悪役令嬢は百合したい (猫毛布)
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00.備忘録+頂いた絵など

あっさり風味のキャラ紹介とかなんとか。
足りない、とかあったらご意見ください。生やします。ちんちんみたいなもんです。

挿絵関係もこちらに移してます。


主要

 

シリウス・シルベスタ

王様

 

アルタイル・シルベスタ

第一王子。現在療養の為に王都にはいない。

 

リゲル・シルベスタ

第二王子。読者の手のひらを回転させる達人。

 

スピカ・シルベスタ

第二王女。天使。S。攻め。天使。ヤンデレ(支配型)。

 

 

アンビシオ・イワル

公爵。笑顔が素敵。

 

シャリィ・オーべ(シャリーティア)

主人公の魔法の先生。ハーフエルフ。合法ロリ。

 

レーゲン・シュタール

リゲルお付きの騎士。強い。

 

アサヒ・ベーレント

リゲルの恋人。転移者。原作(存在しない)主人公。

 

 

 

クラウス・ゲイルディア

主人公父。悪人顔。巻き込まれ体質。

 

イザベラ・ゲイルディア

主人公母。悪の女幹部。

 

ディーナ・ゲイルディア

主人公。受け。受けッ!! 現在異色瞳で魔力が見える。眼鏡か眼帯着用。

 元々リゲルの婚約者で悪役令嬢された。悪役令嬢(動詞

 

アレク・ゲイルディア

主人公弟。ちょっと反抗期。

 

リヒター

ゲイルディアの執事長。

 

アマリナ

主人公付きメイド奴隷。褐色。ヘリオの妹。ヤンデレ(共依存型)。

 

ヘリオ

主人公付き騎士奴隷。褐色。アマリナの兄。だいたい主人公に面倒事を頼まれる苦労人枠。結構強い。

 

フィア

元孤児。足が悪く車椅子。頭がとてもいい。

 

レイ

元孤児。フィアの親友。頭はそれほど良くない。

 

ベガ

主人公の部下。だいたいなんでも出来る。

 

 

リヨース

エルフの騎士。くっころ。

 

 

 

                  】

 

 

ゲビス

奴隷商。アマリナとヘリオを売っていた。

 

ボーグル

商人。堂々と盗品を売り捌いてる。裏の愉悦部。

 

モラン

ボーグル商店の売り子。

 

ヴァリーニ

貴族。子爵。

 

 

 

 

エフィ

エルフの長。ハイエルフ。元勇者の仲間。シャリィの母。巨乳。デカイ。

 

サトウ

勇者で初代国王。転移者。

 

 

 

 

ヤンデレとか書かれているのはヒロインです。ヒロインなんです(半ギレ

 

 

挿絵というか戴き物のご紹介とか。

 

 

お竹さん先生(Twitter:@taketi)

 

 

【挿絵表示】

 

ディーナ様!!

 

【挿絵表示】

 

眼鏡の差分もあるぞ! 当たり前だよなぁ!!!

 

 

 

【挿絵表示】

 

アマリナ!! クッソエモイことにディーナ様のドレスと同じ色のタイをしてるんだゼ!!!(お竹さん案

 

 

【挿絵表示】

 

スピカ様!! 天使!!! 好き!!!

 

 

【挿絵表示】

 

レイ!! 見てくれこの生意気具合をよぉ!!!

ホント好き!!

 

 

鳩先生(Twitter:@HatoIRASUT)

 

【挿絵表示】

 

ディーナ様+あまりな!

ディーナ様も良きだし、アマリナがあまりなでぽんぽんしててとても可愛い。好き……!!

 

 

 

 



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01.悪役令嬢は百合したい

 こういった始まりでよくある話だけれど、人を助ける為にトラックに轢かれた訳じゃない。神様に好かれる様な事もしてないし、何よりも神様なんて信じてない。何かしらの善行を積んだ訳でもないし、逆に悪行を果たした訳でもない。

 

 人生に満足していなかった、という項目には当てはまるかも知れないけれど、それでも妥協と諦めの上での人生としてはそこそこに満足していた。

 

 異世界に憧れていた。この項目にもチェックが入る。妥協と諦めを基盤にして現実に生きていたのだから、妄想ぐらいしても当然だと思う。それこそ、男の夢のように、美人に囲まれてハーレムしたいだとか、エルフの嫁を貰って怠惰に生きるとか、剣と魔法の世界で勇者に成るだとか。まあ勇者なんて真っ平ゴメンだなぁ、と思うのも俺であったけれど。

 一般常識をそこそこに、嗜み程度に……いや、それなりに、人に言えない程度にはサブカルチャーと呼ばれるべきモノに漬け込まれている。それは自覚している。だからこそ、こうした展開を正しく、或いは間違って理解している。納得はしていないけれど。

 

 俺が納得してなくても時間は経過する。どうやらここでもその理屈は通用するらしい。HAHAHA、はぁ……。

 

 転生しました。

 

 

 

 

 王歴163年。俺が生まれて三年の時が過ぎた。果たしてどうして俺なんかが転生したのか、さっぱり分からないまま三年も過ぎてしまった訳である。

 フローチャートの様に神様から「世界を救え」などと言われる転生は実に羨ましい。尤も、世界を救え、などと勇者のような役割を与えられるなど他の誰かに譲ってしまいたくも思うけど。

 

 天蓋付きのベッドで目を覚ます事にも随分慣れてしまった。それなりの、というよりも恵まれた生い立ちだ。孤児という訳でもなく、奴隷でもなく、むしろ真逆の貴族だ。

 ゲイルディア侯爵。その家系に現在の俺の名前が連なっている。ここ三年間で――いまいち動きの無かった幼少期を省いて二年程――俺は現在いる世界の事を学んだ。それはもう頑張った。

 

 異国からやってきた勇者を王として作られたのが現在のシルベスタ王国である。寝物語として語られるソレを聞いて俺は顔を引き攣らせたモノである。

 今となっては戦争らしい戦争は起きていないそうだが、そもそもシルベスタ王国自体がかなりの軍事国家であったらしく爵位もソレに連ねて与えられたらしい。

 果たして戦記モノを寝物語として聞いた俺の気持ちをご理解頂けたと思う。

 

 そこからは戦争が怖すぎて、とにかく調べた。結果として現在は安定している事が判明したし、どうやら諸外国とは停戦協定を結んでいるらしい事も判明した。

 幸いな事に科学はそれほど進歩しておらず銃もない。ただ、それを悪く言えば医療技術があまり発展していないという事だ。

 医療技術が発展しなかった理由もある。魔法だ。傷を治す、体調を整える。そんな効果の魔法があるのならば医療がそれ程発展していない事も納得出来る。

 尤も、魔法技術に関してはよくわからない。なんせ歴史ばかり調べていたのだ。どういった原理で魔法という現象が行使されているかなんて知れる訳がない。

 

 ともあれ、そんな世界なのだ。殺伐とはしていないものの、世界的に裕福ではない。前世でもある現代が世界的に裕福かと聞かれれば俺は言葉を迷うしか無いのだが。

 かくして前世の知識がどの程度役に立つかは分からない。むしろ前世に役に立つような知識はあるのだろうか……無い気がする。

 極々一般的な社畜だったのだ。キーボードを打つ事はあっても、銃を撃つ事は無い。銃は無いけど。

 

 ノックの音が聞こえ、俺は欠伸をしながら声を出す。開かれた扉からメイドが入り、俺に対して軽く頭を下げる。コレにも既に慣れてしまった。

 何よりメイドが俺の知っている平均水準よりも整った顔立ちをしているのが素晴らしい。実に、素晴らしい。

 そんな可愛い顔のメイドは頭を上げて俺に微笑み朝の挨拶をする。

 

「おはようございます、ディーナお嬢様」

 

 そして未だに慣れない敬称を付けられるのだ。

 ディーナ・ゲイルディア。侯爵令嬢である俺の名前だ。

 

 

 

 

 

 彫りの深い厳しい顔の偉丈夫がいる。服の上からでも分かる筋肉と蓄えた髭が余計にその男の威圧感を増やしている。灰銀の髪を短く刈り上げた男はまるで鷹の如く鋭い青の瞳を細めつつ頭を抱えつつも口角を歪め笑う。

 その男の前には美女がいた。まるで氷をそのまま人にしたような印象の美女。金色の髪を纏め上げ、冷たさを覚えるような美貌に冷徹にも思える笑みを浮かべている。

 額縁に収めることが出来たならば『悪』と付けられるであろう二人を見て、俺は何処か諦めたように笑う。

 

「おはようございます。お父様、お母様」

「おぉお。ディーナ、おはよう」

「おはよう、ディーナ。今日も可愛いわね」

「ありがとうございます」

 

 悪役が似合いそうなこの男女こそ今世の俺の両親である。RPGで言うのならばラスボスの重鎮であろうこの悪の夫婦こそ……我が両親なのだ。

 そんな二人と遺伝子レベルで直結な俺がゆるふわ系のタレ目少女である訳がない。隔世遺伝? お祖父様とお祖母様は裏ボスでした。

 生まれてお母様を見た時は「これが美女か」と嬉しさのあまり泣いたけれど、お父様を見た瞬間に号泣した俺は悪くない。

 

「おはよーございます、おとーさま、おかーさま」

「アレクも起きたか」

「あらあら、今日は早起きね」

 

 舌足らずな声を出して挨拶をする灰銀の髪をした少年。俺の実弟、アレクである。

 幼さの残る実に愛らしいショタだ。目に入れても痛くない、というのはきっとこういう事を言うのだろう。間違いない。

 

「おはよう、アレク」

「おはよーございます、おねーさま」

「ちゃんと挨拶が出来て偉いな」

 

 あと可愛いなぁ。と心の中で付け足してアレクの頭を撫でる。何だこの髪……サラサラじゃねぇか。

 こんな可愛いショタでも将来はお父様のように悪役顔になってしまうのだろうか……。いや、お母様の血の方が濃い筈だ。

 

「ディーナはアレクの事が大好きね」

「娘に嫉妬か、イザベラ」

「クラウスの子供の頃もアレク程可愛かったのに」

「……なんだ、今の私は嫌いか?」

「あら、なんなら今から確認します?」

 

 朝食の席で何言ってるんですかね。

 ともかくとして、この悪役が似合いすぎる二人は良き夫婦であるし、良き両親である。それが領民にとって良き領主であるかは判断が出来ないし、俺の人物鑑定眼なんて普通なのだから当てになりもしない。

 

 

 貴族の娘、というのは存外にやることが多い。俺が知的好奇心に負けてアレやコレやと調べているのも主な原因なのだろうけれど。

 果たして、転生してしまった俺の役割とは何なのだろうか。特別でもない俺が何かしらの役割を与えられている――と感じてしまうのも因果的だろう。

 一度しかない人生……と言っても二度目になる人生だけれど、好き勝手に生きても問題ないかも知れない。それこそ貴族だし、美女とダンディを形にしたような両親の娘だし。鏡で見た俺は美幼女と言って過言ではないのだ。そして俺は未だに男としての嗜好を抱いている。

 

 

 なるほど、百合ハーレムか。

 誰も居ない所で頷いた俺の決意を知るのはそれこそ俺だけなのだ。

 可愛い女の子とイチャイチャしたい、と思うのは悪い事なのだろうか。

 神様、教えてください。

 

 ……あと出来れば転生主人公みたいにチャートを下さい。



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02.悪役令嬢は魔法を使いたい

 魔法と聞いて心が躍らない訳がなかった。当然である。魔法という言葉だけで男はいつだって瞳を輝かせる事ができるのだ。

 一度だけでも「僕は魔法使いなんだ」とか言いたいものである。尤も、この世界では魔法使いがそれなりに存在するらしいので、魔法使いを自称した所であっさりとした反応をされるだろう。

 そんな俺が魔法を学ぼうとするのは当然の結果であり、ありがたい事に貴族である我が家には蔵書がそれなりにあり、そしてその中に魔法関係の本もあった。あるにはあったのだが。

 

 

 読んでいた本を閉じて溜め息を吐き出す。学問としての本を求めている自分にとってこの偉人らしき魔法使いが尊大に自己の素晴らしさを耽美に飾った文章群を読むのは辛い。いいや、確かに読み終わりはした、目の滑る偉業の数々に眉間を寄せながら、全くもって無意味な時間を過ごしたと……ああ、いや、文字を学ぶという事に関しては実に有意義な時間であった。それ以上の価値はない時間でもあったが。

 魔法の秘匿、という事を最初に考えた。あまりにもここに存在する魔法の教本が似たような、まるで物語宜しくな、いかに自分という魔法使いが素晴らしいのかを綴った物が多すぎたからだ。

 魔法の秘匿であったのならば、この無意味の本塔はまさしく錬金術師のメモのようなものなのかも知れない。まだ料理のレシピであったならばその謎解きに俺は躍起になっただろう。

 

 魔法の基礎的な部分を理解していない事は確かだ。体内に存在する魔力という物が俺には理解できていない。それはディーナとして生きているにも関わらず『俺』という部分が邪魔をしているのだろう。

 こういう時、よくある転生者はあっさりと自身の中に違和感を覚えて「なるほど! これが魔力なんだ!」とか言ってのけるのだけれど、さっぱり俺にはその兆候はない。

 いくら自身の中へと集中した所でそれはさっぱり感じない。違和感などない。流れる何かや、宙に何かを感じる訳でもなく、両手を向かい合わせた所でその中空に何かが浮かぶわけでもない。魔法ってなんだよ……、魔力ってどんなのだよ!

 それでも俺が魔法を求めてしまうのは魔法という魅力に取り憑かれてしまっているからだろう。魔法って言うのはね……夢みたいなもんなんだよ。だからこそ追い求めてしまう。この自尊心をインクにした文章だって読もう。読んでやろう。読んでやったぞ。ちくしょうめ。

 いくら読んだ所で自尊心や矜持以外にはこの魔法使い殿の偉業しか頭の中に入ってこない。使われた魔法の名称はあるけれど、それだけだ。どのような法則で、どのような理論で、どのような過程を経て、結果が出力されているのかはわからない。つまり、俺の、欲しい所が、ないって事だ!

 本を投げつけたい気持ちをグッと抑える。癇癪を起こすほど子供ではない。子供だけれど、俺はお嬢様であり、誇り高きゲイルディアの娘である。

 

「……そう、私はゲイルディアの娘なのよ」

 

 口から漏れた言葉と同時に口元が釣り上がる。なんて簡単な事に気付かなかったのだろうか。そう、俺は貴族令嬢なのだ。それも侯爵家である。この地位を使わずにどうする。

 そうと決まれば今まで読んだ本の塔にも意味が出てくる。その中の一冊。尤も、そこに出てくる自尊心の持ち主ではなく、そのバーターとして登場した偏屈で嫌味な()

 

 あとは接点ができるかどうかである。いいや、接点など作ればいい。それだけの力が私の家名にはある。あると思う。あると信じてる。頼む。俺はこんな自尊心の塊のオッサンに教えられたくない。できれば美人なお姉さんに教えてもらいたいんだ。手取り足取り、教わりたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はじめまして、ディーナお嬢様。私はシャリィ・オーベと言います」

 

 自分の猫なで声に嫌気がさして数週間。我が父は俺の願いを叶えてくれた。果たして、どのようにして目の前の女性をこの場に呼んだかは俺にはさっぱりわからない。なんで顔が真っ青なんですかね……。

 確かに魔法を学びたい事とどうしてもシャリィ・オーベという人物から学びたい事を父に言った。言ったよ。それこそ猫なで声で言ったさ。お父様は我が子には甘いのである。同時に厳しくもあるけれど。

 何? 実は政敵だったのだろうか? いいや、あの自尊心が綴られた文章から彼女が男爵の位であるが、魔法の研鑽に没頭している筈だ。ものの見事に厭味ったらしい文章で紹介されていたのだから、そうなのだろう。

 

「はじめまして。シャリィ・オーベ様。ご気分が優れないようですが……」

「ああ、いえ、その……長く馬車に揺られていたので」

 

 まるで売られた家畜の気分でした。と小さく漏れた言葉は聞かなかったことにしよう。うん。外聞は知らないけれど、きっと我がゲイルディア家に招かれて地位の差に緊張しているのでしょう。そういう事にしよう!

 と言っても、こちらは所詮三歳の少女である。そんなに緊張されても困る。シャリィにしてみれば「魔法の教育者」として呼ばれたが蓋を開けてみれば「子守」である現実の差もあるだろう。けれど俺にはそれほど時間がないのだ。無いことはないけれど、俺は百合ハーレムの為に頑張ると決断しているのだ。

 だからこそ、俺は目の前にいるシャリィに魔法を学びたい。コレは真摯な気持ちだ。下心もあるけれど。

 

「オーベ様はどのような魔法が扱えるんですか?」

「……ええ、そうですね。私が扱う属性は……水が主ですね」

「まあ! 先生、嘘はいけませんわ」

 

 俺の言葉にピクリとオーベが反応する。三歳と侮る事なかれ、中身はオッサンだぞ。それにこの無意味な塊をまるで錬金術のレシピの如く読破してしまった人間でもあるんだぞ。

 自尊心の塊を見せてやれば、シャリィは顔を見事に顰めてしまった。せめてもう少し隠してほしかった。

 

「この本にはオーベ様が――」

「その中に私が書かれているようですが、()()()()に私は嫌味で偏屈な存在ですので――」

「では、本当に属性魔法のすべてが扱えるのですね」

「……」

 

 そう、目の前のシャリィという人物だが紛れもない天才である。魔法の天才なのである。尤も、彼女自身は本など一切出していないし、この本の中に登場したのも見事に数行である。その数行の中に如何にこの女が狂った研究をしているかが書かれているのだ。

 シャリィは目を見開いて、細めて俺を観察する。どうやらようやく俺を見てくれたようである。

 

「たった数行ではさっぱりわかりませんが、他の本では属性魔法というのは各個人によって定められているとのことでしたが……」

「何を馬鹿な。確かに各個人により属性魔法の得意不得意はありますが定められているという事はありません。確かに現在魔法を扱う者が単一、或いは二重属性を扱い、それに属性を定めて研鑽するのは正しい姿であるように思えます。けれどその研鑽方法も魔力と思考能力、想像力に重点を置いた非効率極まりない方法であることはご存知でしょう? ならば効率的な方法とは何か、そもそも魔法とは何か、魔力とは、それらに疑問すら持てずに他人をこき下ろし、自身の栄誉と功績に腰を落ち着けた愚鈍な魔法使いにはわからないでしょう。ええ、そう、理解などできるわけがない。魔法式も世界への通貨も何もかもがわかろう筈がない。現に私は魔法式を知り、扱い、故に大凡全ての属性を扱えるというのにそれを私がハーフエルフだという理由だけで否定したあの馬鹿達には――」

 

 苛立たしげに、そして自身の理論が如何に正しいかを早口で延々と吐き出す彼女を見ながら俺はどこか懐かしさを感じてしまう。いや、こういった学術的な事に対して親しみを持つ程俺は知性を持ち合わせていなかったが、同時にこれだけ好きな事をまあ飽きる事もなく延々と喋り続けてしまう存在はよく知っている。

 悲しい事に、いつだって気付くのは延々と好きな事を喋り終わってから相手の反応を見てからなのだ。よく、知っている。悲しいことに。

 

 しかし、ハーフエルフか。女性に魔法を手取り足取り教わりたいという実に下心だらけの願いであったけれど、思わぬ利点であった。つまり、目の前にいる彼女は俺が大人のレディになっても目の前の姿であるのかもしれない。

 淡い金色の髪に少女よりも少し年を帯びた童顔と身長。慎ましい胸もまたそのおさな……若さを印象づけるものなのだろう。うん、実に、良い。

 記憶のドコかに存在していた嗜虐心が擽られるが、今の俺にそれは必要ない。今は力を蓄えなければいけない。

 

 延々と喋り続ける魔法がようやく解けたのか、シャリィは息を整えて、用意されていた紅茶に口をつける。そしてようやく落ち着いたのか、見事なまでに感情的でありながらも学術的で専門的な発言を延々としてしまっていた事に気付く。

 手に取るようにシャリィの気持ちがわかってしまう。確かに好きなことは喋り続けちゃうよな。それで引かれるんだよな。わかるよ。特有の早口とか散々揶揄されたからな。でも喋ってる時は気持ちいいもんな。相手がわからなくても、喋ってしまうんだよな。わかるよ。わかる……。

 だからこそ、俺はシャリィの為にニッコリと笑みを浮かべる。

 

「なるほど。専門的な事はよくわかりませんでしたが、その……魔法式? でしたか、それを学べばよろしいのですね?」

「……」

「えっと、オーベ様?」

 

 目を見開いて停止したシャリィを見つめる。おいおい、たぶん、恐らく好かれるだろう発言をしたんだけど、間違ってたか? いいや、合っている筈だ。俺の経験に基づいた発言だ。……うっ……ぐす。

 シャリィは瞼を閉じて、仕切り直すように目を緩りと開いた。

 

「ああ、いえ。そうですね。家名で呼ばれ馴れてませんので、シャリィで構いません」

「わかりましたわ、シャリィ先生」

「先生。そう、先生です。ええ、ええ、そうです」

 

 先生と一言言った途端ニヤける顔すら隠す事なくシャリィは何度も「シャリィ先生」と呟いてる。ちょっとだけ不安になってきた。いいや、それでも傲慢で文字を書いている世の魔法使い殿よりはマシな筈だ。たぶん、きっと。

 いや……ホント、頼むぞ……。



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03.魔法使いは逃げ出したい

 まるで売られた家畜の気持ちであった。

 シャリィ・オーベ准男爵は少しばかり豪華な馬車の中でそう感じていた。果たして自身の何が悪かったのだろうか。自分はただ魔法の研鑽を積み重ね、それが現在の王に気に入られてこうして貴族の称号も得た外聞的に変人である。

 その変人が政治的に何かをする訳でもない。王命をせっせと熟して、残りは好き勝手に研究へと没頭したいというのがシャリィ自身の気持ちであった。

 けれども、なんだこの状況は。

 あの悪名高きゲイルディア侯爵に呼び出された。一体私が何をした。直接問いただしてやりたい。いいや、そんな事をすれば胴体と頭は首という架け橋を壊されて永遠の別れを言い渡されるだろう。それも、秘密裏に。

 私を恨む同じ貴族達か? いいや、そんな事をした所で何の意味があるというのだ。いいや、意味の無い事をしてくる馬鹿共だと思っていたけれど、まさか、そんな、ここまで盛大に権力を用いて潰してくるにしてもゲイルディアを使うとは思えない。思いたくない。

 そもそも私とゲイルディア家の繋がりなんて無い。私の血族とゲイルディアの血族がまったく繋がっていない。親しみすらない。というか、あんな悪名高い貴族様とお近づきになりたくない。

 それほど社交界に興味のない私だってゲイルディアの悪名は耳にしている。それこそ王に歯向かう事はないけれど、裏では相当に汚い事をしているらしい。噂では、全ての悪事に関してゲイルディアが関わっているとか。何を大げさな、と幾つか調べてみようとしたけれど、その全ての資料はものの見事に無く、多少繋がりのある貴族に聞いた所で返ってくる答えは「やめてくれ」である。

 それらの噂と貴族の反応からして、悪名の大半は正しい事なのかもしれない。そのゲイルディアにどうして私が向かわなくてはならないのか。

 なんだ、この状況は。

 

 

 

 

 

 果たして馬車が到着したのは見事なまでの邸宅である。私が保有している自宅兼研究所と比べる事すら烏滸がましいだろう。

 羽織っていたローブの裾を正す。ここまで緊張したのは何年ぶりであろうか。近頃は無かった感覚だ。この先に死刑台に向かう時にきっとまた味わうことになるだろう。

 大きく呼吸をして意識をしっかり保つ。逃げたい。二日程離れた研究室が既に恋しい。研究資料に埋もれていたい。

 そんなシャリィの思いなど一切無視される事はシャリィ自身が理解している事だ。自身で断れない事であるから先方に自身の不要さと、政敵にすらならない事を示して、研究(住処)へと帰してくれる事を願うばかりである。

 

「……、それでは行きましょうか」

 

 大きく吐き出そうとした息を飲み込んで、シャリィは足を進める。頭の中には今から会うであろうゲイルディア家の悪評と自身の研究している魔法式の理論を展開し、この国における処刑方法が流れては消えていく。自分も消えてしまいたいが、そんな事を許さないと言わんばかりにメイドや執事が案内をしてくれる。なんて丁寧なのだろうか。自身が死んだ時の予行演習でもしている気分だ。

 

「クラウス様、お連れしました」

「入れ」

 

 重厚な木製の扉が開く。奥から聞こえた低く太い声にシャリィの顔は少しだけ強張る。数年前に研究資料が無くなった事と比べればまだまだ余裕である。足が震える程度だ。

 部屋の中には一人の男が居た。厳しい顔が顰められており、走らせていた羽ペンを止めてその鋭い青の瞳がシャリィを一瞥する。

 もしも悪という物を人の形へとするのならばこの男の姿になるに違いない。シャリィは確信した。同時にその思考を深く深く沈めて蓋をした。

 

「ようこそ、と言っておこう。俺がクラウス・ゲイルディアだ」

「は、はじめまして。シャリィ・オーベ、と申します」

「……オーベ卿が男爵を拝命した際にも俺は居たが」

 

 息が詰まった。冷や汗が流れる。シャリィとて准男爵になった事は覚えている。尤も、その前日に眠れずに研究に没頭した末に式典に参加していたのだから記憶とて曖昧であるが。

 クラウスの瞳が更に細くなる。まるで全てを暴くようにシャリィを見つめ、頭を振る。

 

「貴公がどのような人物であるかはよく知っている。だからこそ、こうして話をするとは思わなかったが」

 

 なら帰してください……。そんな小さな言葉が口から出そうであったが、シャリィは口すら開ける事ができなかった。

 

「既に伝えた事であるが、貴公には我が子、ディーナに魔法を教えてもらう。見返りとして貴公の研究を支持しよう。当然、資金援助もする」

「は、はぁ……それで、その、ディーナ様はお幾つなのです?」

「今年で三歳になった」

「さっ!?」

 

 シャリィは咄嗟に出そうになった言葉が口から出ないように手で抑えた。三歳で魔法に興味を持つのは理解できる。そういう子供も、少ないが存在している事をシャリィは知識として知っている。

 その全ては自身のような偏屈な魔法使いなどではなく、栄華と名誉を謳う魔法使いに教えを請うものであった。それも知識として理解している。

 その役割が自身に回ってきた。ただそれだけの話であるのならば、シャリィとて驚きもせずに気の抜けた返事をしただろう。クラウスを前にそれが出来るとは言わないが。

 

「その、失礼ながら。私を呼んだのは、ゲイルディア卿の判断でしょうか?」

「俺が貴公のような無名にも近い魔法使いをこの場に呼ぶと思うのか? ディーナの願いだ」

 

 誰が好き好んで呼ぶものか、と言外に言ってみせたクラウスの言葉にシャリィの背筋が震える。自身の情報という物は魔法使いにとっては知り得る情報であるが、まだ三歳の子供が知り得る物ではない。

 更に言えば、目の前にいる男が娘にその情報を与えたとも思えない。

 恐ろしい。と同時に興味が湧く。帰りたいという気持ちの中に一分ほどの興味が芽生える。

 

「ディーナからお前を帰せと言われればそれまでだ。精々嫌われないようにしろ」

「はい」

 

 逆を返せば、そのディーナお嬢様に嫌われてしまえば研究所に戻れるのだ。芽生えた興味が踏み潰される。シャリィはこんな所に一瞬たりとも長くいたくはなかった。

 

 

 

 ようやく重苦しい圧から解放されたシャリィはメイドに案内され、目の前の扉を見つめる。

 この向こうには噂のディーナお嬢様が存在する。彼女に嫌われるならばどうすればいいのか。それこそ彼女に罵詈雑言を浴びせてみせれば、この家から容易に脱出できるだろう。この世界からも脱出できてしまうが。

 なるべく、彼女を傷つけず、そして嫌われる。子供に嫌われる事は得意だ。なんせ自身が追い求めている事は子供にとってはつまらない事に違いない。

 悪魔の子は悪魔なのか。

 一瞬で思考を巡らせて、シャリィは一歩踏み出した。

 

 そこには、綺羅びやかな小さな悪魔が存在した。あの男に似た青の瞳がシャリィを貫き、波打った金色が少女の存在を頭に叩きつけてくる。童顔である顔に笑みを浮かべている。

 詰まった喉を無理矢理に動かして、シャリィは奥歯を噛み締めてから声を出す。

 

「はじめまして、ディーナお嬢様。私はシャリィ・オーベと言います」

「はじめまして。シャリィ・オーベ様」

 

 笑みを一層深くして答えるディーナにシャリィが安心したように息を吐き出す。なんて事はない。悪魔の子が悪魔であった所で、今はまだ幼いのだ。だから、こうしてこの少女に対して恐れていたとしても――。

 

「ご気分が優れないようですが」

 

 ゾクリと背筋に怖気が走る。剣を突きつけられたように、魔法が目の前で行使されてしまったように。けれど、目の前の少女は口元に笑みを浮かべている。まるで、こうして怯えている自身を楽しむように。

 

「ああ、いえ、その……長く馬車に揺られていたので」

 

 まるで売られた家畜の気分であった。そんな事を冗談として呟いたけれど目の前の少女にはつまらなかったようだ。そう、それでいい。自身がどれほどつまらない存在であるかを証明すればいい。そうすれば、この家から――この少女から逃げる事ができるのだ。

 カップを口につけた少女は確認するようにシャリィを見つめる。

 

「オーべ様はどのような魔法が扱えるんですか?」

「ええ、そうですね。私が扱う属性は……水が主ですね」

 

 火のように苛烈でなく、土のように形に現れるでもなく、風のように感じる事もない。子供にとって体験できないという事は同時につまらないという事に違いはない。魔法式の解法によってある程度の属性魔法を扱うことのできるシャリィにしてみれば、そのどれもをディーナに体験させる事も可能であるけれど。

 

「まあ! オーベ様。嘘はいけませんわ」

 

 静かに置かれた筈のカップの音が嫌にシャリィの耳にへばりつく。嘘。そう、嘘である。けれど、その確証などこの少女がもっている訳がない。なんせ自身の研究結果を少女は知りえない。過程を知りえない。

 まるで答え合わせでもするように、罪状を読むために取り出された分厚い本はシャリィとて見覚えのある物であった。内容の全ては記憶にないけれど、その本にシャリィ自身がどのように偏屈で嫌味な存在であるかが書かれていた筈だ。嫌になって本を投げ捨てたのは思い出せた。

 

「その中に私が書かれているようですが、その通りに私は嫌味で偏屈な存在ですので――」

「では、本当に属性魔法のすべてが扱えるのですね」

 

 教えるには向いてません。と口にする前に少女の口から飛び出た言葉にシャリィが固まる。脳裏に残った僅かな本の内容を思い出せば、確かに自身の研究題材に関して書かれていた。同時にそれが如何に狂った物であるかも。

 なんだ、なんだこの少女は。

 恐ろしい。恐ろしい。

 

 

 けれど、同時に実に面白い存在である。

 この幼い悪魔が私の研究を理解し、研鑽したならば、研究はどこまで進むのだろう。いいや、落ち着くべきである。まだ幼い少女である。けれど、もしも……。

 既に言葉が止まらない。延々と理論が口から溢れていく。その全てを理解する事などできる訳もなく、一端ですら理解などできないだろう。なんせ、この少女は未だに三歳なのだ。

 そう、三歳である。三年しか生きていない悪魔である。

 

 その一端ですら理解できるというのならば、私はこの悪魔の子と契約してみせよう。

 それこそ、私の為に。私の研鑽の為に。



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04.悪役令嬢は学びたい!

好き勝手書いてますので、何かアレばご一報ください。
その際にはTSして美少女か美男子か美女か美丈夫になりきってお願いします。


 シャリィ先生との初対面から数日。彼女の事情と俺の都合でさっぱりと会うことができずに数日明けての初授業となる。

 座った私と相変わらずの野暮ったいローブで体を覆った少女のようなシャリィ先生が立っている。

 

「さて、ディーナお嬢様。私が渡していた資料は読みましたか?」

「はい。とても有意義な時間でしたわ」

 

 出会っていないというだけで授業そのものがなかった訳ではない。俺としては一から全部シャリィ先生に教わりたかった。全てを知った訳ではないのでまだ教わる機会はある。

 初対面の日。授業に関しての打ち合わせというべきか、ゲイルディアの都合で呼び出し、彼女としても準備らしい準備をさっぱりしていなかったらしい。仕方ないね……。当然、教わる側であるが俺にも都合がある。これでも好奇心旺盛なお嬢様である。沢山の事に手を出しているし、淑女としての教育もある。

 シャリィ先生としてもその空いてしまう数日を無駄にしたくなかったのか、幾つかの資料を俺に渡してくれたのである。

 

「結構。では魔法式に関しては理解していただけたと思います」

 

 そう。内容は『魔法式』である。概要から、()()()()()であろう彼女のレポートと言ってもよい。あの自尊心の塊である本よりも薄っぺらい、装丁すらされていない紙束。その中には自尊心など一切無い。偉業などまったく書かれていない文、或いは式。

 けれどソレは俺にとってはとても素晴らしく面白い物であった。この世界の魔法に関わる事がようやくできたのである。あの装飾がありすぎる文章よりも簡素に、簡潔に、触れる事ができた。

 

「はい、シャリィ先生。魔法がこの世界において文字式で出来上がっている事は十二分に理解できましたわ」

 

 この世界の魔法は文字式でできあがっている。

 簡単に言えば、入力式、属性式、命令式、出力式、の四つぐらいでできあがる。これもシャリィ先生の研究の一部であるし、事細かに分類していけば命令式の中には状態や熱量などの式もあるのだろう。たぶん。実際にはわからない。

 魔法式という物がシャリィ先生の研究であるけれど、その研究を『狂気の研究』と称したあの尊大なる魔法使い殿が魔法を扱えないかと言えば、そうではない。この世界の魔法の根源は魔法式である可能性が高いけれど、その魔法式は必要ではない。いいや、必要なのだけれど。

 

 根本的に。この世界の魔法は魔力と想像力で発揮される。

 魔力式を少し学んだから言える事だけれど、魔力という俺としては謎の力を用いて想像を現実に起こしている訳である。しかし、それは万能という訳ではなく、想像で何かを起こす時は明確な想像が必要で、理想だけで魔法を扱うと消費される魔力が多いらしい。

 けれど、魔法式はそうではない。命令式や属性式がその想像部分に当たるからだ。

 まあ、俺には魔力がさっぱりわからない故に、試す事もできずに居たわけであるけれど。

 

「……。そうですか。結構。実に、結構」

 

 一拍間を置いてシャリィ先生は満足したように口元に笑みを浮かべる。もっと褒めてもいいんですよシャリィ先生。この頭を撫でてもいいんですよ。

 口元を隠し、コホンと一つ咳払い。まるで少し緩んだ空気を引き締めたシャリィ先生が口を開く。

 

「それでは早速実践といきましょう」

「……」

 

 んんんんんんんん?

 待って、待ってください。何いってんですかね? こっちは魔力式の内容を理解していると言っても魔力の魔の字もわからないんですよ? 両方一緒なんですよ? 同じ文字なんですよ?

 何? もしかして魔力って生まれ持って既にわかっているような物なの? なるほど! これが魔力ね! とか口にしたい、したかった!

 やる気スイッチがONになってるシャリィ先生には悪いけれど、ここは正直に言わなくてはならない……。震えそうになる声をどうにか落ち着ける。

 

「その……一つ、よろしいでしょうか?」

「はい。どうしました? 何かわからない理論や言葉でもありましたか?」

「わたくしに魔力はあるのでしょうか?」

「は?」

 

  ああ、シャリィ先生と会った日は二日だけど、こんな「マジかよコイツ」みたいな顔もできるんですね。また一つシャリィ先生の事を知ったぞ。知りたくなかったなぁ。

 顔をスンッと無表情に変えて、一つ息を吐き出してからシャリィ先生は首を小さく横に振る。そこまで失望させる事なんですかね? ホント、ごめんなさい。劣等生スタートみたいで、なんかすいません。

 

「その……申し訳ありません」

「いえ。私が変に先走っていただけです。結構。では魔力を感じる所から始めましょう」

 

 コホン、と一つ咳払いをしてからシャリィ先生は指を立てる。

 その指の先から……いや、中空から水が発生して小さな水球が指先に浮かぶ。

 

「これが、魔法という物です。何かわかりますか?」

「えっと……」

「結構。では、単純にいきましょう」

 

 水球を手を振るようにして消し去った先生は顎に手を当ててから俺へと歩み寄り、俺の前で膝を少し折り曲げて視線を合わせてくる。

 

「お手を」

「あ、はい」

 

 すべすべな手だ。小さい。軽く取られた手の感触に思わず頬が緩みそうになる。やわっこい。

 

「それでは瞼を閉じて、私の手に集中してください」

 

 なるほど。この感触を楽しむ為に瞼を閉じればよろしいと。なるほど。魔法とは、つまりこの柔らかさなんだな。きっと違うけど。

 馬鹿な事を考えながら、瞼を閉じる。握られた手の感触が少しだけ明確にわかる。やはり、柔らかい。それに、すべすべだ。柔らかさの中に、こう……何か、こう、流れる感触が……。

 流れる感触とは……? ゾワゾワと握られた手から何かが俺の方へ駆け上り、腕を伝い、思わずシャリィ先生の手を振り払ってしまった。

 開いた視界ではシャリィ先生が少しだけ目を細めて俺を見つめている。

 

「今のは……」

「今のが魔力です。お嬢様の中にも存在する力です」

「わたくしの、中にも……」

 

 ゾワゾワの感触がまだ残っている手を見つめながら呟く。アレが魔力。流れてきた感触。腕を伝い、たぶん胸まで辿り着いた。震える手を強く握りしめて、大きく息を吐き出す。怖がってはいけない。それは理解の外であっても、きっと理解できる物で、既に自分の中にある物なのだ。

 瞼を閉じて、胸に手を置く。トクリ、と脈打つ。

 深呼吸をしながら、ゾワゾワを自分の中に探す。

 小さな感触に触れる錯覚があった。きっとソレは錯覚ではない。明確に、意識的に、ソレを感じる。

 けれど、それは中々動かせない。硬い蛇口を捻ってる気分だ。

 もう一度、息を吐く。動かせない。動かない。

 

 馬鹿野郎! お前俺は勝つぞお前! 俺は百合ハーレムを作るんだよ! だから、こんな所で躓けるか! なるべく強い力を持って「きゃー! ディーナお姉様カッコイイ! 抱いて!」するんだよォ!

 大きく、意識を持ってソレを動かしてみせる。体の中を循環させるように、蛇口を思いっきり捻り上げる。

 瞬間、ゾワゾワが胸から溢れて体へと奔流を感じる。

 

「やっ――」

 

 「やった! 動かせた!!」と、瞼を上げる。

 舞う資料。浮くローブ。捲り上がったスカート。簡素な白いショーツ。ニーソックスとショーツとの間の肌の領域。

 ガン見した。俺の記憶容量に無理やり詰め込んだ。

 謎の賢者タイムが俺を襲う。流れ出していた奔流を止めて、先程保存した記憶を瞼を閉じて噛みしめる。驚いた表情も可愛いですね。シャリィ先生。げへへ。

 

 「コホン」と咳払いが聞こえて俺は瞼を上げる。そこには乱れた淡い金髪を手櫛で整えているシャリィ先生。決してパンツを見たくて風を発生させた訳ではない。いいや、今の風は俺が発生させた訳じゃない。いやぁ、急な突風でしたね。

 

「結構。これで魔力はわかりましたね? ディーナ様の属性は風を基本とした物のようです。初めてにしては素晴らしい魔法でした」

 

 俺がやりました。我ながらよくできたと思う。シャリィ先生のお墨付きだしな! 自然発生の突風? ハハハ、何を一体。ここは室内だぞ。ハハハ。

 

「さて、魔力がわかった所で魔法式へと移りましょう」

「はい、シャリィ先生」

「ええ、()()していますよ。ディーナ様」

「はい!」

 

 よっしゃぁ!! へへへ、将来的にはシャリィ先生に認められて、一緒に研究して「どうやら私にはディーナがいなくてはいけないようです」とか言ってもらうからな! 百合々々するんだ……。

 俺は、百合ハーレムを作るんだ……!!



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05.悪役令嬢は奴隷がほしい

 体内に流れる魔力を把握する。一つ、一つ丁寧に。

 指を前へと突き出し、炎を意識する。赤、橙、熱量。胸の中から腕へと駆け、指先へと魔力が奔る。

 突き出した指先から火が灯る。精々百円ライター程度の火であるけれど、ソレで問題はない。

 魔力を意識的に止めて、火を握り消す。人差し指を親指の腹に擦り当てながら。

 

 頭の中、体の感覚で魔力が辿った後を覚える。火を扱う時。現象への干渉。魔力の変化。そのどれもが蓄積されていく。

 魔力の通り道。今の魔法であるなら、魔力が溜まっている胸から、指先に掛けての道。その通り道には関がある。想像の中の魔法が正しく式へと置き換わっていく。それを意識していない時と意識した時では魔力の消費が大きく変わる。

 同時にその一つが属性式なのだろう。そもそもの俺の魔力適正は風に分類されているし、その事はシャリィ先生が判断してくれた。

 最初に属性式を通り、状態式を通り、出された結果に応じて魔力が消費されて出力される。各個が一つの属性だけだと思われているのは最初に属性式を通過するからだと思う。今のように火を出現させるに至って、同じ量の魔力を意識して風を出現させてみたけれど火を出す方がどういう訳か消費魔力は大きかった。

 入力をする時、或いは属性式を通る時に変な処理がされているのか、それとも別の理由なのか。それはよくわからない。しかし、なんとなく理解はできた。この世界の魔法はプログラム染みている。たぶん。

 シャリィ先生曰く、想像魔法の消費魔力は現象を起こす際に想像されていない現象の補填として世界側がフォローしているらしい。その為に世界側へと補填分の魔力を渡す訳である。世界通貨と言っていたのはコレに当たるのであろう。

 そう考え始めると、魔法式という物は世界の言語とも言えるのかもしれない。よくわからないけど。

 

 

 

 しかしながら、俺としては既に我慢の限界なのだ。

 一年間、シャリィ先生との二人っきりの教えを受けた。

 どれほど授業を受けても、どれほど頑張っても、どれほど魔法式に関しての成果をあげようと、シャリィ先生はもう手すら握ってくれないし、撫でてくれないし、脱いでもくれない。

 俺は、女の子に触りたい。あわよくば、おっぱいに触りたいし、出来ることならイチャイチャしたい。

 ウチのメイドはダメだ。お父様にバレてしまう。俺自身悪ふざけをするようなキャラでもない。お嬢様らしく、おっぱいを触るにはどうすればいいのだろうか。無理である。

 いっその事、メイドに命令して脱いでもらうなんて事もできなくはないけれど、彼女らの雇い主は家長であるお父様になる。俺の自由にできる存在ではないし、自由にできたとしてもソレはお父様の力があってこそだ。俺の百合ハーレムではない。

 結果的に導き出される答えというのは、案外単純な物になる。

 

 俺の物であり、お父様の管理外であり、尚且俺の支配下にある存在で、できれば俺に甘ければいい。

 つまり、奴隷である。

 

 

 

 

 

「わたくしだけでよかったのに」

「お戯れを、ディーナ様。これもクラウス様のお願いでして」

「そう。お父様も心配性ですわね」

 

 馬車の中、俺一人という訳にもいかず、目の前には執事が座っている。名前をリヒター。お父様付きの初老を迎えて少しした執事長。

 こうして気丈に振る舞ってみているが、俺としてもこの付添いは非常にありがたい事である。お父様に感謝である。リヒターを寄越してくれるとは思わなかったけれど。それほど心配なのだろう。俺とて侯爵令嬢、ある程度の分別はあるつもりだ。たぶん。

 世間からすれば俺は常識知らずのお嬢様である事は間違いないし、文献やお父様の領地に関しての知識はあるけれど俺の瞳で見た訳でもない。

 窓の外を見れば賑わいを見せる街がある。政策が上手くいっているのだろう。まあキレイな部分だけ見ているだけで、暗い部分がどうなっているか俺にはわからない。けれど、表に見える街民が笑って過ごしているという事はいい事なのだろう。

 

「いい街ね」

 

 ふと呟いた言葉に思わず笑ってしまう。前世とも言える善良な一般市民として奴隷が売買されている街がいい街である訳がない、と感じている反面、奴隷を許容している自分が存在しているし、その奴隷を求めている自分がいる。

 これが滑稽と思わずにいれるだろうか。

 けれども俺は奴隷を求めるであろう。それは、俺の目的である百合ハーレムの一歩だ。だから、止まる訳もない。

 

「して、お嬢様はどうして奴隷を欲しているので?」

「……リヒターが質問なんて珍しいですわ」

 

 誤魔化すように「ほっほっ」と笑ってみせたリヒターを一瞥して、言葉をまとめる。

 正直に言うことなど、絶対にできない。百合ハーレム目指してますっ、なんて言った日には俺の評価がどうなるかなんてわかったもんじゃない。四歳の女の子が吐き出す言葉じゃないし、お父様に報告でもされてみろ、俺の扱いは世間知らずのお嬢様からゲイルディアの恥部へと早変わりだ。

 

「わたくしの世話役が欲しい、ですわね」

「おや、今の世話役が何か粗相を致しましたか」

「いいえ。彼女はよくやっていますわ。だから怒らないであげて」

 

 脳裏に映った俺に付いているメイドであるが、本当に彼女はよく働いてくれている。出来過ぎ、と言ってもいいし、彼女であるならば、という信頼もある。

 苦笑を浮かべた俺と何かを誤魔化すように笑みを浮かべるリヒター。けれど、その瞳は俺を見定めるように真っ直ぐ俺を見ている。誤魔化せそうにはない、か。かと言って、正直に話す訳にもいかない。

 

「では、何故?」

「あの娘はゲイルディアと契約している訳で、わたくしと契約している訳じゃないでしょう?」

「なるほど。ディーナ様はご自身が自由にできる存在がほしい訳ですな」

「ええ。だってメイドに手を出せば貴方が対処してしまうでしょう?」

 

 この有能な執事はきっと対処するだろう。俺の世話係を男へと変更し、必要最低限でしかメイドと関与させない筈だ。それは、困る。俺は奴隷もほしいけど、メイドのお姉さん達ともイチャイチャしたい。

 一瞬だけ目を見開いたリヒターであるが、すぐにその様子も見せないようにまた誤魔化すように笑っている。

 たぶん、彼もお父様から俺が奴隷を求める理由を聞き出すように命令されているのであろう。

 

 そうでなければ、あのお父様がリヒターを俺に付ける訳もない。

 

 

 

 

「お待ちしておりました! ゲイルディア様。ワタクシは奴隷商を営んでおります、ゲビスと申します。ゲイルディア様のお噂は兼兼」

「はじめまして、こちらはゲイルディア侯爵ご令嬢、ディーナ様でございます」

 

 果たしてどんな噂だと言うのか。あまり表情に出さずに笑みを浮かべて挨拶を返す。

 奴隷商と言えど非合法ではない。法律として奴隷という存在がこの世界には在るのだ。奴隷の制限年齢であったり、まあ色々と面倒であるがそれなりに利益を得る事ができるのであろう。

 その証明のように俺の目の前に現れた商人はでっぷりと富を脂肪に変換したように腹に蓄え、絢爛な装飾品を身に着けている。豚に真珠、とは言わないが豚とてここまで着飾れば多少は見れるようになるのか、と変な感心をしてしまう。

 ソファに腰掛けた俺はチラリと後ろに立っているリヒターを見る。既に商談として事前に言い渡しているんだよな? 信じるぞ?

 

「いやはや、よもや私もゲイルディア様に商品を卸す日がくるとは、なんとも光栄な事でございます」

「期待していますわ」

「おまかせください。おい」

 

 ニタニタとした笑みを俺から放したゲビスは低い声を出して後ろにあった扉を使用人に開かせる。さて、可愛い女の子はいるかな。エルフ奴隷とか……あぁ、いや、シャリィ先生に嫌われそうだな。ケモミミとか存在するのだろうか?

 と内心で楽しみにしていた俺は入ってきた存在達に思わず眉を寄せる。屈強な男達であった。腕に拘束具をつけられているが、ボロ服では隠れない肉体がしっかりとわかる。

 俺はリヒターを睨む。リヒターは俺から視線を外しやがった。

 

「どうです! 我が商会が自信を持ってオススメする奴隷でございます」

「……ゲビス殿。コチラの注文はどうお聞きいたしましたの?」

「ッ、そ、それは、なるべく屈強で丈夫な奴隷を、と……」

 

 なるほど。それじゃあこうなるのも仕方ないな! 確かに奴隷が欲しいとしか言ってなかったし、ドコかで注文が捻じ曲がったんだろう。労働奴隷を雇う意味は、今の所ない。

 一つ息を吐き出して、俺は笑みを浮かべる。大丈夫だよー、怒ってないよー。

 

「どこかで注文が間違って伝えられたのでしょう。わたくしの共回りを求めていますの。できれば女性の奴隷が欲しいのですが」

「そ、そうですが……しかし、その……」

「どうか致しましたか?」

「は、ハイ。しかし……その……」

「居ますの? 居ませんの?」

「お、居りますが……まだ調教も程々でして」

 

 なるほど。商品として売る訳にはいかない訳か。女奴隷としての調教と言えば、それは、そういう事なんだろう。げへへ。それが程々という事はつまり、処女なのかもしれない。別に処女を神聖視している訳ではないが。

 

「連れてきなさいな」

「し、しかし……その」

「ならわたくしが行きますわ。案内なさい」

「へ、へぇ」

 

 立ち上がった俺を止める訳でもなく、ゲビスも同じく立ち上がり俺の前を歩く。タプタプと腹の肉が揺れている。脂肪で熱いのか、ダラダラと流れている汗が見える。ちょっとぐらい歩こうな……健康の為だぞ。

 

 連れて行かれたのは、屋敷の地下である。

 石造りで丈夫にできている通路と檻が並んでいる。奴隷の扱いとしてはコレがベターなのだろうか。

 

「この屋敷は過去に牢屋として扱われていたようで、ここは暴れた奴隷達を入れておく場所でして……」

「なら今から会う女の奴隷は暴れたのかしら?」

「う゛……まあ、そうですな」

 

 うーん。凶暴性のある女性はそれほど好きではないのだけれど。しかしそんな女性も組み敷いて、屈服させるというのも実にロマンがある。くっ殺せとか言うんでしょ? 俺はよく知ってるぞ。

 ゲビスが止まった先には鉄格子があり、蝋燭の光が牢の奥まで届いてないけれど暗さに慣れてきた瞳が人影を見つける。思ったよりも、小さな人影である。

 ゲビスが指示してカンテラが牢の奥を照らす。そこに在ったのはボロ服で褐色の肌を隠し、膝を抱えた深い青髪の少女である。まだ少女と言っていいのかわからない、俺と似たような歳である。なるほど、ゲビスが言い淀んでいた理由がわかった。

 幼女は明かりに反応したのか、俺達の方へと視線を向ける。光の灯っていない、髪色によく似た瞳だ。

 

「……彼女は?」

「へ、へぇ。その……この娘の親が兄と一緒に売りにきまして。私としても買取は断ったのですが……」

「ベリル人のようですな」

 

 後ろに控えていたリヒターの言葉にゲビスが舌打ちをした。どうやら嘘らしい。冷や汗の理由も、どうやら脂肪だけではなかったようだ。

 

「ベリル、と言いますと数年前に戦争で負けた?」

「はい。肌の色からしてそうでしょうな。大方、攫ってきたのでしょう」

 

 ベリル人の街からは離れておりますし、と追加するように言ったリヒターがゲビスを見下す。怖いからやめてやれ。いや、まあ、犯罪ずくめの豚だけど。

 そんなゲビスを無視して、俺は鉄格子の向こうにいる少女を見る。顔の作りもそれなりに整っているし、何より褐色肌というのがいい。彼女の取得方法は違法であるかもしれないけれど、果たしてソレは重要な事なのだろうか。ゲビスにとっては重要だろうが、俺にとっては重要ではない。

 

「……ゲビス殿。この娘を買いますわ」

「へ?」

「どうやら()()()()()()()()()()()()()()ようですし。そうでしょう?」

「え、ええ! それはもう! 私に一切の罪はありませんとも!」

「きっとそうでしょう。信じておりますわ。それで、この娘の兄もいるのですよね? 合わせてくださいな。ええ、貴方が罪を犯していない証拠の書類と一緒に。得意でしょう?」

 

 どうせ何度も似たような事してるんだろ。初めてにしては秘密が厳重すぎるし。まあ、一応商売として成り立つように金銭は支払おう。これで俺のような小娘と奴隷商でそれなりに儲けてるお前は一蓮托生だぞ!

 こんな豚さんと一蓮托生とかホント嫌だけど、仕方ないよね。可愛いもんね。褐色肌は重要なんだ。

 ゲビスから鍵を貰って牢を開く。俺を見上げる少女に微笑む。

 

「今日からわたくしが貴方の主人ですわ」

 

 この絶望に伏した少女を沢山甘やかして俺だけに優しい褐色メイドさんにするからなぁ! 俺の百合ハーレムの一員にするからな!




ベリル人に関して大雑把に
 敗戦国の人で褐色肌が特徴。現在ディーナがいる国からすると「ベリル人と一緒に過ごすとか草(マイルド表現)」みたいな迫害対象でもある。
 まあ奴隷でも仕方ないよね。ぐらいに思ってくだされば……。


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06.悪役令嬢は育てたい!

 褐色メイドと褐色執事について、お話します。

 いや、まあ待ってくれ。俺は悪くないんだ。決して悪くない。そうだろ? 確かに違法な手段で仕入れられた商品を購入してしまったが、俺はその違法な手段に関してさっぱり感知していない。ああそうだ。商品も人間二人であるけれど、それはれっきとした商品なのだ。俺は悪くない。

 自宅に帰って早々にしたことは二人の扱いに関してだ。俺が育てる事は可能だ。たぶん。それこそ籠の中の鳥の如く、部屋に閉じ込めて飼い殺す事のなんと容易い事か。

 しかし、それじゃぁダメだ。善意的な話ではなく、俺の都合でダメなのだ。

 この四年間を俺が如何に気を使ってきたかご存知だろうか? ご存知ない? それは困った。ならば説明してやろう。俺はこの四年間、いいや、幼少の喋らなくてもいい時期を省けば三年間、まったく気が抜けなかったのである!

 そう、既に自身に定着してしまったお嬢様言葉であったり、立ち振舞いであったり、その全てで気が抜けないのである! 目が覚めて「ふぁ~ねみぃ~」なんて言ってみろ。教育係総出で俺という人格を殺すに違いない。

 故に目が覚めた直後から夜に布団に入るまで、一切! 気が抜けないのである!

 

 もうダメポ……。結果として我慢の限界だったから俺はメイドを仕入れる事にしたのである。誰の息も掛かっていない、俺だけのメイドさんだ。褐色メイド……素敵だ。

 いいや、確かに教育として我が家の息は掛かるだろう。しかし、リヒター個人が付きっきりで見る訳ではない。数多くいる我が家のメイド、執事により教育が施される。技量は伸びる。そしてゲイルディアへの恩も感じるであろう。そして俺への忠誠も芽生えるであろう。後はゲイルディアと俺の比重を変えてやればいい。

 彼女らを購入したのは? 闇から救ったのは? 君らが今立っていられるのは? そう。俺のお陰である。我ながら完璧な作戦だな! 三日間考えただけのことはある。

 如何にして教育係の目の届かない所で息が抜けるのか。問題はそこである。俺だって馬鹿じゃない。我が家に歯向かおうなんて考えてない。ただちょっと息抜きがしたいんだ。

 

 だからこそ、メイドである。自身の側付きとしてメイドを一人育て上げる。故の奴隷。まあ予定とは違って一人男が手に入ってしまったけれど、良しとしよう。ショタもまた良い。

 

 内心でニヤつきながら扉を叩く音を待つ。表面上は鍛え上げられた教育によって変わらず優雅に振る舞っている。優雅たれ、とは誰の言葉であったか。

 カップに口を付けて紅茶を一口。なんでか緊張する。別に俺に緊張する要因なんてないんだけれど。

 ようやく鳴った扉に反応して顔を上げる。おっと、教育係からの解放に喜んでいるのがバレてしまう。冷静に、優雅に、である。

 

「んんっ。入ってよろしくてよ」

「失礼します。ディーナお嬢様」

 

 一度咳き込んでから入室を許可する。リヒターに連れてこられたのは薄汚かった奴隷の少年少女ではなく、小綺麗にされた小さなメイドと小さな執事である。既に日が落ちてしまっているから僅かばかりの蝋燭の灯りであるが、その褐色の肌と深い青の髪はよく分かる。

 口元を手で覆い隠して笑みを堪える。いけない。こうして目的が達成される瞬間のなんと嬉しい事か……! 今までの世話係ならば俺の無作法があれば即座に教育係にチクっていたというのに……!

 これからは! それから解放されるのである!! いいや、まだだ、まだ笑うな……! まだ計画の全てが達成した訳ではない。この二人をゲイルディア家のお嬢様である俺の側に立てる程の教育を施さなくてはならないのだ。そしてできる事ならばこの褐色幼女メイドを俺のハーレム(仮)に入れるのである。男は知らん!

 もう一度咳払いをしてからリヒターへと顔を向ける。

 

「リヒター。もうよろしくてよ。後はわたくしが二人と話しますわ」

「ふむ。では誰かを近くに」

「それも必要ありませんわ。むしろ、誰も近寄らせないでくれるかしら」

「……承知いたしました」

 

 危ない危ない。これから俺は楽をするんだ。この奴隷達には素の俺を知っておいてもらうべきなのだ。というか、気の抜けた喋り方をしたいのだ。誰かに聞かれる訳にはいかない。

 奴隷兄弟二人に同情の視線をチラリと向けたリヒターが一礼をして部屋を出る。扉が閉まり、一拍、二拍、三拍。

 俺はようやく肩の力を抜いて息を吐き出す。よし。よし!!

 拳を握りしめて小さくガッツポーズをしてしまう。やっとである。ようやくである! 息抜きの時間が限られた状態であっても長くなる事は嬉しいのだ。

 おっと、立っている二人をまずはどうにかしなければならない。

 

「あー。うん。楽にしていいよ」

 

 ニッコリと笑ってそう言っても二人は動かない。怖くないよー、俺は善人だよー。いや違法奴隷を購入している時点で善人ではないか。

 さて、このまま二人を立たせたまま話を進めるのも俺が気になる。

 

「そこの椅子に座っていいよ」

 

 けれども二人は動きません。大きなカブだってもっと動くだろう。

 マズイな。ベリルって言語違うかったっけ? いや、この世界の言語は訛りがあっても人族はある程度共通ってシャリィ先生も言ってた気がする。うん? 特殊な言語でも使っていたとか?

 

「あー、もしかして言葉がわからないとか?」

 

 首を横に振られる。言葉は通じると。なるほど。よしよし。

 椅子に座るのが嫌とか? とりあえず、今はそこまで考えるべきではない。彼女達が動かないのなら俺が動けばいい。

 俺は椅子から立ち上がって二人へと近寄り、手の届く範囲に腰を下ろす。「よっこらせ」なんてオッサン臭い言葉が口から出てきたけれど、今は気にしなくてもいいんだ。

 

「ここならいいだろ? ほら、立ってちゃ話もできやしない」

 

 女の子らしからぬ胡座をかく俺であるが、もうホントね。楽だ。いいや、それこそ楽な姿勢を取れなかった訳ではないけれど、精神的な面がとても楽。お尻がちょっと冷たいけど、許容範囲である。

 ようやく、渋々というか、訳もわからずと言ったほうがいいのか、キョトンとしてから恐る恐ると床に座る。よしよし。

 

「じゃあ、君たちの今後の話をしよう」

 

 たぶん二人が一番気になっている内容だろう。仕事だってなんだってまずは内容が最初だ。「この日、暇?」なんて内容も告げずに仕事をぶち込む野郎とは俺は違うのだ。まあ奴隷購入してるけどな。

 

「まずは明日から君たちはリヒター、さっきの男に師事して我がゲイルディアに仕えて恥じない使用人になれ。いくらか慣れてきたら俺に付いて色々と学んでもらおうかな」

 

 そう、この子達もまだ子供なのだ。俺と同い年か、まあ下か上か、ゲビスから受け取った書類には正しい年齢も名前もなかったのだからどうしようもない。

 俺のお付きになってもらう。これは最低限の願いだ。楽な時間を増やしたい。切実に。三年ぐらいを耐えたのだ。今更一年や二年ぐらい、楽ができると見えていれば耐えてみせよう。

 ついでに彼女達にも魔法式に関して学んでもらう。俺の趣味だ。魔法も使える褐色メイドとか、最高だと思うんだ。当然、というべきかシャリィ先生から直接という訳ではなく、空いた時間に俺が噛み砕いて教える。他人の魔法式がどうなるか、という点も中々に気になる事だ。

 

「たぶん俺が成長したらお付きの護衛やら何やらで面倒にもなるし、剣の扱いに関しても一緒に学んでもらおうかな」

 

 うんうん。ドコかに行くにしても気が置けない人は重要なのだ。警護としての腕前も上げてもらおう。

 こうして色々と考えていれば褐色ショタの方も必要な買い物であったのかもしれない。二人で分担できるし、一人だったならば手段もそれなりに減っただろう。

 二人の得手不得手もあると思うから、そこらは俺が調整すればいい。けれど、使用人としての能力は最低限必要だ。ゲイルディア家を黙らせる為でもある。

 二人は俺のお付きである。という俺のワガママを通す為にも二人には頑張ってもらわないといけない。

 

 二人にさせるべきことを思案しながら、ようやく二人がポカンとしている事に気付いた。

 少し考えればわかる事だったけれど、二人とも子供なのだ。それも今まで奴隷として調教されていたのだろう。ゲビスのしたことはわからないけど。

 目下としての目的はこの二人を順調に育てる事だ。ゲイルディアの使用人として、そして俺の世話役として教育するのは長い目で見た時の目標だ。

 一つだけ自分を落ち着かせる為に息を吐き出して、二人の頭を撫でる。紺に近い深い青の髪と褐色の肌。どれも、俺にとって好ましい要素だ。好き。

 うん。そもそも最初の一歩目を間違えていたのだ。

 

「俺の名前はディーナ・ゲイルディア。君らの主人だ」

 

 主人、と言っても奴隷として扱うつもりなど毛頭ない。まあ、成長したら女の子の方に手を出すかもしれないけど。げへへ。

 さて、二人の名前は書類ではわからなかったのだ。故に二人に直接聞かなくてはならない。

 

「君たちの名前は?」

「……ッ」

 

 え、なんで急に怯えた表情するんです? 俺何もしてないぞ。まだ。二人して怯えてるのなんで……ねえなんで?

 俺は名前を聞いただけなんですよ。本当なんです、信じてください。俺は何もしてないんです。何、名前が言えない理由があるのか? 自分達の名前で嫌な事を思い出すとか? マジ? 他の理由とか俺が怖いぐらいしか思いつかないんだけど、俺が怖いなんて事はない筈だ。いや、顔つきは徐々に悪役方面に向かってるんだけどさ……遺伝子って怖い。

 

「じゃあ、君たちに仮の名前をあげよう。このまま名無し、というのも問題が起こるからな」

 

 うん、なんでそんなにホッとしてるの? 俺何か悪いことしてる? 確かに奴隷である君たちを買ったけどさ。

 いや、まあそれはいい。置いておこう。たとえ今の評価が最低値でも、いや最低値だからこそ上がるだけなのだ。ぐんぐん上がれ。将来の褐色メイドさんを落とす為に。

 しかし、ベリル人の名付けの由来や習慣などはさっぱりわからない。それらしい名前を与えて、二人の評価をグッと上げたいけれど無理だろう。変な名前じゃなければ問題は無いだろう。きっと。俺も二人を呼ぶときに「こい! 光宙!」なんて呼びたくない訳である。

 ベリル……ベリル……。

 

「ん、よし。兄の君をヘリオ。妹の君をアマリナと呼ぼう。二人共、今日からはその名前で過ごしてくれ」

「……ヘリオ」

「アマ……リナ……」

 

 うんうん。よしよし。確認するように何度も名前を呟く二人を見ながら特別変な名前では無いことを理解する。シャリィ先生ならもっといい名前を思いつくだろうけど、俺には無理だ。諦めた。

 二人の元々の名前に関しては諦めよう。言いたくないなら言わなければいいし、言う必要を無くせばいい。俺にとって二人は今日からヘリオとアマリナであるし、大切な褐色メイドと褐色執事である。うん。素敵。

 さて、二人は子供だから意識できないだろうけれど、俺の計画は既に始まっている。将来的な百合ハーレムの為の計画である。百合ハーレムには余計な物もあるけれど、まあ花園を守る騎士も必要だろう。

 

「さあ、今日はもう寝ようか。ヘリオもアマリナも疲れているだろうし」

 

 二人の手を握って立ち上がる。片手にヘリオを、片手にアマリナを。

 二人を引っ張り、立ち上げて、そのままの勢いでベッドに飛び込む。ぼふりと柔らかく俺たちをベッドが受け止めて、二人の手を離さないように握りしめる。

 

「今日は一緒に寝よう。それも君たちの役目だ」

 

 役目、というのは間違いではないし、後々は夜の時間を用いて魔法式を教えるつもりでもある。

 楽しくなってきた。きっと素敵な夜になるし、俺は二人を俺の理想の存在にするつもりでもある。その為には努力も惜しまない。けれど、とりあえず二人にはどうにか俺の世話役にまで成長してほしい。ホント、頼む。

 頼むよー。という念をしっかりと込めて、二人を抱きしめる。

 俺の解放は君たちの成長率に掛かってるんだから。ホント、頼む。



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07.悪役令嬢は逃げ出したい!

遅くなりました。感想欄で色々あり、意欲を失ってましたがTS悪役令嬢受側百合が他に出てくれないので書きます。誰か書いて(懇願
あと備忘録的なキャラ紹介とかっていりますかね? キャラ紹介が苦手勢なので書き方が下手ですが、アレなら00.として貼り付けときます。


 揺れる馬車に乗りながら俺は姿勢を正して窓の外に顔を向ける。どこまでも続く緑と平地。このままどこかへ行ければさぞかし俺の冒険心は満たされるであろう。

 チラリ、と視線だけを正面に向ける。そこには厳しい顔の、こいつ絶対国家転覆的な悪巧みしてるだろという顔の男がいる。俺の父である。実際怖い。

 改めて外を見れば仰々しくも俺達を――正確には父を守る為に着いてきているお抱えの騎士達が馬に乗っている。

 

 珍しく父であるクラウス・ゲイルディアと一緒に馬車に乗っているのには理由がある。俺としてはそんな理由など無視して館に置いてきたアマリナとイチャイチャしたい。ようやく乏しかった感情が僅かながらに表情に出てきたというのに。

 それもこれも理由が全て悪いのである。

 

 

 事の発端は俺が五歳になってしまったからだ。ガッデム。逃げれない発端だ。しかしながら理由に至るまでには暫しの時間が必要だった。それは間違いないだろう。

 何も知らなかった俺は悠々とヘリオとアマリナを世話役へと、そして俺の百合ハーレムの為に色々と仕込もうと画策していたのである。早々に世話役にしようとしたらリヒターから「まだ早い」と断られたのは記憶に新しい。

 当然、魔法の勉強もしていた。魔法式を繰り返し確認して、何がどうなっているかの解析など気の遠くなるような作業をしていた。辛い……シャリィ先生も中々褒めてくれないが、時折発見があって確認してみれば微笑んでくれるようにはなった。可愛い。百合ハーレムの日も近いな。

 そんな気の遠くなるような魔法の勉強から逃げるように剣術に手を出したり馬術に手を出したり、全ては未来の俺の騎士であるヘリオの為でもあるのだけれど。半分以上は俺の好奇心である。

 剣も魔法も使えるディーナお姉さまカッコイイ! 素敵! 抱いて! である。間違いない。

 俺の百合ハーレムまでの地ならしをしていて数日。五歳になってから一月程。珍しく我が父からのお呼び出しである。果たしてその事をメイドから言われた俺の心境は語るに容易い。頭の中に自身のしでかした悪行が羅列され、そのどれがこの魔王に知れたのか、内心で冷や汗をダラダラと流していたのである。

 流石に五年も見れば慣れる、と思うかも知れないが怖いものは怖いのだ。

 

「お前が許嫁に決まった。近日中に会いに行くぞ」

 

 この瞬間俺は察したね。所詮俺も貴族の女である、と。その血の運命からは逃れられぬと。うっせー馬鹿野郎俺は勝つぞお前! 百合ハーレムが欲しいんだよォ!

 そんな啖呵をお父様にできる訳もなく、俺は恭しく頭を下げたのである。ついでに誰かを聞いた俺は悪くないだろう。

 

「わたくしを娶る方はどなたでして?」

「第二王子であるリゲル様だ」

 

 第二王子。その単語が俺の頭へと直撃した。

 王子である。王子様。王位継承者である。当然、第二と着くからには上に兄や姉はいることであろう。それは置いておくとして。

 百合ハーレムという野望を抱いていても、俺は貴族の令嬢である。そしてある程度の価値観を所持し、それなりの知性をもっている。中年もいいところであるが。

 そんな俺であるから、このお父様がさぞかし苦労と根回しと言葉にできないような悪事を働いてその権利を奪ったことは想像に難くない。悪事の部分は偏見だけど。

 だからこそ、俺がここで断る事は容易い。断れるかどうかを考えれば無理なのだけれど。

 貴族だからこそわかる。その名誉と途方もない権力。王族に名を連ねる事の重大さ。そして逃げる事のできない事態である、と。

 何が悪かった、とかそういう問題ではない。空から降る雨のように、逃げる事ができない事象であった。それだけだ。税率が変わったとかそういうレベルだ。

 

 

 結局、観念して俺はこの馬車へと乗っていて。目の前には相変わらず顰めっ面がデフォルトのお父様が乗っている訳である。

 辛い。会話らしい会話もないのもそうであるが、見れば見るほど悪役なんだよな。

 侯爵という立場だけでは飽き足らず、ソレ以上を望んでいるのか。俺には見えない野望を抱いているのか……。それも偏見だ。

 俺自身もわかっているのだ。クラウス・ゲイルディアという人物がいい意味で顔だけである事を。その顔つきと飛び交う噂話がものの見事にお父様を脚色している訳であるが。

 尤も、俺個人で調べただけなのでソレが正しいかどうかはわからない。人物鑑定眼など俺には無いのだ。養うにしても、俺の善人判定がガバガバだからたぶん無理だ。

 だから、実際にお父様が悪人かそれとも善人なのかは本当にわからない。家族の知らない所で何かをしでかしているかもしれない。

 お母様はお母様で普段はのほほんと紅茶を飲みながら庭を見つめたり、弟であるアレクの面倒を見たりしている。俺の事は放置されているような気がしないでもないけれど、お母様を百合ハーレムに入れる程腐っちゃいない。いや確かにあの氷の美女と言っても過言ではないお母様からゴニョゴニョ。

 そんな身内目ではのほほんお母様であるが幾つかのフィルターを通されたのか、はたまたお母様自身が何かをしたのかわからないけれど、社交界を裏で牛耳っているとか色々噂が飛び交っているようだ。シャリィ先生が言ってた。お陰でシャリィ先生はお母様が苦手なようだ。舞踏会とか、そういった物に引っ張り出そうとされるらしい。

 

 そんな両親であるから、余計にわからない。何が真実で、何が嘘なのか……。そして俺は無事に百合ハーレムを築くことができるのか……。王子様が実は男装をした女子である事を願うばかりである。

 

 

 

 

 

 

 王都に到着してから翌日。

 これでも貴族令嬢としての心構えやら振る舞いをしこたま叩き込まれた俺であるが、中々に緊張している。それもこれもお父様が俺には何の通告もなく王様への謁見をさせているからである。クソ親父と心の中で呼んでやろう。

 ファッキンヴィランの案内で玉座のある所に連れてこられた時はお上りさん気分だった娘に一目玉座を見せる為だと思った。いつかあの椅子に俺が座るのだ、みたいに笑うお父様であったが、たぶんそんな事は一切考えておらず精々俺を見て笑っていた程度なのだろう。そういう所だぞ。

 やたらとキョロキョロしていた俺であるし、周りに控えていた騎士達も俺の様子を見てなんかほんわかしていた筈だ。空気が弛緩していた、そんな事がわかるぐらいに王様が入って来た瞬間に空気が引き締まったのである。

 黒かったであろう髪は白髪が入り乱れ、どこか親しみ深い顔つき。綺羅びやかで重そうな服を着こなした男。その男が玉座へと腰掛けた。

 気付けばお父様は膝を突いているし、慌てながらも俺も膝を突いて頭を垂れる。目の前にいるお父様へ内心毒を吐き出しながら。せめて先に言っておいてほしかった。

 

「頭を上げろ」

 

 スッと頭を上げたお父様に倣って、少しだけ頭を上げる。上目で王様とお父様を確認しながら話の行く末を見守る。

 

「よく来たな、ゲイルディア。待っていたぞ」

「申し訳ありません。少し手間取りまして」

 

 一体何をですかね? ここまで来る道程には何も無かったですよね?

 お父様の言葉を聞いてニヤリと笑う王様であるが、その笑みに悪い印象は無い。ウチの家系と大違いだな!

 というか、開始早々だけれど早く終わってくれ。すでにお腹が痛いんだ。校長先生の明日にも使えないありがたい話だってもうちょっと耐えれるこの俺が一瞬で無理になるんだ。帰りたい。帰らせて。アマリナとイチャイチャしたい。

 

「それで、その子がお前の娘か」

「ハッ、ディーナと申します」

「確か、リゲルと同じ歳だったな。お前がよく娘自慢をしてくるから覚えてしまった」

「……お戯れを」

 

 クツクツ笑う王様に対してお父様は苦虫を噛み締めたように渋い顔をしている。耳が少し赤いから恥ずかしいのだろうか。それにしても俺の自慢とか、何を自慢することがあるんですか。顔か? 顔だな。顔に決まっている。

 

「さて、ディーナ・ゲイルディア。初めての王都であったな、何か思う事はあったか?」

「はじめまして、シリウス王。素敵な街並みでしたわ。ただ、一つだけ気になった事が――」

「よい。許す。申してみよ」

「それでは……お父様がわたくしのどこを自慢していたのかを。普段のお父様は褒めてくれませんもの」

「クックク、アハハハハッハ、そうかそうか。普段のクラウスは褒めてくれないか、ククク」

 

 ざまぁ。思いっきり俺を睨んでくるファッキンヴィランであるが顔が赤いから何も怖くはない。赤鬼だってもっと迫力があるぞ。

 俺の一言に大笑いしている王様であるが隣に控えていた老人に睨まれて咳をして誤魔化している。宰相さんかな? いや、深く考えた所で答えは出てこないだろうからやめよう。

 

「悪いな、ディーナ嬢。王としては答えてやりたいが、同じ父として応えてやれん」

「いえ、お父様が自慢している、という事が知れて満足ですわ」

 

 ニッコリと笑って頭を下げる。俺の溜飲も下がるってものである。

 クツクツと笑っている王様と後ろ目で俺を睨みつけるお父様。残念ながら恥ずかしがってるのがわかるから怖くもない。へっへっへっ。

 

「ディーナ嬢、その調子でリゲルとも仲良くしてやってくれ」

「承りましたわ。シリウス様」

「誰か、リゲルの所へ案内してやってくれ」

 

 あぁ、やっと終わったぁ! ひやぁ、手が汗でビショビショなんですけどー。あ、メイドさんに着いていけばいいの? 行きます行きます。

 部屋を出る前に振り返って一つ頭を下げてから改めてメイドさんへ着いていく。緊張した。あー、よかったぁ。何事も無くてよかったよかった。

 後は適度にリゲル様と仲良くして、程々の仲を維持しつつ百合ハーレムの為に色々根回しするだけだな。リゲル様が実は男装王子なんて事はないんですかね? 無い? 無いよな。あってほしい。

 

 

 

 

 

