斯く想う故我在り (柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定)
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Episode0:繋がらない手と心
アイ・アム


 ――揺らぐことの無い人間になりたかった。

 

 それは勿体付けるほどに崇高なものでなければ多分唯一無二の精神でもないきっと、この世界にはそういう譲れない想いを抱く人間は少なくないはずだ。ただ単に何か一つ、何でもいいから絶対に変わらない芯のようなものを胸に秘めた人間。強いとか弱いとか凄いとか拙いとかそんなことでは測れない輝きを持つ存在。そういう人間になりたかった。

 物心ついた時から漠然と俺はそう思い続けている。始まりは小さなことだっただろう。保育園だか小学校の自己紹介で得意なことはなんですか、と聞かれて答える中で明確な答えを作ることができなかったから、そういう自分の一番を求めた。いや、もしかしたらもっと明確な経験があったのかもしれないけど覚えていない。少なくとも気づいたらそういう風に思っていたのだ。

 色々なことをやってきた。

 幼い頃は自分一人で打ち込めることの大概は行い、他人との接点を持った方が触れられる世界が広いと気づいてからは積極的に交流した。級友との会話、アルバイト先での大人たち。何の利益にもならないボランティア活動だってやった。そこそこに器用な身であったらしく、大体のことは人並み程度にはこなすことができるので困ることはなかった。

 楽しくなかったわけではない。

 けれど満たされたわけではなかった。

 外堀だけは固められていくけど、それでも一番大事なところは埋まることはなかった。自らの空虚さに嫌気がさして親友である雨宮照に胸の心中を打ち明ければ、

 

「はっはっは。人、それを思春期と言う」

 

 張り倒してやろうかと思った。

 雨宮は一頻り笑って、

 

「滑稽だね、実に滑稽だ。君のその奔放さは君は決して気づかないが君の長所であるのにね。なんでもやろうとして、そしてなんでもある程度できるというのは難しい。けれど君はそんなことを構わずに君は己の特性を嫌う。思春期と言わずになんという……が、これでは君は納得しないだろうし、葛藤する君を見るのは僕も楽しい」

 

 いいかい、と前置きし楽しそうに口端を歪め、

 

「無い物ねだり。思春期以外に今の君の心象を表すならばどういうことだ。あるだろう? 他人が食べているものは自分が食べているものよりも美味しく見えてほしくなるっているあれさ。隣の芝生は青いとも言うね。まぁ僕はそういう時は君の食べ物を問答無用で奪うわけだが、君は欲しいと思っても奪わないし、強請ることもないだろう? 十年来の親友である僕が知らないわけがないだろう。 持っていないから持っていたい。手に入らないから手に入れたい。つまりそういうことさ」

 

 などと回りくどく、小馬鹿にしたように言う雨宮だった。張り倒して踏んづけてやろうかと思ったが、こいつの見透かしたような、解りにくく、そのくせ理解できないのを馬鹿にする姿勢はいつものことなどで気にしたら負けだった。

 そして多分、間違っていない。

 雨宮照というのは見透かしたようなことを当然のように言って人を馬鹿にするけれど、間違ったことは言わないのだ。少なくともこれまで間違っていたことはない。だから、雨宮の俺に対する評価も間違っていないのだろう。

 結局そんな浅はかな願いだ。雨宮に相談して、今のように滅多滅多されたのが中学の卒業式のこと。いい加減大人になれよと溜め息交じりで始まり嘲笑で終わったが、一年近くたった今でも俺は変わっていなかった。結局、欲しがりなままだ。十年近くそうだったのだから一年程度で変われるわけもないのだけど。

 持っていないから持っていたい。

 手に入らないから手に入れたい。

 これ(・・)のせいで気づいたのは自分の空虚さだ。勿論雨宮はそれにも気づいていたし、それも含めて思春期と言っていただろう。俺以外にも似たようなことを思う人はたくさんいて、けれど自分なりの答えを見つけて、折り合いを付けていく。それが大人になるってことだと思う。

 つまり俺は大人になれていないということだろう。

 今年十六の高校一年生なのだから当然といえば当然かもしれないけど。

 そこら辺を開き直って色々手を出しているあたり我ながら神経図太いと思う。でも、そういうものだろう。親友とはいえ、それが間違っていないこととはいえ、変えられるほど物分かりがいいわけではない。

 持っていたいし、手に入れたい。

 それが何であろうが、誰であろうが。たった一つの譲れないものを。

 

 そういう風にできているのが俺――荒谷流斗なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の闇を切り裂くのは黒と銀と白だった。

 

「――」

 

 黒と銀は青年であり、白は少女だった。

 二十歳過ぎの黒髪の青年。整った顔立ちに飾り気の少ない黒のジャケットとジーンズ姿。少女は十代半ばだろう。特徴的な白い髪と赤い瞳。どこかの高校のブレザー型の制服だ。少女もまた顔立ちは整っている。否、整いすぎている。青年も女性受けする顔だろう。引き締められた体も加えて、街を歩けば振り向く異性は事欠かないと思わせる。

 けれど少女は別格だった。

 整っている。整いすぎている。人間味を感じさせないほどに。

 起伏の乏しい身体付きもまたそれを助長させていた。抱きしめたら壊れそうどころか、抱きしめてたら砕け散りそうな少女だった。

 唯一個性を生み出しているのは口元まで覆われた白の、少女の髪と同じような真っ白のマフラーだった。

 そんな見目麗しい二人は深夜の公園で命の奪い合いをしていた。

 

「……!」

 

 青年が手にしていたのは銃剣だった。所謂狙撃銃や突撃銃の先端にバヨネットを装着させたものではなく、回転式拳銃の引き金の前から伸びるように短剣が接合されているものだった。

 それが両手に一丁づつ。それぞれ右が黒、左が銀にカラーリングされ――同じ色の淡い光を宿していた。まるで銃剣自体が白光しているように。

 そして少女もまた両手に武器を。左手には突撃銃。右手には大ぶりのサバイバルナイフ。オーダーメイドなのか無骨ながらも装飾が施された青年の銃剣とは違い少女が手にしていたのは大量生産のソレだ。そしてこれもまた突撃銃とサバイバルナイフは白い光とスパークを纏わせていた。

 それらの武器で二人は殺し合う。遊びも何もないただの命の奪い合いだ。

 

「ッ!」

 

「――」

 

 攻めているのは少女であり、受けているのは青年だった。少女の顔には人形もかくやと言わんばかりに表情というものが抜け落ちている。無表情のまま、人形のように機械的に攻撃を続けていく。見る者が見れば、例えばそれが武術の達人だったならば、単純な武威では青年のほうが勝っているのはすぐに解るだろう。少女がばら撒く白く発光する弾丸も全て銃剣の刃で叩き伏せ、迫る白刃も見極め、受け流している。当然膂力も青年が勝り、武器がぶつかり合う度に少女は大きく背後に飛ばされていた。青年の銃剣が纏った黒と銀の光はそれ自体が物理的なエネルギーであることを物語るように触れたものを破壊していく。木々は折れ、遊具は砕け、人々の憩いの場の面影は消えて戦場へと変わっていく。

 それでも優勢なのは少女だ。

 大地を抉り、木々を断ち切る青年の弾丸も斬撃も当たらなければ意味がないと言わんばかりに、全て紙一重で回避し、或は回避しきれずその体に傷を受けながらも全く構わずに青年を攻める。

 突撃銃が弾切れを起こした。一度距離を取り、逆手のナイフと共に捨て去りながらブレザーの脇下のホルスターから二挺拳銃を抜いた。大口径の自動式拳銃。明らかに少女の手には不釣り合いなそれを彼女は確りと握りしめ構える。

 そして駆け抜けた。

 真っ直ぐに。

 それは速かった。白い光とスパークが体に走るそれはそれまで少女が発揮していた運動性を大きく超える動き。青年の反応がわずかに遅れた。一瞬にも満たぬ刹那。その刹那に少女は距離を半分は詰め、青年が銃剣を構えた時にはもう既に目と鼻の先にまでたどり着いていた。

 撃った。

 超至近距離での大口径二挺拳銃の全弾放出。十発以上の亜音速の鉛玉が銃口から射出した直後に青年に残らず命中する。

 悲鳴は上がらなかった。

 即死してもおかしくない――どころか即死以外の結果など見えるはずもない現実を前に、しかし青年は生きていた。体中に穴を開け、五臓六腑を弾けさせられ、少女の放つスパークにて動きを制限され、それでもまだ青年は息絶えることはなかった。

 それどころか動いた。自分の懐にすっぽり(・・・・)と収まっていた少女へ、戦意を向けていた。くるり(・・・)と手にしてた銃剣が回る。そのまま少女を切り裂こうとして――突然動きが止まった。

 そしてその停止を少女は見逃さず、

 

「――」

 

 拳銃を手放した右手の貫手を今度こそと青年の心臓へと射出した。

 

 

 




一部修正しました。


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インターバル・デイズ

 窓から吹き込んだ冬の風で荒谷流斗は目を覚ました。

 十二月半ばの風は夕方になれば身を斬るように冷たい。ホームルームの時間から居眠りしてしまった流斗だったがおそらく掃除によって全開になった窓で起きた。窓際の席なので、空けられれば風は直接当たってしまう。

 

「……ぬぅ」

 

 眠ってしまったのはここ数日夜遅くまで本を読んでいたせいだった。三日ほど前にドラマ化になると聞いたベストセラー小説のシリーズの三冊をまとめ買いして、一日で一冊のペースで読み進めている。なんとか今日の夜に読み終わるだろう。特別本が好きということはないけれど本やドラマというのは解りやすい流行だ。交友関係の広い彼は興味がなくてもある程度はそういった流行りの物に触れているようにしている。

 彼の場合特別好きなものも興味があるものほぼないのだけれど。

 少し長めの真っ黒な髪の少年だった。

 高校一年生にしては大人びた顔立ちだった。実際、彼自身なんどか大学生や成人に間違われたことがある。特別整っているというわけではないが、直視して躊躇われるような顔でもない。つまるところどこにでもいるであろう高校生だった。

 

「……」

 

 机に突っ伏していた上体を起こし、髪を掻きながら周囲を見渡す。担任がホームルーム開始の宣言をしたのは覚えていたが、そこで寝入ってしまったらしいのそれから先の記憶はない。時間にすれば十分程度の居眠りだったろうが、寝不足が祟って寝入ってしまっていた。

 誰か起こしてほしかったなぁとは思わない。

 寝たいから寝たわけだし。自己責任という奴だろう。

 掃除の時間ではあるが、基本的に適当だ。掃除当番のクラスメイト以外は大体家に帰るなり、部活やアルバイトに行ったのだろう。小学生の時のように机を前後に運ぶわけでもなく、机の合間を簡単に箒を掃く程度だ。それでも、さすがに換気くらいはする。

 

「おー、荒谷。おはよさん」

 

「……おう。悪いな掃除の邪魔して」

 

 話しかけてきたのはクラスメイトだった。金色に染めた髪や着崩した制服は今にも今時という感じの高校生だろう。基本的に校則の緩い彼らの学校ではこういった風合いの生徒は少なくない。流斗自身、高校に入ってから夏くらいまでは金や茶に染めていたことがある。

 どちらも雨宮に似合わないと一蹴されたのだが。

 特別仲がいいということはなくても、アルバイトや流行に関しては流斗は彼からよく情報を貰っていた。

 

「最近、眠そうだなぁ。なんかやってるのか? 女?」

 

「違うよ。本読んでただけさ。お前が言ってた流行りのドラマあったろ? あれの原作」

 

「ふぅん。ドラマは話の種になっても小難しい本読もうとは思わねぇなぁ。というかお前、本読むんだ」

 

「偶にな」

 

 軽口を叩きながら立ち上がる。教科書のほとんどは机の中にあるので重くは感じないし、入っていてもそこそこには鍛えているので苦には感じない。制服の学ランだけと比較的軽装だが、こちらは生まれつきから暑さや寒さには強かったので必要ない。もっと言えば上着すらも脱いで、カッターシャツ一枚でもいいくらいだった。

 変な目で見られるのでしないけれど。

 

「帰るのか?」

 

「あぁ。じゃあな」

 

「ばいばーい」

 

 剽軽な別離の言葉に特に思うこともなく教室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室を出れば流斗と同じように帰宅しようとする他の生徒はまだ少し残っていた。流斗たちが通う私立白詠高校は通常の学校生活の校舎とは別に部活棟がある。部活に行く生徒はホームルームの終了と同時にすぐにそっちに向かっているだろう。市の名前を冠した学園であるので相応の設備が整っている。町の小高い丘に作られた学園で、生徒数が千人を超えないが土地は広い。廊下の窓の外を見れば夕焼け色に染まっていく、白詠市の町並みだ。流斗から見ればこれと言って特徴のない田舎の街だと思う。それでも昔調べた限りでは街の地主の家の名前がそのまま市の名前になっているというのはそれなりに珍しいことらしい。しかし、言ってしまえばそれだけで、高校生の流斗からすれば市の行政等にも関与する有力一族と言われてもピンと来ないのが正直な所。

 興味がない、というのが正しいのかもしれない。

 

「今日のバイトは無し、か」

 

 予定を振り返れば今日の予定はなかった。

 基本的にいくつかのバイトを掛け持ちしている流斗にとっては珍しい日だ。今はコンビニとファミレスの皿洗いと引越し業者、それから市民病院の清掃員のバイトを行っていた。高校生になってからは経験してきたバイトはかなり同年代に比べればかなり多いほうだ。大体どれも二週間から一か月くらいの感覚で色々変えている。最早趣味の領域と言っていいし、クラスメイトからは変わり者だと認識されていた。長期休みになるとこれにボランティア活動が加わる。

 

「ん……?」

 

 四階にある一年の教室から下駄箱のある――当たり前のことだが――一階まで降りてくる。そして妙な静けさに気付いた。下校時のピークが過ぎたとはいえまだ少なくない生徒が残っているはずだ。実際、やたら静かではあるが生徒の姿自体はいることはいたのだ。

 それでも静かだった。静かというか張りつめていたと言ってもいい。

 その原因は一人の少女。アルビノ体質だという真っ白な髪と真っ赤な瞳。臙脂色のブレザー型の制服。起伏に乏しい身体だが、それを補って余り余るほどに顔立ちは整っていた。表情のない、感情すらも感じさせないけれど。

 整っている。整いすぎている。人間味を感じさせないほどに。

 人形のような少女。

 白詠(しらよみ)澪霞(れいか)

 市と高校の名前と同じ名前は当然ながら偶然ではない。市や高校の名前になる街の有力一族の一人娘。さらに言えばこの学校の生徒会会長。流斗が入学した時は既に二年生ながら副会長で、秋には会長になっていた。体質で運動は得意ではないらしいが、それでも学力や芸術面では結構な才能を発揮しているらしく、全校集会で何度か表彰されている。

 荒谷流斗はそれほど有名な生徒ではないが、彼女を知らない生徒はいないだろう。

 それが白詠澪霞だった。学校の誰もが知っているお嬢様だ。

 

「それでも、愛されているわけじゃないんだよな」

 

 少なくとも少しでも愛されていたならば彼女がいるというだけで空気が張りつめるなんてことはないだろう。別段特別なことをしているわけではなく、上履きから外履きに履き替えているだけだ。誰もが行う当たり前のことだが、それでも白詠澪霞という少女が行えば当たり前のことのように見えなかった。

 まるで出来の悪い人形劇みたいだと雨宮は言っていた。その感想は解らなくもない。

 まぁ、ちょっとだけ。

 下駄箱から靴を履き、出ていく。結局彼女が行ったのはただそれだけで、それを流斗は他の生徒は遠巻きで見ているだけだった。

 一瞬だけ、背後を見た白詠と目があった気がした。

 多分、気のせいだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

『やぁやぁ、我が幼馴染荒谷君息災かい? 君の愛すべき幼馴染の雨宮照だよ』

 

 学校を出てすぐに流斗のスマートフォンにそんな電話が掛かって来た。勿論名乗られなくても液晶に名前が表示されるので、電話の相手が雨宮だということには気づいていた。ただ雨宮の電話というのは常に今のように始まるので、いちいち気にしていられない。

 

「どうかしたのか? 今からお前のところに行こうと思っていたんだけどな」

 

『はっはっは。君の友情には僕は嬉しくてたまらないが、しかしそんな友達思いの君に残念なお知らせだ。今日僕は野暮用があって君の相手ができないので、僕の所に来るのはお勧めしない』

 

「そっか」

 

『そっか? そっかだって? 酷いなぁ、なんて言い草だい。もう少し言うことがあるんじゃないかね? 君が会いたくて仕方ないであろう友人が会えないと言ってるんだから、もっと会いたいと叫ぶなり、泣くなりしたらどうだい?』

 

「お前は俺が本当にそんなことしたらどうする?」

 

『考えうる限りの罵倒をプレゼントしてあげるよ』

 

「絶対言わねぇよ」

 

 徐々に暗くなっていく街を歩きながらスマートフォンから聞こえる雨宮の声は淀みない。忙しいと言っているわりには普段会話する時と変わらない。ただ感情表現豊かであっても、全てを露わにするような人間ではない。この会話も野暮用の前に話すことで精神を落ちつけるとかそういう意味合いがあるのだろう。

 友達と話すくらいで理由なんていらないが。

 

『まぁ君が家に帰りつくまでの話し相手くらいにはなろうじゃないか。どうだい? 今日はなにか特別なことはなかったか?』

 

「何かねぇ……」

 

 いつも通りの一日だった。いつも通り朝起きて、朝飯を食べて、学校に行って、授業を受けて、終わって、学校を出てきたわけだが、

 

「そういえば白詠先輩を見た」

 

『僕にあの女の話をするな』

 

 殺気すら籠った一言だった。

 

『前から言っているだろう? 僕はあの女大嫌いなんだよねぇ。確かにこの街の住人である限り白詠家の影響を受けないわけがないし、僕ならば猶更だ。けどね、あの女個人に関しては絶対に相容れないよ。もう、絶対。天地がひっくり返っても在りえない』

 

「……よくもまぁそこまで言うな。会ったことあったけ」

 

『直接はないけど見たことなら何度かね。ん? なんだ君はあの女の肩を持つのかい? 君こそあれと会ったことがあるのかい? 聞いてないぞ、さっさと何をしたか吐くがいい。ほら、速く』

 

「会ったこともねぇし、話したこともねぇよ」

 

『ならいいんだ。僕の友人があんなのに関わるなんて許せないからね』

 

「……そうかい」

 

 酷い言い草だ。少なくとも流斗にはそんな悪印象はなかった。そして雨宮に言われなくても流斗には月詠澪霞に関わる気はないし関わることもないだろう。

 少なくともそう彼はそう思っていた。

 そうして二十分くらい他愛のない話を続けて、

 

『ん、そろそろ家に付いたくらいかい』

 

「あぁ」

 

 目の前には住宅街の中にある一軒家。

 雨宮に何か言ったつもりはなかったが、それでも流斗の家の到着と共に向こうの方から察して言ってきた。流石の十年近くの付き合いだ。学校から流斗の家までの必要時間は把握しているらしい。

 

『んじゃ、僕もそろそろ時間なので切らせてもらう。それじゃあね、ゆっくり寝たまえよ』

 

「あぁ、またな」

 

 電話が切れる。見る限り家の明かりはついているのは母親が帰ってきているのだろう。父親は基本的に家に帰ることは中々ない。自分が好き勝手やっている自覚はあるけれど、父はそれ以上だと思う。

 ともあれ鍵を開けて家に入る。

 やることは一つだ。

 

「ただいま」

 

 

 

 

 

 

 



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ミッド・ナイト

 家に帰り、母親と食事を済ませて、学校の宿題を終わら士、風呂に入るなどの寝支度を全て終えてから本を読み始め、読み終わることには既に日付が変わっていた。

 

「んー……」

 

 深夜二時前。草木眠る丑三つ時を指す時計を目にしながら流斗は眉間を指で揉む。三時間近くぶっ続けで読書を続けていたので流石に頭痛が生まれていた。米神や後頭部あたりに鈍い痛みがある。長時間勉強や何かに集中していた時に起こる奴。本当に読書が好きだったのならば三時間くらい程度では疲れないのかなぁと思うが、しかし読書というものを消化したことはあっても堪能したことがない流斗にはよくわからない話だ。

 

「ん、ん……どうもねぇ」

 

 嘆息する。

 ドラマ化した物語の原作、三部作ということなのでそこそこに面白いかなぁと期待したが微妙だった。面白かったと驚嘆することはないとはいえ、逆に落胆することも特になかったが今回は別だった。

 普通にがっかりしたのだった。

 全編を通して主人公が一人で複数のヒロインがいる。中学から大学時代までに恋人ができたり、別れたりしながら一番最後に結ばれた人とハッピーエンド。まぁよくある話だ。寧ろ無駄にリアルと言ってもいい。出会いと別れを繰り返すのが人生の常だということは高校一年生にでも解る。がっかりしたとうのは、恋愛を繰り返す主人公がその時その時の恋人に前の恋人の影を重ねていたということ。前の女に未練を残しているというのも珍しくはないのだろうが、

 

「男だったら惚れた女だけ見とけよ」

 

 なんてことを言うが、恋人の一人もできたことのない男の言葉だった。

 こんなことを雨宮あたりに言うと爆笑されるので絶対に口にしないが。自分勝手な感想もそこそこにして読んでいた本を机の上に積んでおく。

 軽く伸びをしながら視界に広がるのは少し散らかった部屋だ。間取りとしてはごく普通だろう。ベッドと勉強机、箪笥に備え付けのクローゼット。それから少し大きめの本棚。高校生としては平均的なものだ。エアコン等はないが、温度差に強い流斗は生まれてこの方必要としたことはない。机の上には学校の鞄、椅子には無造作に掛けられた制服一式。

 あまり普通ではないのはそれ以外だった。

 本棚には漫画や文庫など比較的薄いものもあれば、図鑑や参考書並に分厚いハードブックも多々ある。雑誌もいくつか種類があったがファッション雑誌から世界遺産や世界の乗り物のようなムックの類のものまである。床の上も綺麗とはいいがたい。目につくのでもバーベルのようなトレーニンググッズ、創りかけのジグソーパズル等もあれば日曜大工にでも使うのか工具の類までもがあった。箪笥の上には手製のボトルシップの隣にアニメの美少女フィギア、それからさらに可愛いらしいテディベア。

 恐るべき節操のなさだった。

 何人かが入れ替わりに使って、それぞれの私物を残していったような部屋であるが、勿論全て流斗自身が使っていたものだった。最も、使っている内に興味を失って手を付けていないのだからある意味では残り物でもあるのだが。

 

「うーむ」

 

 二時前ということならば明日に備えて寝た方がいいのだろう。寝ている時間を特に考えていない流斗でも、この時間は大体寝ている。

 

「明日は……昼からバイトかぁ」

 

 カレンダーを見れば明日、というか今日からは既に週末でそれに応じてバイトは昼から始まる。ファミレスの皿洗いを四時間ほど。夕方からは今日は行けなかった雨宮の所に行くことになるだろう。夜の予定はなし。それほど忙しくもない。

 なにより、

 

「眠くない」

 

 無駄に目が冴えてしまっていた。ホームルームの居眠りは、精々が十数分程度だったから関係ないだろうし、思い当たることもないけれど事実として眠気がない。無理に横になって目を摘むっても眠れるかは解らないし、起きつづけるには若干早い時間だ。本は丁度読み終えてしまったし、宿題も終っていて、これといってやることはない。

 こういう時、何か一つ打ち込めるものがないことが恨めしくなるが、

 

「どーすっかなぁ」

 

 選択肢というのはそれほど多くはなかった。

 だからすぐに選択した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冬の深夜という時間の気温は低い。

 日中は幼い子供たち、夕方にならば学生のたまり場、夜になれば恋人たちの逢瀬に使われる憩いの場もこの時間では人の気配はない。生物の気配すらも存在せず、動くものなど皆無だ。それは不自然なほどに。

 けれどその不自然な静寂の中で存在する者はいた。

 二十歳過ぎであろう黒髪の青年だ。整った顔立ちに飾り気の少ない黒のジャケットとジーンズ姿。手荷物の類はなく腕をだらり(・・・)とたらし、何をするわけでもなく公園の中心に立っている。

 それはまるで誰かを待っていたかのように。

 

「……」

 

 身なりは綺麗とはいいがたい。明かりはいくつかの街頭と月の光しかないので解りにくいが清潔とはいい難い格好だ。小汚いと言ってもいい。よくよく見れば黒の色に紛れるように赤黒く乾燥した血の色が混じっている。簡素な服の下の筋肉は引き締まっているのだろうが、それでも顔色は良くないだろう。彼自身、驚異的な精神力で抑え込んでいるとはいえその体調は本来ならば意識を失って病院へ運ばれていてもおかしくはないのだ。

 それでも彼は息が白くなるような寒さの中で立ち続けていた。それほど長くはない時間が過ぎ、

 

「……」

 

 そしてその静寂は新たに表れた静寂に塗り替えられる。音もなく、それこそまるで瞬間移動してきたかのように、なんの気配のなく青年の真後ろの街灯の上、月明かりを背にして立つ影があった。

 白い女の子だった。

 特徴的な白い髪と赤い瞳。どこかの高校のブレザー型の制服だ。少女もまた顔立ちは整っている。否、整いすぎている。青年も女性受けする顔だろう。引き締められた体も加えて、街を歩けば振り向く異性は事欠かないと思わせる。

 けれど少女は別格だった。

 整っている。整いすぎている。人間味を感じさせないほどに。

 起伏の乏しい身体付きもまたそれを助長させていた。抱きしめたら壊れそうどころか、抱きしめてたら砕け散りそうな少女だった。唯一個性を生み出しているのは口元まで覆われた白の、少女の髪と同じような真っ白のマフラー。

 

「……来たか」

 

 少女の出現と同時に青年は振り返る。音も気配ない《・・・・・・・》故に(・・)気づくはずの(・・・・・・)ない(・・)の出現に(・・・・)当然のことのように(・・・・・・・・・)反応していたのだ(・・・・・・・・)

 そして視界に入れた少女に少しだけ驚いたように目を細める。

 

「白詠のお嬢か」

 

「……」

 

 答えはなかった。少女――白詠学園生徒会生徒会長白詠澪霞は、眼下にてこちらを見る青年の問いかけには答えず、

 

「警告する」

 

 小さく、けれど確かに通る声で言う。驚くほどに綺麗で鈴の音のような澄んだ音だ。けれども載せられた感情は全く読み取れず、容姿と相まってどうしても機械のような音にも聞こえた。

 驚愕はするけど、感動しない。そんな声。

 

「投降すれば私は何もしない。そのまま父に引き渡す。彼女(・・)の身の安全も保障しよう」

 

 短く、要点だけを込めた言葉で一切の遊びも洒落もない。誰かから言われたことをそっくりそのまま伝えているかのように。

 

「はっ」

 

 それを青年は鼻で笑う。

 

「そんなことを言った奴がどれだけいたかもう数えるのも億劫だ。引き渡すだと、陰陽寮か? いいや違うか。白詠は護国課の重鎮だったな。態々そんな家の娘を出さなくていいものを」

 

「貴方がこの町に現われなければよかった。そして貴方クラスの『神憑(カムガカリ)』に対しては相対するには最も適しているとのこと」

 

「それは悪かったな」

 

 欠片も悪いと思っていないような物言いだったし、事実青年は悪いなんてことを思ってはいない。

 それでもそんな物言いにはまるで頓着せずに、

 

「答えは」

 

 聞いて、

 

「断る」

 

 答えた。

 

「そう」

 

 そして澪霞は驚くことなく頷いた。投降の誘いをかけたのは彼女のほうであるというのにも、断れたことには全く驚いていない。感情が現れないという以前に、その答えが当然であると認識しているかのようだった。

 

「なら、もういい」

 

 刹那、空気が変わる。不自然なほどに静かだった世界が、不自然なほどに静かに、けれどまとわりつく様な不快感を持った。それが何であるかは青年もすぐに気づいていた。殺気。それも確実に殺し尽くすという絶殺の意思。抱きしめれば砕けそうな少女は常人が浴びれば卒倒しそうになるほどの殺気をその身から飛ばしていたのだ。

 

「もういい、というのは俺のセリフだな」

 

 けれどそれは青年も同じだった。

 少女から発せられる殺気を真っ向から受け、しかしそれでも全く意に介さない。

 まるでその程度慣れていると言わんばかりに。

 

「――我はまつろわぬ不潰の星光」

 

「――其は囚われぬ惑いの灯」

 

 紡がれた言葉によって生じた変化は劇的だった。

 澪霞の周囲にバチバチ(・・・・)というスパーク音、さらには白い髪や首に巻いたマフラーも帯電しているかのように小さなスパークが弾け、白い光を灯す。

 そして青年もまた。手ぶらだった両手に銀と黒の光が集まっていき、形を作っていく。二人とも発行する機械類を持っていたわけではない。青年は真実無手であり、澪霞は所有物は大量にあったが発光するようなものは持っていないだろう。

 故に閃光の原因は二人にある。

 

「輝け、天香々背男」

 

「揺蕩え、月讀」

 

 瞬間、澪霞のスパークが一層強く弾け、青年の二色の光が形成された。

 それは銃剣だ。所謂狙撃銃や突撃銃の先端にバヨネットを装着させたものではなく、回転式拳銃の引き金の前から伸びるように短剣が接合されているものだった。それが両手に一丁づつ。右手の黒の光も左手の銀の光もその姿を形作っていた。

 

「『天香々背男』津崎(ツザキ)(カケル)――貴方は此処で斃す」

 

「やってみろ」

 

 

 

 

 

 

 一撃目から即死の威力が内包されている。

 

「――!」

 

 場所は動かず、その場で駆が黒の銃剣を唐竹割のように、上から下へと振りおろした。予備動作などというものはなかった。気づいた時には駆は銃剣を振りぬき終えいて、

 

 放たれた黒の斬撃が澪霞のいた街灯を縦に両断させていた。

 

 彼我の距離は二十メートル近くの距離はあったし、駆は動いてない。けれど気づいた時には駆の斬撃は距離を無視して文字通りに飛んでいた。一切の躊躇はない。確実に殺す気で放たれた一刀は、

 

「……」

 

 それでも澪霞の表情を変えることができなかった。

 足場にしてた街灯が割断されるよりも早く、彼女は動いていた。天高く跳躍し斬撃から逃れ、月を背にしながらいつの間にか突撃銃を構えている。そしてそれにも、彼女の身体やマフラーと同じように白い光とスパークが。

 引き金を引いた。

 鉛玉も纏う白光は変わらない。亜音速、もしくはそれすらも超えた速度を宿した弾丸は駆へ雨霰へと降り注いでいく。直前の駆の斬撃が予備動作を持たない無拍子の動きだったように、彼女の反撃もまたそれと同じもので、尚且つ斬撃の技後硬直を狙った連射だった。

 

「温い」

 

 当たらない。

 より正確に言うならば数十数百の弾丸が二つの銃剣の刃によって斬り伏せられたのだ。恐るべき反射速度と運動能力。なにより恐るべきは降り注ぐ弾丸の雨に一歩も引かずに迎え撃ったその精神だ。絶殺の意識を以て放たれた暴力に彼は何の恐れもなく立ち向かう。それどころか即座に反撃した。

 未だ中空に残り、あと着地までに後数秒は必要とする澪霞に二つの銃口を向ける。そして引き金が引かれるのと同時に轟いた銃声は拳銃のソレではなかった。大気を震わす爆音。本来ならば耳当て等がなければ鼓膜が損傷しているほどの音量だ。大砲か何かと聞き間違えてもおかしくない大音量で放たれたのは鉛ではなく光で作られた弾丸だった。黒と銀。それはそれぞれに何かが圧縮されたような異常の弾丸。

 大気をぶち抜きながら(・・・・・・・)澪霞へと迫る。

 

「――」

 

 反応は即座だった。構えていた突撃銃、そして懐から取り出した球体を二色の弾丸へと投げつける。軽い動きで、速度は生まれなかったが弾丸のほうは音速をも超えていたので激突するのに一秒もいらなかっただろう。

 激突。

 そして、激突した球体――手榴弾が爆散する。

 

「!」

 

 夜の公園が赤く照らされた。当然ながら爆発音。周囲に民家はあるが、そのあたりは当然対処済みだ。少なくともこの公園周囲には一般人は寄り付けないし、この争いによって生じるあらゆる影響に気付くことはできない。爆風によって一時的にお互いに視界は遮られたが、それは結局のところ一瞬だ。

 

「シィッ」

 

 鋭い呼気と共に爆炎も斬撃の風圧で残らず吹き飛ばされ、

 

「――ッ!」

 

 闇と閃光に紛れた澪霞がいつの間にか手にしていたサバイバルナイフを駆の延髄へと叩き込んだ。全くの躊躇の無い一閃だった。振りぬかれた刃は確実に急所狙いで、さらに言えば逆の手でももう一振りの刃が心臓へと突き出されていた。

 

「ガキが、舐めるな」

 

 ガキッン(・・・・)、という鈍い音が生じていた。駆の延髄と背。それぞれナイフの一撃を受けた場所。そこにそれぞれ黒と銀の複雑な文字と図形によって構成された円形、魔方陣とでも言うべきものが致死の刃を防ぎ、

 

「……っ」

 

 バチリ(・・・)とスパークが弾ける。

 駆は顔を顰め、澪霞は表情を変えない。一瞬だけ駆の動きが止まり、けれど澪霞が何かをする前に復帰し、蹴り飛ばして距離を空けた。

 

「……」

 

 にらみ合う。

 言葉は、ない。

 必要ない。

 どうせ殺すのだから。

 

 




基本戦闘描写大目で。


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ビギンズ・スパーク

「ふっ……ふっ……」

 

 趣味趣向が散乱迷走している流斗だが、当然ながらその過程で覚えたものには便利不便利と別れることになる。生きていく上で非常に有益なこともあれば、絶対これから先使わないだろうというものまである。それくらいにはざっくばらんに色々収めてきたのだ。

 その中でもランニングという行為は最も役に立つという方だと思う。体力というのはあらゆることの基本だ。何をしても必要になってくる共通事項だろう。

 だから例えランニングという行為そのものに興味がなくなった後でも偶に走ることはあった。最もこういった行為は積み重ねが大事であろうから偶に、という頻度では意味がないというのは解っている。なので、今の自分の体力がどの程度なのか測るためにという意味合いが強い。

 

「……ふっ……ふっ……」

 

 走り出した身には冷たい空気は心地いい。寝付けなくて走り出してから三十分ほど経っていた。家の周りを軽く小一時間でも走れば疲れて眠れるだろうという判断だ。今日の昼から用事だからこそできることで次の日が平日だったら絶対にできない選択だっただろう。ちなみにあの場合の選択肢は動いて眠くなるか、頑張って寝るかのどちらか。

 だから流斗は夜の街を走っていた。

 二時代ということで当然ながら人の気配は皆無だ。

 まるで世界に自分一人のようだ、なんて中学二年生みたいなことを考えてみる。

 勿論そんなことはない。

 所々に設置された街灯に照らされている家々では就寝中でも存在していることは存在しているだろうし、起きている者は起きているのだろう。単純に気配が漏れていないというだけ。

 走る。

 走り続ける。

 足を踏み出し、地面を踏みつけ、反発する手ごたえを感じながら地面を蹴る。その動きを両足で交互に、テンポよく続ければランニングになる。

 五体満足ならば誰にでもできる動きだし、無意識的にやっているだろう。中学時代に陸上齧ったことがあるがフォームは適当だ。記録を出すために走っているのだから、走りやすければ何でもいい。

 

「……ふっ……ふっ……」

 

 呼気は鋭く短く連続させていく。一人きりの深夜でランニングしている時に独り言言っていれば痛いを通り越して怪しすぎる。元より走っている最中に無駄口を叩けば無駄に疲れる。適度に体を動かして眠りやすくする為なので、不必要に体を酷使するのも問題だ。若いからといって油断してはいけないと思う。若いから大丈夫だろうと言われることは多いが、若くても大変なことは大変なのだ。

 そうして走り続け、あと少し行った先の公園で折り返せばぐっすり眠れるかなぁと、思った時だった。

 

「はぁっ……はぁ……!」

 

「……っ?」

 

 自分のものではない呼吸音。それなりに意識して規則性を持たせている自分のものとは違う、乱れ疲弊した音だ。それに伴うように足音も。流石に足音で人物像を判断するというスキルは持ちえていないが、音のない夜の街なのでそこに生まれた音というのはどれだけ小さくても大きく響く。

 だからだろう、見えない誰かの声を疑問に思いながらも走り続け――曲がり角で誰かとぶつかったのは。

 

「きゃ!?」

 

「うお!」

 

 女、だった。

 ぶつかった一瞬で上がった悲鳴や柔らかい感触は若い女性の者だった。流斗は体制を崩しつつも立て直したが女性の方はそうは行かずにアスファルトの地面に倒れ込む。かなりの勢いで走っていたらしく、その分衝撃も大きかった。

 

「大丈夫ですかっ?」

 

 声を掛ける。深夜に若い女の人が走っているというのは疑問だが、それでも女性を傷つけるというのは男として有るまじきことだ。こういう時はまず誠意を見せるのが重要だろう。

 

「っう、あ、はい……」

 

 聞こえてきた声には思わず眉を顰めてくらいには疲れと焦りに満ちていた。落ち着いた茶色のファー付きダッフルコートに紺色のロングスカート。トグル部分は全て外されていて、少し大きめではないかと思う無地の黒いシャツがのぞいている。少し離れた場所の街灯にて照らされた色合いでの判断だったので、若干適当だが的外れということでもないだろう。若い女性としては服装かなり簡素でその上清潔とはいい難い。いかにも生活や仕事に苦労しているという風合いだと流斗は感じた。

 倒れ込んだ拍子に打ったのか腰をさすりつつ、顔を上げて

 

「ッ!?」

 

 流斗の顔を見て、我に返ったかのように驚いた。

 まるでいないはずのない人間が発見したかのように。

 けれど驚いたのは流斗も同じだった。

 夜の闇の中、僅かな街灯の灯の中で見えた彼女があまりにも美しかったから。

 例えば整っている顔立ちという点に関しては荒谷流斗の知り合いでは断トツで白詠澪霞を上げるだろう。流斗が知る人間の中では彼女の容姿は段違いであり、他と比べるのも馬鹿らしい。最も整った顔、という考えがそのまま反映された人形のような彼女はあるいは不気味と言ってもいいほどなのだから。

 けれど目の前の女性はそうではない。明確な命を感じさせている。深い青みが掛かった黒――瑠璃色とでも言うべき色合いの腰まである長髪と大きな瞳。柔和な顔つきで見るからに質素な服装でも隠れているが、明るい所で見てみればモデルのように均整の取れたプロポーションだとすぐに気づいただろう。

 大人としての女に残る微かな少女としてのあどけなさ。整っている容姿ではなく、綺麗な女の人と言うべきだろう。そしてどこか儚さすらも。すぐに溶けてしまいそうな季節外れの遅雪のように。

 美人薄命――そんな言葉が過る。

 

「どうして……」

 

 そして形のいい唇からそんな言葉が漏れた。

 多分――この時から荒谷流斗の非日常は始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 澪霞と駆の戦闘には一切の無駄という物がなかった。

 戦闘技能における話で言えば、澪霞はまだまだ拙い。。彼女の程度が低いという話ではなく、駆の技量がそれほどまでに完成されているのだ。澪霞がナイフで繰り出すフェイントや本命の攻撃、虚実を無視した重火器や手榴弾による無差別攻撃。サバイバルナイフや拳銃、突撃銃、手榴弾等様々な攻めを前にしながら駆は揺るがない。攻撃迎撃防御回避受け流し、戦闘におけるあらゆる要素を彼は澪霞より数段高い次元で行動に移していた。

 澪霞の攻めは確かに機械的であると同時に勢いを緩めぬ怒涛の動きだ。少なくない運動量と短くない行動時間。その今にも砕けそうな体にどれだけの体力を内包しているのか、恐るべきスタミナでひたすらに攻め続けている。それでも一度も駆に有効打を与えていない。銃弾やナイフの一撃は捌かれるか切り落とされ、爆風をまき散らせば馬鹿げた膂力に吹き飛ばされる。何十撃かに一度彼の身体に届くものですら、魔法陣ような盾で防がれてしまう。

 武に携わるものが見ればすぐに解るだろう。

 地力に関しては白詠澪霞と津崎駆には圧倒的に後者が優っていると。それも、比べるのも馬鹿らしいくらいの、それこそ勝負にならないくらい差がある。

 けれど、ならば何故――今こうして戦闘が成立しているのか。

 本来ならば澪霞は駆に鎧袖一触のように打倒されてもおかしくない。事実、駆の放つ飛ぶ斬撃や光弾に直撃すれば彼女は即死していただろう。

 それでも、二人は戦っている。

 

「――!」

 

 それは勿論、駆の身体が絶不調であるというのも前提の要素だ。駆からすれば澪霞自身よりもそちらのほうが難敵。身を焦がす激痛と難病でうなされているかのような熱、水中の中のよう動きを阻害する纏わりつく何か。一体どれだけの呪いを受ければそうなるかというよな弱体化も現状を構成する要素の一つ。

 そしてさらに言えば、澪霞の持つ武器一つ一つに纏わり付くスパークもだ。髪や口元を隠すマフラーは常として、新たな武器を両手で握る度にそれは発生する。そしてそれは駆の銃剣に触れたと同時に、彼の武器を伝って肉体へと流れ込む。

 スパーク――それはつまり、文字通りの電流だ。澪霞の持ちうる尋常ならざる異能。それによって生み出された雷撃は直撃はせずとも少しずつ駆の動きの精彩を欠いていく。

 そして最も重要であろう点。それこそが無駄の無さだ。

 無駄というよりは躊躇と言っていいだろう。

 開戦時の突撃銃による弾幕と防御の為に使った手榴弾、それを利用した煙幕からの急所への二撃。たった数秒の攻防で、澪霞は常人相手ならば三度は死んでいる動きをしていた。そこから先も同じだ。全ての攻撃は急所狙いであり、殺すためだけの動きだ。その全てを駆は対処しているが、逆に言えば対処しなければ命の危機ということ。

 人形染みた少女はまるで殺人人形のように責め立てる。

 だからこそ、今この場の戦闘は成立していたのだ。駆の体調が良ければ、電撃による阻害がなければ、澪霞が命を奪うことを躊躇わなければ、それこそ数秒もかからず澪霞は殺されていた。

 だが、現実として駆の体調は最悪であり、電撃に動きを阻害され、澪霞は殺すためだけに動く。

 

「……!」

 

「――!」

 

 銃剣の引き金が引かれる。一度ではなく、連続してだ。回転式の銃剣でありなが、突撃銃にも劣らない連射。その上で威力は対物狙撃銃にも匹敵するのだから悪夢としかいいようがない。掠ればそれだけで人間など容易く吹き飛ぶにも関わらず、

 

「っと」

 

 息を吐きながら、銃弾の隙間をすり抜ける。風圧が真っ白な肌を裂き、制服すらも破けさせるがそれでも彼女を止まらない。そもそもこの場での停止は死を意味するのだから。握っているのは両手とも自動式拳銃。この十数分間で彼女が持ち替えている武器は十や二十では足りないだろう。どこから出しているのか解らないが、最早駆は数えるのを止めている。

 自動式拳銃が火を噴く。

 それを駆は斬撃を飛ばして澪霞ごと両断しようとした。それも紙一重で避ける。弾丸は全て潰され、地面を抉りながら背後の木々を斬り飛ばしていたが構わない。避けきれなかった分だけ体が刻まれるが、それすらも無視。突撃銃を両手で振り回しながら撃ちまくる。反動など知ら無いとばかりに連射した弾丸。全てにスパークが宿され、

 

「……!」

 

 顔を歪めながらも駆は斬り捨て、間に合わないものは展開した魔方陣で受け止める。しかしそれにすらも電撃は駆へと巡っていく。一つ一つは効果があるとは言えない。けれど戦闘開始から積み重ねられてきた負荷は確実に駆を蝕んでいく。それが駆にも解っているからこそ、積極的に攻めることはなく、防御や回避が中心になっていたのだ。

 

「フッーー!」

 

 駆の懐に飛び込みながら、連射していた突撃銃を打撃武器として振り回す。銃弾を吐きださなくても、元々鉄の塊であるそれを振り回せば即席の鉄鞭だ。鉄塊がビュンッ(・・・・)バチィ(・・・)という二つの音が木霊し、

 

「!」

 

 銃剣が鉄鞭を斬撃する。銃身が半ばから真っ二つに断ち切れた。右は銀色に、左は黒に。銀はまるでレーザーかなにかで焼き斬られたかのように断面が赤熱し、黒は莫大な負荷が掛けられたかのように拉げて折れ砕けている。

 

「ッ……!」

 

 二つの余波は当然澪霞にも損傷を与えている。右手には火傷を、左手には指の何本の骨に亀裂が入っている。決して小さくはない負傷だが、それでも澪霞は顔色を変えない。火傷を覆った手でナイフを握りしめ、折れた指で新たな突撃銃を持つ。

 そのまま駆の横を通抜けながら斬りつけた。当然それは魔方陣で防がれるがそれ自体はどうでもいい。接触した瞬間に雷撃は確かに届いている。

 

「――」

 

 それは気の遠くなるような作業だ。動きを損なわせる彼女の異能だが、一度の接触で流し込めるのは雀の涙程度のもの。澪霞と駆の実力差ではそもそも阻害が効くかどうかも怪しかった。それでも彼女は全ての攻撃に雷撃を纏わせ、駆に負荷を蓄積させていく。

 人形というにはあまりにも執拗で、人間というにはあまりにも不気味だった。

 事実、駆もまた彼女の戦闘力や異能ではなくその精神に少なくない戦慄を感じていた。

 

「お前は、何を――」

 

 そしてその戦慄を見逃さない。距離を取りながら連射していた突撃銃が弾切れを起こした。逆手で握っていたナイフを共に捨て去りながら、制服の脇下から自動式拳銃を抜き放つ。

 そしてそのまま疾走する。

 

「!!」

 

 その速度はそれまでの彼女の数倍、数十倍を誇り――駆が反応した瞬間には懐へと潜り込んでいた。突然速度上昇。身に纏うスパークや白い光だけではない。まるで何に背中を押されたかのように真っ直ぐ突き進んだ彼女は駆の虚を突き、

 

「……!」

 

 零距離で引き金を引いた。弾倉に込められていた弾丸を残らずはじき出す。魔方陣による防御は間に合わず全てを駆は喰らった。雷撃による補正がなくてもそれだけ喰らえば人間は容易く死ぬ。大量の血が全身を染め上げ、内臓が滅茶苦茶になり、その場で肉塊になってもおかしくなかった。

 それでも駆は生きている。

 死なないし――諦めない(・・・・)

 そもそも体に風穴が大量開いたという程度で死ねるならば津崎駆はこの場で白詠澪霞と殺し合うこともなかっただろう。もっとずっと前にどこかでのたれ死んでいるはず。

 だから彼は動く。

 指の動きで銃剣を回転させ、刀身を澪霞へと振り下ろす。力を載せられなくても宿された二色の色が少女を殺し切るのには十分。だからそうしようとした。

 

「――!?」

 

 しかし全身が硬直していた。戦闘が始まってから初めて生まれた明確な驚愕、そして隙。

 それはまるで体中を覆う血が固まってしまったかのように。雷撃とは別の拘束が駆の動きを一瞬だが完全に止めていた。

 当然澪霞は見逃さない。

 

「――」

 

 硬直の刹那、彼女が行使したのは武器ではなく己の肉体だ。五指を揃えた手刀。それまでよりもより強い雷光を纏わせた必殺。狙いは違えることなく心臓だった。

 射出。

 スパークが弾け、

 

 ――横合いから駆を弾き飛ばした荒谷流斗の胸に直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 気づいたら体が動いていたわけではない。心の奥底に秘めていた何かに無意識が反応した故の行動ではなく、何が起きているのか解らないままにとりあえず動いたというわけでもなかった。。ましてや誰かに操られてとかオカルトな理由でもない。

 何が起きているのか、少なくとも理由や原因はともかく現実としての事実は認識し、それを理解し、その上で――彼は駆を突き飛ばし、澪霞の貫手を心臓部に受け止めていた。

 

「な……!?

 

「――!?」

 

「ィ……ッ!」

 

 驚愕は確実にあった。駆と――そして澪霞も。これまで一度も、そして欠片も感情を見せなかった彼女も流斗の出現には驚愕していた。赤い瞳が見開かれ、小さな唇が小さく開く。

 そして、バチィン(・・・・)という落雷と竜巻が同時に発生したかのような轟音が響き、

 

「いってええええええええええええええええ!!」

 

 流斗は(・・・)弾き飛ばされた(・・・・・・・)

 着ていたジャージのジッパーは吹き飛び、焼け焦げている。胸にも同じような焦げ跡があり――けれど澪霞の貫手が刺さったような痕はなかった。十数メートル吹き飛ばされて、無様に背中から地面を転がっていく。その痛みに悲鳴を上げ、苦痛に呻きながらも、彼はふらつきながらも死んでいない。

 

「どう、して……」

 

 小さく漏れた声は澪霞のもの。

 この場には人払いは済ませていた。街の有力者である白詠の権力操作ではなく、より観念的、概念的な魔導の類による結界とでも言うべきものが張り巡らされていたのだ。一般人が入ってこられる空間ではない。

 けれど澪霞の目には流斗が写っていた。

 

「荒谷、流斗」

 

 掠れた声で澪霞は流斗の名前を呟いた。

 

「……っ」

 

 どうしてとかこっちのセリフだ。というかなんで俺の名前知っているんだ。

 流斗はそんなことを言おうとして、けれど胸の痛みのせいで言えなかった。

 ただなんとなく、澪霞に表情があることに驚いた。

 

「……」

 

 無表情が崩れたのはその一瞬だけだった。すぐに表情を消した彼女は突き飛ばされ膝をつく駆と転がったままの流斗を見て――踵を返して夜の街へと消えていった。

 一瞬で彼女の姿は見えなくなって、後には傷だらけの二人が遺されたのだ。

 

 荒谷流斗の非日常はついさっきから始まっていただろうけど、運命というなら――この時よりもずっと前から始まっていたのだろう。

 多分、きっと。

 

 

 




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リトル・インフォメーション

 

「くそっ、なにがどうなって……」

 

 胸の痛みに吐き捨てながらも流斗はなんとか立ち上がる。胸、というより心臓部の焼け焦げた痕を見て、触れてみる。着ていた服は消えているが、それでも無傷に見える。あの一瞬の閃光で何かが起きたかは解らないが、少なくとも澪霞の手刀が胸に刺さって死亡なんていう目には合わなかったらしい。

 安堵を息を吐いていたら、

 

「お前、は……だれ、だ」

 

 そんな掠れた声が耳に届いた。視線を動かす。動かした先には、ついさっき流斗が突き飛ばした青年が膝を付いていた。見るからに血に塗れて病院へ連絡した方がよさそうな、というかなんで生きてるんだろうと思うくらいにボロボロな男だ。流斗がとっさに病院へと電話しなかったのは単純に電話を持っていないのもあるが、それよりも青年の目が怖かったからだ。怖いというか、おっかないというか、ともあれ結局のところ無駄な動きを赦してくれなかったということだろうことが一番大きい。

 

「あー、アンタってカケルクンでいいの、か?」

 

 睨みつけが強まって先に言うことがなくなった。何故、自分の名前を知っているのか、カケルクンなどという馴れ馴れしくもぎこちない風で呼ぶのかという疑念が入り混じった視線だった。勿論そんな違和感しかない物言いには原因があった。

 

「駆君!!」

 

「っ!」

 

 ダッフルコートの女性が現れた。さっきぶつかった時のように息を荒くしつつ、一目散に駆へと駆け寄る。流斗など全く見えていないように。多分、見てない。思い切り流斗の前を通り過ぎたが一瞥すらなかった。さらに言えば駆もまた女性の出現と同時に完全に意識が外れる。 

 一気に蚊帳の外だ。

 

「沙、姫……お前、なにを」

 

「喋らないで!」

 

 彼女になにかを問いかけようとした駆だったが、けれど女性――沙姫の悲鳴染みた一喝で黙らされる。沙姫が駆の身体の傷に手をかざした。すると彼女の手から光が、沙姫の髪と同じ瑠璃糸の光が溢れ、駆の傷を癒していく。手から発せられる光が傷口に宿り、少しづつ塞がっていくようだった。

 映画の逆再生のようだと他人ごとのように流斗は思う。

 何せ沙姫は涙を溜めながら駆に抱き付くように支えて、駆も彼女の存在に安心したように腕を背に回している。先ほどまで手にしていた銃剣はいつの間にか消えていた。映画の逆再生のようであり、もっと言えば映画のワンシーンのようでもある。蚊帳の外というか観客のようだった。

 

「……?」

 

 胸の痛みは少しづつ消えていった。あの一瞬では思わず絶叫してしまったくらいの、これまで味わったことの無いほどの激痛だったが、それも我慢できるくらいには。何故澪霞があんな風に駆を殺そうとしていたのかは解らないが、確かに彼女は駆を殺そうとしていた。流斗がこれまで感じたことの無い、しかしそうだと理解できてしまう殺気があったのだ。

 ――ならその一撃を喰らって自分はどうして生きているのだろう。

 絶叫してしまうくらいに痛かったし、身体も吹き飛んだ。けれど言ってしまえばそれだけで済んでいる。いや、そもそもあの時流斗が間に合った(・・・・・)というのもおかしかった。流斗が公園に入った時、澪霞が走り出そうとしていた。瞬発は同時で、けれど圧倒的に澪霞の方が早く間に合わない。そこから先にことは一秒も満たない出来事だったというのに、なぜ流斗は駆を突き飛ばすようなことができたのか。比較的公園の中央で戦った二人だった。走っても何秒かはかかるはずの距離をなぜ一秒以下でたどり着いていたのか。

 意味が解らない。

 目の前の二人も、澪霞も、それに自分のことも。

 

「……おい」

 

 思考は呼びかけの声で打ち切られた。見れば、駆が沙姫に支えられながらも自分で立ち、流斗を見ている。即死してもおかしくない傷を受けたはずなのに血は止まっていて、呼吸も整っている。けれど流斗を見る視線だけは変わらず強烈だ。

 お前は何だとその眼が言っている。それはこっちのセリフだけど。

 

「俺は、あー。ついさっきそっちの人にぶつかって、アンタが死んじゃうとか聞いたから急いできたわけなんだけど……」

 

「そんなことはどうでもいい」

 

 ばっさりだった。

 

「お前は、白詠のお嬢のなんだ」

 

「なんだって……」

 

 なんだと言われれば、

 

「……後輩だ。俺のいる学校の生徒会長があの先輩で……いや、なんで俺の名前知ってるとか知らねぇけど、少なくともあの人は先輩後輩で」

 

 それしか言えないだろう。実際に喋ったことはないはずで、面識もない。向こうがこっちの名前を知っているのは驚いたけど。少なくとも向こうはここら辺一帯では有名なお嬢様なのだし。

 

「後輩……そうか」

 

「さっきはごめんね。 えっと、私は雪城沙姫。貴方は?」

 

「荒谷、流斗だけど、ですけど……」

 

 名乗ってから、良かったのかと思ったけれどさっき澪霞が言い残していたから構わないだろう。男の名前一つ知られたからってどうこうならないはずだ。一応年上のようなので思い出したように敬語を使ってみる。色々よくわからない状況だからこそ自分の常識で精神落ち着けるしかない。

 

「できればさっき何があったかについて説明してほしいんですけど」

 

 ここの公園にたどり着いた原因ならば簡単だ。

 道でぶつかった沙姫にカケルクンが危ないとか死んじゃうとかいう物騒な言葉を聞いて良心に従って駆けつけたら映画や漫画の世界だ。当然説明が欲しい。だから問いかけて、

 

「……」

 

 駆は何も言わなかったし、沙姫も困ったようにうかがっているだけだ。

 これは所謂秘密を知られたからにはなんとやらという奴だろうか。それはかなり困るのだけれど。よくわからないままに死にそうな一撃を喰らって、なんとか生き残ったのだから。そうでなくてもまだまだやりたいことは色々あるのだから死にたくはない。

 

「……あの」

 

「いや、いいぞ。教えてやろう。津崎駆だ。荒谷流斗だったな、さっきは命拾いした。礼を言う、ありがとう。あと敬語はいいぞ」

 

「え、あ、はい、うん」

 

 いきなりの馴れ馴れしさだった。表情が緩んでいるという感じではないし、顔色も悪いまま。それでも、それまでの剣呑な空気は払拭されて流斗へと話掛けていた。

 

「ただ、ここでは話辛いな。どこか落ち着けるところに案内してくれるか」

 

「そりゃあいいけど……そんな簡単に話していいことなのか?」

 

「あぁ」

 

 だって、と駆は前置きをしつつ、口端だけを少し歪めて、

 

「お前も関わらざるを得ない話だからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落ち着ける場所という選択肢は流斗の自室しかなかった。できるだけ屋内という話だったし、さっきまで死にかけだった人間を屋外で話させるというのも気分が悪い。よくわからない二人組を家に連れ込むというのは問題だが、少なくとも敵意があるようには感じない。母親も少しの物音で夜中に目覚めることはないだろうし。

 なにより聞きたいことがありすぎた。

 

「それで、何から聞きたい?」

 

 流斗が先に部屋に戻り、散らかっていた部屋のスペースを開けてから二人を窓から入れて――二階の窓だったのだが駆が沙姫を横抱きにして入って来た――流斗はベッド、駆は床に、沙姫は椅子とそれぞれ腰かけていた。

 話すことも聞くことも決まっている。

 

「先輩はなにしてたんだよ」

 

「俺のことを殺そうとしてたんだな」

 

 答え、けれど苦笑し、

 

「そこから聞くか、面白い奴だなお前。まぁそうだな面倒な話になるが」

 

「できるだけ解りやすく言ってくれ」

 

「そうだな。簡単に言えば――護国課っていう偉い所があってな。多分そこから俺や沙姫の捕獲なり抹殺を白詠の家が受けたんだろう。そしてそれを実行したのがあのお嬢様というわけだ」

 

 いきなりよくわからない。

 

「だろうな、だからまぁ――お前、魔法とか信じるか?」

 

 信じない。

 多分数時間前までならそう答えただろう。

 

「ちょっととは見たからなぁ。先輩とかアンタが光ったりすげぇ動きしてる所。信じないわけにはいかない」

 

「まぁ言い方はなんでもいいんだがな。魔法魔術魔導超能力異能神通力、ともかくこの世界には案外そういうのがあるってことを覚えておけ。重力とか引力とかそういうもんだと思っておけばいい」

 

 変な言い方をするなと思った。重力や引力。それはつまり、当たり前のようにあるけれど、完全には解明されていないもののことではないだろうか。よくわからないものをよくわからないままに感じているということ。

 

「間違ってない。なにがなんだか(・・・・・・・)よくわからない(・・・・・・)存在して利用できる(・・・・・・・・・)もの(・・)を俺たちが勝手にそう呼んでいるだけだ。だから呼び方を言いだすと切がない。一応、分類はあるがここでは割愛する。お前が聞くべきなのは別にある」

 

 言いながら流斗を指さして、駆は言った。

 

俺やお前(・・・・)あのお嬢(・・・・)を指して――神憑(カミガカリ)、そう呼ばれている」

 

「――」

 

 神憑(カミガカリ)

  その言葉を口の中で転がしてみる。勿論聞きなれているわけではない。神懸る、なんていう言葉があるけど、多分それとは別なのだろう。

 自分も含まれたことのへの驚きは少なかった。どころか納得さえできた。あの公園での自分が起こしたことに理由があったのだから。魔法とかちょっと荒唐無稽のほうが解りやすい。

 

「さっきのお前のアレもその一端だよ。言ってしまえば一つの体質だ。人種国籍聖別血統は何一つ関係ない特異体質。極々稀に生まれる病気の類と言ってもいい。あるだろ? 何千万とか何億人に一人の奇病とかいうやつ」

 

「……すげぇ例えだな」

 

 病気、奇病。当たり前のことながらいい思いはない。いい思いである奴なんていないだろうけど。

 

「どういう、風になるんだ? 魔法が使えるようになるって感じなのか」

 

 流斗の言葉に頷きながら、手の甲を見せながら右手の人差し指と中指を立てる。それに視線を向ければ指先に黒と銀の光の塊が生まれた。大きさはピンポン玉より小さいくらい。流斗の記憶にある限りでは変わった形をした銃剣やそれが纏っていた光と同じものだ。

 

「使える物は人によって全然違うけどな。俺はこんな感じで光の球とか出して攻撃できるし、あのお嬢は電気……多分、それだけじゃないだろうが。お前がどういう力なのは知らんがちゃんと自覚して使えないと暴走して死ぬぞ」

 

 光を消しながらすごいこと言っていた。

 

「……まじで?」

 

「まじだ、よくあるだろ? 身に余る力が身を滅ぼすって」

 

「……解りやすくて涙が出るぜ」

 

 つまりどうにかしないと流斗の身は滅ぶらしい。命拾いしたと思ったら、今度はまた命の危険性だ。たった数時間で変われば変わるものだと、思わず呆れてくる。

 

「使い方は俺が教えてやろう。ただし」

 

「条件があるってか」

 

「あぁ。別に難しいことじゃない。教えてやる間に俺たちを匿え」

 

「……そりゃあ別に家にいるくらいなら、大丈夫だろうけど」

 

 駆と沙姫。二人分くらいならこの家に居候ということになっても大丈夫だろう。母親がいるが、突然居候が出てきて怒るような人ではない。バイト先の知り合いとでも言えば数日くらいは問題ないはずだ。父親が普段いないから部屋もあるし。

 それでも、

 

「何が目的だ、アンタ。匿って俺にそのなんとかっていう力の使い方を教えてくれるのはありがたいけど、アンタのメリットは」

 

「俺たちはお尋ね者でな。かれこれ何年も逃亡生活を送ってる。ここ最近は碌に休んでいなかったし、少し前に俺が手傷を負ってな。かつてない最弱状態だから休息が欲しい。お前に『神憑(カミガカリ)』の力を教えつつ、その間に可能な限り体を休める……それができればいい」

 

 駆が視線を動かす。向けた先はいつの間にか眠っていた沙姫だ。流斗と駆が話していたのに落ちていたらしい。

 

「……」

 

「見過ぎだぞ」

 

 いきなり蹴られた。

 

「いてぇ、え……ん? 痛く、ない」

 

 足を結構な勢いで蹴られ、打撃音もあったのにほとんど痛みを感じなかった。 

 

「ふむ……お前のはそういうことだろう。よかったな、これなら強めにぼこぼこにしても問題なさそうだ」

 

「アンタ結構いい性格してるな!」

 

「叫ぶな、沙姫が起きるだろう」

 

 本当にいい性格している。

 それに多分、この男は知ってることを全然言っていないだろうと思う。バイト先とかでたまにいるような人種だ。嘘はついていないけれど、聞きたいことを全部言っているというわけでもない。何を考えているかよくわからない人というか精神的な強度が全然違う。

 

「……もうこんな時間か。明日明後日休日なんだから色々聞かせてくれるんだよな」

 

「あぁ。安心しろ。今の話は大分省いたからな。解りやすく、何日かに分けて解説してやろう」

 

「そりゃどうも」

 

 つまり聞きたいことを聞き出すためには少なくとも何日かは匿わなければならないということだ。そして流斗はこのままさようならなんてできない。最低でも『神憑(カミガカリ)』の制御法なり使用法を覚えないと死ぬとまで言われているのだ。駆の言っていることが本当かどうかの確信はなくても、無下にすることはできないだろう。

 

「とりあえず、今日はこの部屋好きに使ってくれ。俺は下で寝るから。明日になったら母さんに頼んでみるから。……一つだけ聞いていいか」

 

「なんだ?」

 

「お尋ね者ってなにしたんだ」

 

 一応、それは聞いておかなければならない。自分だけならばともかく母親のことも考えて。

 

「沙姫はなにもしてない」

 

 まず口にしたことはそんなことだった。黒い男は瑠璃色の女を、驚くほどに優しい目で見つめながら

 

「こいつは被害者だ。勝手に持ち上げられて、勝手に追われてるだけだ。俺はコイツを護りたかった。何を敵に回してもな……お前にもあるだろう? 何を犠牲にしても叶えたい願いってやつをさ」

 

「――なんで」

 

 ない。ないはずだ。そういう確固たるものがないのが荒谷流斗なのだから。なのにどうして駆ははっきりとした確信を持ってそんなことが言えたのか。

 そして駆は意外そうに流斗を見て、

 

「そういう願いを、頭がイカれてるレベルで持っているのが『神憑(カミガカリ)』ってやつだからだ」

 

 ちょっと流斗には無視できないようなことを言った。

 当たり前のことのように。

 

 

 

 

 




情報は小出しに。
そのうち活動報告とかでキャラ設定とか用語のまとめとか作ろうかなと。

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モーニング・トーク

 神憑(カミガカリ)

 それは精神が肉体を凌駕してしまった特異体質を指す言葉だ。言葉にすればなんとも陳腐で、その体質のことを露わした言葉はいくつもあるらしいけれど結局はそういう風に表わせられる。基本的に魔術や超能力のようななにがなんだか(・・・・・・・)よくわからない(・・・・・・)存在して利用できる(・・・・・・・・・)もの(・・)というのは利用者の精神のその強度が準拠する。

 人の願い、祈り、欲望――善悪の区別なく異能の力はそういったものを燃料にするのだ。

 そして神憑(カミガカリ)はそれらの異能の中で精神に最も直結したものだ。

 基本的に異能は何かしらの媒介を必要とする。それが儀式や呪いの類ならば魔術と呼ばれるし、複雑な演算や計算ならば超能力、はたまた精神力だけでなく生命体をも異能の糧とすれば気功とも呼ばれていた。勿論、それらも細かく言えば細分化できるのだが大雑把に言えばその三つだ。

 けれど『神憑(カミガカリ)』にはそういったプロセスがない。願いをそのまま異能として発現させるのだ。願えば願うほど、祈れば祈るほど、欲すれば欲するほど。

 火が欲しくて物を燃やすのではなく火そのものが手に入る。水が欲しくて川から汲むのではなく水そのものが。コストやリスク性の一切を無視した体質。

 だからこそ『神憑《カミガカリ》』。

 神懸っている。

 神が懸かっている。

 神が――憑いている。

 日本語ではそのままの意味。多言語でも似たような意味合いで呼ばれるらしく、実際その力の発言はいわゆる神話の世界からそのまま名前を引用するらしい。既知未知関係なく、自分の祈りに最も即した神格の名前が口から零れる。神様が教えてくれた、などという者もいるらしい。最も有名だったり強かったりする神の名を持ったとしても本人の強度には関係ない。結局のところ神ではなく人の問題だというのは中々皮肉が効いた話だが。

 ともあれこの異能において肝要なのは人ではなく神とまで言えるだけに精神が必要ということだ。

 なんでもいい、しかし確かな、絶対的な、それこそ何に変えてでも叶えたいという願いを先天的に、生まれた時から持っていなければならない。

 そして、それを自覚する必要がある。

 

 それが週末において流斗が駆から聞き出した『神憑』という概念だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……自覚ねぇ」

 

 週末開けの月曜日朝。通学路を進みつつ、流斗はぼやいていた。土曜日、日曜日の間、流斗は駆から『神憑』の説明、それに使い方を教えると言いつつひたすら組手だか苛めだか判断に困るようなことをして過ごしてきた。駆と沙姫の居候の件は簡単に終わっている。バイト先の友人が困っていると説明したら勝手に向こうが駆け落ちかなにかと勘違いして――多分勘違いではないと流斗も思うのだが――笑いながら居候を認めてくれていた。驚くべきことに家事スキルの高い二人で週末の間だけでも急速に荒谷家に馴染んでいた。

 最も荒谷家の一人息子は家に庭にて居候にぼっこぼこにされているのだが。

 防音や認識阻害だとかいう『神憑』ではない魔術の使用によって駆がどれだけ大きな音を立てて流斗を殴っても気付かれない素敵仕様だ。使い方を覚えるには体を動かすのが一番ということだか本当かどうかも怪しい。

 

「いや、意味自体は薄いとか言ってたなぁ」

 

 練習と称した殴り合いもモチベーションを生むためにやっているだけだ。

 何度も繰り返し言われたが大事なのは精神。流斗はその能力を発動したのが命のやり取りという状況だったから戦闘に準ずる訓練をしているだけ。兆しの一端とはいえ一度は確かに流斗は『神憑』という異能を体現している。だったらその時の精神状態を覚えて、いつでもそこに移行すればとりあえずは危険は無くなるということだ。

 

「けど、願いとか今更言われなくても身に染みてるんだけどなぁ……」

 

 中学の卒業式。あの時に雨宮に滅多滅多にされた記憶は未だに焼き付いている。というより忘れたことなんてない。今の流斗はあの時の言葉が根本で動いていると言っても過言ではないのだ。

 何か譲れないものが欲しい。そういうことが想える人でありたい。流斗の願いは間違いなくそれで、自覚しているのにも関わらずあの力は完全に発動しない。精々が体の耐久力が上がっている程度。曰く車にはねられても無傷で済むレベルだが、本来ならばそんな程度ではないらしい。

 等と考えいてたら制服のズボンの中で振動が。

 スマートフォンの着信だ。

 始業前の朝の時間に電話を掛けてくるというのは中々ない。バイト先全てには当分出れないと連絡したし、知り合いでも今から学校で会うというタイミングで掛けるという物好きな奴は一人しかいない。

 液晶をフリックして電話に出る。

 

『やぁやぁこれはこれは息災かい? 週末二日間用事があるとだけ言って一回も顔を出さず連絡も寄越さない友達思いの糞野郎の荒谷流斗君? 君のことを親友だと思っているはずの雨宮照だよ?』

 

「……」

 

 開口一番コレだ。

 

「あーなんだ、態々嫌味言うためにこんな朝から電話してきたのか」

 

『嫌味とはひどい言い方だねぇ。ここ数年は欠かさずに、欠かしても前日連絡が基本で僕と遊んでいるというのにも関わらず電話で一言、しばらく行けない悪い、で切られた僕の気持ちが解るかい? いやぁそれはそれはショックで枕で涙を濡らしたものだ』

 

 嘘つけと言いたかったが、言ったらまた嫌味が広がりそうなのでやめる。ちなみに電話を掛けた時は土曜日の昼くらいだったわけだが、その時すでにしこたま駆の拳やら蹴りやら喰らっていて長話に付き合うだけの元気がなかったというのが正直な所だ。

 

「悪かったよ、急な用事でな。多分しばらく行けない日が多いと思う。だから話し相手なら他の友達に頼んでくれ」

 

 我ながら薄情な言い方だった。いい気分ではないが、それでも実際に当分は雨宮との交流の時間は減らさざるを得ないだろう。よくわからない世界に巻き込ませたくない。いや、できれば流斗も巻き込まれたくないのだが。

 

『友達、友達ねぇ。僕はその単語を聞く度に常々疑問に思うのだけれどね。友達。つまり友人である友と君達とか僕達の達という字を組み合わせるだろう?』

 

「ん? ……そうだな。そういう字だ」

 

 いきなりの言葉で驚くも、友達という字が出てこないほどに耄碌していない。それくらいの言葉ならばすぐに思い浮かぶ。

 

『これってつまり友人というのは複数が前提という意味だろう? 友達という言葉が表すのは不特定多数の友人だ。二人いても百人いても千人や万人いようが友達は友達だ。そうやって十把一絡げにできてしまうのが友達という意味になる。どうだい? 友達という言葉が如何に薄っぺらい響きと意味であるか君にも理解できただろう』

 

「いやそう言われればそうだけどよ」

 

 しかしそんなひねくれた物言いをするような人間はコイツくらいだ。二人と万人は絶対に同じじゃあない。すごい差である。

 

『その点親友はどうだい? 親しき友。或は心の友や信じる友で心友や信友とも表わせれるがそこには不特定多数なんて目じゃない唯一性があるだろう。友達百人作ろうと小学生で言っても、親友は百人も作らないだろう? 親友というのは一人で十分だからだ。僕にとって君のような、ね』

 

「ふむ……」

 

 なるほど一考の余地はある。友達と親友の違いはニュアンス程度だったが、そう言う話ならば二つの言葉には明確な格差が生まれてくる。そして雨宮は流斗のことを親友だと言ってくれた。恥ずかしい言葉ではあるが言われて悪い気はしないし、寧ろ素直に嬉しいと思う。

 そして親友だと思うのは一方通行ではない。

 不覚にもちょっと感動してしまった。

 朝からぼこぼこにされて最悪の朝だと思ったらこんないい話が聞けるとは。

 

『はっはっは、解ってくれたかい? ――まぁ友達の逹の字はだちの当て字で複数の意味なんてないし、親友だって複数対象にも普通に使えるんだけどね』

 

「感動返せよ!」

 

『はっはっは』

 

 オチが酷かった。

 

『いずれにせよ君の感動が君の勘違いであろうとも僕が君を親友だと思っているのは変わらないことだ。なので、君がバイト先に用事とやらを優先したところで僕にそれを止める権利はない。アルバイトとはいえ立派に社会の歯車になっている君と違って僕はそういう類のことは性格的に絶対無理だしね。だから、君は頑張って労働に勤しんでくれ』

 

 そして一度区切って、

 

『かく言う僕は色々反省しているのだよ。君の風来坊ぷりは昔からのことだけれどあの中学の時の卒業式の日に言ったことを真に受けて、その中二病を継続させていることにね。できることならば君がそのまま労働精神に覚醒して――』

 

「覚醒して?」

 

『――僕に美味しい物を食べさせるといいよ』

 

「お前は良い話と下らない話を交互にしないと喋れないのか!」

 

 悪癖とでも言うべき残念すぎる特徴だった。一々流斗が反応するの悪いのだろうが。こいつの場合は最初の方は含蓄がありそうで思わず聞き入ってしまうのだからたちが悪い。

 

『さて君もそろそろ学校につく頃だろう。時間はあまり余裕がないのだから急ぎ給えよ。僕が電話をしたのはいつもより君がくるのが遅いからということもあるしね』

 

「お前はもう学校か?」

 

『もちろん。これでも始業一時間前には学校に来る優等生ぶりだ。見習うといいよ』

 

「はいはい」

 

『ではまた後で会おう。君の今日一日が面白おかしく愉快な日であるといいね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨宮の言葉通り、流斗が教室に入ったのは始業五分前というギリギリの時間だった。今朝も訓練は行ったのでそれに加えて気づかないうちに足取りが重くなっていたのだろう。 体調管理を意識しないといけないなぁと思いつつ、クラスメイトに挨拶をしながら自分の席につく。周りをみれば椅子の背もたれや机の横にコートやマフラーをかけている光景が幾つもある。冬という季節柄仕方ないことではあろうが、そういうのを必要としない流斗からすればかさばるなぁというイメージしかない。

口にすることはないけれど。

寒さに強い自分が防寒具を使わないからと言って自慢できる理由などどこにもない。これが寒さを我慢しているのならば話は別かもしれないが、我慢しているつもりもない。常に自然体なのが自分のステータスだと思う。

何れにせよ、暖房が効いた室内では防寒具云々は些細な話だ。

無駄な話ということに関しては雨宮のことを言えないのかもしれない。 

一時間目の授業の時間割を頭の中で思い浮かべつつ、その教科書を机の中から取り出す。なにやらこの週末でいろいろ世界観が変わった気がするが、高校生の本分は勉強だ。例えそれが月曜日一時間目という誰もが憂鬱な時間を目前にしても同じことだろう。

教科書を取り出し、一緒に見覚えのない紙が床に落ちた。

 

「……?」

 

整理整頓を完璧にこなしているとはいえないが、それでもプリントくらいは纏めている。なのでそれは自分が知らないものでありーー拾い上げながら読んだ文字に少なからず驚いた。

いっそ驚愕、あるいは愕然としたと言っていい。

そんな予感がしていたとはいえ、こういう(・・・・)形で来るとは思ってもいなかった。

『昼放課 生徒会室』

 

達筆な字で二つの単語だけ書かれた紙切れ。

そんなありふれたものが、流斗を非日常へと誘うものだった。




会話が書きやすい雨宮である。饒舌キャラ、ただし意味はない。

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コンフューズ・ランチ

 

 白詠高校の生徒会は少し特殊な部類だ。

 生徒会そのものに特別な権力があるというわけではない。それどころか、役目としてはかなり消極的な部類に入るだろう。委員会や部活動、教師生徒間に於けるまとめ役のが基本的な役目だったはず。

 上ではなく、それぞれを繋ぎ間に立つ。

 表舞台に立つことはないサポート組織が本来あるべき姿だった。そもそも生徒の自主性に任せる、というよりも私立高校なので細かい校則の規定がない故に厳しくなるか緩くなるかという二択に白詠の学園長は必要最小限の戒めのみを残すだけでほとんどが放任主義だ。流斗が矢鱈めったらにアルバイトをしていること当たり顕著だろう。バイト先等で聞いた話では場所によってはバイトどころか携帯の類の持ち込みも禁止する学校もあるらしい。

 ともあれこの高校における生徒会はそれほど重要な地位にあるわけではなかった。

 それも白詠澪霞が生徒会長に就任するまでの話だ。

 生徒会そのものに地位はなくとも、生徒会長になった彼女には確かな地位があった。

 白詠の娘であり、彼女の祖父は現学園長、一族そのものが街の名士、さらに加えて人間離れした容姿。特別視されないわけがない。一般生徒である流斗には生徒会の実情がどういうものであるかは知らないが、しかしそれでも現生徒会が白詠澪霞生徒会長一人のみで構成されているということくらいは知っている。それで生徒会が問題なく運営されていることも。なので、名目上の権限は変わらず、しかし生徒会長故に独特の権力、もっと言えば近寄り難さがあるのだ。

 そんな生徒会に流斗は呼び出しを受け、生徒会室の前に立っていた。

 

「……うーむ」

 

 緊張しているのだろうか。

 自分で自分に問いかけてみる。よくわからないというのが正直な所だ。周囲に人の気配はない。部活動の為の部活棟に通常の学校生活の為に使うそのまま学生棟にその他施設があるわけだが、学生棟自体も校舎は二つに分かれている。一年から三年までの教室がある教室側と職員室や委員会室、それに各種特別教室がある職員側。生徒会室も職員側に存在している。生徒数が膨大というわけでもないのに土地が広かったり設備が充実している辺りいい学校だなと思う。

 とにかく生徒会室は職員側、それも一番上の四階にあるで生徒会役員以外はほとんど立ち寄らない。学校行事や委員会部活会議に使われるくらいで、生徒会のワンフロア貸切と言っても過言ではない。何代か前まではそれでも昼食の場として使われていたという話も聞いたが、しかし今の代ではまずないことだ。

 なので人の気配は皆無。

 下の階や向こう側の校舎からわずかに喧騒が聞こえるがそれだけだ。

 つまり――どんな話をしても聞かれる心配はない。

 

「……」

 

 思わず頭を掻く。やっぱり少なからず緊張しているらしい。

 呼び出された理由なんて言うまでもなく、先週の夜のことだろう。方法は予想外だったとはいえ呼び出し自体は想像していた。クラスに始業前に澪霞の姿を見たなんて話は聞かないので、誰よりも早く登校してクラスを調べてメッセージを仕込んだということだろうが、よくもそこまでやるなぁと思った。てっきり呼び出されるなら校内放送だと考えていたし、駆が一番気を付けろと言っていたのは闇討ちだったし、流斗自身もそれに同感だった。

