士二人と密着したサンドイッチ状態になり、あまつさえテレジアの胸元の谷間に下からハンドブラスターを持った手を捻じ込んだ糞貴族のボンボンを見つけたアントン・フェルナー中佐は、私と目を合わせると数秒沈黙した後何やら合点がいったようにそう呟いて床板を被せ直す。完全にそっ閉じであった。

 

「……いや、だからこのパターンは前にしたけど……!?」

 

 多分三度目と思われるシチュエーションに私は叫び声を上げていた………。



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第百八十五話 何に重きを置くかは人それぞれって話

「軍港を崩落させるだけでなく、陸戦部隊を引かせる……?司令官、一体何をお考えなのですか……!?」

 

 イゼルローン要塞防衛司令部にて直訴するシュトックハウゼン中将に対して、クライスト大将は充血した目で目の前の部下を凝視する。

 

「既にそれについては説明した筈だが?貴官は何を聞いていたのだ?」

 

 シュトックハウゼン中将の質問に対して、既にクライスト大将はその意図を説明をしていた。せっかく包囲状態に置いた、第二宇宙港からの敵前衛部隊への攻勢を中止したばかりか、各所の戦線からも部隊を後退させているのは罠である。

 

「今の反乱軍は要塞の中と外とで完全に通信が遮断されておる。ならばこそ、奴らに囮としての役割を果たさせるには一時的にであれ通信室をくれてやる必要があるのだ」

 

 反乱軍は共和主義等と言う蒙昧で頑迷な危険思想を信仰するが故に、精強な帝国軍と違い味方を見捨てる事を厭い、勝利のための犠牲を恐れ、大のために小を犠牲にする英断も出来ない軟弱な組織である、と帝国軍士官階級向けの戦略教本は指摘する。故に本来ならば要塞内部に孤立した反乱軍の陸戦隊だけでも囮としての価値は十分な筈であったが、クライスト大将は念には念を入れた。

 

 即ち、包囲した前衛部隊の包囲網の一部を緩めて要塞内部の通信室の一角に誘導しようとしていたのである。通信室を占拠した反乱軍は真っ先に要塞の外の味方に助けを求めるだろう。イゼルローン要塞の大出力の無線通信によって悲痛な助けを求める声を聞けば、民主共和制等と言う非効率的な欠陥制度を奉じる蒙昧な反乱軍の艦隊は政治的にそれを見捨てる事なぞ出来なくなる筈だ。そうしなければ反乱軍の幹部達の立場も、下手に見捨てれば現場どころか軍首脳部すら辞任させられるかも知れない。

 

 となれば友軍の犠牲を厭わぬ帝国軍人ですら同じ選択を選ぶであろう。多大な犠牲を払おうとも要塞に対して大攻勢を仕掛けざるを得ない。そして……。

 

「そして救援に艦隊が前進した所を『雷神の鎚』で、ですか……そこまでする必要が本当にあるのですか?」

 

 そんな婉曲的な事をせずとも閉じ込めた反乱軍の陸戦部隊を降伏させれば良いだけではないか?今のイゼルローン要塞はボロボロだ。駐留艦隊も半壊している。叛徒共も補給と援軍に注意しなければならず長期戦は出来ないのだ。態々反乱軍に味方を救うための総攻撃を決断させるよりも、迅速に要塞内部の敵を降伏させて要塞攻略が不可能となった事実を突きつけるべきではないか?さすれば反乱軍も撤収せざるを得なくなる筈だ。

 

 いや、そもそも軍港の破壊すらシュトックハウゼン中将は反対していたのだ。特に第二宇宙港はミサイルで崩落させた時点でまだ数千人の味方が抵抗を続けていた。軍港自体は相当に被害を受けているだろうが、それでも奪還出来る可能性は十分あった筈だ。

 

 その上第二宇宙港は五〇〇〇隻もの艦艇を収容する要塞第二の規模を誇る港である。その破壊は要塞の後方支援能力に多くの制約をかける事になるだろう。難攻不落を誇るイゼルローン要塞は、しかしその最大の存在意義は本国と戦場を繋ぐ巨大なハブとしてである。

 

 特に艦艇の修理・整備・補給に人員・物資の搬入・搬出・移送においてはそれは顕著となろう。今回の反乱軍の攻勢を凌いでも、暫くの間帝国軍の最前線においては物資の補給量と速度が従来の七割から八割程度にまで落ち込むと試算されていた。幸い艦隊の指揮系統が混乱していたからか、ミサイル攻撃において第二宇宙港を担当する筈の部隊の一部が誤って第四七宇宙港を攻撃したことなどもあり、想定に比べて第二宇宙港の被害は軽く再建は三か月程度で済みそうではあるが……それでも尚、大きな被害である事に変わりない。

 

「たかが副司令官の分際で黙っておれ!貴様は私の命令に従っておれば良いのだ!いちいち頼んでもないのに無駄な事なぞ考えるでないわ!」

 

 司令官席のデスクを叩き殴りながらクライスト大将は奇声に似た声で叫ぶ。その声に思わず要塞防衛司令部の人員達は一様に自分達の司令官に視線を向ける。兵士によっては隣の同僚達に耳打ちし、囁き合う。尤も、それもクライスト大将が鋭い視線を向ければそそくさと彼らはコンソールに向き直り自身の仕事に戻るが。

 

「……兎も角、貴様は既に命じた通りに自分の職分に集中すれば良いのだ。艦隊と陸戦隊に対する支援要請は山のように来ている筈だろう?関係のない話をするでないわ!」

 

 そう吐き捨てながらクライスト大将は副司令官との会話を無理矢理切り上げる。実際要塞防衛副司令官と後方支援部隊司令官を兼ねるシュトックハウゼン中将の職務は決して少なく無かった。既に半壊の要塞駐留艦隊に対して反乱軍の妨害を排除しつつ補給を始めとした支援が必要だし、要塞内部で侵入者と対応する陸戦部隊に対してもそれは同様であった。何よりも要塞の内外を相応に荒らされているためにそのための設備や要員の配置転換に少なくない人手と時間を取られていた。

 

「……了解致しました。任務に集中致します」

 

 上官の命令にそれ以上逆らう権限なぞシュトックハウゼン中将には無かった。故に心底不快げなクライスト大将に対して門閥貴族らしい優美な敬礼で謝意を示すと渋々と引き下がる以外の選択は無かった。

 

「副司令官殿……」

「駄目だな。聞く耳も持って貰えなんだ」

 

 司令官席から少し離れた場所に控えていた数名の要塞防衛司令部に詰める幹部達がシュトックハウゼン中将の下に寄って尋ねる。それに対して中将は渋い表情を浮かべながら首を横に振る。その反応に幹部達は困惑と不安を混合した表情で応じる。

 

「司令官は一体何を御考えなのだ……?」

「急に高圧的になって不可解な命令を連発するとは……」

「本来ならば説明と議論を惜しまぬ人の筈なのだが……」

「味方ごと要塞主砲を撃ち、あまつさえ宇宙港を破壊するなど……余りに後先を考えなすぎる。叛徒共を追い出したとしてもその後にどう本国に報告する積もりなのだ……?」

 

 クライスト大将の行いは宇宙艦隊に軍務尚書、貴族階級に平民階級、更には財務省すら敵に回す行為だ。文字通り全方位を敵に回すかのような過激で軽挙過ぎる行動……門閥ではないにしろ貴族階級にして軍の要職に就任出来る程の地位にある人物がそれの意味する事を理解していない筈がない。それを……。

 

「このままでは司令官の命は……いや、それどころか一族郎党の命すら………」

「だからこそのこの策なのかも知れん。少しでも叛徒共を吹き飛ばせば本国に送還されて裁判にかけられても言い訳のしようがある訳だ」

 

 だからこそリスクがあろうとも敵の陸戦隊を囮に反乱軍の大艦隊を呼び込もうというのか……その理屈なら分かるが、付き合わされる方からすれば堪ったものではない。

 

「とは言え……この際仕方あるまい。下手に事を荒立てても最悪この要塞が陥落するなどという事態となれば責は我ら全員に連座する事になろう。今は司令官の命令に従う外あるまい」

 

 シュトックハウゼン中将は不満を口にするほかの幹部達を諫める。クライスト大将の武門貴族のような血気はやる思惑に、しかし下手に反発した所で何の意味もない。いや、この苦境において下手に足を引っ張ればそれこそ最悪の事態を招きかねない。今は上官の命令に全員が一糸乱れずに従う外ないだろう。

 

「それはそうですな……」

「援軍はまだ来ないのか!援軍さえくればこの状況も改善出来るだろうに!」

「来ないものを待っても仕方あるまい。我らもやれる事をやるだけだ」

 

 シュトックハウゼン中将の説得に渋々ながら幹部達は同意し、納得する。

 

「………」

 

 そしてそんな彼らの様子を見た後にシュトックハウゼン中将は僅かに首を動かし要塞防衛司令官の方を覗き込む。数十メートル程離れた上座の椅子に腰かける上官は瞬きしているかも怪しい程見開いた目で巨大な正面スクリーンを一瞬たりとも見逃さずに見つめ続けていた。その光景は明らかに狂気に満ちていた。

 

「問題は、本当にそれだけなのかだが……」

 

 本国送還後の軍法裁判に備えた戦果のため……クライスト大将がイゼルローン要塞陥落すらベットする危険な賭けに出る理由を説明するにはこれで十分であろう。理屈としてこれで通じる筈だ。問題はその推理が合っているかであった。全ては彼らが彼ら自身の常識と状況証拠から導いたものに過ぎない。何ら彼らの推測を真実と示すものなぞないのだ。

 

「………」

 

 シュトックハウゼン中将は視線を細めて上官を見据える。直にクライスト大将と接する彼の第六感が言語化出来ない危険を警告していた。シュトックハウゼン中将には上官の思惑がそれだけとは何故か思えなかった。

 

(まさかとは思うが……司令官の本当の狙いは……………)

 

 シュトックハウゼン中将の背筋を、言い知れない不安と寒気が襲っていた………。

 

 

 

 

 

 

 

「敵が引いている?それは事実なのか?」

「ええ、それも我々を後回しにしているだけという訳でもないようです。第二宇宙港の方でも状況は同様のようです。拝借した無線機の内容だけならば欺瞞情報の可能性もありますが……裏道を使って実際に覗き見た限り恐らくは事実と思われます」

 

 イゼルローン要塞内部の狭苦しく、下手したら要塞防衛司令部や設計者達すら忘れていそうなボロボロの通路を進みながら私はフェルナー中佐の報告を聞く。いや、それは通路と言えるかも怪しかった。腰をかがめなければ進めない上に電灯が無く懐中電灯が必須、暖房は停止しているどころか元より存在しないその通路は、下手したら意図したものですらない可能性もあった。

 

「大正解ですよ。この通路はブロックとブロックの隙間でしてね。実は隠し通路ですらなく、唯の組み立て誤差が積み重なってできた隙間なんですよ」

 

 フェルナー中佐は私の疑問に答える。イゼルローン要塞本体は何千何万という区画ブロックを溶接して形成されている。そしてそれらブロック区画は基本的に帝国中の工場で作成されたものを移送して要塞建設宙域で組み立てられたものだ。

 

 時代は少し前の第二次ティアマト会戦で宇宙艦隊と地上軍が揃って壊滅した頃、そしてケチで有名なオトフリート五世の時代である。帝国軍は失われた人材の穴埋めのために大量の技術者や熟練労働者をも軍に徴兵したし、オトフリート五世は少しでも要塞建設費用を圧縮しようと建設費の安い工場に優先的に区画ブロックの建造を発注した。

 

 結果として各ブロックの工作精度が落ち、組み立て段階でイゼルローン要塞内部の彼方此方にこのようなブロックとブロックの間の小さな隙間が出来たという訳である。私がフェルナー中佐ら傭兵部隊に先導されて進んでいる道はそんな誤差の積み重ねで出来た非公式通路の一つらしい。まぁ、帝国軍の兵器開発基本思想は頑健かつ高い信頼性、冗長性である。ましてや直径六〇キロの要塞にとってはこの程度の隙間なぞあってないようなものかも知れないが……。

 

「それはそうと随分と詳しいな、ええ?」

「言いましたでしょう?物資の横流しを副業にしていたと。幾つかあるルートの一つですよ」

 

 先頭を進むフェルナー中佐が不敵な笑みを浮かべる。この様子だと随分儲けたらしい。阿漕な事だ。

 

「それは酷い言い様ですな。……足がつかないように北極星銀行に預けていたのですがね。フェザーンに逃げる際に営業マンにごっそりと旅費扱いで持ってかれましたよ。あれは絶対狙われてましたね」

 

 肩を竦めた後、フェルナー中佐は壁の一角に触れる。そして何やら感触を確認するとそのまま肩で壁にぶつかった。数回程ぶつかれば次の瞬間には壁の鉄板は倒れて、その向こう側から一層底冷えする冷気が入り込むと共に、差し込む光が暗かった通路を照らし出す。慌てて従士二人が警戒するように前に出た。

 

「うおぃ!?フェルナー、何て所から出て来るんだ!?驚いただろうが!!?」

 

 フェルナー中佐に続いて私が壁の向こう側に顔を出すと共に聞き覚えのある声が響いた。暗い視界に慣れてしまった私が目を細めて声の先を見れば、そこには通信士から受け取った無線機を片手に口をあんぐりと開ける軽装甲服姿の食い詰め食客がいた。同時に彼は私の存在に気付いてすぐさま敬礼を行う。

 

「こ、これは若様、まさか此方に来られるとは………軍港の方が崩壊したとの話を聞きましたので捜索を行っていたのですが………というか何処から来ているのですか?」

「あぁ、フェルナー中佐にVIP専用の通路を教えて貰ってね。それよりもこれは………」

 

 私は周囲を見やる。表札によればプラスE-三五三ブロックの一室らしいその部屋では多数の同盟兵が右へ左へと忙しそうに駆け回っていた。より正確に言えば先程までそうしていたと思われた。……流石にいきなり壁の中から人が出てくれば誰だって作業を止めて唖然とした表情で注目するだろうよ。まぁ、それはそうとして……。

 

「……冷房か。こりゃあ廊下の方がまだ暖かいかな?序でに防寒着とベレー帽もくれると嬉しいんだが……流石にこの場の責任者に会うなら服装は大事だろう?」

 

 どうやら軍港同様シベリア並みに冷え込んだ室内に足を踏み込むと、首元のマフラーに手を触れて暖を取りながら、私は食い詰め中佐に物品の受領と指揮官の下への誘導を要請したのだった。

 

 

 

 

 臨時司令部に誘導されながらファーレンハイト中佐の話を聞いた私は、現状知り得る限りの情報を得ると共にまず舌打ちをした。事態は最悪の四歩程手前のような状況であったからだ。

 

 元々大爆発を直に目で確認していたので余り期待はしていなかったが……ゲイズ中将以下の主力揚陸部隊司令部の高級士官の殆どは軍港で全滅した。外部との通信どころか揚陸部隊内部における通信と指揮系統すら混乱している。

 

「軍港から前進していたので第七七、一五五地上軍団司令部こそ軍港崩壊の巻き添えは受けませんでしたが……逆に言えばそれだけの事です。特に第一五五地上軍団の方は隠し通路から猟兵共に襲撃されましてね、奇襲自体はどうにか撃退しましたが司令部要員の半数が死傷しました。死亡こそしていないものの軍団長まで重傷を負っております。更に不安要因があるとすれは……」

「あー、その先は大体予想出来るから言わなくても良いよ。恐らくは物資の欠乏に戦々恐々としているんだろう??」

「正解ですよ」

「はは、外れろよ」

 

 フェルナー中佐の発言に乾いた笑い声で私は応じた。吹き飛ぶ直前の第四七宇宙港には大量の武器弾薬が揚陸艦より陸揚げされている所だった。軍港がド派手に崩壊した理由の一つはそれら弾薬への引火が一役買っているのは考えるまでもない。

 

「帝国軍の装備の再利用をしておりますが、此方もそう簡単には行きません」

「傭兵や帝国系の兵士なら兎も角、生粋の同盟兵となると帝国軍の装備を使う機会が殆んどございませんから。所詮武器は武器なので使えない事はありませんが、微妙な設計や癖の違いもありまして兵士が実力を発揮出来ているとは言い難いようです」

「対して帝国の地上軍は同盟軍に比べて精強だからなぁ」

 

 食客二人の言葉に私は溜め息を漏らさざるを得ない。元より帝国軍は治安維持任務を前提とした組織である。装備の質も若干彼方が上であり、帝国軍は長年同盟軍に対して地上戦では絶対的な自信を持っている。兵科と兵数が同数であれば平均的な練度の同盟軍の地上戦部隊はまず帝国軍に勝てないというのは同盟軍すら教本に載せる程の共通認識である。故に同盟軍は地上戦において特殊部隊の拡充や宇宙艦隊との緻密な連携に力を入れて来たし、亡命政府軍や帝国系部隊に少なくない地上戦の委託を行ってきた。

 

「地の利も物資も彼方が豊富、ましてや退路を封じられて上層部もやられたとなると……ひょっとしなくてもこれはヤバいな。下手したらリンチにされそうだ」

 

 私はおどけたように苦笑いを浮かべる。ふざけているように思えるがその実、内心は相当焦燥していたりする。

 

 特に揚陸部隊主力の突入作戦を作成したのは(正確にはその内の一人は)私である。兵士達からすれば自分達をどうしようもない死地に送り込んだ元凶扱いされかねない。

 

 軍事作戦の計画を立てるのは参謀であるが、責任を負うのは当然ながら司令官である。無論、参謀にも専門家としての立場があるので完全な無責任ではないが、作戦の採用を行うのは司令官であるし、いちいち細々とした責任まで参謀に課していたらそれこそ萎縮して有効性の高い提案をしなくなってしまう。所謂参謀長であれば兎も角、私のような一参謀が恨まれる筋合いは組織体制上は無いが……だからとって簡単に許される訳でもないのが人間の感情というものである。特に極限状態で軍規が崩壊したら諸悪の根源扱いされる上官がどうなるかと言えば……考えるだけで恐ろしいものだ。しかもその参謀が帝国の亡命貴族ともなれば……まさに役満だな。

 

「若様、御安心下さいませ。その際は我々が脱出路を作ります」

「いや、流石に何人も味方を殺してまで逃げる積もりはないからな……?」

 

 支給されたブラスターライフルを手に応えるテレジアを私は諫める。既に一度実践してしまっている従士の言葉に私は顔を引き攣らせざるを得ない。笑えねぇよ。

 

「そこまで不安がる必要はありませんよ。少なくとも現在も機能している第七七地上軍団司令部はそんな八つ当たりをする事はありません。兵の方もイゼルローン要塞に殴り込みをかける役割を与えられただけあって規律は悪くはありませんよ。……まぁ、それでも不安なら私も給金分の仕事は果たしますのでその点は安心してください」

 

 食い詰め中佐はテレジアの発言に困り顔で反応するが、当の私が不安を抱いている事に気付けばそう補足した。

 

「我々は子爵家雇われですからねぇ、人手が足りない場合でしたら小切手でも構いませんが?」

 

 一方、フェルナー中佐は冗談とも本気ともつかない口調で自分と部下達を売り込む。あくまでも自分達は子爵家の傭兵と言い切り、追加料金をせしめようとする所が意地汚い。

 

「冗談はそこまでにしておけフェルナー中佐。私や若様なら兎も角、残り二人が笑って流してくれるとは限らんからな」

「……どうやらそのようですね。やはり帝国貴族にはユーモアが足りませんねぇ。カルシウム不足じゃないですかね?」

 

 ファーレンハイト中佐の注意に傭兵は不敵な笑みと共に了解する。フェルナー中佐の然程忠誠心の感じられない言葉の数々を、ましてや自治領民出身の傭兵に言われればベアト達の不穏な視線も当然であった。少なくとも帝国貴族にとっては。

 

「はいはい落ち着け落ち着け。ベアト、テレジア、殺気を消せ。こんなのでも一応貴重な味方だ。それに軍団司令部でそんな態度を見せたら面倒だぞ?」

 

 兎も角従士二人を宥めてから私は肩を竦めながら傭兵を見る。こんな状況でもどこ吹く風とばかりのフェルナー中佐の顔の皮の分厚さよ。ある意味称賛するね。

 

「若様、取り敢えず入りましょう」

「……あぁ、そうしようか」

 

 そして私は食い詰め中佐の先導の下、第七七地上軍団司令部が臨時の司令部を構えているブロックの一室、その扉を開いて入室したのであった……。

 

 

 

 ……さて、まず一言言わせて貰えば地上軍団司令部の反応は想定よりも良かった。少なくとも今すぐ無謀な作戦を作成した糞貴族を生きたまま火炙りにするような八つ当たりをする積りはなかったらしい。

 

 それに情報の出し惜しみは無かった。ファーレンハイト中佐やフェルナー中佐の言葉と矛盾する点は一切無い。寧ろより正確かつ詳しい状況すら分かっていた。その辺りは彼らもプロの軍人として公私を分けているという事であろう。

 

 つまり、現状のイゼルローン要塞内部の状況について、望みうる限りにおいて最も詳細なそれを私は把握する事が出来た訳である。とは言え、正しい情報があれば正しい選択肢が選べるとは限らない。

 

「……情報を整理しよう」

 

 第七七地上軍団の臨時参謀にその場で臨時任命された私、ヴォルター・フォン・ティルピッツ宇宙軍准将は、簡易デスクの上の地図を見つめながら確認するように声を上げた。それは実際私個人としても現在の事態の緊迫感を確認する意味があった。

 

「凡そ二時間前、主力と別動隊双方が揚陸した宇宙港もろとも崩落した。これが帝国軍によるものである事は疑いない」

 

 揚陸した同盟軍兵士の幾人かが要塞の観測施設内で大量のミサイルの雨を確認している。偶発的事故や誤射の類いではなく、明確な命令によって為されたのはほぼ間違いないだろう。

 

(それにしても……兵站を切る事は出来るだろうが随分と思い切った手な事だな)

 

 言葉を選べば果敢で思い切りが良いともいえるが……悪く言えば後先考えず粗雑過ぎる手である事は間違い無い。あるいはそれだけ苦戦して余裕がなかったというべきか。

 

「その後数回程の攻勢があったものの撃退に成功、そして……」

「0300時頃より各所の戦線で帝国軍の攻勢が止んだとの報告が上がっている。罠の類の可能性が高いが……その狙いが分からんのだ」

 

 第一五五地上軍団司令官マーロン・ジェニングス地上軍准将が渋い表情を浮かべる。士官学校三一九位の準エリート(とは言うがそもそも士官学校卒業の時点でエリートである)の准将は無能ではないし勇敢な人物であるが、官僚的で型に嵌った考えに拘泥する嫌いのある四〇手前の人物であった。

 

「確か御丁寧にバリケードまで一部撤去しているのでしたか。一方で攻勢を止めてはいても部隊の配置を動かしていない区画もありますね。……見る限りにおいては退路を断ち、我々を要塞奥地に誘っているように見えますが……」

 

 ジェニングス准将の表情と態度に注意しつつ私は指摘する。

 

 軍隊に全くそういう側面が無い訳ではないが、基本的に同一階級保持者の上下関係は年齢ではなく実力主義である。特別な辞令でも出ない限り昇進時期や部隊への着任時期、役職、授与される勲章を基にして同一階級保持者間の上下関係は決められる事になる。

 

 その点からいえば私とジェニングス准将の立場の関係はかなり面倒だ。

 

 私は士官学校卒業席次三桁代にギリギリ滑り込んだ凡俗でありながら、機会に恵まれ三〇前で准将。対するジェニングス准将は士官学校の席次は当然として年齢も一世代分は違う。さりながら階級は共に准将であり、それどころかほんの数週間の差異でしかないが昇進辞令の受け取りは私が先であった。

 

 所属や役職については更に面倒だ。片や実戦部隊の実権ある地上軍団長に対して、片や部隊指揮権のない宇宙軍の遠征軍司令部の参謀。片や授与された最高勲章が地上軍五芒星銀章止まりであるのに対し、片や自由戦士勲章持ち……正直ここまで面倒な関係を同盟軍の階級規定が想定していたか怪しい。私もジェニングス准将も互いに何方の立場が上なのか計りかねていた。ましてや個人的に考えれば彼方側にも色々とプライドがあるだろうから私も言葉を選ぶ必要があった。

 

「兵の休息と態勢の立て直しが出来る余裕が出来たのは幸いですが……このまま待ちの姿勢を取る訳にも行きませんな。外の友軍が我々を見捨てることは無いでしょうが、問題はその救援が成功するかです。散開して接近するとしても要塞側がそれを見過ごすとも思えませんから。寧ろこれ幸いに要塞主砲を撃ちこんで来るでしょう」

 

 参謀の一人が推理するように答える。あるいは軍港を潰して揚陸部隊を閉じ込めたのはそれを強いるための可能性が高い。となれば此方が出来る事と言えば……。

 

「順当に考えれば艦隊の掩護、即ち要塞主砲や浮遊砲台による攻撃の阻止、次いで通信室等の占拠による外部との通信状況の回復か。……どうも此方の状況を分かった上で、誘われている感覚しかないですね」

 

 無論、だからと言ってここで味方が助けに来るまで何もしないと言う訳にはいかないのも事実だ。帝国軍が攻勢を仕掛けていたならばその対応に忙殺されていただろうが……無駄に余裕が出来たせいで味方の掩護に意識が向いてしまう。そしてそこに罠を仕掛ける……十分あり得る手であろう。

 

「何方にしろ、我々だけで要塞主砲の送電ケーブルの占拠は難しいでしょう。直線距離だけでも三キロ、実際に進むとなればそれ以上の手間がかかります。帝国軍がおめおめと占拠させてくれるとも思えません。別動隊と連動するのは必須でしょう」

 

 食い詰め中佐が横から入り助言する。

 

「フェルナー中佐、裏口から別動隊との接触は可能か?」

「下水道やらダストシュートの中を進む必要はありますが不可能ではありません。実際に部下の一人がそれで撤収作業をする帝国軍の動向を視認しましたから。但し裏口ですから行き来に時間がかかりますよ?」

「分かっている。軍使の行き来なんて非効率的な事はしないさ。ケーブルを敷いて有線通信を組めば電波妨害や盗聴の危険はないだろう?」

 

 私の提案に、フェルナー中佐は若干顔を顰める。

 

「それはまた原始的なやり方ですね。……いえ、不可能ではありませんが切断されたらそれまでですよ?宜しいので?」

「それこそ他に代案があれば聞きたいけどな。敷設だけならばそこまで人員も物資も使うまい?やるだけやってみる価値はあると思うが……軍団長殿の方の御考えはどうでしょう?」

 

 面倒臭そうな表情を浮かべるフェルナー中佐に反論しつつ、私は軍団長にお伺いを立てる。実戦部隊の指揮権もなく、階級で最高位でもない私一人で話を進める訳には行かなかったのだ。尤も、曲りなりにも准将ともなれば無能ではない。少なくとも私よりは優秀である以上、私の口にした道理は理解していた。特に異論もなく提案は受理された。

 

「部隊の再編と休息に最低でも二時間は必要だろう。それが終わり次第、第一に要塞主砲の送電ケーブルを、第二に通信室に向けた攻勢を行う、という形で行こうと思うがどうだね?」

「異論はありません。罠が張られているとしても動かぬ訳にはいきませんから。別動隊も通信室に向けた攻勢を?」

「あぁ、距離的には彼方の方が若干近い。二方面から攻めれば我々も其方へ戦力を注力せずに済む。通信室の占拠よりも要塞主砲発射を防ぐ方が優先だからな」

 

 ジェニングス准将の示した方針は常識的で妥当なものであった。あったのだが……私には何処か納得しきれないものがあったのも事実であった。無論、それが何であるかを私自身判断しかねていたので口には出さなかったが。参謀が曖昧な言葉を口にしても信頼を損ねるだけである。

 

「……ベアト?」

 

 ジェニングス准将から一時休息の提案をされて臨時で見繕われた休憩室に誘導される中、ベアトの視線に気付き私は小さく口を開いた。ベアトは一瞬周囲の状況を観察した後テレジアと二三何事かを囁き合う。その表情は緊張と焦燥に駆られていた。そしてテレジアはそのままその場から立ち去る。

 

「休憩室に到着してから少々御話が御座います」

「……分かった」

 

 耳打ちされた言葉とその口調から私は内容が余り愉快なものではない事を確信した。

 

「悪いな。実は陸戦の用意なんてする暇もなくてな。装備も何もないんだ。装甲服がないなら防弾着でも良い。余り物の装備を用意してくれ。……それに携帯品で良いから食べ物も貰えたら嬉しい」

 

 誘導してくれた兵士にそういって退席させて、デスクと椅子程度しかない部屋には私を除くと従士と食客二名のみが残る。

 

「通路での続きが御望みであれば退席しましょうか?何なら扉の前で見張り役でも致した方が良いですかね?」

「おいやめろ。話を蒸し返すな」

 

 フェルナー中佐のふざけ半分の言葉に私は苦い顔で言い捨てる。ファーレンハイト中佐の方は会話の意味が分からぬのか怪訝な態度を取る。おう、お前はそのままで良いぞ。

 

「この状況で呑気な事だな。……ベアト、嫌な予感がするんだが内容を教えてくれ」

 

 椅子に深く座り込んだ私は従士に用件を尋ねる。

 

「ですが……」

「その二人も同席だ。……まぁ、そこまで不義理でもないだろうさ。給与を支払っている限りはな」

 

 食客二人の同席に一瞬躊躇するベアトに、しかし私が認可を出せば二人を一瞥するベアト。食い詰め殿は肩を竦めて苦笑し、傭兵の方は従士を試すような不敵な笑みを浮かべる。五〇〇年に渡り代々伯爵家に仕えて来たゴトフリート従士家出身のベアトからすれば、それなりに雇用期間を経た食い詰めすら家臣団の一員として見るには不十分、ましてや傭兵なぞ一ミリも信用出来ないだろう。

 

(いや、問題は信用出来ない相手に聞かせられない内容という事自体か……)

 

 同席させるのに抵抗がある内容である、というだけでも嫌な予感しかしない。

 

「そこまで仰るのでしたら……」

 

 私の言葉に若干不安を持ちつつもベアトは承諾し、次いで本題について答える。

 

「若様、僭越ながらいつでも脱出出来る準備を御願い申し上げます。ノルドグレーン大尉がシャトルの類を調達次第、乗船して脱出を御願い致します」

 

 ベアトは緊張し、緊迫した面持ちで申し出た。私も食客達もその言葉と雰囲気に目を丸くして、同時に息を呑む。そして次の瞬間には従士の言わんとする事、そして状況証拠と帝国貴族の価値観を総動員してその意味にまで辿り着いた。

 

「……はは、正気かよ?」

 

 次の瞬間、私は口元を義手の右手で覆い、虚勢を張る事に失敗した震えた声でぼそりと呟いた。どっと全身に脱力感が襲うと共に緊張と焦燥から汗が噴き出す。心臓が恐怖から激しく鼓動するのが分かった。

 

「……成程、有り得ない手じゃない、か?」

 

 常軌を逸した理論と手段に私は嫌悪感と吐き気を覚えた。いや、それだけではない。何より気持ち悪く思えたのは、その論理を直ぐに理解出来てしまった私の思考回路そのものであった。

 

「要塞ごとの自爆、か……」

 

 私の導いた答えが唯の考え過ぎによる妄想に過ぎない事を、この時私は心から願った………。

 

 

 

 

 

「何?攻勢の停止だと?要塞の連中は何を考えているのだ!?」

 

 伝令兵からの報告に対して部隊指揮から一旦離れて休憩していた金髪の美少年はそれを下がらせた後、副官のみとなったイゼルローン要塞のE-プラス六九〇ブロックの一室で怒気を孕んだ声で上層部を罵倒した。

 

 当然であろう。揚陸した敵は疲弊していた。退路を遮断され、兵站を失い、司令部を失い、指揮系統が混乱すればこうもなろう。一般的に考えれば今こそ総攻撃の機会である。それを停止して後退?疲弊した敵に休息の機会を与える等とはどういう事か!?

 

「ラインハルト様……」

「どうにも我慢がならんぞ、キルヒアイス!この戦いが始まってから上層部のやり方には散々吐き気を感じて来たが、今回はとっておきだ!これではこれまでやって来た事は全て無意味ではないか!?」

 

 熾天使の生まれ変わりのような少年は上層部の行いを糾弾する。そもそも最初から籠城戦をしていれば良いものを、無理して艦隊戦を挑んだ時点でその愚かしさは理解していた。だが、その後の味方ごと『雷神の鎚』で同盟軍を薙ぎ払う暴挙は余りに傲慢であったし、軍港を同じく味方や後々の事を考えず吹き飛ばしたのもまた短絡的過ぎる(彼もまた事故に見せかけて要塞のブロックを一つ崩落させたが、軍港を破壊したのとは後々の影響の大きさが桁違いだ。ましてや彼は味方は避難させている)。

 

 そこまでしてでも得たかっただろう勝利、それを後一歩のところで無為にする等と……!