 

~~~

 

「クラウスが推す理由がよくわかった」

「ありがとうございます」

 

 クラウス・ゲイルディアは溜め息を吐き出して水を飲むシリウス王を見ながら頭を軽く下げる。先程まで居た玉座の間とは別のシリウス王が内密に話を進める為に準備された執務室であるが、クラウス自身は慣れているのかそれほど緊張もなく椅子に座っている。

 

「厄介事があれば渦中にいるお前が珍しく自ら娘を推してきたから何事だと思ったが」

「アレは天才です」

「ああ。紛れもなく、天才だろう。あの年齢にして礼儀作法を完璧に身に着け、更には俺を前にしてジョークまで飛ばす胆力など普通はない」

「あれには私も肝を冷やしました」

「お前が褒めていた事は事実だがな」

 

 やはり何がおかしいのかクツクツと笑うシリウス王。そのシリウス王に対して無礼にならない程度に持ち前の仏頂面のクラウス。

 

「試しに呼んでみたが。アレは欲しい」

「その為に連れてきました。少なくとも、ディーナは連れてこられた意味を理解しているでしょう」

「五歳だぞ? 王家の為に嫁げと言われた訳じゃあるまい……言ったのか?」

「まさか。私とてアレの親です」

 

 けれど、ディーナはクラウスの問いに対して少しの間を開けてから了承の意を唱えた。それは王子に憧れる少女として、まるで綺羅びやかな未来を見据えた表情などではない。自身の全てを捨てるような覚悟をした顔であった。百合ハーレムを諦めた事など二人が知るわけもない。

 

「リゲルの奴が気に入らなければ、どうにか臣下として囲っておきたいな」

「……あまりオススメしませんが」

「ほう? あの悪名高きゲイルディア卿も娘を盗られるのは嫌か」

「いえ、アレはゲイルディアの血を強く受け継いでおりますので……」

「ああ、わかった。もういい、言うな。お前が忠臣である事は俺が保証する。安心しろ」

 

 何かを察したのかシリウス王は眉間を抑えて深い溜め息を吐き出す。厄介事の渦中に常に存在しているクラウス・ゲイルディアであるが、その実、何も知らぬまま渦中へと叩き込まれている事の方が多い事をシリウス王は理解していた。尤も、渦中にいるからこそ出来る事も多く、クラウス自身も性質とも呼べる境遇を利用できているからこそ現在の立場にあるのだが。

 

 クラウス・ゲイルディアはわかっていた。他愛のないこの密談もまた自身の悪名と悪行へと変化して語られるであろう事を。

 そしてソレらを勘違いした馬鹿が甘い蜜を啜ろうと自身に近寄ってくる事を。そしてソレらを排すれば自身にまた悪名がへばりつく事を。

 

 クラウス・ゲイルディアはこの国の忠臣である。



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08.悪役令嬢は婚約したい!

生存報告と匿名外します。目的は達成いたしました(意味深)


 メイドさんの後ろを着いていくという事に対して俺が思うことがあるとするのならば、イイお尻だなぁ、という事ぐらいである。擦れる布音と歩く度に動く臀部。骨格の都合上仕方なく、そう仕方なくである。

 女性らしい体つきも大変よろしい。お尻を揉みたい。いいや、いけないこれは邪念である。アマリナにもちゃんとご飯を食べさせないといけないな。ヘリオの奴にも栄養は必要だろう。

 はてさて、ミニスカメイドなんて物は存在せずに俺の視点上古風と思える一般的なメイドさんの後ろを歩きながら会話も無く、ただただ思慮の中へと没入できる。何よりメイドさんという物は大変よい。特に王城仕えというのが実にいい。

 そんなメイドさんのお尻を見学しながらリゲル王子の事を考える。第二王子、つまり王位継承権二位の息子である。現在の王族に関しては調べる時間もなかったから上にいるであろう第一王子様が何歳であるかもわからず、リゲル王子の下に妹か弟がいるかもわからない。

 王女が王子になる理由が必要ならどんな理由があるだろうか。第一王子が病弱で、娘として産まれたリゲル王女が王の都合で王子になった、とか。単なる男装趣味とか。偽る理由が必要なのか。

 沢山の理由が思いつくが、事実は不明のままだ。

 何にしても、俺が嫁ぐ相手であり、俺の婿になる相手だ。好きになる必要はないが、好かれる必要はあるだろう。手土産の一つや二つ持ってくるべきだったか。いいや、相手は子供だぞ。

 

「――ゲイルディア様? 到着致しましたわ」

「っと、申し訳ありませんわ。お城の風景に見惚れていましたわ」

 

 危ない。思考に埋没するのは一人の時だけにしよう。アマリナやヘリオの時もそうだったけど、どうにも変な癖がついてるみたいだ。シャリィ先生も目撃してるか? いや、注意してこないし多分大丈夫な筈だ。あの人も勝手に思考飛ばしてこっちの話聞いてない事あるし、お互い様だろうけど。

 さて、出会うのは王子様であるし身嗜みを軽く整えておかなくてはならない。自分の感覚上では整っていると思っていても、という事はざらにあるのだ。服装に変な折り目はついてないか。髪型は大丈夫か。ちゃんと笑えるだろうか。俺は知っているんだ。第一印象がどれだけ重要なのかを。

 やめてメイドさん! そんな生暖かい目で見ないで! 恥ずかしいから見ないで!

 コホン、とわざとらしく咳き込めばメイドさんがすぐに顔を背けて扉に向いた。それはそれでなんか複雑なんだよなぁ。

 メイドさんがノックをすれば扉の向こうから声が聞こえた。幼さを感じさせる声。実際幼いのだろうけど。

 

 あー変な緊張してきた。緩く瞼を閉じて、深呼吸を一つ。

 扉の開く音と一緒に瞼を上げる。開いていく扉の先、窓から差し込む光の中。窓際に佇む調度品のようなメイドさん。そのメイドさん達の視線の先。黒髪を短く切り整えられた存在。

 開いた扉か、ノックに反応していたのかその存在は俺の方を向いている。どこか懐かしさを思い出させるような、けれど違和感のある顔立ち。着せられているであろう少し豪奢な服も着こなしている。

 目を奪われた。というのは本心である。頭の中にあったおべんちゃらも無くなった。きっと将来この存在は美形になるに違いないと先ほど見た直系であろう王様を思い出して感じる。

 そして同時に、ワンチャン、あるんじゃないか? と脳に過ぎる。あまりにもこの王子様が可愛らし過ぎるので、きっと、もしかしたら、あるのかも知れない。

 だから俺は一歩前に出て、スカートの端をつまみ上げて頭を下げる。

 

「はじめまして、リゲル様。ワタクシの名はディーナ。ディーナ・ゲイルディアですわ」

 

 下げた頭を上げてニッコリと微笑む。微笑んでる。頑張れ俺の表情筋。なんかウチのメイドさんに引かれてるから鏡の前で何回か笑顔の練習をしただろう! 今こそ練習の成果を見せる時だぞ!

 バクバクと心臓が響く。ああ、その声を聞かせてほしい。信じてるぞ。俺にワンチャンあるって信じてるぞ!

 

「はじめまして、でぃーな……嬢。ぼくは、しるべすた王国のだいにおうじである、リゲルで……だ」

 

 その言葉に俺は思わず唖然とした。

 ガッデム!! 神は死んだ!! 幼い少女の声ではない!! クソったれ! もう何度目かになる神様の裏切りだ! 礼拝の時は覚えてろよ!

 いいや、そうじゃない。それは確かに少年の声であった。それはいい。確かに辛いけれど、まあいいだろう。女の子がよかったけれど現実なんてそんな物だ。諦める。

 その辿々しさや、言えた事での安堵した顔、メイドさん達のほっこりしたような表情。確かに俺もほっこりした。よくできましたって撫でてあげたい。可愛い。いいや絆されるな俺。

 確か、同い年である。間違いなく。その事を自分と対比すれば自分の異常性に気づく。自宅では自分勝手に色々とできていたが、確かにマズイ。落ち着け。表情を崩すな。

 しかし今更幼児化した所で取り返しはつかない。ならば進むだけである。俺は天才令嬢になるからな。

 お父様もお母様もメイドも何も言ってくれなかったから、俺がワールド・スタンダードだと思ってた。今の所見逃してくれているだけで、このまま何も考えずに育っていればマズかったかもしれない。悪魔憑きからの勘当ルートなど百合ハーレムの障害にしかならない。

 ありがとうリゲル様! 助かったぞ! さっすが婚約者! 相手の悪い部分をフォローするのが上手い!

 

「でぃーなは、ぼくのともだちになって、くれるの?」

「――……ええ。リゲル様。ワタクシとお友達になりましょう」

「やった!」

 

 両手を上げて喜ぶリゲル様。可愛い。なんだこの愛らしい存在は。こんなに可愛い存在が女の子な訳ないだろ。

 喜んでいるリゲル様を見ながら静かに息を吐き出す。トモダチ、である。婚約者とは随分関係性の違う間柄になってしまったけれど、五歳に理解しろというのも問題であろう。その辺り、我が王様はしっかりと事を運んだのだろう。お父様も見習って、どうぞ。

 そう考えると、お父様は俺の事を許容しているのだろう。親の視点で俺がどう写っているかなどわからないけれど。よもや「嫁げ」と言って「OK」と返ってくるなんて思わなかっただろう。いや、あのヴィラン顔は思ってるかもしれない。

 ともかくとして、俺のやるべき事はこの王子様と仲良くなる事なんだろう。別に嫌ってくれてもいいのだけれど、可愛い存在に嫌いなんて言われると落ち込むので頑張らないと……。

 

 

 

 

 

 

 子供の体力を嘗めていた。まあ走る走る。動く動く。アレクは大人しい方だったんだな、としみじみと感じてしまう。

 どちらかと言えばインドア派の俺であるが、ヘリオの為に剣術指南を受けているのが功を奏したのか、体力的には問題ない。けれどもまあ、走った。疲れた。

 庭園を走り回ったリゲル様はその体力を使い切ったのか、電池が切れたように眠った。信用が勝ち取れたのか俺の手をしっかりと握ったまま眠っている。メイドさん達からの生暖かい視線を受けたけれど気にしない。俺は幼女、俺は幼女。

 彼のベッドルームに入る、なんて十数年後にしたら襲われるような事であっても今の俺達からしてみれば単なるお昼寝の時間である。俺は眠くもないのだけれど。

 ベッドで眠っているリゲル様の隣でベッドに座りながらリゲル様に手を握られている俺。お姉さんしている感じがするけれど、同い年である。

 

 黒い事を言うなら、今の内に俺の意見無しでは動けないように洗脳教育すれば将来的に俺がこの国を操り、可愛い女の子をリゲル様に嫁がせるという名目で俺の百合ハーレムの増築ができるだろう。

 しかし、まあ、それは無い。俺は俺の力で百合ハーレムを築きたいし、それにより不幸になる存在が現れるのは本意ではない。何より国の運営なんて興味の欠片もない。

 お父様には申し訳ないけれど、玉座は諦めてもらおう。うん。やめとけって。悪役なのは顔だけでいいし、玉座奪った所ですぐに第一王子様とかがやってきて討伐されるのが見える見える。

 

「ん~、……」

 

 ため息を吐き出せば眠っているリゲル様がむにゃむにゃと口を動かしてまた夢の世界へと旅立った。艷やかな黒髪を撫でれば口元が緩んで擽ったそうにする。

 はぁー……可愛い。俺の婚約者可愛すぎない? これで育ったらイケメンだろ?

 百合ハーレムを作る俺であるけれど、その接点としてリゲル様との繋がりはあったほうがいいだろう。間違いないね。決してイケメンにやられた訳じゃない。これだけは真実を伝えたかった。

 

 しかし、暇である。眠くもないし。魔法式を展開して失敗すれば隣にいるリゲル様に被害を与えるかもしれない。そんな事をしてみろ。俺の首はアッサリ飛ぶ。間違いないね。

 さて、どうしたものか、と考えていれば扉が開いた。メイドさんが俺のフォローをしに来たかなぁとか考えたけれど顔を覗かせたのは黒い髪。ぎゅっと抱きしめている本が実に印象的であるけれど、そんな事よりなんて愛らしい子なんだ!! まじかよ! お姫様じゃん! 婚約者になろう!

 大きな瞳でこちらを見てくる黒髪の少女。見える服装や控えているメイドさん、髪の色から察すれば彼女は王族なのだろう。お姫様である。正真正銘。間違いない。リゲルに手を握られてなかったらスグに行って撫で回していただろう。だからリゲル、この手を離せ! 俺は! あの子を撫でるんだ!!

 

「はじめまして、ワタクシはディーナ。貴女のお名前は?」

 

 緩む顔を無理やり隠して、なるべく穏やかな声色を使って問いかける。扉の向こうに引っ込んだ。かわいいー。リゲルのせいで追いかけられない。クソかな?

 天使はすぐにまた顔を覗かせてきて、俺をじぃっと見つめてくる。なるほど、神様、これは俺に与えられた試練なのですね……感謝します神様。ありがとう。次の礼拝の時は期待していてくれ。

 

 意識を集中させる。普段使っている右手はリゲルに握られているから左手を前に出す。魔法式を構築。入力式、属性式。命令式。攻撃性などない、薄皮の空気を維持させたふわふわと浮く空気の塊。わかりやすいように空気中に漂う水蒸気を集めて雲を生成させる。出力。

 手のひらの上に出来上がった拳大の雲。出来たという安堵と気持ちのいい疲労が俺の体を通る。もう少し改変できるだろうが、今はこれで十分だ。

 ふわふわと浮いた雲の塊をフーと扉の方へと飛ばす。ふわふわと頼りなく浮かんでいる雲の塊であるがその実表面は空気の膜で覆っているからちょっとやそっとじゃ崩れない。

 ぽよん、と床を跳ねた雲が幼女の前にきて、幼女の目が輝く。今にも本を投げ捨てそうだけれど、それはいけない。本は文化の塊である。まあ魔法使い様の本達は尊厳の塊であったけれど。

 空間を意識しながら小さな気流を発現させて雲塊をこちらに寄せて、天井へと浮かして弾けさせる。空気中で凍ったのか、キラキラと名残を遺して消えていく雲塊。すまない……お前は幼女の気を引くためだけの魔法だ……。いつか昇華させてやるからな。

 

 さて、と幼女ちゃんの方を向けば相変わらずキラキラとした瞳で俺の方を向いている。ドヤァ。凄いだろ? 俺の百合ハーレムに入ろう! な!

 おいでおいで、と手招きすればテトテトとこちらに寄ってくる幼女ちゃん。可愛い。後ろに控えていたメイドさんが顔をこっそりと覗かせてきたので大丈夫ですよー、と笑ってみる。危害は加えないぞー。

 

「はじめまして、ワタクシはディーナ。貴女のお名前は?」

「……スピカ」

「はじめまして、スピカ」

 

 姫も何もつけないのはそっちのほうが仲良くなれる気がしたからだ。リゲル? ああ、うん。まあ気にするなよ兄弟。俺だって仲良くはしたいさ。たぶんね。

 

「それで、どうしてここに来たの?」

「あのね、わたしね、おにいさまにね、ごほんを読んでほしくてきたの」

「そっかー」

 

 可愛いなぁ。そのお兄様は遊び疲れて爆睡中なんだけどね。ゴメンね。

 ぎゅーってしたい気持ちを押さえつけながら、スピカちゃんに提案してみる。

 

「ではワタクシが読んであげましょう」

「……ほんと?」

「ええ。本当ですわ。さあ、こっちにおいでまし」

 

 俺の隣においでぇ……へへへ。もっと近くにおいでぇ……。おい、リゲルちょっと詰めろよ。

 自分の場所を少し移動させてスピカちゃんをベッドに座らせる。はァー……ちょこんって座ってて可愛い。お人形さんかなぁ。天使だな。歪みねぇな。

 渡された本は俺も読んだ事のある物語だ。どこからともなく現れた異国の勇者が魔王を倒すまでの話。そしてお姫様と結婚する話である。シルベスタ王国の出来上がり方でもある。

 リゲルもこのまま可愛いまま育ってほしいけれど、たぶん無理なんだろうなぁ……。ツラ……ご本読んでアゲヨ……。



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09.悪役令嬢は約束したい!

 一ヶ月ほど王城に通ってわかったことがある。

 陰口というべきか、それとも幼い俺だからなのか、まあそれは置いておくとして……ゲイルディアに対しての誹謗が多い。凄く、凄く、凄く多い。誰ともわからぬ大人が口を揃えてゲイルディア、ゲイルディアと、この国は大丈夫なんですかね? と意味のない心配をしてしまう程である。果たして大人は幼い俺が理解できていないと思っているのだろう。いや、うん、ごめんね。ホント。

 聞こえてしまった陰口に反論するのも面倒極まりなく、俺としてもゲイルディアが何をしているかは気になる。政務に携わる事なんてないし、お父様が何をしているかは正直不透明すぎる。何か悪い事をしているのならばそれを咎めなくてはいけない気もする。アマリナとヘリオの購入ルート? ちょっと何言ってるかわかんないです。

 ともかくとして、本題はお父様の悪行の各種ではない。今回よく聞く誹謗の内容である。「ゲイルディアが無理矢理に王へと進言してリゲル王子の許嫁を決定した」というのが大雑把な内容であるのだけれど、俺が中心人物なだけに聞き捨てならない。

 

 お父様が! そんな!

 

 しそうなんだよなぁ……。

 

 冗談はさておき、そんな『王様の決定をゲイルディアが決めた』と解釈されかねない誹謗がゲイルディアに向いている訳である。それも王城で、俺が出歩ける範囲でされている訳である。最初の方は「はぁぁぁああ!? 意味わかんね!」と言いそうになりながら笑顔で乗り切った俺であるが、よくよく思考してみれば不安になってくる。ホント、貴族として大丈夫? 王様へ矛先向いてない? 大丈夫?

 俺としても、そこは気になる。客観視すれば異端児というか明らかに頭がブッ飛んでる行動をしているとようやく理解できた俺をどうしてリゲル王子の許嫁に推薦したのか。そもそも王様も受け入れたのか? いいや、たぶんこの一ヶ月が試用期間なんだろう。そういうのは大切だしな。

 お父様の考えも王様の考えもわからない。お父様はたぶん玉座を狙っているのか、権力が握りたいのか……いいや、案外普通に王様に推薦しただけかもしれない。どうやら親バカらしいし。

 なら王様は? こちらは本当にわからない。話した事も初日以外はない。リゲル王子を地盤にして考えた所で幾分も年齢を重ねた王様の思慮を追うことなどできはしない。そもそも俺にそんな高等な能力が備わっているのかと言われると微妙な線である。

 

 あと、近くの廊下で誹謗がまた聞こえているんですが、近くにメイドさんもいるんだから自重しとけって。こういう貴族社会って縦の繋がりもそうだけどメイドさんとかの情報も強いと思うんだ。あとさっきから俺の方を心配そうに見てるメイドさんが可愛いです。いいぞ、もっとやれ。

 

 わかった事、というべきか既に知っていた事であったけれど。俺の許嫁が可愛い。その妹君に至っては天使である。そんなスピカ様を扱う天とやらがスピカ様を泣かせるような事があれば俺は神様を打倒するね。間違いない。

 

 一ヶ月の時間でそれなりに仲良くなれたと思う。リゲル様に至っては相変わらず元気だし、スピカ様もよくリゲル様の部屋に来ては俺に音読をねだってくる。可愛いかよ。可愛いぞ。

 そんな二人に俺は別れを告げなくてはいけないのである。辛い……辛くない?

 そもそもこの一ヶ月が俺の試用期間であったのか、単純に候補の一人をリゲル様に会わせる為であったのか。それとも単純にお父様の政務の都合と摺り合せた結果なのか。まあ理由なんてどうでもいい。俺は明日にでも領地に帰らなくてはならない。置いてきたアマリナやヘリオの事も気になるし。

 俺の感覚としては『お父様の政務の都合』という事で仕方ないと納得はできる。けれど、幼いリゲル様やスピカ様が納得できるのだろうか。否できない。できない筈。というか嫌がってほしい。ここであっさりと「あ、ふーん……」とか言われてさよならバイバイされると俺の心は折れるぞ。

 

 重い気持ちである。けれど、言わずに消える方が後々困るだろう。言いたくねぇ……。誰か代わりに伝えといてくれないかな……いいや、俺が言わねば……うぅ……。ツライ。

 深く息を吐き出して扉をノックする。

 

「ディーナ!」

 

 う゛っ……。

 開かれた扉の向こうには満面の笑みのリゲル。その隣には既にスピカ様もいる。なんとか笑顔を浮かべながら「御機嫌よう」と言葉が口から床に転がる。なんとも子供というのは苦手である。現在子供の俺が言えた事ではないのだけれど。

 これが大人であったならば早々に手紙でも叩きつけてサヨウナラであったに違いない。いや、異性の美形相手にそれをできる程俺は潔白で平坦な人間ではないけれど。

 

「ディーナおねーさま?」

「……スピカ様」

 

 俺の何かを察したのか、単純に一歩目を踏み出せなかった俺に違和感を覚えたのか。てこてこと寄ってきたスピカ様を俺は何も言わずに抱きしめる。柔けぇなぁ……。それにいい匂いがする。

 擽ったそうにするスピカ様から元気を少しだけ貰って、俺は意を決する。

 

「申し訳ありませんわ。ワタクシがここに来るのも今日が最後ですの」

「ふぇ……」

「……それは、ほんとう?」

「今日でお父様のお仕事が一区切り……」

 

 いいや、そんな小難しい理由を並べ立てた所で理解などされない。理解した所で意味はない。仕方ない、を積み重ねるのは俺だけでいい。

 大きく息を吸い込んで、細く吐き出していく。手が少しだけ震えるのはこの一ヶ月で親交を向けたのは彼らだけではないという事なのだろう。

 

「ええ。ワタクシは今日でお二人と遊べなくなりますわ」

「……ふぇ、ぇ、」

 

 泣きそうになるスピカ様を強く抱きしめる。あぁ温かい。いい匂いがする。柔らかい。震えている。どうすれば彼女は泣き止んでくれるだろうか。俺が残れば、とも考えてしまうけれどソレは無理だ。

 大きな瞳に蓄えただろう涙がゆるゆると頬に流れて俺の服を温かく濡らす。そのどれもが俺の心を締め付けていく。

 視線を向けたリゲル様もまた涙を蓄えて震えている。けれど彼は嗚咽すら漏らさず、蓄えた涙を少し乱暴に手で拭っている。彼は俺が思うよりも強い子であった。その事に少しだけ驚いたけれど、どこか嬉しく感じている俺がいる。

 スピカ様の御尊顔を眺めて溢れた涙を指で拭って撫でる。

 

「だから、今日は沢山遊びましょう?」

「……でも、でも」

「ほら、泣いていたら遊べませんわ。沢山、そう沢山遊んで、スピカ様が寝るまで一緒にいますわ」

「……ほんと?」

「ええ。絵本も読んであげますわ。勿論、リゲル様も」

 

 拭った水滴に魔法を流し込んで空気へと散らせる。

 さぁ遊ぼう。今日も二人が疲れ果てるまで遊ぶからな。任せろ、体力には自信がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日はもうすっげぇキツかったぞ……。走り回るリゲル様はいつもの事だけれどいつもはおとなしいスピカ様までハシャイでた。何度転けそうになってたことか……。何度それを助けただろうか……。メイドさん達もお疲れ様です。

 今は眠ってしまったスピカ様をベッドに寝かして、俺の手を放してくれないので俺も側にいる。ホント可愛い。子供は苦手だけれどこの瞬間だけは何物にも変えられないと思う。

 リゲル様もまた同じベッドに座っていて、眠そうな瞼をどうにか無理矢理上げている。何度か落ちかけているのを見ていればそろそろ眠ってしまうだろう。

 

「なんで笑ってるの?」

「ごめんなさい。寝てもいいですわよ」

「イヤだ。寝たら、ディーナがいなくなる」

 

 なんとも嬉しい事を言ってくれる。笑ってしまっていた頬が緩むのを感じる。この一ヶ月が試用期間だとして、本採用まで幾つかの段階があるかもしれない。本採用になれば一緒にまた遊べるだろう。許嫁の本採用、というのも中々にオカシイ字面であるけれど。

 俺の本心からすれば、リゲル様が誰を許嫁にしても構わない。それはリゲル様の好みの問題である。何にしろ、この国には尽くすつもりでもある。俺の百合ハーレムの邪魔をしなければ、であるが。

 けれど、それは俺個人の話である。俺の後ろにいるお父様の望みはそうではないだろう。

 

「……、王様にお願いすればワタクシはまたここで遊べますわ」

「ほんとう?」

「ええ。きっと……」

 

 なんせリゲル様が選んだのだから。その為に俺はここにいる。その決定を促す事は……きっと彼の想いを歪ませてしまう事だろう。だから、あまり口を出したくはないのだけれど。

 スピカ様が可愛いのがいけない。うん。ホント、このぷにぷにが可愛いんだよ。そうに決っている。そういう事にしておこう。

 このままリゲル様を促し続ければ、俺はまさに悪の女になってしまう。俺という意識が自身の正しさをリゲル様に押し付けてしまうかもしれない。その予防線は張っておかなくてならない。それこそ、俺はお父様の命令通りにリゲル様を傀儡にするつもりは毛頭無い。

 

「一つ、約束をしましょう」

「? やくそく?」

「そう、約束ですわ。リゲル様がリゲル様である為に、ワタクシがリゲル様を裏切らない事を」

「ぼくが、ぼくである……?」

「今は気にせずとも大丈夫ですわ。きっと、いつかわかる時が来ますわ」

 

 伸ばした手が自然と小指を立てていた。それを見たリゲル様は小首を傾げていて、俺も疑問符を浮かべる。ああ、うん、そうだった。指切りなんてこの世界じゃありはしないのだ。

 けれど口約束であれば彼も忘れてしまうかもしれない。それは、困る。後々、俺が暴走してリゲル様を傀儡にした挙げ句に後宮を俺のハーレムに仕立て上げるなんて事をしてしまうかもしれない。それでもいいかもしれないが……。

 いいや、ソレをしてみろ。未来はきっと真っ暗だ。俺が好き勝手すればゲイルディアの女である俺は即刻怪しまれてある罪ない罪で裁かれるのだ。主に後宮を百合ハーレムにしているとか国庫を勝手に使うとか、そういう名目で処刑されるに違いない。

 だからこそ、この約束は俺にとっての枷でもある。リゲル様の為に、国の為に尽くす為の枷だ。

 

「これは……昔話の勇者がしていた古来よりの契約法ですわ」

 

 嘘ですごめんなさい!! でも絶対最初の王様は転移系勇者に違いない。どれだけ文献漁っても彼の行動が実に日本人らしいし、学校とか作ってるし、何より薄まっているだろうけど日本人の血脈なのか黒髪黒目だし、ああ、クソ。王城にいたなら最初の勇者の文献ももっとあった筈なのに忘れてた。

 

「……わかった。どうすればいいの?」

「ワタクシのように小指を立ててくださればいいですわ」

「こう?」

 

 ええ、と肯定してからリゲル様の小指を絡める。これを契約、と言ってもいいのかわからないけれど。双方に理がきっとある……たぶん。一方的な契約を結ぶと上司に何を言われるかわからないけれど、今はその上司も存在していない。

 

「指切りげんまん、嘘ついたら――針千本のーます、指切った」

「……はりせんぼん……」

「ええ。怖いでしょう? だから、ワタクシはリゲル様を裏切りません。絶対に」

 

 これは俺に対しての誓いである。リゲル様にとって不利益になることはしない。それが今の自分にとって仕方ない事であっても、精一杯抵抗してみせる。この一ヶ月で絆された、というか個人的にリゲル様は好きな部類というべきか、俺という存在の枠組みの中に既にリゲル様を置いてしまったのだ。

 だから、俺はリゲル様を裏切らない。泣いてほしくない、という感情は年上だからであろうか。

 

「ほんとうに、また会える?」

「ええ。リゲル様がそれを望むのなら」

 

 だから、今はおやすみなさい。スピカ様に握られていない、先程約束にも用いた手でリゲル様を撫でて寝かしつける。この一ヶ月で慣れてしまった事だ。

 約束に満足したのか、それとも単純に力尽きただけなのか、リゲル様は瞼を閉じて少ししてから静かに寝息を立て始めた。

 

 そんな誓いをしたけれど、どうすっかなぁ。不利益になる事はしないつもりではある。それにしてもお父様も問題でもあるんだよなぁ。あの悪役の考えている事がさっぱりわからない。なんとなく予想はできるけれど、それよりも悪辣な事を考えていたならば俺の手に負えない。

 親バカのお父様、悪役のお父様、果たしてどれもお父様の側面であるのだけれど何を信じればいいのかはわからない。

 まだ時間はある。まだ焦るような時間ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰りの馬車の中。相変わらずの悪役顔であるお父様と同じ空間である。

 探りを入れると俺のボロが出そうなんだよなぁ、この人。それはマズイ。いや、ある程度ディーナという異物を受け入れているあたり問題はなさそうだが「百合ハーレム築きます!」とか言った日には日すら見れない生活になりそうだ。それは本当に困る。

 揺れる馬車で無言である。その方が楽である、と行きはさっぱり思わなかった事を思ってしまう。

 

「ディーナ」

「……はい」

「リゲル様とはどうだ? 仲良くできそうか?」

 

 探り入れてきやがった……。あまり言葉に詰まるのも問題である。リゲル様と離されるのも、たぶん問題になるだろう。次の許嫁が送られて、終わってしまう。

 

「順調ですわ」

「そうか。順調、か。ククク……」

 

 怖い。思わず漏れてしまったであろう笑いを手で抑えてはいるが、その笑みはまさしく悪役であった。

 実の親ながらなんとも恐ろしい笑いである。助けて……アマリナ助けて……。癒やしが、癒やしがほしい。

 

 

 自宅に戻った俺がアマリナとヘリオを呼び出して抱きしめた事は決して間違いではない。

 あぁ、癒やされるんじゃぁ……。



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10.奴隷少女は答えがほしい!

閑話的な物


 暗闇がそこにはあった。聞こえるのは誰かの叫び声と叩かれるような音。

 当然だったモノが当然では無くなり、いる筈の兄との関係も全て絶たれた。

 泣けていたのは数日だけ。次の数日は怯え続け、そしていつしか何も抱かなくなった。

 希望も、絶望も、何も、自分には必要の無いモノで、それらがあれば苦しいとわかったから、逃げ出した。

 兄も、たぶんそうだろう。

 飼われる事に何も感じなくなった頃、悲しみに染まっていた頃に言われていた事を思い出す。

 見知らぬ男が自分と兄に言った言葉。いい金になる事、酷い目に遭うこと、この暗闇よりも深い黒が買われた先にある事。そんな事を思い出してしまう。

 だから、考える事など諦める。痛いのは嫌だ。辛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。

 

 誰かの足音が聞こえた。複数ある足音の一つがゲビス様である事はわかる。

 足音が止まり、誰か達の声が聞こえる。一人はゲビス様で、残りはわからない。自分を買う話である事も、わかる。

 悪魔に買われる。その事は既に諦めていた。この暗闇から更に深い黒に落ちるだけ。それだけだ。

 錆びた鉄格子が開いて、誰かが近付いてくる。

 そこでようやく、顔を上げてその悪魔を視界へと入れる。

 悪魔の背後の光で金が揺れて光る。

 

「今日からわたくしが貴方の主人ですわ」

 

 あの日、私達は悪魔に買われた。

 

 

 

 

 

 

 

 空に太陽が昇る前に少女は目を覚ました。

 震える瞼を上げて、ぼやける焦点を静かに合わせていく。天井に見える模様。シーツの質感。冷たい空気を飲み込んで、肺から空気へと注ぎながら瞼を下ろす。

 夢を見ていた。確かにそれは夢であった。けれど緩やかに現実味を帯び、自身へと積もりながら形を作っていく。

 あやふやな、もう思い出せない夢の内容。それでも確りと少女はその出来事を記憶していた。それはきっと少女の兄にあたる存在も、そうであろう。

 夢ではない、記憶を緩やかに辿りながら少女は起き上がる。

 スルリと落ちたシーツを整えるでもなく、スラリと伸びた脚をベッドから降ろす。そのまま立ち上がり、何にも包まれていない身体を天へと伸ばす。顎を上げ、胸を張り、踵を浮かせて、つま先へと意識を向ける。冷ややかな空気が身体を撫で、吸い込んだ空気と混ざり、隔てを消していく。

 

 

 自然と下りていた瞼を上げて、少女は自身を積み上げる。

 弓なりになっていた褐色の身体を戻し、音を立てずに足を運んで慣れ親しんだ仕事着を着込む。長いスカートが動きにくいと思った事は何度かある。そんなモノは最初だけで気付けば気にもならなくなった。

 袖に腕を通して手首のボタンを締める。エプロンを掛けて手探りで結ぶ。

 手櫛で簡単に髪を撫で付けてカチューシャを装着する。

 おかしな所がないか、確認をして少女は窓に立ち、空を見つめる。まだ太陽の昇らない薄暗い蒼紫が広がる世界。一日の始まりがまだやってこない世界。

 この時間より名を消されていた少女は――アマリナとなる。

 

 

 

 悪魔は一人で何だってできた。

 難解な魔法式を扱い、剣も扱い、更には政治、歴史、一般的な生活まで。まるで貪欲な獣のように知識や技術を咀嚼していく。少なくとも、アマリナにとって悪魔と呼ばれている存在の印象などその程度の物だ。

 証明をするように元々悪魔の側にいたメイドから言われた事は「お世話しがいのないお嬢様」である。このメイドは少ししてから笑顔で「お世話しがいのある御子息」の話をするのだが、それは今は関係の無い話である。

 誰もが言う「お世話しがいのないお嬢様」というのはアマリナにとってはそうではない。

 

「お嬢様。失礼いたします」

 

 反応の返ってこないノック。そろそろ日も昇り始めている。館の主が起きるまではまだ余裕はあるであろうが、アマリナは悪魔の命令のままに毎朝この時間に扉をノックしなくてはならない。返事が返ってきたのは最初の数回程度だ。

 断りを一つだけ零してアマリナはドアノブを捻り、開ける。

 

 扉を開く音に反応したのか、ベッドが膨らみがもぞりと蠢く。

 一拍、二拍、三拍。遅めに数えて三拍子。ソレはのそりぐらりと起き上がる。

 微睡みの中に在るのか頭が項垂れ、揺れる頭と一緒に金の髪がシーツの上へと流れ落ちる。

 緩やかに開かれた瞼からは青の瞳。美しい、金色の悪魔。それがアマリナの主であるディーナ・ゲイルディアという女であった。

 

 調度品の如き美しさを人間味で汚すようにして悪魔は大きく口を開いて空気を吸い込む。喉の奥から音を出し、腕を伸ばして肩を動かす。何かの癖のように首を左右へと倒して、ぐるりと一周させて、ようやくディーナはアマリナへと向き直る。

 

「おはよう、アマリナ」

「おはようございます。ディーナ様」

 

 力なく笑ってみせたディーナに対してアマリナは硬い表情でいつものように頭を下げた。自身と相手との関係を考えればアマリナの行動は正しい行動である。

 

「もっと力を抜いていいぞ。俺だってそうだし」

 

 お嬢様らしくない口調、それ以上にまるで男性のような言葉を口から吐き出したディーナは欠伸を大きくしてから、また瞼が重くなるのを感じる。眠気を振り払うようにベッドから下りて今一度背筋を伸ばす。「あ゛ぁ゛~」と少女の口から出たとは思えない唸り声が漏れる。

 ディーナが起きた事をしっかりと確認したアマリナはハンガーからドレスを手に取りディーナへと渡す。「ありがとう」と感謝の言葉が口から出されてディーナはくるりとアマリナに背中を向けて着替え始める。

 窓の近くに椅子を置いて化粧台に乗せられていた櫛を持つ。慣れた行動であったし、慣れさせられた行動でもある。失敗をした所でこの主が何か小言を口にしない事をアマリナは知っている。

 

「さて、それじゃあ頼むよ」

「お任せください。ディーナ様」

 

 椅子に座ったディーナは視線だけで窓の外を確認したり、手近にあった紙束を解いて吟味するように読んでいる。その後ろでアマリナは寝癖ではねた髪を櫛で梳かしていく。

 悪魔は一人で何だってできたが、なにもしないのだ。

 何もしない訳ではない。自身が求める事は積極的と言えるぐらいにしている。それこそ幼い頃からである。

 その延長であったのか、それとも最初から必要としていなかったのかはアマリナが認知する所ではないが、以前の世話役からの引き継ぎでは『最低限の事をしていれば問題ない』と言わしめた程である。

 こうして髪の梳かし方もディーナ本人からアマリナは教わった。ディーナの好みの紅茶の淹れ方も。大凡、ディーナ・ゲイルディアという少女の世話をするにあたって必要最低限以上の事はディーナ本人から教えられた。

 唯一、手を出せないのは着替えぐらいだろうか。

 

「ディーナ様」

「んー?」

「ディーナ様は何でもできるのに私にさせるのはどうしてですか?」

「別に何でもできるわけじゃないんだけどなぁ……そう。なんでもはできない。俺にできる事だけさ」

 

 問いかけてみても悪魔はしたり顔で得意げにそう言うのだ。何が楽しいのか笑みも浮かべている。

 やはり真っ当な答えが返ってはこなかった。悪魔が真っ当な答えを返すとも思っていなかったアマリナは「そうですか」と短く会話を切り上げた。

 手に触れている肌触りのよい金髪。指で弄びながら、櫛を通していく。

 いつまでも触れていたいのだけれど、いつまでも触れていてはいけない。アマリナは髪を手放してテキパキと櫛を片付けていく。

 

「ん、終わった?」

「はい」

「ありがとう。うん、今日も頑張ろうか」

 

 読んでいた紙束を机へと置いて、ディーナは後ろへと身体を回して両手を広げる。いつの間にか習慣になってしまったソレに対してアマリナが疑問を浮かべる事はない。最初は意味もわからずにしていたけれど。

 ディーナの胸にゆっくりとアマリナは顔を押し当てる。

 柔らかい感触。コロンの香り。僅かなぬくもり。一定の鼓動。撫でられる頭。

 いつの間にか、習慣になってしまった行為。日課のように繰り返される抱擁。

 疑問を浮かべていた時期には悪魔がどうして抱擁するかわからなかった。少し前まではただただ嬉しかった。今は、その腕の中に入る事を少しだけ躊躇してしまう。嬉しくない訳ではない。嫌な訳でも当然無い。

 

「よし――さて、今日も頑張りましょうか」

「はい。お嬢様」

 

 放されてから僅かに失った感覚があるのも、アマリナにとっては既に慣れてしまった事なのだ。

 

 

 

 

 

 

 日中のアマリナの仕事は館に勤める他のメイド達とそう変わらない。当然、最優先はディーナの事であるがそのディーナが自身のことをアマリナに命令することは少ない。

 そのことに不満はない。アマリナ自身、ディーナ以外に仕えたことが無いのでその差はわからない物の、ディーナには確かに恩義がある。不満などある訳がない。

 今にも思い出せる暗闇と悲鳴。泥のような世界の中で伸ばされた蜘蛛の糸。その糸を取った――いいや、自身とヘリオを絡め取った蜘蛛の糸は確かに自身をすくい上げたのだ。

 

「で、アマリナは何を悩んでるんだ?」

 

 仕事の休憩時間であるアマリナにそう言ったのは褐色の少年である。アマリナと同じ色の髪と瞳を持つ少年、ヘリオは執事服ではなく、簡素な衣服を着用し、流れていた汗をアマリナに渡された布で拭っている。

 

「……お嬢様はどうして私達を救ったんでしょう」

「お嬢も言ってたろ? 息抜きだよ」

「ヘリオ、()()()よ」

「俺だってリヒターさん達の前ならお嬢様って言ってるよ。お嬢がこう言えって言ってんだよ」

 

 困ったように刈り上げられた短い髪をガシガシと布越しに掻いたヘリオはムッとしているアマリナに言い訳のように呟いた。

 逃げるように、一度溜め息を吐き出してヘリオは腰に差した木製の剣を軽く叩く。

 

「お嬢――、あー、()()()、は俺たちに役目をくれた。アマリナにはメイド、というか世話役を。俺には護衛役を。というかお嬢様もそう言ってただろ?」

「それは、そうですが……お嬢様は何でもできるでしょう?」

「まぁ……そうだな」

 

 何かを思い出すように腕を擦ったヘリオ。よく見れば昨日はなかった痣がうっすらと浮かんでいる。最初はディーナのごっこ遊びから始まったヘリオとの訓練も今は確りとした監視が付いた物へと昇華している。尤も、ディーナには監視ではなく剣の師匠として話は通されているが。

 

「それに、お嬢様は私達を求めているのに、自由にしていい、とも言うじゃないですか」

「お嬢の考える事が俺たちにわかる訳ないだろ?」

「お嬢様」

「へいへい」

 

 あの悪魔の考えなど理解できるわけがない。そんな事、アマリナとて理解している。

 けれども、それでもアマリナは(カツボウ)を潤す為に(コタエ)を探してしまう。

 

 

 

 

 自由。その言葉は自身とヘリオにとってどれほどの意味を持つのかは両者とも理解しているつもりだ。ゲイルディアからも、何もかもから解放される。それは同時に悪魔との契約も切れる事を意味する。

 奴隷からの解放。悪魔との契約の完遂。自由。

 アマリナもヘリオも、その意味を知っている。なんせ、散々に悪魔から教えられたのだから。今の自分達のいる現状を。そしてそこからの行動も。何もかもが悪魔から与えられた物でしかない。

 知識も。

 力も。

 役目も。

 名前ですらも。

 

「ん? どうかしたか? アマリナ」

「あ……いえ、申し訳ありません」

「ふむ。まあいいさ」

 

 眠る前にディーナに呼び出されたアマリナは命令通りに髪を梳かしている。ディーナ本人はと言えばアマリナが来るまでにペンを走らせていた紙を眺めていたが、アマリナの手が止まっていた事に気付いたのだろう。

 

「それで、アマリナは何を悩んでいるんだ?」

「……ヘリオ、ですか?」

「まさか。これでも俺はお前たちの主人だからな」

 

 だからわかる、と肩を竦めてみせたディーナに対してアマリナは渇きを覚える。

 どうしようもない感情が、必要とも思えない感情が、答えを求めてしまう。けれども、それは求めてはいけない物だ。答えなど必要ではない。

 矛盾する。

 水を求めている筈なのに、その水を飲む事を拒んでいる。

 矛盾する。

 

「ディーナ様は……どうして私達を買ったのですか?」

「どうして?」

 

 水差しへと手を伸ばしたアマリナはその口から出てくる(コタエ)を求める。

 悪魔は何だってできた。

 悪魔は一人で何だってできた。

 難解な魔法式を扱い、剣も扱い、更には政治、歴史、一般的な生活まで。まるで貪欲な獣のように知識や技術を咀嚼していく。

 けれど、悪魔は一人で何もしない。

 

「俺に必要だったから、じゃダメか?」

「ディーナ様はお一人で全てできるではないですか」

「一人で何でもできる訳じゃないんだけどな……」

「ディーナ様に私が必要だとは思えません」

「……自由がほしいのか?」

 

 ピタリとアマリナの手が止まる。震える。声が上手く出ない。震えた空気だけが喉を揺らした。

 首だけでなく、体ごとアマリナの方へと向いたディーナは双眸に深い青を写し込む。揺れている瞳をしっかりと覗き込み、逃げられないように褐色の手を掴む。

 

「アマリナ。こっちを向け、アマリナ」

 

 短く、しっかりとした口調にアマリナは逸しそうになる顔を自身の主へと向ける。

 自身とは違う青の瞳が強い意思を伴って向けられている。

 

「自由がほしいのか? そうなら言ってくれ。お前がそれを望むのなら生活に必要な知識と力を身に着けさせて支度金を渡してお前を自由にしてやろう」

 

 アマリナは首を振る。違うのだ。求めている水はそんな事ではない。そんな()()()()()ではない。

 呪いに掛かったように喉が上手く動かない。アマリナは必死に否定する為に首を横に振る。

 

「では俺が嫌になったか?」

 

 アマリナは首を振る。

 

「――では、お前は俺の物だ。俺の為に生きろ。俺の側に居続けろ。ここがお前の、アマリナの居場所だ」

 

 掴まれていた手は緩やかに解かれ、指を絡められて自身がこの場にいる事を明確にしてくれる。

 悪魔は微笑みながら、朝のように私を包み込む。熱い瞳から液体が溢れ出て、ご主人様の衣服を汚していく。ソレを許すように、髪を撫でられる事がどれほど嬉しく思えるか。

 ああ、認めてしまえばこれほど簡単な事だったのだ。

 水差しから注ぐだけだったのだ。

 それは自由とは程遠いであろう答えである筈なのに、どうしてかアマリナは満たされていく。

 

 

 翌朝、どうしてかディーナに見守られながら目を覚ましたアマリナが固まってしまいディーナは微笑みながら着替えを頼んだのである。

 



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11.悪役令嬢は補いたい!

短め。
ガソリンを沢山戴いたので走ります。


 魔法という物は自然界に存在している現象を書き換える方法である。

 当然、その方法を適応する為に通貨が必要で、その通貨を魔力と呼んでいる。

 現存する魔法は想像した現象を起こす為に詠唱し、その想像を明確化させて支払う魔力を軽減させているだけに過ぎない。想像が確固とした物であるならば支払う魔力は詠唱した物と同等になり得る。

 

 では魔法式とは何であるか。それは詠唱であり、想像であり、そして計算の上に成り立つ物だ。

 過程として計算が入ってくるだけであり、その実、現存している――便宜上【想像魔法】と結果は大差ない。魔力を自然へと支払い、現象を書き換え、施行する。

 けれど、過程に於いて大きく違う。現象は正しく計算された結果であるし、逆に言えば支払う通貨――消費魔力も予想できる。更に言えば、結果だけを先に置いて逆算方式として消費魔力を決定している【想像魔法】とは違い、消費魔力を増やせば増やす程その効力は増す。

 

 

 つまりである。魔力があればあるだけ強い力を行使する事ができる。この点も、ある意味【想像魔法】と結果は同じである。

 さて、ここで問題がある。

 自身の中に魔力がなくなればどうなるか。魔力を通貨に例えたと同じであるならば、自身は財布である。眠ればある程度回復する魔力は、つまり眠れば自然と財布の中に通貨が入ってくる訳である。なんて嬉しい事だろう。沢山お金がほしい、と侯爵令嬢らしからぬ事を思ってしまう。

 財布の中にお金がなくなればどうなるか。魔力の枯渇を意味しており、最悪死に至る。この世界の人間の体も上手くできているようで、魔力が枯渇すれば防衛機能が働くのか気絶する。した。

 調子に乗って「ひょっぁぁあああ!! 魔法しゅごいのぉぉぉおおお!!」ってしてたらいつの間にか気絶していて甲斐甲斐しくアマリナが俺の面倒を診ていたのだ。役得かな?

 

「貴女は……いえ、結構。教えていなかった私の不足です」

 

 とやや呆れ顔でシャリィ先生から言われたのも役得だろう。間違いないな!

 そこから体感時間二時間程度のお説教という名の個人授業をしっかりと受講した俺が気付いたことはシャリィ先生と俺の魔力量の違いである。当然、ハーフエルフであるシャリィ先生の方が多い。

 更に説教で発覚した事は俺の魔力量の少なさである。シャリィ先生が樽なら俺は試験管がいい所である。シャリィ先生が多すぎるので比較するのも烏滸がましいけれど。

 

 ここはさ、こう……沢山魔力を持った転生者がこう……ドカーン、とするような、そんな夢を少なからず抱いていた訳だけれど、その夢はあっさりと打ち砕かれた訳である。大魔法使って「ディーナ様格好いい!」がされない訳である。そんな事許せるだろうか? 否! 断じて否である。

 俺は百合ハーレムの為には努力を惜しまない男である。女だけど。

 学んでいたのが魔法式という点もよかったのだろう。自身で魔力量を操作する事のできる魔法式ならば少ない魔力で大きな結果を生み出す事ができる。実に運がよかった。

 その事で改めてシャリィ先生に感謝を伝えてみればむにゃむにゃと口元を緩めて、それを取り繕うように溜め息を吐き出された訳だが。可愛かったので小まめに感謝を伝えようと思った俺は悪くない。

 

 

 さて、結局の所。俺の魔力量の問題はシャリィ先生の照れた顔では解決しないのが現実である。それで解決するのならば一石二鳥だろう。

 魔力を使い続けると魔力量が増える、という野菜星人よろしくな方法を聞けば「それは自身の出せる魔力量を増やしているだけで総量は増えない」とシャリィ先生のお言葉を得た。これもかなり要約している言葉であり、実際は論文よろしくな長い言霊がシャリィ先生のお口から吐き出された訳である。早口で。

 総量として、器の小さい俺ではその訓練は意味が無いという事も確りと釘を刺された。倒れた俺よりも顔を真っ青にさせていたのは……お父様ですね、わかります。

 

 ともあれ、総魔力量は増やせない、という事が常識であり、法則である。「俺は人間をやめて、限界を超えるぞぉぉぉお! シャリィィイィィイイ!」 なんて事もできない訳である。石の仮面も無いのだけれど。

 ならばどうするか。現状を受け止めて百合ハーレムを諦めるか? 否だ。そんな事は認めない。ならばどうすればいいか。答えは簡単だ。

 

 魔力を増やせばいい。

 

 何でもかんでも直列に考えるからダメなのだ。直結したいのは女の子同士だけでいいのである。

 入力先を増やせばいい。多人数での魔法は文献……文献、と言ってもいいかわからないけれど、自尊心のインクを矜持の筆で書き下ろした文章群の中に存在している。儀式魔法とか、格好いいのでは?

 しかしながら、魔力の少ない俺の側にいるのはアマリナとヘリオぐらいである。その二人から魔力を借り受けて魔法を行使するのも気が引ける。

 なら新しい奴隷を魔力タンクとして買うか? それもそれで何かカッコ悪い。

 ついでに魔力タンクを購入して魔法を行使してると、ほら、ソレが無いと魔法が使えない事がバレてしまう。ディーナ様格好いいができない可能性が出てくる。それは避けたい。

 

 そうして出した答えが、俺の目の前に転がっている。

 表面に小さなキズが刻まれた透き通る石である。

 

「できた……ククク、ハハハ、アーッハッハッハッハッハッハッハッ! (ワタクシ)はやはり天才なのかもしれませんわ!」

 

 おっと、嬉しさのあまり笑ってしまった。興に乗って悪の三段笑いなんて披露してしまったあたり疲れてるのかもしれない……。魔力の使いすぎで頭も痛い……。寝不足も原因かもしれない。

 

 

 いつの間にか眠っていたらしい俺はベッドの上で目を覚まして、どういう事か一緒に眠っていたらしいアマリナの寝顔を眺めて現実へと帰ってこれたらしい。

 

 机の上に転がる透明の石をつまみ上げて、指の腹で傷を確かめる。問題はない。

 夢じゃなかった。ちゃんとできている。

 魔法式を組み上げて、入力の部分だけを変更する。外部入力として石を指定して、出力する。

 石を持つ手とは逆の手の先から小さな火が灯る。自身から出ていく魔力は、無い。

 

「っしゃあ!」

「ふぇっ!?」

 

 思わず声を出してガッツポーズしたらアマリナが起きてしまった。反省する。アマリナ可愛いぞ。今日もハグしような。

 

 

 

 

「先生、これをご覧ください」

 

 ドヤァァァ。と言わんばかりに消費した物ではなくて別の日に新しく作った石をシャリィ先生へと提出する。今の俺はイキれる。やっぱ転生者かなー、気付いたら異世界にいたし。

 シャリィ先生は「ふむ」と一息吐き出してから石をジィっと見つめる。

 

「……魔石ですか。それにしては随分粗悪な物ですね。込められた魔力も少ないですし、表面の傷も……」

 

 え、待って、魔石ってなんだよ……。ハァー、つっかえ。やめたら? この方法。

 マジか……今までの苦労も水の泡、というか代用品があったというか……ツライです。

 しかも粗悪とか言われてるんだぜ……。これでも俺の3日の魔力を全部込めた挙げ句に消費とか入力とか色々考えて式を刻むのに日数いるんだぜ……。

 

「ディーナ様、これをどこで手に入れたのですか?」

「私が作りましたわ……」

「……いえ、結構。ディーナ様に関して驚く事など慣れましたが……そうですか、結構、実に、結構」

 

 なんか酷い言いようですね先生。もっと俺を褒めてもいいんですよ? 褒めちゃっても、いいんですよ。

 マジマジと粗悪品と架空の値札が貼られた俺の魔石を見つめるシャリィ先生が満足したように一息吐き出してから優しく俺の手へと石を返した。おかえり粗悪品。ペッ。

 

「実に素晴らしい出来です。刻まれた文字も実に良い。先程は粗悪品と称しましたが、発掘された魔石程の魔力はありませんし、傷に見えた故の間違いです。訂正と謝罪をしましょう」

「先生、謝罪は必要ありませんわ。私達の仲ではありませんか」

 

 やっぱ魔石様様だな。大事にしなければならない。当たり前だよなぁ! つばを吐くなんてとんでもない。

 あと、先生、謝罪は必要ないけど軽くディスってくるのはなんで? 俺が魔力量で悩んでるって知ってるよね? 自然にある魔石とやらと比べるってそれこそ宝石と砂ぐらいの差があるんじゃないんですか? 知らないけど。

 

「所でディーナ様」

「はい?」

「この魔法式をどうやって?」

「? 私の風で刻みましたが……それが何か?」

「結構。では、ディーナ様。魔法式に関して知見を深めれば必ず私に報告するとお約束致しましたよね?」

「え、ええ。あの魔法で倒れた日に……」

「では、私の知らない間に魔法式の術式を解読しているのは、どういう事ですか?」

 

 ニッコリと普段は絶対見せない笑顔のシャリィ先生。俺、知ってるんですよ……これが狂人の笑顔だって……。

 魔力式の術式なんてシャリィ先生大体知ってるじゃないか。俺は入力式をちょっと弄っただけだぞ! 俺は悪くねぇ!

 

「そ、その、シャリィ先生?」

「結構。実に、結構。次のレポートを楽しみにしていますよ、ディーナ様。何、私達の仲です。期待していますよ」

「ま、任せてくださいまし……」

 

 くっそ、逃げ道がない。いいや、逃げるなんてできる訳がない。レポートがなんだ馬鹿野郎俺は勝つぞこのやろう!



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12.悪役令嬢は贈りたい!

誤字報告ありがとうございます。日本語が不自由な作者でご迷惑をお掛けいてします。
今からもお世話になると思いますが訂正していない部分は日本語的に間違っていても、私が「この表現がいいの!」となっている部分ですのでご了承の程をお願いします。

この場をお借りして、改めて感謝をば。
ホント、ありがとうございます。

※NL描写があります。
なんやこの注意書き……


 舞踏会という名の社交界において俺という存在は壁の花に徹しなければならない。

 王族であるリゲルの許嫁であり、あのゲイルディアの娘だ。壁の花になりたくなくても壁に飾られるのが宿命みたいな物だ。

 というか、貴族の親が何を言い聞かせているのかわからないけれど、皆俺に話し掛けてくれないのである。決して俺が嫌われているとか、そういう理由ではない。きっと。たぶん。過分な評価が悪いのだ。

 シャリィ先生がこの場を避ける理由はある程度理解できる。ニコニコと笑いながら皮肉を交わし、ゲイルディア当主がいない事をいい事に俺にまで探りを入れてくるような場所である。シャリィ先生なら「本を読んでいる方がマシ」とでも言うに違いない。

 

 けれども俺はゲイルディアの娘である。お母様とお父様が俺をこの場に出すことに躍起になっているのである。俺自身も出なければいけない事を理解しているけれど、出来ることならばあまり出たくはない。

 確かに着飾ったご令嬢達を視界に入れるのは非常に目の保養になる。咲き誇る花達を見るのは非常に素晴らしい。俺から声を掛けたら避けられる事を除けば。

 

 舞踏会に一番最初に出た時はよかった。ゲイルディアという看板を背負いはしていたけれど、幼さの抜けきらない少女達に気軽に声を掛けて談笑を楽しむ事が出来たのだ。加えて俺よりも年上のお姉さま達にも社交界の在り方を学んだものだ。先手を取って目に見えるような嫌味を叩きつけられ、数日後には謝罪のお手紙を頂いた訳である。次の舞踏会で俺を見かけた瞬間に顔を青くしてこっそりと逃げ出すか、下手な笑顔で俺に謙って更に下手な探りを入れてくるかのどちらかにならなければきっといい関係になっていただろう。

 花たちの争いというのは美しさを競う事の他に自身の背負った看板を用いて殴り合うという貴族特有のマウントの取り合いがあるのだけれど、全く以てそんな事に興味の無い、というか花に価値を見出そうとする俺とは隔絶された世界の争いなのだから静観しながら笑顔を浮かべる事を徹底していたらこうなったのである。

 確かに、俺も悪かった。俺は花を手折る側ではなくて花そのものである事を理解していた訳だし、そりゃぁゲイルディアの名前を背負っていた訳であるから調子に乗って花を愛でる事も出来ずに必死だったのだ。お嬢様の状態を維持しながら目立たずに、波風を立たせないようにした結果が今なのである。俺が何をしたって言うんだ。俺は悪くない。

 

 まあ、花達が避ける事も、変に媚びてくるのも、いいとしよう。可愛いし、綺麗だし、許そう。俺は心が広いからな。こっちに探りを入れてくるのも、許そう。情報を漏らす事はないし、勝手に漏れてくるアチラさんの情報もある。精査の必要はあるだろうけど、それは俺の仕事じゃないし所詮令嬢から漏れ出てくる情報だ。政治的な価値はそれほど無いだろう。有力そうな物はお父様にご報告させていただきますね!

 

「貴女はまるでこの場に咲いた大輪の花だ。成長なされて増々美しくなった」

「ありがとうございます」

 

 虫唾が走る。

 舌打ちをして目の前にいる男を睨みたい気持ちを抑え込んで笑顔を貼り付ける。

 花達が何をしようが俺は怒らない。ああ、そうさ。なんせ可愛らしいのだから、怒る必要がどこにあろうか。だが、俺に言い寄ってくる男は俺の手ではなくて是非とも地面とキスでもしていてほしい。

 これで四人目である。あー、モテてツライわー。マジツライわー。誰か代わってほしいなー、マジで代わってくれ。

 このまま踊りに誘われるまでがワンセットな訳だけど、本当に勘弁してほしい。社交界に出席したくない理由の大半がこういった馬鹿が原因である。けれどゲイルディアの名前のお陰で俺は出席しなければならないし、許嫁の都合もある。

 俺の許嫁が王族である事はわかってる筈なんですが……。リゲルが来るまで談笑するぐらいならいいんだけど、踊りどころか婚約まで申し込んできた奴が居た時は驚いた。その時は笑いながら「冗談はよしてくれ」とお嬢様言葉を吐き出したけれど、ドコかにドッキリ成功とかの看板でもあったんですかね? それともコレも王族に入る為の試験か何かでどこかで監視されてたんですかね? まあ次の舞踏会でも相変わらずだったから絶対違うけどな!

 

「――是非とも一曲ご一緒していただけますか?」

「申し訳ありませんがお断りいたしますわ。貴方も許嫁がいた筈ですが」

「ハハッ、流石ゲイルディア家の神童と言われるだけあり耳が早い」

 

 てめぇが言ったんだよ。クソが。

 

「親が勝手に決めた許嫁です。貴女も、そうでしょう?」

 

 ニタリと笑った男に俺もニッコリと笑う。頭の中に彼の出自と身分を思い出す。この舞踏会の主催の事も考えなくてはならない。

 魔法式で頭を吹き飛ばすとか、そういう事はしてはいけない。

 

「生憎、この手を取ってくれるのは貴方ではありませんわ」

「ディーナに何か用かい?」

「……いえ、ただ談笑していただけですよ、リゲル王子」

 

 よく言う。リゲルからは見えなかったと思うけど、思いっきり顔を顰めたのは見たからな。それでもちゃんと笑顔を浮かべて対応できているのはいい事だ。地に落ちてた評価を少しだけ浮かしてやろう。

 立ち去る男を見送る事もなく俺はリゲルへと頭を軽く下げる。

 

「御機嫌よう、リゲル様」

「ああ。少し遅かったかな?」

「ええ。お陰で彼で四人目ですわ」

「毎回言ってるけど、僕は構わないんだぞ?」

「毎回言いますが、私が構いますの」

 

 絶対イヤだ。何より俺が馬鹿と踊る事でゲイルディアの評価並びにリゲルの評価も落ちるかもしれない。まあリゲルの評価が落ちるよりも俺をバカ女扱いして切り捨てる方が早いだろうが。

 何にしろ、こうして成長しても俺はリゲルへの誓いをちゃんと守っている。つーか、守らなかったら舞踏会の花達を端から端まで手折っていた事だろう。それこそ歯の浮くようなセリフを吐き出していたのは俺に間違いない。ゲイルディアの名前のお陰で花は逃げてるんだけどな!

 

「ディーナは綺麗だからね」

「そんな事はありませんわ。あの方たちは私が失敗する事を望んでおられるだけですわ」

 

 そうでなければ王族の許嫁に言い寄る事もないだろう。

 彼らの口車に乗せられたが最後、俺とリゲルの関係はさっぱり無くなる事だろう。それはそれで、リゲルの為であるかもしれないけど、今はまだ誓いを守らせてほしい。

 綺羅びやかな天井を見上げて、小さく息を吐き出して気持ちを切り替える。

 

「貴方が来たという事は、今日の主役もそろそろ来る頃かしら?」

「うん。僕は主役に言い付けられて早めに来たからね」

「あら、言われなければ私の元に来てくれなかったのかしら?」

「さぁ? どうかな」

 

 ニコニコとしながら答えを濁したリゲルをジトリと見てみれば肩を竦められた。

 こういう事を言いながらもちゃんと俺の所に来てくれる辺り、優しさが見て取れるし、まあ男の子の見栄という物だろう。俺はよく知ってるんだ。ここまで口も表情も上手くできなかったけれど。

 

 ざわりと着飾った貴族達が賑わう。どうやら主役が登場したらしい。

 差し出されたリゲルの手に自身の手を添えてやれば優しく握られて導かれる。

 

 ああ、俺はニヤついてないだろうか。きっと妄想しているよりも可愛い事だろう。きっと想像しているよりも綺麗に決まっている。

 ソレは天使であった。

 それは女神であった。

 両方の素質を孕ませた可愛さの化身がそこには在った。

 緊張で少しだけ顔が強張っているけれど、そこも愛嬌だろう。可愛い。可愛いかよ。

 ニヤついてない? 大丈夫? 何回も顔を合わせているけれど、こうして着飾った姿は初めてなんだ。リゲルに聞こうにも俺の印象を崩す訳にもいかない。連れられている事をいい事に目を閉じて意識を集中して魔法式を解いていく。

 よし、落ち着いた。目を開く。可愛い。

 

「ディーナお姉さま!」

 

 可愛さの化身であらせられるスピカ様がこちらを見て満面の笑みを咲き誇らせた。ウ゛ッ。やめろ! 俺を殺すつもりか! もっと笑って!

 本心を隠す事は慣れてしまったので、軽く頭を下げて表面だけをニコリと微笑ませる。

 

「お久しぶりですわ、スピカ様。今日は一段と御綺麗ですわ」

「えへへ。ディーナお姉さまもとっても綺麗だよ」

「ありがとうございます」

 

 は? おまかわ。

 けれど授かったお褒めの言葉はしっかりと受け取っておかなくてはいかない。言葉って物質化できない? どうにかして家宝にしたいんだけど。

 社交界、というべきか、公的な場所に初めて足を踏み入れた無垢で純白の存在は相変わらず可愛い。どうにか技術革命とかでカメラとか写真とか今すぐできないかな? 魔法式で写し込んだらいけるか? クッ、俺が天才だったら……! シャリィ先生はどこに居ますか!? スピカ様には挨拶する為に居る筈だろ! いや、挨拶がある程度人数捌けるまでどっかに消えてそうだなあの人……。

 

「お兄さまがずっとそわそわしていて――」

「スピカ!」

「あら、そうでしたのね。ありがとうございます。リゲル様」

「……別に。僕が先に行きたかっただけだよ」

「ええ。ではそういう事にしておきましょう」

 

 顔を少しだけ赤くしながらムッとしたリゲルをクスクスと笑いながら密告してくれたスピカ様にこれ以上リゲルをイジメないように口元に人指し指を置いて流し目で見る。スピカ様はどうやら意図を察してくれたようで同じくクスクスと笑いながら頷いてくれた。可愛い上にかしこい。最強かな?

 さて、こうしてリゲルに案内されていの一番にスピカ様にご挨拶できたのだから準備していた物を渡しておこう。

 

「スピカ様、お手を宜しいでしょうか?」

 

 首を傾げながらも小さな手を差し出してくれるスピカ様の前に傅いて片手で少し持ち上げる。

 隠し持っていた()()()()()()()を連ねた装飾品をスピカ様の手首に巻き付けて金具で軽く固定する。大きい物でもビー玉よりも小さな石達がジャラリとスピカ様の手首で音を鳴らす。

 ここ数ヶ月、スピカ様が社交界のデビューに合わせて色々と編み込んだブレスレットである。素材は宝石と金具。刻み込んだ文字達に意味はそれほど無いけれどシャリィ先生から雑学として教わったエルフに伝わっている魔除けの意味を沢山詰め込んで俺の魔力をしっかりと溜め込んだ。でゅへへ……スピカたん、これで毎日一緒だよ……。

 王族への贈り物という事で完成した瞬間に王族が抱えている魔法使い殿に安全確認を行ってもらい許可は頂いている。というか、魔法使いさんに言われたのは厭味ったらしく「装飾品の鑑定は私ではなく商人に頼むべきでは?」なんて吐きやがったのでこの国の魔法使いの未来が少しだけ不安になった。

 俺の知らない知識だけで呪いとかも存在してるんじゃないの? エルフに魔除けが伝わっている訳だし。マジで大丈夫? リゲルとかスピカ様をそういう脅威から守れるの?

 

「きれい……」

 

 手首に収まったブレスレットを光に翳したり、マジマジと見たりしているスピカ様がポツリと呟いた。可愛いよスピカ様可愛いよ。

 

「ありがとうございます。魔除けのブレスレットですわ。形が少し崩れてしまいましたが、効力は私の先生のお墨付きです」

「お姉さまが作ったの!?」

「ええ。スピカ様に似合うよう、心を込めて作らせていただきました。気に入って貰えたなら、私も嬉しいですわ」

「すっごく嬉しい! ありがとう、ディーナお姉さま!」

 

 ほぁぁぁ、スピカ様が抱きついてきたんじゃぁぁ……ウ゛ッ……。

 

 

 終始ニコニコしてくれていたスピカ様を永遠に眺めていたい気持ちだったけれど、本日の主役を独占する訳にもいかずにすごすごとスピカ様の前から下がって静かなバルコニーで夜風に当たる。

 なんでか火照った頭に涼しい夜風が気持ちいい。そんな俺の隣には少しムスッとしているリゲルがいる。

 

「……私はもう暫くここで涼んでから戻りますので、先に戻ってくださっても構いませんわよ?」

「僕が好きでここにいるだけだよ」

 

 ふむ。賑やかな所に戻りたい訳じゃないのか。

 

「急いで助けに来てくれてありがとうございます」

「それは……もういい」

 

 余計にムスッとしてしまった。確かに改めて突いたのは失敗だったな。謝罪を一言入れてから、どうしたものかと迷ってしまう。

 うーん。リゲルがこんなに拗ねてるなんて初めてな気がする。今までは隠してたのか? 気付けなかった俺も悪いかな。

 

「……僕にはあんな贈り物なかった」

「あら、スピカ様に嫉妬してくれたんですのね」

 

 ボソリと呟いた言葉に返してみせればリゲルの顔が真っ赤になっていく。お兄ちゃんだもんな……スピカ様の前で我慢していただけ大人なのだろう。

 成長している許嫁を嬉しく思うと自然と笑みがこみ上げる。隠す事もせずに微笑みながらリゲルの頭を優しく撫でてやる。

 

「今度そちらに向かう時には用意しておきますわ」

「本当か?」

「私がリゲル様に嘘を吐いた事がありましたか?」

「……楽しみにしてる」

「はい。楽しみにしておいてくださいまし」

 

 必要最低限の嘘は吐いている、という事はリゲルに隠しておこう。

 ムスッと拗ねていた顔をどうにか元の表情に戻したリゲルを見送りながら、こういう所は王族よなぁ、と思ってしまう。俺の様に大人が子供になっている訳ではなく、王族としての教育の賜物だろう。

 機能として魔除けが働いているかもシャリィ先生から聞いておいた方がいいかもしれないし、大きさの丁度いい宝石を購入するお小遣いも……お父様から()()()するしかない。

 すり減っていく財布と貯金に少しだけ気落ちしてしまうけれど、どうしてか俺の顔は笑っていた。やっぱ、充足感があると違うな。

 

 

 

 

 

 後日、約束通りにリゲルに自作魔石をワンポイントとした簡単なネックレスを贈呈すると、それを見たスピカ様が頬を膨らませてしまったのだけれど、それはまた別の話である。



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13.悪役令嬢は任されたい!

 年を重ねる毎に成長を見守るのはなんと楽しいのだろうか。

 

「どうかしたの? ディーナお姉さま」

「何でもありませんわ。スピカ様」

 

 こうしてスピカ様と王城の庭で優雅にお茶をするのもかれこれ何度目になるだろうか。控えるメイドさんの顔も幾らか変わっているというのにスピカ様の顔は日毎に可愛くなっている気がする。

 手首にはしっかりと俺があげたブレスレットが小さな音を鳴らしている。実に、素晴らしい。このままどうにかスピカ様を俺の物にしたい。百合ハーレムの中に入れたい。

 可愛い妹分、と言えば王族であるスピカ様に失礼になるのかもしれないけれど、可愛いものは可愛いのだ。もっと愛でさせろ。四年前から実の弟である筈のアレクが俺の事を避けてるんだ……。ゲイルディアの噂が原因ではない……、つまるところ俺の責任になるのだけれど身に覚えはない。可愛い弟なのに……思春期だと思ってあまり触れないようにしているけれど、それが正しいかはわからない。

 お父様もお母様も姉弟関係に関しては口は出してこないし。代わりにアマリナを愛でるしかないな!

 

「ディーナは僕のもとへ来たんじゃないのか?」

「あら、許嫁を放っておいて剣術の訓練へ行ったのはリゲル様ではないこと?」

「それは……あ、そうだ。ディーナは初めてだったかな。彼はレーゲン。僕と剣を習っているんだ」

 

 逃げやがった。それに対して目くじらを立てる意味もないので細めた目を彼の隣にいる騎士へと向ける。

 軽装な格好であるのは先程までリゲルと一緒に鍛錬へと勤しんでいたからだろう。それにしてもガチガチに緊張しているのが見て取れる。顔は強張っているし、無理に作ろうとしている笑顔がなんとも言えない。

 

「初めまして、レーゲン・シュタールと言い――申し、ます、です」

「私はディーナ・ゲイルディアですわ。シュタールと言えば第一軍団長と同じ家名ですが」

「はい。俺の……ワタシの父デス、ます」

「言葉は楽にして構いませんわ」

「それは助かる。どうにも敬語ってのには慣れなくてな」

 

 ニッと歯を見せて爽やかに笑う好少年である。リゲルも仕方ないな、という風に肩を竦めている。どうやら彼はリゲルの時も同じ事をしたらしい。

 

「貴方、リゲル様にもその口調なのかしら?」

「ん? ああ。そうだぞ」

「……頭が痛くなりますわね」

 

 騎士見習いとしてどうなのか。王族に対して敬語無しは。仮にもどころか直系で一番上にいる上司だぞ。いや、その辺りを言い始めるとヘリオも俺に対して普通に喋らせているから人の事は言えないけれど。

 それでも頭が痛くなる事は確かである。飼い主と奴隷を王族と騎士で比べる意味もない。

 

「僕は構わないんだけど」

「リゲル様が構わなくても他が黙っていませんの」

「俺だって人の目がある所じゃちゃんと敬語だぞ?」

 

 ほんとぉ? 自信満々な彼からリゲルへと視線を向ければそっぽ向かれた。嘘かよ。

 溜め息を一つ。まあリゲルの交友関係に関して俺がとやかく言える立場ではない。許嫁だけれど、そこまで彼を束縛する気にもなれない。俺も勝手気ままにしている訳だし。

 

「お兄さまもレーゲンさまも。今日はわたしのお姉さまなの!」

 

 俺が二人に構いすぎたのか、スピカ様が俺にしがみついて離さないようにしている。痛みが吹き飛んだ。スピカ様は可愛いなぁ。クッ、鼻が熱い。

 今日は表側の理由としてリゲルに会いに来た事にしているけれど、スピカ様とイチャイチャしたいという本心は確かにあった。十割ぐらいあった。

 リゲルの訓練時間を調べて、その時間に合わせたのは俺だし、訓練も大事だから向かわせたのも俺である。クククッ、全てこの俺の計算通りなのだ!

 

「スピカ、僕の許嫁なんだけど?」

「お兄さまもレーゲンさまも来年からお姉さまと学校に入るから、今日はわたしのお姉さまなの!」

「あら、困ってしまいますわ」

「代わってやろうか?」

「結構よ」

 

 吹き飛ばすぞ。誰が譲るか。

 訓練を見てた限りヘリオにも勝てそうにないお前に誰がこの場を譲るというのか。スピカ様に触りたくば俺を倒してからにしろよ。

 しかし、リゲル相手だからか俺が見てわかるぐらいには手加減をしていた。彼の実力の底は見えないから、実際俺が勝てるかどうかはわからない。スピカ様の為なら勝てる。勝つ。勝つ以外の選択肢など必要ない。

 

 可愛いスピカ様の頭を撫でて宥める。怒ってる顔も可愛いけど、やっぱり笑ってる顔の方が可愛いんだよなぁ。当たり前だよなァ。

 

 

 シルベスタ王国に作られた学校という施設は全寮制であり、その間は長期休暇や何か特殊な事例がない限りは親元を離れる事になる。学ぶことも戦術であったり、魔法であったり、剣術や馬術などの事ばかりである。当然、数学や語学などの分野もある。それらを十五歳から十八歳までの三年間で叩き込まれる訳である。

 学校では平民も王族も関係ない、とは謳っているが今となってはそんな事はない。

 平民も学校に入る事はできる。できるが、巨額の入学資金が必要となりソレを容易く支払う事のできる貴族連中や商人達の子供が入るのである。初代の王様が求めていただろう教育機関は既に形骸化していると言ってもいいかもしれない。

 商人達が学校に入る意味は勉学的な意味では薄い。それこそ魔法や剣術など騎士や魔法使いにでもならない限り必要となる場面は少ないだろう。彼らは剣を持って戦う人ではなく弁舌と商品で生き抜く商人である。だからこそ、学校という施設に巨額を支払っても入学をする。なんせ、そこには貴族が存在しているのだ。上手くいけば大型顧客を手に入れる事ができる。

 貴族連中で言えば、横の繋がりの意味もあるし、何より箔が付く。騎士としての役割もあるし、半ば義務的な面もある。

 

 二年程歳の離れているスピカ様と同じ学舎に通うのは一年だけになる。俺に耐える事ができるのだろうか。無理かもしれない。でもおいら頑張るよ。

 騎士としての過程をすっ飛ばす意味も含めてヘリオも入学させておきたい。彼が自由になった時に役に立つだろう。ヘリオも書類上俺と同じ年齢にして、一緒に入学させとくか。アマリナは……放すつもりないし、下手に騎士称号とか得られてアッサリどこかに行かれると困る。大変困る……。

 

「長期休暇になればスピカ様のもとにも来ますわ」

「ほんとう?」

「ええ。可愛い私の妹分ですもの」

 

 頬を撫でて瞳を見つめる。すべすべの肌である。目もくりくりで可愛い。

 ああぁあぁぁあああ離れたくねぇぇぇぇええなぁぁああああ!! 俺の入学期遅らせてもいいんじゃね? いや、リゲルの許嫁としての役割でそんな事許されないし、ゲイルディアの名前にも傷がつくし、アレクの事を先輩と呼ばなくてはいけなくなる……それは姉としての威厳がですね……。

 顔を真っ赤にして俺に抱きついてきたスピカ様をしっかりと抱きしめておく。はっはっはっ、可愛い奴め。俺って今鼻血とか出てない? 大丈夫?

 

 

 

 

 しっかりとスピカ様成分を補給した俺はニッコニコしながら王都にある自邸に戻ろうとする。今日のスピカ様も大変可愛かった。沢山抱きついてくれるし、いい匂いもするし、成長してきて柔らかい部分が増えてきた。実に、素晴らしい。

 

「ディーナ・ゲイルディア様。少々よろしいでしょうか?」

 

 振り返ればメイドさんが一人。まだ王城に居たけれど、さて、どこの馬鹿がゲイルディアを悪事に誘いに来たのだろうか。

 目を細めてメイドさんの頭から足先までを確認する。その程度でどの貴族かなどわからないけれど、綺麗な人を目にするのに意味なんて無い。

 

「誰の誘いでしょうか?」

「……」

「沈黙、ですか」

 

 ここまで堂々とした誘いというのは初めて受ける。いつもならば手紙などで回りくどいやり取りをして、俺からお父様へと繋ごうとするのだ。

 だからこそ、こうして俺個人を目的にしているであろう誘いというのは初めてでもある。

 相手は誰かわからない。頭の中に登城しているであろう貴族達の名前を並べていく。そんな事をした所で俺にはさっぱりわからないけれど、果たして相手は誰だろうか。

 一体どんな誘いを受けるのだろうか。一度経験しとくべきか。まだ子供の戯言で終わらせる事のできる年齢であるし、ゲイルディアとして話を受けなければいいだろう。何かあった時は……お父様に助けてもらおう。

 

「誘いに乗りましょう。案内してくださるかしら?」

「ありがとうございます」

 

 くるりと踵を返したメイドさんの後ろを歩く。しかし……いいお尻してますねぇ!

 

 

 連れてこられたのは王城であるというのに豪奢ではなくどちらかと言えば簡素な部屋である。尤も、置かれている机や敷かれた絨毯などの調度品は質が高いけれど。

 誰も居ない部屋でメイドさんもどこかに行ってしまったし。何をする訳でもなく椅子に座っておく。

 さて、どこの馬鹿だろうか。

 頭の中で馬鹿候補を考えながら誘われるであろう内容を予測する。予測した所で全く的外れになるかもしれないけれど、暇つぶしには丁度いい。

 背後にある扉が開かれた音を聞いて、俺は首を回して相手を視界に入れる。

 

「む、どうやら待たせてしまったようだな。許せよ、ディーナ嬢」

 

 ンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン!?

 慌てて椅子から立ち上がって相手に向かって膝を突いて頭を下げる。アイエエエエエ!? オウサマ!? オウサマナンデ!?

 カンラカンラと笑いながら許しが出されたので頭をあげる。間違いなく、王様である。コワイ! 俺が何をしたっていうんだ! もしかしてスピカ様の事をクンカクンカしてるのがバレたっていうのか? それとも贈った魔法式編み込んだブレスレットが悪かったのか!? 悪いことしか思いつかねぇ!

 

「そのままでは話もできん。座って楽にしてもいいぞ。取って食いする訳でなし」

「で、ではお言葉に甘えさせていただきます……」

 

 王様が向かいの椅子に座った事を確認して、俺も促されたので椅子に座る。もうやだ……帰りたい……。礼儀作法は叩き込まれてるけど、王様相手はまた別な気がする。

 口の中が乾いてきた。

 

「さて、ディーナ嬢に一つ頼みたい事がある」

「頼みたい事、でしょうか」

「そうだ。来年リゲルと共に学校に通うディーナ嬢に、だ」

 

 頭をフル回転させて、王様の言いたい事を考える。嫌な予感しかしない。誘いなんて乗るんじゃなかった。いや、乗らなかったとしてもどうせ呼び出されてただろう。ツライ。

 

「リゲル様の護衛、でしょうか?」

「ああ。そうだ」

「……それはレーゲン・シュタールがする予定なのでは?」

「察しがいいな」

 

 ニヤリと笑った王様が実に怖い。お父様よりも愛嬌があるくせにホント怖い。

 

「シュタールの倅は表向きの護衛だ。護衛としての任務は遂行してもらうが、目に見える脅威だけにしか対応できん」

「目に見えない脅威に対して……リゲル様を陥れようとする者達を事前に止めろ、と?」

「俺にも敵は多い。行動に出ていないだけでな。その点、リゲルは俺よりも御しやすいだろう」

 

 言っている事は、理解できる。ゲイルディア、という家名であるからこそ出来る事もある。役回り的に丁度いい立ち位置にいる事も、納得はできた。

 

「……では、陛下。まずは私という存在が不穏分子です」

「……ほう?」

「私はあのゲイルディアの娘です。こうして陛下と二人きり……という訳ではございませんが、ある程度の距離まで接近できる所まで来ました。クラウス・ゲイルディアが仕込んだ毒であり、陛下ではなく御しやすいリゲル様の許嫁として存在している私こそが、現状見えざる脅威ですわ」

 

 だからそんな任務俺には無理です。勘弁してください。俺には学校でお姉様プレイするっていう夢があるんです。姉妹制度とか勝手に作って百合ハーレムを作ろうとしてるんです。

 リゲルと離れる事になっても、まあ別にいい。二年後にはスピカ様が学校に来るのだからこの脅威への対抗を考えておけばいい。抜け道は沢山作るし、何よりスピカ様に対しては積み重ねがある。大丈夫だ。何も問題ない。

 

「クククッ、ハハハハハハ! 自身を脅威だと言い、父であるクラウスこそ悪だと言うか。なるほど、確かにアレは悪人面だからなクククッ」

「……」

「おっと、すまんな。娘であるディーナ嬢を前に父親を誹ってしまった。許せ」

「いえ、お父様の評価として『悪人』でないだけまだ良い方ですわ」

「そうだな。アレは悪人として噂されているからな」

 

 笑いながら変わらずお父様の事実を口にした王様はわざとらしく咳き込んで、まだ笑いが収まっていない顔で口を開く。

 

「クラウス・ゲイルディアは悪人ではない。それは俺が保証しよう」

「……かしこまりました」

「信じていないな?」

「いえ。少し、安心しております」

 

 王からの保証なら、と安心はできるけれど、でもゲイルディア当主だぜ? あの悪人顔だと絶対何か考えてるって。じゃなきゃ俺を許嫁になんてしないって。

 

「それにディーナ嬢とリゲルの許嫁を決定したのは俺だ。そして今現在も俺はディーナ嬢をリゲルの許嫁にした事を正しいと思っている」

「……そうやって期待を掛けて逃げ道を塞ぎますのね」

「バレたか。が、お前はこの頼み事を受けてくれるさ。お前の父のように、な」

 

 王様の前で不敬に当たるだろうけれど、大きく溜め息を吐き出す。逃げ道がなくなってしまった。

 リゲルを守る事に対しては別に構わない。俺が一方的にしたリゲルへの誓いもある。元々言われなくてもしていただろう。消極的だっただろうけど。

 天井を向いて、大きく呼吸する。

 逃げられないのなら、飛び込んでしまえばいい。逃げ出す意味もない。責任があるだけである。できれば逃げたい。好き勝手百合ハーレム作ろうと思ってたけど少しだけ制限が掛かってしまった。

 頭を切り替えて、王様へと向く。

 

「護衛の件、お受け致します。リゲル様には隠した方がよろしいでしょうか?」

「そうだな。頼んだ俺が言うのもなんだが、許嫁に守られているというのも男の矜持に関わるだろう」

「わかりますわ」

「……察しのいい嫁でリゲルが羨ましいよ」

「いいえ。私は欲深い女ですので……二つほどお願いがあります」

「なんだ? こっちは無理を頼んでるんだ。できる限りはしよう」

「では、初代シルベスタ王が書いたという古文書の原本を拝見させていただきたい」

「……翻訳された物があった筈だが」

「翻訳された物は全て読みましたが、どれも内容が違っていましたので。一度原本を読みたいのですわ」

「……ふむ。まあいいだろう。持ち出しは出来んだろうが……。もう一つは?」

「私のメイドに入城の許可を」

「申請すれば通るだろう」

「ベリル人の奴隷、という事で却下されましたわ」

 

 俺が内容を言えば王様は初めて顔を顰めた。どうにかこの要件は通しておきたい。

 何より、初代シルベスタ王の本を読むのに集中したいから俺の世話をしてほしい。他のメイドでは気が抜けないのでアマリナでしか無理だ。

 

「……他のメイドではダメか」

「アレは私の所有物であり、私の肉体の一部でもあります。許可を戴きたい」

「……女のメイドであるなら、騎士称号を得る事も難しいか」

「私も考えましたが、すぐに、というのは中々難しいもので……」

「いいだろう。許可させよう。が、あまり無茶な事はしてくれるなよ? 俺が宰相に怒られる」

「ご安心くださいまし」

 

 宰相に怒られるように努力しなくちゃなぁ、俺もなぁ。

 アマリナの許可を得たので、邸宅に連れてきてるアマリナをこっちに連れてくる事ができるし、初代シルベスタ王……恐らく転生者の記録も見る事ができる。

 他に頼むような事もなかったし、お金とか貰っても困るし、領地とかもっと困るし、今の立ち位置で満足してる俺からすれば知識欲の方が重大なのである。



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14.悪役令嬢は読み解きたい!

 長い間、それこそ百数十年以上は経過しているというのにその本の保存状態は良好であった。丁寧とも言えない不格好な革の装丁であるし、古びたインクと紙の香りもする。けれども確りと本としての体裁が保たれたそれは確かに本でしかない。

 幾重にも魔法が掛けられたと言われるその本は今となってはこの国の古文書であり、初代のシルベスタ王が書いたと言われる本であり、解析不能の言語が端から端まで連なっている。

 

 その本を手にとった俺は正しく息を飲み込んだ。損傷の恐れが無い事、持ち出し禁止である事、写しは問題ない事、その他様々な注意点を言い渡されたが、俺はその本の表紙にしか目がいかず、表情を抑え込むのに必死であったのだ。

 そこはお嬢様生活を十数年も続けていた我が身である。表情筋も正しく動かせずに何がゲイルディアのご令嬢か。

 古文書を受け取り、監禁よろしく個室を準備されていたので俺とアマリナは部屋へと押し込まれた訳であるが。しかしながら、古文書が問題である。

 幾重にも守護魔法が掛けられ、保存状態も最高であり、恐らく今から数えても数十年はこの状態が維持されるであろう古文書である。実に素晴らしい魔法である、俺も少しは知りたい物だけれど、生憎魔法が見える瞳など所持していないし、見えたとしてもさっぱりわからないだろう。シャリィ先生ならわかるかもしれないが、今隣にいるのはアマリナである。アマリナも魔法式から魔法を使う事はできるけれど、実用的な物ばかりである。火を灯したりする程度だろうか。

 

「アマリナ、紅茶を淹れてくれるかしら」

「かしこまりました」

 

紅茶を淹れてくれているアマリナの後ろ姿を楽しみながら渡されたこの国に伝わる古文書へと視線を落とす。この国の文字ではない。更に言えば俺よりも頭の出来の良い学者達すらも知らぬ言語。どの翻訳された物を読んでもどこかちぐはぐで、どれも解読方法が違うのか解釈内容が一部を除いて全く違う。

 パラパラとページを捲り全体を把握する。最初から最後まで流してから、改めて表紙を見る。

 そこには堂々とタイトルが書かれている。この本の使用用途が書かれ、詳しく読んでいない内容もそれに準じた物になっている事だろう。

 しかし、古文書である。そう、古文書なのだ。

 俺は表紙に書かれた文字を撫でて、小さく息を吐き出した。

 

「……日記、か」

「お嬢様?」

「いえ、なんでもありませんわ」

 

 ありがとう、と出された紅茶に感謝しながら改めて日本語で日記と書かれた古文書を見る。初代シルベスタ王もまさか自分の日記が古文書扱いされるとは思わなかっただろう。日本語という難解な言語も貴重という価値に拍車を掛けたのかもしれない。

 何にしろ、十数年も見なかった言語であるけれど俺の中にはソレが確りと根付いており問題なく端から端まで読むことができる。できてしまう。この内容を公表するつもりなどないけれど、俺の中の推測が正しいかどうかの判断はできるだろう。

 

 始まりはこの世界にやってきて数ヶ月経過した頃。日記、という体であるが日本語で書かれているという事はこの筆者は元の世界を好んでいたのかもしれない。その本意を知る事などもう出来ないし、日記の内容を読まれたくないが故に異世界言語を用いたのかもしれない。

 日記ではあるけれど、コレを日記と呼んでしまうのは少し勿体無い。誇張はあるかもしれないけれど、正しくこれは冒険譚なのだ。いつの間にか勇者と呼ばれる少年が青年となり、勇者から王に至るまで、そして王として死ぬまでの話。

 どこかの魔法使い達が書いた自己を高みに置いた英雄譚よりも装飾もないありのままの冒険譚。これを心踊らせず読めというのが無理な話である。

 

 羨ましい話であるけれど、勇者と呼ばれるようになる少年はチートを得ていた。転生って凄い。転生した挙げ句チートもなく、魔力も一定以下らしい俺からすれば羨ましいと言う他ない。

 同時に憐れみも感じてしまう。青年は、勇者になってしまったのだから。

 彼の伝記を見れば勇者は勇者と成るべくして成り、成るべくして王へと至ったと書かれていたけれどそうではない。彼はいつの間にか勇者と呼ばれるようになった単なる青年だ。

 本当は勇者という称号も、王という地位も何も必要はなかった。困っている人を助けていたらいつの間にか勇者と呼ばれ、自身の助けられる範囲が広がるにつれて、自分を慕う者達の為に国を作り上げた。

 

 この辺りからは他の翻訳にも似たような事が書かれている。常に書かれている日付から客観視された事実を読み取り、日付が日付である事を割り出したのであろう。称賛したいけれど、建国した日の内容が耽美に書かれた翻訳書よりも実物の内容が「くぅ~疲れました~! これにて建国完了です!」とか書かれているのはどうにも笑いを誘う。

 

 本文を見れば察する事ができるが、勇者――初代シルベスタ王は厳格な性格はしていなかったようだ。身内に甘く、他人にも優しく、敵にすら情を与えるような……そんな人だったのだろう。日本人らしい、と言えば日本人らしい人であったのだろう。

 幸い、というべきか歴史書を紐解いてみればこの国が戦争をしていた時代は初代王が崩御してからであるし、彼自身が意図せずに抑止力となっていたのだろう。まあチートな勇者相手に戦争とか起こせんよね。

 政策内容も元々仲間であった人達に任せていたが、それでも未来の為に学校という教育機関や技術力の発展を目指したのも書かれていた。

 

 ……節々に「まぁ日本語だし! 俺以外読めないしなガハハ!」みたいな事を書きながら部下の評価というかあの子が色っぽいとか書いてるのはどうだろうか。この時点では既にいい年してただろ。

 英雄色を好む、などと言われるけれど、実際初代シルベスタ王の妻は一人だ。他に妻が居たというのは伝わっていない。日記にも当時の宰相から世継ぎの事を煩く聞かされていた事も書かれている。それでも男だもんな、わかるぞ。女の子はなぁ、可愛いんだよ……。

 

「? どうかいたしましたか?」

「なんでもありませんわ」

 

 可愛いと思っていただけだゾ。

 ともかく、読むのは別に後々ゆっくりでも構わない。写し自体は問題なく、時間も限られているのだからサクサクと写してしまって自宅で読み解こう。ゲイルディアが初代シルベスタ王の古文書の写しを持ち出す、というのは……まあ悪名なんて今更だろう。お父様には謝っておこう。

 

 

 

 

 

 久しく書く漢字とひらがなに悪戦苦闘しながらも大凡の内容を写し終えた。新しいインクの香りに満足しながらカップを手にとって、ようやく冷めてしまっている事に気がつく。

 

「アマリナ、紅茶を――」

 

 既に俺の生活には欠かせなくなったアマリナの名前を呼んで振り返る。誰もいない。

 見渡しても、この殺風景な部屋の中にはアマリナの影すら無い。どこかに行った気配は無かった。魔法の練習をしていた所までは知覚していたけれど、今現在姿が無い。

 椅子から立ち上がり、今一度部屋を見渡す。誰も居ない。

 

「アマリナ?」

「どうかなさいましたか?」

「きゃ!?」

 

 突如背後に現れたアマリナに驚いてしまい染み付いた声を出してしまった。我ながら染まってしまったモノである。

 不思議そうにこちらを見ているアマリナは先程まで居なかった筈だ。それは間違いない。驚きで脈打つ心臓を落ち着ける為に深呼吸をする。

 

「紅茶を淹れてくれるかしら?」

「はい、お嬢様」

 

 俺からカップを預かったアマリナが俺の影を踏んで、トプンッと影を波立てて沈んだ。

 ……?

 …………ンンンンン?

 え、何? どういう事? 俺の影は沼だった……? 膝を折り曲げて影がある絨毯を触っても手触りのいい絨毯でしかない。

 でもアマリナはこの中に沈んだ訳で? アマリナは今居なくて? さっきまで居て? ンン?

 さっぱりわからずに立ち上がって考えていると俺の影から藍色の髪が浮かび上がり、褐色の肌をした俺のメイドが何食わぬ顔で姿を現して、考えてた俺を不思議そうに見ながら紅茶のカップを手渡してくる。

 

「ありがとう」

 

 俺好みの味に淹れられた温かい紅茶を一口飲み込んで、椅子に座って足を組む。

 

「それで……今のはどういう事かしら?」

「どういう、というのは?」

「私の、その、影の中に入っていたようだけれど?」

「はい。影を渡り、ご邸宅まで向かいました」

 

 ……あのさぁ! そういう俺の思考よりも上の事するんなら一言言ってくれよぉぉぉ! 何? 影を渡ったってなんだよ!? 城から城下にある邸宅まで結構な距離があるんだけど!? そういえばココに来た時も紅茶を淹れてくれてたな!

 なんだよ!? ホント、マジで、なに!?

 あーはいはい、魔法ですね。魔法だろうな! 魔法以外だったらもう理解するのやめるからな!

 

 頭を抱えた俺を見て首を傾げて、自身が何か粗相をしたのかと少しだけおろおろとするアマリナ。くそ、俺のメイドが可愛すぎる。

 

「影を、渡った……というのは、魔法かしら?」

「はい。恐らく」

「恐らく?」

「……そ、その……」

「いいですわ。別に怒っている訳ではないの。上手く言葉に出来なくてもいいから言いなさい」

「……いつの間にか……」

「はぁ……」

 

 思わず深い溜め息を吐き出してしまった。その溜め息でアマリナがビクッと動いて身を竦めているけれど、改めて怒っている訳ではない事を伝えておく。

 いつの間にか、いつの間にかである。もう……なんなの? そういうのってさ、俺の役目じゃないんですかねぇ……。俺は転生者な訳ですよ。悪役令嬢だけど。

 これでアマリナが「私、何かやっちゃいましたか?」みたいな事を言い始めたら俺はアマリナを徹底して魔法式を今以上に教え込んで、シャリィ先生に紹介して、剣術も教えて……いや、シャリィ先生に紹介する以外は大体やってるわ……。転生主人公かな?

 いや、しかし待ってほしい。その転生主人公が俺のメイドさんな訳である。俺のメイドさんが転生主人公とかラノベタイトルかな?

 

「距離や能力は把握してますの?」

「ある程度は……。私の決めた影にしか移動できない様で……その、距離によって、魔力? が減っている感じが」

「それを感覚でしている、と」

「申し訳ありません」

「構いませんわ。色々と制約があるようですし。他に何かわかっている事は?」

「……見えている影なら、おそらく……」

「そう……。アマリナが使えるという事はヘリオはどうですの?」

「ヘリオも……その……」

「何を震えてるのかしら? 何度も言うけれど、怒っている訳ではないのよ」

 

 段々と見てわかるぐらいに震えてきたアマリナに再度伝える。本当に怒っている訳ではない。なんで兄妹揃ってそんな魔法に目覚めてるんですかねぇ……。ベリル人特有の魔力質なのだろうか。

 ともあれ、王様やこの国の制約としてアマリナをこの城に入れる事を拒んでいた理由がわかった。精々、奴隷という身分がいけないと思っていたけれど、なるほど、これは入れたくはない。

 その許可を受けたということは、本当に身に余る程の信用を受けているのか。何か王様に返す事ができるだろうか……。

 

「いいですわ。二人とも一緒に話を聞きます」

「ディーナ様、申し訳ありません。お許しください」

「許すも何も、怒ってなどないわ。ただ、力も把握できないまま使っているのは許さないわ」

 

 何か問題があって二人の身に悪影響が及ぶというのなら禁止しよう。魔法に関してはある程度把握しているといっても俺はまだ見習いもいい所なのでシャリィ先生にも相談しなくてはいけない。

 震えるアマリナの頬に手を当てて、しっかりと視線を合わせる。

 先程まで、ちゃんとお嬢様だったのに俺が素である時のように『ディーナ様』と呼んでしまったあたり、焦っているか、本気で怯えているのだろう。

 

「大丈夫よ、アマリナ。私が貴女を手放す時は私か貴女が死ぬ時だけよ」

 

 絶対に逃すつもりもないし、どこかに放すつもりもない。

 ……ヘリオは知らん。アレはどこでも生きていけるように教育をしているし、俺の元を離れても大丈夫なようにしている。ただ今はまだ俺の護衛役としては必要なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 写しも完了したので俺の監視役でもあったであろう扉前に控えていた騎士さんに挨拶を交わしてから帰路に就くために王城を歩く。その俺の後ろをしっかりと付いてくるアマリナは先程の怯えなど無かったようにいつもの鉄面皮である。俺の前だけではしっかりと表情が出るようになってきたけれど、他の場では無口なメイドで表情も乏しい。……俺の前だけでは特別なメイドとか最高かよ。教育は正しかったな!

 

「ディーナお姉様!」

「スピカ様?」

 

 廊下の向こうの方から俺を見つけたのか満面の笑みで俺へと駆け寄ってくる可愛い天使がいらっしゃった。今日の疲労も吹き飛んでしまう。

 いつものように両手を広げて天使が俺の胸に飛び込んでくるのを待つ。待ったのだけれど、スピカ様は俺の胸に飛び込んでくる事はなく、数歩手前で停止してジィ……と俺の方を向く。正確には俺の背後へとその視線は向いていた。

 

「……そのメイド、誰?」

「この子は私の大切なメイドですわ。アマリナ、挨拶を」

「……お初にお目にかかります、スピカ王女様。ディーナお嬢様に仕えさせていただいている、アマリナと申します」

「……ふぅーん……」

 

 ん? なんか険悪な雰囲気がするけど、どうしてだろうか。そうか、なるほど。

 

「ベリル人ではありますが、彼女は私の一部であり、我が国に害になるような事はさせませんわ」

 

 だから安心してネ! と思って言ったんだけどどうしてスピカ様の視線がキツくなって珍しくアマリナの表情が柔らかいんですかね?

 

「お姉様、()()()()()()()にこのブレスレットを作ってくれてありがとう!」

「え? ええ。あの時の感謝だけで私は胸がいっぱいですわ。それ程、気に入っていただき嬉しく思います」

 

 うん、嬉しいんだけどさ。なんでスピカ様勝ち誇ったお顔をしてるんです? いや、可愛いんだけどさ。

 あとアマリナ。表情が表に出てないからわかりにくいんだけど、お前が威嚇してるのこの国のお姫様だからやめて。ホント、落ち着いて、頼むから。いつもの冷静なアマリナに戻って……。

 

「お姉様は何をしていたの?」

「初代王の古文書の写しを戴きに」

「アレ読めるの!?」

「そういう訳ではありませんが……」

 

 写しを持っているアマリナの手元へと視線を向けた後に否定する為に困った顔を作り上げる。

 ガッツリ読めるけど、そんな事実を伝える意味も無いだろう。それに元勇者様も日記を大多数の子孫に読まれたいとは思わないだろう。たぶん。

 スピカ様は読書が好きらしくて沢山本を読んでるらしいし、あの古文書の内容が気になっているんだろうか……。それでもなぁ……。

 

「解読できれば、内容を教えさせていただきますわ」

「ホント?」

「ええ、約束です」

 

 天子様の笑顔の為に元勇者のプライバシーは犠牲となったのだ……笑顔の犠牲にな……。

 抱きついてくるスピカ様の柔らかさを堪能しながら抱きしめ返して蕩けそうになる表情をなんとか引き締める。グエッヘッヘッヘ、いい匂いもするんじゃぁ。天国はここであったか……。

 

 

 しっかりとスピカ様成分を補給した俺は帰宅した後にどうしてか珍しく甘えてくるアマリナに困惑しながら抱きしめたりイチャイチャ過ごす事をまだ知らない。



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15.悪役令嬢は掌握したい!

繋ぎ回。次はたぶん時間を一年ぐらい飛ばします。


 誰もが同じ制服を着ていた。その人物がどの学年に属するかを示すようにタイの色が違い、性別の違いによりデザインも差異程度に違う。スカートとズボンも、相違点であろうか。

 この学校において、身分の貴賎はない。全てが平等であり、誰との間にも壁は存在しない。それは、理想にしか過ぎない事を、この世界で生きてきた俺はよく知っている。

 その内情に小さく息を吐き出す。清濁併せ呑む事も必要であるし、何より自分は濁っている立場の人間である。

 

「ディーナも緊張するんだな」

「あら、リゲル様は私を何だと思っているのかしら?」

「リゲルやめとけって。女は怒らせると厄介だぞ」

「……レーゲン。貴方、リゲル様にイラナイ事を教えていないでしょうね」

 

 おっと怖い怖い、と肩を竦めたレーゲンを睨めつける。マジでリゲルが女遊びとか面倒な事を覚えたら全部お前の責任にするからな。お前のせいか知らないけどリゲルの口調がちょっと男らしくなってるのも責任追及してやろうか?

 いや、女遊びを覚える事は構いやしない。男だもんな。許嫁として、未来の嫁としてそれは目を瞑ろう。何より世継ぎを作らなくてはならないし。しかし、リゲルの子か、可愛い子になるんだろう。俺が母親じゃなければ満点だし、女の子であったなら最高だろう。

 俺が男と子作りをするなんてさっぱり理解できないけれど。後宮作り上げて妾でも引き立てるか? いや、それは未来の事であるし、今は考えないでおこう。うん。

 

 何より今はこの学校の掌握をしなくてはいけない。見える外敵に関してはレーゲンに任せるにしても、見えもしない脅威を防ぐならば必要な事だろう。

 王族を特別扱いしない、なんていう初代王の理想を破るのが初代王の日記を正確に読める俺とは皮肉が効いてる。

 カリキュラムを確認する限りは学校で学ぶような事は全て履修済みな俺には余裕があるし、復習も怠らなければ問題も出てこないだろう。

 三年間、リゲルを影から守る。許嫁として近い位置に立てる俺なら容易いだろうし、ゲイルディアという悪名も上手く使えるだろう。

 ある程度の危険はレーゲンに任せるにしても、水際で止める事は必要になるだろう。

 

 ……うん。よし。決意した。

 

「どうかしたのか?」

「少し、お花を摘みに行ってまいりますわ」

「便所か?」

「シュタール家は紳士教育はしていませんの?」

「男所帯だからな」

「……はぁ、まあいいですわ。躾は得意ですわ」

 

 なるべく冷たい視線をレーゲンへと向けてから小さく息を吐き出してリゲルに頭を下げて足を早める。決して漏れそうとかそういう理由ではない。

 

 校舎の影へと入り込んでから、誰も居ない事を確認する。魔法式へと魔力を送り出して微風を俺を中心にして流す。人は居ない。

 

「ヘリオ」

 

 誰も居ない空間で従者の名前を呼ぶ。

 俺の影から波紋を立てて深い藍の髪が浮かび上がり、褐色の肌をした青年が顔を出す。

 

「お嬢、俺はトイレじゃないぞ?」

「顔が踏まれたいならそう言えばよろしくてよ?」

「そりゃ勘弁」

 

 俺の足よりも速く、スッと逃げるように校舎の影へと移動して姿を現したヘリオ。キチンと制服を着せているし、立ち振舞も精練されている。筋骨隆々という訳でもないが、その体は確りと絞られているし、扱き上げた。

 

「で?」

「この学校でその影魔法を使う事を禁止しますわ」

「……そりゃぁまた」

「不必要な疑いを持たれるのは動きにくくなるわ。今は順調であろうと未来を見れば悪手ね」

「了解。それで? 俺は何をすればいい?」

「――そうね。男子生徒の情報と掌握を」

 

 別に普通に過ごしてくれればそれでいいのだけれど。申し出てくれるのならヘリオを頼ろう。男達の情報など調べたくもない。俺は女の子だけに集中できるな! なんて完璧な計算だッ! 女の子の弱みを握って「げへへ、この情報をバラされたくなければ、わかってるダルルォ?」ができる訳である。悪役ムーブすぎるな。もうちょっと考えておこう。

 

「おいおい、これでもベリル人で奴隷だぜ?」

「成績と力で捻じ伏せなさい。それだけの教育はした筈よ」

 

 この学校において正面切って戦うにしてもレーゲン以上の存在は知られていないだろう。居るのならばその人物に護衛が任されていた筈だ。いや、それこそシュタールの家名の(コネ)かも知れないがそのシュタール家自体の教育こそ武術方面の最先端である。

 尤も、知られているのは、という枠組みがあるだけだ。ヘリオならば勝てるという自信はある。ウチの騎士団でも上から数えた方が早いもんな……。よく育てたものである。棚ぼたである。

 俺の言葉をどこかむず痒そうにして首筋に手を当てたヘリオであるが、どうやら納得してくれたらしい。

 

「それに貴方は誰の奴隷だと思っているのかしら?」

「ゲイルディア家の奴隷だ。負けねぇよ」

「――

 

――違いますわ。貴方はディーナ・ゲイルディア――私の奴隷よ。自信を持ちなさい」

「そりゃぁ、負けられねぇな」

 

 ニッと笑った俺の奴隷は自信に満ちあふれて野性味を溢れ出してた。これはモテますね、間違いない。だからお前は女の子の調査をするんじゃないぞ! 俺がするからな!

 

 

 

 

 

 

 


 

 三ヶ月の期間を経てようやく学校を掌握する事ができた。思ったよりも時間が掛かってしまったのはリゲルにバレないように動いていたからに他ならない。リゲル達にバレてもよかったのならば一月で終わらせる事も出来ただろう。

 掌握してわかったことはゲイルディアという悪名が思った以上に使えた事だ。よもや貴族ではない商人の家系ですらゲイルディアの名前を知っているとは思わなかった。まあ俺に気安く話し掛けてくれた可愛らしい女の子が次の日にはどうしてか敬語になっていた時は驚いたけどな! 何言われたんですかね……。

 意図した行動ではあったけれどカーストの上位へと座ることのできた俺は通っている女の子達がどの家系かを調べ上げた。女の子同士の噂話というべきか、カースト上位に居ると自然と他の子達を蹴落とさんばかりに情報が集まってくるのは中々に堪えた。更にこの学校という閉鎖空間には癒やし成分がまったく無いのである。俺は……死ぬのか?

 

「カァーッ! 聞いてただけだったけど、思った以上に美味いな」

 

 そんなストレスの溜まる作業も大凡の目処が立ち、現在俺は学校を囲むようにできた街で飲酒している訳である。冷えてないエールが喉を潤すぜ!

 現実世界でいえば未成年である俺であるがこの世界の法律では飲酒してもなんら問題ない年齢に達している。俺は止まらないからよ……。

 学生がまばらに居て、他にも酒場には学校に所属していない大人達もいる。

 

「ん? どうした、ヘリオ」

「……おじょ……あー、アンタが楽しそうで何よりだ」

 

 実に呆れ顔、というべきか溜め息を吐き出してエールへと口を付けたヘリオを見ながら俺は素に近い言葉使いで酒場の椅子に座っている。

 着ている服は女生徒用の制服ではなく男子生徒用の制服であり、髪も縛っているし、胸も布で潰して声も魔法式で低くしている。風が特性でよかった。思ったよりも簡単だった。毎日喋っていると言ってもいい女の子とすれ違ったけれど俺という事は気付かれなかった。気付いていたのならばたぶんゴマスリにくるだろうし。嬉しいのか悲しいのか、変装が上手くいってる事を喜んだ方がいいのだろう。

 

「で、何してんだ?」

「エールを飲んでる以外に見えるか?」

「そうじゃなくて……」

 

 しかし、中々に肉が美味い。普段の生活だとこんな料理は全く口にできないしな。やっぱ異世界なんだよなぁ。テーブルマナーも守らなくてもいいし、随分気が楽だ。ヘリオが告げ口しなければ俺は無罪であるのだ。

 口に付いたタレを指で拭って唇で掬う。うーん、香辛料だろうか? 舌がピリつく感じが実にエールを進ませる。

 テーブルを乗り出して他の人に聞かれないように小さな声でヘリオが喋る。

 

「アンタがこんな所に来るなんてそれなりに理由があるんだろ?」

「ねぇよんなもん」

「あ゛?……自分の立場は理解してんだろ?」

「当たり前だろ。これも目的の一環だよ」

「…………で、本心は?」

「昔からこうやって酒場で飲食ってのを体験してみたかったんだよ。思ったよりもいいから継続しようと思う」

 

 ニッと笑ってやればヘリオは疲れたように溜め息を吐き出した。それに建前の理由も正しい。尤も、集めているのはディーナ・ゲイルディアという女の評価であるが。

 

「アルコールは人の口を軽くするからな。ディーナ・ゲイルディアが居なけりゃ出てくる言葉もあるだろう?」

「……そういう所だぞ」

「? 何がだ?」

「何でもねぇ。それで……俺はアンタの事はなんて呼べばいい?」

 

 そういえば名前なんてまったく考えてなかった。俺もどこかで浮ついていたのだろう。だって、束縛するものが何もないんだぜ? テンションが上がっても仕方ないだろ?

 考えようとしても酒の入った脳はそれほど働かず、考えるのも面倒になってきた。

 

「ディン、とでも呼んでくれ」

「はいはい……アマリナが知ったらなんて言われるか……」

「俺には何も言ってこないぞ?」

「俺にだよ!」

 

 なるほど、アマリナはヘリオに対してはちゃんと言葉を吐き出してくれているんだな。それはいい。

 新しく注文したエールを呷りながらヘリオの話を肴にストレスを発散していく。あぁ^~アルコールが沁みるんじゃぁ^~。



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16.悪役令嬢は怒りたい!

 学校での生活というのは俺にとってそれほど不自由のない物であった。他人から見ればそれはヘリオが居たからであると、リゲルが居た為であると、そう思われるかもしれない。

 ゲイルディアとして成績も上位を維持しているし、学校の掌握も完了している。あとは小さな噂も聞き逃す事をせずに、不穏分子をリゲルに近づけなければ実に平和な学校生活を送れる事だろう。間違いない。

 

 十と五……いや、六年になってしまったが令嬢としての生活が体に染み付いたとしても心だけはそれほど変化がなかった。価値観は……それなりに変わってしまっただろうけど。

 変わってしまった価値観は確かに俺の価値観である。元々好きだったものは変わらず好きだし、新しく好きになった物が増えただけ、そう考えれば前世を生きていた時とそれほどの変化はないのかもしれない。

 

 さて、学校というからには長期休暇というなんとも懐かしい言葉があるのである。2日も休んでいいのか!? おかわりもあるぞ! と言った具合に月の満ち欠けが一周する分ほどの日数が休みとなる。貴族となればその休みの間に実家に戻ったり、社交界に出たり、まあ色々と面倒な事が目白押しであり、俺もその例に漏れない。何よりスピカ様に会わなければいけないのである。使命感……感じるんでしたよね?

 

 魔法式の方はそれほどの進捗はない。当然というべきか、学校では想像魔法の事を教わる……いや、あれを教わると言ってもいいかわからないが、少なからず学業として昇華もされていない訓練である。自身の危険値を体に覚えさせ、より想像を確固とした物とする。その程度の物であった。意味がないとは言わないけれど、魔法式を教わっている俺から見れば無意味にも見える訓練である事は間違いない。

 それは、まあ、いい。

 

 長期休暇という理由でゲイルディアに居座ってもらっているシャリィ先生と無意味さを語る事もないし、魔法式の研鑽において想像魔法という対抗馬の事を知る必要はある。全く以って無意味という訳ではない……数学をしている自身に小学生並の足し算を教わっている感じがしたし、そこに理論も何もない。「想像して出力するとこうなる!」みたいな感じである。魔法ってスゲー、である。

 

「それで、魔法式の研鑽を怠っていたと?」

「全くそんな事はありませんわ。ただ学業や他の行動が少し立て込んでいただけですわ」

「教育課程を調べましたが、貴女なら余裕であると思ったのですが」

「過分な評価ですわね。私はそれほど優れてなどいませんわ」

「……結構。相変わらずのようで安心しました」

「一年程度で人は変化しませんわよ?」

「皮肉です」

 

 あ、そうですか……。

 紅茶を飲んでいるシャリィ先生も相変わらずの容姿で安心した。可愛いままである。身長は既に俺の方が高いけれど抱きしめて撫でるとたぶん怒るんだろうなぁ。そもそもシャリィ先生を抱きしめるという機会が全く無い。この人、おっぱい以外は完璧だからな……。いや、そこも含めて完璧なんだろうけど。

 

「それで、想像魔法を学んで何かありましたか?」

「そうですわね。思った以上に消費魔力が酷いですわ。簡単な灯火であっても魔法式を通さなければ安定もしませんし」

 

 わかっていた事であるが、実際に確り学んでみてわかった事である。それが普通になっているのだから、俺自身の総魔力自体がどれほど低いかがよくわかる。皆なんで普通にポンポン魔法使えんだよ。オカシクない?

 加えて言えば無駄な式が多い。魔力の消費から発生までの間にラグがある。「想像力が 足りないよ」で終わればいい話であるが魔法式であるならば先に式を編んでいれば魔力を通すだけでよくなる。効率も、速度も、正確性も魔法式の方が圧倒的ではある。想像魔法の方が容易くはあるのは間違いないし、想像を先にしていれば、という前提条件があればまた変わってしまうのだろうけど。

 

「ただ……ああそうですわ。先生、魔法行使の速度を上げる事は可能なのでしょうか?」

「? 計算を素早くすれば簡単な事でしょう?」

「……相変わらず素敵な頭の出来のようで安心しましたわ」

「……貴女に言われると照れてしまいますね」

 

 絶対嘘だゾ……。

 先程言われた言葉を咀嚼して皮肉を言い返したのにこの天才には通用しないらしい。どこかぎこちなく笑っているけれど、実際の所はどうだかわからない。人物鑑定眼無くも表情も読み取れない俺の精進が足りないのでは? いや、他人ならある程度わかるのだけれど、シャリィ先生とかスピカ様は本当にわからない。可愛い! しか頭に無くなるんだ……。顔がいいのが悪い。

 逆に顔は良くてもリゲルの考えている事は大体わかる。いや、合っているかはわからないけれど。レーゲンはよくわかる。というか胸に視線が行き過ぎなんだよ。わかる。

 ヘリオはまだわかりやすい方だし、アマリナは表情に乏しいけどわかりやすい。

 お父様とお母様? あんなのわかる奴いるかよ。

 

 ともあれ、人間計算機になど成れる訳もないのでどうにか速度を上げる方法を考えていた方がいいかもしれない。一瞬で魔法を行使するのはカッコいいからである。間違いない。

 

「最初から仕込む事は可能でしょうか」

「そもそもの通り道を防ぐ事になりますね。一から組み上げた方が効率的ですね」

 

 先生はそうでしょうよ。誰もがシャリィ先生並の頭脳を持ってると思うなよ!

 溜め息を吐き出して頭を切り替える為に紅茶を飲もうとしてカップが空っぽな事に気付く。普段はアマリナがすぐに気付いて淹れてくれるのだけれど……。

 

「アマリナ」

 

 呼んでみても彼女は来ない。珍しい……。この屋敷には居るはずだけれど……。何かあったのか? 影の中にも居ないのだろうか。

 少しばかり思考を飛ばしていると扉がノックされて許可を出せばアマリナが入ってくる。確かにアマリナであるが本当に珍しくメイド服ではない。どういう理由か学校指定の制服を着ている。

 

「おや、似合っていますね」

「ありがとうございます、シャリィ先生」

 

 制服を着ているアマリナを褒める言葉は俺の口からは出なかった。いや確かに可愛い。可愛いんだよ。もう撫でたい。抱きしめたい。やっぱり俺のアマリナ可愛すぎない? いや、それは、いい。いや、よくない。良い訳があるか。

 アマリナが不安そうに俺を見ている。天井を向いて瞼を閉じる。小さく深呼吸をして、表情を作る。

 

「ええ、可愛いわ。アマリナ」

 

 ああ確かに可愛いんだ。間違いない。俺の頭の中には学校生活でアマリナと一緒に通うような輝かしい妄想が確かに出来た。けれど、それはおかしいのだ。

 抱えたくなる頭をどうにか騙す。ちゃんと笑顔が作れていると思うのだけれど、なんでアマリナは怯えていてシャリィ先生も若干引き気味なんですかね? まあ今はそれどころではない。

 

「シャリィ先生、申し訳ありませんが私すべき事を思い出しましたわ」

「え、ええ、結構」

「アマリナ。シャリィ先生と魔法式の勉強をしてなさい」

「は、はい」

「では御機嫌よう」

 

 アマリナにシャリィ先生の事を任せておく。これでアマリナは俺を追いかけてこれないだろう。

 決して駆ける事はなく、確りとした足取りで笑顔のまま部屋を出て廊下を歩く。こうして表情を作っておかなければ素の俺が出てきそうだ。

 確かに、新しく入ってくる生徒達のリストを見た時にアマリナの名前は無かった筈であるし、リストの人物の九割ぐらいは出自を調べ終わっている。残りの一割も大凡は判明していたし、入学してから調べても問題はなかった筈であった。

 

 クソが。

 

 

 

 

「お父様!」

 

 ぐぉらぁぁあ! クソ親父ィ!! どういう了見じゃおらぁぁああ!

 ノックすらせずに扉を開く。蹴破りたかったけれどそれをすれば残りの休日は淑女教育へと早変わりした事だろう。

 相変わらず悪役顔のお父様が悪巧みでもしてそうな顔で書類へとペンを走らせており、俺を一瞥した後にまた書類へと視線を落とす。

 

「……ディーナか。ノックぐらいしなさい」

「あらそれは大変申し訳ございません! けれどお父様は私に何か言う事があるのではなくて!?」

 

 机に手を叩きつけてる。

 アマリナは俺の所有物だぞ! それを無断で学校に入学させやがって! アマリナが騎士号取得して俺から離れたらどうするつもりだ!

 

「手をどけなさい」

「えぇ、納得できる理由が聞ければすぐにでも!」

 

 溜め息を吐き出しながらペンを端に置いたお父様は椅子に深く掛けて俺へと鋭い視線を向ける。こっちとらテメェの娘なんだよ! 慣れてんだよぉ、そんな視線はなぁ!

 

「……アレクの為だ」

「アレクの? 世話役なら他のメイドでも雇えばよかったでしょうに」

「都合のいい人間が居なかったものでな」

 

 来年確かに弟のアレクが入学するけれど、それの世話役にならアマリナでなくてもよかった筈だ。顔を顰めて怒りを鎮める。お父様が無駄な事をしない事は理解しているし、アマリナの為に入学させた、という事も無いだろう。

 

「……建前はいいですわ」

「学校では随分好き勝手やっているではないか」

「……何の事ですの?」

 

 やっべ酒場に入り浸ってる事がバレてんのか? いやそんな訳がない。俺の変装を見破ってるのはヘリオしかいないし……。ヘリオがバラしたなんて事もないだろう。

 

「リゲル様の護衛の件だ」

 

 ふん、と鼻を鳴らしたお父様に内心で安堵の息を吐き出す。バレてるかと思った。お父様ならバレてそうなのも怖いんだよなぁ。このヴィランどこに情報網あるか未だにわかんねぇし。実際怖い。

 

「あら、お父様は知ってましたのね」

「古い記憶だ。陛下にはバレていないと思っていたが……それはいい」

「ええ。今はアマリナの事ですわ」

「アレが居ればお前も自由に動かすだろう」

「……私の為ですか」

「表向きはアレクの世話役だ。学校自体は自主性を重んじている……形だけだがな」

「私もヘリオを連れ込んでいますし、ありがたい事ですわ」

 

 他の貴族達も学校に所属させていないだけで自身の世話役としてメイドや執事を雇い入れていたりする。商人の娘達はある程度の事は自分でできるようなので雇ってもいないけれど。

 理由は納得した。あまり認めたくはないけれど。

 

「……それでもアマリナを使うのなら私に一言有ってもよかったのではなくて?」

「お前も入れるつもりだっただろう。その手間を省いてやったんだ」

「大きなお世話ですわ。入れるのならば勝手にしていました」

「よく言う。小娘に何ができるというのだ」

「学校の掌握ですわ。それに小娘にでも出来た事を驕らないでいただけます? 親ながら底が見えてしまいますわ」

「ほう。この程度を底と見誤る娘を持った覚えはないが?」

「あら、これは失礼しましたわ。その程度が底の男だと思ってましたので」

 

 売り言葉に買い言葉というか、スラスラと出てくる嫌味であるが俺の口が勝手に出している訳で別にそんな事を考えて喋っている訳ではない。この口が悪いんだ。ゲイルディアってやつが全部悪いんだ!

 

「……まあいい。貸しにしておけ」

「四つぐらい足しておけばよろしくて?」

「一つだ馬鹿娘」

「あらそれは残念」

 

 毟り取ってやろうと思ったけれど当然の様に無理である。まあ貸し借りなどと言っているけれどお父様は頼めばある程度の事はしてくれるし、俺も頭は上がらない。唾は吐いてるが。

 問いただしも終わったし、俺の気持ちも納得したのでアマリナを愛でないといけない。

 

「ディーナ」

「はい?」

 

 部屋を出ようとした俺を呼び止めたお父様は既に書類へと視線を落としてペンを手にしている。

 

「あの酒場は俺もよく通っていたぞ」

「……どうやら血は確りと繋がっているみたいですわね」

 

 ニヤッと口角を上げたお父様に肩を竦めて返事をしてやる。なんでバレたんだろうね……。ヘリオが言ったのだろうか? いや、無いな。言わないように厳命してるし。

 

「イザベラには黙っておいてやる。ヘリオが近くにいなければバレなかっただろうな」

「……貸し借りは無しでいいですわ」

 

 ヘリオが漏らした訳ではないだろう。この人の情報網にヘリオが引っかかって、男装している俺がバレたのだろう。本質がアッチである事はバレてない筈だ。筈だよな?

 くぉぉん……お父様こえぇ……。というか、俺も含めるとゲイルディアの密偵が学校都市に潜みすぎでは? 俺がリゲルの護衛務める意味ある? 大丈夫?

 

「あ、あの……お嬢様」

「あら、シャリィ先生はよろしくて?」

「は、はい。その、お嬢様の方へと向かえと、話? も終わってるだろうから、と」

「……そうですわね」

 

 何が起こっていたのかも知らないだろうアマリナが疑問符を頭に浮かべる。

 シャリィ先生は今回の事を知っていたのだろうか。いや知らんな。お父様がそういった事を客であるシャリィ先生に漏らすとは思えないし。俺の失態である。

 溜め息をグッと我慢してアマリナの頭を撫でる。クシャクシャと髪を撫でて、頬を撫でて、顎の下を撫でると気持ちよさそうに目が細められる。犬かな? いや俺の飼い犬である事は間違いじゃないけど。

 

「よく似合っているわ。アマリナ」

 

 ようやく心の底から言えた言葉で俺は作る事もなく顔を緩めた。



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17.悪役令嬢は疑いたい!

 ハッキリと、明確にしておかなければいけない事がある。

 俺は弟に――アレクに嫌われている。俺が何かをした訳ではない。思春期を迎えたアレクが俺から距離を取った事で疎遠になった、と言ってもそれなりに顔は合わせていたけれど俺としっかりと喋る事なんて思い出しても数えるぐらいしかないだろう。

 俺は、ソレを良しとした。これでも元男である。姉である俺を意識する事も仕方ないと思うし、時間が解決するものだと考えた。俺自身に時間がなかった、というのは少し卑怯なのかもしれない。

 

「アレク! アレク待ちなさい!」

「……」

 

 ギロリとこちらを向くだけで決して足は止めはしない。別にゲイルディア姉弟の不仲が噂されようがいいんだけど、お前も俺と同じように学園掌握しないといけないんだぞ! 来年入ってくるスピカ様はお前の後輩で俺はその年しか居れないんだから、結果的にスピカ様を護衛するのはお前の役割になるんだぞ! 羨ましい!

 今年の内に色々引き継いでおかないと俺がスピカ様とイチャイチャできないだろ!

 そんな俺の気持ちを知るわけもなくアレクは立ち止まる事なく性格によく似たツンツンとした灰銀の髪を揺らして背中を小さくしていく。

 

「……はぁ」

「お嬢様」

「……アマリナ。アレクをよろしくお願いしますわ」

「承りました」

 

 アマリナがいるから面倒なゲイルディア関係の害はアレクには届かないだろうけど。少しはゲイルディアが世間にどう思われているかを体験した方がいいのかもしれない。お父様やお母様の過保護には困ったものである……いや、俺も人の事を言えないか。

 アレクへと向かったアマリナを見送って人集りの方へと向かう。こういう時、顔がいい奴っていうのはどこに居るかすぐに分かるから便利である。尤も、リゲルにはそれ以外にも王族という肩書があるのだから人一倍便利だ。加えて面倒でもあるけど。

 

 人集りの端から声を掛けるだけで俺の顔を見た生徒たちは喉が引きつったように短く声を出して道を開けてくれる。なんて親切なのだろうか。ニッコリと笑顔を浮かべて彼自身の名前を覚えている事と感謝を伝える。今度何かお礼をした方がいいだろう。彼は商人家系だから何か購入するか、他の貴族へのパイプを準備すればいいだろう。

 どうしてかモーセよろしく人の海が割れたので悠々と道を歩けば中心人物は思っていた人物とは違う。正確には足りない。

 

「御機嫌よう、レーゲン」

「おう。ゲイルディア嬢、おはよう」

「それで、リゲル様は?」

「ん? あー、えっとだな……」

「……はぁ」

 

 重い、重い溜め息が口から溢れ出た。頭を抱えたくなる気持ちをどうにか抑えてレーゲンを睨めつける。俺の独断で裁けないかな?

 

「いや、待て、ゲイルディア嬢。俺は悪くない」

「無能は嫌いですわ。理由があるなら聞きますわ」

「その……リゲルがだな。たまには一人で、と言い出してな」

「…………っはぁぁぁ」

 

 頭が痛くなってきた。リゲルには王族として自身を律する心があったと思っていたけれど、どうやら頑張って我慢していたらしい。それが、この入学式という人が溢れやすい時に割れた、という事か。

 少なくとも、レーゲン。お前はのうのうと登校してる場合じゃねぇだろ。危機管理能力が薄いのは俺が事前に止めてるからか……? いや、ある程度の脅威は見逃してるし、男同士の喧嘩染みた競争に関しては認知している筈だ。

 やめよう。登校から俺が見守っていれば無かった話である。自分の失態を他人の失態のように語るのはしてはいけない。

 空を向いて落ち着く為に息を吸い込んで、吐き出す。よし、落ち着いた。

 人集りの隙間から見えたヘリオと目が合う。顔を男子寮のある方へと向ければ大げさに肩を竦めやがった。さっさと行くように顔を顰めてやれば両手を軽くあげてから男子寮の方へと踵を返してくれた。対応としては後手だけれど、何かあってもヘリオならばなんとかするだろうし、一人でいたいというリゲルの気持ちは度外視して人知れず守ってくれるだろう。

 ヘリオはあまり目で追わずに登校する為に足を進めれば俺の隣に着くレーゲンが口を開く。

 

「ヘリオを動かしたのか?」

「目()よろしいのですわね」

「まあな」

「不足かしら?」

「いや、アイツなら問題ないだろ」

 

 皮肉が通じずニッと歯を見せて笑っていたレーゲンの笑みが次第に獰猛な物へと変化していく。

 

「ヘリオはこの学校で俺を楽しませてくれるヤツだからな」

「あら、そう。それは主人として嬉しい言葉ね」

 

 ヘリオから聞いていた事であるが、レーゲンは戦闘狂のきらいがある。一度勝利してから何度も勝負を挑まれると酒の席で愚痴られたのでよく知っている。

 しれっと戦意を流しながら足を進めていれば、今までここには居ないヘリオへと向かっていただろう感情が俺を突き刺してくる。

 

「俺は、アンタとも戦いたいと思ってるんだぜ?」

「情熱的なお誘いだけれど、お断りですわ」

「俺の見立てじゃぁ、アンタだって相当だろ? ヘリオまで、とは言わねぇが――」

「お断りですわ」

「……つれねぇなぁ」

「私と戦いたければヘリオを倒してからになさい。私のヘリオが負けるなどとは思いませんが」

 

 お前みたいな戦闘狂に付き合ってられるか。ヘリオに全部押し付けてやるからなぁ!

 

 ……今度ヘリオには美味い酒を奢ってやろう。そうしよう……うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「転入生のアサヒ・ベーレントです! よろしくお願いします!」

 

 それは通る声であった。美声、という訳ではないが耳障りの良い声であったのは間違いない。内心を表情に出さないようにして今しがた自己紹介をした少女を見る。ニコニコと明るく笑っている。俺もそんな笑顔を浮かべてみたいものである。

 その少女は自己紹介の通りに転入生なのだろう。それは認めよう。

 問題はある。結構、ある。もう嫌になるぐらいある。現実逃避したくなってきた。考えたくない。考えなくてはいけないが……。なんなの? 今日は厄日か何か?

 まずは少女の名前である。アサヒ、というこの世界において非常に特徴的な名前だ。まるで日本人のようだ。

 次に、彼女の髪だ。首と一緒に斬られたように肩口に掛からない程度のボブカットの黒髪だ。まるで日本人だ!

 

 日本人だ!

 転移者だか、転生者だかは知る由もないけれど、それは典型的な日本人であった。

 

 別にニホンジンがこの世界に異世界転移してきた所で俺個人として痛手はない。けれど、俺の立場的には問題が多数浮上してしまう。

 髪色、あとは瞳の色も含めてであるがこの世界において……いや、この国において彼女のような黒髪は特別だ。知り合いに複数いるけれど、それに連なると考えれば余計に頭が痛くなる。

 陛下の落胤……いや、陛下でなくても遠縁のどこかで枝分かれしたかもしれないが……可能性として捨てきる事はできない。

 転入生、というのも問題である。これでもお父様に不意打ちを貰った後に再度の情報収集と精査をし直したのだ。おかげで財布が軽くなったけれど、必要経費で国から落ちないんですかね? 陛下の財布からでもいいですよ。

 その調査の結果として転入生はいなかった筈である……が、俺の調査がガバガバだった可能性は大いにある。お父様も軽々とアマリナを入学させた訳であるし。それは反省しなければいけない。悔い改めて。

 その調査内容として、年頃の娘がいる家はだいたい調べた筈である。ついでに言えば昨年で仲良くなった女の子達にも他の家の事は聞いている。

 その中に()()()()()()()()()

 ベーレント家自体は、ある。貴族の末席であるが、確かにある。シャリィ先生と同じ准男爵位を調べた時に見かけた覚えがある。娘は存在したかはわからないけれど、貴族社会において縦の繋がりが無い可能性は薄いし、横の繋がりにしても他の女の子達が知らないというのはおかしい。

 結論を急ぐ訳ではないけれど。彼女が転移者だと仮定したとする。何かしらの特殊技能が存在して、必要だから学校に入学した。なるほど、仮定と妄想だらけだけれど筋道は通る。

 

 けれど、彼女は転入してきたのだ。この()()()()()がいる学年に、転入してきたのだ。

 くっそ頭痛い。この世界って頭痛薬あったかな……。

 

 何かしら、彼女に裏があると想定している方がいいだろう。何が大きな問題かって、事前に根回ししてるなら俺の網……は荒いが、お父様の網に引っかかってもおかしくはないのだ。けれどお父様からは何も知らされなかった。俺の任務を知っているお父様が、ゲイルディア家として助力しない訳がない。アマリナも無理矢理入れやがったし。

 そんなお父様の情報網をすり抜けて、お父様よりも巧く、バレる事もなく転入生をねじ込んでいるのだ。リゲルと同じ学年に。

 怪しむな、という方が無理がある。

 

 

 

 授業と授業の合間。命令した訳もなく、クラスメイト達が探りを入れてくれていたのでそれを片手間に聞いていたけれど、同郷……かどうかもわからないけれど、俺自身も彼女に興味はあった。

 人当たりのいい彼女はそれこそ話題に尽きず、今は人集りができているけれど、どうしてか俺が近くに寄ると彼女へ至る道ができあがる。別に威圧してもないんですが……。

 

「少しよろしくて?」

「えっと……」

「……はじめまして、アサヒ・ベーレントさん。わたくし、ディーナ・ゲイルディアと言いますわ」

「ゲイルディアさんだね、よろしく」

「――……」

「? どうかしたの?」

「いえ。よろしくお願いいたしますわ」

 

 お互いにニッコリと笑いながら握手をする。

 女性らしい細い指だ。マメが潰れた事もなく、柔らかい手である。

 それに加えてゲイルディアに物怖じせずに握手するなんてディーナとしては初めてに近い出来事である。思わず手を見て止まってしまった。もうホントね、いい子かな?

 対比するように俺と彼女が握手した瞬間に周囲がざわめいた。お前らさぁ……ちょっとは隠して……。ゲイルディアが怖いのはわかるけど、隠すぐらいして……。

 

 騙されてはいけないが、この可愛い女の子はリゲルの脅威になる可能性があるのだ。

 これでもゲイルディアの悪名は誰しもの耳に届いている物だと思っていた。それこそ政治に疎いシャリィ先生だってゲイルディア家に来た時は「死刑台に上がる時の気持ちがわかった」などと嘯くぐらいなのだ。

 そのゲイルディアを知らない、というのも中々に変である。

 

 表面上にこやかなコミュニケーションであるが、内心を悟らせる訳にもいかないし、彼女もまた内心を隠している事だろう。

 手を離してからようやく彼女の人差し指に収まった指輪に気付く。木製の、簡素な指輪だ。細かく文様が刻まれている以外はどこにでも工芸品屋にでも行けば安値で売られているだろう物だ。

 

「それは……」

「あ、えっと、これは、大事な物で」

「そうですのね。少しだけ見てもよろしくて?」

「あー、えっと……その、外しちゃいけないの、ごめんね」

 

 眉尻を下げて本当に困ったような表情をしたベーレント嬢を観察しながら

 

「それは残念ですわ。大切になさってくださいまし」

 

 刻まれた文様が俺のよく知る形であったから気になったけれど、見れないのなら仕方ない。あまり踏み込んで探りを入れて後ろにいる人物を取り逃すのも悪手だろう。

 指輪に関しては後々確認できる機会も巡らせるから、今は諦めよう。

 授業の時間も迫っている事だし。

 

 所感は脅威らしい脅威には思えない。裏側が見えないけれど、彼女自身は至って普通の少女である。まあ俺の人物鑑定眼なんてものはさっぱり信用ならないので、過程を抜きにした結果だけで判断するしか無いのだけれど。

 

 ニッコリと笑顔を浮かべてベーレント嬢から離れようとすれば教室の外が騒がしくなっているのに気付く。この騒がれ方はリゲルだろう。間違いない。俺は詳しいんだ。

 

「――ディーナ、少しいいだろうか?」

「は――」

「リゲルくん!?」

「――あ゛?」

 

 登場したリゲルに俺よりも大きなリアクションをカマしやがった色ボケ糞女に対して低い声が出てしまった。これはいけない。

 喉の調子を戻す為にわかりやすく咳払いをして、ニッコリと、なるべく穏やかな笑顔を浮かべる。まだ、まだ大丈夫。まだ彼女が黒と決まった訳ではない。落ち着け俺。

 俺の脇を通り抜けてリゲルの方へと駆け寄る色ボケ糞女へスグに追いついて、リゲルの間へと入って距離を無理矢理放す。

 

「貴女、どういうおつもりですの?」

「え、どういうって」

「彼は私の許嫁ですの。それ以上近づかないでいただけます?」

 

 お前みたいな不穏分子近づける訳ねぇだろ!! 怖すぎるんだよ! おい! レーゲンどこいった! こういう目立った事はお前の仕事だろうが!

 

「おい、ディーナ」

「リゲル様は黙っていてくださるかしら?」

 

 お前も何無警戒に近寄らせてるんだよ! お前は王子なんだぞ! 王族だぞ!? もうちょっと警戒心を持てよ! 普段は俺が裏取りして対処してるんだぞ! お前の動きで俺の仕事量とアルコールの量が上下するんだぞ!

 理解しろとは言わねぇが、もうちょっと自覚しろ! 頼むから! マジで!

 

「どういう、つもりも何も……ただ話がしたくて」

「あらそう。ならまた今度にしてくださる? リゲル様、行きますわよ」

「あ、ああ。その、すまない」

 

 俺の頭越しに、俺を飛び越えた向こう側へと謝罪が向けられた。別に俺は気にしてない。気にする訳がない。彼の性格はよく知っているし、幼い頃から一緒だったのだ。

 

 

 だから、俺は気にしない。



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18.悪役令嬢は酩酊したい!

「ぁぁぁぁ……まったくわからん」

 

 思わず机に突っ伏してしまう。飲み込んだアルコールが臓腑を火照らせて脳を蒸していく。

 自棄酒である。これを飲まずしてどう発散しろというのか。

 

 斯くして、アサヒ・ベーレントの調査を開始して一月。ベーレントの情報を含んだ物はある程度集めたという自負はある。それこそ財布の中身が軽くなることに比例して情報が集まるのだから、推して知るべし、である。

 自分だけの諜報部隊が欲しくなるが、それは身に過ぎた力になるだろう。今は、まだ。

 既に俺の任務を知っているお父様にも掛け合って情報を集めてみたけれど、手応えらしい手応えはない。いや、情報自体は集まったのだけれど。

 わかった事として、アサヒ・ベーレントという存在が突然現れた事だ。まあ、それは納得できる。俺の仮定とも一致するし、予想していた事だ。

 問題はベーレントがアサヒを学校へとねじ込んだ意図である。それは全くわからないし、ベーレントにそこまでする財力はないし、転移者であるアサヒに入れ込む価値はそれほど無いだろう。日本人……黒髪黒目という特徴から何かを察したとしても、学校に入れる必要はない。それこそを御しきれなかった時の保険として備えるべきだ。

 思考し、思案し、それら全てが水泡のように弾けて消える。

 結果として言えば、不明だった。何もかもが、不明だ。

 

 どこからともなく現れた黒髪黒目の少女が、まるでそれが当然かのように学校にいる。それだけである。

 

「ディン、飲み過ぎじゃないか?」

「これが飲まずにやってられるか。今日まで飲んでなかったんだ。飲む。今日は飲む」

「はぁ……」

 

 これは俺の意思である、と明確に示せばヘリオは溜め息で返してジョッキを傾ける。その中身はこの酒場でいっとう高い酒である。因みに二杯目。

 そんなお酒をパカパカ開けやがって……。ヘリオを尻目に安酒の苦味を舌で転がして喉を通す。

 

「で、男共の評価は?」

「評判はいいな。ちょろちょろ動く姿が小動物的で人気だ」

「鼠だったら殺すだけでいいんだけどな」

「怖い怖い」

 

 まだ毒婦であったならばその本意が見抜けただろう。けれど、全くわからないから問題なのである。

 或いは彼女本人は本当に何も知らず、何かが糸を引いているのか。その糸すら掴めていないのも、また問題なのであるが。

 

「そっちはどうなんだ?」

「ほどほどだよ。成績も優秀とは言えないし、何より魔法がてんでダメだな。俺の昔みたいだ」

「……それは……優秀って意味か?」

「ヘリオも皮肉が言えるようになったのか」

 

 これは驚きだ、と付け加えてカンラカンラと笑う。

 それはイイ成長だろう。何よりその皮肉がまるで俺が優秀かのような物言いもいい。そしてわかりやすいのも、また素晴らしい。シャリィ先生はバッサリと俺を斬るからな……。

 笑う俺が不満なのか眉を寄せながら酒を呷ったヘリオは中身を飲み干したジョッキを机に置いた。

 

「……暴行に関しては?」

「……事実か?」

「目撃したからな」

「それで?」

「あっさりとやられてたが、王子様が近くを通って蜘蛛の子さ」

「…………ふむ」

 

 今日もニコニコと笑顔を浮かべていた彼女を思い出しながら可能性を考える。貴族の娘達だろう。或いは商人連中も絡んでいるかもしれない。原因らしい原因は……。

 

「王子様か」

「いや、お嬢だと思うぞ」

「お……ゲイルディア嬢が?」

 

 危なく口から出そうになった一人称を飲み込んで家名を口にする。俺が原因って、なんだよ。なるほど、彼女は俺に恋をしていてそれに嫉妬した女の子達が俺を求めて彼女をイジメたと。

 我ながら、モテてしまったしかたないぜ。

 ニヤニヤと口元が歪んでいたのだろうか、ヘリオが呆れた顔をしている。

 

「お嬢が王子様に近づいた彼女を威嚇しただろ」

「ああ、アレは向こうが悪いだろ」

「……それは置いとくとして。それが原因でお嬢が命令してるらしい」

「…………はぁ?」

 

 たっぷりと、ヘリオの言葉を理解してから唖然としてしまった。全く身に覚えない。むしろそこまで表立って彼女を除外できるのなら願ったり叶ったりであるが、俺は裏でコソコソと動いているだけである。

 リゲルにバレてはいけない事も考えれば、比較的表に近い裏で動くのは悪手すぎるんですが、それは……。ああ、だから()()()()なのか。ヘリオとアマリナ以外に命令したことないけど。

 

「ゲイルディア嬢がする訳ないだろ」

「ゲイルディアが怖いんだろ」

「……ゲイルディアの敵を倒せば、少なからず恩は売れるし、悪いようにはされない、か」

 

 馬鹿馬鹿しい。頭が痛くなってきた。お酒飲まなきゃ……。

 しかし、それはマズイ。非常に、マズい。俺の命令……ではないけれど、俺の命令だと知れればリゲルへの心象も悪くなるだろう。イジメ主犯格の女など、近くには置きたくはない。全く以て! 身に覚えがないけど!

 リゲルと離れるとどうなるか? お父様の計画も破綻し、更には後宮でのんびり暮らす事もできず、更に更にスピカ様の近くにいれないのである! それは、避けたい……。

 

「……主犯は?」

「複数って事だけ」

「調べろ」

「あいよ。それで、もう一杯飲んでいいか?」

「……はぁ。俺も飲む…今日は飲むんだ……」

 

 最近、溜め息が増えてきた気がする。気のせいではないだろう。

 ヘリオが声を出して店員を呼べば、店の中を慌ただしくちょろちょろと動いていた店員がニコやかな笑顔を携えてやってきた。

 

「ご注文でしょうか?」

「一番いい酒を2つ。おすすめの肴を適当に。

     ――それと君の時間かな?」

 

 ナンパをするように気軽に言えば店員の制服を着こなしたアサヒ・ベーレントはキョトンとしてから困ったように笑ってから、しっかりと自分の時間を省いた注文を繰り返してカウンターへと戻っていった。

 俺は溜め息を吐き出した。

 

「ヘリオ、俺は笑えてるか?」

「そりゃぁもう」

「そうか」

「まるで生娘を拐かす悪漢だ」

 

 ソレを笑顔と言うのは無理があるんじゃないですかね?

 ムニュリと両頬を手で持ち上げて表情筋を解しておく。それで笑顔がどうなるかはわからないけれど、ある程度マシになるかもしれない。

 爽やかな笑顔とか人当たりのいい笑顔を思い浮かべながら笑ってみる。どうよ。ヘリオ、なんで首を横に振ってんの? アルコールで表情柔らかい筈なんだけど? なんで?

 

「おまたせしましたー!」

 

 持ってこられた料理と酒を見ることもせずに彼女の顔を見る。間違いなくアサヒ・ベーレントである。なんでこんな所にいるんだ? しかも店員として。

 

「それで、ここらじゃ見ない顔だね。噂の転入生かな?」

「そうですけど……噂ってなんです?」

「王子様を誘惑する黒髪の転入生」

「あれは! その……」

「理由ありかな。これでも学園の事はなんでも知ってると自負してたんだけど……君の事は全くわからないからね。いや、あのゲイルディアも全くわからないけれど」

「ゲイルディアさんを知ってるんですか?」

「知らないわけがないだろう?」

 

 本人だぞ。とは言わない。したり顔で言ってみればヘリオが肩を竦めているが、その口元は笑いが浮かんでいるから状況自体は楽しんでいるのだろう。

 

「ゲイルディア家は侯爵でね。貴族界でも武闘派で名が通ってるよ。ま、表では、だけど」

「表では?」

「……ゲイルディアの事を知らないなんて君は本当に貴族かい? 社交界に出ていれば嫌でも耳にすると思うけれど」

「え、あ、えっと、ついこの間まで病気で」

「おっと、それは失礼。それで、君は貴族で更に言えば病み上がりだろう? どうしてこんな所で働いてるんだい?」

「その……あんまりお金が無くて……」

「……アッハッハッハッ。なるほど、確かに働くには正当な理由だ。しかし、そうか、金がないか、ククッ」

「そんなに笑わなくたっていいじゃない!」

「いや失礼。くくっ、ならこれを貰っておいてくれ」

 

 懐から銀貨を一枚、机の上に置けばベーレントはギョッとしたような表情で慌てて大げさに首を振る。

 

「い、いりませんよ」

「貰ってくれ。いや、正確には君の時間を買った対価だね」

「それでも、その」

「おや、これ以上を求めてたかな? それは失礼な事をしたね」

「そ、そんなに貰えないよ!」

「そっちが素かな。そっちの方がさっきまでのかしこまった態度よりも魅力的だね」

 

 銀貨を彼女の手に握らせて手を被せて封をする。

 顔を少し赤らめながら困ったような表情をしているけれど、銀貨はどうやら貰ってくれるらしい。こちらの顔を立ててくれたのだ。

 俺と彼女の会話中に自分の酒を飲み干したのかヘリオが彼女に注文を伝えてハッとしたベーレントが慌てたように厨房へと消えていく姿を見ながら笑いが漏れてしまう。

 小動物的で可愛い、という男性陣の気持ちがよく分かる。

 

「それで?」

「……俺が思ってるよりゲイルディアって悪評が無いのでは?」

「本気で言ってます?」

 

 やめろ。ちょっとぐらい現実逃避させてくれ。その真面目なトーンで敬語で俺の正気を疑うのはやめろ。やめてくれ……それは俺に効く……。

 現実を流すように酒を飲み込んでチラリと彼女が消えた厨房の方へと視線を向ける。

 この酒場自体がお父様の息が掛かった酒場っぽいから、ベーレントを雇った事で詳しく調べるつもりだろう。彼女自身の調査は打ち切っていい。為人に関してはディンとしてここに通って俺からもアプローチは仕掛けれる。

 これは仕方のない事なのだ。決してお酒を飲みに通いたい訳ではなく、ベーレントの調査として必要だからお酒を飲むのだ。いやー! 仕方ないなー!!

 

「冗談はさておき。どうするんです?」

「彼女自身は無害だよ。それに……」

「それに?」

「アイツの好みだしな」

 

 ジョッキを傾ける。実際、彼女が来てからリゲルの行動が少し変わった気がする。わかりやすい変化ではないけれど、気がつけば彼女へと視線を向けているというか……。

 まあ、ベーレント自身は無害っぽいから別にいいんだけどさ。リゲルは王族だし、俺とは元々仮面夫婦でいいし。それで俺は納得できるし、ベーレント自身は俺も可愛いと思う。

 将来として考えるなら、俺はなるべくベーレントとも仲良くしなければならない。それに対して苦とは思えないし、可愛いのでむしろばっちこいな訳だけど。

 今はダメだ。リゲルにも近付けさせてはならない。その辺り、上手くレーゲンが立ち回ってくれればいいけれど、あの戦闘狂には無理かもしれない……。王様はなんでアイツに護衛頼んだの? いや、その為の俺か?

 

「ディンは……それでいいのか?」

「いいも悪いもないさ。今まで積み上げた事が無くなる訳じゃないしな」

 

 正室でなくてもいいし、愛を一番に受けたい訳でもない。俺が何番目であろうが、むしろ愛されてなかろうが、その辺りは別にどうでもいいのだ。

 その分、沢山今までを積み上げてきた。俺はそれで満足しているし、今からも積み上がるだろう。そこに誰かが加わるだけである。そこに何の不満があるというのだ。

 

 ……よくよく考えるとリゲルが側室を囲い込む度に俺は毎回こんな調査をするの? 心労やばくない? 胃が保つのか? 癒やしと諜報部隊がほしい……今欲しい。

 あぁ~……お酒が沁みるぅ……。



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19.悪役令嬢は憤りたい!

誤字報告ありがとうございます。この場をお借りして、感謝をば。
*19/06/30 タイトルが被っていたので修正しました(白目)


 女生徒達はそれほど鋭意的に剣術という物に打ち込んではいない。それこそ魔法という物があるからこそ、必要ではないし、学校には貴族や商人の娘達が通っているのだから、より一層必要ではないのだろう。

 商人家系の娘が何人か自己防衛の為に習うという事もあるけれど、所詮は自己防衛の域は出てはいない。

 

「シッ――」

「っと」

 

 頸を狙った突きがアッサリと流される。月明かりに映える褐色の肌、藍の瞳が俺から離れる事はない。

