レンタル☆まどか (黒樹)
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prologue

※まどマギ作品のタイトルを考えている時に思いついたネタです。


 

 

「やぁ、僕の名前はキュゥべえ」

 

絶望する一人の少女の前に、一匹の小動物が現れた。

世にも不思議な、話す獣。白い毛並に長い耳と尻尾。瞳が赤い宝石、或いは血のように不気味に光り、果てには心の奥底すらも見えない瞳の一匹の獣。しかし、その耳にある金属製に見えるリングは天使を装う。

その獣、言葉を話すだけではなく、少女に話しかけているようだった。

話しかけられた少女といえば、いきなり摩訶不思議な「キュゥべえ」と名乗る獣に話しかけられて、困惑を隠せない。それもそうだ、いきなり獣が現れて、あまつさえ人の言葉を喋る。これに驚かないわけがない。

そんな困惑し切った少女に、その獣は甘言を吐く。

 

「僕はどんな望みも、願いも、叶えてあげられるよ」

 

その言葉に嘘偽りはない。世界の理すら変えてしまう力、それが獣にはあった。

 

「それって……本当?」

 

眉唾物の口先でも少女は問わずにいられない。嫌疑の眼差しを向けてくる少女に、キュゥべえはにこりと微笑む。小動物らしいそれはアニマルセラピーのように深く少女の傷の隙間に入り込んだ。

 

「でも、もちろんタダとはいかない」

「……な、何を支払えばいいの?」

「簡単なことさ」

 

笑うことのない瞳を瞑り、口元を緩める、魔性の獣。

 

 

 

「–––僕と契約して魔法少女になってよ!」

 

 

 

 

 

 

「なぁ、二木。知ってるか?」

 

見滝原にはこんな噂がある。と、前の席に座る彼は言う。

 

 

 

「見滝原には中学生のレンタル彼女がいるんだってよ」

 

 

 

夜の歓楽街を利用する大人の男達と、所謂キャバ嬢やホスト、風俗店のような裏路地の人間で知らない者はいない。そんな噂を仕入れて来たのが中沢君。僕と同じ見滝原中学校に通う二年生男子生徒。

 

しかしあれだ。レンタル彼女とは何だろうか。

言葉通りなら、聞くまでもなく、そういう存在なのだろうが。

 

「なんだよお前、レンタル彼女も知らねーの?」

 

中沢君はやれやれと首を振って、

 

「レンタル彼女ってのはなぁ。えーっと、なんだっけ。つまり、彼女を借りるってことなんだよ」

 

そのまんまを答えた。だから、僕は疑問点を訊ねる。

 

「彼女を借りるって、他人の?」

「ん、いや、仕事みたいなものらしいから……そういうのもある、かも」

 

僕は大人のお店を想像した。

まったく無縁の場所だ、法律的にどうなのだろうか。

中学生が、そういう仕事って。

しかも他人の彼女。虚しいことこの上ない。

 

「言うなよ。こっちまで虚しくなってくる」

 

そんな気分にさせたのは彼の方ではないか。

 

「いや、でも、違うんだってそういうのと。なんでも名目上は癒し系の仕事らしい」

「それってセラピー的な?」

「そうそう。なんでも、一日だけ彼女になってくれるらしい」

 

なるほど。理解した。

 

「つまり、お金を払って一日彼女になってもらうってことだね」

「そうそう。そうなんだよ」

「……言葉にすると余計に虚しいね」

「言うな。やめろ」

「偽物か……」

「やめろって。でも、恋人気分を味わえるらしいぞ」

「……中沢君もそういう願望が?」

「う、うるせぇ、お、俺にも彼女がいたことくらいな……」

「先生みたいに破局したとか?」

「喧しい。俺はまだ玉砕してねぇ!」

 

とまぁ、冗談はこれくらいにして。

それがどうしたの、と聞くと彼は身を乗り出して話の続きを聞かせてくる。

 

 

 

「–––それがさ。いるんだよ。この学校にレンタル彼女が」

 

 

 

噂だけどな。と、中沢君は言った。

 

「それで?」

「え、それで、って……お前、他にもっとこう……なんかないの?」

「そんな怪しい仕事がバレたら、教育委員会や生徒指導の対象になるね」

「まぁ、そうなんだろうけど……」

 

何故か煮え切らない反応で中沢君は唸った。

 

「……お前、恋人欲しいとか思わないの?」

「思うけどさ。……先生のあの愚痴聞いて、今は別にいいやって思う」

 

先生から大事なお話があります。と、口を開けば破局した経緯を語り出すあの女教師の惚気と愚痴はもう聞き飽きた。

彼女ができるようないいところがない僕としては焦ったところで意味がない話だ。だってモテないんだから。

 

「それで、なんていうの、その……レンタル彼女サービスってのは」

「そうそう。名前が妙にファンタジーで、乙女チックなんだけど。名前は確か……」

「何の話をしてるんだい?」

 

話に割って入って来たのは、最近、交通事故で入院していたイケメン。上条君だった。しかも、ヴァイオリンの天才で、非の打ち所がないときた。別世界の住人である。

 

「可愛い幼馴染持ちのお前には関係のない話だよ」

「え、え?」

「そして、他の女の子に告白されてYesと応えた上条君にはね」

「……なんだかよくわからないけど、僕責められてる?」

 

罪深い男だ、と中沢君は呟いた。

 

 

 

 

 

 

『魔法少女レンタルサービス〈レンタル☆マギカ〉』

 

それが、中沢君の手に入れたサイトの名前らしい。しかし検索を掛けても引っかからないらしく、何か特別な方法でないとサイトに繋ぐことすらできないらしい。

 

学校も終わり放課後、帰宅した僕はテレビをつけてだらだらとする。着替えて制服を掛けてで気力はゼロ。いちご牛乳をセッディングしてもうソファーから動く気は無い。

 

……アプリゲームのノルマ達成。暇だ。携帯を手にしていると何かしたくなる。その衝動に任せて思い出したサイトの名前を検索エンジンにかけてみる。

半信半疑、悪戯のつもりで、いやマジで、そのつもりで他意はないが検索してみた。

 

「……ん?」

 

スマホの画面に何かが横切った。そんなはずはない。いつものWebページ。変なサイトにはアクセスしていない。というのに、自動でURLが変更されている。検索して、いつのまにかサイト内部まできていた。

 

「魔法少女レンタルサービス……レンタル☆マギカ」

 

妙な話である。教室で中沢君が検索した時には、何も起こらなかったのに。

しかし当然のことながら、利用規約云々の説明書き等が書き連ねられていて、問題はここからのようだ。

取り敢えず、怪しいところ以外は流し読みして、アプリゲームのように適当に利用規約に同意する。

どうやら登録のみなら年会費も登録費も永劫かからないようだし、そうしてみた。すると、サイトのトップページへと辿り着いた。

 

そのサイトに入った瞬間、真っ白なマスコットキャラクターが出てきた。小動物型の可愛らしいそれ。中沢君の話ではレンタル彼女という如何わしいサービスだったはずだが、妙に不釣り合いで、自分の予想がかなり偏屈だったのだろうと反省。でも怪しさ全開なので疑念が晴れたわけでもないが。

しかしまぁ、読み進めていくとわかったことは一つ。

中沢君の言葉通り、レンタル彼女サービスというやつで、そのお仕事についている少女達のことを「魔法少女」と呼ぶらしい。随分凝った設定である。派遣される魔法少女達が一日彼女になってくれる、というものだ。

 

「さて、と……」

 

問題はもう一つ先。見滝原中学校にいるという、レンタル彼女。派遣される魔法少女のプロフィールを観覧できる欄があったので、試しにクリックしてみると、顔写真付きのプロフィールが表示された。

 

「えっ……?」

 

途端、吃驚して画面を凝視。学校で見慣れた少女達の顔写真と名前が貼り出されたのだ。

『鹿目まどか』『暁美ほむら』『美樹さやか』『巴マミ』『佐倉杏子』

一人知らない人がいるが、他はともかく三人は同じクラスメイト、そしてもう一人は校内で一度見かけたことがあるようなないような曖昧な人物だった。

 

「……本人、かな?」

 

他人の空似。同じ名前の、同じ顔。その可能性もなくはない。

僕は取り敢えず、疑念と共にスマホの画面を消した。

 



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鹿目まどか

 

 

 

「皆さん、今日は先生から大事なお話があります」

 

教卓に手をついて深刻な顔で語り始める先生の話を真面目に聞こうと耳を傾ける生徒数多、今日はどんな話題だろうと全員が固唾を飲んで見守った。それもそのはずこの教師、こうやって切り出す時は大抵が彼氏と上手くいかなかったり、そういった愚痴を朝のホームルームで生徒達に漏らす悪癖があるのだ。生徒のためになっているのかはともかく、生徒もわりと軽く受け流すくらいのことしかしないので取り敢えずはただの愚痴扱いだが。

 

「心して聞くように」

 

ごくり、と唾を飲み込む音が共鳴した。

教室は、ある一種の静寂に包まれると、全員が彼女の御高説を聞き逃さまいとした。

愚痴か、真面目な話か、男子達は賭博の結果を見守る。

女子は何か切望に似た雰囲気まで醸し出し始めた。

 

そして、その空気は教師の一言で破壊される。

 

「–––最近、我が見滝原中学に妙な噂が流れているようですが、女子はそんな変な噂を元に声を掛けてきたおじさんとかについていかないように。男子はそういう女子を守るように。もちろん先生は皆さんがそういう噂を鵜呑みにしていない、或いはそういう女子もいないと信じていますが、何故か最近そういう噂が立ち始めたようで……取り敢えず、気をつけてください。それでは、授業を始めます」

 

あくまで適度な忠告として話を終わらせる。職員会議で決まったであろう大事な話を終えて、先生は授業を開始するべく教科書の用意などを促す。

 

–––その時に僕は見てしまった。

 

鹿目まどかが馬鹿正直に動揺して狼狽えている姿を。

 

 

 

 

 

 

放課後。待ちに待った放課後だ。特に何をするわけでもないが学校から解放されるというのは、男子中学生にとってはとても重要なことである。女子はどうかは知らないがそうだ。遊んだり、部活だったり、各々好きな時間を過ごすために教室で談笑したりする輩はさておき、僕は早々に帰宅した。

部活は入っていたが今じゃ幽霊部員扱いで、殆ど行っていない。

帰宅して、鞄を放置、着替えて、飲み物を飲んで一気に脱力。

……別に僕はボッチではない。友達がいないんじゃなくて放課後に連まないだけだ。上条君は一応友達だと思うが、彼は事故後のリハビリとヴァイオリンに忙しくしている。住む世界が違うとはこのこと。中沢君も一応、友達の部類には入るのだろうがあっちもあっちで用事、そして僕もだらけるのが日課で時間を割くつもりはない。

 

だからとは言わない。しかし、暇である。

 

普段は読書などに興じている僕も噂が気になって仕方がなかった。そして、今日の鹿目まどかの反応を見るに、クロだ(下着の色ではない)それがどうあれ事実確認すらできなければ、解決には至らないのだが。噂が真実かどうか、そして本人確認が出来なければ、僕の安眠は遠いだろう。

 

スマホの画面をジッと見つめる。例のサイトのページの利用料金等確認ページ。どうやら初回料金はお試しで千円らしい。大人の遊びとかバカ高いイメージしかなかったが、果たしてこれで少女達の時給を賄えるのだろうか。その問題も、お試しで顧客ゲットのためにやっているのだとしたら納得はできる。嵌った奴だけがドバドバとお金を落としてくれるのだろう。僕の目的はあくまで噂を確かめるだけなんだ。嵌ることはない。

 

意を決して『鹿目まどか』を指名し〈契約〉をタップした。

 

契約完了の文字。にこりと微笑む白い獣。赤い眼が不気味さを感じるホーム画面。そこではたと違和感に気づく。

 

–––そういえば、場所の指定も住所も記載してないな。

 

だとしたら、どうやってここに来るのだろうか。疑問が浮かびサイト内検索をかけようとした時、

 

–––ピンポーン

 

インターホンが鳴った。

 

「誰だよ、こんな時に……」

 

誰であれ早く帰って欲しいものである。こんな如何わしいサイト使用しているとバレたら、明日には教室中どころか校内全土に噂は拡大し僕の居場所は肩身の狭いトイレの中となるだろう。覇気の抜かれた状態で玄関に向かい覗き穴から外を覗く。しかし抜かれた気力も、背筋を這う寒気へと変わってしまった。

 

「なっ……!」

 

鹿目まどか。彼女が部屋の外に立っていたのだ。

フリッフリのフリルのついたいかにも魔法少女な服を着て。

恐る恐るドアを開けて対面してみたら、やっぱり紛う事なき鹿目まどかの姿があった。指先を合わせてもじもじと恥ずかしがる少女の姿、なるほどこれは奇々怪界だ。

 

「……あ、ま、魔法少女レンタルサービスセンターから来ました。か、鹿目まど……」

 

意を決して自己紹介をする少女K。しかし、顔を上げて目を合わせると顔を真っ赤にして目をグルグルと回し始めた。その上、バレてはいけないのなら、してはいけないような質問を自らする。

 

「えっと……あの……、どこか……であったことある、かな?」

「どこで?」

「たとえば、が、学校、とか…………?」

 

鹿目さんは自ら墓穴を掘った。

 

 

 

 

 

奥に通した鹿目さんは制服に着替えた。フリフリの服を脱いでも元からの小動物系の可愛がりたくなるような可愛さは変わらずで、少し気まずそうにクッションを抱き抱え口元を隠す。

いやー、本当にあのグループの中で癒し系なだけはある。見るだけで心が浄化されそうだ。淑女然とした志筑仁美、お気楽おてんば快活少女の美樹さやか、三人は仲良しで教室内ではよく見る組み合わせだ。その中でもモテるのが志筑さんであるが、僕としては鹿目さん推しだ。お嬢様は僕の体が受け付けないのだ。拒否反応が出る、上条君共々。

 

「どうぞ」

「あっ、どうも……」

 

鹿目さんをお招きした僕はまずお茶を出した。反射的にカップを受け取った彼女は手の中で転がすように温かさを確かめてから、コクリと一口飲む。

パッと花のような笑顔を綻ばせた。

 

「わ、おいし…っ、じゃなくて!」

「紅茶と一緒にケーキもどうぞ」

「あ、ありがとう……って、そうでもないよ!」

 

何が不満なんだろうか。煎餅とほうじ茶の方が良かったのだろうか。女の子だからやっぱり甘いものの方がいいと思ったのだが。

 

「そうじゃなくて、今日のことなんだけど……」

「うん。言わない言わない。秘密でしょ」

「え……?」

 

言いふらしたりはしないが、この件については物申すことがある。

 

「それはいいんだけどさ、こういう仕事やめた方がいいと思うよ。鹿目さんはむいてないし、さっきの着替えだって覗きなり盗撮なり襲われたりする可能性だってあるんだし」

「二木君……。大丈夫だよ、他なら絶対にしなかったよ。二木君だから、安心してるんだと思う」

 

そうは言ってるが疑うことを知らないこの純粋な女の子、鹿目まどかだ。えへへ、とぽわぽわする笑顔を浮かべてくれるせいでこっちまでその気にさせられるが、騙されることなかれ。鹿目さんは穢れを知らなさすぎる。

 

「……前から思ってたけど、暁美さんが過保護な理由わかった気がする」

「えぇー。もう、ひどいよー」

 

頰を膨らませてみせるが全く怖くない。むしろ可愛い。

 

「そういう二木君こそ、どうしてレンタル彼女なんて……」

「意外かな?」

「うん。二木君は、その……かっこいいと思うし」

 

世辞を述べた鹿目さんの頰は赤い。反応の全てが面白い。久しぶりにまともに話したけど、やっぱり癒されるなぁ。

 

「彼女さんとかいなかったの……?」

「それ多分客に対して一番鹿目さんがしちゃいけない質問だよ」

 

と思ってたら、心抉る無情な質問が鹿目さんの口から。

 

「ご、ごめんね。気になっちゃったから」

「いや、いいんだけどさ。まぁ包み隠さず言うといないよ。僕が今回このサービスを利用したのも噂を確かめるためだったから」

「あー……噂ね。そうなんだ……」

 

ほっとした様子で胸を撫で下ろす仕草をしてみせる鹿目さんは紅茶を二口ほど飲んで、ほっと一息つく。

 

「……」

「……」

 

それから会話ができなくなるのは当たり前だった。女子生徒とあまり話したことのない僕に女性の相手は無理である。話題すら浮かばず、気まずく二人でお茶をしていると、とんでもない確認が鹿目さんからされる。

 

「……ねぇ。わ、わたし達って……今は恋人同士なんだよね」

「果たしてそれが恋人と言っていいのかわからないけど、そうなんじゃないかな」

「ふ、二木君はして欲しいこととかないの?」

「恋人にして欲しいことかー。何すればいいんだろ」

 

普通の恋人とレンタル彼女の違いとは。おそらくはキスのような行為はダメだろうし、それ以上はもっとダメだろう。デートというのが恋人らしいと思うが生憎とそんな気分ではない。ゴロゴロしたい。あわよくば鹿目さんの膝の上で。

 

「ねぇ、キスとかはダメなんだよね」

「ふぇぇっ⁉︎」

 

花も恥じらう乙女に不躾な質問だとは思ったが、戸惑った様子で悲鳴を上げられた。

 

「……そ、その、ごめんね」

 

何故謝るのか。業務上のことを言ってもらえればそれでいいのに、何もしてないのにフラれた気がする。しかし押せば鹿目さんは意外と簡単に陥落しそうだ。

僕の嗜虐心を煽ったので、ちょっとからかってみよう。

立ち上がり移動する。鹿目さんの横に陣取ると彼女は戸惑いながらも受け入れてくれた。

 

「本当にダメ?どこまでならいいの」

「え、えっと……」

「早く答えないと抱き枕にしちゃうよ」

「だ、抱き枕⁉︎」

 

あわあわと狼狽える鹿目さんは本当に面白い。本当に彼女なら押し倒しているレベルで。鹿目さんは抱き心地の良い枕になりそうだったのだが、断念するしかない。

 

「ねぇ、膝枕はどう?」

「……そ、それくらいなら、いいかも……」

 

–––作戦終了〈ハードからソフト作戦〉完了致しました。無事任務は最高です。おっと間違えた、無事任務は終了です。

 

鹿目さんは一度立ち上がってからスカートの裾を払って元に戻し出来る限り伸ばして座った。布面積が少し多くなっただけで鹿目さんの生太ももは健在だ。無意味な抵抗である。

 

「ど、どうぞ」

「じゃあ、失礼します」

 

鹿目さんの整えられた膝に頭を置く。その瞬間、頭がとてもいい弾力性の何かに沈められるのがわかった。枕と比較しても圧倒的な安心感と安定感。心地良すぎて眠ってしまいそうだ。その上、目前にはぽーっとした表情で見下ろしてくる鹿目さんの顔と、成長途中の果実が服を少し押し上げている。これが水着姿ならどんなに良かったか。

 

「水着でやってほしかったなぁ……」

「ま、また今度なら……」

 

僕としたことが声に出ていたらしい。

 

「えっ、いいの?」

「み、水着もないし、心の準備がその……できてないし。だから、二木君がやりたいなら、今度わたしの決心がついた時にでもって……わたし何言ってるんだろうね。忘れて」

「いや、忘れない。たとえ商売だとしても忘れない」

 

無垢な魔性で営業してくるものだから、こっちとしても相手がどんな気持ちで関わってきてるのか図りかねているところ、何故男達は夢を見るのかわかった気がする。これは不可抗力だ。絶対不可避。

 

「でも、眠くなってきたなぁ……ちょっと寝る、かも…」

「うん。おやすみ、二木君」

 

可能な限り堪能しようとしたが、謎の睡眠欲求には抗えなかった。

 

 

 

 

 

 

起きたら六時だった。夕暮れに染まる部屋の中には鹿目さんの姿はどこにもない。その代わりと言ってはなんだが、机の上には書き置きが一枚、可愛らしい丸っこい文字と絵で残されていた。

 

『契約の時間が終了したから帰るね。ケーキと紅茶美味しかったです、ご馳走様でした。今度は学校で話してくれると嬉しいな。良かったら友達になってください』

 

下の方に連絡先の番号が書いてある。私用の携帯の番号なのだろうが、そんなもの客に渡していいものか。公私混同するところが彼女らしいというかなんというか心配になってくる。

 

「……やばいな。癖になるかも」

 

その夜、鹿目さんの膝枕が至高過ぎてなかなか寝付けなかった。



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それは愛という楔。

 

 

 

「あっ、二木君おはよーっ!」

 

教室に入って挨拶をしてきたのは鹿目さんだった。連絡先を貰ったはいいが有効活用することができず、手に余るそれに翻弄されることしばし、翌日になって学校に行くと人目も憚らず彼女は元気良く声を上げる。それだけで複数の視線が二人を貫く。どう返すか迷ったものの取り敢えず、適度な挨拶としてひらひらと手を振っておいた。朝からあんな大声を出す元気はない。

 

「おやぁ、これはこれは。二人の間に何か進展が」

「もう、違うよー。さやかちゃん」

「怪しい。怪しいですなー。ついにまどかにも春が来たってことか……大人になっていくんだねぇ」

「おじさん臭いよ。それに友達になっただけだから」

 

妙な勘繰りをする美樹さやかと鹿目さんの会話が聞こえる。僕は鞄を置いて机にべったりと張り付く。朝の机のひんやりした感触は心地いいのでやめられないのだ。

 

「二木君からも何か言ってよぉ」

 

何故だ、鹿目さんはこっちに助けを求めてやってきた。美樹さんもこちらに来る。机に突っ伏して朝の至福のひと時を過ごしていた僕は視線だけを向ける。

 

「うん、友達……」

「おっかしいなー。中一の時に六人で遊びに行った時、その時点で友達と思ってたんだけど」

 

妙なことを覚えているものである。

中学一年の夏、何故か仲良くなった上条君と中沢君二人と関わっていたら、上条君の幼馴染の美樹さんの友達と合わせて六人で遊びに行くことになったのだ。友達の友達という赤の他人といきなり会わせられて、遊びに行くというものだからもはや他人とのいきなりの交流に僕は対処しきれなかった思い出がある。あれは黒歴史だ。思い出したくもなかった。

絶対あれ、美樹さんと上条君のデートの口実だよなぁ。って感じで、結局は上条君と志筑さんが付き合ってしまってるわけだけど。

 

「それ多分君だけだよ。美樹さやか」

「えっ、友達の友達って友達でしょ」

「じゃあ、友達の友達の友達は友達かな?」

「あー、確かにビミョいかも……」

 

あれからというもの。僕と女子三人は極稀に話すというレベルでしかない。というのも僕は携帯電話を持っていなくて、番号聞かれた時に鹿目さんに教えられなかったのが大きいと思う。なんだかそれで気まずくなっちゃったし。

 

「まぁいいや。取り敢えず、友達にはなれたんだ。良かったじゃん」

「えへへ、まぁね」

 

僕のあずかり知らぬところで何やら不穏な会話。意味がわからないので聞き流すことにした。

聞き流そうとしていたら、美樹さんはとてもいい笑顔でこう言う。

 

「ところで、友達の名前を呼ぶのが信条のまどかはどうして二木君の名前を呼ばないのかなー?」

「え、えぇ……それはね。男の子の名前を呼ぶのは…恥ずかしい、というか…なんというか…」

 

それは同意する。異性の名前を呼ぶのは凄くハードルが高いのだ。

 

「もうこの際、下の名前で呼んじゃいなよ。ほれほれ、恥ずかしがらずに」

 

呼ぶ前から頰を赤くして、こちらをじっと見つめて来る鹿目さんは何度かタイミングを見計らっているようだった。

 

「…青…葉…君」

「はい、よくできましたー」

 

二木青葉。それが僕の名前である。

鹿目さんは顔を真っ赤にして俯いてしまった。

美樹さんは何気に楽しそうである。

見ていて笑みが溢れそうな光景。

 

「じゃあ、二木もいってみようか」

 

飛び火した。

 

「……まどか」

「はうぅぅぅぅ」

「あらもう恥ずかしがっちゃって、まどかは可愛いなぁ」

 

「あら、仲良いわねー」とか茶化す近所のおばちゃんみたいな発言。にははと笑って親友を弄るのが楽しそうなのがわかる。弄られる本人の方はいい気しないのだが。

 

「まどかをあまりからかわないようにね」

「……順応早いなー、二木は」

「女の子の下の名前を呼ぶのは悪い気しないからね。呼べと言われれば呼ぶし。まどかさえ良ければ、このままでもいいけど」

「……う、うん」

「……っ!」

 

ぞくり。ちょっとからかってみたつもりが、背後から何か寒気を感じてばっと振り返る。

 

「どうしたの、二木?」

「……いや、なんか視線を感じた気がしたんだけど」

「おーい、まどかさーん。見つめすぎだってさぁ」

「も、もう、さやかちゃん!」

 

しかし、誰も見ていなかった。

教室内には、談笑する人のみでこちらの様子を伺う者など存在しない。

気のせいにして、僕は二人との会話に戻った。

 

 

 

 

 

 

放課後。いったいどういうわけか、まどかと帰る事になった帰路。困り果てた末に辿り着いたのは先生の話題だ。これで通算何回破局しただの指折り数え、そのうちのどれが最も凄い理由だったとか。くだらないことを言い合っているうちにまどかの家の前。

 

「またね……青葉、くん」

「また明日。まどか」

 

さよならを言い合って、まどかが家の中に消えるのを見送ろうと思ったら、今度は彼女が僕を見送ろうとする。お互いに動かないまま時が過ぎて、顔を真っ赤にしたまどかが家の中に駆け込むのを合図にして僕も踵を返す。

 

帰路を逆戻り。

 

そもそも僕の家は途中にあった分かれ道のもう片方。その先を行ってまどかの家とはかなり離れた距離。今朝感じた視線は今もなお纏わり付いたまま、僕とまどかの帰宅中にさえ及んだ。さすがにそんな状況で女の子を一人で帰すわけにはいかない。そうでなくとも送るつもりはあったけど、美樹さんにも酷く注意されたし。

 

商店街に出た。路地裏に入った。

さぁ、姿を表せと身構える。

 

「そろそろ出てきたらどう?僕に用があるんだろ」

「自ら人目のつかないところに迷い込むなんて、殊勝な心がけね」

 

少女の声だった。ただならぬ悪寒を感じて咄嗟に振り向く。

その時、防衛手段として前に出した手が何かに触れた。

ふにっとした柔らかいもの。掴むには至らない大きさ。何故だろう、心地よいと感じた。

振り向いた先には黒髪の美少女、暁美ほむら。

そして、その慎ましい胸に僕は手を添えていた。

 

「……あ」

 

何の引力か胸から手が離れない。完全な膠着状態。

 

「……訂正するわ。いたいけな少女を路地裏に連れ込んで悪戯をする変態だってね!」

 

ガンッ、という無骨な音が僕の頭に響く。顎を何か硬いもので殴られたと理解したのは数秒後。いたいけな少女はこんな乱暴なことはしないだろう。と、朦朧とする意識の中でなんとか堪えたのだった。

 

 

 

 

 

冷たい感触が唇に触れる。硬くて、鉄の味がする。触れる前に見たのは小さな口をすぼめたような形だけ。無遠慮に押し付けられたそれは唇をこじ開けて侵入する。黒くて、ゴツゴツする、何か。硝煙の匂いがするのはきっと気のせいだろう。

 

「……ほれ、どほでへにいれたぁの?」

 

口を塞がれていてまともに喋る事叶わず。

僕は口の中に突っ込まれた拳銃を見下ろしながら下ろせと主張する。

 

「ちょっと自由業のお兄さん達から借りたのよ」

 

玩具屋だって言って欲しかった。それでも十分に危険だが。エアガンでも口内発射はやめましょう。

 

「質問に答えることを約束するなら、銃を下ろしてあげてもいいけど?」

「フっ、コトワル」

「そう。じゃあ、今すぐにでも熱いキスを交わす事になるわね」

 

すみません。一度言ってみたかっただけなんです。だから銃口が火を吹く方向性は無しにしてください。まぁ、暁美さんの熱いキスなら大喜びだが。

取り敢えずは銃口を口内から取り除いてくれた暁美さんだが、銃口そのものは下ろしてくれない。心臓を狙ったまま溜飲を下げることもなかった。

 

