星と風の物語 (シリウスB)
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人類の夜明け


 

―― 生命の火 ――

 

 その生命達は、初めて見る未知の物体に恐怖した。

 今までに見た事のない形、熱、そして光。天から落ちた一瞬の輝きの中で、それは蠢いていたのだ。

 大木を真っ二つに裂いた輝きは幸運にも彼らの命を奪いはしなかったが、住処であった大木は未知の物体に包み込まれてその形を失いかけている。

 やがて彼らの内で最も勇気のある一匹が、その物体を掴もうとした。彼の手は大木のように裂けはしなかったが、一瞬の内に手に生えていた毛は焼け、激痛だけが残った。

 彼は絶叫し、走って逃げだした。それを見た他の仲間も驚いて、散り散りに逃げ出していった。

 

「グァハ!キキッー!!!」

「オッー!オッー!」

 

 彼らは、まだ意味を持たない鳴き声を上ながら森の中へと走る。

 だが、彼らの中で一匹だけ、逃げない者がいた。

 

「キ……」

 

 逃げぬ者は近くに落ちていた木の枝を取り、そして未知の物体へと恐る恐る近付けた。

 光と熱が、優しく枝に移っていく。そこに痛みは無かった。

 

「キキッ」

 

 逃げなかった者は、この光と熱が自分たちの何かを変えてくれるものだと信じ、小さな『火』を灯した枝を大事そうに抱えた。

 そして彼は、逃げていった仲間の元へ戻って行った。

 全て――これから始まる物語は、全てここから始まったのだ。

 

 

 

 

 

―― 世界の水 ――

 

 生まれてから一度も感じた事のない力を、彼は実感していた。

 鋼鉄のカプセルに閉じ込められ、全身を押し潰し血液を滞らせるような力。緊張と恐怖が一気に彼を襲った。彼がこの時にパニックに陥らなかったのは、辛うじて見える窓から青い空と白い雲が見えた事と、今この瞬間が一生に一度の稀有な体験に違いないと理解したからだ。

 しかし、やがて青い空も白い雲も見えなくなっていく。それらに代わるように現れたのは、漆黒の闇と今までにない静寂であった。

 やがて自身を閉じ込めているカプセルがゆっくりと回転し始める。同時に、先ほどまでに自身を押しつぶそうとしていた力が消え失せる。

 彼の未熟な思考では、現在の状況の全てを認識することは出来ない。あるがままの全てを感じるしかないのだ。

 そして――眼下に青い世界が広がり始める。

 青く、丸く、果てしなく巨大な水の世界は、先程まで自分がいた場所なのだと、彼は理解した。

 その時、左手の近くにあるランプが光る。彼の精神は思索の世界から現実へと戻った。訓練の時と同じく、すぐ下にあるレバーを押した。すると、バナナの塊が正面の箱のようなものから出てきた。

 彼がバナナを頬張っている時、後方から一瞬の振動があった。そしてカプセルは少し加速した状態で再び静寂と青い世界を取り戻す。

 

「オッオッ! キキッ」

 

 彼――まだ名も無き実験用のチンパンジーは、自分の世界の食べ物と眼下に見える青い世界をしばらく堪能した。この後に起きる惨事も知らずに……

 

――――――――

 

「Поехали!」

 

 その三ヶ月後、人間による最初の宇宙飛行が行われた。

 西暦1961年、4月12日のことである。

 

 

 

 

 

―― 月の雷 ――

 

「おーい、29番パイプの冷却水漏れは終わったか?」

 

 彼女の耳元で大声が響くのと同時に、あの髭面の大男の顔が頭の中で自然と浮かんでくる。

 

「これが終わったらやるよ! この逆止弁、テコでも動かない気でいやがる!」

 

 油圧ジャッキ、スペースオイル。さらにはパイプレンチやモンキーレンチまでありとあらゆる工具が辺りに散らばる中で、彼女はたった一個の逆止弁と戦っていた。

 この逆止弁は地球から送られてきた大量の新品部品の内の一つで、冷却水の逆流を防止する役割を持つ。思うように事が進まないのは苛立つものだが、それを急かされれば悪態もついてしまう。

 

「なら叩いてみたらどうだ? 地球の古い言葉に『機械は叩けば直る』ってあるぜ」

「頭でなく力で解決しろって!?」

 

 彼女はお返しとばかりに無線機に怒鳴った。

 

「あまりデカい声で叫ぶなよ。月面は電波が良いから音声もクリアなんだから」

「全くもう!」

 

 彼女は、月面にいた。

 だがそれは彼女に限った事ではない。髭面も含め、四方を見渡せば月面に埋め込まれたボールのような基地局に数人、多い場所では数十人の技術者が見える。そしてその内部ともなれば、もっと大勢の人間がいるだろう。

 例えば、彼女の右前方1km先にいる8人。月はほとんど真空である故に、地球と違って遠くの景色がはっきり見える。彼らは恐らく月面専門の土木技士だ。彼らの傍に巨大なボーリングマシンが待機していることから、これから地下に埋設する光ファイバーの埋設経路を計算しているのだろう。

 彼女も、髭面も、ここにいる大勢の技士達も、仕事の内容は違うが全員が同じ目的のために働いている。

 

「オラァ!」

 

 彼女は腹立たしかったが、髭面の言う事は正解だった。逆止弁のヒンジ部分に何かが噛み込んでいたらしい。月の弱い重力のせいで体が山なりに5メートルほど飛び上がる程の反動があったが、彼女はこのフワフワとした感覚は嫌いではなかった。

 

「ようやく終わった。急がなくちゃ……次は29番だっけ?」

「もう俺の方でやっちまったよ。こんな滲みまで『漏洩』で報告してくるのかあのクソッたれ点検員め。これが漏洩なら他の基地の方では『決壊』で報告してるんだろうな!」

 

 今度は髭面の悪態が無線機から響く。怒りの言葉選びだが、声は大笑いだった。

 

「よし! 急いで引き上げて一杯いこうじゃないか。広間はパーティの真っ最中だろうが、『今日』は俺たちにとって特別な日だからな」

「もちろん。工具の片付けが終わったら戻るよ」

 

 彼女は自身の着る分厚く装甲された宇宙服を月面車両に乗せ、居住基地まで急いで走らせる。今行われているパーティは二日かけて続けられるのだが、髭面の言う特別な日は、『今日』だけだ。

 派手に月の砂埃を上げながら居住基地に到着した彼女を待っていたのは、5年前より少し白髪が増えた髭面の男。

 

「広間の連中はすっかり酔っぱらってやがる。支給品の中からとびきりの酒を持ってかれたのに誰も気付かないときたもんだ」

「相変わらずだね、あんた」

 

 二人はちょうど日付が変わる直前、パーティで誰も居ない、誰も来ないラウンジに落ち着いた。

 

「君との出会いに、乾杯」

「あなたとの出会いに、乾杯」

 

 グラスがゆっくりと触れ合う。月面での液体の振舞いは、人と同じように浮いてしまいやすい。

 『今日』は、5年目となる二人の結婚記念日。だが、広間で行われているパーティは別の祝い事だ。

 

 西暦3469年7月20日及び21日。広間に居る大勢の酔っ払い達は、1500年前に人類が初めて月へ降り立った日を祝っていたのだ。

 その翌年の西暦3470年。彼女達が建造していた設備――試作縮退炉が完成する。

 

 かつて人類が1年間に消費していたエネルギーは、石油換算で300億トンにも達した。現在の原子力発電でも、濃縮ウランで3万トン以上にも及ぶ。

 そして驚くなかれ。この試作縮退炉は、わずか5トンの水で月も含めた世界が1年間に必要とする以上のエネルギーを生み出すのだ!

 この設備がもたらす莫大な電力は、地球のエネルギー問題を消滅させるにはあまりにも、あまりにも充分すぎる技術だった。

 

 

 

 

 

―― 虚無の氷 ――

 

 宇宙は良いものだと、彼はいつも思っていた。

 こうして全身の力を抜き、ただ無重力に身を任せて漂う解放感。いっそのこと宇宙服を脱ぎたくなる衝動に駆られることもあるが、そんな事をすればこの解放感を二度と味わうことが出来なくなってしまう。

 

「『それにしても不可解なものだ。なぜ主は知識を与えることを拒んでいるのだ? 知るということが罪であると、どうして言えようか』」

 

 一人漂う宇宙の中、彼は悪魔として知られるサタンの言葉を呟く。独り言を言わないと、言葉というものを忘れそうになってしまうからだ。

 失楽園。彼が宇宙服のスクリーンに映しているのは『聖書』の一部分だ。現存する人類の文献としては最古の部類に入る。

 彼の周囲1万km四方に人はいない。人どころか、生命の欠片すら存在しない。しいて言えば、彼が所有する宇宙船と、無数に漂う大小さまざまな小惑星くらいだ。

 

<今のはサタンの言葉ですか?>

 

 無線機に言葉が走る。女性の声だが、彼はその問いに応じなかった。

 

「発射準備を始めろ」

 

 彼は聖書を映していたスクリーンを閉じ、無重力の世界から現実の任務へ帰った。目前にあるのは、視界に収まりきらない小惑星だ。いや、星と呼べるのだろうか? この超高純度の水の塊は。

 気圧も無く、低温宙域の水は固体の形を取る。この氷も地球へ到着するころには彗星のように溶けだしてしまうだろうが、それを計算に入れても地球の陸地が水没しかねない程の莫大な体積であり、ほんの僅かに宇宙服が引っ張られる程度の重力もある。

 

<地球から返信がありました。これは13番目の氷になるそうです。射出角の計算も既に終わったのでいつでも発射できますが、コードネームは何に設定しましょう?>

 

 彼女――いや、正確に言えば女性の人格を持つAIは、彼に尋ねた。

 

「サーティーン」

 

 AIの問いに、彼は即答した。

 

<そのまんまですね>

「分かりやすいだろ。 大昔の地球の連中は13という数字を忌み嫌ったらしいが、宗教に関連していたのか?」

<不明です。何しろ神や悪魔などを記述した書物は、9500年以上前の時代の物です。西暦初期の文化に関する情報も、劣化や破損で完全な解析・復元は不可能ですからね>

「タイミングは任せる」

 

 約10分後、土星のリングから採取された巨大な氷『サーティーン』は、レーザー推進によって発射された。地球圏の回収艇に拾われるのは地球標準時間でおよそ5日後だろう。その間に太陽熱で1億トン近い量の氷が溶けてしまうが、あの体積では凹み一つ出来はしない。

 

「何かまだ要求してくる資源はあるか?」

<全ての資源目標量は達成されたそうです。『グラウンド・ゼロ』から退避せよ、とのこと>

 

 彼は自由な宇宙から、狭くて退屈な宇宙船へと戻った。彼以外にも、大勢の宇宙飛行士達が同じように水や金属資源を地球圏へ向けて発射していただろう。30年前から開始されたその作業の理由は、ただ一つ。

 地球に残された時間は、あと1年も無かったからだ。

 

<目的地は他の船団と同じく、おおいぬ座から20光年以上離れた位置にしますか?>

「待て」

 

 彼はAIの確認を遮った。

 かつては月面に巨大な基地を作らねばならないほど大型だった縮退炉は、既に10メートルサイズの宇宙船に搭載できるまでに小型化していた。

 水タンクも満タン。合成タンパク質やアルコールの合成、野菜を育てられる設備もある。寿命さえなければ、人間一人がこの船で1000年以上生活できるほどの余裕がある。このまま深宇宙へ旅立ってもいいくらいだ。

 

「目的地、月軌道」

 

 だが、彼は生命の――いや、地球の最期を見ることを選んだ。

 

<『グラウンド・ゼロ』の衝撃は一応月の背後で回避可能ですが、なぜ自ら危険な場所に行くのです?>

 

 彼は答えた。

 

「神が地球を救いに来るかどうか、見ていよう」

 

 

 

 

 

―― 五匹の龍 ――

 

1.星の海は荒れ、陸が裂けた

2.星の空は薙ぎ払われ、山は崩れ去った

3.星の湖は干上がり、雨は消え去った

4.星の眠りは悪夢となり、森は焼き尽くされた

5.星の時は止まり、青き輝きは失われた

6.天から光と闇が戻られた

 

 

 



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プロローグ:星の誕生
黒き闇の青年


昔々、白い世界の真ん中に、五匹の龍と人々が暮らしていました。

そこには、太陽と永遠の時だけがありました。
永遠の時のおかげで、人々は何も失いませんでしたが、
何かを得ることもありませんでした。

ある時、始まりも終わりもないことを不思議に思った人々が、龍達にその訳を尋ねました。
すると龍達は、口から水を吐いて海と空を創り、泳いで行ってしまいました。

五匹の龍は、海の真ん中へと辿り着き、体を島に変えました。
一匹は、海に沈んで陸となりました。
一匹は、空を見上げて山となりました。
一匹は、蹲って湖となり、鱗は雨となりました。
一匹は、眠りについて森となりました。
そして最後の一匹は、空に昇って青い星となり、
島の真上で輝きました。

人々は、龍達がなぜ島に姿を変えてしまったのか、どうしても分かりませんでした。
やがて、一人の青年が龍達にその訳を尋ねようと、質素な外套を纏って冥い海に小船をだしました。

ついに青年は、青い星をたよりに、龍の島へと辿り着きました。

暫く経ってから、青年が戻りました。
人々は尋ねました。
「やあ、龍達に会えたか」
青年は答えました。
「ああ、龍達に会えたよ」
さらに人々は尋ねました。
「では、龍達が島に変わった訳は分かったか」
しかし、青年はそれに答えず、
外套から龍の欠片を五つ、取り出しました。
そして、人々に欠片を渡すと、どこかに行ってしまいました。

人々は、白い世界を出て海に行き、五つの欠片から
大きな陸を、山を、湖を、森を創りました。
最後に、青年を導いた星が寂しくないようにと、明るい月を創りました。
大きな陸は太陽を遮り、朝と夜を生みました。
山と湖と森は、季節を生みました。
月は、海に波を生みました。
こうして、世界に時が生まれました。
時が流れ出すことで人々は死を得ましたが、同時に命も得たのです。

人々が大きな陸で暮らし始めてから、
一万回の朝が訪れ、一万回の夜が去りました。
人々は、龍を忘れ、時が生まれた訳を忘れました。

しかし、五匹の龍が姿を変えた島は、海の真ん中の最も大切な場所として、
その後も人が移り住むことなく在り続けました。

そこには、白き風の青年が残した、
青い星の龍への贈りものがあると伝えられています。


 早朝。地平線から太陽はまだ出ていないものの、空は明るくなっている。

 もう少しで新大陸に到着するというのに、青年はベッドで寝転んで本を眺めたままだった。

 その簡素な部屋に設けられた本棚。そこには新大陸を40年前から調査している『一期団』からの報告書、その写しがギッシリと並んでいる。

 しかし、青年が読んでいるのは調査に関する書類ではなく、別の本だ。既に調査に関する情報は暗記していたからだ。

 

「…………」

 

 青年が持つ本の名は、『五匹の龍の物語』。

 世界の創造神話として名高い伝承を物語として纏めたものだ。現大陸の間では様々な人が読めるように沢山の種類があり、青年が読んでいたのは大人が読みやすいよう文章を主体としたものである。

 他には子供が読みやすいようにかわいらしい絵で描かれたもの、眼が見えない人のために点字で表現されたもの、学者による考察が一緒に書かれているものなどが存在するが、全て内容は共通である。五匹の龍が島となり、その後の人々があたかも世界を創るかのような物語であることは一貫して同じなのだ。

 一方で神話としての出来は良いものの、内容が余りにも現実離れしている故に最近まで本格的な研究が行われていなかった。

 しかし、その状況はある出来事で見直されることとなる。『古龍渡り』と呼ばれている現象が確認されたためだ。

 百年に一度。ブレはあるものの、一定の周期で現大陸に生息している古龍が突如として新大陸へ移動するのである。さらには古龍の種類・生息場所・季節・天候・気温など、渡りを行う古龍や当時の状況には共通点が無かった。

 学者の中には『渡り』ではなく『失踪』と表現する者もいる。渡った後の消息は掴めず、現大陸へ戻った事例が皆無なためだ。

 ただし、古龍渡り自体は数百年前の時点で既知の現象として観測されている。数百年に一度という周期が明らかになっていることからも分かる通り、現象そのものは珍しいものだが、緊急性が認められるものではない。

 事態が急変したのは、最近になって古龍渡りの頻度が異常なまでに短くなっている事だった。

 実際に観測できれば運がいいとまで言われていた『渡り』が10年周期にまで縮む。それだけでも異常ではあるが、それ以上に問題視されたのは『渡りを行う古龍の大半が老齢』という共通点が発見されたことだ。

 単に新大陸へ移動するだけなら生息場所の変更や気候変動を避けるため、という理由が考えられるだろう。しかし、老齢な個体ばかりが向かうというのは非常に不可解な事だった。

 現大陸では古龍による災害級の被害が稀に発生する。ラオシャンロンの大移動による人々の生活圏の破壊、ナバルデウスによる地震の頻発、シャガルマガラの狂竜ウィルスによる生態系の大変動などだ。大抵は古龍が事象の原因、もしくは当事者なのだが、事象を構成する一要素でしかないというのは『古龍渡り』以外に存在しない。故に、渡りの頻発が世界規模で発生する大災害の前兆ではないかと懸念する者が増えたことは想像に難くない。

 この『古龍渡り』の真実を解明するため、現大陸に展開するハンターズギルドが総力を挙げて調査隊を結成した。それが新大陸調査団だ。

 

「相棒! 陸が見えてきましたよ!」

 

 窓を開け外を眺めていた女性が、素っ頓狂な声を上げて青年にも見るように促した。彼女は望遠レンズを調整して新大陸をひと目見ようとしたが、地平線の彼方にようやく見えるほどの距離では役に立たないようで、すぐにそれを外してしまった。その眼の周りには目立つ隈があり、寝不足であろうことが一目瞭然だった。

 

「拠点に到着したら手続きが全て終わるまで半日はかかるぞ。今のうちに寝ておくんだ」

 

 外を眺めていた女性の方すら見ずに言った青年は、本を閉じて腕を組みベッドへ体を深く沈めた。その顔が彼女の方ではなく何もない壁の方向なのに気付いて、女性は少し寂しそうな表情になった。

 彼女――受付嬢は、現大陸を出発する時から他人と関わり合いを拒むような態度をずっと取っている青年のため、『相棒』という呼び名で交流を図ろうとした。

 ところが青年は食事や討論会などの誘いには乗らず、結局軽い自己紹介を交わしただけの状態で新大陸へ到着しそうになっている。

 募集枠はもちろん、推薦組ですら与えられていない個室を配されていること、「彼の指示には必ず従え」という指示をギルドから受けたこと。しかし、五期団長という肩書きではないこと。

 以上から、受付嬢はこの青年が何か特別な任務を受けた人間なのだろうという結論に達していた。

 他人と関わるのが嫌いであったり苦手な人間であれば誰しも察しは付く。しかし青年はどちらとも付かぬ態度で受付嬢を困惑させていたのだ。

 声音に棘は無くむしろ温和な雰囲気さえあったが、声音が柔らかくとも発言に選ぶ言葉が突き放すようなものばかりであったので、その差が違和感として彼女に強く印象付けた。青年本人の『温和』な人柄、任務以外のことには極力介入しない『冷淡』が同時に表れている彼の態度は、冷めている食事を彼女にイメージさせた。

 

「では……私も寝ておきます」

「ああ」

 

 青年が返事をした後、受付嬢は何か言いたげにドアのところに立っていた。

 しかし、受付嬢は何も言わずに部屋を出た。それが任務に集中するため、短い時間でも睡眠を取ろうとしている青年の邪魔になることを理解していたからだ。自分達は遊びに新大陸へ行くわけではない、『古龍渡り』の謎を解明するという重大な任務があるという自意識が、彼女を行動させた。

 部屋のドアが閉められた音を聞いて、青年は「意外だな」と思った。

 これまで一方的におしゃべりしていた受付嬢が文句の一つを言わずにすんなりと部屋を出て行ったのは、任務に対する責任感からだろうと青年は予測した。尤も、睡眠不足であったことも関係していたのは言うまでもない。

 そして、青年も目を閉じて眠りの世界の入り口に入る。船内からは上陸前の最後の宴会が開かれているようで、ジョッキ同士がぶつかる乾杯の音や皿が乱暴に置かれる音、過去の栄光を叫んでいるらしいハンター達の声が離れた部屋でも聞こえてくる。

 青年はそれらの騒音でも全く意に介さず、すぐに深い眠りへ入っていった。

 それは、戦いを繰り返しているうちに自然と身に着けた技術の一つであった。実際には寝るスペースさえあればいつでもどこでも眠ることが出来たが、彼にとって寝心地のいいベッドというのは、それがあるだけで天国なのだ。

 

 

――――――

 

 拠点『アステラ』は混乱の真っ只中にあった。五期団が持ち込む使い切るまで何年掛かるか分からない莫大な量の物資と、精鋭中の精鋭である大勢のハンターの受入れを同時に行わなければならないからだ。

 新しい期団の受入れ自体は既に何度も行われているが、五期団は過去の受入れとは規模が違う。準備だけでも相当な手間がかかるために、港ブロックがその作業を行う人で埋め尽くされている事を五期団船からでも確認できたほどだ。その人員の大半は、先に新大陸入りをしていた四期団である。

 物資運搬担当のチームとハンター受付のチームが準備のために忙しなく動いている。

 入る側も迎える側も、一度に全ての作業を同時に行うことは無理があるため、受付は各船ごとに行う事になっている。その間、他の船は順番が回るまで待機という流れだ。

 全部で7隻ある五期団船の内、青年が乗船していた船は一番最初に港に入る事になっていた。

 五期団とは別の、積み荷と人員を無傷で送り届けることを使命とする船員達が大声で合図を出し合い、船が入港する。もしここで勢いをつけた船体を港へ直撃させてしまうと、積み荷の破損はもちろん拠点の施設をも破壊してしまう。それを全員理解しているため、ハンターや編纂者達は誰も喋らない。船員達の合図をかき消してしまわぬように、ただ黙していた。

 やがて、岸壁に並べられた緩衝材に軽く触れた程度の緩い音が響く。その直後に船長のよく通る声が続く。

 

「待たせたな五期団! 新大陸へ到着だ!」

 

 その瞬間、今まで船内で行われていた宴会とは比べものにならない歓声が湧きあがった。精鋭のハンターと編纂者達を乗せた1号船は、無事に新大陸調査拠点へ到着したのである。興奮している者が大多数を占めていたが、残りは緊張しているのか不安そうな顔をしている者や、感極まって嬉し泣きしている者までいた。

 

「さぁ、外へ出てくれ。ギルドカードの準備も忘れるなよ!」

 

 四期団や船員の誘導に従い、五期団達は次々とアステラへと入っていく。早く新大陸の土を踏みたい者ばかりであったからか、人数の割に入場はスムーズに進んでいるようだった。

 甲板でアステラを眺めていた青年も一番最後に船を降り、列から一歩離れた場所で並んでいた。10秒で一歩進む程度の流れは、最後でありながら比較的早く受付へ到着した。1号船の全てのハンターと編纂者が自身のギルドカードを拠点の担当者へ渡し、拠点へと入る。最後の一人となった青年に、受付担当の男が近づいてきた。

 

「アステラへようこそ、五期団! ギルドカードを頂けますか?」

 

 先に大勢のハンターや編纂者を相手に手続きをしていた男だが、その言葉には飽きや面倒くささを全く感じさせない真面目な様子で話し掛けてきた。

 

「持っていない」

 

 青年はありのままの真実を言った。それは後ろめたいことでもなかったし、新大陸では隠す必要も無かったからだ。

 

「他にハンターとしての資格を示せるものはありませんか?」

「それも無い」

 

 狩猟許可証、紹介状、取引記録、ハンターであることを示す物は他にも種類があったが、青年はどれも持っていなかった。

 

「ありゃ……ではあちらで新しい免状を作って下さい。大丈夫、あなたがフィールドに出るころには手続きを終わらせておきます」

 

 四期団の男はそう言うと数名のハンター達を指で差した。全員が屈んで羽ペンを走らせているその集団は、ギルドカードを現大陸に忘れてきた者達である。

 本来であればギルドカードや狩猟許可証などの紛失はかなりの叱責を受ける重大な事である。しかし往復する手段が無い新大陸まで来てしまった以上、再発行する以外に方法は無い。

 

「それは必要ない」

 

 四期団の男はムッとしたような、しかし困ったような顔をした。このような反応を返されることは全く想定していなかったからだ。

 

「俺はギルドに所属していないからな」

 

 青年が続けたこの言葉で、男はようやくハッキリと険しい表情になった。ギルドカードを忘れてきただけならただのドジなハンターで終わっていただろう。しかしカードを所持していない、そしてギルドに属さないハンターとなると、答えは二つある。自分をハンターだと思い込んでいる『一般人』か、『密猟者』かのどちらかである。どちらも新大陸調査団にとっては歓迎されない者だ。

 

「それはどういうことです? どうやって船に乗ったんですか?」

「いいんだ、後で説明する。総司令に会わせてくれ」

 

 青年は四期団の誘導を無視して司令部へ向かおうとしたが、騒ぎを聞いていた他の四期団と思しき者たちが行く手を阻んだ。

 

「ちょっとちょっと! ストップ!」

 

 青年と四期団の一触即発の空気へ女性の声が割り込む。頭髪の片面を編み込みもう片面は流している不思議な髪形をした浅黒い肌が、彼らの前に割り込んだ。

 

「あんた達遊んでいる暇無いでしょ! さっさと仕事に戻る! そこのボロい外套のニーチャンはこっち!」

 

 両方のチームに指示を出していた女性――物資班リーダーは、手に持っていた分厚い何かのリストを隣にいた別の四期団へ押し付け、青年の腕を掴んで引っ張るように歩き始めた。青年もそれに抵抗せず、並んで歩き始めた。

 

「リーダー! 仕分けはどうするんです!」

「最初は整理するだけでいいの! 細かい仕分けは後で確認しながらやるって言ったでしょ! 私はこいつを連れていくから!」

 

 物資班リーダーは歩きながら指示を出す。うろたえていた四期団達はその指示でハッとしたように行動を開始し始めた。たった一人の不審者に時間を割くほど、彼らは暇ではないらしい。

 そんな彼らへ声が届かない位置まで歩いたところで、今度は物資班リーダーが動揺した声でまくし立てた。

 

「最後に来るなんて聞いてなかったわよ! 五期団船の中までに探しに行ってたんだから!」

「何かあったのか?」

 

 傍目から見れば作業員か誰かを強引に案内する物資班リーダーである。

 腕をグイグイ引かれながら、青年は物資班リーダーへ尋ねた。その質問はたった今起こったトラブルについてでは無く、調査団全体のことだ。

 本来の予定では総司令が直々に迎えに来るはずであった。甲板からアステラを見ていた青年が総司令の姿を確認できなかった事から、司令部が集まらなければならない事態が発生していると予測したのだ。

 

「御名答、詳しい話はこの後の会議で説明することになるわ。……私は物資班のリーダーを務めてる者よ。消耗品・食材・素材、名前の通りあらゆる物資の取引を統括してるの。他の四期団には後で私から説明しておくから。今後ともよろしくね」

「ああ、よろしく頼む」

「あなたの到着を他のリーダー達も待ってる。すぐに会議が始まるわよ」

 

 そう言う間に二人は司令部に到着した。五期団の受け入れで調査団ほぼ全ての人員が作業に当たる中、特に大きな仕事は無い司令部に注意を払う者などいなかった。物資班リーダーは青年の腕を離すと、司令部に揃っていたリーダー達の列に入った。眼鏡を掛けた若い竜人男性と老齢の技術者と思われる竜人の間である。

 

「あんなにがっちり腕掴んで……仲良いのかい?」

 

 眼鏡を掛けた若い竜人――――研究班リーダーが軽い冗談を耳打ちするが、すぐに脇腹を肘で小突かれる。黙っていれば端整な学者なのに、口を開けばこのような冗談が次々と飛び出てくるのだ。

 

「…………」

 

 悶絶している研究班リーダーを横目に、ダークは新大陸調査団の頭と言える顔ぶれを眺める。メンバーが全員揃い、調査団の長が青年に向き直った。他にも眼帯を掛けた鍛冶師そのものといった容姿の男と、会議の場でも本を手放さない竜人の生物学者、巨漢の獣人、旧式の防具に一期団の紋章を身に着けた寡黙な男など、一癖も二癖もありそうな個性的な面々が揃っていた。

 

「ギルドマスターの依頼を受けて参上した、暗号名『黒き闇』だ」

「調査団全体の指揮を執っている一期団所属の総司令だ。君をアステラに迎えられて光栄だ」

 

 青年は自身をここに送ったのがギルドの選考委員ではなく、ギルドマスター本人であることを述べた。

 緊急任務が発生した場合、契約によるクエスト受注は一時的に停止され、ギルドマスターを頂点とする命令系統が確立される。拠点存続に関わる状況の中で、任務中の逃亡や背信行為を防止するためだ。

 だが、この青年が新大陸に来たのは緊急任務ではない。ギルドマスターの『命令』ではなく『依頼』で来たのである。それが意味するところは、ギルド直属の特殊任務を遂行するハンターとは全く違う人物だという事だ。

 

「ちょっと待ってくれ。暗号名ってのは合言葉みたいなもんだろう? それじゃ他人行儀みてぇじゃないか。本当の名前は何て言うんだ?」

 

 リーダーズの中で最も年配の老人が青年に尋ねた。背中に巻き尺を背負った技術者の竜人は名前も重要な情報と考えている。暗号名という回りくどい言い回しよりも、本当の名前を知りたがった。

 

「Dark……ダークだ」

 

 青年の名は、ダーク。

 限られた者にしか明かされない、『黒き闇』という暗号名を持つ者。

 その彼の胸元には、見る者を引き込む漆黒のアミュレットが在った。



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消えた嵐

 その暗号名を知る者は現大陸にいる人間を含めても10人は下回るだろう。ギルドの最高幹部とその直属のギルドナイト、特殊任務を担当する極一部の凄腕のハンター程度である。

 かく言う総司令も五期団派遣の通達と同時に暗号名を知らされた者の1人であった。その時までは暗号名のハンターという存在すら知らなかったのだ。

 

「君を直に迎えに行く約束だったのだが……君や五期団達がこちらに向かっている間に古代樹の森でとある事件が起きてな。私を含め幹部連中は多忙を極めている」

 

 総司令は言いながら、拠点からでも見える古代樹を見据えた。快晴の青空と合わさり美しい景色であったが、現在の調査団が置かれた状況にとっては不気味な前兆であった。

 

「クシャルダオラは知っているな?」

「当然だ。一般人でも知らない人間はいない程だからな」

「そのクシャルダオラ……鋼龍が、古代樹の森にいる」

「ん……?」

 

 嵐と共に現れるというクシャルダオラが目と鼻の先の古代樹にいる。

 総司令から語られたその言葉はあまりにも現在の状況とかけ離れていた。雨が降っているどころか、風すらほとんど吹いていないのである。

 鋼龍が訪れる地には必ず雨が降り、姿を現す時には嵐が起きると言われている。現大陸では個体ごとに天候の程度に差異こそあれど、快晴だったという記録は存在しない。

 

「その情報は確かなのか? 誤認の可能性は無いのか?」

 

 ダークの質問に総司令は軽いため息をつきながら答えた。

 

「間違いの無い情報だ。古代樹の複数のエリアで痕跡を確認してある。しかも一番新しいのは昨日のものだ。 ――痕跡に関する情報を説明してくれ」

「はい、総司令」

 

 総司令の要求に、先ほど肘で小突かれた研究班リーダーが前へ出た。先ほどのような冗談を言っていた顔ではなく、真剣な顔そのものである。その手に持つ複数の紙をダークへ渡した。

 

「確認できた痕跡で最も古いものは2週間前に見つかりました。場所は北西側の下層エリア、調査団が大峡谷にてゾラ・マグダラオスの捕獲に失敗した後、僅かに残った物資を撤収させる作業中に四期団のハンターが発見しました。その時も快晴です」

「…………」

 

 ダークが見る古代樹の地図には複数の印が書かれていた。大峡谷から拠点へ向かうルートに長い矢印が、クシャルダオラの痕跡が発見されたエリアに丸印がされていた。古代樹の西側、海に近い場所を迂回するルートで痕跡を発見したことを示す資料である。

 

「私も最初は何か別の痕跡を誤認したんだと思いましたよ。快晴時に表れるクシャルダオラなんて前代未聞ですからね。ですが痕跡は正真正銘の本物です。さらに四期団が隈なく痕跡を探したところ、1週間前に中層で新たな痕跡が見つかりました……この時はやや曇っていましたが、雨は同じく降っていません」

 

 2枚目の資料には複雑に絡み合った古代樹の中層部が2つ描かれていた。それぞれ上空から見た図と、真横からの図である。

 ダークに渡された資料は確かにクシャルダオラの痕跡を示すものである。痕跡を発見した日時・場所・天候の記録、編纂者が書いた足跡の精巧なスケッチも、ダークが現大陸で見た別のクシャルダオラの足形と似ていた。鋼龍の存在を証明するには十分すぎる情報だ。

 

「足跡の劣化状態から推測した結果、クシャルダオラが痕跡を残したのはどちらも四期団が発見した前日です。ずっと晴れが続く時点で不可思議な現象と言えますが……問題はここからです」

「別の情報があるのか?」

「姿を見た者が居ません」

「なんだって?」

「誰もクシャルダオラの姿を見た者がいないのです」

 

 資料と研究班リーダーの顔を交互に見るダークの顔が険しくなる。

 

「下層エリアは四期団が隅々まで探索してくれましたが、発見できたのは痕跡だけで姿を見た者はいません。中層エリアの時も同じです。しかも他のモンスターは普段通りの状態で活動していました。」

「そのモンスターは具体的に?」

「大型はリオレウス・リオレイア・アンジャナフの3体。小型モンスターはジャグラス・ケストドン・メルノスなどです。念のためオトモアイルー達の協力で森の虫かご族達にも確認を取ったのですが、彼らにも見た者はいないということでした」

 

 これほどの情報が揃い、大量の人員を探索に出しても姿を見た者がいないというのはあまりにも非現実的であった。探索に出た人員が全て素人ハンターだったのであればまだ納得できただろう。だがここは新大陸である。現大陸で選り抜かれた精鋭中の精鋭が集まる場所である。そのエリート集団が全く成果を出せなかったというのは並のことではない。

 ダークは総司令が多忙であった理由がクシャルダオラとの戦いで膠着状態になっていたのだと最初は思っていたのだが、全くの見当外れであった。

 

「調査班からも報告がある」

 

 背中に巨大な剣を下げた青年が手を挙げた。筋骨隆々な肉体を持ちながらも、知的なセンスを持ち合わせていることを感じさせる声は調査班リーダーのものである。

 

「まだ情報の編纂が終わっていないので研究班へ提出出来ていないのだが……総司令、研究班リーダー、今説明してもよろしいか?」

 

 調査班リーダーは2人に許可を求めた。新大陸調査団は情報の錯綜や誤報を避けるため、新しい情報は最初に必ず研究班へ報告しなければならず、流布するのも研究班の担当だったからだ。

 新大陸はおろか現大陸でも過去に例が無い今の状況に、手続きで時間を浪費するのは得策では無いと判断した総司令と研究班リーダーはすぐに了承した。

 ダークはこの時、調査班リーダーの顔が総司令と似ていることに気付いた。祖父と孫の関係であっても、任務に関連することであれば総司令の部下として振る舞う。それは、調査班の長としての責任感から来るものだ。

 

「最初に痕跡が発見された後、奴の動向を察知すべく拠点から古代樹方面を昼夜問わず常に監視している。だが別のフィールドへ移動した姿は確認されなかった。つい先ほど他のフィールドに駐屯している調査員や三期団からも定時連絡が入ったが、発見の情報はもちろん、怪しい影すら何も無いという有様だ。調査班としては、状況証拠的に現在もクシャルダオラは古代樹の森にいると考えている」

 

 研究班と調査班の見解が一致した。

 クシャルダオラは今この瞬間も古代樹の森のどこかで息を潜めているというのである。その目的は不明だが、古代樹を自らの縄張りとするつもりでは無いことは予測できる。仮に古代樹を自身の縄張りと主張しているなら、ハンターはもちろんモンスターの前にも現れてその圧倒的な力を振るうはずだからだ。

 しかし、古代樹は静止した水のように静かである。

 数少ない痕跡だけが古龍の存在を示していたが、姿が確認できない上に導蟲が嗅ぎ付ける程の痕跡が見つかっていない現状では、調査は完全に手詰まりである。

 押すも引くもできないこの状況。ダークは理論ではなく、行動を起こすべきだと判断した。

 

「……すぐに古代樹の森へ出発する」

 

 手元にある資料は正確な情報ではあったが、クシャルダオラの目的や現在位置の予測すらできない以上、実際に現地へ行って確かめる以外に方法は無いと考えたのだ。

 

「そんな!五期団の受け入れ作業でアステラは多忙なのよ。それに捕獲作戦の時に物資は使い果たしたんだから、ロクな支給品も準備できないわよ!」

 

 物資班リーダーが強い語気で反対した。それはダークの身を案じてのことである。五期団の着任に伴う手続きと物資の搬入は明日まで掛かる見込みだった。

 いくら選りすぐりの人材を集めた五期団と言えども、長旅で疲れている上に不慣れなフィールドで戦えば戦力が大幅に落ちる。物資がほとんど底を尽きかけている現状、大人数での行動や対古龍用の兵器は使用出来ず、フィールドに慣れている四期団もその能力を発揮できない。

 さらに、アステラが機能の大半を喪失している現状では、増援はおろか支給品すら期待することはできない。孤立無援の状態で古龍と対峙するのは、自殺行為以外の何ものでもない。

 

「構わない。戦いに行くわけではないからな。だがクシャルダオラが何をしているか、こちらに対してどう出るかをはっきりさせなければならない。襲撃の機会を伺っているなら、接触できれば牽制にも時間稼ぎにもなる」

「…………!」

 

 ダークの言葉に物資班リーダーは戦慄した。姿を見せないということに気が向いてしまい、拠点を襲撃されるという想定がいつの間にか頭から抜けていたからだ。今までは調査団がクシャルダオラを観測する側でいたが、実際は相手がこちらの様子を伺っているのかもしれない。

 

「物資班リーダー、今は言い争っている場合では無い。五期団が到着する前に問題を解決できなかった以上、我々がやるべきことは拠点が無防備になっている時間をできる限り短くすることだ」

 

 総司令は手早く事態をまとめた。現状のまま奇襲を受けることは避けねばならないが、過去に渡りを行い、僅かだが痕跡を採取できたクシャルダオラは『古龍渡り』の謎を解くための数少ない手掛かりである。

 しかし、手掛かりを調査員の生命と引き換えにすることはできない。新大陸調査団と本格的な戦いになるのであれば、討伐する以外に道は無い。

 

「黒き闇へクシャルダオラの調査を依頼する。目的はクシャルダオラの現在位置と、古代樹に潜んでいる理由の解明だ。何か必要なものはあるかな? ……と言っても、物資はほとんど無いが」

「現地の地理に詳しい者が欲しい。できれば戦闘に慣れている者を」

「なら俺が行こう」

 

 調査班リーダーが声を上げた。幼いころから古代樹へ足を運んでいた調査班リーダーは、誰よりも古代樹の構造を理解していた。

 

「あと、俺よりも地理に詳しい者がいる。 ――森の虫かご族さ。五期団がここに到着するということで部族から代表の数名がこちらへ来ていてな。彼らの助力を要請してみよう」

「よし。では拠点に残る者は各自持ち場に付き、万が一鋼龍が拠点へ侵攻した場合の迎撃準備をしておくこと。ただし、あくまでも最優先事項は物資の搬入と五期団受入れの完了だ。以上、解散!」

 

 各班のリーダー達が持ち場へ駆け足で戻っていった。拠点には様々な防衛用の兵器が常設されていたが、五期団受け入れに伴う作業が終わり次第、本格的な人員の配置が行われるだろう。新大陸へ到着したばかりの五期団にとって、最初の任務が古龍の迎撃戦になるというのは少々荷が重いことである。

 しかし、ダークは拠点にクシャルダオラが向かう可能性は極めて低いと考えた。古龍というのは戦闘能力は当然のことながら、知能に関しても並みのモンスターを上回る。アステラという拠点は対古龍戦に慣れている人員が揃っている上に塩害が発生しやすい場所である。仮に襲撃が成功してここを縄張りに置いたとしても、鋼鉄の表皮を持つクシャルダオラにとって何もメリットが無い。

 だが、ダークは備えるに越したことは無いとも考えていた。視界が悪い嵐の中での戦いに比べ、快晴というのは迎撃戦で有利になる。

 

「ちょっとええか?」

 

 作戦会議が終わったダークの足元へ、小柄な竜人の御老体が歩を進めた。人間の子供程度の大きさで、さらに背が曲がっているためにより小さく見えたが、眼光は並の者ではない。

 

「僕は生態研究所の所長や。渡したいもんがあるんでな、二人とも来てくれんか?」

 

 ダークと調査班リーダーへ所長が言った。その言葉を聞いて、調査班リーダーは彼を抱きかかえると肩へ乗せて歩き始めた。

 

「まだ十分歩けるわい」

「こっちの方が早いだろ?おじさん」

「まったく。年寄り扱いしおって……」

 

 所長は文句を言っていたが、抵抗するようなことはせずに肩に落ち着いた。それは、調査班リーダーが子供の時からの付き合いだからこそのやり取りである。かつては所長が持ち上げられる程の軽い赤子が自身より遥かに大きく逞しい青年になったことに、所長は僅かながら感慨を感じた。しかし、研究所に着いた時には既にいつもの所長へ戻っていた。

 

「ほれ、これや」

 

 生態研究所の備品から出てきたのは、導蟲が入った二つのコロニーである。

 

「片方はターゲットとなっているクシャルダオラ用の導蟲や。数週間前に四期団が回収した痕跡を覚えておる。もう1個は過去に1期団が見つけた全ての古龍の痕跡を嗅がせた導蟲やな」

「全ての古龍というのは?」

「新大陸で痕跡が採取できた古龍は全部で5匹いてな。クシャルダオラ、テオ・テスカトル、ナナ・テスカトリ、ヴァルハザク、……そしてネルギガンテ。フィールドで回収した鱗や甲殻、体毛を定期的に嗅がせているんや。1期団は過去にこれら5匹の痕跡を集めることに躍起になっていてな、拠点が襲撃される前に事前に察知できるように……てな具合やな。もし過去に採取した痕跡の持ち主が森に潜んでいるクシャルダオラと同じ個体ならこのコロニーが反応するかもしれん。相手は一匹とは限らんからな」

 

 ダークは最近採取されたクシャルダオラの物を、調査班リーダーは一期団が集めたものを腰に下げた。

 

「おじさんはこの現象、どう思う?」

 

 調査班リーダーは防具の整備をしながら所長へ訪ねた。それは帰ってくる答えが分かっていても、である。

 

「脱皮の可能性は低いなぁ。もっと生きもんが少なく、安全で標高の高い場所を選ぶやろうし……とっくに他のモンスターにも襲い掛かっとるやろうしな。すまん、検討つかんわい。だが何かあることは確かやな」

「だよなぁ……現地で確認する以外方法は無し、か」

 

 調査団リーダーはダークに向き直って言った。ダークはそれに無言で頷く。

 

「最後に……ケガはあかんで」

 

 所長がぶっきらぼうに言い捨て、手元の本を読み始めた。調査班リーダーは困った顔で笑ったが、単刀直入に釘を刺すその言葉はハンターにとって余計な注意をズラズラ並べるよりも遥かに効果的な戒めになるだろう。

 

「大丈夫、暗くなる前には帰るよ。さ、行こうか……って、武器はどうする?」

 

 調査班リーダーは、ダークが武器を持っていないことにようやく気付いたようである。しかし、彼は全く動揺せずに言った。

 

「キャンプに予備の武器が置いてあるだろう?それでいい。現地の状況に合わせて借りる」

「しかし……」

 

 ダークが言う予備の武器とは、フィールドのキャンプに常備されている『レンタル武器』のことである。狩猟中に自分の武器が壊れて丸腰になり、自衛が出来なくなることを避けるための物だ。

 それらは元々他のハンターが使用していた中古の武器である。技術班の工房へ売却された武器の中から信頼性の高い頑丈な物を整備し、キャンプに置いている。

 しかし、レンタル武器を使用する者はここ最近ほとんどいない。

 四期団も現大陸で精鋭として名を知られた者で構成されているため、最低限の修理や整備は自前で出来る上に、定期的にプロ集団である技術班へ点検を依頼している。新米ハンターの事故で多い準備不足がそもそも発生していないのだ。

 そのためか、最近のレンタル武器はキャンプの飾りになってしまっている。

 

「二期団が整備したものなら信頼性は十分にあるだろう。行くぞ」

 

 その言葉は真っ当なものだった。

 中古だが技術班によって入念な整備と動作確認が行われた物と、強力ではあるが実戦経験が少ない作りたての武器。信頼性に関しては圧倒的にレンタル武器が上である。

 いくら高性能な武器も実戦中に故障したり破損してしまえば、ただの荷物に他ならない。

 事実、精鋭のハンターほど堅実な造りの武具を好む傾向がある。素人の駆け出しハンターは強力なモンスターの素材で装備を作りたがるが、その素材そのものが『生きている』こと、劣化が想像以上に早いことにすぐ気づくだろう。切れ味の鋭い爪や牙、強靭な鱗や甲殻、属性攻撃を可能にする内臓器官。これらは生きたモンスターに在ることで意味があるのだ。

 モンスターから剥ぎ取った素材で作った武器は確かに強力である。しかし、その耐用年数は決して長くはない。狩りの最中に武器が壊れ、『狩る側』が『狩られる側』になり、命辛々逃げ帰ったハンターは数知れない。

 そのような不意のトラブルを避けるためにも、精鋭のハンター達は骨や鋼鉄、なめした革といった劣化が遅く信頼性の高い素材で装備を作る。そして、性能の低さを実力で補うのだ。

 

「まあそうだが……じゃ、おじさん行ってくるよ」

 

 調査班リーダーの言葉に、所長は彼を見ないまま、右手を軽く上げて応えた。



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暗号名

 調査班リーダーが歩き始めた青年の後に付いて行く。

 生態研究所の所長の他に、その二人の背中を見送る者がいた。

 

「『黒き闇』だなんて大層な名前じゃねえですかい、総司令?」

 

 片目に眼帯を掛けた男。二期団の親方が茶化すように総司令に言った。

 彼は五期団とは別で送られてきた増援が、調査班リーダーとほとんど同じ年齢の青年たった1人だったことに不満と疑念を持っていたのだ。

 近代では素材の加工技術が向上し、武器・防具も同じく性能が上がってきている。昔出来なかった事が今の武器では出来る事も多い。

 一期団が新大陸に訪れた頃の時代は、技術的に未完成の武器の欠点をハンターの数と工夫で補っていた。外殻は薄くて軽いが素早い動きのモンスターには、弓やボウガンなどを装備したハンターが足止めを行う。逆に重く強靭な甲殻だが鈍重な相手には、大剣の一撃を当てて突破口を開く、というチームワークが狩猟の鍵を握っていた。

 それが現在では大剣持ち一人だけでも狩猟を成功させられる。動きが素早い相手に追いつけるほど武器が軽量化されつつ、刃先や刀身に工夫を凝らして威力の低下を抑えているのである。

 事実、調査班の大半は一人一人が個別に依頼をこなしている。それは彼ら全員が精鋭である事も一つだが、それを支援する人員が多く働いていることも理由だ。

 専門知識と大がかりな設備で修理・整備を行う技術班。技術班が必要とする材料の種類と数を纏める物資班。物資班がフィールドで採取した物資を必要な場所へ送り届ける輸送班。輸送班が運搬する際に安全を確保する警備班。そして、警備班が使用する武器装備の修理・整備を行う技術班。

 いくら時代が進み技術や知識が革新されようとも、一人の人間に出来る事には限界がある。ハンターは一人で調査を遂行できるようになったが、その支援に必要な要素は逆に増えてしまっているのだ。

 親方が青年を疑っているのは、そうした大勢の支援によって成り立つ成功を一人の力で達成したのだと誤解しているのではないのか、という事だった。

 

「私も最初は精鋭ハンターのチームでも送ってくれるのかと思っていたのだが……思えば五期団自体が精鋭集団だからな。彼は何か別の任務があるのだろう。時間がある時に聞いておくとしよう」

「……あの若造はどんな奴なんです?」

 

 親方の質問に、総司令は本当のことを話すべきか迷った。工房の長であり、二期団長でもある親方には全幅の信頼を置いてはいた。しかしアステラの調査員たちに周知していないのと同じく、真実を話せば悪戯に青年のことを目立たせてしまうだろう。そうなれば彼の任務に支障が出る恐れがある。

 五期団派遣の通達を運んできた連絡船に、暗号名のハンターに関する通達を運んできた者が二人だけ別にいた。

 手紙を収める施錠された金属製のケースと、開けるために必要な鍵を収めた同型のケース。しかもケースは二人の左手にそれぞれ手錠で繋がれているという厳重さだった。

 異常なまでの警戒態勢から渡された一通の手紙。それには「黒龍を討ち倒した者、『黒き闇』がそちらに行く」とだけ記されていた。

 普通の人間なら悪ふざけでもしているのかと考えるのが関の山だが、その手紙がギルドマスターの直筆で書かれ、本国の王室の判と封、ギルドナイツの検閲を受けた印がされていれば、その人物が本物であり、極めて重要な任務である事に疑いの余地は無い。

 

「現大陸では珍しい質素な装備を好む凄腕のハンターだ。親方ならあのような実用性重視のものを好むハンターは嫌いではないだろう?」

 

 総司令は咄嗟に話を逸らしたが、逸らした先もまた真実であった。

 青年が身に着けていた防具は革製の汎用品である。安価だが軽くて動きやすく、重厚な金属製には劣るものの防御性能も申し分無い。

 現大陸では木こりや漁師、フィールドワークを行う学者など、ハンター以外の者でも着用している者は多数存在する。中にはそれをベースに新しい防具を作成する物好きもいる。

 新大陸調査団もまとまった数を仕入れており、それを着た休暇の調査員がアステラで買い物をしている光景もよく目にすることが出来る。青年はその上に同じく汎用品のローブを羽織り、『旅人』といった風貌だった。

 古龍を相手にするには少々頼りない防具ではあるのだが、桁外れの威力を持つ古龍の攻撃にはどんな防具でも『即死しなければマシ』というのが実情である。重く嵩張る防具で動きが鈍るよりは、軽くて動きやすい物で確実に回避するというのが現在の対古龍戦の主流であった。

 

「あのナリで古龍とやり合おうって肝っ玉は評価しますがね。口から出まかせの奴じゃないことを祈ってまさぁ」

 

 親方はそう言うなり、痛む腰を庇うような歩き方で工房へと戻って行った。

 技術者である親方の信頼を得るためには、口先の言葉ではなく実績が必要だ。論より証拠。百聞は一見に如かず。

 その背中が完全に見えなくなるまで行ったところで、総司令の後ろから声が掛けられた。

 

「……なぜ本当のことを言わなかった?」

 

 ソードマスターは怪訝な声で問う。

 彼は一期団の中で最も優れた実力を持つハンターであり、アステラの防衛を任されている剣の達人である。新大陸へ着任してから40年の月日が経つ現在でも、その実力は衰えていない。

 一期団の就任以前はポッケ村という集落で専属ハンターを務めていたそうだが、炎王龍との因縁が始まったのもその時期だ。

 兜を人前で脱ぐことは一切なく、食事も一等マイハウスにひとり籠って摂る程の徹底ぶりである。

 その素顔を知る者は殆どおらず、現在では一期団ですら素顔を見る機会はほとんどない。

 

「あまり彼のことを公にするのは時期ではないと思ってな……いや、私自身がまだ疑っているからだろう」

「黒龍に関することをか?」

 

 ソードマスターの口から唐突に出た龍の名に、総司令は驚くと同時にソードマスターの観察眼に感心した。

 黒龍:ミラボレアス。新大陸ではおろか、現大陸でさえも目撃例がほとんどない伝説上の古龍である。ダークが身に着けている漆黒のアミュレットがその黒龍の宝玉であることをソードマスターは見抜いていたのだ。

 現大陸で活動していた時から既に剣豪として名を知られていたソードマスターは、狩猟において自身の『感』を何よりも重視している。

 それは曖昧な予測や根拠の無い理屈ではない。モンスターの動きや気配を探る事はもちろん、天候や気温、湿度といった狩猟に関わる情報を、五感を研ぎ澄ませて感じるのだ。

 実際、ソードマスターは他のハンターでさえ理解できない表現を平気で使う。『風が廻る』『雨が満ちる』『草が沈む』などだ。例えば『風が廻る』とはフィールドで風が吹いても空気が同じ場所から移動せず、薬や火薬といった匂いが他のモンスターに気取られにくいという意味だ。

 そんなハンターであるソードマスターにとって、素材に対する観察眼が商人どころか学者よりも優れていることは言うまでも無いだろう。

 

「ミラボレアスという強大な古龍を単独で討伐した人間がここに居る……もしそんな事を公にすれば過剰な競争意識が出てしまう。特に新大陸に到着して興奮気味の五期団にはな」

 

 総司令は新しい期団が来るたび、ハンター同士の実力差には特に注意を払っていた。

 新しい環境、新しい仲間、新しい装備。どれもハンター達の意欲や競争意識を刺激するものである。

 その意識を持つこと自体は悪いことではない。問題なのは、その競争意識を優先するあまり冷静な判断が出来なくなることだ。

 腕のいいハンターや珍しい装備のハンターが近くに存在すると、自然と周囲のハンターも負けじと行動する。だが、黒龍を単独で討伐したという規格外のハンターが存在するとなれば話は別だ。より強くなるため、勝ち目のないモンスターに戦いを挑んだり、逆に幻滅して任務を放棄する者が出始めるかもしれないからだ。

 彼の存在は調査団にとっては大きな戦力になることは間違い無いだろう。一方で周囲に与える影響も大きなものになるはずだ。総司令にも調査団がこの先どうなるかは検討が付かない。

 

「あの黒龍を単独で、か……」

「見たんだろう? 現大陸で」

「ああ、よく覚えている。相当な強者であろう龍だった」

 

 ソードマスターは新大陸に発つ直前、黒龍とたった一度だけ向き合った時のことを思い出していた。それはちょうど一期団の編成が終わるころに発生した事件だった。

 因縁の炎王龍が炎妃龍と共に新大陸へ渡ったため、炎王龍と長年刃を交えていたハンターであるソードマスターも一期団へ編入されていた。しかし古龍観測所から黒龍の目撃情報が多数入ったことで、急遽一期団の一部が調査隊のメンバーとして出陣したのだ。

 伝説と言われていた黒龍が存在していた事に殆どのメンバーが極度の緊張状態に陥っていたが、幸運な事に殉職者は一人も出なかった。

 『運命の戦争』という名の古龍でありながら、伝説の古龍は討伐隊を避けるように行動をしたために一度も戦うことはなかったのである。行き先を予測し先回りすることでようやく追いついたのだが、ソードマスターら討伐隊を一瞥しただけですぐに飛び去ってしまったのだ。

 

「あの時の黒龍は某……いや、人間と争うことを避けていたように見えた。理由は分からないが」

「勝てる自信はあったのか?」

 

 総司令の問いに、ソードマスターは首を横に振った。

 

「おそらく無理だったろう。討伐隊の皆は優れた狩人であったが、『第三の眼』と視線が合った時に全員が気圧されてしまった。無論、某も」

「第三の眼?」

 

 ソードマスターは当時の関係者だけが知る黒龍の情報を総司令へ語った。

 第三の眼。古龍に限らず、永い刻を生き続けたモンスターの中には体内に宝玉を生成する個体が存在する。それは尻尾であったり胴体の中であったりするなど、場所は個体によってまちまちである。

 本来は討伐後の剥ぎ取りないし解体の最中に発見されるのが常であるが、ミラボレアスのそれは体内ではなく、額に在ったのだ。

 その外側に露出した宝玉を『第三の眼』と呼ぶのは自然なことだろう。本物の眼球のように視界を得るためのものではないが、その異様さが放つ禍々しいまでの『気』が、見る者を恐怖させるのである。

 しかし、結局黒龍はそのまま行方を眩ませてしまった。

 ソードマスターは一期団のハンターとして新大陸へ出発し、ギルドの関係者とは手紙を出して連絡を取り合っていたが、その後の目撃頻度は大きく下がっていった。

 二期団が新大陸に訪れる10年後には完全に行方が途絶え、姿を見せることも、新大陸へ渡ることも無く、事件は風化し完全に忘れ去られていた。

 現大陸の一般人にとっては胡散臭い作り話だと思われるだろう。だが討伐隊はハッキリと見たのだ。見る者を引き込む漆黒の宝玉を。

 

「今はあの者、黒龍を討ち倒した者を信じてみる他ない」

「そうだな。……万が一クシャルダオラが襲来したときは頼む」

「御意。青い星の導きあれ」

 

 ソードマスターは新大陸では見慣れない旧式の防具を整え、剣を取り持ち場へ向かった。

 彼自身、古龍と何度も戦ってきた古強者である。背中からでも分かるその気迫は衰えていない。

 

「『宿命の戦い』、『避けられぬ死』……それを超越した男か」

 

 ソードマスターを見送った後に総司令が口にしたのは、黒龍伝説の一節である。五匹の龍の物語と並ぶ、有名な御伽噺。

 古龍に関する伝説というのは、まだ未知の存在に関する研究を行う事が出来ない時代に、少しでも情報を後世に伝えようと残されているものが多い。

 それは御伽噺であったり、土地に伝わる歌であったり、壁画として残されている場合もある。

 だが、『五匹の龍の物語』と『黒龍伝説』の二つだけは毛色が違う。

 古龍の脅威を伝えるのではなく、過去に実際に起きたことを淡々と書き綴ったような『五匹の龍の物語』。伝承の内容は共通しているにもかかわらず、節も詞もまるでバラバラに伝わっている『黒龍伝説』。

 総司令はその二つを事実だと信じている。伝説の内容がどんなに超常的でも、それは人間が証明できないだけで、目の前に広がる大自然は真実だけを残して過ぎ去ってしまう。

 少なくとも、黒龍に関する事はあの青年によって前進したことは間違いが無いのであろう。

 幾多もの生命を狩り尽くした者の前に現れる災厄の化身。その伝説を覆した者が、この新大陸に居るのだ。

 黒龍の宝玉という、証と共に。

 



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第一章:嵐は古代樹へ来たる
古代樹の午後


五期団と共に新大陸を訪れた暗号名を持つ青年、ダーク。
彼らがたどり着いた新大陸の拠点『アステラ』は、ゾラ・マグダラオス捕獲作戦の失敗による深刻な物資不足に陥っていた。
だが、幹部達が危惧していたのは別の問題であった。
アステラの目の前にそびえ立つ古代樹に、鋼龍:クシャルダオラが潜伏しているというのだ。

古龍の襲来に完全に無防備となっている現状を打破すべく、調査団は五期団と共に運ばれた大量の物資の搬入を急ぐ。
さらに、アステラが襲撃される前に先手を打つため、総司令はクシャルダオラの潜伏場所とその目的を突き止めるようダークへ依頼した。

拠点からの支援が全く無い、極めて危険な任務。
ダークと調査班リーダー、そして森の虫かご族の『罠師』は、この危険な任務を遂行すべく古代樹の森へ赴くのだった。


「全く、歓迎会だと言っていたのに仕事ぞ? チョウサダンの旦那」

 

 アイルーに似た獣人が隣を歩くダークをジロジロ見ながら言った。

 彼は五期団の歓迎をするということで拠点へ赴いた『森の虫かご族』代表者達の1名であった。

 たっぷりの御馳走と御土産を期待していたのに、自分だけが回れ右して古代樹へ戻るハメになったことが不満な様子である。

 

「まあそう言わないでくれ、罠師さん。急に決まったことなんだ」

 

 隣を歩く調査班リーダーが、尻尾を大きく振り回す不機嫌な獣人をなんとかなだめている。

 彼ら新大陸の獣人『テトルー』は新大陸で初めて存在が確認された獣人種である。

 現大陸のアイルーより野性的な面が強く、部族独自の武器や道具を駆使して生活していた。

 長い年月を人間と行動を共にしてきたアイルーと、出会ってからまだ40年足らずのテトルーを比較して人間にあまり馴染んでいないと言うのは早計だが、テトルー達と新大陸調査団の関係は良好であった。

 一期団が新大陸に上陸した年に古代樹の森で接触したという『森の虫かご族』は、他の部族よりも長い期間調査に協力していたために、人間の言葉を使いこなす者は比較的多い。

 また、新大陸の各地で生活している別の部族も虫かご族からの指南や調査団との共同作業・物々交換を繰り返しているうちに、人間の言葉に堪能している者は少数ながらも存在していた。

 ダークと調査班リーダーに同行している『罠師』と仲間から呼ばれるテトルーも、多少の訛りや癖の強い言い回しはあったが、問題なく意思疎通ができる。

 研究班曰く、テトルーの言語はアイルーのものと原型が同じであり、現大陸と新大陸の文化の違いで言葉に差が出来たのだろう、という予測を立てていた。

 それは、姿や言語こそ時代と共に変わっていってしまったが、アイルーとテトルーの先祖が同じであることを意味する。

 

「それに物資を搬入しないと料理が作れない。今料理長が大急ぎで作ってる最中だから、あそこに居たら手伝いに狩り出されていたかもしれないぜ?」

 

 事実、大量の物資の積み込みや五期団の受け入れ手続きなど拠点での仕事は山盛りである。作戦会議が終了した段階で1割すらも終わっていなかった作業量を考えれば、テトルーだろうが容赦なく作業に駆り出されてしまうかもしれない。

 

「……まぁ、それもそうであるな。宴の前のひと仕事として割り切るかの」

 