 剣を合わせる度に鳴り響く甲高い鉄音と地面を擦る音が鼓膜を揺らし、動く度に風が肌へと触れる。左手で握った剣で型通りの綺麗な剣を防ぐ。

 二度程防げば手が僅かに痺れ始め、俺が不格好に防いだ事を咎めてくる。

 俺の手の痺れなど既に把握しているだろうヘリオが嫌らしくも剣を落とさせるように何度も防がせれる程度の速度で攻撃を仕掛けてくる。そのくせ避けるには速すぎる振りだ。

 なぜ負けてしまったんだろう、と考え始めたのはもう数年も昔の事だ。今となっては彼に教わる事の方が多いのが実情であるし、いつから負けるようになったのだろう、と少しだけの悔しさとヘリオも成長しているのだと喜びを感じているのは……いや、オッサン的な思考だ。

 それでも悔しさはある。少なくとも、あるのだ。毎回毎回、こうして剣術の稽古に付き合わせているけれど「今日は絶対に勝つ」という意思はある。負けっぱなしではいられないのが男心という物だ。お嬢様だけれど。

 

 それでも俺の数歩先をいつの間にか歩き始めたヘリオは悠々と俺の剣を受け止めて、アッサリと俺の剣を叩き落とす。

 ガラン、と鳴いて地面に伏した剣に一瞬だけ視線が向き、次の瞬間には切っ先が俺に向けられている。

 

「相手から目を離しちゃダメだぜ、お嬢」

「――はぁ、また負けてしまいましたわ」

 

 溜め息を一つ吐き出せば体が休息を求めるように汗が吹き出てくる。剣を持っていた左手をヒラヒラと振りながら右手で地面に寝た剣を持ち上げる。

 細身の剣を一振りしてから鞘へと収めて、空を向いて深呼吸をする。

 

「さっきの突きはいい線だったぜ」

「簡単に防いだくせによく言いますわ」

「お嬢の事は手に取るようにわかるさ。何回戦ってると思ってるんだ」

「貴方がスクスク育ったから私はわかっていても防御すれば手が痺れるのですけど?」

「そりゃぁスクスク育てたお嬢が悪ィさ」

 

 爽やかに笑いやがって……。

 こっちはお前が筋力つけたせいで防御の選択肢が限られてきてるんだぞ。スクスク育ちやがって……。あの可愛かったヘリオはどこに行った! 今は偉丈夫じゃねぇか!

 ヘリオの太い腕を恨めしくみながら俺の腕を触る。そこそこ筋肉はあるけれど、まだ柔らかさを感じる。

 

「もうちょっと筋肉を付けるか」

「いやお嬢はそのままで良いと思うぞ」

 

 ボソリと呟いた言葉を即座に切り捨てやがったヘリオ。負けっぱなしはシャクなのだ。

 顔がムッとしてたのかヘリオに溜め息を吐き出されたけれど、男として筋肉はもう少し欲しいと思うのは仕方ない事であり、負け続けというのも気に食わない。

 

「魔法を使えばお嬢の方が強いだろ」

「だから剣だけでも勝ちたいんですの」

「俺が手加減したら怒るじゃねぇか」

「当たり前ですわ。手加減したヘリオに勝った所で嬉しくもありませんわ」

「それに俺とお嬢じゃ、剣に捧げてる時間も想いも違うでしょうよ」

「む……」

 

 それは、確かにそうなのだけれど。

 学校にいる時から剣術に打ち込めるヘリオと剣術の授業を別の授業へと当て嵌めている俺とは時間の格差があっても仕方ない。その補填として俺はヘリオとこうして打ち合っているわけであるし。

 けれど、しかし、それでも勝ちたいと思うのも仕方ない事だと思うんだよ。

 俺はヘリオに勝って、ヘリオに憧れを抱いてる女の子達の好意を一心に受けて「キャー! ディーナ様カッコイイー! スゴーイ!」されたいのだ! たとえ女の子皆が俺の事を怖がってても、きっとそうなるんだ!

 そんな想いはバレてない筈だけれど、ヘリオが剣に捧げてる想いはいったいなんだろうか?

 

「で、お嬢。続きは?」

「え、あぁ……そうですわね。流す感じでもう少ししましょうか」

「あいよ」

 

 改めて剣を抜いて、先程よりも緩やかに動く。お互いの動きの確認程度の物であるし、他の事を考えている余裕もある、慣れ親しんだ習慣でもある。

 

「それで、イジメに関しては調べましたの?」

「お嬢が首謀者って所までは」

「笑えない冗談ですわね。本命は?」

「一応。お嬢の責任にしようとしてるのと、お嬢に媚びを売ろうとしてる二組」

「両方共私が絡んでいるのが厄介ですわね」

 

 両方共俺の名前が出てくる癖に俺は全く以て知らないんだぜ……。どうなってんだよ、マジで。ゲイルディアの血が呪われてるって聞いても今なら納得できそうだ。

 矢面に立っているのが俺とは全く関係のないベーレントというのも中々に意味がわからないが、リゲルの一件があるのでそれは仕方ない事で割り切る。イジメに関しては俺が先導して止めるしかないのだけれど、これで消えてくれるのならば俺としては手を汚さずに不穏分子を処理できる。

 けど、まあ、そのベーレントの動きが怪しいくせにベーレント自身は全く無害なんだよなぁ。

 

「お嬢?」

「……前者の調査は続けなさい。後者に関しては私自身が働きかけますわ」

「へいへい」

 

 ベーレントの調査ついでに近くに居れば、後者は手を出してこないだろう。利が無くなる。後者の首謀者にも会わなくていいからリゲルに怪しまれる可能性も薄い。

 彼女本人は無害なのはわかっている。現状の俺の立ち位置的に彼女からは警戒されそうだが、それは我慢してもらおう。完全に裏取りが完了し、安全であるならば、俺からリゲルに橋渡しをして彼女には後宮に入ってもらおう。リゲルは彼女と恋ができるし、俺は愛でる事ができる。完璧な未来予想図では?

 何にしても、彼女が安全かどうかの調査を進めなくてはならない。いや、彼女自身はマジで無害なんだけど、どうにも裏側がきな臭い。何かの意思が働いてるような。杞憂ならばそれで良しである。

 

「あー、それで、そのお嬢。最近、アマリナの奴を構ってますかい?」

「? ええ。会う度に抱きついたりはしていますわ」

「あー、まあ、そりゃぁ、よかった」

「煮えきりませんわね」

 

 剣を下ろしたヘリオをジッと見て言葉を促す。そうすれば、どうにも困ったように額を指で掻きながら、やはり濁した言葉を吐き出される。

 今日も会ったアマリナを思い出してもいつも通りのアマリナであった。可愛い俺のアマリナだった。それは間違いない。髪を切ってもすぐわかるし、微妙な表情の変化だってわかる。確かに近頃忙しくて構ってやれる時間は少なかったけれど……。

 ははーん、アマリナもついにディーナ分が足りなくなってきたな?

 

「――言いなさい、ヘリオ」

 

 と冗談はこれまでにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝日が昇った。空を見つめながら机を指で叩いて気を逸らす。頭の中に巡る苛立ちをどうにか抑え込んで、抑え込もうとして、天井を見上げて深呼吸を繰り返し、空を見つめ、また頭の中が苛立ちと怒りに満ちていく。

 何故、どうして、アマリナが。と繰り返し浮かび上がり、憤りを無理矢理抑えつける。感情の制御なんて物は魔法使いとして当然の事だとシャリィ先生に教わっていたし、なにより、(ワタクシ)はディーナ・ゲイルディアなのだ。感情的になるなどあってはならない。

 大きく、深呼吸をする。これも何度も繰り返した行為だ。

 頭を抱えた所で、意味はない。それは改善に向かわない。

 

 ノックが部屋の中に響く。今年に入ってすでに二ヶ月も続けられた日課だ。

 

「失礼致しま――、お嬢様、起きてらしたのですね」

「ええ、おはよう。アマリナ」

「おはようございます、お嬢様」

 

 ああ、何故気付かなかったのだろうか。いつからだろうか。気付かなかった俺の不足に怒りを覚える。俺に隠していたアマリナに悲しみを覚える。何故言ってくれなかったのだ、とは口が裂けても言えない。俺が気付けなかった事が全てだ。

 ニッコリと笑っているアマリナを見て、俺は目を細める。あぁ、こんなにわかり易かったというのに、どうして気付けなかったのか。嫌気が差す。

 

「アマリナ」

「はい」

「――脱ぎなさい」

 

 頬杖を突いて、アマリナの全身を見ながら俺は命令を下す。学校の制服に身を包んだアマリナはビクリと肩を揺らして、目を伏せる。

 

「気付いて、らしたのですね」

「私は脱げ、と言っているのよ! アマリナ!」

 

 苛立たしげにアマリナに怒鳴ってしまい、頭を抱えて大きく息を吸い込んで気持ちを落ち着ける。

 どこか諦めたように、アマリナは制服のボタンを外して上着を脱いでいく。褐色の肌も柔らかそうな乳房も空気に晒されたが、俺は眉を寄せる。

 褐色の肌の至る所が青黒く染まり、何かに強く殴打されていた事がわかる。腕にも、腹にも、痣ができ、息を吸い込んでも痛みがあるかもしれない。

 震える手をアマリナへと伸ばして、宙で強く拳を握って机の上に置く。気付けなかった俺に、触れる資格などある訳がない。

 

「……誰が、したの?」

「言えません」

「私のアマリナに! 誰がこんな事をしたかと聞いているのよ!」

 

 感情が抑えきれずに立ち上がり怒鳴り散らしてもアマリナはどこか嬉しそうに、小さく口を開き、一度閉じて、息を吐き出すように言葉を漏らす。

 

「――言えません」

「――ッ、――、……」

 

 何も言わないアマリナに感情が爆発しそうになり、荒い呼吸を繰り返し、熱くなった頭を無理矢理冷ます為に天井を向いて、大きく息を吸い込み、吐き出す。

 

「服を、着なさい。声を荒立てて、ごめんなさい」

「問題ありません、ディーナ様」

 

 問題ない!? 何がだ! 問題しかない!

 沸々と煮だった怒りを奥へと置いて、頭だけを冷静に働かせる。

 服を着ていくアマリナを眺めながら、誰がしたかを考える。アマリナが言えない相手なのだ。そんな人物限られているし、アマリナが抵抗せずに暴力を受け入れる人物も、また限られている。

 そんな事、アマリナがここに来る前からわかっていた事だ。それでも、それでも、と頭の中で否定を繰り返した。

 

「――俺に、不利益だから言えないんだな?」

 

 アマリナは答えない。それが正しいからだろう。

 

「俺と、アイツの関係が拗れるから、言わないんだな?」

 

 アマリナは答えない。きっとそれが正しいのだから。

 だからこそ、余計に頭に血が昇る。何を、どう冷静に考えてもアマリナが正しい行動をしている事は理解している。アマリナは俺の為を考え、自身を犠牲にしているだけだ。だからこそ、アマリナは正しい。

 それでも、それでもだ。

 

「――アレクだな?」

 

 アマリナは答えられない。ただ悲しそうに微笑むだけだ。

 俺とアレクの仲が拗れるのはゲイルディアにとって不利益だろう。俺にとっても肉親であり、唯一の弟である。奴隷の一人を犠牲にして仲を取り持てるならば、それは実に有益だ。ああ、有益だ。

 

 そんな事知ったことか!

 

 俺は椅子から立ち上がって足早に部屋の扉を出る。その俺の手を掴んで止めようとするアマリナの制止など気に留めもしない。

 

「ッ、いけませんディーナ様」

「黙りなさいアマリナ」

「アレク様が悪いのでは――」

「黙れと言ったのよ!」

 

 利益など知ったことか。アレクと俺の将来の関係性など知ったことか!

 俺のアマリナに手を出したのだ。それだけで許される訳がない。許す意味がわからない。

 

 俺を止めようとするアマリナの声も腕を引く力も、次第に弱くなり、俺の後ろを付いて来ている事だけがわかる。ゴウゴウと耳鳴りのように、風が俺の髪を揺らした。

 

 

 いつもの登校風景であるが、俺の目の前は生徒たちが避けるように道を開けてくれていく。ああ、これはいい。アレクの元に行くのが早くなる。

 少し歩けばアレクの姿を見つけ、不意打ちで殺してやろうかとも考えたけれど、ソレをした所で意味はない。

 アレクがコチラを向いたのがわかる。俺の後ろにいるアマリナを見て、バツが悪そうな顔をしているのもわかる。

 

「ごきげんよう、アレク」

「……んだよ」

「何か弁明はあるかしら?」

 

 俺の頭は思った以上に冷静である。ちゃんと表情を作れているし、お嬢様の様に言葉を吐き出す事も出来ている。手元に剣があったならば突きつけていただろうけれど、生憎剣はヘリオが昨晩俺から取り上げるように預かっている。

 

「弁明? 俺が何をしたって言うんだ?」

「アマリナへの暴行。それ以外にも思いたる事があるのかしら?」

「――姉貴、ソイツは所詮奴隷だぜ?」

「ええ、そうね。私の奴隷(モノ)ですわ。だから、貴方の口から謝罪でも聞ければ、水に流しましょう」

「ハッ、なんで俺が謝らなきゃ――」

「アレク、もう一度言いますわ。謝罪なさい。誠心誠意、心を込めて。その頭を地面に付けて、アマリナへ謝罪なさい」

「……っせぇな」

 

 は? お前これでも譲歩してるんだぞ?

 さっさと謝って。そうすれば心の広い俺は許そう。この怒りをどうにか鎮めてアマリナをお前から離して俺付きにして慰める為に抱きしめてやるんだ……。ごめんねアマリナ……たっぷり慰めてやるからなぁ……。

 

「アレク」

「うっせぇって言ってんだよ! 俺よりも弱ぇくせに、いつも上から見下しやがって!」

「……私が弱かろうが、強かろうが、どうでもいいわ。ただ、その畜生並の頭を下げろと、そう言っているの。理解できているかしら?」

「アンタが俺よりも強けりゃいくらでも下げてやるよ! 決闘しろ!」

 

 はぁぁぁぁ? お前決闘まで持ち出すとか正気か?

 やいのやいのと盛り上がる場外を尻目に今更頭が痛くなってきた。感情に任せた結果がこれである。でも謝らせたいし仕方ないね。絶許。




最後の方がクソなのでたぶん加筆修正します。


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20.悪役令嬢は負けられない!

 姉様は――尊敬できた。

 少年は物心が付いた時分にそう感じていた。当然、それは尊敬という明確な物ではなかったし、もっと漠然とした曖昧な感情であった事は間違いない。

 姉は何でも出来た。弟である少年から見れば、出来ない事を探す方が難しかったし、何を聞いてもすぐに答えが返ってきた。まさにお伽噺に登場する魔法使いのような、全てを知り尽くす存在であった。

 いつだって姉は優れていたし、いつだって姉は自分よりも前に立っていた。その背中を追う事が苦しいとは少年は思わなかったし、いつか隣に並び立てると思っていた。なんせ自分は姉の弟なのだから。

 

 少年は沢山の本を読んだ。姉の隣に立てるように。

 少年は沢山の知識を求めた。姉に振り向いてもらう為に。

 少年は沢山の努力を重ねた。姉に認めてもらう為に。

 

 それは純粋な想いであった。少年に根付いた矜持でもあった。全てが自信へと繋がり、歩みは道となった。

 

「アレク様はディーナ様と違ってお世話しがいがありますね」

 

 メイドにとって、それはきっと何気ない一言だった。けれど、少年にとってそれは始まりの一言であったに違いない。それが少年――アレク・ゲイルディアの始まりであった。

 

 アレクは沢山の本を読んだ。ディーナが自分よりも幼い時に読んだ本を。

 アレクは沢山の知識を求めた。ディーナが自分と同じ頃に得ていた知識を。

 アレクは沢山の努力を重ねた。ディーナが容易に出した結果へと辿り着いた。

 

 どれほど努力を重ねようと、どれほど知識を求めようと、どれほど本を読もうと。全てが姉と比べられた。

 ディーナ様ならば。

 ディーナ様と比べて。

 ディーナ様には劣る。

 自身のすること全てにディーナという存在が付き纏った。全て、何もかも、自分が歩いていた道も、自分が得た知識も、自分が吐き出した結果も、努力も、何もかもを全てが姉へと辿り着いた。

 誰もがアレク・ゲイルディアを見る事はない。

 誰もが自分を通したディーナ・ゲイルディアを見る。

 誰もが姉と自分を比べ、そして判断を下す。

 自分を積み上げていた全てが、歩いていた道が。既に姉が通った道であると、姉はもっと高く積み上げたと、アレクの努力を否定する。

 

 何でも出来る姉が疎ましい。何でも出来た姉が妬ましい。何もかも手中に収めるディーナが憎い。

 それでもアレクはディーナの背中を追い続けた。せめて何かだけでもディーナよりも勝りたかった。ディーナと比べられるのではなく、アレクとして誰かに見てほしかった。

 手を出したのは剣であった。自身が得意である剣術こそが最もディーナに近かった。

 だからアレクは積み上げた。ディーナへと届く為に。

 だからアレクは工夫をした。ディーナへと追いつく為に。

 だからアレクは結果を求めた。ディーナを追い抜く為に。

 

 鍛錬自体は苦ではなかった。それでも貴族としての教育がアレクを拘束し、またディーナの背を遠くした。

 重ねた努力だけがアレクを支え、背中を押し続けた。それがディーナの歩んだ道であろうと、ただ遠い姉の背へと向いていた。

 どれほどの努力も、研鑽も、学びも、ディーナが歩いた道へと繋がり、その全てがアレクを苛んだ。それでもアレクが努力を続けたのはソレしか無かったからだ。それしか自身を保つ事が出来なかった。それでしか自身の存在が見えなかった。

 苦しみも、妬みも、痛みも、自信も、何もかもが微々たる自身の添え木でしかなかった。

 

「ディーナを追いかけるのは諦めろ。――」

 

 そう、実父であるクラウス・ゲイルディアから言い渡されるまでは。

 自身の全てが否定された。添え木すら折れた。言い渡された瞬間に頭が真っ白になり、自身の思考全てが自身によって否定される。

 劣った弟だから。

 優れた姉だから。

 どうしようもない虚無がアレクを支配した。支えていた何もかもがアレクの中から消え去り、誰も自身を見ていない事を理解させられた。

 雲に手が届かないように。風を掴む事が出来ないように。

 何もかもが無価値で、無意味で、虚無で、そして自分であった。

 

 例えアレクが努力を止めようが、研鑽をやめようが、わかってしまった結果を求めなかったとしても、それでもディーナの影はアレクへと伸び続けた。ディーナが優れる程、アレクは染まっていった。

 比較された。

 侮蔑された。

 同情された。

 憐れまれた。

 それら全てをアレクは否定した。自分は姉ではないと否定し続けた。そうしなければ自分が本当に消えてしまいそうだったから、そうした。

 ゲイルディア、という名前はそれを是とした。それが最後のアレクであった。

 

 

 

 学校に入れられたアレクはやたらとコチラに迫る影から逃げた。残った自分が塗りつぶされないように、必死で逃げた。

 やはり学校でもディーナと比べられた。だからそれら全てを力によって黙らせた。

 存外、暴力は快楽であった。当然、アレクとて貴族である矜持は植え付けられている。だからこそ無意味な暴力を振るう事はない。

 けれど、それでもアレクは暴力に酔いしれた。

 何もかもが自身よりも下であった。目の前で伏した同級生達が自分を――アレク・ゲイルディアを見上げた。

 ただ一人、たった一つを除いては。

 

 

 ソレは奴隷であった。ソレはメイドであった。ソレは物でしかなかった。

 アマリナと呼ばれた物は元々は姉付きのメイドであった。あのディーナ付きであった。

 それだけがアレクにとって異物であった。

 アレクはそれが嫌いであった。その瞳が自身を見ている時、比べられ、同情され、憐れまれているのは想像に難くなかった。

 

 だから、アマリナを屈服させる為に唯一育んだ暴力を振るった。

 元々姉の物であった物を壊す事のなんと心地よい事か! 自分を確かに証明してくれる!

 その呻きも! まるで虫のように蠢く事も! アマリナの全てが自分を満たしてくれた! アレクを証明してくれた!

 

 けれど、その瞳だけは決して変化しない。

 なみなみに注がれた筈の快楽が、グラスに穴が空いていたように抜けて、消えていく。

 また渇きが、より強い渇きがアレクを苛んだ。

 物を壊す事に、抵抗など必要ない。

 ゲイルディアは、それを是としたのだから。

 

 

 

 

 


 

 

 ぬわぁぁぁぁぁぁぁぁあん! なんでなんでなんでなんで!? アイエエ決闘!? 決闘なんで!?

 時間が経てば頭は随分と冷静になってきた。あれだけ燃えていた心は今は沈静化して、怒りは燻るだけに収まっている。

 決闘? なんで? なんでこんな事になってる?

 準備時間、という時間を設けたのは俺がスカートで戦う事を避けたからだ。アレクと戦うのにスカートとか動きにくい格好とか無理だぞ……。

 不安そうにしているアマリナを撫でて、心を落ち着ける。抱きしめるとアマリナが痛みを耐えるようにするから抱きつく事はしない。落ち着く……あぁ、心が洗われるようだ……このまま逃げてぇ……。

 逃げるのは問題だ。ゲイルディアの血として、将来的な話として臆病者と言い続けられるのは別に構わないけど、それによってリゲルを貶めるのはいただけない。それにアマリナにも謝ってほしい。

 けれど、それには問題が生じる。アマリナに謝ってもらうという事は、アレクが俺に負ける事を意味する。姉であっても女に決闘を挑んだ末に負けるアレク……。それはぶっちゃけどうでもいいのだけれど、ゲイルディアを将来背負うのはアレクなのだ。そのアレクの肩書に「女に決闘を挑み負けた」などと付いてみろ、ゲイルディアがヤバイ。経験上、様々な悪意の矢面に立っているゲイルディアでその肩書はマズい。

 ソレを回避する為には俺が負けなくてはいけない訳だけれど、アマリナに負けた姿を見せたくないのでヤダ。というかアマリナに謝らないとかいう選択肢がアレクに残されてると思うなよ……。

 

 しかし、けれど、とはいえ……。

 

 マジでなんでこうなった……。俺が落ち着いて行動してたらこうならなかった可能性が見えますねぇ! だからゲイルディアは冷静に行動する必要があったんですね。

 待て待て。落ち着け。一旦整理しよう。

 俺は負けたくないし、アレクが負けてもいけないし、逃げるなんて以てのほかで、何より貴族の決闘である。お互いの誇りを賭けた戦いなのだ。勝敗が着かないなんて事は無いだろう。

 つまり……無理じゃな?

 

 いや、ワンチャン……アレクが俺の意図を汲んで決闘を適当に終わらせてくれる可能性が……。

 

「ようやく来たな。姉貴」

「……女の準備には時間が掛かりますのよ。それも待てないほど狭量に育てた覚えはありませんわ」

「姉貴に育てられたわけじゃねぇ! この決闘で証明してやる……!」

 

 はい。むりー……むりぃ……ツラ……。

 なんでお前そんなにやる気あるの? 何? アマリナの事好きだったの? でもお姉ちゃんDVはダメだと思うな。つーか、アマリナを嫁になんてやる訳ねぇだろ! 俺のだぞ!

 なんか周りにギャラリーいるし。ホント逃げれるなら逃げたいんだけど……。公衆の面前で土下座とか……本格的に未来のゲイルディア当主には問題が生じる。

 それに、アレクに勝つつもりではあるけれど、勝てるとは言わない。勝つけど。

 コイツ、マジで天才なんだよなぁ……。俺みたいに最初から意思を持ってたわけじゃないのにちゃんと努力してるし、剣の才能ありって剣の教官も言うし、ヘリオもちょくちょくヒヤってさせられるって言ってたし。まあ二年か三年ぐらい疎遠だったからかあんまり聞かなくなったけどさ……。

 それでも、今回ばっかりは俺が勝つ。いや、勝っちゃダメなんだ。

 

 俺がちゃんとアレクと話してたらこんな事にはならなかったのだろうか……、と考えるのは後悔なのだろう。

 空を向いて、深呼吸を一つ。お互いへばってクソみたいな終わりが最善ってなんだよ……。クソかな?

 それでも時間は戻らないし、アレクに勝つ為に幾つかの()()()はしてきた。ギャラリーがいるのは予想外だけど、まあ魔法式を修めてるのは俺だけだからバレないだろう。

 

 地を蹴る音が耳に届いた。

 咄嗟に、けれど慌てずに剣を抜いて攻撃を防ぐ。強く当たられたけれど、どうにかその場を動かずに済んだ。

 長剣を俺の細剣に強く押し当てて威嚇するように顔を寄せてくるアレク。そのアレクに少しばかり呆れる。

 

「始まりの合図でも幻聴しましたの?」

「ハッ! 油断してる方が悪ィんだよ!」

「それもそうですわ、ね!」

 

 卑怯とは言うまい。決闘であるが俺自身が正々堂々と騎士道精神に則って戦うつもりもない。

 アレクの腹部を蹴ろうとしたけれど後ろに下がられて避けられる。獰猛に笑うアレクを見ながら、左手で握った剣をしっかりと構える。右手を体で隠すように片足を前に一歩出して、細剣を正面に構える。

 

「来なさい、アレク・ゲイルディア」

 

 できれば手加減して……。お互い怪我なく終わらそうな……。でもアマリナには謝れよ。

 

「上等だァ!」

 

 こっちの意図を汲み取れやァ!!

 

 

 

 

 

 長剣による力押しは思った以上に細剣に負担が掛かる。アレク自身の力も中々の物だ。剣を直接受けずに流すようにしよう。剣が折れてしまっては負け認定されてしまう。

 さて……二度、三度、アレクからの攻撃を防いでわかったことがある。

 アレクが本気を出していない。俺の意図を汲み取ってくれているのかもしれない。そうでなければ俺がアレクの攻撃を悠々と思考しながら防げる理由がない。

 

「防御ばっかりじゃ、勝てねぇぜ!」

 

 うーん……。判断が難しい。

 けれど、アレクが本気で無いというのならばどういう事なのだろうか。俺の意図を本当に汲み取ったのか? そうなら元々アマリナを虐める意味がわからない。アマリナを虐めていいのは俺だけである。

 俺の事を嫌ってるのはわかるけど、アマリナに矛先が向いたのは……ベリル人だからか? どうにもアレクの感情がわからない。現状、それを知ってどうこうできる事もないのだけれど。

 

 防御ばかりでは勝てない、と言われたし……。確かに周りから見ても俺が一方的に攻められているように見えるだろう。少しぐらいは攻撃した方が見栄え的にもいいだろうか。

 

「ならお言葉に甘えますわ!」

 

 しっかりと踏み込んでアレクの剣に当てるように一撃。剣同士を擦るように腕を引いて空いているアレクの左首へと突きを差し込もうとして――踏み込みを躊躇する。

 躊躇した分だけ速度が落ちて突きは防がれ、細剣を押し返して長剣が横に薙がれる。当たるわけにもいかないので後ろへ飛んで回避をしてから一つ呼吸をおく。

 

 これが天才かと、目を細める。

 努力を続けていたならばきっと俺を圧倒したであろう才が。

 磨かずとも光っていた玉がより美しい宝玉になったであろう者が。

 

 ――この場には存在していない。

 

 溜め息を小さく吐き出した。

 細剣を左手から右手へと持ち替える。

 

「ようやく本気ってか?」

「……ええ、そうね」

 

 自身の力量も、相手の力量も測れない。

 これが将来のゲイルディアを背負う? 未来のゲイルディア当主? ゲイルディア家の為に勝つ事も負ける事も許されない?

 馬鹿な事を考えてしまった。

 全力を出す意味すら無い。不特定多数の誰かに手札を見せる必要性も感じない。

 

 

 アレクにはここで死んでもらおう。それがアレクの為だ。

 生きてこの場を乗り越えたとしても、ゲイルディアを背負う事はできないだろう。悪意に満ちた世界に身を投じることもない。

 姉として、実弟がそんな世界に浸るのも忍びない。

 ゲイルディアとして、せめてもの糧となってもらおう。

 

 足に力を込めて、今までの比にならない速度で一歩目を踏み込む。

 愚弟の驚いたような表情がハッキリと見えた。それでも遅い。アレクの腕が動く前に細剣を頸へと突き込む。

 必死である突きは頸を反らされて避けられた。ああ、その程度の反射はあるのか。

 引いた腕をそのまま次の攻撃へと繋げていく。

 腕、足、横腹、胸、頸、頬、瞳。目標を散らして連続で突いてみせても致命傷になる位置は辛うじて、けれども確りと剣で防がれた。

 

「うぉぉぉぉおあああああ!」

 

 アレクが叫びながら乱暴に横薙ぎされた長剣を避け、俯瞰して愚弟を見つめる。

 至る所に赤い線を走らせて服を汚している。その一つひとつは浅い傷である。

 

 息が荒い。この程度の運動量で息を上げるのか。

 怯えた表情だ。この程度の攻撃を怯えるか。

 剣先が震えている。()如きを恐れるか。

 

 乗り越えろ、とは言わない。その必要はアレクには無いのだから。

 だから、安心して――

 

「待って!!」

 

 慌てるように跳び出てきたのは見覚えのある顔である。黒髪に黒い瞳。スカートを履いていなければこの決闘を止める権利もあっただろう。

 けれど、ソレはスカートを履いていて、リゲルとは別の性別である。

 

「何用かしら? アサヒ・ベーレント。この決闘を止める権利が貴女にあるとは思えないけれど」

「それでも、ゲイルディアさんの弟なんでしょ!? これ以上したら……死んじゃうよ!」

「そうね。アレクは死ぬでしょう」

「――え?」

「それが貴女となんの関係があるのかしら?」

「弟が死ぬんだよ!?」

「ええ。決闘により、華々しく散る。アレクも喜びますわ」

「そんなの……そんなのおかしいよ!」

 

 何を言ってるんだこの女。まあ、別にどうでもいい。

 ()が一歩踏み出せば、アレクとの間に入って両手を広げている。

 

「一度だけ言いますわ。ベーレント。お退きなさい」

「どかない!」

「……貴女のその行動はアレクの誇りも傷つけてますわ」

「そんな誇り! 死ぬよりも生きてる方がいいに決まってるよ!」

 

 ()を真っ直ぐに睨みつけているベーレント。剣を突きつけようが、その瞳が揺れるだけで決してその場を動かない。

 剣も持たずに、魔法も碌に使えないくせに。ここで彼女を傷つければ、ゲイルディアとしての名も落ちてしまうだろう。

 

 空を向いて、深く息を吸い込んで、吐き出す。

 

「興が削がれましたわ」

「――なら!」

「第三者が入った事ですし、決闘は無効ですわね」

 

 適当に理由を述べる。ベーレントが入ってきた時点で終わらせる事は出来たけど……。アレクを殺さずに済んだからいいだろう。

 ぬわぁんつかれたもぉ。

 細剣を鞘へと収めて、戦闘の意思がない事をちゃんと示しておく。これ以上戦う意味もない。

 

「……――、ぁぁ」

 

 小さな声が風に乗って聞こえた。

 空気がバチリと弾け、それはアレクの元から聞こえた。淡い光がアレクを包み――いいや、アレクが淡く発光し、目に見える程の稲妻を地面の草に放ち、空気に放ち、瞳を俺へと向ける。

 咄嗟の行動でベーレントの腕を左手で掴んで引き寄せる。その一瞬だけでアレクには十分だったようだ。

 音を置き去りにして、アレクの姿がその場から消える。僅かに残った稲妻だけがアレクの軌跡を残す。

 

「ぁぁぁぁっぁぁあああああああああああああああああああああ!」

 

 ()()()()へと回り込んだアレクが剣を振り上げて叫ぶ。速すぎて目で追うことも出来なかった。こんな芸当が出来るのならばさっさとしてほしかった所である。

 空いていた右手の人差し指を弾き鳴らす。それだけでいい。

 

 魔力が()()()()()()()()()式を通り抜けて世界の理へと命令する。

 アレクが振り下ろした剣は俺に当たる事もなく宙で止まる。かなり力を入れているのだろう揺れる剣を振り返ってようやく視界へと入れる。

 続いて中指を弾いて鳴らす。そうすればアレクは()()に潰されたように地面へと伏した。

 

「もう、三回ほど打ち込んどきましょうか」

 

 まだ意識は残っているだろうし、さっきみたいに変に暴走されても困る。中指を三度鳴らせば倒れているアレクの直上から固めた空気の塊がアレクを三度押し潰す。

 これでよし。意識も失っただろう。

 

「あ、あの……」

「失礼しましたわ」

 

 腕に抱いていたベーレントを放すのと一緒に風の壁も解除しておく。

 よしよし、仕込みは上手くいったな。無理なら無理でヘリオ辺りがたぶん助けに来てただろ。

 事後処理、というかアレクに関してはヘリオに任せよう。俺はアマリナを慰めて、癒やされたいんだ……。

 

 疲れた……。もう感情に任せて動かないようにしなきゃ……。あぁ、シャリィ先生にも仕込みの報告しなきゃいけない……。

 今度でいいか。今はアマリナとイチャイチャしたい……俺はアマリナとイチャイチャするんだい!




かなり大事な部分をここに書き忘れたのですが、お父様は言葉のあとにしっかりと「お前はお前だゾ」みたいな事を追加してます。なおアレクには届かなかったもよう。

ホント…申し訳ねないです……。


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21.悪役令嬢は甘えさせたい!

 頭が、グラグラする。

 どれほど深く呼吸をしても上手く空気が吸えずに自分の中の空気が漏れていく。いいや、上手く機能していないのは身体の機構ではない。

 魔力の欠乏である事は経験として知っている。俺の魔力の無さは自分が一番知っている。それでも思った以上に消費していたのは、昂ぶった感情のまま魔法を垂れ流してアレクの所に向かったからである事も想像に難くない。

 後ろを黙って着いてくるアマリナを構うことも出来ず、ただ部屋を目指す。無理、死ぬ。いや、死にはしない。死ぬんだっけか。まあ、死ぬつもりはない。

 笑みを顔に貼り付けて、重い足をしっかりと踏みしめて、背筋を伸ばして、余裕と不敵さを纏わりつかせて部屋へと向かう。

 

 幾人かの同級生とすれ違った時も普段を装い、ようやく到着した部屋の扉をアマリナが確りと閉めた所で膝から力が抜ける。

 

「ディーナ様っ」

「大、丈夫ですわ……そこの椅子に……」

 

 部屋に備え付けられた椅子までアマリナの肩を借りて移動し、腰を下ろす。あ゛ぁ……シンド……。

 引き出しに仕舞っていた石の連なるブレスレットを手に取って、右手首に着ける。淀んで、グラグラする頭を回転させてブレスレットと自身のパスを繋ぎ合わせる。

 ブレスレットから流れ込む魔力がまるで足りなかった酸素を補うように身体を満たしていく。深く、深く呼吸を再開する。

 漏れていた空気がようやく身体に満たされる。気怠さが減って、汗が吹き出るのがわかる。

 心配そうに俺を見るアマリナに軽く手を上げるだけで応え、何度か深呼吸を繰り返す。

 

 魔力タンクとしてのブレスレットを作り、日がな魔力の余った日にちまちまと蓄えていてよかったと本気で感じた。珍しく自分を褒めてやりたい。出来る事ならば、数時間前に戻って殴って冷静にしてやれば、この消費もなかったのだけれど……、時間移動とか、どれだけ魔力を使うんだ? 少なくとも俺には不可能だろう。間違いない。

 その分の魔力タンクを準備するにしても、巨大な宝石が必要になるか……大量の魔石が必要になるだろう。そもそも時間関係に触れる計算なんて頭が痛くなって仕方ない。無理無理。

 

「ふぅ……」

「ディーナ様……申し訳ありません」

「……謝らないでちょうだい。今回の事は私の不足ですわ」

 

 アマリナの事に気付けなかった事もそうであるし、アレクが()()()()()()()()()()を持っていた事を知らなかった。あるいはアマリナ個人にか。何にしても、それを知る術を俺は所持していたのにも関わらず、それを怠った。

 自分の事に精一杯、と言ってアマリナを蔑ろにする理由にはならない。

 それにあの時点でアレクを殺そうとしたのも事実だ。そうすべきだとも思っていた。ゲイルディアとして、弱みを公にする理由もない。だから、後悔はない。

 けれど、反省すべき点は沢山ある。ありすぎてげんなりするぐらいある。

 アマリナの役目をヘリオに任してしまうべきか。対象が変わるだけで根本的な解決になっていないな。それでも今回の事で釘を刺せただろうアレクが逆上する可能性があるからアマリナを俺の近くに置く事は確定として。

 

 どうにもアレクの感情がわからない。考えれば考える程『なんで?』が溢れてくる。ベリル人との確執も、アマリナに対しての恨みも、抱く部分が謎過ぎる。何? 俺の知らない所で大切なモノでも壊されたか? アマリナがそんな事をする訳ないし、国の潰れたベリル人達がアレクに近づくなんて事できないし、近付いたならお父様やお母様か俺が気付く筈だ。

 わっかんねぇ……。

 

 俺に対してコンプレックス抱いてるとか? ねぇよ。マジで。才能の塊だぞ、アイツ。

 なんだよ、最後の移動……。詳しい方法とかさっぱりわからないけど、雷属性の魔法で無理矢理加速して移動してんだろ、たぶん。少年漫画かよ。しかも、ソレを最初から出さなかったって事はアレが初めてか、手札として残してたんだろ……。俺がちまちましてる事を一瞬で抜いて行ったんだぞ。やんなるね……。

 こっちも手札温存してたけど、たぶん初っ端からアレされてたら倒れてたのは俺だね。常在で軽い風魔法流してたから反応出来たけど、速度で追いつけないからジリ貧だし。何より力が違う。魔力の量も違う。全部俺が劣ってるだろうし。

 ゲイルディアとして考えれば殺す方が正しい。けれどアレクが生きている事に対して安堵しているのも事実である。生きてしまったアレクを今更どうこうするつもりはない。いや、俺以外に負けられるとゲイルディアの外聞もあるんだけど……。アイツが簡単に負けるとか相手を化物認定するしかないんですがそれは……。

 アレクを連れて医務室に向かっただろうヘリオに任せてしまおうか……。いや、ベリル人に確執持ってたらヤバイな……。剣術の訓練という枠組みだけヘリオに任せるか? いや、アイツの負担が多すぎるな……。流石にアマリナに俺のフォロー頼むか……。

 

 何にしろ、今考えられる事は少ない。材料も揃ってないし、アレクがどう動くかもわからない。

 アサヒの調査を打ち切るか? 裏側は不透明のままだけれど、ベーレント自身は限りなく白い。今回の事で確信したけれど、彼女は貴族としての教育を受けていない。

 貴族同士が決闘をして、その間に入るなどと常軌を逸した行為だ。それこそ彼女に利点が無いのも、また判断材料になるだろう。あるいはベーレントの頭が吹っ飛んだ思考をしているだけか。少なからずお花畑であることは間違いない。

 彼女が白くても、後ろが不透明すぎるんだよなぁ……。将来的に考えて、リゲルの近くに置くのなら漂白した方がいいに決っている。彼女自身から漏れるのが手っ取り早いが、そこまで馬鹿じゃないだろう。たぶん……。

 

 

 まあ、今考えても仕方ない事だ。決定は即決が好ましいけれど、判断材料が無い状態で決めたり、感情に任せて動くとどうなるかはアレクとの決闘でよくわかった。ちゃんと考えてから動こう……。考えて動いた所で良い方に転がるかは別として。

 

 アマリナを見ればそわそわとしながら、コチラを見ている。可愛い。可愛いけど、ちょっとは怒っとかないとまたこういう事が起きる可能性もある。アマリナを怒る……? この可愛い生物を叱れと? いや、むりぃ……。

 

「……はぁ、アマリナ。無理はしないでちょうだい」

「…………はい」

 

 なんですっごい溜められたの? 言い方悪かった? 不服そうってワケでもなさそうなんだけど、なんだ? なんだこのアマリナの表情は! 読み取れねぇぞ! 俺を騙すのか!? アマリナ!?

 いや、そもそもアマリナも女の子だから護身術程度は修めさせてるんだ……。だから頭の中で襲われないだろ、なんて甘い事が念頭に置かれてたわけなんだけど。それが、ああなっちゃったから……。

 

「貴女の立場はわかっているつもりだけれど、抵抗しないにしても、逃げるぐらいは出来たでしょう」

「……」

「ごめんなさい。今回の事を責めている訳じゃないの。その、貴女が襲われたら――」

 

 アレクでも頭に血が昇ったって事は他なら俺はどうしていたんだろうか……。アマリナが襲われるなんて、という考えはさっき置いてきただろ!

 見も知らぬクソ野郎がアマリナを? は? 殺すが?

 いや、いけない。冷静にならなければ。天井を見上げて深呼吸を一つ。

 さて、屠殺される事が決定した畜生以下の存在をどうするか、という話である。私はとても優しいので一瞬で殺すだなんて、決闘で殺すだなんて、そんな事はしない。優しいので。全部潰して、醜く這いつくばってうわ言しか言えない状態に追い込んでも、優しいので生かしてあげよう。ああ、なんて私は優しいのだろうか。

 

「ディーナ様?」

「――とにかく、逃げるぐらいはしなさい」

「はい、わかりました」

「約束ですわよ」

 

 アマリナの小指を小指で絡め取る。頼むよぉ、マジで……。約束だぞ……。

 指を切ってみせればアマリナは自分の小指をまじまじと見つめて、握り込んで、大切そうにもう片方の手で包んで胸に抱く。ホント、この約束は大切にしてくれ……。俺が気が気じゃないんじゃぁ……。

 

「さて、傷の治療をしますわよ」

「あ、いえ、大丈夫です」

 

 あんだけ痣作って、抱きしめたら顔を歪める癖に何いってんですかね? この娘。そんな娘に育てた覚えはありませんわよ。

 悲しい事に俺も打撲痕は多いのだ。軟膏には詳しいのである。任せろバリバリー。まあ同じぐらいアマリナも俺の治療とヘリオの治療をしているから知識はあるんだけどな!

 

「アマリナ、来なさい」

「……はぃ……」

 

 心なしか小さい声で、頭の上に垂れてしまった犬耳が幻視できる程しょんぼりしたアマリナが俺の命令に観念してトボトボと服を脱いでいく。相変わらず綺麗な肌である。触り心地も良いときた。最高だよなぁ!

 それほど育っていないおっぱいもまた素敵である。スレンダーで、括れていて、足も長い。その肌は打撲痕が残っているのだけれど。

 

 軟膏を指で取り、打撲痕に優しく塗り込んでいく。触れた瞬間にビクリと震えるけれど今はそれを無視する。痕が残っても気にはしないけれど、痛みは早く引いたほうがいいだろう。

 その一つひとつが俺の不足である。

 回復魔法の使えない俺でも、祈るぐらいはできるので「治れー、治れー」と心の中で呟きながら塗り込んでいく。

 治れー。治れー。

 

 

 


 

 僅かな痛みと共に浮上した意識が薬品の臭いを感知した。緩やかに瞼を開いてアレク・ゲイルディアは知らない天井を見上げる。

 記憶を手繰り寄せながらそこが学校の一室であり、自分に宛てがわれた部屋ではない事を認識する。薬品の臭いも、嗅ぎ慣れたもので治療用の薬である事が頭にぼんやりと浮かび、ここが治療室である事を理解した。

 

「お、起きましたか。坊ちゃん」

 

 意識が戻ったのを確認したのは、褐色肌の男であった。深い青の髪をした、あの奴隷に似た男だ。あの奴隷と違うのは精々表情が豊かな所であろうか。何にしろ、彼もまた、奴隷でしかない。

 起き上がろうとしたアレクは全身の痛みに顔を歪める。

 

「寝てた方がいいですよ。お嬢様のアレを食らったんですから」

 

 男は何か思い出したように口を歪ませて自身の項を撫でる。果たして過去に叩きつけられた事があるのか、それとも別の事が要因であるかはアレクにはわからない。

 アレクは、この奴隷の名前を知らない。知る必要がなかった、と言えばそうであるが覚える必要もなかったと言えば正しいのだろうか。ただ幾度か、まだ自分が姉へと追いつこうとしていた時に剣で手合わせをした覚えはある。あの時は――確か、自分が勝った。辛勝ではあったけれど、確かにこの男は降参したのは覚えていた。

 

「アレは、なんだ?」

「――ちゃんと記憶があるようで何よりです」

「はぐらかすな」

「はぐらかしてなんか、滅相もない。俺がアレを受けた時は前後の記憶が飛んでますからね」

 

 いやぁ、あの時は驚いた。と戯けて言ってみせる男にアレクは目を細める。

 一度、深呼吸をして記憶を辿る。負けた記憶。何も出来ずに、無様に膝を突いた自分。見下す姉。殺気。黒髪の誰かが自分を守った。確か、何度か話した事のある……そう、アサヒ・ベーレント、であったであろうか。

 守られた。それも自分の家よりも位の低い家の者に。頭が痛くなる。父のお小言を想像して眉を寄せてしまう。

 それで、何だったか。頭が真っ白になった。何かを考えるよりも早く、身体が動いた。自分でも驚く程、早く、速く、疾く。他の動きすら遅く見えた。あの姉ですら、振り向く事が出来なかった。

 振り下ろした剣は、何かに阻まれた。姉と自分の間に壁が出来ていた。見えない壁が、恐らく一瞬で出現した。

 そして自分は、意味もわからず、姉の所作一つで地に伏した。岩か何かを上から押し付けられたような重さが全身に叩きつけられ、意識を失って、今に至る。

 あの姉に、魔法も使わせた。きっとそれは――。

 

「お嬢様は手加減をしてましたよ」

「――ッ」

「坊ちゃんもわかっている事でしょう」

 

 それは、アレクも理解している事である。けれど、しかし、砕けた矜持がソレを認めてはくれない。どうにか寄せ集めて形にしたプライドが奴隷を睨む。

 奴隷はその睨みに対して態度を崩すこともなく、坦々と事実を突きつけた。

 

 姉は、天才であった。

 そんな事はアレクはわかっていた。それでも、その一端も理解していなかった。まるで絵本を読んだように、ただ漠然とした姉という影を恐れていた。今は、確りとその影を見ることが出来た。だからこそ、姉は天才であった。

 それでも、悔しかった。あの時、姉から向けられていた失望の瞳が脳裏にチラつく。そんな顔をさせたかったわけではない。

 それでも、アレクはディーナに勝てると思った。いや、勝ちたかったわけではない。負けたかったわけではない。

 姉と決闘するに至った理由など、アレクにとっては既にどうでもよかった。

 後ろにいる姉様ではない。ただ真っ直ぐに自分を見てくれた。ゲイルディアではなく、ディーナではなく、アレクを見てくれた。

 あの姉様が、自分を、確りと俺を見てくれた。才能を、力量を、技術を、努力を、その結果を。乾きは潤い――そして穴が開く。いいや、その穴はアレク自身が開けてしまっていた穴である。

 

「ちゃんと鍛錬を続けていたのなら、こうはならなかったでしょう」

「……それでも、姉様には勝てなかった」

「そんな事はありません。坊ちゃんはお嬢様よりも剣の才能がお有りだ」

 

 何か気付いたように男は「奴隷の賛辞で申し訳ないですが」とおかしそうに付け加えた。

 この男が――奴隷が世辞を言っている事はわかる。それでも彼は今もあの姉の側に居続ける存在であり、自分と姉との距離を最もわかっているであろう存在でもある。

 

「本当に……姉様に勝てるのか?」

「勝てますよ。俺との鍛錬に着いてくることができれば、ですが」

「……わかった。今から――」

「まずは傷を治しましょう。焦っても、お嬢様は逃げやしませんよ、坊ちゃん」

「……その坊ちゃんというのはやめてくれないか?」

「おっと。これは失礼。アレク様」

 

 やはりどこか戯けたように言ってのけた男は立ち上がり、部屋を後にしようとする。

 その背中を視線で追いながら、アレクは男を呼び止める。

 

「おい」

「はい?」

「……お前、名前は?」

「俺の名前はヘリオです。大切な、俺の名前です」

「……そうか。わかった。ヘリオだな。鍛錬の時は呼んでくれ」

「ええ。勿論。今は安静にしてくださいよ?」

「わかってる」

「本当ですか? お嬢様と一緒でアレク様も変な所で無茶をしそうですし」

「姉様に追いつく為だ……本当に追いつけるんだな?」

「それはアレク様の頑張り次第ですよ」

 

 ニッと笑いかけてヘリオは医務室の扉を閉めて、一つ息を吐き出した。

 

 

 

 

 

「――と、まあ、そんな感じに運びましたが、いいですかね?」

「ええ、よくやったわヘリオ」

 

 事細かにアレクとのやり取りを主へと報告したヘリオは軽く剣を振るい、しっかりと防御された事を確認する。

 客観でしか見ていないけれど、アレクと主との力量差はそれほど無い。剣の技術という面であればという話だが。

 主であるディーナには魔法もある。当然、アレクにも備わった技術であるが、その研鑽の質が違いすぎる。もしも魔法も込みで考えれば、こうして夜に鍛錬をしているディーナに追いつく事は難しいだろう。

 難しいだけで、不可能ではない。

 アレク程の才能とディーナ並に努力を重ねれば、いい勝負をするのも近いだろう。

 

「……で、殺さなくてよかったんですか?」

「ええ。アレクにはゲイルディアを背負ってもらいますわ」

「あれだけ醜態を晒したのに?」

「あれだけ醜態を晒したのに、よ」

 

 少しばかり攻撃の速度が上がって慌てて防いだディーナの顔には僅かに汗が浮かび非難するようにヘリオを見ている。

 

「不満そうですわね」

「そんな事はありませんよ」

「確かに、アマリナに手を上げたのは許せないけれど」

「……はぁ」

「なにかあるなら言ってくれるかしら?」

 

 「なんでもありませんよ」と言いながら剣を振るうヘリオは溜め息を吐き出してしまった。自身の主の勘違いは今に始まった事ではないし、自分も相当に慣れていたつもりであるけれど、まだまだであったらしい。

 

「そのアマリナは?」

「今は私の部屋で眠っていますわ」

「そりゃぁ羨ましい」

「代わりませんわ、よっ!」

「そりゃぁ、残念です」

 

 ディーナの鋭い攻撃もあっさりと防御してみせたヘリオはムッとしたディーナにまた睨まれる。

 ムキになったのか、それともあっさりと防御されたのが悔しかったのか、ディーナの激しい攻勢が始まるも、その全てはあっさりとヘリオに防がれる。

 幾つも響く剣戟の音と火花。

 

 ヘリオが何かに気付いたように、ディーナの剣を大きく払って一歩下がる。ディーナはそこまで余裕があったのか、とまた一瞬だけムッとした表情をしてから、すぐに表情を戻してヘリオの視線の先である自身の後ろへと振り返る。

 そこに居たのは女生徒である。今日、自分の目の前に立ち塞がり、アレクを守った女であった。

 

「あら、こんな時間に外出だなんて。危ないわよ、ベーレントさん?」

「その……ゲイルディアさんとお話をしたくて」

「私に話す事はありませんわ。早く寮に戻りなさい」

「どうして、弟さんを殺そうとしたの?」

 

 取り付く島も用意しないようにバッサリと距離を置いたのだけれど、アサヒはそれすら乗り越えようと、答えるまでずっと訊き続けるぞと言わんばかりの視線をディーナへと向けた。

 

「……ゲイルディアの為ですわ」

「それでも弟さんなんだよ?」

「そうね。それでもあの時に殺しておけば、将来の憂いがなくなったわ」

「そんなの……悲しすぎるよ」

「あの選択に悔いもありません。ゲイルディアとして、間違った判断ではなかったと自負しています」

 

 それでも、と小さく口にするアサヒにディーナは目を背ける。後頭部で簡単に纏めただけの馬の尻尾のような髪先を指で弄り、モゴモゴと口を動かす。

 

「ベーレント。ゲイルディアとして、と言っただろ?」

「え?」

「お嬢だって、本心じゃどう思ってるんだか」

「ヘリオ! 黙りなさい!」

「それって……」

「ああ、もう! 早く寮に戻りなさいベーレント! 鍛錬の邪魔ですわ!」

「ご、ごめんね!」

 

 慌てて逃げるように、けれども「頑張ってね!」と残して去ったアサヒを溜め息混ざりで見送ったディーナは後ろからの視線を返すように睨む。

 

「何か?」

「いえ、素直じゃねぇなぁ、と」

「……演技ですわよ」

「ええ、そうですね。演技ですね。ベーレントを前にすると氷も溶けるようだ」

「魔法を受けたいのならそう言ってくれればいいのよ、ヘリオ」

 

 「おお怖い怖い」と両手を上げたヘリオに相変わらずの怖い笑顔のディーナは夜空を向いて、一つ深呼吸をしてから顔を下げる。

 

「――そうね。私が強ければアレクが侮られる事もありませんわね……。戦争でも起こらないかしら?」

「お嬢、その思考はどうなんです?」

「冗談ですわ。……半分ね。手っ取り早いのは騎士号かしら……。なるべく早く取りに行くべきね。その時は着いてきなさい。貴方もアレクを教えるにあたって必要になるでしょう」

「へいへい。お嬢の御意のままに」

 

 必要無いから、と取りに行く事もしなかった称号をディーナが取得しようとしている事にヘリオは人知れず肩を竦めた。直近の受験者はディーナの力を誇示する為の土台となる事だろう。それがゲイルディアの為であるのならば、なんの躊躇もなくしてのける事をヘリオは知っている。

 ソレを止めないのは、その主の為に何の躊躇もなく行動するのが自分だからである。



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22.悪役令嬢は教えたい!

 俺にとって学校の魔法授業というのは実につまらない物である。それは教員が教える事に特化していない訳ではなく、ただ単純に俺に魔法を教えてくれたのがシャリィ先生である事が起因している。

 魔法式なんて物はまさに学問である。どういった式を用いれば、どれほどの魔力を挿入すれば、どういった結果が出るのか。実際に魔法式を学んだ結果として机上理論としてある程度は組むことができる。勿論、失敗するのだけれど。

 その魔法式は所謂魔法業界に於いて異物扱いされている物だ。想像魔法の方が勝手がいいから仕方ない部分もあるのだけれど……。まあそれはいい。確かに想像魔法の使い勝手がいいのは確かである。

 

 ともあれ、想像魔法を扱う授業は俺にとって暇でしかない。それこそ、想像上でしか展開できない故に、理論として教える事もできずに実践として組み込まれているのだから、ショートカットを仕込んだ指パッチン一つで魔法を行使する事のできる俺は思考すら必要ではなく、実に意味の無い授業になってしまった。

 青空の下で魔法を実践している中、魔法を行使するフリをしながらチマチマと机上理論を組んでいる訳である。というか俺の場合、ガンガン魔法を使うと魔力不足で倒れてしまう。あれから改めて魔力をブレスレットに補充しているけれど、今はしていないし。

 どうにか仕込んだ魔法式を外部に持ち越せないだろうか……。やっぱり魔法式で使っている式をどうにか解析して文字か何かにするしか無いのだろうか……。シャリィ先生に教えてもらった魔除け用の文字はエルフの魔法だったっけか?

 

「ディーナ・ゲイルディア。少しよろしいか?」

「何か用でしょうか?」

 

 珍しく話し掛けてきた講師に体をしっかりと向けながら反応する。この講師、俺の事というよりは魔法式が嫌いだし、俺もこの世界の魔法使いの事が嫌いだからお互いに不干渉貫いてたのに、なんだってんだ?

 講師の後ろにいるベーレントもなんでか申し訳なさそうな顔をしているし……。

 

「アサヒ・ベーレントの魔法を見てやってほしい」

「あら、それを見るのが講師の役目ではなくて?」

「誰かに教える事も成長の一端となろうよ」

 

 要は面倒事の押し付けか? はたまた、他に何か要因があるのか……。どちらにせよ、面倒事である事は間違いないだろう。厭味ったらしい笑みがソレを如実に示している。

 断れば断ったで俺の成績にも響かせるつもりなのか、結果も過程も面倒そうであることには間違いない。

 

「わかりましたわ」

「では頼んだぞ」

 

 話が終わればベーレントを置いてそそくさと俺たちから離れる講師。吐き出したくなる溜め息をどうにか胸の内に留めて、置いていかれてどうにも不安そうな顔をしているベーレントへと視線を向ける。怖がられている理由は沢山あるからその印象は仕方ないとする。彼女の表情とか感情をコントロールしろっていうのも酷である。

 

「ごめんね、ゲイルディアさん」

「構いませんわ。貴女の意思でもないでしょうし。それで、何がわかりませんの? と言っても、想像魔法は専門外ですので、教えられる事も少ないと思いますが」

「その、えっと……魔法がそもそも使えなくて……」

「ああ、なるほど。わかりましたわ」

 

 わかる……。魔力が何かとか全然わからないんだよな。よくわかる。いや、ベーレントがそんな状態かはわからないけれど。

 となれば、まずはベーレントがどういう状況であるかを正確に把握しないといけないのか。先生はどうやったんだっけか。魔法式に関して長々と語れば理解してくれるだろうか……いや、先生を煽ってる訳じゃない。

 思考していればベーレントが驚いたように俺の方を見て固まっている。どうしたんだ? え、何か俺が変だった?

 

「どうかしましたの?」

「えっと……驚かないの?」

「魔法が使えない事を? ああ、確かに私達の年齢なら大小はあれど魔法は使えて当然ですものね」

 

 俺がそうであったからスッカリ抜けてしまっていた。本質的に魔力の無い人間ならともかく、だいたいの人間は魔力を少なくとも保持しているし、想像魔法なんてキッカケがあれば使えて当然の物なのだろう。

 ああ、だからあの講師はどう教えていいかわからずに俺に投げたのか。面倒事を面倒な奴に任せて、達成できなければ面倒な奴を適当に罵れるという訳である。クソかな?

 

「私も昔は使えなかったから驚く理由にはなりませんわ」

「はぇ……ゲイルディアさんってなんでもできると思ってた」

「なんでもはできませんわ。できる事だけですわ」

 

 それに、俺のできる事など限られている。できる範囲も限られている。俺ができるような事など、誰かは容易くできる事ばかりでしかない。

 なんでもできるのならば、アマリナを守る事もできただろうし、アレクとの決闘も上手く収める事もできただろうし、リゲルを危機から遠ざける事だってもっと上手くできる事だろう。魔法だって、剣だって、(はかりごと)だって、俺よりも上手にできる者は沢山いる。

 

「私の事はいいですわ。では……そうですわね。想像魔法に関して、少し説明しますわ」

 

 頭の中に、人差し指の先に小さな火が灯るように強く思い浮かべる。自身が基礎として幾度も繰り返した想像。今となっては道筋に魔力を通せば簡単にできる事を、回り道をして単なる想像だけで熟す。

 火の色。熱さ。空気中の酸素を燃焼させて燃え続ける、けれども小さな火。腕に少し多めの魔力が通り抜けて指先に僅かな温もりが灯る。

 

「頭の中に強く思い浮かべて、それを現実へと映し出す。これが想像魔法の概要ですわ」

「思い浮かべれるだけでいいの?」

「そうですわね。あとは魔力を通せばできる筈ですわ」

「……魔力」

 

 ああ、なるほど。ベーレントも昔の俺と同じ感覚なのだろう。魔力とかさっぱりわかってないんだよな。わかる……。

 今となっては俺には当然のようにある物で、感じられる物であるし。他の人達もそれは当然のように感じている物だから、教えようがないのだろう。それは誰にでも当然の事で、感知できる事が当たり前なのだから。魚に泳ぎ方を聞いているのと同じだろう。

 そう考えれば、シャリィ先生の異端さが際立つな。あの人、当たり前の事をしっかりと意識して解明している訳だし。そりゃぁ他の魔法使いからすれば異端に映るのかもしれない。俺にとってはありがたい存在なのだけれど。今度帰ったら感謝の言葉を伝えておこう。きっと照れた顔が見られるに違いない。

 火を消して、ベーレントへ手のひらを上に向けて差し出す。

 

「手を貸していただけるかしら?」

「えっと、はい」

「瞼を閉じて、私の手に集中なさい」

 

 恐る恐る差し出された手を優しく握って瞼を閉じる。自分の魔力の通り道から、彼女の手へと魔力を送る。魔力の通り道を俺の少量の魔力が駆け上がる。

 きっと、彼女も昔の俺のようにぞわりとした異物感が腕を駆け上り、胸の内側に触れている筈だろう。

 ん? なんだこの塊……。感覚的には魔力なんだけど、デカくない? 俺と比べるとコップとプールぐらい差があるんですがそれは……。シャリィ先生よりは流石に少ない気がするけど、これで魔法使えないってマジ? 使いたい放題なのでは……?

 

「わかります?」

「なんか、こう……ミントガムみたいに、スーって腕の中通ってきて……ふわって胸の所で広がって」

「え、えぇ……? それが魔力ですわ」

 

 なんで? 俺が最初に感じてたゾワゾワどこ……? 俺の時はすごい異物感だったんですけど?

 いや、まあ魔力の感じ方なんて人それぞれなんだろう。シャリィ先生にも伝えておかなきゃ……。

 手を離せば何度か瞬きをして俺を見るベーレント。その目は輝かしい。眩しい。そんな目で俺を見ないで……邪な感情を持ってる俺が溶けちゃうから見ないで……。

 

「これが、魔力……」

「……今のは私の魔力を貴女に送り込んだだけですわ。貴女の中にも、その感覚がありますわ」

「ホント?」

「ええ」

 

 本当だよ。チクショウ。そのバカでかい魔力でなんで気付かないんですかね? つら……。

 顔に笑みを携えながら胸に手を置いて自分の魔力に集中しているだろうベーレントを見守る。きっと彼女はスグに見つける事ができるだろう。俺と違ってわかりやすいからなぁ!! 俺にももっと魔力があればなぁ!!

 彼女なら想像魔法も容易いだろう。魔力おばけっぽいし。通貨は簡単に支払える筈だ。あとは想像を確固とした物にして、簡単な魔法が行使できればお役御免だろう。

 なんとも短い指導であった。そこに感慨などないから泣きもしないけれど。

 

「あった!」

 

 そんなベーレントの声と共に、彼女を中心に突風が吹き荒ぶ。吹き飛ぶ事はないけれど、僅かに後ずさりして風圧に目を細めて顔を腕で守る。

 風、ではない。単なる魔力の放出だと思う。その魔力が勢いよく彼女から吹き出て、辺りの空気を押し出したんだろう。たぶん。きっと……。シャリィ先生なら実践できるか? 俺には無理だ……。

 

「ベーレント! 魔力を抑えなさい!!」

「え!? ふぁぁっ!? ごめん!!」

「謝るのはあとでいいですわ!」

「えっと、えっと」

「落ち着きなさい、アサヒ・ベーレント! そうすれば勝手に収まりますわ!」

 

 俺の言葉が耳に届いたのかベーレントは何度か深呼吸をして魔力の放出を抑える。あれだけ魔力放出したくせになんでコイツ倒れないの? 俺たぶん一秒も保たないと思うぞ?

 舞い上がった土埃を払い、制服に付いた分をはたき落とす。なんて羨ましい魔力だろうか……。やっぱりリゲルと子を産ませるべきなのでは? 魔力って遺伝するんだっけ? そういうのもシャリィ先生は知っているのだろうか……。そんなシャリィ先生に子作りの仕方を聞くなんて! げへへ。

 

「大丈夫ですの?」

「その、ゲイルディアさん……」

「何かしら? 体が怠いとか、どこか痛むとかありますの?」

「ごめんなさい!!」

「何がですの? ああ、別にあれが攻撃だなんて思ってませんわ」

「えっと、その……」

「なんですの? ハッキリ言いなさい」

 

 なんとも煮えきらず、こうしてムッとした表情を作ってみせてもベーレントは視線を左右に動かしたり、俺の下半身をチラリと見てはまた逸らす。

 首を傾げて自分の下半身を見ても、普段通りである。いや、少し土埃が付いているか。

 

「その……スカートが……」

「?」

「さっきの間……ずっと捲れてて、中が……」

「……ああ、なるほど」

 

 つまり、さっきの魔力放出の風圧で俺のスカートが捲れ上がって、その内部を晒していた訳だ。なるほどなぁ。

 俺は今ちゃんと笑顔だろうか。いや、まあ俺のスカートの中身なんて見ても誰も得しないだろうけれど、ゲイルディアというか貴族として、淑女として問題だろう。

 なんか頭が痛くなってきた。空を向いて、深呼吸を一つする。よし、心が落ち着いた。

 

「ベーレントさん、少しよろしくて?」

「ヒッ!? ご、ごめんなさい!!」

「待ちなさいベーレント!!」

 

 脱兎の如く逃げやがる不届き者を追いかける。

 なんだアイツくっそ速ぇ!! 使えるようになった魔力で強化してやがるな!? 絶対逃さんからな!!

 

 

 

 

 

 はい。逃げられました。辛い……。

 鍛え抜いた速力も魔力強化には追いつかなかったよ……。しかもあっちの魔力は凄くあるんだ……。俺のスタミナもそこそこあるけれど、無理でした。無理ぃ。

 

「無理ぃ……」

「俺は楽しく酒を飲むつもりだったんだぜ? なんで君を慰めなきゃいけないんだ?」

 

 俺は楽しくお酒を飲むつもりだったんだ。それは間違いない。楽しみだったんだ。久しぶりのお酒なのだ。今日の色々とかようやくアサヒ・ベーレントの調査も一区切りついて飲むのだ。ヘリオ? アイツはアレクの世話で来てないし、一人で飲むなんて初めてだからちょっと楽しみにしてたんだ。

 それで、なんで目の前に調査対象がいるんですかね? 確かに行きつけの酒場にした俺が悪かったし、ベーレントがここで働いてるのも知ってた。でもなんでコイツは仕事もせずに俺と同じ席に座ってるんだ?

 

「だってぇ」

「それに仕事はどうした仕事は」

「今日は休みでーす」

「ああそうかい。それで、酒場に来て酒も飲めずにヘコんでる君を慰めようとしている俺に言葉は?」

「さんきゅー」

「ハハハ、意味はわからないけど温かい言葉だ。素敵だね。マスター!! 強い酒を持ってきてくれ!」

 

 何この娘飲んでるの? 大丈夫? 未成年飲酒だよ? いや、ここの法律じゃ問題ないんだけどさ。

 ベーレントの持っているジョッキの中身を確認してもお酒ではない。柑橘系の香りはするけれど、酒精はない。素面でこれってのも中々ヤバイと思うんですが……。

 持ってこられたグラスに口を付けて一口だけ含む。舌に転がして、喉の奥に通すと胃が焼けるように熱くなる。湧き上がった熱が鼻から抜ける。熱を逃がすように吐息を吐き出せば自然と口角が上がる。

 

「それで? アサヒちゃんは何を悩んでいるのかな?」

「聞いてくれるの?」

「ちょうどお酒のアテが無くてね。人の不幸は蜜の味と言うだろう?」

「ディンくんってさ。趣味が悪いって言われないの?」

「辛辣だね。さて、肴が無くなってしまったから何か頼もうかな」

「待って、聞いて……聞くだけでもいいから」

「そう言って、応えないと怒るんだろう? 女性の常套手段じゃないか」

 

 適当に流していたら「なんで聞いてないの!?」って言われるんだ。俺は詳しいんだ……。

 机に突っ伏しながら俺を睨んでいたベーレントであるが、俺が肩を竦めてやれば溜め息を吐き出された。

 

「ディンくんってすっごく遊んでそうだよね……」

「失礼だな。これでも俺は一途だよ」

「ふーん……泣かせた女の人は何人?」

「数えられないね」

「ほらぁ!」

 

 カラカラと笑って誤魔化す。俺の前で泣いたのはスピカ様とアマリナだけだし、スピカ様に限ってはぐずっただけである。他の女の子は俺を見たら逃げるんだもんな……泣いてるかもしれないけど、俺には絶対見せないんだぜ……怖いからな……。

 まあそれはそれとして。ベーレントがヘコむような事は何かあっただろうか……。リゲルとの関係ならそれなりに上手く行ってる筈だし、喧嘩をしたとかそういう話も聞かない。イジメに関しても今は鳴りを潜めている筈だ。

 

「今日の実習で、その……ゲイルディアさんを怒らせちゃって」

「……君は何をしたんだい?」

「その、魔法が暴発して……その、言えない」

「ふむ。なるほど。淑女としての矜持でも傷つけたかな?」

「知ってるんじゃん!」

 

 笑いながら肯定する。

 本人だからね……。噂が立ちそうだったけど潰したのも俺だし。俺とベーレントが拗れるとまた面倒なイジメとか発生するし。今回はディーナ・ゲイルディアの矜持が――、とかで威圧していったから、まあ陰では広まってるだろう。口にした奴の所に訪問していけば、きっと皆黙るだろうけど。

 それはそれとして。本当に気にしなくてもいいんだよなぁ。事故だし。パンツ見られた所で誰か得するわけじゃないし。

 

「きっと大丈夫だと思うよ」

「無理だって……だってゲイルディアさん凄く怒ってたし」

「本当に怒っていたなら君は今頃俺と喋ってなかっただろうね」

「……どういう事?」

「あのゲイルディアだぞ? 本当に怒り狂っていたなら決闘を理由にして君を殺していただろうね」

「ゲイルディアさんはそんな事しないと思うんだけどなぁ」

「……それは解釈違いだ」

 

 ゲイルディアならするだろう。間違いないね。するからな。

 本当に、怒り狂っていたのならば、捕まえる捕まえないという問題ではない。決闘に持ち込めば、小娘程度殺せる。そこに貴族としての矜持が入るのでどうなるかはわからないけれど。決闘に持ち込まなくても、誰にも知られないように殺す。リゲルにも、アレクにも、レーゲンにも、お父様にも、誰にもバレないように、殺す。

 別に怒るような内容でもないし、ベーレントはリゲルのお気に入りだから手を出すことはしたくないけれど。

 

「ああ、決闘で思い出したけれど。随分と無茶をしたみたいだね」

「無茶?」

「ゲイルディアの姉弟の決闘に首を突っ込んだだろう? 運が悪ければ死んでたぞ」

 

 本当に、変な事に首を入れないでくれ。あの瞬間、俺の立場なら殺しても何も問題はなかったんだ。生じる問題なんて貴族の誇りを汚したベーレントと銘打てばいくらでも出来ただろう。

 それをしていないのは、あの瞬間、確かに俺は助かったと思ってしまったのだ。頭に血は昇っていたけれど、ある程度冷静だった。たぶん。

 

「あれは……だって、弟さんだったんだよ?」

「それでもだよ。君とゲイルディアは関係無いし。何より、君はゲイルディアの事を嫌っていただろう?」

「嫌ってはないよ? ちょっと怖いけど、いい人だし」

「……そうかい」

 

 顔を冷ますようにお酒を一口。こうして他者の評価をちゃんと聞く機会がないから変に照れてしまう。いや、照れてなんかない。

 

「ともあれ、下手に貴族の決闘に首を突っ込まない事だ。文句も言えない内に殺されてしまうからね」

「……ホント?」

「ああ。だから君は運がよかっただけだよ。今後はしないでほしいね」

 

 俺の邪魔もできればしないでほしい。それはたぶん無理な話だろうけど。

 彼女のお陰でアレクを殺さなくてよくなったのは事実だから、この程度の助言は許されるだろう。尤も、助けられたディーナとディンは別人物なのだけれど。

 

「心配してくれてるの?」

「酒の肴が無くなるのは困るからね」

「むぅ。ディンくんってたまに酷くなるよね」

 

 さらりと笑いながら流してみせたけど、彼女が無茶をして何かあればリゲルが困るし悲しむかもしれない。それは俺にとって許容できない事だろう。たぶん。

 ただ彼女が単純に危機に陥ったとして、それをリゲルが感知していないのであれば俺は容易く彼女を切り捨てるに違いない。それだけはよくわかる。

 

「まあ、君は運がよかった。無茶はするな。これに尽きるね」

「気をつけます……」

「よろしい。それとゲイルディアにあまり近づかない方がいいね」

「それはヤダ」

「怖い物には近付かないものだろうに」

「それでもわたしはゲイルディアさんと仲良くしたいもん」

「……ああ、そうかい。なら十分に気をつけてくれ」

 

 どうにも、何も言えなくなってしまう。

 残ったお酒を呷って、無理矢理意識を逸らす。アルコールのお陰で顔が熱く感じる。いやぁ、まったく飲んでなかったからお酒に弱くなったな!

 

「ん? ……ディンくんって香水とか付けてる?」

「何も付けてはいないが、誰かの香りが付いたかな?」

「ふーん……? ゲイルディアさんと似たような匂いがしたんだけど」

「淑女が犬の真似ははしたないね。しかし、あのゲイルディア嬢と同じ匂いか。はて、誰の香水だろうか」

「一途って言ったよね?」

「本命にはね」

 

 はぐらかしながら少しだけ驚く。時間にしても香りはほとんど飛んでいるし、そこまで強い香水を使っているわけでもない。え? 何? 俺自身が臭ってるの? それは困る。大変困る。

 誤魔化すように、新しいお酒を頼んで、彼女の悩みも聞いたことであるし肴を頼んでいく。彼女の願いは聞く事だけなのだから、おしまいでいいだろう。どうにも彼女と喋っていると感覚が狂う気がする。

 戻ってアマリナに晩酌してもらおうかなぁ。でも、アマリナはちゃんと休んでほしいしなぁ……。俺の部屋で寝てるから休むも何もない気がするけど。



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23.悪役令嬢は護りたい!

戦闘を上手く書きたい(書けない

※マジで修正ごめんなさい。ありがとうございます。
一次創作でキャラの名前も覚えられてない作者が居るらしいッスよ(謝罪


 学校にも実習という物がある。自分達がどれほどの能力を持ち合わせているのかを正確に理解する為に、そして生徒達がどれほど出来るかを証明する為に。それは内々の評価だけではなくて、国の為に功績をあげなくてはいけない。

 魔法であれ、剣術であれ、生き残る能力であれ、それを客観的に実績として残さなくてはいけない。

 

 という建前がある。

 

 実際の所、それは既に形骸化しており、生徒達をある程度分割して、指定された幾つかの地域へと派遣し、国に依頼された問題を解決する事になる。学校の歴史書を紐解けば、初代の王様がその辺りをかなりテキトーに作っていたらしく、実習内容があやふやな物となっていた所を整えた結果のようだ。

 ともあれ、俺たち生徒側は国から学校を通して依頼された内容を選んで、その地へと赴かなければならない。

 

「なるほど。こっちのレスデアの依頼にしよう」

「……一応、理由を聞いてもよろしくて?」

「面白そうだからだが?」

 

 ぶっ飛ばすぞクソ野郎。

 思わず溜め息を吐き出してしまう。お前さー、こっちは護衛対象のリゲル抱えてるんだぞ? もっとすぐ帰れて安全な所にしような……。なんでわざわざ遠方依頼を指名するんだよ。ぶっ飛ばすぞ。

 俺の溜め息に乾いた笑いを漏らすベーレントと相変わらずの光景ではあるけれど頭を抱えるリゲル。

 レーゲンはレーゲンでさも他に理由が? みたいな顔で言いやがる。

 

「討伐目標なんて危険すぎますわ」

「大丈夫だ。リゲルも俺もそこらの魔物に負けないぞ?」

「危険は危険ですわ。ルンブルクで十分ですわ」

「ゲイルディア嬢は怖いのか?」

「危機管理が出来ている、と言ってくださるかしら?」

 

 近場のルンブルクなら事前に俺が出向けて調査もできる。レスデアは遠すぎる。馬で向かっても道中で一泊しなくてはならない。向こうで依頼を達成して、更に一泊して、帰りにも一泊である。俺だけならいいし、レーゲンだけなら勝手に行けとも言えるけれど組んだグループは俺達二人にベーレントとリゲルも含まれているのだ。ヘリオは騎士号を取りに行かせているので実習自体は休みである。今頃王都に向かっているだろう。後は力を見せつけるだけである。

 リゲルがいるお陰で依頼は最初に選べるんだからさっさと帰れる所にしようぜ……。明らかに現代一般市民であるベーレントと王族であるリゲルに野宿とか耐えれるのか? 無理でしょ。

 レーゲン、お前もわかってんだろ……。

 

「なあリゲル。よく考えてくれ」

「ん?」

「お前もここを卒業したらこうやって好き勝手出歩けなくなるんだ。まだ一年あるが、今の内に自由は謳歌しとくべきだろ?」

「確かにそうだな……」

「リゲル様?」

「怒るなよ、ディーナ。お前とアサヒは俺達が守る」

 

 お前が守られる側じゃい!!

 くっそ……どうにか……。ベーレント、お前は野宿とか嫌だよな? 無理だよな?

 

「ベーレントさんはどうかしら? 少なくとも野宿する事になると思いますわよ」

「ちょっと楽しみだよ!」

 

 この頭お花畑が! 遊びじゃねぇんだぞ!

 くそ逃げられない……。レーゲンがめっちゃドヤ顔してやがる……。

 いや、もういい、頭を切り替えよう。リゲルの願いも叶えてやりたいし、護衛方向に思考を動かそう。

 

「ゲイルディア嬢、納得できる理由を思いついたぞ」

「もう諦めましたが、一応聞いておきますわ」

「男はいつだって冒険が好きなんだッ!」

 

 わかる。でも今はやめろ。

 リゲルと握手して意気投合するな。この戦闘狂が……。本心としては冒険と戦いだろコイツ……。

 

「場所はいいですけれど、ベーレントさん。貴女、馬は乗れますの?」

「え゛……」

「……やはり近場にしましょうか」

「待ってくれ、ゲイルディア嬢。リゲルの後ろに乗せればいいだろ?」

「アサヒがそれでいいのならば、そうしよう」

「え、えっと……」

 

 ベーレントがめっちゃ俺の方チラチラ見てくるんですが……。それもわかる……。リゲル関係は怖いもんな俺。大丈夫、笑顔ですよー。

 さて、どうするか。別に疑いがほぼ晴れているから問題では無いのだけれど。俺たち以外に誰も見ないから問題にもならないな。

 

「なら荷物は私達で載せましょうか」

「ベーレント嬢用って申請してもう一頭借りれば載せられるぞ」

「ならそうしましょう。準備は任せてもよろしくて?」

「剣なら任せてくれ」

「……はぁ。私が準備しますわ」

 

 それなりに知識は備えている。それこそ、リゲルの事が無ければ俺は全面的に今回の依頼は賛成なのだ。

 男はいつだって冒険が好きなのだ。ちょっとワクワクしてきた。リゲルの護衛が無ければの話だけれど。

 

 

 

 

 それでもやはり楽しみな事は楽しみであり出発の日になるまでアマリナから「ディーナ様が楽しそうで何よりです」と嫌味を言われてしまった。珍しく笑ったアマリナが可愛かったので良しとしよう。

 事前調査に向かう事が出来なかったのは役割的に問題であるけれど、個人的には喜ばしい事なのかもしれない。気楽、とは言い難いけれどそれでも俺をディーナ・ゲイルディアとしてではなく、ディーナとして扱ってくれる人選なので敬われる事も無いだろう。むしろ俺が敬う側である。

 馬に揺られながらのんびりと空を見上げながら歩く。既に決定した内容であるから急いだ所で意味などなく、食料なども余分に買い揃えたから問題も発生しないだろう。最悪道中で狩ればいい。

 この世界は自然も多いし、街道を離れれば森もあるだろう。向かうに当たって詳しい地理も頭に叩き込んだから、間違いは無い筈だ。

 

 視線を空から、緩やかに後方から追ってくる一頭に向ける。そこにはリゲルが騎乗していて、その後ろにアサヒ・ベーレントが座っている。落ちないようにしっかりとリゲルの腹部に手を回しているから落馬する事はないだろう。

 出発前に口酸っぱく落馬の危険性を説いた甲斐があった。馬も素直な子だし、リゲルも乗馬には慣れているから大丈夫だろう。たぶん。後ろに誰かを乗せるとかしたことあるんだろうか……。

 

「そんなに睨んでやるなよ」

「あら、私が誰を睨んでいますの?」

 

 リゲル達から視線を外して隣に着けたレーゲンへと向ける。睨んでない。決して睨んでなんかない。この目つきは元々なのだ。

 そんな俺の答えに肩を竦めたレーゲンであるが、チラリと二人を見てから改めて俺の方へと視線を合わせる。

 

「あの二人の仲を進めていいのか?」

「……質問の意図がわかりませんわね」

「ゲイルディア嬢は、リゲルの婚約者だろう?」

「ええ。それがあの二人の関係に何か関係あって?」

 

 別にリゲルが俺一人を愛し続ける訳でなし、側室の一人ぐらい特に問題にはならない。王族の血を繁栄させる為にも子は沢山いた方がいいだろうし。それに、俺がリゲルの子供を産む、というのも俺にはいまいち想像できないのだ。

 アサヒとリゲルの子は可愛いだろうし、ソレを愛でる自信はある。魔法式を教えるのもいいかもしれないな。

 そんな妄想(ミライ)を少しだけ見て、現実に戻ってきて苦い顔をしているレーゲンにようやく気付く。

 

「実はベーレントにあげますわ。私は名だけで十分ですわ」

 

 正室の面倒事は俺が全部処理してやろう。黒い部分も、何もかもを、リゲルとアサヒに触れさせないように全て処理してみせよう。

 俺が子を生さなければ相続問題も大丈夫だろうし。名だけの正室だろうと甘い蜜を啜りにくる馬鹿は寄ってくるだろうから、ソレを駆除して二人を安全にも出来る。加えて俺は俺で女の子のハーレムを形成しても違和感ない地位になる訳だし、シャリィ先生を採り上げて魔法式を学問として広める事も可能になるだろう。

 

「……そうか」

「ええ。少し寂しく感じますけれど。それもリゲル様の為ですわ」

 

 あの小さかったリゲルが今はもう男なのである。俺だけの一方的だった約束も、きっと彼は覚えていないだろう。それはそれで構わない。アレは俺が決めた約束なのだから。

 俺が一方的に彼を信じているだけなのだ。相変わらずちょっと危険な所もあるけれど、もっと危なっかしいアサヒが近くにいるからブレーキを踏むのも慣れてくるだろう。

 リゲルが望めば、俺という人間は彼の子を孕む事を受け入れるだろう。かと言って、それが恋愛感情かと問われれば、きっと俺は首を傾げてしまう。恋という熱を持った感情ではない。リゲルにトキメク事は無いし。

 相互的に、信じている。それだけの信頼関係は築けていると思う。たぶん。どうだろう。思いたいなぁ……。

 

「……ちなみに、ベーレント嬢以外がリゲルに近付いたら?」

「は?」

「すまん。何も聞かなかった事にしてくれ」

 

 思わず威圧してしまったけれど、相手が誰かによる。

 今は俺に力が無いから誰が来ようが警戒するしかないけれど、ある程度の情報網を作り上げることが出来たならば事前に確認もできる。ついでに俺の百合ハーレムの候補も探せる。一石二鳥である。

 問題があれば? ハハハ。問題がある人間をリゲルに近づける訳がないだろう?

 

 

 

 

 

 

 道中で一泊野宿をして、太陽が真上に昇る前にようやく到着した村は貴族の俺が見れば寂しいと言っても遜色ない村である。村として見れば普通なのかもしれないし、ちゃんと防壁のように木製の柵が並べられている所を考えればきっと発展している方なのだろう。

 街道の外れではあるけれど、しっかりと若い男が手製であろう槍を持って番として立っているのもその証拠なのだろう。或いは俺が思っているよりも切迫しているか、であるけど。

 

「学校から派遣されて参りました、ディーナ・ゲイルディアですわ。この村を取り仕切る方に会いたいのですが」

「! す、すぐに案内しよう。ついてきてくれ」

 

 王子であるリゲルに面倒そうな交渉事を任せる訳にもいかず、アサヒはこの世界の常識に乏しい。常識を知っている筈のレーゲンは俺に丸投げしてくる。何だこのパーティは……。貴族社会でしか生きられないじゃないか……。

 身分を言えば面倒極まりないし、リゲルも王子としての扱いは受けたくはないだろう。尤も、学校から来ている、と言えば貴族であるのはバレてしまうけれど、学校からは距離のあるレスデアに王族や侯爵令嬢や騎士団長の息子が来るなどとは思わないだろう。俺も思わなかった。

 

「さっさと行きたいんだが?」

「あちらの要望も聞かなければわからないでしょう? 黙っていてくださる?」

 

 丸投げしてきた戦闘狂が何かを言ってきたけれど、周りの村人達にわからないように笑顔を浮かべて叱咤しておく。この戦闘狂、本当に戦う事しか頭に無いのでは? 一応、護衛対象のリゲルとか居るんだぞ? わかってる? わかってなさそう……。

 何にしろ、案内された家屋は他の家よりは大きく、内装は寂しく感じるけれど村の人からすれば豪華の部類であろう。リゲルとアサヒが興味深そうにキョロキョロと見ているのが実に愛らしく見える。リゲルは基本的に見ることの無い生活環境だもんな……。

 

「ようこそいらっしゃいました。ゲイルディア様」

 

 俺達を待たせてやってきたのは痩せた老人であった。足取りはしっかりとしていたけれど、剣を握れるような体ではない。おそらく村長であろう老人は一礼してから俺達に向かい合うように椅子に座った。その後ろに控えるように先程の門番であろう若い男が立っている。

 

「依頼内容の確認なのですが、よろしいかしら?」

「はい。近くの森にゴブリンが出まして、狩りにも行けず、畑を荒らしてきて困っているのです」

「なんだゴブリンか」

「レーゲン、少し黙っていてくださる?」

「へいへい」

 

 ゴブリンと言えど集団になれば面倒な相手になるのだ。個体としては弱い部類ではあるけれど、知性が備われば群として扱わなければならない。森の中、というのも分が悪いだろう。

 俺達はキチンと戦闘に関して学んでいるけれど、村人には辛いだろうし、狩人だけでは手に負えない事もあるだろう。早期に片付けなければ群も増えるだろうし。

 レーゲンの言葉に眉を寄せていた村長であるけれど、お互いにソレを突けば面倒である事は理解しているだろうから無視してほしい。

 

「わかりました。森に詳しい方はいらっしゃいますか?」

「俺がそうだ」

「では、森の全体図があればそれと……ゴブリンが出現した大凡の位置をご存知?」

「地図などは無いが、俺の頭の中に入っている。案内しよう」

「村の安全は大丈夫ですの?」

「それは……」

「口頭で説明できる部分だけでいいですわ。私が覚えます」

 

 村の安全を守るのが最低条件である。案内がある方が良いに決まっているけれど、それで疎かにしては無意味だ。覚えられる部分は覚えておこう。全体図はわからないまでも、ある程度の予測は立てられる筈だ。

 風魔法を森に流せば詳細にわかるけれど、そこまでの魔力が俺には無い。魔力のあるアサヒはそんな器用な事はできないだろうし。

 

「レーゲン達は準備をしていてくださる?」

「あいよ」

「わかった」

「わたしも聞いてた方がいい?」

「……そうですわね。貴女に覚えられるかはわかりませんが」

「むぅ。ちゃんと覚えられるよ」

「期待はしませんわ」

 

 何かあったとしてもアサヒは守られる側に回るだろうし、それで逃げられる可能性も含めて覚えていた方がいいだろう。その()()が無い事が一番なのであるけれど、自然の世界は予測出来ない事の方が多いのだから危険はなるべく少なくした方がいい。

 

 

 

 

 

 何度も言うようだけれど、ゴブリンという魔物は個としては成人男性よりも弱いけれど、群になれば面倒極まりない相手である。人類始原の作戦である『囲んで棒で叩く』をしっかりと統率の取れた行動として実現する。

 繁殖能力も強く、村を一つ潰されればそこから更に群を増やして手が付けられなくなる。頭をパンクさせそうになっているアサヒを尻目に話に聞けば、まだそうなる前の段階であるのはわかったし、俺が思っていたよりも危険度は少ない依頼である事はすぐにわかった。警戒は怠る事はないだろうけど。

 

「まるで散歩だ、な! っと」

「ゴブリンの出る散歩などごめんですわね」

 

 襲ってきたゴブリンをあっさりと斬り伏せたレーゲンの愚痴を返しながら、レーゲンの上から奇襲をしてきたもう一体を風の魔法で吹き飛ばす。こんな時の為に魔力を溜め込んだブレスレットを準備しているのだ。今日は魔力不足で倒れるとか、そういう事はない。そんな無様をリゲルの前で晒せる訳がない。

 そのリゲルも危なげなくゴブリンを処理している。対してややゲッソリとしているアサヒは剣を握りはしているけれど、杖にしている状態でようやく立っている。

 

「三人共、なんでそんなに平気なの?」

「害虫の駆除と変わりませんわよ」

「民に害が及ぶからな」

「つまらんだけだな」

「う、うぅ……」

「……ディーナ、休憩してはダメか?」

「ベーレントさんがそんな状態なら仕方ありませんわね。近くに泉がありますので、そこで休みましょう」

「ごめんね、ディーナさん」

「謝罪はあとで聞きますわ。今は休みなさい」

 

 初めての殺し、というのは心に結構クる物で、俺自身も吐いたりした事を考えれば精神力で無理やり立っているアサヒはまだ強い方なのだろう。

 ゴブリンの駆除も聞いていた限りの住処は潰したし、木の隙間から見える太陽も傾いてきているしそろそろ撤退した方がいいだろう。泉で少し休んだら、村に戻ろう。

 

「なんの音だ?」

「どうしましたの?」

「何か聞こえなかったか?」

 

 俺の耳には全く入らなかった音がレーゲンには聞こえたらしい。相変わらず身体能力はぶっ壊れているな、こいつ……。右手の親指で薬指を弾いて辺りに弱く風を流す。ゴブリン達の血の香りに混ざって、木々の香りと別の匂いがする。魚が饐えたような匂いとようやく聞こえてきた枝を折る音と地面が小さく揺れる感覚。

 巨大な樹木をまるで枝のようにかき分けて姿を見せたのは巨躯であった。緑色の肌と筋肉を固めたような四肢、俺達の数倍はあるであろう巨体の上には潰れた鼻の醜い顔が置かれ、吐き出される息は熱を持っているのか白く染まっている。

 

「オーク……」

 

 吐き出されたレーゲンの言葉でようやく現実へと戻ってきた俺は息を飲み込む。俺とレーゲンの位置がリゲルとアサヒと離れすぎている。そしてリゲル達はオークに近すぎる。

 

「リゲル様!」

 

 咄嗟に叫んだ言葉と駆け出した足はほぼ同時であった。腰に差した剣を引き抜いて、更に一歩踏み込む。アレが攻撃する前に、腕を叩き切る。中指を弾いて空気の塊をオークの直上から打つけ、切っ先をオークの腕へと向け、突き刺す。

 けれど、刃はその筋肉を貫く事すら出来ずに止まり、振られた腕で俺が吹き飛ばされる。

 地面に叩きつけられながら受け身をとって、考える。考える。どうすればいい。どうすればいい。俺の力では剣は通らない。魔力には限りがある。その魔法も通じた様子はない。現状で切れる手札が無い。

 この場にはリゲルとアサヒ、レーゲン。レーゲンでも個人でオークを討伐するのは無理かもしれない。どうすべきだ。どうすれば()()()()()()()()()()……!

 考えろ。考えろ! ディーナ・ゲイルディア!!

 

「――リゲル様! 逃げてください!」

「何をッ!」

「レーゲン! アサヒ! 来た道は覚えてますわね! すぐに村へ戻り、王都に救援を求めなさい!」

「ディーナ! 何をするつもりだ!」

「……約束を果たすだけですわ」

 

 リゲルを裏切らない為に。自分の命を優先して、リゲルを切り捨てない為に。

 大きく、息を吸い込んで、吐き出す。

 

「――行きなさい!」

「リゲル、行くぞ!」

「待て、レーゲン離せ!」

「馬鹿野郎! お前が死ねば全部無駄になるんだぞ!」

 

 レーゲンはわかっている。それでいいのだ。リゲルが生き残ればそれで問題はない。

 叫び声が煩わしかったのかオークがリゲル達の方を向いたけれど、風を刃にした魔法をブツケてこちらへと意識を向ける。コレで怪我もしてないのか。石ぐらいなら砕けるんだけどなぁ。

 気落ちしていても仕方ない。剣をしっかりと構える。死ぬつもりはない。まあ死ぬだろう。

 アマリナとヘリオの奴隷契約は俺が死ねば無効になるし、ゲイルディアとしては王族を守った事で幾らかの報奨があるだろう。アレクも……上手くやるだろう。

 

 よし。何も問題はない。

 

「少しだけ、お付き合いをお願いしますわ」

 

 俺程度の力では時間稼ぎがやっとであろうけど。女の肉体だから幾らか弄ばれるだろう。それで余計に時間も取れる筈だ。エロ同人みたいにならないように、さっさと舌を噛み切って死んでやるけどな。

 

 足に力を入れて、オークへと踏み込む。先程の突きよりも体重を乗せて、横薙ぎに剣を振る。

 皮を引き裂いて、肉を断っている感触の途中で剣が止まる。どれほど力を込めても動きはしない。瞬間的に判断が出来なかった。ありえない、と思ってしまった。

 剣を手放して人差し指を弾き鳴らして風の防壁を張る。二度、三度弾いた瞬間にソレを無視されたように飛ばされる。

 

「カッ、フッ……!」

 

 背中から木に打ち付けられ、何が起こったかを朦朧としながらも把握する。防壁の上から殴り飛ばしやがった。あれでもそこそこ硬度はある筈なのに、ソレを無視して飛ばしやがった。

 地面に落ちた俺の方へと地鳴りを響かせながら近寄るオーク。動け、動け……! どうにか立ち上がり、逃げようと一歩踏み出せば足が縺れて倒れる。

 倒れた足が何かに掴まれ、体中に嫌な音と痛みが響く。

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ゛ァ゛ァ゛!!」

 

 逆さまに見える醜い顔が俺の叫びに嫌らしく嘲笑う。握りつぶされた足は死んだ。逃げ場はない。魔力を暴発させた所でたかが知れている。

 痛みで思考が纏まらない。逃げ道がない。リゲルは逃げられただろうか? アマリナ達は上手くやるだろうか? アレクはゲイルディアの重圧に耐えられるだろうか?

 死ぬ。死んでしまう。

 

 

 

「ディーナさん!」

 

 聞こえる自分の名前と誰かの影。

 俺を掴んでいた腕を斬った誰かのお陰で俺は地面に落ちそうになって、誰かに抱えられる。よく見た黒い髪に、どれほど走ってきたのか切れている息。

 それでも、今は眠い。起きていられない。寒い。まぶたがおもい……。



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24.転移少女は信じたい!

戦闘まで行こうと思ったけど、キリがよかった。


 どれほど走っただろうか。呼吸が苦しくなるほど走ったことは確かであった。走りにくい森であったという事もそうであるし、抱えたディーナ・ゲイルディアの意識が落ちたことも疲労に繋がったのだろう。それでも走り続けなければならなかった。

 倉嶋(クラシマ) 朝日(アサヒ)――この世界ではアサヒ・ベーレントは逃げながらも何度も抱えた少女の名前を呼んだ。けれどもその声に反応はなかった。

 普段のスカートタイプの制服とは違い、戦闘を行うという事で長いボトムスを履いている彼女であるけれど、その片方は奇妙にひしゃげて、細身のボトムスを赤く染めている。

 アサヒは混乱していた。どうにかしなければならない。そんな事しか頭の中に浮かばない。

 安全な場所に逃げなければならない。けれど、そんな場所があるかはわからない。村とはきっと逆方向に走り出してしまった。方角を即座に理解出来るような知識も経験もアサヒは持ち合わせていない。

 

 視界の端に見えたのは小さな洞穴であった。人が入れるサイズはあるだろうか。その程度の小さな穴である。村を出立する前に狩人の話で説明されたかもしれない。そうじゃないかもしれない。アサヒにとってソレはようやく見つけた休める場所である事には違いない。

 洞穴の中は冷たく、奥も見えるほどに短い穴であった。ゴブリンなどの生活の跡もなく、安全である事を確認したアサヒはディーナを丁寧に地面へと下ろして一つ深呼吸をする。

 

「ディーナさん、ディーナさん……」

 

 呼びかけても少女は起きず、汗を浮かばせて青を通り過ぎて白い顔を歪めている。アサヒの頭が最悪を思い浮かべ、それを振り払う。そんな事にはさせない。させてはいけない。

 思考を落ち着けなければならない。この世界において魔法は想像力に左右される物であると教えてもらったのだから。アサヒは胸元を握りしめながら、今一度深呼吸をする。

 赤黒い、ひしゃげた片脚。口の中が乾いて、空を飲み込む。

 瞼を閉じて、自分に集中する。

 

 大丈夫。出来る。出来る。

 

 出来る。出来る。

 

 出来る。

 

 何度も言い聞かせながら自身の保有する魔力に触れる。

 想像する。正しい形を。正しい状態を。

 手をディーナの脚だった物へと向けて、願う。願う。願う。

 

「お願い、治って……」

 

 薄ぼんやりと、淡く灯る光がアサヒの手からディーナの脚へと向かう。

 それが回復魔法かどうかなど、アサヒにはわからない。ただ治ってほしいという想像だけで行使されている魔法である。ディーナが起きていたならば卒倒するような魔法式である。

 それでも、どれほど歪であろうと、それは純然たる想像の上に成り立ち、魔力により構成された願いであり、魔法だ。

 世界はそれを聞き入れる。

 火が燃えるように。

 水が流れるように。

 風が吹き荒ぶように。

 土が形作るように。

 

「治って……治ってよ……お願いだから……ディーナさん……」

 

 泣きそうになりながら、アサヒは呟く。ひしゃげていた脚は歪みが戻り、正しい形へと戻っていく。

 ディーナの肌の血色も戻り、呼吸も落ち着いた。それでも目は覚まさない。だからアサヒは願う。願って、願って、元に戻るようにと願い続ける。

 

「――ん……」

「ディーナさん!」

 

 呻きとは違う声がディーナの口から漏れ出した。アサヒの呼び掛けに震える瞼の奥から青の瞳がひっそりと姿を見せる。彼女が目を覚ました事でようやく願う事をやめたアサヒはディーナの反応を待つ。

 ぼんやりとした雰囲気のままディーナはアサヒを視界に入れて、瞳だけを動かして辺りを見渡す。石の壁。手から伝わる冷たい感触。手に付着する砂の不快感。改めてアサヒを視界へと収めたディーナは思考する。

 

「よかったぁ」

「ここは……」

 

 一体自身に何があったのかを思い出し、どうしてこのような場に居るのかを考える。記憶はオークに捕まった所で断絶され、ここは住処かもしれないとも思った。それにしては自身も、彼女も無事ではあるからその可能性は少ないだろう。

 違和感を覚えた。いいや、感覚としては正常なのであるが、それは違和感であった。握りつぶされた筈の脚に痛みが無く、違和感も無い。安堵して青白い顔で笑っているアサヒから視線を外して、恐る恐る自身の脚へと視線を向け、手を伸ばす。

 所々が赤黒く染まったボトムスは明確に脚がどういう状態であったかを示している。痛みはない。神経ごと潰されたか? とも考えたけれどその違和感すら無い。触れた脚は正しく触られた事を伝えてくる。

 治っている。感触は正しい。意識すれば明確に筋肉も反応する。いや、少し遅れはしているか。何にせよ、脚は正常にその機能を保っていた。

 

 ディーナは改めてアサヒへと視線を戻す。たった数秒の確認だったのか、アサヒは未だに心配そうに、青白い顔でへにゃりと笑っている。

 

「ディーナさん、大丈夫?」

「……ええ。貴女は?」

「わ、わたし? 全然大丈夫だよ!」

「……強がりですわね」

「ゔっ……」

 

 アサヒの症状に見覚え、というべきか。()()()があるディーナは呆れたような視線をアサヒへと向けながら手首に装備していた石が連なったブレスレットを外す。石同士が擦れた音を鳴らし存在を主張する。

 不思議そうにそのブレスレットへと視線を向けていたアサヒの手を優しく持ち上げて手首に巻きつける。

 

「これは?」

「魔力を溜め込んでいるブレスレットですわ。気休めでしょうけど」

「そんな事無いよ! ありがとう、ディーナさん」

 

 ブレスレットを着ければ確かに重かった空気が軽く感じる。呼吸は楽になったし、胸の奥で感じていた虚ろな感触も小さくなった。

 アサヒの魔力量と自身の魔力量を知っているディーナからしてみれば本当に気休め程度の物なのだ。幼い頃から溜め込んだ魔力であるがアサヒの魔力と比べれば少なく思える。

 少しだけ血色の戻ったアサヒを見ながら小さく安堵の息を吐き出したディーナは自身を落ち着けるように、見たくもない現実を直視する為に石の天井を見上げて、瞼を閉じて深く息を吸い込んでから細く吐き出して、アサヒへと向き直す。

 

「それで、どういう状況なのかしら?」

「えっと、あの」

「落ち着きなさい。整理して喋らなくてもいいですわ。あった事を喋りなさい」

「あの大きい緑のヤツからディーナさんを助けて洞窟まで逃げた!」

「簡潔過ぎますわね……」

 

 起きたばかりでスッキリとした頭がどうしてか痛みそうになったディーナであるが、大凡予想通りであった。最悪ではないが、最善でもない。最良とすら言えない。現状を見てみれば最低とも言えた。

 

「どうして私なんかを助けに来たんですの……」

「どうしてって……勝手に体が動いちゃって……えへへ」

「えへへ、じゃありませんわ。まったく」

 

 殿としての役目は果たせてなかったけれど、それでもアサヒ達には逃げてほしかったのがディーナの実情である。アサヒが死んでしまえば、きっとリゲルは悲しんでしまうだろう。守れなかったディーナを糾弾するかもしれない。それはディーナにとっては最悪な状況とも言えた。

 それでも、きっとリゲル達に止められたであろうアサヒは自身を助けに来た。思惑は不明だ。アサヒからしてみればディーナ・ゲイルディアという存在は目障りな存在であるし、障壁になるであろう存在に違いはない。消えてしまった方が利があるのは明白なのだ。

 それでも、アサヒはこの場に居る。

 

 ディーナは溜め息を吐き出した。

 

「……ありがとうございますわ

「え?」

「なんでもありませんわ。この状況から抜け出す方法を考えましょう」

 

 果たして呟いた言葉は矜持が邪魔をしたのか小さく漏れ出したような声であった。聞き逃したアサヒの為にもう一度言う事もなくディーナはどうしてか熱くなった顔を覚ますように思考を回転させ始める。

 

「……最善を言いますわね。私が囮をしますので、その間に逃げ出てくださいまし」

「え、やだ。ディーナさんを助けに来たのにわたしだけ逃げれないよ」

「なら対案を用意なさいな。私は貴女が生きて逃げ延びればいいんですのよ」

「……助けが来るのを待つ、とか? リゲル達が助けを呼びに行ってるんでしょ?」

「あの場から村に戻って早馬を飛ばしてもここに到着するのは早くて三日……いえ、四日ぐらいかしら。それまでこの状態の私達がオークから逃げ切れるとは思いませんわね」

「ならディーナさんが囮になってわたしが逃げても一緒じゃない」

「貴女は生き残れるでしょう?」

「ディーナさんは! その……死んじゃうじゃん……」

「そうですわね。私は貴族ですわ。死にたい訳ではありませんが、民を守る為に死ぬ立場なのよ」

 

 死にたい訳ではありませんけど、とアサヒに言い聞かせるように再度付け加えたディーナの瞳は不安に揺れてはいない。絶望している訳でもない。

 アサヒにはわからない感覚である。それでもディーナが本心で自分を逃がそうとしてくれているのはわかる。それでも、それでは意味が無いのだ。

 

「それなら、わたしだって貴族だもん!」

「貴女が貴族? 笑わせないでくださる? 生き延びて淑女教育を一から受け直してくださるかしら」

 

 鼻で笑いながらアサヒを嘲るディーナ。王族を呼び捨てにし、言葉遣いもなっていない少女が何を言っているんだ、と言わんばかりに肩を竦めてみせる。けれど視線だけは真剣な物で、それが余計にアサヒの二の句を詰まらせる。

 自分の出自など信じてもらえる訳もなく、バレてしまえばどうなるかなどわからない。

 

「……まあ、貴女の事情はいいですわ。対案が無いようなら――」

「そんなの嫌!」

「子供みたいに駄々をこねないでくださる? 他に案は無いのでしょう?」

「えっと、その……そうだ! あのままアレを放置したら村にも被害が及ぶんじゃないの?」

「その為の救援ですわ」

「それでも短くて四日掛かる」

「……本気で言ってますの?」

 

 魔力が枯渇しかけているアサヒと持ち得る限りの攻撃方法が防がれた自分。その二人でオークを倒せるなどと楽観的な事をディーナは口が裂けても言えはしない。

 現実的ではない、愚策にも等しい考えだ。それでもアサヒは真っ直ぐにディーナを見て、応える。

 

「本気だよ」

「馬鹿ですわね」

「馬鹿でも私もディーナさんも助かる道だよ」

「……勝算はありますの?」

「それは……えっと」

 

 えへへ、と誤魔化すようにディーナからの視線を逃げてアサヒは笑う。思わず溜め息が溢れ出た。

 勝算は少ない。現状、ディーナが思いついている方法が正しければ、ゼロではない。それでもソレは不確かな計算だ。自分だと出来ないと言ってもいい。だからこそ、勝算はゼロに近しい。

 

「勝算は少ないですわよ」

「……ゼロじゃないの?」

「さっきも言ったでしょう? 死ぬつもりはありませんわ」

 

 死ぬつもりはない。そう言葉にはしたけれどディーナの中でその方法は不確かで、不可能にも近くて、無理な方法なのだ。

 この実習が終了して、自宅に戻った時にシャリィ・オーべと共に理論を詰めて実践しようとしていた計算だ。自分では不可能な理論だからこそ、シャリィであれば出来るとも考えた。シャリィと共であるのならば危険も少ないとも思った。

 

「二人ならきっと出来るよ」

「出来るかはわかりませんわ」

 

 仮説に仮説を重ねた理論だ。だから出来ない可能性の方が大きい。

 小さな実験すらしていない。どれほどの危険があるかもわからない。自分などでは扱いきれないかもしれない。才のある存在へと託すべき理論である。

 

「ディーナさんになら、出来るよ」

 

 思考の沼へと入っていたディーナの冷たい手を握る。温めるように強く、指を絡ませて握る。自身の信頼が伝わる様に、しっかりと青の瞳を見つめる。

 手は振り払われない。

 僅かな静寂が二人を包む。冷たかった手がアサヒの熱量を得たように少し温かくなる。

 ディーナの溜め息で静寂が途切れ、彼女はアサヒの視線から逃げるように目を伏せた。

 

「わかりましたわ。ともあれ、貴女の魔力が無いことには始まりませんわ。少しでも眠っておきなさい」

「……その間に行かない?」

「二人で立ち向かうと決めたでしょう? いいから寝なさい、アサヒ」

「うん……じゃあ、ちょっとだけ……」

 

 既に気力だけで話していたのか、アサヒはディーナに倒れるように意識が落ちる。寄りかかって来たアサヒを支えて、静かな寝息を耳にしたディーナは小さく息を吐き出して安堵する。

 彼女が起きてしまわないように優しく横に寝かせ、足音を立てないように洞窟から出る。

 

 

 外は満天の星であった。

 僅かに痺れと違和感の残る脚に眉を寄せて、自分が逃げられないと悟る。

 星達を見上げ、瞼に閉じ込めたディーナは大きく息を吸い込み、細く、細く吐き出す。

 

「……現金だな」

 

 自らの感情をそう評価してしまう。

 上手く乗せられた、と言えばいいのかをディーナはわからない。それでも、決意は出来た。

 死なせるつもりはない。死ぬつもりも、無い。

 だからこそ、机上の理論であった理論が正しいかを実践しなければならない。

 魔力の残りは少ない。欠乏している訳ではないから、普通に動く事はできるだろう。それでも、あのオークを止めるだけの魔力は自分の中に存在していない。

 それでも、ディーナにはソレが可能であった。仮説ばかりの机上理論で可能と言えるまでにした。まだその理論に穴はあるかもしれない。不可能かもしれない。

 それでも、自身には可能であると彼女が信じた。だからこそ、ディーナはソレを可能と断じた。

 

「出来なきゃアサヒが死ぬ」

 

 声にして、言葉にして、自身の立っている位置を明確にする。

 星空を見上げて、深く、深く息を吸い込み、吐き出した。

 

 

 



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25.悪役令嬢は証明したい!

 アサヒが目を覚ました時、ぼんやりとした思考の中でふんわりと香るディーナの香りに安堵した。

 記憶を緩やかに辿れば自分と共闘すると約束した彼女であったけれど、目が覚めたら姿を消しているかもしれないとも思っていた分、安堵も一際である。

 その安堵を強く感じる為にアサヒはより香りを得る為に鼻を柔らかい部分に擦り付ける。

 

「アサヒ、起きてますの?」

「んぃ……? あと五分だけ……」

 

 頭上から聞こえる声に反射的に声を出す。アサヒの反応に溜め息が返された。

 手を小さく振り上げて、少しばかり勢いをつけて振り下ろす。

 

「ん゛ッ!? 何!?」

「貴女が離れないからでしょう」

 

 突如として頭から伝わった衝撃にアサヒは飛び起きて両手で頭頂部を抑える。目の前には呆れた表情をしたディーナが座っており、改めて溜め息が吐き出された。

 アマリナの方が寝起きがいいですわね、と溜め息と一緒に呟かれた言葉はさっぱり聞こえなかったアサヒであるが自分が眠っていたであろう枕が視界に存在しない事に気付く。

 はたして自分は何の上で眠っていたのだろうか。柔らかく、暖かく……ディーナの香りがしたという事はディーナの所有物なのだろうけど、さっぱり無い。

 

「目覚めましたわね。それでは行きますわよ」

「ねえディーナさん。わたしって何で寝てたの?」

「そこらの岩ですわ」

 

 立ち上がったディーナはアサヒの事を見向きもせずに洞窟から出ていく。アサヒは頭に疑問符を浮かべて、地面を触ってみる。硬く、冷たい。そこらの岩とはどの岩なのだろうか。

 疑問符を浮かべながらも洞窟から出れば朝霧が立ち込め、澄んだ空気が森を流れている。肺に冷めた空気が満たされて次第に目が覚めていく。

 

「先に聞きますが、今ならまだ逃げられますわよ」

「逃げないよ。わたしはディーナさんと立ち向かうって決めたから」

「……そう」

 

 安堵したような、呆れたような、感情の混ざった溜め息がディーナの口から吐き出される。

 逃げてほしいという感情はここで置いて行くべきだ。先ではきっと邪魔になるのだから。それでも僅かばかり残る呵責をディーナは飲み込んだ。

 

「……あまり私を信じないでくださる?」

「なんで?」

「上手くいかないかもしれないでしょう?」

「大丈夫だよ! ディーナさんなら出来るって信じてるから」

「だから……もう」

 

 言い聞かせた所で彼女の意思は揺らがない。二の句が繋げられなくなったディーナは諦めたように溜め息を吐き出してプイッとアサヒから顔を背ける。

 何度自分に言い聞かせた所で、自身よりも上手くできる人がいる。きっと時間があれば自分よりもアサヒ個人でした方が上手くできる。その両方が今の自分達にはない。

 組んだ理論は完璧とは言い難い。作戦も行き当りばったりと言っても過言ではない。

 

「貴女が信じるなら、ソレを信じますわ」

 

 呟いた言葉はアサヒに届かない程度の声量である。彼女に伝える為の言葉ではない。それはきっと自身を納得させる為の言葉である事をディーナは理解している。

 意識を入れ替える。失敗は両者の怪我、或いは死へと繋がってしまう。失敗など許されない。そもそも、失敗など許される理由がない。自身がディーナ・ゲイルディアなのだから。

 

「では作戦を説明いたしますわ」

「あんまり難しい事はわからないかも?」

「簡単な事ですわ。貴女を囮にして私が魔法を使えるだけの時間を稼いでいただければ、それで終わらせますわ」

「……ちなみにどれぐらい?」

「貴女が死なない内に終わらせますわ」

 

 魔法式を扱えるディーナにとって、魔法の顕現自体はそれほどの時間は必要ない。式自体は既に出来上がっていたし、何も考えず起動出来るように組み込みもした。あのオークの肉体を自身の攻撃力が貫ける程に火力のある現象を組んだ。だからこそ、出来るかが不明瞭だった。

 アサヒは少し考えてから、ニッコリと笑う。

 

「わかった。なるべく時間を稼ぐね」

「危なかったらすぐに逃げるのよ?」

「大丈夫だって!」

「わかって言ってませんわね……」

 

 能天気と言うべきか、それとも考えなしと言うべきか。どちらにせよディーナは溜め息を吐き出した。ディーナの為の溜め息にむぅっと唇を尖らせたアサヒであったけれど、すぐに笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝霜が溶け出す森の中。重い足音で僅かに地を響かせてオークは歩いていた。

 ただ本能の赴くままに足を動かす。煩わしい樹木を押し退ければ自身の腕が視界に入る。既に塞がり、薄く残るだけの(キズアト)。その痕を付けた人間の女は記憶に新しい。

 苛立つ。人間如きが自身に傷を残した事に。

 苛立つ。下等生物が自身を傷付けた事に。

 苛立つ。その矮小な存在が逃げた事に。

 歯軋りをして、樹木を乱暴に折り曲げる。ベキベキと叫びを上げながら樹木は引き千切られ地面へと音を鳴らして伏した。

 

「おい!」

 

 何かの声が聞こえた。その声の主を向けば、自身より細く、そして小さい。覚えがあった。その黒い頭と格好は僅かばかりに記憶に掠った。

 果たしてソレが何であったかは思い出せなかったけれど、その存在を見ていれば苛立って仕方がない。何故かなどわからない。けれど、ただ苛立つ。

 

 オークの目の前に立っているアサヒは一つだけ息を吐き出す。オークを見つけてから時間を稼ぐ事は既に心に決めていた事である。数分、或いは数十分。ディーナの準備が整うまで。

 それまではディーナの存在はオークに知られてはいけないし、自身も耐えなくてはならない。ディーナは「危なくなれば逃げなさい」とも言ったけれど、自身がディーナの足枷になどなりたくはなかった。

 

「わたしが相手だよ、この、木偶の坊!」

「――グガガァッァァァアアアアアア!!」

 

 アサヒの言葉が通じたのかはわからない。けれどオークは叫びを上げて自身の本能に従った。苛立ちを解消する為に、矮小な存在を食らう為に、自身の存在こそが唯一を示す為に。

 

 故に、暴が森を激しく鳴らし始める。

 

 

 

 視界の中。木々の向こうに見えるアサヒとオークの戦いが始まった事を確認したディーナは荒立つ心臓を押さえつける。

 大きく呼吸をしても相変わらず空気は上手く吸えない気がするし、足りないと脳が訴える。それでもディーナはこの場所に立っていた。

 逃げ出したい気持ちは当然ある。貴族の矜持として逃げ出せない義務感もある。アサヒを囮にしながらも守りたいという矛盾も、またある。

 

「――……フゥー」

 

 細く、長く、息を吐き出し、空を見上げる。

 薄く雲のかかり、青天が僅かに白く染まっている。空気は冷たい。左足で地面を一度蹴って、自身の不安を消していく。

 指の感触。木々の香り。自身の魔力の流れ。自分には過ぎた魔法式。危険性。仮定。仮定。仮定。

 いつだってディーナは前を向いていた。そうする事を義務としていた。ゲイルディアという理由で、ディーナ・ゲイルディアという理由で。

 一つひとつを積み重ねた。慎重に。臆病に。仮定を潰し、過程を経て、結果へと積み上げた。

 その一つひとつを噛みしめるように瞼を閉じ、意識を集中させる。自身に魔力を循環させる。

 小さな炉を灯し、思考を回し、瞼を緩やかに上げる。

 

 この世界の魔法はプログラムに近い。

 この世界の魔法は世界に魔力という通貨を支払い、現象を起こす物だ。

 この世界は――魔力で出来上がっている。

 全ての現象に魔法という法則を当て嵌めれば、全ての現象に魔力を孕んでいる、と仮定する。

 生物もその一端であり、故に生物は、人間は魔力を保有し、そして魔法を扱う事が出来る。

 故に――魔力という架空物質は世界に満ち満ちている。

 

 全ての事象。全ての現象。一切合切。森羅万象。全て、全て、全て。

 魔力を世界へと支払うのならば、世界はその魔力を溜め込んだ商人であり、銀行であり、金庫である。

 

 全ては仮定である。けれどディーナにとってソレは確信に近い物であった。

 基礎的な物理法則を無視した現象。

 火が灯るのに酸素が必要であるように、この世界では魔力で火を灯す事ができる。

 水が流れるのに重力が必要であるように、この世界では魔力で水を流す事ができる。

 風が吹き荒ぶのに気圧差が必要であるように、この世界では魔力で風を吹かせる事ができる。

 全て、全て、何もかもが魔力で解決ができ、そして魔力で作用させる事が可能で、魔力が全てに関わっている。

 

 世界は――魔力で満ち満ちている。

 

 灯った炉にある感触。自身が幾度も触れて既に慣れ親しんでしまった感触を今一度確かめる。

 緩やかに自身を流れる風。それこそが自身の魔力であるとディーナは確信できる。だからこそ、それでは足りない。圧倒的に、何もかもが足りはしない。

 

 足りない。ならば補填すれば良い。

 魔力式を僅かに弄る。入力していた自身の魔力を()()へと繋ぎ合わせる。

 自身の中で何かが弾ける音が響いた。引き伸ばしたゴムが千切れるような、嫌な音であった。

 熱が体を駆け巡る。酒精の強いアルコールが喉を焼く感触よりももっと強い熱が体を焦がす。

 自身とは別の魔力が体を駆け巡るのが理解できる。

 痛みも、熱も、ソレを正しく理解させてくる。故に、ディーナは嗤った。

 自身の仮定が正しかった事に歓喜した。そして彼女の信に応えられる事に安堵した。

 

 魔力が自身を中心に逆巻き、多大な魔力が自身を支配していく。

 

「コフッ」

 

 何かが喉を刺激して、咳き込んでしまう。赤い液体が地面へとへばり付いたけれど、そんな事は()()()()()()()()

 左手で顔を乱暴に拭い、魔法式を通している右腕を伸ばす。ブリキの様にギシギシと体を響かせる腕に無理やり力を込めて、乱暴に伸ばしていく。

 関節の一つひとつがネジを強く締めたように硬く、錆びついたように音を鳴らし、棘が巻き付いたように痛みを訴える。

 体には溶けた鉄が流し込まれたように熱が流れ、叫びたいような痛みが体を支配する。心臓が鼓膜に宿ったように激音が脳を揺らす。

 歯を食いしばる。体の警鐘など関係ない。

 願う事などしない。これは証明である。

 シャリィ・オーべの理論が正しい事であると。

 願う事などしない。これは立証である。

 アサヒ・ベーレントの信に足る人物であると。

 

 願う事などしない。これは真理である。

 

 ディーナ・ゲイルディアは神を信じてなどいない。

 

「ディーナさん!」

 

 アサヒの叫び声がディーナの鼓膜を揺らした。ディーナへと向かうオークが視界に映った。

 指が鳴らされる。

 右腕に熱が疾走り、軌跡の如く皮膚を割いて赤を咲かせる。右の視界が赤に染まり、暗転する。

 オークは矮小な存在を叩き潰そうと腕を振り上げる。

 

 

 けれど、全ては成った。

 

 

 振り上げられたオークの腕がピタリと停止する。

 オークの視界に白が舞った。季節も、気温も、何もかもを無視した白の結晶がオークの視界に舞う。

 オークの目の前には血の匂いを強く醸し出す何かが立っていた。それは人間の女で間違いなかった。けれどもソレは決して人などではなかった。

 青の瞳と極彩色の瞳がオークを捉えた。

 自身の仮定が正しかった事を確認するように。自身の過程が正しかったと確認する為に。結果を待ち構えた。

 

 空から一筋の極光が降り注ぐ。

 地面に落ちた瞬間に白が地面を塗りつぶし、広がっていく。直下にいたオークなど意に介さないように、極光は降り注ぐ。

 舞い上がった冷たい空気と白い煙がアサヒの視界を塗り潰す。視界を覆い尽くしている白から守るように腕を盾にして、それでも前へと向いた。

 

 暫くして、白が晴れた。

 吹き荒んだ風が白を吹き飛ばし、その中心に居たオークの姿を顕にする。

 それは既に芸術品でしかない。白へと染まり、動く事もできなくなった、オークを象った氷像でしかなかった。

 地面には空気を凍らせたのか、白が天へと手を伸ばすように生え揃って空間を隔絶していた。

 

 そんな白の世界の中、唯一の金が揺れ動く。

 白い棘の絨毯をシャクリと音を鳴らしながら歩き、白い吐息が細く宙へと伸びる。

 赤に染まっていた腕をゆるりと上げれば赤が剥がれ落ちて白い肌が晒され、自身の結果を確かめるように氷像が撫でられた。

 

「――綺麗……」

 

 思わず吐き出されたアサヒの呟きをかき消すように金属が擦れる音が聞こえた。幾つも重なった音にアサヒがそちらを振り向けば藪の中から見知った顔が姿を見せた。

 

「アサヒ! 無事だったか!?」

「リゲル!?」

 

 現れた人は想い人であるリゲルであった。その後ろからはレーゲンと武装した騎士の集団。その全てが氷像を視界に入れて息を飲み込んだ。

 

「これは……ゲイルディア嬢が……?」

「ディーナ!」

 

 アサヒから視線を外してリゲルは氷の絨毯を踏み荒らして氷像の近くにいたディーナへと走り寄る。咄嗟にディーナは顔を背けて、熱を持っていた右目と血を乱暴に拭っただけの顔を慌てて拭う。幸いな事に凍ってしまった赤は簡単に剥がれ落ちて普段通りの表情を浮かべる事が出来た。

 右腕を体で隠しながらリゲルへと振り向く事が出来たディーナはなんて事のない顔をしながら困ったような表情を浮かべる。

 本当は怒った方がいいのだろう。という事は理解している。けれど、どうにも心配そうな顔をしてこちらを向いているリゲルに怒る事はできなかった。自分なんかを心配してくれた嬉しさも、ある。

 本当は仮にも許嫁である自分よりも恋心を優先してアサヒを一番最初にした事だとか、騎士団を連れてきたにしてもリゲル自身が来た事だとか、色々と言いたいことが思考を過ぎったけれど、ディーナはその全てを飲み込んだ。

 

「怪我は? 無事か?」

「大丈夫ですわ」

「……ディーナ、右の瞳が」

「――……大丈夫ですわ」

 

 左手でスッと右目を隠し、瞼を閉じたディーナは静かにそう溢した。

 リゲルは何かを言いたそうに口を少し開き、その言葉を飲み込んで、「そうか」と短く応えた。

 

「それで、後ろの騎士団の方々は? 思ったよりも随分と早いご到着ですわね」

「あ、ああ。偶然近くでヴァリーニ子爵が訓練をしていてな」

 

 話を逸らすようにリゲルの背後へと視線を向けたディーナの問いかけにリゲルは辿々しいながら応える。

 少しだけ考えるような素振りをしたディーナは納得したように頷く。

 

「そうですの……。何にしても助かりましたわ」

「俺達の助けなんていらなかったと思うが?」

「それは過剰な評価ですわ、レーゲン」

 

 小さく息を吐き出してディーナは呆れたように首を振る。

 果たして過剰な物か。単一でオークを圧倒し、殺しきった存在の評価としては過小と言ってもいいだろう。

 

「……あとは騎士の方に任せますわ。レーゲン、報告を任せてもよろしくて?」

「ああ。ゲイルディア嬢は休んどきな」

「お言葉に甘えますわ。それと、アサヒに治療を受けさせなさい。あの娘、どうせ怪我しても言わないですわよ」

「了解。そっちはリゲルに任せるか」

「そうですわね。リゲル様相手なら逃げもしないでしょうし、リゲル様も自分の行動がどういった結果を得るのかを認識していただかないと」

 

 酷く痛んだ頭が更に痛くなった気がした。ため息で痛み全てを流してディーナはしっかりとした足取りで歩く。

 痛みで叫びたい気持ちも、今スグにのたうち回りたい刺激も、奥歯で噛み締めながら、その場から逃げるように歩き去った。

 

 

 

 



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26.悪役令嬢を治療したい!

 まだ日は昇らない。吐き出す息は少し白く染まり肺に冷たい空気を満たしていく。

 開いた両の瞳で世界を写し込んで、包帯の巻かれた右腕を上げる。一呼吸。

 緩やかに自身の魔力を流して、感触を確りと意識する。以前まではハッキリと分かっていた筈の感触がさっぱりと感じなくなってしまった。けれども右の視界が確かにソレが流れている事をわからせる。

 正しく式を辿り、正しくソレは流れ、発動を待ち望んでいる。指を弾けば空気の塊が庭に落下してふわりと風を巻き起こす。

 全てが正しい。幾度も使用した魔法だからこそよく分かる。何も変化が無い。

 右瞼を閉じて、左手で触れる。変わらず眼球は残っているし、視界もハッキリとしている。少し変な物も見えてしまうけれど、その変な物も、何であるかはなんとなく理解できた。

 これは……ヤバいやつでは……?

 

「ディーナ様!」

「あら、アマリナ。おはよう」

「スグにベッドにお戻りください! ご自愛なさってください!」

「体調はいいですわ。それに自分の状態がわからない程私は――」

「ディーナ様!」

「はいはい。戻りますわ。少し外の空気が吸いたかっただけですわ」

 

 珍しく、というべきかこうして感情を露わにしているアマリナは普段見る事はない。特に俺に怒っている姿なんてめったに見ることはない。ぷんぷん怒ってるアマリナも可愛いなぁ。

 俺が緩んだ顔をしていたのか、それとも雰囲気としてニヤけているのがわかったのか、アマリナが俺を睨んで左腕を引っ張る。ちゃんと戻るから、もうお前の方が身長高くて足の長さも違うんだから、もうちょっとだけゆっくり歩いて……。

 

 

 

 さて、あれからの話をしなくてはいけない。

 といっても特筆すべき所は実はそれほどない。

 痛みを抑える為に騎士から包帯を貰って応急処置をしている所を慌てた様子で走ってきたリゲルに見られて怪我がバレたとか。それでも隠して、誤魔化して、逃げようとしたらアサヒに捕まって治癒魔法を掛けられそうになったとか。アサヒも魔力ほとんどないんだから応急処置で十分なんだよなぁ……。

 状態が状態だったので実家へと搬送される事が決定した俺はそこでリゲル達と別れて馬車で一人ゲイルディア領へと戻ったとか。馬車なら三日ぐらい掛かる道中だったはずなのに、眠って起きたら実家の前だったとか。

 泣きそうなお母様と相変わらず厳しいお父様に出迎えられて、正しい処置が行われてベッドへと寝かされたとか。

 

 まあそんな俺の事はいいんだけど、問題はその翌日の朝にはアマリナが俺の所に泣きながら戻ってきた事だ。いや、ホント、アレは驚いた。

 子供みたいに泣いて、俺に縋り付いて、慰めて一緒に眠ったのだけれど、翌日には相変わらず無表情に近いアマリナになってたし、俺がベッドから抜け出して体動かそうとすると叱ってくるので、アマリナは可愛いな!

 ともあれ、可愛いアマリナを困らせるのは本意ではない。体調もそれなりに良くなってきているので、鈍らないように運動もしたいんですが、アマリナさん? ダメですか? ダメですか。そうですか。

 

 次に戻ってきたのはヘリオである。こちらは大層疲れた様子で戻ってきて早々にアマリナに説教をしていた。どうやら学校を何の手続きもなく抜け出したようでその処理などをしてから戻って来てくれたらしい。説教されていたアマリナは「優先順位が違う」と返していたけれど、学校も大事なんだよアマリナ……。

 騎士試験に関しては実技も筆記も完璧に熟したらしいけれど、彼自身の出自が原因で騎士称号は得られなかったらしい。一応、そこらも考えてゲイルディアの名前を使って出したけれど、それでも無理だったそうだ。どこの貴族が妨害したんだろうね? 見つけたらぶっ飛ばすからなぁ……。

 ヘリオ自身はそれほど落ち込んでいる訳でもなく、アレクとの教練も問題なく行えているらしいのでいいけれど……。奴隷解放しようか? と言えばアッサリと辞退された。騎士の方が個人として動けると思うんですがそれは……。

 ともあれ、ヘリオが確りと学校関係も処理してきてくれたらしいので、俺は安心して休養を楽しめている訳である。

 

 しかしながら、ベッドの上というのは何もする事がなく、大層暇なのだ。

 よって俺が魔法の研鑽を積み重ねるのに何らオカシイ事はないのである。イイネ? アマリナに怒られない範囲であるけれど。

 

 さて、魔法式は正しく式である。けれどもその数値は仮想の文字であったし、認識する事のできない式であった。架空で仮想で、仮定の式を無理やり嵌め込んでいる、と言っても過言ではない。今であるならば、そう言える。

 解法する事もできない文字式を予め準備して、『ただ魔力を通せば結果を得る』という事を俺はしていた訳である。そのアクションとして指を弾いて設定していただけに過ぎない。シャリィ先生は文字式全部をその時点で代入して魔法を行使している。それで俺と始動がほぼ一緒ってなんだよ……。

 そんなハーフエルフ計算機に関しては置いておくとして。

 

「やっぱり、見えてますわよね」

 

 右瞼を上げて世界を見てみれば、世界は光に満ちていた。極光程明るくもなく、暗闇ほど黒くない。幻覚かとも思ったけれど、魔法を行使していて理解した。世界は魔力で満ちているのだ。

 その魔力の一つひとつを確認する事ができる。自身がどれほど無茶苦茶な魔法を行使していたかも、よく理解できる。そりゃぁ腕も目も持っていかれるわな、と納得できた。

 不可思議で不可視だった式を魔力を通す事で確認する。どういった文字であるかが、よくわかる。自身が積み上げたソレが正しい事で、少し間違っている事が理解できる。

 理論としては正しかった。それはシャリィ先生の理論であるからである。式としては正しくなかった。それは俺の式であったからである。

 包帯の巻かれた右腕に魔力を通して見たけれど、ものの見事にぐちゃぐちゃな通り方をしていた。こうして視界で認識すればよくわかる。同じ魔法を想像魔法として行使すればソレは随分と綺麗な線で繋がれていたのだからどちらが正しいかはよく分かるだろう。

 通し方を正しく置き換えて、緩やかに、確認するように魔力を通せば今までよりも少ない魔力で今までと同じ結果を得る事が出来たのだから、俺の不出来がよく分かる。世界の魔力を通した時も、もう少し上手くする事が出来たに違いない。もうするつもりはないけれど。

 

 この文字式や形が確りと分かれば、きっと魔法式は新しい一歩を踏み出せるだろう。たぶん。どうだろう。その辺りを聞くためにシャリィ先生に手紙を送ったけれど、返事はまだない。メールとかなら一瞬だけれど、生憎もう少し日数は掛かるだろう。

 その暫くの間はこの研鑽を積み重ねていよう。新しい発見もあるかもしれない。

 

「ディーナ様、何をされているので?」

「ヒッ……せ、先生こそ。随分どうなされたので?」

 

 ノックもせずに開かれた扉にはシャリィ先生がニッコリと笑っていて、その後ろにアマリナがジト目で俺を睨んでいる。ほら、ベッドの上って暇じゃん? 仕方ないじゃん?

 

「お手紙を頂いて、来てみれば何をしているので?」

「え、ええ。その、魔法式の研鑽を」

「結構。結構。ご自身が何をされたか理解なされていないようで」

 

 魔力の踏み倒しでしょ? 知ってる知ってる。美味しいよね……。

 と冗談が言える空気でもなく、誤魔化すように視線を逸らす。笑顔って怖いんだぞ……。相変わらず小さいシャリィ先生だけど、凄い怖いんだ……。

 ため息が一つ吐き出されて、シャリィ先生はベッドの横へと座って俺の顔を覗き見る。可愛い。いい匂いがする。それにシャリィ先生自身が眩しい。これが可愛さ可視化か!

 

「オークを一人で討伐されたようで」

「正確には二人ですわ。私一人なら出来なかったですわね」

「そんな事はどうでもいいのです。そこで行使した魔法が界隈で持ち切りなのが問題なのです」

「……随分と早い噂話ですわね」

「えぇ。ゲイルディアのご令嬢がオークを氷像にする魔法を一人で行使した、とか」

「……それは間違ってませんわ。手紙でも書いた筈ですが……」

「ええ。読みました。読みましたとも! あのディーナ様がそんな魔法を使っただなんて! と驚きましたとも! 手紙を頂き、ゲイルディア卿からもお手紙を頂き、私は急いで研究室を飛び出しましたよ」

「それは、ご迷惑を――」

「迷惑? ああ、いえ、迷惑などではありません。貴女の状態を確認して、そう確信しました」

「怪我の具合ならそれほど悪くはありませんわ」

「怪我? ああ、腕も包帯に巻かれていたのですね。魔力の通しすぎです。ご自身が何を成されたのかをご理解なされて無いようで!」

「え、えぇっと……」

「貴女の魔力量でオークを氷像に出来る程の魔法は行使できません。……ディーナ様。それはエルフの技法です」

 

 エルフ、と言われてシャリィ先生の耳へと視線が向いてしまう。尖った耳がピクリと動いて、改めてシャリィ先生へと視線を戻す。

 

「自然に存在する魔力を無理に取り込みましたね? なんて事を……」

「あの時は仕方ありませんでしたわ。あの行動に後悔はありません。今考えればもう少し上手く出来たと反省はありますが」

「ディーナ様、少しは懲りてください」

「アマリナが紅茶を淹れてくれれば考えようかしら?」

 

 溜め息混じりに吐き出されたアマリナの言葉をクスクスと笑いながら返せば、少しだけムッとした顔でアマリナは部屋から退出した。紅茶を淹れてくれるまで、少しだけ時間はあるだろう。

 

「それで、シャリィ先生。私はこのままだとどうなりますの?」

「最悪は……いえ、そんな事にはさせません」

「誰でもいつかは死にますわよ」

「私が、死なせません」

「珍しいですわね。先生が理論的で無いだなんて」

「貴女は自分がどうなっているかを理解していない!」

「理解していますわ。だからアマリナを外したでしょう?」

 

 きっとアマリナが聞けばまた悲しい顔をしてしまうだろうし。

 こうしてシャリィ先生が眉尻を下げている辺りも、俺としては不本意ではあるけれど、シャリィ先生を騙し切る事なんて俺にはたぶん出来ないのでセーフという事にしておこう。

 

「今スグに、という事はないのでしょう?」

「……ええ。あまりその目で世界を見ないように。それと魔法の行使も出来るだけ控えてくだされば」

「魔法式の研鑽が滞りますわね」

「貴女の命の方が大切です」

 

 デレ期かな? デレ期だな。これはこのまま行けばデレデレになるのでは? げへへ。

 それにしても、スグに死ぬ事はない事は確定したので、目下の問題は解決したと言っても過言ではない。アサヒとリゲルの事もあるし、スピカ様ともまだイチャイチャしたいし、アマリナともまだ一緒に寝たりしたいので、やるべき事は沢山ある。

 そんな事を考えていればアマリナが部屋に戻ってきた。急いで来たのか、珍しく足音が鳴っていたから気付けた。

 

「では、シャリィ先生に任せますわ」

「……安静にしていてくださいよ?」

「あら、私がシャリィ先生の言いつけを破った事があったかしら?」

「今も破ろうとしている方の言葉ではありませんね」

 

 溜め息を吐き出したシャリィ先生は部屋から出ていき、首を傾げているアマリナを呼び寄せて紅茶の準備をさせる。

 

 今はまだ、この変哲のない日常をゆっくり楽しもう。

 

 


 

「ゲイルディア卿、よろしいでしょうか?」

 

 執務室へとしっかりとノックをして入ってきたシャリィ・オーべは重苦しい空気を吸い込んでも尚、初めての時のような感情には成らなかった。

 執務室には変わらず難しい顔をしているクラウスと心配そうに顔を伏せ、シャリィが来た途端にその青い顔を上げたイザベラが居た。

 

「……オーべ卿。ディーナはどうなる?」

「ハッキリと申し上げます。彼女は魔力に溶かされて死ぬでしょう」

 

 イザベラの息の飲む音とクラウスの唸る声が執務室に響いた。ディーナの魔法の師であり、造詣の深いシャリィの言葉だからこそ現実である事を在々と示す。

 

「助かる方法は無いのか?」

「あるとするならば、エルフが知っているでしょう」

「エルフか……」

 

 エルフ。森の賢者。世界の始まりを知る者。様々な呼び方が残るその存在は人間達との交流を極力避けている存在でもあり、クラウスからしてみれば絶望的な状況であるに変わりはない。けれども、思考では確りとそのエルフとの接点をどうにか得る為に貴族たちの情報が並べられ、王への取り次ぎもまた思考されている。

 

「私が取り次ぎましょう」

「……いいのか?」

「出来る限りは……いえ、必ず」

「そうか……感謝する」

「――……」

 

 シャリィは驚いた。その驚きが頭を下げて感謝してくるクラウスなのだから失礼に違いないのだけれど、シャリィからしてみれば、クラウス・ゲイルディアという存在は悪の象徴であったし、何よりも人の感情とは程遠い人物であると思っていた。

 だからこそ、自身の中にあったクラウスの印象を塗り替えておく。これも、人の親である。

 

「俺に出来る事ならばしよう」

「……確か、ゲイルディアの領地にカチイという都がありましたね。ディーナ嬢をそこへ」

「……辺境だな。わかった」

「アレらはあまり人との関係性を保ちたがりませんから。では、私はエルフと会ってまいります。彼女が学校を卒業するまでには、必ず」

「……オーべ卿には何を渡せばいい?」

「……

 

 そうですね。ディーナ様の下に私の研究所を着けていただくように、取り計らっていただければ」




ネタバレ・ディーナ様は問題あるけど問題ない。エッチなエルフを出したい。それだけは真実を伝えたかった……。


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27.悪役令嬢は確約がほしい!

 こちらの都合など大凡無視して社会は動く。王城へと向かいながらぼんやりとそんな理不尽を考える。

 体調的には健康体であるけれど、これでも怪我人である。体が鈍らないように動いていればアマリナからいい顔をされないぐらいには怪我人なのだ。ヘリオは付き合ってくれるけれど。

 それでもその理不尽は理不尽なりにこちらの気を使っている事は理解出来てしまうのも、また面倒を加速させたと言ってもいい。

 

 個人でオークを倒したらしいゲイルディアご令嬢に報奨を与えなければならない。という事情は早急に処理すべき事であるし、処理が遅れれば遅れる程に王への不信感もつのるだろう。俺が怪我人という事も考慮すれば、この程度の時間を稼いでくれた陛下かお父様に感謝しなくてはならない。お父様は表情に出さないけど、あまり今回の事に乗り気ではなかったし。

 

 ともあれ、先に聞いていた事情からいつものドレスではなく、騎士としての礼装である男物の服と剣を帯びている俺である。一応、ドレスで登城する事も考えたけれど、右腕は指先まで包帯に巻かれているし、解いた素手は浅くなってきた傷とハッキリとした魔力線が通っているのが見えてしまう。それなりに歪に見えてしまうので薄手の手袋が出来る騎士服となった訳である。長袖なら包帯も隠せるし、手袋も出来る。どちらかと言えばドレスよりもこちらの方が俺としても楽なのだ。

 

 メイドさんに案内してもらいながら見慣れた廊下を歩いていれば、廊下の奥の方に見知った顔が見える。天使かな? 天使だったわ。

 その天使は俺を見つけると驚いたような顔を少しだけして、笑顔を浮かべてお淑やかさを元気に変換して走ってくる。

 

「ディーナお姉様!」

「お久しぶりですわ、スピカ様」

 

 はぁんわぁぁああ、相変わらず可愛いんじゃぁ。

 抱きついてくるスピカ様をしっかりと抱きとめてからクルリと一回転。地面にゆっくりと下ろしてからスピカ様を見れば不満な顔をされた。もう一回転した方がよかった?

 

「もう! 私はそんなに子供じゃないです!」

「それはごめんなさい。可愛くて、つい」

 

 子供らしく頬を膨らませてプリプリと怒ってしまったので、苦笑を浮かべながら謝罪をいれておく。

 可愛い、と言えば顔を赤らめてほっぺを両手で抑えるスピカ様。やっぱり可愛いじゃないか!

 女の子みたいに柔らかくて甘い匂いがするし、太陽みたいなポカポカする匂いもする。そこに可愛さが加わるんですよ。最強では? 最強だったわ……。

 抱き上げたり、クルクルしたりするのに不便のないパンツスーツでよかった。もう一回転やっぱりしない? 抱きしめたいんだけど許されないですかね?

 

「今日のお姉様は格好いいです!」

「ありがとうございます。スピカ様も相変わらずお可愛いですわ」

 

 この娘、成長は見れるんだけれど、本当に可愛いままなんだよな……。それこそ女としての成長もしているんだけれど、まだ成熟しきっていないというか、ああ、いや、思考がオッサンのようだ。

 可愛い物は可愛い。それでよし。美少女は可愛い。

 

「今日はどうなされたのですか?」

「陛下に呼ばれましたの。以前の事で少し……」

「以前? お姉様、また無茶をなされたんですか?」

「無茶という程ではありませんわ」

「一人でオークに立ち向かったのに?」

 

 かしこい。いや、噂話を聞いただけなのかな。でも俺の右手を優しく握ってくれている辺り、たぶん全部知られているんだろうなぁ。可愛い上に賢いとか天使かな? 天使だったわ。

 どう誤魔化せばいいものか。たぶん「無茶はしてない」と言っても聞いてくれなさそうだし。陛下に呼ばれているのを理由にしても後々詳しく聴取されるに違いない。こんな可愛い娘に聴取されたら俺は全部出ちゃうのでそれは避けるべきだろう。で、出ますよ……。

 

「確証を得ている事は無茶とは言わないでしょう?」

「……それで怪我をしたら意味がないです」

「それもそうですわね」

 

 確証なんて無かったけれど、それは言わないでおこう。こうして悲しい顔を余計にさせるだけだし。怪我をした事実は知られているのだから否定もできない。

 今も右目は閉じているし、変に勘繰られる前にスピカ様から離れた方がスピカ様的にも得策だろう。

 

「では、私は失礼いたします。スピカ様も、お勉強から逃げ出してるのでしょう?」

「……お姉様は匿ってくれないんですか?」

「可愛い顔でお願いしてもダメですわ。……向こうの角から教師の方が出てきますよ。逃げるなら庭の方がオススメですわね」

「やった。ありがとうお姉様!」

 

 元気に逃げていったスピカ様を見送って、少ししてから角から慌てた様子で何かを探している教師であろう人が出てきた。慌てていてもやはり貴族であるからか俺を見つけてはギョっと驚いた顔をして頭を下げてくれる。

 スピカ様を教えるなんて羨ましい事をしている教師さんには庭の方に逃げた事を伝えて、適当に時間を掛けてから向かうようにもお願いしておく。今までも頑張っているのだから、少しぐらいの息抜きは許されるだろう。

 時間を掛けるように、と言ったのに庭へと駆け足で向かった教師さんであるが、真っ青な顔はきっと酸欠か何かに違いない。ゲイルディアとかいう悪名轟く貴族のご令嬢に会ったから、という訳では決してないだろう。オドシテナイヨー。

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまないな。急遽呼び出してしまって」

「いえ、陛下。いつ何時であろうと、陛下からお声が掛かれば参上いたしますわ」

「それは嬉しい事だ」

 

 クツクツと笑っている陛下であるが、歳には勝てないのか少し痩せたように思える。それを口に出すことは無いけれど。黒髪の間にも白が増えたような気もする。

 一年と少し前に、今日と同じ部屋で見ていたからか、その違いが余計に顕著に見えてしまう。

 個人的に言えばこうして悪名の高さが証明されてしまったゲイルディアのご令嬢と二人きりで王様が会うなんて事はあまり褒められた事ではないとは思う。そのご令嬢本人がこうして思っているのだから、世話がないが。

 

「まずは感謝をしておこう。リゲルを助けてくれてありがとう」

「当然の事をしたまでですわ」

「しかし、オークを単独撃破とはな」

「……陛下、一つ訂正させていただきますが、私が単独で魔法を使い倒したのは事実ですが、あの場には同輩であるアサヒ・ベーレントも居ましたわ。彼女もまた一役買っています」

「……俺が聞いていた仔細とは違うな。そう考えると……お前に報奨を集中させたい誰かか?」

「ならお父様が犯人に違いありませんわね」

「ハッハッハッ。相変わらずのようだなディーナ嬢。あまりクラウスを泣かせてやるなよ」

 

 あのお父様が泣くなんて。たぶんお母様に愛想を尽かされた時ぐらいだと思う。それも、お父様の名誉の為に言わないけれど。

 あまり、あの顔で泣く姿を想像したくない、という俺自身の気持ちも当然あるのだけれど。

 

「それで。どう思う」

「私に集中させて利を得る方々の根回しでしょう。急がせたのも甘い蜜を早く吸いたいから、だとは思います」

「俺もそう思う。ディーナ嬢の怪我の事もあったからな」

「今頃お父様は面倒事に巻き込まれているに違いませんわ」

「俺もそう思う。アイツも相変わらずか……。それで、怪我の調子はどうだ? 右目は見えていないのか?」

「傷は大凡塞がっていますわ。右目も、それほど重症ではありません」

 

 安心したように、或いは俺の言葉に納得をしてくれた陛下は「うむ」と一言だけ零して水を一口飲み込む。

 嘘は言っていない。俺が死ぬ頃にはリゲルの体制も万全にするつもりだし、アサヒとリゲルの関係もそれなりには進んでいる筈だし。リゲルが求めない限り子を産むつもりも無いから跡継ぎ問題もアサヒが解決してくれるだろう。いざ、子を産む事になりそうだったとしてもその頃には時既に遅し、みたいな状態になっていれば御の字である。

 

「アサヒ・ベーレントについてだが、ディーナ嬢の意見を聞きたい」

「イイ娘ですわね。魔力適正も高く、容姿もいい。貴族としての心構えは少し気になる部分もありますが――」

「俺の言い方が悪かった。リゲルとベーレントとの関係はどう思っている?」

「……今は歓迎していますわ。私はリゲル様にとって『守る対象』には成れなかったので」

「……お前は、本当にいい女だな」

「あら、陛下に口説かれるだなんて名誉な事ですわね」

「戯言だ。流せ」

 

 クスクスと笑っていれば口をへの字に曲げて不機嫌を表情に出される。これ以上弄るのは不敬になるだろう。

 コホン、と一つ咳払いをしてから口を改めて開く。

 

「先程も言いましたが、オークの討伐は私とアサヒ・ベーレントの二名で行った事です」

「わかった。が、どうする? ベーレント嬢にも報奨を与えるか?」

「それは得策では無いでしょう。今の状態で渡せば私を押し上げた輩達に潰されるのは目に見えています。故に、確約を頂きたい」

「ほう」

「アサヒ・ベーレントとリゲル様との関係の許しを」

 

 一拍だけ間が開いて、陛下が乱暴に自身の髪を掻いて深い溜め息を吐き出した。こちらを見る目は睨めつけるような鋭い視線ではなく呆れたようなジト目である。

 

「本当にお前は……わかった。文書には残せないが構わないな?」

「ありがとうございます。それともう一つ」

「なんだ? 次はアイツらの子を先に産ませろなどとは言わんだろうな?」

「言いませんわ。オークの討伐で動きすぎたのでリゲル様が王命に気付く可能性があります」

「……わかった。別の者に――」

「いえ。もしもバレた場合、リゲル様から言及された場合に白状する許可を頂きたい」

「なるほど。しかし、リゲルが言わなかった場合はどうする?」

「今まで通り、私がリゲル様を脅威から守りますわ」

「…………わかった。が、あまり無理はするなよ。お前もまた国の宝だ」

「私は、宝を守る豪華なだけの箱であれば満足ですわ」

「本当に、いい女だよ。リゲルには勿体無い」

 

 流せ、と先ほど言われていたのでクスクスと笑みを浮かべるだけで陛下の言葉を流してみせる。

 豪華なだけの宝箱であるけれど、鍵は厳重にするし、なんなら盗掘者を弾き飛ばすトラップまで準備してやろう。その事を周知させていれば、宝箱を開ける輩もいなくなるだろう。

 それを周知させる為の、俺が騎士称号を得る為の式典の打ち合わせを陛下と決めていく時間は緩やかに過ぎていく。

 



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28.第二王子は信じたい!(修)

修正致しました。だいたいの流れは一緒です。
ルートにも影響が出たので、軌道修正もしております。悪しからず。


 彼女は完成された芸術品であった。或いは、成長する芸術品と言うべきなのだろう。

 月日を重ねる毎に美しさには磨きがかかり、その美しさを周知のモノとした。

 

 初めて会った時、彼女の事は年の離れた女の子だと思った。それは自分よりも遥かに成熟していて、大人のような物言いだったからであるし、何より彼女が自分を見る視線がそれまで幾人か出会った娘達とは違っていたからに他ならない。彼女が同じ年齢だと知った時は驚いたのも事実である。

 彼女はいつだって自分を導いてくれた。それを悔しいと思ったことはない。自分にとってそれは幼少期から続けられた自然な事であったし、何より強引に引っ張るのではなくこちらの意見を尊重し、彼女が道標となってくれたのだから。

 

 彼女の家名はよく耳にした。それはいい理由などではない。単純に、良くない噂話にその家名がよく出ていたという話だ。幼い頃に何故否定しないのかを聞けば「仕方のない事」と悲しそうに笑うのだ。

 同じく幼い彼女であったけれど、頭もよかった彼女だから知っていたのかもしれない。

 それでも彼女は自分と居る時はただ穏やかで、微笑みを絶やす事はなかったし、花を愛でる事もした。いや、レーゲンと出会った時は少し呆れていたか。

 

 

 彼女は、只々優秀であった。

 勉学にしても、思考にしても、剣の腕にしても。それでも彼女は俺を立ててくれていた。きっとそれは、俺が王族であるからであろう。

 それでも、王族である自分と貴族である彼女が仲違いをする理由にはなりはしない。

 

 リゲル・シルベスタはディーナ・ゲイルディアを好きである。これが恋愛感情かと問われれば、肯定するだろう。けれどもそれは正しい恋愛感情ではない。アサヒと出会って、俺はソレを理解する。

 

 

 