 

「奴らは何を考えているのだ!?背水の陣となった同盟軍の陸戦隊なぞ恐るるに足るまい!?窮鼠と化した以上激しく抵抗するだろうが武器弾薬を使い尽くせば降伏か玉砕する以外の選択肢なぞ残らん!内部の味方が無力化されたとなれば外の艦隊とて要塞攻略が困難であると悟り退却するであろう!そのために小を捨て大を取ったのだろうが!それを……!」

 

 考えられる可能性とすれば一つある。要塞内部の同盟軍を囮として同盟艦隊に無理矢理接近する事を強いる。そこに要塞主砲を叩き込む。仮にミューゼル少佐の予想が事実とすればその道理は理解出来るが……。

 

「ナンセンスな作戦だな。通信で助けを呼ばせようとするのは分かるがそれこそ自由惑星同盟を称する反乱軍は引かなくなるぞ!?奴ら、オーディンに言い訳するためだけのために消耗戦をする気なのか!?何十万もの兵士を使って!」

「御怒りは分かりますが落ち着いて下さい、どこで誰が聞いているのか分からないのですから……」

 

 赤毛の副官の諫言にその主君は暫く鋭い形相を浮かべるが、次いで怒りを吐き出すように深呼吸すると先程よりも落ち着いた声で口を開く。

 

「……上層部の腐敗に怒るのは今更だな。これまでだって酷いものは幾らでも見聞きしてきたからな。だがそれに実際に付き合わされるとなるとやってられないものだ」

「だからこそ、ラインハルト様のご栄達は早まりますし、その意味もあるのです。どうぞ、今は御自重下さいませ」

「あぁ、分かっている。たかが一少佐の身で出しゃばっても悪目立ちするだけだからな。それで?俺達も配置転換か?」

 

 金髪を掻き分けた後、ミューゼル少佐は尋ねる。彼の指揮する駆逐隊乗員からなる臨時陸戦隊は、同盟軍別動隊から揚陸した陸戦隊の前衛部隊を壊滅させた後、暫しの間他の部隊と共にその包囲を行っていたが、将兵の疲労もあって一時後退と休息を取っていた。彼自身も休息し英気を養っていた所でこの伝令である。ともなれば臨時陸戦隊が再度包囲部隊に復帰する事は有り得ず、当然他の場所に展開する事になるのだが……。

 

「伝令文によれば……送電ケーブルの警備に回されるようですね」

 

 キルヒアイスは伝令兵から受け取った文章を読み返しながら答える。要塞主砲にエネルギーを供給する送電線の防衛戦力として臨時陸戦隊は展開するように伝令文には記されていた。

 

「当然の配置だな。孤立した陸戦隊からすれば外の味方の救助を援護するならこれくらいしか手はないだろうさ」

「では……」

「行くしかない事位承知しているさ。もう少し兵を休ませた後移動を開始しよう。彼らも思いの外消耗したからな。もう少し休ませたい」

 

 同盟軍の勢いを殺す事には成功したが、全てが全て計画通りに進んだ訳ではない。元々帝国軍は同盟軍に比べて陸戦重視のドクトリンを採用しており、軍艦乗りにもそれなりの訓練と装備が施されているが、流石に本職には敵わない。第六四〇九駆逐隊改め第六四〇九駆逐隊特設陸戦隊もまたその例外とはなり得なかった。

 

「流石イゼルローンに切り込みをかけて来ただけはあるな。可能な限り犠牲を出さないように慎重に後退したのだが……それでも二割を超える損失は痛いな」

 

 一因としては相手が損害をかなり度外視した戦い方をしたのも理由であろう。ミューゼル少佐も元からそれを理解していれば別の迎撃方法を想定したのは間違い無いが……それを差し引いても損害は彼の想定を上回っていた。

 

「中々勇猛で鬼気迫る戦いぶりでした。無謀な所もありますが、それを差し引いても称賛に値する敵ではありました」

 

 後続の味方のためであろう、文字通り死力を尽くし、自己犠牲的に戦う姿は赤毛の副官も一定の評価をしていた。特にその統制は素晴らしかった。あれだけの苛烈な戦いでありながら末端の兵士まで士気は高く全力で戦うなぞそうそう見れる事ではない。

 

「尤も、あそこまで行くと逆に呆れるがな。まるで猪みたいだ。……そう言えば猪の話はこの前もしたな。まさか反乱軍の奴ら本当に聞き耳立てて怒り狂った訳じゃないだろうな?」

 

 同盟艦隊を発見した哨戒任務に出港した際の雑談を思い出して冗談気味にミューゼル少佐は笑う。年相応の、しかし神々しさも醸し出す笑みであった。

 

「それにしても……いや、考えても仕方無い。今は俺達も身体を休めて英気を養うのが優先だな」

 

 そしてふと頭の片隅に言葉にしにくい疑念を抱くミューゼル少佐。しかし口元に手をやり一瞬考え込むが直ぐに彼はその疑問を脇に追いやり目先の成すべき事に意識を集中させた。

 

 それは彼が無能な訳でも、ましてや想像力が欠如している訳でもなかった。強いて上げるならばそれは価値観と常識の差異であった。即ち軍人としての判断と貴族としての判断である。

 

 そして金髪の少年にとって目下の敵である自由惑星同盟と同盟軍に対しては軍功を得るためにその文化と価値観について十分な研究と分析こそ出来ていたが、元より偏見があり距離のある宮廷の力学については未だ理解しきれていなかった。

 

 それ故に、彼らはそれが自分達の運命に直結しかねない重要な事実であると気付く事が出来なかったのだった……。



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第百八十六話 企業会議でのプレゼンは事前準備が大切

ノイエ、今週から劇場分のテレビ放送とか最高かよ!

追記
投稿日一日間違えとる……感想返しは今日か明日にはやるので勘弁してください
後、フリー画像サイトから幾つか風景画像を借用して過去の話に張り付けました、過去話見返しか作者の画像まとめから御確認下さいませ


 血を血で洗う要塞内部での戦いが帝国軍の後退によって一旦小康状態に入った頃、翻って要塞外部での戦いは再度激しさを増していた。より正確には苛烈な戦いに向けた兆候が始まっていた。

 

『ファントム・ツー、スリー!其方に行ったぞ!』

『了解した、必ず仕留める……!』

『此方第三八独立空戦隊第二中隊!ヤバイ、敵艦隊のキルゾーンに誘導された!対空砲が……ぎゃっ!!?』

『此方ガンマ中隊、敵雷撃艇群確認。デブリに紛れて艦隊に迫る気だ……!』

『行かせるな!手の空いている空戦隊は至急五-九-六宙域に急行せよ!』

 

 要塞主砲の射程内で単座式戦闘艇群は激しいドッグファイトを繰り広げる。さしものイゼルローン要塞とてたかが単座式戦闘艇相手に要塞主砲を撃ち込む訳には行かず、彼らは乱戦状態の宙域を縦横無尽に飛び回る。

 

 イゼルローン要塞の前面における乱戦は苛烈の一言だった。既に艦隊はおろか分艦隊や戦隊単位での戦いにすらなっていない。最大でも数十隻単位の群、あるいは隊や分隊、個艦単位での戦いが中心となり、敵味方がモザイク画のように混ざり合い、艦首だけでなく側面や上方、下方、背後に備わった副砲まで乱射する。そして、単座式戦闘艇にとってそういう戦場こそが最も能力を活用しえる戦況である。

 

 所謂宇宙戦闘機自体は起源を辿れば一三日戦争以前に存在した北方連合国家航空宇宙軍、三大陸合衆国宇宙ロケット軍の双方において配備が始まり、以来今日に至るまでその系譜は連綿と受け継がれている。

 

 とは言え、特に宇宙艦艇の交戦距離の長大化に伴い、次第に航続距離の短い宇宙戦闘機とそれを運用する宇宙空母はそのコストに比べて能力の見合わない存在となり、銀河連邦末期から銀河帝国初期になれば艦隊決戦戦力としては殆んど期待されないものとなった。無論、要塞等に揚陸する際の陸戦隊の支援、拠点周辺の哨戒任務等の後方支援戦力としては尚も重宝されたが。

 

 宇宙暦750年代、自由惑星同盟軍宇宙軍大将にして730年マフィアの後継者として未来の同盟軍指導者の一人となる事を嘱望されていたアリー・マホメド・ジャムナ大将が宇宙戦闘機の新しい可能性を切り開いた。

 

 初の近代的艦隊決戦型宇宙戦闘機『メビウス』は、そのサイズの大きさと性能から宇宙戦闘機を改めて単座式戦闘艇と類別された。旧来の宇宙戦闘機を越える対艦攻撃性能と機動力、そしてそれを活用した戦術によって損耗が凄まじいペースで増大する乱戦において人的資源の損耗を最小化出来るという事実を示し、第二次ティアマト会戦以来国防意識が低下して志願兵不足に陥っていた同盟軍の需要に完全にマッチした。

 

 即ち、西暦時代の第二次世界大戦以来続く航空部隊を遠方打撃戦力とする考えを捨て去り、寧ろ艦隊同士の近距離砲撃戦における近接打撃戦力としたのである。これにより同盟軍は近距離戦における不利をカバーすると共に艦隊の総合・瞬間火力を大幅に向上させる事に成功した。

 

 第一世代型単座式戦闘艇『メビウス』は旧来の艦隊決戦における接近戦の常識を変えたが創成期の機体の常として性能面での不安から比較的早期に退役し、その後第二世代型の『カタフラクト』、第三世代型の『グラディエーター』と新型が配備、そして現行における同盟軍の最新の単座式戦闘艇が第四世代型単座式戦闘艇『スパルタニアン』である。

 

 スパルタニアンはその先祖が期待されたように、宇宙艦艇のエネルギー中和磁場の内側に入り込めば低出力レーザー機銃やレーザー水爆による対艦攻撃を実施する。無論、帝国軍もやられてばかりではなく、同じく単座式戦闘艇ワルキューレを発進させる。彼方此方で互いの背後に回ろうとしてスパルタニアンとワルキューレが踊るように飛び交い続ける。

 

『おい、あれを見ろ!』

『なんだ?スパルタニアンじゃねぇ……グラディエーターか?』

 

 ワルキューレのパイロット達はスパルタニアンに交じって戦場を駆けるグラディエーターの姿を見つける。今となっては急速に第一線から姿を消しつつある、スパルタニアンよりも一回り大柄でのっぺりとした機体……。

 

『はっ!鴨だな。あれから落とすぞ……!』

 

 ワルキューレの一機が編隊から離脱してグラディエーターに接近する。対艦火力でスパルタニアンを上回る代わりに空戦における機動力でワルキューレに圧倒的に劣るグラディエーターでは勝敗は既に見えているかのように思われた。だが……。

 

『おいおい、手柄が欲しいからってがっつき過ぎ…だ…っ!!?待て!そいつから今すぐ離れろ!!それは……!』

 

 編隊を組んでいたワルキューレ乗りが功績欲しさに突出する同僚にそう冷やかしを口にしようとして……次の瞬間、ワルキューレの光学カメラからの望遠映像が全天周囲モニターに映りこんだと同時に彼は殆んど悲鳴に近い声で仲間に逃げるように叫ぶ。しかし、それは既に遅かった。

 

『えっ?あれは……』

 

 同僚の無線通信はそこで突如途切れた。同時にモニターでその造形から鈍亀と揶揄されるグラディエーターがどうみても無茶な機動でワルキューレの横合いに捻りこむように回り、劣化ウラン弾で文字通りバラバラに吹き飛ばしたのを確認する。火球となって爆発するワルキューレ……。

 

『馬鹿な!あんな動き、鈍亀で……!!?』

『突っ込んで来やがった!散開しろ……!!』

 

 次の瞬間、ブースターを全開にして突っ込んで来るグラディエーターに、ワルキューレ隊は慌てて散開する。しかし、すれ違い様に一機のワルキューレが機銃を正面から受けて爆散した。

 

『ノイマイヤー!?』

『あの一瞬のすれ違い様にやったのかよ……!?』

『おい、見ろ!あの機体のエンブレムは……!!』

 

 この瞬間、ワルキューレのパイロット達はようやく全員がグラディエーターに塗装されているエンブレムを確認した。五四の数字は同盟軍の最精鋭空戦隊の一つ第五四独立空戦隊所属機体である事を意味していた。エースクラスのパイロットのみで編成されたその部隊は、本来ならば帝国の飛空騎士達にとっても死力を尽くして討ち取るに値する獲物である筈だ。だが、『奴』だけは例外であった。

 

『酒瓶にとぐろを巻く大蛇……!』

『逃げろ!「エース殺し」だっ……!!』

 

 一斉に逃げようとするパイロット達、しかしもう手遅れだった。次の瞬間必死に逃げ出そうとする彼らの目の前に無骨な単座式戦闘艇の姿が映りこみ、それが彼らの見た最後の光景だった。

 

『もう、隊長!突出し過ぎです!もう少し後退してください……!!』

『ばーろぅ、折角血路を開いてやってるんだぞ?さぁさぁひよっこ共、俺の開けてやった穴に続きな。にしても歯応えがある奴がいねぇなぁ』

 

 キャンベル少佐の指摘に対してマクガイア大佐は到底大佐とは思えない、下士官のような軽い口調で答える。そんな事を口にしている内に無謀にも襲いかかってきたワルキューレを更に一機撃墜する。

 

「ちぃ、旧式の、しかもカスタムもしていないグラディエーターであの動き……化け物かよ……!?」

 

 キャンベル少佐を先頭として編隊を組む飛行隊の一角を担うオリビエ・ポプラン曹長は顔を歪ませて舌打ちする。

 

 それもそうだ。グラディエーターは重武装と引き換えに空戦能力を相当犠牲にした機体だ。余りに空戦能力のリソースを削りすぎたせいで、帝国軍単座式戦闘艇との戦闘は三機以上で行うべしと同盟軍単座式戦闘艇戦闘教本にも念押しされた程だ。

 

 ましてや帝国軍の主力単座式戦闘艇がグレイプニールからより機動力と旋回能力に優れたワルキューレに移行してからはその空戦能力に絶望的な差が生じている。スパルタニアンならその加速性で対抗は可能であるとしても、グラディエーターで挑むなぞ自殺行為に等しい。そもそも同盟軍と帝国軍の単座式戦闘艇は似て非なるもの、同じ兵器カテゴリーに分類するのは不適当とすら言われている代物だ。同盟軍単座式戦闘艇は格闘戦の出来る対艦攻撃機、帝国軍単座式戦闘艇は対艦攻撃も出来る格闘戦機とも形容されていた。

 

 ましてやスパルタニアンの配備が進んでも尚、旧式のグラディエーターに乗り続けるマクガイア大佐の行為は本来ならば余りに無謀なものである。間接的な自殺行為と言って良い。にも拘らずこのイゼルローン要塞攻防戦の戦端が開かれて以来、大佐の駆るグラディエーターは既に二隻の駆逐艦と大型戦闘艇一隻、ワルキューレ一〇隻を危なげもなく撃破していた。しかもその全てが単独でである。……これは傲慢でも自惚れでもない。単に僚機と連携しようにも大佐の飛行技術に着いて来れる友軍パイロットが殆どいないせいであった。

 

 一騎打ちで何十という帝国軍のエースを虐殺して来たが故に「エース殺し」と称されるマクガイア大佐は、恐らくは同盟軍に所属する十数万ものパイロット達の頂点に君臨する存在だ。その実力差は理解していたが……実際にその戦いぶりを目にすると理不尽としか言えない程の格の違いを見せつけられる。

 

『はぁ、各機編隊を維持しながら突入するわよ。隊長のやり方なんか見習わないでね?互いにカバーをするのを忘れないでよ?』

 

 空戦隊長の暴挙に対して、何処か慣れてしまったようにキャンベル少佐は部下達に命じる。部下達も皆最低でも単独撃墜数一〇機以上のエースパイロットとは言え油断は出来ない。どのような勇者とて流れ弾や不運で死ぬ事は十分有り得る。故に個の力ではなく、部隊単位で互いにサポートしながら戦うのは当然の事であった。マクガイア大佐のような人物は例外中の例外である。

 

(尤も、その分一網打尽にされる可能性もあるがな)

 

 ポプラン曹長の脳裏に浮かぶのはほんの一日にも満たぬ程前にイゼルローン要塞が行った暴挙の記憶である。何千という艦艇が敵味方構わず光の渦に呑み込まれる光景……第五四独立空戦隊とその母艦たる『ホウショウ』が無事だったのは偶然でしかない。

 

 味方撃ちに備えて第二〇一独立戦隊司令部が艦隊を広く散開させた上で微速前進させてなければ今頃第五四独立空戦隊は母艦たる『ホウショウ』ごと要塞主砲によって空戦の機会すら与えられずに原子に還元されていただろう。実際、第二〇一独立戦隊に所属していた不運な数隻の空母は『雷神の槌』を避けきれずに内在していた数百ものスパルタニアンとそのパイロットと共に纏めて消し飛んでいた。

 

『さぁ、行くわよ。……全機出力全開、吶喊……!』

 

 キャンベル少佐の掛け声と共にスパルタニアンの編隊は一斉にバーニアを全開にして巡航速度から最大出力まで加速して敵陣に突撃した。大柄な機体サイズにより高出力のエンジンを搭載したスパルタニアンは、直線移動においてはワルキューレでは絶対追いつけない高速を誇る。故にその速力を活かして敵陣に一撃離脱攻撃を仕掛けるのはスパルタニアンの設計段階から想定されていた戦術である。ましてや第五四独立空戦隊所属の空戦型スパルタニアンは全機エンジンをカスタムチェーンされて出力が三〇パーセント以上向上していた。

 

「ぐっ……!!Gが……殺し切れねぇ!!」

 

 スパルタニアンにも簡易の重力制御・慣性制御装置はあるし、人的資源不足解決のために戦闘支援・補助AIの搭載等パイロットの負担をなるべく抑えるように設計されている。パイロットスーツも同様だ。それでも特別改造されたエース専用機の最大出力の前では無いよりマシ程度のものでしかないようだった。

 

 機体がそのまま分解してしまうのではないかとすら思える激しい震動が操縦席を揺らし、同じく強烈なGがポプラン曹長の身体を操縦席に叩きつけ、内臓と脳を震わせる。思わず失神してしまいそうになるが、パイロットスーツに搭載されたAIが圧力の調整を行い負担を軽減し、身体に軽微な電流を流して遠のく意識を半ば無理矢理覚醒させる。

 

『接触まで五秒!全機、武装の安全装置を解除しなさい!』

 

 同じように激しくGが襲い掛かっているにもかかわらずはっきりとした声でキャンベル少佐がカウントダウンを行う。ポプラン曹長もまた歯を食いしばってタッチパネルを操作して武装の安全装置を解除する。

 

『四……三……二……一……全機発砲!!』

 

 迎撃に出る帝国軍の数隻の巡航艦と十数機のワルキューレのビームの雨を掻い潜り、スパルタニアン部隊は擦れ違い様に低出力レーザーと劣化ウラン弾をばら撒く。

 

「……!?やったのか!?」

 

 次の瞬間、殆ど狙いもつけずに弾薬をばら撒いたポプラン曹長が背後を振り向くと、そこにあったのは各所から爆炎を上げながら爆沈していく巡航艦と火球と化したワルキューレ部隊であった。レーダーを見る。モニターに映る友軍機体は一機も減っていなかった。

 

「マジかよ。あの一瞬、しかもこの震動の中でだぞ……?」

 

 自らの腕にそれなりに自信を抱いていたポプラン曹長が思わず呟く。自分ですら碌に狙いをつけられない状況で、しかもあの激しい迎撃を軽々と抜けてとは……!

 

『やられた子はいないわね!?ウォーミングアップはこれで終わりよ!次はあの戦艦隊を狙うわ。行くわよ……!』

 

 キャンベル少佐がマクガイア大佐程ではないにしろ十分無謀な軌道を取って大量の防空砲を乱射する帝国軍の戦艦部隊に向けて突入する。一歩遅れて編隊各機は少佐に続いていく。

 

「ちぃ……!糞ったれめ、やってやるよ……!!」

 

 気絶しそうなGに耐えながらポプラン曹長は操縦桿を激しく倒して僚機達の跡を追った………。

 

 

 

 

 

「空戦部隊の戦果は上々です。この分でしたら此方の散開陣形が整うまでに道は開けるでしょう」

 

 遠征軍及び第八艦隊旗艦『ヘクトル』艦橋で参謀長レ中将は報告する。戦況モニターは遠征軍総司令部の望むように推移していた。

 

 第四・八艦隊及びその他独立部隊は狭いイゼルローン回廊の限界まで艦列を広げて突入準備に入る。要塞主砲の狙い撃ちを避けるためであるが、当然単座式戦闘艇や大型戦闘艇の対艦攻撃においては通常密集しつつ相互に火点をカバーするのが定石、散開陣形は脆弱だ。

 

 故に同盟軍は露払いに単座式戦闘艇を大規模に投入した。帝国軍のワルキューレや大型戦闘艇を排除してから同盟軍は要塞に突撃する事になるだろう。

 

「要塞内部からの通信は回復していないか?」

「残念ながら揚陸した二部隊、共に軍港ごと司令部が生き埋めになりましたからな。大出力の通信機器はほぼ喪失したと見るべきでしょう。別動隊揚陸部隊に同行していた護衛部隊、ミサイル艦部隊は帝国軍の一個戦隊と応戦中なので要塞内部との連絡を取り合う余裕もありますまい」

 

 後は要塞内に取り残された陸戦部隊がイゼルローン要塞の通信室を占拠する位しか連絡を取る手段はないだろう。

 

「これまでも経験が無い訳ではないが……危機の友軍と連絡を取れんのは中々歯痒いものがあるな」

 

 渋い表情で腕を組むシドニー・シトレ大将。情報も状況も不十分で、時間もない。何が正解かも確信を持てないそんな中で選択を強いられ、待つ事を強いられる。幾千幾万の兵士の運命を背負いながら……それは太古の昔より軍隊という特殊な人間集団を率いて来た指揮官が経験してきた苦悩そのものであった。

 

「制宙権確立は0400時までには完了すると思われます。艦隊の陣形もそれまでには完成すると想定されます。後はそれまで内部の友軍が持たせられるのを期待するしかありません。出来れば要塞主砲の発射の妨害をしていれば良いのですが……」

「うむ……余り期待は出来ないがな」

 

 レ中将の言葉に頷くシトレ大将。その声は少し弱弱しく倦怠気味に思えた。いや、実際戦端が開かれて以来一日半以上、その間シトレ大将は睡眠も食事も碌にしていなかったのだからそれも当然だった。

 

「……司令官、僭越ながら暫し休憩を取るべきかと。これからが本番です。それまでに少しでも体力の回復を御願いします。幸い二時間程は戦況に大きな変化はないかと」

「……休憩、か」

「お気持ちはわかりますが、司令官には責任があります。その事をお忘れなきよう」

 

 若干嫌がる表情を浮かべるシトレ大将に、淡々と迫撃を仕掛けるレ中将。実際疲労困憊のシトレ大将がこの場に残るのはただの感傷でしかなかった。

 

「いや、分かっている。それでは少しの間私は休ませて貰おうかな?食堂はまだディナーをやっているかな?」

「この戦闘が始まって以来、交代しつつ二四時間営業ですよ」

「料理人への夜勤手当てが必要だな」

 

 冗談気味に疲れた笑みを浮かべてシトレ大将は踵を返す。その後ろ姿をレ中将以下の艦橋要員は敬礼して見送る。

 

 首席副官ランドール少佐が先導する形で艦橋に設けられたエレベーターに乗りこもうとした所で、シトレ大将は開いたエレベーターから現れた人物に一瞬シトレ大将は足踏みした。

 

「これは、ヤン少佐にアッテンボロー中尉か。交代かね?にしては少々疲れ気味だが……」

 

 同じくエレベーターで鉢合わせした士官学校時代の教え子達にシトレ大将は声をかけて尋ねる。参謀も副官も定期的に交代で休息を取っている筈だが、二人の表情は余り優れているようには見えなかったからだ。

 

「総司令官殿、丁度良い所で会えました!先輩……いえ、ヤン少佐が今後の戦闘に対する作戦の提案資料を作成した所でして、総司令官殿にもどうか御一考いただけないか話していたんです!」

 

 何処か無気力げなヤン少佐とは打って変わり元気はつらつ、とまではいかずとも精力的に資料ファイルを差し出す次席副官。しかしファイルはシトレ大将の下に届く前に首席副官ランドール少佐によって止められる。

 

「アッテンボロー中尉、司令官殿はこれより休憩に入る。このような時に緊急ではないような資料を差し出すな。そも、その話によればその資料はヤン少佐が中心になって作成したものだろう?」

 

 若干目を細めてランドール少佐が眠たげな東洋人に詰問する。ヤン少佐はぼんやりとした表情で「その通りです」と肯定の返答を行う。

 

「ならば直接総司令官に直訴するよりもしかるべき部署があるだろう?作戦部長たるマリネスク少将の下に提出はしていないのかね?少将殿のお気に入りである少佐の作戦であればそう無碍にはしない筈だが?」

「……提案しましたが、想定が非現実的・非合理的過ぎるとの指摘を受けました」

 

 アッテンボロー中尉が何か口にする前にヤン少佐が報告する。同時に首席副官は鼻白む。マリネスク少将は部下を罵ったり嘲るような人物ではない。そんな少将をしてそう言わせる作戦内容ともなれば読む前から色眼鏡がかかろうというものだ。いや、そもそも……。

 

「そのような内容を態々司令官閣下に御見せしようとは、随分と自信があるようだなヤン少佐。それ程までに職務への意欲があるのなら常日頃から精励して欲しいものだが」

 

 首席副官の口調に何処か嫌味を含む言い方になるのは仕方ない事だ。いつも艦橋や作戦室でぼんやりと何を考えているのか分からない表情で一言も話さず、それどころか足を組んで昼寝している光景すら時たま見られる。そのくせ口を開けば場の空気を凍らせたり白けさせるともなれば、幾らエル・ファシルの英雄であり自由戦士勲章の持ち主であろうとも好意だけを向けられる筈もなかった。

 

 ランドール少佐の指摘にヤン少佐は怒りこそなかったが困ったような表情を浮かべる。しかしそれが逆に見る者に対して他人事のように考えているという印象を与えた。傍らであちゃー、という表情を見せる次席副官。

 

「……ランドール少佐、ヤン少佐を詰めるのはそこまでにしたまえ。これで彼も懲りただろう」

 

 仕方なさそうに助け舟を出したのはシトレ大将であった。

 

「閣下!」

「ランドール少佐の言い分は分かるがここで長話をしても仕方あるまい?それに、ヤン少佐の目元を見給え。隈があるだろう?どうやら休憩時間を使ってまで作成していたらしいな」

 

 そう言ってシトレ大将はヤン少佐の目の下に薄っすらと隈が出来ているのを指摘する。

 

「……ヤン少佐。意欲は買おう。君の作戦を採用するかは兎も角、その情熱は認める。無論、実際に作戦を採用するかはマリネスク少将以下他の参謀達の意見を聞いた上での事になるだろうがな」

 

 そう微笑みながらアッテンボロー中尉からファイルを受け取るシトレ大将。

 

「食事と仮眠の後に、ウォーミングアップ代わりに読ませて貰おう。それで構わないかな?」

「………元々私に、閣下に直々に立案した作戦を提出する権限はありません。閣下の都合のつく御時間で結構です」

 

 渋々と言った口調でエル・ファシルの英雄は承諾する。その態度に首席副官は再度不快な表情を浮かべるが、シトレ大将はそれを諌めてエレベーターに乗り込む。

 

「それではヤン少佐、アッテンボロー中尉、今回の戦いはもう少し続きそうだが、君達の奮闘に期待する。頑張りたまえよ?」

 

 最後にもう一度、労うように微笑みながらシトレ大将は敬礼し……次の瞬間にエレベーターの自動扉は閉まる。二人の元生徒はそれを同じく敬礼で応じて、数秒後には頭部に掲げていた手を下ろす。

 

「……これは間に合わないかもなぁ」

 

 ベレー帽を外して頭を掻きながら、まるで他人事か別の世界の事であるかのようにヤン・ウェンリー作戦参謀補佐官は小さく嘆息をした……。

 

 

 

 

 

 

「若様、どうしてもお考え直しは頂けませんか?」

 

 片手に即興で作り上げた作戦ファイルを手にして第七七地上軍団司令部に向かう私に対して、ベアトは懇願するように尋ねる。そこには明らかな焦燥感が見てとれた。それは私がこの五回目の要塞攻略戦の来るだろう末路を回避するための作戦を決定してから何度もかけられた言葉であった。

 

「既に答えは出した筈だぞ?作戦を立てたのは私だ。その尻拭いは必要だろう?」

「でしたら作戦の提案のみをして、若様はこのまま要塞より離脱をすれば……」

「逃げようとする参謀の言葉を信用する奴がいるか?」

 

 私は即座に反論する。ジェニングス准将は直接指揮するだけで五万人を超える兵士達の命を預かっている。司令部が半壊した第一五五地上軍団やその他部隊の兵士を含めれば十数万に及ぼう。それだけの兵士に対して責任を持つ指揮官がどうして自分一人だけ逃げだそうとする参謀の意見具申を信用しようか?

 

「そもそもこの段階におけるイゼルローン要塞の自爆は軍事的には悪手だ。貴族であるなら兎も角、職業軍人としては有り得ない選択肢だ。その上で私が脱出しようとすればまず意見は通らないだろうな」

 

 ましてや、外に控える六万隻の大軍を見殺しにする訳には行かない。外の亡命政府軍が内部の状況をどこまで把握しているか怪しいし、仮に答えに行き着いていたとしても取れる選択肢は多くあるまい。同盟軍に意見したとしても正気を疑われるだけであろうし、意見を信用したとして、では内部に閉じ込められた十数万もの兵士を見殺しには出来ない。

 

「だからこそ、中にいる我々が動くしかない。そして、そのためには私が逃げる訳にもいかないだろう?」

「ですが、あの男の提案は余りに危険過ぎます。せめて司令部にて指揮を……!!」

 

 ベアトは私が採用した作戦に反発する。当然だろう、彼女からすればあの作戦は内容的に認められるものではない。とは言え作戦が効果的なのは事実であり、残り少ない時間内に選べる選択肢としては最善ではないにしろベターな選択肢である事は間違いなかった。

 

「私が負けると思うか?」

「若様……!!」

 

 私の意地悪な質問に非難がましい視線を向けてくる従士。非難がましく、しかし心から心配した表情……。

 

「……悪いな。流石に性格の悪い質問だったな」

 

 ベアトの立場からすれば到底否定の言葉を口に出来ない質問、それを基に従士の反対を黙らせよう等と……私も大概傲慢な門閥貴族である事が良く分かるな。

 

『御言葉ながら、若様の御命を有象無象の雑兵共と天秤にかけるなぞ……』

 

 宮廷帝国語で紡がれた言葉は、内容が内容だけに到底同盟軍兵士には聞かせられないものであった。だからこそ宮廷帝国語によって発言したとも言える。帝国公用語なら兎も角、宮廷帝国語を理解する兵士なぞ殆んどいない。

 

『ベアト、気持ちは理解するがな。一つ勘違いをしているぞ?』

 

 恐縮する従士に対して、私も宮廷帝国語を口ずさむ。そして、彼女の認識を修正する。

 

『勘違い、でしょうか?』

『あぁ、勘違いさ。私と天秤にかけるのは兵士達じゃない』

『……?では何と、でしょうか?』

 

 私の言葉に困惑するベアト。その表情は年相応の、いや子供のように幼く見えた。

 

『このイゼルローン要塞と、かな?』

 

 私は背後のベアトを振り向くと不敵な微笑を浮かべてそう答えてやった。それは誇張でなければ嘘でもない。私の口にした言葉は完全なる事実であった。

 

 唖然とした、それでいて目を丸くするベアト。その姿に私は悪戯っ子のようにニヤリと口元を歪め、再び足を進めた。既に目的の部屋は目の前だった。

 

(問題は、私の進言する不合理な貴族の理論を理解してくれるか、だがな……?)

 

 そう、誠意を見せて作戦を進言しても、完成度の高く効果的な作戦を立てても、そこに司令官や他の幹部が明確に納得出来る理論がなければ作戦は直ぐに退けられてしまう。寧ろ、そちらの方こそ私の心配であった。

 

「つまり、私の舌先三寸次第、って事かな?」

 

 私は小さく呟き、しかし次の瞬間には内心の心配を振り払って、第七七地上軍団の臨時司令部の置かれた部屋の扉を開いてその先へと足を進めたのだった……。

 

 

 

 

 

「ラインハルト様、敵が動き始めました。目標は通信室と、ここの要塞主砲送電ケーブルの整備用ゲートに対してです」

 

 要塞を貫くように設けられた要塞主砲の送電ケーブルは分厚い三重の装甲が施され、また保守整備のために直に近付くには幾つかある専用のゲートからしか不可能な構造となっていた。ラインハルト・フォン・ミューゼル少佐率いる特設陸戦隊がそんなゲートが設けられたR-10ブロックに展開を始めた頃、ジークフリード・キルヒアイス中尉からその報告が届いた。

 

 0430時、イゼルローン要塞の戦術データリンクシステムを介して要塞防衛司令部から要塞内部に駐留する全ての帝国軍部隊に対して命令が伝達された。即ち、同盟軍の活動の再開とその攻撃目標である。

 

「想定内の内容だな。まぁ、元より選択肢なぞ多くはないが、実際に想定通りの内容だと面白みもないものだな」

 

 R-10ブロックの管制室、そこでは要塞外壁やブロック内に設けられたカメラからの映像が多数のモニターに写し出されていた。ブロック自体は何千とあるとは言え、それでも一つのブロックが最低でも戦艦十隻分の広さがある。

 

 そんな広大な空間の隔壁や空気の循環、通信を管轄する管制室の室長の椅子にラインハルト・フォン・ミューゼル少佐は座り込んで答える。足を組み、頬杖をして、悠々とまるで玉座のように安い椅子に座るが、本人の華やかさもあって見る者によってはまるで皇帝が玉座に鎮座しているようにも思えただろう。逃げ去ったこのブロックの本来の管理責任者も階級は少佐であるが、恐らくはここまで堂々と座りこみ、荘厳な雰囲気を醸し出す事は出来まい。

 

「攻め込んで来るとしたらゲートのあるこのブロックは候補の一つだな。いや、寧ろ最優先かも知れんぞ?何せこのブロックの防衛機構はまだ復旧していないからな」

 

 同盟軍による爆雷や無人艦艇特攻による被害の抑制のため、浮遊砲台や軍港要員を除いた外壁ブロックの兵士の多くに一度避難するように要塞防衛司令部は命令していた。

 

 無論、同盟軍の揚陸部隊が乗り込んで来てからは次々と避難させた兵士達を再度呼び戻して迎撃させていたが……揚陸地点から直線距離にして四キロも距離があるR-10ブロックは前線で一人でも多くの兵士が必要とされたため呼び戻しが後回しにされていた。しかも撤収前に同盟軍に活用されぬようにシステムのシャットダウンをしていたために、その復旧作業が必要でブロックの管理機能は未だ完全に稼働していなかった。実際、管制室のモニターには未だ復旧していないモニターも多く、二ダースに及ぶ特設陸戦隊の兵士がオペレーターとしてシステム復旧に勤しんでいた。

 

「ラインハルト様が仰るとまるで待ち望んでいるように聞こえますよ?」

「酷い言い様だな、キルヒアイス?実際送電ケーブルを切断するなら整備ゲートのあるブロックを制圧するしかないだろう?そして、奴らがどこまで要塞の内部構造の情報を知っているか分からないが、狙うとすれば状況的にこのブロックが一番だ」

 

 整備ゲートがあるブロックでは一番外側であり援軍を呼びにくく、しかも管理システムが一度落とされているためにその復旧まで無人防衛システムや換気システムは稼働しない。攻める側からすれば格好の獲物だろう。

 

「戦力としてはE-プラス一〇二ブロックの第四予備中央通信室の方面に推定三個師団、送電ケーブルの設けられた方面に推定八個師団規模の戦力が進撃を始めている模様です」

 

 それは第四七宇宙港に揚陸し、残存すると思われる戦力の殆んどであった。

 

「総力戦という訳か。まぁ戦力の逐次投入は悪手だからな。……第二宇宙港に乗り上げた同盟軍はどうだ?彼方もまだ二万前後の戦力が残されていた筈だが?そちらが話題に出ないとはどういう事だ?」

 

 揚陸した同盟軍の戦力と武器弾薬、燃料、食料は限られている。通信室と送電ケーブル、双方共に得ようというのは戦力分散の憚りを免れないが、同時に双方とも必要なのはミューゼル少佐も理解していたので大目に見る事は出来た。 

 

 しかし、恐らくは精鋭が重点的に配属された別動隊所属の陸戦隊残存戦力二万人……それが出てこないのは金髪の少年にとっては不可思議でしかなかった。

 

「散発的な戦闘こそ生じているようですが、そちらについては明確な目標があるようには見受けられません。恐らくは本隊との連携が取れていないのかと」

 

 考えられる可能性としては通信手段がない事だろうか。意思疎通の手段がなければ遠く離れた部隊間での協力は不可能である。軍港が破壊された際にそれらの装備を粗方失ったのかも知れない。

 

「本来ならば何としても通信を回復して連携するべきだが……時間に限りがあるとすればそれも仕方無いという事か。だが………」

 

 そこまで口にして、しかし同盟軍の動きを訝しむ若い少佐は次の瞬間その思考を中断させられる。オペレーターが敵兵の姿を確認したためだ。同時に遠くから響く爆音と共に管制室が僅かに揺れる。

 

「第六五三通路より敵重装甲兵部隊確認!偵察を兼ねた先遣部隊と思われます!」

 

 オペレーターの報告と共に管制室のモニターの一つが切り替わる。故意に電灯の消えた通路を進むクリーム色の重装甲服を着こんだ一団が突き進む。降りた隔壁を爆薬で破砕しつつ、ゼッフル粒子対策のためであろう火薬式のライフルを手にしているのが暗視装置付きの監視カメラで確認出来る。

 

「来たな。動かせる隔壁を全て封鎖しろ。無人防衛システム起動、どうせ直ぐにでも突破されるだろうが時間稼ぎにはなろう。その間にバリケードを張って迎撃準備をさせろ」

 

 ミューゼル少佐は独創性はないものの常識的な指示を出す。オペレーターはその命令に従い、コンソールを操作していく。

 

