哭きの京(とりあえず鳴いとこう) (YSHS)
しおりを挟む

哭きの京

 哭きの竜って、描き方を変えれば勘違いモノになるんじゃね? ということで京ちゃんで哭きの竜ごっこしてみた。闘牌を描くのは初めてなので、牌譜に不備があるかもしれませんが、あしからず。


【1】

「ポン」

 

 須賀京太郎は対面から出された發を鳴いた。その声は静かに、囁くようなものであった。

 

 これに伴って、対戦相手らには緊張が走った。

 

(この局でも哭きやがった……。今度は何だ、ホンイツか、それとも緑一色か)

 

 下家(北家)は、須賀京太郎の河と、たった今鳴かれた發を見つつ沈思した。そうしながら須賀京太郎にも目を向けた。

 

 この金髪の男子は、右肘を突いてその手の甲に額を乗せながら、ただ静かに台の上を見ていた。しかしその眼には、勝負師がよく持っているようなギラギラしたものは無かった。むしろ何も無かった。その瞳に場の状態を映しておきながら、無感動であった。まるで重度のうつ病患者がひたすら壁でも見ているかのようなものだった。

 

(今こいつが出したのは九索か。索子と字牌は打てねえ……)

 

 そう考えて下家が切ったのは五筒。

 

 次は対面(東家)だ。

 

(俺の白は二枚。対面の西家【京太郎】も同じ対子を持っているとしたら……。畜生、とりあえずこの白を雀頭とするしかない)

 

 打一萬。

 

 続く上家(南家)は、

 

(緑一色なのかホンイツなのか、見極めさせてもらうぜ!……)

 

 とやや強気の姿勢で一索を打つ。

 

 だが京太郎は何も言わず、黙って山から牌を自模り、直後に東を手出し。

 

 それまでこの場に東は一枚も無かった。捨て牌は勿論、ドラ表示牌にも、今しがた京太郎が切ったそれを除いて東は無い。

 

 怪訝な顔で下家は自模った。

 

(よっしゃ! 八筒、良いのがおいでなすった、七八九の純チャン三色一向聴。そして幸いにも手牌には東が一枚。場風牌だが、平和が付く)

 

 危うく表出しそうになった喜色を抑えて、彼は東を打った。

 

 しかし、対面はその打ちの強さから、聴牌周辺の気配を察した。

 

(上家【京太郎の下家】は好機が来ているのか。現在ラスの彼がトップに出るためには、対面【京太郎】から倍満以上を出和了りするしかない。しかし場の流れと状態を見ても染手の可能性は薄いし、純チャンとか三色とか警戒するべきか。これまでのアグレッシヴな打ち筋からして、オーラスのこの期に及んで黙聴は考えづらい。おそらく一向聴)

 

 打一筒(ドラ)。少なくとも自分が直撃する心配は無いとの読みでの切りであった。

 

 対面の彼と同じく、上家も同様のことを察していた。

 

(この試合ではわざわざトップを取る必要もなく、つまり対面【京太郎の下家】は現在二着の俺から(ちょく)ってしまえばいい。留意しておこう)

 

 と考えつつ、

 

(さあ、お前の手はどんなもんかな)

 

 京太郎を見て三索を打つ。

 

「チー」

 

 これを喰い取って二三四索を作り、赤五筒を切る。

 

(な、何てもん切ってやがる!……)

 

 と戦慄したのは下家ばかりではない。対面も上家も、京太郎の手にますます疑念を膨らませるのであった。

 

 続く下家は自模切り。出したのは九索。京太郎は無反応であった。

 

 対面、七萬。上家、北。

 

 そして京太郎、持ってきた牌を見て、おもむろに表にしてこれを置く。それは發であった。

 

「カン」

 

 と宣言し、先ほどポンした發へとこれを走らせた。

 

 そうして加槓したのち彼が切ったのは五索であった。これに対し他三人は、ロンはおろかポンチーカンの声も発さない。

 

(当然だけど、奴の五索は通ったみたいだ。それで、新ドラは……)

 

 対面は目の前にある王牌の山の中の一枚に指を添え、新ドラを捲った。出てきたのは……。

 

(中! 表示は中――つまり新ドラは白だ!……)

 

 他二人にも嫌な予感が芽生えたが、分けても一番動揺していたのは対面。新ドラが白ということは、彼の持つ二枚の白がドラ。だがこれで彼は確信した。

 

(やっぱり、お前も持っていたのか、白の対子を!……。そしてお前の手は、緑一色ではない!)

 

 緑一色でないなら、一体何なのか。流石にそこまでは読むことは出来ない。何故なら京太郎は現在トップで、わざわざ高い手を和了る必要などないのだから。混一色を警戒したばかりに油断して打った索子以外の牌が当たったら目も当てられない。この個人戦の東風戦という短い中で対面の彼が見てきた須賀京太郎という奴は、そういうことをしかねない男なのだ。

 

 京太郎の下家が自模る。

 

(来た……、来たッ、来たッ! 聴牌だッ!)

 

 彼の手は、引いてきた七萬を入れて、

 

 {七八九⑦⑧⑨78923①① 3}

 

 そしてドラ表示牌は九筒、即ちドラが一筒。待ちは一 - 四索の両面で、高目は一索による純チャン、三色、平和、ドラ二の倍満手。

 

 下家は、手牌の右端にぞんざいに置いてあった三索をやおら持ち上げ、京太郎をねめ付ける。是が非でも、この手を京太郎に直撃させたい気で満ち溢れているらしい。

 

(けどよ――)

 

 彼は正面に顔を向けた状態で俯く。

 

(何もこの場は、奴から(ちょく)らなくても、対面【京太郎の上家】からやっちまえば、ひとまず俺は前に進める。上家【京太郎】をぶっ飛ばすのはその時でいい。だから対面さんよ、せいぜい油断しないようにな……)

 

立直(リーチ)ッ!」

 

 高らかに彼は叫ぶと、手に持っていた牌を河へ横向きに打った。そんな彼を、他二人は一瞬不可解な眼で見た。されどすぐさま腑に落ちて、彼がリー棒を場へ置くのを見届けた。

 

 対面の番。

 

 {東東白白六六44②②④⑧⑧}

 

 七対子の四筒待ちを聴牌。

 

(チートイドラドラ……、立直を掛けて満貫、更に一発かツモ和了りでも出れば跳満……、裏ドラを希めば或いは……)

 

 否。このオーラス、彼も追い詰められている。たとえ立直に意味が有ろうと無かろうと、男として、一勝負師として、ここは一歩も引いてはいけない。

 

 それは京太郎の下家も同じ。彼の手の八役で立直を掛けたところで、一発自模か、裏ドラでも乗らない限り三倍満にはなり得ないし、する意味もない。なのに彼はした。オーラスの背水の陣、たった一筋の小さな血路を見据え、一歩も引かないという意地を込めて。

 

「立直!」(勝負だ、対面……須賀京太郎!)

 

 覚悟を決め対面は宣言し、リー棒を場にはなった。

 

 残るは上家。彼もまた聴牌していた。

 

 {二三四五五五1234②③③③}

 

 一索切りなら一 - 四、二筒の変則三面待ち、高め三色。二筒切りなら一 - 四索ノベタン待ちだが役無し。

 

(このまま流局か、もしくは俺が和了ってしまえば問題ない)

 

 現在二着。無理に和了る必要もないし、和了ってもトップに立てる。条件は悪くない。しかしそのためには……、

 

(この一索をどうすればいい……。これを切ればタンヤオ三色。いや、ここで老頭を切りたくねえ。だがダマで奴から(ちょく)ることが出来れば……)

 

 この上家の彼の中でそんな欲望が頭をもたげた。これまでの京太郎との闘牌を経て、彼は須賀京太郎から何か惹かれるものを感じた。奇妙な打ち筋ながら、自分らの上を舞い遊ぶような軽やかな和了には、驚嘆の声すら出る。

 

 故にこそこんな不可思議な男を超えたいという射幸心が芽生えたのだ。

 

(勝ちたい……。県大会で何考えてんだって話だが、俺はこの未知の男にどうしても!……)

 

 彼は自分の捨牌に視線を落とした。そこの中には数巡前に捨てた一索がある。

 

(さっき下家【京太郎】は一索をチーもポンもしなかったな)

 

 ギリギリと彼はその一索を掴み、自らの下家に居る須賀京太郎へ鋭い視線を向けながら、

 

(行くぜッ)

 

 一索を力強く打った。甲高い音が場に響き、緑と紅の孔雀が河に浮かび、他三家に晒された。

 

「ロンッ!」

 

 だが、それは京太郎の下家の当たり牌、それも純チャン三色と高目の物であった。

 

「立直一発、純チャン三色ドラドラ。倍満!」

 

 下家は手牌を倒すと、役と点数申告をして、勝ち誇る顔を上家へ向けた。しばしの間、下家は呆気に取られてから、じりじりと悔しげに歯噛みしていく。

 

(やっちまった……。格好付けておきながら、よりにもよってこいつにか)

 

 上家の彼は俯いた。相手の純チャンを警戒しようと考えておきながら、京太郎への対抗心に意識が行って場が見えていなかった。それが敗因だった。

 

 一方下家は、上家を引っ掛けることも視野に入れていたことが功を奏し、自分が冷静でいられたことを誇りながら得意になっていた。差し当たって正面の上家は黙らせた。

 

(次はてめえだ、須賀京太郎……)

 

 そう宣戦布告をしようと京太郎に流し目を送り、そして絶句した。

 

 既に京太郎は自分の手牌を倒していた。

 

「すまん、それロンだ」

 

 無情なくらい平坦に告げた。

 

 {11白白中中中} {横324} {發發横發發} ロン{1}

 

 その手は中が暗刻になった一索と白のシャンポン待ち。

 

 つまり、

 

「頭ハネで、小三元ホンイツ、ドラ二の倍満……。和了牌が被っていたというのか、そんな馬鹿な」

 

 対面の解説で上家と下家は脱力し、片や背もたれに呆けたように倒れ、片や卓に突っ伏して悔恨の呻きを上げて動かなくなった。

 

 それを尻目に、須賀京太郎は卓に手を突いて立ち上がると、彼らに背を向けて部屋を後にする。後に残されたのは、徹底的に心を折られ、最早生きる屍と化した上家と下家。辛うじて生き残っているのは対面のみ。

 

 残った対面は、立ち上がって背を向ける須賀京太郎を見送ったのち、山に目を向けた。

 

(あのまま自模り続けられていたら、どうなっていたんだろう)

 

 そう思い、一枚ずつ捲っていく。一枚二枚と捲っていったが、どちらも誰かの当たりではない。それで三枚目、つまり対面自身の自模牌を露わにし、彼は驚愕した。

 

「僕の当たり牌の四筒、一発自模、親の跳満で僕がトップに立てていたのか」

 

 しかし今の出和了で阻止されてしまった。須賀京太郎が索子の混一色を作り上げ、かつ上家が以前に一索を切ったことで以後の一索切りへの抵抗を薄くさせた故に。

 

 須賀京太郎は、下家の当たり牌の一索を当人の聴牌前からあらかじめ止めておいたのだ。されば上家と対面が掴んで振ってもどちらにしろ頭ハネで京太郎が和了っていた。加えて下家のもう一つの当たり牌である四索は、上家が保有していた二三四の順子、対面が対子にしていた物、それと須賀京太郎がチーで確保していたために既に枯れていた。つまり、下家が和了するためには自分で一索を引く他なかったのだが、上家が引いたことで打ち止め。

 

 上家にしても同じだった。今述べた通り、一 - 四索は枯れており、一、二筒で自摸和了したところで点数は高くて五〇〇・一〇〇〇だし、京太郎から出和了ったところで二六〇〇では逆転は出来ない。そして四筒は対面の自模であり、かつこの状況では鳴きが入って自模順が変わることはあり得ない以上、事実上の空聴なのである。

 

「今の局のツキは、僕にあった。けどあいつはそれを上回ったんだ」

 

 彼の胸は熱くなっていた。今回は京太郎に及ばなかった、けど自分は京太郎に迫ることが出来た。なら次こそは、と。その思いで彼は今後より一層の精進をしてゆくこととなるのであった。

 

 他方、須賀京太郎本人はと言うと……。

 

(あるえー? 何か適当に鳴いてたら勝っちゃったんだけど……)

 

 先刻の対戦相手三人とは真逆の、素っ頓狂な心情で居たのであった。

 

 さて、先ほどの試合、京太郎はどんな考えでやっていたのか、彼本人の視点で見てゆこう。

 

【2】

 正直なところ、俺がどうして、このオーラスでトップに立てているのか、自分でもよく分からない。ただ言えるのは、適当にポンだのチーだの、カンだの言って手を進めていたら、なんかいつの間にか和了しちゃってて、それを見せたら他の選手が勝手に点数計算して点棒寄越してくれたということだ。

 

 須賀京太郎、清澄高校二年の十六歳。麻雀歴は一年とちょっとだが、一年の時はほとんど雑用ばっかやってたものだから、未だに四翻以下の点数計算は覚束ないし、覚えていない役だってあるかも分からず、実際は麻雀歴一年の知識さえ持ち合わせていない。去年だって、清澄麻雀部の唯一の男子部員ということで県大会個人戦に出場することと相成ったのだが、満貫以上の振り込みを連発して呆気なく退場となるのが関の山だった。

 

 けれど今年は違う、妙にツイている。正直、麻雀をやっている感じがしないし、真面目に技量を磨いて試合に臨む他の選手に申し訳がなくて肩身が狭い思いだ。

 

(おっ、發だ、ポンしとこ)

 

 という具合に、俺はこの試合のオーラスで早速發をポンした。鳴き麻雀は役が出来ず和了れなくなるリスクがあるが、三元牌なら鳴いても役牌で必ず一翻付くから便利だ。風牌だと役牌なのかどうかを瞬時に把握出来ないので、尚更だ。

 

 下家の人にめっちゃ睨まれてるけど、気にしない気にしない。怖くて目合わせらんないし。だから代わりに場の状況を見るのだ。主に河を見る。

 

(あー、河読み分かんねー)

 

 尤も、実質麻雀歴一ヶ月(ともするとそれ以下)の俺にはそんなこと出来ないけど。目は場に向いていて、網膜にはちゃんと場の景色が映っていはしても、俺の左脳では処理出来ていないのが実状だ。そんな俺の眼にはきっと辛気臭い影が差しているに違いない。

 

 でもチーやポンは見逃さないように、ちゃんと他家の手もちらちらと見ておく。特にチーは上家からしか出来ないし。で、上家が俺に視線を向けつつ、一索を切り出したのだ。

 

(あ、この人絶対、俺が鳴くのを見越して一索打ってきたな。俺の手には一索が二枚あるし、鳴いとこうかな? んー、でも白と中が二枚あることだし、そっちも期待してここは見送っとこ。まだ白は他に切られてないし大丈夫だろ)

 

 ってな感じで、俺は一索を無視して自模り、中を引いた。

 

(いよっしゃ! 大三元も狙えんじゃね? ここは東だな)

 

 後になって思えば、東風戦で東を捨てるのはリスキィなのだが、俺にそんな計算力求めちゃいけない。

 

 で、次巡、上家が三索を出したものだから、折角なのでチー、と遠慮がちに言った。だってさっきから他の人が怖いんだもん。鳴き麻雀のやり過ぎはマナー違反だって聞くし、そういうことなんだろう。だったら鳴くのやめろよって話だが。

 

(あれれ、赤五筒のこと忘れてた、お陰で浮きまくってる……。縁起悪いなぁ……、仕方ないし切るか)

 

 俺は軽いノリで赤五筒を切った。同級生の『のどっち』こと原村和がこの場に居たら怒られてたことだろうな。

 

 それで次巡、俺は發を引いた。

 

(ってまた發かよ! これはカンせずにはいられない!)

 

 俺は、ポンコツ文学少女こと嶺上マシーンこと魔王こと、幼馴染の宮永咲がいつもやっていることに影響されていたこともあり、ついその場のノリで加槓をしたのである。和が言うには加槓はリスクが高い割には利が少ないとのことであまり推奨されないのだそうだ。トップに立っているこの今なら、俺のやったことは愚の骨頂というやつなんだろう。

 

 嶺上牌から持ってきたその一枚は、

 

(って五索かい! 遅えよ!)

 

 ツッコミを入れる要領で素早く打った。これで当たったらどうするんだろうと自分にツッコミたくなってくる。

 

 幸いにも当たりではなかった。で、対面が捲った新ドラ表示牌は中。

 

(中が表示牌……だと何になるんだっけ?)

 

 俺は少し考えたが、そうしている間にもゲームは進行していくので、とりあえず後で考えようと置いておく。和了ったらその時に考えればいい。最悪、他家に点数計算してもらうか。

 

 しかし俺がリラックスする間も無く、下家の人がいきなり、絶叫を上げて立直を宣言したのだ。それにビビッて俺は身体を硬直させた。ビクッてなってたら格好悪いな。ばれてないよな?……。俺、ヘタレだって思われてないよな?

 

 しかもそのあとに続いて対面の人が追っかけ立直。

 

(やばい、四面楚歌かも分からない。これ絶対俺狙われてるよね。だって今まで俺、さんざん鳴きまくって得点搾り取っちゃってたし。挙句に我が物顔でトップの座に俺が居たら他の人も面白くないよね!)

 

 慄然となって俺は懺悔をするより他はなかった。

 

(まさか……上家さんもっすか。あれ、でもこの人ちょっと迷ってる?)

 

 上家さんは自分の手牌の中で特定の二つの間を行ったり来たりしていた。どちらを切るか迷っているんだろう。

 

(他二人が立直してるから、下手に振ると放銃しちまうんだな。でも何だろう、こっちのことチラチラ見てるような……。もしかして、俺を狙い撃ちにする牌を切りたいところだけど、放銃のリスクでためらっているとか)

 

 どんだけ嫌われてんだよ俺! ……まああんだけ鳴いてたらそうなるよな。

 

 で、最終的に上家さんが切ったのは一索だったというわけだ。俺の待ちは一索と白のバッタ待ち。まさかここで一索を切られるとは思ってもみなかったものだから、一瞬それが俺の当たり牌だっていうことに気付くのが遅れた。少し慌てたものだけど、打ったのは上家だということは頭にあったので、落ち着いて

 

「ロン」

 

 と言えた。

 

 ところが、

 

「ロンッ!」

 

 と下家の人が声を張ったもので、俺の声は掻き消えてしまったのだ。

 

「立直一発、純チャン三色ドラドラ。倍満!」

 

 下家は嬉しそうだった。そりゃそうだ、だってこの人今まで良いとこ無しでずっとラスだったもの。そりゃ二着の人からの出和了り出来たら嬉しいだろうに。

 

 こうも盛り上がられると、水を差すのは憚られる。

 

(でも、もう手牌倒しちゃったしな……。まだバレてないし、戻すか。倍満だもんな。上家の人だって、倍満の上に更にダブロンなんてされた日にはもう卒倒ものだろうし)

 

 というわけで俺は卓に顔を向け、こっそり牌に手を伸ばそうとした。そのところで、卓に被った下家の影が動くのが見えたから、

 

(おっと、まさか……)

 

 と目線を下家に向けると、彼が俺の倒れた手牌をガッツリ目撃しているのが目に入ったのだ。

 

(あー……、駄目だったか。仕様がない)

 

「すまん、それロンだ」

 

 手牌に伸ばそうとしていた腕を卓の上で組んで誤魔化し、申告した。あまりの申し訳なさに、ボソボソとした声になる。下家の人はやはり落胆しているのか一言も発さないため、俺の小さな申告は問題なく聞こえたことが分かる。

 

 場は沈黙していた。随分と長い沈黙だった。こっそりと三人を見てみると、皆一様に呆然と目を丸くして俺の手を見ていた。

 

(あ、あれ……、ひょっとしてチョンボだったりしないよな?……。ん、よく見たら上家の捨牌、一索があるぞ! えっ、何、他の人が既に捨ててあっても振聴扱いなのっ? ヤッベー、この場合ってどうなんだろう。チョンボ和了が優先されたりするのかな。だとしたらやばいぞ、ダブロンで水を差す以前の話だッ!)

 

 俺は自分の失態を予感して、サーッと顔が青ざめていくのを感じた。

 

 が、

 

「頭ハネで、小三元ホンイツ、ドラ二の倍満……。和了牌が被っていたというのか、そんな馬鹿な」

 

(ほっ……、何だ倍満だったから驚いていただけか。――って安心してる場合じゃない! 上家が倍満ダブロンを喰らうとかこれも再起不能じゃん!)

 

 と今度は頭に血が昇っていき、顔が赤面しているんじゃないかというくらい熱くなった。青くなったり、落ち着いたり、赤くなったりとか、俺の身体の交感神経も忙しそうだ。

 

(あ、でも頭ハネって何だろう。跳満のこと? でも今倍満って言ってたよな……。あ、分かった、前に衣さんとやった時のやつだ)

 

 俺は、以前に天江衣という一つ上の――背は極端に小さいが――先輩と同卓した時のことを思い出した。

 

(たしかその時は、珍しく衣さんが海底牌を掴み損ねて、それで他家が掴んで放ったこれを和了しようとしたのを俺が頭ハネしたんだったな。河童の河流れとはよく言ったものだわ)

 

 適当に鳴いてたせいで河底撈魚――だったっけ?――それとタンヤオのみの二千点しか貰えなかった上に、その後の局で俺が親になった折、役満を親っ被りさせられたのは一周回って良い思い出だ。

 

 で、そんなことに思いを馳せていたところから、左右斜向かいから何やら音が聞こえてふと現実に引き戻された。そこには、上家と下家が椅子に座りながら崩れ落ちた様だった。かなりガッカリしているようだった。当たり前だ、片方は折角の二着をふっ飛ばされ、もう片方は二着浮上のチャンスをふっ飛ばされたんだから。しかも俺みたいな、去年の個人戦で満貫以上に振り込みまくるようなボンクラ雀士に完膚なきまでに叩きのめされたのだから。

 

 俺は限界を感じて、素早く、しめやかに席を立ちあがると、そろりそろりと足音を立てないように部屋の出口へと足を運んだ。これ以上は居た堪れない……。落ち込んだ二人が気掛かりだが、かと言っていやしくも勝者である俺が声を掛けたら嫌味になっちゃうし、言わぬがせめてもの華だろう。

 

「僕の当たり牌の四筒、一発自模、親の跳満で僕がトップに立てていたのか」

 

 部屋を出る際、後ろで、対面の人のそういうぼやきが俺の耳に届いた。

 

 聞こえない振りをしてそそくさと俺は部屋を出た。

 

 そうしてしばらく歩いていると、次第に自分が勝利したことの事実が心に沁み込んでいき、ついに自覚をして、

 

(あるえー? 何か適当に鳴いてたら勝っちゃったんだけど……)

 

 と狐につままれた気分であった。

 

 その時、

 

「おう、京よ、三人まとめてぶっ飛ばしたようやのう……」

 

 俺に声を掛けてきた男が居た。黒地に白のストライプが入った、茶色のグラサンを掛けたパンチパーマの、田中邦衛をもっと厳つくした感じの如何にもな男であった。

 

「わざわざ東京から遠路遥々……」

 

 この如何にも頭にヤの付きそうな反社会的な男を前にして、俺はあまり大きく騒ぐどころか、明瞭に喋ることすら覚束ないで、態度の悪い陰気な奴みたいな喋り方になってしまった。

 

「おうよ。お前が、己の足で来い言うたもんやから、今もこうしてそれを守って来てやったまでじゃ。どや、京、わざわざ足労してもろた相手は手厚く迎えるってのが筋ってもんじゃろ、え?」

 

(ちょーこわいよー)

 

 怖すぎて豊音さん並みの感想が出ちゃったよ。声には出せないけど。

 

 そのヤーサンは俺のすぐ目の前まで、足をぶらつかせるようにゆっくりと歩き迫ってきて、

 

「お前はワシのもんじゃ。今はそうじゃのうても、いずれはそうなる。そいつを覚えときィや」

 

 そこから俺の首の後ろに腕を回して額をくっつけて言ってきた。

 

 尻がヒヤッとした。

 

 俺がこのヤーサンを苦手とする一番の要因がこれだ。この男が俺のことを自分のモノと言うのは、つまり俺のケツを狙ってのことなのだろう。

 

「そういう()は……、無い……。他を当たってくれ」

 

 俺は慎重に相手を押し退けながら後ずさった。

 

「何故じゃ。お前にとっても悪い話じゃアないだろうよって」

 

(しつけーな、このヤーサン! 悪い話なんだよ、悪い話だから断ってんだよ、そっちの()は無いっつってんだろ!)