 罠師がそう考えている間に、拠点に残る側になったテトルー達がこちらへ手を振っている。その後ろには暇そうにしている彼らにさっそく気付いた四期団の作業員が迫っていた。

 背後から聞こえた残留組テトルーの絶叫に振り向くことなく、ダークは拠点の入り口を示す正門を通った。ここから先はモンスター達の縄張りになっている可能性があるエリアになる。

 クシャルダオラの痕跡が最初に見つかった場所を確認するため、まず一行はアステラから古代樹の森を南側から回るルートを歩いた。

 日がまだ高い位置で輝いている時間、相変わらず空は雲一つない快晴の状態である。南西に設置された初期キャンプの正面には広い平地エリアが存在するが、そこを通った際はアプトノスの群れが植物を食んでいた

 とても古龍が居るフィールドの光景とは考えられなかったが、別のフィールドへ移動したことが観測できていない以上、調査班リーダーが作戦会議の場で言った通りクシャルダオラはまだこの地に居る可能性が高い。

 

「ところで、じいちゃんから君のことを聞いたよ。向こうでは相当な腕のハンターなんだってな」

 

 西側へ向かう途中、調査班リーダーは興味深々でダークに尋ねた。

 彼にとって現大陸で狩猟をしている人間は興味を惹かれるものなのだろう。それがギルドマスターが直々に送り込んだ、たった1人の特殊任務ハンターとなれば尚更である。

 

「向こうでは何をしていたんだ?」

「我も気になるぞ」

 

 調査班リーダーと罠師は単刀直入に聞いた。本来、特殊任務に従事する人間が部外者に任務内容を漏らすことは無い。ギルドから禁止されているわけではなく、不必要に騒ぎを大きくしないように各自の判断に任せているだけだった。

 

「そうだな、沢山ある。古龍の情報収集、学者の護衛、……そういえば城を脱走した王族を捕まえる任務もあったな」

 

 ダークはそう言って自分の背丈ほどの段差を飛び降りた。ちょうど置いて行かれた形になった調査班リーダーは少々意外な気分になった。

 四期団が新大陸に到着し初めて調査班が編成された際に、彼は最も新大陸に慣れているという理由でリーダーへ任命された。調査班でチームを組む際の自己紹介では、四期団たちは現大陸での数々の狩猟体験を口にしたものだ。

 その内容は様々である。

 新種を発見した者、有名な討伐任務に遠征したと言う者、古龍と実際に対峙した者。

 彼・彼女らに共通していたのは、危険なモンスターを相手に活躍したハンターだということだった。

 調査班リーダーはそんな四期団達とは比較にならないほど、暗号名のハンターとは超人的な人間だと思っていたのだ。

 

「期待外れだったか?」

 

 下から調査班リーダーを見上げるダークの顔は少し苦笑いしているようだった。失礼な物言いをしてしまったかと罠師は焦ったが――

 

「正直言うとそうだ。俺はあまり特殊任務を遂行するハンターというのがよく分からなくてな」

 

 そう言うものの、調査班リーダーにはダークが普通のハンターには見えなかった。

 ありのままの事実を淡々と語るだけだが、彼の立ち振る舞いや注意の払い方が自身の指導役であるソードマスターが何度も言っていた「自分の実力を過信せず、しかし信じること」をまさに体現していたからだ。

 彼にはかつての四期団達のような興奮も、しかし緊張している様子も無く、常に気を緩めず周囲の状況・状態に気を配っている。

 ハンターにとって精神状態というのは極めて重要な要素である。

 過度な緊張状態や興奮状態が続くと冷静に行動することが出来なくなり、同時に冷静な判断もできなくなる。

 

「いや、ギルドが君を……ダークを寄越してくれた理由がわかったような気がする」

 

「そなたはダークという名前なのか?」

 

 罠師が興味ありげに尋ね、ダークが頷いた。

 

「おお、その言葉なら最近習ったぞ。たしか『闇』とか『暗い』とか、あと『静か』という意味もであったな」

 

 罠師が指摘した通り、『ダーク』という言葉は古代文字、古代語で稀に出てくる語句である。

 ついでとばかりに罠師がガリガリと槍の柄で地面へ綴りを書く。

 

~ Dark ~

 

「なるほど、古代語の名前を翻訳したのが『黒き闇』という暗号名なのか」 

「そうだ」

「ダーク、よろしくな」

「ダーク殿、我も歓迎するぞ」

 

 現地へ移動しながらの自己紹介を終えたダークだが、西側の海岸線付近のルートを通過した際に痕跡は発見できなかった。

 人間でも通るのに危険を要する狭い道に、クシャルダオラが入れるスペースはほとんど無い。もし鱗や甲殻の一部でも見つかればとダークは考えたが、徒労に終わった。

 

「この先だ」

 

 調査班リーダーが指さす先は、最初に痕跡が発見された古代樹の北西側:下層エリアだった。岩肌が露出しているかなり急な坂を越えると、辺りは鬱蒼と茂った木々の葉に阻まれはじめる。

 まだ日が高い位置にあるにもかかわらず、薄暗い雰囲気の場所が一行を出迎えた。

 最初の痕跡は四期団のハンターがすぐ近くに設置されたキャンプで一泊した後、そこを出てすぐ近くの広場で発見されたという。

 実際に痕跡が在ったとされる場所を二人と一匹は見に行ったが、既に風化した後であり実物は確認できなかった。

 

「北西キャンプを出て右手、さっきの広場はアプトノスの小さな群れがよく居る場所だな」

 

 ダークはキャンプへ武器を取りに行く前に、それを背にした状態で右を見た。調査班リーダーが言う通り、地図には比較的広いエリアが示されている。

 草食竜の天敵である火竜は優れた視力を持つ。広場は草食竜にとって発見されるリスクの高い危険な場所となるが、同時に日光が降り注ぎ良質な植物が育ちやすい。

 そこの広場は周囲を大きな樹木が取り囲んでいたため、上空から発見されてもすぐに隠れられる。草食竜にとっては良い餌場であった。

 

「左の細くなった道の先はジャグラス達の縄張りだ」

 

 左は右の道より細くなった通路が伸びている。その先はさらに樹の影が濃くなり、昼間でも明かりが無ければ本が読めない程だ。ジャグラスのような小柄で素早いモンスターにとって、不意打ちに絶好の場所である。

 

「おっと、早速お出ましかな?」

 

 調査班リーダーは影の中から出てきたモンスターを注視する。黄色と緑の体色をした小型モンスター:ジャグラスの群れがダークへゆっくりと近づいてきた。

 

「同志よ! 今日の収穫はいかほどか?」

 

 罠師が気さくな声で向かっていく。体格にかなり差がある種族同士だが、その関係はまさにパートナーといった様子である。

 腰の短刀に手を掛けていたダークだが、それ抜くことはなかった。ジャグラスに敵対的な様子が見られなかったからだ。

 

「いい判断だな」

 

 調査班リーダーは感心した様子でダークを称えた。

 

「四期団が最初に会った時は酷いものだったんだ。皆優秀なハンターだったが、やはり至近距離まで来られた時に動揺は隠せなかったらしい。今では大丈夫だけどな」

 

 それは仕方の無いことかもしれない。家畜化されたモンスターでさえその巨体故に慎重な扱いが求められる。最も人に慣れ、温厚なモンスターと言われているアプトノスでも、尻尾による一撃や体当たりを人間がまともに受ければ死ぬ危険性があるのだ。

 肉食性のモンスターが至近距離に居るというのは、アプトノスが近くに居る事よりも遥かに危険な事態だと普通の人間は認識する。その次の行動が戦闘か、もしくは逃走になるかは当たり前の反応であろう。

 『闘争か、逃走か』

 この二つの反応はハンターのみならず、ほぼ全ての生物に生存本能として備わっている。

 外敵に襲われた時、未知の現象に遭遇した時、危険な災害に巻き込まれた時。戦い以外の場でもこの本能が表面化することがある。

 自身が遭遇した脅威に対し、戦うか逃げることで生き延びようとするこの本能に絶対的な正解は無く、どちらが正解になるかは状況や相手によって大きく変わる。

 モンスターに遭遇した時は攻撃して相手が驚いて逃げてくれることもあれば、逆に怒りを買って反撃を受ける可能性もある。逃走を選択しても生き残れるとは限らない。背を見せた相手を追いかける習性を持つモンスターもいるのだ。

 この二者択一を瞬時に、しかも冷静に決断できれば生き延びる確率は大きく上がる。だが極度の興奮に陥った者、つまりパニックを起こした者にその正常な判断力は無きに等しい。ハンターを志望する者に最初に叩き込まれるものは、剣を振り回す技術でもモンスターの知識でも無く、周囲の状況を把握する『冷静さ』なのだ。

 ダークは調査班リーダー以上に冷静だった。相手が爪も牙も収めている状態であれば、自身には『闘争』も『逃走』も必要ないと判断したのだ。

 そして、それは正解だった。

 

「ふむ……今日は中層で果実が沢山取れたとな?」

 

 罠師は最も近くに寄ってきたジャグラスの喉を撫でながら言った。その手つきは人間が飼育しているアプトノスを撫でる動作にとても良く似ている。

 初対面であるダークに興味を持ったのか、一匹のジャグラスがダークへ擦り寄ってきた。彼は罠師の手つきと同じように見よう見まねで喉を撫でてみると、眼を細めて鳴いた。

 

「罠師はジャグラスの言葉が分かると言ったな?」

「いかにも、虫かご族でジャグラスの言葉がわからん半端者はおらん!」

 

 ダークの言葉に罠師は胸を張るようにして答えた。彼らはジャグラスと協力し合い、広大な古代樹を効率よく移動して食物を探しているのだという。

 テトルーは柔軟な体で狭く入り組んだ茂みへ容易に潜ることができ、ジャグラスは大量の木の実を背負った状態でも縦横無尽に走ることができる。

 彼らが互いに協力すれば、より多くの食物を得られるという算段である。ジャグラスは肉食性のモンスターであるが、実態は雑食に近い。テトルーと同じ食べ物でも問題は無いそうだ。

 

「ならクシャルダオラの居場所を聞いてみてくれ。ずっとここで生活しているジャグラスなら手掛かりがあるかもしれない」

「もうとっくに聞いたぞ、そんなことは。我らがそこまで気が回らぬと思ったか?」

 

 罠師は少し呆れたような表情でダークを見返した。

 古代樹の森で四期団による大規模な探索が行われた際、テトルー達はジャグラスと共にそれに同行し、調査団と頻繁に情報を交換し合っていたのだ。

 

「……今この古代樹に居る大型は火竜の番いと蛮顎竜だったな?」

 

 火竜、リオレウス・リオレイア。現大陸でも比較的数の多い飛竜である。番いになった個体同士の結びつきは非常に強く、生活で互いに協力しあうことはもちろん、狩猟においてもその連携攻撃は脅威になる。

 一方の蛮顎竜:アンジャナフは、調査団から「暴れん坊」というあだ名を付けられている獣竜種である。古代樹全体を自分の縄張りだと主張しているらしく、調査団のハンターや格下のモンスターに襲い掛かるのは日常茶飯事だった。

 しかし研究班は『単純にケンカを楽しんでいるだけ』と言う。昔から捕食対象はもっぱら草食竜のみで、アンジャナフに殺害されたハンターや草食竜以外のモンスターが確認されていないからだ。当時戦いに不慣れだった四期団やテトルーにはクエストを行っていた最中に気絶してしまった者がいたそうだが、アンジャナフはその者たちを捕食することなく自身が勝利したことに満足してその場を立ち去ったという報告があった。

 現大陸で有名なイビルジョーのような『殺戮者』ではなく『暴れん坊』というあだ名がアンジャナフへ付けられた理由もそこにあるのだろう。

 

「それが何だと言うに」

「そうだな……まずは『アンジャナフの場所』を聞いてくれ」

 

 ダークは最も不可思議な現象である『古龍と同じフィールドに居るモンスターが普段と変わらない様子』の理由を調べるため、アンジャナフを尾行することを思いついた。

 この森にクシャルダオラが居るならば、人間よりはるかに目立つ大型モンスターに鉢合わせて動きを見せる可能性があったからだ。さらに、飛竜は飛行してしまうと人間が追いつくことはまず不可能だが、羽はあるが飛ぶことができないアンジャナフであれば尾行は容易である。

 その指示の目的が分からず罠師は質問を返そうとしたが、ダークの真剣な顔に気付き、ジャグラスへ向き直り奇妙な鳴き声を上げた。

 咳をするような声やむせた時のような普段とは違う声とジャグラス達の鳴き声が交錯し、彼らが会話していると一目で分かる。

 ジャグラスには人間のような複雑な文章を組み立てることができるほど言葉に種類が無いようで、その応酬はしばらく続いた。やがてジャグラス達が一斉に踵を返し走り始めた。

 

「おい、何があったんだ!?」

 

 調査班リーダーが急に走り始めたジャグラスに驚き、罠師へ問い詰めた。

 

「案内すると言っておる! リオレイアも一緒だと!」

「どういうことなんだ!?」

「我もわからん!」

 

 二人と一匹は、森の中を自在に走るジャグラスに置いて行かれないように全速で走り始めた。それが古代樹に潜んでいる者に近づく道とは知らずに。

 



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連携攻撃

 ダークはキャンプにレンタル武器を取りに行く予定であったが、罠師の慌てた様子を見て後回しにした。

 テトルーの罠師はもちろん、優れたハンターである調査班リーダーとダークも全く引けを取らぬ速さで森を走った。ジャグラスが発した言葉は、罠師曰く「下層・内部・アンジャナフ・リオレイア」らしい。

 その内容で想像できるのは、複雑に絡み合った古代樹の内部で行われているアンジャナフとリオレイアの縄張り争いである。

 

「この先か?」

 

 ジャグラス達が立ち止まった場所は北東キャンプのすぐ近くであった。西から北東側まで古代樹の巨大な幹を大きく迂回した形になる。

 彼らが吠える先には人間の腰の高さほどの水たまりが出来ている。そして、水たまりの手前には泥が固まって形成された巨大な足跡が複数あった。

 

「アンジャナフであるな、この足跡は」

 

 罠師はまじまじと足跡を観察し、痕跡の主を言い当てた。導虫を頼りにしている調査団の若手より、経験の長いテトルーの方がその精度は高く、早い。

 罠師がそれを言い終えると同時に、水たまりの奥のエリアからであろう咆哮が響いてきた。

 

「間違いない、アンジャナフとリオレイアだ。早く武器を取ってきた方がいい!」

 

 調査班リーダーがキャンプの場所を指さした。北東のキャンプがすぐ近くに存在するが、ダークはその助言を拒んだ。

 

「何か様子が変だ」

 

 先ほど聞こえた咆哮が聞き慣れたリオレイアの咆哮とは声質が違うことに気付き、ダークは一刻も早く現場へ行くことを優先した。

 

「おヌシは本気か!? 丸腰で挑む相手では無いぞ!」

 

 罠師がダークを引き留めたが、応じようとしない。

 

「相手の状況が分からないと武器を選べないだろう、それに俺は丸腰じゃない」

 

 ダークは腰のナイフを軽く抜き、鈍く光る刀身を罠師へ見せた。それは完璧と言える手入れが施されている短刀だ。

 並のハンターであれば、短刀など獲物の剥ぎ取りにしか使えないと言うだろう。だが、ダークは並のハンターではない。優れたハンターになるほど短刀の機能を存分に使いこなすものだ。鋭利で素早い一撃は、時に肉を裂き骨まで達する攻撃を可能にする。

 

「ここから先は危険だ。ジャグラス達とはここで別れたほうがいい」

 

 今度は逆にダークが罠師へ忠告した。狩りのパートナーを危険に晒すのは気が引けたのか、罠師は素直にジャグラス達にここを離れるように言った。

 

「行くぞ」

 

 離れていくジャグラスの姿が見えなくなると、ダークは全く恐れや躊躇いを感じさせない態度で先陣を切った。

 水に濡れて装備が重くなることを避けるため、天井から垂れ下がっているツタが人間の体重程度なら耐えられる強度があることを確認したダークは、無数に垂れているそれに連続で飛び移って行った。

 最後のツタを飛び降り問題のエリアにたどり着いたダークの視界に入ったのは、先ほど移動に利用したツタと似た植物に絡め取られ身動きが出来なくなってしまっているリオレイアと、縄張りに侵入されたことに気が立っているであろうアンジャナフだった。

 アンジャナフが火球を放てない死角となる位置から翼に噛みついた。リオレイアは悲痛な鳴き声を上げてそれを振りほどこうとする。ダメージがあまり無いと分かると、アンジャナフはすぐに離し別の部分に狙いを定めている。リオレイアの脚や翼にアンジャナフのものと思われる噛傷があるのを見て、ほとんど一方的な攻撃になってしまっている様子であったことが見て取れた。

 

「どういう状況だこれは……?」

 

 ダークに続いた調査班リーダーが動揺した声で言った。

 リオレイアも飛竜の一種である。雄の個体であるリオレウスほどではないが、飛行能力は獣竜種を翻弄できるほど高度なものである。しかし、ツタに絡まり身動きができない状態では顎の力で上回るアンジャナフに分があった。

 どのようにしてこの状況になってしまったのかはハンターとしては興味を引かれることではある。しかし、ダーク達の今の任務はクシャルダオラの発見と偵察である。急がなければならない。

 

「あの野郎、動けない女王様に牙を立てるとは……暴れん坊にも限度ってもんがあるぜ」

「まったくであるな。腐った性根の奴だ!」

 

 エリアの隅に生えている背の高い茂みに身を隠している一行は小声で話し合いをしていた。動けない相手を攻撃しているアンジャナフに調査班リーダーは呆れかえった声で吐き捨てた。

 

「アンジャナフをターゲットに尾行するのは無理だな。あの様子ではしばらく移動しそうにない」

 

 リオレイアを攻撃しているアンジャナフは、素人のハンターが見ても分かるほどの興奮状態になっている。

 

「尾行対象をリオレイアに変更するか?」

 

 ダークはリオレイアの脚や翼が大きいダメージを受け、飛行が出来なくなっていると予測した。見失うことを恐れてターゲットをアンジャナフにしていたが、飛行せず全力で走ることが出来ないとなれば温厚な性質のリオレイアの方が安全である。

 

「賛成だな。問題はアンジャナフをどうやって引き離……ちょっと待ってくれ」

 

 調査班リーダーが言葉を遮り、アンジャナフの後ろ脚を注視した。

 

「あのアンジャナフ、調査団に7回捕まった奴だな」

「……7回もか?」

 

 調査班リーダーが指差した先、後ろ脚の付け根には捕獲されたマークの焼き印が7本引かれている。

 

「確かにマークがあるな」

「相手が例のアンジャナフなら、俺に考えがある」

 

 調査班リーダーはニカッと笑うと、作戦を提案した。

 

「俺と罠師がアンジャナフの注意を引き付けるから、ダークは絡まっているツタを切り落としてくれ。リオレイアが自由になれば……おそらくどちらかが撤退するだろう。その後を尾行するんだ」

「二人でできるか?」

「当然さ。俺は以前に3回捕まえたからな。心配無用だ」

 

 調査班リーダーが言った過去の戦果に、罠師が思い出にふけったような顔で続けた。

 

「彼奴を最初に捕まえた時はアステラが大騒ぎであったな。過保護な総司令に一人前だと認めさせようと蛮顎竜を捕まえてきたあの勇ましさ、虫かご族でも有名であるぞ?」

「よしてくれ、昔の話だ。……さて、暴れん坊へお仕置きする時間だ」

 

 調査班リーダーの言葉で罠師は完全に戦闘態勢に変わった。全身の毛が逆立ち瞳孔が開ききっている。現大陸のアイルーとほとんど変わらないその興奮した姿に、ダークは少し感心した。

 

「行くぞ!」

 

 調査班リーダーの声を合図に、戦いが始まった。

 

「おい、アンジャナフ!」

 

 不意に背後から掛けられた声に、アンジャナフは不機嫌そうに振り返る。

 

「久しぶりだな。俺が最後に捕まえたのは半年前だったか?」

 

 ついさっきまでリオレイアに対して良い気になっていたアンジャナフは、視界に入ったその人間が天敵と言える程の相手だとわかった瞬間、明らかに動揺した様子を見せた。

 それもそのはず、今までアンジャナフが調査班リーダーに勝てたことは一度も無いからだ。最初の戦いこそ互角の長丁場になったが、それ以降は腕を上げた調査班リーダーに完全に手籠めにされるようになってしまっていた。

 

「来いよ。動けない相手と戦っても強くなれないだろう?」

 

 調査班リーダーは両手を広げて挑発した。

 人間同士なら『歓迎』や『友好』を表すジェスチャー。アンジャナフはそれを挑発と理解したかは定かではないが、ようやく咆哮を上げて襲い掛かってきた。

 

「ハッ、遅いな!」

 

 確かに遅かった。突進のスピードは遅くはなかったが、その判断が遅すぎたのだ。

 調査班リーダーが避ける方向を考えるほどの時間を与えてしまったアンジャナフの突進は、彼が近くの草むらへ飛び込んだことにより空振りに終わった。すかさず身を隠しているであろう草むらへ噛みついたが、それも空を噛んだだけである。

 手ごたえが無かったことに気付き一歩下がったアンジャナフであったが、その脚が異物を踏んでしまう。

 

「虫かご族のシビレ罠は肩こりに効くぞ!」

 

 最初の突進の時に回り込まれたことに気付かなかったアンジャナフは、罠師が仕掛けたシビレ罠に掛かった。

 雷光虫の発電器官を頑丈な植物のカラに収めた罠は大型モンスターの多大な体重で踏まれた時に起動する。潰れる音と同時に放たれる電流がアンジャナフを襲う。しかし、電流を放つ罠から脚をどかそうとしても、筋肉は意に反して痙攣を続けるままだった。

 罠師はそんな無防備なアンジャナフを自身の得物である骨製の槍で殴り付ける。

 

「斬るぞ!!!」

 

 調査班リーダーもその隙を逃すはずもなく、得物の大剣を振るった。

 罠師が合図を聞いて後退した直後、全体重を掛けて振るわれたそれはアンジャナフの脚部へ完璧な角度で命中した。敢えて斬撃の威力が落ちる硬い部位を選んだのは、調査班リーダーの情けだったのかもしれない。追い払えばいいだけの戦いでアンジャナフに重傷を負わせてしまうのは忍びないという考えだったのだ。

 筋肉に力が入らない状態で攻撃を受けたアンジャナフは、情けない悲鳴を上げながら大きくバランスを崩し転倒した。その振動は離れた位置で観戦していたダークのところへも伝わったほどだ。もしハンマーなどの打撃武器であれば、脱臼させていたかもしれない威力だった。

 

「行くか」

 

 ダークはアンジャナフの注意がリオレイアを離れ、完全に調査班リーダーへ移ったことを確認し行動を開始した。

 まだツタを振りほどくことができていないリオレイアは、疲れと怪我のせいで動きが鈍り始めている。

 ダークは不意討ちと思われるのを避けるため、背後からではなく敢えて正面から接近した。

 リオレイアの双眸が1人のハンターを捉えた。しかし、満身創痍である今の状態では威嚇をするのが精一杯である。

 腕を伸ばせば顔へ触れるところまで近づいたダークは、恐れも敵意も無い態度でその眼を見つめ返した。いくらツタに囚われている状態とはいえ、やろうと思えばダークへ火球を当てられる距離である。

 その状態のままどれほどの時間が経ったのだろうか?それは一瞬であったかもしれないし、長い時間だったかもしれない。確かなことは、牙を剥き出しにしていたリオレイアの呼吸が落ち着き、口を閉じて牙を見せなくなったことだ。

 ひとまず興奮状態が収まったと見たダークは、まず右の翼に絡まっているツタを切断した。

 短刀を抜いた瞬間にリオレイアの全身が強張ったのが分かったが、自身を攻撃するためではないと理解した後は暴れようとする様子も見せなくなった。

 一方、調査班リーダーの実力は相当なものだった。

 罠師は隙を見て罠を作ることに集中しているために実質的には一人でアンジャナフと戦っている状態だったが、リーダーの肩書きは伊達ではない。ほとんど一方的に翻弄している戦況である。

 

「御注文の品だ!」

 

 分かりにくい罠師の冗談が叫ばれると、アンジャナフは再びシビレ罠を踏んだ。

 完全に動きが読まれている。さすがに二度目となると罠の効果に慣れたアンジャナフは反撃に転ずる速度が上がるが、突進は避けられ噛みつきは大剣によっていなされてしまっていた。

 

「よし、これで最後だ。土足で乗って悪かったな」

 

 調査班リーダーの戦いに時々注意を払いながら、ダークはリオレイアの背の上で胴体に絡まっていたツタを全て切断し地面へ降りた。

 切った瞬間にそれまで体の支えともなっていたツタが無くなり、リオレイアは両脚で地面に立とうとした。だが激痛が走ったのか、その場で苦痛の唸り声を上げてよろけてしまう。

 

「おい、しっかりしろ」

 

 ダークは地面へうずくまってしまったリオレイアの傍へ寄り首筋を擦って様子を伺う。それに応えようとしたかは定かではないが、リオレイアはダークを一瞥し満身創痍の体を立たせた。

 

「!」

 

 ダークは視界に入ったアンジャナフがこちらを向いているのに気付いた。そしてアンジャナフもリオレイアがツタから解放されたことと、そこに見慣れぬ人間が居ることを初めて認識した。

 ツタを切断するのに使用していた短刀を構え、ダークはリオレイアが巻き込まれないように、アンジャナフと相対したまま立ち位置をずらす。

 

「下がれ!」

 

 狩猟用の武器を持っていないダークの身を案じて調査班リーダーの声が響く。それは、言った通りダークを撤退させることとアンジャナフの注意を自身に向けさせるふたつの意味があったが、どちらも叶わなかった。

 調査班リーダーが叫び終わる前にアンジャナフは跳躍した。しかし、その巨体がダークに届くことは無かった。

 リオレイアから放たれた火球が直撃したからだ。

 火に強い耐性を持つアンジャナフの鱗や体毛に生半可な火属性は通用しない。だが、衝撃まで打ち消すことはできない。

 空中でまともに火球を喰らったアンジャナフは大きく体勢を崩し、背中から地面に落下した。

 

「離れていろ!」

 

 ダークは自身の援護に向かおうとした調査班リーダーと罠師を留まらせると、アンジャナフの体へ飛び乗った。しかし、ただ飛び乗っただけではない。防具の上に羽織っていた質素な外套を脱ぎ、それをアンジャナフの顔面へ放り投げた。

 左半分の視界を遮られた形になったアンジャナフは、立ち上がると同時に外套とダークを振りほどこうとした。衣類であれば力に任せて振り落とせるが、ハンターを振り落とすのは至難の技だ。

 頭を振り回してようやく外套を剥がすことに成功したアンジャナフは、次に取りついたダークを振り払おうと暴れまわる。その場で跳ねたり直接噛みつこうと首を伸ばしたりしたが、ダークは落ちなかった。

 業を煮やしたアンジャナフは自身の身も顧みず、人間が取りついている背中を壁面へぶつけようとした。一直線に壁面へ向かう意図を察知したダークは、直前で頭の方へ飛び移った。

 

「……!」

 

 つい先ほどまでダークがしがみ付いていた場所が壁面へ思い切り叩きつけられた。それはアンジャナフにとっても多少のダメージになったようだが、ハンターの気配が頭にあることに気付き、さらに暴れようとしていた。

 

「我らも攻撃しなければ!」

「ダメだ! 近づくと踏まれるぞ!」

 

 調査班リーダーと罠師は、ダークがアンジャナフに取りついたことで僅かに息を整える時間が出来た。しかし武器を持っていないダークにアンジャナフを倒すことはできない。かといって迂闊に近づけば、暴れまわるアンジャナフの攻撃に巻き込まれる可能性がある。

 

「ええい、どうすればいい!?」

 

 罠師が吐き捨てる。一撃だけだが援護を行ったリオレイアも、ダークが取りついているため攻撃が出来ない様子であった。

 その時、古代樹の隙間から僅かに差し込んでいた日の光が遮られひとつの影がエリアに落ちた。

 赤い翼を持つ飛竜。火竜:リオレウスが飛来した。

 リオレウスはアンジャナフへの攻撃よりもリオレイアの元へ降りることを優先し、ボロボロになってしまった妻の姿に動揺しているような鳴き声を上げていた。アンジャナフは格上の存在であるリオレウスの姿に気付いた時、警戒心からか一瞬動きが止まった。そして、ダークはその隙を見逃さなかった。

 いくら暴れても振りほどけないダークに怒り、かなりの興奮状態になっていたアンジャナフは自然と鼻の軟膜を開いてしまっていた。それはダークが調査団の報告書で読んでいた通りの習性であった。

 硬い鱗や甲殻の無いアンジャナフにとっては急所となる鼻孔の粘膜部分に、ダークは短刀の柄で思い切り殴り付けた。

 人間で例えれば鼻を思い切り殴られるよりも強い激痛だったろう。匂いを効率良く感知するために発達した巨大な軟膜は、同時に神経が集中した弱点でもある。

 短刀という小さな武器は本来アンジャナフに太刀打ちできる武器ではない。しかし、小型である故に攻撃が素早く行える強みがあった。

 助走も踏み込みも無しで振るわれた短刀だが、腕のしなりを最大限に活かしてぶつけられた柄は力が一点に集中する強力な一撃だった。調査班リーダーの大剣やリオレイアの火球とは異なる、正確で鋭い急所への一撃に、アンジャナフは三度目のダウンを取られた。

 ダークはアンジャナフが倒れると同時に地面へ飛び降りる。その位置はアンジャナフとリオレウス・リオレイアに挟まれる形になった。

 まだ怪我の痛みが引かないのかリオレイアはうずくまったままである。リオレウスはそんな彼女の前へ出た。

 ダークはそんなリオレウスの動きに警戒しながらも、感心していた。

 飛竜種の中でも知能の高いリオス科には番いを守るために自分自身を盾にする個体もいるというが、まさに今目の前にいるリオレウスがそれであった。

 

「…………」

 

 ダークは倒れたアンジャナフと飛来したリオレウスを交互に見る。アンジャナフへの追撃は出来なかった。狩猟用の武器が無いというのもあったが、先ほど降りてきたリオレウスの行動が読めなかったからだ。

 

「どうする……チョウサダンの旦那?」

「様子を見るんだ」

 

 膠着してしまった状況に、罠師が調査班リーダーへ問う。しかし、調査班リーダーもこのような状況を経験したことが無かったために様子を伺うくらいしかできなかった。もし下手に突撃して乱戦になろうものなら、本来の任務の達成が著しく困難になる。

 リオレウスも巨大な翼を広げてリオレイアの盾となることしかできなかった。彼女が満足に動くことが出来ない状態で自身が戦いに飛び込めば、乱戦の最中にリオレイアが犠牲になるかもしれないと思っての行動だった。空の王者といえど、蛮顎竜と複数のハンターを相手に戦うことは出来ても、リオレイアを守り切るのは不可能だと判断したのだ。

 そんな中、急所への一撃でダウンしていたアンジャナフがようやく身を起こした。

 天敵と言える調査班リーダーと古代樹の主・リオレウス、そして自身を圧倒した未知のハンターであるダーク。3つの脅威を前にアンジャナフは自身に勝機が無いと理解したようで、負け惜しみのような控えめな咆哮の後に若干ふらつきながらも素早くエリアから撤退した。鮮やかな逃げ足の速さである。

 この騒動の元凶であった暴れん坊は、姿を消した。

 

「……さて」

 

 アンジャナフの姿が完全に見えなくなったことを確認したダークは、短刀を収めてリオレウスとリオレイアに向き直った。

 

「おい、大丈夫か?」

「なんという無茶をする奴だ!」

 

 調査班リーダーと罠師がリオレウスへの警戒も怠らずダークの元へ駆け寄る。

 攻撃が大振りで隙が大きいアンジャナフは準備運動程度の相手だったようで、両者とも疲れた様子はほとんど無い。

 次の相手となるであろうリオレウスに調査班リーダーと罠師は意識を集中させるが、ダークがそれを制止させた。

 

「戦意を見せるんじゃない」

 

 リオレウスは今まさに攻撃を仕掛けてきそうな唸り声を上げているが、その一撃を繰り出すことを躊躇っているのがダークには分かった。リオレウスにとって重要なのはリオレイアをここから逃がすことなのだ。アンジャナフが居ない状況ではハンターの連携を乱す要素が無い。先ほどよりも状況が悪化してしまったと言える。

 一方のダーク達も、次の一手を出せずにいた。

 本来の任務であるクシャルダオラの潜伏場所を突き止めるため、人間よりも聴覚や嗅覚に優れるリオレイアを尾行する予定なのだから、リオレウスと戦うことで時間を浪費しても利点は無い。

 このエリアを一度離れることも選択肢の一つだが、リオレウスがリオレイアを守るために互いが離れる確率は極めて低い。そして、当初の尾行のターゲットであったアンジャナフはもう役に立たないだろう。多少なりともダメージを受けたモンスターが、わざわざ古龍に近づくことはない。

 互いに押すも引くもできなくなったこの膠着状態を解いたのは、意外にもリオレイアだった。

 リオレイアは戦う必要は無いとでも言いたげにリオレウスの翼を口で引っ張った後、脚を引きずりながらダークの前に出た。そして、ダークが取った行動を再現するかのように、じっと目線を合わせる。その口には火炎も無ければ牙も見せなかった。

 

「…………」

 

 『闘争か、逃走か』 しかし、リオレイアはどちらも選ばなかった。高度な言葉を持たない者が相手へ意思を伝える方法は限られており、種族が違えばさらに選択肢は少なくなるだろう。ダークが敵意が無い事を行動で証明したように、リオレイアもまた額をダークへ差し出す行動で証明しようとした。

 

「戦う必要は無い、か」

 

 調査班リーダーは抜きかけていた大剣を背に戻した。リオレウスも、リオレイアの意思を察して威嚇の唸り声を収めた。

 ダークは目の前に差し出された陸の女王の額に手を重ね、そして降ろした。

 もはや双方に戦いの意思は無かった。

 森の暴れん坊を退けるばかりか、森の主である火竜の番いと和解するという前代未聞の偉業。それを直に見ることが出来た感激からか、罠師は飛び跳ねて喜んでいる。それを差し置いてリオレイアの応急処置を始めたダークに気付き、調査班リーダーもそれを手伝おうとした。

 妻の窮地を救ってくれたのだと理解したリオレウスも、その作業を見つめていた。

 古代樹の森には、不思議な静寂の時が広がっていた。



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天へ登る道

「そっちはどうだ?」

 

 ダークがリオレイアの翼の傷を処置している調査班リーダーへ訪ねた。

 クシャルダオラの居場所を察知させるために負傷して飛べなくなったリオレイアを尾行するのが本来の作戦だったが、事態は大きく変わってしまった。

 リオレウスと戦闘になった場合は撤退することを覚悟した一行だが、この状況は良しとするべきだろう。リオレイアだけでなく、リオレウスからも攻撃される心配が無くなったのは非常に大きな進展だった。見つからないように警戒する必要もない上に、至近距離であれば些細な様子の変化にも気付けるからだ。

 これから傷を癒すために巣へ帰ろうとするリオレイアに助力するため、2人と1匹は応急処置に取り掛かっていた。

 罠師が集めてきた薬草を細いツタで縛るという応急処置は手際よく進んだ。マヒダケの胞子を極僅かに混ぜれば鎮痛効果があるという罠師の指南によって、リオレイアは痛みで暴れることがなかったこともある。

 作業のついでに、ダークは念のため全身の傷を一つずつ確認した。もしリオレイアがこのエリアで身動きが取れなくなった原因がクシャルダオラにあれば、それに由来する傷があるはずである。

 リオレイアの周りを一周したダークだが、傷はどれもアンジャナフの攻撃によるものであった。

 クシャルダオラが放つ疾風。その攻撃の特徴である曲線を描く傷は全く無い。

 

「処置終了」

 

 飛べないリオレイアは徒歩で巣へ帰るしかない。その途中の中層エリアには下層のように大きく広いフロアはほとんど無く、逆に細く狭い通路が複雑に絡み合っている。まるで迷路のような古代樹の内部にクシャルダオラが潜んでいるとなれば、アンジャナフよりは嗅覚が劣るが視覚と聴覚で上回る火竜の番いが途中で存在を察知する可能性は大きい。

 

「こっちもすぐ終わる。ちょっと待ってくれ」

 

 調査班リーダーは当初、アンジャナフがリオレイアを捕食するために襲っていたのだと思っていた。しかし急所となる部分はほとんど無傷であり、傷は大きかったが深くはない。頑丈な鱗と甲殻のためとも言えるが、脚や翼膜など致命傷にならない部分への攻撃が主だったことを考えると、アンジャナフに殺意は無く縄張りから出ていかないことに怒っての攻撃だったのかもしれない。

 

「アンジャナフには悪いことをしたかな?」

「殴られるまでやめない方が悪い」

 

 調査班リーダーの軽口をダークはバッサリと切り捨てた。

 応急処置で傷からの出血は止まったが、特に左脚部の痛みがリオレイアの歩行を困難にしていた。マヒダケの麻酔効果でも完全に痛みは引いていない様子である。これ以上麻酔を投与してしまうと脚が動かなくなってしまうため、今は我慢するしかない。

 

「さて……問題はここからだな」

 

 ダークは独り言ちた。

 ここからは徒歩でリオレイアと共に頂上近くの巣へ行かなければならない。そして、万が一クシャルダオラと遭遇した場合は今度こそ本格的な戦闘になるだろう。まだ太陽は高い位置にあるはずだが、古代樹の内部はどこも薄暗い。下手をすると至近距離での遭遇戦になる可能性もある。

 

「我はいつでもいいぞ」

「罠師さんは踏まれないように気を付けて」

 

 ダークは古代樹の頂上へ向かうルートである傾斜を上り始めた。リオレイアにも移動することを伝えるため大きく腕を振って手招きのジェスチャーを行い、それを見たリオレイアはぎこちないながら続いた。リオレウスも飛翔し、ここへ降り立った場所から外へ移動した。上空を旋回しながらこちらの様子を見てくれている。地上と上空に警戒網が敷かれた形になった。

 

「暗号名を持つハンターか……」

 

 調査班リーダーが呟いた。

 調査団にとってモンスターと意思疎通を図ることはそれほど珍しい事ではない。テトルーと同盟関係にあるジャグラスやその群れのリーダーであるドスジャグラス。そして罠師が属するテトルーも、研究者からすれば立派なモンスターである。

 そんな彼らと今の友好関係を築けたのはかつての一期団のメンバー達のおかげだろう。

 拠点:アステラがまだ形すら無かった頃、その場所は当然モンスター達の縄張りであった。もし一期団がその土地に居たモンスター達を根絶やしにしていたらと考えただけで調査班リーダーは寒気がした。ジャグラスやドスジャグラスはもちろん、もしかしたらテトルー達とも敵対関係になっていたかもしれないのだ。

 無論、全てが順調に進んだわけではない。時にはテトルー達と土地を巡る小競り合いがあったという記録も存在する。

 だが、一期団は武器を抜かなかったのだ。

 それと同じことをダークはこの場で咄嗟にやったのである。しかも相手は肉食竜の火竜である。言葉である程度の意思疎通が出来るテトルーやジャグラスとは訳が違う。種族も大きさも、生態も全く違う相手と意思疎通を行うのは討伐してしまうことよりも遥かに危険で、そして難しいことだろう。

 

「こっちのルートなら通れそうだな」

 

 アンジャナフと勝負したエリアから伸びている斜面を登りきると、こちらを上空から監視しているリオレウスが見える開放的な場所が広がっていた。真正面にはツタに覆われた壁のような崖がある。ハンターであれば簡単に登っていける地形だが、飛ぶことが出来ないリオレイアにとっては行き止まりだろう。

 一方、崖の右手には上へ登っていける遠回りの斜面があった。広さもリオレイアが通るには十分にある。

 

「気を付けてくれ。今は確認されていないが、この辺りをトビカガチが寝床にしている時がある」

 

 飛雷竜:トビカガチ。調査班リーダーが警戒するこの牙竜種は調査団に大人気のモンスターであった。

 ジャグラスと同じく雑食性のトビカガチは、魚や果実、小型の環境生物を主な食料としている。餌が豊富な古代樹で空腹とは無縁の生態故か、非常に人懐っこい上に好奇心旺盛な性格であり、現地の調査員の後ろに付いてくるのは珍しいことではない。ハンターはもちろん、研究者や食材調達係からも襲われたという報告は皆無である。

 調査班リーダーの注意喚起は、別の意味でトビカガチが脅威だからだ。

 好奇心が旺盛であるということは、イタズラ好きということでもある。食料調達係が集めた木の実が少なくなっていたり、釣った魚が消えていることが稀にあるのだ。

 他のモンスターにちょっかいをかけることも多いトビカガチに遭遇すると色々と面倒になる。

 

「居ないようだ」

「こちらにもおらぬぞ」

 

 先行していたダークと罠師が調査班リーダーへ手で合図を出す。ひとまずこのエリアは安全なようだ。

 

「道が二つあるな」

 

 先ほどの崖の上に出るルートとは別に、古代樹の内部へ入り込む狭い道があった。ダークは頭の中に記憶している古代樹の構造を思い出す。入り組んでいるが、頂上へ行くには比較的近い道である。

 

「その道はやめた方が良いぞ。狭い上に段差が激しい故、我らでもあまり使わない道だ」

 

 罠師がダークへ忠告する。

 

「こっちの道は前回の探索で調べたのか?」

「ああ、普段はアンジャナフが寝床に使うエリアだ。ヤツが古代樹にしばらく滞在しているということは、向こうにクシャルダオラがいる可能性は無いだろう」

 

 ダークはリオレイアを見た。何かに気付いた様子もなくダークを不思議そうに見ている。上空のリオレウスにも変化はない。

 

「らしいな。先を急ごう」

 

 一行は木の幹が洞窟の形を作っているルートへ歩を進めた。右側から太陽光が差し込み、その中は明るい雰囲気である。そして左側はつい先ほどアンジャナフと戦ったエリアを見下ろせる吹き抜けだ。

 

「岩がツタに絡まっているのか?」

 

 高い部分には上層から落ちてきたと思われる岩がツタに絡め取られ、宙吊り状態になっている。

 現在は巨大に成長した古代樹だが、当然昔は小さかっただろう。その時一緒に掬い上げられた地面や岩石が残っていると考えれば、木の上部や中層に岩石があることは説明がつく。

 地形や環境を隅から隅まで観察しているダークへ、不意に調査班リーダーが声を掛けた。

 

「本当にクシャルダオラが居ると思うか?」

 

 その言葉に、ダークは怪訝な顔で聞き返した。

 

「古代樹にクシャルダオラが居る、というのは調査団全体の意見だろう?」

 

 調査班リーダーはダークの返答が真っ当なものだと思いつつ、古代樹が置かれている状況の不自然さを肌で感じているようだった。

 

「だがいくら何でも静かすぎる。ここに居る火竜もまるで危機感というか……近くに古龍なんていない、という態度じゃないか」

 

 その意見にダークは思考した。二人の人間の空気が変わったことを感じてか、リオレイアが二人の顔を伺う。ダークはその首筋を撫でて落ち着かせながら一つの仮説を立てた。

 

「逆に『クシャルダオラがこの地に潜伏する必要がある』と考えた場合、心当たりはあるか?」

 

 逆転の発想。物事の推理には有効な方法であるが、調査班リーダーはそれでも思い当たることが無いので返答に詰まった。

 

「報告書にあったが、ソードマスターとテオ・テスカトル、そしてクシャルダオラは現大陸で何度も戦った宿敵同士だそうだな」

 

 ダークが語り始めたことは、かつて新大陸への調査団派遣が決定するよりも前のことだった。今の五期団達と同じぐらいの年齢だったソードマスターは、剣の達人として古龍と対等以上に戦える数少ないハンターの一人だった。

 天才的な剣の腕で名を馳せた彼が、現在は後継となるハンターの教育へ力を入れているということは現大陸のハンターでも有名である。

 老齢のためとも言える仕事内容だが、現在でもその実力は衰えるどころか、むしろ歳を重ねたことで冷静さと集中力・忍耐力は鋭さを増し、かつての全盛期と変わらないと評価する者までいるのだ。

 

「因縁に決着を付ける、ということか?」

「この新大陸で人間が住み着いている拠点がアステラと三期団の研究基地のみとなれば、そのどちらかにソードマスターが腰を下ろしていることは容易に想像がつくだろう」

 

 古代樹の上層に繋がる道へダークは歩き始めた。通過するルートの想定を行いつつも、仮説を組み上げていく。

 

「それと現大陸の学者も言っていたことだが、古龍が新大陸を目指す理由、分かるか?」

「ああ、なんとなく察しはつくさ」 

「過去に渡りが観測された古龍は大半が老齢の個体だ。寿命が近い……まあ人間から見ればまだまだ健在だが、それらが新大陸へ向かう理由の仮説は二つある」

 

 調査班リーダーはアステラの学者の説を思い出す。

 

「ひとつ目は古龍達が故郷へ帰ろうとしていること」

「もうひとつは悠久の時を経て力を付けた古龍が、さらなる力を得るため?」

 

 それは過去の観測から導き出された仮説だった。

 古龍渡りを行う個体の大半が老齢であることは既知の事実である。つい最近でも『シャガル・マガラ』という古龍に帰巣本能があることが観測された。他の古龍達にも同じような習性があるのでは、と考える学者は多いようだ。

 そして、別の理由として考えられるのは――

 

「古龍が新大陸へ向かう理由が『新たな力を得るため』だとすれば答えは単純だ。クシャルダオラはより強力な能力を得て、ソードマスターとテオ・テスカトルと決着を付けたがってるのでは?」

「好敵手同士、寿命で死んでしまう前にということか……」

 

 ダーク達は古代樹の中層部分、他では見られない特徴を持った螺旋状の地形があるエリアへ到着した。

 そしてここは四期団の探索によって最後のクシャルダオラの痕跡が発見された場所でもある。

 

「この辺りで最後のものが発見されたのか?」

 

 螺旋の最も下の階層でキノコを食していたモスが、ダークの後ろにいるリオレイアの姿を見て一目散に逃げて行った。ちょうどその時上空から見えなくなったからか、吹き抜けの頂上からリオレウスが顔だけを出してこちらを見下ろしていた。

 

「ああ、ちょうどさっきモスがいたところがそうだ」

 

 キノコが生えている以外何も無いところに痕跡があった、というのがダークには引っかかった。

 記録によれば、足跡はダークが向いている ――つまり行き止まりの方向を向いていたという。

 

「痕跡は消えてしまったようだな」

「ここはキノコが生えやすい場所で知られてるからな。モスがキノコを食べに来れば痕跡も踏まれて消えてしまうさ」

 

 ダークは他に残されている痕跡が無いか辺りを調べていたが、ここにも手掛かりは無かった。二人が身に着けている導虫のコロニーにも反応は無い。

 

「上を探してみてはどうか?」

 

 上層の土から染み出た雨水によって形成される水たまりを避けるために、調査班リーダーの肩の上に乗っていた罠師が提案する。

 

「ちょうどこのエリアの真上辺りが火竜達の巣なんだろう?クシャルダオラが居る気配は全く無いな」

「しかし……他のフィールドへ移動したとは思えない」

 

 ダークと調査班リーダーは上階へ伸びる螺旋状の通路を歩きながら議論していた。

 古代樹の森は調査団で最も調査が進んでいるフィールドである。内部構造は原住民である虫かご族やその協力者であるジャグラスによって概ね把握されているし、その周辺は拠点アステラや三期団の研究所、他にも多数のキャンプが存在する。これらによって古龍はもちろん一般の大型モンスターの動向も常に監視されている。

 しかも最初にクシャルダオラの痕跡が発見された段階で対空監視は交代で常時行われている。二つ目に発見された痕跡がその期間中に残されている事を考えると、物的証拠ではまだ古代樹の中にいるはずなのだ。

普段よりも強化された監視体制のなか、誰にも悟られることなく離脱するのはいくら古龍でも不可能なことだと思えた。真夜中に監視の目を逃れたとしても、各地のモンスター達が動きを見せるはずである。

 

「……認めたくは無いが、クシャルダオラは何らかの方法でこのフィールドを離脱したと考えるしかなさそうだな」

 

 調査班リーダーは安堵とも無念とも取れる表情で言った。

 自身が率いる調査班の監視体制は万全だと確信していただけに、クシャルダオラを見失ってしまったことは監視体制に改善の余地があることを示していたからだ。

 一方で、クシャルダオラと正面から戦う危険が無くなったことでもある。

 

「では女王様を送り届けて俺たちも帰還するとしようか!」

 

 肩を撫でおろした調査班リーダーが、気を取り直して言った。

 ちょうどこのエリアの東側には、はっきりと古代樹の外側が見える大きな空洞が存在する。枝葉に隠れて見えづらいが、最上階からはアステラの港も見える。

 ダークが背を伸ばして港を見ると、最後の五期団船の受け入れ作業を行っている様子であった。本来の予定よりも早く進んでいる。

 

「ああ、受付嬢も俺を探しているだろうからな」

 

 ダークは何も言わずに置いてきてしまった受付嬢が今頃どんなに慌てているか想像した。アステラでは念のために古龍迎撃準備が行われているはずだが、彼女は『相棒』無しできちんとやっているのだろうか?

 

「宴が我らを待っているぞ!」

 

 罠師が待ちに待った時間が近づいていることで、興奮気味に言った。

 それと同時に、いつの間にか外へ出ていたリオレウスがこのエリアへ入ってくる。一度リオレイアの元へ降りて互いに顔を擦り合わせると、再び外へ飛び立って行った。このエリアの周りを旋回し、外敵を監視しているようである。古龍のような強力な外敵を見つけた様子は全く無い。

 

「向こうは……虫かご族の住処に登れる細道か」

 

 ダークが見つめている先は、細い枝やツタが足場を形成している非常に不安定なエリアだった。小型モンスターですら脚を踏み抜いてしまいそうなほどに脆い地形は狭く暗く、リオレウスですら容易に近付けない。それが理由でキャンプも設営されているのだが、そのエリアにクシャルダオラがいる可能性はゼロだろう。

 しかし、もはや探す場所がそこしか無くなっている故に、ダークは下見も兼ねて寄り道をしようと思った。

 

「ちょっと寄り道をしたいんだが、いいか?」

「もちろんさ。少し暗い場所だが景色はなかなかだぜ。キャンプもあるしな」

 

 カンの良い調査班リーダーはダークの考えを見抜いたようで、返事は早かった。

 

「頂上で落ち合おう」

 

 右手を上げた軽い挨拶に、調査班リーダーと罠師が同じようにして答える。

 離れていく青年の背中をリオレイアは静かに見ていた。ダークが単独行動を取ったのは、リオレイアが調査班リーダーと罠師も信頼できる相手だと認識してくれたと判断したからだ。

 ダークは細い木々を潜り抜け、鬱蒼としたエリアに入った。新大陸の調査報告書の内容通り、この場所は土や石ではなく絡み合った植物が地面となっていた。

 人間やテトルーが歩くには十分な強度があるようだが、それらより重いモンスターは踏み抜いて落下してしまうだろう。このエリアに生えている木の実をテトルーに採取してもらっているジャグラスの生態はかなり効率的だとダークは思った。

 

「あそこがキャンプか・・・」

 

 そのエリアのやや高い場所、他の部分より強靭な枝がまとまっている部位に、調査団の紋章が描かれているキャンプが見えた。

 新大陸のキャンプには必ず1人宿直の者が滞在し、大型モンスターの動向を監視したり保存が効く食料や薬品を集めて備蓄する仕事をしている。だがこのキャンプの担当は五期団受入れの人手確保に駆り出されているようで、中は無人であった。

 しかし、キャンプの中に残されていた保存食やお茶はほとんど劣化しておらず、今日の朝まで人が居た様子である。

 

「『深夜:異常なし:アオキノコ3個、薬草5本採取』『朝:拠点より応援要請:五期団受入れのため、一時的に無人になる』……か。荒らされた跡も無いな」

 

 テントの中にある簡易ベッドのすぐ横に、朝まで居たであろう宿直者の記録が残されていた。アステラで行方不明者に関する情報は無かったため、このメモを書いたハンターはクシャルダオラに襲われることも無く、今頃アステラで作業の真っ最中なのだろう。

 キャンプ本体もクシャルダオラに襲撃された様子などは全く無いため、ダークは誰もいないテントの中で一人思考した。

 今回の騒動はゾラ・マグダラオスの捕獲失敗の直後、僅かに残った物資をアステラへ収容する最中に始まった。

 物資や人員、食料などを送り届ける役割を担当している『輸送班』は、人員を総動員しても輸送に時間が掛かっていた。ほとんど自然のまま、獣道と言ってもいい陸路は物資の運搬には最悪の相性だっただろう。

 また、ここが未知の新大陸であることも影響した。どんな些細なことでも拠点の外では護衛が必要になる。それが作業を大幅に遅らせた。捕獲失敗の知らせが現大陸へ届き、五期団が編成され派遣されるまでの長い時間でも終わらなかったほどである。いかに物資の輸送が不便であったのかを物語っている。

 クシャルダオラはその撤収・収容作業が始まった時期から五期団が到着した現在までの長い期間中に間違いなくこの古代樹に入っている。現在はどこに居るのか見当も付かないが、痕跡は正真正銘クシャルダオラのものだと研究者は結論を出した。無論、ダークもそれは疑っていない。

 痕跡が発生した時間が研究班の推定通りであれば、クシャルダオラは古代樹の下層から入り徐々に中層へと登ってくるようなルートを取ったことになる。

 そして、四期団の大規模な捜索があったにも拘わらず姿形も見せていない。そして、痕跡のルートを辿ればそのまま上層である火竜の巣へ辿り着くはずである。

 だが、火竜の番いは健在だ。リオレイアはアンジャナフとの戦闘で負傷したが、先ほどの応急処置でそれ以外の外傷は全く無い。つまり、リオレイアもリオレウスもクシャルダオラとは遭遇していないということだ。

 

「古代樹の最下層か……?」

 

 ダークは先ほど調査班リーダーと交わした会話、クシャルダオラがソードマスターとの決着を望んでいるという可能性は無いと断定した。

 理由としてはありえそうだが、それならわざわざ古代樹に潜伏する意味が無い。直接アステラに不意打ちを掛ければいいだけの事だ。

 痕跡を残し、数週間にも渡って留まり続けてしまうのは「見つけて下さい」と言わんばかりの――――

 

「…………!!!」

 

 ダークに緊張が走った。

 今回の騒動、自身も含めて新大陸調査団全員が前提から勘違いを起こしていたと理解した時、ダークは全速で火竜の巣へ向かっていた。その最中、頭の中で独立し漂っていた数々の謎が、全て線で繋がっていく。

 クシャルダオラが姿を見せない理由、古代樹がいつもと変わらない平穏な理由、痕跡だけを残して留まり続けた理由、そして……なぜ古代樹へ来たのかという理由。

 それら全てを、ダークは理解した。



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鋼に刻まれた傷

「武器を抜くな!」

 

 植物に遮られた狭い道を匍匐で潜り抜けたダークの目に入ったのは、今まさに大剣に手を掛けて武器を抜こうとしている調査班リーダーの姿だった。

 古代樹の上層、リオレウスとリオレイアの巣として有名な場所にクシャルダオラは居た。

 緩やかな下り坂になっている部分よりも上側の、大型モンスターがすっぽり入れるスペースに鎮座していたクシャルダオラは、ハンター達の姿を目にしても態勢を変えない。

 いや、出来なかったと言う方が正しい。

 ダークはクシャルダオラの目の前を構わず横切り、反射的な攻撃態勢に入っている調査班リーダーの右腕を押さえつけて武器を抜かせなかった。

 突然の仲間の行動に、調査班リーダーは驚いた顔でダークを見た。その僅かな合間に火竜の番いも動きを見せた。

 上空を旋回していたリオレウスと調査班リーダーの後ろに付いてきていたリオレイアが、クシャルダオラへ攻撃しようとした調査班リーダーへ咆哮した。だが、それは火竜の敵対的な威嚇のものではなく、何かを知らせようとする声音だった。

 クシャルダオラと戦おうとしていた調査班リーダーは、ダークと火竜達が仲裁するような行動を取ったことに戸惑った。リオレイアの後ろを歩いていたであろう罠師も、至近距離で古龍と対面した緊張のためか口をパクパクさせているだけだった。

 ダークの説得に、調査班リーダーは武器を掴んでいた腕を離したが、理解は追いつかない。

 

「どういうことだ!?」

「冷静になれ」

 

 古龍に背を向けている状態でもまるで緊張した様子を見せないダークを見て、自分だけが熱くなっていると自覚した調査班リーダーは、ダークの肩越しにクシャルダオラを見た。

 火竜の巣の奥、水たまりが残っている場所に座り込んでいる鋼龍。それは、戦う意思を微塵も感じることが出来ないほどに弱っていた。

 一目見ただけでは分かりづらかったが、文字通り鋼で出来ている体のあちこちに傷があり、白い棘が突き刺さったままの部分もある。

 

「火竜が簡単に部外者を信用することをもっと疑うべきだった」

 

 ダークの言葉は調査班リーダーへ吐き捨てるように言った。それは、自分自身に言った言葉でもある。

 

「クシャルダオラと火竜の番いは一時的な共生関係なんだよ」

 

 調査班リーダーが落ち着いたことを確認すると、ダークは頭の中で繋がった『真相』を語った。

 

「恐らく……ネルギガンテだ。あの白い棘、見えるだろう?ネルギガンテとの争いに敗れたクシャルダオラはここに逃げてきたんだ」

 

 クシャルダオラに正面から近づくダーク。先ほどのリオレイアと同じような状況だが、いくら接近しても古龍は敵意を見せない。火竜達と共に来た人間だからなのか、クシャルダオラは無条件でダーク達を信頼している様子である。だが、ダークにはそれが命乞いをしているように見えた。

 

「巣の安全を確立したい火竜の番いと、身を隠したい古龍。利害が一致したと考えれば辻褄が合う」

 

 火竜の番いが留守の間、古龍が巣に居れば外敵は当然近寄らない。元々飛竜の巣に入ることの無いテトルーやジャグラスはもちろん、アンジャナフやトビカガチも古龍にちょっかいを出すほどバカではないだろう。

 そして、重傷を負ったクシャルダオラも安全な隠れ家を探していた。ダークが捜索に利用したように、クシャルダオラもまた火竜を利用してネルギガンテの接近を察知しようとしていたのだ。

 

「ずっとここに居たんだろう。この場所ならアステラからはもちろん、虫かご族の住処からも古代樹キャンプからも完全に死角になる」

「おお!そういえば!」

 

 緊張が解けたのか罠師が納得した声で喋り出した。虫かご族の住処からここを見ようとしても、枝が邪魔でこの場所ははっきりと見えない。キャンプで宿直していた調査員も、わざわざ飛竜の巣には入ろうとはしなかったのだろう。ダークがここへ入ってきた狭い道から目を凝らしても、火竜の巣は見えるがクシャルダオラが座り込んでいる場所は絶対に見えない。

 

「四期団も火竜の巣に古龍が居候してるなんて想像しなかっただろうさ。上層には飛竜の番いが居るのに古龍が居るはずが無いと。だから探索を中層で打ち切った。」

「そうか…………」

 

 調査班リーダーもダークの説明で納得した。クシャルダオラを発見できなかったのは四期団が無能な訳でも、調査班の監視が甘かった訳でも無かった。飛竜種と連携して潜伏するという、過去に前例の無い生態に翻弄されただけだったのだ。

 

「どうやって飛竜と古龍が仲良しになったのかはどうでもいい。新しい問題はこの状況が数週間続いていることだ」

 

 クシャルダオラは既に調査団の脅威ではない。リオレイア以上に満身創痍なクシャルダオラは、古龍戦にある程度慣れた五期団のハンターで討伐出来てしまうだろう。問題は別の脅威が新たになったことだ。

 

「ネルギガンテもクシャルダオラを探しているかもしれない」

 

 古龍を喰らう古龍。調査団によって他の古龍へ積極的に戦いを仕掛けることが確認されているネルギガンテは、新大陸に存在する古龍の中でも特に危険視されている存在である。

 龍結晶の地を中心に、近づく者は人間であれ古龍であれ問答無用で襲撃される極めて好戦的な生態を持っている。龍結晶の地で縄張り争いに敗れたクシャルダオラは、重傷のまま古代樹まで逃げて来た。自身を追ってくるであろうネルギガンテから身を隠すために古代樹に潜伏し、ネルギガンテは見失ったのか、それとも別の理由で深追いしてこなかったのだ。

 クシャルダオラに訪れた次の危機は、古代樹に生息するモンスター達とすぐ外に存在する新大陸調査団だ。重傷の身では満足に抵抗できない危機的状況に、火竜達が手を貸した。このおかげでクシャルダオラは数週間に渡ってハンターや他のモンスターに襲われることも、発見されることも無かったのだ。

 そして、ダークと火竜に信頼関係が出来た現在、アステラのハンターとも敵対する恐れが無くなった。残る問題はネルギガンテのみである。

 

「隠れているという事は、まだ追われてるってことか?」

「そう考えるべきだ。ネルギガンテもここまで追い込んだ獲物を逃がそうとは思わないだろう」

 

 ダークと調査班リーダーが目の前まで迫っても、クシャルダオラは敵意を見せない。襲い掛かったところで返り討ちにされることを理解しているのは、自身の実力とその限界を知っている老齢の古龍だからなのだろう。

 もう手で触れられるところまで近づいた時、ダークの導蟲が反応した。痕跡の主であるクシャルダオラを目の前にしてようやく匂いを嗅ぎつけたようである。

 

「見つからない訳だ」

 

 導蟲のカンの悪さに呆れながら、ダークはクシャルダオラの側面を観察した。古龍種の中でも特に巨大な膜を持つ翼には、ネルギガンテによるものと思われるおびただしい傷があった。その中には翼膜を貫通しているものもある。

 

「これは……傷の治りが遅い?」

 

 ダークは胴体に深く突き刺さっている棘に注目した。爪による切り傷や、棘が抜けたであろう他の傷は新しい表皮が出来て治りかけているが、刺さった棘の周囲は血が滲んだままだ。