「思ったよりもここまで到達するのが早いですね」

「前線の部隊が無能……という訳ではないな。前線の陸戦部隊は俺達と違って本職の部隊だ。幾らなんでも秒殺された訳ではあるまい」

「報告によれば第四七宇宙港から揚陸した部隊は侵攻速度が異様に早かったそうです。監視カメラ等の映像から推測する限り、各所の裏道や非公式通路を利用しているらしいと防衛司令部は結論を出しております」

「愚かな事だ。大枚を叩いて要塞を建設して、その要塞の管理も出来ていないとはな」

 

 嘲笑するように金髪の少年は嘯く。彼からすればどれだけハードウェアが優秀でも持ち主がそれを十全に扱い切れなければ宝の持ち腐れでしかない。帝国軍は難攻不落の要塞を持て余しているように思えて仕方無かった。

 

「反乱軍、無人防衛システムの迎撃網と接触!戦闘が開始されました……!」

 

 オペレーターの報告。管制室の監視モニターに映し出される映像は無人防衛システムと同盟軍の戦闘が始まった事を告げていた……。

 

 

 

 

 

 

 イゼルローン要塞の無人防衛システムは多重に構成されている。それは侵入者を撃退するためだけではなく、内部の反乱分子を制圧するためでもある。

 

 要塞各所に無数に設置された監視カメラに対人レーダー、熱探知機に金属探知機、音響センサーが要塞内部の敵味方の位置を探知して、要塞の管理AIとデータリンクシステムによってそれらのデータが一元化されて整理される。無論、余りに広大過ぎる要塞の内部空間のお陰でそれも完全とは言えないのだが……。

 

 そして、データリンクシステムによって侵入者、あるいは反乱分子と認識された人物に対して無人防衛システムは殺傷・非殺傷兵器による無力化を実施する。隔壁で封じ込めた上での催涙ガスや睡眠ガス、煙幕の注入や環境管理システムによる極端な室温の高温化ないし冷却化が行われる。

 

 隊列を並べて進む敵兵に対して固定式CIWSによる銃撃が浴びせられる。本来ならば暴動鎮圧用の放水銃やゴム弾銃も序でとばかりにまた襲いかかった。あるいは武装ドローンが投入され、敵兵を誘導して落とし穴に追い込む。水道の一部を解放して大量の冷水が濁流となって通路に流れ込み、強力な潤滑剤が床に撒き散らされて進軍を阻む。

 

 ゼッフル粒子が蒔かれれば冷兵器の出番だ。壁に埋め込まれるようにして巧妙に隠された銃口から超硬度鋼製の矢が高速で発射される。一見すればゲームのように滑稽に思えるが通路を埋め尽くす程巨大な鉄球が天井から現れて転がってくれば、侵入者達は慌てて道を引き返すしか選択肢はなかった。

 

 どれも凶悪な防衛機構であったが、それだけであった。所詮は無人防衛システムである。一つ一つ同盟軍は手慣れたように処理していく。人間程に柔軟性がなく、多くが固定式である以上、無人防衛システムは面倒な存在であっても時間稼ぎ以上のものではなかった。

 

 だからこそ、同盟軍の足は眼前に敵兵が現れた時、漸く止まった。

 

 軽装甲服を着こんだ帝国軍の陸戦兵はゼッフル粒子の充満するが故にボウガンを構えて一斉に発射した。物陰に隠れた同盟軍もまた火薬銃とボウガンで応戦する。

 

 延々と続くかに見えた銃撃戦は突如として終わりを告げる。

 

「っ……!?」

 

 帝国軍の軽装甲兵達は横合いの壁が吹き飛ぶのを確認した。瓦礫と化した建材が彼らを襲い、数名の兵士が人体を引き裂かれて絶命する。生き残った者も次の瞬間には鈍い発砲音と共にその命を刈り取られていく……。

 

「隊長、脅威の排除を確認!」

「此方も脅威の排除に成功しました!」

 

 火薬式の大型ショットガンを手にした兵士達が口にする言葉はフェザーン方言の帝国語であった。手慣れた、それでいて同盟式とも帝国式とも違う兵士の所作。

 

「よし、よくやった。この調子でさっさと進むとしよう。どうです?私の部下は結構使えるでしょう?今なら一人当たり月三〇〇〇ディナールで雇えますよ?無論、別枠で衣食住と交通費、雑費が必要ですがね」

「だからお前さん、機会があり次第売り込みかけるの止めない?」

 

 小銃に毒ガスや催涙ガス対策のフルフェイスマスクをしたフェルナー中佐の言葉に即座に私は切り返す。同じようにフルフェイスマスクを備えるが、私の方は顔に装着せずに首にかけた状態で、下に防弾着を着こんだだけの宇宙軍士官の軍装だった。首元にはスカーフ代わりの手編みマフラーを巻いて、胸元では元々遠征軍司令部に詰めていた事もあって幾つかの勲章が輝いていた。

 

(こりゃあ、良く目立つな)

 

 今更ながらそんな事を考えながら、私は拳銃片手に未だに粉塵の舞う瓦礫の山をゆっくりと降りていく。まぁ、仕方無いだろう、ある意味これも作戦だ。

 

「若様、御伏せ下さい!」

 

 傍らのベアトの声に答えて私が首を下げれば同時に銃声。爆発による粉塵に紛れて突撃してきたのだろう敵兵は銃剣付きの小銃を構えた状態で仰け反って私の目の前で倒れこむ。ベアトの手にする自動小銃によって頭部を撃ち抜かれたらしい。この距離とは言え動く目標にヘッドショットとは恐れいる。

 

「ベアト、ご苦労だ。良く気付けたな?」

「動きが素人なので直ぐに気づけました。それよりも……!」

 

 心底不愉快そうにベアトはフェルナー中佐を睨み付ける。

 

「若様の傍らに控えながら貴方は何をしているのですか……!大言壮語に妄言ばかり口にして、自分の仕事すら出来ないのですか!?」

 

 視線だけでも人を殺せそうな形相の従士に対して不敵に、余裕綽々と冷笑を浮かべる傭兵。

 

「別に我々はまだ伯世子様に直接雇用された訳ではないのですがね?だからこそこのように売り込みをかけている訳で……寧ろ、ここまで無料サービスしているだけでも高く評価して欲しいのですがねぇ?」

 

 そう嘯くフェルナー中佐。私はその時に気付いた。彼の片手に硝煙のたなびいた拳銃が握られていた事を。

 

「……心臓を一撃か」

 

 私は倒れた敵兵の死体を観察して呟く。大口径の大型火薬式拳銃は近距離であったのもあって臨時陸戦隊の着込む防弾着を貫通して心臓を射抜いているようだった。

 

「どうやらほぼ同時に発砲したせいでしょうね。銃声か重なってしまいました。お陰様でご主人様の護衛態勢に不安を抱かせてしまったようですね。申し訳ありません」

 

 フェルナー中佐はまるで根っからのフェザーン人のような形式だけ整えた空虚な謝罪の言葉を嘯く。

 

「っ……!!」

「ベアト、それにテレジアもステイだ。……だから中佐、人の従士で遊ばないでくれないか?」

 

 たかが自治領民で逃亡兵で傭兵の分際の男の言葉に神経を逆撫でさせられるベアト、そしてその背後のテレジアであった。不良士官殿も食い詰め士官殿も何だかんだあっても帝国騎士でそれなりに付き合いも関わりもあるからなぁ。同じような食えない相手でも条件が違うとなるとここまで態度が変わるか。取り敢えず待ての指示を出して落ち着かせる。

 

(いや、それだけが理由ではないのだろうが……)

 

 寧ろ、これでも相当怒りを抑えていると言えるかも知れない。何せ……。

 

「っ……!!新手だな!」

 

 そこで私は思考を一旦中断させた。通路の奥から次々と響く駆け足の音と火薬銃の銃撃音に私達は爆破した壁の中に身を伏せる。ひゅんひゅん、と頭上から空を切る音が鳴り響いてきた。……増援の投入が早いな。どうやら向こうの指揮官は中々判断力が良いらしい。だが……。

 

「伯世子!」

「分かっている!時間の余裕もないからな!各隊!着剣しろ!」

 

 フェルナー中佐の声に答えた後、私は傭兵部隊と同盟軍の先遣部隊に同時に叫ぶ。傭兵達は淡々と、同盟軍の兵士達は指揮系統からして命令権のない私の指示に困惑の表情を向けるが肩を並べる傭兵達の動きに流されるように、そして事態を理解した先遣偵察隊の指揮官ウィリアム・ミレット少佐の命令を受けて同じく小銃の筒先に細長い軍用ナイフを装着し始める。

 

「敵の防衛線はまだ完成していない!一気に撃破して前進する!機関銃は援護に回れ!それ以外は私に続け……!!」

 

 そういうとほぼ同時に私は拳銃片手に瓦礫の山から飛び出した。その直ぐ後ろをフェルナー中佐以下の傭兵部隊が銃剣突撃しながら駆け出す。ベアトとテレジアには後方で支援攻撃を行うように厳命した。

 

 拳銃を発砲して駆け出す私に続いて叫び声を上げながら傭兵達は銃撃しながら刺突し、銃床で敵兵を殴り殺す。そこに遅れじと同盟軍が参戦すれば迎撃に来た臨時陸戦隊はあっという間に蹴散らされた。

 

「良い物を持っているな。貰うぞ?」

「っ!?」

 

 恐らくは下級貴族なのだろう敵兵の指揮官を射殺した後、その腰元に下げたサーベルを拝借する。炭素クリスタル製の刃は良く研がれていて切れ味は良さそうだ。……戦斧に比べたら耐久性は低そうだが。

 

「命が惜しければ失せるが良い雑兵共!私を誰と心得る!ティルピッツ伯爵家の長男にして自由惑星同盟軍宇宙軍准将ヴォルター・フォン・ティルピッツであるぞ!貴様らなぞでは相手にならん!」

 

 そこまで言って、一旦深呼吸して私は傲慢な笑みを浮かべる。

 

「無論、迎え撃とうというなら相手になってやるぞ?尤も、たかだか雑兵共では歯応えはないがな……!!」

 

 内心の緊張を抑えながら私は堂々もそう宣言する。正直な話、知るかとばかりに機関銃撃って来られたら慌てて物影に隠れていただろう。同盟軍の兵士達に至っては何でこの准将名乗りなんか挙げてるんだ?なんて視線を向けていた。……本当、何でこんな事してるんだろうな、私。

 

 無論、精神的には小物な私が意味もなくこんな危険で愚かな事はしない。ちゃんとそれなりの狙いはあった。

 

「伯爵家だと?」

「奴隷共が何を戯言を……!!」

「いや待て!あの顔立ちと家名は聞いた事あるぞ……!?」

 

 私の宣言に動揺し始める帝国兵。そうだ、そのまま動揺していてくれよ?

 

「全軍!伯世子様と伯爵家の栄光がために!総員、突撃せよ……!!」

 

 何処か態とらしく、それでいて芝居がかったように大仰にフェルナー中佐が叫ぶ。同時に傭兵達が再度閧の声を上げて伯爵家を賛美しながら突撃を敢行した。無論、彼らが真に賛美するのは伯爵家ではなくて同盟ディナールかフェザーン・マルクであろうが……兎も角もこのパフォーマンスは同盟人には理解出来ない程効果的であった。

 

 動揺していた兵士達は傭兵達の突撃を前に一気に潰走し始めた。装甲擲弾兵ならまた違っただろうが臨時陸戦隊の練度ならば今の滑稽なアピールだけで十分に士気を下げ、動揺を誘う事が出来た。帝国人は、特に平民階級はどれだけ表で貴族を嘲り嘲笑しようとも、その裏側には五〇〇年かけて醸造されてきた高位の者に対する理屈ではない恐怖の感情が確かにあるのだ。後はちょっとした演出をしてやればこの通りである。無論、そう多用出来る手ではないが……時間が金剛石よりも貴重な今の局面では馬鹿馬鹿しくてもやるしかなかった。

 

「いえいえ、中々様になってますよ伯世子殿?正に傲慢で自信満々の門閥貴族です」

「おい、それ誉めてないだろ?」

 

 傍らで耳打ちするフェルナー中佐に苦々しい顔で吐き捨てて、次いで直ぐ傍の壁に設けられていた埋め込み式の監視カメラに気付くと、私は敢えて不敵な笑みを浮かべた後手元の拳銃の銃口をカメラの前に向けて、引き金を引いていた……。

 



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第百八十七話 あるー日、要塞の中♪黄金獅子に、出会ーった♪

ノイエ版のエリザベートとザビーネ美人かよ!母親似だなぁ
エルウィンもショタ可愛い、流石美男美女の血を無理矢理五百年取り込み続けただけはあるぜ……

じゃけん、そんな罪深い黄金樹王朝は徹底的に根切りしないとな!(使命感)


「……これは酷いな」

 

 外壁が崩落したイゼルローン要塞第二宇宙港に足を踏み入れた重装甲服の一団は、フルフェイスヘルメット越しにその惨状を目にすると同時に呟いた。

 

「完全に空気が抜けている。それにこの瓦礫……これではどれだけの生存者がいるのか……」

 

 第五〇一独立陸戦旅団の司令官であるヘルマン・フォン・リューネブルク大佐は呟く。

 

 第二宇宙港崩落、そして帝国軍の攻勢が止んだ事で余裕が出来たために彼らは第二宇宙港の友軍を救助すべく足を踏み入れたのだが……その必要が本当にあったのか怪しいものだった。

 

 上を見れば未だ両軍が砲撃戦を繰り広げ、爆発の光が輝く宇宙空間を見る事が出来た。要塞表面から流れて来たのだろう流体金属が足の脛まで満たし、軍港内にあった建物や施設が半壊状態となって流体金属の海から顔を覗かせる。

 

「生存者捜索のための無線通信には応答はありません」

「『ノルマンディー』との通信も試みていますが……この分では無事ではないかと」

 

 同じく重装甲服を着込み背中に大型の通信機を背負う兵士達が報告する。既に軍港が破壊されて二時間以上が経過していた。重傷者の多くがそのまま息を引き取った事だろう。軽傷でも宇宙服や装甲服を着てなければ真空の空間では直ぐに御陀仏であるし、着ていたとしても酸素が少なければ……。

 

「大佐!伏せて下さい……!!」

「っ……!?」

 

 周辺警戒をしていた兵士の一人が叫ぶ。同時にリューネブルク大佐達は殆ど反射的に身を伏せる。同時にすぐ近くで爆発が生じた。それは電磁砲によるものであった。

 

「ちぃ、生き残りは生き残りでも、そちらの方がお出ましか!」

 

 リューネブルク大佐が舌打ちする。彼らの目の前に現れたのは二両のパンツァーⅢ戦闘装甲車であった。全身ボロボロのそれは、恐らくは軍港の崩壊時に運良く生き残った帝国軍の軍港守備部隊のものであると思われた。

 

「対戦車ミサイルは……!?」

「い、今装填します……!!」

 

 リューネブルク大佐の命令に背中に対戦車ミサイルを背負っていた部下が叫ぶ。パニックになっているのかそれとも照準機が故障したのか、下手な砲撃を乱射する戦闘装甲車二両の攻撃を耐え凌ぎながらリューネブルク大佐達は反撃の機会を窺う。

 

「よし、照準を合わせました!発射しま……」

 

 そこまで言った瞬間であった。対戦車ミサイルを構えていた兵士のすぐ目の前に電磁砲が着弾した。瓦礫が吹き飛び、その衝撃によって兵士は地面に叩きつけられる。即死こそ免れたものの瓦礫や砲弾片が重装甲服に突き刺さり重傷だ。

 

「フレッグ!?くっ……!!」

 

 リューネブルク大佐は伏せながら負傷した部下の下に這いながら近付き、応急処置を開始する。重装甲服の上から麻酔を打ち、止血を図ろうとするが……。

 

「旅団長……!!」

「ぬっ……!!」

 

 別の部下の悲鳴にリューネブルク大佐は振り向く。既にすぐ目の前にまで近付いていた戦闘装甲車が急停止すると、その主砲を彼らに向ける。それはこれまでの乱射とは違い明確に此方を狙っていた。

 

「っ……!!」

 

 殆ど反射的にリューネブルク大佐は手元にあったブラスターライフルを構える。恐らくはその表面の対ビームコーティングで弾かれるであろうがそれでも何もせずに死ぬなぞ、彼の矜持が許さなかったのだ。

 

 数発の銃撃……虚しくも細い光の筋は戦闘装甲車に命中すると同時に屈折する。戦闘装甲車の砲門がゆっくりと光り出す。それは砲撃の合図だった。

 

「無念だ……」

 

 リューネブルク大佐が小さく呟いた次の瞬間であった。大佐達の頭上を一本の光条が駆け抜けたのは。

 

「っ……!?」

 

 戦闘装甲車の自動防衛システムがすかさずチャフとフレア、スモークを射出するが無意味だった。光弾は誘導式対戦車ミサイルではなく、無誘導のロケット弾であったからだ。

 

 最終加速したロケット弾が戦闘装甲車の砲搭に頭上から突き刺さると共に戦闘装甲車の装甲を融解させて貫通した。内部で高性能爆薬が炸裂して、戦闘装甲車は砲搭を上方に吹き飛ばしながら大破する。

 

「っ……!?」

 

 爆発による破片の四散に備えて流体金属に重装甲服を浸しながら伏せたリューネブルク大佐は、次いでロケット弾の発射された方向に慌てて首を向ける。

 

「大丈夫か、お前達!?今助けに来たぞ……!!」

 

 重装甲服内部に備えられた短距離無線通信機から響いたのは野太く荒々しい声。そしてそれが目の前に突如現れた……正確には両手にバズーカ砲を構え、更に背中にバズーカ砲を二門、計四門を装備してリューネブルク大佐達を見下ろすように瓦礫の上に君臨する宇宙服姿の大男のものであると気付いたリューネブルク大佐達は唖然とした表情でその姿を見やる。

 

 当の大男はそんな茫然とした味方の反応を気にせずに撃ち放ったバズーカ砲を捨てるともう片手に持つバズーカ砲を構える。発射。再度放たれるロケット弾は弧を描きながら彼に向けて照準を合わせようとしていたもう一両の戦闘装甲車に命中し、それを爆散させる。

 

「ふぅ、危ない所だったな」

 

 バズーカ砲を構えた男はニヤリと不敵な笑みを浮かべて嘯いた。

 

「……いやムーア閣下、貴方将官の立場で何をしているのですか?」

 

 立ち上がったリューネブルク大佐は、取り敢えず将官の癖にフルアーマー状態で装甲戦闘車二両を当然のように撃破した上官にそう疑念をぶつけたのだった。

 

 乗艦『ノルマンディー』が大破した後、生き埋めになった部下を救助しながら宇宙港の残存帝国軍相手に単身で無双を繰り広げて、戦闘車両だけでも九両を破壊したレオポルド・カイル・ムーア少将が二つ目の自由戦士勲章を授勲されるのはこの遠征を終えた後の事であった……。

 

 

 

「司令官閣下、反乱軍が動き始めました」

「うむ、各部隊に迎撃を命じよ」

 

 要塞防衛司令部では、内部で孤立した同盟軍の陸戦部隊が攻勢に出た事を確認していた。副官の報告にクライスト大将は当たり障りのない指示を命じる。

 

「第四七宇宙港に揚陸してきた輩ですな。目標は第三予備中央通信室、及びR-10ブロック……恐らくは要塞主砲の送電ケーブル補修ゲートでしょう。要塞主砲を移動させましょうか?」

 

 副官は尋ねる。反乱軍が必死に攻勢をかけようとも、最悪要塞主砲たる特殊浮遊砲台を移動させて別のケーブルから送電させるという手もなくはない。

 

「いや、止めておこう。あのブロックからカバー可能な仰角は前方では一番広大だからな。それに、下手に動かせばその隙に反乱軍の艦隊の突貫を招きかねん」

 

 移動に一〇分、再充電に一〇から一五分、要塞駐留艦隊が牽制の役割を果たせなくなりつつある中でその時間は長過ぎた。一発程度ならば撃てるだろうが、次発の発射の前に反乱軍は要塞主砲の死角に入り、肉薄してしまうだろう。そのリスクは大き過ぎる。

 

(尤も、送電線が切断されるならばそれはそれで構わんがな……)

 

 誰にも聞かれぬように、クライスト大将は内心で独白する。要塞防衛司令部に詰める多くの者達の考えとは裏腹に、クライスト大将にとってはこの攻防戦も所詮は余興に過ぎなかった。

 

「………」

 

 誰にも見られぬように、クライスト大将は手元の要塞防衛司令官のデスクに手を伸ばす。そしてデスクの端末を操作すればタッチパネルに幾つかの要塞防衛司令官としての権限が表示される。

 

 ……帝国軍の首脳部が何より恐れるのは同盟軍でも、辺境の反乱でもなく、自軍兵士の反乱である。特に実力主義の気風の強い前線部隊では士官や将官クラスでも門閥貴族階級以外の者が数多く在籍しているので一際敏感だ。。第二次ティアマト会戦の結果平民階級に対して軍の門戸がより広く開かれるようになってからは、それはより妄執的となっている。

 

 故にイゼルローン要塞の防衛司令官、要塞駐留艦隊司令官共に帝国に対する忠誠心の高い人物を優先的に任命しているし、要塞の防衛システムは兵士の反乱も想定している。いざとなれば司令官の一存で要塞全体に睡眠ガスを噴霧する事すら可能だ。というよりも態態そのためだけに通常とは別にガス噴霧用の換気口が設けられている程だ。

 

 そして、最悪要塞が反乱兵や同盟軍により占拠されそうになれば………銀河帝国最大にして有史上でも有数の巨大要塞建設に当たって、当然その事態も想定され、帝国軍は帝国軍らしい答えを設計段階から用意していた。それは即ち………。

 

(まだだ。まだその時ではない………!!)

 

 タッチパネルに映し出される文字列を凝視してクライスト大将は心の中で叫ぶ。タッチパネルに触れて、その後に出てくるパスワードを三つ入力、声帯と指紋、網膜認証を受けて最後に要塞防衛司令官が専用キーを回す事でそれは起動する。一度起動してしまえば、後は要塞中枢の動力炉での直接操作以外ではそれを阻止する事は不可能だ。

 

 直径数百メートルの動力炉の暴走は単に核爆発を誘発するだけではない。各所のサブ動力炉、更には要塞の巨大な慣性制御装置と重力操作装置も同時に狂い出す。それは恐らく人類が作り上げた人工的な爆発としては最も超新星爆発に迫るものになるだろう。

 

 爆発はまず大量の要塞の構成物を四方に四散させ、周辺艦艇を破壊する事になる。次いで、強力な引力が発生して生き残った周辺艦艇を呑み込む事になる。暴走した重力制御装置と慣性制御装置の影響である。

 

 重力兵器自体はシリウス戦役時代から開発されていたが、遂に戦争における主流兵器にならなかった。イゼルローン要塞クラスの巨大な重力制御・慣性制御装置を使うなら兎も角、ミサイルや宇宙艦艇クラスのそれでは大した破壊力を発揮しないばかりか、コストが無駄に嵩む上、宙域の空間が不安定になりかねないからだ。それならばレーザー水爆ミサイルの方が宇宙で使う分では安く、クリーンで、使い勝手が良い。効率的だった。

 

 ……無論、その論理は逆説的に、イゼルローン要塞に設けられた巨大でコストを度外視した重力制御・慣性制御装置を使う分には十分効果がある事を意味していた。

 

 超新星爆発の後、瞬間的に発生する極小の、しかし強力なブラックホールは何千、あるいは何万という艦艇を虚数の海にへと瞬間的かつ強制的に誘う事になる筈だ。無論、呑み込まれなくても強力な引力によって船体が損傷し、電子機器は狂う事になる。特に艦艇自体は耐えても内部の慣性制御装置や重力制御装置が狂えば中の人間が全滅する事だって有り得た。呑み込まれ切れなかった大量の残骸と空間異常が回廊を数ヵ月に渡って封鎖する事になろう。

 

 それは要塞の設計者達の冷徹な計算の下に調整された自爆方法であった。可能な限り敵に打撃を与えつつ、回廊を一時的に封鎖する事で要塞喪失後の国境防衛のための時間を稼ぐ……イゼルローン要塞はその身を犠牲にしても尚帝国本土を反乱軍から守護するであろう、というのはイゼルローン要塞の設計者の一人シグルト・フォン・クライスト設計技師が語った言葉である。

 

 半世紀の時を経て、その設計技師の孫に当たる男はそれを実行しようとしていた。尤も、その理由は帝国のためではなく自身の家の名誉のためであるが。

 

 全てはクライスト大将の狙い通りに進んでいた。同盟軍内外共に彼の想定通りに動いている。

 

 当然だろう。まさか彼らからすれば要塞が自爆するなぞ想定する筈がない。少なくとも今の段階で行うとは思っておるまい。軍事的に考えればその選択は早計過ぎるものであるためだ。軍人として考えればまだこの時点で要塞を守り切るのは不可能ではないと考えるだろう。

 

 帝国軍にとっては別の論理が働いた。より正確に言えばクライスト大将にのみその理論が働いた。他の幹部達は兎も角、クライスト大将にとっては余りにこの要塞攻防戦はあってはならない事が起こり過ぎた。帝国に送還された彼に待っているのは身の破滅……であるからこそ、その理論が働いた。

 

 帝国本土には、通信妨害の影響でイゼルローン要塞における攻防の正確な情報は殆ど入っていない。それは即ち、クライスト大将が味方ごと『雷神の槌』を発射した事も、それをしても尚要塞に大軍を揚陸された事も、軍港を崩壊させた事も殆ど把握されていない事を意味する。だからこそ彼には自爆する理由がある。

 

 口封じを兼ねた自爆はその全てを闇に葬る事になるだろう。残る結果はイゼルローン要塞が反乱軍と刺し違える形で自爆したという事実のみである。

 

 当然ながら同盟軍は自爆までの推移を盛大にプロパガンダするであろうが、元より帝国がそれを信じる事も、認める事もない。帝国は自爆した将兵全員を帝国のために殉じた英雄として取り扱うだろう。そうなればクライスト大将の行動を追及する事は不可能となる。

 

(そのためならば……!)

 

 そう、家と一族の名誉と命のためならばクライスト大将はそれを決断する事を厭わなかった。そのためならば自身のために帝国の巨大な国家資産を永遠に失わしめる事も、ましてや何十、何百万という味方を道連れにする事にすらも、一切の呵責がなかった。気にする積もりすら無かった。

 

 そして、恐らくはそれこそが帝国貴族という存在の救いがたく、傲慢な本質であったのだろう。

 

「では、増援を送りましょうか?要塞主砲はイゼルローン要塞防衛の要、万一にも封じられる訳にはいきません」

 

 副官がクライスト大将が何を考えているのか知るよしもなく進言する。その言葉にクライスト大将は副官を一瞥する。  

 

「……確かに戦力的にはケーブル狙いと見えるがな、しかしそれこそが陽動という可能性もあろう?今無闇矢鱈に予備戦力を動かす必要はなかろうて」

 

 副官の意見を直ぐ様切り捨てる要塞防衛司令官であるが、その実その言葉はただの言い訳であった。

 

 実際の所、彼からすれば要塞主砲が封じられようとも構わなかった。寧ろ、その方が外の艦隊の油断を誘う事が出来る。『雷神の槌』が封じられたと思って油断した所で自爆した方が道連れに出来る敵の数はより多くなるだろう。その意味では増援を送るなぞ下策である。

 

(ふっ、反乱軍も滑稽なものよな。どれだけ努力しようと所詮は自身の首を締めるだけだというに!)

 

 そして、小さく冷笑する。彼らは必死なのだろうが、それ故にその行いが却って自分達を破滅に導いている事に気付かぬとは……その姿は一周回って哀れみすら感じられた。

 

「ですが……」

「R-10ブロックに侵入者!一個大隊規模の戦力と思われます!」

 

 副官の言葉を遮ったのは防衛司令部のオペレーターからの報告だった。同時に動揺のざわめきが防衛司令部を包み込む。

 

「まさか、早すぎる」

「前線の部隊はどうした!?こんなに早く抜かれたのか……!?」

 

 困惑と不安を滲ませた言葉を次々と口にする防衛司令部要員。しかし、次の瞬間にはR-10ブロックで防衛戦を開始した臨時陸戦隊より通信が届きその疑念も氷解する。

 

「いえ、敵主力と相対する部隊は健在の模様です。恐らくは抜け道を使った少数の浸透部隊であろうと」

 

 その内容に防衛司令部の動揺は僅かに和らぎ、しかし直ぐに皆が緊張した面持ちとなる。

 

「一個大隊規模か。臨時陸戦隊で守り切れるのか?」

「防衛システムがあるとしてもあのブロックは管制室が復旧していない筈だ。十全な防衛は難しいだろう。一個連隊程増援を送るべきかな?」

 

 要塞幹部達が対応について話し合いを始める。そこに新たな通信が入る。臨時陸戦隊からの増援要請であるが、そこにカメラの記録映像が送付されていた。オペレーターがそれを要塞防衛司令部の正面スクリーンに映し出して再生を始めた。

 

『機関銃は援護に回れ!それ以外は私に続け……!!』

 

 叫び声から映像は始まっていた。陸戦服ではなく、宇宙軍艦艇要員の将官用平服を着こんだ若く顔立ちの整った青年が、まるで見せつけるかのように胸元に幾つもの勲章を輝かせながら先陣を切って突貫する。その立ち振舞いは到底帝国軍の良く知る同盟軍の高級士官のそれではなかった。寧ろそれよりも……。

 

「あっ、あれは……!?」

 

 ふと、一人の幹部がその紋章に気付いた。正確には金糸と銀糸を使ったそのマフラーに刻まれた紋章の由来と意味に気付いた。

 

『命が惜しければ失せるが良い雑兵共!私を誰と心得る!………』

 

 そして、続くように、サーベルを構えて青年士官が宮廷訛りの帝国公用語で名乗りを上げた数分後には、要塞防衛司令部の幹部達はR-10ブロックに三個師団相当の援軍を投入する事をクライスト大将に提案していた……。

   

 

 

 

 

「R-1013隔壁の破壊が確認されました!敵部隊、ケーブルの整備ゲートまで残り五〇〇メートルです……!!」

 

 R-10ブロックの管制室でオペレーターが叫ぶ。足止めのために活用した各種の防衛システムは次々と突破され、最早整備ゲートは目と鼻の先であった。  

 

「要塞の奴らめ、援軍を寄越す位ならばさっさと要塞砲の位置を動かせば良いものを。そうすればこのブロックを吹き飛ばせるというのに……無能共め」

 

 頬杖をつきながらラインハルト・フォン・ミューゼル少佐は心底不機嫌そうに舌打ちする。

 

 ミューゼル少佐からすれば敵の攻勢にいちいち此方が真面目に対応するのも馬鹿馬鹿しく思えた。いっそ、一度やったようにこのブロックも爆破して敵ごと埋めてしまった方が手っ取り早くも思えていた。

 

 無論、それは極端な提案である事は彼自身も理解していたが……上が約束した増援部隊の到着が遅ければ不快になってそんな意見も言いたくもなる。

 

「クライストめ。折角丁度良い獲物を教えてやったというのに……何をまごついているのだ?」

 

 侵入してきた同盟軍の先鋒を走る人影をモニター越しに一瞥した後、溜め息を吐く少年。正直な話、将官の癖にサーベルを手に先頭を突っ込む行いも、態態自らの存在を誇示するような装いも、そもそも戦闘中に名乗りをあげる行いの時点で意味不明であるが……今のクライスト大将にとって少しでもオーディンで言い訳を並べられる材料をくれてやったのは本来ならば援軍を求めての事である。

 

 ミューゼル少佐からすれば、曲がりなりにも陸戦の専門部隊相手に自身の臨時陸戦隊で長く持たせるのは難しい事を理解していた。撃退出来ない事はないが、そのためには少なくない損害を被る事になろう。彼は自身の兵に必要な犠牲を強いる事は覚悟していたが、適性外の分野で酷使して無駄に擂り潰す事を好んではいなかった。そして、そのための獲物だというのに……。

 

「……亡命貴族か。所詮はオーディンの馬鹿貴族と変わらんな。後先も考えず、目立ちたがる。周囲はさぞ手を焼かされているだろうな」

 

 銀河帝国亡命政府の存在自体は幼年学校で教えられていたミューゼル少佐であるが、実際にカメラ越しにその一員を知って見ると冷笑しか出来なかった。其ほどまでに滑稽で、しかも馬鹿馬鹿しい存在であったからだ。

 

 どれ程取り繕おうとも、自分達を着飾り、威勢の良い声を上げようとも、所詮は貴族共のエゴイズムな政争に破れた敗北者共の集まりに過ぎない。しかも奴隷と蔑んでいた者達に寄生して、自分達の正統性を見苦しく、そして恥ずかしげもなく叫ぶ姿は呆れるしかなかった。

 

「とは言え、曲がりなりにも自身が前に出るだけ宮廷の門閥貴族よりはマシではあるかも知れません。少なくとも、自分の身を危険に晒しているのですから」

 

 ミューゼル少佐の傍らに控える穏やかな赤毛の副官が僅かに苦笑して答える。とは言え、それは心からそのように考えているというよりかは一応弁護してみた、といった口調ではあったが。

 

「……キルヒアイス、前にも言ったがお前は教師に向いているな。下水の中にすら美点を見いだす事が出来るのはお前の称賛するべき点だが……そこまで無理矢理に擁護してやる義理もないぞ?」

 

 優しすぎる親友にミューゼル少佐は苦笑しながら指摘する。親友の在り方は客観的に見れば人として立派であるが、だからと言って万人に理解されるものでもない。度を過ぎれば周囲に疎まれるし、褒められた本人すら嫌味と思い込むだろう。実際、金髪の少年からすれば親友の評価は其ほどまでに甘過ぎた。

 

「……実際の所、只の世間知らずだけかも知れんぞ?門閥貴族という連中は何でも、それこそ成功すら苦労せずに得る事が出来る連中だ。それも自分の才能と努力ではなく、権力でな」

 

 門閥貴族は世間一般で言う無能揃いではない。寧ろ、平均以上の知識と肉体を有する者は決して少なくない。だが、それは彼らの努力が皆無である訳ではないにしろ、少なくなくとも平民達と比べて生まれながらに遺伝子や血筋が優秀であるからではなかった。

 

 ある意味ではそれこそが帝国の不公平であり、理不尽であった。才能がある平民や奴隷が劣悪な環境によって血反吐を吐いて自らを高めなければならないのと違い、門閥貴族は生まれながらにして完璧な環境を用意されている。それ故に才能がなくとも、血反吐を吐く程の苦労をしなくても相応の能力を得る事が出来るのだ。

 

 そしてそんな厚底靴を履いた上で、金と権力、人脈、人材を総動員すれば誰だって障害の少ない道を進めるし、簡単に成功出来るだろう。その横で遥かに才能があり、努力を重ねて来た平民を平然と踏み潰して。

 

「考えれば分かる事だ。サーベルと拳銃だけで突撃して、普通に考えれば生き残れる訳があるまい?奴の周囲を見てみろ。まるで大名行列みたいだと思わないか?」

 

 ミューゼル少佐は既に察知していた。成る程、幼少期からプロに指導されたのかも知れない。その動きやサーベルや拳銃を扱う技術、兵を鼓舞し、敵を動揺させる話術やパフォーマンスは良く良く訓練されているのか水準以上のものであるが……逆に言えばそれだけだ。

 

 そして、それだけで銃撃戦の最中に身を乗り出して先頭で突撃する者が生き残れる訳がない。猪突猛進に前に出る無謀な青年貴族を周囲の家臣達が必死にサポートしている事にミューゼル少佐は既に勘づいていた。

 

 同時に嘲る。だから門閥貴族共はつけ上がるのだ、と。そうやってお守りをしてやるから奴らは無駄に調子に乗り、愚かな蛮勇を神格化して、自らの失敗や過ちを認めないプライドの塊になってしまうのだ。そして偽りの成功に踊らされて自身の能力を見誤り、無謀で馬鹿げた行動を仕出かす……。

 

「……とは言え、思いのほか押し込まれているのも事実、か」

 

 そして、ミューゼル少佐は心底不本意そうに不満顔を浮かべた。問題はそんな愚かしい行動を相手に思いがけず戦線を押し込まれている事そのものであった。元より援軍の到来と防衛線構築のための時間稼ぎであるが……足止めに展開した部隊の動きが悪く、当初の予想よりも僅かながらに敵の進出速度は速かった。

 

「兵が動揺しているのか?……成る程、狙ってやったかは知らんが、不愉快ながら心理的効果は確かにあるようだな」

 

 そして少年は瞬時にその原因を特定した。同時に僅かに兵士達に失望する。彼らは最前線のイゼルローン要塞に配属されている以上、船乗りとしては十分一流であるし、臨時陸戦隊としても水準並みの働きはしてくれているが……それでも五〇〇年近くに渡り続く厳しい身分制度を完全に無視する事は難しいようだった。

 

「兵達が銃を撃つ事に、あるいは正確に狙い撃つ事に躊躇していますね」

「あぁ、当然だな。貴族を、それも大貴族を平民が撃つなぞ本来なら有り得ないからな。戦場とは言え咄嗟に躊躇してしまうようだな。嘆かわしい限りだ」

 

 ミューゼル少佐はその動きの悪さの本質を抉り出すように指摘する。結局平民は、少なくとも大多数の平民兵士は、口では兎も角心の奥底では貴族を恐れているのだ。貴族に逆らう事に、貴族に武器を向ける事に、貴族を傷つけ殺す事に。その末路を知るがために……そして、そんな事を何十世代も繰り返せば最早それは諦念に変わる。貴族達の行う理不尽と不条理を多くの平民達は最早災害に近いものと認識して、それに逆らう気概すら奪い取る。

 

(ならば、どうすれば良い?)