 いやしかし、ここから先にそういう展開がないとも言えないのだ。

 正々堂々真正面からの不意打ちというのも、在りえなくはない。

 

「……よし」

 

 意を決して、扉をノックする。こんこん(・・・・)という音と共に、

 

「一年の荒谷です」

 

 名乗って、

 

「どうぞ」

 

 答えがあった。大きくはないが、ドア越しでも響く声だった。

 開ければ、多分そこはこれまで流斗の知っている世界とは別の世界があるのだろう。彼が実感していないだけでもしかしたら既に変わっているのかもしれない。

 まぁ今更入らないなんて選択肢はないのだけれど。

 

「失礼します」

 

 まず感じたのは暖かい空気であり、目に入るのは長方形の部屋だ。普通に教室よりは一回りか二回りは小さいだろう。長机が中央に二つくっ付けられ、壁際には書類棚や電気式の湯沸し器、インスタントのお茶や珈琲のマグカップ類。長机の奥には無骨な事務机があって、何枚かの書類が積まれている。正面の窓には一面ブラインドで覆われていて日光は入らず、部屋を照らすのは蛍光灯の灯だけだ。

 そして窓にもたれ掛かるように立ちながら彼女はいた。右手で左の肘を軽く抱き、右肩は窓に預けブラインドの隙間を眺めているように見えた。

 絵になるとかいう次元はなくて、それ自体が既に完成された絵画のように。

 まるで狙ってそういう位置にいるのではないかと思わせるほどの美しさを持っていた。流石に考えすぎだろうけど。

 

「……」

 

 見惚れていたのは多分数秒だった。ゆっくりと流斗を見る彼女と目が合ったからだ。

 真っ白な彼女の唯一色付く血の赤色。臙脂色の制服が色あせて見えるほど。目が合って、ゆっくりと彼女は窓から体を離し、流斗へと向ける。足を踏み入れた瞬間襲撃されるかと身構えていた身としては拍子抜けと言っても良かった。

 彼女は真っ赤な瞳で流斗を眺めてから、僅かに首を傾げて、

 

「……昼食は?」

 

「へ?」

 

「昼食、昼ご飯」

 

「あ、あぁ、昼飯……ね」

 

 予想よりもまるっきり違うことだったので戸惑った。いや、戸惑いは消えないが聞かれたことは、

 

「持ってない、です。購買とか学食とか使ってるんで」

 

 呼び出されたメッセージには昼放課としか書かれておらず、正確な時間が解らなかったので四時間目が終わってすぐにここに来た。多分今頃購買部の人気惣菜パンは売り切れだろう。正直、呼び出しのことしか頭になかった。

 

「――そう」

 

 一瞬間が開いた後に小さく頷いた澪霞の顔に表情はない。そしてそのまま正面の事務机――おそらくは会長用机――の横の床に置いてあった鞄から何かを取り出した。なにやら上品な小ぶりの巾着袋だ。彼女はそれを手にして態々流斗の前まで来て長机に置いて、

 

「どうぞ」

 

「どうぞって……?」

 

「呼び出したのは私だから」

 

 そう告げた彼女はこちらに背を向けて、壁際の湯沸し器やお茶がある机に向かう。

 

「緑茶、紅茶、珈琲」

 

「こ、珈琲?」

 

「砂糖やミルクは?」

 

「な、なしで」

 

 問われたままに答えて、答えたままに彼女が砂糖やミルクもない珈琲を淹れ始めたことに気付いた。もっといえば一つだけではなかった。マグカップを二つ用意して、インスタントの粉を放り込む。お湯を注ぎ片方だけにコーヒーフレッシュと棒状の袋の砂糖を二つ。

 二人分。

 インスタントコーヒーを作るのにそう時間が掛かるものではない。淀みない動作で作られたそれを手にした彼女は再び流斗の前に来て何も入っていない方の珈琲を置いた。置いたままに彼女は事務机の方に戻って椅子に付く。

 それで変わらず突っ立ている流斗と目が合う。

 

「……どうしたの?」

 

「え、あ、いや」

 

 どうしたのと聞かれても。

 

「そんな、俺が食べるとか、先輩の分は」

 

「私はもともと少食だし、一食くらい抜いても珈琲一杯で十分」

 

「あー、でも別に悪いですし……」

 

「気にしなくていい。呼び出したのはこちらだから、食べていい」

 

「……」

 

 一方的な言葉に返す言葉もなかった。彼女の中では自分の弁当は流斗が食べることが決定しているらしい。自分の分の珈琲に口を付けて余計な会話をするつもりもなさそうだった。

 

「……じゃあ、頂きます」

 

 それしか言うことがなかった。澪霞の正面の位置にあった椅子に腰かけて、巾着袋の中身を取り出す。袋以上にまた高級そうな黒塗りの小さな二段重ねの弁当箱と箸。取り出してからも一度伺ってみたが、珈琲に口を付けたままに目を伏せている。

 

「……おお」

 

 恐る恐る蓋を開ければ、中には色とりどりのおかずと五目御飯だ。里芋の煮物に出し巻き卵、白身の魚の切身にきんぴらごぼう。五目御飯の方は薄い醤油色で根菜や小さな鶏肉が混ざっている。ごく普通の、驚くほどに質素な弁当だ。てっきりおせちみたいな重箱弁当とか料理人にでも作らせているのかと漠然と思っていたがどう見ても女の子の和食弁当と言った感じだろう。

 また澪霞の方を見れば我関せずと何かの書類に目を通していた。

 

「いただきます」

 

 とりあえず最初に目が行った里芋に口に運んだ。

 

「うまっ」

 

 思わず歓声が漏れた。それくらいに美味しい。基本的に味の好みも決まった趣向はない。よっぽどのゲテモノでない限りは大体食べられるのが、逆を言えばこれが好きというのもまたなかった。

それでも思わずうまいとこぼすほど。味付け自体は薄く、少し甘目だが素材の味は生きているし、その薄めの味付けが素材自体の味を引き出している。続いた魚の切身も脂が乗っていたし、出し巻き卵も出汁が効いている。他のも思わず唸るほどに美味しい。

 一応流斗も普通レベルには料理はできるがしかし、ここまでは無理だ。明らかにプロの味だ。

 

「これ、先輩が作ったんですか? 凄い美味しいですけど」

 

「……違う、家政婦さん」

 

「あ、やっぱそういう人いるんすね。お家凄い大きい日本家屋って聞きましたけど」

 

「一応、庭師の人とかお手伝いさんは何人か」

 

「へぇ……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 あっれーなにやってんだー? と流斗は我に返った。

 結構なレベルで命の覚悟とかしていたのに談笑――そう言えるかはともかく会話は何気に成立してる――しながら澪霞の弁当を食べさせてもらっているとか予想外すぎる。何度かチラ見したが、澪霞は変わらず珈琲を口元に運び、書類を読んでいるまま。表情が読めないどころか、そもそも書類に隠れて見えなかった。

 味を確かに美味しかったが、それでも気まずさは大きかった。

 それでも食べるのに時間は掛からない。無言で数分も掛からずに食べ終えて、

 

「ごちそうさまでした……あの、洗って返します」

 

「いい。そのまま置いておいて」

 

「あ、はい」

 

 短くはっきりした口調は冷たさはなくとも恐ろしく鋭利だった。こうしてちゃんと会話したのは初めてだし、全校集会等以外で言葉を話すのも初めて見た。

 思ったよりも会話は通じる。

 いや当然か。

 人形のような人だと誰もが言うし、誰もが思うけど――彼女だって人間なのだから。

 いや、それでもただの人間ではないのか。

 人間は人間でも、神が憑いた――人間。

 

「――荒谷君」

 

 名前を呼ばれたということに気付くのには一瞬遅れた。君付けに戸惑ったというのもあるが。遅れて返事を返す間もなかった。いつの間にか書類から目を離し、珈琲も置いている。

 そしてその真っ赤な瞳で真っ直ぐに流斗を見つめ、

 

「津崎駆と雪城沙姫を引き渡してほしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの二人は君が思っているよりもずっと危険人物。可能な限り早く二人の居場所を私に教えてほしい」

 

「……」

 

 空気が変わったことを流斗は実感していた。何が変わったか聞かれると答えに困るが、しかし確かに何かが変質していた。多分それは彼女の心構えとかそういうものなのだろう。

 

「教えてくれれば私で処理するし、君に被害は出させない。……君の体質も此方で教導できる。最低限、暴走の危険性を無くすレベルまでに習得できたら日常生活に私たち(・・・)のような存在が関わってこないことも約束する」

 

「……本当ですか?」

 

 あまりにも流斗にメリットが多い話だ。ちょっと胡散臭いくらいに。曲りなりにもこの前の夜、流斗は澪霞の仕事(・・)を邪魔しているのだ。『護国課』とかいう組織からの依頼なのだから、それを阻害したのだから罰なり報復なり受けても不思議ではないのに。

 訝しげな思いは澪霞に伝わっていたらしかった。

 

「それは当然のこと」

 

「……?」

 

「君はこの白詠の街の民で、この学校の生徒だから。だったら白詠の娘としては護らなければならない対象。君が得して当たり前。それが私のやるべきこと」

 

「……ッ」

 

 今度こそ間違いなく衝撃を受けた。

 驚きとか疑問とかそういうレベルではなくて、脳天をガツンと殴られたと言っても過言ではない衝撃。目の前の彼女は明確に自分のやることを定めていて、それに疑問を挟むことはなく、そして実行しようとしている。ノブレス・オブリージュとでも言うのだろうか。自らが受けた姓の重さを彼女は理解し、その重さに込められた責任から逃げずに担っている。

 生きる理由と戦う意味を白詠澪霞は明確に抱いている。

 あぁ、それは荒谷流斗がどうしても手に入らないもので――

 

「だから、君からあの二人を引き離したい」

 

「……あの人たちがそこまで危険なんですか」

 

 少なくとも流斗の目から見れば変わった人たちであることは確かだが危険というわけではない。確かにこの二日間どれだけ殴られたのか考えるのも馬鹿らしいが、それでもそれはあくまで手段で駆は流斗を痛めつけようとしたわけではない。沙姫に関しては普通に優しいお姉さんというイメージしかないほどだ。

 

「先月の隣の県で起きた港町の火災覚えてる?」

 

「え? あぁ……そいやぁ一時期ニュースになってましたね」

 

 話が跳んだことに戸惑ったが、言われたことは知っている。彼女の言葉通り、先月海に面した隣県の港町一帯で大火災が起きて馬鹿にならない被害が出たらしい。丸三日も火災は完全に収まらず、未だに復興中だったはずで、少し前までニュースで引っ張りだこだった。たしか天然ガスが漏れたり船の燃料とかも一緒に爆発したらしい。口に出せば馬鹿らしいことが実際に起きたのだから笑えない。不幸中の幸いはガス漏れが事前に市民に伝えられていて避難が間に合ったことか。

 

「あれは津崎駆によるもの」

 

「――は?」

 

「最上位のまじゅ……刺客五人が密出国しようとした津崎駆と雪城沙姫を迎撃した。結果、三日間戦い続け、街一つを壊滅させながらも津崎駆が勝利した。もっとも彼も深い手傷を被って、しばらく動けなかったらしいけれど、つい数日前にこの街に入ったから私が追撃の任を担うことになった」

 

「ちょっと待ってください」

 

 頭が追い付かなかった。

 

「え? つまり人間五人戦ったくらいで街一つ吹き飛んだ? 三日間戦い続けて? マジですか」

 

「真実」

 

「うっそーん」

 

「ホント」

 

 意外に付き合いいいなぁと現実逃避しかけたが、そんな暇ではない。

 

「あの人そんな強いのか……あれ、じゃあ、この前の夜の時に駆さん殺しかけてた先輩はもっと強い」

 

「……それは違う」

 

 何か癇に障ったのか妙な間があった。

 

「さっき言った通り先月の戦いで深い手傷を被っている。ごこ……追撃の任務を与えてきた人たち曰く、最弱どころか封印状態と言ってもいいほど。あの夜には幾つか策を打ったけれどもう通じないだろうし、向こうが本来の状態ならば鎧袖一触だった」

 

「なるほど……」

 

 それにしたって自分よりも遥か格上を追い詰めるというのは凄いことなのではないのだろうか。勿論流斗には戦闘のイロハなど解らないが漠然と思う。

 

「とにかく。君は二人の居場所を私に教えてほしい」

 

「すいません断ります」

 

 即答した。

 

「――」

 

 真紅の瞳と目が合う。

 少し話して、会話は通じて、意外にいいノリをしているけれどやっぱり感情は読み取れなかった。

 

「何故?」

 

「少なくとも俺にはあの人たちが悪い人には思えないし、それに」

 

「それに?」

 

「俺が喋れば先輩はあの人たち殺すなり捕まえるなりするんですよね? それは、御免ですよ」

 

「……そんなにも彼らに情が移った?」

 

「さぁどうでしょうね」

 

「――そう」

 

 流斗は自分の身体が強張るのを感じだ。緊張による硬直だ。今の言葉は本心だったとはいえ些か調子に乗っていたという自覚はある。ゾッとするくらいに静謐を保つ彼女の変化は見られないが、それでも今ので反応がないわけではないだろう。

 頭の悪い、或は舐めた物言いであることを自覚した言葉は、

 

「なら、いい」

 

「は?」

 

 拍子抜けするほどに呆気ない答えだった。

 

「いいって……そんなんでいいんですか」

 

 呆けながら聞き返した言葉にも彼女は小さく頷いただけ。いくら何でもその対応は違う。

 流斗が(・・・)欲しかった反応(・・・・・・・)とは決定的に(・・・・・・)異なっている(・・・・・・)

 故に思わず、自分でもよくわからない勢いで声を荒げそうになって、

 

「時間」

 

 澪霞が呟いた。言われ、時計を見ればあと五分程度で昼放課が終わる時間だ。

 

「今日の話はここまで。明日また同じ時間に来て」

 

「……はい」

 

 機先を制され、素直に頷くしかなかった。有無を言わせない鋭利な言葉には反論させない何かがある。感情なんて全く感じないのに明確な意思はある矛盾。

 

「って明日?」

 

「まだ話は終わってないから。とにかく、ちゃんと考えて。それから最初の話を忘れないで」

 

「忘れないですよ、そりゃあ」

 

 忘れたくても忘れられないだろう、色んな意味で。忘れろと言われる方が困る。軽く息を吐きながら、椅子から立とうとして、

 

「待って」

 

 呼び止められた。まだあるのかと思えば、彼女は流斗の前に於かれていたマグカップを、弁当の中身が和食だったから一緒に飲まないで結局放っておかれた珈琲を指さして、

 

「せっかくだから」

 

「……いただきます」

 

 口に付けた珈琲は温くなっていた。 

 美味しかったけれど。

 

 

 

 




初めてのちゃんとした会話ー。しばらく色々対話メイン

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ダブル・カンファレンス

「それはまた変というか、噛み合ってない話だな」

 

 生徒会室に呼び出された放課後、寄り道をせずに真っ直ぐ帰宅して澪霞との会話の一部始終を洗いざらいぶちまけた上での駆の感想がそれだった。

 流斗の部屋、床のものは部屋の隅に片付けられ男二人胡坐をかいて対面していた。窓の外は既に暗く、耳をすませば夕飯を調理中の母親と沙姫の談笑が聞こえてくる。出逢ってから未だに三日程度であるにも関わらず、女性陣二人は早くも意気投合したらしい。仲良くなるのはいいことだと思うからいいのだが。

 

「やっぱ、そう思うか」

 

「というかお前話聞けば飯と珈琲奢ってもらってるだけじゃねぇか。何をやってるんだもっと使えそうな情報を貰って来い」

 

「無茶言うなよ……」

 

 確かにああいう風に見逃された感があって、相手がかなり甘いのだからなにか使えそうな話を聞いとけばよかったのかもしれない。それでもそんな余裕はなかった。今だから思うけどかなりテンパっていたし、会話そのものも噛み合っていなかった。

 

「いやでもマジなにやってんだ俺。飯とか喰ってる場合じゃねぇだろ雨宮に殺される――物理的にも社会的にも」

 

「アグレッシブな親友だなおい」

 

 白詠澪霞への嫌悪感をあそこまで露わにしていた雨宮に聞かれたえあ本当に起こりかねない。好き嫌いが完全にオンオフなので何をやらかすのか解らないのだ。

 

「ば、ばれなければ問題ない……はず」

 

「親友の姉妹を口説いてる主人公みたいだな」

 

「どんな例えだよ……」

 

 馬鹿な会話している自覚はある。男二人が顔つき合わせてればこんなものだろう。沙姫と母ほどではないがこの三日間でそこそこ交流は持てたし軽口くらいは叩けるようになっていた。澪霞にも思ったことだが意外にノリがいいのだ。

 

「それで? 白詠のお嬢の話を聞いて俺に聞きたいこととかあるだろ? お嬢に聞きにくいこととか」

 

「まずそのお嬢って呼び方なんだよ」

 

「言葉通りだな」

 

 何故か駆は苦笑しつつ、

 

「街の有名な家のお嬢様という意味でもあるが、白詠家っていうのは俺たちの世界では結構有名だ。護国課って覚えてるか?」

 

「アンタを追っかける任務を先輩に出した組織かなんだろ?」

 

「あぁ。その護国課にお嬢の祖父、白詠海厳は大昔に所属していて今でも強い発言権がある。海厳はお前も知ってるだろ」

 

「そりゃ学園長だから入学式で見たけどな。あのめっちゃ怖そうな爺さんもそっち側なのかぁ……まぁ先輩がそうなんだからそうかと思ってたけど」

  

「戦中における帝国軍の英雄だ。つまり俺がお嬢というのはそういうこと。お前が思ってるよりも白詠澪霞は有名なお嬢様だってこと。英雄の孫娘だからな」

 

「……ふうん」

 

 白詠海厳に対して知っていることはあまりにも少ない。言葉にした通り強烈な強面ということだけ。年齢は知らないが戦中の英雄なんて言われてくらいなのだから今で八十や九十代だろう。よくもまぁ学園長なんて仕事をやっているなぁと思う。

 それにしたって関係が薄すぎて、ふうんとしか出てこない。

 祖父が凄いと言われてもピンとこないのが正直な所。

 

「あとはそうだな。これは余談になるが『護国課』とは別に『陰陽寮』も覚えておけ。お嬢の問題をどうにかしたら、その後に来る危機としては一番可能性が高いからな」

 

「今度は何だ」

 

「『護国課』は比較的ハト派だが『陰陽寮』はがっつりタカ派だ。お前みたいな野良の『神憑』の存在が連中に知られると捕まって兵隊にされたり、刃向ったら洗脳されたりして兵隊にされる。戦闘力なかったり、弱かったりしたらまぁ人体実験だな」

 

「なにそれこわい」

 

 裏世界の名に恥じない怖さだ。切実に関わりたくない。とりあえず聞かなかったことにして話を変える。

 

「そいやアンタ、先輩に封印状態とか言われてたけど実際どんなもんなんだ?」

 

「んー」

 

 駆が腕を組んで、何やら視線を上にあげた。はぐらかしているようにも、言葉に困っているようにも見える。

 

「封印状態か、言い得て妙だな。まぁその通りだ。魔力も封印されてるし傷も治癒不能の奴受けたり超激不運な祈り背負わされてるし呪いで重病人みたいな状態だし伝達神経しっちゃかめっちゃかで反射神経が機能してないが……まぁ、お前は気にしなくていい」

 

「なんかすげぇこと言ってる気がしたけど」

 

「よくあることだ」

 

「いやぁ多分そんなないことだと思うけどなぁ」

 

 もしよくあることだったら恐ろしすぎる。さっきほどの『陰陽寮』だって可愛く見えるほどだ。駆の言っていることは半分くらいしか理解できてないだろうが、それでもその半分だけ理解しても今こうして普通に会話できているのが不思議なレベルだ。先輩があれだけ危険視していたのも納得だ。

 

 

「……ん? ちょっと待った。アンタこの前俺らみたいな『神憑』には魔力とか要らないって言ってなかったけ。そういうのを必要としないからすげぇとかなんとか」

 

「あぁ、それか。……お前、サプリメントで生きていくのに必要な栄養は取れるから普通の食事はしないっていう奴のことどう思う?」

 

「……人生損してる馬鹿としか」

 

「ははは同感だ――この人生損してる馬鹿め」

 

 物凄い暴言だったのでグーパン突き出したら華麗に避けられて関節を決められた。

 

「あ、ちょ、なにこれ全身動かないんだけど! そんな痛くないのに!」

 

「ほう、関節自体へのダメージも薄いか。なるほどなるほど」

 

「冷静に分析すんなぁー!」

 

 十回ほどタップを繰り返してようやく解放された。どこが封印状態なのか激しく謎である。

 

「まぁ『神憑』だって魔力があれば魔法だって使える。俺は生まれつき保有量が馬鹿でかかったから魔法も覚えたし『神憑』としての技能も覚えたってだけだ」

 

「そういうって両立するもんなのか」

 

「する。そうだな、ちょっと噛み砕いて説明してやろう。沙姫や奈波さんもまだ飯作ってる途中だしな。……夕飯何作るって?」

 

「あー、上がってくるとき見た感じオムライスだったかな。卵とか野菜だして米炊いてケチャップだしてたし。ちなみにうちは薄焼きで包む派だ」

 

「王道だな、いいことだ。それで、お前――ゲームとかやるか?」

 

「ゲームかぁ」

 

 話が跳んだ気がするがここ数日間の間ではよくあることだったので疑問は挟まない。多分繋がってくるはずだ。少なくとも昼の澪霞との話の後ではこれくらいなんともなかった。

 

「あぁ。ファンタジー系のRPGとか」

 

「有名なやつとかはたまにやるかなぁ。一通りストーリークリアしたらそれで終わるけど」

 

 所謂ゲーム屋で店頭に並ぶような話題作ならば、金に余裕がある限りやっている。一時期中古を買いあさったり、クラスメイトから借りたりしたこともがあったが最近では数か月に一本程度だ。多分、部屋を漁ればどこかにゲームソフトのケースがあるだろう。ちなみにオンラインゲームの類は受け付けなかった。ああいうのは流斗からすれば相性が悪い。

 

「ああいうのは主人公とその仲間たちというパーティーだろ? 剣士とか戦士とか魔法使いとか盗賊とか。たまになんか和風のだったりやたらメカメカしく近代的だったり、それぞれの世界観の中では特別な能力とか使うし、敵側だと闇とか邪悪とかそういう名前の力が付いた不思議パワーを使うだろう。大規模MMOなんかだとそれこそ多種多様に」

 

「言われてみれば確かにそうだけど」

 

「そんな話を昔知り合いに聞いて俺はこう思った――ネタがなんだろうとシステム的には結局同じだろ、と」

 

「うわぁ……」

 

 身も蓋もない話だった。そんなこといったらデジタルなもなんて0と1の塊でしかない。凄い嫌な顔をしたらそれは伝わったらしく駆も神妙な顔で頷いていた。

 

「そのまま同じこと言ったら案の定すごく怒られてから三日間くらいひたすらゲーム三昧でそれからも新作出る度に攻略させられてなぁ……」

 

「その知り合い怖いな」

 

「お前の親友程でもない」

 

 どっちもどっちだった。

 

「何はともあれ、所謂ゲームのMPっていうのは存在するんだよ。『神憑』はそういうのを消費しない特性みたいなものだと思えばいい。ステータスの上昇や特殊技能とか必殺技とかを覚える追加コマンドだ。個人差はあるがな」

 

 つまり纏めると、

 

「魔法とかと『神憑』は別だって考えていいのか。アンタはプロセスの有無がどうこう言ってたけど、それは根本的な話で、実際に使う分には別物だって?」

 

「そういうことだ。魔力っていうのはどれだけプロセスを許容できるかを意味する。解ったか?」

 

「まぁなんとか」

 

 ゲーム式というのは解りやすい。実際どれだけ魔法とかあると言われても駆が目下目的としているのは『神憑』の制御方法だ。正直触れてみないと実感が湧かないし、積極的に触れたくもない。

 いや、でも、

 

「俺も魔法とか使えたりするのか?」

 

「『神憑』の性質による。だからそっちが先だ」

 

「そうかぁ」

 

 落胆しなかったと言えば嘘になる。興味がないのもだ。やっぱり使えるのだったら使ってみたいなという思いはあった。このあたりが何にでも手を出したが流斗の悪癖とも言えるものだが『神憑』の制御は命に係わるのだからそれが最優先だろう。澪霞も魔術師や護国課という単語を使わず、彼女たちのような世界との関わりも生まないと言いながら『神憑』の制御だけは教えると言っていたから余計にそう思う。

 

「おーい」

 

「ん」

 

 部屋の外から沙姫の声が聞こえてきた。

 

「御飯だよー」

 

 言われ、オムライスかと二人で立ち上がり、

 

「チリソース餡かけ卵炒飯だよー」

 

 二人して思わずずっこけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男二人が勘違いでずっこけたのと同時刻――白詠澪霞は祖父である白詠海厳と向き合っていた。

 白詠の家だ。純和風の日本家屋。使用人を必要とするほどに広い敷地面積。小さな池もあるし鹿威しや錦鯉だって存在していて、或は高級料亭と言われても信じそうな家だ。しかし、広く豪勢な家に反して、実際に住んでいるのは使用人を除けば二人しかいない。

 即ち向き合う澪霞と海厳。孫と祖父の二人だけ。

 二人がいる和室は驚くほどに質素だ。調度品の類は床の間にある二振りの刀だけであり、それ以外のものは一切置かれていない。

 

「つまり、その少年はこちらの保護下に付くつもりはないということか」

 

 低く、はっきりとした声だ。澪霞のようなアルビノではなく加齢故に染まった白髪を後ろの撫でつけた老人こそが白詠海厳。今年で八十七になる高齢者であるがしかし年齢など微塵も感じさせない鋭い眼光と伸びた背筋。六十代と言われても信じられるだろう。黒の和服と羽織を身に纏い、澪霞の前で胡坐をかきながら彼女の話を聞いている。

 

「はい」

 

 澪霞が頷く。彼女もまた制服や和服ではなく藍色の簡素な和服を着ている。

 

「ふむ」

 

 完全に無表情な澪霞とどうみても怒っているよな険しい顔の海厳の空気は恐ろしく張りつめているようでこの二人はこれで正常だ。

 

「どうするつもりだ」

 

「説得します」

 

「ほう」

 

 海厳の眉がピクリ動いた。それ以外は何も変わらない。それでも澪霞は祖父が自分の言葉に彼が少しばかりの興味を抱いていることが解った。

 

「今の彼は此方側のことも、『天香々背男』のことも、雪城沙姫のことも理解していません。理解していないから此方を拒絶するのならば理解させればいいだけの話です」

 

「最もだな」

 

 確かに澪霞の言葉は正しい。それは海厳も認めること。けれど、

 

「できるか? 言っておくが時間はそれほどないぞ。今回の件は白詠の土地である故に陰陽寮の介入はまだ時間があるだろうが、護国課は別であろう。儂が口添えして主に任せたとはいえ時間が経てば他の家や本隊の輩も来るであろう」

 

「解っています」

 

 当然のことのように彼女は頷いた。そして少し躊躇ってから、或はただ単に息を吸っただけなのか間を置いて、

 

「――一週間以内にけりを付けます。それまでの介入を差し押さえるようにお願いします」

 

「――ほう」

 

 先ほどと同じことを呟き、しかし込められた感情はまるで違った。先ほどのようにただ興味を誘ったわけではない。確かに海厳は澪霞の言葉に少なからずの驚きを抱いていた。言葉を発した澪霞は反応を見せた祖父を見つめ続け、海厳も探るように視線を返す。傍から見ればにらみ合っているようにしか見えない視線の交わりはたっぷり数分近く続き、

 

「よかろう。主に言う通り、一週間はネズミ一匹入れぬように取り測ろうではないか。しかし、解っているな」

 

「はい。白詠の娘として二言はありません。任された名は必ず達して見せます」

 

「……ならばよいがのぅ」

 

 毅然とした孫娘の物言いに――しかし海厳は顎に手をやりそんな風に言うだけだった。明らかになにか含みがあるのだろう。それは澪霞にも解っていた。少なくとも今のように彼女は祖父に自発的に意見したのは初めてのことなのだから。

 

「……」

 

 視線を交し合う。互いに饒舌ではない故に、目は口よりもずっとものを言う。互いだけにしか解らない、いや澪霞のほうから海厳の考えを読むことなどできるわけもないのだが。そこは年季の問題だ。引退したとしても、かつて世界大戦を潜り抜けた男と未だ二十歳にならない少女では経験が違いすぎる。

 それでも――澪霞が『神憑』として何を願っているのかだけは海厳も知らない。

 

「――まぁよい。主の言う通り一週間は好きにするといい。……下がっていいぞ」

 

「はい」

 

 勿論、今の彼女が津崎駆を捕縛なり殺害することは極めて難しいと海厳も解っていた。しかしそれでも圧倒的格上に対しどのように立ち回るかというのは思考訓練だけで得られることの無い経験だ。例え失敗したとしても、得難いものになるだろう。

 それは澪霞にも解っている。

 それでも彼女はやる。

 なぜならばそれこそが彼女が思う白詠の娘だからだ。

 

 

 



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プログレス

「ぐあっ」

 

 鼻筋に衝撃を受けて背中から地面に倒れる。

 鼻の頭や眉間の辺りに痺れのような感覚と鈍い痛み。背には芝生と土の感覚があって視線の先には少し暗い冬の空。突き抜けるような空、とは言わなくても深い色を持つ青は吸い込まれそうになる。できることならばずっと眺めていたなぁと思うが、

 

「おら、起きろ」

 

 大の字に広がっていた足を蹴られた。痛くはないが感覚があって、それに従って視線を向ければ蹴った相手は流斗の黒のジャージを着ているの駆だ。高校一年生としては平均的な体型ではあるが、長身の駆が切れば七分丈にしかなっていない。口に出すと負けた気分になるので絶対言わないが。

 自分が着ているジャージの葉っぱや土を払いながら立ち上がる。

 『神憑』制御のための早朝訓練四日目。しかしやっていることは大昔の少年漫画染みたことでしかない。

 

「……」

 

「もう一回やるぞ」

 

「あぁ」

 

 頷きながら緩く拳を握る。右拳は胸の前に、左拳は腰のあたりに。構えとしての意味はあまりない。空手と柔道は中学時代に少しかじったし、バイト先のアクション映画好きの人になんちゃって拳法を教えてもらったこともある。それでも所詮は素人に毛が生えた程度。変に頭を使うよりも、自分が一番楽な体制がいいだろう。

 数度呼吸を整えて

 

「行くぜ」

 

 行く。 

 地面を蹴りつけて前へ。特別広い庭ではない。住宅街の一軒家の隙間にあるようなもので、狭いというわけではないが、それでも動き回るには手狭な感覚もある。

 だから距離を詰めるのにも一瞬だ。流斗の足で四歩か五歩。進んで、そのまま握った拳を突き出した。

 

「いいか。お前がこの先どうなるかは知らないが最低限身を護る手段はあって悪くない」

 

 だが駆は言葉と共に軽く手の甲で流斗の拳をはじいて逸らす

 

「このっ」

 

「どういう能力なのかは俺も知らんが少なくとも体の耐久度が上がってるんだから簡単な体術は覚えた方がいい」

 

 逆の拳を打ち込んだが結果は変わらなかった。

 

「いいか、大別するな四種類ある。まず一つ」

 

 言いつつ、流斗が叩き込んだ拳を駆は今度は避けなかった。右拳はそのまま遮るものがなく駆の胸部へと進み、

 

「っ」

 

 受け止められる。鉄の塊か何かを殴ったような感覚だった。痺れがあり、もし拳を緩めにしていなければ骨を痛めていた。

 

「相手の攻撃は大体護るか受け止めるか我慢するかしてそれから相手を殴るガードタイプ」

 

 駆の右手が動き一度左右に振られた。その予備動作の間に流斗は一歩飛び退くことによって駆の腕の範囲内から脱出していた。一日目の朝はこれで殴られて終わっていたがさすがに学習している。後退して、次の駆の動きを見極めようとして――それよりも早く背後に回り込まれていた。

 

「基本避けて数を重ねるスピードタイプが二つ目」

 

「く!」

 

 パスっ(・・・)という渇いた音が三回。軽い手首のスナップで放たれた右手だ。痛みはないが、しかし三回喰らったという事実は確かにある。

 

「このっ!」

 

 背後に向かって放ったのは振り返り気味の右裏拳。思いっきり振り返ったので勢いはそれなりにあり、普通ならば軽く昏倒なり鼻血くらいは出させるであろう一撃だったが、

 

「受け流しや捌きで隙を無くすテクニックタイプの三つ目に」

 

 振りぬいたと思った瞬間にはいつの間にか右腕全体の関節を決められていた。

 

「ぬぐっ……!」

 

 動かない。痛みははやりないのだが右腕がコンクリートで固められたかのように完全に決められている。無理に動けば壊れる、そんな思考が働いて流斗の動きが止まり、

 

「最後」

 

 腕が解放された。振り払われながら横回転。前と後ろが逆転し、無理矢理向き合わされて、

 

「一撃に掛けるパワータイプ。ちゃんとガードしろよ」

 

 ガードする間もなく拳が流斗の胸の中央に炸裂した。先ほどとは逆の立ち位置。しかし全く効果の無かった流斗の拳と違い、駆のソレは確かに威力を発揮していた。

 

「がはっ!」

 

 痛みはない、けれど衝撃そのものが消えるわけでもない。打ち込まれた一撃に一瞬だけ体が浮く様な感覚があり数メートル背後に吹き飛んで塀に激突する。

 

「ごほっ、ごほっ!」

 

 背中全体を強かに打ち付けて肺の空気が吐き出された。胸と背中の鈍い痺れにサンドイッチされ不快感が流斗を襲い、そのまま塀を背にして崩れ落ちる。息は気づかぬうちに乱れ荒くなっていた。

 

「やれやれ……。これで一体何度目だ」

 

「う、うっせぇ……」

 

 十から先は数えていなかった。それも一日目の土曜日の話だ。この四日間でどれだけ殴られたり投げ飛ばされたりして、地面や塀に叩き付けられたのか考えるのも億劫だった。最初の方こそ負けん気を起こして、半ば自棄になって反撃を繰り返したが数十回くらい繰り返せばいい加減諦める。三桁突入してなければいいなぁくらいにしか思ってない。

 それもどうかと思うけど。

 

「しかし、全く進歩がないというわけでもないか。余波レベルとはいえ機能していることはしているからな。普通だったら今ので胸骨砕けるなり内臓痛めるなりしてるんだが」

 

「あんたさらっと怖いこと言うよなぁ」

 

 それでも確かに流斗の身体にそんな損傷がないのも確かだ。そんなレベルの一撃を受けても、息がつまるというだけでそれだけだ。ちょっとおかしいなと思う。少し不気味だ。十五年間付き合ってきた体が全く別の物になっていく感覚がある。

 

「これ……意味あん、のかね」

 

「ないわけじゃない。さっきも言ったがある程度戦闘対策必要だ。お嬢が何時実力行使に出るのかもわからないし、俺もいつでも戦えるわけじゃない。少なくとも荒事には慣れておかないといざという時に体が動かなくて終わりなんて目にあうぞ」

 

「正論過ぎて、涙が出る、ぜ」

 

 そんな機会がないことを切実に祈る。最近切実に祈ってばっかだが色々普通ではない体験をしているのでしょうがない。

 ようやく痺れが消えて息を長く吐きだす。冬の早朝ということで気温は低いが一時間近く動いていたので体は熱いし、汗は流れていた。

 

「ほら」

 

「どうも」

 

 駆にもらったタオルで汗を拭く。痛覚が鈍くなっても触覚は健在なので汗の不快感を拭えるのはありがたい。そしてこうやってタオルをくれるということは今日はこれで終わりということだろう。六時

から初めて大体一時間。朝食や準備を含めれば頃合いだ。

 つまりは今から学校に行って、

 

「昼には先輩と面談かぁ……」

 

「頑張れ若人」

 

「うわー他人ごとー」

 

「今のところは完全に他人ごとだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「考えは変わった?」

 

「いえ、別に」

 

「そう」

 

 しかしそれでも流斗にとっては完全に自分ごとだ。

 朝食を食べてから母親に見送られながら家を出て、昨日のような雨宮からの電話はなくそのまま学校に。それから特に何事もなく気づけば昼放課を迎えていて生徒会室にて澪霞と対面していた。

 配置は昨日と同じ。昨日と違うことは流斗が直前に購買で昼食を買ってきたことだろう。購買の袋を見た澪霞は数秒それを眺めていたけれど何も言わなかった。

 生徒会室に入ってすぐに今のようなことを聞いてきただけだ。

 

「……」

 

「……」

 

 それで会話が途切れてしまった。

 なんというか、予想していたのと違う。

 

「せ、先輩?」

 

「?」

 

「昨日の話の続きとかはないんですか」

 

 そんな流斗の問いかけに澪霞はなんとなく首をかしげるような仕草を無表情のままに行って、

 

「……? さっきした」

 

「っ……」

 

 あれで終わりかよ!? と突っ込むのに我慢するのには驚くほどの精神力が必要だった。7

 流石に先輩にそんなことを言ったら怒られるはずだ。目上の人にタメ口で話すのはある程度仲良くなって、向こうの許可を得てからするべきだろう。

 いずれにせよ既に彼女の話が終わっていたというならばどうして態々呼び出されたのだろうか。それだけなら朝や放課後にでも呼び出してくれればよかっただろうに。いや、他人に聞かれるわけにはいかない話なのだし、この生徒会室という空間は適切だろうが、昨日のように珈琲を出されたら少なくともその分は飲まないと失礼だろう。というか飲まなかったら昨日みたいに飲むまで返してくれそうにない。

 結局のところ流斗は恐ろしく今の空気が気まずかったのだ。 

 

「あの、じゃあちょっと質問いいですか」

 

「どうぞ」

 

「先輩のお祖父さん……理事長もそっち側の人って聞いたんですけど、あの人も『神憑』なんですか?」

 

「……」

 

 流斗の質問に少しだけ澪霞は黙った。僅か数秒程度で流斗には違和感が感じない物だったけれど。

 

「違う。そもそも『神憑』は極めて希少で私の祖父は一応は人間」

 

「すげぇ言い方だ……」

 

 一応って。仮にも自分の祖父にそれはどうなのだろう。それは澪霞自身も思ったらしく、こほんと咳払いしながら、

 

「とは言うものの、祖父は第二次大戦開戦時十二歳でその年と白詠の長男ということで徴兵はされなかったけれどその時から一級の術師だった祖父は周囲の反対を押し切って一人で戦闘海域に乗り込んで――相手側の戦艦や空母を十隻以上沈めたらしい」

 

「それはもう人間じゃねぇ……」

 

 詳しいわけではないがそれがどれだけふざけたことなのかは理解できる。できていると思う。

 

「……とにかくそんな祖父も『神憑』じゃない。この街では津崎駆を除けば私と君の二人だけ。もっといえば一つの街に二人以上の『神憑』がいるというも非常に稀」

 

「ちなみに日本全体にどれくらいいるんですか?」

 

「確認されて、登録されてる限りでは二十人もいないくらい。自分がそうであると気づいていない人も多いから正確な数を割り出すのは無理だけど」

 

「……」

 

 何千万何億分の一の確立の奇病と聞いてたけど、そうやって具体的な数にされると変な気分だ。

自分だって数日前まではそんな体質であることには気づかなかったわけだし、そんな確率なのが自分であることなんて言われてもピンと来ない。

 二十人――サッカーもできないなぁと思う。

 できて野球か。

 

「その登録されてるっていうのは」

 

「そうであることが確認されれば神格の確認と能力の種類強度が図られる。基本的には二つある日本の元締めのような組織のどちらかに行われて、そのままそこに所属という形になるけれど場合によっては無所属になるし、私のように協力しているだけの嘱託扱いというのもある」

 

「なるほど……ちなみに俺は先輩に頭下げたらどうなるんですか?」

 

「……一度私と一緒に元締め組織に行って登録した後に、『神憑』の制御覚えてもらって、その後は」

 

「その後は?」

 

「――君次第」

 

「……なるほど」

 

 思わず苦笑した。

 彼女の言うことは最もだし、自分次第なんて選択肢をくれる澪霞にもだ。例えそれが生き方や指針故だとしても白詠澪霞は荒谷流斗の意思と選択を尊重してくれている。そっち側の世界のことなんて何もわからないけれど、それでもそれが多分いいこと(・・・・)なんだろうなぁと思った。

 だから、

 

「先輩って優しいんすね」

 

 言った後で恥ずかしくなるようなことも自然に口にしていた。

 

「……」

 

 その言葉に澪霞は少しだけ驚き、今度は流斗にも解るくらいには一瞬驚き、

 

「そんなことない」

 

 ぽつりと、目を逸らしながらそんな言葉を口にした。右下に視線を逸らして、霞むような小さい声で。それまでの小さな声量でも通るような声でもなくて、本当に消え入りそうな呟きだった。

 

「優しくなんか――ない」

 

 

 

 




ギャグが入れにくい。
一章終わったら弾けるので、しばらくは抑えめで

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ラブ・アンド・ライク

「あ、おかえり流斗君」

 

「……た、ただいま」

 

 普段ならば母親か、彼女が買い物等で出かけていれば静寂か、はたまた勝手に人の家の合鍵を持ち出して勝手知ったる我が家といわんばかり寛いでいる雨宮であるがその日に関してはそれのどれでもなかった。

 雪城沙姫。

 それも瑠璃色の髪をポニーテールでまとめ、ジーンズとフリースの上からエプロンをかけるという若妻のようなスタイルでだ。正直男子高校生としてはドギマギしてしまう恰好だった。いや勿論彼が戸惑ったのはその恰好だけではない。そもそも彼女が自分を出迎えて、それ以外の人間の気配がないということ。

 

「母さんは?」

 

「奈波さんなら駆君連れて夕ご飯の買い出しに行ったよ」

 

「えぇ……」

 

「あはは……私も駆君も止めたんだけどね」

 

 母親はなにを考えているんだろうか。

 確かに駆や沙姫が悪い人だとは流斗も思っていないし、だからこそ澪霞との交渉を渋っているわけだ。向こうがとういう風に思っているかは知らないけれど流斗はそれなりにこの居候二人を気に入っている。

 これから先に気に入ると思っているのが正しいだろうか。

 けれども、さすがに居候し始めて一週間も経っていないのに留守を任せるというのは色々問題じゃないだろうか。油断し過ぎだ。駆や沙姫も同じことを感じたはずだし、止めたというからには止めたんだろう。

 

「でも聞いてくれなくてねぇ」

 

「あー、まぁ想像できる」

 

 そういう母親だ。かなり大雑把というかおおらかで、細かい理屈を考えない。いきなり駆や沙姫の居候認めることなんかまさしくそういうことだろう。流斗には解らないが母には母なりの線引きがあるらしくて、それに二人が引っかかったということだ。

 

「一時間くらい前に出たからそろそろ帰ってくるんじゃないかな? 今日はお鍋作るって」

 

「なるほど」

 

「ま、こんなところで立ち話もなんだし、着替えれば? おねーさんがお茶でも淹れてあげよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

「はいどうぞ」

 

「はいどうも」

 

 沙姫が淹れてくれたのは紅茶だった。ティーバッグで淹れる十数個がセットで売られている安物だ。一口含めば紅茶の香りと味が鼻と舌に広がってくる。別に好きでも嫌いでもないが、季節故に暖かいものを飲むのは心地いい。

 

「流斗君はなんにも入れないんだよね。砂糖とかミルクとか」

 

「別に嫌いではないけど、基本的にはそうかな」

 

「うんうん。ブラックやストレートが飲める男の子はカッコいいと思うよ? 私は砂糖もミルクもたっぷり入れるしね」

 

「はぁ……」

 

 そういえば澪霞もそうだったなと思う。何気に甘党なのだろうか。弁当の味付けも少し甘目だったし。彼女も人間なのだし味覚の好き嫌いはあるだろう。想像しにくいか、それは流斗が彼女のことを知らないというだけなのはずだ。

 ティーカップの温度を感じつつ、ソファに腰かける。四人から五人くらい座れる大き目のソファだ。流斗が右端で沙姫が左端。テレビを付けるがゴールデンタイム前だったのでニュース番組ばかりだった。

 

「……沙姫さん」

 

「ん? なに?」

 

「ちょっと聞いていい?」

 

「質問によるね」

 

「駆さんのことって、やっぱ好きなの?」

 

「うん」

 

 即答だった。

 

「……」

 

「ん……? なに、どうしたの?」

 

「いや、まさか即答で、その答えだとは……」

 

 想定していなかったわけではないけれど、それでもそれが来るとは思わなかった。

 

「でも想像付くじゃない。もう何年も一緒に色んな所から逃げてるって駆君から聞いてたでしょ? 好きでもなきゃできないよ」

 

「いや……でも、なんかあるじゃん? 映画とか漫画で、そういう関係に好きなんですか? とか主人公が聞いて、相手がそんな単純なものじゃないとか意味ありげな笑みで返す感じ」

 

「あはは、その例えだと君が映画とか漫画の主人公で中々笑えるよね。……まぁ、そうだね。そういうのは私も昔見たけど、私からすれば絶対そんなことないと思うよ。あ、言っておくけど私の好きってライクとかディアーじゃなくてラブね、ラブ」

 

「ラブ……」

 

「有体に愛欲と言ってもいいね。それか肉欲」

 

「に――肉欲ですか」

 

 思わず要らないと言われていた敬語で反応した。

 あまり高校生にそんな生々しい話をしないでほしい。ちょっとでなくドキドキする。とりあえず紅茶を口に運んで誤魔化した。

 

「ま、私のせいで駆君には言葉にするのも馬鹿らしいくらい迷惑かけてるしそのくらいの気持ちくらい即答できないとね。あ、今の言葉言ったらダメだよ? 凄い怒るから」

 

「はぁ……」

 

「そういう君こそどうなの? 彼女とかガールフレンドとか好きな女の子とか気になる女の子とかいちゃいちゃしたい女の子はいない?」

 

「なんでそんな風に表現分けたかは謎だけど……いない、かな」

 

 女友達もそれなりにいる。それこそ年齢に関しては幅広いし、クラスや先輩後輩バイト先と様々だ。人類なんて半分人間なのだから当然といえば当然だろうが友達という意味で好きならば多い。それでもそういう意味での好きと言われると相手は思いつかない。

 

「ホントに? 枯れてるね男子高校生。あ、もしかしてこっち?」

 

 沙姫が手に甲を口元に当てる仕草をした。

 それに口が引きつるのを感じつつ、

 

「断じて違います……」

 

「ふぅむ。じゃあ澪霞ちゃん、だったけ? 最近は仲良くお喋りしながらお昼ご飯食べてるんでしょう? 私は直に見たことないけど凄い可愛い子だっていう噂は聞いてるよ」

 

「先輩は……そういうのとは違うし。それにあの人に恋愛感情があるようになんて見えないし」

 

「感情なんて見えないものだよ」

 

 ソファの肘かけに頬杖を付き、視線はテレビのニュースを見たまま彼女は笑みを浮かべていた。

 

「無表情で無感情に見えるかもしれないけど、無表情は見た通りでも無感情なんてことはないよ。『神憑』なら猶更ね。君が見えなくて君が感じていなくても、彼女は自分の感情を持っているはずだよ」

 

「……」

 

「案外無口なのは年下の男の子と何話したらいいか解らないとかじゃない?」

 

「まっさかぁ」

 

「まぁこれは私でも穿ちすぎだと思う」

 

 それから同じタイミングで二人とも紅茶を口に含み、 

 

「なんか駆さんいる時とキャラ違い過ぎない?」

 

 考えてみれば沙姫と一対一で会話をするのはこれが初めてだ。朝の挨拶とか廊下ですれ違うくらいはあっても、こうやってちゃんと会話したことはない。ほぼ全てのタイミングで駆が一緒にいて、その時はいかにも優しいお姉さんという感じだったのに。

 なんというか今の彼女はいい性格(・・・・)をしている。

 

「よく言われるね、それ。駆君と違う、じゃなくて駆君が違うっていうべきなんだけど。もっと言えば駆君とそれ以外と言ってもいい」

 

「駆さんと、それ以外――」

 

 それはなんと称するべきなのだろう。

 おしとやかな女の人だと思っていた。今さっきいい性格(・・・・)をしていると思った。流斗の知らない面もたくさんあり、さらに言えば駆だけにしか見せない顔というのもあるのだろう。

 それでも、なんというのだろう。

 なんとも言えないというか。

 紅茶を口に付けながらその思考を進めてみる。

 まとめるのにそれほど時間は掛からなかった。 

 

「沙姫さんてさ」

 

「なにかな?」

 

「俺の親友によく似てるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あの女に感情も糞もあるわけないだろうこの馬鹿野郎。年下の男の子と何話すか迷ってただって? はっ、そりゃあ迷ってただろうよ。どうやって年下の男の子をいかにしたたぶらかして自分に都合よく使ってゴミのように棄てようか、てねぇ』

 

 夕食後、駆への今日の報告の後、さらに入浴の後。寝間着に着替え、タオルで頭を噴きながら、雑談交じりで先ほど沙姫との話を語ってみれば雨宮の感想がこれであった。

 明らかに怒っている。それはもう嫌悪感丸出しで、まるで彼女が自分の親の仇だと言わんばかりの嫌いぷりだ。

 

「おいおい。おいおいおいおいおいおい。落ち着こうぜ雨宮照。雨宮照君。雨宮照さん。雨宮照氏。我が親愛なる我が親友よ」

 

『なんだい。なんだいなんだいなんだいなんだい。落ち着いてるよ荒谷流斗。荒谷流斗君。荒谷流斗さん。荒谷流斗氏。我が親愛なる我が親友よ』

 

「息を吸って吐いてこれ以上ないくらいに頭を冷やしてクールになって冷静に思考してみろ」

 

『――息を吸って吐いてこれ以上ないくらに頭を冷やしてクールになって冷静に思考しみてたよ』

 

 よし。

 

「それでなんだって?」 

 

『あの女に感情も糞もあるわけない――』

 

「もういい」

 

 これから先。

 金輪際何があっても。

 雨宮照に白詠澪霞の話題を振ることいは絶対にしないと決めた瞬間だった。

 

「話を変えよう」

 

『それは僕としても嬉しいね。あの人形女の話なんてこれっぽちもしたくない。なのでほら、僕と君が楽しく愉快に笑いあえるような話題を提供してくれたまえ』

 

「お前そんな都合のいい話があるわけがないだろ」

 

『話を変えようといったのは君だろ?』

 

 それはそうだけど。

 そうだなぁと少し考え込んで、頭を拭いていたタオルを首に落とす。

 少し考えて、

 

「お前さ、好きな奴とかいる?」

 

『――』

 

「雨宮?」

 

『ん、ん……いや、すまないね。驚いた。まさか君からそんな話題が出てくるとは。奇妙奇天烈摩訶不思議吃驚仰天驚天動地だよ。まさかあの荒谷流斗からそんな話題が出るとは。君も男の子になったんだね……』

 

「おい幼馴染」

 

 なにやら老人のような口調でしみじみと語ってくれているが雨宮と流斗は紛れもなく同い年だ。そんな風に言われる筋合いはない。

 

『それで一体全体君がそんな話をするなんてどうしたんだい?』

 

「いや、なんか最近知り合った人がえらい勢いのバカップル……というかなんか形容しがたい二人組な。その人たち見てたら、まぁふと思ってな」

 

『ふうん』

 

「ホラ俺って生まれてこの方恋しちゃったことないし?」

 

『それは威張れることじゃないだろうけどねぇ』

 

 全くだ。

 恋したことがない、好きになったことがない、愛したことはない――それはつまり他人に対して本気になったことがないということだから。

 威張れることじゃない。

 寧ろ自分で自嘲するしかないくらい。

 

「それで? いるのかいないのか?」

 

『いるよ』

 

「――」

 

 今度は流斗が黙る番だった。先ほど雨宮は流斗に対し老人のような反応を見せたが、しかしその反応はある意味でまっとうだがそれは雨宮だって同じだ。幼馴染として十数年の付き合いがあるが、しかしその類の浮いた話は聞いたことがなかった。

 それでも彼女はいると言ったのだ。

 ちょっとじゃなく驚く。

 

「……驚いたな。それこそ奇妙奇天烈摩訶不思議吃驚仰天驚天動地だぜ。是非そのお前に好かれるという幸せと不幸せを一緒くたに体験する奴のことを聞かせてほしいものだね」

 

『それは言えないなぁ。例え君が親友であっても、親友であるからこそ。そう簡単にネタ晴らしするわけにはいかない。勿論ネタ晴らしは何時かするし、その時には君にもその人のことを好きになってほしいと思うけどね』

 

「……ふうん」

 

 なんというか複雑な気分だ。  

 そういうことに興味がないと思っていた雨宮がそんな風に好きな相手のことを言って、そんなことを考えていたなんて。

 複雑――あるいはもっと単純に言えば置いて行かれた気分。

 一緒の歩幅と速度で進んでいたと思っていたら、実は全然先に行かれていたと。そんな風に感じてしまう。

 

「ま、好きな人がいるっていうのは威張っていいことだろ。是非そいつと幸せになってくれよ。俺はお前の親友として陰ながら応援させてもらうぜ」

 

 なにやら非日常の世界に片足突っ込んで、おそらくこの先は全身までどっぷりとつかっていくことになるだろうけど、親友の恋路を応援するくらいはできるはずだ。凡そ、現時点での流斗の中での大事なものというのは家族に雨宮照に他ならないのだから。

 

『そりゃどうも』

 

 耳に当てたスマートフォンの向こうで、雨宮が苦笑し、

 

『君にもそういう相手ができることを願っているよ』

 

 心からね。




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エンカウント・ビースト

 二度あることは三度あるというけれど、同じことを二度も繰り返せば三度目には結構慣れるなぁ、と流斗は思った。だからこそ水曜日、それまでの前日二日間と同じように生徒会に赴き、澪霞と特に意味のある話もせずに珈琲をごちそうになって帰宅するということに早くも慣れてしまった。もとよりルーチンワークを頻繁に変えるでの、昼食を誰とどこで過ごすかなんてことはあまり頓着しないのだ。

 故に四日目ともなれば半ば当たり前のように流斗は昼放課に生徒会室へと向かっていた。

 例によって購買部で購入した菓子パンが入ったビニール袋を手にして。飲み物は持っていない。何気に生徒会室で飲む珈琲を楽しみにしていた流斗である。

 そうしてコの字型の階段を折り返したところで、

 

「あ」

 

「……」

 

 肩に鞄を下げた澪霞と遭遇した。

 

「……ども」

 

 とりあえず頭を軽く下げるが、しかし内心驚いていた。この三日間、彼女はいつも流斗を生徒会で待ち構えていた。生徒会の仕事だろう書類に目を通しながら、流斗の考えを聞いてきて、それから中身があるのかないのか判断しずらい雑談をしていた。勿論彼女だってここの生徒なのだから普段は教室で授業を受けているだろうし、昼放課が終わる時には――一緒に退室しているわけではないないので断言はできないが――教室に戻っているだろう。

 それでも自分たちの話題は他の生徒に聞かせることはできないので、生徒会室以外で彼女と会うというのはあまり想定に入れていなかった。

 最もこれは単純に流斗の想定ミスであるのだけれど。

 

「……」

 

「……私」

 

 もしかしてついに昼の会話も打ち切りかと思ったところで澪霞のほうから口を開いた。

 

「今日は早退するから」

 

「そ、そうすか」

 

「生徒会室は生徒会役員以外には使わせられないから、申し訳ないけれど」

 

「あぁ、解りました。教室で食べますし。調子でも悪いんですか?」

 

「ん、そうではなくて……」

 

 澪霞が言葉を濁す。

 つまりそれはあっち側関係ということだろう。そういう類の専門用語を口にするときは大体彼女はそういう風に言葉を選ぶのだ。

 

「ちょっと、家のことで急用」

 

「なるほど」

 

 頷いて、

 

「じゃあ頑張ってください」

 

「……ありがと」

 

 急用というのは本当のことだったのだろう。元々口数の少ない彼女だったがさらに言葉は少なく、階段を下りて、流斗とすれ違う。室内用シューズを鳴らしながら、けれど静かに階段を下りていった。

その背中を見送っていたら、

 

「……」

 

 彼女の脚が止まった。と思ったら戻ってきて、

 

「あげる」

 

 鞄の中から小包を取り出して、流斗に差し出した。

 

「……えっと」

 

 澪霞はかなり小柄なので、階段差もあって頭二つ分くらいの差が生まれながら差し出された包みを見やる。見覚えはあった。月曜日に貰った弁当の巾着袋である。

 

「食べる時間ないだろうから。君が食べていい」

 

「……い、いいんすか」

 

「ん」

 

「じゃあ……遠慮なく。明日返しますね。これも先輩の家のお手伝いさんたちが作ったんですかね」

 

 月曜日に食べた弁当の味が記憶に焼き付いていた流斗としては素直に嬉しい。なので正直内心ガッツポーズものだった。

 

「違う」

 

「へ?」

 

「今日は私が作った……たまに、作るから」

 

 それを言い残して澪霞は今度こそ去って行った。さっきよりも微妙に足運びが速かったのには流斗は気づかない。

 そうして階段の踊り場に一人残った流斗は自分が手にする巾着袋をしばらく眺めながら停止していた。それから教室に戻った流斗の顔がしばらく緩んでいた。

 まぁ理由は言うまでもないことだ。

 本気で恋をしたことはなくても、年上の美少女の手作り弁当を貰って嬉しくないほどに彼は枯れていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後珍しくも顔の緩んだ流斗がクラスメイトから気味悪がられるということはあったが学校は何事もなく終わった。日は沈んで、生徒たちは時間通りに下校し、流斗もまた家に帰る。

 帰ろうと思っていた。

 

『今どこだ? 学校か』

 

「今出るとこだけど。どうかしたのか?」

 

『どうかした……というよりもこれからどうにかなると言ったところだな。昼少し前にお前の家に張っていた結界に反応があった』

 

「ちょっと待て。結界ってなんだよ。何時の間にそんなものを」

 

『そりゃお前居候始めた日からだよ。この街は白詠の庭だぞ? 何の対策もしないわけがないだろうが。簡易版の感知結界が張ってある。少なくともお嬢くらいなら直接家に来ない限り俺たちの存在を気取られることはないから安心しろ』

 

「大丈夫かよ……」

 

 激しく不安だが、流斗に止めさせるのはできない。

 

『大丈夫だ。それでだ、いいか? その張っていた感知結界に妖魔が引っかかった』

 

「……」

 

『あれ、妖魔ってなんだとか突っ込まないのか?』

 

「あとでまとめて聞くから話続けてくれ」

 

『そうかい。張っていた網はこの街一体はカバーしてたんだがな、妖魔が街に入って来た反応があった。お前ちょっとちょっかい掛けてみろよ。『神憑』使えるようになるかもだ』

 

「他には」

 

『家に帰らずに適当に時間潰してから適当に歩け。多分感覚で解るからな。多分、というかまず間違いなくお嬢も出張ってるだろうから最低でも観戦くらいはしとけ』

 

「他には」

 

『以上だ』

 

「ようし。じゃあ質問タイムだ。まず妖魔ってなんだよ」

 

『まぁゲームの雑魚モンスターだな。日本人的には妖怪っていうが一番解りやすいかね。人間の悪感情とか噂とかが霊脈のたまり場とか集まるとそこからよく解らない物が生まれたり、そういう奴ら異世界があってそこから来るやつとかの二種類あるが今回は前者だろう。後ろの方はアホみたいに強いからよかった』

 

「すげぇどうでもいいよかったことだな……霊脈?」

 

『聞いたことないか? 風水とかの概念で龍脈とかも呼ぶけどな。日本とか世界各地に走ってる力の流れ……有名なパワースポットは大体がこれの収束点で、この街もそうだ。そういうところは概して妖魔の類が生まれやすい。お前が知らない所でも棄てるほど生まれて、白詠の家の連中が対処してたんだろうな』

 

「それで、先輩がその化物を片付けるって? あぁ、なるほど。だから今日、早退してたのか……」

 

『早退? ふぅん、念入りなことだな、もしかして結構強い奴か? 俺の張った奴だと力量までは解らないんだが……』

 

「おーい? 大丈夫か」

 

『ん、大丈夫大丈夫。気にせずに時間潰してちょっかい掛けていけ』

 

「いや、俺が大丈夫なのかと聞いてるんだが……」

 

 この男どうにも自分の扱い酷い。いきなり妖魔とか言われてこっちはかなり不安なのだが。毎朝殴り合いは続けているとはいえ殴られてばかりというのは変わらないままだ。戦闘しろと言われても、ちゃんと戦える自信はない。

 

『ガチで戦えとか言わねぇよ。どうせお嬢が叩く。適当に横から眺めたりして、できるんだったらちょっかい掛けて置けって話だ』

 

「くそったれ。なんだそりゃ」

 

『ははは、死んだ方がましだろ? そう思うならせめて命懸けてみろ』

 

 ブツンと電話が切れる。

 言い残された言葉に舌打ちしつつ、気づけば家までの道のりを三分の一ほど来ていた。無意識での歩行速度も上がっている気がする。スマートフォンを仕舞い、肩に掛けていた鞄を掛け直す。少なからずに荒事になるというなら鞄は邪魔だ。どこかに置いておく必要がある。学校に戻って置いてくると取りに行くのが手間だし、澪霞から受け取った弁当箱がある以上は置いておくわけにもいかない。

 

「……ま、駅のコインロッカーにでもいれておくか」

 

 空は既にほとんど暗い。

 駆は感覚で解るだろうとか言っていたのでわけだし、街をふら付いていればいいだろう。

 

「補導されなきゃいいんだけどなぁ」

 

 何はともあれ歩く。

 今はそれくらいしかできないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 白詠澪霞は夜の街を飛び跳ねる。

 学校の制服姿の上に白のマフラーで顔を半分隠している。勿論顔が隠れていようといなくても彼女の表情が変わることはない。肩にはバイオリンケースを背負い、腰はウェストポーチ。一見すればオーケストラ部にでも所属する女子高生に見えるだろう。

 勿論、ビル群の側面や民家の屋上を足場としていなければの話だが。

 ついでに言えばケースの中に楽器はないし、ウェストポーチには化粧品や文房具などが入っているわけではない。

 

「……」

 

 今澪霞がいるのは白詠市の中心部であるビル街だ。色々な企業や店が多くあるし、最近では大きなショッピングモールが作られたばかりだ。既に十時を回っているが、未だに街の明かりが消えることはない。

 それらを見ると、いつも少しだけ澪霞の心は温かくなる。

 明かりは全て人の営みだ。それでも白詠の街で生まれる営みなのだ。『神憑』としての経験は浅い澪霞だが、妖魔化生の類の討伐は十歳の頃から行っていた。そう遠くないうちに澪霞はこの営みを担うことになるし、近いうちははこういった妖魔討伐が彼女の使命だ。

 今もそのために夜の街を駆けているわけだし。

 午前中に白詠市に侵入が確認された妖魔――隣町の討ち漏らしらしい。彼女の知っている隣町の術師の力量は知っているし、彼らでも漏らしたというならばそれなりに強いということ。

 

「……なんとかなる」

 

 そもそも『神憑』の希少価値は伊達ではない。ただ珍しいだけではなく、その希少さに見合うだけの強度がある。自分の力量を顧みて、予測できうる妖魔の強度を測ってもまず負けることはないと判断できる。

 油断とか慢心とか、そういう類ではない。

 

「……」

 

 ウェストポーチから細長い長方形の和紙を取り出す。縦五センチ弱、横は十センチほど。達筆な文字で記されたの文字は『索敵』。右手の人差し指と中指に挟み込み、額に軽く当てて目を伏せる。

 ピリリ(・・・)と軽くスパークが走った。

 しばらくビルの屋上の縁でそのままの形で止まって、

 

「いない」

 

 瞼を開けると共に呟いた。

 ビル街の中心部に目的としている妖魔はいない。すでに街各地の住宅街は調べたし、自分の家や学校があるそれぞれ街の端の丘はそもそも妖魔の類が立ち込めないようにかなり強固な結界が張っている上。もっといえば学校と自宅はそれ自体が要塞のようなものだ。可能性としては排除していい。

 東西と中心部は調べた。南北も中心部に近い箇所も無事だったので、

 

「街の郊外……北か南、か」

 

 南の方には田んぼや畑が広がっていて、北には大きな川が流れている。人口密度としてはそれほど高くないが、北側には川沿いに幾らか住んでいる人の方が住人は多い。南側はお年寄りが住んでいるが、かなり少数だ。

 どちらも澪霞は良く知っている。

 

「――」

 

 迷っていたのは、数秒もなかった。

 ビルの縁を蹴りつけ、重力に身を任せて落下する。数秒そのままにして、ビルの壁面を蹴って跳躍する。その度に彼女の身体に表面に軽いスパークが生じ、突風が吹いて澪霞を運ぶ。

 それはまるで演舞のようだ。上からは月と星、下からは文明の灯が彼女を照らし、少女は舞う。

 並の自動車よりもよっぽど速い。すぐにビル街を抜けて、住宅地に入る。

 足場となるのは普通の家屋の屋根だが、それらを音もなく蹴って速度を落とさない。

 たった十数分足らずで街を半分縦断する。

 たどり着いたのは大きな川だ。

 

「……見つけた」

 

 腰のウェストポーチから再び符を取り出す。

 今度書かれていたのは『結界』だった。二指にて挟んだそれは索敵の時よりも数段強いスパークと共に弾け――世界がズレる(・・・・・・・)。周辺に被害を出さないようにするために普段の世界とはほんの僅かだけズレた空間だ。妖魔の類や澪霞のような異能者、それらが持ち込んだもの以外は完全に弾くので多用される技術だ。黒崎駆との戦闘時にも張っていたものだ。

 川の水面上に着地する。波紋を生みつつも、沈むことはない。

 川原にソレ(・・)はいた。

 澪霞に背を向けているのは巨大な獣だ。目測でも三メートル近くはあるだろう。夜闇の中だが、澪霞にはその獣の灰色の体毛がはっきりと見えた。幾らか傷を負っているのは隣町で受けたものだろう。所々に黒い靄のような瘴気を漂わせているのは妖魔の証。

 スカートの下に潜ませたホルスターから二挺拳銃を抜いた。当然のようにこれにもスパークは宿っている。武器は拳銃だけではない。制服には戦闘用の符が大量に仕込んであるし、腰の背後には小太刀が交叉するように装備。バイオリンケースには分解した突撃銃やナイフが入っているし、ポーチにも符に圧縮封印した予備の銃や刀剣も仕込まれている。

 完全装備とは言わなくても、十分だ。

 二挺拳銃を向け、狼がのそりと振り返る。

 露わになった顔は顔半分が瘴気に覆われているが、もう半分は普通の狼とそう変わらない。血のように真っ赤な瞳だけが妖しく爛々と輝いている。

 けれど、そんなことはどうでもよかった。

 

「――」

 

 灰狼は人を咥えていた。澪霞なんて丸のみできるような大きな口にびっしりと鋭い牙が並んでいる。それが、右肩に深く食い込み、衣服を赤く染めている。多分、致死量だ。動いていない。

 彼を澪霞は知っていた。つい数時間ほど前、澪霞自身が作った弁当を手渡した、浅からぬ因縁を宿した少年。

 

「荒谷、君……?」

 

 茫然と、少女の口から少年の名前が零れた。

 

 

 

 




ちょっと視点変えたら死にかけている主人公である()

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サバイバル

 

「やれやれ一体全体俺は何をやってるのかねー」

 

 そんなことを呟いたのは夜の街を歩き続けて四時間以上たった頃だった。学校が終わったのが六時前だったので既に十時過ぎだ。学校を出てすぐに鞄を駅前のコインロッカーに財布以外を預けて手ぶらで歩き続けていた。特に目指していた場所はない。適当に歩いていればそれでいいという風に言われていたから、馬鹿正直に街を歩いていたが四時間もあるけばいい加減面倒になって来た。

 何度か駆に連絡をして、妖魔の位置が見当付かないか聞いてみたが答えは芳しくなかった。

 

「いや、本当なのかどうか怪しいけどなあの人の場合。知っててもはぐらかしそうだし」

 

 夜の街を歩きながらの独り言というのは頭おかしい人のようだが、これだけ長時間歩いているのだ。これくらいはしょうがないだろう。

 いや、そんなことはどうでもよくて。

 

「四時間……そんだけあるけば結構な体力自慢でもそれなりに疲れるはずだけどな」 

 

 それなのに今の流斗は精神的な疲労はともかく、肉体的には全くと言っていい程に疲弊していなかった。おかしいと思う。いや、これで当然だという納得を感じてる自分におかしさを感じてるのだ。つまりそれは自分がそれだけ変質し始めていること――だと思う。

 よく解らないけど。

 そのはずだ。 

 頭をくしゃくしゃと掻く。

 

「ん……もうこんなところか」

 

 いつの間に大分遠いところまで来ていた。町の北の端、大きな川がある地域だ。普段の行動範囲からは外れている。別に来たことがないわけではないし、学校の知り合いも何人かこのあたりに住んでいるはずだ。まぁだからどうしたといううわけではない。今のような状況ならばなおさらのこと。

 

「……帰っていいだろうか」

 

 もう十時過ぎ。普段ならば家に帰って風呂にでも入っている時間だ。母には駆経由から連絡が言ってるだろうし、メールもした。話がもめることはないだろう。

 それでも帰りたいのが正直なところ。

 肉体的な疲労はこれっぽちもないが、それにしたって精神的な疲労があることに変わりないのだ。自分がそれほど我慢強くないどころか、飽きっぽい性分なわけで自分でもよくまぁこれだけ徘徊したなと思う。

 川にかかる橋を通って、それからどこかで折り返して戻ろうとして橋に足を踏み入れて、

 

「――」

 

 ソレはいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ――」

 

 絶叫しなかったのは多分先週の駆と澪霞の戦闘を僅かながら見ていたからだ。一端とはいえ向こう側の世界における高位の戦闘、術者たちを知っていたから。もしなんの予備知識もなければ泣き喚きながら逃げ出していただろう。或は、何もできずにすぐに食い殺されたか。

 ソレは灰色の狼だった。

 三メートルはあろう巨体。橋の真ん中、点滅する街灯に照らされる灰の体躯には傷が少しあり、また各所に黒い靄のようなものがあった。特に、顔半分はそれで大きく覆われいている。率直に言って気持ち悪い。目にしただけで吐き気を催すほど。明らかに人間の精神を汚染している。

 そんなものを見て叫ばなかったのは向こう側の世界を知っていたからで――即座に飛びかかられて飛び退けたのは連日の訓練のおかげだった。

 

「っう、おおおおおおおおおお!?」

 

 自分でも驚くほどに体は即座に反応した。灰オオカミを目にした瞬間に地面を蹴りつけ、橋から落ちる。跳躍したのにわずかに遅れて灰狼がそれまで流斗がいた空間に喰らいついていた。欄干を飛び超えるほどに跳ねたのは予想外だったが、しかし灰狼から少しでも距離を取れるのならば何でもよかった。

 一瞬の浮遊感。

 直後に川へと着水した。

 

「……!」

 

 それなりに深い。落ちて幾らか沈んだが足が地面に付くことはなかった。何年か前に溺れて死者が出たなんて話があったはず。水温は冬故に冷たく、衝撃が全身を叩くが今の流斗ならば苦にはならない。問題は不自然な体勢で飛び込んだせいで上下感覚が曖昧になり、浮上するの十数秒を有したこと。最早言うまでもなく、その数秒が生死を分けるのだ。

 

「――ブハァッ! ッ……ゼハァー! ハァー!」

 

 水面から顔を出し、荒い呼吸もそこそこに頭上を見上げる。夕方に駆が近づけば解ると言っていたのは納得だった。なるほど確かに解りやすい。

 なんだか(・・・・)よくわからない(・・・・・・・)がそれが明らかに異物であるということが理解できる。

 

「くそったれ……!」

 

 吐き捨てながら振り返った(・・・・・)

 そこに灰狼はいた。

 水面に立っている。流斗が水中に浮かんでいるのに、水上に四本の脚で直立しているのだ。

 

「ファンタジーだかモンスターパニックだかはっきりしてくれよ!」

 

 叫ぶのと同時に灰狼が再び跳ねた。がるるっ(・・・)という吠え声と共に巨大な顎を開き飛びかかって来る。浮かんでいる身に選択肢は一つだ。

 

「んぐぅ……!」

 

 潜った。息を吸い直す暇もなく水中に体を沈めるしかない。いくら流斗でも海女の真似事をしたことはなかった。深度にしても一メートル行ったかどうか。幸いにも灰狼は水中にを嫌ったらしい。あるいは水中に跳び込むまでもないと判断したのか――知性があることを前提としてだが――、とにかくなんとか流斗は難を逃れた。

 勿論一瞬である。

 

「……!」

 

 得た一瞬の間にさらに水中に潜る。数度水中を書いてさらに沈んだがそれでもまだ底にはつかなかった。内心歯噛みしつつ、さらに水の中を進む。視界はほぼゼロで直観のみで泳ぎ進み、一分も行かずに息が切れて再び浮上せざるを得なかった。

 

「っづァー! ゴホッゴホッ、――くそがっ!」

   

 悪態を付くだけ余裕があると見るべきなのかとにかく吐き捨てた後に再び潜水。直後にまた先ほどと同じ気配。寒さや冷たさではない寒気が全身を襲っている。幸いなのはなんとか川岸の方向は確認できた。それほど遠くない。川自体の幅がそれほどに広くない。確か十数メートルもなかったはずだと今更ながらに思い出す。

 我武者羅に水の中で体を動かして――足が地面に触れ、蹴りつけた。

 

「ガハッ、ガハッ、ガハッ……ハァー、ハァーッ!」

 

 水中から脱出し、川岸を何度も転がった。一足飛びで、水中にいたことも考えればかなりの距離を跳躍したがそんなことを気にしている余裕はなかった。

 

「……ッ!」

 

 横転中に灰狼が飛びかかって来た。直前の跳躍が少しでも弱かったらどこかで喰らいつかれていただろう。

 

「――」

 

「はぁ……はぁ……なにがちょっかい掛けろだよ……」

 

 濡れ鼠になりながらもなんとか立ち上がり灰狼を睨みつける。今度はいきなり飛びかかられることはなかった。不気味に輝く金色の瞳が流斗を見ていた。意思や感情はともかく、知性の類はあるらしい。

 勘弁してほしい。

 

「どうする……どうする……落ち着け俺……」

 

 睨みあっている間がチャンスだ。このわずかな時間を有効に使わなければ死ぬ。

 

「――笑えねぇ」

 

 今いるのは流斗が来ていた方からさらに南、つまりは川の向こう側。ズボンの重みから財布とスマートフォンの存在は解るがあれだけ派手に水に浸かったのだからスマートフォンで救援呼ぶなんてことはできない。足場は少し固めの砂利。気を付けないと滑る。見える範囲で民家はない。この場合はなくてよかった。下手に来られても被害が増えるだけだ。

 そしてこのままでは自分もそうなる。

 

「……」

 

 打つ手がない。

 何度か運よく突撃を回避したとはいえあんなものは所詮ただの偶然だ。何度もやれと言われてできるものではない。

 こちらに視線を向ける狼を対処する手段を流斗は持ってない。

 澪霞のことを横合いから覗くだけだったつもりが随分と見当違いである。そしてここで都合よく彼女が現れるなんて都合のいい展開があるとは思っていない。

 ならば自分がどうするべきか――答えは一つしかない。

 

「『神憑』――」

 

 この場でそれを身に着けるしかない、いや確かにこの瞬間にだって自分はそうなのだ。だから、あるべき形で体現させる。生き残るためにはそれしか手段はないし、ここで死ぬわけにもいかない。

 やり残したことはある。

 山のようにあるわけではないが一つは確かに。

 だから死んでいられない。

 駆は精神の在り方が全てだと言っていた。それを完全に具現するには己の抱いた祈りを明確に抱く必要がある。自分の祈りなんてものはそれこそ一つしかない。それは何時だって胸に抱いている。

 それでも未だに至らぬというのならば何かが足りないのだ。

 

「っ……!」

 

 汗が噴き出る、指先を動かす余裕もなく恐ろしく喉が渇いていた。灰狼という解りやすい死を前にして脳内麻薬は大量に分泌されて時間は引き伸ばさ、思考は加速する。そうでもなければ体感的にはとっくの昔に殺されていたはずだ。

 未だ灰狼に動く気配はない。

 喘ぐように呼吸をし、しかし思考は巡る。記憶を、感情を、意思を、渇望を。荒谷流斗という存在へと潜航し、ソレ(・・)を探す。頭の中にこれまで自分が過ごしてきた体験や関わって来た人たちが浮かんでは消える。

 荒谷奈波、荒谷功哉(イサヤ)、津崎駆、雪城沙姫、白詠澪霞、雨宮照――。

 両親とここ数日で関わり初めた三人、幼馴染の親友。彼ら彼女らの姿がほとんど同時に脳裏を過った。

 ガチリ(・・・)と歯車が噛み合い始める音がして、

 

「――え?」

 

 ――右肩に灰狼の咢が食い込むのを反応することすらできずに意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それらの一連の戦闘とも言えない蹂躙が終わり、灰狼が成りかけ(・・・・)の人間を捕食しようとした直後に白詠澪霞は現れた。間に合ったのか遅かったのか、どちらでもあってどちらもでないそんな絶妙なタイミングだった。もしこのタイミングが少しでもずれていたらこれから先に展開を大きく変えていた――かもしれないほどに。

 意識を失って灰狼に喰らいつかれた流斗を見た澪霞は確実に動揺した。この少年がいるなんてことは欠片も予想していなかったからというだけではない。

 

「……っ!」

 

 そしてその隙を灰狼が見逃すはずもなかった。

 最早言うまでもなくそれには知性がある。妖魔という人ならざる、人の負の感情より生み出され、よく解らない(・・・・・・)化物になってしまい、しかしだからこそ思考を可能にしていた。

 灰狼は澪霞を目にした瞬間に口にくわえていた流斗を投げ捨てていた。これは知性ではなく本能。なにやら食べにくい(・・・・・)餌よりも、より上等な質を求めた故だ。

 そしてそれは図らずとも澪霞の更なる隙を生んだ。

 

「荒谷君ッ」

 

 投げ捨てられた体が地面をバウンドし、川に落ちるよりも早く澪霞が流斗の身体を受け止めていた。当然言うまでもなく体格的には澪霞のほうが小さく、流斗を受け止めれば両手や視界は制限される。

 見逃さない。

 

「くっ……!」

 

 流斗を前にしていた時とは明らかに質が違う咆哮と共に灰狼が飛びかかった。澪霞の腕をよりも太そうな巨大な爪。それが迫る。回避は間に合わない。右腕で流斗を抱えつつ、左手で袖に仕込んだ符を抜いた。

 『守護』。

 掲げ、白い膜の様なものが眼前に出現し、

 

「――!」

 

 激突。一瞬停止し、弾かれ合う。灰狼と流斗を抱えた澪霞が互いに距離を取り、川を挟んで対峙する。

 