 至近距離から観察すると、このクシャルダオラの外皮は明らかに普通の鋼龍のものではない。

 現大陸で討伐記録が比較的多い傾向にある鋼龍の情報は、他の古龍種より進んでいると言っていい。その記録には黒ずんだ色、銅に似た褐色の甲殻と記されているのが大半である。

 だが、この瀕死のクシャルダオラの色は銀色である。

 脱皮直後は白色と言われているが、硬度が高く劣化しはじめている部分も見えるため、脱皮直後の状態ではないということが分かる。そんな特殊な個体ですらネルギガンテに敗走してしまうというのは、滅尽龍の危険性を理解するには十分な情報である。

 

「棘が治りを遅くしているのだろうか?」

 

 調査班リーダーも別の棘を観察したが、全てが同じような状態だった。

 古龍との戦いに特化したネルギガンテの特性の一つかもしれないと調査班リーダーは推測した。

 

「さて、どうする?」

 

 飛竜と古龍に囲まれているという状況の中、ダークは調査班リーダーを見据えて言った。このクシャルダオラの扱いについてである。

 

「どうすると言われても……どうしようも無いじゃないか」

 

 尤もな意見だった。アステラの目と鼻の先である古代樹に鋼龍が隠れていて、それを探し回っている滅尽龍が存在する。クシャルダオラにしろネルギガンテにしろ、古龍というのは存在するだけでフィールドの生態系を一時的に変えてしまう。複数の古龍が拠点のすぐ近くに居るというのは食料・資材の確保といった補給面はもちろん、拠点で働いている調査員の精神的な負担も大きくなるだろう。このまま放置するのは得策ではない。

 ダークは改めてクシャルダオラの正面に立った。するとクシャルダオラはダークと同じ高さの目線まで長い首を降ろし、その青い目でじっと見つめてきたのである。

 現大陸ではソードマスターを含め大勢のハンターと戦いを繰り広げてきたはずのクシャルダオラだが、その眼に在るのは敵意でも恐怖でも無く、救いを求めるような儚さだった。

 

「討伐……してしまうのか?」

 

 罠師が恐る恐る確認してきたのは最も手っ取り早い対処法だ。クシャルダオラを討伐して素材として解体してしまえば、ネルギガンテがアステラへ近寄る理由は無くなる。だが40年以上もの活動を継続してきた新大陸調査団が、古龍渡りの貴重な手掛かりであるクシャルダオラを討伐してしまうのは本末転倒である。

 

「いや……この件は俺達だけで決めるのはいい方法とは思えない。他の班と最善の策を話し合って――」

 

 調査班リーダーの言葉を、その腰に下げていた導蟲が遮った。まるで爆発したかのように一斉に飛び立っていった青い光は、一瞬クシャルダオラの目の前で止まったが、すぐに空高く昇って行った。

 誰も見たことが無いような、まるでパニックを起こしたような導蟲の挙動。その場にいたダークや調査班リーダー、罠師はもちろん、リオレウスとリオレイア、クシャルダオラも目を奪われた。同時に、アステラから緊急事態を伝える空砲の音が響く。この意味を調査班リーダーはすぐに理解した。滅尽龍:ネルギガンテが、このエリアへ向かってくるのが見えたからだ。

 その姿を『悪魔』と形容するのは決して誇張ではないとダークは思った。強靭な四肢、巨大な角、おびただしい数の棘。

 全身で攻撃性をみなぎらせるその姿は、古龍を喰らう古龍として相応しいものだろう。

 火竜の巣の下り坂側へと着地したネルギガンテに、リオレウスが咆哮する。だが先ほどまでの戦いのような勇ましさは無く、完全に怯えきっているリオレイアの間に入る事しか出来なかった。

 調査班リーダーと罠師だけでなく、古龍という規格外の存在であるはずのクシャルダオラも、緊張を隠せなくなっていた。

 ただ1人、ダークだけが冷静であった。

 

「救難信号を……!」

 

 調査班リーダーは震える手でスリンガーの弦を引き、信号弾を装填しようとする。しかし、その腕を再びダークが掴み制止させた。

 

「ここで応援を呼ぶと大混乱になる。俺達だけでカタを付けるぞ」

 

 既にネルギガンテ接近を知らせる空砲が鳴っているということは、アステラでは古龍迎撃の準備を進めている可能性がある。拠点の防衛を担当している『警備班』は、救難信号を出せばすぐにでも駆け付けてくれるだろう。だが、ダークと調査班リーダーによって過去に例が無い歴史的にも極めて特殊な状況が発生している。

 古代樹に潜むクシャルダオラの捜索。最悪の場合討伐することも視野に入っていたが、事態が非常に複雑になっているのだ。

 古代樹の主と言われていたリオレウス・リオレイアと信頼関係が出来ただけでなく、その火竜達に匿われていたクシャルダオラとも信頼関係を築けた。だが、この状況を知っているのはダークと調査班リーダー、罠師の3名だけである。事態を把握していないアステラからの増援部隊が攻撃対象を誤れば、三つ巴の戦いになる可能性が高い。

 それはネルギガンテに最も有利な状況だ。ダークはそのような状況に陥ることを何としてでも避けようと考えていたのである。

 クシャルダオラと火竜の番い、罠師、調査班リーダー、そしてダーク。事実上の6対1であれば、古龍を喰らう古龍であるネルギガンテを撃退できる可能性はあると考えたのだ。

 調査班リーダーは理解し、覚悟を決めた。

 

「俺らでやるしかない……か」

「そうだ」

 

 ネルギガンテは威嚇すら必要と感じていないのか、咆哮することも無く品定めするようにクシャルダオラを見た。次に火竜の番いや罠師と続いていき、焦りや怯えている様子を見せている集団の中に、見慣れない人間が居ることに気付いた。

 ネルギガンテはその男に向けて咆哮を放った。空気を震わせるほどの咆哮だが、人間は怯まなかった。

 むしろ、より戦意が研ぎ澄まされていくことを感じ取ったのか、ネルギガンテの方が僅かに動揺した。

 

「…………」

 

 短刀を抜き、ネルギガンテへ歩み始めるダーク。真っ直ぐ滅尽龍を見据えるその目は自惚れや驕りに満ちたものでも、恐怖で自棄になったそれでも無い。

 一歩、また一歩と近づいてくる人間の目にあるのは、実力に裏打ちされた覚悟。

 未知の気迫から間合いを取ろうと、ダークが一歩を踏み出すごとにネルギガンテは一歩後退する。

 ゾラ・マグダラオス捕獲作戦で邂逅したソードマスターとはまた違う圧を放つハンターに、崖際で後に引けなくなったネルギガンテはついに先手を打った。

 上体を大きく上げ、力を溜めた後に強靭な腕と鋭利な爪が振り下ろされた。狩猟用の武器という重りを持っていないダークには容易く避けられる攻撃だ。ダークではなく地面に当たった攻撃に間髪入れず、今度は巨大な角を用いた攻撃を繰り出そうとした。

 頭部を大きく振り上げた行動の次を察知したダークは、短刀を下方から振りかぶった。強靭な鱗や甲殻でも、相手のスピードを利用すれば貫くことは出来る。

 ネルギガンテが角で押しつぶそうと振り下ろした頭部と、下方から振られた短刀が当たる直前、ダークを軽い衝撃が襲った。最も離れた位置にいたクシャルダオラが、満身創痍な状態にも拘らず体当たりを仕掛けたのだ。

 古龍を喰らう古龍のネルギガンテと言えど、全身が金属で出来ている古龍の体当たりを受けては無事で済まない。大きく体勢を崩したネルギガンテはクシャルダオラと共に崖から落ちる形になった。一方、ダークが振るった短刀もその攻撃に巻き込まれて手を離れ、崖の下へ落ちていった。

 筋骨隆々の見た目に反し、ネルギガンテは飛行に関しても劣ってはいないようだ。一瞬で体勢を整えると空中で滞空し、本来飛行能力で上回るはずのクシャルダオラの方が体勢を崩したまま落下していった。

 二匹の古龍が崖下へ戦いの場を移したために上層に取り残される形になったダーク達は、次の行動を起こそうとしていた。

 

「下へ行くぞ!」

「下に!?」

 

 ダークの言葉に罠師が繰り返して聞き直す。だが、ダークは咄嗟に最悪の事態が頭に浮かんだために罠師へ別の指示を出した。

 

「部族は全員出払っているか?」

「い、イヤ。半分は上に残っておる!」

「全員をここの防衛に当てろ! リオレウスはここを動かない。ヤツが戻ってきた時は火竜達と連携して時間を稼げ!」

 

 リオレイアが飛べないために、リオレウスはここを動かないとダークは読んだ。

 ネルギガンテの狙いはクシャルダオラを捕食することだと予測したが、同時にここを縄張りとするために火竜を排除しようとする危険性もある。

 仮にその行動を起こした場合、ハンターが古代樹の上層に登るには相応の時間が掛かってしまう。ネルギガンテがこのエリアへ戻ってきた時に火竜の番いだけでは短時間で一方的に蹂躙されてしまうだろう。だが、虫かご族の数で押せば撃退は出来ずとも大幅な時間稼ぎは可能だと判断したのだ。

 

「指揮は執れるな?」

「御意!」

 

 ダークの確認に罠師は頷き、エリアを飛び出して行った。

 

「俺たちも下に行かなければ!」

 

 既にダークと調査班リーダーの意思は統一されていた。古龍渡りの手掛かりであるクシャルダオラをネルギガンテから守りきる事。『古龍の防衛』という、前例の無い戦いが始まった。



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追い風

 ネルギガンテにとって、既に満身創痍となっているクシャルダオラにトドメを刺すことは容易だっただろう。

 滝壺にまで落下し、蹲ったまま動けなくなっている鋼龍に悠々と距離を詰めていたネルギガンテだったが、上から落ちてきた人間に気付き一気に後退した。

 いや、落ちてきたのでは無い。ついさっきまで立っていた場所に出来る凄まじい水飛沫。地面に大剣の刃が深々と刺さるほどの攻撃。それは、完全にネルギガンテの首を狙っていた奇襲だった。

 

「避けた!?」

 

 調査班リーダーは当たると確信していた攻撃を避けられたことに驚愕した。

 完全に視界の外から掛けた奇襲だったが、刃が風を切る音で攻撃を察知されてしまった。この古龍、ネルギガンテは明らかに対ハンター戦に慣れていると確信できる行動だった。

 落下のダメージから立ち直ったクシャルダオラもネルギガンテに相対する。ブレス攻撃に巻き込まれないように、調査班リーダーは少し離れた位置で大剣を構えた。

 

「さあ、どう出る……!」

 

 調査班リーダーは震える手を大剣を持つ握力で抑えた。ソードマスターの実力でようやく対等になると言われていたネルギガンテを目の前にしてしまえば、緊張しない方が不自然である。

 しかし、満身創痍ではあるがクシャルダオラという強力な存在が隣にいたからこそ、震えが収まったのかもしれない。

 足元には脛まで漬かるほどの池が存在する。古龍はともかく調査班リーダーにとっては非常に不利になる場所だった。一方、ネルギガンテも自身が数で不利なことを承知していた。ここに居るのはハンター1人とクシャルダオラ1匹。まだ上には火竜と獣人、そして未知のハンターが1人居るはずだった。

 ネルギガンテはこの場に留まれば再度奇襲を受けると思ったのか、踵を返してすぐ後ろの崖を飛び越えた。

 

「場所を変えようってか!?」

 

 調査班リーダーはすぐに後を追い、クシャルダオラも遅れて続いた。単独ではネルギガンテに勝てないことを理解しているからこそ、クシャルダオラは調査班リーダーに合わせた行動を取った。体よく利用されているような状況であったが、調査班リーダーは悪い気分にはならなかった。天変地異そのものと呼ばれる古龍に力を必要とされるのは、ハンターとしての実力を認めてくれたという証であったからだ。

 ネルギガンテはアステラの関所へ繋がっているエリアで待ち構えていた。ここは古龍でも存分に動き回れる広さがある。ネルギガンテが咄嗟にここを選んだのか、戦略を考えて選んだのかは定かではないが、この広さと見晴らしでは互いに奇襲は使えない。小細工無しの真向勝負になる。

 正面に立っていた調査班リーダーへ、ネルギガンテが翼を用いたタックルを仕掛ける。攻撃では押し負けると判断した調査班リーダーは、大剣の腹でその攻撃を受けた。力で押し返すのではなく、力を抜いて受けた故に体は大きく飛ばされたが、大剣の重量を活かした防御はタックルの威力を完全に受け流した。

 

「先生直伝の防御術、思い知ったか!」

 

 初手で無力化させるつもりであったネルギガンテは、繰り出したタックルが全く効いていないハンターを見て動揺した様子を見せた。並の古龍であれば力づくで捻じ伏せることができるネルギガンテでも、力を『受け流す』という技術の前では本領を発揮できなかったのだ。

 タックルを受けて大きく後ろへ後退した調査班リーダーを見たクシャルダオラは、代わりに前へ出て疾風のブレスを放つ。

 地面の砂や小石を巻き込み、空気の弾丸とも言うべき風の渦がネルギガンテに直撃した。古龍の放つ一撃は並のモンスターとは比較にならない威力があり、それは相手が古龍でも例外ではない。大きく身体を吹き飛ばされたネルギガンテは辛うじて受け身を取ることが出来たが、再び自身の不利を認識し始めていた。

 1対1では力任せの戦法で接近戦に持ち込めるネルギガンテだったが、調査班リーダーという存在がそれを困難にさせていた。

 重厚で巨大な大剣の一撃はネルギガンテの強靭な鱗や甲殻でも無事では済まない。弱っているクシャルダオラに接近戦を仕掛ければ、当然大剣の攻撃圏内に入ることになる。前へ出れば大剣が、後ろに下がれば疾風のブレスがネルギガンテを襲うだろう。

 一方、クシャルダオラも消耗していた。

 以前のネルギガンテとの戦いで受けた傷が完治していない今、その呼吸は荒くブレスの威力も落ちている。本来の威力であればネルギガンテを海まで吹き飛ばせるはずだが、受け身を取られてしまうほどまでに落ちていたのだ。

 

「マズいな……」

 

 調査班リーダーはネルギガンテがゾラ・マグダラオス捕獲作戦の時のように無理やり接近戦を挑んでくるのであれば、自分の大剣かクシャルダオラのブレスで戦えると思っていた。しかしネルギガンテはその不利を察知したのか、徐々に間合いを詰める持久戦に切り替えてきたのだ。

 前へ出て斬りかかれば、ネルギガンテはすぐさまクシャルダオラに襲い掛かるだろう。一撃の威力は大きいが、フットワークが重い大剣ではネルギガンテのスピードに追い付くことは出来ない。逆に後ろに下がれば、防衛対象のクシャルダオラが前衛になる。

 

「どうする……!?」

 

 徐々に間合いを詰めてきたネルギガンテが、調査班リーダーを飛び越えてクシャルダオラへ飛び掛かろうと脚に力を入れる。だが、その行動は阻止された。

 すぐ近くで横たわっていた岩石が爆発したのだ。

 その後に響く落雷のような爆音。ネルギガンテはもちろん、クシャルダオラも何が起きたのか分からないといったように、姿勢を低くした。

 調査班リーダーだけが、この攻撃の正体を知っていた。

 

「狙撃!?」

 

 調査班リーダーが認識すると同時に、二発目の攻撃がネルギガンテを襲った。

 この狙撃は恐らく古代樹の南西側、初期キャンプを出て正面にある平地エリアからだろう。今度はネルギガンテの頭部スレスレを弾が掠った。

 その攻撃の音がかなり遅れて響いてくることに調査班リーダーは舌を巻いた。相当離れた位置から狙撃しているにも拘わらず、極めて正確な射撃だったからだ。そして、援護はそれだけでは無かった。

 

「重弩隊、前へ!」

 

 その声は調査班リーダーの左、アステラ方面からの声だった。

 ヘビィボウガンを主武装とする警備班所属の戦隊がこちらへ走ってくるのが見えた。重厚な金属製の鎧はハンターが身に着ける防具の中で最も重い物だ。走るだけでも相当な体力を使う代物だが、彼ら重弩隊は防御だけでなく反動を打ち消すための重りとしてその鎧を着用していた。

 横一列で武器を構えた重弩隊。その銃口はネルギガンテだけに向いていた。

 

「攻撃開始!」

 

 隊の一人が声とジャスチャーで合図を出すと、一斉にボウガンから次々と弾丸が放たれた。

 植物を利用した弾はネルギガンテにとってすぐに致命傷となるほど強力ではない。だが、その攻撃が複数人による集中攻撃となると話は違う。

 圧倒的な物量による弾丸の嵐。ネルギガンテは不意討ちを掛けたにも拘わらず形勢が不利になってしまった上に、大勢のハンターがクシャルダオラを敵と見ておらず、全員の攻撃が集中していることを把握した。それはここから逃げる理由には十分だっただろう。

 ボウガンの弾倉交換の際に出来る、攻撃が一瞬緩むタイミングでネルギガンテは一気に飛び上がった。

 

「巣に行くなよ……!」

 

 ネルギガンテが飛び立った先には火竜の巣がある。ダークが危惧していた古代樹を縄張りとすべく火竜を排除するかもしれないという予感が、調査班リーダーの頭をよぎった。

 だが、ここで三発目の狙撃がネルギガンテを襲った。

 火竜の巣へ向かうルートを取っていたネルギガンテだが、目の前を金属製の弾丸が掠っていったのを見て古代樹を縄張りとするのは諦めたようだった。

 狙撃が何処から撃ってきたものなのか分からなかったために、再び狙撃されないようジグザグに飛行する回避運動を始めたネルギガンテは、そのまま火竜の巣を大きく超えて古代樹の北へと消えていった。

 

「大丈夫ですか? 怪我はありませんか?」

 

 北へ飛び去ったネルギガンテの姿が見えなくなるまで、調査班リーダーは大剣を構えたままだった。

 重弩隊の一人から声を掛けられたことで戦いが終わったのだと実感できた調査班リーダーは、大剣を背中に戻し大きく深呼吸した。そして、顔や防具が汗でズブ濡れになっていることにようやく気付いた。相当な緊張状態だったのだろう。

 

「全員無事か?」

 

 ネルギガンテを狙撃していたハンター、ダークも調査班リーダーの元へ合流した。

 

「状況は聞いています。これからどうしましょう?」

 

 ボウガンを折りたたんだ重弩隊が集合する。

 伏射をしたために泥だらけになっている防具をはたきながら、ダークは警備班重弩隊のメンバーに質問をした。

 

「誰から聞いたんだ?」

 

 それは調査班リーダーも気になるところであった。救難信号も出しておらず、アステラ側へ情報を伝える時間も無かったのに、警備班が状況を把握しているのはなぜなのかと。

 

「五期団の編纂者とそのオトモが古代樹に独断で入って行ったのです。警備班が捜索に行こうとした時にその方からクシャルダオラの件を聞きました」

 

 当のクシャルダオラは大勢のハンターが集まってきたことで少し動揺しているのか、ネルギガンテに見せたもの程ではないが警戒心を露わにしていた。だがそれも束の間であり、崩れ落ちるようにその場に蹲ってしまった。上層部からの落下のダメージがいよいよ表面化したようであった。

 

「詳しい話は後にしよう。今はこのクシャルダオラを何とかしなければ」

 

 調査班リーダーはそう言ったが、自分自身どうすればいいのか判断が付かなかった。

 このまま放置しても本来の古龍の回復力であれば数日で治るはずである。だが、ネルギガンテの棘が刺さったままの状態では何日掛かるのか想定出来ず、この状態では別のフィールドへ移動することも出来ないだろう。かといって今日までのように火竜の巣で回復を待つのは極めてリスクが高い。既にネルギガンテに居場所が知られているからだ。

 八方塞がりの状況に、調査班リーダーも重弩隊も頭を抱えた。

 

「俺に考えがある」

 

 ダークがこの状況で切り出した。

 

「考え?」

 

 いったいどうするのか、暗号名のハンターが何を思いついたのか、調査班リーダーは気になった。

 

「ただ、この案にリーダー達と警備班が納得すればだが……」

 

 

――――――

 

 

 五期団の受入れ作業も終盤に差し掛かっていた時に発された、古龍接近の合図。非戦闘員である労働者や研究者などは屋内へ避難し、古龍迎撃態勢が解除されるまで待っていた。

 そんな彼らが警戒態勢解除の合図で外に出た時に目にしたのは、アステラの正門で横になっているクシャルダオラであった。

 

「いったい何を考えているだ!?」

「近づいて咬まれても知らないぞ!」

「嘘だろ……?」

 

 鋼龍の周りに立っている警備班や調査班リーダー、総司令の姿を見た研究者達は、てっきり討伐した個体を運んできたのかと思い不用心に集まり始めたのだが、そのクシャルダオラが突然起きて視線を向けてきたとなればパニックになるのは当然と言えよう。

 

「本当に大丈夫なのだな?」

 

 古代樹で起きた事件を研究班に報告する前に、クシャルダオラをアステラへ連れてきたダークと調査班リーダーは、総司令を説得する必要があった。

 

「あのまま古代樹に取り残すのは非常に危険な状態だろう。今できる最善の手はこれしかない」

 

 ダークが警戒していたのはネルギガンテが間を置いて再び戻ってくることだった。先ほどの戦闘では撃退に成功したものの、再び奇襲を仕掛けてくる可能性は非常に高い。しかし、クシャルダオラをアステラ内に置いておけばネルギガンテは易々と手を出すことは出来ないだろうとダークは読んだのだ。

 

「同時に古代樹の森にも増援を出す。ネルギガンテが縄張りにする可能性があるからな」

 

 調査班リーダーの言葉に総司令は渋い顔で頷いた。

 古代樹の上層をネルギガンテに奪われないために、五期団の慣らしも含めて現地の警戒に当たらせる。古龍渡りの手掛かりであるクシャルダオラを防衛しつつ、アステラの安全を確保するためにはダークの案が最善の方法だった。

 二人の説得に根負けした総司令は渋々警戒態勢を解除した。調査団の拠点に敵対意思が無いとはいえ、古龍を生きたまま拘留するなど前例が無いことである。その後に起きたパニックが収束するのは時間の問題だろう。

 脚を負傷し走れなくなった総司令だが、目の前に生きた古龍が佇んでいても全く動じない態度にダークは感心した。何度目か分からない深い溜息と共に、総司令は脚を引き摺りながら司令部へと戻って行った。

 

「良かったな」

 

 ダークはクシャルダオラを見て言った。その言葉を理解した訳ではないが、ここが安全な場所であると感じたのかクシャルダオラは欠伸を一つすると首を伏せ、目を閉じた。

 

「重弩隊は古代樹の警備へ出発する。各自準備を整え次第上層に集合せよ!」

 

 調査班リーダーから詳細な報告を受けた重弩隊が各々アステラを発って行った。火竜の巣には罠師が指揮する森の虫かご族が大勢待機しているが、重弩隊も加われば火竜の安全も確保できるだろう。

 クシャルダオラの潜伏場所と目的の捜査、万が一は討伐という危険な任務は『敵性無し・一時保護・信頼関係構築』という意外な形で完遂された。研究班による調査が進めば、今回の事件の詳細が判明するだろう。

 

「相棒!」

「旦那さん!」

 

 聞き慣れた呼び名と聴き慣れない呼び名を同時に受けて、ダークは声がした方を見た。

 そこには、受付嬢と一匹のアイルーが居た。

 

「探していたんですよ!急に居なくなったと思ったら古龍を捕まえてくるとは……さすが相棒です!」

「いや、捕まえたんじゃない。安全で巨大な『アステラ』というベッドを貸してやっただけだ。後でキッチリ代金は払ってもらうさ」

 

 ダークの冗談に目を丸くしているのは、受付嬢の隣に立っているアイルーだ。装備品を見る限り、オトモアイルーのようである。

 

「初めましてですニャ。かねてよりお嬢様の護衛を担当しているアポロと申しますニャ」

 

 砕けた態度をとる受付嬢とは対照的に、『アポロ』と名乗ったアイルーは礼儀正しくお辞儀をした。

 

「新大陸調査団ではお嬢様のパートナーとなるダーク様にもお仕えすることになります。よろしくお願いしますニャ」

 

 白い毛に所々黒い模様が混じる姿をしているアポロというアイルーの脚が泥で汚れているのに気付き、ダークは警備班に状況を伝えたという五期団がこの二人なのだと分かった。

 編纂者が護衛のハンター無しで狩場へ入るのは非常に危険な行為だが、彼女の状況報告が無ければネルギガンテとの戦いを無傷で乗り切ることは出来なかっただろう。

 

「よろしく頼む。君達のおかげで助かった」

 

 ダークはそう言って二人へ手を差し出した。

 暗号名を持つハンターから差し出された右手に受付嬢は満面の笑顔で、アポロは緊張した顔でその手と握手をした。

 

「相棒、お腹空いていますよね?何か食べるものを持ってきます!」

 

 そう言うなり上階の食事場へと走って行った受付嬢の背中をダークは見送った。

 

「お嬢様は昔からああなんですニャ」

 

 アポロが少し呆れた表情で言うが、疲労が溜まっていたダークにはその気遣いは有難かった。

 ダークの周りにはクシャルダオラを警戒している警備班や研究者、五期団のハンターなどが集まり始めていたが、どこか敵対的で懐疑心のようなものがあった。

 

「少し休む。食事が出来たら起こしてくれないか?」

「ハイですニャ」

 

 アポロはダークがベッドにでも行くのかと思っていたのだが、クシャルダオラに向かって歩いていくのを見て疑問に思った。ベッドはそっちじゃないと言いかけたが――

 クシャルダオラを囲む人混みから、驚きの声が次々と上がった。

 ダークがクシャルダオラの巨大な腕を枕にし、一瞬で眠り始めた事に驚かない者はほとんどいなかっただろう。生きた古龍を間近で見ることですら奇跡に近い体験なのに、それを枕にする人間がいるというのは信じられないことに違いない。

 腕に重みが掛かったことに気付いたクシャルダオラは少し頭を起こしてダークを見たが、そこに居たのが自身を救ってくれた者だと気付くと、気にする風でもなく同じように眠り始めた。

 言葉が通じない者同士でも、信頼関係を築くことはできる。それを周囲に示そうとしただけだった。

 そして、ダークとはそんな男だったのだ。




【解説】


・森の虫かご族
古代樹の森の先住民達。古代樹から採取できる植物を利用した道具や罠を作る能力に優れている。
ジャグラスとは鳴き声を真似ることで簡単な会話ができるため、古来より共生関係にある。
調査団とは40年前から物々交換を主な取引として積極的に交流をしているため、関係は極めて良好であり人間の言語に堪能している虫かご族も比較的多い。
新大陸に外来種を持ち込まないという規則がある故に、調査団では新鮮な食材が不足しがちである。そんな彼らに森で採集した穀物や野菜などを届けてくれるため、補給面でも極めて重要な部族である。
一部には探検隊として調査団入りをしている者も存在する。

・シビレ罠
罠としては最も普及したタイプ。森の虫かご族が使用する物も素材が違うだけで構造は同じである。
大型モンスターの体重でなければ作動しないため、誤作動の確率が低い上に落とし穴のようにハンターが落下するような危険も無い。
万が一誤作動しても命の危険は無いため、安全かつ便利な道具として利用されている。
かつて古龍にも効果が出るよう瞬間的に大電流を流すタイプも試作されたが、万が一誤作動した場合にハンターが感電死する危険があったために採用は見送られている。

・輸送班
調査団全体の物資の輸送を引き受けている班。総司令が指揮を執っている。
支給品やキャンプの資材、捕獲したモンスターはもちろん、調査員同士の個人的な手紙なども輸送班の管轄である。
構成人員は作業員が6割、護衛のハンターが4割。
過去には翼竜種を訓練してハンターの長距離移動の手段にさせようという試みもあったが、フル装備のハンターは重すぎて飛行することが出来なかったために『メルノス便』として速達や定時連絡の手段に利用されている。

・警備班
大型モンスターが調査団のテリトリーに侵入することを防ぐために、アステラや各地の関所で警備を担当する班。指揮官はソードマスター。
各フィールドの入り口には警備班の人員が常に見張りをしており、関所を通過する場合は必ず警備班の許可が必要である。
これはフィールド内で誰が何をしているのか、誰が帰還し誰が残っているのかを常に把握するためであり、定刻を過ぎても帰還しない場合は捜索隊が組まれることになる。
また、拠点防衛を専門とする実戦部隊も複数存在する。

・重弩隊
警備班所属の実戦部隊。ヘビィボウガンを標準装備としており、主にアステラの防衛を担当している。
平時では捕獲されたモンスターの近くで警備する様子が確認できる。
メンバーは全員が鋼鉄製の鎧を着用し、発砲の際の反動軽減に利用している。
武器も防具も重量があり負担が大きい装備だが、それをものともしない屈強さに定評がある。




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第二章:北へ昇る太陽
白いスカーフ


古代樹の森に潜んでいたクシャルダオラを見つけ出す任務は意外な形で幕引きを迎えた。
事件の原因であり、調査団にとって最高位の脅威であるネルギガンテは撤退したが、いつ襲撃が起きるか分からない状況は放置できない。
五期団の持ち込んだ大量の補給物資のおかげで活動を再開できた新大陸調査団は、ネルギガンテの生態・習性・行動パターンなどを把握すべく、龍結晶の地への遠征計画を立てる。

遠征の物資輸送ルートを確保する任を帯びた調査班は、安全を確保するため大蟻塚の荒地に生息する大型モンスターを全て捕獲する任務に赴く。
ダークはこの機会に狩猟に慣れていないアポロの訓練を行おうとするのだが、そこで奇妙な事件に遭遇する。


 新大陸のこの時期は一年で最も過ごしやすいと言われている。

 辺りに立ち込める霧と、眠気を吹き飛ばしてくれる朝日の中、青年は点検を終えたヘビィボウガンを地面に置いた。

 ひどく湿気ってしまったローブを整え、大きく背伸びをする。その周りには警備班に属する重弩隊10名、そして火竜の番いが眠っていた。

 五期団がアステラに到着した時、既に発生していた鋼龍の潜伏事件。当初はクシャルダオラがアステラを襲撃する機会を伺っているという見方をしていたが、事実は全く異なるものだった。龍結晶の地にてネルギガンテとの戦いに敗れたクシャルダオラは、その身を癒すために古代樹の森へ隠れていただけだったのだ。

 身体に刺さったままの棘の効果により、傷の治癒が進まないクシャルダオラがネルギガンテに見つかるのは時間の問題だった。

 しかしそこへ意外な協力者が現れた。ダークの目の前で眠っているリオレウスとリオレイアである。

 古龍種を除いた上で古代樹の森の生態系の頂点に立つこの2匹は、重傷を負ったクシャルダオラを追い払おうとはせずに自らの巣へ匿ったのだ。

 なぜ火竜の番いと鋼龍が敵対しなかったのか、研究班では毎日活発な議論が行われていたが、ダークには薄々分かっていた。

 モンスターにも感情というものはある。喜怒哀楽はもちろん、同情や感謝という高度な感情を持つ個体もいる。そして、この番いが偶然それを持ち合わせていたのだ。

 リオレイアを救ったダークがリオレウスからも敵対されなくなったことや、ダークの仲間である調査班リーダーやテトルー達、アステラの他のメンバーも巣に立ち入ることが出来るようになったことがそれの証明だろう。

 もしクシャルダオラやこの火竜が一般に想像されているような獰猛な個体であれば、いったいどのような結末になったのかとダークは思考した。

 クシャルダオラは早々にネルギガンテに発見、捕食され、餌となるモンスターが多いこの地を縄張りとすべく、火竜の番いも殺害されていただろう。拠点の目の前に凶暴な古龍であるネルギガンテが陣取れば、調査団達の食料源である草食モンスター達は当然姿を消す。木の実や魚、野菜といった食料も調達するのにさえ護衛が必要となり、多大な時間と手間が掛かる。現地調達が原則のアステラは深刻な食料不足に陥ってしまう。

 今回の事件はクシャルダオラと火竜の番いの理性、リオレイアの治療に貢献した罠師、ネルギガンテとの戦いで時間稼ぎをした調査班リーダー、正確な現地の情報を伝えた受付嬢、補給をいち早く終わらせ増援に駆け付けた重弩隊。様々な要因が重なって得ることが出来た最高の結果だろうとダークは結論を出した。

 だが、これほどの偶然が今後も起こるとは限らない。今回の事例は調査団の良い教訓になるだろう。

 

「おはようございます皆さん。二次警戒態勢が解除されました」

 

 火竜の巣へ軽装で訪れたのは、調査団の連絡員である。

 

「おはよう。ネルギガンテは完全に撤退したのか?」

「ええ、龍結晶の地に戻ったことを観測しました」

 

 ダークと連絡員の話し声を聞いて、周囲の者たちが一斉に起き始める。

 クシャルダオラを狙っていたネルギガンテは、5日前の戦いの後に古代樹の森から撤退した。しかし縄張りである龍結晶の地まで完全に撤退せず、陸珊瑚の台地との境界である『大峡谷』にてうろつく姿が観測されていたのだ。司令部はネルギガンテがアステラを直接攻撃するか、古代樹を縄張りにして長期戦を狙ってくると判断し、火竜の巣で警備班と共に哨戒任務に就いていた。

 

「現地の調査員が確認を取ったそうです。今日から通常体制へ戻ります」

「重弩隊、了解した。ダークさんも隊員への御指導ありがとうございました」

 

 重弩隊の一人がダークへ一礼した。

 哨戒任務とは退屈との戦いである。本来はキャンプで待機するはずの哨戒を火竜の巣で行い、目の前に火竜の番いが居たために、重弩隊は適度な緊張感を持ったままコンディションを維持できた。

 ダークの活躍によって敵対関係が無くなったとはいえ、危険度の高い火竜を麻酔無しで間近で見ることは狩猟時以外に無いことである。ダークは今後も重弩隊はこの火竜と連携を取る可能性があることを説明した上で、生態・習性・些細な動作の意味などを指南した。

 いきなり大勢のハンターに囲まれれば火竜の番いも警戒するものだが、ダークや調査班リーダーという緩衝材が居たからこそ出来たことである。3日もすれば双方の警戒心は解け、こうして一緒に寝ることすらできるようになったのだ。

 

「ネルギガンテは撤退したが、ここは他のモンスターにとっても競争が激しい場所だ。今後どんなモンスターが来るかも分からない以上、この地を守備することはアステラの安全に直結する。その時は任せる」

「了解です。古代樹は死守します」

 

 だが、その哨戒任務も今日で終わりである。

 重弩隊という戦力を常駐させるわけにはいかないことはダークも承知していた。防衛はアステラが最優先であるし、新大陸の火竜がどのような生態なのか研究している学者も居る。過度に調査団が接触してしまってはその研究が出来なくなってしまう。

 ダークは持ち込んだ備品類を背負い、古代樹を降りるルートへ歩み始めた。

 アンジャナフとの一件でケガを負っていたリオレイアは、ややぎこちないながらも飛行ができる程度には回復していた。そして、その番いには調査団からプレゼントがあった。

 調査団に対して協力的なモンスターには、ハンターが誤認して攻撃しないように大きく目立つ白いスカーフが巻かれている。例えば、輸送班が郵便物の運搬に利用しているメルノス、人力では運搬できない重い物資を運ぶアプトノスなどだ。

 これらのモンスターに正当な理由無く攻撃を加えた場合、そのハンターは懲罰を受けることになる。無論、スカーフなど無くともそんなドジをする迂闊なハンターはそもそも調査団には居らず、そんな事例は過去に一度も無い。

 事故というのはいつ起きるか分からないため、それを防ぐためのスカーフだった。

 また、スカーフを付ける事を提案した学者曰く、これを身に着けているモンスター同士が敵対しないか確認するための研究も含まれているらしい。もしこの火竜達と調査団のアプトノスやメルノスが接触した時に捕食行動を取らなかった場合、スカーフの意味を理解している高度な知能が証明されるというわけである。

 現在はこの2匹にも首と尻尾に白いスカーフが巻かれている。これなら全方位から視認できるだろう。

 

「じゃあな、お二人さん」

 

 ダークは火竜の番いにも軽く手を上げて挨拶をする。モンスターに表情というものはあまり出せないが、その目は友人達との別れを惜しんでいるかのようであった。

 少しずつ離れていく命の恩人の背中に、火竜の番いも鳴いて挨拶をした。

 

 

――――――

 

 アステラの正門横、本来であれば捕獲したモンスターを拘留しておくリフトには相変わらずクシャルダオラが鎮座していた。

 先日の事件の後、全身に刺さっていた棘の摘出と治療を受け、現在ではリオレイアと同じく完全とはいかないながらも回復していた。

 当初はクシャルダオラに警戒心や恐怖心を抱いていた調査団の面々だったが、生きた古龍を研究できるなど一生に一度、いや世界の最初で最後だろうと研究者が我慢できずに飛び出したことを発端に、積極的な調査が行われていた。

 さすがに警備班は止めに入ったらしいが、興奮が頂点に達した学者達を止めることが出来ずに突破されてしまったらしい。一方のクシャルダオラも満更では無いらしく、研究者が行うあの手この手の実験に極めて協力的な態度で接していたため、警備班はお手上げ状態であった。

 

「今度は何をする気だ……?」

 

 ダークが正門を通る時に目に入ったのは、巨大な鏡を運んでいる三爺であった。

 この3人の学者、通称『三爺』は、研究班の中でも異常な行動力で知られている。ゾラ・マグダラオス捕獲作戦時にはハンターに紛れて古龍へ取り付こうとした程の猛者なのだ。

 

「今日はこの鏡で実験をする!」

 

 高らかに宣言して警備班にお披露目したのは、大人1人の全身が映る大きさの鏡である。

 意気揚々と説明している三爺を警備班が囲んで説得しているが、聞く耳は持っていないだろう。

 

「鏡像に映るのが自分自身と認識できれば高い知能の証明になる!」

「その通り!まさか生きた古龍で実験出来るとは……!」

「ここで実験しなければワシは死んでも死に切れんわい!」

 

 小さな体で巨大な鏡を立てようと奮闘している三爺の声が、遠く離れていてもダークにさえ届いた。

 その騒ぎの中、ダークに気付いた警備班の一人が正門まで走ってきた。白い紋章が防具に描かれていることから、警備班に配属された五期団のようだ。

 

「ダークさん止めてください!もし鏡に映ったのを自身じゃないと認識したらどうなるか!」

「好きにさせればいいだろう。古龍の知能、特に空間認識力や平衡感覚は人間より遥かに高い」

「しかし……!」

「やれば分かるさ」

 

 ダークが言い終わらない内に、三爺は鏡を立ててしまった。

 クシャルダオラからすれば小さな鏡だが、自身の顔や体を見るには十分な大きさである。

 

「ああッ!!!」

 

 隣の警備班が悲鳴を上げて顔を手で覆った。しかし、当のクシャルダオラは鏡に映る自身の姿を別個体の敵と視認した様子は無かった。座ったままの姿勢で首を動かし、鏡を様々な角度から見ている。

 それが離れたダークの位置を映す角度になった時、クシャルダオラは少し驚いた様子で本物のダークの方を向いた。

 

「なんと! 鏡の自分を認識するどころか鏡越しに周囲を状況を見ることが出来るとは!」

「これは大発見であるな!」

「どこまで遠くの物を認識できるかもっと試してみよう!」

 

 先程よりもさらにヒートアップした三爺を尻目に、ダークは火竜の番いにしたようにクシャルダオラへ手を上げて軽い挨拶をする。

 クシャルダオラも僅かに鳴いてそれに答えた。三爺は鏡の件で興奮していたために気付かなかったようだが、ハンターと古龍が意思疎通することができた一瞬であった。

 

「よう、火竜の様子はどうだ?」

 

 正門に到着したダークを見つけた調査班リーダーが声を掛ける。

 五期団が持ち込んだ大量の補給物資により、調査班も本格的に活動が可能になった。それ故に最近は多忙を極めていた調査班リーダーだが、今日は非番で暇つぶしがてらクシャルダオラの様子を見に来たところのようだ。

 

「リオレイアの怪我は完治までとはいかんが、もう心配する必要は無いだろう。感染症の兆候も無い」

「そりゃあよかった。ネルギガンテも動きを見せなくなったとはいえ、油断は出来ないからな。近々奴の縄張りや寝床を調査するために遠征の計画があるんだが、応援として同行してくれるか?」

「もちろんだ。戦いは常に先制する側が有利だからな。ネルギガンテの行動を把握するのは早い方が良い」

 

 調査班リーダーを含め、新大陸調査団はネルギガンテを大型モンスターの中で最高位の脅威として認識していた。

 同じ古龍種であるクシャルダオラを圧倒する実力の事もあるが、それを決定付けたのは先日の事件の影響が大きかった。調査団の全力を尽くした捜索でも見つからなかったクシャルダオラの元へ、真っ直ぐに向かってきたことである。

 クシャルダオラが古代樹に潜伏し始めてから、最低でも2週間は時間があったはずである。ネルギガンテが初めから居場所を把握していたのならば、体力を回復させないうちに襲撃をすればいいだけのことだ。

 だが、ネルギガンテは直前までそのような兆候を全く見せていなかった。

 まるで、ダークと調査班リーダーがクシャルダオラに接触した瞬間に居場所を察知したかのような行動は、何か特殊な感覚器官を持っているのではないかと思わせる。

 これが偶然なのか、それとも本当に何かを感知したのか、研究班は証拠が少なすぎるために結論が出せなかった。

 調査班リーダーが言う遠征計画は、そのネルギガンテの生態を少しでも早く把握するためのものだ。

 

「なあ、先日の任務の出来事の話だが、リオレイアをどうやって手懐けたんだ?」

 

 突然話が変わったことにダークは少し驚きながらも、その答えには心当たりがあった。哨戒任務というのは暇すぎたのである。

 

「別に何も。あれだけすぐに人間を信用したのは幼馴染だったからじゃないのか?」

「俺が? リオレイアと?」

「ああ。あのリオレイアは古代樹の森で成長した個体だと報告書に書いてあったからな。成長速度を計算に入れればちょうど同じ時期に育った幼馴染だ」

 

 ダークの指摘を受けて調査班リーダーは目を丸くした。自分がリオレイアと幼馴染など考えた事すら無かったからだ。

 

「俺はリオレイアとはそこまで顔を合わせていないぞ?」

「そうか? 昔はよく無断で森に入ったそうじゃないか」

「なっ……!?」

 

 ダークがなぜそんな事を知っているのかと質問をしかけて、調査班リーダーはすぐに理由を思いついた。

 

「他の調査員か……」

 

 調査班リーダーが子供の頃にアステラを脱走する際、自身では調査団の皆を出し抜いていたと思い込んでいたが、当時のハンター達には全て気付かれていたのだ。

 

「君が気付かなくても、皆は全て見ていたってことさ」

「…………」

 

 それは、草食竜も肉食竜も餌に困らないという極めて特異なフィールドが生み出した偶然であったのだろう。

 



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荒地の三人

 アステラからは近くもなく遠くもないという微妙な距離にある大蟻塚の荒地は、徒歩で向かうにはやや険しい道である。

 調査団はいよいよ始まる龍結晶の地への遠征に備え、物資の輸送ルート確保の行動を起こし始めていた。

 ダークと受付嬢、そしてそのオトモであるアポロが偶然にも輸送班のアプトノスが牽引する『竜車』に拾えてもらえたのは幸運であった。

 運搬中の荷物の隙間に座っているダークの正面では、アポロが自身の武器をまじまじと見つめている。鋼鉄製の剣を見つめるそれは、武器の点検というよりは不慣れな武器に戸惑っている様子であった。

 

「武器を持つのは初めてか?」

 

 ダークはアポロに問う。アポロがその質問に答えるより先に、受付嬢が彼の実情を語った。

 

「うーん……初めてではないのですが、本格的な戦いの経験は無いんです」

「そうなんですニャ。ボクは現大陸でお嬢様がフィールドワークに出た時の護衛をしていたのですが、きちんとした雇われハンターが常に同行していたのでムシを追い払うくらいしかやったことがないんですニャ……」

 

 アポロはやや緊張した顔で言った。

 目の前にいるのが教官や他のハンターならまだ冷静でいられただろう。だが、それらの実力者とは桁外れの実績を持つ暗号名のハンターがいるとなってしまっては緊張しない方が不思議である。

 その緊張は憧れや敬意が半分、足手纏いになる可能性への恐怖が半分であった。

 

「そんなに緊張しなくてもいい、誰だって最初は不慣れなものだ」

「そうですよアポロ!強いハンターさんがいっぱい居るんだから、ウンと勉強して最強のオトモになるくらいの気持ちでいなきゃ!」

 

 ダークと受付嬢の言葉で、アポロは若干だが落ち着いた顔になった。

 

「分かりましたニャ、御指導よろしくお願いしますニャ」

 

 ペコリと一礼したアポロを合図にしたかのように、ダーク達の乗っていた竜車は関所へ到着した。

 

「お待たせしました。荒地の関所へ到着です!」

 

 輸送班の男が荷台へ振り返りそう告げた。

 

「ありがとうございました!」

「ありがとうございますニャ」

 

 お礼を述べながら、一行は荷台を降りる。

 『大蟻塚の荒地』と名付けられたこのフィールドは一見すると砂漠に見えるのだが、強い風に乗って舞い上がる砂さえ無ければ過ごしやすい場所である。

 古代樹の森では汗がなかなか乾かない不快な湿気や身体に纏わりつく小さな虫などの精神的な負担が多い。一方の大蟻塚の荒地では、その舞い上がる砂が防具の隙間に入り込み、体を動かすたびに研磨剤の如くヒリヒリと痛むのである。

 しかし、その程度であればまだ良い方である。スラッシュアックスやチャージアックスのような可変武器や、ボウガンなどの複雑な機構を持つ武器は可動部に砂が咬み込んで動作不良を頻繁に起こしてしまう。

 故に、大蟻塚方面の警備をしている者は故障率が低く、整備が楽なランスを得物としている。

 単純な構造の武器は大剣やハンマー、他には片手剣や双剣など数多くあるが、警備班の実戦部隊の一つである『ランサー隊』がこの方面に配備されている事には理由がある。

 大蟻塚の荒地は大きく分けて4つのブロックに分けられる。古代樹の森に似た密林地帯、古代樹から流れ出てきた水が小さな川を形成している沼地地帯、その沼から染み出た水が大地を削って出来た洞窟地帯、そして巨大な蟻塚が存在する砂漠地帯である。

 ランス以外の武器では、この4つのブロックの内のどこかで致命的な弱点が露呈してしまうのである。

 大剣・太刀は長い刀身を持つ故に、狭い洞窟地帯では連携を取ることが出来ない。そんな場所で巨大な武器を振り回そうものなら、壁面に邪魔されて斬れないならまだしも、仲間を誤って斬ってしまう可能性もある。

 片手剣・双剣は軽いフットワークが長所の一つだが、泥が多い沼地地帯では脚を取られてその本領を発揮できない。

 ハンマーは多大な質量を持つ打撃部分を勢いよく相手へぶつけなければならないが、砂漠地帯ではその重量が災いして脚が砂に埋まってしまう。

 精密部品が少ない弓はボウガンに比べて信頼性が高いものの、舞い上がる砂が視界を塞ぎ、全く照準が付けられない天候の時もある。

 これらの欠点を唯一突破できるのがランスだった。

 『突き』を攻撃の主体とするランスは上下左右のスペースを必要としない故に、四人が狭い場所に固まっていても攻撃に支障が出ない。沼地や砂地のような不整地でも、腰の重心移動だけで強力な一撃を繰り出せる。万が一脚が地面に埋まって動けなくなってしまっても、巨大な盾を持つランスには『防御』という選択肢がある。砂嵐のような極度の悪天候でも、近接武器であるランスは元々照準を取る必要が無いため、弓ほど戦闘力の低下は起きない。

 戦う場所も時間も選べる調査班の人間は自由に武器を担いでいくが、いつ不測の事態が起きるか分からない警備班にとって、天候や地形の影響を受けないランスは最適な武器なのである。

 

「お疲れ様です。こちらに名前と入場目的を書いてください」

 

 関所の横に立っていた警備班の男が言う。

 

「ニャ、これは何をすればいいんですかニャ?」

 

 受付嬢とアポロは正規の入場手続きを知らなかったようで、渡された紙を見て何を書けばいいのか分からず困った顔をした。

 

「これは入場の記録用紙です。負傷して動けなくなった時に誰かが気付いてくれるように、フィールドに入る時は必ず書くんです」

「その通り。この紙を書かずに入ってしまうと遭難しても誰も気付きません。くれぐれも気を付けて下さい」

 

 手続きに慣れている輸送班と警備班の説明で、二人は理解したようである。

 この手続きは四期団が新大陸に派遣されてすぐの時、ある研究者の遭難事件が切っ掛けで始まったことである。

 『研究班』と一括りにされているが、学者や研究員達はその日によって行う仕事がバラバラな事が多い。

 ひとつの実験を数週間継続している者、複数の実験を1日ごとに交代で行う者、人手が足りない実験の手伝いに行く者。研究班リーダーもその日に行う全ての実験を把握しているわけではない。つまり研究班の者同士でも、誰がその日に何をしているかというのは把握していないのである。そして、実験というのは始めてみないと結果が分からない。1週間掛けて行う実験を1日で中止したり、逆に1日で終わる実験が1週間掛かる事も珍しくない。

 また、実験器具が壊れて技術班の修理待ち、という事態も良くあることだ。

 研究班の仕事は非常に変則的であるために、他の班のように全ての仕事内容を把握する事は事実上不可能なのである。

 その事件が起きるまで、調査団は皆が顔なじみであるが故に誰かが行方不明になってもすぐに気付くだろうと考えていた。しかし、その事件が発生したことに研究班が気付いたのは、本人が遭難してから20時間後、しかもどこに居るのかすらわからないという有様であった。

 竜人ハンターが近くを通った時に偶然遭難者に気付き、その研究者は無事アステラへ帰還することが出来たが、この事件は非常に重大な教訓としてすぐに対策が取られた。

 この関所での手続きもその一つである。

 

「遭難した時に救難信号を上げることすら出来ない時もありますからね」

「アゥ……肝に銘じますニャ」

 

 アポロは警備班に渡された紙の最後にサインを書いた。その字が非常に達筆なのを見て、警備班の者は多少驚いていた。

 アイルーは手の構造が人間とは違うため、筆圧や書き順も同じく人間とは異なる。故に、アイルーの書く字は容易に人間の字と区別できる。だがアポロの字は人間の字とそっくりであり、目が釘付けになるほど美しい字だったのでる。

 

「現在の大蟻塚の荒地の状況を説明します。今朝から調査班の捕獲チーム二つと編纂者チームが一つ、この地の大型モンスターを全て捕獲する任務中です」

「私が運んできたのはその支援用の物資です。麻酔薬や携帯食料ですね」

 

 警備班の説明の中、ダーク達を乗せてくれた輸送班の男もアポロへ説明する。

 

「現時点でクルルヤックとジュラトドスは既に捕獲が完了しています。今はどちらかのチームがボルボロスと戦っている最中、といった状態です」

「ボルボロスが終わったら、いよいよディアブロスか?」

「ええ、恐らくこれが一番難しい捕獲になるかと……」

「了解した。俺たちは捕獲任務とは別行動だが、要請があれば任務にも行けるようにしておこう」

 

 ダークは質素な外套に纏わりついていた砂を軽く払うと、荒地の西側へ歩き始めた。

 アポロと受付嬢もそれに続く。

 

「フィールドの各地にはランサー隊が警備しているので、困ったことがあったら彼らに応援を要請して下さい!」

 

 関所から離れた場所に来てから叫ばれた助言に、ダークは手を振って返した。

 今回ダークが大蟻塚の荒地へ来たのは、物資輸送ルートと縄張りが重なっているモンスター達を捕獲するという調査班の任務とは別の目的であった。

 既に荒地には警備班の実戦部隊『ランサー隊』が配備されていた。普段は関所の周辺を警備しているランサー隊がフィールド内に展開しているのは、一気に荒地のモンスターを捕獲することによって出来た『穴』に、別のフィールドからこの地へ侵入しようとする大型モンスターを追い払うためである。さらに捕獲任務を遂行中の調査班チームが二つ、ランサー隊とは別で行動している故に、今の大蟻塚の荒地には今までにない数のハンターが展開しているのだ。

 精鋭の調査班チームと実戦部隊のランサー隊が大勢居る今の状況は、実際の狩猟の経験が浅いアポロや受付嬢が安全に勉強するには絶好のタイミングだったのだ。

 

「よし、この先は古代樹のような密林地帯だ。だが足元に気を付けろ、古代樹と違ってこっちは水はけが悪いらしいからな」

「了解しましたニャ」

「はい!」

 

 警備班の男が言っていた通り、既に捕獲任務は半分ほど進んでいるようである。開けた場所の中央にはランサー隊の者が4人、捕獲済みのクルルヤックを取り囲んでいた。

 

「おや、ここはピクニックにはあまり良い場所ではないですよ?」

 

 ダークの姿を見て、ランサー隊の女性が冗談で出迎えた。彼らの装備に損傷が無いことを確認したダークは、すぐに任務の話に入った。狩場での長時間の私語は、注意力を散漫させ危険だからだ。

 

「進捗は?」

「順調です。今回は無力化が目的なのでアステラへの輸送はありませんから、後は目立たない場所へ移動させるだけですね」

 

 ランサー隊とダークの視線が、足元で失神しているクルルヤックに向かう。

 身体を丸めて眠ったように失神しているクルルヤックにも目立った傷は無い。麻酔薬を吸引してしまったクルルヤックは、2~3日ほど夢の世界へ行ってしまっているのだ。

 

「関所での情報ではボルボロスとやりあっていると聞いたが、調査班は今どこにいる?」

「沼地付近ではないでしょうか? ボルボロスの縄張りはちょうどその近辺ですし」

「了解だ」

「足元に気を付けて下さいね」

 

 ダークはランサー隊と別れ、中央エリアへと足を進めた。

 密林地帯を抜けた先、日光が照らす砂地は風も強くなく、この地で狩猟する環境としては理想的な状態だ。

 橋のような形状が存在することで有名な中央エリアは、大型モンスター同士の縄張りが重なることが多い事で有名だ。

 モンスターと頻繁に遭遇するという意味では危険な場所であるが、逆を言えばここで観測をしていれば荒地のモンスターの動きを把握することができる。

 捕獲任務がまだ続いているために大型モンスターの動きが変則的になっている現在、この地の状況を細部まで把握できていなかったダークは、偵察も兼ねてこの場所でアポロの訓練を行うことにした。

 幸い、中央エリアには見晴らしのいい高台が存在する。立地的に背後から攻撃を受ける心配が無く、広さも十分にある場所で訓練は始まった。

 

「旦那さん、これは何なのニャ?」

「スリンガー弾のことか?」

 

 アポロが差し出しているのは、透明な容器に収められた二つのスリンガー弾である。

 途中で乗せてもらった輸送班から直接受け取った物だ。本来は捕獲任務完了後にこの地へ入ろうとする大型モンスターを追い払うため、警備班に支給される予定の品だ。

 捕獲任務中では使用するタイミングが無いので、アポロには勉強用として渡されたのだ。

 

「音符のマークが付いているのは音撃弾、目と涙のようなマークがあるのは催涙弾だ」

「音撃弾とはなんでしょうか?」

 

 受付嬢が音撃弾をまじまじと眺めながら問う。

 

「音爆弾の改良型だ。従来の物は『鳴き袋』というモンスターの部位を使っていたらしいが、安定して入手ができない上に性能にもムラがあった。これは燃焼速度が極めて速い火薬を利用して爆音を発する」

 

 四期団が新大陸に来る前は、前身である音爆弾・こやし玉をスリンガーで発射していた。ところがこの二つのスリンガー弾は性能が低く、使用する機会が非常に限られる代物だった。

 こやし玉は悪臭による不快感でモンスターを追い払うものだが、興奮状態になっている相手に対してはすぐに効果が出ない。さらに排泄物という衛生上好ましくない物を携帯食料や回復薬といった飲食物と一緒に持ち運ぶというのは、どうしても精神的に抵抗がある。

 音爆弾は『鳴き袋』というモンスターの素材を必要とし、新大陸では『ノイオス』という翼竜から採取できる。だが、調査のために極力モンスターを殺害することを避けている新大陸調査団にとっては、事実上現大陸からの輸送以外では入手できない。おまけに性能自体も足止めする程度のものであった。

 技術班はその欠陥を改善し、実戦でも高い効果を発揮する改良型を開発した。それが『音撃弾』と『催涙弾』である。

 こやし玉の改良型である『催涙弾』は、森の虫かご族が害虫除けで使用していた煙の成分を濃縮し、揮発性の液体と混合した『催涙エキス』を充填した弾である。発射したが最後、そのエリアは粘膜へ強烈な刺激を与えるガスによって大型モンスターですら逃げ出す地獄絵図と化す。

 音爆弾の改良型『音撃弾』は、ユクモ村の名物である花火を参考にしたものだ。

 少ない火薬で大音量を発し、その音量は音爆弾の比ではない。文字通り『音の攻撃』と言うべきものだ。爆発の威力は極めて小さいために殺傷力こそ無いが、至近距離で喰らった場合は大型モンスターでさえ失神させる程の性能がある。

 どちらの弾も旧式と比べて遥かに強力だが、強力すぎる故に取り扱いには細心の注意と工夫を要する。

 

「スリンガーは組み立てられるか?」

 

 ダークの指南を受けたアポロは、さっそく背中に背負っていたオトモスリンガーを組み立てた。

 アイルーはハンターや編纂者などの人間規格ではそのまま使えないため、車輪と台座、そして前方からの攻撃を防ぐ装甲が付属している折り畳み式のスリンガーを携行している。

 スリンガー本体はハンターが使用する物と同じ規格だが、安定した台座と固定式の照準器、レバーを引くだけで装填が完了する機構のおかげで、ハンター用よりも命中精度と連射性能で上回る優れモノである。

 

「ということはこっちは催涙弾ですかニャ?」

「ああ、こやし弾に代わる新兵器だな。目や鼻に強い刺激を与えるガスを液化させて封入してある。風向きには気を付けて使ってくれ、こやし玉を顔に喰らうほうがマシだと言えるくらいの効能だからな」

「ヒェェ……」

「気を付けますニャ……」

 

 アポロと受付嬢は、自分が持っている弾がハンターが振るう武器より凶悪な威力を持つかもしれないと思い、戦慄した。

 

「まあ、両方とも余程強い衝撃が加わらないと炸裂しないようには設計されているからな。落としたり転んだりした程度では爆発しないだろう。そこは安心していい」

「お、脅かさないで下さいよ相棒!」 

 

 受付嬢の言葉にダークは少し笑った。あまり感情を表に出すことが少ない彼にしては、珍しいことだった。

 



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行方不明者

 アポロにとってこれほど有意義だった日は無いだろう。暗号名を持つハンターが専属で技術や知識を指南してくれるのは、現大陸ではまず不可能なことだったからだ。

 オトモスリンガーの照準の付け方、弾丸の性質、薬品の効能、装備品の分解整備。オトモとしての実績が無いアポロだが、この日だけで相当な実力を身に付けた様子である。

 

「おお……なんだか顔も逞しくなった感じがしますね……」

 

 受付嬢が素直に感じた言葉を述べるが、ダークも同じことを感じていた。

 関所を通った頃はまだ自分の技量に自信が無い故に緊張していたが、現在は指南を受けたためか、自信に満ちた顔をしている。

 さらに、アポロが身に付けたのは自信だけではない。ダークも驚いた程だが、アポロは技術をモノにするのがとても早かったのである。

 長い期間受付嬢の傍にいて学んでいたおかげで、アポロは豊富な知識を事前に持っていた。さらにそこへダークの適切な指導と練習で、この短時間で異様なまでに実力を発揮したのである。

 

「『技』と『体』は良し。後は『心』だな」

「……? それは何ですかニャ?」

 

 アポロは聞いたことが無い単語に疑問符を浮かべた。

 

「現大陸にある小さな集落で学んだ武術の心得だ。『清く正しい心』『洗練された技』『強靭で健康な体』この三つが揃って初めて狩猟……いや、物事を進められるということだ」

 

 ダークは続ける。

 

「アポロが学ぶべき事は『心』だ。健康な体は毎日の鍛錬で自然と身に付くし、『技』は今のように勉強と練習で伸ばすことができる。だが心……心だけは学ぶことが出来ない。これは他人から教わるものではなく、自身で答えを出さなければいけないからだ」

「常に冷静であれ、という事ですかニャ?」

「いや、冷静であることに越したことは無いが、『心』という概念はもっと複雑で深いものだ。この話をしてくれた集落の者でも三つを極めた者は居らず、神以外には不可能だと言っていたくらいだからな」

「旦那さんはどうやって『心』を鍛えたんですかニャ?」

「……それには答えられない。何が俺をここまでにさせたのかは分からないからだ。訓練で育ったものなのか、それとも単に運が良かっただけなのか――」

 

 心の強さに関しては、ダーク自身にも説明が出来なかった。仮に説明出来たとしてもダークとアポロは性格が違うのだから、参考にすらならない可能性もある。

 どう説明すればいいのか悩んでいたダークだが、その思考は1人の調査員の呼び声で中断された。

 

「そこの方々! ちょっと聞きたいことが!」

 

 沼地側から、一人の女性とまもり族のテトルーが歩いてくる。その装備が砂で汚れていたため、捕獲任務の真っ最中である調査班であることがわかる。

 

「ソードマスターを見かけませんでしたか?」

 

 調査班が追いかけているのが大型モンスターではなく、警備班の司令塔であるソードマスターであることにダークは面食らった。

 

「これから角の竜に挑もうという時に……!」

 

 折りたたんではいるが、展開すれば自身の体よりも大きい盾を背負っているテトルーが言う。黒と白の体毛を持つ『荒地のまもり族』である。

 背中の大盾はこの地の象徴である巨大な蟻塚から採取された石を削り上げたものだ。

 荒地の土と泥を混ぜ、この地で採れる火を起こす石で焼かれたその大盾は、柔軟さと堅牢さを兼ね備えた盾である。その用途は防御を真髄とするが、身を隠す場所が少ない荒地では大型モンスターから隠れるためにも使用されていた。

 