 

 そして、ミューゼル少佐は内心で独白する。五〇〇年に渡る愚民化政策に生まれた時から浸りきった彼らを、来るべき「その時」にどう率いるべきなのか……金髪の少年の脳裏にはその疑問が渦巻いていた。そして、直ぐに彼は物事の本質を理解し、そして何が必要なのかを殆ど直感的に導きだしていた。

 

「奴らの弱さを知らしめる、か」

「ラインハルト様?」

 

 ぽつりと、愉快げに、冷笑を含んだ小さな呟きは恐らくは意識したものではなかっただろう。赤毛の忠臣は傍らの主君の言葉に思わず首を捻って尋ねるが、当の本人は思考の海に沈み、既にその言葉は聞こえていなかった。そして、彼の頭蓋の中に渦巻く知恵の泉はこの状況を自分達の野望のために最大限有効活用できる方法を見つけ出していた。

 

 金髪の少年は勢い良く立ち上がった。そして管制室にいた駆逐隊副司令官に室内の指揮を一任すると、次の瞬間には傍らにあったブラスターライフルを掴み取りオペレーターに部隊の通信回線を開くように命じる。慌ててその命令に従ったオペレーターがコンソールを操作し終えると、金髪の少年は宣言した。

 

「第六四〇九駆逐隊臨時陸戦隊所属の全将兵に通達する、私は指揮官ラインハルト・フォン・ミューゼル少佐である」

 

 そこで一拍置いてからミューゼル少佐は再度口を開く。

 

「まず、司令官として私はお前達に事実を告げねばならない。真に不本意ながら、現状我らは敵の攻勢に対して劣勢下に置かれていると言わざるを得ない状況にある。それは要塞防衛司令部からの増援は編成も未だ完了せず、更には反乱軍の妄言により少なからず部隊が動揺しつつあるためである!」

 

 堂々と、現状を包み隠さずに断言する少年士官。その言葉にR-10ブロック各所に展開していた兵士達は通信機に耳を傾け、管制室に詰めていた者達は目の前の上官に視線を向ける。その表現は一様に不安を抱えていた。

 

「だが、気落ちする事はない。諸君の精強さは私が良く理解しているからである!ならば、後は正しい命令に迅速かつ正確に従う事だ、それだけで諸君らはこの戦いを勝利に導くであろう!」

 

 金髪の少年は端的に彼らに不足しているものを上げる。実際、それが改善されるだけで状況は一変しているだろう。それ程に同盟軍の先頭を走る亡命貴族に対する臨時陸戦隊の動揺は大きく、同時にそれくらいしか弱点がなかった。

 

「要塞主砲を守るこの防衛戦は此度の戦いの芻勢を決める重要なものとなる!生き残りたければ、そして勝利を掴みたければ悉く我が命令に従い、実行せよ!恐れる事は何物もありはない!お前達、恐れるべき何物もないぞ!お前達がこの大戦を勝利せしめるのだ!」

 

 まるで古き善き名門の武門貴族が戦いの直前に自身の軍勢に檄を飛ばすように宣言するミューゼル少佐。いや、実際何も知らぬ者がこの光景を見ればそう勘違いしただろう。その言葉遣い、口調、声の高低、内容……全てが兵士達を惹き付け、焚き付ける魅力に余りにも満ちていた。

 

「……無論、私はお前達に無理な命令だけをして安全な後方に控えるなぞという恥知らずな行いはしないぞ?これより、私は陣頭指揮をとって直接反乱軍を迎え撃つ!兵達が命を賭けて戦っている中でいつまでも尻で椅子を磨く訳にもいかないからな!」

 

 最後に大胆不敵に、それでいて悪餓鬼のように笑みを浮かべた美少年、一瞬場の兵士達はその姿、そして直前の口調との落差に唖然として、しかし直ぐに敬礼でその宣言に応えた。そこには明確な上官に対する敬意と信頼があった。

 

 駆逐隊を大軍から生き残らせて、部隊の風紀と待遇を改善し、既に一度揚陸してきた格上の敵陸戦隊を殆ど犠牲を出さずに撃破してみせたのだ。彼らは若すぎる上官を、しかし何年も共に戦ってきた上官のように深く信頼して敬服していた。故に管制室の兵士達は最大限の敬意を持って、同時に心配もして見送る。

 

 ミューゼル少佐もまた、それを理解して敬礼して答えるとさっと踵を返した。その背後についていくキルヒアイスは困ったような表情を滲ませる。

 

「ラインハルト様、いきなり過ぎます。一体何を考えて……まさか!」

 

 そこまで口にして、赤毛の家臣は親友の企みを察する。ミューゼル少佐はそんな友人に悪戯に成功した悪餓鬼のような表情を浮かべた。そして、嘯く。

 

「そのまさかさ。同盟に亡命しようとも貴族は貴族らしいからな。予行演習には丁度良いと思わないか?」

 

 幼年学校に入る前のやんちゃな子供時代を思わせる表情、そしてその話す内容にキルヒアイス中尉は一瞬言葉を失う。

 

「ラインハルト様……流石に無茶をし過ぎではありませんか?」

「おいおい、これくらいアクタヴでの戦いよりはマシだぞ?少なくとも武器は豊富だし、味方はいるからな」

 

 親友の困り顔に主君の方は快活で屈託のない笑みで応えて見せる。しかも、内容は其ほど間違ってもいないのだからある意味で質が悪い。

 

「実際問題、動揺した兵達を抑えるためには俺達が出張ってやらんとならんだろうさ。ここで防衛に失敗したら折角の昇進の予定がパーになってしまう。大貴族共の事だ、経歴に少しでも傷があればねちねちとそれを理由に俺達の出世を邪魔してきそうだ」

 

 法務局や人事局に勤める文官貴族は嫉妬深く、粘着質な者が少なくない。無駄に弁舌だけは上手いのでそれっぽい理由で昇進取り消しの理由をでっち上げて来ても可笑しくない。自分の失敗なら兎も角、そんな下らない事で栄達の足を引っ張られるのは御免だった。

 

「それは、そうかも知れませんが……」

「おいおい、そこまで心配するのか?俺だってお前程じゃないが白兵戦の成績は悪くないだろう?そんなに俺がドジだと思っているのか?」

 

 そして、次の瞬間には目を細め、声を低くして周囲を警戒しながら彼は一番の理由を呟く。

 

「それにだ、今回の戦いで思った以上に兵達が臆病だと言う事が分かった。将来の事を思えばこの戦いは良い予行演習になろう。違うか?」

「それは、そうですが………」

 

 主君の考えは分かる。分かるが……それでも赤毛の副官は渋い表情を浮かべる。彼の脳裏に過るのは主君の姉でもある女神の憂いを秘めた笑顔であった。キルヒアイスは彼女の表情を悲嘆に暮れさせたくなかった。

 

「……ふっ、安心しろ。俺も無茶はしないさ。それに……」

 

 そういって、少年は肩幅の広い親友の胸元を軽く叩く。軍服の上からでも分かる屈強な筋肉から乾いた良く響く音が鳴った。

 

「お前が俺のために努力している事は知っているさ。お前が傍らに居てくれれば安心だ、頼りにさせてくれよ?」

 

 そしてふっ、と小さく笑いながら要塞の通路を突き進む。その姿に数秒程呆気に取られた表情をする。

 

 次いで「ラインハルト様について行くのは本当に大変だな」と呟くと、赤毛の少年は大袈裟な口調でそれを受け入れて主君をからかった。金髪の主君がそれに優しい表情で苦笑したのは言うまでもなかった………。

 

 

 

 

 

「道は開けたぞ!進め……!!」

 

 隔壁の一つを爆薬で噴き飛ばし、粉塵の舞う中で数名の傭兵がサブマシンガンを抉じ開けた道にばら蒔く。そうやって牽制と制圧を終えれば私はサーベルを構えて突撃を先導した。

 

 足止めは殆どがドローンだけで構成されていた。それらを素早く無力化して我々は更なる前進を再開する。

 

「思いの外、抵抗が少ないな……!!」

「恐らくは戦力を集中させて、防衛線を敷くためでしょうね……!!隔壁もドローンも時間稼ぎですよ!どうやら相手の指揮官は相応に頭が切れるようです!」

 

 傍らで走るフェルナー中佐が叫ぶ。裏道や下水道から前線部隊の防衛線を素通りしてR-10ブロックにまで辿り着いたのは一個大隊強という少数に過ぎない。裏口自体が狭く大軍の行軍に適さない上に、流石に万単位の兵士が動けば索敵システムも異常に気付く。この数がバレずに動かせる最大数であった。

 

「おっと、噂をすればお出ましだな……!!」

 

 L字路を曲がった私は、次の瞬間身を翻して元の道に戻る。狭い道にバリケードを作って一個小隊程の軽装歩兵が待ち構えていたからだ。私が隠れたのと前後して銃撃音が鳴り響く。

 

「あっぶねぇ!!ギリギリじゃねぇかよ……!?」

「若様、伏せて下さい!」

 

 すぐ後ろについて来ていたベアトが数個の手榴弾をバリケードに投げ込み、私を衝撃や粉塵から守るように抱き締める。次の瞬間、弾けるような爆発音が数回響き渡る。

 

「よし、行け……!!」

 

 フェルナー中佐の命令に従い数名の傭兵がアサルトライフルの下部に設けたグレネードランチャーを発射、敵兵を沈黙させると近接戦用のショットガンを構えた別の傭兵の一隊が突入を開始する。

 

「ぐっ……げ、迎撃を……ぎゃっ!?」

「狙いなんかつけなくて良い……!!弾をばら蒔……がっ!?」

 

 小隊長らしき男が狙撃で仕留められる。次いで小隊の火力の要たる機関銃手をショットガンで沈黙させる。実に鮮やかな手腕だった。

 

「ま、待て!こ、降ふ……」

「悪いが捕虜を取る時間はないんでね」

 

 武器を捨てて降伏しようとする兵士達を傭兵達は迅速に始末した。白旗を上げていないし、最後まで降伏の意思を示す言葉を口にしていないので(させていないので)ギリギリ戦時条約違反ではない。そのやり様は実に手慣れていて、彼らがこれまでどのような任務を経験してきたかを推測させるに十分だった。

 

「容赦ないな」

「前の会社のお得意様は迅速な仕事をオーダーなさる事が多かったですからね」

 

 平然とそう語るフェルナー中佐。お得意様とは大体門閥貴族は帝国・フェザーン系大企業、仕事内容は待遇改善を求める労働者や税や年貢を減らすように直訴する領民の鎮圧である。外縁宙域での余り口に出来ない仕事もあったかも知れない。

 

「……ここで足止めが出てきたとなると、そろそろ本格的な防衛線が敷かれていると考えるべきだな」

 

 そして、恐らくは増援部隊も送られて来ているはずだ。名乗りまくっているので私の存在位もう要塞のお偉いさん方も把握している事であろう。元々八個師団を投入しているのだ、主攻が此方と判断して部隊の投入を初めていると考えてしかるべきだ。

 

(……だが、それはそれで好都合だがな)

 

 私は口元を歪めて、内心で呟いた。それは実に悪意に満ちた、門閥貴族の子弟らしい傲慢な笑みであった。

 

 尤も、その笑みも長くは持たなかった。何故ならば………。

 

「ゲートまでは後少しだ!敵は少数、このまま要塞砲を封じるぞ!!全軍、私に続、け………?」

 

 巨大な送電ケーブルが通り、それを整備するためのゲートのあるスタジアム大の大部屋に向けてサーベルを構えて突撃した私は次の瞬間にはその顔を強張らせて、紡ごうとしていた言葉が止まる。

 

 それは大部屋全体に敵兵がいた事が理由でも、彼らがバリケードを張って此方を待ち構えていた事が理由でもない。その程度の事は此方も想定していた。予め心の中で身構えていたからその程度で今更怖じ気付く事はなかった。

 

 問題は、そんな些事よりも遥かに深刻で、危険で、絶望的な現実であった。

 

「彼」の姿は多くの敵兵がいる中でも嫌な程良く目立ち、そして見る者の心を奪う程印象的であった。黄金色の髪の神々しい雰囲気を纏う端正な少年……それは私が一方的に良く知る、そしてこの状況下で絶対に会いたくない人物達であった。

 

「………ははは、何でここにいるんだよ?」

 

 私は顔を歪んだようにひきつらせて、震える声で、噛み殺したような声で呟いた。その姿を見た瞬間、全身の身体の血がさっと引いた錯覚を私は如実に感じ取っていた。

 

 ラインハルト・フォン・ミューゼル、戦神と美女神の寵愛を一身に受けた、英雄の中の英雄の姿が、そこにあった……。



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第百八十八話 少女漫画がミリタリー面でガバなのは仕方無い

 イゼルローン要塞周辺の帝国側に程近い宙域では小さな、しかし激しい戦闘の光が瞬いていた。

 

「戦艦『カンネー』被弾!轟沈します!」

 

 オペレーターの叫び声とほぼ同時に別動隊揚陸部隊の護衛部隊旗艦『プトレマイオス』の直ぐ隣で爆炎が発生する。短命の小太陽の輝きは一瞬『プトレマイオス』の艦橋モニターを白く染め上げて、しかし直ぐに艦艇内部の戦闘支援AIが自動で光量を調整して艦橋に詰める兵士達の視界を奪う事を阻止した。僚艦の爆発が生み出す震動を慣性制御装置や衝撃吸収装置が軽減するものの、それでも鈍く『プトレマイオス』の艦橋を揺らす。

 

「くっ……中々に手強い敵ですな!」

 

『プトレマイオス』の司令官席の直ぐ手元に設けられた手摺を掴んで身体を支えながら護衛部隊の指揮官エドウィン・フィッシャー同盟宇宙軍准将は苦い口調で呟いた。一個戦隊規模の帝国軍と相対した護衛部隊は数において劣勢下に置かれたまま戦闘を継続していた。

 

「司令官、その……艦隊のエネルギー残量が五割を切りました。それと……弾薬残量は三割程です」

 

 傍らに控える副官デュドネイ少佐が心底言いにくそうに、途切れ途切れに伝える。その報告はこのまま戦闘が推移すれば、数時間の後に護衛部隊は継戦能力を喪失する事を意味していた。

 

「弾薬残量は兎も角、エネルギーが厳しいかな。帰りの分を含めると余裕はないか……」

 

 正確には戦域を突破して友軍本隊に合流するためのエネルギーに余裕がなかった。その分を考慮すれば継戦出来るのは持って後数時間という所か……。

 

「はい。寄せ集めの一個戦隊相手にここまで……」

 

 デュドネイ少佐も同じく想定外の苦戦に渋い表情を見せる。宇宙港を攻撃した帝国軍の小艦隊が敗残兵やはぐれ艦の寄せ集めなのは、その統一性がなく艦種が偏り戦列が乱れた編成を見れば分かる事だ。

 

「閣下!既に我が方の損害は三割に達しております!これ以上の戦闘は……!!」

「駄目です!軍港上空の制宙圏を放棄する訳にはいきません!」

 

 参謀の一人が撤退を意見するが即座にフィッシャー准将はそれを却下する。ここでこの宙域を放棄するのは内部に取り残された友軍を見捨てるのと限りなく同義であった。詳しい情報は通信が出来ないために不明であるが、それでも内部の陸戦隊を逃がすためには軍港周辺の確保が必須である。

 

 特に第二宇宙港はまだ被害が少ない方であり、時間さえあれば瓦礫を撤去して数名ばかりが通れるサイズとしても即席の脱出路を構築するのは不可能ではない筈だ。

 

 逆説的に言えば、同盟軍からすれば絶対に軍港の制宙権を帝国軍に取られる訳にはいかなかった。躊躇なく味方ごと軍港をミサイルの雨で吹き飛ばした光景をフィッシャー准将達は目にしている。仮に軍港周辺宙域を帝国軍に奪われたら……彼らが駄目押しのように再び軍港に攻撃して残る味方を外壁ブロックごと焼き殺しても不思議ではなかった。その危惧が護衛部隊の抵抗を後押ししていた。

 

「……ミサイル艦部隊の方はどうかな?」

「……碌に弾薬もないようですが……かなり良くやっています。着かず離れずの距離で……最大限此方を支援しています」

 

 フィッシャー准将の質問に副官が若干途切れ途切れのの言葉で答えた。モニターの一角では六〇〇隻余りのミサイル艦が護衛部隊が相対する帝国軍一個戦隊に対して接近してミサイルで攻撃しては直ぐに後退するハラスメント攻撃を繰り返していた。

 

 対艦ミサイルはその殆どをイゼルローン要塞攻撃に使い果たしていたために、対空ミサイルや対レーザー撹乱ミサイル、デコイまで撃ち込み、更には砲撃レーダー照準をしてみたり、妨害電波を放ったりもする。文字通り使える手段を総動員した嫌がらせ攻撃……それは本来ならば決定打がないが故に正面から敵が攻撃してくればそれまでなのだが……。

 

「……よし、反撃に出る。スパルタニアン発進!主砲斉射三連!ミサイル艦部隊の後退を支援する……!!」

 

 ミサイル艦部隊は、帝国軍が反撃に出る寸前で散開しつつ後退し、同時にフィッシャー准将率いる護衛部隊が横合いから殴りかかった。

 

 護衛部隊とミサイル艦部隊の連携は即席のものとしては十分過ぎる程に良く出来ていた。双方共に帝国軍の一個戦隊とまともに戦う事は出来ない。故に連携して戦い、同時に帝国軍の本格的な反撃となれば片方は引き下がり、もう一方は前に出て強かに打撃を与える。そうする事で彼らはこの三時間余りの間ギリギリの戦いを演じていたのだ。

 

「ホラン……ホーランド准将も良くやりますね。……正直、こうも連携が取れたのは……驚きです」

 

 デュドネイ少佐が戦況モニターを見つめて小さく呟く。士官学校の同期であり、戦略シミュレーションでチームを組んだ経験もある彼女からすれば、ミサイル艦部隊の指揮権を引き継いだウィレム・ホーランド准将のやり口は意外なものがあった。

 

 こと戦略シミュレーションのみに限れば同期の首席であったヤングブラッドすら凌いで四年間トップの成績に君臨し続けたホーランド准将の用兵、特に艦隊運動は芸術的なまでの複雑性と躍動性、柔軟性を有するが、同時にシミュレーションの中ですらその動きについて来れる同期生は殆どいやしなかった。敵としてだけではない、味方としてすらである。

 

 『ホーランドがシミュレーションする艦隊は動きが予測出来ない』とは実際に彼と対戦した、あるいは組んだ同期生達が口を揃えて発した言葉だ。攻撃は全てすり抜けられて、その動きに困惑していると陣形の一点を突き崩される。包囲してやろうとすればあっという間に逃げられるし、連携しようとしても次の動きすら分からないから迂闊に加勢も出来やしない。その芸術的な艦隊運動は限りなく単独行動以外で使いようのないものであった。

 

(いや……何人か、ギリギリついて来れそうなのはいたかな……?)

 

 デュドネイ少佐の知る限り少なくとも二人、どうにか連携出来そうな同期生はいた。尤も、より正確には片方は仕方無くホーランドの方が動きを合わせてくれていたというべきかも知れないが……。

 

「っ……!!?」

 

 そんな事に思考を割いていると再びモニター越しに近くで爆発が生じるのを理解するデュドネイ少佐。巡航艦『カリスト3号』が爆沈して青白い火球へと姿を変える。艦長は単独撃沈艦艇二八隻を誇るベテランであったのだが……。

 

「それにしても……!中々、手強い……!!」

 

 モニターに映し出される戦況を凝視しながら副官は苦虫を噛み締める。護衛部隊がこの場から退けない理由は幾つもあるが、あるいは、最大の理由はそれが物理的に困難である事であったかも知れない。

 

 正確に言えば敵艦隊の一部、と訂正するべきだろうか?雑多な部隊が混在する帝国軍の一個戦隊、その中で二つ程異様に動きが良く油断出来ない小部隊が混ざっている事に彼女は少し前から気付いていた。

 

 他の部隊はまだどうにか誤魔化せるかも知れないが、この二部隊だけは別だ。指揮官が相応に頭が切れるらしい。少しでも隙を作れば数の少ない護衛部隊はあっという間に磨り減らされる事は確実だった。要塞内部の味方のためでもあるが、彼女達がこの宙域に釘付けにされている最大の理由はそれであるのはほぼ間違いなかった。

 

「此方は少数、ミサイル艦部隊は弾薬不足で戦闘効率か悪い。対して相手は寄せ集めとは言え一個戦隊……何時までも持たんぞ」

「とは言え逃げる訳にもいかんし、そもそも逃げても背後を撃たれるとなってはな……」

 

 文字通りの八方塞がりに艦橋に詰める参謀達が苦い表情を浮かべる。護衛部隊もミサイル艦部隊も善戦していたが、所詮は破滅の最期を延命しているに過ぎなかった。

 

 艦橋全体に次第に焦燥感が漂い始める。だが……。

 

「っ……?敵が、引き始めた……?」

 

 デュドネイ少佐が首を傾げて呟いた。突如として、帝国軍が攻撃を停止してそそくさと後退を始めていた。

 

「何?一体どういう……」

「友軍です!本隊が前進を開始しました……!!」

 

 フィッシャー准将の疑問に答えたのは通信士であった。艦橋のメインモニターが切り替わる。何万というモスグリーンの艦艇が散開した状態でイゼルローン要塞に向けて前進を始めていた。眼前の散発的に抵抗する要塞駐留艦隊を押し潰しながら前進する大艦隊……。

 

「おお……」

「どうやら、命拾いしたみたいだな」

「漸く本隊のお出ましか。助かった……」

 

 艦橋のオペレーターや参謀達がモニターに映る味方の大軍を見ながら口々に安堵の声を漏らす。デュドネイ少佐もまた胸を撫で下ろして小さく息を吐いた。軍人になったとは言え、誰だって好き好んで死にたくはない。

 

「遠征軍総司令部より連絡です。当該宙域の制宙権を維持されたし。我が軍はこれより要塞内部の友軍救助及び揚陸作戦を開始する、との事です」

 

 通信士の報告に艦橋にどよめきが広がる。それは総司令部が覚悟を決めた事を示していたためだ。  

 

「ここに来て再度の揚陸か。総司令部は本気だな」

「文字通り犠牲を度外視してでも攻略する積もりのようですね」

「遂にこの時が来たか……」

 

 参謀達は口々に総司令部の選択について語り合う。イゼルローン要塞の攻略は同盟軍の長年の悲願であった。そして正に今、同盟軍はそれに過去最も近付いていた。無論この大攻勢が成功するかは分からない。しかし、それ故に護衛部隊司令部もまた言い知れぬ興奮に包まれていた。

 

「副官殿、通信です」

「……?何処から?」

 

 そんな中、オペレーターの一人がデュドネイ少佐に向けて声をかける。首を傾げて副官は応じて誰が自身を名指しで通信をかけて来たのかを尋ねる。

 

「ミサイル艦部隊を臨時指揮するウィレム・ホーランド准将からです」

「?分かったわ。何処?」

 

 オペレーターの答えたその名前に一層疑念を浮かべ、次いで嫌な予感を感じてデュドネイ少佐は通信機の下に向かった。オペレーターに誘導されて向かった先には液晶画面に映る屈強で神経質そうな同期生の姿があった。

 

「護衛部隊司令部、副官デュドネイ少佐、です」 

「ミサイル艦部隊の臨時指揮を承ったホーランド准将だ。……デュドネイ、本隊が前進を開始しているのは要塞に突入するためだな?」

 

 互いに敬礼した後、ホーランド准将は険しい表情で端的に確認するように質問する。

 

「そう、だけど……何か問題?」

 

 ホーランド准将の態度に困惑しつつ、デュドネイ少佐はその質問の意図を尋ねる。同時に何処か嫌な予感を彼女は感じていた。  

 

「駄目だ。艦隊の動きを、前進を一旦停止させるように進言しろ……!!私の考えすぎだといいが……しかし、恐らくは……!!」

 

 ホーランド准将は焦れた表情を浮かべて叫ぶ。その態度に、デュドネイ少佐は同期生が何か大変な何かを予想している事を確信した。

 

「え、えっと……一体何を考えているの?」

「要塞の動きが異様に鈍い。まるで此方を誘っているみたいだ」

 

 たかが一准将だけが進言した所で総司令部の動きを止めるのは至難の技、故にホーランド准将は顔見知りの参謀や指揮官に向けて通信をしまくって彼らの支援を仰ぐ積もりであった。そして、デュドネイ少佐に向けても彼は自身の予測を口にする。

 

「っ……!?少し待ってて!今司令官に説明しにいくから……!!」

 

 その説明が終わったと同時にデュドネイ少佐は目を見開き、顔を真っ青にする。その内容は到底信じられるものではなかった。しかし……。

 

(否定はしきれない……!!)

 

 ホーランド准将が冗談やいい加減な事を口にする性格でないことを彼女は知っていたし、何よりも帝国人、いや帝国貴族がどれだけ同盟人とズレた感覚の持ち主かを、彼女は士官学校時代に少なからず知っていた。それ故に同期生の言葉を否定出来なかった。

 

 故にデュドネイ少佐は、次の瞬間には慌てて元教官であり護衛部隊の指揮官であるフィッシャー准将の下に駆け出していたのだった……。

 

 

 

 

 

 

 薄暗く、青白い照明で照らされたその空間で乾いた音が響く。一度ではない。何度も、幾つもの音が重なるように響き合う。

 

 イゼルローン要塞の一角、R-10ブロックでは苛烈な銃撃戦が発生していた。ちょっとしたスタジアム大の広さを持つ空間の片側では工作車両やトラック、その他コンテナ等を積み上げた臨時のバリケードやトーチカが設けられていて、その隙間や上方から相互に支援用に設置された機関銃が火を吹き、軽装歩兵達が小銃を乱射する。武器弾薬に不足しない防衛側だからこそ出来る弾薬を大量消費した防衛戦闘であった。

 

「ちぃ……!撃ち返せ!鉄板を早く積み上げろ!」

 

 一方、この空間にまで侵入する事に成功した同盟軍はと言えば、当然ながら遮蔽物が手近な所にはない。故に無理矢理にそれらを作る事にした。

 

「切断完了です!」

「よし、さっさと運べ運べ……!!」

「急げ!早く……!!」

「機関銃!支援しろ……!!」

 

 数名の兵士達が銃撃の中で運び出すのは分厚い鉄板であった。それも頑健性と軽量性、生産性に優れたEカーボン製である。要塞の内壁を構成していたそれを引っ剥がした兵士達はそれをそのまま盾にして前進を開始する。

 

 攻撃側だから出来る発想であった。どうせ自分達の要塞ではないのだ。後々の処理なぞ気にせず要塞の建材を切断してはそれを盾にして接近、更にそれらを積み上げる事で物影を作り、安全地帯を押し広げていく同盟軍。帝国軍が遮蔽物のない状況を作り上げたのならば、代わりの遮蔽物を無理矢理に作り上げるという地道であり、尚且つ型破りな方法を使う事で、彼らは帝国軍のバリケードにジリジリと接近する事に成功していた。

 

 当初一〇〇メートルはあっただろう距離は既に半分を切っていた。小銃を使うという認識においては直ぐ目の前といって良い程の近距離で両軍は互いに向けて鉛弾を叩き込み合う。いや、それは少し正確ではないかも知れない。撃ち合いの勢いは間違いなく帝国軍が上であったためだ。

 

「糞ったれが!豪勢に弾を使ってくれやがって!お礼にこれでも食らえ……!!」

 

 手持ちの小銃の弾を予備弾倉を含めて全て撃ち尽くした同盟軍兵士が腰の手榴弾の安全ピンを引っこ抜けば銃撃の間隙を突いて帝国軍の即席トーチカの更に後方にそれを勢い良く投げ込んだ。敵陣に上手く手榴弾が落ちたと思えば慌てたような小さな悲鳴がバリケードの向こう側から響き、次の瞬間には弾けるような小さな爆音が鳴り響いてそのままトーチカは沈黙した。

 

「ざまぁ見やがれ!」

 

 その光景を目にした同盟軍の兵士達が歓声を上げる。しかしそれも帝国軍が持ち出して来たそれを見た瞬間に悲鳴へと変わる。

 

「不味い!ロケット弾……!!?」

「逃げろ……!!」

 

 兵士達が踵を返して走り出した数秒後に、同盟軍の作り上げたバリケードの一角が吹き飛び爆炎に包まれた。帝国軍兵士が身を乗り出して放ったバズーカ砲から射出されたロケット弾が命中したからだ。黒煙が広がり、建材や鉄片等の破片周囲に飛び散り周囲の兵士達を襲う。

 

「これは予想外ですね。たかが臨時陸戦隊がここまで粘るとは……」

 

 戦況を最前線よりも後方で観察しながらフェルナー中佐が嘆息する。多機能双眼鏡を覗いて敵陣の陣容を光量を調整し、同時に拡大しながら探る。

 

「まるで陸戦の専門士官が構築したようなバリケードです。火点の隙がありません。前方だけではありません、後方の予備陣地とも連携しています」

「………無理に第一線を突破しても第二線から良い的にされる、か」

 

 ベアトの指摘に数秒の沈黙の後に私も同意する。三重の防御陣地か……短時間かつ限られた人員と資材で良くもまぁこんな堅牢な防衛線を構築して見せるものだ。いや、それもある意味当然か………。

 

「地上軍、いや装甲擲弾兵団から野戦士官でも派遣されたんでしょうかね?」

 

 フェルナー中佐はそう言葉を紡ぎ、双眼鏡でとある一点を見つめていた。その方向に私は内心の焦燥感を誤魔化しながら視線を向ける。

 

「実に顔のお綺麗な坊っちゃんだ。大貴族の息子さんか何かなら納得です。血気盛んな坊っちゃんが後退しないので上が慌ててアドバイザーなり督戦の憲兵隊なりを派遣したのでしょうね」

「……だと良かったのだけどな」

 

 フェルナー中佐の言葉を半分流し聞きしながら、私は物影で何やらを兵士達に命じる美少年を見つめる。

 

 黄金色の髪は、実際は兎も角薄暗いこの空間の中でありながら妙に輝いているように私には思えた。軽装野戦士官服を着こんでいるにもかかわらず、その出で立ちは大貴族の子弟のように立派に見えた。何よりも物語に出てくる王子様のような神秘的な美貌……それは一目で彼が何処ぞの高貴な生まれであるように人々に思わせた。

 

 私も何も知らなければ傍らの傭兵の言葉に同意していただろう。そう、何も知らなければ、な?

 

(糞が!!何でお前がここにいるんだよ……!!) 

 

 私は内心で有らん限りに罵倒した。ふざけるな……!!貴様はB夫人の送り込んで来たマイケル・ジャ○ソンと戯れていれば良いだろうが!態態だだっ広いイゼルローンの中で何狙ったようにエンカウントして来てるんだよ……!!

 

「……若様?」

 

 ぎり、と歯を食い縛り、顔を青冷めさせている私の姿に気付いたのかベアトが不安そうな表情を向ける。同時に酷く困惑しているようだった。……そりゃあ、普通に考えれば現状は最良ではなくとも悪くはない戦況なのだから当然だ。私が不安そうにするのが不思議でならないだろう。

 

 ……私からすればこの上ない極限状態なのだがね?

 

(ちいっ、落ち着け私。……そうだ、慌てて逸るなよ?下手な欲を出しても余り愉快な事は起きないだろうからな………)

 

 心臓が恐怖と緊張と興奮で激しく鼓動している事に私は気付いていた。死の恐怖、作戦の成否、そして絶好の機会………だが、特に一番最後のそれに安易に流されてはならない事を私は理解していた。

 

「……はぁぁ」

 

 身体の震えを抑えて、感情の高ぶりを無理矢理落ち着かせて、眼を瞑って深い深呼吸を吐き出すと私は脳を可能な限り冷静に動かした。奴が……金髪の孺子がこの場にいるのはこの際仕方無い。どうしようもない。現実逃避する訳にはいかない。事実を見ようとしない者には幸運の女神も戦いの女神も振り向いてはくれないのだから。……奴らはそれでも無料サービスを沢山してもらえそうだけどな。

 

(はは、正に主人公補正……は冗談としても、下手に欲を出して反撃されたら怖いな)

 

 触らぬ神に祟りなしである。少なくとも今の戦力では心もとなさ過ぎる。無理をして逆に討ち取られたくない。……というか、良く考えたらあの孺子がここにいるって事は、もしかして私の貴族ムーヴ全部見られてた?

 

「……お腹痛くなってきた」

「若様っ!?」

 

 急に猛烈な腹痛がしてきて、私は唸るようにサーベルで身体を支えて倒れこむ。ベアトとテレジアが傍らに駆け寄って介抱してくれるが残念ながら胃薬なぞではどうにもならないと思う。最早そういうレベルの話ではない。不味い。彼方を挑発してアピールするためにやってた貴族ムーヴ、見られてたとかヤバくね?死亡フラグが立った幻聴が聴こえて来たぞ……?

 

「うっ、嘔吐感が……」

「止めて下さいよ。嘔吐物の臭いが充満する中で戦うなんて、ご免ですよ……?」

 

 青白い顔で口元を押さえる私に心底嫌そうな表情を向ける傭兵である。五月蝿い、貴様に私の悩みの何が分かる。

 

「……だったらさっさとこの膠着状態をどうにかしてくれまいか?かれこれ三〇分は経っているぞ?」

 

 もう外の艦隊は前進を開始したと考えて良かろう。もう時間はない。いや、別にこっちの戦闘の成否はおまけみたいなものだけどさ……それでもとっととこの戦いを終わらせたい。より正確に言えば金髪の主人公様と同じ部屋にいたくない。後で幾らでも報酬上乗せするから奴を殺害……せめて私の目の前から追い払ってくれない?