「……」

 

 灰狼が唸りをあげ、それを睨みつけながら脈を取り呼吸を確かめる。

 無くなってはない。

 意識はないし右肩の出血は少なくないが、それでもアレに喰らいつかれたと考えれば軽傷だ。身体も冷えているが、問題ない。仮にも『神憑』なのだ。

 死んでない。

 少なくともまだ。

 

「――させるわけが、ない」

 

 死なせるわけがない。

 ポーチの中から『治癒』『結界』『守護』と書かれた符を取り出し三枚重ねて流斗の身体に貼り付ける。そうすることで彼を中心にして傷の治癒と外敵からの守護、どちらの効果をも持つ結界が張られた。これなら数回程度ならばあの灰狼の攻撃を喰らっても完全に防ぐだろう。

 

「Gruuu……!」

 

 その間にも灰狼が新たな動きを見せた。身を沈めたが、飛びかかったわけではない。全身に浮かぶ黒い靄。それが口の中に集まり、

 

「Gaaa!!」

 

 弾丸として射出した。それ自体が音速を軽く超え、車の一つや二つならば容易く粉砕する威力を持った獣の咆哮。大きさはバスケットボールより二回り程も大きく、それが五つ。

 全て澪霞へと降り注いで川岸の大地が炸裂し、土や水が巻き上がった。灰狼の感覚ですら見失ったが確かに必殺の威力を持つ。

 当然それは相手が唯の人間の場合はである話だ。

 

「揺蕩え――月讀」

 

 眩い白光が周囲の全てを薙ぎ払う。夜の世界を染める白い閃光。灰狼すらも怯んだように目を伏せ、身を縮めるほど。発生源は言うまでもなく澪霞だ。純白の、明るく輝く月の様な光。服や髪マフラーには帯電するようにスパークが弾け、周囲に旋風が吹き抜ける。右手には灰狼の咆撃を断ち切ったであろう小太刀。黒い漆塗りの柄に、白く染まった刀身。そして右手は無手。

 何も握っていないが、だらりと下がった左手とは対照的に灰狼へと淡く開いた平手が向けられ――握りしめるのと同時に、川の水が槍襖のように形を成して飛散した。

 

「……!?」

 

「――」

 

 驚愕を浮かべ瞳を見開く灰狼に言うことはない。

 必要ない。

 どうせ殺すのだから。

 

 




台詞がないのが決め台詞。
珍しいのだろうか。

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ディサイド・セレクション

 水面から発生したのは水の槍。澪霞の手の動きと共に十数の槍襖が灰狼へと伸びた。それを驚愕と共に灰狼は大地を蹴りつけることで回避する。恐ろしく早い。常人ならば影さえも認識できないだろうし、実際流斗も速度故に牙を受けた。彼が目を逸らしたわけでも油断したわけでもなく、単純に認識外の高速移動だったのだ。

 しかしそれでも水槍は逃がさない。

 数本だけが掠って灰の体毛から血を流させ、飛び退いた狼をさらに追いかける。追尾はほぼ直角ないし鋭角的な軌道を描いていた。

 

「Ruu……!」

 

 自らを追い、振り切ることができないと理解した灰狼が飛び上がったのは直上だ。真上に高く飛び上がり反転。顎を下に向けてそこから咆撃を発射し、追いかける槍を砕いて、

 

「――!」

 

 全身を銃弾が襲った。 

 いつの間にか澪霞が両手に突撃銃をに握っている。白の弾丸は命中し、しかし体躯を撃ち抜くほどではない。全てが狼の体毛で阻まれて地に落ちる。弾丸では効果が薄い。全身を覆う毛がほとんどの衝撃を吸収し、電撃も散らされるようだ。

 澪霞の判断は迅速だった。

 両手の突撃銃を捨て去り、左手で腰の小太刀を抜刀。右手はウエストポーチから符を一枚抜き出し、

 

「解」

 

 次の瞬間には一振りの日本刀が右の掌に握られていた。

 日本刀と小太刀による二刀流。構えを取るわけでもなくだらりと下げ、

 

「雷華」

 

 刀身が激しいスパークを纏い、電動鋸のように細かく振動させ――そのまま駆ける。体躯が三メートル以上もある灰狼に近接戦闘を挑むのは不利だとは思い至らない。本来ならば遠距離から弾幕を張り、消耗させていただろうにも気づかなかった。

 地面を蹴り、水面を走り、着地した灰狼へと迫る。

 

「――」

 

 表情に色はない。けれど叩き込まれた斬撃は苛烈の一言だった。不自然な風の流れに背を押されたままに日本刀で斬りつけ、。一息に斬閃が五つ、反撃の爪は一つ。全てが灰狼の身体を切り裂き、反撃は小太刀で受け流し護る

 

「……!」

 

 唸りをあげた灰狼が爪や牙を使わずにそのまま突進した。体当たり。これだけの巨躯ならば、単純にぶつかって押し潰すだけでも十分に威力が高い。それを灰狼は理性ではなく本能で理解している。

 

「……っと」

 

 一度大きく飛び退いて回避する。川の半ばで着地し、今の交叉でわずかに損なった雷装を再補充。バチリ(・・・)と音を鳴らして、即座に行く。

 基本的にヒットアンドアウェイだ。

 体格や馬力でいえば灰狼が圧倒的に上であり、素早さや手数では澪霞が上。少なくとも相手の攻撃は回避するのは難しくない。

 問題なのは、

 

「Garuu!!」

 

 ばら撒かれる咆撃だ。まともに当たれば澪霞の耐久力で深手を得る。回避するのならばともかく、断ち切るなり受け流すのは最初のように五個程度が限界であり、この先数が増えないとも限らない。水面を細かいステップで移動して回避しながら接近、駆け抜け様に二刀を振るう。だが、大きなダメージは期待できない。想像以上に体毛が厚く、その身に宿している瘴気が多い。

 瘴気とはつまり妖魔の強さの源だ。

 人間の負の感情やよく解らない(・・・・・・)よくないもの(・・・・・・)が得た形を総称してそう呼んでいる。基本的に、妖夢が動物型の場合、身体の面積を占める割合で妖魔の強さが計れるのだ。

 日本、護国課や陰陽寮で共通使用されている強さの等級は『イロハニホヘト』の七段階。最上を『イ』、最下を『ロ』としている。澪霞は四番目の『二』級だが、戦闘力的には『ハ』のソレにも匹敵する。これは決して低くない。寧ろ、澪霞の年齢からすればかなりの高位だ。二十歳以下の日本の術氏――『神憑』ということを加味してだが――ならば十本の指には入る。

 それに対して、目の前の狼型の妖魔の等級は、

 

「『ホ』の中間程度だと思ったけれど……『二』級か、それ以上」

 

 交叉の数が十を超えたあたりでそう判断する。

 傷は何度も与えた。だが、致命には程遠いし、さらに言えば傷口に瘴気が集まって修復が始まっている。電撃を纏い、超振動する刃も少しづつ刃の通りが悪くなっている。ついでに言えば澪霞が事前情報を聞いた時は確かに『ホ』級程度の妖魔だったのは間違いない。

 つまり――こちらの攻撃を学習しているのだ。

 

「……」

 

 ほんの僅かに眉をしかめる。よっぽど注視しても解らないくらいに。

 

「……フゥー」

 

 息を長く吐き、身体の熱を実感する。息は上がっていなくても、普段よりも無駄な力が入っているのは解っている。その原因だって解り安すぎるほど。ただ、それを解っていて身体の制御ができないのは未熟に尽きる。

 ただ、その為にもここでこの妖魔を斃し切らないと拙いと判断できる。

 雷撃と超振動による刀身の斬撃補正は覚えられている。

 ならば別の攻撃を(・・・・・)試すだけだ(・・・・・)

 日本刀の切先を水面に浸し、小太刀を手の中で一回転させる。

 

「澪標、風車――」

 

 今度は二刀とも逆手で握り、疾走する。

 

 

 

 

 

 

 

「――」

 

 それらの光景を流斗はずっと見続けていた。

 先ほど一瞬意識を失ったが澪霞が張った結界の中ですぐに回復し、一連の戦闘を見ていた。痛覚はあるし、肩の負傷は軽くない。本来だったら失血死やショック死してもおかしくなかった。

 それでも痛いとは感じなかった。

 変な感覚だと思う。いや、或は日常的な感覚が一周回って狂っているのだ。少し体をぶつけても、他人に言うまでもないと思って放っておく――そんな感じだ。右肩が抉れているというにも関わらず、それが放っておいていいと感じているのだ。

 寧ろ体が軽い。

 川岸に横たわっている自分を大きく覆う白い膜のおかげか、それ以外の要員かはまだ解らないがそれでもコンディションそのものは悪くない。肩の傷も半分くらい治っている。

 それなのに体は動いてくれない。

 恐怖か緊張か、はたまた全く別の要因か。

 十、二十、三十と数を超えていく交叉を全て認識しながら(・・・・・・)流斗は体を動かすことができない。二刀を振るい、次々に攻撃の質や種類を変えながら馬鹿でかい狼の化物を斬りつける。それを化物は受け、しかし怯むことなく澪霞へと牙を剥く。

 何もかもが色を失い、ゆっくりと見える。

 まるで古く壊れた映画を見ているみたいに。

 全てが対岸の火事だ。

 

 あぁ――これが分岐点だ。

  

 まだ自分はこっち側で、澪霞や化物は向こう側だ。自分は向こう側に片足突っ込みつつもこっち側にいることには変わりない。自分はこれまでずっとこっち側に生きてきて、ほとんどの知り合いや家族も皆こっち側。

 そして向こう側に行けば、絶対に戻ってこれない。

 一方通行であり、後戻りはできない。

 そもそも本当だったら関わらなくたっていいのだ。それは彼女も保障してくれている。このまま寝転がって、時間が過ぎるのを待てば澪霞はあの化物を斃して、自分を助けて、そのまま彼女の言う通りにすればまたごく普通の日常に戻れるのだろう。普通に学校に行って、普通に卒業して、大学に進学するか、就職するかして、社会に出る。そういう当たり前を享受できることのありがたみはこの数日間ではそれなりに理解しているつもりだ。

 今だって、本当なら死んでいた。

 駆や沙姫だって、極論で言えば流斗なんて必要としていない。どうなろうと彼らはどうとでもする。

 だからここで踏み出さなくてもいいのだ。

 寧ろ踏み出さないのが正解で、他の誰も責めたり、咎めることはない。

 

 だから問題は――荒谷流斗自身がそれを赦せるかどうか。

 

 少なくとも、ここで何もかもなかったことにすれば、成りたい自分には絶対になれない。

 選ばなければ進むこともできないのだ。

 追い求めた願いは永遠に叶わない。

 他人の意思なんて存在しない。

 自分がそれでいいかというだけ。

 選ぶのは自分だ。

 

「あぁ……そんなの、決まってる――」

 

 そして化物と戦う白詠澪霞を前にしながら彼は選んだ。

 運命はとっくの昔に始まっていただろう。

 非日常はあの夜から始まっていたかもしれない。

 けれど、これは間違いなく。一切の推測や余談もなく、

 

 ――荒谷流斗は己の意思のみで踏み出したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――!?」

 

 澪霞も灰狼もその変質には一瞬に気付いた。超高速の交叉も睨みあいも即座に止めた。

 いつの間にか彼は立っていた。立てるはずもない、命に関わる傷だったにも関わらず当たり前のように。当然ながら尋常の状態ではない。

 まるで空間に異物が生じているかのように感じた。人の形をした空間の空白。澪霞はまず自分が支配していた気体の類が操作を離れるのに驚愕する。彼を中心に、その存在が周囲を歪めていると言わんばかりだ。 

 恐らくそれは間違っていない。

 それがどういうものか澪霞は、彼女が彼女だからこそ、誰よりも早く理解する。

 

「――そん、な」

 

 それ故に完全に我を忘れ呆然とする。目を見開き、形のいい口は勝手に開き息が零れ、反応が遅れた。

 同時、灰狼は即座に反応した。それは狼という獣の形を取っているからこその本能。危険は生じる前に可能ならば潰す、それが無理なら逃走する。そして灰狼からすれば流斗も澪霞も潰すのは可能だった。だからこうして戦闘が成り立っている。先ほどもそれに従って流斗に牙を突き立てた。 

 今度も同じだ。

 生じた異物に獣は全霊を以て牙を剥き、塵殺せんが為に動いた。

 先ほどと同じ動きだが、速度は格段に上がっていた。澪霞との戦闘で得た経験値は恐るべき速度にて獣の中で消化され、実を結んでいた。澪霞ですら一瞬動きを見失うほどの移動にて流斗の背後、咢を開き、今度こそ止めを指しに来た。

 

「Gaaa!!」

 

 そして――真っ黒な瞳と目があう。

 

「――やかましい」

 

「!?」

 

 肘打ちだった。開いた灰狼の顎にぶち込まれたのは流斗の右肘。少し前までピクリともしなかった腕は驚くべき反応速度で振るわれた。すっぽりと顎に収まった肘は灰狼の牙数本と激突。呆気なく砕きり、

 

「てめぇなんぞ知るかァ……!」

 

 差し込んだ右手で上顎を、左手で下顎と掴んで力任せに引き裂いた。

 

「……!」

 

 声にならない、どころか泣き声や咆哮ですらない単純な音の奔流が灰狼の壊れた口から迸った。それに構わず流斗は顎の上下を握りしめ、

 

「オォ……!」

 

 気合いと共に投げ飛ばす。

 三メートルを超える巨体を軽々と投げ飛ばし、灰狼が水面を跳ねるようにぶっ飛んで、

 

「先輩!」

 

「……ッ!」

 

 その呼び声に澪霞が反応できたのは一重に訓練の賜物だ。幼いころから続けてた修練、妖魔という人に仇名す物の存在を許さないという矜持。

 水面を跳ね、砕かれ開いたままの顎に日本刀を投擲。あまりも容易く一刀は喉へと突き刺さり、彼女は畳みかける。

 小太刀を逆手で握ったままに、複雑怪奇に十指を動かし印を結ぶ。『神憑』と陰陽術の重ね合わせだ。

 

「嘶き砕け雷霆ッ、咲き裂け水仙――ッ」

 

 言霊は引き金となって異能を引き起こす。灰狼に突き刺さった日本刀から莫大な熱量を持つ雷撃が内部から全身を焼き焦がし、その上で水面から鋭い水の槍衾が出現し外すことなく串刺しにする。

 そして音もなく灰狼は消失した。

 後にはなにも残らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……はぁ……はぁ……ッ」

 

 全身に疲労がのしかかり、膝から崩れ落ちる。痛みは相変わらず感じない。化物の牙を砕いた時もこれっぽちも痛くなかったし、薄い木の板を折ったような小気味よさすら感じていた。

 

「あぁ……くそったれ。死ぬかと思った……良く生きてるな俺」

 

 尻餅をついてへたり込み、息を吐く。とりあえずしばらく動く気にはなれなかった。何度か手を握ったり、開いたりして体の調子を確かめるが、先ほどの力は今は発動していない。あの化物の消滅と共に収まったらしい。

 だが、切っ掛けは確かに掴んだ。

 これまで碌に発動しなかった理由も朧気ながら理解したし、次は任意で発動できるはずだ。腹の立つことに結局駆の言葉通りになってしまった。いや、今の話がただのちょっかいで収まるのかは微妙だが。

 嘆息をして、

 

「……」

 

 彼女と目を合わせる。

 

「……」

 

「……」

 

 言いたいことは多分同じだった。抱いた感情も似たようなもので、それをお互いに理解していたかもしれない。

 ただそれでも、

 

「お疲れっす、先輩」

 

「……君は、どうしてここに?」

 

 二人は示し合わせたように触れることはなかった。

 

「いや、なんか散歩してたらこんなとこまで来て。そしたらアレに襲われまして。いやぁ、びっくりしました。先輩来てくれなかったらどうなってたか」

 

「……そう。身体は?」

 

「なんとか問題ないですね。先輩の不思議パワーでほとんど治ってますし、大丈夫です」

 

「……そう」

 

「……えっと、俺帰ります」

 

「……そう」

 

「それじゃ、また明日会いましょう……あと、お弁当美味しかったです」 

 

「ん……ありがとう」

 

「はい」

 

 そして気怠い体を起こして流斗は澪霞に背を向け、彼女はそれを引き留めようともしなかった。本来ならばそうするべきではないのに。『神憑』の力を完全ではないとはいえそれに近い形で発現した彼を、澪霞は今すぐにでも捕まえるべきだった。

 流斗だってそうだ。

 『神憑』の制御法をある程度覚えた今の流斗ならば律儀に駆や沙姫の身柄を隠しておかずに、この場でばらしてしまえばよかった。そうすればどう動くか解らない謎の人物に悩まされることはないし、白詠の家、少なくとも澪霞は身の安全を保障してくれるのだから。

 そうするべきだと解っていた。 

 ただどうしてもしたくなかった。

 間違ってると解っていても。

 

 彼らはそういう風にできていたから――どうしようもなくどうしようもなくどうしようもない。

 

 




登場した技とか等級については一章分終わったら活動報告にまとめ乗せますし、質問もどうぞ。


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プロミス・マイ・ハート

 

 その日、流斗は学校を休んだ。

 昨夜巨大な狼の化け物と少年漫画的展開を繰り広げ、一度は死にかけた経験をしつつ、終わってみればほとんど外傷はなかったけれど、精神的な疲労は確かに存在していた。喧嘩をしたことがないというわけではないし、ここ数日は駆に稽古を付けてもらっていたのでそれなりの心構えはあったつもりだったが実際にああいう死地に立つというのは筆舌にし難い経験だった。

 怖かったと今更震えてくるかと思えば、あんなものかと物足りなく感じる自分もいる。

 目を閉じればあのなんだかよくわからない化物の姿が瞼の裏に浮かぶ。凡そ自然界の存在するはずがない巨体、さらには口から破壊の塊を吐きだすという異常。できることなら二度と遭遇したくない。

 できることなら。

 できないと思うけど。

 昨日までのこちら側は既に向こう側で、昨日までの向こう側は既にこちら側なのだから。

 後戻りは――できない。

 

「……はぁ」

 

 そんなことを流斗はずっと考えていた。考えすぎてて堂々巡りしている。 

 昨夜家にたどり着いたのは真夜中で、それからあったことを駆に話して眠ったのが一時前。目が覚めた時は十二時を過ぎていた。母親には駆と沙姫が話を付けてくれていたらしく――どんな話かは聞いていないが――起こされることもなかった。つまり駆の欠席は自発的なものではなかったが、例え朝いつも通りに起きていても学校に行くことはなかっただろう。

 そんなコンディションではない。

 目覚めてから飲まず食わずでベッドに寝転がって天井を見上げながら、ひたすら思考を繰り返すだけだ。人生でこれ以上ないというくらいに混乱している。

 いやそれ以上に学校に行けば彼女と顔を合わせるかもしれない。

 彼女と会えば今流斗の心中を占める感情が爆発してしまいそうで、そんなことになったら自分は全正気でいられなくなるであろうということを自覚している。自覚してしまった。少なくとも学校で会う訳にはいかない。

 そう考えると金曜日が過ぎれば土日休日なのはありがたい。三日もあれば少しくらいは収まるはずだ。

 そうして葛藤し、混乱し、動揺している流斗であった。

 

「や、暇そうだね青少年」

 

 しかしそれは沙姫のように第三者から見れば昼昼に起きて、学校をさぼって、何もしない暇人にしか見えなかった。沙姫も駆も流斗に思うところがあるとは解っているが、しかし今の彼程度の悩みなどこの二人からすれば悩みですらない。

 

「……」

 

「無視は酷いね」

 

「……駆さんは」

 

「ん、お風呂掃除」

 

「……は?」

 

「だからお風呂掃除してるよ。タオル頭に巻いて、君のお父さんのタンクトップにジャージ姿でお風呂掃除中」

 

「なんでまた」

 

「そりゃあ一宿一飯というか一週宿一週飯の恩だからね。掃除くらいするというか、解りやすいお礼が掃除だからね」

 

「……あの人掃除得意なのか」

 

「掃除が得意という訳じゃないけど集中力と根気は人何十倍だから。今頃体を動かしつつも次の行動とか考えてるんじゃないかな」

 

「ふうん……」

 

 家が綺麗になるというは悪いことではないので、むしろ歓迎したいのでいいけれど。ただあの男が先の言った通りの恰好で風呂掃除をしていると思ったら少し笑えてくる。

 

「それで? 何をどう悩んでるのかな、おねーさんに相談してみたら?」

 

「……」

 

「なにその嫌そうな顔」

 

「……半年くらい前に人の悩みを中二病の思春期だとばっさり斬り捨ててくれた俺の大好きな親友と全く同じような顔をしてるからだよ」

 

「それは私の知ったことじゃないなぁ」

 

 けれど流斗からすれば軽いトラウマだ。

 正直な所放っておいて欲しいのだが、言っても聞かないだろう。というか既に椅子に座って話を聞く気全開である。

 

「ほんと、いい性格してるよ……」

 

「褒め言葉として受け取っておくよー。それで?」

 

「それでって、言われてもなぁ」

 

 話すようなことではないと思う。態々他人に話すような話ではない。今流斗が抱えている感情は、流斗自身にしてみればどうしようもない衝動ではあるが、それが他人には理解してくれないものであろうことはよく解っている。実際、これまで何にでも手を出すという流斗の悪癖が奇異の目で見られたのは少なくない。

 元々『神憑』として自覚するまでがそうだったのだ。

 今となってはこの心象を他人に吐いてどうこうなるものではない。

 

「今、自分の気持ちを他人に話しても意味ないとかそんなこと考えなかった?」

 

「……」

 

「あぁ、別に顔に出てるとかじゃないからそんな嫌そうな顔しない、あ、こら、顔を逸らさない」

 

 色々嫌になって寝返りを打って背中を向けようかと思ったが、先に言われたので渋々動きを止める。ついでにこれはもう会話無視なんてことはできなさそうだから起き上がって胡坐をかく。そんな流斗に沙姫はよしよしと頷きながら言葉を続けた。

 

「やっぱり男の子ってことなのかな。駆君も昔そんな風だったからね、なんとなくわかるんだよ。あとはそうだね……男が女に弱音を吐くの恰好悪いとか思ってるんじゃないかな」

 

「……」

 

 腹の立つことに――間違っていない。

 くすくすと沙姫は笑う。

 

「確かに、私に君の葛藤なんか話されても理解することなんてできない。ううん、私だけじゃなくて、地球の、宇宙の誰であろうと今の君の心境を理解することができる人なんて永遠に現われることはないだろうね。それが『神憑』っていうものだから」

 

 笑みを浮かべながらも沙姫は知ったようなことを流斗へ語る。

 それは初めて会った時に流斗が感じた印象とはかけ離れていた。あの夜、月に照らされたぞっつするくらいな瑠璃色の彼女を見て、美人薄命という言葉が脳裏を過った。今だって雪城沙姫が驚くほどの美人であることには間違いない。

 儚げな、今にも消えてしまいそうな季節外れの遅雪の様な雰囲気だって消えていない。

 それなのに、どうしてだろう。

 雪城沙姫という存在が恐ろしいほどに底知れない、例えば自分や白詠澪霞なんて比べ物にならない心象を抱えているのではないかと思った。

 知ったようなことは、知りすぎていて彼女からすれば下らないものではないかと言わんばかりで、表わしにくい感情が流斗の中に生じてくる。

 

「……っ」

 

「ん、どうかした?」

 

「な、なんでもない」

 

「そう、じゃあ話を続けようかな。まぁ、つまり君はこれから先何年生きようが永久に一人ぼっちだ。同類なんてのは存在しない。『神憑』なんて括られてるけどそんなのって一人一人が哺乳類とか爬虫類とかそのくらいの差異がある。『神憑』っていう括りは世界中に何十人くらいしかいないらしいけど、その何十人は一人一人が全然違う生物なんだよ。現時点で成り立ての君でさえナンバーワンではないけどオンリーワンではある」

 

「……何が言いたいんだ」

 

「でもね、そんなのは誰だって同じなんだよ。矛盾するようなことを言うけれど『神憑』だとしてもただの人間だとしてもそれ以外だとしても皆が皆がオンリーワンなんだ。同じ存在なんていない。それは相似であっても同じじゃない。誰かと誰かが当たり前のように一緒だなんて、幻想なんだよ」

 

「……」

 

「だからね、流斗君。もし君が誰かと関わろうとした時は自分の気持ちを全部伝えなきゃだめだよ。解ってくれるだなんて傲慢だ。解ってもらいたかったら、歩みよならきゃいけない。心を繋げたかったら、せめて自分から手を差し出さなきゃいけない」

 

「自分から、手を――」

 

「と、いうわけで流斗君」

 

 名前を呼んで椅子に座っていた沙姫は身を乗り出しながら手を差し出した。

 手、正確に言えば小指である。

 

「約束しようか。いつか君が心を繋げたい相手に出逢えた時に躊躇わないって」

 

「……え、なんで」

 

「なんでもないから。別にちょっとした口約束だし気にしないでいいよ。今この場でして明日には忘れてもいいしね」

 

 それは約束を行う意味があるのか激しく謎だったが、そこまで言うくらいならと自分の小指を差し出した。

 自分の無骨な指と沙姫の細い小指が絡まるのを見て正直ドキっとした。びっくりするくらいに柔らかい。こんな所を駆に見られたら殺されるんじゃないかなぁとぼんやり思った。

 

「んじゃ、指きりげんまん嘘ついたら――五臓六腑をまき散らしながら生まれてきたことを後悔する苦痛を無限味わいながらも約束を果たすまで死ーねない!」

 

「こっわ!」

 

 そんな風に軽いノリというか冗談半分で交わされた約束であったがしかしこの時流斗はもう少し考えるべきだった。澪霞から津崎駆の人間離れした戦闘力を聞き、彼に護られながらも、共に護国課に追われている雪城沙姫という存在についてもう少し思考を巡らせるべきだったのである。

 そんか彼女がただの美人であるわけがなく、異常性を見せないことについてこの時、自分のことについて掛かりきりだった流斗は考えられなかった。もしこの時彼が雪城沙姫という存在について質問し、例え答えが得られることはなくても少しでも不審に、或は疑問を持てばその約束は有耶無耶のうちに回避できたかもしれないのだから。

 少なくも。

 その約束はそれから先の荒谷流斗の人間関係について確実な影響を及ぼすことになるのである。

 それを荒谷流斗は気づかない。

 それを雪城沙姫は――解っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 白詠澪霞は肩までたっぷりと湯に浸かりながら息を長く吐きだした。熱めお湯は澪霞の肌を赤く染めている。元々の肌が白いからこそ解りやすい。同じく純白の髪もしっとりと濡れて彼女の肌に張り付いていた。人形のように整った顔立ちの彼女であってもこうして顔や体を火照らせた姿は人間のものだ。異性も、同性でさえも思わず息を呑むであろう。

 彼女の家の浴室はそれほど広くはない。小柄な澪霞には余裕はかなりあるし、大柄な成人男性が足や手を伸ばしても余裕はあるが、屋敷の全体から見れば以外と面積を取っていないのだ。漫画や小説に出てくるお金持ちの家の何人もが一度に入れる広さは出ない。

 三人四人くらいの親子がゆったりできる家族風呂、そんな風に澪霞は思う。

 澪霞にはそんな風に一緒にお風呂に入る両親はいないのだけれど。

 広さはともかく、浴室自体の質は高い。浴槽は檜製であり、純和風の家ではあるが水道の設備などは最新式のそれだ。一級の旅館の風呂と言っても通じるだろう。

 だからこそ澪霞にとっては数少ない気を抜ける場所だった。昼間ならば使用人の類は何人かいるし、夕方でも食事を作る人は何人か残るが流石に風呂場まで介入されることはない。一人で考えことをする環境には持って来いなのだ。

 

「……疲れた」

 

 そんな風に自分の疲労を漏らすのも場所故である。少なくとも彼女は他人の前や学校では弱音や泣き言、もっといえば感情を表すようなことは絶対に言わない。そもそも感情表現自体が苦手なのだから。

 澪霞もまた今日は学校は休んでいた。

 それ自体は珍しいことではない。対外的にはアルビノ体質で体が弱いことになっていて、体育も見学が基本だし体調不良ということで休むことも多いが実際は白詠家の長女としての仕事や護国課から依頼された妖魔の討伐依頼をこなしている。当然、『神憑』であるので普通の人間とは比べ物にならないほどに頑丈である。

 それでも今日の疲労は普段の比ではなかった。

 まず昨夜の妖魔について態々数時間かけて――澪霞自身は車に乗っていただけだが――護国課本部まで赴き報告を行った。事前の情報よりも明らかに強度を増し、高度な学習能力までも備えていたあの灰狼は通常の妖魔では在りえない生態であったからこそ、実際に対峙した澪霞の直接報告が必要だった。そのせいで今日一日が潰れたわけであり、彼女の疲労の半分ほどもそれが原因だった。護国課は白詠海厳にとっては古巣の様なものだが、嘱託扱い――つまりは正規の所属ではない澪霞からすれば居心地がいいというわけではないのだ。どうしたって必要以上に精神を消費してしまう。祖父の七光りで我が物顔でいられるほど彼女は恥知らずではない。

 おまけに現在澪霞が津崎駆と交戦中ということもあってかなりの好奇の目で見られた。注目することは慣れている、或は慣れざるを得なかった彼女だが目立つのは好まない。それもまた疲れの一因だ。

 津崎駆というのはそれくらいに有名なのである。

 有名どころか知らない者はいない。

 護国課では危険度戦闘力最大の『イ級』であるし、日本以外の各国勢力に於いても同様の格付けがされている。もし地球上で手を出すべきではない者を選ぶとしたら三本の指に入るではないかというのは専らの噂だ。

 そんな相手に自分は手を出しているのだから笑えないのだが。

 元より自分がどうにかできる相手でもないというのは解っている。

 自分の津崎駆の討伐捕獲の任を課した祖父だって、まさか澪霞がそれを完遂できるとは思っていないはずだし、自分の経験の為ということのはずだ。実際、自分よりも遥か格上の相手に対してどのように戦うのかということ関しては得難い経験になったと思う。

 それは思う。

 ありがたいとすら思っている。

 それでも――こんなことに関わらなければよかったとも思っていた。

 

「荒谷――流斗」

 

 思わず緩んでいた口から彼の名前が零れ、

 

「っ」

 

 風呂水を顔に叩き付けた。

 

「…………」

 

 滴り落ちる雫は形のいい顎を通って、再び水面へと落ちていく。

 どうにも抑えきれない感情が胸に中に溢れているのを自覚する。感情表現が苦手だとしても、それはつまり感情がないというわけではない。寧ろ――他人は絶対に同意などしてくれないだろうが――自分は感情が強い方だと思っている。感情を見せないだけで、ないことはない。雪城沙姫が荒谷流斗に語ったことはまさしくその通りなのだ。

 そして今、確かに存在する感情が暴れている。

 あの彼と顔を合わせれば、それが抑えきれずに爆発するということも。

 正直護国課の本部行くことになった時は流斗と会わなくていいからほっとしてしまった。

 勿論こんな安心はなんてものは時間稼ぎに過ぎないのは解っているのだが。

 海厳から与えられている期限はもうない。明日か、せめて明後日までには彼を説得しなければならない。

 

「やらな、くちゃ――」

 

 どんな無理難題であろうとも白詠の娘としての役目を果たすというのは幼いころから、誰に言われることもなく定めた規律なのだ。これまで一度も背いたつもりはない。だから今回だって同じようにすればいい。

 いいはずだ。

 いいはずだけれど――。

 

「……あぁ」

 

 無理だろうなぁと澪霞は他人事ように思った。

 他の誰でもない、自分のことなのに。

 




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シー・セイド・アンド・ヒー・ウェイテッド

 

「……………………なるほどな」

 

 たっぷりと含みを込めてから駆は呟いた。

 

「汎用性も応用性も欠片もないガッチガチのスキルだが有効ではある。お前らしい、なんてことをいうほどお前を俺は知らないが、いいスキルであるというのには変わりはない」

 

「……っはぁー……そう、かっ……よ……っぁ」

 

 地面に大の字にぶっ倒れながら、息も絶え絶えになり、汗だくになりながら流斗は駆に言葉を返した。最も内容を理解する余裕がないくらいに疲弊していたのだが。

 深い森の中に空いた空間だった。

 起床してから朝食もそこそこに家を出て言われるままに付いてきたら、気づけばどこだかよく解らない森の中だった。恐らくは市の境目あたりだとは思うけれど、地元民の流斗でも知らなかった場所だ。そもそも木と土しかないので用がないから当たり前ではある。

 十メートル四方程度の空白で訪れた時はよくこんな場所があったなと感心したが、一時間もすればそんな感慨は消え去っていた。

 

「死ぬ……、俺は今日、此処で……死んじまう……っ」

 

「そうか。これでも飲んでろ」

 

「っが!」

 

 顔面にスポーツドリンクのペットボトルを投げつけられた。激突するが痛く、そのまま中身を喉に流し込んだ。

 

「……ぷはっ。あー……今何時だよ。もうそろそろ暗くなってきそうだけど」

 

「……」

 

 返事がなかった。なんとか顔を上げて、駆を見れば顎に手を当てて何かを考えているようだった。何度か名前を読んだが反応がなかったので諦める。流斗としても体が重くて億劫だった。

 

「はぁ……」

 

 掌を空に翳す。

 体の中にあるのは『神憑』の残滓だ。

 ある程度の制御や自分の意思での発動はできるようになっていた。というよりも、感覚的には制御や発動するものではない。身に着けてからこれがそういうものではないということが今更ながらに理解する。

 なんだかよくわからないもの。

 そういう風に駆は自分たちの力のことを説明していたが納得せざるを得ない。そもそもこれはうまく言葉にできるようなものではないのだ。それに暴走の危険があるというのも。

 

「ぬぁ……」

 

 思わず堪らなくなって声を上げた。

 

「流斗。起きろ、帰るぞ」

 

「アンタちょっとマジセメントすぎね?」

 

「む……お前に優しくする理由があったか?」

 

「真面目に考えるなよ」

 

 そりゃそんなにないかもしれないが。寝床を貸し出しているのも、こうして修行つけてもらっているのチャラということに違いない。流斗としてもあまり恩着せがましいのは嫌だし。

 

「やれやれ……」

 

 ふらつきながら立ち上がる。首をならしたり、手首や足首を回して感覚を整え、

 

「行くぞ。ちゃんとついて来いよ」

 

「はいはい」

 

 迷いなく進んでいく駆を見失わないように後を追う。来るときも背中を追ってきただけだから一人で帰還する自信はない。森と言っても歩けないほど木々が密集していたりしているわけでもなく、偶に隆起した木の根がある程度で進むだけならば問題はなかった。

 

「とりあえずプランはできた」

 

「ん? なんだって?」

 

「これからどうするか、だ。お前にも関係あるからちゃんと聞いとけ」

 

これから(・・・・)ねぇ……正直皆目見当つかないんだけどなぁ。マジ俺これからどーすりゃいいんだか」

 

「そんなのは自分で決めろ。……まぁ方向性くらい適当に候補は上げてやるよ」

 

「へぇ」

 

 ちょっと意外。

 自分で決めろで言葉が終わると思っていた。前を往く駆の表情は見えないが、苦笑しているようにも見えた。

 

「この街に入って、お前の家に居候して一週間。いい加減向こうも痺れを切らす頃だろう。動きがあるとしたら今日明日のどっちかだ。多分どうなったてお前の家からは出ることになる。立つ鳥なんとやらだ」

 

「そりゃどうも。ふぅん、そうか。俺からすれば止めることなんてできねーけど。だったらどうするんだ、それからさ」

 

「当分は落ち着ける場所探すだけだ。ある程度回復したら……というか封印解除なり緩和なりするだけしたら仕掛け人に解かせて、それからはまた同じような生活するだけだ」

 

「大人は大変だねぇ」

 

「言ってろよ。お前だってすぐにそうなる」

 

「……」

 

 少なくとも絶賛思春期と言われている身としてはどうにも想像が付かなかった。まぁそんなもののはずだ。

 

「それで。そのプランとやらはなんなんだ」

 

「手順一、お前がお嬢に喧嘩売る。手順その二、その間に俺と沙姫が逃亡。完璧だな」

 

「ちょっと待てや」

 

 プランもクソもなかった。

 それは多分プランとは言わない。

 

「大人は……汚いものなんだよ」

 

「そんな常套句で煙に撒けるわけねーだろ。ちゃんとしたプランとやらがあるならちゃんと言ってくれ」

 

「そう言われてもな。実際これが一番簡単で確実なんだよ」

 

「はぁ?」

 

「さっき言った通りこれで一週間も何もなくて向こうも動いてくるだろうってのはな、お嬢のこともあるが、その後ろの護国課もだ。白詠海厳が孫の経験値とか思って俺の対応当たらせてるんだろうが、傍観だけにも限界がある。そういう意味でも俺たちは動かなきゃならんのだが」

 

「だが?」

 

「当たり前だが普通に逃亡でもしようものなら簡単に足が付く。というか白詠市でたら権力薄れる分出た瞬間に襲撃でもおかしくない。気を付けろよ権力。この世で一番意味不明なくせにおっかないぞ」

 

「聞きたくねー」

 

 嫌な話が過ぎる。

 否定は出来なさそうだが、肯定もしたくない。

 

「目くらましは必要だ。今夜にでも行動を起こせば目はそこに向く。その隙間に逃亡。お前はちょっと騒動おこしたら白詠家に保護されればいい。悪いようにはならないだろ。何だったら軽い暗示でも掛けておけばより安心だな」

 

 今のお前には聞かないだろうが。

 そんなこと呟きながらも駆は言葉を続けた。

 

「というわけで手順一だ。お嬢を引き付ける簡単なお仕事だよ。戦闘した方が注意を引けるのは確かだが、トークに自信があるならそっちでもいい」

 

「あの先輩と小粋なトークができる人類なんて存在しねーよ」

 

 我ながら酷い発言だと思ったがその通りだろう。彼女と世間話できるとか想像すら困難である。少なくとも流斗はそうだったと自分で思っていた。

 

「でも、そんな上手くいくのかね。言っちゃあなんだけどつまりは陽動作戦ってやつだろ? 今日日幾らでもそんな話は転がってる……ありきたりすぎて、それも俺みたいな素人に先輩が来るもんか?」

 

「来るさ」

 

 確信めいた――即答だった。白詠澪霞が来るかどうかという問いに対して、来ることを疑っていない。それが当然であるかのような答えに流斗は思わず口を噤む。

 

「来ないわけがない。俺のこともあるのに妖魔の討伐にも出た。素人だろうと神憑である以上放っておくわけがない。向こうだってお前が使えるようになったのは知ってるんだろう? だったら来る。それに」

 

「……それに?」

 

「お前だったら行くだろ?」

 

「――」

 

 転がっていた石を駆の後頭部へと蹴り飛ばしたが見えていないはずなのに首を傾けただけで避けられた。

 

「答えになってない」

 

 文句も肩をすくめる程度で受け流される。

 実に腹立たしい。

 

「あぁ解ったよ。囮でも誘導でもやってやるさ。上等だ、望むところだぜ」

 

「ははは、そこでムキになることにはお前らしいって言えるな」

 

「余計なお世話だ」

 

 ムキになる――その通りだ。

 ムキになっているという自覚はある。

 これもまた腹立たしい。

 普通にムカつく。

 

「戦闘になるだろうから適当にアドバイスはしてやるが、正直あまり時間はないからぁ、適当にやれよ」

 

「ほんと有り難くて涙が……あ? 時間がない?」

 

「戻って、飯食って、真夜中過ぎたら動くんだ。休憩いらないって言うのならすぐに動いていいがな。やるか?」

 

「……安息が欲しい」

 

「その安息の為に戦うんだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『君はただの我が儘だ』

 

 ある時、大嫌いな相手からそんなようなことを言われた。白詠澪霞はその相手に対してなるべく情報を持ちたくはないくらいに嫌悪していた。基本的に無駄な殺生を好むような性質ではないが、それでももしもその相手を殺してもいいと許可が出たら澪霞は躊躇うことがないだろう思うくらいには嫌いだったし、澪霞の中で嫌いという感情が働くのはその相手だけでもあった。どんなシチュエーションだったとか、どこでの会話だったとか、直接だったとか、電話越しだったのかは記憶は曖昧だ。覚えていたくもない。

 

『実に下らない、反吐が出る。持たざる者の傲慢という奴だ。いいよねぇ、お金持ちのお嬢様は。生きるのに何一つ困らないのに。日本、世界的に見ても最高水準の生活をしているというのにそんな風だなんてさ。君が言っていることはつまりさ、高級料亭の食事は飽きたからカップラーメンを食べたいとかそんなようなことなんだぜ』

 

 とげのある、というかそれこそモーニングスターか何かの様な発言だった。澪霞は何も返さなかった。言い方に腹を立てたというのもあるし、言葉を交わすのも嫌だったということもあるが――その言葉が間違っていると否定することもできなかったからだ。

 だからひたすらに無言を貫いた。

 けれども言葉――糾弾は続いた。

 

『ねぇ、君。君はそんな様でいいのか? 恥ずかしくないの? 嫌にならない? いい年してさ。高校生にもなって中学二年生みたく思春期真っ盛りというのは恥ずかしいよ? 特に君は唯でさえ鉄仮面だからこれはもうただのむっつりだよね。恥っずかしー。痛々しー』

 

 指を指された気がするし、ペンだか箸を握りつぶした記憶があるので恐らく生徒会だったのだろう。

 

『君が生徒会長というのはアレだよね。まぁ外見的に、あくまで対外的には問題ないだろうねぇ。外面だけはいいわけだしさ。一人生徒会で他人と距離取ってる孤高のお嬢様(笑)なんだから、内面触れようとしてくる馬鹿もいないだろうし?』

 

 顔面殴りつけたくなった。机とか椅子がなければそうしていたはずだった。

 

『あれ、怒った? 今更だけどアレよね。君は人形もかくやと言わんばかりに無表情だし生気ないけど、人一倍感情塗れだよね。僕でも引くくらいにさ』

 

 お前に言われたくない、とかそんなことを言い返した気がする。

 けれどその相手の、小馬鹿にしたような、見透かしたようなことを当たり前のように言ってるが、間違っていることは言わないという面倒極まりない性質だった。そのくせ、言うことは間違わない。そう言う所も澪霞は大嫌いだった。

 

『怒るなよ。図星を指されて怒るとか子供かよ。だっせー。君の何が悪いってさぁ、解るかい? 恐ろしく可愛げがないってことだぜ? すまし顔で何でもこなして、何事もなかったように流して、感じたことは胸の中だけで処理をする。つまんねーよ』

 

 握っていたマグカップの持ち手を握りつぶしたような記憶もあった。中身を零した記憶はなかったから置いていたのだろう。近かったら多分、中身をぶっかけていたはず。

 そしてその相手は言うだけ言って、それで気が済んだらしく澪霞の前から姿を消した。ふらりとあらわれては好き勝手言うよう所も面倒で嫌いだ。

 

『そんな有様の君に理解者が現れないことを願っているよ――心からね』

 

 去り際にそんなことを、言っていた。

 

「――」

 

 どうして――こんなことを思い出したのだろう。

 思い出したくもない、覚えていること自体虫唾が走るような記憶だったのに。あんな一方的な会話とも言えない会話。今思い返してしまったということに眉を潜める。首のマフラーに顔を埋めながら何度かを深呼吸を重ねた。

 頬に触れる空気は冷たい。

 既に真夜中を過ぎている。制服にマフラーは動きやすいがやはりどうしたって寒い。無視することはできるが、完全に気にならないというのも嘘だった。それでも、その冷たさは頭を冷やすのには都合がいい。これくらいでなければ自分は冷静でいられなかったはずだから。

 

「……」

 

 あぁ、それでも。

 やっぱり冷静になるというのは無理かもしれない。いいや、無理だ。

 だって。

 

「……どうも先輩。一昨日振りっすね」

 

 一週間前と同じ公園で、あの時とは違う、生徒会室で何度も見た制服姿で、何もかも変わらず、或は何もかも変わってしまって。

 

「――荒谷君」

 

 荒谷流斗は白詠澪霞は待ち構えていた。

 

 

 




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ネバー・フォーギウ

 思った通りに、或は思わぬ通りに彼女は流斗の前に現れた。

 特に何かをしていたという自覚はない。結局駆に言われるがままに、帰宅してから家族二人と居候二人と食卓を囲み、夜も更けきってから家を出てこの公園に訪れたが、それだけだ。何かしらの気配とか波動とか周波数とか、そういう自分の存在を察知させるようなものを発しているつもりはなかった。やり方が解らなかったというのもある。荒谷流斗が発言させた異能とやらはそういう類の応用が使えない。だからそもそもできない、というのもあった。でもそれ以上に来てほしくなかったというのもあるかもしれない。このまま誰も来ず、何も起きず、ただ時間が過ぎてくれればいいとさえ思っていたかもしれない。それでよかった。気温は低くても寒さは感じないし、何時間か立ち尽くして、朝になって、家に帰れば母親しかいなくて当たり前の日常が帰ってくる。最もほんの僅かといえども流斗は踏み込んでしまった。

 もう向こう側はこちら側で。

 もうこちら側は向こう側なのだから。

 昼にでも生徒会に行って、先輩に頭を下げればそれなりの処遇を受けさせてくれただろう。こうしておあつらえたように他人に整えられられた場を超えれば、通り過ぎてしまえば、感情が抑えることができて普通に会話ができるかもしれないと。あるいはそれを切っ掛けにして自分が少しくらいは大人になれていくのかもしれないと。そんな淡い希望すらもあった。何が変わるのか、そもそも変化があるのもかもすら解らないけど、タイミングというのは重要だし、それを逃してしまえば有耶無耶のうちに流れていくかもしれない。例えそんな風でも過ぎてしまえばそれでよかった。受け入れて、受け流していくことが大人になることではないのだろうか。よく解らないけれど。

 少なくともこの時を流せば、流斗は我慢を覚えたはずだった。

 けれど彼女は現れた。

 荒谷流斗は白詠澪霞と邂逅した。

 いつもと変わらないように見えた。人形染みた、人間離れした銀色の少女。学校のブレザータイプの制服に口元を覆う白いマフラー。それに加えて腰にはウェストポーチと細長い棒状の物が背には見えた。木曜日の深夜にあの狼の化物と戦っていた時と同じ恰好だ。

 その表情もまた何の色も見せない。一昨日までは彼女がなにを考えているのか流斗には何も解らなくて、何かを考えているのかも疑問だった。勿論人である以上全くないなんてことはなく、単純に流斗の観察眼の問題だっただろう。それを責めるのは酷な話だ。白詠澪霞の精神を読み切っている存在などそうはいない。実の祖父でさえ――面白がってその気がないというのが大きいが――彼女がその根底を理解しきれていない。精神の外壁、側の強度ということに関しては澪霞は十代の少女には有るまじき在り方だった。

 でも、今の流斗には解ってしまう。

 

「……なぁ、先輩」

 

 ポツリと漏らした声はそれまでよりも随分と砕けた口調の言葉だった。流石に苗字や名前を呼び捨てするのは気が引けたが、もう気遣う余裕なんてなかった。爆発しそうな思いを整えるので精一杯、可能な限り抑揚を押さえ、言葉は平坦になってしまう。

 呼びかけから言葉を続けようとして、

 

「…………あぁ、くそ。言葉が出てこねぇよ」

 

 結局相応しい言葉なんて見つからなくて悪態しか付けなかった。思わず髪を掻き毟る。自分でもらしくない仕草だと思う。こんな動きを普段の自分はしなかった。それでもそういう普段のことなんてもうどうでもいい(・・・・・・・・)

 そんな様の流斗に対し、意外にも澪霞が口を開いた。

 

「……君は」

 

「あ?」

 

「君はどうして来たの?」

 

「……」

 

 問いかけとしてはあまりにも今更な問いだった。それに意味なんてあってもなくても同じことは二人とも解っているだろうに。それでも澪霞が問いかけたのはなけなしの理性だったのだろう。

 クールダウンを試みたというわけだ。

 

「……あぁ、そうっすね。来た理由は、まぁ時間稼ぎって奴かな。ここでアンタを引き付ける間に駆さんたちがこの街を脱出する。大体そんな感じの筋書きらしいすよ。今頃街で出てんじゃないすかね」

 

「……そう、そう。そんなことだろうかなと思った」

 

 目を伏せながらの頷きはただの確認だった。この公園で彼が待ち構えているのは明白だった。異端の存在は往々にして自ずと自分の存在を隠すような術を身に着けていく。先日の妖魔にしても発生してそれほど時間は経っていないはずだが気配を隠していて町中を駆け巡る羽目になったのだ。しかし今の流斗はそんな術を持っていない。異端であるが故に周囲との齟齬が生じるが、それを誤魔化せていない。一般人ならばともかく、裏側の人間ならば解りやすぎる。

 おびき出されているのは解っていた。

 解っていたが――来た。

 

「一応聞いときますけど、あの人たちはどうなるんすかね」

 

「この街から出れば白詠の力は届かなくなる。少なくとも今日明日までは『護国課』の介入はないだろうけど、街の外は別。高位の陰陽師が捕縛に動くはず……意味があるかはともかく」

 

「あぁ、やっぱ無理っすかね」

 

 澪霞は小さく頷き、

 

「『天香々背男』って知ってる?」

 

「……聞いたことないっすね」

 

「あまり有名ではないけれど日本神話、日本書紀に出てくる神格。細かい話をすればキリがないけれど、芦原中国平定において最後まで屈服しなかった星の神。武御雷や経津主のような軍神や剣神が最後まで倒すことができなかった日本における最強の神格で、まつろわぬ金星なんて呼ばれていた」

 

「……恰好いいすね」

 

「最も実際はそういう星を信仰する人々が当時の政権に服従しなかったことが表わされているということらしいけれど」

 

「夢の無い話になりましたね」

 

「神話なんてそんなもの――それでも、そういった信仰は確かにあった。決して屈せず、負けず、己の意思を貫き通し戦うことを諦めてないという神は確かに信じられていた」

 

 そしてそれこそが、

 

「津崎駆、その神威こそが『天香々背男』。あれを戦闘で降すのは不可能に近い」

 

「? でもそういう神様の種類とか本人の強さにはあんま関係ないって話じゃあ」

 

「その通り。憑いた神と憑かれた人間の強度は比例しない。彼の場合は彼自身と神格の両方が規格外だっただけ」

 

「うわー思い切りチート存在、てかそうやって解ってるのに手出すんすか?」

 

「……少なくとも今は最弱状態だから」

 

「ふぅん」

 

 まぁ流斗には知らないことが色々あるのだろう。正直もう関係のない話だ。もう二度と会うこともないだろう。そう考えると変な気分だが、別に執着もない。

 ただ、今の話で気になること自体はあった。

 

「なら……その神様の種類は関係あるって?」

 

 津崎駆が『天香々背男』が他者に屈しないという共通点があるのならば。

 流斗や澪霞もまたそうであるはずだ。

 

「だったら――なんでアンタはああ(・・)なるんだ」

 

 思い返されるのは二度だけ、それもまともに見ていたのは一回だけという情報量として実に少ないがそれでも目に焼き付いている。刃に纏う雷。槍衾のように動く水。身体を押し出す風。効果が一定していない。精神に直結する『神憑』に於いて二つ以上の特性を持つのは非常に稀だ。なぜならばそれが表わすのは根源的な精神がそれだけ派生していること。能力が変化していくのは無きにしも非ずらしいが、最初から複数の能力であるということは、それだけ精神が一定していないということ。

 

「ふざけんなくそったれ」

 

 おいおい、それはおかしいだろ。それは違う。俺の知ってる白詠澪霞はそんな存在じゃないはずだ。そんな訳の分からん力を何種類も持っていて、定まっていないようなキャラじゃないはずだろう。あの時見て、感じて、解ってしまった、アンタが求めていることを。知りたくなかった。知って愕然とした。馬鹿げてる。ふざけんなと叫びたい。だってそんなの、

 

 

「――俺が憧れた(・・・・・)アンタじゃない(・・・・・・・)だろう(・・・)

 

 

 そう、荒谷流斗は白詠澪霞に憧れていた。

 彼の願いは揺らがない人間でありたいということ。周囲の環境や関係がなんであろうとも、絶対に揺らがない信念が欲しかった。そう思ってこれまで生きて来た。そう考えずに生きる自分というのは今の自分では考えられないほどで、その在り方を変えていく気なんてなかった。

 勿論、それは自分にはないもので、無い物ねだりということは親友に指摘され思い知った。

 自分ではない。

 ならば誰か。

 それが――彼女だったのだ。

 流斗の知る限り誰よりも自分というものを持っていた。白詠という大きな家の娘として生まれ、その役目を自分の意思でまっとうしていた。生徒会長を務め、見事学園を率いている。会話と呼べる会話をしたのは一週間前が初めてだったが、その存在自体はずっと前から知っていた。整い過ぎた容姿の中で支持は集めていても人望や人気は少ない。流斗はその少数派だった。

 だからこそ許せなかった。

 澪霞の異能の発現を通して、そこに込められた彼女の祈りに気づいた時。

 自分とは(・・・・)全くの正反対(・・・・・・)だったからこそ(・・・・・・・)

 感情の蓋が消え、抑えていた精神の箍が外れていく。そしてその激昂はそのまま現実を浸食し始める。感情が高ぶれば昂るほど『神憑』としての性質故に存在強度は上がり、周囲の空間とのズレは加速していく。それによって周囲に旋風が巻き起こり髪や服を揺らし始めた。勢いは加速度的に増していた。

 そして世界のズレはもう一つ。

 

「……いで」

 

 バチリ(・・・)バチリ(・・・)と空間が弾けていく。白に発光するスパーク。性質は違えど空間齟齬による発生ということに関しては流斗と同じだった。

 

「……ないで」

 

 発生源は言うまでもない。

 

「……ふざけ、ないで」

 

 言葉に初めて解りやすいほどの感情が乗った。怒り、憤怒、拒絶、嚇怒――表わす言葉は数あれど、感情の高ぶりには変わらない。感情を見せない人形のような少女。そんな風に呼ばれ、見られ、口にされてきたけれど、そんなわけがなく、その証が今明確に表れていた。

 

「私は――」

 

 澪霞もまた、流斗と同じだった。

 

「私は――自由でありたかった」

 

 自由気ままな人でありたかった。白詠の家として生まれたことは疎んでいたわけではない。それでも、あくまでそれは用意されていたレールであって、自分が選んだものを自分の自由で選びたいと思っていたのだ。

 

「ふざけんなもくそったれも私の台詞。何よ、それ。憧れなんて馬鹿みたい。私のほうが、貴方に憧れていたのに――!」

 

  それを彼女が知る誰よりも体現していたのが荒谷流斗だったのだ。何事にも囚われず我が道を往く風来坊。色んなことを好きなように行って、それを楽しんでいる姿は澪霞にとっては堪らなく眩しかった。それなのに、彼の願いは知った。知ってしまった。

 誰よりも確かな芯を持っていた人がそれを否定していた。

 誰よりも自由だと思っていた人がそうであることを嫌っていた。

 裏切られたと思った。理不尽な感情だと自覚していてもその想いを止めることはできない。互い理想を押し付け合って、現実と理想が違ったから癇癪を起すなんてまるっきり子供のよう。それでも感情はブレーキを知らなかった。最早互いの言葉なんて耳に届いていない。

 自分に憧れていた? なんだそれは馬鹿じゃないのか。自分みたいに憧れていたんて、そっちの方がずっと凄くて綺麗で素晴らしいのに。こんなどうしようもない俺/私なんて、アンタ/君に比べれば塵芥に等しいのだから――! 

 二つの感情はあまりにも容易く臨界を迎えた。

 

「我は羽々斬る叢雲の颶風――」

 

「其は囚われぬ惑いの灯――」

 

 『神憑』を指して誰かが言った。

 それはまるで奇跡のような存在だと。

 それはまるで哀れな自殺志願者だと。

 それはまるで出来の悪い悪夢だと。

 それはまるでこの世で最も愉快だと。

 例えば、家族を守るという願いを持った『神憑』がいたとしよう。そして彼ないし彼女が、その家族と世界をどちらかを犠牲にするという選択肢を迫られたとしよう。この場合大抵の場合は当然世界を選ぶ。場合によってはどちらも選ぼうと画策するだろうが、現実的に考えて世界を選ぶしかない。もしもそれがドラマや小説だったならばヒーローが現れ何もかも解決してどっちも救ってくれるかもしれない。

 しかし『神憑』の場合、選択の余地はない。

 一切の呵責も、全ての迷いもなく、『神憑』は自分の大切なものを選ぶ。選ぶことができる。良心とか倫理とか常識とか、本来加味されるはずの今の世に生きる人間ならばあってしかるべき要素がごっそり抜け落ちている。選べる選べないではない。選んでしまうのだ。行動してしまうのだ。自分のしたいことをそのまま実行する。

 例え相手が自分の理想であろうとも、その理想が間違っていると思ったのなら――止めようとしてしまう。

 そして叫ぶ神の名にはありったけの感情と激情を込めて。もうお互い以外の何もかもはなかった。『陰陽寮』も『護国課』も津崎駆も雪城沙姫も知ったことか。己にとって目の前の相手程掛け替えのない存在はいない。

 暴風が吹き荒れ、閃光が弾けていく。

 

「荒べ、素戔嗚――!」

 

「揺蕩え、月讀――!」

 

 流斗に外見上の変化はない。それでもただひたすらに存在の強度が上がっていくことで周囲の空間は軋み、風が吹き荒れる。澪霞もまた全身が白光に包まれ、各部にスパークが弾ける。それ自体はそれまでと同じ。

 ただ、それまでとの強度が違っていた。

 目の前に流斗が、澪霞がいることでかつてなく魂は絶叫しているのだから当然だ。

 流斗の握りしめた拳は金剛石よりも硬く、あらゆる干渉を拒絶する。纏う雷光は留まらない。雷だけではなく、時に風に、時に液体となって澪霞の意のままになる。

 

「知らないなんて言うかよ。白詠澪霞――アンタだけには絶対に言わない。俺みたいな石ころに憧れてるなんて、放っておけるかよ」

 

 足を踏み出しながら放った言葉に澪霞も応える。

 言葉は必要だ。他の誰でもない、彼に対してだけは。

 

「それはこっちの台詞。荒谷流斗――私みたいな人形に憧れてるだなんて言わないで。訂正するまで、許さない」

 

 

 

 




好感度なんて最初からMAXが私の基本だ!(
一応最初からそれっぽいのを入れてきたのでそのうち晒したい。


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インポッシブル

「――!」

 

 流斗が一歩踏み出した瞬間には銃弾が放たれた。白のスパークを纏う弾丸は通常のそれよりも数段速く、結局のところ素人でしかない流斗にはどうしたって回避や見切りをするくとはできない。もっと言えば澪霞が懐から拳銃を引き抜いたことすらにも反応できなかった。気づいた時には全身に銃弾が着弾していたのだ。『神憑』の生命力は極めて高く、そう簡単には死なない。心臓が吹き飛ばされようが四肢を捥ごうが頭半分引き飛ぼうが短時間ならば活動できるし、その状態からでも然るべき治療を行えば簡単に全快できる。それを澪霞は良く知っていた。

 

「――やりすぎるくらいで丁度いい」

 

 だから躊躇うことなく突撃銃の引き金を引きまくる。躊躇などという感覚は完全に消え去っていた。全精神が荒谷流斗を屈服させることに特化させているのだ。自分の言うことを理解しないというのなら理解するまでぶちのめすし、理解しきれないというのならば腕の一本や二本を吹き飛ばせばいい。射出された数十発の弾丸は幾らか通り過ぎたものの大半は命中し、

 

「鬱陶しい……!」

 

「!?」

 

 残らず全て弾かれた(・・・・・・・・・)

 着弾はした。澪霞の感覚はそれを確かに捕えたし、それまでの突撃銃は手放して懐から新たな自動式拳銃、腰から小太刀を抜いて既に次の動きへと繋いでいた。しかしその結果について思わず目を見開く。放った弾丸は着弾したが、それで終わってしまったのだ。まるで超硬度の防弾ガラスに中ったように、流斗の肌を通さずに弾かれてしまった。

 僅かに態勢は崩れ、

 

「痛ぇなくそ……!」

 

 それでも前に出た。

 フェイントや武術の歩法などではない。単純に徒競走のスタートダッシュか何かのように踏み出しただけ。完全に素人のものだ。澪霞が拳銃を膝や脚に照準を定め命中させるのも簡単だった。

 だがやはり傷にはならない。

 着弾の衝撃によって僅かに勢いを削れるがそれだけ。

 驚いている間に距離が縮まった。

 

「!」

 

 拳が降られる。右の手を強く握りしめ、大きく振りかぶってから放つ。拳撃というにはあまりにも拙いテレフォンパンチ。ただそれでも高い身体能力や膂力、そして勢いが技術を補完していた。

 咄嗟に小太刀で受け流す。思った以上の衝撃で体が軋んだが、それでも捌き切るのは難しくなかった。同時に刃が拳に触れている間に雷撃を流し込む。

 闇夜の中で雷光が弾けた。発生した閃光が夜の公園を照らし、

 

「眩しいんだよ!」

 

 無視して蹴りを叩き込んだ。

 

「ーーっ」

 

 直蹴りは拳銃をぶつけて逸らしながら後退することで回避、さらにバック転で距離を空けるのと同時に両袖から投擲用のナイフを手首のスナップで飛ばした。狙いは目だった。流石に直接目には当たらなかったが額に突き刺さり――刀身が拉げて落ちる。投擲用故に重さを削り強度も低い。だとしてもこんな結果になるなんて馬鹿げてる。分厚い鉄板にぶつけたとしてもこうはならない。

 それが何を意味するか、澪霞には解ってしまった。 

 

「限定完結型……!」

 

 呻くように発せられた言葉が表すのは『神憑』を含めた異能者の分類の一つだった。一口に異能や魔法、魔術魔導と言っても当然、引き起こされる現象は様々だ。故にある程度大雑把な分類が正式に作られてる。能力の効果範囲や目的によって別けられているわけられ、今澪霞が口にしたのもそのうちの一つだった。

 限定完結型――読んで字の如く。

 発現する異能の効果が使用者にのみ限定され、完結されているということだ。体外に干渉することはなく体内のみが変革する。武器や防具に特殊な効果が付与されたり、手が触れていないものを操作したり破壊することもできない。

 人間の形のみにしか異能が反映されないから必然的に変化の余地が減っていくのだから、津崎駆の言葉にした通り汎用性も応用性も欠片もない。

 あるのはただひたすらに――実用性のみだ。

 たった一つのことに特化しすぎて体現者は極めてレアリティの高い分類だ。

 

「ぶっ飛べッ!」

 

 踏み出しながら迫る右の拳。再び小太刀と接触させる。勢い任せの一撃だから澪霞の技量ならば捌き、受け止めることは難しくない。その上で麻痺効果がある雷撃を流し込む。駆に対しても使ってきた澪霞の近接戦闘における基本戦法だ。駆に対しても同じことを行い、動作を損なわせてた。

 それが一切通らない。

 外界から生じる干渉の拒絶。

 それが流斗の能力だ。他に説明の使用がなく、単純極まりない性質だ。木曜深夜における灰狼の牙も通らなかったし、澪霞の弾丸も同じだ。弾丸着弾時に少し揺らいだが、成り立て故の不安定さだろうし、そのうちあの程度でも一切無視できるようになるだろう。思い返せば最初からそうだ。一週間前に澪霞が駆へと放った澪霞の手刀。それは流斗の心臓に着弾しながらも弾かれるだけだった。あの時は流斗の出現に気が動転して思わず逃走して碌に考えることはできなかった。

 

「君は、どこまで……!」

 

 知らぬうちに表情は歪み、小太刀や拳銃を握る手に力が入っていく。その能力が意味するところが手に取るように解ってしまったから。

 

「そんな願いを……!」

 

「あぁ、そうだよ!」

 

 全身を這い、制服のシャツを焦がしていく電気を完全に無視しながら流斗は殴りつける。パワーもガードもテクニックもスピードも頭にない。ただひたすら胸の激情に流されるまま我武者羅に両腕を振るっていた。

 

「揺らがない心を持ちたかった――」

 

 物心ついた時からずっと思っていた。

 

「何だっていい、どんな下らないものでいいから、なにかに固執できるような人間でありたかったんだ。たった一つのことに全力になれるような、心の底から何かをまっとうできるような人に俺はなりたかった」

 

 ずっとそう思って、生きてきた。そう思い続けて生きていき、死んでいくのだろうと思った。けれど、白詠澪霞を知ってしまった。誰よりも確かに自分を抱き生きている彼女を。そんな在り方が堪らなく眩しくてずっと憧れていた。勿論そんなことは他人に言う話でもないし、言ったことはなかった。それでも思い続けてきたのだ。

 一週間前、流斗が澪霞と駆の戦いに介入したのだってそのせいだ。

 気づいたら体が動いていたわけではない。心の奥底に秘めていた何かに無意識が反応した故の行動ではなく、何が起きているのか解らないままにとりあえず動いたというわけでもなかった。ましてや誰かに操られてとかオカルトな理由でもない。

 何が起きているのか、少なくとも理由や原因はともかく現実としての事実は認識し、それを理解し、その上で――彼は駆を突き飛ばし、澪霞の貫手に体を晒した。

 己の意思が流斗を動かした、心の奥底に秘めていた確かな意識が反応した行動だったし、起きていることは解っていたから動いたし、誰に操られたわけでもなかった。

 当たり前のことだ。

 憧れの女の子が他人を殺しかけているのだ。

 止めるに決まっている。

 

「だから今ここでも、アンタを止めてやる。そんば馬鹿みたいなこと考えてるアンタは俺が俺の手で」

 

「勝手なことを――」

 

 雷撃が澪霞の全身に迸り、

 

「――言わないで!」

 

 流斗の視界から消える。

 

「な――ッガ!?」

  

 後頭部に衝撃。それだけではなく、確かな痛みも。馬鹿な、と思考が動く。今の自分がどういう風になっているのか、漠然とだが確かに理解していた。

 そもそもそれは理解するとか使いこなすとかそういう類のものではない。人間が息をするのと大して変わらない。本能レベルの渇望が表現化しているのだから使えないわけがない。

 だからこそ流斗は驚愕する。

 今の自分が衝撃や痛みを感じるなんて、と。衝撃ならばまだしも痛みは在りえない。そしてそれだけでは終らずに、その二つは連続していった。

 

「何を驚いているの」

 

「クソ……ッ」

 

 視界の中で白光が弾ける。腕や足を振り回すが全く追いつけず、澪霞の姿を捉えることもできない。

 

「『神憑』としては確かに覚醒した。力の使い方だって自ずと理解できるだろうし、体術や命のやり取りだって津崎駆と少しは覚えたかもしれない。それでも――君は絶対的に素人」

 

「だからなんだよ……!」

 

「解らない? 今の君は――ただの木偶」

 

 例えどれだけ存在強度を高め、干渉を防ごうと、それに伴い身体能力が上がろうと。結局のところ流斗に戦闘技能はない。所詮は街の喧嘩程度であり、澪霞のそれには遠く及ばないのだ。生まれた時から異端の世界に身を置き、幼い頃から戦い続けてきた。その経験値だけは『神憑』であろうと覆せない。

 全身に雷撃を走らせることで体内の電気信号を刺激し駆動速度を上げ、周囲の暴風を使って移動速度も加速させる。通常ならば思考が付いていかないだけの高速機動だが、人形とまで言われる澪霞の精神が体を完全に支配する。

 

「それに干渉の拒絶だって万能ではない。全部排していたら呼吸や五感だって意味を無くす。無意識で取捨選択しているはずだし、物事に限界があるのは当たり前のことで『神憑』だって同じ。拒絶できる容量の限界を超えて攻撃すればいいだけ」

 

 当然口でいう程簡単な話ではない。

 実際、駆にはできなかった。ほぼ全ての能力を封じられ、澪霞との戦いで封印から漏れた力も使い果たしかけた駆はその技量を以て流斗を完封したが、彼の拒絶の容量を超えるだけの威力を発揮することはできていなかった。

 圧倒的な経験不足が彼を劣勢に追い込んでいるいた。

 澪霞の力は不定形物質への支配操作。気体や液体、流体、電気や炎のような明確な形を持たないものを彼女は己のものとすることができる。

 肉体機動も高速移動も長距離跳躍も麻痺攻撃も水槍精製も水刃風刃作成、さらには手榴弾による爆風や爆炎の集中も全てその力から生まれている。

 全域対応型。

 ありとあらゆる環境に於いて十全に己の性能を発揮できる異能と精神を持った者の呼称だ。流斗のようにたった一つに極限特化しているわけではなく、全ての事象に適応し最善の力を発揮できる種別。当然ながらそれだけ多種多様な種類の力を身に着ける必要があるために限定完結型と並んで珍しい異能の類でもある。

 この力を、こんな在り方を澪霞はずっと焦がれてきた。

 

「与えられた道じゃなくて、自分の道を自分で選びたかった。それがどんな道であっても選べるように、なにも囚われない自由でありたかった」

 

 君みたいに。

 

「君のようになりたかった。好きなことを好きなようにやって、気ままに生きる君のように。君に理解できる? その在り方がどれだけ貴いものなのか。私には堪らなく眩しかった。白詠の娘としてその道筋だけを追ってきた私なんかとは比べ物にならない」

 

 だからこの一週間という回りくどい時間があった。普通だったら未覚醒の異能者を放っておくわけがない。期間を開けたのは澪霞自身の私情だ。荒谷流斗が相手だったからこそ妖怪爺に初めて直談判して説得の余地を創り出し、生徒会に呼び出していた。しかしあれは失敗だったと思う。結局変に意識するあまりに碌な会話もできなかったし、説得なんてものはできなかった。

 いや、今となってはそれでいい。

 言葉で通じる相手じゃなかった。

 

「『護国課』に引き渡す前に、拘束して考え方を改めるまで私の家に閉じ込めて意識改変させてあげる」

 

「ッ、今時ヤンデレとか流行らないんだよ……!」

 

「今の君に、デレる理由はない!」

 

「ガッ!?」

 

 踵が真下から流斗の顎に直撃した。自然顎は上がり、背骨が伸びることで胸ががら空きになる。反撃の拳が来る前に拳銃を連射、弾丸そのものは流斗の肌には通らないが威力は抜け、吹き飛んだ。

 やはり不安定だ。顎への衝撃は本来ならば脳が揺れることになるが反撃しかけたということは効果が薄かった。それでも顎や蹴られたということに集中し、意識の向かなくなった胸にはダメージが通った。

 

「所詮それが限界。自分の力の性質も使い方も理解できていない今の君にはどれだけ頑張っても私には届かない。力量的にも、精神的にも。揺らがない? 違う、頭が固いだけ。融通が効かない、応用がない、発展しない、決められたことしかできない」

 

「ぐっ……ぁ」

 

 澪霞の言葉を流斗は地面に伏しながら聞いていた。口の中に感じるのは鉄臭い血の味で、全身を苛むのは耐え難い激痛だ。零距離からの発砲。普通ならば当然即死だ。内臓の損傷や流血は言うに及ばず着弾時の衝撃で全身の血液が逆流することになるだろう。『神憑』としての性質故に肋骨数本と軽い内臓の損傷で済んでいるが、それだけでも重傷には変わりない。それによって発生する痛みは流斗を悶絶させるのには十分だ。

 

「ぁぐ……かはっ」

 

 吐血。決して量は多いが血を吐いたことには変わりない。自分が吐血することになるなんてことになるとは思いもよらなかった。もっと言えば、こんな命の削り合いだって。

 

「君ではどうしたって私には勝てない。そもそも勝負にならないから。この先が心配ならこれから先の生活の全てを保障してもいい。悪いようにはしない。白詠家次期当主白詠澪霞の名の下に誓おう。だから――もう動かないで」

 

 それは懇願にも似た色が交じる声だった。

 澪霞自身に流斗を傷つけること自体に躊躇いはない。寧ろ、ふざけたことを言っている限り手を休めることはない。それでも、傷つけたくないという想いもまた確かに存在するのだ。自分の憧れの人を傷つけたいと思うはずがないのだから。できることならば、もしも彼が澪霞が望んだままの彼だったならばこんな風にはならなかった。

 

「……荒谷君」

 

「……は、はは」

 

 けれど、答えは渇いた嘲笑だ。血を吐き、痛みに悶えながらも、少年は気が狂ったかのように笑みを浮かべていた。

 

「ははは、ははは……かはっ、ごほっ……馬鹿かよ、アンタは。そんなこと言われて、はいそうですかって、俺が頷くとでも思ったのか?」

 

 吐き捨てながら、流斗は震える膝のままで立ち上がる。ぐらぐらと覚束ない足取りでも、確かに自分の足で。

 

「もし、先輩が今の俺みたいに、自分よりもすげー強い相手にぼこぼこにされて、まともに考えれば絶対勝てないくて、お優しいことにそいつはそれまでの生き方見直すなら命とか生活の保障までしてくれるらしい。……それで頷けるか、アンタは」

 

「……」

 

 問いかけに澪霞は僅かに目を伏せ、流斗ともまた口端を歪める。

 

「――できるわけねぇよなぁ」

「――無理」

 

「く、はは……そうだよなぁ、そうに決まってるぜ。神憑(俺たち)はそういう存在なんだろ? 誰かに口挟まれたくらいで変えられるかよ。そういう風に生まれちまったんだ。だったら……その生き方変えたら、生きてる意味がねぇ」

 

 変わらず流斗は笑い続け、澪霞は笑わない。

 

「無駄だぜ先輩。アンタが何を言おうと俺は俺で在り続ける。変わってなんてやるもんか。今ここでアンタに捕まろうと殺されようと、俺は俺のままで生きて、生き続けて、死んでやる。アンタのくそったれな想いを笑い飛ばしてやるよ」

 

 血に濡れる顔を引きつらせながら流斗は言う。

 揺らがない人間になりたいと願ったのだ。他者の言葉で揺らぐはずがない。例えそれが憧れだとしても。正しいとか間違っているかなんて関係ない。流斗自身が受け入れられるかどうか。選んだものに納得できるかどうかだ。『神憑』に目覚めた時だって同じだった。あそこで倒れたままでいるのが許せなかったから立ち上がったのだ。

 だから今も同じ。

 

「んでもって負けるつもりもねぇよ。今のアンタに、そんな無様な願い大事に抱えてるアンタ、俺は負けられねぇ」

 

 絶対的に平行線だ。

 まるで反りが合わない。でも解っていた。お互いの想いを欠片も理解できずとも、理解できないということを理解していた。口に出したのはただの感傷とか気の迷い。もしこれで彼が自分の言葉を受け入れたらそれこそ斬って棄ててたかもしれない。さっき答えたように、自分が同じような目に合っても絶対受け入れないのだから。

 

「……そう、だったら――」

 

 次に何を口にするべきか迷い、

 

「――落ちろ鳴神」

 

 気の利いた答えは思いつかず、小太刀を放り投げ流斗へと雷を落とした。

 

 

 

 

 

 




もう一話くらいバトルです。

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コギト・エルゴ・スム

  

 

 

 

 んなあほな。

 いきなり落ちてきた雷に肉体を焼かれながら流斗は思った。雷である。確かに澪霞がそれを使っているのは解っていた。体や武器、弾丸がスパークを纏っているのは実際に何度も目にしていたし、不定形の操作というのは駆の推測通りだ。正直なんで不定形というので電気になるのが謎だが、本人のイメージ在りきらしいので深く考えるのは無駄らしい。

 それにしたって雷が落ちてくるなんてどうかしてる。雨や雲の気配はなく、寧ろよく晴れて月が綺麗だったのに。そういったことを無視しての落雷だ。ふざけているにも程がある。

 それでも、こういうのがこちら側なのだ。道理や情理を狂気じみた精神でねじ伏せ、現実を浸食する。それが津崎駆であり、白詠澪霞であり――荒谷流斗だ。

自分もそうなっているのだから笑える。

 

「は、はは……」

 

 あぁ、だから笑ってやろう。

 嘲笑ってやろう。

 誰に否定されようと関係ない。どうせ生き方変えられないのは解っている。だったら決まってしまった生き方をどういう風に進むのかが問題だ。自分の憧れで、一番認められない彼女は無表情の極みだ、だったら笑ってやる。

 

「くひ、はは……っ」

 

 声が引きつり、よく解らない笑いが漏れる。自分の身体が今どうなってるかとか、どれだけ拒絶を抜けているのか、どのくらい損傷を受けているのか、もう解らない。馬鹿みたいに脳内麻薬が大量に分泌されているだろうが痛いのは痛いし辛いのは辛い。

 でも、そんな状況でも今の自分は挫けようとしなかった。自分がそうなっていることが堪らなく嬉しかった。少なくとも度どんな状況でも諦めらないというのは求めた在り方の一部であるから。

 

「――はは」

 

 唐突に理解してしまう。それまで身を焦がすような怒りが全てを支配していたし、解っていてその怒りのままに身を任せていた。

 でも、多分自分は楽しいのだ。愉しいのだ。

 焦がれつづけた自分がこの先にいると思える。

 

「――くそったれ」

 

 悪態をつきながら、しかし彼を知る誰もが見たことのないような笑み浮かべ荒谷流斗はさらに一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――」

 

 落雷の中から流斗が飛び出してくるのを澪霞は見た。

 小太刀を媒介にして自然現象と同じ規模の雷を落とすのは澪霞としてもかなりの大技だ。一日に何度も使うよな技ではなく、使うとしたらそれなりの修羅場に限定される所謂必殺技だ。そんなものを使ったのは彼の事象拒絶という力故でもあるが、過剰といえば過剰だったかもしれない。少なくとも市街地で使うような技ではなく、目撃者や雷鳴で起きてしまった人もいるかもしれない。

 それでも『鳴神』を用いたのは――まぁ大した理由はなかった。

 正直自分の感情がどうなっているのかもよく解らなかった。

 その在り方に激怒しているのも本当。無駄な戦いをしたくないのも本当。彼にこちら側の世界に関わらせたくなかったのも本当。白詠の長女としての使命を果たさなければならないというのも本当。自分に嘘をついてるつもりはないし、全てが真実だ。けれど、それらのどれが一番強いとか弱いとかがよく解らなかった。

 意味不明にもほどがある。他人に理解されるとは思っていなかったけれど、自分でも自分のことが全然理解できていない。

 ただそれでも、刃を握る手を緩めないのは、

 

「結局……私も今も君に負けたくないだけなのかな」

 

 どうだろう、そうなのかな。

 やっぱりよく解らない。

 でも多分、ここで彼をそのままにしていたら一生何も答えを見出せない気がするから。

 腰のポーチから符を取りだし、日本刀に変換する。抜身の刃は出現するのと同時に当然のようにスパークが弾け――それよりも速く澪霞は駆けだしていた。右の手の中で具現化する一刀と左で握る小太刀。同時に周囲に吹き荒れていた風も掌握し、自分の動きをサポートしていく。

 

「――雷華、纏風」

 

 疾風迅雷を体現しながら疾走し、次の瞬間には二歩目を踏み出していた流斗へ迫っていた。

 黒と赤の瞳が交叉し、同時に二刀が駆け抜けた。

 小太刀は心臓への刺突となり、右の一刀が首と振り払い、

 

「――」

 