「それであなた、昨日、まどかを如何わしいサイトで呼び出したわよね」

「如何わしいっていうのなら、君達のやっている職業の方が–––いたっいたいたい」

 

グリグリと銃口で頭を小突かれる。まだ本格的に怒らせていない分、冗談は通じたようだ。事実は冗談ではすまないが。

 

「余計な口を挟むのは、その如何わしいサイトを利用したこの口かしら」

「うん、ごめんごめん。暁美さんの反応が面白くてつい」

「あなたそれで私の銃と熱いベーゼを交わす事になったらどうするつもりなのかしら」

「その時は責任とってもらうかな」

「えぇ、責任を持って苦しまないように終わらせてあげるわ」

「僕が言ってるのはそういうことじゃないんだけどなぁ」

 

暁美ほむら、彼女は鹿目まどかとは違うベクトルの美少女だ。鹿目まどかが可愛いなら、暁美ほむらは綺麗、クールな雰囲気が密かに人気を呼んでいる。しかし、ミステリアスレディでありながら鹿目まどかにべったりで一部では二人に恋愛関係疑惑が持ち上がるほど。もっとも、まどかに限ってそんなことはないというのが皆の共通見解である。

 

「だけど、そんなことをしてまどかにバレたら私がまずいの」

 

ほらね、まどかにべったりだ。

 

「君なら僕を始末しても処理くらい簡単だと思うけど」

「えぇ、簡単よ。大凡の警察機関の捜査なんて掻い潜れるわ。でも、まどかだけは容易じゃないの」

 

笑えない冗談だ。さすが、そんな物騒な物を所持しているだけある。

 

「あの子、そういう事に鼻がいいから。特に気になっている人に関わる事なら、察しがいいとまではいかないけど、どうしても嗅ぎつけてしまうのよね。本当、特にあなたに関しては」

「僕に関しては……?」

「あなたが知る必要はないわ。そのまま朴念仁を続けていなさい」

 

まるで、まどかが僕に気があるみたいだ。まさかの話。そんなわけないよなぁ。

 

「まぁ、早い話が警告よ。これ以上痛い目見たくなかったら、まどかに変なことしないで。あと、泣かせたら殺すから」

「僕に脅しが通用するとでも?」

「えぇ、あなたと接してわかったわ。最悪、その粗末な物を切り落とすくらいしないと効果がないってことがね」

「待って。さすがに男として殺すのはやめて」

「大丈夫よ。傷つけはしないわ。尊厳を踏みにじるだけよ。傷なんてつけたら、まどかに怒られるもの。社会的に殺したら、まどかもあなたに興味をなくすかもしれないし、そっちの方が私としては好ましいけど」

 

不敵に妖艶な笑みを見せる暁美さん。ばさっと髪の毛をばらつかせながら、背中を向けて左手に持つ銃に口づけをして見せる。視線はこちらを見つめ、まるで見せつけるかのよう。

 

「まぁ、これだけ頭の隅に置いてくれるならそれで十分よ。覚えておいて。まどかを傷つけたら殺すわ」

「色々言ってるけど、あのさ……」

 

僕は銃を指差す。

 

「間接キス」

 

直後、目の前が真っ暗になった。



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青の少女

 

 

 

見滝原中学校は現在、テスト期間に入った。部活は一時活動を停止し勉学に励めと学校側が取り決めているため、全校生徒は私用がない限り、殆どが勉学に時間を割いているだろう。そういう僕、二木青葉は勉強というものが好きではない。故にいつもの自堕落なネットサーフィンを敢行していた。

しかしまぁ、とても気になることが一つある。

「レンタル彼女はテスト期間中も活動するのか?」という疑問。流石に企業側もそんなブラックっぽい事はしないだろうなぁ、と思うもののサイトは通常通り運営している。なので、ネットサーフィンも飽きた頃、一人呼び出してみることにした。

まどかは選択肢から除外(テスト期間中にもし来たら可哀想)、暁美ほむらも同じく除外(呼び出したら何されるかわからない)、美樹さやかはからかい半分でありか(勉強してなさそう。あとイタズラくらい笑って許してくれそう)。他にも色々いたが、割愛する。

 

「よし、君に決めた!」

 

ポチッと。

「美樹さやか」で〈契約〉をタップ。

確かに、受領した。

 

 

 

–––ピンポーン

 

 

 

そうして、程なくしてインターホンの音が部屋に響いた。

 

わっくわくしながら玄関に出る。ドア越しに覗き穴から外を見るとそこにはなんとまぁ忘れもしない魔法少女ルックの青の衣装に身を包んでいる美樹さやかの姿。若干、不機嫌っぽい。さすがにやり過ぎたかと反省するが居留守は可哀想なので自重する。ドアを開けると、すぐに彼女は職業スマイルへと早変わり。

 

「どうもー、魔法少女レンタルサービスから来ましたー、さやかちゃんだぞー☆」

 

痛々しいセリフ。しかし、さながら覇気に欠けるそれはため息と共に声を発しているようで、若干目を逸らし気味に義務だしやるしかないかー感しかない。

 

「……どうしたの、元気ないね?」

「……おっ?その声は……あっ、二木じゃん。なに、あんたの父さんが今回のお客さん?自分の息子と同い年の女子が対象とか今すぐ家族会議開いた方がいいよ」

 

開口一番、父の性癖がロリコンになった。

まぁ、確かにうちの母親は身長が140cm代と童顔でロリっぽいが。

 

「残念ながら呼び出したのは僕なんだよねー」

「……なるほど。あんた、まどかをこんな方法で呼び出したんだ。で、浮気かー。親友の彼氏を私が奪っちゃったどうしよー。……あ、あたしも人のこと言えないわぁー」

 

こんなところで上条君の件を出して自滅をしないでほしい。

 

「……あんたさぁ、私じゃなくてまどか呼び出しなよ。恭介と仁美は今頃二人っきりで勉強してるっていうのにさぁ」

 

もはやどっから突っ込めばいいのか、ここは慰めるべきだろうか。

 

「まぁいいや。付き合え」

「それはいいんだけどさ、勉強は?」

「ちょっとそれ今くらい忘れさせろよー」

「あっ、うん……」

 

やはり、彼女は勉強中ではなかったらしい。

 

 

 

 

 

部屋へ通すと早速、もはや恒例行事のように服を着替えた美樹さん。取り敢えず、まどかと同じように紅茶とケーキを用意しておもてなしの準備はオーケー。よくよく考えたら、僕はなんでもてなしてるんだろう。まぁいいや、好きでやっていることだしと考えないようにした。

 

「おぉ。さすが、私から見てもポイント高いね。まどかもこうやって口説き落としたの?」

 

一仕事終えた感出していると、リビングに入って来た美樹さんが机の上のティーセットを見て感嘆の声を漏らした。感嘆と言ったら感嘆だ。

 

「口説いてないから」

「いやいや、普通こう対応されて何も感じない女子はいないっての」

「女子の感性って複雑だなぁ」

「まぁ、たくさん勉強してけって。このさやかちゃんがとくとご覧に入れよう」

「世間一般的に君ってダメな部類に入るから、参考にはならないと思うけど……」

「なにをー!」

 

怒った風に突っかかってくるが、それも紅茶を飲んだだけで機嫌を直す。情緒不安定なんじゃないか、この子。言い方を変えればチョロい。

 

「んー、染み渡るー。こんなの初めて。これなに?」

「チャイだよ。シナモンとかジンジャーとかいろんなスパイス入れてるの。あったまるでしょ」

「香辛料かー。カレーにしか使ったことないわ。完成品に味付けたり。つーか、カレーなんてルー入れたら完成だし。女子力高いなぁ、二木は。それに比べて私は……」

 

もう事あるごとに自爆を始める美樹さん。ティーカップの縁を指でなぞり物憂げな表情。哀愁漂うその姿につい頭を撫でたくなってしまう、いやもうなってしまったので、机に突っ伏する彼女の頭を優しく撫でてやった。すると、一瞬心地好さそうに目を細めてからそのままの姿勢で見上げてくる。

 

「よく見れば、美樹さんも可愛いと思うよ」

 

今の感想である。

 

「へー、たとえば私のどんなところが?」

 

そう言われると、どう言葉に表していいものやら。

 

「……女の子っぽいところ?」

「へぇー、私のどこが女の子っぽいって?」

 

答えに窮する。答える度に追い詰められるこの感じ。そんな目で見た事ないから正直わからん。

 

「……うん。取り敢えず、そうやっておとなしくしてたら普通に可愛いと思うよ」

「あんた傷心の女子に向かってなんてことを……! 私全否定されてんだけど」

 

「うぅ〜」と唸りながらあからさまに落ち込んでみせる美樹さん。「どうせ私なんてぇ、私なんてぇ」としょげているところを見るとやはりとどめを刺してしまったっぽい。

ふと気づいたら、そんな彼女の頭を撫でてしまっている自分がいた。

 

「……二木?」

「なんだろう、そうやって弱っているところを見ると無性に構いたくなるんだよね」

「……これが下げて堕とすってやつかぁ。あまりの高等テクニックにさすがの私もちょっとキュンときたわ」

 

うりうりと頭を押し付けてくる、どうやら頭を撫でられるのが気に入ったようだ。その雰囲気につられるように僕もまた雰囲気に流され始める。

 

「やっぱりお嬢様より身近な人が一番だよね」

「二木はいいこと言うなー」

「小動物みたいで可愛いね、美樹さんは」

「私、猛獣ってよく言われる……」

 

まぁ、確かに、思わなくもないが……。

 

「こんなに可愛い幼馴染ほったらかして何であっちに行っちゃったかなぁ」

「まぁ、別にもう私も割り切ってるんだけどね。割り切っているつもりだし、仁美に対しても素直におめでとうって言えればいいけど、私さぁ、あいつが仁美と付き合い始めて、なんていうか音楽人間なあいつと実際に付き合っている仁美観ているとちょっと安心したっていうか……酷いよね。私さ、恭介がああいうやつで、仁美が恋愛に四苦八苦してるのを見て複雑な感情なんだ」

 

濁した言葉の本当の意味。きっと『悪感情』があるのだろう。喜んであげたいやら、そして同時に幸せになりきれていない親友を見て少しほっとする、最悪な感情だと責めている様子。

 

「……美樹さんはこういう風に誰かに甘えたことはある?」

「……あぁ、私ね、恭介には実際自分から絡んで甘えるというより、世話焼きしてた感じかな。そうでもないと、恭介って音楽以外に興味を示さないから」

 

あぁ、うん、納得だ。口を開けば「ヴァイオリン」顔を思い出すだけで脳内に言葉がリフレインする。

 

「って、こんな話しても面白くないよね。やめだやめ–––」

「そんなことないよ」

 

アッハッハと笑いだす美樹さんの言葉に何を思ったのか、実際、退屈はしていなかったので……。

 

「好きなだけ愚痴を零せばいいよ。ここには親友もいないんだし、そんな告げ口みたいなこともしないからさ。僕でよければ、話くらいなら聞くよ」

 

慰めの言葉を掛けていた。どう慰めようとしたのかはわからない。それでもただ、一人で潰れてしまうよりはマシだろう、それに話は面白いし、話題に窮することもない。傍に寄り易い。……なんというか美樹さんがお友達でと言われる理由がわかるような気がする。

 

「あんたっていいやつだねぇ。二木、いや、青葉。……お代わりない?」

「ケーキもチャイも山のように。これ幸いなことに、趣味がケーキ作りとお茶を淹れることだからね。材料ならいくらでもあるし、作り置きのケーキも沢山ある」

「んじゃあー、今からパーティーだー!」

「準備するね」

 

 

 

–––数時間後–––

 

 

 

「…………私の何がいけないんだよぉぉぉぉ!!」

 

……見事に美樹さんは出来上がっていた。

おかしいな、飲んでいたのはチャイでスパイス入れただけなのに。酔うはずないんだけどなぁ。

アルコールの類なんて一ミリも……と疑問に思いながら美樹さんに近づくと、確かに甘い匂いに混じってアルコールの匂いがした。机の上にはチョコレートケーキ。そういえば、母親用にチョコレートケーキの材料にお酒を入れた記憶が……。え、まさか、酒菓子で酔ったのだろうか。

 

「ほーら、よしよし、美樹さんは何も悪くないよー。悪いのは全部、上条だから」

「あははははは!!!!」

「ちょっ、いたっ、痛いって」

 

今度は、笑いながらベシベシと背中を叩いて興奮した様子。しかも、手加減一切なしの平手打ち。さすがの僕も平常心ではいられない。

 

「美樹さん、怒るよ」

「……」

 

ガッと腕を掴んで止めれば、見つめ合う形に。途端におとなしくなった美樹さん。

 

「……あんたってそういう強引なところもあるんだ」

「何勘違いしてんの」

「べっつにー。……いっそこのまま無理やりキスでもして忘れさせてくれるくらいの甲斐性見せてくれたらなぁーって」

 

まだ酔ってるな。酔ってるわ。まぁ、慣れてるからいいけど。

 

「あっ、そうだ、美樹さん、時間」

「んー?まだ朝の七時だよー。やーん、朝帰りー」

「夜の七時ね。あんまりふざけてると……」

「ふざけてると?」

「……」

 

……この場合、何と言えば?

 

「ちょっとこっち来て」

「なになに?なにすんの?」

 

警戒心もなしにちょこちょこと近寄って来た美樹さんの肩を抱いて、携帯の機能で写真を撮る。いわゆる自撮り、ツーショットバージョン。

 

「ありがと。さて、送ってくから準備して」

「じゃあ、ちょっとトイレ借りるわ。……一応、言っておくけど、覗くなよー」

「なにそれフリ?色気も何もないなぁ」

「うぅ、なんか知らないけど馬鹿にされたー」

 

さっさとトイレに引っ込む美樹さん。その間にこの写真をどうするか考えた。黙考。良案はなし。

 

「じゃあ、おやすみー」

「あ、うん、おやすみ。……って美樹さん!?」

 

いつのまにかトイレから帰って来た彼女はすやすやと寝入ってしまった。

 

 

 

 

 

 

仕方なく眠った美樹さんを背負って夜の街へ。メールでまどかに美樹さんの住所を聞いたところ一悶着あったが、なんとか現住所を聞き出すことに成功した。明日が怖い。「明日、学校でね」と通話で直接言われたが生きた心地がしなかった。だって、詳しくは二人から直接聞くと言って聞かないんだもん。正直、幸せそうに背中で眠っている美樹さんが羨ましい。

 

「まったく……無防備にもほどがあるよ」

 

背中に乗る彼女の体温と、柔らかさと、膨らみと、湧き上がる邪な感情にため息を吐く。それに呼応するように美樹さんは身動ぎを一つ。

 

「んん〜。青葉ぁ〜……」

「はいはい、ここにいますよー」

 

どんな夢を見ているのか、気になるものの僕は無視した。

いい夢見れるといいな。そして、それが覚めた時のあの虚しさときたら。

邪魔をしないように徐行していると、夢の中で何やら変化があったようだ。

 

「–––青葉のエッチ」

 

突然、そんな寝言。耳元で囁くような声音。

 

「……美樹さん、起きてるよね?」

「わ、私に…そんなこと…するなんてぇ…」

 

確信犯と断定して、お望み通りちょっとした悪戯を思いつく。膝裏近くを支えていた手を徐々に背中側に回す。美樹さんの剥き出しの太腿へ。そして、かなり際どいスカート一歩手前でピタリと停止。

 

「もしまだふざけるつもりなら、このまま手がスカートの中を悪戯しちゃうよ」

「……ごめんなさい」

「うん。わかればよろしい」

 

美樹さんを背負い直してもう一度、歩き出す。

そうすれば、落ちないように今度はぎゅっとしがみついてくる。

 

「……そういえばさ、青葉。私があんたのこと名前で呼んでるんだから、あんたも呼びなよ」

「了解。さやか」

「ん。よろしい」

 

満足げに頷いて一人納得した様子。本当、妙なところで可愛げを発揮する妙な魅力を持っている。今日一日の出来事に色々あったなと遠い目で振り返ってると、急に肩を叩かれる。

 

「–––おまえら、見滝原の生徒だな?」

 

その声に「げっ」と女の子らしくない声を漏らしたのはさやかだ。

 

「あっ、どうも、剛田先生」

 

振り返った先には見滝原中学校の体育教師、剛田。独身。男性。まるでゴリラの化身だ。

 

「こんな時間に何をしてるんだ。今はテスト期間中。さっさと帰れ」

「すみません。僕の家でテスト勉強をしていたもので」

「男女でか?」

「あぁ、剛田先生には縁のない話でしたね」

「うぐっ」

 

カウンターのボディーブロー。それが深々と刺さる様を見て「うわぁ」とさやかが呆れた声を漏らす。

 

「では、さようなら」

「うむ。–––いや、ちょっと待て」

 

ヒクヒクと鼻を動かすゴリラ。

 

「む〜?酒の匂いがするぞ」

「女子の体臭嗅いで変態臭いですよ」

「おまえら、まさか–––」

「酒菓子です。いやぁ、間違えて酒菓子を食べさせちゃって」

「そうか。気をつけるんだぞ」

「はーい」

 

今度こそ、その場から離脱。

直後、背後のゲーセンから出て来た中学生くらいの男子二人が出て来た。

ファミレスからも男女一組のカップル、だが年齢は言わずもがな。

二組は、目敏くゴリラに捕まり強制連行されていく。

これから学校で反省文でも書かされることだろう。哀れな。

 

「……あんた口がよく回るねぇ」

「一応、これでも人と話すのは苦手なんだよ。でも、嘘八百なら十八番だよ」

 

結局、さやかを下ろしたのは家の前でだった。

それもさやかの両親に見られて一悶着あったのだが、そこはあずかり知らぬところなので割愛する。

 



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真面目なあの子は寂しがり

 

 

 

「–––はい、終了です。答案用紙後ろから集めてきてください。ほら、そこ、悪足掻きしない」

 

授業終了のベルと同時、脱力する生徒多数。悪足掻きか時間が足りなかったのか、見直して間違いに気づいたのか、それとも名前を書き忘れたのか、それぞれが違った反応を見せる。目を光らせる先生はまるで合コンで男を狙う狩人の目付き。ともあれ、これで良くも悪くもテスト期間は終了だ。

 

この後は解禁された部活動に行くか、とある生徒ならヴァイオリンの稽古か、そしてその彼女ならばお稽古等の習い事、ただカフェで駄弁るだけの者もいる。

 

テストからの解放がよほど嬉しいらしい。

僕としては、テスト期間は勉強ではなくゲームに費やしていたために名残惜しく残念に思う。

いっそ、テストが永久的に続けばいいのに、とも思っている。

テストの日は午前中だけで学校が終わるし、まるで天国のようなものだったのだが……。

補習にさえ引っ掛からなければ、僕にとっては割とどうでもいい話だった。

 

 

 

–––そして、翌週。

 

 

 

僕は戦慄した。驚愕した。崩れ落ちた。

返却されたテストの答案用紙。科学、数学、国語とまずまずの結果だった。元々、理数系は得意なだけに勉強はしなくても八十は取れる計算だった。そこは抜かりない。国語も文章を読むだけに、文を書けなんて出題されない限りは問題はなかった。

問題は次、英語と歴史(日本の歴史)である。

見滝原中学校の赤点ラインは学年平均の三分の二。

それが、前のテストより断然高く、ラインを下回った。

補習だ。再試だ。お小遣いカットだ(特に重要)。

 

「今回は平均点が高く赤点の人が続出していますが……サボることのないように。明日から補習は始まりますので、それでは」

 

教師がトドメの一撃を放って教室を出て行く。魂の抜け出た生徒は僕も含め僅か三人、そのうちの一人が僕の机に突貫してきた。

 

「どーしよ青葉、私再試だよーっ!」

 

さやかだ。回答用紙を握り締めて、突き付けてくる。その点数を見るに僕よりやや上。男として負けたプライドとかへったくれも湧き上がらないが、もっとも不味いのは再試を乗り越えられないことだ。

 

「安心しろさやか、僕も再試だ」

「やっぱ持つべきものは友達だよね」

 

がっしりとお互いの手を握り合う。固く友情?を深く繋いだところで、茶々を入れる余計な影が一つ。

 

「まったく、さやかも二木もどうしてこうなんだ」

「そういう恭介は何点なのさー」

「待って、それ地雷……」

 

言い終わる前に上条君は手に持っていた回答用紙を見せてくる。次元が違いすぎるそれ。ヴァイオリンもやっているくせに無駄に高いそれ。彼女がいる上に腹立たしいな、おい。有能さアピールか?将来性アピールか?泣くよ?

 

「あーやだやだ、これだから完璧人間は……ねぇ、君の幼馴染どうにかならない?一つくらい欠点とか」

「あーないない。……ん、いや、ある?」

 

言ったそばから上条君は自ら欠点を曝け出した。

 

「よかったら教えるよ。僕の家で」

「ほら、こういうとこよ」

「あぁ、なるほど……良くも悪くもってやつだね」

 

ただ、一つ言わせてもらうなら……。

 

「そんなことする暇あるなら、志筑さんをデートにでも誘えばいいのに」

「え?なんで?」

「うわぁ、ダメだこいつ……志筑さーん。旦那が浮気しようとしてるよー」

「なんで!?」

「なんですの?」

 

呼べば出てくる志筑仁美。現在、上条君の彼女。ステータス的には悪くはない、かなり優良物件だ。もっとも僕には価値のない石ころみたいなものだが。

善意であるのだろうが、もう少し上条君は自分の言動を省みるべきである。

 

「……はぁ。こういうとこだよねぇ。ま、追試乗り切ってまた青葉の家でパーティーでもしよっか。今度はまどかも込みで」

 

え。なにそれ。僕聞いてない。

突然やる気を出したさやかに振り回される役は僕に回ってきたようだ。

 

 

 

 

 

 

補習が行われている今日この頃。僕は堂々と補習をサボった。追試だろうが再試だろうが結局は合格してしまえばいいわけである。それに教師達はテスト用紙の再構築はしないので、テストする内容はまったくもって同じなのだ。僕の暗記力と一夜漬けがあればそれくらいは余裕なわけである。

 

「さて、今日はどうしようかな?」

 

レンタルサービスサイトを開き、契約画面を眺める。

さやかとまどかはダメだ。僕が補習ということを知っている。さやかは家で自主的にやっているらしいから、呼び出すのは可哀想というものだろう。暁美ほむらも補習で揺すってくる可能性もある。

そうなれば、あとは二人。佐倉杏子と巴マミ。どちらかということになるが、僕は癒しを求めていたので年上女性に頼むことにした。

 

「じゃあ、ここは順当に巴マミで」

 

ポチッと。

「巴マミ」で〈契約〉をタップ。

契約は完了した。

 

 

 

–––ピンポーン–––

 

 

 

程なくしてインターホンが鳴る。スキップとタップダンスを織り交ぜながら玄関へ。毎回恒例の魔法少女の衣装はどんなのだろうかと割とワクワクしていた。僕にはそれが少し楽しみになっていた。だから僕は、拍子抜けすることになる。

玄関のドアを開けると、そこには……。

 

「巴マミです。よろしくお願いしますね」

 

淑女然とした、まるでどこかの学校の制服のような服を着た少女がにっこりと微笑む。その姿。さやかやまどかのと違ってどこか淑女らしいそれはなんというか拍子抜け。基準がまどかのものであるから仕方ないが、というかもっとも想像する魔法少女としての形を体現していたのがまどかで……。

まぁ、こういう淑女的なのは悪くない。もっとストレートに表現するならば、好みだ。

 

「……ところで、二木君、よね?」

「え、えぇ、はい?」

「補習はどうしたの?」

 

 

 

–––スパンッ。

 

 

 

びっくりした。びっくりしすぎて扉を閉めた。

グイグイとドアノブが捻られる。僕は断固抵抗する。

 

まさか、こんなところに教師の回し者が来るなんて……!

まさかまさか。あのレンタルサービスは教師が!?(錯乱)

 

だとしたらとてもまずいだろう。生徒にこんな仕事をさせるなんて。突き止めて、握られた弱みを見つけ、逆に弱みを握り返し教職から追放しなければ。

 

「ちょっと二木君、開けなさい!」

「すみません人違いです。僕の名前はアララギです」

「嘘言わないの。知ってるんですからね、君が二木青葉君だってことは」

「いえ、僕の名前は斧乃木ですっ」

「さっきと言ってることが違うわよ!?」

「あれ、貝木だったかな?」

 

咄嗟に思いついた名前がそれで、脳内には詐欺師の顔がちらつく。僕もそうなるんだ。そうしなければ、ここは乗り切れない。

 

「……俺は二木という男を知っている少女達を知っているだけで、会ったこともなければ話したこともない」

「表札に二木って書いてあるわよ」

「……それは『ふたき』と読むのではなく『にき』と読むんだ」

 

大嘘。なれなかった。詐欺師にはなれなかった。だが、勝ったぞ。

ドサクサに紛れて鍵を施錠した。ガチャンという音が安心感を生む。

「あっ、こら」なんて聞こえない。続いてドンドンと扉を叩かれるが無視だ。

 

「ちょっと二木君! も、もう、開けなさい!」

「すみませんがお引き取り願えますか。料金は支払いでいいんで、あとはご自由に余った時間を過ごしていただいて」

「……うぅ…ぐすっ…」

 

……泣き始めた。

扉越しに、鳴り止む叩く音。

代わりに聞こえてきた、小さな啜り泣く音。

なんだかとても居た堪れない気分だ。

僕は思わず素に戻ってしまう。

 

「あの……な、泣くほどですか?」

「…ぐすっ…ひぐっ…」

 

扉に手を合わせて、僕は彼女が扉に背を合わせて膝を抱えているのがわかった。仕方なく鍵を開けてみる。それでも扉は開かない。今度は押してみる。扉は開かない。もう、鍵は開いているはずなのに。諦めてしまったのだろうか。

 

「あの、巴さん……?」

 

やはり、返ってきたのは啜り泣く音。

 

「僕が悪かったですから。泣き止んでくれると……」

「ぐすっ、私ね……」

 

唐突に語り始めた巴さん。扉越しの泣き声でもそれは明瞭に聞こえてきた。

 

「こんなの初めてなの。レンタルサービスを利用してくれるお客様にこんな仕打ちされたの……つい悲しくなっちゃって、泣いちゃって、こんなのいけないとはわかってるんだけど……プロ失格よね」

「……」

 

どこでプロ意識出してきてるんだこの人。呆れを通り越して、もう尊敬するまである。しかし泣かせてしまったのは事実な上、呼び出したのは僕の方なので全面的に悪いのは僕の方だ。たとえ、私用とか私情が挟まれているとしても。

 

「巴さん、鍵開けましたから」

 

そう伝えるも扉の向こうに反応はない。覗き穴から外を見る前に彼女の気配が消えたような気がした。僕は気配を読める特技を持っている。よくあるだろう、背後に誰かいると感じることが。その感覚が誰よりも鋭いのだ。故に気配のしない外に気を配れば、巴さんの姿は確認できなかった。

思わず僕は帰ってしまったのかと扉を開ける。しかし、開いた扉の向こうには誰もいない、ただの道路だけが存在した。まるで霞のように消えてしまったのだ。

 

「……はっ」

 

–––刹那、背後に感じた気配に振り返るより早く視界が黒に染まった。

 

「だーれだ?」

 

生温かい感触。塞がれた目。

決定的なのが背中に触れる柔らかい感触ッ!