 

「無茶言わないでくれませんかね?あれを見たら分かるでしょう?手持ちの火器ではどうにもなりません。地道に抵抗を排除した後に工兵で爆破するか、あるいはシステム的に機能を止めるしかないでしょう」

 

 フェルナー中佐の指し示す先にあるのは敵陣側の天井を貫く巨大なパイプラインであった。何十というワイヤーや鉄骨で補助的に支えられた直径にして一〇……いや、一五メートルはあるだろう。戦艦の前面装甲と同様の建材で三重に覆われたそれは戦車砲でも貫通出来るか怪しい。

 

 要塞主砲にエネルギーを送り込む送電ケーブルをここから破壊するのは不可能だった。つまり、あれをどうにかするには文字通り敵陣を占拠した後ケーブルを直接内部から破壊するなり、システムに干渉する位しか手はないだろう。そして、その陣地には奴らがいる訳で……。

 

「悠長な話だな?増援は……確か三個師団相当だったか?そいつらが来たら終わりだぞ?」

 

 私は味方が傍受した通信内容について触れる。たかだか一個大隊に豪勢な話であった。確かに私も随分と派手にパフォーマンスしたが……流石にそれだけの数を差し向けられたのを知った時には引いた。ドン引きした。まともに考えて精々一個師団程度だと思ったのだが……。

 

「ある意味では幸いですよ。増援なんてものは数が多い程動きが遅くなるものです。ましてや要塞内部となると移動手段が限られているので尚更です。無理に動かしても大半は遊兵になりますし、戦闘に投入出来るとしても小部隊の逐次投入になるでしょう。却って好都合ですよ」

「そうは言うがな?それでも三個師団は三個師団だぞ?それに此方に直接来るとは限らないぞ?退路を断った上で後方から来る可能性もある」

 

 要塞の連中もプロの軍人だ。三個師団もいきなり動かして交通渋滞にならないなぞ楽観している筈もない。そして、フェルナー中佐がその程度の事に思い至っていないとも思えない。

 

「その時は諦めて下さい。流石に我々がプロの傭兵といっても物理法則は変えられませんよ」

「つまり打つ手無しと?」

「それは言い過ぎですね。果報は寝て待てという事ですよ。尻を蹴られて急かされても無理なものは無理ですからね。………ほら、焦らずに待った甲斐がありました。どうやら第一陣は落とせそうです。いや、正確には拾えそうというべきでしょうか?」

 

 フェルナー中佐が不敵な笑みを浮かべて戦況の変化を指摘する。私かそちらに視線を向ければその変化がはっきりと分かった。敵陣のバリケードの第一陣から帝国兵が撤収を始めていたのだ。

 

「あれは……」

「戦線の縮小ですね。流石に兵の質が違います。装備と練度で劣る臨時陸戦隊ではこれ以上第一陣の確保は無理と考えたようです」

 

 帝国兵は乱れ気味に第一陣から逃げ出していた。機関銃等の重い装備は持って行けずに、かといって爆破処理する余裕もないようでそのまま放棄していた。互いに後退支援する事もせずに我先に逃げ出している姿は彼らが所詮は艦艇要員であり陸戦部隊ではない事を証明していた。

 

「第一陣の放棄という事は持久戦の構えという事ですか。どうやら増援の到着はもう少しかかるようですね」

 

 ベアトは敵の動きから増援が来るまでまだ時間がかかる事を察する。増援が近いなら増援との連携した迫撃のために多少無理をしてでも第一陣を維持するだろう、迫撃の障害になりかねない。つまり、増援が直ぐ到着する見込みがなく、無理に死守すると戦線が崩壊すると考えているがために第一陣を仕方無く放棄した……と常識的には考えられた。無論、それが正しいかは断言出来ないが……。

 

「とは言え、進まない訳にもいかないか……」

 

 どの道背後から大軍が迫っている以上罠があるとしてもそれを恐れて立ち往生している暇は無かった。私は同盟軍と傭兵に、其々進軍を進言する。……因みに言えば命令する、でないのがポイントだ。肩書きはまだ参謀だからね、仕方無いね。

 

 私の進言は当然のように容れられた。そもそも私が進言するまでもなくその積もりだったようだ。友軍は第一陣を殆ど抵抗を受けずに占拠に成功した。

 

 尤も、それで終わりではない。実際は第一陣の占拠と同時に第二・三陣から多数の銃声が鳴り響き、第一陣に取り付いた友軍をそのまま釘付けにした。

 

「怯むな!!彼方も態勢は整っていない!このまま勢いに乗って突撃するぞ!!肉薄すれば敵も攻撃出来まい!!」

 

 フェルナー中佐が叫んだ。彼の狙いは後退する第一陣で立て籠っていた兵士達と乱戦に持ち込む事だった。未だ多くの敵兵が第二陣に駆け込んでいる最中だ。このまま彼らの中に突撃すれば第二・三陣の敵も迂闊な攻撃は出来ない筈だった。

 

 ……いや、外では平然と要塞主砲を撃ち込んでいたが流石に末端部隊まで、ましてや獅子帝様が率いる部隊がそんな事するとは思えないからな?

 

 フェルナー中佐の命令に応えて数名の傭兵達がグレネードランチャーから煙幕弾を発砲する。数回程、床を勢いよくバウンドした煙幕弾から次の瞬間には白煙が発生して、それは第二・三陣に控える敵兵の正確な射撃を妨害した。

 

 同時に残る傭兵達が近接戦闘用に銃剣を装備した小銃ないしショットガンを構えて後退する第一陣の帝国兵達に向けて突貫した。同盟軍もそれに続くように突撃すれば最前線は互いの黒目も見える距離での白兵戦にもつれ込む。そして、練度は臨時陸戦隊よりも同盟地上軍と傭兵達の方が遥かに高い。あっという間に味方は第二陣まで侵入を開始していた。

 

「凄いな。これ程あっさりと……」

 

 私は思わず感嘆の声を上げていた。これまでの膠着状態が嘘のように一気に戦局が動いていたのだから当然だ。成る程、果報は寝て待てとは良く言ったものだ。

 

「………」

「フェルナー中佐?」

 

 しかし、私とは打って変わってフェルナー中佐の方は却って神妙な顔つきに変わっていた。無言で何か訝しげな表情を浮かべる。

 

「……妙ですね」

「妙?」

「上手く行き過ぎています。ここまで用意周到に陣地を作っていたにしては抵抗が弱過ぎます」

 

 フェルナー中佐が訝しげな表情を浮かべる。となると……。

 

「罠、か?」

「だとしても此方は前に出るしかありません。それに買い被りの可能性は十分に有り得ます。しかし………まぁ、用心に越した事はありませんか」

 

 フェルナー中佐はそう言うと私に前に出ないように要望する。部下の傭兵を数名、護衛に宛てがうと彼自身は前に出る。

 

「若様はこの場でお待ち下さい。貴方に死なれては請求書の送り先が無くなりますからね。流石に貴方に死なれたとなると伯爵家は支払ってくれないでしょうから」

 

 フェルナー中佐は心底心配してそう伝える。尚、当然ながら心配しているのは私の命ではなく報酬の支払いである。

 

 ……まぁ、私が死んだら母はフェルナー中佐に給金の代わりに死を賜りそうだからなぁ。骨折り損のくたびれ儲けどころじゃない。門閥貴族相手の仕事はある意味ハイリスクハイリターンである。

 

(それにしても……妙、か)

 

 口元を押さえながら私は脳内でフェルナー中佐の言葉を反芻する。その言葉は今の私に深く突き刺さり不安を与えるものだった。ただの考えすぎ、と受け流す事は絶対に出来なかった。奴が率いているのだから当然の事だ。

 

(問題はそれが何か、何を狙っているのか、か……?)

 

 可能性は幾つでもある。一番定番のパターンは指揮官や後方を奇襲する事であるが……。

 

(確か金髪の孺子は少佐だったな。となると臨時陸戦隊の戦力は精々一〇〇〇名前後……それ以前の戦闘を含めて正面に展開している戦力がほぼ全戦力だろうな)

 

 別動隊があったとしても一〇〇名……いや、五〇名もいないだろう。しかも練度もそこまで高くはあるまい。前方の部隊を引き返させれば殲滅するのは容易だ。態態そんな兵を無駄死にさせる作戦を獅子帝様が立てるとは思えんが……。

 

 そこまで考えて何故か、理由もなく、私は一瞬それを、嫌な夢の記憶を思い出した。炎に包まれる部屋、私の目の前で息絶えた従士、そして此方に銃を向ける赤毛の……。

 

「っ……!!?」

 

 そこまで考えて、次の瞬間には私はその疑念に気付いた。そうだ、獅子帝の存在で頭が一杯になっていたが、『奴』の存在を忘れているじゃないか!?金髪の孺子がいるなら忘れてはいけないというのに……!!

 

 私は眼を見開いて顔を上げていた。同時にその視線は『奴』の、『奴』の周辺に、そして戦場全体に向かっていた。そして視線を必死に、激しく動かし、同時に私は祈っていた。『彼』がいる事を。

 

 ……しかし、もう遅かった。全ては手遅れだった。そして次の瞬間、私の視界は大きく揺れた。

 

 

 

 

 

 ……それに最初に気付いたのは同盟軍兵士の一人であった。バリケードの第一陣まで来て、前方で第二陣にまで進む味方を援護しようとした瞬間、兵士はそれに気付いたようだった。

 

 カチッ……。

 

「んっ……?」

 

 バリケードの影から小銃を撃つ兵士はその乾いた、スイッチを押したような音に気付く。それは偶然だった。激しい銃声が響く中、前方の戦闘に集中しているとその小さな音に気付くのは容易な事ではなかった。

 

 兵士が視線を音の方向に向ける。同時に兵士は眼を見開いた。  

 

 兵士の視線の先にあったのは携帯式のゼッフル粒子発生装置であった。それも時限式に粒子を放出させる仕様、それがバリケードの隙間に隠して埋め込まれるようにして嵌め込まれていた。

 

「糞ったれ!これでも食らえ!馬鈴薯野郎共!」

 

 傍らで味方が罵倒の声を上げる。そちらに振り向けば味方の兵士が大柄な対物ブラスターライフルを構えていた。恐らくは味方の進軍を妨害する第三陣のトーチカに設置された銃座、それを無力化しようとしているらしい。しかし、この状況ではそれは悪手だった。 

 

「おい、止めろ!ゼッフル……」

 

 慌てて兵士は味方に向けて叫ぶ。しかし、それは一歩遅かった。対物ブラスターライフルの引き金が引かれた次の瞬間、紅蓮の爆炎が彼らを包み込んでいた……。

 

 

 

 

「っ……!?」

 

 突然の爆発による衝撃と爆風、轟音が部屋全体を襲った。バリケードの第一陣が爆発して、炎が全てを包み込んでいた。

 

「若様、御無事でございますか……!?」

 

 一瞬の記憶の断絶……意識の覚醒、そして同時に私は自分が床に倒れている事、そのまま従士二人が私を守るように覆い被さっている事に気付いた。

 

「えっ……?あ、あぁ……テ、テレジア!?大丈夫かっ!?」

 

 私は呆けたような生返事をして、次いで額から一筋の血を流すテレジアに気付いて叫ぶ。

 

「ご心配ありません。少し破片か何かで切れただけのようです。深い傷ではありません」

 

 密着していたテレジアが起き上がりながら答える。豊かで柔らかい感触が私の胸元から離れたのを感じた。少しだけ寂しく思えた……って、いや待て。こんな状況で私は何考えてるんだろう?

 

「な、何が起きたんだ……?」

 

 私もまたキンキンと耳鳴りがして、少し目眩がする中で呟く。目の前の状況は悲惨だった。バリケードの第一陣は完全に燃えていた。炎の壁とでも言うべきか。爆発の衝撃で肉片となったり、身体を打った味方が散乱していた。全身が燃えて悶える人形の姿もあり、周囲が衣服等で叩いて必死に助けようとしていた。

 

「この爆発……恐らくはゼッフル粒子かと」

 

 フェルナー中佐が置き残した傭兵の一人が答える。つまり、バリケードの中に時限起動式のゼッフル粒子発生装置でも残されていたのだろう、という事だ。

 

「不味いです。前方の味方が孤立しています」

 

 別の傭兵が苦々しげに答える。我々は炎の壁で完全に分断されていた。一個大隊の戦力はその主力三分の二が壁の向こう側に、後方支援の残る三分の一が壁の此方側に各々孤立してきた。特に壁の彼方側は背後が炎によって遮られた事で完全に動揺していた。そこに帝国軍が反撃を始める。その先頭に立つのは黄金色の髪の美少年であった。

 

「糞が!!謀られた……!!」

 

 私はここまで全て金髪の孺子の作戦通りになっていた事に気付いた。同時に怒りに身を任せて、次の瞬間には

私は自身を起こそうとしていたベアトの手を振り払い、傍らに控えていた傭兵の一人の手首を掴んで大声で命令をしていた。

 

「一万ディナール出す!今すぐあの先頭を突っ走る忌々しい孺子を殺せ!!今すぐにだ……!!」

「……相手は同じ御貴族様ですが、宜しいので?」

 

 傭兵は豹変したような私の顔を見て僅かに驚き、次いで一瞬遥か彼方の金髪の孺子を一瞥してから尋ねる。門閥貴族達が互いを殺す事を余りしない事、ましてや同じ門閥貴族が敵対していたとしても下賤な者達の手にかかる事に不快感を持っている事を知っているのだろう、故の確認だった。

 

「構わん!そもそもあんな卑しい貧乏貴族を私と同じにするな……!!」

 

 私は声を荒げて叫ぶ。たかが三代しか歴史のない二等帝国騎士を私の実家と同列扱いされた事は不快で堪らなかった。

 

(待て、どうしてそんな事で不快になる……?)

 

 口に出してから私は自分で自分の言葉に疑問を抱く。しかし、直ぐにその事を忘れた。そんな下らない事を詮索する暇なぞなかった。

 

「……了解しました。ならば喜んで御依頼承りましょう!」

 

 傭兵は私の言葉に、正確には私が何故相手が貧乏貴族の生まれだと思ったのか訝るような表情を浮かべるが、直ぐに仕事人の顔付きに戻る。彼にとってはそんな事どうでも良かった。傭兵にとって大事なのは仕事内容と報酬のみであったからだ。

 

「全軍!敵は浮き足だっているぞ!今こそ反撃の時だ、私に続け!!」

 

 直後に響く声。私が忌々しげに視線を向ければ、金髪の孺子が先頭に立って前方で孤立した同盟軍に襲いかかり、その後ろから臨時陸戦隊が我先にと続く姿が目に映る。そこに躊躇する姿はなく、それは彼が既に兵士達の信頼を完全に得ていた事を意味していた。

 

「自分から大声を上げて突撃とは……まぁ、狙撃する側からすれば狙い易くて好都合ですが。ちょろいもんですよ」

 

 一万ディナールで雇用したロン毛の傭兵が狙撃銃を構え、猛禽のような表情で照準器を覗き見る。その言葉は何処か揶揄する言い方にも思えたがこの時点で私は興奮で頭に血が上っていて気づけなかった。私はその意識の全てが憎らしい下級貴族の孺子だけに向かっていた。

 

 傭兵が金髪の美少年の額に狙いをつける。彼方から隠れずに向かって来てくれるので、経験豊富な傭兵からすれば狙撃の狙いをつけるのは然程難しくはないようだった。とは言え、私からすればその動作は悠長にも思えた。

 

「まるで、か細い象牙細工みたいな顔付きですね?まるで女の子だ」

「詰まらない言葉を口にするな!いいからさっさと撃ち殺せ!早くしろ……!!」

「はいはい、了解です。……そう焦らないで下さいよ。今すぐ仕止めますから」

 

 私は傭兵に厳しい声でさっさと殺すように催促する。既に私は緊張と恐怖で心臓が弾けそうになっていた。直感が伝えていた。今すぐに奴を殺さなければならないと。

 

「さて、一万ディナールのためだ、悪く思わないで下さいよ何処かのお坊ちゃん?」

 

 ニヤリ、と傭兵は引き金に手を触れた。数秒後にはその引き金が引かれて撃ち出された弾丸は弧を描いて照準器に映る美少年の額に突き刺さるだろう。狙撃の腕に自信のある傭兵は自身の撃った弾が命中する事をこの時点で確信していた。それはただの自信ではなく事実だった。

 

「死ね、糞餓鬼!その綺麗な顔を吹っ飛ばしてやる!!」

「やれ!撃て!殺せ!殺せぇぇ!!」

 

 傭兵、そして命令した私のその言葉と同時に銃声が響き、弾丸は頭を吹き飛ばした。……傭兵の、であるが。

 

「………はっ?」

 

 すぐ真横で頭が吹き飛んだ傭兵の鮮血と脳漿が私の顔に飛び散った。生暖かな感触がした。どちゃりと床に倒れる顔面の陥没してミンチとなった傭兵。私は唖然とした表情でそれを見つめ、次いで銃声の響いた方向にゆっくりと顔を向けた。最悪の予想と共に。そして顔をひきつらせる。

 

「……はは、そう言えばお前さんはそういう設定だったか?」

 

 私は小さく呟いた。そう言えば狙撃の成績は幼年学校でも二位だったか?成る程、これは納得の腕前だ。

 

 考えれば余りにも当たり前の事であったのだ。私が金髪の小僧の存在で頭が一杯になり、視野狭窄になっていただけの事だ。金髪がいれば、当然奴がその傍らにいる筈だろうに。

 

 恐らくは一九〇センチメートル近くあるだろう。肩幅が広く、逞しく、それでいて絶妙なバランスをした凛々しくも同時に威圧感もある体格に、恐らくはそれを和らげる優しさを与える顔付き……しかし、今はその口元はきつく結ばれ、その目付きは鋭利な刃物のように鋭く、何よりも殺気を放ち、数十メートルの距離を挟んで私に向けて小銃を向けていた。

 

 そして、彼の背後からは動きから見て恐らく臨検や風紀粛正の憲兵を兼ねているのだろう、艦隊陸戦隊員がおおよそ一個小隊、要塞の換気溝や整備補修シャフトから躍り出て来る。私達同様に後方にいた兵士達を奇襲で次々と射殺していく。

 

「……つまり、ここまで全て掌の上だったという事か」

 

 さて、今更のように私は全てを理解する。バリケード自体が背後の伏兵から意識を逸らす囮に過ぎず、ゼッフル粒子ですらこの本命のための小道具でしかなかった訳か。まぁ、そりゃあ頭を叩くのは戦いの常道だけどよ……!!

 

「見覚えがあって嫌なシチュエーションだな……!!」

 

 青白い照明が赤く変わる中、腰元のハンドブラスターに手をやって私は苦笑いを浮かべた。はは、泣けてくるわ。もう全て投げ出して逃げたくなってきたよ。

 

 宇宙暦792年五月七日0430時、私は爆炎と黒煙が室内を包み込む中、背後の逃げ道を断たれた状態で赤毛の孺子と相対する事になったのだった。糞ったれめ……!!



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第百八十九話 まだ残機は残っているから……(後書きに考察的なもの有り)

「やれやれ、こんな道を使う事になるとはな……」

 

 イゼルローン要塞の一角にある用水路から這い出した重装甲服を着こんだワルター・フォン・シェーンコップ中佐はうんざりした口調でぼやく。数十万人に生活用水を提供する水道管の中を進むのは危険と隣り合わせであった。下手すれば水の流れに巻き込まれて何処に行くか分からない。最悪水道管の中で遭難して窒息死なんて事もあり得た。無酸素の宇宙空間でも運用出来、パワーアシストもある装甲服でも着ていなければ自殺行為そのものである。

 

「昔はもう少しが流れが緩やかでしたし、管の中一杯まで水が詰まっている訳でもなかったのですがね。同業者が横流し品や亡命希望者を水道管を使って流して軍港近くにまで輸送するなんて手を使っていたんですが……この分ですと発覚して対策されたようですね」

 

 後から軽装甲服を着た案内人……フェルナー中佐の副官でもあるヤーコプ・ハウプトマン大尉が片手に外した用水路の金網を持って、肩を竦めて自己弁護する。実際問題、要塞の警備システムを誤魔化してここまで移動する事の出来る手段はそう多くはなかったので仕方ない。

 

「ここは……見た事があるな。恐らくは食料生産施設、それも門閥貴族用のか」

 

 続いて用水路から現れた軽装甲服のファーレンハイト中佐が周囲の様子を見た後にそう呟いた。

 

 溜め池を兼ねた用水路から上がった彼らが見た光景は、到底宇宙要塞内部の光景としては似合わないものだった。

 

 要塞内部というよりかは地方惑星の荘園を彷彿とさせる。恐らくはドーム会場十個分はある空間、その天井には人工の照明設備があり、映像によって擬似的に作り出された青い空と白い雲が存在していた。

 

 足をつける床は人工物ではなく土だった。溜め池を兼ねた用水路の周囲にあったのは畑である。機械を殆ど使わず、手作業方式で生産される農作物が要塞内部に青々しく実っていた。その農作物もまた同盟やフェザーンで良くある遺伝子組み換え品種ではなく、あくまでも昔ながらの交配により作り出された品種ばかり。しかもどれもが高級品種ばかりだ。

 

 聞き耳を立てれば家畜のものであろう動物の鳴き声もする。恐らくはこれも同盟やフェザーンのシステマチックな生産工場ではなく、昔ながらの牧場を思わせる代物である事だろう。動物の鳴き声は明らかに伸び伸びとしたものであった。

 

「門閥貴族はオーガニック至上主義でしたかな?新鮮かつ天然物以外は舌が受け付けないとか言って、前線にこんなものを拵えるとは贅沢なものですな」

 

 のどかな田舎と言っても通用しそうな光景を見てシェーンコップ中佐は嘯いた。贅沢な事であるが、同時に監視設備もないこの手の貴族専用施設は忍び込むのに都合が良いのも事実だった。それに、この手の貴族用設備は大概要塞の外縁ブロックなぞではなく安全な中枢部ブロックに設けられている。それはつまり……。

 

「さて、時間が押していますから急ぎましょう」

「ここまで来たとなれば後戻りも難しいでしょうからな。後は突っ切るしかない訳ですな。……やれやれ、若様も無茶を仰るものです」

 

 ハウプトマン大尉の催促に不良士官が苦笑を漏らす。そして、背後を振り向き、手で合図を送る。

 

 溜め池から次々と現れる人影……重装甲服ないし軽装甲服を着こんだ兵士達。数は精々三十名かそこらか……。

 

 下水道を使って警備システムと帝国兵を誤魔化して、ファーレンハイト中佐とハウプトマン大尉が孤立していた第七八陸戦連隊戦闘団及び第五〇一独立陸戦旅団第二大隊を中核とした別動隊揚陸部隊の前衛と接触、有線ケーブルによる揚陸部隊本隊との通信を回復したのは三時間程前の事である。

 

 更にそこから通達された任務のために孤立部隊から選抜された彼らは、ファーレンハイト中佐、ハウプトマン大尉等イゼルローン要塞での勤務経験のある案内人に誘導される形で『目的地』へと向かう。

 

 全ては制限時間が過ぎて何もかもが消し飛ぶ前に確保しなければならなかった。同時にそれは余りに困難な任務でもあった。だが、だからといって投げ出す訳にはいかなかった。最悪彼らが失敗しても外の同盟軍の大艦隊が助かるための算段はついているが……内部に残された一五万に及ぶ味方が本国に帰還するためにはこの三十名の働きは欠かす事の出来ないものであり、その責任は重大なものであった。

 

 用水路から農園へと足を踏み入れ一人また一人と装甲服を着こんだ兵士達が案内人の後に続く。 「流石に水に濡れたままこの先を進むのは不味いですね、足下がびしょ濡れだと流石に怪しまれます。まずは身体を拭いて……待て、全員隠れろ……!」

 

 遠目に農園室のゲートが開いたのを確認したファーレンハイト中佐の命令に、後に続く半数が黄金色に実る小麦畑の中に潜むように隠れ、残る半数はそのまま用水路に身体を沈める。その後、数分程して現れたのは哨戒のために部屋へと足を踏み入れた数名の帝国兵であった。

 

「たくよ、まさかこんな散歩みたいな仕事を拝命することになるなんてよぅ。これじゃあ一生したっぱのままだぜ?糞、早く功績上げて出世したいぜ……」

 

 芝生と土の上を軍靴で踏みしめながら先頭の帝国兵が不満げに呟いた。それに続くように背後の他の帝国兵士が会話に乗っていく。

 

 

「はっ、お前なんか前線に出たってすぐにくたばるだけさ。そんなに専科学校落ちて兵士から任官したのがショックなのかよ?」

「当然だろうが。畜生……俺はな、本当は士官学校に行きたかったんだぞ!?それが何だ……したっぱ兵士なんて給料は安いし、訓練はきつい、しかも飯も不味いと来てやがる。……出た学校でスタートする階級が違うなんて不公平だと思わねぇか?」

「それはお前さんの頭が馬鹿なだけさ。偏差値や倍率見た時点で無理だって気付けよ間抜けめ。ただまぁ……お貴族様はみーんな少尉からだしなぁ。エアコン効いた部屋でお付きまでいらっしゃる。旨い飯に葡萄酒付きらしいしな。羨ましいものだよなぁ」

「ふぁぁ、にしても眠いな。反乱軍が攻めて来てるといってもこんな所まで来てる訳ないだろうによ。たく、さっさと終わらせて官舎に戻ろうぜ……?」

 

 欠伸をして、やる気のなさそうに雑談しながら農園をぶらぶらと歩くその姿を見ていると最前線のイゼルローン要塞に勤務しているようにも、そのイゼルローン要塞の外と中双方で激しい戦いが繰り広げられているとも到底思えない。尤も、それだけこの要塞が難攻不落という事なのかも知れないが……。

 

「……このまま通り過ぎるのを待ちまし……っ!?」

 

 ハウプトマン大尉が軽装甲服のヘルメットに備え付けれた無線機でそう連絡をしようとしたと同時だった。小麦畑から踊り出して来た影が次の瞬間帝国兵の警備二人を背後から襲い、彼らが振り向いた瞬間にナイフでその喉元を切り裂いて一撃で無力化していた。

 

「なっ……!?」

 

 驚いて振り向いた所で更に一名、首を綺麗に切り落とされて死亡する。ごろっと土の上に落ちて転がった頭部は驚愕の表情のまま固定されていた。

 

「ひいぃ……!?」

 

 残る一人が慌ててブラスターライフルを構えようとした瞬間、三人の帝国兵を殺害したナイフが投擲された。空を切り裂く音と共に突き進んだ刃は兵士の顔面に突き刺さり、その肉を引き裂き、頭蓋骨を貫通して脳細胞を損壊させた。間違いなく相手は即死していた。

 

「これは中々……」

 

 ファーレンハイト中佐は額に一筋の汗を流して、ひきつった表情を浮かべる。見事な手並みではあった。最小限の出血だけで敵兵四名は無力化されていた。しかしながらそのやり口は見ていて愉快なものではない。

 

「デメジエール少佐!勝手な行動は……!!」

「通り過ぎるのを待つなんて悠長な事で御座いませんか?時間がないのです。こうしている一秒一秒が黄金の如く貴重だと言うのならばとっとと始末をつけてしまった方が有意義に思いませんか?」

 

 勝手な行動に苦言を口にしようとしたハウプトマン大尉に機先を制して答えるエーデルハイト・フォン・デメジエール少佐。表面上は賑やかに、しかし冷たく貼りつけたような微笑みを浮かべる従士階級の女性……。

 

「それに、私も別に短絡的に仕止めた訳ではありませんよ?ほら、これは使えるとは思いませんか?」

 

 恐らく元よりそれを狙っていたのだろう、血液が付着していない軍服を倒れる死体から剥ぎ取る。態態飛び道具を使わなかった理由は銃声もあるだろうが、それだけで無いことを全員が理解した。そして携帯端末にIDカードをせしめ、無線機を拝借し、更にはナイフを構えてその人指し指と親指を……。

 

「……やはりご令嬢が包丁以外の刃物を持つ姿は頂けないな」

 

 ゴリッ、あるいはガリッという擬音と共に行われる目の前の少佐の蛮行に僅かに顔をしかめるシェーンコップ中佐。序でに言えば彼の妻の場合は包丁すら危ないので碌に持たせていない。致命的なまでに要領が悪く、手先が不器用なせいで料理中に指を切り落とすどころか事故死してしまいそうだからだ。

 

 デメジエール少佐は必要なものを頂くと下着だけとなった死体を小麦畑の中に放り捨てる。

 

「私は女ですから体に合いませんが……四名分、誰がお使いになりますか?」

 

 暫しの沈黙……次いで小さくため息をついたシェーンコップ中佐がヘルメットを脱ぐとファーレンハイト中佐に顔を向けた。

 

「此方の指揮の代行を頼めるかな?」

「構いませんが、宜しいので?」

「何なら俺達だけで片付けても良い位だぞ?何せ此方はこそこそせずに済むからな。辿り着くのは此方が早い。……リンツ!ブルームハルト!今すぐ着替えろ!ハウプトマン大尉、道案内頼めるな?俺とついてこい!残りはファーレンハイト中佐の指揮下に入れ!」

 

 部下二名を指名し、次いで道案内役を選ぶと残りにそう命じたシェーンコップ中佐。そしてそういうや早く彼もまた急いで重装甲服を脱着していく。

 

 帝国軍の出で立ちをした兵士四名がこの高級将校向け食料生産施設から出て来たのは0415時の事であった……。

 

 

 

 

 

 私はその時、本来ならば致命傷というべき失態を犯していた。

 

 一瞬の思考の停止、それは通常であれば取り返しのつかない失敗となり得た筈だった。目の前の赤毛の少年の狙撃の腕前を私は良く知っていた。

 

 幼年学校が幾ら門閥貴族のボンボンばかりが通う所であるとしても、全員が全員ではない。そういう輩は大概地方貴族か文官貴族の出身であり、武門貴族の子息は例外だ。彼らは入学前から相応に鍛えられているし、入学後も士官学校への進学を目指す者が多いため比較的自己研鑽を怠らない。

 

 そして獅子帝とて生まれながらにして無敵でもなければ用兵を知り尽くした存在な訳がない。原作における彼の個人技から戦略の構想まで、その土台は当然ながら幼年学校においての教育がその少なくない比率を占めていたのは想像に難しくないだろう。つまりは幼年学校の指導は士官学校程ではないにしてもそれだけ内容としても充実しており完成度が高く、真面目に受ければそれなりの実力はつく代物なのだ。

 

 逆説的に言えばそんな幼年学校で狙撃の席次が二位であった事は十分異常であるし、私の記憶に微かに残る原作の幾つかのシーンから見ても赤毛の孺子のその腕前は恐るべきものである。

 

 だからこそ、私がこの時撃ち殺されなかったのは、はっきり言って運が良かった。それに尽きる。

 

「糞っ!よくもやってくれたな……!!」

 

 フェルナー中佐が護衛に置いた二人の傭兵、そのうちで生き残っていた片方が小銃を発砲した。同僚が殺られた事への怒り、そして相手の実力を認識したために先制攻撃とばかりに引き金を引いて乱射する。

 

「っ……!!」

 

 次の瞬間に目の前の長身の少年は身を翻し、背を低め、一発ライフルの発砲音が響き渡った。同時に傭兵は小銃の引き金を引いたまま仰け反って倒れこんでいだ。その額からは一筋の赤い血が流れていた。

 

「若様……!!」

 

 その一瞬の間隙を縫ってベアトが私の手を引いた。すぐ後ろに続くテレジアが小銃を撃って赤毛の少年の動きを牽制する。数秒後には私は滑り込むように味方が要塞の建材で作ったバリケードの影に滑り込んでいた。

 

「っ……!?」

「テレジア……!?」

「だ、大丈夫です……!!あ、足を掠めただけです……!!」

 

 同じようにバリケードの影に潜り込んだ従士がそう答えるが、それはついさっき額の怪我について言及していた時の口調よりも遥かに苦しそうであった。実際、視線を彼女の左足に向ければ、そのズボンが脹ら脛の部分からみるみる内に赤い染みが広がっていた。

 

「それは掠めたってレベルじゃないな……!!ベアト、応急処置をしろ!」

「若様、しかし……!!」

「いいから早くしろ!加勢はその後で良い……!!」

 

 ベアトに命令しつつ、私はハンドブラスターを構えてバリケードの影から相手の姿を窺う。

 

 金属の擦れるような機械音を漏らす義眼をバリケードの影から覗かせ、その内蔵カメラを拡大モードに変更する。同じように物陰に移りこむ血のように赤い短髪……次の瞬間発砲の閃光に反応して私は顔を引っ込める。バリケードの端に命中した弾丸が火花を散らし、ひゅんひゅんと弾が空を切る音が耳元に響く。怖っ、スコープも無しにそんな正確に撃って来るのかよ……!?

 

「ちぃ、狙いが良いっ……!っ!?」

 

 そう舌打ちすると共に私は背後からの気配に気付いて勢い良く振り向く。同時にハンドブラスターを連射して背後に回り込もうとしていた敵の奇襲部隊の陸兵を射殺した。身体に数発のレーザーを食らい倒れこむ帝国兵。

 

「危ねぇな……!!」

 

 赤毛だけでも厄介というのに……!!

 

(さてさてこれは……正面で主力が戦い、その内に背後から奇襲か。はっ、獅子帝様はこれまた随分と副官様を信頼されている事だな)

 

 一個小隊……五十名にも満たない兵士で、後方の控えかつ混乱している相手を狙ったとはいえ、二〇〇名を超える敵に挑もうなどと二つ返事で出来るものではない。それを……これは不味いな。逃げ道も断たれたとなれば各個撃破されかねない。少数に包囲殲滅されるとか洒落にならねぇぞ……!?

 

「厄介な事になったな、これでは先の展開が分からなくなった……!!」

 

 元より私としては要塞主砲の送電ケーブルを確保出来れば最善、駄目ならばそれはそれで無理せず背後から援軍が来る前に撤収も視野に入れていたのだが……この状況では送電ケーブルの確保が困難であるだけでなく、引き上げすら無事に出来るか分からなかった。金髪の孺子も赤毛の側近もヤバいが、時間を浪費すればそこに帝国軍の大軍が御来店する事になる。そうなれば完全に詰みである。

 

「とは言え……!!」

 

 バリケード越しに相手の発砲に反応して私もハンドブラスターで撃ち返す。ちぃ、誰か加勢してこいよ……!!?