 三日後に控える騎士叙任式の内容を聞いてディーナならば当然であろう、という感情は元々あった。それだけの事をしたのは周知であるし、何よりディーナという存在は完璧であった。

 けれど、同時にあの場に一緒に居たはずのアサヒが同じ扱いではない、という事に疑問が生じる。何故アサヒは除外されたのか。理由がわからない。

 耳にする噂話達は「ディーナが単独でオークを撃破した」という事ばかりだ。昔はゲイルディアを貶めるように悪く言う口が、今や称賛を口にするのは中々に滑稽に思えた。

 何故、アサヒは話題にも上がらない。まるで元々その場には居なかったように語られる。

 考えれば考える程、違和感を覚えてしまう。

 

「殿下。この度はおめでとうございます」

「……イワル公爵。その祝辞はディーナに言うべきです」

「いえ、婚約者である殿下も鼻が高いでしょう」

 

 

 糸のような開いているかもわからない瞳が人懐っこく笑い、細い体を隠すように綺羅びやかな服に着られた男から声を掛けられて思考を一時止める。親族、と言っても遠縁であるイワル公爵にも当たり障りない笑みと既に言い慣れてしまった言葉を吐き出す。

 人懐っこい笑みを浮かべていたイワル公爵はこちらを見て、ふむ、と一言だけ考える素振りを見せてから首を傾げる。

 

「しかし、殿下はこの度の叙任式に疑問をもっておられるようだ」

 

 思考を言い当てられて笑みが崩れそうになる。なるべく間を開けずに肩を竦めてみせ、頭を振る。

 

「何を馬鹿な」

「そうですかな? 私が調べた所、オークの討伐にはもう一人いた、とか」

 

 細く開いた瞳がこちらを捉える。その『もう一人』について知っているぞ、と視線が告げている。

 彼が何を調べたかなどわからない。その言葉と視線から俺の違和感をイワル公爵は解消できるであろう答えを持っているのだろう。

 

「……何を知っている?」

「何故、ベーレント家のご令嬢が任命されなかったか」

「誰かが仕組んだ事なのか?」

「少し考えればわかる事でございます。例えば、今回の報奨を独り占めする為、とか」

「ッ、ディーナが仕組んだと言うのかッ!?」

「そこまでは申してません。が、そう考えれば筋は通りますな」

 

 何を馬鹿な事を。ディーナがそんな事をする訳がない。そんな事をして、報奨を独り占めをして、何の得があるというのだ。

 思考を落ち着ける。怒りを落ち着けて、声を荒げた事を謝罪する。イワル公爵は俺の疑問に答えただけなのだ。

 それでも、その答えは俺が求めていた答えなどではない。

 

「失礼ながら、殿下。あの女は地位を求めています。いいえ、ゲイルディア家と言った方がいいでしょうか」

「それ以上喋るな、イワル公。この場で不敬を問うてもいいのだぞ」

「それは恐ろしい。しかし、殿下。それでも一つだけご忠告させていただきます。ゲイルディアにはお気をつけください」

 

 そう言い残して頭を下げてから去ったイワル公の背中を見つめる。

 大きく息を吸い込んで、頭を落ち着けてから強く握りしめていた拳から力を緩める。

 否定をする。そんな事は無い、と否定する。

 ディーナ・ゲイルディアという女はそんな事をするような存在ではない。けれど、もしもディーナが仕組んだ事であるのならば、確かに全てに理由が付けられる。けれど、その理由が『報奨を独り占め』というのが矛盾してしまう。

 自身の知るディーナは与えられる金銭や地位にそれほど頓着しない。加えて、最近のアサヒとの関係を知っていれば余計に矛盾してしまう。

 

 ならば、何故。誰が。

 

 部屋に到着して、椅子に深く腰を掛けて思考の沼から息継ぎをする。どれほど考えても答えには辿り着きはしない。

 それでもソレは考えなくてはいけない事であった。事実を正確に知る必要があった。

 

「よぉ、リゲル。お疲れだな」

「レーゲンか」

 

 相変わらずノックすらせずに扉を開けた幼馴染であり、俺専属の騎士見習いであるレーゲンが部屋へと遠慮もなしに入ってくる。

 俺の様子を見てカラカラと笑っていたレーゲンは俺の様子を見て首を傾げる。

 

「……どうかしたのか?」

「いや……」

 

 一度口を噤む。自身だけの思考では解決出来ない事があるのは理解している。それに情報が足りないのも事実であった。

 けれど、手段が無い。

 

「レーゲン、頼みがある」

「おう。オレに出来る事なら何でもするぜ?」

「ディーナの事だ」

「ゲイルディア嬢? ははーん、なるほど秘密の贈り物をするから好みを探ってほしいんだんな」

「違う。ディーナの事を調べてほしい」

「……どういうことだ?」

 

 茶化すような雰囲気はなりを潜め、スッと騎士としての彼が顔を覗かせる。護衛としての彼をこうして使うのは気が引けるけれど、今の自分には手段が無さすぎる。けれども、これは調べなくてはいけない事実でもある。

 否定していた事が、もしも事実であったならば。想定しうる最悪であったのならば、今ここで手を打たなくてはいけない。

 

「今回の叙任式を仕組んだ嫌疑を掛けられている」

「ゲイルディア嬢が? なんでまた」

「それが知りたいんだ。できるか?」

「……わかった。二日くれ」

「短いな」

「急ぎなんだろ? リゲルは俺に命令してくれればいいさ。騎士(オレ)はソレに応えるだけだ」

「……ディーナを調べてくれ」

「お任せを、殿下」

 

 ニッと歯を見せて笑うレーゲンは急ぎ足で部屋から出ていき、遠ざかる足音を聞きながら瞼を閉じる。

 浮かんでくる思考を否定し続ける。矛盾を探す。探す。探す――。

 

 

 

 

 

 

 二日して、レーゲンの調査報告を聞きながら頭で情報を纏めていく。

 ディーナがしていたこと、ディーナ・ゲイルディアが命令していた事、彼女が何を目的にしているか。

 彼女は暗躍していた。それはきっと事実だろう。()()()()()()()()()()()()()()()。そのどれもが巧妙に隠され、けれど日の下に晒された。

 

「……これは全て事実、なのか?」

「ああ。信じたくない気持ちはわかるが、事実だ」

「……そうか」

 

 どう反応すればいいのか、怒ればいいのか、悲しめばいいのか、それとも別の感情が適しているのかはわからない。感情だけでいうのならば、否定したかった。

 事実の中にはアサヒの経歴の調査もあった。同時にその為にアサヒを貶めていた事も。

 何故。どうして……。

 

 思考を落ち着ける為に深く息を吐き出す。頭の中に在るディーナの印象を消し去り、客観的に事実を見つめる。

 この事実から見れば、ディーナ・ゲイルディアは地位を求めている。正確にはゲイルディア家と言うべきだろう。その刺客として選ばれたのがディーナであった。

 幼い頃に俺へと接近し、そして許嫁の地位を勝ち取った。そしてその地位がアサヒの存在によって揺らいでしまった。だから、アサヒを貶めた。

 道筋は通っている。アサヒとの関係もこの事実を隠す為であろう事は容易く想像できた。疑いが掛かってもアサヒとの仲を考えれば否定せざるを得ない立ち位置にいる。

 

「どうするんだ?」

「……少し一人で考えさせてくれ」

「わかったよ。でも早めに手を打った方がいいだろ」

「ああ。……そうだな」

 

 それでも、と否定したかった。それは俺の感情だ。

 レーゲンが部屋から出ていき、改めて大きく呼吸をする。俺はどうすればいい。救いを求めたところで、誰も答えてはくれない。

 もしも、もしもである。俺の思考が正しいのならば……それは恐ろしい事だ。一緒にいた存在が打算で、計算の上で、そしてそれは全て嘘なのだ。

 喉元に上がってきた違和感を無理やりに飲み込んで、思考する。それでも正しい答えには行き着かない。

 

 否定する。信じたくない。

 否定する。信じたい。

 否定する。否定をする。

 

 

 気がつけば、日が昇っていた。丸一日考えたところで答えなど見つかる訳がなかった。

 未だに何が正しくて、何が間違っているかなどわからない。嘘である、とも思う。けれどそれは事実として言われている。

 起こった事。その影に隠れた物。全てが嘘であるのならば、ここまで悩まずともよかっただろう。全てが事実であるならば、ここまで悩まずともよかっただろう。

 

 

 

 引き出しの中に収めていた簡素なネックレスを手に取る。傷が大量に刻まれた石が真ん中に留められた古いネックレスを握りしめる。既に首には巻けなくなってしまったソレを手首に巻き付けて、留める。

 

 信じたい。けれど、きっとソレは俺の願いでしか無いのだろう。

 すでに事実は揃えられてしまった。だからこそ、手を打たなくてはならない。

 

 これ以上、好き勝手させない為に。

 俺が愛する者を守る為に。



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29.悪役令嬢を罰したい!

些細な部分ですが、重要な部分を修正致しました。
この話での結末に変化はありません。
この話の結末は変化しました。


 叙任式はアッサリと終わった。散々陛下と打ち合わせなどをしていたし、今更とやかく言う存在もいないのは目に見えていた。それでも緊張はするもので、陛下から剣を受け取る時にお腹が痛くなったのは俺だけの秘密にしておこう。

 叙任式も終えて、次は舞踏会という事で俺はせかせかと王都にある屋敷へと戻って着替えを行わなくてはいけない。騎士としての格好で出てもいいのだけれど、それが許されないのが俺の立場である。ドレスとかよくないです? 俺は男装の方が楽なんですけど……。

 それでも許されないのである。騎士という立場よりも先にリゲルの婚約者という立場が前に出てしまうのだ。俺だってスピカ様と踊りたいの! その為だけに男側の踊りも覚えたの! まだ公式の場で踊ったこと無いけどな!!

 

「アマリナ、準備は出来ていて?」

「はい、お嬢様」

 

 静静と頭を下げたアマリナは相変わらずのメイド服である。別に着いてくる理由も無かったのだけれどアマリナが俺を一人にしたくないらしい。いやー、モテる男は辛いなぁ! げへへ。

 実際の理由は目を離すと無茶をしでかす、という事を俺は知っている。アマリナの上司であり執事長であるリヒターからの命令でもあるし、シャリィ先生からの言いつけでもある。なんで知ってるかって? 俺の目の前で言われたんだよ……。シャリィ先生にぶーぶーと文句を言えば「こうして言えば貴女は無茶をしないでしょう」とか言われるし……。なら直接言えば良かったんじゃないんですかね……。

 俺がいつ無茶をしたって言うんですか! はい、ごめんなさい。やめてそんな目で見ないで。確かに目と腕と一つずつ持っていかれたけど、守ったモノを考えれば安くない? 実際安い。

 ともあれ、普通のメイドでは俺が無茶をやらかす可能性を考えてアマリナに任命されたお目付け役である。都合のいい事にアマリナは王城に入る許可を得ている。舞踏会には出さないけれど。

 可愛いアマリナがクソみたいな害虫に寄って集られる心配は無いって事だな! そんな害虫が居たのならば吹き飛ばしてやるが、その心配は限りなく少ない訳である。

 

 騎士としての男装からいつもよりも綺羅びやかなドレスで着飾った俺はそれなりに綺麗である。まあ俺よりも綺麗で可愛い女の子など舞踏会には腐る程存在するので比べる意味もないけれど。その女の子の大半は相変わらず俺に近づいてくれないし、近づいてくる女の子達は腐ったような思惑が見え隠れするのだから考え物だけれど。

 そんな中、心の清涼剤たるスピカ様もきっと参加なされるし。俺はもう死んでもいいかもしれない……。いや、もう少しは生きるんだけれど。

 更に言えば、参加者の名簿を事前に確認したけれどアサヒも呼び出されているらしい。ベーレントとして出てくるのか、それとも誰かに呼ばれたのか。それは俺にはわからない。大丈夫? あの娘、舞踏会とか初めてでしょう? 俺が手取り足取り何取り教えてやるからなぁ。うぇへへ。

 

 さて、問題はアサヒを呼んだのは誰か、である。

 リゲルが呼んだのであれば、俺が上手く立ち回ってアサヒと俺との仲の良さをアピールしておかなければならない。そうしなければアサヒが面倒極まりない政治に巻き込まれるだろうし、後々を考えても仲が悪いなどと噂が立てば面倒だろう。

 ベーレントとして来るのならば、それほど気にしなくても良い。尤も、彼女もリゲルもたぶん周りを見てくれないのである程度のテコ入れは必要になるだろう。胃が痛くなってきた。

 問題はそれ以外の場合である。

 表としてはリゲルとアサヒのフォローは前提条件である。無視しても俺は構わないのだけれど、後々絶対に響く。正妻に子供がいないとか、俺の死亡理由とか。その辺りは未来の俺が上手く動いてくれるだろうけれど、それでも今打てる手は打っておくのがいいだろう。

 裏を考えれば、アサヒへの報奨が無い事への非難。これは可能性がそれほどない。オークの討伐に関してはアサヒが混じった所で俺の報奨に変化がないし、誰かがアサヒを通じてその報奨を使うとしてもアサヒにそういった繋がりはなかった。俺が知らないだけの可能性もあるけれど、それはあまり無いだろう。あの天然太陽娘が腹黒などとはあんまり考えたくない。

 二つ目としてはアサヒとリゲルの関係を露呈したい人物。これに関しては俺も賛成である。この人物としてはアサヒを前に持っていって俺を蹴落としたいのだろうけれど、残念ながらそうはいかないのである。俺とアサヒは仲いい……仲いいよね? 俺が勝手に思ってるんだけど……。ともかく、それなりの仲である事を知らずに、噂を信じて俺の対抗として押し上げたか。無駄である。俺はアサヒと戦うつもりなど無いのである。むしろ推してる。

 三つ目。俺と思惑が合致している人物。であるが、そんな人物は陛下しかいない。お父様ですら俺の本心は知らないだろう。陛下も俺がスピカ様をちゅっちゅっしたいとは思ってないだろうけど。なのでこれも除外である。

 

 

 馬車に乗り込んで、アマリナが対面に座る。カタカタと揺れながら走り出した景色を見ながら口を開く。

 

「それで、こちらを調べている人物は掴めたのかしら?」

 

 王都に到着して、叙任式の打ち合わせの最中に裏で動かれる事は面倒極まりなかったけれど、ゲイルディアとして王都に来れば毎回の事なのでいい加減に慣れている。

 それでも叙任式の邪魔などを考えれば早期に調べるしかなく、アマリナには無理をさせてしまった。

 

「はい。随分と杜撰でしたので」

「あら、珍しい事もあるのね。誰かしら?」

「レーゲン様でございます」

「……へぇ」

 

 レーゲン・シュタールが。なんとも柄に無いことをするものだ。あの脳筋そんな事も出来たんですねェ……。

 あのレーゲンが個人として俺を調べるとは思えないから、リゲルからの命令かな? 気付かれるにしては早かったな。やっぱりオーク討伐で動いちゃったのが問題だったのだろう。陛下から許可を貰っていてよかった。

 レーゲンを選んだ事はいい事だろう。彼が脳筋であろうがなかろうが、騎士家系という事もあり横の繋がりも多く情報が集まりやすい。いや、リゲルとしてはレーゲンしか手が無かったのかな。

 ニヤニヤしている俺をジッと見るアマリナに気付いてコホンと一つ咳払いをする。

 

「まだ何かあるのかしら?」

「いえ。それにしてもよかったのですか? 情報を幾つか渡して」

「必要な事よ」

 

 それを有用に使えるかは、リゲルの力量に依るけれど。今渡している情報だけでも俺の立ち位置に行き着く事は可能だろう。それでも情報は足りないから、もう暫くは情報を小出しにしていくべきだろう。

 さて、彼はいつ俺の事に気付くだろう。卒業までに気付いてくれれば、嬉しいけれど。

 

 

 

 城に到着した俺を待ち受けていたのは祝辞の嵐であった。ものの見事に普段は俺に近付きもしない奴らが俺へと寄ってくるのである。歯が浮くような言葉と一緒に空々しい見え透いたお世辞が並べられて陳列されれば疲労を感じてしまうのも仕方のない事だろう。尤も、表情には出さないけれど。

 これでもゲイルディア家という家名のお陰で表情筋は鍛えられているのだ。お前ら、俺の事を綺麗だのなんだの言ってるけど、向こうにいるお嬢様達の方が綺麗だからな? もっとちゃんと見ろ?

 頭の中でヤバそうな誘いをしてきた馬鹿達をリストに上げていく。裏取りして、何かありそうならお父様に報告しておくべきだろう。またお父様が悪巧みしていると思われるけれどソレは世の常なので気にしない事にする。あの悪役は悪い事を考えているのだ。間違いないね。

 

「これは、ディーナ嬢。いえ、ゲイルディア卿と言った方がよろしいか?」

「イワル公爵。騎士号を得ても、私は未だに若輩ですので……」

「ハッハッハッ、オークを単独で撃破した者にしては謙虚なお方だ。ではディーナ嬢、改めておめでとうございます」

「ありがとうございます」

 

 ひょろ長い体と糸目。人懐っこい笑みを浮かべるイワル公爵。軍事国家たるシルベスタには珍しい文官気質の人物……だった筈。あまりこうした舞踏会には出ていなかったから詳しくはわからない。

 陛下のお気に入り、というには少し語弊があるけれど国になくてはならない存在である事は間違いなく、現在の俺の地位で言っても、お父様の地位としても歯向かえば面倒な相手である事は間違いない。当たり障りのない笑顔を浮かべておく事に間違いはないであろう。

 

「しかし、殿下も果報者ですな。ディーナ嬢のような美しく強い女性が婚約者とは」

「……私など、ありふれた娘でしかありませんわ」

「おや、謙遜も行き過ぎれば嫌味に聞こえますな」

「そんなつもりはありませんわ。それに――」

「それに?」

「いえ、なんでもありませんわ。少し疲れたので涼んで来ますわ。失礼いたします」

 

 続く言葉は、ありふれているだろうアサヒにリゲルを取られてしまったのだから、婚約者としては二流であろう。そんな皮肉は今は言う必要はないし、これから先も無いだろう。

 二流であろうと、リゲルもアサヒも守れるし、何も問題はない。それにスピカ様も愛でれるし、アサヒとも仲良くできる。むしろ良しなのでは?

 

 バルコニーへと逃げて一つだけ息を吐き出す。頭の中のリストに書き込まれた数人を思い出し、危険度別に分けていく。取り留めのない馬鹿達はどうでもいいとして、問題はイワル公爵である。政治関係に強く出る事が出来る彼がどうして俺なんかに声を掛けたのだろうか? たぶん、ゲイルディアへの釘刺しが目的だろうか。別に悪いことはしていないというのに。

 表立って政敵という訳ではないけれど、彼と繋がっている貴族達の幾つかはゲイルディアに対して悪感情を抱いた筈だ。それを言い始めればイワル公爵の繋がりが多すぎるのも問題なのだけれど。

 

「アマリナ、冷たい飲み物を持ってきてくれるかしら?」

「承りました。お嬢様」

 

 誰もいないバルコニーからアマリナの声が響き、トプンッと影が波打つ。メイドという立場である彼女に舞踏会を楽しめ、というのは酷な話ではあるけれどそこまで俺を監視しなくてもいいと思う。俺は不発弾か何かなのか? ほっとくと爆発するように見えてるのか? 見えてるんだろうなぁ……。辛い。

 それでも不発弾なりにその存在が危険であるとわからせる必要もある。撤去されるのは御免被りたいけれど。

 

「それで、リゲル様も私に祝辞を言いに来たのかしら?」

「……気付いていたか」

「ええ。うんざりする程聞いた祝辞よりもリゲル様の視線の方が気になりますわ」

 

 カーテンの影から出てきたリゲルに笑い掛ける。

 だってさー、リゲルが会場に来てからずっと俺の方を見てるんだぜ? 気付かない方が無理がある。尤も、俺に話しかけるのは躊躇していたので祝辞で無い事はわかっているのだけれど。

 ありふれた祝辞を言うなら会場でも構わないし、俺がこうして一人になるのを待たなくてもよかった。

 

「何を悩んでいますの?」

 

 悩んでいる、と言うべきか俺に掛ける言葉が見つからないのか。どちらにせよ、彼は悩んでいる。これでもそこそこ長い付き合いであるし、彼が悩んでいる表情なんてどれだけ隠してもわかる。その中身はわからないけれど。

 悩む理由、俺に対して言葉を選んでいるという事はアサヒの事だろうか? それなりに負い目は感じてくれているようだけれど、俺としてはむしろ仲良くしてほしい。そんな俺の気持ちは隠すのだけれど。

 それとも、俺がリゲルに隠れて動いていた事に行き着いたのだろうか? もしも、そうであるならば少ない情報で行き着いた事を褒めるべきだろう。もしくは探りを入れに来たか。

 ふわりと、冷たい夜風が髪を揺らした。彼が口を開いてくれるまで、もう少しだけ待とう。

 

「……ディーナ、約束は覚えているか?」

「当たり前ですわ」

「そうか」

 

 幼い時にした約束は俺の誓いである。それはいつの間にか変質してしまっているけれど、俺の中に確かに根付いた誓いに他ならない。だからこそ、忘れる訳がない。

 俺が一方的に結んだ約束が今この場に何の意味があるのかはわからない。他者の思考を読むなんて芸当はできないから、彼の言葉から推察するしかないのだけれど判断材料は少ないな。

 

「お前は……お前が裏で動いていた事は事実か?」

「どういう事かしら?」

「お前の事を少しだけ調べさせた」

「あら。言ってくれれば私の事なんて教えて差し上げたのに」

「惚けないでくれ、ディーナ」

 

 真摯に俺を見つめる彼はどこか泣きそうで、揶揄(からか)うには少しだけ申し訳なく感じてしまう。

 クスクスと笑いながら考える。

 俺が裏で動いていた事。与えた事実。他から集めた情報。それら全てを加味して、半信半疑か六割程俺の事を信じてくれているのだろう。だからこそ、約束の話を持ち出したのか。

 それでも四割の疑いがあったからこそ、慎重に探りを入れに来たのだろう。慎重、というにはお粗末だけれどそれは追々に教えていけばいい。

 及第点。とリゲルを評価できるほど俺自身に力はないけれど、それでも情報に関しては俺に一日の長がある。

 それにしてもやっぱりオークの討伐で動きすぎたのが問題だったか。体が勝手に動いちゃったから後悔も反省もしてない。これを言うとシャリィ先生とアマリナに怒られるから口にはしないけれど。

 

「誰かに聞いたのかしら? それとも自分で気付いたのかしら?」

「答えてくれ、ディーナ」

「ええ、それは事実よ」

 

 俺は微笑んで答えた。事実は事実である。彼の推理が正しいと俺は答えなくてはいけない。ここではぐらかして変に拗れるのも問題であるし。それなら全てを彼に伝えた方がいいだろう。

 これで俺が表立って彼を脅威から守る事もできるし、何より彼の無茶を止める事ができる。今まで助言しか与えられなかったけれど、忠告と警告を出せるのだ。

 

「何故、あんな事を……」

「何故? 全て貴方の為ですわ。そうでなければ必要もありませんもの」

「アサヒの事も……、そうなのか?」

「あら、そんな事まで調べられていたなんて。だって、彼女。簡単にリゲル様に近づいたでしょう?」

 

 だから身辺調査も仕方ない事である。結果だけ言えばまったくの無害だったけど。

 それにしてもアサヒの身辺調査まで調べられていたのか。俺の情報収集能力はやっぱりまだまだである。網はある程度広げたつもりだったけれど、隙間が空いていれば価値が無い。

 

「お前が、アサヒを虐げていた原因なのだな……ッ」

「――なにを」

 

 息を飲み込んだ。自分の中で緩んでいた空気が一気に冷たいモノになる。どうして、何故リゲルは俺に敵愾心を視線に込めて向けている? なぜ、どうして。

 

「惚けるな! 俺の為だと!?」

「待って、待って下さい! それは誤解ですわ!」

「黙れッ!」

 

 なんで、どうして……。いや、そんな事を考えるのは後でいいことだ。今は否定をしなくてはいけない。

 とりあえずリゲルを落ち着けて、なんとか話を聞いてもらえる状態にしなくてはいけない。ああ、もう、どういう事だ。落ち着け、落ち着け。頭を回転させろ。

 

「リゲル様、少し落ち着いて下さい」

「落ち着け? 落ち着いてなどッ、()()は自分が何をしたかをわかっているのか!?」

「私は――」

「リゲル……? それにディーナさんも……何か、あったの?」

「アサヒ! ディーナに近付くな!」

 

 なんてタイミングの悪い! どうしてこのタイミングでアサヒが来た! 誰かが呼んだ!? 何故!? 仕組まれていた!? どうして!? なんで――いや、俺が混乱してどうする。頭を落ち着けろ。冷静になれ、ディーナ・ゲイルディア。お前が思考を乱してどうする。

 考えろ。考えるしかないのだ。

 状況は最悪だ。アサヒを守るリゲルも、リゲルに守られているアサヒも。そして追い詰められている俺も。何もかもが最悪である。どうしてこんな事になったのかが理解できない。いいや、原因の究明など事が終わってからいくらでも出来る。今はこの場を脱しなくてはいけない。どうやって?

 リゲルは既に俺に疑いを持っている。俺が何を言った所で彼は俺を否定するだろう。それが真実であろうと、そんな事はどうでもいい。意味がない。彼を納得させる材料にはなりはしない。

 王命であった事を告げるのも、また悪手だ。それは俺がした事への弁明に成り得ない。さらには陛下とリゲルの関係に罅が入る可能性もある。

 

 リゲルに隠されたアサヒの視線がぶつかる。疑い、であるけれど否定の色が強い。けれど、だからこそ、この時点で俺を信じればリゲルとアサヒとの関係にも溝ができるかもしれない。

 否定すれば、きっと頭お花畑のアサヒは俺を信じてくれるだろう。けれど、既に遅い。今この場でアサヒを味方に着ければ、アサヒの立場が弱くなってしまう。それは何の解決にすらなっていない。

 最初からこの場にアサヒがいたのならば、変わったのかもしれない。けれど、この場には居なかったのだ。

 

 

 俺は、詰んでいる。

 どの手を打った所で何かしらの悪影響があり、それは後々まで響いてしまう。

 信じられなかった。信じられてなどいなかった。

 呼吸が詰まりそうになる。空を向いて無理やり空気を通す。熱くなる目頭も、見せてはいけない。顔を両手で覆い隠す。

 何が、どこを間違えた。答えをくれる存在などいない。最初からわかっていた事である。この世界に神様などいないのだ。

 だからこそ、俺は考えなくてはいけない。自身で選択をしなくてはいけない。

 

「くふ、ふふははははははははははははははははははッ!」

 

 両手の隙間から嗤いが溢れた。瞳が熱い。鼻の奥がツンとする。それでも、それでも全てを無視しなくてはいけない。

 俺はリゲルの婚約者であり、ディーナ・ゲイルディアであり、この国の未来を考えなくてはいけない。だからこそ、貴族として、ゲイルディアとして、私は選択しなくてはいけない。

 自身の弟であるアレクに下した判断の様に、非情に成りきらなくてはいけない。

 その結果が何を示すか、わかっていても。

 

「ああ、もう少しだったのに。もう少しでそこの小娘を貶めれたのに」

「ディーナさん……本当、なの?」

「喋らないでくださる? 貴女が悪いのよ。リゲル様に近付くから、全部狂ってしまいましたわ」

 

 アサヒが無駄な事を喋らないように睨んで封殺する。これ以上、拗れた場合の方が面倒に違いない事はわかっている。だからこそ、少しだけ黙っていてほしい。

 視線をアサヒからリゲルへと向ければ、俺を睨んでいる。そんな表情も出来たんだな。

 

「アサヒを虐げた理由は……俺の婚約者になった理由は地位か」

「さあ? 私の目的なんて、もうリゲル様には関係のない事でしょう?」

「……そうだな」

 

 それは最早意味のない問いである。偽りであっても、既に彼には関係のない事でしかない。だからこそ、迷わせる必要はない。

 既に詰んだ盤面である。それを考えうる最善で終着させる必要だけがある。それだけなのだ。

 

「それで、私をどうするのかしら? 貴方に出来る事は、精々婚約の解消でしょうけれど」

「……」

「ああ、それとも針千本でも飲み込みましょうか?」

「その必要はない」

「あら、残念。少しでも貴方の心を蝕む事ができると思ったのに」

 

 リゲルはやはり俺を睨んでいて、俺はそれから逃れるようにクスクスと笑みを浮かべてみせる。

 

「……ディーナ。お前を愛していたぞ」

「ええ、リゲル様。私も愛していましたわ」

 

 これは本心である。それは恋愛ではないことは確かであるが、俺はリゲルを愛していた。

 それだけだ。それだけが言えればいい。後処理を考えるのも、もう無理だ。表情を作り続ける事も危ういかもしれない。地震でも起こったように足元が揺れる。それでも俺はしっかりとこの場に立っていなくてはいけない。

 掠れて、出そうにない声を無理やり出す。

 

「それでは殿()()。お幸せに」

「ああ、()()()()()()()。二度と俺に顔を見せてくれるな」

 

  息が詰まりそうになる。頭を下げて、揺れる床を真っ直ぐに歩く。背筋も確りと伸ばして、顔には余裕の笑みを浮かべる。まだ公共の場であるから、油断など見せない。

 アサヒの横を通り抜けたけれど、こちらを恐ろしいモノを見るように怖がっていた。申し訳ない気持ちが湧いてきた。もっと上手く出来ていたならば、と考えてしまう。

 きっと。

 それでも。

 どうして。なんで。どうして……。

 引き攣る喉に無理やり力を入れて呼吸を正す。歯を食いしばり、溢れ出そうになる感情を抑え込む。

 

「お嬢様」

 

 ようやく、俺の後ろに居たらしいアマリナに気がついた。心配そうに俺の顔を見るアマリナであるけれど、それでも俺は気を緩めない。きっと緩めてしまえば止めどなく溢れてしまう事が容易にわかってしまう。

 

「アマリナ。私は、上手く笑えていたかしら?」

「……はい。馬車の準備を急がせます。陛下にはメイド伝いで伝えておきます」

「ありがとう。……なぁ、アマリナ」

「はい、ディーナ様」

「俺はどこで間違えたんだろうな」

 

 もはや瞳から流れ出てきた熱い液体を止める事は出来なかった。それを隠すように俺を抱きしめたアマリナに俺は縋り付くしかなかった。

 

 俺は、この日。この人生においての全てを失った。



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30.褐色女中は溺れさせたい!

描写的に危なければ適当に編集致しますので、ヨロシクオネガイシマス。
このぐらいヘーキでしょ。たぶん。


 意識は常に残っていたつもりであったけれど、今が何時かはわからない。カーテンも閉めて暗闇になっている部屋の中では日付も太陽という概念もあまりない。

 誰も自分を見ないように包まった布の中は存外心地よかった。いいや、自己嫌悪で死んでしまいそうになるぐらいには心地よくなどはなかった。

 

 

 

 生きる意味を探していた。

 それは人を助けるだとか漠然とした物でもよかった。神様に好かれてしまうなんてオカルト的な事でもよかった。魔王を倒すという明確な目的があってもよかった。

 単純に生きている理由が俺には元々無かった。生き方がわからなかったと言ってもいい。

 ただ生きているだけなのだ。呼吸をして、人間としての最低限の生活をして、ただ生きているだけなのだ。

 それでも何かをする為に知識は蓄えた。人の為に尽くした。世界の為に尽くした。

 けれど俺が生きている理由なんて物はどこにもなかった。

 代わりに死ぬ理由も、また無かった。

 だから、自分の為に死ぬ事はしなかった。それが罰か報奨かは俺にはわからない事だったけれど、あの無間に続く虚無を抜け出す事などできなかった。それだけの事を自分は許されてなどいなかった。

 

 この世界にやってきた俺にはすべき事が沢山あった。

 それは貴族としての義務であったり、責務であったり。少なくとも元の世界の俺には無かったモノだ。その中で自身の褒美として奴隷を二人購入した。貴族としての責務などよりも以前の記憶で黒いモノを知っていたから、自分の意思で動かせる、自分に忠実な手がどうしても欲しかった。

 貴族としての責務が増える事は苦ではなかった。増えると同時に生きている理由に繋がったのだから、苦に思う必要性など一切無い。

 

 その中で、俺はアイツと出会った。シルベスタ王国第二王子、リゲル・シルベスタと。

 可愛い男の子だと思った。男性に性愛を見ない俺であったけれど、私はそれなりに好みであると感じた。それでも彼に恋愛は出来ないと心のどこかで確信はしていた。

 だからこそ、俺が彼に立てたのは身勝手に彼を否定しない誓いであった。彼を守る為の誓いであった。彼に人生を捧げる誓いであった。

 リゲルという存在こそ、ディーナ・ゲイルディアの生きがいだと判断を下した。

 それは貴族としての責務もそうであったし、ただ単純に守りたいと思ったのも事実だ。だからこそ彼の子を生む事に対して不快感を覚える意味も見出だせなかった。

 生きる理由を見つけた。だから死ぬ理由から逃げれたとも思えた。生き方をようやく見つける事が出来た。

 

 だから、彼に尽くした。裏側から彼を守る事に徹したし、ソレに彼が気付いて矜持が傷つかないように細心の注意を払い行動した。それを愛と呼ぶのならば、そうであろう。

 俺は彼を愛した。けれど彼からの愛を受け取る資格など俺にはなかった。

 だからこそ、アサヒとリゲルが愛し合う事に俺は異を唱える事など無かった。俺としても、私としても、捧げた愛を受け取ってもらえるだけで生きる意味を見出していたのだから、少しばかりこちらに気を向けてくれるだけでよかったのだ。

 俺はリゲルを愛していたのだろうか? いいや、それを愛と呼ぶには歪すぎる。人は空気を愛する事はない。だから生きる理由としてリゲルとの関係を続けていた俺はソレを愛などとは呼べない。

 

 生きている理由を求めていた。異世界に転生してもそれは何も変わりはしない。

 俺は私であったが、同時に私は俺でもあった。異能(チート)など価値がない。生き方(チャート)こそ、俺には必要であったのだ。

 

 

 

 けれども、それは消失した。

 ふわりと、俺の前から消えてなくなった。

 あの時の選択に後悔は無い。そうしなければリゲルとの関係も崩れてしまっただろうし、リゲルが悲しんでしまうのは俺の生き方に背いた。それにアサヒとリゲルの関係も崩れてしまう可能性もあった。

 後悔はしていない。

 

 あの時――、いいや、それより以前からだ。俺はどこかで間違えてしまったのだろう。

 何を間違えたのかはわからない。自分の中の選択としては常に最善ではなくても最悪ではない選択をし続けた。それのどこかが悪かったのだろう。わからない。そんなもの俺に分かるわけがない。

 どうすればいい。俺はこれからどう生きればいい。

 生きて、生きるべきなのだろうか?

 生き方すらもわからずに、貴族としての責務もゲイルディア家の名に傷をつけてしまった。生きる意味はあるのだろうか?

 私が生きている理由など、ありはしない。

 生まれながら、自身の事を悪役令嬢などと銘打ってみせたが言い得て妙である。けれどもそうならないように努力はした。した筈だった。けれども結果はどうだ。全て意味など無かったではないか。

 生きる為の目的も、その為の努力も、その為の知恵も、全てが無駄だったのだ。

 もしも生き方(チャート)があるとするのならば、その銘が『悪役令嬢』であったならば、俺は死んだ方がいいだろう。生きている理由もないのだから、死ぬ方がリゲルの為になる。

 どうしてリゲルの為になる事を考えてしまうのだろう。もう俺は必要ではないのに。

 どうして。どうして。どうして。

 

 けれども自害すればリゲルは悲しむだろう。アレでいて人をよく見ているし、相応の信用はあるつもりであった。いやどうだろう。もう無いのだろうか。

 それでもリゲルはきっと……たぶん。少しだけでも悲しんでしまう。

 だから俺はスグには死ねない。リゲルに忘れられた頃に、ひっそりと死ぬべきだ。

 けれど、リゲルが忘れているのならば、死ぬ必要もなく、それでいて死ぬ意味すらなくなってしまう。

 

 ならば死ぬ事は誰の為なのだ?

 結果も出せずに、こうして無間の虚無を歩く自身の褒美だろうか?

 

「ディーナ様」

 

 鼓膜を揺らしたのはお付きのメイドの声であった。

 よく聞く声だからこそ、顔も姿も見なくても誰かはわかる。俺が買った褐色のメイドだ。

 扉の開く音、閉まる音が嫌に大きく響いた気がした。彼女が歩く音が近付く。布越しに蝋燭の薄ぼんやりとした光が瞳に当たる。

 彼女の影が布に当たる。目の前でしゃがまれて、頭に引っかかっていた布が緩やかに捲られる。

 

「また、泣いてらしたのですね」

 

 泣いてはいない。と言いたかった。それでも勝手に私の瞳は水を流すし、止める術を俺は知らなかった。俺の時は無間だったモノが、たった一拍だけ希望を見せられて崩れ落ちた。何もかもが、耐えられなくなった。

 苦しい。死にたい。生きたい。死にたくない。生きたくなどない。辛い。

 無限に続く祈りを神は聞いてなどくれない。俺に生き方を与えてはくれない事など、最初からわかっていた事だというのに。

 

「立てますか? そこは冷えます」

 

 冷えるからなんだと言うのだろうか。もう既に生きている価値など無い俺が生きる為の努力をする意味もない。

 開いた両の瞳がアマリナを捉えて、また涙が溢れてくる。どうしようもなく、苦しい。嗚咽にすらならない声が溢れそうになる。

 泣きそうな私の顔に柔らかいモノが当たる。布のザラつきとよく知る香りに包まれる。

 鼓膜を一定の間隔で揺らす鼓動。髪が指で梳かされる。

 抱きしめられていた。強く、強く。まるでそこに在る事を証明するように。

 

「ディーナ様……」

 

 よく聞くアマリナの声が頭上から響いた。熱の籠もる吐息が頭に当たる。

 抱きしめる力が緩んで、鼓動が離れる。頬を撫でた手が緩やかに私の顔を上を向かせる。

 瞼に降りてきた唇に抵抗など出来なかった。私がまだ生きている事を証明してくれた。耳を軽く甘噛されぬるりと熱い舌で舐められる。こそばゆい感触に身が縮こまってしまう。

 首筋を強く吸われて、ゾクゾクとした感覚が体を支配していく。

 

「ぁッ」

 

 自身の口から自分のモノではないような甘い声が出てきてしまう。無理やり声を飲み込もうと口を噤めばそれを否定するようにアマリナの唇が当てられる。

 一度目は軽く。二度目は唇を食むように、緩んだ唇に舌が入れられる。

 舌が絡め取られ、吸われ、嬲られる。

 甘い蹂躙が一頻り終わればアマリナの顔が離れて、酸素を求める為に呼吸が少しだけ荒くなる。

 

「そこは冷えます。ベッドに行きましょう。ディーナ様」

 

 取られた手にキスをされて、彼女が私を立たせる。

 数時間ぶりに立ち上がり、力の入らない私を抱きとめた彼女は微笑んで優しくベッドへと導いてベッドを軋ませる。

 私の上に覆いかぶさったアマリナは右瞼にキスをして瞳を閉じさせる。

 

「貴女が死にたいのは、わかります。けれど、私の為に生きていてください」

 

 どうしようもなく泣きそうな少女が私の目の前に居た。

 慈悲のように与えられた生きる目的はきっと間違っている。けれど、今の私はそれに縋り付くしか選択肢が無い。

 私は抵抗をせずに、彼女を受け入れた。私が生きる為に。死ねない私の為に。醜悪な私を誤魔化す為に。そんな私を生かそうと願う彼女の為に。

 

 

 

 

 

 

 

「ディーナの様子はどうだ?」

「ご自室で眠っておられます」

「……そうか」

 

 クラウス・ゲイルディアは厳しい顔に刻まれた眉間のシワを更に深くして息を吐き出した。その表情に変化はあまり見えないが、言葉からは確かに心配が滲み出ている。

 自身の娘に巻き起こったこと。その全てを彼は知っている。それは娘本人から直接告げられたからであるし、そして彼自身がある程度調べているからだろう。真実を手繰り寄せることは出来ずとも、どういった事態であるかは安々と理解したであろう。

 罪を告白をするように、罰を欲するように、けれども淡々と事実だけを告げた娘は事態が起こって二日程自分の部屋の中へと籠もり、他者からの接触を拒んだ。それは父である彼からもであるし、母であるイザベラからも、である。メイドも、誰も彼もの接触を拒んだ。最低限すらない。

 

「ディーナを頼む、()()()()

「お任せ下さい。旦那様」

「俺は暫く王都に滞在する。殿下の考えも伺わなければならん」

 

 普段はその表情を変化させない男であるが、今は珍しく表情が少しは理解することが出来た。怒り、憤り、只管に強い感情が表情と拳に現れ、それを霧散させるように深く息を吐き出して頭を抱えた。

 この男が私を頼る時は無かった。それこそ、今の今まで名前など呼ばれたことも無かった。それは私が奴隷という立場であるからであるし、何よりベリル人である事も起因しているのだから当然と言えば当然である。それでも今は頼るしかなく、その事に関して私が彼を下に見る事はない。ただ当然の選択を当然にしただけなのだから。

 

 

 

 リゲル殿下が何を考えていたかなどわかりはしない。そこに何か陰謀が蠢いた結果としてあの事態になったのかもしれない。

 私にとって、それはどうでもいい事である。

 ゲイルディア家がどうなろうが、この国がどうなろうが、この世界がどうなろうが。

 どうでもいい。

 

 あの弱い主が生きていれば、それだけでいい。

 他に何が必要だと言うのだろうか。

 あの細い躰に支えられる責任など、全て消えればいい。

 あの優しい心を蝕む苦痛など、全て消えてしまえばいい。

 

 主がそう願うのならば。あの人がそう思うのならば。彼女がそう言うのであれば。

 私があの男を殺してみせよう。

 けれど彼女はそれを願わない。あの人はそう言う訳もない。主はそう思いはしない。

 

 だから、今暫くはご主人様を愛してあげよう。

 愛を与えるのには慣れているのに、与えられる事は不慣れな不器用な主の為に。

 私は少しだけ感情を表に出そう。隠そうと思っていた感情を少しだけ貴女に返そう。

 

 返しきれない愛を、貴女に。



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31.第二王子は欺きたい!

 手加減の中にも鋭さを保ったその剣筋を目で追いながら剣で受け止める。力負けしないようにリゲルは両足で地面を踏みしめて剣を弾きレーゲンの瞳を見て、次の攻撃を予測する。

 けれどレーゲンの瞳にはリゲルは映っておらず、どこか遠くを見ている。その事に気付いたリゲルは荒くなった息を深く空気を吸い込む事で無理やり正した。

 ようやく聞こえてきた複数の足音にリゲルは振り向いた。

 

「お兄様! どういう事か説明してください!」

 

 今にも殴られそうなほどの迫力であった。自身の妹が暴力的ではない事を重々に理解した上で、そう感じてしまったリゲルであるが表情に焦りは無い。

 

「何の事だ? お前の菓子をとった事は昔に精算しただろう」

「お姉様の事です! それもお姉様が取り持った事でしょう! いつの話をしているんですか!」

 

 リゲルの手がピクリと動く。今は聞きたくもない名前であった。感情を抑え込むように、誰にも悟られないように溜め息に隠蔽して気持ちを落ち着ける。

 

「スピカには関係の無い事だ」

「かんけッ……確かにそうですが! それでもお姉様との婚約破棄だなんて馬鹿げてます!」

「俺が決めた事だ。ゲイルディア嬢も納得した。それでこの話は終わりだ」

 

 スッパリとスピカの怒りを受け付けないように、話すらも切って捨てたリゲルは剣を鞘へと収める。

 スピカは怒りを露わにしながら内心で舌打ちをした。思い描いた未来を全て崩されたのだ。ディーナの事を知りたいが故に自身に就いているメイド達から沢山の噂話を聞いたのだ。だからこそ、ディーナのしていた事はわかる。悪辣な手を用いて自身の利益になるように動いていた事は知っている。

 けれど、()()()()()()()()()()()()()()()()。それは情に基づいて導かれた結論かもしれない。しかし、ディーナという人間を知る自身だからこそ、兄妹だからこそわかっている筈だ。

 自身の兄はその結論に行き着かなかった。それだけの話である。それだけの話だからこそ、怒らずしてどうする。奥歯を食いしばり、小さな拳を握りしめる。感情が体を動かす。理論では理解している事を、本能が誤魔化す。

 

 振りかぶり、足を進めて勢いをつけながら拳は振るわれる。

 スピカ自身、剣術などの武術を修めている訳ではない。蝶よ花よと育てられている自覚はある。そんな中であろうとディーナと過ごしている時は沢山の事を聞いた。認められたい、褒められたいという欲求に従って勉学にも励んだ。同時に剣を握ろうとすればディーナ自身は困ったような顔をして咎めるのだ。

 沢山の事を学んだ。足りない部分がわかる程に学んだ。

 だからこそ、目の前の結果は見えていた。

 容易く片手で止められた拳などわかっていた事であるというのに、悔しくて仕方がない。

 同時に、目の前の光景が()()()()()()()()。受け止めた手を見ながら、息を飲み込んだ。

 

「何をする、スピカ」

 

 乾いた音すらしなかった手を払い除け、リゲルは目の前で体勢を少しだけ崩したスピカを見下す。

 そんなリゲルへと憎々しい感情の篭もった視線をぶつけ、スピカは感情を落ち着けるようにして瞼を閉じる。

 一呼吸を置いて、表面上に怒りは収まった。心の奥底は煮えくり返りそうな感情があるが、それに蓋をした。

 

「別に。ただお兄様を殴って差し上げたかっただけです」

 

 気持ちのいい笑顔を浮かべながらスピカは防がれてしまった右拳を撫でる。リゲルは「そうか」と短く呟きを漏らす。

 

「では、私の気は済みましたので、剣術の稽古を続けて下さいな。オークを倒せるようになればいいですね!」

 

 イーッと歯を見せて嫌味を残したスピカは踵を返して珍しく気品の欠片もなくリゲル達から離れていく。

 そんな妹を見ながら盛大に溜め息を吐き出したリゲルを労るようにレーゲンがリゲルへと近寄る。

 

「大変だな、お兄様」

「茶化すな」

「ハハッ、それでどうすんだ? オークを倒せるようになるまで訓練するか?」

「……いや、父上に呼ばれているらしい」

 

 二人の視線の先に一人のメイドが立っており、距離がありながらも二人が気付いた事に察したのか頭を下げている。王に着くメイドの一人だというのは遠目でも確認はできた。

 

「こりゃぁ、ご愁傷さま」

「……ああ」

 

 肩を竦めて友を労ってみせたレーベンに対してリゲルはまったくだと言わんばかりの溜め息を吐き出して足を進め始める。

 

「いい酒を準備して待ってるぞ」

「いや、今日は飲まない」

「今日も、の間違いだろ」

「……そうだな」

 

 友人の軽口に口元に笑みを浮かべ、離れていく友人を見送ったリゲルは小さく溜め息を漏らし、スッと表情が消える。それも一瞬の事でスグに表情は柔らかい物に変化したけれど、どうにも不格好であった。そんな不格好で微妙な表情をメイドに見られている事に気付いたリゲルは力無く表情を崩し、困ったように笑う。

 

「父上はどこにいる?」

「ご案内致します、殿下」

「そうか。では案内を頼む」

 

 恭しく頭を下げたメイドは踵を返して歩き、リゲルはその背を追うように歩幅を合わせて歩く。

 父上――陛下の話、というのは自身の婚姻の話であろう。その事は容易に考えついた。アサヒの事、ディーナの事、自身の事、それらを考えればどれだけ喋れるかはわからない。その弁解とも言える説明がどれだけ取り合ってくれるのか、わからない。

 自身の無理を通した自覚はある。父がどれほどの事を把握しているかはわからないけれど、それでもリゲルはこの話ばかりは自身を曲げるつもりはなかった。

 

 

 

 考えに耽ていれば到着した扉にリゲルは一つだけ深呼吸をする。思考を正す。

 

「父上、リゲルです」

「入れ」

 

 扉を前にして声を掛ければ中から入室の許可が発せられて、扉を開く。部屋は重い空気が張り詰め、厳しい顔をした灰銀の偉丈夫と自身の父である王が椅子に腰掛けていた。

 厳しい男は鋭い瞳でリゲルを睨めつけ自身の感情を隠すように瞼を落とした。

 

「座れ。何故呼ばれたかはわかるな?」

「……俺の婚約の事でしょう」

 

 知っていた質問に対して用意していたように応えたリゲルは椅子に座る。ちらりと視線だけでクラウス・ゲイルディアを見てから父へと視線を合わせる。

 

「そうだ。アサヒ・ベーレントとの婚約は認めよう」

「……本当ですか?」

 

 リゲルは表情に出てしまう程驚いた。まさか認められるなどとは思っていなかった。頭の中で考えていた弁明の類の半分は意味が無くなってしまった。

 呆気に取られるリゲルを睨みながらシリウス王は口を開く。

 

「アレを側室に迎えれば済んだ話だが、何故ディーナ嬢との婚約を切った」

「……彼女のした事を考えれば妥当ではありませんか」

「娘が何をしたという……!」

「ゲイルディア卿。彼女は自身の立場を用いて人を陥れたのです。地位を手に入れればどうなるかなど、想像に難くない」

 

 事実を口にするリゲルに対してクラウスは歯を食いしばる。

 そんな物は虚偽だと口にしたかった。娘がどれほど彼に尽くしていたか、相手には全くわからない事である。けれど、少なからず事実でもある。

 この時点で、ディーナがリゲルを守っていた事を伝えるのは容易い。更に言えば真実を伝える事も容易い事である。そんな事はディーナにもわかっていた筈なのに、そうはしなかった。あの合理的な娘がその行動をしなかったというのは、()()()()()()()と計算したからに違いない。

 だからこそ、言えはしない。その権利はクラウスにも無い。娘の矜持を踏み躙る行為など、出来よう筈がない。

 

「ゲイルディア卿。彼女を俺の前に出さないで頂きたい。出来ることならば、王都へ近付く事すらないようにして頂きたい。……魔女と交友を持っているなどと、要らぬ噂が立つ前に」

「――貴様ッ!」

 

 頭に血が昇った。娘の矜持も、努力も、何もかもが踏み躙られた。どれほど汚名を被ろうが気にしなかった娘が泣いていたのだ。この男の為に。

 けれどその全ては否定された。拒絶された。怒りが、感情を支配する。

 振り上げた右拳が正確にリゲルの頬へと入り、その勢いでリゲルは椅子から転げ落ちる。荒く息を吐き出して、目の前のリゲルを憎々しい瞳で睨むクラウスは強く握った拳を震わせて、どうにか自身の怒りを飼いならす。

 殴られ床へと転がったリゲルは鉄の味がする唾を飲み込み、口の端を手で拭う。赤が手の甲で引き伸ばされ、それをチラリと見てからクラウスへと視線を戻す。

 

「落ち着け、クラウス。リゲルも下がれ。話はここまでだ」

 

 一触即発の空気を切り上げたシリウス王の声は嫌によく通った。シリウスの鋭い視線の先でリゲルは少しだけ揺らぐ体をどうにか立ち上げて、頭を下げて部屋から退出した。

 扉をしっかりと閉めたリゲルは口の端を指で拭い、赤を握りしめる。

 

「……痛いな」

 

 ボソリとそう呟いてから一度瞼を閉じて、呼吸を一つだけしてからリゲルは廊下を歩く。殴られた頬が外気に晒されて強く熱を感じる。

 

 

 

 部屋へと到着して開けば、待ち草臥れたように友人がソファに座っていた。座っていた、というべきか寝転がっていた。その格好にも慣れてしまったリゲルは息を分かるように吐き出した。

 

「レーゲン。誰かに見られれば咎められるぞ」

「先に無断で殿下の部屋に入ってる事が怒られるから大丈夫だ」

「それは、大丈夫ではないのでは?」

 

 至極真っ当な疑問であったけれどレーゲンは聞く耳を持たずにカラカラと笑う。そんな友人にも慣れてしまったリゲルはそれ以上何かを言うでもなく、既に所定の位置ともなった椅子へと座り、頬を撫でる。

 

「ん? ……殴られたな?」

「……ああ、()()にな」

「なんでだよ。陛下には説明をしたんだろう?」

「まあ、な。しかし半ば無理やりな婚約破棄とアサヒとの婚約だ。そのお叱りだ」

 

 甘んじて受けるさ、と追加するように言ったリゲルは窓から空を見上げた。誰かのように答えが降りてくる訳もない、只々静かな空だけがリゲルの視界へと映り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いたか」

「……申し訳ありません」

「いや、お前が殴ってなければ俺が殴っていたな」

 

 ケラケラと笑い自身の家臣が仕出かした事を水に流したシリウスと一時であろうと感情に支配されてしまった自身を恥じるクラウスは水を一口飲んで昂ぶった感情を落ち着ける。

 

「それで、どう感じた」

「糸を引いている者がおりますね」

「誰だと思う」

「……正確には掴みかねます。ゲイルディアは敵が多いので」

「しかし、リゲルを巻き込んでいるのだ……最悪は国の乗っ取りか?」

「その頃には陛下は亡くなっておいででしょうな」

「ハッハッハッ、だろうな。その前に突き止めろ」

「御意」

 

 短く、けれど力強く王命を受けとったクラウスは頭を下げる。そのいつもの様子に満足したシリウスは嬉しそうに口を開く。

 

「しかし、リゲルか。思い切りがいいのは認めるが、詰めが甘いな」

「殿下の立場を考えれば、陛下も敵である可能性も見えてしまいますので」

「まあいい。試験紙としてお前に殴らせたのだが」

「……これで不利になれば陛下を恨みますぞ」

「安心しろ。その時はやけ酒にぐらい付き合ってやる」

「陛下が羽目を外したいだけでしょう……」

「おう。宰相のヤツがきつく縛ってくるからな。少しは市井を見ておきたい」

「……手配しておきます」

「頼んだぞ。このままでは死んでしまう」

「はぁ……御意」

 

 次の王命は溜め息を吐き出しながら、呆れたように受け取った。命令を出した方はニコニコとしながら自身の忠臣を見つめる。きっとこの忠臣ならば完璧に自身の命令を熟してくれる事をシリウスは知っている。

 シリウスからの全幅の信頼を向けられている事をクラウスは知っている。だからこそ、シリウスの事は信じる事が出来る。

 

 けれど、市井に出る事だけはしっかりと宰相に伝えておく事を心に誓った。



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32.褐色執事は傅きたい!

 彼女は出来の悪い剣であった。柄と鞘だけは綺羅びやかに装飾された刃毀れのある剣である。

 けれど刃毀れして尚、その剣は美しかった。

 

 初めて会った時の事を忘れてなどいない。綺羅びやかな金色の髪が揺れ、蝋燭の光だけの世界だったというのに、彼女は輝いていた。お伽噺に登場する女神のように。けれど、悪辣に微笑むその顔は正しく悪魔のようであった。

 

 

 彼女はよく優秀だなんて言われていた。剣の腕にしろ、勉学にしろ、魔法にしろ。彼女は全てに置いて秀でていると思われているらしい。彼女に才能などという恵まれた物は無いというのに。あるのは環境と自身だけであった。

 環境、つまるところのゲイルディア侯爵令嬢という立場が才能であるというのならば、彼女に与えられた才能はそれだけなのだ。

 勉学にしても、剣術にしても、魔法にしても。彼女はただ積み上げただけなのだ。何度も失敗を繰り返し、ボロボロになりながら得た結果だけを周りに見せている。たったそれだけだった。

 

 彼女が人間だと思ったのは、初めて剣術で勝った時であった。

 今思えば当然の結果であるが、それまで負け続けていた俺にとってその一勝は極めて大きな意味を持っていた。正直に言えば、勝てるなんて思っていなかったのだ。

 負けた彼女は指導していた師の前では珍しく感情を露わにして俺を睨んでいた。散々に負けていた俺がよく知る感情を彼女もまた持っていた。そんな当たり前の事を知って、ようやく俺は彼女が人間に見えたのだ。

 その次の一戦は彼女が奇襲気味に魔法を使って俺を潰した。気絶する前に見たのは彼女が両手を挙げて喜んでいる姿であったし、次に目を覚まして見たのは彼女の整った顔であった。

 頭を膝に乗せられて休まされていた俺が起きたのに気付いた彼女は大層安堵したような顔で微笑んだ。そしてバツの悪そうな顔になって俺達の訓練で魔法は少しの間禁じ手となったのである。

 

 

 何でも出来ていた悪魔から何かしか出来ない人間になった彼女は実に人間らしかった。彼女自身に変化は何も無いのだけれど、俺から見た彼女は変化し続けた。鋭いと思っていた刃は傷もあった。綺羅びやかな柄や鞘は彼女自身が日頃磨いた結果であると知った。

 彼女はよく笑った。まるで自由だと言わんばかりに彼女は笑って、男のような口調で喋るのだ。気安く、壁など無いように。

 それでも彼女は自由などではなかった。そんな事、彼女も、俺達も、誰しもが知っていた事だ。たった一つの才能であるゲイルディア侯爵令嬢という肩書が彼女を束縛した。

 彼女はその束縛も楽しんでいたように思える。楽しんでいた、というよりは受け入れていたと言うべきなのだろう。少なくとも悲観などはしていなかった。確かにその才能に誇りを持っていた。だからこそ束縛を苦と思っていたとしても、表情には出さなかったし、その才能を存分に活かした。

 

 

 ディーナ・ゲイルディアは、至って普通の女なのだ。ただ才能が在った。立場があった。それだけなのだ。自身を優秀に見せただけの、綺羅びやかな装飾に彩られたハリボテの剣こそがディーナという女だ。

 積み上げた知識も、身を削った努力も、たった一滴の黄金の裏に隠されている行為だ。それを彼女は是としたし、隠れた努力を誇るような事もしなかった。

 彼女は「自身に出来る事は優れた他者が容易く到達出来る地点」であると口にする。それは剣の才能で言えば俺に当て嵌まるし、自身の弟にも当て嵌まる事である。魔法式という学問で言うのならば師と仰ぐシャリィ・オーベの事である。

 だからこそ、彼女はゲイルディア家という立場に誇りを持っていても、ディーナ・ゲイルディアという存在に対しては誇りの欠片も持っていない。なんせ自分の代わりとなる才能はそこらに在るのだから。

 

 

 そんな主であるからこそ、護りたいと感じた。頼ってほしいとも思った。

 その想いは簡単に叶えられた。間違った形ではあったけれど、いとも容易く叶えられた。

 

「よぉ、ヘリオ。奇遇じゃねぇか」

 

 慌てて追いかけた俺の事など知らずに彼女は男性のような口調で俺を迎えた。貴族の子息など入りもしないであろう酒場で極自然に彼女は腰掛けていた。

 その時の俺の脱力具合を彼女は知らないし、その時点では彼女は”彼”に扮していたのだから普段呼ぶような形では呼べもしない。

 ケラケラと笑いながらエールを傾ける彼女を止める術を俺は知らないし、止めた所で彼女は止まるわけもない。苦言は呈したけれど、それだけである。

 

 実の所、彼女が酔っ払う事は沢山あった。前後不覚になるという事はなかったけれど、それでも足取りがやや乱れるぐらいには酒精を取る事はあった。俺に凭れて上機嫌で自身の寮部屋へと戻っていくのを考えれば完全に酔っていたという事も無いのだろう。気を抜いていた、と言えばいいのかもしれない。少なくとも、俺の前では無防備であったのだろう。

 

 望まぬ形ではあったけれど、自身を頼ってくれるのは嬉しかった。嬉しいと同時に、別の感情に気付くことになる。

 変な話だけれど、彼女は女であった。どれほど男装していようが、俺の目には彼女は彼女でしかなく、その認識を改める事など一切出来ない。

 彼女は男に扮する事が病的に上手かった。絡み方や、距離の取り方、口調や仕草も。所作だけは染み付いた作法が少しばかり表に出る事はあったけれど、男装した彼女はまさに男とも言えた。

 上手すぎた男装と俺の認識は見事なまでに俺を狂わせた。

 貴族令嬢である彼女がまるで男の友人のように俺に絡むのだ。肩を組む事もあった。酒を酌み交わす時に彼女が俺の酒を少し貰う事もあった。彼女は楽しそうに酒精を楽しんでいたが、俺は気が気じゃない。

 彼女は、女であった。そんな当たり前の事が問題であったのだ。

 

 昔一緒に眠った時よりも強く香る女の匂い。細い肩。少し筋張った肉の柔らかさ。油に照らされる唇。脳髄を直接揺さぶられるような感覚が俺を持続的に攻め立てた。

 彼女は恩人で、貴族令嬢であり、主であり、親であり、友人であり、姉であり、そして女であった。

 

 俺は彼女を愛していた。叶わぬ想いが確かに俺の胸に秘められた。

 けれど、俺はそれを良しとした。少なくとも、誰かに言う事もなく、誰にもバレる事もなく、今の関係が続く事を願った。ソレ以上進む事を願わなかった。

 俺の感情は、恋愛と呼ばれる感情である事は確かであったが、ソレ以上に俺は彼女に恩を感じていた。だからこそ自分の感情を秘匿する事に違和感も嫌悪感も無い。

 

 

 

 彼女が姿を見せなくなってから七日。誰かに何かが起こっても、陽は昇る。

 日課となった剣術の鍛錬は精が出た。何かをしていなければ頭が他の事を考えてしまう。例えば王族の暗殺方法、だとか。例えば王城への侵入経路、だとか。そんな事をした所で彼女は喜びもしないだろう。分かりきっていることだけれど、それでも無駄を思考してしまう。

 剣を振りながら目の前に現れた黒い髪の男の幻影を消そう(ころそう)として剣を振るうも防がれる。それは見知った顔だ。自身と同じか、それよりも少しだけ力を持った王子付きの騎士。振るう剣は容易く抑えられ、返すように振るわれる剣を防ぐ。その間に黒い髪の男は逃げるだろう。急かされてしまう心で剣が揺れる。

 幻影に斬られた首を撫でれば汗が指を濡らす。

 どうにも勝ち切る事ができない。狙いが別であるのならば、勝てるけれど目標の達成を考えれば負けてしまう。意味のない行為だと理解していても、それでも繰り返してしまう。

 

「ヘリオ!」

「アマリナ?」

 

 一息吐いた所で同じ褐色肌をした妹が俺の名前を呼ぶ。その表情は慌てたような、何かに焦っているような、少なからずいい知らせでは無いだろう。

 

「どうした?」

「ディーナ様が、ディーナ様が」

「……落ち着け。お嬢がどうした?」

 

 この七日間、一番彼女に近かったアマリナがコレほど焦るような内容に最悪を思い浮かべる。いいや、もしも最悪であったならばこの妹ならば一緒に最悪を行っている筈だ。俺がそうするのだから、アマリナもその道を選ぶだろう。

 アマリナが落ち着くまでの少しの時間で最悪を取り払う。

 

「それで、お嬢がどうした?」

「ディーナ様が、その、いなくなって」

「……影は?」

「わからない……。どうしても繋がらなくて……」

「……わかった。アマリナは館の中を頼む。俺は心当たりを探してくる」

 

 お互いに行動を開始する。もしも館の中に居なければ、と考えればある程度の予測があった。

 今のアマリナを動かせば何らかの失敗をするだろう。それでも館の中であるのならば他の女中が手助けをしてくれるし、アマリナも彼女の為に上手く振る舞うだろう。

 厩に行けば予想通りに彼女の愛馬が消えていた。予測を絞り込みながら馬へと乗り、駆ける。最悪の予想が一致していたのならば、まだ男装をして街で酒盛りをしている方が幾分もマシである。

 彼女に何があろうと変化が無かった筈の陽は不安を煽るように分厚い雲に隠れ、

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリオが馬を走らせて到着したのは街から少し離れた森である。幼い時に館から抜け出したディーナに連れてこられた森だ。 移動中に降り出した雨は外套を濡らし、葉にその体を打ち付けて軽い音を響かせる。

 あの時から始まった剣術の鍛錬……とは言い難い木の棒での遊びもヘリオの土台となり、そして黒星の数が増え始めた瞬間でもある。

 森に入って少しすれば芦毛の牝馬が生い茂る草を食みながら耳をピクリと動かした。その牝馬を見てようやくヘリオは安堵する。本当にここに居るなどと確証はなかったのだ。

 幼い時のように彼女の愛馬の隣で馬を降りれば、牝馬は鼻を震わせてから顔をヘリオへと向けて、その顔をさらに森の奥へと向ける。

 方向はよく知っていた。なんせあの時から幾度か訪れて、何度もそこでディーナと時を過ごしたのだから。ヘリオは牝馬を一撫でして、足を進めた。

 幼い時に届かなかった枝が視界の邪魔をして、鬱陶しくヘリオを行く道を阻害する。幼い時は追いつこうとしていた背を求めるのを邪魔するように。

 邪魔になる枝を腕で退けながら暫く歩けば、木々が途切れて視界が開けた。

 

 広い湖がそこにはある。幼い時から変化のない湖があった。

 幼い時の記憶が視界に被り、神にも似た金糸の少女が笑みを浮かべていた。

 幼い記憶は雨で流されて、そこには一人ぼっちの女が濡れながら立っていた。

 

「……ヘリオか」

 

 ディーナは曇天を見上げていた顔をようやく下げて、身体をヘリオへと向けて異色の両目を開いた。

 瞳から流れ続ける水を拭う事もせず、雨と共に流し続ける。

 

「アマリナが心配してましたよ」

「そうか。一人で少し考えたかったけど、言わずに出てきたのは拙かったかな」

 

 小さく息を吐き出したディーナを見ながらヘリオは息を飲み込む。雨に濡れたドレスが彼女の肢体に張り付き、女性らしい肢体を惜しげもなく晒す。その肉体を誇るでもなく、羞恥を覚えるでもなく、ディーナはただ在るがままに立っていた。

 奥底で燻る情欲を抑えつける。これ以上煽られない為に、ヘリオは着ていた厚手の外套を脱いでディーナへと差し出す。

 

「お嬢、身体が冷えますよ」

「お前もだろう。俺は、まあ、もうずぶ濡れだからな」

「それでもだ」

 

 無理に強い語調で差し出した外套をキョトンとしてから苦笑してからディーナは受け取って身に被せる。そこでようやくヘリオはため息にも似た息を吐き出した。

 

「それで、どうして一人で?」

「死ぬ、と思ったか?」

 

 ゾクリとヘリオの背筋が凍りつく。自身の思案を当てられた事もそうであるし、それを否定しないディーナにも驚いた。自身の予想が当たっていた、と言われた気がした。

 

「それでもよかったんだがな」

 

 自嘲するように漏れ出た言葉にヘリオは反応すら出来なかった。それでもディーナはヘリオの様子を可笑しそうにクスクスと笑う。

 既にどうしようもない。自身の立ち位置や父であるクラウス・ゲイルディアの思惑を考えても、答えは出ない。自身がどれほど悪影響であるか、そして国にとって、リゲルにとって汚点であるか。様々な要素が自身を追い詰めていく。

 

「お前達を自由にしてからでも遅くはない」

「……必要ありませんよ」

「お前らならそう言っちゃうだろ?」

 

 だから一人でゆっくりと考えたかった、と口を尖らせて言ってみせたディーナは一つため息を吐き出した。

 

「何が正解かわからなくなってた。これでもなるべく正解を選んで生きてきたつもりだったけど、どっかで間違えちまった。神様に嫌われた、いいや、ディーナ・ゲイルディアはそもそも神様に好かれちゃいなかった」

「……だから俺達にアンタを捨てろって言うんですか」

「でもお前らはソレを否定するだろ?」

 

 肯定してくれるように育てたつもりなんだけどな、と困ったように口にするディーナはヘリオ達が感じている恩を正しく理解していない。

 

「喩え地獄であろうと、死刑台にだって俺達はアンタについて行きますよ」

「……重いなぁ」

「そう育てたのはお嬢でしょ」

「それもそうか」

 

 ディーナは苦笑する。生き方(チャート)など最初からわからなかった。神様には元々嫌われていた。そんなモノは存在しないのかもしれない。決められた生き方であれば、こうして迷う必要もなかった。

 自身が死んだ後の二人の行動など想像に難くない。普通に生きてくれれば、と思う。けれど二人はそうならない事をディーナはようやく理解した。

 神様には嫌われた。運命など生まれた時から脱線している。それでも生きたいと願ってしまう自身が居た。だから運命にも愛想を尽かされたのかもしれない。

 

 ディーナは大きく息を吐き出した。考える事をやめた訳ではない。悩む事も、やめれていない。いつだって「どうすればいい?」と自問を繰り返していた。

 それでも答えなど出る訳がない。何が正答であるかなど、現実ではわからない。

 

「ああ、簡単な事だったな」

 

 ディーナ・ゲイルディアは生きている。

 思わず笑ってしまう。長く生きていたというのに、ようやくそんな事に気付いたのだ。他者に抑圧されていた訳ではない。他ならぬ自身が最も抑え込んでいた。

 好き勝手生きられるとは思わない。そんなモノを望める程自身は優秀ではない。けれど、それで良い。それこそがディーナ・ゲイルディアである。

 晴れ晴れとした気分で空を見上げれば、厚い黒雲が覆い尽くしている。天の思し召しか、まるで神様に嫌われているかのようだ。

 だからこそ、ディーナは反抗心を擽られた。最初の日なのだ。立ち上がり、前に進むと決めた。神などには屈しないと決意した。運命などという流れに対抗すると決めた。

 

「ヘリオ、ありがとな」

「お嬢なら大丈夫でしたよ」

「さてな。でも、いい天気だ」

 

 よい天気、というのがディーナにとって雨であるのならば今は良好である。けれどもディーナが晴天を好いている事はヘリオはよく知っていた。

 疑問を感じているであろうヘリオにニッと歯を見せて笑ったディーナは右手を空へと突き上げる。極彩色の右目を万華鏡のように煌めかせ、魔力を集める。あの時のような違和感は無い。世界に漂う魔力も、自身の中に存在する魔力も、全て把握できる。

 指が打ち鳴らされ、身体を駆け巡る魔力が右腕に奔る。世界を改変して巻き起こる風が右手の指し示す方向へと巻き上がる。

 大きな世界で見れば小さな反抗であった。

 それだけしか、ディーナ・ゲイルディアには行えない。

 世界全てを改変させるような力など無い。けれども自身の運命だけは改変出来る。

 それだけが、ディーナ・ゲイルディアには行えた。

 黒雲にポッカリと穴が開く。差し込む陽光がディーナの濡れた金髪を煌めかせ祝福する。

 

「いい天気だろ?」

「……ええ。我が主」

 

 ディーナ・ゲイルディアは自身の従者に満面の笑みを見せた。これから先も迷う事もあるだろう。正解を答えられる保証もない。けれども、それでいいのだ。

 ポッカリと開いた空を見上げてディーナは世界を瞼に閉じ込めた。

 

「ありがとう、ヘリオ。愛してるぜ」

「……は?」

「ん? 俺のなんだから、当然だろ?」

「ああ、そうでしたよね。お嬢はお嬢でした」

「なんだよ、その反応」

 

 一度呆然としたヘリオであったけれど、すぐに呆れたようにため息を吐き出した。ディーナはディーナでさっぱりわからない様に唇を尖らせる。自身の所有物に愛情を見せたというのに、その反応は如何なるモノか、と文句を言ってみせる。

 キャンキャンと小さな口喧嘩をしながら二人は愛馬へと向かう。

 自分達を待っているであろう、愛するメイドの待つ居場所に戻る為に。

 



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33.悪役令嬢は前を向きたい!!

あけましておめでとうございます!(2月
今年もよろしくデス!
中弛みしてない?


 他人の為に生きる。

 

 それは崇高な使命のように、そして今にして思えば前世を含めた呪いのように俺を縛っていたらしい。

 その思想を否定するつもりはない。当然、元の俺がそうであったように他人に縋らなければ生きられない存在もいる。今の俺がそうではない、と言えないのが実にこの思想の残念さを醸し出すけれど。それもまた良いのである。

 俺の人生は俺が勝手気ままに決めても何も問題ないのである。

 そう思うことが出来始めたので実に気分は晴れやか、というべきか背負っていた幾つかの重荷が取り払われた気もした。どうする事も出来ない過去を想うよりも未来を思う方が幾分も得なのである。

 それでも過去は過去だから相変わらず背中に引っ付いて離れないのだけれど。

 

 ともかくとして、俺はリゲルにフラれた事を嘆くよりも現状どうにかして自分の立ち位置を固めておかなくてはいけないのだ。

 王子に捨てられた悪役令嬢の末路など想像に難くない。醜い豚に抱かれるなど御免こうむるし、好事家達の慰み者になるのもまた遠慮したい。つまるところ、俺はゲイルディアとしての立ち位置もさる事ながら一個人としての立ち位置を確保しなくてはならないのである。

 そうしなくては俺の奴隷であるアマリナやヘリオ達は奴隷市へとご案内である。そして俺は豚の餌であるのだから俺の未来は明るくない。

 

 俺の立ち位置という物はゲイルディア公爵令嬢という肩書によって成り立っている。少し前まではコレにリゲル殿下の婚約者という肩書もあったけれど、今はない。いや、考えるべきではない事である。

 俺の経歴を並べてみても特筆する事はオークの単独討伐であるが、これは実際単独ではなかったし、そしてその報奨は陛下から別口で頂戴している。騎士号がある、と言っても恐らく売り飛ばされるであろう豚よりも地位が高くなければ利用価値が出てしまう。

 いっその事、女として終わらせてしまうのが一番手っ取り早い気がするけれど。

 

「ディーナ様?」

「なんでもないわ、アマリナ」

 

 アマリナの視線が厳しいので無理ですねぇ!

 アマリナに関しては色々と言いたい事がある。いや、うん、どこでそんな知識と技量を手に入れたのか、とか、まあ、色々聞きたい。攻めに転じる事も出来ずに受けるしかないのである。どうして……?

 いや、そんな夜の事情は今は置いておこう。女も捨てられないとなると、剣でのし上がるとかも思いつくのだけれど生憎な事に今は戦時中ではないし、この方法は時間が掛かってしまう。

 

 ともなれば、取れる手段は俺には一つしかないのである。

 

 

 俺は右瞼を上げる。

 包帯の取れた右腕を伸ばして視界の中に入れる。ズタズタに千切れ、道順すらあやふやになってしまった経路に魔力をゆっくりと通していく。袖の上からでもどの経路が潰れているのかがわかってしまう。その中で残っていた経路だけを探し、指先へと魔力を通して火を灯す。なんて事はない。いつもしている行為であった。

 けれどその本質は全く別の物へと変化した。入力式も、出力式も、状態式ですら、確りとこの瞳は捉える事が出来る。どういった文字を使用し、どういった言語が用いられているのか。今まではどうしてか動くシステムを無理矢理改変していただけである。けれどこれからは違う。システムを組む事が出来る。想像魔法に劣らない魔法式を計算だけで組み上げる事が出来る。

 実験と失敗を積み上げた研鑽の先が今となっては予測出来てしまう。それは実に甘美な現実であった。

 そんな甘美な現実を噛み締めながら、仮定を立てる。

 正しい魔法式に魔力を通せば魔法は起きる。それこそ損失無しで、誤差も無い。魔法というシステムは高利貸の如く負債者には厳しいが、規定を守っていれば何も問題はない事は身をもって知った。

 だからこそ、それは俺にとって手札となる。想像などという不確かな物ではない。計算によって求められた現実的な結果として。

 魔法は世に言う神秘などではない。理論の上に成り立つ現象である。

 

 さて、ここまでの経過を文として纏めていく。これも既出であるかもしれないが、読んだ蔵書の中にはなかったし、唯一文として提出できるであろうシャリィ先生は他の魔法使いから蛇蝎の如く嫌われている。陛下に提出していたとしてもオカシクはないが、俺の有用性の為に出来れば提出されていないことを願おう。

 実験も幾つかしなくてはいけない。けれど、出資を願うという形ではなく、俺の保身であるので条件的にはかなり緩い筈だ。出資されるならばそれに越したことはないが、望みすぎてもいい事はないだろう。

 

 両瞼を下ろして息を吐く。陛下に進言する前にお父様をどうにかしなくてはならない。あの人の企みはわからないけれど、少なくともその企みの中に俺とリゲルの関係は盛り込まれていた筈である。だから帰ってきて即座にお父様に謝罪をした訳だが。

 いっそのこと怒ってくれたならばどれほど楽だっただろうか。そうであったならば、こうして迷わずに決定出来たというのに。何にせよ結果である現実は変わっていないのだから、俺はその時点から考えなくてはいけない。やはり後ろ向きに思考を寄せてしまう頭を抱える。

 お父様と陛下に俺の有用性と利用価値を見出してもらう。最低でも俺の縁談が出てくるまでには。

 期限はどれぐらいだろうか……俺の生きてる時間との兼ね合いもあるだろうし、もしかしたら飼い殺しのパターンもあるかもしれないな。シャリィ先生は……俺の寿命の事は言ってるだろうか? あの人にとって俺は教え子だけれど出来の悪い生徒であるし、この瞳を得ているから都合のいい道具とか? 直接聞く勇気は俺にはないけれど。

 

 俺の有用性に関しては都合のいい道具であるこの瞳とそれによって得た知見だ。仮定的に定めていた魔力路はズタズタにされて今も肌の表層を彩っている。けれどそれは俺が無理矢理に定めた魔力路であった事が判明した。大きな泉から海に流す為に溝を掘っただけの路が海からの逆流によって崩壊した。……大きな泉というのは見栄だけれど。

 それが今となっては路をしっかりと把握出来るようになった。通りが非常に良い。コンクリートの溝のようにスルスルと魔力が通り抜ける。自分で意識してせき止めて無いとそのまま枯渇しそうになる程に円滑である。

 ともあれ、これだけを有用性というのならば他の人も外部魔力と接続しような!! って話にもなるのだけれど想像魔法で外部魔力に接続すれば無尽蔵に外部魔力を取り込むだろう。予め決めていた数値を取得した俺がこうなったのだから、規定も何もない想像魔法ならどうなるかなどあまり考えたくはない。

 

「ディーナ様、クラウス様がお帰りになられました」

「ありがとう。さて、ここが一歩目かしら」

 

 これを攻略しないと先の話すら無い。最悪は出奔かぁ……。それはそれでいいけれど、アマリナ達の給金を考えると収入不安があるからな……。

 

 

 

 

 

「お父様、失礼しますわ」

 

 書斎の扉を開けた先には相変わらず厳しい顔の男がいた。数日見なかっただけでは変化が見れない父は俺を一瞥してから動かしていた筆を止める。

 

「大丈夫なのか?」

「え? えぇ。まあ、はい」

 

 生返事してしまった。俺の心配をするとか本当にお父様か? 王都で何か悪い薬……いや、いい薬でも処方されたのか?

 別人の可能性は……たぶん無いな。こんな悪役顔はお爺様ぐらいだろう。だからこれはお父様なのだけれど。

 これ以上訝しげに見てると流石に変に思われるな。

 

「……あまり無茶はするなよ」

「お父様、何か悪い物でもお食べになられました?」

 

 あぁ、思いっきり顰めっ面になった。いや元々眉間には皺が刻まれてたけど。大丈夫、お父様であった。

 一言だけ謝罪の言葉を吐き出す。ここで相手を怒らせてしまうのは得策ではない。じゃあお前辺境伯の所に嫁がせるから……。とか言われたら終わりだ。

 

「これからの話をしに来ましたわ」

「……ほう」

 

 先程まで書いていた紙の束をお父様へと手渡す。内容は魔法式の論文を簡易化した物。尤もまだ実験段階でもなく、理論だけの草案であるが。

 お父様ならコレを理解できる。魔法式を理解できる、という事ではないし、実験の足掛かりに出来るという事ではない。俺がこの草案をお父様に提出する意図を理解しているだろう。

 お前の思い通りにはならないぞ。他の貴族に嫁ぐ気はないぞ。ゲイルディアの利益になるぞ。

 そういった意図を在々と込めてみたが、お父様は変わらず厳しい顔で紙束を捲り、その顔を更に皺を刻む。

 

「ダメだな」

「何故ですの!? 理論は整っていますわ! 私とシャリィ先生ならばこの理論を現実の物として――」

「許さんッ」

 

 珍しく声を荒立てたお父様に萎縮してしまう。普段は厳しい顔で表情を読み取れないというのに、今は少しだけ感情が表層に出ている。

 あぁ、これは……。

 

「……知ってますのね」

「オーべ卿に聞いた。この研究を続ければお前は死ぬのだろう。それを俺が許す訳にはいかん」

「…………」

「何を驚いた顔をしている」

「……いえ、お父様は私の心配などしていないと常々思っていましたので」

「馬鹿が。娘の心配ぐらい俺でもする」

 

 本当でござるかぁ? と茶化してしまえばお父様は本格的に怒るのでやめておこう。決して誤魔化してこの感情をバラさない為ではない。

 というか、この父はそういった感情を表に出すのが下手過ぎるのだ。不器用過ぎる、と言ってもいい。

 

「そういう事はちゃんとアレクにも言ってくださいな。そうすればアレクも今回の休暇で家に戻ってきた筈ですわ」

「……アレクは騎士団の訓練に混ざっている。お前との決闘が余程堪えたようだな」

「私は決闘などするつもりは……」

 

 無かった、とは言い切れない。原因が何であれ、アレクがアマリナを害したのだから、今の俺ならば問答無用で殺していただろう。決闘という手段など取らない。

 それはそれとして、アレクが騎士団か。目的はわからないけれど、彼の才能が磨かれる事はいいことである。もう無いと思うけれど次に決闘などすれば俺が負けるに違いない。

 そんな事を考えていればお父様から理論書とは別の紙束を渡される。読めばカチイという都市の経済状況などが事細かに書かれている。カチイって……ゲイルディア領の端っこだっけか。

 

「お前にはカチイに行ってもらう」

 

 やっぱり辺境飼い殺しルートじゃねぇか! 人生壊れるぅ……。それでもお父様の監視外にいけるという事は研究し放題なのでは? 勝ったな。風呂入ってくる。

 

「……監視もつける」

「あら、私を信用してくださらないのかしら」

「お前は自分の事を軽視しがちだ」

「そんな事ありませんわ」

「ほう?」

 

 先程渡した理論書を持ち上げられて俺はそれから目を逸した。いやだなぁ。そんな事する訳ないじゃないないですかぁ~。やだなぁ……。ほんのちょっとだけ、先っちょだけなら誤差かもしれないし……。

 ダメだ。話を逸らさなくては……。

 

「それにしてもカチイですか……」

「数年後にアレクをそこに置く予定だ」

「なるほど。それまでに立て直しておけと」

「……そういう事だ。お前を遊ばせておくほどゲイルディアに余裕はない」

 

 ん? これは何か含みがあるのか。カチイの状況を思い浮かべてもそれほど悪いとは言い難い。俺が向かった所でそれほど改善されるとは思えない。

 本当に余裕がない……とは思えない。ゲイルディアの勢力にどれほどの人材がいるかはわからないけれど、俺よりも優れた逸材はいる筈である。

 それでも俺を向かわせる理由は……。

 

「王族と離す、社交界から離す為ですの?」

「……そうだ」

 

 随分と心配されているようだ。いいや、それともゲイルディアの恥を隠す為だろうか。どちらにせよ今リゲルとは会いたくないから俺としても願ったり叶ったりである。リゲルと会えば……いや考えるのはやめよう。

 生きてはいたい。けれどそれは望みすぎという物なのかもしれない。

 自分でもどれだけ生きていられるかなどわからない。だから少しでも形を遺しておきたい。

 

「……わかりましたわ。その任、承りました」

「ああ。頼む」

「それと、王族と接するな、とは言いましたが。カチイに向かう前に一度陛下に拝謁したいですわ」

「……何を考えている」

「元々私がしていたリゲル……リゲル殿下の護衛役の引き継ぎですわ」

「……本当にそれだけだな?」

「あらいやですわ。お父様は私を信じてくれないのかしら」

「お前のその頑固な所はイザベラにそっくりだな……。わかった、表向きに陛下に会う準備はしておいてやろう」

「ありがとうございます」

 

 引き継ぎも目的ではあるけれど、一代貴族としての名分は貰っておきたい。ゲイルディアはアレクが継ぐだろうし、短いであろう余生まで迷惑を掛ける訳にもいかない。

 研究成果と暫定的な結果、あとは俺の騎士号でどうにかもぎ取れれば御の字だけれど……。

 陛下にとって俺は体の良い護衛役であったし、その護衛役の報酬も貰ってしまった。リゲルとの婚姻が解消された今俺と陛下は何の繋がりも無いし……。出来る限りはしてみよう。

 平民として、騎士として生活するのもいいけれど、男爵位ぐらい正式に持っていないとアマリナ達のお給金が……。




お疲れさまです。

Twitterで駄々を捏ねていたらお竹(@taketi)さんがイラストを描いてくださったので読者の皆にも見せるね……


【挿絵表示】


かわいいぞ……ディーナ様かわいいぞ……すきぃぃ……あぁぁぁぁあ


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34.悪役令嬢は見送られたい!!

スピカ様の解釈で色々言われそうですが、

私が公式です(天下無双)


 王城というのは俺にとって居心地のよい物ではない。

 それこそ幼い時からゲイルディアに対する雑多な中傷もあれば、遠回しな誹謗もあった。俺の耳に届く範囲で言っていたのだから、気分の良いモノではない。それでも止める術も無く、止めた所でそれが新たな罵詈雑言と化して俺に向かうのだからきりがない。

 居心地、という事を考えればそんな中でもリゲルやスピカ様と会える事は俺にとっての清涼剤になり得たし、それがあるからこそ王城にいる事が出来たと言ってもよかった。

 つまるところ、今の王城というのは俺にとってただ単純に居心地の悪い場所と成ってしまった。その半分ぐらいは噂を止めなかった俺にもあるのだろうけど。

 

 それでも俺は王城に居た。

 長期休暇も終えて学業の始まるリゲル達はこの王城には居ないが、クソみたいな貴族達の世辞と面倒な言い回しの皮肉。その大半がリゲルとの婚約破棄関係なのだから気が滅入ってしまう。それほど気にしてはいないつもりであるけれど、こうして責め立てられればいい加減に鬱陶しくも感じてしまう。

 それでも目的があるからここに居なければいけないのだけれど……。

 

「よく来たな、ディーナ嬢」

「陛下におかれましてはご健勝でなによりですわ」

 

 表向きの用事であったゲイルディア卿としての役目をさっさと終わらせ、あの時の様に陛下に呼び出されてようやく謁見が叶う。こうして呼び出してくれるとは思わなかったが。

 思ったよりも気に入られているのだろうか……? いや、リゲルの行動を補填していると考える方が妥当か。

 

「クラウスのヤツに頼んでいた事だが、まさかお前が来てくれるとは思わなかった」

「私もゲイルディアの一員ですわ。当主の手が空かない時は動きますわ」

 

 空かない、というよりも俺が頼んだことなのだけれど。その事は陛下もわかっているだろう。あのヴィラン顔を「悪ではない」と断じているのだから。

 

「それで、リゲルの事か?」

「……他の貴族も無駄な言い回しをせずに陛下を見習ってほしいですわ」

「ハッハッハッ、お前を相手に腹の探り合いをする必要もないだろう」

 

 かと言って直接腸を掻っ捌きに来るのはどうかと存じます。とは言わないけど。

 俺としては王城での短い時間で無駄な言い回しで疲れていたから陛下との会話は随分と楽に感じる。気を抜く事はないけれど。

 それでもリゲルの事を聞いたという事は彼の行動は彼自身が決めた事なのだろう。それならば、それでいい。彼を責める為にここに来たわけではない。

 

「リゲル殿下の護衛の引き継ぎをしようと」

「……」

「あの、陛下?」

「アッハッハッハッハッ! そうかそうか! いや、許せ。お前はそういう女だったな」

 

 キョトンとした後に哄笑されてしまった。ムッと見てしまったのがバレたのかすぐに笑いは笑みに変わったし、陛下に言われると許さざるをえない。

 というか、俺は嫉妬深くて未だにリゲルに執着しているか、何かしらの賠償を求められると思われていたのだろうか。そうしていいのならするけど、そこで陛下との繋がりが消えてしまうのは勿体ない。

 

「来年度にはスピカ様も入学されますので、万全にすべきですわ」

「そうだな。お前の弟はどうだ?」

「……剣ではありますが、盾にはなりませんわ。あまりお薦めできません」

「……ディーナ嬢は親族でも容赦がないな」

「あら、私はお父様を悪と断じる娘ですわよ。贔屓目で選んでスピカ様の身に何かあったなら弟を斬らなければいけませんし」

「それが出来ないお前ではないだろう」

「私にだって情ぐらいありますわ」

 

 だからこそアレクを斬る選択をしなければならないのだが。

 どちらにせよアレクは護衛向きの人物ではない。アレは守勢よりも攻勢で力を発揮するだろう。守りが下手という訳ではないけれど、スピカ様を守るのならば力不足も甚だしい。あと羨ましくて魔法をブツケたくなるし。

 あと陛下。どうせ俺が学校で仕出かしたアレクとの決闘を知ってるんだろうけど、クツクツ笑うのはやめろください。

 コホン、と一つだけ咳を挟んでから口を開く。

 

「それに私が薦めればまた要らぬ不和を呼びますわ」

「黙らせる事もお前なら可能だろうに」

「過分な評価ですわ。命令を戴ければ微力を尽くしますが」

「いや、いい。俺の方で準備をしよう」

 

 まあ要らない諍いを起こすのはイヤだろう。それに陛下も俺程度の力を尽くした所で黙らせられない事は理解している筈だし。

 予め纏めておいた引き継ぎ内容を書いた文書を陛下へと手渡しとりあえずの目的は達成である。これでリゲルへの最低限の義理は果たした。同時に俺と陛下の繋がりが切れてしまう訳だが、それは俺としても困るので追加で文書を一つ渡す。

 

「これは?」

「私とシャリィ先生……オーべ卿と実験している魔法式の仮説です。まだ机上理論でしかありませんが、利便性は今の想像魔法よりも優れた物になりますわ。学問として纏めていますので、未来の魔法使い達や騎士達の底上げも期待できます」

「……なるほど。こちらが本命か」

 

 答える必要はない。この有用性を陛下は理解できるだろうし、お父様のように瞳や俺の事を知っている訳ではない。国に利益を出す存在を容易く手放したくはない筈だ。

 

「実験期間は?」

「三年以内には必ず」

「……国庫からの出資をしよう」

「ゲイルディアに、特に今の私に資金を与えれば陛下の立場も悪くなりましょう」

()()か。では、未来のディーナ嬢は何を求める?」

「一代貴族、男爵位を戴きたい」

「……クラウスのヤツも嫌われているな」

「お父様の事は嫌いではありませんわ。ただ、手綱をゲイルディア家に握られているのが気に食わないだけですの」

 

 リゲルにフラれた事で俺の未来など中指を立てるような物になるだろう。それにゲイルディアに縛られていては出来ない事もある。百合とか、百合とか、百合とか。

 家族との関係が切れる訳ではないけれど、俺個人としての爵位を持っている方が何かと都合はよくなるだろう。

 

「わかった。楽しみにしていよう」

「お任せください」

 

 よし! これで俺の未来は安泰だな!

 個人として利益を出せば陛下から男爵位を戴けるし、ゲイルディア家にとっても嫁がせる必要性が無くなる。三年の猶予も貰えたし、カチイで監視の目を掻い潜って実験してれば余裕で出来る算段である。

 カチイの政務も含めても、余裕はある筈だ。シャリィ先生に呼びかけもすれば完璧な布陣だろう。敗北を知りたい。

 

 

 

 

 

 

 意気揚々と陛下との密談も終わり、耳障りな嫌味を聞き流していれば黒い髪をした天使が居た。頭の上に天輪が無いのは落としたのだろうか? いや、スピカ様だった。天使じゃん。

 天使は俺に気付いたようで天真爛漫とも言える満面の笑みを浮かべて俺に近寄ってくる。

 

「お姉様!」

 

 ……。

 さて、どうにも困った現実が俺を責め立てている訳である。いつもならば抱き上げてくるりと一周回って差し上げるけれど、今の俺はそれを許されていない。

 曖昧に笑い、一度深呼吸をする。

 

「……スピカ様。私はもう『お姉様』と呼ばれるべき存在ではありませんわ」

 

 そうなのである。義理の姉候補としての俺はリゲルにフられた事によって消え去ったのだ。つまり、俺は天使のお姉様ではない。辛い……。リゲルとの婚姻を結び直すか? いや、無理だが。

 俺の拒絶というか、言葉にビシリと音が鳴りそうなほど固まったスピカ様。今の俺とスピカ様の関係は王女様と貴族令嬢でしかない。加えて言うのならばこの貴族令嬢は負け犬である。

 

「……それでも、お姉様はお姉様です!」

「スピカ様……」

 

 意を決したように宣言したスピカ様であるが、俺は困ったように笑みを浮かべるしかない。

 あまり一緒にいるとスピカ様にも要らぬ噂がへばりついてしまうから、今はなるべく距離を置いておきたいんだけど。この天使を突き放す事が出来るだろうか? 否、出来ない。しかししなくてはならない。

 抱きしめたい欲を心の奥底にねじ込み、我慢する。

 ダメである。今、抱きしめたら絶対いつもの様に振る舞ってしまう。そうすればスピカ様と俺の関係を勘ぐった馬鹿がまた噂を立てて、スピカ様との関係を本格的に切らなければいけなくなる。

 まだ他の貴族を黙らせられる程の力は俺にない。スピカ様は純真であらせられるので、そんな陰謀には無知であるし、それで汚される必要はない。

 

「今は気軽にディーナとお呼びください、スピカ殿下」

「うっ……ディーナ、様」

「はい。スピカ殿下」

 

 賢い娘である。そう思うと同時に申し訳なく思う。

 いつものように扱われたいだろうに、それを我慢して俺の要望を聞いてくれた。そうするのが自分の欲を押し通すよりも正しいと判断した。

 

「ディーナ様をわたしから奪ったのは、あの女ですか?」

 

 んんんんんんんッ!? 急にそういう事を言うのはやめてくださいスピカ様、困ってしまいます助けて。

 いや、待って、スピカ様、待って……脳処理が追いつかなくなるから待って……。

 いつもの笑顔でそういう事を言わないで……。可愛いけど怖いぞ……。

 

「違います。私が、悪かったのですわ」

「ディーナおね……ディーナ様は悪くなんてありません!」

「私は悪い女ですわ。だって、こうしてスピカ様を泣かしてしまったでしょう?」

 

 感情が溢れたのか、泣きそうになっているスピカ様の目尻にハンカチを軽く当てる。これで四日は耐えれるな!

 涙を流すと俺が悪くなってしまうからか、必死に涙を止めようとしているスピカ様だけれど、涙を止めた所で俺はこの会話を続けるつもりも無いのだけれど。

 素早く撤退しなければ俺が我慢出来ずにスピカ様を抱きしめて思いっきり頭を撫でそうになる……。

 

「アサヒはいい子ですわ。私と違って、明るくてきっとスピカ殿下とも話が合うと思います」

「でもお姉様じゃないもん……」

「ええ。彼女は私ではありませんわ。だから頭から否定せずに、彼女を見てあげてくださいまし」

 

 頼むから喧嘩とかしないでね……。アサヒと喧嘩するとリゲルとスピカ様の関係性も拗れて面倒極まりない状況になるのは目に見えている。出来る事ならば二人の関係は良好であってほしい。アサヒはいい子だからスピカ様も気に入るだろう。

 スピカ様から見ればぽっと出のアサヒが俺からリゲルを奪った様に見えたのだろう。実際はリゲルが俺を捨てたからアサヒでなくとも、いつかはこうなっていたのかもしれない。

 

「ほら、スピカ様。笑ってください。私はこれからカチイに……遠くに行く事になります。私を笑顔で見送るのはお嫌ですか?」

「ディーナお姉様は卑怯です……」

「はい。私はゲイルディアの娘ですもの。スピカ様が笑ってくれるのなら卑怯な手も使いますわ」

 

 微笑んでみせればスピカ様も涙を浮かべながら、それでも笑顔になってくれる。どうして魔法式で写真は取れないのだろうか……? 欠陥では?

 一礼をして、スピカ様から離れる。スピカ様が黒くなっていた気がするけど、たぶん気の所為に違いない。きっと気の迷いとか、そういうのに違いない。そうに決まってる。決まってるんだ。

 

 

 

 

 

 


 

 ディーナ・ゲイルディアの背を見送ったスピカ・サトゥ・シルベスタは自身の瞳に溜まっていた涙を拭い、足を進める。悲しみに暮れている暇はない。

 ()()()()()()()には今行動しておかなくてはならない。

 

「お父様、よろしいでしょうか?」

「スピカか。どうした?」

 

 この国の王でもある父に頭を下げてから口を開く。

 

「お姉様はどうしてお父様の下に?」

「……ゲイルディア卿の使いだ」

「お父様。わたしは何も知らない少女ではありません。お兄様とお姉様の事で、沢山調べましたの」

「……はぁ。お前が人を動かしていたのは知っているが、俺が答える事は無いぞ」

「えぇ。お父様がお姉様に何を命じていたかまでは知らないです」

 

 シリウス王の顔が歪む。自身とディーナとの密談は二人しか知らない事であるし、人を動かした所で露見する事はないだろう。

 けれど自身の娘、まだ幼いと思っていたスピカがそれを追い求めて辿り着いたというのならばそれは驚愕する事だ。

 

「さてな。何の事だか」

「わたしの予想だと、お兄様の影の警護ですけれど」

「推察でしかないな」

「はい。でも、遠くは無いと感じてます」

 

 シリウス王は決して答えは言わない。それがディーナとの約束でもある。スピカに露見した所でリゲルに伝わるとは思い難いが、それでも言う必要などない。

 

「お父様の命令で、お姉様はお兄様を奪われましたわ」

「なんだ、俺を責めに来たのか?」

「まさか。お父様を責めるだなんて」

 

 花を思わせる満面の笑みを浮かべながらスピカは否定する。父を責める気は少ししかない。

 あの優しいお姉様をあの運命に乗せた原因でもあるのだから。それでも、その運命は正しく自身に味方をしてくれているので、父には感謝もしている。

 

「それで、話は戻りますけど。お姉様はどうしてお父様の下に?」

「……わかったわかった。どうせここで俺が否定してもお前は人を動かすだろう。無駄に動かすな」

「あら。わたしが必要だと思ってるだけです」

「それで、何が知りたい。ここにディーナ嬢が来た理由も見当が付いているんだろう」

「お姉様の事です、自分を売り込みに来たのでしょう? お父様は元々手放すつもりがなかったのに」

「……お前はどこまで見えているんだ?」

「さぁ? 見えていてもわたしの手はお父様程長くありません」

 

 スピカからしてみれば推察でしかない。姉と慕うディーナの能力と性格を考慮して、自身の父と国の事を考えれば自然と答えは見える。

 けれど、見えるだけでは意味がない事をスピカは少し前に嫌というほど理解した。

 あのまま進んでいればお姉様との学校生活が待っていたというのに! お姉様との王城での生活がまた戻ってきたというのに!

 

「自分の研究を出汁に男爵位を求めてきたぞ」

「……一代貴族ですか。お姉様はもっと上を求めていいと思います」

「俺も思う。が、アレは早々に隠居するつもりだ」

「……隠居させるつもりですか?」

「まさか。そんな勿体ない事をさせる訳がないだろう」

 

 使える人材を手放す趣味はシリウス王にはない。リゲルとの婚姻破棄で手放しそうになったが、向こうから繋がりを求めてきたのだからシリウス王にとっては渡りに船であった。

 元々別口で手を回していたが、それも必要なくなるかもしれない。

 

「お姉様の地位も、お父様の目論見も両得する案があります」

「……一応言ってみろ」

「わたしの近衛騎士です」

 

 シリウス王の表情が固まる。

 スピカは花を咲き誇らせて更に口を開いた。

 

「お姉様をわたしにくださいな、陛下。悪評も醜聞も何もかもと一緒にお姉様をもらいますわ」



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35.悪役令嬢はハタラキタイ!

またもやお竹先生(@taketi)から支援絵をいただきました!!
可愛い!! 好き!! 自慢したかったので置いておきます!!


【挿絵表示】

アマリナ

短めなのは私が自慢したかったからです!
決して新しい土地だし短めでいいか とかそんなの考えてません! いいですね!!
読者アンケ置いてますので、よろしくです!


 カチイに到着してからというもの、俺は久しく忙しい日常を送っていた。

 リゲルの警護が忙しくなかった訳ではないけれど、長らく味わっていなかったデスクワークという単語が俺を忙しなく追い立てていた。

 前世では嫌々生きる為にしていたことであったけれど、今こうして街の為に仕事をするというのは中々に充実している。仕事をしたくない、という気持ちは変わりはしないけれど。

 

「あぁ、落ち着く……」

「お嬢様、口調が」

「ん、んんっ! あら、アマリナ。私はいつも通りですわ」

 

 思わず口調が崩れてしまった元々の日課に恋しさが溢れる。さっさと無くなってしまえばいいのに。

 アマリナの淹れてくれた茶を飲みながら書類と睨めつける。

 さて、カチイの財政というのはそれほどよくはない。悪い訳でもないけれど、都市の規模としては不十分にも思える。何より後々ここを継ぐであろうアレクの為に余裕は少しでもほしい。俺の研究費用も捻出したい。

 元々いた担当は引き継ぎを完了して早々に別の場所に飛ばされたし、残っているのは片手で数えられる程度の政務官と両手で数えられる騎士達だけである。騎士と言っても称号は得ていない雇われと言うべきか、兵士と言った方がいいだろう。

 その程度で政務は完了する。問題が起きないように元々居た政務官達が以前のまま動けるように調整しながらだけれど、問題は無い。ついでに暇もない。

 お父様はこの事を予見して俺をカチイに飛ばした可能性が……? いや、それは無さそうだな。

 政務というかデスクワークは非常に落ち着く。息抜き程度に残った騎士達の調練を行っているヘリオに混ざって運動も出来る。政務の空き時間でも机上理論を立てる事は可能であるし、今はまだ実験段階に差し掛かれないというのも事実だ。

 

 こうして政務に携わる事が出来て思った事がある。

 政務官共が自分の得になるように動いている。まあ当然と言えば当然であるが、書類情報の改竄などが主である。浮いた所得は自分の懐に入っているのだろう。カチイに来てここ数年の書類を全部読み通した時は乾いた笑いが出たものである。

 最終決定を俺に通すようにしてからは比較的減った。というか減らさせた。目に余る分は罰したがある程度は許した。それを少しずつ締め上げて行けばアレクが来る頃には無くなるだろう。

 あとエクセルが欲しい。非常に欲しい。なんだ俺以外の政務官は皆人型の計算機か何かか……? 魔法式導入したら俺よりも上手く扱える事は確実だろう。現実はやはりクソである。

 魔法式をどうにかしてエクセル風味に変換出来ないものだろうか。演算を魔法にして、結果を出力させればいけるだろうか……。演算が出来れば俺の魔法式の効率化にもなるだろう。エクセルは魔法。ハッキリ分かんだね。

 

 領事館とも言うべき館に泊まり込みで仕事をしている、と言えば社畜感溢れる現実であるけれど、その領事館は元々ゲイルディア所有の館である。他に自邸と呼べる物は無いし、あったとしても今現在は戻る時間すら惜しい。なんだよ、この仕事量……よく前の人は完遂出来てたな……。いや、出来てないからこの量なのか。クソかな?

 ともあれ、アマリナだけでは手が足りないし、他にもメイドは雇うにしてもメイドがいい。メイドがいいのだ。決して俺の欲望の為ではない。ああ、本当だ。他の政務官もきっと女の子を見ている方が仕事が捗るに違いない。

 ああ! 仕事って楽しいな!! クソが!!

 

「ゲイルディア殿はいますか?」

 

 さて、カチイに到着してからの問題を紹介しよう。

 今しがた俺の執務室へと入ってきた優男である。白い髪を短く切り揃えたホストよろしくの甘い顔面の優男である。

 名前をベガ。この名前を聞いた時はサイコクラッシャーが特技か何か? と思いもしたが誰にも通じないギャグなので口を噤んだ。アサヒならわかるかも知れないが、まあそれは置いとくとして。

 この男の何が問題かと言えば、俺の監視役である。

 なんで監視役が男なんですか、お父様。今すぐ女にしてください。こっちとらリゲルとの一件で男性恐怖症になっててもオカシクないんだぞ。なってないけど。

 

「何か用かしら」

「先日の書類です」

「……また仕事ね。えぇ、えぇ、ありがとう」

 

 ワーイオシゴトラー……辛い。

 いや、かと言ってサボる理由もないから政務が熟すけれど。渡された書類を端から端まで読んで、眉を寄せる。

 

「ここ、計算が間違っていてよ。それ以外はいいですわ」

「おっと、これは失礼を」

 

 こいつぅ!

 他の計算とかは完璧なクセにこういう見逃しそうな所だけ間違えやがって! あとそれがゲイルディアに得になりそうなのがまた厄介なのだ。自分の所得を増やそうとしているのは構わない、いや問題だが、俺の所得を増やそうとしているのが厄介過ぎる。

 自分の所得を増やそうとするヤツは他にもいるが、それなりに手綱は握っているから問題はない。俺に着いていれば甘い汁を吸い続ける事が出来るとわかれば制御出来るし、やり過ぎならば罰を下す事もわかっている筈だが、コイツは違うのだ。

 

 何を考えているかわからない優秀な男。というのがこの優男の評価である。

 

「調整が終わったら今日はもう帰りなさい」

「いいのですか?」

「えぇ。貴方にも少しは息抜きは必要でしょう?」

 

 それは嬉しい。と女に好かれそうな笑みを浮かべてから部屋から消えたベガを見送って俺は椅子に凭れる。あの男を相手にするのは面倒そうだ。

 

「それで、どうでしたの?」

「以前は王城で働いていた様です。街での様子も至って普通でした」

「そう……王城で働いていたのは文官としてよね?」

「はい。裏も取れています」

 

 背景には何も問題はない。文官として、というには最初に握手した時の剣ダコがどうにも引っ掛かる。さて、あの男は一体何なのか……。

 お父様を信頼していない訳ではないけれど、あのお父様の事だから俺のテストという可能性もあるだろう。

 監視役と言っても人間である。甘い汁を啜らせてやればこっちの思惑通りに動いてくれるだろう。けれど暫くは監視対象であるし、俺自身がアレを信用出来ない。男であるし、何よりお父様の使いである。

 

「私の気が休まる時間は無いのかしら?」

 

 そう呟けばアマリナが少しだけムッとしてくれたので苦笑してしまう。

 いや気持ちとしてはかなり楽になっている。リゲルの時よりも警戒度はそれほど無いし、何よりお父様の使いである事はわかっている。いざ魔法を使うとなれば報告がすぐさま行くのだろうけど、理論さえ組めれば魔法なんてこっそり発動出来るしし実験も可能だろう。

 アマリナもヘリオもいる。悲観するような状況ではない。問題はベガだけであるし、それはカチイには関係ない俺自身の問題だ。

 

 あとは、どうにかこの館にメイドを沢山雇うかだな……。アマリナが怒らない程度に沢山入れたい。アマリナが悪い訳ではないのだけれど、目の保養は大切なのである。そうだよな?



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36.悪役令嬢は抜け出したい!!

お ま た せ !
猫竈やハゲやウーロにボコボコにされたので投稿します。


 街に出れば見た目上はそれなりに活気がある。比べるのも烏滸がましいけれど、ゲイルディアと比べればまだまだとも思う。街道の整備は目下の課題である。

 街道の整備もそうであるけれど、特産品もなければ商人も寄り付かない。辺境まで足を運んでも利益が出る、という餌が無ければ魚も針には掛からない。

 だから決してこれは仕事をサボって街へと逃げ出した訳ではない。これだけははっきりと真実を伝えたかった。決して、決して! 逃げ出した訳ではないのである!

 実際、逃げてしまえば行政が滞るのはわかっているので今日の仕事は半分程終わらせている。あとは後々に来るであろう仕事を夜にすればいいだけだから……職場が自宅だと残業も深夜手当も無いけれど眠らなければ仕事なんて終わるから……。

 

「そこのカッコいいお兄さん! 焼き立てだよ! 一つどうだい?」

「美人にそこまで言われたら仕方ないな」

 

 快活な恰幅のいいオバ様はニッコリと営業スマイルを浮かべながら並べているパンを俺に見せてくる。どのパンも焼き立てなのか少しだけ湯気が立っていて、小麦の香りが鼻と食欲を刺激する。

 さて、お兄さんと呼ばれた俺であるけれど今の俺はディーナ・ゲイルディアとしてではなく、単なるディンとして街に繰り出している。なるべく街の人に怪しまれないように普段の俺では着れない布地の服を着用しているのだけれど、アマリナには不評である。ヘリオは知っていたので相変わらずのため息を吐いていたけれど、あの顔はアマリナと同じ事を思ったに違いない。

 部下とも言える政務官とすれ違いもしたけれど、ディーナである事はバレず、ボロを出す訳にもいかないので適当な誤魔化しもした。

 

 ディーナであればこうして買い食いもできないし、治める者として見られるので街の素というのは中々に見れない。たまに街に出る事を自分の業務へと書き込んでおこう。

 オバさんとの世間話もまた重要な事なのだ。決してサボりではない。

 

「噂で聞いたけど、領主が代わったんだって?」

「らしいね。まあアタシ達にとってはそれほど変化はないねぇ」

「ふーん。そこのパンも貰おうかな」

「まいど。……ああ、お兄さん。この辺りはスリも多いから気をつけるんだよ?」

「ありがとう。また買いにくるよ」

 

 スリねぇ……警邏でも増やすか。今より増やすとなれば給金も増える訳で、そうすると財政が圧迫されてしまう。俺が頑張って捻出した研究費が削られていく訳である。今は机上理論を纏めればいいし、研究は金食い虫だろう事も予測できているのでいくらか余裕がある時じゃないと出来ないな。

 やはり特産品が欲しい。行商人を呼び込めばそれなりに金は入るだろうけど、それも街道の整備をした方がよく、そもそも特産品が無ければ意味もない。今のままでは息をする事はできても活動する事など出来はしない。

 渋滞してくる問題をとりあえず山積みにしておきパンを頬張る。美味しい。これを特産品には出来ないだろうか。いや、無理か。

 どの道、街道整備に関してはそれなりに時間が掛かるだろうし、今すぐに着手すべき事ではないだろう。できる事は限られているのだから、一つずつ解消していくべきか。

 鉱脈を見つければ手っ取り早く稼げそうではあるが、そんな物があるのならもう少し鍛冶場が発達していてもいいだろう。生憎この街の鍛冶場は一件しかなく、そこにいるドワーフも包丁などの修繕ぐらいしかしていない。資料情報だから後で確認しなくてはいけない。あまり詳しくないけれど、度数の強いお酒を持っていけばどうにかなる気もする。ドワーフ族の事を調べてるとシャリィ先生が怒りそうだ。偏見だが。

 

「少し、よろしいですか?」

「ん? おや、これはまた美人に声を掛けられてしまった」

 

 振り向けば淡い金の髪。尖った耳の側で結われた房が揺れ、こちらを見上げる深緑の瞳。頭の中であるが、噂をすればなんとやら、というヤツであろうか……。

 ともあれ、俺がディーナである事は目の前にいるシャリィ先生にもバレていない事なのでしっかりとディンを扮しておかなくてはならない。

 

「それで、どうかされましたかな?」

「今から言いつけを守らない生徒を怒りに向かう途中なのですが、この街で一番大きな館は何処でしょう?」

 

 ビシリと表情が固まりそうであった。頑張れ俺の表情筋! 今は騙して、どうにか機嫌の取れるような言い訳を考えてから待ち構えなければいけない!

 いや、まだ俺だという事はバレてはいない。どうにか逃げ出そう。このまま逃げ出して、2日ぐらいちょっと遠乗りに出かけて逃げておこう。何、領地の事を知る為の行動であり、決してコレは逃走などではない。特産品を探しに行くだけである。

 

「さて、俺もこの街へは着いたばかりだけれど……アッチで館は見たかな」

「……結構。私の向かっていた方とは逆方向でしたか」

「どうやらそうらしいね」

 

 一度館に戻ってから、アマリナへと言伝、ヘリオに警邏指示を飛ばして、俺は逃げ出す。完璧な作戦である。

 

「それで、私を騙そうとしている理由をお聞かせ頂いても? ディーナ様」

「……さて、なんの事だか」

「結構、結構。教え子への説教を数倍に増やしておきましょう。では見知らぬお方、御機嫌よう」

「ハハハ、そんなご無体な。送りますヨ、シャリィ先生」

「……その喋り方はどうにもなりませんか」

「この格好と声でいつものように喋れというのならそうするけど?」

「……いえ、結構。その喋り方で構いません」

 

 想像したのか苦虫でも噛み潰した顔になり溜め息まで吐かれた。普段の俺の口調でこの格好ならちぐはぐ過ぎるので正しい判断だろう。俺だってディンの間にあの口調で喋りたくはない。

 これからも街には出歩くつもりなのだから、貴族の女のような言葉を喋る男という認識は持って欲しくはない。オネェキャラの方がまだ便利かもしれない。

 ともあれ、怒られる事は確定してしまったのでシャリィ先生と適当にぶらつきながら館へ帰る事にしよう。デートですよ、デート!

 

「ディーナ様――」

「今はディンと呼んでもらえるかな? シャリィ先生」

「……どちらでもいいですが、説教が増えない内に帰路に就くことをお勧めしましょう」

「あー、なるほど? 戻ろう。今すぐに、戻ろうじゃないか」

「よろしい。案内を頼みますよ、ディン」

 

 怒っていらっしゃる。俺が世界と接続した時よりも、怒っていらっしゃる……。あの時は幾らか叱るという名目もあったが今は本当に怒っている。それでも可愛いシャリィ先生がニッコリしてると可愛いな! 現実逃避しなきゃッ!

 こんな可愛いシャリィ先生が怒った所でそれほど怖くない事は確定的に明らか。負けるわけねぇよなぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、ディーナ様。あれほど魔法を使うな、と言明していた筈ですが?」

「さて、なんの事やら……」

「ディーナ様?」

「はい、ごめんなさい。私が悪かったです……」

 

 負けました。

 館に戻ってきてから着替えた俺は見事に敗北した。ディーナ・ゲイルディアにしてここまでの敗北は無い。リゲルとの一件? あれは記憶の彼方に飛ばしたから……。

 ウチの家系か? って思うぐらいに冷たい目をシャリィ先生がする事なんて滅多にないのだ。怖いってもんじゃない。確かにコレが通常の我がゲイルディア家はそりゃぁ怖がられるな。納得。

 

「……はぁ、自分がどのような状態か理解しているでしょう」

「体調はいい方ですわ。それに世界との接続もせずに自身の魔力を循環させているのは以前からです」

「その瞳で魔法を扱う事自体が問題です」

 

 喉に使っていた魔法が駄目だったか。いや、しかしアレが無いとディンの声は出にくいしなぁ。いや、そもそも俺という事が判明しなければよかったから男装だけでよかったのでは……? 既に遅いけれど。

 

「それに貴女はそれほど上手く魔法式を描けなかったでしょう」

「瞳である程度見えますから、少し式は弄りましたが……」

「ディーナ様、そういう所ですよ」

「魔法式の研鑽の為ですわ。まあそれなりに生きられるでしょう」

「……それでは私が困るのです」

 

 ん? なんでだ? 利益的には魔法式の解読が進んでいる方がシャリィ先生的にはいいはずだけど。ははぁーん、なるほど。俺に惚れてしまったのか! なるほどな! ようやくシャリィ先生、いいや、シャリィがデレてくれるという訳ですね!

 

「私が貴女の下におかれる予定なので、貴女には生きていてもらう方が私にとって有益です」

 

 ですよねぇ……。

 そんなデレとかそういう問題ではないですよね。知ってた。シャリィ先生だもんね……。

 

「シャリィ先生が私の管理下におかれるなんて初耳ですわね……」

「手続きが完了してないので。暫く先の話です」

「なるほど……」

「それに死ねば私に不利益が生じるとわかれば、貴女は今のように好き勝手に魔法を扱う事はしなくなるでしょう?」

「……よくおわかりですわね」

「初めての教え子の事ぐらい手に取るように」

 

 そう言われると弱い。元々の俺の性質もそうであるし、安い命に価値が付与されてしまう。

 困るわけではないけれど、気軽に命を掛けれなくなると俺の魔法式の研鑽が積めない。つまり、シャリィ先生の好感度も上がらないって訳だな! 詰みでは?

 

「……なら、私の無茶も少しぐらいは見逃してくれてもいいのでは?」

「何か?」

「なんでもありませんわ」

 

 急に怒らないでください。その顔は俺に効く。

 ニッコリ笑っている筈なんだけどなぁ。お父様より怖いってどういう事なんですかね。年の功、おっとなんでもないです。なんでもないです!

 そんな俺の脳内を読み取っていたのか更に笑みを深くしていたシャリィ先生は疲れたような表情になって溜め息を一つ吐き出して懐から何かを取り出す。

 机に置かれたソレを()()でしっかりと見る。

 

「眼鏡と眼帯? ああ、なるほどレンズとあて布に術式が刻んでありますわね。見たことのない文字列ですから効果はわかりませんけど」

「そうやって瞳をすぐに開く愚かな教え子の為に用意しました」

「怒らないでくださいまし。これはシャリィ先生の教育の賜物ですわ」

「自分の命を削るような教えはしてない筈ですが?」

「削らない方法も教わってませんわ」

 

 むしろ研究課題の事を考えれば削る方法しか教わっていない気もする。たぶん気の所為、というかシャリィ先生の期待に応える為に俺が無理をしているのだけど。

 ともあれ、術式自体は似たような物である事は()()()ので眼鏡の方を装着する。

 度は入っていないのか視界は歪んだりはしないが、元々在った違和感は消えた。

 

「この目の抑制ですわね」

「弦の先にある魔石で起動しています」

「……なるほど――」

「先に言いますが、ご自身で魔法式を編んで起動しないように」

「……わかってますわよ。そんな事しませんわ」

 

 なんで思考が読まれるんですかね?

 まあソレはソレとして。体の中に編んでいた魔法式を起動させてみても眼鏡をする前のように正確に読み解く事は出来ない。通った式自体はわかるけれど、それは既に組み込んでいるからであるのだろう。

 っと、シャリィ先生の目が鋭くなったので魔法の起動を停止させておく。ナニモシテマセンヨーとニッコリ笑えば溜め息を吐き出された。解せぬ。

 

「眼鏡も眼帯も世界との接続抑制の物です。眼帯の方が繋がりを強く遮断する物を刻んでいます」

「普段の魔法も意図しては繋いでませんわよ?」

「魔法式の確認が出来ている時点である程度は繋がっていると考えてください。人の身には危険です」

 

 つまり、眼鏡も眼帯も堰のような物か。あんまり意識してなかったけれど、緩くとも常に世界との接続をしていた訳だな。魔石を量産できるのでは……? いや、本格的にシャリィ先生が怒るし、たぶんこっそり量産してもアマリナからシャリィ先生に伝えられるだろう。敵だらけか?

 

「シャリィ先生が私の男装を見破ったのは世界と接続していたからですのね」

「は?」

「む、これでもアマリナやヘリオ以外にはバレた事がなかったんですのよ?」

「……ああ、見た目だけなら確かにわかりませんでしたね。安心してください。私以外にはわからない方法です」

「ぜひご教授願いたいものですわ。そうしたなら次はバレませんもの」

「ご安心ください、ディーナ様。たとえ貴女が異形の者になったとしても、私は貴女とわかりますよ」

 

 花が綻ぶように笑んだシャリィ先生に口を噤む。これは本当にバレるな。

 しかし、何が問題なのだ……。さっぱりわからん……。

 

 悩む俺を見ながらシャリィ先生は何かを言おうとして、何かに気付いたのか開いた口を閉じて誤魔化すように微笑みに変化させてお茶を一口飲み込んだ。




シャリィ先生が誤魔化した内容ですが、
「私が貴女の魔力をわからないとでも?」
という何年もずっと見てきた事や自分以外では見破れないというちょっとした独占欲やら何やらで。それらを意識して誤魔化してお茶を飲んでます。耳が赤いです。可愛いな?

アンケはスピカ様がダブスコだったのでその方向で話を進めます。頑張ってキャラデザ案送るからよぉ……止まるんじゃねぇぞ(更新

あ、そうだ(唐突

実はディーナ様の眼鏡差分も書いて頂いていたので、みんなにも共有して自慢しておくね……。

【挿絵表示】


感想に関しては全て目を通してますが、気が向いたりしたら返信したりしなかったりします。
許して亭許して……。


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37.悪役令嬢は引き入れたい!

沢山の誤字報告ありがとうございます。
なんでこんなにあるんですかねぇ(白目

あ、キャラ増やします(性癖


 眼鏡を着用してからというもの、体調が驚く程よくなり俺に隠されていた力が湧き出てきた。という事は一切ない。

 眼鏡にはそんな効力もないし、俺に隠された力など恐らくない。あったとしても、貧弱な物かそれとも使い勝手の悪い物か。巨大な力を手に入れた所でソレを扱う人間が俺という時点で中々に使えなくなるのが問題だな。

 眼鏡をしている時は問題ないけれど眼帯はヤバい。アレをしていると外部干渉するような魔法が全く起動してくれない。オークを氷結させた魔法は当たり前のように起動しないし、アレクやヘリオを押し潰した魔法も使えない。

 シャリィ先生なんでこんなの持ってきたのさ……俺が魔法を使うからですね。わかる……わかりたくはなかったよ……。

 両方の性能確認をする為に魔法を行使したのは内緒である。監視として呼んだアマリナにもちゃんと先生には言わないようにお願いしたので大丈夫だ。何も問題はない。魔法を行使する度にアマリナからの視線が痛くなるぐらいである。それでも可愛いので何も問題はないな!

 

「それで、警邏を増やした結果はどうですの?」

「以前よりもスリの被害は減りましたが、無くなってません」

「大元の原因はわからないままですもの。後手の予防でしかありませんわ」

 

 ベガから受け取った書類を読みながら一月前に施行した警邏の強化の具合を確認する。ヘリオは部隊を指揮しているのでこうして人伝いであるけれど……。ヘリオをこき使い過ぎてるな。どこかで労っておこう。

 ともあれ、後手になっているのはある意味仕方ない事である。根絶させる為には犯人を捕まえるのが手っ取り早い。スリを行う原因が自身の富を肥やす以外なら、危機感を味わいたいのか、貧困が原因か。思いつくだけでも幾つか頭に湧くけれど、後者なら街を豊かにする事によって予防はできる筈だろう。

 前者二つならば、徹底して潰さなければならない。また予算が減っていく……。街道整備の為にある程度予算を割いているから出せる予算はもう無いんだけど? 無理では?

 

「何かいい案があるかしら?」

「現状維持が妥当でしょう。無くなってはいませんが、確実に被害は減ってきています」

「大元を捕らえる案は無いのかしら?」

「あれば言ってますよ」

「それもそうですわね。警邏を減らして市民に被害を出す訳にも……」

 

 ん……? 市民に被害がなければいいのか。ふむ……。

 

「ゲイルディア殿?」

「なんでもありませんわ。今日ももう上がっていいですわ」

「ゲイルディア殿もあまり無理はなされぬように」

「無理をしたことなんて一度もありませんわ」

 

 自身に出来る事を最大限にしているだけで、それは無理とは言わないのでセーフ。俺は無理、してない。いいね?

 

 

 

 

「おや、ディンじゃないかい。今日もお仕事から逃げ出してきたのかい?」

「これは言い草だね。まるで俺が仕事をサボったような物言いじゃないか」

「この間、アンタを探して騎士様がそこらで聞き込みをしてたよ」

 

 ヘリオぉ! この前黙って抜け出した時かッ! アマリナに頼まれたか、いや、アイツが気付いて一人で動いたな……。眼帯をしていると影の移動も出来ないっぽいし。

 でも眼帯はしておくべきだろう。眼鏡だと瞳の色が特徴的過ぎてディーナ・ゲイルディアだとバレる可能性もあるし……。すまん、ヘリオ……。許してくれ……。今日も許して……。

 

「当然、俺が逃げれるように言ってくれたんだろうね?」

「バカ言いなよ。あたしらが騎士様に嘘を吐ける訳がないだろう?」

「……このパンを頂くよ」

「安心しな。あたしらの口は固いよ」

 

 逞しい事である。小麦の焼けた匂いを嗅ぎながら一口頬張る。

 さて、連日街に出ているけれど今の所目立ったスリの被害は無い。報告で被害が多い区画はある程度絞っているけれど、そこでも遭わない。警邏を増やした事を切っ掛けに徐々に減って、無くなる事を祈るけれど。

 自分が勝手に出来るお金からそれなりにお金を使って餌をバラ撒いているけれど、どうにも引っ掛かってくれない。無防備さらしてるから都合のいい餌っぽくは見えていると思うんだけれど。

 ヘリオの聞き込みで警戒されたか……。もしくは単純に監視して隙を伺っているか……。何にしろ、そろそろ俺の財布がダイエットに成功しそうなのでさっさと釣り上げられてほしい。

 パンの最後の一口を噛み締めて頭の中で残りのお小遣いを思い出す。

 小さな衝撃が俺の臀部辺りに当たり、咄嗟にそちらを向けば少年がぶつかったようだ。

 

「おっと、すまな……」

 

 謝罪の言葉を言い切る前に真っ赤な髪の少年は一目散駆けていく。先程まであった腰の重みが無くなっている。改めて目を少年へと向ければ小さい赤は更に小さく遠く駆けていく。良い逃げっぷりである。

 ようやく釣れた事に笑みを浮かべる。どういう訳か近くに居た人から怯えたような声が聞こえる気がしたけれど、気の所為にしておこう。

 足に力を入れて駆ける。片目だけで遠近感がわかりにくいけれど、丁度いい訓練にもなるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確りと握り込んだ小さな革袋の感触を確かめる。

 視界に映り込んだ街は走り慣れた街であり、普段から逃げている街である。

 人の目を避け薄暗い路地へと入り込み、はち切れそうな程脈打つ鼓動を少しだけ少女は抑えた。

 路地端から走ってきた場所を見れば誰もこちらを向いていない。誰かが走ってくるような気配もない。いつだったかはここまで追いかけてきた商人が居たけれど、どうやらあの男はそうではなかったらしい。

 少女は息を整えてからようやく強く握りしめた革袋に意識を戻す。手に掛かる重さは中々のもので、身なりのいい男から想像すればかなりの額が入っている事は予想出来た。

 これだけあれば、暫くは食いつないでいけるだろう。大凡の金額を頭に浮かべた少女は辺りを警戒しながらひっそりと隠れ家とも言うべき我が家へと足を向けた。

 

 入り組んだ路地を遠回りしながら到着したのは既に人は住んでいないであろう廃れた家である。それほど大きくもなく、隙間風が寒いのが難点であろうか。それでも少女にしてみれば雨をしのげるだけで十二分であったし、隙間風も些細な問題でしかない。

 ギィ、と少女の体重で鳴く床板を踏みしめながら足取り軽く一室へと向かう。

 重い扉を開けば、その部屋の住人である友人が既に顔を向けており、笑顔を浮かべていた。

 

「おかえりなさい、レイ」

「ただいま、フィア」

 

 廃れた世界で唯一清潔を保っているのか白いベッドに座る白い少女。髪からは色が抜け落ち、抜け落ちた色が瞳に集まったように赤い。

 白い少女であるフィアの笑顔を見て、レイはようやく帰宅出来たのだと安心出来た。小さく息を吐き出して、今日の獲物であった男を思い出す。見てくれはどこかの商人とも思う。記憶している街の人ではなかった筈だ。

 自身とは違って頭の良いフィアからそうした方がよい、と言いつけられていたからスリの調子と腕は上がった。今日の獲物も容易かった、と報告も出来る。

 

「……そちらの方はお客さん?」

「客?」

 

 クスクスと笑うフィアを訝しげに思いながら視線を追えば自身の後ろに繋がり、そこには隻眼で金色の髪を一括にした商人風の男が立っていた。

 男はレイの視線に気付いたのか、ニッコリと悪辣な笑みを浮かべて口を開く。

 

「やぁ、お邪魔するよ」

「ッ――!」

「判断力はいいな。力量を計れないのは、こういう経験が不足しているのか?」

 

 自身ではなくフィアを守る為に出した拳は容易く受け止められ、その腕を捻り上げられてレイは埃の溜まっていない床に押し倒された。

 藻掻いても力で勝てる訳もない。フィアよりも悪い頭を動かして、叫ぶように口を開く。

 

「ボクはどうなってもいい! フィアは見逃してくれ!」

「……ふむ。君が件のフィアか?」

「こんな状態ですみません。足が不自由でして」

 

 フィアは侵入者である男にベッドで半身を起こしたまま軽くお辞儀をしてみせる。

 男はそんなフィアの言動に「ほう」と呟いて、舐めるように視線を這わせる。

 そんな呟きを聞いて床に押し付けられているレイは藻掻く力を込める。肩に痛みが走るけれど、そんな事は関係ない。自分がフィアを守らないといけない。

 

「……さて、まずは見事なスリの腕だと言おうか。惚れ惚れするね。腕の一本斬り捨てて再犯の防止を考える程に」

 

 掴まれている腕に僅かに力が加わったのがわかった。底冷えするような声にレイは奥歯を噛みしめる。自身の腕一本でフィアを救えるのならば、安いとも考えてしまう。

 飛んでこない反論に男はただジッとレイを見下し、その視線をフィアへと向ける。

 

「それとも、君の心を折った方が効果的か? 例えば、目の前でフィアを殺してしまう、だとか」

「ッ! やめろ!」

「おい、動くなよ。お前は立場がわかっていないのか?」

 

 今までまったく体重が掛かっていなかったとでも言わんばかりにレイの背中に圧が掛かる。同時に腕に込められていた力が強くなり、逆の腕で頭が押し付けられ上手く発音すらさせてもらえない。

 

「この少年にスリを教えたのは君か?」

「いいえ、私はただ作戦を練っただけです。スリは彼女の腕前です」

「彼女? コレは女の子だったのか」

「んぅぃんに!」

 

 身動ぎしながら叫ぼうとするレイを抑えつけながら男は肩を竦めて、フィアは隻眼の男をジッと見つめる。

 

「作戦について聞いてもいいか?」

「なるべく旅人や行商を狙う事。事前に狙う人を確認する事。あとはその都度決めていました」

「君は出歩けないのだろう? どうやって事前に確認を?」

「孤児は私達だけではありませんから」

「……なるほど。事前に大凡の逃げ道も定めていたかな」

「はい。最近は兵士さんも増えたみたいですし」

「それでも逃げ切れた」

「兵士さんの行く道、時を覚えていれば問題はありませんでした」

 

 それでも貴方には捕まったみたいです。とフィアは笑みを浮かべて男を見つめた。

 男は少しだけ考えて、口を開く。

 

「しかし、コレよりも君は随分と余裕だな」

「だって、貴方はここに来るまでにレイを簡単に捕まえられたのにソレをしなかったでしょう?」

「首謀者を捕まえたかった、とは思わないか?」

「それなら尚の事。貴方はこの街を警護する立場の人間でしょう。レイを追い掛けてここまで来たという事も加えれば自由に決定出来る立場です」

「必死に追い掛けただけかもしれない」

「それならレイに追いつける訳がありません」

 

 男は笑みを浮かべる。悪辣に、まるで悪魔のように口を歪める。

 

「いいな、君。実にいい。君の目論見通りに俺は君が欲しくなったが、どうすれば君が手に入るかな?」

「……二つほどあります」

「言ってみろ。俺に叶えられるのなら叶えてやろう」

「まずはこの辺りの孤児達は私達の収入で生きていました」

「わかった。保護するように働きかけよう」

「……二つ目はレイも一緒に貰ってください」

「犯罪者を囲い込むつもりは無いが?」

「なら私達を捕まえて腕を切るなり、処刑するなり、ご自由に」

 

 譲歩するつもりも無いのかフィアはきっぱりと言い、ジッと隻眼の男を視界に入れる。

 自分の価値は十二分に示した筈だ。この男が自分の前に立った時点で自分たちは詰んでいる。

 

「君が手に入るのなら安いな。よし、わかった。君を買おう」

 

 男は暫し思考した後にそう言い切って、椅子にしていたレイを解放した。立ち上がったレイはすぐにフィアへと駆け寄って彼女を守るようにして男との間に入る。

 そんなレイを見下しながら男は溜め息を吐き出した。

 

「フィア、逃げよう。まだ大丈夫だから」

「レイ……大丈夫よ」

「おいガキ。目の前に飼い主がいるのに大丈夫とは何だ大丈夫とは」

「イ゛ッ!」

「さっさと荷物を纏めてこい。すぐに出るぞ」

「レイ、大丈夫だから、お願いね」

 

 頭に落とした拳骨が余程痛かったのかレイは男を睨んだがフィアの一言に渋々と部屋を出るまでに何度も視界を男とフィアの間を行き来させ、部屋の扉を出れば慌ただしく床を鳴き響かせた。

 

「すみません」

「いいさ。予想出来ていた。さて、賭けは君の勝ちで決まった。もう力を抜いてもいいぞ」

「……バレてましたか」

「君たちよりも長く生きているからな。それだけだよ」

 

 自分を抱きしめるように震えを止めるフィアを見ながら男は緩やかに眼帯を外し、踵を二度程鳴らした。

 両異色、先程まで見えていた左目の青とは違い、極彩色のように見る角度によって変化する不思議な瞳をフィアは見つめる。

 

「持ち上げるぞ」

「え、キャッ!?」

 

 自身の瞳が見られている感覚を認めながら男はシーツでフィアを包んで横抱きにする。持ち上がる視線に戸惑いながら、男の負担にならないようにフィアは首へと腕を回して体を支えた。

 

「どうした、フィアッ! お前ッ!」

「うるさいぞ。レイは荷物を持ちながらあとについて来い」

 

 持ってきていた荷物を確認した男は呆れたように溜め息を吐き出してレイへと命令を下す。

 

「……そのままボクが逃げたらどうするのさ」

「ほう。俺がフィアを自由にしてもいいと言うことか?」

「それは嫌だ」

「じゃあ付いてくるしかないな。まあ悪いようにはしないから安心しろ」

 

 横抱きのままフィアを運んでいる男の後ろを心配そうに付いて回るレイ。そんなレイの表情を見てフィアは微笑みながら男へと視線を向けた。

 

「随分と手慣れてますね」

「これでも子供の扱いはよく知ってるんだ。君達よりも素直だったがね」

「ご結婚されていたんですか?」

 

 そう問えば、男は苦々しい顔になり、振り払うように首を横に振ってから否定を口にした。

 フィアが謝罪の言葉を述べれば、受け取るだけ受け取った男は無言になってしまう。触れてはいけない話題としてフィアは認識し、働き先に行けばレイにもよく言い聞かせておかなくてはならない、と頭の予定に組み込んでおく。

 

 歩いていれば薄暗い路地を出て、開けた道に出る。まだそこらでは活気ある声が聴こえ、フィアにしてみれば想像上でしかなかった風景が広がっている。

 その中でポツンと浮き出る馬車と頭を下げている褐色のメイド。

 

「お待ちしておりました」

「気付いてよかった。このまま移動するのは手間だからな」

「……それらは?」

「あとで話す。とにかく戻ろう」

 

 馬車に乗せられたフィアに続いてレイも馬車に乗り男とメイドも乗り込んだ。男は右目を隠すように眼帯を改めて着け直し、窓の外を興味深く見ているフィアへと視線を移す。

 いつかの自分もそんな反応をしていた気がする。そう思考したけれど、彼女程自分の頭の出来はよろしくない。

 

「さて、フィア。俺の立場を予想していたね。そろそろ答え合わせをしよう」

「……兵士さんの隊長では?」

「間違っていないが、それは正しくはない」

 

 男は縛っていた髪を解く。広がり、波打った金髪が男の印象を変化させ、()()は喉へと手を当てて軽く咳払いをした。

 

(わたくし)も自己紹介しますわ。私の名はディーナ・ゲイルディア。この街を治める、貴女達の主よ」

 

 女の声で発せられたその言葉にフィアもレイも驚いた顔をして、まるで悪戯が成功したようにディーナは笑みを浮かべた。隣にいるアマリナは疲れたように溜め息を吐き出した。



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38.第二王女は嫌いたい!

お久しぶりです。


 生まれてからヒトに対して大きな負の感情を抱いたことは一度もなかった。

 自身を取り囲む環境がそう育てたのか、接していたヒトが自身を隠すことが上手かったのだろうか。いいや、相手の思惑の表層は察することができたのだから後者ではないだろう。

 相手の思惑がわかる。と言ってもそれが正しいかはわからない。自分を陥れようとしているヒトや自身をよく見せて取り入られようとしているヒトが多かったのは環境が原因なのだから、やはり理由は前者にあるのかもしれない。

 それでも、たった一人だけわからないヒトが居た。

 平穏を望んでいると思っていたのに自ら危険の渦中へと身を投げ込む。自分の幸せを祈っていた筈なのにソレを容易く他人へと渡した。

 もう姉と慕うことを許されない、ディーナ・ゲイルディアはそんな人間であった。

 彼女の能力であったなら容易く勝ち取れたであろう平穏も幸せも、売払い、汚名を買った。彼女が得た物はきっとそれだけだ。

 結果として、許嫁であった兄が恋をしているらしい女が彼女の持っていたであろう全てを奪った。

 

 

 目を細め、小さく息を吐き出して意識を逸らす。

 

 全てを奪われた筈のお姉様を可哀想だとは思わない。それはきっと彼女に対しての侮辱になる。

 お姉様は彼女の事を否定せずに、客観的に彼女を見てくれ。と願った。その想いはきっとわたしとあの女の関係が悪くなればソレを狙う輩も出てきてしまう。そうなればどちらかの立場が悪くなるだろう。

 

「おはようっ、スピカちゃん」

「おはようございます。アサヒさん」

 

 笑顔を作って挨拶を交わす。この女は与えられた立場に満足しているのか、それとも持ち前の楽観からか、わたしと喋る時も笑顔である。

 数ヶ月、実時間にしてみれば数日程この女の観察をしてわかった事がある。この女は実にわかりやすい。おそらく、私が出会った中で最もわかりやすい存在だ。

 悪意が無く、害意が無く、純粋な感情で生きている。百面相の達人、と皮肉を込めれるぐらいにはころころと表情を変える。それも感情のある表層を見せるのだから、腹芸の出来ない人である事はすぐにわかった。

 それこそお姉様とは真逆の存在である。

 真意を隠し、外聞を掌握して、表面を僅かに見せる程度のお姉様。

 真意を曝け出し、外聞を気にして、表層どころか真意まで見えてしまうこの女。

 

 影で護衛してくれている娘から受け取った報告書ではこの女の事が書かれていた。それこそ危険性は無いと書かれていたし、実際に会って無害と断じられた理由もよくわかる。

 彼女は楽観的であるし、裏表の少ない存在である。これであの女が全て計算尽くでお姉様の存在を除去したのならば、それこそお姉様よりも能力の高い存在である証明になるだろう。そんな事は無いけれど。

 

 他愛もない世間話。明るい女らしい取り留めのない話。

 思わず笑ってしまったのは、この女があまりにも楽しそうに話すからだろう。

 

「アサヒ!」

「あ、リゲル! またね、スピカちゃん! 勉強頑張って! ファイト!」

「アサヒさんも頑張ってください」

 

 激励を言葉にした女はお兄様を前にしてよりいっそう笑みを輝かせた。

 守護役であるレーゲン・シュタールも相変わらずの人懐っこい笑みを見せて、どうやら誂われたらしい女が膨れ顔を見せながら、笑う。

 その笑みを見て、お兄様も柔らかく笑っている。

 まるで日だまりのように、穏やかで、優しい空間だった。

 

 

 その場所には本当は、お姉様がいた筈なのに!!

 

 

 心がザワつく。

 笑みの奥で歯を食いしばり、自分の心を抑えつける。これ以上、見ていればどうにかなってしまいそうだった。

 左手首に付けている小さな石が連なった、今にして見れば不揃いなブレスレットを手で撫でる。お姉様が魔除けと贈ってくれた物を支えにして、心を落ち着ける。

 贈られた時から片時も放さなかった大切な物。

 これをしている間はお姉様と一緒であれる気がする。本当は隣にいて欲しかった。けれどそれは叶わない。

 悔いはある。自分がもっと上手く動いていれば、という悔いはわたしの心に確かにある。けれど同時に現状が最善で無いにしろ、正しい事もわかる。

 

「……損な役回りですわ」

 

 ポツリと吐き出した言葉が誰を指すのか、わたしですらわからない。

 お姉様なのか、わたしなのか。それともお兄様なのか、あの女なのか。それとも他の誰かであるか。

 何にせよ、お兄様がお姉様を手放した事はわたしにとって僥倖である事は間違いない。お父様への宣言もしたから大きく動いても問題は起きないだろう。

 

 あの女の事はこの上なく嫌いだけれど、感謝もしている。彼女のお陰でお姉様を手に入れる事ができる。わたしだけのお姉様にする事ができる。それはきっと甘美な未来になるだろう。

 どうせお姉様の事だからあの褐色も連れてくるだろう。それを拒むほどわたしは狭量ではない。

 それに上手く調教してやればお姉様も褒めてくれるかもしれない。いいや、お姉様はアレでも独占欲の強い人だ。きっと取り上げてしまうとわたしを咎めるかもしれない。わたしが、叱られる? お姉様に?

 

「ふふっ」

 

 漏れ出た笑いを微笑みに薄める。あのお姉様の瞳が絶望と欺瞞に染まり、けれど正しく敵意を向けてくるのを想像してしまった。

 胸の底がぞわぞわと逆撫でられ、身が震える。

 それはきっと堪らなく不快で、とてつもなく悲しく、途方もなくわたしを悦ばせてくれる。お姉様を独り占め出来た証明にきっとなる。

 けれど、それはしない。少なくとも今は。する必要もない。雫が天から落ちるように、川が流れるように。だからあとは流れを逃さないように、石を置いていくだけ。そうすればお姉様はわたしの側に居てくれる。

 本当は学校など行かずに貴族達へ根回しておきたかった。幾らか手中に治めなければ、()()()()()()に困ってしまう。

 王族としての生活と比べれば学校のほうが幾分か動きやすくはある。わからない相手に対しても少しは隠す事ができるだろう。

 

「……ま、窮屈なのは変わりませんが」

 

 それでも、何も問題はない。

 あの女は警戒するに値しないし、お姉様の弟であるアレク・ゲイルディアもいる。何か問題を起こしたらしいけれど、お姉様が上手く隠したらしい。これを暴く事をお姉様との遊びだと思おう。そうしないとやっていけない。

 

 それに、あの女には同情もしている。

 これは女としてのわたしの感想であるし、王族としてのスピカ・シルベスタとしても思う。嫌いだけれど。

 彼女がどう思おうと、彼女は波紋を起こす石になった。何が要因かはわからない。生まれ持った黒髪か、それとも彼女の本質か。別の何かか。それを推理するのも一興かもしれない。目的の片手間程度には考えてやろう。

 石になった事は同情しよう。彼女の性格を考えても放り投げられた事も、同情してやろう。

 

 

 ただ、それを許すかどうかは別の問題である。

 

 

 

 精々、苦しんで、絶望して、お姉様に知られず、死んでくれ。



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39.悪役令嬢は進みたい!

ようやくエルフに向かうってマ……? 進行遅杉内……?


 一年の準備期間を経て、ようやく街道整備に着手できるようになった。俺の予定ではもう暫く掛かってしまう目算であったけれど、フィアとベガがかなりフォローしてくれた。

 ベガは何のツテかわからない商人連中との間を取り持ってくれたし、フィアは頭の回転が物凄く良いので非常に有用である。教えた端からちゃんと実行できているし、今も政務関係で俺の補佐に置ける程度には重宝してる。何より出生や元々の所属が明らかになっているのもよかった。

 ベガに任せる事もできるけれど、アレはあくまでお父様から遣わされた存在であるし、上手く使おうにも扱いが難しすぎる。それでもカチイの発展においては尽力してくれているのはわかるので、ある程度俺が自重していれば勝手に動いてくれる。赴任当初にあったゲイルディアの利得になるように動く事も無くなったので俺を見定める期間は終わったようで安心である。

 

 口には出さないけれど、フィアとレイを身内に入れたことで街の犯罪率が下がった事も俺にとっては嬉しい出来事である。反面、今まで起こっていたスリ被害の半分以上がフィアとレイが行っていた事である証明でもあったので頭を抱えたけれど。

 フィアは俺につけて政務を教えているが、生意気極まりないレイはといえば。

 

「おい、茶を淹れたぞ」

「……貴女は一年経っても相変わらずの口調ですわね」

「なんだよ。アンタが別にいいって言ったんだろ」

「またアマリナに怒られますわよ」

「っ……」

 

 ツンツンだった赤毛は撫でつけられ、ここ一年で少年ではなく少女に見えるようになってきたレイはメイドの格好をさせている。レイの扱いはそれはそれは非常に、非常に、力を入れた。

 そつなく熟すフィアと違って、レイは俺に対してこんな態度であるし、それはもうアマリナが激怒した。激怒と言っても表情で言えば珍しくわかりやすい笑顔を浮かべていたのだけれど、それはもう怖かった。ヘリオなんてその時点で「おっと、警邏に行ってくるかな」と非番の癖に逃げ出す程であった。俺も逃げたかった。逃げられなかった。

 ともあれ、メイド教育はアマリナに託して俺はフィアの教育を行ったのだけれど、翌日会った時のレイがガタガタ震えながら「オジョウサマ、ワタシハオジョウサマノメイドデス」と言っていたのは怖かった。

 アマリナが鞭になっていた分、レイが適度に甘くしている俺に懐くのは早かった。懐いた、と言っても主従としての関係であったし、この娘はこの娘で器用なのである程度はすぐに覚えてくれた。お茶はアマリナの方が美味しいけれど。

 器用さや敏捷な身のこなしをメイドとして使うには勿体無い。

 更に言えば、二人は危うさがある。相手の為に自分の身を犠牲にしようとするのはいいが、如何せん弱すぎる。意思だけでは守れる物も守れない。

 彼女には日中はメイドとして、夜にはヘリオと俺の訓練を積ませた。理論として理解してくれるフィアとは違い、レイは理解はしてくれるが納得はしてくれない。自分なら、という意思があった。それを叩き折った。倒れ伏すレイに「相手だけじゃなく自分も大切ですわよ」って説教したらヘリオからどうしてか生暖かい目で見られたのもいい思い出である。

 

 一年という鍛錬の期間は短いけれど、それでもミッチリと叩き込んだのである程度の有事には足が不自由なフィアとレイ自身を守れるぐらいは対処できるだろう。

 

「まだアマリナの方が美味しいわね」

「はいはい、わかりましたよーっだ」

「私はレイのお茶も好きよ」

「さっすがフィア!」

 

 車椅子に乗りながら微笑むフィアは一年前まではスリを首謀していたとは思えない。貴族としての教育はしていないけれど、俺の右腕として側に着けるとなれば教育もしておいた方がいいだろう。

 フィアはフィアで俺以外に対して牙を剥くことが多い。レイよりも多いが表情として見せていない分フィアの方が問題児だろう。有能に甘い蜜を吸わせて手綱を握っている俺とは違い彼女は清廉を求めたし、不祥事を纏めた資料を俺に提出してそいつらに対しての罰を求めた。

 フィアの感情もわかる。なんせ元々平民であった自分達が収める税金の行方がわかってしまったのだ。それでも俺はソレを罰する事は出来ない。同情ではなく、慈悲でもなく、単純な利益の都合だ。

 彼らが居なくなればその仕事は滞るし、何よりお父様の派閥以外から遣わされているのだから上手く使ってやればいい。顔だけで選んだメイド達もそうである。

 壊死していない腕を切り捨てる気にはならない。自分の言うことを聞かない腕も、必要はない。金さえ与えればまともに働いてくれるのだから、マシだろう。

 彼女の物覚えの良さはこういう俺の部分が原因なのだろう。彼女が使えるようになれば、更に出費が減る事だろう。

 