僕は戦慄した。

いったいこの人は何処から入って来た。

 

「あの、先輩。これはいったいなんの真似で?」

 

目隠しをしてきた彼女に問う。

すると、おそらくは微笑を浮かべながら彼女が答える。

 

「……私ね、本当に傷ついたのよ?皆には優しい子だって聞いていたのに私だけこんな対応だし」

 

–––否、文句だ。

 

「本当、この仕事していて閉め出されたなんて初めてよ」

「……そうですね」

 

そりゃそうだ。呼び出しておいて拒否するとか本末転倒である。

 

「補習に出ろとまでは言わないわ。勉強しなさい。……頑張ったらご褒美あげるから」

 

僕は泣かせた手前、拒否することができなかったのだった。渋々、渋々顔ながらも了承する僕に巴マミは表情を崩したのを見て、やっぱり綺麗な先輩だなと改めて思う。

 

 

 

 

 

それから約一時間後。

 

机に齧り付かされている僕は“勉強”していた。「優しさも時には残虐性を持つ」ということを。今の拷問的な補習授業も巴マミという真面目人間からもたらされているものであり、泣かせた上で美人な泣きっ面には弱く、僕は貝木ほど詐欺師が向いていないところがわかったところで僕の中の打算は確実に成果を出し始めている。

元々、契約内容は一貫して“二時間”と決めてある。財力的に中学生が消費できる金銭の問題である。それが功を制してあと数十分で僕はこの家庭教師から解放される。そこまで耐え切れば、僕の勝利だ。だが、真面目に勉強するだけで時間を過ごすのは頂けない。

隣に座って手元を覗き込むマミに僕は切り札を提案した。

 

「あの、マミ先輩。そろそろ休憩にしてお茶にしませんか?」

「……そうね。その通りよね」

 

案外軽く釣れたマミはジッと僕を見てくる。話を聞いているということは、同僚であるまどかやさやかから何かしらの報告を受けているということ、そしてお茶した事実などは絶対に知っている。素知らぬふりして提案を待つマミへ、最後の餌をぶら下げる。

 

「じゃあ、お茶淹れてきますね」

「わ、私も手伝うわ」

「いえ、お客様なので手伝わせるわけには……」

 

お客様? ……はて、何かを忘れている気がする。

家庭教師–––じゃない、レンタル彼女だ。

僕は平然と忘れていた。家庭教師されているが、僕が雇ったのは家庭教師じゃない。

だとしたら家庭教師はオプションか?そういうシチュエーションか?

何か決定的に違う気がするが、わかることといえば僕が選択をミスったくらいだ。こうなるくらいなら『佐倉杏子』を選んでおくべきだったのだ。

 

「いえ、お茶を淹れるのは僕の楽しみなので盗らないでいただけると有り難いです」

「そ、そう……わかったわ。でも、今度は私がやるからね」

 

「今度」が来ないことを祈りながら、僕は一人お茶の用意をする。二人分の紅茶とケーキを持って僕の部屋に戻ると何やらフリフリしている小山があるではないか。ひらひらと揺れるスカートに覗く太もも、マミ先輩のお尻だった。何やら本人はベッドの下を覗き込んで何かを探している様子、捜索対象はなんとなくわかる。

 

「そんなところにエッチな本は隠してありませんよ」

「ぴゃぁっ!」

 

–––ゴンッ。

痛そうな音が鳴り、うぅ〜と唸りながら頭を出すマミ先輩を見やる。

「頭隠して尻隠さず」っていい言葉だなと思うと同時、彼女は弁解してくる。

 

「ち、違うのよ。君のテストを探していただけなんだから」

「テスト用紙なら鞄の中ですけど」

 

見られても困るものではないのでそう告げると、あははと取り繕った笑みでマミ先輩は佇んでいた。

 

「……興味あるんですか、そういう本」

「ち、違うのよ。私じゃなくて友達がね、男の子のベッドの下にはそういう本が隠してあるっていうから本当なのか確かめたくて……!」

「見つけてどうする気だったんですか?」

「えっ、えっと、それは……その」

 

まぁ探したところで見つかりはしない。父さんの部屋を探せばいくらでも出てくるが、そちらを持ってきた方がいいのだろうか。ロリ限定だけど。生憎と母さんがぼんきゅっぼんな本は始末したのだ。徹底的に浮気の原因は潰す所存である。

 

「先輩ってエッチな子なんですね」

「……ち、違うわ」

 

顔を真っ赤にして否定しているが、年相応には色々と知ってそうである。巴先輩ってエロいって有名だからな。男子には。もっとも興味無さすぎてサイトでその名前を見つけるまでは本当にどうでもいいことだったが。

 

「……そういえば、勉強頑張ったご褒美ってなんでもいいんですか?」

「!?」

 

この話の流れで『ご褒美』の話。

制限時間はあと少し、僕は押し切る。

持っていた盆を机の上に置き、居住まいを正していた彼女の前へ。

出来るだけ近づき、耳元に囁く。

 

「…………ごにょごにょ」

「ふぇぇ!? …そんな、こと…」

 

狼狽える先輩の姿はとても可愛らしいもの。

どうやらその間にも時間は過ぎていたようで、時計を確認すると契約は完了していた。

 

「時間ですね。お茶、飲んだら送っていきますよ」

 

これで勉強をしなくて済む。気乗りしない勉強ほど苦痛なことはない。そう思って紅茶とケーキを配膳していたのだが、マミは考え込むようにして俯いた後、顔を上げた。

 

「二木君、私ちゃんとお仕事できてないと思うの。だから、もう一度チャンスを頂戴」

「そうですね。気づくのがもう少し早ければ……」

 

もう手遅れだ。きっと手遅れだ。

憔悴しきる前に提案してもらいたかった。思い出して欲しかった。

それは叶わない。

だってもう契約完了してるんだもん。

 

そうこうしてるうちに僕の部屋の扉が開く。

帰って来ていた母親が顔を出したのだ。

それも、マミ先輩より童顔で、身長が低い母親が。

スタイルもロリ巨乳でなければ幼児体型。

 

「あらまぁ、うちのアオちゃんが女の子を連れてくるなんて……どこまでいったの?A?B?C?」

「初対面の相手に何言ってんだよ母さん。マミ先輩はそういうんじゃ……」

「お母様、ですか……?」

「あらマミちゃんっていうの?」

 

二人は僕抜きで会話を始めてしまった。

 

「母です。それで〜、アオちゃんとはどこで知り合ったのかなぁ?」

「そ、その……私、レンタル彼女をしていて」

 

徐ろに口を開いたかと思えば暴露し始めたマミ先輩。

朗らかに笑うのは母である。

 

「懐かしいわぁ。私もパパと出会う前はよく小銭稼ぎしてたのよねぇ」

「あんたもかよ!」

 

突如、判明した母の過去に驚嘆する。

でもやっぱりそっちのけでマミ先輩は暴露を続ける。

 

「でも、やめます。私一人暮らしで生活も苦しいけど、二木君が『マミ先輩が欲しい』って言ってくれたから。寂しかったけど、二木君がいればもう私は一人じゃないから」

「あらやだ、アオちゃんったら大胆」

 

……確かに言った。言ったが、それは冗談で……。

 

「お母様、心細いんで二木君を借りて行ってもいいですか?」

「アオちゃんでいいなら、好きなだけどうぞ。もういっそうちの子になっちゃう?」

 

僕の与り知らぬところで会話は続く。

会話を最後まで聞くのも面倒になって、僕は天井を仰いだ。

 

–––話が終わったのはもう夜に差し掛かった時。

 

「じゃあお母様、二木君はお借りしますね。今度は私の家でお勉強よ。……それで、そのあとは、ちゃんとご褒美あげるから」

「ちょっと待って。行くのはいいけど、勉強は勘弁して!」

 

–––そして、マミ先輩のサービス残業は始まった。

 



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嫌いじゃないね

 

 

拷問とも呼ぶべき『巴マミ』のお勉強会を乗り越え、追試だ再試だを無事に一発合格(元のテストで赤点なのでそうは言わないような気もする)し乗り越えて、先に帰宅したまどかの後を追うようにさやかと寄り道している最中、その人物と遭遇した。

真っ赤な髪に、短パンとパーカーの少女。佐倉杏子がこれまた髪と見合っても負けない真っ赤な林檎を齧りながら歩いていたのだ。

僕としては関わるつもりはないものの、さやかは顔見知りのようで、見つけるなり手を挙げてそいつを呼んでしまう。

 

「おーい、杏子」

「おっ、さやかじゃねぇーか。なんだ、デートか?」

「違う違う。今、一緒に苦難を乗り越えてきた……言わば戦友よ」

「はいはい。じゃ、彼が噂のあの人か?」

 

さやかは否定しなかった。どうやら彼女達の間では噂になっているらしい僕。ジィッと爛々と輝く目で観察されること数秒、彼女は自分から口を開いて自己紹介する。

 

「あたしは佐倉杏子、好きに呼んでくれ。で、青葉だよな?」

 

ついでにとばかり確認を取ってきた。

 

「えっと…二木青葉です。どうも」

「噂では女を取っ替え引っ替えしてるらしいじゃねぇか」

「誤解を生むような発言はやめてくれないかな。君達だってマジになられたら困るだろ」

「じゃあ、逆に……マジになられたらどうするっていうのさ?」

「あっははは。……そんな馬鹿な、君達だって金銭目的だろ。雇う側は様々な欲求を満たしたいためにレンタルするわけで、君達はその見返りに金銭を受け取っている、というシステムなわけだけど」

 

複雑そうで微妙な顔をされた。答えになっていないと、そういうことなのだろう。が、どこか満足げでもある。

 

「……悪いやつじゃねぇみてぇだな」

 

会って数秒でその評価とは、こちらも微妙な表情を返すしかない。苦笑いというやつだ。良いやつだ、と言われて自分は善であると肯定できる人間はそんなにいないだろう。

 

「はは…。じゃあ、僕はこれで」

 

長居する必要もないので、あとはさやかと話でもするだろうから退散しようとするとガッと腕を掴まれる。こんな乱暴な扱いされたのは初めてだ。さやかではないな。

 

「ちょっと待ちなよ。ここで会ったのも何かの縁なんだ、一緒に遊ぼーぜ」

「……まぁ、そういうんなら別にいいけど」

「ゲーセン。好きだろ?」

「うん。嫌いじゃない」

 

 

 

ゲームセンターに到着して、手始めに見て回ったのは入り口付近に置いてあるお馴染みの筐体『くれーんげぃむ』さんである。アームを操作して中の景品を獲得するという単純なごくありふれたそれ。二人が目をつけたのは、可愛い、ファンシー、ファンタジーなぬいぐるみでもなく、食べ物が景品として内蔵された筐体。

これで分かったと思うが、彼女達は『色気より食い気』な性格のようだった。早速、百円を投入して景品をゲットした佐倉は誰でも知っている棒状のチョコレート菓子をポリポリ齧り、二本目を咥えたまま次の獲物を定める。

 

「食うかい?」

 

そう言って、チョコレート菓子を差し出してきたり、初対面の相手によくもまぁと感心しながら遠慮しておいた。

二個目の景品獲得後、満足したのか菓子をぽりぽり齧り続ける佐倉、を置いて今度はさやかが挑戦するようで、同じくお菓子に狙いを定めると百円を投入する。

 

結果は–––失敗だった。

 

アームをちょこちょこと動かしたものの、掠るだけ掠って微妙に動いただけだった。「ダメだったかぁ」とまるでわかっていたような台詞だが大抵の人は一発で取れる人なんて少ない。あってもまぐれとかいうビギナーズラックである。さやかは確かにそこまで未練などなく、遊んだだけのようで随分と楽観的なもので諦めも早かった。

上条君への諦めも、これくらい早かったのだろうか?……と思っていたら、もう一回と挑戦し始めた。

 

「とおりゃあ」

「それ」

「そこだ」

「あと少し!」

「次で…決める…!」

 

いやもう本当に諦めの悪い性格だった。気づけば野口さんが飛ぶレベル。小銭がお亡くなりになったところで、両替しようとキョロキョロし始めたのを僕と佐倉が肩をがっしり掴んで止めた。

 

「い、一応聞くけどどこ行くの?」

「両替。小銭無くなったから」

「ちょっと考え直しなよ、あんた。買った方が早いわ」

「うぐぐ…でも、負けたままってのは…なんか納得いかない!」

 

ダメだ、コレ。パチンコで負ける人のセリフだ。うちの親父だ。そうやって投資するなら、私に投資しろと毎回母に財布の中身を絞られている父である。

典型的負けフラグを建設するさやかは納得いかないような顔で渋々と引き下がったが、このままでは不機嫌なさやかさんのご機嫌取りを延々と行う羽目になる。それはなんというか勘弁して欲しい。

 

「よし、次はおまえだ。やれ」

「……そう来たか」

「わかってるだろうけど、上手くやりなよ」

「……」

 

具体的には何も言わない全投げである。ここはかっこよく一発で獲得してプレゼントするべきか、はたまた同じく負け犬の道を歩んでそういうもんだと納得させるのか……よし、惜しいのを連発しよう、そうしよう。

ほどほどわざとらしくないように百円で景品を揺さぶるだけ揺さぶって失敗するスタイルを選んだ。百円を投入して、いざ適当にお菓子に触れる位置にアームを操作すると、そこで最終決定を下す。ウィィンという独特な音を立てて動くアームを見ながら、予想通りの結果を幻視して待つこと数秒、アームは目標の景品を擦り、バランスを崩した景品の山が雪崩を起こした。

 

「……なんということでしょう」

「いや、ほんと何やってんのあんた」

 

落ちた景品の山。それを見て、不機嫌そうなさやか。

呆然と立ち尽くす僕に、結局どういう意図だったのか曖昧な呆れ顔を見せる佐倉。

まぐれってのは怖い。

結果論にはなるが、取れる手段は一つだけということだ。

 

「……取り敢えず、僕一人では食べきれないから貰ってくれない?」

「まぁ、くれるってんなら貰うけどさ」

「……」

 

「ありがと」と一言礼を言うさやかはなお不機嫌だった。

 

 

 

『げぃむせんたー』を出た後は『バッティングセンター』へ直行した。この行き所のない感情を発散するにはどうしたらいいか、というさやか主観の発想で辿り着いた答えがそれである。中々に豪快にバットをパワフルにフルスイングする女子中学生を見ていると奇妙な気持ちになった。ホームラン目掛けて流星になるボール、あれが志筑さんの頭でも、上条君の頭ではないのは僥倖かもしれない。

満足したのか快活に笑ってみせるさやかに男として尊敬の念を抱いていると、佐倉までパコパコ当てまくっていた。僕もまたさやかほどではないが当てることはできる。当たったところでヒット止まりなのが難点で長距離打者になれないのが残念だが、野球部でもなければプロを目指すわけでもないのでそこそこ成績は良かった。

『バッティングセンター』を出て『飲食店』へ。これも典型的な、それも女子にはわりと無縁そうである『ラーメン屋』を提案したのは佐倉で、同意したのは何度か行っているらしいさやかだ。僕としても異論はないので黙ってついて行くと、店主は顔見知りらしく二人の姿を見咎めると親しそうに「嬢ちゃん達」と呼んだ。

 

「おっちゃん、ネギ塩ラーメン三つ」

「あいよ」

 

本当に自由にメニューまで見ずに決めてしまった。僕も来る前にオススメを紹介されていたので異論はないのだが、女子中学生がラーメン屋の常連とは少し意外なところがある。もっと華やかなものだと思ってた。

 

「……ところで嬢ちゃん達よ、こいつはどっちのコレかい?」

「ん。……ないな」

「あははは、違うってー友達だし」

 

そこまで全力否定されると、否定するつもりだったこっちもなんだかなと思ってしまう。

完成したらしいネギ塩ラーメンを持ってやって来た店主はテーブルの上に置くと去って行く。

くだらない意味のない問答に乾いた笑みを漏らして、ラーメンに手をつける。

もう終わった議論を忘れかけた頃、佐倉は不意打ちをかましてきた。

 

「それであんたはどっちが好みなんだい?」

「むっ?……ネギ塩ラーメンか味噌ラーメンか豚骨ラーメンのどれが好きかって話?」

「その話もいいけど、異性の好みの話だよ」

 

全力回避しようとしたら退路を塞がれた。

 

「あたしとさやか、もしくはまどか、あの寂しがりなくせにお姉さんぶるマミの誰が一番いいか聞いてんの」

「……?暁美さんが選択肢に入ってないね」

「なんだ知り合いだったのか。なら話は早いやめておきな、あいつはまどかしか見えてないから」

「いや、別に興味があったわけではないんだけどね……」

 

一応、触れておかなければ後で怖いことになる気がしたので話題に出しただけである。

 

しかし、誰が一番……好みか。それって異性としてだよね。特に考えたこともないけど、消去法でいくとまどか一択しか選択肢はない気がする。ここにいないし、他はちょっと答えると面倒になりそうだし。

 

ピロン♪とポケットの中の携帯がバイブした。

こんなタイミングに誰だろうとSNSを開くと、一言だけ。

 

『ねぇ、今誰と何をしてるの?』

 

マミ先輩からのメールだった。メール内容については追求はしたくないが、あれから構って欲しくてよく教室に訪れるマミ先輩のメールにはちゃんと返信しておく。もし、既読スルーしようものなら、明日にはメールが百通は届いているだろう。返信を完了して携帯をポケットにしまうと当たり感触のない返答をしておく。

 

「まどか、かな」

「……意外だね。マミみたいなやつの方が好ましいと思ってたんだけど」

「なんでさ」

「巨乳だから」

 

まさかの女子からのその発言は想定していなかった。

 

「偏見だよ。男ならみんな巨乳が好きとか思ってるでしょ」

「え、嫌いなのか?」

「いや、嫌いじゃないけど……」

「因みにあたしはあんたを外見で判断するクズヤローだと思ってた」

「いきなり酷いね!?」

 

突然の告白にショックを受けていると、佐倉はラーメンの杯を空にして言う。

 

「じゃあ、なんであんたはあんなサイトを利用してたってのさ。わかんないね、取っ替え引っ替えする理由も。別にあんたの趣味に口出しするわけじゃないよ。あんた、顔が見えないんだよ」

「……うん、よく言われる。何を考えているかわからない子だって。まぁ、そこは母さんに似たんだろうし気にしてはないんだけどさ、別に特別な理由なんてない、暇潰しだよ」

「……え、マジで暇潰しのためだけにあんな怪しげなサイト利用したのかよ?」

 

肯定するとゲラゲラ笑われた。

 

「あ、あんたほんと面白いね。気に入ったよ」

「気にいる要素あった?」

「あぁ、見てて退屈しない人間ってのは理解したよ」

「……喜ぶべき言葉ではないんだろうけど、一応礼を言っておく」

 

血糖値の上昇が期待されるラーメンのスープを気づいたら飲み干していた。隣の二人はまるで杯が新品みたいに綺麗さっぱりなくなっていてどうやったのかすらわからない。ネギの一つも付いていないってどういうことだよ。

 

「そんじゃま、ごちそうさん」

「……ごめんね、青葉」

「いや、まぁ、いいんだけどさ……」

 

勘定を押し付けられたがこのくらいは大目に見よう。母には女の子には優しくすることと習うどころか洗脳一歩手前まで教育されているわけだし、その分お小遣いも多かった。と、考えればコレは必要経費だ。

 

勘定を終えて外に出る。二人は夜風に当たりながら満足そうに伸びをしていて、これも悪くないなと思いながらぼーっと二人を眺めていると早く来いと促される。

 

なんとも奇妙な出来事だったと、後日何故かまどかに報告することになったのは別の話である。

 

 



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雨のち、佐倉

 

 

 

予報外れの雨が降った。生憎と傘を持っていなかった僕は家路を急ぎ早足に駆け出すも家までは随分と距離があり、まどかと帰宅していた僕は雨宿りして行きなよというお誘いを丁重にお断りして逃げるように別れた。

家に着いた頃には全身濡れ鼠で制服もびしょびしょ。靴もなく母は出掛けているようだった。意気消沈して肩を落としながら靴と靴下を脱ぎ捨てて、風呂場へと急ぐ。濡れた体を拭くだけでは気が治らないので、シャワーを浴びるつもりだった。浴びる前に落ちた水滴の痕跡を消しておくのも忘れない。

服を全て脱ぎ捨てて浴室に入ると何故か湯気が立っており、浴槽には湯が貼ってある。何故かはわからないが、大方母が貼ったのだろう。僕はラッキーと思いながら、体を洗ってから湯に浸かることにした。

 

「はぁ〜……」

 

雨に濡れた後のお風呂って気持ちいいよなぁ。

まぁ、髪はゴワゴワするしでいいことはないがなんだろう、癖になる。

自ら進んで濡れて入りたいわけではないが、なんとなくそういう気になる。

雨に濡れて水分を吸った服を脱ぐのは怠いが仕方ない。

それ以上に濡れたままの方が気持ち悪いだろう。

 

ぼーっと天井を眺めて、余韻に浸っている時だった。

 

誰かが帰って来たのか脱衣所に入って来た。この時間帯となると母が帰って来たのだろうと想像がつく。父は出張でいない、帰ってくるのはもう少し先だ。

いくらどんな人でも、元々灯りがついていなかった浴室に光があれば誰か使用中と気付くだろう。僕はぼんやりとそんなことを考えながら、パシャリとお湯を顔にかけた。

 

気のせいか……水を吸った衣服が擦れる音がする。乾いた布の擦れる音ではない、乾燥機でも使うのだろうかとやはりどうでもいいことを考えながら、僕は脱衣所から人がいなくなるのを待った。だが、いなくならない。いくら待ってもその人影は浴室の外で何かをしている。と、思ったら浴室と脱衣所を隔てる扉を開いて、誰かが入って来た。

 

「–––ったく、お節介というかなんというか……あたしなんでこんなとこ……に」

 

そいつは真っ赤な髪を腰の辺りまで伸ばした誰か。

思わず視線が合うと、お互いに何も言わず時が止まる。

理解不能な出来事に目を白黒とさせて、視線を先に動かしたのは僕。

顔から下へ体を滑るように体を順繰りに見ていく。

膨らみかけの胸とか、括れた腰とか、形の良いお尻とか。

そりゃあもう、下腹部から下とか。

全部見終わった後で、僕はもう一度“彼女”と視線を合わせた。

 

「……佐倉?」

「きゃああああぁぁぁぁ!!!!」

 

緊張して張り詰めた空気を破ったのはたった一言。

髪と同じくらい顔を真っ赤にした佐倉はその場に蹲って泣き出した。

 

 

 

 

 

 

ぐすっ。涙ぐみながら膝を抱えてソファーに座る佐倉と、とんでもない爆音で耳を貫かれた僕は互いに距離を取ったまま二人向かい合っていた。それを側から眺めるのは僕の母親である。

 

「えへへ〜、ごめんねー。まさかアオちゃんがお風呂入ってるなんて思わなくて」

「まったく……。確認くらいしてよね」

 

因みに、お風呂にそれでも入った佐倉さんは僕の寝間着を着ていた。母のは幼児体型過ぎて現役女子中学生でも着れなかったようだ。

 

「それでどうして佐倉がここに?」

「……」

「お母さんが連れて来たのよー。雨の中、濡れて歩いてるから」

 

それはもう御愁傷様というかなんというか、うちの母親に捕まったわけだ。佐倉は口を聞いてくれるはずもなく、ただそこにポツンと膝を抱えている。

 

かれこれもう二時間ほど。

彼女が家に来てから、約三時間半

ようやく口を開いたのは、夜になってだいぶあと。

 

「……いつまでもこうしているわけにもいかないし、もう夜も遅いし、泊まっていきなさい杏子ちゃん」

 

母親からの提案だった。

用意した謝罪を込めた食事を佐倉は完食している。食欲がなくなるほどショックだったわけではないことで僕の罪も少し軽くなったみたいだが、依然罪は消えていない。贖罪の機会なしに帰すのも僕としては……その……あらぬ噂を立てられるので御免被りたいが、気を回した母親の気遣いが事の発端だった。

 

「というわけで、あなたのご両親には連絡しておくから電話番号を教えてくれないかな?」

 

視線を佐倉に合わせてまるで子供に接する子供。いや、大人なんだけど、こういう時だけ年相応に見えるものだから、それが母性を感じるところでやっぱり一児の母なんだなと思う。

佐倉は膝を抱えたまま、膝に顔を隠して呟く。

 

「……いないよ。あたしのうちはみんなあたしを置いて一家心中したから」

 

佐倉の告白に絶句した。僕と母。

掛けるべき言葉が見つからなくて流石の母も困惑していた。

冗談には聞こえなかったから、僕も黙って見守るしかなかった。

 

静寂が満ちた。

 

部屋に響いたのは合いの手。

 

「じゃあ、うちの子になる?」

 

次いで馬鹿なことを言い出したのは母。

今世紀、稀を見ない突拍子な発言に思わず佐倉も顔を上げた。

 

「ちょうど女の子も欲しかったのよねー」

「いやいや、待って母さん。……冗談でもそういうこと言うもんじゃないよ」

「な〜に〜。アオちゃんは嫌なの?」

「……別に嫌ってわけじゃない。そうなんだけど」

 

問題は母のこの発言が嘘でもなく真実ということである。

冗談ではない、そんなこと最初から分かりきっている。仮にも母親だ、いきなりこんな発言しても嘘や冗談だとは到底思えない。思えないからこそ、よく考えろってことで……あぁ、なんだかな、逆らえるわけでもないけど、逆らいたいわけでもない、それでもやっぱりこういう母の突破で奇矯な性格は一度、ストップさせたほうがいいのだ。

 

「父さんにもちゃんと話しをしてからにしなよ、そういうのは」

「は〜い。それじゃあ〜っと」

 

僕もあまり本気で言ったわけでもないのだが、母は強し、早速電話をかけ始めた。思わぬ急展開にさっきまでヘソを曲げていた佐倉が僕に詰め寄ってくる。

 

「突っ込むところ違うだろ。いったいどこまで本気なんだよっ」

「さぁ?一度決めたら、やる人だからね。母さんは」

「……いや、さすがに冗談だろ?」

「……」

「……なんか言えよ」

 

そうこうしてるうちに通話は終わったらしい。

上機嫌で携帯をポケットにしまう母の姿に確信めいたものを感じた。

 

「パパからオーケーが出たわ」

 

ほらね、言った通りだ。

それにこういう時、ダメだったら母は不機嫌になって子供みたいに駄々を捏ねる。

真逆で上機嫌ということは、つまりそういうこと。

母の要望が父には通ったわけである。

 

「……じ、実は電話なんてしてなかったり」

「そんな小細工うちの母さんはしないよ」

「じゃあ、警察とか、施設とか……なんかだろ」

「それも小細工かな。信頼を裏切るような真似をしないのがうちの母さんだから」

 

もし此処に傷ついた女の子がいるとして、放っておかないのがうちの母親というものだ。まったく……。

 

「–––一家揃ってバカじゃないの?」

 

–––半泣きになりながら、佐倉はそう言った。

 

 

 

 

 

それから数日、半信半疑で家に滞在することになった佐倉はとてもしおらしい態度で、他人の顔を伺い生きるように母と接した。一緒にお風呂や食事を当然のように誘う母に戸惑いつつも佐倉は上手くやっているようで何より、事あるごとにバカじゃないのとか僕に愚痴ってくるあたり僕は信頼されているらしい。

 

本当の本当に佐倉が家にやって来て十日目のこと。

今では、ベッドも家具も何から何まで買い揃え、自分の部屋を与えられて戸惑う初心で可愛い佐倉さんはそれでも半信半疑ではいられないらしい。そうでもしてないと落ち着かないらしく、その間は僕にくっついて行動した。外に出るのも、家に帰るのも、僕と一緒。「ただいま」を言うのが怖くて、帰るのも怖くて、そこが自分の家だとは認識できないらしい。

 

そんな彼女は、見滝原中学校へ転校することになった。

 

様々な書類を瞬く間に処理してしまった母にやはりどこか慣れない様子で接する中、彼女は親の後ろをついて歩く子供のように僕に居着いた。それこそ見失ったら慌てるレベルで、見滝原中学校に来るのも二人一緒で職員室に付き添ったほどだ。

 

「じゃあ、僕は教室で待ってるから」

「……やだ」

 

–––これが現状の佐倉杏子である。

 

僕の制服の裾を掴んで、必死に引き留めようとする。

相変わらず、軽率な母に翻弄されまくりらしく馴染めずにいる佐倉に対して同情しなくもないが、僕だってあまり構ってられないのも事実だ。

わざと強く払うと不安そうな顔で見上げてくる。

……ものすごく可愛いんだけど。

 

「いや、もうすぐ予鈴で僕は席についていないといけないんだけど」

「……やだ」

 

今度は腕を絡めて、ふにふにと発展途上のアレが当たる。

僕としても至福の時間を堪能したいところだが、時間は有限なのだ。

遅刻は成績に響く。下手をすれば、母の耳に入る。

お小遣いカーットされるのはやだ。

あぁ、でも、それより……今の時間の方が僕は好きかもしれない。

 