 振りぬき、二つの刃が砕かれた。

 真紅の瞳は見開かれ、その間に流斗は澪霞の左手首を掴んでいた。

 

「無力化なら四肢、殺す気なら首か心臓、駆さんに聞いてた通りだ。ついでに確かに意識外したら痛いけど……来ると思ってたら十分耐えられる」

 

「ッ……!」

 

 振りほどこうとするができない。澪霞の力では身体能力そのものはそれほど強化されず、流斗は身体能力強化特化。それに加えて体格的にどうしたって流斗の方が有利だ。掴んだ腕をそのまま引き上げられる。澪霞の足が地面から離れ、

 

「――ぶち抜け」

 

 右の拳を全力で鳩尾へとぶち込んだ(・・・・・)

 

「ガハッーー!」

 

 毬付きみたいに思い切り吹き飛ぶ。十数メートルは浮いたままで、そこから何度か地面をバウンド、公園の端の方までかなりの距離を飛んで行った。

 

「ぐ、っ……ぁ……」

 

 赤い塊が口から吐き出され、痙攣する全身で無理矢理起き上がろうとするが上手くいかないし、頭の中をひたすらに驚愕が占めいている。それくらいに尋常ではない威力だった。肋骨が半分ほど砕かれ、内臓も無視できないレベルで痛めている。多分、普通の人間の耐久力ならば即死だったはず。『神憑』という澪霞の耐久度だとしても後三撃喰らえば死ねるかもしれないほど。

 

「私自身や服の、防御も拒絶して……」

 

 澪霞自身は言うまでもなく簡易的な防御術式を常に張り巡らしているし、制服には戦闘用の符が仕込まれ、攻撃を受けた際には盾にもなる。それら全てが残らず作用しなかった。いや、作用したが全て拒絶されたのだ。晒される無防備な肉体。

 そんな状況でぶち込まれた一撃。

 相手の防御を無効化できるというのならば、相対的に攻撃能力は澪霞よりも高い。

 

「やっと、一撃だ」

 

 腕を回しながら流斗は言う。

 確かにこれが一撃目。澪霞から大量に攻撃を受けたが、流斗の拳が直撃したのはこれが始めてだった。

 

「しこたまぶち込んでやるよ、アンタの鉄仮面崩れるまでな」

 

「……趣味が、悪い」

 

 口元を拭いながら澪霞が立ち上がる。膝は微かに震えているが、まだ問題ない。ポーチから再び符を二枚取り出し、両手に小太刀を逆手で握った。

 

「そのニヤケ顔を切り刻む」 

 

「やってみろよ」

 

 同時に瞬発する。距離が空いていたから先ほどのように一瞬で詰めたとはならないが、それでも澪霞の方が遥かに速い。単純な移動速度でも倍近く、懐に入られたことに気づいたのも小太刀が振るわれてからだった。

 

「っづ、ぎぃ……!」

 

 回避はできない。避けること今の流斗では不可能だ。だから全部受けた。全身どこか斬られるつもりで受ければ今の流斗ならば十分耐えられる。

 当然痛みは全身を蝕むが、

 

「構うかよ」

 

 そのまま殴りに行った。自分の一撃が当てれば大きいというのはよく解った。だからどうするべきなのか、ということは戦闘のいろはを知らない流斗には難しい問いだが、覚える気がないのは今更。とにかく遮二無二に拳を白い影に叩き付けに行き、

 

「……」

 

「!?」

 

 無言の澪霞に手首を取られた。

 振りぬいた拳を小太刀で裁き、その上で手首の返して流斗の腕を取り、

 

「折る」

 

 小さな身体を跳ねあげ、自らが固定した右肘に跳び膝蹴りを叩き込んだ。

 

「痛っ――くねぇ!」

 

「……っち」

 

 完全無欠に一切躊躇の無い関節破壊。流斗でなければ肘から先が捥げていたかもしれないが、ダメージはない。単純に体を固くしているのではなく、存在そのものの強度上昇だ。関節技のような技は効果が薄い。半ば予想はできていたから、即座に次に繋げようとし、

 

「しゃらくせぇ……!」

 

「――っ」

 

 跳ね上がった左足を回避するために跳躍した。手首は離さぬままで、そこを支点にし一瞬だけ逆立ちしたような態勢になる。そして澪霞よりも先に空振りした右脚の勢いのままに、左拳を澪霞の顔面を殴りつけていた。

 

「二発目ェーッ!」

 

「ぁ……!」

 

 炸裂する。

 腕と小太刀で咄嗟に防いだが、刀身は砕かれ、腕の骨が砕ける音も共に身体が跳ぶ。それでも先ほどと違い受けた時の覚悟は出来ていた。拳が放たれ、着弾されるまでの刹那に袖から符を落としていた。

 

「……?」

 

 殴り飛ばしてから気づき、目撃した字は『爆破』。

 

「――爆ぜろ、篝火」

 

 爆裂し――流斗を中心として火柱が生じた。

 

「っ……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 爆発系の攻撃符、それを『神憑』としての能力で範囲を収束させることで威力を高めた。あまりやらないが爆風や爆炎も操作可能なのだ。爆炎に焦がされて前のめりに倒れ、澪霞もまた地面を転がっている。

 痛み分けだった。

 

「あ、くそっ……」

 

「っつぅ……」

 

 『神憑』と陰陽術の複合爆撃は事象拒絶を突破して流斗にダメージを与えていたし、彼の一撃もまた澪霞にとっては尋常ではない威力だった。小太刀と腕のガードなどあってないようなものだ。二人とも身に受けた傷は決して軽くないし、事実常人ならば何度か死んでいたであろう。流斗のカッターシャツは最早襤褸切れ同然で、ズボンはようやく原型を留めている程度。澪霞の方は腹と片腕の布が弾け、白い肌が内出血でどす黒く染まっていた。

 指一本動かすのさえ億劫だった。息は荒く、身体中を激痛が襲っている。

 

「――!」

 

 それでも彼らは立ち上がった。

 

「はぁ……っ……はぁ……」

 

「っ……く……」

 

 満身創痍となっても黒と赤の目からは意思の光は消えてなくならない。

 

「ひ、ひひ……っ……はは……」

 

「…………」

 

 笑って、笑わない。

 自分が何を考えているのか、もう解らなかった。憧れの人が、絶対に許せない己の在り方を望んでいることは許せない。許したら、自分という存在の根幹が揺らいでしまう。最終的にその激情はそれ以外の全ての感情を駆逐し、消し飛ばしていた。

 だから二人は気づかない。気づいてもすぐに忘れてしまう。

 それまでに存在していた葛藤や疑問を。

 優柔不断な馬鹿(俺は)揺らがない人(アンタ)になりたかった。

 頭でっかちな馬鹿(私は)自由な人()になりたかった。

 結局、二人の戦いはこれだけなのだ。これだけの想いが全てだったのだ。

 どうしようもなくどうしようもなくどうしようもない。

 解り合えるはずがない。心を繋げるどころか、手を繋げ合おうともしなかったのだから。

 きっとこの戦いを見た誰かは、なんて下らないと馬鹿にするだろう。あるいは、理想の押し付け合いだと呆れる者もいるだろう。

 それでも、二人にとってはこのぶつかりは真実だった。絶対に避けて通れない。いつかどこかのタイミングで、二人の感情は衝突していたはずだ。

 そういう風に思ってしまった。そういう風に生まれてきてしまった。

 だからこそ、自分がある。

 

 ――斯く想う故に我在り。

 

「……っ」

 

 そして、同時に駆け出す。

 拳を振りかぶり、刃に雷光を纏わせる。身体は限界を迎えていたからこれが最後。極限状態にて加速した思考と視界は、お互いの顔をはっきりと見ていた。

 笑って、笑わない。

 それでも何を考えているかは解らない。

 

「――白詠、澪霞ァアアアアアアアアアアアッッッ!」

 

「――荒谷、流斗ォォォーーーーーーーーッッッ!」

 

 荒ぶ颶風と揺蕩う月光は絶叫と共に激突し、

 

 

「――そこまでだ」

 

 

 まつろわぬ星光が全てを塗りつぶした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ――!?」

 

「……!?」

 

 一瞬でなにもかもが停止していた。

 腕を振りぬいた流斗、小太刀を抜き放った澪霞。彼の一撃も彼女の一閃も、突如として現われた青年に止められている。右の手のひらで拳を受け止め、左手の指で刃を掴んでいた。

 

「『天香々背男』――」

 

「駆、さん……」

 

 二人が呟いた通り。

 現れたのは津崎駆だった。

 既に街を出たはずの彼は二人ともの動きをあっさりと止めながら嘆息し、

 

「ったくお前ら、口があるならちょっとは会話でどうにかしようと思わないのか。言わなかったか、トークでもいいって」

 

 なんでもないことのように言う。

 流斗と澪霞、二人の『神憑』の全身全霊の一撃を受け止めながら、あまりにも軽い感覚だった。一週間前まで、これらの強度の攻撃を受け、死にかけていたというのに。

 何かが――変わっていた。

 まるで全身を雁字搦めにしていた鎖から少しだけ解き放たれたみたいに。

 

「アンタは……」

 

「……っ」

 

「動くな」

 

「ぁ……っ」

 

 動こうとして、しかし睨み付けられるのと共に放たれた一言に、何もできなくなる。

 それくらいに今の彼の言葉は重かった。

 けれど彼らは動こうとした。雪城沙姫と共に街を出たはずの彼が現れたことに対する疑問などではなく、戦いを邪魔されたことに対する怒りだった。あまりにも大きすぎる実力の差を見せつけられたばかりだというのに。

 流斗と澪霞は先ほどまで戦っていたばかりだとは思えないほど完全に同時に、掴まれていない逆の腕による拳撃と斬撃を放とうとし、

 

「――いい加減にせんか、澪霞。それに荒谷の小倅が」

 

「――!?」

 

 全身を目に見えぬ拘束で停止される。

 不動縛に、今度こそ指一つ動かすことはできない。

 現れたのは白髪の老人だった。黒い着物に羽織、見るからに高価そうな煙管を加えながら歩いてくる。それを誰であるか流斗と澪霞は知っていた。

 

「理事長……!?」

 

「お爺様……!?」

 

「……ふん」

 

 若者の視線を受けながら白詠海厳は鼻を鳴らし、

 

「この喧嘩、儂ら(・・)が預からせてもらおうかのぅ」

 

 今宵の幕を引く言葉を放った。

 




これにて零章バトル終わり。
次話エピローグですねー。

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バックス・ネゴシエーション

 

 それは荒谷流斗と白詠澪霞が互いの感情を激突させる少し前。

 

「……」

 

 白詠海厳は自宅の一室にて煙管を吹かしていた。海厳の周囲には煙管用のマッチや灰を捨てる為の煙草盆。それに彼自身が尻に引いている座布団だけが置かれている。調度品と呼べるものは床の間にある二振りの刀だけ。一週間ほど前に彼と澪霞が話し合っていたのと同じ部屋だった。

 煙管を吹かし、目を伏せているが特に動きはない。時間は既に真夜中を過ぎているが、眠ろうとする気配もなかった。時折煙管の煙草を入れ替えること以外の動きはなく、放っておけばそのままずっとその姿勢でいるのではないかと思わせるくらいだった。勿論、数十分前に何も言わずに家を出ていった孫娘のことにも気づいている。

 

「――ふむ」

 

 動きは唐突だった。

 突然手にしていた煙管を煙草盆に叩き付けた――襖が勝手に開く。

 開いた部屋から望む日本庭園、月明かりに照らされたそこに津崎駆はいた。

 

「……貴様か」

 

 実はこの二人は最初から協力体制をしていて、駆たちがこの街に訪れたのも澪霞と戦ったのも流斗を巻き込んだのも彼ら二人の計画の内だった――というのでは、ない。初対面ではなく、駆と沙姫が逃亡生活を始めるよりもさらに前に何度か顔を合わせたことはあるし、互いの噂は嫌になるくらい聞いていたが、それでも面と向かって、それも二人だけで話し合うのはこれが始めてだった。

 

「指名手配犯が何の用かのぅ」

 

 当たり前のことだが、屋敷全体には対侵入者用の対策は施されている。感知迎撃結界は言うに及ばず罠の類まで完璧、海厳が自ら作成したそれらは不法侵入者に大きな効力を発揮するはずだった。実際、この屋敷に侵入して罠や結界を素通りできた相手は彼以外にはいなかった。

 驚かなかったわけではない。少なからず内心では駆がいることを不思議に思った。だが、それの驚愕を押し殺すことができたのは年の功というのもあるだろう。数十年重ねてきた経験が無様な反応をさせなかった。だが、同時に、駆に姿に一切の敵意や殺意のようなものがなかったというの大きかった。

 

「……話に来たんだよ、白詠海厳」

 

「話……のう」

 

 両手を上げながら言う姿には襲撃とか奇襲をしに来たようには見えない。

 

「ふむ、何の話だ」

 

「頼み事、或は交渉だ、悪い話じゃあない」

 

「ほぉ。あの『天香々背男』が、儂の様な老骨にのぅ、面白い、聞くだけ聞いてみようではないか。儂はてっきりもう街を出たものだと思っていたしの」

 

「最初はそうしようとした。だけど、今日考え方が変わってな。単刀直入に言おう――俺と沙姫を匿ってくれ」

 

「――ふぅむ」

 

 言われたことに煙管を口から外し、煙を吐きだす。

 話があるとの言われ、そう来るのは予想出来ていた。寧ろ、それ以上に彼が望むことはないだろう。津崎駆と雪城沙姫。此方側の世界でその二人の名を知らぬ者はいない。七年前に彼が彼女の為に、誇張抜きで世界全てに背いたことはあまりにも有名だ。問題なのは世界を敵に回して七年も戦い続け、生き残り続けていること。各国勢力が絶えず刺客を差し向けて尚彼ら二人を仕留めることができないままでいたのだ。世界各国を逃げ続け、戦い続けるなんてことは本来ならば不可能だ。

 しかしそれでもその不可能を実現してしまうのが『神憑』なのだ。

 流斗や成り立てや澪霞のような未熟者とは違う、完全に極まってしまった存在が故に夢物語を実現させていた。

 だが、その一方で今の彼が弱っているのも事実だ。一か月前の襲撃。日本式の格付けでの最上位であるイ級や世界共通の英語式ならばSランク。一人一人が戦略級の化物であり、かつて海厳自身の最盛期もまたその格付けだった。それが五人だ。例え自身が最盛期だとしてもそんなのを相手にするのは絶対に御免だ。

 かつてないほど弱っているのは間違いない。

 

「アンタの力なら、『護国課』や『陰陽寮』、それに他の勢力から俺たちを匿うのも難しくないはずだ」

 

「確かにこの街の中限定ならばできないこともない。じゃが、儂がそうする理由などないの。自分の立場は解っていないわけではないだろう。貴様らを匿うとなれば儂としても随分な労力なのだが」

 

「メリットなら、俺が用意する」

 

「ほう?」

 

「一つ。街に発生する妖魔や怪異は俺が対処しよう。それこそイ級じゃなければアンタやアンタの孫娘の手を煩わせることはない。霊脈の真上だ、色々面倒なのもでるはずだ」

 

「そうだ。実際、儂の孫娘は病弱と偽って度々学校を早退しておる。儂も簡単に出られる立場ではないからのぅ。負担を掛けさせておる」

 

「二つ。お前の孫娘、俺が鍛えてやる。三年以内にイ級にまで引き上げよう」

 

「ほう?」

 

 押しつけがましい言い方ではあるが、それが可能だとしたらメリットは大きい。今日本いるその領域は十人程度しかいない。ある意味では『神憑』以上に稀な存在だ。元々霊脈の上にある街の主として強い力を持つ白詠の家を『護国課』内でもトップクラスの家になったのは海厳が戦争の功績でその位を得たことが大きい。

 今の澪霞は二級だが、近い内にハ級になるはずだ。その年ならば十分に高い。それが三年以内にイ級になったら白詠の家はより力を増すことになる。

 

「三つ目、覚醒したばかりの『神憑』。コイツも同じくイ級にする。鍛えるだけ鍛えるから白詠の家の私兵にでも護国課で戦わせるのでも好きにすればいい」

 

「澪霞が説得すると言っていたアレか」

 

「あぁ。『神憑』のイ級二人……これだけの戦力があれば盤石なんてもんじゃないだろう」

 

「確かに。それが実現したのならばメリットは大きい。『陰陽寮』や外国に対する抑止力にもなるであろう。だが……それでお主たちを匿うというデメリットを上回るとかどうかは疑問だのう」

 

「四つ目」

 

 一度区切った上で、四つ目。津崎駆と雪城沙姫を匿うというデメリットを上回るであろうメリットを彼は告げた。

 

「――そいつ、荒谷流斗とアンタの孫娘白詠澪霞を番わせればいい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――」

 

 ぞわり(・・・)と空気が変わった。まるで空間そのものが質量を持ったかのように。

 それは、殺意や殺気、或は憤怒と呼ばれるものだった。それまで好々爺染みた笑みで駆の話を聞いていた老人の姿などない。常人が触れれば卒倒するほど。

 それでも駆は顔色一つ変えずに言葉を続けた。

 

「『神憑』は血筋では遺伝しない。だが思想で遺伝することはある。両親二人とも最上位の『神憑』だったらその子供も『神憑』か、それ以外か、何かしら特別なのは間違いない。アイツを婿養子に引き込めばアンタの家もさらに力を付けることになる。自分の家や国の守護が第一なアンタら『護国課』にとってはなにより価値があるんじゃないか?」

 

「……そのために、儂の孫娘の想いを蔑ろにしろと?」

 

「アンタの孫娘の想いを尊重しているから言っているんだよ」

 

「……」

 

 もしも。

 もしもこれらの言葉が冗談や交渉の中でのブラフだとしたら海厳は迷いもせずに駆を殺しに掛かっていただろう。全盛期ではないとしても、イ級ではないとしても、今現在、封印状態である駆ならば不可能ではない。

 つまり、それほどまでに駆は本気で言っていた。

 

「アイツとお嬢の願いは完全に正反対で、能力に関しても笑えるくらいに相克してる。一緒に競わせればすぐに力を付ける。使えるかどうかって話なら半年もあれば十分。心の方も悪くない……まぁ、アンタからすればどこの馬の骨にって話でもあるだろうが……」

 

「ふん、荒谷の倅なのだろう。功哉と奈波の息子というならば畜生の類ではあるまい」

 

「知ってるのか?」

 

「知らぬ相手ではない」

 

 煙管を咥え直し、目を伏せ海厳が思うのは自らが口にした者たちのこと。彼が引退する前、学園長ではなく一人の教師だった頃の最後に最も手を焼かされた生徒たちだった。今でも記憶に焼き付いているし、彼らの息子のことは気になっていたからそのうち顔も見たいと思っていた。

 まさかこんな形で名前を聞くとは思っていなかったが。

 

「――よかろう。主の話乗ろうではないか。だが条件がある」

 

「なんだ」

 

「三年以内ではなく一年だ」

 

「……できなくはないが、死ぬ確率が上がるぞ」

 

「構わん。それで死ぬならばその程度だったという話だろう。寧ろそのくらいの気概でやってもらわねばな。それと、澪霞のことだがアレにも一応許嫁がいる。跡継ぎに困ったら使おうと思っていたが、それについても考えておいてもらおう」

 

「……まぁ、それは追々考えるよう。四つ目の話はそうなれば一番利益が出るであろう話だ。すぐにどうにかなる話じゃあない」

 

「違いないの」

 

 一つ頷き、海厳が立ち上がった。そのまま園側へ赴き、駆と向き合う。

 手にしていた煙管から立ち上る煙に人差し指を触れさせ、円形の複雑な図を描いた。煙だけではなく、淡い光と生み出されたいる。

 

「簡易版だが、契約陣だ。血を垂らせ」

 

「簡易版、ね。普通の術者ならこれ作るのに丸一日準備する必要があるぞ?」

 

「貴様に言われたくないのぅ」

 

 犬歯で親指の腹を噛み千切り、海厳が生み出した煙の陣に血を垂らす。雫を吸収した煙は渦巻きながら駆と海厳へと延び、腕の周囲に蜷局を巻いてから消える。

 

「契約完了、だ」

 

「じゃあさっさと流斗とお嬢止めに行こう。アンタも来てくれ。多分、殺し合い始めてるだろうからな。こんな契約結んでて、死んでましたなんて洒落にならないし……あぁ、それとアンタ俺に掛かってる呪いとか解除できないか?」

 

「ふむ……どれ?」

 

 煙管から再び煙が伸びて駆の全身に軽く巻き付き、

 

「……お主よく生きておるのぅ」

 

 絶句する。

 

「なんだこれは。魔力回路の封印や伝達神経の混乱はともかく……妖刀か、これは。存在レベルの弱体化。それに神聖術の逆祝福、欧州で使えばバチカンから異端審問官が飛んでくる禁術ではないか。おまけにそれら治癒不可……? 生きて動いているのが不思議なくらいだのぅ」

 

「治せるか?」

 

「無理じゃの。妖刀の呪いならば系統が同じだから緩和くらいならできるがそれ以外は不可能だ。掛けた本人ではなければな」

 

「だったら緩和でもいい。頼む、これで少しはまともになるだろ」

 

「……お主を敵にならないことを祈ろう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで流斗君と澪霞ちゃん止めに行って一件落着だと」

 

「落着かはともかくとりあえず終ったな」

 

 白詠高校の保健室に駆と沙姫はいた。二人とも私服ではない。駆はスーツだし、沙姫もブラウスにスカートの上から白衣を羽織っている。その上で首から教師や用務員が持つネームカードを掛けていた。沙姫は机に腰かけ紅茶の入ったマグカップを手にし、駆は立ったままだが机に軽くもたれかけ、同じくマグカップの中の紅茶を啜っている。周囲に人の気配はない。週初めの一時間目だ、当然のことだろう。

 沙姫はネームカードを指の中で遊ばせつつ、

 

「それにしても昨日の今日でこんな立場用意できるなんて流石だねぇ。養護教員に用務員かぁ、まさか先生になるなんて想像もしてなかったよ」

 

「おまけに俺たちが住むためのアパートまで用意してくれた上に金までくれるっていうんだからな、正直出来過ぎた話だが……裏切るなよっていう意思表示か。まぁ、当分そんなつもりはないからありがたく受け取っておこう」

 

「ついでに言えばまさか一か所に長期間いるのも久しぶりだよ。最低で一年、か。一年間い続けられるといいね。駆君だって、流斗君のこと気に入ったんでしょ? そうじゃなかったらこんな風な契約することなかっただろうし」

 

「別にそんなんじゃねぇよ。実際ある程度回復に集中する必要もあったしな。……それを言ったらお前だってそうだろう。――契約したな(・・・・・)?」

 

 微かに駆の目が細まる。しかし沙姫は笑顔で受け流し、

 

「仮レべルだよ? 何も起きないかもしれないくらいの奴だしね。何事もなければ何も起きないよ」

 

「……ほんとにそう思ってるか?」

 

「澪霞ちゃんにもしてあげたいかなーとは思ってる」

 

「……はぁ」

 

 実に重苦しいため息だった。男ならば誰もが見惚れるような、実際この先突如現れた美人養護教諭として学園の男子生徒を魅了することになる笑顔である。

 

「まぁいい。とりあえずカンナから受けた呪いの緩和はできた。同じ神道・陰陽術系列なのが幸いだったな。少しはマシになった。問題はリーゼの治癒不可だな。どういう術式組んでもどうにもならない、ここで拠点構えれば余計に解除させる機会も減るだろうしな」

 

「リーゼちゃんならちょっとでも噂があれば来ると思うけどね。問題はすぐヨーロッパ帰っちゃったリーシャちゃんとかマリアちゃんじゃないかなぁ。立場とかあるだろうし、当分会えないでしょ。まだ日本にいるだろうカンナちゃんとか葉月ちゃんの二人と会うのは楽じゃないかなぁ」

 

「……どっちにしろ当分は動かない。流斗とお嬢を鍛える必要もあるからな。その分の最低限の力は戻ってきているからな」

 

「私としては早く皆と仲直りしたい……って言うのは無責任だよねぇ」

 

 沙姫が陰りを見せる。

 何かを後悔するような、そんな顔だ。

 流斗の前で大人ぶっていた気配は気配などなく、いっそ幼い子供のようでさえあった。

 

「沙姫」

 

「ん」

 

 落ち込んでいた沙姫の頭を強引に撫でつける。髪が滅茶苦茶になるが構うことはなく、

 

「お前は、そういうこと気にするな。やりたいことも言いたいことも我慢するな。お前の全てを俺が護る――それが俺の生き様だからな」

 

「……ん、ありがと」

 

 俯いた髪で顔は見えなくとも、想いは繋がっている。

 流斗や澪霞が互いを拒絶し合っていたのとは違い、この二人は確かに心まで繋がっていたのだ。だから言葉を重ねる必要はない。単純に重ねた年数でも十年以上なのだから。

 そしてそれ以上に。この二人は比喩でもなんでもなく、何よりも強固な繋がりが存在している。

 手も、心も――存在全てまで。

 

「気にするな、何でも言えよ」

 

「……じゃあ、そのままもう少し頭撫でてくれる?」

 

「……」

 

 答えはなく、けれど行動で示された。

 

 

 

 

 

 

 




澪霞と流斗がバとってる間にこんな話がありましたとさ。
これで終らせるはずが思ったより長引いたので次話がエピローグ。

感想評価お願いします。

評価たくさん増えて感謝感激です。
more please(


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ゼロズ・エンディング

 学校に行って授業を受け一日を終える。

 荒谷流斗はそんなことがまたあるなんて全然考えていなかった。あの戦いの最中は日常生活のことなんて完全に忘れていたのだ。だから、当たり前のように月曜日が来て、学校に行くということが恐ろしく奇妙に感じた。けれど、これが一先ずの普通なのだ。

 

「……」

 

 半ば呆けながら流斗は放課後の階段を上がっていた。先日の一戦で普段使っていた制服は使い物にならなくなって今着ているのはスペアだが、これから先はこれがメインになって、新しいのを買わなければならない。その分の代金は自分ではなく白詠家から出るというのだから幸いだが。

 結局あの夜は駆と海厳の登場に幕は引かれた。全身を拘束され指一本動けないままに白詠の屋敷へと連行され、彼らが交わした契約について聞かされたてようやく自由の身になることができた。

 正直、自分たちが戦っている間に匿うとか保護とかの契約を結んでいたと言われても納得しきれない。しかし納得できないとしたとしても流斗も澪霞も駆や海厳に逆らう力などない故にどうしようもなかった。

 街に現れる妖魔を津崎駆が対処すること。

 一年以内に白詠澪霞をイ級にまで引き上げること。

 そして、

 

「俺も、一緒にねぇ……正直ピンとこねーけどなぁ」

 

 荒谷流斗もまた同じ位階にまでのし上げるけど。

 それらの三つ(・・・・・・)の条件で海厳は駆と沙姫を保護することにしたらしい。流斗にはメリットとデメリットの釣合が取れているのかは解らないが、取れてなければ契約が成立するわけがないので取れてはいるのだろう。その辺り素人には理解不能だ。

 

「……はぁ」

 

 頭を掻く。

 結局この一週間で自分の世界は劇的に変わってしまったと思っていたが、学校は行かなければならないし宿題だってある。自分がやることはあまり変わらない。

 

「なんだろうなぁ……うーん……こういうのって、世界変わったとか言うのになぁ……」

 

 内面自体だってそうだ。正確に言えば変わっていない。これまで解っていたものがより明確になってしまったというだけ。

 箍が外れてしまっただけなのだ。  

 ブレーキが壊れてしまった。

 止まっているだけならばともかく、走り出したら――止まれない。

 

「……はぁ」

 

 もう一度もう一度嘆息し、ため息を吐いてから流斗は階段を上りきった。そこから上に行く階段はない。あるのは屋上へと至る錆びついた扉があるだけ。普段ならば鍵を掛けられていて、一般生徒の立ち入りは禁止されている。

 しかし流斗は迷うことなくドアノブに手を掛けた。

 錆付が激しいので一度押し込んでから引いて、それからもう一度押すという手順を踏まなければ開かない。その手順を踏みつつ、屋上に足を踏み入れれば、まず目に入るのは沈みかけの夕陽の光だ。既に十二月も半ばに入るのでこの時期ならば放課後なんてほとんど夜。太陽の残滓が辛うじて残っている程度で、

 

 その光の中に雨宮照はいた。

 

「やぁ、我が親友荒谷流斗。久しぶりだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒谷流斗の人生の中で絶世の美人と呼べる人はいる。

 所謂美人や可愛い子というのは何人か知っていた。どの高校に容姿で人気のある生徒というのは一定数存在するだろう。しかし絶世なんて形容詞が付くのは知る限り三人だけだ。

 一人は一週間前に出逢った雪城沙姫。

 今にも解けてしまいそうな季節外れの雪のような女性。容姿は当然ながらプロポーションに関しても流斗の知っている限り最も均整が取れている。あれが黄金比率とか言われればそのまま信じられるくらいだ。

 二人目は憧れの少女である白詠澪霞。

 人形染みたと言われる人間離れしたと言われるほどに出来過ぎた外見は見てる方が不安になるほど。内面を知った今ならばともかく、見るだけなら不気味なくらいに整いすぎている。

 そして三人目が――雨宮照だった。

 幼馴染の自分が言うのもなんだが、沙姫や澪霞に匹敵している。沙姫よりもさらに長く、ひざ裏まで流れる濡れ羽色の髪。顔は中性的で服装によっては美少年に見えなくもないが、身体の起伏はハッキリしている、らしい。僕は意外にも着痩せするんだぜとか言っていたし。身長も女子にしては少し高めで、宝塚とか行けばいいのではないかと偶に思ったりしていた

 雨宮に対する流斗の印象というのはよく解らないのが正直な所だった。存在感が奇妙なのだ。影が薄いわけではない。けれど目立つというわけでもない。いつも気づいたら視界の中にいる。彼女の方から声を掛けられなければ気づけない。それでも気づいた後からは目を離すことができず、いつの間にか物事の中心にいて場を仕切る。

 雪城沙姫が季節外れの雪で、澪霞が人間染みた人形たとしたら。

 雨宮照は太陽だ。

 それも――熱を持たない冷たい太陽。

 

「本当に久しぶりだねぇ。一週間会わないなんて、そんなこと何時振りだったかな?」

 

「さぁな、あんまり記憶にねーよ」

 

「僕だってない。君と出逢ってもう十五年近くになるけれど今回が初めてだったと思う。さぁ、流斗、君が言っていた野暮用はもう終わったのかな?」

 

「終った……まぁ、一応そういうことにかな」

 

「歯切れが悪いなぁ。なにかあるのかい?」

 

「んー……」

 

「ふむ。察するに……その野暮用とやらのせいで自分の世界が変わると思っていたし、確かに何かが変わったはずなのに、全部終わったから世界が変わったと思ったていたのに、蓋を開けてみれば結局あっさりといつも通りの生活が戻ってきてしまって拍子抜けしてしまった――そんな所かな?」

 

「……そんな所だ」

 

 相も変わらず見てきたように的確なことを言う。けれど彼女に思考を見抜かれるということは今に始まったことではなく、寧ろ雨宮照は荒谷流斗の内面に流斗自身によりも詳しいのだ。一々驚くことはせずに肩をすくめながら頷く。

 

「はっはっは」

 

 そして雨宮は笑い、

 

「――馬鹿だねぇ君は」

 

 いつもと同じように笑い飛ばす。

 

「思春期はまだ終わらないのかい? そんな簡単に世界が変わるわけがないだろう? 自分が変われば世界が変わる? まさか、自分が変わったって世界は変わらない。変わった自分だって気のせいかもしれない。誰かにとっての変化は誰かにとっての停滞でもあるんだぜ流斗。君が何をしたって地球は回るし日は昇って沈む、誰かは生まれて誰かは死んでいく。そんなもんだよ。僕と関わらなかった一週間がどんなものだったかは僕は知らない。君が変わったのは気のせいじゃないかもしれない。人生観が変わるほどのことだったかもしれない。でも、それで生活や周囲の環境が変わると思ったら烏滸がましいよ」

 

「……じゃあさ、変わるってなんだと思う?」

 

「自らが変わったと思うことじゃないかな」

 

 問いかけに雨宮は即答し、

 

「他人の心象の変化なんて誰かには目に見えない。他人と分かり合えるなんて嘘なんだからさ。誰かに変わったねなんて受け入れるのは自主性がない馬鹿のやることだ。だから、変化というのは自ら納得するしかないんだよ。例え他の誰が変化を認めてくれなくても、自分が変わったて胸を張って言えるのなら、確かに何かが変わることができたんだ。我想う故に我在り、なんて上手く言ったものだよね」

 

「……相変わらずお前の話は難しいよ」

 

「難しくなんてないさ。誰もが気づいて、悟って、折り合いを付けて大人になっていくんだよ。僕が言ったのは皆が無意識で気づいているだけのこと」

 

「じゃあ、やっぱ俺はまだガキか」

 

「あぁガキだよ、僕だって君だってまだまだ子供だよ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「君もガキだよね。それもとびっきり可愛げのない、さ」

 

 雨宮照は白詠澪霞に対してそんなことを言う。

 

「……」

 

 それに対し澪霞は一切の反応を返さない。返したくもない。生徒会の書類に書き込みをし続ける。視線を合わせるつもりもない。いきなり放課後の生徒会室に現れて訳の分からないことを口にしながら勝手に珈琲を淹れて勝手に席についていた。

 雨宮照。その名前は白詠高校でも有名だ。

 そもそも自身がどう思っているのかは知らないが荒谷流斗もまた名前が知れた生徒でもある。そもそも年齢や所属を無視して無暗矢鱈にイベントやアルバイトに参加する彼が有名にならないわけではない。付いたあだ名が『どこかにいる風来坊』。上手いのか下手なのかよく解らない名前だって出来ている。

 そしてそんな彼の親友として雨宮照は名前が広がっていた。どこかにいる風来坊に対して彼女は――『どこかにいるはずの魔女』。そんな頭の悪い名前で呼ばれていた。授業には出ている。けれど、それ以外での目撃情報が極めて少ない。そしてその少ない目撃情報の条件が荒谷流斗だった。 

 

「何やら機嫌がよさそうに見えるけどさぁ、何かあったのかな。あぁ、うん別に答えなくてもいい。聞きたくないし。ただまぁ、今日僕が来たのは、一言言いたいことがあっただけなんだよ」

 

 砂糖もミルクも入れない珈琲には口を付けずに机に置いて、澪霞を睨み付ける。けれど口には笑みを張りつけていた。

 

「ここ一週間あの馬鹿と(・・・・・)なにやらあった(・・・・・・・)みたいだけど」

 

「……」

 

 澪霞の指が、止まる。

 

「――あれは僕のだ」

 

「――お前が何を言っているのは知らない」

 

 視線は動かさなかった。

 けれど、口は動いていた。それは澪霞自身でも喋ってから自らの行いに気づき、口を利きたくもないと思いつつ、止めることはできなかった。

 でも、

 

「誰が誰のものとか、言っていて恥ずかしくならない?」

 

「ならないね、寧ろ胸を張って言えることが誇らしい」

 

 見なくて、見ている。

 絶対に合うことはない。繋がり云々で言えば、この二人は何があっても繋がらないのだろう。不倶戴天、多分この二人の関係を顕すのにはそれが近い。

 

「……ま、いいけどね。言いたいことはこれだけさ。ん、あ、いやもう一つだけあった」

 

 雨宮は視線を外し、澪霞に背を向けながら、

 

「――許嫁とかどう思う?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はぁ、許嫁?」

 

 突然の問いかけに流斗は眉を顰めた。いきなり話が転嫁したことに戸惑いながらも、ここ一週間での経験で慣れたものなので、流されるままに思考を働かせる。

 

「それは、あれか。大昔にあったという親同士が子供結婚相手を決めているとかの許嫁?」

 

「そうそう、その許嫁」

 

 にこやかな笑みを浮かべながら雨宮は頷き、

 

「君はどう思うかな」

 

「んー、どうって言われてもなぁ。俺に関係ある言葉だとは思わないし、なんとも思っていないって感じか……それがどうかしたか?」

 

「いいや? 別に他意はないさ。ただ気になっただけだよ。どう思ってるのかなーって。いやぁ、許嫁。ぶっちゃけ今じゃあんまりいいイメージないよね。自由恋愛が基本な最近じゃあ、前時代的とか思われてて大体の漫画とかドラマだとは完全に当て馬的な立場だよねぇ」

 

「ん、んー、言われればそう、なのか?」

 

「そうだよ。許嫁っていうのは親が子供の将来を考えて組んだ縁なんだぜ? 時代遅れとかとんでもない。子を想う親の気持ちに時代なんて関係ないさ。蔑ろにしては親に悪いというものさ」

 

「……ぶっちゃけだからなんだとかしか思えないが……お前が言うならそうなんだろうさ」

 

「うんうん、理解してくれて嬉しいよ。だからもし君が許嫁持ちの女の子を好きになったとしても横からぶんどるとか考えたら駄目だよ? それにホラ、他人に決められた相手と結婚するなんて君の目指す揺らがないなんというかやらとは違うよ」

 

「はいはい、解ったよ。俺の人生にそんなことあるとは思えないしな」

 

 どんな展開だ。それこそ今日日漫画やテレビでさえ見えない。

 だから流斗は真に受けなかった。今の自分がどういう立場にあるのかも知らずに。

 ただ雨宮照の微笑みを受け流していた。

 

「君が選ぶべき相手を間違えないことを願っているよ――心からね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだったんだアイツは……」

 

 いつになく意味が解らない、おまけに特にオチがなかった雨宮との会話を終え、流斗は廊下を歩いていた。屋上に行ったのは雨宮に呼び出されたからで、あれだけの会話が終わったらさっさと追い出されてしまった。流斗としても予定はあったのであまり長居はできなかったからいいのだが。雨宮自身は太陽が沈むのを見ていくという本気なのかそうでないのかよく解らないことを言いながら屋上に残っていた。

 ともあれ彼女に関しては考えるの無駄だ。

 考えるべきなのは、

 

「ども」

 

「……遅い」

 

 生徒会に入るのと同時に何故か半目を向けてくる澪霞のことだ。

 無表情なのはいつもと変わらないが、何やら不機嫌そうな雰囲気が漂っている。確かに放課後に雨宮と会う約束があって、呼び出しを後回しにしたがそれくらいで怒られるのは心外だ。

 突き刺さる視線を無視しつつ、とりあえず椅子に腰かけ、

 

「あれ、この珈琲先輩のすか?」

 

「…………違う」

 

 沈黙が長かったことには気づかず、不自然に置かれたマグカップに手を当てる。まだそれなりに暖かく、少し前に淹れられたばかりだろう。匂いや色からして砂糖やミルクの類は入っていない。

 

「これ、飲んでいい奴なんすかね」

 

「違う」

 

「え、でも先輩って甘党じゃあ」

 

「違う」

 

 流石に矢継ぎ早な返答を訝しんだが、問いかける前に澪霞が立ち上がって、此方に来て、

 

「……」

 

 一瞬だけ躊躇してから飲み干した。

 

「えぇ……」

 

「っ……こほっ…………新しいのを淹れる」

 

「なんだったんだ……」

 

 困惑しながらも新しくなった珈琲を受け取る。ちなみに一緒に淹れていた澪霞の分には大量の砂糖とミルクが投入されていたのを流斗は見ていなかった。ミルク砂糖たっぷり普通だったら吐き気を催すほどに甘い珈琲もどきを澪霞はゆっくりと流し込み、口の中の苦味を打ち消しつつ、

 

「これ」

 

 流斗に一枚の書類を差し出した。

 

「……なんすかこれ」

 

「君の生徒会加入届」

 

「……なんでまた?」

 

「これから先津崎駆からの教導や妖魔の対処の為に学校を抜けることが少なからず出てくるはずだから。生徒会に所属していればそういった時に処理を省ける」

 

「なるほど。じゃあ、生徒会が先輩だけのはそれが理由だったと」

 

「必要ないというのは確か。でも、やはりそれが大きい。必要なことは書いて置いたから名前を書いてくれれば私が顧問に提出しておく」

 

 渡された紙を見ればなにやら色々書かれた文章に、加入理由や目標などを書く為のスペースが細かい字で埋まっている。こんなものを書けと言われても困るのでありがたい。拒否権はなさそうなので一緒に手渡されたペンで名前を記した。

 

「……そいや、妖魔云々って駆さんがやるんじゃあ」

 

「多分、修行の一環で戦わされる」

 

「なるほど……っと、書きました」

 

「ん」

 

 手渡して、

 

「……」

 

「……」

 

 会話が止まる。

 必要な話をしてしまえばもう、積極的に話すことはなかった。

 途中で介入されたとはいえ、一度殺し合いをしたのだ。殺すつもりで行って互いにようやく行動不能にできたというのも確かだが、確かに明確な殺意を以て拳と刃を交わしていた。割り切れという程が無理だ。

 それでも、できてしまうのが彼らだ。

 

「なぁ、先輩」

 

「……なに」

 

「俺は、変わらねーよ」

 

「……そう」

 

 言葉が足りなかったが、確かに込められた意味は伝わっていた。だから彼女も小さく頷き、

 

「私も、変わらない」

 

「そうっすか……そうっすよね」

 

「ん」

 

「んじゃあ」

 

「?」

 

「変えてやりますよ、アンタの願い」

 

「っ……それは私の台詞」

 

「はっ」

 

「……ふん」

 

 流斗は鼻で笑い、澪霞は小さくそっぽを向いた。 

 

「俺は――揺らがない人間(アンタみたいな人)でありたい」

 

「私は――自由な人間(君みたいな人)でありたい」

 

 それが二人の願い、祈り、渇望。

 変化というのならばまず間違いなく、それらは変わらない。

 揺らがない少年と自由になりたい少女。

 何一つ繋がりを持たず、己が抱いた理想像だけを相手に押し付け合ったまま。

 少なくとも――今は、まだ。

 

「そのうち幻滅してくださいよ、俺みたいなのはホントにくそったれだって」

 

「君こそ、私みたいな頭でっかちな馬鹿のことはすぐに忘れた方がいい」

 

 

 

 

 




とりあえずこれにて零章終了で。
章題は近いうちに決めます。
活動報告とかでキャラ紹介とか用語メモとか書こうかなと。
それとも本編にぶち込んだほうがいいだろうか。
まぁこれも近いうちに。


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Zero・Characters

名前:荒谷流斗

所属:白詠高校生徒会役員庶務職

評価:『どこかにいるはずの風来坊』

備考:『神憑・素戔嗚』

 白詠高校に通っていた一般人であったが、白詠澪霞と津崎駆との戦闘に遭遇したことにより『神憑』を発現したことで世界の裏側と関わっていくことになる。

 能力としては己に対する干渉の拒絶。物理的な現象ならばほぼ完全に拒絶可能。ある程度ならば概念的な事象をも含む。

 極めて気まぐれな性格であり、趣味嗜好が一定期間で変化していく。だが自身はその在り方を毛嫌いし、故に揺らぐことのない精神に憧れている。

 

 

名前:白詠澪霞

所属:白詠高校生徒会役員会長職、護国課嘱託陰陽師

評価:極東式・二級 世界共通式・Cランク

備考:『神憑・月讀』

 白詠高校生徒会会長、容姿端麗成績優秀、アルビノ体質故に長時間の運動は不可能。生徒会の雑務を一手に引き受ける才女。ただし長時間の運動ができないのは建前でしかなく、高い運動力は戦闘力を保有していた。白詠の街に現れた津崎駆の対処に出向いた時に思いもよらぬ出会いをすることになった。

 能力としては不定形概念の操作。澪霞自身が形を持たないと判断した現象を操作できる。水や電気、風に対しての適正が高い。基本の陰陽術も収めている。

 人形染みた無表情であるが、内面はかなりの激情家。その上で非常に頑固。一度やると決めたことは必ずやり遂げる。だが自己の欲求そのものが薄く、自らやりたいと思うことが少ない。その在り方を嫌い、自分の意思で何かを行う自由な在り方に憧れていた。最も、白詠家の娘としての役目を嫌っているわけではない。あくまで自主性の無さを嫌っているのだ。

 

 

 

名前:雨宮照

所属:白詠高校一年

評価:『どこかにいるはずの魔女』

備考:荒谷流斗の親友。

   白詠澪霞の天敵。

 

 

 

 

名前:津崎駆

所属:白詠高校生徒会顧問兼用務員

評価:世界共通式・Sランク 極東式・イ級 他多数

備考:『神憑・天香々背男』

 世界中のあらゆる勢力から身柄を狙われている青年。七年前までは数人の仲間たちとギルドを構成していたが、そのすぐ後に世界そのものに宣戦布告したことにより七年間刺客や追手を打倒し逃げ延び続けている。存在するあらゆる格付けにおいて危険度戦闘力が最上位に位置づけられている。

 だが、ある戦いに於いて極めて弱体化している。

 そのせいで白詠海厳と契約を交わし、その履行と共に回復治癒を試み、生徒会顧問をしながら流斗と澪霞を強化している。

 

 

名前:雪城沙姫

所属:白詠高校養護教諭

評価:???

備考:津崎駆に護られる女性。駆と共に七年間在り続けている。現状、その程度しから流斗は知りえていない。駆と海厳の契約に伴い白詠高校の養護教諭として日々をエンジョイしている。戦闘力は皆無の模様。

 

 

名前:白詠海厳

所属:護国課

評価:極東式・ロ級 世界共通式・Aランク

備考:白詠家現当主。本来ならば隠居しているが、澪霞の両親が亡くなっているために彼女が高校を卒業するまで代行している。今でこそ若干の劣化があるが、彼自身第二次世界大戦の英雄である、今もなお護国課に強い力を持つ。

 

 

 




評価の○○式のランク付けは色々国によって変化するけれど解りやすくE~S評価。各国版よりざっくりしてる感じです。
これは正式版というか堅苦しい感じでメタ視点でのキャラ紹介は活動報告にて。
多分、そっちの方が解りやすいはず(


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Episode1:裏切りは血の味
リレイションズ・フォロワー


 

「人間関係――例えば主従。

 主と従僕。

 それは所謂上下関係とは全く別物さ。主従関係が上下関係に内包されるわけじゃないんだよ。それとこれとは全く別物さ。乖離している、或は正反対とさえ言っていい。

 何故かって?

 だって上下関係というのは利潤があるからこそ生まれる関係だからさ。好き好んで誰かに虐げられたい……なんて奴は例外だろう? 損得利益の為に潤滑油として結果的に上と下という間柄が生まれる上下の区別があった方が物事はスムーズに進むからね。今のこの社会だって縦社会の極みだろう? 日本には年功序列なんて言葉もあるし、それがなかったら実力主義。今に始まった話じゃなくて、それこそ人類発祥からあったさ。社会として形成されるまでもなく、家族や友人関係にだって作られる。幼稚園や小学校にだってそういうものはあるだろう? 金や名誉、あるいはただの愉悦。そういった利益があるのが発生するのが所謂普通の上下関係だ。

 じゃあ翻って主従関係とは何か。

 答えは簡単だよ、一切の利益が発生しない上下関係に限る。矛盾してる、さっきと言っていることが違うって? 矛盾していない。違わない。言っただろう、例外がいるって。そう、好き好んで誰かに虐げられたいと思ってる連中さ。

 そもそも主従関係に目に見える結果なんてないの。仕えられる方はそれが特別なことだと思ってはならない。その忠節は従者である以上あって当然のものだから。仕える方は、仕えている状況だけに満足しなければならない。

 主従関係の間に生まれるのは自己満足だけだ。

 もし主側が誰かに仕えてほしいとしたら、それは仕えてもらっているという風に関係が逆転してしまうだろうね。それでは本質的に上位が逆転している。本末転倒だ、ごっこ遊びとも言える。

 いいかい、本当の意味での主従となるのならばお金も、名誉も、地位も、なにもかもがあってはならないんだ。この人の全身全霊を捧げたいというモチベーションだけが従者と主を繋ぎ止める。主あってこその従僕だ。逆はないよ。

 だから今の時代ではまず見ない。効率優先の社会だからね。それぼ良し悪しは人によって違うけれど、時代の流れという奴だ。どうしようもない。

  けれどね、従者だってただ無作為に主から存在を搾取されるだけじゃあないんだよ。彼らにはたった一つだけ、けれど絶対的な切り札がある。

 それが何か解るかな? 

 ははは、なにもったいぶってるつもりはないよ。

 さらっと答えを言おうか。

 

 ズバリ、答えは――裏切りだよ。

 

 そう、裏切り、背反、謀反、背信、寝返り、反逆。下剋上なんていったら日本風だよね。 仕えるべき主に仇名すこと、それが奉仕する者たちの、唯一無二にして絶対の自由さ。従者となったその瞬間から、彼ら、或は彼女たちはその権利を持っている。ま、当然のことだよね。言ったように、そのモチベーションはこの人の為ならば、という想いに限る。だったら、その人の在り方が変わってしまえば裏切っても何の不思議もない。

 仕えるのは自由だが――裏切るのも、また自由なんだ。

 例えそれがどんな時であろうとも、彼らはそれができる。人の想いなんて反転するのは簡単だ。プラスはいともたやすくマイナスに変わってしまう。昨日まで心酔していた相手に、あっさり失望してしまうんなんて珍しい話じゃあない。

 つまりさ、裏切りというのは、裏切る方は悪くないんだよ。

 裏切られる方が悪いんだ。繋ぎ止められなかったのがいけない。

 彼らは悪くない。彼らが悪い。

 

 ましてや、それが――望まぬ翻意ならば、ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お願いしたいのです、御老体」

 

「ふむ……主の方の事情はよく解った」

 

 煙管で煙を昇らせながら、海厳は思考を巡らせていた。物が少ない部屋である。特別な調度品があるわけではなく、最低限のソファと机があるだけ。それなりの地位を持つか、或は一般的な感性を持つ者ならば、人を迎える場所としては眉を潜めるくらいだ。

 けれど、海厳は気にしないし、目の前にいる男もまたそうだった。

 無骨な男だった。

 白い、詰襟の軍服の下に鎧の様な肉体を押し込めた壮年の男性。眉に皺が寄り、子供ならば顔を見てすぐに泣いてもおかしくないような強面である。恐らく四、五十くらいの年だろう

 険しく、厳しい、巌のような男だった。

 護国課課長鹿島武。

 文字通り、護国課における最高責任者である。

 彼らの間の机には数枚の書類が置かれている。武が海厳に対しそれらを見せていた。

 二人ともかなりの強面なので、ただでさえおっかない顔の二人ではあるが、眉間が険しいので余計に恐ろしい。

 

「何故うちなのかのう。正直、うちの孫娘には手に余るぞ? 先月では奴を取り逃がしたし、戦力で言えば決して高くはない」

 

「澪霞嬢の実力を考えれば、あの男と戦い、生き延びたというだけでも大金星でしょう。長光たちが深手を与え、弱体化を重ねたとしても、その程度でどうにかできる相手ではありません。七年前に直に対峙した私だからこそ、彼女の健闘を評価しているつもりです」

 

「……それは、祖父としては嬉しい限りだが」

 

「これはいわば、投資です。彼女は将来的に護国課の中でも有数の実力者になるはずです。今月末には等級考査がありますが、それも間違いなく上がってくる。五年もあればイ級、最低でもロ級の上位に食い込んでくるのは間違いない」

 

「だろうの。それは儂から見ても同じ意見だ。……ふん、主の高評価はありがたいがの、今の所、アレには余裕がない」

 

「新たな『神憑』ですね」

 

「うむ」

 

 言うまでもなくそれは荒谷流斗のことである。当然ながらその情報は既に『護国課』に対して公開されている。元より隠すことでもない。寧ろ、開示すべき話だった。

 

「先月から澪霞はそ奴に掛かりきりでのう。我が孫娘ながらようやく色を知りだしたという所で何やら複雑だが……」

 

「それはそれは」

 

 海厳は苦笑いし、武も笑ったがしかし第三者から見れば得物を品定めするような猛獣のようにしか見えない。勿論そんなことには二人とも気づかず、二人の間では場が和んでいた。

 

「今はあまり面倒事を引き受けたくないのが正直な所だったのだがの」

 

「しかし澪霞嬢にしても、その彼にしても、経験を積ませねば始まりますまい。今は高校生だとしても、卒業すれば必然的に此方側に関わる割合は多くなって来る。実際に此方側が本分で、向こう側が仮初という未成年も少なくはない。嬢に関しては御老体の方針で出向の形になっていますが、来年はそうではないでしょう?」

 

「……その通りだのぅ」

 

「なればこそ、早いうちにそれなりの実績を積んでおくことは悪い話ではないでしょう。()に関しては、それほど手のかかる男ではないのは、私が保障します」

 

 少なくとも――今、武から持ち掛けられている話に海厳、或は澪霞や白詠家へのデメリットというのはほぼなかった。話を受ければそれだけに負担が生まれるが、しかしそれは何事に於いても当たり前のことであり、今回のこととしてはデメリットに換算できない。

 寧ろ、澪霞の経験を積むということに関してはメリットが大きい。先月における津崎駆の捕縛の優先権や一週間の干渉不可を通せたり、白詠の権力を使ったが、それを受け入れたのは目の前の男だ。海厳自身とも繋がりは深いと言うのもあるが、言葉通りに澪霞のことを評価しているのだろう。

 そもそもこの男に海厳を陥れようという考えはまずないと断言できる。相手によってはどんなことをしても驚かないが、海厳や白詠の家はその範囲外。

 だから、受けない理由はない。

 本来ならば。

 

「――」

 

 受けない理由はある。

 先月白詠市に侵入した津崎駆と雪城沙姫は白詠澪霞が奮闘するも一週間後には町を抜けて、逃亡ということになっているが実際は未だに滞在し、それどころか白詠高校の用務員兼生徒会顧問と養護教諭、さらに今だ発展途上の『神憑』である澪霞と流斗の教導を行っている。

 そのことを知っているのは今現在当事者である五人だけ。

 目の前の男にもまだ告げていない。

 告げるのはちょっと拙いかなーと思う。

 少しでも間違えれば全面戦争になってしまう。武が躊躇わない範囲に入るのは御免蒙る。

 勿論、彼の話を受けいれたからと言って、それが即座に駆たちの存在の露見に繋がることはない。駆たちとてその程度の対策は用意しているのだから。

 ならな、

 

「……よかろう。受けようではないか、主の話」

 

「ありがとうございます」

 

 短く刈られた短髪の頭を深く下げる。ほぼ直角の最敬礼であった。

 色々面倒な想いを巡らせていたが、武は純粋に感謝しているのだろう。そのことに小さく嘆息しつつ、机に広がっている書類に視線を向ける。特にバストアップの写真、澪霞や流斗と同じ年代の柔和な顔つきの少年だった。顔立ちそのもの特徴はなく、どこにもでもいるような高校生に見える。

 けれど、先ほど聞いた話では――一筋縄ではいかないのは間違いない。

 

「まぁ、どうにでもなるかの」

 

 こうして。

 荒谷流斗と白詠澪霞が共に世界の裏側への関わりの始まりは――白詠海厳の楽観にて取り成された。




というわけで第一章開始です。

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ハード・モーニング

 

 ここ一か月ほど前から、荒谷流斗の日々はそれまでと大きく変わっていた。

 まず起床時間が早い。常に五時には起きて、家を出ていた。ジャージ姿の手ぶらで出て、そこから二十分ほど掛けて学校から正反対の方向に走り出す。軽いジョギング等ではなくてほぼ全力疾走だ。便利な身体なもので、その位で体力が尽きることはない。寧ろそれで体を軽く温めるという具合だった。それから走って白詠の屋敷まで行くのだ。目的は敷地内にある道場だった。先日まで流斗も知れなかったがそれなりの大きさのもの。

 何をするかと言われれば、当然ながら修行――という名の地獄である。

 

「ぐ、お、おお……」

 

「……っ、はぁ……はぁ」

 

 真冬であるにも関わらず流斗は半袖で、澪霞は合気道で着られているような袴だが、二人とも汗だくで息は荒い。流斗は大の字で板張りの床に横たわり、澪霞も膝をついて蹲っている。実際に動いていたのは一時間半程度だ。当然ながらこの二人がそのくらいの時間ただ動いていただけでここまで憔悴するわけがない。

 何をしていたかと言えば簡単で、

 

「今日はここまでにしておくか」

 

 駆と二対一、或は流斗と澪霞同士の模擬戦だった。やっていることとしては一か月前での一週間における流斗とのそれと変わらない。ただ、質が段違いだったというだけ。そもそも先月のアレは置き土産的なものとして単純なメンタル的なことを仕込んでいただけだ。しかし『神憑』として尋常ではない肉体強度を得た上で一年間という目安ができた以上、鍛錬の密度は比べ物にならなくなっていた。幼い頃から決して楽ではない修練を積んできた澪霞ですら音を上げるほどである。

 流斗に関しては無手限定であるが、澪霞の周囲には小太刀やら刀、槍、棒、鎖鎌、トンファー、さらにはカンフー映画で見るようなヌンチャクの三つ版――三節根というらしい――が散乱している。

 

「ハァーッ、ハァーッ……くそっ、一か月以上経ってもこれかよ……何の進歩もしてない……!」

 

「別に進歩がないわけじゃねぇよ。ちゃんと前に進んでるぜ? ――スタート地点が酷かっただけだ」

 

「やかましい……!」

 

 変わっていないといえばこの男の流斗に対する扱いであった。

 しかし否定でいないのも確かだ。流斗自身の単純な戦闘力は高くない。

 

「お嬢とお前がまともに戦えたのは能力が相克しているから。普通に生身で戦えば大分劣る……というのは言わなくても解るよな。勝率お前の方が圧倒的に低い。十回に一回引き分けだったらいい方だな。情けねー」

 

「やかましい……何回も聞いたよ……」

 

「……それは仕方ない」

 

 げんなりする流斗に澪霞が口を挟んだ。二人から視線を向けられたが、息を整え表情を浮かべないままに、

 

「元々君は一か月前まで一般人で、私は幼い頃からそれなりに鍛えてきた。たった一か月でまともに戦えられるようになったらそれはそれで私の立場がない」

 

「残念だがその手のセオリーは俺たち(・・・)には通じない。それにそういう庇いたては野郎のプライド傷つけるだけだぜ」

 

「……」

 

「……アンタまじセメントだな」

 

「この手のことには優しくするといいことない。今みたいにお嬢が優しいこと言うなら、その分俺は厳しいこと言うさ。バランスだよ、バランス」

 

「基本的に俺の周囲はセメントばかりでバランスも糞もねーと思うんだが……」

 

 ぼやいたら横からトンファーが飛んできて頭に激突した。

 

「痛っ! なにするんすか!」

 

「別に」

 

 叫んだが、そっぽを向いていて顔を合わせてくれなかった。顔を合わせても感情が読み取れないのだが。そのことに嘆息し、浮かべている笑みは努めて無視しつつ、

 

「しっかし、ずっと身体動かしているだけで、神憑の力とかほとんど使ってないけど大丈夫なのか? だってほら、今週だろ? アレ」

 

「『神憑』の力は能力として一度安定すればそうそう問題ない。日常生活だけを送る為だけに封印するとかは別だけどな。面倒なのは、戦闘目的でレベル上げようと思うと、単純な訓練じゃあ難しい。それなりの場数を踏む必要がある。先月の時と一緒だが期限そのものないからな、体術メインの方が効率がいいんだよ。特にお前素人同然だし」

 

「いや、素人とかはもう解ったから一々指摘すんのやめてくれねーかな」

 

「お前が嫌がることを俺が好んで行う。これまたバランス」

 

「絶対違う……!」

 

 手を出すと反撃が来るの内心毒づきながら立ち上がる。いや、場合によっては思ってるだけのことで蹴りやら拳が飛んでくることが多いのだが。ともあれ自分の足でちゃんと立ち、首を鳴らす。それから澪霞の方を向けば――既に立ち上がっていた。

 

「……何」

 

「別に」

 

 同じようなことを返した。

 まぁ特に意味はなかったし。

 

「朝食どうする?」

 

「えっと……」

 

 こんなスケジュールだ。手順だけ考えればここで朝食を取り、制服を着替えて、澪霞と一緒に登校というのが手っ取り早い。けれど当然ながら今の流斗にそれを実行するような気にはならなかった。ただでさえ年末という時期に謎の就任をしているのだ。基本的に澪霞が他者との交流がないので、周囲の疑問は流斗だけに向く。生徒会室に逃げ込んだりすれば問題ないが、それ以外ではそうもいかないので色々と面倒なのだ。

 その上で一緒に登校したら間違いなく面倒なことになる。

 だからここでのしごきを終えた後は一度家に帰って着替えたりしてから行くようにしているが、

 

「先輩がいいっていうのなら」

 

「いい」

 

 簡潔に言い残して澪霞は道場から立ち去った。微妙に会話がおかしい気がするが、そのあたり一か月も接していれば慣れたので気にしない。いいって言えば、という言葉にいいとだけ返すのはどうかと思うけど。

 白い背中が完全に消えて、気配も母屋までたどり着いたのを確認し、

 

「はぁ……これ俺が片付けるんだよなぁ」

 

 散乱した武器を指さす。

 

「そりゃお前しかいないだろ」

 

「やれやれ、先輩もそんなに急がなくも時間はそれなりにあるのに、飯食べる時はいつもなんだよなぁ……」

 

「いやぁ、そういうことじゃなくて……まぁアレに気づけというのも酷な話か」

 

「あ?」

 

「いいからさっさとシャワー行くぞ」

 

「あぁ、うん」

 

 ここの道場には備え付けのシャワールームがあった。プールやスポーツジムにあるようなシャワーだけの空間に区切られた類のものである。聞いた話では隣街にも似たような陰陽師――未だに流斗はこの言葉の定義が解らないのだが――がいるらしく、そういう人間が使うらしい。といってもそれほど大きくはなく、三人分だけ。

 そこを真ん中を開けて流斗と駆が使う。

 特に流水が温まるのを待つことなく、身体を晒した。

 

「あー疲れた……」

 

 ノータイムで浴びたので当然水は冷たいが、最早そのあたりの温度感覚が全く気にならなくなっているので問題はなかった。面白みがない気がするが、水が体を伝っていくのはあるし、元々今のようになるまでだって似たようなものだったから今更気にすることもない。

 汗を洗い流し、軽く髪をかき上げ、

 

「しかし特に筋肉付かないな……」

 

 結構体を動かしているのに、見た目は特に変わっていない。筋肉隆々とまではいかなくても、駆のような細マッチョになるのはちょっと期待していたのだが。

 

「そりゃお前の性質だろ。なるべく変わらないように、つまり肉体情報に変動にもある程度のキャンセルかかってるだろうから、滅茶苦茶鍛えても目に見える変化はかなり低いと思うぞ」

 

「……今更だけど俺のって融通聞かなすぎじゃね?」

 

「今更過ぎるな」

 

 いや、その程度ならばいいのだ。見た目は変わらずとも単純な膂力ならばそれなりに任意で変化できるようにはなっていた。

 問題だったのは、

 

「俺も手から炎だしたり電撃びりびりやりたかったなぁ……」

 

「結局基本体系全て駄目だったからなぁ。魔術も陰陽術も、おまけに武器の類も使えないし」

 

 流斗の『神憑』としての能力は確かに強力だったが、それ以上に今言ったように融通が聞かなかった。有体に言って、殴る蹴る以外の行動ができないのだ。軽く教えてもらった初心者用の術式やらを使ってみれば発動と同時にそれを拒絶してしまう。武器を握ったり、装備したままに能力を使えばそれすらも拒絶して握りつぶしたり弾き飛ばしたりしてしまうという顛末であった。

 防具付けたら吹き飛んだので、服が吹き飛ばないのは心の底から有り難かった。

 服まで弾いたら一生使えないか、戦う度に全裸になる変態になるところであった。

 

「お前はつまり守備力は高くデバフを受け付けないが装備や味方のバフも効かずに通常攻撃以外使えないようなキャラだからな。よかったな、完全に壁タンクだぞ」

 

「ハ、バフ、デ…? 壁はまぁなんとなく解るけど……?」

 

 基本的に説明は解りやすく簡潔なのだが、偶にゲーム用語を出してくるのが玉に瑕だった。半分くらい言っていることが解らない時がある。

 

「何気にスゲーゲーム好きだよな」

 

「実は小遣いほぼそれに費やしてる」

 

「まじか」

 

「うむ」

 

「沙姫さんなんて?」

 

「アイツもアイツで趣味に費やそうとしてるからな。確かグランドピアノ欲しいって言ってた」

 

「まじか……」

 

 今現在駆と沙姫は流斗の家で居候をすることはなく海厳が用意したアパートで生活している。ちょうと白詠家と荒谷家の中間くらいの場所だ。何度か訪れたが、風呂とトイレ、それにキッチンと居間兼寝室というかなり控えめな部屋だった。なんというか駆け落ちしてちょっと生活が安定したカップルが住むような部屋である。

 実際この二人の場合そんな感じだし。

 しかしそれにしたってグランドピアノが入る余裕などなかったはずなのだが。

 

「というかピアノか」

 

「ピアノというか音楽全般、ピアノを欲しがってるのはそれ一つで色々な音を出せるからだな。一人オーケストラとか言うだろう? アイツの場合一番好きなのは歌だしな」

 

「ふうん、ピアノか……一時期嵌ったな。商店街の電気屋でバイトした時にあまりにも客来ないから置いてある電子ピアノで練習してたら店長に怒られて客来ないからいいじゃないすかねとか言ったら張り倒されてそれっきりだけど」

 

「酷い話だな」

 

「ショッピングモールとかに大手の店できたからホントに客いなかったんだよ」

 

「……そういえば家電は俺もそっちで買ったな」

 

 潰れてないだろうかあの店。バイトしていたという話も結構前なのでもしかしたらもしかしていたかもしれない。

 まぁ過ぎた話なのでどうでもいい。

 シャワーの水を止め、壁に掛けておいたタオルで全身に水をふき取っていく。

 

「諦めねぇとなぁ」

 

「練度次第じゃあそのうち初歩の初歩くらいなら使えるようになるかもな。その点お嬢の場合、そのあたりの適正広い。既存の術式体系だったら大体使えるようだし。本当に、対極だぜお前ら」

 

「……うっせ」

 

 

 

 




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ワッツ・プライズ

 

 白詠澪霞は自分がコミュニケーション障害であることを自覚している。

 他人が嫌いとか人間不信とかではないし、人付き合いを煩わしいと思って言るわけでもない。学校では他の生徒から距離を置かれている自覚はあるが、自分から遠ざけたこともなかった。確かに『護国課』からの依頼や市内の妖魔討伐のせいで交流が持てなかったり、『神憑』としての過剰な身体能力で――勿論制御は完璧だが万が一の為――他の生徒を傷つけない為に体育の授業は控えている。それに澪霞自身身体を動かすのは嫌いではないので、無理にセーブするのは結構なストレスなのだ。

 ただそれでも、やはり人付き合いが下手なのは否めない。生来会話が苦手だし、騒がしいのも得意ではなかった。それに他人が嫌いではなくと必要でなければ、いなくてもよかった。その上で大分器用だったし、要領も良かったので大体ことは一人でできた。その上で表情がほとんど変わらないから距離を置かれ、それでいいやと思うからまた距離が空き、その距離のせいでまた交流が減るという悪循環のせいでコミュニケーション能力は実に低い。此方側関係になれば数人程度の友人知人がいるのだけれど。

 だからこそ、

 

「あ、そっちの梅干取ってくれるかな?」

 

「……」

 

 距離感を無視しながら笑いかけてくる雪城沙姫に戸惑っていた。道場を後にしてから母屋にある風呂で軽く汗を流し終ってから調理場に行けば、既に彼女はいた。そうしたらあれよあれよと朝食を作るのに参加していたのだ。別に難しいものを作っていない。汗を多く流す激しい動きの後には食べ物は喉を通りにくい。だから少し塩分強めの握り飯を幾つか。具は適当にあるものを。使用人もいることはいるが、自分でもできるので問題ない。

 なのに、今沙姫が隣で自分と同じように米を握っている。

 外見は和風の屋敷だが、勿論キッチンまでもが囲炉裏や竈で作っているわけではない。普通にオール電化のシステムキッチンである。そこに二人並んでいたのである。

 

「……どうぞ」

 

「ありがとー」

 

 雪城沙姫。

 彼女について思うことはない。

 澪霞自身、彼女がどういう存在かは知っている。津崎駆と同等、ある意味ではそれ以上に此方側の世界で名を知られている沙姫のことは知らないわけがなかったし、先月の時点で元々知っている上で、もう一度調べたのだから。

 季節外れの新雪のような女。

 まつろわぬ星光に守護される歌姫。

 それらを知った上で、澪霞は特に思うことはない。『神憑』なんてそんなものだ。他人がどうであろうと、自分の在り方に干渉してこないのならば稀代の聖人であろうと大罪人であっても変わらない。

 だから駆と海厳の契約において、彼が自分に鍛錬を付けるというのは寧ろ望むところだった。けれど、雪城沙姫に関しては――どうにも解らない。思うところがないというよりは、どう接していいか困惑しているという所。

 距離はあるはずなのに、彼女はそれを無視して近づいてくる。こうして、朝食を作っている時に乱入してくるのも初めてではない。

 別に困っているわけではないのだが。

 ともあれ会話は最低限、無言のままに白米を握り、

 

「そういえば流斗君とどこまで行ったの?」

 

 そのまま握り潰した。

 

「あらら」

 

「……なにを」

 

 掌の中で米粒が潰れたのかべちゃりとした感触があるが、そんなのことは気にならなかった。今言われたことの方が問題だ。

 

「一体、何の話を」

 

「え、付き合ってるんじゃないの?」

 

「……」

 

 手の中でなにやら形容し難い形状になってしまったが気にしない。

 

「どこで、誰が、そんなことを」

 

「保健室登校の子とかその子に会い来る委員長キャラの子とかよく怪我するやんちゃな子とか結構いるからね。冬休み挟んだから実際に努めてたのはひと月分もないけど、二人とも有名人だから噂はあるよ。聞く?」

 

「…………結構です」

 

 まぁ確かに。

 自分たちの事情などは、学校の生徒は知らないのだ。何人かは関係者はいるにしても、ほぼ全ての生徒は向こう側の一般人。

 その上で考えてみる。

 これまで役員を必要としてこなかった自分がいきなり彼を庶務に任命し、冬休みの間や三学期始まってからも昼や放課後行動を共にしていればそういう噂(・・・・・)がでるのもおかしくない。言われてみれば、クラスでそれまでとは違った視線を受けていた気がする。

 

「別に、そういうのじゃありませんから」

 

「でも流斗君のことすっごい憧れてたんでしょ?」

 

「……」

 

「それは……それは」

 

 聞かれたくないことをあっさりと聞いてくる。

 確かにそうだ。結局先月の一件はその想いが全てだったと、今更ながらに澪霞は思っているし、彼だって同じようなものだろう。駆や沙姫の存在はただの引き金でしかなかったと思う。

 だとしても、

 

「それは、違います。憧れを抱いていたのは事実でも、そういうのとは別ですから」

 

「……ふぅん」

 

「なんですか」

 

 ジロリ(・・・)と赤い目を向けたが、彼女の瑠璃の瞳は笑って受け流すだけ。

 

「なんでもないよ。ほら、手を動かそう? そろそろ駆君たちも来るんじゃないかな。……それにしてもここでその無表情崩して顔真っ赤にしてくれたら面白いんだけどなぁ」

 

「聞こえてます」

 

「あははー」

 

 結構面倒な性格をしている、と澪霞は思った。つかみどころがないというか強かというか。そのあたり、流斗の沙姫に対する評価と同じである。

 勿論それは澪霞も、沙姫だって気付ていないが。所か、駆以外は大体そんな評価なのだが。

 

「話は変わるけどさぁ、今週末……というかもう明後日だよね? テスト」

 

「そんな学校の感覚みたいに言われると困りますけど、そうです」

 

 等級考査。読んで字の通り。日本の此方側に所属するほとんどの人間が受けている等級を決める試験だ。『護国課』や『陰陽術』に所属する者ならばある程度の制約があるが任意で受けることができる。所属していなければ実績や戦闘力、危険度から概算されることになる。

 それを澪霞はすぐ近くに控えていた。

 

「自信のほうはどうかな?」

 

「問題ありません」

 

 即答だ。 

 淀みのなく答えながら、新しく手の中に白米を載せ、鮭の切身を押し込みながら形を作っていく。もう十を超えたが、それほど大きいわけではないし、男二人がいるのだから二十近くはいるだろう。

 

「言い切るねぇ」

 

「自信はあります。元より、『ハ級』程度の戦闘力はあるつもりでしたし、その上で津崎さんからの教導を受けているので戦闘分野に関しては万全です。学科に関しても先月から準備してます」

 

「……あぁそっか。そういえばペーパーもあるんだっけ」

 

「えぇ。場合によってはどちらかだけということもあります。それに『護国課』では倫理感に関する試験もあります。私は『神憑』なので倫理は免除ですが」

 

 学科は学校でやるような英語や数学ではなくて、ある状況下においてはどのような選択をするのか、以下のような現象の原因の候補にはなにがあるか、というマニュアル的なもの。倫理は一般人に手を出さない、国を護る為のにはどうするべきか、というのが問われる。

 

「私の友達も、昔学科とかで苦労してたかなぁ。倫理は……どうだったろう」

 

「まぁ、学科は覚えておかないと死ぬレベルがほとんどで、等級が上がれば上がるほど意味のないものになっていきますけどね。倫理に関しても、まともに受けて実戦している人は極稀です」

 

「じゃあなんでそんなものを? ぶっちゃけいらないよね、こっち側にいる時点で道徳なんてあってないようなものじゃない、私が言うのもなんだけど」

 

「お爺様が言うにはそういった規範がなければ『陰陽寮』と同じになってしまうからと。それに……」  

 

「それに?」

 

「……ありもしないからこそ、尊ぶべきだと。そう言っていました」

 

「――なるほど、達見だ」

 

 澪霞もそう思う。『神憑』の自分は猶更。だから、例え倫理の試験があったとしても合格に問題ないようにはしている。倫理や道徳に従う気は欠片もないが、そういうことを知っておくことこそが肝要だと、今は思う。

 

「でも、試験の合格自体は確定なわけだ」

 

「……直前に基準が変わらなければ。津崎さんやお爺様にもまず間違いなく行けるとは言われましたし」

 

「だったら――ご褒美を考えないと」

 

「……は?」

 

「ご・褒・美」

 

 ちょっと艶っぽく言われても女同士では困る。

 というか言われた意味が解らない。

 

「ご褒美……?」

 

「そう、ご褒美。だってせっかく試験があって、合格が目に見えてるんだからそれよりも前に合格祝いの約束を取り付けておかないと。何か欲しいものないの? お祖父さんとか、駆君は微妙だと思うけれど――流斗君にもね」

 

「だから、そういうのじゃあ」

 

「え? 後輩からお祝いもらうのなんて普通だよ。あれ、もしかしてそういう感じで意識しちゃってる? このこのっ」

 

 ニヤニヤした顔で横合いから肘で小突かれてイラっとし、その行いに思い出したくもない魔女が思う浮かんでさらにイラッとして手の中のお握りの形が崩れかけた。しかしいい加減白米が勿体ないので何とか立て直した。

 精神を落ち着かせながら、 

 

「ご褒美なんて……別に欲しいものはないですし」

 

「いやいや、何もないこともないでしょう。なんでもいいから適当に。機会を逃さないのは大事だよ」

 

「……」

 

 何の機会だ。

 もう色々無視したくなったが沙姫ならば無視しても突っ込んできそうなので、手を止めて考えてみる。

 それでも、

 

「やっぱりないですよ」

 

 元々物欲が大きいわけでもないし、必要なものも大体揃っている。あえて言うならば先月、流斗ととの戦いで消費した符や武器の類だが、それも既に予約済みで、等級考査の時に受け取りに行くのだから問題ない。

 それにそういうことを強請るようなキャラクターではないことも自覚している、のだが。

 

「えー、面白くないよー? なんか考えようよ!」

 

「……」

 

 この妙に慣れ慣れしいキャラクターは一体どうなっているのだろうか。

 美人だからそう簡単には許されない。

 作られたお握りも十五、澪霞たちが握っているのも含めれば十七になった。このくらいでいいかなと思い手を止めながら、止められなさそうな会話を続けていく。

 できればこんな話も止めたいけれど。

 彼にも聞かれたくない。

 

「……雪城さんだったらこういう時どうするんですか?」

 

「私? んー、試験に合格くらいのご褒美……高校時代に持ち掛けた時はデート一回だったかなぁ。試験というかピアノのコンクールだったけど」

 

「…………参考にならないですね」

 

「微妙に間が長かったのは突っ込まないであげよう」

 

 コメントに困る気づかいだった。下手に否定すると茶化してきそうだし。

 手を洗って、具や皿を片付けていく。既に七時十五分ほど。普段家を出ているのが四十五分程度でだからまだ余裕はあった。表向くは病弱ということになっているので車で送迎しているのだ。

 

「ひのふのみの……十七個か。ちょっと多いくらいかな。そういえば昼のお弁当とか作らないの? 流斗君に作って上げたんだよね」

 

「そんなこと言ってませんがっ」

 

「否定はしないんだ」

 

「……違います」

 

「あはは」

 

「っ、最近は購買で菓子パンを買うことが多くなりました。貴女たちがいると時に一般の人は入れたくないので」

 

 所謂使用人も、皆が皆此方側というわけではない。本来ならば此方側のことにも向こう側にもどちらにも適応した人物はいるのだが、その人は現在休職中で半年前程から白詠家を開けている。駆や沙姫が一般人に手を出すとは思っていないが念の為だ。

 いなくても問題ないことはないし。

 

「どこに持ってく?」

 

「居間に。お茶汲むので、お握りの方持ってもらえます?」

 

「了解。それと、前から言おうと思ってたけど、沙姫でいいよ。敬語も無しで。流斗君だってそうでしょう?」

 

「……ん、解った」

 

 向こうからそう言われたのならそうする。相手が何かの組織のお偉方ならば考えるが、あくまでも彼女は無所属なのだから。冷蔵庫から麦茶を取り、四人分のコップをお盆に乗せる。

 そのまま二人で炊事場を出て、

 

「あ」

 

「……」

 

「よう」

 

「おお」

 

 流斗や駆と遭遇した。

 先ほどと服装は変わっていないが、駆が魔術で瞬間洗濯と乾燥までやったらしい。地味に澪霞も知りたいが、それは今はどうでもよくて。

 

「……」

 

「え、なんすか」

 

 先ほど沙姫に言われたことを思い出し、

 

「…………はぁ」

 

「なぜにため息……!?」

 

「いろいろあるんだよ女の子には」

 

「あ、経験で言わせてもらうがこれは男に反論権がないパターンだな」

 

「えぇ……」

 

 





次話からちょっと動きます。

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アンディサイド・ウィッシュ

 

 『護国課』の本部とやらに訪れるにあたって、いくつかの予想をしていた。

 日本の裏側の半分を牛耳る組織というのだから、それ相応のものだと思っていたのだ。週末の早朝、白詠の家から出た車に乗る数時間の間、ずっとそこがどういう場所なのか考えていた。まず思い浮かんだのは和風の大きな屋敷。白詠のソレのさらにグレードアップ版。極道映画で見るようなもの。またはSFのような近代的なオフィスビル。或は往来の敵組織のように海の下とか地下とか、或は空の上、はたまた宇宙空間。此方側に足を踏み出してから驚いてばかりだったので、もうどんなものが来ても驚かないという心持ちでいた。