 何にせよ、その時には俺は死んでいるだろうし。俺の全てはお父様に還元され、優秀であるのならばアレクも支えてくれるだろう。レイも付けて渡してやればアレクもこの面倒な政戦を耐え抜く事もできるはずだ。たぶん。

 その辺りはアレクの成長具合によるし、いっその事フィアに政戦関係も教えておくか? 詰め込みすぎても覚えるだろう事はわかるが……。俺が死ぬまでに教えきれるだろうか。残りはベガとお父様に任せるか……。負担を押し付けるようで申し訳ないが、俺にどれだけ時間が残されてるのかもわからないしな。

 

「主様は私達二人を見る時、よくそうやって遠くを見てますね」

「そうかしら?」

 

 表情に出てしまっていたか。なるべくバレないようにしていたつもりだったし、それなりに人を騙せている表情筋であるが、フィアには無駄らしい。

 

「はい。いつだってお作りになられてる表情より人間らしいです」

「……フィアも大概ね」

「恐れ入ります」

 

 溜め息混じりにフィアに言ってやればニコニコと笑みを貼り付けて頭を下げやがった。隣に居たメイドのレイは首を傾げていて何かわかっていないようだ。

 この娘はホントそういう所は容赦しないな。たぶん俺相手だからしてるのだろうけど、ベガ相手ならちゃんと自己制御してるだろうし。他の部下達にもそうであろう。

 

 街の基盤は俺が居なくてもあとは勝手に進むだろう。商人連中をこちらに向かわせる事が簡単にはなったけれど、それでも餌が無い。現状であるならば行商達の商売に僅かに税を課してるけど、行商が好んで買う物品が少なすぎる。街道整備である程度の利益は出るが、やっぱり特産品が欲しい。

 お金が無ければ魔法式の研究もできない。魔法石だってタダではない。やりたい公共事業もまだある。魔法石を売ろうにも俺の力量では足りなさすぎる。リゲル殿下やスピカ様に贈ったような魔法式を刻んだ魔法石を売ろうにも一般人どころか宮廷魔法使いにだって装飾品扱いである。かと言って装飾品扱いであるのならば価値がそれほどない。元手を割る。

 

「ディーナ様、シャリィ先生がお目見えです」

「先生が? 客間に通してくださる」

 

 マズイな。何がバレたんだ……。

 最近は事情の知らないレイを誘って魔法実験をしていたから怒られる要因はないと思うんだけれど。よもやアマリナにバレて伝わったか……? いや、アマリナが俺に不利な事をする筈がない。いや、魔法に関しては叱ってくるから可能性はある。

 先程の声も少しだけ嬉しそうな感情が混ざっていたし、あのアマリナが嬉しそうとなれば……なんだろうか。カフスを贈った時も喜んではいた気がするけど、シャリィ先生関係だとわからないな。

 事務をフィアに任せて客間へ移動する間にも心当たりを考えたけれど多すぎて特定できない。うーん……。

 

 

 

 

「お久しぶりです、ディーナ様」

「久しぶりですわ。シャリィ先生。それで、私が何かしましたか……」

 

 安心してくれ。もう俺は謝る態勢だぞ……! 初手謝罪によって俺は心のダメージを軽減するぜッ!

 

「何かされたんですか」

 

 呆れた目で返された。もしかしてバレてないのでは……? これは勝ったな。風呂入ってくる。

 アマリナに視線を向ければこちらはこちらで首を傾げていた。やはりバレてないな。

 意識を誤魔化す為に眼鏡の位置を直す。

 

「冗談ですわ。シャリィ先生もお変わりないようで」

 

 ハーフエルフだからか、出会った時からあまり成長していないシャリィ先生は相変わらず小さくて可愛い。お肌もすべすべだし、たぶんもちもちしてる。

 今となっては俺の方が身長も高いし、並べば姉妹のように見えるかもしれない。いや、シャリィ先生はゲイルディアのように悪い顔はしていないし、理知的な表情が似合う。

 

「それでどうかなさいましたの?」

「近況報告と貴女の確認です」

「私は変わりませんわ。眼鏡も眼帯もありますし」

「それでも確認は必要でしょう。見た所、予想よりも進行している様ですね」

 

 シャリィ先生の予想は恐らく俺が魔法を行使していない場合の予想であろう。だから、彼女の予想よりも進行している。まあそれは別にいい。俺が死んだ所で世界は回るし、その準備もしている。

 それでも魔法を使っている事を言外に叱られた気がする。両手を軽く上げて降参を示してからアマリナの淹れた紅茶を一口飲む。やっぱりアマリナの紅茶は美味しい。

 

「今はカチイの発展で手一杯ですので、片手間ですわよ」

「私は使うな、と言いませんでしたか?」

「……はて、愚かな教え子なので忘れましたわ」

「結構。結構。いつか躾しますのでご安心ください」

 

 ヒェッ……。ニッコリと笑っているけどシャリィ先生が怖いです。デレ期はどこに行ったんだ!

 

「そ、それで、近況報告とは?」

「ええ。カチイにエルフの織物を卸しませんか?」

「……エルフとの交流はありませんわよ」

「その辺りは私が繋ぎました」

 

 エルフの織物ならあの愚鈍な魔法使い達でもわかる程魔力を保有しているのだろう。俺も実物は見ていないし、()()いない。それにシャリィ先生が既に繋いだと言っているのはどういう事だろうか。

 あちらに得がある? 今まで人と接する事を避けていたらしいエルフ族が? 歴史を紐解いてもちゃんとした交流が多かったのは初代シルベスタ王の時代だけで、死去した際に交流が少なくなった筈だ。シルベスタ王の日誌で仲良くなったらしいエルフの女王の話も幾つかあった。

 それがハーフエルフであるシャリィ先生が繋げたのは、何故だ? カチイの状況を見て、というのならばシャリィ先生は直接財政に関わっていない。

 教え子の助け、というのが一番可能性はあるけれど……。シャリィ先生の弟子として言えば、この人が魔法の事以外で動いているのが違和感しかない。

 

「……わかりませんわね」

「何がですか? いい話でしょう」

「シャリィ先生が持ってきた話だからこそ、意味を考えてますの」

「私が信じられませんか?」

「その問いかけは卑怯ですわ」

 

 信じている。俺の優先順位的にも上位である。だからこそ納得出来ない。けれど裏は読めない。或いは本当に善意だけで動いたか……?

 それにシャリィ先生を通じて繋げられたエルフ達にも何か思惑はあるだろう。それもわからない。

 

「ディーナ様、これは王命です」

「……余計にわかりませんわね」

 

 シャリィ先生の懐から取り出された封書。蝋印には王族の家紋がハッキリと押されている。

 王命ならば熟す、けれどこうしてシャリィ先生越しに渡されるという事は密書でもあるのだろう。王命、というのは俺を退かせない為か。

 開けば淡々と命令が書かれ、エルフとの交流を密にしろという命令である。だからこそのシャリィ先生なのだろう。

 シャリィ先生だけに下賜されるのならばわかるけれど、俺まで含まれている理由がわからないな。陛下の配慮だろうか。リゲルの事で迷惑を掛けたから俺の方が申し訳ないんだけれど。

 

「わかりましたわ。王命であるのならば是非もありません。ただ、エルフ布の正確な見積もりは私では出来ませんから……そうですわね。ベガも連れていきますわ」

 

 アレはそういう事も得意だろう。それにお父様も一枚噛ませていた方がゲイルディアとしても利益が出る。王命であるからベガ自身も嫌とは言えない筈だ。

 

 それにしてもエルフか……。シャリィ先生を見てわかるけれど、美形に違いない。ちょっと楽しみだ。

 



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40.半分エルフは助けたい

大変遅くなりました。

ところでこれを見てくれ、こいつをどう思う?

【挿絵表示】

天使だろう? 天使!!! スピカ様!!!
お竹(@taketi)さんありがとうございます!!!! 遅筆作者は自慢したい!!!

2020/11/12 出迎えエルフの名称を変更


 エルフとの交流を図る。というのは王命である。

 けれどもこれは虚偽でもある。

 その事を知っているのは私と陛下だけである事を、彼女は知らない。知るわけがない。いくらゲイルディアと言えど、むしろゲイルディアであるからこそ、彼女は真実を知りはしない。

 虚偽ではあるが、事実でもある。なにせ王命である。その義務と責務は真実であるし、何よりそうでなければ彼女は動かない事もわかっていた。

 交流だけであるのならば私だけでよかった。ハーフエルフである事もそうであるし、他にも理由はある。それは、置いておくとして。

 

 陛下も彼女のことは買っていた。それは彼女の優秀さを考えれば当然の事であったけれど、調べるのにも苦労した。

 なんせ情報が全く以て虚偽に満ちていたからだ。

 そう考えればゲイルディアの噂の真実という物も知る事が出来た。……偏見と事実を重ねてみればゲイルディアの噂もあながち間違いではなかったが。

 私が王都を離れている間に色々あったらしい彼女の事は調べるまでもなく知る事ができたが鼻で笑ってしまう程の戯言でしかなかった。事実はわからないが、真実は読み解ける。

 

 あの娘がそんな事を出来る訳がない。

 あの娘の何を知っている。

 

 実に腹立たしい理由が陳列されたが、だからこそ見えてくる物もあった。調べれば調べる程に彼女に不都合な事実しか出てこないのは中々に笑えてしまったが。

 それもあり、裏側を探し当てる事が出来たのは僥倖であった。いいや、ゲイルディア当主が私に情報を流したのだろう。こういう事は得意なクセに自身の事になれば甘くなるのは親子らしい。

 わざと甘くしているのだろう。実に、親子らしい。

 陛下が彼女を買っている事がわかっても私にとって不慣れで面倒極まりない政略は強いられたし、何よりエルフとの会合もあった。

 両者とも、非常に、非常にッ! 面倒な事であったが!

 

 陛下との謁見は根回しと事情の説明をすれば早々に完了した。実際は彼女を呼びつけて王命を奉じなければいけなかったが時間がない事も説明し、略式として私へ奉じていただいた。

 書状には彼女の名前も記しているが、前述したようにエルフとの交流としての意味は薄い。

 

「どうかしましたの? シャリィ先生」

「いえ、何も」

 

 こうして同じ馬車に乗り揺らされている彼女を勝ち馬に乗せる行為は彼女自身があまり好んではないだろうけど、今回は飲み込んでもらおう。その為の王命である。

 私はこの娘のことを理解している。人間にしてはそれなりに長い付き合いがある。

 王命でなければ彼女はこの馬車になど乗っていないだろう。特にエルフへの繋がりをもたせるという建前が無ければ、である。無ければこの娘は「別に不便してませんし、シャリィ先生の眼帯や眼鏡(コレ)もありますから大丈夫ですわ」なんて言うのだ。

 

「どうして私の顔を見て溜め息を吐きますの?」

「いえ、何も」

 

 思わず吐き出してしまった溜め息の追求は笑顔で回避してやる。感情論だけで連れてくるのならばアマリナさん達を使えばいいのだけれど、アマリナさん達は事実を知らないし、知っていたとしても主であるこの娘を是とする。そういう関係である。

 だから理論立て、彼女の逃げ道を塞ぎ、強制した。

 こちらの思惑など、恐らく彼女は気付かない。それでいい。彼女が生きるのであれば、知られてもいいけれど。その辺りの信頼度は無い。

 

 チラリと外で馬に乗っている白髪の人物を見る。ベガと名乗り、()と紹介された人物は記憶にある。

 どうしてこの娘に仕えているのかはわからないが、至極面倒な事情があることは理解した。私の邪魔ではないから何も言わないし、流石のディーナ様もわからないらしい。いや、わかっていても彼女は気安い態度を取りそうであるが。

 

「ベガが気になりますの?」

「……えぇ、まあ」

「あれは仕事が出来る男ですわ。ちょっと気遣いが足りないけれど」

 

 ……これは気付いていないな? ()()のことは秘匿され続けた事だし、何より今はあのバカ王子がいる。

 またこの娘が思惑の中にいると思うと辛いけれど、私が告げれば今以上に強引に動かれるだろう。面倒極まりない。

 目を細めて彼女から視線を外し、改めてベガへと向ける。この娘がまた策謀に巻き込まれない事を願う。無理だろうけれど。

 

「もしかして、ベガが好みですの?」

「……そんな、まさか」

 

 何度かこの娘を殴ろうと思った事はある。基本的にこの娘が無茶ばかりをする癖にそれをそうとは思わないのが悪いのだけれど。今回もまた同じ感情になってしまった。全く別の理由で。

 自分の性嗜好というやつに頓着していないが、それでもあんまりな言い方であったのは事実であろう。彼女としてはありふれた話題なのか、首を傾げてみせている。

 肩を竦めて、呆れたように溜め息まで吐き出して否定してやれば彼女は笑顔を見せる。見惚れるほど美しく、鋭く、冷たい笑み。

 

「ああ、よかった。ベガはお父様から遣わされた人材なので。()()()()()()()()()()とあとが面倒なので」

「私はアナタの下にいるなら変化はないのでは?」

「ええ、だから。とても困りますの。想像もしたくありませんわ」

 

 そう言った彼女は表情を更に深くした。

 一拍して、ようやく彼女の言葉の意味を、おそらく正確に理解できた。ちぐはぐであるけれど、珍しく自分の命を捨てる以外の執着を見せてくれた。その執着が生きる糧になれば良いが、どうにも彼女は抜けているというか、諦めている。

 そんな彼女を否定も出来ずに、肯定も出来ずに行動をしている私が言えた事ではないけれど。

 

 

 

 

 

 


 

 エルフという種族は森の民である。

 魔法のあるこの世界において、ようやく人類以外の人型生命体と会うと思うと心は躍る。何より、エルフである。

 個人的にエルフというのは美の結晶であると思っている。それこそシャリィ先生も美人の類いであるし。

 何より服装である。それはもうエッチに決まっている。布だけとかそういった妄想の産物を引き合いに出しても問題はないだろう。つまり、そう、エッチなのだ。

 だいたい妄想の産物であるから、それほど期待はしていない。嘘だ。凄く期待している。

 その期待を叶えるように森の前に居たエルフはそれはもう美形であった。

 衣服とも言えない、けれども出来のいい布からスラリと伸びた手足と無駄のない肉の付き方、背にある弓矢は狩猟用なのであろう。

 

「む、ようやく来たか」

 

 綺羅びやかな金の髪、森を思わせる緑の瞳。日に晒されている白い肌。吊り上がった瞳がこちらを睨めつけているけれど、そんな威圧など関係なく思える程、エッチである。残念な事を言うのならばおっぱいがそれほど無い事であろうか。

 元々がそうである様に厳しい印象を受けるエルフの声は冷たく、シャリィ先生の後ろに控えていた俺達を一瞥した後はずっとシャリィ先生を見ている。

 ハハァン、なるほど、これは百合だな?

 

「出迎え感謝します。リヨース」

「まったくだ。なぜこの私がハーフヒューマンの出迎えなど……族長は何をお考えなのか」

「誰にも理解など出来ませんよ」

「ハッ、出来損ないが族長を語るな」

 

 シャリィ先生とエッチエルフの会話は聞こえている。

 商談用とも言うべき笑顔を顔を張り付けている内は我慢できるので、きっと何も問題ない筈である。魔力だって眼鏡のお陰で漏れ出してはいない。眼鏡が無ければ隣にいるベガが怯えていただろう。

 

「ディーナ殿、笑顔が怖いですよ」

「はて、何の事かしら?」

 

 ため息交じりに、けれども相変わらず人好みしそうな笑顔で告げられた苦言に表情と気持ちを持ち直す。

 エルフとの商談関係は先生に任せるように先に言われていたし、価値の目利きはベガが行う。連れてこられてホイホイ付いてきたけれど、俺いる? 要らなくない?

 そういう貴族の面倒な面子なんてリゲルとの別れ話で社交界から除け者にされるぐらいしか無いが? それでもゲイルディアとしてそれなりには地位を回復させたし、ある程度の繋がりも持っているけれど。

 

 ふむ、と悩みながら案内をしてくれている女エルフさんの尻を見つめる。少し肉が薄い気がするけれど、シャリィ先生のお尻の事も考えればエルフ自体がそれほど肉付きがよろしくないのだろうか。

 肉付きがよろしくなくても、おそらく布一枚を隔てて見えるお尻の形は実にキュートである。こちらの男心を擽る。既に男ではないけれど、男心は誰だってあるのだ。

 

 周りのエルフを見ても、俺とベガへは視線はそれほどない。シャリィ先生に注がれているし、何より目つきが気に食わない。蔑みや、謗り。俺が何度も受けたことのある視線である。

 

 気に食わない。

 

 足を止めて、大きく呼吸をする。ザワツイた体内の魔力を均一にして、揺れを隠す。

 ズレそうになっている眼鏡を掛け直して先生の隣を歩き、手を取る。

 

「なにか?」

「いえ、何もありませんわ」

 

 不満そうにこちらを向いたシャリィ先生であったけれど、握った手を振り払う事はしなかった。

 相変わらず、すべすべもちもちのシャリィ先生の手は冷たく、熱を分けるように強く握れば少しだけ温かくなる。

 今、俺はちゃんと笑顔を張り付けているだろう。これでもシルベスタ王国の貴族である。演じきるのは得意だ。

 

「少し待て、族長と話をしてくる」

「あらぁ、その必要はないわぁ~」

 

 木造の一際大きな家の扉の向こうから聞こえた間延びしたのんびりとした声。シャリィ先生の手が強く握られ、俺は安心させるように握り返す。

 きっとこれが、シャリィ先生の望む事なのだろう。彼女を苛む原因なのだろう。エルフとの断絶。或いはエルフの殲滅。どちらにしろ、望むのであれば行おう。幸い()()調()()()()()

 

 扉が開かれた。

 

「いらっしゃぁい、ヒューマン」

 

 でかい。

 でかい! すごい!! おっきい!! ばるんばるん!!

 誰だよエルフが肉付き悪いって言ったやつ!! 見てみろあのエルフ!! エロ同人なら横にムチィ?みたいな表現付くやつじゃん!! 俺知ってるよ! お世話になったもん!

 温和そうなタレ目をニッコリと微笑ませて、長く淡い金髪が揺れて、おっぱいも揺れている。おっぱいが揺れている!

 くそっ、どうしてシャリィ先生はこんなエルフが居るって言ってくれなかったんだ!

 

「そして、おかえりなさぁい、シャリーティアちゃん」

「……ただいま戻りました、族長様」

「あぁん、もぉぅ。ママってちゃんと呼んでほしいなぁ」

「……」

 

 ははーん、なるほど?

 目の前にいるおっぱいの威圧感のあるタレ目エルフおっぱいさんが族長でその娘がシャリーティアさんで、その名前で返事をしたのがシャリィ先生と。なるほど? つまり、何? どういう事だよ。

 シャリィ先生はエルフの族長の娘でなんでか人族の貴族をしていると。なるほど。なるほど?

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めて、ようこそぉ、ヒューマン。わたしはエルフを統括してまぁす、エフィと言います~」

「お初にお目に掛かります。私、シルベスタ王国ゲイルディア領カチイを任されていますディーナ・ゲイルディアと申します」

 

 部屋の中へと通されておっぱい族長のエフィさん言葉に続いてこちらも自己紹介をしておく。既に疲れた様子のシャリィ先生であるけれど、あまり表には出していない。

 ベガは一足先に商品を選別しに行ってくれているのでここには俺とシャリィ先生、エフィさんと案内してくれたツリ目スルンぺたんなエルフさんがいる。

 

「ほらぁ、シャリーティアちゃんもぉ」

「……シャリィ・オーべです。この度は私の願いを聞いてくださって感謝します」

「よく出来ましたぁ~。えらぁい」

 

 ニコニコと子供を褒めるように柔らかい言葉を吐き出したエフィさんであるけれど、他のエルフとは雰囲気が違う。おっぱいか? やはりおっぱいだろう。そうに決まってる。

 しかし、シャリィ先生が個人としての"願い"と言ったのはどういう事だろうか。エルフとの交流は王命であったし、彼女の願いというには傲慢でシャリィ先生らしくはない。

 

「それとぉ、感謝するのは早いよぉ」

「それはシルベスタ王国との交易をしない、という事でしょうか?」

「いやん、そんな早とちりはしないでくれるかなぁ。交易はしてあげるよぁ。あの人が作った国だものぉ」

 

 のんびりとした物言いであるが、はっきりと言質はもらえた。商談として纏めるのはベガが戻ってきてからだろう。

 しかし交易が違うとなると、何が願いなのだろうか。とシャリィ先生へと視線をチラリと向け、エフィさんへと改めて向ける。

 

「でもぉ、ヒューマンがエルフの瞳を得るなんて驚きだなぁ」

「……ああ、そういう事でしたの」

「……すみません」

 

 ようやく合点がいって、シャリィ先生へと強く視線だけを向ける。

 その謝罪は黙って俺を連れてきた事への謝罪であろう。俺が治療を拒否するとでも思ったのだろうか。

 

「眼鏡を外してくれるぅ、ヒューマン」

 

 眼鏡を外して、瞳に意識を集中させる。

 普段いた視界よりも一際大きく輝く世界に目を細めてしまい、少し落ち着けて、瞼を上げる。

 

「あらあら、まぁまぁ。結構ぉ。実にぃ結構」

 

 こちらの瞳を見て一層深く笑ったエフィさんはシャリィ先生のように言葉を重ねる。

 エフィさんの緑色の瞳が緩やかに色を変化させ、緑から蒼に、蒼から朱に、そして深く染まっていく。

 

「本当に世界と繋がっているねぇ」

「それで、彼女は治るのでしょうか?」

「さぁ? どうかなぁ」

「……ッ」

「そんなに睨まないでよぅ? シャリーティアちゃんにしてはぁ、焦っているみたいだけど、人間なんてわたし達を置いて、老いて死ぬわよぉ。それが少し短くなっただけ」

「それでもッ」

「おい、森を追い出されたハーフヒューマン如きが族長様に歯向かうな。不愉快だ」

 

 右瞼を閉じて、一つ深呼吸をする。

 自分が治る、治らないに関して俺はそれほど興味がない。治るのならばその方がいいけれど、治らないならばそれなりに生きるだけである。

 瞳に関しては便利でもあるからそのままの方がいい、と思っている自分もいるのも確かである。

 まあ、それはソレとして。

 シャリィ先生が繋いでくれた希望である。だから()の手でソレを潰すのは気が引ける。

 

「そもそもお前がここに来た理由はこのヒューマンがお前は得られなかった瞳を得たからだろう!」

「違います!」

 

 声を荒げて否定するシャリィ先生を横目に、もう一度深呼吸をして心を落ち着ける。大丈夫。私は冷静。

 この商談を自分で破壊するような事はしない。ワタクシはゲイルディア。大丈夫、心は冷酷に――。

 

「はは、皮肉が利いているじゃないか。ハーフヒューマンが得られなかった瞳を、単なるヒューマンが得たなんて!」

「ねぇ、そこのエルフ。()()()()()()()()()()()?」

 

 自分でも驚く程、冷たく威圧的に出てしまった言葉。耳鳴りがする魔力が循環し、右目から視える視界が流動する。

 笑みは浮かべている。表情を隠す為に、自然と笑顔が浮かんでしまっただけで、きっとゲイルディアの汚名を象徴する笑みになっている事だろう。怯えたエルフの顔がその証拠だ。

 

「失礼しましたわ。師を侮辱されて黙っていられる程、器は大きくありませんの」

「ヒューマン如きが……」

「その"如き"程度に怯える耳長如きが口を開かないでいただけます? 不愉快極まりありませんわ」

「このッ」

「はいはーい、勝敗の見える喧嘩はやめよぉねぇ」

 

 エフィさんの言葉で魔力を収める。

 隣にいるシャリィ先生が震える手で俺の手を掴んでいるのが可愛くてしかたない。やはり暴力は全てを解決するのでは?

 シャリィ先生にはちゃんとした笑顔を見せて問題ない事を示しておく。これでも内心は冷静だ。アレクを相手にした時よりも冷静に、相手をどうすれば蹂躙出来るかを思考出来ている。

 なるべく屈辱的に、負けを認めさせるにはどうすればいいのか。手段はあの時よりもある。それこそ無数に、心を折る方法がある。

 

「ふん、命拾いしたな。ヒューマン」

「もぉ!」

 

 舌打ちを一つして黙る耳長を見る事もなく、エフィさんへと視線を向ける。口調や言葉だけは叱っている風に見せているけれど、その表情は相変わらず笑顔だ。

 この耳長がこういう性格である事は元々わかっていただろうに。けれど、この場に留める理由は? 思惑は正確に理解出来ない。

 訝しげな表情を隠したつもりでエフィさんを見ていたけれど、微笑まれた。こちらを侮っている訳ではないし、娘であるシャリィ先生への侮蔑などもない。

 

「うーん、でもぉ。この娘がこれならヒューマンとの交易は無理かもねぇ」

「当たり前です。どうして我らエルフがヒューマンなどと交易をしなくてはいけないのです」

「それでもぉ、関わる事は大切な事だよぉ? ねぇ、ディーナちゃん?」

 

 ようやくこちらの名前を呼んだエフィさんはニンマリと笑みを浮かべる。先程までの朗らかなソレとは違い、意味を理解しろ、と言わんばかりの笑みだ。お父様がよく浮かべる笑顔によく似ている。

 

「つまり、私に何を求めているのかしら? そこの耳長を倒せと言われているのならそうしますわよ」

「このワタシが、ヒューマン如きに負ける? ハッハハハハハハハ!! それは傑作だな! ワタシはエルフの兵の中でも上から数えた方が早いんだぞ?」

「ディーナ様! 何を言ってるんですか!?」

「先生、大丈夫ですわ。少しは貴女の教え子を信じてくださいませ」

「そうだよぉ、シャリーティアちゃん。これは試練でもあるんだからぁ」

 

 そうして先程まで浮かべていた悪どい笑みを隠し、朗らかな笑みを浮かべてのんびりとエフィさんは言葉を吐き出した。

 

 



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41.悪役令嬢は圧倒したい!

「戻って来てみれば、ディーナ殿は何をされているんですか……」

「ごめんなさい、ベガ。交易には必要な事らしいわ」

「はぁ……」

 

 商談とも言えない喧嘩の安売りを買い叩いて外に出れば騒ぎを聞き付けたらしいベガが戻ってきていた。見事にこの女顔の優男は深い溜息を吐き出して頭を抱えた。

 それでも交易に必要であるのならば、ベガは俺を止める事はないだろう。俺を止めようとするのはシャリィ先生だけだけれど、そのシャリィ先生はエフィさんに拘束、というか抱きつかれてる。眼福か?

 

 さて、と気を取り直して眼前の敵を見る。

 戦闘前だと言うのにさっぱり何もせず、ただこちらを睨めつけている、いや、余裕の笑みを浮かべる耳長。エフィさんにとっては当て馬であるが、それは彼女自身が気付いていない。

 眼鏡をベガに渡し、大きく深呼吸をしてから世界を視る。

 

 ……えぇ、あのエルフ様と戦うのか……マジ? 単純な魔力量で言ったら百倍ぐらいありそうなんだけど……?

 大魔法打ち合いしようぜ! とか言われたら負けるが? エフィさん本当に人間とエルフの関係賛成派なの? 族長自身が反対派なら即時撤退も視野に入るんですけど。

 冷や汗を流しながらエフィさんへと視線を向ける。にっこり。俺もニッコリ。これ、マジだ。

 

「どうしたヒューマン。逃げ出すなら今のうちだぞ」

 

 さて、どうしたものか。エフィさんはコレを"試練"と言っていた。交易の事を考えるなら、徹底して潰す事は愚策。よくて引き分けに持っていきたい。負けは論外。辛勝、は許されるだろうか。

 エルフ達を見れば人を見下している、というか生物のレベルとして自身達が上位である認識なのだろう。こうして決闘などと形は保っているけれど、精々認識はペットがじゃれついている程度だ。

 そういうエルフの意識改革がエフィさんの望みである。と思う。実際の所はわからないけれど。凡そこちら側に傾いていると仮定したい。

 そうでなければそもそも人間との交易などと言い出さないだろう。娘であるシャリィ先生の言葉だから、という面もあるだろうけれど……。シャリィ先生は俺の治療が第一目的だろうし、交易自体はエフィさんの目的か。

 シャリィ先生が俺の治療を目的にしている、というのも自惚れかもしれないけれど、それはそれで嬉しい事だ。自分の治療、という名目ではなく、それをシャリィ先生が推し進めてくれた事が。

 なんせ王命までもぎ取って、こうして大義名分まで使って俺を動かしたのだ。王都での、というか貴族でのディーナ・ゲイルディアの評価を考えれば、苦労はわかる。

 

「おい! ヒューマン!! 聞こえてないのか!」

「貴女のように戯言を聞ける耳をしてませんの」

「ッッ! ヒューマンッ!」

 

 自分の耳を触りながら煽ってみる。見事に顔が赤くなってしまった。血が昇って冷静になっていなければそれでいいけれど、それでも油断はしない。

 耳長が言う「上から数えた方が」というのは事実だろうし。冷静でなくなれば御の字であるけれど、心のどこかでまだ冷静な部分があるのだろう。馬鹿のように開始の合図を待たずに特攻してこないのがその証拠だ。

 

「難しいですわね」

「なんだヒューマン。私とお前の差がようやく理解できたか」

「あら独り言に反応してくれるなんて、随分と私を警戒していますのね。その程度の差なら埋められそうで安心できましたわ」

「減らず口をッ!」

 

 呟いただけの言葉に反応されてしまったから、つい煽り返してしまった。そのまま冷静さがなくなれば良しであるが、無理だろう。彼女もエルフの戦士である。

 さて、どうした物かな。

 

 

 


 

 

 この戦いは結果が決まっている。

 そう言った族長である母をシャリィは見つめる。確かに力量差は圧倒的だ。ディーナが劣勢という意味で。

 それでも相変わらずニコニコとしながら母は向かい合う二人を見つめてシャリィを抱きしめている。まるでどこにも行かないように。

 

「族長様」

「いやん、ママって呼んで」

「……お母様、どういうお考えですか?」

 

 頭の中で深くため息を吐き出しながら妥協点を口にしたシャリィ。対して妥協点であろうと自身を母と呼んでくれた事を喜ぶように笑みを深めたエフィはシャリィを強く抱きしめる。

 

「あらぁ、特に考えなんてないわよぉ」

「……試練、と言っていましたが?」

「人族との断交は思ったよりも選民思想が根付いちゃってねぇ、意識改革かしらぁ」

「アナタの力なら強行で出来たでしょう」

「ソレに何の価値も無いわぁ。そもそもエルフが優良種である、っていう思想は私にもあったしぃ」

 

 だからその思想を理解はできる。根本の部分で、エルフは人を見下している。

 それは仕方のない事である。なんせ人は魔法という物を理解できていない。世界へ語りかける事もしない、野蛮で、無知で、そして醜く、心が澱んでいる。

 そんな動物と自身達が同じ生命であるなどと、どうして思えるだろうか。

 けれど、そうでは無い人間も存在している。それはある種当然の事であるが、そんな事は上位種であるエルフにしてみれば些事でしかない。そして断交した事により、その思想は実に歪んでしまった。

 その事を、エフィは否定しない。否定など出来なかった。エフィの愛しい人は人によって殺されている。

 語弊のある言葉であるが、あの時、私と一緒に来てくれていれば、と考える事は何度もあった。百と六十と数年前の話であった。

 決して人が殺した訳ではない事をエフィは知っている。けれど、それでも、エフィは……エルフは人があれほど容易く、短い時間で死んでしまうなんて思わなかった。

 

「だから、これはエルフにとっての試練なのよぉ」

「それでも、ディーナ様が不利な決闘に変わりはないです」

「不利? ……あらあら、まぁまぁ! そうね、だってシャリーティアは瞳を持っていないもの、仕方のない事だわ」

 

 馬鹿げた事を言い出した娘に母は微笑みを笑いへと変えて、窘める。

 むっとした表情にエフィは更に笑みを深める。人に触れて――あの娘に触れてこの娘は変化した。

 ハーフヒューマン、ハーフエルフであるシャリィはエルフの瞳を持ち得ていない。それが原因で様々な事が起こった。それもまた上位種である、という証へとなってしまった事は言うまでもない。

 もしも、瞳を持っていたのなら、彼女は助けを求める事はしなかっただろう。瞳を持っていたのなら、そもそも出ていくこともなかっただろうか。

 

 エフィは改めてこんな森であるのに場違いな赤のドレスを纏った少女へと視線を向ける。

 少女は実にちぐはぐであった。それこそハイエルフなどと呼ばれている自身でしかわからない程、僅かであるが。自身と同じ位置まで寄ってきた、人間。

 確かに娘が言う通りに、そのまま放っておけば死ぬ。それこそ世界へと溶け、解け、跡形すらなく、消える。

 

「それもきっと幸せな事かしらぁ」

 

 けれどソレは否定される。エフィの生きていた中で二度目の否定。

 最初は本人から、そして次は娘から。散々に自分によく似たと思った娘はやはり彼にも似てしまったようだ。決して、娘には言ってやらないけれど。

 

 

 

 

 

「おい、ヒューマン。今ならば降参を受け入れてやるぞ」

「あら、何度も降伏勧告だなんてお優しいこと。それとも頭が足りないだけかしら?」

「ハッ、抜かせ。ハーフヒューマンに教えを請うた奴に最後の機会を与えてやっている」

 

 その言葉にディーナは微笑みを浮かべる。他人が見れば見惚れるような綺麗な笑みである。穏やかに、優しく、慈愛を感じ取れる笑みであった。

 その笑みを見てしまったシャリィは思わず口を引き攣らせる。ベガも見ていたのなら頭を抱えていただろう。

 

「ああ、なるほど。自分が負けるとわかっているのだから、私に降参してほしいのかしら?」

「私が負ける? 面白い冗談だな。お前が魔法を使ったところで私に勝てはしないというのに?」

「随分な自信ですわね」

「自信ではない。事実だ。お前の魔力量はこの場にいるエルフの子供にすら劣る。それで負けろという方が無理がある」

 

 確かにそれは事実である。

 ディーナ自身がわかっている事であった。どのエルフの子供を見たところで、自分よりも魔力が多いのだからディーナは内心で溜め息を吐き出し続けているし、目の前にその何倍も大きな魔力を保有するエルフが存在し、相対しているのだ。

 

「先手を譲ってやろう。所詮はヒューマンの魔法だ。その程度で私は崩せない」

「お優しい事。負けた時の言い訳かしら?」

「安い挑発だな。お前の生まれた国の教育か? ヒューマンの国は下劣だな」

「……わかりましたわ。その挑発を受けて差し上げます」

 

 耳長と呼ばれ続けたエルフ――リヨースはほくそ笑む。族長が言い始めたヒューマンとの交易など反吐が出る。

 自身達は崇高なエルフであり、下等なヒューマンと交わる意味などない。交易などした所で何の意味がある。

 これで自身が圧倒すれば、族長も考えを改める筈だ。意味のない事であると。そうすれば、次の族長は自身かもしれない。

 現在の族長であるエフィが退くまであと百数年はあるだろうが、その程度しかない。その程度であるのならば、待つことなど容易い。

 

「さて、先手をいただけましたし、どうしようかしら」

「お前の最大の魔法で来てみろ。それすら意味はないがな」

 

 リヨースはディーナを睨めつけはするが、警戒などしていない。する必要などない。なんせディーナはこの村の戦士よりも、子供よりも劣る存在である。悪戯で放たれる魔法よりも、弱い。

 ふむ、とディーナは悩むように瞼を閉じて、()()()()。その音だけを聞くように、自身を集中させる手順のように。

 四度、指を鳴らして、ディーナは瞼を上げる。それでもリヨースは警戒などしない。

 

「三つ言いたい事がありますわ」

「ほう?」

「どうやら自分に関わる存在を悪く言われる事に苛立ちますの。アナタが先程から言うシャリィ先生への言葉も……まあ交渉先ですもの。我慢してさしあげます。

 二つ。これでも私は我が国の誇りを背負ってこの場に立っていますの。安い挑発であろうと、我が国を侮辱した事は許される事ではありませんわ。

 この二つで、私、かなり怒っていますの」

 

 ディーナは笑みを浮かべる。自身の感情を隠すように、慣れた仮面を被り、まるで悪役の如く、冷酷な笑みを浮かべる。

 自身の魔力を開放して、耳鳴りがする程の風を巻き起こす。けれどそれはディーナ如きの魔力である。リヨースからしてみれば威嚇にすらならない。

 

「ではどうする? その陳腐な魔力で私を倒してみせるか?」

「……私が怒っている、というのは単なる事実確認ですわ。貴女に言いたい事はこれで最後」

「言ってみろ」

「跪け」

 

 リヨースの体に衝撃がぶつかる。

 空からの巨大な何かを押し付けられ、耐えられずに、ディーナの言うように膝を地面につく。

 何が起こったかなど、リヨースには理解出来ない。ただ()()()が魔法を行使し、それが自身に降り注いでいる事だけはわかった。それがいつ行われたか、どれほどの魔力が込められたかなど、理解出来る訳がない。

 自身を襲うこの魔法は明らかに目の前にいるヒューマンの魔力量を越えている。そうなれば、この魔法は他の誰かが行使しているに違いない。下劣で下等なヒューマンが考えそうな事だ。

 

「いい姿ですわね。無抵抗で魔法に当たってくださるなんて、お優しいこと。反撃してもいいんですわよ?」

「卑怯、者がッ!」

「卑怯? 貴女が許可した事でしょう。それともソレすらも忘れる鳥頭なのかしら?」

「ヒューマン如きがッ、お前程度の魔力の畜生がッ! これだけの魔法を使える筈が無いだろうッ!」

 

 その一言にディーナは目を一瞬だけ細める。たったその一言だけでディーナは目の前にいたエルフへの脅威や尊敬という念を失わせた。

 溜め息を一つ。ディーナの口から吐き出されたのはそれだけであった。失望、という感情を抱くには目の前のエルフへと感情を向けていなかった。ただ純粋な才能を尊敬していた。それを脅威だと思えた。

 けれど、その程度だった。

 わかりやすく、ディーナが指を弾けばリヨースを支配していた圧は霧散し、ようやくリヨースは自由を手にした。

 

「阿呆にわかるように言って差し上げますわ。この場で貴女に魔法を行使しているのは私だけ。貴女が跪いたのは、私の魔法ですわ」

「抜かせッ、あのハーフヒューマンがしたのだろう!」

「そう。そう思うのなら、私に魔法を撃ってみなさいな。私は貴女がしたように、後手を譲ってさしあげますわ。貴女がしたように跪く事はないでしょうけれど」

 

 さぁどうぞ。と言わんばかりにディーナは胸の下で腕を組む。

 リヨースにとって、それは最大の侮辱であった。下等なヒューマン如きがエルフを挑発している。さらには勝とうとしているのだ。そんな馬鹿げた話があるだろうか。

 だからこそ、リヨースは自身の持てる魔力を最大限に操り、風を手繰り寄せ、圧縮し、刃を作り上げる。巨大な樹木すら切断する不可視の刃。

 

「死ぬぞ?」

「脅しは聞き飽きましたわ」

「なら死ねッ! ヒューマンッ! "ラミーナ・ヴェントス"!!」

 

 エルフの口から発せられた言葉は世界を介してそれを具現させる。想像魔法の上を生きているだけで歩くエルフにだけ許された魔法。

 

 そして()()()()()()()()であった。

 

 どんな想像魔法よりも、綺麗で、美しく、正しく、世界へと語りかけ、正しい対価を支払う。()()()()()()に他ならない。

 不可視の魔法であっても、絶死の魔法であっても、それが魔法であるのならば――

 

「ああ、素晴らしい魔法ですわ」

 

 シャリィと積み上げた研鑽があれば、途方も無い論理を組み上げていたディーナであるなら、世界と繋がり正しく魔法式を認識できるディーナであるのならば。

 ()()()()()()()()()()()

 ふわりとディーナの金髪を揺らすだけとなった不可視の刃は何も傷つけてはいない。ディーナの髪すら切断する事なく、単なる風へと成り下がった。

 

「……は?」

「さて、譲った事ですし、私も反撃をしようかしら」

「なにを、した……?」

「貴女が馬鹿にし続けたシャリィ先生の研究成果ですわ」

 

 意趣返しのようにディーナが口にした所でリヨースは理解できる訳がない。

 ディーナが行うワンアクションでの魔法行使も、シャリィが行うリアルタイムでの魔法式演算も、わかる訳がない。そんなモノは理解の範囲外に他ならない。

 ただ、異常な出来事が目の前で起こった。ただそれだけなのだ。

 

「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! "ラミーナ・ヴェントス"ッ! "ラミーナ・ヴェントス"ッ!!」

「あらあら」

 

 放たれる魔法の刃。それは先の刃とは随分と杜撰で乱れていた。けれどやはりエルフから出てくる魔法なのだ。それは何よりも正しく、そしてディーナにしてみれば簡単な式でしかない。

 ディーナが一歩進み、指を鳴らす。エルフが魔法を唱え、ディーナが更に一歩進み、指を鳴らす。

 唱え、弾かれ、唱え、弾かれ、唱え、弾かれる。それは異様な光景であった。上位種であるエルフが下等生物であるヒューマンに怯え、後退し、そして追い詰められる。

 片方が手を伸ばせば届くような距離にまで詰め寄ったディーナは笑みを浮かべる。エルフが浮かべていた慢心や自尊心による笑みではない。ただ冷酷に、獲物をいたぶる捕食者のように、純粋な悪がそこには浮かんでいた。

 まるで()()()()()()()()()()()()ように呼吸が上手くできない。頭痛が酷く、魔力の消費が多いのか手が震える。

 後退する足が縺れ、尻もちを突いてしまう。足に力も入らず、ただ震え、怯えているリヨース(獲物)ディーナ(捕食者)が見下す。

 絶対的な上位種だと信じていたエルフ(自分)が劣等種であるヒューマン(彼女)に屈した。

 すでに声すら出ない。パクパクと動くだけになった口は降参を宣言する事も、命乞いも何も出来ない。

 

「ねぇ、エルフ。私と貴女との差は理解できたかしら?」

 

 まるで意趣返しのようにディーナはそう言い放ち、指を鳴らした。

 けれど魔法は発動しない。正しく魔法式を編み上げた筈であるのに。

 ディーナは目を細め、気絶したリヨースを一瞥した後に魔法を打ち消してみせた犯人を睨めつける。

 

「族長自ら手出しするのかしら?」

「あらぁ? 勝敗の決定権もわたしにあると思うのだけれどぉ?」

「……従いますわ。蛇を殺してドラゴンを相手する気にはなりませんもの」

 

 息を一つ吐き出し、ようやく体から力を抜いたディーナは肩を竦める。

 痛む右目を瞼で蓋をして世界との繋がりを解く。オークを相手した時よりも消耗していないのは瞳の力に他ならないが、オークよりも精神がすり減る勝負であった事には間違いない。

 あの時のように大規模の魔法を使う事もできたが、その時自身がどうなるかなど想像に難くないし、それによってシャリィが怒る事も理解できた。

 

 今にしても涙目で心配と怒りを二分したシャリィを見て、ディーナはそれを強く理解する事ができた。



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42.魔法使いは契約したい!

 エルフとの決闘は慎ましく終了した。シャリィ先生と母国を侮辱されて俺がブチ切れたとかそういうことは無かった……無かった方がよかった。

 あれは仕方のない事であったのだ。

 これでも心は広い方である。何より今回は以前アマリナを辱めたアレクの時とは違い王命の責務と義務があった。散々にシャリィ先生を貶めた時も我慢した。祖国を罵られただけなら我慢できた。その両方は我慢できなかった。それだけである。

 決闘した耳長の力量に関しては俺よりも上である事は間違いない。それこそ普通の魔法合戦であったのならば俺は負けていたに違いない。魔法式での反転や攻撃要素だけを弄った物であったし、物量で行使されていたのなら負けていた。

 勝ちはしたけれど反省は多い。というか反省する部分しかない。

 

 そのエルフ達はシャリィ先生を含めて現在会合中である。俺とベガは部屋に押し込められて待機を言い渡されている。

 元々すぐに帰れるとは思っていなかったので一泊するのは問題ない。その為に予定しているカチイの企画を幾つか持ってきているし、ベガに聞きたい事もあった。

 

「それで、珍しく予算を多めに定めていたようだけれど?」

「ディーナ殿には見逃されると思いましたが」

「貴方の不正じゃなければ放置していましたわ。ただ珍しいでしょう? 貴方が私を介さずにそういう事をしようとするのは」

 

 俺とフィアで設定していた予算よりも明らかに多く割かれた金額。また阿呆が釣れたか、と思って調べたらベガが原因であった。実に珍しい事である。

 ここ一年ほど、彼と仕事をして彼の為人はある程度わかっている。俺に挑戦的なのも、優秀なのも、あとは女顔の優男である事も。

 俺が女であったのならこの顔のいい優男の笑顔にコロッとやられていたかもしれない。いや、俺は女だけれど。

 

「それで? 貴方の事だから、私、とても気になりますわ」

「それは魅力的なお言葉ですね」

「あら、本当の事よ? ようやく貴方を監視から外す機会ですもの」

 

 二度は無い。俺が間接的に関与している物ばかりだった虚偽の不正が、今は彼だけの物になった。

 証拠らしい証拠は予算だけだから、彼が言い訳をしたら見逃すつもりであった。着服は許される事ではないけれど、カチイでソレは今更と言ってもいいだろう。

 それは彼もわかっている事だろう。散々にそんな物を見ている筈だ。そして、ソレに対する俺の対応も。

 故に、これは脅しなどではない。俺はいつものように、見逃そう。

 

 頬杖を突きながら彼を見れば困ったように眉尻を下げ、溜め息を一つ吐き出す。

 

「そう怖い笑みを浮かべないでください。喋りますよ」

「あら、残念ですわ」

 

 本当に残念だ。

 彼が取り出して、机の上に置いたのは小さな小瓶である。細長い小瓶の中には薄水色の液体が入っており、瓶自体の装飾は簡素な物だ。

 変哲のない、単なる瓶と液体。けれどソレは正しくない。右目を隠している眼帯をズラして見ればよく分かる。

 幾重にも連なる魔法式。細かく分類された式達。単一で魔力を保持し、そして効力を発揮するほど練り上げられ、抽出された液体。式の内容はさっぱり読み解けないけれど、かろうじて『回復する物』というのはわかる。

 おそらく、あの時アサヒが俺に行使したような魔法よりも高度で、素晴らしい魔法である。思わず見惚れてしまった。

 

 眼帯を戻しながら呼吸を再開して、口を開く。

 

「貴方、病気の妹や弟がいたかしら?」

「……弟も妹もいますが、元気にしていますよ」

 

 嘘である。ベガに弟も妹も居ない。義理、という意味であるなら居るかもしれないが、そんな存在は居なかった。

 彼の事は調べている。公的記録も、素行も、血の繋がりも。現在の彼は天涯孤独と言ってもいい。この世界の出生記録という物はそれほど信頼性など無いけれど。

 アマリナやリアに調べてもらった記録や調書に疑問はない。俺自身が見た公的な記録達も普通の貴族が隠蔽できる物でもない。

 

 けれど、彼は嘘を吐いた。

 

「カチイの予算から出すのはいただけませんわね。私が個人的に出しておきますわ」

「よろしいので?」

「碌でもない事に使われるならまだしも、今回は用途が限られていますし。個人的に貴方に恩を売りつけるのも悪くありませんわ」

「……なるほど。では後ほど改めた書類を渡しましょう」

 

 にっこりと笑みを作っているけれど相変わらず感情の読めないヤツである。

 どうせこの回復薬に関してもお父様からの言いつけか何かだろう。どうしてお父様がソレを求めていて、俺に頼らないかは疑問であるが……。

 もしかしてお父様からの監視じゃない? それはおそらく無い。少なくとも俺の監視であるのは間違いないと思う。こんな時にパッとした人物鑑定眼が欲しくなるけれど、無いものは求めてもしかたない。

 お互いにニコニコと牽制しあっていれば遮るように扉がノックされる。

 

「ディーナ様、よろしいでしょうか?」

「あら、私を騙してエルフの森に連れてきたシャリィ先生ではありませんか」

「…………」

「冗談ですわ。ベガ、あの件はよろしくお願いしますわね」

「御意に」

 

 思いっきり顰めっ面したシャリィ先生を横目に退室したベガ。これから書類を纏めて早朝にはカチイへと戻るだろう。俺はのんびりと帰る予定である。無能な上司に仕える部下は大変だなぁ……。よもや自分が無能な上司になるとは思わなかったけれど。

 さて、ベガが出ていき閉じられた扉の前にいるシャリィ先生へニッコリと笑みを浮かべる。ワタクシ、オコッテマセンコトヨ。

 

「ヒッ……」

「そんな所に立っていないでこちらで座ってください」

 

 決して笑顔は壊さずにシャリィ先生の逃げ道を潰していく。

 本当に怒っているわけではない。結果的に見れば、シャリィ先生は俺の為を思って行動してくれたのだから怒るのは間違いだ。

 それでも俺に黙って行動した事には確かであるし、散々に俺には報告を義務付けたのにどういう事だと。その報告義務を思いっきり無視してるけれど。

 

 大きく深呼吸をしてからようやく扉から離れて俺の前に座ったシャリィ先生は頭を下げた。

 

「すいませんでした」

「いいですわ。特に怒っている訳ではありませんし。気になんてしていませんわ」

「本当ですか?」

「えぇ。何の相談もなかった事なんて、特に、別に、何も、気にしてなんていませんわ」

「…………」

「冗談ですわよ」

 

 これ以上シャリィ先生をイジメる趣味は俺には無い。無い……無いだろうか? 確かに目の前で顔を青くしてぷるぷる震えているシャリィ先生は実に可愛いと思ってしまうけれど。

 

「それで、この王命は虚偽ですの?」

「いえ、正しく王命です。エルフとの交流は我が国の利益になり得ますので」

「それにしては今更ね。それに私に都合が良すぎますわね、シャリィ先生?」

「…………」

「冗談ですわ」

 

 大きく溜め息を吐いて見せて頭を抱える。シャリィ先生にとってもエルフとの交流という手札を切ったのは痛手だろう。俺よりも長く国に仕えていてもなおその手札は切らなかったのだ。

 尤も、それはシャリィ先生自身がエルフとの交流を求めていなかったのか、それとも国の魔法使い達からの弾圧など気にすらしていなかったのか。両方だろう。

 どちらにせよ、その手札を切らせてしまったのだ。更に言うなら、態々王命という形にしてである。

 

「シャリィ先生」

「ピッ!?」

「ディーナ・ゲイルディアは貴女に多大な感謝を致しますわ」

「……冗談ですか?」

「これは本気ですわよ。あの人付き合いが嫌いなシャリィ先生が面倒な貴族の繋がりを自ら繋いで王命にまでしていますもの」

「…………」

「これは冗談ですわ」

 

 ニッコリと笑みを見せてやれば眉を寄せて不満を表情に出しているシャリィ先生。これで意趣返しは終わりとして。

 実際の所、シャリィ先生が本当に嫌っている人間付き合いをしている時点で俺からすれば驚きである。普段のシャリィ先生なら舞踏会ですら何かと理由を付けて欠席するか、挨拶だけを軽くこなして早々に逃げ出すし、口を開けば「時間の無駄」などと言うのだから。

 慣れている俺よりも苦労はあっただろう。もしくはゲイルディアがそれを助けたか。どちらにせよ、という話でもある。

 

「それで? エルフ達は何と?」

「……?」

「エルフ達との会合結果を伝えに来たのではありませんの?」

「え、えぇ。そうです。そうでした。交易に関して問題ありません。明日に正式な書名を族長様からいただける予定です」

「それは重畳」

 

 これで王命は達成される。責務から解放という訳ではないけれど、一段落と言った所だろう。安心して今日は眠れそうだ。

 

「……ディーナ様」

「どうかしましたの?」

「右腕を見せて頂いてもよろしいですか?」

「……隠してもしかたありませんわね」

 

 右手に嵌めている手袋を外して包帯を解く。

 ぎこちなくしか動かせない右手を晒して、シャリィ先生に見えるように机の上に置く。アマリナやヘリオには見せれるけれど、他の人間には一切見せたくない俺の弱さの象徴であり、強さの証拠でもある。

 血のように赤黒くなっている訳ではない。ただ以前は右目がないとわからなかった魔力線がありありと浮かんでいるだけである。

 

「貴女はまた無茶をして」

「先生を侮辱されたのですもの。仕方ありませんわ」

「……完璧、とは言いませんが、進行を進めない方法も聞いてきました」

「元々シャリィ先生はそちらが目的ですものね。それで、私は何をすればよろしくて?」

 

 王命までもぎ取って俺をここに連れてきた本題である。

 当然、魔法を使うな、と言われても俺はたぶん無視すると思う。いや、自分の命が惜しくないわけではないけれど、それよりも大切な事があるのだ。

 なるべく長生きはしたいけれど、ソレはそれである。

 

「……ディーナ様」

「なにかしら?」

「……目を閉じて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

 首を傾げながら、瞼を下ろす。

 エルフの秘技か何かなのだろう。俺に見られてはいけない物なのかもしれない。魔法式が見えてしまう俺だからこそ、というべきか。その辺りはシャリィ先生も解読方面は俺以上なのだけれど、エルフとの信頼度の差だろうか。

 瞼を下ろして、そんな事を考えていればシャリィ先生の深呼吸が聞こえる。集中しているのだろうか。両頬に手が当てられる。この感触は、シャリィ先生に間違いない。

 唇に、柔らかい感触が当たる。誰か、など間違える筈がない。

 数秒して、柔らかい感触は唇から離れ、両手は俺の頬から離れ、俺は瞼を上げる。

 人よりも少し長い耳まで真っ赤にした、俺だけの先生がそこには居る。

 

「……ディーナ様」

「なにかしら?」

「……()()()()()()()、と呼んでくださいますか?」

「それが望みであるなら。シャリーティア先生」

 

 珍しく、本当に珍しく口角が緩んで表情を作りきれていないシャリーティア先生が感極まったように目を閉じて、吐息を漏らす。これは……エッチでは?

 ようやく自分の表情が蕩けている事に気付いたのかシャリーティア先生は両手で頬を支えて、数秒ほどで表情を作り直して、また少しだけ蕩けさせる。

 

「これは、思った以上です、ね」

「それはよかったですわ。それで、どういう事ですの?」

「ディーナ様にはエルフの契約をさせていただきました。世界との繋がりを私を介して行う事になります」

「眼帯を外して確認しても?」

「問題ありません」

 

 シャリーティア先生から許可をもらったので眼帯を外して確認すれば、先生と俺の間に式が形成されている。

 先生をバッファにして世界との繋がりが保たれている状態か。解けそうだった俺の魔力線も今は正常に起動している。右手も先程よりも痛みはないし、少ししたらこの痛みも無くなるだろう。

 

「先生は何も問題ありませんの?」

「実に素晴らしい世界だと思います」

「は?」

 

 先生へと視線を向ければその右目は俺と同じ右目のように極彩色へと変化して、まるで童女のように辺りを見渡して笑う先生が居た。姿も表情も童女のようであるが、その実、狂科学者のような言葉と笑みは如何なものか。

 

「あー、シャリーティア先生?」

「ンンッ。失礼。ディーナ様。その名は私と二人きりだけの時にしてください。他に伝えてはいけません。いいですね?」

「はぁ、わかりましたわ」

「結構。実に、結構。では私は失礼いたします。試したい事も出来ましたので」

「ああ、はい。良い夜を」

「ええ、素敵な夜になりそうです」

 

 笑いを隠そうともせずに扉から出ていったシャリーティア先生を見送り、痛みの引いている右手を見つめて、抱き込む。

 これは証明である。死ぬ運命であった近い未来が、遠のいた。

 死にたかった訳ではない。けれど運命に抗う術もなかった。けれど、それがシャリーティア先生のお陰で回避された。故に、これは証明と同じくして絆でもある。

 

「あらあらぁ、てっきりぃ抱かれちゃうと思って止めようとしたけれどぉ。そんな事も無かったのねぇ」

「ッ……。族長様自ら監視とは随分危険視されてますのね」

「リヨースに勝った貴女を警戒するのは当然でしょぉ?」

 

 笑みを携えながら、先程までは居なかった筈であるのに、ずっと居たように爆乳エルフは窓辺に腰掛けていた。どことどこに栄養が行っているのかよく分かる。他のエルフとは比べ物にならない""力""を在々と証明している。

 これが、エッチ力だとても言うのだろうか。お尻が窓辺に乗ってむにぃってなってるし、エッチ……エッチでは?

 

「言葉通り、上から数えた方が早かったのにぃ、勝っちゃうなんてぇ」

「予定通りに、という事でしょうか?」

「えぇ。予想通り、貴女は勝利した」

 

 ニッコリと笑っているエフィさんであるけれど、その視線は俺を射抜いて間延びした喋り方でもない。これが本当の彼女なのであろう。

 それは、()()わかっていた事である。予想が、予想ではなくなっただけだ。

 

「それで、エルフ達は人間との交易を認めていただけるのかしら?」

「そんなモノ、わたしが許可すれば一発だよぉ?」

「……先程までの会合は意味がありましたの?」

「んー、アレはシャリーティアちゃんの恋愛相談だからぁ」

「恋愛相談」

「うん、恋愛相談。もっというとわたし達エルフが気にしてたから無理やり聞いたんだよぉ」

 

 この親なんて事を……。

 先程までの会合が交易の話の詳細ではなくて、恋バナ……? シャリーティア先生が言い淀んでいた理由がよくわかった。

 というか、エフィさんが許可だせばよかっただけならば、俺の決闘は一体……。

 

「ああ、その為の決闘でしたのね」

「うん。認めさせるにも理由と意義は必要だからぁ、ね!」

「……とんだ迷惑ですわね」

「それでもディーナちゃんは乗るしかなかったよねぇ」

「だから迷惑、と言えますのよ。もう終わった事だから何とでも言えるでしょう?」

 

 上手く使われた、と言えばいいのだろうか。どちらにせよ、彼女の思惑に乗った事は確かであるし、あの時点でそれから逃れられる術などなかった。

 既に終わった事であるから、迷惑と思うことも終わっているし、彼女の思惑も完遂されている。

 

「瞳の調子は良さそうね。世界との契約は滞りなく更新できたみたい。うんうん、久しぶりの術式だったけれどちゃんと動いているみたいだね」

「百数十年前を久しぶり、と呼称するのもどうかと思いますわね」

「……貴女が何を知っているかはわからないけれど、わたしの真名を呼べば問答無用で消し飛ばすわ」

「肝に銘じておきますわ」

 

 初代シルベスタ王、つまるところの勇者様の日誌に書かれていた仲間のエルフというのは彼女にあたるのだろう。当然のように日本語で彼女の名前が書かれていたから、口にしそうになったけれど、彼女は本気で俺を殺すつもりなのでやめておく。

 日誌に書かれている事も、黙っておこう。俺は命と国が惜しい。

 

「彼……わたしの事を書いてくれていたのね」

 

 そっかそっか、と嬉しそうに頬を綻ばせるエフィさんを眺めながらやっぱり親子なんだなぁ、と思ってしまう。照れ方が似ている。両頬に手を当てるあたりも。

 

「えぇ、国で保管されてる日誌に」

「国で日誌を? 彼の?」

「我が国では初代王であり、英雄ですもの。書かれていた文字は別の国のモノですけど」

「そこに書いてあったの?」

「さぁ? 先程も言いましたけれど、エルフの誰か、について書かれていただけですわ」

 

 お互いに言いたい事はわかっているけれど、うやむやなままで終わらせておく。

 俺が日本語を読める事も、王の日誌に彼女の真名が書かれていた事も、彼女が追求した所で得などないし、日誌の処理を頼まれた所でそれは完遂されるかなど不明なのだ。

 

「ディーナちゃん、一つお願いを聞いてくれるかなぁ?」

「……先に聞きますけど、断るとどうなります?」

「どうも()()()よぉ。交易は確約してあげるし、その瞳にも関与はしないよぉ」

「……シャリィ先生に何かをするつもりですのね」

「さぁ? どうだろうねぇ」

 

 本当に隙が無いというか、手札の使い方が上手い。俺の性格をしっかりと加味して動かれるとどうにも動きづらいし、頼み事が面倒な物じゃない事を願うしかない。

 それに、美人の頼み事はなるべく聞きたい。それがおっぱいのデカイ美人なら尚更だ。

 お手上げという風に両手を軽くあげて降参を示せば、エフィさんはニンマリと悪戯を成功させたように笑う。こういう笑顔がゲイルディアの家系もできていれば少しは変化しただろうか。いや、それもそれで怖いな。

 

「うんうん、察しのいい子は好きだよぉ」

「それで、内容は何でしょうか? エルフの女王」

「指輪を探してほしいのぉ」

 

 指輪? と首を傾げてみれば彼女は自身の左手薬指に填めていた指輪を机に置く。

 見てもいいかを視線で問えば許され、手にとって確認する。

 それは木製の指輪だ。内側と外側の両方に幾つもの術式が刻まれた、この世に二つも無いと言える物である。いや、二つだけしか無い物だろう。

 瞳を得た俺でも、ここまでの術式を組む事はできない。なんだこれ、複雑すぎるが? 意味わからん。どういう原理で動いてる? ある程度予想していた公式もグッチャグチャにされてしまうほど、乱雑で、けれども美しく絡み合っている不思議な術式。

 

「たぶん、彼の国にあると思うんだよねぇ」

「……効力は何ですの?」

「昔、彼が喋れなかった時に作ってぇ。彼がまだわたしにメロメロだった時にぃ、左手の薬指にぃ、えへへぇ」

 

 百年以上前の惚気とか古代遺物でしかないのでやめてよね! お酒のツマミにしても発酵しきってる。

 照れてるエフィさんを睨めつけながら指輪へと視線を戻す。どこかで見たような気がする。どこだ……? 少なくとも、自国の宝物庫なんて興味なかったから覗いてないし、覗けるような立場でもなかったんだよなぁ……。

 初代王が身につけていたなら引き継がれていると考えても……。リゲルやスピカ様も身につけてなかった筈だ。

 

「あ、うん。えっとぉ、この指輪をしていると言語を翻訳してくれるの」

「は?」

「だから、言葉や文字を全部魔法に通して変換させてこの世界の全ての言葉に変換させてるの」

「文化人が卒倒しそうな能力ですわね……」

 

 変換されているのは指輪の装着者だろう。文字まで適応されているという事は、全てに魔法が掛かっている。指輪を軽く填めて、魔法を見てみればよくわかる。これ、視界まで効力あるのかよ。

 外交関係に素晴らしく有利に働きそうな能力であるし……。ああ、だから今の国は戦争とかしてないんですね……。外交の場に王様直接出向いてるとかいう巫山戯た行為って歴史家達が憤慨していたけれど、納得した。

 

「すごいでしょぉ。愛だよ、愛」

「呪いの間違いでしょう」

 

 

「やだなぁ。愛は呪いだよ、ヒューマン。私も、彼に呪われたの」

 




 シャリィ先生が退室した時に「魔法瞳」をディーナから受け継ぐというか同じ効力の瞳を得てテンション上げて部屋から出ていく狂科学者的ムーブしていますが、自分からキスして恥ずかしくてどうにか話を逸して逃げてるだけです。部屋から出たあとに赤くなってる両耳がピコピコ動いて珍しく上機嫌な顔で寝ます。


 本文でも出てますけど、エルフにとって真名は特別な物なので血族以外だと婚約者にしか告げません。まあ先に婚約者も死ぬのでアレですが、そういう意味もあってエルフ達の愛は非常に深いです。えっちでは?
 多方面に向く相手の愛に対して寛容的ですが、矢印が自分に向かなくなった時は殺してるか死んでる時です。初代王が死んでからシルベスタ国がエルフと関わらなくなったのは意味が無くなったからですね。


 あと、まあ、別に使う気もない設定ですけど、シャリィ先生がクソデカ魔力を所持していて、ハーフエルフで、エフィさんの娘、という要素から実はシルベスタ国の血族であるんですが、この小説では一切使う気はありません。たぶん。たぶん無いと思う。シャリィ先生の年齢に関して考えるのもやめておけ……いいな……?


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43.悪役令嬢は思い出したい!

 エルフとの交易も決定してカチイへと戻ってきた。

 非常に疲れる問題を幾つか持ち帰ってしまったけれど、首尾は上々と言えだろう。

 持ち帰った問題に関して、考えなければならない。主に言えば二つ。一つは時間を掛けて解決させればいいが、もう一つは直近で解決させなければならない。

 

「おい! ディーナ! ここがお前の館か! ヒューマンにしては中々じゃないか!」

 

 目の前の問題児エルフ、リヨースである。

 彼女はエルフ側から表向きに出された橋役であり、杜撰には扱えない。何より人間を下に見ている節があるのであまり表に出したくはない。無茶だが。

 彼女を交渉の場に立たせるとエフィさんから言われた時の俺は実に嫌な顔をしていたらしい。後でシャリィ先生に怒られた。

 それも仕方ない事である。何が楽しくて決闘中に煽りに煽った相手の面倒を見なければいけないのか。コレガワカラナイ。

 実際の所、橋には別のエルフとシャリィ先生がやり取りするらしく、リヨース自身はその事を知らない。スケープゴートと言えば聞こえは悪いけれど、エルフ側にも知られたくない事もあるのだろう。

 どうしてリヨースが、という話でもあるのだけれど、彼女がエフィさんの逆鱗に触れたのが悪い。俺は悪くない。同じ事でブチ切れて多重に魔法を使ったのだ。

 あの決闘で俺のシャリィ先生と我がシルベスタ王国を馬鹿にしてくれたリヨースであるが、エフィさん視点で言えば愛する娘と愛する人が作った国を馬鹿にした訳である。エルフとして罰するにしても理由が理由だから罰せず、けれどもエフィさんの気がすまないという事で俺に押し付けたのだ。ニッコリしながら「嫌ですわ」と言っても「あらあらうふふ」と押し付けられた。あの巨乳強い。押し付けるなら巨乳にしてほしかったな。

 

 ともあれ、こちらの体裁とエルフ側の体裁もあるのでリヨースには俺の事をちゃんと名前で呼ぶ事を言いつけている。

 驚いた事に人間を下に見ているリヨースはその事をあっさりと受け入れてくれた。受け入れられなければさっさと返品するつもりであったけれど、俺の思惑は見事に裏切られた。

 曰く、「自分よりも強い相手」である事らしく、俺の師であるシャリィ先生も今はシャリィと呼ばれているし、その時のシャリィ先生は鳩が散弾銃でもくらった如く驚いていた。

 王命を果たした事は書状で送り、リヨースの躾をしてから出向くように時間稼ぎもしなければいけない。面倒ではあるけれど、エルフ側の事を考えればその程度の労力を惜しむ意味もない。

 頼むから陛下に対して「下等なヒューマンの上に立つ無能」などと呼ばないでほしい。そうしたら俺はこいつを殺すだろうし、地に落ちた俺の評判もクレータのように下がるに違いない。

 

「リヨース、案内はこの娘達がしますわ。わかっているとは思いますけど、暴れて調度品を壊さないように」

「お前は私の事を子供か何かだと思っているのか!?」

 

 そりゃ、そんなキラキラした目で館を見てれば子供みたいと思ってもしかたないだろ。

 初めて触れる人間の文化に好奇心しか見えていないリヨースの事はレイとフィアに任せよう。主にフィアにだけれど。

 俺の思考を読み取ったようにこちらを一瞥してから笑顔でリヨースへと向かうフィア。ホント、ゴメンな……。何か埋め合わせも考えるから……。

 リヨースも流石に子供相手なら無茶な事は言いはしないだろう。特にフィアは目に見えて弱者だからリヨースは庇護対象として見てくれる筈だ。

 

「アンタ、先生みたいに耳が長い……エルフってやつか?」

「そうだ。私は誇り高いエルフの戦士、リヨース。ヒューマンの子供よ、名を聞いてやろう」

「ボクは子供じゃない!」

「ふふん、子供は皆そう言うのだ」

 

 レイ相手は……うん、ホントに調度品とかは壊さないでね……。

 

「……ディーナ様、私も着いていきます」

「よろしくお願いしますわ、シャリィ先生」

「えぇ、えぇ。お任せください」

 

 何かを予見したのか、シャリィ先生が溜め息混じりに三人の背中を追っていく。これで安心だろう。安心していいよな……?

 俺が自ら案内すればそれで終わる話だけれど、俺もやることが山積みになっている。溜まっているであろう領地運営の書類処理、すり寄ってくるクソのような周辺貴族達への手紙の返信。エルフの交易の詳細な概算も出さなければいけないし、先に言った王命の達成報告もそうであるし、時間稼ぎの根回しもである。

 やることが多すぎない……?

 

 

 

 

 自室へと戻って旅装を脱ぎながら体を拭いていく。

 少し汗ばんで火照った体が少しだけ冷めて気持ちがいい。

 

「お嬢様、手伝います」

「あら、ありがとうアマリナ」

 

 服の準備や旅装の片付けを頼んでいたアマリナが俺から手拭いを受け取って背中を拭いてくれる。あぁ^~気持ちいいんじゃぁ^~。

 

「……ディーナ様」

「何かしら?」

「……その、大丈夫なのでしょうか?」

「リヨースの事? 心配だけれど、どうにかしなくちゃいけませんわね」

「アレはどうでもいいです」

 

 アレって……。仮にも賓客だし、エルフ側との表向きの橋だから一応大事に扱おうね……。アマリナに何かあったらまた俺はリヨースと戦う事になるだろうし、そうしたら次は負けるに違いない。

 

「ディーナ様のお体です」

「あら、治療の為だなんて言ってなかったと思うけれど」

「……シャリィ先生に、お聞きしていました」

「皆して、私を謀ったのね。酷い話ですわ」

「それはッ、ディーナ様が……」

 

 俺の背中で泣きそうな震えた声を出して肩に額を押し付けているアマリナ。俺はどれだけ信用されていないのか。いや、俺という存在に関してだけ信用されていないだけで、他の行為に関しては俺には身に余る信頼を置いてくれている。

 そのあたり、俺の反省点でもあるのだろうけど、どうにも直りそうにない。それは血脈の思考であるのか、はたまた俺の前世が原因なのか。どちらにしても反省はしなくてはいけない。直る気がしないけれど。

 

「皆、心配性ね」

「……ディーナ様が大事なのです」

「あぁ、今回でよくわかったよ。これからは無理も無茶もしない」

「……する時は言ってください」

 

 取り繕った言葉を吐き出したけれど、アマリナにはバレいたらしい。ホント、そういう部分の信用は無いな。

 肩に置かれた頭を右手で撫でれば、アマリナはその手を受け入れてもっと撫でてほしいように頭を押し付けてくる。

 

「まあもう暫くは俺の側にいてくれ」

「この命が尽きるまで。お仕えします」

「えぇ。頼りにしていますわ」

 

 本当に頼りになる。頼りになるんだけど、俺のお腹を撫でたりうなじにキスしたり、髪の匂いを嗅ぐのはやめようね。俺もこのあと仕事があるの。夜になったら一緒に寝るから我慢してね。

 

 

 

 

 

 着替えも終わり、一日の半分以上を過ごしている自分の執務室の椅子に座って、ようやく人心地がつく。

 机の上には塔のように紙が積み上がっているけれど、俺には何も見えない見たくない。

 

「どうぞ」

「ありがとう。アマリナ」

 

 置かれた紅茶を一口。たった数日であったけれど、この味が恋しくなるぐらいには長い時間だと感じてしまった。欲していた味を堪能して、一息、吐き出す。

 書類を確認すればレイがある程度処理していたのだろう事はわかるし、ウチに在籍している政務官達も頑張ってくれている。書類の山は俺の採決待ちの物と確認書類達が多い。残りは未だにすり寄ってくる貴族達の手紙だ。

 俺よりも優秀な人たちだから問答無用で判子を押すだけでもいいのだけれど、把握しておかなければいけない物もあるだろうから全てに目を通しておく必要はある。

 俺がいなかった分は特別報奨として少し出して羽を伸ばしてもらおう。

 さっきアマリナにソレを告げたら泣いて俺に縋って「捨てないで」と言われたけれど、たぶんアマリナだけだと信じたい。他の人は休暇いるよね? 領地も安定してきたから、あんまり働かせすぎも俺としては嫌なんだけど。

 

 書類を読んで、サインをしながら思考する。

 リヨースの問題は他の貴族の動きと王都の動きにもよる。こればかりはお父様にも手を借りよう。面倒な事だろうけど、ゲイルディアとして関わればお父様にも利が生まれる筈だ。

 

 リヨース以外にも問題はある。

 あのエフィさんの指輪だ。彼女曰く婚約指輪である木製の指輪。

 見覚えがあったけれど咄嗟にどこで見たのかはわからなかったから、取得に関しては時間が掛かる事も伝えている。

 尤も、そんな時間が掛かる事に関してエフィさんは少しキョトンとしてからケラケラ笑って「人の言う時間が掛かるなんてエルフにとってはすぐよぉ」とのんびりとした口調で言ってくれた。エルフの時間感覚すげぇよ……。

 

 さて、問題は俺がどのタイミングであの指輪を見たのか、だけれど。

 

 嫌な記憶を思い出しながら記憶を遡る。

 指輪なんて貴族の生活をしていると腐るほど見せられるけれど、舞踏会で自慢できるような指輪ではない。効果はともかくとして、見た目は木製の指輪でしかない。

 その効果に関しても、俺やエルフの持つ瞳がなければ見てわからないし、効力に関しても他国に出向かなければ理解できない。

 

 ……あー、あんまり思いつきたくない娘が出てきたな。

 確かに、あの指輪だったと思う。あの時にちゃんと確認できていれば確証も得れたけれど。

 しかし、おそらく国宝になっているであろう指輪をなぜ彼女が持っていたのか。仮にも初代王様の所持品であるし、刻まれている魔法もまた高位の物だ。

 アレが本当にあの指輪であるのなら、彼女がこちらの言葉を話せるのも、書けるのも理解できる。

 けれど、もしもそうであるのならば、俺はリゲルとの過去も否定しなくてはいけない。

 全ては仕組まれていて、アサヒもその一端である。と考えなくてはいけない。

 できれば考えたくはない。否定する。そうであるのならば、もっと上手く動けた筈だ。アサヒも、リゲルも。王も、誰も彼も。

 けれど、そうではなかった。

 俺は公でこっぴどくフラれたし。もしも決められていた事であるのならば、そうはならなかった筈だ。俺の婚約がイレギュラーだったか、もしくはアサヒがイレギュラーとして新しく現れたか。おそらく後者……いや、俺が否定したいだけだな。希望的観測だ。

 

 結果だけを考えるのならば、アサヒとリゲルの婚約。結婚であろう。他に要素が無いけれど。

 俺の婚約がイレギュラーである場合、あの時点から計画が進んでいた事になる。けれど、あの時点でアサヒが居たのならばベーレントはキチンと出生の登録をしているだろう。その辺り信用できる公的資料は無いけれど、隠していた子供が今更王族との婚約、などそちらの方が面倒だろうし。

 何より、彼女は黒髪だ。この世界に置いて黒髪は特別だ。王族の証でもあるし、親しい血族ぐらいしかいない。まあ黒髪が特別というのは少し古い考えでもあるし、今の商人の娘や貴族の娘達はそれほど気にしていないようだったけれど。

 

 問題になりそうな黒髪を放置、というのは考えにくい。少なくとも王族側への接点になりえる。それをしなかった、というのはあの時点でアサヒは存在しなかったのだろう。

 

 よって、アサヒは突如として現れた存在である。俺の希望的観測と状況を考えて、そう仮定する。

 だから俺がフラれたのは決定されていた事ではなく、仕組まれた事ではなく、ただ単純に……いや、そうじゃない。その理由を考えているのではなかった。

 

 

 何かしらの要因でこの世界に湧いたアサヒがどうしてあの指輪を持っていたのか。ベーレント家に関してはある程度目を通したけれど、まだ不明瞭な所があるのだろうか。

 イワル公爵の派閥でゲイルディアの所属している派閥とは敵対関係というか、ゲイルディアに対して敵対している派閥が多すぎるんだよ! お父様! よく弱小派閥なのに生き残ってますね!

 

 アサヒに関しては不明な部分が多い。彼女自身はいい子なんだけど、どうにも騙されているのかもしれない。いや、騙していたのなら、あのオークとの戦いで俺を殺していたかな。

 

 

 何にしても、王城に行きにくい俺としては動きようがないな。問題は先送りにしよう。よし!

 諦めにも似た決断をしてから紅茶を一口。新しい書類を取れば、何かがスルリと床に落ちた。

 

「…………はぁ」

 

 ソレを視界に入れて、深く溜め息を吐き出してから拾い上げる。

 王族の紋章を刻んだ蝋封を凝視して、間違いはないかを確認する。細部まで覚えているけれど、間違いない。頭痛い。立てていたリヨース関連の問題が俺の胃を刺激する。

 

 封を切り、中の紙を確認すれば俺の眉間は深いシワを作り上げた。

 

「……リゲル王子の婚約発表舞踏会、ね」

 

 ようやく、と言ってもいいほど時間は経っていた筈だった。俺としては苦すぎる思い出であるし、ハッキリと言えば行きたくない。欠席決め込んで逃げ出したい。

 けれど、それができないのが俺の立場である。騎士称号や一代貴族としての肩書があるから出席はほぼ確定。更に言えば蝋印でわざわざ王族の紋章があるから欠席とかしたら首が飛ぶかもしれない。

 紋章がなければ嫌がらせ、と断じればいいけれど、そうではない。

 

 うーん、リゲルにしても俺をアサヒに近づけたくないだろうし、嫌がらせにしては度が過ぎる。リゲルの性格的にもしないと思うし。アサヒに唆されて、というのも考えたくはない。

 

 真意はわからないけれど、行動は決められた。

 

 改めて俺は深く溜め息を吐き出して、アマリナを呼んだ。




本当はエルフを連れてくる気は無かったです。でもエッチだったので連れてきました。貧乳はえっち。


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44.悪役令嬢は踏み出したい!!

あけましておめでとうございます。今年もよろしく。


 ハッキリと言ってしまえば億劫である。出たくないと言って許されるのならば大声で叫んだ挙げ句に送り主にビンタをかましてカチイへと帰りたい一心である。

 そんな事、許される訳もないのだけれど。

 

「お嬢様、そう溜め息を吐かれては……」

「勝手に出ていきますの。仕方ありませんわ」

 

 アマリナに入れてもらった紅茶を一口飲みながら、また吐き出しそうになった溜め息を飲み込む。

 久しく王都に来たけれど、周りのお祭り騒ぎと比例するように俺の感情は落ちている。聞かされる度に溜め息の原因が増えていきそうだ。

 

 王都にあるゲイルディア邸に連れてきたのはシャリィ先生とアマリナとヘリオ、あとはリヨース。そしてここ一年で二回目になるフィアの我儘でフィアとレイも連れてきている。

 「一度王都という物を見てみたかった」とまるで夢見る少女のように言ったフィアであったが、アレは完全に別目的に違いない。悪事を働く、とは思いたくないけれどニコニコしていた表情が怖かった。

 そんなフィアとレイはセットで動くから子守というかお目付け役にヘリオを付けておいた。頼んだ、ヘリオ。お前に掛かってるぞ。

 

「ディーナ、様……助け……」

「オーべ卿。どこに行こうというのかしら?」

「ヒッ」

 

 今扉が開いて、げっそりした顔のシャリィ先生が見えたけれど、たぶん気の所為だろう。シャリィ先生の後ろに見えたお母様も、たぶん見間違いに違いない。

 俺と一緒に舞踏会に出席するシャリィ先生であるが、俺は舞踏会があるとは言わずにシャリィ先生を連れてきた。そしてお母様に渡して、今は隣の部屋で着せ替え人形だ。

 リヨースも確かお母様に渡した筈だけれど……いや、ホントね。お母様、あのリヨースをすぐに御してるの……。何、怖い……。

 性格的に武力が上下関係に直結してるリヨースを武力も口撃もなく、ニッコリ笑うだけで御したお母様は一体何なの? 悪の女幹部かな?

 

 俺の方は慣れた色の赤のドレスであるし、今更登城してくる貴族達の視線や罵詈雑言など気にしていない。あまり豪奢すぎるドレスは主賓達が目立たなくなるから問題であるが、ゲイルディアとしての尊厳はある程度保たなくてはならない。

 主賓達よりも目立たないという目的もあるが、あの二人の婚約披露で俺がその場にいる時点で目立たないというのは無理である。渦中の存在である。弾き飛ばされたけれど。

 

 いっその事、騎士服で登城して、というのも考えたけれどアイツらの思惑的に俺はゲイルディア令嬢ディーナとして参加しなくてはいけない。招待自体は俺個人の準男爵位での招待であったけれど。思惑に乗るなら騎士服よりもこちらの方がいいだろう。そもそも俺が着飾った所で他のお嬢様方よりも劣るのだからそれほど気は使わなくてもいいのでは……?

 差を理解させる為。俺が掴めずに、アサヒが掴んだその差は埋めようがない。埋めるつもりも無い。決別として騎士服でもいいけれど、思惑に乗ればそれだけ彼らと俺の仲は貴族間で広まるし、俺が恨んでいると思った馬鹿達が釣れるかもしれない。

 

「お嬢様?」

「なんでもありませんわ」

 

 少し言い訳がましくなってしまった思考を落ち着けて紅茶を一口。

 俺に招待状を送りつけた者……おそらくリゲルだろうけど、思惑はわからない。こうして俺を招待したという事は何かはあると思う。その全てはわからないにしろ、俺が進む為には思惑に乗るしかない。もう停滞しないと決めたのだ。

 前に歩き始めると、決めたのだ。

 

 

 

 

 

 停滞しないと決めはしたけれど、王城に登城した俺を待ち受けていたのは相変わらずの陰口である。過去に受けていたお父様へのソレよりも具体的に、更には俺に聞こえるように嘲笑される。

 曰く、王子から捨てられた女。新たな婚約者を貶めた悪女。色々と言われているが謂れのない称号達を鼻で笑いとばしてやりたい。

 

 そういった嘲笑の的である俺の側には誰もいない。アマリナは侍女であるから表舞台に立たせる理由になり得ないし、リヨースとシャリィ先生はお母様側に付けている。お母様ならリヨースの制御もできるだろうし、シャリィ先生の王命達成に傷もつかないだろう。

 

「これはこれは。ゲイルディア卿、よくぞお出でになられた」

「ごきげんよう、イワル公爵。招待状を頂きましたもの。それに、殿下の婚約者も一目見ておきたいですし」

 

 遠目で俺を嘲笑してくる馬鹿達とは違い、人の良さそうな笑みを浮かべて近寄ってきたイワル公爵に礼をしてニッコリと笑みを浮かべておく。

 流石に公爵がいる前では嘲笑していたような馬鹿達は鳴りを潜める。公爵に覚えられたのならソレは彼らにとっては不利益足り得るのだろう。俺は覚えてるから覚えてろよ。お前らの交渉事を全部捻り潰してやるからな。

 

「元婚約者と言えど、やはり気になさるようで」

「あら、元婚約者だからこそ、私を逃した重大さを理解させる為に来たかもしれませんわよ」

 

 やけに棘のある言い方だな。いいや、この場では正しいか。

 ゲイルディアの娘であり、嘲笑の的である俺とは繋がりが無いと周りに示せばそれなりにやりやすくなるだろう。俺からも……ゲイルディアからも手の出しにくい公爵家のクセに俺に対する手が多いな。

 

「確かに、エルフとの親交もある貴女を手放した殿下は惜しいことをしましたな」

「……エルフとの交易は私一人のモノではありませんわ。シャリィ先生……オーべ卿あってこそのものですわ」

 

 イワル公爵の視線がリヨースに向いた。なるほど、エルフとの繋がりを求めてたのか。話しかけて来た理由がわかった。

 けれど、何か違和感がある。彼の目線がリヨースに向きはしたけれど、それに少しだけ違和感を覚えた。ハッキリとはわからない、僅かなモノ。それこそ魔力の揺らぎというべきか、この瞳になってようやく分かるほど、些細な違和感。

 眼鏡を押し上げて位置を直す。改めてイワル公爵を見ても、違和感はない。変わらず人の良さそうな笑みを浮かべている。

 気のせい、というには少し引っかかりがある。けれどその程度でしかない。

 

 笑みを浮かべながら当たり障りのない会話をした所でイワル公爵からは何も感じない。俺に腹の奥底が見えるわけでもないし、彼も見せている筈もない。

 

「おっと、そろそろ主賓が来るようですな。それではこれにて」

「御機嫌よう、イワル公」

 

 足早に、けれどもその所作は変わらず余裕を持ちながら人へと埋もれていくイワル公爵を見送りながら違和感の正体を探す。何も見つかりはしない。そもそも俺とイワル公爵には繋がりが無い。それこそ同国の貴族という繋がりだけであるし、派閥すら違う。

 けれど……。

 

「監視しますか?」

「……いえ、下手に敵対するよりも今は様子見でいいですわ」

 

 聞こえてきたアマリナの声に小さく反応すれば影が僅かに波打つ。

 というか、アマリナ? アマリナさん? リヨース達の方にいろって俺は言ったよね? なんで俺の影の中にいるの? 監視? 俺は未だに不発弾扱いなのか? ねぇ!

 影は何も応えずに、ただ静かに床の上に広がっている。

 そんな影に口を不満を顕にしていると、他の人達が騒がしくなる。

 

 大きめの扉が開かれ、出てきていたのはこの国の第二王子とその婚約者になるのであろう淡い黄色のドレスを纏った女性。俺と同い年ほどの、()よりも明るい女。

 ……どうにも未だに心に残っていた嫉妬……ではないか。不思議な感触を確かめながら小さく息を吐き出す。わかっていた事であるのに。ソレを断ち切る為の儀式なのだ。

 

 そう恨めしく二人を眺めていれば、リゲルサマと目線が合う。驚いたような表情を一瞬だけして、すぐに目を逸らされたけれど、確かに目があった。

 ……もしかして、リゲルが俺に招待状を送ったワケではないのか? 流石にアサヒにそこまでの権力はまだ無いであろうし……。

 どちらにせよ、歓迎されていない事は確定した。俺としてもさっさと出ていきたいけれど、それが許される地位になど俺はいないのだ。お互い我慢しようぜ。なるべく視界に映らないようにしてやるからさ。

 

 

 

 

「ねぇ、アマリナ。少し冷たい飲み物を持ってきて頂戴」

「……かしこまりました」

 

 熱に浮かされたような会場からバルコニーへと逃げた俺は夜風で顔を冷ます。頭は冷静であるし、何より浮かれる意味もない。会場の熱に負けた、と言い換えるほうが正しいだろうか。

 トプンと波打った影を見ながら息を吐き出し、既視感を覚える。思い出して、もう一度、ため息を吐き出す。

 あの時と一緒、というには少し俺が不格好過ぎる。そして彼はもうここには来ない。

 

「嫌になりますわね」

 

 変わらず後ろを向こうとする自分の思考に。どうしようもない事ではあるけれど、未だに足踏みをしようとする心をどうにかして動かし続ける。

 それでも、どうにも()()()()に執着があった。彼とよく喋った場所。スピカ様と喋った場所。いつもの逃げ場所。そして、自分が捨てられた場所でもある。

 重なった思い出達は否定しない。それは確かにあったことであり、自分が重ねた事でもある。だから、捨てない。抱えて持っていく。

 

「その為の儀式、というには少し辛いですわね」

「何が辛いの?」

「……あら、御機嫌よう。ベーレント様」

 

 淡い黄色のドレスを纏った愛らしい女性。同輩であり、客観的に見れば、俺から彼を奪った人間。

 アサヒ・ベーレントは左右の手に飲み物を持ち、相変わらず間の抜けたような笑みを俺に向けていた。

 

「主賓がこんなところで何をしているのかしら?」

「ディーナさんの姿が見えたから、来ちゃった」

「……相変わらず頭の中に花畑でも詰まっているのかしら?」

「むっ、酷いなぁ」

 

 来ちゃった、じゃねぇんだよ!! お前はさぁ!!

 世間的に見たらお前のせいで俺は婚約破棄されてんだよ! お前と俺が近くにいたらまーた俺への罵詈雑言が増えるんだよ! わかってんのか!? わかってねぇな!

 顔が引きつりそうになるけれど、どうにか笑みを貼り付けて対応する。

 一歩、二歩と足を動かしたアサヒは相変わらずニコニコとしているけれど、体の動きが変に思える。

 瞳で見れば、大きすぎる魔力が視認できるけれど、それも異常を知らせるように安定していない。

 

「どうぞ」

「……ええ、ありがとう」

 

 受け取った飲み物を一瞥して、アサヒを注視する。俺の視線に気付いたのは小首を傾げて不思議そうな顔をしている。

 この場では色々と面倒であるし、人の目もある。けれど、俺がアサヒを勝手に連れ出すとなるともっと面倒になるだろう。主にリゲルが。

 クルリと細長いグラスを揺らし、香りだけを楽しむ。いい酒だな、あとでアマリナに持ってきてもらおう。

 

 俺はグラスをアサヒの頭の上でひっくり返した。

 中に入っていた液体はアサヒの黒髪を濡らし、ポタリと雫がバルコニーの床に落ちた。

 アサヒは呆然と、目が震えながらこちらを見ている。

 信じられないモノを見るように、或いは悪い予感が当たったように。泣きそうな目で。

 

「ごめんなさい、手が滑ってしまいましたわ」

「な、んで……」

「乾かさないといけませんし、ドレスも濡れてしまいましたわね。着替えを手伝いますわ」

 

 アサヒの疑問に答える事もせずに、俺は淡々と口を動かしてアサヒの手を握って動く。

 きっと、誰かは見ていた筈だ。だからこそ、きっとタイムリミットは存在する。それでいい。そうでなければいけない。

 ……放置していればいいものを。と、どこかで思ってしまうけれど、それは俺の心が許せなかった。

 

 踏み出す為の一歩がやはりあの場所を踏んでしまった。



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45.悪役令嬢は気付きたい!!

じゃあ、行きましょう。


 王城にいる知っているメイドさんから空いている部屋を借りて、諦めたのか抵抗もしなくなったアサヒをソファに座らせておく。

 呆然と、床だけしか見ていないアサヒを一瞥してメイドさんには退出してもらうように言ってようやく二人きりになれた。こういう時にこの悪役顔はとても役に立つな。メイドさんの顔は引き攣っていたけれど。

 

「ベーレント」

 

 俺が彼女の家名を言えばビクリと震えるだけで、決して顔をこちらに向けない。俺が別れてから彼女に何があったかなどわからない。わからないけれど、ある程度は予測が立てられる。

 俺が側に居たのなら、なんて事も考えたけれど、それは過去でしかないし、悔やんだところで意味の無い事である。

 彼女の前に膝をついて、手を取り、どうにか目を合わせてもらう。

 

「もう一度謝りますわ。ごめんなさい。こうでもしないと貴女を連れ出せなかったの」

 

 どうにも面倒な事に。俺とアサヒが不仲である事を願う馬鹿野郎もいる。対外的に不仲であり続けた方が何かと便利だろうという俺の思惑にアサヒを無理やり乗せてしまった形になるのだ。

 冷たい手をしっかりと握り込んで、空いた手で人肌よりも少し暖かい程度の熱風を起こして彼女を乾かす。黄色のドレスが汚れてしまったけれど、その辺りは影の中でぶうぶうと言っていそうなアマリナに任せる。

 

「貴女との不仲を願う人も何人かいますの」

「……ディーナさん、は……敵なの?」

「……難しい質問ですわね。世間的に敵である方が都合は良さそうですわね」

 

 震える声で確認をしたアサヒに対して俺はそうとしか言えない。味方である、とは決して言えないのが俺の辛い立場である。今は二人しかいないけれど、それでも彼女の立場として俺を味方として扱うのは考えものである。

 燻り出しとして俺を扱っている方が国の為でもあるし、けれどアサヒにとってはそれは関係の無い話であった。これから先に関係がある話だ。俺を重宝するのは、問題だろう。

 

 俺の手が強く握られて、アサヒの瞳が潤む。

 

「よかった、ディーナさんだ……ッ!」

「……それで私の認定をされても、私としては複雑ですわね」

 

 ありがたい事だけれど、それでも複雑は複雑である。彼女の中でのディーナ・ゲイルディア像はいったいどうなってるんだ? 小一時間ぐらい聞き出してみたい。

 涙が瞳から溢れて、喉の奥から心が零れるように、震えた声が出てくる。

 

「あの日から、何がなんだかわからなくなっちゃって……! みんなディーナさんが悪いって、でもそう思えなくてっ。ずっと、ずっと、ワケがわからなくて!」

「……ありがとう、アサヒ」

 

 彼女は彼女で悩んでいたのだろう。その原因があの日から始まっていて、それでも彼女は俺を信じてくれた。

 きっと彼女がそんな人物だからこそ、周りはソレを許さなかった。俺との関係を悪くしたいであろう誰かはソレを許せる訳がない。

 彼女は俺が居なくなった後も、虐められたのだろう。それはきっと俺が原因と言われるモノで、けれども一切俺の痕跡の無いものだ。理由なんて幾つもある。俺からリゲルを奪った、なんて恰好の理由だ。

 

 それでも彼女は俺を信じてくれた。

 溢れた俺の感謝の言葉も、アサヒは首を横に振って心がまた転げ落ちる。

 

「ごめん……ごめんなさいッ、ごめんなさい、ディーナさん」

 

 涙や嗚咽でぐちゃぐちゃになりながら彼女は俺に謝り続ける。どうしようもない貴族間の諍いに巻き込まれた単なる少女なのだ。

 俺よりも心の準備などできていなかった筈だ。それでも彼女は日常を振る舞ったのだろう。縋り付き、必死に立ち、笑みを浮かべ、壊れないように。

 いっそのこと「ディーナ・ゲイルディアが悪い」という言葉を信じてしまえば彼女は楽であっただろうに、それをしなかった。

 

 俺は謝り続ける彼女の頭を抱きしめて、頭を撫でる。これ以上の謝罪は必要ない。元から必要など無い。

 けれど、彼女は俺に許してほしかったのだろう。俺がどう思っているかわからないからこそ、俺が恨んでいると思っているからこそ、自分が俺の場所を奪ったから。けれどソレは自分ではもうどうしようも出来ないのだ。

 自分の心を許す為に。きっとソレが自己満足である事もわかっている。けれども、彼女は。

 

 

 

 

 

 

「虐めなんてもの、さっさと駆除してしまいなさいな」

「えぇ……」

「今のアサヒにはその地位と権力を持っていますわ。だからこそ、もう虐めなんて手には出ないでしょうけど」

 

 泣き止んだアサヒの隣に座って話を聞きながら改善策を提示してやれば困ったようにアサヒは眉尻を下げた。

 お前はもうリゲル殿下の婚約者なのだから、馬鹿の相手をしている暇はないんだぞ。面倒なら引き受けるけど、アサヒが断ち切る方がいい方向に転がるだろう。付け入る隙を見せるのはいいけれど、それでも穴の空きすぎは問題だ。

 

「それに、貴女は治癒魔法が使えるのでしょう? どうして自分の傷は治してませんの?」

「えへへ……バレた?」

「バレますわよ。動きがぎこちないですし、」

「リゲルにもバレなかったんだけどなぁ」

 

 うーん、と愛らしく悩みだした馬鹿娘だけれど表面の傷だけは治して必死に取り繕っていたのだろう。というか、治癒魔法を使えるのだからさっさと治せばいいものを……。

 ……まあ、さっきの事を考えれば自罰とかそういう気持ちもあったんだろう。彼女が自覚していたかはわからないけれど。

 

「治癒魔法も自分には効きづらいらしくて」

「言ったでしょう。想像魔法は感情と思いに強く結びついていますのよ。今なら大丈夫ですわ」

「……おぉ! ホントだ!」

 

 あっさりと治癒魔法とかなり多い魔力を消費したというのに相変わらずの笑みを浮かべて俺を見つめる。

 

「やっぱり、ディーナさんはすごいねっ」

「……はぁ」

「どうして溜め息!?」

「気が抜けましたわ」

「むぅ、酷いなぁ」

 

 むずむずと心を擽るアサヒに対して誤魔化すために溜め息を吐き出すのはいつぶりだろう。ここ一年が俺にとって内容が濃すぎたのだろう。一年? 嘘だろ……。

 カチイの政務、フィアとレイ、エルフとの交友……濃い気がする。いや、一つ一つがやたらと大きいだけで実際はそれほどか? 英雄譚と比べているのが問題だろう。よし、俺はまだ平凡なお嬢様に違いない。

 

「……ディーナさんは、本当に虐めの主犯じゃない?」

「後ろに私が居たとして、その質問を肯定はしませんわよ」

「そうだよね。でも、それが聞けてよかった。ディーナさんがする筈がないもん」

「わかりませんわよ。リゲル殿下との仲を奪われましたもの」

「それでも、わたしはディーナさんだとは思わない」

 

 相変わらず、瞳が真っ直ぐである。思えば真っ直ぐ、というのは美点であるけれど、少しぐらいは融通の利く性格になってもいいと思うぞ。

 こういう瞳には、俺は負けてしまうのだ。仕方ない事である。

 

「好きになさいな」

「うんっ! それに、ディーナさんが本当に主犯なら、もっと怖い事をされてたと思うし!」

「アサヒ?」

「えへへぇ」

 

 本当に、この娘は……。

 溜め息を一つ吐き出して、彼女の指に嵌っている木製の指輪が目につく。あの時のまま、変わらずに嵌っている指輪。どうして彼女が持っているかがわからない指輪。

 

「ねぇ、アサヒ。その指輪。誰から貰ったのかしら? リゲル殿下?」

「ううん。これは()()()()()から貰ったの。お父さん伝いだったけど」

「そう……。なるほど、なるほど」

 

 随分と面倒になりそうな事が頭をよぎったけれど、今は置いておく。重要であるけれど、彼女を前にして考える事でもないだろう。

 

「アサヒ、何か困った事があれば私を頼りなさい。リゲル殿下に説教するぐらいはして差し上げますわ」

「うーん……リゲルが可哀想になるから。でも、ありがとう」

「カチイの場所はわかります?」

「大丈夫! 謝ろうと思って何回か行こうとしてリゲル達に捕まったから!」

「……殿下達の苦労が知れますわね」

 

 目下の悪人である俺の所に行こうとするアサヒを止めようとするリゲルとレーゲンがありありと想像できる。よくこの直情お日様娘を捕まえられたモノである。

 俺のように手回しして遅延した訳ではないからすぐに捕まえられたのだろう。

 

 さて、そろそろ時間か。

 

「アサヒ、そろそろ迎えが来ますわ」

「……ディーナさんは大丈夫なの?」

「貴女と一緒にしないでくださる? 貴女の信じる私はそんなヤワな女かしら?」

「……うーん、ヤワじゃないけど傷つきはするし、それを我慢するでしょ? ディーナさん」

「……さぁ? 我慢なんてしたことありませんわ」

「もう……。またね、ディーナさん。話せてよかった」

 

 煩い足音を鳴らして近づいてくる気配に小さく息を吐き出しながら影を二回足でノックする。

 ズッと出てきた褐色肌の手にはカップに入った紅茶が出され、それを受け取る。香りをのんびりと楽しむ猶予もなく、扉は音を立てて乱暴に開かれた。

 

「アサヒッ!」

「リゲル……」

 

 紅茶を一口飲んで、心を落ち着ける。うん、何も問題はない。

 そこでようやく扉にいるリゲル殿下とレーゲンへと視線を向ける。

 

「随分と遅いご到着ですわね」

「……ゲイルディア嬢、なぜここに居る」

「あら招待状を貰いましたもの。準男爵の私に無視する、なんて選択肢ありませんわよ」

「それもアンタが裏で手を回してた事じゃねぇのか?」

「さて。ご想像にお任せしますわ」

 

 レーゲンの言葉に対しても崩さずに応える。本当に俺は知らない事なのだけれど。

 

「リゲル、ごめんね。ドレス替えてくるね」

「ああ……一人で大丈夫か?」

「うん。メイドさんもいるし、大丈夫」

「そうか……」

 

 俺に少しだけ申し訳なさそうな視線を向けるアサヒを無視する。俺は大丈夫だから早くドレスを着替えてきなさい。

 一人で、と口にしたリゲルはメイドと一緒に出ていったアサヒを見送った後に俺の前に腰掛ける。その後ろにはレーゲンが控えている。帯剣までして、随分な警戒だこと。

 俺はさらに紅茶を一口。

 

「それで、目的はなんだ」

「さて、何の事やら」

「お前がどうしてここに居る?」

「先程も言ったでしょう? 招待状が送られてきた、それ以上の理由はありませんわ」

「俺は送っていない」

「……しかし、私の手には招待状があった」

「おいおい、偽造は重罪だぞ」

「あら。そうなら私はここに入る前に捕まっていますわ。それとも、鑑定官が悪かったのかしら?」

 

 クスクスと笑いながら答えをはぐらかす。俺だってどうして送られたきたかわからない。

 リゲルが送っていなかったとすれば、誰が送ってきた……? アサヒでもない。陛下とも考えづらい。

 

「さっさと答えろよッ」

「やめろ、レーゲン」

 

 剣へと手を掛けようとしたレーゲンを左手を上げて抑えたリゲル。まあ武力行使は悪手だよな。それは理解出来て…………ん?

 リゲルの左手首が目に入る。不格好極まりない小石の連なったブレスレット。いいや、あれは元々彼が首に巻くために作っていた物だ。そして俺が送った物でもある。

 俺に関わる物なんて全部捨てたと思っていたけれど、そうか、ある程度の魔除けであるソレは残していたのか……。まあ効力は一応あるからな……。

 

 けれど()()()()()()()として認識できるのは俺とシャリィ先生だけだ。

 

 王家の鑑定官だって「子供の作り物」と評価し、魔法使い達からは「鑑定官へ見せろ」と言われた物だ。

 だから、誰も知らない。俺とシャリィ先生、そしてエルフ達だけしかその効力を知る事は出来ない。

 俺が彼に送ったのも、公的な場所ではなくスピカ様だけに送って拗ねた彼の為にこっそりと作り、送った物だ。

 だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ふふっ、あはははは!」

「何を笑っている」

「失礼。随分滑稽だったので」

 

 それはレーゲンへの煽りであり、そして自分への嘲笑だ。

 ああ、そうか。そうか!

 約束、ああ、そうだ。俺は彼に約束したのだ。

 

「リゲル殿下、早くアサヒの元に行ったほうがいいのではなくて?」

「おい、アサヒにまだ何かをしたのかよッ!?」

「さぁ? 私は知りませんわ。ただの助言ですわよ」

「……ゲイルディア嬢。もう俺の前に姿を見せるな」

「……さあ? 私、これでも強かな女ですので。それに()()()()立ち上がれましたので」

「ふん……。行くぞ、レーゲン」

 

 鼻を鳴らして俺を一瞥し、レーゲンを連れて行くリゲルを見送り、扉が閉まる。

 遠のく足音を感じながら、大きく息を吐き出す。

 

「ディーナ様……」

「ごめんなさい、アマリナ。悲しくて泣いている訳じゃないの」

 

 そう何が悲しい事があるような物か。

 ああ、これは歓喜だ。

 積み上げ、崩れたと思っていた思い出達が、確かにそこには残っていた。

 

 きっと、俺とリゲル、スピカ様以外気付かない。

 だからこそ、リゲルは俺を王城から離したのだろう。()()為に。

 繋がりだけは残して。繋がっていると俺に示して。

 

 馬鹿らしい。実に、馬鹿らしい。自分が守ろうと思っていた相手に守られるなんて。

 そしてソレに気付かなかった自分に。積み上げた物が崩れてしまったと、ただ泣いて、ただ落ち込んで。けれども、それは違っていた。

 思い違い、と考えそうになるほど希薄な繋がり。誰が見ても切れた筈の糸であった。

 けれど、それでも、それだけで十分であった。

 

 彼の思惑もわかった。

 優しくて、少しだけ抜けていて、それでも自分で立つ強い彼は何も変わってなどいない。

 

「ねぇ、アマリナ。私は私を信じてもいいのかしら?」

「……私はディーナ様に着いていくだけです」

「そう。なら地獄の果てまで追い詰めに、()()ますわよ」

 

 この感情は正しく歓喜であり。

 

 そして――怒りだ。



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46.悪役令嬢はベットしたい!!

 感情を落ち着けて、冷めてしまった紅茶を一口喉の奥へと流し込んで思考へと埋没する。

 リゲルが俺を信じていた。ただその一点だけ、俺は彼を信じられていなかった。

 約束。そう、約束だ。

 俺は彼を裏切らない。ただそれだけの事で、俺は彼を信じていた筈だったのに。あの瞬間は頭が真っ白になって、つい先程まで約束の事なんて忘れられていたと思っていた。

 

 彼が俺を突き放したという事実。

 アサヒの事を思って、虐めの主犯である俺を離した。けれど、それは俺を信じるというリゲルの想いに矛盾する。未だに俺との繋がりを捨てずに持っていた。リゲルにとって何の効力もない、不格好な子供の作成物を。

 

 反転させる。

 ディーナ・ゲイルディアを突き放さなくてはいけなかった。

 理由と結果が反転する。理由の為に結果があるのではなく、結果が欲しくて理由ができた。

 その理由の部分はわからない。今更俺への罵詈雑言など、リゲルも知っていた事だ。なら、どうして?

 リゲルが何かに気付いた? 或いは何かの取引材料であったか?

 俺を突き放しアサヒを据えた理由は……。けれど、それでもアサヒなのだ。あの人の心にズカズカと踏み込んでくる天真爛漫天然記念物娘が原因だとは思えない。要因ではあるだろうけど。

 誰が敵かがわからない。誰が何を求めているのかが見えてこない。

 

「……まったく分の悪い賭けですわね」

 

 きっと彼には「ディーナ・ゲイルディアが全ての元凶である」という情報が幾つかあっただろう。我ながら俺を信じるという判断は分が悪い賭けだと思う。それでもリゲルはベットした。

 カードは配り終わり、見えないディーラーの手札も、リゲルの手札も開示されていない。更に言えば俺は捨札なのだ。

 捨てられたという事実があるカード。ディーラーも見捨てた、盤面にはもう上がれないカードの筈であった。

 

 

 両手の指先を合わせ、瞼を落とす。緩やかに流れる魔力を掌握しながら、欠片を紡ぐ。

 俺の位置を正しく理解できている人物は俺とリゲル、そしてスピカ様ぐらいか。

 見えない敵の最終目的は不明。リゲルに近い人物は敵と思った方がいいかもしれない。ただ知らないだけの可能性もある。できることなら、そう信じたい。

 知らずに、巻き込まれているだけ。敵の思惑も知らず、ただ()()()()()()、リゲルへと伝えた。

 

 

 そうだと言ってくれよ、レーゲン・シュタール。

 

 

 

 

 

「ゲイルディア様。よろしいでしょうか?」

 

 ざわついた感情を紅茶を飲み干すことで抑え込んで、会場も賑わいも取り戻したであろうからそろそろ帰ろうと思えば、メイドに呼び止められた。

 振り向けば顔の知っているメイドである。あの人に呼ばれる時はいつだってこのメイドさんだったから、つまりはそういう事で。

 お互いにわかっている事であり、ニッコリと笑い合いながら俺はメイドの後ろを付いていく。やっぱいい尻してますねぇ。

 

 珍しく、というべきか普段入れられている密談室ではない。疑問に感じながら着いていけば普段は絶対に入れない場所。王族の私的区間。これはもしかして拙いのでは?

 

「どうぞ、こちらです」

「……」

「陛下、ゲイルディア様を連れてまいりました」

「おう、入れ」

 

 幼い時にリゲルやスピカ様と探検した時に聞いた。ここって陛下の私室じゃん!! えぇ……。入りたくない……。

 と言った所で俺にはどうする事もできないので深呼吸をして扉を開く。嫌過ぎる。帰りたい。

 

「失礼致しますわ、陛下」

「よぉ、ディーナ嬢。元気そうで何よりだ」

「陛下も……」

 

 と定型文を返そうとして、陛下に視線を向ければベッドで座っている。服もラフな物で散見している書類の束はベッドの周りしかない。

 目を細めて、腹部が縮み上がるのを感じる。改めて息を吐き出して気持ちを持ち直す。

 

「息子の元婚約者をベッドルームに誘うだなんて、ご壮健で何よりですわ」

「おいおい、随分な言い方だな」

 

 カラカラと笑っている陛下は俺の後ろへと視線を向けて、メイドに扉を閉めさせる。同時に人払いも完了しているのだろう。

 ベッドに寄って、一言だけ断ってから近くにある椅子に座らせてもらう。

 

「……それで、病状をお聞きしても?」

「相変わらず話が早くて助かる。俺の状態を見て抱えの主治医ですら動転したというのに」

「生憎と医学の心得は無いもので」

 

 ベッドの横に置かれた小さなテーブルの上には見覚えのある小瓶。中身は空であるけれど、魔力の残滓が残っている。

 それを一瞥して、陛下へと向き直る。

 

「主治医が言うには毒らしい。解毒方法も不明。今は持ち直しているがな」

「……エルフとの交流を急いだのはこれが理由ですか」

「都合がよかった、だな。オーべが言わなければ今も根性だけで政務をしていただろう」

「無理無茶をする立場では無いでしょうに」

「お前が言うか」

 

 カラカラと笑う陛下であるけれど、事態としてはそれどころではない。

 見えない敵の目的はコレか。将来的にはリゲルを操り、国の乗っ取りだろう。大きすぎる目的だが、見えている目的であるし、陛下の状態を見れば掴める目的だ。

 

「……犯人はお分かりですか?」

「わからん。上手く隠れられている。クラウスにも調べさせてはいるが、空振りだな」

「他国から、という可能性は?」 

「恐らく無い筈だ。俺を卸したところで隣国に利益はそれほどない」

 

 それはそうか。現状の平和条約を覆す理由もないだろうし。隣国との関係はそれなりにいい。

 つまるところ国内部での事なのだけれど。それはそれで厄介だ。

 

「まあ安心しろ。もう暫くは粘ってやる。エルフの秘薬もある事だしな」

「従者を介したのならバレる可能性もありますが」

「問題ない。確実にバレてはいないだろう」

「…………そうですか」

 

 頭の中で別の欠片が出てきたが、今は考えなくていい。全部終わってから洗いざらい聞き出してやろう。

 不敬になる事を承知で大きく溜め息を吐き出して思考を纏め上げる。

 

「お前が舞踏会に出ていて都合もよかった」

「……陛下が呼んだ訳ではありませんのね」

「呼ぼうと思ったがな。あまり俺が動くと警戒される」

「あら。ベッドルームに連れ込まれた私は悪女だなんて噂されるんですのよ?」

「ハッハッハッ、今更だろう!」

「それもそうですわね」

 

 お互いに冗談を吐き出しながら笑う。俺にとっては笑えない冗談であるが、それこそ本当に今更だろう。

 陛下が死んだ場合の事を考えれば、リゲルが王になる。そしてそれは傀儡としてだろう。後ろに誰がいるかはわからないが。俺を排除する動きがあるのだから、ゲイルディアごと消しにくるのは目に見える。

 今だって、陛下が居なければさっさと悪役として没していたに違いないし。

 

 あまり噂になってもお互い困るので、さっさと俺は部屋を後にしようとする。話す事も話した。

 扉に手を掛け、開く直前に陛下の声が聞こえる。

 

「……俺はお前たちに賭けたぞ」

 

 変に重圧を掛けられた。けれど賭けられたのだから損をさせるワケにはいかない。

 俺は応えずに、笑みを見せながら部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 カラカラと車輪が転がる。

 少しデコボコした路だというのに乗っている少女はそれほど揺れを感じずにただ前を見ていた。

 編み込まれた白髪が肩に乗り、胸元辺りまで垂れ下がっている。街の様子を見てか、それとも車椅子を押してくれている友人の雰囲気を察してか白髪の少女は微笑みを浮かべている。

 

「おぉ~!」

 

 無口な車椅子の主とは違い、感嘆の声を漏らしながら車椅子を押している赤毛の少女はキョロキョロと辺りを見渡しながら街の様子に興奮を隠してはいない。

 こちらは車椅子を押していなければいまにもどこかに飛び出していきそうな雰囲気をずっと出している。

 

 対してその後ろでゲンナリとしながら二人を見守る一人の男がいた。褐色肌に腰には剣。藍色の髪を面倒そうに搔きながら欠伸を一つ。

 なんで俺が、とは口に出すことはない。面倒極まりない命令であっても、それは愛する主からの命令である。面倒ではある事は隠す事はないけれど。

 

「それで、フィア。王都で行きたい所でもあるのか?」

「はい。ヘリオさん。少しお世話になった方がいらして」

「ほー……お前らの世話なぁ」

 

 元々カチイで孤児として生き抜いた二人であり、主の連れてきたフィアとレイ。更に言えばレイはスリの常習犯であったし、更には捕まらなかった。警備の穴を抜け、逃げ切る進路を伝えていたのはこのフィアである。

 警備網と緩みの予測。それを合致させるだけの能力がフィアにはあった。その事を時折逃げ出す主を探すついでに警邏に参加していたヘリオはよく知っていた。お陰で給与が減らされた事も忘れてはならない。

 

「なぁ、フィア」

「どうしました?」

「……ボク、王都に来たのは始めてだし、知り合いなんていないけど?」

「まあまあうふふ」

 

 レイとフィアはずっと一緒にいた。レイにはその自信があった。フィアの事はなんだって知っている。けれどもフィアほどよくない頭の記憶をひねり出した所で一切の知り合いは出てこない。

 フィアしか眼中になかった、というのはそうだけれど他人に対しては一定の警戒度を持っていたからある程度の人物の顔は思い浮かぶ。それこそ未だに今の主が男装してきた時の悪どい笑みを覚えているほどだ。

 話をわかりやすくはぐらかしたフィアを見ながらヘリオは大きく、そしてこちらもわかりやすく溜め息を吐き出してみせた。

 

「危険な所じゃないだろうな?」

「ボクがフィアをそんな所に連れていくわけないだろっ」

「お前は弱いんだからもっと考えて動け、馬鹿」

「はー! ヘリオ兄もこのまえリヨースに負けそうになってたくせに!」

「勝ちましたぁ! 剣だけなら圧勝でしたぁ! 魔法込みでもギリギリ勝てますぅ!」

「あらあら。ヘリオさん。安心してください。ちょっと周りの人が危険なだけで安全ですよ」

「あぁあぁ、そういう危険に突っ込む所だけはお嬢に似やがって……」

「主様ほど無茶はしませんよ」

 

 されても困る、とはヘリオは言わなかった。

 既にディーナの庇護下に入った二人がどうにかなったのならば、あの主は淡々と犯人を殺すに違いない。尤も、ヘリオもそれには賛成である。

 

「あ、ここです」

「……商店?」

「はい。尤も、真っ当な商店ではありませんけど」

 

 その言葉にヘリオは眉を寄せ、少しだけ警戒度を上げる。不意打ちであろうと遅れは取らないつもりであるし、二人を逃がすぐらいならば出来る自信もある。慢心ではない。それが出来る程度には力はつけた。

 変わらず首を傾げながらフィアに言われた通りに車椅子を押すレイと一緒に商店の門を潜る。

 

「いらっしゃいませ。ようこそボーグル商店へ! 何をお求めでしょうか?」

「店主さんはいらっしゃいますか?」

「店主ですか? 失礼ですが、ご用向をお伺いしても?」

「そうですね。カチイの魔女が来た、と言ってくれればわかると思います」

「?」

 

 売り子の女性と一緒に首を傾げたレイ。ニコニコとしているフィアの言葉に眉を寄せて溜め息を吐き出したヘリオは周りの商品を見ながら更に眉を寄せる。

 

「今、カチイの魔女……と聞こえたけれど、嘘ではないね?」

 

 その声は開いた戸枠に凭れかかった女から吐き出された。踏みそうになるほど長い紫白の髪の女は口元に咥えた長い棒から空気を吸い込み、煙を吐き出す。

 

「あ、店長! 起きてたんですね!」

「……モラン君、まるで普段からワタシが眠っているような言い草はやめてくれないかい?」

「だって店長この時間はいつも寝てるじゃないですか!」

「……はぁ、まあいい。奥に案内しよう」

「あ、店長!」

「なんだい? これ以上ワタシの尊厳を崩す気かな?」

「ここ、禁煙って言いましたよね?」

 

 ニッコリと笑う売り子、モラン。バツの悪そうに細長い棒を咥えた店主――ボーグルは煙を今一度吸い込んだ。

 

 

 

 

 

「まさか、カチイの魔女がこんな少女だったとは驚きだね」

「こうして会って話すのは初めてですね。ボーグル様」

「敬称はやめてくれ。アンタには儲けさせてもらってるよ」

 

 店奥の客間へと連れてこられたフィア達とソファに座り、消された火を灯し直したボーグルは強く煙管を吸い込んで濃い煙を吐き出した。

 レイにしてみればやはり初対面の顔である。細く開いた怪しい瞳も、紫白の髪も、見覚えはない。癖のようになった眼の前の人物からはスれるか、という判断もやめておいた方がいいと直感している。そういう獲物ではない相手は記憶に残るのだけれど、それでもレイの記憶にはやはりない。

 当然、言葉の通りフィアとボーグルがこうして顔をあわせるのは初めてであるから、レイの記憶にないのも当然である。

 

「本当にゲイルディアの子飼いになってるとはね。魔女と悪女とは中々の組み合わせじゃないか」

「あら。そこまで情報は知っていたのですね」

「カチイの情報が一切、いいや、意図的に漏れてくる分しかなかったからね。予測でしかないけれど、まあ生きているとは思っていたよ」

「……あの商品は盗品だな?」

「そうだよ。ああ、尤も一度バラしているから盗品という証拠はないけれどね」

 

 ヘリオは頭を抱える。知らない方がよかった事を知ってしまった。正義感という物はそれほどないヘリオであるが、これほど堂々とした犯罪に対してどうすればいいか頭を抱えてしまう。

 対してさもなんでもないように事実を告げたボーグルは白い煙を口から吐き出しながらフィアへと向く。

 

「それで、手紙の事を実行に移すのかい?」

「いいえ。それは主様に止められましたので」

「なんだ。つまらないね。街一つを落とす、なんて孤児の少女の夢物語は面白かったのに」

「あら。孤児が貴族に取り入って、ある程度の権利を持つのも面白いとは思いませんか?」

 

 それもそうか、とクツクツと喉を引き攣らせるように嗤うボーグルにフィアもクスクスと笑う。

 ああ、また厄介事に巻き込まれてるな、と主の呪いが自分にも降り掛かったような気持ちになるヘリオであるが、目の前にいるボーグルへの警戒は解かない。

 なんせ、彼女は自然体でありながら隙が無い。勝て、と言われれば勝てるだろうが、それでもある程度の損害は考えなくてはならない。

 

「それで、こうして姿を見せたという事は何かあるんだろう?」

「ええ。ボーグル。ゲイルディアに着いてください」

 

 煙管の灰を落とし、フィアを睨むボーグル。薄く開いた鋭い瞳がフィアを威圧するが、それでもフィアはただ真っ直ぐにボーグルを見つめる。

 

「そうか……そうか。これでも裏には詳しいけれど、ワタシをあのゲイルディアに。くくっ、なるほど……それを君が言うのか」

「報酬も用意いたします」

「いいや、面白いね。やっぱり君と知り合えてよかったよ。必要な物はなんだい? 武力かい? それとも国家の転覆かい?」

「……情報をください。我が主様を守れるだけの、助けられるだけの」

「うんうん! いいね! とっても君はいい! ヒッヒッヒヒヒ!」

 

 笑う。蛇は嗤い、自分の瞳から流れた涙を拭って、息を整える。

 

「あー、さて、うん。契約の話をしよう」

「……私には情報を」

「うん。ワタシへの報酬は必要無い」

「……なぜか聞いても?」

「君の主が素敵だからさ。以前の状況からの転落。けれど、彼女自身は諦めていない。うんうん、とってもいい。負けは必至なのに、それでもソレをひっくり返そうとしている。ソレを特等席で見れる。これ以上の報酬を求めるのは野暮ってものだよ」

 

 まあ少しぐらいワタシが手を出しても変わりはしないだろうけど、と喉を引き攣らせながら笑うボーグル。その言葉を聞いて、いい気はしない。三人ともあるが。同時に、それほど主が絶望的な状況であるかがよくわかる。

 けれど、ディーナ・ゲイルディアには平穏に生きてほしい。というのは彼女に恩を感じている三人の願いだ。

 

「あ、でも」

「?」

「モラン君に怒られるからちょっとだけは貰っておこうかな」

 

 けろり、と先ほどの自分で言った事を覆したボーグルは白く、濃い煙を吐き出して笑ってみせた。



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47.転移少女は覆したい!!

 アサヒはその日、今までよりも晴れやかな気持ちで朝を迎えた。

 未だに心に積もった物はあるけれど、それでも()()()から比べてみれば幾分にも雲は取り払われた。

 王城に滞在しているアサヒは柔らかすぎる枕から頭を離し、両手を天へと伸ばす。

 寝心地の良し悪しはさておき、慣れていない枕ではそれほど深い睡眠にならないアサヒは二度寝の魔力などは感じずに小さく息を吐き出してからベッドから降りて、絨毯の上に正座をする。

 元来の日本人であるアサヒが集中出来る姿勢というのが正座であったから、という安易な理由でディーナから魔法を教えてもらってからは毎朝の習慣となってしまった行為。

 

 窓から見える日の昇りかけた空を瞼の奥へと閉じ込めて、体内にある魔力へと集中する。

 あの時のようにディーナに怒られないように、と初めて魔力を破裂させた翌日に頂いた説教を思い出しながら、アサヒは魔力へと意識を集中させる。

 魔力という異物から違和感を取り除く。ある物を当たり前のように使う為に。触れた魔力が確かにある事を認識する為に。

 数分ほどの習慣はあっさりと終わり、アサヒは大きく息を吐き出した。

 先日までは、ここから悩む時間があった。けれど、それはもう無い。信じた事を信じればいい。

 

「……アサヒ様、よろしいでしょうか?」

「うん、大丈夫! おはようございます!」

 

 ノックに即座に反応したアサヒは扉を開けたメイドに今日は無理やり作った笑みではなくて、自然と溢れた笑顔を向ける事ができた。

 

 

 

 アサヒ・ベーレントの新しい日常というのは実に忙しい。平穏を享受していた倉嶋朝日という存在にとっては目まぐるしい日常とも言えた。

 朝食を取ってからは教育の連続である。元々異世界に住んでいたアサヒは当然の如く貴族としてのマナーなど知らない。いや、形だけは知っていたけれど、それもハリボテでしかない。

 そんな形だけのマナーと最低限の禁止事項だけであの婚約発表の舞踏会に立っていたのも隣にいたリゲルの補佐があってからこそである。

 頭が痛くなるほどの情報量であったけれど、アサヒはゆっくりとではあったがそれを自身の物にしていく。尤も、アサヒはこの教育の事を躾と頭の中で言っている。

 躾ではあったけれど、アサヒは煩く吠える犬ではない。ドレス着る貴族となり、負える義務が証明となった。

 

 誰かと比べられる事はあった。当然言葉には出ていなかったけれど、まるで誰かの為に用意されていた王族としての儀礼説明を口早に説明された一度目の教育とそれに比べて随分と稚拙でゆっくりとした教育になった二度目からでアサヒは理解した。アサヒにとっては丁度いい速度の教育であったが、この時より教育は躾となった。

 その誰かというのは理解が早く、ある程度の貴族としてのマナーを振る舞える存在。そして元から自分が立っている場所に立っていた人である。

 そんな事、アサヒは簡単に気付く事ができた。

 だから、メイド達を責めるような事もしなかった。自分にその権利は無い。

 

 

 ともあれ、躾にも思える教育を終えれば別の躾が待っている。アサヒには王族に入るにしても足りない部分が多すぎる。それらを十全に、まるで元から知っているように、簡単に熟すことも出来ない。

 この時ばかりはアサヒは現代に伝わる数ある物語に登場していた似た境遇の主人公たちを羨んだ。もしも、これが物語であったのならば一文で終わった事だろう。

 彼女にとって現実であったし、『物語』の漢字すらこの世界には存在しない。

 

 

 陽が昇りきった頃にようやく暫しの解放をされたアサヒは中庭へと急いで向かう。躾から解放された事もあるが、普段ならばもっと足取りは重い。肉体に感じる疲労度は据え置きであるけれど、精神的には足は軽い。

 リゲルと話す事が嫌だったワケではない。それでも自分の中に引っかかる物はあった。それが解消されたのだ。だからこそ、アサヒはリゲルに言いたい事があった。

 

 中庭に備え付けられたガゼボにリゲルは既に座っていた。既に政務についているリゲルが自由になる唯一の時間であり、その隣には幼馴染であるレーゲンも座りお茶菓子を食べている。

 

「リゲル!」

「アサヒか。今日は早いな」

「うん! ちょっと頑張っちゃった!」

「その調子で頑張れよ、アサヒ。リゲルの嫁になるんだから」

「わかってるよ!」

 

 ケラケラと、からかうように笑うレーゲンの言葉にしっかりと返したアサヒは椅子に座り、リゲルを前にする。

 カップを傾けながら仕事の事でも思い出していたのか、それとも苦かったのか、難しい顔をしていたリゲルはアサヒの視線に気付き、カップをソーサーに置いて口を開く。

 

「どうした?」

「ディーナさんの事なんだけど……」

「……やはりあの時、ゲイルディア嬢がお前に何かしたのか?」

「そんなことないよ! その、あの時にちょっとだけ話して」

「おいおい、あの悪女の話を真に受けたのか? あいつはオレたちを何年も騙して、お前の虐めの主犯だぜ?」

「違うよ! ディーナさんはそんな事しない! しない、と思う……」

 

 自身の感情と心に嘘はない。信じているというのも本心である。けれどもレーゲンの言葉に尻すぼみになってしまう。

 ここで自分が折れてしまっては、きっとディーナはもっと辛い所に行ってしまう。そんな確証もない予想が、アサヒを奮わせる。

 

「……レーゲン、少し外してくれ」

「ん?」

「二人で話をしたい」

「……それはいいが、言ってもオレは護衛も兼ねてるからな。近くにはいるぞ」

「ああ」

 

 立ち上がったレーゲンは話に入らない事を示すように、ガゼボの屋根の外へと出る。

 アサヒはレーゲンを横目で見送り、リゲルへと視線を戻す。目を細め、厳しくレーゲンを睨めつけるようにして、その表情を隠すようにカップに口を着けた。

 

「それで、ゲイルディア嬢の事だったが」

「うん。わたしは違うと思う」

「……あの時、ゲイルディア嬢にそう言われたのか?」

「ううん……。わたしがディーナさんを信じたいから」

 

 客観的な意見ではない。それはアサヒだけの意見であり、心である。

 あのディーナ・ゲイルディアが自分をイジメる筈がない、とは言わない。少なくとも、あの時ははぐらかされた。

 単なる直感であった。それがあの時ディーナと話し、確信になった。

 ディーナ・ゲイルディアは主犯ではない。

 

「……アサヒの主観で、ゲイルディア嬢を信じろ、か」

「ダメ、かな?」

「駄目だな」

「どうしてッ!?」

「お前が苛められていたという事実と、その主犯がゲイルディア嬢だという情報があるからだ」

 

 アサヒに言い聞かせるように言葉を放つリゲルに息を飲み込む。

 自分よりも長い日々をディーナと過ごしたというのに。ただ一点、アサヒ自身の為に。それだけの為に、リゲルはディーナを突き放す。

 原因である自身。想ってくれるリゲルの気持ちもわかる。それでも、それでももっといい方法があったのではないか、と夢想してしまう。

 アサヒは口を開けない。自分も要因である。だからこそリゲルだけを責めるのは間違えている。

 

 それでも、ここで自分が折れてしまってはいけない。

 沸騰しそうになる頭の熱は冷めはしない。口を開けばリゲルの事を「わからず屋」と罵りそうになる。

 

「……あのディーナさんがわたしをイジメるとは思わない」

「それはアサヒの気持ちだろう」

「違うッ! ディーナさんならッ! ……ディーナさんはそんなリスクを負わないと思う……」

 

 そう。そもそもが間違っているのならば。

 信じていた心が熱となり、頭が回転する。原動力に沿った、事実を並べただけの現実を、変換していく。

 イジメの主犯であるディーナ。悪女と呼ばれる女。

 自分を叱るディーナ。誰にでも厳しく、自分にはもっと厳しいヒト(女性)

 

 矛盾する。

 

 賢い彼女が自らの墓穴を掘る。そんな事はしない。それこそ彼女には地位があった。権力があった。そして力も。

 だからこそ、矛盾する。

 人の口に戸は立てられないにしろ、それでも何かが変なのだ。

 自分が耳にする噂話も、イジメてきた人たちが言う言葉も。どれもディーナへ罪を集中させるように……。

 

「……アサヒ、夜にちゃんと話そう。そろそろ教育の時間だろう」

「待ってっ!」

「大丈夫だ。アサヒ。()()で話そう」

 

 優しく語りかけるようにリゲルは言葉を零す。

 アサヒはその言葉がすっと心に落ち、目を伏せてから「わかった」と呟いた。

 夜までに、頭の中にある物を少しでも信憑性のあるものにする。きっとそれは正しい事だ。自分の妄想であったとしても、自分の信じたいという心が突き動かした幻想だったとしても。

 

 思いを胸にガゼボから出ていくアサヒを見ながらリゲルはカップを傾け、その中身が無いことにようやく気付いた。

 溜め息を一つだけ吐き出して体の力を抜く。

 

「アサヒも困ったやつだな。あのゲイルディアを信じるなんて」

「ああ……。どうにか落ち着くように話し合ってみるさ」

「まったく、女ってのはわかんねぇな! 自分をイジメてた奴だぜ?」

「……そうだな。比べてお前は単純そうで楽だよ」

「オレは戦えればいいからな!」

 

 半ば皮肉めいた言葉であったけれど、戦闘好きの幼馴染にはさっぱり効かず、リゲルはわかるように溜め息を吐き出してから午後に差し迫る仕事へ意識を傾けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アサヒの教育は時間の経過と共にアッサリと終了する。尤も、躾を受けていたアサヒにしてみればアッサリなどとは言えずにバッサリ「がんばりましょう」と言われたのだけれど。

 普段よりも自分のやる気があったからか、それともリゲルに伝える言葉を考えていて少し上の空だったからか。とにかく疲れたアサヒはふらふらと王城を歩き、リゲルの私室へと向かう。

 連れていくと言ってくれたメイドの申し出は断り、一人でふらふらと廊下を歩く。

 ふらり、ふらり。

 アサヒの意識は目の前にはなく、頭の中である。

 リゲルに伝えたい。ディーナさんという人物の事。自分の感じた矛盾。

 

 変なのだ。

 辻褄があっているようで、おかしい。

 もしも、仮に、今となっては微塵も思わないけれど、ディーナが自身のイジメに加担していたのならば。

 あのディーナが本気で自分を貶めようとするのならば、あの時、オークとの戦いで巻き込んで殺せた筈だ。結果としてそれは事故になるだろうし、誰も怪しまない。

 けれど、ディーナはそれをしなかった。

 主観的な見方もあるけれど、客観的に見ても矛盾している。と思う。

 それにディーナが本気であったならば自分はこの世にいないと思う。それは再三にゲイルディアの危険性を説いていた酒場で出会ったディンが言っていた事だ。

 

 アサヒは考えはしたけれど、そのどれもがリゲルに言っても聞いてくれなさそうである、とも感じている。変な所で頑固だ、と口を尖らせても見せたがディーナがこの場に居たのならば「似た者同士ですわね」と嫌味っぽく言ったに違いない。

 この場にディーナは居らず、ぶぅたれたアサヒだけが居るのだけれど。

 

 そんなアサヒの前を誰かが横切った。

 目を引いたのは自分の知っている人であったからだ。あの舞踏会で沢山ある挨拶の内の一つではなく、あの学校に通う前に一度だけ会ったことのある人。

 イワル公。そう戸籍上の両親から言われていた人が足早に歩いていた。

 見た目的にも温和で、喋った限り優しい人であった。それに文官職の重役であり、頭も良いのだろう。

 

 そうだ。少しだけ相談に乗ってもらおう。

 断られたのならば、足を止めてしまった事を謝って自分で考えればいい。

 

 イワル公爵へ追いつくように足を進め、けれど走れば怒られるのだから早足で。きっと何かいい案を教えてもらえるかもしれない。

 曲がり角を曲がったイワル公爵を見て、アサヒも同じく曲がったけれど、部屋に入った姿を見て機会を失う。さすがに仕事の邪魔をするように部屋に入る度胸は無い。

 惜しかった、とアサヒは溜め息を吐き出して踵を返す――、返そうとした。

 

『ゲイルディアの件、どうですか?』

 

 ピタリと、アサヒの動きが止まり、聞き間違いを疑いながらイワル公爵が入った扉を凝視する。

 ゲイルディア。確かに聞こえた。聞こえた気がする。たぶん。

 不安と葛藤、けれどももしかしたら自分以外にも矛盾に気付いた人がいるかもしれない。

 

 アサヒは、そっと扉へと近づいて、耳を寄せる。

 

『ご安心ください、イワル公。万事順調でございます』

『聞き飽きた言葉ですね。幾ら貶めても気がつけば奴だけが無事だったのです。徹底しなさい』

『御心のままに。しかし、あのゲイルディアの娘はエルフとの交友ですか』

『だが、計画に支障はありません。娘が王の元へ向かった時は舞踏会の時です。持ち物も検査していました』

『ならばイワル公の計画も問題ありませんな』

『私の計画? 間違えないで頂きたい。陛下が勝手に死に、そしてあの王子がこの国を統べるのです』

『そしてイワル公はその裏で操る』

『忌々しいゲイルディアを排して、ですね。今度こそ、次こそは』

 

 

 息が詰まりそうだった。

 聞こえた話の内容は頭に入って、けれども信じたくなくて、けれども、もしも。

 呼吸が浅くなる。けれど音を漏らしてはいけない。

 足音を鳴らさずに、後ろへと足を引き、音を鳴らさずに、急いでこの場を逃げる。

 

 聞いてしまった。

 もしも、それが本当であったのならば。もしも、それが事実であったのならば。

 

 リゲルに伝えなくてはいけない。

 自分達が何に巻き込まれているかを。誰が起こした渦なのかを。そしてその結果、どういう未来が見えているのか。

 

 アサヒは走った。次は怒られてもいい。怒られる前に、仲間を見つけなければならない。メイドでもいい。誰でもいい!

 

「っと、アサヒか。そんなに急いでどうしたんだ?」

「レーゲンッ!」

 

 走るアサヒを受け止めたのは逞しい胸板であり、顔を見上げれば赤毛で爽やかな顔をキョトンと傾げたレーゲンであった。

 共に学業を熟し、リゲルの忠臣であり、そして自分にとっても仲間だ。

 

「お願い、レーゲンッ! リゲルに伝えてッ、わたし達、巻き込まれてるのッ!」

「おいおい、どうしたってんだ?」

「イワル公爵が、全部全部計画してたのッ! 陛下の事も! ディーナさんの事も!」

「本当か!? それはヤベーな!」

「だから――」

 

 急がないと、とは吐き出せなかった。

 足を進めようとしたのに、レーゲン・シュタールがアサヒの腕を放さない。

 アサヒはレーゲンの瞳を見た。慌てたような口調であったのに、その瞳は慌てた様子もなく、顔には笑みが浮かんでいる。

 掴まれた右手。その人差し指に嵌った木製の指輪がレーゲンによって抜き取られた。

 

「どう、して……」

 

 ニッと歯を見せて笑うレーゲンであるが、それどころではない。

 その指輪があれば、その指輪さえあれば、その指輪がなければ――。

 

「返してッ!」

「っと、あぶねぇあぶねぇ」

 

 聞こえる流暢な日本語。その声は確かにレーゲンの口から発音されていて、指輪がどういう物かを告げる。

 

おや れえげんと

 

 レーゲンの後ろから現れたイワル公爵に息を飲み込む。けれども腕の拘束は解けず、逃げる事すら出来ない。

 聞いた事のある、意味のわからない言葉。きっと今の今まで自分の口からも出ていたであろう言葉が、確かに()()()()の耳に届いた。

 

 どうして。

 

 どうして――!!

 

「おいおい、旦那ぁ。何アッサリとバレてんだよ」

もんだいありません

「本当かぁ?」

ええ

 

 どうして指輪は取られた?

 

 どうして自分は逃げられない?

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 現実が朝日の頭に事実を突きつける。否定などする余地もなく、ただ純然たる事実だけが、朝日に突き刺さる。

 

「なんで、なんで!」

「うるせぇなぁ」

「どうしてリゲルを裏切ったの!? 彼は貴方を信じているのにッ! あんなに仲が良かったのにッ!!」

れえげん ゆびわをかしてください

「あいよ」

 

 目の前で渡される指輪を目で追いはする。けれど、抵抗など許さないようにレーゲンの拘束が緩む事はない。

 イワル公爵は朝日に対して普段どおりに人の良い笑みを浮かべてみせる。

 

「さて、まずは安心してほしい。私は君の命を奪わない」

「どうして……どうしてこんな事を」

「そうですね。本当はもっと早かった筈だ。あのゲイルディアが邪魔し続けなければ私が玉座に座っていた筈でした」

「……全部、全部貴方の仕業なの?」

「ええ。私が全てを計画して、実行しています。貴女のイジメも、ディーナ・ゲイルディアを貶めたのも、あの時にオークで襲わせた事も。貴女が居てくれて、私の計画も順調に進みました。まずはその事に感謝します」

 

 すっと頭を下げたイワル公爵は笑みを浮かべる。まるで喜劇を楽しんだ礼をするように、とてもいい喜劇であったと、笑う。

 

「わたしが、リゲルに言います……そうすればッ」

 

 倉嶋朝日がリゲル・シルベスタに言葉を告げればいい。そうすれば全てが解決する。

 

「どうやって? 君の言葉は誰にもわからない。誰一人、この国に存在する人全て。正に、君は孤独になりました」

 

けれど、それは叶わない。倉嶋朝日はアサヒ・ベーレントとして振る舞う事を奪われた。

 イワル公爵は顎に手を当てて、考えるような仕草をしてみせる。

 

「そうですね。これを機にこの国の言葉を学べばいい。そうすればリゲル殿下に気持ちを伝えられるかもしれない」

「――ッ」

「そう。それは遅い。全てが終わった後だ。君は全てを知りながら、無力で、孤独で、何も出来ない。もう一度君にはお礼を言おう」

 

 イワル公爵は仰々しく、まるで喜劇の幕を降ろすように頭を下げてみせる。

 

「ありがとう。君は愚かで、無知で、扱いやすい、とても都合のいい人形でしたよ」



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48.王族兄妹は打開したい!

 どうして、という思考は解決などされない。

 半狂乱にすらなれない倉嶋朝日は充てがわれた自室のベッドに腰掛けて思考する。未だに信じられない。信じられる訳がない。

 イワル公爵が裏切っていた事など、全て仕組まれていた事など、そしてそれにレーゲンが加担していた事など、信じられる訳がなかった。

 けれどそれは事実だ。そしてその事実を知っているのは恐らく自分しかいない。 

 

 否定したい。こうして事実を知ったとしても、否定をしたい。

 記憶が吐き出される。リゲルと笑い合うレーゲンも、自分に対してよくしてくれたイワル公爵も、何もかもが嘘であった。そう、嘘なのだ。

 あぁ、そうか。リゲルがディーナを捨てたのも、きっとソレが原因なのだ。リゲルはレーゲンを信じたからこそ、ディーナを捨てた。

 けれど、それは間違いであった。間違い、なのだ。

 

 どうして、という思考はどうすればいいへと変化する。

 筆を取り、文字を書いた所でそれは全てこの世界では見たこともない日本語である。誰も、その文字を読み解く事など出来ない。

 口に出す言葉すら、今の自分からは日本語が出てくる。その言葉は誰も知ることはない。

 彼が何を言っているかも、朝日にはわからない。

「アサヒッ!」

 

 音を立てて扉を開いたリゲルの声に朝日は顔を上げる。

 リゲルの後ろに居るレーゲンは悲痛な顔をしていたが、それが仮面である事を朝日は知っている。知ってしまった。知らなければ、どれほどよかっただろうか。

 幾ら後悔しようが、現実は変化しない。もう遅い。何もかもが後手である事が朝日だけにしかわからない。

 

「―――――」

「……本当に、本当に……」

 

 彼の名前を呼んでみた。何も伝わらない。

 

 ただ悲しそうなリゲルの瞳が、朝日へと向けられる。感情は伝わるというのに、思考の一切は伝わる事はない。

 

「一体何が、あった……」

「オレにもわかんねぇよ。廊下で座り込んだアサヒを見つけたら、コレだった」

 

 頭を掻きながら何かを言うレーゲンに対してもリゲルはやはり唇を噛むだけで反応はしなかった。

 きっと、ありもしない事実を伝えているのだろう。どこか遠い物を感じるように、朝日はそう判断できた。()()()()()()()()()

 

「呪いの類か……何かわかんねぇ。ただ、ゲイルディア嬢はそういうのにも強そうだ。最近、エルフとの交友も結んだみてぇだしな」

「……そうか」

 

 何を言っているかはわからない。けれどリゲルが朝日の手を強く握りしめた、それだけでレーゲンが何かを言っている事はよくわかる。

 歯を食いしばり、朝日は立ち上がってレーゲンへと手のひらを振りかぶる。

 

「やめろ、アサヒ!」

 

 けれどそれを止めたのは他ならぬリゲルである。アサヒの腕を掴み、レーゲンが庇われる。

 レーゲンは肩を竦め、怖い怖い、といつものように呟いた。その様子は朝日にも理解できた。

 どうすれば、伝えられる……。どうすればいい。

 目に涙を溜め込んだ所で、何も思いつかない。文字も、言葉も、伝える事が出来ない。きっとボディランゲージですら、都合よく解釈される。そして間違いを指摘する事も出来ない。

 

 一から文字を習得するにしても、イワルが言う通りにそれは遅い。

 王様の容態が悪いからこそ、リゲルは政務に追われている。きっとタイムリミットは、近い。急がなくてはいけないのに、どうする事も出来ない。

 目元が熱くなる。嗚咽で浅くなった呼吸が、自分を責め立てるように肺を締め付ける。

 

「レーゲン、すまない。少し出ていてくれ……」

「……外に居るからな。何かあれば呼んでくれ」

「ああ」

 

 リゲルとの短いやり取りの後にレーゲンが部屋から退出する。その顔を睨めつけていた朝日に対して皮肉げに笑みが浮かんだ。

 扉が閉まり、朝日は力尽きたようにその場にへたり込む。実力的にも、敵対者であるレーゲンに向かって平手を撃とうとした事がようやく自覚できた。同時にどうしようもない現実が自分の身に降りかかる。

 リゲルはそんな朝日の背中を撫でながら、ベッドへと座らせる。

 

「……お前は、巻き込まれた側だったのだな」

 

 通じない事を理解していても、思わず呟いてしまった。

 恋をした相手であった。好いた相手であった。愛した相手であった。ディーナではなく、選んだ相手であった。

 自分の中のもしかしてを全て疑う必要があったリゲルにとって、アサヒ・ベーレントという存在は信じたい存在であった。信じたい、けれども疑わなければいけない。その両面を有した少女。愛した女。自分が選んだ人。

 ディーナを蹴落とす為の存在。そう考えれば実に見事な仕事をした。なんせリゲル自身で選んだのだから。

 けれどもしも、彼女が敵であったのならば。

 そうであってもいい、と思ってしまう自分がいる事も否定しない。そこまでリゲルは彼女を愛していた。

 けれどそれは許されない。ただ冷徹に、判断しなくてはいけなかった。

 

 それが、ようやく判断できた。

 彼女は、敵ではない。

 

「……すまない」

 

 自分が好きになってしまったこと。きっとそれが原因で巻き込んでしまったこと。今まで疑っていたこと。

 通じない相手に卑怯であるとは思いながら、それでもリゲルは言わなくてはいけなかった。

 震える手で朝日の手を握りながら、言葉で通じなくとも、通じるように。言葉を吐き出した。

 リゲルの頭に朝日の手が乗る。優しく、黒髪が撫でられ、リゲルは顔を上げれば眉尻を下げている朝日の顔が見えた。

 目頭が熱くなり、鼻の奥がひりつく。言葉はない。言葉を理解してなどいないかもしれない。けれど、それでも自分は許されたかもしれない。それだけがリゲルを救った。

 

 泣くわけにはいかなかった。男であるから、という理由もあったけれど好きな女性に弱い部分を見せたくはないという身勝手な欲求が涙を塞き止めた。

 

「ありがとう、アサヒ」

 

 リゲルの言葉に、朝日は首を傾げる。なんせ何を言っているかはわからない。ただ、リゲルがそれを求めていると思ったから、という単純な理由で朝日の手は動いた。

 お互いに詰んでいるからという諦めではない。同情でもない。ただ悔しくて、それでもきっと抗おうとしているリゲルを撫でた。

 

 自分がこうなってしまったのはある意味タイミングがよかったのかもしれない。口封じだと思ってくれるのなら、ディーナの事を喋ろうとしていた自分を封じた事を切っ掛けにリゲルがディーナの事をもう一度考え直してくれるかもしれない。

 それは淡い期待で、幾つものもしかしたらを重ねた結果かもしれない。

 

 それでも、朝日は願わずにはいられない。

 

「約束しよう。今度こそ、お前を守ろう」

 

 言葉だけの誓い。自分がこの先でどうなろうと、朝日だけはどうにか安全な場所に向かわせる。最悪の未来を思い浮かべながら、その回避方法もわからずにいるリゲルはそれでも誓いを口にした。

 言葉は通じない。その誓いが朝日に伝わる事もない。

 だからこそ、リゲルは朝日の小指を取る。

 かつて、誰かが誓ってくれたように。小指を絡めて、改めて誓いを口にしようとした。

 

「――――、――――」

「……は?」

 

 言葉はわからない。朝日の口から出た言葉の一つすら、意味など通じない。

 けれど、しかし、それでも朝日は子供のような約束の仕方に少しおかしく思いながら、童歌のように音を口から出した。

 そんな音が幼い誰かの音と重なる。幼い誓い。忘れられなかった誓い。そして自分が裏切った、誓い。

 リゲルの中に一つの可能性が過る。頭の中で何度も考え、可能性を追う。

 

 アサヒがこうなった原因が何かしらの口封じだとすれば。

 アサヒは何かを知ってしまった、と考えれば。

 レーゲンへと平手を打とうとした理由も、理解できる。わかっていた事であり、その更に先を求めたからこそ、今に至っている。

 少しでもアサヒが知っていれば。

 立ち上がり、盤面に自身を置いた彼女がいれば。

 都合が良すぎる。けれど、その()()()()を知るのは自分だけなのかも知れない。

 

 

「――?」

「……ああ、すまない」

 

 きっと呼ばれたであろう名前に反応して、リゲルは首を振る。あまり時間を掛けては全てが無意味になるだろう。

 問題はアサヒをどうやってここから脱出させるか、である。

 喋れないアサヒを出す、という行為を自分の立場では出来ない。何かに感づいたと思わせるのは得策ではない。彼女を連れてくるのも、また悪手であろう。

 結局、巻き込む事になってしまった事。不甲斐ない自分に嫌気が差す。けれど、もしかしたら、を重ねる。いつかの様に。彼女を信じたあの日の様に。

 

「これを受け取ってくれ」

 

 リゲルは自分の手首に巻いていた不格好な石が連なるブレスレットを解く。長く連なる石は、元々ブレスレットではなくネックレスとして設計されていた物だ。

 朝日の首にそれを掛けて、賭ける。

 朝日はネックレスを少し持ち上げて、首を傾げはしたけれど、それをいつだってリゲルがしていた事は知っている。だから、大切な物を預けてくれた、とそう思う。

 

 現状の打破など、できるかわからない。それでも足掻かなければいけない。

 言葉の理解などされないにしろ、リゲルに心配は掛けれない。だから朝日は微笑んだ。いつものように、笑みを浮かべてみせる。

 

 一つだけ息を吐き出して、リゲルは立ち上がり、踵を返す。

 扉を開けば目の前で腕組をして待機していたレーゲンが顔を上げる。

 

「どうだ?」

「さっぱりわからん」

「そうか。けど、アサヒがこんな状態なのを他に知られるのはマズいな」