「まぁ、他人の不幸は蜜の味と言いますし大目に見ましょう」

「……なんでそこ通っちゃうんですか。というかどういう意味ですか」

 

担任の先生から許可が下りて思わず溜息を吐く。

そして、僕はこのまま教室へと赴くことになる。

先に先生が入って転校生の話題を出す。……前に破局した話が披露された。

相変わらず、男運がないのか相性が悪いのかそんな感じで、結局10分ほど待たされた。

 

「それでは入って来てください」

 

ようやくその言葉で佐倉を押し出そうとしたら、がっしりと腕を掴まれた。抵抗して離れやしない。いやいやと対抗するもんだから、僕は引き摺るように佐倉を教室に入れる。

 

「あれ、青葉君?」

「……転校生って青葉のこと?」

 

目に見えて困惑した彼女らも一瞬で驚愕へと表情を変えた。

 

「とある事情で二木君の家にお世話になることになった佐倉杏子さんです。皆さん、仲良くしてくださいね」

「杏子じゃん!」

「きょ、杏子ちゃん!?」

 

思わぬ顔を見て、途端に元気になる佐倉。しかし、腕は離さない。

 

「おや、お知り合いですか?」

「あ、はい、先生。あたしとまどかは杏子と友達で……」

「じゃあ、諸々のことは二木君とお二人にお任せしていいですね」

 

シンプルに先生は職務放棄を告げた。

 

「席は……あ、そうだ、この際ですから席替えをしましょう」

 

それが僕を地獄に落とす一言とは、今の僕は知らない。

 

 

 

「うん。なかなか新鮮ですね。模様替えとは……恋愛運においてもとても重要なことです。それでは、黒板が見えないと言う方はいませんね?授業を始めますよ」

 

僕の席は後ろと窓から二番目の席。中々の良席だ。本音を言うと窓側で最後尾なら文句なしだが、そうは言ってられないだろう。左隣には佐倉で、右隣にはまどか、左後ろの羨望する席がさやかとなっている。周りが知らない人ではないだけマシだと思うことにした。

そんな僕の肩を叩き、背後から声がかかる。

 

「二木君、私にその席を譲ってくれないかしら」

 

暁美ほむら。彼女だ。

有無を言わさない口調で、おそらくはにっこりと微笑んでいるのだろう。

僕は振り向かない。何故なら、振り向くのが怖いからだ。

背筋と頰に伝う冷汗に体の冷えを感じながら、ギギギとまるで歯車の狂った機械人形のように振り向く。

あぁ、笑ってる……でも、目が笑ってない。

 

「正当な理由なしには替われないよ」

「あるわ。実は私、コンタクトなの」

「それならもっと前の席に……」

「いえ、そこで十分よ。それともあなたは私の目を抉ってでも確かめてみる?」

 

どうやら譲るつもりはないらしい。

そこに援護射撃したのは隣にいたまどかだ。

 

「確かにほむらちゃん前は眼鏡だったよね。でも、ダメだよ?」

 

証拠にと眼鏡で三つ編みな暁美ほむら–––通称眼鏡ほむらの画像を見せてくれる彼女は、とてもいい笑顔でそう言った。

対照的に顔を真っ赤にして震えて何も言い返せない暁美さんは恨めしげに僕を睨む。

 

「……よりによってあなたに見られるなんて……!」

「か、可愛いと思うよ?」

 

手放しに褒めるとさらに顔を真っ赤にした。

 

「……覚悟しておくことね」

 

 

 

有言実行とは正にこの事。授業中に鉛筆を研いでいたかと思えばそれで背中を突き、使用した文房具(凶器)がわかれば止めると言い出した彼女の酔狂に乗って三連敗。鉛筆、三角定規、コンパスの順で突かれた。いや、おかしくない?コンパスはやめようと一瞬睨んでしまったら泣きそうな顔でやめた。

何処かのガハラさんみたいにあまり悪びれた様子もなく謝罪して欲しかっただけなのに、これでは僕が悪者みたいではないか。と、思っていたら一時終わった筈の背中突きが再開する。さっきまでと比べて全く痛くないそれの正体を掴むより先に、それを掴んだのは隣に座っていた佐倉だ。

 

「……あんまりちょっかいかけてると怒るよ。うちの……ごにょごにょが嫌がってんだろ」

「うちの……?あらもう良妻気取り?色々と勘違いも甚だしい」

「ち、ちげぇよ馬鹿!」

 

売り言葉に買い言葉でやっぱり何かが逸れていく。

 

「良妻?何の話かな?それにね、杏子ちゃん。わたし聞きたいことがあるんだぁー」

「うわー、青葉、修羅場だねぇ」

 

ついに、まどかとさやかまで参戦して喧騒は一層騒がしさを増す。

いつから僕の周りは騒がしくなったんだろう、と思わずにはいられないのだった。

 



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cheese

 

 

とある晴れた昼下がり、佐倉にゲームで負けた僕は罰ゲームとしてお菓子の買い出しに出ていた。大型スーパーで要求された品を自腹購入してついでに自分の欲しいものを買い、いざ帰り道というところで僕はふと目にした光景に疑問を抱いてしまった。

視界の隅にさっきから奇妙な組み合わせの二人がいるのだ。父親という年齢のスーツ姿の男性と如何にも小学生くらいの女の子という側から見て親子のような組み合わせ–––だというのに僕は何故かその光景に疑問を持った。

 

「ちょっとおじさん道案内をして欲しいんだけど」

「なぎさにですか?」

「そうそう。すぐ済むから」

 

一見、普通?かどうかはさておき道案内を頼むスーツ姿の男性。それも人気が割と少ない住宅街の角でおよそ四十代のその男に何食わぬ顔で見上げる少女。

–––まぁ、これで親子の線は消えたわけだ。

引き続き会話を立ち聞きすることにする。

 

「なぎさは知っているのです。知らない人について行ってはいけないとお姉ちゃんに教わったのです」

「人助けは悪いことじゃないよ?いいことだ」

「なぎさは思うのです。知らない人について行ってはいけないのに、人助けはいいのです?矛盾しているのです」

「なぎさちゃんは賢いねー」

 

……とても小学生の無邪気と好奇心などでは片付かない純真さである。子供の的確に痛いところをついてくる質問がこうも恐ろしいとは思いもよらない。その上、妙に聡いところもある。どこか大人びている少女は疑いの色を瞳に灯してはいない。

なんかあのおじさん怪しいけど、見守っていようと思った。多分、彼女なら大丈夫だろう。あれくらい賢い子ならきっと妙に怪しいおじさんにもついていかないはずだ。

 

「なぎさちゃんの好きなものはなんだい?」

「チーズなのです!」

 

とても良い子なのか無邪気に笑って答えた。怪しいおじさんと会話が弾んでいる。

少女の笑顔だけをみればとても微笑ましい光景だった。

 

「よし、ならおじさんがチーズを買ってあげよう。だからちょっとついてきてくれるかなぁ?」

 

おじさんの目が怪しく光る。心なしか鼻息も荒い。

 

「はいなのです!」

 

そして、さっきまでとは打って変わって目をキラキラと輝かせて少女はおじさんの手を握った。

もしも、勘違いだったら……と思って傍観していたがこれ以上は見過ごすことはできない。僕は荷物をプラプラとぶら下げながら二人の近くに近づく。

もし危惧している人物とは違ったら、と僕は掛けるべき言葉を模索した。

 

「あの……何かあったんですか?」

「っ!」

 

びくりっ、と男性の方が肩を僅かに跳ねさせる。

 

「あ、いえ、えっとですね……」

 

しどろもどろに何かを話そうとしたが声は上擦って聞き取り辛い。そんな男性を助けたのが、声を掛けられていた少女である。

 

「このおじさんはなぎさにチーズを買ってくれるのです!」

「へぇ〜……それは良かったね」

「あ、いえ、その……」

「ところで、道を尋ねていたみたいだけど?それなら代わりに僕がお教えしましょうか?小学生よりは地理に詳しいと思いますよ」

 

なんなら携帯のアプリで道案内でもしてやろう。自分で検索しろ、とは言わない。

 

「あ、そうだ、交番が近いですしそこで道を聞くと言うのはどうでしょう?」

「あ、いえ、お気になさらず。じ、時間が迫っていますのでそれでは……!」

「あぁ、チーズが逃げるのです!」

 

「交番」のたった一言で怪しいおじさんは退散していく。自分が劣勢だと判断したのだろう。慌てた様子で逃げて行く背中に手を伸ばす少女は後にも先にもチーズのことしか頭にない。

 

「そうだ、なぎさちゃん?チーズ食べる?」

「わぁーいなのです!」

 

–––どうやらこの少女、逃げたチーズより目先のチーズのようだ。

 

 

 

 

 

「–––そういえばお兄さん、なんでお兄さんはなぎさの名前を知っているのです?」

 

カマンベールチーズを食べ終えた少女が口を開き問い掛けてきた。この少女、さっきの会話から割と聡い子だと思っていたが、チーズが絡むと少し残念な子になってしまうらしい。

あれから移動して、公園のベンチに一緒に座ってチーズを食べていた少女に後で飲もうと思って買っておいた午前の紅茶ストレートティーを渡しながら僕は答えようとして、

 

「知らない人から物を貰ってはいけないとお姉ちゃんに言われているのです」

 

やんわりと拒否された。え、チーズは貰ったのに?

 

「チーズは受け取ったのに?」

「あ、あれは……チーズがいけないのです。いえ、違うのです、チーズに罪はないのです、チーズを渡してくるお兄さんが悪いのです」

「あはは。チーズ食べて喉が渇いたよね?素直に受け取っておきなよ」

「お姉ちゃんが言っていたのです。何か物を貰ったらお返しをしないといけないと。男の人はいやらしいことを要求してくるから注意するようにって」

「……うん。安心して。何も要求しないから」

 

教育が行き届いているようで何よりだが、そこまで徹底しているのならチーズに関しても徹底して欲しかった。

渋々と受け取る少女に苦笑しながら僕も紅茶を飲む。

 

「で、さっきの質問だけど、自分でさっきから自分の名前を言ってるよね?」

「……なぎさとしたことが不覚だったのです」

「じゃあ、改めて自己紹介。これから先、よろしくするわけでもないけど、一期一会とも言うし。僕の名前は二木青葉」

「なぎさは、百江なぎさなのです」

 

今度は礼儀正しく名前を教えてくれた。

百江なぎさちゃんか。いい名前だ。なぎさちゃんと呼ぼう。

 

「それでなぎさちゃん。あんなところで何してたの?」

 

会話の切り口として誰もが口にするような内容を聞いてみると、ハッとしたように顔を上げる。

 

「そうです。なぎさ迷子なのです。お姉ちゃんとはぐれてしまったのです!」

「へぇー、そっかー」

 

まさかの迷子である。

 

「ならなおさらあの場所から動いちゃいけなかったんじゃ?」

「おまえのせいであとの祭りなのです」

「いや、そうなんだけどさ……」

 

確かに自分が連れて来てしまったわけで……責任があるとすれば僕だろう。

 

「よし、じゃあ僕がお姉ちゃんを一緒に探してあげよう」

「結構なのです。知らない人について行ってはいけないのです」

 

やっぱり妙なところだけしっかりしている。

 

「はい、ミモレット」

「困っているのも事実なので行くのです」

 

だが、ちょろい。

 

「それで今日はどこに行く予定だったんだい?」

 

元の場所に戻って聞いてみる。と、なぎさちゃんはチーズを甘噛みしながら答える。

 

「お買い物なのです」

「漠然としてるな……はぐれた場所は?」

「気づいたらはぐれていたので……えっと、多分、商店街あたりだった気がするのです」

「チーズの匂いでもしたの?」

「……お兄さん、エスパーですか?」

「いや、なんとなく思っただけ」

 

おそるべしチーズの呪い。どうやらなぎさちゃんはチーズの匂いにつられてふらふらとはぐれてしまったようだ。この数十分で行動習性を把握してしまった自分が怖い。

 

「見つからないなー」

 

交番にも寄ってみたがそれらしい話はないとのこと。

僕はなぎさちゃんの小さな掌を握って連れ歩いてぶらぶらとそれらしき場所を廻る。

どうやら家の場所もわからないらしく、完全完璧な迷子だ。こんなことで完璧を求めたところでむしろ不安要素でしかないのでそれは置いておくとして、適当に歩いていたらなぎさちゃんが突然走り出した。

 

「お家を見つけたのです!」

「うん、走ると危な–––」

 

注意しかけたその時、携帯が着信を知らせた。が、目の前の少女を追い掛けるのに精一杯でメールの内容を確認する暇がない。差出人はマミ先輩だ、早く返信しないと。

しかしなぎさちゃんは遠慮することを知らない、家を見つけて安心したのか一直線に駆けていく。マンションに入るとそれはもう早足で階段を駆け上がる。僕も二段飛ばしで駆け上がる。

そうして何回昇ったかわからない場所で急に部屋を目指して一直線に駆けていく。そして、一つの部屋の前に立ち止まるとドアノブを回して喜色を満面の笑みに変えて、大声で叫ぶ。

 

「ただいまなのです!」

 

これで任務は終了だろう。マミ先輩から届いたメールを確認する。

 

『あの子がいなくなっちゃった!探すの手伝って!』と色々端折り過ぎた内容に首を傾げて、僕は一応確認といった風に装って部屋の中に顔を出す。

 

「じゃあ、なぎさちゃん僕は行くね」

「えっ、二木君!?」

 

覗いたらマミ先輩がいた。なぎさちゃんに抱きつかれていた。

いったいどうなっていることやら……。いつのまにかマミ先輩の住むマンションに辿り着いていたらしい。

「バイバイなのです」と手を振るなぎさちゃんに手を振り返して、退散しようとしたら、何故か腕を掴まれて動けない。犯人はマミ先輩だった。

 

「待って。お礼がしたいから上がっていって」

「いえ、気にしなくてもいいですよ」

「そういうわけにはいかないわ」

 

本当にお礼なんて要らない。

謙遜とかじゃなく、事実である。

 

「大丈夫です。先輩に隠し子がいたとか触れ回りませんから」

「こ、この子は隠し子とかじゃなくて……!あ、預かることになったのよ、なりゆきで!」

「わかってますよー」

「わ、私処女なんだからね!」

 

先輩が純潔かどうかはともかく、隠し子でないことは間違いない。もし先輩にこんな歳の娘がいたら年齢詐称をまず疑う。顔を真っ赤にして勘違いしないでよね!と弁明してくる先輩を僕は更にからかう。

 

「そう言われましても確認のしようがないですし」

「か、確認させろっていうの……?」

「いえ、確認したところで僕もわかりませんから。ただ先輩が痴女なのはわかりましたから」

「わ、私変態じゃないわよ!」

「ところで先輩、聞きたいことがあるんですが」

「こっちの話が終わってないんだけど……?」

「男性の場合、痴女と同じ扱いになる言葉はやっぱり変態しかないんですかね」

「……あのね二木君、私にも教えられることと教えられないことはあるわよ。なんでも知っているわけじゃないわ」

 

先輩でも未開の地らしい。

痴漢とか痴女はひっくるめて変態なのだろうが。

変態は、他にも分類はある。

変態の種類って探せば割と多い。

 

「まぁ、そんなことより帰っていいですか?」

「……そんなに私といるのが嫌なの?」

 

そんな風に言われると断れない。

何かを忘れている気がするが、まぁいいだろう。

 

 

 

 

 

結局、会話の端々にマミ先輩が弁明を挟みつつ、チーズケーキをご馳走になり、帰宅したのは日が暮れる夕方。マミ先輩は嫌いではないのだが歳上って意識するとなんかこう接し辛い。嫌いではない理由は可愛い上に性格はいいから、という男として単純なものだがまぁそこは誰だってそうなるだろう。性格良い人と近くにいて何の苦にもならない。あぁ、でも、恩があれば必ず返すというあの精神は時に厄介だ。そこは保留にして忘れて欲しい。恩に着せるつもりは更々ないのだから。

 

「あー、つっかれた〜」

「……お帰り。遅かったじゃねぇか」

「……あ、た、ただいま…?」

 

そして、僕は部屋に戻るなり思い出す。そこにいたのはベッドの上で膝を抱えて涙目の佐倉。そうだ今日は一日中遊ぶ約束をしていたのだっけ。罰ゲームをしていたことも思い出す。

 

「ご、ご機嫌いかが?」

「……バカ。ぐすっ」

「あーもう泣くなよ」

「泣いてねーし」

 

服の袖で顔をゴシゴシと拭う佐倉、こう言っては不謹慎だけど……加害者は僕であるのは満場一致で文句はないのだが、敢えて言わせてほしい。

「いじけて拗ねる佐倉ちゃん可愛い」と。

妹みたいなのができたのは嬉しいけど、大切にしたい反面いじめたくなるこの感情を誰かに共有したい。

いや、やっぱいいや。それはそれでなんかイラっとする。

 

「別に一人でゲームしていてくれても良かったのに、ずっと待ってたの?」

「……待ってない」

 

ツンとして否定するけど、声には覇気がない。

この後、全力でご機嫌取りしました。




なぎさちゃんの口調が叛逆ではまったくわからなかったのでマギアレコード頼りのチーズ卿ならぬチーズ狂な女の子になってしまいました。あとどこ探せばいいのか年齢不詳なので見た目通り小学生くらいかなぁという一方的なロリ枠の押し付け。後悔はしてない。



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他人の不幸は蜜の味?

今回は裏設定回。
キュゥべえをドス黒く煮込みました。


 

 

 

休日の過ごし方は主に三つ。惰眠を貪るか。娯楽に費やすか。佐倉の遊びに付き合うか。フェーズワンを実行している時、それは睡魔を撃退するべく鳴り響いた。アラームを設定した覚えはない、黙示録のラッパだろうか。

 

–––コネクト。

 

誰からの着信でもこの曲に設定している。

携帯の着信音に睡魔の邪魔をされて、僕は意識も朧げに手に取る。

通話ボタンを押し、天使の声で悪魔の囁きが耳を突く。

 

『……私よ、二木君。少しいいかしら?』

「–––ただいま電話に出ることができません。ピーッと鳴りましたらお名前とご用件をお話しください」

 

意識は一瞬で覚醒した。

いったいどうして『暁美ほむら』が僕の携帯の電話番号を知っているのか、途轍もなく嫌な予感がしたので留守番電話サービス偽装をしてみたが相手は動じることなく冷淡に告げる。

 

『そう。もし聞いていて私と話したくないのならそれでもいいわ。ただし、覚悟だけはしておくことね』

 

一種の脅迫の後、続けて……。

 

『今からモールのカフェテラスまで来なさい。私を一分でも待たせたら……どうなるかわかってるわね?』

 

いや、わからん。

 

電話が切れた。僕は何時だと思ってるんだ、と悪態を吐きながら通話終了後、時間を確認する。時計の針はちょうど十二時を回るくらい。のそりと起き上がった後に毛布を見てみれば、何故か不自然な膨らみが……そっと捲ってみると佐倉が寝ていた。きっと起こしに来て寝てしまったのだろう、猫みたいに気まぐれなやつだ。起こさないように気をつけて仕度をすると部屋から出る。

 

 

 

 

 

「遅いわ。何分待たせたと思ってるの?」

 

カフェテラスで暁美さんを見つけるなり、重い足取りで向かう前に彼女は僕に気づいて罵倒を浴びせてきた。

 

「……いえ、これでも急いだ結果ですよ」

 

女王陛下に失礼があってはいけないと口調が丁寧になってしまうのは仕方のないことだろう。クラスの男子どころか女子までたまにそうしてしまうくらいなのだから。

 

「時間にルーズな男は嫌いよ。32分の遅刻」

「……以後気をつけます」

 

これでも寝起きで準備して自転車を全速力で漕いできたのだが……。

 

「まぁいいわ。時間がないし急ぎましょう」

「あの、せめて飲み物を買う余裕くらいは……」

「なら、これでも飲んでなさい」

 

そう言って女王陛下が差し出したのは飲みかけのドリンクである。コーヒーの良い香りが漂っている。どうやら二本目のようで、受け取ったそれはまだ温かかった。

 

「……それは間接キスをしても良いということで?」

「次言ったらストローを鼻に突っ込んでコーヒーを鼻で飲ませるわよ」

 

僕は強行されないように急いでコーヒーを飲み干す。

心做しか、コーヒーはブラックのはずなのに甘い気がした。

 

 

 

 

 

悠然と歩く女王陛下の背後に側仕える僕。いや、下僕。彼女は我儘に振舞っているようだが実は違う、度々チラリとこちらを盗み見ては歩く速度を落としたりと気を使う仕草を見せる。暁美さんはあまり素直になれない性格のようで、そうとくれば扱いなど至極簡単でとっつきにくいところも意外と可愛く思えてきた。内心で彼女の可愛さにニコニコと微笑みを浮かべていると彼女は唐突に口を開く。

 

「……まったく、あなたが中々私を指名しないせいでオフの日に呼び出す羽目になったわ」

 

悪態を吐いた。だが、その割には夏も間近な黒のワンピースといつもの制服ではないところ、呼び出す前に身だしなみはきちんとしてきたらしい。黒が似合うなぁと少し感動してしまったほどだ。その彼女は「どういうつもりよ?」と視線で投げ掛けてくる。

 

「いや、もう別に必要ないかなと」

「……それは私に魅力がないって言ってるのかしら」

「一応言っておくけど、佐倉も呼び出してはないからね」

「……ふん」

 

一人除け者にされて拗ねているらしい暁美ほむら。案外可愛いところもあるものだ。

 

「まぁ、それは置いておこう」

「どうでもよくないわ。私の営業成績に関わるのよ」

「どうでもいいとは言ってない。それに暁美さんを指名する人はいるでしょ。可愛いんだし」

 

一瞬頰を紅潮させ、睨まれた。

 

「残念ながらあなたが思っているような顧客はいないわよ。私が銃を取り出すといつも逃げるのよ」

「……いや、普通はそうだと思うよ」

 

サイコパスかよ、とは言わない。

 

「でも最近は何故か奇妙な変態ばかり私の客になるのよね。銃を押し当てられて喜ぶクズとか」

 

客の方がヤベェ奴だった。

 

「その度にキュゥべえに用立てて何度排除したことか」

「キュゥべえ?」

「今にわかるわ。私達を管理しているのはそいつだって覚えておいて」

 

なるほど、と一応納得したふりをしておく。

 

「それで僕を呼び出した要件は?」

「あら、用がなくちゃ呼び出してはいけないの?」

「……別にそんなことはないんだけど。まさか暁美さんが僕に会いたいから、なんて理由で呼び出したわけはないと思ってさ」

「えぇまったくもってその通りね。なんで私があなたと休日に会わなくちゃいけないのか懇切丁寧に教えて欲しいくらいね」

 

呼び出したのは彼女なのにこの言い草。これもツンデレと思えば可愛いものである。

どこか不満そうに暁美さんは鼻を鳴らす。

 

「ところであなたは私達の仕事をどこまで知っているのかしら?」

 

これが本題に最も近く、与えたもうた試練の一つなのだろう。これを間違えば暁美さんから愛の鞭が飛んでくるかもしれない。

 

「夢と希望を届ける仕事ってところかな」

「……はぁ」

 

呆れたようなため息を吐かれた。

 

「軽いアルバイト程度に思ってるのね。心外だわ」

「……僕はこれでも割と気を遣ってるんだよ。迷惑をかけないように」

「……迷惑客と金を落とさない客が一番困るのよね」

「ねぇ、それ今日のこと言ってる?」

 

毎回料金はちゃんと払ってるのに。今日のことに関しては別に仕事でもなんでもないはずだ。

そう思っていれば、辿り着いたのは駅前の如何わしい裏通りだ。昼間だというのに露出高めのお姉さんが道行く男達を籠絡している。ラブホに大人のバーとかその他色々、密集地帯で様々な客引きが行われていた。

 

一人では歩けないような大人の歓楽街を先導する暁美ほむら。彼女は突然振り返るとぴたりと僕の前に立ち止まる。僕は軍隊のようにぴたりと彼女の目と鼻の先で立ち止まった。

 

「私達の仕事はね、一種の負債を抱えて始まるの。私達はある願いの代償に働かなくちゃいけないのよ。だから私達は、程度が違えどキュゥべえには逆らえない」

「負債?」

 

女子中学生が抱える負債とは。

こんな小さな少女が抱える負債とは、想像がつかなかった。

そんなわかりかねた僕に呆れたような表情でしかし懇切丁寧に接してくれるのが彼女である。

 

「例えば、美樹さやかなら大切な幼馴染のために、二度とヴァイオリンを弾けないはずの腕を治療する為、キュゥべえに願いを叶えてもらい莫大な借金を背負ったの。当然、上条恭介の家では抱えきれないほどの莫大な借金をね」

「……うわぁ」

 

それほど好きだったのだろう。そう思うと、親友に対するどうしようもない遣る瀬無さ、さやかに対する同情心が芽生えてしまった。今度からもっと優しくしてやろう、さやかには。上条にはもう少し辛辣に当たってもバチは当たらないはずだ。

 

「まぁ、負債の話はどうでもいいわ。キュゥべえにとって重要なのは束縛することで負債の内容は重ければ重いほどいいわけだから、今からあなたに話すのに理由は大なり小なりあると理解してくれればそれでいいってことよ」

 

再度歩き始めた暁美さんの後を追う。

 

「そう、あとは負債を返すだけの簡単なお仕事と思っているところ悪いけれど、その裏で実は私達にはノルマが課せられているわ」

「……人件費もバカにならないからなぁ」

「あれを見なさい」

 

そう言って暁美さんは僕の首根っこを掴むと強制的にピンクのネオン街の方を向かせる。首が捻れて大変な音が鳴った気がしたが、せっかく目を逸らしていた大人の世界に嫌でも視線を当てさせられれば、僕は借りてきた猫のように大人しくなった。

視線の先には客引きをする女性がいる。ただそれだけで、僕は不明瞭な現状において首を傾げるのは致し方ないだろう。

 

「綺麗なお姉さんですね」

「あれを見てそんな感想を聞いているわけじゃないのだけど」

「他の女に目をくれる男を演じてほしいのかと」

「確かに最低ね。私の前で他の女に見惚れるなんて」

 

グリグリと背中を肘で突かれる。身を翻し暁美さんの背後に回る。それを数回繰り返したところで「よく見なさい」と叱咤された。

 

「あれが私達の成れの果て……。つまり、キュゥべえに負債を抱えてノルマを達成できなかった人間よ」

 

冷ややかな視線で同情とも哀れみとも読み取れない表情をしていた。いつものクールな暁美ほむらだ。

 

「私達はノルマの達成が出来なければ、嫌だろうが何だろうが身売りでもしなくちゃならなくなる。それでもダメなら、いっそ人身売買でどこかの国へ売られるのよ。否応無しに。それを私達は魔女堕ちと呼んでいるわ」

「……ここって少なからず平和な国で、スラム街ではないはずだけど」

「普通なら警察が黙っていないでしょうね。でも、キュゥべえに法は無力よ。それにあの狡賢い獣は私達が逃げられないよう首輪をつけているのよ。本当に忌々しい」

 

言われて首を見た。首輪もチョーカーも見当たらない。

視線に気づいた暁美さんに睨まれる。

 

「バカね、今のは比喩表現よ。さっきの負債の話したでしょ?あれがある限りやめたくてもやめられないのよ。まぁ、美樹さやかほど重い負債を抱えているわけではないけれど」

「別に本気で首輪を探したわけじゃないよ。暁美さんに着けたら可愛いんだろうなって」

 

足を踏まれた。威力は軽く踏む程度のものだった。ただし、浅いとはいえヒールだった。

 

「–––おまえたちなにをしている?」

 

そんな寸劇じみた戯れ合いをしてると背後から声がかかった。

思わず振り向いた先にいたのは、体育教師ゴリラである。

そして、此処は歓楽街。その上最悪なことにビジネスでもカプセルでもないホテルの前。さぞかし僕らが仲良くホテルに入ろうとしているところに見えたのだろう。

暁美さんとアイコンタクトで会話をする。

目を離した瞬間、暁美さんは走り出した。

 

「あっ、おい!」

 

叫んだゴリラ、咄嗟に後を追う。

暁美さんはヒールで走り難いだろう。見るからにもつれながら必死になって足を動かしている。僕は走り出したゴリラの足元に足を突き出して転ばす。

そうして、拙い足取りでよたよたと走る暁美ほむらを横抱きに抱えると全力でその場を離脱した。

 

 

 

 

 

「…はぁ…はぁ」

 

逃げた先は住宅地。腕の中では暁美ほむらが僕の首に手を回し身を委ねている状態、そろそろ下ろそうとすると鼻先を彼女の艶やかな黒髪が擽った。

地に降りた彼女はスカートの裾を伸ばし、乱れた髪を手櫛で整える。仕草がどこか扇情的で思わず目を逸らした。

 

「……さて、魔女堕ちまでは話したわね」

 

僕の息が整ったのを確認して暁美さんは歩き出す。その後をのろのろとついていく。

 

「けれど、魔女堕ちに関しては彼女達は知らないわ」

「……どうして?」

「どうしてもなにも旨い話で釣るのがあいつのやり方なのよ。そういうとこは伏せておいて、引き返せなくなったところで開示して絶望する様をせせら嗤っているのよ」

 

だとしたらなぜ、彼女はそんな事実に辿り着いたのか。

 

「私が知ったのも偶然、誰かの話を立ち聞いただけよ。でも、それを確認するのも、誰かに相談するのも怖かった」

 

肩を震わせ怯えた様子で蹲りそうになり、どうにか彼女は踏み止まった。

 

「幸いなのは私とまどかは負債なんてあってないくらいの軽いものだったことね。そのせいでキュゥべえも手をこまねいて私達に首輪を着けようと躍起になっているわ。私達が絶望する様が見られないのが悔しいのよ、きっと」

「それは良かった」

「良くないわ。だからこそ、あいつは私達に首輪をつけたがっているの。そして、ついに行動を起こしやがったわ。私達の着替え中の写真を盾に脅してきやがったのよ。ノルマ達成しなかったら写真をばら撒くぞって。しかもノルマはいつもの倍よ」

 

キュゥべえめ、どうやってそんなお宝写真を手に入れたのか。分けて欲し–––って今はそんな場合ではないな。

 

告白した暁美さんの頰は真っ赤だった。それこそ林檎のような可愛らしい色ではなく、怒りを交えて恥辱に染まっている。

 

「……噂をすれば、ね」

 

彼女の視線の先には一つのアパート。その前には黒服の男達の姿が。

「ついて来なさい」と暁美ほむらが先導するのを僕は黙ってついて行く。

アパートの階段を上がり、二階へ。そこにはやはり黒服の男二人組。そして、手摺の上に黒服の小さな白い獣がちょこんと座っていた。真っ赤なルビーの瞳。

 

–––あれはなんだ?