「いや、見ていない。ついでに言うとディアブロスもな」

「そうですか……。代わりというのも失礼ですが、最後の狩猟の増援として参加していただけませんか?」

「別に構わないが、何かあったのか?」

 

 アポロの訓練は一通り終わったが、ダークはここで実戦を体験するのも重要なことだと考え、捕獲任務に急遽参加することを選んだ。

 

「五期団達の教官として特別に今日は先生が一緒に来てくれていたんです。ですがボルボロスの捕獲が終わった時にはもう……」

「そうだ!指揮官でありながら持ち場を離れるとは……!」

 

 傍らのテトルー、もとい『まもり族の盾持ち』は、怒りでワナワナと震えていた。

 彼らは古代樹の森の虫かご族に比べ、勇ましく豪胆な者が多いという。

 ここでは森のように隠れる場所が少なく、大型モンスターと正面から戦う機会が比較的多い。そのような性格の者が形成されてきたのは、仲間達と共に連携しなければ生き残れないという厳しい環境が原因であった。

 だが、現在は新大陸調査団のおかげで食べ物には困らず、まもり族へ攻撃すればハンター達が『調査』に来ることを学習したのか、大型モンスターがまもり族を攻撃することも少なくなった。

 まさに恩人とも言うべき調査団への恩返しとして、この地へ調査に来る学者たちの護衛を進んで務めてくれていたのだ。

 そのような経緯があるまもり族にとって、仲間を置いて姿を消すことは許せないことなのだろう。

 

「ここで長い時間訓練をしていたんですが、特に何もありませんでしたよ?」

 

 受付嬢が言った通り、今日の大蟻塚の荒地は特に天候が悪いわけでもなく、風もそこまで強くは無かった。古代樹のように大型モンスターが頻繁に出入りすることも現在は無いこの地で、ソードマスターが一人で持ち場を離れるほどの何かが起きたというのも考えにくい。

 現在は多数の人員が荒地に展開している事を考えると、ソードマスター以外の人間が異変に気付かないというのも不自然である。

 

「別の大型モンスターが侵入していることに気付いた、という可能性は?」

「それも無いだろうな。周囲のランサー隊から信号弾は上がっていないし、仮にランサー隊を素通りできてもここには俺たちがいたからな」

 

 姿を消した事に調査班が気付いたのは、荒地の南側にあるボルボロスの寝床の近くであったらしい。古代樹から流れてきた水が溜まっているそのエリアは、土と混ざって粘度の高い泥が多い。この泥を定期的に纏うためにボルボロスとジュラトドスは沼地側で頻繁に目撃されるのだが、ここは荒地でも特に広く平坦な場所であり、落石や転落といった危険はほとんど無い。

 この2体を上回る危険度を持つディアブロスはまだ捕獲されてはいないが、沼地では足を取られて得意の突進攻撃を行うことが出来ない故に、砂漠地帯から外に出ることはまずない。

 強いて言えば、今まさにダークが居る中央エリアへサボテンを食べるために来る程度だが、今日はアポロの訓練中にディアブロスはおろか大型モンスターすら見掛けていないのだ。

 

「ソードマスターの捜索はディアブロスを捕獲し、安全が確保された後に行うとしよう」

「賛成です。日没が近いので急ぎましょう」

 

 ダーク達は緊急性の高い任務をすることになった。日没までにディアブロスを捕獲し、さらにソードマスターを捜索しなければならない。

 人の捜索というのは暗くなればなるほど困難になる。もし救助対象に意識が無く、呼び声などに応じることが出来ない場合は、発見すること自体が奇跡に近い確率になる。そして既に日は大きく傾き、空が赤く染まりかけている。

 

「調査班をここへ集合させます」

「頼む。受付嬢とアポロは中央キャンプで水や軽い食べ物を用意してくれ。俺は周囲を見てくる」

「分かりました!」

「了解ですニャ!」

 

 ダークの指示で調査班の女性と盾持ちは沼地エリアへ、受付嬢とアポロはすぐ近くのキャンプへと走って行った。

 

「…………」

 

 その場に一人残る形になったダークは、この中央エリアをゆっくりと歩く。

 新大陸調査団の中で最も優れた剣術を習得しているソードマスターが、まさに『消えた』と言うべき事件。しかし、ダークは別のことを推理していた。

 

 

――――――

 

「これで全員か?」

 

 受付嬢とアポロによって準備された水と携帯食料を口にしながら、調査班達は短い休憩を取っていた。

 ダークが確認した人員はハンター6人・編纂者3人・オトモ2匹・テトルー1匹の合計12名だった。そして、このメンバー達を監督していたのがソードマスターである。

 ハンター3人とオトモ1匹で構成されたチーム二つが捕獲任務を行い、盾持ちに護衛された編纂者3人が離れた場所から観察する、という編成である。

 本来であればディアブロスへ挑戦できるのは『早い方のチーム』となっていたらしい。どちらのチームが先にディアブロスへ辿り着くか? という賭け事までやっていたというが、今は事情が事情なだけに、賭け事どころか軽口も言わない。

 

「編成はどうしましょうか?」

 

 先程ダークの元へ来た調査班の女性が尋ねる。ダークも同じことを考えていた。

 大型モンスターを狩猟する際は、討伐であろうと捕獲であろうと、人数は4人までという大原則が存在する。これを『5人で挑むと誰かが死ぬ』というオカルト的なジンクスと絡めて流布する者も少なくないが、実際には戦術的な理由で定められているルールである。。

 ハンターが狩猟するモンスターは、大抵の場合人間よりも大きく強靭である。硬い鱗や甲殻を持つモンスターに対抗するためには、人間もより巨大でより重い武器が必要になる。狩猟用としては最も小型とされている片手剣ですら、ギルドナイトが持つ対人用の剣と比較すると親と子供ほどのサイズ差がある。

 一方、防具となると話は変わる。

 仮に大型モンスターの攻撃を受けても無傷でいられる防具を作るとすると、あまりの重量にハンターが動けなくなってしまうのは誰でも想像できる。鍛冶屋はハンターの好みに合わせて装甲の厚さを調整するが、それは攻撃を無傷で受けるためではなく、致命傷を避けるための最低限度のものである。大型モンスターですらダメージを受ける武器の攻撃力に、ハンター用の防具は耐えることができないのだ。

 ギルドによってモンスターハンターという職業が確立する以前は、この武器と防具のアンバランスが招いた事故が多発した。その内容は『同士討ち』である。

 現在主流の4人編成のハンターがモンスターに攻撃をする場合、武器を振りかぶるスペースは十分に確保できる。大剣は水平に斬ることができるし、ハンマーも存分に振り回すことができる。ボウガンや弓も、仲間へ当たらないように余裕を持って照準が取れる。

 だが、これが5人以上になると非常に難しくなる。リーチの長い武器の攻撃が横にいる者に当たってしまったり、モンスターを外れた弾が反対側にいた者へ直撃。転倒したモンスターの頭部へ一撃を与えようと同時に7人が殺到してしまい、同士討ちを恐れて誰も攻撃ができなかったりと、人数が多くなればなるほど事故の確率が上がっていったのである。

 これらの事故を防ぐために、大昔のハンターや技術者達は研究を重ねていった。その結論が『4人』なのである。

 無論、狩猟を4人だけで全て完結させるというわけではない。支給品を運ぶ輸送班、狩猟中に非戦闘員が入らないように迂回ルートへ誘導する警備班など、任務を行うハンターを支援する者は大勢いる。支援者含め、フィールドには何人入っても問題は無い。だが、モンスターに対峙する者は『4人以下』という原則は、一期団の頃から変わらぬ不変のルールであった。

 

「そうだな……近接武器2人と囮役が1人、遠距離武器1人の編成で行こう」

 

 ディアブロスはモンスターの中でも特に大きく、また岩のような甲殻を持っている。弱点は翼や尻尾といった柔軟に動く部分だが、ここは脳から遠いために麻酔が効果を発揮するまで長い時間が掛かる。ダークが提案したのは、脳に近く比較的柔らかい肉質の首筋へ麻酔を撃ち込もうというものだった。かなり強引な戦法であり、本来であれば安全を重視し身を隠しながら弱点部位へ集中的に麻酔を撃ち込み捕獲する。しかし、ソードマスター捜索のために短時間で捕獲しなければならない現状、手荒だが最も速く捕獲できる方法である。

 

「Aチームはディアブロスの縄張りへ直接侵入し捕獲する。残りのBチームはこちらへ向かっているランサー隊へ状況説明を行い、ディアブロスが縄張りの外へ逃げ出す事を阻止するんだ」

 

 ダークの手短な説明でも、調査班達はすぐに理解した。

 

「出発しましょう。時間がありません」

「よし、Aチーム出発!」

 

 ダーク属するAチームが、ディアブロスの縄張りへと歩を進めていった。

 



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戦士と狩人

 Aチームになった調査班の二人は、周りから『マイペース』『兄貴肌』と呼ばれていた。マイペースは弓を、兄貴肌は狩猟笛を装備している。そして、最後尾を歩いているのはまもり族の盾持ちであった。ダークも中央キャンプに置かれていたレンタル武器のランスを装備している。

 

「ディアブロスを狩猟した経験はありますか?」

 

 マイペースが兄貴肌へ質問する。

 

「もちろんよぉ! この狩猟笛も対ディアブロス用の特注品さ」

「まさか鳴き声を模倣するタイプか?」

「正解! 察しが良いね!」

 

 兄貴肌が担いでいる狩猟笛は、連絡手段に乏しいフィールドで情報伝達を迅速に行うために開発された武器である。

 狩猟笛が登場する以前は、色の着いた煙を上げたり角笛を吹いて合図としていた。発煙信号は火を起こさなければならないために時間が掛かり、角笛では音色が単調であるために複雑な合図が出せなかった。

 それらの欠点を克服した狩猟笛は音楽の技量も要求されるために使い手こそ少ないものの、使いこなせれば高度な連携が可能になる。モンスターの鳴き声を模倣することでターゲットを呼び寄せたり、逆に追い払ったりと、熟練した者が扱えばフィールド全体を意のままに操ることすら可能になる武器である。

 

「俺がこいつで牽制してみるんで、みんな頼むぜ!」

「ならば我は前で盾になろう。側面はお二方へ任せる」

 

 ディアブロスの縄張りは天然の砂の要塞と言える。中央エリアから伸びる曲がった道の先には、砂が一面に広がった地下空間が存在する。そこは昼間でも薄暗く、砂に脚を取られてまともに動くことも出来ない。

 兄貴肌がここで狩猟笛を出したのは、まだ地面を踏みしめることができる今の場所へディアブロスを誘導しようとしたからだ。

 

「わかりました。私は右の死角に入ります」

「なら俺は上だな。もし相手が突っ込んでくるようならそのまま取り付くぞ」

 

 ダークは左にある高台へ登った。そこは平均的なディアブロスの全高よりもやや高く、乗りを狙うには最適な高さである。

 

「いくぜ、盾から顔を出すなよ!」

「御意」

 

 兄貴肌は後ろで待機している盾持ちへ忠告する。狩猟笛の咆哮を至近距離で受ける盾持ちは、兄貴肌の後ろで大盾に隠れている。さらに耳を塞がなければいけないのは、兄貴肌の狩猟笛は並の音量ではないからだ。

 盾持ちが耳を手で完全に塞ぎ、ダークとマイペースがハンドサインで準備完了を合図した。

 

「スゥ…フゥ……スゥ…フゥ……」

 

 兄貴肌は大きく呼吸を繰り返して肺を慣らす。ディアブロスの鳴き声をそっくりそのまま再現できるように調整された狩猟笛は、呼気も多大な量が必要になる。

 

「……!!!」

 

 直後に響いたのは、まさにディアブロスの咆哮であった。

 あまりにもその音色が似すぎていたため、盾持ちは驚愕し全身の毛が逆立ってしまったほどである。

 その音色を出し切った後、兄貴肌は荒い息を整えながら狩猟笛を構え、盾持ちがすぐに前へ出た。だが――

 

「…………?」

「動きが無い?」

 

 兄貴肌が放った狩猟笛の音は、間違いなくディアブロスのそれであった。だがいくら待っても本物のディアブロスは何の反応も示さなかった。

 位置的に洞窟内部が見えないマイペースがダークへチェックのサインを送るが、ダークの位置からも動きは見えない。

 

「妙ですね、縄張り意識が強いディアブロスらしくない……」

「ふぃ~! おいおいおい!この俺の会心の音色が似てないって言いたいのか!? ええッ!?」

 

 呼吸が落ち着いた兄貴肌が、姿を見せないディアブロスへ憤慨しながら吠える。もし洞窟内にディアブロスが居るならその声は確実に聞こえているはずだが、一向に反応は無い。

 

「もしかして最初からおらぬのでは?」

「まさか! 朝に警備班が観測してるんだぜ? 瞬間移動でもしたって言うのかよ?」

「…………」

 

 再び4名が集まり作戦会議を行う。

 

「俺が先行して偵察してこよう」

「えっ!? 危ないですよ!」

「その通りだよ! ここは警備班も呼んで洞窟の左右から挟み撃ちにするべきじゃないか?」

「そんな時間があるのか?」

「それは……そうですが……」

 

 マイペースと兄貴肌は反対したが、ダークの短く鋭い一言で押し黙った。防御が出来ない二人が向かうのは得策ではないし、逆に防御しか出来ない盾持ちが先行するのも間違っている。

 今はとにかく時間が無いのだ。既に空は赤く染まり切っていて、呑気に作戦を考えている暇は無い。

 

「だがBチームとランサー隊はここまで前進させてくれ。捕獲が完了次第そのまま捜索を行う」

 

 ダークは関所まで後退している他のチームをここまで前進させるよう指示を出した。ディアブロスの居場所を突き止めるためには、目の数は多いほど有利だからだ。

 

「分かりました。お気を付けて……」

「ゲホッ! すぐに戻るからな!」

 

 マイペースと兄貴肌、盾持ちは関所への道へ走って行った。

 再び一人だけになったダークは、頭の片隅に置かれていた憶測が急速に膨らんでいくことを実感しながらディアブロスの縄張りへ降りて行く。

 

「死んでいる……?」

 

 洞窟のさらに奥へ下る道の途中で、ディアブロスがうつ伏せで倒れていたのである。

 まるで前のめりに転倒したような姿勢でいるディアブロスは、全く動く気配を見せない。

 

「いや、麻酔で失神しているだけか……」

 

 頭の方へ回った時、ダークはディアブロスの首筋に刺さっているナイフを発見した。

 グリップの部分に捕獲用の麻酔薬が塗られていることを示す朱色の印があるため、麻酔ナイフであることは間違いないだろう。

 

「首筋に一発……か……」

 

 ディアブロス得意の突進攻撃の勢いを利用され、ナイフの威力を相対的に高められてしまったのだろう。止まっている状態では皮膚を貫けなくても、突進している相手であれば、倍のスピードでナイフを放つのと同じ状態になる。だが、万が一そのナイフを外してしまった場合は突進が避けられないことを意味する。このディアブロスを捕獲した者は、自分に向かって突進してくるディアブロスを正面から麻酔ナイフ一発で仕留め、それを外さない自信があったということになる。

 既にダークにはこの芸当が出来る者が分かっていた。もしこの場に他の者が居ても同じ結論を出しただろう。

 失神しているディアブロスの正面にはさらに奥へ下る道がある。上層から絶えず砂が流れ落ち、『流砂の滝』とも呼ばれている場所は、ディアブロスの寝床として有名である。

 

「探したぞ」

 

 その場所に一人佇んでいたのは、調査団の剣豪、まさにソードマスター本人であった。

 

「……其方か」

 

 二期団の親方からは『芸術品』と称される防具は、徹底的なまでに改造が施されたものだ。動きに邪魔な部分は大胆に削られ、逆に剣士の死角となる背後は頑丈に補強されている。

 身体に完全に馴染んでいるそれは、もはや防具ではなく体の一部とも言うべき物になっていた。だが、それを身に付けた男自身が力なく地べたに座っているのは老齢による衰えではなく、何もかもに疲れきったような姿としてダークの印象に残った。

 

「捕獲任務は終わったのであろう?」

「ああ、調査班の捕獲は終わった」

 

 ダークは戦闘態勢を崩さないまま、ソードマスターへ語り掛ける。

 

「クルルヤック、ジュラトドス、ボルボロス。物資輸送の障害になる可能性があるモンスターは全て捕獲済みだ」

「ならば拠点へ戻るとするか。見ての通りディアブロスは某が捕獲した。皆には要らぬ心配を掛けてしまった」

 

 ソードマスターはそう言って立ち上がった。

 

「いや、まだだ」

「…………」

 

 ダークはソードマスターではなく、流砂の滝を見ている。

 

「任務はまだ終わっていない」

「…………」

 

 流砂の滝を凝視したまま、ダークは多くを語らず動かなかった。

 

「…………」

 

 もはやその二人に言葉は必要なかった。

 ダークがこの場へ辿り着いたのは『感』ではなく、深く鋭い推理によるものだった。ソードマスターはそれを察したからこそ、自分のやるべきことを理解していた。

 ソードマスターは得物である太刀の鞘を2回、砂へ叩くように鳴らした。

 

「分からぬ……」

「…………」

 

 その鞘の音を聞きつけ、流砂の壁から現れた存在。

 炎王龍テオ・テスカトルは、先日のクシャルダオラと同じく全身に傷を負っていた。

 だが、それらの傷全てがネルギガンテによるもので無いことをダークは知っている。

 

「分からぬのだ……」

 

 因縁の宿敵。

 ソードマスターの生い立ちを知る者はそう表現するだろう。だが当の本人達は、そんな一言で済ませられる関係ではなかった。

 

「俺からの助けは無しだ。決着は自分自身の手で付けるんだな」

「某は……」

 

 最初は、殺意に満ちた邂逅だったという。

 人々に仇なす者、縄張りを侵す者。お互いがそう認識した状態で繰り広げられた最初の戦いは引き分けに終わった。若きソードマスターは兜を抉られ、炎王龍は角を折られた。

 不本意な形で終わった初戦を日切りに、ソードマスターと炎王龍は何度も戦い合った。時には火山で、時には砂漠で、またある時は高い塔の上で。激動に満ちた短い月日でも決着は付かず、新大陸へと戦いの場は移った。

 

「俺が合図を出さない限り調査班も警備班もここには来ない」

 

 テオ・テスカトルは身体に付いた砂を振り払う。だが、ダークにもソードマスターにも戦意は見せなかった。

 

「……なぜここが分かった?」

「単純な引き算だ。テオ・テスカトルの所在が不明になっていても、ある程度の検討は付く」

 

 ダークは自身の推理を語り始めた。

 

「状況が鋼龍の潜伏事件と酷似していたからな。いつもと変わらぬモンスター達、荒れていない天候。クシャルダオラの時と違ったのは、ここのディアブロスがテオ・テスカトルを匿おうとはしなかった事だ」

 

 大蟻塚の荒地が先日の古代樹の森の状況と同じであることにダークが気付いたのは、ソードマスターが行方不明になったと連絡を受けた時であった。

 ソードマスターが独断で行動することは、古龍に関連する可能性が極めて高い。しかもそれが誰にも連絡されないとなれば、相手が因縁深い炎王龍であることはすぐに気が付く。

 

「ここに炎王龍が居ると調査団の誰もが気付かなかったのは、匿っていたのが調査団だからこそできたことだ」

 

 このディアブロスの寝床は、炎王龍を匿うには最高の場所だろう。

 凶暴と言われているディアブロスの寝床に近づく者は調査団くらいしかいない。その彼らも導蟲を所持しているが、流砂の滝という物理的な障害物が存在すれば、匂いを感知したとしてもハンターを導くことが出来ない。

 調査団の監視の目を潜り抜けることができたのも、その監視任務を指揮している者が匿おうというのだから、いくらでも抜け道がある。

 だが、完璧とも言える偽装工作は一人の青年によって見破られてしまった。

 捕獲任務のためにこの場所へハンターが集まってくることを危惧したソードマスターは、任務中に隙を見てディアブロスを捕獲してしまおうと行動した。たった一つだけの不自然な行動が、青年を真実まで引き付けてしまったのだ。

 

「うまく痕跡も消したようだが……だからこそだ。状況・痕跡・証言。完璧に炎王龍を匿えば匿おうとするほど、答えは絞られていった。数学には答えが一つしかないからだ」

「……さすがは暗号持ちの男。そこまで見透かされてしまうとはな」

 

 ソードマスターとテオ・テスカトルは、相対したまま動かない。

 

「急いでくれ。いくら俺の合図が無ければ動かないとは言っても、限界がある」

「分かっている……」

 

 ソードマスターは、迷っていた。

 かつて戦い合っていた頃の勇ましさはどちらにも無い。今の両者にあるのは、遠い昔の激闘に対する懐かしさだけだった。

 望んでいたはずの炎王龍との決着。数え切れぬほどの戦いを繰り返しているうちに、ソードマスターと炎王龍の間には、乾いた友情とも言えるべきものがいつの間にか出来ていた。

 互いにそれを自覚しないまま戦い続けていたが、ある時ソードマスターは初めて戦いを見送った時がある。

 炎王龍と炎妃龍が共に居るのを見てしまった時だ。

 ソードマスターの実力は、その時既に全盛期とでも言うべき域に達していた。いくら二体の古龍と言えど連携を取ることに慣れていない炎王龍と炎妃龍では、逆にソードマスターが有利であった。炎妃龍を炎王龍の攻撃の盾にしたり、『足手纏い』にさせることで炎王龍の行動を制限させることなど、炎王龍単独では出来ない戦法が無数にある。

 だが、ソードマスターは戦いを挑まなかった。宿敵である炎王龍が炎妃龍を愛し、子孫を残そうとしているところに剣を向けるのは卑怯だと思ったからだ。その瞬間に、ソードマスターは狩猟の成功のためなら手段を択ばない『狩人』から、義を重んじ正々堂々と戦う『戦士』になった。その変化は、炎王龍と炎妃龍が新大陸へ渡ってしまうまで続いた。

 

「…………」

 

 顔の見えない兜を被っていても、ダークはその下にある表情がどうなっているのか想像がついた。

 ソードマスターと炎王龍。最初は互いに不愉快な相手と言える程度の関係が、いつしかしのぎを削り合う好敵手となり、そして今は自身の生き様を共に過ごした親友となってしまった。

 だが、その関係に決着を付ける時が来た。

 ダークとソードマスターがここに炎王龍が居る事実を黙っていても、いずれは選りすぐりのエリート集団である五期団に見つかり監視命令が出るだろう。そうなってしまえばソードマスターでさえ手を出すことは出来ない。逆に炎王龍が強く抵抗するようであれば、調査団は総力を挙げて討伐する事になってしまう。

 放置不可能の高い脅威かつ撃退が不可能と判断されるまで、新大陸調査団には古龍の殺害を禁じる独自の狩猟規則が存在する。調査団が古龍を積極的に討伐しないのは、古龍渡りの貴重な手掛かりである事が理由にある。アステラはあくまで『調査拠点』であり、人間の街や村が存在しない新大陸では、古龍を討伐してもほとんど意味が無いのである。

 

「どちらを選んでも後悔するであろうな……」

 

 まだ炎王龍の居場所が知られていない今ならば因縁に決着を付けることが出来る。ダークが待機命令を出しているためにここまで警備班や調査班が来ることは無いが、ソードマスターが行方不明だと思い込んでいる皆を抑える時間には限りがある。

 ソードマスターに残された選択は二つ。

 戦士として、宿敵であり親友でもある炎王龍と一対一で決着を付けるか、狩人として調査団へ炎王龍の居場所を知らせるか、どちらかしかない。

 

「ああ……そうだな……」

 

 ダークにもソードマスターの気持ちはよく分かっている。だからこそ、調査班と警備班を中に入れなかった。

 ソードマスターを見つめる炎王龍の目は穏やかであった。それはまるで、ソードマスターに討伐されたとしても悔いは無いと言っているかのようであった。

 

「…………」

 

 太刀を持つ手が震えている。だが、何時まで経ってもその剣は抜かれない。

 過去は簡単に抜いて振るうことが出来た太刀が、自身の迷う心に憑依されたかのように重く、冷たくなっていた。

 しかし、時間は止まらない。外から聞こえた突然の叫び声で、凍り付いた時間は再び動き始めた。

 ダークはすぐに異変に気付いた。

 ソードマスターと炎王龍も、外で待機している調査団のメンバーの大声を聞いた。

 その声は1人ではない。微かに意味を聞き取れた、ハンターへ位置を指示する声や退避の指示。

 ディアブロスの縄張りの外で待機していた調査班と警備班が、何かと交戦しているのだ。

 

「俺は戻るぞ」

 

 突然の緊急事態に、ダークはソードマスターを置いて飛び出した。

 ソードマスターもそれに続こうとしたが、脚が動かずにその場に立ち尽くしてしまった。

 

「某が今成すべき事は……」

 

 炎王龍がソードマスターの傍らまで近づく。

 炎妃龍の藍色に似たその目は、これから炎王龍がすることを伝えていた。

 



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狩人の太陽

 ダークが中央エリアへ戻った時、その予感は的中した。

 

「ネルギガンテか……!」

 

 滅尽龍ネルギガンテが、この場で待機していた調査班を蹴散らしている最中であった。

 

「散開!散開!逃げろ!」

 

 誰かも分からない叫び声がダークの耳に届く。

 以前にクシャルダオラへ迫った時のように、ネルギガンテは調査班にも奇襲を仕掛けたが、ケガ人が出た様子は無い。

 相手が古龍ではなく大勢の人間であったために、逆に狙いが定められなくなってしまったようだ。

 

「旦那さん!」

「態勢を立て直せ!」

 

 ダークは近くの草むらに隠れていたアポロを見つけると指示を出した。今は混乱状態に陥った調査班を立て直すことが最優先である。そのためには牽制が必要だ。

 

「…………」

 

 ランスの盾を構えながら、ダークは一歩ずつ前進する。

 ネルギガンテがダークの方へ向いた。右往左往している人間ばかりの中からこちらに前進してくる人間を見つけたネルギガンテだが、その顔を見て一瞬動きが止まった。

 

「気付いたか?」

 

 古代樹での初戦は短刀での戦いだったが、今のダークはランスを装備している。ネルギガンテには十分対抗できる武器だ。

 先に仕掛けたのはネルギガンテである。素早く間合いを詰め、右腕でダークを殴り付ける。

 ダークは盾を持つ右腕に力を入れ、その攻撃を外へ受け流した。丸い曲線を描いている盾の表面は、衝撃を受け止めるのではなく受け流すことに特化した形状である。その設計どおり、ネルギガンテの拳は盾の表面を滑ってしまった。

 ダークもすぐさまカウンターを叩き込む。ランスの先端を首筋目掛けて突くが、その攻撃は表皮で滑ってしまった。

 再生する棘が目立つために忘れがちだが、硬いながらも滑らかな外殻を持つネルギガンテに対し、ランスの攻撃は少しでも角度が悪いと滑ってしまうのである。

 

「ダークさんよ! こっちも反撃するぜ!」

「仕掛けますよ!」

 

 ダークの左前方、サボテンが群生しているところに兄貴肌が、そして右前方にマイペースが橋のような地形の下に隠れている。さらに離れた複数の場所には、ランサー隊とBチームがいつでも前に出られるように隊列を組んでいた。一度は混乱に陥った調査団だが、僅かな時間で態勢を立て直した。さすがはエリート集団の新大陸調査団である。

 ネルギガンテは依然としてダークに攻撃を仕掛けている。その爪と筋力を持ってしても、分厚い金属の盾には薄い傷が付くだけで突破することが出来ない。一方のダークも防御するだけで手一杯である。

 僅かな隙を見つけてはカウンターを繰り出すが、やはり硬い棘や外皮に弾かれてしまう。

 その時、サボテンの影にいた兄貴肌がダークへハンドサインを出す。それが何を意味するかは、ダークにはすぐ分かった。

 一気にネルギガンテから距離を取ったダーク。不意に行われたその行動にネルギガンテは一瞬警戒したが、すぐに追撃を仕掛けようと距離を詰める。その瞬間に、ネルギガンテは背後からディアブロスの咆哮を受ける。

 至近距離から放たれたディアブロスの咆哮に、ネルギガンテは驚いて向き直る。当然その先にはディアブロスなど居ない。兄貴肌が放った狩猟笛の音だからだ。

 

「よそ見!」

 

 隙を見逃すはずも無く、マイペースは弓を構える。装填されているのは貫通矢である。

 十分に引き絞られた弓から放たれる矢。鋼鉄で出来た鋭利な矢だが、ネルギガンテの外皮には無数の棘がある。硬い鱗を貫通するはずの矢は、複数の棘に阻まれて威力が大きく落ちた。

 鱗に弾かれた矢が落ちるよりも先に、ネルギガンテがマイペースを睨みつける。だがマイペースも新大陸調査団に選ばれたハンターである。全く臆することなく場所を変えようとする。

 

「喰らいな!」

 

 ダークとマイペースに意識が向いたことを確信した兄貴肌は、高台から跳躍し狩猟笛を叩きつける。

 翼に生えていた白い無数の棘がこの一撃で吹き飛ぶ。死角からの不意討ちに、ネルギガンテは怯んだ。

 さらにそこへ追撃を掛けるべく、ダークはランスを構えて全速で走る。

 走る勢いを加えた突進の力が、ランスの先端ただ一点に集中する。砂漠地帯ほど足場が悪くない中央エリアでは、その突進を邪魔するものは何もない。

 だが、3人に囲まれている状況は危険と判断したのか、ネルギガンテは一瞬で空へと跳躍した。全身の筋力を用いた跳躍の前に、ダークのランスは空を貫く。

 

「北だ! 砂漠地帯!」

 

 ネルギガンテは中央エリアの北、ちょうどディアブロスの縄張りの真上である砂漠地帯へ移動した。そこは北側にフィールド名の由来である巨大な蟻塚が存在する場所である。ネルギガンテはその方面で待機していたランサー隊の上空を通過した形になった。

 

「くそッ!よりによって砂漠地帯かよ!」

 

 狩猟笛を担いだ兄貴肌が吐き捨てる。ダークとマイペースもその砂漠地帯に向かおうとしたが、そこは砂漠地帯の名の通り深い砂場である。重い狩猟笛を持っている兄貴肌は既に脚が砂へ埋まりかけていた。

 

「ここは我々が行きます!」

「頼む!」

 

 ランサー隊のチームリーダーと思われる男が、部下3人を引き連れて砂漠地帯へ向かう。

 

「奴は武器の性能を把握し始めている。気を付けろ!」

 

 ネルギガンテに休息する間を与えないため、戦闘部隊がAチームからランサー隊へ交代された。

 砂漠地帯という不整地はブレス系の遠距離攻撃を持たず、肉弾戦のみで戦うネルギガンテにとって本領を発揮しずらい場所である。しかし、敢えてそこを選んだのが武器の性能を抑制するためならば、ネルギガンテは不利を承知で誘い込んだということになる。

 

「どうする!? このままじゃあ埒が明かんぜ!」

「ですが4人以上で向かえば同士討ちが出ますよ!」

 

 兄貴肌とマイペースが意見をぶつけ合う。捕獲任務で対古龍戦の装備や物資を持ち合わせていない今の調査班には、流れを変える術が無かった。

 だが、調査団に撤退という選択肢は無い。一帯の大型モンスターを全て捕獲してしまった現状、ネルギガンテを放置することは大蟻塚の荒地を完全に明け渡してしまうことになる。また、古代樹の森に比べて離れてはいるが、拠点の傍にネルギガンテが縄張りを持つのは極めて高い脅威になる。

 

「あの……旦那さん、これ……!」

 

 ダークへアポロが声を掛ける。遠慮がちな声で差し出されたその手には、まさにこの状況を打開するものが握られていた。

 捕獲任務が終わった後に警備班へ支給されるはずの新兵器、音撃弾と催涙弾である。

 1発ずつしかないスリンガー弾を握っているアポロの考えをダークは理解したが、その使用にはいくつかの課題があった。

 

「風が出てきた……」

 

 既に空は暗くなり始めている。昼と夜の寒暖差が顕著である荒地のこの時間は風が強くなりやすく、催涙弾のガスは容易に希釈されてしまうだろう。もう一方の音撃弾も、不整地で素早い退避が出来ない場所では周囲のハンターが巻き込まれてしまう。

 強力すぎる故に扱いが難しい兵器。この二つが最大効果を発揮するためには、さらに高度な作戦が必要だった。

 

「なッ……!後ろ!炎王龍だ!」

 

 砂漠地帯とは反対側で待機していたBチームから悲鳴に近い声が挙がる。

 警備班ですら存在を把握していなかったテオ・テスカトルが背後のディアブロスの縄張りから出てきたとなれば、驚かない方が不思議である。しかし、誰も攻撃をしなかったのは狩猟規則からではない。行方不明になっていたソードマスターが、まるで相棒同士であるかように傍らに立っていたからだ。

 突然現れた炎王龍に警戒し、周囲へ調査班が退避するが、ダークだけが前へ出る。

 

「いいんだな?」

「覚悟は出来ておる。今はそれよりもするべきことがある」

「……助かる」

 

 炎王龍の様子が敵対的ではないことに気付いた調査班達が前へ出てくる。

 ほとんどの者がソードマスターとテオ・テスカトルが組んでいることに驚いてはいたが、それよりも今戦っているネルギガンテの脅威を実感した。

 長き因縁の者同士が組まなければならぬ程の相手。ネルギガンテはそれほど規格外の存在なのだ。

 

「全員集まってくれ。作戦を説明する」

 

 

――――

 

 ランサー隊は不利を痛感していた。

 ネルギガンテも砂に脚を取られることが少なくなかったが、四肢で駆け翼で飛翔できるネルギガンテより、二足で大地に立つ人間が不利になるのは明らかだった。

 それでもランサー隊が無傷だったのは、ダークが使用していたランスよりも遥かに性能が良い物であることと、日頃の訓練で鍛えた連携が効果を発揮していたからだ。

 

「皆の者下がれ!」

 

 後方から現れたその人物は、紛れもなくソードマスターだった。

 行方不明になっていた彼が現れたことに驚きながらも、チームリーダーは目の前の脅威に集中する。

 

「御無事でしたか!」

「暗号持ちが策を巡らせている。中央エリアまで撤退するのだ!」

 

 ソードマスターに、もう迷いは無かった。

 一瞬で抜かれた刀身が放つ鈍い光沢。それは見ただけで背筋を斬られる錯覚を覚えるほど、見事な太刀である。

 

「撤退!私に続け!」

 

 ランサー隊のリーダーはすぐに指示を出した。エリアに広い陣形で展開していたランサー隊は、砂に脚を阻まれながらも素早く撤収を開始する。ネルギガンテもそれに気付くが、斬撃で腕の棘が斬られたことに驚き、脚が止まった。

 

 ――――ネルギガンテは炎王龍とソードマスターという『餌』に喰いつくだろう。

 

 ダークの作戦が成功するかは、ここで足止めできるかにかかっていた。

 ネルギガンテが反撃の爪をソードマスターに振るう。しかし、さらに大きな衝撃で不発になった。

 それは炎王龍の加勢である。空高くから勢いを付けた体当たりに、さすがのネルギガンテも大きく吹き飛ばされる。 

 

 ――――時間を稼いでもらう間、Aチームは真下のフロアで待機する。

 

 ソードマスターは後ろを確認する。そこには、ネルギガンテの注意が向かない位置でこちらを見ている兄貴肌とアポロ、盾持ちが居た。

 まだ準備の合図は無い。

 ソードマスターはさらに追撃を掛けた。

 

「破ッ!!!」

 

 砂によってうまく体勢を戻せないネルギガンテの腕に、太刀が一閃する。再生したばかりの白い棘が再び弾き飛ぶ。

 

 ――――まもり族曰く、あのエリアは吹き抜けが砂で埋まってしまっている

 

 吹き飛んだ棘に怯むことなくネルギガンテは立ち上がり、さらに追撃を掛けようとするソードマスターへ牽制の頭突きをするが、躱される。

 相手が熔山龍の時に戦った手練れの者であることに気付いたネルギガンテは、完全にソードマスターという『餌』に喰い付いた。

 

「先生!」

 

 遠くから呼ばれた声に、ソードマスターは振り返る。

 兄貴肌が下を指差し、準備完了の合図を出していた。

 

「うむ、仕掛けるぞ!」

 

 その僅かな間、ネルギガンテは接近戦を挑んできた炎王龍の首を掴み、地面へ叩きつけた後に引き摺るようにして放り投げる。

 地面をバウンドしながら大きく投げ飛ばされた炎王龍は、まともに受け身も取れぬまま地面に突っ伏してしまった。だが、ネルギガンテは一つ間違いを犯した。炎王龍を砂の山の向こう側に投げてしまったことだ。

 

「今だ!」

 

 意外なほど早く訪れた好機に、ソードマスターはアポロと盾持ちを呼んだ。兄貴肌の近くに隠れていた二匹は、オトモスリンガーを押しながら砂漠地帯へ全速で走る。

 

 ――――隙を見つけたら……アポロ、君が音撃弾で奴の平衡感覚を奪うんだ。

 

 ネルギガンテは炎王龍を投げ飛ばした反動で脚が砂に深く埋まっていた。すぐに飛び立つことが出来ないと見たソードマスターは、ここで作戦の賭けに出たのだ。

 アポロが押すオトモスリンガーは、持ち運びのため徹底的に軽量化された道具である。アポロ自身も体重が人間より遥かに軽いこともあり、砂の上でもスピードが落ちない。

 

「う、撃ちますニャ!」

 

 ダークが先程指南した通り、アポロはオトモスリンガーをネルギガンテの頭よりやや上に狙いを付ける。

 ネルギガンテがアポロを睨みつける。だが、見慣れぬ武器を構えていることに気付き一瞬怯んだ表情を浮かべた。

 

 ――――音撃弾で身動きを封じ、合図で下から吹き抜けを崩す

 

 その音は、大蟻塚を飛び越えアステラまで響いたという。

 音のみならず、炸裂した衝撃波がアポロを襲う。横向きに打ち付けられる大量の砂を盾持ちがガードした。もしもアポロではなく人間が投擲していたら、伏せたとしても気絶していただろう。音撃弾の攻撃にアポロが選ばれたのは、盾持ちの大盾に隠れられるからだ。

 ソードマスターも地面に伏せる防御姿勢を取ったが、兄貴肌の狩猟笛の合図に気付かなかったほどの耳鳴りがする。

 

 ――――上と下のタイミングを合わせるために、狩猟笛で合図を出す

 

 ソードマスターは兄貴肌の合図には気付かなかったが、地震のような揺れには気付いた。

 大盾という防御壁が存在したアポロと盾持ちは、多少の耳鳴りだけで済んだようである。また炎王龍も砂の山の向こう側に居たことで、音撃弾の影響は最低限で済んだ。

 唯一の例外は、ネルギガンテである。砂漠地帯の中央には、音撃弾によってまともに立つことすら出来ないでいるネルギガンテが居た。徐々に揺れが大きくなっていることに焦り、そこから飛び立とうとするが、体が言うことを聞かずに倒れ込んでしまう。

 その瞬間、砂漠地帯に巨大な穴が空いた。

 ネルギガンテが真下のエリアに落下するほどの巨大な穴は、荒地の強風によって積み重なった砂によって完全に隠れていたのだ。マイペースの弓が下から突き刺すように繰り出された狙撃と、アポロの音撃弾による振動で天然の落とし穴が出現したのである。

 

 ――――洞窟の中は風通しが悪い。催涙弾の効果を最大限に発揮できる場所だ

 

 洞窟内。マイペースとダークが武器を構える前方で、ネルギガンテはもがいていた。

 音撃弾と落下のダメージを受けたとはいえ、それは一時的なものである。さらなる追撃が必要だった。

 

「撃ちます!」

 

 後方で待機していたランサー隊の女性が、スリンガーに装填された催涙弾を構える。

 

「全員、息を止めろ! ……撃て!」

 

 ダークの合図で、女性は催涙弾を撃った。

 まだ頭がハッキリしていないネルギガンテは、催涙弾を撃とうとする者たちに気付けなかった。

 遠くで聞こえたスリンガーの弦の音。ネルギガンテは再び音撃弾の攻撃と思い身を伏せた。しかしその弾は音ではなく、無色透明な液体を周囲に拡散した。

 その液体を直接浴びなかったのは、ネルギガンテにとって幸運だっただろう。

 炸裂した瞬間に襲い掛かる、視覚と嗅覚への刺激。ネルギガンテの悲鳴に似た咆哮が洞窟へ響く。

 

「……ウッ! 下がって!ガスがここまで来てます!」

 

 マイペースが顔を抑えて身を翻す。だが、ダークは下がらなかった。

 

「まだだ、奴はまだ戦う気だぞ!」

 

 ネルギガンテはまだあきらめていなかった。

 催涙ガスが充満する洞窟内で、しきりに周囲を探るようなしぐさをしている。既に二つのスリンガー弾によって、嗅覚・視覚・聴覚は麻痺しているはずである。

 信じられないことだが、ネルギガンテは正確にダークの方向を向いた。

 

「撤退だ!全員撤退!」

 

 ダークは周囲へ指示を出すが、自身はそれとは逆の行動をしていた。

 目を閉じ、息を止めランスを構える。

 催涙弾の効果はネルギガンテに確実に効いているが、この環境で戦闘を継続することはできない。これがお互いに最後の一撃だった。

 ダークは全速で走る。呼吸を止めていても、目をつぶっていても、最後に見た光景と音で相手の位置が分かる。ネルギガンテも何かを頼りにダークの位置を掴み、その腕を構える。

 交錯するランスと黒い腕。

 

「……!!!」

 

 ランスが宙を舞った。ネルギガンテが放った拳は、ダークのランスだけを吹き飛ばしたのだ。

 だが、ダークにはまだ大盾があった。

 ランスが吹き飛んだ角度・速度を瞬時に計算し、ネルギガンテの頭があるはずの位置へ大盾を殴り付ける。

 勝ったのはダークだった。

 顎の部分を殴られたネルギガンテは大きく怯み、さらに催涙ガスを吸い込んでしまった。これ以上戦うと負けると判断したのか、ネルギガンテは洞窟側面に空いている大峡谷への穴へ飛び込み、一気に荒地から飛び立って行った。

 

「…………」

 

 ダークはその姿を見ることが出来なかったが、消えたネルギガンテの気配に安堵した。

 そして、止めていた呼吸を再開する。

 催涙弾による痛みではない、麻酔のような感覚に身を任せながら、ダークは意識を手放したのであった。

 




【解説】


・白色スカーフ
調査団へ敵対的ではないことが司令部に承認された個体に付けられている識別アイテム。
対象に制限は無く、輸送班が使役しているアプトノスやメルノスはもちろん、古代樹での事件後に承認された肉食竜であるリオレウス・リオレイアにも与えられた。
このスカーフはハンターの誤認による攻撃を防ぐという役割以外にも、身に付けているモンスター同士が互いに戦闘を回避するか? という研究目的もある。

・ランサー隊
アステラ~大蟻塚の荒地方面を担当している警備班の実戦部隊。
ハンターにとって不利となる地形が多い大蟻塚の荒地にて、全域で任務をこなすことが可能なランスを標準装備している。
各隊員の練度が非常に高く、一般隊員でも連携さえすれば古龍を相手に時間稼ぎを行うことができるほどの実力を持つ。
当然ながらガンランスの技術も一流だが、砂が故障の原因となるため普段は信頼性に優れたランスを愛用している。

・荒地のまもり族
新大陸の原住民である獣人部族のひとつ。
砂が吹き荒れる過酷な環境と、隠れる場所が少なくモンスターと正面から戦うことが頻繁にあったという歴史を持つ。それ故に部族内の団結力が強く、勇敢で義理に厚い者が多い。
現在は新大陸調査団によって食料不足に陥ることも、危険なモンスターに追われることも少なくなったために、その恩返しとして積極的に調査に協力している。
部族名の由来でもある大盾は金属製の盾と遜色のない強度を持ち、可塑性にも優れる。
また、層ごとに材質が異なる多積層構造になっている。あまりにも高度すぎる製法であるため、研究班と技術班による共同調査が予定されている。

・狩猟笛
ハンターが使用する武器の一種。
打撃武器であるハンマーと、遠く離れた相手へ合図を出す角笛を融合させた武器。
角笛の欠点であった単調な音色を改善し複雑な音色が出せるため、離れた仲間へ複雑な合図を送ることが出来る。
中にはモンスターの鳴き声を模倣するタイプも存在し、縄張り意識が強いモンスターには特に高い効果を発揮する。
打撃武器としての技量と音楽の知識が同時に求められるため、使いこなせる者は少ない。
しかし、離れていても高度な連携を取ることができるという恩恵から、この武器を使用する者に憧れるハンターも多い。

・スリンガー音撃弾
二期団が開発した音爆弾の改良型。非殺傷タイプ。
高周波で相手を驚かせる音爆弾は、効果を発揮するモンスターが非常に少なく、安定して入手できない『鳴き袋』を素材として要するために生産性も低かった。
技術班に補充された五期団がユクモ村の名物である花火に関するノウハウを習得していたため、その技術を転用して開発された。
炸裂すると極めて大きい爆発音が発生し、眩暈や平衡感覚の消失を引き起こす。
あまりの威力に発射した者まで影響を受けるため、今後は火薬量を調整する研究が開始される予定。

・スリンガー催涙弾
同じく二期団が開発したスリンガーこやし弾に代わるもの。非殺傷タイプ。
食料や薬品を入れるアイテムポーチにモンスターの排泄物を入れるという精神的・衛生的な問題と、興奮状態のモンスターには効果が出にくいという問題を同時に解決した新型アイテム。
森の虫かご族が採集中に寄って来る害虫を追い払うために使用していた煙を濃縮し、揮発性の高い液体に混合して充填する。
炸裂すると瞬時に催涙エキスが気化し、目や鼻、舌に強い刺激を与える。
殺傷力こそ無いものの、長時間吸引すると意識を失うほどの威力を発揮する。そのため地形や風向きに注意して使用しないと発射した本人もダメージを受けてしまう。



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第三章:蒼い炎を見る者
古代の証人



大蟻塚の荒地での任務中、再びネルギガンテの強襲を受けた新大陸調査団。
ソードマスターとテオ・テスカトルの援護と偶然アポロが所持していた新兵器によってネルギガンテの撃退は成功し、龍結晶の地への物資輸送ルートは確保された。

遠征の時が間近に迫る中、総司令はダークへ問う。
「君は新大陸へ何の目的できたのだ?」
しかし、その直後に陸珊瑚の台地より緊急の救難信号が上がる。

炎妃龍の救いを求める声に応えるのは、善意か悪意か、希望か絶望か、黒き闇か白き風か。
全てを知る者は、まだ姿を見せない。


「どうぞ。開いている」

 

 ドアをノックする音は滝の音のせいで聞こえづらい。水車によって減音されているとはいえ、その返答の声も大きくなりがちである。

 

「失礼する」

 

 新大陸に到着してまだ日が浅い五期団。現在の彼らはベッドの数を揃えることを優先した二等マイハウスで寝泊まりしている。正式な住居は派遣に使用された船を分解して建造するため、完成までの日程は長い。

 しかし、五期団と共に訪れたその青年には新築の住居ではなく、幹部達と同等の個室が手配されていた。

 一等マイハウスと呼ばれるその部屋は、アステラの中央へ落ちる滝の側面に並んでいる。

 アステラではスペースが限られているため、一等マイハウスはどこもワンルームの間取りである。老朽化も進み、滝の騒音も影響してか東側の居住区に比べてイマイチ人気は無い。しかし専属のルームサービスが付くのはここだけであるため、実質的に幹部達の部屋が集まっていた。その部屋を覗くと、書類が山積みになっていたり試作中の装備が置かれていたりと、狭いながらもその雰囲気は部屋の主によって大きく変わるものだ。

 しかし、ダークの部屋はどこか殺風景であった。

 新大陸調査団の規則では、危険物や生態系を乱しかねない物 ――植物や虫など―― でない限り、現大陸から私物を持ち込むことに制限は無い。

 調査員達は誰もが家族の絵画や手紙、縁起物といった思い出の品を持ってきていたが、青年の部屋には少数の着替えと片手で運べる程度の資料があるだけだ。そしてルームサービスも居ない。

 身元を特定できる物が一切存在しない部屋。その部屋へ、総司令が一人訪れたのであった。

 

「進捗はどうだ?」

 

 部屋の主である青年、ダークの質問に総司令は答える。

 

「物資の輸送準備は90%まで進んでいる。あとは日持ちする干し肉などの熟成を待つだけだ」

 

 ダークは枕を背もたれにした状態でベッドに座っていた。その手には『五匹の龍の物語』がある。

 催涙弾のガスが充満している中、暗号持ちのハンターが全くの無視界・無呼吸でネルギガンテと戦ったという噂は、既にアステラへと伝わっていた。

 確かに、目をつぶり呼吸をしなければスリンガー催涙弾は全く効果を発揮しない。調査団の中には暗号持ちの実力を過小評価していた者も存在したが、その狩猟の内容を聞いた者は例外なく絶句した。同じことをやれと言われても、誰もやろうとはしないだろう。

 ネルギガンテの撃退に成功した直後に呼吸の限界が来て倒れてしまったダークだが、意識が回復したのは失神後のわずか数時間後だった。

 驚異的な体力だが、新兵器である催涙弾に副作用があるかもしれないという技術班の進言によって、ダークはしばしの休息を取っていた。

 

「そうか……ソードマスターは?」

「今は闘技場にて監視員として寝泊まりしている」

 

 二回目のネルギガンテ襲撃の後、テオ・テスカトルは大蟻塚の荒地に近い闘技場へと収容されていた。

 闘技場とは新大陸で捕獲したモンスターをハンターと戦わせ、実戦データを収集するという目的で建造された場所である。

 しかしモンスターもハンターも、そこへ運ぶには船を一隻使わなければならない。モンスターを運ぶには人手と手間が非常に多くかかるために、誰もそんな暇が無いという事でハンターのトレーニング場所や二期団が開発した武器装備の実験場として現在は利用されている。

 その闘技場への炎王龍収容作業は慎重に行われた。アステラにはクシャルダオラが居るために、発覚した時に何が起きるか分からないという懸念があったからだ。しかし、その心配は既に微塵も無くなっていた。

 収容した直後にクシャルダオラが感づいたらしく、闘技場へと飛来したのだ。調査員達は古龍同士の戦いが始まるのでは? と大いに慌てたが、その二匹は特に争うことは無かった。

 むしろ、クシャルダオラが冷やかしに来たような印象さえあったという。

 

「あの二匹に関してはソードマスターと調査班リーダーに任せている。今のところ互いに争う様子はない」

「だろうな。ネルギガンテという共通の天敵が存在する内は心配ないだろう」

 

 古龍を喰らう古龍、ネルギガンテの力は恐るべきものがある。

 研究班の分析により、クシャルダオラとテオ・テスカトルの傷はほとんど同時刻に受けたものであると結論付けられていた。闘技場での二匹の様子を見る限り、三つ巴であったことは考えにくい。つまりそれは、2対1という数で有利な状況でも勝てなかったことを意味する。

 さらにネルギガンテにはほとんど傷が無かったことを考えると、戦いは一方的な展開であったことは容易に想像できる。

 ダークが近くのテーブルに乗っていたコーヒーを一口飲んだ後に、総司令が間を置いて尋ねた。

 

「二人きりになっている今聞いておきたい事がある。君は何の目的で派遣されたのだ?」

「……本国が当て付けで俺を派遣したと思っているのか?」

「そうだ」

 

 総司令は不機嫌そうにダークを見る。その苛立ちはダークに対しての感情ではない。ダークの『背後』にいる連中に対してである。

 

「悪い意味で違うな。派遣の理由が『当て付け』なら俺も気が楽なんだが」

 

 ダークは苦笑して手元の本を総司令に渡す。

 

「五匹の龍の物語?」

「そうだ。この神話に関する新しい情報がある」

 

 総司令はこの物語に強い愛着がある。著者によって文章自体は多少変化するが、内容そのものはどれも変わらない。

 

「イコール・ドラゴン・ウェポン……通称、『竜機兵』は知っているな?」

「!」

 

 総司令がその名前を聞いたのは久しぶりであった。

 まだ一期団として新大陸に派遣される前、現大陸では酒場で毎日のように聞いた噂話だ。しかし、『五匹の龍の物語』と『竜機兵』が繋がったという言葉に、総司令は強い不安を持った。

 

「あれは空想の話だとばかり思っていたが……」

「残念だがあれは実在する。俺も実物を見せてもらったからな」

 

 話が長くなりそうなので、ダークは総司令に空いている椅子を薦めた。

 

「竜機兵を?」

「ああ。ギルドナイトによって厳重に警備されているが、間違いなく古代文明時代の遺物だ」

 

 竜機兵。

 噂話によれば、それはゾラ・マグダラオスには及ばないものの、並の古龍を上回る巨体と機械化された体を持つ兵器だという。

 竜機兵1機に30体以上のモンスターが素材として使用され、その虐殺に怒った龍と人間の間で戦争が始まった――というのが、竜機兵と竜大戦の噂の内容である。

 

「古龍を滅ぼすための兵器……」

 

 総司令が呟いたこの言葉に、ダークは注意するように否定した。

 

「おっと、竜機兵は対古龍戦の兵器とは違う。別の目的で生産されたものだ」

「……?」

 

 ダークの言葉の意味が分からず、総司令は質問する。

 

「竜機兵が対古龍戦用の兵器ではない?」

「ああ。噂好きの連中は竜機兵を対古龍用兵器と連想しやすいが、違う」

 

 ダークは再びコーヒーを一口飲むと、逆に総司令へ質問をした。

 

「もし人類が持てる技術を集めて最高の兵器を作るとした場合、何が出来ると思う?」

「……分からない」

 

 総司令は素直にそう述べた。

 二期団の親方や技術班リーダーであればもっとマシな答えが出来るのかもしれないが、総司令には思いつかなかった。

 しかし、その答えはダークの苦笑で肯定された。

 

「それが正解だ。兵器には長所と短所があり、長所だけの兵器と言うのは論理的に有り得ないからだ。そもそも最強の兵器を古代人が発明し、古龍との戦争で使用されたのなら文明は滅びないだろう?」

「確かにそうだが……」

 

 兵器には必ず長所と短所が存在する。これは技術者であれば誰もが知っていることである。

 現代では対古龍用兵器の『巨龍砲』が最強であると唄う者は多いが、巨大で重い弾丸故の遅い初速、多大なコスト、低い命中精度など、比較対象が少ないために実感しにくいが欠点は多数ある。ハンターが使用する武器も、短所が無い武器など存在しない。

 兵器の開発史というのは、いかに長所を残したまま短所を補うか、という事に尽きるのだ。

 

「もう一つ。30体ものモンスターを集めて『イコール』止まりの兵器を作るだなんて、非効率極まる」

 

 そう言うと、ダークは近くのバッグから一枚の書類を総司令へ渡した。

 

「……これは!」

「竜機兵の精巧なスケッチさ」

 

 ワイヤーのようなものに吊るされたそれは、露出した体内から見える内臓、金属で補強された四肢。竜機兵の足元に描かれた人間と比較すれば、相当な巨体であることも分かる。

 その紙に描かれていた存在は、総司令が想像していた竜機兵とはまた違った雰囲気を醸していた。

 

「うまく言葉に出来ないが……どこか不完全な印象を感じる」

「その通り。こいつは修理を諦めて放棄されたものだ」

 

 ここで総司令はダークが少し前に言った『別の目的』という言葉に違和感を感じた。

 

「……君はなぜそこまで知っている? そこまでの情報を見ただけで推理したのか?」

 

 ダークが新大陸に訪れてから、アステラを取り巻く状況は劇的に変化した。

 火竜の番い、クシャルダオラ、テオ・テスカトル。元々古龍との戦いは避けられないと考えていた調査団だが、現在は考えられる形では最高の状況になっている。無論、全てを彼一人で成し遂げたわけではないが、ダークはハンターとしての実力よりも、極めて高い推理力と知識、指揮能力で任務を成功させた男だった。

 だがいくら頭の回転が早くとも、推理の元になる情報が無ければ答えを出すことはできない。竜機兵に関するダークの知識は、まるで古代文明時代の詳細を知っているかのような振舞いだったのだ。

 

「いや、この情報は推測や研究で出したものではない」

「ならばいったい……」

 

 ダークは先程渡した竜機兵のスケッチをある部分を指差す。

 

「竜機兵の足元をよく見るんだ」

「…………?」

 

 総司令は手元の紙をもう一度見た。ダークの指は竜機兵の後ろ脚に当たる部分に立つ人間を指していた。

 

「これは大きさを比較するために描いた人間ではないのか?」

「違う。その者こそ、長年ギルドが真の意味で隠蔽してきた古代文明の――」

「…………!!!」

 

 ダークの言葉の意味に気付いた時、総司令は竜機兵のスケッチを見た時以上の衝撃を受けた。

 

「――生存者だ」

「…………」

 

 何と言えばいいのか分からず、総司令は紙に描かれた小さな人間とダークを交互に見る。

 

「古代文明の生き残り……!?」

「正確に言えば古代文明時代の技術者だな。竜機兵を整備する仕事をしていたそうだが、彼の証言で古代文明時代の様子は大まかながらも把握できた。昔に出回った噂は『生存者』の存在を隠すために作られた囮の情報なのさ」

 

 総司令はこの情報が一般に出回っていたらどんな事態になっていたかと想像した。

 現在のアステラの技術力は40年前よりも遥かに向上している。

 選りすぐりの技術者を集めた二期団による功績も大きいが、現大陸の各地方でノウハウを学んできた四期団や五期団の技術者も貢献している。実際、先日のネルギガンテを撃退した兵器のひとつである『音撃弾』も、ユクモ村の名物である花火の技術を習得していた五期団のアイデアで試作されたものだ。

 しかし、それでも古代文明時代の技術とは比較にすらならない。

 発掘される遺物は再使用するための応急処置が限界であり、現代の技術では元がどういう機械なのかすら分からない方が多い有様だ。

 そこへ古代文明時代の技術者が現れたとなれば、その技術を自らのものにしようと考える者が出ることは容易に想像できる。さらに悪い方向に考えれば、技術を独占するため利用した後に殺害しようとする輩が出る可能性もある。

 

「生存者の情報が一般に漏れることを危惧した当時のギルド幹部は、目立つ情報を敢えて漏らすことで事態を収束させた」

 

 工作員が酒場で酔ったフリをしながら竜機兵と竜大戦の話を大勢に語りかけ、直後にギルドナイトがその者を連行する。ただそれだけで、竜大戦と竜機兵の噂話は爆発的に広がっていった。

 

「大衆というのは学者によって裏付けされた事実より、たとえ嘘でも派手な噂を聞きたがるからな。酒場から酒場へ伝っていくのは噂を大げさに誇張した新しい噂話か、酒のつまみになる冗談ばかりで、その裏に隠された真実に気付くのは誰もいなかった」

「つまり、竜機兵と竜大戦を囮にすることで『生存者』の情報を隠したのか……それがこの物語と何の関係が?」

 

 総司令は『五匹の龍の物語』と竜機兵のスケッチを返す。最初にダークが言った、竜機兵と五匹の龍の物語が繋がったことはまだ説明されていない。

 

「生存者は竜機兵が収容されていた地下基地で同時に発見されたが、そいつは似たような基地が他にも存在するという情報を持っていたんだ」

「その地下基地が新大陸にも存在する可能性が高いと?」

「証言は大まかな位置だけで正確な座標までは把握していなかったが、新大陸に基地が存在するのは確実だろうな。方角や距離が一致する」

「なるほど……君が送られてきたのはその基地を見つけるためか」

「見つけるだけじゃない。保管されている古代兵器の脅威査定や武装解除も任務の内だ」

「新大陸に古代兵器……だがここには今までに人間が移り住んだことは無いと物語には記されているぞ?」

「物語の最後を忘れたか?」

 

 総司令はその最後の語句を思い出す。

 

『白き風の青年が残した、青き星の龍への贈りもの』

 

 総司令は、この『贈りもの』というのが古代兵器である可能性に気付いた。

 

「神話では新大陸に人が移り住むことは無かったとされている。一方で、『生存者』は基地があると言う」

 

 ダークが語った古代文明の手掛かり。地下基地で発見された『生存者』は、新大陸に地下基地があると証言した。そして五匹の龍の物語には、新大陸に『青年の贈りもの』があると記されている。

 人が移り住むことは無かったとしながらも、人間が建造した基地が存在するという矛盾。その理屈が通るたったひとつの状況は、『白き風の青年』が新大陸に訪れた時に古代兵器を運用するための地下基地を建造したと解釈する以外に無かった。

 

「つまり……ここへ唯一訪れた人間である『白き風の青年』が古代兵器を持ち込んだと言いたいのか?」

「その通りだ。だが稼働状態ではないだろう。古龍が集まる新大陸で対古龍用兵器が稼働していたら、この40年でとっくに目撃されてるはずだからな」

「竜機兵が対古龍用の兵器では無いのなら、本命の兵器の情報があるのか?」

「もちろんだ。念のため『生存者』が知っている限りの古代兵器類は全て確認し、ある程度の目星は付けてきた」

「その兵器が新大陸に眠っている可能性もあれば、全くの新兵器が出てくるかもしれない、か……。その兵器の名前は?」

「核兵器」

 

 



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救難信号

 陸珊瑚の台地という場所は、『陸の上の深海』と言うべき場所である。

 ほぼ全方位を大峡谷に囲まれている陸珊瑚の台地と瘴気の谷。かつてこの二つのフィールドは徒歩での到達が非常に難しく、空を飛ぶことができないモンスターにとっては隔絶されたフィールドであった。

 空路による初調査が行われた際には、到着早々にレイギエナという飛竜によって墜落し、三期団全員が遭難するという非常事態に陥ったこともある。

 調査団で唯一のロック・クライミング技術を持つフィールドマスターがいち早く現地に到着したために餓死者は出なかったが、全員の食料を現地で確保するのは難しく、今よりも遥かに人員が少なかった調査団は別の方法でこの問題に対応した。