 

「お前さん、うちのお嬢とその仲間たちと宜しくやっとるって話やないけ。親父も、お前ほどの器量なら、お嬢をやるんも吝かじゃない言うとったで」

 

 別に宜しくはやっていない。ただ、辻垣内さんの元チームメイトのネリーに、金の生る木だとか、一緒に荒稼ぎしないかと絡まれてるだけだ。たまたまあいつが儲かる好機に恵まれた現場に何度か居合わせただけで、俺のことを招き猫か何かと思い込んでいるのだ。守株もいいとこだ、アンチキショー。

 

 いっそのこと、このヤーサンに付き纏われる切っ掛けとなった件で期せずして得たあぶく銭をあの守銭奴合法ロリに譲渡してしまえばどうだろうかと考えたものだが、そうするとあの守銭奴にますます引っ付かれそうだから、その金は自分の使いたいように使おう。

 

「ま、そういうことでな。この話、考えといてくれよ。んじゃあな」

 

 そう言ってヤーサンはどこかへ去っていった。出来れば金輪際会いたくはないが、嫌でも顔を合わせちゃうんだろうな。出来ればもう東京には行きたくない。

 

(嫌だなぁ……。清いままの身体で居たいよ……。大体何だよあのヤーサン。俺の身体を狙っときながら、俺が辻垣内さんと引っ付くのはいいのかよ、どこのデカダンス文学だよ。あのヤーサン、俺の身体目当てなのか? いや、マジで愛情向けられるのはもっと嫌だけど)

 

 深い溜息を吐いて俺は懐からチョコレートシガレットを取り出して咥えた。最近このお菓子に嵌っている。元は、咲の姉である照さん餌付け用に携行しやすいお菓子だったのだが、今では俺が気に入っている。

 

「あ、京ちゃん。試合はどうだった」

 

 この声を掛けてきたちんちくりんの彼女こそが、ポンコツこと嶺上マシーンこと魔王こと我が幼馴染の宮永咲である。

 

 去年の団体戦優勝校である清澄高校の大将を務め、インターハイ個人戦三連覇チャンピオンの宮永照の妹であり、そして藤田靖子プロの語る『牌に愛された子たち』の一人である。

 

 あと『咲ちゃんのドジを見守りつつサポートする清き仲間たち』――通称『聖咲ちゃん騎士団』という邪教集団の偶像でもある。ちなみにこの他にも、『タコス同盟』なるものや、『のどっちのおもち研究会』、『ワカメ愛好会』などという色んな意味で危険な組織らが今の清澄で熾烈な覇権争いを繰り広げている。竹井久元部長のは彼女が卒業してしまったので無い。

 

「ん、ああ、勝ったよ、……運良くな」

 

 とまあこんな凄い肩書を持った凄い娘なのだ。昔はただのポンコツでヘッポコな方向音痴の気の置けない相手だったのが、今では俺では到底釣り合えそうにないくらい大きな存在になってしまって、ちょっと気後れしているくらいだ。

 

 その身分差のせいで俺は『聖咲ちゃん騎士団』の過激派や権威主義の先公どもに日々嫌がらせを受け続けているのである。そこで俺は、珍しく悪ノリしたハギヨシさんと一緒に『麻雀新選組』という対抗勢力を組織して抗戦したのである。正直めっちゃ楽しい。小学生の時分に秘密基地作って遊んだ愛しき思い出が甦るみたいだ。

 

「そうなんだ……、良かった……」

 

 破顔して彼女はほっと息をつく。

 

「どうしたんだよ、そんな安心して。そんなに俺に勝ってほしかったのか」

 

「う、うん、まあね……。京ちゃんが麻雀強くなってくれれば、もっと一緒に居られるかなって」

 

「いつも一緒に居るだろ」

 

「そ、そうなんだけど! でも、他の人たちが介入しないで一緒にゆっくりしたいなって……。京ちゃんだって、周りの人たちが自分のことを凝視してたら居心地悪いでしょ?」

 

「まあ自分たちのことを食い入るように見られてたら嫌だよな、見せモンじゃないんだし」

 

 確かに、清澄の全国優勝以来、咲をはじめとした麻雀部の女子陣は学校や地元では英雄(ヒロイン)扱いだ。そんな彼女と気やすく話してれば注目を集めることだってある。

 

「それに近頃の京ちゃん、何だか雰囲気が違ってるっていうか、放っとくとどっか遠い所に行っちゃって、もう戻ってこないんじゃないかって、そう思うの……」

 

 咲は両手を後ろ手に組んで、俯きながら不満で涙目になっている子供さながらに上目で俺を見ながら言った。

 

「お前じゃあるまいし……、俺が変な所に行ってたまるかってえの」

 

「そんなんじゃない、茶化さないでよ! 私を……私たちを置いてどっか行っちゃうんじゃないかってことだよ!」

 

 バッと顔を上げて咲は声を荒げて俺に迫ってきた。

 

「京ちゃん、最近は龍門渕の人たちとよく会ってるみたいだし、衣ちゃんからもうちに来ないかって誘われてるんでしょ。ううん、行くのが龍門渕ならまだいいよ。例えば……さっきの人とか」

 

 尻すぼみになりながら語っていって、そうして最後に小さな声で、あのヤーサンについての言及があった。

 

(なるほど、そうか……。咲、気付いちまってるんだな)

 

 具体的に何があるのかまでは分からないらしいけど、どうやら咲は俺があのヤーサンに迫られているということが分かっているんだ。

 

(全部察していなくて良かったわ……、咲に変態の話は刺激が強過ぎるからな。ともするとボーイズラヴに目覚めてしまうかもしれない。いやー怖い怖い)

 

 まあそれでも、とんでもない事柄だというとこまでは察しているのだろう。俺が別世界に行ってしまうと感じるのは、オカマに掘られた俺が変なものに目覚めてしまうことを予見してのことなんだな。

 

(でも、咲がBLに目覚める危惧の他にも、何と言っても咲に累が及ぶことだよな)

 

 あいつらが手段を選ばずに咲を人質とかにして、それに俺が屈服するのを見せてしまったら、ご両親と照さんに顔向け出来ないよな。ていうか大手を振って外歩けなくなる。

 

「俺はどこにも行かねえよ」

 

 咲の頭にポンポンと手を乗せて言った。

 

「確かに、俺にも色々と事情がある。でもそれくらい自分で何とかする、自分の尻は自分で拭くさ」

 

 そう、自分の尻は自分で守らなくてはならない。

 

「だからそれまで、ちっとばかし待っててくれないか」

 

 俺が言うと、何か言いたげに咲は口を開きかけたが、すぐにきゅっと引き結んで、

 

「約束、だよ?」




【注意】
・ 鳴き過ぎの麻雀は局のリズムが崩れるので、他の方が快適に打てるよう、鳴きは控えましょう。あと溜めロンはマナー違反だよ、京ちゃん。

・ 本文で京ちゃんが衣様を差し置いて河底を頭ハネで和了っていたことへの言及については、屁理屈ながら一応理由はあります。その点については、機会があれば。

・ 本文で京ちゃんが和了った役は『哭きの竜』で出てきた役が元ネタです。本家では小三元ホンイツ、チャンタ、ドラ1でしたが、他家が緑一色を警戒するくだりを書きたかったので一部変更しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天に一番近い場所:前編

 最終話的な話を先に書くスタイル。

 続きを書くのは本当は先延ばしにするつもりだったのですが、我慢出来なかった。

 男子の部と女子の部の日程については考えていないため、ツッコミどころいっぱいかもしれませんが、ご了承ください。

 どうでもいいけど、『哭きの竜』と『ドラえもん』ってどちらも、タイトルになってる奴の持つ特別な力を巡って登場人物たちが美味しい思いをしたかと思ったら最後は身を滅ぼすことになるところが似てるよね。


【1】

「宮永さん!」

 

 呼ばれて咲は振り向いた。そこには男子が居た。かなり顔立ちの整った男子だ。精悍な顔付きながら厳めしい雰囲気は無く、むしろ柔和なものさえ見受けられる。

 

 彼女を呼んだその男子は、咲に対する呼び方から分かる通り、須賀京太郎ではない。

 

「あ、はい、どうも……」

 

 咲は他人行儀に返答した。

 

「そんな余所余所しくしなくてもいいのに。名前で呼んでくれていいよ」

 

「そんな事言われても、京ちゃん以外の男の子と話したことあまりないから……」

 

 その男子は、咲の言った『京ちゃん』という名前に一瞬眉を顰めた。

 

 咲の言ったことは浅慮ではあった。しかし彼女はこれまで、幼馴染の須賀京太郎以外の男子と話した経験が浅いために、こうしてぎこちない態度をとったり、不用意な発言をしてしまうことがあるのだ。

 

 かと言って、彼女にとってこの男子は、敢えて素っ気ない態度を取るほど知らない顔というわけでもなかった。

 

 彼は去年一昨年のインターハイ個人戦でのチャンピオンである。その端正な顔立ちと騎士然とした立ち振る舞いは元より、他の追随を許さぬ凄まじい強運や、当たり牌を高確率で止めたり、危険牌を大胆に通したりなどの洞察力や度胸は非常に人気が高い。地味で人気の薄い男子の部にマイナーなファンや女性ファンが付いているのも彼の功労に依るものと言われたりなど、まさに男子麻雀の花形の一つと言っても過言ではない。

 

 さりとて、去年麻雀を再開するまでずっと麻雀から離れていた咲は彼のそんな評判など知りもしない。ではどうして彼女は彼を知っているのかと言うと、それはひとえに彼からの接触があったからである。

 

「君の試合、見たんだけどさ、本当に凄かったよ。素敵だった……。君が嶺上開花するたびに、何だろう……、君の周りで花が飛んでるみたいな錯覚を見るんだ。それが途轍もなく綺麗で……。ああもう! 俺は何言ってるんだろう……」

 

 彼は顔を逸らして頭を掻きながら赤面した。咲から見て、何だかそれが可笑しくて、ついくすくすと笑いを漏らした。彼のほうも、これに釣られて笑い出した。

 

 咲は彼のこの初心な様子に親近感を覚えている。人伝手に話を聞く限りだと、堅苦しくて息が詰まりそうな印象を受ける彼だが、でも本当は結構シャイな男の子なんだということを、彼女は知っている。だから一緒に居て安心出来るのだ。去年、大会の終わりに唐突に声を掛けられて面喰ったものだが、今にして思えば悪くない出会いだったという心持ちであった。

 

 彼は咲に向き直って、咳払いを一つした。

 

「あの、さ……、大事な話があるんだ」

 

 つっかえながら彼は前置きをした。

 

「大事な話……って、何ですか?」

 

 咲は、自身より背の高い彼を見上げて聞き返した。またも彼は赤面し、顔を逸らしそうになったのだが、堪えた。そうして目を閉じ胸に手を当てて深呼吸を数回程すると、

 

「ずっとあなたのことが好きでした。僕と付き合ってくれませんか」

 

 彼は静かに、けれどもよく通るはっきりとした声で告げた。

 

「えっ!……」

 

 突然の告白に、瞬く間に咲は茹蛸のように赤面した。

 

「去年、初めて君を見てから、それから君に憧れていたんだ。雀士っていうこともあったけど、そうして君のことを考えていると、段々と、君という女の子のことばかり考えるようになっていたんだ」

 

 上擦った高めの声で滔々と彼は語った。しかし咲の頭は処理落ちを起こしているようで、真っ赤な顔のまま目をグルグルと泳がせているばかりで彼の言葉の多くを理解出来ないでいた。

 

 それによって二人の間では言葉が途絶えた。が、周りはそうではなかった。

 

 流石に人の多い所ではなかったものの、それでも少なくはない人がその場には居た。彼ら彼女らは、目の前で行われた大胆な告白現場を前にして、ヒューヒューと煽ったり、キャーキャーと黄色い歓声を上げたりしていた。中には猫耳みたいに髪を逆立てて、みんなに広めなきゃと言ってどこかへ走っていく少女も居た。

 

「え、え、えっと……、その……、あの私は……、うう……」

 

「すぐに返事をする必要は無いよ、時間はたっぷりあるし、それに――」

 

 彼は、それまでの純粋で恥ずかしがりやな青年の様相とは打って変わって、これから決闘の場へ赴く騎士としての面持ちとなって、

 

「俺のほうも、決着を付けなきゃならない相手が居るから……」

 

 その言葉にはっとなって咲は我に返った。

 

「決着?……」

 

 そう尋ねた咲だが、彼女には、その明言されていない決着の相手が誰であるのか、薄々と分かっていた。

 

「すぐに分かるよ」

 

 じゃあね、と彼は優しく言ってその場を離れた。

 

 先ほどまで、生まれて初めて受けた告白に有頂天になって全身を熱くしていた彼女であったが、今ではすっかりと冷め、顔を冷たい汗が伝っていた。そのせいか身体は震え、口は声を出すことすら覚束ない。

 

 周囲はその彼女の様子から察し、囃し立てるのをやめた。声を掛けようとする女子も何人か居たが、いずれも連れ合いに止められるかして、結局そうはしなかった。

 

「京ちゃん……」

 

 言葉を紡ぐことすら困難な中、咲はようやく、頭に浮かんだある青年の名前を、須賀京太郎の名前を呼んだ。

 

 ずっと一緒だった男の子。掛け替えのない大切な人。

 

 でも、頭の中に映し出されるその彼の姿は揺らいでしまっている。

 

 男子との縁と言えば須賀京太郎くらいしかなかった咲にとって、先ほどの彼からの告白は人生観を変えかねないほどの大きな衝撃であった。嬉しくもあった。ともすると流されるままにイエスと言ってしまうこともあったかもしれない。ところがそれも、脳裏にかすかに浮かんだあの金髪の彼の姿によって、夢から覚めるみたいに消え去った。

 

 ――所詮、それまで男にあまり縁の無かった自分という女が、女の子が憧れる素敵な男の子に言い寄られて舞い上がっているだけに過ぎなかったんじゃないか。

 

 そんな疑念と自責が余計に彼女の心を惑わした。

 

「京ちゃん……」

 

 もう一度、呼んだ。

 

「どうした、咲」

 

 突然後ろから彼の声が聞こえて、ビクリと咲は身を震わせた。

 

「そんな驚くか。気付いてたから呼んだんだろ」

 

「え、あ、まあ……」

 

 咲は言い淀んだ。会いたくなったから呼んだ、だなんて恥ずかくて言えない。

 

「で、何か話でもあんのか」

 

 気の利いたことに京太郎は訊いた。

 

 彼はいつだって、咲の迷った時に欲しい言葉を切り出してくれる。今度だって多分に漏れず、

 

(京ちゃんは訊いてくれた。そうしていつも私を導いてくれていた)

 

 そんな彼の存在に光明を見出し、助けを求めるかのように咲は須賀へ、先ほどの告白の件を打ち明けたのだった。

 

 で、その彼女の悩みを聞いた京太郎はと言えば、

 

(あー、要するにこいつは、誰もが羨むようなイケメンに告白されて躊躇っているんで、兄貴分な俺にどうすればいいか意見を求めてるってわけだ。まったく世話の焼ける奴だ、そんなんじゃ付き合った後も俺に意見を求めて彼氏君をヤキモキさせちまうこと請合だぞ)

 

 あまり深刻な心情ではない。割とおちゃらけている。

 

(しかしながら、上から目線で俺が無責任な意見を出したところで、それは咲の意思とは言い難いし、ここは――)

 

「咲はどうしたいんだ」

 

 咲が自分で答えを出せるように気を利かせたつもりで返した。

 

 気楽に言った彼とは対照的に、咲は見捨てられた心情となった。

 

「どうしたいって……、どうすればいいのか訊いてるんだけど」

 

(あ、あれ……、何か怒ってる? よし、それとなく弁解しよう)「俺もどうすればいいのか分からない、お前自身のことだからな。だから俺からは答えらしい答えは無い。答えを出すのは、お前自身だ」

 

 それとなく弁解しよう、としながら、結局意図を全部話してしまう京太郎であった。

 

「どうして? どうしてそんなこと言うのっ? 私だって分からないんだよ、だからこうして京ちゃんに訊いてるんでしょ!」

 

 追い縋る勢いで咲は須賀へ迫る。

 

「京ちゃんは、迷子になった私をいつも導いてくれた、だから今の私がある。でも今度のは分からないよ……、京ちゃんが私にどうしてほしいのか、言ってくれなきゃ分からないよ!……」

 

 このように訴えて咲は頭を抱えて呻吟し出した。

 

 京太郎はそれを見つめ、心中で唸る。

 

(勝手な意見は咲の人生を歪めることになる……、かと言って今の咲には判断材料が無いから二進も三進もいかない……。せめてヒントになるような情報でもあげられればな……。あっ、そうだ!)

 

「咲」

 

 出来るだけ優しく、しっかりと伝わるように京太郎は彼女の名前を呼んだ。これに反応して、彼女は悪夢から覚めたような気分で顔を上げた。

 

「次の試合、その男と試合をするわけだが、その時に俺が答えを出してやる。それならヒントにはなるだろ」

 

 つまるところ、

 

(俺が先方から詳しく話を聞いてきてやるから、それで判断しろ)

 

 ということである。

 

「京ちゃん……」

 

 一方咲は、

 

(京ちゃんは、京ちゃんの気持ちを次の試合で教えてくれるってことだよね?)

 

 こんな具合である。

 

「そういうわけだ。分かったか?」

 

「う、うん……」

 

 まだ納得が行かない咲であったが、これが京太郎なりの譲歩なのだと割り切って、その場は頷いておくことにした。

 

 ひとまずその場は別れた。

 

 去り行く京太郎の後姿を見ながら、取り残された咲は寂しさを覚えた。何だか、京太郎がどこかへ行ってしまうことをどうしても想像してしまう。

 

「やっぱり、見たくないな……」

 

 怖かったのだ。京太郎の啓示する答えというものが、まさか咲を突き放しどこかへ行ってしまうことなのではないかと邪推してしまうのだ。殊更に、ここ最近京太郎の周りにその不吉な気配――清澄での京太郎への侮蔑の眼差しや、彼の周りをうろつく裏社会の人間――が見え隠れしていることが、より一層疑念を抱かせる。

 

 京太郎が自分を引き留めてくれるのではないかと期待する反面、彼が自分を置いて行こうとしているのではないかとも考えてしまうのだ。

 

「咲さん」

 

 またも彼女の名を呼んだのは、今度は友人であり部活仲間の原村和であった。

 

 そこに居たのは和だけではない。同じく部活仲間の片岡優希、現部長の染谷まこ、それに元部長である竹井久と、咲の姉である宮永照が私服で来ていたのである。

 

「みんな……、それに部長も……」

 

「もう部長じゃないけどね。……それより、今の話だけど」

 

 久は気さくに笑ったかと思うと、その次にはいささか神妙な顔つきとなった。これに咲は何かを感じ取って、

 

「もしかして……」

 

「そうじゃ……、すまんが一部始終を、な」

 

「そう、なんだ……」

 

 どうやら説明の必要は無いらしかった。

 

 それからしばしの沈黙が流れ、その少ししたところで、

 

「やっぱり、不安?」

 

 照が口を切った。

 

「うん……」

 

「まったくあの犬の奴、咲ちゃんを蔑ろにするなんてとんでもない奴だじぇ! これで勝手に消えるってなったらただじゃおかないじょ!」

 

 優希はプリプリと憤慨している。

 

「本当にその通り。たとえその答えとやらが良いモノだったとしても、私たちに一人一回ずつビンタされたって文句は言えませんね。そう思いません?」

 

 和は微笑ましそうに言った。照もそれを受けて、ほのかに口元に笑みを浮かべると、

 

「京ちゃんなら、きっと大丈夫だと思う。今大会だって、いつも通りお菓子くれたけど、黙ってどっか行っちゃうなんてことするようには見えなかった。ずっと一緒だった咲には、分かるよね?」

 

 どこか切なそうに語る照の表情を見て、咲は気付かされた。

 

(私は、何て自己中心的なんだろう……)

 

「お姉ちゃん……」

 

 涙ぐみそうになりながら、咲は照を呼んだ。

 

「私も、それにまこも、同じ意見ね。咲ほど須賀君を見ていたわけじゃないけど、それでも彼はあなたを悲しませるような人じゃない、それだけは分かる。だからね、咲、勇気を出して。須賀君が出す答えを聞いて、そして受け入れるのよ。これはあなただけのことじゃない。私のためでもあると、そう思ってちょうだい……」

 

 久の言葉を受けて、咲は皆のそれぞれの顔へ視線を流していき、

 

「……はい!」

 

 自分一人だけではない。如何なる結果が待ち受けようとも、それを分かち合ってくれる仲間が、自分には居る。須賀京太郎が導いてくれた先に居た、彼女らが。

 

(京ちゃん、お願いね、また私が迷子になっちゃう前に……)

 

 一方その頃、須賀京太郎は、先刻咲に大胆な告白をした例の彼と相対しているところだった。

 

「お前が須賀京太郎か」

 

「如何にも、俺は須賀京太郎だ」

 

 お互いに神妙な面持ちで居た。睨み合っているとも言えるかもしれない。さっきの場所とは違って、ここは人が多い。だからか、先ほどから二人の間にある剣呑な雰囲気を感じて、周りの人々はちらちらと彼らを見ている。

 

「俺はさっき、宮永さんに告白をした」

 

「それならもう知ってる」

 

「なら話は早い。須賀京太郎、次の試合で、僕が宮永さんの隣に居るにふさわしいことを見せてやる!」

 

 周囲に居る人たちの中から、おおっ、という声が上がる。

 

 なお、京太郎はその宣戦布告を、

 

(ふむふむ、つまりだ、咲ちゃんと結婚を前提にお付き合いしたいから、咲ちゃんのお兄ちゃん的な立ち位置の俺に面接を頼みたい、ということだな!)

 

 元よりこの男子の面接をすることを考えていた京太郎は、こればかりを考えていたばかりに宣戦布告として受け取らず、面接の要請だと受け取ったのであった。

 

 京太郎は片方だけ口を吊り上げて小さく笑った。

 

「いいだろう、ちょうど俺もそうしようと思っていたところだ」

 

「そうこなくてはな。言っておくが、俺に譲ろうとは考えるなよ、全力で、俺を殺すつもりで来い!」

 

 彼はビシッと京太郎を指差して声を張り上げた。

 

(えっ、何この人、もしかして圧迫面接希望? 何て意識の高い奴なんだ!……。俺も見習わなくっちゃな)

 

「半端な奴に咲は渡せないな」

 

 早速京太郎は圧迫面接のデモンストレーションとなるような毒を吐いた。

 

(どうだ! よくドラマとかで、娘を嫁に行かせたがらない頑固親父のセリフだ! 見ろ、こいつめ、動揺しているぞ。だが俺の舌鋒はまだまだこんなもんじゃあない、試合の時を楽しみにしておけ!)

 

 と京太郎は思い込んでいるが、実際には違う。

 

 相手の男子は、京太郎そのものに恐怖を感じているのだ。何せ須賀京太郎という男は、哭きを入れる度に相手の運ごと牌を喰い取ってしまい、果ては命運すらも喰ってしまう――所謂『持続型相対強運』――との話で恐れられているからだ。現にこの大会では、京太郎と対戦した相手の中には以後姿を見せない者までいて、噂に拠ればその男はもうこの世には居ないのだという……。

 

 だからこの男子は怯えたのだ。そんなの京太郎に知る由も無いが。

 

 負ければ自分の命を喰われる。今まで自分の命を懸けた例しなど無いその男子だが、だからと言って男としてここで引き下がるわけにはいかなかった。

 

「やれるものならやってみればいい。だが俺は決して屈しないぞ! たとえその後、どんな苦難が続いていようとも」

 

(苦難って、どう考えても宮永家の人たちとの面接のことだよな。まさか――咲の両親と照さん相手に圧迫麻雀面接をするってんじゃないだろうな。こいつ、正気か!……。親父さんのほうはともかく、お袋さんは元プロだし、照さんなんか現役セミプロだぞ!)