 

 苛立ちながらちらりと周囲を見ても、居るのは倒れた味方か、あるいは他の敵兵と銃撃戦をしている者ばかり……頼りに出来そうにはない。

 

(私一人くらい見逃して……はくれないだろうな)

 

 恐らくは見られていた傲慢不遜な門閥貴族ムーヴのせいで、私の首はプレミア付きである。軍功に貪欲なこの時期の金髪がそれを見逃すとは思えないし、そんな主君を狙撃しようとしていた時点で赤毛にロックオンされたと見て良い。私や従士だけでこっそり落ち延びるなぞまず不可能だろう。最悪だな。

 

「若様……!!」

「ベアトか。……テレジア、傷は?」

 

 応急処置を終えたベアトが火薬式の実弾小銃を手に参戦してくる。私は入れ替わるようにちらりと足の傷の止血をして、包帯を巻いたテレジアに呼び掛ける。

 

「ど、どうにか止血は……ですが流石に単独で歩くのは少し困難ではないかと……」

 

 若干言い淀みつつも、正確に自身の怪我について報告するテレジア。そうか、一人で歩くのは難しいか……。

 

(となると撤収するには肩を貸すしかないが……素直に逃がしては……くれないか)

 

 赤毛の射撃をバリケードを影にしつつ防ぎ、御返しに牽制の発砲をしつつ私は考える。となると腹を括るしかないな。

 

「ベアト、テレジア、ここで正面の敵を足止めしろ。無理に仕止める必要はない。……私はその内に物影から相手の死角に回る」

 

 危険はあるがそれしかあるまい。私も無理をする積もりはない。この数分の銃撃戦で赤毛の実力はある程度把握した。恐らくは仕止めるのは不可能だ。しかし、後退させる位は頑張れば出来ない事もない……筈だ。

 

「でしたら私が行きますが……」

 

 ベアトが死角に回る役を買って出ようとする。テレジアも不安げにそれに賛同する。彼女達も相手の実力が雑兵とは訳が違う事を理解しているようだった。

 

「いや、私が行こう。正面は頼む。……いや待て。テレジア、小銃だけ寄越してくれ」

 

 私は自身のハンドブラスターを彼女に押し付けて命令する。一つには相手が私がハンドブラスターを使っていると把握しているためその発砲が止めば怪しまれるからであり、今一つとしては負傷している従士にとっては反動のある火薬式の実弾銃よりもハンドブラスターの方が身体への負担がなく正確な射撃が出来ると踏んだためだ。

 

「若様、御無理はなされませぬよう」

「……当たり前だ。こんな場所で死にたくなんかない」

 

 テレジアと銃を交換して、その場から去る直前に心底不安げに、しかしそれに耐えるようにベアトが声をかける。私は一瞬目を細め、次いで苦笑しながら安心させるように彼女にそう答えた。

 

 尤も、この手の台詞はこれまで散々口にして来たし、同時のその舌の根が乾かぬ内にそれを反故にしてしまう結果を引き起こして事が何度もあったのだが……アレ?今私フラグ立てた?

 

 私が苦い表情を浮かべているとそれに気付いたベアトが僅かに困り顔になる。あ、うん……やっぱりそう思うよね?私の言葉なんて信用出来ないよね?

 

「いえ、そんな事は……いえ、確かに不安はあります。それでも………」

 

 そこまで呟いて、ベアトは私の目を見る。そして優しげに、小さく微笑んだ。

 

「それでも……信頼はしております。ですので、どうぞ武運をお祈り致しております」

 

 そこまで口したベアトの少し儚げで、しかし心から信頼している事が分かる表情に、私は一瞬呆けた。そして互いの視線を見やり……次の瞬間バリケードの端が飛び散る銃撃音に現実に引き戻されベアトは顔を振り戻して物影から応戦した。

 

「若様、お早く……!!」

 

 返礼の銃撃と共に圧し殺した声でベアトは私に催促する。その言葉に私は自身の役目を思い出して頷くと身体を低めながらバリケードの影からこの場からの移動を試みた。全く、空気の読めない射撃な事だ。

 

「……若様、お気をつけ下さいませ」

「あぁ。……テレジア。援護の方、頼むぞ?頼りにしている」

 

 テレジアの何処か居心地悪そうな見送りの言葉、その理由を何となく察しがついていた私は内心で苦笑いしつつも機嫌直しのためにそう声をかけた。

 

「……了解です」

 

 私の返答の意味に気付いているのだろう何処か不満を残しつつも、しかし仕方なさそうにそう応じてくれた。優しくて労りの心がある従士で本当に嬉しいよ。……何か自分が人間として更に下劣な存在になった気がするが気にしない事にする。

 

「……さて、行くか」

 

 そうして、私はそう呟いて気を引き締めると、小銃の弾倉を取り替えて、次いで未だにゼッフル粒子の爆発とそれによる火災と黒煙が広がる室内を煙と障害物を盾にして駆け出し始めた……。

 

 

 

 

「想定通り……いや、それ以上だな。どうやら陽動部隊は良く働いてくれたらしい」

 

 現在大きく分けて三隊に別れて作戦を遂行する要塞内部に取り残された同盟軍の内、最も重要な役割を担うジェニングス准将率いる三個師団は苛烈な、しかし想定よりも激しくはない帝国軍の迎撃を捩じ伏せてそこに辿り着いていた。

 

 第四予備中央通信室を完全に制圧した同盟軍はそこら中に散らばる敵味方の死体を片付ける。最早「物」扱いで運ばれていく肉の塊……それでも尚、広い室内のあちこちに血の跡が残り、室内の空気は生臭さが残っていた。

 

「現在時刻は?」

「0430時です。要塞内部の通信を傍受する限り、艦隊の前進は始まっているようです」

 

 ジェニングス准将の質問に通信室内のシステムの起動作業を行っていた特技士官の一人が答える。

 

 予備という名前がつく通り、第四予備中央通信室は要塞内部の主要な通信設備が使用不可能になった際に備えた部屋であり、通信機器の多くは停止状態で維持されていた。予備とは言え巨大要塞の中央通信室として活用する目的がある以上その規模は大きく施設も機材も潤沢であり、同時にその起動には大きなマンパワーを必要としており、今ジェニングス准将の目の前では二個小隊規模の特技兵達がコンソールと向き合い、あるいは床に穴を開けて足下の配線を弄くり回していた。

 

「他の部隊の動向は分かるか?」

「現状の通信内容から見るに恐らく真っ先に目標施設を確保したのは我々のようです。幸い、残る二隊が失敗したと思われる内容は未だ発見はされていませんが……」

 

 言い淀むように答える兵士。失敗はしていないにしろ、時間の余裕はなかった。既に艦隊の前進は始まっているのだから。 

 

「被害範囲と退避までにかかる時間を考えると……猶予は一時間もない、か。最悪、残り二隊の成否に関わらず通信回線を開く必要があるな」

 

 そして、その時には自分達は恐らく……元より要塞への揚陸は危険性が高く、帰れない事も覚悟していたが、まさか本当にこうなるとは……。

 

「司令……」

「嘆いても仕方あるまい。やれる事をやるとしよう。残存部隊に防衛線を作らせろ。何にせよ、時間を稼がねばなるまい。通信を開くまでこの部屋を維持し続けねばならん」

 

 ジェニングス准将はそう命じると、通信室内に設けられた椅子の一つに腰かける。そして、室内のスクリーンに目を向ける。

 

 そこに映るのはモスグリーン色の何万隻という艦艇が帝国軍の灰色でまばらな艦艇群を要塞前面に押しつけるように砲撃しながら前進し続けていた。

 

 艦艇同士の距離は狭い回廊を最大まで活用して空けられていた。その上で要塞駐留艦隊を砲撃と陣形で拘束して要塞に対して盾のようにしていた。それは帝国軍が味方撃ちの暴挙を行おうともその被害を最小化しようとしている意図が見てとれる。同時にその戦いぶりからは何としても要塞内に取り残された味方を救い、要塞を攻略しようという覚悟が見てとれた。しかし……。

 

「本来ならば喜ぶべきなのだろうが……。間に合うといいが……」

 

 腕時計の針を一瞥するとぎっ、と奥歯を噛み締めて、焦燥感を滲ませながらジェニングス准将はその報告を待ち続ける……。

 

 

 

 

 ジークフリード・キルヒアイスはその表情を険しくさせる。油断してきた訳ではない。相手の実力を軽視していた訳でもない。少なくとも彼は敵に対して、それが遥かに能力的に格下であったとしても慢心して手を抜くような性格ではなかった。

 

 強いて言えば、彼の手を鈍らせたのは幾つか重なった偶然と彼自身の性格と信条によってであった。

 

 親友でもあった主君の命に従い、伏兵として潜んでいた彼は重要な役割があった。室内に侵入した同盟軍の前衛と後衛をゼッフル粒子の爆発とそれによって生じた炎の壁が分断し、混乱した所を前衛では浮き足だった敵に反撃に出、後衛では奇襲を以て敵の指揮官達を掃討する。

 

 分断に奇襲、司令部への攻撃に各個撃破……一つ一つは戦術的には基本であり、殊更目新しさはない。しかしながらそれをどのような形で実践し、敵に悟らせず、実現させる事が出来るかは別問題だ。その点において主君の立てたこの作戦は大成功であると言えよう。

 

(とは言え、ラインハルト様も無茶を為される……余り危険な事はして頂きたくはないのですが)

 

 主君が明らかに囮になる形となる事、自身が主君の傍から離れなければならぬ事、更には反撃の際に兵達を奮い立たせるためとは言え自身の身を銃火に晒すという危険行為にはキルヒアイス中尉からすれば不安しかなかった。そして、実際後一歩遅ければ……。

 

「……恐らくはあれが指揮官、少なくとも幹部なのは間違いない。それにしてもまさか撃ち損じる事になるとは、見通しが甘かったか……」

 

 物影に身を伏せて手に持つ火薬銃の弾薬を装填しながら赤毛の少年は険しい表情で熟考する。

 

 油断はしてなかった。早撃ち、そして早撃ちしながらの狙撃をする技術を彼は一流と言っても良い程に身につけていた。主君を狙っていた狙撃兵を仕止めた後、そのままその傍らで指示を出していた亡命貴族の若者を射殺する事は不可能ではなかった。狙撃兵を射殺した時にあんぐりと口を開いて驚愕していた姿を見た時には成功を確信した程だ。後一秒時間があればキルヒアイス中尉は目的を達成していた筈だ。

 

 別の敵兵の反撃……それを無力化した時には目標は護衛の支援を受けて身を隠す寸前だった。急いで完全に身を隠す前に仕止めようとした時には護衛が発砲してそれを阻止されてしまった。仕方無く護衛から排除しようとしたのだが……。

 

「女性相手となると射撃が鈍りますか。反省が必要ですね……」

 

 同盟軍には帝国軍と違い女性の兵士の比率が遥かに高く、しかも帝国軍における数少ない女性軍人の殆どが後方勤務要員であり実質的には軍属に過ぎないのと違い、第一線の戦闘部隊にも当然のように配属されている事を彼は知識としては理解していた。しかし理解しているからといって実際に目の前で躊躇なく引き金を引けるかは別問題である。ましてや……。

 

(恐らくは純粋な軍人というよりは目標のお付きと見るべきか。それにしても、金髪ですか………)

 

 相手の射撃は素人ではなかったが、キルヒアイス中尉からしてみれば必ずしも敵ではなかった。幼年学校での狙撃の成績が次席であったのは伊達ではない。そんな彼が護衛を一発で仕留め損ねたのは相手が女性である事も大きな要因であったが、それ以上にある人物を思い出したためであった。

 

「アンネローゼ様……」

 

 金髪の女性、そして貴族の傍にいるという事実が彼の射撃の腕を一瞬だけ鈍らせた。恐らくは良く見れば似ても似つかぬ顔であるだろうが、それでもこの甘さのある赤毛の少年はその脳裏に一度敬愛する彼女の姿を見てしまえばどうしても迷いが生まれてしまうものだった。

 

「尤も、相手は此方に手加減してくれる訳ではないですが……!」

 

 此方の動きを止めるためであろう、ハンドブラスターが一瞬の隙も見せず間断なく発砲される。相手は此方に対して手加減する積もりは無さそうだ。ならば、此方も自身の命、そして親友の命も懸けている以上手加減するなぞ不可能であった。

 

「中尉殿……!!」

「相手の腕は悪くない。お前達には荷が重すぎる。ここは私が引き受けるから他を攻めるんだ!」

 

 奇襲部隊に所属する駆逐艦の憲兵がバリケードを盾にして手助けに来ようとするのをキルヒアイス中尉は拒絶する。風紀を取り締まり、反乱や犯罪を起こした兵士を制圧するために艦内に配備される憲兵達は艦艇の乗員達の中では比較的陸戦や白兵戦に優れている存在であるが、赤毛の副官はそれでも尚、彼らでは相手をするのは力不足である事を確信していた。そんな事で貴重な戦力を浪費するならば彼らには他の雑兵を掻き乱してくれた方が合理的であった。

 

「り、了解ですっ……!」

 

 憲兵の返答を殆ど受け流してキルヒアイス中尉は眼前の敵に集中する。物影からの攻撃、敵の装備は恐らくブラスターライフルが一丁にハンドブラスターが一丁……一方は太く、もう一方は細い青白い光線が相互に放たれる。火薬式に比べて連射性に劣る光学兵器の弱点をカバーしているのだろう。しかし……。

 

「………今!」

 

 文字通り顔のすぐ横を通り過ぎる光線にも怯まず、ただ一度、赤毛の少年は引き金を引いた。銃声が鳴り響くと共に金属の弾ける音が響くと同時に光線が止む。ブラスターライフルに比べてハンドブラスターは装弾数は少ない。故に相互に支えるにしても何時かは弾切れによって連携が崩れる。無論、それは一瞬の事であり、直ぐに予備のエネルギーパックがセットされるであろうが……その一瞬があれば彼にとっては十分だった。

 

 キルヒアイス中尉の放った弾丸は火力の高いブラスターライフルの銃口を直撃し、その銃身を炸裂させた。所詮は銃身なので飛び散る破片の数なぞたかが知れているし、それが人体にめり込んでも当たり所が悪くなければ致命傷にはなり得ないだろう。だが、火力を削りとっただけで十分であった。

 

(よし、このまま接近戦に持ち込めば……!!)

 

 エネルギーパックを装填する時間も、ましてや別の武器を手にする時間も与える積もりはなかった。腰元の手榴弾を掴む。これを投げつけて相手を怯ませて足止めすると同時に一気に物影から飛び出して躍りかかろうとする長身の少年……しかし、彼はその時、幸か不幸かその事実に気付いた。

 

 ……彼の視界の端、彼のいる場所からはバリケードが影になって見えるか見えないかの位置にまるで隠すように味方の死体があった事に。そして、それが先程言葉を交えた憲兵である事に。

 

「………!!?」

 

 次の瞬間、明確に殺気を感じ取ったキルヒアイス中尉は、その殺気を感じとった方向に慌てて振り向いていた。同時に反射的に手に持った火薬式小銃の銃口を向ける。

 

 刹那、物影から見えた人影……キルヒアイス中尉は直感的にそこに向けて銃口を合わせて引き金を引いた。相手の姿、それどころか軍服すら碌に確認してなかった行為は本来ならば味方を誤射する懸念もあったが……しかし、この場においては彼の第六感は最善かつ最良の選択を選んでいた。

 

「っ……!?」

 

 咄嗟に影は動揺しつつも、手に持った小銃を盾のように構えていた。カキン、と金属の弾けるような耳障りな金切り音が鳴り響く。それは人影の持つ小銃の銃身が弾丸でひび割れた音であったが、それだけではないようだった。

 

 だが、今はそんな事はどうでも良い。問題はここまで肉薄された事そのものだ。一撃では仕止められなかったが今一度引き金を引けば自動小銃から放たれる弾丸の雨は相手の息の根を今度こそ止めるだろう。

 

 しかし………。

 

「くっ……弾切れ!?このタイミングでか……!?」

 

 引き金を引いた赤毛の少年は、しかし数発の銃弾を吐き出しただけで小銃から鳴り響く銃声が途切れた事に目を見開く。

 

 だが、いつまでも驚いていられる時間の猶予はなかった。人影が物陰から飛び出して向かってきたからだ。

 

 銃弾を食らい機構が損傷した事で、最早使い物にならなくなった小銃を、しかしその銃身を持ち手にして鈍器のようにして襲いかかる敵。弾を装填する時間はなかった。キルヒアイス中尉は咄嗟に手に持つ銃を以て振り下ろされる鈍器の一撃を受け止める。ミシリ、と銃身から擬音が響く。銃身が歪んだ事は明らかだった。少年の持つ銃もこれで使い物にならなくなった。

 

「……!!」

「……!!」

 

 ほぼ同時に二人は使い物にならない小銃を捨てていた。そしてキルヒアイス中尉はハンドブラスターを引き抜き発砲する。しかし、射撃の名手たる彼の近距離からの銃撃は相手の命を奪いきる事はなかった。相手が引き抜いた炭素クリスタル製のナイフの一振りを避けなければならなかったからだ。

 

「くっ……!?」

 

 寸前で避けた少年であるが、完全には避けきれなかった。軍服の右腕から滲み出る血潮。決して深くはないが浅くもない切り傷を少年は右腕に受けた。慌てて後方に跳んで距離を取る。

 

 尤も、相手も近距離からのハンドブラスターの一撃を受けて無傷とはいかなかったらしい。寧ろ、ある意味では余計悲惨であった。ブラスターの光は凪ぎ払うように相手の右耳をその根元から切り裂き、切断したからだ。頬も少し焼いたかも知れない。敵の足下に落ちる耳にポタポタと落ちて赤い斑点を作り出す血……。

 

「ぐっ……この、畜生がっ……!!?」

 

 それは憎悪に似た感情が含まれていると容易に分かる声だった。キルヒアイス中尉はその声に釣られるように視線を相手の顔に向ける。

 

 敵は左手で長身のナイフを持って、右耳の傷口から流れる大量の血を右手で押さえながら、肩で切らしたように息をしていた。

 

 顔立ちは悪くない。少し女性的であるが人並み以上に整った顔立ちをしかし有らん限りの敵意と憎しみに歪ませ、同時に痛みに涙を浮かべつつも殺意を込めた視線で少年を射ぬいていた。それは赤毛の少年の警戒感を強めるに十分であったが同時に困惑を僅かに抱かせた。

 

 ヴォルター・フォン・ティルピッツ同盟宇宙軍准将、亡命貴族の若い青年将官は、明らかに疲労困憊の状態で、それでも全身全霊を以て英雄の雛鳥、その正面に立ち向かっていたのだった。

 

 それが到底勝ち目のない、絶望的な戦いであったと理解しても………。




・原作及び各媒体の描写から見るリッテンハイム侯爵家考察

 本作においてはリッテンハイム侯爵家は武門貴族として設定しております。理由としては原作中においてリッテンハイム侯爵がリップシュタット貴族連合軍の司令官として軍事の専門家を任命しようとした事が第一に挙げられます。恐らくはリッテンハイム侯爵家が貴族系軍人関係者が多く、それ故の提案ではないかと思われます。でなければ副盟主の地位に甘んじるとは思えません。実戦でのキャスティングボードを取れる自信があった可能性があります。

 仮説を補強するように藤崎版ではオフレッサー家がリッテンハイム系列の家と設定されています。ノイエ版でもミュッケンベルガーを引き入れようとしたオフレッサーをブラウンシュヴァイク公爵が釘を刺してますが、直後にリッテンハイム侯爵がオフレッサーを擁護しています。

 尚、その後のキフォイザー会戦は辺境の奪還が目的でした。恐らく地方に支持基盤があったのでしょう。本作においては武門貴族の領地は元々治安の悪い星系=旧銀河連邦の辺境域としているという設定にしており、それとも合致します。

 また劇場版アスターテ会戦もリッテンハイム侯爵家が武門貴族の証拠として挙げられます。ラインハルトから有力な提督を外して扱いにくい提督を押し込んだのはブラウンシュヴァイク公爵とされています。つまりはアスターテ会戦の敗北を願っていた以上、配属された提督勢は非ブラウンシュヴァイク系列の提督連中だった可能性が高いです。恐らくはシュターデンはリッテンハイム系列です。アルテナ会戦後レンテンベルグ要塞に逃げ込んだのは同じリッテンハイム系列のオフレッサーが守備していたのも一因と思います。血の気の多い筈のフレーゲル男爵が(藤崎版描写から見る限り多数の若手貴族が参加したと思われる)アルテナ会戦で前線にいなかったのもここが理由でしょう。アルテナ組は実質リッテンハイム派若手貴族連合軍だった可能性が高いです。

 逆にブラウンシュヴァイク公爵家はほぼ間違いなく武門系ではないと思われます。武門系であれば態態中立を望んでいたメルカッツを指揮官に器用しません。子飼いの提督がいたはずです。傘下にフェルナー、シューマッハ等の平民士官が目立つのも、恐らくは有力な下級貴族系士官の大半がリッテンハイム側だったからかもしれません。第四次ティアマト会戦ではフレーゲル男爵はミュッケンベルガーに釘を刺すようなマウントを取ってました。宇宙艦隊司令長官相手のあの態度は到底武門系の貴族とは思えません。逆に劇中の台詞からミュッケンベルガーもフレーゲル男爵を軍人の心得がある者として見てなかった節があります。

 以上の描写から見て、恐らくリッテンハイム侯爵家は武門貴族です。逆にブラウンシュヴァイク公爵家は恐らくは文官貴族の出の可能性が高いです。ブラウンシュヴァイク派は謀略の描写が多いことから警察ないし社会秩序維持局等とのパイプがあった可能性もあり得ます。


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第百九十話 Q.ノイエ赤毛の声優はゴブスレと同じ+ゴブスレとニンスレの親和性=?

A.今はただ門閥貴族殺すべし、慈悲はない!


 数百メートルに及ぶ流体金属層と四重装甲で構成された外壁、それらを除いても本体だけで直径六〇キロを超えるイゼルローン要塞の中枢部にあるのが要塞の消費する全電力を賄う動力炉である。

 

 より正確に言えば要塞各所に万一の事態に備えた予備動力炉が複数あるし、大容量バッテリー等の予備電源が多数あるが、それでもそれら全てを動員しても要塞の全電力消費は賄い切れないものであった。直径だけで一キロを優に超える巨大な核融合炉とその制御装置、そのエネルギー消費量から動力炉より直に電力を送電されている要塞管理AI、そして動力炉から伸び要塞各所に電力を送りこむ大量の送電ケーブル……それはある意味で要塞防衛司令部以上の重要区画であると言えた。文字通りここを制圧すれば要塞の生殺与奪は思いのままと言えよう。

 

 無論、それは帝国軍もまた理解している。理解しているが故にその警備体制は厳重である。マニュアル上では、だが。

 

「まさかここまで簡単に辿りつけるとは、正直驚きました」

「実際問題、難攻不落の要塞だからな。本来ならばここまで侵入された時点で要塞は陥落したも同然だ。ともなれば規則上は兎も角、実際に警備する人間からしてみれば手抜きをするのもある意味当然なのかも知れないが……」

 

 無駄に駄々っ広く、しかも壁には豪華な金の壁紙が貼られ、天井には天空画が描かれ、名匠が刻んだ彫刻が柱を兼ねる。そんな豪勢で華美な中枢部の動力炉に続く廊下……そこを進む四名の兵士の内、ライナー・ブルームハルトとカスパー・リンツが小さく呟く。前者は呆気に取られたように、周囲を警戒するように周囲を見渡す。

 

「余り物珍しそうに見ないで下さい。怪しまれますよ?」

 

 小さくハウプトマン大尉が指摘する。実際、初めて見る者であればその豪華絢爛さに呆気にとられるであろう廊下を、しかしそこを行き交う兵士や士官達は最早見慣れた様子であった。

 

「とは言え、多少メイクや変装をしたとは言え、碌にIDカードの顔すら見比べなかったのは仰天ではあるな。まぁ、こんな奥まで来た反乱軍なぞこれまでいなかったろうからな」

 

 シェーンコップ中佐は指摘する。中枢区画に入る入口でIDカードの確認やその他のチェックがあったのだが……これが拍子抜けする程簡単な応対であった。要塞内外で熾烈な戦闘が繰り広げられているにもかかわらず、この中枢部ではそんな事がないかのようであった。

 

 責任者たる大尉に至っては詰所から出て来ずに部下に全部任せてワイングラス片手にフライングボールの試合をテレビで見ていたし、部下達の対応も余りに適当過ぎた。恐らく責任者はコネで安全部署に配属された貴族であろう、部下の兵士達も恐らく似たようなものだ。あるいは精鋭であってもぬるま湯に浸かって堕落したのかも知れない。最悪強行突破も想定していたのである意味幸いではあるが……。

 

「とは言え、後二つのセキュリティチェックを同じように突破出来るとは限りません。そうなれば今度こそ……」

 

 ハウプトマン大尉は緊張した面持ちを浮かべる。流石に残り二つのセキュリティが同じようにザルであると思うのは希望的観測であろう。

 

「抜け道組も上手くいくか分からんしな。動力炉内の警備の規模は確か二個小隊程だったか?」

「状況が状況ですから、幾らか追加されている可能性もあります。それに整備員やオペレーターもいますし、当然無人防衛システムも稼働している事でしょう。流石に動力炉内で派手な攻撃は出来ないでしょうが……」

「成る程……それは素晴らしい情報だ」 

 

 シェーンコップ中佐はハウプトマン大尉の言葉に皮肉げに返答しつつ、シニカルな笑みを浮かべる。目の前には第二のゲートがあった。そして、警備する兵士達の出で立ちを一目見て、今回は簡単には行かなそうだと直感で彼は理解した。

 

「さてさて、上手く誤魔化せたら幸いですが、それが駄目ならば……」

 

 そこまで宣ってから肩に下げたブラスターライフルの位置を微妙に変えるシェーンコップ中佐。それは咄嗟に直ぐにブラスターライフルを構えられるようにした工夫であった。同行する部下二人もそれに応えるように気を引き締め、周囲にそれと分からぬように戦闘態勢を執る。

 

(さてさて鬼が出るか蛇が出るか、ですかな?我らの雇用主は毎度毎度人使いが荒い事ですな)

 

 内心でそうぼやき、しかし同時に彼はこれまでの経験則から半ば確信していた。こういう緊迫した時には、大概雇用主も同じ位の、あるいはそれ以上の面倒事に巻き込まれているだろうという事に……。

 

 

 

 

「はぁはぁ……まさか奇襲を察知されるとはな……!!」

 

 左手で山刀を構え、一方で切断された右耳の傷を義手で押さえながら私は小さく呟いた。畜生が、毎度毎度私の耳は耐久性が低すぎるだろうが……!!

 

 ベアト達に正面の牽制を任せて裏手に回ったのはよかった。途中数名程敵兵と遭遇したが所詮は憲兵や臨検の二線級の陸戦隊員である。気取られずに仕止めるのは難しくはなかった。しかし……本命を仕止める寸前に察知されるとはたまげたなぁ!

 

(背後から一撃で射殺……は無理でもせめて負傷位させたかったがな。まさか正面からタイマンする事になるなんて聞いてねぇぞ?)

 

 私はひきつった笑みを浮かべながら内心でぼやく。多分ひきつり過ぎて酷い笑顔だっただろう。ははは、というか何で遠征軍総司令部の参謀がこんな所で白兵戦しているんだろうな?糞がっ!!

 

「………」

「………」

 

 喧騒と銃声が鳴り響く中、私は目の前の赤毛の少年と睨み合いを続ける。互いに微動だにせず牽制し合い、隙を探る。

 

 その相対はほんの数秒の事であったかも知れないし、何分も続いていたかも知れない。唯一つ言える事はそれは永遠に続くものではなかった事だ。

 

 先に動いたのは小細工の準備を整えた私であった。室内の何処ぞで爆発の音が響いたと同時に、リーチの長い山刀を左手に持って私は駆け出していた。

 

 本来ならばハンドブラスターを装備する相手に対して刃物での近接格闘戦は自殺行為ではある。だが、相手がハンドブラスターを持つ右手が負傷して照準を定めにくい事、距離が離れているといっても五メートルも離れていない至近距離である事、何よりも……!

 

「これでも食らえ……!」

 

 相手がハンドブラスターを構えた瞬間私は出血していた右耳を押さえていた右手を払った。瞬時に赤毛の孺子に向けて飛び散るのは真っ赤な液体であった。

 

 傷口を押さえながら、しかし同時に右手の掌に血液を溜めていた私はそれを目潰しに活用した。溜めた血液は赤毛の孺子の顔面目掛けて飛び散り、その視界を塞ぐ。より正確には血液から眼球を守るために相手は反射的に瞼を閉じざるを得ない。

 

「っ……!?」

 

 左手で目を守り、次いで半目を開いたまま赤毛の孺子は右手の切り傷から走る痛みに耐えて発砲していた。しかし、そんな状態での発砲が当たる訳……痛てぇ!?

 

「ぐうっ……マジかよ!?」

 

 右肩に感じる鈍い痛み……貫通、はしてないな。レーザーが肩の肉を何ミリか削っただけか……!!恐らくは頭部を狙って逸れたか。というかさっきの耳といいこいつ毎回一撃で殺す積もりでいるとか容赦ねぇな……!?

 

「ちぃ……!舐めるなよっ!!?」

 

 然程激しい訳でもなかったので私は痛みに耐えて更に前進する。その判断に赤毛の坊やは僅かに動揺して動きが鈍る。そりゃあ私だって撃たれても怯まず突っ込んで来る奴なんて気持ち悪くてビビるからな、気持ちは分かるよ!!

 

 肉薄すると同時に狙うは今度こそ負傷して動きの鈍い右腕である。文字通り目の前まで迫り山刀を振り下ろす。空を切り裂く鋭い音と共に刃が右腕に迫り……!!

 

「やらせん……!!」

 

 赤毛の孺子は冷静に、かつ一瞬で最適な判断と行動をして見せた。跳び跳ねるように一歩下がる。山刀は空しく何もない空間を通り過ぎるだけであった。そして同時に赤毛様は発砲する。首元狙いの一発……しかしマフラーを貫通したが首には当たらなかった。

 

 一因としては赤毛様の発砲と前後して私が右腕をもごうとして振り下ろした山刀がハンドブラスターに当たり、その銃身を切断すると共に射線を逸らしたからだ。あるいはマフラー自体のお陰で首元の輪郭を把握しきれなかったか。布地の焼け焦げる臭いを一瞬鼻腔に感じたが、それに何時までも気にしている時間は私も赤毛にもなかった。

 

「ちぃ……!!」

 

 瞬間、仕止められなかったのを理解した赤毛の孺子は距離を取るために後方にバク転しながら、序でとばかりに腰元から手斧を投擲してきた。やっべ、心臓狙ってやがる。

 

「毎度毎度致命傷になる所ばかり狙うなよ……!?」

 

 咄嗟に私は右腕を盾にしてその投擲された手斧を受け止めた。ざっくりと良い音を響かせて右腕に突き刺さる手斧。一瞬よろけたが直ぐに私は目の前の敵に意識を集中させる。

 

 一方、赤毛の英雄様は剣呑かつ、鋭い視線で此方を射抜く。そこには明確な警戒心が宿っていた。……不味いな。今のでせめて右腕は奪いたかったのだがな……!!

 

「その右腕、生身のものではありませんね?最初、振り向いた私の銃撃の際にも銃だけでなく右腕も盾代わりにしていました。そして今は深々と手斧が刺さっていても顔色一つ変えない。生身ならあり得ない事です」

「………」

 

 私は英雄の雛鳥様の質問に無言で返す。いちいち教えてやる必要は感じなかったし、何よりもこの会話自体此方の気を逸らすフェイクの可能性もあった。こちとら白兵戦の技量で格下なのは理解しているんだよ、集中力切れたらどうなるか分からんのにお喋りに付き合えるか……!!

 

「それに油断した積もりはありませんが、傲慢な評価だったようです。公正に動きを観察する限り、私よりも白兵戦の技量は落ちると思ったのですが……どうやら格上の技量の敵を相手にした戦闘に随分と慣れている御様子ですね」

 

 そりゃあ、実家の装甲擲弾兵は基本として、チュンやリューネブルク伯爵、不良士官殿、何なら薔薇の騎士にもフルボッコにされれば格上相手の生存術位は多少は身に付くだろうさ(勝てるとはいっていない)。

 

(とは言え、これは随分と酷いな。ほぼ一方的にダメージ受けてるじゃねぇか)

 

 というか、右手が義手でなければ普通に死んでいた。不味いな。あわよくば身体の一部位は持っていこうなんて欲かいたが……これでは当初の目標の逃げる隙すら作れそうにない。甘く見ていた訳じゃないんだがな……!!

 

「………」

 

 一瞬、周囲を気付かれないように観察する。周囲では未だに混乱が続いていた。完全に乱戦状態に入っているな。この混乱の収拾だけで相当時間がかかるだろう。送電ケーブルの確保は諦めるとしても逃げ切れるかと言えば………。

 

(此方は駄目だな。まぁ、残る二組が其々の目標を達成してくれる事を祈るしかない、か)

 

 再度、私は無言で正面の赤毛様を見つめる。赤毛の少年は腰から同じく長い山刀を引き抜いていた。

 

「無言ですか。非礼……と責める訳にはいきませんね。常識的な判断です」

 

 私の対応をそう評し、そして構えの姿勢を取る。

 

「カメラ越しに御名前は御聞きしました。本来ならば此方も名乗りを上げるべきでしょうが……そちらが面前で名乗られないのでしたら此方もそれに甘えましょう。私としても余り目立ちたくはありません」

 

 そりゃあ、亡命したとは言え門閥貴族……それも大貴族を殺したとなれば、しかもそれがたかが平民ともなれば宮廷がどんなアクションを取るか分からないものな?もう少し昇進してからなら兎も角、今の赤毛の孺子からすれば下手に波風を立てたくは無かろう。もしかしたら私の首もご主人の功績にする積もりなのかも知れない。

 

「……そんなに目立ちたくないなら、見逃してくれても良いんだぞ?」

 

 私は殆ど期待せずにそう宣う。それは別に一縷の望みに期待を込めた訳ではない。バリケードの瓦礫から匍匐前進しながら赤毛の孺子の背中を狙うベアトの姿があったからだ。無駄口を利いて集中力を途切れさせるのは危険であるが、陽動としてならば幾らでも口を利いてやる積もりだ。

 

「いえ、残念ながらそれは御断り致します。どうやらあの方は貴方の存在を実験として使いたいようですから。それに………」

 

 そこでいきなり赤毛の少年は後方に何かを投げた。それは安全ピンを抜いた手榴弾であった。その方向はベアトが匍匐前進している方向で………。

 

「ベアトっ……!!?」

 

 悲鳴に似た叫び声を上げていた。同時に殆ど反射的に私は山刀を投擲した。爆発の直前投擲した山刀で軌道が逸れた手榴弾はベアトの真上ではなくそこから少し離れた場所で爆発した。無論、手榴弾の破片の被害範囲は最低でも一〇メートルはあろう。伏せているから殆ど被害はない筈だが……!!

 

「って人の事気にする余裕はないかっ……!!」

 

 次の瞬間には、私はトップアスリートの全速疾走を思わせる素早さで私に肉薄する長身の少年を文字通り目の前に視認していた。

 

「私の第六感が告げています。貴方はあの方にとって障害になるかも知れない。その前に貴方には消えてもらいます」

「五月蝿い、頭禿げろ……!!」

 

 私は山刀の突きを身体を捻ると共に相手の突きだした腕を受け流してその一撃から身を守る。刹那、視界に見える影。それが赤毛の孺子が足を振り上げて顔面を蹴りあげようとしている事実に気付く。反射的に両腕で顔面を守る。ぐおっ……!?義手の方を前に出したのにこの衝撃と痛みとは……!!?

 

「うおっ……!?」

 

 両腕で顔面を守ったために視界が狭くなった所に斜め様に山刀の刃が迫る。それに気付けたのは刃が空を切る音のお蔭だった。

 

「ちぃ……!!」

 

 私は咄嗟に義手の手で刃を掴んで受け止めた。

 

(義手なので簡単には壊れないとは思っているがこれは……!!)

 

 炭素クリスタルの刃の一撃を受け止めたと同時に私の義手からは数本の指が零れ落ちていた。刃を受け止めた時に関節部分が削れて切断されたのだろう。痛みを感じないのは幸いであったが指が切断される感覚は不愉快だった。

 

「だがな………!!」

 

 私は義手のリミッターを解除する。同時に炭素クリスタル製の山刀からはミシッ、と、ひしゃげるような音が響く。このままスクラップにしてやんよ……!!

 

「なっ……、させん……!!」

 

 次の瞬間、山刀を引っ張るように全力で引き抜く赤毛。っておい!!?

 

「てめぇ、無理矢理引き抜くから中指切れ落ちただろうが……!!」

 

 義手のだけど。

 

「はあぁぁ!!」

 

 私の罵倒なぞ気にする事はなく、刃零れした山刀を下から掬い上げるように振るう赤毛。その一撃を首を上げる事で回避するが。

 

(あ、少し削れた!)