 メルノスという翼竜を訓練させ、使役する方法を考案したのだ。

 メルノスは古代樹に生息する翼竜である。人懐っこく温厚な性質であるために、かなり以前からハンターの移動手段として利用する計画があった。

 試行錯誤の末、フル装備のハンターを運ぶことが出来なかったために計画自体は失敗してしまったが、食料を詰めた袋程度ならば運搬が可能であった。

 一度に運べる荷物は多くはないものの、それは数で補った。調査団の知恵と工夫、メルノスの活躍によって、三期団は陸珊瑚にて飢え死にすることなく研究を継続することができているのである。

 ゾラ・マグダラオスが大峡谷を通過した後には『裂け目』も出来たため、大量の物資を陸路から安全に陸珊瑚へ送ることが可能になった。

 メルノスによる食料輸送は必要無くなってしまったが、現在は各フィールドからの定時報告や郵便物の輸送などで調査団に貢献している。

 そのメルノスが今しがた運んできた手紙を呼んだ後、竜人族のハンターはダークへ向き直った。

 

「最後の竜車がもうすぐここを通過するそうだ」

 

 大蟻塚の荒地からやや北の大峡谷にて、ダークは竜人ハンターと共に哨戒任務に就いていた。

 彼は総司令の友人であり、見た目だけなら総司令どころかダークとほぼ同年代に見える。しかし、実際の年齢は総司令よりも遥かに上だ。彼は『竜人族』だからだ。

 竜人族は非常に長命な種族で有名である。人間なら20歳から30歳程度の若さの外観でも、実際は数百歳ということもある。

 ハンターズギルドに所属している学者や技術者も竜人族が大半を占め、それはアステラでも例外ではない。

 ギルドの要職に就いている者がほとんど竜人族であり、現場で死と隣り合わせの狩猟をしているのが人間であることに不平不満を言う者はいない。

 なぜなら、竜人族はその長命と引き換えに、怪我や病気に対する免疫が非常に低いのだ。

 風邪や多少の擦り傷で死ぬわけではないが、それでも回復するには人間よりも遥かに時間がかかる。

 出血は止まりにくく、病にかかれば数か月は安静が必要、折れた骨が繋がるのも数年かかる。人間ではすぐに治る怪我や病気であっても、竜人族にとっては致命的になりうることも多い。

 それ故に、竜人族は死の危険が非常に高いハンターを目指す者は皆無に等しい。

 まだハンターズギルドが設立されていなかった時代では、生活のためにハンター業に就いていた竜人族も少なからず存在した。しかし、現在では武器装備の技術進歩や狩猟のノウハウ、教育訓練が十分に生き渡ったために、竜人族が危険を冒してまで狩猟をする必要が無くなったのである。

 また、親が学んだ知識を子供は引き継ぐことはできない。人間にしろ竜人族にしろ、知識というのはその者が学ぶ以外に習得することは出来ないものだ。

 寿命が長いということは、個人が持つ知識が永遠に失われるまでの猶予が長いことと同義であり、数百年もの期間で研究を行い続けることは竜人族にしか出来ないことだ。

 短命だが身体が丈夫な人間が狩猟を行い、身体が弱いが長命である竜人族が研究と技術を進歩させる。この仕組みは、歴史に裏打ちされた最高の組み合わせなのだ。

 

「もうすぐか……了解だ」

 

 ダークは竜人ハンターへ返事をした。

 二度目のネルギガンテの襲撃を撃退した後に始まった龍結晶の地への遠征。それはゾラ・マグダラオス捕獲作戦の時ほどの規模はなく、物資の量も当時の半分以下である。

 輸送班にもハンターは所属しているが、非戦闘員である者がフィールドへ出る時には必ず護衛を付けなければならない。

 調査班や警備班は随伴ではなく輸送ルートで待機する形になっていた。大型モンスターが接近してから迎撃態勢を取るのではなく、接近する前から察知するためである。

 

「救難信号の話、君は信じるかい?」

「この目で見るまではな」

 

 竜人ハンターが双眼鏡を覗いているダークへ問う。

 アステラが陸珊瑚からの赤色救難信号に気付いたのは2日前だ。

 救難信号には複数の種類がある。一刻を争う状況である赤色、緊急では無いが応援を要請する黄色、クエストの成功や現在位置を知らせる青色などである。

 陸珊瑚の台地から発信されたそれは、遠征とは別で調査をしていたオトモ探検隊が出したものらしい。

 クシャルダオラとの事件の後、炎妃龍:ナナ・テスカトリの捜索が始まったのは言うまでも無い。

 番いの古龍であるテオ・テスカトルとナナ・テスカトリは、過去に数回一緒にいることが観測されていた。しかし、年月が経てば経つほど目撃頻度は大きく下がっていき、最終的には先日の事件まで所在が分からなくなっていた。

 現在闘技場に収容されている炎王龍は、ソードマスターによって間違いなく過去に観測された個体であることが証明された。炎妃龍もすぐ近くに居るはずと予測した研究班により、遠征と並行する形で捜索が開始されたのだが、予測に反し発見されたのは陸珊瑚の台地であった。

 ただ、陸珊瑚で発見されたこと自体は不思議な事ではない。研究班が唱える一説、瘴気の谷が古龍の墓場であるという仮説に基づけば、その入り口にあたる陸珊瑚に炎妃龍が訪れる事は理屈に合う。

 問題なのは炎妃龍が単独で、しかも生き埋めに近い状態で発見されたことだ。

 ダークは現場を見ていないために具体的な状況は把握していないが、中層部分のキャンプ近くで発見されたらしい。

 この事件――いや、この事故は新大陸調査団を大いに悩ませた。

 炎妃龍を放置することは最初から選択肢に無い。

 クシャルダオラやテオ・テスカトルと同じく、見捨てればネルギガンテに捕食される危険性が非常に高かったからだ。彼女も古龍渡りの手掛かりである以上、救助そのものに反対する者はいなかった。また、炎妃龍を救出すれば炎王龍への『貸し』を作ることにもなる。

 救助で問題だったのは、既に遠征が開始されているためにあまり多くの人員を回すことが出来ない点であった。

 竜人ハンターを初めとする増援が集められたものの、相手がネルギガンテである以上油断はできない。

 

「……風が弱まってきた」

 

 ダークと竜人ハンターは周囲の地形を再確認し、大型モンスターが居ないか観測を始めた。

 二人が立っているこの場所は、かつてゾラ・マグダラオス捕獲作戦が行われた場所に近い。大峡谷というのはどこの場所でも似たような風景が続いているが、ここからさらに奥へ行くと崖が高くなり、古代樹の北側――つまり陸珊瑚の西側ともなれば、上を眺めても崖しか見えない程の高さになってしまう。

 草木もほとんど生えていないこの地には草食竜も居らず、虫すらも姿を見せない。そのためなのか大型モンスターが通ることも珍しいフィールドであった。

 

「君が提案した作戦、すぐに実行するのか?」

 

 双眼鏡を覗いたまま、竜人ハンターは再びダークへ訪ねる。

 既に竜人ハンターも作戦の詳細は把握していたが、それは作戦というよりも無謀な賭けに思えたからだ。

 

「ああ。龍結晶の地へ行く前に確かめておきたい」

 

 ダークはこれまで二回、ネルギガンテと交戦している。

 古代樹の森と大蟻塚の荒地、どちらのフィールドでも撃退に成功した。ネルギガンテに関する基本調査の内容に目処は付いたが、一つだけ大きな謎があった。

 最初の戦いの後にダークが指摘していた、ネルギガンテが正確に古龍の位置を特定する理由である。

 それまで研究班は偶然だと考えていたようだが、二度目の襲撃で確信に変わった。

 角が感覚器官になっている、嗅覚や聴覚が優れているというありきたりな推測はすぐに出たが、ダークには二回の襲撃に共通点があることに気付いた。

 黒龍の宝玉と古龍が接触した時だった。

 ダークはミラボレアスの宝玉をアミュレットとして胸元にぶら下げている。このお守りと古龍が接近した直後にネルギガンテが襲来してくるのである。しかし、別の可能性もある。

 二つ目の共通点に、古龍の周囲に大勢のハンターやモンスターが集まっていたことだ。

 黒龍の宝玉と古龍が共鳴してネルギガンテを引き寄せるのか、それとも何者かが集まっている騒音を感知するのか。ダークは既に居場所が判明し、移動が出来ない炎妃龍を利用して確かめようとしていたのである。

 前者が正しければ古龍へ接近するダークの元へ襲来し、後者が正しければ大勢の技術班や警備班に囲まれている炎妃龍の元へ行くはずである。

 その作戦の目的上、ダークは単独で行動しなければならない。竜人ハンターが無謀な賭けと言ったのはこれのせいである。

 

「最後の竜車だ」

 

 大峡谷の道筋の先に、大勢のハンターに護衛された一台の竜車がこちらへ向かってくる。

 その荷台からこちらへ手を振っているのは二期団の親方だ。

 

「よし。親方が三期団基地に到着し、準備が終わり次第作戦を開始する」

 

 ダークは大峡谷から陸珊瑚へ向かうため、手荷物をまとめ始めた。

 この作戦には、親方の技術力が必要不可欠だったのだ。

 

 

――――――

 

 

「あら、いらっしゃい。三期団の基地へようこソ」

 

 独特な発音で喋る彼女は、三期団の期団長である。

 研究班リーダーの妹である彼女もまた、優れた学者として現大陸では有名である。

 

「久しぶりだな……みんなは元気でやってるか?」

「ええ。マグダラオスが大峡谷を整えてくれたおかげで、陸路でもアステラに帰れると聞いたワ。それからみんな元気になっちゃってネ」

 

 竜人ハンターも三期団基地には久しぶりに来たらしく、懐かしむように船の中を眺めていた。

 大峡谷を超えるために船をそのまま改造したそれは、重心の関係で船体が斜めに傾いている。しかし、内部の足場や階段などは水平に設置されていて外観ほどの窮屈さは感じない。

 二人が再会した事も数年ぶりなのだが、その口調は毎日顔を合わせる者同士の気さくなものであった。

 

「相棒、御注文の品ですよ!」

「こっちが右腕用ですニャ」

 

 三期団基地へ先に到着していた受付嬢とアポロは、二期団が持ち込んだ物資の仕分けを行っていた。

 既に作業も終わりかけていたため、慌ただしさも無くダークの元へ歩いてきた。

 

「ありがとう」

 

 ダークが親方へ注文していたのは二つのスリンガーであった。特殊な改造が施された左腕用と右腕用である。

 調査員の標準装備であるスリンガーは、利き腕の反対側へ装着するのが通常である。左利きの者は右腕に装着するので、右腕用のスリンガー自体は珍しいものでは無い。

 そもそもスリンガーは左右対称のデザインをしているため、右腕用の物を左腕に装着することも当たり前にできる。

 ダークの元へ届けられたスリンガーが一般的な物と違うのは、グリップがそれぞれの手で握りやすいように削られているのと、装填用のコッキングレバーが大型化されていることであった。

 スリンガーはコッキングレバーを引くことで弦が張り、手元にあるグリップレバーを強く握り込むことで『押さえ』が外れて一気に弦が戻ろうとする。その際にコッキングレバーに挟まれている物を勢いに任せて発射するのがスリンガーの原理である。

 これは弓と矢の関係に似ているが、精度と威力を重視している弓とは異なり、片手でも発射できる簡便さと大きさが合えば何でも発射できるという汎用性を重視した物である。

 構造が単純な割には便利な物であったためにハンターのみならず編纂者も装備しているのだが、弱点も存在する。

 左腕に装着するという構造上、防具は専用設計のものでなければ装備が出来ない。新大陸で採用されている防具は全てこのタイプだが、唯一ソードマスターの防具は旧式タイプであるためにスリンガーは使用できない。

 もう一つの理由としては、スリンガーを装着した手では物が掴みづらい事である。

 発射用のグリップレバーは極力手の動作に干渉しないように設計されているが、それでも掴んだり持ったりする動作は素手に比べて難しい。通常タイプのスリンガーを両腕に装着してしまうと、レバー類が手の動きに干渉してスリンガー弾を装填することも難しくなってしまうのだ。

 ダークはこの短所を補う改造を親方へ依頼していたのである。

 

「この装備で大丈夫ですか……?」

「旦那さん、本当にいいんですかニャ……?」

 

 両腕にスリンガーを装着したダークの姿に受付嬢とアポロが心配の声を上げる。声には出さないが、竜人ハンターと三期団長も同じ意見であった。

 ダークが着ていたのは両腕にスリンガーを装着するために改造された、全く装甲の無い作業着であった。当然防御性能などは全く期待できない。専用の防具を作る時間が無かったために間に合わせの改造だけで済まされた作業着だが、動きやすさだけならば狩猟用の防具を遥かに上回る。

 徹底的に動きの速さを追求するため、ダークは短刀やロープなどの小道具類も装備していない。スリンガー用の弾を補給・運搬するのは、アポロをはじめとするオトモアイルー達と陸珊瑚に拠点を持つ「台地のかなで族」である。

 

「今回は時間稼ぎが目的だ。戦闘が目的じゃない以上、動きやすい方が有利になる」

 

 暗号持ちのハンターらしい反論を言われ、アポロは黙ってしまう。

 ダークが言った通り、今回の作戦は時間稼ぎが主目的である。ネルギガンテを戦闘によって撃退する案も調査班から出たが、そもそも今回の遠征は未知の生態を持つネルギガンテの調査を行うためにある。生態がほとんど分かっていないネルギガンテに正面から挑むのはあまりにも危険すぎるため、ダークと警備班のリーダーであるソードマスターの反対によって却下された。さらに言えば、陸珊瑚の台地は細く狭い通路と高低差が激しいフロアで形成されているため、驚異的なパワーとスピード、飛行能力を持つネルギガンテにとっては圧倒的に有利なフィールドである。

 

「作戦開始だ。さて、行こうか」

 

 この作戦で最も危険な役目を担っているはずのダークが最も落ち着いているのを見て、アポロは素直に憧れるのであった。

 

 



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重機械学

 陸珊瑚の台地と瘴気の谷を管轄している警備班の実戦部隊、『双剣隊』は二期団の親方を護衛していた。

 彼らが双剣を主に運用している理由は、狭い場所が多い地形でリーチの長い武器を振り回すのは困難であったからだ。

 また、高低差が激しい台地で大型で重い武器を持つのは移動の負担が大きい。双剣であればそこまで重量は無いために体力を温存でき、段差を利用した剣技を繰り出すことも可能である。

 そんな双剣隊に遅れるどころか我先にと進んでいく二期団の親方。その行動力は頭に地図を叩き込んでいた事と、普段の鍛冶仕事で鍛えられた体力のおかげだろう。

 

「おうおぅ! 進捗はどうだ!?」

 

 中層キャンプ前に待機している技術班の面々に合流した親方は、よく通る声で確認を取る。

 

「槍の部分は組み立てが終わりました!残りは土台と燃料です!」

 

 土台を組み立てている真っ最中である作業員が親方へ返事をする。

 

「急げよ!ネルギガンテがいつ来るか分からないんだからな!」

 

 作業員は身震いしたが、すぐにそれを忘れるように目の前の作業に集中した。

 しかし、親方自身もその言葉の意味を痛感している。ダークの予測が外れた場合、ネルギガンテはここへ現れる確率が高いからだ。

 

「親方、こちらです」

「ウム……」

 

 堆積している珊瑚の質をその場で判断できる学者もこの場所に来ている。

 その彼が指差した先にいる炎妃龍の姿は、古龍を見る機会が皆無と言って良いほどの技術班にとって、恐れよりも同情が勝った。

 場所は北東キャンプを出て左、緩やかな下り坂が中層広場へ続いている方向とは反対側の通路の奥である。炎妃龍が偶然そこに隠れている最中に崩落した……というのが研究班の推測だった。

 台地の上層部分は瘴気の谷から昇ってくる養分が薄まってしまうため、死んでいる珊瑚が増える傾向がある。炎妃龍を生き埋めにしている珊瑚はどれも死んだ白い珊瑚ばかりであり、古龍の力を持ってしても自力では外へ出ることが不可能なほど量も多い。

 また、珊瑚には外部から力を受けた形跡が無かった。つまり、この珊瑚は自然に崩落したものであり、ネルギガンテもテオ・テスカトルもこの状況を把握していないということである。

 かろうじて頭部が出ているため窒息することは無かったようだが、大勢の人間に囲まれているこの状況に炎妃龍は怯え切っている様子である。動くことも抵抗することも出来ない今の状態では、ハンターに嬲り殺しにされると思っているのだろう。

 

「珊瑚の量が尋常ではないな……」

 

 遅れて合流した竜人ハンターが呟いた独り言に、親方も同意見だった。

 一歩間違えれば更なる崩落が発生する危険性が高い。失敗は絶対に許されない。

 

「予定通り撃龍槍で珊瑚を崩しまさぁ。後は彼女の気力を信じるしかない」

 

 炎妃龍をこの状態から助け出す方法は二つある。ひとつは人力で珊瑚を少しずつ崩し、手作業で掘り進める事。もうひとつは堆積した珊瑚を撃龍槍で吹き飛ばし、炎妃龍に自力で脱出してもらうことである。

 成功率で確実なのは前者であり、親方も間違いなくその手段で作業を進めただろう。しかし、それはネルギガンテが徘徊していなければの話である。

 人員を大量に動員すれば人の動きが目立ってしまう。少ない人員で作業をしても、今度は時間が掛かって発見される機会が増えてしまう。

 短時間で一気に事態の解決を図るためには、撃龍槍を用いた短期決戦しか方法が無かったのだ。

 遠征によって龍結晶の地へ運搬される物資の中には、新型の撃龍槍を分解したものがあった。要塞や防壁などに設置する固定式ではなく、どこにでも設置できる移動式である。

 各地の監視網と密な連携を取って行われた輸送作業により、陸珊瑚の台地までネルギガンテに見つかることも無かった。仮に見つかったとしても、射出部、機関部、台座の三つに分解された撃龍槍では、対古龍用兵器には見えなかっただろう。

 問題はこれからである。

 

「警備班が大勢集まれば炎妃龍を刺激する可能性がある。今は周囲のエリアまで下がってもらっているが、万が一ネルギガンテがここへ来た時はキャンプへ避難してくれ」

 

 竜人ハンターは親方へそう言うと、自分の持ち場へと向かった。

 ここから先はハンターの出る幕ではない。炎妃龍の身体を傷つけず、そして二次崩落を起こさない威力を計算する技術班の役目である。

 

「土台の設置を始めるぞ!」

 

 作用反作用の法則。質量のある物体が運動するためには、同じエネルギーを正反対側へ捨てなければならない。

 土台を固定していない撃龍槍を起動しても、槍が射出されると同時に土台ごと反対方向へ飛び出すだけである。それでは威力が大きく落ちるため、土台を地面に固定しなければならない。

 撃龍槍が地面に固定されれば、後ろに捨てるエネルギーを槍の射出のエネルギーに回すことができる。その代わりに固定器具には大きな負担がかかるが、元からこの撃龍槍は使い捨てのつもりであった。故障しようが大破しようがどうでもいいのである。

 

「ネルギガンテ出現! 古代樹側!」

 

 炎妃龍を刺激しないためとはいえ、双剣隊は見えない位置だがすぐ近くに待機している。彼らの古龍出現を知らせる叫び声が響く。三期団の基地からも観測されたようで、ほぼ同時に古龍出現の空砲音が鳴った。

 だが、親方はネルギガンテ出現に狼狽える様子は無い。既に親方の頭の中は、計算式で埋め尽くされていたからだ。

 

 

―――――

 

 ダークはその空砲の音を聞いた。

 陸珊瑚の台地に足を踏み入れてすぐにネルギガンテが襲来したことは想定の範囲内だった。この次で作戦の流れが決まる。

 生き埋めになっている炎妃龍の元へ行くか、それとも黒龍の宝玉――つまりダークの元へと来るか、である。

 

「……来たか!」

 

 龍結晶の地から古代樹の森へ大きく迂回するルート、つまり台地の南西側へ飛来したネルギガンテは、しばらく上空を旋回した後に三期団の基地には目もくれず降り立った。その場所はキャンプの崖下である。

 このネルギガンテの行動でひとつの事実が明らかになった。

 ダークが身に付けている黒龍の宝玉と、他の古龍種が接触する事をネルギガンテが感知しているのだ。

 それと同時に、相手の状況・状態を分析する能力も相当なものである事が予測できる。

 アステラには二匹の古龍が収容されている。クシャルダオラとテオ・テスカトルにはダークも以前に何度か様子を見に行っていた。その時にもネルギガンテはダークと古龍を感知していたはずだが、襲撃どころか飛来する様子すら見せなかった。ハンターと古龍が互いに協力関係にあることを察知し、一対多数になることを避けたのであろう。

 そして今回はダークが単独で行動しているために襲撃してきたのだ。

 ダークは地面から生えている珊瑚にワイヤーを括り付ける。巨大な珊瑚や草木が邪魔をして視界が悪いためか、ネルギガンテはダークをまだ発見できないでいる。そのワイヤーを伸ばし、キャンプから拝借したレンタル武器のライトボウガンへ結びつけた。

 黒龍の宝玉とダークという餌に喰い付いたとはいえ、ネルギガンテも愚かではない。手間取れば炎妃龍の存在を認識されてしまうだろう。

 

「久しぶりだな」

 

 唐突に背後から掛けられた声に、ネルギガンテは驚いて振り返る。だが、そこに因縁のハンターの姿は無い。

 

「しばらく付き合ってもらうぞ」

 

 今度は右側面からである。

 ネルギガンテは見えないハンターを相手に警戒心を高めているが、後ろを取られたにもかかわらず攻撃が来ないことに疑念を持った。

 この時点で、ネルギガンテは因縁のハンターが以前のように何かしらの策を張り巡らせていると判断した。迂闊に動けば不利になると直感で感じたのだ。

 陸珊瑚の台地は古代樹のように視界を遮るものが多い。クシャルダオラやテオ・テスカトルの事件の際はネルギガンテの完全な不意討ちで戦いが始まったが、今回は違う。互いに万全の状態で戦うのはこれが最初である。

 

「始めようか」

 

 ネルギガンテの聴覚は風を切るような音を聞いた。

 以前の戦いで聞いた弓矢の音に近いが、少し違う。遅れて破裂音が発生した。

 ダークが左腕のスリンガーから発射した『はじけクルミ』だった。ネルギガンテの前方に着弾するような照準で放たれたそれは、当然ネルギガンテに当たるはずも無く、珊瑚に当たるだけで終わった。

 クルミがはじけた場所では無く、最初の風切り音がした場所へネルギガンテが振り向く。そこには次弾である右腕のスリンガーを構えたダークがいた。

 ようやくハンターの姿を捉えたネルギガンテは、一気に跳躍してダークへ迫る。ダークも即座に右腕のスリンガーからはじけクルミを発射するが、ネルギガンテは空中で錐揉み状に回転してそれを躱す。

 押しつぶさんと言わんばかりに振るわれたネルギガンテの右腕、それが当たる寸前にダークは飛び退いて回避した。

 すぐさま追撃に入ろうとするネルギガンテだが、ダークを押しつぶすはずであった右腕が何かの異物を踏んでいることに気付き、一気に後退した。

 珊瑚の間に張られたワイヤーを踏んだと理解するよりも先に、罠と直感し飛び退いたネルギガンテ。そして、その行動は正解だった。

 踏まれることでワイヤーが引かれた瞬間、突如真横から発砲音が響く。つい先程までネルギガンテが立っていた場所に、針のような弾――貫通弾が突き刺さっていた。

 

「…………」

 

 『ワイヤートラップ』。現大陸では使用が禁止されている罠の形式であった。

 モンスターのみならず、ハンターや学者、作業員にも危害を加えかねないワイヤートラップは新大陸でも禁止されている。ダークがこの罠を使うことが出来たのは、提案した作戦に物資班や技術班、警備班からの全面的なバックアップがあったからだ。さらにダークを支援するオトモアイルーやかなで族は、ネルギガンテが立ち入ることが不可能な下層に待機している。陸珊瑚の台地には警備班による厳重な立ち入り規制も敷かれているため、ダークの周辺にはハンターですら来ることはありえない。

 しかし、禁止されている罠を使用できる状況というのは、逆を言えば救援が絶対に来ないことも意味している。どんなに救難信号を上げても、大声で助けを求めても、誰も来ない。ダークはそれを承知でこの作戦を行っていたのだ。

 孤立無援の状況で武器も無しにネルギガンテと戦うことを竜人ハンターは無謀な賭けと言ったが、ダークはそう思わなかった。

 『賭け』とは、得るものと失うものを天秤に掛け、確率という傾きに任せることだ。ダークを行動させるのは『賭け』ではなく、冷静な思考と、それを裏付ける理論と数式である。

 初手の罠はネルギガンテが踏むことでワイヤーが伸びきり、珊瑚の影に隠されていたライトボウガンのトリガーが引かれて発砲するように仕掛けられていた。

 左右のX軸、ワイヤーに引かれることで変化するY軸、射角のZ軸。全てが計算された罠であった。

 もしネルギガンテが少しでも飛び退くのが遅ければ、首筋に貫通弾が突き刺さっていただろう。ヘビィボウガンに火力では劣るライトボウガンでも、至近距離であれば十分な威力を持つ。

 ダークの仕掛けた罠の構造を理解したネルギガンテだが、再び相手が消えていることに気付いた。周囲を見回し、西へ伸びる道の先にその姿を捉えた。

 ネルギガンテはすぐに距離を詰めようとしたが、思いとどまった。道の先に居るハンターがこちらをジッと見たまま動かなかったからだ。

 その道に足元を隠す植物は無く、ワイヤーを張り巡らせる時間的余裕も無かったはずである。それなのに遥か道の先に居るハンターは落ち着き払った態度でこちらを見ている。その不自然さにネルギガンテは警戒し、一歩一歩慎重な足取りでダークの元へと迫る。

 ダークもそのネルギガンテの行動を確認した後、坂道を登るルートへゆっくりと歩き始めた。ネルギガンテが一気に距離を詰めてくるかと警戒していたが、その様子は無い。初手のトラップは直撃こそ無かったものの、精神的な効果を発揮しているようである。

 しかし、それこそがダークの狙いであった。

 罠というものは相手へダメージを負わせることよりも、いつどこでそれが発動するか分からないという精神的なプレッシャーを与えることが本来の役目である。

 精神的に追い詰められた者は、人であれモンスターであれ冷静な判断が出来なくなる。

 新大陸に生息する古龍の中でも、最上位の脅威レベルであるネルギガンテがパニックを起こすとはダークも思わない。この作戦はとにかく時間を稼ぐことが目的であるため、むしろ疑心暗鬼になってくれた方が都合が良かった。

 曲がり角でダークの姿が完全に見えなくなろうとした瞬間、ジリジリと距離を詰めていたネルギガンテは急に距離を詰めた。再び罠を仕掛ける時間を与えないためであった。

 だが、再びハンターはその姿を消した。人間や獣人族が見たのであれば、亡霊と勘違いしていたかもしれない。ネルギガンテにはそのような概念は無いのだろうが、『消えた』としか言いようのない動きにネルギガンテは初めて動揺した。

 曲がり角の先には見通しの良い道が広がっている。真っ直ぐに進めば台地の中層エリアである広場へ行けるルートだ。ネルギガンテは左右を見るが、人間が隠れている気配を感じることが出来なかった。

 その時、ネルギガンテは上からの物音を聞いた。すぐさま見上げると、そこにはアーチの側面に張り付いているダークが真っ直ぐネルギガンテを見下ろしていた。

 ネルギガンテは攻撃する間も無く、視界が真っ白になった。ダークの左腕のスリンガーから発射された閃光弾だ。

 至近距離で炸裂した閃光弾は目を閉じていても視界が焼けるほどの威力がある。ダークのその攻撃は確かにネルギガンテの視界を一時的に奪ったのだが、ここでネルギガンテはまたも意外な行動を取った。

 

「!」

 

 モンスターは視力を奪われると暴れまわる場合が多い。

 いつ襲われるか分からないという恐怖心により周囲を無差別に攻撃するモンスターが大半というなかで、ネルギガンテは全く別の行動を取った。

 ダークが張り付いていたアーチから一気に距離を取ると、その場でジッと待つような態勢を取ったのだ。

 視力が駄目ならば音で探知するまで、とでも言うようなその構え。

 ダークは追撃を掛けるのは危険と判断し、アーチの上によじ登る。

 大きく迂回するルートでその場を離脱したダークの背後では、咆哮を上げることも暴れまわることもしないネルギガンテが、僅かな物音でも反撃に移れるように構えていた。

 

 



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駆け引き

 陸珊瑚の下層は、古代樹の森とはまた違った意味で入り組んでいる。

 瘴気の谷から昇ってくる養分の恩恵を最も受けられる下層は、あちこちから生える珊瑚や植物が行く手を阻む故に、大型モンスターは入り込むことすら不可能なエリアであった。

 

「旦那さん!これどうぞですニャ」

 

 下層へ一時撤退したダークをアポロとかなで族が取り囲み、飲み物や携帯食料などを手渡した。

 ダークは礼を言いつつ受け取ると、手頃な珊瑚に腰かけて作戦の展開を再考する。

 過去にネルギガンテと戦闘を行った者から確認した通り、滅尽龍は遠距離への攻撃手段が無い。散弾のように棘を飛散させることもできるが、それはあくまで激しい動きによって再生中の柔らかい棘が飛び散っているだけに過ぎない。他の古龍のように狙い撃ち出来る類の攻撃は全く無く、無理に接近戦を挑まなければ時間を稼ぐことができる。

 だが、討伐することは相当困難であるとダークは思った。格闘戦に異常特化した肉体と、驚異的な再生力を持つネルギガンテには生半可な攻撃では効果が無い。さらにそれ以上に危険なのは、あの個体の性格がモンスターとして異様なほど冷静であることだ。

 ハンターの攻撃は弱点へ完璧に命中さえすれば一撃でモンスターを仕留めることが出来る。弾丸が頭蓋骨を貫通したり、刀剣が首の動脈を切断すれば一発で勝負が決まるのだ。

 だが、そのような狩猟ができることは極めて稀である。元々モンスターは人間よりも五感に優れ、微かな足音や汗の匂いで正確に居場所を特定してくる。モンスターも易々と弱点に攻撃させる気は当然無いため、実際の狩猟は持久戦になる。

 何度もハンターの攻撃を受け続け、自身の攻撃が全く命中しないとなると大抵のモンスターは興奮状態になる。人間も自身より小さい獣人族から一方的に殴られれば怒るのと同じように、普段の冷静さを失ってしまう。怒りによって興奮状態になったモンスターは、筋肉が本能的に自制しているリミッターが緩んで攻撃的になる。しかし、冷静さも同時に無くなるという事は、簡単な罠にさえ引っかかったりするほど行動が単調になる事でもある。

 ダークが常に冷静さを失わないのは訓練を重ねたことも一因だが、興奮状態になったところで何もメリットが無いことを理解しているからだ。それと同じかどうかは定かではないが、ネルギガンテも冷静さを失わない。

 怒りで我を忘れたモンスターは確かに危険だが、どんな状況でも冷静さを失わないモンスターはそれを遥かに上回るレベルで危険である。ましてやそれが古龍ともなれば、他の古龍を一方的に撃退することにも頷ける。

 

「同じ罠を受ける程甘い相手とは思えないな……」

 

 先ほどダークが仕掛けたワイヤートラップは初見で避けられてしまった。もう一度同じ罠を張ることは可能だが、特性を見抜かれていれば避けられるだけではなく逆用される危険性もある。

 

「ネルギガンテはそんなに強い相手なんですかニャ?」

 

 ダークが真剣な顔で考え込んでいるのを見て、アポロが恐る恐る尋ねる。

 

「ああ。『賢い』なんてレベルではないな。少なくとも新大陸で奴に勝てる古龍は居ないだろう」

 

 それは誇張では無く、実際にそう思えるからこその台詞であった。

 一期団が初めてネルギガンテの存在を確認してから、それ以上の脅威となるモンスターは見つかっていない。

 単純にまだ発見できていない可能性もあるが、古龍が定期的に渡ってくる新大陸で生態系の頂点に君臨し続けているとなれば、外敵は存在しないと見る方が理屈に合っている。

 

「我らも何か力になれることはないか?」

 

 よく通る声で申し出てきたのは、かなで族の楽団員達であった。

 一匹一匹に役割分担を決める他の部族と異なり、彼らは集団での行動を得意としている。陸珊瑚の台地は高低差が激しく、テトルーの身体能力を持ってしても移動に制限が掛かる。

 彼らの先祖はこの地に適応するために、楽器を用いて現地のモンスター達と協力していたのであろう。ちょうどハンターが狩猟笛で仲間と連携を取るように、彼らも同じ発想で楽器を使いこなしていたのである。

 ダークはその申し出に対しすぐに返答をすることが出来なかった。かなで族の演奏にネルギガンテが幻惑される事は無いと考えていたからだ。既に大蟻塚の荒地で狩猟笛の特性を知られている以上、かの古龍が『音』を奏でる物に対して一定の警戒心を持っている可能性が高く、万が一ネルギガンテが挑発に乗らなかった場合はかなで族達が危険に晒されてしまう。

 

「…………」

 

 顎に手を当てて考え込むダーク。しかし時間は無い。ネルギガンテはトラップを警戒して動き回る様子は無いものの、あまり放置しすぎると炎妃龍の場所を特定されてしまう。

 

「隠れた場所で演奏するというのはどうですかニャ?」

 

 アポロが提案したのは安直な陽動だった。かなで族であれば人間が入り込めない狭い場所での演奏ができ、多少の効果は出るかもしれないというものであった。

 

「それで行こう、時間が惜しい」

「アニャァァイ!?」

 

 熟考したとはいえ、狩猟に関しては素人と言えるアポロ。その提案が採用されたことに本人が最も驚いていた。

 

「何度も言うが時間を稼ぐのが目的だ。身の危険を感じたらすぐに撤退してくれ」

「御意! 我らの演奏で奴を幻惑させてやろうぞ!」

 

 ダークの言葉に、かなで族達は楽器を掲げて応えた。

 

 

――――――

 

 ネルギガンテは狭い通路のような場所を歩いていた。足元に細心の注意を払いつつ歩くが、ダークが姿を消してからは一度もトラップには掛かっていない。

 しかし、この瞬間にもあのハンターは様々なトラップを仕掛けているのだろうと考えているネルギガンテは、警戒を全く解かなかった。

 普通のモンスターであれば気を緩めてしまうほどの時間が経っているが、ネルギガンテは驚異的な集中力で歩く。

 その姿を遠くから見つめる者が、右手を上げて合図を出した。

 陸珊瑚の台地に笛の音が響く。緊張が張り詰めているフィールドに響いたその音色は狩猟笛のような武骨な音ではなく、手入れが行き届いた本物の楽器の音である。

 本来であればその音に釣られてシャムオスなどが集まってくるのだが、張り詰めた空気を感じているのか姿を見せない。代わりに、その音色の元へ向かうのはネルギガンテである。

 明らかに罠と分かっていながらその誘導に敢えて乗ったのは、膠着状態になった現状を変えようとしてのことだろう。

 音の発生源である場所へ辿り着いたネルギガンテだが、そこには誰もいなかった。獣人であれば難なく通れるトンネルが口を開けているため、ここから逃げたのだろうとネルギガンテは判断した。

 その時である。唐突に背後から視線を感じ、ネルギガンテは振り返った。一瞬見ただけでは何の変哲も無い植物の中に、ほんの僅かに浮いた色をしている部分があることに気付く。

 隠れ身の装衣。調査団が新大陸で発明した新型装備の一種である。現地の植物を何枚も積層させて作るそれは、目視で判別するのはほとんど不可能と言えるほどの擬態能力を発揮する。

 ネルギガンテが偶然気付けたのは、陸珊瑚の台地に色彩豊かな植物が生えていたおかげだろう。僅かに周辺の植物とは色合いがズレている部分は、ちょうど人間ひとり分のサイズ。ネルギガンテはそこへ攻撃を仕掛ける。

 だが、ダークも見つかることを承知だった。隠れ身の装衣を脱ぎ捨て植物群から転がり出た。避けられることを察知したのか、ネルギガンテは攻撃の威力を途中で殺し、腕が地面に埋まって動けなくなることを回避する。

 互いに初手の攻撃を見切られた形になったが、ダークにはまだ手があった。

 次の攻撃へ移行しようとするネルギガンテの真下で爆発が起きる。それは単純な爆発では無く、下から上へ向かう指向性の爆発だった。

 ネルギガンテの分厚い外殻を破壊するには全く足りない破壊力。しかし初手の攻撃で腕が地面に埋まった密閉状態であれば、間違いなく大ダメージだっただろう。

 隠れ身の装衣を脱ぎ捨てる際に仕込んだ、落とし穴を形成するための爆薬である。4秒で起爆する信管と一定方向へ爆風が飛ぶようになっている落とし穴のトラップツールは、使い方を工夫すれば地雷としても使うことが出来る。当然ながら不発弾が発生する可能性や、意図しない爆発で仲間を殺傷させないために地雷も一般の狩猟では禁じられている道具である。このような使い方は普通のハンターはまず行わない。

 ネルギガンテは擬態用の服を脱いだだけに見えたようだが、それに指向性の爆薬が仕掛けられているとは想像していなかったのだろう。身体が爆風で僅かに浮き上がるが、それだけであった。

 

「やるな……」

 

 ダークは吐き捨てる。

 このネルギガンテの戦闘力は想像以上に危険な域にあると確信した瞬間だった。

 天変地異の化身と言われる古龍。しかし生物である以上、自我がある。

 知能が低いモンスターは戦いの時に本能を剥き出しにして襲い掛かる。しかしこの傾向は知能が高いモンスターほど下がっていき、古龍のような高度な知性を持つモンスターともなれば、冷静かつ的確な判断で人間並みの戦略を取ってくることもある。

 このネルギガンテはその中でも突出して戦略性に優れていた。戦法こそ接近しての格闘戦のみという単純さだが、そこには高度な判断力と冷静な駆け引きがあった。

 罠に対する警戒心が強いだけならば、擬態を見破った段階で全力の攻撃を仕掛けただろう。しかし、ネルギガンテはそれでもまだ冷静な目を持っていた。

 見えない相手の存在を把握する観察力、自身の攻撃が失敗すると理解する判断力、そして攻撃を受けても狼狽えない忍耐力。

 この僅かな間に見せたものは、どれを取っても並の古龍を遥かに上回るものばかりだ。

 そんな分析を頭の中でしていたダークだが、ネルギガンテが次の行動を取らず、急に動きを止めたことに気付き自分も脚を止める。

 一瞬の隙でも見せようものなら速攻を仕掛けてきたネルギガンテ。それが急に動きを止めるという不自然な行動。

 まだ次のトラップを仕掛けていないにもかかわらず、そのような行動をするのは初めてであった。

 

「…………?」

 

 右腕のスリンガーを向けたままの睨み合いとなってしまったが、ダークはこの流れを素早く分析する。

 トラップを警戒している? 否。このネルギガンテはトラップや偽装を事前に見抜くことができる。何もない場所に警戒して動けなくなる程臆病ではない。

 ハンターの戦闘能力を恐れている? 否。このネルギガンテは武器装備の特徴を把握している。両手にスリンガーしかなく、装甲の無い作業着を着ているダークが動きを止めている今、警戒はしても攻撃をしない理由にはならない。

 増援が来ることを警戒している? 否。ネルギガンテがこのフィールドに来てからかなり時間が経過している。既に周囲には戦闘能力の低いアイルーや、かなで族程度しか居ないことを把握しているだろう。

 

「…………!?」

 

 最後に残った仮説に気付くと同時に、ネルギガンテが飛翔する。まさにその顔を見て確信を得たとも言うべき行動に、ダークは周囲に隠れているであろうアポロやかなで族に大声で命令を出した。

 

「作戦は失敗だ!上層へ向かえ!!!」

 

 ネルギガンテは、ダークが『何か』を隠すために時間稼ぎをしていることを見抜いたのだ。

 

 

――――――

 

「準備はいいな!?」

 

 親方の声に二期団の作業員は手を上げて応える。

 珊瑚の瓦礫に埋まっている炎妃龍は、周りの人間たちが何をしようとしているのかをある程度把握したようで、最初に見せた敵意や恐怖心は薄まっている様子である。

 それでも撃龍槍の攻撃的なデザインは強い不安を誘発するらしく、親方と撃龍槍を交互に見つめる。

 

「蒸気圧よし!」

「いつでも撃てますよ!」

 

 撃龍槍は蒸気の圧を利用して杭を射出する兵器である。地域によっては火薬を使用する物も存在するが、多少時間が掛かっても誘爆の危険が無い蒸気式が主流であった。

 親方が今射出しようとしている撃龍槍も蒸気式である。現大陸のものより遥かに小型化された運搬可能なタイプではあるが、威力は劣っていない。

 撃龍槍後部にある加熱炉で燃料が燃やされ、その上部にある加圧室が今にも吹き出しそうなほどの圧に上昇する。杭はその圧を直に受けているが、ロックの役目をしている『ツメ』がそれを留めている。あとはそのツメを解除する役目を持つレバーを操作するだけだ。

 

「野次馬しようなんて考えるなよ!全員キャンプへ避難だ!」

 

 二期団の親方は作業員へ指示を出した。起動の際には珊瑚の破片が高速で飛散すると予測されるため、撃龍槍の周囲は非常に危険である。

 

「南側!」

「ネルギガンテがいるぞ!」

 

 あともう少しで作戦が完了しようという時、周囲を警戒していた双剣隊の数人がネルギガンテの移動に気付き、声を上げる。

 台地の空に飛翔したネルギガンテは周囲を見渡し、視界の彼方に炎妃龍を見つけた。そして、周囲に人間たちが居ることも。

 

「逃げるんだ!」

 

 竜人ハンターもネルギガンテの動きを察知し、親方へ逃げるように促した。必要最低限の戦闘訓練を受けた程度の技術班がネルギガンテに対抗など出来るはずも無い。

 親方と遥か遠くに居るはずのネルギガンテの目線が合う。それが意味することは一つしかない。

 身動きが出来ない炎妃龍もネルギガンテが何をしようとしているのかを理解した。親方へ向かって上げられた悲痛な鳴き声は、逃げて、と言っているようであった。

 しかし、古龍に対して畏怖の感情を持っているとはいえ、作戦として引き受けた以上親方にはプライドがあった。炎妃龍を無傷で救出するというプライドだ!

 杭の射出角、威力、反動。計算に間違いはない。撃龍槍の脇に置いてあるレバーを動かせば全てが決まる。

 

「構うものか!破片の巻き添えにしてやる!!!」

 

 ネルギガンテの背後に赤い信号弾が上がる。それはダークの時間稼ぎ失敗の合図であったが、ネルギガンテはそんなものに目をくれず、炎妃龍と親方の元へ一直線に向かってくる。

 双剣隊と竜人ハンターは親方を退避させようと腕を引っ張るが、3人がかりでも鍛冶屋の馬鹿力には敵わなかった。

 

「カウントは無しだ!お嬢さん!」

 

 親方は起動の邪魔をする3人を安全な場所である撃龍槍の後ろへ突き飛ばし、レバーを引いた。



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古龍の挑戦

 爆音、続いて轟音。

 撃龍槍が貫いた珊瑚の破片が高速で飛散し、粉砕された珊瑚が舞い上がって視界を塞ぐ。

 その光景に驚いたのか、それとも珊瑚の破片を避けるためか。炎妃龍へ一直線に向かっていたネルギガンテは空中で一度止まり、坂道の末端側という離れた場所に降り立った。

 

「非戦闘員はキャンプへ避難しろ!」

 

 中層に設けられたキャンプはモンスターの出入りが不可能な場所に存在する。

 匍匐でなければ通れない通路の先のキャンプは安全性では優れているが、一度に大勢の人間は通れない。警備班の誘導に従って、技術班は一人ずつそのキャンプへ入っていく。

 撃龍槍起動の衝撃で一時的に眩暈がしていた竜人ハンターだが、避難する技術班からネルギガンテの注意を逸らすべく、すぐさま近くの双剣隊2名と組んでネルギガンテへ挑んだ。

 

「はっ!」

 

 珊瑚の煙の中から坂道を滑走し、ネルギガンテへ斬りかかる竜人ハンター。

 彼の操虫棍から赤黒い光が漏れ、数本の棘を切り落とした瞬間に炸裂した。龍殺しの実から採取されたエキスの効果である。

 操虫棍。猟虫の体内から分泌されるエキスを棍へ蓄積させ、強化する武器である。

 他の武器とは根本的に異なる性質を持つこの操虫棍は、実戦で使用できるまでにかなりの難題が存在したことで有名である。

 猟虫の操り方、採取してきたエキスの種類、エキスが発揮する効果の解明。複雑すぎる武器は実戦では敬遠されがちであるため、現在の猟虫達は非戦闘時にエキスを集めてくるように訓練されている。

 竜人ハンターの猟虫が新大陸で集め続けてきた龍殺しの実のエキス。一見するとただの棍が、そのエキスによって強力な龍属性の力を帯びていた。

 

「上と後ろから続きます!」

 

 竜人ハンターは滑走の勢いのままネルギガンテの右側へ回り込む。

 狭い地形もあって操虫棍を振り回すにはスペースが足りないが、双剣隊が追撃を掛けた。

 上のアーチへ回り込んだ者と、竜人ハンターの後ろに続いた者の二連撃がネルギガンテの棘をさらに切り落としていく。

 ネルギガンテは反撃を試みようとしたが、狭いスペースでは腕を振りかぶることが出来ない。身体に張り付くようなフットワークで攻撃をする双剣隊に不利を悟り、ネルギガンテは広いスペースがある坂道の上へ登ろうとした。

 

「どうやって撃退する……!?」

 

 ネルギガンテを追いながら竜人ハンターは独り言ちた。

 本来の計画では撃龍槍の起動は技術班の撤退と警備班の配置が完了し、連絡を受けたダークがネルギガンテを台地の外へ誘導してから行われるはずであった。その後、炎妃龍が調査団に襲い掛かってくるようであれば全員がキャンプへ避難し、陸珊瑚の台地を離れるようであれば静観するとも決まっていた。

 最初にダークの予測が当たったため、ネルギガンテが途中で目標を変えて襲撃してくることは計算外だったのである。

 技術班の避難が終わっていない現在、ネルギガンテを撃退するどころか全員が生きて帰ることすら難しくなってしまった状況。

 その時、竜人ハンターは坂道を登り切ろうとするネルギガンテの先、撃龍槍の横に人影が倒れているのを見た。

 

「親方!?」

 

 撃龍槍起動の衝撃で失神したのか、うつ伏せの状態で動かない親方。出血などはしていないようだが、ネルギガンテの目の前で倒れているという極めて危険な状況に、竜人ハンターは驚愕した。

 ネルギガンテは三人のハンターに追われながら、その倒れている親方をはっきりと認識する。

 竜人ハンターと双剣隊の二人に援護する手段は無かった。もはや親方が犠牲になるのは確実と思われた時、撃龍槍の奥から青い炎が炸裂した。

 その青い炎は、親方の身体を焼くことなくネルギガンテに直撃する。

 撃龍槍の起動で宙を舞っていた粉末状の珊瑚。それらが地面へ落ち着き視界が晴れると、親方の上に覆いかぶさる形で歩みを進める炎妃龍の姿があった。

 炎妃龍は親方の上で唸り声を上げる。親方を傷つけるのは許さない、とでも言うような気配。ネルギガンテは竜人ハンターと双剣隊、そして炎妃龍に挟まれる形になった。

 

「仕掛ける!」

 

 双剣隊が斬りかかろうとした時、ネルギガンテは再び不利と判断したのか、上空へ飛翔しすぐ近くの広場へ移動する。

 そこは陸珊瑚の台地でも特に広いエリアである。格闘戦を主体とするネルギガンテにとって、最も有利になる場所。

 ネルギガンテが移動したことを確認した炎妃龍は、覆いかぶさっていた親方の上から退いた。鼻先で小突いて親方を起こそうともしている。

 

「しっかりして下さい!」

 

 竜人ハンター達もすぐに親方の元へ向かう。

 三人が来たことで炎妃龍は親方を小突くのを止めたが、離れようとはしない。その炎妃龍の身体は骨折などの重傷は無さそうだが、翼を痛めた様子である。

 親方の方も転倒した際の擦り傷などがあるだけで、重傷ではなさそうだった。撃龍槍の衝撃をまともに受けたことによって失神しただけであろう。

 

「親方は他の警備班に任せよう。今はネルギガンテをここから撃退することが先だ」

 

 竜人ハンターの言う通り、調査団の今の任務はネルギガンテを撃退することに更新された。非戦闘員である技術班や学者がアステラへ戻るには、ネルギガンテを撃退してからでなければ危険だからだ。

 

「……了解です」

 

 非戦闘員の避難を誘導していた他の警備班が戻ってきたため、彼らに親方と炎妃龍の護衛を指示した竜人ハンター。再びネルギガンテと戦うべく、双剣隊の二人も後ろに続く。

 ネルギガンテは広場の中央で待ち構えていた。

 崖の上から見下ろす形で竜人ハンター達とネルギガンテの目線が合う。

 明確にハンターの存在を認識しているが、攻撃を仕掛けてくる様子は無い。まるで崖から降りてこられるかどうか度胸を試すような挑発をしているように感じられた竜人ハンターは、そのエリアへ向かう決意をする。双剣隊の二人もそれに同調した。

 

「行くしかあるまい……」

「……はい」

 

 三人は崖を飛び降りた。着地の隙を攻撃してくるかと最大限に警戒していたが、ネルギガンテはまだ動かない。

 間合いを維持したまま相対する三人だが、先制攻撃の切っ掛けが掴めず、互いに睨み合いが続く。

 その時、竜人ハンターは空に二つの影を見た。

 別々の方角から来るその二つの影は瞬く間に大きくなり、陸珊瑚の台地に降り立った。

 鋼龍クシャルダオラと炎王龍テオ・テスカトル。かつてネルギガンテに敗れた古龍が、再び戦いを挑みにきたのだ。

 

「あの二匹は調査団に協力的な個体です。間違って斬らないで下さいね!」

 

 双剣隊の一人が竜人ハンターへ助言する。

 アステラで古龍を一時的に収容したという話は竜人ハンターも聞いていたが、今この目で見るまでは半信半疑であった。

 そんなことを考えているうちに、先手を打ったのはクシャルダオラであった。

 そのブレスは暴風に例えられる。渦を描いて進むその風は当たりさえすればダメージになるだろう。だが、ネルギガンテは一瞬で横方向へ回避した。

 すかさずテオ・テスカトルが炎のブレスを叩き込むが、それも避けられた。ネルギガンテの回避行動はスピードはもちろんのこと、攻撃が放たれる前に回避を始める瞬発力も脅威であった。

 テオ・テスカトルがブレスを吐いた隙に間合いを詰めようとするネルギガンテだが、その間に突如竜巻が発生する。

 クシャルダオラが生成した竜巻は、なんとネルギガンテに向かって移動を始めた。竜巻自体は通常のクシャルダオラも生成できるが、それを操ることが出来る個体は恐らくこのクシャルダオラだけであろう。

 

「あっ!」

 

 双剣隊の一人が崖の上を指差す。その先には先程の炎妃龍がいた。

 その隣には警備班の護衛達もいる。番いであるテオ・テスカトルの存在を感じた炎妃龍が前進してくることは竜人ハンターも予測していたが、乱戦になる状況はかえって古龍達に不利になってしまう。

 竜巻が自身を追尾してくると認識したネルギガンテは、テオ・テスカトルへ肉薄した。一瞬で間合いを詰められたテオ・テスカトルはネルギガンテの圧倒的な筋力の前に上体を地面に組み伏せられてしまう。クシャルダオラもこのまま竜巻を直撃させるとテオ・テスカトルまで巻き込んでしまいかねないと思ったのか、竜巻を消失させる。

 それをチャンスと見たのか、ネルギガンテはテオ・テスカトルを引き摺るようにして投げ飛ばす。しかもそれはクシャルダオラに目掛けてである。クシャルダオラは空中へ飛び立つことで避けようとしたが、間に合わずテオ・テスカトルと共に壁に打ち付けられてしまった。

 二匹の古龍は態勢を立て直そうとするが、まともに壁へぶつかった衝撃で立ち上がることが出来ない。その姿を見た炎妃龍がついに崖の上から広場へ降り立った。

 精一杯の威嚇の咆哮を上げるが、ネルギガンテが一歩、また一歩と前進するたびに、炎妃龍の身体は縮こまっている。

 その時、ネルギガンテに斬りかかる者がいた。古龍を喰らう古龍に挑もうとする者がいた。

 陸珊瑚の台地へ急行したソードマスターである。

 竜人ハンターもすかさず攻撃に加わった。操虫棍の連撃と太刀の鋭い一閃に、ネルギガンテの右腕の棘、右翼の棘が切り裂かれる。既に黒く変色していた硬質な棘だが、二人の武器の切れ味の方が上だ。

 

「この呼吸、久々であるな!」

「そうだな……!」

 

 ソードマスターは斬撃を繰り出しながら言う。ネルギガンテという脅威を前にしているというのに、竜人ハンターも自然と笑みがこぼれる。

 突然の横やりに応戦しようとしたネルギガンテだが、今度は反対側から重い一撃を受けた。

 

「先生方! 援護します!」

 

 調査班リーダーの大剣の攻撃であった。

 ソードマスターと調査班リーダーは、突然クシャルダオラとテオ・テスカトルが移動したのを見て、急遽陸珊瑚の台地へ向かったのだ。

 アステラと陸珊瑚の台地は、大峡谷があるとはいえそこまで距離は遠くない。ゾラ・マグダラオスの通過で道が出来たこともあり、移動に時間は掛からないのだ。

 

「助かる!」

 

 竜人ハンターは立派な青年へ成長した調査班リーダーの姿に懐かしさを感じたが、すぐに気持ちを戦いへと切り替える。

 クシャルダオラとテオ・テスカトルも立ち上がる。僅かな合間に新手が参戦してきたことで、ネルギガンテは再び不利な立場になった。

 老齢故にか、ネルギガンテに一方的に攻撃されていた渡りの古龍達。しかし、今は新大陸調査団という頼れる者達がいる。それは現大陸に存在するモンスターライダーのような親交ではないが、お互いの存在を認め合い尊重する乾いた友情とも言えるものだった。

 だが、反撃を開始しようとしたところで、ネルギガンテは不穏な動きを見せた。内に力を溜め込むような恰好をしたかと思った次の瞬間、ネルギガンテの全方位へ黒い霧のようなものが解き放たれる。

 渡りの古龍達も含め、今まで誰も見たことの無い攻撃に反応が遅れる。エリア全体まで一瞬で広がった黒い霧は、すぐに拡散して見えなくなった。

 このエリアにいた者は全員黒い霧に晒されたのだが、ハンター達の体調には何の変化も無かった。匂いや質量、湿度も感じなかった黒い霧。しかし、変化が起きたのは渡りの古龍達であった。

 黒い霧に晒された後、渡りの古龍達は咳込むような息遣いに変化した。さらに身体の周囲に纏っていた風や炎が消失してしまっている。

 クシャルダオラが反撃のブレスを繰り出そうとしたが、不発だった。長年ハンターをやってきたソードマスターも、古龍がブレス攻撃に失敗する瞬間など見たことがなかった。その変化はテスカトの番いも同様だった。ブレス攻撃や粉塵攻撃すらできなくなってしまっている。

 その光景を目の当たりにした竜人ハンターも、ハッとして自身の武器を見る。つい先ほどまで龍属性の力を帯びていたはずの操虫棍が、いつの間にか龍属性のエネルギーを放出してしまっている。

 この段階でようやく調査団達はネルギガンテの力を思い知る。奴は古龍のエネルギーや龍属性を封じることが出来るのだ。

 ネルギガンテもその隙に自身の棘を再生する。先ほど斬り飛ばされた棘が急速に再生し、黒く変色する。

 

「くそ……」

 

 調査班リーダーは尻込みした。彼やソードマスターは龍属性に関係する物は使っていなかったために黒い霧は何の効果も無かった。しかし未知の攻撃を繰り出してきたことと、渡りの古龍達や竜人ハンターの武器が一瞬で弱体化されたことに動揺してしまった。今までのネルギガンテは本気で戦っていなかったのである。

 獲物を品定めするように、ネルギガンテは周囲を見回す。黒い霧によって属性攻撃が使えない渡りの古龍、委縮したハンター達、崖の上で狼狽えている警備班。それらを前にネルギガンテは襲い掛からなかった。死にたい者から相手をしてやる、という余裕すら感じられるその態度。もしここで相手を選ばずに襲い掛かれば、ネルギガンテは勝利していたかもしれない。

 

「撃てニャー!」

 

 その声は獣人族達を指揮する年長のオトモアイルーだった。

 二転三転した戦いの勢いは、調査団のアイルー達が到着したことで再び巻き返された。

 ダークの陽動作戦で補給を担当していた彼らは、ネルギガンテを撃退するのに有り余る量のスリンガー弾を持ち込んでいた。

 本来はダークが使うはずだったスリンガー用の弾が、彼らのオトモスリンガーから次々と発射される。着弾した部分で小さな爆発が起こり、ネルギガンテは一瞬怯んだ。その程度の攻撃では倒せるはずもないが、続々と集まってくる獣人族を見てネルギガンテは徐々に動揺し始める。

 最初に攻撃を仕掛けたオトモのチームへ飛び掛かろうとしたが、背後から楽器の音が響く。かなで族が演奏したその音色に、ネルギガンテは驚いて振り向く。しかしそこにはオトモスリンガーを構えたアポロと、かなで族の混成チームがいるだけだ。

 つい先程まで余裕の態度を見せていたネルギガンテが、楽器の音色を聞いたとたんに動揺し始める光景は異様であった。

 ダークとの戦いで罠に対する警戒心を思い出したのだ。

 その隙にオトモアイルーとかなで族はお構いなしに物量で攻め立てる。

 

「弾を持ち帰ろうだなんて考えるニャ!全部撃って帰りの荷物を少なくするんだニャー!」

 

 先輩のオトモに発破をかけられた獣人族達は、スリンガーをさらに短い間隔で撃ちまくる。一発一発は弱くとも、数を重ねれば大部分の棘を破壊することが出来るのだ。

 相手をする気力が失せたのか、ネルギガンテはオトモ達の隊列を飛び越えてそのエリアを離脱した。

 数で不利である現状、無理に相手をする必要はないと考えたのだろう。渡りの古龍や調査団が追ってこないと考え、陸珊瑚の下層を歩き始めたネルギガンテ。

 

「…………」

 

 背後からの視線。

 古龍ではない。モンスターではない。ましてや獣人でもない。

 それは暗く、冷たく、静かな闘志。

 ネルギガンテは背後を振り向くこと無く、陸珊瑚の台地を飛び去った。

 黒き闇は、すぐそこまで迫っていたのだ。

 




【解説】


・台地のかなで族
新大陸の原住民である獣人部族のひとつ。
陸珊瑚の台地という移動に不便なフィールドで効率よく移動すべく、シャムオスとの連携を特に重視している部族である。
使用する楽器は狩猟笛とは比較にならないほど美しい音色を奏で、その演奏の腕も超一流である。
他の部族は使役するモンスターと簡単な会話しかできないが、かなで族は楽器による指揮でシャムオスへ複雑な指示を出すことができる。その連携はドスジャグラスやドスギルオスといった親玉級のモンスターと遜色が無いほど高度であり、このせいでシャムオスに親玉級の大型個体が存在しないと言い切る学者も存在するほどである。

・三期団
約20年前に新大陸へ派遣された調査団。
拠点の構築がある程度進み、本格的な研究が可能となったためにメンバーは大半が学者で占められている。
新大陸へ到着してすぐに未知の領域であった陸珊瑚の台地へ遠征を行ったが、レイギエナを原因とする事故で墜落。孤立無援の状態になってしまうが、アステラからの支援と『ある者達』の協力で餓死は免れた。
現在の三期団基地は陸珊瑚の台地と瘴気の谷へ向かう調査員の休憩場所や、定時連絡の中継地点も兼ねている。

・ワイヤートラップ
金属製のロープを張り、それに様々な仕掛けを施すことで使用する違法トラップ。
ワイヤー動きに連動できるなら何でも使えるという汎用性に優れた罠だが、モンスターのみならずハンターにも簡単に作動するため、誤射を招きやすいという理由で禁止されている。
現大陸ではギルドの規約に従わない密猟者が使うことで、一般人や草食竜が怪我をする事故もたびたび発生している。

・地雷
地面や壁に埋め込み、一定の圧が掛かった時に爆発する違法トラップ。
構造はシビレ罠とほとんど同じであり、人間の体重では起動しない。しかし万が一誤作動した場合に壊滅的な被害を出すため、密猟者ですら使用を躊躇うトラップである。
落とし穴を生成する爆薬も地雷の一種として数えられるが、爆薬が少ない上に設置者が怪我をしないよう指向性が設けられているため、攻撃用途ではあまり期待できない。

・双剣隊
陸珊瑚の台地と瘴気の谷を管轄している警備班の実戦部隊。全員がフィールドマスターから直にサバイバルの訓練を受けているため、優れたレスキュー部隊としての側面もある。
狭い場所が多く、高低差が激しい二つのフィールドでは大型で重い武器は取り回しに難があるため、狭い場所でも戦闘力が低下しない双剣を使用している。
また、開拓があまり進んでいないこの場所では遭難も稀に発生する。丸腰の者には護身用として双剣の片方を渡し、『直剣』として運用させることもある。
一部の者は盾も携帯し、状況に合わせて片手剣と切り替える戦術も行っている。



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第四章:冥界の守護者
楽園の入り口


ネルギガンテの未知の力がひとつ、明らかになった。古龍のエネルギーを不活性化させる『龍封力』である。
複数の古龍をまとめて相手にしても有り余る力。それは、新大陸調査団だけではなく渡りの古龍にとっても脅威であった。 

瘴気の谷へ逃走したネルギガンテを追うべく、ダークは谷の奥深くへ降りていく。
そこは、死を覚悟した者だけが立ち入ることができる死者の国である。

強き者、弱き者。どちらにも平等に、公平に与えられる『死』が降り積もる、命の行き付く場所。
その屍を築いたのは自然の摂理か、それとも別の、大いなる意志か。


 青年は受付嬢の手を咄嗟に掴んだ。受付嬢は落石に注意を向け過ぎたあまりに、無意識にヒビの入った地面を歩こうとしていたのだ。

 壁伝いに降りるだけの道だが、上下左右に形の崩れた珊瑚が見える。二人の重量が掛かった程度で崩落する可能性は低いのだが、用心に越したことはない。

 