「誰が知っている?」

「オレの他には近くにいたメイドだけだ」

「……そうか。アサヒには悪いが、軟禁のような状態にしよう」

「ああ、それが得策だ」

 

 何が得策だというのか。

 リゲルは内心で舌打ちをして、けれどもソレを決して表情に出さずに淡々とアサヒの処遇を決めていく。

 都合のよい王子として。そして、真実を手探りで求める一人として。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幾ら書いた所で文字は日本語でしかない。

 けれどそれをやめる事など出来はしない。自身の記憶している事を記録として残せば何かが変化するかもしれない。

 変化などしないかもしれない。それでも書かなくてはいけない。自分が出来る事をしなければ、そうしなければいけない。

 

 日が落ちる。日が昇る。

 

 日が落ちる。日が昇る。

 

 食糧はメイドが運んでくれた。誰もの目が朝日を憐れむような視線を向け、二日とも来たリゲルとレーゲンだけは変わらない目で見てくれた。

 レーゲンの目を誤魔化す必要などない。なんせレーゲンとて書かれた文字は読めないのだ。

 変わらず爽やかに笑うレーゲンを朝日は睨めつける。心の中の冷笑へと見えない刃を向け続ける。

 誰もにとって無意味であるこの日本語が反撃の刃となるように。

 

 二日間、朝日の生活というのに変化は無かった。記憶を記録にして、メイドから憐憫の視線を浴び、言葉のわからないリゲルに慰められ、心のわからないレーゲンへと視線を向けた。

 

 

 

「……お兄様から呼び出しで急いで戻ってきましたけれど」

「――?」

 

 三日目になりようやく変化が起こる。

 いつもであるならば、メイドが料理を運んでくる時間に部屋へと入ってきた黒髪の少女が普段の様に冷ややかな視線を向けて来たからだ。

 スピカちゃん、と彼女の名前を呼んだ所でそれはスピカ自身には通じない。

 いつもアサヒにしていた様にアサヒへとニコリと笑みを貼り付けた顔を向ける。

 

「ごきげんよう、アサヒ・ベーレント。お兄様との婚約、わたくし以外は嬉しく思うでしょう」

 

 カーテシーで頭を下げたスピカであったけれど、その言葉には棘が含まれている。少し兄妹愛の強さを感じる言葉であるけれど、事実は違う。

 そんな言葉に対して、朝日は苦笑もする事なくスピカと同じように躾けられた綺麗な、けれどぎこちない礼をしてみせる。

 

「……なるほど、こちらからの言葉も貴女の言葉も通じない。捨てられたのですね。いい気味です」

 

 ニッコリと笑みを浮かべてスピカは朝日へと毒を吐き出す。本当は言葉の通じる時に言ってやりたかった言葉を、言葉が通じないことを盾にして口にする。

 当然言葉の通じていない朝日は首を傾げてみせ嫌味すら通じない事を示す。

 

「……はぁ、今の貴女にこんな事を言った所で実りはないですか」

「――?」

「しかし、お兄様がわたしを呼んだ理由は……貴女との会話でしたか」

 

 会話すら出来ない状態であるとは聞かなかった。

 現状を知ってほしい、という王族としての恥部の共有。或いはお姉さまと慕う彼女の言いつけ通りに仲良く振る舞ってみせた事が起因しているのだろうか。

 どちらにせよ、スピカはこうして朝日の目の前に立っている。

 兄の立ち位置を理解しているスピカからすれば、兄の目的が恥部の共有や現状の理解を促すものでは無いことを理解出来た。

 あのブレスレットはお姉様が兄に送ったものであったからこそ、兄の想いは理解できる。

 だからこそ、手放したあの瞬間こそがスピカにとっては僥倖であった。それは言葉にしないけれど。

 

「さて、お兄様は何を考えているのかしら」

 

 朝日を目の前にして顎に手を置くスピカ。

 その前には何が何かわからないけれど、とにかく饗さなければいけないとどうにか椅子を引いたり、準備されていたお菓子を準備する朝日の姿がある。

 このお気楽娘が何かを握っている。だからこそ捨てられた。それは予想出来る。何故言葉が不明になったかの原因はさておき。

 それを自分であるならば理解できるかもしれない。だから兄はわたしを呼んだ。

 

 もしくは本当に頭がおかしくなってしまった兄が恥部の共有や仲が良かったという理由で呼んだかもしれないが、それは可能性としては薄い。

 

「……あら?」

 

 そこでようやくスピカの視線に何かの文様が描き連なった紙を見つける。一見、何を書いているかはわからない形であるけれど、確かに見覚えはあった。

 所々にある形が、スピカの知識と合致する。

 

「……初代勇者と同じ?」

 

 お姉様と慕う女性(ヒト)が読み、解読すれば教えてくれると言ってくれた本。解読してくれるであろう確信があって、先んじて勉強をした初代王が書いた古文書。

 内容も、意味も、何もかもが理解出来ない古文書を既に解読されたと言われている翻訳書と見比べて何度も読み直した。全てはお姉様が教えてくれる時に褒めてくれると思ったから。

 実に、皮肉である。そうスピカは深く、深く溜め息を吐き出した。

 姉の居場所を奪った女を姉の為に学んだ事で救うなど。皮肉でしかない。

 

「ああ、なるほど。なるほど……」

「――――?」

 

 そこでようやくスピカは朝日の首に掛かるネックレスの意味を理解した。

 あの兄はまたお姉様を盤面に引き出すつもりである事も、理解した。それは横暴であるとも思う。

 好いた女の為に、捨てた女を使うなど。愚かな行為でしかない。

 自分の腕にいつも着けているブレスレットを撫でて、スピカは瞼を閉じる。

 

 いつだって、お姉様と一緒であると感じるブレスレット。兄も持っていたソレが今はこの女の首に掛かっている。

 解読不可能と思える初代勇者の古文書と同じ文字。

 その写しを手にしているディーナお姉様。

 

「ああ、嫌になるほど正しい」

 

 その正しさが発揮されるのが些か遅すぎるというだけの話であったが。

 

 兄がお姉様の学びの内容を知っていたとは思えないけれど、結果として見ればソレは確かに正しい。

 ここで彼女を捨てれば、自分の父の状況からしても辛い。

 父の死は辛い。けれどいつかは訪れる物であり、覚悟はしている。それ以上の悲しみが自分を襲う事も、理解している。

 アサヒ・ベーレントを捨てる事は至極どうでもいい事である。いっそのこと、このまま勝手に死んでくれればとも思う。誰も彼女の言葉がわからないのだから、孤独と後悔をして、是非とも死に至って欲しいとも思う。

 父の死は同時に兄の即位になる。長兄であるアルタイルは自分が幼い頃から別所で療養していると言い聞かされ、姿すら見たこともない。

 兄が王となる。その事に不満は無い。いいや、不安はあるけれど何かと上手く周りが動いてくれるであろう事もわかる。

 

 けれど、しかし、である。

 

 父とした、お姉様を貰うという約束は守られない!

 それは断固として避けなければいけない未来である。

 何より、兄を裏で操っていると思い込んでいる人間は大層ゲイルディア家を忌み嫌っている。そんな存在が王に近しい立場に入ればお姉様がどうなるかなどわからない。

 

「わたしがすべき事、わたしが出来る事。……最後に運任せというのは気に食いませんけど、最後まで確率は追うべきですね」

 

 スピカは一度頷いてから、部屋を見渡して壁に掛けられている地図を机の上に広げる。広げる際に置かれていたお菓子の小山は朝日の手元に持ち上げられた。

 

 言葉は通じない。恐らく彼女は文字すらわかっていない。わかるのならば、書ける筈であるからという予想でもあるが。

 

 スピカは先程まで朝日が使っていたであろう羽根ペンにインクをつけて、王城を指し示す。

 何度か羽根先で叩いて、それがこの場所である事を示す為に指で床を指す。これで伝わっているかという不安はあるが、朝日が頷いた事で伝わった事を把握する。

 もしも伝わっていなければ、この能天気娘が悪い事にしてお姉様に慰めてもらおう。

 

 スピカは羽根先をそのまま別の街へと一直線へ動かし、何周も街の名前を囲む。インクの軌跡が地図に残り、それが彼女の道程となる。そして囲んだ街の名前こそ、この辺境の街こそが彼女がいま行くべき場所である。

 

 そして朝日はその場所を地図上で何度も見た。

 いつかは行こうと思っていた場所。そして思い描いていた通りの道程が、インクで示されている。

 

「あとはここからどう脱出するか、ですか」

「スピカ様、食事を持ったメイドが来ました」

「ああ、ちょうどいいところに来ましたね」

 

 スピカはニッコリと笑みを浮かべる。人が好みそうな、素敵な笑顔だ。

 扉を開けてその笑顔を見た騎士見習いの女は口角を歪めた。自身の主となっているこの可憐なな少女は女でありながら騎士を目指している自分を躾けた主なのだ。

 

「服を脱ぎなさい、これは命令です」

「……はい」

 

 嫌などとは決して言えない上下関係など、学校に入った瞬間から覚えさせられた事を騎士見習いの女はよく理解していた。




鳩先生からの頂き物ですっ!!

【挿絵表示】

みてみて!!アマリナがあまりなでぽんぽんしててくっそ可愛いし、ディーナ様ばちくそカッコいいので見ろッ!!
好き!!!

お竹さん先生からの頂き物ですっ!!!!!
見てくれ!!! 見て、見ろ!!!!!


【挿絵表示】

レイが出来たんだッ!
見てくれこの生意気加減!! 好き!! 愛してる!!!

あ、あと絵に関してのアンケも設置しておくから投票おなしゃす!!


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49.転移少女は進むしかない!

TRPGをしたり、ウマを育てたり、モンスター狩ってたら更新出来ませんでした(正直者
許してくださいなんでもしry


「スピカ!」

「あら、お兄様。随分と慌てておいでで。どうかしましたか?」

 

 焦った様子で自身を訪ねてきた兄に対してカップを傾けながらスピカは微笑む。兄の後ろにいるレーゲンを確認して、一層に笑みを深めた。

 スピカの後ろには彼女が従士として重宝している女の騎士見習いが佇み自らの主の素知らぬ態度に若干表情を引き攣らせている。

 

「どうした、ではない。どういう事だ」

「あら、本題を言ってくださらないとわたしはわかりません」

「アサヒをどこにやった」

「アサヒ様が消えたのですか?」

 

 まあそれは大変。と口を手で覆い隠して驚いてみせる。後ろにいる従士は更に顔を引き攣らせた。

 王子の婚約者をどこかに向かわせたのは彼女本人である、ということは犯行に加担させられた従士もわかっている事である。当然のように悪事である事は間違いない行動であったけれど、自分には主を疑うという事はできなかったし、何より反抗した所で言いくるめられるのは目に見えていた。

 リゲルは舌打ちをして、頭を抱える。一度、大きく息を吐き出して、改めて口を開く。

 

「どこに向かったかわからないか?」

「はて……。アサヒ様はお知り合いが多いようですし」

「おい、リゲル。もっと手っ取り早くいこうぜ」

 

 レーゲンがリゲルの前へと出て、スルリと剣を抜いて切っ先をスピカへと向ける。その行動に対して反応したのはスピカの後ろに控える従士であり、その手はいつでも動けるように帯剣している柄に置かれた。

 対して切っ先を向けられているスピカは変わらずにカップを傾け、微笑む。

 

「……レーゲン・シュタール。こうして切っ先を向ける意味を理解していますか?」

「スピカちゃんがしたって事はわかってんだ。王子の婚約者を放逐した罪とどっちが重いかな?」

「わたしがアナタを罰する方が幾分も早いですね」

「レーゲン、やめろ」

「……チッ」

 

 剣を収めるレーゲンを見て従士も溜め息を吐き出して僅かに警戒を緩める。それでもいつでも動けるようには体を意識させているが。

 その様子を見ながらスピカはクスクスと鈴を転がしたように笑う。こうして渦中へと入ってようやく理解できる。今までは単なる予測と疑念でしかなかった物が、僅かばかりの確信へと変化する。

 

「……なんだよ」

「思ったよりも焦って見えてしまったので」

 

 滑稽だな、とはスピカは口にせずに喉で鈴を転がす。

 なりふり構っていられない、というべきか。それとも別の思惑があるのか。どちらにせよ自分に剣を向ける程にレーゲンが焦っているのはスピカにとっては実に面白く写った。

 

「それで、本当に知らないのか?」

「さぁ、わたしにはわかりませんよ。先程も言いましたけれど、お友達が多いようでしたし」

「……わかった。すまなかったな」

「お力になれず、申し訳ないです。一つだけ助言致しますけど、あまり大掛かりな捜索はやめておいた方がいいですよ。アサヒ様はあんな状態でしたし、国を不安にさせる事も無いでしょう」

「ああ。わかっている」

 

 そう、あまり大きく動いてしまえば今のアサヒの状態が知れ渡ってしまう。そうなればアサヒを陥れようとする存在も出てくるだろう。

 次期国王の婚約者が――というのは好ましくない。だからこそ、リゲル自身で連れ戻さなくてはいけない。精々、今は『婚約者に逃げられた』という小さな傷がつくだけである。

 

 

 

 リゲルとレーゲンの出ていった扉を見ながらスピカは溜め息を吐き出す。

 これで少しの時間稼ぎはできるだろう。自分が言わなくても兄が似たように動いたであろうが、違和感は払拭される筈だ。

 逃した彼女が到着するまで、もっと言えば義姉と慕う彼女の準備が整うまで。

 

 カップに口を付けて、中身が無いことに気づいたスピカは口角を少しだけ上げる。

 焦っている、と他人を称してみせたが思った以上に自分も焦れている。けれどそれを表情や所作として出すことはない。

 

「スピカ様……。アサヒ様は大丈夫でしょうか?」

「さぁ? どうなるかしら。未来は見えませんよ」

 

 それでも一定の未来を予測することはできる。何より、自身が動いた過程だ。

 自分であったのならば――いいや、彼女と自分では立場も能力も違う。想像など無駄の極みだ。

 兄達の行動を考えれば、追いつかれ捕まる事はないだろうが、猶予はそれほどない。

 賽は既に自分の手から離れた。ある程度、いい目が出るように操作はしたつもりであるけれど、結果はわからない。それこそ、未来など見えないのだから。

 

「どう転がろうが、お義姉様はわたしのモノなのだけれど」

 

 小さく吐き出した言葉は空になったカップに溜まり、スピカは笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 


 

「灯れ」

 

 集めた枝に火を灯して朝日は溜め息にも似た空気を吐き出して地面に座る。持たされた麻袋から乾物の肉を取り出して少しだけ囓る。

 不思議と、食欲は無い。けれど食べなくては翌日の移動に響くことを朝日はわかっているし、近くの木に手綱を留めた馬も食事をしている。

 あと何日も繰り返されるであろう行為はきっと慣れることは無いだろう。

 火が近くにあるというのに、その温もりは確かにあるというのに、朝日は身を縮こませて寒気を耐える。

 方角は、たぶん合っている。学校で習ったことを思い出しながら、朝日は残りの道程を考える。

 言葉は通じない。合っているかもわからない道。もしも合っていなければ――。

 頭を振って思考を振り払う。それでも自分は進むしかない。

 カチイに到着さえすれば、ディーナに会えさえすれば。きっと。

 

 腹部に鈍い痛みが広がる。明確な痛さではない。ジワジワと広がる寒気が朝日の思考を支配してく。

 もしも、自分が捕まれば……きっと次は逃げれないだろう。スピカも二度は自分を逃がすことはできないかもしれない。

 首に掛けてくれた不格好な小石のネックレスに触れる。リゲルがどうしてコレを渡してくれたのかはわからない。けれど、コレがリゲルにとって大切なモノであることを朝日は理解している。

 けれど、そのリゲルは――きっと自分を逃してはくれない。いや、リゲルが朝日を逃したとしてもレーゲンがそれを容易く許すとは朝日も思えなかった。

 

 どうしてレーゲンがリゲルを裏切ったのか。

 あれだけ仲がよかった二人なのに。それでも、レーゲンには裏切るだけの理由があったのかもしれない。それは朝日にはわからないことである。

 どうしてを重ねてみても、何もわからない。仲良く笑い合っていたあのレーゲンは――。もしも、それすらも嘘であったのならば。

 

 呼吸が浅くなる。歯を食いしばって空気をどうにか飲み込む。

 事実として、レーゲンはリゲルを裏切っている。そのレーゲンの後ろにはイワル公爵がいる。それはイワル公爵側の人間以外では朝日しか知らないことだ。

 

 自分でもわかる未来だ。

 国の良し悪しはわからない。けれど自分を含めた周辺にとってそれは悪い未来に成り得るだろうことは朝日にはただ漠然とわかる。

 だから、どうしてを重ねる。

 あのレーゲンが裏切ったことが、朝日には理解できない。

 何度考えても、何を考えても、どう考えても。もしかしたら、レーゲンは二重スパイで、などということも考えてみた。けれど、それを証明することが出来ない。

 

 それに、カチイに無事に到着したとして、ディーナに頼ったとしても、自分が喋るのはこの世界の言葉ではない。

『それは遅い。全てが終わった後だ。君は全てを知りながら、無力で、孤独で、何も出来ない』

 あの時のイワル公爵の言葉が朝日を圧迫する。

 誰も、日本語を喋ることが出来ない。けれど、スピカの反応を見る限り、もしかしたらディーナであれば通じるかもしれない。

 

 

 

――もしも通じなければ?

 

 

 ディーナはきっと自分を保護するだろう。

 言葉がわからないにしろ、彼女はきっと何があったかを調べて、逃げ出した自分に対して疲れたように溜め息を吐き出してリゲルに渡すかもしれない。

 あの二人は喧嘩をしている――というよりは、一方的にリゲルが避けているし、それをディーナが良しとしている。

 そんなリゲルに自分を引き渡すだろうか。偶然見つけたと言うにしろ、自分の元に来たと言うにしろ、それをリゲルは許さない。

 匿うとして、長くは匿えない。マントを被って顔が明確にわからないにしろ、自分がカチイに向かっていたことはいずれわかることだろう。

 そうなれば――。

 

「ぅっ、お゛ぇぇ……」

 

 喉が引き攣って嘔吐する。けれど出てきたのは嫌悪感だけで、ただ辛さだけが喉を圧迫する。上手く呼吸が出来ない。苦しさだけが込み上げ、また喉を締め付ける。

 浅い呼吸を繰り返し、朝日は震える自分の身体を握る。強く腕を握り、痛みで思考を逸らさせる。

 まだ身体は震える。火が近くにあるというのに、寒い。

 

「……大丈夫、大丈夫。きっと、大丈夫」

 

 思ってもいない言葉を吐き出す。自分に言い聞かせる。

 

 自分がどうしてこんな目に合うのかがわからない。

 唐突に異世界に放り出され、気がつけば学校での生活が始まり、そして王子様にアプローチをされて、そして今は国を救うために――大切な人を助けたい為に奔走している。

 普通の、単なる学生だった自分が、気がつけば悪意の渦中に居る。

 

「ハハ……」

 

 なんて夢なのだろうか。

 なんて幻なのだろうか。

 なんて現実なのだろうか。

 笑ってみせた朝日であったけれど、頭の中では未だに不安が巡り圧迫してくる。歯を食いしばって、身体を横に倒して、瞼を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞼を開く。

 眠ることはできなかった。灯っていた火が消えるまで、そして消えてから日が昇るまで。記憶も、意識もハッキリしていた。

 悪寒も、不安も、何も拭えてはいない。まだ腹部は冷えたように鈍い痛みを広げている。

 息を大きく吸い込んで、少しだけ留めて、細く、長く吐き出す。

 

「……行こう」

 

 小さく呟いた言葉は自分に言い聞かせた言葉だ。

 頭の中で考えて、縋るように吐き出した言葉だ。

 倉持朝日には選択肢など、もはや残されてはいない。

 

 

 

 

 

 


 

 くぅ~疲れました!!! お仕事完了です!!!

 と言っても俺の仕事は終わりが見えないので、一区切りついてベガやフィアや他の政務官に押し付けてきただけなのだけれど。

 街道の整備もある程度目処がついたし、商人達との契約も問題はない。カチイの街も少しは潤うだろう。

 領地で出来ることは着手するけれど、それ以外のことも考えることは多い。

 

 リゲルやアサヒのこと、そして問題となっているレーゲンのことである。

 あまり考えたくはないけれど、レーゲンがリゲルを裏切っている可能性も考慮しなくてはならない。あのレーゲンが? とも考えてしまうけれど。

 大本の原因は不明のままだ。

 陛下の状態を考えても、最悪な結果は容易く導かれる。

 賭けている、と言われたのだから微力は尽くす。幸いなことに俺は自由に動けるし。何より、手札が増えた。

 

 フィアが紹介してきた実に胡散臭い糸目の美女の情報屋であるが、上手く使えるかどうかがわからないし、何より信じていいかがわからない。

 なんせフィアのカチイ乗っ取りに助力していた様な人間である。カチイ側の人間である俺が信用しろというのが無茶である。

 それでも使えるモノは使わなければどうしようもない事態だ。

 俺がいない間の王都の動きも気になる。この辺り、俺の情報収集能力の不出来さがよくわかる。

 金で動く人間であるが、まあ情報の整合性などコチラで判断すればいい。今は手を広げておくべきだ。

 

 そんな情報屋から今朝届いた情報は見事に俺の頭を悩ませているのだけれど。

 

 アサヒが王城から脱走した。そしてリゲルがアサヒを探しに王都から出立した。

 

 何やってんだアイツら……。

 ちょうど来ていた王都からの商人にそれとなく聞いてみたら数日前にアサヒらしき人物が王都から出ていったことと、その一日後にリゲルがレーゲンを連れて出ていったのは本当らしい。

 リゲルに嫌気が差したとかなら、たぶんもうちょっと大事になってるし、アサヒはリゲルに対して不満なことがあれば直接言うような人間である。

 けれど、逃げ出した、となると……どういうことだよ……。

 アサヒが逃げている理由はさておき。リゲルはアサヒを探すだろう。自分の面子もあるし、リゲル本人が逃したにしては理由がないし、俺を捨てたようにしたほうが安全は確保される。

 けれど、それをしなかった。

 

「わかんねぇな」

 

 男装をしながら街でパンを買い食いしながら呟く。

 執務室に籠もって考えることもできるけれど、仕事が押し寄せてくるしそっちに思考が取られてしまう。

 街を自分の目で確かめるという意味でも、歩きながら考えている方が何かがわかるかもしれない。何もわからんが?

 

 アサヒが脱走したとして、一番最初に調べられる場所はベーレント領だろう。「実家に帰らせていただきます」貴族社会で王族の婚約者がする胆力があったのなら自分で虐めぐらい突破していたことだろう。いや、アサヒは貴族社会に関して疎かったわ……。

 それでも可能性としては低い。

 

 それにアサヒが逃げ出すような理由も見つからない。

 

 逆にアサヒが脱走、ではなく追い出されたのなら。

 アサヒを追い出した理由は?

 貴族達との軋轢……腹芸だけはしっかりとしている王都の貴族達ならばアサヒは上手く騙されるだろう。肝心な所は頑固そうだけれど。

 裏で動いている何かを掴んだ、とか? いや、都合が良すぎるし、そんなことならばアサヒを殺した方が手っ取り早い。死体をゲイルディアにでも送りつければ罪も被せられる。

 アサヒの脱走に関しての情報は逃げ出しているアサヒらしき人物の目撃情報からである、恐らく正しい。情報自体が操作されている可能性もあるからお父様に頼んでゲイルディアで飼っている情報屋との整合性も取らなければいけないが。

 

 なら、どうしてアサヒは逃げ出した?

 ディーナ・ゲイルディアという毒になりえるだろう存在を捨てて、扱いやすそうなアサヒを据えたのに。なぜ逃がす必要がある?

 

「情報が足りない」

 

 今暫くは情報収集に動くしかないが、あまり大手を振って行動するのは拙い。

 裏側にいるであろう誰かの目には届かない位置にいるというのに、リゲルの理に成り得るだろう行動をするのは俺を視界に収める可能性も出てくる。

 結果として俺は静観するしかない。いや、ヘリオや雇っている兵達の訓練という名目で動かすのはいけるか? それでもあまり大きく動くことは出来ないか。

 エルフ達に貸しを作るのも良くはない。というか、エルフが俺の願いを聴いてくれるとは思えないし。

 手詰まり、ではあるけれど、アサヒの逃走に何かしらの意図があるのなら動いた方がいいだろう。

 どうするかな……。

 

「おじょ……あー、ディン。ちょっといいか?」

「どうかしたか? ヘリオ」

「いや、なんでこんな所にいるんだよ」

「見てわかんねぇか?」

 

 溜め息混じりに俺へと声を掛けたヘリオに向いて、疑問に対しては手に持っているパンを少し持ち上げてみせる。

 もう一度溜め息を吐き出された。

 

「お前もなんでいるんだよ。確か警邏の途中だろ」

「どっかの誰かがいなくなったって館から報せが届いたんだよ」

「ちゃんとアマリナには言ったぞ?」

「他にも伝えろよ……」

 

 俺がいなくてもちゃんと回るような仕組みにしてるから別に問題ないだろ。

 俺が必要な時なんて、何かしらの面倒事か緊急での判断ぐらいだろうに。他の仕事? 俺の机に積み上がるんだよ……。

 それに俺がフラッと消えることはわかられていることだろう。男装して街に来るようなことは一部しか知ってないが。

 

「それで、何かあったのか?」

「アンタはちょっとぐらい自分の立場を考えろよ」

「替えの利く領主だろ。いなくなってもどうにかなる」

「はぁぁ…………」

 

 思いっきり深い溜め息を吐き出された。なんでだよ。

 むっと睨んで見てもヘリオには効かず、既に護衛をするように近くにいることを決めたようだ。

 俺が必須なことなどあまりない。確かにヘリオやアマリナと俺は切っても切れない関係ではあるけれど、カチイの領主という面では俺でなくてもよい。

 というよりも、俺がカチイの領主である時期などそろそろ終わるのだ。来年にはアレクが卒業してカチイに来るだろう。ある程度の引き継ぎ業務はするが……それでも長くてももう一年ぐらいだし。

 

 そこから先の俺は……どこかに嫁ぐにしても王族からフラれたからな。それに俺自身が嫁ぐつもりなど毛頭ない。

 それでも金は必要だし、研究もしたいし……そもそも現状を鑑みればそんな未来にゲイルディア自体が存在しないだろう。

 リゲルが俺を離したのは、誰かの思惑も絡んでいるだろうし。ゲイルディアを嫌ったか、それとも俺が邪魔になったか。アサヒが都合がよかったのか。

 ……全部ありそうだな。

 ゲイルディアに敵が多すぎて絞りきれない、というのは実に面倒だ。俺自身にはそれほど敵が……いなくないか。

 

「それで、お前の方はどうなんだ? リヨースと随分仲がいいじゃないか」

「…………はぁ」

「なんで溜め息を吐いた」

「いや、アンタはたぶんこれからも変わらんと思うと」

 

 これでも成長している。身長だって伸びたし、胸もそれなりに大きくなってる。いや、比較対象にエフィさんをもってこられると大多数の人間は貧乳扱いであるが。

 それに鑑定眼に関してもそれなりに養われている。フハッハッ、お前の気持ちなど手に取るようにわかるぞ。

 

「リヨースとは……まあ、いい鍛錬が出来るからな」

「あんな美人を捕まえて鍛錬の話か」

「あんな美人の口から試合の話しか出てこないのも悪い」

「確かに」

 

 わかる。

 執務中に外を見たらリヨースはだいたい鍛錬をしている。もっと淑女としての教育を受けてくれ。主に俺の為だが……。

 試合相手は結構多方である。兵達に始まり、ヘリオもそうだし、レイも相手をしてもらっている。俺としても嬉しいことだけれど、それよりも淑女教育を受けてくれ。ホント、次の王都に行くまでに身に着けろよ? お母様から凝縮されて詰め込まれるぞ……。

 

「さて、じゃあそろそろ行くか」

「お、帰るのか?」

「何を言ってるんだ? そろそろ酒場が空く時間なんだよ」

「なんでアンタがそれを把握してんだよ……」

「フッ、この街のことを俺以上に知ってるヤツなんていないからな」

 

 そりゃぁそうだろうよ、というヘリオの言葉をニヤッと笑って流してみせる。

 ヘリオにはもう暫くは頑張ってもらわないといけないし、リヨースとの戦闘訓練をもうちょっと増やせるように時間割り当てるか。最悪は()()との戦闘だからな……。

 今のままでも負けるとは思えないけれど、勝てるとも思えないし。

 

 さて、酒場に行こう。帰ったらお仕事が積み上がってるだろうから、たぶんそれほど飲めないけど。それでもアルコールは人生の潤滑油なのだ。

 

『ディン!』

 

 誰かの声が聞こえた。

 確かに、しっかりと、そしてその声の主を俺は知っていたし、咄嗟に聞こえた()()に振り向いてしまった。

 ボロボロになったフード付きのマントを羽織った同い年の女。カチイにいるとは思えなかった人。

 

「……ヘリオ、今すぐ帰って俺とアレがこっそり帰れるように道を作ってろ」

「了解」

 

 ちゃんと歩いて帰っていくヘリオには見向きもせずに影を踵で叩いて反応を待つ。数秒もしない内に俺の影が波打った。

 

「アマリナ、風呂の準備をしておけ。あと栄養のある食事の準備も」

 

 指示だけを言葉に出して返事は聞かない。聞く必要がない。

 俺が命令すれば、二人とも十全に俺の願いを叶えてくれる。そう育てたし、そう信じている。

 

 俺は小さく息を吐き出して、改めて前を見据える。

 いくら瞬きしても、相変わらず少女は存在するし、ボロボロだし、日本語を喋るし、何より泣きそうな顔をしていた。

 

「おいおい、どういうことだい? 君は王都にいる筈だろう?」

 

 近付きながらいつかのように少し軽薄に言葉を吐き出してみせる。笑顔だって忘れない。

 

『お願い、ディン。わたし、ディーナさんに会わないといけないの』

「……まったく、何を言っているかわからないね」

 

 はて、とわかるように首を傾げてようやく手の届く距離まで詰めれた。

 そうすれば彼女は俺に縋り付いて、しっかりと俺の目を見つめた。揺れている癖に、しっかりとした視線が俺に突き刺さる。

 

 何? ホントにリゲルと喧嘩でもしたの? 困ったら来いって言ったけど、早くない?

 

 と冗談はさておき。俺がこの場で反応するのは面倒である。なんせ他の人の目があるのだ。どこに何があるかわからないから、ある程度は配慮すべきだろう。既にアサヒがいる時点で問題ではあるが、幸いにしてフードを被って髪を隠しているし、今は変な言葉を吐き出している謎の少女である。

 俺に会わないといけないってどういうことだ? なんだ、敵さんが真面目に俺を貶めに来たか? アサヒはその尖兵? そうなると本格的にリゲルが拙いんだが……。

 

『お願い、リゲルが危ないの……』

 

 嗚咽が混じりそうな程の声が、揺れる瞳から溢れた液体と一緒に零れ落ちる。

 俺は顔を寄せて、アサヒにだけ聞こえるように()()を吐き出す。

 

『黙って着いてきなさい。話を聞きますわ』

『――え』

 

 顔を離して、ディンであるように軽薄に笑みを浮かべる。そして彼女の腰へと手を回してなるべく歩きやすいようにエスコートをしてみせる。

 アサヒが脱走した理由は恐らくわかった。日本語しか喋れないのも、理解できる。だからこそ、どうして俺の元に来たのかがわからない。

 とりあえず保護はすべきだ。

 

 話はそこからである。



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50.悪役令嬢は企てたい!

5月なのでギリギリ月更新だな!(スットボケ
ゴメンナサイ


 水滴が落ちる音がした。

 倉持朝日は落ちそうだった瞼を上げて自身が浸かっている湯を顔にかけて意識を持ち直す。

 温かい湯は身体を弛緩させ、立ち上る湯気が肺を温める。

 

 頭の中で回転していた悩みを一つひとつ整頓する。伝えなくてはいけないことがある。

 イワル公爵のこと。レーゲンのこと。リゲルのこと。そして、自分のこと。

 頭の中で整頓されていく悩み。けれど、その解決方法など一切思いつかない。

 自分には伝えることしかできない。そしてその伝えることすら、封殺されている。

 

 朝日は自分の指に嵌っていた筈の指輪を思い出し、今は指輪も嵌っていない手を見つめる。

 確かに、嵌っていない筈なのだ。

 なんせ自分がとやかく言った所であの褐色のメイドさんは変わらず無表情で自分を剥いてこの浴場へと突っ込んだのだ。

 「自分で出来る」なんて言った所で無意味であった。

 通じていないのか、それとも単純に無視されただけなのか……。ディーナの付き人という点を考えれば後者もありえそうと思える所が実に厄介であった。

 問題はディンである。

 

「通じてた……よね?」

 

 なんなら喋ってもいた。

 イワル公爵をして「この言葉を解する者はいない」と言われた言語をディンは容易く口にしてみせた。都合が良すぎる、と朝日は考えてしまう。

 だから、あれは幻聴だったのかもしれない。まだわからない。ただ話を合わせていただけなのかもしれない。どういうことかさっぱりわからない。

 

 そして何より意味がわからないがディンがディーナの付き人であるメイドさんと仲良く喋っていたことだ。仲良く、というべきかまるで命令を下すような淡々とした声であったけれど。

 それにディンの口から出てきた聞き馴染みのある言葉は日本語で、そしてディーナの声で出てきた。意味がわからなかった。

 つまり、ディンはディーナで、ディーナは日本語がわかって、ディーナはディンであった。……導き出される答えはディーナが男性であったという事実である。なんてことだ。

 

「馬鹿娘、そんなことありえるワケがないでしょう」

 

 声がして振り向けば呆れたような顔をしている女性が立っていた。美しい金色の髪は纏め上げられ、整った肢体を惜しげもなく晒し、冷淡にも思える瞳が朝日へと向いている。

 

「きれい……」

「あら、ありがとう」

 

 朝日からの賛辞を当たり前のように受け止めたディーナは自身の身体に湯を掛けてから広い湯船へと身を沈めて朝日の隣に腰掛けた。

 ふぅー、と小さく息を吐き出したディーナは首を動かして軽く肩を揉む。

 

「えっと……ディン?」

「一番最初にそこなのね」

 

 ディーナはくすりと笑って、肯定してみせる。

 男装の趣味は言わないし、自分の性癖なんてことは一切口に出さないけれど、ただ一点だけ、自分がディンであることは容易く肯定してみせた。

 

「貴女が私と弟の決闘に顔を突っ込んだ時は本当に驚いたわ」

「あれは、その……えへへ」

「貴女じゃ無ければ弟ごと斬ってたわよ」

「今は自分がどんなことをしたか、よくわかるよ」

 

 本当? と訝しげな目を向ければ次は朝日が微笑んでみせる。

 ディーナがリゲルの元を去って一年程。朝日は貴族社会に関して詰め込まれた。それはもう勉強か調教かわからない程である。

 そんな事を冗談混じりに、ちょっとした愚痴も混ぜながら朝日が口にして、ディーナはそれを聞いて簡単な相槌を返す。

 

「――……。本当に、通じてるんだ」

「それも今更ですわね」

 

 やはり呆れたようにディーナは溜め息を吐いて、口を開く。次は朝日には理解できない言葉である。

 

「このバカ娘、と言ったのよ」

「む……」

「こうして浴室に入れたのも、他には聞かれたくないからよ」

 

 私には敵が多いですし、と肩を竦めてディーナは呟く。普通はその敵の筆頭に婚約者を奪った朝日がくる筈である事をわかる本人はアハハ、と乾いた笑いを浮かべる。

 

「ディーナさんは……どうしてこの言葉を?」

「……シルベスタの建国については学びましたか?」

「うん。えっと、確か勇者が魔王を倒して、国を作ったんだよね」

「ええ。その勇者……初代王は異世界から召喚されたのよ」

「…………んんんんんんん? 待って、今聞かさないで、頭がパンクしそう」

「そう? 私はシルベスタ一世が書いた歴史書を持っていて、解読したのよ」

「……うそ」

「嘘ではありませんわ」

 

 そう嘘ではない。確かにディーナは初代であるシルベスタ一世が書いた日記の写しを持っている。この世界の言葉ではない不可思議の本である。それを読み解いた。これは事実である。

 ただ、前提が違うだけである。

 少しの沈黙。必死で頭を捻りながら答えをどうにか探そうとする朝日であるが、答えなどわかるワケがない。ディーナとて、わかるように言っている筈もなく、ただそれらしい事実を言ってのけただけだ。

 転生者などと信じられるわけがない。ということではない。なんせ隣にいるのは転移者なのだ。

 

「……私のことはいいですわ。それで、何があったか聴いても? リゲル様が早々に浮気でもなされた?」

「リゲルはそんな事しないよ! ……その、わたしもちゃんと纏められてないんだけど」

「貴女が会話を綺麗に整頓して私に喋ったことがありましたっけ?」

「むぅ」

「いいわ。最初から話しなさい。私はちゃんと聞きますわ」

 

 ディーナは真っ直ぐに朝日を見ながら、笑みを浮かべる。

 そんなディーナだからこそ、朝日は信用している。きっと大丈夫だろうと、口を開いた。

 

「わたしは……わたしはこの世界の人間じゃないの」

「……最初から知っていましたわ」

「ホント?」

「ええ、可能性として考えはしていたもの」

 

 尤も、他の可能性の方が少なかったとはディーナは言わなかった。

 ただただ彼女の話を促すように相槌を打つ。

 

「それで、この世界の言葉が喋れるようになったのは、あの指輪のお陰なんだ」

 

 実はそれも知っていた。

 知ったのは最近だが。アレが国宝であり、初代勇者の所有物であり、作ったのはエルフの長であり、知り合いである。もちろん、言うことは無いけれど。

 

「それで、あの指輪をイワル公爵から渡されて、この世界にやっと馴染めたんだ」

「……」

「それで、リゲルやディーナさんと、レーゲンとも会って……」

 

 そこで朝日は口を一度噤む。その先は、ディーナとリゲルの婚約破棄があり、原因は自身にあることを理解している。

 湯船の中、ディーナは朝日の手を握った。もう許している、と言わんばかりに。むしろディーナ本人は朝日のことを恨んでもいない。振ったリゲルに対しては少し怒っていたが、今の矛先は彼ではない。

 

「……それで、王城で……リゲルにディーナさんのことを言おうと思ったんだ。でも、わたしは、こんなのだから」

「別に上手く喋ろうとしなくていいですわ」

「うん……それで、イワル公爵に相談しようと思って追いかけたんだ」

 

 なんでだよ、とはディーナはツッコミを入れることはなかった。

 アレでも忙しい人なんだぞ、とも言わなかった。ただ眉尻を下げながら話を聞く。

 

「そしたら……イワル公爵が、ディーナさんのことや、陛下を殺す計画をしてるって……」

 

 ディーナの目が細くなる。今まで優しく微笑んでいた顔が一瞬の驚きの後、冷たく真剣味を帯びる。

 

「それで、貴女は逃げ出した?」

「うん。でも、レーゲンに捕まっちゃって。きっとレーゲンは味方だと思って、イワル公爵のことを言ったんだけど」

「レーゲンはイワル公爵の味方だった」

 

 ディーナの言葉に朝日は頷いた。

 

「あとは、喋れなくなったわたしをスピカちゃんが逃してくれて」

「スピカ様が? リゲル様じゃなくて?」

「うん。言葉はわかんなかったけど、スゴイよねボディランゲージ」

 

 たぶん彼女の逃げたいという気持ちを汲み取ったワケではない。頭のいい娘であることをディーナは知っているけれど、このお気楽娘を逃がすリスクも理解していた筈だ。

 それでも朝日を逃した。

 

「なるほど、辻褄は合いますわね」

「嘘じゃないよ?」

「貴女がここで嘘をつくメリットがありませんわ」

 

 ディーナはそう呟いて、一つ息を吐き出す。

 

「何より、私は貴女を信じることに決めましたの」

「信じて、くれるの?」

「あまり信じたくない話でしたけど、嘘ではないのでしょう?」

 

 ディーナの確認に朝日は何度も頷く。「なら信じますわ」と淡々とディーナが吐き出して、瞼を閉じて少しだけ思考する。

 信じたくもない情報もある。あまり考えたくなくて、保留していたことも……ある。

 それを考えさせる情報であった事も確かだ。

 ディーナは頭を抱えながら、もう一度、息を吐き出した。

 

「ディーナさん……大丈夫?」

 

 朝日の不安そうな顔を一蹴するように、ディーナは微笑んでみせる。

 自信に満ち溢れるような笑みを朝日へと向けた。

 

「私に任せなさい」

 

 ハッキリとそう言い放った。不敵に笑いながら、まるで悪の令嬢が勝利を確信したように。

 

「アナタは安心して眠りなさい。よく頑張ったわね」

「……うん。じゃあ、少しだけ、寝るね」

「えぇ」

 

 閉じられた瞼と抜けていく力、支えられる感触はきっと隣にいるディーナだろう。

 ようやく、朝日の意識が落ちていく。

 安心して。今までの不安を湯船に溶かすように。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 最悪である。頭が痛い。

 これが長風呂での逆上せたことが原因ならばどれほど良かっただろうか。

 アサヒに服を着せて、寝室のベッドに寝かして溜め息を吐き出して、思考する。

 

 もしもアサヒの言葉全てが事実であったのならば。

 自分一人の手では足りない。何より、イワル公爵は眼中にもなかった。問題視すらしていなかったという方が正しいだろう。

 国の重役だぞ。そんな人物がこの騒動に関わっているとは思えなかった。何より、メリットが見当たらない。平々凡々に生きるとか考えていないワケですか。そうですか。

 

 自信満々に「私に任せろ」なんて言いはしたけれど、コレばっかりは無理である。

 「頼れ」とも言ったけれど、とんだ爆弾を持ってきたものである。勘弁しろ。

 早々に逃げ出したい。

 

「……とも、言えませんわね」

 

 ジャラリとアサヒが身につけていた不格好なネックレスを手で弄ぶ。

 均一性も見当たらない、傷だらけの小さな石が連なったネックレス。俺が彼を守るという意志で作ったプレゼント。

 これをアサヒが持っている意味を正しく理解できる。

 理解できなければさっさと逃げれたのに。

 

 おそらく、リゲルは事態を理解している。アサヒが何かを掴んだことを理解してネックレスを渡した。スピカ様がアサヒを逃したのはリゲルがソレを渡したからだろう。

 俺の所に向かわせたのは……アサヒのボディランゲージというよりもアサヒが何かを伝える為に書いた日本語が原因だな。

 スピカ様は俺がシルベスタ一世の書記を解読しようとしたことを知っているし、字体は似かよている。アサヒのボディランゲージよりも信憑性があるし、アサヒが俺の所に来る理由としてはそっちのほうが説明がつく。

 

 

 

 自分の執務室に入って、アマリナが淹れてくれた紅茶を一口飲んでから考えを纏めていく。

 幸い、ディーナ・ゲイルディアという駒は盤外に存在している。彼らの思考の外にいる。

 それに、まだ彼らが計画している、と決定しているワケではない。限りなく低い可能性であるけれど、アサヒの聞き間違い、なんてこともあるだろう。

 非常に、低い可能性でしかないけれど。

 

「アマリナ、ベガを呼びなさい」

 

 頭を下げて執務室から出ていったアマリナを見送りながら筆を取る。今の現状。誰が裏切っていたのか。証拠がまだ掴めていないこと。追い込むまでは泳がせるしかないこと。

 全てを書き記し、封をする。ゲイルディアの家紋でされた蝋封を見て、小さく息を吐き出す。

 

「ディーナ様、お呼びですか?」

「ええ。これをアナタの雇い主に渡して来なさい」

 

 ベガに封筒を渡せば少しだけ訝しげな表情をして、こちらを向く。

 

「私の雇い主はアナタですが?」

「今は問答をしている時間は無いですわ。安全に渡せるのがアナタ以外にいるのならそちらに頼んでいます」

「……ふむ。なるほど、承りました」

「急いでここを発ちなさい。フィアとレイを共に付けます」

「……子守まで任されますか」

「あの娘達には別の任務を言い渡しますわ。あまり時間がありませんの」

 

 やはり優男は肩を竦めるだけ竦めて封筒を懐に入れて一礼する。

 これでコイツがイワル公爵と繋がっていたのなら、俺は死ぬんだが。恐らくそれはない。

 お父様からの監視かと思っていたけれど、陛下からの監視だとは思わなかった。エルフの薬瓶がそれを教えてくれたが、実際にどう繋がっているかはわからない。

 たぶん、お父様経由なんだろうけど……ベガが誰にも怪しまれずに陛下へ繋げてくれるのはわかる。

 あの陛下の元に出自のわからない薬瓶を渡せたのだ。病床の陛下にそんな物を渡せるのは限られているし、何より状況をイワル公爵が掴んでいないことからも彼との繋がりはない。

 

 予想としては陛下が裏側で飼っている情報官か。お父様がソレを知っているのも変な話だけれど、あのお父様だからなぁ……。

 

「次は、フィアですわね」

「呼びましたか、主様」

「……アマリナが呼んだのかしら?」

「いえ、そろそろお呼びされると思いまして」

 

 ニコニコとしている白の少女が非常にコワイ。

 果たして何が繋がって俺に呼ばれると思ったのか。何食べてたらここまで頭が回るんですかね?

 ともあれ、呼ぶ手間が省けた。

 

「アマリナ、他の使用人や執務官を近づけない様に」

「承りました」

 

 ベガへの頼み事は口に出さないから問題なかったけれど、フィアの方は文書に残している方が面倒だろう。

 

「それで……殿下の婚約者を殺すのですか?」

「……アレを殺す方が面倒よ」

「今なら勝ち馬にも乗れますが?」

「あら、私が乗る馬を勝たせるのがアナタの役割よ」

 

 キィ、と彼女の乗る車椅子が鳴る。相変わらず彼女はニコニコとしているけれど、少しだけ顔が赤い。まだまだカードでは勝てそうだ。

 

「それで、主様。私は何を?」

「イワル公爵とその派閥を調べなさい」

「……なるほど。一連の首謀者は公爵様でしたか」

 

 ホント、頭いいよね、君。助かる。

 まあ頭が悪ければレイを使ってスリも出来てないし、ほどほどに良ければ俺を廃そうとも考えなかっただろう。

 ヘリオに聞いた時はホント驚いたよね……。なに、俺の知らない所で俺が危険だったの……。怖い。

 

「それと、少しだけ賭けにでるわ」

「……辺りにいる暗殺者達の情報も調べておきます」

「何をするかは聞かないのね」

「主様は時折無茶をするので」

 

 ニッコリと笑っているけれど、俺は知ってるんだ。呆れてるな、コイツ。

 それでもコチラが防御を固めた所であちらが先を行っているのだ。一手先んじなければ、負ける。

 

「ベガにも別命を与えているから、一緒に王都に向かいなさい」

「承りました」

 

 これで今打てる手は打った。

 と言っても、まだ水面下での動きだ。警戒され始める前の事前準備でしかない。問題は警戒され始めてからだ。

 

 ……。

 それに、アサヒにレーゲンの裏切りを聞いても、俺はまだ彼のことを信じたいとも思っている。もしかして、なんて甘いことを考えている。

 リゲルと一緒にもしかしたらイワル公爵と敵対しているかもしれない。なんてことを考えてしまっている。

 恐らく、リゲルも似たようなことを考えてはいるのだろう。それだけ、過ごす時間が長すぎた。

 陛下とイワル公爵にも言えることだろう。けれど、公爵のしていることは反逆だ。罰するに値する。切るしかない。

 レーゲンも、それに加担しているのだから……。

 

 リゲルを裏切っている。イワル公爵に加担している。

 証言もある。確信もある。

 

 けれど、ほんの僅かだけの情が邪魔をする。

 きっとを重ねる。

 

 

 きっと、それも叶わない想いだ。

 



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51.第二王子は任せたい!

 小気味よく扉が叩かれる音にディーナは筆を走らせながら「どうぞ」と溢した。

 開かれた扉の向こうには恭しく頭を下げる褐色肌のメイド。

 

「お嬢様、リゲル殿下がお目見えになられました」

「そう。予定よりも遅かったわね」

 

 ディーナは腹心であり自身が購入した褐色のメイドに苦笑気味に返事を交わす。

 筆を走らせていた手を止めて、手元にある紙に視線を落とす。そこに書かれているこの世界の文字ではない文字列を眺めて口角を上げた。

 読める者など数える程度にしかいないその内容は陳腐な物だ。手紙にする意味すらない、日記にも書かれない些細な物。けれどそれでいい。

 その紙を折りたたみ、封筒へと入れて蝋で止める。

 

「アマリナ、これを渡しておくわ」

「……? 他の方への命令は終わった筈では?」

「ふふ。これは(わたくし)宛てですわ」

 

 アマリナは首を傾げながらも封筒を受け取る。自身の主が言うことが本当であるのならば無意味な手紙である。書いた本人が受け取るのだから、手紙としての役割はない。

 訝しげに主を見れば、眼鏡を外して目頭を軽く揉み解している。

 左の深い青の瞳と右の淡い緑の瞳がアマリナへと向き、命令を口にする。

 

「私が呼んだときに届けなさい」

「承りました」

 

 自身の命令に文句の一つも言わない侍女に満足気に頷いて、ディーナ・ゲイルディアが悪辣に笑む。

 ここ数日、睨みつけていた戦術盤に揃った駒は動かしていない。動かす必要すらない。動かす意味もなかった。

 けれど、ようやく盤面が変化するだろう。良し悪しは幾らでも転ぶ。けれど、自分が望む結果になるように幾度も繰り返した。その為に動いた。

 一つ、息を吐き出す。気は抜かない。慢心ができるほど、自身は優れてなどないない。

 手近にあった不格好で不揃いな小さな石が連なったネックレスを右手首に巻いて、眼帯で右目を隠す。

 

 

 立ち上がり、ディーナ・ゲイルディアは途中で盤外へと追いやられた駒を盤面へと戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごきげんよう、リゲル殿下、レーゲン殿」

 

 非公式に唐突にカチイへとやってきた二人に対してディーナはそうなることがわかっていたように二人を歓待した。

 通された応接間には質のいいソファがあり、座り心地も悪くはない。

 彼女の傍に常に控えていた褐色のメイドが紅茶を入れ終わり、頭を下げて部屋から出てからようやくリゲル・シルベスタが口を開く。

 

「随分と金があるようだな」

「キチンと公務をされているならわかっていると思いますが、国庫にもそれなりの額を入れていますわ」

「民から税を搾り取ってか?」

「さぁ? 証拠はないでしょう?」

 

 クスクスと笑いながらも否定も肯定もしない。

 真実は闇の中にあるままであるが、この悪魔のような女が事実を言うことなどないだろう。

 レーゲンは出された紅茶へと視線を落とし、内心で舌打ちをする。飲めるはずがない。これは彼女にとって好機である。

 恨んでいるであろうリゲルが来たのだから、一矢報いることもできる。そんな女ではないことはわかっているが、それでも最大限の警戒はすべきである。

 

「それで、カチイなんかに視察に来たわけではないのでしょう?」

「……わかっているだろう?」

「はて……公務を放り出して私に会いに来てくれたのかしら?」

「ゲイルディア嬢……」

「冗談ですわ」

 

 もしもそれが理由であったのならばディーナは鼻で笑って二人にお帰り願っただろうけど、残念ながらそんな事はない。

 リゲルは眉を寄せてディーナを睨めつけているが、ディーナはそんな視線すら流して優雅にカップに口をつけた。

 

「アサヒのことですわね。その様子だとまだ見つかっていないようで」

 

 彼女のことを想うと心が苦しいですわ。なんて胸を抑えながら言うディーナであるが、その口には笑みが浮かんでいる。

 ディーナはアサヒのことを嫌っている。恨んでいる。憎んでいると言ってもいい。それは自身の立場を奪ったアサヒに対して当然の感情であるし、理解もできる。

 心が苦しい、というのは嘘である。そんな事は付き合いの薄いレーゲンですら理解できる。

 いい気味だ、と笑っているのがこの女ということもわかる。口にも出さないが。

 

「ゲイルディア嬢は知ってンだろ?」

「さて……野盗か魔物にでも襲われたのでは?」

「アンタが計画したってことはわかってんだよ」

「私が? 何のために?」

 

 理由など、幾らでもある。方法も彼女であるのならば幾らでも存在するだろう。

 けれど証拠はない。彼女が連れ去ったという証拠も、彼女がスピカと一緒に画策したという証拠も。

 単なる状況証拠と動機だけだ。

 

「私がするなら、リゲル殿下達が動かない時期で、私も動けない状態で、証拠もなく殺しますわ」

「そうじゃないから自分が犯人ではないってか?」

「勝手に殿下から逃げたじゃじゃ馬の罪まで被る必要はありませんわね」

「……ゲイルディア嬢」

「私が知っていることなんて些細なことですわ。アサヒが逃げ出したこと、それを探すために貴方達二人が公務を放り出して各地へ出向いていること。ここに来るのが予想よりも遅かったのでいい茶葉の準備もできましたわ」

 

 少し調べればわかることですわ、と加えてディーナは紅茶を飲む。これで彼女が二人を歓待してみせた理由はわかった。

 リゲルはディーナをジッと見て、目を細める。

 

「アンタがアサヒを攫ったんじゃねぇのか?」

「そんな事する意味がありませんわね。何でしたら、この館を調べてくださっても構いませんわよ」

「へぇ。本当にいいのか?」

「それで私の容疑が晴れるのなら。それにどれほど探してもここにはアサヒ・ベーレントはいませんわ」

「……そうか」

 

 納得した、というわけではない。リゲルはディーナの言葉を吟味しながら、思考する。

 思考して、思考して、思考して、彼女の答えを探す。

 僅かばかりの間を瞼を閉じて味わい、隣に座る自身の騎士へと視線を向ける。目の前にいる女へと警戒心をむき出しにする幼馴染はきっと()()()だろう。

 

「ゲイルディア嬢。お前の知っていることを話せ」

「リゲル殿下が知っている以上のことは何も知りませんわ」

「少なくとも、俺が知っていることは把握しているという事か?」

「……さて、どうかしら」

「おいおい、リゲル。やっぱりコイツじゃねぇのか?」

「いやですわ、レーゲン殿。証拠もなく、性懲りもなく私を犯人呼ばわりだなんて」

 

 三日月のように歪んだ口元を右手で隠しながら、愚者を見下すようにクスクスと喉を転がす。

 そう、証拠がない。一切ない。だからこそ、リゲルは目の前にいる女の元へと来た。自身の予想を確信へと変える為に。

 

「証拠がない私を捕縛する権限はレーゲン殿にはありませんわ。精々、犯人達を探せばいいですわね」

「なんだとっ!」

「……レーゲン、少し黙っていろ」

「チッ……」

 

 わかりやすく舌打ちをしたレーゲン・シュタールに張り合いがないと言わんばかりに肩を竦めた。それも挑発だと理解したレーゲンは奥歯を噛み締めるが、怒声をあげることも、舌打ちをすることもなく、大きく息を吐き出しディーナから視線を外す。

 

「この時点でゲイルディア嬢に対して何かをするつもりはない」

「今の婚約者を貶めていた元婚約者に随分寛大ですこと」

「王都で罪を喋らせてもいいんだが?」

「……こういう時には強権を振りかざしますのね」

「こういう時だからだ」

 

 睨んでくるリゲルと数秒ほど目を合わせていたディーナは観念したように溜め息を吐き出して足を組む。

 

「私が知っていることは、アサヒが忽然と姿を消したこと、それとこの国の言葉を喋れなくなったことぐらいですわ」

「……それも知っていたのか」

「言ったでしょう? 殿下が知っているようなことは知っていますわ」

 

 と、言っても噂程度ですし。詳しくは知りませんけど。と飄々と言ってのけるディーナであるが、それは噂になる筈もない。リゲル自身が緘口令を布いたのだ。

 けれど、ディーナはそれを知っていた。噂話であっても知りえない情報を知っていたのだ。

 

「噂話ですわよ」

「……その情報網でもアサヒは見つからないか?」

「さっぱり。手掛りもありませんし」

 

 リゲルはディーナを罰せない。少なくとも今現在で最も近いのは彼女であることをリゲルはわかっている。

 だからこそ、この場で罰することも、それを追及することもしない。できる筈がない。

 そのことをディーナもわかっている。だから容易く情報を開示してみせた。噂話、という体ではあるが。

 ディーナは足を組み替えて、瞼を閉じる。

 

 少しの間を置いて、扉が叩かれディーナがリゲルを見れば、リゲルは息を吐き出してソファへと凭れる。

 

「入りなさい」

「お嬢様。手紙が届いております」

「……そう、ありがとう。下がっていいわ」

 

 褐色のメイドは恭しく頭を下げ、すぐに部屋を後にした。

 ディーナは受け取った封筒を開き、中に入っていた紙を見て眉を寄せる。

 

「……頭が痛くなりますわね」

「アサヒの情報か?」

「これを情報と言っていいのなら、そうですわね」

 

 持っていた紙を机へと滑らせたディーナは頭を抱える。

 その手紙にはこの国の文字ではない文様が、まるで文章のように並んでいた。

 リゲルにもレーゲンにもわからない文字。けれど、それは確かに見覚えがある。委細は違うかもしれない。けれど、よく似た形を見たことがあった。

 

「……これは」

「アサヒの部屋にあった書置きらしいですわ」

「……読めんのか?」

「少し時間は必要ですけれど。……あの子のことだから行き先でも書いてるかもしれませんわね」

 

 全く人騒がせですわ。と改めて溜め息を吐き出したディーナは紙を折りたたんで封筒へと戻す。

 

「……解読までどれほど掛かる?」

「そうですわね……十日か、そのぐらいですわ」

「……ならこの件は任せる。アサヒを探し、俺の元に連れてこい」

「あら強権を振りかざしますのね」

「ああ。俺も必死だからな」

「……拝命いたしますわ」

 

 ソファから立ち上がり、綺麗に頭を下げたディーナをリゲルは目を細めて見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、リゲル! いいのかよ!」

「何がだ?」

「あいつにアサヒのことを任せてだよ」

「問題はない」

 

 王都への帰路の途中、準備のいいディーナが用意した馬車の中でレーゲンの言葉に対してリゲルは鋭く返した。

 

「ゲイルディア嬢が連れてくれば問題はない。それにもしも連れてこなければ罰すれば問題ないだろう」

「それは、そうだが……」

「アレはそこまで愚かではない。逃げ道は塞いだからな」

 

 窓から僅かに見えるカチイを見つめながらリゲルはそう口にする。

 

 

 そう、問題などない。

 自分に贈られ、自分が彼女へと託したネックレスがディーナの腕にあったこと。

「アサヒはこの館にはいない」と言ったこと。

「犯人達」と複数で言ったこと。

 

 そして()()()()()()()()()()

 大きく溜め息を吐き出したい気持ちを普段通りの演技で覆い隠した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『えっと、リゲル達は行った?』

『ええ。もうカチイから出たわ』

 

 ひょっこりと執務室へと顔を覗かせた黒髪の少女はこの世界の言葉を使わない。喋れない、と言う方が正しいが。

 同じくして異世界語(ニホンゴ)を口にしたディーナは彼女の後ろで少しげんなりしているヘリオへと視線を送る。

 

「ご苦労様」

「イエイエ、お嬢が言い聞かせてたみたいで、随分落ち着てましたよ」

「部屋から出ることもなかったなんてお利口ね」

 

 朝日はここにはいない、と言ってのけたディーナであるが、朝日は館の一室から出てなどいない。

 外に出す方が危険であったし、万が一、彼らが館を探し始めようものなら影に合図を送ってヘリオと一緒に逃がすつもりでもあった。その心配は必要なかったが。

 

『ディーナさん、ヘリオくんはなんて?』

『貴女の護衛で大層疲れたそうよ』

『うぇ!? えっと、ごめんなさい』

「もっとちゃんと護衛しろですって」

「お嬢、言葉がわかんないからって好きに言うのもどうかと思いますよ」

 

 ちゃんと頭を下げている朝日に対して手をヒラヒラさせながら気にするなと行動で示したヘリオは主が楽しそうに誤訳していることに気付いて肩を落とす。

 クスクスと笑っているディーナを見てようやく誤訳されている事に気付いた朝日は唇を少しだけ尖らせて不満を示しているが、ディーナの持つ手紙に気付く。

 

『それは?』

『釣り餌よ。釣れないことを願ってるけど』

『日本語だ!』

 

 ディーナから手渡された紙を見て、自分の知っている異世界語に感動してはしゃいでいる朝日に苦笑しながら盤面に戻した駒を一つ前に進める。

 

「それで、お嬢。アレには何が?」

「今日の天気と献立ですわ」

「……殿下達にはなんて?」

「彼女の居所」

 

 全くの別物であるが、書かれている内容がわからなければ今日の天気と献立であろうが、何にでもなる。

 内容に意味などない。それこそ本当に朝日が書いた物であっても問題はなかった。

 

 ただディーナが異世界語を読み解けること、それが朝日の書いたであろう異世界語であったこと。

 この二つだけがあればよかった。

 

「予想が外れほしい、なんてあまり言いたくありませんわね」

 

 けれど、外れてほしいと願う。願ってしまう。



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52.悪役令嬢は死にたい!

遅くなりました。
書いていたら、勝手にディーナ様がキャラを増やしやがりました。私は悪くありません。この悪役令嬢が悪いです。ワタシ、ワルクナイ。


 確保した十日間はある程度の余裕がある。

 そもそもアサヒ自身は今も目の前にいるのだから、このままリゲルの元に連れて行けいいのだから十日という日数も必要ではない。

 

「それで、こちらの言葉はわかるかしら?」

『えっと……?』

『難しいわね』

 

 頭を抱えながらアサヒに渡していたネックレスを受け取る。

 二日ほど徹夜をして元々持っていたネックレスの石に術式を刻み付けたのだけれど、どうにも上手くいかない。

 答えは知っている筈の術式。この世界(こちら)の言葉を朝日の世界(あちら)の言葉へと変換する為の術式であるけれど、問題点すら突き付けられずに否定されていく。

 魔力が足りない、という事はないだろう。アサヒの魔力は右目で見たらエルフ顔負けの魔力を保有しているのだからそれは問題ではない。

 そうなると術式自体が問題なのだけれど、あの指輪に刻まれたであろう術式と似た術式を刻んだ筈であるが、それでも問題が生じている。

 何がおかしいのかもわからない、ちゃんとした答えを観察、観測できればその問題も解決するだろうけど。今答えを保有しているのはエルフの王であるエフィさんと王都にいるイワル公爵だ。

 イワル公爵は指輪を持っている事を隠すだろうし、エフィさんは貸してくれないだろうし、俺がエフィさんの所に向かう時間もなければエフィさんがこちらに来ることもない。

 これは詰んだな!

 

 と、すっぱりと一つの選択肢を諦める。時間があればまた手を付けよう。

 それほど重要な選択肢ではない。それこそ出来れば飛躍する程度のものだ。なので問題はない。半分以上俺の趣味である。

 彼女の言葉がリゲルに伝われば牽制になるだろうし、動きを封じて追い詰めることも可能であるけど。魔法の力で簡単に、というのはなかなか難しい。

 

「……ディーナ様、また無理をなされましたね?」

「嫌ですわ、シャリィ先生。ちょっとだけ寝ていないだけですわ」

 

 ほら、こう、研究と実験に没頭して睡眠時間を忘れたのだ。仕方ない仕方ない。

 座っている俺の隣に立っているシャリィ先生のジト目から逃げるように目を逸らして、目の前にいるアサヒの手元へと向ける。

 彼女の手元には教材用の絵本があり、絶賛この世界の言葉を勉強中である。

 

「あー、あ、まけ?」

「赤」

「あか、あか、あか……赤?」

『よくできました』

 

 アサヒの発音を矯正しながら顔を軽く横に向けて再びシャリィ先生の方へと視線を向ける。まだジト目である。

 こう、手心というものはないのだろうか。ないのだろう。アマリナにも向けられたし。

 降参するように両手をあげて頭を振る。

 

「無理をするな、とは言いません」

「お優しいこと」

「言っても聞かないことは知っていますので」

 

 そういう所は成長してくれない、と溜め息混じりに吐き出してくれたまったく成長しないシャリィ先生である。

 俺は無理も無茶もした覚えはない。いや、オークの時ぐらいは無茶をしたなぁ、とは思う。でもあれは仕方なかったことだし、罪には問われない筈だ。たぶん。凄く怒られたが。

 現状、無理も無茶もしたことのない俺としてはその視線は非常にいたたまれない気持ちになる訳ですよシャリィ先生。やめてれないですか? やめてくれないですか。

 

「……それで、次の無茶は何ですか?」

「シャリィ先生は私が無茶をし続けるような生物だと思っていらっしゃる?」

「無茶をしない生物だと? 結構、結構。アナタと過ごして幾つ無茶をしたか数えて差し上げます」

「きっと片手で足りますわ。両手を準備することもないですわね」

「こちらの手は二桁目の為に必要なので」

 

 そんなにしてない。してないゾ? ホントダヨ。

 右手の指が数往復して、左指が幾つか立てられるのを見ながら、思い出す。

 

「シャリィ先生」

「……なにか?」

「左側を一つ追加しておいてくださいます?」

 

 凄い顔を顰められた。既に動き出していることだけれど少なくともシャリィ先生の言う無茶を十回はするであろう事への不満だろう。

 ニッコリ笑いながら次は目線を逸らさない。これは自覚している無茶なのだから、逸らす必要はない。

 

「はぁ……ディーナ様は何故無茶をなされるので?」

「必要なことだからですわ」

「それはこの女の為に?」

「随分と辛辣ですわね」

「私はこの女にいい感情を持ってはいないので」

「あら。先生はアサヒの事は知らないでしょう?」

「ええ、ええ。貴女を蹴落とした、という事以外は」

 

 それで悪い感情を抱いている、というのは自惚れてもいいのかもしれない。

 自身の敵対者であっても愚痴は言いはしても根本的には興味の欠片すらないシャリィ先生にここまで言わせている理由が自分なのだ。

 にやけそうになる口を手で隠す。バレたらたぶんシャリィ先生はムスッとしてしまうのだ。

 

「アレは私も悪いのよ」

「貴女は自分が悪くなくとも悪いと仰るでしょう」

「そうかしら?」

「逆に悪いと思っている事は悪くない、と仰ります」

「……そんなことありませんわ」

「結構、結構。ディーナ様がお変わり無いことがわかりました」

「嫌味かしら?」

 

 ニッコリされた。

 言わなくてもわかっているだろう、と言わんばかりの笑顔である。可愛いなぁ。口に出すとスッとジト目になるのだけれど。

 

「それで、ディーナ様は次はどういった無茶をなさるので?」

「そうね。悪い予感があたるのなら()()()()()()()()

「…………なるほど、なるほど。私にこの女を王都に連れていけと」

「スグに答えられると自信を無くしますわ」

 

 ホント、なんでコレだけでわかるんですか? 俺の計画とか、もしかしてバレてるんです? 筒抜けだとそれはそれで対処方法も考えないとダメなんですが……。

 

「私が貴女の考えをわからないでどうするんですか」

「頼りになりますわ、シャリィ先生」

「ですが、私はこの女が嫌いです」

「……ん?」

「ええ、ええ。とても嫌いです。もしかしたらディーナ様の()()()では私は秘密裏にこの女を害するかもしれません」

「んんんん?」

 

 そんな事はしない。シャリィ先生はそういった行動をしない。するにしてもこうして俺に宣言するようにする事はない。

 それにシャリィ先生と一緒にリヨースにも頼むのだから、そういう行動ではできない。させない。

 そんな事はシャリィ先生もわかっているのだ。俺にわかっているのだから、シャリィ先生がわからない訳がない。

 シャリィ先生に目を向ければ相変わらずのジト目である。

 

「……シャリーティア先生、頼めますか?」

「ええ、ええ。仕方ありませんね。ディーナ様の頼みですので、ええ、ええ!」

「あと、契約更新もしますか?」

「……あまり調子に乗らないでください」

 

 すみません。いや、ほら、数日ぐらい会えないし。

 それに俺も魔法を使うかもしれないので、ある程度は余裕をもっておきたい。

 されないならされないで想定して動ける。少しぐらい、魔法を使っても、バレへんか……!

 

 と、考え事をしていたら頬に柔らかい感触が当たり、シャリーティア先生の髪が少し視界に揺れる。

 視線を向ければ、耳先を赤くしたシャリーティア先生がソレを隠すようにフードを被った。どうして写真とかないんですか?

 

「では、私はこれで」

 

 こちらの返事を聞くことなく、クルリと踵を返して部屋から出て行ったシャリィ先生を見送る。

 よし! 楽しく話せたな!

 

『あー、えっとディーナさん?』

『あら、何かわからない事でもあったかしら?』

『あ、いや、ん? ちょっと待ってね、今頭の中を纏めてるから』

『どうせ纏まらないのだから、さっさと言えばいいわ』

『む……えっと、さっきの人はディーナさんの先生なんだよね?』

『そうね。軽く紹介したけれど、私が幼い頃からの先生ですわ』

『……つまり、えっと、ディーナさんは女の子の事が好きってこと?』

『何をどう考えてそうなったかよくわからないのだけれど』

 

 女の子が嫌いな人などいるのだろうか。否、いない。あんな可愛い先生が嫌いなわけないだろ!

 先生が俺のことをどう思っているかはわからないけれど、たぶん心配とかされているので、手間の掛かる教え子であり、研究仲間であり、支援者で、そして研究対象である。

 キスして真っ赤になるぐらい初心な先生だからな……。

 

『ディーナさんはリゲルの婚約者だったよね?』

『そうね。誰かのお陰で"元"が付くけれど』

『それは、うん、ごめんなさい……』

『気にしていないわ。貴女が悪い、というよりリゲル様が悪いのだし』

『……ディーナさんはリゲルと付き合ってて、それで女の子が好きで、ん? つまり、リゲルは女の子だった?』

『……休憩にしましょう』

 

 あれが女の子な筈ないだろ。

 小さい頃なら女の子の可能性もあったけど、今のリゲルはちゃんと男である。見た目も、声も。

 もしも女の子だったのなら、もれなくアサヒに奪われる前にどうにかしていたかもしれない。いや、どうだろう。どうせこの選択をしている気がしてきたな。

 

 座っている状態のまま足で影を叩きアマリナに合図をしておく。

 すぐにアマリナが紅茶を持ってきてくれる筈だ。

 

『ああ、そうだ』

『?』

『貴女に少し危険が及ぶけれど、私が守りますわ。その危険も私が招くものですけど』

『…………ディーナさんって誑し?』

「何言ってんだこいつ」

 

 呆れるように溜め息を吐き出すだけで言葉の意味はわかってくれたらしいが、キャンキャンと抗議の声が聞こえる。あー、異世界言語ワカラナイナー。

 初歩的な単語を覚えさせたりする時間はまだあるけれど、それでも必要な単語だけは教えておくべきだろう。

 例えば、彼の名前とか、彼への気持ちとか。朝日は目眩ましにも使える、大事な切り札である。。

 だからこそ、先んじてその一手を指す。相手に攻撃などさせないように、逃げ出す時間を消す為に、徹底して潰していく。

 

 

 故に、俺は死のう。

 

 

 

 

 


 

 割のいい仕事というのはいつだって転がっている。

 誰だって自分の手は汚したくはない。誰だって自分は綺麗なままでありたい。

 そしてその割のいい仕事というのは、手を汚す仕事である。

 当然、その者の中でも矜持は存在する。或いは金銭がどれほど高く積みあがるか、であるが。

 

 

 夜半、静まりかえる街に黒の影が蠢く。目標はこの街を納める女である。

 集めた情報では、単騎でオークを討伐したなどという眉唾な物と、彼女自身の性格である。

 正しく悪女と言ってもいい女であるが、所詮は女であるし、供回りも騎士として名のある存在はいない。

 

 暗殺者である女は息を殺す。

 身に染みた歩法は音を殺す。

 標的を見つけ次第すぐ殺す。

 

 

 心臓が少しだけ騒めく。何度も手を汚してきた女にしてみれば、殺しに対する忌避感などない。

 今回、同じ依頼を受けているであろう暗殺者達――と呼ぶべきかも迷うごろつき達の人数分で割られる報酬。それでも自分の生活を豊かにするには十二分にある。

 この館にいる標的の行動は何度も頭の中で思い返した。それこそ恋する女とてそこまではしないであろう。

 何度も、何度も繰り返し、頭の中で何度も標的を殺してみせた。

 眠る女を突き刺した。起きた女の後ろから首を切った。逃げる女に追いついて胸を穿った。

 小さく、音も鳴らさずに息を吐き出して、女は扉を開く。

 貴族らしい、豪奢な部屋である。調度品の幾つかはきっと自分が稼ぐ金銭よりも高価であろう。

 それには目もくれない。標的はベッドで眠っている。

 他には誰もいない。

 

 ザワリと、頬に風が触れる。

 女は自分の頬を撫でて、違和感を拭う。

 手は震えていない。嫌な予感もしない。幾度か出会った事のある強者のような重圧もない。

 床の音を立てずに、衣服の擦れる音もさせずに、女は腰にある短剣を静かに抜いた。

 

 ベッドの中。盛り上がる布団を見下す。

 神に祈ることもない。ただ、殺す。

 音と一緒に。音を鳴らさないように。標的から音を奪う。

 

 

 

 

――

 

 ()は剣を布団へと突き刺した。

 馬乗りになったまま布団を捲りあげる。一度刺しただけならばまだ息があるはずだ。

 殺す前に貴族の女を抱ける楽しみ、そして殺した後も持ち帰って楽しめる。

 報酬と性欲を満たせる依頼のなんと素晴らしいことか。

 

 捲った布団を見下す。きっと貴族のご令嬢の顔が驚きに染まっている筈だ。筈だった。

 

「あ?」

「ごめんあそばせ」

 

 誰も眠っていない枕が男の視界に映り、思わず声が出てしまう。

 後ろから聞こえた声は女の声であった。刃の滑る音が男の耳を揺らす。

 どうして、などと言いもできず、男は疑問を浮かべたまま頭をベッドの上へと転がし、赤を広げる。

 落とした首の行方を探すように赤が噴き出る体をベッドへと倒して、標的であるディーナ・ゲイルディアは溜め息を吐き出した。

 

 僅かに聞こえる剣戟の音に眉を寄せて近くにあった鈴を鳴らす。

 

「誰か! 誰か近くにいませんの!?」

 

 鈴を鳴らして来たのはメイドである。茶毛を首元で切りそろえたメイドが頭を下げて扉を開けた。

 慌てた様子であったディーナは安堵の息を吐き出してメイドに問いかける。

 

「ああ、よかった。アナタ、名前は?」

「クロジンデ」

「そう、クロジンデ。私に着いてきなさい」

 

 そう言ってディーナはクロジンデの横を通り抜けて足早に歩きだす。

 足音を鳴らさずに、ディーナを追いかけるクロジンデは目を細める。

 

 自身の予感を信じてよかった。

 あのまま短剣を振り下ろしていれば自分の首が落ちていたに違いない。

 複数聞こえる剣戟の音は手を組んだごろつき達と標的であるディーナの従者の戦闘であろう。

 その戦闘にこの女は参加しない。貴族だから、自身を危険に晒すわけがない。メイドの名前すら覚えられない貴族のお嬢様だ。

 頭の中でディーナの力量を修正する。不意打ちとはいえ男の首を落とすだけの力量はある。

 危険度を少しだけ上げる。けれど、まだ問題はない。彼女は安心しきっている。

 

 ディーナの後ろについていけば近くの部屋の扉をノックもせずに開き、眠っている少女を叩き起こした。

 

「――――――!!」

「うるさいですわ!」

 

 寝起きながら赤を被ったディーナを一目見て叫んだ黒髪の女は頭を叩かれた。

 黒髪。追加報酬の標的である事にクロジンデは内心喜んだ。この黒髪の女を生きたまま連れて行けば、さらに報酬が貰える。

 

「―――――」

「――! ――!」

 

 何語かわからない、言葉同士のやり取りを見ながら、クロジンデは黒髪の女がどういう女かを手持無沙汰ながら考える。

 異国の誰か。依頼主を考えれば要人か、あるいは愛人か。それとも落胤か。何にしろ自分には関係のない事であるし、考えるだけ無駄に違いない。

 

「さて、ここから逃げますわ」

「……入口は無理」

「そうですわね。隠し通路から逃げますわ」

 

 クロジンデは小さく「ほぅ」と漏らす。調べたけれど、そんな物はなかった。もっと調査すべきだった。

 後の自分の修正点として心に書き記して、クロジンデはディーナと黒髪の女に追従する。

 

 ディーナは自室へと向かい、ベッドに横たわる体だけの男に黒髪の女が卒倒しそうになるのを抱きとめて本棚へと向かう。

 本棚に並べられた本を抜き差しして、ガコリ、と音が鳴って本棚が動く。

 

「クロジンデ。先導しなさい」

「……わかりました」

 

 暗闇へと続く道である。自分だけならばランタンすら必要ないが、だからといって何も持たずに入るのは怪しまれるだろう。

 近くにあるランタンを手に取って、灯りを点して闇を照らす。長い下り階段が照らされて二人を連れて降りる。

 

 コツン、コツンと石畳を靴で鳴らす後ろの二人とは違い、クロジンデの足元からは音が鳴らない。

 何語かクロジンデはわからない言葉が交わされる。意味を理解することも、何を言っているかもわからない。

 けれど、そんな物は関係ない。

 このまま奥へと向かって、出口が見えればディーナを殺して、黒髪の女を攫ってこの依頼は終わりである。

 割のいい依頼であった。これでかなりの間、仕事をせずに暮らす事ができる。

 

「クロジンデ、そこの奥の石を動かせば出口への道が繋がりますわ」

 

 幾つか分れた部屋。部屋と言っても鉄格子で囲われた部屋であるが。

 貴族らしい悪趣味だと思ったし、噂通りの悪女である再認識にもなった。

 鉄格子の中へと自ら入り、ディーナが言った通りに壁の石へ跪いて、触れる。何も起きない。

 

「……何も起きない」

「ええ。そうでしょうね」

 

 クロジンデが振り返れば、鉄格子の向こうにディーナと黒髪の女が見えた。

 目を細め、肩を落とす。

 

「いつから気づいた?」

「最初から。私、雇っている人間の名前は家族まで覚えていますの」

「……驚き」

 

 本当に驚いた。何も知らない貴族の娘だと思っていた。

 けれど、まだ警戒が足りない。まだ殺せる。殺して、彼女から鍵を奪い、開ければ何の意味もない。

 クロジンデは自身の影になっているスカートをたくし上げ、太ももに忍ばせていた短剣を握る。順手で握り、体を捻って射出する。

 

 鉄格子の間をすり抜けて、ディーナの胸元へと向かった切先は彼女のドレスに沈むこともなく、弾かれる。

 誰も動いていない。見えない何かに防がれた。

 

「――魔法」

「当たりですわ」

「ずっと?」

「ええ」

「……わたしの負け」

 

 打つ手なしである。ここまで警戒されて、鉄格子越しに殺す術をクロジンデは所持していない。

 何度も殺してきて、自分の番が回ってきた。クロジンデにしてみればそれだけである。

 

「幾つか聞きたい事がありますわ」

「依頼主は言わない」

「自分の命との天秤でも?」

「うん」

「……まあ、それはいいですわ。他にも生け捕りにして拷問でもすれば吐くでしょうし」

 

 他のごろつきの事を考えれば、何人かは吐くかもしれない。暗殺者としての不文律を守る事はないだろう。

 

「さて、クロジンデ……いえ、これも偽名かしら。貴女、名前は?」

「無い」

「通称もありませんの?」

「“音無し”」

「確かに、私の部屋に最初に入ってきたときにも音はありませんでしたわね」

「……驚き」

「言ったでしょう? 最初から、と」

 

 なら、本当に打つ手がなかった。幾度も繰り返した思考の方法でも、この金色の女を殺すことはできなかったのかもしれない。

 無警戒の時なら殺せただろうか。その無警戒の時を見つけるのが難しいか。

 

「……殺す?」

「命乞いはあるかしら?」

「無い」

「なるほど……。私に雇われるつもりはない?」

「…………正気?」

「ええ。腕はいいですし、それに拷問は好きではありませんの」

 

 先ほど「拷問でもすれば」と言っていた人間の言葉とは思えないし、何よりこの女の噂を鑑みれば嘘である事はすぐにわかる。

 “音無し”は目を伏せて、少し思考する。

 

「依頼者は言わない」

「ええ。それは貴女の矜持でしょう? ならば、尊重しますわ」

「なら、わたしを雇う意味がわからない」

「? 貴女が欲しい以外に必要かしら。私、才能ある人間は好きですの」

 

 自分を殺しに来た存在であろうと、『才能がある』というだけの理由で雇う。

 

「……変人?」

「失礼ですわね。それで、ここで死ぬか、私に拾われるか。選んでいただきますわ」

「……雇われてから殺すかも」

「貴女の矜持に反するでしょう?」

「……」

 

 “音無し”は目を伏せる。

 この金色の悪魔は自分の才能を買っている。そして雇われたら彼女を殺さないというのも的を得ている。

 自分の矜持がそれを許さない。失敗した依頼の主には義理を果たす。料金を得ることができない事は悲しむべき事だけれど、それでも目の前の女に雇われれば問題はない。

 自分にとって負の要素はない。

 

「依頼内容は?」

「終身雇用。衣食住は私が保証しますわ。私の依頼をしていない時は自由にしていただいていいですし、その時でも一定の給金を与えますし、依頼の時は別途料金を支払いますわ」

「……やっぱり変人?」

「使える人間を手放す趣味はありませんの」

 

 金色の悪魔は嗤う。

 自分が既に陥落していると断言するように、悪魔は口を開く。

 

「私のモノになりなさい、“音無し”」



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53.悪役令嬢は死んでいる。

 アンビシオ・イワルにとって、運命の出会いというのは正しくその時であった。

 永遠に届かないと思っていた理想と野望が頭を回転させて、心を燃焼させた。

 

 

 

 

 そもそも彼が王に謀反を起こそうとしたのか。ソレに大した理由はない。

 本当に小さな理由であった。それが積み重なり、押し潰され、結果として野望となり抽出された。

 たったそれだけの事なのだ。

 その小さな理由の一つに、ゲイルディアという存在が在った事は否定しない。

 否定などできる筈がない。

 

 

 王族に対して謀反を起こすという事がどういう意味であるかをアンビシオは正しく理解していた。

 だからこそ彼は緻密に計画を練り上げて、確認を繰り返し、自身に秘めた。

 如何なる問題が出た所で、それを回避する為の準備を怠る事はなかった。

 

 そうであるというのに。

 そうであったというのに。

 クラウス・ゲイルディアという存在は容易く術中に入り込み、計画の一端を崩していく。

 憎らしいほどの手腕であったが、けれど同時に彼自身を貶める結果に繋がった事も事実である。

 

 アンビシオがクラウスを認知し、厄介な存在であると認めるまでそれほどの時間も、労力も必要ではなかった。

 

 

 幾つかの計画が潰され、幾つもの汚名をゲイルディアに擦り付けた。

 それでもゲイルディア家というのは潰れずに、生き残り、そして自身の計画を潰してくる。

 

 忌々しい存在に違いはない。

 

 

 

 その忌々しい存在は鬱陶しいことに先んじて自身の手を制した。

 ディーナ・ゲイルディアが第二王子であるリゲル殿下の婚約者となった時もそうである。

 他の候補者を置き去りに、まるで当然のようにその立ち位置へと収まった。

 

 自身の息が掛かった者ではない。さらに言えばゲイルディアである。

 アンビシオにしてみれば、ソレは堪らなく不愉快で、苦々しく、頭を搔き毟って死んでしまいたい程の憤りを覚えた。当然、表になど出す筈もなかったが。

 

 ディーナという少女が王城にいるとき、彼女の周りでゲイルディアの醜聞を聞こえるように流し、将来的に自身へと傾くようにも仕向けた。

 けれど彼女は何のことかわからないように、冷たい貌に笑みを浮かべてみせるだけで、意に介す事もなかった。

 最初は知性の乏しい少女である、と予想した。けれども、アンビシオはそう断じはせずに彼女を観察し続けた。

 

 ディーナ・ゲイルディアという存在はゲイルディア家を煮詰めて抽出したような女児であったに違いない。

 どうしようもなく理知的で、どうしようもなく狡猾で、どうしようもなくアンビシオの邪魔をし続ける、正しくゲイルディアの娘であった。

 

 

 

 

 そんな女が居たからこそ、アンビシオの企みは一時期鳴りを潜めていた。

 当然、それでも彼が計画の為にしていた根回しは怠ることもなかった。ディーナ・ゲイルディアが存在しているという問題を覆す為に。

 

 

 そんなある日であった。

 彼にとって、運命とも呼ぶべき出会いがそこにはあった。

 

 黒髪の、異国語を口にする少女。

 アンビシオの頭の中で積み上げた計画が緩やかに進行していく。綿密に積み上げ、緻密に繰り返し、厳密を以ってして計画を進められると確信した。

 どれほどの邪魔があろうとも、どれほどの問題があろうとも、自身が考えられる限りの全てで計画に支障など無くなる。

 

 

 

 神が自身へと啓示を賜った。

 神の天啓であった。

 

 何より、後にアサヒ・ベーレントとなる謎の少女を王の落胤であると勘違いしたベーレント家当主が、陛下ではなく自身へと報告した事もアンビシオにしてみれば神の思し召しであると信じ込んだ。

「何も問題はない。私がなんとかしよう」

 そう言うだけで、信用される程度に根回しも完了していた。

 あとは賽の転がり方で如何様にもなる。

 

 落胤として祭り上げてもいい。或いは――そう。王子と恋仲にさせて愛妾としてもいい。

 どう転がろうが、賽は自身の手から落ちはしない。

 けれど、もし……予想外というモノは自分では想像すらできないものである。だからこそ、彼女にこの世界の言葉を学ばせずに指輪を渡した。

 予想外の意味を失わせる為に。

 

 まさに神の啓示であった。

 忌々しいゲイルディアを貶めて、さらには自身の計画が進む。素晴らしい運命であった。

 どう転がろうが、ディーナ・ゲイルディアがどう足掻こうが、全ては手中である。

 如何に狡猾であろうと、如何に理知的であろうと、如何に邪魔であろうと、盤外に出してしまえば問題など起こせない。

 

 

 見事なまでに、計画は滞りすらなく進行した。信仰した、と言い換えてもいいだろう。

 オークによって王子とアサヒを窮地に追いやる事は失敗した。けれどディーナ・ゲイルディアに治らないであろう怪我を負わせる事には成功した。

 王子によってディーナとの婚約が破棄される様など、口を隠さなければ大口を開けて笑っていたに違いない。

 なんと、なんと素晴らしい運命であるか!

 

 自身の予想外は起こるモノである。いいや、予想外というべきか。それも神の思し召しであったに違いない。

 自身が計画を口にしたのを、アサヒ・ベーレントが聞いていた。

 それだけは確かに予想外であった。意の外に存在していた可能性であった。

 

 けれども賽は未だに手にある。

 転がしているのは自身であったし、転がした目は自身が知っているモノに違いはない。

 

 

 

 

 賽の目は知っていた。ここから先でどうなるかなど、アンビシオにしてみれば予測の範囲内であった。

 なんせアサヒが最初に扱っていた言葉は近隣国の訛りですらなかったし、全く別の言語である。

 けれど、もしも……もしもである。

 

 あのディーナ・ゲイルディアがその言葉を知っていたのなら。

 あの悪魔の子が異国語を理解していたのなら。

 レーゲンから伝えられた情報は眉唾であったし、けれどアンビシオにしてみれば一寸であったとしても、不安という異物に違いはなかった。

 同時に、いい時機である。周到に準備して、徹底して追いやろうとした女を先んじて潰す事が可能である。

 殿下の婚約者を隠した犯人として処罰する事もできる。

 なんて、運がいいのだろう。いいや、これもまた運命である。そうアンビシオは思った。

 神に授けられた好機である。そうに違いない。

 

 

 結果が出るまでの数日もアンビシオは変わらぬ日常を過ごした。

 誰にも怪しまれず。誰にも心配などさせず。誰にも察知されずに。

 アンビシオにしてみれば必然を待つのだから、心を動かす必要もない。

 結果は予定通りに出た。日数的にも、結果としても。全ては予測通りであった。

 

 予測から少し外れたのはカチイに存在するゲイルディア邸が炎上した、という事ぐらいだろうか。

 間者からの報告書を読みながら燃えるゲイルディア邸を想像してアンビシオは口元に笑みを僅かばかり浮かべる。

 あの悪魔が死に、燃える姿を直接この目で見て居ないことが残念だとも思った。同時にあのクラウス・ゲイルディアに一報も送らねばならない。あの厳めしい男であっても自身の娘が死ねばきっと歪むに違いない。

 報告書を燃やし、証拠を消していく。

 

 あと少しで完了する。

 陛下は未だに病床である。蓄積していく毒は、陛下を緩やかに衰弱させて殺すだろう。

 そうなればリゲル殿下が玉座につき、そして自身はその後ろに就く。アサヒが言葉を覚えた所で、その頃には切り捨てなど出来ない地位に座る事もできるだろう。

 それは()()である。

 

 

「イワル様。アサヒ様がお戻りになられました」

「それはよかった。私も顔を見せに行きましょう」

 

 王城に仕えるメイドの報告に心底安心したような声色で応える。

 身支度を整え、あまり急ぎ過ぎない程度の歩幅で余裕をもって歩く。

 慌てることはない。考えきれる可能性は全て潰した。

 

 問題になりそうな悪魔は既に死んでいる。

 

 

「……む、イワル公か」

「無事にアサヒ様が戻られたと聞いたので」

 

 リゲル殿下に対して軽く頭を下げて、部屋内を見つめる。

 身綺麗にされたアサヒ・ベーレント。その隣にはエルフの騎士とオーベ卿、そしてメイドの少女。

 アサヒ・ベーレントは間違いなくディーナ・ゲイルディアの下にいた証明である。情報を繋ぎ合わせれば、アサヒの書いた文書だけ彼女に伝わったのか、直接ディーナの下にいたのか。

 何にしろ、問題などない。あの短期間でできることなど限られているし、謎の言語を読み解くこともできなかっただろう。

 柔らかくした表情の仮面で安堵を作り上げて、会話を熟す。

 そんなアンビシオをアサヒは睨めつけている。自分を貶めた本人であり、国を貶める存在であるから。

 けれど、アサヒが出来る事などない。この短期間で語学を習得できる筈もなく、突然理解できる筈もない。

 

「しかし、オーベ卿。よくぞ連れ戻してくれました」

「……エルフの森に迷い込んでいたのを連れてきただけです」

「なるほど、エルフの森に」

「ええ、ええ。エルフ側は人間に関与などしたくも無いというのに」

 

 ハァ、とワザとらしく溜め息まで吐いて見せたシャリィ・オーベの言葉が嘘であることなどアンビシオは理解している。

「そんな筈はない」とここで糾弾することもできるが、何もエルフとの関係を崩す意味もない。彼女はエルフと繋がる架け橋なのだから。

 内心でほくそ笑む。転がり落ちた賽の目はやはり自分が知っている出目でしかない。

 

 ああ、なんとなんと運命とは甘美なのか。

 全ては自身の辿るべき道を示し、全てはその通りに動くのだ。

 

「――」

 

 アンビシオは今まで睨めつけてきていたアサヒの口が開き、音を吐き出したのを見る。

 やはり言語の意味などわからない。けれどそれは声である。

 しっかりと意思を持ち、鋭く声が吐き出された。

 けれどその全ては無意味に等しい。彼女の想いは音には乗りもしない。

 

「ふむ。言語を理解できないと聞きましたが。確かにこの国の言葉では無いようですね」

「ああ。だが時間はある。きっと、大丈夫だろう」

 時間などない。間に合う事などない。

「その時は私も微力ながら尽力致しましょう」

 

 リゲルに頭を下げながらアンビシオは確信する。

 やはりこれは運命である。こうなる運命であった。

 自身達人間がどう足掻こうが覆すことができない。自分の願いを導き、目の前の無力な少女の希望を潰す。

 

「――アカ」

 

 音が声になる。単なる音でしかなかったモノが言葉へと変化した。

 それは正しい発音というには稚拙すぎた。けれども異国語というには無理がある。

 その場にいた全員の視線が声の主へと集まる。

 黒髪の少女。今の今まで、意味などわからぬ異国語を吐き出していた少女の口から、確かに出た。

 たった一単語だけであった。けれど、確かに。確かに吐き出したのだ。

 ただ発音が一致した。そのような奇跡など認められない。

 全ての希望はアンビシオの手に集まらなければならない。それは運命であるのだから。

 だからこそ、ソレは異常で、異端で、異物へとなった。

 

 さらに、口は開かれる。

 

「アカ、クル」

 

 文法も何もない。単語の繋がり。

 『赤』と『来る』という二つだけである。当然それに意味などそれ以上はない。

 リゲルにとってもソレがどういう意味に繋がるかなどわからない。

 シャリィ・オーベも、エルフのリヨースにも、わからない。

 

「ふむ……私の方でも少し調べてみましょう。失礼いたします」

「ああ、頼む」

 

 決して表情を崩さずに、変わらず穏やかな口調で退室を宣言する。

 頭を下げ、決して足取りを乱さずに扉を出て、アンビシオは決して平静を保つ。

 

 アンビシオだけは違う。

 その二つの単語がどういう意味を持つかを理解してしまう。

 いいや、単語自体に意味はない。それこそ色と動詞以外の意味などない。

 

 全身が粟立つ。

 たった二つの単語だけだというのに。それだけであったのに。

 焦燥を表に出すことなどない。慎重を積んできたのだから。

 不安を表に出すことなどない。自身の運命に間違いなどない。

 思考の端に赤のドレスを着た悪魔がチラつく。既に死んだ筈の女が、嘲笑う。

 

 

 自身の執務室を開く。

 そこには誰もいない。

 部下が持ってきたであろう幾つかの書類が机に重なり、出るまで飲んでいたカップはメイドが取り下げている。

 誰もいない。いる筈がない。

 

 安堵の息を小さく、小さく吐きだす。

 あの悪魔は死んだのだ。何を怯える必要がある。

 

 

 執務室の扉を閉め、執務机に向かい座る。

 

 

 赤が視界に映った。

 扉を隠すように、優雅に立っていた。まるで今までもそこに在ったように。当然に、自然に。赤のドレスが映った。

 金色の髪を輝かせ、その冷貌を悪辣な笑みに歪め、悪魔という存在が本当にいるのならば、この女の姿をしているであろう。

 

「ごきげんよう、イワル公」

 

 そして悪魔は人に出来ないことを――運命を覆すのだ。



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54.悪役令嬢は覆したい!!

「ごきげんよう、イワル公爵」

 

 スカートを軽く持ち上げ、カーテシーをしてみせた赤の悪魔はアンビシオに微笑む。

 存在している事こそが予測の外であった。事実を聞いて、予測し、確実に殺したと思っていた。

 けれど悪魔は自身の目に映り、存在している。

 

「……な、なぜ」

「なぜ? その疑問はどうして私がここにいるのか? を問うているのかしら? それとも()()()()()()()()を問うているのかしら?」

 

 ようやく出た震えた声に、悪魔は――ディーナ・ゲイルディアはクスクスと笑いながら、一つ指を鳴らす。

 

「私が生きている理由は、私が殺されていないからですわ。イワル公爵」

 

 誰に、とは言っていない。それは無意味な言葉だ。

 当然、アンビシオもそこに疑問は持たない。お互いにその事実を知っている。お互いに認識している。

 これは単なる皮肉でしかない。

 

「それは……よかったです」

「ええ、残念なことに。私は生きていますわ」

 

 口角を吊り上げて、悪辣に笑むディーナ。その瞳は左右ともに色が違う。元来持ち合わせていた青の瞳と見る毎に色が変化するような奥の深い瞳。その両の瞳がアンビシオに向けられる。

 

「館が燃えた、と聞きましたが」

「ええ。私が燃やしましたの。そうでもしないと、アナタに近づくこともできませんもの」

「……ハハハ、ゲイルディア男爵にそう言われるとは光栄だ」

「そうかしら? ああ、それと館は無事に残っていますわ」

 

 周りを火炎で包んだだけ、と付け加えた。専門で無くとも理解させられる。

 館に一切の火を触れさせず、炎上しているように見せた。

 詳細な差異はあるだろう。けれども間者の目を欺く程にわかりやすく、けれど事実を隠して見せた。

 ハーフエルフの弟子。偏屈な魔法使い唯一の後継者。

 様々な称号がアンビシオの頭を過り、まるでソレを誇るようにディーナは嗤って魅せる。

 

「座ってもいいかしら。アナタを追い詰めるのに随分と疲労しましたの」

 

 了解など求めてはいない。まるでこの空間を支配しているのは自分かのように、ディーナはソファへと腰掛けた。

 淑女の慎ましさなど無いように、深く座り、足を組む。

 

 問題は幾つかある。アンビシオは焦る内心を置き去りにして頭を働かせる。

 この女がなぜこの場にいるのか。それは自分を追い込む為だろう。それは彼女自身が言っていることだ。

 この悪魔が死を偽装してまで自身の所に来た。それが事実であるのならば、まだ間に合う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 この場に存在しているのは、自身を揺さぶる為。答えを吐き出させる為。

 

 なんせ運命は自分に味方をしているのだから。

 神は自分を導いてくれている。

 

 だからこそ、何も焦るような事はない。その必要性すらない。

 心を落ち着けるように、深く呼吸を一度。

 笑みを顔に張り付け、余裕を気取る。普段から行っていた事である。

 

「ええ、どうぞゆっくりしてください。どうやら強引にここまで来たようですし」

「あら。思ったよりも立ち直りが早くて困ってしまいますわ」

 

 どうした物かしら。とワザとらしく聞こえるように口にしたディーナ。

 アンビシオはその餌にも釣られる事などない。

 確かに彼女が生きている事を問うたのは失敗であったかもしれない。けれど失敗であろうと失言ではない。

 まだ尻尾は掴まれてなどいない。

 

「ところで、招かれざる客人であるのは自覚してますけど、お茶の一つも出ないのは紳士としてどうなのかしら?」

「おっと、これは失礼を」

 

 紳士として、などとよく言う。

 不遜な態度を貫き通すディーナを余所にアンビシオは手近に置いてある呼び鐘を揺らす。

 チリン、チリンと高く部屋に響く鐘の音。あと数秒もすれば侍女がやってくるだろう。その侍女に騎士を連れてきてもらい、彼女は詰みだ。

 さて、公爵の執務室に無断できたこの悪魔は人の法の下で裁かれる。なんと滑稽であろうか。

 ほくそ笑む。悪魔でも油断をするのだ。疲労からの、油断。致命的な失敗。自身であるのならば決して犯さない。

 

 ガラス製の鐘を置いて、アンビシオにとっては長い刻が体内で流れる。なんと長いのだろうか。緊張、或いは危機的状況が引き延ばしているのか。

 目の前にいる悪魔が胸の下で腕を組む。

 遅い。これほどまでに長く刻を感じる事などない。

 

 

 侍女が来ない。

 

 

 女が淑女とは程遠く、悪魔にしては油断を見せるように口元を隠して欠伸を一つ。

 

 

 

 侍女は来ない。

 

「どうやら侍女は来ないようですわね」

「……何か、しましたか?」

「あら、いやですわ。私がまるで侍女を消したみたいに」

 

 アンビシオの問いが面白いように、クツクツと喉を鳴らして()()()()()()()()()()()()()()()

 薄く瞼を閉じて、つい先ほど淹れられたように湯気が浮かぶ液体を飲み込みディーナは嗤う。

 

 息を飲み込む。どのようにしてこの女がカップを取り出したのか。そんな些細な事がアンビシオの思考を蝕む。

 悪魔のように、人知に及ばぬ方法であるのならば、この悪魔は自分のことをどこまでも知っている。

 知られている。

 それは間違いなく、問題に他ならない。

 

「さて、(わたくし)がここにいる理由を知りたい、と言っていましたわね」

「……私をどうするつもりだ」

「あら、そちらが演技の無いアナタなのね。そちらの方が好感が持てますわ」

 

 普段のアナタはずっと笑顔で感情が読み取りにくかったの、と笑みを深めて溢した。

 この悪魔がどこまで知っているかを確認しなくてはならない。全て知られていたとしても、異常に気付いた従士がここに来るであろう。

 そうすれば、アンビシオの勝ちである。この場においての主導権が悪魔にあろうと、まだ手の平の上に賽はある。

 握り潰すことも、転がすことも、自分の思うがままであり、それこそ運命に従うべきなのだ。

 

「先に言いますわ。私はアナタに対して何かをするつもりはありませんわ」

「ほう……。つまり、貴殿も私の下に就くと?」

「アナタの下に? アッハハハハハハハ! そんな冗談が言えるぐらいには余裕を保てますのね!」

 

 一頻り笑い、口元を手で隠したディーナはスッと目を細めてアンビシオを睨めつける。

 

「私、アナタの事は好きですわ。アナタの事を知れば知るほど、アンビシオ・イワルという人物が優秀で、才能があり、努力を積んだかを理解しましたわ。アナタが暗躍していた事を調べれば調べるほど、父の名が出てきたときは失笑を禁じ得なかったですけれど」

 

 思い出したように笑みを浮かべて喉をコロコロと鳴らす。

 ディーナ・ゲイルディアという人間として、アンビシオ・イワルは素晴らしい人材であった。できることなら手中に置いておきたいと思えてしまうほどに。

 

「なら、クラウス・ゲイルディアを調べればよかったのでは?」

「調べましたわ。当然。私にとっては全てが敵でしたし。そもそも“誰が”なんてことは私にとって、どうでもよかった。ただ一点、譲れないことがありましたの」

「貴殿に牙を剥いた事、ゲイルディアに対して刃を向けたことかな?」

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう。そんな事はどうでもいい。自分がどうなろうが、ゲイルディアがどうなろうが、ディーナにしてみれば些末な事でしかない。

 ただ、目の前の男が自分の敵である。その敵が自身の周りを害そうとしている。

 そんなもの、許せる理由など無い。だから、徹底した。それだけの事でしかない。

 

「……さて、アナタがしようとしている計画。その全てを暴く気はありませんわ」

「ふむ」

「私に出来る事は限られていますし、暴いた所で無意味極まりない事に違いはありませんわ」

「ならここになぜいる」

「こうしてアナタの前に現れたのなら、アナタは私の事を見るでしょう?」

 

 そう、この女こそ警戒しなければならない。

 アサヒ・ベーレントの操る謎の言語を解読している可能性。この女の情報収集能力。アンビシオが最も警戒すべき相手であり、唯一の問題。

 だからこそ、この女がこの場に存在している時点で、アンビシオは勝利する。他の問題など無いのだから。

 

「さて、まずは。最初に戻りましょうか。何故、私がここにいるのか」

 

 それはこの場に現れた彼女が一番最初に、アンビシオが抱いたであろう疑問を口にしたものだ。

 アンビシオは少しだけ思考する。

 彼女は自身の計画を暴こうとしている訳ではない。それは彼女自身が否定した。

 彼女の手札を想像する。まだ決定的な部分を知らないからこそ、自身から引き出そうとしている。そう考えれば彼女がいる理由に正当性が生まれる。

 そしてこの予想は外れてはいないだろう。悪魔であろうと、知りえない事はある。

 そうに決まっている。

 運命こそ、自身に傾いているのだから。

 

「アナタが絶望に染まる顔が見たかったの」

「――は?」

「アハハハハハハハ! アナタ、とっても滑稽ですもの。きっと普段のアナタならしないような失敗ばかりで。とっても、とぉっても!」

 

 まるで女児のように腹を抱えて笑うディーナに唖然とする。

 絶望? まだ自分は詰んではいない。ここから先の指し手を間違うことなども無い。

 そんな事はありえない。ありえてはいけない。

 

「私、言ったでしょう? アナタを()()()()()に疲労したと」

 

 それは、彼女が座る時に口にした言葉に相違はない。

 

「アナタは私がここに来た時点でここから出ないといけなかった。けれど、アナタは私がここにいる事に慢心したわ。だって、私しかアナタの事を知らない筈だもの。だから、アナタは私を止める、或いは事実の確認、もしくは私の懐柔をすべきだと思った」

 

 それは間違いではない。間違いである筈がない。

 

()()()? 本当に間違いではないのかしら? 本当に、アナタが最も警戒しているであろうこの私が何の手段も講じずに、この場に存在していると。そう思った?」

「ッ……」

 

 この悪魔の言葉が真実であるのならば。この悪魔が()()()()()()()()()()()。どれほど疲労していようが、それは悪魔に関係などない。

 

「ああ遅い。ああ! なんて気付くのが遅いのかしら! もう既に陛下には伝わっているというのに。ようやくアナタが詰んでいる事に気付くなんて」

「……だが、君の虚偽かもしれない」

「そんな淡い希望を、私がアナタに残すとでも?」

 

 金色の髪をした悪魔は嗤う。徹底して、目の前の人間に事実を突きつける。

 アンビシオの手が震える。頭をどれほど働かせようと、悪魔が突きつける事実を否定など出来ない。

 ソレはこの悪魔の事を最も警戒していたからこそ、この悪魔がどれほどの事が出来るのかを理解させられる。

 

「ああ、あと。アナタが陛下に盛っていた毒は既に解毒しましたわ」

「……ふはっ、あの毒がそれほど簡単に解毒など出来る筈がない。できていたとしても、既に手遅れだろう。貴様が何も持たずに陛下に呼ばれた事は知っているぞ」

「まだそんな淡い希望に縋っているのね。とてもいい、とてもいい表情ですわ。普段笑顔を張り付けているアナタよりも、とってもいい表情――。ところで、私がどうやってこのカップを取り出したかはわかりまして?」

 

 カップの淵を細い指で撫でながら、悪魔は嗤う。

 一つ一つ、丁寧に目の前の男が持っているモノを握り潰していく。

 

「しかし、だが……いや、貴様は陛下が病床に伏せたことも知らなかった筈だ。用意など出来る筈ない」

「ええ、ええ。なるほど。とっても素敵ね。そうやって淡い希望に縋りつく姿はとても。とても真似できませんけれど。……私の部下に関しては調べられていないようで。どこからの誰かがリゲル殿下との婚約破棄させようとした時に、大仰な事を言ってしまって。陛下に監視を付けられてますの」

 

 アナタも知っていたと思うけれど。とニッコリと笑う。

 誰かが、というのは正しく自身である。あの時点で邪魔でしかなかったこの悪魔を王城から消す為に。盤上から排す為に。

 この悪魔の言葉が全て、正しい事であったならば。筋が通ってしまう。否定したい感情とは別に、頭が全てを肯定する。

 同時に、自身の詰みが見えてしまった。

 

 力んでいた肉体から力が抜け、深く椅子に腰かける。

 詰んだ。詰んでいる。

 けれど、そんな事が許される訳はない。それは運命ではない。

 

「二つほど言っておきますわ。私がこの場で出来る事はありませんは、全て陛下にお任せしていますもの。それと私、アナタの下には就けませんわ。だって、私はこの国に仕えていますもの。二心を抱くつもりもありませんし、これでも一途ですもの」

「……嘘だ……こんな運命など……許される筈などない……」

「あら、運命論者だったなんて。奇遇ですわ。私も運命という言葉は大好きですわ」

 

――だって、それを覆して私たちは生きていますもの。



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55.悪役令嬢は駆除したい!

遅れました。


 もう既に空には月が雲に乗り浮かぶ。

 うすぼんやりと雲に隠された光が緩やかに王都から少しだけ離れた舗装されていない道を照らす。

 王都では騒がしく騎士達が警備をしていることだろう。

 

 見渡しのいい草原にポツンと生えた樹に立ったまま凭れて、深呼吸をする。

 

 どうしようもなく、自分が上手くいっているなんてことはない。

 先のイワル公爵を追い込んだのも、彼の意表を突くことができた。それだけなのだ。

 彼の頭がいいからこそ、俺があの場にいた事での効果は絶大であった。

 

 全てを封鎖した。彼の手段を全て潰した。そう思わせる事に成功した。

 事実として、イワル公爵が取るであろう手段は思いつく限り潰した。本当の彼であったのならば、俺が想像を超えた行動を取ったであろう。

 それは彼の慢心に違いない。慢心していたからこそ、警戒してくれていたからこそ、俺があの場にいる意味があった。

 陛下に全て伝えていたことも。彼は全てを理解した上に絶望してくれて、詰みに繋がった。

 

 もしも、俺が言った通りに彼があの場から逃げていたのならば――。

 それも防ぐための手段は講じていた。それこそ音を遮断する風の壁を張り、徹底した行動をした。

 ソレを越えていたのならば――。

 そんな物を考えても仕方がない事だ。

 

「それで、公爵家は軟禁してくれているのね」

 

 読んでいる手紙は簡易的に報告書としてフィアが作ってくれたものだ。とても読みやすくて助かるぅ……。

 陛下への伝手自体はベガが行ったことであるし、裏付けは裏側に詳しいボーグルがしてくれている。……最初に調べた時にお父様が「だいたい全部の犯人です!」ってなってた時は本当に笑ったけどな!

 依頼料もそこそこの値段であったけれど俺の財布が痛んだだけで追い込めたのなら御の字である。

 陛下達も協力的だったのも俺にとっては追い風になったのも間違いではない。

 

 自分は上手くいっている。なんて言葉など言える筈もない。

 運がよかった。それこそイワル公爵の言っていた“運命”というモノを信じる程である。あんなモノを信じる意味もないけれど。

 

 イワル公爵自身も、王城で軟禁状態にあるだろう。もしくは、牢に入れられているか。

 出来る事ならば牢に入れられていてほしい。その辺りの判断は俺にはできないし、俺の責任でもないし、俺の権利もない。

 

「だから、出来る事なら守ってほしかったのだけれど」

「んぉ? よぉ、ゲイルディア嬢じゃねぇか」

 

 ようやく来た待ち人に視線を向けて、凭れていた樹から背を離す。

 ()()通りに郊外に繋がるこの道を歩いてきてくれた。

 

 まるでついこの間の剣呑さなど欠片もない、相変わらず爽やかな笑顔で挨拶が彼の口から吐き出される。息を少し飲み込んで平静を保つ。

 

 赤髪を短く刈り揃えた男。

 俺たちの幼馴染でもある男。

 

 幼馴染を容易く裏切り通した男。

 レーゲン・シュタール。

 

 今もまだ、少しだけ、ほんの少しだけ、この男の事を信じてしまっている自分がいる。俺としても、私としても、信じれる欠片もない。

 持っていた手紙を影へと落とす。

 小さく、彼にはわかるであろうけど溜め息のように息を吐き出して、呆れたように彼を睨めつける。

 

「レーゲン。先に二つほど聞きますわ」

「おう。俺もゲイルディア嬢に聞きたい事があるんだよ」

「イワル公爵は殺しましたの?」

「ああ。ちーっとばかし面倒だったけどな。邪魔なヤツは消しとくべきだろ?」

「ええ。御尤も。まったく、反吐が出るぐらいに」

 

 ちょっと面倒だった、と口に出来る程度の労力で王城にいる騎士たちを搔い潜り、或いは潜り込み、軟禁されているであろうイワル公爵を殺した。

 殺したことは、まあいい。最悪な展開の一つであるし、まだイワル公からは聞くことがあったけれど。

 アサヒが何故この世界に召喚されたのか。彼なら手掛りの一つぐらいは持っていただろう。たぶん。やっぱりあの時に聞いておけばよかったな。

 額に指を当てて呆れたように振舞う。彼がもっている“ゲイルディア嬢”という印象を崩さないように。

 

「さて、次は俺の番だな。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「あら。気が付くのね」

「ゲイルディア嬢は無能が嫌いだろ? まあ、思ったよりも歯応えが無くて残念だったけどな」

 

 知っている。尤も、知ることになったのは今になってであるが。

 王城で完璧なまでに、徹底して兵力の差で彼を圧し潰す事もできた。当然、それが正しい方法であることも知っていた。知っていたし、陛下やリゲル達も俺に協力してくれただろう。

 結果として、この男は騎士達と戦う道を選択しただろう。そして死体を積み上げる。そんな人的資源の無駄遣い――いや、変に理由を付ける意味などない。

 ただ、俺が陛下とリゲルの間に禍根を残したくはなかった。それだけである。

 陛下は納得するだろうし、リゲルも現状を鑑みればそれが正しい選択であった事を理解するだろう。けれど、小さくても、どれほど小さくても禍根となる可能性があるのならばソレは廃した方がいいに決まっている。

 完璧主義者、という訳ではないけれど。

 

「俺を逃がした理由は?」

「あら、幼馴染を逃がすのに理由はありまして?」

「……ゲイルディア嬢の事だから、俺を止めようとすると思ったんだがね」

「止めても止まらないでしょうし、私が貴方を止められるとでも?」

 

 圧倒的な力量差がある。

 もしも俺一人が彼を止める、或いは王城に連れ戻すという事をするとしても無謀の一言だろう。そんな事は俺だってわかっている。

 

「それに言葉で言い負かして連れ戻すにしても、貴方に待っているのは死刑でしょうし」

「ハッハッハッ、だろうな」

「だから、私は貴方を見送りに来たのよ」

「へぇ、見送りねぇ」

 

 レーゲンが俺を頭の天辺から足先までを見る。

 こうして令嬢がドレスを着ている事に違和感など無いだろう。彼も見慣れた赤いドレスだ。

 尤も、彼はこれで納得をしないだろう。納得されるなんて考えも無い。

 

「二つ目の質問ですわ」

「――どうしてリゲルを裏切ったか、か?」

「裏切りの理由よりも、貴方の目的がわかりませんの」

「別に、特別な事はねぇよ」

 

 ならば、まだ庇えるかもしれない。レーゲンがイワル公に乗ったのはそうせざるを得ない状況であった。そうに違いない。

 ――否定する。そんな事など無い。

 もしも、そうであったのならば。彼はイワル公を殺してこの場にいない。粛々と罰を受けていただろう。

 けれど、そうはしなかった。

 彼自身が否定した。()()()()()()()()()()()、と。

 

「生まれた時代が悪かった」

「それが目的ですの?」

「いいや、これは単なる切欠(キッカケ)に過ぎねぇよ。足りねぇんだよ。そこらの雑魚じゃ」

「……貴方、戦争がしたいのね」

「戦争……? ああ、そうだな。俺は証明してぇんだよ。俺の強さをッ! 俺の存在をッ! 俺の意味をッ!」

 

 だからレーゲン・シュタールはイワル公に乗った。今の平穏としたシルベスタよりも、殺伐とした世界を生きる為に。

 イワル公はこの男のどこまでを知っていたのだろうか。きっと上手く使うだけ使って、あとは捨てるつもりだったのかもしれない。そこまで、俺は推し量ることもできないけれど。

 レーゲン・シュタールが言う通り、生きる時代が遅すぎた。

 一昔前、それこそまだ初代シルベスタ王が生きていた頃ならば、未だに王が勇者と呼ばれていた時代ならば。彼はきっと正常に生きれていた。

 彼の気持ちはわかる。わかってしまう。俺自身が転生者であるからこそ。

 強大な力に憧れた事があるからこそ。

 等身大以上の自分を夢見たからこそ。

 

「そう。それでこのまま逃がせば、貴方は戦火を持って、またこの地を踏むのでしょうね」

「ああ。楽しもうぜ、戦争ってやつをよ」

「嫌ですわ」

 

 そんな事が許される筈がない。少なくとも、そんな理由を聞かされて逃がす程に俺は自分という存在の事を過信していない。

 予想していた最悪の言葉であった。けれど、予想していた範囲内である。本当なら「なんとなく裏切った」なんて言ってくれると思っていた。淡い期待だ。

 

「嫌っつてもな。ゲイルディア嬢は俺を止めれないだろ?」

 

 肯定するしかない。それは力量を考えた結果だからだ。

 溜め息を一つ零す。もうどうすることも出来ない。それは客観的な感想でしかない。

 レーゲン・シュタールが口をへの字に曲げて、つまらなさそうに足を進める。

 俺の横を通り過ぎ、樹に縛られている手綱へと手を伸ばす。

 このまま何もしなければレーゲン・シュタールは他国へと出向き、戦火を持ちこむだろう。

 

 ディーナ・ゲイルディアには防げない。圧倒的な力量の差があるからこそ、ディーナという女は、理知的で、計算高いこの女は自分に手出しが出来ない。

 だからレーゲン・シュタールは俺などもう眼中にはない。 

 

 

 だからこそ。

 

 だからこそ。

 それでイイ。

 

 ()から柄を掴んで剣を一息に抜き、レーゲン・シュタールの背中へと突きを放つ。

 たった一瞬の為に、演じきった。

 

 甲高い金属音と同時に手が痺れる。握った細剣を取りこぼす事はなく、強く握りしめる。

 

 いつの間にか抜かれていた肉厚の両刃の剣が月光を僅かに反射する。

 ああ、クソがよ。これだから才能とかいうヤツが堪らなく憎く思う。

 

「見送りじゃぁなかったのか?」

「ええ。友人であったのなら、見送るつもりでしたわ」

 

 レーゲン・シュタールが獰猛に笑う。先ほどまで見せていた爽やかな人懐っこい笑みではない。

 まるで飢えから解放されるように。目の前に馳走があるように、口角が歪んだ。

 

 本当は最初から殺すつもりであったし、今の一撃で決まればいいとも思っていた。

 限られた手札の一枚であるし、切り札の一つでもあった。

 これで終わると甘い考えも、確かにあった。呆気なくそれは覆されたが。

 しくじった、という感情は表情で隠す。冷や汗も止めてみせる。

 

「獣になった存在を友人と呼ぶつもりはありませんわ」

「ひでぇ言いようだ」

「その割には笑ってますわね」

「当たり前だろ?」

 

 無謀である事は理解している。

 けれど、目の前の猛獣は俺が殺さなくてはならない。

 殺すべきだから、殺す。

 

「強い存在と戦える事が俺の証明になるんだからよォ!」

 

 これは俺の慢心に違いない。慢心してしまったからこそ、警戒していたからこそ、俺は今この場で相対している。

 

「来なさい、畜生風情(レーゲン・シュタール)(ワタクシ)が殺してあげますわ」



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56.悪役令嬢は勝利したい!

お竹先生(@taketi)

シャリィ先生

【挿絵表示】


メガネの差分もあるぞ!!

【挿絵表示】


遅くなって申し訳ございません。


 薄ぼんやりと見えていた視界は既に闇へと染まった。

 僅かばかりの風切り音と草原の音。雲に隠れた月からの光も無い世界ではあるが、ディーナ・ゲイルディアは眼前に迫る切先を受けてみせた。

 ギリギリと金属の擦れあう嫌な音と散る火花の先に見えた強敵の顔。耳元に流れる空間を切るように鳴る剣。

 

「ハハッ! 今のは惜しかったなぁ!」

「ええ! 残念、ねっ!」

 

 剣を持ち、痺れる左手とは違い空いた右手で指を弾く。

 魔力を正確に通し、ようやく杜撰ではなくなった式へと流し、空気の壁を作り上げレーゲン・シュタールを弾き飛ばす。

「うおっと、危ない危ない」などと口にしながら軽やかに、そして余裕を見せながら後方へと回避してみせたレーゲンにディーナは内心で舌打ちをする。

 

 予想以上。いいや、剣の腕は予測の範囲内ではあった。それこそ頭の出来も――いや、これは予想よりも残念が証明されたのだけれど。

 

「おいおいせっかくの()()だぜ? 楽しもうぜ」

「……二人きりの()()だなんて、片腹痛いですわ」

 

 決闘であったのならば、常に保険として張っている風の壁を容易く貫きやがって。などと文句を言ってやりたい気持ちが溜め息として吐き出された。

 

「ゲイルディア嬢も、こんなもんじゃねぇんだろ?」

「さぁ、どうかしら?」

 

 引きつりそうになる顔をどうにか闇に隠す。

 表面上は取り繕っているディーナであるが、その実、余裕など無い。

 普段よりも思考を回さなくてはいけないし、自身の奴隷よりも膂力の強いこの男の攻撃を受けるのに精一杯であるし、何より魔法を使用しなくてはすぐに地面に伏していたことは容易に想像がついた。

 改めて指を弾き、風の壁をより強固に張る。

 

「俺はゲイルディア嬢がオークを倒した時から、ずっと戦いたかったんだぜ?」

「そこらのオークで満足しておきなさいな」

「誰があのオークを持ってきたと思ってんだ?」

 

 最悪を重ねるようにディーナの舌の上に苦汁が広がる。

 きっとイワル公爵と繋がりのある騎士団が頑張ったのだろう、という予想を簡単に覆してくれる。

 

「試しには十分だった。ま、アサヒが急に駆け出した時はビビったけどな」

 

 狂気に帯びた笑みが僅かばかりの過去を滲み出す。

 懐かしむように、笑みを堪えるように、けれど同時に『その時から』という証明に他ならない。

 

「あの場で二人とも死んでたら、もっと早くに計画は進んでただろうよ」

「あら、そうかしら。今もリゲル様に看破されていたのに?」

「それもビビったけどな。ハハッ、まあアンタが死ねばきっと上手くいくだろうさ」

 

 ケタケタと獣は嗤う。誰かに教えられた事を十全に熟す為に。

 愚かしい、とはディーナは思わない。それこそ彼がその選択をした事を否定などは出来ない。非常に苛立たしいし、何よりも才能を捨てるのも唾棄すべき行為だ。

 

「それで、私の左手の痺れが取れるまで待ってくれるのかしら?」

「もう取れてんだろ?」

 

 自身の言葉が終わる前に薬指を弾き、鋭い風の刃を一閃する。

 予備動作は指が弾く僅かな行為のみ。暗闇でなくても不可視の刃。けれど、それは悠々とレーゲンの剣によって断たれた。

 刃が形を保てずに霧散した事をこの場で理解できるのはディーナにしかいない。

 

「化け物ね」

「お、獣から昇格か?」

「人には程遠いですわ」

 

 スッパリとレーゲンの言葉を切り捨てたディーナであるが、その顔は笑みを浮かべている。自身の欲求でもある才能という玉石が目の前に存在している。なんと素晴らしい才能なのだろうか。

 極めた剣技という意味ではないその()()にだ。

 彼自身が理解しているかどうかはわからない。けれども、手中に収められるのなら収めておきたい。

 鎌首を擡げる欲望を捻じ伏せて、ディーナは静かに息を吐き出す。

 

 

 想像魔法の極地と言ってもいい才能をここで殺さなくてはならない。

 

 

 短く、思考を断つ。

 考察は生きて戻ってからにすべき事だ。

 

「ああ、本当に、残念ですわ」

「そうか? 俺はアンタと戦えて嬉しいが」

「黙ってくださいます? それとも喋る余裕を消してあげましょうか?」

 

 僅かに目が慣れたと言えど周囲は暗闇である。耳を澄ませば彼女が指を弾く音が明確に聞こえる。万華鏡のように灯る右瞳で彼女の居場所がわかる。

 レーゲンにとってそれだけの情報だけで問題など無い。

 魔力という不可視の物。風という不可視の物。暗闇という不可視にする物。

 そのどれもが彼にとって障害とは成り得ない。

 

「――ッシ!」

 

 指の弾かれる音と共に迫る威圧感。肌を触れる風の流れ。

 その数、三。正面に一つ。自身の左から一つ。背後から、いいや、斜め上からか。

 あらゆる方向から迫る()()を、僅かな誤差のあるソレらを剣で切り裂く。

 自身は最も強い。だからこそ、斬れない道理は無い。

 純粋なる自意識と狂気にもとれる自己陶酔。そして、それらは自己暗示として形成された。

 

「ハハッ!」

 

 口から嗤いが溢れ零れる。

 どうしようもなく自身を追い詰めてくれる存在が目の前にいる。渇きとして認識できなかった日常をそうであると自覚できる程の好敵手であり、そして強者である。けれど、それであっても、何があろうとも。

 風を全て斬って、無傷のジシンこそが証明である。

 

「俺の方が強い」

「ええ、そうね。アナタは強いですわ」

 

 ディーナにしてみれば目の前に存在するのは化け物に違いはない。凡そ、彼が行っている魔力運用から当たりはつけた。

 これが純然たる魔法――エルフが使うような魔法――であったならば、あの時のように反転させてしまえばいい。けれど、見たところソレは否定されている。

 

 なんと美しい才能であろうか。

 なんと羨ましい才能であろうか。

 なんと妬ましい才能の塊であろうか。

 

「――ふぅ」

 

 息を一つ吐き出す。油断ではなく、肩と頭を弛緩させる。

 自身に灯る魔力を循環させ続ける。アサヒよりも圧倒的に少なく、シャリーティアなど比べる事すら烏滸がましい。

 目の前にいる化け物と比べる事も、また馬鹿らしく感じてしまう。

 そんな少量の魔力と、右手に嵌った不揃いな石のブレスレット。自身の手札を確認し続け、頭の中で戦略を練り、諦める。

 

 目の前の化物は魔法を切断する。

 何故その様なことが起こるのか、はディーナにしてみればさっぱり理解すら出来ない事柄であったが、何故出来るのかは推測できた。

 だからこそ、ほんの少しだけ憧れ、多大なる呆れを化け物へ向けた。

 

 そんな呆れの視線を受けて尚、レーゲンは嗤ってみせる。なんせ楽しいのだ。

 子供が新しい玩具を見つけたように。重ねた積み木を壊すように、証明へと足を進める。

 踏み込み、土が鳴る。同時に指が弾かれる。

 

「しゃらくせぇ!」

 

 迫ってきた“何か”を断する。

 振り下ろしにて一つ、振り上げた剣でもう一つ。足を軸にクルリと回転し、後方から迫っていた一つを剣で撫で斬る。

 刹那的に感じた何かに準じて、膝を曲げて身を屈める。頭上を通り過ぎた“何か”が樹にぶつかって大きく弾けた。

 

「あら、惜しい」

「何回やっても俺には通用しないぜ」

「どうかしら」

 

 試してみるまで分からない、と口にはせずに指は弾かれる。

 二度。四度。六度――。弾かれる度に増える威圧感。草を騒がせる狂風。笛のように耳を劈く音。

 六つ――いいや、それ以上の何かが迫っている事だけはレーゲンには理解できる。それだけしか理解が出来ない。

 舌打ちなどしない。自身に絶望などもってのほかだ。

 これほど楽しい時間を無駄になど出来ない。

 

 一際大きく。少しだけ水音を混ぜたように、弾かれた音がレーゲンの耳を打った。

 

 実際は鳴り損ないの音である。今までの音よりもいっそうに、聞こえ辛い音である。剥けた指先の痛みを無視した攻撃である。

 けれどレーゲンはソレに気付いた。瞬間に自身の直観ともいえる感覚に信号が奔る。

 逃げろ、と。周囲は不可視の刃がある。まだ距離はあるにしても、逃げ道を選択する余裕はそれほど無いであろう。

 だからこそ、レーゲンは大きく後ろへと跳ぶ。態勢をなるべく崩さず、決して灯る瞳を見逃す事もせず。

 

 耳が切り裂かれる。痛みなど感じない。

 その光がブレる。先ほどまで自身がいた場所の草原に“何か”が圧しつけられる。

 そして舞った草が次々と粉微塵へと変化していく。

 

 不可視の刃が獣のように爪を立てる。

 けれど、それも回避してみせた。

 後方に下がった事で背中には樹が立っている。背中に感じる樹に切れ込み。

 先ほど弾けた“何か”。その結果が残っていた。

 

「ハハッ、惜しいな」

「――いいえ、詰みですわ」

 

 淡々と告げられた冷たい言葉と同時に指は弾かれる。

 ディーナ・ゲイルディアはいつかのように、空に向かって腕を上げて指を弾いた。

 

「貴方はとても強かったですわ」

 

 レーゲン・シュタールの――彼が背を預ける樹を中心として風が踊る。

 空高くへと、廻り、舞い、昇り、完成された。

 土埃を巻き上げ、千切れた草を巻き込み、周囲の風をも取り込み、空へと向かう。

 

 自身の危機察知能力が盛大に反応している。これ以上足を進めれば自身も草と同じ運命を辿るだろう。

 けれど、同時にそれはディーナにも言える事だ。

 お互いに手を出せない。いいや、ディーナには不可視の刃がある。

 

 しかし、その程度であったのならば、問題なく防げる。

 防げる。問題なく。全てを叩き斬ることは可能だ。自分ならばできる。

 

「元々虫のいい話でしたもの。何の代償も無く、貴方を殺すなんて」

 

 ディーナ・ゲイルディアは細く、細く息を吐き出し続ける。

 肺の中に存在する全てを吐き出し。自身を研ぎ澄ませていく。

 空気を吸い込み、自身の中にある炉を灯す。

 

 あの時よりも滞ることはない。

 あの時以上に足りもしない。

 あの時よりも正確に。

 あの時以上にハッキリと。

 

 ディーナ・ゲイルディアは()()と契約を果たす。

 

「私の最大火力で――()()

 

 これは()()()()()()()()()()()()()()である。

 頭の奥。胸の奥。炉の中心からガチンと音が震えた。

 痛みらしい痛みは無い。

 ディーナは正しく(まさしく)、人知を越えた。

 ディーナは正しく(ただしく)、人理を越えた。

 ディーナは悲しくも、役割を得た。

 

 ブリキの音もしない。ネジは締め付けられてなどいない。

 ディーナ・ゲイルディアは右手を彼へと向ける。

 

 

 

 暴風の檻の中。レーゲン・シュタールは息を吐きだす。

 どうしようも逃げる道を塞がれているというのに、その顔には笑みを携えている。

 明確な殺意。明確な力量。明確な運命。

 そのどれもが彼にしてみれば楽しむ要素にしかなっていない。

 勝利は確信している。だからこそ楽しむ事ができる。

 強敵であろうが、好敵手であろうが、何であろうが。自身の方が優れているのだから。

 

 だからこそ、勝利を疑わない。自身は負ける筈がない。

 笑みはソレを覆さんばかりのディーナへの賞賛に違いはない。

 檻の向こう側。今までよりもハッキリと映える、右目の発光も。自身の危機感知が未だに反応している事も。なんと楽しく、嬉しい事なのか。

 

「ハッ、ハハハハッ!!」

 

 檻の中心で、声を上げて笑う。ワラう。嗤う。

 次に自身を襲うのは、今までの比ではない攻撃である。同時にそれはディーナ自身が言った彼女の最大火力に他ならない。

 だからこそ、嗤う。

 右手に握った剣を改める。

 ――ああ、とても気持ちがいい。

 空を見上げる。唯一、この檻で封鎖される事の無かった空の蓋。

 攻撃はそこから来る。必中。必殺。必死。

 故に――レーゲンは声を上げて笑う。自身の証明がよりハッキリとする。

 

「来いよッ!」

 

 彼の声に反応したのではない。ただ、声と重なった。

 ディーナの指が弾かれ、魔力が奔る。

 暴風の天頂で、奔った魔力が形を成す。

 発生させた気流を人為的に集中させて、落とす。同時に威力を損なわないように、全てを与える為に空気膜で保護をする。

 子供を楽しませる為の雲の塊などではない。自身を奮わせ立ち上がる為の風ではない。

 自然が起こしうる、天からの槌。ソレをただ研ぎ澄ませ、削り、剣へとする。

 

 空を向くレーゲンの頬に白の結晶片が付着する。

 天からの剣を予兆させるように。同時にレーゲンの瞳には映る。

 淡い筈の月明りをも巻き込むように、輝く極白の鋒が。

 

 絶望などとは程遠い感情が、レーゲンの肉体を染める。

 肉体を循環する興奮が、レーゲンの精神を染める。

 これこそが待ち望んでいた証明である。これこそが越えるべき壁である。

 けれど、それであっても――俺は強い。

 

 

 

 竜巻を上から割くように、剣は大地へと突き刺さる。

 刺さった端から竜巻によって白は巻き上がり、空へと舞う。

 暫くして、檻が解ける。

 白が世界へと広がり、地面に白の絨毯を広げる。

 その中で金と赤の女がただその中心を睨めつける。

 自身の魔力は既に空っぽである。意識を保てるギリギリ。グラスの中に残る一滴程度は残っている。

 

 白に装飾された樹は乱雑にその腕を折り、けれど存在を保持している。

 それに背を預けていた獣も、また白に装飾されている。

 

「……――俺の勝ちだ」

 

 獣が口を開く。

 吐き出した言葉を白く染め、けれどもギラギラとした瞳を金へと向ける。

 自身の肉体を白に染め、けれども心だけは勝利は疑わなかった。

 

 耐えられた。必殺であった筈の攻撃を耐え凌がれた。

 ()()()自分では届かなかった。

 

「ええ――私の()()ですわ」

 

 ディーナ・ゲイルディアは負けを認める。

 自身だけではもう打つ手はない。努力をしても至れぬ才能の極地であった。

 自身の努力が足りなかった。自身が至るにはまだ遠い存在であった。

 ()()は自身の負けである。間違いなく、負けである。

 だから――ディーナ・ゲイルディアは手を彼へと伸ばす。

 

 指を弾けるように、ではなく。彼を指差す。

 もう指を弾ける力もない。

 もう指を弾いても魔法を行使できない。

 もう指を弾く必要など無い。

 

 ディーナの行動に、レーゲンは警戒する。

 必殺必中の攻撃を凌ぎ切った。けれども油断などしない。

 月を背にしているディーナの動きは、暗闇よりもよく見える。

 戦闘での興奮か、それとも既に力など無いのか。

 緩慢とも言えるその一切を、一挙手一投足の全てを見逃すことは無い。

 

 

「――影ができているわよ」

 

 

 短い言葉。

 忠告のように、自然の摂理を説くように。地面に何かが落下する事を証明するように。ディーナは当然の言葉を吐き出した。

 

「あ?」

 

 反応が遅れたわけではない。凍り付いた肉体が反応などできる筈がなかった。

 痛みも、無い。鈍った痛覚が頭に信号を送らない。

 ジワリと熱が広がる。自身の心が肉体に染み出る。

 赤く。赤く。赤く。白い自身の肉体に熱を灯すように、広がる。

 

 理解などできない。

 自身の肉体に剣が生えていた。

 背から貫かれ、胸から抜けた剣。背には樹がある。だからこそ、背後からの攻撃は無いと確信していた。

 なにせ、ディーナ・ゲイルディアは目の前にいるのだから。

 

「なん、で……」

 

 肉体は未だに貫かれ、レーゲンは自身に起っている現象を否定する。

 否定する。自身は勝ちである。自身は負けない存在である。けれど、何故、自身は貫かれている?

 

「もう足りませんわ」

 

 月を背負う女は短く、そう言い捨てた。

 

 客観的に、理知的に。ディーナはそう確信していた。

 自身の魔力量。凡そ、目の前にいるレーゲンの魔力量も推測できる。同時に、それ以上は無いという事象を叩きつけた。

 詰みである。そう宣言したのも、ディーナであった。

 

「俺は、負けて、ねぇ」

「ええ、()()は貴方の勝ちですわ。レーゲン・シュタール」

 

 それは認めよう。認めざるを得ない。自身では追いつく事ができなかった事を、ディーナは悔いているが恥じずに宣言できる。

 彼は強かった。それが間違った強さ、とも言わない。強さという単純な物差しで善悪など計らない。

 

「けれど――()()は私が貰いますわ」

 

 手段の選択はあった。それこそ潔白な決闘で、戦闘であったのならば。

 そう考えながら、ディーナは頭痛のする頭の振る。

 

「ひ、きょう、も……」

「ええ。その謗りも受けますわ。レーゲン」

「お、れは……」

 

 負けてなどいない。彼はそう口にすることもできず、白を赤へと染めていく。

 トクリ、トクリと、広げていく。

 

 その赤を見ながら。ディーナは鋭くレーゲンを見つめる。

 命と魔力の灯を両の瞳で見る。

 まだ、生きている。僅かながら、その灯火は消えてなどいない。

 緩やかに、穏やかに、先ほどまで煌々と猛り狂っていた炎を――今は僅かばかりとなった灯火を見つめ続ける。

 

 ――まだ、助けることができる。

 

 彼の意思が、未だにソレを願っているのならば。ディーナの頭にある予測が正しいのであれば。

 その灯火に薪をくべる事は可能だ。

 だからこそ、ディーナは何もしない。自身が救える命を、捨てる。

 

 友人であった。少なくとも、ディーナ・ゲイルディアにとって数少ない友人であった。

 信じていた存在でもあった。裏切られた悲しみも、憤りも、失った希望もある。

 

「――お嬢、大丈夫か?」

「ええ、怪我は少なくはないけれど、今は痛くありませんわ」

「…………そうか」

 

 自身の影が波打ち、淡々と自身の状態を伝える。

 何かを言いたそうな従士は、主に何も言えなかった。

 

 選んだ事を後悔などしていない。それは選択した事への責任である。

 だからこそ、ディーナ・ゲイルディアは今の感情を吐き出す口を持ち合わせていない。

 左手で乱暴に()()()()を拭い、瞳に出来た氷晶を払う。

 氷晶がこれ以上作られないように。

 

 

 レーゲンの命が彼の足元を赤く染め始めた頃。

 彼の命が失って少し。けれども、今にも襲い掛かってきそうな幻覚がディーナは抱き続けてしまう。

 同時に、自身の役割は未だに終わっていない事を彼女は理解していた。なんせ、そこまで組み込んだのは自身でもある。

 

「ようやくね」

 

 短く毒吐いてみせたのは、馬の駆ける音が耳に届いたからだ。

 自身の魔法と仕込みを考え、王都からの距離を考えれば早い到着と言えた。ディーナの体感時間にしてみれば長く感じてしまった。

 ディーナはやってきた馬――馬上の主に頭を下げる。

 

「ごきげんよう、シュタール卿」

「――ゲイルディア卿」

 

 赤毛を短く切り揃え、顔に古傷を残す偉丈夫。先ほどまで対していた獣によく似た騎士。

 騎士は幾人かの騎士を後ろに従え、ディーナの前に立った。

 きっと、あの友人が年を重ねたのならば、このような大人になったのだろう。そんな場違いな感想をディーナは抱いてしまう。

 

「レーゲンは?」

「処理しましたわ」

「……そうか」

 

 その声には確かに失意が見えた。だからこそ、ディーナはその言葉を聞かなかった事にした。

 

 非常に面倒な事であったけれど。これを口にしなければ、役割を果たせない。

 ディーナには彼が自分の意に沿わなかった場合の事も考えてはいる。それが上手くいくかどうかなど、わからないけれど。

 小さく息を飲み込んでから、ディーナは口を開く。

 

 

 

「シュタール卿――、レンベルト・シュタール。私と取引をしましょう?」

 



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57.悪役令嬢は開きたい!

林田先生にディーナ様を描いていただいたので、共有するぞぉ^~!!


ディーナ様

【挿絵表示】


嬉しい!! 綺麗!! 好き!!!


 目を覚ましてからは非常に怒られた。

 どうにも今回は二日程で起きたのだから、許してほしかったけれどそうもいかないみたいである。

 アマリナには泣かれて今も俺にべったりであるし、シャリィ先生も俺がまた世界と契約した事を感覚的に把握していたのか「話の聞かない教え子」だの「何回言ってもわからない娘」だのと散々に言われた。

 当然、シャリィ先生の言葉には反論してみせた。あれが反論と言える程強いものかはさておいて。シャリィ先生の言葉は逐一覚えているし、理解もしている。それは当然のことであるし、立証するように彼女が俺と初めて会った時に滾々と語り尽くした魔法式の解説と愚痴まで暗唱してみせたが、溜め息を吐き出された。アマリナにもである。

 救いを求めてフィアへと視線を向けたならばニッコリと綺麗な笑顔を見せてくれた。俺の味方になってくれるかもしれない。

 

「主様は少し自重という言葉を学ばれた方がいいですね」

 

 俺に味方などいないのだ。悲しい。

 

「少しだけ一人にしてくださいます?」

「ディーナ様。改めて、再三に、何度でも申しますが」

「ええ、ええ。わかってますわ。魔法の行使も研究もしませんし、黙って外にも行きませんし、今日は大人しくしていますわ」

「……結構。結構」

 

 絶対に信じられてないなぁ。と思えるぐらいシャリィ先生は不承不承な表情であったし、溜め息まで吐き出された。それだけの事をした自覚はあるけれど、俺には前科がない。これが初めての無茶である。なあアマリナ。なんでジト目で見てくるんですか?

 

「なにかあればお呼びください」

「私がアマリナを呼ばなかった事があったかしら?」

「昨晩はヘリオとは一緒でしたね」

 

 こちらもこちらで俺を責めてくるのである。アマリナにはアマリナの役割があったし、ソレは彼女もわかっていた事である。俺の命令だから彼女は従っただけかもしれないけれど、俺の考えは先に伝えているし変に気が回らないなんて事もアマリナに限っては無い。俺よりも俺の事をわかっている節がある。

 

 アマリナと一緒にフィアも下げて、ようやく俺は一人になってベッドに横たわる。

 自分の中の魔力を操作して、指を弾こうとして、やめる。危ない。シャリィ先生に叱られるのはいいけれど、失望されるのは勘弁である。

 一つ溜め息を吐き出してから、痛む体を確かめていく。包帯の巻かれた箇所は切り傷が複数あるし、それなりに失血もしていた筈である。よく生きていたなぁ、と我ながら思う。

 

 ともあれ。

 二日で起きたというのは予想外であった。四日程起きていない予定だったのだ。

 ……つまり、俺は早く起きれたのだから怒られる要素はなかったのでは?

 

 そもそも最善はレーゲンが罪を認めて、俺が登場した時点で降伏することであった。それで一日寝たらスッキリである。そんな事は一切無かったのだけれど。

 俺としての最善は誰かにとっての最善などではなく、何より俺自身が最善の動きをする事は出来ないのだ。変化を絶やすことのない最善という物に俺は至る事ができない。それこそ、最善を自身の意思で握る存在など一握りであろうけど。

 

 ある程度の問題は解決したと言ってもいいだろう。まだ目に見えている限りの問題はあるが……。山のように積まれた問題を頭に思い浮かべれば酷い頭痛を感じてしまうが、それでも大きな山場を越えることができた。

 アマリナに泣きつかれ、シャリィ先生からお説教を受けて、フィアとヘリオからの呆れた視線を貰って、ようやく俺は帰ってきた事を実感できてしまう。これは新しい性癖の扉でも開いてしまったのでは? それもまた頭痛の種であるに違いない。

 

 殺してしまった友人。殺した友人。純粋すぎた友人。何かが違えば、きっと彼は裏切る事はなかったし、何かが違えば、彼の立場に立っていたのは俺だったかもしれない。当然、俺は彼のように上手く立ち回る事もできないし、相応の力もない。きっともっと杜撰な計画になっていたかもしれない。

 

 ――俺が上手く立ち回れていたのなら。

 

 そう思わない事はない。後悔というのはいつだって前に立ってくれず、後ろから手を引いてくる。

 過ぎた感想だ。イワル公爵は俺を排他したし、レーゲンはリゲルを裏切った。事実としてはソレだけでいい。

 

 そもそもどうしてイワル公爵は俺なんかを排除しようとしたのか。ゲイルディア、というだけの意味ならばもっと早急に排除できた筈である。

 彼の脳はもう亡くなってしまっているけれど、非常に気なる。ゲイルディアに個人的に恨みを持っていて、俺がリゲルの婚約者になった事も起因しているのだろうか? それともただ単純にディーナ・ゲイルディアという存在が目障りだったのか。そんな派手な動きはしていない……と思いたい。

 俺を狙う理由なんてそれほど無いと思う。ただ流れとしてディーナ・ゲイルディアが邪魔になった、という方が理に適っているかな。

 警戒されているという事実は主観的に見た結果に過ぎないし、そこまでして排除しようとした理由は不明である。

 

 レーゲンにしたって……いや、彼の思考を追う事は出来ない。彼が生きていたのなら、きっと難解である数式すら解けたであろう。余白は十二分にあるのだから。

 彼は本当に凄かった。戦ってわかる事があるという戦闘狂染みた発言はしないけれど。彼が戦闘をするという行為でようやく見えてきた論理もある。

 想像魔法の極地である。それは間違いなく、彼の事である。そしてそれは同時に、子供達にも言える事かもしれない。

 無知を無知と思わなければ、無知である事を知らなければ、愚かしくも世界という枠組みが存在していないと信じれば。自分が天才であると信じれば。自身が強いと念じ続ければ。それは際限なく叶える魔法だからこそ、想像魔法という規則性のへったくれもない奇跡であるからこそ。

 俺は真なる証明に驚愕すべき事実を見つけたが、俺には余白が足りない。

 

 だから、彼に勝てたのは奇跡と言い換えてもいい。何か一手間違えていたら、それこそ彼の一手が俺の予測通りに指されなければ。

 俺は新しい性癖にだって目覚める事もなかっただろう。こうして頭痛の種を噛み潰すこともなかった。不運ながら。

 

「ダメだな。考えすぎる」

 

 後悔している事は沢山ある。心の中の籠にまた一つ積み上げられただけである。だけ、というには些か積み上がり過ぎたけれど。

 

 一息吐き出して、自分の右手の平を指の腹で撫でる。確かに視界では正しく撫でているし、自分の意思に従って手は動く。ソレだけだ。包帯の感触も、指を押し込んでいる圧迫も、何も感じる事はない。

 左手では正しく感じる事のできる物が右手から消え去った。自分の手ではなくなった。しっかりと自分の肩から生えているのだけれど……。

 詳細に、自分の腕の感覚を調べていけば、右腕一本丸々、肩に少しばかり侵食される程度に感触が無くなった。

 代償として支払った物としては随分と安い。以前と同じ術式だったのなら右目もくり抜かれていたかもしれない。そう考えれば自分の成長も感じるけれど、それでも足りはしなかった。

 右腕の包帯を解けば、剣による傷跡が少しと魔力の流動によって内側から裂けたような傷跡が多数。実にグロテスクな状態である。毎回戦う度にこうなっているのだから、シャリィ先生のお叱りも納得である。もっと上手く立ち回らなければ。