 それなのに、

 

「……え、此処?」

 

 指さした先にあったのは年季の入った喫茶店だった。それも、見た感じでは飲食店であることさえ解らないような質素さだ。

 思わず信じられずに澪霞に聞いたが帰ってきたのは頷きだった。

 

「何時間もかけて随分遠い所に来たと思ったらただの喫茶店に連れてこられた件について……」

 

「ついてきて」

 

「あ、はい」

 

 臙脂色の制服姿の後を追う。休日ではあるが、一応制服が正装なのでこの恰好だ。流斗は能力上服に特別な効果を仕込むことはできないが、澪霞のには術式やら符やら仕込んであるのだから当然といえば当然なのだが。乗って来た車は二人が降りてすぐに立ち去った。また終わった頃に戻ってくるらしい。

 背で揺れるマフラーを追いかける。

 店に中に入れば、やっぱり普通の喫茶店だ。カウンターとテーブル席が幾つか、どこの街にもあるようなものでしかない。見た限り、客も入っていない。店の中にいたのは店長らしき初老の男だけ。

 

「いらっしゃい……よく来たな」

 

「どうも」

 

「そっちの彼が例の新入りか」

 

「えぇ、彼女は?」

 

「まだ来てない」

 

「ではまたここで待たせてもらいます」

 

「注文は」

 

「珈琲を二つ」

 

「かしこまりました」

 

「荒谷君、こっち」

 

「……おっす」

 

 とんとん拍子で進んでいった話には口を挟まずについていく。L字を横にしたような間取りで、テーブルやカウンター席が右に延び、奥が少し広い空間になっている。

 窓際のテーブル席で向かい合わせに腰かけ、

 

「それで?」

 

「?」

 

 問いかけたら無表情のままに首を傾げられた。 

 

「いや、あの俺は先輩の試験に付いていくって聞いてたのになんでこんなとこに?」

 

「……あの人から聞いていなかった?」

 

「いや、何も」

 

「……そう、何も聞いてこなかったから説明されてたと思っていた」

 

 そこで珈琲が運ばれて来て、言葉が区切れる。運んできた店長らしき男は無言のまま二つのマグカップを置いて先ほどの位置に戻っていく。多分あの人も此方側の関係者なのだろう。自分のことを指して新入りと言っていたのだから。

 澪霞は自分の分の珈琲に机に備え付きの砂糖と一緒に運ばれてきたミルクポットを傾けつつ

 

「簡単に言えばここはまだ『護国課』の支部のような所(・・・・・)

 

「ような?」

 

 何やら含みのある言い方だった。それに、今日は支部でも支部の様な所でもなく本部に行くという話だった。

 

「ここは、なんというか、そう、中継地点のようなもの。あそこに扉あるよね」

 

 指されたのは、流斗の背後の奥。スタッフオンリーという文言が掲げられた扉。カウンター席やその向こう側の厨房、さらにはコップの手入れをしている店長のさらに向こう側。ちょうど入り口の正面にその扉はある。

 

「あそこが()になっている。あの扉を潜れば『護国課』の本拠地に行くことができるから此処に来た」

 

「……マジすか」

 

「マジ」

 

「……そんなこともできるのか」

 

「勿論、簡単なことじゃない。相応の苦労があって完成したネットワーク……らしい。私も詳しくは知らないけれど。お爺様曰く戦時中に日本中どこにでも即座に移動できるように確立されたとか。ちなみに同じようなものは全国の色々なところ――京都は例外として、存在している。大体がこういう喫茶店みたいな小さなお店。店自体にも一般人には悟られないような工夫もされているし」

 

「それじゃあ、今日の試験も此処からあの扉通って本部に行って受けることになると?」

 

「そういうこと。あと、その前にちょっとした待ち合わせを」

 

「待ち合わせ?」

 

「そう。そろそろ来るはずなんだけれど……」

 

 言いつつ、澪霞がコーヒーカップに口を付けた所で、店の扉が開いた。位置的に流斗には音しか聞こえなかったが、

 

「ちぃーす、店長。澪霞来てるか?」

 

 若い女性のそんな声が聞こえてきた。

 振り返る。

 目にしたのは若い女性だった。

 高い位置でポニーテールの朱髪に括った長身の女だ。百七十程度の流斗よりもさらに高いだろう。カーキ色の上下一体になった作業服の中に髪と同じような色合いの赤いシャツが覗いてる。一月後半にしては――流斗自身人のことは言えないが――軽装だ。右肩にリュックサックを掛けている。

 澪霞の名前を口にした彼女はそのまま店の中を見渡し、すぐに見つけたらしくこちらに手を掲げ、

 

「よう、久々だな澪霞、それに……荒谷だったけ」

 

「こんにちわ、カンナさん」

 

「おう、遅くなって悪かった」

 

 快活な笑みを浮かべた彼女はそのままこちらに来て、澪霞の隣に腰かけた。

 待ち合わせの相手というのは彼女のことなのだろうか。座りながら大きな声で店長へコーラと叫び、

 

「始めましてだ。私は長光カンナ、よろしくな」

 

「荒谷流斗です、よろしく」

 

「……ふむ」

 

「なんすか?」

 

「いや、まともに挨拶返してくれて驚いたぜ」

 

「えっ」

 

「あたしの知ってる『神憑』は半分くらいまともに挨拶とか返さないからまとも枠で安心したよ。あと、敬語は要らねぇ、くすぐったいしな」

 

「あ、あぁ。解ったよ」

 

 『神憑』って何だよと思うと頭を痛くなりそうだったので意識的に外しておく。

 しかしまさか澪霞に友人なんて言うことに少し驚く。てっきり友達いないボッチだと思っていたし。少なくとも学校ではそんな感じのはず。

 

「……何」

 

「いや、なにも。それで、待ち合わせって何があるんすか?」

 

「あぁそうだな。あんま時間もないし、約束の物な」

 

 そう言ってカンナはリュックサックの中に手を突っ込み幾つかの物を取り出す。紙の束や、中に鉄の棒が仕込まれ巻物状に巻かれた布。

 

「なんだこれ」

 

「私の武装」

 

「先輩が使ってるお札とかの? 爆発したり武器になったりする」

 

「そう、その武器になる方だ。私は鍛冶屋でな。今日澪霞が私を呼んだのは試験の為の武装の補充だよ」

 

「鍛冶っていうと……刀を作ったりするあの鍛冶?」

 

「別に刀限定じゃねぇよ? 頼まれれば金物であるのなら何でも作れる。一家に一本よく斬れる万能包丁から妖怪殺しの妖刀だってお手の物だ。まぁ、今日は後者よりだけど」

 

 カンナは自分の前にあった紙束や巻き布を澪霞の前に滑らせる。

 

「注文にあった通り、日本刀、大太刀、薙刀、小太刀、手裏剣、鎖鎌その他諸々武器セット。符に変換してあるのは通常品、延べ棒になってるのは術式刻印入りの色物だから上手く使ってくれ。可能な限り、これまでと同じような使い心地で強度だけ上げてある。詳しいことは取説読んでね」

 

「ありがとう、支払いはいつもの通りに」

 

「あいよ。これから試験ってことだし、激励の意味も込めて値引きさせてもらうぜ」

 

「ちなみにいくらくらいなんだ?」

 

「今日ので三百万くらいだな」

 

「マジかよ」

 

 三百万って。

 いや、相場が解らないから何とも言えないが、流斗からすればとんでもない大金だ。

 

「これも、マジ。彼女の腕からすれば寧ろ安いくらい」

 

「いやでも三百万……」

 

 街で一番の金持ちのことはある。

 しかしそれくらいに武器等に金銭が必要ならば、そういったものを必要としない流斗の性質はありがたいものだったかもしれなかった。

 そこでカンナが注文していたコーラが届いた。ストローも使わずそのままガラスのコップから直飲みして氷を噛み砕いているが、かなり大雑把なキャラクターらしい。それを視界に入れながら流斗も思い出したように珈琲を手に取る。少し時間を置いてしまったがまだ暖かい。口を付ける。家や生徒会で飲むようなインスタントよりも強い香りが鼻孔を擽る。色々感覚が鈍いが、味覚や嗅覚はそのままなのはよかったと思う。

 

「んだよ、お前のすげぇ白いな。相変わらずミルクも砂糖も入れすぎだろ。そこまで来たら普通にカフェオレとかジュースとか頼めよ」

 

「私はコレが好きだからいい」

 

「相変わらず糞頑固だなおい」

 

 仲いいんだぁと、見ていて思う。友人関係も本当らしい。見た感じ、カンナの方が自分たちより幾つか上――凡そだが駆や沙姫と同年代なのだろう。

 重ねて思うが意外だ。

 勿論此方側の澪霞のことは知ったばかりなのだから、この思いも当然なのだろうが。 

 

「――ふむ」

 

 自分のことをそっちのけで雑談している二人を見ながら珈琲を口に含む。無理にガールズトークに関わるのは控えるとして、もう一つ思うことがあった。

 平原と山脈だな、と。

 あえて何処とは脳内でも明確にはしないがある一部分が澪霞は圧倒的に貧しく、カンナはびっくりするくらい恵まれている。始めてみるクラス。ガン見するのはあれだが、多分机に乗っている(・・・・・・・)

 このあたり付き合いが長すぎて感覚が麻痺している雨宮やその部分だけは悲しいことになっている澪霞と顔を合わせるだけでは生まれてこない発想だった。

 

「これが格差社会――ブッッッ!?」

 

 呟きながら珈琲を啜った瞬間足に激痛が走った。

 

「――何」

 

 真っ赤な目がギラギラと輝いている――気がした。

 

「な、なんでもないっす……」

 

 あの夜並に目がガチだった。

 痛みが発生している分それが伺える。

 気にしてるんだなぁとこれもまた意外に思いつつ、

 

「そ、それでこれからどうするんすか?」

 

「にしし……あー、此処まで連れてきたってことは流斗もあっちまで行くのか? 試験そのものは基本見学とかできねーけどよ」

 

「一応この場所の紹介に来ただけだから――ここで待たせようかと」

 

「ちょっとひどくないすかね」

 

「にししっ、まぁ私も暇だし。こっち側に関して色々教えてやろうか? ぶっちゃけ向こう言っても普通の市役所とか学校みたいな感じの内装だから面白いことなんにもねぇし、面白いもん見たら色々問題になるしさぁ」

 

「……いいの?」

 

「暇だしな。どうせ澪霞の後輩っていうならこれから関わることも多くなる。それに今日初めて来たってことはほとんどこっち側の世界の人間との関わりもあたしが始めてだろう? 澪霞かあの爺さんか。別の人間の話を聞くのも悪くないと思うぜ」

 

「それは、確かに俺としてはありがたいな」

 

 正確に言うならば澪霞や海厳だけではなく駆との関係もあるのだが、彼に関して、対外的には流斗はニアミス程度の関わりしかないことになっているとのこと。そのあたりの口裏合わせは流石に済ませてある。

 

「……カンナさん、あのことは」

 

「解ってるよ。あたしは数少ない自重を知っている人間だぜ?」

 

 少しだけ澪霞は目を伏せ、

 

「解った。しばらく彼のことはお願い」

 

「あいよ。っと、もう時間か?」

 

「うん。じゃあ、行ってくる」

 

「頑張れよ。無事終わったらなんか名前付きの武器注文しろよ。格安にしてやるからさぁ。いつまでも十把一からげの奴じゃあ恰好付かないぜ」

 

「ん、考えておく」

 

 カンナが一度席を外す、澪霞も机の上の紙束等を回収しながら立つ。

 

「えっと、頑張れ? なんか試験自体は楽勝という話だからあんま強く言っても意味が薄そうですけど」

 

「……手を抜けば、当然落ちる」

 

「そりゃそうだ」

 

 確かにその通りで思わず苦笑する。

 だから、

 

「頑張れ、先輩」

 

 言い切った。

 

「ん」

 

 澪霞も小さく頷きながら、足を進めた――と思ったら一端止まってしまう。

 丁度、澪霞の進行方向とは逆に座っている流斗から彼女の顔が見えない位置。

 

「お?」

 

「どうしたんすか?」

 

「……ねぇ、荒谷君」

 

「まだ、なんかありました?」

 

「……君は私の後輩なんだし、色々この一か月ちょっと教えてあげたとも思うし、それに今人のことを消しかけておいたんだから、何か言っておくことがあるんじゃない。カンナさんだって銘入りの武器作ってくれるとか言ってくれたんだから、私を激励する意味を込めて、その、何かあると思うんだけど」

 

「……ほほう」

 

 なにやらカンナが顎に手を当てて面白そうな顔をしている気がした。

 まぁそれは無視して、澪霞がらしくもなく早口で言ったことを咀嚼し、理解する。

 

「……あー」

 

 絶対に沙姫の入れ知恵だ。

 こういうことを言いそうなのは彼女か、あとは雨宮くらいしかない。

 ここで何もしなかったら沙姫や駆に文句を付けられるのは間違いない。それは御免蒙るし、まぁ後輩としてある程度ならば普通だろう。

 頭を掻きつつ、

 

「……終ったら、何か適当に言って下さいよ。俺にできることならなんでもしますから」

 

「……なんでも?」

 

「ぶっちゃけ先輩喜ぶこととかよく解らないんで、可能な範囲なら」

 

「――そう、じゃあ考えておく」

 

「あんま無理言わないくださいね」

 

「ん」

 

 微かな頷きを残し、澪霞は去っていた。足取りに淀みはなく、先ほど指し示した扉の中に入る。それを見送って、

 

「……なんだよ」

 

 ニヤニヤしたカンナに半目を向ける。

 驚きを含ませ、しかしそれ以上に面白うなものを見つけたような顔である。

 

「にしし、いやぁなにも? じゃあ澪霞の合格祈りつつ、あたしたちもあたしたちで話を進めようぜ……ただまぁ、それよりもあたしからお前に聞きたいことがあるんだけどよ」

 

「俺に? 俺に語れることなんて学校での先輩のぼっち振りくらいしか」

 

「やっぱアイツボッチかよ、こっち側でも友達あたし含めてちょっとしかいねぇのに……って違ぇ。そうじゃない。私が聞きたいのは、いや、それも後で聞かせてもらうが」

 

「聞くのかよ」

 

「あたしもアイツの話とかしてやる。それでだ」

 

 長光カンナは、そこで始めて、快活そうな笑みを消した。

 真っ直ぐに朱色の瞳が流斗へと向けられ、

 

「駆の――津崎駆について知っていることを教えてほしい」

 

 





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アクシデント・インパクト

 

 問いに対し、流斗は全身の強張りを感じた。

 流斗は未だに実感が湧かないが、あの二人はかなりの重要人物であるらしい。故に『護国課』に訪れた以上、あの一週間のことを聞きだされることがあるのは予想できていた。事実として澪霞や海厳が報告した話では、荒谷流斗はたまたま夜中に外出中、戦闘中の白詠澪霞と津崎駆の戦闘に巻き込まれ、白詠家に保護された。

 だからこの場で言えるのは、曖昧な外見と聞かされた名前だけ。沙姫については出逢ってすらいないことになっている。

 その程度の応えしかできない。というよりも事前に聞かれたらそう言えと言われているのだ。二十代前半の青年、黒髪黒目、津崎駆という名前。それだけだ。

 

「――」

 

 しかし、カンナの朱い瞳の強さが流斗の口を詰まらせた。先ほどまで澪霞と笑いっていた快活そうな雰囲気は問いかけと共に消失し、熱した刃のような危うさがある。

 下手なことを答えたならば拙いことになるという想いが流斗を強張らせた。

 だが、

 

「……あー」

 

 息を長く吐きながら、カンナが髪を大雑把に掻き乱し、剣呑な雰囲気が霧散していく。

 

「悪い、変に脅したみたいになっちまったな。いや、お前が全然関係ないってことは聞いてるんだけど、一応直接話聞きたくてな。何かあるか?」

 

「……いや、暗かったしぼんやりとした外見と聞いた名前くらいしか」

 

「沙姫、雪城沙姫については」

 

「そっちも名前だけ」

 

「……そうか」

 

「知り合い、なのか?」

 

「ん、まぁな。ちょっとした腐れ縁だよ。悪かったな、変なこと聞いて。あたしが聞きたかったのはこれだけだし、ほら、お前もあたしに聞きたいことあったら好きにしてくれ。時間もあることだしな」

 

 若干早口な言葉と共に雰囲気も最初の時のように戻っていた。

 腐れ縁、つまり自分や雨宮のようなものだということ。昔は学校に通っていたようなことも言っていた気がするから、その時の関係なのだろう。正直な所、彼らに関することも聞いてみたいが下手に突っ込んでボロを出すと拙いのは間違いない。

 

「聞きたいことね……じゃあ、今先輩受けてる試験とか俺まだあんま詳しく知らないんだけど。聞いた話だとなんか凄い公務員チックというか、思ってたのと違うんだけど」

 

「あぁ、はいはい。そうだなぁ、確かに結構面倒なんだよなぁ、うちのは。戦闘、学科、倫理とか最大で三つもあるんだよ。まぁ、全部受ける必要があるわけじゃあないけどな」

 

 そのあたりの話くらいなら聞いていた。澪霞が妖魔の危険度やら種類が書かれている本を読んでいる姿は何度か見たし、流斗も横合いから読まされたりしたし。

 

「先輩は倫理の方は受けなくていいんだけ」

 

「あぁ。というかアイツならただ等級上げるだけなら学科もいらないんだよ」

 

「そうなのか?」

 

「アイツが学科まで受けるのは、成人してから白詠の家を継ぐからだ。単純に戦闘専門家ならばともかく、ちゃんとした立場のある人間なら色々箔つけておいた方がいいからな。駆の一件もその一環だった。『護国課』は『陰陽寮』よか実力主義だけど、家の名前の力も大きい。澪霞の場合、祖父さんの存在もでかいしな」

 

「やっぱあの爺さん凄いのか」

 

「ガチ英雄だよ。全盛期は世界クラスで十指に入る術者だったて話だしな」

 

 こんなことになってから直に何度か対面したがやはり印象として強いのはあの強面だ。最も顔が怖いというけで怒鳴られたり、怒られたということはないし、少し喋った限りでは悪い人ではないと思う。しかし駆や澪霞から聞くその武勇伝には軽く引くのだが。

 

「しっかし……ランクだかクラス云々とか聞いた時には漫画みたいなだぁと思ったけどそれの試験が面倒だよなぁ。ペーパーとかあるとか学校とかと一緒だしさ」

 

「妖魔の討伐とか何かしらの依頼をこなすっていうのもあるんだぜ? 何かあった時はそれで等級上がるとか、上の偉い人から認定されるとかもある。実際『陰陽寮』はそっち寄りでペーパーも倫理もない。うちは基本的に防衛が基本だからな、そのあたりは澪霞に聞いてくれ」

 

「あれ話を聞けると思ったら先輩に丸投げされたぞ?」

 

「正直小難しい話はあたしにもよく解らん!」

 

 残念なことを言いながら大きな胸を張られても困る。

 自覚はあったが、カンナもまた嘆息し、

 

「いやあたしも鍛冶屋ってことで無駄に金属の性質とか覚えさせられて苦戦したクチだからな……フィーリング派には辛いぜ。戦闘面はまちまちだけど、今日澪霞が受けるのは試験官との戦闘とかそんなところのはず」

 

「ふうん。俺もそのうちその試験とか受けることになるのかね」

 

「基本受けなくてもいいが、ランク持っていた方がいいのは確かだな。高ければ高いほど特権とかあるし。上げるコツは何か事件あったらカチコミして活躍しろ。あとですげー怒られるけど、成果出せば結果的に評価も上がる!」

 

 いい笑顔でとんでもないやり方を教えられたが困る。

 

「にししっ。他に聞きたいことはないか? あたしもしょっちゅうこっちくるわけじゃないし。あ、店長ー、なんか食べるもんくれー」

 

「頼み方雑っ」

 

「かしこまりました」

 

 そこで表情を変えずに受け流し、手を動かし出したあの店長が凄いと流斗は思った。ああいうのをプロの大人というのだろうか。

 

「あぁ、そうだ。聞きたいことと言えば」

 

「お、なんだ?」

 

「俺や先輩みたいな『神憑』ってすげぇレアなんだろ?」

 

「あぁそうだな。あたしもそこそこ顔広い方だけど、直に顔合わせたことあるのはお前や澪霞入れても五、六人かな。結構多い方だぜ?」

 

そういうの(・・・・・)って他に何があるんだ?」

 

「あ?」

 

 流斗の問いかけに要領を得なかったらしく、カンナが眉を顰めた。

 

「つまり、俺たちみたいな存在そのものが希少ってレベルの奴って他に何がいるのかなと」

 

 カンナはそれを理解したらしい。一度納得したような顔をしたが、

 

「……お前、聞いてないのか?」

 

 今度は戸惑ったように、目を細める。

 

「何が?」

 

「あー……、いや、ならいいんだ。澪霞が教えるだろ。『神憑』レべルの珍しい奴か。まぁ確かにいるな。名前被ってるだけで、全然違うのだとしたら……」

 

 そうだなぁと顎に手を当てて考え始める。

 

「そこまでレアじゃないけど覚えておいた方がよくて、そこそこ数がいるけど特別な奴といえば、やっぱ子孫系か」

 

「子孫……?」

 

 鸚鵡返しのように言葉を返す。

 子孫。 

 日常生活でも偶に聞く様な単語であるそれについて、流斗が問いを重ねようとした時だった。

 

「お待たせいたしました」

 

「っ」

 

 唐突に横合いから声が掛かった。

 店長ではない。あの初老の地味に渋かった声ではなく、もっと若い、流斗と変わらないくらいの年齢の声質。実際その声の主を見ればそのくらいだった。

 落ち着いた色合いの服装、カンナよりもさらに長身の柔和な顔つき。アンダーフレームの黒い眼鏡。知らない顔だ。右手にサンドイッチが乗った皿があった。先ほどカンナが頼んだ軽食だろう。それでもまず思ったのは疑問だ。

 ――いつの間にいたのか。

 足音とか気配とか、そういったものを欠片も感じさせず、気づいたら机の横に彼は立っていた。

 しかしカンナは驚くことなく、

 

「おう、さんきゅ」

 

 当然のように笑顔で受け取っていた。

 面喰う流斗に青年は優しげな笑みを向け、

 

「君にも、どうぞ」

 

「? 俺は何も――」

 

 言葉を繋げる前に――衝撃が顔面を打撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ァ、ガッ……!」

 

 青年の拳が流斗の顔に突き刺さる。痛みが走り、同時勢いのままに身体が浮いた。

 

「うおっ」

 

 目を見開くカンナがサンドイッチの皿とコーラのコップを退避させ、青年は打撃した手でカッターシャツの胸元を鷲掴みし持ち上げ、

 

「シッ……!」

 

 逆の手でもう一度拳を叩き込み、破砕音と共に窓ガラスをぶち破りながら吹き飛んだ。

 

「っガハーー!?」

 

 

 肺の中から空気吐きだされ、噎せそうになりながらコンクリートの道路を転がっていく。そちらに痛みはないが、顔面や胸の方には痛みがある。その時点で少なくとも誰かに襲われた――この場合は先ほどの少年――ということ。

 

『通常の痛覚はなく、魔力や霊力が宿されたダメージなければ痛みが発生しない。つまり此方側の人間の攻撃に対し、痛覚無視は使えない。もうちょっと慣れたらできるようになるかもしれないが、現時点ではデメリットでしかない――というわけでもない』

 

 駆は言った。

 

『お前が痛いと感じたならば、それは向こう側、日常の範囲外だ。痛みは体の危険信号というが、お前の場合はもう少し拡大してレーダーみたなもんになる。だから、どんな時でも痛いと感じたならば意識を切り替えろ。そこはもう――此方側だ』

 

 それらの言葉と共に鍛錬時以外、食事中や寝ている間に駆に殴りかかられ、反応しないとさらにぶん殴られるという鬼畜方式でフルボッコにされまくった――それが生きた。

 地面に激突しながらも体勢を立て直し、腰を落とし、膝を曲げたままに、中腰で立ち上がりかけ、

 

「……!」

 

「おや」

 

 飛び退くのと同時に、斬撃が叩き込まれた。

 また地面を転がることになったが、そのまま距離を取って、今度こそちゃんと立ちあがった。

 

「くそぉ、フルボッコにされた甲斐があったぜ!」

 

「日本語おかしいね?」

 

 叫びに返してくるとは思わんかったが、それの合間に襲撃者を観察する。

 先ほどサンドイッチを運んできた青年。先ほど殴りかかられたわけだが、いつの間にか得物を手にしていた。

 

「槍……か?」

 

 武器の鑑定に自信はないが、多分槍だ。朱塗りの長い柄の先に大ぶりの刃がある。疑問形になったのは、刃と得の接続部あたりに内側の曲線状の刃がもう一つ取り付けられている。

 

「槍、ね。知りませんかこれ?」

 

「知らねぇよ、その前に誰だお前、いきなりぶん殴ってくるとかどういうつもりだ」

 

「聞きだしてみてください、人払いは済ませてあるので好きにやってくださって構いません」

 

「答えになってねぇ!」

 

 先に向こうが動いた。

 長物を振りかぶりながら、接近してくる。

 店の中にいたカンナや店長がどうなっているのかは解らない。だが、現状襲われているのも間違いないのだ。

 いきなりぶん殴られて驚いていたらその間にまた殴られたり蹴られたりしたのは思い出したくもない。

 何はともあれ――殴り飛ばしてから話を聞けばいい。

 

「荒べ――ッ」

 

「させませんよ」

 

 異能を発動するよりも、向こうの斬撃の方が早かった。避けれない速度ではなかったが、その間に力を使うのもできなかった。

 横に飛び退いたが、真横の衝撃に体が押され、コンクリートの塀に激突しかけ、

 

「フッ!」

 

 それよりも早く振りおろしの勢いで体を回転させて放った槍が命中した。

 

「かはっ!」

 

 壁にぶつからなかったが、それよりも被害は大きい。肋骨が軋む音が響き、口の中に血の味が広がる。ガードする暇もなく、またもや身体が飛んだ。道路を転がり、今度は途中で体勢を立て直せない。

 十数メートルくらいはコンクリートを味わった。

 

「っ……ぁあ、くそったれッ」

 

 毒づき、口元の血を拭いながら立ち上がる。槍が当たった部分に手を這わせれば、制服は胸を横一文字にばっさり切れているが、その下の身体には薄い赤の線程度の被害で済んでいた。

 動くには十分。

 

「ふむ、固いね。物理的に」

 

 向こうも感心したように呟きながら指の動きで槍を回し、

 

「なら――壊れるまで続けよう」

 

 再び迫る。

 先ほどよりも早く、気づいた時には既に槍を射出していた。

 刺突だ。

 速く、避けられない――避けない。

 

「――ッヅ!」

 

「……!」

 

 直撃した。

 刃が数センチほど胸の中央に突き刺さり、血が流れている。

 だが、同時に流斗の左手が柄を握りしめていた。

 速度差的に避けられないのは明白であり、恐らく経験値も向こうが上。だから耐えられるうちに耐えて反撃する。口で言えば簡単ではあるが、実行するのは正気の沙汰ではない。

 青年が引きつったような笑みを浮かべ、流斗もまた笑い返す。

 

「……君、先月まで一般人だったんだよね」

 

「『神憑(コレ)』は生まれつきらしいぜ」

 

 同時に右の拳を握りしめ、

 

「荒べ、素戔嗚――お返しだよ」

 

 存在の解放と共に、拳撃を叩き込んだ。

 

「――!」

 

 拳を顔面にめり込ませ、ぶっ飛ばす。

 

「まず一発だ」

 

 最初に殴られたのが一発。外まで飛ばされたのがもう一発で、その後に槍で二発、いや三発だ。とりあえず、その分殴り返さないと気が済まない。なんでこんなことにはなってるのかは……まぁどうでもいいや。

 

「なるほど……ただの木偶というわけではないようだね」

 

 青年は口の血を拭い、罅の入った眼鏡を直しながら槍を構え直す。

 

「でも、一発入れたくらいで満足してるのは甘いかな」

 

「うるせぇ、何様だお前、いきなり人のこと殴りつけておいて。喧嘩……は売ってるよな。やり返し終わるまで止めないからな」

 

「そうかい、好きにしてくれ」

 

 ゆらり(・・・)、と青年の周囲に何かが揺らめいた。

 目に見えるものではない。しかし、確かに生じている。かつて殺されかけた妖魔が纏っていた瘴気や自分の異能の発動の差異に生じる空間とも歪みとは決定的に違う。

 それよりももっと正常な感覚にしたものだ。 

 闘気、とでも呼ぶのだろうか。

 それが彼の全身から立ち上っているのだ。

 駆がいたらゲームにでも例えて説明してくれそうだが、いないので殴るしかない。話を聞くのも殴ってからじゃないといけないし、仕返しの分もある。

 やっぱ殴るしかない。

 

「殴れば全部解決だなおい」

 

「案外単純だね」

 

 拳と槍を強く握り、地面に亀裂が入るほど強く踏みしめ、

 

「はいそこまで」

 

「――!」

 

 瞬発の直前に、大刀が足元に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流斗お前キャラ変わるな、脳筋かよ。あと遼は闘気しまえ。テンション上げすぎだぞ」

 

 身体が硬直した二人に投げかけられたのはそんなのんき声だった。

 視線をズラした先には、壊れた窓から此方を覗きこみながらサンドイッチを口に詰め込んでいたカンナだった。

 

「ふむ、もういいのですか?」

 

「あぁ、いいんじゃね? これ以上やったら引っ込みつかなくなりそうだし、十分だろ」

 

「……どういうことだよ」

 

 会話が知己のソレだった。

 少なくとも初対面で交わされるものではない。

 遼と呼ばれた青年の方も、カンナに声を掛けられたのと同時に闘気が霧散し、構えも解いていた。

 

「あぁ、うん」

 

 軽く睨み付けたが、受け流される。 

 苦笑しながら、右手で手刀を作り、

 

「悪い、軽く嵌めちゃった」

 

 

 

 




脳筋!脳筋!


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アングリー・ガール

 

「一体、どういうつもりですか」

 

 澪霞は有体に言って激怒していた。

 等級試験は順当に完了した。学科は事前に勉強した甲斐があったし、模擬戦試験に関してもここ一か月の駆による鍛錬のおかげでか、『ハ』になり立てにしては高い戦闘力であることも試験官に太鼓判も押してもらった。

 この時点においては僅かながらに浮かれていたと思う。多分、誰に言っても信じないだろうし、当然顔には全く出ていない。

 まぁ、それに。

 始まる前の彼との約束によるものがないわけでもなかったし、なんでもとか言われてどうするべきだろうかと思考を巡らせていた。生意気な後輩にどんな無茶振りをするのかを考えるのは正直楽しかった。

 けれど、そんな思いは胸に包帯を巻いた流斗を見て吹き飛んだ。

 

「説明を求めます、如何なる理由で白詠の民を襲い、傷つけたのか。理由によっては黙っていられません」

 

 口調は普段と変わらない平坦なトーンで、能面の如き無表情のまま、それでも真紅の瞳だけが爛々と見開かれ、対面する相手に問いただしていた。

 

「……ふむ」

 

 機械的な追求に対し、しかし欠片も揺らがずに答えたのは――鹿島武だった。執務机に肘を置き、口の前で手を組みながら澪霞の視線を正面から受け止める。

 そこは彼の執務室だった。来客に対応するために、武の嗜好以上に高価な調度品が置かれているが、それを気にする者は今この部屋にはいなかった。

 視線を合わせる澪霞と武。

 澪霞の背後には居心地の悪そうな流斗とバツの悪疎な顔をしたカンナ。そして流斗を襲撃した青年が柔らかい笑みを浮かべながら並んでいた。

 流斗のシャツは斬られたので、医務室で貰った長袖の無地のシャツを着ていた。胸の傷は既にほぼ癒えている。

 背後の三人のことについて、前の二人が話し合っているわけだが、流斗たちは混じらない。 

 混じれない、という方が正確だろうが。

 一見人形染みた無機質さを有する澪霞と熊か怪獣のような武に割り込める者などそうはいない。

 

「確かに彼――飛籠遼君を荒谷流斗君に襲撃させ、実力を測るように命じたのは私だ。その意図は」

 

「新たに発見された『神憑』の実力を確認することの重要性は解っています。それに関しては問うまでもない、ですが聞いた限りのような行いは問題があると思いますが」

 

「最もだ、あぁ私も同感だ。飛籠君には深手は追わせない、本気にならない、周辺への被害等を押さえる。長光にももしもの場合は止めるように言い含めてあったが、危険はあった」

 

「ならば何故――」

 

「君の祖父に意向だ」

 

「……お爺様?」

 

「元より君の試験に合わせて、荒谷君の考査も行うことは予定していた。最も最初の時点では君と同じような場を整えた模擬戦のつもりだったのだが……それを御老体に伝えたら」

 

「祖父が悪乗りしたと」

 

「私からも止めたのだがね」

 

 武は肩をすくめ、澪霞は表情を変えず、しかし内心怒りの炎が燃えていた。愚痴を吐きだすようなことは好きではないが、文句を言いたい。というか帰ってきたら絶対に言おう。いやまともに文句を言っても受け流される可能性が高いので、夕食から好物を抜いたり、隠している酒を捨ててしまおう。台所の調味料に馬鹿高い日本酒にみりんのラベル張って隠しているのを知っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「びぇっくしょい!」

 

「汚いぞ爺さん、王手」

 

「ぬ、ぬ、スマンの。誰かがこんな老骨の噂でもしているのか。まぁ、よい。それで、台所の調味料に秘蔵に日本酒をみりんのラベル張って隠しておってのう。アレらが帰ってきて結果を聞いたら、その話を肴にして飲むとするかのぅ」

 

「それはいい話だが、投了しないのか」

 

「……待った」

 

「ラス1な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……解りました、その件については祖父を問い詰めるとします。それで……」

 

「あぁ、飛籠君」

 

「はい」

 

 名前を呼ばれた青年――飛籠遼が前に出る。歩みを進め、武の斜め前の位置に立った。澪霞の近くに立つことでより高い身長が強調される。百八十近くはあるだろう。かなりの美形だ。鼻筋は通っているし、細めの目にアンダーフレームの黒眼鏡。街中を歩かせれば多くの女性が振り返るだろう。甘いマスクというのはこのようなことをいうのだろう。

 最もそのあたりは澪霞にとってどうでもいいことなのだが。

 

「飛籠遼です、初めまして白詠澪霞さん」

 

「……初めまして」

 

 差し出された手を握る。

 握った手の平の感覚は固く、潰れた豆もできている。聞きかじった話では槍を使っていたということだが、それだけ鍛錬を重ねているのだろう。感じる握力は強くないが、意識的に抜いているのだろう。

 単なる優男ではないらしい。

 勿論、握手だけで解るようなものではないが。

 手を離し、

 

「では、飛籠君。報告を」

 

「はい。技術については甘いですが、耐久力は極めて高いですね。直撃したはずの一撃が薄皮一枚程度しか通りませんでした。反応もよいと思います、僕自身一発入られましたし。(ジェン)……いえ、ハ級でよいかと思われます」

 

「ジェン? ……中華八卦式?」

 

 『(チーアン)』・『(ドゥ)』・『(リー)』・『(ジェン)』・『(シュン)』・『(カン)』・『(ゲン)』・『(クン)』。中国地域で使われている等級、日本でいう『イロハニホヘト』と同じものだ。比較的近いから七つと八つという近い分け方になっているわけだが、面倒になるので同時に使われることはあまりない。

 

「えぇ、父が中国出身でしたので。十までは中国、十五までは日本、つい先日までも中国にいました。と、これは関係のない話ですね。長光さん、どうぞ」

 

 話を振られたカンナは朱色の髪を掻きまわし、流斗と澪霞を交互に視線を動かせながら口を開いた。

 

「あー、まぁいいんじゃないすかね。私も遼と大体同意見すよ。見た感じ反応も悪くなかったし、澪霞と大体同じくらいだと思いますよ。経験と技術不足は否めないっすけど、ロ級はちと弱すぎる」

 

「ふむ……いいだろう。荒谷流斗君」

 

「……」

 

「荒谷君、返事」

 

 返事がなかったから促しながら視線を向ければ、半ば呆けいてたようだが、

 

「え、あ、はい」

 

「略式ではあるが現時点より君に『ハ』の等級を与えよう、君がこの国に不利益を与えない限りそれは保障される。いいかね?」

 

「えっと……先輩?」

 

「……どうして私に振るの」

 

「いや、あんまよく解んないし……まぁ、大丈夫です、ありがとうございます」

 

「うむ」

 

 揚々と武は頷き、流斗も軽い動きで頭を下げる。

 この感じはよく理解していない。いきなりハ級を与えられたら普通は飛び上がって驚いてもいいのだが。決して、そう簡単に得られるものではない。澪霞自身だってそれなりの時間を必要とした。

 最も、ここで飛び上がって喜ぶような相手に――憧れたわけではない。

 少しだけ、気分が良くなった。

 

「さて、最後の話だ」

 

 武が仕切り直すように口を開いた。

 最初の時点から一切動きを変えていない。

 正直に言うのならば、澪霞は武と積極的に顔を合わせたいとは思わなかった。悪い人間ではない、寧ろ質実剛健を志とする趣向は好感が持てるし、祖父との繋がりが深いのも知っている。

 ただ単に、下手に近づいて、彼に目を付けられたくないだけだ。

 自分の立場ではそうなる可能性は低いとしても、自分自身の性質的に零ではないのだ。

 だから、なるべく関わりたくない。

 白詠の娘としてそうは言ってられないのだが。

 

「今回飛籠君が出向いたのはただ荒谷君と喧嘩させる為ではない。簡潔に言えば、これから彼は白詠市に於いて、白詠家の庇護下に入ることになる」

 

「……お爺様はそのことを?」

 

「既に伝えてある。この話が最初に来たのだからな」

 

「……」

 

 遼に視線を向けたが、柔らかい笑みで応えられる。

 彼がどういう人間であるがは、解らないがまさか津崎駆と雪城沙姫を知らないわけがない。未だに白詠市に滞在し、自分たちに教導行為を行っているなんて知られたら大問題だ。場合によっては戦争になりかねない。

 それでも海厳が受け入れたというのなら――考えがあるのだろう。

 なかったら次は無駄に集めていた骨董品全てを質屋に入れてやろう。

 大して強くもない将棋の待ち時間を稼ぐのにしか使わないのだし。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぬう……ま」

 

「待たない。タイムは使い切ったぞ」

 

「……ものは相談だが、儂は骨董品集めが趣味でな。質屋に持っていけばそこそこの金になるものがある。そうだな、うむ。五万くらいになる皿があるから、それで娘御に何か買ってやれ。それと待った一回交換でどうだ?」

 

「構わんがこんな暇つぶしの将棋に使っていいのか」

 

「かかっ。無駄に数だけはあるからのぅ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「解りました、扱いは」

 

「彼自身は十七であるが、君の白詠高校に一年生として入学してもらう」

 

「――ダブったのか?」

 

「君言葉選んで欲しいよ? ……まぁ似たようなものかな」

 

 流斗と遼の以外にも親しげな会話を横に置きつつ、

 

「それで」

 

「そのまま彼が高校生活を送るのを手伝ってほしいだけだ」

 

「……それだけ、ですか」

 

「そうだ」

 

「……」

 

 頭痛がしてきた。

 意図が読めない。

 やはり祖父を問いただす必要がある。

 なので原因や意味を考えるのは後にして、

 

「何時からですか」

 

「月曜日からだ。既に手続きは済ましてある」

 

 つまり、ここで自分が何を言っても結果は変わらないのだろう。

 武が行っているのはあくまでも既に決まっていることを伝えているだけなのだ。

 

「……解りました。他に私が用意しておくべきことはありますか?」

 

「これで終わりだ。だが、澪霞君には等級昇格の手続きがあるので残ってほしい。他の三人は最初の喫茶店にでも待っているといい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すいませんでした」

 

「あ?」

 

 鹿島武という偉い人の前に出たが、あまり話が理解できずに終わってしまった。

 解ったのは自分に澪霞と同じハ級という等級を得たのと、来週から新しい生徒が学校に増えるということだった。

 護国課の本部――しかしこれと言って驚くことのなくて退屈だったというのが正直な所。すれ違った人も此方に奇異や好機の視線を向けてきたが近づいてきたのはカンナが適当に流していただけだった。

 そうして最初の喫茶店に戻り、遼が真っ先に発したのがその言葉だ。先ほどと同じ席で、澪霞と遼を入れ替えた配置で澪霞が戻るのを待っていた。

 それぞれ珈琲やコーラ、ジャスミン茶を飲みながら、

 

「いえ、そういうことになっていたとはいえ先に手を出したのは僕のほうでしたから。お怪我は大丈夫ですか?」

 

「あぁ、大丈夫だよ。ちゃんと処置してもらったし、明日には治ってるだろ」

 

「それは良かった。改めて名乗ろうか、飛籠遼だよ。一応年上だけど、来週からは同級生だ、気にしないほしい」

 

「了解、荒谷流斗だ。よろしくな」

 

「ふむ……君、戦闘時と性格が変わる人かな? さっきは随分と好戦的に感じたけれど」

 

「そうか? んー」

 

 言われ、珈琲を口に含みながら振り返ってみるが、そんな自覚はない。

 

「単に切り替えてるだけだよ。いきなり殴りかかられたら、それなりの対応するだけだ。でもそれが単純に上の人間に命令されて、その通りにやったことで、しかもそれは俺のこと計ってたんだろう? まぁ、良い気はしないけど、気にしないっていうのが最終的な感想だ」

 

「……普通ちょっとは気にすると思うけど、そう言ってもらえると幸いかな」

 

「そのあたりの普通はこいつらには大体通用しないからなぁ……しっかし、澪霞怒ってたよなぁ」

 

 はぁー、と気が重くなるような溜息と共にカンナが机に突っ伏した。

 次第に暗くなっていく窓の外を眺めながら――壊れた窓はどうやってかカンナが一瞬で修復させていた――呟いていた。それの姿、というよりもカンナが口にしたこと自体に遼は眉を顰める。

 

「怒る、ですか。僕には一貫して無表情にしか見えなかったのですが……」

 

「まぁあたしだって正直自信ないけど、怒ってたと思う。アイツ自分の街のことかなり気にしてるしな。一時期それがアイツの願いだと思ってたこともあるくらいだし、正直解んないけどさぁ。そのあたりどう思うよ、後輩」

 

「ん? 怒ってたなあれ、見りゃ解る」

 

「えっ」

 

「え?」

 

 微妙に時間が止まった。

 

「……解るのか?」

 

「見た限り怒ってたと思うけど、いや、何に怒っていたとかは解らないけど怒ってたのは間違いないぜ? 寧ろ解んなかったのか?」

 

「解らねぇよ」

 

「僕には微塵も解りませんねぇ」

 

「ふぅん……」

 

 そんなものだろうか。

 あの人の感情表現が希薄なのは今に始まったことはではないが、此方側の関係者ならば解るかもしれないとは思ったがそういうわけではないらしい。

 自分が理解できるのは――あれだけ派手に感情ぶつけ合ったらか。

 

「あれに比べたら大したことねぇなぁ」

 

「なんだって?」

 

「いいや、別に」

 

「さよけ」

 

 呟きに興味を持たず、カンナはコーラを口の中に流し込み、氷を噛み砕く。

 

「怒ってるっていうのなら、やっぱ謝っておかねーとなぁ。やだなぁ、アイツ怒らすと怒りが収まったタイミングとか解んないんだよぁ、はぁ……たまたま納品と時期被ったからって気軽に引き受けるんじゃなかったぜ」

 

「理由軽いなー」

 

「ま、それだけじゃねーけど」

 

 愁いを帯びた顔で呟くがそれはつまり流斗に聞いていた駆のことだろう。あの感じだと澪霞の方に話を聞いているだろうし。帰ったら彼に話を聞いてみよう。少なくともカンナが探しているということは伝えておくべきだと思うし。

 

「何はともあれ、来週から学校よろしくな。クラス一緒になるかもしれないし」

 

「あぁ、よろしく」

 

「結構変な奴多いけど頑張れよっ」

 

「いきなり不安になったんだが」

 

「多分お前と澪霞が筆頭だろ!」

 

 いや、マジで変な奴多いから。

 頑張ろう。

 

 

 

 

 





多分筆頭なのは間違いない(


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ゴシップ・トピック

 

 生徒会に所属して、意外だったのは想像以上に仕事が少なかったことだ。

 そもそも白詠高校の生徒会は澪霞一人のみで、その彼女は周囲と関わりがいない故、仕事内容が表に出ない。私立高校ということもあって独自の学習プログラムを組めることもある。通常の学校とは相違点が多い。

 最も今考えてみれば、妖魔の討伐に積極的に出向けるようになるための場所なのだから、仕事が多かったらそれはそれで問題だろう。

 実際、生徒会の学校内の立場では学校内の組織を繋いだり、最終的な許可をする場所だ。そのあたり顔が広い流斗は適任だったのだろう。

 だがそれにしたって、

 

「……なぁ、先輩これなんすか」

 

「何」

 

 週明けの放課後、一枚の書類を手にした流斗が澪霞に声を掛けていた。

 部費の明細だ。 

 机の上に各部活の部員、明細、活動内容が纏められたファイルを置き、それに半目を向けながら、

 

「いや、この――ゲーム遊戯部ってなんすか」

 

「?」 

 

 問いかけに彼女もまた書類仕事を行いがら軽く首を傾げ、

 

「……ゲームで遊ぶ部活?」

 

「いや、なんでこんな部が!? パソコン部とかゲームを開発する部活とかなら解りますけど、ゲーム遊戯部って完全に遊んでいるだけっすよね!? なんで部費発生してんの!?」

 

「私に言われても……作ったのは部員の人たちだし、許可したのは文化部長。うちは纏めているだけだから」

 

「いや、にしても……」

 

 学校内の部活関係は文化部会と運動部会、それに同好会連盟の三つが大きな組織だ。基本的に格部の部長や人数の多い同好会――同好会である時点で会員が四人以下なのだが――からコミュニケーション能力が高い会長が集められ、運営を行っている。

 元より組織という枠組みに興味が薄かった流斗だが、こうして生徒会に所属してみると上手くできているのがよく解る。基本的なことは部活会が行っているが、最終的な決定には生徒会の権限が必要だ。だから、向こうも生徒会の方を蔑ろにし過ぎることがない。

 バランスが取れていると思う。

 思うがしかし、

 

「?」

 

「……はぁ」

 

 澪霞だったら多分、何をしていても気にしないのだろう。興味がないというわけではなく、生徒が望み、周囲もそれを認めたから申請が来ているのだからそれでいい、とそんな所だろう。 

 三学期が始め待ってから色々仕事を手伝っているが、彼女が極めて有能というよりも、一々迷ったりせず、ほとんどの判断が即決なのだ。もっと言えば細かいことを考えていない。

 

「ゲーム遊戯部以外にも頭おかしいの多いしなぁ……もうちょっと考えるように部活会に進言したほうが」

 

 呟いた瞬間、

 

「まぁ待てそこの庶務職」

 

 がらりと扉が開き、声と共に駆が現れた。

 比較的ラフなノーネクタイのスーツ姿。彼が此処にいるのは驚くことはない。今の駆の肩書は用務員と生徒会顧問。最初聞いた時はその二つが両立するのかと思ったが、海厳の権力によって成り立っているらしい。

 私立凄い。

 先月辺りから、学校に姿を見せ始めその美形とクール振りから既に校内の女子の人気が急上昇しているとか。沙姫も似たようなものだが。

 だが、基本的に生徒会顧問というのは此方側に関する教導をスムーズに行う為の立場なわけで、生徒会そのものの雑務に介入してくるのはこれが始めてだった。 

 入ってきた駆は特に断りを入れず、勝手にインスタントコーヒーを用意し、開いていた椅子に腰かける。

 

「そのゲーム遊戯部に関しては進言は要らない」

 

「なんでだよ」

 

「簡単だ――俺がそのゲーム遊戯部の顧問になったからだ」

 

「何やってんの!?」

 

 アンタ一応指名手配犯みたいな立場だろ!

 つーかどんだけゲーム好きなんだよ!

 思わず内心で全力で突っ込んでいた。

 

「いや、前の顧問だった来栖先生とゲーム好きって話したら変わってくれてな」

 

「うちの担任じゃねぇか……!」

 

 自分の担任が遊んでいるだけの部活の顧問だった時のこの微妙な気持ちはなんだろう。担任のことは結構尊敬しているのに。懐や心の広い人だと思っていたがまさかそんなことになっているとは。

 

「それで? 頭おかしい部活って他になにがあるんだ? ゲーム系以外はまだあまり見舞われていないんだよなぁ、沙姫は音楽系回ってるが」

 

「フリーダムだなアンタら……まぁ、やっぱ頭おかしい筆頭は伝説のヒーロー研究会だろうな」

 

「ヒーロー? ……特撮ヒーローとかの研究会か? それくらいなら普通だと思うが」

 

「内容じゃなくて人が問題なんだよ。ヒーロー研究会な――会員が一人なんだ」

 

「それもうただのヒーローマニアじゃねぇか」

 

 全くだ。

 流斗自身始めて聞いた時は似たようなことを思った。

 会員一人ってつまり個人だし。だったら家でテレビ見てろとか、なぜ態々学校に組織作るんだよ、とか。 

 だがその設立には伝説が付いていて、

 

「俺は人聞きだから、先輩は知らないっすか?」

 

「……知ってる。実際見ていたし」

 

 話を振られた澪霞は視線を動かさず、口とペンだけを止めずに、伝説を語り始めた。

 

「ヒーロー研究会会長の(アオイ)(ソラ)さんは入学した時から特撮ヒーロー部の設立を前生徒会に進言していた。でも、当時から一人しかいなくてずっとそれは却下され続けたけれど、ずっと諦めなくて、いい加減鬱陶しがった前の生徒会長が一つ賭けを持ち出した」

 

「ほう、面白そうな展開だな」

 

「頭悪い展開なんだよ……」

 

「その時間近に迫っていた文化祭で行われる武道部の合同大会に出場してそれで優勝すれば研究会扱いで設立することになった」

 

「つまりそれで優勝したと」

 

「違う」

 

「ん?」

 

「合同大会の開会式に殴り込みして――その場で出場者全員張り倒した」

 

「そしてその蛮行は伝説となって語り継がれている……」

 

「……よくやるな」

 

「三十人くらいいたって話なんだけどなぁ」

 

 剣道部、柔道部、合気道部、薙刀部、弓道部、総合格闘技部、ボクシング部といろいろいたらしいのにそれを全員一人で倒すってなんだろう。おまけに本人は女子らしいのに。

 

「……はっ、まさかその人もこっち側の関係者……?」

 

「違う」

 

 ばっさりと否定された。

 

「その時確認したけど間違いなく一般人」

 

「まぁ、向こう側に留まっていてもやたら腕っぷしが強かったり、頭良かったりする奴はそこそこいる。そいつもそういう類なんだろう。その話も長くなるからまた今度にしよう」

 

 そこで駆は一度間を開け、

 

「例の奴はどうだ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 例の奴。

 飛籠遼のこと。

 先週の武の話の通りに彼はこの学校、もっと言えば流斗と同じクラスに転入してきた。微妙な時期の転入で疑問を持った生徒は多かったが持前の顔の良さと物腰の柔らかさで一瞬で周囲に溶け込んでいた。本人は留年したみたいなニュアンスのことを言っていたが、頭はいいようで何度か授業で指摘された時にはスムーズに答えていた。

 今時漫画ですら見ないような典型的なイケメン転校生だ。

 別に面白くもなんともない。

 

「どうだもなにも、普通だなぁ。普通に良い奴ぽかった」

 

「なんだつまらん。人格に問題ありなら、適当にけしかけてお前らと喧嘩させようと思ったのに」

 

「何企んでるんだアンタは……つーか、顔合わせたら拙いんじゃないのか」

 

「さっき来栖先生と話したって言った時に軽くすれ違ったが特に反応はなかった。俺や沙姫の顔を知らないのなら大丈夫だろう。偽名使ってることだしな」

 

 駆が手の中で遊ばせているネームカード。そこに小さなバストアップの写真は駆のものだが、記入された名前は津崎駆ではない。

 相馬(アイバ)宋真(ソウマ)

 それが彼に今学校内で使っている偽名だった。

 

「ま、封印状態なのが幸いしたな。今ならかなり近づいても気付かれない。気を付けておくべきなのは朝の鍛錬とかに混ぜてくれとか言われることだな。断れとは言わないが、ちゃんと連絡しろよ。鉢合わせとかしたら面倒だからな」

 

「そのあたりは解ってるよ」

 

「ん」

 

 澪霞も小さく頷き、駆もまた頷き返す。

 

「ならいい。あぁ、それと流斗。お前がそいつとバトった時の話を聞いてから考えたんだがな、理想としては最初に殴られそうになったのをヘッドバッドで受けながら『神憑』発動だからそれができるようになるまで奇襲は続けるからな」

 

「はい無茶振り来ましたよー」

 

 抵抗が無駄であることは骨身に染み渡っている。

 だからせめてもの抵抗で半目を向けるが、無視されるだけで終わりだ。 

 

「そういばまだ聞いてなかったけど、なんで飛籠はこの街来たんでしたっけ。元々中国出身とか言ってましたけど」

 

「この街を拠点にする、ということ自体の意味はあまりないらしい。彼を日本に招き入れたの鹿島武とお爺様に繋がりがあったからという程度。なぜ日本に来たかというのならば、ある組織を追ってきたらしい」

 

「組織?」

 

「『宿り木』、中規模だけれどここ数年名を上げている傭兵ギルド。それを追っているとのこと」

 

 傭兵ギルド――単語そのものは始めて聞くが、どういうものかは想像できた。

 だが言ってしまえ、その程度だけしか理解できなかった。

 

「『宿り木』……あぁ、なるほど。そういうことか」

 

 しかし駆の方は違ったようで、その名前から何か納得したらしく、したり顔で頷いている

 

「説明はよ」

 

「いや、俺自身詳しいことは知らないし、噂くらいだがな。何年か前に中国の承継者が本国を出奔して今言った『宿り木』に加入したって話を耳にしたことがある。それが理由だろ」

 

「ふぅん……その理由はまぁどうでもいいんだが、承継者、っていうのは?」

 

「過去の英雄の子孫」

 

「簡潔に言えばその通りだ。補足するなら、その子孫の中でも初代の力を強く受け継いだり、再現した奴がそう呼ばれてる。最も英雄なんて十把一からげだが。認定するのはその一族内で受け継がれる場合もあれば国規模の大きな範囲で認定される場合もある。今の話の奴は後者だったから、飛籠遼が送られたんだろうな」

 

「なるほど、ね」

 

 澪霞の短い説明と駆の補足に頷きながら思うことは、先週カンナが遼が現れる直前に口にしていた『子孫系』というのはそのことなのだろう。

 カンナといえば。

 あの日、此方に帰って来て駆に長光カンナと出逢ったことという話はした。けれど、思ったような反応は来なかった。いつものように、そうか、とだけ頷かれて終わってしまった。少なくとも外見上は変化がない。

 内心は――流斗には理解できなかった。

 少なくとも、自分には察せないくらい感情を押さえている、或は隠しているのだ。

 だったら、気にすることでもないのかなと思う。

 

「ま、いいや。仕事の続きするかね」

 

「頑張れよ少年」

 

「いや、アンタも仕事しろよ」

 

「仕方ねぇな」

 

 まさか言うことを聞いてくれるとは思わなかった。椅子から立ち上がり、飲み干したらしい珈琲カップを流斗の分のマグカップの横に置いて、

 

「仕事してくる――ゲーム遊戯部でな」

 

「アンタエンジョイしすぎだ!」

 

「荒谷君、うるさい」

 

「そうだうるさいぞ」

 

「なにこのアウェイ」

 

 ははは、と笑われながら項垂れ、駆が出て行こうと扉をスライドさせ、

 

「む」

 

「おや」

 

 開いた正面に飛籠遼がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空気が止まる。

 或は、味方によっては、例えば一般生徒の女子ならばその光景を飛び上がらんばかりにくいついたのかもしれない。転校生のイケメンと用務員のイケメン。人当りのいい遼と些か近づき難い感覚のあるクールな駆。この先、白詠高校の二大イケメンなどという頭の悪い扱いを受ける二人が極めて近い距離で向き合っているのだから。

 

「……む?」

 

 扉が開き、駆と目があった瞬間に遼が眉を顰めた。

 ついさっき、駆がかなり近づかれても気付かれないと言っていたが、しかし逆を言えばかなり近づかれてしまえばその存在を気取られるというのもあるということ。

 実際、遼は何かしらに気づいたらしく、口を開こうとし、

 

「おっと、悪いな転校生。じゃあ白詠、また仕事の件はまた後日報告する」

 

 それよりも早く、言葉を残しながら部屋を出て行った。

 あまりにも自然な動きだった。流斗の感覚すれば気づいていた時にはもう部屋からいなかったほど。確か戦闘訓練の時に相手の動きの虚を突くといいとかよく解らないことを言っていたが、今のがそれなのだろうか。 

 遼もまた驚き、不審に思ったのか怪訝な顔のままだ。

 

「あの、今の方は?」

 

 当然の問いかけに流斗はどう応えるべきか迷い、

 

「生徒会の顧問。私たちが外に出向いた時に(・・・・・・・・)、仕事の補佐をしてくれる人。一般人なので留意してほしい」

 

 間髪入れずに澪霞が応えていた。

 仕事が一区切り付いたのか、ペンを置いた手でマグカップを握りつつ、

 

「それで、何の用?」

 

 話の流れを自分の方に向けた。

 うまいことするなぁ、と素直に思う。最初に解りやすく告げてから、自分に意識を向けさせながら話の主導権を握る。もっと言えばここは生徒会室で澪霞はこの部屋の主、対し遼は転校してきたばかりのアウェイだ。

 このあたりこの前の鹿島武との会話で思ったが、そういう話術スキルのようなものも押さえているのだろう。

 相変わらず卒がない。

 それなのにコミュニケーション能力が低いのが笑えるが。

 

「……いきなりすいません、実はお話ししたいことが」

 

「話?」

 

「えぇ」

 

 頷きながら、遼はその整った容姿のままニッコリと笑みを浮かべ、

 

「――お食事でもどうかとお誘いに参りました」

 

 

 




なんか色々単語出たけどあんま関係ありません、当分。

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イート・イン・アメティ

 お食事でもどうか――。

 その言葉を耳にした瞬間、身体は勝手に反応し、パイプ椅子が倒れるほどの勢い立ち上がり、

 

「……」

 

 我に返って言葉に詰まる。

 

「どうかしましたか?」

 

「………………いや、その、なんというか」

 

「座って」

 

「うっす」

 

 澪霞に言われたとおりに座る。倒したのを起こして、ついでに机の位置のズレなども直してから。何やららしくもなく勝手に立ち上がってしまったのを反省しつつ、マグカップの中身を飲み干している間に会話は進んでいく。

 

「それで、どういうつもり?」

 

「霊脈の都合上、妖魔の出現も多いと聞いています。僕としてもお二人に任せきりにするつもりはありません。だからその時互いのことを何も知らないのは考えものかと思いまして」

 

「だから、食事と? 随分と解りやすい」

 

「食事は万国共通でしょう?」

 

「中国人って脚があったら机と椅子と猫以外食べるってマジ? 後、アル口調」

 

「誰ですかそんな適当なこと言ったの」

 

「この街の中華料理屋の店長」

 

「どう考えても嘘ですので信じないように」

 

 何はともあれ食事。

 てっきり今は澪霞だけに向けられたかと思い違いしたが、自分にも含まれているらしい。交流会をかねての食事。意外に体育会系だなぁと思う。運動部の新入生が、入部直後に食べ放題の店に連れてかれて吐く直前まで食べさせられるというのはよく聞く話だ。四月終わりや五月頭にその手のバイトに入ると仕事に専念すれば忙しいし、ちょっとだけ参加すれば巻き込まれて大変なことになる。

 てっきりいきなりナンパかと思ったが思い違いだったらしい。

 

「……私はあまり食事の場で口が動くこともないから、荒谷君と二人でどうぞ」

 

「えっ」

 

「解りました、では行きましょうか」

 

「ええっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしてこうなった」

 

「何がですか?」

 

「……なんでもない」

 

 流れに身を任せるままに、気づけば都市部のラーメン屋で遼と顔を顔を突き合わせてラーメンを啜っていた。ショッピングモールの中で営業している店だ。周囲には店員の威勢のいい声や他の客の雑談の声、フロア全体に流れているBGM等で色々な音が入り混じっている。

 結局澪霞は仕事がまだ残っていると言って学校に残り、流斗と遼が二人で市の中心部へと赴いていたのだ。ちなみに学校を出る時に遼は大量の女子に言い寄られ、流斗と食事に行くと言ったら六割の女子に睨み付けられ、残りの四割は涎を垂らして目を光らせていた。

 正直凄い怖い。

 とりあえず可能な限り記憶から抹消させておくことにする。

 

「学校一日目どうよ」

 

「いい学校ですね。クラスメイトの方々も快く受け入れてくれました。担任の方の尊敬できそうな大人でなによりです」

 

「うちの担任が白詠高校で一番の当たりだと俺は思うよ。そういう意味じゃあ運がよかったな」

 

 基本変人が多いと言ったのは嘘ではなく、さっきのヒーロー研究会の話もそうだし、教員にも色々問題なのが多い。その考えは駆や沙姫が加わったせいでより強固になった。その中でも流斗や遼の担任は人格者として有名だった。

 

「正直、この前の変な脅しに緊張していたのですがね」

 

「あはは――おっと、来たぜ」

 

「……まぁいいでしょう。中国(向こう)にはこういう麺はないので、久々ですよ」

 

 目の前に置かれたラーメンの丼ぶりを前にして遼は意外なくらいに嬉しそうな顔をしながら箸を動かしている。

 地味に豚骨醤油背脂増量大盛りという重い注文だ。

 便乗して流斗も同じものを頼んだのだが。

 

「基本ラーメンって日本食なんだよなぁ」

 

「えぇ、麺料理自体は豊富ですけど所謂日本風のラーメンは存在しませんね。まぁ、ラーメンブームで逆輸入も増えていますが」

 

「中国の麺料理が日本で改良されて、そっからさらに中国に行くっていうのも変な話だな。お前、中国のどのあたり出身なんだ?」

 

「生まれは洛陽……日本でいう京都のような場所です。十の時まではそこで育ち、そこから先は日本と中国を行ったり来たりしてました」

 

「忙しい身だなおい」

 

「慣れてますから」

 

「そうかい」

 

 麺や具、それにスープを口の中に含み、胃へと送ることで体温が上がっていくのは解る。別に体の機能そのものまではそこまでは変わらっていない。単純にその変化が気にならなくなっているのだ。普通だったら行う熱いものに息を吹きかけるような動作を必要としないのはつまらないなぁと思う。

 まぁ、意味がなくたってやればいいだけの話なのだが。

 こういうのは様式美だ。

 

「そいや聞きたいことあったんだが、今いいか?」

 

「どうぞ」

 

 一応、周囲に気を遣いつつ、

 

「この前俺とお前が殴り合いした時、なんか身体から出してたよな。アレってなんだ?」

 

「あぁ、闘気ですか」

 

「闘気、ね」

 

 あの時も聞いた単語だ。それでも、澪霞や駆に聞くタイミングが掴めず、未だに曖昧な概念となっている。

 

「解りやすく行ってみれば人間の身体が持つ気功、それを戦闘用に転換したもの……でしょうか。ある程度の期間、ある程度の鍛錬を積み、武術を宿した者に宿す力。そういうものです」

 

「魔術、とかとは違うのか?」

 

「ハッキリ違いますね。そういうものがなんだかよく解らないものであることは?」

 

「大分前に聞いたな」

 

「闘気、或は気功や覇気、ともあれ気というのは実に解りやすいものです。生命力、それを鍛えたもの。そもそもベクトルが正反対なんですよ。そうですね、細かいことを省いて言うのならば、身に着けるのが魔術関連に比べて面倒であるものの、暴走や不発のようなことがあまりないという感じです。極めてしまうとどっちもあまり変わらないのですが」

 

「……なるほどねぇ」

 

 確かに、鍛えて得た力というのならば解りやすいにもほどがある。

 あの時感じた真っ当な気配はそのせいだったのだろう。これまで流斗が見てきた此方側の存在、澪霞や駆は『神憑』で、妖魔はそういうものの塊らしいし、海厳は陰陽術の使い手だったからその手のものを見るのは初めてだった。

 

「ちなみに、そういうのって魔力系、つまりよく解らない方と一緒に仕えたりするのか?」

 

「できますよ。術士タイプの人でも最低限の身体能力強化を気に回す、というのはメジャーですし、どっちも使うというのも珍しい話ではないですね」

 

「ほうほう。じゃあ俺でも使えるのかね?」

 

「どうでしょう、流石に『神憑』に関する知識は少ないので、そのあたりは白詠さんに聞いた方が早いかと」

 

 どうせダメなんだろうなぁと思う。それに覚えるのに時間が掛かるとしたら、今すぐ試しに使ってみようというのは難しいはずだし。ただ基本殴る蹴るしかできることないのだから、身体能力の強化というのはあればあるほど実力に繋がっていく。

 

「僕の方も一つ聞きたいことがあったのですがね」

 

「ん?」

 

 視線を向ければ、水をのどに流し込んだ遼は一息ついて、

 

「『天香々背男』について、と思ったんですよ。その点に関しては白詠さんからは、あの時点での貴方はただの一般人だったから深く追求しないように言われましたから」

 

「……まぁ確かに聞かれても困るからな、他に俺に聞きたいことはないか?」

 

 流石というべきか根回しは済んでいるらしい。そのあたり、自分がボロを零さないという自信もないから触れてこないのならばそれはありがたいことだ。

 ただ、なんとくなく腹が立つのは何故だろう。

 

「しかし、街そのものに関する基本的なことは聞いてますしね」

 

「んじゃあ、俺から重ねてもいいか?」

 

「なにか?」

 

「お前が『宿り木』とかいうのを追っているって聞いたんだけど、どんなのだ? 傭兵ギルドとかっていう話だけど」

 

「あぁ……まぁあまり大きな声では言えない話なんですがね」

 

「細かいことを省いて解りやすくすると……警察で将来有望視されていた新人が組織とか政府を裏切ってテロリストになったという感じなので」

 

「そりゃあひでぇ」

 

「あまり突っ込みするぎると面倒な話になりますが、それでも聞きますか?」

 

「……面倒にならないくらいの話で頼む」

 

 ふむ、と遼は考えをまとめるように一度間を開け、

 

「では誰でもすぐに解ることを少し。『宿り木』というのは傭兵ギルド、つまりはお金で戦う戦士の集まりです。これ自体は珍しくないですね、腐るほど存在しています。ただ『宿り木』が変わっているのは各国の問題……面倒……ば、……あほ――とにかく、変わった人たちを集めいてるです、えぇ他意はありません」

 

「お、おう」

 

 凄い言葉を選んでいたので突っ込みたかったが我慢した。止まっている間にその美形がかなり崩れていたわけだし。

 

「ただ名前持ちも多いので、総数は少なくとも総合力は高い。そういう連中です。長が日本人のようで拠点が日本なので、今回僕が『護国課』経由で日本に来たわけですね」

 

「名前持ち、また知らない単語だな」

 

「そのままですよ。特別な説明もいらないですね。強い人に与えられる敬称、或は別称です。例えば先ほど口にした『天香々背男』もそれですし、他にも多いですね。後、鹿島武は『雷獣』と呼ばれているはずです。つけられる経緯はケースバイケースなので一概には言えませんが」

 

「ロマンだな」

 

「ロマンですねぇ」

 

 思わぬところで男同士のロマンが一致した。

 お互いに頷き、話が一区切りついたから、水を飲んで喉を潤す。

 スマートフォンで時間を見ればもう七時前。

 

「どのあたりに住んでるんだ?」

 

「海厳殿にアパートの一室を貸してもらったのでそこに。とりあえずまだ二日ほどしか使っていませんがとりあえず不便はないですね」

 

「なるほどねぇ。しっかし、お前も大変だなぁ」

 

 素直に思う。

 

「お国の都合で変な連中追っかけさせられて知らねぇ街に住むことになるとかさ。俺はちょっと御免だよ」

 

「……」

 

 放ってから、少し無神経な言葉だったかなと思う。言ったことには間違いない。少なくとも今、いきなりどっか別の国に国の偉い人間の後始末を行うために飛ばされるなんてことは受け入れられない。 

 だがそれでも、遼からしたらお節介、或は同情と思われてもおかしくなかった。

 最も流斗自身にそんなつもりはないが。

 そんな少し遅かった流斗の省みに、遼は僅かに目を見開き、

 

「えぇ、そうですね」

 

 苦笑を漏らした。

 

「――」

 

 多分、それまで遼が浮かべていた表情とは違った。

 笑っているけれど、怒っているような、疲れているような、楽しんでいるような、それら全部を混ぜてしまったような、そんな顔。

 

「まったく――振り回される身にもなってほしいです」

 

 

 

 

 

 





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ウォーリアーズ

 

「ふぅ……終わり」

 

 書類を整えながら澪霞は呟いた。

 軽く首を回しながら外を見ればもう暗くなっているし、友好を深める為に一緒に学校を出た流斗と遼を見送ってから結構な時間が経っていた。生徒会の仕事そのものは確かに多くはないが、何分早退が多く、仕事をこなす時間が不規則なのでやれる時にやっておくことにしている。というよりも澪霞自身の性分だ。

 時計を見ればもう七時過ぎだ。

 普段なら帰って食事を取るか、次の日の授業の予習や復習、或は修行となっていた。

 手早く後片付けをして、部屋を出る。時間が予定よりも伸びたので普段使っている送迎はいない。

 流石に校舎に人の気配はない。こんな時間まで誰かいたら注意しなければならないのでそれはそれでいい。

 いい、のだが。

 

「……警備がザルすぎる。だからあれほど学校にも最低限の結界を張るべきだと」

 

 そう愚痴めいたことを呟き、足を動かす速度を速め、下駄箱へと向かう。

 手早く靴を履き替え、外に出れば、

 

「……」

 

 見知らぬ二人組の男女がいた。

 青の髪の青年と紫の髪の少女。生徒ではない。青年の方は見た感じ二十歳程度であり、少女の方は小学生と言われても納得できるくらいに小柄。少女というよりもまんま幼女だ。澪霞は全校生徒の名前は完全に記憶しているが、該当するものはいない。そもそも要望云々の前に、全身を覆うローブを纏っているのだ。顔だけを露出したそれは明らかに普通ではない。

 

「――『宿り木』実働班副班長蚊斗谷(カバカリヤ)吉城(ヨシギ)

 

「同所属班員リルナ・ツツ」

 

 二人が名乗り、

 

「白詠澪霞さん、ですね」

 

「……えぇ」

 

 ――『宿り木』。

 飛籠遼が追っているという傭兵ギルド。

 問いかけながら、眼前の二人をより深く観察していく。見た感じ、敵意の類はない。しかし完全に無警戒というわけでもなかった。全身を覆おうローブの下に何を隠し持っているかは解らない。

 声を掛けてきた吉城は無表情だが、リルナの方は気だるいのか目つきが悪い。顔立ちは整っているが台無しだ。

 いや、それは自分が言えた話ではないが。

 

「まず突然の訪問をお許しいただきたい。何分、あまり派手に動ける立場ではないので不躾な形になってしましました」

 

「……要件は?」

 

「飛籠遼……今はそう名乗っている男。彼を戦闘不能状態にて無力化し、その上で我々に引き渡してもらいたい。その協力を願い出たい」

 

「理由は」

 

「彼は中国から送られた僕らに対する刺客、面倒事はなるべく摘み取っておこうというのが大きな理由。それに……まぁ、もう一つとしては貴女だって彼の血のことは知っているでしょう? いつ大事になるかは解らない。そちらとしても早いうちに危ない可能性と潰すのを手伝おうかと思いまして」

 

「……」

 

 言われたことを頭の中で整理し、それに対する返答は一瞬で答えが出た。

 そして同時に祖父の思惑を、いや恐らくは駆も含めたそれらを理解する。

 澪霞も既に遼が誰の承継者であるかは知っているし、そのあたりの経緯も。正直どうしてこんなに色々抱えた人間を、こっちもまた色々抱えているのにも関わらず引き入れたのかとは思っていた。

 こうなること(・・・・・・)を見越して、遼をこの街に引き入れたのだ。

 そもそも海厳と駆の間に交わされた一年以内のイ級への昇格。

 極めて困難、通常の方法では不可能なそれをどうやって実現させるのか。疑問だったが、その答えは――面倒な事柄を引き寄せれるだけ引き寄せる。

 その結果がコレだ。

 

「返答はどうでしょうか? あぁ、今答えがでないのならば、時間を空けたとしても構いません。日を改めてでも……」

 

「必要ない。今答える」

 

 一度間を開け、

 

「――断る」

 

 言い切った。

 それに吉城は

 

「……理由は」

 

「話にならない。彼の身柄は正式に私の家が引き取った。それをただ危ないからという理由で放棄できるはずもないし、受けるメリットもない。馬鹿馬鹿しいとさえ言える。彼が何であろうとも、引き受けたからには全うするだけのこと」

 

「ふむ……交渉は決裂だと?」

 

「交渉する気もないくせによく言う」

 

 吉城の目が細まり、

 

「はっ、だから言っただろうよ。吉城よぉ」

 

 少女の方が口を開いた。

 気だるそうな、そしてそれ以上のイラつきを隠そうとせずに言葉を吐き捨てながら、

 

「喧嘩吹っかけるのが目的なのに面倒な口上から入りやがって。間違って受けいられたらどうすんだっつぅの。なぁおい」

 

 十歳程度の幼女には不釣り合いな乱暴な言葉使いだった。

 それに吉城も嘆息、無表情を面倒くさそうな顔に変える。

 

「仕方ないだろうリルナ。いきなり殴りかかったら僕たちの品位が疑われるよ」

 

「けっ。傭兵に仁義はともかく品位を求めている時点で間違ってんだよ」

 

 口調が砕けた吉城へとリルナ嘲笑を浮かべ、

 

じゃあいいな(・・・・・・)?」

 

 答えも聞かずに彼女は動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 彼我の距離は軽く十メートルはあった。それに加えて澪霞も気を抜いていなかったし、二人から目を離してはいなかった。

 しかし、

 

「ハッハァ!」

 

 気づいた時にはリルナの小さな体が、澪霞の懐に潜り込んでいた。

 

「――!」

 

 ローブが翻り、その下の姿が露わになる。少女らしい水色のワンピース。しかしそれらを台無しにする両手に握られた二つの無骨な鉄塊。鉄の塊とその取っ手。

 旋棍(トンファー)だ。

 それが救い上げられるように澪霞の顎へ迫っていた。

 

「くっ……!」

 

 反射的に顎を上げ、後退。紙一重で回避する。

 もしも一瞬でも遅ければ頭部が吹き飛んでいてもおかしくないだけの威力だった。一歩後ろに下がる。しかしそれは戦闘の場を校舎の中に移すということ。

 それは駄目だ。

 だから、咄嗟に上へ跳ね上がって、

 

「揺蕩えつく――ッ!」

 

「させないよ」

 

 『神憑』の発動を完了するよりも早く、鉄の刃が吉城から投擲された。

 咄嗟に体を捻り、制服に掠る程度で凌いだ。背後の壁に突き刺さっているのは――小さな斧。

 柄の部分が木ではなく、プラスチックか何かだが投げ斧(トマホーク)

 

「……誰の家が修繕費を払うと……!」

 

「僕たちでないのは確かだね」

 

「余裕あるなぁ!」

 

「っ!!」

 

 制服の袖から符を滑り出し、小太刀を形成。同じように飛び上がってきたリルナの一撃を受け止める。動きには逆らわず、寧ろ打撃の勢いを使って距離を稼ぐ。下駄箱から校門までの空間はそれなりに広い。戦闘するには十分とも言える。それでも背後は学び舎だし、軽く周囲を見回すだけでも、それなりの設備がある。

 白詠の娘、生徒会長として、それらを壊されるわけにはいかない。

 

「揺蕩え……!」

 

「させねぇってんだろぉ!」

 

 取った距離をリルナが驚くほどの加速で詰めてくる。澪霞よりも速い。旋棍の連撃は凌ぐだけでも神経を削られる。そのせいで『神憑』の発動ができない。それなりの集中が必要とするがリルナの旋棍はそんな暇をくれないし、凌いだとしても、

 

「『神憑』は本当に面倒な存在だ。できれば相手にしたくない、これは誰もが同じだろう」

 

 吉城の投斧が微かな時間を潰してくる。ダメージを狙っているのではなく、思考の時間を潰すように、意識の隙間を縫うように。澪霞も逆の手で刀をさらに形成し、捌いていくが余裕はない。

 

「けれどだからこそ、その力を使わせなければ少し強い程度の異能者だ。簡単な話だよ」

 

「っく……!」

 

 小さくも苦悶の声が漏れる。

 だがそれでも二人は動きを止めなかった。

 

「改めて名乗ろうかな。傭兵ギルド『宿り木』実働班副班長――『猟犬』蚊斗谷吉城」

 

「ついでに、『鉄竜巻(メタルツイスト)』リルナ・ツツだァ!」

 

 それは先ほどの名乗りとほとんど同じで、しかし決定的に無視できない情報があった。

 『猟犬』。

 『鉄竜巻(メタルツイスト)』。

 名前そのものはともかく、名乗るような二つ名があることそのものが。

 

「名前持ちが二人……!」

 

 常の無表情を突き破り、驚愕の声が漏れた。

 今から少し前、流斗と遼が世間話感覚で話題にされていた名前持ち。流斗の感覚では曖昧に強い奴程度というイメージしかないが、生まれた時から此方側に身を置いていた澪霞からすれば意味合いより重い。

 名前を与えられるということは、此方側の世界で、それだけの成果を上げてきた。

 そして基本的に戦闘メイン名前持ちは極東式ならばハ級の最上位、世界共通式にしてもBランクからしか与えられない。

 即ち――実力的には彼らの方が格上だ。

 

「……っ」

 

 動揺を押し殺し、肉体だけは感情と切り離して駆動させる。

 それができなければやられるのは間違いない。

 

「ハッハァ! ビビってんのか!?」

 

「――」

 

 リルナの旋棍と吉城の投斧は止まらない。

 鉄の迫撃と飛刃。片方だけだったらどうにか撤退することができたかもしれない。

 だが吉城とリルナの連携に隙が無さすぎる。二刀小太刀で衝撃を逸らし続けるが、度重なったことで手が痺れ始めていく。それ以上に掠った攻撃も肌を傷つけ、血が流れていく。

 

「っ……はぁ……はぁ……」

 

 息が乱れ始める。 

 そもそも澪霞は『神憑』としては肉体的なことに関しては脆弱な方だ。能力も発動しきれていない状態では負担が重い。凌ぎ切れているのは能力の恩恵として通常から風の流れ等に敏感だからだ。

 

「思ったよりやるねぇ」

 

「手を休めないでね。逆襲されたら叶わない」

 

「わぁってるよぉ!」

 

 直後、目に見えてリルナの動きが勢いを増した。

 振りかぶった右腕と旋棍から溢れる魔力と闘気。やりすぎなくらいのテレフォンパンチだが、その隙をつく暇は吉城のトマホークによって潰され、

 

「ぶっ潰れろ!」

 

「――がァッ!」

 

 身体を投斧で裂かれるのも無視し、小太刀を十字にし防ぐが――その防御ごと粉砕れ、鉄塊が着弾した。

 呆気なく澪霞の身体はぶっ飛び、学校の敷地と外を別ける塀に激突し、亀裂を生じさせる。

 そして――動かない。

 

「やったか!」

 

「遊んでないで確認」

 

「ノリ悪いよなぁ」

 

 軽口を挟みつつ、しかし二人は気を抜かなかった。リルナはふざけているような笑みを浮かべているが目は笑っていない。吉城もまたそれを解っているから、投斧から手を離すことはない。ローブの中で緩く握りつつ、いつでも投擲可能だ。

 リルナが動かなくなった澪霞に歩み寄る。

 目の前にまでたどり着いても澪霞はピクリともしない。

 その様にリルナは口端を歪ませた。

 

「ダメ押し行くぜー」

 

 先ほどと同じ強度の一撃をぶち込み、

 

「――火行招来、救急如律令」

 

 当然の如く澪霞は始動する。

 それは普段澪霞が用いる陰陽術と『神憑』の特性の複合術式ではない。陰陽術の中の初歩の初歩。陰陽五行の一つの火。それを用いて火を付けるというだけの極めてシンプルな術式だ。

 当然ながらそれだけではリルナや吉城に傷一つ蹴られるものではない。

 だから燃やしたのは――自分自身だった(・・・・・・・)

 

「んなっ!?」

 

「自爆、いや……これはッ」

 

 さながら火葬のように全身を炎に包まれた暴挙に二人は驚き、動きが一瞬停止した。吉城は澪霞の意図に気づけたが、それでも生まれた隙を彼女は見逃さない。

 

「揺蕩え、月讀――」

 

 発動し、即座に澪霞の存在強度増した。。髪や肌が淡い白の光を宿す。

 それに従い、だだの炎すらも勢いを跳ね上げ、しかしそれは澪霞の身体を焼くことはない。不定形概念の操作という力。電気や液体、気体を彼女は普段使っているが炎もまた――不定形である。

 故に『神憑』の発動と同時に周囲の火炎は白詠澪霞の制御下にある。

 思念一つで火炎をリルナへと飛ばした。

 

「ちぃ!」

 

 炎が幼女に纏わりつき、視界を潰す。旋根の振りで即座に飛ばされてしまうが、その間に澪霞は体勢を整えていた。制服の内ポケットから取り出した符が一枚。スパークと共に弾け、生まれた形は澪霞の身の丈もある棍だった。

 刺突一閃。

 手の中で握りしめたの時にはリルナへの突きをぶち込んでいる。

 

「シッ!」

 

「にゃろッ!」

 

 得た感触に人体への打撃ではなく、鋼のソレだ。

 防がれたが、

 

「――翔破」

 

 刺突の後を追うように風の塊がリルナを打撃し、その体を押し飛ばした。

 直後、投斧が四つ同時に迫った。

 

「――」

 

 それらを危なげなく、棍の回転で弾く。 

 手の中でもう何度か回し、構えた。

 

「ふぅー……」

 

 息を長く吐き、全身に風の流れと電気のスパークを生じさせていた。先ほどの消耗は激しかったが、こうして『神憑』を発動した以上、単純な回復力にしても比べ物にならない。自分の肉体の状況を顧み、まだ戦えると判断する。

 元より、例え格上であろうとこの街で余計な戦闘を起こしたのだ。

 ただで返すはずがない。

 

「いい感じだなおい、愉しくなってきたぜ。お前はどうだよ吉城」

 

「さて、ね。ともあれまだ予定通りだ。向こうもああなってしまったんだ、此処からは真面目に戦う様に」

 

「おうよ!」

 

 戦いは、終わらない。

 

 

 

 




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グレート・ギャップ

 

「フーーッ」

 

 呼気と共に澪霞は手の中の棍を体の延長の如くに振るう。

 迫り来る二種の鋼。どちらか片方でも何度もまともに喰らう訳にはいかない。例え『月讀』を発動し、存在を変革させたとしてもそれは変わらない事実だ。加えて相手も格上の実力者。例え存在強度が高まろうと倒されるまでの時間が先延ばしになるだけ。

 だからこそ、ここで二人と互角に渡り合えるのは『月讀』の特性に他ならない。

 吉城とリルナの攻撃を周囲の気流で逸らし勢いを削る。傷ついた体の中の血流を操作し、失血を押さえ、新陳代謝を高め治癒力を上げる。生体電気も強化し、反射神経や運動能力を上げる。

 一つ一つだけを見ればそう難しい術式の類ではない。

 しかし、それら全てを同時に、それも無意識レベルで発動できることは並ではない。

 全域適応型。その呼称に恥じぬ卒がなさ振り。

 それが実力不足を埋めていた。

 

「ケケッ、いいねぇ、テンション上がるぜ!」

 

 可愛らしい容姿を戦の武場の猛りで狂相に歪めリルナは両手が握る旋根を振るう。

 小さい体を中心にして破壊を巻き散らかすその様はまさしく鉄の竜巻だった。一撃一撃が重く、激しい。澪霞の棍に逸らされ、凌がれてはいるが、軋ませているのは間違いない。何より棍を一度掠って威力が削られているのにも拘らず、振りぬいた直後に衝撃で大気が弾けている。澪霞も表情は変えないが手の痺れからは逃れられない。

 

「……」

 

 そして旋根と棍を何度もぶつけ合い、衝突音を響かせる様を吉城は少し離れた所から俯瞰し、投斧を投げつける。ローブや服の下に幾つ隠し持っているのかは定かではないが、腕の一振りの度に二から四、多いときでも六つも投擲されている。それが繰り返されているのだがら現実離れしている。さらにそれら全ての狙いは正確無比。前衛であるリルナの隙を潰し、澪霞の動きを邪魔するように投斧を投げつけていた。

 

「っく……!」

 

 当たりの前のことだが――互角に戦えたとしても澪霞が劣勢であることには変わりない。

 どれだけ顔にでなくても格上二人と相手どることの疲労や緊張は蓄積していく。

 それを澪霞も理解していた。

 

「……」

 

 勝つのは無理だ。

 ここの澪霞一人で打倒できるほど名前持ち二人は甘くない。実際に交戦して理解させられている。

 故に目指すべきことは、決まっている。

 

「ッ!」

 

「動きが鈍って来てねぇか、あぁ?」

 

 旋根の一撃が迫る。小さい体をさらに縮めたコンパクトな、しかし十分すぎるほどの威力を持った一撃。

 受け止め、受け流す。

 棍の先で受け、しなりと指運、手首の捻りを用いて威力を逸らし――二十センチほど先が折れた。

 

「ハッハァ! 折れちまった――ッ」

 

 飛び散った棍に歯を剥き出しに笑い、直後、背後に下がった。そしてそれまでいた場所に響いたのはヒュンッ(・・・・)という風切り音だった。一瞬前までリルナがいた空間を走ったものを、背後に下がった彼女は目を凝らし、発見する。

 それは、

 

「糸、いや鋼糸か!?」

 

 闇にまぎれて微かにしか見えないが、空中に線が存在している。それは折れた棍の先から伸び、飛び散った先の棍の端に繋がっていた。

 

「あたしに折られたわけじゃなくて、自分から折ったってことかよ」 

 

 つまり澪霞今手にしているのはただの棒きれではなく、多節棍の類なのだ。何度もリルナの打撃を受け止めた時にはそれなりのしなりを見せていたから関節部はそれほど多くないはず。恐らくは、逆側にもう一つ程度という所だろう。

 いや、しかし驚くべきは、

 

「器用だなおい。刀に、棒に、糸の奇襲。珍しいねぇ、そういう色々使う奴。ちゃんと実践レベルなら特に。他に何ができるんだ? それだけじゃあないだろ。素手は、あたしみたいなトンファーは? 吉城みたいなトマホークは? 銃やら弓やらの遠距離は行けるか? ん?」

 

「――」

 

「だんまりか。いや、案外お前と気が合うんじゃねぇの? 吉城」

 

「さて、ね。僕は単純に必要なこと以外喋りたくないだけだけど、彼女はもっと無口のような感じだが。しかしどうだろうね。このまま続けても君の勝機は薄い。別に僕たちも積極的に君を殺そうというつもりはないが、消極的になるつもりもない。『神憑』を使う以外の札があるのなら、早く使った方が賢明だと思うよ」

 

「……一体、何が目的?」

 

 先ほどリルナが喧嘩を吹っかけるのが目的なんてことを零していた。

 飛籠遼に因縁があるとしたら、態々澪霞を挟む理由が解らない。

 

「さて、僕たちはあくまで雇われた立場だからね。なんとも言えない。知りたかったのならば、当事者に聞き給え。この場合は飛籠遼だ」

 

「……そう」

 

 だったら、そうするしかないだろう。

 元からそのつもりだ、やることは変わりない。

 

「んじゃまぁ続けるか?」

 

 腕を回しながら、リルナが旋根を構え直す。歪んだ笑みを浮かべた姿に疲れや躊躇いといった感情はなく、背後にて投斧を握る吉城も同じ。

 そして澪霞もまた棍を構え直し――

 

 

 

 

 

 

 

「荒べ、素戔嗚――!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「アァ!?」

 

「……これは」

 

「――」

 

 反応は三者二様。

 学校の敷地の外、澪霞の背の塀の向こう側に突如として発生した空間の異物(・・・・・・)。それに二人は反応し、意識を跳ばせざるを得なかった。位相結界は張っていた。傭兵とは言っても、無暗に向こう側に被害を出すつもりはない。最初は学校に対する人払い、澪霞が『神憑』を発動してからは吉城自身が空間をズレさせる結界を張っていた。

 その点彼らは掛け値なしに一流の戦士だった。

 澪霞を前に油断することもなく、横槍、奇襲の類にも常に警戒していたのだから。

 故に、結界のすぐ近くで異能を用いた存在には気づいたし、それは澪霞も同じ。

 その次の行動を別けたのは既知と未知との差だった。

 澪霞は知っていた。

 蚊斗谷吉城とリルナ・ツツは知らなかった。 

 荒谷流斗の『素戔嗚』、限定完結型と称される完全に人の形に完結された、人間大の異界とも呼べるその存在を!