 

 戦慄のあまり京太郎は黙りこくった。相手も同じく、黙って京太郎を睨み返す。

 

 その構図は差し詰め、一人の女を巡って男二人がこれから決闘をしようとしているようであった、と、その場に居合わせた者たちは口を揃えてのちに述懐する。

 

 で、例によって猫耳みたいに髪の毛が逆立った女子が、キラキラと目を輝かせながらどこかへ去っていった。

 

【2】

 この試合は、男子個人に於ける最終決戦と言われている。それだけに、この卓に付く者たちの実力は折り紙付きである。

 

 まず第一に、男子麻雀の名物の一人である、去年一昨年のチャンピオンが来る。その次に来るのは、そのチャンピオンに二年連続で後塵を拝してきた男子と、チャンピオンに負け越して引退した先輩の雪辱を果たす目的を持った男子が居る。

 

 これらそうそうたる面子ではあるが、この三人と揃って卓を囲む須賀京太郎も負けず劣らず、否、むしろ最も注目されている選手と言っても過言ではない。

 

 それは、今大会の中、或いは外部での女子麻雀の名だたる選手らが彼の試合に注目している旨の発言をしていることが大きい。

 

 去年までの個人戦三連覇を成し遂げた宮永照、その後継者とされている大星淡、龍門渕の大将の天江衣、九面の神代小蒔ら『天照大神』と呼ばれる四人。宮永照の妹であり団体戦にて清澄を優勝へ引っ張り上げた立役者である清澄大将の宮永咲を入れた『牌に愛された子』ら、さては臨海女子の大将を務め現在世界ジュニアで活躍中のネリー・ヴィルサラーゼらを筆頭に、様々な人物が彼に注目していた。(余談一:龍門渕透華はこれについて悔しがっている)

 

 そして彼女らの言った通り、彼はここまでの試合にて、哭き麻雀を駆使した鮮やかな和了りを衆目へ見せつけ自らの力を示してきた。そんな彼のことがあるからこそますます期待は高まり、この今年の男子麻雀の最終決戦は例年を遥かに凌駕する注目度となっていった。(余談二:龍門渕透華はこれについて悔しがっている)

 

 さて、いよいよ試合開始の時間が迫っている。京太郎を除く三人の選手は既に卓へ着いている。

 

 互いに因縁深い関係であるが故か、誰も彼もが視線も言葉も交わらせることなく、張り詰めた空気の中で各々椅子に座っている。もうすぐで時間だと言うのに、京太郎はまだ来ない。

 

 一人はイライラとした様子で貧乏ゆすりをし、またある一人はひたすら黙って卓を見つめて、またチャンピオンの男子は目を閉じて瞑想に耽っている。

 

 現場にいるスタッフらはその様子を戦々恐々と遠巻きに眺めていた。そして心の中で、早く来てくれ須賀京太郎と念じていた。

 

 刻一刻と迫る試合の時間。下手をすれば不戦勝もあり得ることで、これに関してもスタッフは心配していた。

 

 そんな折、会場の扉を開けて、京太郎が姿を現した。遅れてきたことにさして悪びれた様子も無く、鷹揚な足取りで卓へ向かって足を運ぶ。その緩急の無い歩みなさながら幽霊のよう。

 

「遅かったな、須賀京太郎、遅刻も同然だぞ」

 

 卓へ近付く彼へチャンピオンが投げ掛けた。

 

「時の刻みは、俺には無い」

 

 低い声でそう切り返した彼に、その場に居た者たちは皆一様に慄然と口を閉ざした。

 

 通常ならば、こんな台詞などただの中二病患者の戯言と一笑に付すところではあるのに、この須賀京太郎という男となれば別であった。今までに麻雀の対局者を幾人も不幸な死に追いやっていると噂を持ち、現にこの大会中でも須賀との対局後に姿を見せなくなった者まで居る。そんな男の吐く科白だからこそ、凄味を感じるのだ。

 

 まあ実際には、

 

(圧迫面接テクニックその一……遅刻しといて傲然と開き直る面接官!)

 

 こんな具合に、これから始める圧迫麻雀面接とやらを楽しみに行っている始末であった。ちなみに遅れてきた理由は、自分がいつの間にか全国個人戦での最終決戦に来てしまっていることに今更ながらビビッて、一時的な過敏性腸症候群の苦悶と闘っていたからである。この部屋に入ってきた時に歩き方が変だったのは、全てを出し切った時に尻に感じる違和感のせいであったのだ。どうにもここ最近、何かと尻に違和感を感じることが多い彼であった。

 

 して、無事に試合が始まることとなったわけで、スタッフもホッとしている。

 

 席順は次の通り。

 

 まず東家(起家)は須賀から始まり、その次の南家の黙って卓を見下ろしていた男子、西家には貧乏ゆすりをしていた男子、そして最後の北家にチャンピオン。

 

「『哭きの京』――或いは『哭きの竜』。そんなあんたが最初に座る場所が、東家とはな」

 

 京太郎の下家(南家)が唐突に言った。

 

「差し詰め俺は朱雀で、西家のあんたが白虎、でチャンピオンのあんたが北家に居るから玄武ってところか」

 

 淡々とした口調で、自らを朱雀と呼んだ下家は語った。

 

「どうせ変わるんだから意味ないだろ」

 

 白虎と呼ばれた彼(京太郎の対面)は嘆息しながら言った。

 

 玄武とされたチャンピオンは、ああ、と相槌で流しつつ京太郎へ、対抗心を明け透けにして視線を向けていた。そんな視線をどこ吹く風と、京太郎はとっくりと理牌をしていき、これが終わると早速牌を打った。

 

『さあ起家の須賀選手の第一打を以って対局がスタートを切りました。各選手火花を散らし合っております』

 

 という実況の声が、観戦場に流れる。

 

『そうですねえ。特に須賀選手とチャンピオンが一際強く睨み合っているようです。彼ら二人は、女子の部の清澄高校の宮永選手を巡っての因縁がありますからね』

 

 と解説。

 

 会場で試合の様子を清澄の面子と一緒に観ていた宮永咲は顔を真っ赤にして俯いた。

 

 始まる前でさえかなり目立っていたのに、今の実況と解説の発言のせいで、周囲に居た人たちは彼女のことを冷やかすように見ながらひそひそと話し出した。

 

「有名人じゃのう、お姫様」

 

「大変ねぇー、お姫様」

 

 染谷まこと竹井久はからからと他人事みたいに笑うものだから、咲もむすっと二人を睥睨して黙り込んでしまった、……のだがその先輩らからすれば咲のむくれた顔はむしろ愛らしいと思えるようで、ほっこりと彼女らは顔を綻ばせた。

 

「それにしても、男子の人たちは皆気色ばんでいますね」

 

 と原村和が言って、彼女らは気付いた。

 

 他の観戦している男子たちは、皆一様に殺気立った様子で、

 

「やっちまえ須賀ァ!」

 

 だの、

 

「いけ好かないチャンピオンをぶっ潰せェ!」

 

 だのと怒号を上げている。

 

 ところが、

 

『聞いたところに拠ると、他にも女性関係を持っているとの話もあるみたいですねえ……』

 

 解説による若干楽しげな爆弾発言を皮切りに、今度は咲の他にいる京太郎ゆかりの女性たちが注目を浴びることとなった。

 

 引き合いに出された彼女らは各々別々の反応を見せている。

 

 例えば永水の神代小蒔や、宮守の元大将の姉帯豊音、それと先ほどまで咲をからかう顔をしていた竹井久といった普通の神経の持ち主は、咲と同様に羞恥心に顔を赤らめて顔を伏せたり隠したりしている。

 

 対照的に、黙々とお菓子を齧り続ける宮永照、ふてぶてしくだらける宮守の元先鋒の小瀬川白望みたいに周囲のことを気にしない者も居る。

 

 変わった例だと、龍門渕の天江衣や龍門渕透華は誇らしげに胸を張って周囲の視線に徳顔を向けていたり、

 

「イエーイ! ピース! ピース!」

 

 自称高校百年生こと白糸台の大星淡は面白がって自己主張したりしている。

 

「座ってろ」

 

 元白糸台麻雀部部長の弘世菫によってすぐに押さえ付けられたが。

 

 東横桃子? 誰それ。

 

 これに因って、今まで京太郎を支持していた男衆は一斉に手のひらを返し、

 

「死ね、須賀ァ!」

 

「ぶっ飛べェ、須賀ァ!」

 

「池田ァ!」

 

 と須賀京太郎死ね死ね団としての唱和を始めた。物々しいが、そこはかとなく楽しそうな様子であった。

 

 そしてすぐに鎮圧された。

 

『さあ十三巡目。それにしても須賀選手、今回は鳴きませんね。以前の試合では、オーラスで大明槓責任払いを直撃させた以外には基本面前で打っていたことはありましたね。今回もそんな調子で打っていくのでしょうか』

 

『本来ならそう考えるのが普通なのですが……、彼の場合……』

 

『何とも言えませんねえ。あっ、チャンピオンが自模りました! 東一局にして倍満炸裂!』

 

「親被りだな、須賀京太郎。これで俺の流れだ」

 

 チャンピオンは勝ち誇る顔を、牽制するように京太郎に向けた。

 

(ですよねー、俺みたいなペーペーがチャンピオンさんに勝てるわけないっすよねー。マジ凄えっす、半端ねえっす)

 

 と京太郎は心中で上家に居るチャンピオンに敬意を表するのだが、口には出さない。今は圧迫麻雀面接の最中なのだから。

 

 京太郎とて、満更遊び感覚でやっているわけではない。彼なりに真面目にやっていて、だからこそ厳格な雰囲気――と本人は思っている――が出るよう心掛けているのだ。

 

 何故なら、

 

(今の内に俺が圧迫面接しとかないとな。だって照さん、圧迫面接とかきっと出来ないだろうし。シュークリームと紅茶持ち込んでマイペースに振る舞う姿が目に浮かぶわ。あとアホの淡や弘世先輩も誘ってお茶会とかやり出しそう)

 

 そのように、ポンコツ面接官を頭に思い浮かべて京太郎は思わずふっと笑いを漏らした。

 

「何だ、今の笑いは……」

 

 チャンピオンは詰問するように京太郎を見たが、当の京太郎は何も言わない。

 

(圧迫面接テクニックその二……相手の発言を鼻で笑う!)

 

 誰に言い訳するでもないのに、胸の内でそんな言い訳をしている京太郎であった。

 

 続く東二局。この局も上家のチャンピオンが跳満を自模和了。その次の局でも、負けじと対面が立直(リーチ)を掛けるも、やはりチャンピオンが跳満を和了った。

 

 そして東四局、親はチャンピオン。今度は下家が立直を掛けるも、チャンピオンの親満貫和了、四〇〇〇オールの怒涛に蹴飛ばされた。

 

(手は入っていたのに……。棒テンならまだしも、あんな大きな手に潰されるとは……。やはり手強いな)

 

(先輩の言った通り、こいつ、何て太い運だ……。先輩はこんなんと渡り合ってたのかよ)

 

 下家と対面は、チャンピオンの威厳というものを見せつけられ、歯噛みしている。不幸中の幸いと言えば、事前にチャンピオンの強さを知っていたために戦意喪失していないということだろう。

 

 今の和了により、東四局はチャンピオンの連荘一本場で継続。

 

「何してんのさ、キョータロー!」

 

 観戦場では、正面の巨大な液晶に映る京太郎に向かって淡が叫んでいた。

 

「そこはダブリーでしょ、ダブリー! ダブリーで和了って一気に畳み掛けるの!」

 

 すかさず菫が拳骨を叩き込み黙らせ、現チーム虎姫のメイトが如才なく周りへ頭を下げていく。

 

「須賀君、普段私たちと打つ時と全然打ち筋が変わっていませんね……、全く非効率的で、非合理的……。一年前からまるで成長していないみたい……」

 

 和が溢すように言った。

 

「確かに、まるで素人の打ち方じゃのう。女子の部ではもっと滅茶苦茶な打ち方の輩が居るもんじゃから、すっかり失念しとったな」

 

 まこは苦笑を浮かべた。

 

「まだ須賀君は哭いてないわね」

 

 久が腕組みをして呟いた。

 

「亜空間殺法(鳴きを入れることで場の流れを変える戦術)のことですか。確かに、流れが上家にあったあの時にやっていればもしかしたらとは思いますけど」

 

「それもあるけど、須賀君は何を狙って面前で打っているのかしら」

 

「本来は面前で打つことこそが普通ですけど……、でもそれまで亜空間殺法を使っていた須賀君があの場面で鳴かなかったのは不可解ですね……。鳴けば分かるのでしょうか」

 

「あら、和がそう言うなんて。心境の変化かというやつかしら」

 

「違います。オカルトなんて馬鹿げています。ただ、オカルトを信じて打つ人が何を狙っているのかくらいなら分かります」

 

 心外だという風に和はそっぽを向いた。

 

 して、京太郎が哭きを入れないことに疑問を抱いているのは、何も清澄の彼女らだけではない。この観戦場で、京太郎の打ち筋を知っている者たちは言わずもがな。

 

 京太郎の対戦相手の彼らも疑問を抱いていた。

 

「これで分かったろう、須賀京太郎。この試合での天運は、俺にある! 天の采配というものだ。今の俺なら、哭きを入れられたところで、運を喰われたりはしない」

 

 チャンピオンは、口上を述べながら自分の下家に居る京太郎を指差して、

 

「俺は、お前を退けて高嶺へと昇り詰める!」

 

 と結んだ。普段ならチャンピオンは、そんなことはしないはずだった。だがこの相手に対しては別であった。この須賀京太郎という相手は、彼自身が乗り越えるべき壁であるから。そして何より、打ち倒すべき怪物としての畏怖があるから、こうして自らを鼓舞するために強気でなければならなかった。

 

 しかし言われた当人の京太郎からは何の反応も見られなかった。彼は変わらず、卓に肘を突き、その手の甲に顔を乗せて俯いたまま、堪えた様子は見受けられなかった。

 

 まるで糠に釘。恐怖心から逃げようとして、却ってその感情が弥増しになるチャンピオン。

 

(良い自己PRだ……、俺に対して居丈高なのが頂けないが、それなりに良ポイント)

 

 そんなチャンピオンの感情など露知らず、京太郎は呑気にも、チャンピオンの意識の高さに感心しているばかりであった。

 

「ポン」

 

 東四局一本場、十巡目。

 

『あっ、鳴きました! 須賀選手、今試合初の鳴きを入れました!』

 

 京太郎は対面から鳴き、九筒の明刻を作った。

 

 たったひと哭き。ただそれだけで、実況と観戦場はざわつき、対局相手らは身構えた。

 

(ついに動いたか……)

 

 身構えると同時に、彼らはほっとしている自分に気付く。

 

 この対局で最も警戒しなければならない男とは、即ち須賀京太郎である。それは誰もに共通する認識。それは、現時点で圧倒的トップに立っている上家のチャンピオンとて例外にはあらず。否むしろ、須賀京太郎が一切何も仕掛けてこないまま、ここまで都合良く事が運んでいるからこそ落ち着かなかったのだ。それはさながら、いびきを立てて眠る竜の鼻先に立たされているが如く……。

 

 なお、京太郎はと言うと、

 

(最終決戦だって聞いて、場を荒らさないように面前で打ってたのに……、鳴きたい衝動を抑えて我慢してたのに……、お前らが煽るから……)

 

 彼は鳴き中毒を発症していた。長期に渡って鳴き麻雀を繰り返してきた彼にとって、最早鳴きとはまばたきに等しい衝動と化していた。

 

 だが京太郎は鳴かなかった。それはひとえに、最終決戦の場に水を差してはならないという彼の中に残った常識がせめいでいた故であった。だのに他三家がやたらと京太郎に鳴きを催促してくる――そう彼には思えた――ものだから、ついに我慢の限界が訪れ、

 

(そんなに鳴いてほしいんなら、いくらでも鳴いてやるッ! 最近小蒔が俺の鳴き麻雀真似しだしてるって霞さんから苦情を寄せられたが知ったことか。今まで鳴けなかった分まで、お前らが嫌になるまで鳴いてやるぜェ!)

 

「一つ教えてやる。俺の哭きは牌を喰うんじゃない、牌に命を刻んでいる」

 

 ポン、と京太郎は上家からの西を鳴く。

 

 今、ここに今大会屈指の迷惑雀士が目覚めた。

 

「ポン」

 

 次は六筒を、同じく上家から。

 

(ホンイツかトイトイ……、或いは両方。しかし上家【京太郎の対面】も注意しなければ)

 

 チャンピオンは自らの上家の捨牌を盗み見た。

 

(それと奴の捨牌はほぼ中張牌だけでヤオチュー牌は無く、純チャンかチャンタや、混老頭、下手をすれば清老頭も考えられる。二巡目と三巡目で二、三萬の両面落とし、その後に七索を捨てている。また場には三つ八索が切られていて、現在の流れは対子場。。これらから推測するに、奴は一萬と九索を暗刻にしている)

 

 それから自分の手牌へ目を移す。二三四筒の一盃口になっているが、ここに来て一筒を引いてきてしまった。

 

(あまり筒子は打ちたくないが、ここは上家【京太郎の対面】へのリスクを避けて――)

 

 打四筒。

 

「チー」

 

 すかさず京太郎が鳴いた。三四五の順子が出来る。この鳴きで打ち止め。もう哭くことはない。

 

 {裏} {横④③⑤} {横⑥⑥⑥} {横西西西} {⑨横⑨⑨}

 

 鳴いた牌を右に滑らせると、京太郎は手元に残った裸単騎の牌を伏せて、再び肘を突き元の体勢に戻った。

 

 更に二巡後のチャンピオンの自模、一筒。

 

(これで一二三筒の一盃口。須賀京太郎は今さっき四筒を鳴いたばかり。それに、引っ掛けで筒子以外の牌を裸単騎にしている可能性もある。この四筒は大丈夫なはずだ……)

 

 ふうと息を吐き、四筒を打った。

 

 その瞬間、

 

「ロン」

 

 自身の上家(京太郎の対面)からの予期せぬロン宣言が入り、チャンピオンは瞠目した。

 

 {123999一一一北北北④}

 

 闇聴の北、三暗刻の四筒単騎待ち。

 

 対面は右端の四筒を強調するように卓に打ち付けてから、

 

七七〇〇(ナナ・ナナ)の一本場で八〇〇〇だ」

 

 卓に肘を掛けチャンピオンに流し目を送る。

 

「もっと待っていればチャンタや混老頭まで伸びていたのに……、なのに俺を狙うために……」

 

 不覚と小さく歯を剥きながら点棒を卓に置くチャンピオンに、してやったとばかりに対面は片頬でほくそ笑んだ。

 

「なあ、対面【京太郎】さん。そっちもバカホン*1で、同聴の頭ハネなんだろ、俺には分かるぜ。もう見してくれてもいいんじゃないか」

 

 親しみある笑みで対面は、京太郎の伏せた裸単騎に手を伸ばそうとするのだが、

 

(イヤン! エッチ!)

 

 京太郎はその牌を掴むと、崩した山の中へと放り込んでしまった。

 

「捨てた牌は"表"の世界、手の中の牌は"裏"の世界。己れの裏だけは見せられない」

 

 馬鹿に格好付けて有耶無耶にしようとしているが、実際には、

 

(言えない……。調子に乗って牌を伏せていたら、点棒の受け渡しが終わるまで四筒の裸単騎だってことをすっかり忘れてたなんて恥ずかしくて……)

 

『チャンピオンに八〇〇〇点直撃! 須賀選手は頭ハネを見逃しです』

 

『トップ独走のチャンピオンから出来るだけ点を剥ぎ落しておきたかったのでしょうね。須賀選手の手は二六〇〇だから、敢えて対面に譲ったのでしょう。どちらの和了でもチャンピオンの連荘は打ち切りですから』

 

 観戦場はざわざわと盛り上がりの様を呈していた。

 

 対戦相手でありライバルでもある二人の選手が、結託してチャンピオンの連荘を阻止したという構図もさることながら、しかし京太郎が他に和了させる目的で哭きを入れたのではとの荒業の可能性が、何よりも関心を集めていた。

 

「けしうはあらず、と言ったところだな。油断の隙を突くのは衣とやった時と同じか。龍の如き力を持ちながら、蛇のような手口。まるで蟒蛇」

 

 そう語る衣は、いささか貶すような言葉を使いながらも、実に愉快という顔をしていた。

 

 東場終了時の点数。

 

 トップはチャンピオンの七一〇〇〇。次点で対面の一五〇〇〇、京太郎と下家は同着七〇〇〇。

*1
鳴き多用に依るホンイツのみの手




 このSS書くためだけに哭きの竜全巻買いました。褒めて。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天に一番近い場所:中編

 咲は原作やアニメよりもSSのほうがよく見てるって人は俺だけじゃないはず。お陰で口調とか人間関係とかあやふやになってきました。

 あといっそのこと京ちゃんにパイポとか吸わせてみようかなと考えてみたり……。


 南一局 〇本場 開始。親は再び須賀京太郎。

 

 現在トップはチャンピオンの七一〇〇〇。次点で対面一五〇〇〇、須賀と下家は同着七〇〇〇。

 

 途方もない差ではあるが、各人の顔はさして悲観的ではない。七千点と七万一千点の差はちょうど六万四千点。子の役満を一回直撃させれば並べる程度の数字だし、それにまだ四局ある。これが対面と下家の認識である。

 

 須賀京太郎に至っては、日頃部活仲間をはじめとした麻雀仲間の少女たちにボコボコにされているので、負けるのは慣れているし、そもそも勝敗自体も気にしてはいない。彼はここに、圧迫麻雀面接をしに来たのだ。

 

「対面さんよ、そっちの哭きのお陰で、今流れはこっちに来ている。ひょっとしたらそっちの哭きは、他人のためのものなのかもな」

 

 京太郎の対面は上機嫌で自分の配牌に視線を落として言った。

 

「他人にささげる強運なんて無い、ましてや己の強運に身を任せるほど愚かではない」

 

(訳:いやー、そんなことないですって! 俺なんかただ破壊衝動に身を任せて鳴きまくってただけですもん。最後の鳴きでわざわざ順子を崩したのだって、ただ鳴きたかっただけですもん、ともすると順子になってたの失念してたし! そんなことより、あの乱流の中でチャンピオンさんから直撃取るなんて凄いっす! 尊敬しまっす!)

 

 京太郎は内心テレテレと謙遜していた。今のセリフもそうだが、彼がそれまでに吐いてきたロマンあふれる名言めいたことは、対局者やスタッフ、果ては観戦者ら(主に男)の心にグッと刺さっているのだが、本人はこの通り、格好良いことを言ったつもりは全然なかったことを彼らは知らない。

 

 さりとて、こうして卓の枠に肘を立て、その手の甲に顔を乗せて静かに俯いている姿からは、彼がそれ以前から積み重ねてきた過ち――もとい評判に拠るバイアスも相俟って、とてもそんな風には見えない。故に誰も気付かない。

 

 これを最早、呪いと呼ぶか、雀神(多分色川武大みたいな顔してる)の加護と呼ぶか、それともギャグ補正と呼ぶかは観測者次第である。

 

 さて、局は進んでいく。

 

 前の局では元気いっぱいに鳴き麻雀で場を荒らしていた京太郎であったが、この局では鳴りを潜めている。そのためか各人の自模も良好で、するすると手が進んでいく。

 

立直(リーチ)

 

 先ほどのチャンピオンへの奇襲により、それまでチャンピオン一辺倒だった流れは、確実に変わっている。その流れを掴まんとばかりに、対面は勇み足に即リーチを仕掛けた。

 

 が、その立直に、下家はぞっとしないでいた。

 

(下家【京太郎の対面】の奴、先走っているな、流れが自分のすぐ近くを通っているものだから。だが無理もないか……)

 

 前の局。京太郎の鳴きがあったからこそ、対面はあの手を聴牌出来た。それと並行するように、下家はあのまま一筒を雀頭としてチャンタを仕上げられたのが、京太郎の鳴きによって阻まれたのである。謂わば彼は京太郎の駒としての働きをしていたに過ぎない。

 

(奴もボンクラではない、当然気付いているはずだ。気付いたからこそ気に喰わなかった、だから主導権を握ろうとしているんだ)

 

 しかし対面は、チャンピオンの脅威というものへの意識が希薄化していた。下家はまだ流れからは程遠いために、岡目八目により慎重で居られた、だからチャンピオンの放つ気配を察することが出来た。

 

 次巡、チャンピオンが立直。そのすぐ後、須賀が対面から牌を鳴く。これによってチャンピオン、一発が消える。

 

(前の局は鳴き過ぎたし、今局は控えめにっと……)

 

 須賀京太郎は前の局でしこたま鳴けたことに満足して現在賢者タイム。良かったね。

 

 で、京太郎の鳴きによって、下家には再度自模番が回ってくる。それで引いた牌は二索。

 

(不要牌だが、これは元々は対面のチャンピオンが引くはずのものだった。それに立直の少し前の捨て牌一索と三索が不穏だ)

 

 下家は手牌を崩し、二索を保持することにした。

 

「ツモ!」

 

 {11233②②③③④④南南} ツモ{2}

 

「立直、自模、二盃口。……満貫だな」

 

 薄っすらと腑に落ちない面持ちでチャンピオンは点数申告を行った。視線だけをその倒された手牌へ向けていた下家は、次いで自身の手牌の左端で浮いている二索へ視線を流して、それからしめやかにこれらを伏せた。

 

『チャンピオン、前局の挽回とばかりに満貫和了しました。対照的に須賀選手、親被りにより残り三〇〇〇点。次の局からは、子の倍満か親の三翻四十符の自模和了でトビです』

 

『もし須賀選手が鳴いていなければ一発が付いて跳満でしたね。パッと見チャンピオンの独走状態を維持しているように見えますが、彼の表情からしてもペースを乱されていますね』

 

『ふむふむ、この試合、まだまだどう転ぶか分かりませんね!』

 

 実況の興奮したアナウンスにより、観戦場でははらはらとした緊張感が漂っていた。

 

 この、すぐにでも決着が付いてもおかしくない、消化試合が続くだけの、退屈とさえ思えるような、既に結果が出ているも同然の点差。それでも観戦者たちは、ここからどう転ぶかが気になって気になって仕方がないらしかった。

 

「今のって……」

 

 菓子を齧るのも忘れて、照は目を丸くして画面を見つめていた。

 

「どったの?」

 

「腹でも痛いのか?」

 

 心配そうに彼女の顔を覗き込み、気遣う淡と菫を横に、

 

「相手の和了を統制しての点数調整……」

 

 と照は呟いた。

 

「点数調整?」

 

 淡と菫は顔を合わせて、『点数調整』という単語に疑問符を浮かべた。他の白糸台のメンバーにも視線で尋ねたが、いずれも小首を傾げるばかりであった。

 

 場は南二局へと進む。

 

 下家は先ほどの、京太郎によるチャンピオンの跳満和了り妨害を思い起こして、視線で京太郎へ畏敬の念を送った。

 

(うわぁ……、下家の人がガッツリ俺のこと見てる……。お前のせいでチャンピオンが満貫ツモっちゃったじゃねえかって眼してる!……。すんません、次の局こそ鳴きませんから!)