 腕の感触は無い。けれども感覚として動かす事は出来る。不思議な感覚であるが、慣れるしかない。これは俺の代償である。

 

 そしてもう一つ、確かめておかなければいけない事がある。

 自身の炉に火を灯す。体内を循環し始める魔力を緩やかに流動させる。息を少し吸って、止める。細く、細く吐き出して右腕を伸ばし、指を弾く。

 頭の中で演算したのは簡単な火を灯す魔法だ。俺が魔法という物を最初に確かめる為に行使し続けた小さな魔法。

 指先に安物の燐寸(マッチ)程度にしか灯らない弱い火の魔法。

 

 俺の指先には火は灯らない。

 

 炎が出る筈もない。そこまでの魔力を送ってはいない。本当に小さな火を灯すだけの魔法である。

 それすら、今の俺には発動する事が出来ない。

 これは世界に持っていかれた()()ではない事は一番俺が理解している。これは、単なる確認でしかない。

 同時に、証明であった。無条件に言語を変換していたエルフの木環の複製に成功しない理由でもある。

 気持ちはデカルトである。もしくはタキオン粒子が発見されたそこらの学者か。

 

 何にせよ、俺の魔法が根底から覆された事に違いはなく、俺の計算が間違っていた事の証明であるし、そして俺がレーゲンに勝てた事に起因する。

 完璧な魔法式であったなら、俺が彼に勝つことなど出来なかった事を考えれば良し悪しを俺が論じる術はない。意味もない。

 また一からの再開である。答えがあるのだから、きっと余白は足りる事だろうし、三百云年も掛かりはしない。

 

「ディーナ様?」

「……あら、先生。何かしら?」

 

 扉からひょっこりと顔を覗かせたシャリィ先生を誤魔化すように右手を握って、包帯を巻きなおす。

 魔法を行使していないのだからバレやしないし、俺の右手の異常は彼女でも感知できないだろう。間違いない。

 ニッコリと笑う。何もしてませんよー。

 

「はぁ……次に魔力を練ればおわかりですね?」

 

 なんでバレるんですか?

 あと、何をさせられるんですか? それはそれで気になるんですが。

 溜め息のあと、思いっきり笑顔を向けられたけれど安心が一切できない。ゾワゾワする。コワイ。

 

 

 

 

 

 

 

 俺がシャリィ先生に脅されてから少し。ようやく日が落ちて、窓の外には月が昇る。

 あの日よりも、少しだけ欠けた月。

 

「ディーナ様。お体を冷やしますよ」

「あら、貴女が温めてくれるのでしょう?」

 

 薄手の寝巻は確かに肌寒いけれど、アマリナと一緒に寝るのだからぬくもりは足りている。

 俺の言葉にほんのりと顔を赤らめたアマリナは窓辺に座っている俺の傍に寄ってくる。かわいいなぁ、アマリナ。

 よーし、沢山撫でてやろう。

 左手で撫でながら、彼女の髪の感触を覚える。さらさらで、指の間をスルリと抜けていく深い色の髪。

 

「ディーナ様?」

「……なんでもないわ。アマリナ。温かいお茶を淹れてくれるかしら? ああ、私とアマリナ、あともう一つよろしくお願いしますわ」

「? 承りました」

 

 おそらく増えた数に疑問があったのか、小首を傾げたアマリナであったけれど、俺の命令だからその疑問を吐き出すこともなく了承してくれる。説明が省けて大変ありがたい。

 窓辺にある椅子に座って、部屋の隅を見つめる。影になっているそこを見つめて、微笑む。

 

「――クロジンデ」

「……やっぱりバレる」

 

 影の中。波打つこともなく、足音もたたせることもなく。まるで初めから存在していたように色白なクロジンデが月明りに出てくる。

 アマリナが出ていく時も居たのだけれど、アマリナが気付いた様子はなかった。その事でアマリナを責める気はない。

 そこまで彼女の隠密行為というものが群を抜いている。暗殺者としては一級品だ。

 ムスッとした雰囲気を作ってみせたクロジンデに申し訳なさが募る。これは彼女が悪いワケではないし、俺が優れているという事でもない。

 ただ俺が()()()()()()()()()()()()証明に他ならない。

 

「……起きたって聞いたから来た」

「起きた、と言ってもそれほど時間は経ってないと思いますけど?」

「うん。ディーナの予定より、早い」

「幸いな事に、ね。それで、誰かその情報を聞いたのかしら?」

「陛下」

 

 …………この娘は一体どこまで潜り込んでるんだ。俺はそこまで頼んでないんですけど?

 頭痛の種が増えた気がする。この少女を俺が制御できるのかという問題が出てきてしまった。制御できなかった場合は徹底して飼殺すつもりであるけど。

 

「変に王族に潜り込むのは褒められた行為ではありませんわ」

「呼ばれたから」

「……一応、聞いておきますわ。誰に呼ばれたのかしら?」

「陛下」

 

 先ほどの問題は無くなった。代わりに新しい頭痛の種が芽吹いた。

 陛下ァ! 何やってんだ!! コイツは元が付いても暗殺者だぞ! イワル公爵が半ば暗殺されてんだからちょっとぐらい自重しろ!

 彼女が呼ばれた理由は、なんとなく理解できる。それこそ裏側を僅かしか見せていない陛下が俺との接触の為に会ったのだろう。そんな事しなくても、呼ばれれば行くし、どうせ俺の口から説明を求められるのだ。だからもっと自分の身を大事にしてくれ。

 小首を傾げるクロジンデから目を背けるように頭を抱える。

 陛下の想定外行動はいつもの事だ。うん。俺をリゲルの婚約者にした時も、明らかに怪しいゲイルディアの娘を呼んだ時も、全てを俺に賭けてくれた時も。

 思わず溜め息を吐き出してしまう。

 

「ああ、アマリナ達もこういう気持ちなのかしら?」

「?」

 

 コテンと小首を傾げてみせたクロジンデに頭痛がして、額を指で押さえる。

 クロジンデが俺が思った以上の仕事をしてくれたという事で納得する。陛下には次に会った時に言おう。俺の忠言を聞くかはわからないけれど。少しばかりに心に残るだろう。リゲルにも言っておこう……。あの人たち親子だもんな……。

 

 戻ってきたアマリナはいつの間にか俺の部屋にいたクロジンデに珍しく見てわかる程の驚きを顔に浮かべて、俺が一つ多く頼んだ事に納得しただろう。

 同時にシュンとした雰囲気が伝わってくる。犬なら耳もヘタレてるし、尻尾も垂れている事だろう。あとで沢山撫でてあげなければ……!

 

 温かい紅茶を一口だけ飲んで、僅かにあった微睡を追いやる。

 クロジンデを見れば、一口飲もうとして口をつけてから眉間を寄せて舌を僅かに出している。そのあとはひっきりなしに紅茶に息を吹きかけて冷ましているのが実に愛らしい。

 愛らしさに微笑んでいればアマリナから冷たい視線を向けられている気がする。彼女は俺の後ろにいるから視線なんてわからないけれど。それにも苦笑する。

 

「さて、報告を聞きましょうか」

「うん」

 

 クロジンデには俺が眠っていた二日間。王城での動きをアサヒの隣から探ってもらっていた。アサヒの護衛としての役割もあったから、それほど自由には動けない筈だった。筈だったのになぁ!

 だからその場で見聞きできる情報を集めてほしかった。自分から動くことは禁じなかったけれど、どうやら俺が思った以上の報告が聞けそうである。

 

 イワル公爵に関して。予想通り、というべきか。結果としてそうなってしまっただけなのだけれど、彼は殺された。殺した犯人はレーゲン・シュタール。そして彼を殺したのは実の親であるレンベルト・シュタールである。

 親としての責務、息子の不始末を自身で補った形になる。当然、シュタール家には賠償がある。尤も、公爵を殺したという事実から考えれば少ない額であるけれど。

 それは俺も、シュタール卿も理解している事である。そういう取引をした。

 彼はきっとレーゲンを殺した後、自身も償いの為に一線から退いただろう。()()()()()()()()()()()()()

 そうなるとこの国は巨大な駒を落とした状態で短くない期間を経過させなければならない。致命的な隙にもなるだろう。どちらかだけならば、まだ耐えられる。

 国の事を考えるのならば、彼は退いてはいけない。退かれると困る。非常に、困る。

 

 イワル公を調べていた最中で今回の反逆の共謀者の名前は上がった。その中にレーゲンの名は当然あったけれど、彼の家名はそれ以外無かった。

 あとはシュタール卿の気持ち次第であった。彼はこれで汚名を被る。その為に彼にはレーゲンを殺してもらう必要があった。僅かでも汚名を雪ぐために。

 それでも彼は人である。俺ではない、別人なのだ。そしてレーゲンの親でもある。

 

「凡そ、予定通りかしら」

「うん、陛下が数日中に会いたいだって」

「ええ。イワル公の国葬が終わり次第、と返事をお願いしてもいいかしら?」

「…………」

「どうかしましたの?」

「どこまでがアナタの手の上だった?」

 

 きっとソレは陛下が聞きたかった話ではない。あの人はそれは聞かない。事実と、真実、そして冗談が好きな人だ。俺の過程という物はそれほど気にしないだろう。或いは、()()()()()()()()()()()()()()

 どちらにせよ陛下ではなく、この猫のような暗殺者がこうして疑問を提示してくれているのだから、俺は雇い主として応える必要がある。

 

「私の手は全てを転がせる程大きくありませんでしたわ」

「……そう」

「ええ。残念な事に」

 

 お茶を一口飲んで、視界を閉じる。

 どうしようもない感情を抑えつけ、飲み込む。

 

「そろそろ戻る」

「ご苦労様。アサヒの警護をよろしくお願いいたしますわ」

「……いい加減、アレどうにかならない?」

「そうね。近い内にどうにかしますわ」

 

 本当にどうにかしなくてはいけない。彼女の生活を考えてもそうであるし、リゲルとの仲を考えてもそうである。

 アサヒの頭の中という意味なら……諦めてくれ。俺にもどうしようもない。

 

 俺の言葉に満足したのかクロジンデはお茶を飲み干して欠伸を一つ零してから、窓の外へ消えた。

 それを見送って、俺もお茶を飲み干す。

 

「本当に、私が強ければ何も取りこぼすことは無かったのに」

「ディーナ様……」

「大丈夫だよ、アマリナ」

 

 クロジンデがいなくなったからか、甘えるように後ろから俺を抱きしめたアマリナの手に自分の右手を添える。

 後悔らしい後悔はすでに終わらせた。まだ悔いる事は沢山あるけれど、それで俺が変化する事はない。抱えて、背負って、それでも止まる事など許されない。

 

「……アマリナ?」

 

 俺の首筋に顔を埋めたアマリナが深く呼吸をする。こうしてわかるように甘えてくるのは珍しい。

 首筋に熱と痛みが貫かれる。噛まれた。噛まれた? なんで? 吸血鬼とかになったか?

 アマリナが落ち着くまで、彼女の頭を撫でてやる。頭の中は混乱しているけれど、彼女は俺と常にいたし、吸血鬼みたいになる要素は無いはずだ。眷属にされるにしても、伝承を考えれば不可能である事は間違いない。だから彼女は正常な筈だ。けど、噛まれてるし、噛んだ後を舐められている。

 本当に犬のようだ。

 

「アマリナ?」

「……」

 

 俺の声に反応せずに、ぺろぺろと自分が噛んだ痕を舐めてはもう一度噛む。噛まれているのは俺の首筋なワケだけれど。

 甘えてくるけれど、不機嫌でもある。不機嫌なんて事がわかるのは俺とヘリオぐらいだろうけれど。

 

「嫉妬か?」

 

 噛む力が強くなった。どうやら自惚れでもなく、正解らしい。

 俺がクロジンデを頼りにしているのがお気に召さないのか。それでも俺が出来ることも、彼女が出来ることも、アマリナにしてもらう事も、何もかもが違うのだから仕方がない。

 そんな事はアマリナもわかっている筈なのだけれど。

 

 こうして嫉妬という感情を持ってくれている事も、嬉しいことである。それにアマリナがこうして感情を露わにして俺に要求してくるのも、嬉しい事だ。他に人がいたのならしないだろうけれど。

 うんうん、と納得をする。だから、アマリナさん。俺の胸とかお腹に手を這わすのはやめませんか? 俺、怪我人ですよ?

 いや、嬉しいけどさ。ほら、安静って言われているの聞いてるでしょ? んん?

 

 アマリナの戯れが終わるまで、まだ暫くの時間が必要であったことは言うまでもないことである。



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58.悪役令嬢は破りたい。

また感情どうこうで言われそうですが、お待たせいたしました。


「ごきげんよう、陛下。変わらずご壮健のようで何よりです」

「おう、来たなディーナ嬢」

 

 ようやく、といっても数日程でイワル公爵の国葬も済み、俺は陛下の元へとやってきた。当然のようにお尻の素晴らしいメイドさんに着いてきた訳だけれど。陛下の趣味なのか? そうに違いない。

 変わらず陛下はベッドの上に座って書類達を睨んでいた。それでも以前よりは顔色はいいし、難しい表情もしていない。俺が入ったのと同時に眉間を寄せたけれど。

 憑き物が落ちた、というワケでもないだろうけど。少しばかり白髪は増えただろうか。

 いつかのように、俺を連れてきたメイドに視線を向けて退室を促した。俺の後ろにある扉が閉められたのを確認してからベッドに寄る。

 

「体調の方はいかがですか?」

「主治医が言うには驚きの回復力だとよ」

「それはなによりです。いくつか確認しておきたい事もありましたので」

「奇遇だな。俺もお前にいくつか聞きたい事がある」

 

 手に持っていた紙を布団の上に置いてギロリと視線がきつくなる。俺はニッコリと笑みを浮かべて受け流す。

 これは予定していた事でもあるし、俺には報告の義務がある。当然、陛下が聞かない事には答えないつもりだけれど。

 こちらを睨んでいるのは、陛下が思っていたよりも俺がやり過ぎたかもしれない。さて、どれだろうか。心当たりは……ないと思う。たぶん。

 

「シュタールの倅を殺したのはお前だな?」

「ええ。そうですわ」

「その仕込みをしたのもお前だな?」

「ええ。全くの申し開きもありませんわ」

「お陰で騎士達からの報告が二転三転している」

 

 それはそれは。と口元を隠す。レーゲンを釣りだす為に幾つかの仕掛けと誘導をボーグルに依頼したのだけれど、どうやら行き過ぎた行為だったらしい。それなりに金銭を掛けた依頼だったから、彼女もきっと張り切ってしまったのだろう。もしくは個人的に国に恨みでもあるのか。

 何にしろ彼女へ言及したところでのらりくらりと煙に巻かれるだろう。そもそも煙みたいな人だし。

 

「死傷者はいましたの?」

「そんな軟な鍛え方はしていない。指揮系統の甘さは表に出たがな」

「演習と実戦はまた違うものでしょうから。次は期待していますわ」

「今後、何かを仕出かす時は先に言え。事後処理が思った以上に面倒だ」

 

 おそらく事後処理であろう報告書を指で摘まみ上げて面倒そうに仰がれるが、それは陛下のお仕事なので俺は関わりません!

 安心してほしい。これから先で国家直属の騎士を巻き込んで何かを仕出かす予定はない。あってたまるか。陛下もその事はわかっているだろう。わかってるよね? また俺が何か仕出かすとか思ってないよね?

 いや、流石に陛下に目を付けられたら何もしないよ。ホントダヨ。無理も無茶もしたことナイヨ。

 

「アンビシオの奴が何を企てていたかの詳細はどうなっている」

「アサヒ・ベーレントから聞いた話を鵜呑みにするのなら、端的に国家転覆ですわね」

「……それで、何故お前は公爵家の人間を拾った。アンビシオを罪人にする事を嫌ったな?」

「結果的にそうなってしまっただけですわ」

「ほう。お前がレーゲン・シュタールの性格を計画に入れないとは思えんし、お前が偶然あの場に居たという事か?」

 

 笑みを浮かべて受け流そうとするが、陛下の瞳が俺を貫く。逃げられないようだ。

 痛くもない腹を探られているだけなのだけれど。その労力を支払うべきであった。計画したからこそ、俺が支払うべき対価であった。

 

「円満に解決は元よりしないと思っておりましたので」

「当事者は殺され、そして殺したレーゲン・シュタールもお前の手によって殺された」

「あら陛下、既に事実が報告がされているとは思いますが、レーゲン・シュタールを殺したのは彼の父であるレンベルト・シュタール卿ですわ」

「確かに、事実はそうだな。シュタール卿もそう報告をしてきた」

「ええ、そうでしょう」

「しかし、真実としてお前はオークを倒した時に使った魔法でレーゲン・シュタールを殺した」

 

 陛下は面倒そうに溜め息を吐き出した。俺が予定していた事はどうやら順調に進んでいるようだ。

 まあ俺をどうするかは陛下次第であるし、俺はこの身しかないのだから賭け金としては随分とお粗末かもしれない。

 

「お前は、他の貴族に怪しまれるように行動したな?」

「はい。少し訂正するのなら、陛下に怪しまれるように計画を練り、噂に少し手を加えましたわ」

「結果としてお前が欲しい物は……お前の調査による時間稼ぎか?」

「はて? もしかしたら陛下の命を害する為やも」

「笑えぬ冗談だな」

 

 笑えない、とは言ったもののクツクツと喉を震わせている陛下を見ながら、少しばかり真面目な表情を作る。

 計画は練りはしたが、予測を越えて部分も幾つかある。それはレーゲンの実力であり、俺が現在魔法を使えない事であり、そして思った以上に噂が広がった事でもある。

 真実を噂にした。レーゲンを殺したのは俺である事。

 虚偽を噂にした。レーゲンがイワル公を殺したのは俺の指示であったかもしれない事。

 当然、事実とは異なるし、真実ですらない。けれど、事実を真実にする為にはレンベルト・シュタールが虚実を伝えなければならない。けれど、彼はそれをしない。俺がソレを止めているからだ。

 結果として、事実は事実として陛下の元へと届き、噂では俺は見事なまでの悪党となっている。氷結の魔法を扱う金色の魔女とか言われてて思わず笑ってしまった。

 噂は所詮噂であるが、陛下はその事実確認をしなければならない。尤も、面倒であれば俺を含むゲイルディアを斬れば解決するのだが、陛下はそれをしない。信頼の話ではなく、貴族の関係を考えれば得策ではない。

 だからこそ、陛下は俺を調査するだろう。痛くもない腹を探られるのだ。問題とか一切ない。幸い、どうしてかわからないけれど、カチイ領の俺の屋敷では火事があったようで、ヤバそうな書類も燃え尽きたかもしれない。いいや、ヤバそうな書類なんて無いし、屋敷も焼け落ちてはいないけれど。

 

「私を王城で拘束して頂きたい」

「その為の理由作りか。好きにすればいいものを、面倒な遠回りをするなお前たち親子は」

「あの悪人顔と一緒なんて、笑えない冗談ですわ」

「しかし、噂もなくお前を城に逗留させるのは問題か」

 

 ディーナ・ゲイルディアという存在は客観的に見れば、リゲル殿下を誑かした悪女であり、社交界に顔を出す事すら嫌厭されている。リゲルが俺をこっ酷く振ったのが原因である。陛下に上手く使われている、という事も知られれば面倒かもしれない。

 俺と陛下の繋がりは深くない方がいいだろう。陛下の言葉から考えるならあの悪人顔のお父様もそうしているのだ。俺としてもそちらの方が動きやすい。

 

「それで、お前が王城に残ろうとする理由はなんだ?」

「アサヒ・ベーレントへの教育とイワル公爵に組した貴族達の炙り出しですわ」

「後者はお前の事だろうからと予想していたが……前者は予測してなかったな」

「あら。私はあの娘の事をそれほど嫌ってはいませんわ」

「わかっている。が、お前の口から聞いておきたい。アサヒ・ベーレントは信用できるか?」

「彼女がイワル公爵との繋がりがあり、国家転覆を計画していた。という事は可能性としては細いですわね」

 

 事実として考えれば、限りなく無い。もしも彼女がイワル公と繋がりが残っていたとしても、捨てられた時の事を考えれば可能性として低すぎる。

 指輪を外し、異世界言語である日本語を理解できる人間に取り入る。それは博打が過ぎる。限りなくありえない奇跡と言ってもいい。俺とかいう異分子があったからこそ成り立つ理論であるし、俺が日本語を理解できる事など誰も知らないし、喋れる事など知る由もない。

 だから、彼女への信頼はある。という客観の理論を陛下は聞きたい訳ではないだろう。

 

「彼女は無害ですわ。間違いなく」

「その言葉を信じよう。命を賭けた博打を俺にさせるなよ?」

「勝手に賭けられても困りますわ」

 

 肩を竦めて溜め息を吐き出した俺を陛下は笑う。

 俺としてはあの日に陛下から言われた「お前に賭けるぞ」という言葉も結構な重圧だったのだ。俺は俺で手一杯なのだから、勝手に賭けられるのは非常に困るのだ。それも一国の主の命であるし。

 信頼されているのは嬉しく思うし、むず痒い感覚もある。それで高揚するような性格もしていない。

 

「お前の拘留に関しては後日に騎士達を向かわせる」

「それがよろしいかと。私が嬉々として王城に居座るのも変でしょうし」

「ああ。一月ほどゆっくりしていろ」

「……それほど必要ではありませんが?」

「オーベからの言伝だ。『ディーナ様は無茶をしがちなので、キチンと療養させてください』だとよ」

 

 シャリィ先生!! 何言ってるんですか! そんな俺が勝手にどこかに行くみたいな事言って!!

 というか、俺が居座る事もわかられてた……? これに関しては噂流す時に怒られるかもと思って言わなかったのに……。たぶん、噂流した時点で気付かれてたな?

 偉大なるハーフエルフ計算機先生に少しの恨み言を心の中で言いながら笑う陛下を恨めしく睨んでおこう。このぐらい許される筈だ。

 

「お前を調べるという奴は何人かいるだろうな」

「ゲイルディアが恨まれているでしょうから」

「その辺りは俺に任せておけ。どこぞの仏頂面のお陰で慣れてる」

「まあ! 陛下にご迷惑をお掛けする仏頂面がいるなんて!」

「お前はしっかりその血を受け継いでるよ」

「仏頂面は受け継がれてなくてよかったですわ」

 

 お互いに愛想よく笑いあう。今頃噂の仏頂面はくしゃみをしているかもしれない。変わらぬ厳めしい仏頂面であるだろうが。あれでもお母様には弱いのだ。相変わらず仲睦まじいし、俺もお母様には勝てないのでちゃんと血が受け継がれているらしい。

 

「それで、指輪の件ですが」

「ああ。これか」

 

 陛下が近くの机から取り出した木製の指輪。右目を意図して閉じる。眼鏡をしているから大丈夫であるけれど、あの時よりもハッキリと見えすぎる。

 眼鏡を縁を指先で軽く持ち上げて、視線を指輪から陛下へと戻す。

 

「これは初代シルベスタ王の遺物だろう。なぜお前が欲しがる?」

「私が欲しがっているわけではなく、エルフの女王からのご用命ですわ」

「……待て。お前何か隠してるな?」

「はて? 国家を覆す事実は私の口からは言いませんわ」

 

 陛下は額を手で押さえて、深く溜め息を吐き出した。俺がシルベスタ王家を覆すだけの事実を知っている事を理解したのだろう。まあ勇者の落胤なんて知りたくもないだろう。

 

「他に誰が知っている?」

「私以外ではエルフの女王であるエフィ様。本人が知っているかはわかりませんが、彼女がこの国をどうこうするつもりは無いと断言しておきますわ」

「……お前はどうしてそう厄介事を抱え込む」

「これに関しては偶然ですわ。私も知った時は驚きましたし、他意もありませんわ」

「…………まあいい。何かあればお前が対処しろ」

 

 深い溜め息と一緒に吐き出された言葉に俺も深く頭を下げた。

 陛下から見てもエルフとの交易を止めてしまう事は不利益だろう。何より陛下がこうして俺と楽しく探り合いもできている理由もエルフの力だ。

 シャリィ先生がエルフ王族の直系である事を陛下は知らない筈である。或いは予測されているかもしれないけれど。

 それでも彼女を排除しようとするなら……。さて、どうするべきか――。

 俺に責任を丸投げした辺り、ありがたい事に俺を信用してくれているようなので裏切るわけにもいかないけれど。

 

「それにしても、既に初代王が死んで数十年も経過してるんだぞ」

「陛下には女心というものがわかりませんのね」

「わからん。ああ、それに関しての説教は事足りているからな」

「あら、残念ですわ」

 

 俺にもわからん!!

 それでもエフィさんが指輪を求めるのは、なんとなく理解はできる。それが正しいとは言わないし、主張を押し通す事もない。

 彼女の気持ちは彼女のモノである。

 

「しかし、これを渡すのか」

「譲渡と言っても数年単位で待っていただけますわ」

「ディーナ嬢は交渉事にも長けていたか?」

「微力ながら、という冗談はさておき。交渉は苦手ですが、エルフの時間というものが膨大な物だと実感しましたわね」

「……それで、ディーナ嬢はこの指輪を得て何をする?」

「リゲル殿下にお譲りいたします」

 

 ニッコリと笑顔でそう言えば陛下は目を丸くしてから、細める。口元には笑みを浮かべているけれど、残念な事に陛下の思い通りにはいかないだろう。

 

「なんだ、やはりリゲルを想っていたか?」

「御冗談を。私がリゲル殿下と改めて婚約をすればどうなるかはわかるでしょう」

「まあな」

 

 あれだけ公衆の面前で盛大に振って、俺も盛大に吠えてやったのだ。改めて婚約者となればリゲルの評価がどうなるかなど火を見るより明らかだ。それにリゲル本人も望んではいないだろう。彼は心底アサヒに惚れ込んでいるし。俺はそれに納得しているし、拗らせるつもりもない。

 クツクツと笑い、少しばかり目論見が外れたように眉尻を下げた陛下に苦笑を零す。

 

「この指輪はリゲル殿下からアサヒ・ベーレントへ渡して頂きます」

「お前が直接渡せばいいだろうに」

「だから陛下は女心がわからないのですわ」

「あーあー、わかったわかった。お前の好きにしろ」

 

 俺にもわからん!!

 ただそうした方がいいだろう。俺が渡すよりも、リゲルが渡す方がいい。特に日本人としての感性を持っているアサヒだからこそ、そちらの方がいい。リゲルに縛り付けられる。

 ……こういう事を考えてしまうから、俺もシャリィ先生に溜め息吐かれるんだろうなぁ。アマリナは俺を否定しない。俺が叱られる事はあるけれど。

 指輪が入った箱ごと俺に渡して、陛下は溜め息を吐き出す。俺は右目で指輪をチラリと見てから箱を閉じる。

 

「私を調べたいと言っている方々はどのような方々なのですか?」

「ゲイルディアとは派閥の違う奴らだな」

「人気者は辛いですわ」

「ああ、全くだな」

 

 こんな人気は必要ではないのだけれど。ゲイルディアとは違う派閥って殆どじゃねぇか。相当恨まれてますね、これは。

 俺という若い貴族を探って、ゲイルディアを脅せる材料があれば御の字。無かったとしてもゲイルディアへの牽制にはなるだろうし、対外的にもゲイルディアとは敵対している、という形は取れる。

 ゲイルディアから恨まれる、と考えるかもしれないけれど、得る物を考えれば手を出してくる可能性の方が高いか。

 その辺りは陛下がなんとかしてくれるのだろう。あまり探りを入れて俺が動くのも憚られる。お父様が何かしら動くかもしれないけれど、それは俺の関知する所ではない。

 

「暫くは大人しく療養しておけ。カチイの方は問題ないか?」

「ええ、陛下が優秀な人材を送ってくださったお陰で」

「……なんだ、バレたのか」

「あらすんなりとお認めになるのですね」

「アレが俺に今回の事を伝えに来た時点で理解できている」

 

 ふむ。ともすれば、やはりベガはお父様ではなくて、陛下直属の部下だったか。陛下がなんで俺を監視する為に部下を送っていたかはわからないけれど、下手に調べてなくてよかった。

 陛下はちゃんと疑いを持って貴族を信用しているのだろう。信賞必罰も表向きはしっかりとしている。ある程度の不正を促している俺とは別の人間である。俺も表向きはキチンとしているから問題にはならないけれど。

 裏側に関してはドロドロである。俺以外の所がだが。少し絞ってはいるから大事にもならないけれど。

 

「やはり陛下の部下だったのですね」

「…………ああ、おう。そうだ」

「陛下、まだ私に何か隠されておいでですか?」

「お前に言えん事の一つや二つぐらいある。自分を見誤るなよ」

「私ほど謙虚な人間はおりませんよ」

「皮肉として聞いておこう」

 

 真実である。謙虚というのは確かに皮肉めいている。

 ソレをこの場で曝して意味がない事もわかっているので笑顔を浮かべて流してしまうけれど。

 

「アレに関しては俺が保証しよう。お前を害する存在でもなければ、お前の周囲を害する奴でもない」

「陛下のお言葉を信じましょう」

「何か含みのある言い方だな」

「まさか。含みを持たせているのは陛下でしょう?」

 

 少しだけ空気が鋭くなるが、お互いに理解している。これ以上言わないし、言えない。

 俺が彼を探った所で無意味であるし、陛下が俺を勘ぐる事もまた無意味である。何より、お互いにその必要もなくなった。

 ベガの所属に関しては、気にはなっていたが、確定項目として陛下直属と書かれたので、それで問題はない。下手な探りは猜疑心を産んでしまう。

 彼が別の場所に飛ばされる事があるのなら、俺が陛下から完璧に信頼されたか、或いは見放されたかのどちらかになるだろう。それまでは優秀な彼をこき使えると考えれば利点でしかない。

 フィアも優秀ではあるけれど、まだ子供だ。こんな探り合いの場に呼ぶ事は……いや、あの子なら問題無さそうだけれど。それでも少し心配してしまう。

 

「では、明朝に騎士を向かわせる」

「はい。適度に抵抗すればよろしいでしょうか?」

「……お前が抵抗すれば余計にややこしい事になるだろうが」

「冗談ですわ」

 

 抵抗するで! 拳で!

 という嘘はさておき、今の俺は魔法も使えないので、剣を使ったにしてもあっさりと鎮圧されるのは目に見えている。ある程度、抵抗すればそれはそれで他者に対しての真実性が増えるだろう。陛下からは睨まれるだろうけれど。

 まあ抵抗した瞬間にシャリィ先生とかからも怒られそうなので、抵抗する選択はない。

 怒られるのは嫌なのだ。叱られたいけど、怒られたくはないのである。

 

 

 

 

 お互いの報告と確認が完了したので、陛下に挨拶を交わして部屋を後にした。

 これからする事も多い。主に明日の朝にくる騎士達への準備と俺を探ろうとしている貴族達にバレてはいけない部分の書類破棄だ。あんまり無いけれど、纏めていた魔法式に関しての紙束は破棄しなくてはならない。あれは世に出していいものじゃない。

 あれが正しい物であったのならばこれを機に貴族間で広めて貰えれば、魔法学問としての発達に役立つかもしれないけれど、如何せん間違っていることが確定してしまっているのだ。基礎部分はシャリィ先生が作ったから問題ないけれど、俺の研究部分は白紙よりも価値がなくなった。隅ではなく真ん中に墨が汚れとして残っているのだ。

 ので、あれは焼却してしまう。シャリィ先生を説得してからでないといけないけれど。

 

 のんびりとそんな事を考えながら、なるべく人を避けて王城を歩く。完璧に人を避ける事などできないけれど、今の俺ならばこの規模ぐらいの人員配置はなんとなく理解できる。

 緩やかに歩き、()を見続ける。どうにも気が散る視界であるけれど、これは避けられない事として納得するか、どうにかして終息させなくてはいけない。この辺りもシャリィ先生に相談しなくてはいけないことだけど、相談すると心配されるしなぁ。

 溜め息を心の中で吐き出して、感覚の無い右手で『 』に触れる。

 

「それで、いつまで隠れていらっしゃるのかしら? リゲル殿下」

「気付いていたか……」

「それはもう。何年アナタの事を見ていたと思っているのかしら」

 

 柱の影から出てきたリゲルはどうにもバツの悪い顔をしていた。確かに俺も少しばかり棘のある言い方をしてしまったと思ってしまう。

 溜め息を吐き出して、揶揄い混じりに口を開く。

 

「リゲル殿下、何を悩まれていますの?」

「……ディーナ」

「あら、何かしら、()()()殿()()

「お前が俺を許さないのはわかっている」

 

 おっと、苛め過ぎたらしい。クスクスと笑いが溢れてきてしまい口元を隠す。

 彼はそんな気持ちで俺に会いに来てくれたのだから、俺も一つだけ否定しなくてはいけない。

 

「許すもなにも、私はリゲル殿下の事を恨んでなどいませんわ」

「……わかった。お前は今の俺の表情を見て笑っているな?」

「あら、そう思うのならもう少し凛とした表情をなさってください。もっと揶揄ってしまいそうですわ」

 

 ようやく情けない表情から普段の凛とした表情になった彼を見て頷く。そうでなくてはいけない。きっと、彼も人の目があったのなら最初からこの表情であっただろうけれど、それでも彼の情けない表情は()に効く。

 少しだけ笑ってから、コホンと喉を鳴らしてコチラもディーナ・ゲイルディアらしい冷たい表情を作り上げる。

 

「それで、リゲル殿下様。アナタが盛大に婚約破棄した卑しい私に何か御用でしょうか?」

「やはり恨んでるだろ」

「滅相もありませんわ。ただ、少しばかり怒っているだけですわ」

「……すまん」

「まったくですわ」

 

 あの時は本気で落ち込んだし、泣いた。だから少しばかりの仕返しぐらいは許してほしい。何より、何よりである。

 

「アナタの立ち位置を考えれば、そうするしかない事は理解できましたが、あのような事をするのなら事前に言って欲しかったですわ」

 

 これに尽きる。そうすれば俺の方ももっと動く事ができただろう。それこそ、自分の手で噂を操作して……って事をすると余計に面倒なことになりそうだな。それでもあの時に知っていればもう少しマシに動けただろう。

 その辺りは俺は怒ってもいいと思うんだ。いや、怒ってるというか、なんというか。変な感情だけど。

 

「あの時は緊急を要したんだ」

「それも理解していますが、私が約束を覚えていなければどうするつもりでしたの」

「ディーナは覚えているだろう」

 

 そういう所は卑怯だと思うんだよリゲル。言葉に詰まってしまった。

 覚えていたけど、あれは唐突過ぎて吃驚するから、事前に言ってくれ。俺が困る。というか、困った。

 

「私があの時点でイワル公爵に唆されていたならどうするつもりでしたの?」

「その時は……まあ、そうだな。俺は傀儡になっていただろうし、お前はお前でイワル公と裏で争っていただろう」

「ご理解されているようで何よりです。無謀な賭けをなさるのなら、それなりに準備をしてくださるかしら」

「無謀とは思わなかったからな。それにあの時は……いや、なんでもない」

 

 なんだよ。言えよ! なんで視線を逸らすんだよ! おい、こっち向け!!

 喋るには困らなかった距離をもう少し詰めて顔を寄せる。言いたいことがあるのなら言うべきだ。つーか、さっきそれが出来てねぇって話だっただろ! おい、こっち向け!

 俺が距離を詰めてきたのにようやく気付いたのか、リゲルは顔をこちらに向けて少し驚いたような表情をして俺を見つめる。

 

「何かしら」

「いや、相変わらず綺麗な瞳をしているな、と」

「……あら、一度振った相手を口説き直しているのかしら?」

 

 身長の都合上、下から睨んでいた俺は佇まいを直して、腰に手を置いて溜め息を吐き出す。好色、というワケではないだろうけれど……国の事を考えれば好色である事は褒めるべき事なのかもしれない。いや、まあ世継ぎ問題とかが問題になるから好色過ぎるのも問題だろうけれど。

 それは、まあ置いておく。今は必要ではないし、俺とリゲルには必要な問題でもない。

 彼が改めて俺を見つめ、一つ咳払いをする。

 

「ディーナ、俺は――」

「リゲル様」

 

 何かを言いそうになった彼の言葉を名前を呼ぶ事で止める。俺は意識して作っていた表情を和らげる。こうすれば彼は俺の話を聞くことを知っているからだ。

 だから、卑怯にも俺は口を開く。

 

「私、リゲル様から言われた願い事はどんな事であろうとも、最悪を回避し、最良を選び、最善を尽くしてみせますわ。私がアナタを裏切らない為に。アナタがリゲル様である為に。

 だからこそ、今に至り、ある二つの願いをその口が紡げば、私はその願いを叶える代わりに、アナタを侮蔑致します」

 

 これは、すでに決定していた事である。

 彼が口にしそうな事を幾つも考え、自分の中で取捨選択を繰り返し、努力をして達成可能であると断じた物以外を出されても、俺はその願いを叶えるために尽力するであろう。それは、まあいい。

 それでも、俺にはどうしようもない事が二つだけある。何より、ソレを断る事は彼の為であるから。俺は強く言葉を作り上げて彼へと放る。

 これから彼が何を言うかは知らない。知りたくはない。知れば、俺は断る事はできない。立場的にも、地位的にも、そして彼への感情としても。断る、という選択肢がそもそもない所まで入れ込んでしまっている事を自覚している分、タチが悪い。

 

「この二つ以外ならば、何なりと」

「……ディーナ。――改めて俺と」

「リゲル様?」

 

 お前さぁ!!! そういう所だぞ! お前さぁ!!

 彼の言葉を止めて、ニッコリと笑顔を作る。これは先ほどの彼の言葉を止める為の表情ではなくて「私、今怒っていますわ」という顔である事はリゲルは理解しているだろう。彼はディーナ・ゲイルディアが拗ねて怒るような性格ではない事は理解しているだろうし、こうして怒るのはわかっている。

 だからこそ、言葉を止める。俺にお前を侮蔑させるな。馬鹿野郎め。

 

「仮に、今のリゲル様の……リゲル様が言おうとした願いを私が叶えたとして、周辺貴族達が騒がしくなることは理解されているでしょうに」

「それでも――」

「というのは、ゲイルディアとしての建前ですわ」

「なら……」

「私は、そこまで安い女だと思われているのかしら?」

 

 大特価である事は言わないでおこう。

 それでも()は、リゲルを封殺するしかない。貴族のこともあるし、何よりアサヒとの関係もある。彼女の為、という建前も俺には必要なのである。

 

「アサヒ・ベーレントというアナタが好いた人を、愛してくれる人を愛してくださいませ、リゲル様。私を――アナタの忠臣でいさせてくださいませ」

 

 カーテシーで優雅に、余裕をもって、彼を突き放す。

 笑顔ではなく、作った冷たい表情でもなく、子供の頃のように彼を見つめる。

 

 リゲルは何かを口にしようとし、口を開けて息を飲み込んで、何かを耐えるように歯を食いしばり、肩の力を抜くように大きく息を吐き出した。

 

「では、ディーナ。アサヒの言葉をどうにかする方法はないか?」

「ええ、お任せください。この指輪を彼女にお渡しください」

「……それだけでいいのか?」

「ええ。できればリゲル様ご自身が指輪を持ち、彼女に傅いて、彼女への気持ちをお伝えして、指輪を左手の薬指へ嵌める事をお勧めしますわ」

「気持ちを伝える事は問題無いが、なぜ左手の薬指なんだ?」

「昔話の勇者がしていた、古来よりの契約法ですわ」

 

 そう言うと、リゲルは難しい顔をして俺が渡した箱をジッと見つめていた。

 これは嘘ではなく、本当の事である。あの時の嘘とは違う、本当の事である。

 

「では、私はこれにて」

「……ああ」

「それでは、()()()殿()()。失礼いたしますわ」

「時間を取らせたな、()()()()()

 

 いつかの焼き増しのように、お互いに敬称をつけて呼ぶ。

 俺は踵を返して、彼に背を向けて立ち去る。

 少しして、誰も通らないであろう廊下に音が響く。それがわかったのは俺しかいないし、俺はその事を言うことはない。

 だから、壁を殴るような音も、誰かの苦しむような声も、誰も知りはしない。

 

 誰も、誰かの恋が破れた事など、知りはしないのだ。



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59.転移少女は選びたい!

 「もう一度、俺を信用してほしい」

 

 目の前で膝をつき、そう言葉にして自分を見るリゲルから倉持朝日は目を離せなかった。

 彼の言葉には少しばかりの語弊がある。朝日は一度たりも彼を疑った事はない。きっと彼が『信用されていない』と感じてしまうような事に対して、朝日は成り行きを理解している。

 何故そうなってしまったのか。何故そうせざるを得ない状態であったか。

 リゲル自身の本心すべてを知っているとは言えないけれど、朝日にしてみれば単なる疑問でしかなかった。

 

 疑ったことなどない。と口にするのは簡単な事である。朝日の本心であるし、朝日の言葉であるし、朝日の感情である。

 けれど、それを正しく相手に受け取られるかは不明瞭なのだ。それはここ数日でよくわかった。それこそ自分がリゲルだったならば、自分がディーナであったならば。……レーゲンであったのなら。

 だから、朝日は言葉ではなく行動を示す。

 

 見つめてくるリゲルに向けて()()を差し出す。

 リゲルは優しく手に取り、自身が持っていた木環を彼女の薬指へと嵌めた。

 意匠の施された木環は朝日の薬指へと戻ってきた。

 彼と出会った時と同じように。倉持朝日がアサヒ・ベーレントへと成る。

 

「――リゲル」

「アサヒ……あぁ」

 

 お互いに名前を呼び、声が震える。

 どうしようもなく、伝わらなかった壁が取り外された。お互いの意思を確認できる。容易く、けれど困難であった。

 優しく手を握り、アサヒも握り返す。触れられる距離にいた筈なのに、触れる事のできない壁が消え去った。それがどれほど幸福であるかは彼と彼女しかわからない。

 アサヒの瞼から涙が溢れ、それを隠すようにリゲルは彼女を強く抱きしめた。

 もう手放さないように。大事な宝物を傷つけないように。そして、この幸福が零れないように。

 

 アサヒを強く、強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

 


 

 ディーナ・ゲイルディアという存在は悪である。悪でなかったとしても、善の存在ではない事は共通の事実としてある。

 彼女は王子であるリゲル・シルベスタを唆し、騙し、彼が愛するアサヒ・ベーレントを害した。証拠はないが、ディーナ・ゲイルディアという存在はその証拠すら消し去って、完璧にしてみせた。

 ゲイルディアという存在はいつだってそうである。確実なまでに追いつめても、残りの一手が足りない。悪でありながら、悪ではない血族。それこそがゲイルディアという血であるし、その結晶がディーナという存在であった。

 幸いな事にその弟であるアレク・ゲイルディアは顔つきは親譲りでありながらも、悪の血が薄いのか好青年である事は騎士の中で噂されている。代わりにディーナという女に色濃く受け継がれたのだろう。

 赤のドレスを纏い、金の髪を伸ばした悪女、ディーナ・ゲイルディア。美貌で王子を騙し、恋人を貶めてみせた悪女。単独でオークを殺してみせた傑物。氷結の魔法を扱う金色の化物。

 

 そんなディーナ・ゲイルディアが王城にて拘留されたのはつい先日の話である。

 どうやら彼女は要領を得ないように、けれども本気の抵抗をするでもなく、予想よりも遥かに容易く捕まえられた。

 

 一ヵ月の拘留を定められたゲイルディア男爵はそれこそ言い渡した陛下に嚙みつきはしなかった。表面上の笑顔を向けて、恭しくもそれを享受した。その内で渦巻く怒りなどは、言い渡された時に拳を握っていた事でも貴族たちは理解しただろう。

 

 

 

「え、なんで……?」

 

 そんな中、何も知らず、というには裏側を知っていたアサヒ・ベーレントはついていたクロジンデに聞き、疑問を呈した。

 ディーナは捕まる必要などない。全てはイワル・アンビシオが画策していた事であったし、レーゲン・シュタールが組していた事である。それらを防いだディーナ・ゲイルディアは褒められはしても咎められる必要などない。ない筈である。

 

「クロジンデちゃん! どういう事!?」

「そういう事」

 

 淡々と語る白い肌のメイドは仕事は終わったとばかりに長椅子に転がっている。切りそろえられた明るめの茶毛が長椅子に広がり、クロジンデはむず痒かったのか、頭を左右に擦り付けてから眉間に皺を寄せて不満な顔をして深く息を吐き出した。

 あっさりと会話を放棄したクロジンデを見つめながらアサヒは考える。なぜディーナが捕まってしまったのか。

 前提条件として、彼女は一切の罪がない。罪は、ない筈である。少なからず今回のことに関しては何もないと思うたぶん。でも、ディーナさんだからなぁ……。と半ば諦めのような想いは確かにある。

 捕まった理由はわからない。わからないが、捕まっている事は確かである。それはクロジンデが証明してくれている。だからこそ、助けなくてはいけない。そうに決まっている。

 

「よしっ」

 

 アサヒは決意した。その決意を間近で見ていたクロジンデは非常に、非常に面倒そうな表情を惜しげもなく浮かべ、顔を長椅子に埋めた。張られた革が緩やかに沈む。

 

「クロジンデちゃん!」

「いや」

「クロジンデちゃん!」

「やだ」

「クロジンデちゃん!!」

「しない」

 

 取り付く島もないとはこの事か、と怯むもアサヒは諦めない。このクロジンデという人物がどれほど素晴らしい能力を秘めているかはカチイにある領主館で知っている。

 そしてクロジンデは知らない。この娘が諦めるという事を知らないことを。

 

「クロジンデちゃん。聞いてほしいの」

「……なに」

 

 顔を上げてようやくアサヒの言葉を聞く気になったのか、変わらずも面倒な表情だけはしっかりと作られている。対してアサヒは真面目にクロジンデを見つめ、そして心を吐露する。

 

「わたしは、ディーナさんを助けたいの」

 

 何言ってんだこいつ、と言わんばかりに眉間に皺を寄せて顔だけでもアサヒから距離を置こうとするクロジンデ。如何せん座り心地の良いソファが彼女を離してはくれない。

 将来の買い物予定に刻まれた長椅子はさておき、クロジンデからすれば面倒極まりない申し出であるには違いない。好き勝手動き、少しばかりこの国の王という物を見ておこうと忍び込みはしたけれど、今の雇い主ほど何かは感じなかった。今の雇い主が化物染みていると言い換えても差し支えはない事をクロジンデは知っている。

 それでもシリウス王の前へと姿を現したのは他でもない。雇い主と国王との差をハッキリと認識したかったからだ。決して陛下が隠し持っていた甘味が欲しくてジッと眺めてたら餌付けされたワケではない。

 そもそもクロジンデは甘味に弱いワケではない。今はメイドの恰好をしているが、人には言えない世界では【音無し】などと恐れられている存在である。そんな暗殺者の【音無し】が甘味に釣られた筈がない。すぐに買いに行っただけである。

 

 さておき。

 

 クロジンデは目の前に存在する厄介な存在を視界に収める。非常に面倒な事に雇い主からは彼女の護衛を頼まれている。面倒であるけれど、王城の中が安全であるという事は四日ほどで下調べも完了し、彼女の命を脅かす存在は居らず、自身で対処しきれない相手がいたとしても正面から戦えば、という話である。

 故に対処しきれない相手はいなかった筈である。目の前のアサヒの調査をすっかりと頭の中から除外していたクロジンデは溜め息を吐き出した。

 黒髪に汚れも知らないような真っ直ぐな瞳。自身とは違う世界の人間でありながら、確かに熱量を感じさせる視線。

 ああ、と雇い主もこうして彼女に絆されたのだろう。そう直感できてしまう。今の雇い主がどういった人物であるかをクロジンデはあまり理解していないけれど、殺しに来た存在を嬉々として雇うような奇人である事は間違いない。

 

「ほら、焼き菓子もあるよ!」

「…………」

「なんと今なら二つ付いてくるよ!」

 

 大きく、大きく、肺いっぱいに空気を吸い込んで溜め息を吐き出す。

 目の前の存在から焼き菓子を手に取り、頬張る。甘い。とても、とても甘い。香ばしさの中に甘さとしょっぱさを感じながら、クロジンデは咀嚼し、飲み込む。

 絆されたワケではない。当然、決して、焼き菓子に惑わされたワケでもない。

 

「ん、わかった」

「ほんと!?」

「……契約成立」

 

 殺しの依頼ではない。単なる道案内。ただし、この目立つ存在をなるべく人目に曝さずに雇い主の所に連れて行かなくてはいけない。その為の道程はここ数日で頭に叩き込んでいる。

 クロジンデは只管に面倒であるとは思った。なぜ自分がこんな事をしなくてはならないのか、雇い主に聞き返した程である。雇い主はいつものように悪辣に笑みを浮かべて「彼女がそう望み、アナタはきっとそうするからよ」と言っていた。こうして彼女に抵抗したのは、雇い主の思い通りになるのが少しばかり気に食わなかっただけであるが、きっとその事もあの悪の女は計算しているに違いない。

 

「……ついてきて」

「うん、ありがとう! クロジンデちゃん!」

「……少しうるさい」

「あ、ごめんね」

 

 別に煩さに腹が立ったワケでもないし、これから通る道で彼女の声が響くような事もないかもしれない。ただ、少しだけ――。クロジンデは溜め息を今一度吐き出して、ソファから降りる。床に足を下ろし、自然な動作で扉まで向かう。まるで彼女がいないように、音も鳴らすこと無く。

 クロジンデが開いた扉の音でアサヒは満面の笑みを浮かべ、やる気に満ちている。

 そんな表情にもクロジンデは内心で溜め息を吐き出してしまう。

 

 どこまでも、雇い主の掌の上だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロジンデの感覚では少しばかり時間を掛けて、アサヒの感覚で言うなら十分も経過する事なく目的の扉には到着した。

 牢獄というには豪華過ぎる、けれど王城のどの部屋よりも質素な部屋の扉。

 クロジンデにしてみれば夜中に何度か忍び込んだことのある部屋であるが、アサヒにしてみれば頭に疑問符が浮かんでしまう。想像していたのは牢獄で寂しく泣いているディーナであった。助けにきたアサヒに泣いて感謝をしたかもしれない。

 ……いや、ディーナさんはたぶん怒るな。間違いない。アサヒはそう思い直した。懇々と叱るかもしれない。

 どちらにせよ、目の前の扉はアサヒにしてみれば場違いのような扉であった。

 

 その扉が独りでに開き、中から煌びやかなドレスを纏った女性が出てくる。黒色が褪せたような灰色の髪に整った顔立ち。そんな女性が扉から姿を現し、アサヒに気付いて頭を下げる。

 アサヒにつられて頭を下げ、その横を女性が通り過ぎる。

 

「誰?」

「……」

 

 こっそりとクロジンデに聴いてみたアサヒであるが、クロジンデは答えることもなく一般的なメイドのように頭を下げている。

 少しして、頭を上げたクロジンデは何事もなかったように扉を軽く叩いた。

 

「――アサヒとクロジンデかしら? 入ってもいいですわ」

 

 中から聞こえてきたディーナの声は扉の外にいる人物を当て、入室の許可を出す。

 この時点でアサヒは「あ……これ、わたしが来るのわかってたな……」と腹を括る。怒られるかもしれない……。

 けれど、アサヒは心に決めていた事がある。ディーナの疑いを晴らし、王城から彼女を救出するのである。

 そんな決心はよそにクロジンデは勝手知りたる、と言わんばかりに扉を開けてスルリと扉の向こう側へ。アサヒは閉じそうになる扉に手を当てて、一度深呼吸をして、扉を開ける。

 

「ようこそ、と言うには殺風景かしら?」

「……う、うーん。十分に豪華じゃないかなぁ……」

「あら、ここに来る貴族達は私がこの部屋に入れられているのをさぞ可哀そうなことのように言うのだけれど」

 

 ディーナにしてみても、この部屋は殺風景とも言えない。貴族的感覚で言うのなら確かに殺風景である。質素というにはふかふか過ぎる寝台には既にクロジンデが寝転がっている。最低限の化粧台、普通に生活する分には装飾が施されすぎている部屋。

 そもそもディーナは自身に必要最低限さえあれば問題無いなどと言う人物である。この部屋も元々そのような部屋であったが、アサヒが来るまで――ディーナが捕まって一番最初にやってきた黒髪の天使様が驚きのあまり、有り余る自費で購入したのである。なんと慈悲深いことだろうか。ディーナは商人達に同情した。

 そんな商人たちが持ってきた慈悲深き天使の贈り物ではない、簡素な椅子にアサヒを座らせる。クロジンデは既にベッドへと飛び込んでいた。

 

「……さっきの人は?」

「……イワル公爵夫人様ですわ。ここ一年で有力貴族、特に爵位を上から順に教えられたと思っていましたけれど、勘違いのようですわね」

「え、えーっと、えへへ……ごめんなさい」

「私に謝るよりも教育係に謝りなさいな。いえ、私にも謝りそうですわね……」

 

 相変わらずな赤いドレスを着たディーナは何かを思い至ったのか溜め息を吐き出して、紅茶を淹れたカップをアサヒの前へと置く。

 

「……はぇー」

「間抜けな顔をしてどうしたのかしら?」

「ディーナさんって、そういう事もできるんだ……」

「あら、私がただの高慢ちきな令嬢だと思ったかしら? ある程度の教育は受けていますわ」

 

 嘘である。ゲイルディア家には娘にお茶淹れの教育などしない。ディーナが勝手に覚えたことの一つである。

 そんな嘘を真に受けて「はぇー」とまた間抜けな顔で返事をしているアサヒに苦笑しながらディーナは自身で淹れた紅茶を飲み、少しだけ眉を寄せた。

 

「それで、何をしに来たのかしら?」

「そうだ! ディーナさん、助けにきたよ!」

「結構ですわ」

「ですよねぇ……」

「また考え無しで出てきたのかしら。クロジンデ、どう思います?」

 

 寝台の方へ向くディーナであるが、クロジンデは既にふかふかの布団に埋もれてゴロゴロと喉を鳴らしている。

 一応雇い主なのだけれど、と頭を抱えたディーナであったけれど、ある程度の自由を許したのも彼女である。この場にアマリナが居ればクロジンデに怒ったかもしれない。が、今ここにアマリナはいない。

 

「えっと、そうだ、アマリナさんは?」

「アマリナなら、王都のゲイルディア邸にいる筈ですわ」

「連れてこなかったんだね」

「これでも嫌疑者ですわよ。好き勝手振舞える筈ありませんわ」

 

 当然、そんな事を聴くアマリナではなかったので、小一時間ほどディーナから説得と甘やかされる事によって納得をした。本当は影に入ってコッソリ侵入しようと思ったけれどディーナから厳禁、と言い渡され涙を流しながら今はゲイルディア邸のディーナのベッドの上である。

 改めて紅茶を飲み込んだディーナは口をへの字に曲げた。

 

「ここにいるのは、私の嫌疑が晴れるまで。……一ヵ月程かしら」

「……もしかして、自分から?」

「それ以外に私に疑われることなんてありませんわよ?」

「ホント?」

「今、アナタの中での私の印象がわかりましたわ」

 

 見た目通りである。とはディーナも理解していた。

 その様に振舞っているのもあるが、血筋の影響も強い。悪と悪を掛け合わせても善にはなれない証明がディーナである。

 お陰で善人らしい動きをした所で「何かしら裏があるのではないか?」と思われる事もディーナにしてみれば日常として数えられてしまう。

 そんな悪人であるディーナはアサヒを見てニッコリと笑う。悪辣に、まるで獲物が罠に掛かった捕食者のように。

 

「よし、じゃあ、わたしは戻るね!」

「まあ、少しお待ちなさいな。まだ紅茶も冷めていませんわ」

 

 思わず立ち上がろうとしたアサヒはディーナの声と視線によって止められた。逃げたい。きっと小鳥が蛇に食べられる時はこういう気持ちなのだろう。すごすごと椅子に着席して、紅茶を啜る。少し苦味のある紅茶であるが、飲めない事はない。

 アサヒはしっかりと椅子に座らせた事を確認して、ディーナは紅茶を淹れる時に持ってきた紙をアサヒの前へと差し出す。

 出された紙には『たのしいきょうつうご』と優しい字体で書かれている。

 

「これは……?」

「私が作った教材ですわ。出来栄えは悪いですけれど」

 

 アサヒが紙を捲れば、アサヒも経験した事のある筆記教材である。全てが日本語で書かれていることからアサヒはこれが自分の教材ではない事に安堵した。

 そんな安堵しているアサヒを溜め息を吐き出しながら睨めつけて、ディーナはさらに口を開く。

 

「指輪を外してご覧なさい」

「…………」

「別に取って食いやしませんわ」

 

 左手薬指に嵌めてもらった木環を右手で触り、外して机に置く。当然、すぐにでも手に取れるように近くに。

 『たのしいきょうつうご』と書かれていた筈の文字は意味のわからないミミズがのたくったような形へと変化して、開けば眩暈がするような感覚に陥ってしまう。アサヒは紙を閉じて、指輪を握る。

 

「ディーナさん」

「何かしら?」

「えっと、つまり、勉強しろってこと?」

「ええ。察しがよくて助かりますわ」

「この指輪があれば問題ないんじゃないの?」

「そうね。――クロジンデ」

 

 ディーナがその名前を呼べば、アサヒの手からスルリと指輪が抜き取られ、ディーナの左手へと落とされた。抵抗などする暇もなく、気が付けばと言えるほど瞬時に。

 指輪を握りこみ、ディーナは右目を閉じ、そして口を開く。

 

「こうして、指輪を失った場合。アナタはどうするのかしら?」

 

 クロジンデにも理解できる言語でそう言い放つディーナ。朝日も、言葉は理解できる。ディーナが喋ったのは日本語であるから。けれど、朝日の手元には意味のわからない言語が書かれた筆記教材。

 

「この一ヵ月でアナタをある程度の所まで読み書き出来るように仕込みます。そこから先、アナタが必要ないと思えば学ぶのをやめてもいいですわ。指輪があれば、という甘い考えは捨てなさい。また惨めに逃げて私が助けてくれる、などと考えないことをお勧めしますわ」

 

 事実、今指輪はディーナの手の中に収まっている。朝日は何もできない。喋る事はできても、誰も言葉を理解などしてくれない。目の前の悪女以外は。

 だからこそ赤の悪女はこうして彼女が一人で立てるようにと、彼女の道標へと成る。

 口が悪かろうと、突き放すような言い方であろうと、朝日は彼女の優しさに触れている。自身に選択を委ねてくれているのも、きっと彼女の優しさで、そして厳しさなのだろう。

 ディーナは持っていた指輪を改めて机に置き、その隣に羽で作られたペンを並べる。

 

 朝日は、ペンを手に取った。



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60.第二王女は語りたい!

 スピカ・シルベスタは恵まれた娘である。

 王族の血筋であり、何不自由もなく生きてきたという自覚もある。

 現在スピカのお付きになっている従士から街の様子を聴けば、その想いは強くなる。

 そんなスピカが思う。

 世界は不公平である。公正さなど欠片しかなく、平等などという言葉など塵芥の価値すらない。

 

 どうして、と心の中で唱え、扉を開けた先にあった光景を否定する。

 赤のドレスを纏い、自身が義姉と慕う金髪のディーナは問題ない。むしろ、ここに居て然るべき人間である。王城に拘留されてしまった義姉が存在する部屋であるからこそ、それは自然である。

 そして彼女が雇い入れたであろう下女がなぜか雇い主であるディーナのベッドで寝転がっている。それも、まあ、許せはしないが許容しよう。スピカは心の広い人間である。とても心が広いのだ。許しはしないけれど。羨ましくて発狂しそうであるが、許容しよう。

 問題はただ一つ。スピカと同じ黒髪がスピカの目の前にいた。その黒髪は王族でもなければ、血族ですらない。赤の他人である。

 

「ようこそ、スピカ様」

 

 部屋の主であるディーナ・ゲイルディアがニッコリと笑う。人によってはその笑みが恐怖の対象である。スピカにしてみればある程度付き合いがあればこの笑顔が歓迎の笑顔である事など容易くわかってしまけれど。

 それだけでスピカは頬が緩みそうになるのがわかる。けれど、それはちゃんと受け取ってしまっておくとして。

 

「お義姉様? どうして、この――んんっ……アサヒ様がいるのですか?」

 

 危なく出てしまいそうになった言葉を咳きをして誤魔化し、口にするのも嫌な名前を呼ぶ。

 呼ばれたアサヒ・ベーレントはギロリというには可愛すぎるスピカからの睨みも、含まれた嫌悪感もサラリと受け流しながらスピカに笑顔を向けてみせる。

 笑顔を向けられたスピカも「嫌味も解さないのか」とは口には出さずにニッコリと笑ってみせた。

 

「彼女には実験に付き合ってもらっているのよ」

「実験?」

「ええ。魔法――思考魔法の極地に関して」

 

 机を指で軽く二度叩いてアサヒの意識をスピカから自身へと注がせたディーナは顎を使って彼女の手元へと戻す。そんなアサヒに吊られてスピカも彼女の手元を見れば、子供の学習で使うような筆記教材。その近くにはこれまた児童学習用の絵本が数冊積みあがっている。

 こんな児童学習が思考魔法の極地研究? 目を細くして口元に指を置いて思考を巡らせる。スピカが最初に思いついたのはディーナによる大義名分である。世間と貴族から悪の女などと呼ばれている義姉がお人好しで甘すぎ、そして面倒を抱え込んで面倒見がいい事はよく知っている。

 そんな義姉だからこそ、この売女への教育を買って出たのだろう。という事はすぐに理解できる。

 

 しかし、と否定する。

 義姉の言葉を否定などはできない。精査する余地はあるにしても、まんざら嘘ではないのだろう。何より、義姉は魔法に関しても素晴らしい知識を持っている。その義姉の言葉を鵜呑みにはしないけれど、全てを否定することもない。

 ……あと、この優しい想い人は自身に嘘を吐くときは重要なことでなければ少し困ったような顔をするのだ。

 

「詳しく聞いてもよろしいでしょうか?」

「どうぞお座りください。少し苦い紅茶の茶請けにでも」

「……そこのメイドに淹れさせればよいのでは?」

「だ、そうよ。クロジンデ」

「契約外」

 

 短くスッパリと、体も顔も上げることも手すら上げる事もなく足を振り、声で切り捨てたメイドはグルリと布団の中に丸まった。

 なんと、なんと羨ま――許せない事を! スピカは憤りを感じたが義姉が淹れてくれた紅茶を一口飲み込んで憤りを流した。確かに少し苦いがディーナが淹れてくれたという事実があればなんのその。

 

「それで、その思考魔法とは?」

「ん? あぁ、そうでしたわね。私と先生が勝手に呼んでいるだけで、世にある魔法の事を指していると思っていただければ」

「……シャリィ・オーベ卿ですか」

 

 ディーナの交友関係は頭の中に入っているスピカは容易く異端の魔法使いの名を挙げる。異端、とは言うが世の魔法使い達がそう称しているだけであり、オーベ自身の能力などはさっぱりとわからない。自分を露出しない事で有名な魔法使いである事は知っているが。

 懐疑的な印象は持っていたがディーナがこうして『先生』と呼んでいるのだから能力だけは確かであろう。

 

「難しい話はしませんけれど、魔法が全て意思によって決定されている事はご存じでしょうか?」

「はい、学園の座学で少し」

「では改めた説明になりますが、今の魔法は意思、想像――言ってしまえば思い込みによって決定しておりますわ。だからこそ彼らは自身の結果を他へと示し、その尊厳を守り、自身の想像を確固たる物とする為に自伝を書いているわけですし」

「あの本にはそういう意味もあったのですね」

「私がそう思いたいだけですわ。実際は自身の権威をひけらかしているだけかもしれません」

 

 彼らが書いた本を思い出したのかディーナは冷笑して鼻を鳴らす。

 スピカもそれらの書は読んでいる。ディーナのように『自尊心の見せつけ』と断じるほどでないが、彼らの業績に関しても思う事はある。面倒極まりない貴族間のやり取りや矜持を探るつもりもないけれど。

 

「アサヒにさせているのは極端な話、思考魔法の限界値を知る為の試料ですわね」

「思い込みでの魔法行使、という事ですか?」

「察しが良くて助かりますわ。今、アサヒには『ディーナ・ゲイルディアが教えているから学びは早い』と思ってもらっています」

「意識的に思えば逆の事も思うのでは?」

「ええ。だから、彼女に圧を掛けてそう信じさせましたわ」

 

 ニッコリ、というには無理がある口角が上げた悪辣な笑みがディーナの顔に浮かべた。

 

「――えー、っと……もしかして、わたしの話?」

 

 手近に置いていた指輪を握り込んだアサヒがようやく理解の出来る言葉を吐き出す。云々と唸りながら教材と睨めっこしているのは疲れたのか、ペンは置かれた。

 目を丸くしてスピカは驚いてしまう。語学の習熟度が自分の予想よりも進行していたのだから当然だろう。これほど流暢に言葉を吐き出せるのならば、こんな簡単な教材など必要ではないのでは? と思ってしまう程である。

 

「貴女が実は優秀だった、って話ですわ」

「そんな、照れるなぁ」

「だから今日の宿題も増やして問題ありませんわね」

「ひゅぃ……」

 

 表情をコロコロと変化させ、空気が抜ける音がしてアサヒは机へと突っ伏した。書いていた教材の文字が涙で滲む。

 ディーナは溜め息を吐き出してはいるがその表情は柔らかい。

 ――ああ、その表情は本来自分だけに向けられていた筈なのに。

 

「どうかしましたか? スピカ様」

「……いえ、なんでもありません。お義姉様」

 

 笑みを作り上げて自分の心を隠す。どうしようもない独占欲であるし、度の超えた事は求めない。不公平で不平等であるが、それを唱えた所で意味などない。

 だからスピカは笑みを浮かべる。

 

「そうだ! ディーナさん。今日もお泊りしに来てもいい?」

「は?」

 

 ビシリと笑みが固まり、口から疑問になる声が出てきてしまった。自分らしからぬ低い声だったかもしれない。幸いな事に二人には聞こえてないらしいくスピカはホッと息を吐き出して、視界に映ったベッドを見ればお気楽メイドがコチラを向いている。目を細め、まるで猫が警戒するように、ジッと見られていたが数秒ほどで興味が失せたようにまたベッドへと突っ伏した。

 あとで彼女にも根回しをする事を頭の中に確りと刻み込みながら、スピカは笑顔で口を開く。

 

「アサヒ様? お義姉様はお忙しいのですよ。それと、今日"も"とはどういう事でしょうか?」

「え、えっと……夜の時間がある時に勉強の時間を作ってもらってるの」

「そうでもしないと間に合いそうにありませんし。それに私も今は嫌疑者ですし、時間はありますわ」

「な、なら、嫌疑者であるお義姉様の所に日中はまだしも夜半に訪れるなどと! アサヒ様も怪しまれますよ!」

「それはクロジンデちゃんが案内してくれるし……」

「人の目につくような道は通らせませんわ」

 

 そんな失敗をディーナがしない事はわかっている。それでも、それでもそんな羨ましい事を許せる筈がない!

 自分だってディーナと一緒に夜を過ごしたい! できるなら、一緒のベッドで眠り、撫でられ続けたい!

 そんな欲望を言える筈もなく、スピカは頭を捻る。

 

「な、なら私もご一緒したいです!」

「それこそ私は嫌疑者ですわよ。スピカ様ご自身がその不利益を一番理解している筈ですわ」

「人の目につかない道を通れば……」

「どのように?」

「えっと、えっと……! そう! そのメイドに私も案内してもらえば――」

「やだ」

「なっ!?」

 

 キッパリとベッドから聞こえた拒絶にスピカは狼狽する。持つ者であるスピカだからこそ、こうして頭ごなしに否定されることも拒絶される事もなかった。それを、このメイドはキッパリと言ってのけた。

 

「クロジンデ。相手はスピカ殿下よ」

「……だから?」

「断るにしてももう少し礼節ぐらい持ちなさいな」

「……わかった」

 

 クロジンデはディーナの言葉を受けてベッドから立ち上がり、頭を軽く下げる。

 

「面倒だからヤダ」

 

 そうして礼節なんて一切感じない理由付きの否定を吐きだした。

 冷ややかな空気が包む中、ディーナの溜め息だけがやけに大きく響いた。

 

「ね、ねえディーナさん。どうにかならないかな?」

「なりませんわね」

 

 おずおずとスピカへの助け船を出そうとしたアサヒの言葉もディーナにより撃沈した。

 

「スピカ様が私をよく想っていただけているのは――調度品で理解していますわ。ただでさえその事があって他の貴族から睨まれているのはご自身で理解されているでしょう」

「むぅ……むぅ!」

「そうやって頬を膨らませても、ダメなものはダメですわ」

 

 珍しくスピカの願いをキッパリと断ったディーナは左手でスピカの髪を撫でる。

 

「あまり、私を困らせないでくださいまし」

 

 他人が聴けばゲイルディアからの拒絶の言葉である。けれどスピカにはこれがどうしようもなく優しい義姉の忠言である事はわかってしまう。

 わかってしまうからこそ、否定などできないし、ディーナが自身を想って言ってくれているのは重々に理解できる。

 できる。

 できるけれど!

 

 どうしようない感情が瞳から溢れそうになる。それを我慢して、一つ息を吐き出す。心はともかく、表情は補う。

 

「わかりました」

「わかってくれたようで、何よりですわ」

「お義姉様の手を煩わさなければいいんですね」

「……ん?」

「では、私は失礼します」

 

 スッと椅子から腰を上げてスピカは部屋を後にする。頭の中には城の地図と恐らくの見回り経路、見張りの立ち位置予想が思い浮かび、情報が足りなさすぎる事に内心で舌打ちをしながら扉は閉じられた。

 

「……えっと、ディーナさん? 今のは無いと思うなぁ……」

「何がかしら? 私は当然の事を言っていたと思うのだけれど……」

「あぁ、うん、そういう所はすごく人間みたいだなぁって」

「失礼ね。まだ人間はやめてませんわ」

 

 肩を竦めたディーナは「さて、勉強の続きをしますわよ」と繋げて、アサヒは肩を落として指輪を外した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月は昇る。

 空の明かりで廊下は照らされ、静寂の中に金属の擦れる音が僅かに響く。

 従士に連れられて、スピカは堂々と廊下を歩きながらディーナの部屋を目指す。従士に「夜半にお義姉様の部屋に行く」と言った時はかなり顔を歪められたが、ここで否定されるような調教は施していない。

 辺りを警戒しながら進む従士の後ろを絹の寝間着を纏ったスピカは何の心配もなく足を進める。

 

 ああして否定と拒絶をしても、義姉は自分に甘い事をスピカは知っている。本当に拒絶をするのならば、回りくどい理由など言わずにスッパリと断るのが義姉である。スピカの印象として、ディーナという存在はそんな人間である。

 優しい人間だからこそ、今会いに行かなければならない。

 本当は駄々をこねていた時は連日押し掛ける事で一緒に寝る了承を得ようとも考えたけれど、それはやめた。それよりも聞きたい事が出来てしまった。

 

 誰にも見つかることもなく、従士とスピカは部屋へと到着して、静かに扉を開く。

 木の擦れる音と漏れる光。

 窓辺の椅子に座り、葡萄酒を飲む金髪の悪魔。

 

「ごきげんよう、スピカ様」

「ごきげんよう、お義姉様」

 

 来る事などわかっていたように、ディーナは扉の方も向かずに窓の外を見上げながら声を出した。

 従士に扉の外にいるように言い渡したスピカは扉を閉めて、ディーナの元へと歩みを寄せる。

 

「お義姉様。葡萄酒なんてどこから持ってきたのですか?」

「あら。どうしてここに誰にも見つからずに来られたとお思いですか?」

 

 意地の悪い笑みを浮かべたディーナは透明なグラスに注がれた赤い液体を揺らす。

 疑問を疑問で返してみせたディーナであるが、答えを示すようにスピカの背後へと視線を向け、つられてスピカも顔を後ろに向ければ昼時にキッパリと断りの言葉を吐き出してみせたメイドが立っていた。

 扉を開けた音もせず、視認できていなければ本当にいないような程希薄な存在感。けれども確かにここに立っている。

 

「ご苦労様」

 

 そんな労いの言葉に鼻を鳴らして返したメイドはそれ以降、音を鳴らすこともなくディーナの傍に仕える。

 そうしていれば確かにメイドのような佇まいではあるけれど、決定的に何かが違う。スピカが今まで見てきたメイドではないことは確かであった。

 ディーナ以外の命令は聞かない、と理解できる愚かなメイドを見ながらスピカはディーナの前へと座る。

 

「本当に来るとは思いませんでしたわ」

「お手を煩わせたようですけど」

「それは私が勝手にした事ですわ」

 

 赤い液体にディーナが口を付ける。少し赤くなるディーナが吐息を漏らし、さて、と口を動かす。

 

「それで、ただアサヒが羨ましくて来たワケではないのでしょう?」

「わかっていましたか」

「何年スピカ様を見ていると思いますの? 他の諸侯達よりも理解している、と言いたいですわね」

「それでも来るなんて思わなかったんですね」

「賭けに負けましたの。そこで寝てるアサヒの宿題が減りましたわ」

 

 尤も、勉強量は変化しませんけれど。と悪戯するように笑うディーナと一緒に笑う。

 どうやら見抜かれたのは元義姉ではなく、今の義姉らしい。少しだけは感謝してあげていいのかもしれない。と、スピカは心の中で彼女の評価を持ち上げる。同時にディーナのベッドで寝息を立てる羨ましい今の義姉の評価を下げた。

 

 ディーナの前へと座ったスピカは差し出された葡萄酒で口を潤す。普段口にするような甘美な味はなく、雑味が多く思わず眉を寄せてしまうような葡萄酒であった。

 その様子を微笑んでみていたディーナはその雑味の多い葡萄酒を楽しそうに飲み込んだ。

 

「先日、ここにイワル公爵夫人が訪問したようですが?」

「ご存じでしたのね」

「貴族では噂で持ち切りです」

「あら。こんな小娘の噂だなんて、よほど暇なのかしら」

 

 クスクスと悪のような笑みを浮かべて葡萄酒を揺らす。『こんな小娘』と自分を称するが、そうなるように仕向けたのもディーナ自身である。

 

「公爵夫人は私に感謝しに来ただけですわ」

「感謝?」

「ええ。これでも噂ではイワル公を殺したレーゲンを討ったのは私でしょう?」

 

 だから感謝された。というのは真実ではない。

 噂話の域を出ない、と言えば曖昧な情報である。けれどもディーナは噂を根底的に否定もしなければ肯定すらしない。自身に有利に働くから、という思惑ではない。それこそ、全ての噂に対してディーナは首を動かさない。

 ただ笑みを浮かべ、事実を口にするだけである。

 

「……お義姉様は、本当にレーゲン・シュタールを討ったのですか?」

「さぁ、どうかしら。アレを殺せるだなんて、私は思えませんわ」

「けれど、お義姉様は右手を怪我しているでしょう? それはどうして?」

「カチイ領から王都に来るまでに野盗に会いましたの」

「オークより強い?」

「ええ、オークより強い」

 

 それが答えである。何かを確かめるように中空を右手で緩く握り込んだディーナは目を細めた。

 それが答えだからこそ。スピカは言葉を吐き出そうとして、それを一度飲み込む。ディーナ自身もそれ以上は答えないであろう。

 

「なら夫人が来たのは?」

「アレは本当に感謝を伝えにきただけですわ。尤も、殺せるのなら私を殺したかったでしょうけれど。

 シュタール卿と同じですわ。公的立場と義理で考えれば殺せない。けれど、一人の人間としては殺したくて堪らない」

 

 葡萄酒を味わうディーナは吐息を漏らす。至極楽しそうに口角を上げ、漏れ出た酒精を味わう。

 そういった立場に彼らを落とし込んだのは彼女自身だからこそ、彼女はソレを楽しむ。他者を見下し、操り、陥れ、嗤う。形作られた悪の女。

 

 そうであるからこそ、スピカは飲み込んでしまった言葉を引き攣りそうになる喉を通して、吐き出す。

 

「お義姉様は――、どうしてそこまでするのです?」

「どうして、とは?」

「あの女にそこまで価値はないです」

「そうかしら?」

 

 ディーナはアサヒへ一瞥し、視線をスピカへと戻す。考える仕草もなく、ただ微笑みながら葡萄酒を揺らす。

 スピカにしてみれば、あの女に価値などない。雑多にいるその他大勢の一人でしかない。あえて言うならば、ディーナからリゲルを奪った事ぐらいである。その事実は何の影響も無い事をスピカは知っている。計画の上での婚約破棄であったし、それをわからない義姉ではない。だからこそ二人の関係性というのは表面上は変化しているが、スピカから見れば変化などない。嬉しい事に兄が義姉に近づかなくなったぐらいだ。

 だからこそ、ディーナがこの女を特別視している意味がわからない。彼女の後ろにいる音の無いメイドのように何かの才気に満ちているワケでもない。確かに語学の習熟率は目を見張る物があるが、ディーナは重要視していない。それは兄が義姉を形として切り捨てた時にわかっている。

 

「お兄様を想ってですか?」

「違いますわ。彼も大切ですけれど、リゲル様の為にここまでする義理はありませんわ」

 

 大衆の前で婚約破棄されましたし、と楽しげに付け足して葡萄酒を一口呷ったディーナは、ふと気が付いたように笑みを深めてスピカを見つめる。

 

「私がアサヒに対してここまでする理由がありましたわ」

「是非、お聞かせいただいても?」

「ええ。私がディーナ・ゲイルディア(悪役令嬢)だからですわ」

 

 微笑みながら、スピカを一点に見つめ吐き出された言葉。スピカは眉を寄せてしまう。

 アレとお義姉様の関係性は何もない。それこそ他人から見れば仇敵と言っても過言ではない。だから、納得などできない。腑に落ちる筈もない。

 けれど、ディーナ自身がそう断言してしまった。本当にそれ以外に理由など無いと言わんばかりに。

 

 他者を助けてしまう、慈悲深い義姉だからこそ。と考えれば納得もできてしまう。

 

「お義姉様は、優しすぎます」

「そうかしら? 世間的に見ても、私ほど優しくない人間を探す方が難しいと思いますわ」

「世間的に見れば、です」

 

 クスクスと優しくないと自称する女は葡萄酒を飲み干した。

 婚約破棄を言い渡されようが、恋人を奪った相手が窮地に陥ろうが、優しくないと自称する女は手を差し伸べる。

 きっとそれは、スピカが窮地に陥っても伸ばされる手であろう。

 

「……お義姉様は、わたしも助けてくれますか?」

「私がスピカ様を助けない理由がありませんわね。この身に代えても、命を賭してでも」

「つまり、今日はここで寝てもいいという事ですね」

「構いませんわ。ベッドはそこにある一つだけですが」

 

 スピカとディーナはお互いに同じベッドを見る。

 そこには横になっているアサヒの姿がある。貴族からしてみれば簡素な寝台である。それも一人用の。

 なぜあの女はここで眠っているのだろうか。スピカは至って真面目に考えた。当然、今すぐにあの女を部屋から蹴り出して義姉に抱きしめられながら眠りたいという気持ちでいっぱいであった。

 そんな事をすれば義姉から叱られるだろうから行動には移しはしないけれど。

 

「……次は長椅子も運び込ませます」

「ご自重なさってください、スピカ様。ここを豪華にしても得はありませんわ」

「お義姉様のそういう所は嫌いです」

「むぅ……」

 

 困ったように眉を寄せたディーナを見て、スピカは笑ってしまう。珍しい表情が見れたことで、良しとしよう。

 それはそれとして、どうすればあの女を蹴落として義姉と一緒に寝られるかは考えなくてはいけない。

 

「いつかの時のように、スピカ様が眠くなられるまでお喋りはできますわ」

「……あの時はわたしが起きたらいなくなっていたじゃありませんか」

「あの時とは逆で、今は私を城に留めておきたい人の方が多いので」

 

 悪い意味ではありますけど、とディーナが肩を竦めていうのが少しだけおかしくてスピカも笑ってしまう。

 

 こうして義姉と長く話すのもいいだろう。なんせ普段は邪魔が入っていたのだ。

 さて、どんな話をしようか。どんな話を聞こうか。そうだ、お義姉様の学園生活でも聞こうか。カチイでの生活はどうなのだろうか。

 

 スピカの楽しい夜は更けていく。



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61.悪役令嬢は数えたい!

 一月の拘束期間はそれなりに充実していたと言ってもいい。

 俺としてはもう少し貴族たちが煩くすると思っていたけれど、そうでもなかった。スピカ様から聞いた噂やクロジンデから聞いた話では随分と好き勝手言われていたらしいけれど、それは甘んじて受けるべき事である。

 貴族たちの追求がなかったのは陛下やお父様が根回ししてくれたと考えれば、順当かもしれない。詳しい部分は不明瞭であるが、俺を叩いた所でホコリも出る筈はない。出そうな埃は予め隠しているのだから。

 

 ともあれ、一ヵ月の拘束期間でアサヒへの基礎教育は終わった。終わった、といってもこれから先もアサヒはこちらの言葉を学び続けなくてはいけないが……。それでも学べるだけの下地は仕込んだつもりであるし、基礎教育の終わりによって俺の魔法理論もある程度出来上がった。

 そんな魔法理論を纏めてようやく俺が現状魔法を使えない理由に辿りつく事ができた。

 この目を手に入れてから纏めていた魔法式全てが間違っていた。それだけである。間違っていない部分もあるかもしれないが、ソレの真贋を確認する為にも()()()()()魔法式は一度捨てなければいけない。

 

「それで、陛下。一日も経たずに私を呼んだのにはそれなりの理由がありますのよね?」

「そう気を立たせるな。お前にとっていい話でもある」

「……陛下にとってもいい話であるなら聞きましょう」

 

 陛下にわかるように溜め息を吐き出してみせて、椅子に座る。

 俺は少なくない貴族から怪しまれていた嫌疑者であるのだから、あまり陛下と一緒にいるには好ましくはない。無実ではあったけれど、怪しいは怪しいのだ。それを言い始めれば『ゲイルディア家』がそもそも、という話でもあるのだけれど。

 

「ならば問題あるまい。お前の婚約相手を用意した」

「まあ! それはウレシイですわ!」

「下手な演技はやめろ。お前の心情はある程度理解している」

 

 それは非常に嬉しいことだ。きっと俺の婚約者は美人なお姉さんに違いない。スピカ様かもしれない。そうなると血涙を飲んで断るしかないのだが。

 顎に指を置いて"誰か"を思案する。ディーナ・ゲイルディアを嫁に貰おうとする貴族なんているのか……? 物好きだろう。そのくせ立場もある程度あって、俺を嫁に取っても問題なさそうな貴族……?

 

「ノスーキモ卿ですか?」

「アイツからも申し出もあった。クラウスが破り捨てたが」

「それはそれで拙いのでは……」

「その辺りはアイツ自身が上手くやっている」

 

 なら大丈夫か? それでも立場的にはゲイルディアよりも上だから、問題はあるかもしれない。かと言って俺が動いて変にノスーキモ卿に気があると思われても困るか。

 他に物好き貴族はいるだろうか。噂程度で奴隷を凌辱しているだとか、女癖が悪い貴族はそこそこいるけれど、ゲイルディアの娘を娶るような気概はないだろうし。

 そもそも陛下が用意した、と言っているのだから、貴族では無いか?

 

「外交でしょうか?」

「お前を外にやる程愚かでは無い」

「私程度、在野に幾らでもいますわ」

 

 それこそレイとか、フィアとか、クロジンデとか、ベガとか。ベガはまた違うだろうけど。

 そんな事を言ってると思いっきり溜め息を吐き出された。貴族社会の辛い所ですよね。わかります。

 

「……まあいい。婚約に関しては今すぐというワケでもない」

「ああ、今すぐではないのですね」

「今のお前と婚姻するのは好事家か阿呆だけだ」

 

 状況的に客観的にみれば俺は思いっきり嫌疑者であったし、他の貴族からの当たりも強いからなぁ。

 だからこそ、余計に相手の予想がまったくできない。腕を組みながら少しだけ深く思考しても、好事家は出てくるけれど、他の貴族などは思いつかない。

 俺と婚姻したい、という時点でだいぶ好事家でもあるのに、その好事家達の筆頭である変態ではない、と陛下自身の口から言われている。

 なにより、今の俺のとの婚姻なんて百害しかない。

 そこらも含めて今すぐではないんだろう。でも陛下が準備した、って言ってるから相手はそれなりの立場が、或いは俺をこの国に縛り付ける為の婚姻か? 陛下の狙い的にはあり得そうだけど、俺なんかを置いといても無意味だとも思う。

 

「それで、この一ヵ月の間にお前を調べたが、なんだあの研究は」

「あら、趣味の一環ですわ。シャリィ先生……オーベ卿との共同研究ですわ」

「オーベ卿とか……」

 

 陛下が顎を擦りながら唸る。

 魔法式に関してバレた事は俺におって僥倖なのかもしれない。売り込むに至るほどの研鑽は積み上げられていないが、それでも一手として悪くはないだろう。

 シャリィ先生に黙ってこういう行動をするのは申し訳ない気持ちもするけれど、相手は陛下だからいいだろう。どうせ発表する事であるし、陛下であるのならば信頼もできる。

 

「している事を簡潔に申し上げれば、現在の魔法を正しく技術として広げる為のものですわ」

「技術として?」

「誰でも、隔たり無く、学ぶことで使用可能とする為に」

 

 陛下が息を吐き出して、机を指で叩く。俺は彼の思考が終わるまでは声を掛けずに水を飲み込んだ。

 想像魔法だけで至れる場所は人によって違いはある。至高の到達点が"彼"であったのなら、魔法式でそこに至ることは凡そ不可能だろう。それでも平均化は可能だ。人に宿る魔力にも拠るから、そこは想像魔法と一緒の隔たりはあるが。

 

「軍事転用は可能か?」

「可能ですわ。現在の理論では想像魔法で出来ることのある程度は再現が可能です」

「唯一を全員に、か」

「そもそもの体内魔力量にも拠りますが」

「……お前がレーゲンを殺したのもその力か」

「オークもそうですわね。私は別の技法も使ってしまってますが、魔力量が少なくともある程度の魔法は再現可能ですわ」

「その技法とやらが、お前の右目と右腕の原因か?」

 

 惚ける(とぼける)にも、正直に言うのにも少し問題はあるから、俺は曖昧に笑う。

 たぶん、この一ヵ月で俺の行動を調べつくされているんだろうなぁ。変な動きはしていないけれど、それは国家として考えれば別だろうし。

 納得したように陛下は頷いて、今一度溜め息を吐き出した。寿命が縮みますよ……。

 

「ああ、うむ。ようやく繋がった。オーベ卿がエルフとの交友を繋いだ理由もソレか」

「あら、あの件は陛下は噛んでませんのね」

「公的に俺への許可を取った時は既に決定していた事項だからな。疑問にも思ったが、国としての問題は無かった」

 

 てっきり陛下も俺を騙していたと思っていたけれど、そうではないらしい。シャリィ先生、無茶し過ぎでは……?

 俺がたぶん言ってもシャリィ先生は思い切り眉間に皺を寄せて「結構、結構。貴女と比べてみましょうか?」と懇々と説教をするに違いない。アマリナ達に助けを求めても俺を助けてはくれないのだ。俺の味方はどこに行った!

 

「なるほど。俺としてはその技法とやらの方が気になるな」

「貴族間や現存の魔法使い達に流すにしてもお勧めは致しませんわ。間違った使い方をしなくても死ぬと思いますわ」

「そんなモノを気軽に振り回すな」

「運が良いことに、周りに恵まれましたの」

 

 俺個人としてもこの力には振り回されているのだ。お陰で俺の魔法式の構造欠陥が見つかってしまった。見つけなければ、俺はサイキョーになって勇者にでも成れただろう。願い下げだが。

 残念な事に俺は勇者でも賢者でもなく、単なる悪役令嬢でしかないのである。

 

「お前の予測ではどうなる?」

「無知な子供に魔法式を刻み付けて、他国へ侵入させて爆破などは可能かと」

「……その辺りはイザベラに似たのか」

「あら、今のお母様は社交界で笑顔で振舞っているでしょう」

「他貴族にはそれも余計に恐ろしく見られているがな」

 

 確かにお母様の笑顔は怖い。わかる。なんか、笑顔なのに怒ってる風にも見えるし、何より「ああ、この人何か企んでるんだろうな」って幼少の頃はずっと思ってた。実際はかわいい服をアレクや俺に着せようと迷っていただけだったのだが。

 幸いな事に俺とお母様とお父様の血の繋がりが確認できてしまって陛下と一緒に笑ってしまう。

 変化しようがない事実ではあるのだけれど、やはり俺が見ている、陛下が見ているだろうお母様とお父様の印象が他の貴族達とは懸け離れ過ぎている。そして俺もそこにカテゴライズされるのだが。

 

「それでその研究が形になるまでどれほど掛かりそうだ?」

「費用は私が賄える程度、期間に関しては……理論としては完成していますので、修正なども含めて早くて一年。遅くなれば陛下の死後ですわね」

「俺が未だに病床に伏していたなら、どちらも一年想定だったな。惜しいことだ」

 

 クツクツと笑っている陛下に俺は苦笑いをする。立場的には笑えねぇんだよ!!

 水を飲んで誤魔化して、乾いた口を潤してから改めて口を開く。

 

「理論証明はオークと戦った時に証明をしましたが、まだ詰め切れていない部分もありますわ」

「構わない。現在纏められるモノを簡潔に纏めて送れ。技術化に関しては期間に制限は掛けないが、俺が死ぬ前に頼むぞ?」

「微力ではありますが、尽くします」

「それと、掛かった費用や必要なモノがあるならベガに伝えろ」

 

 そこから陛下に伝わって、裏側で用意してくれるのかもしれない。ベガが陛下の子飼いであることは一月前に知ったけれど、ここまで援助されるとは思わなかったな……。

 費用に関しては俺が好き勝手していることだから実質無料であるし、魔石とかの購入資金にしておくか。街の発展に使うような金ではない。何かあるようなら貯金もしておくべきだろうし。

 

「……お前の婚姻に関してはその理論が完成してからでいい」

「と、言いますか、私と婚姻したい方が何方(どなた)かはわかりかねますが、私の立場をある程度上げておけ、という事ですわね」

「理解しているようで何よりだ」

 

 ニヤリと笑った陛下が立ち上がり、どうやら話はここで終わりらしい。しかし、婚姻か……誰だ? マジで思い当たるような人物がいないんだが……。

 誰にしろ、俺の立場的にも陛下の命令を拒絶する事はできないのは確定しているから、命令には従うつもりではある。これで陛下自身だったなら笑ってしまうな。

 扉へと手を掛けた陛下が振り返る。

 

「ディーナ嬢、お前は変な宗教に嵌まっていたりはしないな?」

「……宗教家が居ませんので言いますが。私、神という存在を信じておりませんの」

「そうか。ならばいい」

「それに何かあればベガから伝わるのでしょう?」

「その通りだ。いらぬ心配だったな」

 

 またクツクツと笑った陛下で出ていき、俺だけになった部屋で大きく息を吐き出す。

 緊張もそうであるけれど、最後の心配ごとも頭を悩ませる。陛下がソレを言うのも、イワル公が原因なのだろう。

 俺への接触はないから、どうしようもない。不確定要素でしかないし、何より透明過ぎて見えもしない。

 

 今一度大きく溜め息を吐き出して、俺も立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王都にあるゲイルディア邸で俺を待っていたのは執事服のヘリオである。しかも、なんでか申し訳なさそうな顔をしてるし。

 

「何か問題があったのかしら?」

「あー、お嬢。その、だな」

「アナタが口籠るだなんて珍しいわね。ここ一月の動きはクロジンデに教えてもらっているけれど、大きな出来事はなかったでしょう?」

 

 カチイではシャリィ先生やフィア達が頑張ってくれているし、代官として任命していた人物も責任感はあるし変な問題は起こさない筈である。

「それはそうなんだが」と言いながら、ヘリオは俺から目線を外して、どこかへと視線を伸ばして、そして改めて俺へと向けて溜め息を吐き出した。

 

「その、すまん」

「何があったか簡潔に言いなさい。怒らないわ」

「あー、アマリナがな」

「アマリナに何があったのかしら? 早く言いなさい、怒るわよ」

「……まあ、見ればわかるか」

 

 頭を掻きながら、どうにも煮え切れないヘリオは俺を連れて歩き出す。

 アマリナに何があった? 俺がいない間に? どうして? 世界を壊すべきでは……?

 思考に没頭しながら到着したのは俺の部屋である。なんで俺の部屋なんだよ。

 え、なに、こわ……扉の下から黒い何かが漏れ出てるんだけど……。なにこれ、右目でも確認できるってことは魔力か。なんで魔力が俺の部屋から溢れてるんだよ。え、魔力が蠢くとかどういう現象だよ。シャリィ先生助けて。どこにいるんだ……! カチイじゃん!

 

「ねぇ、ヘリオ」

「なんですか、お嬢」

「一応、聞きますけど。アマリナはこの中にいるのよね?」

「そうですね」

「風も通らないのだけれど?」

 

 おい、目を外すな! ヘリオ! お前は俺のモノだろ! ちゃんと主人と目を合わせろ!

 少しだけ、ほんの少しだけ嫌な予感がしながら扉に手を掛けて、ゆっくりと開く。

 黒い何かがドロリと部屋から溢れ出し、広がる前に消えていく。部屋内で完結する事に少しだけ安心しながら、開いた隙間から顔を覗かせる。

 おっかしいなぁ……俺の部屋って貴族的にもそれなりに豪華な部屋だった筈だったんだけどな……。なんで全部黒塗りされてるんだ? 不思議だなぁ……。どうしてベッドであろう所が一番黒が濃いんだ? なに、なんか塊がある……?

 風を少し流して、扉を閉じる。

 

「……ヘリオ、一応聞くのだけれど、アマリナかしら?」

「まあ、はい。そうですね」

「なんであんな事になっているのかしら?」

「七日程度はまだ正気を保っていたんですよ?」

「逆に言えば、そこから先ずっとあの状態なのね」

 

 潜在魔力量的にもこれだけしても問題無いのはわかるし、アマリナの意思として魔法が発現されているから俺の部屋だけで済んでいるのだろう。

 それにしても、真っ黒だし、真っ暗なんだが……。

 

「これでも俺は頑張ったんですよ? お嬢が捕まってから三日目なんて王城に潜入するって言ってたんですから」

 

 四日も正気が保ててねぇじゃねぇか。いや、アマリナのことだから俺の従者としての仕事とか、こっちでの館の仕事とかはちゃんとこなしてたんだろう。七日ぐらいは。え、そこからずっと迷惑掛けっぱなし……? 何か差し入れいれとかないと……。

 改めて扉を見れば、隙間からやはり黒い魔力が溢れ出てる。これ見たら子供泣くだろ。いや、そもそも子供をゲイルディア邸に持ってきた時点で泣き出しそうだけど。

 

「じゃあ、お嬢。よろしくお願いします」

「アナタにも少しは責任があるとは思わないのかしら?」

「俺たちにこういう教育したのはお嬢でしょうに」

 

 それはそうか。

 ヘリオはヘリオでアマリナがしなくなった穴を埋めている筈だ。それに加えて自分の仕事と鍛錬も続けているから、それなりに疲れているだろう。

 そう教育したし、逆の状態であれば逆の事が行われていたことだ。

 俺は意を決して、扉を開き、黒に――影に塗りつぶされた部屋へと足を踏み入れて、扉を閉める。

 

 踏み入れた瞬間に影が蠢き、俺の脚を這っている。

 ゾワゾワとした感触があるけれど、受け入れる。

 

「――アマリナ」

 

 ベッドに蹲っている影の塊が波打つ。蠢くたびに波紋が広がり、部屋へと伝播する。

 羨ましい魔力量である。俺がこんなことしたらたぶんベッドシーツぐらいで限界だろう。

 体を這いまわる影は胸元を過ぎて、腕に伸び、首を這い、顔を確かめてくる。

 

「ディーナ、様」

 

 影の塊から顔を出した深い青の髪をした少女は確かめるように名前を呼ぶ。ドロリと髪に付着した影が落ちて、波紋を広げる。

 部屋が暗いから顔色はわからないけれど、俺にはそんな事関係無い。少しだけ細くなってるが、たぶんヘリオが上手いことご飯を食べさせてあげていたから、この程度の痩せ方で落ち着いている。

 つくづく優秀な従者だ。

 

「ええ、帰ってきた挨拶は無いのかしら?」

「ディーナ様!」

 

 影の塊ごと俺に向かって文字通り飛んできたアマリナを受け止める。

 すんすんと鼻を鳴らして泣いているアマリナをしっかりと抱きしめて、現実逃避のように疑問が頭に浮かぶ。

 えぇ、なんで全裸ぁ?

 まあいいんだけどさ。理由は、まあうん。考えない事にしよう!

 

「ディーナ様、ディーナ様、ディーナ様……」

 

 左手で彼女の髪を撫でながら、慰める。

 何度も俺の名前を呼んで影と一緒に俺の存在を確かめているから、悪い事をしたな、とは思う。それでもアマリナを俺の拘束に連れて行けば別の問題も起こっただろう。今度からはそれのフォローも考えないとな。

 

「ディーナさま……はぁ、はぁ……でぃーなさま」

「どうして私の腰を撫でてるのかしら? アマリナ?」

「はぁ……ハァ……」

「あの、アマリナ?」

 

 なんとなく、影の動きで理解していた。ついでに言うと俺よりアマリナの方が大きいし、力も強い。何よりそのアマリナよりも影の拘束力が強い。

 ははーん、ヘリオめ。こうなる事を知ってて言わなかったな? 許さないからなぁ……。

 

 

 

 俺は天井を見上げる。

 影一色に染め上げられた部屋の天井にはシミなど一つもないというのに。

 ボトリと落ちてきた影が、俺を覆いつくした。



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62.悪役令嬢は問いたい!

ただいま(白目


 カチイに戻ってきて最初にすることは書類の処理である。

 そもそも俺が館の周りを着火したのも問題だ。あれはやりすぎた。それでもアレだけのことをしないと、騙せなかったという理由もある。お陰でカチイの人達からは領主の館が突然発火したと大騒ぎだったらしい。ホントゴメンネ……。

 その事後処理で色々手間取ったようで。

 暗殺者の襲撃があり、血液や人間だった物が辺り一面に広がっていたし。いや、廃棄物とかは全部一緒に燃やしたけれど。

 それでも血液は残るし、館の周辺でも燃やす必要性もあったので館も僅かに被害があったり。

 結構な数の人夫を雇って掃除や修繕なども行ったので労賃が発生した。それを踏み倒すつもりもなかったので、事前に割いていた予算を崩している。それの事後承諾書類もこの目の前の書類の塔のどれかにあることだろう。

 

 正直に言えば、かなりゲンナリしている。これを死後の世界にいるであろう、イワル公爵に任せられないか?

 だいたい俺の責任というか行動が原因であるが、そもそもその問題を作ったのは彼であるし、なんなら生きているリゲルとかに任せたい。任せようにも彼には彼の仕事があるのだけれど。

 溜め息を吐き出して意思を固める。

 仕事は行動しなければ終わらないのだ。悲しいことながら。

 

 

 

 

 


 

 日も暮れ、カチイにある領主館の一室は灯る蝋燭に照らされる。

 墨瓶に触れる羽筆の音と僅かに鳴る紙を擦る音が響き、一枚、また一枚と紙が積み重なる。

 

「ディーナ殿、よろしいですか?」

 

 扉を叩く音が割り入り、開かれた扉にすら見向きもせずに部屋の主はまた一枚を重ねる。

 扉を開いた白髪の優男は目を細め、改めて開いている扉を叩く。

 

「よろしく見えているのなら、手に持っているだろう書類をそこに置いておいてくれるかしら?」

「そう見えない場合は?」

「明日にでも持ってきてくださる?」

 

 僅かに苛立ちを滲ませながら応えた部屋の主――ディーナ・ゲイルディアは小さく息を溢した。

 羽筆を置き、首を動かして肩を伸ばし、眼鏡をずらして目頭を揉み、ようやくディーナはベガを睨めつけた。

 

「明日に持ってこい、と言わなかったかしら?」

「そろそろ休むべきかと」

「一月も公務に携われなかったのだから、これぐらいは当然のことでしょう?」

 

 日も昇る前から仕事に携わり、既に日も落ちているというのに仕事に没頭している上司にベガはふむ、と唸る。

 明日に持ってこい、と言い睨みながらも手を伸ばしているディーナにベガは持っていた物を渡す。

 

「……ベガ、私は書類を渡せと示した筈だけれど?」

「ええ、存じております」

「それで、これは?」

「グラスですね」

 

 より一層ディーナの目が鋭くなるが、ベガは持っていた酒瓶ともう一つのグラスを持ち上げる。

 小さく溜め息を吐き出してからディーナはグラスを自身の机の上に置いて額を手で支える。

 

「……アマリナかしら?」

「いえ、僕自身が望んできたんですよ」

「あら、そう」

 

 全く信用していないと言外に伝えるように素っ気なく呟いたディーナをよそにベガは葡萄酒を注ぎ入れる。

 赤い液体が躍るグラスを静かに一瞥し、笑顔のベガへと視線を戻す。

 

「随分と高い葡萄酒ね。アナタに出している給金では気軽に買えないような」

「おや、ディーナ殿は不正に対して寛容でしょう」

「ここまで露骨に示唆されては言いたくもなりますわ」

 

 赤い液体が注がれたグラスを持ち上げて、鼻の傍で揺らしてからディーナはグラスを机へと置き直した。

 

「それで、私と一緒に飲むのだから何か面白い話があるのでしょう?」

「おや、飲まずに喋るおつもりで?」

「仕事中は飲まないようにしているの」

「不正に対して寛容であるのに、自身にはお厳しいようで」

「当然のことを当然として行う事に厳しいも何もありませんわ」

 

 そうですか、と簡単にディーナの言葉を葡萄酒と一緒に飲み込んだベガを冷たく睨むディーナは視線を誤魔化すように今一度目頭を揉み込んだ。

 特に咎める様子はない上司と僅かばかりの酒精に口角を持ち上げたベガが口を開く。

 

「さて、では。いくつかお聞きしたい事がありまして」

「酒を入れなければ聞けないようなことを求めていますのね」

「これでも内向的と親から言われましてね」

「親の目は節穴かしら?」

「ええ。そういう風に育てておいてよく言います」

 

 ベガが頭を振り、呆れたような疲れたような息が吐き出された。

 ベガの親は知らないがベガ自身を知っているディーナからしてみれば内向的という評価は随分と的外れに感じてしまう。

 ディーナが拾い上げたフィアともそれなりに交流があり、彼の悪い話は聞かない。こうして主の前で飲酒をするあたりで評価を修正はしたけれど。

 

「僕の話はいいのです」

「あら、アナタの話も私は聴きたいですわ」

「御冗談を。つまらない話ですよ」

「冗談ではありませんわ。陛下の子飼いというだけで私からすれば聞きたい事は山のようにありますわよ」

「答えるかはわかりませんよ」

「それはお互い様でしょう?」

 

 クスクスと笑いながらディーナは指を組んでベガを見つめる。

 悪評に違わぬ冷たい視線を誤魔化すようにベガは葡萄酒を一口飲み込んで、酒気を孕んだ吐息を漏らす。

 

「では、王都から連れてきたあの娘に関して」

「クロジンデのこと? 金で雇ったわ」

 

 何事もなかったかのように、まるで女中を一人増やしただけと言わんばかりにあっさりと答えたディーナであるが、ベガが聴きたい事はそんな事ではない。

 

「アレは、暗殺者でしょう」

「そうね。しかも腕利きの暗殺者ね」

「王城への軟禁前の、あの数日中でのディーナ殿にそんな暇など無かったでしょう」

「そうね。彼女、私を狙いにきた殺し屋の一人だもの」

「……ディーナ殿。普通は命を狙った存在を懐には入れませんよ」

「ええ。私も陛下がそんな音をしたのなら頭を抱えてしまうわ」

 

 解決に向けて何かをする事もないでしょうけれど。と続けて言ってのけたディーナ。

 そんなディーナを呆れたように見るベガの意識はまだ酒気に犯されてなどいない。ディーナはさらに悪びれる様子もなく口を開いた。

 

「彼女にはそれだけの価値があった。では答えにならないかしら?」

「価値?」

「才能、と言い換えてもいいですわ。あの日、私が意図せずに寝室にまで入り込んだのは彼女だけだったもの」

「だからと言って、自分の命を狙った暗殺者を懐に入れるのですか」

「ええ。魅力的な才能だったもの」

 

 美しい物を集める蒐集家のように。あるいは綺麗な石を集める子供のように。そして非業の運命を辿る人間を笑う悪魔のように、ディーナは笑みを深める。

 

「私、才能という物が好きよ。私には無いものだもの」

「……ご謙遜を」

「あら、私はまだ一滴も飲んでませんわ」

 

 目の前にあったグラスを指で弾きディーナはクスクスと喉を揺らす。

 氷の魔女。黄金の化物。そしてその美貌をもってして王子を唆した悪女。そんな彼女に才能が無いなどとは冗談でもベガは口にできない。

 

「そういう意味では、私はアナタの事も好いているわ」

「ご評価いただけているようで」

「ええ。素晴らしい才能ですわ。私がどれほど調べてもアナタの正体は不明瞭である。陛下の子飼いでありながら実体がわからない。けれども執務官としても有能でありながら、誰にも悪評も好評も言われず徹底して影にいる。知っているかしら? 私がアナタをエルフの森に連れていくことを決めた時に『なぜベガを?』と聞かれたのよ」

 

 誰もアナタの有能さを理解などできていない。とクスクスとその誰かを嗤う悪女。

 人畜無害の優男。誰もがそう評するベガをディーナだけは違った目線で見ている。人を見透かすような青い瞳がベガを貫く。

 

「私の物にならないかしら?」

「おや、ディーナ殿は葡萄酒の香りだけで酔ってしまわれるようだ」

「冗談ですわ。陛下から奪おうだなんて」

 

 綺麗に笑顔を浮かべるディーナであるけれど、彼女の評価を知る貴族が見ればその言葉を嘘と断じるだろう。

 

「私の番でよろしいかしら?」

「ええ、何なりと」

「正しく答えるつもりもないのでしょう?」

「僕が答えられる範囲であれば」

 

 少しだけ驚いたように片眉を上げたディーナはコツコツと机を指で叩き、瞼を閉じて思考を深める。

 数秒ほどで音は止み、瞼が開かれて青い瞳がベガを真っ直ぐに捉える。

 

「リゲル殿下とアサヒが婚約を公表したあの日。招待状を置いたのはアナタですわね?」

「おや、バレていましたか」

 

 アッサリと答えを吐露してみせた姿にディーナの眉が寄る。

 大きめの溜め息を一つ吐き出したディーナは額を抱えながら口を開く。

 

「目的は――いいえ、それよりも国章の偽造は法に触れているわ」

「そんな偽造だなんて。正式な王章ですよ、アレは」

「ならなおさらどうして、アナタがソレを使用しているかが甚だ疑問ですわね」

「陛下から許可は頂いておりますよ」

 

 果たしてどこまでが真実であるかディーナにはわからない。そしてベガはそれをディーナに悟らせることもないであろう事をディーナ自身が理解している。

 改めて瞼を閉じて、吐き出しそうだった言葉を飲み込んだディーナは別の言葉を吐き出す。

 

「私に恥をかかせたいから、なんて幼稚な理由ではないのでしょう?」

「あの場には貴女が必要だった」

「結果論ですわね。あの時点で私は何も知らなかったのも」

「けれど、あの場にいた貴女は全てを知ることができた。というが結果論の建前です」

「実際は陛下にエルフの飲み薬を届ける為の偽装かしら?」

「わかっておいでなら質問しなければよかったでしょう」

「事実の確認は必要なことよ。何にしてもね」

 

 結果論としては筋が通る。そして建前であることもベガは認める。

 あの時は緊急を要した。同時に彼女ならば、という期待も少しはあった事をベガ自身は認めるだろう。言いはしないが。

 

「イワル公に気付かれたらどうするつもりでしたの?」

「気付きはしませんよ」

「アナタがそこまで隠密に長けているとは思いませんわ。剣術はできるのでしょうけれど」

「僕自身が陛下に会いに行っていない、とは考えないのですか?」

「それでイワル公に――あの時点では誰かもわからない謀反人にバレてしまう危険性を増やすアナタでも無いでしょう」

「ご評価いただけているようで、嬉しい限りです」

 

 人好みしそうな柔らかい笑顔を浮かべながらベガは葡萄酒を一口飲み込む。対したディーナは渋い葡萄酒を飲んだように眉間に皺は寄っているが。

 そんなディーナを見ながらベガはさらに笑みを深めた。

 

「ディーナ殿は飲まないので?」

「溜まっている仕事を終わらせれば飲みますわ。今はアナタとの会話の方が重要ですもの」

「それほど重きを置いていただいてありがたい限りですね」

 

 質問を投げかけ始めた辺りから彼女の手は動いていないし、視線はベガだけに注がれている。

 彼女にとっては仕事は当然終わらせなければいけない義務であるが、それよりも比重が置かれている事はベガにも理解できた。

 それだけ注目されている、というのは間者としては問題であるが、そんな段階はエルフの森に行った時から越えている。

 

「では、レーゲン・シュタールに関して」

「……特に言うことはありませんわ」

「貴女なら、シュタール家を取り潰して、イワル家にも打撃を与えられる立場であった筈です」

「そうですわね。それをしても得があったかもしれませんわ。興味はありませんけど」

 

 これもまた当然のように吐き出したディーナであるが、ベガは首を傾げてしまう。一つひとつ、ディーナの言葉を砕いて、改めて確認をする。

 

「貴族としての大成には興味がない、と聞こえますが?」

「どうやら酔っても耳は正常なようですわね」

 

 口がもう少し軽ければもっといい、と冗談にように付け加えたディーナにベガはさらに疑問を浮かべる。

 女でありながら、誰の寵愛も受けずにただ一人として爵位を得た彼女だからこそ、出世欲や、野心がある筈だと思っていた。それはアッサリと裏切られる。

 

「ならば、なぜ魔法式というモノを陛下に?」

「私、この世界の魔法というモノが嫌いでしてよ。

 なんでも思い通りに出来て、それが当然であり、けれども一般化されず、体系化もされず、ただ広がっているだけの神秘」

 

 ディーナは自身の右腕をベガへと差し向けて確認するように握り込む。自身の右腕を見つめながら、ディーナは小さく息を吐く。

 

「嫌い、というのは訂正しますわ。魔法という技術は好きですわ。興味深いですし、知的好奇心という意味では非常に好みですわね」

「……本当にそれだけの為に?」

「それだけ? 私にとってはそれこそが重要ですわ」

 

 だから体系化をする。だから一般化する。結果としてシリウス王へと、そして国へと捧げる。ディーナの言葉を鵜呑みにするのならばそれだけの話なのだ。

 貴族としての意識もある。そして汚職を見逃しながらも、度が過ぎれば罰則を向ける秩序もある。それらを上手く扱えば私腹を肥やすことも、ある程度なら爵位も得られるだろう。

 けれど、彼女にしてみればそれこそが副産物でしかない。

 

「そんな、この世界への憧れと嫉妬ですわ」

「……驚いた。貴女は以前から変だとは思っていましたが、僕の予想以上です」

「ご要望通り、私の爵位で出来うる最大限を行使してアナタの首を落としてもいいのよ?」

「失言をお許しください」

「ええ。ここはお酒の席だもの」

 

 彼女が冗談で言っている事は理解していたベガであるが、首筋に冷えた視線が這えば冷や汗も流れてしまう。

 酒の席、とは言いながらも彼女は一滴も飲んではいない。故に彼女自身は自分が狂人であることを少なからず認めてもいるのだろう。

 クスクスと笑うディーナが思い出したように笑いを止めて口を開く。

 

「そもそも、リゲル殿下との婚姻を捨てた――いいえ、捨てられた私が貴族としての大成なんて笑い話にもなりませんわ」

「おや、そうですか? 大衆は好きそうな物語だと思いますよ」

「生憎と、私は()()()にはなれませんの」

 

 それにゲイルディア家の娘の物語なんて子供を怖がらせる御伽噺よ、とクスクス笑いながらディーナは吐き出した。

 自身の評価をよく知っている彼女だからこそ、そうして冗談めかして言ってのける。

 

「イワル家で思い出したけれど。イワル公は何か特別なものでも信仰していたのかしら?」

「……夫人から何かをお聞きに?」

「いいえ。彼女は真実を知りはしなかったけれど、私に恨みの籠った言葉を吐いて頭を下げただけですわ。陛下が私に釘を刺してきたのよ」

「ふむ……。アンビシオ・イワルの元に何者かが来訪していたのはご存じで?」

「随分と抽象的で曖昧な情報ですわね。それが宗教家なのかしら?」

「詳しい事はなんとも。ただ遡って言えば、そこから彼が動き出したという推測でしかありませんね」

 

 ベガのその言葉にディーナはまた机をコツコツと叩きながら思考する。

 答えの出ない問題であるし、その思考はすぐに途切れてベガに言葉を促す。

 

「彼の邸宅に主教以外の経典もありまして、陛下が釘を刺したのもそれが原因でしょう」

「その経典とやらは手に入るのかしら?」

「……ご興味がおありで?」

「単なる好奇心よ。イワル公を狂わせた教えとやらがどれほど荒唐無稽なものかが知りたいだけですわ」

「根本としては主教と同じものですが、初代シルベスタ王……勇者を祀るものです」

「勇者を?」

 

 ベガの言葉を確かめるように繰り返したディーナは眉を寄せて、頭を振る。

 

「あの楽観的な初代シルベスタ王を祀るのもどうかと思いますわね」

「おや? 解読されている古文書には厳格な聖人であったと書かれているらしいですが?」

「公的な見解ですわ。私の解釈が別なだけですわ」

「……是非、貴女の解釈もお聞かせいただきたいですね」

「あら。()()について興味があるのね」

「単なる好奇心ですよ」

 

 先ほどしたやり取りを交代して二人は笑う。

 ディーナは椅子に深く腰掛けて、緩く腹部で腕を組む。

 

「何にせよ、厄介そうな相手で陛下には同情してしまいますわ」

「貴女は我関せずを貫くおつもりで?」

「私の道を邪魔をするようなら、吹き飛ばすだけですわ」

 

 レーゲン・シュタールをそうしたように。と言わんばかりにディーナは笑みを浮かべた。

 そうできるだけの力量が彼女にはある。悪評の事実によって形成されているのだから。

 

「貴女の道とは? 貴族としての大成には興味もないのでしょう?」

「私が歩きたい道なんて、ありきたりなものよ」

「貴女にとってのありきたりや普通というものが一般的なものと認識しておいでで?」

「この短時間で随分と口が軽くなりましたわね」

 

 咎めやしませんけど、と付け加えながらディーナは少しばかり口籠る。

 僅かばかり、ほんの数秒だけ迷ってから、静かに吐き出す。

 

「平凡平穏平静な変哲のない日常ですわ」

「……御冗談でしょう?」

「あら、私は本気よ。好きな人とお喋りをして、信頼できる人を尊重して、尊敬できる人を敬って、ただ日常を謳歌する。それが私の願いですわ」

「随分と遠い位置に今はいるようですが?」

「そうね。それも()()()()()であるが故ですわ。否定できませんわね」

 

 まるで普通の少女が夢を語るように。まるで純粋な人間が願いを吐露するように。そして諦めた理想のように。けれど諦められない夢のように。

 悪と称され。化物と称され。魔女と称された女は言葉にする。

 

「それでも願い続けるのは変かしら?」

「いいえ。僕は貴女を勘違いしていただけかもしれません」

「世間に言う悪逆非道で冷徹な氷の魔女かもしれないわよ」

「確かにそれも事実でしょう。貴女はそれも否定しない」

「ええ。それもディーナ・ゲイルディア(ワタクシ)ですもの」

 

 ディーナ・ゲイルディアは微笑む。氷のように。人の悪寒を擽るような笑みを浮かべる。

 間違いなく、彼女こそが悪の令嬢だと。誰もが言うだろう。そしてディーナ・ゲイルディアはそれを否定すらしない。

 間違いなく、彼女こそが氷の魔女だと。誰もが言うだろう。それもディーナ・ゲイルディアは笑みながら否定しない。

 ベガは目を細め、息を飲み込んだ。

 

「ああ、貴女は――」

 

 小さく漏れ出た言葉はディーナの耳に届いてしまう。けれど次の言葉が続かない事にディーナは首を傾げる。

 

「私が、何か?」

「いえ。なんでもありません。よく似た人間を知っているので」

「あら、お父様とも面識があったのかしら」

「ゲイルディア卿と直接の面識はありませんよ」

 

 ふむ、では誰だろうか? とディーナは記憶の中で出会った貴族達を並べてみたが、こうして悪評が際立っているのは血族しかおらず、苦笑してしまう。

 そんな考え込むディーナを後目にベガはグラスに残っていた葡萄酒を飲み干して笑う。

 

「有意義な時間でした」

「あら。聞きたいことはもう無いのかしら?」

「あまり遅い時間までいると貴女の従士が睨んでくるので」

「あら、あげないわよ」

 

 クスクスと笑うディーナは視線を僅かに足元に向けて、さらに笑みを深めた。

 

「この件は貴女の未来の婚約者殿も興味を持つでしょう」

「悪逆非道冷徹女に興味を持つなんて随分物好きな人ですわね」

「ええ。お似合いかと思います」

「……私を物好きと言いたいのかしら?」

「おっと、酒は口の滑りを良くし過ぎるようだ」

 

 反省の素振りすら見せずにベガは扉へと体を向け、その背中に見ながらディーナはグラスを揺らす。

 

「ちょうどいいですわ。最後の質問をいいかしら?」

「どうぞ」

「アナタは、何者かしら?」

 

 笑みを浮かべるディーナにベガも笑みを浮かべる。

 答えなど、お互いに求めていない。答えない事を前提とした、答えられない質問。

 ベガは口を開くこともなく、一礼をしてから退室をした。

 

 

 一人になった部屋の中、羽筆を手に取って、息を吐き出して筆立てへと戻したディーナは背凭れへと体を預ける。

 瞼を閉じて少しだけ思慮の世界へと身を投じていたディーナは机に残ったグラスへと目を向ける。

 

 グラスを手に取り揺らせば、赤色の液体が波打ち、放置していたのにも関わらず香りを広げる。

 グラスを傾けて、一口だけ飲み込み、喉を通せばほのかな酒精が鼻腔を抜ける。

 少しばかり考えるようにグラスを眺めていたディーナは足元の影を見る事もなく、呼ぶ。

 

「……アマリナ」

「はい、ディーナ様」

 

 ディーナが呼べば即座に、物陰から音も無く褐色肌の女中が現れる。

 そんな信頼できるアマリナに自身が持っているグラスを手渡して飲むように促したディーナは、ジッとアマリナを見つめる。

 少しだけ躊躇して、舐める程度にグラスに口を付けたアマリナにディーナは満足したように頷いて微笑む。

 

「美味しいかしら?」

「はい。普段ディーナ様と飲んでいるものより、甘く感じます」

「そうね。私が飲んでいるものよりも高いもの。正しい味覚ね」

 

 アマリナの頭を左手で撫でながら、ディーナは微笑んだ。




今一度の振り返り。


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63.悪役令嬢は間違わない。

 バチリと、炎の中で草が弾けた。

 シャリィ・オーベは炎へと手を翳し、水を中空へと生成する。

 シャリィ自身の瞳で見える幾重にも重なる文字に光が巡る。

 幾度も操ってきた式に生成され、切っ先を尖らせた液体の槍は真っ直ぐに炎へと向かい、シャリィは咄嗟に手を返した。

 

「っ! お退きなさいッ! ディーナ・ゲイルディア!」

「咄嗟に攻撃性を消して単なる水球にする腕前。とても見事ですわ」

 

 惚れ惚れする。と笑い、拍手をするディーナ・ゲイルディア。正面からぶつけられた水球で濡らした体も気に掛けない。

 ポタリと落ちる水滴を青い瞳で見ながら、ディーナは自身の師であり、長く研究を共にしたヒトへと視線を伸ばす。

 珍しく呆れの表情ではなく、苛立ちと焦りを浮かべ、新しく水槍を出したシャリィを。

 

「お退きなさいディーナ! 貴女は自分が何をしているかわかっているのですか!?」

「ねぇ先生。私は間違いませんわ」

 

 濡れた前髪をかき上げながらディーナ・ゲイルディアは静かに言葉を吐き出した。

 炎に巻き上げられた紙片。そこに書かれた仮定の文字列。世界を構成している文字列。

 

 その一部が風に揺られて、ディーナの視界を横切った。

 

 

 


 

 

 

 

 

 カチイ領。領主館の書斎。

 現領主であるディーナ・ゲイルディアによる趣味の産物が所狭しと詰め込まれた部屋である。

 棚には綴じられた紙束が並び、幾つかは棚に入らずに床に積み上げられ、幾つかは乱雑に壁に貼られている。

 主である女の後ろには赤毛の少女が随分と疲れたような顔で立っていた。

 

「なあ。こういうのはフィアに頼んだ方がいいんじゃないのか?」

「フィアは別の仕事をしているもの。それに結果として力仕事になるのは目に見えていたからアナタに頼みましたの。それとも私の命令が聴けないのかしら?」

 

 パラパラと紙を捲りながらレイへと紙束を渡すディーナに不満を露わにしながら従うレイ。

 歯向かうわけじゃねぇけど、とぶつくさ言いながら渡されている紙束を乱雑に扱い、籠へと収める。

 レイ自身、ディーナに歯向かうつもりなど毛頭ない。

 こうして気安く接しているが自分とフィアを雇っている貴族であるし、自分でもわかるぐらいに恵まれた施しも受けている。

 多大な恩がある。それはレイにもわかっている。

 

 沢山の経験をさせてくれた。

 今まではわからなかった文字を読み書きする事もある程度できるようにはなった。褐色肌の兄妹従士も良くしてくれている。

 エルフの客人に話を聞くのも楽しいし、先生と慕うシャリィ・オーベの授業は難しいが、いつか返す恩の事を思えば苦ではない。

 

 ぶぅ垂れるフィアを見て、顔を穏やかに緩めてディーナは新しく紙屑になる紙束を渡す。

 

「魔法の授業はどうかしら?」

「それもフィアの方が上手いよ」

「私は貴女に聞いているのよ、レイ」

「……別に、ふつーだよ、ふつー!」

「あら、上手くいかないのかしら?」

 

 クスクスと笑みを漏らしながら手を止めることはないディーナにレイはムッとしてしまう。

 目の前の主はあらゆる事が出来るし、才能に溢れている。だから、これがちょっとした嫌味だと感じてしまう。

 

「そりゃぁ、アンタみたいにボクは優秀じゃないさ」

「……でも、魔力の把握はできるのでしょう?」

「そんな初歩的な事、とっくにできたさ」

「じゃあ私よりも優秀よ。私は魔力の把握もさっぱりできなかったもの」

「絶対嘘だね」

 

 やはりクスクスと笑いながらディーナは新しい紙束をレイへと渡さずに元の棚へと戻した。

 この優れた主人は人を揶揄うことも好んでいる。なんせ出会いがそうであった。

 

 訝しげに金色の髪を睨みながら、渡されていた紙の一枚を眺める。当然、何を書いているかなどはわからない。

 文字であったり、図形であったり、よくわからない矢のような線が別の場所に伸びていたりしている紙。そのくせ、その一部には幾つもの□が積み重なり、その中に不思議な文字が書かれている。同じ文字が複数見られるから規則性があるのかもしれないが、レイにはさっぱりとわからない。

 

「失敗も挫折もできる内にしておくのがいいわ。沢山の事を経験なさい」

「アンタは失敗なんてしなさそうだもんな」

「……そうね」

 

 ディーナは自身の口から出た言葉を誤魔化すように後ろにいた赤髪を左手で撫でる。

 少し強めに撫でられるレイは抵抗らしい抵抗もしない。こうして主人に撫でられることは、それほど嫌ではない。

 

「それで、さっきから分けてるけど、これって魔法の資料だよな?」

「ええ。棚に残しているのはそうね。シャリィ先生が主導した基礎の部分よ」

「それで、こっちは?」

「――もう必要無いものですわ」

 

 これもね。と新しい紙束を渡されたたレイは言われたディーナに言われた通りに、紙束を籠へと放り込んだ。

 

 

 そんな作業を数十回。溢れた籠が二つから三つに。四つ目を溢れさせる前に作業は完了したようで、満足気にディーナは棚を見つめて一息吐き出した。

 数刻前までは棚を圧迫するように詰まっていた紙は籠の中に入り、床に積まれていた紙も今は整頓されて棚に収まっているか、籠の中に詰まっている。

 乱雑に詰め込んだ紙は既に資料としての役割を放棄させられた。

 

「それで、コレはどうするんだ?」

「そうですわね……ええ、そうですわ。燃やしてしまいましょう」

 

 ディーナが籠を抱える姿を見て追随するようにレイも籠を持ち上げる。思ったよりも重い。それだけの量の紙がここに収まっており、乾いている筈なのにインクの香りが鼻をついた。

 

 

 

 

 

 

「燃やすなら火打石とか、火種がいるのか?」

「いいえ、そんな物はつまらないでしょう?」

 

 庭先に並べられた籠の周りをガリガリと木の棒で削るディーナに首を傾げるレイ。

 レイからしてみれば、ディーナが描くソレが何かはわからない。

 奇怪な文字とも呼べないような記号。それでも何かの法則があるのか、乱雑に描かれているワケではないことは理解できる。

 

「それは?」

「魔法式を描いてますわ」

「先生とアンタがべんきょーしてるヤツか」

「ええ。尤も、私の物は魔法式と言うのも烏滸がましい結果でしたけれど」

 

 自嘲するようにクスクスと笑いながら、ディーナは地面に描き続ける。

 カリカリと籠の周りに描かれた円の周りに文字を付け足し、一端を少し伸ばして、レイの足元へと伸ばす。

 

「……なぁ、本当に燃やすのか?」

「ええ。不必要なモノですし。こうして魔法式の研鑽に用いるのなら本懐でしょう」

 

 レイの足元で書き終わった式を眺めながら、ディーナは淡々と籠達を見やる。

 その視線を横目で見ながら、レイはどうにも眉間を寄せてしまう。よく遠くを見つめることがある主人であるけれど、その感情を読み取れたことは一度も無い。

 レイ自身、自分が勉学に長けているとは思わない。覚えるのにも苦労するし、ディーナやシャリィがしている魔法式なんてさっぱりわからない。

 けれど、そんなレイでも籠に入った紙達がどれほどの時間を掛けて書かれたのかは理解できる。いいや、きっと自分が思うよりも多くの時間が掛けられているだろう。

 

 それでも、この主とも呼べる存在が自分で決めたことなのだから、自分には覆すこともできない。

 

「それで、ボクは何をしたらいいんだ?」

「簡単ですわ。ここに指を置いて、魔力を流せばいいですわ。それほど魔力も必要としないように書きましたし、理論としては"間違っていない"筈ですわ」

「ふーん……」

 

 ディーナの言葉に少し考える所はあった。けれど、この主が自分を害する筈もない、という感覚は確かにある。

 だからレイは淡々と籠と資料だった物を見つめている主の言う通りに、膝をつき、指先を文字の先端へとつける。

 

 この魔法を行使すれば、きっと資料は()()()

 

「では、魔力を流しなさい。レイ」

「……わかったよ」

 

 思うことは色々とある。けれど、自分がこの主を言いくるめて、どうこう出来るとは思えない。

 

 レイは指先へと意識を集中させて、レイは自身の中にある塊を意識する。

 溜まっている水をただ流すだけの作業。シャリィ・オーベに師事し、親友であるフィアと共に磨いた技術。魔法を扱うにおいての基本的な感覚。

 レイは水を流す。強い水ではなく、川のようにせせらぎを。

 

 目の前にある文字たちが光を灯していく。魔力の流れを追うように、一節ずつ光が灯り、円を描く。

 こうして現実として魔法の在り方を認識したことが初めてのレイが見惚れるほど美しい現象であった。

 

 だから、レイはディーナへと視線を向けた。自身の中にあるこの感情をきっとディーナは言語化できるかもしれない。そう望みを向けた。

 

 けれど、ディーナの顔は酷く冷たく、まるで目の前で発生した火とは対極の表情であった。

 火は僅かに庭に生えた草と籠と紙束を飲み込んで、炎へと姿を変えていく。

 それでも、ディーナの表情は研究成果が出た喜びもなく、燃えている資料に対しての悲哀もなく、ただ淡々と冷ややかである。

 

「何をしているのです!」

「げっ、先生だ」

 

 指先を魔法式から離し、レイは激昂しているシャリィにバツの悪そうな顔をする。

 対して、ディーナは笑顔を浮かべる。

 

「おや、シャリィ先生。ただ、私の研究論文を燃やしているだけですわ」

「……なぜそんな事を?」

「なぜ? だって結果として間違えているモノなんて無意味でしょう?」

 

 舌打ちをしてシャリィ・オーベは炎へと手を翳して水の槍を中空へと顕現し、炎へと飛ばし、手を翻す。

 

「っ! お退きなさいッ! ディーナ・ゲイルディア!」

「咄嗟に攻撃性を消して単なる水球にする腕前。とても見事です。惚れ惚れいたしますわ」

 

 拍手をしながら水浸しになった顔をニッコリと歪める。

 そんなディーナの感嘆とも挑発めいた動作にシャリィは焦燥を隠さない。

 新しく水の槍を自身の傍へと発現し、真っ直ぐに共に歩き続けた者を見る。

 

「お退きなさいディーナ! 貴女は自分が何をしているかわかっているのですか!?」

「ねぇ先生。私は間違いませんわ」

 

 散る論文がディーナの顔を横切り、それを目ですら追わずしっかりとシャリィへと視線を向けられる。

 苛立ちと怒り。対して冷たく一切を受け付けないような表情。

 対象な二人を見ながら、炎が近いというのにレイは冷たいモノが背中を伝う感覚に襲われてしまう。

 

「なら、なぜ自身の研究結果をそのように扱っておられるのですか!?」

「失敗した結論を消すのは当然でしょう」

「まだ失敗したなどと、わからないではありませんか」

「いいえ、この理論は間違いですわ。少なからず、私にとっては塵以下の論文に成り下がりましたわ」

「――答えを急いているのですか?」

「いいえ、遅かったぐらいですわ。なんせ、こうして燃えていることが何よりの証明でしょう」

 

 ディーナとシャリィの視界には確かに世界を構成している文字が見えている。

 だからこそ、炎が魔法により発現し、そして資料を燃やしている事を理解することができる。

 

 だからこそ、結果としてディーナの理論が間違っていることをディーナ自身が証明できてしまった。

 

「地面に描いた魔法式は水を出すものでした」

「ならなぜ燃えているのですか!?」

「それは意志の力によるものですわ」

 

 燃える炎を背中に、そして炎を魔法として顕現したレイを背中にしながら、ディーナは言葉を繋げる。

 

「もしも、私の理論が正しかったのならば。この魔法式に魔力を流せば水が発現する筈でした」

「な、なぁ。でもアンタはコレを『炎が出る』って言ったよな?」

「ええ。そう言いましたわ。そうする事が私の実験証明でしたもの」

 

 水の出る魔法式でありながら、結果として炎が出た。

 それは紛れもない事実である。世界の構成文字を理解できるからこそ、正しくディーナは魔法式を描けた筈であった。

 

「けれど、結果は炎が出た。私の式は間違っていない。それは私達の()が証明してくれている。

 ならなぜ炎が出たのか。なぜ失敗をしたのか。

 私が扱っていた魔法式。それが未だに想像魔法の域を越えない間違えた理論に他ならない。意志が介在し、そして結果として現れた。

 ただ、それだけですわ」

「――、ディーナ、アナタまさか」

「ええ。先生が考えている通りだと思いますわ」

 

 ディーナの言葉に声が震え、出していた水槍が形を崩して地面へと落ちて広がる。

 

 ディーナは自身の手を見つめて握りしめ、両手を空へと捧げるように伸ばす。

 レイには何をしているかはわからない。神に祈るように、捧げるように掲げられた両手には何の意味があるかもわからない。

 けれどシャリィとディーナは違う。自身達で共有している世界に捧げられた瞳がその全てを見てしまう。

 世界を構成する文字がディーナの両腕を伝い上がり、魔力が正しく練り上げられる。そんな行為は幾億も繰り返した。

 けれど、それは顕現する前に霧散する。今まで()()()()()理論ではありえない、正しい理論である筈であった。

 

 空に挙げた手を握り、息を吐き出すと同時に脱力する。

 

「これが、今の私ですわ」

「……それでも、資料を燃やす事を良しとしているのは話が違うでしょう」

「違いませんわ」

「それはアナタが辿り、歩いた研鑽でしょうッ!」

「ええ。そうですわね。けれど、無価値で、無意味で、無駄な歩みでしたわ」

 

 ディーナ・ゲイルディアはそう断じる。燃えている自身の研究資料がそうであるように。

 塵は塵でしかない。そして答えを知っていても尚、理想と理論は一致しない。

 

「そんな、そんなことはありません。ディーナ、アナタの歩んだ道は無駄などでは――」

「無駄でしたわ。結果が出て、その結果が間違っている理論なんて。仮定(過程)としても無価値ですわ」

「無価値ではありません! アナタが歩んだ道が間違っていたとしても、それは――」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 熱で揺られる空気の中でディーナ・ゲイルディアだけは冷めきっていた。

 そうあるべき、という義務(理想)責務(夢想)責務を発言(発現)する。

 

 ディーナ・ゲイルディアに失敗など許されない。

 多数存在するゲイルディアを恨む貴族達に隙を見せられない。

 過剰な自信によって失敗を認める事など自身が許せない。

 

 そんな理由ではない。ディーナにしてみれば、それらは後付けの理由でしかない。

 ディーナが()()()()である為の行為。

 彼女が彼であった時に求められ続け、彼女が彼女であり続ける為の宿運。

 

「それ以外に理由はありませんわ」

 

 隔絶された存在。斯くあるべしと定められた存在。

 出会った時のように、背筋が凍り付く。悪魔の子が、黄金の悪魔となった。

 ああ、なんと美しく、研がれているのだろうか。

 

 シャリィ・オーベはその輝きに見惚れてしまった。もしも、今初めて出会ったのなら、心酔していただろう。

 けれど、シャリィとディーナは数年も前に出会い、共に歩みを進め、幾度も否定し合い、そして理を論じた。

 

「そんな理由で、許せる筈がないでしょう」

「許す許さないの話ではありませんわ、先生」

「理想論だとはアナタ自身がわかっている事の筈ですよ」

「理想論であっても。いいえ、理想論だったからこそ、私はそうするしかありませんの」

 

 音も無く、炎の中で紙がまた一つ燃え尽きた。




あとがきで失礼致します。
感想、一言コメントなどの評価は全て目を通しております。本当に感謝でございます。
感想返しをしていないのは、猫毛布リソース削減の為ですのでご了承ください。
何? それにしては物語が……、って? ……。このまま突き進むぞっ!!

猫毛布


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64.悪役令嬢は変われない。

「ディーナ様、少しはお休みください」

「休んでいる暇があればそうしているわ」

 

 新しく書ききった書類を一枚、積みあがった書類の塔へと追加したディーナは忠臣でもあるアマリナの忠言を聞き入れない。

 休んでいる暇が無い。と言うがディーナ自身が一ヵ月軟禁されて行えなかった事務仕事の類は既に完了している。それでもディーナは憑りつかれたように仕事と研究へと没頭している。自身が否定した魔法式への研究へと。

 

 魔法が使えなくなったから、という理由は正しいが正しくはない。

 

 魔法が扱いたいから魔法式の研究に没頭していたワケではない。

 事実として、ディーナ・ゲイルディアは魔法を扱おうと思えば扱うことはできる。

 それは同時にディーナにとっての敗北宣言であったし、そうして得た魔法にディーナは一切の魅力を感じる事ができない。

 好奇心と探求心。そして義務と責務。決意と言い換えても遜色ないモノをディーナ自身が折り曲げることはできなかった。

 

 こういう主を見たのは初めてである。

 いいや、そのきらいは以前からあった。それでも以前はまだ自分の言葉を聞いてくれた。

 今の主はそれすらできない。それほどに追い詰められている。

 アマリナやヘリオ、シャリィが見れば眉を寄せるであろうが、普段のディーナに変化はない。それほど僅かな差異である。

 

「アマリナ、レイはどうなっているかしら?」

「……落ち込んだ様子はありましたが、普段通りに振舞っております」

「そう。変に気負わなければいいけれど」

 

 そうした自分が言うのもなんだけれど、とディーナは自嘲を隠すこともせずに新しい書類を積み上げた。

 あれは仕方がなかった。とディーナの中で納得と理解はしているが、それでもしたことは主の研究資料を焼く行為である。

 レイ自身に罪などない。それはディーナの感覚と推察でしかない。

 レイ本人がどう感じるかなど、ディーナには分かる筈もない。

 その辺り上手く先生がフォローしてくれるだろう。と少しばかりの期待を抱きながら、ディーナは新しい書類を手に取った。

 

 

 魔法が扱えなくなった。

 魔法式としては正常に起動したにも関わらず、結果はレイに()()()()事象に繋がった。

 それは十分にディーナの新しい理論が成立した証明であった。

 ディーナがレーゲンと戦った時に感じた疑問の証明。『意志の力による想像魔法。その一端でしかない魔法式』。

 その疑問がもしも否定されていたのならば、自分も魔法が扱えただろう。そうして自分が魔法を扱えない事もまた、理論が間違っていた証明である。

 

 ならば、所詮はソコに属する事しか出来ないのか?

 断じて、否である。想像せずに事象が発現する事は今までの経験で理解している。

 新しい文字を紡ぎ調べていた、あの地道で人に言うこともない実験達が否定する。

 エルフの女王が作り上げた指輪が、否定する。

 

「……そんな物、俺が認められるわけないだろ」

 

 小さく吐き出した言葉に自ら舌打ちをして、ディーナはペンを置いた。

 眼鏡を外して、目頭を抑えながら、書ききった書類を新しく積み上げる。

 

「アマリナ。これをベガに届けてくれるかしら」

「……はい。お嬢様」

 

 どれほど自身が疲れていようが、主は歩みを止めることはない。

 止まれば死ぬと言わんばかりに、歩き続けてしまう。

 それを止めることがディーナはすることができない。

 

 アマリナは書類を手に取り、頭を下げて退出する。

 

 自身は主の隣にいられるだけで十分だけだったというのに。それ以上のことを願ってしまっている。

 けれど同時に、ディーナが隣にいるというのにアマリナには何もすることができない。

 魔法式という理論に対してもそうであるし、普段の生活においてもそうである。

 もしも、ディーナを助けることができるのなら、自身の命など簡単に放り投げてしまえる。けれど、ソレを許す主でないことも確かなのだ。

 

 

 アマリナは視線を壁に写る自身の影へと向ける。影の一点から波が広がり、自分と同じ肌の男がぬるりと姿を現した。

 

「お嬢はどうだった?」

「お変わりないわ」

「そっか。まあ俺たちができる事は傍にいる事だけだしなぁ」

「……ええ」

 

 そう育てられた。お互いにそのことは感謝もしているし、納得も、理解もしている。

 だからこそ、自分たちが主を動かすことができない事は納得できないながらも、理解させられている。

 目を伏せて籠るように返事をしたアマリナの頭に手を置くヘリオ。気安い慰めであり、そして二人ともが似た感情を持っている。

 

 自分ではどうにもできない。シャリィですら、動かすこともできない。

 

「……ディーナ様に何があろうと、私たちは私たちであり続けましょう」

「当たり前だろ。お互いに、そう育てられたからな」

「他ならぬディーナ様の為に」

「他ならぬディーナ様の為に」

 

 だから変化してはならない。

 それこそがディーナの願いであり、そう育てられ続けた二人の矜持でもある。

 

「そんじゃあ、見回りに行ってくるわ」

「ええ。私も書類を届けたらお嬢様の傍に……。所で、あの野良猫はどこに行ったのかしら」

「あー、そこらで寝てるんだろ」

「お嬢様に雇われているのに? 無断で? なるほど、なるほど」

「あーあー……」

 

 頭を抱えるようにして、件の野良猫に対して僅かながらの哀れみを抱きながらヘリオは妹の影へと逃げ込んだ。

 普段は無表情で淡々としていて主の事になると視界が塞がるような女中達の長は珍しくニッコリと笑みを浮かべながら廊下を音も無く歩く。

 ソレを見てしまった女中は息を僅かに飲み込んで、視界から外れるように息を潜めた。

 

 

 

「失礼致します」

「おや、アマリナ殿。ああ、ディーナ殿からの書類ですか」

「ええ」

 

 頂ましょう。と付け加えながら部屋の主であるベガが書類束を受けとった。

 アマリナは受け渡した書類とベガから視線を外して部屋の中を見渡し、頭の中にある候補から外す。

 

「どうかされましたか?」

「いえ、あの野良猫を探しているのですが……」

「野良猫……?」

「……お嬢様が新しく雇った、アレです」

「ああ、クロジンデのことですか」

 

 野良猫という形容詞に対してようやく人物を知ったベガは件の人物を頭の中に浮かべてなるほどと納得をする。

 敵意ではないだろうが、何かしらの感情を抱いているアマリナを見ればニッコリと珍しく笑ってもいる。

 

「どこにいるかご存じでしょうか?」

「いいえ。ボクは知りませんよ。猫のようですし、どこか日当たりのいい所で眠っているのでは?」

「……わかりました。それでは失礼致します」

 

 早々と頭を下げて、相変わらず音もなく立ち去る上司の従士に対してベガは苦笑する。

 どうにも面白い人物が集まるディーナ・ゲイルディアという存在であるが、ベガの中では自分もその面白い人物の一人であるし、何より集めている本人が面白い人物に他ならない。

 そう思い、笑みを深めて新しく届いた書類へと意識を向けた。

 

 

 

 

「見つけました。降りてきなさい」

 

 アマリナがクロジンデを見つけたのはあれから数分も経過せずにである。

 見つけた場所は庭先にある木の上なあたり、アマリナの言う『野良猫』という呼称に間違いらしい間違いはないのかもしれない。

 件の野良猫はそんなアマリナの声に反応して、薄く開いた瞼で自分と同じ服を着たアマリナの存在を確認してから、大きく欠伸をして、今一度夢の世界へと旅立とうとした。

 

「……」

 

 それに対してアマリナは怒声を出すこともない。慣れている、というわけではないが、半分ほどの諦めもあった。

 だから、アマリナは手の平程の大きさの短剣を自身の影へと投擲した。

 時間にして瞬く間。そんな短い時間であり、動作に音らしい音も無い。

 

 影から影へと渡った短剣はその勢いのまま、先ほどまでクロジンデが横たわっていた太目の枝へと突き刺さり、アマリナは思わず舌打ちを一つ。

 奇襲ともとれる攻撃に対して即座に反応し、音もなく木から降りたクロジンデは眉間を寄せてアマリナを睨みつけている。

 

「なに」

「その服を着ているからには。いいえ、お嬢様にお仕えしている身なのですから、仕事はしてもらいます」

「……やだ」

 

 思いっきり顔を顰めてアマリナの言葉を拒否してみせたクロジンデは女中服に着いた葉と土を払い、欠伸を一つ。

 アマリナはニッコリと笑みを浮かべ、手元で作った影から細身の剣を取り出して握る。

 そんな動作をジッと見つめながらクロジンデは小さく息を吐き出す。細く、細く息を吐き出して、肺の中を一度空っぽへ。

 一歩。音を鳴らして、右足を後ろへと下げる。

 短く空気を飲み込んで、地面を蹴り飛ばし、小さな体躯を弾き飛ばす。

 

 鋭く金属がぶつかる音が二人の鼓膜に響くが、お互いに視線を逸らすことはない。

 

「やっぱり普通の女中じゃない」

「お嬢様に育てられましたから」

「……そ」

 

 短いやり取りの間に幾つかの剣戟の応酬を挟み、クロジンデはやはり片眉を上げて訝しげにアマリナを見つめる。

 蹴りを腹部に入れようとしたけれど、軽々と避けられてしまった。その事は予測できていた事で問題も疑問はない。ただ少しだけ考えられる時間が欲しかった。

 僅かばかりの思考時間を経て、やはりクロジンデは眉間に皺を寄せて、刃毀れをしてしまった短剣を捨てて、新しくスカート内から短剣を握り直す。

 

「はしたない。ゲイルディアに仕える者として問題ですね」

「あの化け物に仕えてるだけ。ゲイルディアに仕えてるわけじゃない」

「ならば尚更です」

 

 ディーナ・ゲイルディアに仕えている。その事実はアマリナにとって重い。

 ハッキリと言ってしまえば、アマリナはクロジンデの事をよく思っていない。

 主を殺しに来た者であるにも関わらず、ディーナが抱え込んだ存在。

 ディーナが雇い入れた、という事実はアマリナも納得している。それこそディーナの言葉だからこそ納得した。ディーナ至上主義者と言ってもいいアマリナだからこそ、納得してみせた。

 けれど、納得できていない心があるのも事実だ。

 それは嫉妬で、恨みで、羨望である。

 

 アマリナは剣を構える。様々な感情を律するように。真っ直ぐに、教え込まれた剣を構える。

 

「構えなさい、野良猫。性根を躾けてさしあげます」

「……」

 

 クロジンデも小さく息を吐き出して構える。

 面倒な雑務よりも、楽しそうな()()に目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きてるか?」

「……ん」

 

 ヘリオの声に反応して、ガサリと音を鳴らしながら枝から落ちるように着地してみせたクロジンデ。

 日中にアマリナと戦闘してみせたが、既に太陽は落ちて辺りは暗いが、見えないほどではない。

 空に浮かぶ月を目を細めて眺めてからヘリオへと顔を向ける。

 

「なに?」

「あー、なんだ。珍しくアマリナが戦闘で負けたって言ってたからな」

「勝ってない」

 

 あんな戦闘など戦闘と言えない。だから勝ち負けではない。

 クロジンデからしてみれば、自分も相手も生きているのだから勝負の結果としては不十分であるし、何よりお互いに本気ではなかった。

 自分は短剣で打ち込みをしていたし、あの女も剣を使っていた。

 一度目で気付いた違和感は打ち込めば明確になり、予測を裏打ちした。

 

 アマリナは剣術家ではない。不得手、とも言えないのは化け物の教育だからだろう。

 とクロジンデはテキトウなあたりを付けている。

 

「それでもアマリナ相手に一撃も貰わないのは凄いと思うぜ? アレでもそこそこには強いからな」

「……でもアナタの方が強い」

 

 だからこそクロジンデはヘリオを目の前にして警戒を解かない。いつでも体を動かせるようにしているし、いつでも逃げられるように経路を考えている。

 自分よりも圧倒的な強者。ゾワゾワと背筋を這う嫌な感触。自分では殺せない相手。

 隙らしい隙はある。それこそ今目の前にいるのは戦闘へと意識を向けていない状態である。それでも、その隙を突いても殺せる気がしない。

 化け物と称するディーナに勧誘された直前よりも明確な差。

 

「そんなに警戒するなよ。お嬢が雇ってんだから、今すぐ俺がどうこうするつもりはねぇよ」

「自分を殺そうとする上位者には警戒する」

「まあそれもそうか」

 

 クロジンデを殺そうとしている。それをヘリオは否定しない。アマリナも同じ問いかけをされたら否定をしないだろう。

 

 今すぐ殺すつもりはない。ディーナが雇っている限り、殺さない。

 

 アマリナと対峙していた時には感じていた眠気も夜という環境と目の前にいるヘリオによって吹き飛んでいる。

 王城にいた時も幾人かに覚えた感覚。違いがあるのは明確に自分を知覚されていること。

 

「アンタのことはお嬢が言い始めた事だからな。俺たちにはどうする事も出来ねぇよ」

「ならよかった」

「次にディーナ様に噛みつこうとしたら殺すけどな」

 

 笑いながら言うヘリオであるが、クロジンデはその笑みを見て息を飲みこむ。