「すみません……助かりました」

 

 瘴気の谷へ入る方法は三つある。

 第1ルートは輸送班が整備した道。元々大峡谷の内側に沿うように存在した道に、手すりや足場を設けて通りやすくしたものだ。

 第2ルートはダークが現在通っている道。ゾラマグダラオスが大峡谷を通過した際、その衝撃で崩壊した珊瑚の中を潜るルートである。

 最後は空路。三期団の船を飛ばし、目的地へ直接降りるルートだ。

 しかし、過去に気球として改造された三期団の船は研究基地として改造されている。内部の実験器具などの破損を考慮し、飛行船としては暫く使えない。

 また、第1ルートはネルギガンテが逃走したルートから離れすぎているために、ダーク達は現在第2ルートを使って瘴気の谷へと降りていたのだ。

 

「旦那さん。北側に時々影が走るんですが、何のモンスターですかニャ……?」

「影?」

 

 ダークは北の方向を見る。

 谷へ落ちた生物は分解され、瘴気となって陸珊瑚の養分となる。台地と谷の中間地点であるこの場所にモンスターの影が飛んでいる事は珍しいが、全く事例が無い訳ではない。

 

「モンスターの判別はできるか?」

 

 ダークは頭に装備しているゴーグルを降ろし、目を凝らした。

 谷から昇ってくる瘴気は空気で薄まっており、ここでは人体に影響を与えるほどの濃度は無い。しかし量そのものは極めて多いため、それが拡散している中間層はまるで濃霧のような光景になっているのである。

 

「影しか見えないですニャ。でもネルギガンテではないみたいですニャ」

 

 ダークの視力ではその影がはっきり見えなかった。

 人間よりも視力が良い獣人族であるアポロは、その影をずば抜けた動体視力で追い続ける。

 

「花弁のような翼、後脚の鋭い爪、たぶんレイギエナですニャ!」

 

 現大陸にいた頃のアポロは元々受付嬢の研究を手伝っていた。護衛という名のお手伝いさんではあったが、研究者である受付嬢の仕事を間近で見ることができたために、アポロの知識は並のハンターを軽く上回る。

 その目が一対の翼と鋭い後脚の爪を捉えた時、レイギエナであると断定したのだ。

 陸珊瑚の環境に特化した飛竜であるレイギエナ。その一匹が瘴気の谷に来ていることは珍しいことだが、先日まで台地にネルギガンテがうろついていたことを考えると、ここへ一時的に避難しているのであろうとダークは判断した。そして、そのレイギエナが三期団にとって特別な個体であることも予測できた。五期団が新大陸に到着してから、陸珊瑚の主は座は不動だったからだ。

 

「こ、こっちに向かってきますニャ!」

 

 アポロが慌てた様子でダークへ告げる。

 その言葉通り、ダークの視力でもそのシルエットが徐々に大きくなり、影ではなく身体の大きさが把握できる距離まで接近してきた。

 

「アポロ、落ち着いて!」

 

 受付嬢がアポロに注意をする頃には、既にレイギエナはスリンガーの射程に入るほどまで近づいている。しかしダークは戦闘行動を取らなかった。

 

「……???」

 

 手で顔を覆っていたアポロが見たのは、ダークと受付嬢の前で滞空しているレイギエナであった。

 アポロが知識として覚えているレイギエナは、縄張り意識が強く侵入者に容赦なく襲い掛かるものだった故に、その行動の意味が分からず固まってしまう。

 

「はじめましての挨拶か?」

 

 ダークがそう言うと、レイギエナは軽く鳴き声を上げた。

 直後に錐揉み状に身を翻し、谷の方へ急降下する。その動きはリオス科には出来ないほどの高度なアクロバット飛行である。

 アポロはその時、ようやくレイギエナの脚に白いスカーフが巻かれていることに気付いた。調査団にとって友好的・有益なモンスターを示す識別だ。

 

「敵対的ではないと分かっていても、近くに来ると緊張しますね……」

 

 受付嬢はレイギエナの姿が見えなくなると、溜息と共にその言葉をつぶやく。

 編纂者にとって、大型モンスターは研究対象であっても本物を目にすることは少ない。捕獲されたモンスターに近づく時でさえ、麻酔が効いていると頭で理解していても緊張してしまうものである。

 しかし、これを未熟と評価する者はいない。少しの油断や慢心が原因で命を落とす可能性がある以上、『恐怖心』は身を守るための重要な要素なのだ。

 

「白いスカーフが付いてましたニャ!」

「そうだ。あのレイギエナが三期団が言っていた陸珊瑚の主だろうな。もっとも、今は旅行中のようだが」

 

 ダークが軽口を言うのが珍しかったのか、アポロはきょとんとした顔でレイギエナの行き先を見た。

 

 

―――――

 

 幾重にも重なった白骨、干からびた肉片、それらを糧に成長する植物。そして、キャンプへ降りる道の途中からでも見える巨大な頭蓋骨。

 初めてここに来たものは大抵同じ印象を受けるだろう。

 地獄、あの世、死者の国。だが、それらの言葉で言い表せるほどこの地は単純ではない。

 

「瘴気の谷……!」

 

 受付嬢は今までに見たことが無いその風景に、フィールドの名前を無意識に独り言ちた。

 既に瘴気の谷に関する研究結果は現大陸へ報告されている。そのため五期団は全員がフィールドについての知識を持っており、それは受付嬢も例外ではない。

 しかし、知識で覚えているという事と実際に目で見る事はやはり違うものだ。

 

「あの巨大な頭蓋骨はダラ・アマデュラでしょうか!?」

 

 その亡骸は完全に白骨化してはいるものの、原形を保ったまま谷の中央に鎮座している。

 

「そうとも言えるし、違うとも言えるね」

 

 巨大な頭蓋骨に気を取られていた受付嬢はキャンプで待っていた人物の声に気付かず、驚いた様子を見せた。しかしその人物が誰なのか分かった瞬間、受付嬢は興奮気味に話し始めた。

 

「申し訳ありません!その!気付かなかったもので……!」

 

 目の前に憧れの人物が突然現れたとなれば興奮しても仕方がないことだろう。しかし今は急を要する任務があるために、個人的な話は最小限に留めて軽い自己紹介を済ませた。

 

「この瘴気の谷へネルギガンテが逃げ込んだのは昨日の夕方だ。その前後にこちらで何か変化は?」

「そうだね……ラドバルキンやドスギルオスはここ数週間前から見ていないね。特に珍しいことでもないんだけども」

 

 ダークはフィールドマスターへの質問と同時に、先日の炎妃龍救出任務を思い出す。

 任務そのものは成功したが、ネルギガンテに関する認識を根底から見直さなければならない事態へ発展してしまったことだ。

 渡りを行った古龍達を執拗に付け狙うネルギガンテは、今まで並外れた筋力と再生能力のみに特化した古龍だと思われていたが、その予測を遥かに上回る危険な能力が先日の戦いで判明した。その未知の力を研究班は『龍封力』と名付けた。

 黒い霧状のエネルギーを周囲に放出し、それに触れたエネルギーを無効化するというものだ。古龍がそれに触れてしまえば、風を操るクシャルダオラや炎を操るテスカトの番いであろうと、一切の属性攻撃の手段が無くなってしまう。ネルギガンテが最も得意とする接近戦、格闘戦へ強制的に持ち込む恐るべき力である。

 さらにこの龍封力は古龍のみならず、武器や弾薬といった道具類にも影響を及ぼした。

 ネルギガンテの生態が判明していないため、古龍種に一定の効果を上げる例が多い滅龍石や龍属性の武器を装備していた調査団のメンバーは、その霧に触れた瞬間に所持していた龍属性のアイテムが使い物にならなくなっている事を確認した。

 竜人ハンターの操虫棍、警備班の双剣、オトモとかなで族達が持ち込んだ滅龍石。龍属性に関する物は例外無く無力化されたのだ。

 一方で、調査班リーダーやソードマスターといった龍封力の影響を受けなかった者も大勢存在した。ネルギガンテはそれを認識したか、もしくは数で不利を悟ったのか瘴気の谷へと逃走したのだ。

 狩猟に関する対策が確立されていない以上、それほどまでに危険な古龍が瘴気の谷へ一時的に移動したことは、生態系を大きく乱す可能性がある。

 

「瘴気の谷でネルギガンテが待ち伏せしている可能性もある。細心の注意を払って前進し、双剣隊と合流しよう」

 

 ネルギガンテの住処は龍結晶の地であることを調査団は既に確認しているのだが、なぜ瘴気の谷へ向かったのかを調べるためにダーク達はここへ来た。

 元々は龍結晶の地でネルギガンテの生態を把握するための遠征であったが、一部の部隊が瘴気の谷へ向かうことになった。ネルギガンテへの対策を即座に取れるよう、現地で分析を行う研究班も同行している。

 本来では研究班や編纂者といった非戦闘員達が大勢フィールドに入る場合は、事前にハンターが現地の安全を確保するのが原則である。

 しかし、ネルギガンテの行動を予測することが出来ない現在は一刻も早く情報を入手することが先決だった。

 警備班の実戦部隊である双剣隊は、遠回りだが安全なルートである第1ルートから研究班を護衛しながら降りている。

 ダークが使用した第2ルートは訓練を受けた者でなければ危険な道だったため、そのルートからはダークと受付嬢、アポロが降下し、現地で調査を行っているフィールドマスターと合流する段取りであった。ダークらが位置する南側と双剣隊ら北側からそれぞれ中心に向かうことで、痕跡を虱潰しに探す算段である。そして、ここまでは予定通りであった。

 

「ん……? あれま。意外な助っ人が来たみたいじゃないか」

 

 フィールドマスターが指を差した先には、左脚に白いスカーフを巻いている先程のレイギエナの姿があった。高所の骨に留まっている風漂竜の目線は、ダーク達に向いている。

 見下ろす形でこちらを見ているレイギエナだが、やはり攻撃するそぶりは見せなかった。

 

「ほ……本当に大丈夫なんですかニャ?」

 

 アポロは動揺した声でフィールドマスターへ訪ねる。今はまだお腹が空いていないだけで、空腹になれば襲い掛かってくるのではないかという不安である。

 ダークもその理由が気になった。白いスカーフを身に付けたレイギエナの報告書は記憶に無かったからだ。

 

「ああ、あの子の事に関してはまだ調査中で、ギルドへは報告していないんだったね。あのレイギエナが三期団の船を撃墜したレイギエナだよ」

「ニャ!?」

 

 フィールドマスターの返事が想定外だったため、アポロは仰天した。

 

「レイギエナが気球を撃墜したのは故意じゃなかったって事さ。恐らく初めて見る気球に興味を持ったんだろうね。その時に爪が引っかかり、気球が破れて墜落……ってのが三期団遭難の真相なのさ」

「三期団とあのレイギエナの関係は良好なのですか?」

 

 受付嬢が質問をする。

 

「もちろん。三期団の皆はモンスターに恨みを持つほど暇じゃないし、レイギエナも故意ではなかったとはいえ、墜落させてしまった事に罪悪感を感じたのかもしれないね。私が最初に陸珊瑚へたどり着くまで気球の傍を離れなかったらしいよ。そのおかげで他のモンスターは近寄らず、ツィツィヤックといった肉食竜に襲われずにすんだってことさ」

 

 フィールドマスターは明るい調子で言うが、受付嬢は当時の状況を想像して背筋が凍る感触を覚えた。未知のフィールドで未知のモンスターに遭遇し、全員が遭難、普通であれば全滅してもおかしくはない出来事である。それほどまでに危険な状況を乗り越えられたのは、義理を重んじるレイギエナとサバイバル技術に長けたフィールドマスター、そして未知の陸珊瑚でも食用かどうかを調べることができる三期団の知識、様々な偶然が重なった結果なのだろう。

 

「さて! こちらもそろそろ行動した方が良い頃だね。向こうは慣れない研究班のお守で脚が遅れてるとはいえ、双剣隊も精鋭中の精鋭揃い。モタモタしてると痕跡発見の一番乗りを向こうに取られちまうよ!」

 

 フィールドマスターの喝に、受付嬢とアポロは気を引き締める。

 陸珊瑚の台地で繰り広げられた戦いの後、様々な場所にネルギガンテの痕跡が残っていた。それらを匂いを記憶している受付嬢の導蟲は、ネルギガンテに対する感度に優れている。

 ただし、同じモンスターでもフィールドが違うと僅かに匂いも違うらしい。一度ターゲットを捕捉した導蟲でも、別のフィールドで追跡する場合は現地の痕跡を回収しなければ導蟲は反応してくれないのである。人間どころかアイルーでも分からない『匂いの誤差』とも言うべきこの現象、これは現地の痕跡を回収し続けることで、導蟲が『似ているが僅かに違う匂い』を『同じモンスターの匂い』と認識するまで続けなければならない。

 無論、匂いの元であるネルギガンテに接近すれば痕跡を回収せずとも導蟲は反応してくれるだろう。

 だが、相手を確認する前にその現象が起きたのでは手遅れである。それは、目と鼻の先までネルギガンテが近づいているのだから。

 

「さあ、行こうかい」

 

 先頭を歩き始めたフィールドマスターに受付嬢とアポロが続き、最後尾を歩くダークは後方を警戒しながら護衛を行う。

 死した全ての命が流れつく場所である瘴気の谷。

 ダーク達は、まだ門を通っただけに過ぎない。

 



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奈落へ並ぶ列

 ぶんどり族という名は調査団が付けたものではなく、彼らが自ら名乗っている部族名である。

 獣人族が言う『ぶんどり』というのは、人間で言うところの窃盗や恐喝とは根本的に異なる概念であるらしく、むしろ『慈悲』や『恩恵』といったニュアンスが強い。しかし彼らの概念に値する言葉が人間の言語には無いため、仕方なく研究班は『ぶんどり』という言葉を当てたという経緯がある。

 その『ぶんどり族』という名前は、彼らが谷へ落ちてくるモンスターの死骸を素早く剥ぎ取ることに由来する。オドガロンやドスギルオスといった大型モンスターには勝てずとも、連中が死骸に手を付けるまでの僅かな時間に疾風の如く肉を削り取っていくのだ。

 その作業のために用いる彼らの得物は、一見するとハンターが使用する武器の双剣に酷似している。『ぶんどり刀』という安直すぎるが覚え易い名前の刀剣は、湾曲した刃に沿って振れば斬撃を、逆向きに振れば刺突を繰り出すことができる。さらに、左右の刃を合体させれば殺傷力の高いブーメランにもなる代物である。

 ハンターが見れば恐るべき武器に見えるぶんどり刀だが、肝心のぶんどり族達はそれを作業用にしか使わない。

 

「食べるか?」

「遠慮しておきますニャ……」

 

 善意で差し出されたものだが、瘴気によって変色したそれをアポロは食べる気にはなれなかったらしい。

 双剣隊と合流できたダークは上層部分にネルギガンテの痕跡が無いことを目視で確認し、探索に使用された導蟲にも反応が無いことを確認した。つまり、ネルギガンテは下層に向かったことになる。

 その下層へ降りる途中で、一行はぶんどり族の一員である『忍猫』と偶然出会ったのだ。

 

「ふたつ貰えるかい?」

 

 小さすぎるためか、大型モンスターに見向きもされなかったと思われるラフィノスの死骸。それはここへ落ちてからだいぶ時間が経っているようで、完全に瘴気で汚染されていた。しかし、調査団の中から二人だけ、その肉を受け取った者がいた。フィールドマスターと三期団長である。

 

「大丈夫なのですか?」

 

 その質問は受付嬢だけではなく、双剣隊に所属していた五期団からも出た。

 研究班が同行すると聞いていたダークだが、まさか三期団長が自ら出てくるとは思わず、さらには現地に落ちている死骸を食べる姿など想像したことも無い。三期団長は研究基地から外に出るイメージが無かったからだ。

 

「なにヨ、アタシがこんなことをするの、期団長らしくないと思ってるワケ?」

「…………」

 

 ゴーグル越しにダークの視線を感じたらしい三期団長は、ニヤニヤしながら見返す。表情は瘴気をカットするマスクのために半分しか見えないが、ダークは声の調子からよく分かった。

 三期団長の服装は研究基地の時と変化がない。彼女が学者としての正装を崩さないのは調査団に属するという誇りを持っている事、そして竜人族として新大陸に対し敬意を持っていることに他ならない。

 フィールド内で動きづらい服装は時に命取りになる時があるのだが、それを護衛するのはハンターの役目である。

 双剣隊は護衛対象の服装が動きづらいというだけで任務に支障が出るような素人集団ではない。全員がサバイバル術、剣術、医療術に精通したプロ集団なのである。新米である五期団はまだフィールドに慣れてはいないが、仕事を完遂する意志の強さは四期団以上である。

 

「『理論ではなく、現実を証明せよ』、兄がよく言うの。二流の学者は理論だけを重視して現実を否定することがあるけど、アタシは逆ね」

 

 味覚で得られることも学者にとっては貴重な情報である。時にはハンターでさえ引いてしまうようなことも平気でやってしまう者達だが、だからこそ明るみになった事実も多いのである。

 

「一口だけでもいいから食べてごらん」

 

 既に周囲には瘴気が立ち込めているため、全員が外気を濾過するマスクをしている。

 安全上マスクを外すわけにはいかない場所だが、三期団長とフィールドマスターはそのマスクを外し、ぶんどり族の差し入れを食べた。

 五期団から驚きの声が出る。四期団も事情を知っている様子だが、ダークにはそれでも狼狽えている様子がマスク越しでも分かった。

 

「俺もひとつ貰おう」

 

 毒見薬というわけではないのだが、瘴気に汚染された肉の味が気になりダークも手を上げた。

 

「おお!ソナタも味が分かる男だな?」

 

 忍猫がぶんどり刀で肉塊を切り落とそうとするが、ダークはそれを制した。代わりに取り出したのはキャンプから拝借したレンタル武器の片手剣である。瘴気の影響を考慮してか、骨や革といった分解されやすい素材は使用されておらず、グリップの凹凸までもが削り出しで形成された金属製だ。

 肉塊は瘴気の分解がかなり進んでいた。水分がほとんど飛んで硬くなってしまっていたが、レンタル武器の片手剣はそれなりの切れ味を発揮した。狩猟にも十分使える切れ味である。

 

「…………!」

 

 ダークは一瞬だけマスクを外してその肉の切れ端を食べ、そして驚いた。

 口内に広がる味は腐肉のそれではなく、むしろ熟成した干し肉に近かったからだ。水分が飛んでいるために歯ごたえは硬く、旨味はほとんど無い。しかし、味や硬すぎる歯ごたえにさえ我慢できれば決して食べれない物ではない。

 

「モンスター達の保存食か……」

「その通り。なぜここでモンスターが生きていけるか、分かったかい?」

 

 瘴気の谷は周囲を大峡谷に囲まれているとはいえ、脱出不可能な隔離された場所ではない。

 飛行できるモンスターは当然のこと、危険は伴うが亀裂や段差などを突破すれば十分に外へ出ることが可能なフィールドである。

 事実、牙竜種:オドガロンは瘴気の谷を抜け出し陸珊瑚の台地へ姿を現す時がある。身体能力ではオドガロンに劣るものの、ドスギルオスとその配下であるギルオスも脱出は不可能ではないだろう。

 三期団は彼らがなぜ瘴気の谷を脱出しないのかを研究し、一つの結論を出した。

 フィールドマスターとダークがその身で証明した通り、谷に落ちた死骸は瘴気に分解されると同時に、理想的な保存食を生成するのである。

 

「水分さえ飛んでしまえば腐敗は極度に遅くなる。つまりアタシたちが食用のアプトノスを血抜きしたり干し肉にしたりする加工を、瘴気が代わりにやってるのネ」

「ま、いくら保存食が溢れていても新鮮な生肉が落ちてきたらそりゃ食べたくなるだろうね。一週間を水と携帯食料で済ませてごらん。彼らの気持ちがイヤってほど分かるだろうさ」

 

 三期団長とフィールドマスターは硬い肉を噛みながら言う。

 

「あ、あの……その肉が食べれるのは分かったニャ……でも身体に瘴気が溜まったらどうするんですかニャ?」

 

 瘴気に汚染された肉を噛み続けているダークをチラチラみながらアポロが尋ねるが、それに答えたのは三期団長ではなく忍猫だった。

 

「なんだそんなことか。それはだな……下に行けば分かるぞ」

 

 忍猫は一瞬言葉に詰まった。それはどう見ても隠し事をしている様子なのだが、お人好しなアポロは気付かない。

 ダークはフィールドマスターに目線を向けた。無言の質問に、彼女も無言で頷いた。

 

「ついておいで。瘴気の谷の成り立ちを見せてあげる」

 

 フィールドマスターはそう言うと、アポロへ手招きをして先導を開始した。

 

 

――――――

 

「瘴気の谷がモンスターの死骸を分解するのはなぜだと思う?」

 

 三期団長は歩きながらアポロと受付嬢に問う。

 現大陸では研究者として活動していた受付嬢だが、推理力は学者にも劣らない。

 

「陸珊瑚が栄養となる死骸を素早く分解するために生み出したものではないでしょうか? 腐敗を待っていたのでは大型モンスターに持っていかれてしまいますから」

「それニャ! きっと瘴気が毒性を持つのも分解が終わるまで大型モンスターを近寄らせないようにするためなのニャ!」

 

 受付嬢とアポロの解に、フィールドマスターは感嘆の声を上げた。

 

「さっすが五期団に選ばれた編纂者だね、年寄りが40年掛けて辿り着いた答えをこうも簡単に当ててくるんだから! アッハッハ!」

 

 フィールドマスターが言う40年とは、一期団が新大陸に初めて到達してからの時間である。五期団が瘴気の谷を歩けるのも、一期団から受け継がれてきた調査の賜物なのだと受付嬢は実感した。

 

「おーい!待ってくれ!」

 

 突然後ろから聞こえた大声に後方のダークが振り返る。そこには先ほどの忍猫と、複数のギルオスが取り巻きとして同行していた。

 ぶんどり族も他のテトルーと同様、現地の小型モンスターと意思疎通が出来るとダークは記憶していた。しかし、そのギルオスが瘴気に侵されていることに気付いてダークは少し間合いを測る。

 

「ソナタらは『アレ』に向かうところなのだろう? なら我らも一緒に行くぞ! ギルオス達も『瘴気』を吸いすぎて『正気』を失いかけているからな!」

 

 忍猫の洒落に双剣隊の一人が肩をすくめた。

 ギルオスの体表には高濃度の瘴気と思われる白い靄が発生していたが、攻撃の意志や錯乱している様子が見られないために双剣隊は同行を許可した。ただし、先頭を歩くという条件付きではあった。忍猫の言う通り、いつ正気を失うか分からない相手を背後に置くほど双剣隊は自信家ではない。

 

「先頭を行けと? 当然ではないか。この地は我らの方が詳しいのだ、近道を案内してやろうぞ!」

 

 先頭を歩けと言われた意味を履き違えた忍猫は、ギルオスに跨り前進を開始した。

 そのギルオスらは瘴気に侵されていても指示を聞き分けることが出来るらしい。

 忍猫が跨るギルオスに、先ほどの肉塊を収めたバッグを背負うギルオスが続く。

 忍猫とギルオス三匹を先頭に、フィールドマスター、双剣隊二名と三期団長、受付嬢とアポロ、双剣隊残り三名、そしてダークの列が出来た。万が一ネルギガンテと直接遭遇した場合は双剣隊三名とダークが壁役になり、残りの双剣隊とアポロが三期団長とフィールドマスターを避難させる。

 

「こっちだ!」

 

 忍猫が大きく手招きをしている。

 瘴気が充満するエリアをひたすら前進してきたが、徐々にそれが薄まってきていることに誰もが気付く。

 

「下層には瘴気がほとんど無いのヨ。この辺りには体組織が完全に分解された白骨死体と、そしてそれらを糧にする植物やキノコの類しかないワ」

 

 三期団長はそう言いながら前進する。

 もうマスクも必要無い。視界もハッキリする所まで進んだところで、一行の前に三つのルートが現れた。

 

「これはどっちですかニャ?」

 

 アポロは前にいるフィールドマスターと三期団長に尋ねる。

 

「目的地は向こうであるぞ!」

 

 忍猫はいつの間に見つけたのか、手頃な骨を振りかざして右のルートを指した。

 

「中央のルートは崖を登ればキャンプが設置されてる場所。地図だと分かりにくいけど、覚えておくんだよ」

 

 フィールドマスターの助言に受付嬢とアポロは地図を開いた。

 新大陸で使用されているほぼ全ての地図は、引退した一期団のメンバーが作成したものである。瘴気の谷は最も遅れて調査が始まった場所でもあるため、ここだけはフィールドマスターが最近作成したものだ。

 しかし、古龍や現地のモンスターによって地形が変わってしまうことが多々ある。

 軽微なものは倒木や落石で道が塞がるといった内容だが、ゾラ・マグダラオスが渡りを行った際に地形そのものが変わってしまったエリアもある。一期団が作成した地図は基礎的な部分だけが残り、過去とは大きく異なるものに変貌しているエリアも多い。

 特に瘴気の谷は地下深くへ伸びていく形のフィールドであるため、古代樹の森と遜色ない程地図が読みにくく、修正が難しいフィールドであった。

 

「あれ?」

 

 受付嬢は開いた地図と現在地を交互に確認し、フィールドマスターへ質問をする。

 

「左のルートが正解ではないですか? 右は行き止まりに見えます」

「確かに左の方が広くて近い道ニャ」

「左は……近づかない方が……」

 

 忍猫は咳ばらいをしてごまかそうとする。

 

「あぁ、左の道かい? 確かにそっちは近いっちゃ近いんだけど、あまり行きたくない場所でね……ちょっとだけ見てみるかい?」

 

 フィールドマスターがアポロと受付嬢を連れて左の道へ行く。

 双剣隊の五期団とダークにも手招きしたフィールドマスターは、ちょうど角のところで足を止める。

 

「アニャァァァイ!?」

「わぁぁ……」

 

 後から続いたダークの目にも、そのエリアの光景が飛び込んできた。

 地獄と形容される瘴気の谷の地下に、幻想的な泉が広がっている。

 太陽光がほとんど入ってこない地下深く。もしここが瘴気の谷でなければ、松明などの灯りが必要だっただろう。しかしその泉は何らかの発光成分が含まれているのか、エリア全体を照らす程の光を放っていた。

 

「幻想的だけど、あの泉には指一本触れない方がいいよ。死ぬわけではないけど、かな~り痛いから」

 

 普段は大らかな笑顔でいるフィールドマスターが険しい顔で忠告するのを見て、受付嬢は緊張した。

 

「あの泉は何で出来ているのでしょうか?」

「報告書には『酸』と書いたけど、正確には酸じゃないね。金属は溶けないし、皮膚に付着しても痛みが走るだけで薬傷が残る訳でもない」

 

 後ろから来た三期団長が議論に加わる。

 

「あの酸は植物にも特に影響を与えないワ。人間とモンスターだけがアレに触れると痛みが走るのよ、まるで『触るな』と言ってるみたいにネ」

「このルートはやめよう。忍猫が指してるルートから行くしかない」

 

 ダークは泉に見とれている受付嬢とアポロを呼んだ。

 正面に広がる幻想的な泉は、完全に気密が確保された専用装備が無ければ危険な道である。周囲に酸が滲み、ぬかるんでいるために足を取られて酸の中に転倒してしまう危険がある。

 さらに、導蟲はまだ反応を示していないがかなり地下の最深部に近づいている。ネルギガンテがもしこの先にいた場合、泉を突っ切るルートでは退路を断たれる事態になりかねない。

 全員が元の道に戻ろうとした時、物陰から音もなく赤い影が現れる。

 それはまさに、血の色と言うべき色であった。

 

 



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涼爪と惨爪

 惨爪竜という名前はまったくもって相応しい名前を付けたものだとダークは思った。

 他の生物では見られない独自の進化を遂げたと思える鋭利な爪は、獲物を仕留める以外に不整地を素早く走ることでも遺憾なく発揮されている。

 尤も、その爪がこちらに向いていればそんな感想を考える暇は無かっただろう。

 

「そらっ!」

 

 フィールドマスターはハンターが装備する一般的な規格のスリンガーでは装填できないサイズの骨を構え、発射した。

 だが、その先には空虚しかない。

 その独自規格の『プロトスリンガー』は、開発初期の試作品かつ大型の物である。片手で保持することは難しいサイズと重さのため、両手で構えて照準を取らなければならない。

 

「…………」

 

 目の前で繰り広げられているその光景に、ダークは沈黙し双剣隊は頭を抱えた。

 中央が大きく陥没したそのエリアは、ぶんどり族の拠点のすぐ隣に面している。

 境目は少々狭く匍匐で入らなければならないが、大型モンスターは通れないルートだ。

 そのエリアでオドガロンに遭遇したダーク達だが、フィールドマスターが相手をすることで時間稼ぎをしている。

 

「もう一丁!」

 

 一発目と同程度のサイズの骨が続けざまに発射される。

 連射機構の無いプロトスリンガーをここまで短い感覚で連射するのは、もはや達人の域に達した熟練技である。

 その発射された骨は地面に落ちる前にオドガロンによって咥えられる。二発目は素通りしてしまったが、オドガロンは驚異的な身体能力で壁を蹴り、二段飛びで二発目も咥えることに成功した。

 

「なんとまぁ!」

 

 二発目は地面に落ちる前に咥えられるとは思っていなかったフィールドマスターは、オドガロンの身体能力に驚嘆した。

 そのオドガロンは一回のジャンプでフィールドマスターの元へ戻ると、咥えた骨を地面へ降ろす。

 

「『次は?』って顔をしてるが?」

 

 ダークはフィールドマスターへ呆れたように言う。

 目の前で待機しているオドガロンは、今か今かと待ちわびている様子だ。その首には先ほどのレイギエナと同じ物だが、瘴気で少し黄ばんだ白いスカーフが巻かれている。

 フィールドマスターの『取ってこい』に気を取られている間に他のメンバーは移動しているのだが、当のオドガロンは遊びに夢中で全く気にしていない様子である。

 

「次で最後!」

 

 フィールドマスターはもう一度骨を高めに発射したが、オドガロンはあっと言う間に戻ってきた。当然骨を咥えて。

 

「今は任務中なんだ。さあ帰った!」

 

 フィールドマスターが鼻先を押しやる。だがオドガロンはまだ遊び足りないとでも言うように、今度はフィールドマスターのアイテムポーチを咥えて離さないようにしてしまった。

 力は加減されているのだが、ガッチリと咥えて離さないオドガロンを振りほどこうとフィールドマスターは奮闘する。その時、奥の空洞から影が落ちてきたことに気付き、オドガロンは急にアイテムポーチを離した。

 尻もちをつきかけたフィールドマスターをダークが支え、オドガロンが向いた先を見る。そこには上層で会ったレイギエナが滞空していた。

 

「また面倒なことになりそうだ……」

 

 オドガロンは新しい遊び相手を見つけた様子で、レイギエナへ飛び掛かる。それを軽く躱したレイギエナは、ちらりとフィールドマスターの方を向いた後にオドガロンの相手をし始めた。隙だらけの背中に留まったり、尻尾を脚で掴んで引っ張ったりと、その動きはオドガロンに劣らず素早い。

 その隙にダークとフィールドマスターはぶんどり族の拠点へと入る。

 

「あいつらはいったい何なんだ? 調査団のペットか?」

 

 防具に付いた土を払いながら、ダークはフィールドマスターへ詰問する。

 

「あの子はここ最近来たばかりの惨爪竜さ。初めは他のオドガロンと同じく凶暴なヤツだったよ」

「それがどうして?」

「ゾラ・マグダラオスが大峡谷に裂け目を作った後に、三期団の基地へ大量の保存食が運搬可能になったのは知ってるね? ツィツィヤックがレイギエナを恐れて近づかなくても、恐れないヤツもいたってこと」

 

 フィールドマスターはため息交じりに話を続けた。

 

「保存食は干し肉が主流だろう? その荷物を満載した輸送班の竜車があのオドガロンから不意討ちを受けてね」

「ちょうど5年前だったかしら? 保存食を平らげたオドガロンが研究基地に姿を見せるようになったノ」

 

 三期団長は研究者の正装に付いた土を入念に落としたようだが、まだ汚れは取れていなかった。

 

「瘴気によって乾燥した肉は同時に塩分も抜かれる、血液が分解されるせいでネ。味なんかほとんど無い『瘴気肉』より、人間が作る干し肉の方が格別な味だったんじゃない?」

「餌付けしたんですか?」

 

 話を聞いていた双剣隊の一人の男が三期団長に尋ねる。

 

「餌付けと言えば妙ね。研究基地と敵対する存在は少ない方が良いでしょ?生態系へ干渉しているとは言っても、自分の身を守る方が優先だとアタシは思う」

 

 オドガロンはかつて、凶暴なモンスターという認識が強かった。

 事実、最近でも調査員に襲い掛かってくる個体が出現する時がある。しかし、その類のモンスターは餌場の近くへ縄張りを置くことが目的であり、ハンターを倒すことに拘る個体などは存在しない。ハンターの長所である数を活かした連携、その攻撃で大抵の個体は縄張りを置くことを諦め、別の場所へ移動する。

 先程のレイギエナとオドガロンが特別なのは、同種の中で圧倒的に強いことも関係している。しかし、最大の理由は新大陸調査団に対する行動が敵対的ではないことだろう。

 現大陸と異なり、自給自足を強いられる新大陸では大規模な補給を受けること自体が極めて稀である。限られた物資と人員で食料を確保し、安全を確保し、調査を継続する。これは簡単なことではない。

 陸珊瑚の台地と瘴気の谷の主は、敵対的ではない上に強力なモンスターである。それらを相手に大量の物資と人員、そして時間を浪費してまで戦って得られるものが『次に台頭するモンスターとの戦闘までの僅かな時間』では、費用対効果が割に合わなさすぎるのだ。

 これは、つい最近白いスカーフが配された古代樹のリオレウスとリオレイアにも当てはまる。

 

「研究基地や各地のキャンプに近づくモンスターと延々戦い続ける暇も物資もメリットも無いってこと。あの二匹は雇われの用心棒ってところね」

 

 フィールドマスターがまとめた言葉には全てが詰まっていた。まさにあの二匹は現地で雇われた用心棒、という表現がしっくりくる。

 

「……先に進もう。もうこの辺りは最深部に近いはずだ」

 

 ぶんどり族の拠点では忍猫以外のメンバーは全員出払っている様子で、そこには誰もいなかった。近場には小さいながらも酸の泉が湧いているが、先ほどのエリアとは異なり足場の高さに余裕がある。流れも比較的穏やかであり、ぶんどり族にとって酸の泉の存在は特に問題は無いようである。

 ダークは導蟲のコロニーを軽く叩いて刺激を与えた。それに驚いたのか、一瞬だけ青い光を出しつつ導蟲が宙を舞う。だが何処へも飛び立つことは無く、全ての導蟲がコロニーへ戻ってきた。

 最深部まで来て導蟲が反応しないということは、ネルギガンテは既に別の場所へ移動している可能性が高くなった。

 だが、ネルギガンテは確かに瘴気の谷へと移動したのだ。手掛かりを何も得ないまま帰還することはできない。遠征の本隊へ少しでも情報を持ち帰らなければならないのだ。

 

「この先は行き止まりです」

 

 受付嬢はダークに告げる。

 ぶんどり族の拠点を出ると、先ほどの酸の泉のエリアが左に見える。上手く迂回するルートでやりすごすことが出来た一行は瘴気の谷の最深部へ向かうが、地図はそこで終わっている。

 

「私たちが行けるのはここまで。あとは『向こう』が来るのを待つしかないね」

「向こう?」

「なんだおヌシ、知らずにここまで来たのか?」

 

 フィールドマスターの含みを持つ言い方が理解できなかった受付嬢へ、忍猫が不思議そうに尋ねる。

 

「来るって、何が来るのニャ?」

「それは――」

 

 忍猫が『相手』を受付嬢にバラそうとした時に、それは現れた。

 全身を取り巻く瘴気、もはや何か元なのか判別の付かない屍肉、薄っすらと光る赤い目。

 酸の泉の中を優雅に歩くその姿は、この世の者とは思えない印象を見る者に与える。

 

「ヴァルハザク……!」

 

 受付嬢はその名を呼ぶ。

 三期団によって発見されたその古龍は、古の言葉で『死の楽園』を意味するという。

 ヴァルハザクは、ゆっくりと受付嬢の前に歩みを進める。

 

「おっと、大丈夫だよ」

 

 まさに『死』が直接迫る錯覚を受けた受付嬢は、怯んで数歩後ろへ下がろうとする。その時にフィールドマスターにぶつかってしまうが、彼女は優しい声音で受付嬢をなだめる。

 

「彼女こそ、この谷の礎。瘴気の谷の生命の源」

「えっ?」

 

 フィールドマスターがその言葉を言い終わる時、受付嬢は自身の身体から瘴気が流れていくのを目にした。

 

「これは!」

「ニャ!?」

 

 受付嬢だけではない。アポロ、フィールドマスター、三期団長、双剣隊、そして忍猫とギルオス達からも瘴気が流れ出し、ヴァルハザクへと吸収されていく。

 

「瘴気が……!」

「を゛を゛~、気持ちいいニャ~」

 

 まるで昼寝から目覚めた時のような解放感に、アポロは気の緩み過ぎた声を出す。

 他の者たちも、アポロほどではないが解放感に満ちた声で背伸びをする。

 

「なぜこの地で生き物が生きていけるか、わかったかい?」

 

 フィールドマスターは悪戯を成功させたような顔で受付嬢を見る。

 

「ヴァルハザクが瘴気を吸収してくれるから……!」

「その通り。谷の生物は屍肉を食べると自然に瘴気を吸収してしまう。けど、ヴァルハザクがそれを糧にすることでみんな生きていけるのさ」

 

 瘴気に完全な耐性を持つヴァルハザクは、同時に瘴気を糧にする生態を持つ。

 生物にとって有毒な瘴気が満ちている上に、モンスター達がなぜ古龍が住み着くこの地から逃げ出さないのか、受付嬢とアポロは理解した。

 

「他の生物は瘴気の谷で屍肉を食べ――」

「体に溜まった瘴気をヴァルハザクに治してもらってるのニャ!」

 

 その回答に、フィールドマスターは満足そうな笑顔で頷いた。

 

「屍肉を食べたモンスターは瘴気をヴァルハザクに届け、そしてヴァルハザクはそれを吸収することで瘴気を効率よく集める。ここは地獄のように見えるフィールドかもしれないけれど、モンスターにとっては安息の場所じゃないかい?」

 

 アポロは忍猫の連れていたギルオスに気付いた。彼らの表皮を侵食していた瘴気が完全に無くなっており、元気そうな様子である。

 気分が爽快になった一行の後ろから、何かが地を蹴る振動が伝わる。

 ダークは背後から迫る振動に剣を抜きかけたが、それがネルギガンテよりも速いことに気付いて収める。先程別れたオドガロンが背中にレイギエナを乗せた状態で全力疾走してきたのだ。

 

「アニャァァァイ!?」

 

 並のモンスターとは比にならない速さで迫ってきたオドガロンがアポロにぶつかる寸前に跳躍し、さらにレイギエナが後方回転しながら飛び立つ。さながら曲芸を見せつけるかのような動きに全員が唖然とする。

 

「あれはどういう意味なんですかニャ?」

「さあ? 身体に溜まった瘴気を吸ってくれ、というアピールかもしれないわネ」

 

 三期団長の軽い予測は意外にも的中したらしく、ヴァルハザクはやれやれといった様子で瘴気を吸収した。

 屍套龍:ヴァルハザクはフィールドマスターと三期団によって比較的調査が進展している古龍である。

 全身に屍肉を纏っているのは、瘴気を少しでも多く溜めるための工夫である。ハンターで例えるならば、食料と予備弾倉を満載した状態であろう。

 調査員やギルオス達、オドガロンとレイギエナの瘴気を吸い尽くしたヴァルハザクは、全身に渦巻く瘴気の勢いが更に上がったように見える。

 

 「ほら、あんたも吸い取ってもらったらどうだい? 瘴気は人間には毒だからね」

 

 フィールドマスターが最後尾で警戒していたダークを呼ぶ。

 周囲にネルギガンテの痕跡が見当たらない事を確認していたダークは、古龍を喰らう古龍であるネルギガンテがなぜヴァルハザクの前に現れないのか考えていた。

 ダークが前に出る。

 この地に君臨する古龍の前に歩みを進めたダークは、真っ直ぐヴァルハザクの目を見る。そして、この次に起こることが予測できた。

 

「…………」

 

 最後の一人の瘴気をヴァルハザクが吸収し始める。

 全身から引き摺られるように伸びた瘴気が、表皮で渦巻く方の瘴気に触れたその時だった。ヴァルハザクはまるで目の前に突如天敵が現れたかのように驚愕し、大きく後退した。

 ダーク以外の者は何が起こったのか分からず、狼狽えるだけだった。

 

「何をしたの!?」

 

 三期団長がダークへ問い詰める。

 ヴァルハザクが敵対心を見せたことすら初めての経験であったため、三期団長はひどく慌てた状態だった。

 ダークは片手剣を抜き、切っ先をヴァルハザクへ向けた。

 



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敵対

 猛烈な勢いで吐き出された瘴気が壁に激突する。

 ダーク目掛けて放たれた攻撃だが、そのどれもがことごとく躱されていた。

 

「相棒!やめてください!」

 

 受付嬢は悲痛な声を上げる。ヴァルハザクは異常なまでの敵対心をダークのみに向けていた。

 その証拠に、ヴァルハザクはダーク以外の者、フィールドマスターや双剣隊のメンバーには一切攻撃を仕掛けていない。それどころか、彼らの間に位置取り『盾』の役目を果たそうとしているかのようであった。

 この場に居合わせたレイギエナとオドガロンも、ここまで怒りを顕わにしたヴァルハザクを見たことが無い様子である。先程の茶化すような雰囲気は消え失せている。

 

「援護します!」

 

 双剣隊が武器を抜いて参戦しようとするが、フィールドマスターがそれを制止する。

 

「攻撃はしないで!」

 

 しかし怒気を含めた声はダークに向けられたものだ。

 突然の事とはいえ、ヴァルハザクがダークのみに攻撃をしているのは誤解や誤認といった理由があるはずである。それを確認する前に応戦してしまっては、今までに築き上げた信頼関係が崩壊してしまうとフィールドマスターは危惧した。

 三期団長や受付嬢も必死に理由を考えるが、何も思い当たることが無い。

 

「キャンプまで走れ!」

 

 ヴァルハザクの影から心配していた受付嬢へ、ダークは指示を出した。

 大量に身体に溜まった瘴気が動きを緩慢にしているのか、ヴァルハザクの攻撃はどれも狙いが甘い。しかし徐々に瘴気の総量が減ってきているため、精度が上がってきている。

 

「撤退です! 一度キャンプへ下がってから態勢を立て直しましょう!」

 

 ダークの指示を聞いた双剣隊のひとりが、受付嬢の肩を叩いて合図する。

 

「しかし!」

 

 受付嬢はダークの身を心配し、撤退の脚が遅くなる。三期団長やフィールドマスターも退くしかないと判断したようで、キャンプへ移動を始めた。それに忍猫とギルオスも続く。

 ヴァルハザクは尚もダークへ猛攻を仕掛ける。単純な狙いでは避けられると考えたのか、今度は瘴気を薙ぎ払うように照射した。その攻撃をダークは地面へ伏せて回避する。

 ネルギガンテが格闘戦型の戦闘スタイルなら、ヴァルハザクのそれは全くの正反対である。瘴気を用いた遠距離戦に特化しているが、瘴気の重さで動きは緩慢であるために接近戦には難がある。他の古龍やモンスターに対しては一発でもブレスを直撃させれば瘴気が侵食してカタを付けてくれるが、それらを全て回避する相手には対応しきれない。

 その時、ダークに手こずるヴァルハザクを心配したのだろう。傍観者であったレイギエナとオドガロンが加勢し始めた。今日会ったばかりの新参者と昔からの顔なじみでは、信頼すべき相手は自然に決まるものだ。

 ブレスの照射後に出来る隙に接近を試みたダークだが、オドガロンの爪が目前を掠る。その直後にレイギエナの尻尾が背後から叩きつけられた。しかし、なぜヴァルハザクがダークへ猛攻を仕掛けているのか理解できていないようで、攻撃は牽制程度のものだった。ダークが動かずとも攻撃が当たらなかったからだ。

 

「撤退完了です!」

 

 双剣隊のひとりがエリアの外側からダークへ叫んだ。物陰に隠れながらの報告はモンスター達の注意を引き付ける目的もあったが、ヴァルハザクはそれを意に介さずダークのみに集中攻撃を続けている。

 

「了解だ」

 

 ダークは足元に転がっていた赤い石を拾い上げると、スリンガーへ装填した。調査団から『種火石』という名で呼ばれているそれは、割れると内部の燃焼成分が露出する鉱石である。主に暖をとる焚火にしたり、フィールドの中で単純な調理をする時に用いられる。

 燃焼成分が露出していない鉱石の形態では簡単に火が付かない安全性に加え、燃焼中は煙も無く強い臭いも発しない。さらには木炭や薪といった燃料よりも低温で燃焼するため、不意に燃え広がる可能性も遥かに低い。

 本格的な料理や暖房用には火力不足だが、手軽に火を用意できる便利なアイテムとして調査員に重宝されている。

 正式な手順では木槌で軽く叩いて割り、着火源を別に用意して点火する必要がある。しかし、調査員達はほとんどが面倒くさがってスリンガーで射出し、強い衝撃で割れた時に出る火花を利用して点火する方法を取っているのだ。

 ダークは規則違反である調査員の悪知恵を利用しようと考えた。

 レイギエナとオドガロンの盾になろうと前へ出たヴァルハザクは、ダークと間合いを計りながら距離を詰める。その足元へダークは種火石を発射した。

 硬い地面に叩きつけられた種火石は見事に粉々に割れ、その際に飛び散った火花が引火し小さな炎が発生する。

 その程度の炎ではヴァルハザクに敵うはずも無い。しかし、取り巻く瘴気に乱れを起こす程度の影響を与えることは出来る。

 ほんの一瞬だけ怯んだヴァルハザクが見せた隙を突き、ダークは追加で煙玉を地面に炸裂させる。握りこぶし大の煙玉は猛烈な白煙を発生させ、瞬時に視界が真っ白になる。

 

「追撃は……無しか」

 

 ヴァルハザクは瘴気の扱いに優れているため、視界が悪くとも瘴気を利用した探知方法を持っている可能性があった。

 ダークは遠距離から瘴気のブレスで狙撃されることを考慮し、ジグザグに回避行動を取りながら移動した。しかし思ったような追撃は無く、無差別に攻撃する様子も無い。

 周囲にレイギエナとオドガロンがいるために、誤射を避けようとしての行動だろうとダークは判断した。

 危険な行為ではあったが、キャンプへの最短距離である酸の泉を突っ切ったダークは下層のキャンプへと辿り着いた。

 このキャンプのみ、瘴気が辺りに蔓延している危険性から常駐の調査員が居ない。そのため当然ながらキャンプ内には薬品も食料も無い。あるのは防具や武器を応急処置するための簡易的な工具類のみである。

 

「何をしたのか聞かせてもらおうかしら」

 

 キャンプへ辿り着いたダークを待っていたのは、フィールドマスターと三期団長の尋問であった。

 ヴァルハザクがダークの瘴気を吸収した瞬間に敵対行動を起こしたのは、ダーク自身に何か問題がある以外に考えられなかったからだ。

 

「そうだな……」

 

 キャンプの前に置かれている、丸太を切っただけの椅子に腰かけ、ダークは思考する。

 

「20年前。三期団とフィールドマスターによってヴァルハザクは発見された」

 

 ダークの返答が予想外だったために、フィールドマスターは次の言葉に迷った。

 

「さらに30年前、二期団到着の前後に一期団とネルギガンテが交戦し、総司令が負傷」

 

 鋭い目線が、フィールドマスターへ向けられる。

 

「ネルギガンテは少なくとも30年前に新大陸に来ていた。一期団が収集していた導蟲が先日のクシャルダオラ潜伏事件の時に反応したことから、同一個体と証明できる」

 

 ダークが新大陸に到着した直後の任務。クシャルダオラの捜索で調査班リーダーが使用した導蟲は、古龍の接近を感知するために一期団から痕跡の収集が行われていた物だった。それが反応したということは、40年前から痕跡を集めていたネルギガンテと30年前に総司令や料理長と交戦したネルギガンテ、古代樹の森で戦闘になったネルギガンテは全て同一個体と証明できる。

 

「そして20年前に発見されたとはいえ、ヴァルハザクは生態から言って外来種とは思えない。つまりネルギガンテとヴァルハザクは状況証拠的に30年前、物的証拠では20年前の段階で既に新大陸に存在していたことになる」

 

 ダークが過去の事実をひとつひとつ確認する。

 

「渡りの古龍達を三匹同時に相手にして、尚かつ圧倒する実力を持つ古龍が瘴気の谷の要となっているヴァルハザクに気付かないはずが無い。しかしヴァルハザクは今この瞬間も健在ということは……」

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 ダークの言葉を遮り、ぶんどり族の忍猫が大声で詰め寄る。

 

「我らの守護神様があの悪魔とグルになっていると言いたいのか!?」

 

 小難しい説明よりも、極めて単純明快な表現である。

 忍猫も含め、ぶんどり族が瘴気の谷で生きていけるのはヴァルハザクのおかげなのだ。

 自分達の守護神とも言える存在が、ぶんどり族にとっても脅威となっているネルギガンテと組んでいるとは考えたくもない仮説だろう。

 

「しかし……それならなぜ相棒だけに攻撃を仕掛けたのでしょう? 調査団と敵対しているネルギガンテと組んでいるなら、他の皆さんも標的になるはずです」

 

 受付嬢がぶんどり族に配慮した反論を言う。

 ヴァルハザクは調査団と敵対したのではなく、ダーク個人を執拗に狙っていた。そして他のメンバーの盾になるような位置取りを崩さなかったことからも、ヴァルハザクは新大陸調査団に対して敵対する意志は無かったのだと受付嬢は考えた。

 

「……あなたの黒龍の宝玉に気付いたのかもネ」

 

 三期団長が慎重に言う。

 ダークが他のハンターと、唯一にして絶対的な装備の違い。それは汎用品や規格品の類で装備を固めていても、常に黒龍の宝玉を所持していたことだろう。

 アミュレットとして加工されている黒龍の宝玉は『黒』という色すらも超え、『漆黒』と表現される方が正しい色をしている。

 

「黒龍……? ミラボレアスのことですか!?」

 

 双剣隊の者が驚いた声で言う。

 ミラボレアスという古龍自体が、超常的・伝説的・神話的存在であるが故に、交戦記録や目撃情報すら一般公開されていない極秘中の極秘の存在だったからだ。

 現大陸の噂では、ギルドナイトですら弾かれるほどの厳重な情報統制が敷かれており、それらにアクセスできる人数は片手で数えられる、という比喩までされた程である。

 

「ああ。その通りだ」

 

 双剣隊の者は、ミラボレアスに関する噂を思い出す。

 シュレイド王国を一晩で滅ぼし、その周辺には近づくモンスターすら無い。さらに、『ミラボレアスの素材で作られた武具を身に付けた者は末代まで呪われる』という突拍子もない噂まである。

 学術的な仮説や伝承を元にした御伽噺、酒場の噂話に至るまで、共通しているのは生命に対する絶対悪ということであった。

 

「ミラボレアスを……悪の龍をあなたが討ち取ったのですか?」

 

 双剣隊の質問に、ダークの感情は何も反応を示さなかった。

 強大なモンスターを討ち取ったハンターは当然ながら『英雄』と称される。だが、その『英雄』が戦いの後に身体的、精神的に変貌することも多い。

 仲間の死に負い目を感じ、生きる気力を無くす者。英雄と呼ばれる事に愉悦を感じ、尊大な振舞いをする者。命のやり取りという極限状態にしか生き甲斐を見出せなくなり、自ら戦いに飛び込んでいく者。

 一般人には意外に思われる英雄の変貌だが、ハンター職の人間にとっては珍しいことでもない。モンスターの生態が解明され、武具の技術やノウハウが蓄積された現代では、狩猟の危険性は大幅に低減したと言える。だが、モンスターと戦うのはあくまで『人間』である。

 殺したモンスターの悪夢を見たり、竜が絶命する瞬間の顔を忘れられない者、殺した竜の子供を見てしまった者など、怪我でハンターを引退する者よりも精神が壊れてしまう人間の方が圧倒的に多いのだ。

 

「生命に『善』と『悪』というものがあるのなら『そんな龍は存在しない』とだけ言っておこう」

 

 ダークはミラボレアスを善悪で断じることをしなかった。それは他のモンスターにも、当然ながらヴァルハザクとネルギガンテにも当てはまる。

 

「単純に利害が一致しているだけの一時的な同盟なのか、それとも共通の目的がある同志と言える関係なのか。それを確かめればネルギガンテが新大陸で活動している目的の手掛かりになる」

「しかし……どうやって確かめますか?」

 

 受付嬢は編纂者なりに、現在の状況があまり良くないことを理解していた。

 ヴァルハザクがダークのみに敵対的である以上、他のメンバーが同行するのは危険であった。黒龍の宝玉が原因という仮説は出たものの、はっきりとした理由が不明だからである。

 調査員がダークに協力的な姿勢を見せ続けた場合、ヴァルハザクが調査団全員を外敵と認識し攻撃対象にする可能性がある。さらに、体内に侵食した瘴気を取り除いてくれるヴァルハザクという唯一無二の存在に、レイギエナとオドガロンが同調する可能性も高い。

 この地は『古龍渡り』に深く関わっていることが疑われているために、瘴気の谷に敵対的なモンスターが事実上存在しない現状を崩すことは、調査の進捗に悪影響が出ることを意味する。

 谷に生息するモンスターの生命維持に貢献するヴァルハザク、陸珊瑚の台地と瘴気の谷の頂点に君臨するレイギエナとオドガロン。仮に三体のモンスターを全て討伐しても安全にはならない。別個体のレイギエナとオドガロンが空席となったフィールドの主の座に付くだけである。そして、新たな主に白いスカーフは無いということだ。

 

「戦術的に前例の無い作戦だが、考えがある」

 

 皆がこの状況で有効な作戦が思いつかないなか、ダークはその作戦を説明した。

 しかし、誰一人としてその作戦に賛成する者はいなかった。普通の人間なら、考えもしない内容だったからだ。

 



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墓荒らし

 恐らく、その戦いは瘴気の谷で行われた戦いとしては最も大規模なものだっただろう。

 ヴァルハザクとレイギエナとオドガロン、そして双剣隊五人とフィールドマスター、三期団長と受付嬢とアポロ、忍猫とギルオス達。

 彼ら、彼女らは、世界に4名しか存在しないハンターの内の一人、『黒き闇』の暗号名を持つ相手に戦いを挑んでいた。例えそれが調査のための演技であったとしても、楽観できる状況ではなかった。

 

「側面!」

 

 右側面から斬りかかった双剣隊の男性は、ダークの剣と斬り結んだ。

 

「何か気付いたか?」

「いいえ、相変わらずあなたを狙ってますよ」

 

 ダークと双剣隊の男性は斬り結びながら短い会話を交わす。調査員達はダークが提案した作戦を不安ながらも実行していた。その内容は至極単純で、『ダークと戦う演技をする』というものだった。

 要は、ダークだけに敵視を向けるヴァルハザクを皆で援護することで、その理由を探そうというものだった。

 数では圧倒的にヴァルハザク側が有利である。しかし、ダークの周囲に大勢の人員が展開しているために、演技とは思っていないモンスター達も同士討ちを恐れて迂闊に攻撃が出来ない状況であった。

 

「ヴァルハザクの後方で待機だ」

「了解です」

 

 斬り結んだ剣を互いに引くと、双剣隊の男性はヴァルハザクの後方へ移動した。

 ダークの経験上、古龍であれ飛竜であれ、モンスターが人間に攻撃を仕掛けることには必ず理由が存在した。中でも『縄張りへ侵入する』ことは最も多い理由であろう。

 モンスターの縄張りとは人間やアイルーに例えるなら『自分の部屋』である。人間でも自分の部屋に見ず知らずの者がいきなり入ってくれば、警戒したり怒ったりするだろう。

 モンスターの場合はその『部屋』の境界が壁や天井といった見えるものではないため、どこからどこまでが縄張りなのかは分からないのである。

 縄張りを主張する場合、爪や鱗、体毛や排泄物を落とすマーキングを行う。しかし、ヴァルハザクの場合はそのようなものは見当たらなかった上に、他の調査員には全く攻撃を仕掛けていないのである。

 初対面の者が縄張りに侵入したことに対して怒っているのであれば、同じく初対面であるはずの受付嬢やアポロも攻撃対象になる。ダークが顔なじみではないから、という理由は否定された。

 

「ウラァァァ!」

 

 ダークの左側面からは、ギルオスに跨った忍猫が突撃の指令で突っ込んできた。

 ぶんどり族の言語で事態を理解しているのか、ギルオスも攻撃に覇気が無い。本来であれば牙から大量の麻痺毒が分泌しているはずが、一滴も落ちていなかったからだ。

 ダークはスリンガーへ捕獲用ネットを装填した。環境生物を捕獲するために使用される使い切りのネットだが、小型モンスターの大きさであれば体に絡ませて無力化することもできる。

 構えたスリンガーからネットが発射された。ネットの端に取り付けられた重りによって放射状に開いたそれは、ギルオスの上に跨っていた忍猫に直撃する。

 

「ナァァァ!?」

 

 まさか自分がターゲットになるとは思っていなかった忍猫は体に絡まったネットでバランスを崩し、地面に転がり落ちた。

 

「ムアァァァ!!! 誰か助けろ!」

 

 ギルオスは攻撃よりも忍猫の救援を優先した。ダークを取り囲んでいたギルオス達が忍猫のところへ集まりネットを解こうとするが、複雑に絡まったネットを見て早々に諦めたようである。

 ネットごと引き摺られてヴァルハザクの後方に運ばれた忍猫は、双剣隊の男性によって解かれるまで地面に突っ伏したままだった。

 

「後ろから仕掛けますよ!」

 

 次の相手である双剣隊の女性はそう叫ぶなり、ダークに斬りかかった。

 瘴気の影響を軽減する目的の火属性の双剣がダーク目掛けて振るわれる。右手の剣を縦斬りで繰り出した攻撃は、曲面のデザインを描く『左手の盾』にいなされる。

 本来、右利きの場合における片手剣の構えは、右手に盾、左手に剣を持つ。

 片手剣に限らず、ランスやチャージアックスといった『矛と盾』を持つタイプの武器は、通常利き手とは逆の位置に剣を持つ。これは狩猟を成功させることより生きて帰ることを重視し、利き手の盾で致命傷を避け、確実に防御する目的があるのだ。

 ハンターが使用する武器でも小型の部類に入る片手剣でも重量はそれなりにあるため、訓練を重ねれば利き手でなくとも効果的な斬撃を行うことができる。故に、正規の構えを崩すハンターは稀である。

 ダークは左手に盾を、右手に剣を持つ構えをしていた。だが、素人がやりがちなミスとは明らかに異なる構えである。

 

「…………なッ!?」

 

 双剣隊の女性は、盾の表面を滑り地面を斬った右手の双剣をダークに蹴り飛ばされた。地面を滑っていった双剣の片割れは軽い火花を出して止まる。そして、次の瞬間には地面と天井が逆転していた。

 武器を蹴り飛ばされた勢いのまま、体を投げ飛ばされたのだ。

 無論、双剣隊の女性も並のハンターではない。無様に背中から落ちる事は無く、瞬時に受け身を取り武器を構える。しかし、片方とはいえあまりに一瞬で武器を喪失したために双剣隊の女性は動揺した。明らかにモンスター相手に行う動きではなかったからだ。

 

「同じくヴァルハザクの後方へ」

 

 双剣隊の女性は、ダークの異質な構えと素早い体術を見て確信した。『対人戦闘に慣れている』ということに。

 ギルドナイト、組織名では『ギルドナイツ』と呼ばれる者達は、ギルドに所属するハンターなら誰でも知っている治安部隊である。

 密輸を行う違法ハンターの取り締まりや、貨幣を狙った野盗の排除、偽造通貨の摘発、報酬を巡るトラブルの解決など、ギルドの根底となる制度の維持を目的としている。

 時には狩猟用武器で武装した違法ハンターと戦闘に発展する事例もある。そのためにギルドナイトは対人戦闘を徹底的に訓練している。

 ハンターがモンスターの頑丈な甲殻や鱗へ効果的な攻撃を行うためには、大型の武器を体重を乗せて振りぬくことが必要である。大振りの『力』を重視した対モンスター戦闘術に比べ、ギルドナイトの対人剣術は『速度』を重視したものである。

 厚い装甲で覆うことができない首や関節といった部分へ適切な攻撃を繰り出し、生かした状態で逮捕することに特化している。

 人間が相手である以上、過剰な大きさや過剰な重さの武器はかえって不利になる。故にギルドナイトの武器装備は細身かつ軽量な物が多く、速さを重視した戦闘術も加われば当然『構え』も変わってくる。

 双剣隊の女性はダークがギルドナイトであることを疑ったが、今はその正体よりも任務が優先であることを自覚していたために、気持ちを切り替える。

 

「了解です!」

「ついでに借りるぞ」

 

 蹴り飛ばされた火属性の双剣の片割れをダークが拾う。代わりに盾をその場で捨てると、即席の双剣になった。片手剣と双剣は盾と剣を交換すれば互いの装備を瞬時に入れ替えることができる簡便さも長所の一つである。

 武器の技術が洗練されはじめている現代では陳腐化した戦術だが、弱点が異なる複数のモンスターと遭遇した場合には今でも行われることがある。ダークの場合は瘴気ブレスを盾で防げないことが理由だった。