 

「六条――」

 

「っ!?」

 

 結界をぶち抜き、塀を飛び上がって来る存在を確認しようと視線を向けた瞬間、澪霞は確認することもなくリルナへの拘束に動いていた。

 分離した棍の両端。そこから繋がる二つの糸。リルナの身体や旋棍に巻き付き、動きを止める。

 

「オオッ!」

 

「リルナ!」

 

 塀を蹴った荒谷流斗はそのまま糸に絡められたリルナへと飛ぶ。しかしそれを吉城が見逃すはずもなく、投斧を咄嗟の動きで二つ投げつけ、叩き落とそうとし、

 

「!?」

 

「オ、ラァ!」

 

「ガッ……!」

 

 衝撃は拒絶され、リルナへと流斗の飛び蹴りが直撃した。

 幼女の身体が吹き飛ばされる。糸を介して繋がっていた棍も当然引っ張られたが、澪霞はすぐに手を離した。そしてぶっ飛んだリルナは体勢を直し切るよりも早く吉城がカバーに入って体を受け止め、

 

「爆ぜろ――篝火」

 

 棍に張り付いていた符が爆発し、二人を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えっと、どういう状況すかね。とりあえず先輩拘束してたから幼女蹴っ飛ばしたけど」

 

 着地し、体勢を整えた流斗は澪霞の横まで下がって問いかける。

 正直何が起きているのかよく解っていない。

 遼と一緒に飯を食い、その後買い物があると言っていたから別れて家に戻ろうとした矢先に駆から学校で澪霞が戦闘中だと電話が掛かってきた。そこから全速力で走って学校にまでたどり着き、着いたと思ったら結界が張られていたので突撃し、侵入したら侵入したで澪霞が幼女を拘束していたからとりあえず敵だと判断して飛び蹴りをぶち込んだのだ。

 敵じゃなかったらどうしよう。

 だから確認のために澪霞に質問したが、

 

「遅い」

 

「全速力で走って助けに来て見知らぬ幼女に全力で飛び蹴りを食らわしたのに何故怒られるのだろうか」

 

 相変わらずのセメントに微妙にショックを受けるが、行動自体は非難されなかったので間違っていなかったらしい。事実、澪霞は炎と煙に包まれていた二人から目を離していない。構えや戦意もそう。

 制服の至る所が焼け焦げ、彼女自身の肉体へのダメージも軽くない。

 やっぱり戦っていて、あの二人は澪霞の敵だった。

 だったら――流斗の敵だ。

 

「ふぅ……」

 

 対人戦闘。

 澪霞を除けば、これが始めてだ。遼の場合はあくまでも試験。

 そのことに緊張が全身を支配する――ことはない。

 そういった肉体の負荷になるような事象すらも『素戔嗚』が拒絶し、その上で両の拳を握っている。澪霞もまた符を取り出し、新たな武器を具現化する。今度は近接武器の類ではなく、二挺拳銃。手の中に納まるのと同時に銃身にバチリとスパークが弾ける。最早見慣れた麻痺付与。流斗に通じなくても、それ以外には有効だ。

 流斗という壁がいるからこその選択だった。

 そして、 

 

「――ケケッ」

 

「ふむ」

 

 晴れた煙の中から、果たして健在な吉城とリルナが姿を表わした。

 火柱に飲み込まれたというにも関わらず、ローブが少し焦げているだけ。流斗の飛び蹴りを直撃したのにも関わらず、堪えた様子はない。口端に微かに血が垂れているが、決して深手を負ってはいなかった。

 

「あー……あいつが新しく見つかったていう『神憑』か。白詠のに、コイツに、ちょっと前まで『天香々背男』に『歌姫』までいたんだろう? ちょっとした地獄だなおい」

 

 服についていた煤を払い棄てながらリルナはせせら笑って、

 

「どーするよ、援軍は来た。でもアイツ(・・・)じゃねぇ。この場合はどう動くのが一番いいかね?」

 

「……さて。判断に困るな、別に状況的には悪いものではないけれど。ここで引いても、戦い続けても、あまり変わらない」

 

 困ったねと吉城は肩をすくめて嘆息する。リルナもまたカラカラと乾いた笑いを上げた。

 

「……え、何あいつら。マジ敵? ノリ軽くね?」

 

「敵。気を抜かない、前を向く」

 

「んだよ、男来たとたんに饒舌だな」

 

「……」

 

「ケケッ、睨むなって……んで、吉城?」

 

「……うん、決めたよ」

 

 吉城は肩をすくめて、

 

「――彼女を落とそう。その方が彼の立場も悪くなる」

 

「あいよ」

 

 呟き、答え、

 

「――え」

 

 澪霞の全身に投斧が突き立てられた。

 

「――」

 

「せん、ぱい……?」

 

 真横、突如として飛来した大量の投斧が澪霞に突き刺さっている。一瞬見ただけでも二十に近い。一切の声も漏れずに彼女は崩れ落ちた。

 見れば解る。

 例え『神憑』を発動していたとしても――致命傷だった。

 

「――――ぶち殺す」

 

 故のその言葉が漏れることに何の違和感もなく一歩踏み出し、

 

「やかましい」

 

 それよりも早く、リルナの旋棍が鳩尾へとめり込んでいた。

 

「が、は、あ……ッ!?」

 

「殺すだぁ? 軽いんだよ、こんな平和な国でのほほん生きていたガキが口にしてあたしに届くとでも思ってんのか、あぁ?」

 

「ぎ、ぃ……あ、アァ!」

 

 腹にねじ込まれた鉄の塊。それに込められた威力は尋常ではない。先ほど澪霞へと放っていたものとも比べ物にならなかった。もし彼女が受けていたらその時点で胴が衝撃で破裂していたであろう。

 それでも、流斗は動こうとした。

 痛みはあったし、全身が軋んでいたが、それでも拳を握り、振りかぶろうとし、

 

「いいねぇ、悪くない。でも死ね」

 

 反撃の意思を受け取ったが故に追撃を放とうとした。

 凄惨な、獣染みた笑みと共に放たれ、

 

 

「――そこまでだぜ」

 

 

 割り込むように天から三メートルもある大刀が突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――!」

 

「……ぁ、ぁ……?」

 

 リルナは大きく飛び下がり、崩れ落ちた流斗は見る。

 自身の前に突き立つ巨大な刀。明らかに人間が振るうサイズではないそれの柄に立つ女を。

 高い位置でポニーテールにされた朱色の髪。女性にしてはかなりの身長。カーキ色の上下一体になった作業服の中に髪と同じような色合いの赤いシャツ。

 知っている女だった。

 けれど、かつて見た時とは纏う空気が全く違う。

 華だ。

 それも花弁から茎、根、全てに至るまでが刃として咲き誇る剣の華。

 

「他人の喧嘩に首突っ込むのは趣味じゃねーんだけどさ、知り合いが殺されかけてるっていうなら話は別だ」

 

「貴女は……ッ!?」

 

「ッチ、こいつぁ……」

 

 吉城やリルナもまたそれを誰かを悟る。

 また自分たちの周囲を囲み、浮遊している数十本の刀にも。

 彼女は大きく膨らんだ胸の下で腕を組み、吉城とリルナを睥睨すると共に言葉を告げる。

 

「名乗ってやるよ、傭兵共――イ級(・・)戦巫女『刀華繚乱』長光カンナ。これ以上やるなら、あたしが相手になるぜ?」

 

 




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リターン・ブレイドフラワー

 

「ッ……ゴホッ……ゼハァー……カン、ナさん……? ぁあ、いや、くそ先輩は……」

 

 腹部の激痛に顔を歪ませ、血の塊を吐きながら、まともに立つこともできない流斗は血の中に沈んだ澪霞へと這い寄る。

 

「落ち着けよ、って聞けるわけねぇか。動くなよ、澪霞抱えてそこでじっとしとけ。致命傷だとしても十分持つさ。ほれ、応急処置のしょぼいやつだけど、ないよりましだろ。破れば使えるぜ」

 

 巨大な刀の柄から飛び降りながら背後の流斗に束になった符を放り投げる。

 『神憑』としての生命力は高いから、応急処置の治癒符だとしても命を繋げるのには問題ない。カンナ自身治癒術の類に秀でてるわけではないが、澪霞の実家に運んで海厳に見せればいい。

 だから、

 

「引けよお前ら。解ってるだろ? これ以上オイタはさせいぜ」

 

 吉城とリルナに言い放つ。

 鋭利な言葉と共に、その周囲には物理的な鋭さがある。吉城たちの周囲に浮遊する数十本の刀剣。それら全ての切先が彼らに向けられている。仮に二人が余計な動きをすればすぐにでも槍衾に早変わりだ。先ほど吉城が澪霞へと行ったことと同じことになる。

 それを解っているから二人は動けない。

 恐るべきは剣陣の展開を気づかせなかったことだ。

 流斗と澪霞をほぼ一瞬で先頭不能ないし、それの目前に追い込んだ『猟犬』と『鉄竜巻』。彼らの実力は本物であり、流斗たちよりもさらに数段上だ。それにも関わらず、カンナの襲撃は一切気取られることなく完了していた。即ち、それが彼らとカンナの実力差である。

 

「……驚いたね。どうして貴女のような人が此処に?」

 

 生殺与奪を完全に握られている状況で口を開ける彼の胆力も尋常ではない。それでも額から汗を流れることは止めれない。

 

武器の納品(仕事)の帰りだよ。あぁ、言っとくけど完全に偶然だぜ? 仕事の都合で近くに来て、先週のごたごたの詫びに飯でも食おうと思ってたらなんかドンパチやってるなぁと思って眺めてたら、知り合いの若いのが殺されかけてたから手出したわけだよ。え、これどうなってんの? あたしにも事情聞かせてくんね? つーか遼はどこ行った」

 

「その飛籠遼に用があって僕たちは来たんだよ」

 

「じゃあなんでこいつら喧嘩売ってるんだ」

 

「事情があるんだ、でなければこんなことはしない」

 

「そりゃそうだ」

 

 うんうんとカンナは腕を組みながら頷き、

 

「で? 引くのか、引かないのか?」

 

 刃のような視線を向け、問いかける。

 答えは、

 

「……引くしかないね。リルナ、いいね?」

 

「いいもなにも、それしかねぇだろ。こんなとこでちゃんとした準備なしにイ級と戦えるかよ」

 

「そういうことで。今夜は僕らは引こう。まぁ、街から消えるのは確約できないし、もう関わらないのもね。僕たちも仕事だから」

 

「いいんじゃねぇの? ただあたしの前でこいつら殺そうとしたら邪魔するから気を付けな」

 

「覚えておこう」

 

「あばよ、次はぶち殺すぜ」

 

 剣陣を押しのけながら瞬く間に蚊斗谷吉城とリルナ・ツツは夜の街に消えた。驚くほどに手際のいい撤退だった。流石の傭兵というべき物だろう。

 そして、

 

「……っ、ぅ……あらや、くん」

 

「先輩!」

 

 満身創痍の澪霞が声を漏らす。薄く開かれた目に映る消耗は濃く、息は荒いし、抱えた流斗の腕にほぼ全体重が掛かっているが、意識はある。力が抜けていた腕を持ち上げ、自分の腕に乗せ、軽い呻き声を漏らし、全身が淡く光った。

 

「これ、は」

 

「血流操作だよ」

 

 流斗とは反対側にカンナも膝を付いて澪霞の様子を観察していく。

 

「血の流れ弄って失血防ってやつさ。流石だな、でも放っておくとさすがにやべぇ。さっさと澪霞の家運ぶぞ、あの爺さんなら治せるだろ」

 

 ならば迷うことはない。抱えていた澪霞をそのまま横抱きに抱えて走り出す。恥ずかしさの類の感情が生まれるわけもない。ちょっとくらい余裕ができたとしても、危ないことには変わりないのだ。幸い日は完全に沈んでいるし、制服が臙脂色だからパッと見しただけでは血のこともバレないだろう。『素戔嗚』はまだ解いていない。この脚力なら十分も掛けずに澪霞の家にたどり着ける。

 変な噂が立つ可能性は否めないが、そんなことはどうでもいい。

 腹に受けた痛みは気にならなくなっていた。

 まるで痛覚すら拒絶しているかのように。

 

「んじゃ先行け。こっちの後始末してから私も追いかけるからさ」

 

「解ったッ」

 

 頷くやいなや流斗は駆けだしていた。

 

「……若いなぁ」

 

 そんなことをカンナが呟いていたことには気づかなかったけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 それらの一部始終を眺めていた飛籠遼は息を吐いた。 

 流斗と別れた時に買い物と言ったけれど、それは建前でしかなく、実際はその時点から襲撃者二人の存在に気付き、澪霞たち三人の戦闘を極力気配を消して観察していたのだ。学校から少し離れた民家の屋根にいるが、彼にあまり距離は関係ない。そもそも視力自体が悪いわけではなく、強化の類も思いのまま。

 

「『猟犬』に『鉄竜巻(メタルツイスト)』……前者の方は実働班の副班長。まったく……随分と厄介な手合いを差し向けてくれる。困りましたね、片方ならともかく、両方となると僕でも荷が重い。それが目的なのだから当然ですが。白詠さんを狙った理由は……どちらに付くかの確認?」

 

 独り言のようであるが、しかしそれは誰かに語り掛けるように発せられていた。

 その両目は空を眺めているが、実際虚空を眺めているのと変わりない。目に映っているのは夜空ではなくどこかの誰かだった。

 

「ともあれ、白詠さんは数日は動けない。長光さんの助力を請うのも筋違い。やはり荒谷君に頼むしかない、か。どうでしょうね、頷いてくれるでしょうか」

 

 彼の顔を思い浮かべる。

 悪い人間ではない。付き合いとしては未だ数日だけだが、それは解る。いや、そもそも『神憑』である時点で善悪の基準などないに等しい。

 

「それ故に、今回の一件で決裂するやもしれない」

 

 多分、その可能性は低くない。

 彼が白詠澪霞に執着しているのははっきりと解るし、その逆もまた然りだ。

 少しだけ――羨ましい。

 素直に思う。

 好きだ愛しているという甘酸っぱい感情でなくても、唯一無二が隣にいるということは。

 

「……クク」

 

 自嘲の笑みを浮かべ、飛籠遼はその場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っと」

 

 流斗を送り出してから大体五分ほど後。

 学校の戦闘痕を修復しきり、一通りの後始末を終えた彼女は白詠邸へと向かっていた。流斗のように道を爆走しているわけではなく、民家の屋根の上を跳躍しながら。怪我人を抱えている状況でなければ、こうした方が圧倒的に速い。単純にその類のスキルを流斗が持ちわせていなかっただけかもしれないが。澪霞ならばそうするだろう。

 跳躍の飛距離は一歩一歩が大体二十メートル以上。これでもまだ全力疾走には程遠い。どれだけ急いだとしても、現状澪霞へできることはない。

 

「しっかし……思いのほか面倒なタイミングにきちまったなぁ」

 

 本当に、今回カンナがこの街に来たのは偶然だったし、深い理由もなかった。先週澪霞への納品があったから、この地域の近くの此方側の人間に同じように武器を届け、今日の午前中で仕事を終わらせた。そのまま家に帰るのも味気なかったから、週末に迷惑かけた澪霞や流斗たちの顔でも見に行こうかなと思ったというだけ。

 ちょっとくらい、彼の残滓でもないかとも思ったが。

 思い、少しだけ感傷を覚えて、人気のない道に立ち止り、

 

「――あぁ、ようやく止まったか。久しぶりだな、カンナ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――鳳仙花・檻噛」

 

 刀剣の華が弾ける。

 振り向きと主に踏みしめられた地面。その先から声の主の間の大地、人工のコンクリートを突き破るように数百近い刀が出現した。それらは声へと奔るだけではない。それを中心にして一本一本同士が支え合い山を作っていく。鋼同士が擦れ合わせ、ギチギチ(・・・・)と音を立てる様は龍か何かの鱗のよう。

 そうして一瞬で生み出されたのは告げた通り剣の檻だった。

 解りやすい表現は西洋にある拷問器具の鋼鉄の処女(アイアンメイデン)だろう。しかしそれ以上の苛烈さと凄惨さを携え、刃の檻に閉じ込められ、全方位から隙間なく刀が突き刺さる。

 仮にこれが白詠澪霞だったならば即死していた。荒谷流斗でも、特筆すべき耐久度故に即死ではなくとも限りなく死に近い致命だった。あるいは先ほどの二人、名前持ちである蚊斗谷吉城やリルナ・ツツならば、四肢のいずれかを犠牲にし、重傷を負うという結果は免れない。

 瞬発的な物であるが故に全身全霊の威力とはいかなくとも、そこに込められた殺意は本物だった。少なくともカンナは、声の主を確実に殺すつもりだった。

 だが、

 

「……危ないなおい。殺す気か」

 

 彼はジーンズやジャケット、シャツ等の衣服全てに切れ込みを刻まれながら無傷にて刃の頂点に立っていた。

 

「ッ……!」

 

 その姿を、カンナは知っていた。

 ずっと求めていた相手。

 

「駆……!」

 

「あぁ、久しぶりだな。しっかし、声かけたくらいれこんな風に攻撃するってどうなんだよ」

 

 驚愕に目を見開き、平静さを失うカンナに対し、駆は飄々とした風合いで苦笑すら浮かべている。それは流斗や澪霞に対するような態度ではない。沙姫に対するそれ、もっと言えば親しい友人へのソレだった。

 そうして絞り出すようにカンナは口を開く。

 

「……七年間、その姿で声掛けてきたりする奴らなんていくらでもいたんだぜ? 全員ぶっ殺してきたけどな」

 

「そうかい。でも、解るだろ?」

 

 似たような言葉は何度も投げかけられてきた。その度に見破って、最大限の侮辱として相応の報いを受けさせてきた。

 それでも解った。解ることができた。

 彼らの間にある繋がりは確かなものだったから。

 

「……本物かよ」

 

「あぁ」

 

「澪霞は、もうどっか行ったて」

 

「白詠の祖父さんと色々契約交わしてな。こっそり紛れ込んでるよ」

 

「だったら」

 

 そう、そうだとしたら。

 どうして今更自分の前に姿を顕したというのか。

 先ほど吉城たちを前にあった余裕なんてどこにもない。当然だ、カンナにとって心の琴線に彼らは触れず、彼はこれ以上なく触れている、鷲掴みされているのだから。否応もなく心臓は早鐘を打ち、汗が全身から噴き出ていた。流斗や澪霞のことも頭の中から消えてしまうくらいに彼女は心を乱していた。

 会えて嬉しいという歓喜。どうしているのかという疑問。それに、なんで自分はこんなに動揺しているのにお前はそんなに素面なんだという場違いな乙女染みた怒り。

 その感情を悟ったのか、駆はバツが悪そうな顔をして、

 

「……あの時(・・・)、お前らに言われたこと考えて、色々考え直したんだよ。七年前は全部振り切って、この前も拒絶したけどこの様だしな。お前が、リーシャがマリアがリーゼが葉月が、正しかったってことなんだろうさ。俺が、悪かったよ。俺の目が節穴だった。お前らは、強いさ」

 

「――」

 

 その言葉に、カンナは堪らなくなる。

 相貌に涙は溢れ、身体が震えた。

 七年間ずっと彼女が抱えていたしこり(・・・)だったから。

 涙が頬を伝い、笑みが零れ、

 

「遅いんだよ、この馬ー鹿ァ!」

 

 破顔一笑と共に手近にあった刀を投げつけていた。

 

「うぉ!?」

 

 それをかなり危ない体勢で、避け、

 

「おい馬鹿止めろ! この状況で物投げつけるな落ちたら死ぬだろ!」

 

「うっせ馬鹿! 人のこと何年も放置しておいた罰だよ!」

 

「だから悪かったって! つか、うお、まじ、止めろォ! つかとりあえず人に掛けた呪い解きやがれ! 外から魔力から取り込めないようになってるだからな!」

 

「馬ー鹿、馬ー鹿! お前はそれくらいの方が丁度いいだろうがよ!」

 

 それはずっと昔、まだ彼らがもっと若かった、それこそ流斗たちくらいの年代のこと。駆け抜けた青春の日々。もうもう戻ってこないと悟り、けれど諦めきれなかった陽だまり。

 この再開はあくまでも余興でしかない。

 飛籠遼や蚊斗谷吉城、リルナ・ツツ、そして『宿り木』に関する今夜、またこの先の一件には何の関係もない。

 それでも、今は誰も知らぬ所で、切れていたはずの心の繋がりが結ばれたのだ。

 




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余談だけれど今の流斗と澪霞の戦闘力を10前後にしたら吉城が50でリルナは40。
そしてカンナさんは100とか(


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ケア・ルーム

 

 

 

「こんなものだろう」

 

 澪霞の私室から出てきた海厳は煙管に火を付けながら流斗に告げた。

 引き戸だった彼女の部屋の前で治療が終わるのを待っていた流斗は、勢いよく飛び上がりながら、続く言葉を聞く。

 

「命の心配はいらん。だが、戦闘可能な状態になるまでは四、五日かかるの。中々の重傷だった」

 

 四、五日。

 全身に斧が突き刺さり、失血大量の状態から復帰できると思えば十分に短い。そもそも命が助かったというだけで安心するべきだ。しかし胸をなでおろすのと共に疑問が浮かぶ。

 

「先月の俺と先輩との戦ったときは、一日くらいで治ってましたけど」

 

「攻撃の質の問題よ。名前付きの随分と格上だったのだろう? なり立ての『神憑』と熟練の戦士ならば後者に軍配が上がるのが基本だ。それにまぁあの時の負傷も本来ならばもっと時間が掛かるはずだったんだがのぅ」

 

「?」

 

「かっかっか」

 

 なにやら意味がよく解らない乾いた笑いを上げられた。眉を潜めたが、面白そうに笑うだけで答えはない。そのまま視線は流斗の全身を値踏みするようになる。

 

「主もそれなりの負傷をしたんだろう? 治療はせんでもよいのか?」

 

「あ、いや俺は大丈夫です」

 

「ふむぅ?」

 

 懐疑に視線が変わるが、真実だ。確かにリルナの一撃は流斗の臓物を抉っていた。内臓どころが、腹が吹き飛んだかと思ったほど。それでも、澪霞を抱いてこの屋敷に訪れた時には全く気にならなくなっていた。彼女を運ぶのに必死になっていたから――かどうかはよく解らない。それでも単純な耐久力等は自分の特性らしいし、そういうものだと思う。

 

「というか治す系でも効果低めのようなので……」

 

「かかっ。難儀な体質じゃのうお主らは」

 

 主ら。その複数形が誰と誰、或いはそれより多くの『神憑』を指していたのかはよく解らない。

 

「まぁよい」

 

 海厳が体の向きを変え、足を踏み出した。

 

「言った通り、大人しくしているだけならば問題なかろう。見舞うならば好きにするといい。実際儂はあまり構えんし、此方側の使用人は元々数少ない上に現在出払っている。津崎のや雪城のに頼むつもりだったが、主も暇があればアレの世話をしてくれるかの」

 

「そりゃ勿論いいんですけど……いいんですか?」

 

「かかっ、構わん構わん。寧ろそうでないとの」

 

 笑い声を残し、海厳が去っていく。

 やたら意味深なのが気になる所なはずなのだが、今の流斗にそんな余裕はなかった。一度許可を取ったのがなけなしの理性とも言えただろう。

 歩み去った海厳が悪戯をしたような子供のように笑っていたのには、結局気づくことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 白詠澪霞の私室は思いのほか人間味に溢れていた。

 正直な所、流斗が想像していたのは生活臭が全くせず、私物など一つもないような無機質極まりない部屋だった。勿論彼女が実のところ人一倍感情に塗れているということは恐らくこの世の誰よりも荒谷流斗こそが知っているわけだが、そのあたり自覚が足りなかった。というよりも単純に考えが届かなかったのだろう。

 

「先輩ッ……ぃ?」

 

 そのせいで変な声が出たのだが、それでもしかしこの部屋を見れば白詠澪霞を知るようなものならば似たような声を出しただろう。別に部屋全体がピンク塗れだとか人形に溢れているとか、そんな漫画染みたようなことはなく、寧ろ普通だった。

 広さこそ屋敷の大きさに応じてかなり広い。けれど畳の上にカーペットを引いて洋室風にし、その上から家具やベッドを置くというのは珍しいことでもないだろう。学習机や小さなテレビ、服が入っている箪笥とクローゼット。それに少し大きい本棚に多種多様の本が収められ、箪笥の上には色々な賞のトロフィーや盾が誇り一つなく置いてあった。また机の横の床には幾つかの楽器ケースもあった。考えれば偶に楽器ケースに武器を仕込んでいるのを見たが、外側があれば中身があってもおかしくない。彼女のことだから問題なく演奏できるはずだし、多分章のいくつかは音楽関係かもしれない。

 

「……何」

 

 そんな部屋で澪霞はベッドの上で横たわっていた。

 身体は布団に隠れているが、頭部に包帯が巻かれ、頬にはガーゼが張られている。そのせいか、顔色はかなり悪く見える。普段から真っ白な肌が青白い。

 見るからに重傷人だ。

 

「大丈夫、ですか?」

 

「問題、ない……ッ」

 

「いやいやじっとしててくださいよ」

 

 起き上がろうとしたが、流石に止める。顔には出なくとも大分辛そうな気配もあったのだから。澪霞も無理はせずに身体をベッドに沈めた所疲弊が大きいのだろう。

 しかしそれでも不満気な気配を纏わせている辺り負けず嫌い極まっている。

 勿論これは相手が流斗だからということも大きいのだが。

 

「君は、大丈夫なの?」

 

 問いかけに、一瞬だけ声を引きつらせたが、澪霞は気づくことはなかった。

 

「……はい。まぁ、俺の方はなんとも」

 

「そう」

 

 一度嘆息し、

 

「……今回は相手が悪かった」

 

 目を伏せたままに呟いた。

 体から気力を失ったままに、

 

「名前持ちが二人……今の私たちには荷が重すぎた。以前の妖魔やそれ以外に出現したのとは比較にならない。多分、どちらか一人でも勝てなかったと思う」

 

「そんなに、ですか」

 

 向こう側から見れば、今の自分たちの力だって漫画染みて常識離れしている。それにも関わらず、隔絶された実力の差があるという。それはつまり駆や海厳並の実力者ということになるということか。

 

「それは、流石に違う。本来の津崎駆やお爺様は私たちより数段上の彼らよりも、もうさらに数段上。あの二人がそのクラスの実力者ならそもそも時間稼ぎもできなかった……最も、カンナさんが来てくれなければ同じ結果だっただろうけど」

 

「あの人あんなに強かったんすね」

 

 流斗と澪霞をほぼ瞬殺した吉城とリルナ。しかしその彼らをもまた完封したのが長光カンナ。

 鋼で彩られた刃の華。

 イロハニホヘトの等級の中で最上位であるイ級と名乗ったいた彼女があそこまでの力を持っているとは思わなかった

 

「あまり彼女は戦うのは好きじゃないから。普段から戦士として活動することは滅多にない。あぁ、それに言ってなかったけれど二か月少し前――津崎駆を追い詰めた五人の一人だから」

 

「……え?」

 

 つまりはそれは街一つだかを三日三晩かけて吹き飛ばしたということで。

 

「マジかよ……」

 

「マジ」

 

 驚くべきことだが、だったら初めて会った時にカンナが駆に対して執着を見せていたのも納得できる。それにあの強さを見せつけられては疑うことだってできやしない。

 というかこのノリがいつものことになりつつあるなぁと思いつつ、

 

「そいでそのカンナさんのおかげで難を逃れたわけっすけど」

 

「当然、彼らはまた来る」

 

「っすよね」

 

「それに、カンナさんの助力ももう期待できないはず。あの人も、私たちが殺されかけたから介入してくれただろうけど――」

 

「自分の喧嘩は自分で蹴りを付けろ、みたいなこと言いそうっすよね。実際似たようなこと言ってたし」

 

 流斗へと繋がれた言葉に澪霞は小さく頷いた。

 今後長光カンナの助力を期待はできない。そもそも彼女がこの街を訪れたのは単なる偶然だし、彼女自身ももう介入しないと明言している。或は、流斗や澪霞が頭を下げれば力を貸してくれるかもしれない。

 だとしても、相手が強いからなんて理由で逃げ出せるほど荒谷流斗と白詠澪霞は賢くないのだ。

 

「――心が折れてないようでなによりだ」

 

 唐突に襖が開いた。その姿に流斗は目が点になって、澪霞も微かに目を見開く。

 碌な断りもなしに、ずかずかと足を踏み込んできたのは津崎駆だった。

 だったが、問題は、

 

「どうしたんだよその服……」

 

 一体何をしたらそうなるのか不思議になるくらいに全身ズタボロになった衣服。

 アバンギャルドすぎる。

 そのくせ身体そのものに傷は一切なかった。

 

「気にするな、お前らにはあまり関係ないしな。なにはともあれ、一部始終見てたが派手にやられたな。気分はどうだ? ん? 悔しいか? お嬢なんかは三日は戦線離脱だしなぁおい」

 

「煽ってんのか」

 

「あぁそうだ。煽ってるんだからちゃんと反応しろ」

 

「っ……あぁ、悔しいね。次は負けねぇよ」

 

「当然」

 

 流斗は噛みしめるように言葉を吐き出し、小さく、しかし確かな決意を持って澪霞もまた頷く。

 そんな二人に駆は満足げな笑みを浮かべ、

 

「あぁ、ならいい。これで腐抜けられたらどうかと思っていた所だ」

 

「だったらどうしてたんだよ」

 

「立ち直るまで煽り続けるまでだ。……って、そう睨むなよ。お前も、お嬢も、下手に慰めるよりは焚き付けた方がいいからだ。お前らを馬鹿にしてるつもりはない」

 

 苦笑し、

 

「なにはともあれ、お嬢はもう寝ろ。気力も限界だろうしな。奴との話は、流斗が付けるしかない」

 

「解ってる」

 

 澪霞がこんな状況なのだ。

 まさか敵か味方かも今だ判明しない飛籠遼をこの部屋に呼ぶわけにもいかない。必然、彼との接触は流斗が行うことになる。まぁ人と話をするのは苦手ではない。

 

「あぁいいさ。巻き込まれた以上はちゃんと話して貰う。アイツも間違いなくなにか抱えてるしな」

 

 思い返されるのは、数時間前。微かに漏らした仕方なさそうな微笑。

 多分アレが飛籠遼の何か(・・)だ。核心には遥か遠く、それは所詮氷山の一端でかしかないし、今の流斗には何の事情も分からないけれど。

 あの時浮かべていた遼の感情は真実だと思う。

 

「ならまぁ行くぞ、善は急げだ」

 

「って今からかよ!」

 

「あぁそうだ。というか、飛籠もお前らの戦い観戦してたしな」

 

「……先輩気づいてました?」

 

 返答は小さな首の横振り。勿論流斗も知らない。

 

「修行が足りんなぁ……アイツまだ寝てないだろ。寝てたら叩き起こせ。どうせもうすぐ夜が明けるから一緒だ一緒。一日二日は傭兵共も期間開けるとしても対策は速いうちにしていた方がいいだろう?」

 

「正論なんだけどなんか釈然としねぇ……んじゃ、行ってきますよ先輩」

 

「……気を付けて」

 

「うっす、先輩も無理しないでください」

 

「ん」

 

「ほら行って来い。一応、俺も治癒系の術式重ね掛けしておく。俺も状態が状態だし、爺さんのに問題はないだろうが、ないよりましだろうからな」

 

「解った」

 

 そうして流斗が部屋を出る。

 その姿を見送った駆が澪霞に視線を戻せば、

 

「……っ……ぅ」

 

 微かに呻きながら既に意識を失っていた。

 流斗が部屋を出たのと全く同時だったのだろう。

 ここまで負けず嫌いだと呆れを通り越した笑いもさらに通り越して、また呆れ果てるしかない。

 

「……やれやれ」

 

 掌の中に治癒系術式を展開し、澪霞の身体に掲げる。

 

「お嬢は動けない。お前が頑張るしかねぇよなぁ、こっち側に関わって初めてがこれというのはマゾゲーレベルだけど、まぁ男見せてやれよ」

 

 

 

 

 

 

 




なんとか週一くらいで更新できるかもです。
詳しくは活動報告にて


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ビー・フレンド

 

 日本は良い国だな、とリルナはこの国の夜景を眺める度に思う。

 夜の中で輝く電気の灯は即ちそのまま人々の営みの証であるのだから。勿論不夜の街というだけならば世界中の色々な所にあるけれど、重ねて安全であるということに関してはこの国がリルナの知る限りは最も良い国だった。

 リルナ・ツツは中東の紛争地域出身だった。

 別に珍しくもないよくある話だ。宗教だか何だかよく解らないけれど小難しそうな理由で国が一年中内乱をしていたのだ。両親なんかはリルナが物心ついた辺りには死んでいて、幼い彼女は当時住んでいた地域の自警団の様な――或は盗賊集団――で育って、生きて、殺されかけたり、殺したりしていたが、結局頭の悪い向こう側の馬鹿が此方側にも被害を出してリルナ以外は全滅。また別の人間に拾われて、そこから向こう側は此方側になって、よく解らないものと一緒に育って、生きて、殺されかけたり、殺したりしてきた。それから結局師とか親代わりの人間も死んで、そこそこ強くなってから『宿り木』に所属していた。

 やっぱりよくあるくそったれの話。

 まぁリルナの生い立ちなんでどうでもよくて、そんなしょうもない人生を送ってきたからこそリルナはこの国が好きなのだ。

 命の価値が――重い。

 かつての世界大戦から不戦の為に闘争から離れているからこそ、争いに極めて敏感なのだ。誰かが死んだ殺されただけで大事だし、ちょっとの喧嘩だって騒ぎになる。

 平和ボケ、と蔑む者もいるのだろう。実際、危機に対する瞬間的な処理能力は平均的に低い。

 それでも――命がパン一枚よりも軽いよりもよっぽどマシだ。

 人を殺すのが仕事のリルナに言えたことではないだろうけれど。

 

「リルナ」

 

 背後からの聞きなれた声に振り向く。

 リルナがいたのは街の中心部にある高層ビルの一つ、その上層部だった。どこかの会社のオフィスで改装中だったらしく、ほぼ空っぽで潜入しやすかった。警備員やカメラは魔術で適当に誤魔化しているので、一時的なアジトとしては悪くない。

 振り返った先にはやはり見慣れた姿の吉城がいた。投斧を大量に仕込んであるローブはなく軽装で、手にはお握り数個とジュースが入ったビニール袋が。

 

「おう、お帰り」

 

「ただいま、はいこれ」

 

「さんきゅ」

 

 学校への襲撃からはそれほど時間は経っていなかった。日付が変わった程度だ。幾らか負傷を受けたが大したことのないものだったし、直接勝負すれば勝ち目がゼロだった長光カンナとの戦闘も避けられた。疲労に関しては微々たるもので、軽い運動の後の腹ごしらえ程度の休息である。

 包装をやや乱雑にはぎ取りながらリルナは吉城に話しかける。

 

「んで、これからどーすんだ?」

 

「予定に変更はないよ。腹ごしらえが済んだら、彼の下に行こう。あまりだらだらするのもまずいしね」

 

「ふぅん、でもお前今日はもう引くみたいなこと言ってただろ?」

 

「言ったね。言ったし、実際引いた。そして――もう日付は変わったから行っても問題ないね?」

 

「うわ屁理屈ー」

 

 呆れた言葉とは裏腹に顔に浮かぶのは笑みだ。

 ケケッと笑って、

 

「うちの大将が言いそうだ」

 

「あの人真似てみたからね。最も我らがリーダーならば僕らが思いもつかない性格の悪い策を持ち出しそうだけれど」

 

「違いない」

 

 二人そろって苦笑し、

 

「んじゃどうするよ」

 

 お握りを乱雑に食べながら再度問う。先ほどの様な方針や予定ではなく、より具体的なことを。

 

「こっちはあたしとお前。まぁいつも通り。んであっちはアイツにさっきの『神憑』。白詠のお嬢は戦闘不能だろうし、『一騎刀閃』は勘定入れたら割に合わないから一先ず省くとしてだ」

 

 どっちがどっちをやるか。

 つまるところ彼ら彼女らの相談なんてそんなものだ。

 傭兵、それも戦闘行為専門。

 誰を壊して、誰を殺して――誰を終わらせるか。

 

「地味に困った話だね」

 

「だな」

 

 基本的にリルナと吉城の総合的な戦闘力は然程差はない。吉城の方が少しだけ上な程度だが、得手不得手や得意不得意は勿論存在するのであまり変わらないだろうというのが二人の認識だった。 

 だからどちらがどちらをやってもあまり変わりがない。

 ただ面倒なのは、

 

「新しい方の『神憑』の少年。どうしようね」

 

「さっき落とせてたら楽だったんだけどな」

 

 荒谷流斗。

 先ほど落とし損ねた方の『神憑』。リルナが少し交戦した感じ、動きは素人に毛が生えたくらいで技量自体は相手にならない。

 それでも――『神憑』であるという一点がどうしようもなく無視できない。

 此方側において彼らへの印象は人それぞれだろうが、リルナは嫌いだ。

 嫌いというか、関わりたくない。

 関わったら、碌なことがないのだから。

 かつて一人と関わったどころかたまたますれ違った程度で思い出したくもない目にあったのだから直接戦闘だって本当なら願い下げだ。

 仕事だから仕方ないけれど。

 仕方ないから敵であることを想定し、計算しなければならないのだが、

 

「計算なんて意味がねぇ」

 

 そもそも『神憑』という存在に対しセオリーや戦力計算なんてものは意味がない。すればするだけ無駄。

 価値観や善悪の基準が自己の中で完結しきっている。

 敵か味方か、判断できない。

 ふとした勢いで敵になるかもしれないし、ふとした勢いで味方になるかもしれない。

 だから、リルナは彼らが嫌いなのだ。

 素直に気持ち悪い。

 

「でも、ま。アタシが相手するかね」

 

「その心は?」

 

「特にねぇ。強いて言うなら完全物理タイプぽかった、同じタイプのアタシの方がまともに戦うなりあしらうなりしやすいだろ。ま、これもオシゴトだ。仕方ねえ」

 

「別に、二対二に持ち込んでもいいんだけど」

 

「それこそ冗談じゃねぇ。『神憑』を気にしながらあの野郎と戦えるか?」

 

「確かに。……解った、君がいいならそれでいこう」

 

「おうよ。って、場所は?」

 

「さっき買い出しに行った時に彼の住居に果たし状を出してきた。いざ尋常になんとやらって奴。この場所も書いていたからそのうち来ると思うよ」

 

「相変わらず卒がねぇな」

 

 リルナは素直に感心し、

 

「それはどうも」

 

 吉城は気にした様子もなく受け流す。

 それで話し合うことは終わりだ。

 あまり作戦会議というには杜撰であるが、そもそも戦術は考えても、戦略を考える二人ではない。リルナは学というのは無縁の人生を送って来てたし、吉城も人並みではあるがその程度。基本的に戦略の類を考えるのはちゃんと『宿り木』に別枠でいることだし。

 というわけで、

 

「オシゴトの時間だぜ。楽しい楽しい殺し合いだ。相手は裏切り者にくそったれ神頼み。こっちは人殺しのろくでなし。いやはや最高に最低だぜ」

 

 皮肉気にリルナは笑う。

 笑わないと、やってられないから。

 口端つり上げ、皮肉を飛ばしてなければ、あんな様と戦うことなんてできない。

 

 

 

 

 

 

 ――信じることは何よりもの禁忌だった。

 

 信じてはならない。

 裏切るから。

 愛してはならない。

 裏切るから。

 頼ってはいけない。

 裏切るから。

 森羅万象は背反から発生し、森羅万象は背反に帰結する。

 他人との間結ばれるものは裏切りを前提としているが故に、そこに真実と呼べるものなど築けるはずもなかった。言うまでもなく全ては色あせている。誰もが、何もが、彼が裏切りの徒であることを知っているのだから、向こうから距離を縮めることなんてするはずもないし、彼もまた己の持つ理を知っているから同じことだ。

 この世は総じて虚構である。

 それが彼が得た世界への価値だった。

 それでいいとやがて悟り、或いは諦めたのだ。

 そんなものが、この世界だと。

 そして――そんな下種の価値観を彼女(・・)は砕いてくれた。

 

 結局その彼女も裏切ったのだけれど。

 

「……くくっ」

 

 喉が引きつるような、嘲るような笑みを遼は漏らした。

 向けられていたのは果たしてかつての自分か記憶の中の彼女(・・)か。

 多分どっちもだ。

 そんな笑みを引き出したのは記憶の回帰だけではなくて、

 

「よう、さっき振りだな」

 

「えぇ、さっき振りです」

 

 現れたクラスメイト、羨ましいくらいに己に正直である少年のせいでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんだかなぁ」

 

「? どうかしました?」

 

「……」

 

 わりかし意気込んで来たというのに飛籠遼は驚くほどに自然体で流斗を出迎えていた。自然体というか、アパートの二階部への階段に座り込んでいた。

 遊びに来るであろう友達を待っていたくらい。

 それでも、脇に置かれた長物の違和感は拭えない。

 なんと口を開こうか迷った流斗だったが、先に隣にいたカンナが口火を切った。

 

「あたし等は先週振り。早速やらかしてるみてぇだな」

 

「えぇそうですね。最もこうなるのを望んで日本に来たから望む所なんですけど」

 

「そのせいであたしの友達が殺されかけたんだぜ? ちゃんとお前の揉め事ならお前が引き受けろよ」

 

「返す言葉もないです」

 

「あー、おい、お前らさ俺もお話に混ぜてくれよ。置いてけぼりは辛いぜ」

 

「勿論、聞きたいことがあればお好きにどうぞ。僕で答えられることだったらいくらでも」

 

 やりにくい。

 本当に。

 ここまで明け透けだと逆に何を聞くか困る。

 いやまぁ聞くことなんて一つしかないのだが。

 

「なんであの幼女とインディアンは先輩に喧嘩売ってたんだよ」

 

 ちなみにインディアンというのは投げ斧を使っていたという流斗の偏見である。

 それはスルーされて、

 

「僕のせいでしょう」

 

「じゃあ俺はお前をぶん殴ればいいのか?」

 

「そう望むのなら仕方ないですね」

 

「いやいやお前らどういう会話してんだ」

 

 いやだって遼の方から自分のせいとか言ってるのだから。

 それが真実だとしたら落とし前は払ってもらわなければならない。

 

「遼、おめーちゃんと話せよ。この馬鹿言われたこと鵜呑みしてエクストリームな答えしか出さねーだろうが」

 

「……やはりそうですよねぇ」

 

「アンタらその人を面倒臭い奴みたいな扱いやめてくんね?」

 

 これでもかなり解りやすいつもりなのに。

 

「解り易過ぎるのが問題なんだよ単純脳筋馬鹿が」

 

「くっそこの人もセメントかよ」

 

「僕の話は」

 

 区切るように、遼は言う。

 

「僕の話は、あまり聞いてて気持ちの良いものじゃないですよ?」

 

「知るかそんなもん」

 

 気持ちの良い悪いなんかどうでもいい。

 そんなことを言ったらこちとら感情振りきれてる(・・・・・・・・)のだから(・・・・)

 後はどこに拳を向け、走り出すか。

 

「俺の感情は俺が決めるんだぜ。お前が自分をどう思ってるかとか興味ないんだよ。さっさと話せ、んでお前が悪かったら俺はお前をぶん殴ってからあの連中もぶん殴る。お前が悪くなかったら連中をぶん殴る」

 

「……君の実力では難しいですよ?」

 

「んじゃ手伝えや」

 

「くくっ」

  

 遼が笑う。

 引きつったようでも、嘲るようでもない。

 笑っているけれど、怒っているような、疲れているような、楽しんでいるような、それら全部を混ぜてしまったような、そんな顔。

 数時間前にも見た仕方なさそうな苦笑だ。

 

「僕、君のことが好きになれそうです」

 

「そりゃどうも。なら、お前の話を聞かせてくれ。それでお前が悪くなくて、俺もお前を好きになれたら――一緒に喧嘩しに行こう」

 

 

 

 




大分飽きましたが申し訳ない。
あと一か月くらい不定期ですが、感想評価お願いします。


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バックラッシュ・クエスト

 結果的に言えば荒谷流斗は飛籠遼に結構好感が持てた。

 何やら随分と面倒な生い立ちや人間関係だったようだが、別に遼は悪くなかったし、寧ろ流斗としては話に出てきた周囲の人間のほうにムカついた。ついでに言えばその周囲の人間にあの傭兵たちも含まれているぽかったが、やることは変わらない。

 殴る理由が少し増えただけだ。

 というわけで一緒に喧嘩しようということになったが、

 

「え、すぐ行くの? 今夜引くとか言ってなかった?」

 

「もう日付変わりましたし、夜明け前くらいに来いって果たし状が」

 

「果たし状って」

 

 都市部のビルの住所が書かれた紙を手にしてプラプラ(・・・・)振っていたので、すぐに行くことになってしまった。まあ遅いか速いかの違いなので一緒だ。先ほど一戦やらかして、手痛い目にあったわけだが身体へのダメージは問題ない。便利な体に感謝するべきか迷う所だ。

 多分便利は便利だが、良い物ではない。

 

「んじゃ行くか」

 

「えぇ行きましょう」

 

「おーう行って来い」

 

 完全に手を出す気がなく不自然に機嫌のよかったカンナに見送られながら男二人は肩を並べながら呼び出された場所へと歩き始めた。しかし記されていた場所は流斗も知っていた場所だったが、ごく普通のオフィスビルだったと記憶していた。

 そんなところでとんでもバトルするのもなぁと思ったが、たどり着いてすぐにそんな考えが吹き飛んだ。

 

「これ、結界って奴か?」

 

 見た目は普段と変わらない。それでも視た感じが全く違う。そこにあるのがおかしいというか、違和感があるというか。そんな感覚がビル全体に包まれていた。流斗にも覚えがあった。つい数時間前学校にあったのと同じである。

 人避けの結界だと、思う。

 実際周囲に人の気配はない。

 二人はビルの正面に並んで、

 

「そうですね。ちなみに彼らがどこにいるか解ります?」

 

「ん、んー?」

 

 遼に言われ、首を捻り数秒考えるが、

 

「解らんな」

 

 ビル全体に違和感はあるが、言ってしまえばそれだけだ。あの二人の傭兵がどこにいるのかなんて見当もつかない。

 

「大分露骨に気配出してるんですけどね、一階と屋上に。さっき飛び出してすぐ蹴り入れてましたがあれはどうやって判断したんです?」

 

「そりゃ飛び出したらすぐ先輩が幼女とバトルしてたから蹴り入れたんだよ」

 

「恐るべし脳筋ですね」

 

「いい笑顔でいうなよ」

 

 否定しにくいから余計困る。髪を軽くくしゃくしゃとかいて、居心地の悪さを誤魔化すが当然ながら上手くいかない。しかし気配察知とか基本そうなスキルも駄目とはまた悲しい。単に経験不足ならばいいのだが、自分の特性のせいでそのあたりも潰れていたら悲惨すぎる。

 まぁ今考える必要はない。

 

「んじゃどう行くんだ? 罠とかありそう?」

 

「あの二人なら五分五分ですかね、先ほど伝えた彼らの戦闘スタイルは忘れてませんね?」

 

「そこまで馬鹿じゃねぇ」

 

「結構。では正面から行きましょう。仮にも尋常な果し合いなのですから」

 

「了解」

 

 特に考えずに追従する。

 どう考えても此方側の入門者である流斗よりも色々場馴れしているらしい遼に任せておいた方がいいという判断だ。

 だから躊躇わずに足を踏み入れた。

 その先にある戦場に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「一緒に来たのかお前ら。まさかとは思ったけどな」

 

 ビルの中に足を踏み入れて二人を待ちかまえていたのは数時間前に流斗が飛び出したら澪霞とバトルしいてたから蹴りを入れ幼女ことリルナ・ツツだった。先ほどのような全身を覆うローブはなく、水色のワンピース姿。そしてやはり両手には無骨な旋根が。

 

「予測してたからこうして二手に分かれて待ち構ていたのでは?」

 

「別々だったらそれはそれでいい。アタシとお前が戦って、アタシが勝ったらそれでよし、負けても吉城が消耗させたお前に止めを刺す。どっちに転んでも損はねぇ」

 

「なるほど。ではこの場合どうするんで?」

 

「行けよ、裏切り者」

 

 リルナは背後の階段を指す。

 罵りながらの言葉だったが、しかしリルナ自身は特に感情を滲ませることはない。

 寧ろ、嫌悪の視線を向けられているのは流斗の方だ。

 

「……大丈夫ですか?」

 

「あぁ、どうせ最初からそのつもりだったしな」

 

「さっさと行けって。吉城が待ってる、お前のご主人様(・・・・・・・)の話も聞けるぜ?」

 

 微かに考えかけた遼だったが流斗の言葉を聞き、そしてそれ以上にリルナの単語により迷いは消えた。あとはもうどちらにも意識を向けることなく、一目散に階段を駆け上がっていた。

 冷たいとは思わない。

 寧ろその方が流斗にとっては好印象だ。

 何はともあれ、

 

「俺の相手はアンタがしてくれるのか」

 

「あぁそうだよ」

 

 向かい合う。

 彼我の距離は十歩分くらい開いてるが、リルナならそれこそ一瞬、流斗でも二、三瞬あれば十分な距離。

 それでも即座に戦闘になることはなく、

 

「おい、お前あいつが何なのか解ってるのか?」

 

 リルナの問いかけから始まった。

 予想外だったので内心驚きつつも応える。

 

「さっき聞いたけど?」

 

「なのにあいつの味方するのか?」

 

「するな」

 

「馬鹿かてめぇ」

 

 吐き捨てるように罵倒された。

 ありったけの不快感を内包させたそれは見た目には不釣り合いなほどに感情が込められている。

 

「……最近俺の周囲がセメントなのは最早諦めの境地だけど会ったばかりの幼女にそこまで罵倒されるのは納得いかないし、ここで喜ぶような趣味もないんだけど」

 

「なんであいつの味方なんてできるんだ?」

 

「なんでって言われてもなぁ」

 

 彼女の問いかけに理解が追い付かず、答えに戸惑う。

 どうしてと言われても、困る。

 そんな様子にリルナは露骨に舌打ちをした。

 

「あの野郎は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――呂布奉先、今は飛籠遼と名乗っていたんだっけ」

 

 屋上にたどり着くのと同時に蚊斗谷吉城が発した、真名とも呼べる名を遼は受け止めた。

 ――承継者と呼ばれる存在がいる。

 血脈の系譜の中に英雄や英霊と称される者を含む一族の中でも、その英雄や勇者たちに近い力を持った子孫のことをそう称される。『神憑』ほどの希少ではないが、それなりに珍しい。そもそも先祖に近い能力を発揮するのは数世代、場合によっては十数世代以上離れることもあるし、血を受け継いだ子孫の全員が全員此方側にいるわけでもない。

 もっとも、オリジナルに近い能力を発揮するということはそのまま伝説や神話、英雄譚に近い領域に存在するということ故に此方側の存在感というのは小さくない。

 飛籠遼もまた、承継者だった。

 それも、三国志における最強の武将、呂布奉先の子孫である。

 その名前くらいは大体誰でも知っているだろう。少なくとも日本では三国志について詳しくなくても呂布の名前は知っているし、中国に於いては神格化さえされている。

 

「飛籠の飛は飛将の将、遼は呂布の呂の変形と戦友の張遼から取ったのかな? 籠の字だけはどうにも解らなかったな。どういう意味が?」

 

「別に、語感ですよ。意味はありません」

 

 嘘だ。

 盛大な自虐と少しばかりの皮肉を込めて付けた名前。

 

「まぁ僕も三国志とかあまり詳しい口でもないからなんとも言えないけれど、これくらいは知ってる。一番強くて――一番酷い裏切り者」

 

「……否定はしませんよ」

 

 そう、呂布に対するイメージなんてそんなものだ。

 一人は義父であり、主であった董卓を。

 さらにその後仕えた主であった曹操を。

 彼ら二人を千七百年前の呂布は裏切った。董卓を殺し、曹操に殺された。

 彼についての人格や行いに付いては諸説あるにしてもそれだけは事実だ。

 そしてそれによる裏切り者というイメージ。

 身に染みて、遼はそれを知っている。

 周囲の人間が、自分の血をどう思っているかを。

 否定をしないのではなく――できないのだ。

 

「実際、これまで関わってきた人たちは大体そういう風に僕のことを見ていましたし」

 

 ――信じることは何よりもの禁忌だった。

 信じてはならない。

 裏切るから。

 愛してはならない。

 裏切るから。

 頼ってはいけない。

 裏切るから。

 誰もがそう思って、自分を頼ることなく、愛することなく、頼ることはなかった。

 飛籠遼が関わってきた他人というのは極々僅かな例外を除いて、そういうものだったのだ。それは多分、遼の前の先祖がかなり前の世代にまで遡らねば承継者がいなかったのもあるし、その承継者もまた当時の主を裏切ったこともあったからだろう。

 別にそれを恨むつもりもない。

 他人から見れば自分は裏切り者の看板を盛大に掲げながら生きているような人間だ。寧ろ距離を縮めようとする方がどうかしている。

 ――どうかしてる人もほんの僅かだけいたけれど。

 

「――彼女(・・)からの伝言だよ」

 

 そんなどうかしてる一人目。

 まさしく遼の人生を変えた彼女。

 今はもういない、籠から飛び立つ鳥のように遼の下から去っていた飛籠遼だけの主(・・・・・・・)

 

「『まず二人』、らしいね」

 

「――くくっ」

 

 喉から笑みが漏れた。

 流斗に見せた仕方なさそうな苦笑。

 心から漏れた笑みであり、

 

「く、はははははははははは!」

 

 哄笑に変わる。好青年めいた彼がげらげら(・・・・)と下品なくらいに。

 人の気配のない結界の中に遼の哄笑が木霊していく。腹の中の空気を全て吐きだすくらいに笑い、

 

「――あぁ、ならば退いてもらいましょう」

 

 一転し、好戦的に笑う。

 口端を吊り上げ、手にしていた長物を指運で回し切先を吉城へと向ける。

 それを流斗は槍だと誤解したが、それは槍のようで槍ではない。

 朱塗りの長い柄と大振りの刃。刃と柄の接続部あたりに内側の曲線状の刃がもう一つ。

 戟、ただの戟では無く奉天画戟と呼ばれる正真正銘の聖遺物。遼先祖である、初代が実際に振るったものだ。

 同時に遼の全身から立ち上る深紅のオーラ。

 その身を常人の領域を超えるまでの鍛え上げた証であり、遼が発するソレはまさしく達人のそれだった。

 

「やれやれ……馬に蹴られるのは御免なんだけどな」

 

 言いながら吉城もまた投斧を両手で握る。

 傭兵として依頼された以上はやるべきことはやらなくてはならない。

 例えそれが、同僚の喧嘩のとばっちりだとしても。

 

 

 

 

 

 

 

「解るか? あたしらが来たのは、遼とその昔の女との喧嘩のしわ寄せだぜ? お前らはつまり巻き込まれたわけだ。なのになんで味方するんだよ、おまけにお前が今味方してるのは裏切り者の代名詞でもあるんだよ」

 

 今回の一件はそれが原因だった。

 飛籠遼と彼との因縁を持ち、中国から『宿り木』へと移った彼女が吉城とリルナへ依頼したのだ。

 彼女たち二人を、遼への当て馬にして。

 別にそれ自体は珍しいことではない。傭兵なんてそんなものだ。

 誰かの殺意、誰かの憎悪、誰かの意思。そういうものが傭兵を動かすのだから。彼らはただ依頼主に従って黙って動くだけ。

 だから動いた。

 でも、思う所くらいはあるのだ。

 物言わぬとしても物思うくらいはある。

 そういうことに関しては、今回はあまりいい気分ではない。いや、傭兵業としてはわりかしマシだったが『神憑』が絡むから最悪極まっている。

 

「なぁおい、そのあたり、お前はどう思ってるんだ」

 

どうでもいい(・・・・・・)

 

 即答、だった。

 そして心の底からの答えだった。

 

「――」

 

 リルナの話や、先ほど聞いた遼の話考えて、その上でどうでもいいと斬って棄てる。

 

「別に遼の事情に思う所がないわけでもねぇよ。アイツのご先祖様が大層な裏切り者で、今回の喧嘩が遼とどっかの誰かのとばっちりっていうのは気分が悪い。あぁ、それに関しちゃ俺だって思う所はあるぜ。――でもよぉ」

 

 そういった理由は、

 

「俺がお前らと喧嘩しない理由にはならない」

 

 だって。

 

「お前ら先輩傷つけた。俺がお前ら殴り飛ばす理由なんてそれだけで十分だ」

 

 そう、それがこの遼たちのとばっちりに流斗が関わろうとする理由だ。

 白詠澪霞をリルナ・ツツと蚊斗谷吉城は傷つけ、殺しかけた。直接的な傷を与えた分が多いのは吉城の分だがそっちは遼に譲ったからしょうがない。

 

「人の憧れを穢したんだぜ、落とし前付けるなんて当たり前だろ」

 

 だから、荒谷流斗は拳を握る。

 拳を握って、前に出て。

 その怒りを叩き付けなければ気が済まないのだ。

 少なくとも、今の流斗は怒っている。かつて澪霞と激突した時ほどではないにしろ、激怒と言ってもそん色ないくらいには激情が体を支配していた。

 先ほど何もできなかった自分に対しても。

 だから今度こそ無様な姿は晒さないという自己への誓い。

 その感情が知らず内に、『神憑』の発動前だというにも関わらず流斗の存在強度を高めていく。

 

「我は羽々斬る叢雲の颶風――」

 

 唱えられた祝詞は激情と宣誓を以て完遂される。

 

「――荒べ、素戔嗚」

 

 空間に人間大の異物が発生する。魔力が凄いとか、気迫が尋常ではないとか、闘気が溢れだしているなんてものではない。

 ただ単に、なんだかよく解らない何かがそこにある。それが人の形をして、人の言葉を発している。文字通りただの暴風だ。自分の思うが儘に周囲に暴力をまき散らす。人の価値観なんて関係ない。

 それがリルナには堪らなく気持ちが悪い。

 流斗の『素戔嗚』の発動を邪魔しなかった理由もそれだけ。

 こんなものが生まれる瞬間に関わるより、少しくらい手間取っても発生したのをぶちのめすほうがマシだろうと思っただけ。

 そしてそれは不可能ではない。

 流斗が暴風だとしても、リルナもまた鋼の竜巻の名を担っているのだから。現実として実力の秤はリルナに大きく傾いている。

 それでも、侮るなんてできない。

 実力差を、人がこれまで積み上げてきたものを、何もかも台無しにするのが『神憑』というものなのだから。

 

「だから、あたしは『神憑(お前ら)』が大っ嫌いだ」

 

「てめぇなんて知るかくそったれ」

 

  暴風と竜巻が、激突する。




周囲の人間から村八分され続けてきたのに性格に歪みない遼が聖人すぎる。
ぐう聖呂布(
しかしなんで地の文こんなに主人公に対してヘイト高いんだろう(

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サイ・ウィズ・ツイスト

 前に出る。 

 それは常人の目には決して捉えることのできない速度だ。。

 

「――すぅ」

 

 一口に高速移動術と言っても様々な種類がある。

 例えば荒谷流斗は強化された肉体の強度任せに身体を無理矢理前に押し出しているし、澪霞は身体強化や運動神経加速、重力軽減、気流操作による行動補助、血流操作による心肺機能強化等、可能な限りの術式を組み上げて同時に発動していた。

 そして飛籠遼。

 彼の場合は闘気による肉体強化、さらに足裏で爆発させて推進力にし、さらには熟練の体捌き。この三つ自体は武芸者ならばそれほど珍しい要素ではない。リルナや吉城もまた魔力で同じようなことをしている。

 けれど遼の場合、もう一つ。

 

「――赤兎招来」

 

 闘気と同じ深紅の色の揺らめきが両足に宿る。全身から漂う闘気よりもさらにはっきりし、まるで炎の様。 

 駆ける。

 

「……!」

 

 足元のコンクリートが弾け、吉城の反応を大きく上回り彼の懐へと潜り込んでいた。一瞬すらない高速機動。ただ速いだけではなく、相手に気付かせない技術すらも織り込まれた歩法であった。

 戟を振りぬく。

 吉城の懐に達した時には既に叩き込まれる直前だったそれは、当然の如くに叩き込まれ、

 

「ッ!」

 

 ぎぃん!(・・・・)という金属音と共に投斧に弾かれる。

 

「速いし、巧いし、凄いね君は。僕では到底まともに反応できない」

 

 別に吉城の体術の技量が低いわけではない。そもそも投斧という武器は極めて万能だ。投げてよし、叩き付けてよし。そのような武器の使い手であるために吉城の近接技能は並ではない。ただ単に遼のそれが尋常ではないというだけ。 

 故に吉城は遼との白兵戦に勝ち目はないが――ならば別のことをするだけ。

 元より一つのことで戦うような性質でもないのだ。

 遼の一撃を弾いたのは両手に握られた投斧ではない。

 いつの間にか、彼の周囲に浮かんでいた十数の投斧である。

 

PSI(サイ)、ですか」

 

「そう、PSI、正確にはサイコキネシスだ……なんて勿体付けて告げるほど珍しいものでもないけれどね」

 

 PSI。

 吉城の言う通りそれほど真新しい概念でもない。向こう側の世界でも偶に口にされる超能力という呼ばれるものだ。所謂千里眼や未来予知、透視のESPと念動力のサイコキネシス。それらを総称してPSIと呼ばれている。基本的に此方側の力はなんだかよく解らないものを便宜上定義して使っているが、その中でもPSIは比較的原理が解明されている。

 故に此方側では決して珍しいものではなく、特に驚くものではない。

 驚くものではないが――目を見張るものではある。

 吉城の周囲を取り囲むように浮遊する投げ斧十数本。それらはただ浮かべているだけではなく、完全に吉城の制御下であり、場合によっては彼の認識をも超える動きをもする。先ほどの一撃を受けたのがその証拠。思い返せば澪霞に重症を負わせたのもこれだろう。あの時は弾かれた投斧を澪霞へと殺到させたのだ。速度が速く、当事者たちには解りにくかったかもしれないが、俯瞰していた遼にはよく解った。

 

「さて、受けに回ると拙いの此方から攻めよう」

 

 言葉と共に投斧が射出された。それも展開されていた十数個全てが一度に。澪霞が喰らった時よりも数は少ないが、鋭さと速度はより高い。

 残らず叩き落とした。

 戟の刃、石突、月牙、柄。それら全てを用い迫る投斧を完全に捌き切る。

 だが、

 

「ま、そうですね」

 

「無論」

 

 ビルの屋上から外まで落ちるような放物線を描いていたはずの投斧が中空で停止し、旋回して遼の下へ再び迫ってくる。驚くことはなかったし、寧ろそう来ると思っていた。

 念動力。

 念によって動く力。

 筋肉駆動以外の出力器官。

 極めて分かりやすく――対処が困難だ。

 見えない、触れない手などどうしようもできない。

 

「最もやることは変わりませんがね、っと」

 

 捌き切り――打ち落とす。

 全方位から孤を描き、時間差で放たれた投斧の旋風すらも遼は一つ残らず完全に迎撃していた。それも、半数は刃を粉砕すらしている。

 刃の欠片をしぶかせながら再び遼が前に出て、

 

「それは僕もだ」

 

 繰り返すように吉城が新たな投斧を射出する。何かしらの魔術なのか虚空から次々と投斧が生み出され、それらは吉城の念動力によって複雑な軌跡を描いて遼へと跳ねる。遼の死角や意識の隙間、時間差を利用し、投斧の陣を重ねていく。

 少しでも隙を見せれば食い破られる投斧の包囲陣。

 まるで、猟犬の群れように。

 投斧一つ一つが彼らにとっての爪牙。

 今のところ全てを捌いているが、一つでも損ねればそこからじわじわと嬲り殺しにされていく。それを解っているから遼は迫る全ての投斧に対処していく。無論受けに回るだけではなく、少しづつ吉城へ接近していくが、彼もまた自分にとって都合のいい位置取りをしていた。

 基本的に実力が拮抗している。現状では千日手であり、体力と精神力が続く限りいつまでも続けられるだろう。

 遼は猟犬の牙を砕くことはできるが、それらの指揮官たる吉城には届かない。

 吉城は遼を足止めできるが、その武威を上回ることはできない。

 最もそれ自体は二人ともよく解っている。

 仮にも遼は『宿り木』の討伐を国から以来されていた故に主だったメンバーの基本的な情報は持っているし、吉城もまた彼のことは彼女(・・)から一通り聞いていた。

 だからこそ問題は何時切り札を切るのか。 

 当たり前だが二人とも所謂必殺技や決め技のようなものは持っているし、それは流石に知られていない。後はそれが決まるかどうか。その機を見極めるために千日手染みた動きをし続けている。先に仕掛けるか、先に何か間違えた時を二人は待ち続けていた。

 

「――」

 

 その上で遼は思う。

 実力が近い自分はともかく、残してきた流斗は大丈夫だろうかと。

 まぁ多分大丈夫。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぎぃ……ッ!」

 

 旋棍が流斗の胸に炸裂する。

 ただ近づいて振りかぶった一撃を叩き込むという極々当たり前の攻撃行為。ほぼ同時刻、同じ動きを遼が行い吉城に対応されていた。しかし流斗は為す術もなくリルナの鉄鎚を受ける。それは先の一戦と同じだ。結局の所、流斗とリルナの間にはそれだけの差がある。同時に飛び出し、それでも完璧に一撃を叩き込めるだけ差。

 なによりリルナの一撃は着弾しただけでは終わらない。

 けれど流斗もまたそこで終わらなかった。

 

「……!?」

 

「ハッ……!」

 

 胸に着弾した刹那後、ほぼ同時のタイミングで流斗が旋棍を払いのける。

それは反射や咄嗟の動きではない。少なくともリルナの打撃は流斗の知覚を越えていた。

だからこれは最初から、リルナの旋棍を受けることを前提とした動きだった。最初から前腕部を身体の前で振り下ろせば、速度で勝る向こうの一撃が決まってからならば対処できる。

 その動きによって、旋棍の着弾面は流斗の体から外れ、脇の下へと流れ――衝撃が虚空を突き抜けた。

 

「ッ!」

 

「チッ!」

 

 空撃ちしたことによって僅かにリルナの体勢が崩れたが、流斗が反撃するよりも早く背後へと飛び去っていた。旋棍を構え直す彼女の顔には苛立ちだけではなく、確かに驚愕が含まれていた。

 

「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ……ふぅ」

 

 数度咳き込んだ流斗は微かに滲んだ血をぬぐい、ニヤリと笑う。

 

「ハッ、人がバカの一つ覚えみたいに突っ込むとでも思ったか? ちゃんと対策くらい考えてくるっつーの」

 

 真っ黒な瞳が、リルナの旋棍に向く。

 

「俺がちょいと前に食らったアレ、実はただ殴ったわけじゃないんだろ? クソ硬いと折り紙付きの俺の防御を抜いたのにはタネがちゃんとあったわけだ。アンタ、そのトンファー当たった時の衝撃、その余波を再利用してる、そうだろ?」

 

 当たり前のことだが、何かが何かに衝突すればそれ相応のエネルギーが発生する。さらに言えば一方向ではなく、衝突部を中心に様々な方向へと。それは発生時のエネルギーが大きければ大きいほど周囲に拡散していく。物理とかそんなレベル以下の当たり前の現象だ。

 それをリルナは使っている。

 旋根を叩き込んでからその瞬間、先端部に刻まれた術式が発生するエネルギーを収束させ、射出する。収束時にエネルギー収束率を高める為に螺旋を描かせていく。

 鉄から生み出される破壊の竜巻。

 だから――『鉄竜巻(メタルツイスト)』。

 

「それ、トンファーじゃなくて擬似パイルバンカーってわけか。カッコいいな。くそったれ」

 

「……それ、さっきのでお前自身が見切ったわけか?」

 

「当たり前よ。あんま舐めるな」

 

 いや嘘なのだが。

 普通に遼から聞いた。

 正直流斗には話を聞いた今でもどうなってるのか解らない。衝撃の収束なんかもタイミング解らなかったし。

 解らないが、対処はできる。

 つまり殴られたら速攻で殴り返せばいい。

 カウンターメインで耐えるだけ耐えて反撃するだけ。

 

「来いよ、ロマン幼女。ガキ殴り飛ばすのは気が引けるがお前は知らん」

 

「……いっとくがアタシはガキじゃねーぞ。今年で二十七だ」

 

「……は?」

 

「アタシは『神憑(お前ら)』みたいな体質も吉城みたいなPSIもなかったし、才能とかもなんもなかったからな。おまけにこっち側来たのもガキの頃だったからな。死にたくなくて、成長止めてその分の身体圧縮して、基礎スペック上げたんだ。知ってるか、全身に術式打ち込むの糞みたいに痛いんだぜ?」

 