 

 防寒と首元の保護のために巻いていた贈り物のマフラー、その端が少し切り落とされた。ちぃ!想定はしていたが後々に面倒な言い訳が必要になったな、糞が!!

 

(それはそうと、武器はないのか……!?)

 

 残念ながら手持ちの武器を使い尽くした私は赤毛の斬撃を寸前で回避しながら武器を探す。くっ……!?斬撃を避けるのもギリギリなのにその上武器探しはキツい……!!

 

「はぁぁ!!」

「ぐおっ!?」

 

 山刀を手裏剣のように投げつける赤毛。武器探しにも意識を向けていたがために咄嗟の行為に私の反応は一瞬遅れ……痛だぁぁぁぁ!!?

 

「ぐっ……てめぇ、よくも左耳を……!!?」

 

 左耳からの大出血に顔を歪ませ、左手で傷口を押さえる私であった。糞ったれが!!

 

「今のを避けますか…!?」

 

 一方、赤毛様の方が致命傷をギリギリ避けた私の行為に驚愕する。

 

(けどな、驚愕するならせめて一瞬でも身体の動き止めようぜ!?驚き顔で次の攻撃を……うごごごっ!!?)

 

 同じように武器が尽きたのだろう、しかし赤毛様は次の瞬間私のマフラーの端を掴んで見せる。そしてそのままマフラーを引っ張り、私を引き摺り出す。そして……。

 

「ぐ、ぐび…し…めか……!?」

 

 片手を私の首に回しこみ、また一方の手を持ってマフラーを締め付けるように伸ばす。やべ、苦しい苦し……いぃぃぃ……!!??

 

「おげっ……おっ……げほっ……ぉ……!!??」

 

 じたばたと暴れ、首元に手を伸ばして気道を確保し、必死に呼吸しようとするが、噎せるように咳をするしか出来なかった。まるで陸にありながら水の中にいるような窒息状態に陥る私。あるいは地上に上がった魚だろうか?

 

「余り苦しめて殺すのは好みではありませんが……貴方が思いの外手強いので仕方ありません」

 

 残虐性はないが冷たく底冷えする声が耳元で響いた。しかし、その意味も次第に私には殆ど理解出来なくなっていた。ただただ私の脳は酸素を求めていた。目元から涙が流れ、口からは涎が流れ、おまけのように両耳からも血がだらだら流れてマフラーを汚していた。そしてゆっくりと、しかし確実に私の意識は混濁し、暗転していき………。

 

「若様……!!」

 

 次の瞬間、衝撃と共に私は喉の締め付けから解放された。咄嗟に振り向く私。

 

「げほっ…けほっ……テ、テレ…ジア……か!!?」

 

 涙目になり、咳き込みながらも私は彼女の名前を叫ぶ。

 

 恐らく足の痛みに耐えて背後から突撃したのだろう。殆ど馬乗りになりながらテレジアは必死の形相で赤毛と取っ組み合いを演じる。とは言え、相手が悪過ぎる。直ぐに二人の取っ組み合いの戦況は、テレジアの劣勢に転じていく。

 

「い、今助けるぞ……!」

 

 私は瞬時に周囲を見渡し、そこで漸く私は気が付いた。そうだ、良く考えたら義手に手斧が捩じ込んでいる事に。

 

「こりゃあ、間抜けだな……!!」

 

 自虐しつつ私は義手に突き刺さった手斧を引き抜いた。そしてそれを持って従士の助太刀に向かう。

 

「くっ……やらせん!」

 

 赤毛様は私の動きに気付いてテレジアの相手は無意味と判断したらしい。馬乗りになる彼女の腹に肘の一撃を叩きつける。突如急所を狙った一撃に咳き込み仰け反るテレジア。そこに更に背後のバリケードに突っ込むように蹴り飛ばす。

 

「うっ……けほ…けほ……わ、わか…様…に、にげて…くだ…さ……い……!」

 

 小さく、噎せながら紡がれるか細い声。彼女が白い何かを吐き出すのが見えた。恐らくは胃液だった。元より足を怪我している彼女である。ここから再度参戦しようにも動きは鈍く、直ぐに対処されるだろう。実質もう戦力外と言えた。

 

 赤毛様は此方に気付くと同じように誰かが落としたのだろう、床に放置されていた銃剣付きの小銃を拾う。但し、銃身の機構はイカれているらしく銃弾の装填も発砲も出来ないようだった。ザマァ見ろ……!!

 

「って言える状況でもないな……!!」

 

 手斧と銃剣付き小銃のリーチの差は圧倒的だ。懐に入れたら良いが、相手が相手となるとな……!!

 

(そうは言っても逃げられないしなぁ……)

 

 私はひきつった笑みを浮かべる。痛みや緊張、恐怖で手斧を持つ手が震えていた。一方、赤毛様はと言えば……はは、凄い集中力に精神力だ。碌に震えてもいねぇ。完全に身体をコントロールしてやがる。

 

「ちぃ、来やがった……!!」

 

 私がこの場をどう切り抜けようかと考えていると、直後そんな時間を与えぬとばかりに赤毛の孺子は動いた。

 

 銃剣の付いた小銃を槍のように構えての突貫。銃弾は撃てなくても、銃剣は使える。手斧しか武器らしき武器のない私はそれを待ち受けるしか選択肢はなかった。

 

(どう来る?突きか!?振り払いか!?糞っ!糞っ!どちらにしろ初撃を切り抜けて懐に入るしかねぇ……!!)

 

 着剣された銃剣はリーチは長いがそれを活かすとなれば当然懐が疎かにならざるを得ない。手斧で対抗するには一撃を避け切って懐に潜り込むか、あるいはそのまま投擲するかしかなかった。そして、投擲程度で目の前の男をどうにか出来るかと言えば……。

 

「ぐっ……!?」

 

 赤毛様の銃剣に集中していたのが仇となった。次の瞬間、私は頭部に激しい痛みを感じて仰け反った。視界の半分……正確には言えば義眼の方の視界が乱れた。これは……!!?

 

(瓦礫か……!?)

 

 直ぐに私は何をされたのかを理解した。足元の瓦礫だ。赤毛の孺子め、駆け出すと共にバリケードの破片等の瓦礫を全力で蹴りあげたのだ。鍛え抜かれた肉体に長い足、疾走による勢い、それらによって凄まじい速さで弾き飛ばされた瓦礫片は私の視界を潰すように衝突したのだ。痛っ……恐らく眉間が切れて頭蓋骨に少し罅が入った。生の眼球ではなく義眼の方が潰れたのはこの場合幸いか不幸か分からない。

 

 生の眼球の方を潰されていれば痛みはこの比にはならなかっただろうが、赤毛様の事である。機械仕掛けの義眼の存在に気付いてそちらの方が厄介と考えて敢えて狙った可能性すらあった。どちらにしろ、視界の半分を潰されて、痛みと脳震盪に仰け反る私に回避の余裕はなかった。

 

 私が姿勢を崩した所を狙い済ましたように鋭く、そして素早く突き出される銃剣。それは私の胸元を狙っていた。ちぃ、避けにくい所を狙ってきたな、容赦がない……!!

 

 最早避けるのや受け流すのは無理だった。私は、身構えて刺突を受け止める体勢を取ろうとする。せめて義手で受け止めれば簡単には引き抜けない……筈だ。

 

(その間に義手をパージして手斧を手に接近を……あ、駄目だこれ。作戦読まれてる)

 

 此方が身構えたのを待っていたかのように突如突き刺しではなく、切り捨てるように銃剣の刃の軌道は変わる。良く考えれば義手で受け止めるのは既に一度やったからね、対策されていても仕方ないね!

 

「まず……」

 

 恐らく脇腹から内臓を切り裂き、動脈も切断しようとしていると思われた銃剣の軌道……それに対処する時間なぞなくて……。

 

「させません……!!」

 

 直後、聞き覚えのある声と共に発砲音が響いた。同時に赤毛様の手にした小銃から火花が散ってへし折れた。視線を移せば火薬式拳銃を手にしたベアトの姿。手榴弾の破片がめり込んだせいであろう、肩や腕から痛々しい血が流れていた。

 

 しかし、私には彼女の無事を喜ぶ事も、その怪我を心配する事も、ましてや謝意を伝える事も出来なかった。彼女の背後から見えた黄金色の髪を前にすれば……。

 

「っ……!!?ベアト!後ろだっ!!」

「っ……!?きゃっ!?」

 

 私の警告に痛みに耐えながら振り向き拳銃を乱射したベアトは、しかし直後の発砲音によって彼女の拳銃が弾けて、右腕と左肩をレーザーの青白い光が貫いた事で床に倒れこむ事になった。幸いなのは彼女の命まで奪われなかった事であるが、それはベアトの実力のお蔭でなければ幸運でもなく、ただ氷青色に輝く鋭い瞳の影が彼女なぞよりも正に親友と相対している私の排除に全神経を集中させているがために過ぎなかった。そして、私もまた他人の心配が出来る余裕なぞ一ミリもなかった。

 

「ちぃぃぃ……!!?」

 

 刹那にベアトに起きた事と迫り来る脅威を確認した私は視線を戻した。外す時間なぞないのだろう、へし折られた小銃の筒先を掴みロングダガーのように銃剣を持った赤毛の孺子が私に向けてその刃を刺突させようとしていた。狙うは心臓か!!ちぃ、死ぬ気はないが、これでは帳尻が合わないからな……!!

 

「せめてそいつは貰うぞ……!!」

 

 身体を捻り、私は心臓を守る。直後左胸に鋭い痛みが走った。ごえっ!?これは心臓と大動脈は逸れたが恐らく……!!?

 

「な、舐めるな餓鬼があぁぁぁぁ!!」

 

 一秒後、喉奥から込み上げた血液を吐き出しながら、私は罵倒の声と共に手斧を振り下ろす。手斧は赤毛の孺子の右腕に食い込み、肉を押し潰し、そして骨に達して……!!

 

「キルヒアイスっ……!!」

「はっ……!?がっ!!?」

 

 乾坤一擲の反撃が成功した事に血を吐きながらも口元を吊り上げて歓喜する私は、次の瞬間妖精のように美しく、しかし同時に驚愕と敵意に満ちた叫び声に現実に引き戻される。そして、視界の端に見えた光景と、鈍い閃光と銃声に既にボロボロとなって殆ど使い物にならない義手を急所の手前に構えた。

 

 次の瞬間には押し倒されるような衝撃と、弾けるような音が響き、視界全体に砕け散り四散する機械の部品と鉄片を確認した。

 

 そして、その一秒後には私は床に叩きつけられ、その視界はゆっくりと暗転しつつあった……。

 

  

 それは油断と驕りの結果であったとラインハルト・フォン・ミューゼルは思い返す。窮鼠猫を噛むというが、あるいは自分は戦士、あるいは軍人ではなく狩人の気分になっていたのかも知れない。どのような敵であれ、作戦を考える脳はあるし、ましてや無抵抗でいてくれる訳でもないのだから。

 

 作戦は全体で見れば完全に成功していた。敵を引き付け、突出させ、そこをゼッフル粒子による爆発と業火の壁で分断する。分断して、動揺させた所を主力が前面で反撃に出て、後方からは奇襲部隊が敵の中枢部を狙う。その目論見は九割方成功していた。

 

 彼が赤毛の親友に最も危険な任務を受け持たせたのは合理的理由と信頼の双方の面からだった。明らかに白兵戦能力は部隊内でも最高峰に近く、彼に対するラインハルトの信頼もまた比類する者はいなかった。彼自身が主力を統率し指揮する必要があった以上、最も危険かつ作戦の正否を決める奇襲部隊の指揮官に親友を任命するのは余りに順当な選択であったのだ。

 

 しかし、ラインハルトはそれを今完全に後悔していた。目の前で正に苦戦し、命懸けの戦いを演じる友の姿を見れば……。

 

「キルヒアイス……!!待っていろ!今向かう!!」

 

 正面の敵部隊は壊走しつつあった。後は部下達に任せたとしても、少なくとも敗北はしないだろう。故にラインハルトは臨時陸戦隊の指揮を委譲したと同時に一人駆けた。

 

 未だ銃声が鳴り響く最前線を抜け、同盟軍兵士達を無視すると軍服を盾に炎の壁を飛び越えて苦戦する友の元へと一直線に突き進んだ。途中数名の敵兵が行く手を塞ぐのを即座に撃破して、彼は我武者羅に、息を切らしながら全速力で疾走する。  

 

 貴族としても、軍人としても、いや唯人であってすら余りに無謀過ぎる所業……それを理解していない訳ではない。それでもラインハルト・フォン・ミューゼルがそれを実行したのは赤毛の友が文字通り彼の半身であったためだ。母は幼くして失い、父は精神的に廃人となり、姉は奪い去られた彼にとって赤毛の少年まで失うのは到底許容出来るものではなかった。だからこそ彼は友を全力で救い出そうとする。

 

 ……しかし、人生において努力が結果に結びつくのはある種の幸福であった。そして、幸運の女神に溺愛される彼であっても、その笑顔と恩恵が常に得られる訳ではなかった。

 

 友は後一歩のところで目標を仕留めるのに失敗した。砕かれる小銃。刹那、少年は友の輝かしい軍功を邪魔した不届き者を無力化した。止めを刺さなかったのは慈悲ではない。第一に邪魔者に興味がなかった事、第二にそんな事に意識を割く暇はなかったからだ。

 

 目標の亡命貴族と友が刺し違えた瞬間を彼は見た。目標のその胸元に銃剣が突き刺さる。同時にカウンターのように降り下げられる手斧が友の右腕を切り捨てた。目を大きく見開き、ラインハルトは高い声で絶叫した。

 

「キルヒアイスっ………!!!??」

 

 刹那に驚愕と絶望、次いで怒りの感情が彼の精神を満たした。殆ど反射的に構えられた小銃。乾いた発砲音……それは友の右腕を奪った男を確実に殺すために急所を確実に狙ったものであった。だが……。

 

「何だとっ!?」

 

 ラインハルトは僅かに目を見開いた。急所を狙った銃撃は咄嗟にそれを守るようにして出された右腕に命中し、それを粉砕した。同時にここに来て、初めてラインハルトは下手人の右腕が機械である事を知った。

 

 相手の貴族が押し倒されたように倒れる。同様に赤毛の少年もまた右腕を押さえながら瓦礫が散乱する床へと伏した。ラインハルトはこの時点で既に下手人の事なぞ殆ど思考の外へ押しやっていた。唯々倒れ伏す友の元へと駆け寄る。

 

「キルヒアイス!!」

「ラ、ラインハルト様……?な、何故ここに……?」

 

 床に倒れ、息を切らし、額に汗を大量に流して苦悶の表情を浮かべながら友は尋ねる。

 

「お前が危ない事になっているからに決まっているだろうっ!ふっ、全く仕方無い奴だな。大丈夫だ、今応急処置を……っ!?」

 

 若干気丈を装い、緊迫した状況を和らげるためかおどけるようにしてラインハルトはそう嘯く。そして急いで携帯する応急処置セットを取り出し、友の傷口を止血しようとして……彼は息を呑んだ。

 

 それは切り傷と表現するには余りに重傷過ぎた。当然であろう。その腕は手斧の刃が良く無かったせいであろう、前腕の半ばで乱暴に切断されていた。だらだらと流れる赤い血が切断口から零れて小さな溜まりを作り上げていた。思わず手元の小銃を床に落とし、茫然とした表情で硬直する金髪の美少年……しかし彼は直ぐに己が為すべき事を理解していた。

 

「……!!待っていろ!今止血を行う!」

 

 激情に心を震わせて、しかしそれらを全て噛み殺し、押し殺してラインハルトは迅速に応急処置を始めた。麻酔と鎮痛剤を打ってから腕を締め上げ、冷却スプレーで一時的に血を止めれば消毒と培養フィルムで傷口を覆い、その上にガーゼと包帯を巻く。それだけの事に集中する彼は周囲の事に気付かない。そう、直ぐ近くを銃弾が通り過ぎても、傍らで倒れる下手人がゆっくりと引き摺られるように離れていっても……。

 

「ライン…ハルト……様、危険です……頭を伏せて下さい……!」

「興奮するな、キルヒアイス。安静にしろ。そうすれば処置もすぐに終わる」

 

 自身が重傷を負っても尚、キルヒアイスは息絶え絶えに主君を慮り、ラインハルトはそんな友に優しく語りかける。そして僅か五分の内にそれらの作業を全うすると、無線機越しに部下達に担架と手術の準備を命じる。その言い様は何処か高圧的で、しかし同時に悲痛な感情も滲み出ていた。

 

 無線を切ると、彼は切断された友の右腕を拾う。そして保存用のビニール袋にそれを詰め込み、友の顔を見やる。友は荒い息に汗を垂れ流し、耐えるように目を閉じていた。表情は相当量の血の気を失い青ざめていた。しかし、幸いにもラインハルトの必死な、そして的確な処置の甲斐もあり一命をとりとめる事は出来そうだった。

 

 こうして友のために為すべき事を全て為した少年は天を見上げ小さく溜息をつき………。

 

「……貴様ら。まさか、このまま見逃すとでも思ったか?」

 

 底冷えするような殺気を纏った氷青色の瞳を細めて、ラインハルトはこの場から逃げ出そうとする鼠を冷え冷えとした、同時に煮え滾るような怒りを滲ませた声で尋ねた。

 

「ひっ!?うぐっ……!!?」

 

 足を撃ち抜かれていたがために這いながらでしか動けなかったノルドグレーン大尉は主君の軍服を引き摺ってゆっくりと、静かに、気付かれる事なくこの場から撤収を模索していたがその狙いは儚くも砕け散った。四つん這いの姿勢で主君を逃がしていた彼女は腰から勢いよく蹴り上げられて、僅かに宙を浮いたと思えば床に叩き付けられて咳込みながら呻き声をあげる。その姿は実に惨めで哀れだった。

 

 しかし、ラインハルトにとってはそんな事はどうでも良い事だった。咳込む女を興味も関心もなく、ただただ無感動に一瞥すると、次いでは床に倒れたままの、胸元に生えるように銃剣が突き刺さった隻眼に片腕の貴族の男を見下ろす。

 

「……貴様だけに全ての責任がある訳では無い事は承知しているさ。戦争だから殺し殺されはお互い様だ。俺の驕りと判断ミスも原因だろうし、貴様とて俺達のために死んでやる義理も無かろうさ。それは理解している」

 

 ぼやけた片目で、複雑な感情を含んだ視線を向けて自身を見上げる亡命貴族に対してラインハルトはそう答える。……同時に、その突き刺さる銃剣を全力で踏み抜いた。

 

「がっ!?あが、ばっ……!?」

 

 部屋に木霊するように小さく上がる悲鳴。左肺に突き刺さっていた銃剣は、そのまま金髪の少年によって肺を貫通して人体を貫いていた。倒れる貴族の男は口から赤黒い血を嘔吐して、それは自身の顔や衣服、マフラーを赤く染め上げた。痛みかそれとも恐怖か、ぼとぼとと涙を垂れ流し何とも言えぬ視線をラインハルトに向ける。そんな亡命貴族に対してラインハルトは先の言葉を紡いだ。

 

「だが同時に、ここで貴様を見逃してやる義理はない。ましてや敵である以上、この煮えたぎる怒りのぶつける相手とした所で何も糾弾される謂れはない。違うか?」

 

 それは別に返答を望んでいる訳ではなかっただろう。唯の自己弁護であった。唯の八つ当たり……それはラインハルト自身も良く良く理解していた。しかし、同時に未だ一五歳にも満たない少年にとってその筆舌し難い怒りを我慢しろというのも酷過ぎる話であった。寧ろ今正に腰元からハンドブラスターを引き抜き、相手の頭を狙おうとしているさまは相手を必要以上にいたぶる積もりはない事を意味していた。それだけでも多くの嗜虐的で傲慢で、残虐な門閥貴族の青年達よりも遥かに健全であったと言えよう。

 

 無論、いくら取り繕うとも殺される側からすれば団栗の背比べに過ぎないのかも知れないが……。

 

「まぁ、そういう事だ。悪いが俺は貴様を許す事は出来ん。大人しく……何の積もりだ?」

 

 ラインハルトが不愉快そうな視線でそう尋ねたのは半死半生の男の盾になるように先程蹴り飛ばした女性が横合いから覆いかぶさったからだった。荒い息に肩を上下に揺らして、自身の牽制するように殺意のこもった視線で少年を見つめる。いや、睨み付ける。

 

 その健気で忠義深い姿に、しかしラインハルトは称賛よりも先に鼻白んだ。同時に同情に近い感情が含まれた言葉が発せられる。

 

「……覚悟と忠誠心は認めてやるが、だからと言って見逃しなぞせんぞ?直接の仇でもない、そこを退けば捕虜として扱ってやる。尤も、退かないならば双方共容赦は出来ないが?」

 

 そう警告するが、帰って来た返事は無かった。唯憎々し気な、敵意に満ちた女の視線が帰って来たのみだ。それも、唯人であれば思わず縮こまるかも知れないが多くの修羅場をくぐり抜けた金髪の少年からすれば微風のようなものに過ぎなかった。

 

 女性を直接殺害するのは然程気が進まないが相手も軍人であれば覚悟もしているし、容赦も出来ない。故に淡々とラインハルトはそのハンドブラスターの引き金に触れる。

 

「出来れば給金の支払いがまだなのでお止め下さらないでしょうかね?お坊ちゃん?」

 

 背後から響く声。ゆっくりとラインハルトは振り向いた。そこにいたのは飄々な表情で此方を見つめる男の姿。その出で立ちは恐らく傭兵だった。ハンドブラスターの銃口を向けてにこやかな笑みを見せる。良く見れば周囲には同じく傭兵であろう兵士達が小銃やブラスターライフルを向けながら険しい顔で彼を睨みつけていた。少し離れた場所ではラインハルトが無力化した女軍人が傭兵達に肩を貸されてその場から退避させられていた。

 

「……残念だがそこに倒れている貴族は兎も角、私は坊っちゃんと呼ばれる程の家柄ではない。人質には使えんぞ?」

 

 ラインハルトは不敵な笑みをフェルナー中佐達に返した。この時点ですでにラインハルトはフェルナー中佐の名を知らずともその思惑は読み切っていた。

 

「……証拠があるんですかね?それだけの整ったお顔立ちとなると何処ぞのお坊ちゃんとみられても不思議ではないと思いますが?」

「残念ながら事実だ。所詮三代の歴史しかない二等級の帝国騎士なぞ人質にした所で笑われるのがオチだぞ?」

 

 フェルナー中佐の探りを即座に否定するラインハルト。尤も、それは半分本当であるが半分は嘘である。確かに身分としては二等帝国騎士の孺子なぞ人質の価値なぞない。だが……それが時の皇帝の寵愛を受ける寵姫、グリューネワルト伯爵夫人の弟としてであればどうか?

 

 それはラインハルトの名誉、そして姉の名誉のためにも絶対にあってはならない事であった。故にラインハルトは考える。自身の秘密を知らせず、この場を手負いの友を守りながらどう切り抜けるのかを。同時にフェルナー中佐もまた床に倒れ伏す財布代わりの貴族をどう救出してこの場を逃げるかを全力で考える。しかし……どうやらタイムリミットはオーバーしてしまったらしかった。

 

「っ……!!?これはこれは、少し困りましたねぇ?」

 

 苦々しさを誤魔化すようにフェルナー中佐は小さく呟いた。どうやら彼らにとって招かれざる客が到着してしまったらしい。

 

 侵入してきたのは多数の帝国兵であった。その装備と動きから見るに臨時陸戦隊とは違う。明らかな陸戦の専門部隊である。要塞防衛司令部の送り込んで来た三個師団の増援、その先遣部隊であるのは明白だった。そして先遣部隊だけでもその戦力はこの場の同盟軍残存部隊を遥かに優越していた。銃口を構えてフェルナー中佐達傭兵に、生き残りの同盟軍兵士を威嚇する。所謂降伏勧告であった。

 

「諦めるが良い。お前達の負けだ。こんな所で無駄死にしたいのか?」

 

 ラインハルトは淡々と事実を口にするようにフェルナー中佐に伝える。それはラインハルトなりの慈悲でもあった。

 

「いえいえいえ、ゲームの終了とはなりませんよ?チェックメイトどころかチェックですら有りません。このゲームの勝敗、まだまだ分かりませんよ?」

「ふん、負け惜しみだな。ならばここで雇用主ごと朽ち果てるが良い」

 

 傭兵の戯言を冷淡にそう斬捨てて、ラインハルトは視線を戻す。相変わらず死にかけの大貴族の男を守るように抱きしめる女性軍人。その姿を内心で僅かに称賛しつつも、その怒りを忘れる事ないラインハルトはその引き金を引いていき………次の瞬間、大音量でその放送が要塞の全ての場所で通達された。

 

『イゼルローン要塞防衛司令部臨時司令官シュトックハウゼン中将より要塞内部の銀河帝国軍、及び自由惑星同盟軍を自称する武装集団の全将兵に対して通達する!フェザーン戦時条約、及び両軍現地司令部間で妥結された協約に基づき、この放送が行われた五月七日0550時より、全ての戦闘行為をただちに停止せよ!繰り返す!ただちに全ての戦闘行為を停止せよ………!!』

 

「……なに?」

 

 突如もたらされた要塞の最高司令部からの余りに意外過ぎる通達に、ラインハルト・フォン・ミューゼル少佐はこの日一番の驚愕と衝撃を受けていた。

 

 

 

 

 宇宙暦791年五月七日0550時、銀河帝国軍と自由惑星同盟軍双方の現地司令官はその指揮下の全部隊に対して即座の戦闘行為の停止命令を勧告した。通算五度目となり、多くの血が流れ、過去のそれとも比較しても凄惨さを極めた要塞攻防戦は、誰もが予想だにしない最終局面を迎えつつあった………。




今章は後二話位で終了予定


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第百九十二話 仕事中は嫌いな人相手でも礼儀を守ろう

よくよく考えれば階級が釣り合わなそうなのでシュトックハウゼン少将を中将に変更しました

……夏熱過ぎるなりぃ、仕事したくないなりぃ働きたくないなりぃ


 第五次イゼルローン要塞攻防戦、その結果を説明するためにはその過程と経緯の説明が必要不可欠であった。故に暫し、時は遡る必要がある。

 

 ……要塞の外壁近くの通路で何処ぞの退廃的で傲慢な亡命貴族の放蕩息子が大量の護衛と共に要塞主砲の電源ケーブルに向けて進んでいた頃の事である。客観的に見て、それよりも遥かに危険で苛烈な任務を押し付けられた者達は、現在進行形で一秒が生死を分ける危険の中に身を置いていた。

 

「ゲートが閉じるぞ!走れ!走れ走れ!早くしろ……!!」

 

 銃声と怒声が豪華絢爛に装飾された廊下に鳴り響いた。必死の形相で駆け出すカスパー・リンツは強奪した二丁のサブマシンガンを乱射しながら今正に閉じようと下ろされるゲートに突撃していた。ゲートの周囲の帝国兵達は装備するブラスターライフルで迎撃を試みるが、碌に銃撃をする事すら出来ず姿を現した瞬間に射殺されてしまう。

 

「ちぃ、ドローンか……!!」

 

 リンツは舌打ちする。次の瞬間、正に降りようとしているゲートの向こう側から大通路に現れ、門番の如く立ち塞がったのは四足歩行型の蜘蛛型ドローンだった。光学カメラが侵入者を探知して、装備する機関銃の照準を合わせる。

 

「不味いですよ!?この通路には殆ど障害物なんて……!!」

「言われなくても分かっている!いいから走れ!私が何とかする。……やってやるさ!!」

 

 ブルームハルトが悲鳴に近い叫び声を上げる一方で、リンツは緊張しつつも鋭い口調で後輩の動揺を嗜め、そして覚悟を決める。

 

「うおおおぉぉぉぉ!!」

 

 避ける素振りも隠れる素振りもなく、端正で上品な顔立ちに似合わぬ獰猛な声を上げながら両手のサブマシンガンの引き金を引きながら突貫するリンツ。正面のドローンの光学カメラや射撃センサーを狙って放たれた鉛弾の雨霰は、リンツ自身の腕もあり半ば目的を達する。

 

「くっ……舐めるな!!!」

 

 左肩に衝撃。恐らくは肉と骨を少し持っていかれただろう。フレンドリーファイア防止のためにカメラとセンサーが破壊されたドローンに搭載された殺傷兵器にはロックがかけられる。しかし、ロックをかけられる寸前に撃たれた銃弾の一発は見事リンツの肩に傷を負わせたのである。

 

 尤も、それはリンツも覚悟しての突撃であった。寧ろ無謀な反撃で挽き肉になる可能性も考慮していた身からすれば肩の骨と肉が何十グラムか吹き飛んだ程度、可愛いものだった。

 

 同時に行動不能になるドローンに接近したリンツは、そのままドローンに掴みかかると、雄叫びを上げてそれを押し出した。

 

 数百キロの重量はあろうかというドローンに対して無謀かつ一見意味不明にも思われた行動は、実際押し出せた距離も精々五、六〇センチメートルに過ぎなかった。しかしながら、リンツにとってはそれで十分であり、同時に彼の狙いは非常に合理的だった。

 

 次の瞬間、閉じようとしていたゲートはそれを阻止される。ゲートに鉄の塊とも言うべきドローンが挟み込まれたからだ。ミシミシミシ、と金属が軋む音と共にゲートはドローンを押し潰していくが、尚も床とゲートの底には一メートル近い空間が確保されていた。

 

「でかしたぞリンツ!さぁ、ブルームハルト、ハウプトマン大尉は先に行け!」

「だ、大隊長は……」

「お前さんに心配される程のものではないさ。さっさと行け!!」

 

 ブルームハルト准尉の言葉にシェーンコップ中佐はそう言い返すと踵を返し、殿となって背後から追って来る帝国軍の軽装陸戦隊……その先頭を走る数名を即座に射殺してその足を止める。その間に残るメンバーが閉じようとするゲートの隙間に身を潜らせる。

 

 ゲートの重みで嫌な音と共に潰れていくドローンが手足をジタバタとさせて、まるで動物のように抵抗する姿を横目にブルームハルト准尉はゲートの向こう側まで潜り抜けた。そして、そこから先は要塞の本当の意味での中枢部……巨大な球状の核融合炉とその上方に鎮座する要塞の中枢コンピューターが彼の視界に広がった。

 

「ブルームハルト!ぼやぼやするな!さっさと進め!!」

 

 ブルームハルト准尉の後を追うようにゲートの隙間から現れたリンツが弾切れになったサブマシンガンを捨てて肩に吊るしていたブラスターライフルを構えながら叫ぶ。叫びながらブルームハルトの横を通り抜けて要塞中枢部の核融合炉とコンピュータの制御室へと走り抜ける。ハウプトマン大尉もそれに続く。

 

「しかし、まだ大隊長が……!!」

「私を呼んだかな、ブルームハルト?」

 

 まだ来ない大隊長の事を心配するように口にする若い部下に対して、シェーンコップ中佐はからかうように語りかけながらゲートの隙間から現れる。

 

「大隊長、御無事でしたか……!!」

「まだ娘の学生姿も見てないからな、こんな所で死ねんよ。さてさて……!!」

 

 そのまま先行するリンツ達を追うように要塞中枢部の制御室に向かうシェーンコップ達……ふと、不良騎士は一度振り向くと腰の手榴弾を滑らせるようにゲートの隙間に投げ込んだ。数秒後悲鳴と共に弾ける音が響く。

 

「これは駄目押しだ……!!」

 

 次いでもう一度手榴弾を流すように投げつける不良騎士。直後ゲートの隙間から現れた数名の兵士はその蛮勇の代価を支払う事となった。

 

「ほら行くぞ、ブルームハルト。これで少しは追っ手を足止め出来るだろう。後ろから撃たれる心配をしなくて済む」

 

 シェーンコップ中佐は淡々とブルームハルトにそういって彼を連れて再度目的の場所へと走る。恐らくゲートの彼方側にはまだまだ敵兵がいるであろうが、目の前で起きたばかりの惨状を思えばゲートを潜り抜けるのに二の足を踏む事になるだろう。そんなに長くは持たないだろうが……それでも貴重な時間である事は間違いない。

 

 百メートル程進むと動力炉のすぐ手前……より正確に言えば何重にも装甲で囲われた球体の核融合炉を囲むように広がる足場では先行していたリンツとハウプトマン大尉がこの文字通りの要塞中枢を守る最後の警備部隊と戦闘を繰り広げていた。宇宙暦8世紀には似つかわしくないコリント式のギリシア柱が幾つも伸びて天井を支える空間で、双方はその柱を陰に銃撃戦を行う。

 

「どうだ、調子の程は……!?」

 

 シェーンコップ中佐とブルームハルト准尉が銃撃戦に参戦する。ブラスターライフルを撃ちながら大隊長はリンツに飄々とした口調で尋ねる。

 

「最悪よりかは幾分マシと思うべき、と言った所でしょうか?思ったよりは敵の数は少ないですし練度も然程高くはありません。ですが……!!」

 

 重機関銃の金切り音が鳴り響くとリンツは身を伏せて粉々に砕け散っていく柱の瓦礫から身を守る。

 

 見たところ一個小隊程だろうか?帝国宇宙軍の軽装陸戦隊は銃弾を使い尽くすような勢いで銃撃を続ける。

 

 恐らくは相手も自分達の練度が低い事を理解している事だろう。逆に言えばここまで突入してきた敵が相当な強者である事も理解している筈だ。故に無謀な戦いはせず物陰から間断ない射撃を繰り返し相手に反撃の隙を封じ続ける事に専念しているようであった。このまま援軍が来るまでのタイムリミット狙いといった所らしい。

 

 しかし……重機関銃を中核とした頑強な抵抗は次の瞬間永遠に封じられる。直上から空を切る音と共に光条が飛んで来たと思えば重機関銃が放たれる簡易陣地が爆散したからだ。

 

「ほぅ、来たか。少し遅かったじゃないか?」

 

 漸く来た心強い味方に口笛と軽口でもって不良騎士は出迎えた。

 

 シェーンコップ中佐達が視線を光条の飛んで来た地点に向ける。そこは壁の天井近いコンピューター冷却用ダクトの設けられた場所だった。刹那、使い捨て式の携帯式誘導ミサイルの筒が落下して床に叩きつけられて破砕する。そしてそれに続くように次々と装甲服を着こんだ人影が降りてきた。天井の狭いダクトから入り込んだ彼らは安全帯のフックを天井に引っ掻けて飛び降り、床に激突する寸前に腰に備えた装備で勢いを殺して着地する。その技量は何処となくサーカスの曲芸師を思わせた。

 

 ファーレンハイト中佐以下裏口から動力炉を目指していた兵士達は敵の援軍を前に動揺する警備兵を次々と射殺していく。

 

「怯むな!!後退して距離を取れ!がっ!?」

 

 分隊長の一人が声を荒げて兵士達に命じるが、彼は次の瞬間に首筋を切り裂かれて絶命する。折り畳み式の山刀や戦斧を手にして白兵戦を仕掛ける重装甲兵達は銃弾の嵐をものともせずに突撃し、敵陣を蹂躙する。

 

「ひっ……!?こ、降伏だ!!降伏するっ……!!」

「止めろ!殺さないでくれ……!!」

 

 部隊の半数が無力化され、警備隊長が戦斧で首を斬り落とされた所でこれ以上の抵抗が無意味と悟ったのか、遂に警備兵達は武器を捨てて恐怖にひきつった表情で降伏を申し出た。よく見るとオペレーターや工兵らしき者達もおり、彼らも手にしたハンドブラスターを捨てて情けなく両手を上げる。

 

 尤も、そんなものは彼らにとっては全く興味は無かったが。

 