 

 なお、京太郎は、鳴きによって自模順がどのように変わるかなんて全く把握していないため、言うに及ばず先ほどの対面からの鳴きがファインプレイであることなど思ってもいない。

 

 配牌が完了した。親の下家がまず一枚目を切り、局が始まる。

 

(ひとまずここは、棒テンで和了して連荘を狙うしかない。高い手を自模和了りしてしまったら、須賀のハコテンで対局が終了する。チャンピオンを狙い撃ちにするのが理想的だが、そのためには迷彩を作る必要があるし、チャンピオンが悠長にそれを待ってくれるわけもない)

 

 そうこうしている内に対面が

 

「立直!」

 

 と勇み立直を掛けた。下家はぎょっと対面を見やった。

 

(こいつ、まだ諦めていないのか。とは言え奴も俺と同じで安手にしているはず。しかしどうして黙聴にしない……)

 

 まさか、と下家の背筋に悪寒が走った。

 

(高い手でチャンピオンを狙い撃ちにしようと? 何て無茶な賭けを……)

 

 そして下家の嫌な予感は、次のチャンピオンの自模番にて確信に変わる。

 

「カン」

 

 チャンピオン、自模ってきた牌で暗槓。その時捲られた新ドラ表示牌に、対面が動揺の色を見せた。

 

(下家【京太郎の対面】はドラがモロ乗り。俺の手にある九筒がそうだから、奴は九筒を暗刻にしているな)

 

「立直」

 

 それからチャンピオンは牌を横向きに打って宣言した。

 

(チャンピオンの追っかけ。下手をしたら下家【京太郎の対面】の当たり牌を察知して同聴にしていることもあり得る。もし下家【京太郎の対面】の手が倍満になっていたとしたら、……いや、なっていなくても裏ドラのリスクを考えれば和了はためらわれる)

 

 通常なら、追い詰められた際のネガティヴ思考としてかぶりを振るところ。しかし彼が今相手にしているのは、全国各地の手練れを打倒してきた猛者であり、そういった極端な状況を呼び込むことも十分に考えられる強運の持ち主たちだ。

 

 下家は鳴きを入れることを考えたが、しかしそのための対子が彼には無い。

 

 彼の読みの通り、チャンピオンと対面は同聴。しかも対面は今の新ドラが手牌の暗刻にモロ乗りし、なおかつチャンピオンの手牌はどう低く見積もっても満貫。

 

(流れは上家【京太郎の対面】の方に傾きつつあるけど、皮肉にもそれが仇となっている。そこを突いてこの手を奴と同じく四索待ちにして直取りを……)

 

 続く京太郎の切る牌でも、下家はチーを入れることは叶わず。

 

(これまでか……)

 

 諦め半分に下家は牌を打った。

 

「ポン」

 

 急遽入ってきた鳴きの声に、下家ははっと沈んでいた意識を引き戻された。見れば、横から伸びてきた手が彼の河に捨てられた牌を取っているところであった。

 

 その手の主の京太郎は、自分の手から倒した対子に、取ってきた牌を繋げて卓の右下に寄せた。

 

 そうして京太郎が牌を捨てたことで、もう一度下家に自模が回ってくる。下家はその通りに牌を取って、そうして引いてきた四索を見てゴクリと唾を飲んだ。

 

(如何にもな危険牌、これは打てない。だが七索を落として、これでカンチャン待ちで聴牌。あとは自模のみで和了れば……)

 

 自らの手牌から、たった一つ残った不要牌を切り、下家は黙聴で場を回した。あとは対面とチャンピオンが当たり牌を掴まないことを祈るのみ。

 

 その祈りが届いた偶然か、或いは必然か、

 

「ツモ!」

 

 下家が自分の当たり牌を掴み、和了。

 

 {三四五⑦⑧⑨46888白白}

 

「自模のみ、一翻……、いや――」

 

 と口を止めて彼はドラ表示牌にある三萬と八筒を見て、

 

「ドラ二で……二〇〇〇オール」

 

 二〇〇〇オールにより合計六〇〇〇点、チャンピオンと対面のリー棒合わせて下家は八〇〇〇点獲得。

 

 しかし素直に喜べはしない。何故ならこれで京太郎は残り一〇〇〇点。これはノーテン罰符でも飛ぶ点数である。ハコテンによる対局終了は免れはしたものの、それでも京太郎、及び下家と対面はますます追い詰められていることは変わらない。

 

(それで大丈夫なのか、須賀京太郎。あんた、どうしてそんな落ち着いて居られるんだ)

 

(おお? 下家が何とも言えない顔でこっち見てる。ははーん、さては前の局の俺の鳴きを恨みがましく思ったけど、今の局で自分が和了出来たもんだから気まずいんだな?)

 

 この場で一番追い詰められているはずの京太郎は呑気にそんなことを考えていた。

 

 下家に二千点を支払う際に、引き出しに残った百点棒十本を彼とて見ていないわけではなかった。ところが彼はそれを見た時、焦燥の表情を浮かべるどころか、むしろ世の無情を見てきた老人さながらの達観した顔付きをしていた。

 

 全ては、嶺上魔王――もとい自身の幼馴染の咲たちをはじめとした麻雀少女たちにさんざん点棒を絞られた挙句に高い手振り込まされまくったという哀しい過去があった故に。

 

 次、南二局 下家の連荘 一本場。

 

「ロン、八〇〇〇は八三〇〇」

 

「ぐっ……」

 

 下家がチャンピオンへの満貫振り込み。これで下家は死んだも同然。東場での勢いはもう目に見えて衰えはしても、それでもチャンピオンとしての意地というものを見せつけた。

 

 その出和了でチャンピオンが目を向けたのは、たった今直撃を取った下家でも、ましてや対面でもなく、自身が倒さなくてはならない敵――雀士としての強さを証明するために、そして自身が思いを寄せる少女を迎えに行くために倒さねばならぬ因縁の相手、須賀京太郎であった。

 

「さあ、どうする、須賀京太郎。南場は残り二局、今更踏ん張ったところで、たったの千点のお前に対して俺は八万五千三百。役満を最低でも一回は俺に直撃させなければ、まず勝ち目は無い」

 

 チャンピオンは捲し立てる。しかしその表情に余裕は見られず、むしろ追い詰められているようにさえ見える。か弱き人間が、恐ろしい龍に向かって必死に剣を突き出すように。

 

 ただ、その怯えを抜きにしても須賀京太郎は一切チャンピオンの啖呵に揺れることはなかった。

 

 彼はじろりと瞳だけをチャンピオンへ向け、呆れたような溜息を吐くと、

 

「それ以上話すと――言葉が白けるぜ」

 

(圧迫面接テクニックその三……あれ、四だったっけ? まあいいや……呆れたような溜息の後でそれまでの相手の発言全否定! 微妙に面接の時間が残っていることがミソ。その僅かな苦痛の時間が長く感じるのだ!)

 

 まだやってたのか。

 

 しかしやはりと言うべきか、観戦場では京太郎による含蓄の――実際には無いけど――ある言葉は受けていた。大口叩きなどと嘲っている口さがない輩も中には居るが、概ねは好評であった。どうかすると龍門渕透華が、

 

「わたくしも名言を製造すれば目立てるかしら」

 

 と検討するほどである。

 

「そうだね」

 

 周りから異口同音にその一言で流されてしまったが。

 

 南三局 〇本場 親は対面。

 

(あー鳴きてえぇぇぇぇぇぇぇぇ……、鳴きてえよおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……)

 

 前の局で全然鳴けなかった京太郎は禁断症状に陥っていた。連荘の東四局にてさんざん鳴いたということでしばし落ち着きを取り戻し、油断してその後二局続けて一回ずつしか鳴かなかったことが災いしたのだ。

 

 そんな彼の前に、中が出ようものなら――、

 

(わーい、中だー! 京ちゃん三元牌大好き―!)

 

「ポン」

 

 京太郎は上家のチャンピオンから中を鳴いた。

 

(奴がまた哭いた……、鳴き返すか? いや、奴に合わせるのは却って危険なのは分かり切ったことだ)

 

 チャンピオンは冷や汗を流して激しい葛藤をしていた。ひょっとしたら向こうはこちらが動くことを想定しているかもしれない、かと言って動かなければ相手の思う壺、と、裏の裏の裏まで読まんと必死に思考を凝らしていた。

 

 その彼のそばで京太郎は、

 

(三元牌って、白肌、緑髪、赤唇の美人三大要素らしいけど、何でオモチは無いんだろう……。あ、分かった、パイって読み自体にオモチの意味が含まれてるんだな!)

 

 などと訳の分からないことを考えている。

 

「チー」

 

 京太郎、くだらないことを考えつつまたもチャンピオンから鳴く。

 

 鳴かれたチャンピオンは心中穏やかではなかった。鳴かれる度に彼の中では、鳴き返そうか、いや耐えるんだという声がせめぎ合っていた。が、彼にとっての脅威は京太郎のみではなかった。

 

「立直ッ!」

 

 対面だ。彼はまだ死んでいなかったのだ。彼は吠えるように立直を掛けた。この局は彼の最後の親番。連荘し続けていけばチャンピオンに打ち勝つ道が開ける。即ち最後のチャンスなのだ。

 

 そうして勝負が引き延ばされれば、対面のみならず、下家も復活し、何より京太郎という脅威が大きくなる。

 

「カン」

 

 京太郎が、持ってきた中を加槓したことで、その動揺は輪を掛けて大きくなった。

 

 真っ暗闇の迷宮の中、手負いの怪物たちに、同じく自分も手負いの状態で追われる恐怖に似ている。これに苛まれながら、チャンピオンは慎重に牌を進めていく。それから三巡して、ようよう彼は聴牌をしたのであった。京太郎を見て、自分は助かったのだ、生き延びたのだと安心した。

 

(でも、これでいいのか?……)

 

 チャンピオンは自らの手牌へ目を移す。タンヤオ、平和(ピンフ)のみ。出和了りなら二〇〇〇、自模和了なら七〇〇・一三〇〇。京太郎をハコテンにすることこそ叶わずとも、和了りさえすればチャンピオンの勝利は確定である。

 

(逃げるのか?……)

 

 そんな馬鹿げた想念が過る。

 

(そんな勝ち方で三連覇を成し遂げた俺は、その後のインタビューでどう答える……。完勝したとおめおめ語るつもりか、だからと言って、尻尾巻いて勝ち逃げしましたとへらへら言うのか。果たしてその足で宮永さんのもとへ行けるのか)

 

 チャンピオンは自身の手元に残った最後の浮き牌を握り締める。

 

(周りはきっと俺を祝福してくれるだろう。でも俺自身は許せないッ……、俺自身が認められなくては、勝ったとは言えないッ……。何故なら、俺の勝利は俺のモノだからだ! 余人のための勝利ではないんだ!)

 

「立直!」

 

 決意の打牌を遂げ、リー棒を場へ放つ。これで立直の一翻の付加により、自模りで一三〇〇・二六〇〇。残り千点の京太郎はトぶ……。英雄(チャンピオン)は、飽くまで完全なる勝利を求め、選んだのだ。

 

「あンた――」

 

 京太郎はそんなチャンピオンに、唸るように、そして囁くように呼び掛けた。

 

 その呼び声に彼は一瞬だけ怖気を感じてビクリと肩を震わせるも、それでも、勇ましい表情をプライドで以ってどうにか保ちながら、自分の下家に鎮座する一匹の竜へと顔を向けた。

 

「背中が煤けてるぜ」

 

 チーという発声と共に京太郎は一萬を哭き、そうして出来上がった一二三萬の順子を脇の副露牌に重ねると、その後三萬を手出しで河へ流した。

 

(ククク……、俺一人を倒したところで、あんたにはまだ宮永一家との圧迫麻雀面接が残っているんだぜ……。宮永照という大魔王、並びにその生みの親である破壊神こと宮永母を相手にして、果たして焼き尽くされずには居られるかな? ――宮永父はシラネ)

 

 これだけ格好良い台詞を吐いておきながら、実際の本人の意図は、実に他力本願で、卑屈な、小物臭いものであった。知らぬが華とは、いみじく言ったもの。

 

 次巡にて、チャンピオンは一萬を自模。彼は京太郎の捨て牌にある真新しい三萬を見て、それから副露された一二三萬の順子二つに中の槓子を見た。

 

(どの道、立直をしたら当たり牌以外は捨てなきゃならない……)

 

 意を決してその一萬を打った。

 

「……ロン」

 

 そう告げながら京太郎は、卓の脇の副露牌をやおら中央まで押し、手牌を左から右へ指でなぞる要領で倒した。

 

 {二三九九} {横一二三} {横二一三} {中横中中中} ロン{一}

 

「……中、ホンイツ、チャンタ。満貫だな」

 

 チャンピオンは静かに言うと、八〇〇〇点の点棒と、場に出ていたリー棒二本を潔く京太郎へ差し出した。

 

(何で時々、四翻なのに満貫になるんだろう……)

 

 素人丸出しの疑問を浮かべつつも、京太郎は点棒を受け取った。

 

『満貫炸裂ッ! 須賀選手の本対局初の和了にして、チャンピオンの本対局初の満貫直撃です!』

 

『チャンピオンは飽くまで須賀選手を飛ばして完全勝利を目指したことで、今の振り込みをしてしまったようですね』

 

『三連覇を見据えて臨む試合で、王者の矜持が逃げを許さなかったのでしょうか! さて、いよいよ南四局です! 鳴いても笑ってもオーラス! 依然チャンピオンの断トツは変わらないにも拘わらず、どちらへ転ぶか分からない勝負となっております!』

 

 実況のテンションはいよいよピークに達している。いや、ピークに近いと言うべきか。これに煽られて、今しがた京太郎が和了した満貫への盛り上がりは、彼が口にした決め台詞も手伝ってひとしおになっている。

 

「わたくしも何か決め台詞があれば、もっと目立てるのかしら」

 

 透華は頬に手を当てて考え込んでいる。

 

「試合始まる前からそればっかだよな。何だその対抗心、どっから来るんだ」

 

 と、井上純はついに、本試合以前から終始目立つことばかり考えている透華にツッコミを入れた。

 

「だって、もう結果は見えた対局ですもの、楽しみが一つ減っているのなら、一つくらいわたくし自身の楽しみを見つけてもバチは当たりませんわ」

 

 余裕綽々の態度で言ってのける彼女であったが、その頭頂部から生えているアホ毛は、興奮した犬の尻尾さながらにふりふりとせわしなく振られている。

 

「そうか? むしろ衣は興が乗った。きょうたろーは、あたかも自分が追い詰められているみたいに魅せるのが巧い! ハラハラするぞ!」

 

 衣が楽しげに言うと、

 

「分かってるじゃん」

 

 と横から入ってくる者が居た。

 

「キョウタロウは自分を弱く見せる演出が本当に上手なんだよね。エンターテイナーとしても良し、だからますます欲しくなるんだよね」

 

 こう言ってその彼女は笑ってみせた。その微妙に違和感を感じさせるイントネーションから、外国人の少女であることは分かる。

 

「ほう、分かるか」

 

 衣は等閑する眼で返した。

 

「分かるよ、だってネリーが見つけたんだもん。いつかネリーのものになるんだ、キョウタロウは、ビジネスパートナーっていう形でね」

 

 そう高らかに言ってのける、ネリーと名乗った少女に、衣はふっと聞こえよがしにせせら笑うと、

 

「笑止千万とはいみじく言った――否、笑止兆万と言わせ賜わるぞ。よもや金子などという、(まなこ)にも映る凡俗のための指標であの男を計ろうとは」

 

「なんにも考えないで、ただ欲しいってワガママで欲しがるより、計画を持ってるほうが良いんじゃない?」

 

 何やらギスギスした雰囲気。衣も、ネリーも、どちらも小柄で可愛らしい容貌であるにも拘わらず、緊張感が漂っている。

 

 で、そこで、

 

『なあ、対面さん、そっちはここからどうするってんだ……』

 

 現場を映す液晶の向こうでは、京太郎の対面が不意に京太郎へ語り掛けていた。

 

「現在トップのチャンピオンさんは七六三〇〇点、対してそっちは一一〇〇〇点。実に六五三〇〇の差だ。役満(ちょく)っても一三〇〇の差で勝てない。なのに何故そんな平然としてられるんだよ……」

 

 よもや逆転の道を潰されて完全に心が折れた対面は、恨めしそうに呻く調子でぼそぼそと述懐した。

 

 勝てない、と、対面は言っていたが、これは正確ではない。場にリー棒が二本出れば、彼の言っていた一三〇〇という差は捲れなくはない。が、彼が敢えてそのことを言わなかったのは――京太郎への恨みのこともあるが――そもそもここに来て役満をチャンピオンに直撃させられる可能性はあまりにも薄過ぎるからである。

 

 それに、他二人が立直を掛ける意味は無い。下家は四七〇〇、対面は八〇〇〇。二人ともトップ逆転の可能性は完全に潰れた。そんな彼らが、わざわざ立直して京太郎に協力をするわけがない。

 

 だから対面は、下家は、さも逆転を確信しているみたいに態度の変わらない京太郎を不思議に思う。一体この男は、何が見えている。そして我々に何を宣ってくれる。

 

 迷い惑い、道を見失った二人は、神頼みをした後の人間がそうするように、次の局の準備をしていく。

 

 少しして、京太郎はおもむろに口を開く。

 

「他人の命構うより、己の命――磨きなよ」

 

(訳:いやー、お気遣いどうもです! でもお構いなく! 俺、最初っから期待なんかしちゃいませんから! お互い、どうせ勝てないんなら、最後くらいは高い手狙っていきましょう!)

 

 ちなみに京太郎は、対面の最後の親番を流したことについては把握していなかったりする。そんなこと意識出来るほど麻雀が出来るわけがない。だから彼はてっきり、対面の渋面は、ただ疲れているんだなと思っていて、恨まれているなどとは知りもしない。

 

 そして南四局オーラスが、いよいよ始まる。

 

 勝負はこの局で、決する。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天に一番近い場所:後編

 最強キャラにありがちなこと:コピー能力

 ただしここの京ちゃんはコピー能力なんて持ってません、たまたま同じ現象が起きてるだけです。


【1】

 南四局オーラス、開始。

 

 ラス親(東家)のチャンピオンは第一打を打ち、局の幕を上げた。

 

 続く南家の京太郎が打ち、下家へ番が回ってくる。そこで下家は、妙な気分に浸っていた。

 

 {12355668②③赤五八西}

 

 ほぼ索子のみの配牌。メンホン、上手く伸ばせばメンチンも見えてくる手。ドラこそないものの、倍満さえ期待出来る。

 

 しかし下家には、それらとは全く別の未来が見えていた。

 

(緑一色が見える……)

 

 役満。ただその仕上がりだけが見えていた。

 

 その絵を完成させようと、彼はごく自然に八萬を切った。

 

 続く対面も、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。

 

 {東東東南南西白發68一九③⑦}

 

 彼もごく自然に、

 

(字一色か、四喜和……)

 

 と考え、まず六索を打った。

 

 間髪入れずにチャンピオンが二つ目の打牌をする。

 

 その次の京太郎の番、彼は中を引いた。それも、白と中がそれぞれ暗刻っている上にである。

 

(来たーッ! 白三枚、中四枚! これはカンせずには――)

 

 と、四枚並んだ中を倒そうと手を伸ばし掛けたところで、突然彼の脳裏で何かが閃き、手が止まった。

 

(いや待てよ……、面白いこと思い付いたぞ! 中が四枚あれば実行出来る、あの幻の技を! どうせオーラスで俺の逆転の目なんて無いんだ、ちょっと遊んだってバチは当たらないだろ)

 

 と考え、彼は手の内にある中牌を持ち、それを力強く河へ、逆さまにした状態で置いた。

 

(中ビーム!)

 

 これがやりかったがために。

 

(説明しよう! 中ビームとは、流し満貫の一種で、超マイナーなローカルルールの一つだよ! 中を河に逆さまに置くことで、『中』の字のあの縦棒の下の尖ったところが対面にビームを放っているみたいなことからそう呼ばれているんだ! その中ビームを一局の中で四回繰り返すと、対面の人から満貫の点棒を貰えるというルールさ!)

 

 麻雀のルール碌に知らないくせに何でそんなくだらないこと知ってんだ。

 

 なお、観客やスタッフ含め、他の者は京太郎がそんなふざけていることなど思いもせず、

 

(須賀は大三元を狙ってはいないのか?)

 

 下家は八索を自模後、打西。

 

(字牌が必要な役満は無し……というわけか)

 

 対面は南牌を引っ張ってきて、打八索。

 

 三巡目。チャンピオンの後、京太郎は自模ってきた牌をほとんど見ずに手牌へ仕舞うと、問答無用で中を切った。

 

(中ビーム!)

 

 外から見れば、卓に肘を突いた辛気臭い猫背の男にしか見えない姿だが、その内ではひょうきんな想念が遊んでいるなどと誰が思おうか。

 

 その次、下家は六索を自模り、二筒を打った。赤五萬には用は無いが、しかし、それだと疑われる。チャンピオンに直撃させたいのなら、それは出来ない。

 

 次の対面は見事に北を引いてきて、打七筒。が、その直後にチャンピオンが西を打った。

 

(最後の西……鳴くか? いや、副露して役満を(ちょく)れる相手じゃない、西は頭としておくか)

 

 鳴きを入れるか迷う対面。

 

(中ビーム!)

 

 で、相変わらずふざけている京太郎。

 

(ふはははは! さあどうする、対面さん! これで三回目の中ビーム、あと一回でお前はお陀仏だ! 頼みの白バリアをしたくても、白牌は既に俺の手の中で暗刻! この最後の中ビームを防ぐ手は、もう無い!)

 

 他の皆が全神経を研ぎ澄まして必死に役を作っている間中ずっとこれ。

 

 しかし、京太郎の中ビームという陰謀は、この巡にて呆気なく崩れ去ることになる。

 

 対面が白を打った。

 

(な、何ィ、は、白だとォ! 馬鹿な!)

 

 そう、中ビームは、四回発動する前に対面が白を捨てていると白バリアが発動し、無効となるのだ。つまり、京太郎が次巡で中ビームを撃ったところで効かないのだ。

 

 要するに馬鹿は京太郎なのである。

 

(ふっ、流石だぜ、対面さん……。俺の中ビームを悟って白を捨てるなんてな……)

 

 心中で京太郎は対面へ敬意を払い、

 

(中ビーム!)

 

 そして最後の中ビームを撃ち果たした。

 

(対面さん、あんたは良い打ち手だよ、あんたとは気が合いそうだ。後でアドレス交換しよ)

 

 で、次の三巡、京太郎は今度は白を三連手出し。

 

(誇ってくれ、対面さん、それが俺への手向けだ……。スカイプとかやってる?)