「いや知らんけど……なるほど合法ロリか。気が引ける理由が消えたな」

 

「そうか、アタシは最初から殺す気しかねぇ、よッ!」

 

 言って旋根を手の中で回転させてから再び構え、疾走する。 

 見た目の年齢に合わない高い身体能力。彼女の言葉通り成長を犠牲にしたなら納得できる。疾走するリルナはやはり容易く流斗に接近し、旋根を放つ。

 着弾し、

 

「だらぁ!」

 

「……!」

 

 身体を無理矢理捩じることで、衝撃の炸裂を逸らす。どころか、身体をズラした勢いで前にすら出た。竜巻が旋根より発生し、彼の身体の横を通り過ぎた時には空撃ちとなった旋根を右手で鷲掴みにしていた。

 左のジャブ。顔面へとひっかけるように拳を振るう。 

 

「舐めんな……ッ!?」

 

 それを逆の旋根で受け止めたが、リルナの顔に浮かんだのはこれまで以上の明確な驚愕だ。

 流斗の拳が旋根に触れた瞬間、展開していた術式が拒絶された(・・・・・)。肉体強化や防護式、衝撃収束射出の術式まで何もかも。

 積み上げてきたものが――台無しにされる感覚。

 

「……!」

 

 体の動かし方も、体重移動も、拳の握り方も何もかもチンピラのそれと大して変わらないというのに、直撃すらせず掠った程度だというのに、リルナの身体が吹き飛んだ。

 そう、まるでただの高校生がただの小さな女の子を殴り飛ばしたように。

 

「……ふざ、けんなっ」

 

 最悪の感覚だった。これまで生きてきた中でもトップクラスに。豚野郎に犯されたり、狡い作戦で嵌められたり、傭兵だと貶されたこともあった。それは決して気分のいいものではなかったが、これまで何とかしてきた。豚野郎は一物潰してやったし、狡い作戦は実力で黙らせたし、貶してきた奴には相手にしなかった。

 けれどこれは我慢ならない。

 たまにある異能無効や解除、封印ではなかった。

 お前のものなんて(・・・・・・・・)知るか(・・・)と自分の全部を拒絶(・・・・・・・・・)されたのだ(・・・・・)

 

「てめぇ何様だよ」

 

 声の震えは予想外の痛みや攻撃を受けてしまった事実、流斗への不快感だけではない。

 怒りだ。

 先ほど流斗がリルナに怒りを覚えたように、彼女もまた荒谷流斗というわけの解らないものに激怒していた。最もそれは極々当たり前の感情でもある。

 誰だって自分の全てを下らないと蔑ろにされれば怒るのは当たり前。

 

「殺す殺す殺す殺す殺してやる。仕事も何も関係ねぇ。お前みたいな奴、この世界で生かしておくわけにはいかねぇ」

 

「だから知らねぇっつてんだろ」

 

 殺意に溢れるリルナの言葉も流斗は意に介さない。

 彼女の都合など知ったことではないし、彼女の気持ちも理解していない。

 知ることはないし、理解できないのだ。

 彼はそういうものだから。

 

「俺とお前になんの関係があるんだ。さっき遭遇して喧嘩した奴の何を大事にしろって? 俺からいわせりゃお前みたいに人にお願いされたから人殺せるような奴こそこの世にいちゃいけないだろ」

 

「お前みたいなのが正論吐くんじゃねぇ……!」

 

「それも俺の勝手だろ」

 

 流斗は拳を構えた。

 それまでの適当なそれではない。右足を後ろに、左足を前に。腰を大きく捩じりながら半身になり、右の拳を左の掌で包み込んだ。

 ニヤリと、口端を歪め、

 

「カス当たりじゃ足りないねぇ。今から一発かましてやるよ(・・・・・・・)

 

 




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ブレイク・ザ・ツイスト

 

「オォ!」

 

「グ、うぅ……!」

 

 振るった旋根が流斗に激突する。それはクリーンヒット、直撃と呼んでも差支えないが、当たってからズラされるから鉄風の一撃だけは届かない。インパクトの瞬間に発生する衝撃収束はほんの僅かな刹那だが、確かに間がある。そこを流斗は半分勘、もう半分は勢いで凌ぎ続けている。もう何度繰り返したのか。単純なヒット数だけならばもう数十は下らない。鉄風が外れているにしても、当たり前だが魔力そのものは通っている。流斗が防御に専念すればともかく、そうしていない(・・・・・・・)のだからダメージは積み重なっていく。

 旋根を受けていない箇所は最早どこにもなく、青痣と流れ出した血で制服は染められていた。

 それでも、

 

「しつ、けぇ……!」

 

 荒谷流斗は倒れない。

 

「はっ、どうしたよ。疲れてんじゃねぇのか?」

 

 血が混じった声で、けれど口端を歪めながら再び拳を握り直す。先ほどの如何にも突撃します(・・・・・)という構え。だからリルナは流斗が動くよりも先に動き、行動を潰した。それでも馬鹿げた耐久力としつこさで倒れない彼はまた同じように構え、さらにまた同じことが繰り返されていく。常人ならば何十回死んだか考えるのも馬鹿らしい。鉄風でないただの打撃でも自動車との激突と同等かそれ以上だというのに。

 

「抜かせよッ」

 

 拳を構えようとした時には既に動いていた。流斗には捉えられない速さで近づき、旋根をぶち込む。

 ガッ(・・)という鈍い音と共に命中するが、やはり衝撃はズラされた。それもこれまでよりも早いタイミングで。

 

「コイツ……ッ」

 

 慣れてきている(・・・・・・・)

 それ自体は別に驚くことではない。何十回以上も同じ行動を繰り返しているのだ。最初の時点で全く認識できないとしてもそれだけ経験を積めばそれなりに対処できてもおかしくない。

 おかしいのは――一番最初。

 相手が何をしているかは解らない。解らないが原理は聞いた。聞いた通りに対処法を考える。受けた後に呆けているのが悪い。だから受けたすぐに動けばいい――なんて。

 一体どんな精神構造をしていればそれを即座に実行できるというのだ。

 解らない。

 解らない。

 解らないのは、気持ち悪い。

 だからリルナ・ツツは荒谷流斗と旋根を振るう。

 物を思えど物言わぬはずの傭兵が己の感情を剥き出しにしていた。

 

「おおおおお!」

 

 度重なる連撃でリルナの方も息が荒れて、体力が消耗するのは防げない。例え未だカス当たり一発分しか喰らっていないとしても、それだけは避けられないことだ。しかし溢れる激情が疲弊を考えずに身体を動かしていく。

 ただ、傭兵としての経験が動きを変えた。 

 

「……!?」

 

 秒間十発近い連撃。けれど最早鉄風は生まれなかった。ただ単に魔力を通しただけの打撃。

 

「けど、その方が効くだろ?」

 

 衝撃収束をしなくなったということはその分の時間が必要なくなり、コンビネーションの回転速度は飛躍的に高まる。そうなってしまえば、もう流斗にはどうしようもない。なまじそれまでの動きになれていた分落差は激しい。

 残らず入った。

 

「ご、ほッ、ガッ……!」

 

 胴体に突き刺さったり、最後の一撃をアッパー気味に顎をかち上げる。そのまま流斗の身体が微かに浮いた。

 浮いて、身体が泳いでしまえば、

 

「『鉄竜巻(メタルツイスト)』……!」

 

 鉄の竜巻は今度こそ破壊を生んだ。

 浮いた体に旋根は着弾し、インパクト。その余波が周囲にまき散らされ、散ってしまうよりも速く刻まれた術式が収束し、射出する。

 竜巻が、暴風を撃ち抜いた。

 

「――がああああああああああああッッ!?」

 

 一度目は耐えて反撃したから今度もできる、というわけではなかった。

 あの時とはリルナの殺意が違う。だから威力も違った。あの時は単なる尋常ではない威力の一撃だと思ったのに、今のこれは明確に竜巻を体現している。螺旋の衝撃か流斗を貫き、そのまま吹き飛ばす。ダンプカーにでもぶつかったのと大差ない。そのまま壁に大きく亀裂を入れながら叩き付けられる。

 

「ぁ、ぐ……ごほっ……くぅ……」

 

 血の塊を吐きだしながら、瓦礫と共に床に倒れ込む。竜巻の着弾部から中心に制服は弾け、使い物にならなくなり、その下の身体もまた内出血でどす黒く染まっていた。

 

「ハァーハァーッ……これで、いい加減終わるだろ……」

 

 完全命中、それも鳩尾という急所。怪我の度合いで言えば吉城の投斧を受けた澪霞よりもさらに酷い。

 放っておけば、勝手に命の炎は消える。

 『神憑』にしても別に不死身ではない。極めて死ににくいとしても、殺せば死ぬのだ。

 

「……くそっ、後味悪いぜ」

 

 やっぱり、碌なことがない。こんな気持ち悪い連中に関わると。

 殴り飛ばしたせいで彼我の距離は十メートル以上になったが、背を向けて階段の方へ歩き出す。視界の中は戦闘の余波で所々亀裂が入ったビルのエントランス。別に申し訳ないとは思わない。どうせ位相空間だし。

 屋上からは未だに戦闘音が続いている。

 吉城と遼はまだ戦っているのだろう。吉城の実力は知っているが、飛籠遼もまた確かな実力者だ。上に上がるまでに呼吸や精神を落ち着かせなければ行っても邪魔になるだけだろう。

 だからゆっくりとエントランスの奥にある階段に向かい。

 こつん(・・・) と石ころがリルナの背に当たって音を立てた。

 

「――」

 

 誰か、なんて問うまでもない。けれど信じたくなかった。

 だから振り返らず、音だけを聞いた。水たまりの中でソレが這いつくばりながら立ち上がろうとする音を。

 

「ぁ、ぐ、ふっ……こほっ……」

 

 粘度の高い水が跳ねたのは血、それが混じった咳と荒く掠れた呼吸音。そして血に濡れた床と体が擦れ合う物音。

 

「……!」

 

 振り返り、そして荒谷流斗は立っていた。

 口から血を垂れ流し、満身創痍になりながら、直立することはできず崩れかけながら、それでも立ち上がりリルナを睨み付け、拳を構えていた。

 

「……なん、で、お前は……!」

 

 浮かぶのは、戦慄だ。

 怒りでも驚愕でも嫌悪でなく恐怖。傭兵としてでも戦士としてでも此方側の人間であることも全部抜きにして。単純な生命として、リルナはそれに対して戦慄と恐怖を覚えていた。

 力でも技でも経験でも覚悟でも何もかもでも彼女は彼に勝っているのに。

 彼のことを何一つ理解できないから。

 解らない。

 解らないから気持ち悪い。

 解らないから――怖いのだ。

 

「言っただろ」

 

 その何かは言う。

 

「アンタは俺の憧れを傷つけた。だから、落とし前を付けさせる。何かやってツケ払うのは当たり前だろうが」

 

「そんだけの、理由で、お前は命を懸けるのかよ」

 

「ふざけんな、勝手に人の価値観決めるなよ。そんだけって、先輩がどんだけ綺麗なのか知ってるのか? あの人の輝きを、眩しさを、あの堪らなくなるような在り方の何をお前が知ってるっていうんだ」

 

 それをリルナは傷つけた。

 だから荒谷流斗は拳を握り続ける。

 血に塗れて、痛みに沈んで、肉を潰されても、それでも前に進むことを止めない。

 己の意のままに吹き荒れるだけの暴風のように。

 

「解らない? そりゃそうだろ、人の話そもそも聞いてすらねぇんだから。人のこと見ようとしないで、自分のことしか見てないから、何も解らないんだ。別に解られようとも思わないけど」

 

「……お前が、言うかよそれをッ、下らねぇとか一蹴した奴が!」

 

「言うね。だってそれ(・・)これ(・・)とは話が別だ」

 

 滅茶苦茶にも程があり、自分のことを棚上げにするのにも冗談が過ぎる。何よりふざけているのは、荒谷流斗は心からそう思っているということ。飛籠遼のことを勝手に裏切り者とした者たちのことは気にくわないというし、それらやリルナのことを下らないと断じて澪霞のことばかり考えているのはそういう自分だから仕方ないと。

 理論なんでそこにはない。

 理性も計算もなにもない。

 そこにあるのは――狂おしいまでの感情と溢れんばかりの狂気。

 

「――ッ」

 

 リルナは最早意思や言葉を交わすことを拒否した。動いたのは一分一秒でも視界にいれたくない、声を聞きたくないから完全に殺し尽くす為。旋根へ注ぎ込まれた過剰なまでの魔力が、鉄風の術式を展開し周囲に巻き起こる風さえ取り込んでいく。生まれるのは打撃する前から旋根が纏う新たな竜巻。着弾すればインパクト時の衝撃をさらに収束し、それまで以上の破壊を生み出す。旋根の寿命を縮めることになるが構わなかった。

 竜巻は新たな竜巻を生むために瞬発し、

 

 ――次の刹那、暴風が竜巻をぶち抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を開けたのは枕元の気配に気づいたからだった。

 消耗しきった身体だとしても、消していない足音があれば流石に気づく。誰であるかは、予想は付いた。祖父である海厳や師のような立場にある駆は足音などないし、使用人はそもそも今はいない。彼であれば足音の有無なんて関係ないし。

 

「あれ、起きちゃった?」

 

「……ん」

 

 雪城沙姫。

 夜の闇の中でも尚瑠璃の髪の艶やかさを失わせず、彼女は澪霞を見下ろしていた。起こされたのは確かだったから返事をする。自分の声が掠れていることに気付く。同時に寝間着や包帯にべっとりと染みついた汗の不快感にも。やはり大分消耗しているらしい。本来なら即死してもおかしくなかったと思うと『神憑』という体質に感謝するべきか迷う所。

 

「……それで、何の用?」

 

 喋るのも辛いのが本当の所だ。前に意識を落とす時は流斗がいたから半ば意地で持たせていたがかなり辛い。傷口は海厳が大部分を修復させてくれたが限界がある。残念ながらいくら此方側でも、向こう側の漫画のように治癒術式を掛けて即復活ということにはならない。駆が疲労回復促進らしき術式を掛けてくれたから口も利けないというわけではないからマシかもしれないけど。

 そんな風に身体の自己分析を無意識でしていた澪霞に沙姫は告げた。

 

「流斗君、今戦ってるって」

 

「――ぁぐっ」

 

 意識よりも先に体が動いて、痛みに悲鳴を上げた。全身の引きつるような激痛に奥歯を噛みしめながらも、澪霞は布団から這い出そうしていたのだ。

 それを見ながら、

 

「くすっ」

 

 彼女は笑う。

 娼婦のように妖艶に。

 処女のように無垢に。

 歌姫は嗤う。

 

行きたい(・・・・)?」

 

「……っ」

 

 澪霞の脳裏に大っ嫌いな女の顔が浮かぶ。別に沙姫のことは嫌いじゃないし、最近は好感すら覚えているのに何故か、あの女と被ってしまう。

 囁きはまさしく魔女との契約だった。

 その意味を白詠澪霞は知っている。荒谷流斗が何も知らず、それ故何も考えずに交わしてしまったその誓いの意味を。

 雪城沙姫という歌姫と契約することの重さを白詠澪霞は知っていた。

 

「……なにを」

 

「別に取って食べようとするわけじゃないよ。というか、私今の澪霞ちゃんと戦っても負ける自信あるよ? 私はただ、行きたいか、行きたくないか。それを澪霞ちゃんに聞いてるんだ。まぁ今の身体だとちょっと難しそうだし行かないほうがいいかもね?」

 

 でも、

 

「行きたいのなら――手伝える」

 

「なん、で」

 

「澪霞ちゃんが気に入ったからかなー、そのくらいのちょっとした奴だよ。……ちなみに流斗君とも同じことをしたよ。彼は気づいてないけど」

 

「……!」

 

 澪霞の目が見開かれた。極めて珍しく、微かな変化だが誰にも解るように表情が浮かんだ。焦燥と驚愕。真紅の瞳に確かに感情を見せていた。

 全身の痛みと胸の感情。

 それを歌姫は解っている。

 

「どうする?」

 

 解っているから――問いかけているのだ。

 彼が戦っているなんてことを聞かされれば、澪霞は寝ていることができないことを解っていながら。例え沙姫がこんな風に話しかけてこなくて、流斗が戦っていることだけを知れば這いつくばってでも行こうとしただろう。

 でももし這いつくばって行ったとしたら多分間に合わない。

 だからだ。

 澪霞が応えると確信していた。

 

「どうする?」

 

 契りの歌姫は揺蕩う月光を誘う。

 

「……」

 

 答えは、言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――あ?」

 

 気づいた時には轟音と共に壁をぶち抜いて亀裂と共に外の地面にめり込んでいた。

 自分に何が起きたのか全く理解できず、ただ明転する視界の中で仰向けに倒れている自分の身体を見下ろし、

 

「――!?」

 

 血の塊を吐き出し、声にならない絶叫を上げた。激痛に体が芋虫の如く痙攣する。

 意味が、解らない。

 気づいた時には、こうしていた。何があったのか、何をされたのか、一切合財理解できずリルナは血をまき散らしながら激痛に絶叫する。肋骨が、内臓が、筋肉が、全身がぐちゃぐちゃになっている。欠損こそしていないが内臓の方は滅茶苦茶だろう。砕けたあばら骨が前面の皮膚を突き破ってすらいる。

 何も解らないが、解ることが一つだけ。

 荒谷流斗に一発かまされた(・・・・・・・)のだ。

 

「はっ……ざまぁ、みろ、や」

 

 リルナが開けた穴から人影が出てくる。それは酔っぱらっているかのようにふらふらと揺れながら、あくびが出るような速度で歩みを進めている。 

 そうとしか進められなかったのだ。

 

「……あー、くっそ痛っえ。やっべやりすぎたわ……死ぬ……痛い」

 

 右脚と右腕が(・・・・・・)ズタボロになってい(・・・・・・・・・)()

 五指全てが違う方向を向きながら捻じれ、腕の筋肉も内側から弾けたように繊維が縮れ血が噴き出している。右足もまた同じ様。

 一見してそれらが人体として機能していないことが解る。

 歩くことさえままならない。なんとか立っているくらいで、あとは壁に体を預け左脚で支えている状況だ。脂汗を浮かべ、顔色も悪い。腕と脚からの失血は尋常ではなく、明らかに失血死しかけという具合。

 

「……てめぇ、なにを、しや、がった……ッ」

 

全力で思い切り(・・・・・・・)ぶん殴っただけだよ(・・・・・・・・・)

 

 その言葉に嘘はなく、それ故にリルナは何をされたのか気づいた。

 これまでと同じこと。

 残らず全部拒絶(・・・・・・・)したのだ(・・・・)

 全力で思い切り。

 本当に流斗はそれしかしていない。そして、それを実現するために己に掛かる不利な条件もまた根こそぎ台無しにしている。重力や空気抵抗、足場の不利、さらには自分の疲労や負傷による動きの悪化すらもなにもかも。

 都合の悪いもの全部を台無しにして自分の狂気を押し通しているのだ。

 そして生み出される拳は文字通り荒谷流斗の全身全霊最善最高の一撃に他ならない。

 その上さらに死に体の状況だったら相手はもう碌に動けないと考える、実際リルナはそうだった。だから油断していた。そういう極々当たり前の、油断とも呼べない判断すら覆せる。おまけにその拳は対象の防護すら拒絶できるのだ。身体強化に特化している『素戔嗚』で行えば当然威力は尋常ではない。

 極めて有効な攻撃だ。

 腕と足を一本づつ犠牲にする自滅技であることを除けば。

 どうみてもあれはもうこの先使い物にならない。向こう側なら間違いないし、此方側にしたって腕のいい治癒術師がいなければ絶対に後遺症が残る。流斗の場合白詠海厳がいるし、さらに『神憑』という体質上回復力が極めて高いから大丈夫かもしれない。

 だとしても。

 気にくわない、なんて理由で使える技じゃないはずだ。

 なによりこの男がそんな計算をしているはずがない。

 あぁ、本当に。

 気持ち悪い。

 自分の女の為に、とかいうことならばまだ解る。そういう手合い稀に存在するし、そういう奴のことをリルナは嫌いじゃない。

 でもこいつは、そうじゃないのだ。

 ただ気にくわないから――そんな程度の感情で命を投げ捨てようとしている。

 ただ吹き荒れる暴風。

 荒ぶ颶風は他者など省みることなく何もかも台無しにしていく。

 

「冗談じゃ、ねぇ……!」

 

 だからこそリルナ・ツツまた死に体の身体を突き動かしていた。

 別に絶対に負けられない理由があるわけでもない。傭兵である以上どこかで死ぬことは覚悟しいていた。戦場で死ぬのは当然だし、ある日突然事故やら病気なんかで死んでも笑い話。ちょっとくらいいい戦士とかに殺されればほんと上等だし、犬死したところでそれはそれでしょうがないと思う。

 でもこんな様(・・・・)のに負けを晒すのだけは嫌だ。

 こんな悪夢みたいな奴にだけは負けたくない。

 だからリルナは旋根を握りしめ、その幼く小さくも歴戦の戦士の身体を動かしていた。

 

「……まいったなおい。まだ動けるのか」

 

 流斗に浮かんでいたのは今度こそ引きつり気味の笑みである。彼自身既に限界だ。右腕と右足、それに鉄風を受けた腹は例え意識を集中しても痛覚の拒絶はできない。それくらいの重症。常人ならばどれか一つでショック死してもおかしくないのだ。立っているだけでも尋常ではない。その流斗も、もうこれ以上動くのは難しい。

 

「お前とは、年季が違うんだよ」

 

 つい最近此方側に踏み込んだばかりの流斗とは踏んで来た場数が違う。実際このレベルの負傷だって初めてではないのだ。持てる魔力や普段は補助程度にしか使わない気も全て回して最後の一撃を用意する。胴体じゃダメだ。顔面にぶち込んで脳みそふっとばさなければこれは死なない。ふらふらになりながらも十数年続けてきた動きは滞ることはなかった。

 振りかぶって、前に出て。

 叩き込んで――竜巻を生むだけ。

 それで、

 

「終わりだあああああああああああああああああああああ!!」

 

 雄叫びと共にリルナは飛び出し、

 

 

 

 

 

 

 

「――全く君は。もうちょっと考えるべき」

 

 

 

 

 

 

 

 突如虚空から出現した数十条の鋼糸が全身を絡め取った。

 

「な――!?」

 

「はぁ!?」

 

 驚愕は漏れなく二人分。雁字搦めとなって身動きが取れなくなったリルナも壁に体を預けたまま焦っていた流斗も。二人が二人して彼女の登場に驚愕していた。

 二人のいる場所から少し離れた街灯の上。月を背にし、白いマフラーと身体にマフラーを風に棚引かせ、ボロボロになった制服を着こんだ彼女はいた。

 揺蕩う月光――白詠澪霞。

 白詠海厳や津崎駆をして数日は動けないとされていたはずの彼女は確かに存在していた。

 勿論万全の状況ではない。致命傷を持っているのは変わらず、流斗やリルナに負けず顔色は悪い。普段一分の隙もなく着こまれているはずの制服も第二ボタンまでブラウスは空いているし、ブレザーもなかった。

 一見すれば無手だが、両手五指から微かに輝く線があり、それはリルナを縛る拘束に伸びている。

 

「お前も、かァーーッ!」

 

 澪霞を認識したリルナは一瞬こそ驚愕したが、その直後に激昂していた。 

 また、『神憑(コイツら)』だ。

 澪霞もまた、ここに来れるはずがなかったのに。そういう風のダメージを吉城は与えた。あの猟犬がそういう加減を違えるはずがない。

 なのにいる。

 いるはずがないのに。

 落としたはずの月は――陰りながらも輝いている。

 

「っづ、ああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 咆哮をしながら身体の拘束を引きちぎろうとする。鋼の糸故に無理をすれば肉が切れるが今更構ったものじゃない。力任せに体を動かし、暴れまわる。

 

「なん、で、だよッ」

 

 だが、切れない。

 理由は力任せではなく、切れない原因を探るために糸に意識を移したことによって判明した。

 

「……!」

 

 大量の術式(・・・・・)が糸自体に織り(・・・・・・・)込まれている(・・・・・・)

 伸縮強化や衝撃斬撃打撃銃撃耐性から高熱低温電撃。一つ一つ解析していけば気の遠くなるような数の術式が練り込まれ馬鹿みたいな強度を体現していた。

 一体どれだけの並行展開をすればこんなことができるのか。いやそもそもこれだけの数の様々な種類全て覚え実戦レベルで使えることが信じられない。

 それが白詠澪霞だった。

 現存するほぼ全ての術式体系に全て適応し使いこなす少女。遠くないうちにイ級という最高峰(ハイエンド)に至れると確信されているのは伊達ではない。例えリルナが力任せではなく別の方法や何かしらの術式を用いれば即座にそれに適応してくるだろう。

 見方を変えても、消えてなくなることはない月のように。

 

「荒谷君!」

 

 けれどできるのはそこまで。

 今の澪霞ではどうしたってできるのは拘束まで。

 だからリルナを打倒する一撃は必要だった。

 そして名前を呼ばれた流斗はそれを持っている。

 

「……はっ、良いとこ来るなぁ」

 

 想像以上に元気そうな澪霞に思わず破顔する。リルナに対して浮かべていた口端を歪めるものではなく、快活に顔を綻ばせる。

 そうして――左拳を振りかぶる。

 本当は、もう動けなかった。全身馬鹿みたいに痛いし、右腕右脚は痛みを通り越して感覚が消えいてる。ぶっちゃけ澪霞が来てくれなければ為す術もなく殺されていただろう。疲労も肉体も限界、今すぐに崩れ落ちたい。

 でも、名前が呼ばれた。

 他でもない彼女に。

 

「だったら、やるしかねぇよなぁ!」

 

 左の拳を固く握りしめ、意識を集中させ、魂を震わせる。

 それだけで全身の痛みも疲労も何かもが拒絶されて、準備は完了する。

 あとはもう、踏み出すだけ。

 

「っざ、けん、なよ……!」

 

 それを察しながら、澪霞の拘束に抗いながらリルナは吐き捨て叫んだ。

 

「お前らみたいな奴らにだけは、負けて、たまるかーーッッ!!」

 

「知るかくそったれ」

 

 荒谷流斗は切り捨て、

 

「――」

 

 白詠澪霞は答える必要を感じず。

 

 ――吹き荒ぶ暴風が鋼の竜巻を打ち砕いた。

 




私の芸風:血と戦の修羅場でこそ惚気!!!!!


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アイ・アム・ジューダス

 

『ねぇ奉先。私はアンタを信じているわ、だからアンタも私を信じなさい』

 

 ――そう言って彼女はいつでも笑っていた。

 幼い頃から洛陽に住んでいたが、その時からもう既に彼はみんな(・・・)の輪の中にはいなかった。十数世代振りの呂布奉先の承継者。稀代の裏切り者の末裔というのは幼い遼にはどうしようもないものだった。生まれた時から遼が呂布の力を受け継いでいることは解っていたし、それはすぐに広まり、此方側も向こう側も関係なくどちらも同じような目で遼を見ていた。呂布のことは知らなくても、遼が裏切り者であるという認識だけがあらゆるところに広がっていたのだ。

 呂布の血筋ではない母親は五つの頃に家を出ていった。

 血筋であるが初代の力を受け継がなかった父は何時も回りの目を気にしていた。

 思う所がないと言えば嘘だけれど恨んでいるわけではない。仕方ないことだと思う。母は自分のような子を産んだせいで酷い扱いを受けていたらしいし、父も似たようなもの。その上遼の周囲で何かがあると、全てが遼が原因とされるのだから。例えそれらに欠片も遼が関わっていないとしても。

 彼を信じてはならない。

 彼は裏切るから。

 彼を愛してはならない。

 彼は裏切るから。

 彼を頼ってはいけない。

 彼は裏切るから。

 彼における森羅万象は背反から発生し、彼における森羅万象は背反に帰結する。

 他人との間結ばれるものは裏切りを前提としているが故に、そこに真実と呼べるものなど築けるはずもなかった。言うまでもなく全ては色あせている。誰もが、何もが、彼が裏切りの徒であることを知っているのだから、向こうから距離を縮めることなんてするはずもないし、彼もまた己の持つ理を知っているから同じことだ。

 この世は総じて虚構である。

 これが飛籠遼が得た世界への価値だった。

 もういいとやがて悟り、或いは諦めたのだ。

 そして――そんな下種の価値観を彼女(・・)は砕いてくれた。

 

『湿気た面してるわね、アンタ。もうちょっとマシな顔できないの? 素は悪くなさそうなのに勿体ないわよ』

 

 第一声がこれである。

 陰口は随分叩かれたが、真正面からこんな風に言われたのは初めてだった。だからまともに返事も返せず、はぁとかそんな感じの言葉を返して、

 

『なによその生返事は。今にも死にそうな顔してたから声を掛けてあげたっていうのに』

 

 非常に余計なお世話である。基本的に怒りを覚えない遼でもちょっとイラッとした。けれどそれ以上に自分がそんな顔をしていたことに驚く。自分としてはごく普通の表情のつもりだったから。だがしかしよくよく考えてみれば始めて会った人に言われるようなことじゃないので放っておいてください的なことを言って立ち去ろうとした。

 

『待ちなさいよ』

 

 待たない。

 待たなかったら後ろからドロップキックを喰らった。

 それからはもう滅茶苦茶だった。ドロップキックを喰らったが流石に自分よりも年下――そう思っていたし実際そうだった――に手を上げるのはどうかと思ったから逃げだしたが追いかけられてまた蹴りやら拳なんかを喰らって逃げても逃げても追いかけてくる。覚えたての闘気すら使ったのに振りきれず、此方側の人間であることに気付いてから全力で逃走したがそれでも振りきれない。そのあたりはよく覚えていないが、嫌気がさして、自分が呂布奉先の承継者であることを話した時の彼女の反応は覚えている。

 

『はぁ? だから何よ。それとアンタが湿気た面しながら私から逃げ回ってることの何の関係があるっていうの』

 

 多分、その時から。

 自分は彼女に心を奪われていたのだろう。

 初めてだった。

 呂布奉先の末裔ではなく、飛籠遼という人間を見てくれたのは彼女が初めてだったのだ。

 たったそれだけのことで、十分だった。ただ自分を見てくれるという当たり前のことがどれだけ貴いものであるか、きっと彼以外にも誰も解りはしない。

 人によっては何をそんなに感動しているのだろうと疑問に思うかもしれない。自分だって今なら苦笑してしまう。

 それでも――堪らなくなってしまったのだ。

 そうなってしまったのだからどうしようもなくどうしようもなくどうしようもない。

 だから自分は彼女に膝を折った。

 彼女の為に生きて。

 彼女の為に戦って。

 彼女の為に死のう。

 そう、己に誓った。

 使い潰されるだけの武威だったはずの現代の呂布奉先は使えるべき主を自ずから抱いたのだ。

 それらの想いをその場で初対面であるのに伝え、引かれてもおかしくなったがそれなのに彼女は快活に笑っていた。

 

『へぇ、悪くないわ。いいえ、寧ろいいわね。私の方からお礼を言いたいくらい。ありがとう、貴方が私の最初の味方よ』

 

 笑いながら彼女は受け入れてくれた。

 まるで空を舞う鳥の様に。

 何物にも縛られないと思わせる在り方がそこにはあった。

 そこから先はあっという間に時間が過ぎていく。出逢ったのは十で、その頃からは日本と中国を行ったり来たりしながら武を磨いていたがそれも全て彼女の為だった。中国にいる時は可能な限り彼女と共に時間を過ごした。共に武術の稽古をすることもあれば、取り止めのない時間を過ごすこともあった。

 全ては彼女の為に。

 勿論遼が呂布奉先の末裔であるが故の偏見や迫害はどこに行ってもなくなることはなかったが、そんなものはどうでもよかった。

 等身大の自分を見てくれる人が一人いる。たったそれだけのことで遼は満足だった。それに、何かしら血筋に関して酷い扱いを受けた時、彼女は何時もそれらを笑い飛ばしてくれた。

 

『ねぇ奉先。私はアンタを信じているわ、だからアンタも私を信じなさい』

 

 その言葉さえあれば満たされていた。

 

 ――けれど彼女は遼の下から飛び去ってしまった。

 

 二年前、日本から中国に帰って来た遼が彼女の下へ行こうとすれば既に中国を出奔した後だったのだ。

 遼に残されたのはたった一つの置手紙。

 それもありったけの罵詈雑言。

 全部嘘だったとか。

 ホントはアンタが大嫌いだったとか。

 気を許したことなんて一瞬もないとか。

 要約すれば大体そんな感じ。

 出逢って少ししてから知ったのだが、彼女もまた国内における有力な承継者の一人だった。そんな人間が国を出て傭兵ギルド等に所属したのだから当然問題になる。できることならば遼はすぐにでも彼女を追いかけたかったが、彼女との関係が深かったことで遼もまたしばらく身柄を拘束されていた。寧ろ彼女が出奔したのも遼が原因だとされたりもした。

 彼女を連れ戻す為に何度か追手が差し向けられたが悉く返り討ち。最近になってようやくある程度嫌疑が晴れた遼が彼女を追えるようになったのはつい最近のことだ。寧ろ遼は彼女を捕獲しなければ完璧には嫌疑は晴れない。

 そうしてこの街に来た。

 少しだけ予想外の出会いもあった。

 そして今、ようやく彼女の手掛かり。

 伝言の意味は解っている。

 

 『そんな二人はさっさと蹴散らして追いかけてきなさい、追ってこれるものならね』

 

 そういうことだろう。 

 故に。

 

「――行きますとも」

 

 裏切りの将は猟犬へと狩る

 遥か彼方にて、己を睥睨する鳳に至るために。

 

 

 

 

 

 

 

 先に動いたのは遼の方だった。

 迫る猟犬の牙を受け流し捌くのではなく、些か以上に強引に弾き飛ばして無理矢理空間を作る。僅か一瞬で埋められるようなスペースだったがそれで十分。

 

「っと」

 

 軽い掛け声と共に跳躍した。それでも一気に垂直十メートルは跳ねて、それまで遼のいた所を投斧が通り過ぎる。

 

「おっとっと」

 

 反応は即座だ。気の抜けた声を出しながらも猟犬の爪牙は軌道を跳ね上げ滞空中の遼の下へと殺到する。

 避けるのは、不可能だ。

 数度戟の振りで弾けるかもしれないが足場がなければ確実に漏れが出る。それを吉城は解っているから飛ばした投斧は数十。

 蚊斗谷吉城は猟犬である。

 猟犬とは飼い主の意のままに動き、得物を仕留める。そして、得物の失策は見逃さない。さりとて油断することはなくその牙を剥き、

 

「――駆けろ、赤兎」

 

 虚空を蹴った(・・・・・・)遼を通り過ぎる。

 

「!」

 

 遼の足元に宿っていた真紅の陽炎。

 それを遼は蹴っていた。中空で何もない空間で力んだ瞬間、脚の陽炎そのものが足場になったのだ。

 ――赤兎。

 それは呂布奉先の愛馬の名前である。赤い毛を持ち、馬ながら兎のように動いていた故に名付けられた。人に呂布があれば、馬には赤兎がある。そうとすら言われていた。残念ながら馬としては既に絶たれてしまった血だが――主従の絆は残っていた。ただ概念としてでありながらも、無くなりはしない。

 別に特別難しい概念を宿しているわけではない。

 役割は何も変わらない。戦場を駆け抜ける駿馬を具象化するだけ。

 示すのは、任意による足場の作成と移動補正。呂布奉先の承継者として飛籠遼が体現した能力の一つである。特殊能力としては別段衒ったものではない。空間跳躍自体は上位クラスの武芸者は覚えていることは多いし、移動補正なんてものは極めて有り触れている。遼のは単純に補正の度合いや足場としての強度が高いことは確かだが言ってしまえばそれだけ。

 ただそれだけのことが――呂布奉先の一騎当千の武威と合わさることで話は大きく変わる。

 好きな場所好きなタイミングで任意の足場を精製する。

 つまり――遼は常に全力の一撃を用意できるということ。

 足場がコンクリートでも地面でも中空でも水でも炎でも。そこになにがあろうとなかろうと関係ない。その気になれば空をも走れるのが飛籠遼である。

 中空で軌道を変えた遼はそのまま連続して虚空を蹴りつけ、吉城へと迫りながら戟を振りかぶる。最初の接近よりも数段速い。投げ斧による自動防御の反応速度を上回る勢いで吉城へと迫る。

 

「これは困った――ならこうしよう」

 

 吉城が指を振る。

 たったそれだけの動作で投斧が遼の速度に対応しながら射出された。

 

「――」

 

 不思議なことではなかった。

 それまで吉城は特別なアクションを見せずに投斧を自由自在に操作していた。実際それは澪霞を瞬殺できるほどのものであり、遼でも気を抜けば危ないもの。そのレベルのサイコキネシスを自然体で体現していたのだ。ならばこそ、指の動きや視線、さらには意識の指向性を加えれば精度が上がるのも当然だ。

 故に猟犬の牙は呂布の戟に追いつく。

 

「……シィ!」

 

 当たり前のことだからこそ遼もまたそれくらい予想していた。

 鋭い呼気と共に右足が虚空を踏みしめた。中空でのブレーキ。高速機動からの急停止により遼の肉体が軋みを上げる。そしてその僅かな停止の間にも投斧の盾は集まっていた。それまで数十に近い数を操っていた念動力が十となったことにより精度は格段に上がっている。

 

「はぁ……!」

 

 構わずにぶっ散らした(・・・・・・)

 急停止の瞬間に戟の刃にありったけの闘気を集め放ったのだ。

 

「――!」

 

 回避に意味はないことは集められた闘気を見て解った。刃の軌道上を斬撃として斬りつけるのではなく、闘気を放出してぶっ壊すのだ。

 

「――クァ!」

 

 らしくもなく声を張り、斬撃波へ猟犬の牙を飛ばす。

 三割は散らした。

 一割だけ避けて、もう一割は自分で防ぎ。

 

「……!」

 

 五割は喰らった。

 術式で作られた盾が壊れ、 十字に構えた投斧や腕にもダメージを受ける。鮮血が散り、骨亀裂が入る。足元のコンクリート毎も砕かれ、斬撃波の勢いで体が浮く。

 その上で、 

 

「畳みかけますよ」

 

 さらに遼は前に出た。態々弾けた瓦礫を踏むこともない。赤兎を用いることで再び虚空を蹴り再加速、さらに戟を構え直す。

 

「舐めるな……!」

 

 吉城もまた止まらない。傷ついた腕を動かし、爪牙を走らせる。腕を十字に交差していたから後は振り払うだけ。

 振った。

 ぎゅいん(・・・・)というエンジン染みた音と共に手から投斧が放たれる。先ほどの斬撃波を受けていたから亀裂が入っているが構わない。寧ろ砕ければ細かい破片が降り注ぐ。それすらよしとした双撃。

 

「……!」

 

 遼は退かなかった。

 寧ろ――加速する。

 音速すら上回り高速回転する猟犬の双牙へと突っ込んだのだ。直撃コースである。相対速度的に、もう方向転換は間に合わない。回避はできず、掠っただけでもダメージは大きい。

 それでも、前へと往った。

 その上で放ったのは再加速分の勢いを乗せた刺突。

 赤兎を用いない純粋な技術にて生じた神速の二連撃。

 双牙を粉砕する。

 

「見事。だがそろそろ決める」

 

 破砕した牙の先、ボロボロになった両腕で吉城は新たな得物を構えていた。

 身の丈もあるような巨大な斧だ。

 形状そのものはそれまでの物と変わらないにしても、質量が段違いである。ただ振りおろしただけでも人は殺せるだろう。それが念動力でアシストされているのならば語るまでもない。

 これまでの投斧が猟犬の爪牙だとすれば、これは顎そのものだ。

 そんなものが既に振りかぶられ、振り下ろされる直前。

 『猟犬』蚊斗谷吉城のとっておき(・・・・・)

 避けられるタイミングではなかった。全力の刺突を連続で放った後だからこそどうしようもなく一瞬の硬直は消せない。防御は間に合ったとしても、顎斧の前に意味があるのかは怪しい。

 振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 全ては一瞬が連続する。

 

「――!」

 

 まず同時に二人が察知したのは人払いの結界に侵入してきた存在。

 それに対する驚愕が二人の動きを一瞬だけ止める。

 白詠澪霞。

 戦線離脱させられたはずの彼女が再び現れる。他ならぬ吉城の手によって落とされたからこそ動揺が生じた。増援を警戒していなかったわけではない。寧ろ、警戒していたからこそ先ほどの段階で澪霞を落としたのだ。殺すつもりはなかったし生かすつもり別になかったが少なくとも戦闘不能にはしたはずだった。そのあたりの手際には自信があったから動揺し、さらにもう一瞬動きが遅れた。

 

「……!」

 

 そしてその時すでに遼は動き出していた。

 当事者であった吉城と傍観者であった遼との差だ。

 生じた一瞬を使って体を半身にして顎斧の軌道から逃れる。紙一重の回避。顎斧の風圧だけでも吹き飛びそうになるがそれを気にしている暇はない。

 そして次の一瞬で――地面に食い込んだ顎斧を蹴り飛ばした。

 

「な――!」

 

 無論大質量の顎斧がそれだけで吹き飛ぶということはない。闘気を込めていたから幾らかはズレたがそんなことは重要ではなかった。

 大事なのは遼の脚が顎斧に触れたこと。

  足場がコンクリートでも地面でも中空でも水でも炎でも――敵の武器だろうとあらゆるものを十全の足場とする赤兎を宿したその足で!

 

「スゥ――」

 

 息を、吸う。

 蚊斗谷吉城の切り札は猟犬の顎。 

 ならば飛籠遼の切り札――なんてものは実は存在しない。

 必要ないのだ(・・・・・・)

 練り上げられた闘気。

 磨き上げられた武威。

 積み上げられた状況。

 それら全てが噛み合えば、飛将の一撃は必殺に足りえるのだ。

 ――噛み合う。

 

「はああああああああああ――!!」

 

 吐いたのは裂帛の咆哮であり、放たれたのは無拍子の裂槍だった。

 切り札を切った直後だったからこそ吉城は回避などできるはずもなく。

 裏切りの将は猟犬を仕留めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「急所は外しました。応急処置が自分でできるのなら頑張ってください」

 

 吉城の血で濡れた戟の血を振り払いながら、倒れ伏した吉城へと遼は告げる。手の中の柄を滑らして短く持ち直し、制服の内ポケットから眼鏡を取り出し装着する。

 戦いの終わりを確りと区切るように。

 

「……どういうつもりかな」

 

 腹や口から少なくない血を流し、意識を朦朧とさせながらも吉城は言葉を紡いでいた。受けたダメージは大きい。実際に仰向けにぶっ倒れて動くのも億劫だ。動けないこともないが、自分のとっておきを超えられた。澪霞という乱入者があったから故だが理由になどならない。

 気を取られた方が悪いのだ。

 顎斧を足場にされた時点で負けたと思った。

 まぁ殺されたり、死んでも仕方ないなとも。

 なのに、致命傷すら受けずに済んでいる。

 

「無益な殺生は好みませんので」

 

 しれっと(・・・・)返した遼は既に歩き始めていた。

 吉城から背を向けた歩みに迷いはない。

 

「それにただ使われただけの犬を縊り殺すほど鬼ではありません」

 

「皮肉にしては最高だ」

 

 傷口を押さえ、簡易的な術式で止血をしながら嘆息する。

 

「敗者の責務か。甘んじ命を拾わせてもらおう。リルナは……ま、どうにかしてるだろう。ただで死ぬような娘じゃないし、死んだら死んだでそれまでだ。生きてたら彼女も見逃して欲しいけどね」

 

「敗者というには注文が多いですね」

 

「悪いね。ついでにもう一つだけいいかい?」

 

「なんです?」

 

「君を裏切った彼女と会って――どうしたいんだ?」

 

 それは物言わぬ武器がずっと思っていたことだった。

 飛籠遼は自身を裏切ったかつての主を追いかけている。

 どうして。

 何がしたいのか。

 別に知ってどうこうなることはないが、純然たる興味故の質問だった。

 そんな問いかけに、遼の背中が止まった。

 止まって、振り返る。

 

「決まってるじゃないですか」

 

 その顔には笑みが浮かんでいた。

 笑っているけれど、怒っているような、疲れているような、楽しんでいるような、それら全部を混ぜてしまったような――そんな苦笑。

 

「僕は――裏切り者ですよ?」

 

 




次話エピローグ。

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ファースト・エンディング

 

「飛籠遼という彼は結局のところ苦労人なのだろう」

 

 雨宮照はファーストフードのチェーン店でブラックコーヒーを啜りながら言う。

 

「転校して一週間でもう既に学校のアイドルになってしまっただけれど驚くべきはその包容力だ。イケメンといえば彼以外にも生徒会顧問兼用務員兼ゲーム遊戯部顧問の津崎駆もそうだけれど、同じく大人気の養護教諭雪城沙姫との交際を公言している分告白されたりラブレターを貰う回数は彼より多い。近づきがたいクール系の津崎駆よりも人当りのいい彼の方が人気が出るのも当然だけれどね。そんな彼のことを指して僕は声を大にして言いたい。彼こそは類稀なる苦労人であると」

 

「……はぁ」

 

 休日にいきなり雨宮に呼び出されファーストフード一食分を半ば強制的に奢らされた流斗は曖昧な返事を返した。席に付いていきなりそんなことを言われれば誰だってそうなるだろう。今日ようやくまともに動くようになった指でポテトをつまみながらいつものように長ったらしい雨宮の話を聞く。

 

「転校というのは良くも悪くも生徒にとっては大きなイベントだ。小学校中学校高校でもそれは共通するし、大人になって社会に出ててからだって転勤もまた大事だ。既存のコミュニティに新しい存在が加入してくる。それは例えどんな状況であろうとも変わることのない一大事だ。受け入れる方からすればイベントで、受け入れてもらう方からすればストレスフル極まりないけれどね。そんな中で彼はよくやっている」

 

 月曜日深夜に起こった『猟犬』蚊斗谷吉城と『鉄竜巻』リルナ・ツツとの戦いから既に五日が経過していた。その五日間は流斗も澪霞も全て療養に費やしていたのだが。実際、二人は特に流斗の方は酷かった。澪霞は全身の衰弱、一体何をどうしてああして駆けつけられるようになったのかは結局口を開いてくれなかったが、一時的に回復していた彼女もぶり返すように倒れていた。流斗は流斗で四肢がほぼ使い物にならなくなり、海厳とリルナ打倒の報酬として『護国課』から送られた治癒術師のおかげでなんとか回復していた。大きすぎるダメージを追って『神憑』としての強度が下がっていたから治癒術式も聞いたらしい。最も三日目あたりに外見が修復してからは術式の類は効果を無くしてしまっていたのだが。

 なんとも面倒な身体だ。

 その面倒な身体がようやく動けると思ったら測ったようなタイミングで雨宮に呼び出されたのである。

 

「ここ一週間彼は多くの女生徒から告白されラブレターを貰っている。あのイケメン振りと性格の世さならまぁ納得だ。そしてそれら全てを彼は断っている。これも良くある話だろう。肝心なのはこの先さ。彼は告白してきた、ラブレターを送ってきた女生徒たち全て丁寧な返事を見せている。告白されたならば断った上で相手の長所やきっといい人が見つかりますよ的なことを、ラブレターを送ってきた相手には態々便箋を用意してまた似たようなことを綴って送り返している。いやはやこれには僕とて驚かざるを得ない。告白してきた彼女たちは言ってしまえばほとんどが外見だけに惹かれて勝手に一目惚れした。彼からすればほとんどが見知らぬ女生徒で勝手に惚れられたというのに驚くほど真摯に丁寧に対応している。対応した女生徒は二桁越しているというのに。おまけに全員の名前も忘れないという」

 

「なんというか、よくやるな」

 

 それが正直な感想だった。

 自分だったらもしそんな状況になればいくら女の子から告白されまくっても嫌気がさしているだろう。

 流斗の素直な感想に雨宮はニヤリと笑いながら頷く。

 

「そう。よくやるな。この一言に尽きる。最初の内は彼のモテ具合多数の男子生徒が嫉妬していたがこの話が広まるにつれてこう思うことによって嫌がらせなどは起きていない。普通ならば、できないからね。だからこそ僕は彼が真正の苦労人であると思うわけだよ」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら雨宮は言葉を続けて行く。

 

「一体どういう風に過ごせばああいう性格ができあがるんだろうね。よっぽど周りが高尚だったのか、よっぽど周りが最低だったのかどっちかだろう。どっちにしてもアレは人が善い。善過ぎるとさえ言ってもいいね。別に性善説なんてものを主張する気はないしだからといって性悪説を心情にするつもりもないよ。善悪なんて主観客観入り混じれば女心と秋の空のようにすぐ変わってしまうわけだしさ。そのあたりのことを加味しても飛籠遼のキャラクターは善性に傾きすぎている。ほら、偶に知ったかぶりの人間が誰にでも優しいということは誰にでも冷たいということだ、なんて言うじゃないか。僕からすれば下らないにもほどがある。得てしてそういう本物(・・)はいるものだよ。そんなことを言って貶めようとするのは単純に嫉妬しているか、そうして貶めないと存在を認められないかだ。誰かが好きだけれど誰かは嫌いだなんて人間ならば当然のことなのに、誰もが好きなんて言える本物がいれば、それが正しくて、自分が間違っていると思われてしまうということもあり得るからあまり責められないけれどね」

 

「そうか」

 

 ぶっちゃけ八割くらい何を言っているか解らなかったがとりあえず流斗は頷いておいた。

 それを知ってか知らずか雨宮は笑みを浮かべたままに長ったらしい薀蓄を続けて行く。

 多分気づいているだろうけど。

 

「そして飛籠遼は間違いなく本物だ。本物の苦労人だ。或は本物の自虐家とさえ言ってもいいだろう。恐らく彼は自分への評価が著しく低いのだろうね。自分に何ができて、自分がどういう立場かをはっきりと認識し、その上で自分というものが取るに足らないと断じている。だからああいう風に他人から受ける関心を受け止め対応できるのだろう。多分彼は知っているんだ、自分が取るに足らない存在であると思わせるような何かを」

 

「根拠は?」

 

「告白やラブレターの返事に相手への褒め言葉が送られるとは言っただろう? そしてその上で必ず明確に伝えられることがある。――意中の人がいます。彼ははっきりと告げているそうだ」

 

「……」

 

 つまりそれは――彼女(・・)のことなのだろう。

 飛籠遼から飛び去ってしまった鳳。

 ――あぁ、だからだ。

 だから、籠なのだ。

 飛将の飛に呂のもじりとかつて戦友だったという張遼から得た遼。遼の出生を知った後ではこれらはなんとか思い浮かんだが、籠だけは不思議だった。

 彼自身が籠だったのだ。

 どこにでも飛び立てるような鳳が羽を休める為の鳥籠。

 それが飛び立ってしまったわけだから皮肉が効いてる。

 

「恐らく彼はその意中の女性とやらにベタ惚れなのだろう。他の存在に分け隔てなく優しくできるくらいに。多分その彼女は感情的な性格なんだろうね。無茶振りとかに慣らされているから大概のことを受け入れられる。まぁだからこそ彼がその某と一緒にいないのが不思議だけれどさ。なんとなく忠犬ぽいのに一緒にいないのは不思議極まりない」

 

「……」

 

 その彼女に裏切られたからだ、なんて流石の流斗でも言えなかった。

 しかしこうも思う。

 もし自分が親しくしていた誰かに手ひどく裏切られたらどうするのか。

 駆や沙姫だったら驚かない。雨宮だったら、まぁいいかくらいに思うだろう。

 じゃあ澪霞が相手なら。

 そう考えたが、その結果が年末のアレだ。

 ブチ切れてお互いを殺しかけたなんて本当に笑えない。

 

「ま、僕の転校生における見解はこんなものだ。さて、そろそろ帰るかな」

「ん? 話は終わりか」

 

「終わりだね」

 

「なんで俺は休日に呼び出されて転校生の話なんて聞かされたんだ?」

 

「君は彼と仲良さ気らしいからね、僕の考えが君たちの関係の助けになるのなら幸いだね」

 

「そりゃどうも」

 

 押し付けがましいといってもいい雨宮の言葉に肩をすくめる。このあたりいつものことだし。

 

「後はそうだね。ちょっと思ったんだよ。彼がその意中の女性に自分の全てを捧げているなんて――まるで君が憧れている在り方なんじゃない?」

 

「――」

 

 そうだから荒谷流斗は飛籠遼を好きになったのだ。

 遼は何時だって言っていた。誰もが、『どうせお前が裏切るから』と言って裏切っていたと。

 そういう風に言って彼は苦笑していた。仕方なさそうに、それがどうしようもないことであるかのように。裏切られ続けてきた彼は、それでも歪むことなく己の在り方を貫き、自らの下を去っていた主を求めていた。

 だから流斗は遼のことを好きになれた。

 周囲がどうであれ、自分の意思を抱く遼のことを。

 

 そういう奴を荒谷流斗は好きだから。

 澪霞のことがなくとも、それが理由で喧嘩してもよかったくらいに。

 

「くくっ」

 

 形のいい顎に右手を当てながら雨宮は笑う。

 冷たい太陽は嘲るように、慈しむように。

 

「君がそういう風に思える相手と出会えることを願っているよ――心からね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや奇遇ですね、こんなところで」

 

「おぉ奇遇だな。何してんだ」

 

 立ち去った雨宮と入れ替わるように何故か遼が現れた。最初あった時に来ていたような落ち着いた色合いの私服である。手にはハンバーガーやらポテトが乗ったボード。

 

「せっかくの休日ですよ? それも引越ししてから初めての。散策くらいして当然でしょう」

 

「そりゃそうだ」

 

 言われてみれば流斗だってずっとこの街に住んでいるのに意味もなくフラフラ出歩いたりしているのだ。自分が言えた義理じゃない。

 

「君は何をしていたんです? もしや澪霞さんとデートですか?」

 

「なんでそんな考えが出てくるんだ。普通に親友と飯食ってただけだよ。くっそ痛い身体引きずられて奢らされて勝手に帰られたけどな」

 

「親友」

 

 その言葉を噛みしめるように遼は呟く。それから先ほどまで雨宮が座っていた席に腰かけた。勝手にレジで注文して勝手に座っていた雨宮とは違ってちゃんと断りを入れてだ。しばらく遼は食事に集中し、流斗は残っていたポテトを平らげ食後の珈琲を少しづつ飲んでいた。

 食べ終った遼が一度息を吐き、真面目な表情で口を開く。

 

「ありがとうございました」

 

「あ?」

 

「いえ、君たちはずっと治療中でちゃんと話ができなかったでしょう? こんな場所でなんですが改めてお礼を言おうと」

 

「気にすんなよ、俺が勝手にムカついて勝手に喧嘩しに行っただけだぜ。お前は何も悪くない」

 

「……ありがとうございます」

 

 今度は真面目な顔じゃなくて例の苦笑だ。久しぶりに見たし、これまで見たのは二回だけれど、どうにもしっくり感じた。真面目な顔されるよりこっちの方が流斗は好きだ。

 

「僕が悪くない、か。そんなこと言うのは君が二人目ですよ。よくそんなこと言えますね。僕は裏切り者ですよ?」

 

「知らねぇって。お前俺のこと裏切るの?」

 

「そんなつもりはないですけれど」

 

「じゃあ、いいさ。言っただろ? 俺はお前のこと結構好きになったんだぜ。だったらそんだけで十分だろ」

 

「君は馬鹿ですね」

 

「いいこと言ったつもりだったんだけど馬鹿にされた」

 

 まさかの罵倒に首を捻るが、遼には見下すような表情を浮かべていなかった。寧ろ楽しそうに、年不相応に幼く笑っていた。

 

「君は馬鹿です。悪くない、えぇいいものですね。僕みたいな捻くれ者よりずっといい」

 

「褒めてる?」

 

「えぇ」

 

「照れるじゃねぇか」

 

 別に照れた様子もなく流斗は答えた。

 

「ていうかお前が捻くれ者とか」

 

「君に比べたらずっと捻くれてますよ」

 

「そうかい。なぁ、お前これからどうするんだ?」

 

 問いかけたが、しかし興味自体は薄そうに見えた。実際特別気になったわけではない。ただ遼があまりにも褒めてくることが照れはしないが気恥ずかしくて話を変えたかったのだ。

 

「別に、どうにもしませんよ。当分は普通にこの街で高校生を続けます。『猟犬』たちは『護国課』に引き渡したわけですが、結局彼らは使い走りですしね。大事なことは特に知らないらしいですし。困ったことに進展は無し。向こうの出を待つしかないんですねこれが」

 

「追いかけなくていいのか?」

 

「いいんですよ。散々振り回されているのですから、少しくらい焦らしたって文句は……言われるでしょうがばちは当たりません」

 

「最高だぜ」

 

 流斗は笑って、遼もまた笑った。

 口端を歪めるとか仕方なさそうな苦笑じゃなくて、年相応の屈託のない笑みだ。

 

「まぁ頑張ってくれ。できることがあったら俺も手伝うぜ。適当に言ってくれ。俺も適当にお前のこと頼るから」

 

「えぇ。適当に言ってください。僕も適当に君を手伝います」

 

 適当に。

 此方側に属する以上はその適当さで命の掛け合いをするわけだが――それぞれ大事なものは他にある。

 流斗は言うに及ばず遼だって、一番大事な物をいく(・・・・・・・・・)つも(・・)は抱えられないのだ(・・・・・・・・・)から(・・)

 二人ともよく似ている。

 それぞれ大事なものが、大事にしたいことがあってそれ以外に意識を向ける余裕が少ない。

 失いたくないのなら、手を伸ばすなり、抱えるなりし続けなければならないのだ。

 だからまぁ気楽に適当に。

 男同士なんてそんなもので十分だと、流斗は思う。

 そしてもう一つだけ思った。

 

「なぁ遼」

 

「なんです?」

 

「お前さ、なんで追いかけようと思ったんだ?」

 

 酷いこと言われて、酷い扱いされて。なのに何故遼は彼女を追いかけているのか。そんな風にされた復讐とはどうしたって思えなかった。

 追いかけてどうするか、ではなくて、どうして追いかけるのか。

 似ているようで、少しだけ違うその問いかけに遼は僅かに首を傾げて考える。

 それからやっぱり苦笑して、

 

「――仕方ない人ですからね」

 

 

 




一章終了。
次はキャラ紹介。
落ち拳の更新も復活するのでまたペース乱れます。

次章、穢れた英雄の青い空(仮)

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first Characters

 

名前:飛籠遼

所属:護国課(出向中)

評価:極東式・ロ級 世界共通式Bランク 中華八卦式・離

備考:承継者(サクセサー)・呂布奉先。

 三国時代の武将呂布奉先の末裔。その血筋故に幼い頃より周囲から迫害されていたが、ある少女と出会い己を全てを捧げることを決める。だがその少女に裏切られ、彼女を追う為に日本、白詠市へと至る。現状手掛かりがないので、街の姿勢。学校の人気者になりながら日々を過ごしている。

 高レベルの武術を保有し、闘気の練度も高い。また呂布の承継者として幾つかの能力、移動補正術式『赤兎』や聖遺物奉天画戟を保有している。それでもその能力は未だ発展途上であり、今後成長の仕方で様々な形で呂布の力を発現されると期待されている。

 

 

 

 

名前:長光カンナ

所属:無し

評価:極東式・イ級 世界共通式・Sランク

備考:『一騎刀閃』

 刀鍛冶を生業とする女性。同時に極めて高い戦闘力の持ち主でもあり、津崎駆を追い詰めた五人の内の一人。また数少ないイ級保有者。此方側の人間にしては珍しいほどの常識人であり人格者。護国課の人間を相手に仕事をするのが基本であり、特定の場所に所属しているわけではないが、各組織との繋がりは多い。

大量に刀剣を生み出し、それを使うという戦闘スタイル。言ってしまえば『猟犬』の上位互換でもある。

 

 

名前:蚊斗谷吉城

所属:傭兵ギルド『宿り木』

評価:世界共通式Bランク

備考:『猟犬』

 傭兵ギルド『宿り木』戦闘班副班長。高レベルのPSIの使用者。遼に倒された後は護国課にて拘束されている。

 生まれつきPSIの持ち主だったが幼い頃は操作できず、周囲から孤立し、それゆえにPSIの研究をしていた結社に身柄を数年間拘束されたがその後『宿り木』が仕事でその結社を壊滅させた折から、『宿り木』に所属するようになった。

 

 

名前:リルナ・ツツ

所属:傭兵ギルド『宿り木』

評価:世界共通式Bランク

備考:『鉄竜巻』

 傭兵ギルド『宿り木』戦闘班班員。衝撃の再収束という術式と旋根を用いて戦う少女。幼い頃に全身に特殊な術式を刻み成長が止まり、その分の筋肉密度等を上げている。荒谷流斗と白詠白詠澪霞に倒された後は護国課にて拘束されている。

 曰く、くそったれの生まれ。人を殺すことに躊躇いはないがそれに酔うことはせず、ただ依頼に従って動くことを信条としている。一度だけ『神憑』にほんの僅かだけ関わったことがありその際酷い目に会ったため蛇蝎の如く彼らを嫌っている。最もこれ自体は別に珍しくないのだが。

 

 



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episode2;穢れの英雄と焦がれる空
リレイションズ・ヒーロー


「人間関係――例えば英雄

 ……英雄だ人間関係かだって? そう、答えは是だよ。君は果たして英雄と聞いて何を考えるかな。御伽噺の主人公? ゲームやアニメの主人公? 歴史上の偉人? 或はもっと身近な誰かとか、特撮ヒーローとか。時代や男女によってそれらの対象は大きく変わるだろう。場合によってはどうでもいいとかいう今時の若者らしい答えもでるかもしれないね。

 なにはともあれ英雄。

 例えば僕は同級生たちから魔女なんて風に呼ばれている。僕としては不本意は甚だしいけれどさ。風来坊とか人形、なんてものは割かし的を射てると思うけどね。そんな僕だけどまぁいきなり僕が英雄を名乗りだしても誰も僕をそうとは呼ばないし、認識しないだろう。大体そんなものだ。

 そう、英雄とは名乗るものではないのだよ。

 英雄とは呼ばれ、讃えられ、称されるものだから。

 英雄とは一人きりでは生まれないんだよ。

 大体の英雄は一人ぼっちだけどね。

 彼は基本的にはただの一般人だった。一般人として生まれ、一般人として生き、一般人として死ぬはずだった。けれど往々にして彼らには苦難が訪れる。それは自然の暴威であったり、権力者の圧制であったり、幻想の魔獣であったり、無情な戦乱であったり、はたまた神の試練であったり。誰もが膝を降り、涙を流し、嘆く中で英雄は立ち上がる。

 憎しみで、怒りで、愛で、本来抱くはずだった当たり前の、けれど誰もが忘れてしまった想いを胸に理不尽に牙を剥く。

 我慢できなければやればいいとか、君はそんなこと思ってるだろ?

 我慢できないことに対して立ち上がるというのがどれだけ貴いことなのか、君には解らないだろうね。

 やるやらないじゃない。

 普通の人間には――できないんだよ。

 どうせ誰かがとか押し付け合って身動きが取れなくなるんだ。

 笑える話だけれど、笑えない。

 そんな笑えない状況が英雄を作るんだ。

 そう、英雄なんてそんなものだ。

 恰好良くて、凄くて、強くて、鮮やかで、煌びやかで、輝いてて――その他大勢に祭り上げられている滑稽な存在なんだ。

 ここは笑い所だぜ。

 英雄。

 英雄。

 英雄――秀でて勇ましい。

 彼らはね、何かが振りきれてるんだ。英雄っていうのは、そういう風に祭り上げて、特別視しないと周りの人間は正気を保てない。自分たちができるはずのないことを当たり前のようにやってのけるということは貴くて、気持ち悪いんだ。

 そう、気持ち悪い。

 理解ができない――だから気持ち悪いし、怖い。

 英雄とは賞賛であるのと同時に目隠しでもある。そうやって自分たちとは別の(・・・・・・・・)生き物だということ(・・・・・・・・・)にしておけば理解できないのも仕方ないって言い訳できるからね。

 繰り返すけれどその他大勢は悪くない。社会に於いては飛びぬけている方が悪いんだし。

 ただ胸糞が悪いだけ(・・・・・・・・・)()

 一見上手くいっている歯車もいつかは狂っていく。

 だから英雄譚の結末は悲劇で締めくくられる。

 英雄はたった一人で怪物を打ち破る。

 けれどたった一人の英雄はその他大勢に打ち破られてしまうものだ。いや、その他大勢だけじゃない、信じ合っていたはずの共に、愛し合っていたはずの女に、護るべきだったはずの家族に。

 彼らは殺されるんだ。

 だって物語が終わってしまえば英雄なんてのは必要ない。

 隣人がとんでもない力を持っているなんて安心して夜も眠れないのだから当然さ。

 いいかい、英雄とは誰かに認められることによって生まれるんだ。誰かなんかすごい奴がいて、なにやら大変なことがあって、その誰かがその大変なことをなんとかしちゃって、それを理解できないその他がいることによって産み落とされる。

 本人の意思なんてものはありはしない。

 馬鹿みたいだろ? 下らないと思うだろう? 

 全くもって同感だ。世の中には下らないことはいくらでもあるけれど、英雄なんて概念は最たるものの一つだね。

 人々の怠慢が。

 人々の脆弱が。

 人々の諦観が。

 異常を讃え。

 異端を称し。

 極端を抱え。

 胸糞悪い現実が――幻想の英雄を生み出すんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い部屋にキーボードのタイピングが響いていた。

 恐ろしく、速い。まるで子供が意味もなくただカチャカチャ(・・・・・・)と遊ぶのと同じようなスピードで正確に思うが儘にタイピングを続けている。

 白衣の男である。

 二十代後半くらい。筋肉など欠片もついていないような痩身に、碌に手入れもしていない背中まで伸びる灰色の髪。それでも顔立ちは意外にも端正だ。くたびれたスラックスとカッターシャツの上にさらに小汚い白衣を着ているその様は科学者という言葉を連想させるものであり、事実彼は科学の徒であった。

 そんな彼は薄い笑みを顔に張りつけながらノートパソコンを操作し続けていく。

 そして、彼は薄暗い部屋に一人きり、というわけではなかった。

 

「ねぇ博士」

 

 キャスターの椅子に腰かけていた科学者の背後、同じ規格の椅子に青年が腰かけ、その隣には一人の女が背後に控えている。

 奇妙な二人だった。

 別に服装や外見には問題ない。青年の肩辺りまで伸びた黒髪はきちんと手入れされているし、着ている服にしてもそこそこ上等なものだ。顔立ちも悪くない。その背後に立つ女性に関しては間違いなく美人と呼べるた。だが絹のような銀色の髪はざっくばらんに一括りにされているし、洒落に興味がないのか動きやすさを優先した格好だが妙に嵌っている。

 奇妙な点は二つ。

 まず女の腰、そこに女性には不釣り合いな剣帯と左右の腰に短めの直剣一つづつ吊るされていること。

 もう一つはその二人の雰囲気だ。

 青年は笑っている。けれどそれは楽しいから面白いからとかではなく、そういう顔なのかと思わせるほど完成されている。完璧に、貼り付けられた笑みだった。胡散臭さ極まりない。

 対照的に女には表情を見せなかった。人形のよう、というよりは表情筋を固めて動かなくしたみたいに。鉄仮面でも被っているようでピクリともしない。目を伏せ口を開かず息すら殺し青年の背後に控えている。

 表情が無いというよりは、隠しているという感じ。

 

「何かね」

 

「いや、せっかく遊びに来た友達放っておいて博士は何をしてるのさ。僕は友達が少ないんだからそういうことされると悲しくて泣いちゃうよ」

 

「確かに私と君は友達だけれど君が勝手に来たんじゃないか。そして君に友達が少ないのは私のせいじゃないね。泣きたかったら泣けばいい。あ、でも泣かれると邪魔だから出てってくれ」

 

「酷い話だ。君もそう思わない?」

 

「特には」

 

「酷い話だ」

 

 青年は一人でしたり顔で頷く。

 

「にしても博士は今なにを研究してるんだい?」

 

「妖魔についてちょっとね」

 

 科学者はタイピングの速度を一切緩めることなく、それでも口だけは背後の青年に言葉を返す。

 

「妖魔とはなんだかよくわからない。だからまぁとにかくなんかそれっぽいものを人工的に作ってみたんだけどね。どうにも難しい。やはり人の想念云々は調整が大変だね。統計が全然当てにならない。これと思った人間に限って予想外を叩きだす」

 

「大変そうだね」

 

「他人事のようだ」

 

「他人事だしなんとも」

 

「友達の事じゃないのかい?」

 

「僕が知ったかぶってもどうにかなるものじゃないし」

 

 呆れるくらいに中身の無い会話だ。最もそれに対し文句を付ける人間はここにはいない。女もまた目を伏せたまま黙するのみ。

 

「ふぅむ」

 

 青年が納得したように頷く。

 

「つまりその人工妖魔のせいでこんな風(・・・)になってるわけか」 

 

 青年の広げられた腕が示したのは――破壊し尽された室内だった。

 元々は設備の良い研究室か何かだったのだろう。かなり広い部屋で至る所にコンピュータや液晶テレビ、さらには大きなガラスの筒のようなものがあったのだろう。しかしそれら全て一つも残らずぶっ壊されている。部屋がやたら薄暗いのも照明が機能していないからだった。

 数少ない無事なものが科学者と青年が使っている椅子や机くらい。それ以外は何もかもが残骸だ。しかしちょっとやそっとの壊れ方じゃない。少なくとも人間が何かを振り回したり、また銃を連射したとしてもこうはならないだろうというくらい。

 まるで、化物とか怪物が力の限り暴れまわったかのように。

 

「恥ずかしながらそういうことでね。いやはや、別に研究施設なんていくらでも用意できるけれどここまで思い切り壊されると流石に困るね。私自身戦闘力なんてないものだからさ。実験体が暴れまわってる間頭抱えて緊急用の隠しスペースに入っていた甲斐があったよ」

 

「ホラー映画なら間違いなく殺されてるねそれ」

 

「現実様々だ。まぁホラー映画のように巻き込まれた一般人とか元軍人とかいなかったから普通に外に逃げられたけど」

 

「ホラーからモンスターパニックになってるじゃん」

 

「全くだ」

 

手を貸そうか(・・・・・・)?」

 

 さり気ない一言を青年が口にし、

 

「要らないかな」

 

 科学者もまたさり気なく拒否した。

 

「流石に私だって自分のケツくらい自分で吹くさ。実験体にも当然スペアはあるしね。データ取りも兼ねてその連中に対処させようと思ってる」

 

「悪い案とは思わないけど、良くはないよねそれ。博士がどんなの作ったかは知らないけど、この感じだと周りの被害凄いことになるだろうし」

 

「うぅむ、全くだ。私としても心が痛い」

 

 深く頷きながら科学者はようやくタイピングの手を止めた。本当に心を痛めているらしい。さらに何度か頷いて、

 

「――でも私の研究の方が大事なのは当たり前だろう?」

 

 にたり(・・・)と笑う。

 人々の平和よりも自分の研究の方が価値があると心の底から彼は信じていた。

 悪魔のように悪辣に。

 天使のように善良に。

 狂気する科学の徒は自分の言葉を疑っていない。

 そんな様に青年もまた笑みを深くした。

 

「博士のそういう所好きだよ僕は。君はどうかな」

 

「特にどうとも思いません」

 

 笑う男二人とは対処的に女は表情を動かさないままだ。

 

「ま、博士がそういうのなら僕はいいけどね。どうなろうと知ったことじゃないのは確かだし。頑張ってね」

 

「私は頑張らないけどね。私は頑張らせる方。頑張るのは私の実験体。いやぁ怪我の功名とは子のことだね。ちょっと前の試作型は幾つか作ってばら撒いたけれど大した効果はなかった。だから思い切ってグレードアップしたからどこで実験したものかと考えてたんだ。くくっ、あぁいいなぁ、これだから止められないなぁ」

 

 楽しそうに、げらげらと科学者は嗤う。

 嗤い続ける。

 荒れ果てて、壊れた部屋の中で狂気の科学者は己の叡智の為に。

 誰かが犠牲になったら――その時はその時だ。

 

 




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ストレンジ・シェイプ

 

「うお、とッ!?」

 

 腕に衝撃が通り、靴裏がコンクリートにめり込む。

ダメージはなくとも腕に受けた衝撃を逃がすことは今の流斗には不可能だ。だから力任せに腕にかかる質量を受け止め歯を食いしばり、

 

「先輩!」

 

「……」

 

 名前を呼ぶのよりも一瞬早く、背後から銃弾が飛来した。何発か体を掠めたような気がするが構わない。目の前のそれに着弾しバチリと白いスパークが弾け腕への負荷が弱まった瞬間に逆の腕を振りかぶって叩き込む。

 

「だらっしゃぁ!」

 

 ぶち込んだ瞬間、拳に形容し難い感触が伝わるがまとめて拒絶して殴り飛ばす。

 

「■■■ーー!」

 

 声になりきっていない音を発しながらソレは大きく飛ばされた。

 

「……ちっ」

 

 舌打ちは手ごたえの薄さからだった。確かに拳撃を打ち込んだが衝撃が通る前にソレは自分から背後に飛んでいた。実際十数メートル背後に吹き飛んでも途中で体勢を立て直し、見事に着地している。

 それは一言でいえばでかい猿だった。足と腕が二本づつあり、頭部と胴体もある。形としては人間にも近いが、背筋が曲がっていている。最も全身をどす黒い靄に包まれているからシルエット以外はよく解らない。

 なんだかよく解らないもの――妖魔だ。

 

「ふぅーー」

 

 低く唸る妖魔に対し息を長く吐きながら拳を構え直す。背後の澪霞が何をしているのかは解らないが、彼女なら下手なことはしないはずだ。戦闘のイロハというのは少しづつ学んでいるが、面倒なので澪霞に任せればいい。

 少なくとも今の自分に必要なのは、この戦闘という空気により深く慣れることだから。

 妖魔との戦いはこの三か月近く何度か熟してるし、春休みに入ったからは一日置きくらいの頻度で戦っている。少しは慣れているとは思うが、それでも今夜のレベルの奴は初めてだ。手古摺っているとは思う。

 最も無様を晒す気はないのだが。

 

 

 

 

 

 

 

「――ふむ」

 

 無様を晒す気がないと意気込む流斗と何を考えているのか解らない澪霞を少し離れた民家の屋根の上から遼は眺めていた。手には戟があり、普段付けている眼鏡はない。いつでも流斗たちの戦いに関われるという様子だ。

 無論怠けているわけではない。

 流斗と澪霞の修行故に実力が数段上の遼は待機していたのだ。或は観察して、指摘するのも彼の役目だ。最も同じことを別の場所で駆が似たようなことをやっていたりもするのだが。

 そして二人の戦いを見て思う。

 まだまだ未熟と。

 だが同時に未熟だけで済まないような違和感も。

 あの二人と出会い、特に流斗とは平常からそれなりに共に時間を重ねている。一緒に武術の稽古をすることもあるし、徒手空拳における戦闘方法について指示したことも何度かある。だから荒谷流斗の能力に関しては幾らか知っている。ある程度の器用さはあるが、極まった点はない。

 普通に戦えばまず負けない。

 ある程度流斗に有利な状況だとしても問題ない。

 殺し合いだったら――多分、それでも殺されることはないだろう。

 ただ、もしも互いにとって譲れないものを掛けたとしたら、解らない。ありとあらゆる面で上回っていたとしても、結果がどうなるか本当に想像できないのだ。気弱になっているわけではなく、心からそう思うのだ。『神憑』への予備知識だけではなく、荒谷流斗を知った上で思うのだ。

 事実として彼は格上だったはずのリルナ・ツツを降しているのだから。

 

「……くく」

 

 いつの間にか自分が笑みを浮かべていたことに苦笑する。未熟なのは自分も同じらしい。

 ちなみに澪霞は謎だ。大体事務的なこと以外であんまり話すことないし。流斗と澪霞の間に入るのも野暮だ。

 結構噂になっているのは二人は多分知らない。

 

「む」

 

 視界の先に動きがあった。流斗でも澪霞でもない。

 二人が相手していた妖魔に、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「■■■――」

 

「……なんだ?」

 

 妖魔の動きが変わった。それまで住宅や塀などを縦横無尽に駆け巡っていた妖魔が唐突に動きを止めたのだ。妖魔自身の移動で細かく亀裂の入った道の真ん中にそれは立ちすくみ、小刻みに震えている。

 

「■■■――」

 

 痙攣は徐々に大きなっていき、さらに黒い靄もまた蠢きだしていく。

 

「……?」

 

 背後の澪霞もまた微かに困惑し、脚を止めていた。そしてその間にも妖魔の蠢きは終わらない。

 少しづつ、その姿が変わっていく。二メートル近くあった巨体は縮んでいき、細見に。曲がっていた姿勢も幾らか矯正されて行けば、

 

「……人?」

 

 人間の形のそれだった。

 両足があり、両腕があり、頭部も胴体もある。人型の妖夢、というものは初めて見た。真っ黒なシルエット。これまで見たのは大体が何かしらの動物を模したものであることと黒い靄に包まれていることは共通していた。そもそも妖魔というのは人の負の想念が集まったよく解らないもの云々って駆や澪霞が言っていた。だから人にとって身近な生き物の形になるとも。

 けれど人の形そのものになる場合、それが意味するのは――。

 

「■■■――!」

 

「う、お!?」

 

「荒谷君ッ」

 

 妖魔が瞬発し、そのまま流斗へと殴り掛かり、思考が中断される。動きそのものは変わらず獣の動きだった。ただそれでもやはり人間の動きに近い。なんとなくそれに覚えがある。けれど考えている暇もなかった。大ぶりな動きで腕が叩き込まれ、それを腕で受け止めたら吹き飛ばされる。予想していなかった動きに反応が遅れて、受け止めきれずに身体が弾かれた。

 そのまま十数メートル吹き飛び、背後の突き当りの塀に激突する。

 

「いっ……たくないけど!」

 

 痛みはない。いや正確に言えば受け止め損ねた両腕に鈍痛があることはある。それでも問題はない。問題があるとすれば、

 

「先輩!」

 

 呼んでいた時、既に白い光を纏った澪霞は両手に握った拳銃を乱射していた。麻痺効果のある雷弾が妖魔に命中し――しかし妖魔の動きは損なわれることなく動き続けていた。電撃が靄の周囲に弾かれるが、それだけだ。

 

「――」

 

 切り替えは滞りなく行われた。雷弾が効かないことに一切の停滞を見せずに、次に動きを繋げている。拳銃が効かなかったから、裾から滑り出した符は突撃銃に姿を変える。流石に秒間何十発も放たれる雷弾には妖魔もたじろいだ。だが全身を振り回しながら、我武者羅に突進してくる。

 

「っ」

 

 小さく息を呑みながら、大きく跳躍し退避する。おまけに五指から鋼糸を伸ばし、妖魔を拘束する。

 だが、

 

「■■■――!」

 

「――荒谷君ッ」

 

 糸を引きちぎり、人型はそのまま流斗へと向かってきた。

 

「おいおいちょっと待てって」

 