「ボディチェックをしたらその辺にでも座らせておけ!!リンツ、数名連れて西のゲートを守れ!グルーネッカの班は東を守備しろ!!ライトナー!お前達は南ゲートだ、突っ込まなくて良いから奴さんが来たら足止めをしろ!」

「端末の電源は生きているようです!操作を開始します!!」

 

 シェーンコップ中佐は戦闘部隊にもうすぐ押し寄せて来るであろう敵の大軍を迎え討つための準備を部下に命じていく。その間に幸運にも殆んど無傷で確保に成功した要塞中枢部の操作端末にこの潜入に同行する電子戦要員……といっても薔薇の騎士達に所属しているために屈強な身体と旅団内では兎も角同盟軍陸戦部隊の中でならば平均以上の白兵戦能力も持ち合わせているが……が急いで駆け寄り、目的の操作を始める。

 

「どうだ、行けそうか?」

 

 端末と液晶画面とにらめっこする騎士達……そしてそんな光景を見て捕虜となったオペレーター達は僅かに口元を緩めて静かに嘲笑する。

 

 流石に要塞中枢部の制御コンピューターをシャットダウンする訳にはいかないし、そのための時間も無かったが、それでも要塞主砲の制御プログラム等、重要なデータには最優先で何重ものロックをかけていた。その解除はオペレーター達を脅迫したとしても単純な作業に掛かる時間から言って容易ではない。そして、そんな事をしている間に援軍がこの中枢部に雪崩れ込んで来るのは確実だった。勇敢に、あるいは無謀にも中枢部に突入し制圧した少数の反乱軍は、しかし既にその命は風前の灯であった。

 

 ………そう、彼らが要塞の攻略のために動いていたとしたら。

 

「よし、目的のプログラムへは侵入可能です!!しかしこれは……既に四重の安全プログラムの三つ目まで解除されています。恐らくやろうと思えば数分の時間もかからず動力炉の爆破が可能かと」

 

 緊張した面持ちで兵士は語る。イゼルローン要塞程の施設となれば複数の安全プログラムが設定されていて不測の事態に備えているものだが、特に重要な動力炉のプロテクトがほぼ完全に解除されているとなると、それが意味する事と危険性が分からない訳もない。目と鼻の先にそんな動力炉があるなぞ恐ろしい話だった。

 

 会話内容に聞き耳を立てていた帝国側のオペレーター達が互いに顔を見合せ困惑の表情を浮かべ始めている事に不良騎士は気付く、それは反乱軍が介入を開始したプログラムが想定とは違うものであったからか、それとも………。

 

「要塞防衛司令部と動力炉との繋がりを全て切断しろ。ここからなら出来る筈だ」

「り、了解です……!!」

 

 最悪は回線を物理的に切断する必要があるかも知れないが……シェーンコップ中佐はそんな懸念も抱く。あるいは此方の妨害に気付いて今すぐ自爆を仕掛けて来る懸念もあった。

 

 幸いにも、不良騎士の懸念は杞憂に終わった。電子戦要員が動力炉の安全プログラムに再びロックをかけ終えると不良騎士は漸く舞台が整ったとばかりに新たな命令を下す。

 

「よし。二ヶ所、通信回線を開け。一つは第四予備中央通信室に、ジェニングス准将に作戦成功の報告を。もう一つは………」

 

 ここで部下の報告ににやり、と不敵で意地の悪い微笑みを浮かべるシェーンコップ中佐。

 

「要塞防衛司令部に接続しろ。……さてさて、それでは帝国貴族らしく礼儀正しく交渉でもしますかな?」

 

 実に帝国貴族らしい、不遜で尊大な口調で彼は嘯いた。

 

 

 

 

「司令官、通信です。これは……要塞中枢部、動力炉管制室からです!!『我ら、動力炉確保、「懸念」のシステムの掌握を完了せり』!!」

「やったか……!?」

 

 第四予備中央通信室にそのメッセージが送られたと同時にジェニングス准将以下の高級士官達は一斉に安堵の息を漏らした。既に時間は押していた。このまま何らの連絡もなければ彼らは後三〇分もしない内に遠征軍総司令部に向けて通信回線を開いていたであろう。

 

 無論、この予備通信室の制圧に成功した時点で彼らの作戦は七割方成功していた。しかし……要塞の動力炉の制圧は最悪失敗しても構わないとしても、それは『自由惑星同盟軍』全体にとってであった。彼ら要塞内部に閉じ込められた兵士達が確実に生還するための交渉材料として動力炉確保は必須であったのだ。

 

「よし、ここからがある意味一番重要だぞ。遠征軍総司令部に対して通信回線を開け」

 

 そこまで命令した後、ジェニングス准将は深く溜め息を漏らし、次いで衣服とベレー帽を整え、通信が開くのに備える。

 

「……ですが、本当にあり得るのでしょうか?今更ながら提案されたあの戦況予想は私には信じられません」

 

 通信回線が開くのを待ちながら一人の参謀がふと、疑念を呟く。一応、司令官が提案を採用した事で自身の仕事を全うした参謀は、しかしその職務を果たした後改めてそう口にしたくなっていた。亡命貴族の将官が口にした内容は其ほどまでに荒唐無稽で理屈から考えると疑問を抱かざるを得ないものであったのだ。

 

「気持ちは分からんでもない。だが……私も半信半疑ではあったが、危険は可能な限り避けるべきだ。それに……私の経験上、あの進言を否定しきれなかったからな」

 

 ジェニングス准将はそう部下を窘める。窘めてから、苦い表情を浮かべる。そう、彼は否定しきれなかったのだ。亡命貴族程ではなくとも、彼は帝国人と帝国の価値観に相応の理解を持ち、実地でそれを見てきたのだから。

 

「余り愉快な記憶ではないが、ね………」

 

 彼の脳裏に浮かぶのは辺境の砂漠しかない惑星での勤務経験だった。ド田舎の捕虜収容所に反りの合わない上司、やる気のない職場、捕虜の反乱、捕囚の憂き目、捕囚の交換、そして………いや、これ以上は止めておこう。散々な惑星であった事、そして最悪な職場であっても帝国人の素の姿を知る事が出来た、それだけが分かれば良いのだ。

 

「後は帝国人共がどうでるか、か……」

 

 ジェニングス准将は、シトレ大将との通信開始、そしてその要請を口にするまでの間、腕を組み、彼自身の知識を総動員して帝国軍の次の動きをただただ推測し続けていた……。

 

 

 

 

 その通信が『ヘクトル』に届いた時、まず遠征軍総司令部の面々は内部の味方の健在に安堵の表情を向けた。次いで、ジェニングス准将が敬礼と共に現状報告を行うと予想よりも遥かに良い状況に歓喜した。一時的であろうし戦力が一個小隊程度でしかないとはいえ、動力炉を制圧したのは同盟軍にとって快挙に等しい。そして……ジェニングス准将の要請に全員が唖然として、驚愕した。

 

「馬鹿な、全軍を即刻後退させろだと!?要塞の中の輩は何を考えている!!?ガスでも吸って幻覚でも見ているのか……!?」

 

 レ中将の叫びはその場の殆どの総司令部要員のそれを代弁していた。折角要塞主砲対策に散開陣形をとって突入を開始したのだ。今も艦隊は要塞駐留艦隊を押し込みながら要塞に接近している。仮に帝国軍が味方ごと要塞主砲を撃ったとしても先に全滅するのは彼方側だ。そして艦隊を完全に失い丸裸となった要塞に揚陸するのは然程難しくはない。時間さえあればイゼルローン要塞の陥落は不可能ではないだろう。そんな千載一遇の機会を……!!

 

 参謀長の反発は至極当然のものではあった。しかし……そのジェニングス准将の提案に極一部の者達は別の感想を抱いた。その一人が遠征軍の総司令官たるシトレ大将であった。

 

「………」

 

 ちらり、とシトレ大将は離れた位置でぼんやりとスクリーンに映るジェニングス准将の会話を聞きつつ、傍らの総司令部次席副官と何やら会話する若い作戦部参謀を見つめる。同時にシトレ大将は彼の提出した荒唐無稽な戦況分析を思い返す。

 

(要塞の自爆、か)

 

 何十万という味方を道連れにして、莫大な予算をかけた貴重な軍事拠点を放棄するなぞ本当に有り得るのか?ましてや戦況が最終局面に達しているなら兎も角この段階で?帝国軍が要塞主砲を味方ごと撃ち込んだ事実があったとしてもレポートの内容が実際に起こり得るかと思えば……作戦部長が退けるのも当然な内容である。しかし、同盟軍の総攻撃が始まって以来、あのレポートの内容は何故かシトレ大将の脳裏にこびりついて離れなかった。

 

「司令官閣下、ロボス中将、フィッシャー准将からも先程同様の懸念が報告されました。要塞の動きが鈍いのは我々を誘き寄せるためではないかと。また自爆とまでは明言はしておりませんが前線で戦闘中のアップルトン少将にオスマン少将、メランディ准将らが何らかの罠の可能性を指摘しております」

「うむ、そうか……」

 

 情報参謀ホーウッド少将からの報告にシトレ大将は小さく、そして重苦しく頷いた。ホーウッド少将が名前を上げた人物はいずれもが正に現在前線で戦闘中であり、それ故に敵の動きの機微を最も感覚的に感じやすい立場にあり、何より戦闘の経験豊かな指揮官達だ。そんな彼らが口々に違和感を唱えるとなると……。

 

「か、閣下……実は先程私も個人的な通信でホーランド准将から内々に似たような懸念を伝えられています」

 

 狙ったようなタイミングで恐る恐る答えたのは遠征軍総司令部作戦部所属のコーデリア・ドリンカー・コープ大佐であった。大多数の参謀はその発言に難しげな表情を浮かべ、それとは別に幾人かの参謀は奇妙そうに、あるいは興味深そうに視線を彼女に向ける。

 

「……ふむ、前線の指揮官達が揃いも揃ってか。因みに、大佐から見てはどうかね?」

 

 僅かに考え込み、次いでシトレ大将は意見を聞くようにコープ大佐にそう尋ねる。コープ大佐は若干言い淀みつつも自身の意見を表明する。

 

「……恐縮ではありますが、自分もその可能性は否定出来ないかと考えられます。正直な所、私も実際に意見を聞くまでは思いもよりませんでしたが……此度の遠征で多々みられた敵の行動から見るに、一笑の下に切り捨てるのは少々軽率な判断ではないかと」

 

 遠征軍総司令部作戦部のナンバー・フォーのポストに座る彼女の言葉となると流石に軽く受け流す事は出来ない。ざわつき始める遠征軍総司令部。

 

「となるとやはり……?」

 

 参謀の一人が青ざめた表情を浮かべる。ジェニングス准将だけであれば、あるいは一将官のみの提案であれば兎も角、各部隊の指揮官や参謀、そして総司令部に詰める幾人かの同調意見を軽視する事は出来なかった。特に彼らの中には帝国通として知られる者も幾人か含まれているとなれば尚更である。故に、既にジェニングス准将の提案した一見荒唐無稽な内容は、現実味を帯びた議題として遠征軍司令部の要員達の間で共有されつつあった。

 

「そんなふざけた話があるものか。要塞の自爆だと?馬鹿馬鹿しい。純軍事的に考えてこの段階でそんな事を懸念するなぞ臆病を通り越して間抜けというべきだ!」

 

 総司令部首席副官ランドール少佐が憤慨したように口を開く。まだ若く血気盛んな副官の言葉は感情的な部分もあったが誤りではない。この時点で自爆を懸念する方が本来であれば不自然であった事なのだから。

 

「…………」

 

 遠征軍総司令部ではジェニングス准将の提案を受け入れるか否かを巡り参謀達が声を荒げながら激論を交え始める。その会話内容から見て提案反対が六割から七割、賛同は三割から四割といった所か。当初に比べれば撤収派が増えたとは言え依然として戦闘続行派が数的に優位にある。当然だ、イゼルローン要塞を陥落させられる可能性があり、それが不可能としてもかつてない被害を与える事が出来る。何よりも内部に取り残された一五万の味方はどうするのか?

 

 ……尤も、戦闘を続行するべきと口にする者達も、撤収を進言する者達もその口振りからしてみて完全に自分達の意見を信用しきれているかは怪しかったが。

 

「……ジェニングス准将、君達はどうするつもりなのかね?このまま我々が後退するとなると、諸君らの救出を諦める、という事になるが?」

 

 シトレ大将は疑念をぶつける。一五万、一五万……決して多くはないが少なくもない戦力である。それを見捨てるなぞ民主国家の軍隊にとっては不可能な事である。民主共和制においては兵士達もまた国家と国軍が守るべき市民の一員であるのだから。

 

 何よりも選挙が近い中で政府がそんな外聞の悪い行いを許さないだろう。帝国の捕虜の取り扱いは戦時条約締結前に比べれば遥かに人道的になったとは言え、それでも過酷だ。到底国民が一五万の同胞をそんな状況に追い込む事を許すとは思えなかった。

 

 しかし、ジェニングス准将はシトレ大将の懸念に、しかし安心した表情を浮かべて答える。

 

『その事でしたら御心配は御座いません。そのための動力炉の制圧です。これのお陰でどうにか交渉の席に引き摺り出す事は出来ました。後は細やかな条件がどうなるかですが………』

 

 ジェニングス准将がそこまで口にすると同時に『ヘクトル』配属の通信士の一人が総司令部全体に伝えるように報告を叫ぶ。

 

「ほ、報告します!!イ、イゼルローンが!イゼルローン要塞防衛司令部より通信です!!フェザーン戦時条約第三条及び第四条、第一一条に基づいた即時の戦闘停止と交渉を求めたいと。か、仮にこの要請を受け入れぬ場合は最後の一兵になるまで抵抗し、最後は要塞ごと自爆する事も辞さぬと……!!イゼルローン要塞防衛司令部副司令官シュトックハウゼン中将の名での布告です……!!」

「何……!!?」

 

 その通達に遠征軍総司令部は今度こそ混乱の渦に陥る。オープン回線で艦隊の敵味方問わず伝えられた内容は前線司令官達を困惑させ、次いで大量の通信要請が『ヘクトル』に向けて叩きつけられる。余りの量に『ヘクトル』の通信システムは一瞬オーバーヒートしかけた程だ。

 

「どうするのだ……!?」

「どうするって無視も出来んだろう!?戦時条約を出されたら答えない訳にもいかん!!」

「しかしイゼルローンを陥落させられるこの機会に……!!帝国軍の姑息な時間稼ぎでは……?」

「しかし奴ら自爆すると明言しているんだぞ!?このまま突っ込んでも要塞の自爆に巻き込まれるぞ!?」

「それこそ虚言じゃないのか!?まさかイゼルローン要塞を自爆させるなぞ……!!」

「これまでの要塞側のやり口を忘れたのか!?奴らならやりかねん!!」

「そもそもシュトックハウゼン中将だと?クライスト大将ではなくか!?何故副司令官が提案している?一体何が起きているのだ!!?」

 

 参謀達が口々に混乱しながら意見を交える。最早彼らも事態の急変を前に完全に付いていけなくなっていた。シトレ大将はそんな彼らを一瞥し、再度ちらりと最初に帝国軍による要塞自爆の可能性を指摘した若い少佐を見た。

 

「……っ!」

 

 目があった。エル・ファシルの英雄の眼力のない、ぼんやりとした、しかし何処か深淵を覗くような視線に一瞬気圧されたシトレ大将は、しかしすぐに目を細めて彼の無言の意見を理解した。そして、シトレ大将は腹を括り……今次遠征の芻勢を決めるその判断を下した。

 

(世論には叩かれるかも知れんが……仕方あるまい。この選択をする指揮官が私であった事を喜ぶべきなのだろうな)

 

 ……少なくとも、数百万の味方を無駄死にさせずに済むのだから。

 

「回線を繋げ。相手方の司令官と話したい。提案を受け入れる、とな」

 

 動揺と混乱に包まれる遠征軍総司令部にて、シドニー・シトレ大将は多くの異論をはね除けてそう宣言したのだった……。

 

 

 

 

「し、シュトックハウゼン!!貴様、これが何を意味するのか分かっているのかっ……!?」

 

 片腕を撃ち抜かれたクライスト大将は負傷して血を流す右腕を押さえながら怒りの形相で叫ぶ。その足下には赤い血が床の紅色の絨毯に染み込むように落ち続け、その色を赤黒く変色されていた。

 

「何を意味するのか?勿論理解しておりますとも。我々は帝国軍人の責務に従い、保身のために愚かな選択をしようとした狂人を更迭しようとしている所です」

 

 ハンドブラスターを構えながらシュトックハウゼン中将は淡々とそう『元』司令官に通達する。彼の周囲には同じくシュトックハウゼン中将と意見を同じくする要塞防衛軍の幹部達、そして彼らの命令に従いクライスト大将にブラスターライフルの銃口を向ける要塞防衛司令部所属の憲兵隊……。

 

「は、反乱軍の甘言に騙されおって……!この売国奴共めっ!!貴様ら誰に銃口を向けているのか分かっているのか!私はルドルフ大帝より騎士爵位を授けられし開祖に連なるクライスト騎爵帝国騎士家の当主、その上皇帝陛下より親任を受けてイゼルローン要塞の防衛司令官として指名された身だぞ……!!?」

 

 唾を吐きながら必死に叫ぶクライスト大将。その姿に憲兵達は僅かに狼狽えるが……。

 

「そして今やその親任を裏切り、私利私欲のために要塞を破壊しようとしている訳でありますな。閣下ともあろうお方が嘆かわしい限りです」

 

 しかし、そこは副司令官たるシュトックハウゼン中将の方が一枚上手であった。クライスト大将も前線に出向いた経験がない訳ではないが、その本分は技術屋である。前線での防衛陣地や野戦築城や臨時基地の建設等の経験の方が遥かに多い。地上軍で立て籠る要塞が砲弾の雨に晒されながら部隊を指揮した経験を幾つも持つシュトックハウゼン中将の方が兵士の統率という点では一枚上手であった。

 

 そも、シュトックハウゼン中将はかなり早い段階から上官の動きに対して疑念は抱いてはいた。抱いてはいたがそれを証明するには危険が高過ぎたし、間違いであったとすれば彼自身の立場にも影響した。それ故に暫しの間観察のみに徹していたのであるが……。

 

 そこで起こったのが一つには要塞の動力炉が奇襲で制圧された事だ。それ自体は衝撃は小さくなかったが制圧した敵の戦力が精々一個小隊、何か小細工しようにも数が少な過ぎるし、何よりも待機中の一個連隊でも送り込めばそう長い時間もかからずに奪還出来るだろう。

 

 相手も迷宮のように入り組んだ要塞内部を多数の警戒を潜り抜けて中枢部にまで来たとなると相当の精鋭である事は間違いないが……それでも不可能な事はある。実際このまま一個連隊を中枢部に突っ込ませれば、動力炉を制圧した敵は多少反抗するであろうが最終的には取り戻せるであろう。動力炉に傷がつくのは怖いが、そもそも動力炉自体何重にも装甲が張られているので余程の事がない限り致命的な損傷を受けるとは考えにくい。

 

 事態の流れを大きく変えたのは予備中央通信室を制圧した同盟軍の本隊に対する無線通信だった。傍受して下さいと言わんばかりのオープン通信……当初それは本隊に救援を求めるものであると要塞の幹部の誰もが思った。当然の事であろう。それ以外に通信室を制圧して何をしようというのか?

 

 そして要塞防衛司令部はその通信を敢えて放置した。あの大軍が要塞の主砲射程内に自ら突っ込むならそれを妨害する必要なぞない。味方を盾にしているのは小癪であるが……何も手がない訳ではない。

 

 最悪の最悪、味方ごと反乱軍を吹き飛ばすという手段すらあるのだ。イゼルローン回廊を塗装する反乱軍の血を大量に追加発注してくれる……!!好戦的な幹部はそう嘯いたし、それ以外の幹部からして見てもイゼルローン要塞であれば要塞駐留艦隊が壊滅したとしても援軍が来るまで守りきる事が出来れば……そしてその可能性は五分五分以上にはあった。

 

 ……まさか取り残された同盟軍が本隊に向けて要塞から全速力で離れろ、自分達の救援に来るななぞと叫ぶとは誰も想定もしていなかった。そして、同時に衝撃を受けたのは要塞防衛司令部も同様だった。

 

 イゼルローン要塞の自爆……その権限を持つ男に要塞防衛司令部の面々の視線は一気に集まった。それは敵意というよりは困惑に近かったかも知れない。この時点では同盟軍の主張を信用する者なぞ十人に一人もいなかった。

 

「そうです。あの時点では余りに突拍子もない話でしたからな。敵の離間の策と考えるのが適当。……ですが、証拠を見せられましてはな」

 

 敵同士の通信内容に唖然とする要塞防衛司令部、その隙を突いたかのように次の瞬間には要塞防衛司令部のスクリーンの一角を無理矢理にハッキングされていた。要塞防衛司令部のオペレーター達も無能ではなかったが……重要なプログラムからロックをかける必要がありオペレーターの数も限られている以上、優先度の低い要塞のスクリーンへの強制接続を阻止する時間的余裕はなかった。

 

 乗っ取られたスクリーンから恭しい帝国式の敬礼を行うのは亡命貴族の騎士であった。薔薇の騎士達の勇名は帝国軍でも広く知られている。ましてや名乗りを上げた男は騎士団の幹部であり、同時に男爵家の分家の上等帝国騎士爵の保持者であったからシュトックハウゼン中将含め幾人かの幹部は名前を知っていた。勇敢で優秀な誉れある騎士である事も。

 

 そんな彼が動力炉を制圧してから何の用か?命乞いか、あるいは玉砕前に貴族らしく名乗りでも上げに来たのか……要塞の幹部達は怪訝な表情を浮かべる。しかし……それは違った。彼が口にしたのは『取引』であった。

 

「最初は馬鹿げた話だと思いましたが……これでは笑えませんな。まさか本当に自爆しようとしていたとは」

 

 憲兵の一人から受け取った鍵を手の中で弄ぶように観察しながらシュトックハウゼン中将は溜め息を漏らす。僅かに血液のこびりついているそれは要塞の自爆のために必要な権限キーである。

 

「首の皮一枚でしたか。いやはや、まさか私も閣下にこのような事をする事になるとは思いませんでした」

「ぐぅ……!!」

 

 それは文字通りギリギリのタイミングであった。要塞の動力炉の一時的な制圧、そして同盟軍の大艦隊への後退を促す通信……それが起きた時点でクライスト大将の選択肢は最早一つしかなかった。

 

 このまま敵を見逃せば自分だけでなく一族まで終わる。しかも目論見が発覚したとなれば味方が止めにかかるのは目に見えていた。ましてや、動力炉を制圧した騎士達がその安全装置の解除データや司令部からの操作データを送りつけて来たとなれば。

 

 故に次の瞬間に彼は要塞の自爆作業を行おうとしてた。慌てて止めようとする周囲の声を無視して自爆キーを捩じ込む。それで全てが終わる筈だった。良く良く考えればそれは軽率な行動であった。その必死の行い自体が相手の話が事実であると証明するようなものなのだから。ましてや、何の対策もせずに要塞を自爆させようとするクライスト大将の意思を暴露する筈もない。要塞防衛司令部からの命令を遮断された動力炉が暴走する事はなかった。慌ててデスクの端末を操作し始める要塞防衛司令官。

 

 直後腰からハンドブラスターを引き抜いたシュトックハウゼン中将の発砲によりその無意味な抵抗は中断させられた。同時に中将はクライスト大将の利敵行為を糾弾して憲兵隊を呼び寄せる。

 

 この手の口上は先に口にした者勝ちだ。次の瞬間、憲兵達は困惑しつつも司令官に銃口を向ける。そして、操作しようとしていた端末の画面を他の幹部達が覗き見た後には、最早要塞防衛司令官の命令に従う者は一人もいなかった。

 

「ですが、ある意味幸運かも知れませんな。少なくとも我々にとっては」

 

 シュトックハウゼン中将はその脳内で既に今後の事態の収拾について大まかな計画を組み立てていた。元より今回の要塞攻防戦は余りに問題がありすぎた。味方撃ちを始め、要塞への敵の侵入に軍港の破壊……戦後の責任は司令官だけに限定されるとは限らない。要塞副司令官たる自身もまた極刑こそ免れるだろうが、その経歴には間違いなく傷がついた筈だ。それを………。

 

(焦り過ぎて視野が狭くなったか。尤も、そのお陰で私の責任は帳消しになりそうだが)

 

 全ての責任は要塞と駐留艦隊、両司令官殿に取って貰うとしよう。その上でシュトックハウゼン中将は此度の戦いの後始末を行う事で寧ろ評価を上げる事になろう。自らの身可愛さに暴挙に出ようとした上官からイゼルローン要塞を死守した者として。そして、反乱軍を撤退させた者として。

 

(交渉、か。落とし所は予想は出来るが……)

 

 シュトックハウゼン中将はこの時点で同盟軍の望む要求をほぼ正確に察していた。この時点で帝国軍は圧倒的と言わぬまでも十分過ぎる程に劣勢に置かれていた。だが、同盟軍もまた決定的に有利である訳でもなかった。いや、寧ろここに及んでは寧ろ状況は逆転したといっていい。

 

「それでは閣下、本国からの処遇が下されるまで暫しの間休養をして頂きます。……連れていけ」

 

 憲兵隊が左右を挟むように立つと、クライスト大将は醜く顔を歪める。そして血が滴る程に拳を強く握りしめ、呻き声を上げ………諦めるように顔を項垂れた。一個分隊の憲兵に連行される『元』司令官を一瞥した後、『イゼルローン要塞防衛臨時司令官』シュトックハウゼン中将は淡々と指揮権を引き継ぎ、命令を通達する。

 

「要塞駐留艦隊司令官に連絡を。話が纏まり次第、反乱軍に対して停戦と交渉の要請をする。各員、準備に取り掛かれ……!!」

 

 要塞駐留艦隊司令部との交渉が纏まるのはこの一〇分後、イゼルローン要塞周辺に展開する同盟軍と帝国軍の暫定的な停戦の合意が結ばれるのはこの二〇分後、そして要塞内部に停戦の合意と戦闘の停止が布告されるのはそれから更に三分の時間を要する事になる。そして……。

 

 

 

 

「閣下、もうそろそろ到着です」

「あぁ、そのようだな」

 

 首席副官ランドール少佐の報告に、シャトルの窓際の椅子に腰かけていたシドニー・シトレ大将は頷いた。そして円形の窓、そこから見える漆黒の宇宙と幾千もの銀色に輝く光を一瞥すると、宇宙艦隊司令長官は手元の報告書に再度視線を戻した。それは事前にジェニングス准将から提供されたものであった。

 

「成る程な、通信室を制圧出来た時点で決着はついていた訳か」

 

 その巨体を深く椅子の上に沈めながらシトレ大将は呟く。そこには何とも言えない感慨と呆れ、そして自嘲の感情が滲んでいた。

 

 要塞内部に取り残された同盟軍の高級士官達は最終的に帝国軍の狙いが取り残された要塞内部の味方を囮とした道連れの自爆である事に気付いていた。いや、より正確に言えば要塞内部の帝国軍首脳部の極々一部の、というべきであろう。

 

 同盟軍は味方の兵士を見捨てない……その価値観を理解していたクライスト大将の狙いを正確に見抜いた取り残された彼らにとって、生き残る道は少なかった。少なくとも純軍事的には要塞の外の味方は頼れない。頼りない訳ではない、助けを求めれば自分達が死ぬからだ。

 

 故に……残る二つの攻撃目標は囮を兼ねたおまけであった。

 

「要塞主砲の電力送電線に動力炉……特に前者は作戦の目的から見れば完全に囮という訳か」

 

 同盟軍の狙いが分からなければ帝国軍からすれば要塞主砲の送電線を第一の攻略目標とする判断は当然の選択肢に思えただろう。実際、内部に取り残された同盟軍はその戦力の過半数をそちらに振り向けていた。更に言えば敢えて目立つ形で『囮』が暴れまわっていたらしい。要塞内部の帝国軍はその『囮』の存在もあって完全に目標を見誤り、戦力を不必要な場所に集中させた。  

 

 結果として同盟軍は予備通信室を比較的容易に制圧する事が出来ただけでなく、動力炉の攻略にも戦力の引き抜きという点で側面支援が出来たようだった。

 

 ……動力炉制圧は次点の目標だった。内部に取り残された同盟軍からすれば最優先すべきは外部の味方を要塞の自爆から逃れさせる事であり、最悪降伏して捕虜になる選択も想定していたらしい。

 

 当然ながらそれは最悪の事態に陥った場合は、である。

 

「先ず動力炉の制圧と自爆プログラムの妨害、次いで相手方との『取引』か」

 

 報告書を読みながら肩を竦めるシトレ大将。その内容を読みながら作戦の内容に感嘆すると共にその無謀さに溜め息が漏れた。

 

「良く良く相手方の事情を分析した作戦ではあるが、まぁ綱渡りの上にギャンブルのような内容でもあるな。良くもこんな作戦を採用したものだ」

「全くです。正気とは思えません。全て仮定を前提とした作戦ではないですか。作戦の前提が当たっていたのは幸運としか思えません」

 

 シトレ大将の受けた印象にランドール少佐が続く。そこには明確な不快感が見て取れた。

 

 同盟軍から見て理解不能な思考回路の下に動くのが帝国軍である。それ故にその動きを読みきるのは容易ではない。ましてや要塞の防衛司令官が独断で自爆を行う等と推測するなぞ……。

 

「アッテンボロー中尉、君は要塞内部の者達の行動をどう見るかね?」

 

 シトレ大将は、自身の正面に向かい合うように座りタブレット端末を操作する次席副官ダスティ・アッテンボロー中尉に向けて質問を投げ掛ける。因みにこれは遊びではなく資料と報告書の作成作業である。

 

「私ですか?いやぁ、実に度胸のある作戦だとは思いましたよ?」

 

 首席副官ランドール少佐の不愉快そうな表情を見て苦笑いをし、一度咳をして仕切り直すように次席副官は答える。

 

「自分は作戦部の先輩から可能性は伝えられていましたから、作戦の前提条件自体は然程違和感は感じませんでしたね。閣下もご覧になったでしょう?帝国の宮廷と貴族社会の分析を。過去の事例から見て可能性としては有り得なくはありませんでした」

 

 時として軍の勝利や国家の繁栄なぞよりも自身や一族の名誉や繁栄を優先するのが帝国貴族階級である。遠征軍総司令部作戦部の一少佐が歴史を紐解いて分析した帝国貴族の行動原理とそれに基づく今次遠征における帝国軍の行動分析はアッテンボロー中尉からしてみれば完璧とは言わなくとも一定の信用は出来る代物だった。

 

「そうはいうが……」

 

 ランドール少佐は、しかし苦々しげな表情で食い下がる。成る程、あの提案書の内容は確かに完成度は高かった。しかし……それを含めても士官学校戦略研究科出身のランドール少佐からしてみれば軍事的に非合理で不合理過ぎ、何よりも取り返しのつかない選択を帝国軍の司令官が選ぶというのは中々理解しにくかった。それが合理的思考を持つエリート軍人であり、相手方も高級軍人であれば尚更だ。

 

 したっぱが半狂乱になり気狂い染みた行動をするのは分かる。しかし、重要な軍事拠点を預かる大将となれば……。

 

「ランドール少佐、言いたい事は分かる。私とてあの提案書の内容を呑み込み切れなかった身だ。しかし、現実は変わらん、認めるしかあるまい」

 

 自身の誤りを認めるのは一時の恥であるが、永遠に誤りを認めぬよりは遥かにマシだとシトレ大将は理解していた。故にそう首席副官を窘める。

 

「とは言え、ジェニングス准将も良くこの作戦を実行したものだな。捕虜収容所に勤務していた経験が活きたか。世の中分からんものだな」

 

 士官学校上位卒業のエリート士官が些細なミスで気難しい上官の不興を買ってド田舎に島流しにされた、というジェニングス准将の経歴は以前少し耳にしていたシトレ大将である。しかし、その経験が彼を今回の事態を収拾させるキーパーソンの一人とさせたのだから、世の中どのように回るか分からないものだった。

 

 アッテンボロー中尉はシトレ大将の言葉に頷きながらも、ニヤリと意地悪く笑う。その気難しく嫌みな上官を彼は良く知っていて嫌っていたからだった。

 

 と、そこで緩い振動と共にシャトル内部からブザー音と共にその連絡が流される。

 

「さて、いよいよだな。行こうか」

「はっ!!」

 

 シャトル内部を支配していた無重力が消え失せると、シトレ大将はシートベルトを外して立ち上がる。副官二人もまたそれに続いた。その他随行する数名の参謀と共にシトレ大将はズシズシとシャトル内部を進み……そのキャビンから降りると共に彼は整列して直立不動の姿勢で捧げ筒の礼を取る帝国軍の軍礼隊の姿を見つけた。そして、シトレ大将達を待ち兼ねたように佇む帝国軍の高級軍人が二人。内、一人は全身に包帯を巻いていた。

 

「先発したヴァイマール中将より話は聞いております。シドニー・シトレ大将で間違いありませんかな?」

「その通りです、閣下はイゼルローン要塞臨時司令官の任にあるシュトックハウゼン中将ですな?」

 

 シトレ大将の返答に賑やかに頷いて答えるシュトックハウゼン中将。一方全身に包帯を巻かれた今一人の高級士官は剣呑な表情を浮かべながら口を開く。

 

「イゼルローン要塞駐留艦隊司令官、ヴァルテンベルクである。此度の貴官らの奮戦、誠に見事なものであった」

「いえ、閣下こそ旗下の艦隊含めて実に勇猛果敢で見事な戦いでした」

 

 その言葉が半分近く世辞で有ることは分かっていた。しかしながらそれを指摘するのも野暮であろう。故にシトレ大将もまた相手方の勇敢な戦いぶりを褒め称えるように言葉を紡いだ。

 

「……さて本来であれば無粋ですが、今回はそうも言えない状況のようです。シトレ閣下からしてみても余り時間は使いたくはないでしょう?早速ですが部屋に案内しましょう」

 

 シュトックハウゼン中将の気遣いは、ある意味では無礼でもあった。帝国貴族はストレートに話題を始めるのを嫌い、何事も本題前に長々しい前置きを置く事を好む。時間と効率を重視する同盟人にとっては時間の無駄遣いであった。シュトックハウゼン中将はそれを良く分かっていたし、同時に敢えて同盟軍人のやり口に寄り添う事で帝国的価値観から見て無礼でぞんざいな扱いをして見せた。それは過去同盟と帝国が幾度か交えた交渉と交流と同様のものであった。

 

「此方になります」

 

 そして、豪奢な廊下を進み、従兵が扉を開くとそこには既に準備を終えた会議室があった。フェザーンと亡命政府軍の代表が既に座る会議室……それはシトレ大将達が最後に呼び出された事を意味していた。

 

「さて、それでは着席をお願いしたい。……葡萄酒は赤と白どちらがお好みですかな?」

 

 そして会議が始まる直前の直前、まるで当然のようにシュトックハウゼン中将は、先程まで殺し合いをしていた敵軍の指揮官に葡萄酒の好みを尋ねたのだった。

 

 宇宙暦791年六月七日0750分……小破したヴィルヘルミナ級旗艦級戦艦にして要塞駐留艦隊旗艦である『タングリスニル』、その会議室にて帝国軍と同盟軍の現地指揮官同士による今次戦闘の幕引きのための交渉が開始された。

 

 それは一五〇年に渡り続く二大星間国家の争いの歴史において度々行われてきた、そして最も新しく、滑稽な珍事として記録される事になる。

 

 そして何より、この交渉はその後の銀河の歴史を大きく変えるうねりの、その先触れとなる小さな、小さな漣であった……。

 




予定では次話で今章を終わり、幕間を二、三話挟んで次章に進む予定です


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