 

 京太郎による白の暗刻落としには、これを見ていた全ての人間が驚愕していた。

 

(中の槓子落としだけでなく、白の暗刻落としまで……。大三元だって狙えたはずなのに)

 

(やはり白はこいつが暗刻ってやがったか!……)

 

(須賀京太郎……、大分お前の考えていることが読めてきたぞ……)

 

 他三家は各々、得体の知れない恐怖を抱きつつ京太郎を見やっていた。

 

 それは観戦場も同じであった。

 

『須賀選手、中の槓子落としのみならず、白の暗刻落とし! 一体何を狙っているんだ!』

 

『大三元でなく、緑一色、字一色、四喜和、四槓子、四暗刻の線は無いようですね。それと国士無双も無いでしょう。――』

 

 しかし、会場の人々が驚いているのは、京太郎の行動だけではない。最初の配牌は勿論、そこからの各選手の引きの良さもであった。下家は緑一色、対面は四喜和か字一色。それまでの不遇さが嘘みたいに手が、ゆっくりとだが着実に綺麗に揃っていく。

 

「あれって、ひょっとして豊音の……」

 

 元宮守の臼沢塞は、ゾクゾクと身震いしながら、同じく元宮守の仲間に視線を配った。仲間たちはいずれも瞠目して、無言で暗に同意する様子を見せた。

 

「わー、京太郎君、お揃いだねー」

 

 呑気に喜ぶ豊音――あとナマケモノ一匹――を除いて。

 

(大安の能力だけじゃない……、やっぱりあの和了封じにしても。加えて他の能力と併用して、応用を……)

 

 塞をはじめとして、この観戦場に居る何人かが、今自分が何やら勘違いをしていることに気付かず、このような推測を巡らしていた。そうして弥が上に京太郎は過大評価されてゆく。

 

 場は十一巡目を回り、十二巡目に突入した。そこでついに、下家が聴牌をした。

 

 {12234555666888}

 

 ただし、その手は緑一色のものではなかった。

 

 二三四の順子、六と八の暗刻を無事に作ったまでは上手く行った。が、場には既に二索が一枚、三索が三枚、切られていた。ここから緑一色を和了するためには、發か四索の刻子を作れらなければならない。

 

(ここまでか……)

 

 下家はふっと小さく、諦観の溜息を吐く。

 

(この流れで緑一色は打ち止め。四索も發も入ってくることはない……。これが、俺の限界というわけだ)

 

 だが、と彼は他家に目を向ける。

 

(俺の勝負はもう終わっても、他家の――チャンピオンと須賀の勝負は、まだある)

 

 自らに訪れたモノを受け入れて、彼はほのかに微笑を浮かべ、手の中の二索を持ち上げ、

 

「立直」

 

 と宣言して、場に自らのリー棒を供えた。

 

 下家――メンチン、高め三暗刻。一 - 四索ノベタン、三 - 六索両面、カン五索の五面張。三、六索は既に空、赤五索に至っては早い内からチャンピオンに捨てられたため、実質一 - 四索ノベタン待ちの三暗刻確定。倍満手を聴牌。

 

 他方、対面もまた同様の状態であった。

 

 {東東東南南西西北北一一九九發}

 

 彼はクツクツと笑っていた。

 

(なるほどな。命を磨け、か……。確かに、役満までは行かなかったが、なかなか可愛いのが出来上がった。そっちの言う通りだったな、対面さんよ……)

 

 左端にある東の暗刻の中の一つを右端に移動させる。

 

(ドラ表示牌は九筒か……、せめて八萬か九萬だったら、もっと伸びてたんだがな。ツモと、裏ドラによっては――いや、詮無いことだな。今はとりあえず――)

 

「立直!」

 

 清々しく彼は立直を宣言し、下家に合わせて場にまた一本、リー棒を捧げた。

 

(見さしてもらうよ、そっちの命ってやつを……。だからチャンピオンさんよ、つまらねえ放銃はするなよ)

 

 対面――メンホン、混老頭、七対子、發単騎待ち。倍満手、聴牌。

 

 これにて場に二本のリー棒が出、チャンピオンと須賀京太郎の――

 

(俺とお前の一騎打ちだな、須賀京太郎……。そして――ありがとう、こんな場を立ててくれて)

 

 胸の内でチャンピオンは二人に謝辞を述べ、最後に残った二索を切った。

 

(彼ら二人はいずれも倍満手。役満手だったとしても、差し込んだところで俺のトップは変わらない。だが、俺はもう逃げない……)

 

 次、十三巡目、チャンピオンは發を自模。それは既に持っていた發の対子と重なった。彼の頭の中で、この發に対して激しい危険信号が出ていた。

 

(もし須賀京太郎が大三元を追っていたら、彼は間違いなく終わっていた。本当に恐れ入った、人間の勘を超えている……、しみじみ思うよ。して、彼の手牌には大三元も国士も、ましてや字一色も無しで、四暗刻が無ければ四槓子も無し。緑一色は先ほどまで対面【京太郎の下家】が、四喜和は上家【京太郎の対面】が作っていた。捨牌からして、彼の手は筒子の染め手で、その系統の役満と言えば――)

 

 筒子の九蓮宝燈――通称、天衣無縫。

 

 チャンピオンは自分の手を再び見る。今彼の手には、一索と四索、發の暗刻があり、これらは他二家の当たり牌なのは間違いないとは読み抜いている。無論切る気は無いが、しかし後には筒子しかない。もしこれらいずれかの中にある当たり牌を切ってしまえば、京太郎の役満への振り込みとして、捲られて終わる。

 

(俺は必ずこの手を仕上げ、須賀京太郎を倒す! そして名実共に須賀京太郎に勝利したという看板を背負って凱旋する!)

 

 目下彼は、完璧な勝利を求めている。須賀京太郎という大いなる敵に、ただ純粋に勝ちたい一心で。その確かな意志を以って、手の中から筒子を一枚、強く卓に打ち付けた。全身がピリピリとひりつき、早鐘を打つ心臓に全身の血管がビクついているのを、感じながら。

 

 次の十四巡目でも、筒子の有効牌を得た彼は、前巡と同じように浮いた筒子を打ち付ける。前の時より、一際強く心臓脈打ち、

 

(まるで身体の至る所で小さな爆発が起きてるみたいだ)

 

 そして十五巡目、彼の手についに聴牌が訪れた。

 

 {赤⑤赤⑤⑤111444發發發②⑧}

 

 四暗刻単騎。

 

 ここに至り、チャンピオンの胸中は一周回って平静となっていた。

 

(後は天運に任せるのみ)

 

 と、悟りめいた想念を浮かべ、手牌右端にある二筒と八筒を小手返しでいじる。

 

 須臾にして、彼は二筒をやおら持ち上げた。

 

(八筒は、今俺が持っているのを除いて一枚も場に出ていない……、対して二筒は既に二枚も場に出ている。これでいいだろう)

 

「通らば――」

 

 その手付きに躊躇はあまり看取されないが、けれど彼はこの理屈に確信を抱いているわけではない。飽くまで、この二枚の内どちらを打つかをさっさと選ぶための方便である。何故なら、彼はもう、この一打は天運に任せているからである。

 

「――立直ッ!」

 

 甲高い音を立てて、チャンピオンの手によって二筒が河へ叩き付けられた。

 

 チャンピオン、八筒単騎待ち聴牌。

 

 この音を皮切りに、刹那の間だけこの場から音が消えた。

 

 この勝負を見守る者、誰もが固唾を飲んで見つめていた。

 

 須賀京太郎は、俯いたまま。その打牌を前にしても、何も反応を示さなかった……。

 

(通った……)

 

 誰もが心の中に、この言葉を見出した。それが意味することは、めいめい違う。ある者は歓喜を、またある者は落胆を、そこに含ませていた。

 

 皆が思った通り、京太郎は山から牌を持ってきて、そのまま自模切りした。

 

 観戦場では、完全に京太郎の敗北、チャンピオンの勝利の空気が入り混じり、流れていた。宮永咲はそのさなか、呆然と画面を見つめ、はらはらと涙を流していた。

 

「京ちゃん……」

 

 悲しみの泣きの声に喉を詰まらせながら、彼女は辛うじて名前を呼んだ。もう会えない大切な人を名残惜しむように。

 

 彼女だけではない。清澄の面々もそうだ。いずれも口を半開きにし、顔を青ざめさせて、言葉にならない声を漏らしていた。

 

 京太郎の勝利を信じて疑わなかった、衣や透華の龍門渕、ネリーをはじめとした臨海のメンバー。京太郎へ畏怖の念さえ覚えていた元宮守の面々。白糸台の照、菫、それと画面越しに喝を飛ばしていた淡でさえ、眼前の映像にある光景が信じられないという顔で、言葉を失っていた。

 

 十六巡目。

 

 チャンピオンが引いたのは五筒。四枚目の五筒だった。

 

 この牌を引いてきたチャンピオンは、少しだけだが、笑った。

 

「須賀京太郎、お前の待ちを当ててやる。――ずばり、五筒……だろう? おそらく八筒も当たり牌……」

 

 チャンピオンは喜びの声を上げたい気持ちを抑え付け、

 

「カンっ!」

 

 声を張り、その四枚の五筒を倒し、これを槓子として卓の右端に飛ばした。

 

(勝った……、勝ったんだ!……。俺はこの男に……須賀京太郎という強者に勝ったんだっ!)

 

 彼は自身の勝ちを確定的なものとして、嬉しさに笑みが堪え切れなくなっていった。緊張から解放され、気の緩んだ笑み。

 

 そのチャンピオンの読み通り、京太郎の手牌は、

 

 {①①①②③④⑥⑦⑦⑧⑨⑨⑨}

 

 五 - 八、七筒変則三面待ち(七筒は二枚捨てられ既に空)となっていた。

 

(あ、本当だ、九蓮ばっか意識してたから気付かなかったけど八筒でも和了れるな、これ。いやあ、これも中ビームで遊んでたお陰だな! 遊ぶのに夢中で途中まで気付かなかったけど!)

 

 という京太郎のさっぱりした内心を知らないまま、下家は諦めの様子で、自分の目前の王牌山の新ドラを捲って――仰天した。

 

 新ドラ表示牌は八筒――新ドラは九筒ということになる。

 

 えっ……と京太郎以外の三家が口を揃えて漏らした。その直後に、チャンピオンがはっとなって、おずおずと嶺上牌に手を伸ばし、牌の顔を指で隠しつつ一枚を持ってくる。それから指をよけ、露わになった牌の顔を見て、彼は息を詰まらせた。

 

 持ってきたのは一筒だった。

 

 チャンピオンは戦慄にその手が震えそうになるも、辛うじて堪える。

 

(まだこれが彼の当たり牌と決まったわけじゃない……)

 

 彼の考える通り、最早これは危険牌ではないはずである。京太郎の当たり牌は五筒と八筒。一筒はせいぜい槓材でしかない。これで京太郎が大明槓をしたとして、そこから嶺上牌から、京太郎に残された当たり牌八筒を持ってくることなどあり得ない。

 

(立直した以上、切るしかないんだ……)

 

 自分の最後の天運に縋り、渾身の力を込めて彼はその一筒を打った。

 

 京太郎は打ちだされたそれをジロリと横目で見て、

 

「カン」

 

(九蓮が無いなら、もういいよな……。物足りないんだ、やっぱ。鳴きの無い麻雀なんて……お魚抜きの海鮮丼だよッ!)

 

 手牌から一筒を三枚倒して手前の枠に寄せ、たった今上家のチャンピオンが切り出した一筒を手に取る。手に取ったこれを、手首を反らして反動を付け、三枚の一筒にぶつける。

 

 四枚の連なった牌が翔けてゆき、パチッと音を立てて槓子は卓の枠の角にぶち当たって揃った。ユリア樹脂の滑らかな牌肌が、天井にある照明の眩い光を反射させ、一瞬煌めいた。

 

「今のは……」

 

 下家が怪訝そうに目を擦って再度その槓子を見た。

 

「今、牌が……」

 

 対面が驚嘆した。

 

「牌が……閃光(ひか)った……」

 

 呆然とチャンピオンが呟いた。

 

 俄かに観戦場はどよめいていた。京太郎が負けたとそれまで消沈していた者たちが、首をもたげていた。

 

 えっ……。

 

 まさか……。

 

 もしかして……。

 

『天衣無縫は天の産物、人の手で仕上げられる代物じゃない』

 

 画面の中の京太郎は嶺上牌を一つ取り、自分の眼前の額辺りまで持ってきながらそう言った。牌の顔はカメラの死角に入っているのか、確認は出来ない。

 

「来る……」

 

 突如咲は立ち上がって身を乗り出した。清澄の仲間たちも、目を見開いて画面を食い入るように見つめて、咲の行動を訝まずにいた。彼女の他にも、会場のあちこちで、京太郎の大明槓に何かを感じ取った者が立ち上がって画面に釘付けになっていた。燻っていた雰囲気は再び燃え上がりつつあった。皆、半信半疑ながらも、どこかでこれからへの予感に期待して。

 

「来る……、来るっ……。ああ、京ちゃん……」

 

 咲は新たにその目から感涙迸らせた。

 

 ずっと居ないと思っていた。消えたまま、もう見えなくなってしまうのかと思っていた。でも違った。

 

「ずっとそこに居たんだね!……」

 

 映像の中、京太郎はその手に持った牌を手牌の前に叩き付け、

 

『ツモ、嶺上開花』

 

 人差し指の背でなぞるように倒牌し、これを晒す。

 

 {②③④⑥⑦⑦⑧⑨⑨⑨} {横①①①①} ツモ{⑧} ドラ表示{⑨⑧} → ドラ{①⑨}

 

 清一色、嶺上開花、そしてドラ七……数え役満。チャンピオンに大明槓責任払い直撃。場に出たリー棒三本含め――

 

【結果】

 

 トップ、須賀京太郎――四六〇〇〇点

 

 二着、チャンピオン――四三三〇〇点

 

 三着、対面――七〇〇〇点

 

 ラス、下家――三七〇〇点

 

 以上。

 

 これらの結果が画面に反映されると、観戦場からは溢れ出さんばかりの歓声がワッと一斉に上がった。

 

 全員、興奮に力いっぱい叫び声を上げ、隣り合った者と肩を組んだり抱き合ったり、或いは飛び跳ねたり足踏みをしたりして地面を踏み鳴らし、一様に盛り上がっていた。

 

 清澄の面々も例外ではなく、周囲に負けず劣らずはしゃいでいた。

 

「こうしちゃいられないじょ!」

 

 そう言って優希が一目散に部屋を出ると、その後に続くように他にも何人かが駆け出していった。どの者も、京太郎を迎えに行こうということらしいのは分かるだろう。

 

 で、対局室。

 

「終わったな」

 

 和了を見せるや否や、京太郎はそれだけ言って席を立った。歩き出しながらポケットからチョコレートシガレットを取り出して一本口に咥える。

 

 そこへ、

 

「なあ、対面さん」

 

 声を掛けたのは対面の人であった。

 

 呼ばれて足を止めた京太郎は、半身だけ振り返る。

 

「そう言えばそっちは、あの女子の部の宮永咲のことで……、あー……、ちょっとした話し合いをチャンピオンさんとしに来たんだったよな」

 

 歯切れ悪そうに口を開いた。こういう暑苦しい話は得意ではないらしい。

 

「そっちは、あの宮永咲って娘をどう思ってるんだ。そりゃあ、今の対局を通して、そっちがあの娘が大切だってのは伝わったけど、けど何だかよく分かんなくてな」

 

 要領を得ない問いだが、要するに彼は、お前は本当に咲が好きなのか、どれくらい好きなのか、という単純なことを訊きたいのである。ごく当たり前で、わざわざ訊くことでもない質問だ。どうして対面はこんなことを訊くのかというと、当然、疑問だからである。

 

 どうして彼がそう思ったのかは、京太郎の本意を考慮すれば分かることだろう。

 

 京太郎は今回、幼馴染の咲の未来の彼氏さんを見極めるための面接をしに来たつもりなのはご存知だろう。そういったことから、チャンピオンと咲を取り合うつもりで対局に臨んだわけではないことになる。

 

 対面は、そういった京太郎の本意を敏感に感じ取って、京太郎が咲をどれくらい思っているかに疑問を抱いたのであった。

 

 その対面の問いに京太郎は、

 

(ううむ、対面さんは、俺が咲に過保護なんじゃないかと苦言を言いたいんだな。だからあんなに言いづらそうに尋ねてきたんだ。そりゃあそうだよな、本当だったら咲が自分で考えなきゃいけないことなのに、俺が出しゃばっちゃいけないよな……)

 

 少しの間気落ちしたのち、

 

「はっきり言って、咲はポンコツだ、下手なとこに行くと他人様に苦労を掛けることになる。だがあいつは、俺には迷惑を掛けたっていいんだ。あいつは、母親と父親、それと姉の照さんの他には、俺ぐらいには迷惑を掛けてもいいんだ。尤も、その代わりあいつにも少しは俺のワガママを聞いてもらうけどな」

 

 と反論した。

 

(それが兄――家族ってもんだからな)

 

 この時の京太郎の顔は、対局が終わるに伴って圧迫麻雀面接は終了としたからか、もう哭きの京――もとい圧迫面接官としての顔ではなかった。一人の青年としての、毒の無い表情。

 

 席に着いたままの三家は、それに目を丸くした。

 

 語り終えると、もう言うことは言ったとばかりに、京太郎は速足で退室した。

 

 京太郎からの回答に、対面は満足した様子で椅子の背もたれに身を預けて、

 

「聞いたかよ、チャンピオンさん。こりゃあ、そっちの完敗だな」

 

 揶揄するというよりは、慰めている風に言った。

 

 言われた当のチャンピオンには、表情の変化はあまり見られなかった。口角だけを上げた、微笑みに近い中立の面持ちで、そっと自分の手牌を倒した。

 

 {111444發發發⑧} {裏赤⑤⑤裏}

 

「四暗刻、八筒単騎待ち……、やっぱり俺たちの当たり牌を使い切ってたんだな。凄いな、あんた、本当、麻雀やるのが嫌になってくるよ。それを軽く飛び越えた須賀も大概だけど」

 

 下家も同じように手牌を見せる。それから対面にも目配せをして、対面も素直に手牌を見せた。

 

 下家の一 - 四索ノベタン(三 - 六、五索待ちは空)待ち。対面の發単騎待ち。京太郎の高め九蓮宝燈の五 - 八、七筒変則三面待ち(七筒は既に空)。全部止めていたのだ。

 

「うっわ、分かってはいたけどえげつねえな。こりゃ立直するわな……」

 

 対面が驚愕を禁じ得なかった。

 

「道理で場に八筒が一枚も出ないわけだな。チャンピオンに一枚、須賀に一枚、それと新ドラ表示牌に一枚で、最後に嶺上牌に一枚……。あんたが五筒を暗槓したばかりにそれを掘り当てられてしまい、嶺上牌にあった一筒を掴まされてしまったわけだが、かと言ってそのまま五筒を切れば九蓮への振り込み……」

 

 下家の解説に、チャンピオンが乾いた笑いを上げた。

 

「ははは……。詰み、だったわけか。確かにこれは完敗だ。何だか自分が恥ずかしくなってきたよ……」

 

 彼は顔に手を当てて俯いた。

 

「俺は思い上がっていたんだ……。須賀京太郎なんていう得体の知れない男、宮永さんにはふさわしくない、だから俺が彼女を守らなくては、と。邪竜から姫を奪還しようとする騎士でも気取ってたのかな。……でも本当は羨ましかったんだ、嫉妬していたんだ」

 

 ごく自然に一緒に居て、仲睦まじく並び歩く二人。時々片方が離れていくけど、残された片割れは相手の意思を尊重して、その後また元に戻っていく。一方的な奉仕ではなく、お互いにもたれ合っていく。相手の重さを半分負いながら、自身の重さを相手に支えてもらう。

 

 夫婦のようなそんな関係……。

 

「応龍は人を殺めたばかりに天に昇れなくなり、その後南方の地に身を潜めたという話がある。彼は邪竜なんかじゃない、不躾に触れてはならぬ聖獣だったのさ。まったくお笑い草だ。所詮俺は、垂れてきた蜘蛛の糸を手繰って天上の高嶺へ登ろうとして、途中で糸が切れて地獄へ落とされたカンダタだったんだ……」

 

 話せば話すほど卑屈になっていくチャンピオンの顔は、勝負の締め付けから解放されたことで噴き出した汗でべったりと濡れていた。

 

「まあ待ちなよ」

 

 そんな卑屈な彼を、対面がたしなめた。

 

「チャンピオンさんは立派な勝負師だよ。だってそっちは、須賀さんに完全に勝ちたくて、逃げるなんて真似しなかったんだろ、恐れ入るよ。そんな卑屈になられたら、そっちに負けてきた連中、例えば俺の先輩の立つ瀬がねえよ。俺が期待し過ぎちまって、最後の試合の直後では碌に俺に顔を合わせてくれなくなっちまった、尊敬する先輩がな……」

 

 そうだよ、と下家が同意した。

 

「あんたは凄い奴さ。結局俺は三年間負けっぱなしだった。でも楽しかったよ、あんたとは。あんたがカンダタなら、俺たちなんか糸に群がる有象無象の亡者だよ」

 

 そうして笑い掛ける二人に、チャンピオンは項垂れながら微笑むと、そのまま動かなくなった。

 

「おい、チャンピオンさん、ここで寝ちゃ駄目だぜ」

 

 苦笑しながら対面が、そのチャンピオンの肩を叩いた。だがチャンピオンは、意識を無いように無反応だった。これを怪訝に思った対面は、より強くチャンピオンを揺すった。

 

「おい、チャンピオンさん? おい……。おいっ……、おいっ!」

 

 他方、部屋を出た須賀京太郎は、恥ずかしそうに俯いて早歩きをしていた。

 

(あああああ! 恥っずかしいこと言っちゃった! シスコンみたいに思われたりしてないかな……、ドン引きされてないかな……。いや、それだけじゃない。天衣無縫は人の手で作れないって何だよ! 九蓮宝燈和了れなかった負け惜しみで格好付けてどうすんだよ! 和了れたけど、結局勝てなかったわけじゃん? しまらないなぁ……)

 

 歩みを速めるに連れて彼の中の羞恥心は大きくなってゆき、それがピークになったところで、ダンッと大きな地団太を踏んだ。それから一呼吸置いて、深く嘆息した。

 

(まあ、それでも二着だから良いか……。いや、俺がやってきたことなんて、ふざけながら運だけで勝利を重ねただけだし、真面目に研鑽してきた人に申し訳なくて手放しに喜べないけど。それに、最後に一回鳴けたしね。それで、さっきの和了りは何だろう……。清一色と嶺上開花だから……六翻と一翻で、えーっと……、うーん……、跳満の三〇〇〇・六〇〇〇かな?)

 

 京太郎、清一色の喰い下がり(五翻)と大明槓責任払いを失念、しかもモロ乗りしているドラ七に気付いてない。あと自分がトップなのも知らない。インターハイ優勝しても初心者なのは相変わらず。

 

「ん……」

 

 ふと遠くのほうで、どやどやと大群の足音がしたので、顔を上げる。見れば、京太郎のほうに向かって大勢の人たちが走り寄ってきているではないか。

 

 えっ、と京太郎が呆気に取られていると、その先頭を走っていた優希が迫ってきて、

 

「京太郎ー!」

 

 と大声で呼びながら京太郎の胴に抱き付いてきた。呆けていた京太郎は、急に来たその勢いによろめいた。

 

「優希?」

 

 我に返って状況を把握しようとする京太郎。しかし理解が追い付く前に、

 

「きょうたろー!」

 

 衣が、

 

「キョウタロー!」

 

 ネリーが続け様に京太郎の腰に抱き付いてきたのである。

 

 勿論、これで終わりではない。こんな状況で京太郎に更に抱き付いてくるようなやんちゃな奴と言えば……。

 

「キョータロー!」

 

 淡だ。凄まじい助走をつけて淡が飛び付いてきたのだ。

 

 しかも彼女は、前の小柄な三人に比べて大きく、それが飛んで京太郎の首に組み付いてきたものだから、彼も堪らず倒れた。いくら彼女らが小柄で、京太郎が体格に恵まれていると言えど、三人に組み付かれれば支えがたいもの。その上に淡が来たのだから無理もない。

 

「よくやったじょ、犬! 京太郎は犬の中の犬だじょ!」

 

「大儀であったぞ、きょうたろー!」

 

「やっぱりキョウタロウは最高のエンターテイナーだよ! これからもそれで売り出してこうね!」

 

「もー、本気で負けたかと思った! フェイントなんてヒキョーだよ、ヒキョー! ずっこい!」

 

 京太郎に顔を擦りつけながら、口々に彼への賞賛を送る少女たち。

 

 しかし波はこれだけではなかった。

 

「京太郎くーん!」

 

 と、京太郎を、引っ付いている優希、衣、ネリー、それと淡諸共持ち上げたのは大柄な少女。豊音の仕業であった。

 

「おめでとー、おめでとーっ! 本当に良かったよーっ! もうダメかと思ったよーっ!」

 

 彼女は嬉し涙を流して京太郎への祝福を贈った。京太郎たちを抱き上げたまま、ブンブンと右へ左へ振り回した。一緒に振り回される彼女らは、キャーキャーと童女みたいに喜び叫んだ。

 

(随分と大げさだなぁ……、二着なのに。でも、去年と比べれば大躍進だし、むべなるかな)

 

 面映ゆそうに京太郎はふっと笑い、自分を抱き上げている豊音の頭を撫でてやった。そうしてやると豊音は振り回すのを止めて、はにかんで、それから京太郎たちを降ろした。

 

 それから、引き続き京太郎に抱き付いていた少女らも、一人一人撫でてやった。特に淡に対しては、手のひらを大きく開いてワッシワッシと撫で繰り回してやる。ブーブーと文句を垂れながら、しかし彼女は楽しそうだった。

 

 自らを取り巻く人だかりに京太郎は目を配る。知らない顔も多いが、人と人の隙間から知ってる顔がちらほらと見えた。いずれも京太郎に向かって笑い掛けながら手を振ったり、喧騒に乗せて思い思いの賞賛の気持ちを叫んでいたりした。

 

「ところで、咲は」

 

 そう言えば咲が居ない。

 

 ここに居ないはずがなかった。京太郎は咲に、あの対局で答えを見せてやると約束したのだから。

 

(大方、この人だかりにまごついてるんだろう。ここを抜け出して、後ろのほうへ行けば居るだろ)

 

 と考え、京太郎は人ごみを掻き分けて進んでいく。しかし、後ろのほうまで来ても咲は見つからなかった。もう一度後ろを見て、今度は人ごみの中に咲が紛れ込んでいないか確認するが、見つからない。はて、と首を傾げた。

 

「咲ならちょっとお色直ししてるわよ、泣き過ぎて顔を見せられないって」

 

 声を掛けてきたのは久だった。

 

「ああ、先輩。へえ、あいつがお色直し? 珍しいこともあったもんだ」

 

「ええ、あなたのせいでね……」

 

 ふふふ、と彼女は忍び笑いをした。

 

「案内するわ、ついて来て」

 

 と先導する彼女に京太郎は従う。

 

 道中、何故だか会話は無かった。久のほうから言ってくることは無かったし、京太郎が話し掛けても相槌を打つばかり。少し気まずい。

 