 瓦礫を振り払いながら手間取っていた流斗は、また反応が遅れた。大きな音を立てて迫ってくる人型妖魔に対し反撃も防御もできない。

 迫ってきたシルエットに思わず、顔が引きつって、

 

「――シィッ」

 

 飛び込んで来た飛将の一撃が妖魔を穿つ。

 

「遼!?」

 

 思わず名前を叫んだが、飛籠遼はしかし構わずに妖魔に戟を振るう。突進してきた妖魔の勢いを利用した刺突により、人間でいう心臓の部分に戟が刺さっていたがそれを無造作な前蹴りと共に引き抜く。

 

「妖魔相手だと加減が要らないので楽ですね」

 

 呟きながら、一息に五閃。放たれた斬撃が刺突痕を中心に炸裂し、人型妖魔を吹き飛ばす。先ほど流斗が受けたものの比ではない。斬撃であるにも関わらず、連続する斬撃の衝撃の衝撃が大きすぎたのだ。戟を振りぬいた遼はしかし、何食わぬ顔で流斗へと振り返る。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……おう、助かったわ」

 

 手の平を数度握り直し、ふらつきながらも立ち上がる。 

 頭を何度か振って、

 

「アイツは」

 

「さて?」

 

「……逃げられた」

 

「先輩」

 

「おや」

 

 足音も澪霞が現れた。全身の白光を消しながら息を付き、二人を見回し言葉を吐く。

 

「飛籠君に飛ばされて、そのまま逃げられた。探知にも引っかからないし、私はこのまま追いかけるから荒谷君はお爺様に報告をお願い。飛籠君も探索に」

 

 流斗と遼が何かを言う前に澪霞は立ち去っていた。台詞に感情は感じることはないが、その忙しさから思うことはある。

 

「焦ってんのか先輩」

 

「僕には焦っているようには見えませんが。拙いことは拙いですね、行動の速さも納得ですし」

 

 澪霞の背中が遠ざかり、すぐに見えなくなっていく。その光景を眺めながら、流斗の疑問に遼が応える。

 

「人型の妖夢、といのは滅多に出現するものではないですし、出た場合は非常事態です。対応が遅れる場合街一つ壊滅してもおかしくないんですねコレが」

 

「あのさ、お前らの話スケールでかすぎていまいちピンと来ないんだけど」

 

「ですが、本当にそれなら先ほど流斗が攻撃された時点で上半身弾けてもおかしくなかったですし、僕の斬撃も普通に喰らってましたし、色々不自然ですね」

 

「あれ俺何気に死ぬところだったのかよ」

 

 まさかの情報に背筋に嫌な汗が流れる。しかし此方側に関わって来てから碌な情報に出逢ったことがないなんて今更の話だった。だから切り替えて、遼の話を吟味し、首を傾げた。

 

「つまり、人型にしちゃあやたら弱かったってことか? 最初からそれっぽい猿だったけどさ」

 

「人型と猿人型は似てるようで違いますからねぇ。まぁ実際似たようなか性質でも強弱で判別することはあるんですが」

 

「曖昧だなー」

 

「最初の時点では流斗と澪霞さんが苦戦するくらい。人型になった後にしても僕なら然程問題ないレベル。それだけだとお猿さんで済ましていいんでしょうけど、シルエットは完全に人間でした。つまり」

 

「つまり?」

 

「――意味不明です」

 

「さよけ」

 

 遼が意味不明なんて言っているのだから流斗に解るはずもない。人型云々の話にしても事前の知識で思い出せるのはなんかすごい強いレベルだけだし。

 だが、だからこそ澪霞はいち早く人型の探索に行ったのだろう。海厳への報告すら流斗に任せるほどに彼女は焦っている。

 この街を守ることを使命としている彼女だからこそ。

 

「んじゃこんなとこで駄弁ってる暇ねーな。俺、あの爺さんとこ行ってくるわ。お前さんも頼むぜ」

 

「えぇ勿論。この街、結構気に入ってますので」

 

「そりゃいいぜ」

 

 互いに笑って、共に拳を合わせる。

 そのまま遼は駆け出し夜の街に消えていき、流斗もその場から白詠の家へと駆けだしていく。海厳に報告することに加え、駆にも話を聞いたほうがいい。あの男なら自分たちが解らないことも、何か解るかもしれない。

 何も解らないから、動くしかないというのはもう慣れたことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ、はっ……あ……」

 

 果たして、自分は何をやっているのだろう。

 ただただ体中が痛くて、固い地面を這いつくばっている以外何も解らない。指先を動かすのも怠くだが同時に体を蝕む痛みが痙攣を発生する。だから結果として地面の上でもがいているのだ。

 なぜそんな様を晒しているのか、彼には解らなかった。

 体の痛み、特に胸から生じる激痛が思考の全てを阻害している。

 襤褸切れのような服は血と土に汚れて見るも無残な有様だ。けれどそんなことも解らず彼はただ荒い呼吸を繰り返していたし、その呼吸も徐々に弱まっていた。

 命の炎が消えていく。

 

「……かはっ」

 

 血の塊が吐き出されるが、量は多くない。

 それだけ血を流し過ぎているのだ。どこかの路地裏には光は入らず、彼の血が泥濘を作っていた。最早死体とあまり変わらない。時間の感覚すらなく、今が夜明け直前ということにも彼は気づいていない。いや、気づいていたとしても何も変わらなかっただろう。

 少なくとも今の彼にできることなどないのだから。

 そのまま彼は死んでいく。

 死んでいく――はずだった。

 

「……え?」

 

「……ぁ?」

 

 たった一人の少女に出逢わなければ。

 穢れた英雄が、その真っ青な空を見上げることがなければ。

  

 だからここに――英雄譚は幕を上げた。

 

 




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ブルー・ミーツ・ブルー

大分お待たせしましたー


 

 意識の浮上はあまりにもゆっくり行われた。

 底なし沼から浮上するかのように、眠気と気怠さと疲労と痛みが全身に絡みつきながら目覚めていくのだ。そしてその覚醒もまたはっきりしたものではない。断続的に睡眠と覚醒を繰り返していく。だから自分起きているのか寝ているのか、それすらも曖昧だ。

 自分が今どういう状況なのかも解らない。

 自分が一体なんであるかも。

 ただ混沌だけが精神を支配していく。

 

「――ぁ」

 

 ようやく完全に意識が覚醒しても、身体は碌に動かなかった。

 瞼を開けるのも億劫になりながら、なんとか目を開けばぼやけた視界が天井を移す。よくあるような茶色い板張りのもの。全身を支配するのは鈍い痛み。特に胸の辺りは思わず呻き声を上げてしまう程の激痛が走り、身じろぎする。

 その時布の擦れた感触は体を包み込む毛布か布団であるということに彼はようやく気づいた。

 

「!?」

 

 跳ね起きかけ、

 

「が……っ」

 

 声にならない悲鳴を上げるほどの痛みに体を悶えさせる。やはり胸、特に心臓部。まるで風穴でも空いているのかと錯覚してしまうほどの激痛。悲鳴は嗚咽なり、荒く掠れた息だけが碌に機能していない耳に届く。

 けれど聞こえてきたのはそれだけじゃなかった。

 

「だ、大丈夫!? ちゃんとしっかり深呼吸して!」

 

 彼の身を真摯に気遣うよな少女の声。それが誰なのかは解らずとも、身体は勝手にその声に従っていた。呼吸するだけでも痛みはある。けれどもそうしなければ始まらない。

 吸って、吐く。

 ただそれだけの当たり前のことがどうしようもなく、苦しかった。何度もせき込み、呼吸を重ねることでようやく落ち着いた。

 

「大丈夫?」

 

 背をさすり、口元を拭いてくれる誰かが、声を掛けてくれる。それに反射的に頷きながら、ようやくその誰かを見た。

 青い髪が、印象的な少女だった。

 

「大丈夫?」

 

 同じことを繰り返し心配そうな色を浮かべているが、どことなく快活そうな雰囲気がある。目を引く青い髪は肩のあたりに動きやすそうに切りそろえられている。 

 

「……あ、アンタは……?」

 

「ん、私? 私は……って、それどころじゃないよ。君は大丈夫? ちゃんと私の声聞こえてる? お腹痛くない? 減ってない? 目見えてる? 意識ハッキリしてる?」

 

「し、してる……してるから……」

 

「よかった!」

 

 答えに彼女は無邪気に破顔した。それから台所に行って水を汲んで来て渡してくれる。それを受け取り、喉に流し込んでからようやく辺りを見回す余裕ができた。

 マンションかアパートのシングルルームだった。

 キッチン付六畳一間の部屋にベットと箪笥やクローゼット。 

 それに――至る所に転がったり飾ってあるのが子供向けの特撮番組の玩具だった。 日曜朝からよくやっているアレだ。

 

「……ぷはぁ……っ……ここはどこだ」

 

「私の家」

 

「……俺は、なんで此処に?」

 

「家の前にずぶ濡れで倒れてたから拾ったんだよ」

 

「……」

 

 いやいやそんな昭和のドラマみたいな、なんてことを思って。

 それで、自分がどうしてそんな展開にあったのか、全く思い出せなかった。

 

「……俺、なんでそんなことに……?」

 

「お? なに、どうしたの? もしかして何も思い出せないとか? そんな一昔前の話とか」

 

「なにも、思い出せん」

 

「おう、まじか」

 

「あぁ……ぐっ」

 

 頷いた所で、胸に痛みが走った。

 心臓の位置に鈍く、しかし激しい痛み。呻き声が上がり、苦痛に悶える。

 

「ちょ、大丈夫!? あんまり無理しないで!」

 

「……はぁっ……はあっ……ぐっ」

 

 荒い息を吐きながらベッドに倒れ込んだ。それが部屋に一つしかないものだということに気づいたのは随分後の話だったが、今はそんな余裕はなかった。

 

「とりあえず、今は休んで。もうちょっと元気になったら、事情話してくれればいいから」

 

「っ……あ、あぁ」

 

「おーけぃ! あ、そうだ」

 

「……?」

 

 青い髪の彼女は、まるで真っ青な大空みたいな笑顔で笑って、

 

「私は空、葵空。君の名前は?」

 

「なま、え……」

 

 何も思い出せない。

 けれど、自分の名前だけはなんとか絞りだせた。

 

「椎名……椎名(シイナ)――(カイ)

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねっみぃ……」

 

 書類を手放しながら生徒会室の長机に突っ伏し、思わず言葉を吐いた。

 眠気が酷くて碌に頭が回らず、それしか言うことがない。

 昨夜人型妖魔が出てから、結局一睡もせずに流斗たち三人で街中を駆け巡ったがしかし見つけることはできなかった。身体への疲労はそこまでもないが、眠気というのは厄介なものでこの身体になっても無視はできない。今日一日の授業は半分くらい寝ながら過ごしていた。

 

「シャンとしなさい」

 

「……先輩は、平気そうっすね」

 

「慣れてるから」

 

「俺も慣れたいねぇ」

 

 頭を軽く振りつつ、備え付けのコーヒーメーカーでコーヒーを淹れようとして、

 

「あ」

 

 力加減を間違えて、コーヒーを溢れさせてしまった。

 

「……こっちも困ったなぁ」

 

 流斗からすればこっちの方が切実な問題。先のリルナ・ツツとの戦いに於いて、二発ほどかましてやった(・・・・・・・)だった流斗だがその際に両腕両足を再起不能レベルで酷使していた。『神懸』という性質故にある程度は回復したが、そこから先が一切状態が良くならなかったのだ。

 日常生活に支障がでるかでないかの、微妙なライン。

 物を摘むくらいならばできるが、箸が依然よりも扱いにくかったり、細かい加減ができなくなったりしているのだ。気を付ければいいのだが、今みたいに気を抜くとどうにも上手く行かない。

 

「……あの技は」

 

「はい?」

 

 零したコーヒーを拭いていたら澪霞が言った。

 

「あれはもう二度と使わないで――なんて言っても君は絶対に効かないだろうから言わないけれど」

 

「そりゃまぁ」

 

 積極的に使いたいとは思わないけれど。

 それでも、前みたいに我慢ができなくなって、相手が自分よりずっと強い相手だったのなら荒谷流斗は躊躇わず自分の腕を潰してでも戦うだろう。

 

「だから、可能な限り使わないで。やり過ぎれば……いつか本当に体が使い物にならなくなる。『神懸』だとしても、限界はある」

 

「……うっす」

 

「ん――それはそうと生徒会の仕事もして」

 

 机の上に山ほど詰まれた書類が指さされる。部費の申請書とか待遇の嘆願書とか生徒会への相談みたいなそういう奴。それらの区分別けとかが基本的に庶務職の仕事だが、いかんせん数が多いし手間がかかる。そういうことは苦手ではないが、今の体調では微妙に困る。

 あと大体内容が下らない。

 

「やっぱこう……部活とか同好会削った方がいいんじゃないすか」

 

「どうして?」

 

「いや無駄に数あるし、大体しょうもない奴だから……ほらこれ、今俺がだれた時見てたこれ。おかしいくないすか。なにそれ『リアルTRPG部』って舞台に使いたい場所あるから貸してくださいなら解るけど放火していい場所とかあるわけねーだろ。重罪だよ」

 

「…………花火くらいならセーフ?」

 

「いやいや」

 

 花火だって危ないことには変わりないのだ。

 去年の夏打ち上げ花火やロケット花火を並行に飛ばし合いながらやるガチ騎馬戦が夏休みあって大問題になったのだ。当時一生徒だった流斗も参加して最前線で打ち上げ花火抱えていたのだが。

 

「うちの学校はどうしてこう変にアグレッシブなんだ……」

 

 流斗も人のこと言えないが流石に生徒会に入った以上はあまり好き勝手動けない。

 嘆息していたら、スマートフォンが鳴った。

 

『駆だ』

 

「なに、どうしたんだ態々携帯で。まだ学校にいるんじゃないのか」

 

『ゲーム遊戯部でオンラインイベントに参加中なんだ……あっ、そうだ、それがフラグらしいぞ。逃すな』 

 

「おい、おい。何してんだアンタ」

 

『ははは、気にするな。それでだ。昨日のゲームの(・・・・・・・)強キャラ(・・・・)の話なんだが』

 

「おう」

 

 つまり謎の人型魔族のことだろう。

 

『俺は関わる気ないから頑張れ』

 

「……は?」

 

『じゃっ』

 

「いやいやいや! ちょっと待った! なんかこう、アドバイスとかないんかい!?」

 

『は? 甘えんなよ。最初に見つけたのお前らだろ。お前らでどうにかしろ俺は知らん。お前らが全員死んで街が壊滅しそうになったら俺が動くから、手間取らせるなよ』

 

「……気遣い有難すぎて涙が出るわ」

 

『そうか、それじゃあ頑張れ』

 

 電話が切れる。

 

「…………」

 

「無理もない」

 

「はい?」

 

「彼は私たちを困らせるのが仕事だから。宿り木の時だって動かなかったでしょう? アレは私たちがどうしようもなくなった時以外は動かないってことを忘れないで」

 

「……どうにも距離感がなぁ」

 

「契約と個人は別だから。慣れた方がいい」

 

「んじゃ先輩? 俺たちはどうするんすか? 放っておくとやばいんでしょ?」

 

「ヤバイ。でも、やることは一緒。見回りを行って、妖魔が出たら倒す。相手が奴なら可能な限り消耗させて、情報を集めて打倒する。それだけ」

 

「分かりやすい」

 

「いいでしょう?」

 

「全く」

 

「納得したなら仕事して。七時には出るからそれまでに終わらせて」

 

「ちなみにその後は」

 

「書類出して、ご飯食べたら、後は朝まで見回り。十二時過ぎたらそれぞれ三時間づつ仮眠。五時からは屋敷に戻って修行」

 

「ハード過ぎる! あ、そうだ。遼に助けてもらおう。アイツもいれば仕事もはかどるし」

 

「…………一般生徒に生徒会の書類を見せるのはよろしくない」

 

「いやいやアイツも関係者だし、漏らすような奴でもないし大丈夫ですよっと」

 

 スマートフォンを操作して、遼の番号を呼び出して電話を掛ける。澪霞のため息を聞いた後、数コール後に応答があった。

 

『もしもし』

 

「おう、遼。今大丈夫か」

 

『えぇ、どうしました?』

 

「いや仕事多いからちょっと手伝ってくんない? その後どうせ見回り行くじゃん? 夕飯も俺と先輩で食べて一緒に行こうぜ』

 

『ふむ……』

 

「どうよ」

 

『…………』

 

「おーい」

 

『いえ、遠慮しておきましょう』

 

「え、なんで? 助けてくれよお友達」

 

『いや自分の仕事は自分でしてくださいよお友達』

 

「ぐぬぅ」

 

 正論過ぎて反論できなかった。

 

『それに白詠さんもいい顔はしてないでしょう? 顔というか雰囲気というか空気というか』

 

「……まぁ確かに」

 

 横目で見た澪霞の無表情は変わらないが、不機嫌そうだ。

 

『でしょう、というわけで僕は僕で動きますから。あ、夕食も自分で取るので、先ほどテニス部とカバディ部とワンダーフォーゲル部の部長のお姉さま方に食事に誘われたのでそれに行ってから合流します』

 

「てめぇ満喫しす……切りやがった」

 

 てかなんだよワンダーフォーゲル部って。

 聞いたことねぇよ。

 

「おのれあの裏切り者め……」

 

「ほら、遊んでないで手を動かす」

 

「へいへい……」

 

 眠気って拒絶できないのかなとか思ったら心なし少しまともになった。すげぇけどなんか違う気がする。席に付き、また訳のわからん内容が書かれたプリントを手に取りながら冗談まじりで、

 

「頑張れの一言もないんですか?」

 

「頑張れ」

 

「……頑張りまっす」

 

 ちょっとやる気が出たは秘密だ。

 

 

 

 

 




なるべく更新頻度上げていきたいと思います。
ネタがたまりすぎて困る

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クラブ・ヒストリー

 

 

 椎名海の記憶喪失は所謂エピソード記憶の消失というものだった。

 今が何年なのかは知っている。基本的な計算や社会常識は弁えているし、日常生活も問題ない。だが、自分にまつわる記憶だけが完全に抜けていた。名前以外、自分のことが何も解らない。

 病院には行けなかった。空に拾われた時点で海は何も身分を証明できるものがなかったから。着の身着のまま。そんな様で病院に行ったらどうなるかは空も海も展開がどうなるか解らなかった。警察に行くのが一番だったかもしれないが、何故か海にはその選択肢に抵抗があった。

 そうして、結局海は空の家に居候していることになっていた。というより、碌に動けない海はそれ以外の選択肢はなかったのだ。

 幸いにもというべきか葵空は心優しい少女だった。

 見ず知らずの、身分もない上に記憶すらない海を泊めてくれて世話までしてくれたのだから。

 記憶喪失の海でも自分が怪しい人間であるということや、そんな奴の世話をするのは普通ではないということは解ったのだから。

 最初の三日間は碌に動けず、寝た切りで過ごした。食事は空が用意してくれたレトルトのおかゆを手ずから食べさせてくれたりもした。

 四日目の朝、ようやく海はなんとか動けるようになっていた。

 

「大丈夫?」

 

「……あぁ。もう、大丈夫だ」

 

 この三日間何度もも聞いた大丈夫という言葉に応えながら、貰った濡れタオルで顔を拭く。

 

「ふーん、顔色も大分良くなったね。よかったよかった。お粥以外も食べれそうじゃん」

 

「……あぁ」

 

「よっし! じゃあご飯にしよう、元気になるには食べて寝て、運動できるようになったら運動だよ!」

 

「あ、あぁ……」

 

 自信満々に言い切って台所に向かう空の背中を見送ってから、改めて部屋の中を見回す。キッチンとトイレ風呂付の六畳のアパートの一室。畳の上にはカーペットが敷かれていて、整理そのものは行き届いているが箪笥や机の上に飾ってある特撮ヒーローのフィギアやらグッズのせいで雑多な印象を拭えない。

 こういうのは多分男子の趣味だったはずだ。

 勿論空はれっきとした女の子であるが。

 記憶が曖昧な海にはどうにも判断ができなかった。

 一人暮らし、だと思う。

 意識は曖昧な三日間だったが、その間彼女以外この部屋に自分以外の人間は入ってこなかったと思う。少なくとも三食食べさせてくれたり、身体を拭いてくれたり、包帯を変えてくれたのは全て空だった。家具や調度品を見てもまず間違いなく一人暮らし。

 大人数で暮らすのならもっと多くの物がいる、と海は漠然と判断していた。

 そんなことを考えていた間に空が戻ってきた。

 右手にタッパを載せて――左手に炊飯器を抱えて。

 

「……えっ」

 

「さぁ食べよう、海君。あ、悪いけどたくあんと卵しかおかずにないから。一応缶詰とかあるけど食べられるようだったら教えてね。あー、海君はまだ少なめでいいかな?」

 

「あ、あぁ……そうだな。少な目で」

 

「おっけー!」

 

 茶碗山盛りに白米が盛られた。

 

「……」

 

「いっただきまーす!」

 

 見れば空のは茶碗じゃなくてどんぶりだった。茶碗三杯分くらい有る奴。

 それをそれこそ漫画みたいに掻き込んで、数分も掛からずに食べ終ってまた同じ分だけ食べ始めていた。炊飯器の中を覗けば五合くらいの米が炊かれていた。五合って普通にやれば十人分くらいになるはずなのだが。

 

「ん? どうしたの食べないの? まだ調子悪い? あー、まだやっぱ顔色悪いしねぇ。隈も酷いなぁ。はい、手鏡。凄いよー」

 

「……」

 

 言われて渡された手鏡を見る。そこに自分の顔が写っている――が、どうにも違和感がある。自分の顔であるという自覚とこれが自分なのかという疑問が半々くらい。

 まず思うのは目つきが悪い。黒目がやたら小さくて、白目部分が多く三白眼どころか四角目で、小さい黒目もやたら濁っている。おまけに目の下の隈もひどく髪も肩辺りまで伸び放題なせいで非常に人相が悪い。

 そんな海がフリーサイズの特撮ヒーローのプリントがされたシャツを着ているのだからシュール極まっている。ちなみに海のは白字に根性の文字だった。

 

「……髭も、濃いな」

 

「だねぇ、悪いけど流石に男の子用の髭剃りはないから。あとで買って来るよ」

 

「あぁ……悪いな」

 

 応えながら白米を食べ進め始める。米とたくあんだけで食べ進められるかどうかは心配だったが、案外に普通に食べ進められた。椎名海は質素な生活に慣れている人間らしい。

 

「……」

 

 たくあんをポリポリ齧っていたらふと我に返った。

 普通に流されているが、今のこの状況のままでいいのか。

 

「……なぁ」

 

「あ、そうだ。今日私学校行くから出てくんだったら戸締りはお願いね。物盗られるとちょっと困るけど。残る時も戸締りはしっかりね」

 

 呆気カランと彼女は言った。

 

「……お前……それでいいのか」

 

「ほえ? 何が?」

 

「いや、お前…………」

 

 言葉に詰まった。

 俺みたいな怪しい奴を置いておいていいのか? なんて三日も世話になってから聞くなんて今更過ぎてなんと言えばいいか解らなかった。自分はあまり口が上手くないらしい。

 

「あー、うん。まぁ言いたいことは解るよ。まぁいいんじゃないかな」

 

 解っていると空は言うけれど、対応はあまりにも適当だった。

 

「いいんじゃないかって……」

 

「いや、海君拾ってきたのは私なわけだし。それで私が何か被害被ったら私の自業自得だし。まー、いいかなって」

 

「……お前、それは、いや……」

 

「あはは、気にしなくていいよぅ」

 

 笑いながら空は丼を置いた。五合あった米は完全に消えていた。

 

「それにそんな風に悩んでくれるなら心配要らないよぅ。夕方には帰ってくるから、それまでよろしくね」

 

「……あぁ」

 

 空がどういうつもりかは解らない。自分の立場すら解らない。

 けれど、彼女の想いくらいには報いようと椎名海は思った。

 少なくとも、今の海には彼女の好意に甘んじるしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石に拙かったかなー。大丈夫かなー大丈夫だと思うけどなー」

 

 葵空は家に椎名海を残して学校に行って午前中の授業を受けて部室で昼ご飯の購買の弁当を一人で食べてお腹一杯になって食後のオレンジジュースのストローを咥えた所で今更思い返し、

 

「んでもなぁ……夜明けにあんな風に家の前で生き倒れられてたらなぁー。助けちゃうよなー。特撮ファンとしてはなー。仕方ないよねー、うん。間違いないや」

 

 飲み干す頃には思考が終わっていた。

 椎名海は口が下手と自己判断を下していたが、葵空は頭が下手だったのである。

 

「さってあと放課は二十五分しかないし、一話分何を見ようかなぁ。部室に置いてある分のDVDもVHSも全部見ちゃったし、ネットでも使うかな」

 

 昼放課の間の少しの時間をどう有効活用するか考えていたらドアがノックされた。この部屋にそんな風にノックするような知り合いには心当たりがなかったから不思議に思いつつもドアを開けた。

 

「あ、ども」

 

 軽く頭を下げたのは一人の男子生徒だった。

 二月も終りかけ、春になりつつあるといってもまだ結構な寒さであるにも関わらずブレザーや防寒具も着ないシャツ一枚という軽装。長めの黒い髪と大人っぽい顔立ち、あまり特徴のない顔だが空は彼のことを知っていた。

 

「……荒谷、流斗君?」

 

 生徒会庶務職荒谷流斗。

 年末にいきなり生徒会に入った一年生。それも生徒会に入る前から校内でも有名人である『どこかにいる風来坊』。色々なアルバイトやらボランティア、サークル、部活に複数掛け持ちし続けていることで有名な彼が一か所に腰を落ち着けたということは結構な話題になった。

 落ち着いた場所の先に主が学園のお姫様ということも含めて。

 

「はい。えっと……ヒーロー研究会の会長の葵空さん?」

 

「あ、はいそうです。どもども」

 

「ど、どもども。えーっと、来月の部費申請書貰いに来たんですけど。昨日が期限だったんですけど、葵さんここ三日休まれてたから」

 

「おお! 忘れてた! ごめん、今書きますから五分くらい待って!」

 

「了解っす」

 

「書類は……あぁ、ここだここだ。えーっと……」

 

 海を拾ったせいで完全に忘れていた。最も空の所属するヒーロー研究会に掛かる費用なんて光熱費くらいだ。書くことは少ない。

 

「風邪、もう大丈夫なんですか?」

 

「ん、あぁまぁねー。御免よー、面倒掛けて」

 

「いえ、別に大したことないですけど……てか凄い部屋っすね」

 

「ん。そう?」

 

「いや……そっちの所狭しと並んだDVDとかビデオの棚はともかく、こっちのショーケースの武器やら防具が並んでるっていう光景は中々見ないと思いますけど」

 

 流斗が視線を向けたのはショーケースに並んだ竹刀や防具や黒帯、弓矢、ボクシンググローブ等々が飾られていた。

 一年前の戦利品である。

 

「あーそれね。別に私は要らなかったんだけど、どーしてもっていうから貰ったんだよね。一応偶にメンテもしてるけど、卒業しちゃった人もいるから返そうにも返せないんだよね」

 

 ヒーロー研究会を創設した時、格闘系の部活全員を相手に回したのはいい思い出だ。

 いい思い出だからこそ場所になるこれらを取っておいてあるわけだ。

 

「あの話、本当だったんですね」

 

「あはは、噂で聞いたことあるんだ?」

 

「まぁそりゃ……格闘技歴長いんですか?」

 

「長いと言えば長いし、ないと言えばないかな」

 

「? ……どういう?」

 

「人から格闘技を習ったことはないね。あとは独学」

 

「まじっすか」

 

「ホントだよー」

 

「……あぁ、だから研究会か」

 

「そういうこと。はい、書けた」

 

「どうも」

 

 必要なことを書いた紙を流斗に手渡す。受け取った流斗は軽くチェックしてから一つ頷き、

 

「はい、大丈夫です。なんか不備があったら生徒会までお願いします。それと、風邪には気を付けて」

 

「あはは、ありがと。てか、君こそ大丈夫? そんな薄着で」

 

「暑がりなんすよ」

 

「ふぅん」

 

 そんなレベルではないと思うけれど。そういう人もいるのだろう。自分だって大概変わってるとは思うし。そもそもこの学校で有名であるという時点で常識に当てはめるのは馬鹿らしい。

 

「んじゃ失礼しました」

 

「いえいえ――あ、ねぇ。荒谷君」

 

「はい?」

 

「あの白詠さんと一緒に仕事してる君にちょっと参考にしたい所があるんだけど」

 

 流斗がなにやら複雑そうな顔をした。

 多分何度も聞かれているようなことだと思う。しかし後輩の都合に無遠慮に踏み込んでも聞きたいことがあったのだ。うちの居候に比べればあの人形の如きお姫様はずっと接しにくいはずだし。

 

「最近ちょっと訳ありの友達ができてさぁ。仲良くなるにはどうしたらいいかなーと思って」

 

「……? 仲良くなるとか、やろうと思ってすることっすか?」

 

「おおっとそれは全世界の人付き合いが苦手な子を敵に回す発言だよー」

 

 誰とでも仲良くなれるらしい彼だからこその発言であるかもしれなかったが、参考にはならない。

 

「それに俺は先輩と別に仲良くしようと思ってないしなぁ……まぁでも敢えて相手が訳アリなやつっていうなら」

 

 少し考えながら頭を掻いて、風来坊は答えた。

 

「――全部ぶつけちまえばいいんじゃないすかねぇ」

 

 

 

 

 

 




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マイ・ヒーロー

 

 

 『神憑』、それも荒谷流斗に対人コミュニケーションについて尋ねるという凡そ最悪の選択を無自覚無意識に選び取った葵空はしかし自分が最悪手を取ったことには気づかなかった。

 基本的に葵空という少女は人を疑わないのである。

 

「さぁ海君! 私と一緒にコレを見よう!」

 

 故に帰宅して空は目を点にした海へとなにかの箱を付きだしながらそう叫んだ。

 

「……は?」

 

「朝も似たような話をした気がするけれど私たちは互いのこと全然知らない! だから、まずは私の一番好きなものを、海君に見せるよ!」

 

「お、おう……あ、朝行ってた髭反りとかは?」

 

「忘れた! それよりも大事なものがある!」

 

「は、はい」

 

 意外に大きな胸を張りつつうそこまで断言されてしまえば素直に頷くことしかできなかった。

 空が手にしてたのは箱――ブルーレイディスクが十枚近く入ったボックスだった。結構な大きさと重さがあるがそれを片手で鷲掴みしているあたり彼女の握力が地味に凄い。

 

「それはなんだ?」

 

「よくぞ聞いてくれた!」

 

「……」

 

 そのノリについていけなかった。椎名海はあまり高いテンションについていけるような人間ではないらしい。目が点になっている海は置いてけぼりされつつ空は自分のペースでディスクをAV機器にセットしていた。

 再生されたのは、

 

『悲しみの十字架が、彼を話さない! 戦え! 蒼涙の騎士クロスライザー! その涙が、止まるその日まで!』

 

「悲しみの十字架が、彼を話さない! 戦え! 蒼涙の騎士クロスライザー! その涙が、止まるその日まで!」

 

「――」

 

 レトロな感じのBGMとナレーションが響き。画面には黒の背景に特撮ヒーローぽいのがいた。往来の五人一組の戦隊ものというよりはバイクに乗って戦う仮面の戦士に近い。黒の鎧は発泡スチロールかなにかなのか装甲というか甲冑の半ばみたいなようなものだが、手先や脚先が妙に生物的で鋭く尖っている。フルフェイスヘルメットも鋭角的なデザインと赤い複眼、黒の一角。

 目を引くのは、棚引く濃い蒼のマフラー。

 

「……なにこれ?」

 

「十五年くらい前にやってた特撮番組、『蒼涙の騎士クロスライザー』だよ!」

 

「いやそれはでかでかとテロップが流れたから解るが」

 

 目の前ではなんか重いテンポのオープニングテーマらしい音楽が流れている。十五年くらい前にやっていたなんて言っているが、思った通り映像や演出の感じが古い。その割には画質がいいが。

 

「なんでこれを流してるんだ?」

 

「それは私がこのクロライが一番好きな番組だからだよ!」

 

 最早言うまでもないが葵空は特撮ヒーローオタクである。

 日曜の朝からやっている子供向け番組は毎週欠かさずリアルタイムで見てから録画したものを見直しているし、CMでやっているデラックスとかいいつつ子供向けのミニサイズの玩具も総て買っているし、データカードダス系のゲームも小学生に交じってやっている。

 勿論作中のヒーローたちにも憧れているし、空が伝説を作った時に振るったのは特撮番組でやっていた戦闘シーンを真似したりして覚えたヒーロー拳法である。

 

「そ、そうか……なんでこれを」

 

「クロスライザッ!」

 

「!?」

 

 言葉の途中でいきなり空が叫んだ。

 左肘を腰に当て、右手は真っ直ぐ突き出すというポーズ取りながら。 

 視ればテレビのクロスライザーとやらも同じようなポーズを決めてオープニングが終わっていた。

 

「ふぅ……やっぱこれをやらないとね」

 

「お、おい空……? 大丈夫かお前……? ちょっと落ち着いて……」

 

「私は冷静だよ!」

 

 どこの世界に頬を上気させながら胸張って決めポーズとって吠える冷静があるのか。

 言ってる間にも番組本編は始まっていた。始まった時は主人公が家族に囲まれ和気藹々しながら日々を過ごしていた。記憶のないからこそ、そういう光景は海に染み渡っていた。

 ――三分で家族全員が事故に起きた。

 

「……えっ」

 

「よくあるよくある! 昭和から平成初期なんて大体家族とか友人死んでるから!」

 

「し、知りたくなかった……」

 

 なんかこの時点で頭が痛くなってきた。

 

「まぁ物によるけど特撮系って結構バッタバッタ人死ぬ。悲しいことだけどねそこからドラマが生まれるんだよ! ファンとして、そのキャラの死に悲しみながらも、愛さなければならないんだ!」

 

 圧倒されながらも見続けていたら家族を殺した魔族とかいう軍団に主人公が捕まって、『蒼黒鎧禍ディープブルー』という訳のわからない名前のアイテムを植え付けられて暴走して父と母と妹と弟を殺してしまったが殺した際に妹の涙によって自我を取り戻し、復讐と贖罪の為に魔族云々軍団と戦い続けるというストーリーだった。

 血塗れでオープニングの鎧姿になった主人公が闇に消えていく所で三十分が終わった。

 

「どう!? カッコいいでしょ!?」

 

「え、あ、いや」

 

「あぁそうだねそうだった。御免御免、一話見ただけじゃわからないよね! ちゃんと全話見てから感想聞くから! 大丈夫、時間はある――全五十八話だけど」

 

「長ぇよ!」

 

 五十八話三十分だとすると単純計算で二十九時間だ。

 一日ぶっ通しでも視きれない。

 

「だいじょーぶだいじょーぶ、海君しばらくうちにいればいいんだから。安静にしてる間見ればいいよ」

 

「寝る暇がねぇ……」

 

「さぁ第二話!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……隈が取れる気がしない」

 

「あはは、だいじょーぶ! ご飯しっかり食べれば問題ないよ、さぁて今日は何を買おうかなー」

 

 夕方から三時間ほど見続けてからようやく空と海は夕飯の調達に出向いた。基本的に空は料理をすることは無く、米と漬物、それにインスタントの味噌汁くらいしか家に置いていない。だから大体はスーパーのお勤め品弁当が夕食になることが多い。空の家は白詠市の都市部から少し離れた所だが、スーパーやコンビニの類はそこそこある。海のリハビリ代わりにも軽く二人で出向いたのであった。

 

「どう? 歩けてる?」

 

「あぁ、まぁなんとかな」

 

 身体は重いし、余裕というわけではないが別段問題はない。何時間も歩いたり走ったりするのは無理でも数十分くらいなら大丈夫だと思う。

 

「あはは、それはチョウジョウってね」

 

「……意味解ってるのか?」

 

「いいね! ってことでしょ? なんか渋い系のキャラが良く言ってるやつ」

 

「まぁうんあってるのかな?」

 

 大変喜ばしいことである、みたいな使い方だった気がする。

 

「にしても海君暗いとこで見るとめちゃおっかないねぇ。顔怖いというか目が怖い」

 

「……うっせぇ」

 

 濃い隈に四白眼、沿ってない髭とぼさぼさ髪。まったく否定できないが、しかし隈が取れる気配がないのは他でもない空のせいだったりもするのだ。そしてこれからも取れる予感がしない。

 

「てか女の子と顔怖い男の子の二人組が夜の街を歩くとか、結構犯罪臭とか物語臭がするよね? 狂相の少年と追い立てられる女の子の運命は如何に! みたいなっ」

 

「それ、遠まわしに俺貶されてないか?」

 

「あはは!」

 

「……ったく」

 

 笑いながら軽く走り出す空に思わず苦笑する。

 元気な少女だ。優しい少女でもある。今の自分は碌に金もないし身分も定かではないが、いつかちゃんと記憶を取り戻した時は恩を返したい。それまで、できることならばこの少女の助けになりたいと思う。

 なんとなく、目が離せないというかお転婆のようだし。

 もしも妹なんて入ればこんな感じなのかなぁと思考し、

 

「――っ」

 

 ドクン(・・・)と心臓が低く脈打った。

 

「ぁ、っが……!?」

 

 左胸に引きつるような痛みが響き、視界が赤く染まり真っ直ぐ立っていられない。

 

「……! はぁっ……はぁっ……!」

 

 ふらつき、近くの塀に倒れ込む。胸を思わず抑えるが、しかし痛みは増していき、激痛となって全身に回っていく。

 

「……? 海君?」

 

「っつ、駄目だ……!」

 

 そう駄目だ(・・・)

 今の自分に彼女を近づけさせてはならない。全身を蝕むように出現した痛みが、それを告げている。

 

「くっ……!」

 

「海君!?」

 

 背に掛かる空の声に構わず、胡乱な足取りのままに駆けだした。

 すぐに彼女の声は聞こえなくなった。

 ぞわり(・・・)

 代わりに――そんな風に声が聞こえてきて、椎名海の意識は消失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――来た」

 

「ふぁい?」

 

 生徒会の仕事が終わり見回り前に行く前澪霞に連れられた定食屋で二人してうどんを啜っていたら、唐突に澪霞が呟いた。

 

「ふぇんふぁい? ずず……っ、どーしたんすか? うどんが不味かった?」

 

「例の奴。来た、行くよ。あとここのうどんはとても美味しい」

 

 言いながら一気にうどんを啜ってスープまで飲みきってから、財布からお金を出して立ち上がる。

 

「ごちそうさま」

 

「あ、ちょ、待って先輩! 食べるの早い! あとちゃっかり早食い芸披露しないで!」

 

 そんなこともできたのかあの人。意外すぎる隠し芸だった。

 流斗も急いでかっ込んでなんか若いできたてほやほやカップルに向けるような暖かい目でこちらを見ていたおばあちゃんに軽く手を振りながら店を出る。

 店先で澪霞は一応流斗のことを待ってくれていた。白いマフラーを巻きなおしながら、スマホを操作してから流斗へと突き出す。

 そのまま受け取って耳に当てた。

 

「もしもし」

 

『おや? 流斗君ですか? 白詠さんではなく?』

 

「あ? 遼?」

 

 何故か遼が出て、不思議に思い澪霞に声を掛けようと思ったら、

 

「いねぇ!」

  

 既に澪霞の姿はなかった。

 ちょっとよく見ればあたりの建物の屋根を掛けていく白い影があった。

 

「はっや」

 

『……それほど事態を重く見てるってことでしょう。ここ三日近く手掛かりなかったわけですからね。例の人型妖魔を発見しました。都市部から少し離れた住宅地の近くです。既に人払いは済ませていますよ。先ほど派手な瘴気をまき散らしていたのですが……やはり気づきませんでした?』

 

「俺はもう諦めた」

 

 少なくとも一定範囲外の瘴気やら魔力なんぞは感知できなかった。こっち側に関わってからは、日々できないことが増えている気がするが、まぁ些細なことだ。今更どうでもいい。

 

「まずはあれだ。俺もそっち行くから。頼む」

 

『構いませんけど、君たちどこにいたんですか?』

 

「いやなんか郊外の和食屋。いやすげー高そう店だったけど。あっ、てか俺奢ってもらってんじゃん。やっべ返さないと」

 

『はいはい、解りましたからすぐ来てくださいね』

 

「おう、めっちゃ頑張って走るから!」

 

『フリーランと気配消しくらいは覚えましょうね』

 

 先生みたいな物言いと共に電話が切れた。

 

「フリーランはともかく気配消すのは無理な気がするんだが……まぁ走るか」

 

 何はともあれ走る。

 今だってそれくらいしかできない。

 

 

 

 

 

 




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リーズン・イズ

 

 夜の街を白い影が跳ねて、駆けていく。

 移動はかつてない速さだ。気流操作と肉体電位による移動補正を全開にして建物を三つ四つを一息に飛び越しながら移動を続ける。場所が街の郊外の澪霞の密かなお気に入りの店だったので都市部とは距離がある。だから流斗を置き去りにして、可能な限りの最高速にて跳躍を繰り返していた。先に遼がいるとはいえ、相手は正体不明の妖魔だ。

 そうして数分足らずで到着した。

 

「おっ、来ましたか……ととっ」

 

 既に遼は人型妖魔と交戦していた。四肢を無茶苦茶に振り回し叩き付ける。それらを遼が戟でいなしていた。恐らく、相手の力量を見定めるのと、澪霞たちを待つのに時間稼ぎをしていたのだろう。

 それを目にし、周囲に結界が張られていることを確認し、行動は即座だった。

 

「揺蕩え月讀――」

 

 白いスパークが全身に弾かせながら、符にて長槍を生み出し振りかぶり、

 

「落ちろ――鳴神」

 

 最大火力と共に投擲した。

 稲妻が注ぐ。まず白く染まった槍が若干遼も軽く焦がしながら妖魔に命中し、直後天から雷が直撃した。轟音と閃光が弾け、地面が砕ける。

 命中を確認しつつ、再び手の中に拳銃と刀を出現させた。

 

「……あの、軽く僕も巻き込まれたんですけど」

 

 背後からのっそりと遼が現れた。制服や髪を微妙に焦がしながら半目を此方に向けている。

 

「君なら問題し――君一人犠牲であれを消し飛ばすことができたのなら安い話」

 

「この人ちょっとヤバイんじゃないですかねぇ……」

 

 まぁ否定するつもりはない。

 それにもっとやばいのが目の前には残っているのだ。

 

「■■■……」

 

 土煙と砕けたコンクリートの中に、変わらず人の形をした妖魔は立っていた。

 完全な人間というわけではない。四肢は妙に長いし、頭部と胴体の境目も曖昧だ。澪霞が投擲した槍を握りながら呻き声を上げている様は先日発見した時との差異はあまりない。

 槍を握りつぶしながら澪霞や遼へとにじり寄って来ようとするあたり、それなりのダメージを負っているのだろう。だが、今放ったのは澪霞の持つ手札の中では最大火力の一つだったが、それだけで足りないとなるとやはり一筋縄ではいかないらしい。

 

「と言ってもそこまで理不尽ではないようですが。僕一人所か、白詠さんや流斗君でも策を練ればなんとかなるレベルかと」

 

「そう――」

 

 頷き、 刀を握った手を振り下ろす。

 

「■■■……!?」

 

 砕けた槍のは破片が弾けた。スパークが妖魔に絡みつき、動きが止まる。投擲以前に仕込んでいた拘束術式。だが以前リルナ・ツツを止めたほどの強度は無く、もう数瞬あれば妖魔も自由になってしまう。

 

「よっと」

 

 その数瞬を、飛籠遼は見逃さない。

 闘気による肉体強化は一瞬で行われ、妖魔が動きだす前に距離を詰め、

 

「もう一回行けますか?」

 

 鳩尾に戟をぶっ刺して、

 

「無茶を言う」

 

 澪霞が二発目の落雷を落としていた。

 

「■■■――!!」

 

 突き立てられた戟を避雷針として雷撃が集中し、妖魔を内側から焼き焦がす。流石に先ほどより勢いは弱いが、効果としては先ほどより大きい。先ほどのリフレインのように稲妻が弾け、周囲を破壊するが一つ違うことがある。

 

「シッーー!」

 

 雷が迸る空間の中で尚動きを止めない将がいる。周囲に残るスパークは全身から噴き出した闘気で耐えて、雷光の余波の残ったままの戟を振るう。遼の奉天画戟は特級の聖遺物だ。落雷一つで損なったりはしない。問題は遼の方にもダメージがあるが、

 

「犠牲になるよりはマシですよねぇ」

 

 攻める。

 大ぶりの斬撃を一息に三撃。

 斬痕から飛沫いたのは血の類ではなく黒紫の瘴気だ。全身を完全に覆っている以上、瘴気の量は以上に多いがしかしその質は大したものではない。長時間触れていれば発狂しかねないが、この程度の交叉で浴びるのならば問題ない。

 三撃叩き込んだ直後、妖魔が動きを取り戻す。全身に走った雷撃や遼の斬撃を厭うように異常に長い腕を力任せに振り回そうとする。

 

「攻めて」

 

「是」

 

 振られた剛腕を澪霞が雷弾にて打ち抜き動きを止め、その隙に遼が戟を連続して叩き込む。

 

「■■■ーー!」

 

 そも動かせる気がない。妖魔の実力が未知数だからこそ、戦える内に火力を叩き込み戦闘力を削っていくのだ。

 

「とりあえず四肢の一つや二つは捥ごう」

 

「このセリフがあの無表情で発せられていると思うと恐ろしすぎますね!」

 

 何が恐ろしいって相手が妖魔だろうと人間だろうと普通に同じようなことを言いそうなことである。とりあえず妖魔斬りつける方が怖くないので妖魔に斬りつけていく。

 赤く揺らめく闘気を纏わせた戟の刃と月牙が黒紫の瘴気を裂き、砕いていく。

 飛籠遼の武威は掛け値なしに達人の領域である。

 素人の荒谷流斗は言うに及ばずそこそこ(・・・・)の澪霞すらも寄せ付けない程の腕前だ。飢えを見上げていけばキリがないにしても、単純な武術の腕前という点に関しては一流と呼ばれても遜色ない程だ。その上で澪霞が動きをサポートしていく。獣のように動くだけの相手など話になるはずもない――が、

 

「■■■!」

 

「っ……! 流石、一筋縄ではいきませんか」

 

 倒れない。妖魔の攻撃は全て回避するか受け流し、此方の攻撃は全て命中しているのに。

 人の形をした妖魔は変わらず低い呻きと共に暴れまわっている。

 

「流斗君はまだですかね、っと!」

 

 石突で救い上げるように妖魔の足を刈り、その勢いのままバランスを崩した所を月牙でフルスイング。派手な打撃音と共に妖魔が吹き飛び、即座に澪霞が銃撃を見舞う。吹き飛んだがしかし、すぐに姿勢を修正し妖魔は飛びかかって来た。

 

「……ふむ」

 

「■■■!!」

 

「五秒」

 

「了解です」

 

 妖魔の跳躍に合わせて遼が軽く後ろに跳ねた。背後に倒れ込みながら妖魔を迎え入れ、

 

「赤兎!」

 

 腕が降られる前に真上に蹴飛ばした。蹴り足に宿っていた赤い陽炎。それに弾かれた妖魔は為す術もなく直上に飛び、

 

「六条――はい、頑張って」

 

 澪霞の分割根に絡め取られて振り回された先は道路の曲がり角。

 そこに飛ばされ、

 

「――ぅおぉぉおおお!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ぅおぉぉおおお!?」

 

 走ってて戦闘音がしたと思って道を曲がったら目の前にでっかい黒いのが飛んできた。

 意味が解らないし、正直滅茶苦茶驚いたが。

 はい、頑張って。

 直前にそんな声が聞こえてきたから、

 

「――だぁらっしゃ!」

 

 とりあえず全力でぶん殴りに行った。

 戦闘音が聞こえてきた時点で既に神憑が発動していた。

故に顕現した暴風は一切構わずにその暴威を叩き付けた。

 拳が妖魔の瘴気に触れた瞬間、色々なものが流れ込んできた。それは怨念、恐怖、絶望、激情、所謂人の負の想念。妖魔と瘴気を構成するものであり、人が触れればたちまち精神を狂わされる。飛籠遼が闘気によって防御していたが、当然流斗にはそんなことはできない。

 拳撃の瞬間だけとはいえば馬鹿にならない。その一瞬だけだとしても妖魔の瘴気というのは人を犯すのだ。そしてそれは荒谷流斗にも受ける事実は変わりなく、

 

「やかましいわッ!」

 

 残らず全て拒絶した。

 

「■■■!?」

 

 身を守る鎧でもある瘴気を一切合切無視された妖魔は今度こそ為す術もなく吹き飛んだ。突き当りの住宅に激突しそのまま土煙に紛れて姿を消した。

 

「やったぜ!」

 

「いやまだですよ」

 

 ガッツポーズしたらいつの間にか隣に遼がいた。

 

「うおお、え、まだなの?」

 

「まだ」

 

「うおおおおっ、なに、驚かさないで!」

 

 遼に驚いたら逆側に澪霞がいた。

 心臓に悪いので止めてほしい。

 

「いやつーかいきなり人の前に敵投げつけるのやめてくださいよ」

 

「君ならとりあえず目の前に敵がいたら殴りつけるでしょう?」

 

「……」

 

「あはは、読まれてますねぇ」

 

 実際その通りだったので何も言えなかった。結果オーライだから別にいいのだが。

 

「てかなに、アレで死んでないの?」

 

「あれで死ぬなら僕と白詠さんで二十回くらい殺してますよ」

 

「どんだけ痛めつけたんだよ」

 

「滅多切りにしたり雷二回落としたりしたんですけどねぇ」

 

「……あーあのくそ痛いのか。……ぶっぱしてんなぁおい」

 

「喰らったことあることに僕はびっくりですよ」

 

 雷落とすというあの漫画染みた冗談技を二発、おまけに遼が滅多切りという程までに攻撃しているのにも拘らず健在というのならば、なるほど流斗の一撃では足りないのだろう。

 

「どーすんすか先輩?」

 

「無論、追撃……、ッ!」

 

 土煙から視線を外していなかった澪霞が弾かれるように飛び出した。一瞬後に遼も、全く理解しないままでも流斗が後を続いた。

 

「……逃げられた」

 

 苦々しげに呟いた澪霞の視線に先はぶち込まれた家の床に開いた巨大な穴だった。あの妖魔が流斗の参戦に不利を悟ったのか逃亡したようだ。

 

「ふーむ……謎ですねぇ」

 

「何がだ?」

 

「戦闘力は低いですが、耐久力はかなりのものでした。流斗君が来たから逃亡というのは合理的ですが、そう考えると今夜不用心に出てきたのもいまいち理解できないですよねぇ。こう、ちぐはぐというか一定性がないというか。そこそこ脳があるのならもうちょっと法則があってもいいと思うんですけどね」

 

「ははぁ、確かにな。ここ三日全然でなかったのにいきなり派手に出てきたもんな」

 

「調査が必要。『護国課』にも報告を上げて、まだこんなことが何回も続くなら妖魔の研究家なりを招くことも考えておこう。……あまりいい予感がしない」

 

「ですね、少々意味不明すぎて不気味です」

 

「……それで? 俺たちはどーすんすか?」

 

「……少し消耗した。多分今日は流石にでないと思うし休息に。荒谷は一人で街警戒してて」

 

「えっ」

 

「冗談」

 

「冗談に聞こえないんすよアンタが言うと……!」

 

 無表情の真顔で赤い目に言われると欠片も冗談とは思えない。

 

「一先ず今日は休もう。明日からはもっと、警戒を強くしないと」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぅぁ」

 

 目を開けたとき、気づけば街灯の下にへたり込んでいた。

 体に力が入らない。さらに言えば全身至る所がまたもや痛い。特に、どてっぱらに穴が開いたのかと思う程の激痛があった。

 

「ぐっ……俺、なにして……」

 

 空といていきなり心臓に激痛が走って、それで何か駄目だと思って、走りだして――そこからの記憶がない。

 

「……さむい」

  

 寒かった。指先が悴んで、身体が震える。

 

「……俺は、何を……」

 

 記憶がない。夕方くらいに出かけたはずなのに、もう随分な夜だ。

 気温は随分と低く吐く息も白い。 

 寒さは染みる。

 体ではなく心に。

 最初の時点で目覚めたときほどの痛みではない、でも逆にだからこそ精神的な辛さを感じる猶予があった。

 あの時はただ痛くて、訳が分からないだけだった。

 今は痛みもあるけど、それ以上に何故か――寂しい。

 

「――さび、しい?」

 

 どうしてそんな風に感じるのだろう。椎名海には記憶なんてなくて、そんなことを感じることすらないと思っていたのに。少なくともこの三日間そういう風に感じたことはなかった。

 何故か――その理由は考えればすぐに出てきた。

 だって、

 

「……あぁああああああああああああ!! 見つけたぁああああああああああああああああ!!!!!」

 

「っ……!?」

 

 唐突に絶叫が響いた。

 驚き、身体が硬直したが声の主は構わずに近づいてきた。

 

「もう! どこに行ってたのさ! すっごぉ……っく! 探したんだよ!? あーもう、またなんかボロボロになって! 喧嘩でもしてたの!? 駄目だよ喧嘩は! どうせ拳でやるなら拳でのお話合にしなさい!」

 

「……」

 

「ちょぉーっと、聞いてるの!?」

 

 聞こえた声に、顔を上げた。

 

「海君!」

 

 そこにはあの時と同じように。

 青空の笑顔の少女がいた。

 

「……空」

 

「なに? もーどこで何やってたんだよぅ! ほら、立てる?」

 

「……あぁ」

 

「ん、肩貸すよ」

 

「……ありがとう」

 

 寂しさを感じた理由は――決まっている。

 この三日間、ずっと彼女が、真っ青な空みたいな笑顔を浮かべて隣にいてくれたから。

 

「……ありがとう」

 

「ん、どういたしまして」

 

 

 

 

 

 




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プレゼント・コーラル

 

「……っ」

 

「死ぬ」

 

 互いに冷たい床に突っ伏しながら澪霞は声を引きつらせ、流斗は真顔で言葉を吐き捨てた。毎日恒例朝の鍛錬。始めた頃に比べれば随分と朝も暖かくなっているがトーレニングウェアがぐしょぐしょになるほどにかく汗はそれらの理由だけではなかった。

 

「ふむ、流石にここ数日ほぼ徹夜続きだったしな」

 

 力尽きた二人を駆は睥睨し、顎に手を当てる。

 一週間前に出現した人型妖魔もどき、二日前に一度交戦したがそれからはまたもや音沙汰なし。それからその二日間朝鍛錬と学校以外はほとんど全ての時間が妖魔の捜索に当てられていた。だが結局見つからず。如何に埒外の強度を誇る『神憑』だとしても流石にそれだけの長時間休みなしで動き続けるというのは精神的にも肉体的にも疲弊が大きすぎた。

 

「ま、飛籠はそこそこ平気そうだったけどな」

 

「なんでや……おかしいだろ……俺らの方がフィジカルすげーんじゃねーの……?」

 

「あれはあれで随分鍛えてるからな、体の動かし方が違うんだよ。だが……にしてもしばらくは朝の鍛錬は控えめにしたほうがいいか」

 

「止めないのかよ……」

 

「止めたら意味ねぇだろ。ま、疲弊しながらの継続戦闘、そのうちやらせようと思ってた所だ。予定が繰り上がっただけだな」

 

「あっそう……」

 

 最もどうせそんなことだろうと思っていたが。

 

「よーしじゃあとりあえずちゃんと飯食っとけよお前ら。とりあえず飯食わねぇと始まらないからな。徹夜続きで動きまくってるからそこ飯は食わなきゃならん」

 

「また握り飯か」

 

「何か文句でも?」

 

「い、いやそういうわけじゃないっす……」

 

 じとっと赤い目で見られると正直怖い。別に文句があるわけでもないし。だがしかしここ数日朝食はずっと塩結びだ。作ってくれるだけ有難いことだが、文句はないが飽きは来る。最もそれは澪霞も同じだったようで、

 

「……今日はもう出て、どこかで食べてから学校に行こう」

 

「おお、どこ行きます。ファーストフード?」

 

「あれは嫌いではないけど……体に良くないから。私の知ってる喫茶店に」

 

「やったぜ。先輩が教えてくれる店はどこも美味しいし」

 

 流斗は無邪気に喜び、

 

「……」

 

 澪霞は僅か数ミリ緩みかけた頬を引き締め、  

 

「ほうほう、ふむふむ」

 

 駆は面白そうに頷いていた。

 

「ならちゃっちゃとシャワー浴びて行きますか」

 

「ん」

 

 ふらふらする体に鞭を打ち、二人ともそれぞれ地力で立ち上がる。手を取り合わないあたり二人らしいな思い駆はまた笑った。

 それから支度をし終えた流斗と澪霞は都市部の外れのあたりの喫茶店に向かった。連れられたそこの店内にはお年寄りが数人と店員さんらしきお爺ちゃんがいるだけ。前にも澪霞が教えてくれたうどん屋みたいな隠れた名店らしい。流石地元のお嬢様というべきか澪霞はこういう店をよく知っていた。

 

「うめぇ、なにこれうめぇ。なんでただのコーヒーとパンなのにこんなにうまいの……?」

 

「……」

 

 感激する流斗と誰も解らない顔の緩みを押さえる澪霞だった。もっとも目の前の少年は察してしまうからかもしれないけど。

 そうして腹と気分を満たして、

 

「あれ? 荒谷君に生徒会長?」

 

 葵空に遭遇した。

 

 

 

 

 

 

「へー、生徒会のお仕事で。大変だねぇ、こんな朝早くから」

 

「えぇまぁ。仕方ないっすけどね」

 

 聞けば空のアパートはこのあたりらしい。もう長いこと一人暮らししているとのことだが最近澪霞に餌付けされ始めている流斗からすれば感心ものだ。別にできないというわけではないだろうけど。

 

「ま、でも最近は同居人増えたから楽しいけどね」

 

「へぇ、彼氏っすか?」

 

「え、いやぁ違うよぅ。なんというか……野良ネコ?」

 

「ペット有りのアパートなんすか」

 

「うん、そんな感じ」

 

 学校への道すがら主に会話しているのは空と流斗だった。元々コミュ力の高い二人だから世間話に困ることはない。既に部費申請で顔見知りな上に互いが結構な有名人なのだ。

 黙ってしまったのは言うまでもなく澪霞である。世間話を続ける二人の真後ろに例によって無言を貫きながら歩みを進めている。

 

「……」

 

 しかし心なしか流斗の背中に刺さる視線が痛かった。形容しがたいが、とりあえず流斗は後ろを見れない。

 

「いやぁでもいいねぇ荒谷君。役得じゃない」

 

「へっ?」

 

 背後の視線に気を取られていたからふと空が変なことを言いだして思わず素っ頓狂な声が出た。

 

「だっていくらお仕事だって言っても白詠さんみたいな美人の人と一緒に朝からご飯とかきっとみんな羨ましがると思うけどね」

 

「……」

 

 背後の視線が強くなった気がする。

 空は気づいてないらしいが。

 心臓に毛でも生えているのだろうか。

 

「……は、ははは……そうっすね……あはは……」

 

 非常に反応が困る。 

 なので頑張って話を変えた。

 

「先輩はヒーロー、つーか特撮が好きなでしたっけ」

 

「うん! そうなんだよ! 私は特撮大好きなんだよねー!」

 

 めっちゃ食いつきがよかった。しかしまた今みたいな話にされると困るのでそのまま続けてもらう。

 

「荒谷君は子供の頃とか見なかった? 私は今でもずっとHDで録画してるけどさ」

 

「いや、それこそ子供の頃は見てた気はしますけど……最近はなぁ。普通のアニメなら一時期見ててましたけど」

 

「へぇ、意外……でもないかな。荒谷君がいろいろやってるってのは有名だし。嵌らなかったの? アニメとかは最近嵌る人多いし」

 

「一週間くらい当時やってた深夜アニメをリアルタイムで見続けたことがあります」

 

「修羅の所業じゃん……!」

 

 思い返してもあれは辛かった。普通に深夜四時くらいまで起きることになるので寝る時間がなかった。学業はおろそかになるし、バイトのミスも増えた。一週間続けたというよりも一週間しか続けられなかったのだ。

 

「白詠さんはそういうの見た?」

 

「……子供の頃、少しだけ」

 

「えっ」

 

「なに?」

 

「いや何も……」

 

 そういうの見てたのは意外だったから変な声が出したら半目で睨まれた。

 

「どんなの見てたの?」

 

「昔の、日曜日の朝にやってた『神罰魔法少女ジャッチメント☆エンジェル』とか」

 

「おお、ラストファンシー……!」

 

「なんすかその反応」

 

 空がいきなり両手を広げて叫んだ。

 

「ニチアサ枠の魔法少女系っていえば今でもやってるけど、そのジャチエンからシリーズ自体が路線変更になってね。ジャチエンの次は『殺戮魔法少女デス☆シックル』で、そのさらに次は『殲滅魔法少女デストロイ☆クラスター』、『破壊魔拳少女アルティメット☆フィスト』って続いてガチバトル系になってさぁ。だからファンの間じゃジャチエンはラストファンシー」

 

「テレビ局になにがあったのだろうか」

 

 変遷が恐ろしすぎる。明らかに子供向けじゃないだろ。果たしてそんなものを見ていた少女たちはどう感じていたのだろうか。

 

「けどまぁ、妙にアクションシーンは凝っててねー。結構コアなファンは多いよ。オタクさんだよ」

 

「オタクかー。あれは凄いよなぁ。俺には無理な境地だから憧れるわ」

 

 あぁいう一つのことに専念できる人種は流斗からすれば憧れのキャラクターだ。流斗はすぐに飽きてそれまで好きだったはずのことを放り出していたのだから。

 

「そっちは白詠さんはどう思う?」

 

「別に」

 

 ただ、とお前置きし手から言葉を続けた。

 

「もう少し色々なことに目を向ければいいと思う。一つのことだけに意識を集中させるのはどうかと思う」

 

  小さく言った。

 

「あ?」

 

 それに眦を釣り上げたのは流斗である。

 

「おいおい何言っちゃんてんだよ先輩? もしかして先輩はオタクはキモイとか思ってる前時代的な人間か? このご時世ジャパニメーション世界に誇る文化だぜ?」

 

「別に趣味自体を否定してるわけじゃない、それは個人の自由。ただ一つのことだけに固執して他のことを見ないというのは人生を損しているとしか思えない」

 

「はぁー? そんなん先輩の勝手な意見じゃないすかー?」

 

「それを君が言える立場だと?」

 

「ちょ、あの二人とも……?」

 

「……いい、解った。君は今日一人で体に悪いファーストフードでも食べていればいい」

 

「あ、ちょ、それは酷ぇ! 卑怯だ!?」

 

「最近大変だし今日はお爺様の趣味で作った高級焼肉店でも行こうと思ったけれど私一人で行く。君がワンセット千円のハンバーガーを食べている間に私は一切れ千円のお肉を食べる」

 

「かっ、この……食べ物で釣ろうとか……!」

 

「別に釣ってない」

 

「……仲いいね、二人とも」

 

 

「どこがすか!?」

 

「どこが?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 授業が終わったのと同時に幼馴染の少女が現れた。

 

「やぁやぁどうしたんだい朝からなんか不機嫌そうだけれど、何か嫌なことがあったのかい? ダメだねぇ、ようやく退屈な授業が終わったというのにそんな不機嫌さらしてたら。あぁ、そうだ。今僕はちょうど暇だから小粋なトークでもして気晴らしでもないかね?」

 

「……雨宮か」

 

「おいおいなんだよその反応は。……雨宮か、って。ぶっきらぼうにもほどがある。一体なにがあったんだい?」

 

「……あー、別に。なんでもねぇよ」

 

 雨宮照には白詠澪霞の話をしないとは大分前に誓ったのだ。話が拗れるわ、雨宮は機嫌悪くなるわ、それを澪霞に知られるとまた機嫌悪くなるわで碌なことがないのだ。

 

「なんでもないなら一緒に帰らないかい? 最近君はバイトで忙しいらしいけど、そんな気分で仕事してもいい結果はでないだろう。僕と一緒に気分転換をすればいいさ」

 

「それも悪くないか……いいぜ、一緒に帰るか。久しぶりだな」

 

「それは重畳。では行こう。時間は限られてる。特に最近の君はね」

 

「悪かった悪かった。飯でも奢るよ」

 

 いつもだったらこの後生徒会室にいって澪霞の淹れる珈琲でも飲みながら書類仕事でもする所だが今日はいいだろう。そんな気分でもないし、向こうだって似たようなことを考えているはずだ。

 

「あそこに行こうよ、あそこ」

 

「あ? あぁあそこか。そういえば最近言ってなかったなぁ」

 

「最近君が付き合い悪いからね」

 

「悪かった悪かった。うーん、でもあそこかー……」

 

「おや、なにやら気乗りしないみたいだけどどうかしたのかい?」

 

「あそこ行くとお前が何時も人が頼んだやつつまみまくるからだろ!」

 

「だって君はいつも違うやつ頼むから。ついつい僕は手を伸ばしてしまうんだよ。ほら、僕は他人がおいしそうなものを食べていたら一口もらうタイプの人間だし、相手が君というのならば遠慮は必要ない」

 

「理由になってねぇ」

 

「あはは、いったい何年前からのやり取りだろうねぇ」

 

「……最初に行きだしたのいつだったけ」

 

「さてね、低学年あたりのころはもう行ってた気がするけど。懐かしい話だ、幼馴染の特権だね」

 

「特権か……?」

 

「特権さ」

 

 特権らしい。

 いまいちよく解らないが、雨宮がそういうのならそうなのだろう。べらべらとよく解らない話を語り掛けてくる雨宮の話に適当に相槌を打ちながら教室を出て学校の外に行く。あれだあそこだと雨宮と言い合ってるのは二人が子供の頃からそれぞれの両親に連れられてよく行った定食屋だ。安くて美味しくて量が多いという大衆食堂という奴だ。最近忙しかったの確かに行っていなかった。というか雨宮の言い方がめんどくさいけれど、最近絡んでいなかったのは確かなのだ。特権ではないが幼馴染との時間を過ごすのも悪くないだろう。

 

「行こうか、雨宮照。久々の幼馴染トークだ楽しく行こうぜ」

 

「あぁ。君となら楽しくなると信じてるよ――心からね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

「おや? 白詠さん、どうしました? 荒谷君ならさっき雨宮さんと」

 

「知ってる」

 

「そ、そうですか……ではここで何を?」

 

「君を待っていた」

 

「へ?」

 

「今日の夕食の予定は」

 

「いえ、自分で何か作ろうと思いましたけど……」

 

「なら私と行こう」

 

「えっ」

 

「お爺様が趣味で作った高級店がある。そこに、行こう」

 

「あ、荒谷君は……」

 

「知らない」

 

 

 




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ラン・アンド・アウェイ

 

「ただいまー!」

 

「おう、お帰り」

 

 台所とほぼ一体となっている玄関から聞こえてきた声に海はフライパンを動かしながら応える。

 香ばしい香りと共に炒められているのはキャベツやピーマン、ニンジンといった野菜に、少しばかりの豚ばら肉。それが醤油や少しのナンプラー等の調味料で味付けされている。二つだけのコンロの片側には豆腐と刻みネギ、それに油揚げが浮かぶ味噌汁がありそちらは既に完成済み。野菜炒めにしても後数分で出来上がる。

 

「手洗ってこいよ。すぐ食べられるぜ」

 

「やたー!」

 

 ドタドタ(・・・・)と狭いスペースの背中を通りすぎ、部屋着を鷲掴みにしてから脱衣所に引っ込む空に苦笑しながらも手は止めない。着替え中の空の鼻歌に耳を傾け――衣擦れの音は可能な限り無視し――炊飯器からご飯を寄そう。空がやたら食べるのは解っているのでお茶碗も丼だ。生憎海はそこまで大食漢ではないから普通サイズだけど。二人分のお茶碗を唯一のリビングへと運び、冷蔵庫から昨日の昼に作ったホウレンソウのお浸しを取り出してタッパから小皿に盛る。それから『気合い』のシャツとジャージ着替え終わった空と――ちなみに海のシャツも文字入り――野菜炒めと味噌汁を運べば、準備完了。

 

「いただきます」

 

「いただきます」

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても凄いよねー、海君料理こんなに美味しいなんて。ここ一週間食生活が大分改善されたよー」

 

「そりゃあよかった。……俺もなんで自分がこんなに料理できるのかよく解らないけどな」

 

 言いながら野菜炒めを口に運び、出来に満足する。野菜自体は近所の閉店間際のスーパーで半額シールの張られたものだが、問題ないレベルだろう。とりあえずこれだけでキャベツ一玉とか使っているので水が出過ぎてべちゃべちゃになってないか心配だった。

 

「それにこんなに沢山作ってるのに上手くやりくりしてるのがすごいよね。なんか家事とかしてて思い出さない?」

 

「全然だな。出てくるのは大量のレシピだけだよ」

 

「有難くはあるけどねぇ」

 

 果たして自分がどういう人間だったのは解らないが、相当の料理好きであったらしい。それも大人数を日常的に作っている。頭の中に浮かんでいるはほとんどが複数人向けの調理方法とか如何に嵩増しするか、みたいな知識ばかりだ。

 定食屋でもやっていたのだろうか。

 

「まぁでも居候させてもらって何もしない、なんてことは居心地が悪いしな」

 

「あははー、家事ほとんどやってくれて助かってるよー。もー一週間もだねぇ」

 

 海がいなくなって空に拾い直されてから一週間。

 その日から海は自分にできる限りのことを行おうとしていた。まず分かりやすかったのはごちゃごちゃしていた玩具の類の整理や料理。普段缶詰や惣菜しか買っていなかった空の食生活は栄養的にもコスパ的にも良くなかったのでそこから改善した。と言ってもこのあたりのスーパーとかを巡ってどこが安いか比べて一番安く仕上がる買い物をしたり、学校から帰って来た空を食事と共に出迎えるとかそういうことくらいだ。意識してやってみれば海からすれば随分と当たり前のことのようで、大した苦にもならなかったが、そのあたりものぐさだった空への助けにはなっていたようだ。

 

「学校はどうだった? ほら、なんだったけなあの喧嘩したらしい二人」

 

「あぁ荒谷君と白詠さんかー」

 

 ここ何日か聞いていた空の学校の有名人の二人。何やら最近喧嘩したとからしい。

 

「なんなんだろうねー、何があったのかいまいち誰も知らないみたいだし。というか荒谷君はともかく、白詠さんと仲いい人っていないみたいだし。一週間前はほんと仲良かったんだけどね」

 

「仲良かったのか」

 

「良かったねぇ」

 

 一度笑って、

 

「毎日放課後は一緒に仕事して一番遅くまで残って、帰る時は一緒でいろんな所でご飯食べる姿目撃されて、朝も良く一緒に登校してお昼ご飯も一緒で。そりゃなんかあると思ってたし、会話聞いてたら絶対そうだと思ったんだけどね」

 

「そんなんか」

 

「全然違う方向向いてるんだけど滅茶苦茶仲良さそうだった」

 

「なんだそりゃ。こう、本人同士はイチャイチャしてる感はないのか?」

 

「はたから見ればイチャイチャしてるようにしか見えないけど本人達には自覚はない……と思ったかな」

 

「よく見てるな」

 

「間近で見たのは一回だけだけどね。あれは凄いわ」

 

「ふぅん……なのに今は喧嘩してるのか」

 

「まぁお昼とか夜の仕事が一緒なのは変わらないらしいけどね」

 

「喧嘩してるのかそれ」

 

 滅茶苦茶仲がいいのではないだろうかそれは。

 

「いや、私は詳しいよ。あれは漫画とかニチアサでよく見るやつだもん。なんか微妙な雰囲気で距離が開くけど仲直りしかけて事件が起きちゃって、そこから互いの絆を確認して、好き! 私も! ってなるやつ」

 

「高校生の事件って……」

 

「………………警察沙汰にならない事件だよ」

 

 洒落にならない。

 その白詠さんというのは随分なお嬢様みたいだし、それが警察沙汰なんて笑えないだろう。昼の間にニュースとか見てると世間じゃそういうことはすぐニュースになるみたいだし。

 

「にしても、高校生な」

 

 空の話を聞くたびに思う。自分は、恐らく空と一緒くらいか少し上程度の年齢であろうで、大きくは離れていないが、

 

「……俺は高校とか行ってたのかね」

 

「あはは、どうだろうねー? なんか思い出せない?」

 

「全くだな」

 

 それこそスーパーのお得な言買い物の仕方とかエコに済む家事の仕方とか、そんな庶民的なことばかり。学校に行っていたのか実に怪しい所だ。

 記憶の欠片はあまりにも少ない。

 現状では思い出すのにも時間が掛かるだろう。

 なのに、

 

「まー、思い出すまでここにいていいよー。私も海君がいて助かってるしねぇ」

 

「……ありがとよ」

 

 そんなことを彼女は言う。

 なんとなく照れくさくて、身体が痒くなる。

 物好きな少女だ。

 髭とか髪とかはちゃんと手入れをしたが、それにしても自分が強面というか悪人顔というかひたすら人相が悪い野郎を家に置いておくのは色々問題があるだろう。変な噂とかを立てられて迷惑にならないかとか、実は何回か聞いてるのだが、その度に真っ青な空みたいな笑顔を浮かべてここにいればいいと微笑んでくれる。

 

「あ、そうだ! 『クロスライザー』見ないと! まだ途中だったよね、もー海君見るペース遅いんだからぁ!  一週間も見れば三週はできるよ!」

 

「いや、無茶を言うな」

 

「お昼になにしたのさー!」

 

「洗濯とか掃除とかだけど……」

 

「やりながら見れる! こんな狭い部屋なんだから!」

 

「先週それで見たか確認クイズとかを出されて録に応えられなかったからながらは禁止って言ったのは空だが……」

 

「全くもー!」

 

 特撮が絡むと色々訳が分からなくなるのがこの少女の玉に瑕だ。

 

「よしじゃあ十キロランニングしてから、続きを見よう!」

 

「……はいはい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふっ……ふっ……!」

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 葵空の身体能力はやたら高い。昔一人で学校の武道大会に突っ込んで全員張り倒したとかいう訳の解らないエピソードを聞いた時は半信半疑だったが、しかしそれでもこうして目の前で走っている姿を見るとそれも嘘ではないんじゃないかと思えてしまう。

 海も決して身体能力は低くない。怪我が未だに治りきっているわけではないが日常生活に際しての問題はあまり感じないし、重い物を運ぶ時もあまり困ることはない。というか、妙に家事にこなれているから動き方を知っているのだろう。

 それにしたって、

 

「は、速いなぁ……!」

 

「ははは、遅いよー」

 

 現時点で二十分以上ほぼ全力疾走に近い速度で走っているのに空は息一つ切らさずに走り続けている。記憶がなくても常識がないわけではない。

 故に思う。

 葵空の体力がやばい。

 

「ちょ、ま、待ってくれ空……し、死ぬ……っ」

 

 走りすぎた時に起きる特有の脇腹の引きつりと口の中の乾き、腰やら背中も痛い。

 

「もー。だらしないなぁ」

 

 へたり込みそうになるのを押さえながら、荒い息を繰り返す。ここ数日毎日やっているわけだが、一向に空に付いてける気がしない。一体何を食ったらああなれるのか。同じものを食べているはずなのに。量の問題にしてもふざけてる気がする。

 

「はぁーっ、はぁっー……うぇっ」

 

「お水飲んだら? 持ってきたよね」

 

「そ、そりゃあなぁ……ないと死ねるわ……」

 

 スポーツ用のサブバックに入った水分を一気に煽る。もうそろそろ冬は終わるが、それでも気温はまだ少し低い。それでも全力疾走の後では体は熱を持つし、冷えた水分を求めたくなる。

 

「ぷはぁ……あー……ったく、病み上がりなんだけどなぁ」

 

「とか言いつつ、一緒に走ってくれる当たり海君付き合いがいいねー」

 

「……別に、そんなんじゃない。ただ、ほら、あれだよ。……体力作りは必要だし」

 

「あははー」

 

 その笑いはなんだと突っ込みたかったが、息を整えるのが先だった。まだランニングは終わっておらず、少しだけ休憩したら走り続けなければならないのだから。

 

「ふー……」

 

 息を長く吐き出し、呼吸を整える。

 

「もう大丈夫?」

 

「おう」

 

 頷き、

 

「――」

 

 ドクンと心臓が低く脈打った。

 それ(・・)は知っている。

 

「――ぁっ」

 

 既に一度経験したから。

 これはダメだ(・・・・・・)

 ふざけんな、ちくしょう。

 

「海君?」

 

「――なんでだよ、駄目だ、いけない、逃げろ、どっかいけ、行かなきゃ――」

 

 既に一度経験しているから解る。

 自分が――自分じゃなくなるのだ。

 

「海君!」

 

「――ッ! 行け逃げろ来るな離れろ!」

 

 叫び、飛び出した。

 ついさっきまで力尽きていたというにも関わらず、肉体の発揮できる全力――それすら超えて(・・・・・・・)身体を動かした。

 自分が、自分じゃなくなり――消えていく。

 

「海君ッ!」

 

 空の声は、届かない。

 椎名海を蝕む何か(・・)がが届かせない。

 視覚も聴覚も味覚も嗅覚も触覚も何もかもソレに犯される。

 解るのは自己の喪失と、残っている微かな自我だけで空から離れようという意思だけがただ足を動かしていく。

 そのまま走り続けて、

 

「どわ!?」

 

「――!?」

 

 誰かに激突した。

 

「ッ痛っぇ――ッ!」

 

「――どけ、逃げろ邪魔だ消えちまえ――ッ」

 

「おい待てアンタ――」

 

 人間の全力疾走どころか、バイク並の速度の疾走で激突したにも関わらず、少し姿勢を崩すだけにとどまった黒髪の少年に言い棄てるだけ言い棄て、また走り出し、

 

「――■■■」

 

 椎名海の意識は消失した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい、まじかよアイツ――!」

 

 一目見た瞬間、そいつから湧き出る正気に気づいた。

 馬鹿みたいな勢いでぶつかってきた、流斗と同世代らしき少年。全身から黒い靄をにじませながら、即座に走り去ってしまっていた。

 

「くっそ、速すぎんだろなんだよ」

 

 走り去った少年を追いかける為に走りだす。

 出会い頭に拘束すればよかったんじゃないかと思いつつ、自分には無理だと思い直す。

 

「先輩なら――あぁくそっこんなんばっかだなぁおい!」

 

 最近微妙な感じの澪霞の顔が頭に浮かび、何とも言えない感情が浮かび上がったのでそれを振り払う。

 

「とりあえず連絡しねぇと――」

 

 スマホを取り出し――、

 

「ッ!?」

 

 走り去った方角から轟音とよく解らない嫌な気配が生じた。

 

「……おいおい、マジかよ」

 

 スマホ握り締めたままに、冷や汗を拭わずにその先に走り出し、

 

「――■■……」

 

 全身に黒紫の靄――瘴気の化物が、そこにはいた。

 ぎらつく真紅の瞳と目が合う。

 

「……さっきの根性ジャージの方がイカしてたぜ?」

 

「■■■■ーーッッ!!」

 

 

 




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