 

衝撃過ぎて言葉が出ないで立ち尽くしていると、小さな獣は吠えた。

 

「まったくわけがわからないよ。お金がかかるのを知っていながら買ったくせに、代金を支払わないなんて。人間ってのは自分勝手だなぁ。少女の時間を買ったくせにさぁ」

 

オラオラしてる小さな獣。

暁美さんは悠然とその獣に近づいていった。

 

「こんにちわ、キュゥべえ」

「なんだ、ほむらじゃないか。こんなところでどうしたんだい?」

「ちょっと彼とデートよ」

「そうか。ボクは今、借金の取り立て中だよ」

 

見てわかる。だが、わからん。なぜ獣が喋るのか。

おそらく、直感的にあいつがキュゥべえなのだろう。暁美さんも言ってたし。

一人納得していると部屋の中から声が返ってきた。

中年男性のような、低い声。

 

「そこにいるのはほむらちゃんかい?いるんだねそこに!」

 

興奮した様子の男の声。数秒と待たず、開かずだった扉が開く。そうして出てきたのは少し痩せた感じで見るからに中年な男性だ。暁美さんを見るや即座にまくし立てた。

 

「ほむらちゃんからも言ってやってくれよ。僕らの間には愛があるから、お金で契約なんてしてないって!」

 

……とんでもなくやばい奴だった。

 

僕は見て見ぬ振りをする。暁美さんは僕の隣に来ると腕にしがみついてきた。それもあざとく怖がったように魅せる。僕は温度差にときめきも何も感じなかった。

 

「だ、誰だよその男!」

 

僕が男だとわかるや激昂する男性。

その怒りの矛先はやはり僕のようだ。

 

「…はぁ。キミは彼女を借りるために計二百万のツケを支払っていないね」

「……な、なんだよ、こいつは」

「さて、会則に則りキミには地下での労働生活及びそれで返済が見込めない場合は臓器売買も辞さないけれど、返済するアテはあるかい?」

「し、知るかよそんなの!」

「やれやれだ、地下帝国で反省するといいよ」

 

キュゥべえの宣言で横にいた二人組の巨漢が動き出す。中年男性の両脇を抱えて何処へかずるずると連行していく。

 

「……あれ、どこに連れて行かれるの?」

「地下帝国さ。肉体労働と地獄のような生活が待っている。まぁ、君は滞りなく支払いは済ませているようだから無縁だろうけどね」

 

答えたキュゥべえは「じゃあ、また機会があれば」と去って行く。残されたのは僕と暁美ほむらの二人のみ。

 

「写真とデータは地下帝国にあるわ。もし上手くデータを消すことができたなら……いえ、できなくても、私のできることならなんだってする」

 

そんなお願いをされて断れるわけがない。

最初から、僕に選択肢を与えておいて選択なんてできなかったのだ。

代案があるとするならば、キュゥべえとやらを保健所に連れて行くか、絶滅危惧種として保護させることだろうがどれも現実的ではないため口に出すのはやめておいた。

 




魔女堕ちは設定のみで登場人物達が陥ることはありません。
基本的に甘酸っぱいことしていくのが方針ですので。


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mission

前回の事後処理回。
ちなみに最後のがやりたいだけだったりする。


 

 

 

今頃、彼女達はどうしているだろう。

 

世間は夏休み。海に行ったり、山に行ったり、川で遊んだり、楽しいことが沢山待っているだろう。僕はそんな楽しいであろう事柄に思い馳せながら、日陰者の肉体労働を強いられていた。それも、文字通り陽の当たらない、世界の何処かにある地下深くで。

 

こうなったのもまだ夏休み直前の終業式の話。

暁美さんの依頼を受けた僕は終業式が終わった直後に料金未払いの罪を偽造して地下帝国に送られたわけである。

もちろん、帰れないのでそこは暁美さんにどうにか誤魔化してもらっている。まどか、さやか、佐倉にも秘密だから仕方ないとは思うがそこら辺の裏工作も全部暁美さんへ丸投げだ。

こうして無事?に地下帝国(アンダーグラウンドと呼ばれているらしい)へ潜入した僕は、終業式直後から働き詰めの毎日を地下で過ごしているのだ。

 

太陽は登らず、沈むこともない。

大体、一週間くらいだろうか。体感的にはもうそれ以上いる気もするが、時計もないので何日経過したかなど知る由もない。数えられることがあるとしたら、繰り返す生活サイクルそのものである。働いて、食べて、寝て、起きての繰り返し、まったく面白くもなんともないが、僕の心は満ちていた。

 

依頼内容は『写真及びデータの消去』

つまりだ、その写真とは暁美さんが着替え中のそれであり、艶姿でありレアである。

消すということは、ブツを確認して実行と完了を認識しなければならない。もし見てしまっても文句は言えないわけである。いや、むしろ見ていいって言ってるようなものなのだ。

テンションあがらないわけないよな?じゃないとやってられないわ。肉体労働とか、細かい作業とか、一日の半分以上が労働の時点で中学生の僕にはもう無理と投げ出したいわけである。が、モチベーションは報酬と写真を見るという目的があるので、どうにか維持しているわけだ。

 

「おーい新人、ちょっとこっち来い」

「はーい」

 

今日の分の作業時間が終了し、先輩に呼ばれたので駆け足で近寄る。

今からは自由時間……という名の、次の日の作業までのインターバルだ。この間に食事なり、睡眠なり、済ませなければならない。故に一日を数えるのは困難を極める。

さて、今日は……と予定を決めているとポンと肩を叩かれた。

 

「喜べ、初給料だ」

 

渡されたのは茶封筒一つ。中を覗いてみると見たことない紙幣が何枚か。

 

「……先輩、これは?」

「『qb』つってな。俺達が得る給料ってわけだ。最初に言っておくが、日本円の一万円札を手に入れるには十万qb必要だからな」

「超ブラックですね」

「だからよ、ここにゃあ外に出るのを諦めた連中ばかりだ。お前はいくらの負債を抱えてここにいるんだ?」

「十万です」

 

因みに、封筒の中身は一週間ほど働いて二万qbしかない。二千円である。物価も地下帝国は高いので何も買わずに行けば一年で出られる計算だ。もし失敗してここに長居することになったら暁美さんに責任を取ってもらおう。

 

「お前みたいな若えのが負債抱える理由は大方女絡みなんだろうがよ、まぁ頑張んな。それくらいなら出るのだって不可能じゃねぇ」

「それ思ったんですけど、地上で働くってのは無理なんですか。効率も悪いですし」

「バカ言え。そんなことできたらこんなとこにいねぇよ。それに住めば都だ。慣れちまったら外に出ることなんて、忘れる以外にないんだよ」

 

結局のところ、僕には無関係な話なので聞き流すしかできないわけである。もし手筈通りに行かなかったら、本当に暁美さんに責任を取ってもらおうと決めた瞬間だった。

 

「それより、お前の歓迎会やるから参加しな。もちろん、拒否は無しだぜ。主役がいねぇんじゃ話にならねぇ。なんせ新入りが入ればタダ酒にありつけるからなぁ」

「……はい。それはもう、楽しみです」

 

本来なら気乗りはしないけど、好都合なことに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

歓迎会という名の飲みたいだけの集まりに参加して、散々酔っ払った先輩達から根掘り葉掘り情報を聞き出した。なんでも十年以上前から住んでいる大ベテランもいたらしく、この地下帝国の構造には詳しく地図まで手に入ったわけである。今日はそろそろ猫を被った仮面を剥がして動き始めねばならない。何せ最初は忙しさに忙殺されそうで慣れるまで時間が必要だったのだ。

 

今日のところは貰った地図の精密さと信憑性を確認しようと徘徊を開始。地図を指でなぞりながら、地下帝国を探索する。作業の為に訪れた部屋と案内板には書いてない部屋など、探索すれば探索するほど怪しい部屋が出てくる。

 

「下層に行けば行くほど怪しいな……」

 

普段は下層に人は行かないという。そこには何もないらしく、大先輩であろうともあまり知らないらしい。幹部クラスの人間しか近寄れないのだとか。

 

「さてさて、取り敢えず目的の部屋を探すかなぁ」

 

まず、目的の達成をする為に目的の物がある場所を特定しなければいけないわけだが、そこはもうほらお金で解決するのがこの世界の習わしである。予め幹部へと昇進した人に情報をqbで売ってもらったわけだが、情報処理をしている部屋は主に二つしかないらしく、資料室と大型のパソコンを置いてある部屋など、二つに分けられているようだ。

そのどれかにデータと写真等の資料があるわけである。表に置いておかないのは、暁美さん達『駒』に簡単には取り返せないようにらしい。

 

「でもまさか、こんなところまで入り込んでくる馬鹿がいるなんてキュゥべえも予想外だろうな……」

 

とは、暁美さんの談。曰く、キュゥべえは人の感情が理解できず、こういうことに関しては警戒心が薄いらしい。それは人間も同じく誰かの心を完全に理解するなど不可能だ。

 

「お、あったあった」

 

まず一つ目の部屋を見つけて、ゆっくりとドアに近づいた。中に人の気配は感じないので一応、ゆっくりとドアを開けて中を覗き込む。さながら泥棒みたいだな、と思ったところでやっていることは泥棒だったなと思い出す。

 

「失礼しまーす」

 

そして、こっそり入って整理された資料の中から目的の写真を探す。時間がかかることを覚悟していたのだが……。

 

「……あった」

 

案外、簡単に見つかった。

暁美さんが下着を脱ごうとして、過激なところが移りそうになっている写真だ。

次いで、まどかの写真も。

しかし資料の数は膨大なので気になって調べてみれば、佐倉とさやか、マミのも例外ではない。……特にマミのは凄かったとだけ言っておく。写真全てがローアングルなのはキュゥべえの趣味だろうか。

 

「ん……。正直欲しいところだけど、持ち出せないんだよな……」

 

本来なら、報酬として写真を貰っておきたいところだが、持ち出すのは至難だろう。それに写真もこれだけとは限らない。

 

「よし、燃やすか」

 

今ではない。時を待つ。いや、来させる。やるのなら一度で、全て終わらせる。残りのデータの方も探さなければならない。

 

 

 

「まぁ、幸先良すぎて怖いくらいだしな……」

 

その後、情報を揃えてある部屋を全て回ったら案外簡単に情報は見つかった。だけど、パスワードがわからなかった。ここは策を練り直さなければならない。念のための保険もあることだし、今は時を待つべきと部屋に帰ろうとして、不自然な挙動の男と擦れ違う。肩がぶつかっても見向きもしない、まるで死んだような面だった。

 

「あ、お兄さん、良い話があるんだけど興味ない?」

「……」

 

虚ろな瞳が此方を見詰める。

僕は躊躇なく悪魔の囁きを実行した。

 

 

 

 

 

 

ジリリリリリリッ‼︎

 

耳を裂くような音が地下帝国に響く。アリの巣のような空洞に音が反響し、作業員達の耳へと届いた。

ついにこの日がやってきた。日頃の鬱憤と不満を抱えた地下住民達のクーデターだ。

もちろん主犯格はこの僕、提案者も僕。

地下帝国の住民達を唆かすのは凄く簡単だった。元々、キュゥべえに対しては不満のある人間しか収容されていない世界なのだ、むしろ不満がない方がおかしいのである。そんな奴らに甘い言葉を囁けば簡単に釣れて、大規模なクーデターを作り出すのは簡単だった。「みんなやる」と伝えれば、誰もが賛同するのだ。

 

「やってやるぞおおおおお‼︎」

「「「「おおぉぉぉーーー‼︎」」」」

 

クーデターの内容は簡単。施設の破壊。脱出経路は厳重に警備されていて、簡単には突破できない。故に混乱を生むことで、警備を薄くさせ逃げようというのだ。

スコップやピッケルを手にアリの巣のような地下を縦横無尽に駆けていく先輩達の背中に続き、僕も最重要区画とされている下層へと降りて行く。生産工場へ向けて行進する男達の列を抜けて、僕だけは資料室へと足を運んだ。もちろん、写真の消去が目的だ、クーデターが成功しようがしまいが関係はない。元々、クーデターの成功確率はあまり期待してなかったし、スケープゴートなのだ。外にいる暁美さんへの連絡手段として、大きな問題を起こしてキュゥべえを困らせるのが手法だ。キュゥべえが困れば、それは何か僕がやったということに気づく、と最初からそう決めて送り込まれたのだ。中々アグレッシブなやり方である。

 

取り敢えず、写真や紙などの資料が置いてある資料室は予めタバコを吸う先輩からマッチを借りて火を放った。資料室まるごと全焼である。僕が資料室に入ったという証拠は残してはいけない為、やはりあのお宝写真は断念せざるを得ないが。

 

次に手間のある、データ処理室へ。前回はパスがわからなくて断念したが、パスワードも仲間内へと引き込み、そしてクーデターに必要だと話せば割と簡単に手に入った。そのパスでセキュリティを突破すると膨大な量のファイルがあり、時間がないのでその中から消去法で選択してデータの在処を探ると……ものの数分でお宝写真のデータ版が出てきたわけである。思わず、保存したくなってスマホにデータを転送したのは悪いことではない筈だ。そのあと、手筈通りにデータを消去したのだから大目に見て欲しい。ついでに予め持っておいたUSBメモリからウイルスをキュゥべえのネットワークに送り込む。念には念を入れろとご主人様からのお達しだ。次いで、ウイルスが入ったのを確認して、スコップで殴打して、超強力な電圧を流し、水攻めし、燃やす徹底ぶり。

 

「ふぅ。なんかスッキリしたなぁ」

 

一仕事終えて額の汗を拭う。これで終わりならいいのだが更に念を入れるのが僕のやり方。監視カメラも潰してもらってるし、目に付く記録端末は破壊し尽くした。メインサーバーにもウイルスメールを送りつけてある。バックアップも潰してある。

 

「でも、なんか拍子抜けだなぁ……」

 

意外と楽に仕事が終わり、その場を後にした。

 

 

 

 

 

結果的にはクーデターは失敗した。数名は脱獄出来たものの、大半が地下から出られず、日を拝むことはなかった。

 

「お疲れ様、二木君」

 

しかし、僕は地下帝国から出ることに成功した。どんな方法を使ったのか詳細は知らない。暁美さんのみぞ知るだ。

 

「ねぇ、これが恋ってやつなのかな。今無性に暁美さんに抱き着きたいんだけど」

「なにバカなこと言ってるのよ。どさくさに紛れて触らないで頂戴」

 

解放された直後、迎えに来ていた暁美さんと合流し公園で日を浴びる。今は少し、家には帰りたくない気分だった。植物が光合成をする理由がわかるというものだ。ベンチに座ってぐでっと仰向けになれば、ズルズルと崩れ落ちて暁美さんの肩に頭がぶつかる。彼女は重そうに押し退けて、僕の頭を掴むと無造作に自らの膝の上に置いた。膝枕である。

 

「とはいえ、よくやってくれたわ。キュゥべえも焦りに焦って面白い顔をしていたし、写真も全部消えたらしいし、膝枕くらい勘弁してあげる」

「そりゃどーも。あ、僕のスマホは?」

「ここにあるわよ」

 

受け取るなり預けていたスマホの写真データを確認する。しかし、そこにはあのお宝写真集は存在しなかった。そんな馬鹿な!と眉を顰めていると暁美さんが一言。

 

「それと、あの写真なら全部消しておいたわよ。まったく油断も隙もないわね。まぁ、欲しいと言うなら一枚くらい許さなくもなかったけど、今回はこれで大目に見てくれないかしら」

 

そう言って、僕の上に覆いかぶさり……頰にそっと口づけをした。

 

「……」

「何よ、私にキスされて不満?」

「いや、できればマウストゥマウスが良かったな〜って」

「……それは、あなたが恋人になったら考えてあげるわ」

「付き合ってください」

「そんな軽い男はお断りよ」

 

脈アリを匂わせておいて速攻でフラれた。期待はしていなかったが損をした気分になる。

 

「でも、まぁ、私を名前で呼ぶくらいは許してあげる」

「えー。じゃあ、ほむほむ」

「次、ほむほむって呼んだら舌に風穴が開くわよ」

「あー、これ、これが暁美ほむらだよ」

「……あなたが私をどうゆう風に思っているかよーくわかったわ」

 

頰を赤らめむくれてそっぽを向く。

何故だろう、デレられたのは嬉しいのに落ち着かない。

怒ったように見せて、ほむらは気を取り直して不安そうに呟く。

 

「……ねぇ、私のこと嫌い?」

「嫌いだったら、こんなことしてないと思うけど」

「それもそうね」

 

その日は夕暮れになるまで膝枕を堪能した。

何にせよ、明日からは少し遅れて夏休みがやってくる。



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佐倉杏子の不安


ふざけて投稿したものが思ったより閲覧数とかが伸びてそっちに少し集中してました。

マギレコでついにクールなほむらが出て、百回そうとして五十で出てつい嬉しくなってしまった。基本無課金だとお出迎えが限界です。


 

 

 

「ただいまー」

 

靴の有無で誰だってやってしまうであろう滞在確認をしながら帰還を宣言する。「おかえり」には期待していなかったが、佐倉もうちの母親も薄情とは言わないでおこう。僕は今疲れているのだ。

 

即行で自分の部屋へ。久しぶりの我が家に取り敢えず飯食って風呂入って寝るの欲求を満たそうと思って自室の扉を開ければ、そこには佐倉がベッドの上で膝を抱えていた。ピクッと反応をすると、僕の姿を視界に収めるや否やベッドのスプリングですら利用して兎が如く脚力で跳び出し思いっきり体当たりをかましてきた。

 

「ゴフッ。……あの、佐倉さん、痛いんですけど」

 

まさか出待ちはそこかよ。鳩尾に良い一撃を貰い、僅かに息が漏れる。対して、佐倉は無言で腕の中でぐりぐりと頭を鳩尾と胸の中間に擦り付けてくる。

 

「もぉ〜可愛いな〜佐倉は」

「うるせぇバカ」

 

満更でもないので頭を撫でたり、背中を撫でたり、終いにはハグをするとあちらも無言で抱き締め返して来た。

 

「……心配したんだからな」

「ん?」

 

もしや、今回の作戦が佐倉には伝わっているのだろうか。こっちで色々と誤魔化しておくとほむらには教えてもらっていたのだが、その誤魔化した内容の詳細については教えてもらっていない。だから、こちらからボロを出さないように慎重に聞き出そうと質問の内容を捻り出してみる。

 

「心配することなんてないだろ。別に危険なことしていたわけでもないんだし」

「へぇー、そりゃそうだ。あんたは暁美ほむらと二人きりであいつの別荘に旅行に行ってたんだからな。まさか、変なことしたりなんてしてねぇだろうな」

「……あははは。ない。ないよ」

 

あの女狐と言いたげな爛々と光る眼光に気圧されて、ほむらに詳細を聞いておかなかった自分を悔やむ。後悔先に立たず、もうこの際どうにでもなれというのが正直なところ。しかし、放っておけばほむらの手の上で踊らされるのが目に見えている。ささやかな抵抗として否定くらいはしないといけない。事実無根なのだから。だが、裏で辻褄合わせをしていないため、強く否定し過ぎると後々面倒なことになるのだが。

 

「佐倉、嫉妬してるのか?」

「ふん。別に……あんたが何処の女といちゃついてようがあたしには関係ないし」

 

その割に怒った様子でそっぽを向く。なお、腕の中から退くという選択肢は存在しないようだ。階下からあの声が聞こえるまでは……。

 

「二人ともー、ご飯よー」

「はーい」

 

するっと腕の中から抜け出した佐倉は階段を降りていく。トタトタと駆け出した佐倉の消える背中をなんとなく悲しい気持ちになりながら見送る。

 

「ほら、行くぞ?」

「……ご飯に負けた」

「バカなこと言ってんじゃねーよ」

 

それでも顔だけをひょっこり出し待ってくれる佐倉を追い掛けながら、やっぱり『ご飯』に負けた事に釈然としない気持ちを抱くのだった。

 

 

 

『早く座れよ』と待ての状態で痺れを切らした佐倉の視線に苦笑いしながら席に着くと、隣に佐倉が座って来た。最近は母の隣で食事をしていたというのに珍しい光景である。もっとも来たばかりの頃は肩がひっつきそうなほど近くだったため、なんら違和感のない行動なのだがそこは目敏い母、ニマニマと人を不快にさせる笑みを向けてくる。

 

「なんだよ母さん」

「んーん。別にー、仲がいいなーと思って」

「べ、別に仲良くないし……」

「じゃあ、ご飯にしましょうか」

 

ツンデレ佐倉の言い訳も軽く流す母、僕と佐倉共通の敵である。合掌して食事に対する感謝の言葉を述べると佐倉は箸を手に黙々と食事に集中し始めた。

 

「ところでアオちゃん」

「なに?」

「ほむらちゃんと旅行行って来たのよね?」

「そう、だけど……?」

 

そう。どうやら共通認識はそうなっているらしいのだ。ほむらと僕が旅行に行ったというのは確定事項らしい。母の耳にまでそう届いているということは、もうそういうことなのだろう。しかしそんな母が突拍子もなくこんなことを言い出したのだ。

 

「懐かしいわー。ほむらちゃんって、あの眼鏡かけた奥ゆかしい女の子よね?」

「……んん?」

 

奥ゆかしい?いや、その前になんと言った母よ。暁美ほむらが奥ゆかしい?かどうかは置いておくとして、眼鏡をかけているところなど僕は一度も見ていない。あるとすれば、まどかに見せて貰った眼鏡ほむらの写真だけだ。

 

本気で首を傾げる僕に母は言う。

 

「覚えてないの?昔、とっても仲が良かったのよ。いつも一緒で『大人になったら結婚するんだ』って二人揃って言うものだから微笑ましくてねー」

「へぇー、まさかあんたにそんな秘密があったとはねぇ?」

 

横から威圧的な声音がした。箸をバチンと箸置きに置くと、とても綺麗な笑みを浮かべる佐倉さん。たまに覗く瞳が笑っていないところを見るに佐倉さんはご立腹だ。

 

「えっと、佐倉、僕は何も知らないんだけど」

「アオちゃんったら昔はよくほむらちゃんと食べさせあいっこしてたのよー」

 

いや、知らんし。構わず爆弾を投下してくる母の猛威に煽られてさらに佐倉から底冷えとする威圧が降りかかる。

 

「あっそ」

 

だが、謎の威圧感と比べて簡素な言葉で会話は終了した。

 

それから黙々と食事に手をつけた。流石に僕も謎の威圧感を放ったままの佐倉の前で、何をしでかしたかわからない子供の頃の話を母から引き出すなど自殺行為だと本能が囁いている。なので、食事に没頭するしか残された道はないのだが、突然箸が目前に突き出されれば間抜けな声が出るものである。

 

「うぉっ!」

「なに驚いてんの?」

「いや、普通びっくりするよ。目の前に箸が突き出されて、咄嗟に目を庇うのは自然な行動だと思うけど」

「何されると思ったのさ?」

「目潰し」

 

真面目に答えたら佐倉は不機嫌そうに口を閉ざした。ご丁寧に唇を尖らせる。

 

「キスして欲しいの?」

「ちげぇよバカ!ほ、ほら、見てわかるだろ!」

 

そう言って更に箸を突き出す。しかし、よくよく見ると箸は目ではなく口元を狙っていた。その上、今晩のおかず唐揚げが挟まれているというオプション付き。

 

なるほど、これでわからんほど馬鹿ではない。

 

パクリと佐倉が差し出した唐揚げに喰いつく。

少しだけ、さっき食べた唐揚げより美味だった。

 

「ど、どう?」

「うん。美味しい」

 

母が補足説明を入れる。どうやら今日のメインの唐揚げは佐倉が作ったものらしく、僕が帰ってくるとわかるなりいきなり言い出したらしい。そんな事を赤裸々に暴露された佐倉は顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 

 

 

 

 

夕食後、真夏の夜の生温い風に当たるため窓を開けて電話をかける。風呂に入ったと言えど暑いので汗をかくのは普通のことだ。それを極力抑える為、そして本来するべきだった打ち合わせをするべく、相手の出方を待っていた次第。コール音が数分鳴り響き、通話状態になったのはそれから少ししてから。

 

『しつこい男ね。数分間に渡って電話を鳴らし続けるなんて』

「ごめんごめん。緊急の用でさ。それに嫌だったら切るなりすると思うけど?」

『お風呂に入っていただけよ』

 

声音にどうやら怒気は含まれていないようだ。取り敢えず、安心しておく。

 

「実は僕があそこに行っていた間のアリバイの件なんだけど……」

『そういえば忘れていたわね。あなたのことだから携帯の内容を確認すれば察しが付くと思ったのだけど』

「内容?」

『メールのやり取りよ』

 

現在通話中、確認する術はない。

 

『もう気づいたかもしれないけど御察しの通り、私と旅行していたことになっているから。二人っきりで』

「……それが僕に一体どれだけの不幸を呼んだと思ってるんだよ。せめて両親が一緒だったとかあると思うけど」

『そこまで手を回すのは面倒よ。実際、私もうちの別荘を両親に貸して貰ったわけだし、口裏を合わせるのに両親を巻き込むのは些か不服なの。面倒だし』

「……まぁ、確かに」

 

言いくるめられた。面倒だと二回言われた。まさか本心は面倒だからという理由で適当なアリバイ作りをしたわけではないよな?