 双剣隊の三名はフィールドマスター、三期団長、受付嬢の護衛で動かない。忍猫とギルオス達、残り二名の双剣隊はヴァルハザクの後方へ移動した。

 オドガロンが代わりに前に出ようとする。しかし、アポロが攻撃の巻き添えになることを直感したのか、ヴァルハザクがそれを押さえつけて許さなかった。レイギエナもそれを見て後方に留まった。

 このことにより、ダークとヴァルハザクの射線上に残ったのはアポロだけになった。

 

「旦那さん……」

 

 アポロの手には、ぶんどり族の拠点で忍猫から渡された『ぶんどり刀』が握られている。奇しくも同じ装備構成となった両者だが、アポロは手が震えていた。演技とはいえ、人に武器を向けたことは無かったからだ。

 ダークはヴァルハザクを見た。瘴気のブレスを撃ってこないということは、ヴァルハザクはアポロも敵ではないと認識していることになる。

 

「来い、アポロ」

「行くニャ、旦那さん!」

 

 アポロはぶんどり刀のような双刀武器の訓練を受けたことはあるものの、その武器を用いた実戦は初めてであった。しかし、相手が暗号持ちのハンターだったことが逆に自信に繋がった。実力差から互いに間違って斬ってしまう事は無いと考えたからだ。

 ぶんどり刀を構え、アポロは駆け出した。

 姿勢を低くしたままダークの間合いに入ったアポロは、右のぶんどり刀を胴体目掛けて振るう。ダークはそれを左の剣で受けると、右手の剣をアポロへ横薙ぎで繰り出した。その剣は片刃であり、当然ながら峰打ちである。

 アポロはダークの動きを再現するように左の剣で受けた。ぶんどり刀の曲線を描く独特な刃に噛み込み、ダークの剣も同じく受けられた。

 

「…………!」

 

 ダークがアポロの戦闘訓練を行ったのは、大蟻塚の荒地でソードマスターが行方不明になる直前の一回だけだ。

 それだけでも尚、アポロの実力は急速なペースで上昇しつつある。陸珊瑚の台地ではネルギガンテへの攻撃で的確な援護を行い、今この瞬間でも優れた剣術を繰り出してきている。

 互いに斬り結んだ状態で、アポロは真っ直ぐダークの目を見ている。その目には先ほどまでの気の迷いは無い。

 アポロの成長に感心したダークだが、不意に左手の剣を離した。アポロは斬り結んだ勢いのまま前方へよろけてしまい、一瞬で背後を取られてしまった。

 

「なんと!?」

 

 あまりの早業にアポロは何が起きたのか理解できなかった。気付いた時にはダークの左腕で首を締められるようにホールドされていたのだ。

 

「強くなった、と言いたいところだが……アポロに対人剣術はまだ早いな」

「ウニャー!不覚!」

 

 ダークの左腕で首を絞められながら、アポロはジタバタする演技を見せる。

 その腕には全く力が入っていないために、アポロは問題なく呼吸が出来る。だが、ヴァルハザクはそう見えなかった様子であった。

 人質ならぬ猫質を取られたヴァルハザクは、ゆっくりと間合いを詰め始めた。今すぐその子を離しなさい、とでも言うように、一歩一歩進む。

 

「旦那さん、どうするニャ……?」

 

 アポロの質問に、ダークは答えられなかった。

 ヴァルハザクは瘴気を最大限利用した生態を持つ。通常、瘴気に侵食された個体は軽い興奮状態に陥る。その程度は人にもよるが、飲酒によって正常な判断力を失ったものに似ているという。一方で、幻覚や幻聴などといった完全な錯乱状態に陥ることは今までに確認されたことがなかった。

 もしヴァルハザクが瘴気を溜め込みすぎた事によって錯乱しているならば、レイギエナとオドガロンや他の調査員へ無差別に攻撃しているはずである。だが事態発生の時と同じく、ヴァルハザクはダークのみをターゲットに攻撃している。さらに、調査員がダークに接近している状態では誤射を避けるために攻撃を控えるほどの戦術を見せた。

 アポロや忍猫のような獣人族も例外ではなかった故に、冷静な判断力も鈍っていない。

 つまり、ヴァルハザクは錯乱もしていなければ興奮状態にもなっていない。ダークはヴァルハザクが過剰な瘴気の吸収によって精神に影響が出ていることも考慮していたが、アテが外れた。

 これ以上の戦闘は危険だと判断したダークは、このままアポロを猫質に取ったままキャンプへ後退する事を考えたが、もう一つの想定が確定したたためにその場に留まった。

 ネルギガンテが現れたからだ。

 

「うわッ!」

 

 この演じられた戦いは瘴気の谷の最下層かつ最深部で行われていた。ネルギガンテはそのさらに奥地、地図には存在しないルートから出現したのだ。

 屍肉の壁を力づくで吹き飛ばし現れたネルギガンテは、衝撃で転倒していた目の前のハンターに速攻を仕掛ける。強靭な腕が双剣隊の女性へ向けられるが、ネルギガンテは寸前でそれを制止した。

 双剣隊の女性とネルギガンテの間に、ヴァルハザクが自らの身体を割り込ませたからだ。

 だが、ヴァルハザクとネルギガンテはお互いに視線を交わしたまま次の行動へ移行しない。ネルギガンテが見せている態度は、明らかに渡りの古龍へ向けられていた敵対的なものとは違っていた。同時に初めに見せていた攻撃的な構えも、徐々に収めている。

 

「大丈夫かい!?」

 

 二匹の古龍に挟まれたままだった双剣隊の女性を、フィールドマスターが肩を貸して移動させる。

 ネルギガンテはすぐそれに気付いたが、追撃は掛けなかった。まるでヴァルハザクに説得され、調査団へ攻撃をすることを止めたようなその光景を見て、ダークは確信した。

 

「アポロ、作戦は終了だ。龍結晶の地へ向かった遠征の本隊と合流するんだ」

「旦那さん?」

「ネルギガンテが出現した場所を真っ直ぐ行けば龍結晶の地へ行ける。急げ!」

 

 ネルギガンテが今まで調査団の監視に引っ掛からなかったのは、空路ではなく地下を通じて移動していたためだとダークは気付いたのだ。

 瘴気の谷に生息しているヴァルハザクの存在が矛盾を呼んでいたが、二匹が手を組んでいるのであれば何も問題は無い。ネルギガンテは陸珊瑚の台地から瘴気の谷へ、そして龍結晶の地へ繋がっているルートを今まで秘匿し続けていたのだ。

 さらに、この作戦でダークは三つの重要な情報を入手した。

 1.ネルギガンテは無差別に古龍を襲っているのではなく、ヴァルハザクという同志がいる事。ただし、行動に差があるために完全に同一の目的を共有している訳ではない。

 2.仲間意識が存在する事。同志であるヴァルハザクの咆哮を聞きつけ、龍結晶の地から戻ってきた事がそれを証明している。

 3.高度な敵味方の判断ができる事。レイギエナとオドガロンや調査団など、同志のヴァルハザクと敵対していない者には攻撃をしなかった。

 

「走れ!」

 

 ダークがアポロの拘束を解いた。

 アポロはダークの身を心配していたが、指示通りに受付嬢の元へ走った。それを見たヴァルハザクとネルギガンテは、もはや手加減は不要と言わんばかりにダークへ襲い掛かる。

 瘴気ブレスとネルギガンテの拳がダークの体を掠めた。だが、互いの攻撃が誤射しないように配慮しているそれは、ダークにとっては詰めが甘い攻撃であった。

 

「……遊びは終わりだ」

 

 ダークは猛攻を躱しながら、アイテムポーチからスリンガー弾を取り出した。『涙を流す目』のマークが印されているそれは、かつて大蟻塚の荒地でネルギガンテ撃退に使用した『スリンガー催涙弾』である。

 その弾の種類に気付いたのか、ネルギガンテはヴァルハザクを庇いながら後退する。その直後に放たれた催涙弾が炸裂し、エリア一帯に白い煙が充満し始めた。

 ヴァルハザクはその煙が最初の戦いに使われた煙幕では無いことを察知し、広範囲に瘴気を撒き散らした。催涙弾の煙が瞬時に分解され、視界が晴れていく。

 しかし、黒き闇の姿は、既に消え失せていた。

 




【解説】

・瘴気
谷の中層付近で観測される気体。『瘴気の谷』という名称もここから取られた。
濁った黄色のガスであり、僅かな毒性を持つ。
吸引すると軽い眩暈、判断能力の低下、頭痛などを引き起こす。体内で高濃度に濃縮された場合は強い発汗と動悸を伴う興奮状態へ陥る。
しかし、体内で濃縮する量には限界があるため、酸欠などの別の要因が絡まない限りは死亡することはまず無い。
また、瘴気によって分解された生肉は水分が失われると同時に殺菌も行われるため、この段階で瘴気を除去すれば味は劣るが保存食として利用できる。
人体が瘴気に侵食された場合は、古龍のヴァルハザクに吸収してもらうか、時間経過で体外へ自然放出されるまで待つしかない。

・酸
瘴気の谷の最下層に大量に存在する液体。少量では無色透明だが、高濃度のものは青白く発光するという奇妙な現象を見せる。
三期団は炭酸水と外見が似ているために便宜上『酸』と呼称しているが、実態は酸とは全く別物の未知の液体である。
金属や水分を含むものを浸しても溶解はせず、塩基性の物質とも反応しない。
唯一の例外は『生体』であり、皮膚に付着すると強い痛みを発する。
そのため飲用も実質的に不可能だが、痛みがあるだけで薬傷や後遺症、感染症といった二次被害が全く無いために、液体の正体も含めて大きな謎になっている。

・谷のぶんどり族
瘴気の谷に拠点を置くテトルーの一種。
屍肉によって狩りをせずとも生活できているが、味で勝る新鮮な生肉を求め、大型モンスターよりも先に死骸から肉を削り取る技に長けている。
その際に使用する『ぶんどり刀』は、素材の異なる刃が何層にも重なる多積層構造である。
この特徴は荒地のまもり族の『まもりの大盾』に共通する構造であり、極めて高度な技術で製造されていることが判明しているが、どのようにしてこの技術を会得したのかは一切不明である。

・干し肉
アステラで働いている調査員の保存食。物資班で『アステラジャーキー』という商品名で販売されている。
万が一新大陸調査団が食糧難に陥った場合に備え、アステラには常に一か月分の干し肉が備蓄されている。
ハンターへ支給される携帯食料が栄養分を重視しているのに対し、こちらは保存性と味を重視している。適度な塩気が絶妙な旨味を持つため、調査員のみならずモンスターにも愛好家が多い。特に台地のレイギエナと瘴気の谷のオドガロンは、この干し肉のために調査団へ協力していると言っても過言ではない。

・ギルドナイト(ギルドナイツ)
ハンターズギルドの治安維持部隊。個人を指す場合は『ギルドナイト』、組織そのものを指す場合は『ギルドナイツ』と複数系で呼ぶ。
違法ハンターの取り締まり、報酬に関するトラブル、偽造通貨の摘発など、職務の内容は国家としての『警察』によく似ている。
ギルドナイトが相手をするのは一般人だけではなく、違法ハンターや野盗といった強力な武装を持っている者も含まれている。そのため、ギルドナイトが使用する武器は対人戦闘を前提とし、細身で小型の物が多い。故にハンターとは全く異なる基礎戦術と戦闘技術を持っている。
採用試験も高難度かつ極秘であり、最低でも対人剣術や対人格闘戦といった試験に合格しなければならない。
抑止力を誇示するため正装で勤務する者が大半だが、工作員や諜報員など裏の仕事を担当する者は、服装や身分を偽装している者も存在する。



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第五章:破滅が来たりて
因縁深き地


古龍。それは人智の及ばぬ存在と信じられていた。
だが、人々は『龍』を忘れていただけだったのだ。彼らも同じ命を持つ者達だということを。

調査団と彼らを結ぶのは、『絆』というほど馴れたものではない。一方で、主従のような上下関係でも無い。
言うなれば、同じ目的を持つ『同志』に近い。

ならば、渡りの古龍達は何を目的としているのか?動き始めた熔山龍は、何をしようとしているのか?
龍結晶の地で繰り広げられる戦い。黒き闇と受付嬢は、新大陸に隠された秘密を探り当ててしまう。

破滅の足音と共に訪れた滅尽龍との、最後の戦いが始まる。


 拠点アステラは少しばかりの騒ぎになっていた。

 ゾラ・マグダラオス捕獲作戦の失敗を教訓とし、大規模な部隊行動を起こす際には事前に補給物資の要請を行うことになっていたのだが、本来の予定には無い船が来航したからだ。

 

「大きいな。撃龍船の中でも最大クラスの船じゃないか?」

「撃龍船だって? 武装を強化した輸送船だろ」

「新しい規格の船かもよ」

 

 遠征のために調査員の半数近くがアステラを離れているなか、拠点に残っている調査員達はゆっくりと進むその船を眺めて意見を言い合っていた。

 物資を輸送する船はできるだけ多くの物資を積めるよう大型の物が多い。モンスターとの戦闘は想定こそされてはいるが、基本は『逃走』や『撃退』を前提としているため、武装に関しては最低限の物しかない。対してモンスターの『討伐』を想定して製造される撃龍船は、火力と装甲の向上は当然として、火災や損傷が発生しても沈没しない耐久力が重視されている。さらに、運動性の向上を目的に船体のサイズも控えめなものが多い。

 今この瞬間にアステラへ入港しようとしている船は、明らかに最大クラスの輸送船サイズでありながら、バリスタや大砲、撃龍槍などの重武装化が施された撃龍船であった。

 全体を漆黒に塗装された船は、その大きさも相まって強い威圧感を周囲に放っている。

 

「誰だ!?あんな船を呼んだ奴は!」

「撃龍船を注文した覚えはないわよ!」

 

 ほとんどの者はその大きさに圧倒されて眺めているだけだったが、物資班は阿鼻叫喚の騒ぎであった。

 新大陸へ出航する船は基本的に片道である。アステラには建築物を一から製造する余裕がないため、移動に使用した船をそのまま建物に使用している。現大陸の造船所もそれを考慮し、強度を確保しながら現地で分解しやすい構造で船を建造している。しかし、戦闘を想定している撃龍船がそんな脆弱な構造をしている筈が無い。

 手続きのミスで物資が足りなかったり、逆に余分に届くことはあっても国家予算クラスの船が届くというのは前代未聞であった。

 当然ながら現大陸からの補給もタダではない。ギルドだけでは資金に限界があるため、国・組織・個人から支援を受けている。その出資者の支援を受け続けるためには、新大陸からは見返りとして価値のある『情報』を輸出しなければいけない。無償の支援が存在しない以上、この規格外の船に関してもお金の問題が絡むはずなのだ。

 

「腹ァ括るしかないわね……」

 

 あまりにも大きな船体のために桟橋に接舷できない撃龍船は、少し離れた位置から小型の船舶を出した。その小型船ですら重武装が施されているのを見て、物資班リーダーの額に嫌な汗が流れ、手が震えはじめた。

 動きが止まった撃龍船も、よく見れば異常と言える装備が施されている。バリスタや大砲も大口径の物、撃龍槍も船に搭載できる物としては最大クラスの規格である。船そのものも新造だが、搭載している武装も、装甲も、帆やロープ類に至るものまで何もかもが最新鋭の船なのである。

 その撃龍船から最初にアステラへ来たのは、ギルドナイトの制服に身を包んだ人物だった。船も想定外であれば、乗員も想定外の者だった。

 

「現大陸のギルドナイツ中央司令部から参上しました。『黒き闇』は今どちらに?」

 

 帽子を脱ぎ、背筋を伸ばして立つその男は、一般の人々が連想するギルドナイトをそのまま形にしたような男だった。

 

「今は任務で新大陸の北東へ行っていますが……急な要件であれば速達を出しましょう」

 

 物資班リーダーはギルドナイトの帽子の階級を見た。

 かつては無法市場で稼ぎをしていた時期もあったことから、物資班リーダーはギルドナイツに関する情報もある程度は把握している。その階級が戦闘指揮官クラスの物だと気付くのに時間は掛からなかった。

 

「いえ、不在であればこのまま――」

「早かったじゃないか」

 

 ギルドナイトの言葉は、物資班リーダーの背後からの言葉で遮られた。質素な外套で全身を包んでいた青年の顔が見えなかったため、野次馬の中に『黒き闇』が混ざっていたことに気付かなかったようだ。

 その青年、ダークの顔を見たギルドナイトは先ほどよりもさらに姿勢を正して敬礼をした。

 

「申し訳ありません。予定ではもっと早く運搬できたはずでしたが、船の準備が遅れたもので」

「皮肉じゃない。『例の物』の整備には数か月は掛かると思っていたが……状態はどうだ?」

「万全です。いつでも使えますよ」

「上出来だ。 ――彼を司令部へ案内してやってくれ。10分後に作戦会議を行う」

 

 ダークの言葉が自分に向けられたものだと気付き、物資班リーダーはハッと我に帰る。

 撃龍船から現れたのは間違いなく、ギルドナイツ中央司令部の戦闘指揮官である。現場で指揮を執る人物としては最上位の階級の人間に、ダークは命令を出していた。そして、指揮官もそれに従っている。

 物資班リーダーは、計り知れない程の重大な事態が動き始めていることを感じ、鳥肌が立った。

 

 

――――――

 

 龍結晶の地。

 そこは、二期団が新大陸に到着する以前から存在が確認されていたフィールドである。

 一期団が新大陸に到着した直後、極僅かなメンバーが新大陸の全体像を把握するために各地を巡り歩いた。結果、『爛輝龍:マム・タロト』と『地脈の黄金郷』、そして『瘴気の谷』や『陸珊瑚の台地』などと共に発見された経緯を持つ。

 しかし、星の船が崖上という想定外の場所で座礁し、他の船に積まれていた物資も大半が海中へ沈んでしまったという状況は想定以上に拠点の構築を遅らせていた。このままでは二期団の受入れに間に合わなくなるという理由で拠点の整備を優先した結果、やむなく現地調査は無期限に中断されてしまったのだ。

 その後、30年という歳月を経てアステラの機能を確立した新大陸調査団に四期団が編入された。しかし、古龍捕獲の千載一遇の機会であった『ゾラ・マグダラオス捕獲作戦』を優先した結果、物資を想定以上に消耗してしまい思うように動けなくなってしまう。

 存在だけが記録され、本格的な調査が行われないまま今を迎え40年目。五期団という大戦力を抱え、龍結晶の地、そしてネルギガンテの最初の調査が始まろうとしていた。

 

「東側への人員配置、完了っス」

 

 白い風の紋章を身に付けた五期団の推薦組は、調査班リーダーへ報告した。

 

「お疲れさん。今の内に休憩しておけよ」

「いえ、大して疲れてないんで。大丈夫っス!」

「私もまだ動けます」

 

 側面の頭髪を短く刈り上げた特徴的な髪型と、同じ五期団からは名前を言わずとも『推薦組の陽気なヤツ』と言えば通じるその性格。優秀なハンターであるとギルドが証明した『推薦組』の肩書を持つその青年は、調査班リーダーの隣にいる大男に目が移った。陽気な推薦組のパートナーである勝気そうな女性も、同じくその大男が気になったようである。

 

「ああ、五期団は大団長と会うのは初めてだったな。この方が初代総司令、今は大団長と呼ばれている」

「よう五期団! 俺が龍結晶の地で調査を担当している者だ。よろしくな!」

 

 かつて一期団の指揮を担当していたのが大団長である。ただし、指揮と言っても現在のような規律に基づくものではなく、あくまでメンバー個人の自主性を第一とし、全体の目標を定めるだけの『牽引役』と言った方が正しい役職であった。

 その彼が司令官の座を現在の総司令に譲った事の発端は、30年前の二期団が新大陸へ到着する前後、現地調査のチームが壊滅的な被害を受けた時であった。

 龍結晶の地に古龍渡りの原因があると睨んだ当時の一期団は、『間もなく二期団の物資補給がある』という後ろ盾があったことも一因し、それらを待たずして調査を強行したのだ。

 命令系統が明確に定められている現在と違い、当時の指揮系統は曖昧かつ未熟で、現場では4人の中で最も経験豊富な者が戦闘指揮を執ることになっていた。しかし、何をして調査の成功とするのか、何を判断材料に撤退を決めるのか、という具体的な取り決めが無いまま進軍した結果、北側のエリアでネルギガンテと初遭遇してしまった。

 何の準備も無く未知の古龍と至近距離で遭遇することは、ハンター職の者であれば死を覚悟する程の出来事である。当然ながら熾烈な攻撃を受け、撤退の際に発生した落石事故でメンバーは全滅に近い被害を受けた。増援として駆け付けた現在の料理長も一瞬で武器を破壊され、オトモアイルーとしての引退を決意させる戦いになった。しかし、ネルギガンテも人間とは初めて遭遇した事が理由なのか、それ以上は深追いをしてこなかったのが幸いだった。

 最終的に4人のハンターは全員が重傷を負った。その内の一人であった総司令は、脚に何らかの異物が深く刺さった影響で歩行が困難になり、ハンター職を引退する事態になってしまった。

 残りの三人も総司令ほどではないが深い傷を負ってしまったため、二期団と入れ違いになる形で調査団を引退、現大陸で治療を受けることになった。総司令も現大陸へ戻ることを推奨されたのだが、本人の強い希望で新大陸に留まった。

 数年後、重傷の三人は無事回復した旨が手紙で伝えられたのだが、このネルギガンテとの遭遇事件は調査団の構成を根本的に見直す教訓となった。

 

「だが、リーダーの指示は聞くもんだぞ若いの。休める時に休むのも調査員の仕事だ!」

 

 初代総司令、もとい大団長はガハハと笑いながら二人へ椅子を薦めた。

 

「調査団とは因縁深いネルギガンテだが、何も討伐しようって魂胆じゃない。あまり根を詰めるなよ」

 

 無意識に緊張した顔になっていたのか、調査班リーダーの言葉に諭された二人。促されるまま椅子に腰かけると、大団長から差し出された飲み物を受け取った。

 

「しかし、古龍はなぜこの地を目指すのだろうな?」

 

 お礼を言いながら受け取った勝気な推薦組は、大団長の疑問の言葉にかねてから考察していた内容を述べる。

 

「龍結晶が古龍のなれの果てであるという研究班の仮説に基づくと、この地に蓄積されているエネルギーに惹かれているというのはどうでしょう? 古龍渡りが活発になったのも、蓄積されたエネルギーが徐々に大きくなっていることで説明できます」

「けどさ、ネルギガンテのせいで渡りの古龍達はここから追い出されたんだろ? この地に君臨し続けてる奴が何も変化を起こさないのはなんでだろう」

 

 陽気な推薦組は、研究班と勝気な推薦組の予測が現状と合致していることを自覚しつつ、疑問を述べる。

 龍結晶。正式名称は『龍脈石』というが、この鉱石が古龍のエネルギーを凝縮したものであることは確実視されていた。モンスターの体内から稀に採取できる『宝玉』に性質が酷似している上に、龍属性に対して強い反応を示すからだ。

 その龍結晶が大量に存在するこの地は、古龍からはエネルギーの宝庫のように見えるのかもしれない。元から超自然的な力を持つ古龍が更なる力を得るために行動しているのならば、その恩恵を真っ先に受けられるはずのネルギガンテに大きな変化が見られないのは矛盾していたのだ。

 

「三期団の『瘴気の谷が古龍の墓になっている』という仮説も無視できない。この仮説なら龍結晶は瘴気の谷に発生するはずだが、この地には古龍の死骸どころか骨すら見つからないのに、どうやってあそこまで巨大な龍結晶が出来るんだ?」

 

 調査班リーダーも議論に参加した。

 

「ふむ……ならば『古龍』と『龍結晶』を同時に引き寄せる『何か』があるんだろう」

「『何か』、ですか……」

 

 勝気な推薦組は、そのようなものに該当する存在がこの地にあることを想像したが、まるで予測が付かなかった。数百年から数千年単位で古龍のエネルギーを引き寄せているとなれば、それは生物では無く環境的な要因の方が辻褄が合う。

 考察が行き詰まった時、東キャンプへ四人組のハンターが入ってきた。総司令の指示でフィールドを巡回しているチームである。

 

「ようご苦労さん。進展はどうだ?」

 

 調査班リーダーは飲み物を渡し、報告を受けた。

 

「北西側にはソードマスターと警備班12人が張っています。テスカトの番いも近くで待機していますね」

「南側には作戦本部である総司令と研究班、それに調査班が8人。常に1チームは動けるように待機中です。あと、親方は南側に仮設の工房を設置するようで、もうすぐ護衛の4人を加えて12人になる予定です」

 

 そのチームが報告したのは調査団の展開状況である。北西側は最もネルギガンテの縄張りに近いために戦力を集中させ、逆に南側は最も離れているため、臨時の武器装備の整備を行う仮設工房と作戦本部を設置したという内容だった。

 

「上の4人から連絡は無いよな?」

 

 大団長が調査班リーダーへ尋ねる。ちょうど東キャンプの上の位置には高台が存在し、そこでクシャルダオラと調査班の4人が待機しているからだ。

 

「ええ、テスカトの番いもクシャルダオラも、ここへ来てから動きを見せていないようです」

「まだネルギガンテはここへ戻っていないということか……いずれにしろ、根気との勝負だな」

 

 大団長はそう言うと、東キャンプを出ようと腰を上げた。

 

「ネルギガンテがいつ来るか分かりません、護衛無しで外に出るのは危険です」

 

 調査班リーダーの指摘に、大団長は笑って返事をする。

 

「総司令が居るんだ。ならば俺が居なくなったとしても大した問題にはなるまい?」

 

 その言葉を聞いた調査員達は違和感を感じた。それは総司令への全幅の信頼というよりは、死に急ぐ者のようなニュアンスが含まれていたからだ。

 

「なら俺が一緒に行くっス。まだネルギガンテが現れる予兆もなさそうだし」

「心配無用! ここの土地勘だけなら自信があるんでな。危なくなったら尻尾を巻いて奇面族の洞穴にでも逃げ込むさ」

 

 大団長がそう言いながらキャンプを出ようとした時、息を切らして走ってきたであろう者が慌てた様子で入ってきた。

 

「どうした!?」

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

 その者は武器を持っていないために、速達を届ける連絡係のようだった。しかし、いつネルギガンテが現れるか分からないという状況の中を丸腰で走ってきたことから、只事ではないことを誰もが覚悟した。

 肩で息をしているその連絡員は、一呼吸置いた後に衝撃の連絡をすることになる。

 

「熔山龍ゾラ・マグダラオスが動き始めました! 予測進路はここ、龍結晶の地です……!」

 



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不滅の山

 その報告は司令部をパニックに陥らせるにはまだ不足だったが、緊張を高めるには十分だった。

 

「間違いなくこちらへ向かっているんだな?」

「はいですニャ! あと監視員は『進路を変える兆候無し』と言ってましたニャ」

 

 輸送班に属している翼竜:メルノスは人の重量を支えて飛行することは出来ないが、アイルー程度であれば乗せる事が出来る。龍結晶の地の周辺で起きる事態の監視情報は、彼らがメルノスに乗って最速で届けるのである。

 その伝令のアイルーは、ゾラ・マグダラオスの情報を詳細かつ簡潔に総司令へ報告した。

 

「現在地は?」

「地脈回廊を通って、ここから南東に約80kmですニャ」

「80km……君が来た時間を計算に入れれば、ここに来るまで7時間……いや、6時間は掛かるか」

「ニャ、でも通り過ぎる時に以前より脚が遅いような感じがしましたニャ」

 

 捕獲作戦の時も連絡係を務めていた伝令のアイルーは、その移動速度が体感でもハッキリ分かるほど遅くなっていたことが気がかりだった。

 

「ふむ……だが予測時間は短めに見積もっておこう。よく分かった、船の方には『監視を継続、ネルギガンテの襲来にも警戒せよ』と伝えてくれ」

「『監視を継続、ネルギガンテに警戒』、了解ですニャ!」

 

 命令を復唱したアイルーはメルノスに跨り、すぐさま地脈回廊へ飛び立った。

 

「熔山龍が行動を開始、か……」

「ここは一時撤退をした方がいいのではありませんか?」

 

 研究班からの助言を総司令は一蹴する。

 

「駄目だ。捕獲作戦後、海に出たまま今まで全く動きを見せなかった熔山龍が突然行動を開始したのは必ず理由があるはずだ。……各キャンプに展開しているハンターへマグダラオス出現の連絡を!」

 

 総司令から指示を受けた伝令係が司令部から飛び出していった。

 彼らを見送る総司令を待った後、別の伝令係が総司令を呼び止めた。

 

「総司令、瘴気の谷へ向かった部隊が合流したそうです」

「そうか、今どこに居る?」

「それが……龍結晶の地から北西方向との事です」

「ん?」

 

 伝令係と総司令は、互いに困惑した顔で情報を確認する。

 

「瘴気の谷から合流するなら南側から来るはずだろう。なぜ北西に?」

「何でも瘴気の谷に通じる地下のルートが存在するとの事です。詳しい報告のために本人達をこちらへ呼びましょうか?」

「そうだな……疲労が溜まっているところ恐縮だが、1時間以内に来るように伝えてくれ」

「1時間以内、了解し――」

 

 伝令の復唱は、上空を監視していた調査班の声に上書きされた。

 

「ネルギガンテ出現! 南西から!」

 

 その監視員が指した方角は瘴気の谷の方角だった。ネルギガンテはそこから真っ直ぐに龍結晶の地へ向かってきているという報告だった。

 

「次から次へと事態が動くな……呼び出しの件はネルギガンテの動向を確かめてからだ」

「分かりました」

 

 伝令係はそのまま持ち場へ戻った。

 総司令は頭の中でこの後に起きる事態を想定した。ネルギガンテは既に渡りの古龍と調査団が同盟関係にあることを知っている。陸珊瑚の台地での戦いでは龍封力を用いることで数の不利を覆したとはいえ、その能力が知られてしまえば迂闊に攻撃をしてくることは無いと判断した。

 さらに、現在の遠征部隊に龍属性を帯びる武器を使用している者はいない。もしネルギガンテが以前と同じく力任せで突っ込んで来るようであれば、周囲を包囲した上で物量で攻めることが可能であった。

 

「緑の信号弾を上げてくれ。『まだ手出しはするな』とな」

 

 総司令は別の伝令係へ指示を出した。緑の信号弾は緊急時を除き、ターゲットへの攻撃を禁止する合図である。主に大型モンスターの動向を監視する時や、罠へ誘導する際に用いられる。

 4人チームの狩猟では口頭で済ませられる指示だが、大規模な作戦行動では情報伝達に時間が掛かる。信号弾は大勢の人員に迅速かつ的確に指示が出せる必須の連絡手段なのだ。

 

「問題は、ネルギガンテがどう動くかだな……」

 

 ゾラ・マグダラオスは以前実行された捕獲作戦失敗の後、大峡谷の東へ抜けた。その後は龍結晶の地へ続く地脈回廊の近くで活動を停止し、長らく眠ったままだった。

 あまりの巨体故に、大砲やバリスタといった超大型モンスター用の火器でさえ満足に攻撃が通らないことや、調査団に対して脅威となる行動を見せないために、遠距離からの観測やオトモ探検隊が空路から取り付きサンプルを採取することで細々と調査が継続していた古龍。

 そのマグダラオスが何の兆候も無く行動を開始するのはネルギガンテにとっても突然の出来事だろう。もしこれに気付いて龍結晶の地を離脱した場合、龍結晶の地での調査は仕切り直しになる。

 総司令はかつてネルギガンテから受けた傷を指でなぞりながら、作戦の進行を何十通りと考えていた。

 

 

――――――

 

「マグダラオスの左に付けろ!」

 

 船長が叫ぶ。マグダラオスの移動速度は船でも追いつける程度のものだったために、転覆するほどの波も起きていない。しかし地脈回廊へ吹く風は海洋上よりも弱く、大きく先回りすることもできない。精々左側面を並走することしかできないのである。

 そんな鈍足の船を意に介さず、ゾラ・マグダラオスは移動する。今は四足歩行の状態らしく、海面には火山のような外殻しか見えない。その姿はまるで岩石で構成された巨大な船である。

 

「船長、念のために攻撃の準備をしますか?」

 

 護衛のハンターの一人が進言する。

 船長に狩猟に関しての知識は殆ど無いのだが、船の上では『キャプテン』こそが最高指揮官である。総司令や大団長といった調査団の指揮官も、船の上ではキャプテンの命令に従わなければならない。これは新大陸調査団に限らず、世界中の船に乗る者の絶対的なルールである。

 

「そうだな。以前のように体表も激しく燃えていないようだが、ネルギガンテの件もある。準備を頼む」

「了解です」

 

 護衛ハンター達は大砲やバリスタの準備を始めた。

 ゾラ・マグダラオスの体調は背中に背負う巨大な火山のような外殻で容易に判別できる。捕獲作戦で一時的に活発化した時は、それら外殻が噴火のような現象を起こしていたのだ。

 まさに動く火山とも言えるマグダラオスだが、今は噴火のような兆候は見られない。しかしそれらの現象が起きる条件が確定していない事が彼らに攻撃の準備をさせた。

 単純に海水で冷却されて起きないだけなのか、それとも感情の高ぶりで起きるのか、はたまた無意識に起きるものなのか。船に乗る者は頭の隅にそんな疑問を持ちながら、配置された場所で役割をこなしていた。

 

「何か……切羽詰まったような雰囲気を感じるな」

 

 バリスタの発射を担当しているハンターがそんな感想を口にする。

 ゾラ・マグダラオスは並走する船に気付かないほど間抜けな古龍ではない。こちらの存在を認識しつつ攻撃するような行動は取らなかった以上、それは『何かに駆られて動き始めた』と表現するのが最も正確な様子であったのだ。

 数時間経っても尚、ゾラ・マグダラオスと監視船が並走するという奇妙な光景は続いた。そして、何事も無く龍結晶の地の南に位置する入江に入ろうとしていた。

 

「おい、この先は行き止まりだぜ?」

 

 船員が誰に言うでも無く、そんなことを口にした。

 ゾラ・マグダラオスは龍結晶の地が僅かに見える入江に向かって進み続けている。しかしその入り口は非常に狭く、空を飛べる飛竜でもギリギリ通れるか否か、というほどの大きさである。

 

「まさかブチ壊してでも進もうってんじゃないだろうな……」

 

 ゾラ・マグダラオスを監視するハンターの中からそんな声が出た。

 

「いや……ありえるんじゃないか? 大峡谷の時も地形を破壊しながら進んだだろう」

 

 かつて行われた捕獲作戦の時にゾラ・マグダラオスが大峡谷に亀裂を入れた時のことを思い出し、ハンターは身震いした。あの時のように無理やり進もうというのであれば、龍結晶の地で任務中の遠征部隊に被害が出る可能性が高い。

 

「総司令からは監視をしろという命令ですが、このまま進行を許してもいいのですか?」

 

 別の女性ハンターが船長へ確認を取る。ゾラ・マグダラオスが龍結晶の地へ到着するのは時間の問題であることは既に連絡しているのだが、監視命令以外の指示はまだ来ていない。司令部が何らかの事情で命令が出せないという事も考えられたからだ。

 

「研究班、どう思う?」

 

 船長は頭の中でこの行動の理由が思い浮かばず、乗船していた研究班の人員に助言を求めた。

 

「龍結晶の地には古龍が集結しています。それらのエネルギーを感知して動き始めたとすれば、このまま進行する可能性もあります。ですが、外殻を見るに『様子見』の可能性が高いのではないでしょうか?」

 

 研究班の男はゾラ・マグダラオスの外殻が活発に活動していないことを根拠に、龍結晶の地にそのまま進行する事は無いと考えた。

 既に相当な距離を進んでいるゾラ・マグダラオスの体は十分に熱量が上がっているはずである。しかし外殻に大きな変化が見られないことから、戦う為に龍結晶の地へ向かっている可能性は低いと判断したのだ。

 

「もし入り江を超えようとした時は攻撃した方がいいでしょう」

 

 船長は頭を抱えた。ゾラ・マグダラオスに対する攻撃など、ほとんど『攻撃』と言えるかすら怪しいものだったからだ。

 ハンターが使用する武器よりも破格の威力を持つ大砲やバリスタでさえ、分厚い外殻に阻まれて気付いてくれるかどうか、といった相手なのである。撃龍槍を使ったとしても外殻に傷を付ければ上出来だろう。

 この船で可能な最も威力のある攻撃となれば、船首に大砲用の爆薬を満載して特攻を掛ける事だ。だがそれでもゾラ・マグダラオスには有効な攻撃にはならないだろう。そもそも目的は討伐ではないのだ。

 

「ん……? なんだあの船!?」

 

 双眼鏡で入り江との距離を計測していた船員が大声で周囲に知らせる。

 入り江の東側は大海原へ直接出ることが出来る。輸送船でも余裕で通れるその洞穴から、今までに見たことがない船が出現したのだ。

 全体を漆黒に染めた船は、龍結晶の地へ入るルートの前に停船しようとしていた。当然ながらゾラ・マグダラオスの進行ルートを塞ぐような形になる。

 

「ドンパチ始めようってんじゃないだろうな!?」

 

 船長が監視員の双眼鏡をもぎ取りその船を確認する。明らかに戦闘タイプのその船は、側面にも大口径の大砲やバリスタがズラリと並んでいる。

 その大火力でマグダラオスを攻撃したのでは、隣を並走している船長の船にまで当たる可能性がある。

 

「信号弾! 戦争するなら他所でやれと言ってやれ!」

 

 船長の怒号に飛び上がった船員は、すぐに信号弾を発射した。

 色は緑。その信号を確認したからなのか、幸い黒い船に並ぶ大砲やバリスタは発射する様子を見せなかった。

 

「あの黒い船、このままだとマグダラオスに轢かれますよ!」

 

 護衛のハンターが叫ぶ。

 新大陸調査団のものではない船だが、信号弾の意味を知っているのはハンターズギルドの船のはずである。このままではマグダラオスの巨体が直撃することは明らかなのだが、黒い船は回避運動を取ることも無い。まるで龍結晶の地を塞ぐ門のように不動だった。

 黒い船の存在を認識したゾラ・マグダラオスもゆっくりと立ち上がり始めた。海面が大きく揺れ、振動が船にまで伝わってくる。ただ立ち上がっただけだが、それだけでも人間には脅威であった。

 しかし、マグダラオスは黒い船に攻撃を仕掛けることはしなかった。まるでその船に制止されるように、動きを止めたのである。

 

「いったい何をしたんだ……?」

 

 船長を含め、監視船に乗っている者全員が信じられないものを見ている心境だった。

 古龍が誰かに従うことはありえない。子供向けの御伽噺でさえ、古龍という存在はひたすら圧倒的で、制御などできないものとして伝わっているのだ。 

 では、今目の前で起こっている光景は何だ? 黒い船によって諭されたゾラ・マグダラオスが、進行を止めたようにしか見えないこの光景は何なのだろう?

 

 

――――――

 

「止まったな?」

 

 『人間は足元をうろつく虫に等しい』と例えられるほどに体積差があるゾラ・マグダラオスが、黒い船に乗る者を見つめている。

 その眼には進行を妨害された怒りなどは微塵も無く、かと言って動揺を示すものでもない。古龍の感情というものは人間には理解出来ないだろうが、それは小さい生き物を無意味に殺傷する事を良しとしない意志が最も近いだろう。

 ダークが出した命令にギルドナイツも肝を冷やしたものだ。いくら新造の撃龍船とはいえ、ゾラ・マグダラオスの進行を物理的に防ぐ事は絶対に不可能である。

 しかし「必ず止まる」という一切の疑念も動揺も無い命令を信じ、ギルドナイツは従った。そしてダークの予測通り、ゾラ・マグダラオスは黒い船の手前で進行を止めたのだ。

 

「撃龍船は次の指示があるまでこの場で待機。ただし、船はいつでも出せる状態にしてくれ」

「こちらからも増援を出しましょうか?」

「いや、それよりも接舷できる場所を探すんだ。このままでは撤退時に乗船できない」

「はっ!」

 

 ダークからの最後の命令に、ギルドナイトの指揮官は返事をした。

 

「アンカー撃て!」

 

 操船を担当する別のギルドナイトの合図で、ゾラ・マグダラオスとは反対側に設置されているバリスタからアンカーが発射される。龍結晶の地の入り口の近くに突き刺さったそれには、極めて長いロープが接続されていた。そしてそのロープの反対側は、黒い船の最も高い場所に位置する監視台から伸びている。

 弛んだロープをギルドナイト達が引っ張る。ものの数分で調整が完了したそのリフトは、龍結晶の地へ一直線に降下できる上陸方法だ。人間一人を短時間で輸送するには理想的な方法だろう。

 

「『例の物』はどうします?」

「駄目だ。辺りに人がいる状況では使えない」

 

 ダークはこの船に積まれている『物』について聞かれたが、今はまだその時ではないと考えていた。現地の状況や地形の把握といった入念な準備が必要だからだ。

 

「健闘を祈ります」

 

 監視台へ登るダークへ、指揮官が激励を送る。

 

「ああ」

 

 ダークの短い返事に、指揮官は畏敬とも寒気とも言える感情を覚えた。古龍が集結する場所など現大陸では存在せず、ましてや共同戦線を張るという事態が前代未聞であった。

 古龍渡りの真実が眠る地で、調査団と渡りの古龍の前に立ち塞がるネルギガンテ。その『調査』は恐らく世界で最も過酷な任務になるだろう。

 ゾラ・マグダラオスの圧倒的な巨体や、複数の古龍が集まっている地に接近しているという事実だけでも震えが来るというのに、死地の真っ只中へ向かう彼が、全く何事も無い普段通りの振舞いをするのが信じられないのだ。

 黒い船の最も高い場所に位置する監視台へダークは登った。この位置まで登ると大海原から吹く風を実感できる。しかもそれが龍結晶の地に対して追い風になっているため、降下中にリフトの途中で止まってしまうことも無いだろう。

 

「どうぞ」

 

 監視台に待機していたギルドナイトが、移動用の金具を手渡した。

 

「御健闘を祈ります」

「ありがとう」

 

 ダークはその言葉の直後に金具をロープに掛け、監視台を蹴った。

 龍結晶の地まで伸びているロープはやや角度が浅いのだが、追い風によって身体は加速していく。真下は海面であり、命綱無しのロープ移動は危険極まりない。しかし、この奥地はそんな危険すら些細な事だと思える地獄が待っている。

 その地獄に飛び込んでいくダークを、調査員、ギルドナイト、そして、ゾラ・マグダラオスが見つめていた。

 

 



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滅尽龍

 その戦いは熾烈を極めた。

 旋風、暴風、そして竜巻が絶え間なく繰り出される。そして、その風に揺るがない僅かな隙間からハンターが間合いを詰めていく。

 スラッシュアックスを装備したハンターがネルギガンテに斬りかかった。腕から生えている白い棘に向けて振るわれた斧は、しかし寸前で避けられてしまう。ネルギガンテはその攻撃で生じた隙に地面ごと抉る一撃を繰り出すが、それを側面から放たれた旋風が阻止する。

 龍結晶の地、東側で繰り広げられているその戦いは、並のハンターであれば攻撃どころか留まることすら不可能なものだった。古龍同士の戦いというのはまさに桁外れの力が放出される。そのエネルギーに巻き込まれない位置を瞬時に判断し、ハンター達は攻撃を仕掛けたのだ。

 それは、新大陸調査団が選り抜かれた精鋭中の精鋭だからこそできる連携である。

 

「……速い!」

 

 クシャルダオラの旋風によろめいた隙に、チャージアックスを装備した調査班の別のハンターが攻撃を仕掛けるが、それらもことごとく躱された。

 刃物による攻撃には弱点がある。硬い鱗や甲殻への『通り』が悪いのだ。

 それらに対抗するためには、肉質の柔らかい部分を攻撃するか、刃に頼らない攻撃である打撃系、外殻を貫通する刺突系の武器が使用される。しかし、打撃は弾力のある部位には効果が低く、刺突は攻撃範囲が狭いという弱点もそれぞれ存在する。

 打撃・斬撃・刺突。武器による物理攻撃の全てはこの三種類に分類できる。そして、この三つの要素をひとつの武器にまとめようとしたのがスラッシュアックスである。斧モードでは武器を持つ支点から離れた位置、つまり刃の部分に重心が偏っているために、その攻撃は打撃武器並の『重さ』と刺突武器並の『貫通力』を有する。そして肉質の柔らかい部位には剣モードによる斬撃を喰らわせるのだ。

 同じ可変武器であるチャージアックスも、剣モードでの小回りと防御を優先したという構造的な違いはあるものの、基本的なコンセプトは同じである。

 

「駄目だ! 当たらないッ!」

 

 だが、どんなに工夫を凝らした武器でも当たらなければ意味が無い。

 ネルギガンテの身体能力は、人間を遥かに超える大きさでありながら桁外れの素早さである。格闘戦に異常特化した古龍に背後を取られる事は、間違いなく死を意味する。

 今戦っている調査班のハンターが生き残っているのは、クシャルダオラという名の力が存在するおかげだろう。その旋風はネルギガンテでさえ地面に踏ん張らなければ軽々と吹き飛ばされてしまうほどの威力がある。しかし、クシャルダオラだけでネルギガンテに勝利することもできない。

 ネルギガンテに対抗するという利害の一致が、奇妙な連携を取らせているのである。

 

「ぐあっ……!」

 

 チャージアックスのハンターが宙に飛ばされる。翼を用いたタックルを盾で防ぐことは出来たのだが、受けの姿勢が悪かったために勢いを殺しきれなかった。

 それは即死する程の攻撃では無いが、まるで動きを読まれているかのような感覚に焦りを感じつつ、訓練で身に付けた受け身を自然に体が取る。

 いや、動きを読まれていることはもはや事実だろう。ネルギガンテがハンターの武器の特性を把握しているのは確実であり、スラッシュアックスやチャージアックスのような変形する武器に対しても、形体に応じて間合いを変えている。

 ハンターの脚が止まった隙にネルギガンテはクシャルダオラへ肉薄する。しかも、その位置はチャージアックスのハンターを背後に置いた上で一直線上になる場所であった。万が一ブレス攻撃が避けられた場合、クシャルダオラはチャージアックスのハンターを誤射してしまう。

 その迷いが、ネルギガンテに速攻を許してしまった。全身の筋肉がしなり、一瞬で飛び上がりクシャルダオラの背後を取る。地の利を生かして真正面から攻撃を仕掛けてくると思い込んでいたクシャルダオラは、完全に不意を突かれた。

 全身が特殊な金属で構成されているクシャルダオラと言えど、物理的な衝撃を完全に無力化できるわけではない。ネルギガンテに片手で投げ飛ばされたクシャルダオラは、エリアの中央にある円筒形の岩に激突した。

 一時的な脳震盪によるものか、クシャルダオラはふらつきながらもネルギガンテに構える。しかし、ネルギガンテは追撃を掛けず、突如その場から飛び立ち高温地帯のエリアへと移動していった。

 

「なぜ……!?」

 

 このまま一気に攻撃されていれば、恐らくハンター達もクシャルダオラも命は無かっただろう。しかし、ネルギガンテが見逃してくれたとも考えにくい。高温地帯に居るのはテスカトの番いと、北西キャンプに待機しているハンター達である。目の前の獲物を見逃しておいて、新たな獲物を求めていくというのも不自然な事である。

 クシャルダオラがハンターの元に歩み寄る。その顔は共に戦ったハンターへの心配と、ネルギガンテが戻ってくることへの警戒心が半々だった。

 

「なぜ…………」

 

 

――――――

 

「東キャンプへの増援は出せないのか!?」

「怪我人の治療が先だ! 司令部から交代要員を回す!」

「北西には誰が残ってる!? 何人だ!?」

「それはさっき聞いた!」

 

 司令部は混乱状態に陥っていた。

 龍結晶の地への遠征はあくまでもネルギガンテの調査が目的であり、討伐などは計画にすら入っていなかった。それなのにここまで事態が緊迫しているのは、そのネルギガンテが突如として攻勢に出たことが原因だった。

 今までのネルギガンテとの戦いは奇襲がほとんどだった。単独行動をしている古龍へ電光石火の奇襲を掛ける事は、捕食を目的としているのならば辻褄が合う。龍封力への対策を万全にしたハンターが渡りの古龍の周囲に展開していれば、下手な手出しはしてこないだろうという算段もあった。

 だが、今の状況はまるで違う。

 ネルギガンテは各地に展開しているハンターや古龍へ無差別に襲い掛かっている。まるでそれは我を忘れて襲い掛かるような切羽詰まった行動のようだった。

 調査員達もネルギガンテに対する戦法や対策を構築しているために、想定外の行動を取られたとしても完全な奇襲とはならなかった。一方のネルギガンテも別の場所の部隊へ次々とターゲットを変えていくために、戦いは膠着状態に陥っていた。

 調査員や渡りの古龍に襲い掛かったかと思えば、次の瞬間には居場所を移っていく。その行動が全く読めず、各地に展開するチームは突発的な戦闘に疲れていた。だがそれ以上にどこからネルギガンテが出現するか分からないという状況が、精神的な負担を増大させている。

 

「奴の現在地は!?」

 

 総司令は大声で伝令係へ訪ねる。周囲には調査班と研究班、物資班の人員がせめぎ合っている。彼らも各地で発生した負傷者の状況や行動可能なハンターの展開、治療用の物資の手配など重要な役目をこなしていた。彼らの声に掻き消されないよう、総司令も自然と怒鳴り声になる。

 

「情報が錯綜しています! 東側で戦闘したという報告もあれば、中央の広場で戦ったという情報もあるんです!」

「地下の高温地帯で遭遇したという情報も入っています!」

 

 総司令にとっても初めての事態だった。

 今までも緊急事態は数多く発生している。30年前のネルギガンテとの初遭遇や、三期団の遭難事故。人命に関わることも一度や二度ではない。

 40年という長い歳月でも新大陸調査団に『殉職者』が出ていないのは、彼らが選り抜かれた精鋭であると同時に、連携に関しても超一流だからであろう。自分の役目を果たすということは、自分の実力と限界を正確に把握しているという事でもある。

 しかし、現在は正確な事態の把握すら出来ていない。現場で戦っているハンターも事態が呑み込めていないために、司令部に入ってくる情報も曖昧な表現のものが多い。これでは対策すらまともに取れない。

 

「全調査員へ通達! 徹底抗戦だ!」

 

 総司令は、混乱状態のまま戦闘を続行するのは危険だと確信しながらも、反撃の手を緩めるわけにはいかないと判断した。全戦闘要員が避難してしまうと、渡りの古龍を見殺しにするような形になってしまうためだ。ネルギガンテの戦闘能力が調査団と渡りの古龍の総力に拮抗しうることは、既に陸珊瑚の台地での戦いで証明されている。

 伝令が各キャンプへ走っていく。どこからネルギガンテが出現するか分からない現在の状況では、初めは軽装で行動していた彼らも完全装備で身を固めていた。

 

 

――――――

 

「かなり切迫した状況ネ」

 

 ちょうどその頃、瘴気の谷から龍結晶の大きく北西側へ出た受付嬢やフィールドマスター、三期団長は足止めされていた。

 瘴気の谷から龍結晶の地へ続く地下ルートは「洞窟のようなものがある」という情報自体はぶんどり族も昔から把握していたが、ネルギガンテが通れる程の広さがあり、且つ龍結晶の地へ続いているとは思ってもみなかったらしい。元々龍結晶の方角は地脈によって火山が常に燻っている状態であるため、誰も近づきたがらなかった故に洞窟内部の状態を知る者がおらず、移動には大きく時間が掛かってしまった。彼女らが龍結晶の地へ到着した時には、既に遠征部隊とネルギガンテの戦いが始まっていたのだ。

 

「ここから先は足場が悪いです。この場で少し休憩しましょう」

 

 彼女達を護衛してきた双剣隊の女性が言った。

 瘴気の谷からの道は最短ルートである事は疑いようが無かったが、空を飛べない者にとっては過酷な道であった。

 

「……おば様」

「何だい?」

 

 受付嬢はフィールドマスターを呼び止めた。

 

「私……ネルギガンテがこの地に執着する理由が分かった気がするんです」

「理由?」

「はい。一期団から続く調査の内容から、私……いえ、私達はずっとネルギガンテが古龍を捕食するためにここを根城にしていると前提にしていました。でも何かが違うんです。ネルギガンテ程の力がある古龍なら、わざわざこの地に拘る必要は無いはずなんです」

 

 受付嬢の言葉を聞き、三期団長も議論に加わった。

 

「その意見、私も支持するワ。ネルギガンテがヴァルハザクと組んでいた事を考えれば、その目的は古龍の捕食だけにはならないはず」

 

 三期団長はそう言いながら、自身の背後の存在に目を向ける。

 屍套龍:ヴァルハザク。瘴気の谷に生息する古龍がこの地に来たことは、ただ単に調査団の者が心配で付いてきたという訳ではない様子だった。ヴァルハザクの、と言うよりも古龍が持つ圧倒的なまでの「余裕」のような雰囲気が消え失せ、まるで草食竜が肉食竜の気配を感じた時のような不穏なものだった。

 

「つまり、ネルギガンテとヴァルハザクがこの地に来たのは……まさかあの子を追ってきた?」

 

 『あの子』と呼ばれた青年の顔を思い浮かべながら、受付嬢はそれを否定した。

 

「いいえ……確かに相棒は黒龍の宝玉を所持していました。ですが私の相棒がネルギガンテとヴァルハザクの標的であるなら、調査団全体にも敵対しているはずです」

「情報を整理しましょう。ネルギガンテは一期団が到着する以前から新大陸に居たことは間違いないワ。あとヴァルハザクも。その後に現大陸の古龍がここへやって来た」

「その通りだよ。その点に関しては私が直接調査に関わったからね」

「問題はそこなんです。ネルギガンテは既に新大陸に居ながら、40年以上渡りの古龍を仕留められなかったと考えていました。ですが台地での戦いで見せた『龍封力』があれば、簡単とはいかなくとも仕留めること自体はできたはずです。そして古龍の捕食が目的であれば、同じ古龍種であるヴァルハザクとも共存する必要もありませんし、この地に執着する理由にもなりません……」

「…………!!!」

 

 フィールドマスターと三期団長は、受付嬢の言わんとしている事を理解してしまった。その理屈は確かに筋が通っていたが、余りにも現実離れした仮説に編纂者と学者としての常識が否定しかけてしまう。

 だが、彼女達は受付嬢の仮説を受け入れた。人が作り上げた常識など、『真実』の前では何の役にも立たないことを彼女達自身が一番よく知っていたからだ。

 

「確かに、そう考えるのが筋が通ってるわネ……」

「だけど……もしこの予測が外れていたとしたら!」

「迷った時は行動する、祖父はそう言っていました。私は行きます!」

 

 駆け出した受付嬢を、アポロが追いかける。

 

「僕も行きますニャ!」

 

 それ言葉は、遠い昔にフィールドマスターが聞いたものそのままだった。40年という歳月が経とうとも、脳裏にハッキリと蘇る声は言った。

 

 ―― 迷ったら喰ってみろ! ――

 

 一期団が食料すらまともに確保できなかった時期に言われた言葉だ。

 未知の大陸への恐怖、飢えの恐怖、暗闇の恐怖。それらが明日への恐怖になっていた時、彼の言葉に救われたのはフィールドマスターだけではなかっただろう。その意思が、40年という月日を巡って新大陸へと戻ってきたのだ。

 受付嬢の行動が単なる蛮勇であれば、フィールドマスターは全力で止めただろう。だがそれは理屈の上でも疑いようが無い事実であった。ならば、止める理由を出すことが出来ないフィールドマスターにとって、受付嬢を止める事は不可能だった。

 疲れを気にしている時間など無いと、受付嬢は龍結晶の地へ駆け出した。無謀としか言えない行動に双剣隊のハンター達が制止するも、フィールドマスターと三期団長もそれに続こうとした。その意志が揺らがない事を理解した双剣隊は、覚悟を決めて先導を始めた。

 また、その動きに気付いたヴァルハザクも続いた。今の彼女らを駆り立てているのは、古龍渡りの理由さえもちっぽけと思えるような、新大陸に隠された真実を突き止める事だった。

 

 



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決着の時

 大団長はハンマーのグリップをより深く握り込み、両腕のしなりを活かした打撃を繰り出す。

 同じく、太刀を構えたソードマスターが息を整えた後に斬りかかる。

 最後に、宙へ跳んだ竜人ハンターの操虫棍が薙ぐ。

 かつて一期団の腕利きと称された者達は、40年という歳月が経った今でも健在だった。昔は若さに任せた『力』で振るわれていた武器が『技』へと昇華すれば、老いなど些細なものだろう。

 

「もう一度だ!」

 

 大団長の声がエリアに響く。

 ネルギガンテが次の標的に定めたのは、龍結晶の地の西側から中央へと移動していた調査団達と、炎王龍・炎妃龍だった。

 東側のクシャルダオラを圧倒した後、ネルギガンテは一直線に奇襲を仕掛けた。しかし、西側から展開した調査団は縄張りに最も近いという理由で戦力を集中させていた部隊であったため、その抵抗は想像していたよりも激しかったらしい。ネルギガンテの優勢に変化は無いが、その動きに疲労の雰囲気が出てきたからだ。

 炎王龍は炎妃龍の盾になる位置を崩さず、ネルギガンテから少し距離を取った位置にいる。以前の戦いで痛手を受けた龍封力を警戒しての行動だったが、それがネルギガンテの集中力を上手く削いでいた。ネルギガンテはその二匹との間合いを一定に保ったままソードマスターをはじめとするハンターへ攻撃を仕掛けていたが、炎王龍の火炎攻撃がいつ飛んでくるか分からないために慎重な戦法を取らざるを得なかったのだ。

 

「斬る!」

 

 竜人ハンターの操虫棍が、左の翼に生えていた白い棘を斬り落とす。

 真正面のソードマスター、それに注意を向けた隙に繰り出された攻撃は、会心の一撃だった。

 

「下からも行くぞ!」

 

 大団長の持つ鉄塊そのものと言うべきハンマーが振るわれる。

 純粋な大質量による攻撃は避ける以外に対処法は無い。その事実を告げるかのように白い棘がさらに吹き飛んでいく。

 だが、棘の下に備わっている外殻自体は想像以上に強固であった。斬撃でいくら棘を斬り落とそうと、肝心のネルギガンテの外殻まで刃が届かない。打撃攻撃も棘によって威力が分散されて有効な一撃とはならず、刺突による一撃も強固な外殻に阻まれてダメージが期待できない。

 大団長は、胸の内から湧き上がる焦りを痛感していた。だがそれは、ネルギガンテの強さに由来する焦りではない。

 30年前に総司令が負傷した際、その救援に駆け付けた時に初めて相対したネルギガンテは、今戦っているネルギガンテよりも粗削りな戦法が目立った。一撃一撃が大振りで、捨て身の一撃とさえ言える攻撃を連発していたために「滅尽龍」という名前が付けられたほどである。事実、その戦法で総司令は重傷を負い、ハンターとしての職を失う事態になった。

 しかし今はどうだ。必要最小限の動きと卓越した反射神経、こちらの同士討ちを誘発する位置取りなど、高度な戦術を駆使する実戦慣れした動きを見せている。

 ハンターとの戦いを長らく続けたモンスターは、その武器の特徴や動きのクセを学習し、対策を立てる個体が出現することも少なくない。人間並みかそれ以上の知能を持っていることが疑われている古龍種には特にその傾向が強い。ネルギガンテもその部類に入ることは明白なのだが、調査団がネルギガンテに対して攻勢に出たのは僅か数か月前という最近のことである。それまではゾラ・マグダラオス捕獲作戦などで数回の小競り合いがあった程度だ。

 暗号名を持つハンターや五期団との戦闘を経験したとしても、これほどまでに高度な戦術を構築する意味があるのだろうか?