「この先に居るわ。じゃ、私は他にやることがあるから……」

 

 それだけ残してさっさと彼女は行ってしまった。引き止める間もなく。京太郎は疑問には思ったが、しかし今は咲のことを優先しておこうと思い直し、先へ進んでいく。

 

 それを背に、久は速足にひと気のない場所に足を運び、そこで目を閉じ深く息を吐いた。

 

「これで、良かったんかのう」

 

 いつの間にか追いついてきたまこが、久の背後で呟いた。

 

「良いに決まってるでしょ……」

 

 本当にそう思っているとは思えないような、重く低い声で久は言った。気圧されてまこは何も言葉を掛けてやれないでいた。

 

 けど、

 

「本当に思ってる?」

 

 そんな言問を投げ掛けたのは、風越の元キャプテン福路美穂子であった。

 

「美穂子……」

 

「久自身は、どう思ってるの」

 

「言う必要なんてある? 私の気持ちなんて美穂子なんかに――」

 

「痛いほど分かるわ……」

 

 真っ直ぐ見据えて言い切った美穂子に、久はこわごわと視線を寄越した。彼女

 

 の様子を見た久は、それから苦々しげに沈黙をしたのち、重い口を開いて、

 

「本心で……、別の結果が出たらって、思ってた。心の奥深くのどこかで、須賀君が負けてくれればって思ってたのかも……。美穂子なら、どうしてた?」

 

「きっと、久と同じことを考えて、同じことをしてた」

 

「そう……。なら、いい」

 

 これも一つの道だった。

 

「じゃあ、私はこれからやることがあるから」

 

 目を潤ませた久が声を震わせながら言った。

 

「やること?」

 

 わざとらしく訊いて美穂子は久の前まで近寄る。

 

「……泣く」

 

 久は美穂子の背に腕を回すと、その胸に顔をうずめてすすり泣き出した。これを受けた美穂子は、無表情ながら慈しむ顔でこれを包み込んでやり、頭を撫でてやった。

 

 その間、京太郎は咲と相対していた。

 

「よう」

 

「あ、京ちゃん、おめでとう……」

 

 どこかにある木の下で座り込んでいた咲は、声を掛けてきた京太郎に一瞬目を合わせるも、すぐに顔を赤らめて顔伏せてしまった。

 

「これで京ちゃんも、胸を張れるね」

 

「そいつはどうかな。所詮俺は運だけのボンクラ雀士だ」

 

 惚けた調子で京太郎は一部否定した。

 

「運も実力の内って言うでしょ」

 

「そりゃあな。だが運に頼り過ぎもどうかと思うんだよ。能は運に恵まれなけりゃ無用の長物だが、反面、運があっても活かす能が無けりゃあぶく銭にしかならないし不安定だ。そんな砂上の楼閣は御免だね。お前らに今までさんざん点棒毟り取られたんだから、嫌でも分かるよ」

 

 当てつけ気味に言う京太郎に、咲は困ったような笑いを浮かべた。

 

「んで、咲、お前の答えは出せたか?」

 

「えへへ、勿論だよ。京ちゃんが出してくれた答えでね」

 

「そりゃ良かった。なら、今すぐ圧迫麻雀面接の打ち合わせを……」

 

「何それ、圧迫麻雀面接って……」

 

 唐突に言われた訳の分からない単語に咲は怪訝な顔で小首を傾げた。

 

「圧迫麻雀面接は圧迫麻雀面接だろ。お前の父さん母さん、それに照さんと麻雀を通して面接をするんだ」

 

 自信満々に京太郎は答えた。

 

「そんなことするの? 必要あるのかな……」

 

「あるだろ、本人(チャンピオン)が必要って言ってんだから」

 

「まあ本人(京ちゃん)がそう言うんなら、止めないけど……」

 

 呆れた、諦めた様子で咲はひとまず納得することとした。

 

 気を取り直して咲は、立ち上がって京太郎の前に立つ。今の会話で多少は緊張が和らいだらしく、まだ顔は赤いままではあるものの、相手を見ることは出来ている。

 

 もじもじと咲は、ちらちらと京太郎を見てはまた別の方に目を泳がせることを繰り返す。そののち、子供が照れ隠しで相手に当たり散らすのと同じような具合に、そこから京太郎に思いっきり抱き付いた。

 

 いきなりのことで、京太郎は面喰った。

 

「どうしたお姫様よ、今日はやけに甘えん坊だな。そんなんじゃいつまで経ってもポンコツのままだぞ、一生俺の世話になる気か」

 

「別にいいもーん」

 

 京太郎の胸に顔をうずめたまま、くぐもった声で咲は明朗に言ってから、

 

「だって、京ちゃんになら迷惑掛けたっていいんでしょ?」

 

 と、目だけをそこから覗かせて結んだ。

 

「……そう言や聞かれてたんだったな、あの対局、カメラ越しに」

 

 今度は京太郎がバツが悪そうに笑う番だった。

 

(咲の兄離れは当分先かね。けど、これも良いって思ってる自分が居る……。俺ってつくづく咲には甘いよな、これじゃ咲のこと言えないぜ……)

 

 京太郎はじゃれついてくる咲を受容して、彼女の頭を、彼女が満足するまでずっと撫でてやるのだった。

 

 そんな様を覗いている者が何人か居た。

 

 それは、二人からは見えない、建物の角からである。その角からは、何やらツノのようなものが飛び出ていた。

 

「おいっ、ツノが飛び出てるぞ。さっさと引っ込ませろ」

 

 と、そのツノの主の頭を手で押さえ付けて引っ込めさせるのは、彼女に同行していた弘世菫であった。当然、この二人が居るなら、淡もここに居る。

 

「痛っ、痛い! 痛いんだよ、刺さってる! どうにかしろ、そのツノ、髪の毛の硬度じゃないぞ!」

 

「ツノじゃなくてチャームポイントね」

 

 自身の髪の毛の尖った所を摘まみながら、むっと照は唇を尖らせて言った。

 

「ちなみに淡ちゃんのチャームポイントは、キョータローが言うにはこのラーメンみたいな髪の毛なんだって!」

 

 キャピッという感じに、目元でピースサインを作り、キラキラと輝くように淡がポーズを決めた。

 

「お前はどうしてそれを誉め言葉だと思ったんだ、どう考えてもおちょくられてるだろ」

 

「え、だって京太郎が、これは誉め言葉だって言ってたし。髪の毛は女の命とも言ってたし」

 

「それだけで言いくるめられたのか……」

 

 まあこのアホは置いといて、と菫は切り替えることにした。

 

「咲は幸せ者だよね」

 

 不意に照がそんなことを口にした。

 

「ちょっとだけ羨ましかった。私が初めて京ちゃんを見たのは、咲が京ちゃんと一緒に遊んでる時。その時から京ちゃんは世話焼きで、当時から羨ましいって思ってた」

 

 だから、と照は菫を見て、

 

「菫が居てくれたのは嬉しかった。今までありがとう、あとこれからもよろしく」

 

 恥ずかしげもなく言って微笑んだ。

 

 菫はこれにふっと笑い、

 

「出来ればお前も須賀君に押し付けたいところだよ、私は。いっそお前も貰ってくれるよう須賀君に打診してみるか……」

 

 もう関わりたくないという感じに引きつった顔で言った。

 

「えー、テルーだけずるーい! 私も、私も!」

 

「淡も? ……いいんじゃないかな。菫も一緒にどう?」

 

「そうかそうか、つまりお前は私を逃す気はないんだな……」

 

 大して考え込まずに淡の要望を聞き、あまつさえ菫まで誘ってくる照に、もう何も言うまいと菫は諦観の溜息を吐いた。

 

「でもその前に……、先に京ちゃんの圧迫麻雀面接も済ませないと」

 

「え、本気でやるのか?……」

 

「だって京ちゃんがそうしたいって言うなら、その心意気を尊重しないと。それに新しい技を試したい。名付けて『連続和了・最終爆弾』……京ちゃんが見せてくれたあれ」

 

 ビシッと人差し指を立てて照は意気揚々と語った。

 

「あれを逆輸入? もっと実用性のあるのを使ったらどうなんだ」

 

 と菫がたしなめるも、照は耳を傾けず、

 

「こうしちゃ居られない、圧迫麻雀面接の日に備えてシュークリームとお茶を選定しておかなきゃ。京ちゃんはコーヒー派かな? それとも紅茶派?」

 

「待て、圧迫面接するのにシュークリームまで持ち込む気か。それもう圧迫面接じゃないだろ」

 

「良いなー、良いなー、私も一緒にシュークリーム食べながら打ちたい!」

 

 淡は、照の服を掴んで揺すった。

 

「淡も? いいよ、一緒に食べて打とう」

 

「わーい!」

 

「おい、もう何が何だか……」

 

「菫も一緒にどう?」

 

「面接をするんだよな? お茶会を開くわけじゃないよな?」

 

 弘世菫の苦労は絶えない。彼女は一生、この二人に悩まされ続けるのかもしれない。

 

【2】

「もう麻雀は懲り懲りだ……」

 

 陰鬱な顔で廊下を歩きながらでぼやく俺、須賀京太郎。

 

 近頃、麻雀を打てば打つほど、勝てば勝つほど変なことに巻き込まれている気がする。変な雀士に絡まれるわ、ホモのヤーサンに絡まれるわ、散々なもんだ。だからもう嫌気がさしたのだ。

 

 けれど、今更やめられない。麻雀自体には嫌気がさしているが、麻雀部という所は、とても居心地が良い。

 

 咲、和、優希、まこ部長。清澄の麻雀部の他にも、多くの麻雀の友人が居ては、麻雀をやめるには未練が多い。

 

 ふっと笑って俺は教室の扉を開いた。すると、なんかクラスの皆が一斉に俺の方を見て、ニヤニヤと笑い出したのだ。

 

(いや、思えば、廊下を歩いている時だって変な視線は感じていたような……)

 

 俺が物思いに耽っていると、クラスメイトの一人が俺の腕を掴んで、ある席の所まで引っ張ったのである。そのクラスメイトは、そこの机に置いてある雑誌の、あるページを開いて俺に渡してきた。

 

 で、そのページの記事のタイトルにはこう書かれていた。

 

『インターハイ新チャンピオン須賀京太郎選手、宮永咲を取り合い前チャンピオンと激闘の末、公開プロポーズ!!』

 

 その記事の写真には、俺と咲が映っていた。しかも抱き合っている姿で。

 

「おおん!?」




 ひとまず、一番書きたい話を書いたということで、このSSは完結と設定します。

 が、他にも書きたいエピソードはあるので、完結後も投稿します。その時は、ねこです、よろしくおねがいします。

 と思ったけど短編だと完結の項目が無いんですね……。まあこれからも、ねこですがよろしくおねがいします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ありえない手筋で全国選手をフルボッコしてみた:表編

 本場数の分を点数に付けるの忘れたために、点数調整、並びに構成を書き直すはめになりました(半ギレ)。つい最近まで、本場数分の点数は子の和了時のみ付加されると勘違いしていたせいですね。早くリアル麻雀仲間が欲しい(アラ女並感)。


 全国高校男子麻雀個人戦、中盤。序盤の東風戦を勝ち抜いた須賀京太郎が臨む最初の対局。

 

 この対局には多くの者が注目している。何故かと言うと、女子の部での一昨年から去年までの個人戦三連覇チャンピオンの宮永照を筆頭とした、大星淡、天江衣、神代小蒔の四人――通称『天照大神』、またの名を『牌に愛された子』をはじめ、そのほか名だたる選手らが彼の対局に注目している旨を発言しているからである。

 

 これに、女子の部目当てで観戦しに来た人々、果てはマスコミまで須賀京太郎の対局に注目しだしたのだが、結果は……

 

「ロンッ! 二九〇〇は三五〇〇!」

 

 東三局、連荘による二本場。怒鳴るように和了宣言したのは京太郎の上家。振り込んだのは京太郎のほうである。

 

 ここまで京太郎は一度も和了をしていない、所謂焼き鳥(大会に焼き鳥の罰則は無し)というやつである。今のを除いて、これまでに放銃こそしていないが、しかし他の選手が自模和了りをしてきた被害により、現在ハコテン間近の二五〇〇になっている。

 

 観戦者たちは皆一様に落胆の表情を隠せないでいる。あの宮永照たちが注目する選手と聞いて、女子麻雀より地味な男子麻雀をわざわざ観に来たというのに、こうして展開されたのは、満貫以下の和了でチクチクと連荘するだけの、何とも味気ない対局。

 

 苛立ちさえ覚える者も居る。そうして一人、また一人と席を立っていく。彼らはいずれも京太郎の対局に興味が湧いただけで、元より男子麻雀に興味のない観戦者だ、これ以上ここに居る理由は無い。

 

 照と菫の元白糸台は、残る側であった。彼女らを含む幾人かの大物が未だに彼の対局を見続けていることが、減りゆく観客の一部をその場に繋ぎ止めていた。

 

「あのー、宮永照さん、ですよね?」

 

 彼女に声を掛けたのは、三十代前後くらいの男であった。社会に揉まれてすっかりすれっからした感じの、草臥れた風采の男だ。

 

 手にメモとペンを持っているあたり、記者なのだろう。妙に恭しい態度の、相手の顔色を窺うような笑顔、いやらしささえ感じさせる笑顔。

 

「ええ、はい、何でしょう」

 

 照の態度は実に堂に入っている。こういった手合いの対応は慣れたものだ。菫は、嫌悪の顔はせずとも、良い顔は出来ないでいる。

 

「ええ、私、こういった者なのですけれど」

 

 と男が名刺を差し出してくる。やはり記者のようだ。それも、聞いたことのない名前の雑誌を発刊している所らしい。ゴシップを載せる雑誌であることが分かる。

 

「それで、ですね。あなたがインタビューでおっしゃっていた、今注目している選手の一人である須賀京太郎さんなのですが、彼とあなたはどういった関係なのでしょう」

 

 男は慇懃に訊いた。オブラートに包んではいるが、下世話な意図があるのは容易く察せる。菫はいよいよ顔をしかめた。

 

 照とて相手の意図は察しているだろうし、ぞっとしない質問であったが、それでも顔に貼り付けた営業スマイルを落とすことなく、

 

「元は妹の友達でした。子供の頃に妹がお世話になってましたけど、当時はまだ関わりはあまりありませんでした。本格的に付き合いを持つようになったのはつい最近、去年のインターハイの時期ですね」

 

 ほほう、と男の顔に、しめたと言わんばかりの喜色が表れた。

 

「では、あなたが彼に注目しているのは、どちらかというと個人的なものというわけなのですか?」

 

「それもありますが、彼自身の力量を見込んでの発言でもありますね」

 

「力量……ですか?」

 

 せせら笑うように、男は画面を見やってから言った。

 

「確かに、この東三局で彼が飛ばないように立ち振る舞い、かつその後の親番で、何かしらトップを捲る大きな手を和了るか、もしくは連荘していく、と、あなたは見越しているので?」

 

「はい」

 

 照は動じない。相手が京太郎に侮蔑の情を向けていることに、真っ向から言い切った。

 

「彼は……ちょっと意地悪なところがありますから……」

 

 ここに来て、照の物言いは歯切れ悪かった。男はこれに疑問を抱く。次いで彼は、菫のほうを見てみるが、彼女もまた同じく、いやむしろ照以上に顔を歪めていた。

 

 一方、対局室。今さっきの東三局 二本場の終わり後、何故か次の局には進まないでいた。

 

 京太郎は卓に肘を突いて額を手首に置き、徹マンでもやったみたいにアンニュイな顔で俯き、これを他三家はイライラと見ていた。

 

「あのさぁ……、いい加減にしてくんねえかな。さっきっからポンチー、ポンチーってさ……」

 

 卓上の牌を持ち上げて落とすを繰り返して弄んで、震える声で言う。

 

 次の瞬間、バンッと大きな音を立てて平手を卓に落としながら立ち上がり、

 

「さっきっからテメエの鳴きのせいで俺の運がダダ下がりなんだよッ! これ以上場を荒らすんじゃねェ!」

 

 今にも掴み掛かる勢いで京太郎を怒鳴りつけた。

 

 けれど京太郎はこれにあまり強い反応は見せず、ひたすらに視線を卓に下ろしたままでいた。ややもすると、項垂れているとさえ思える。

 

「やめろよ! 今は対局中だぞ。それに、お前の手がパッとしないのは自分の責任だろうに」

 

 下家がそれを制する。が、上家は鼻で笑って、

 

「はあ? よく言うわ、東一局で四連荘してトップに立っていい気になってた奴が、今は俺に捲られてるくせによォ?」

 

 言われた下家はギロリと上家を睥睨した。

 

「そもそもそれは僕が削っといたからやろ。こん中で満貫が無いんは、まだ一度も和了れてないそこの鳴き虫さん除いて、お前さんだけやん」

 

 対面が調子外れな喋り方で横から口を出してきた。

 

「ああ、ああ、そうだなァ。二連荘しかしてない上に俺とは違ってトップにすら昇れなかった奴が言うと違うなァ……」

 

「お?」

 

 上家の返しに対面が睨み返した。

 

 彼らがこうなるのも無理はない。対局が始まってから、彼らの手はどうにも鈍かった。一応聴牌はするものの、これといって良い形が出来ることはあまりなく、良いのがテンパったと思っても、その矢先に別の誰かに和了れてしまうという事が立て続けにあったのだ。全国の、それも出だしからこれではフラストレーションも溜まるというものだろう。

 

 で、三人ともその怒りを、他の者に――主に京太郎に向けているというのは想像に難くない。理由は簡単、無闇矢鱈に京太郎が鳴きを入れてくるからである。

 

 鳴きを入れられると局のリズムは崩れるし、調子は狂うし、鳴いた者の手が気になって仕方がない。而して、自分に来るはずだった牌が他家に流れていく感じがする。――流石にこれは言い掛かりだが、しかし募る苛立ちがそのバイアスを助長するのだ。

 

 とにかく彼らは、自分が天運に恵まれないことの原因は京太郎にあるものだと、それぞれ心のどこかで思い込んでいる。

 

 下家が深いため息を吐いた。

 

「大体、何でこんな奴が……。去年は女子の尻にくっついて召使みたいに、幇間みたいにヘラヘラしてた奴が、こんな所に居るんだよ……」

 

 ぶつぶつと下家は呟いている。しかしその内容は特に隠し立てすることはなく、むしろ京太郎に聞かすような声量であった。

 

「やれやれ、恋は盲目とはよう言うたもんやな。女子のチャンピオンさんも、そのほかの有名人さんも、ただの恋する乙女やったっちゅうわけか。あれや、好きな男は強くあってほしって気持ちが言わせたんやろ、アイドルの追っかけやっとる馬鹿な男や女みたいに。違うか、スケコマシ君」

 

 次の局へ進む中、嫌味たっぷりに対面は言った。

 

 この険悪な雰囲気には、スタッフたちも気が気でなかった。高校生の大会でこのようなVシネマめいた喧嘩をされては、麻雀界は堪ったものではない。今回は止められる前にやめたが、また起きないとも限らないし、その時には麻雀のイメージにどんな影響を与えるかも分からない。

 

 で、配牌が終わり、ようやっと南三局(四回目)三本場が始まったわけだが。

 

「ポン」

 

 局の開始五巡目にして、京太郎が早速鳴きを入れた。スタッフらの危惧していたことが早くも起こり、彼らは戦々恐々となっていた。

 

「チー」

 

 次巡、対面が負けじと鳴きを入れるも、

 

「ポン」

 

 上家が鳴き返した。

 

 その更に二巡後、

 

「チー」

 

 と下家が京太郎から鳴いた。

 

 まさに鳴き合戦。

 

「チー」

 

 されどこの鳴きの嵐のさなかでも、京太郎は平然とまた鳴きを入れる。

 

 そうしていれば、いずれの選手も聴牌をするものである。が、彼らは和了れないでいた。役が無いのではない、曲がりなりにも彼らは全国に行く選手、タンヤオや役牌くらいなら勿論確保している。しかし和了り牌を一向に引けないでいた。鳴き過ぎによる待ち数の制限、及びこれによって和了牌の大半が既に河に捨てられていたり、副露されていたりしていることもあるだろう。

 

(流局か……)

 

 誰もがそう諦め、自模られていく海底牌を眺めていた折、

 

「ツモ」

 

 その海底牌を掴んだ京太郎が唐突にそう宣言し、自らの手牌を倒した。

 

 {二123} {横五六七} {横978} {③横③③} ツモ{二}

 

 しっちゃかめっちゃかな役の無い手。これを見下ろし京太郎は、

 

「ゴミ、だな」

 

 海底模月(ハイテイモーユエ)のみ……()〇〇・()〇〇。

 

「ゴ、ミ、だとぉ!……」

 

 上家は視線を場に下ろしたままで打ち震えながら、ひり出すように漏らした。

 

 現在トップなのは上家とは言え、こんなイラついている時に、こんな安手で和了されたのみならず、点数申告を数字ではなくわざわざ語呂合わせで「ゴミ」と、他家に対する面当ての申告をしたことをしたのが何よりも癇に障ったのだ。

 

 憎々しげな眼差しで上家は京太郎を見やる。他の二家も同じく。先ほどの一触即発の状況の再来である。

 

 当の京太郎は、彼らを意に介さないかのように、彼らへ視線を返すことはない。何かに怯え縮こまっているかのように大きな身じろぎをせず、相も変わらず顔を伏せている。

 

 上家は怒りを抑えて、けっと吐き捨てると、

 

「三本場で八〇〇・六〇〇だ……」

 

 五百点棒一本と百点棒三本を京太郎に向けて転がした。他の二人も、不貞腐れつつもとりあえず自分の支払いを済ませる。また喧嘩をしたら今度は見逃してはもらえないだろうという判断の下でのことである。

 

 京太郎が点棒を仕舞っているのを尻目に、彼らは自動卓の中央の穴へ乱暴に牌を流し込み、次の局へ移っていく。

 

 こうして上家の親が蹴られたことで、場は東四局に移り親は京太郎に回ってくる。

 

「ポン」

 

 随分と遅い巡目で、その局初の鳴きを入れた。喰い取ったのは五索、下家からである。その鳴きで京太郎が捨てたのは九筒であった。

 

「ツモ」

 

 それからまもなく京太郎が和了。

 

 {四四⑥⑥⑦⑦⑧⑧88} {55横5} ツモ{8}

 

 喰いタンのみ、五〇〇オール。

 

 ただの喰いタンに見えて、しかし不可解な点が一つ。それは六七八筒の一盃口形や、七対子聴牌の形跡があることである。

 

 鳴いた後になって、または鳴くことで同じ順子が作られることは往々にしてある。が、京太郎は五索を鳴いてから九筒を捨て、それからすぐに和了ったのだ。

 

(あの九筒の捨てからして、あいつはあの時既に七対子を聴牌していた。裏をかいて一盃口を形作るという手もあった。だのに、わざわざ鳴きを入れてそれらを消して、よりにもよって一番低いタンヤオのみの安手で和了ったのか?……)

 

 下家はこう推測した。けれどそれではあまりにも不合理だった。あり得ないはずだからこそ、下家は自身の考えに疑念を持った。

 

 自分の今の読みは間違っているのか。あそこで一盃口を持ち続けようとするのは間違っているのか。

 

 頭がズキリと痛み、彼は目頭を押さえた。

 

 東四局 一本場。京太郎の連荘。

 

「ツモ」

 

 {1} {横534} {横879} {66横6} {西横西西} ツモ{1}

 

 京太郎がホンイツのみの一〇〇〇オール和了。今度は本当に混一色。

 

「まーた単騎待ちかいな、それに今度は裸単騎と来よった」

 

 対面が点棒と共に不平を吐き捨てた。それまで、嫌味ながらも闊達な言動をしていた彼も、流石に渋面を禁じ得ないでいる。

 

「鳴き虫君さあ、あんさん、知っとるか。闇雲な鳴き麻雀っちゅうのはな、ひとつ晒せば自分を晒す、ふたつ晒せば全てが見える、みっつ晒せば――地獄が見える。そういうもんなんや、分かるか。ええか、もう一度言うで。ひとつ晒せば自分を晒す、そんで――」

 

 と、鳴き麻雀への諫言を対面が諄々語ろうとしたところで、

 

「自分を晒せば……また己が哭きたがる」

 

 不意に京太郎が言葉を横入りさせて遮った。

 

 それから、まったく、と言って小さく嗤笑をし

 

「背中が煤けてるぜ」

 

 か細い声で囁いた。かすかにしか聞こえない、己の内で囁くように。

 

 その場に居る誰もが、背筋にうすら寒いものを感じた。勿論、京太郎にである。

 

 他者に向けてなのか、或いは己に向けてなのか判らない呟きをして、独りで笑う様は蓋し戦慄ものである。

 

 東四局 二本場。

 

「ポン」

 

 九巡目、京太郎が対面から二索を鳴いた。その後、彼が捨てた二萬を、下家が鳴いた。

 

 また次巡、

 

「チー」

 

 上家から六索を鳴く。そこで捨てたのは西、数巡前に対面が暗槓をしたことで出現した新ドラである。

 

「ポン」

 

 それを上家は迷わず鳴き返した。西は局の序盤に京太郎が速攻で捨てた牌、喰い取らないではいられない。

 