 

『それに両親が一緒だとあなた更に面倒なことになるわよ?』

「えっ、なんで?」

『自分で考えなさい』

 

黙考する。電話越しに続く沈黙。

 

「ごめん、わかんない」

『……あなたって妙なところで鈍いのね』

「あっ、わかった。両親に恋人だと勘違いされるからか」

『妙に惜しい回答ね。ま、半分正解だけど』

「困るのはほむらだとして、実際僕には無害だよね?」

『……じゃあもし、私が困らない、としたら?』

 

……。

 

「それで、ほむらの両親がいて困る理由なんて見当たらないんだけど」

『露骨に話題を逸らしたわね。まぁいいわ。一生考えてなさい』

「えー」

 

ほむらの両親に会ったら、何か困ることが佐倉達にあるのだろうか。謎は迷宮入りした。

 

『でも実際、口裏合わせておかないと後々困るわね』

「……大丈夫、夏休みが終わる頃には誰もそんなこと覚えてないと思うから」

『あなたまさか忘れたわけじゃないでしょうね?』

「え、何を?」

 

勿体ぶった言い方をするほむらに僕は完全に呆けていた。

 

『会わなきゃいいと思ってるみたいだけど、夏休み中みんなであなたの家に泊まる約束をしたじゃない』

 

そして、矢継ぎ早に告げられたのはとんでもない話である。

 

「……現実的に考えよう。女子中学生が男子中学生の家に泊まる事をみんなの御両親は絶対に許可しないと思うよ」

 

現実的に考えて、男の家に実の娘が泊まりに行くのだ。お父さんのみならずお母さんも反対するだろう。ほむらとの件は棚に上げてもだ。そもそもほむらの件はどうやって御両親を説得したのか。

 

「いったいどんな魔法を使って君は自分の両親を納得させたのさ」

『簡単よ。どうせもう気づいてるんでしょ?』

「……僕とほむらが昔会った事あるって話?」

『その様子じゃ覚えてないのでしょうね。あなたの名前を出したら、うちの両親は心良く送り出してくれたわ。お陰で私は別荘でバカンスだったわね』

 

話は逸れたが重要な話を聞けたので僕は相槌を打っておいた。それで、本題へと戻る。

 

「で、泊まるって話だけど」

『簡単な話よ。元々表向きの話はお泊まり会を開催したいって流れで始まったのだけど、どう考えてもあなたは不参加だから何ならもう杏子の家でやっちゃえばいいじゃない、って流れになったのよ』

「あー、そうだったね」

『私は居候の身だから、って渋ってたあの子に「いいんじゃない?」って許可を出したのはあなたよ?』

「……はい。そうでした。ごめんなさい」

 

つまり、表向きは女子会である。女子の宅に同性の友達が泊まりに行く。よくあるイベントだ。健全だし、不健全さは何処にもない。

 

「……待って、僕関係なくない?」

『参加しないという選択肢はないわよ?』

 

どうやら僕に拒否権はないようだ。

 

 

 

諦めて、口裏合わせをした。海の見える別荘に行っていたという設定らしい。参考資料として送られてきた写真を見るに中々綺麗な海と砂浜にすぐそこは山だった。滞在期間は終業式からそれこそ今日まで。あとは適当に海で遊んだり思い出の場所巡りをした、ということにされた(僕が覚えてなくても問題はないらしい、寧ろ好都合だとか)。

 

そんなこんなで十時を回った頃。

ガチャリと、僕の部屋の扉が開いた。

 

「佐倉、どうしたの?」

「……」

 

扉の前に立つ佐倉はパジャマ姿に枕を抱いていた。それで口元を隠しながら、意を決したかのようにスタスタと歩くとベッドの半分を占領するように座った。

 

なるほど、これが新手の夜這いか。

逆夜這いと見せかけてのまな板の上の鯉。

薄いタオルケットのようなものを被り、じっと見つめてくる。

もうすぐ寝るつもりだったので、僕も同じベッドに入った。

 

「もしかして一緒に寝たいとか?」

「あ、あたしの部屋の冷房壊れてんだよ」

 

それは災難だったな。と、言おうとして僕が得をしたので災難ではないことに思い至る。

 

「それで夜這いか」

「違うって言ってんだろ」

「じゃあ、おやすみ」

「ああ、おやすみ……て寝るな」

 

いきなりぎゅむっと体当たりをかましてきた。布団の中なのに中々器用な奴である。そしてそのまま、ギリギリまで身体を近づけて殆ど手と手が触れ合う位置で、風呂上がりの少し潤いのある肌と触れ合い、シャンプーの香りが佐倉から漂って来た。

 

「……なぁ」

「ん?」

 

お互いに無言で数秒沈黙。それから少しして、佐倉が問い掛けてくる。

 

「あたしのことどう思ってるんだ?」

 

顔色を窺おうと視線を向けてみれば、ちょうど見えない位置に向けていて窺い知ることはできなかった。だが、その声音は夏の蟲の鳴く声よりも小さく、心細いという感情が伝わって来た。

 

「……正直、あんたが殆ど何も言わずにいなくなった時、あたしのこと嫌でいなくなったんじゃないかと思ったんだ」

「いや、どうしてそう思うのさ」

「……だって、最初あたしがここに来ること、あんた乗り気じゃなかったみたいだし」

 

どうやらそこに誤解が生まれていたようである。思わず微笑ましくなってしまい、顔を上げて見られたら怒られるだろうなーという表情をしていたら、佐倉が急に顔を上げて来た。

 

とんでもない速度のフラグ回収である。

 

「なに笑ってんだよ」

「いや、そんなこと不安に思ってたの?可愛いなぁって」

「なっ、こっちが真剣に悩んでる時に……!」

 

怒った佐倉が可愛いと思ってしまったのは本当だ。

 

「だってさ、こんな可愛い女の子と一緒に住めるのに嫌だって思うのはおかしいでしょ」

「……あんたが一番おかしい」

 

よく言われる。主に上条君や中沢君に。

 

「そ、それに、あんた名前で呼んでくれないし……他の奴は、呼ぶのに」

 

そんなことを考えていれば、ぎゅっと袖を掴まれて文句を言われた。それは彼女からすれば距離感を表しているようにも聞こえてしまったのかもしれない。

そんな佐倉の頭を安心させるために撫でながら、かねてより思っていたことを口にする。

 

「前から使っていた呼び方って定着すると変え辛くてさ。それに、佐倉自身どうして欲しいのかも全然言わないし、もう一つ付け加えるとするなら……」

 

もう一つ、理由はあるのだ。

 

「佐倉は佐倉だから」

 

一応、親権なり養子なり色々と手続きはあったものの、佐倉自身が『佐倉』という名から変わることを拒否したことも含めて、それを尊重した母を見て、佐倉を見て、僕は思ったのだ。

佐倉自身が、そのままがいいと。そう願うなら、僕もそれでいようと。どう接するかなんてわからないし、わからないなら馬鹿なりに考えて友達のように接しようと思ったのだ。確かに妹みたいな存在と言えばそうなるのだが、妹として見るには少し特殊過ぎたし時間も足りなかった、何より出会いからして不思議だったのだ。

 

「なんだよそれ」

「まぁあれだ。魅力的な女の子が妹ポジションについて困惑してるんだよ、僕も」

「……でも、まぁ、嫌われてないと思っていいんだよな」

「僕にどうあって欲しいか決めるのは佐倉だ。兄でも恋人でも可」

「え、どっちかというと弟だろ」

「……いつも不安そうに後ろについて来た女の子はどこの誰だったかなぁ?」

 

挑発すると「むぅぅ」と可愛らしい唸り声で威嚇してくる。

それから僕らは二人、眠りに着くまで笑いあった。

 

 

 




はよ寝やなやばい。


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夢と現

 

 

 

雨が降っていた。屋根を叩き、葉を跳ね、アスファルトに落ちて、水面に波紋を残す、自然のオーケストラが微睡みの中でより心地良い時間を与えてくれる。特に雨の日は眠くなる一方なので、布団の中で睡魔と共に闇の中に落ちようと二度目に移行しようとしたその直後、ベッドの傍に何かが乗った。

 

佐倉が起こしに来たのかと僕は思った。思っただけで起きる気は毛頭ない。隙あらば二度寝に引き摺り込んでやる。そう画策していた。

 

朦朧とする意識の中、ついに睡魔に身を委ねようとした時、それは僕の頰を撫でた。細くて滑らかな感触、そして優しく撫でるその姿を醒めやらぬ薄目を開けて見た時、僕の思考は再度停止した。

 

「……まったくお寝坊さんね」

 

そう言って頰を突いたり撫でたりぺたぺた触ってくる暁美ほむらの姿がそこにあった。余所行きの可愛い黒のワンピースに身を包んだ彼女はあろうことか膝枕までしてくれている。道理で頭の位置がいつもと違うわけだ。

このまま二度寝と洒落込みたいところだが、それはそれで勿体無い気もするし、身を委ねるのも悪くない。

 

「ふふっ、可愛い寝顔」

 

えいえい。と、人が寝ているのをいいことに弄りまくるほむら。

 

–––これ夢だよなぁ。

 

僕の部屋にほむらがいること自体おかしい。人は夢の中で夢と現実の区別をつけることができるが、たまにリアル過ぎて本気で間違える事もある。夢の中で本物と違わない錯覚を覚えることも。それは脳が夢を現実と誤認したためである、とは何処で聞いた哲学だったのか。脳科学だったかな?どうでもいいけど。

何が言いたいかというと、この妙にリアルな膝枕の仄かな温かみと感触は夢であるということだ。そして、夢ならばどんなことをしようとも許されるわけである。夢の中は僕の世界。つまり、僕が思うがまま。夢の改変など夢だと気づけば造作もないこと。

 

まだ僕が起きていることに気づいていないほむらが指を僕の口に這わせたところで、僕はぱっくりと彼女の指を咥えた。

 

「ひゃっ!–––あ、あなた起きて……!」

 

顔を真っ赤にして指を引き抜いたほむらだが、膝枕のせいで簡単に距離を取ることはできない。思う存分、膝枕を堪能するために逃がすかと言わんばかりにほむらの腰に腕を回した僕は逃亡を良しとしなかった。

 

「おはよう、ほむら」

「ちょっと変態、なに抱きついてるのよっ」

「寝ている人の顔で遊んでたのは何処の誰だったかなぁ?」

「……やっぱり起きてたのね」

 

悔しそうな表情だ。普段ツンとしているほむらだから尚良い。

 

「あなたこんなことしてただで済むと思ってるの?」

 

このツンこそが暁美ほむらである。散々人を弄んでおいて自分のことは棚に上げる。見上げた精神だ。

 

「ここは僕の夢の中だ。つまり物語を進めるにあたり権利を有しているのは僕だ。何の問題もないよね」

「そう。あなた夢の中だと思っているのね……」

 

何故か呆れた目を向けられたが、すぐ後には妖艶な「ふふ、えぇ、そう」と不気味な笑みが返ってきた。さすが夢の中のほむら、現実に忠実過ぎて制御できない。思わず、悪夢を見た気分になる。

 

「そんなに太股が好きならこうしてあげるわ」

 

そして、それは現実となった。

 

ほむらが足を僕の首に巻きつけ、そのまま蛇の身体のように締め上げる。最初は天国かと思ったが割とキツイ。天国と地獄とはまさにこのこと。太股が柔らかい、苦しい、柔らかいの繰り返しで思考はぐるぐる回る。

やがて僕はふとスカートの間に見えるそれに気づいた。

 

–––これはガーターベルト!?

–––いや、何か違うような……?

 

何にしろ見えそうである。桃源郷はすぐそこだ。だが、捲ることは紳士的ではない。見たいけど愚直になれない僕の性格のなんと恨めしいことか。もう少し直球でありたかった。だけど、その判断は正しかった。

 

「ふふっ、あなたの考えは丸分かりよ。そんなに気になるなら見せてあげる」

 

そう言ってほむらはワンピースの裾を捲ってみせた。とても際どいギリギリのライン。そこには、女スパイとか峰不二子とかがつけてそうな太股に付けるタイプのホルスターみたいなやつ。物騒だがそれはそれでなんかエロい。

因みに上条君や中沢君に言ったら「こいつ何言ってんの?」みたいな顔をされたが。……現実逃避はそろそろやめよう、いつかの黒光りする銃が太股に装備されていた。

 

「なんで銃を装備してるのさっ」

「あなたのような不埒な男に向けるためよ」

 

そして、僕の目の前は真っ暗になった。

 

 

 

……。

 

 

 

「…うぅ、なんか頭がガンガンする」

 

目覚めた僕の頭を鈍い痛みが刺す。二度寝といきたいところだが、頭痛がしてそれどころではない。妙にリアルな夢だった。痛みのせいで意識はすぐに覚醒したしもう一度寝ることもできない。

仰向けからうつ伏せに寝返りを打ったところで、枕が蠢き悲鳴を上げた。

 

「きゃっ!」

「……?」

 

痛みで気づかなかったが、枕も何やら材質が違う。まるで女の子の太もものような柔らかさ。仄かな香りと温かみ。さっきの声と照らし合わせると答えはすぐそこに。

 

「……あれ、まどか?」

 

見上げれば、まどかがいた。

 

「おはよう、青葉君」

「……あ、うん、おはよう…」

 

……これも夢か?と首を傾げる。夢の中で目覚めることはあるが、二度連続となると疑うしかない。取り敢えず、僕は枕元のスマホを手に時間を確認した。午前八時。こんな朝早くから僕の家に女の子が。きっとこれも夢だな。

 

「じゃあ、おやすみ」

 

まどかの膝枕に顔を埋めて二度寝しようとする。夢の中で寝ると夢が覚めるって言うだろう?覚めて欲しいとは思ってもいないが、脳が混乱してまともな判断ができなくなっていた。

 

「わぁ、ダメだよ、起きないと!」

「……まだ眠い」

「それにうつ伏せはダメ!」

「膝枕で一度やってみたかったんだ」

「ほら、みんなもいるし!」

 

……みんな?と僕の思考は一旦フリーズした。

 

「マミさん、さやかちゃん、ほむらちゃん、なぎさちゃん、杏子ちゃんが待ってるし」

「どうぞお構いなく」

「青葉君が来ないとみんな朝ごはん食べれないの」

「先に食べてていいよ」

「そんなぁ……」

 

しょんぼりした様子のまどか。いや、しかし、僕を待つ理由が見当たらない。

 

「というか、なんでいるの?」

「えっと、今日、お泊まりでしょ?」

「…うん」

「みんな早く来すぎちゃって」

「……暇なの?」

 

別に誰が何処でどうしてようと構わないが。何故、全員がちゃっかり早く着いているのか。朝から何か予定でもあったのだろうか。と疑問を浮かべるも答えは出ない。

 

「……まぁいいや、取り敢えず起きるかぁ」

 

欠伸をしながら起き上がる。よくよく考えれば美少女が起こしに来るというイベントに胸が踊らないでもない。佐倉とは違ったお楽しみ感がある。

 

起きてそのまま顔を洗いリビングへ。そこには、まどかが言った通りの面子が勢揃いしていた。母親がそこに紛れていても中学生で通りそうなくらいまである。実際、母さんはみんなと一緒に食卓についていた。

 

「おはよう、二木君」

「おはよー、青葉」

「……」

「うん、おはようみんな」

 

約二名ほど睨んできたが僕は苦笑いを返すしかない。

ほむらと佐倉は何を怒っているのやら。

あの夢が現実であったのなら、ほむらの理由は想像に難くない。

それを裏付けるようにほむらの服はあのワンピースだ。

 

「こんな朝早くからみんなどうしたの?」

 

空いている席に着きながら僕は言う。すると、役数名が目を逸らした。睨んでいる人達は依然睨んでいるが。

 

「……誰があんたを起こすかで揉めてたんだよ」

 

そこに爆弾を投下したのはほむらと同じく睨んでくる佐倉だ。ボソッと「あたしの役なのに」って呟くあたり、それが朝から不機嫌な理由なのかもしれない。

 

「もう我慢できないのです!」

 

しかし顔を真っ赤にして慌て始めた少女達を差し置いて、なぎさちゃんが皿の上に乗ったチーズに手を伸ばした。それを見て食事にしようと雰囲気が変わり追求する道をなくしてしまった。

 

「じゃあ、僕も……」

 

トーストに手を伸ばしたところで皿が避けた。

 

「……あの、ほむらさん?」

「食べさせて欲しかったらお願いすることね」

「脚でも舐めればいい?」

「別にそこまでしろとは言ってないわ。というか、したら殺すわ」

 

こういうパターンはそういう展開だと思ったのにどうやら違うようだ。もしそんなことを言えば全力で舐める所存だったのに。

 

「お願いしますほむら様」

 

棒読みでお願いした。

 

「えぇ、わかったわ」

 

意外と素直ににっこり微笑んでくるほむらの手元を見ると、皿を寄越すでもなくその手でトーストを摘んで口元に差し出してきた。

 

「ほら、口を開けなさい」

「……いや、何してんの?」

「開けないと別の穴に捻じ込むわよ」

 

それは怖い。恐る恐る素直に口を開けると乱暴に捻じ込むでもなく普通に食べさせてくれた。周りがしてやられたみたいな顔してるが、ほむらは気にした様子はない。

もぐもぐと咀嚼し、飲み込む。残念なことに味がわからなかった。

 

「どう、美味しい?」

「……あ、はい、美味しいです」

 

美味しいシチュエーションだ。嘘はついてない。

 

「トーストは私がしたのよ」

「もう、二木君、炭水化物だけじゃなくて野菜も摂らなきゃダメよ?」

 

そこに割り込むようにマミが箸でサラダを差し出す。

 

「……うむ、いつもと違う」

「私がよく作るサラダなの。お口に合うかしら」

「へぇ、マミ先輩がよく食べるやつなのか」

「もぉー、先輩禁止」

 

ドレッシングも中々市販では口にできない味だ。ドレッシングも配合はマミスペシャルなのだろう。さすが先輩。

 

「…あ、青葉…君」

 

そこに第三の刺客。もじもじそわそわ、まどかが玉子焼きを箸で差し出してきた。

 

「私が作った、玉子焼き…なんだけど…」

 

だからどうした。とは言わない。

僕は迷わずそれを食べた。

 

「うん。美味しいよ」

「良かったぁぁ。出汁巻と甘いのどっちが好きかわからなかったから」

「両方とも好きだからね」

 

美味けりゃなんでもいいのだ。多分、母に聞いたのだろうがどっちでもいいと答えただろうし。

 

「朝からモテモテだなぁ、青葉は」

 

さやかはこの様子を見てケラケラと笑う。

 

「……ホント、モテる男とか死ねばいいのに」

 

ダークサイドに堕ちた。

上条君のせいであって僕のせいではない、と言っておこう。

 

「じゃあ、混ざる?」

「いい。ドロドロしたのはもうお腹いっぱい」

「じゃあ、何しにきたの?」

「……なんでだろうね。一人って寂しいんだよ」

 

本当に何をしに来たのか。あっちでほむらとマミとまどかが牽制しあってるし。この状況で何もせず黙って見ているだけのさやかは何を考えているのやら。

 

「取り敢えず、あれ止めてくれない?」

「私まだ死にたくないよ」

「あはは、あんなので死ぬわけないでしょ」

「……いや、あれは戦場だよ」

 

遠くを見るさやかの瞳は何を写しているのか。

数時間後、この戦争が激化することを僕はまだ知らない。

 

 

 

 

 




青葉君を起こしたくてこうなった。


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乙女達の戦場

※健全なゲームです。


 

 

夜の二木家の居間に女子達の姦しい声が響く。激しく身体をぶつけ合う乙女達の攻防はまさに色っぽく、しっとり濡れた肌が扇情的に服の合間から覗く。マットの上で淫れ合う彼女達は実に美しい。

 

「むむむむむ、さやかちゃんピーンチ」

「ううっ、マミさんちょっと苦しい」

「ご、ごめんなさい鹿目さん」

「ちょっと今押したの誰だよ!」

「巴マミ、あなたのおっぱいは凶器ね。まどかが窒息死するわ」

 

絡み合う身体と身体、特に脅威的なのがマミ先輩のおっぱいだ。参加者全員を跳ね除けんと形を変えながらも応戦する姿はえっちぃ、思わず僕も目を逸らしてしまった。

 

「はい、次はほむら右手をピンクね」

「くっ、二木君あなた私に命令するなんていい度胸ね」

「仕方ないじゃないゲームなんだから」

「ゲームが終わったら覚えておきなさい」

 

僕達がプレイしているゲームは定番のパーティーゲーム『円環の理』と呼ばれるものだ。サークルマットの上に書かれたマスに指定された四肢を置いてどちらかが倒れるまで続けるという何処かで聞いたようなルール。なお、販売元はキュゥべぇでレンタル彼女サービスから受けられる接待の一つだとか。

 

「も、もうダメ……」

 

ゲーム開始から数分、マミさんのおっぱいに顔を埋め過ぎてまどかが恥死。マットの外に転がり出て来た。

 

「……何見てんだよ」

「いや、佐倉は可愛いなぁって」

「はぁっ!?」

 

僕の視線が気になって佐倉も脱落。

 

「ちょっ、マミさんおっぱいで押すのやめて!」

「ごめんなさい美樹さん」

 

さやかもマミさんのおっぱいに押し出された。

 

「ふふっ、負けないわよ暁美さん」

「私もあなたみたいな卑怯な女には負けないわ」

 

そして、一騎討ちが始まった直後、またもマミさんのおっぱいが暁美ほむらを押し除けた。

 

 

 

 

 

 

事の発端は一時間前、お風呂上がりのパジャマ女子達が僕の部屋に集まったことが原因だった。揃いも揃って歳頃の女の子が男子の部屋に突入するという夢のシチュエーションにドギマギしていると、さやかが突然こんな提案をしたのだ。

 

「ねぇ、暇だしゲームしない?」

 

まだ寝るのには早い時間だし別に構わなかった。

問題はどんなゲームをするかである。

テレビゲームはコントローラーどころか参加人数が超過しているし。人生ゲームはあるが最近やったばかり。せっかく皆集まったから普段やらないゲームがいい。

 

「実はこんなこともあろうかと持って来たんだよね」

 

さやか的にはかなり今回のお泊まりは楽しみだったようで、用意があると言うとすぐに自分の鞄を漁り始めた。そして、取り出したるは折り畳まれたレジャーシートのようなもの。

 

「じゃーん、『円環の理』ゲーム」

「なにそれ?」

「私達のレンタル彼女サービスあるじゃん?それのオプション」

「えっちぃやつですか」

「ううん、至って健全。ツイスターのキュゥべぇ版って言うのかな」

「ぶっちゃけたね。っていうかパクリじゃん」

「その高級版サービスだよ」

 

要は気持ちである。どうやらあの白い獣には権利的な概念はないらしい。

 

さやかは特に気にした様子もなくレジャーシートを広げる。折り畳まれていたからわからなかったが、広げればレジャーシートは丸い絨毯のようなものだった。その中に五色の小さな丸が幾つも描かれている。ピンク、青、黄色、紫、赤。全色三つずつ。形状は違うが普通にツイスターゲームなのが妙に腹立たしい。

 

「で、そのオプションいくらするの?」

「諭吉が数枚飛びます」

「お触り禁止では?」

「だから、高いんだよ」

「へぇー、ところでそのサービス皆はしたことあるの?」

 

その一言にピシリと空気が固まった。

 

「「「「「………………」」」」」

 

誰もが目配せをして確認を取る。おまえからいけよみたいな雰囲気で視線で会話を図り、切り出したんだからおまえいけよとさやかが売られた。

 

「あったよ。まぁ、大体の客がセクハラしてくるから何処からともなくキュゥべぇが現れてたいしょしたけど。そのあと、そのお客さんから連絡貰ったことはないかな。何故か客が離れちゃうんだよね」

 

それはきっとペナルティーで高額請求か地下帝国送りになってしまったのではないだろうか。と、僕は思わず震えた。

 

「まぁいっか。やろうよ」

「青葉、セクハラって聞いてから乗り気だねぇ」

「やましいことはありません」

「そう。なら、あなたは不参加でいいわね。精々女の子が絡み合っているのを眺めていなさい」

「ほむらが言うならそうさせてもらうよ」

 

参加できなくてちょっと残念だとか思ってないんだからね!

 

「そうがっかりしないの。あなた面倒臭い人ね」

 

どうやら僕は心底がっかりしているように見えたらしい。

女の子と接触できる機会を益々逃した僕は、渋々引き下がることにした。

がっつくと嫌われるし。

そう。これは戦略的撤退である。

 

 

 

 

 

 

–––と、いうわけで女の子が組んず解れつ絡み合う魅惑のゲーム大会が開催されたわけである。最初の一戦を全員でやって貰ったわけだがもう何処を見ればいいか分からず、終始マミ先輩のおっぱいばかり眺めていたわけだが、これはこれで眼福なので不満はない。それにこのゲームの醍醐味はゲームマスターの方にあった。

 

–––女の子に命令するのってなんか背徳的。

 

必然的に支持する役割を持つ人が必要になってくるわけだが、このゲームはルーレットのようなものがなく好きな場所に動かすことができるのである。それは、好きな絵を観れるということ。誰と誰を絡ませたりとか。

 

「流石に五人はキツかったみたいだね」

「あはは。確かにちょっときつかったかな〜」

 

暑そうにさやかはパジャマの襟を引っ張り、パタパタと仰ぐ。そういうずぼらな行動であったのだが、男子的には非常にエロい構図で目のやりどころに困る。

 

「……青葉のえっち」

 

僕の視線に気づいたさやかが仰ぐのをやめて、襟元を隠した。いつになく可愛らしいさやかさんに僕は翻弄されっぱなしである。

 

「確かに暑かったな。まだ続けんの?」

 

扇風機を起動してチュニックの中に大胆に風を身体に送り込む佐倉の姿に、今度は視線が奪われた。

 

「……別にあたしだからいいけどさぁ。あんた見過ぎ」

 

チラチラと見えるおへそが気になってると、悪戯っぽい笑みで揶揄われた。

 

「そうね。お風呂に入ったばかりで汗もかきたくないしやめにする?」

「青葉君も参加できないしね。皆で他のゲームにしよっか」

 

次のゲームに移ってしまうのか。それはとても残念だ。できるならもっと観たい。

 

「観てるだけでも割と楽しいよこのゲーム」

 

むしろ、観てるから楽しいまである。

 

「ただゲームするのもつまんないしさぁ。なんか勝ったら景品とかないの?」

「佐倉が言うなら用意するけど、なにがいい?」

 

佐倉の提案で景品を用意することになった。それが彼女達のモチベーションアップに繋がるなら大歓迎だ。ただ、何を景品にするかが問題で全員で唸っていると、傍らで無邪気な声がとんでもないことを言う。

 

「なぎさはお兄さんと一緒に寝たいのです!」

 

部屋の空気がピシリと固まった。

ギギギ、と全員の視線が僕に集められる。

 

「青葉君の隣で、寝る……」

「青葉の隣かぁ……まぁ、悪くないよね」

「まぁ、あいつが一緒に寝たいってんならしょうがないよなぁ」

「二木君……男の子と一緒……子供が……」

「先に言っておくけど、一緒に寝たからって妊娠させるような行為はダメよ。やったら殺すわ」

 

–––獰猛な猛獣が五匹いた。爛々と瞳を怪しく光らせる猛獣が、僕を狙っている。

 

 

 

トーナメント形式で大会が開催されることになった。組み合わせは公平に僕が決めることになり、初戦の発表はもう間も無く行われる。今か今かと待つ乙女達はいつも以上に艶っぽい。

 

「組分けを発表するよ。第一回戦はまどかとほむら、二回戦はさやかと佐倉、三回戦は……マミ先輩はさっき勝ったからシードで」

 

当然のことながらなぎさちゃんは不参加だ。マミ先輩が勝ったら、二人で僕を独占することになる。だからこそ、一番敵視されているのはマミ先輩と言ってもいいだろう。枠が一つ減るから。しかし、この審議に物申す人がいた。

 

「ちょっと待ちなさい二木君」

「なに、ほむほむ?」

「ほむほむって呼ぶな–––って、今はどうでもいいのよそんなこと。少し不公平じゃない?」

「何が?」

「一人だけ一回戦をやらないことよ」

 

確かにとマミ先輩以外の全員が頷く。

そこでほむらはとんでもない提案を持ち込んできた。

悪魔の如き完璧な笑みで。

 

「だから、巴マミの初戦の相手はあなたがすればいいと思うの」

「えぇ、二木君と私が!?」

 

衝撃的な発言に僕とマミ先輩は動揺を隠せない。マミ先輩なんて顔を真っ赤にして狼狽えているし、僕も鼓動が早くなり過ぎて心臓がパンクしそうだ。

 

 

 