 

「ぐっ……!」

 

 飛散したネルギガンテの棘がソードマスターの頭を掠った。

 曲面の装甲を持つ兜が威力を逸らしたものの、衝撃までは完全に吸収できない。ほんの一瞬だけ視界が揺らぎ、集中力が途切れた瞬間をネルギガンテは見逃さなかった。

 大きく振りかぶり、ネルギガンテの腕がソードマスターの目前へ振り下ろされる。経験に由来する直感から既に回避行動を取っていたソードマスターだが、その攻撃は陽動だった。さらに地面へ振り下ろした方とは反対の腕を軸に、ネルギガンテはその場で全身をスピンさせたのだ。

 広範囲を薙ぎ払う故に威力こそ低かったものの、大団長と竜人ハンターは援護の攻撃が出来なかった。ソードマスターがネルギガンテの尾に弾き飛ばされ、地面に倒れ込む。

 

「いかん!」

 

 大団長は叫び、ネルギガンテはその声に向き直る。

 今の攻撃でソードマスターを気絶させたと思い込んだのだろう。だが、不用意に次の相手へと視線を逸らした楽観的な意識がテオ・テスカトルの突撃を許した。

 ソードマスターを庇っての行動なのか、それとも古き好敵手が他の相手に仕留められることを嫌ってのことだったのか、テオ・テスカトルはその脚力を活かした突進でソードマスターからネルギガンテを引き離す。

 それでも、疲労が溜まった状態ですらネルギガンテの力は驚異的だった。助走を付けての体当たりはネルギガンテを数歩下がらせたのみで、そこで炎王龍の攻撃は終わった。その直後、炎の化身とさえ表現される炎王龍がまるで風に飛ばされた火の粉の如く軽々と投げ飛ばされたのだ。

 つい先程に弾き飛ばされたソードマスターさえ飛び越えてしまうほどの投げ技だが、炎王龍も伊達ではない。背中を龍結晶に打ち付けながらも受け身を取り、着地に成功する。

 テオ・テスカトルの勇猛果敢な戦いぶりに鼓舞されたか、ナナ・テスカトリが援護の攻撃を開始する。

 受け身を取ったと言えども、背中を強打したテオ・テスカトルは隙を晒してしまっていた。例えそれがほんの僅かな一瞬でも、ネルギガンテにとっては十分すぎる猶予だろう。その気を逸らすべく、ナナ・テスカトリは蒼い炎を翼で叩きつけるように扇いだ。

 その攻撃は他の炎妃龍には出来ない『技』だった。爆発性の粉塵をただ放出するのではなく、翼で扇ぐことで地面に付着させるのだ。

 クシャルダオラが得意とする疾風とテオ・テスカトルの粉塵。鋼龍と炎王龍の技を組み合わせたかのような攻撃に物理的な破壊力は無い。地面に燻る蒼い炎が真価を発揮したのは、まさに次の瞬間だった。

 蒼い粉塵の性質を知っていたソードマスターは、テオ・テスカトルとネルギガンテの間から咄嗟に起き上がり、横へ飛び退いた。ネルギガンテの真正面がガラ空きになった瞬間、蒼い燻りに向かってテオ・テスカトルが火炎を吐く。溜める間も無く繰り出したその攻撃は牽制程度の威力だったが、ナナ・テスカトリの粉塵によって爆発的な威力へ昇華した火炎がネルギガンテを怯ませた。

 だが、ネルギガンテはそれでも退かなかった。激しく燃えていた龍炎が、体表から僅かに放出された黒い霧によってみるみる内に消えていく。

 その光景を見て、一期団のハンター達は愕然とする。炎王龍と炎妃龍の攻撃ですらマトモに効かないという事実が、気力を大きく削いでいった。

 

「大丈夫か!?」

「これしきの事……」

 

 大団長はソードマスターの元に駆け寄った。その防具に深手が無いことを確認し、安堵する。

 旧式とはいえ徹底的に鍛えられた鋼鉄、満遍なく手入れが行き届いた防具というのは、古龍の一撃すら耐えられる堅牢なものだったのだ。

 

「それよりも態勢の立て直しを!このままでは彼奴に押し切られる!」

 

 誰よりも狩猟経験が豊富なソードマスターだからこその判断だった。

 狩猟には『流れ』というものがある。理屈では説明できない『戦いの勢い』とも言うべきこの概念は、ハンターならば誰しもが感じることであろう。

 流れがこちらにあれば、例え大型モンスターであろうとこれを巻き返すのは難しい。時には一気に勝負が決まる事すらあるのだが、無論ハンター側に不利な流れも存在する。

 相手との力に差がありすぎると、流れを引き込むには多大な労力を必要とする。入念な下調べ、力量を正しく把握した上での戦術、不測の事態への備えなど、数えればキリが無い。しかし、実力が劣るとしても『流れ』を引き込むことは不可能ではない。人とモンスターの間に存在する圧倒的な体格差と重量差を、武器装備と道具、戦術で補い『流れ』で制する。これはハンターの常識だ。

 ソードマスターが感じていたのは、この『流れ』を引き込むために必要となる絶対的な力が足りない事だ。天候に干渉する超自然的な特殊能力ではなく、高い再生能力と圧倒的な身体能力。それは、古龍の能力としては目立たないながらも極めて実戦的なものだ。故に、生半可な戦法では簡単に押し戻されてしまう。

 大団長とソードマスターの僅かなやり取りの内に、ネルギガンテの体表の棘は黒く変色し、より強固なものへと変化した。

 

「クッ……」

 

 足元で燃えていた最後の粉塵を踏みつぶしたネルギガンテは、一期団と炎王龍、炎妃龍を睨みつける。

 

「先生!」

 

 その時、ネルギガンテの背後のエリアから調査班リーダーとクシャルダオラが走ってくるのがソードマスターの視界に入った。

 最初にネルギガンテと交戦していた調査班リーダーは、体の至る所に包帯を巻きつけていた。その殆どに血は滲んでおらず、掠り傷や擦り傷程度の負傷であることが分かる。本人もそんな怪我など全く障害にならないという勢いで大剣を抜き、同じく甲殻に傷が出来た程度のクシャルダオラも追いついた。

 背後を取ったことで先走ったか、クシャルダオラはそのままの勢いで体当たりを仕掛ける。しかしその攻撃は避けられただけでなく、背中を押さえつけられた上で引き摺るように投げ飛ばされてしまった。

 投げられた先に居たテオ・テスカトルは脚を踏ん張り、咄嗟にクシャルダオラの全身をその身で受けた。陸珊瑚の台地で同じ技を受けたことで、その攻撃が二体をまとめて攻撃するものだと学習していたからだ。今度は無様に壁に打ち付けられる事無く、二匹とも受け身を取ることが出来た。

 クシャルダオラの攻撃が失敗した事を確認した後、調査班リーダーも続いて攻撃を仕掛ける。ネルギガンテの圧倒的な筋力を支える後脚は、硬質の棘が生えていない弱点と言える部位である。そこへ大剣を振り下ろした調査班リーダーだが、その攻撃でさえ避けられてしまった。

 大剣が手数よりも一撃の威力を重視する武器であることを把握しての行動だった。もしネルギガンテが大剣と言う武器を知らなければ、斬撃は当たっていただろう。しかし最初の戦い――古代樹の森での戦いで、小回りの利かない大剣が弱点を狙う事に拘ると読んでいたネルギガンテは、最小限の動きでそれを回避した。

 

「まだだ!」

 

 調査班リーダーはすぐさま体勢を整え、今度は横薙ぎに大剣を振った。

 ネルギガンテがその腕で掬い上げるように繰り出した攻撃が、調査班リーダーの大剣と激突する。しかし、ネルギガンテには大剣でもパワー不足だった。

 大剣が空を舞うと同時に、調査班リーダーの体も弾き飛ばされた。地面に2回バウンドしながらも、その体を大団長が受け止める。

 

「無茶するな!」

「何ともありません!」

 

 数で圧倒していながらも、この場に居る者全てがネルギガンテに勝つ方法すら思い浮かばなかった。

 属性攻撃を封じる龍封力、斬撃も刺突も通らない甲殻。打撃の威力を分散させる無数の棘。飛び道具を避ける瞬発力。疲れを知らぬ持久力。周囲の状況を最大限に活用する空間認識力。そして、どんな状況でも冷静に行動する精神力。

 調査団と渡りの古龍達は、完全に追い詰められていた。

 エリアの一角に全員が追い込まれた陣形に、誰も動くことが出来ない。鋼龍、炎王龍、炎妃龍も次の一手が出せない。出したところで、そのまま一気に追い込まれる事が分かりきっていたのだ。

 一歩、また一歩と間合いを詰めるネルギガンテに、誰もが死を覚悟した時だった。ネルギガンテが何か狼狽えるような様子で周囲を見回し、脇目も振らずに走り去っていったのだ。

 

「何!?」

 

 もう追い込まれたも同然だった一同は、何が起きたのか分からずに呆然としていたが、すぐさま意識を戦いに集中させた。

 

「追うしかない!」

 

 竜人ハンターが叫ぶ。ネルギガンテが見せた様子が尋常ではない焦り様だったからだ。

 調査団が動くよりも先に、渡りの古龍がネルギガンテの後を追った。大団長、ソードマスター、竜人ハンター、調査班リーダーも後に続いた。

 そして、その追跡はすぐに終わることになる。

 龍結晶の地、その中で最も高く伸びる暗い結晶が鎮座するエリアへ向かう通路に、その青年は居た。質素な外套を羽織った姿のまま、歩みを止めないでいる。

 ネルギガンテは完全に背後を取った形なのだが、攻撃を仕掛けることは無かった。代わりに行われたのは、凄まじき咆哮だった。

 怒りではなく、自らへの鼓舞のような咆哮。今まで誰にも向けたことの無かった咆哮だった。それは威嚇という次元ではなく、まさに覚悟を決めたそれだ。

 ネルギガンテを追ってきた調査団と渡りの古龍は、その咆哮を聞いた瞬間に脚が止まった。自らに向けられた敵意ではないことを理解しつつも、恐怖で体が動かないのだ。

 

「…………」

 

 その青年、ダークは歩みを止めた。だが、顔は依然として前を向いたまま振り返らなかった。

 

「相棒……!」

 

 一人の女性の声に、ダークが気付いた。

 受付嬢が北西の火山地帯から到着し、フィールドマスター、三期団長が続く。そして、屍套龍:ヴァルハザクも顔を見せた。

 ヴァルハザクはすぐにネルギガンテに加勢する動きを見せたものの、渡りの古龍と同じく脚が止まる。

 ネルギガンテを取り巻く空気が、今までにない程に緊迫したものだったからだ。

 

「…………」

 

 今、その戦いを制していたのは静寂だった。

 互いの手の内を知り尽くした者同士の戦いは、一瞬の判断ミスが命取りになることをネルギガンテは知っていた。

 だからこそ、他のハンターとは明らかに違うダークに対して初手を出すことができないでいた。

 

「…………!」

 

 同時。

 比喩ではなく、ダークとネルギガンテは同時に動いた。

 瞬時に振り返り、質素な外套に隠れていたライトボウガンを構えるダーク。罠を警戒し、跳躍からの攻撃を取ったネルギガンテ。

 空に飛んだ黒き龍の姿を銃口が狙う。それに構わず、一瞬で間合いを詰めたネルギガンテ。

 

「……だろうな」

 

 勝負は一発で終わった。

 ネルギガンテは呆然とした顔でダークを見た。その爪はダークを掠ることも無く、ただ目の前に振り下ろされただけだった。

 そして、息が掛かるほどの至近距離にいるネルギガンテに対して、ダークのボウガンも沈黙している。

 一発の弾すら発射せずにその銃口を降ろした時、30年以上に渡る調査団とネルギガンテの戦いは、終わりを迎えたのである。

 

 



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白き亡霊

 あのネルギガンテが大人しく座っているのを見て、調査団は何が起きたのかすら分からなかった。

 ひとつ確実に言える事は、そのネルギガンテの目の前で装備の最終チェックをする無防備な青年と、その相棒である編纂者、そしてそのオトモが居る事だけだった。

 

「敵はこちらの様子を既に察知してる筈だ。時間が無い、後を頼む」

「はい。相棒も気を付けて下さい!」

「後ろは任せて下さいニャ!」

 

 受付嬢を護衛していた双剣隊の備品。ナイフ・ワイヤー・弾薬・工具などの物資、つまり戦闘に必要とされる物を、ダークは人が持てる限界まで装備した姿をしていた。

 そんな青年の姿など今までに見たことが無かった受付嬢は、この先に起きる戦いが熾烈なものになることを想像してしまう。

 最後に、ダークはネルギガンテと視線を交わす。言葉が通じない者同士だが、その目的は同じであった。

 北へ向かって歩き始めたダークに、ネルギガンテが唸るような鳴き声を上げる。その声は調査団の誰も聞いたことが無い程に弱々しいものだったが、ダークはそれにサムズアップで答えた。

 

「どういう事なのか説明してくれないか?」

 

 遠征部隊はネルギガンテを包囲する陣形を崩さないまま、調査班リーダーが受付嬢へ問い詰める。渡りの古龍もネルギガンテの戦意が無くなったことを理解してはいるが、警戒は解いていない。

 ここで意外だったのは、渡りの古龍達が既にヴァルハザクの存在を知っていた事だった。40年以上新大陸で行動していれば、偶然瘴気の谷で出会っていても不思議では無い。

 ヴァルハザクという存在が中間に立ってくれたおかげで、今は古龍同士の戦いが始まらずに済んでいたのだ。

 

「ネルギガンテの真の目的が分かったんです」

「真の目的?」

「ええ、彼の目的は新大陸の古龍を捕食することではありません」

 

 調査班リーダーはネルギガンテを見やる。悪魔の化身と評されるその古龍が大人しく座っている姿を見ても、受付嬢の言う『目的』というものが何なのか見当も付かなかった。

 

 「これはいったい……何があったんだ?」

 

 突如としてネルギガンテとの戦いが終わったという監視員からの報告。それを聞いて現場に急行した総司令は、いまだに健在なネルギガンテの姿を見る。

 その様子に全く敵対心が無いことが逆に彼らを不安にさせた。総司令の顔に付けられた傷は、このネルギガンテによるものだからだ。

 

「無事!? 怪我は無い!?」

「やるじゃない。さすがネ」

 

 遅れて合流したフィールドマスターと三期団長が受付嬢を労った。

 

「あの子は?」

 

 この戦いを終わらせた本人であるダークの姿が見当たらないことに気付いたフィールドマスターは、受付嬢に問う。

 

「相棒は北に向かいました。……もう敵はこちらの状況に気付いていると」

「…………!」

 

 フィールドマスターは受付嬢が導き出した答えが当たったことに安堵しつつも、それが新たな戦いの前触れであることを思い出した。そして、この場にいる全員に叫ぶ。

 

「すぐに戦力を整えましょう。相手がどんな奴なのか分からない以上、いつここに現れるか分からない!」

「待ってください、ネルギガンテの目的とは何なのです?」

「教えてくれないか」

「先程まで命のやり取りをしていた相手だ。理由が分からねば横には並べん」

「…………」

「聞かせてくれ」

 

 調査班リーダー、竜人ハンター、ソードマスター、大団長、総司令。周囲に展開しているハンターも武器を収めてはいるが、その目はネルギガンテを睨んだままだ。

 

「ネルギガンテの目的は、新大陸から古龍を逃がすことです」

「逃がす……!?」

 

 調査班リーダーは驚いた声で言った。

 

「そう、お嬢ちゃんの言う通り」

「しかし……当初の仮説の全く逆じゃないですか!」

「一期団がここに来てから、ネルギガンテに殺された者はいるかい? ゼロだろう? 新大陸調査団だけじゃない。山猫族、奇面族、渡りの古龍達。他にも火竜の番いや、風漂竜と惨爪竜。ネルギガンテの実力を考えれば、一体一体を追い詰めれば容易く仕留められるはず」

 

 フィールドマスターの理屈に、調査班リーダーだけではなくその場に居た者全員が息を呑んだ。

 

「一方で、元から新大陸に生息していた古龍であるヴァルハザクには協力していた。死を迎える者を見届けるか、追い返すかの違いはあるけどネ」

 

 三期団長が付け加えた。

 

「その追い返す理由とは何なんだ?」

 

 ネルギガンテを追い続けてきた大団長が、受付嬢や三期団長に尋ねる。だが、その問いに答えたのは総司令だった。

 

「古代兵器だ」

「何?」

「ようやく分かった。ネルギガンテはこの地に潜んでいる古代兵器に同胞たる古龍を殺させないために、今まで戦い続けてきたのだ」

 

 その言葉には受付嬢も驚いた。

 

「古代兵器……ですか?」

「そうだ。『黒き闇』が新大陸に来た真の目的だ。五匹の龍の物語に記されていた、『贈り物』という名の古代兵器だ」

「総司令、その古代兵器とは――」

 

 受付嬢は、その問いを最後まで言うことが出来なかった。

 この場に居た者全てが、雷に撃たれたかのように顔を上げる。無論、五匹の古龍も。

 

「今の音は……!」

 

 歴史に残る戦いは、一発の銃声から始まった。

 

 

――――――

 

 ダークは北に向かう通路の中、一カ所だけ不自然な部位を見つけた。

 古龍でも通れる広さの通路は突き当りで左右に分かれており、左は奇面族の住処があった場所。右はネルギガンテの寝床と言われていたエリアだった。

 ネルギガンテに住処を追われて以降、奇面族は既にこの地を去っていた。拠点への道も崩落した岩で9割ほど埋まってしまっているため、古龍どころか奇面族でも通ることはできない。

 ダークが気付いたのは、ネルギガンテの寝床へ向かう途中にある壁面だった。周囲に生えている龍結晶は、北東にある青く輝く龍結晶と違い、黒くくすんだ色をしている。形状も複雑且つ鋭利になっており、青い龍結晶よりも攻撃的な印象を受ける。

 その黒い結晶が通路を余すところなく無数に生えているのだが、一カ所だけアーチが途切れている部分があった。方角を示すコンパスは、真っ直ぐ北を指している。

 

「この向こうか」

 

 フル装備でも登れるほどの高さしかないその壁面を超えると、そこには獣道すら無い黒い結晶の迷路が存在した。

 だが、よく見ると部分的に結晶が折れている部分がある。それが古龍、ネルギガンテが過去に通過したであろう事は、ダークには容易に想像できた。

 足場となる龍結晶は極めて頑丈で、ダーク一人が乗った程度ではビクともしない。ネルギガンテが過去に通ったルートをひたすら前進すると、そこにはダークが予想した通りのものが姿を現した。

 

「格納庫のハッチ……か」

 

 分厚い金属製の扉。周囲に生えている龍結晶のせいで、その入り口は巧妙に隠されているようにも見えた。

 そのハッチはネルギガンテが無理やり通れる程度の開度があった。事実、通ったであろう部分の龍結晶が折れている。

 ダークはそこから格納庫の中を見た。内部は照明が無く、奥の方は全く見えなかったが、上空から俯瞰すれば正方形の形をしている格納庫であることが辛うじて分かった。

 さらに、内部には金属製の箱や鉄骨のような細長い部品が無造作に置かれていた。見ただけでは用途が不明なものばかりだが、それらが脅威になるものでは無いとダークは判断した。

 

「『Distilled Water TANK』……蒸留水の槽か」

 

 金属製の箱に描かれていた古代文字を、ダークは瞬時に解読する。

 研究班でも実験で使用する蒸留水だが、これほど巨大なタンクに詰められているものは現大陸にも無いだろう。 

 ダークは導蟲のコロニーを軽く叩き、蟲達を外へ出した。古代の基地という未知のエリアではあるが、導蟲は普段と変わらぬ挙動で周囲を飛び回る。

 ふと、その色が青く変わった。古龍や龍結晶の影響を受けた大型モンスターに対して発されるその色は、部屋の奥を指していた。

 

「細い鋭利な傷、強い力で叩かれた跡。ネルギガンテの痕跡だな」

 

 それは、ここで激しい戦闘があったことを示す痕跡だった。

 残されていた棘をコロニーに入れた瞬間、導蟲は同じ匂いに反応して先程よりも広範囲を飛び回った。

 

「これは……?」

 

 導蟲が特に強く反応している部分があった。

 格納庫の北東側の部分、細かい金属製の部品が地面に散らばっている中で、一つだけ素材が異なる物を指していた。

 

「合成樹脂製の容器……」

 

 この時代の技術では製造できない、高分子化合物で構成された容器だった。

 

「何も表示が――」

 

 容器の表示を見ていた時、警報音が格納庫に響く。

 そして、この音をダークは知っていた。

 

「エレベーター……!」

 

 昇降機が作動する音だった。階層間を効率良く移動させる古代文明の機械製品。それが突如稼働し始めた。

 だが、昇降機はダークが居る格納庫の階で作動した訳では無かった。

 

「…………!?」

 

 ダークはエレベーターの方向へライトボウガンを構えた。

 現在位置を示す階層の記号が、LEDの光で浮かび上がる。

 

―― B5 B4 B3 B2 B1 1F ――

 

 LEDはB4を指していた。ダークはエレベーターの扉の近くの表示を見る。暗闇に慣れた目が、『1F』という文字を捉えた。

 この格納庫は地表に出ている。つまり、1階を示す古代語である『1F』がこの場所であった。

 LEDは次にB3を指した。もうこの時点で、ダークはエレベーターのドアの横へ隠れていた。

 

 何者かがここへ向かっている。

 

 B2。ダークはボウガンのコッキングレバーを引き、薬室に弾を装填した。

 B1。引き金に指を置いた。

 1F。

 

「動くな!」

 

 エレベーターから歩み出てきた人影に、ダークは銃口を向けた。

 その者は驚く声も上げずに、その場に固まる。

 

「武器を捨てろ」

 

 暗い部屋でも視認できるほど、全身が真っ白の金属に覆われた二足で歩く異形の者。

 その右手には、ダークですら知らない銃が握られていた。

 

「武器を捨てろと言っている」

 

 ダークの命令に白い異形は動じず、武器は握られたままだ。

 従わない異形に向かって、ダークは再び叫ぶ。

 

「Drop the gun!」

 

 古代語で『銃を捨てろ』という命令。

 だが、異形はそれでも従わなかった。その態度を見て、ダークは銃口を頭部の左、こめかみと思わしき場所に接触させる。

 

「This is your final warning! Throw your weapons on the ground!」

 

 最後の警告は、決裂で終わった。

 白い異形はダークのボウガンを左手で払い除け、出口に向かって走り始めたのだ。

 

「Freeze! Don't move!」

 

 もはやその警告が意味を成さないことを把握しつつも、ダークは発砲した。

 白い異形の左肩に命中した貫通弾が、火花を散らして弾かれる。

 出口に到達し、日の光に晒された異形の姿を見て、ダークは戦慄した。

 

「強化装甲服!?……『ミラ』か!?」

 

 ミラと呼ばれた強化装甲服は、自身が外に出る隙間があるにも関わらず、最短ルートで格納庫の扉を一撃のパンチで吹き飛ばした。その威力は、扉どころか周囲に生えている龍結晶さえも根こそぎ吹き飛ばす程だった。

 現大陸で事前に収集した古代兵器に関するデータ。そして『生存者』から直接聞いた情報に存在した、古代の防具。

 残されていた情報は極めて少ない。ミラの性能は『生存者』すら把握していなかった程の極秘情報だったのだ。

 だが確実に言えることは、古代文明を滅ぼし、世界を造り変えたと伝えられている『ミラボレアス』『ミラバルカン』『ミラルーツ』。伝説の龍に共通する『ミラ』の名前は、あの強化装甲服こそが正統な持ち主なのだ。

 世界を終わらせる力を持つ古代の防具の製品名が、時代と共に禁忌の古龍の名前へと変わっていった。それが不自然な事ではないほどの性能を持つ古代兵器なのだ。

 

「世界が終わる日か……!」

 

 世界が終わる日。『生存者』が語った強化装甲服の比喩は、実物を見たダークにとって誇張とは思えなかった。

 全身を覆う重装甲、ダークですら反応できなかった瞬発力、一発で分厚い鋼鉄の扉を吹き飛ばすパワー。

 格納庫に残されていた痕跡は、ネルギガンテが単独で『ミラ』に挑んだ時のものだったのだろう。しかし、何度戦っても勝ち目が無ければ、新大陸から古龍や調査団を何としてでも逃がそうとする心情は理解できる。

 

「…………」

 

 ダークは覚悟を決めた。新大陸で想定される最悪の事態が発生してしまった以上、ギルドナイツが運んできた『例の物』を使わざるを得ないことに。

 最終任務は古代兵器『ミラ』の無力化、並びに武装解除。不可能であれば、その破壊。

 黒き闇と白き亡霊が、始動した。




【解説】

・龍結晶
正式名称で龍脈石と呼ばれる鉱石。
大型モンスターの体内から稀に採取できる「宝玉」と性質が酷似しており、龍属性エネルギーに極めて強い反応を示す。
新大陸で息絶えた古龍はいずれこの鉱石へ変質すると推測されているが、発見されている龍脈石は全て純度の高いものばかりであり、変質途中の鉱石は一切発見されていない。
また、龍結晶の地では青く光るものと黒くくすんだ色の二種類の龍脈石が確認されているが、性質の違いに関しては調査が進んでいない。

・信号弾
大部隊で行動する際、司令官の命令を即座に全体へ伝えるために使用されるもの。
かつては色の着いた光を長時間放つことができなかったために狼煙を用いていたのだが、煙を発生させるまでに時間を要するために開発された経緯を持つ。
現大陸で既に実用化されており、新大陸でも二期団の就任と同時に配備が進められた。

・可変武器
主にスラッシュアックスとチャージアックスを示す呼称。
変形する武器はガンランスやヘビィボウガンも該当するが、「武器の性質を変化させる事が可能」な物を可変武器と呼んでいる。
二種類の形態を持つ故に、ハンターは両方の形態の知識と技量を習得しなければならず、使いこなすには長い訓練を必要とする。
また、変形機構が構造を複雑にしてしまうため、日頃の入念なメンテナンスを必要とする上に修理にも熟練した職人の腕を要求する。
戦術の幅が大きく広がる武器ではあるが、運用面で改善の余地がある武器種でもある。


・黒い撃龍船
ギルドナイツの管轄に置かれた新造船。
機密情報のため詳細は不明だが、船体はもちろん配備されている兵器や備品類も全て最新鋭の船である。
船員もギルドナイツの精鋭であり、その戦闘能力は非常に高い。


























































・『例の物』
アクセス権限がありません。
認証には暗号名、生体認証、起動キーが必要です。


・『ミラ』
全データのクラッシュを確認。
意図的に情報が破壊された可能性あり。
推定クラッシュ時刻……約8000年前


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最終章:世界が消える日
Man Machine Interface



それは、余りにも小さく、あまりにも無垢だった意志

心を刺すほど感情的ではなく
技が霞むほど超常的でもなく
体が竦むほど超越的でもない

『我は与えん、無限の力を』
『我は伝えん、永久の夢を』

かつて、古の世界を生きていた命
喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、遥かな歴史を重ねた命達
それらは全て星となり、風に吹かれて忘れ去られた

だが、見えるだろう
世界に満ちる命の光が見えるだろう!

人たる者の壮絶な決意が
龍たる者の不屈の闘志が
そして、命ある者の力が!

『復讐するは、我に在り』

人よ、龍よ、命ある者よ
冥河の向こうへ心を掲げ、蘇った亡霊を討て!



 

 いつの時代も、開戦とは静かで激烈なるものだ。

 爪を収めたとはいえ、つい先程まで戦っていた相手。渡りの古龍とネルギガンテは新大陸調査団とヴァルハザクを挟んだ状態で睨み合ったままだったが、その時間は唐突に終わりを告げた。

 

「なんだ……あれは?」

 

 調査団も、古龍達もその方向を見た。警備班のひとりが指差したところにそれは居た。

 

「誰だ!?」

 

 その場にいるハンターは離れた位置からこちらへ走ってくる白い人影の姿を見て、動揺した。

 全身を白色の金属で覆われたそれは、人間が鎧を着ているだけだと言われれば素人は信じるかもしれない。しかし防具に関する知識を持っている人間から見れば、明らかに人が耐えられない質量の鎧であることは一目瞭然だったのだ。

 腕や脚の部分の装甲厚は20cmを超えるだろう。さらに胴体正面は40cm以上もあることは容易に確認できる。

 生身の人間なら部分的に5cmを超える鉄の装甲ならば辛うじて動けるが、20cmを超える装甲を全身に、しかもそれを着た状態で走るなど絶対に不可能だ。

 つまり、その者は『人間』ではない。

 人の形をしていながら、人ならざる者。それはあまりにも不自然で不気味な存在だった。

 

「止まれ!」

 

 警備班が手のひらを前に出し、止まれのジェスチャーを出す。しかし白い異形が止まる様子を見せないために武器を構えた。その場にいた古龍も、明らかに人間とは違う雰囲気を感じ取ったのか、臨戦態勢を取る。

 武器を向けられながらもこちらへ走ってくる白い異形。その異質な存在に、黒い悪魔が襲い掛かった。

 滅尽龍:ネルギガンテ。その古龍は今まで誰も聞いたことが無いほどの憎悪を込めた咆哮で飛び掛かかった。

 白い異形は咄嗟に右手に持つ銃を向けるが、ネルギガンテの速さが勝った。渡りの古龍さえも捻じ伏せる圧倒的な力が、白い異形を地面に埋もれさせるほどの勢いで振るわれる。

 間髪入れず、黒い悪魔は仰向けで倒れている白い異形を何度も執拗に叩きつける。生身の人間であれば既に人の形を失っていることは間違いないであろう攻撃だ。

 ネルギガンテが見せた凄まじいまでの殺意に、調査団も渡りの古龍も戦慄する。それは、先程までの戦いが手加減だったと思い知らされるほど苛烈だった。

 人間どころか古龍でさえも無事では済まない程の攻撃で、白い異形は地面に殆ど埋まってしまう形で動きが止まった。ネルギガンテもこれで仕留めたと思ったのだろう。数歩後ろに下がり、大きく息をついた。

 

『…………』

 

 突然、白い異形の左腕が天高く掲げられた。

 その場にいた者の全てが我が目を疑った。攻撃を加えたネルギガンテですら驚愕し、大きく距離を取る。

 地面の中から突き出されたその腕は、次に地面を押さえる。硬い地面に埋まってしまった上半身が、地面のひび割れと共にゆっくりと起き上がった。

 ネルギガンテは追撃を掛けることが出来なかった。調査団や渡りの古龍ですら、つい先程まで戦っていたネルギガンテがすぐ隣に居ることすら些細な事と思えるほどの緊張が走っていた。

 その光景は恐怖そのものだ。生物であれば間違いなく死んでいる筈の攻撃を受けた者が、何事も無かったかのように立ち上がる。そして、足元に転がっていた銃を手に取り、何の躊躇も無く構えたのだ。

 

「ハンターは攻撃!非戦闘員は下がれ!」

 

 我に返った総司令が叫ぶ。

 白い異形がこちらに向けた銃は、明らかに新大陸調査団が作製した物では無い。異形と同じく純白の装甲を備えたそれは、現代で作られた物では無いと断定できるほど、無駄の無い洗練されたデザインだったからだ。

 未知の武器の銃口に青白い光が集まっていく。総司令の攻撃許可の指示に、その場に居合わせたボウガンを装備しているハンターが前衛へ出る。

 発砲は同時。ボウガンから放たれた複数の弾は、白い異形の頭部と胴体に命中した。一方、未知の銃から放たれたのは物理的な『弾』では無かった。

 その攻撃を例えるならば、火竜のブレスが近いだろう。

 火の玉のように尾を引いて直進する青白いエネルギーの塊は、前方を固めていたネルギガンテと調査班、その後ろのヴァルハザクを掠めた。しかし勢いが衰えぬまま直進するそれは、最も後方でテオ・テスカトルとクシャルダオラに匿われていたナナ・テスカトリに直撃した。

 テオ・テスカトルの悲鳴のような咆哮が、龍結晶の地に響く。

 白い異形が発射したエネルギー弾は火竜のブレスよりも遥かに遅い弾速だった。しかし、他に例を見ない攻撃に反応が送れてしまったナナ・テスカトリは、エネルギー弾の直撃を受けた瞬間に発生した爆風で壁まで吹き飛ばされた。

 その衝撃波は周囲にも炸裂し、近くにいたテオ・テスカトルやクシャルダオラ、そして調査団のメンバーさえも転倒する程の威力だった。

 さらに追撃を掛けるように白い異形は発砲した。テオ・テスカトルが間一髪でその身を盾にして防ぐものの、炎妃龍と同じく地面を引き摺られるように壁際まで吹き飛ばされる。

 人間に対する最も強大な、天災にさえ匹敵する存在である筈の古龍が、まるで風に飛ばされた枯れ葉のように何も出来ずに蹲ってしまったのを見て、調査団の全員が驚愕した。

 

「何!?」

「あの白い武器に注意しろ!」

「横一列で壁を作るぞ!」

 

 陽気な推薦組が出した合図に調査班と警備班が同調し、大勢のハンターがネルギガンテの前に出て布陣を整えた。ランスやガンランス、チャージアックス等の大盾を持つハンターが前衛でガードし、その後ろにガンナーが隠れる陣形がものの数秒で築かれた。

 これは遠距離攻撃を主体とするモンスターに対しての防御陣形だ。怪我をしたハンターや護衛対象を守る際に真価を発揮する。

 一方の白い異形もボウガンの弾が直撃した事で転倒していたものの、また同じように何事も無かったかの如く立ち上がる。

 人間の頭にボウガンの弾が直撃すれば、防具で貫通を防いだとしても脳震盪を起こして数日はまともに歩けなくなる重傷の筈だ。しかし白い異形はまるでダメージなど無いかの如く追撃の構えを見せた。

 

「やらせるか!」

「させん!」

 

 白い異形は、次に最も近くにいたネルギガンテへ狙いを定めた。

 こちらも攻撃しなければ一方的な戦いになるだけだと判断した調査班リーダーが大剣を、ソードマスターが太刀を振るった。

 ネルギガンテの打撃でさえ満足にダメージを受けなかった相手だが、関節部分の装甲が薄い箇所に攻撃を当てれば多少の損傷は与えられると読んだのだ。

 左右からの挟み撃ちの剣撃。しかし白い異形は反撃も回避もしなかった。

 

「!?」

「何と!?」

 

 かつて古代樹でアンジャナフを転倒させた時と同じ――いや、それ以上の手加減無しで振るわれた大剣が、白い異形の左手に掴まれた。

 ソードマスターが振るった正確な一閃も、最も装甲が薄い腕の関節部分すら破壊できなかった。それどころか傷ひとつ付いていない!

 

『…………』

「くそッ!離せ!」

 

 白い異形の桁外れの握力が、調査班リーダーの大剣を掴んだまま離さない。

 このままでは二人が撃たれると思ったのか、ネルギガンテが素早く周囲に黒い霧を放ち、前衛のハンターを飛び越えて襲い掛かった。

 白い異形は調査班リーダーを大剣ごと付き飛ばす。まともに受け身を取ることが出来ず、調査班リーダーの体が5メートルほど地面を転がる。それと同時に、白い異形はネルギガンテに発砲した。黒い霧に接触したエネルギー弾は激しく減衰しながらも、消滅する前にネルギガンテに直撃した。

 空中でまともに攻撃を喰らったネルギガンテが吹き飛ばされ、ぐったりとしたまま動けなくなる。威力が減衰しているはずのエネルギー弾でさえネルギガンテをダウンさせる凄まじい威力だった。

 その光景を見てクシャルダオラが空中へ舞い上がる。もうネルギガンテと睨み合いをしている余裕など無いと思ったのだろう。調査班リーダーに肩を貸しているソードマスターを援護するように疾風のブレスを放つ。それを迎え撃つかの如く、白い異形は鋼の龍にも発砲した。

 クシャルダオラは青白いエネルギー弾を自身の風で吹き飛ばせると思ったのだろう。その予測が誤りだったと気付いた時には、その体が炎妃龍の隣に転がっていた。

 人間の体さえ軽く吹き飛ばす疾風のブレスと自身に纏う風の鎧。その両方をエネルギー弾は貫通してきたのだ。

 クシャルダオラが巻き起こす風よりも明らかに遅いはずの青白いエネルギー弾は、まるで物理法則を無視するような挙動を示す。

 

「全員逃げろ!こいつは危険すぎる!」

 

 動けなくなった古龍達の盾になっていたヴァルハザクが最後に直撃を受けた。その吹き飛ばされた巨体を寸前で回避した大団長が叫ぶ。

 誤射の恐れが無い陣形になった瞬間、ガンナーが集中砲火を浴びせる。

 どんなモンスターでも無事では済まない量の弾薬が消費されていくが、白い異形の装甲はまるで受け付けない。火薬を増量した貫通弾ですら装甲に傷ひとつ付けることが出来ずに弾かれてしまう。

 圧倒的な重装甲、古龍さえ一撃で戦闘不能にさせる未知の武器。現在の調査団の構成では白い異形を討伐するどころか、撃退さえ不可能だと思わせるには十分すぎる条件だ。

 ハンター達の弾薬が尽き、攻撃が次々と止んでいく。そして五匹の古龍は全て動けなくなっている。

 

「うぅッ……!」

 

 大団長は古龍の前で壁を作りながらも、それ以外にできることが無くなってしまう。

 古龍も、調査団のハンターも完全に追い詰められたのだ。

 

『…………』

 

 古龍へ一歩ずつ迫る白い異形。その手に持つ白い銃から箱型の金属が落下した。

 軽い音を立て、空の弾倉が地面に転がった。そして腰の側面から取り出された新しい弾倉が銃に込められた。

 あとは銃口を向け、引き金を引くのみ。

 誰もが死を覚悟した。

 背後から誰かが走ってくる音。

 

「皆さん逃げて!」

「ここはボクらに任せるニャ!」

 

 受付嬢とアポロだった。

 

「な、なに考えてるんだ! 嬢ちゃんも逃げろ!」

「我々のことは放っておいていい! 逃げるんだ!」

 

 大団長と総司令がが叫ぶが、加勢する者が他にもいる事に気付く。

 大勢の調査員が走ってくるのが見える。

 

「へっ、あいつが立てた作戦なら成功するに決まってるさ。さあ総司令、今の内に逃げてくれ!」

「まさか私たちが実戦に出るとはね!」

「フフ……研究対象の古龍に死なれちゃ困るのヨ」

 

 編纂者、輸送班の作業員、研究班、三期団長、フィールドマスター、二期団の親方。

 非戦闘員として離脱し、後方で待機していた者ばかりだった。武器すら持っていない彼らが白い異形に勝てる見込みなど、天地がひっくり返っても無いだろう。

 

「逃げろ! 逃げ……?」

 

 総司令は目を疑った。白い異形が戦闘態勢を解除したのである。

 トリガーから指を離し、銃口を空に向けるように脇に抱える動作。不意な力で銃を暴発させない基本姿勢、万が一武器が暴発しても周囲に被害を出さないための姿勢。ボウガンを取り扱う者なら誰もが知っている安全姿勢だ。

 それは、白い異形が攻撃を中止した事に他ならない。

 

「あ、あなた人間を撃つ事は出来ないのでしょう?」

『…………』

 

 受付嬢の隣に立つ勝気な推薦組が、緊張しながらも白い異形を挑発する。それでも白い異形は武器を向けなかった。

 まるで非武装の人間に攻撃を加える事を禁じられているような挙動に、調査団の者は困惑しながらも行動を開始した。

 白い異形は囲みの隙間を縫って無防備な姿を晒している古龍へ武器を向けるが、銃口の目の前に三期団長が割り込んだ事で再び銃を収める。

 

「みんな海の方角へ逃げるニャ! ギルドナイツの船が待機してるニャ!」

 

 アポロやお手伝いのアイルーが逃走ルートの案内を始めた。

 五匹の古龍もようやく動けるようになったらしく、ぎこちないながらもその場から撤退を始めた。古龍達も現在の状況では勝つことは出来ないと思ったのだろう。

 古龍がアイルーの誘導に従うというのは奇妙な光景だったが、そんな感想など誰も考える余裕すら無かった。今は圧倒的な戦闘能力を持つ未知の敵から逃げるので精一杯だったのだ。

 

「あんたの思い通りにはさせないよ!」

『…………!』

 

 フィールドマスターが白い銃にしがみ付いた。

 白い異形の力ならば振りほどくのは容易い事だろう。だが周囲を人間に囲まれているこの状況では、危害を加えずに振りほどく事が出来なかった。

 

「あの白い奴、人間には攻撃できないらしい」

「古代人に使われていた兵器なら納得だ……」

 

 走る事が出来ない総司令に、竜人族のハンターが肩を貸しながら逃げる。

 

「お前たちはどうするんだ!?」

 

 迅速に行われた撤収。最後に残った大団長が白い異形を取り囲む調査員に呼び掛けた。

 古龍とハンターは離脱出来たが、いくら攻撃されないとはいえ置き去りにすることは出来ない。

 

「大丈夫です! 相棒が来ました!」

「作戦は成功だな!?」

 

 大団長の後ろからダークが走ってくる。

 

「撤退だ! 古龍が乗っていても人間が一緒の船なら奴は攻撃できない。一度アステラに戻って態勢を立て直す!」

 

 大団長の肩を叩き、ダークがライトボウガンへマガジンを込める。

 

「残りのメンバーを5分で撤退させてくれ。その時間稼ぎをする」

「お前はどうするんだ!?」

「心配無用だ」

 

 ダークは非武装の人間に囲まれている白い異形の真正面に立った。

 

「ゼロの合図で走れ! いいな? 3……2……1……」

 

 ダークの合図に、非戦闘員の調査員が身構える。

 

「ゼロ!」

 

 一斉に走り出す調査員。

 

「相棒、気を付けて!」

「旦那さん、船で待ってるニャ!」

 

 受付嬢とアポロも船を目指して走った。

 周囲に邪魔な存在が居なくなった。混乱していたのか一瞬反応が送れた白い異形だが、すぐさま古龍を追跡すべく走り出した。

 しかし、そこに一発の銃弾が飛んでくる。

 追撃を掛ける白い異形の銃が、ダークの射撃によって地面を転がっていった。側面からの直撃弾では銃を保持できなかったのだ。

 

『…………!』

「その武器以外、攻撃手段は無いと見た」

 

 速く走れないフィールドマスター、総司令、三期団長が撤退する時間を稼ぐべく、ダークは再び強化装甲服と一対一になった。

 弾き飛ばされた銃を拾うため、強化装甲服が地面に手を伸ばした。

 そこへダークのライトボウガンが再び火を噴く。強化装甲服と同じ材質の装甲を持つ白い銃は直撃ですら無傷だったが、衝撃までは無効化できない。

 

『……………』

 

 さらに遠くへ転がっていった白い銃を見つめて、強化装甲服は動きを止めた。このままでは事態を突破することが出来ないために、別の手段を考えているのだ。

 優れたハンターの場合、戦闘中の判断は一瞬で行われる。それに比べ、この強化装甲服は防御力と攻撃力は桁外れだが、思考力はそれほど優れていない。まるで新米のハンターだ。

 だが、激昂する事が無い。

 人間やモンスターでも弄ばれることで怒りを見せることは自然な事だが、この強化装甲服は何の感情も見せない。

 それ故に、ダークはこの『白い異形』の正体を確信できた。

 

「貴様、人口知能だな?」

『…………』

「何が目的だ」

 

 強化装甲服は答えない。発声回路が存在しないのか、言語どころか効果音による返答も無い。

 再び銃を拾おうと走ったため、ダークも同じ射撃を繰り返す。

 今度の白い銃は崖の近くまで飛ばされた。次に撃たれると底の見えない程深い谷に真っ直ぐ落下してしまうだろう。

 

「答えろ!」

 

 強化装甲服は低い知能なりに考えたのか、ダークと白い銃の間を塞ぐように立った。

 もう後は無い。ハンターと同じく、攻撃手段を武器に依存している強化装甲服にとって、それが無くなることは戦闘能力の大幅な低下を意味する。

 ダークは白い銃へ予告無く発砲した。正体を探るより、武装解除の方が重要だったからだ。

 しかし、強化装甲服はその攻撃を見切った。

 左の手の甲を前に出すと同時に、その周囲に円形状の膜が展開した。

 耳障りな音と共に展開されたその『膜』は、薄っすらと青みを帯びている。古代兵器の知識が無い者でも、はっきり『盾』として認知できる物だった。

 

「!?」

 

 ダークは初めて見る装備に一瞬だけ動揺した。

 強化装甲服もこの状況を打破するため、『古代の盾』であることさえ分からず咄嗟に使ったのだろう。

 結果的にダークが続けざまに放った複数の銃弾は盾によって阻まれた。しかし強化装甲服が『盾』を収め、武器を拾う瞬間に一発だけが命中した。

 強化装甲服は残弾数の予測を誤ったのだ。

 奈落の底へ落ちていく白い銃を、強化装甲服は見つめる事しか出来ない。

 

『…………』

 

 強化装甲服は何の躊躇も無く飛び降りた。例え時間が掛かっても武器を取り戻すことを優先したのだ。

 そして、高所から落下した程度で大破するほど脆弱な構造でもないだろう。

 奴は必ず戻ってくる、ダークにはそう確信できた。

 

「これでしばらく時間は稼げるはずだ……」

 

 古龍も調査団も疲弊している今の状況では、時間稼ぎが何よりも貴重である。

 戦いは、まだ始まったばかりなのだ。

 



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Dark Fall

 

 秘密基地で遭遇した強化装甲服が古龍の元へ真っ直ぐ向かう事は、ダークにとって想定の範囲内だった。しかし、追いかけたところで重装甲への対抗手段が無い以上、別の方法を考えなければならなかった。

 ダークは指示した展開が想像以上に上手くいったことに胸を撫でおろしていた。

 咄嗟に思いついたのは、後方で待機していた調査員を前進させ、大勢で取り囲むという一見すると奇妙で間抜けな戦法だった。

 しかし、これには根拠がある。『人間によって開発された兵器が人間を攻撃する事はできない』という理論だ。

 ダークがこれまで見てきた古代兵器には、全てに強力な安全装置が備わっていた。仲間へ攻撃が当たると武器に内蔵されたシステムが判断した場合、セーフティが起動し攻撃ができなくなるのだ。

 安全装置が内蔵されていると確信できたのは、ダークへ直接攻撃が無かった事が根拠だった。その疑惑は後に調査班リーダーと非武装の調査員達で証明された。

 要は、運が良かったのだ。

 新大陸の地下に基地があることを知りながらも、満足な装備も無く突入したのは失敗だったかもしれない。だがあの場でダークを含めた調査員が準備のために撤収していたら、間違いなく古龍は全滅していただろう。

 人間には攻撃できないという弱点こそ露呈したが、それを補って余りあるほど強化装甲服の性能は桁外れだ。次に遭遇した時は攻撃できない代わりに、非武装の人間への対策も立ててくるだろう。同じ戦法が通じる保証は無い。

 一方、調査団も負け方としては悪くは無かった。ギルドナイツ船と一期団船、二隻の船で龍結晶の地を離脱した彼らは、東の海を回り込むことでアステラへ無事に帰還する事ができたからだ。

 船での移動中は古龍を治療するだけで精一杯だったため、作戦を考える猶予は全く無かった。

 現在では古龍達は五匹とも持ち直している。しかし、調査団も古龍も、戦意消失こそしていなくとも士気は大幅に落ちていたのだった。

 

「あの白い奴は一体何なんだ?」

 

 アステラの司令部で総司令がダークに問う。今回遭遇した相手は古龍とは全く異なる性質を持つ敵だからだ。

 

「古代兵器さ。それも対古龍戦を前提にしたものだろう」

 

 ギルドナイツ船と、その中継ぎを行う船から降ろされている荷物を見ながら、ダークは言った。

 アステラの足場は船の部品で建造されているために古龍は入れない。故に、五匹の古龍はアステラから伸びる古代樹方面への道に集められていた。そして、ゾラ・マグダラオスもアステラから少し離れた海で佇んでいる。だが、その圧倒的な巨体が宿している感情は、恐怖心だった。

 人間の拠点に複数の古龍が集結していながら、周囲は静寂が広がっている。

 今のアステラは、古龍が一生に一度会えるかどうかという存在であることを忘れさせてしまうほどの事態になっていた。

 五期団が初めて新大陸に訪れた日、クシャルダオラがアステラに収容された時の大混乱ぶりが嘘のような光景だ。調査団が追い続けてきた渡りの古龍、瘴気の谷の守護神であるヴァルハザク、そして因縁浅からぬネルギガンテがアステラに収容されているなどと、誰が信じられよう。

 しかし、そんな特異な状況ですら疑問に思えない程、アステラは緊張に包まれていた。敵はそれほどまでに圧倒的なのだ。

 

「あれ程の戦闘能力を持つ相手に……どう戦えばいいんだよ……!」

 

 調査班リーダーが机を殴り付ける。いつもなら誰かが奇想天外な案を出すところだ。

 だがどうだ。総司令も、大団長も、フィールドマスターも。熟練のハンターである竜人のハンターやソードマスターでさえ沈黙していた。

 闘争か、逃走か。

 生死に関わる極限状態に晒された時に取る行動。そのどちらも無意味だと理解した時、生物は無気力になる。

 あらゆる攻撃を受け付けない重装甲、古龍を一撃で戦闘不能にする謎の武器。

 だが、白い異形の恐るべきところは別にあった。未知の存在に遭遇することは調査団にとって珍しくは無いが、そのどれもが生き生きとした『生物』だった。縄張りや獲物を巡って争う者もいれば、種族の異なる相手にさえ思いやりを持つ者もいる。それは古龍も例外ではない。

 だが、あれはどうだ。

 計画を邪魔されて怒りのまま無差別攻撃をしてくる方がまだ可愛げがあっただろう。強い憎悪を抱いているのかと思えば、非武装の人間には絶対に攻撃しないという思考。一見すれば人間と思える行動だが、言語やジェスチャーなどの意思疎通には全く応じない。

 外観は分厚い鎧を着こんだ人間だが、行動には人間らしさをまるで持ち合わせていない。

 

「……理想的な場所だろう?」

 

 船の荷物を見たまま、ダークは言う。

 

「何……?」

 

 総司令と調査班リーダーがダークを見る。『理想的な場所』という言葉の趣旨が分からなかったからだ。

 

「古代樹の森、大蟻塚の荒地、陸珊瑚の台地、瘴気の谷、そして龍結晶の地。奴の目的のためには豊富な生態系が無ければならない」

「生態系と奴に何の関係が?」

「ここは寿命を迎える古龍から見れば理想的な場所だ。生い茂る木々、乾いた大地、美しい景色、静かな墓地……そして過去に息絶えた古龍のエネルギーが満ちる場所。これらを用意すれば一生に一度会えるか、と言われている古龍が向こうから来てくれる」

 

 ダークは振り返った。

 

「現大陸で自由に行動している古龍を追いかけるより、理想郷を作り網を張る。古龍が渡ってくれば互いに縄張りを主張して勝手に争い数を減らす。一体の古龍が頂点に君臨しても、いずれ寿命で死ぬ」

「ちょっと待って下さい……まさか……!」

 

 研究班リーダーが、ダークの言わんとしている事に気付いてしまった。

 

「古龍を殲滅するため、奴が全てを仕組んでいた……そう考えれば辻褄が合う」

「ここが……新大陸そのものが奴の『罠』だってのか!?」

「……確かに。これほど海に近い場所で古代樹が成長するのは不自然だと思っていたが……奴が仕組んだと仮定すれば説明できるな」

 

 竜人ハンターは深い溜息と共に吐き捨てた。

 

「陸珊瑚の台地と瘴気の谷。どちらが先に誕生したのか研究班ではずっと謎だったけど……同時に『作られた』のなら納得だね……」

 

 フィールドマスターが暗い顔で言う。大峡谷を始めて超えた先で見た景色。あの美しい景色が古龍抹殺のために仕組まれたものだと思うと、悲しみが込み上げてくるのだ。

 大団長はダークの言葉を否定したかった。しかし、竜人ハンターとフィールドマスターの冷静な分析がそれを阻む。

 今までは白い異形が直接手を下さずとも良かったのだろう。渡ってきた古龍は理想郷を巡り、互いに争う事で数を減らす。その舞台を整えてやるだけでよかったのだ。

 異形の元まで辿り付けたネルギガンテも、対古龍戦に異常特化した兵器が相手では勝ち目は無く、そして新大陸に隠された真意を他の古龍へ伝える術も無い。渡ってくる古龍を力尽くで追い出す以外に方法は無かった。

 だが、新大陸の輪廻に反する者達が出現した。それこそが新大陸調査団である。

 白い異形にとって最初は都合の良い集団だったのだろう。古龍の殲滅を阻止せんとするネルギガンテと敵対していたからだ。

 だが、突如として全ての古龍と人間が争いを止めた。そればかりか自身の存在が発覚する事態になった事は、白い異形にとって全くの計算外だったに違いない。

 故に、白い異形は直接攻撃に出てきたのだ。

 

「くそ……何か奴を倒せる方法は無いのか!?」

 

 大団長が鬱屈した空気を振り払うため、声を張り上げる。

 

「方法はある」

「何!? どうすればいいんだ!」

 

 ダークの返答に大団長が詰め寄る。

 

「だが、いいんだな?」

 

 ダークが目線で指した先の人物は、総司令と料理長だ。

 

「奴は人間には危害を加えない上に、現大陸まで運搬すれば向こうの古龍さえ根絶やしにしてくれる存在だ。古龍による人間への被害を永久にゼロにできるんだぞ?」

「相棒……!」

「旦那さん……!」

 

 受付嬢とアポロの顔が見えなくとも、ダークには表情が分かった。周りにいる者全てが同じ顔をしていたからだ。

 古龍による被害で命を失った者は、少なからず存在する。

 親を失った者、恋人を失った者、子供を失った者、親友を失った者。新大陸調査団にも大切な人が大怪我をしたという経験を持つ人物は多い。

 一方で、古龍が人間を襲う理由もある。

 番いを殺された龍、友を殺された龍、住処を奪われた龍。人間も古龍も、傷つけられる事に恨みを持つのは許されるだろう。感情こそが生命の証拠であり、この世界に生きるという事なのだ。

 だが、奴は違う。

 白い異形は全ての古龍を抹殺する事が目的であり、そこに感情は介入しない。怒りも哀れみも、まして喜びも無く、そして殺戮を楽しむ愉悦も嘲笑も無い。

 例え生まれたての子供の古龍でさえ躊躇なく殺すだろう。

 

「てめぇ……ッ!」

 

 大団長の右手がダークの襟を掴み、叫んだ。

 

「古龍を根絶やしにしてくれるだと!? もう一度言ってみろ!」

 

 さらに左手でダークの襟を掴む。

 

「俺たちが新大陸に来たのは古龍を滅ぼすためじゃねぇ! その生き様を知るためだ! 生きるか死ぬかのやり取りじゃなく、共存するためにはどうすれば良いかを知るためなんだよ! あの白い奴も生きるために古龍と戦ってるのなら構わねぇ……だが何の理由も無く命を殺せる奴なら話は別だ! 感情も無く殺戮が出来る奴を放っておくほど俺たちは外道じゃねぇ!」

 

 大団長は今まで誰にも見せた事のない程に激怒した。

 ダークの意見が本心では無い事を理解していても、かつて総司令と料理長を傷つけられた経験がある故に、ほんの一瞬でも賛同しかけた事に対する自分自身への怒りだった。

 

「相棒、もういいだろ……」

「…………」

 

 料理長と総司令が仲裁に入った。

 かつてネルギガンテによって重傷を負った者。もう既に二人はネルギガンテを許していた。白い異形に鉢合わせる事を防ぐためとはいえ、言葉を持たないネルギガンテには暴力以外の方法が無い。その心情を考えればこそ、許せる事が出来たのだ。

 

「本気だな?」

「当たり前だ!」

 

 ダークの再確認に大団長は叫ぶ。

 作戦会議に集まっている者で、ダークの言葉に同調する者は一人もいなかった。

 

「その言葉を待っていた……作戦を説明する!」

 

 ダークの突然の号令に、大団長は呆気に取られてしまった。

 

「どうした、奴を殴ってやるんだろ?」

 

 襟を掴む大団長の腕を掴み、ダークは挑発する。

 

「あ、ああ! そうだ!」

 

 大団長は自分の顔を思い切り掌で叩き、気合を入れる。任務の前によくやる癖だ。

 ダークは集合の合図を出し、作戦会議のメンバーを机の前に集めた。その態度には恐れもなければ迷いも無い。まるで勝利することを確信している顔だ。

 だからこそ、調査団の皆はダークの挑発を理解した。古龍の側に立つか、古代兵器の側に立つかを確認するためだったのだ。

 

「この作戦は成功か失敗かのどちらかだ。中止も延期も無い。成功すれば奴は破壊され、失敗すれば古龍が世界から消える」

「だがどうやるんだ? あいつの装甲は俺たちの武器では破壊できない。オマケに古龍を一撃で戦闘不能にする武器を持ってるんだぞ!?」

 

 調査班リーダーは焦りを隠せない様子だった。

 

「奴の武器は人間には効かない。間違いなく」

「人間には効かない?」

「ああ。装甲服本体の性能は圧倒的だが、武器の性質は把握できた。材料の一部が奴の拠点に落ちていたんでな」

 

 ダークがポケットから取り出したのは、秘密基地に落ちていた空の容器、高分子化合物で構成された容器だ。劣化が進んでおり、既に使用された形跡がある。

 

「これは古龍のエネルギーを強制的に停止させる効果がある。最初から古龍のエネルギーを持たない人間には全く効果が無い」

「ですが古龍の巨体さえ吹き飛ばすんですよ?」

「心配は無用だ。これは古龍のエネルギーに接触したことを感知すると急激に反応を起こす。逆に感知さえしなければ何も反応は起きず、人間ひとり転倒させるだけで精一杯だろう。質量は気体程度の代物だからな」

「奴はそれを銃弾代わりに発射しているということか」

「その通り。……装填数は5発だな?」

 

 ダークが受付嬢に確認する。

 

「はい。5発発射した後に弾倉が落下しました」

「奴が予備の弾倉を何個持っているかは不明だが、数には限りがあるはずだ。古龍を分散配置させ、周囲をハンターで囲むことで防御するんだ」

「なるほど。ハンターが古龍の壁になればいいんだな!」

「ああ。それに人間へ効果が無い以上、防御に盾を使う必要も無い。武器だろうが自身の体だろうが、龍属性を帯びていなければ誰でも防御できる」

「了解だ。奴の『攻撃』はこれで無力化できる!」

 

 調査班リーダーが拳を胸の前で合わせる。最初の襲撃では未知の武器であったが、性質を理解してしまえば恐れるに足りぬものだった。少なくとも人間にとっては。

 

「だがどうやって破壊する? 奴の装甲は普通じゃない。貫通弾どころか古龍の攻撃ですら傷が付かない装甲なんだぞ?」

 

 今度は総司令がダークへ質問をしたのだが、その回答は別の者が受けた。

 

「心配には及びませんよ。これがあります」

 

 その声はギルドナイツの指揮官だ。

 彼の部下が数名がかりで大型の木箱を運んでくる。

 

「それは?」

 

 ソードマスターが訪ねる。武器を収める木箱にしてはあまりにも大型だったからだ。

 

「奴と同じ古代の武器ですよ……いいですね?」

 

 ギルドナイツの指揮官はダークに念を押す。

 

「そのための暗号名だ」

「確か『ダーク・フォール』でしたか、名前は」

 

 ダーク・フォール。それは、歴史を変えることを約束された武器の名前だ。

 古代語で直訳すれば『闇が落ちる』 転じて、『世界に闇が落ちようとも無限の勇気を持て』という意味を持つ。

 指揮官の顔は緊張しており、まるで開けてはならぬ禁忌の存在に手を出しているかのような雰囲気だった。

 しかし、ダークは躊躇することなくその木箱を開く。世界の運命を決める武器の封が、いま解かれた。

 

 ――何も入っていない。

 

 中には木くずの緩衝材が敷き詰められているだけで、何も入っていなかった。

 

「これは何だ? 空じゃないのか?」

 

 総司令が木箱の中身を見る。他のメンバーも集まり、空の木箱を見て動揺が広がっていく。

 ダークは木くずを払い、箱の奥まで見渡す。しかし武器の姿などどこにも無かった。

 

「ちょっと! どういう事なの!?」

「静かに……!」

 

 物資班リーダーが運搬していたギルドナイトに詰め寄るが、指揮官がそれを制止する。

 

 

『暗号名入力待機』

 

 唐突に聞こえた無機質な声。それが木箱の中から発された声であることに、ダークとギルドナイツの指揮官以外は飛び上がった。

 

「黒き闇」

『暗号名及び声紋適合。指紋照合開始』

 

 ダークはさらに箱の奥へ手を入れ、何かを掴んだ。

 

『指紋認証完了。DNA照合開始』

 

 ダークは重そうな手付きで何かを持ち上げた。

 

『生体認証完了。ダーク・フォール起動』

 

 黒い銃。

 

「…………!」

「相棒、これは……」

「同じ形ニャ……」

 

 突如として現れた武器の姿。

 それは、白い異形が持っていた未知の武器に酷似した漆黒の銃だった。

 光学迷彩で偽装していたダーク専用の武器は、色こそ違うものの素人でも同じ系統と思える酷似した外観だった。

 ダークもそのデザインに多少驚いた。完成品を見る前に新大陸へ訪れたため、武器のデザインは把握していなかったのだ。

 ハンターが持ち歩きできる限界のサイズであるヘビィボウガンよりは小型だが、機関部とバレルを分割して折り畳むことが出来ない。取り回しは最悪の武器だろう。

 白い異形のパワーなら片手で保持できる大きさと重さだが、生身の人間が実戦で使用するには無理がある代物だ。

 

「その武器は……何だ?」

 

 冷静沈着な性格の総司令も、動揺を隠せずに訪ねる。

 他のメンバーも同じ事を質問しようとしたのだろう。黒い銃に視線が釘付けになっている事がそれを語っている。

 

「奴と同じ古代兵器さ……一言で言えば『水鉄砲』だな」

「水……? 水であの装甲を破壊出来るとでも?」

 

 調査班リーダーがダークを詰問する。

 

「出来るさ。光速まで加速させれば」

「…………?」

 

 ダークの返答の意味が分からず、調査班リーダーの顔は疑問符を浮かべたままだ。

 

「この銃は水の質量を維持したまま光速以上の速度で発射する武器だ。この銃に装甲は意味を成さない。空間ごと破壊するからだ」

「ちょっと待ってください。質量を維持したまま光速を超えることは不可能ですよ! 光速まで加速すれば質量はエネルギーに変換されてしまう。大爆発が起きますよ!?」

 

 研究班リーダーがダークへ食って掛かる。その話を理解できる者は極僅かだったが、極めて危険な内容であることは語気で察する事が出来た。

 

「出来るんだよ、これは。説明は後だ、重要なのはこの武器の威力が強すぎる故に射線軸後方に注意しなければいけない……地面や壁、海に向かっては絶対に撃てない事だ」

「つまり、『空』に向かって撃たないといけないということか?」

「そうだ。しかも1発しか撃てない」

「1発!?」

 

 調査班リーダーが驚愕の声を上げる。

 実際には5分のチャージで再び射撃できるようになるのだが、1発しか撃てないことには実戦的な理由があった。

 

「理由は二つ。奴は一回でも狙撃を目撃すれば回避運動をより強化してくるだろう。古龍に接近されたり入り組んだ地形に逃げられたら、この銃では二度と手出しできなくなる」

「もう一つは?」

「この銃が奪われることだ。自身を破壊する威力があると理解すれば、安全を確保する意味でもこの銃を第一目標に切り替えるだろう。万が一奪われたら……分かるだろ?」

「…………」

 

 この武器は引き金を引く瞬間までダーク自身の生体認証が必要だが、白い異形がそのセキュリティを解除できる可能性があった。

 内部システムに干渉してセキュリティを無効化された場合、白い異形は古龍のエネルギーに干渉する程度の軟弱な武器ではなく、物理的な破壊力を持つ武器を入手することになる。

 最初の狙撃に失敗すれば、白い異形を破壊する機会は永遠に失われてしまうだろう。全ての古龍の運命はダークの狙撃に掛かっている。

 一発必中、一撃必殺。

 

「1発で全てが決まる。2発目を撃つことは有り得ないのだ」

 



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