(奴は十中八九ここでダブ東を狙ってくる。捨牌には萬子と筒子、それと三元牌一つ)

 

 次いで彼はドラ表示牌を見る。東と、数巡前に対面が暗槓をしたことで出現した南。つまりドラは南と西。

 

(南も西も、須賀は最初に一枚ずつ捨てた。奴が二度も西を捨てたのは、最初のほうで西を捨てたからってとこか。槓ドラを予知出来る奴は居ねえからな)

 

 三巡後、彼は三筒を引いてきて、ニヤリと口元を歪めた。

 

(奴は索子の染め手で間違いねえ、少しでも高い和了りでハコの心配を無くしたいところだからな。この三筒は通るだろうよ……)

 

 と自信満々にそれを打ったその時だった。

 

「ロン」

 

「えッ……」

 

 京太郎からの思わぬロンを受けて、ギョッと上家は自身の右隣りを見た。

 

 そうして京太郎が倒して現れた手は……、

 

 {44④⑤東東東} {横678} {2横22} ロン{③}

 

 ダブ東のみ……二九〇〇。

 

 ちょうど、二局前の上家の和了点数。

 

「あーはっはっはっはっは! 二九〇〇(ニッキュウ)二本付け炸裂! 二局前に怒りん坊君が鳴き虫君から直取ったんをそのまんまやり返されよった! しかも、鳴き虫君が自模ってたはずの当たり牌をまんまと掴まされてやんの!」

 

 手を叩いて対面が笑い出した。呆然自失としている上家はそれに何も言い返せないでいる。

 

 それを他に、下家が目だけで京太郎の手を見ていた。

 

(早和了り目的で、いつ来るかも分からない索子を待たずホンイツを蹴ったのは分かる。だが、捨牌には、早出だが四筒。シャンポン待ちにしていれば三十二符で三九〇〇の二本付けだった。なのに符数を下げてまで、奴に直撃させるために?……)

 

 考え過ぎか、と下家は小首を振った。

 

「おい、お前。三五〇〇点だぞ、さっさと払ったらどうなんだ、まだ東場も終わってないんだからな」

 

「チッ、分かってるよ……」

 

 下家からの催促に、舌打ちしつつも上家は大人しく点棒を引き出しから取り出す。

 

「四千からだ」

 

 上家から言われて、京太郎は五百点棒を出し、上家の千点棒四本を受け取った。

 

 卓に置かれたたった一本の五百点棒。これを摘まみ上げて眺めていた上家は、自身の中でふつふつと怒りが煮えてきているのを感じた。

 

(ドラ西を餌にして俺に喰い取らせやがった……、あの三五〇〇をやり返すために……。陰険な野郎が、ぜってぇ許せねェ……)

 

 そうして静かな、しかし激しい復讐心を胸に湛え、次局へ移ることにした。

 

 然り而して東四局 三本場。

 

「立直」

 

 下家が立直を掛ける。

 

 だが、京太郎の番が来た時、

 

「カン」

 

 と、京太郎は自模った八筒を加槓して、

 

「ツモ、嶺上開花」

 

 {2333} {⑧⑧⑧横⑧} {横四二三} {横④③赤⑤} ツモ{1}

 

 一 - 四、二索変則三面張。低めの一索を嶺上ツモ。

 

 嶺上開花ドラ一……一〇〇〇オール(三本場)。

 

 京太郎はまたもこんな安手の和了を、それも嶺上開花のみという変態的な形で遂げ、東場は続行されるに至った。

 

 次の局では、対面も負けじと立直をするも、下家が京太郎に二四〇〇(四本場)を振り込んでしまい、更に次では上家が、立直を掛けたまではよいが、これが原因で二〇〇〇(五本場)の放銃となった。

 

 連荘東四局 六本場。

 

 この局では京太郎は何故か鳴かなかった。その代わり、他家も遅々として手が進まず、なかなか聴牌出来ないでいた。

 

(何故だ……、何故こうも有効牌が来ない……)

 

 斯様に狼狽しているのは下家だけではない。当然、上家も対面も、狐につままれたような気がしていた。

 

 しかし、異様なのは各人の自模には限らなかった。

 

 まず対面の打五筒。この時の京太郎の手牌、

 

 {西西西①②②③③④⑥⑦⑨⑨}

 

 メンホン聴牌で、当たり牌は五 - 八筒両面のはずだが、京太郎はスルーしたのである。

 

 それから次巡、下家が赤五筒を切ったが、これも見送り。京太郎が立直をしていたら和了放棄と見なされるところである。

 

 無論、京太郎の奇行はこれだけにとどまらず、次の巡にて二索を引いてきた時、彼はこれを自模切りせず、こともあろうに六筒を切り出した。かつ、その次に九筒を引いた時、七筒を切っての両面落としまでしたのである。

 

 この意味不明な打ち方には、観戦室の観客はざわめく。彼は一体何を狙っているのか。赤五筒を逃したことからして、より大きな翻数は狙っていないとしか思えない。むしろ、より小さな翻数を狙っているようにさえ見える。

 

 全く何をしたいのか見当も付かない。

 

 が、次の巡、京太郎が西を自模ってきた時、彼らは合点が行ったように声を漏らした。その期待に応えるように、

 

『カン』

 

 京太郎は暗槓した四枚の西を右端に滑らせた。

 

 暗槓はドラは即乗り。観戦者たちの予測では、京太郎は西か九筒の暗刻にモロ乗りすると読んでいるということになっている。それならわざわざ面前混一色を崩すことに合点が行く。きっと京太郎はその後で立直を掛けるつもりなのだろう、そうして他から満貫、一発なら跳満を直撃させようとしているのだろう、といった塩梅にだ。

 

 ところが、ドラ表示牌から現れたのは、西にドラを付加させる南ではなかった。そればかりか、筒子にすらドラは乗らなかった。京太郎の手は、筒子のメンホンが消えた二索単騎待ち状態のままであった。

 

 これに対する観戦者の反応はまちまち。京太郎の読みが外れたと、自分の事のように周章する者も居れば、「ダサイ」と嘲笑する者も居、また他方では、京太郎が他に何か狙っているのではと首を捻る者も居た。

 

 はたまた、京太郎が現在張っている手にデジャヴを見る者、例えば清澄高校麻雀部の元部長の竹井久は、このシチュエーションを見て慄然となっていた。

 

「何よ……、これ……」

 

 顔を青ざめさせた久は、自分の二の腕を掴む。

 

「須賀君、あなた一体……」

 

 画面の中の京太郎にその問い掛けは届くことなく、彼は構わず嶺上牌から一枚引いてくると、

 

「ツモ、嶺上開花」

 

 {①②②③③④⑨⑨⑨2} {裏西西裏} 嶺上ツモ{2}

 

「七十符二翻は、一二〇〇・二三〇〇」

 

 ものを読み上げるように低く平坦な口吻で京太郎は点数申告をした。それも親であるにも拘わらず子の点数申告を。

 

 言われるままに他家三人はその点数を支払おうとしたが、スタッフによって二三〇〇オールの間違いであると訂正された。

 

【現時点の点数】

 

 トップ、京太郎――三六五〇〇。

 

 二着、対面――二一三〇〇。

 

 三着、下家――二一二〇〇。

 

 ラス、上家――二一〇〇〇。

 

 以上。

 

 この点数差が反映されると、たちまち観客たちは呆けたように押し黙った。

 

 京太郎、ハコテン目前から安手の和了による連荘のみで現在トップ。しかも他三家は、それぞれ百点か二百点の差が出ていることを除けばいずれも一律の点数。

 

 こうなっていることに、皆今更になって気づいたのだ。

 

 今の局で特殊なのはこれだけではない。

 

 京太郎が為した七十符二翻という、役満以上に出づらい役を、これまたなかなか出てこない嶺上開花で和了ったこと。而して、今の和了で京太郎はのべ八回の連続和了を達成したことになり、即ち、もし八連荘が有りだったならこの和了を以って役満――八連荘となっていたこと。

 

 そして何よりこの手は、清澄の大将の宮永咲が清澄麻雀部に来た当初に出した手。

 

 いつも±〇で半荘を終える彼女。その±〇を阻止するという名目で他の部員が妨害をするも、彼女はこれを退けた。その時に和了ったのがちょうどこの手なのだ。

 

 久はこの甚だ気味の悪いシチュエーションに、吐き気すら催していた。自身の頭の中にある過去の事象を、現在見ている対局に投影した幻覚として見ているんじゃないか。そんな気分になっていた。

 

 他三家もいよいよ京太郎の力というものを思い知らされ、最早何かを謀る気すらも起きないでいるようだった。

 

 それからは単純。上家も、対面も、下家も、聴牌することすら叶わず、ひたすら京太郎が安い手で和了するのみ。しかもことごとくが、二翻以下。つまるところ彼は、最初の和了の時からずっと独自に逆二翻縛りをしていたということだ。

 

(ずっと、遊んでただけなのか……。それも俺たちなんか歯牙にも掛けず、一人で……)

 

 苦虫を噛み潰した顔で下家は胸の内でこの不条理を呪った。

 

(俺はあの人とは並べないのか……)

 

 彼はその“あの人”なる人物の姿を想起する。憧れの“あの人”。“あの人”の打ち筋に憧れて、これまで自分の腕を、それこそ寸暇を惜しんで磨き上げてきた。すべては、“あの人”と肩を並べられる雀士になって。そうして面と向かって相対したい、その思いで。

 

(なのに、こんな奴に……、去年女子の尻に終始くっついて雑用ばかりしてた、ヘラヘラしてた奴に、全部否定されるのかよっ……)

 

 今までに多分な苦労をしてきて、多分な時間を浪費してきた。だからこうしてここに居る。なら、その意味は?

 

 こんな具合に自問自答を繰り返しているのは、何も下家だけではない。対面とて同じだった。

 

(こんなオモロない麻雀、生まれて初めてやな……)

 

 彼は自分の形が保てなくなっていた。

 

(所詮僕ぁ、シニシスト気取って負け惜しみばっか垂れとった負け犬やったっちゅうわけか……)

 

 対面の彼にとって、麻雀とは楽しいものであった。高い手和了れば楽しいし、それで勝てば楽しい、負けてもそれはそれで楽しい。誰かが負けるのを見るのも楽しい。とにかく楽しいもの。

 

 強者でありながら、エンジョイ勢。ただしそれは……

 

(逃げとったんや……、本当は自分が大したタマやないこと認められんくて。でもそれも、こんなん目の当たりにしたらもう逃げられん……、僕の演じとった役にピッタリ嵌り込むような奴と邂逅しちゃ……)

 

 彼は自分が浮かべていた笑みがどんどん引きつっていくのを止められなかった。

 

 東四局 十一本場。ここに来てようやく、京太郎は三翻四十符の手を和了。それに次いで十二本場にて四翻三十符の手を和了。

 

 それは、運を塞き止めていた物が決壊する兆しのようでもあり、この対局のクライマックスが目と鼻の先であることを誰もが信じ込んでいた。

 

 東四局 十三本場。

 

「ポン」

 

 京太郎が下家から八索を鳴く。

 

(……ここで終わりにするつもりか。別にいいさ、さっさとトドメを刺せよ)

 

 すっかり憔悴した下家は、捨て鉢になって今度は六索を切った。

 

「ポン」

 

 これも京太郎は鳴いた。そうして切ったのは七索。最早緑一色を狙っていることを隠しもしない。

 

(自分で自模和了りするっちゅうことかい。だが生憎と僕んとこには緑一色の牌は無い……)

 

 考えて対面は、差し当たって和了へ向かうための牌を切る。もう意味を為さないのに、ついいつもの癖でそうしていた。そんな自分に気付いて、涙ぐみそうになった。

 

 ところが、この二人とは違って、上家は諦めきれていなかった。

 

(何をこんな腑抜けてンだ、こいつらッ……。ここを凌いで、それから親の役満を奴から(ちょく)りゃ一発だろうってのに、よりによって二回も緑牌鳴かせやがって!……)

 

 上家は自分の手の中にある一枚の二索、それと対子になった發を見る。

 

(誰がこんな危ねえもん打つかよ。一、三、四索で順子か、二索を二枚自模って暗刻ってやりゃあいい。緑發は最悪頭にでもすりゃ何とかなる。いや、チートイで和了ったって問題ねえさ)

 

 こう意気込んで上家は回し打つ。

 

 まだ彼は勝つ気で居た。蛮勇とも言える勇気のお陰か、或いは往生際の悪さ故か……。

 

 上家の次の京太郎は、やおら山から牌を引いてくる。人差し指と薬指で挟んだそれを眼前まで持ってきて、じっとその牌の顔を見つめたのち、中指でひっくり返すと、ポロッと取り落とすように放した。牌は卓上で細かく跳ねてから、自らの顔を表に晒した。

 

 それは四索だった。

 

 疲れ切ったような、生気のない面相でこれを見下ろして、

 

「ツモ」

 

 と倒牌した。

 

 {23444發發} {66横6} {88横8} ツモ{4}

 

 緑一色……役満。

 

 勝負有った。

 

 これで晴れて京太郎以外全員ハコテン。供託の十三本を含め一七三〇〇オール。長い長い東場を経て、この半荘は折り返し地点にて終了と相成った。

 

【結果】

 

 トップ、京太郎―― 一四二七〇〇点。

 

 二着、対面――△一四一〇〇点。

 

 三着、下家――△一四二〇〇点。

 

 ラス、上家――△一四四〇〇点。

 

 以上。

 

 都合二十六局(内十三局は京太郎の連荘に因る)という悪夢のように永い対局は、これにて終わり。彼らはやっとのことで解放されるに至る――。

 

 ――そのはずだった。

 

「ホンイツ」

 

 こんな突拍子もないことを言いだしたのは京太郎だった。

 

 この明らかな緑一色の手を、完全なる勝利を確定させるこの素晴らしい手を、あろうことか彼はホンイツと言い張ったのである。

 

「緑一色、だろ……」

 

 こわごわと下家が声を震わせて言った。

 

 だが京太郎は、

 

「いやホンイツだ」

 

 何事もないように押し切ろうとしている。

 

 何故ゆえこのようなことをするのか。それは、百歩譲ってこの手がホンイツであったと考えれば分かる。

 

 その場合、点数の支払いは一三〇〇オールの十三本場、つまり二六〇〇オール。その時の他三家それぞれの残り点数は三〇〇〇点と少しだったから、辛うじて点数が残る勘定になる。

 

 而して京太郎の待ちは一 - 四索、發。自模ったのが一索だったなら、京太郎の手は彼の申告通りホンイツになっていたところであった。

 

 ここまで言えば分かるだろう。

 

(須賀京太郎が欲しがってたのは、高め緑一色の四索や緑發じゃあなくて、ホンイツの一索だったってのか……。なのにこいつは惜しげもなしに、緑一色を蹴ってまで、限界まで俺たちを甚振るために!……)

 

 ギリギリと上家は歯ぎしりをする。その眼に激しい闘争心を瀰漫させ、狼のように唸りだし、そして……。

 

(畜生……)

 

 眼から唐突に涙をハラハラと溢し、悔しさに嗚咽を漏らした。

 

(本当に、羨ましい、妬ましい……。俺はこんなにも麻雀が好きだってのに、当の麻雀は俺よりもこんな男にベタ惚れだなんてよ……)

 

 畢竟麻雀とは、運が物を言うゲーム――否、勝負也。如何な素人と玄人が対峙しようと、運次第の一天地六。

 

 それでも彼は麻雀が好きだった。何もかもが好きだった。そんな不条理すらも愛していた。けれど麻雀は彼に見向きもしなかった。そればかりか彼の思慕すらも押し潰したのだ。

 

「もう……勘弁してくれ……。そいつは緑一色だよ……、俺たちはそれでハコテンだ……。俺たちの負けだ」

 

 握り締めた両手を卓に突いて上家は懇願し出した。

 

「俺はボンクラです……、ブタです……。もう歯向かいません……、麻雀もやめます……。だからもう許してください……」

 

 今の今まで、粗暴ですらあった上家が、とうとう人目を憚ることなく涙ながらにする懇願。

 

 男泣きの涙、それがどれほどの思いによって流れるか。それは誰もが知るところだろう。

 

 そしてこんなにまで彼を追い込んだ京太郎を見て、観戦場の観客たちは皆一様にドン引きしていた。

 

 それはあの記者も同じである。京太郎を侮り、照に下世話なインタビューを掛けようとしたあの記者だ。彼は手に持ったメモとペンを動かすのすら忘れ、今の勝負に見入っていた。

 

「彼は……ああいうものなのですか」

 

 記者はぼんやりと、照や菫に顔だけを向けて尋ねた。

 

「……一回だけ私も彼と打ったことがありますが、今回は以前にも増して酷いですね。私は彼のようになれそうにないと、時々感じます。京ちゃ……京太郎君は、私たちとは違う勝負をしているように見えます。私たちが麻雀という競技に命を懸けているのに対して、彼はまるで麻雀を通した別の勝負に命を賭けているみたいに見えます」

 

 こう語る照の口は、ほんの一寸だけ重かった。

 

 それを聞きながら記者の男は、たった今自分が目撃した須賀京太郎という男に、名状し難い興味が湧いた。それは、人の誰しもに備わる死への欲求、破壊的な何かへの憧憬に近い。とにかく彼は、触れてはならぬ危険な何かに、惹かれていた。

 

 心をズタズタに引き裂かれ破滅に身をやつす者が居る一方で、彼のように惹かれる者も居る。その力はまさに魔性。

 

 竜よ、竜よ、何故ゆえかくも荒ぶった。不届き者に逆鱗でも触れられたか。はたまた虫の居所が悪かったのか。或いは単なる気まぐれか。その真意は、上家を前にしながらも変わらぬことのない死人のような眼から推し量ることは叶わず。

 

 対局終了後。

 

 観戦者たちは、先刻の対局のことを忘れられなかった。

 

 風越麻雀部の元キャプテン福路美穂子もまた、その一人であった。

 

 彼女は、県大会で京太郎の雀力を見てきたつもりだった。凄まじい打ち手だということを、そこで知ったつもりだった。しかしそれは彼の力の一端に過ぎなかったということを、先ほどの試合で認めざるを得なかった。

 

 何より衝撃だったのは、あの容赦のなさであった。

 

 彼女の知る須賀京太郎は、時々変なことを言いはするけど清々しく素直な、好感の持てる青年であった。が、先ほどの対局であの席に座る姿は、その好青年と同一人物とはとても思えなかった。

 

 親友の上埜――竹井久から聞かされていた、健気で、献身的で、頼り甲斐のある人物像とは全く別だった。風越のかつての仲間たちも、彼にはなかなか好感を持っていた。

 

 それだけに、一層恐ろしく、不気味に思えた。あの毒の無さそうな身体の中に、一体どこにあんな猛毒を潜ませていたのか。自分が見てきた彼は何者だったのか。

 

「あっ、福路さん」

 

 美穂子に声を掛けてきたのは京太郎であった。観戦後、彼女が風越の後輩たちと話していた時の事である。

 

 彼女らは一斉に京太郎を見て、それからことごとく震え上がった。

 

 げっ、と、美穂子の傍らに居た現キャプテンの池田華菜が、京太郎を目にした瞬間に漏らしたが、即座に他の者によって口を塞がれた。お陰で、京太郎には怪訝に思われる程度で済んだ。

 

「あ、ああ、須賀君。最初の半荘勝利おめでとう……」

 

 ややぎこちないながらも、美穂子は微笑んで京太郎に労いの言葉を掛けた。

 

「ありがとうございます。つっても、運が良かっただけですけどね。勝ったってのにあまり気分が優れないんですよね。気分転換に何か仕事でもしたいところだけど……」

 

 とぼけたような苦笑いで京太郎は言った。それは三人もの雀士を絶望させてきた者の顔ではなかった。どちらかと言うと、散歩にでも行ってきたみたいなものであった。

 

「あ、そうそう! 池田さん、個人戦全国出場おめでとうございます」

 

 と、出し抜けに話を振られて、池田はビクリと身体を跳ねさせた。

 

「あ、ああ! 当然だし!」

 

 勢いで、池田はどうにか取り繕って返答することが出来た。

 

「で、そのお祝いの一つ……ってわけじゃないんですけど、何かお手伝い出来ることありますか? 今言った通り、気分転換に何か仕事でもしたいんですけど」

 

「い、いや! 平気だし! 問題ないし! それに、そっちだってまだあんだから、身体を大切にしなって!」

 

 気遣うような台詞を言ってはいるが、池田はあまり誤魔化せていなかった。彼を拒否しているということが上手く隠せていなかった。

 

 京太郎はその後も食い下がるも、池田の拒絶はますます高まる一方で、ついに彼のほうが折れることとなった。

 

 美穂子はそれを止められなかった。何故なら彼女もまた、彼に対して得体の知れない負の感情を抱き、遠ざけたかったから。

 

 でも、

 

「須賀君……」

 

 立ち去る彼の背中を見て、思わず美穂子は彼の名前を呟いた。京太郎が立ち去る間際、彼が見せたあの哀しげな、自らの責務と生き甲斐を奪われたような顔が印象に残った。

 

 あの寂しげな背中を、今すぐ追い掛けたい衝動に駆られた。もしかしたらあの弱々しい様子はまやかしなのかもしれない。けど、もしかしたら本物かもしれないという、捨てがたい可能性が浮かんできて……。




 京ちゃんは次回の裏編でボケます。今回は第三者から見た京ちゃんの恐ろしさをどうぞ。これは屋根裏のゴミですわ。

 補足:結果の点数のところで、ハコテン組の点数の前に『△』が付いているのは、マイナスという意味です。『-』や『マイナス』だと見映えが悪く感じられたので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ありえない手筋で全国選手をフルボッコしてみた:裏編

 前回の京ちゃんがあまりにも非道かったので、今回はちょっとこわれてもらいました。


 どうも、須賀京太郎です。最近心療内科の先生から、夢遊病の疑いがあると言われました。

 

 まあ確かに、近頃は変なヤクザに絡まれたり、変な麻雀打たされたりでストレスがすんごいことになってる。ついでに言うと金もすんごいことになってるが、高校生男子が持つにはあまりにも多すぎるその額を見ると、素直に喜べない。目下悩みの種だ。

 

 かと言って、暴対法や賭博罪に抵触するような行為に足を浸けていました、なんて言うわけには行かない。捕まるし。そしたら俺は将来の就職の道も閉ざされ、ヤクザの世界にどっぷりと浸かってそのままオカマ掘られることになるだろう……。考えただけで寒気がしてきた……。

 

 そこで俺は、先生に俺の優雅な日々を語って聞かせてみたのだ。麻雀部での輝かしい雑用の、あの日常を。

 

 ところが心外なことに先生は、

 

「雑用やり過ぎてストレス過多だったのでしょうね」

 

 と言ってきたのだ。

 

 何だとこの野郎。俺は今充実してるぞッ! 清澄麻雀部に入って、俺は労働の素晴らしさというものに目覚めたのだ!

 

 だから俺は周囲には自分の診断のことについては黙っていたのである。が、こともあろうに親はバラしてしまった! お陰で麻雀部での俺の雑用の仕事が減らされるに至った。

 

 くそう! 竹井先輩が部長なら、あの人でなしの部長だったら、遠慮なくこき使ってくれるのに! 染谷部長は分かってない!

 

 一体俺が何をしたって言うんだっ!