第一回戦。鹿目まどかVS暁美ほむら。

戦いの火蓋は切って落とされる。

初期位置は本人達の意思で好きな位置に。

まずは二人とも棒立ちだ。

 

「じゃあ、まずはほむらから。右手を紫に」

 

ゲームの公平性を期すためにゲームマスターはこの僕、二木青葉が努める。僕の指示に従ってほむらが身体を動かす光景に、なんだか奇妙ながらも妙な満足感があった。

 

「次、まどかは右手をピンクね」

 

公平に次はまどかに指示を出す。

 

「ほむらは左手を黄色に」

 

二回目の指示でほむらが四つん這いになる。

普段、強気な女の子が僕に従っていると思うと……。

 

「覚えておきなさい二木君、後であなたを社会的に抹殺するわ」

 

本人に酷く冷たい目で睨まれた。四つん這いになっているから必然的な上目遣い。背筋が凍るような具体的な刑を告げられたが、ただの照れ隠しだと断じてゲームを続行する。

 

「まどかは左手を紫に」

 

これで二人とも四つん這い。

眺めていると僕は世界の真理に辿り着く。

パジャマの襟、その間からおへそが見えたのだ。

 

それだけではない。

胸の谷間ならぬ、逆さまになった山が見えた。

 

胸の谷間とか双丘とか呼び方があるなら、襟元から見えるそれは鍾乳洞と呼ぶべきか。

むしろ小乳洞–––。

 

「……」

 

不意に顔を上げたほむらと目が合う。

数秒後に顔を下げて、腕が限界なのかワナワナと震えた。

 

「……まどか、私の負けよ」

 

敗北を宣言したほむらが立ち上がる。彼女が一歩を踏み出す前に、僕は足を折り畳み額を床に擦り付けていた。

 

「殊勝な心掛けね」

「……お褒めに預かり光栄な限りで」

 

僕の後頭部に足裏が乗せられる。

 

「……見た?」

「さて、僕にはなんのことやら……」

「私の下着よ」

「え?ほむらブラなんてつけて–––」

 

語るに落ちるとはまさにこのこと。直後、ゴッと音を立てて額が床と熱烈なキスをした。ほむらが僕の頭を思いっきり踏んだのである。これには聴衆も大慌てで止めに入る。

 

「ちょっと待ちなよどうしたってのさ?」

「この男、私の胸を見たのよ。万死に値すると思わない?」

 

佐倉も止めに入ってくれたが、ほむらの答えを聞いてすっと身を引いた。というかドン引きされた。

 

「まぁまぁ許してあげなよ。青葉だって男の子なんだしさ」

 

ケラケラと笑って僕の弁護をしてくれたのは、次を控えたさやかだ。付け足すようにこう言う。

 

「それに全然見てくれないよりはマシじゃない?」

 

あまりの説得力にほむら、佐倉、マミ先輩は沈黙した。

何か考え込むように腕を組み、情状酌量の余地があると判断したのか、いくらか空気が緩和される。

だが、僕の後頭部は女王様の足置きのまま。

グリグリと踏まれて、顔を上げられない。怖いからいいんだけど。

 

「……そうね。見たことは許してあげる。でもあなた今私の胸が小さいとか思わなかった?」

「いや、そんなことは……まどかやマミ先輩と比べると小さいけど。ほら、まだまだこれからだし」

「女の子の胸を嬉々として見ておいて、小さいって文句を垂れるなんていいゴミ分ね」

 

怒りの原因はそちらに移ったらしく、とんでもないニュアンスで罵倒された。

 

「顔を上げなさい」

 

顔を上げた直後、女王様の足裏がとんできた。

 

 

 

第二回戦。美樹さやかVS佐倉杏子。

両者共に運動部の所属だ。

さやかはソフトボール部。佐倉はダンス部。

先程とは打って変わって、熾烈な争いが予想された。

 

「さっさと始めようぜ」

「まあまあ楽しもうよ」

 

開始早々、相手に絡みつくように指定された色へ四肢を伸ばしていく二人。四つん這いになった時には既に複雑に絡み合っていた。それどころか押し合ったり潰しあったりしてる。

 

「むむ、やるねー」

「余裕ぶっこいてんじゃねぇよ美樹さやか」

「それは杏子もじゃない?」

 

さやかはソフト部仕込みの耐久力、杏子はダンス部で培ったバランス感覚と体の柔らかさで勝負をしている。正直、佐倉の手足の動きが滑らかで艶っぽく見えて見惚れたほどだ。ガサツに見えて、一番女の子しているのが佐倉である。

 

「次、右手を赤」

 

佐倉が指示に従って右手を離し、指定された色に置く。

彼女はブリッジをしてその柔らかさを披露してみせた。

弧を描く、佐倉の身体。

まだ余裕綽々で、ニヒヒと笑ってみせた。

 

「ねぇ、杏子。あたしに勝ち譲ってくんない?」

「はぁ?なんで?」

「だって、いつも一緒に寝てるんでしょ?青葉と」

「はぁ!?」

 

突然の絡め手に佐倉が悲鳴を上げる。

顔を真っ赤にして、すぐに反論した。

 

「い、いつもじゃねぇよ!」

「たまに?」

「…………た、どうだっていいだろそんなこと!」

 

素直に答えようとして声を荒げる。キレているようだが照れているだけだ。

 

「杏子さ、そんなに青葉と一緒に寝たいの?」

「あ、あたしは別に……」

「お兄ちゃんを奪られるのが嫌なんだー、可愛いねぇ」

「おまえ何言ってんだよ!」

 

接戦ならぬ舌戦に佐倉はたじたじだ。

押し込める、と思ったのかさやかがニヤリと笑う。

 

「いつもドルフィンパンツとチュニックで一緒に寝てるの?えっちだねぇ」

「こ、これは涼しいし動きやすいからで」

「そのチュニック結構捲れてるけど大丈夫?」

 

ブリッジしていれば重力に従って服が捲れ上がるのは道理だ。もう既に大部分が捲れ上がり、佐倉の可愛いおへそが見えている。

 

「きゃあ!」

 

可愛い悲鳴を上げて佐倉は飛び退った。

 

「はい、あたしの勝ち〜」

 

佐倉は涙目で僕を睨んだ。

 

 

 

第三回戦。巴マミVS二木青葉。

両者ともまだ開始位置についていない。

 

「二木君からお先にどうぞ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

レジャーシートの端に立つ。

僕の立ち位置が決まってから、マミ先輩もレジャーシートに乗った。

 

「え?」

「お手柔らかにね」

 

マミ先輩が初期位置に選んだのは真正面、僕の乗っているマスの隣だ。

このゲームのレジャーシートはマスの感覚がかなり狭い。

どれだけ狭いかと言われると、少し動けば僕の胸板とマミ先輩のおっぱいが触れ合うくらいには。

つまり、動けば(社会的に)死ぬ!

 

「じゃあ始めるわよ。二木君、右手を紫に」

 

仮のゲームマスター、ほむらの指示に従って僕は動く。

 

「……って、ほむらさん?紫のマス一マスしかないんだけど」

 

紫のマスはマミ先輩と僕が二つ踏んでいる。

そして、残りはマミ先輩の向こう側にしかない。

 

「開始早々いきなりハードだなぁ」

 

それから悪魔–––もとい、ほむらの無理難題を押し付けられたが、なんとかやり過ごす。マミ先輩は特に苦もなく柔らかい身体を駆使して応戦してきた。

 

–––開始から十分後、事態は急転する。

 

「二木君、左手を青に」

 

ほむらの指示で左手を動かす。ただ、青の位置が近くにはマミ先輩の胸の下にしかない。触れないようにそっと手を伸ばし事なきを得たがさっきから際どい指示しかきていなかった。

 

「次、巴マミ、右手を黄色」

 

仰向けの僕に覆い被さるようにマミ先輩が動く。

 

「次、二木君、左足を赤に」

 

ほむらの指示はよりマミ先輩の懐に潜り込むようなもの。

胸と胸がくっつき、柔らかに形を変えるそれを見て、僕は冷静でいられなかった。

 

「巴マミ、左手をピンクに」

「……チェックメイトよ。次で決めるわ」

「マミ先輩、何言ってるんです?」

 

仰向けの僕には色が見えない。

マミ先輩は左手を置いていた場所から離して、そして……。

 

「ふもっ!?」

 

ひとつ先へ置いた。

 

その瞬間、柔らかな塊が顔面を直撃する。

温かくて、柔らかくて、暗い。

突然の状況の変化に戸惑っていると、悪魔が告げた。

 

「巴マミの胸に顔を埋めた感想は?」

 

僕の顔を覆っているのは母性の象徴、マミ先輩の……。と、考えたところで僕の思考は熱暴走を始める。許容限界だ。いくら性的な好奇心旺盛の男子中学生でも、思春期には刺激が強過ぎたのだ。

 

「な、なんでぇ!?」

「ふふっ、二木君ったら可愛いわね」

 

慌てふためく僕の姿を見たマミ先輩は母性本能を擽られたらしく、息子を可愛がる母親のような態度で僕に接する。要するになぎさちゃんと同じ扱いだ。

 

「待って。降参、降参だから!」

 

三人分の冷たい視線が僕を襲った。

 




前から書く気はあったけど、ネタに詰まってました。


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健全な朝チュンってやつ。

さやかと絡みたかっただけの話。


 

 

 

朝起きたらそこは天国だった。

 

「んん〜、二木君……」

 

右を見れば巨乳の美少女が寝ている。

 

「チーズ、なのです……」

 

左を見れば幼女が寝ている。

 

そして、更に周りを見れば美少女達が無防備な寝顔を晒している状況。これを天国と言わずなんとする。と、二度寝に興じようとしていた僕の脳はフル回転を開始する。

 

「これが朝チュンってやつか……」

 

本来ならもっとエロいのなのだろうが、これも所謂朝チュンというやつではないだろうか。あくまで健全なバージョンとしての朝チュンという言葉に胸が躍る。

 

「しかし、よく見るとマミ先輩ってやっぱりおっぱい大きいよなぁ」

 

ころんと横になっているマミ先輩のおっぱいははちきれんばかりにパジャマの胸部を自己主張している。呼吸をするたびに胸が揺れてえっちぃのなんの触ってみたいという欲求が僕の心の底から顔を出した。

 

「……柔らかそう」

 

そーっと手を伸ばしてみる。指を一本突くか、はたまた手で全体を覆うか、触れるか触れないかギリギリのラインまで伸びた魔の右手を僕の左手が抑えつける。

 

「鎮まれ僕の右手ぇぇぇ!」

 

–––寝ているとはいえねぇ。やっぱりダメなわけですよ。バレたらやばいじゃないですか。なんなら僕の中学校生活が詰む可能性すらあるわけで、恥も外聞も失くせばそれはそれで一時の天国を味わえるが、恒久的な地獄を味わう羽目にもなる。だが、それを加味しても触る価値はあるのがタチが悪いところなのだろう。

 

そんな葛藤をして、僕は欲望をなんとか抑えた。

 

「–––ふふっ。寝ている私に何をしようとしていたのかしら?」

 

……今、人生終了のお知らせが来なかっただろうか。

 

ゆっくりと視線を声のした方に向けるとマミ先輩がしっかりと両目を開けていた。寝起きすら大人の色気を醸し出す彼女はまさに女神のようで……とか、言っている場合じゃない。

 

「……おはようございますマミ先輩」

「うん、おはよう二木君」

 

一周回って思考は冷静になる。

マミ先輩は悪戯っぽく微笑んで僕に言った。

 

「それで二木君は寝ている私に何をしようとしていたのかしら?」

 

寝転んで腕で胸を持ち上げるような仕草をする。絶対わざとだ。

 

「素直に言ってくれたら、考えないこともないのよ?」

「ちょっとマミ先輩のおっぱいに触ってみようかなーっなんて」

「じゃあ、触ってみる?」

 

……いまなんと?

 

「いいんですか」

「でも、友達同士でこういうことはよくないわよね?恋人の関係なら考えなくもないんだけど」

「よろしくお願いします!」

 

僕は速攻で堕ちた。

 

「本当にいいんですね?触りますよ?」

「ダメに決まってるでしょーが」

 

手をワキワキと節足動物のように動かしてマミ先輩に迫るとその両脇から羽交い締めにされる。いつの間に起きたのか、さやかが背後から抱きつくような形で止めていた。ただ、残念なことに感触は乏しい。

 

「後生だ。止めるなさやか!」

「いやいや、冷静になりなよ青葉。マミさんの(巨乳)触ったら戻れなくなるよ!」

「いいんだ。一生に一度のチャンスなんだ!」

「もうなりふり構ってないね!?」

 

呆れたような声で僕を諭すさやかだが、僕を拘束する手は緩めない。

 

「もし僕がおっぱいに触れずに死んだらどうするのさ!?」

「そこまで深刻な悩み!?」

 

もしかしたら、こんなチャンスは一生巡ってこないかもしれないのだ。そう言うとさやかの拘束が若干緩んだ。ルパンダイブでマミ先輩(のおっぱい)に襲い掛かろうとすると、彼女は蠱惑な笑みを浮かべる。

 

「あら残念。美樹さんが起きちゃったからまた今度ね」

 

マミ先輩は枕を盾にガードすると、頭から突っ込んだ僕を受け止めた。そして、そのまま僕は空中で一旦停止して重力に従って布団に落ちていく。

 

–––男子中学生の純情を弄びやがって!

 

僕は涙目で枕から顔を上げた。

 

「……やっぱり揉む?」

 

しょんぼりしている僕を見て、マミ先輩が心配そうに顔を覗き込んできた。

 

「……いえ、もうそういう気分ではなくなったので遠慮します」

 

気を取り直して、僕はさやかとマミ先輩を見る。二人ともパジャマ姿で寝起きということもあり妙に扇情的な格好をしていた。ボタンは上まで閉まっていない上にマミ先輩に至っては胸の谷間まで見えていた。わざとか?

 

「おはよう。さやか」

「おはよー。朝から元気だね」

「あれは特例。今は普通」

「……ごめんって。もし青葉が結婚できなかったら、あたしが結婚してあげるからさ」

 

いつもなら食いついていた話題だが、今回は別の意趣返しを考えていた。

 

「昔の上条君にも似たようなこと言ったの?『大きくなったら結婚する』みたいな」

「……うん。言った」

 

やはり、幼馴染の間では結婚の約束は定番らしい。

 

「ていうかやめない。あいつの話はさ」

「ごめん」

 

実情は、まだ引き摺っているようでさやかは暗い笑みを見せた。それもすぐに別の表情に上書きされる。

 

「そんなことよりさ。あたし聞きたいことあったんだよね」

「聞きたいこと?」

「うん。実際、青葉って誰好き?」

「その話、前もしなかった?」

 

ラーメン屋でそんな話を佐倉とさやかにした気がするのだが、さやかは興味津々なようでケラケラと笑った。

 

「だって、修学旅行って言ったらお泊まり、修学旅行って言ったら恋バナ、じゃあお泊まりって言ったら恋バナじゃん!」

「合同条件かな?」

 

数学のその分野は苦手だからやめてほしい。

 

「それにさ。ほら、前と比べて環境とか色々変わったでしょ?」

「確かに……」

 

前は佐倉と一緒に住んでいなかったため、彼女のことを考えたこともなかった。それにこの期間で関わった時間も増えているため心の変化もあるかも、とか考えたのだろう。

 

「誰って言われてもなぁ」

「誰が一番気になるとかさ」

「全員気になるんだよね」

「おっと、ここに来てハーレム宣言?」

 

僕にそんな度胸はない。

 

「まどかは優しいし、ほむらだってあれで一人で抱え込んじゃうところがあって放っておけないし、佐倉は寂しがり屋で家族愛に飢えているところがあって離れられないし、マミ先輩も歳上の威厳ってのがあるけど実際は年相応の女の子で寂しがり屋でしょ。さやかもなんていうか一緒にいて楽っていうか……」

「おい、あたしが男みたいって言いたいのかー!」

 

ガーッと怒るさやか。男子曰く、さやかは男みたいで気兼ねなく話せるらしい。多分、女子の中では男の友達が一番多い女の子だ。故にお友達でと言われるところがあるわけだが。

 

「さやかのそういうところ好きだけどな。僕は」

 

–––もしかしたら、上条君はさやかを女性としてではなく男性と見ているのかもしれない可能性に気づいてしまった瞬間である。

 

「な、なんていうか面と向かって言われると恥ずかしいね」

 

さやかは照れて頰を紅く染めるとそっぽを向いた。

 

「今のところ誰か一人に絞れって言われてもね」

「あら意外にもちゃんと考えてたのね」

 

正直、五人の中で付き合うチャンスがあるならその餌に食いつくのは間違っていないと思う。マミ先輩が付き合った瞬間から獲物を逃さない態度を見せてもだ。

 

「僕の方はいいんだけどさ。さやかの方はどうなの?まだ上条君のこと好き?」

「えー、あいつの話に繋がんの?」

「恋バナしたいって言ったのさやかじゃないか」

「まぁ、そうなんだけどさ」

 

さやかは枕を抱えて顎を埋める。

 

「あたしは本当に引き摺ってないよ」

「志筑さんに幼馴染寝取られた件については?」

「正々堂々だったから」

「じゃあ、もし僕が志筑さん好きだって言ったら?」

「あんたの目が覚めるまで殴る」

 

–––それはダメらしい。

 

「冗談だよ。あんなお嬢様、僕には手に負えないって」

 

というか趣味ではない。人気らしいが何処か近付き難いところがあって僕は苦手だ。

 

「お嬢様って言うとマミさんもお嬢様っぽいけど?」

 

優雅にティータイムしちゃうところとか、中世の貴族にいそうだなって思うことはある。ただ、この人の場合は見栄を張っている部分もあると思うのだ。実は社長令嬢って線もある。

 

「マミ先輩はなんというかお姉さんって感じがするし、頼れる感じがするから」

「ふーん。そう。そういう風に思ってたのね」

 

マミ先輩は嬉しそうにクスッと笑む。

 

「マミ先輩は好きな人いないんですか?」

「いるわよ。目の前に」

 

……そんなストレートな告白を受けるとは思っておらず、僕は赤面する。

 

「美樹さんに、鹿目さん、暁美さん、佐倉さん、それになぎさね」

 

–––かと思いきや、まさかのフェイントであった。

 

僕は赤面した顔を更に赤くさせる。耳まで真っ赤になって、自分がハブられていることに気づき一瞬で血の気が引いた。喉を空気が通らなくてかぼそく鳴いた。

 

「……あぁ、そういう」

 

落ち込む僕の唇に指が立てられた。

マミ先輩の腹の指に口付けをする形に僕の顔は硬直した。

 

「二木君は特別だからね」

 

ウィンクをして、小悪魔的な笑みを浮かべる。

また弄ばれた。

 

「ねぇ、ところで二木君」

「はい」

「君の好きな女性ってどんな人?」

「……はい?」

 

突然、好みを聞かれた僕は硬直する。真面目に考えてみるもそれらしい意見が出ない。だが、絶対条件は確定しているのだ。

 

「優しくて」

「他には?」

「料理上手で」

「それで?」

「それだけあれば他には何も望まないですね」

「外見は?」

 

そう言われて条件を絞ってみる。

 

「髪は?」

「長い方が好きですね」

「乳房は?」

「ないよりあるほうがいいですかね」

 

特にマミ先輩クラスだと嬉しい。

 

「顔は?」

「世に戦争でも起こすつもりですか?」

「真面目な話よ」

「別に容姿とか平凡でもいいんですけど」

 

さらさらとメモを取っていくマミ先輩は、そこでパタンとメモ帳を閉じた。

 

「つまり私ね」

 

条件は全て当て嵌まっている女性がここにいた。

 

「マミさん何言ってるんですか」

 

結論から言ってしまったマミ先輩をさやかが咎める。だが、さやかはぐりんと視線を僕に向けて首を傾けた。

 

「青葉もさ、やっぱり胸がいいってわけ?」

「待って。あればいいって話でむしろ僕は貧乳も好きだけど!」

「へぇ、誰と誰が貧乳だって?」

 

後退り逃げる僕の肩ががっしりと掴まれる。

振り向けば、仁王像が仁王立ちして僕の退路を絶っていた。

 

「えーっと、ほむらさんに佐倉までどうしてそんな顔をしているのかな?いつから起きてた?」

「あんたがおっぱいに触るか触らないか騒いでたあたり?」

「そうね。あなたが煩くて目が覚めてしまったわ」

 

周囲を見渡せば、まどかも起きてこっちを見ていた。

最初から全部、聞かれていたようだ。

 

「で、貧乳がなんだって?」

 

–––僕は死を覚悟して、土下座をした。

 



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美樹さやかの相談

殲滅戦無課金クリアできないんじゃ……。


 

 

 

茹だるような暑さの中、佐倉とゲームをしていると電話が掛かってきた。片手間に通話ボタンを押して、スピーカーにするとゲームを続行したまま耳を傾ける。

 

『もしもーし、青葉ー、起きてるー?』

「起きてるよ。この暑さの中、眠れる人は異常だね」

 

電話の相手はさやかだ。二度寝しようとしたら暑過ぎて眠れない事実に気づき、仕方なく朝からゲームを始めたところ、一緒のベッドで寝ていた佐倉を起こしてしまい今に至る、と言外に説明したところで渇いた笑いが通話口の向こうから響いた。

 

『あはは、ホント暑くて嫌になっちゃうよねー。ところで今何してるの?』

「何って……まぁ、ゲームだね」

『毎日ゲームばっかしてるでしょ。引き篭もってると身体に毒だよ』

「たまには外出もしてるよ」

『どうせ杏子にパシられてるんでしょ』

 

買い物に出ているだけというのを見破られていた。佐倉の尻に敷かれているというのは周知の事実のようだ。

 

「パシってねぇよ。……まぁ、そりゃたまには一人で出てもらうこともあるけど」

 

僕の足の間に座ってコントローラーを握っている佐倉が、言い訳を述べた。毎度のことながら二人きりになるとこんな調子で甘えてくる。おかげで二人揃って汗だくだ。

 

『普段は一緒なんだ〜?』

「煩い。どうだっていいだろそんなこと。揶揄うなら切るぞっ」

『ちょっ、待って待って、ごめんごめん!』

 

現在進行形で一緒–––仲良くしているとは言えず、スマホの通話終了ボタンに手を伸ばしかけた佐倉の手を通話口向こうのさやかが宥めて押し留めた。

 

『実は相談があってさ』

 

さやかが相談とは珍しい。悩みなさそうとよく言われるが、今は上条君の件があって恋に悩める少女であったのは事実、彼女のことを不憫だと思う同級生も少なくはない。

そんなさやかに少しくらい優しくしてあげてもいいだろう、と思ってはいるのだが特に何もする機会がなかった。

それが今日までのことである。

 

「僕が出来ることなら協力するけど」

『相談ってのはさ。恭介のことなんだけど……』

 

また妙な名前がさやかの口から出た。

 

『仁美と今度デートするらしくてさ』

「それがどうしたの?」

『前にもデートしたことがあるらしいんだけど、その時にあまり雰囲気が良くなかったみたいでさ。それでどうしたらいいかって相談を受けることになって……』

 

声が段々と沈んでいく。辛いのはわかる。聞いてはこっちもなんか泣けてきたから。あと、上条君は今度会ったら一発殴る。無自覚とはいえこれではさやかが可哀想だ。

 

そう決意した次の瞬間にはさやかの口から泥沼の一言が。

 

『その時、任せなさいって言っちゃったんだよね』

「え、経験もないのに?」

『それも言われたよ。……それで、つい強がって彼氏がいるって言ったらさ。何処で知ったのか「じゃあ、ダブルデートしよう!」って言ってきて』

「なにその連鎖地獄?」

 

上条君にしては妙な言葉を知っているものだ。

身から出た錆とは言うが、自らの首を絞めるさやかに同情すら浮かぶ。

冷静な判断が出来なかったのはしょうがない。

ただ、やっぱり上条君は地獄に堕ちればいいと思う。

 

「上条君がさやかに相談したのはわかるよ。幼馴染だし、異性だし。だけど、なんでそこで中沢君とか僕に相談しないのか」

 

初手でさやかに行った理由はわかるが、今回は悪手過ぎた。

 

『それも聞いたんだけどさ。……その、二人はそういう経験なさそうだからって』

 

–––上条君は地獄に堕ちればいいと思う。

 

「–––その件についてはまぁいい。事実だからね」

 

さやかの方が不憫過ぎて僕らは何も言うことがない。

 

「それで、相談っていうのはもしかして……」

『……うん。あたしの彼氏役をお願いしたいんだけど』

 

普段、彼女達をレンタルするレンタルサービスの逆、つまり僕がレンタルされる側になるらしい。

 

「その嘘秒でバレない?」

『多分ね。でも、引き下がるのもなんか嫌だし。お願いだよ、なんでも言うこと聞くから!』

「なんでもぉっ–––いたっ!?」

 

『なんでも』の辺りで佐倉に脚をつねられた。不機嫌そうな目で睨んでくる。別にえっちなことお願いしようとか考えてなんかないから。だからその刺すような視線をやめてほしいのだが。

 

『どしたの?』

「いや、気にしないでくれると助かる」

 

邪なことを考えるのはやめよう。

 

「それでデートはいつ?」

 

べったりとくっついてくる佐倉を軽くあしらいながら、詳細な情報を求めた。

 

 

 

 

 

 

ダブルデート決行日、朝八時に駅前でさやかと待ち合わせの予定だ。

それよりも早く着くのが良いとバイブル、もとい漫画に書いてあるので三十分前には駅前の銅像前に着いていた。

まだ朝の七時だというのに既に暑い。

集合場所を決めたのはいいが、そこは日陰ではなかった。

 

「あっちの日陰に行こう。そうしよう」

 

近くにあった植木のベンチに移動する。そこはビルの影よりも涼しく、家よりも快適であった。

 

「朝は木陰で涼むかなぁ……」

 

年寄臭いかもしれないがこれが結構いいのである。そうして時間を潰していると予定時刻の十分ほど前に、僕の元へ青いワンピースの少女が近寄ってきた。

 

「ごめん!お待たせー!」

 

驚いたことに、さやかだった。凄くおめかしをしているところを見るに気合を入れてきたって感じで。普段の姿とは違って、お淑やかという言葉が良く似合う。これがギャップ萌えってやつか。

 

「いや、今来たところ」

「あれ?杏子には七時には家を出たって聞いたんだけど」

 

テンプレじみたセリフは、杏子によって阻止されてしまった。

 

「ちょっと前に着いたんだよ(二十分前)」

「そっか。ならいいんだけど」

 

格好を気にしているのか、スカートの裾がひらひらと揺れる。

 

「これ変じゃない?」

「そうかな?凄く可愛いと思うけど」

「……」

「どうしたの急に押し黙って?」

「いや、なんていうか可愛いって面と向かって言われると照れるね」

 

誤魔化すように笑いながら、さやかは赤い顔でそっぽを向いた。

 

「それじゃあ、時間もないしそろそろ行こうか」

「……うん」

 

本当は作戦会議のために早めに集まったけれど、無粋な事を言うのも躊躇われるので僕は黙ってフォローに努めることにした。

 

 

 

 

 

 

今回デートで行くのは神浜市にあるという遊園地だ。上条君達とは午前十時に待ち合わせることになっている。早めに出た僕とさやかは神浜市を観光して周り、約束の三十分前には遊園地のゲート前に着いた。

 

「どうやら二人ともまだ来てないみたいだね」

「まぁ、二人ともしっかりしてるから時間きっかりにはくるんじゃない?」

 

心配こそしていないが、僕達が早めに来たのは理由がある。上条君がどんな対応で志筑さんをエスコートしているのか気になるのだ。イケメンだと思っていたが、思ったよりもリア充していない上条君がどんな風に彼女をエスコートしているのか。この機会に存分に見せてもらおうと思ったのだ。

 

「あら、もう着いていましたの?」

「おはよー仁美」

「おはよう志筑さん」

「いつからお待ちに?」

「仁美が来る十分前かな」

「さやかさんも楽しみで眠れなかったんですか?」

「うん。まぁ、そんなとこ」

 

予定時刻二十分前、最初に姿を現したのは志筑仁美だった。此方も清楚なワンピースでめかし込んでいる。他人のものとあって特に感想は浮かばなかった。しかし、早く来たのが待ち遠しくて、とは上条君には勿体無いほど可愛い彼女だ。