 それほどまでに化け物に心酔している。本気で殺し合えばクロジンデは死ぬであろうし、ヘリオも無傷では済まない。その事を理解してなお、ヘリオは明確な殺意を向けている。

 兄妹、よく似ている。と言うべきか。それとも化け物と共に歩んできたからか。

 どちらにせよ、クロジンデには理解しえない感情だ。

 

「なら、私への八つ当たりをやめて。面倒」

「その面倒に付き合ってくれたじゃねぇか」

「気まぐれ。次は無い」

 

 日中の行動はアマリナの実力を測る為のものだ。いつか自分が逃げ出す時の保険と指標に過ぎない。

 気まぐれと言ったのは目の前にいる対象もその指標にしなくてはいけない相手であるからだ。今すぐ逃げることもできないが、そうする必要性もない。

 あるとするのなら、居間の主があのままであった場合だ。

 

 人として逸脱している、化物である雇用主。

 決して力量として強くない筈なのに、底がわからない警戒対象。

 

「それで。アンタから見たお嬢ってどうなんだ?」

「……化け物」

「あー、そういう事じゃねぇけど。いや、そういう事か?」

 

 頭の中にいるディーナを思い浮かべながらヘリオは悩むように言葉を吐き出す。確かに一目見た時に思った事は悪魔であるし、している行動も化け物である。

 けれど、ディーナ・ゲイルディアという存在は単なる人間であった筈なのだ。それも装飾で着飾った、弱い人間であった。

 そうであったヘリオとアマリナは知っている。強くなろうと決めたのはそんな主を守る為でもある。

 

「……お嬢は元々は()()じゃなかったんだがなぁ」

「じゃあ戻せばいい」

「それでもディーナ様はディーナ様なんだよ」

 

 そう笑うヘリオを見ながらクロジンデは顔を歪める。

 わかっていてもソレを修正しないのは既に彼らが如何様な道であろうと彼女と歩むと決意しているからだ。

 だから、クロジンデは顔を歪める。理解できない者を見るようにヘリオを見る。

 

「……私は、嫌」

「ああ。だろうな。だから、ほどいい所で逃げ出したほうがいいぜ」

「逃げ出したら殺すくせに」

 

 ヘリオはその呟きには答えずに笑顔を浮かべた。

 溜め息を吐き出して、事実を流す。

 クロジンデに正確に意図が伝わったことを理解したヘリオは未だに明かりが灯る主の部屋を見てからクロジンデへと視線を戻す。

 

「アンタは……まあ動かないだろうなぁ」

「意味がない」

「御尤もで」

 

 クロジンデに助力は求めることができない。自分たちが動くことができない。

 加えて言えば、クロジンデもヘリオもアマリナもシャリィも理解している。

 ディーナ・ゲイルディアを止めることができない。

 クロジンデからしてみればディーナという化け物は元々がそうであった。少しばかり、人間から逸脱しようが、待遇と契約金の良い雇い主に他ならない。彼女が動くのはそれらが脅かされてからだ。

 

「アナタは……アレが本当に化物になればどうするの?」

「その時は一緒に地獄に落ちるさ」

 

 軽々しく、けれども固い意志を瞳に宿した言葉である。諦めではなく、惰性ではなく。

 クロジンデはゆっくりと言葉を咀嚼して、飲みこむ。これもまた彼女には無い感性であった。

 短く、切り捨てるように「そう」と言葉を返してクロジンデは溜め息を吐き出す。

 

「やっぱり、面倒な兄妹」



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65.悪役令嬢は頼みたい。

 記憶よりも少しばかり長くなった灰銀の髪と鋭く切れるような瞳を見ながらディーナは自身にも流れる血の濃さに諦めと感嘆、そして半分以上の皮肉を込めて息を吐き出した。

 

「さて、一応問いますけれど。アレクがどうしてここに?」

「……親父から何も聞かされてないのか?」

「出向の挨拶も出来ない無能は実家に帰すようには言われていますわね」

 

 冷徹にも見える笑顔で自身の弟を鋭く睨むディーナであるが、父であるクラウスからはそんな事は言われていない。父から送られてきたのは家紋で封蝋された便箋と陛下と騎士団長の名前が書かれた出向届だけである。

 これだけ送ればお前にはわかるだろう、という父と陛下の重圧と期待を容易く理解しながら、ディーナが恨み節を僅かに口にしたのはつい先日のことである。

 

「……アレク・ゲイルディア。今日よりゲイルディア男爵の治めるカチイ配属となりました。出向届は既に届いているとゲイルディア侯爵より伺いましたが?」

「ええ。よろしい。認めますわ」

「必要か? これ」

「形式的なものであろうと、貴方はこれから先、言われる側に立つのだから一度は言っておいた方がいいでしょう?」

「……アンタや親父の考えがわかんねぇよ」

「お父様からは何も聞かされてないのかしら?」

「姉貴はあの親父殿が腹の内を全部喋ると思うか?」

「喋るなら偽物に違いありませんわ」

 

 お互いの父への"尊敬"を語り(騙り)ながら鼻で笑う。

 長椅子へと座るように手で促しながら、ディーナは手元にできた影を二回叩く。そうして音も無く出てきた褐色肌の女中に対してアレクは一瞥して、視線をディーナへと戻した。

 

「それで、親父殿の考えは?」

「貴方の教育でしょう。騎士団では政務に関しては学んで無いのでしょう?」

「ああ。……待て、なんで騎士団に入ってたことを知ってるんだ?」

「風の噂になる程度には貴方の名が挙がっただけよ」

 

 アマリナに淹れられた紅茶を飲みながら軽々とディーナは答える。

 実のところ、父であるクラウスからアレクが騎士団に入団したことを告げられているし、レーゲンの事件で騎士団とは全面闘争になる可能性もあった為に調べ上げてアレクの実力を情報として知ったのだが、それを言う必要もディーナには無い。

 アレクの才能があればそれぐらいは当然のことだろう。とディーナ自身も認識していた事であるから、驚きも無かったが。

 あの才能が正しく磨かれたのならば、今頃はレーゲンといい勝負になっていたかもしれない。

 

 姉からの言葉に僅かばかりの気恥ずかしさ誤魔化すように話を戻す。

 

「それは、まあいいんだが。俺の教育をなんで姉貴が?」

「近い内……と言っても数年後でしょうけれど、貴方が領主になるからですわ」

「どこの?」

「カチイよ。そして未来のゲイルディアの当主への教育でもありますわ」

「……待て待て。ゲイルディア当主には姉貴がなるんだろ?」

「お父様は貴方に期待していますわね」

 

 淡々と事実を告げるディーナに対して、その事実を初めて聞かされたと言わんばかりに驚いているアレクは眉を寄せて、納得できないと表情だけで語ってみせる。

 その表情を見ながら、ディーナは父に恨み節を飛ばす。魔法が不発になってしまうので届くこともないが。

 アレクからしてみれば、自身よりも強く、さらに政務能力も高い姉こそが当主に相応しく思っていた。何を考えているかわからない親父に対して恨み節を飛ばした。魔法を十全に理解していないので届くこともないが。

 

「辞退とかできねぇか……」

「大きな問題を起こせば先送りには出来るでしょうけど、無駄でしょうね」

「アンタよりもデカイ問題を起こすと処刑じゃねぇか」

「処刑にはなりませんわ。秘密裏に処分されるだけですわね」

 

 その時動くのは私でしょうけれど。と加えて言ったディーナに更に眉間の皺を寄せるアレク。

 レーゲン・シュタールに纏わる問題は騎士団でも推測や憶測で様々な議論が飛び交った。ゲイルディアが主犯である。ディーナ・ゲイルディアがレーゲン・シュタールに罪を擦り付けた。

 様々な事を言われたが、その渦中にいたアレク・ゲイルディアという存在は「姉貴が必要と思ったならやるだろう」と同調していた側であったし、騎士団をレーゲンを追えなかった原因も被害者側であった。一年で積み上げた評価と実力はその程度で崩れることはなかった。

 同時に口にはしなかったが、本当に姉が主犯であったのならば、恐らく罪の矛先は別の場所に向いていただろうし、そうでなかったのは何かしらの事情がある事も理解していた。口にすれば糾弾されることは目に見えていたし、緘口令も布かれ、姉自身も軟禁された事で言う機会を逃した。

 

「やっぱり、レーゲンさ……レーゲン・シュタールには何かあったんだな」

「貴方が当主になったのなら教えてあげますわ。その時まで私や貴方が覚えていれば、ですけれど」

「アンタなら覚えてるだろ」

「さぁ? 覚えていても言えないかもしれませんわ」

「それこそ冗談だろ」

 

 惚けてみせた姉に対してあり得ないと断じた弟は淹れられた紅茶を少し見てから、口をつける。

 渋みと苦みが広がり、豊かな香りが鼻を通り抜けた。

 

「……美味いな」

「ええ。自慢の従者よ」

「……それで、アンタを師事するのに文句はないが、俺は何をしたらいいんだ? 盗賊の討伐とかか?」

「残念ながら。カチイ周辺に賊の目撃もなければ、魔物達の討伐も定期的に行っていますわ」

「そうか……」

「機会があれば参加してもいいけれど、先にある程度の政務をこなせるようになりなさい」

 

 少しだけディーナは顎に手を当ててから既に書き終わった書類を一枚アレクへと手渡した。

 渡された書類を見ながら羅列されている数字と文章を読みながら姉の求めている事を読み解こうとしたが、アレクにしてみれば初めて見る内容である。

 ただ姉の名前が書かれていることから承認された書類であることはわかる。それだけしか解らない、

 

「内容は?」

「……川の氾濫による被害復興支出じゃねぇのか?」

「文字は読めるようで安心しましたわ」

「もしかしなくても馬鹿にしてるのか?」

「まさか。前に教えた子の一人が文字を読めなかったから念のための確認ですわ」

「俺の他に教えてるヤツとかいるのかよ」

「ええ。優秀な拾い物でしたわね」

 

 姉の言う『優秀』という()()に対して顔を顰めるアレクであったが、自身とは関係無いと割り切る。

 アレクからしてみればディーナほど優秀と言える人間はいないし、騎士団にいた頃にもディーナ・ゲイルディアという傑物と比べられたことは何度も経験していることだ。

 

「貴方はフィアに就けましょう」

「付き人なんていらねぇけど」

「そんな人的余裕はカチイにはありませんわ。それに下に就くのは貴方よ。アレク」

「は? アンタが教えてくれるんじゃねぇのか」

「私には時間がありませんの。貴方の面倒を見る時間すら惜しくなるぐらいに」

 

 眼鏡越しの青い瞳が鋭くアレクを突き刺す。

 自身と姉の確執に関しては重々に理解しているアレクであるが、同時にディーナがその程度の理由で自分に教えを与える事を拒絶するとは考え難い。

 そうなると……、と考え始めたところで扉が叩かれる。

 

「主様、お呼びでしょうか?」

「ええ、いい時に来たわね。入りなさい」

 

 開かれた扉からはギィと木が軋む音と僅かに木材同士が擦れる音をアレクの耳は捉えた。

 最初に映ったのは白の髪。開かれた瞳は赤く、膝に積んだ紙束が彼女が車輪の付いた椅子を動かす度に揺れている。

 チラリと赤い瞳がアレクを捉えて、頭が下げられる。

 上げた顔をそのままディーナへと戻した白の少女――フィアは紙束をディーナへと手渡した。

 

「主様。任されていた文書を纏めておきました」

「ご苦労様。彼はアレク・ゲイルディア。私の直系の弟ですわ」

「貴族様でしたか。このような恰好で申し訳ありません。フィアと申します」

「アレク・ゲイルディアだ」

 

 今一度、頭を下げたフィアとは対照的にアレクは頭を下げずに応対する。

 まじまじとフィアの乗っている動く椅子や、彼女自身を見て、アレクは目を閉じて視線を姉へと向け直す。

 

「姉貴。本気でこの娘の下に就け、って言ってるのか?」

「ええ。彼女に教えを請いなさい」

「本気かよ……」

 

 自分よりも明らかに年下であろう少女に教えを請えというのは貴族であるアレクにとって中々に屈辱的な事象ではある。

 優秀である姉と比べれば恐らく数段も劣るであろう少女にである。

 

「主様、私も反対です」

 

 現実に頭を抱えるアレクに同調するようにフィアからも言葉が飛び出した。

 助力を得られそうな事に期待をしながらフィアを見たアレクにフィアは微笑みを浮かべながら口を開く。

 

「貴族様を私が教えるなど、とてもとても」

「正直に言いなさい」

「はい。足手纏いなのでベガさんにでもお任せください」

「誰が足手纏いだって?」

「貴族様以外にいらっしゃいますか?」

「やめなさい。フィア。貴女にしか頼めませんの」

「そうやって耳障りのいい言葉で騙されるのはレイとアマリナさんとヘリオさんとシャリィ師匠だけです。私は言い包められませんよ」

 

 拒絶を露わにした貴族に対して不敬な白い少女は相変わらず微笑みを崩すことはない。

 足手纏いと言われた上に貴族に対しての態度に顔を顰めながらも、自身もこのような少女に教わることなどできないと感じているアレクはディーナへと視線を向けて同意を示す。

 二人からの視線に対してディーナは深く溜め息を吐き出してから、今一度口を開く。

 

「フィア、貴族を顎で使うのは楽しいと思わない?」

「なるほど、確かに」

「おい」

 

 少女に実の弟を顎で使う権利を提示した姉と拒絶を示した割りにアッサリと手の平を返して乗り気になっているフィアに思わず口を出してしまうアレク。

 フィアは少しだけ考えるように顎に手を置いて、瞼を閉じる。

 

「顎で使う趣味はありませんが、わかりました」

「おい、お前はいいのかよ」

「ええ。他ならぬ主様の頼みですから。足手纏いが一人増えた所で業務に問題ありませんし。雑用が増えたと喜びましょう」

 

 ニッコリと笑顔を見せたフィアにアレクは「お前も言い包められる側じゃねぇか」とは口にできなかった。不敬な態度に苛立ちは覚えるが、少女に対して暴を揮いはしない。苛立ちは覚えるが。

 そんなアレクを少しだけ眺めていたディーナは一つ頷いてから「じゃあよろしくお願いしますわ」と言い、二人の退出を促した。

 

 

 キチンと座りながらも礼をして退出したフィアとは違い、納得いかなさそうな顔をしながらアレクも執務室から出る。

 

「これからよろしくお願い致します、貴族様」

「よろしくされる態度じゃねぇな」

「お言葉をそのままお返し致します」

 

 笑いながらもしっかりと敵意を露わにするフィアであるが、スッと目を床に向けてからアレクへと視線を上げる。

 

「お噂はかねがね聞いております、アレク・ゲイルディア様。お強いそうですね」

「まあ、王国騎士団に所属していたからな」

「なるほど。その言葉が嘘でない事を願います」

「あ? 嘘じゃねぇが」

 

 ギィギィと椅子の車輪を器用に転がす白い少女の背に向かって、苛立ちを隠そうともせずに言葉を口にしながらアレクはたった数歩で追いついて、手を伸ばそうとしてから迷ったように声を続ける。

 

「なあ、押した方がいいか?」

「お心遣い痛み入ります。結構です」

「……そうか」

 

 行き場の無くなった手で自身の灰銀の髪を掻き、自身が空回りをしている事を自覚しながらもアレクは車輪で動く椅子に歩幅を合わせて比較的ゆっくりと歩く。

 隣に来たそんなアレクを横目で見ながらフィアは少しだけ先の事を考える。

 考えて、考えて、考えて、一つずつ可能性を潰していく。

 

「主様が幼少の頃はどういった人でしたか?」

「あ? 今と変わんねぇよ。完璧も完璧だったな」

「……そうですか」

「あー、でも、学園にいた時は……いや、なんでもねぇ」

「アマリナさんに暴力を揮って決闘をされたんでしたっけ?」

「なんで知ってんだよ」

「主様の事は一度調べましたから」

 

 ニッコリと笑顔でそう言い切ったフィアに「姉貴の周りにはこういう人間しか集まんねぇのか?」とぼそりと呟いたアレク。

 事実を言えば、フィアがディーナ・ゲイルディアを調べたのは「主様の来歴を知りたかった」という理由からではなく、「新しく領主になった人間を知る為」であるし、更に言えば搦め手で討ち取ろうとしたからであるのだが。当然、フィアはその事をアレクに言いはしない。これ以上の警戒される理由は作りたくはない。

 上手く扱えれば強い駒になる可能性があるのだから。

 

「それで、私は貴族様に何を教えればよろしいので?」

「政務と財務だな。よろしく頼む」

「…………」

 

 頭を下げたアレクを見て止まるフィア。木材が擦れる音が止まったのを察して顔を上げるアレクは訝しげな表情をする。

 

「どうした?」

「いえ、主様だけが変な貴族というわけではないのだなぁ、と」

「馬鹿にしてるのか?」

「馬鹿になど、まさか。ただゲイルディア家というものが噂通りでは無いのだと再確認しただけです」

 

 世間のゲイルディア家の評判を思い出しながら、アレクは口をへの字に曲げる。

 評判を変えようとしない姉と父と母を思い浮かべながら、アレクは「いや、評判通りだぞ」という言葉を頭を抱えたくなる気持ちと一緒に飲みこんだ。

 姉はゲイルディア家でも随一の才覚を持って生まれている。そんな姉と同じとは自分は言い難いし、父もまた姉とは――、と弁護を考え始めた所で頭を抱えた。

 

「どうかなさいましたか?」

「いや、内容を言わずに人に命令するのは血が原因かもしれん」

「……あぁ。随分とご苦労を……」

「やめろ。急に同情するな。憐れむな。頼むから」

 

 恐らく似たような命令を受けたであろうフィアからの視線に、明らかに自身よりも年下の少女からの憐れみの視線に耐えられなくなったアレクは彼女を見ない様に片手で顔を覆った。



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66.悪役令嬢は従いたい。

生きています


 剣が風を斬り、音を刻む。

 振り下ろし、斬り上げ、薙ぎ払う。

 剣を振り続けて月が動くほどの時が流れた。それすらも気が付かない程の集中を以てして、アレクは剣を振り続ける。

 自身の動きを意識し、内部で動く力を確認し、理想の精錬へと積み上げる。

 

 追いつけない理想。幾度も繰り返し描いた軌跡をなぞる。

 理想は笑うでもなく、ただただ憐憫の視線をアレクへと向け、剣も握っていない()()を差し向ける。

 

 舌打ち。避けれたと確信などできない。

 自身の理想。強さの象徴。憧れと劣等の標。

 嫉妬すら追いつかない。

 

 飲み込んだ息をようやく吐き出せた。肩で息をして、深く吸い込んでから吐き出す。

 瞬間、弾けるように感じた首筋の悪寒。

 反射的に地面に向いていた鋒が何かに弾かれたように急速に動き、悪寒へと鋭くその身を向けた。

 

「おっと、危ない」

「……なんだ、お前か」

「随分な挨拶ですねぇ」

 

 両手を肩まで上げた褐色の男は相変わらず少し軽い口調でアレクの前に現れた。

 息を吐くとともに緊張を解いたアレクは男が差し出した乾いた布を受け取り流れていた汗を拭い、改めて男へと視線を向ける。

 

「何の用だ?」

「いえ、アレク様が夜半に訓練をなされているもので。ま、興味本位ですよ」

 

 ヘリオの言葉をアレクはマトモに受け取らず、眉間に皺を寄せた。

 この奴隷は姉であるディーナの側近にして、主の為だけに動く存在である。

 主の弟である自分には興味の欠片もない事は知っている。

 

「まあまあ、そう邪険にしないでくださいよ。これでもアレク様にはある程度の情は湧いてるんですよ」

「少なそうな情だ」

「この国に対する想いよりもありますよ」

 

 ヘラリと笑う男にアレクは余計に皺を深めた。

 こういう兄妹であることもまた知っている。

 それこそ『主であるディーナ・ゲイルディアの為である。』その理由さえあれば矜持もいらないというような人間だ。

 故にアレクは苦言を漏らさざるを得ない。 

 

「……他の貴族を前にして言うなよ」

「他のお貴族様を目の前にしているのなら喋りもしませんよ」

 

 奴隷である身分に相応の対応をするだろう。

 当然味方であるならば、彼らは喋ることすら許しを請う必要がある。

 敵対している相手であれば、許可すら必要ない。語る必要性すらない。

 気を許している、と言えば聞こえはいいが、そうではない事をアレクは理解している。

 この兄妹は姉の剣であり、盾である。

 

「姉貴の下は全員そんな感じか?」

「あー、そういえばフィアに就けられたんでしたね。優秀でしょう」

「あの年齢で姉貴から信頼を得ているという点を考えれば優秀だろうな」

「おや、ご自身で仕事ぶりを見たのでは?」

 

 見ていた。日中のアレクは散々に数字と格闘を繰り広げた。

 純粋な戦闘であれば楽であっただろうが、苦戦した。

 騎士団では雑に済まされていた書類。騎士団ではソレで良しとされていた。

 訓練として提出した簡易な書類を何度か書き直しを命じられ、鬱憤が溜まったのは嘘ではない。

 ここが間違えている。この数字がおかしい。書き損じ。他にも色々と言われた。

 

 ソレに対してアレクは反論をせずに間違いを修正し続けた。

 実際、自身が劣っている事は理解できている。比べているのは姉であり、そして現在の教師である白い少女だ。

 

「……どうにかならんか?」

 

 それはそれとして鬱憤は溜まる。それはもう溜まる。

 苛立ちを表にせずに師事していたが、こうして訓練に熱が入り、ヘリオの接近に気付かぬほど。

 これが名のある貴族の嫡男で、自身よりも年上であったならば。アレクの苛立ちは少しばかり軽減されたかもしれない。

 生憎な事に、名も聞いたことの無い、自分よりも年下の少女である。

 

「どうにもなりませんね。お嬢はアレク様にご期待なされているので」

「期待? 嘘だろ」

「まさか。嘘なら、アレク様は今頃俺と一緒に警邏側に回ってますよ」

 

 そっちの方が幾分にも楽だった。とはアレクは言わなかった。

 姉の考えはわからない。口では未来の当主への教育とは言っていたが。自分よりも劣っている弟をゲイルディア家を譲るとも思えない。

 数巡してみた所で、自身の親族達が何を考えているかなど自分にはわからない。

 世間で言われている悪評ほど悪い人間では無い事は知っているけれど。

 

「それでもなんであの子供なんだよ」

「それが一番効果的で効率的だからですわ。なんてお嬢なら言いそうですねぇ」

「お前には言うが、オレに伝わらなければ意味が無いだろ」

「お嬢は悪魔ですが、無意味な事はしませんよ」

 

 それはわかっている。

 それがわかっているからこそ、アレクは嘆くしかできないのである。

 

「オレがゲイルディアの家督を継ぐ、というのは……いまいち納得できん」

 

 根本的にアレクを悩ませている原因はソレである。

 父であるクラウスを継ぐのは優秀な姉であると思っていた。それこそ、自身は戦場を駆ける方が性に合っている。戦うことしかできない人間と言い換えてもいい。政治はからきしである。日中には少女からズタボロに言われ続けられるほどである。

 だからこそ、姉の意図がわからない。

 過去で殺そうとした弟に今は家督を譲ると言っている。

 

「姉貴が正式になるべきだろう」

「それはお嬢に言ってくださいよ」

「あの性悪姉貴や極悪親父がマトモに答えると思うか?」

「……アレク様相手なら普通に答えそうですけどね」

「まさか。それこそ偽物か疑うべきだろう」

 

 冗談にしてはタチが悪い。どうせはぐらかされるのがオチである事は明白である。

 加えて、あの姉の偽物を疑わなければいけないというのは精神衛生上よろしくない。偽物よりも性悪な現実が待っているという事だ。

 少しだけ思考して、僅かな可能性を見つけて眉を寄せる。

 

「……姉貴の体、どこか悪いのか?」

「……今は問題ありませんよ」

「悪かったのか」

 

 その答えはヘリオは答えなかった。答えずに、未だに明かりの点いている館の二階にある主の執務室へと視線を向ける。

 自身では止められない。

 自身達は主の意志に従うだけである。例え地獄に行こうが、それは変わらない。

 

「そう考えれば……いや、今は問題無いんだな?」

「ええ。現状は、ですけど」

「……何か心当たりでもあるのか?」

「お嬢は無茶をよくするので」

 

 その言葉をアレクは冗談として受け取った。

 完璧であり、余裕を常に持つような姉が無茶をするとは思えない。少なからず危機に陥ったとしても、全て計算の上で成り立たせているだろう。

 それが無茶と見えるようにしている、と考える方が妥当かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

「納得できません」

「あら、一日目は様子見すると思いましたのに。随分と早く来ましたわね」

 

 自身の執務室で筆を動かす手を止めてディーナは不満を漏らしたフィアへと視線を向けた。

 車椅子の上で静かに膝の上に手を重ねているフィアの表情は怒りも呆れも含まれていない、淡々とした表情で自身の主へと視線を返す。

 

「アレクへの不満かしら?」

「あの方への不満はありません。私のような子供の言葉も聞き入れ、正論を説けば納得してくださいます」

 

 少しばかり驚いたような表情をしてディーナは微笑み、自慢をするように口を開く。

 

「当然よ。ゲイルディアの嫡男ですわよ」

 

 ディーナの言い回しにフィアは少しばかり目を伏せて、一つ息を吐き出す。

 そんな溜め息に対してもクスクスと笑みを浮かべたディーナは墨瓶の蓋を閉めながら言葉を吐き出す。

 

「それに、アナタにとっても都合が良いでしょう?」

「……なにの事でしょう」

「今更隠さなくても結構よ。アナタは私を許せないでしょうし。理解はしているわ」

 

 椅子に深く腰を掛けて、ディーナは指を組んで微笑む。

 対してフィアは表情を崩さないように笑みも浮かべずにディーナを見つめる。

 

「彼はやがてゲイルディアを治めるわ。否が応でも」

「主様が適任だと思いますが?」

「アレクと一日働かせるだけで世辞を言えるようになったのね」

「あの方にも世辞は言いませんよ」

 

 冗談よ、と苦笑したディーナはその笑みを冷たい冷徹なモノに変化させながら口を開く。

 

「フィアとレイは、近い未来でアレクに仕えるわ」

「私をあの方に近くに置いたのはその為ですか」

「能力を示すのは得意でしょう? それに、アナタは少し貴族と接しておきなさい」

「主様とはよく接しておりますが?」

「私以外の、よ」

 

 尤もアレクがあそこまで軟化しているのには驚いたけれど。と小さく付け加えたディーナはクスクスと嗤いを漏らした口元を隠す。

 ディーナの予測に対してフィアは少しばかり思案して、ようやく表情を険しくした。

 

「主様は……私たちを手放すと?」

「私がアナタたちを手放すなんてしないわ。いいえ、結果としてはそう言い換えてもいいのかしら」

「……死ぬおつもりですか」

「アナタが殺しにくるのでしょう?」

 

 信頼しているからこそ。自身の教え子だからこそ。計算高いフィアだからこそ。

 ディーナはその選択を間違いだとは言わない。先にも言ったように、理解している。 

 

「アナタには殺されてあげられませんわ」

「まるで私以外に殺されることがわかっているような口振りですね」

「ええ。私は近い()()、アナタが殺しに来た後か、前かはわかりませんが。近い未来で、ディーナ・ゲイルディアは殺されますわ」

 

 まるで他人事のように自身の死を吐き出した主をフィアは表情を一層険しく歪める。

 主が死ぬ理由を幾つか考えて、自身では予想でしかない部分を補いながら、理由を探す。

 探した所で、この主がそれを正すとは思えない。それこそ部下である自身が殺しに来ると断言していても、防ぐことも、妨げようともしない。

 

「なぜ、とお伺いしても?」

「――私がディーナ・ゲイルディア(悪役令嬢)だからですわ」

 

 自身の名前を吐き出した主は笑みを浮かべて表情を隠した。

 フィアは少しだけ瞼を閉じて、空気を吸い込む。

 思考を巡らせ、自身の計画を辿り、瞼を上げる。

 

「主様の言葉は十分理解致しました」

「あら。それは重畳。なら、今の貴女の扱いにも納得してくれるかしら」

「いえ、全く。一寸も納得できかねます」

「それは困ったわね。これでも信じるに値する貴族は指折る程度しかいないのだけれど」

「ご安心ください。納得できかねようが、不満があろうが、主様のお言葉なら従いましょう」

 

 ニッコリと笑う白い少女にディーナは笑みを返してみせた。

 

 

 

 

 

 納得は無く、不満もある。けれども命令であるから。

 フィアが執務室から出た扉を眺めながら、ディーナは一つ息を吐き出す。

 心苦しさはある。自身の先の事を考えればこれが最善でなくとも、最良である命令であることも理解できている。

 ディーナは眼鏡を外して、目頭を揉む。

 

「これでいい。この選択は間違いではない」

 

 自分に言い聞かせるように呟き、瞼を閉じる。

 リゲル、アサヒ、レーゲン、イワル――そのどれもが上手く行き過ぎた。

 運が尽きた。とはディーナは考えない。むしろ向いている。非科学的な論理であるが、魔法の蔓延る世界には今更だろう。

 瞼を上げる。

 深い青から空に。空から緑へ。緑から赤、次は紫に。

 世界を映す右目が変化しながら、ディーナ・ゲイルディアは右手を天井に翳して見つめる。

 歪な魔力が刻まれた右手。意識して魔力を動かせば流動する軌跡を見る事ができる。実に歪な右手。

 

「……ッ」

 

 僅かな震えを自身に隠すように、右手が握りしめられる。

 想像できる未来。予想できる未来。自分が死ぬ未来。

 それは必然である。それは決められた事である。

 自身は――悪役令嬢なのだから。

 だからこそ、全て上手くいく。その役割を果たすまでは。

 だからこそ、自分は死ぬ。その役割であるから。

 

 それが与えられた運命(チャート)である。

 

「……それまでは、安心できる」

 

 それからは、わからないが。世界は上手く回るだろう。

 自身が上手く行き過ぎている。自分の力量を考えても、運が良すぎた。

 手から零れ落ちたモノもあるが、ソレを加味しても。

 どれほど自分が抗っても、世界はその通りに動く。

 悪役令嬢は弟や教え子に殺されることなどない。

 悪役令嬢は毅然と振舞い。完璧であり続け、主人公に負ける。

 

 それまで、負ける事などありえない。

 どれほど賽を振ろうが、硬貨を弾こうが、その結果に変化などない。

 

 ただ一度。その一度だけ。そして一度の敗北で終わる。

 

「ベタな事は、新興宗教に巻き込まれて同時処断か? まあ初代勇者なんて祀り上げてるオカシイ奴らが膿だろうしありえそうだな」

 

 自身の中でありえそうな未来を考えて、悪役令嬢は溜め息を吐き出した。



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67.悪役子息は問い詰めたい。

「――問題ありませんね」

「そりゃぁアレだけ言われたらそうだろうよ」

 

 アレク・ゲイルディアがカチイに来て十日。アレクは自身の上司に充てられたフィアの言葉に口をへの字にしながらも応えた。

 この十日。アレクにしてみれば苦行の十日であった。自身よりも年下の少女に間違いを幾度も指摘され、突き返される書類と格闘の日々。夜の心の疲労回復の為の運動にも熱が入るというものである。

 

 対してフィアにしてみれば十日という時間で指摘するような間違いが減ったというのは素直に驚きがあった。アレクの教育環境と自身の育った環境を比べる意味もないが、もっと捻くれた矜持の持ち主だと思っていた。

 自分よりも年下、さらに言えば平民でも下位に位置しているだろう自分のような出自の女に教えられているというのに反発らしい反発もせずによく飲み込み続けれたものである。

 

「アレク様はご優秀ですよ」

「世辞はいらん」

「世辞を言えるほど雄弁ではありません」

 

 言おうと思えば存分に言えるが、彼に対して事実を装飾する趣味はない。

 主であるディーナであっても同じ事を言うだろう。尤も、あの主が言うから皮肉にも嫌味にも聞こえるだろうが。

 自分が教える事も含めて、彼は保存されている書で学ぶ事もした。だからこそ、世辞も皮肉も必要はない。

 

 十日ほど、フィアという少女を見ていたアレクにしてみれば世辞も言えるだろうし、腹芸も得意な部類であろう。少なくとも素直で実直という性格とは程遠い。

 何よりあの姉が重宝するような人材である。優秀である、という一点だけで人を傍に就けるとは思えない。腹に一つや二つ何かを抱えていてもおかしくはない。

 

「間違いがなければ問題無いが。少し確認したい事もできた」

「これまでの書類には何の間違いもありませんが?」

「俺が携わった物ではなく……川の氾濫による支出だ」

 

 なるほど。とフィアは小さく頷きながら、車椅子を動かす。動かす度に木々が擦れる音を吐き出しながら、フィアは幾つかの纏められた紙を用意した。

 出された紙を見ながらアレクは唸る。

 

「これは私が個人的に纏めているものです」

「……頭が痛くなってきたが」

「理解できる程度にはお教えしたと思いますが?」

「だから頭が痛いんだが」

 

 溜め息を一つ吐き出して、アレクは数字が羅列された紙を手に取り、上から下へと目を滑らせる。内容は各村や街から徴収できている税と()()()()()()()()()()()()。そしてカチイからの支出と不透明な貯蓄である。

 こうして纏められ、要点を纏められているからわかるが、幾度か提出したような書類ではわからないように巧妙に隠されている。

 自分が気付いたのはここに来た時に姉から渡された書類であったから。という漠然とした理由であった。それこそ姉であるディーナが単純な書類を自分に見せるとも思えなかった、というのも理由であるが。

 紙一枚から不正を見抜く事は不可能に近く、政務や財務に明るくない自分では到底無理である事は理解しているが、確かめる為の試金石としては非常にわかりやすい書類でもあった。

 

「不正だな?」

「そうですね」

「……わからねぇな」

 

 頭を抱えながらアレクはフィアへと真っ直ぐに視線を向ける。主によく似た青く鋭い瞳。けれど主にはない実直さが見える。

 フィア自身、人物鑑定に優れているとは言わないが、大人という存在が醜悪である事はよく知っている。そんな大人達にはない、瞳である。

 

「なんで姉貴はこれを許してるんだ?」

「……主様が主犯だとは思われませんか?」

「あまり考えたくない冗談だな」

「冗談も言えほど雄弁ではありません」

 

 ディーナであるならば、この不正を察知する能力も持っているだろう。それをアレクは否定しない。

 だからこそ、姉が見過ごしているとも思えない。世間からの評価を考えれば誠実であるべきである。貴族であるならば、誠実であらねばならない。

 そんな事はディーナも理解している筈だ。

 

 加えて言えば、このフィアという少女も存在もわからなくなる。

 実に優秀である。優秀であるが、この優秀さは姉の教育によるものであることは憂さ晴らしを付き合ってくれているヘリオから聞いている。

 不当に益を得るのを目的とするなら優秀過ぎる配下が危険であることなど自分でもわかる。

 こうして不正内容を纏めているのがその証拠だ。

 

「何故、お前は何も言わない」

「私の身分は主様に担保して戴いております」

「気付いた所でお前からの声など封じれる、か」

 

 悪辣だな。と小さく吐き出してから頭を抱える。

 優秀であるが、優秀なだけである少女。そんな少女が声を上げた所で意味などない。放逐するよりも飼い殺す。賢い姉だからこそ、納得できてしまう。

 問題はそんな賢い姉が自分をこの優秀なフィアに就けた事である。

 ゲイルディアの嫡子。姉自身も「アレクを次期当主に」と言っていた。だからこそ、理解できない。

 黙認すると思われている。或いは気付くように仕向けているのか。

 自分にあの書類を見せた事も手の平の上なのだろう。

 

 アレクは一つ息を吐き出して立ち上がる。

 

「どちらへ?」

「姉貴の所だ」

「現在来客中の筈ですが?」

「知らん」

 

 確か抱えている商人だろう。あの姉であるならば、優先順位を間違えない。

 姉の手の平の上である事は理解している。理解しているが、姉の考えは理解などできない。

 だからこそ、アレク・ゲイルディアは自身が正しいと思う方向に進む。

 あの時、褐色従士を痛めつけていた間違いを再び犯さないように。

 

 

 

 

 

 

 

「姉貴。今いいか?」

「来客中よ。後にしなさい」

 

 弟の声を冷たく拒否したディーナ・ゲイルディアは眉を寄せながら開いた扉を睨みつけた。

 

「いえいえ、商談はある程度纏まりました。私が退きましょう」

「……悪いわね、ゲビス」

「ディーナ・ゲイルディア様には存分に稼がせていただいておりますので」

 

 一つ礼をして、紐で一纏めにした紙束を小脇に抱えた太った男は部屋に入ってきたアレクにも深々と頭を下げて退出をした。

 大きく溜め息を吐き出したディーナは頭を抱えて、自身を落ち着けるようにカップに口を付けた。

 

「緊急の用であるなら構いはしませんが、商人の時は控えなさい」

「商人だとまずいのか?」

「彼らは利益という面だけで言うなら理性的な獣と同じですわ」

「それは……スマン」

「いいですわ。貴方自身も気を付けるように」

 

 ディーナはもう一度息を吐き出してから空になったカップを置いてアレクへと視線を向ける。

 

「それで、商人に貸しを作る必要がある用なのかしら?」

「……俺にとっては急を要する」

「いいわ。聞かせなさい」

 

 指を組み、冷たい笑みを浮かべたディーナに怖気ず、アレクは手に持っていた資料束をディーナの目の前に差し出した。

 

「姉貴がここに来てからの各村からの支出を調べた」

「あら。そんな事は命令した覚えはないけれど?」

「俺が勝手にしたことだ。通常の業務に支障は出ていない」

「ならいいわ」

 

 出された資料束を開きもせずに手元に置いたディーナは変わらず笑みを浮かべながらアレクへと視線を向ける。

 椅子に座りもせずに睨みながらアレクは眉を寄せて椅子に座って余裕の表情を浮かべているディーナに口を開く。

 

「明らかに多い支援金を送っているのはどうしてだ?」

「あら。気が付かなかったわ」

「嘘を言うな」

「冗談よ」

 

 アレクの厳しい一言にディーナは流すように傍らに置いた資料を指で叩きながら笑う。

 明らかに自身にとって不利な情報でありながら、ディーナは余裕を崩さない。崩す意味が無い。

 

「そうね。予定よりは少し早いかしら」

「何がだ?」

「私がわざわざアナタに気付かせるように資料を見せてますのよ? こうなることは予想して然るべきでしょう?」

「……これも試験ってか?」

「ええ。そしてアナタは合格ね。おめでとう」

 

 まるで馬鹿にするように手を叩いたディーナを更に鋭く睨んだアレクは舌打ちをして、ようやく椅子に腰を下ろした。

 ディーナは渡された資料をようやく開き、自分が確認したものと数値が相違ないことを確認する。

 

「アナタ一人で気付いたのかしら?」

「……ああ」

「嘘ね。アナタの優秀さは知っているけれど、物量には勝てないでしょう?」

「……」

「まあいいですわ」

 

 フィア辺りが確信に至るまでの情報を提示したのだろう、と当たりをつけたディーナは口角を上げる。

 あのフィアが数日で行動してきた。ある程度の信頼はこのアレクが勝ち取ったのだろう。それはアレクの優秀さの証明とこうして不正に憤っている性格が起因している。

 あるいは扱いやすいと思われているのか。

 

 どちらにせよ、予定ではもう暫くは掛かると思っていたアレクの教育とフィアとの関係性がある程度確立できたことはディーナにとって嬉しい誤算であった。

 

「それで説明してくれるな?」

「? 何をかしら?」

「アンタが不正をする理由を、だ」

「あら。これ全てが私が作った偽装書類だとは思わないのかしら?」

「アンタが俺の為にそこまでするとは思えん。それに……いや、なんでもない」

「そうね。それならフィアがこうしてアナタに資料を渡したのも疑問が残りますもの」

「……お見通しか」

「私の大切な部下ですもの」

 

 フィアという協力者の名前を出さないようにしていたアレクはディーナの物言いに眉間の皺を深くした。

 主へと牙を剥こうとしているというのに、主はソレを意に介さないように振舞う。自身にとっては障害にすらならないと言わんばかりに。

 資料をある程度読み終わったディーナは肘を机の上において指を組み合わせる。

 

「さて、この不正内容についての説明だけれど……アナタが予定よりも早く見つけてしまったから、状況が整っていませんの」

「は? どういう事だ」

「今のアナタが知る必要は無い、という事よ」

「……」

「先に言いますわ。私に親族殺しなどさせないように」

「……俺が負けるとでも?」

「ええ。アナタは負けるわ。いいえ、違うわね。私が負けられないの」

 

 他者を寄せ付けることもない笑顔で、ディーナは弟を威圧する。

 アレクは唾を飲み込み、拳を握りしめて震えを抑える。

 どうしようもなく、遠い存在。全てにおいて先を往く姉。

 

「そうね。予定が早まったことは嬉しく思いますわ。アナタには少しの間カチイを治めてもらいます」

「……は?」

「聞こえなかったのかしら?」

「いや、聞こえていたから意味がわからんのだが」

「なら理解なさい。何度も同じことを言う趣味は無いですわ」

「……姉貴がいなくてなんとかなるのか?」

「一月程度なら、私がいなくとも問題が無いことは証明済ですわね」

 

 自身が王城に軟禁されていた期間、領地運営は問題無く行われていた。それこそディーナが戻ってきた時には事後承諾となってしまった書類が大量に置いてあったが。

 その書類達の精査も終わり、新しく何かをするような事も現在はなく、災害も野盗などの被害もない。

 ディーナにしてみれば丁度いい時期であった。それもまたディーナにとっては証明となってしまっている。

 

「補佐にフィアとベガを付ければ、アナタにも熟せる業務ですわ」

「……それで、アンタは別の不正か?」

「そうしてもいいですけれど、私には私のすべきことがありますの」

「……聞いてもいいか?」

「ええ。

 

 

 少し、エルフの森へ」



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68.悪役子息は掴みたい。

 木の香りが強く鼻腔をくすぐる。

 木製の湯飲みにいれられた水が自身の淡く反射している。

 持ち上げた湯飲みを傾けて、透き通った水を飲み込み、ディーナはようやく来た目的の人物へと視線を送る。

 

「あらぁ、お久しぶりだわぁ。ディーナちゃん」

「お久しぶりですわ、エフィ様」

 

 朗らかに笑顔を浮かべながら椅子に座ったエフィはディーナの右腕を見ながら目を細めた。

 エルフであるから覚える違和感。人間という種族には不釣り合いの右腕。袖と手袋で隠れていても、違和感までは隠せはしない。

 

「随分と、進んでいるわねぇ」

「ええ。もう感覚のほとんどはありませんわ」

 

 自身の腕である証明のように右腕を持ち上げては何度か開閉させる。手袋の上であるから、などと言い訳はディーナには必要ない。

 触覚は既に消えた。こうして自由に動かせているのも右眼と自身の魔力操作によるものである。そうして失ったのも右眼と自身の魔力操作によるものであった。

 

「助けてほしい?」

「結構ですわ」

 

 キッパリとエフィの申し出を断ったディーナは右腕に満足している。歪さを正しくしていき、結果的に失った感覚と比例してディーナの魔力は誤差が減った。

 こうして手袋をしているのは見た目の歪さが原因でしかない。肩から指先まで、傷痕のように幾重にも走る()()()。誇りではあるが、同時に自身の罪と業だ。

 

「それでぇ? 指輪を届けに来てくれたのかしらぁ?」

「指輪はまだありませんわ。私が死ぬまでには届けにきますわ」

「あらぁ、思ったよりも早く返してもらえそぉ」

 

 エルフと人間の時間感覚の違いをエフィは経験をしている。それこそ幾度も。

 ディーナという存在がこのまま生き続ければ、きっと経験した別れよりも早まるだろう。

 代償、と言えばそうである。エルフとの契約は先延ばしにしただけで、彼女を正常にしていない。

 そして、彼女はソレを望んでもいない。

 

「それじゃぁ、ディーナちゃんは従者も連れずに、一人で何をしにきたのかなぁ?」

「エフィ様に、魔法の教示を仰ぎに」

「ふぅーん?」

 

 望んではいない。助けを求めてもいない。

 それなのにディーナは答えを求めた。意図せずに正解へとたどり着こうとしている。

 生への執着ではない。そんな物があれば、好き好んで人間が世界と契約などしない。

 

「リヨースではダメだったのかしらぁ?」

「彼女は感覚で魔法を使っていますわ」

「うんうん。エルフはだいたいそうだねぇ」

 

 一握りのエルフが感覚で用いていた物をより洗練する。リヨースはまだ若いのでその域ではない。あと六十年ほど魔法を使い続ければ理解もできるだろう。

 そのエルフの六十年ほどかかる問題。その解答の門へと手を掛けている。

 エフィは笑う。確かに自身に問えば簡単かどうかはさておき、問題は解決される事をわかっている。それはディーナも感じていることだろう。

 けれど、それでも。

 

「嫌よぉ」

「嫌、という事は(わたくし)への答えはお持ちと考えてもよろしくて?」

「ええ。きっとディーナちゃんが満足する答えを私は持っているわぁ」

「拒否する理由をお聞かせいただいても?」

「一つぅ、私が許しても他のエルフが許さないわぁ」

 

 いまだに選民思想の強いエルフはいる。リヨースを倒したことは知れ渡っているが、それでもディーナという人間を軽んじるエルフは複数人いる。

 それらを黙らせる労力のなんと多い事か。日常のお昼寝の時間が少し削られてしまう程である。

 

「……他にはありますの?」

「私に得がないわぁ。――アナタは指輪も持ってきていない。私よりも圧倒的に弱い。個人として恩もない。ディーナ・ゲイルディアは私に何をもたらしてくれるのかしら?」

 

 柔和なエルフとしての族長の顔ではなく、エフィ自身の本質としての部分が顔を覗かせる。

 シャリーティアとイイ関係であるディーナではあるが、それはエフィ本人とは関係がない。ここにシャリーティアがいたのならばまた話は変わったであろう。

 それでもディーナは自身の師を連れては来なかった。単身でここに存在する。

 

「――エフィ様に得があればよろしくて?」

「ええ。もっとも、人間が持っているような物に価値は見いだせないけれど」

「そうですわね」

 

 持ってきていた革袋の中から一冊の本を取り出したディーナは静かに机の上に置いた。それは変哲の無い本である。何かしらの特別な術式を施したわけでもない。単なる本。

 エフィはその本を注視し、やはり価値がない物であると判断する。

 

「わが国に伝わる古文書の写しですわ。歴史学者いわく、建国と繁栄の記録ですわね」

「……ップッアッハッハハハハ! そんな物に価値があるって? ディーナちゃんは面白い事を言うねぇ。シャリーティアちゃんを返してくれるかなぁ?」

 

 一頻り笑い、涙を拭ったエフィは柔和な口調でありながらも冷たくディーナの評価を落とす。

 確かに、彼が建国した国は好きだ。それはディーナも把握している事かもしれない。それでも自分が見てきた事象を、思い出を記録として見る趣味はしていない。

 あからさまに評価を落とされた事を感じながらもディーナは変わらず澄ました顔をして、改めて口を開く。

 

「エフィ様。二つ情報を提示しましょう」

「あらあらまあまあ! 結構、結構! ここから私がコレに価値を見いだせるかはディーナちゃんの言葉次第だわぁ」

『ええ、頑張ろうと思いますわ』

 

 ディーナの言葉を聞いたエフィの表情が固まる。

 百と六十と数年前から聞くことのなかった言語。もう聞くことはないだろうと記憶の奥底に大切な記憶と一緒に鍵をした言語。

 たった一節でありながら、エフィは正しくその言語を思い出した。

 目を見開き、ディーナへと視線を向ける。ディーナは変わらず淡々と口を開く。

 

『まず一つ目。私はもともとシルベスタ一世……サトウ様と同じ世界に居た存在ですわ』

「……待って、ディーナちゃん。ちょっと待ってもらえる? その言語は、ニホンゴと呼ばれるモノというのは理解しているわ。けれど、意味はつかめないの」

「では、こちらの言葉で改めて。私はサトウ様と同じ世界に居た存在ですわ」

 

 エフィは納得したようにディーナを見つめる。彼女の魔力量もソレに起因している事なのだろう。あの人とは逆になっているけれど。

 自分だけが感じていた歪さを理解したからこそ、突拍子もない発言もアッサリと吞み込めた。

 

「結構、結構。アナタの違和感が無くなったわぁ」

「あら、そこまで違和感を持たれる動きはしていなかったと記憶しているのですが?」

「私ぐらいしか気付いてないからねぇ」

「……まあいいですわ。アッサリと受け入れて頂けたようで何より」

「ええ。頑張って覚えようとした言葉だもの。彼に指輪を作ってから、あんまり聴けなかった言語だけれどぉ」

「急に惚気るのは――いえ、二つ目の情報を提示しましょう」

 

 ディーナは机に置いている本を指で触れる。

 歴史学者は建国と繁栄の記録と呼んだ古文書。

 

「コレは初代シルベスタ王の日記の写しですわ」

「……まあ、まあまあ! もしかして、元の本は固定化や他の術式もたくさん仕込んでいる本かしら!?」

「え、えぇ……あの時はまだ幼くて理解もできない術式でしたが……」

「まあまあまあまあ!」

 

 緩む頬を抑えることもせずに歓喜と恍惚を表情に出すエフィに若干引き気味のディーナ。ディーナ・ゲイルディアに女心は理解できない。

 対してエフィは百年以上も前に贈った物であるが、大切にされていた事に歓喜する。

 彼が亡くなって、指輪の効力も失い、もう読める文字にはなっていないはずの本。そして彼が生きていた時に読むことを許されなかった本。

 それが目の前にある。

 

「で、でも。ほ、ほらぁ、やっぱり彼に悪いしぃ」

「あの本はわが国の古文書であり、一般公開はされていませんが、歴史学者達の手垢が既に付いていますわ。今更一人増えて何か言うお方でもないでしょう」

「でもでもぉ」

「よろしいですか? エフィ様。かの初代シルベスタ王と私の世界では至言がありますの」

「な、なにかな?」

「バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」

 

 悪女の称号に恥じない笑みを浮かべてディーナはその言葉を口にした。

 エフィにとって実に魅力的な本である事には間違いない。そして彼はきっとコレを読んだことを怒るけれど、許すだろう事もエフィには理解できる。

 何より、既に彼は亡くなっており、今唯一彼との繋がりを明確にできるモノが目の前にある。

 

「……しかたありませんわ。エフィ様の意思に感服いたしました。私は私なりの方法で魔法を研鑽いたします」

 

 スッと、机の上に置いていた本に手を置いたディーナの腕をエフィはとっさに掴んでしまった。右腕でなければディーナは痛みに顔を歪めていただろう。

 とっさに掴んだ腕と本から視線をディーナの顔へと向ける。貴族から悪女と呼ばれる女は笑っていた。

 

「ディ、ディーナちゃんがそこまでお願いするなら、し、仕方ないわぁ」

「そうですわね。けれど、やはり他のエルフを抑える労力に見合う対価を私はお支払いできませんわ」

「他のエルフなんてへーきだわぁ。私が言えばすぐに黙るんだものぉ」

 

 勝ったな。ディーナは心の奥底で勝利を確信した。

 本から右手を浮かせば、童女がお気に入りの人形をそうするように本を慌てて抱え込んだエフィ。

 

「エフィ様」

「もう返さないわよぉ?」

「いえ、写しと申しましたが、一つだけ訂正しておきますわ」

「……なにかなぁ?」

「日本語の写しと――共通語で翻訳していますわ」

「私、ディーナちゃんのそういう準備がいいところ、とぉっても好きだわぁ!」

 

 

 


 

 

「――ということで、一ヵ月程オレが姉貴の代行となる。質問などはあるか?」

 

 館の入り口、階段が扉の正面に構えられた場所で姉の代わりとして、その場所に立つことになったアレク・ゲイルディアが淡々とした口調で事実を告げる。

 給仕人、執務官、警邏隊をまとめる数人。数えれば数十人程度である。

 ある程度の混乱などを予想していたアレクであるが、そういったこともない。

 

「問題がないのなら、業務に戻れ。ご苦労」

 

 その一言で給仕人も執務官達もアレクに一礼して自身に割り振られている業務へと忙しなく移動し、警邏隊士達は肩をぐるりと回したり、欠伸をしたりと思い思いに僅かな疲れを見せながら持ち場へと戻っていく。

 アレクにしてみれば拍子抜けであるが、告げられていた通りである。

 

「ご苦労さまです、アレク様」

「……アレでよかったのか?」

「ええ、問題ありません。そうですよね、ベガさん」

「ええ、とても御立派でしたよ」

「世辞はやめろ」

 

 自身の後ろに控えた白髪の少女と白髪の優男は補佐に就けられた二人である。少女の優秀さはこの数日で理解させられた。そして、その少女が認めるこの優男もまた同列なのであろう事はアレクにも予想できた。

 少女と優男ともに笑顔なのが非常に気に食わないが、少女があまり感情や思考を外に出さないことを考えれば、この優男もまたそうなのであろうことはアレクにも理解できた。

 

 一ヵ月。カチイにとって二度目の主不在である。一度目はディーナ・ゲイルディアの軟禁。そして二度目となる今は不在でありながら弟であるアレクがこの場にいる。そう考えれば以前の方が問題点があったと言えるだろう。

 その問題点もディーナが出立前に修正を施している。

 

 アレクがディーナに任されたのは「大きく動かさなければ何をしてもよい」という何とも大ざっぱな指示である。

 

 補佐として就いた二人であるが、これが監視であることをアレクは理解している。

 何をしてもよい、という文言をそのまま受け取ってはいない。姉による試験、そして二人は試験官であり、監視者である。

 全てを否定する気はないが、自身が姉から期待されているという言葉は十二分にアレクにとって重圧となっている。

 比べ続けられた姉と自分。常に先にいる姉。

 領地を既に任されている姉。騎士団にいた自分。

 慢心があったと認めているが、決闘でも負けている。勝てると思った決闘。自身こそが強者であると思い込んでいた。けれど、姉は容易く弟である自分を打ちのめした。

 他者から呼ばれているように、間違いなく。

 

 

 姉は化け物であった。

 

 

 

 普段はディーナが使っている椅子に座り、アレクは小さく息を吐き出した。

 間違えてはいけない。ここで間違えたところで貴族として終わりは迎えない。人としての終わりも迎えない。けれど、間違えば自身よりも遥か先にいる姉に追いつくことができなくなる。

 少しは背が見えてきた影がより遠くなる。

 

「……」

「なにか?」

「……なんでもない」

 

 机の上に静かに置かれたカップを視線を落としてから、置いた本人である姉の従者へと視線を向ける。

 褐色の肌に深い青髪。表情の読めない従者。姉が手ずから育てた片割れ。

 そして、アレク自身の罪の象徴である。

 読めない表情が、何も言わない口が、向けられる青い瞳が。その何もかもが苛立たしく映っていた。

 暴を振るったことは否定しない。それは真実だ。

 暴を向けたことに弁明はない。それは弱さであった。

 

 小さく溜め息を吐き出して、カップを持ち上げて口を付ける。

 香りの高い紅茶は舌に甘味と少しの渋みを残して喉を温める。

 

「……美味いが、少し苦く感じるな」

「お嬢様の好みですので。調整なさいますか?」

「いや、いい。お前は姉貴の従者だろう」

 

 毒でも仕込まれていたのならば、自身が引っ掛かっているこれも嚥下できただろうに。

 変わらず、何を考えているかわからない無表情。人を写すような瞳。

 あの時感じていた苛立ちは、今は感じない。

 今思えば、なぜ暴を振るったのか。

 顕示欲。支配欲。苛立ち。色々と自身で決着はつく。

 

「あの時は……すまなかった」

「……」

「いや、これはオレが満足する為の言葉でしかないな。忘れてくれ」

「お判りのようで幸いです」

「……姉貴は口が悪い人間しか雇わないのか?」

「……お嬢様は能力さえあれば出自を加味せずにお雇いなさるので」

 

 ふと窓から外を見たアマリナにアレクは眉間を寄せる。

 自身が優秀だからこそ、優秀な人間を集めているのか。そういう人間が姉の元に集まるのか。アレクにはわからない。

 何にしろ、謝罪は贖罪たりえない。

 わかりきったことであるが、言葉に出てしまった。

 

「あー……その、なんだ。何かあれば言ってくれ。オレができることであるなら叶えよう」

 

 贖罪というわけではないが。それでも貸しはある。償いきれない罪がある。

 自刃しろと言われればアレクは困り果てるが、命に関わること以外であるならば、自身にできることであるのならば叶えようと思う。

 これもまた傲慢であるが。今の自身にできることはこの程度である。

 

「……そうですね。では一つだけ」

「ああ。なんだ?」

「お嬢様――ディーナ様をお止めください」

 

 その言葉にアレクは停止する。

 止める? 姉を?

 不正や様々な事柄が自身の中に駆け巡り、アレクはアマリナへ視線を向ける。

 

 怒りなどの感情ではないことはわかる。負の感情ではない。

 反旗を翻そうとしているわけでもない。そうであるのならば、止めるという言葉ではないだろう。

 何を思っているかはわからない。

 何が起こっているかもわからない。

 姉が何をして、何を思い、何をしようとしているかも、自分にはわからない。

 

「――わかった。最善を尽くそう」

 

 けれど自身には罪がある。

 これが贖罪となるとも思えない。

 けれど、この従者が――この兄妹が姉のことを想い続けていることは知っている。

 

 だから、アレク・ゲイルディアは伸ばされた手を掴んだだけだ。



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69.悪役子息は託されたい

「まず最初に。魔法とはこの世界の法則でしかないわぁ」

 

 ディーナが書き写した写本を大事に胸に抱えたエフィの言葉にディーナは頷く。

 世界の魔力を使い、瞳を穢されたディーナも見ることのできた答えであった。その通りにすれば、問題なく魔法式は完成する筈であった。

 けれど、そうではなかった。

 世界の法則を容易く捻じ曲げる想像魔法――人の意志という要素によって歪んでしまった。

 

「? んん? おっかしいなぁ。驚かれる場所だった筈なんだけどぉ? あの人はビックリしたのにぃ」

(わたくし)にはこの瞳がありますし、そう言われても……」

「……んんんん? じゃあなんでディーナちゃんは魔法が使えないのかしらぁ?」

「それを求めてここに来たのですが」

「うーん……。ディーナちゃんはさぁ、空を飛びたいのに鳥に「君はどうやって飛んでいるんだい?」って聞くのかなぁ?」

「……その写本、返していただいても?」

「もうわたしのだわぁ~」

 

 もう手放すことはないように抱きしめた写本と潰された乳房を見ながら冗談を口にしたディーナは溜め息を吐き出す。

 そもそもディーナにしてみれば写本に価値はない。初代シルベスタ王の日誌という点でいえば価値は出るが所詮は写本である。

 日本語を理解できるディーナにしてみれば本書を読めば済む話であるし、何より他人の日誌を細部まで調べ上げる趣味はない。

 国の歴史家たちが読めば卒倒するだろう内容もあるが、それも今を生きているディーナには必要のない情報である。加えて、ディーナ・ゲイルディアという存在が日本語の翻訳をしたという事実はあまり広めるべきではないだろう。

 

「ではこちらの質問に答えていただいても?」

「わたしが答えられる質問なら答えるわぁ」

「では一つ目。シャリィ先生が私の魔法……世界の魔力を用いた魔法をエルフの技法と言っていましたが、アレは間違いですわね?」

 

 以前、ここでリヨースと決闘した内容を幾度か反芻して気付けた内容である。

 彼女の魔法は間違いなく魔法式……世界の法則を利用したモノであったが、世界の魔力を用いたモノではなかった。

 ディーナ自身が行ったのは世界の魔力――外部魔力を肉体に入れて出力したモノであったが、それとは別モノである。

 そもそも体内の魔力――内部魔力が人よりも優れているエルフが外部魔力を使う意味はそれほどない。決められた式であるのならば全ては許容範囲であるのだから。

 

「うーん……さて、どこから話そうかしら」

「段階を追って。一つ、世界の魔力を外部魔力、体内の魔力を内部魔力と便宜上設定しますわ」

「そうだね、そうした方がお互いにわかりやすいかしらぁ」

「我々人間が行使している魔法、想像魔法は内部魔力で式を構成して、内部魔力で出力している」

「わたしたちエルフは、外部魔力で構成された式に内部魔力を通しているわぁ」

「……シャリィ先生が勘違いを?」

「いいえ、あの子はわたしの魔法ばかり見ていたものぉ。勘違いしてもしょうがないわ」

 

 ニッコリと笑うエフィを見ながらディーナは眉を寄せる。

 魔法式と魔力操作、そして外部魔力の危険を身をもって理解しているディーナからすれば、間違いなく目の前の巨乳エルフは化け物の類である。

 いや、英雄と呼ばれた初代シルベスタ王と共にいた存在を普通という枠組みに入れる方が失礼であるが。

 

「わたしは外部魔力で構成された式に外部魔力を通しているわぁ」

「……自然現象では?」

「あら? 先にも言っているけれど、この世界の法則こそ魔法なのよ」

「鳥に飛び方を聞きに来たと思ったら竜種に聞いていたようですわね」

「うーん、わたしは羽根つきトカゲでもないんだけどなぁ」

「おとぎ話に出てくるような竜種をそう言えるのはこの世界でエフィ様だけですわ」

「えへへぇ」

 

 目の前にいるエフィという存在に畏怖を抱きながらもディーナは溜め息を吐き出した。

 魔法式、世界の法則に関しての否定はない。ディーナ自身も得ていた答えであるから、これは単なる確認でしかない。

 加えて言うのなら外部魔力と名付けた世界の魔力と内部魔力と名付けた体内の魔力。それらがあることも否定されていない。

 間違った式ではない。正しい式を解いて、正しい答えを得る筈であった。

 けれど現実は異なった。

 

「さて、それでぇ。ディーナちゃんの状況を説明してあげるわぁ」

「是非」

「そもそも外部魔力と内部魔力は反発する要素がいくつかあるのよぉ」

「だから私が外部魔力を内部魔力として体内に通した時に不具合が発生した?」

「うん。それは外部魔力が強く働いたというよりはぁ、内部魔力が反発した結果だと思うわぁ」

「あくまで推測ですのね」

「だってぇ、魔力操作に長けるエルフはそんな愚かなことはしないものぉ」

 

 そう言われればディーナは言い返すこともできない。

 どうしようもなく愚かであった。外部魔力を見ることができても正しく使用することのできなかったディーナにとって無常とも言うべき事実である。

 だからディーナは現状を反省しても、思考はしない。

 歩みを止める理由には足りえない。

 

「内部魔力が外部魔力と反発するなら、エルフ達の魔法もまた同じ現象が起きるのでは?」

「うーん。この世界の法則だけれど、それらはより大きな力に引っ張られてしまうのよぉ」

「……内部魔力の方が強く働くのですわね」

「結構、結構。かしこい人間は好きだわぁ」

 

 足を組み替えてディーナは思考へと埋没する。

 より強くへと移動する魔力。魔法式を経過する際にそれが問題となってしまった。失敗の原因は理解できた。

 あの時は自身が組んだ魔法式にレイが魔力を流した。内側同士での流れる魔力の相反はわからないが、レイの想像魔法が結果として出力されたことを考えれば自身が組んだ魔法式の構築が弱かった。或いは自身の魔力不足が原因である。

 正しい式であった。けれど結果は違う。

 

「エルフ達が魔法を行使する時に内部魔力が外部魔力で作っている魔法式を壊す可能性は?」

「? ディーナちゃんは変なことを言うわねぇ。答えの見える私たちが答えを間違えるはずがないわぁ」

「それもそうですわね。忘れてくださいまし」

 

 答えさえあれば全ては解決する。

 それは人が持たざる瞳である。世界の法則を描いた辞書があれば人でも扱えるだろうが、それは膨大な時間が必要である。エルフがソレを手伝う利もない。

 それらはディーナが目指す到達点ではない。

 意志に関係なく行使される魔法。意志など介さず出力される正しい結果。

 

 悩むディーナを見ながらエフィは柔らかく笑みを浮かべる。

 

「要求通り、ここで自由にしていいわぁ。今のディーナちゃんは魔法も使わないみたいだし、他の子にはみんな通達したからねぇ」

「感謝しますわ」

「うんうん。結構、結構。それにわたしも聞きたいことが沢山できたわぁ」

「……全て翻訳したはずですが?」

「あら? 彼が生きていただろう世界の話を聞くのは変なことかしらぁ?」

「……善処しますわ」

 

 

 

 

 

 


 

「主様が何を企んでいるか、ですか?」

「ああ」

 

 アレクにしてみれば何もわからない状態である。姉であるディーナが何をするかも不明な状態だ。

 善行をするにしても、悪行をするにしても。アレクにとってはそんなことは些細な問題でしかない。

 あの褐色の女従士が言葉に出して「ディーナを止めてほしい」と願った。それだけの理由でしかない。

 けれど、その理由こそがアレクを動かす理由となる。

 自身がどれほど痛めつけて何も言わずに主のためを貫き通した。姉が信じる従士であるからこそ、ソレはアレクを重く突き動かす。

 

 そんなアレクの顔を見ながら、木製の車椅子の上で顎に手を添えたフィアは思考する。

 これは主であるディーナを庇うためではないし、その計画の全容を推理しているわけではない。

 ただ単純に自身の計画に狂いが生じてしまった。

 

「ふむ……そうですね。まずこちらからお聞きしても?」

「必要か?」

「ええ。アレク様にとって都合が悪いでしょうから」

「……あの女従士に頼まれた」

「…………は?」

 

 たっぷりとその意味を理解する時間を用いて、やはりフィアは呆気にとられた。続けてアレクが「褐色で給仕服を着ている姉貴の従士」というアマリナの存在を明確にする情報を得て、余計にフィアは混乱した。

 アレク・ゲイルディアという人物が奴隷の頼みを叶えるために動いているというのも驚きであるが、アマリナという人物がディーナ・ゲイルディアにとって不利になるだろう発言をしたというのも驚きだ。

 自身を思考の沼に落とし、たっぷりと十数秒掛けてからフィアは口を開く。

 

「そうですか。予定していたよりも早いですし、計画が狂ってしまいました」

「お前もなにか企んでるのかよ」

「はい。主様を止めるという結果は私も求めていたものですが、本当はアレク様をそそのかすつもりでした」

「……あの不正をオレに伝えたのもそういう意図か」

 

 フィアはニッコリと笑うことで答える。

 数日ほどアレクを見ていた結果として、ディーナの思惑はともかくとして不正に対して声をあげる人物であることはわかっていた。

 そんなアレクを更に追い込んでディーナへとぶつけるつもりであったが、現状が好ましくないと言えば嘘になる。むしろ、フィアにとってはアマリナやヘリオが動かないと思ったからこその計画であった。

 

「アレク様は主様を追い落としたでしょう」

「……あの姉貴が素直にそうなるとは思えんがな」

「そこは私とベガさんが上手く動かします」

「姉貴の周りにはそういう奴しかいないのか?」

 

 二日ぶりに同じ言葉を同じ口から吐き出したアレクは眉を寄せて溜め息とともにフィアに言葉を促す。

 今重要なのはフィアの計画破綻ではなく、ディーナの計画だ。

 

「ではまず結論から。主様……ディーナ・ゲイルディア様は死ぬおつもりです」

「冗談……ではないな。続けろ」

「なぜか、という理由はわかりません。が、主様はシルベスタ国に殺されるおつもりです」

「国が姉貴を?」

 

 不正内容は知っているがどれも死刑になるようなモノでもない。

 陛下から怪しまれていることも知っているが、姉は上手くかわし続けている。それが原因で殺されるとも思えない。

 

「荒唐無稽なことを予想するなら、国家の転覆を主様をお考えです」

「本気か?」

「荒唐無稽と先に言ったはずです。それに主様が本気でそれを願っているのなら外側からの強行策ではなく、内部革命をするでしょう」

 

 孤児であったフィアであるが、ある程度の教育は施された。加えてこのカチイの街を落とし、先の主導権を握るつもりであったフィアだからこそ、ディーナであるならば規模を大きく考えても可能であると判断できてしまう。

 けれど、荒唐無稽である。

 単なる孤児が貴族に立ち向かい街を一つ手中に収めるように。たった一人の人間が国家に立ち向かうなど。

 

「主様の計画がなにであっても。現状はまだ水面下で動かしていることでしょう」

「……まだ時間はあるか」

「いえ、それもありません。主様の性格などを考えれば、こうしてアレク様をカチイに残してご自身の自由な時間を作ったのも計画の内でしょう」

「オレの実績作りと本格的な準備か」

「……まだ推察の域は出ませんが」

 

 推察の域は出ない。けれど、フィア自身はディーナ本人の口から「ディーナ・ゲイルディアは殺される」と聞いている。「ディーナ・ゲイルディアであるから」という呪いのような理由で。

 自分が動く動かないを別にして、彼女は死ぬつもりである。

 

「そんな姉貴をどう止めるか」

「計画全てを壊すことはおそらく不可能でしょう。規模が不透明かつ膨大です」

「なら姉貴本人を止めるのが得策か」

 

 フィアは頷く。

 なにか決定的な出来事があれば、ディーナは止まる。少なからず自身のように計画が破綻すれば一度は止まる筈だ。

 全ての計画の破綻はディーナ・ゲイルディアを先に殺せばいい。

 けれど、それでは意味が無い。そんな未来に意味など皆無だ。

 

 だからこそ明確に、フィアは言葉にする。

 

「アレク様。主様を倒してくださいますか?」

 

 死ぬといいならが、フィアには殺されてあげないと言った主。まるで誰かに殺されることこそが自身の()()だと決めつけた主。

 ディーナ・ゲイルディアという存在は負けを許されない。外部の評価によって殺されるのならば、その評価を落とせばいい。

 安直であるが、一番効果的な敗北という要素。国家転覆の神輿としての価値を消す。或いは神輿である人物からの評価を落とせいい。

 

「……お前は、姉貴のことをどう思ってるんだ?」

「今更なんですか」

「お前の計画ではオレはお前にそそのかされて姉貴を落としていただろう。最初は恨みがあると思ったが、そうではなさそうだからな」

「……私は元孤児です。主様が拾っていなければ孤児として死んでいたでしょう」

 

 ディーナがカチイにやってきてからは孤児として生きづらい世界であった。明るい場所はより明るく。けれど暗い場所にも手を伸ばしてきたディーナ・ゲイルディア。あの時から数か月もすればカチイに暗い場所などなくなっていただろう。

 けれど、そこに自分が生きていたかと言われれば否である。レイがどれほど頑張った所で限界はある。だからこそフィアは自身と他の孤児、レイのためにカチイの領主を落とす計画を立てていた。自分が死のうが、先に続くのだから。

 ディーナに拾われて、文字通りに世界は広く、明るくなった。

 歩けない自身のために車椅子を製作したのも彼女であるし、歩けない自身が不利とならないように魔法を教え、政務を教え、生きる術を増やしてくれた。

 

「私は主様――ディーナ・ゲイルディア様に返しきれない恩があります。だから彼女には生きていてもらわなくては困ります。平穏に生きていただきたいと考えるのは、恩知らずでしょうか?」

「……そうか」

 

 フィアがどの程度の人生を歩んだのかはわからない。

 けれど、彼女の言う"恩"という言葉が彼女にとってどれほど重いものであるかは理解できているつもりだ。

 アレクはフィアへと真っ直ぐに視線を合わせる。

 

「わかった。オレが姉貴を倒す」

 

 彼女の言葉をアレク・ゲイルディアは受け取った。



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70.白髪少女は転がしたい。

 わからない。

 わからない。

 わからない。

 

 どれほど緻密に組み上げた理論ですら否定される。

 正しいと感じている式が世界そのものに否定される。

 何っかを間違えている。何を間違えている。何が間違っている。

 一から百までを追い求めているはずが、零から一を追い求めている。

 基礎の理論は間違っていない。故に応えから導き出した仮定は正しい。それはエフィも保証をしている。

 けれど、算出されるべき解答は別解をはじき出す。

 

「酷い顔ねぇ」

「……元からですわ」

 

 睡眠から削り、紙に無意味な染みを作り続けたディーナを見て、エフィは一言そう漏らした。

 散らばった紙にはエルフ達が見れば理解できる文様が描かれ、雑に握られた紙から伝わる憤りは人間でも理解できるだろう。

 整っていた髪は乱れ、手に付いた墨汚れがディーナの苦悩を描いている。

 

「それに酷い臭いだわぁ」

 

 締め切られた部屋の中に充満した匂いは僅かなものだが、森に住むエルフにしてみれば許されざる空気である。澱んだ空気の主は持ち前の鋭い視線をエフィへと向けてしまう。

 苛立ちはある。それはエフィに対して抱くものではなく自身の能力不足に対して抱かれている。

 

「水浴びしていらっしゃい」

「必要ありませんわ」

「これはお願いじゃないわぁ。家主としてエルフの族長としての命令よ」

「……」

 

 必要ではない。そんな時間は自分には無い。

 粘ったところでエフィは自分を追い出すだけでいい。それは困る。この魔法に溢れた空間を手放す選択肢をディーナは持ち合わせていない。

 大きく、わかるように溜め息を吐き出したディーナは立ち上がり、手早く身を整えることもなく、澱んだ空気をまといながら怨霊がごとくエフィの横を通り過ぎた。

 少ししてエフィの耳に聞きなれた付き人の悲鳴が響き、エフィは深く深く息を吐き出した。

 

 

 

 

 森の中。

 エルフに恐る恐ると連れてこられた水場。涼やかな空気が素足が触れて、暫く震わせることもなかった鼓膜がせせらぎに揺れる。

 水面に写る顔を見て、変わらず整っているが数日分の疲労が色濃く出ている顔を見てディーナは納得したように笑う。水面に写る笑顔は随分と恐ろしいものであるが、これも元からである。

 冷たい水を両手で掬い、顔を濡らし意識を保つ。濡れた手で髪をかき上げて毛先まで指を通していく。

 

「……酷い状態だな」

 

 額まで露わになった顔を水面に写しながら、ディーナは崩れた口調で再度自身の状態を笑ってみせた。

 大きく空気を吸い込んで、緩やかに吐き出せば澱んでいた空気もいくらか入れ替える。

 簡単に髪を縛って、ドレスを脱ぎ近くの枝に放り投げる。下着も脱ぎ捨て、足先から水へ沈めていく。

 腹部まで浸かるやや深い水底。水流もそれほど強くはない。

 次第に冷えていく体と何も感じない右腕。

 一度体を水の中に沈めて、水をかき分け、力を抜く。

 浮遊感に任せて水面に浮きながら空を見上げれば、木々の腕から雲が垣間見える。

 

 浮かんだ感覚に体を任せて、ぼんやりと思考が揺蕩う。

 つい数分前の陰鬱とした否定的な思考ではなく、ただただ世界を見つめる。

 

 

 あらゆる紋様が描かれた世界。そのどれもが法則である世界。そして唯一の答えがある世界。

 この水はどこに流れていく。下流には海があるのだろうか。そういえばシルベスタで海鮮は見たことないか。鮮魚を運搬できる方法がまだないのだろう。

 氷でも作れば運搬にも役立つだろうが、それを魔法で作り上げる技術が無く、発想もない。技術としての発展も無い。

 こうして水を溜めてダムでも作れば治水関係も楽になるか。いやただ作るだけでは勿体ないな。何かしらのエネルギーを生み出した方が経済的であるし、そんな場所がカチイには無い。

 それに自分が生きている内にどこまで達成できるかなどわからない。ある程度まとめた案を草案としてどこかに隠しておけばフィアやベガあたりが見つけて達成してくれるだろうか。

 死んでしまう自分と他の評価を考えれば、あの二人なら上手く行動するだろう。その辺りは生きるのが上手い二人だからなんとかしてくれる。

 初代シルベスタ王には悪いことをしたかもしれない。でも、回り回ってエフィさんに届けられたのはよかったのかもしれない。恋人関係は適当に誤魔化しているから許してほしい。

 水の中で腕を動かせば水圧がおっぱいの弾力になるにはどれぐらいの速さで振ればよかっただろうか。そもそも魔法のある世界で正しく産出もできないだろうけど。

 

 乱雑でチグハグで混沌とした思考が流れる。

 無駄極まりない思考であることをディーナは理解しながら、そのまま思考の沼へと沈んでいく。

 無駄である。必要の無い思考である。

 そんな思考の中、ふと何かが思考の端に引っかかる。

 水底に足をつき、感じた思考の棘を探す。

 

「――……ダム? 一度溜めて……いや、内部魔力を溜めたところで意思の力に持っていかれる……なら変換できれば? 常時変換できるか? 無理だ。なら一括で変換……一回溜める場所を作って一括で変換できれば? 内部魔力を外部魔力に変換……いや、無理……じゃない。無理じゃない。逆はリスクがあったけど可能だった。だから、どうする……外部魔力への変換……いや、意思の要素だけ削除できればいい。疑似的な外部魔力として振舞わせれば……」

 

 自身の体から落ちる水滴も、風で冷える肉体も無視して、ディーナは空に思考内容を書き記す。指を動かす度に細く淡い魔力が文字を描き、世界を塗り潰していく。

 

 

 ブツブツとこの世界では難解な言葉(日本語)を幾つも吐き出しながら、ディーナは自身を乾かすこともなくドレスを乱雑に纏って、濡れた髪のまま足早に歩く。

 水場に行くときとは違った悲鳴のような怒声を無視して、あてがわれた部屋へと入り筆を握る。

 

 墨の汚れでしかなかった式の上から頭の中に浮かんでいた仮定をあてはめていく。

 乱雑に、けれど正しく。

 正しいだけの式が。

 間違っていないだけの式が。

 ディーナ本人の手によって変化する。

 

 それは美しい世界の法則ではない。

 それは正しいだけの式ではない。

 

 いびつで無駄のある式。けれど、これこそがディーナ・ゲイルディアが求めていた式である。

 

 

「――できた」

 

 紋様を乱雑に描いた羊皮紙の上にふわりと水泡が一つ浮かぶ。

 攻撃性もない、地面に触れれば跳ねるように動く水球。

 火を出そうと思考しながら出た、まったく別の現象。

 

 ぽつりと呟いた言葉を聞いた者はディーナ本人以外誰もいない。

 けれど、今ここに魔法式――後に魔術と呼ばれる技術の最初の一歩目が踏み出された。

 

 

 

 


 

「主様に勝つことはできますか?」

「勝たなければならんのだろう」

「意志を聞いているわけではないのですが」

 

 考えれば考えるほどにアレクにとってディーナ・ゲイルディアという存在は大きい。

 比べられる相手として常に存在しており、そして自分が劣っている側として評価され続けている。

 剣術においても、魔法においても、政務にしても。

 アレクは常に比較され、そして負け続けていた。

 

 フィアとしてはアレク・ゲイルディアの力量を情報でしか知らず、ディーナの強さを理解できていない。

 レーゲン・シュタールを倒した。自然災害ともいえる魔法を使うことができる。知謀もある。

 そんなディーナを倒すためには今しかない。何も張り巡らすこともできず、単純な力量だけで比べることができる現在こそが好機であり、それ以外はジリ貧になることをフィアは予測している。

 

「数値としてはいかがでしょう?」

「……戦闘を数値では出せないぞ」

「わかりかねます」

「そういう世界だ」

 

 理解できない世界である。

 溜め息を一つ吐き出したフィアにしてみれば戦力差という明確な数値だけで判断をしない。けれど、フィア自身にそれを測る能力などない。

 対して、測る能力を持ち合わせているアレクにしてみれば単純な数値としての戦力差で結果が推し量れないことを理解できている。

 

「ならば、主様に対して奇策を用いるべきでしょう」

「それであの姉貴が納得するか?」

 

 奇策、奇襲と言い換えてもいい意思の外からの策を用いればディーナとアレクの差があろうとある程度は無くなるだろう。同時にそれは汚点となり、貴族としての思考であるならば矜持を、意志を、心を折ることに繋がらない。

 ディーナに師事し、学んだフィアからみればそんな汚点など不必要極まりない些事でしかない。そんなものを重視したところで無意味だと断じることもできる。

 けれど、それは貴族の倫理に反するだろう。ディーナ・ゲイルディアという特殊な人間であろうと、貴族である。貴族離れしている思想であってもその根底が覆ることなどないだろう。

 

「……では、正面から主様と戦闘をしますか?」

「やりようは無くはない」

「聴きましょう」

「貴族としての矜持を逆手にとる」

「……具体的には?」

「決闘という名目にすれば、姉貴であろうとある程度の制限はされるだろ」

 

 貴族の決闘。

 戦闘でありながらも、矜持を賭ける行為。結果として命のやり取りが行われるだけであって、本質は別だ。

 そうすれば貴族としてのディーナ・ゲイルディアの意思を折ることはできる。勝つことができれば。

 決闘と口にしたアレクはその行為でディーナに心を折られた側である。

 

「自身の矜持を優先されるおつもりで?」

「……否定はしない。が、他に手もないだろう」

「主様が出払っている今、カチイを奪い、思惑を頓挫されることも可能でしょう」

「反乱として徹底的に準備をした姉貴に鎮圧されるな。文字通りの掃除になるだろう。……オレでもわかるような愚策を言うな」

 

 アレク自身も理解できている。準備のできない今こそが好機である。

 たとえ準備ができていたとしても制限はできる。

 そういったものが本心でありながらも、建前であることをアレクは否定しない。

 矜持を賭けるからこそ、譲れない。譲ってしまえばアレクはアレクとして生きていくこともできなくなる。

 

 愚策と言われたフィアは憤りすら感じない。当然、理解していることであったし、お互いの認識が一致していることを判断できた。

 元々の計画であった"愚策"は十全に準備を行い、実行に移す予定であった。

 好転した現状から考えれば愚策である。

 ディーナが動くよりも先に動く必要があり、ディーナに対して働きかけることができない。アレクの言う通りにディーナが本気であれば自分は力量という点においても、地位という点においても、全てにおいて、塵芥に等しい。

 

 軽く頭を下げて無礼を謝罪するフィアは思考を巡らせる。

 決闘という規則上の戦いにおいて、アレク・ゲイルディアがディーナ・ゲイルディアに勝つことができるのか。

 答えは出ない。出せないと言えば真実であるし、出したくないというのも事実である。

 

「おや、お二人で悩み事ですか?」

 

 キッチリと木製の扉を叩いてから開いた扉から現れたのは白髪の優男である。

 フィアとアレク両者の前に書類が無いこと確認しながらもベガはヘラリと笑う。自分の持っている書類束二人に見えるように執務室の机に置いたが、不満そうな顔はしていない。

 聞かれて拙い話をしていたことは否定できない。何よりアレクにしてみれば、ベガという存在の為人も知らず、ディーナからの監視者としての立場であろう。

 

 そんな硬直しながら眉間に皺を寄せて悪人顔に拍車が掛かるアレクを後目にフィアが口を開く。

 

「ベガさんは主様のことをどう思っていますか?」

「そうですね。魅力的な方でしょうか」

「……もしも、主様が死ぬとしたらどうしますか?」

「おい」

 

 フィアの質問に対してアレクは睨みながら制した。

 もしも、この時点でディーナとこの優男に繋がりがあれば全てが破綻する。

 繋がりが見えた時点で彼を止める必要が出てくるし、そうすれば準備の期間も短くなるだろう。

 

「随分と穏やかではない話ですね」

「可能性としては大いにある話です」

「ふむ……」

「おい、大丈夫なのか?」

「大丈夫です。ベガさんも主様の死は望んでいないでしょう」

「ええ。当然望んでなどいませんが、ディーナ殿が寿命など以外で死ぬというのは非常に考えにくいですね」

「国に殺される可能性があります」

「国に?」

 

 キョトンとベガはフィアの言葉を反復して、少しだけ笑う。

 

「ありえませんよ」

 

 ベガはハッキリと言葉を否定した。否定できるだけの要素はベガの中で揃っていた。

 そのベガの言葉を聞いてフィアは安堵したように、けれどアレクには気付かれないように息を吐き出して顔に笑みを貼り付ける。

 

「なるほど。ベガさんが言うのなら信じましょう」

「おや、木っ端役人の言葉ですが、ご安心いただけたようで」

「ええ。私程度では知りえない部分をアナタはご存じでしょうから」

 

 ニッコリと笑うフィアに笑みで帰したベガ。眉間の皺が更に深く刻まれたアレクは目の前の会話を半分も理解していない。

 

「けれど、そうですね……ふむ。ディーナ殿は何かをする予測があるのですね」

「それを止める為に主様と決闘をします」

「それはまた随分と直情的な」

「悪かったな」

「これは失礼」

 

 呆れたような、困ったような言葉を吐き出したベガは隣から聞こえた言葉に間髪入れず謝罪を吐き出した。

 ヘラリと人に好かれそうな緩んだ表情の謝罪であるが、アレクは怒るよりも先に「姉の部下の性質」に関して溜め息を吐き出してしまう。

 

「けれど、決闘は良い案だと思いますよ」

「ほら見ろ」

「勝てる見込みが薄いという一点を除けばですが」

「アレク様、何か仰いましたか?」

「勝つしかないだろう、元々」

 

 薄かろうと、これを逃せばその薄さすらなくなる。

 フィアとアレクを見ながら、ベガは少しばかり考えるようにひょろりと肩に乗っている自身の髪束を指でくるくると弄る。

 

「アレク殿は勝てる見込みがあると?」

「……そんなものがあるのならこうして悩んでいると思うか?」

「なるほど。では打てる手は打つ方がよろしいかと」

「アンタが鍛錬に付き合ってくれるのか?」

「いえ、僕は剣術をそれほど修めてませんよ」

 

 どうだか、とアレクは内心で呟く。

 立ち振る舞いでは感じないが、ベガの手には剣を長く握ったシコリがある。それほど、と謙遜している以上に実力はあるだろう。

 自分よりも弱いかもしれないが、木っ端役人というには無理がある。

 

「剣術、戦闘に関してはリヨース殿やヘリオ殿もいるでしょう」

「アレが姉貴を止めることに手を貸すと思うか?」

「何の為の地位だと?」

 

 まるで当然のようにベガが口にした言葉にアレクは眉間を寄せた。

 貴族である自分とヘリオという奴隷では隔絶とした差が存在する。それこそ命令することも可能であるし、強制力もある。

 それはヘリオにしてみれば不本意な命令であっても、ディーナがいない今、拒否するという選択肢が存在しない。過去に同じようなことをしたアレクはそれをよく理解している。

 眉を寄せるアレクを見ながらベガは笑む。

 

「そういう言い訳を用意すればいいんですよ。彼も本心ではディーナ殿を止めたい筈です」

「……気は進まないが、わかった」

「では次にディーナ殿の手段を削りましょう」

「決闘という名目ならある程度削れていると思うが?」

「保険ですよ。仮に決闘が拮抗したとして、あるいはディーナ殿が負けた場合。本気であるなら、考え難いですが()()()()ことにすることも可能でしょう」

「……つまり、何をする気だ?」

「アレク様を背後から殺すことです」

 

 眉間の皺がさらに深くなったアレクは唸る。

 考え難いことではある。が、姉であるならばしないという保証もないのも事実である。

 悪辣で矜持もない行為である。貴族として汚してはならない舞台である。

 

「主様がそうするとは思いません」

「ディーナ殿ならば、そういった手段も浮かび、例え地に伏していたとして可能にできるでしょう」

「あー……奴隷たちは決闘の場に呼ばず、ここに滞在してもらう」

「足りません。アレク殿は知らない手段をディーナ殿は握っておいでです。それに決闘ではなく戦闘、殺し合いという点においては彼女は知っていた方がよろしいかと思います」

 

 そう言いながらベガは執務室の窓辺へと視線を向け、フィアとアレクもつられるように顔を向ける。

 まるで当然のようにソレは居た。

 気怠げな瞳と隠そうともしない欠伸を一つ漏らして、支給された給仕服を着た肌の色素の薄い少女。

 

「なに?」

「……お前、いつからいた?」

「…………ディーナが死ぬ、あたりから?」

 

 思い出そうと眠そうな顔をコテンと傾けたクロジンデは聞いていた最初の会話を思い出そうとして面倒になってやめた。

 自身にとって、自身の雇い主にとって不利益になる要素はある程度覚えているが、それ以外はクロジンデにとってどうでもいいことだ。

 この世界を救う方法も壊す方法も語られていたとしてもクロジンデの記憶には留まらないだろう。

 

 最初からいた存在でありながらアレク自身は見つけることも、知ることすらもデキなかったことに警戒度を上げる。

 正しく危険であると認めた。腰に提げている剣をいつでも抜けるように腕に力が僅かに入る。こんな振舞いも雰囲気ですら警戒するに値しないメイドに警戒を露わにする。

 

「なんだ、お前」

「わたしはわたし」

「彼女はディーナ殿が雇っている暗殺者ですよ」

「……なに雇ってるんだよ、姉貴は」

 

 ご尤もである、とベガは口にしなかった。

 同時にそんな時間は無かったことを知っているフィアはクロジンデを雇った時期を悟って頭を抱え、当の本人は欠伸を一つ漏らして眠そうな瞳をベガへと向けた。

 

「で?」

「話を聞いていたのな僕よりも詳しくわかるでしょう」

「……わたしの雇い主はディーナ」

「そうですね。だからこそ、今の環境を良しとするアナタが彼女の為に働けば今の環境を壊すことになることも理解しているでしょう」

「…………条件」

 

 すっと指を二本立てたクロジンデの次の言葉を三人は待つ。

 クロジンデ本人は面倒そうに、眠そうに、居場所を守る自分として、契約を守る為に口を開く。

 

「一つ、わたしは関知しない。貴方達が負けようが勝とうが、わたしには関係ない。

 一つ、わたしは手伝わない。面倒。嫌。睡眠妨害。

 

 一つ、契約料はもらう」

「三つじゃねぇか」

 

 アレクの極めて冷静な正論に対して、クロジンデは悪びれることもなく立てた指に三本目を足した。

 アレクはここ数日で味わった「姉の部下」というクセのあり過ぎる存在にさらに一人足した。

 

「わかった。お前はこの問題に対して関知しない。何があろうとそれは貫かれるな?」

「契約は守る」

「……信じられるのか?」

「あの主様が雇っているんですよ」

「…………わかった」

 

 暫しの沈黙と思考の後にアレクは立ち上がり、扉へと向かう。

 

「オレは可能性とやらを上げてくる。ヘリオにも言わないといけないしな」

「よろしければレイとも鍛錬してあげてくださいね」

「姉貴の周りには……いや、もういい。わかった」

 

 頭を抱えながらクセのある人間に更に一人追加したアレクはわかりやすい溜め息を吐き出して執務室をあとにした。

 

 

 

 

 

 

「それで、どこまでがベガさんの想定通りでしょうか?」

「僕も決闘という手段に出るとは思いませんでした」

「クロジンデさんを配置しておいて?」

 

 ベガとフィアはお互いにニッコリと笑い相手を見る。

 アレクすら感知できないクロジンデを最初に見つけたのはベガである。けれど、アレク自身が感じていたようにベガにその実力はない。

 ならば必然として、クロジンデを差し向けたのはベガ本人ということになるだろう。

 

「もしもの為ですよ」

「それなのに既にヘリオさんやリヨースさんにも話は通しているのですよね?」

「はて? リヨース殿はともかく、ヘリオ殿に命令するのは彼の役目ですよ」

「……まあいいです。アナタも本気であれば私など塵芥でしょうし」

「僕なんてただの木っ端役人ですよ」

 

 よく言う、とフィアは口に出さなかった。

 フィアはフィア自身の目標を目指す為に思考を巡らしている。だからこそベガの事をディーナにも知らせていないし、ディーナがどこまで知っているかも知らない。

 ただの木っ端役人。それは事実であるし、フィア自身も認めている。

 

 僅かに溜め息を吐き出してから思考の向きをベガから逸らす。

 

「それでヘリオさんの反応は?」

「困ったみたいに笑っていましたね」

「あの人もアマリナさんも主様が好きですから」

「おや。フィア殿もでしょう?」

「恩人ですので」

 

 ニッコリと表情を被せたフィアをベガを微笑む。

 そんなベガの視線から逃げるようにフィアは話題を修正する。

 

「あとは先生への根回しでしょうか」

「そうですね。オーベ卿やリヨース殿を伝手にしてディーナ殿が戻る日付を知った方がいいでしょう」

「そちらは私がします。ベガさんは他貴族や王都への情報封鎖などをお願いしても?」

「お任せを。オーベ卿に関してはお任せします」

「はい。シャリィ先生もあれから研究で籠りきりなので心配ですし」

「師弟はよく似るようで」

「そうですね」

 

 ベガは目の前にいる少女も含めて言ったがフィアはそれに気付かない。

 こうして自分を使う様子は彼女を見るようだ。それでもまだフィアが少女であることは間違いないし、師のようになることもない。

 

「しかし、クロジンデさんが出てきた時は驚きました。報告があってもよかったのでは?」

「緊急でしたので。それに勝手に動いたのはフィア殿もでしょう」

「それは否定しません。思っていたよりも上手く転がってしまったので」

「ええ。純粋で直情的な人間を転がすのは心が痛みますね」

「ええ、本当に」

 

 お互いにニッコリと笑う。

 片方は人に好かれそうな笑みであるし、もう片方も純朴な男に好かれそうな笑みである。

 ()()()()()()クロジンデはそんな二人を見ながら「先ほど出ていった悪人顔の青年よりもこの二人の方が悪である」と思ってから、欠伸を一つ漏らして忘れることにした。



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71.悪役たちは否定したい。

 ディーナ・ゲイルディアが理論を完成させて三日。丸一日を睡眠で過ごしたディーナは久しくすっきりとした頭で理論を眺める。

 宙に浮かんだ淡い緑色の文字列。ディーナの魔力とエルフの森という特異な場所によって顕現している式。

 直線に描かれた文字列の周りに装飾のように小さな文字の文末が文頭に繋がり、囲い込んだ。

 

「不格好な魔法だわぁ」

「そうですわね」

 

 目を細めながら見えている文字列を分析しきったエフィはディーナの式をそう評し、ディーナもまた否定はしなかった。

 エルフから見れば不格好な魔法である。結果を得るためにエルフには不要な回り道をして到着している魔法は確かに不格好と評されて然るべきである。

 想像魔法を用いる人間が、その理論を理解できる人間が見ても「なぜその必要が?」と疑問を口にするだろう。

 想像魔法は結果を無理やり引き寄せることができ、エルフはそもそもの結果を知っているからこそ不格好であり、不要な魔法式だと言える。

 

「これは足掛かりでしかありませんわ。これで人間は技術として魔法を研鑽でき、エルフに迫れますわ」

「……そうかもねぇ」

「あら。同意してくださるのですね」

「無駄なことは好きだからねぇ」

 

 くすくすと笑いながらエルフの族長は人間の娘を笑う。

 無駄。と断じたことであるが、エフィ本人は人間の可能性を知っている。

 愛した男がそうであったように、人間という種族がこのままこの式を突き詰めればいずれエルフへと追いつく。魔法という世界の理論へと行きつくだろう。

 

 

「ディーナちゃんは未来を見てるのねぇ」

「ええ。私程度でできることはしますが、私以上の人間はそこらにいますわ。だからこれはただの足掛かりでしかない」

 

 ふわりと浮かした文字列の隣にもう一つ、内容は違えど似た文字列を並べ、装飾部分で接続する。

 魔法理論として矛盾なく、けれど不格好極まりない式。けれど、それは間違ってなどおらず、正しく結果を導くだろう。

 

「なるほどねぇ。複数個繋げても魔法として機能するんだねぇ」

「ええ。尤も、私個人としては別の技法を用いますけれど、基礎と結果は同じですわ」

「……ふふー。なるほどなるほどぉ」

 

 幾つもの魔法式を接続したディーナはそれを容易く霧散させた。これは未来の仮定であるし、おそらく人が行きつく結果となるだろう。

 繋げば繋ぐほど難解になり、齟齬が発生しやすく、消費も多い。そもそもの魔法量が少ないディーナにとってそれは不可能に近い。

 だからこそ、ディーナは自身でできる技法を流用する。

 

 ディーナは再度宙に式を描く。

 自身の僅かな魔力だけで、どんな魔法よりも消費を少なく、ただの魔力文字でしかない文字列。その文末と文頭を結ぶ。

 装飾のない文字列がぐるりと一周し、機能する。

 

「……ディーナ・ゲイルディア。ソレを世界に拡げるつもり?」

「いいえ。これは私とシャリィティア先生だけで留める技術にするつもりですわ」

 

 魔法を起動させずに、魔力文字を霧散させたディーナはエルフの族長であるエフィへと誓う。

 外部魔力を僅かに取り込み貯蓄するだけの魔法であった。ただ1を2にするだけの魔法。

 だからこそエフィはその危険性を即座に理解し、そもそもを理解して提示したディーナは口外しないことを誓えた。

 魔力のない自分だからこそ、

 転生した自分だからこそ、

 世界と契った自分だからこそ、

 辿り着けた答えであり、技術としての発展性もなく、ここで封じなければならない理論である。

 

「だからこそ、こうして他の答えも用意していますのよ」

「他者がそれに気付く可能性は?」

「無い、とは断言できませんわね。けれど、世界との契約。世界理論の理解。外部魔力と内部魔力の存在。その全てをある程度理解できなければ辿り着けないと想定はしております」

「……ならいいかしらぁ」

「想定外でそれらも理解できずに偶発的に辿り着く存在は発生する可能性もありますが、その為の魔法式の複雑性ですわ」

「なるほど、保険もできてると」

「それにもしも、それでも辿り着けて理解をしてしまう天才がいたならば――」

 

 もしも居たならば。これから先、幾年も続くであろう魔法式という歴史の中で、それが発生したならば。

 ディーナは口角を上げる。悪の令嬢のように、口を歪めて嗤う。

 

「とても面白いと思いません?」

「ふふふー。ディーナちゃんのそういうところ、好きだよぉ」

「嬉しく思っておきますわ。それにこれだけでは無意味ですし、それこそ魔法式を学べばコレに行く着くこともないでしょう」

 

 禁忌としているわけではなく、ただ単純に間違っているが故に。規定の魔法式の理論で考えれば間違えているからこそ。実行されない。

 仮に実行されたとして、その有用性を正しく用いる為には魔法式を学んでなければならない。

 

「そもそも教えるべき魔法式を明確詳細に分解できる人間は偏屈酔狂の奇人ですわ」

 

 未来において既存の理論を分解し、その全てを理解し、世界の一端へ触れるような人間を想定してディーナはクスクスと笑う。

 そんな自分を度外視し、棚に上げた偏屈酔狂な奇人と呼ばれるべき人間を見ながらエフィは納得したように頷いて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 剣同士がぶつかり火花が散る。

 動きやすいように設計された訓練服を着るアレクの頬に汗が流れる。

 相対する赤毛の少女はしびれる手からこぼれ落ちないように剣を強く握りこんだ。

 目の前にいるのは自分よりも強い貴族である。膂力も、技術も、鍛錬も、才能も自分以上の存在である。

 

「まだするか?」

「ッたり前ッ!」

「なら来い」

 

 蓄積された疲労と精神的負担を食いしばりながらレイは踏み出した。

 

 真っ直ぐな剣筋である。

 膂力が足りないながら補う為に速度を重視した剣術。我流と言うのは荒くなく、けれど正しい剣術ではない。

 基礎部分は貴族のそれだが、自身に合うように改められている。姉に似ていると言ってもいい。幾分も劣るが。

 アレクは繰り出される突きを容易く防御し、引かれる剣先へ下から自身の剣を振り上げて少女の剣を空へと弾き飛ばす。

 握っていた剣を弾き飛ばされたのにも関わらず、音を響かせるそれを目で追うこともせずにレイはアレクへの視線を外さない。繰り出されるであろう攻撃に備える。目は死んでなどいない。

 素早く身を屈めて横に振られる剣を避け、拳を握り敵の顔へと照準を定め、振るう。

 

「――ァ゛ッ」

「いい攻めだったな」

 

 握りこんだ右こぶしはアレクの頬を掠め、自身の腹部にはアレクの膝が突き刺さった。肺に入っていた空気が抜け、衝撃が突き抜ける。

 

 膝から崩れ落ちる。

 このままでは次の攻撃が来る。

 防御姿勢をとらなければならない。

 身に染みつけられた反射が次の衝撃に備える。

 体に染みついた感覚に従おうとし、頭は働く。けれど肉体は正しく動かない。

 

「ここまでだな」

 

 けれど攻撃は来ずにアレクの声が耳に届き、レイはそのまま地面へと突っ伏した。

 

「アレク様はお優しいですねぇ」

「嫌味か?」

「いえいえ。そんなまさか」

 

 普段の鍛錬であるならばもう一撃を叩き込んでレイの意識を刈り取っている褐色の従士は地面に転がっているレイへと声をかける。

 

「起きれるか?」

「―()んと、か」

「なら、木陰で休んでな」

 

 痛む体に鞭を打ち、息を大きく吸い込んで歯を食いしばったレイはよめきながら立ち上がり、近くの木陰へとよろよろと移動する。

 

「厳しいな」

「実戦で撒ければ悔しさすらもねぇですからね」

「……そうか」

 

 ようやく木陰へと到着して、力が抜けたように倒れたレイを見ながらアレクは呼吸を整える。

 自身よりも劣る存在であった。自身の鍛錬と言うよりはレイの為の鍛錬であったかもしれない。

 僅かばかりの疲労。けれど充足感はある。

 

「で、どうでしたか?」

「仮想の姉貴としては足りんな」

「アレでもウチでは強い方なんですがねぇ」

「あの年齢にしては強い方だろ」

 

 カチイに来てから十数人と訓練と称してたたかったアレクとしてはレイの実力は十分だと言えた。それこそ彼女の年齢を鑑みれば優秀と言えるだろう。

 それでも目標としている人物と比較すれば足りない。

 練度も、魔法の使い方も。身のこなしは随分と鍛えられているが、それだけでしかない。

 

「おい! 次は私とだぞ!」

「……なあ、ヘリオ」

「なんです?」

「あー、彼女はエルフからの客人なんだよな?」

「ええ。そうですね」

「ディーナの弟! 構えろ! ヘリオも邪魔だぞ!」

 

 怒声とも捉えられる張った声であるが、リヨースの表情は楽しそうに笑みを浮かべている。

 エルフの客人という立場であるからこそ、戦闘に飢えている。強者との闘いに飢えている。

 対して、カチイにやってきてからある程度の立場と外聞を理解しだしたアレクにしてみれば困惑してしまう。ディーナであったならば溜め息の一つでも吐き出して「立場を理解してくださる?」と嫌味の一つでも吐き出しただろう。

 

 けれど、アレクはディーナではない。

 

 アレクは自身の意識を戦闘へともっていく。息を一つ吸い込んで、体内に力を灯す。

 

「魔法は使うか?」

「む……魔法を使ってもいいのか?」

「姉貴を相手にするからな。できる手段は全て試したい」

「そうか! 先に言うが、死ぬなよ!」

 

 ある程度の加減はするが、自身の実力全てを発揮できることに歓喜しながらエルフの戦士は魔力を練り上げる。

 エルフの体内に秘める膨大な魔力が世界へと浸透し、リヨースの周囲に風が渦巻く。

 土埃と契れた草を巻き上げて視認できる風。過去に戦った姉よりも暴力的とも言える魔法。

 

 アレクは一つ息を細く吐き出し、灯った力を意図的に解放する。

 あの時は偶発的に、感覚的に、本能として発動された魔法。

 体内に駆け巡る鋭い痛み。バチリと音を響くほど明確に顕現する魔力。

 

「よし。いくぞ」

「ああ、来い!」

 

 地を捲り上げ踏み込む。音を置き去りにしながら、稲妻が駆け、速度を維持しながら剣が振るわれた。

 

 

 幾つも響く剣戟の音を耳にしながらヘリオはジッとリヨースとアレクの戦闘を観る。自身が相対したらどうするかを思考しながら、そして自身の主であるならばどうなるかを思考し続ける。

 

「進捗はどうですか?」

「まあまあってとこですね」

「結構、結構。最初に思ったよりも勝ち筋もありそうで何よりです」

 

 緑色の外套に身に包んだ自分よりも幾分も小さな影の問いにヘリオは評価を応えた。

 シャリィとしては戦闘などからきしであるし、興味などない。魔法を評価することは可能だが、エルフと人間など比べるまでもない。

 

「そもそも剣の腕だけで言うならお嬢よりも強いですからねぇ」

「短期戦でなければ勝機もある、ということですか」

 

 魔力量が少なすぎるディーナを相手にするなら短期戦は愚かな選択である。

 内包されている魔力を使い果たせばディーナは戦闘不能となる。頭痛や貧血のような症状と安静を余儀なくされる。

 

「で、お嬢が魔法を使えない可能性は?」

「あの子の諦めの悪さと頑固さはご存じでしょう」

「ですよねー」

「……それでも今回の件は頑なに進めましたね」

「お嬢が何に追い詰められているかわかんねぇですけど、お嬢らしくなかったですから」

 

 ディーナらしくはない。と言いながらもヘリオは主を止めることは無かった。止めようと行動もしなかった。

 奴隷という範疇を越えなかったと言えばそうであるが、自分たちが止めれば彼女は独りで突き進むことも理解していた。

 

「アマリナには驚きましたけどね」

「アマリナがしてなければアナタがそうしていたでしょう」

「否定はしませんよ。肯定もできませんが」

「結構、結構。あの子と同じようにアナタ達のことも私は見ていましたからね。雛鳥の飛び方が親鳥に似ているのも仕方ないことでしょう」

「……褒め言葉として受け取っておきますよ」

「そういう部分はあの子に似ず素直に受け止めるのいいことです」

 

 淡々とした会話であるがシャリィは笑う。最初はさっぱりと分からなかった奴隷二人であるが、今となっては感情もよくわかるようになった。

 方や無表情で感情を表に出さず、方や表情豊かではあるが本心を語らない。

 それでも二人はディーナを慕い、敬い、心酔し、想っている。

 なんら自分と変わらない。

 

「それで、どこかに行かれるんですか?」

「ええ。エルフの森へ。ディーナの行動制限を頼まれました、あの子が勝手に帰ってこないように根回しを」

「……もしかしなくても、怒ってます?」

「当然です。あの子と関わってから呆れ果てたことは幾度とありますが、先日の件は許し難い行為でしたので」

 

 研究資料を破棄した件はシャリィにとって重罪とも言える行為であった。

 けれど、それも許そう。

 愛弟子であり、同類とおも呼べる共同研究者であるディーナの考えである。腹はたったが、ディーナの突拍子もない行為には毎度のことであるし、彼女自身に命の危険性が無い分普段よりもマシと言えた。だから許そう。

 けれど、たった一つ許せない。

 それは共同研究者だからこそ、愛弟子だからこそ、想い人であるからこそ、許すことができない。

 

「失敗が許されないなどと教えたつもりは無いのですがね」

「……まあお嬢ですからねぇ」

「あの子が急く理由はわかりませんが、誰にも、何の相談も無かったのは許しません」

「最近のお嬢はお嬢らしくなかったですから」

「ならば相談すればすればよかったでしょうに。今更あの子から何が出てきても驚きもしませんよ」

「フィアとアレク様の予想では国家転覆だそうですよ」

「仮にそうなら早々に言えばいいでしょう。非効率的であの子らしくない」

「あ、否定はしないんですね」

「ディーナ・ゲイルディアならばそれをしそう、という評判は解ります。が、あの子は荒事を嫌う人間ですよ」

 

 それはシャリィが今まで見ていたディーナという人間の評価だ。他者が思い描いたディーナ・ゲイルディアという存在ではない。

 幼少期からディーナを見てきたシャリィにしてみれば世間が言う「悪の女」や「金色の悪魔」、「氷結の傑物」という評価など鼻で笑ってしまう。

 結果的に荒事や面倒事に巻き込まれているだけで、ディーナの本質は努力家で研究者気質の人間である。

 けれど、ゲイルディアという血がそうさせないように、まるで呪いのように火の粉が降りかかるからこそ、ディーナは努力を重ねるし、対応し続けた。

 

「外聞があの子を今の状態にした。とも言えますか」

「……」

「言っておきますが、有力貴族を誰彼構わず殺したところで意味は無いですよ」

「ですよねー」

「結構、結構。かしこい子は好きですよ」

「もしも、全員殺してしまってお嬢が自由に生きられるならどうします?」

 

 シャリィはヘリオの荒唐無稽な問いに微笑む。

 答えは決まっている。

 外聞も無く、ディーナがディーナとして生きられるのならば。完璧を求める理由が無くなるのならば。

 それが根本的な解決ではないことを理解しながら、もしもという例え話として、シャリーティアは微笑んだ。

 

「躊躇の必要が?」

「無いですねぇ」

「それこそ国家転覆に繋がりますね」

「おっと、なるほど」

 

 悪の女と誹られるディーナ・ゲイルディアに仕える二人は外聞通りの笑みを浮かべた。



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72.悪役令嬢の道程

緩やかに感想返し再開します



「明日になれば迎えがく来るみたいだけれど、ディーナちゃんは順調かなぁ?」

「ええ。理論は問題無く。国へ提出すべき論文に関してはシャリィ先生と纏めますわ」

 

 自身で行った実験結果と過程を詳細に神を纏めて蔓紐で縛ったディーナは一息吐く。

 基礎部分の展開も滞りはなく。エルフ達が扱う魔法を幾つか視ることで進展と納得もあった。

 問題らしい問題はそもそもの文字を分析しなければならないことであるが、それも法則性があり、自身によって分析できる。

 

 齟齬は無い。

 当然、未来においてはそれが覆される可能性もあるが、現段階において基礎と応用は問題なく運用できている。

 

「結構、結構ぅ。ソレが私たちに到達するのを心待ちにしているわぁ」

「その時には私は生きていませんので、目撃できないことを残念に思いますわ」

「お? 届かないとは言わないんだぁ」

「ええ。人間は届きますわ。尤も、それがエルフの魔法の到達点たるエフィ様のお気に召すかはわかりませんが」

 

 ディーナが予測する未来の結果を考えれば、正しく魔法式が予測通りに技術として発展するようならば、おそらくエルフはこの技術を毛嫌いする。

 魔法という神秘を否定する技術である。だからこそエルフはソレを認めない。

 少なくとも、今のエルフの思想がそのまま残るのであればだが。

 

 そんなことをディーナもエフィも理解している。けれど所詮は不確定な未来のことでしかない。

 蝶がどう羽搏くかは誰にもわからない。煌びやかな蝶でないかもしれない。艶やかな蛾かもしれない。それでも誰かが羽搏くためにディーナは風を起こす。

 

「おっと、そうだそうだ。ディーナちゃんにはコレを渡しておくよ」

「……開けてもよろしくて?」

「いいよぉ~。特別なものじゃないからねぇ」

 

 エフィから手渡された良て程の大きさの箱を開きながらディーナは眉を寄せる。

 乾いた葉が円柱状に巻かれた物が数十本。箱にきっちりと整列し並べられている一本を手に取ってエフィへと視線を向ける。

 

「森の葉を乾燥させた物ですわね」

「うん。友人が外で生きていく為におそらく必要な物だねぇ。ここの魔力が凝縮されているって言えばいいかなぁ」

「御友人が森の外に?」

「確か、前に確認した時はシルベスタの王都に居た筈だよぉ。偏屈でなかなか話を聞いてくれないヤツだけれど、それでも友達だからねぇ」

「……エルフでしょうか?」

「エルフではないよ。まあ似たようなものだけれどぉ。それに生きているかもわかんないし」

 

 ディーナは眉を寄せる。

 少なくとも王都にエルフに近しい存在はディーナの記憶にはない。同時にカチイにも存在せず、ゲイルディア領全てを見た事はないが、居たような噂すらない。

 加えて、魔力を潤沢に保持しているような存在など、アサヒぐらいであるが、あれはエルフではない。

 また長い期間をかけての頼み事であることを理解しながら、ディーナは匣へと葉巻を戻して閉じる。

 人探しなども門外漢ではあるが、情報を取り扱っているボーグル辺りや商人に聞けばある程度絞れるかもしれない。

 

「御友人の特徴をお伺いしても?」

「頑固で偏屈かなぁ」

「性格面ではななくて外見的特徴ですわ」

「そうだなぁ………………」

 

「もういいですわ。とにかく探して渡せばよろしいのですね?」

「うん。よろしくねぇ~」

 

 年齢を考えるのも億劫になるエルフの族長の記憶回路が正常に覚えているのは自分の好きな人間のだけらしい。

 ディーナは溜め息を吐き出して、蔓紐をきつく縛った。

 

 

 

 

 

 エルフの森の入り口。

 外から見れば巧妙に隠され、正しい道を進まなければ到着もできない場所に馬車が停まっていた。

 馬が喉を鳴らし、馭者にしては身綺麗な白髪の優男が笑顔を浮かべながら待ち人へと声をかける。

 

「お待ちしておりました、ディーナ殿」

「アナタが迎えだなんて、カチイに問題はないようでなによりですわね」

「僕が来たからこそ、早急な問題があるかもしれませんよ」

「急ぎ解決すべき問題があり、私だけにしか権限がないのならアナタかフィアがもっと早くに迎えを寄越しているでしょう。それに仮にフィアを残してベガだけが来ていても、馭者がアナタなら急用でもないでしょう」

 

 これは失礼を。と笑う白髪の優男にディーナは溜め息を一つ吐き出してから、馬車の周りを見渡す。

 

「……本当にアナタ一人かしら?」

「何故?」

「アマリナは私を待つでしょうが、ヘリオ辺りが来てもおかしくないと思っていたのだけれど……」

「残念ながら、貴女の大事な奴隷達はカチイにいますよ」

「そう。ならいいわ。それと、()()を大事にして何かおかしくて?」

 

 ベガの返しも聞かずにディーナは馬車へと乗り込んだ。

 柔軟性のある座席がディーナの体重に歪みながら支える。しっかり背凭れに体重を預けたディーナが一息吐き出した所で馭者であるベガが馬車を走らせる。

 牽制ではあるが、無意味な攻撃でしかないこともディーナは理解している。この世界の貴族常識として、奴隷は奴隷でしかない。愛妾であろうと、従士であろうと、奴隷は奴隷だ。

 自身が生きている間は庇護下に入れられるが、それ以降は不明瞭だ。陛下へと預けることもベリル人の奴隷というのが問題になるだろう。一番楽なのはゲイルディア家に預けることだが、アレクとの関係を考えると避けておきたい。アレクもそこまで子供ではないが、それはディーナの意地みたいなものである。

 

 残された少ない時間で何ができるのか。

 魔法式のこと。カチイのこと。フィアやレイの未来の処遇。ベガの存在。そして、アマリナとヘリオ。

 ある程度、自分でできることは根回しするつもりではあるが、どれほどの時間が残されているかがディーナにはわからない。

 

 世界と契約をしたから、ではない。

 世界との契約をしたところで、生き長らえようと思えば、魔法を使わなければ可能であるし、シャリィとの契約もあればそこそこの時間は稼げる。

 数年以内に死ぬ要因足りえない。

 エフィの見積もりで言うならば十数年。最低限、それだけは生きられるとエフィは計った。

 

 けれど、ディーナは自身の死期を悟っている。

 おそらくは数年。早ければ数か月後にでもディーナ・ゲイルディアは死に至る。

 覆らない。覆すことができない。

 あの時、最強である友人を殺したという事実が証明した定めでもあり、加えて言うならディーナが選んだ決断でもある。

 

「……」

 

 死は怖い。

 死期を悟ろうが、目の前に断頭台があろうが、一度味わった深い海底の如き虚無は恐ろしい。

 それでも、そうであっても。

 相応の理由があればディーナは身を捧げる。

 ディーナ自身、これを覚悟とは言わない。これは逃げでもある。

 足掻いても無駄であるから、ディーナは足掻かない。足掻く意味も無い。

 

 

 

「……それで、街道を外れたようだけれど?」

「ええ、頼まれ事がありまして」

「陛下から何かを言われているのかしら?」

「いえいえ、陛下からは何も」

 

 街道を外れたことでうるさくなった馬車の中からベガに話しかけ、既にわかっていた繋がりを再確認しながらディーナは窓の外を眺める。

 ひらけた草原。まだ整備の行き届いていない自然。馬車を走らせるには不相応な場所。

 

「誰からの頼み事かしら」

「もう間もなく見えますよ」

「楽しみですわね」

 

 さっさとカチイに戻って纏めたい論文もあるというのに。ため息がディーナから漏れ出す。

 焦りはある。自分がどれだけ残せるかわからないからこそ、時間を有意義に使いたい。

 

 ディーナがディーナ・ゲイルディアとして生きていく為に。

 そして、ディーナ・・ゲイルディアがディーナであったという証明の為に。

 

「見えましたよ」

「……」

 

 ベガの声に反応して、ディーナが窓の外を見れば見覚えのある人影があった。

 こんな場所にまで連れ出した本人は馬車が停まると同時に立ち上がり、馬車を睨んでいる。が、ディーナはよく知っている、あれはただ見ているだけで睨んでいるわけではない。

 

「……詳しいことはあとで聞きますわ」

「彼の口からお聞きください」

「…………はぁ」

 

 対照的に、しっかりと眉間に皺を寄せたディーナは馭者として外にいるベガにも聞こえるように大きく溜め息を吐き出して、少しばかりの思考時間をおいて、馬車から緩やかに出た。

 若草を踏み、場には不釣り合いな赤いドレスを風で揺らしたディーナは灰銀の髪をもつ青年を睨みつける。

 

「それで、どういう了見かしら?」

「姉貴、俺と決闘しろ」

 

 ディーナの眉間にさらに深く皺が刻まれた。

 こういう短絡的な部分は誰に似たかはわからない。父でもなければ、母でもなく、姉である自身でもない。

 それとも考えた結果がコレであるのか。

 何にせよ、ディーナの答えは決まっている。

 

「嫌ですわ。決闘する理由も無ければ利益も無い」

「……それは、そうか」

「そこで納得するようなら、そもそもやめておきなさいな」

 

 むぅ、と唸る愚弟に溜め息を吐き出して頭を抱えたディーナは弟がなぜこの場にいるかを予想する。

 学園時代に負けたことへの執着か。はたまた本気でカチイを取りにきたのか。彼の裏にいる人物が誰なのか。アレクと自分が決闘して利が出る人物は誰か。

 ゲイルディアを毛嫌いする貴族は多いが、アレクの騎士団の評判を考えて御しやすいと感じたのか。そう考えるであろう貴族を幾人か選抜していきながら、「それにしては杜撰な応答だな」と他者の暗躍の線を捨ておく。

 

「俺はアンタの計画を止めたい」

「……何を言っていますの?」

「アンタが何かを企んでいることはわかったが、何かは知らん。少なくとも、姉貴のすることだから俺には理解などできん」

「……話になりませんわね」

 

 ディーナ自身に計画などない。

 あるとすれば魔法式の為の根回しをすることぐらいであるが、それはまだ計画段階にすらなっていない。

 他者に何かを吹き込まれたのか?

 ゲイルディアの嫡子としては風評に流されすぎではないだろうか?

 理解できないことは誇るべきことでもないだろう。

 と幾つかのツッコミと心配を愚弟へと向けてしまう。

 

「姉貴は死ぬつもりだろう」

 

 呆れたように溜め息を吐こうとしたディーナがアレクの言葉によって停止した。

 それは愚かでありながらも、ディーナの弟であるアレクが考えた結果の答えであった。

 幾つもの要素を踏まえて、結果として導かれた結果でしかない。

 あらゆる可能性の帰着。荒唐無稽の計画の決着。

 そのどれもが、姉の死を否定しない。

 だからこそディーナは静止した。

 

「そうなれば貴方はゲイルディア当主ですわね」

「違う。アンタが俺のために死ぬような馬鹿じゃないことは俺にだってわかる」

「……貴方にはわかりませんわ」

「ああ、だからアンタを止める」

 

 わからない。

 けれど、ディーナが本質的に求めていることは直感した。

 

 国家転覆や、王子への復讐ではない。

 だからこそ、アマリナは動いてしまった。

 だからこそ、フィアは勘違いした。

 だからこそ、アレクはただ直感した。

 

 転生者であるから、ディーナは自由に振舞うことはできる。

 その結果は未知である。だからこそディーナはその道を選べない。

 自身が生まれた時から求めた物だ。

 勇者になりたいとは思っていない。

 魔王になれるとも思えない。

 自分はディーナ・ゲイルディア(悪役令嬢)である。

 

 だからこそ。

 

 

 ディーナ・ゲイルディア(悪役令嬢)の死こそが、ディーナの求めていることである。

 

 

 

「けれど、貴方の決闘を受ける義理も理由も私にはありませんわ」

「逃げるのか?」

「安い挑発ですわね。負けることがないのに受ける意味も無いと言っていますのよ」

 

 踵を返してアレクに背を向けたディーナの視界にベガが映る。

 陛下直属の部下であり、ディーナ・ゲイルディアの監視者。

 しかし、ベガは口を出すことも手を出すこともしない。そのことをディーナはわかっている。

 なんせ自分がイワル公とレーゲンを討つ時ですら事後報告であったのだから。

 

 故に。ディーナは足を止める。

 愚弟の挑発に乗ったわけではない。

 たった一つの負け以外は負けることがない。慢心とも取れるその思想をディーナは自信とも慢心とも呼ばない。

 

 魔法式の成果を見せる場面である。

 ディーナがディーナ・ゲイルディア(悪役令嬢)であるからこそ、理解してしまった。

 ここで逃げ出すことも可能であるし、逃げた方がディーナとしては利がある。それはディーナ自身が理解している。

 ディーナ・ゲイルディア(悪役令嬢)として生きることを定めたディーナだからこそ、今この時に何を求められているかを直感する。

 他者に言われたわけでもない。外聞として与えられたものでもない。

 

 

 世界がそう望んでいる。

 

 

「――わかりましたわ。決闘を受けましょう」

「本当か?」

「ええ。ディーナ・ゲイルディアはたった一度の負け以外ありえないのだから」

 

 

 定めた生き方。定めれた生き方。進むべき道。決められた道程(チャート)

 

 ディーナ自身、生まれてすぐに生き方を定めたわけではない。

 それこそ運命など、神など、世界など、クソ食らえと言いたかった。

 足掻いた。それこそ自身は自身であると運命というものに抗った。

 

 他者はそれを許さない。

 世界はそれを許さない。

 

 最強であった友人を殺した時にディーナは諦めた。

 全てが自分の手の平の上で、そして自分も世界の手の平の上であった。

 転生者である。転生者であるからこそ、ディーナはそれを吐露しない。

 

 完璧たる悪役令嬢。

 美しい悪役令嬢。

 それが堕ちる瞬間は決まっている。

 

 だから、ディーナは悪役令嬢(ディーナ・ゲイルディア)と成った。

 そうすれば、全てが上手くいくのだから。

 そうすれば、全てが丸く収まるのだから。

 そうすれば、世界は回るのだから。

 

「アンタを止めるぞ、姉貴」

人間(アナタ)世界(ワタクシ)は止められませんわ」

 

 世界がそう望んでいるのだから。

 

 運命がそう決まっているのだから。

 

 



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73.ディーナ・ゲイルディアは。

 アレクの頬に風が触れる。

 たった一寸の違和感と危機感が肉体を動かし体勢を崩しながらもその場から離脱する。

 瞬きの間すら許さないようにまた風がアレクの髪を梳く。

 灰銀の髪を僅かに散らしながら地面を転がりアレクは体勢を立て直し、愚直に前へと進み剣を振るう。

 振るった先にいるのは剣先を地面へと向けた無防備な女。赤いドレスと金の髪を風に揺らして、女はつまらなさそうに、ただ無感情な瞳を剣を振るう愚弟へと向ける。

 

「貴方では届きませんわ」

「わかんねぇだろッ!」

 

 振るった剣はディーナに触れることも無く、ただ中空で止まる。硬い壁にぶつかったように。アレクがどれほど力を入れてもディーナに鋒すら届きもしない。

 それでもアレクは愚直にも剣を振るい続ける。

 愚かな行為だとディーナは想う。届かない結果を求め続けるのは愚かな行為である。賢い選択ではない。

 挑戦し続けることも。

 夢を追うことも。

 求め続けることも。

 何もかもが愚かしい。

 

「事実、貴方がどれほど頑張ろうが私には届かない」

「うるせぇッ!」

 

 振るわれた剣を風で受け止め、剣を握っていない右手をアレクへと差し向ける。

 体内に循環している魔力を右腕へと流し、正しい魔法式へと流し込む。数秒にも満たない動作。同時に起動寸前までに研ぎ澄ました魔法。

 ディーナが指を弾く。光の速さよりも遅く、けれど人間が近くできないほど早く、世界は魔法に従い、法則はディーナへと結果を齎す。

 無色透明の槌がアレクの頭上から振る降ろされる。地面を震わせ、僅かに地面を割るほどの力がディーナの目の前に寸分の狂いもなく振り下ろされる。

 巻き上がった土埃すらディーナを避け、ディーナが腕を振るえば風が起こり土埃を晴らした。

 その場に潰れた肉塊は無い。ディーナが視線をずらせば標的であった愚者がいた。

 

 荒くなった呼吸のまま、剣を杖にするようにアレクは立ち上がり、剣を構える。

 体力も損耗も、肉体の損傷もない。

 これがディーナの優しさか手加減か、はたまた自身の実力が拮抗しているのかはわからない。けれど届かない。

 ディーナ・ゲイルディアという憧れに、一寸すら届かない。

 それでも、アレク・ゲイルディアは挑み続けるしかない。

 

 僅かな隙にアレクは呼吸を整える。

 ディーナは余裕の姿勢は崩さず、挑んでくるアレクをただあしらうだけ。自身から攻勢にでるわけではなく、ただ反撃を繰り返す。

 それがディーナの戦い方であり、自身に合わせた戦闘方法である。少ない魔力量を補うための戦闘方法。攻勢に出続けることの出来ない自身の解答。

 故にアレク側に一方的に負担を強いる。挑み続けなければならないアレクといなし続ければいいディーナとの立場の差。

 

「貴方はレーゲン・シュタールのようにはなれない」

「関係ねぇだろ」

「いいえ。魔法すら斬れず、自身は最強であるととも思えない貴方が私に勝つ道理は無い、という話ですわ」

「……それでも、俺はアンタを越える」

「無理ですわ。貴方はレーゲン・シュタールではないのだから」

 

 彼のように魔法を斬れれば。

 彼のように自身を信じ続ければ。

 レーゲン・シュタールに成れない弟。

 レーゲン・シュタールではない愚弟。

 主人公ですらないアレク・ゲイルディア。

 

 ディーナは挑み続けるアレクを蔑む。

 無意味な行為の繰り返し、無駄な労力を割き続ける。何の意味がある。

 与えられた役割を全うすればいい。そうすれば世界は巡る。そこに意味など必要ない。

 必然を必然として。偶然や奇跡などという不確定要素を求め続ける意味などそこには無いのに。

 

「俺は、レーゲンさんじゃねぇ。俺はアレク・ゲイルディアでしかねぇ」

「そうですわ。だから私に勝てない」

「それでも、俺はアンタを越えたい」

 

 アレクにとってディーナ・ゲイルディアという存在は常に憧れであった。

 間違いなく自身の根幹にある影は目の前の超然的な女である。

 だからこそ、アレクは剣を構える。

 未だに剣を構えすらしない憧れへと鋒を向ける。

 無駄な行為と断じられようが。

 無意味な挑戦だと説かれようが。

 そんな物はアレクにとって既にわかっていた事でしかない。

 遠すぎる影を追った。

 追いつくと決意した。

 越えたいと願った。

 純粋な願いがアレクを動かしていた。

 姉を止めるというのは、アレクにとっては都合のいい名分にすぎない。

 姉に死んでほしくはないという感情はあるが、今この場においてアレクにとってそれは些事であった。

 

 アレクは自身へと力を巡らせる。

 このままでは姉に届きすらしないから。姉の消耗と自身の損耗。思考すらしない騎士としての直感。経験則と才能がアレクを突き動かす。

 アレクの耳に何かが弾けた音が響く。触れそうになった塵が焼ける。

 もっと、もっと。

 まだ足りない。

 思考が遅い。動きが遅い。何もかもが遅い。

 ――追いつけない。

 もっと早く。

 もっと速く。

 もっと疾く。

 頬を触れる風すら置き去りにするほど。

 髪を撫でる空気すら触れられないほど。

 目の前の女に追いつくために。

 憧れへと迫るために。

 姉の視界に入るために。

 

 アレクの肉体に光が灯される。

 淡い光がアレクから発せられ、ディーナは僅かに目を細めて魔法を視る。

 杜撰で整いもしておらず、歪にも法則を捻じ曲げられた魔法。

 過去に一度だけ見た雷光。

 

「……意識は保っているかしら?」

「ああ」

「それは重畳。以前は無意識下でしたのに」

 

 才能と想像に後押しされた魔法。

 ディーナにとって唾棄すべき神秘。

 そして美しいと称賛する魔法の極地。

 肉体から塵へと走る小さな稲妻。無意識で、本能で、才能で、想いで顕現させた魔法。その本質をディーナは理解する。

 自身の魔法よりも強力で凶悪な魔法。

 騎士としての誇りと人間としての倫理を捨てた瞬間にアレクを殺しきらねばならないと理解してしまう。

 けれど、その必要も無いであろう。そんな人間であったなら、こうして目の前にはいないだろう。

 

 ただ純粋に自身に勝ちにきている弟をようやくディーナは視る。

 自身が編み込んだ魔法式を正しく起動させ、魔力を循環させる。

 より強固に。より鋭く。より速く。

 

 ディーナの視界からアレクが消える。僅かな初動すら視認が難しいほど一瞬で消え、閃光が奔る。

 自身の左右に響く空気が弾けた音。ディーナを困惑させるための虚実。

 

 背後に大きく音を鳴らし、ディーナが振り返ったと同時にもう一度だけ閃光が地を蹴る。

 構えた剣とアレクの視界には振り返ったことで舞う金色の髪と赤いドレス。ディーナの瞳はアレクには見えない。

 剣を振るう。一閃。横薙ぎに振られた剣はディーナの肉体へと迫り――停止する。

 強固な風の壁が阻む。

 

「惜しいですわね」

「わかってたことだよ」

 

 この程度で越えられる壁だとは思っていない。

 ディーナの視界から消えた所で効果はない。ディーナは視界情報で敵を察知していない。ディーナが得意とする風の魔法は空気を扱う魔法であり、そしてディーナ自身の手によって最適化され、世界との契約により半強制的に発動してしまっている。

 風は、空気は、世界はディーナの味方をする。

 この世界に物質として存在し続ける限りディーナの感知領域からは逃れることが出来ない。たとえ優れた戦闘者であろうと。音すら無い暗殺者ですら。光の速度で動こうが。ディーナは感知し続ける。

 

 そんなことはアレクは知っていた。

 ディーナに負けた時に体感している。素早く動こうがディーナには感知される。

 そんなことはわかっていた。

 だからどうした。

 それが諦める理由になどならない。

 自身よりも優れた憧れの影を追いかけない理由にはならない。

 自身よりも前に進む完璧な姉に向かない理由になり得ない。

 そんなちっぽけな差など、自身には関係ない。

 

「行くぞ、姉貴」

 

 相手が感知し続けるのなら。

 相手が防御し続けるなら。

 自身がその防御を破る武器を持っていないのなら。

 どうするから。

 簡単で単純な行動でしかアレクは答えを出せない。

 けれどそれこそがアレクにとっての最適解であり、現状の手札で出せる最高の役である。

 

 踏み込みも構えも一瞬。振られる剣は無数。馬鹿の一つ覚えのような攻勢。

 袈裟斬り、斬り下ろし、横薙ぎ。

 正面から、横から、背後から。

 自身の速度と膂力をかけた全方位攻撃。防御されると理解さしているからこそ全て全力で叩き込む。

 馬鹿らしいほど単純な力押し。

 

 ディーナは内心で舌打ちをする。その一瞬すら惜しいというのに。

 どこから来るかわかっている。どういった攻撃が、どの速度でくるかも感知できている。

 それは無意識であろうと風が答えを提示してくる。

 けれど風壁は違う。全て自己の判断によって起動している物であるし、だからこそ効率良く運用できている。アサヒやシャリィとまでは言わないが、ディーナに一般人程度の魔力さえあれば常に展開もできていただろう。

 けれど、ディーナにはその程度の魔力すら無い。

 

 剣を強く握りしめて、ディーナは防ぎきれないと判断してしまった最後の攻撃を止める。

 甲高い鉄がぶつかる音が世界に鳴る。

 

「ようやく剣を使ったなッ」

「貴方が可哀想だから使ってあげたのよ」

 

 弱者への慈悲と嘯く。

 圧倒するつもりであった。そうして当然であった。

 負けない悪役令嬢。完璧な悪役令嬢。ディーナ・ゲイルディアとして当然の行為であった。

 けれど、アレクはディーナへ一歩近づいた。

 そんなものが許される筈がない。

 世界はディーナ・ゲイルディアを望んでいる。

 人間程度が世界を覆される筈がない。

 そうでなければ、自分の軸がブレる。

 そうでなければ、用意されている筈の線路が消える。

 そうでなければ、なぜ自分は最強に勝てた。

 なぜ友人を殺さねばならなかった。

 なぜ人を殺さねばならない。

 なぜ、なぜ、なぜ何故なぜ。

 

 幾重にも迫る攻撃を弾き、防ぎながらディーナは否定する。

 否定されそうな自分を守るために。自分が死ぬ理由を守るために。自分が生きてもいい理由を守るために。

 だからこそ、ディーナ・ゲイルディアは脅威から身を守るために攻勢へと出る。

 否定させない。

 否定などさせない。

 

 アレクの突きが不可視の壁にも阻まれずにディーナの頬に傷をつける。今まで一切の傷を負わなかった姉から鮮血が溢れる。

 喜びよりも先に警鐘が脳に鳴り響く。

 肉体が反射的に行動する。優れた才能だとディーナは賞賛しよう。けれど、一寸遅い。

 振り切った剣。伸びきった腕。ディーナは一歩前へと踏み込む。魔法を使うために空いた右手でアレクの胸元へと手を押し当て、ただ押した。

 軽く、平時であるなら。なんてことのない力で。攻撃とは決して言えない、成人男性など倒せない力。

 優れた才能だからこそ、天から与えられた恵みだからこそ、ディーナが攻撃してくると感じ、アレクは下がろうとした。

 正しい判断である。けれど、間違った答えであった。

 音の速度を超えようが、移動の手段が脚であるのは変化がない。浮遊しているわけでなく、地を蹴っている。

 だからこそ、体勢が崩れることが彼の魔法で対応できない。

 光に変化しているわけではないアレクは引く筈だった体をディーナの手によって余計に崩す。

 たった一瞬。一秒にも満たない瞬間。アレクの脚が地面から離れた。

 

 音が響く。

 ディーナの指が弾かれた事実をアレクは現実ではないように遅く感じとる。思考が巡る。たった一瞬の出来事だというのに情報量が津波の如く叩きつけられる。

 

 頬を風が撫でた。

 

 

 

 

 

 

 目の前で仰向けに倒れた弟をディーナは見下す。

 息はある。時間を置けば起きるだろう。外傷もある。空気で潰したことから内傷もそこそこあるだろう。

 強かった。それは間違いなく感じたことである。

 けれど、自身は負けないのだから、意味は無い。

 

 踵を返して馬車へと歩く。ディーナにも魔力不足の症状が出ている。

 ハッキリ言えば、さっさと寝たいがディーナの本心である。

 故にディーナは立ち止まり、溜め息を吐き出した。

 

「どうして立ち上がり、剣を構えているのかしら?」

「まだ、終わって、ねぇ」

「終わりよ。貴方は私に負けた」

「俺はアンタに、勝つため、に、ここにいるんだ」

 

 諦めが悪いことを美徳とも美談ともディーナは言わない。

 アレクを突き動かしているのが何なのか、ディーナは理解できない。するつもりもない。だからこそ、徹底して目の前にいる愚か者を倒すことを決めた。

 

「勝って何が貴方に齎されるのかしら。栄誉も、利益も貴方にはないですわ」

「関係、ねぇよ……俺が、アンタに、姉貴に勝ちてぇ、だけだ」

ディーナ・ゲイルディア(悪役令嬢)は負けませんわ」

「知る、かよ、そんなこと……アンタがディーナ・ゲイルディア、なんて、関係、ねぇ……姉貴に勝ちてぇ」

 

 理解できない。

 立ち上がったことも、向かってくることも、ディーナ・ゲイルディア(主人公以外に負けない者)に勝とうとしていることも。

 

「世界とか、国とか、貴族とか、知らねぇ……俺は、アンタに、認められてぇ」

 

 このまま、ただ一度、指を弾き魔法を行使すれば倒れるであろうフラフラな体。

 けれど魔法を行使せずに、ただ見つめる。

 

 否定する。

 脳裏に過ぎった事実を否定する。

 わかっていた事。理解していた事。事実。理想。現実。

 

 人は世界に勝てない。

 それはディーナが論じた人生である。

 

 世界にヒトは勝てない。

 それはディーナが根底にもった思い違いである。

 

 世界は人に勝てない。

 それはディーナが解いた法則でもある。

 

 

 矛盾が頭を支配する。

 もしも、自分が間違っていたのなら。

 悪役令嬢という役柄ですら思い込みであったなら。

 けれど、それでは自分が最強に勝てた理由にならない。

 けれど、けれどである。

 

『魔法とは世界の法則でしかないわぁ』

 

 間延びしたエフィの言葉がディーナの脳裏に叩きつけられる。

 理解していた魔法の理論と世界の法則の関係。

 わかっていた筈の証明。

 だからこそ、ディーナは魔法式へと辿り着いた。想像魔法という暴論を否定し、魔法という神秘へと挑戦した。

 より大きな力に寄る魔力。想像という、想いという、感情によって法則は容易く変化してしまう。

 魔法と世界の関係がそうなのである。

 それは事実であり、現実であり、証明済の理論である。

 

「……」

 

 想像魔法は魔法法則を塗り替える。

 魔法理論は想像魔法に塗り替えられる。

 頭を悩ませていた事実。だからこそエルフからは遠回りだと言われる理論と式を立てた。

 その行為がなければ、法則が捻じ曲げられ、魔法は行使される。

 だから。

 故に。

 

「……ふふ、あははははははは!」

 

 なんて簡単な答えだったのだろうか。

 答えが既に出ていたというのに思い違いをして、勘違いを盲信して、勝手に言い逃れをしていた。

 馬鹿らしい。愚かだと断じた行為を自分もしていたと言うのに。自分を棚に上げて、他者を見下した。

 ディーナ・ゲイルディア。その名前は今は自分の名前である。

 悪役令嬢、ディーナ・ゲイルディア。それは自分が信じた()()である。

 ようやく見つけた道程(チャート)を信じた。信じてしまった。

 だからこそ世界はそれを叶えようとしたのかもしれない。

 けれど、自分はその道程(チャート)を信じながらも世界を否定したのだ。

 馬鹿らしい。実に馬鹿らしい矛盾だ。笑ってしまう。答えが出ていたというのに間違った答えを信奉した。

 

「はー、笑ってしまいますわ。ごめんなさい、アレク・ゲイルディア。貴方を馬鹿にしたわけではないの」

「……じゃあなんだよ」

「自分の愚かさに笑っただけよ」

 

 愚かであった。

 極めて愚かである。挑戦もせず、友人を殺した事実から逃げ、勝手に言い訳を作り出して、逃げた。

 逃げたことを認めてはいたが、仕方がないことだと言い訳を建前にした。

 完璧で理想の悪役令嬢たるディーナ・ゲイルディアという幻影を追っていた。そんな者は存在しない。

 この世界で生きている。

 この世界で生かされている。

 こうして理想には劣る自分を追いかける者がいる。

 理想は理想でしかない。目指すことを言い訳にして自分を否定する意味などない。

 悪役令嬢というレッテルを自ら貼る意味もない。

 世界が望んでいても、人の想像に負けてしまう世界など、そんな淡く細い世界の法則など人は簡単に塗り替えられるのだ。

 

 わかっていた。

 けれど否定して勝手に言い訳を作った。間違いである。

 生き方を間違えた。それを否定はしない。

 いつだって人間は間違える生き物である。その間違いを誇る生物でしかない。

 

 自分こそディーナ・ゲイルディアであり、そしてディーナ・ゲイルディア(悪役令嬢)という女は元男魂の入れ物でしかない。

 自分は自分である。この世界に一人しかいない、自分なのである。

 道程(チャート)が欲しいと願った自分も、勝手に道程と定めて信奉した自分も、こうして生きている自分も。全てディーナであり、自分なのだ。

 

「……ふふ」

「なんだよ」

「いえ、ごめんなさい。貴方が貴方でよかったですわ」

「……貶してるのか?」

「褒めているのよ。素直に受けなさいな」

 

 釈然としてなさそうなアレクに笑みながら、意図せず起こしたアレクの隙をディーナは見逃す。

 これは戦争ではなく、決闘である。

 

 容易く生き方を変えることはできない。

 まだ暫く、言い訳を並べ立てて生きていくだろう。

 それは認めよう。

 道程(チャート)を捨てるのは怖い。たまらなく、怖い。死ぬよりも怖い。暗中を歩くのは恐ろしい。

 

 けれど、人はそういう生き物なのだ。

 

「さて、まだ戦えるかしら?」

「当たり前だろ」

「見たところ、あと一撃でも振れば貴方の限界でしょうに」

「うるせぇよ、それでも越えるんだよ」

「そうね」

 

 笑ってしまう。

 きっと悪辣な笑みではなく、ただ微笑めた。

 弟の狙いは達成している。姉の死という計画を、目的を閉ざすことには成功した。

 ディーナ自身、負けていることは認められる。

 けれど、それでも、ディーナ・ゲイルディア――

 

 

――いいや、俺はコイツの姉のなのだ。

 追うべき背中なのだ。

 

 だから素直に負けてやらん。

 

 指を弾いて自分とアレクの両側に風の壁を作る。これで直線しかない。

 そのことにアレクも気付いただろう。わかりやすく結構な魔力を使って荒い風を作ったのだ。

 

「来なさい、アレク・ゲイルディア。私の弟。貴方の追うべき背中を見せてあげるわ」

 

 俺が剣を構えればアレクも剣を構える。

 こうして前に立ち続けるのは悪役令嬢としての義務でも、ディーナ・ゲイルディアとしての権利でもない。

 単なる俺の意地だ。

 他の誰でもない。単なるプライドでしかない。

 

 

 アレクの身に雷光が宿る。さっきよりも弱く、けれどしっかりと。

 俺から攻めるのではなく、相手を待つ。

 アレクが息を吐き出し、一歩目を踏み込んだ。視認できたのはそこまで。あとは風で知覚するしかない光速に近い動作。

 けれど風は動く。空気は流れる。

 正面から来るように仕掛けた。だからアレクは正面からくる。

 振り下ろされる剣を自分で握っている剣で防ごうと横に構え、衝撃が抜ける。

 甲高い鉄がかち合う音。折られた剣が回転しながら日の光を反射し続ける。

 アレクと視線が合う。しゃがみ、次の一撃の為に構えたアレクの瞳が、自分と同じ深い青の瞳が見える。

 油断は無い。俺は討ち取ろうとする意志も見える。

 

 刹那の時。アレクは渾身の一撃を振り上げる。俺の伸びた右腕が狙われている。

 指が弾かれる前に。魔法が行使する前に。

 

「ッ!?」

 

 剣が腕へと届く前に、何かにぶつかる。

 そこには何も見えない。けれど剣は止まった。止めた。

 指を弾くことが発動の条件だと思わせ続けた。これは自分にクセづけた意志のトリガーでしかない。

 だから、壁は既に完成している。

 

「まだ甘いですわね」

 

 不可視の風の壁。

 幾度もアレクの攻撃を防いだ魔法。

 静止した、静止させたアレクへと視線を向ける。

 こちらも油断は無い。慢心もない。だからこそ、式を完成させる。

 ただ魔力によって完成させた式によって発動する魔法。理論に沿った魔法。

 透明の風の槌を無動作で振り下ろす。

 いつかと同じように、けれど今回は一度だけ。

 

「クソ、が……俺の……」

 

 絶え絶えになった声が無くなる。意識も刈り取れた。

 地に伏して気絶している弟を見下す。

 気絶している癖に剣だけはしっかりと握っていること苦笑してしまう。

 きっとアレクは起きてから悔しがるだろうし、自分は負けたと言うのだろう。

 

 才能とは恐ろしいものである。

 そして同時に素晴らしいものだ。

 

「何がクソよ」

 

 感覚の無い右腕を見つめる。

 痛覚も何も無い腕。

 そして、二の腕の半ばから先が無い腕。

 赤い液体が落ち、地面と落ちた腕を汚していく。焼けた肉の臭いが鼻につく。

 最後の一撃は完全に防いだ。それこそ物理的な干渉は風によって防いだ筈であった。

 けれど、光は届いた。焼け落ちた腕の切り口を見ながら笑ってしまう。

 

 気分は良い。色々と背負うことも自覚したけれど、同時に荷は軽くなった。

 

「貴方の勝ちよ。アレク・ゲイルディア(悪役子息)

 

 世界に望まれた役柄なんて簡単に覆るらしい。

 越えられない壁を越えた弟が証明してくれた。

 ならそれでいい。

 主人公以外に負けない悪役令嬢。それは俺の理想で、悪役令嬢というキャラクターだ。

 

 俺はディーナ・ゲイルディア。

 勇者(主人公)にもなれず。

 魔王(ラスボス)にもなれず。

 悪役令嬢(キャラクター)にもなれない。

 

 単なる人間でしかない。



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