 

「僕が最後か」

 

満を辞してこの男は約束の五分前にやって来た。時間にきっちりしているところを褒めるべきか、此処は敢えてルーズになってもいいんじゃないかと諭すべきか、対応に困るところだ。長所は短所にもなる。

 

「しかし、このメンバーを見ていると一年前を思い出すな。二人ほど欠員が出ているが」

「まどかと中沢君の話?今回は趣旨が違うからね」

「二人も呼んでトリプルデートにするべきだったか?」

 

これ以上、人員を増やしたところで恋愛初心者な僕はどうしたらいいのだろうか。その辺は上条君も恋愛初心者のはずだ。付き合ったのだって志筑仁美が初めてらしいし(さやか情報)。

 

「やめとけやめとけ。正直、既にハードルはマックスまで上がってるから」

 

ただでさえ、デートという難易度が高い事をしているのにハードルを上げるとなると、多分誰も対応し切れなくなる。

 

「そうだな。じゃあ、早速行こうか」

 

デートもろくにしたことがない僕とさやかに、付き合い始めて一ヶ月も経っていないカップル、不安材料しかない。

早速、ゲートに向かい出した上条君と、そわそわと落ち着きがなかった志筑さん。しかし、志筑さんは軽い挨拶だけで何も言わずにゲートに向かう上条君を見て、悲しそうに肩を落とした。

どうやら服装を褒めて欲しかったらしく、その点について触れなかった上条君に何か言いたいことがあるのかもしれない。落ち込んだ様子で上条君を追い駆けていった。

 

「ねぇ、さやか。上条君が君の服装を褒めたことは?」

「ないね。一度も」

 

なんだか志筑さんが可哀想になって二人して同情めいた視線を彼女に送り、僕達もゲートを潜るべく二人を追って駆け出した。

 

 

 

チケット売り場でカップル割引の入場券を購入し、四人でゲートを潜る。まず初めにどうするか迷う前に受付で買ったパンフレットを手に内容を確認してみた。既に一度、ネットで調べてみたが定番の遊園地みたいなものしか置いていないが、とんでもないジェットコースターや夜はライトアップされる観覧車、パレードなどが人気なのだそうだ。そのどれもが一級品で他の都市にはないほど最新鋭らしく、〇〇初!という文字が目立つ。

 

まずはカップルの意見を聞いてみることにした。

 

「二人とも、何処行く?」

「そうですわね。コーヒーカップやメリーゴーランドなんてよろしいのでは?」

「全部回ればいいんじゃないか?」

「上条君、それは無理だよ。全部回るなんて何時間かかると思ってるのさ」

 

志筑さんは乙女チックで、上条君は割と脳筋で思考停止した回答を出してくれた。特に上条君はプランというものがなっていない。遊園地初心者みたいな発想である。

 

「効率的とまではいかないけど、行きたい場所を予め決めておこう」

 

既に僕はピックアップが済んでいる。観覧車、ジェットコースター、お化け屋敷、鏡の迷宮、あとは絶叫系アトラクション多数が外せない。

 

「あと昼食も時間帯によっては混むだろうし、予約しておいたから」

 

もちろん、三人の意見を基にだ。

三人とも一番人気のレストランをご所望だった。

 

「まずは絶叫系から回ってみようか」

 

開園してから間もない時間帯は待ち時間が短い。特にこの遊園地で有名なところは押さえておこうと、僕達はダブルデートを開始した。

 

 

 




マギレコの殲滅戦は無事にクリアしました。
薔薇園の魔女、チャレンジまで凄く苦労してパーティー組んだのにやけくそで鶴乃単体で組んだら一体でフルボッコにして。
ゴムの魔女は水着マミとマミの無限拘束ループ。
お菓子の魔女はまさらとまどかと究極まどかで寝フェリつけてスキル無効化してフルボッコ。
委員長の魔女?はウワサのさなで永遠に攻撃力下げ続けて一方的に。
ハコの魔女はバレなぎと眼鏡ほむら、みふゆ使ってギリギリ……。

微課金でも、メモリア揃ってキャラもないとやばかった。


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待ち時間が長い話。

 

 

 

誰しも思いつくデートスポットは“遊園地”や“水族館”、ショッピングモールでのウィンドウショッピング、それから映画館へのデートが挙げられる。定番と言えば定番で、無難な選択肢であるのがこの四つだろう。

ただ、定番とはいえ初心者に遊園地はお勧め出来ない。理由を一つ述べるなら待ち時間だ。遊園地は有名どころ、絶叫系のマシンや観覧車は必ずしも一時間待ち以上の長蛇の列が出来るし、その待ち時間を何もせずに過ごすのは苦痛でもある。特に問題があるとすれば会話が苦手な人には長時間の無言耐久を要求される。そして、最後に気をつけなければいけないのは、間違っても夏に屋外のテーマパークで遊んではいけない。

 

–––何故かって?

 

「暑い……」

「言うなよ。余計に暑くなるだろ……」

「本当、どうにかなりませんのこの暑さは」

「青葉ー、溶けそうだよー」

 

–––お嬢様とお坊ちゃんがこんな調子だからだ。

 

上条君が思っても口に出してはいけない言葉を吐き、共感した志筑さんが清々しいほどの嫌味を太陽に浴びせ、逆にさやかが夏の赤外線を一身に受けるこの状況、誰が予想できたであろうか。斯くいう僕も恋愛初心者で、志筑さんと上条君の提案である“遊園地”をデートコースとして受け入れたわけだが、そもそもこれが間違いであった。夏に遊園地は地獄だ。

 

「大丈夫、さやか?」

「あつーい。喉乾いたー」

 

こんな風にアイスのように溶けそうになっているさやかは僕に寄り掛かって全力で体重を預けて来ている。少しでも重心をずらそうものなら、さやか共々この長蛇の列でドミノ倒しが始まりそうであった。

 

「飲み物なら一応あるけど」

「ありがと」

 

肩掛けのバッグから取り出したペットボトルのレモンティーを受け取るや、さやかはすぐに蓋を開けて凄い勢いで飲み始める。一気にボトルの二分の一が無くなった。

 

「あぁー、生き返るー!」

「あ、あの、さやかさん……?」

 

何やら赤い顔でわなわなと震える志筑仁美。その指が差すのは、さやかが飲み掛けのペットボトルだ。

 

「えっと……それ、飲み掛けではありませんでした?」

「ん。そうだね」

「はしたないですわよ!と、殿方の飲み掛けを飲むなんて!」

「いやーでも切羽詰まってたし」

「それでも、か、間接キスなど……!」

 

さやかの無防備さに志筑さんは糾弾するも、さやかはあっけらかんと流してしまう。しかし、二本持っていたのに未開封のペットボトルを渡したかと思えば、未開封のペットボトルが鞄の中に眠っているこの状況、言わぬが花であろうか。特にさやかも気にした様子はないし、僕が気にするのもおかしなことだろう。

 

「ハレンチですわ!二木さんもそうは思いませんか!?」

「いや、僕は別に」

 

佐倉に飲み掛けのペットボトル奪われるのはよくあることだし、僕も佐倉の飲み掛けのジュースを貰うこともある。結局は飲み物がなくなって二人で買いに行くオチがついているが。

 

「佐倉とはよくあることだし」

「不貞ですわ!」

「佐倉とは家族みたいな感じだからね」

 

もちろん、女性としても見ているが。

 

「そういえば、さやかと二木は付き合っているんだよな?」

「ダブルデートしようって言ったのは上条君でしょ」

「いや、それはそうなんだが……なるほど。カップルにはそういう関係もあるんだな」

 

多少、訝しんだようだが上条君は僕とさやかの仲を認めたらしく、感心したように頷くと自らもペットボトルを取り出して志筑さんに手渡した。ちなみに、飲み掛けである。

 

「ほら、仁美も。熱中症になったら大変だ」

「あっ、うぅ……そ、その、私は遠慮いたします!」

 

志筑さんは真っ赤な顔で拒否した。これが普通の反応だ。

 

「それにしたってこの日差しどうにかなんないかなぁ」

 

それから四人で待ち時間をひたすら会話で潰していたが、ついにさやかは愚痴を漏らした。眉根に手を翳して日差しを遮り、難しそうな顔で太陽を睨む。

 

「帽子持ってこないからだよ。ほら」

「お?麦藁帽子?」

「ワンピースならこういうの似合うと思って買っておいたんだ」

 

雑誌で見つけた麦藁帽子を神浜市で探して買っておいて正解だった。よく雑誌で見掛けるモデルが被っていて、それで覚えていたのだが役に立ったようだ。

 

「あげるよ」

「んー、中々可愛いね。似合う?」

「そりゃあ、似合うと思って買ったんだから似合わないと困るよ」

「そう言われると照れ臭いからやめて」

 

帽子を眺め回したさやかが試しに被って似合う?と聞いてくる。その仕草が一々可愛くて、自分で聞いたくせに頰が赤くなっちゃうところとか、何故に上条君は惚れなかったのだろうか。

 

「上条君、逃がした魚は大きいよ」

「いきなり何の話だ?」

 

呆けた上条君はさておき、さやかは照れ臭いながらもお礼を言った。

 

「ありがと。大事にするね」

「せめて、この夏の間くらいはクローゼットの肥やしにしないでほしいかな」

「しないよ。絶対」

「でも、さやかはずぼらだからなぁ」

「あー、ひどーい」

 

お互いに戯れながらアトラクションの待ち時間を潰していた。そうしていれば、いつの間にか僕達の番が回って来ており、クルーの人達に誘導されて絶叫系のアトラクションに乗り込むのであった。

 

 

 

 

 

 

「あぁー、面白かったぁ!」

「……そうだね」

「でも、待ち時間に対して楽しいのは一瞬って遊園地って罪だよねぇ」

「それがいいんじゃないかな」

 

昼食までに二度ほど絶叫マシンに乗ったが、さやかはご満悦のようで笑顔でマシンを降りていた。さやか以外にも上条君と志筑さんも楽しんだようで、最初の頃の硬い表情がなくなって、次第に楽しそうな表情に変わっていった。

その足で僕達は予約していたレストランへ。案内された席で、このように感想を漏らしていた。

 

「……あれ?青葉は楽しくなかったの?っていうか、顔白くない?大丈夫?」

「大丈夫。楽しかったよ」

「それにしては口数が少ないよね。いつもより」

 

顔面蒼白らしい僕に気づいたさやかが心配そうな顔を向けてくるが、別に体調が悪くなったわけではないと一応の弁明をしておいた。

 

「体調が悪そうなら、少し休みますか?」

「そうだぞ。無理はするな」

「無理っていうか、なんていうか……」

 

二人まで心配してくれるのは有り難いが、だからこそ余計に視線を逸らさざるをえなかった。

 

「……実は、高いところとかダメなんだよね」

「「「え?」」」

 

三人が揃って意外そうな声を上げた。

 

「だからあんたジェットコースターが上に昇る時、高笑いしてたの!?」

「なんかもう笑えてきちゃって」

「どんなメンタルしてんのよ……」

「でも、あれはあれで楽しかったよ」

「ドMか!」

「僕がそうなったとしたら、大半はほむらのせいじゃないかな?」

 

軽く受け流しながらメニューを見る僕を見て、三人も呆れ返ったようにメニューを見始めた。ちなみに上条君と志筑さんが隣合うのは当然のことであり、僕の隣がさやかなのも必然だ。さやかと一緒にメニューを見ていると、彼女は困った顔で唸り始める。

 

「う〜ん、迷うなぁ」

「食べたいものある程度は決まった?」

「このスペシャルハンバーグプレートと夏野菜のパスタで悩んでるんだけど」

「じゃあ、パスタを普通サイズにしてこれを二人で分ける?」

「おぉー、ナイス提案!」

「上条君と志筑さんは決まった?」

 

二人も物珍しいメニューに悩んでいるみたいである。

 

「この星野菜のカレーというのはなんだ?」

「マジックスティックってなんですの?」

 

たまにあることだが、テーマパークなどでは商品の見本写真がついていない場合がある。だが、そうではなく、ちゃんと写真がついており二人は商品名に物申したいようだった。

 

「星型に切った野菜のカレーと野菜スティックじゃない?」

「なんでこんなわかり難い名前にするんだ?」

「そうですわね。私もおかしいと思います」

「そう言われてもなぁ……」

 

二人は納得のいかない顔で思案していた。

 

「そろそろ決まった?」

「ええ、私はパスタにしますわ」

「僕はハンバーガーセットだな」

 

悩み抜いたところ無難な商品に目をつけたようで、二人はそう言って面白みのない商品を名指した。カップルなら他にも頼むものがあったであろうに、本当に面白くない堅実なカップルである。

 

「–––はい。ご注文はお決まりでしょうか?」

 

備え付けの呼び出しボタンでレストラン専属のクルーを呼んで、僕は全員分のメニューを注文した。

 

「それとこのカップル限定夏色ラブリーソーダを二つ」

「ご注文を確認致します–––」

 

店員は噛むことなく数点の商品名を呪文のように唱えると、すぐに裏方へと引っ込んでいった。

後に残されたのはポカンと思考停止した三人。実に面白い絵面である。

 

「……そんなもの、誰が飲むんだ?」

 

一度、メニュー表を見たから当然三人は知っている。擦りおろしたチェリーやリンゴ、パイナップル、レモンをソーダでミックスした炭酸飲料であることを。しかし、問題なのはそこではなくデカイグラスに一本しかストローがないことだろうか。ただ、そのストローはハート型で二人で飲むカップル専用のメニューだ。

 

「それは決まってるでしょ」

 

ピースサインを両手で二組作り、片方で僕とさやか、上条君と志筑さんを指した。

 

「いや、でも流石にそれは……」

「お金のことなら安心して。僕が払うから」

 

最近は魔法少女レンタルサービスを利用していないからお小遣いなら余るくらいある。それを提供する代わりに、二人にはきゃっきゃっうふふな展開を見せてほしいとお願いしているだけだ。

 

「いや、そういうことではなくてだな……」

「カップルなら当然、できるよね?」

 

他人を疑わしげな目で見てくれたのだから、それくらい出来て当然だろうと二人を煽ってみる。

 

「や、やりますわよ、きょ、恭介さん!」

 

“カップル”という単語で簡単に志筑仁美が連れた。案外、ちょろい人間だった。男女間の距離感に疎いのか触発されて変にやる気を出しているようである。

 

「まぁ、仁美がやるっていうなら……」

 

上条君も彼女がやるって言っていて、拒否する気がなくなったようだ。

横から袖を引かれて、耳元にさやかが顔を近づける。

 

「えっと、青葉……正気?」

「ここでカップルだってところを見せなきゃ疑ったままじゃないか」

「それもそうなんだけど……」

「二人には僕達がカップルだってところを信じさせなきゃいけないんだろ」

「わかってるよ。まぁ、青葉の奢りだしね!」

 

タダで飲めるとあって、さやかも気にしなくなったようだ。

 

「–––お待たせしました」

 

程なくして注文した料理が運ばれてくる。パスタにハンバーガーセット、それとハンバーグのプレートだ。

 

「そして、此方がカップル限定夏色ラブリーソーダです」

 

最後に良い笑顔の店員が青と赤、黄色のコントラストが綺麗な飲み物を置いていく。写真の通りストローは一つ、それもハート型で見ているだけで南国気分が味わえる一品であった。

 

「さて、じゃあ飲もうか」

 

「食べようか」ではなく「飲もうか」、三人分の喉を鳴らす音が響く中、僕はストローの片側に口をつける。

 

「どうしたのさやか?」

「えっと……二人同時にストローを咥える意味はあるのかな〜なんて」

「じゃあ、上条君やる?」

「なんで僕がッ!?」

 

僕としてもBL展開はお断りだが、他に選択肢がなかったため仕方がない。志筑さんは他人の彼女だし遠慮してもろて。そう考えると残る選択肢は上条君しかない。

 

「それはなんか絵面的に嫌だからあたしが飲むよ……」

 

観念したさやかがもう片方の先端を咥える。

 

「どうしたのさやか?飲まないの?」

「……いや、なんかこれ、思ったより恥ずかしい」

 

正面にあるさやかの顔は真っ赤だ。

 

「早く飲まないと僕と永遠に息を交換することになるけど」

「なっ!?」

 

言うなれば間接キスより恥ずかしい事態で、その事実に気づいたさやかは耳まで真っ赤になって、ただ黙々とジュースを吸い始めた。

 

「というわけで二人もどうぞ」

「できるか!」

「できませんわ!」

 

結局、二つ目も僕とさやかが飲んだ。

 

 

 




ガチャ引いちまった……。
四周年、いいキャラ来たら課金不可避だなぁ。


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楽しい時間は終わりを告げる。

デート終盤です。


 

 

 

昼食を食べた後は軽いアトラクションで遊んだ。メリーゴーランド、コーヒーカップ、鏡の迷宮とメルヘンで可愛らしいエリアを抜けて次の目的地へ。今回のメインイベントの一つ、お化け屋敷だ。

外観は豪華な屋敷のようだが、中身は最新式の絡繰とシステムで組み込まれたお化けが驚かしてくれる人気どころだ。いつ何処からお化けが出てくるかわからないドキドキ感による吊橋効果で気になるあの子と急接近、がコンセプトらしく、カップルやカップル未満の男女の間でも人気で、このアトラクションがきっかけで恋愛が上手くいったというカップルも少なくない。

 

そのお化け屋敷の列に僕達は並んでいる。

 

「では、次の方どうぞ」

 

ようやく順番が回ってきたようだ。係員に促されて、僕達は屋敷の入口に前進する。扉を四人揃って潜り抜けたところで僕はさやかを抱き寄せて一歩下がった。

 

「–––それでは、ごゆっくりお楽しみください」

 

係員が扉を閉める。その直後、中から面白い声が聞こえてきた。

 

「さぁ、行こう仁美」

「待ってください恭介さん!二人がいませんわ!」

「何処に消えたんだ!?」

「そんな、さっきまで一緒にいましたのに!?」

 

僕は慌てふためく二人の声を聞いて声を抑えて笑った。ちょっとした悪戯に協力した係員もいい笑顔だ。そんな係員と意気投合していると、スパンと頭を叩かれる。

 

「何やってるんだか」

「えー、だってその方が面白いじゃん」

「まぁ、二人もお化け屋敷じゃなくて青葉に驚かされることになるとは思ってなかっただろうね」

 

さやかは呆れたように言って、力なく笑う。

ただ、僕の言い分も聞いて欲しいのだ。

 

「それにさ、こういうのってグループで行ってもつまらないでしょ」

「それもそっか」

 

納得したところで再び扉が開いた。

 

「–––それではどうぞお気をつけて」

 

係員に促されるまま前に進むと背後で扉が閉まる。既に上条君と志筑さんの姿はなく、先に進んでいるようだった。

 

「へぇー、こんな風になってるんだ」

「意外に本格的だね」

 

扉が開いた時にわかっていたことだが通路は薄暗い。もやしを栽培するための暗所に燭台の灯のみの明かりが夜の潰れた洋館を彷彿とさせるイメージを湧き上がらせた。

辛うじて物の輪郭は見えるものの隣にいる人の存在すら闇に消えそうで、音もなければ光もない、心理的なドキドキ感が僕達を襲う。

 

「さやか」

「ん、どうしたの青葉?」

「はぐれるかもしれないし手を繋ごっか」

「……うん」

 

差し出した手に、戸惑いながらもさやかは応じて手を乗せてきた。ぎこちない繋ぎ方をされたので指を絡める恋人繋ぎにすると、さやかは少しびっくりした様子だったが、握り返して誤魔化すように笑う。

 

「あはは、なんかこれも恥ずかしいね」

 

–––その顔は、暗闇でもわかるくらい真っ赤だった。

 

手を繋ぎながら二人で暗いエントランスを進んで行く。ピアノの音が鳴ったり、燭台が揺れていたり、椅子が倒れたり、様々な要素が僕達を襲うがそれまでのこと。割とこういうのはさやかも得意らしく驚く様子がない。その代わりに、前方から志筑さんと上条君の悲鳴と思われる声が聞こえてきて、二人して笑っている始末だ。

 

「あの二人は楽しんでるねー」

「そうだね。これじゃあ僕達、ただデートしてるだけだね」

「んー、まぁいいんじゃない。楽しいし」

 

時折、驚かせてくるお化け達を観ながら、さやかは感想を漏らした。

 

「二人きりってのも悪くないしね」

「そうだね。あの二人を二人きりにしてみたけど、それって逆に言えば僕達も二人きりってことだよね」

「おやー?青葉はこんな暗がりにさやかちゃんを連れ込んで何する気だったのかな?」

「んー、キスとか?」

 

今なら誰も見ていない。するなら今しかない。そんな悪魔の言葉が僕の耳朶を打つ。

 

「……なんてね、冗談だよ」

「……そ、そっか。冗談か……びっくりしたぁ〜」

 

多分、みんな気づいていることだ。さやかはまだ上条君に少し未練がある。そこに少し嫉妬したし、忘れさせてやりたいとも思った。けど、今の僕が前にもさやかが言ったように無理矢理キスして意識を全て僕に向けさせたとして、その責任を取らないのならそんなことするべきではないと思うのだ。

 

今日、さやかを可愛いと思ったのは一度や二度じゃないけれど、それが恋愛感情なのかどうかはまだわからない。可愛いや綺麗なら、他のみんなにも言えることだし。

 

「それより早く行こう。出口はもうすぐの筈だし」

「そ、そうだね。行こう行こう!」

 

–––ガシャン!!!!

 

「きゃあ!?」

 

気を取り直して、二人でお化け屋敷を進もうとしたところで何か重いものが落ちた音が響いた。振り返るとそこにあったのは騎士甲冑の頭の部分が転がっている姿。

 

「な、なんだ……物が落ちた音か……」

 

此処に来て初めて驚いたさやか。ただ、彼女は僕に抱き着いており背中に回された腕が僕を拘束して離さない。取り敢えず、そのまま僕もさやかの背中に腕を回して優しく撫でておく。

 

「さやか、それはいいんだけどこれだと歩けない」

「ご、ごめん!」

 

名残惜しかったが、さやかは超特急で離れた。

 

「あ。あそこにある光って……」

「出口じゃない?」

 

回廊を抜けた先に明かりが漏れている。

そこを抜けると、青々とした空と夏の日差しに戻された。

出口は屋敷の中庭だったようで、その庭園のベンチに先に行った二人が座っていた。

上条君と志筑さんはぐったりしていた。

 

「二人とも楽しかった?」

「楽しいもんか。絵画から腕が飛び出してきたり」

「棺桶がガタガタ揺れた時はもうダメかと思いましたわ」

 

あったあったそういうの。あの二人は何で驚いたのか二人で話してたら割と面白かったやつ。まぁ、そのおかげでさやかは冷静にお化け屋敷を楽しんだとも言える。遠くから『なんですの!?なんですの!?』って焦った悲鳴が聞こえた時は、楽しんでるねーなんて言ってさやかと笑ったものだ。

 

「もう一周行く?」

「「行かないっ!!」」

 

全力で拒否された。

 

 

 

 

 

 

それからも四人で遊び倒し、好評だった絶叫系アトラクションにファストパスを使って乗り、と楽しい時間を過ごしていると時間は早いもので時計は午後の六時を指していた。

 

「青葉、大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。さやかの膝枕のおかげで元気だよ」

 

そんな時間に何をしているかというと、絶叫系のコースター等を乗り回した影響で僕はグロッキーになっており、後もう少しで日も沈み始めるかという園内のベンチでさやかに膝枕をしてもらっていた。

上条君と志筑さんは適当な理由をつけて送り出している。ダブルデートで一緒に行動するのもいいけれど、こうやって二人の時間を作るのもいいかと思ったからだ。

 

「あたしの膝枕にそんな価値があったとは意外だね」

「少なくとも志筑さんの膝枕よりは価値あるよ」

 

そう言ってさやかの膝枕を堪能するように頭をぐりぐりと押し付けると、さやかは顔を真っ赤にして僕の頭を押さえつける。

 

「こら、暴れるな」

「いや、実に感触がいいもので」

 

ともあれ、時間はもうあまりない。名残惜しいが膝枕はこれくらいにして上半身を起こす。

 

「もういいの?」

「欲を言えばもっとしてもらいたい」

「あはは……素直だねぇ」

「まぁ、これはまたの機会にしてもらうことにして。最後に乗りたいものがあるんだ」

「はいはい、何処までもついていきますとも」

 

ベンチから立ち上がると手を差し出す。さやかはその手を少し躊躇いながらも取って、お化け屋敷でやったように恋人繋ぎにした。今の時間だけはさやかは恋人だ。

そんな恋人さんを連れて遠くからも見える巨大なそれに近づく。

 

「観覧車だ」

「デートの定番といったらこれだよね」

「青葉はわかってるなー。二人は乗ったかな?」

「志筑さんが好きそうだし、もう乗ってると思うよ」

 

観覧車に乗ろうとする列にはカップルが多い。最後尾から見ても家族連れなんて殆どいなかった。

 

「青葉はいいの?無理してない?」

「何が?」

「高いところダメなんでしょ」

「そうだけど。……僕は外の景色を見ずにさやかを楽しんでおくことにするよ」

 

見なければ平気とはいかないが、まだ目を逸らしているだけマシだ。そう言い聞かせて、僕はこの列に並んでいるのだ。

 

「……あたし、青葉のそういうところ好きだよ」

 

それがどういう意味だったのか聞こうとさやかの方を見たところ、すぐに僕らの順番が回って来た。

 

「はい。次の方どうぞ」

 

押されるままに降りて来た観覧車に乗せられる。

 

「–––それでは、ごゆっくり」

 

カップルだと気づくやいい笑顔で係員は押し出してくれる。観覧車に二人きりにしてくれたところで、扉が閉められた。お互いに向かい合うように座って、ただ無言の時を過ごす。

 

何故だか、喋ってはいけない空気が流れていた。

 

さやかは沈み行く夕陽を眺めて物憂げな表情、その姿が何処か引き寄せられるくらいに可愛かった。ずっと見つめていたいと思うほどに、今日の彼女は綺麗で–––。

 

「あ、見てみて青葉、あっち見滝原じゃない」

 

そんなはしゃいだ様子の声に僕は現実に引き戻された。

もう頂点に到達したようだ。

 

「此処からは見えないよ」

「見てないくせによく言うねー?」

 

さやかは観覧車の窓から外を眺めていたが、僕の方に振り返ると楽しそうに喋りかけてくる。

 

「見滝原と神浜市は結構離れてるんだし、地理的に無理じゃないかなぁと」

「でも、あっちにあるって思うとなんか楽しくない?」

「楽しくないです」

「ほらほら、青葉も見てみなよ」

「拒否してもいいですか?」

「ダメに決まってるじゃん」

「さやかの鬼!」

 

微動だにしない僕を突いて外を見せようとしてくる。僕は全力で抵抗して、外を見まいと頑なに座席から離れようとはしなかった。振り返ることもなく、観覧車の床を見る。

 

「–––ちょっと待ってさやかこっちに来るんじゃない!」

「どうして?」

「傾くかもしれないだろ!」

「必死か!」

 

さやかはにやにやと笑ってこっちに来る。動けない僕の隣に座った。

 

「その弱点は意外だったけどさ。青葉のそういうところもあたしは好き」

 

そんな、告白じみた言葉の後で。チュッと柔らかくて温かい感覚が頰に触れた。夕陽が差し込む観覧車の中で、微笑むさやかの顔は夕陽に染まって赤くなっていた。

 

「え……?」

「今日のお礼。他のみんなには内緒ね。……じゃないと、ちょっと面倒なことになるから」

 

確かに面倒なことにはなるけども!

 

「–––というかさやかさんお願いですから戻って!席に!」

「とか言いつつ、あたしを掴んで離さないよね」

「これは条件反射だから!」

 

僕達が乗っているゴンドラがゆっくりと下りていくのがわかる。僕は完全にゴンドラが下りるまで、硬直したままさやかの手を握っていた。

 

「–––お疲れ様でした。足元にお気をつけて降りてください」

 

その地獄もようやく終わる、というところで。

 

「すみません。もう一周いいですか?」

「お願いだから降ろしてさやか!」

 

何かに目覚めたさやかに僕は必死に懇願するのだった。

 




元の目的を忘れて楽しむ二人……。


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