 

 というわけで、俺は今大会ではあまり雑用をやらせてもらえず、有り余る体力を持て余し欲求不満となっていた。刻一刻と迫ってくる試合に、俺は憂鬱になっていた。そうして気付かされる、雑用の心地良さ。

 

 あの雑用のお陰で、俺は麻雀から離れられた。対局の緊張を忘れられたのだ。掛け替えのないものってのは、無くなって初めてその得難さの全容が分かるものなんだな……。

 

 俺は居ても立ってもいられず、去年知り合った友達及び彼らから紹介された人や、今年知り合った愉快な仲間たちと一緒に、チンチン侍をして気を紛らわせていた。悪くない気分だった。完全に復調したわけではないけど、少しはマシになった。やっぱ友達って良いよな。

 

 で、俺は愛しい仲間たちの励ましを受けて試合に臨んだわけなのだが。

 

(俺はボンクラです……、ブタです……。もう歯向かいません……、麻雀もやめます……。だからもう許してください……)

 

 これ俺です。

 

 はいそうです、気が重くも頑張って試合に臨んだは良いものの、こうして沈鬱に俯いている始末です。

 

 どうしてこうなったかというと、対局相手の方々に怒られたからです。

 

 何故かって? そりゃあ、ストレス解消に鳴き麻雀しまくってたからに決まってるでしょ。

 

 ポンチーカン! ポンチーカン! とノリで鳴きまくってたら、段々と相手方の表情が険しくなっていった。特に上家の人が怖かった。当初ではそこまで目くじら立ててたわけじゃなかったけど、最初の親だった下家の人が連続で二回和了ったあたりから、以後俺が鳴くたびに睨んでくるようになったのである。

 

 もう怖くて怖くて。だから俺は、卓に肘を立てて、手の甲辺りで頭を支える姿勢をする振りで、出来るだけ上家の人と目を合わせないようにしていたというわけだ。

 

「あのさぁ……、いい加減にしてくんねえかな。さっきっからポンチー、ポンチーってさ……。さっきっからテメエの鳴きのせいで俺の運がダダ下がりなんだよッ! これ以上場を荒らすんじゃねェ!」

 

 たった今俺が上家に三五〇〇振り込んだ後、とうとう上家の人がいきり立って怒鳴ってきた。勿論俺は、怯え声こそ上げてなかったけどビビッてる。出来るだけ相手を見ないように、縮こまっていて、かつ視界の端で上家さんが怒鳴り上げる兆候が見えたことで身構えられたからだ。

 

(うぅ……、めっちゃ怒ってる……)

 

 で、俺は蛇に睨まれた蛙状態。

 

「やめろよ! 今は対局中だぞ。それに、お前の手がパッとしないのは自分の責任だろうに」

 

 下家さんが助け舟を出してくれた。

 

 と思いきや、

 

「はあ? よく言うわ、東一局で四連荘してトップに立っていい気になってた奴が、今は俺に捲られてるくせによォ?」

 

 と上家さんが面罵したことで、下家さんまで剣呑な感じになり、

 

「そもそもそれは僕が削っといたからやろ。こん中で満貫が無いんは、まだ一度も和了れてないそこの鳴き虫さん除いて、お前さんだけやん」

 

 挙句の果てには対面さんまで介入してきて、

 

「ああ、ああ、そうだなァ。二連荘しかしてない上に俺とは違ってトップにすら昇れなかった奴が言うと違うなァ……」

 

「お?」

 

 もうまさに一触即発の険悪な雰囲気になってしまったのだ。

 

 俺はと言えば、自分のせいでこんな事になってしまった罪悪感に縮こまっていた。何だろうこの気持ち、『ウォーキングデッド』でリックとシェーンが争う原因になったローリの気持ち? ……いや違うな。どちらかと言うと、ガバナーのとこから逃げてきたメルルだ。

 

 しばしの睨み合いの後で、各々は矛を収めて次の局への進み出す。

 

 で、その時に下家さんが、

 

「大体、何でこんな奴が……。去年は女子の尻にくっついて召使みたいに、幇間みたいにヘラヘラしてた奴が、こんな所に居るんだよ……」

 

 次いで対面さんが、

 

「やれやれ、恋は盲目とはよう言うたもんやな。女子のチャンピオンさんも、そのほかの有名人さんも、ただの恋する乙女やったっちゅうわけか。あれや、好きな男は強くあってほしって気持ちが言わせたんやろ、アイドルの追っかけやっとる馬鹿な男や女みたいに。違うか、スケコマシ君」

 

(うう……、俺のせいで照さんをはじめとして皆が悪く言われてる……)

 

 と、まあこんな事があったので、

 

(俺って奴はどうしようもない奴だ……。この人たちだって日々努力して全国まで行き着いた人たちなのに、なのに俺はくだらない鳴き麻雀で空気悪くして……。そんで、こんなしょっぱい麻雀打ってたお陰で、皆の顔に泥を塗っちまった……)

 

 俺はこんなメランコリックボーイになってしまったのだ。

 

(クソッ! こうなったらヤケ鳴きだァ!)

 

「ポン」

 

 次局、やぶれかぶれになった俺は性懲りもなくまた鳴いた。

 

 当然ながら他の人も、俺に対抗するかのように鳴きを入れ、辺りは壮絶な鳴き合戦が展開された。それはもう激しいもので、申し訳のなさとヤケクソが同居していた俺の心は、この鳴きの嵐に晒されたことで弥が上に熱くなっていったものだった。

 

 俺一人だけ鳴いたのはたった三回。大した数字ではないが、しかし俺は随分と鳴いた心持ちだった。気が付けば河の列は三列目の終わりにまで至っており、俺はこの局が終わりが近いのだと感じた。

 

 その矢先に俺が自模ったのが二萬だった。それは俺の手の当たり牌。この局はこれで終わりなのか、と俺は悟り、

 

「ツモ」

 

 とその牌を手牌の横に討ち、倒牌した。

 

 {二123} {横五六七} {横978} {③横③③} ツモ{二}

 

 倒した後で、俺は重大なことに気付いた。

 

(……これ、役無いじゃん)

 

 思えば俺は、和了を目指して鳴きを入れたわけじゃない。なればこの手が知っちゃかめっちゃかなのは至極当たり前のことだ。にも拘わらず俺は、当たり牌を引いたことで勝手に終わりだと勘違いして和了宣言をしてしまった……。

 

(うわぁ……、これはもう本当に……)

 

「ゴミ、だな」

 

 情けなさのあまり俺はそんなことを口にした。そりゃそうだ。ここまでさんざん場を荒らして、その末にチョンボやらかして、おまけに俺は満貫払い。もう踏んだり蹴ったりだ。

 

 そうして俺が謝罪をしようかと顔を上げようとしたところで、

 

「ゴ、ミ、だとぉ!……」

 

 突如上家さんが気色ばんだ。

 

(うおっ、やべえ……、今の呟きがこの人に対する悪口と思われちまった!)

 

 どうやら彼は、俺の今の呟きを自分に向けられたものと勘違いしたようだ。無理もない。彼だってフラストレーションが溜まっていたのだ、それだけ神経質になっていたのだろう。

 

 さてどうやって弁解したものか。このままでは、俺が何を言っても、悪口を重ねてきたと捉えられかねない。

 

(ひとまず、彼の気が落ち着くまで様子を見るとか……)

 

 そう考えて、変な刺激を与えないようにじっとしていることにした。

 

 それが奏功したのか、次第に彼は荒ぶる呼吸を落ち着かせて、けっと吐き捨てると、

 

「三本場で八〇〇・六〇〇だ……」

 

 大分落ち着いたらしい。

 

 弁解するなら今がチャンスか、と思ったのだが、点数のやり取りをしている内に、話し掛ける機会を失ってしまい、結局有耶無耶になってしまったのであった。だって上家さん、絶対根に持ってるでしょ。

 

(……ところで、結局俺ってチョンボじゃなかったの? なら役は何を和了ってたんだ?)

 

 なお、この時俺は、自分が海底で和了ってたことに、後で衣さんが言及するまで気付かなかった。ダセエ……。

 

 次の局では、前の局でようやく和了れたことと、何だかよく分からない状況になって一旦頭が混乱したことで、少しだけ気分が良くなった。

 

 しかもその局での俺の手には、何と六七八の順子が二つ、つまり一盃口が!

 

 これは何としても和了りたい、とのことで、対子になっていた五索をポン! 直後に、浮いていた九筒を打って四萬、八索のバッタ待ちで待機していたところ、何と一発で八索を自模!

 

「ツモ」

 

 今度こそ俺は自信を持って和了出来たというわけだ。

 

(ふっ……、一盃口だぜ……。これで面前で打って立直掛けられてたら、一発が付いて更に良い手になってたんだろうなあ)

 

 という具合に心地良い気分に浸っていたところで、はたとおかしいことに気付いた。

 

(あれ、一盃口って面前じゃないと成立しないんじゃなかったっけ……)

 

 こんな重大なことを失念していた。

 

 神様って叫びたくなった。今度こそ駄目だ。今度こそ俺は満貫払いだ。ここまで対局の場を乱しておいて、役無しチョンボやらかすなんて……。

 

(これって、俺の鳴き麻雀を真似して元気いっぱいに役無しチョンボやらかした小蒔と大差ねえじゃん……。もう嫌だ。もし生まれ変われるのならナマコになりたい)

 

 と俺は覚悟を決めたのだが、どういうわけかツッコミは無かった。それどころか他の人たちは、憮然としながら黙って俺に点棒を渡してきた。

 

 怪訝に思って改めて自分の手牌を見てみたところ、

 

(あ、タンヤオ)

 

 どうやらまた命拾いしたようだ。

 

 ちなみに後で指摘されて気付いたことだが、あの鳴きを入れる直前、俺は七対子を聴牌っていたそうだ。尤も俺は、対局中はついにそのことに気が付かなかったが。

 

 仕方ねーじゃん! 一盃口狙ってたら七対子見逃してたなんてよくあることじゃん! あと適当に役作ってたらタンヤオと平和(ピンフ)付いてたの見逃してたってよくあることじゃん!

 

 気を取り直して次の局。未だに俺の親は続行らしい。いったいいつまで続くんだ、この苦行は!

 

 で、その局で和了ったのが、

 

 {1} {横534} {横879} {66横6} {西横西西} ツモ{1}

 

 対面さんも呆れて、

 

「闇雲な鳴き麻雀っちゅうのはな、ひとつ晒せば自分を晒す、ふたつ晒せば全てが見える、みっつ晒せば――地獄が見える」

 

 この裸単騎待ちに苦言を禁じ得なかったようだ。

 

「そういうもんなんや、分かるか。ええか、もう一度言うで。ひとつ晒せば自分を晒す、そんで――」

 

 と対面さんは繰り返そうとした。その間際、俺は自然と口が開いて、

 

「自分を晒せば……また己が鳴きたがる」

 

 このように言葉を被せた。

 

 俺自身、自分に呆れて笑ってしまう。

 

「まったく……、背中が煤けてるぜ」

 

 無論、俺の背中がな!

 

 でも、対面さんのお陰で、俺気付けました! 俺、鳴き麻雀が大好きです!

 

 俺、鳴き麻雀と心中します!

 

 だって、一度でも鳴きの味を覚えちまうと、もうやめられなーい! 止まらなーい!

 

「ロン」

 

 {44④⑤東東東} {横678} {3横33} ロン{③}

 

 次局で俺は上家さんから出た三筒で出和了りした。この東は、現在東場であるなら確実に翻牌だろうし、役はちゃんとあるはず!

 

 ただ残念なのは、出来ればもっと手を伸ばしたいところだったのだが、その前に上家さんが三筒を出しちゃったもんだから、やむを得ず和了ったことだ。和了れる時に和了っておかないと、運を逃してしまいそうだし。

 

 で、その時対面さんが、

 

二九〇〇(ニッキュウ)二本付け炸裂! 二局前に怒りん坊君が鳴き虫君から直取ったんをそのまんまやり返されよった!」

 

 こう言ってきて、俺は以前の時に上家さんに取られた点数を想起した。

 

 たしかあの時は、二九〇〇は三五〇〇と言っていた……。

 

(しまったーっ! 同じ点数をやり返すって、それ何て嫌がらせだ! やばいよ、やばいよ……、上家さんの方見られないよ……)

 

「おい、お前。三五〇〇点だぞ、さっさと払ったらどうなんだ、まだ東場も終わってないんだからな」

 

「チッ、分かってるよ……。四千からだ」

 

(ちょっ、下家さん、いくら俺が悪いからって上家さんを煽らないで! 俺への意趣返しですか!)

 

 俺は戦々恐々としながら、上家さんが出した四本の千点棒に対して五百点棒を出した。そしたら上家さん、その五百点棒を侘しそうに摘まみ上げながら俺を睨みつけてきた。目を合わさないように俺は必死だった。

 

(しかし段々興が乗って来たぞ。次の局は期待出来そうだ)

 

 という良い予感の通り、次局では最初から手牌に赤五筒が入ってたので、速攻でチーで面子として確保した。それからこの勢いに乗ってガンガン鳴いていったら、カン材の八筒を自模ったので、流れるように加槓したところ、嶺上山から俺の和了り牌をゲットしたので、そのまま和了。

 

「ツモ、嶺上開花」

 

 {2333} {⑧⑧⑧横⑧} {横四二三} {横④③赤⑤} 嶺上ツモ{1}

 

……和了れたのは良かったけど、これ、二索だったらタンヤオも付いてたよな。ラッキィなのか幸薄いのか。

 

(何だろう、嶺上で和了れたのにこの敗北感……)

 

 また一段、俺のテンションが下がった。

 

 しかしながら俺の運もまだまだ捨てたもんじゃない。次の局では、面前でホンイツを聴牌出来た。

 

 {西西西①②②③③④⑥⑦⑨⑨}

 

(でもこれ、和了り牌は何だろう……)

 

 俺、多面待ちの和了り牌を見定めるの苦手。そのくせやたらとホンイツとかチンイツとか目指したりするから、振聴チョンボとか役無しチョンボとかをよくやらかす。面前で揃えた日には高確率でやらかしたものだ。

 

 俺は鳴きの手作りが好きなのは、こういったことがあるからなのかもしれない。

 

 当然、目の前で対面さんが五筒を打ったけど、俺はこれが当たり牌だと即座に判断出来ず、分かった頃には場は既に次の上家さんの自模番に進んでしまっていた。

 

 次の巡では、今度は下家さんが赤五筒を打った。しかし俺は、

 

(たしか、当たり牌を見逃したら、同巡内では和了れないんだったよな……)

 

 とスルーしたのだが、後になって、俺の番が回ってきたことで既に一巡した後になっているのだから和了れたはずなだということに気付き、俺は絶望した。自分が嫌になった。死にたくなった。

 

 次巡、俺は二索を自模ってきて、デジャヴを感じた。

 

 この手、どっかで見たことある、と頭に浮かんだ瞬間、

 

(ああ! これ、一年の時に咲が和了ってたやつだ! あの時は六筒を切ってたなぁ……)

 

 と脳内であの時の光景を思い浮かべていて、ふと我に返ると、俺はいつの間にか六筒を切っていたことに気付いた。

 

(あ、やべ、六筒切っちゃった。……もういいし、折角だからこのままあの時の咲の行動をなぞってやろ)

 

 俺は自分の失態に開き直って、次に自模ってきた九筒を手牌の中に収め、七筒を切って六七筒両面落としをしてやった。

 

 当然、その後に俺が自模ってきた西も

 

「カン」

 

 暗槓してやる。

 

 あわよくば筒子か西に新ドラが乗ってくれないかと祈ってみたが、案の定出てきたのは萬子。俺の手にはかすりもしない。

 

 そんなに期待していたわけじゃないが、ちょっと落胆しながら俺はやおら嶺上牌から一牌取った。

 

(御無礼。ツモりました)

 

 と心の中で、ハギヨシさんが時々使う決め台詞を真似た台詞を言ってから、

 

「ツモ、嶺上開花」

 

 {①②②③③④⑨⑨⑨2} {裏西西裏} 嶺上ツモ{2}

 

 まさか本当に和了り牌が来るとは思わなかった。自分でやっといて何だけど、正直引く。

 

「七十符二翻は、一二〇〇・二三〇〇」

 

 ドヤァ……。

 

 この点数は知っている。点数表の中で、唯一知っている点数だ。あれは衝撃的だったから、忘れようもない。俺は符計算は出来ないが、しかしこの手はあの時の手そのまんまだから、七十符二翻なのは分かっているのだ。

 

「あのー……、点数申告間違ってますよ。親だから二三〇〇オールです……、六本場で二九〇〇オール……」

 

 他三家が俺の申告通りに点棒を出してきたところで、スタッフの人が申し訳なさそうな顔で訂正してくれた。

 

(ていうかこの人たち、訂正せずに点棒誤魔化そうとしてた? 何それ、ずっこい)

 

 文句の一つでも言いたかったけど、迷惑掛けまくった負い目もあるから何も言えない……。ここは触れないでおこう。

 

 その後の局は、取り立てて言うことない。相変わらず、俺のしょぼい和了でいたずらに場が長引くばかりだ。

 

 ただ、ある折で、なかなかデカイ手を和了ったのか、いつもより受け渡される点棒が多かった。

 

(安手とは言え、結構点数は稼げたし、今の和了で逆転は出来たかな?)

 

 点差は気になるところだが、ボンクラ雀士の俺に点数差を見る余裕はない。その場その場の局面を切り抜けるのに精いっぱいだ。だから俺は今の点数関係なんぞ知らん。

 

 東?局 ?本場。

 

「ポン」

 

 俺は二連続で下家からポンをした。そうしたことで俺は、

 

 {23444發發7} {66横6} {88横8}

 

 混一色聴牌だ。

 

(ずばり、これは七索切りだな。そして待ちは……二三四を順子として捉えたら、四索と發のバッタ待ち、で、四索三枚を暗刻とすれば、一 - 四索の両面待ち。つまり、これは一 - 四索、發の三面待ち、高めは發だ! よし、珍しく多面張を見抜いたぞ!)

 

 今度こそ間違いない、と意気揚々と俺は七索を切った。

 

 この時俺は、きっと發を引くと思っていた。何故なら、ずっとしょぼい和了ばかり続けていた俺が、前の二局で続け様にちょっと高い手を和了れたのだから。ならば、これもきっと發を引いて『發ホンイツ』を和了るに違いないと考えたのだ。

 

 上家が小考ののちに牌を切るのをしっかりと見届け、誰も鳴く人が居ないのを確認して、それから俺が自模る。先ヅモなんてしたら験が悪いからな。ここはしっかりと、ゆっくりでも場を引っ掛かりなく進めたい。

 

 そうして自模ってきました、

 

(出ました、四索! ……え、四索?)

 

 引いてきたのは、高めの發なんかではなく、ただの四索。

 

(……そんなこったろうと思ったよ)

 

 こんなもんだ、世の中。和了れただけでも御の字だと思わなきゃ。

 

(はいはい、御無礼、御無礼)

 

 四索を卓に打ち付け手牌を倒した。

 

「ツモ。……ホンイツ」

 

 憮然として、ナマケモノのように緩慢に俺は和了役を告げた。

 

(本当だったら『發』も入るはずだったのにな……)

 

 俺の落胆は思ったより大きかったらしく、気だるげな態度がぬぐえない。二日酔いにでもなった気分だ。

 

 それにしても、周囲に動きが見受けられない。一体どうしたのだろう。

 

 そう思って俺は顔を上げた。見れば、皆揃って、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で俺を見ていたのだ。

 

「緑一色、だろ……」

 

 下家さんが怒ったような呆れたような様子で指摘してきた。

 

 そんな馬鹿な、と思って改めて自分の手を、こっそり見下ろしてみたのだが、

 

 {23444發發} {66横6} {88横8} ツモ{4}

 

緑一色(オールグリーン)やん!)

 

 めっちゃ苔生した緑色の牌が並んどったんや。珍しく多面張を把握出来たと思えばこれかよ。

 

 高めで役牌付くぞと言っておきながら、その実高め役満だったなんて一番恥ずかしいやつ。以前やった、一盃口を副露で崩しちゃった(あと七対子聴牌を崩した)やつよりダサイ。しかも、あちらは寸でのところで気付けたのに対し、こちらはもう申告しちゃったし。

 

 で、どうしようかと呻吟した末に、俺は苦肉の策で、

 

「いやホンイツだ」

 

 このままホンイツで押し通す!

 

 どうせ他三家は俺に役満和了れたら困る、ともするとハコテンになって負けになるかもしれないし、乗ってくれるかもしれないと一縷の望みを掛けての行動だ。

 

 俺は、わざと、低い和了りを、申告したのだ。

 

(やっぱり駄目?……)

 

 と観念して恐る恐る顔を上げようとした折、

 

「もう……勘弁してくれ……。そいつは緑一色だよ……、俺たちはそれでハコテンだ……。俺たちの負けだ」

 

 突然、上家の人が滂沱として涙を流したのである。

 

「俺はボンクラです……、ブタです……。もう歯向かいません……、麻雀もやめます……。だからもう許してください……」

 

 なんかどっかで聞いたことある台詞を訥々と言う上家を前にして、悪いけど俺はめっちゃドン引きしていた。

 

(えぇ……、何この人、いきなり泣き出したぞ……)

 

 今まで終始怒っていた――主に俺のせいだけど――男が、いきなり泣き出したら誰だって困惑する。

 

 脈絡的に、俺の何かしらの言動が原因だとは分かるが、しかし具体的なことが分からない。ただの三家同時ハコテンの何が彼をここまで泣かせたのか。俺なんか咲たちをはじめとして色んな悪魔どもに嬲られまくったんだぞ。

 

 ある時なんか、和の裸を見るチャンスだと思って脱衣麻雀に参加したら俺だけ集中狙いされた上に、やれこういう風に脱げだの、シャツのボタンを鳩尾辺りまで開けろだの、ズボンの腰からパンツの縁をはみ出させろだの、コートを羽織ってその中に私を入れろだの、訳の分からない注文を受けてバリ怖かったんだからな、なまら怖かったんだからな!

 

 しかしながら、こうして敗北に打ちひしがれて泣いている彼に、暫定の勝者となった俺が掛けてやれる言葉なんて皆無だから、俺は何も言わずにラムネシガレットを口に咥えて、黙って席を立ったのだ。

 

 他二人なんて、下家さんはこれから切腹でもする旗本みたいな感じだったし、対面さんはビッグボーイのマスコットを更にキモくした感じの引きつった笑いを浮かべていて怖かったし、ここは席を立つ他ないだろう。

 

「それにしても……」

 

 部屋を出た俺は、ラムネシガレット(コーラ味)を舌先で味わいながら、たった今獲得した勝利、延いてはこれまでの勝利について沈思する。

 

 戦略や戦術を以って対局には臨んじゃいなかった、どうかすると負けること前提だった。だが運が良いのか悪いのか勝った。嬉しいことには嬉しいけど、手放しに喜べない。どうせいつか負ける。

 

 前に一度咲たちとやった時に、天和を出したことがある。しかしその後すぐに捲られたし、爾来ずっと負けっぱなしだった。結局、一時的に勝ったところで後で負けてしまえば意味は無いことが分かっただけだ。

 

 俺のやったことは、単なる悪運で、これまで必死に努力してきた人を否定することだ。

 

 「向こうが自身の不運に負けた、俺の悪運に負けた」と口に出すのは簡単だが、俺が一年の時に竹井先輩が語って聞かせてくれたインターハイへの思いを想起すると、とてもじゃないが肯定出来ない。

 

「ま、いっか」

 

 不憫なことだが、彼らはあそこ程度の雀士だったのだろう。客観的な見解だ。

 

 俺はそう結論付けた。

 

「あ、おーい!」

 

 愉快な仲間たちを見つけたので、声を掛けた。折しも彼らは寄り集まって何やら話していた。

 

 ちょうどいい、チンチン侍の続きをやろう。そう提案したのだが、彼らの反応は宜しくない。

 

 それどころか、初め俺に振り向いた時のしょぼくれた顔が、更にしょぼくなったくらいだ。

 

「お前、あんな嬲り殺しを披露しといてよくそんな平然としてられるな……」

 

 そういったことをはじめとして、彼らは口々に俺のことを、まるで魔王みたいに言うのだ。魔王は咲だろ。

 

何だよ嬲り殺しって。最後にラッキィにも役満和了って全員飛ばしただけだろ。それだったらお前、あれだぞ、豊後プロなんて茅森プロに一八〇〇〇(インパチ)お見舞いした後で全員に国士無双振る舞ってたぞ。

 

 (くそッ、何て友達甲斐の無い奴らなんだ! 試合開始の前に、皆でチンチン侍やったあれは何だったんだ! 皆でチンチン、チンチンと叫んで、一緒に周囲から白い目で見られたあの絆は何だったんだッ!)

 

 俺はムカムカするのを抑えて、こんな薄情な奴らは知らんとその場を後にした。

 

 どうやら、雑用不足で俺のストレスも結構溜まっているらしい。苛立ちのあまり友達を悪く言うなんて……。鳴き麻雀で騙し騙しやってきたが、これはやばいぞ、早くどこかで雑用を補充しなければ!……。

 

 雑用を受注するのなら、女子高あたりが打ってつけだ。知っての通り女子高には基本女子しか居ない。ということは、力仕事が手に余る彼女らは男手を欲しがっていて、喜んで俺に雑用を回してくれるというわけだ。

 

 そうして俺が探しているのは風越の人たち。彼女らに目星を付けたのは、とても友好的だからだ。特にキャプテン――今は元キャプテン――の福路美穂子さんには良くしてもらっている。美人だし、おもちも大きいし、優しいし、それにおもちも大きい。しかもキャプテンという偉い立場にありながら自ら率先して雑用を買って出たりして、これのお陰で一緒に居られる機会に恵まれる。おまけに彼女は機械音痴なものだから、彼女の行動によってボーナス雑用が発生もする。まさに幸運の女神。なるほど、福路の『福』は幸運を指すのか。

 

 そもそも俺が風越の人たちと仲良くなる橋渡しをしてくれたのが彼女だし、全く頭が上がらない。

 

「あっ、福路さん!」

 

 ついに見つけました福路さん! 恰も良く風越の人たちも一緒だ。

 

「あ、ああ、須賀君。最初の半荘勝利おめでとう……」

 

「ありがとうございます。つっても、運が良かっただけですけどね。勝ったってのにあまり気分が優れないんですよね。気分転換に何か仕事でもしたいところだけど……」

 

 雑用を周旋してくれないか、と遠回しに言う。

 

 ところが、風越の人たちは、何やら狼狽える様子を見せていて、どうも話が進まない。ひょっとしてまだまだ好感度が足りないのだろうか。

 

「あ、そうそう! 池田さん、個人戦全国出場おめでとうございます」

 

 今度は、池田さんが個人戦で全国出場したことを祝うことでおべっかを使った。一応、めでたいという気持ちは本物だし、問題は無いだろう。

 

「あ、ああ! 当然だし!」

 

 池田さんは胸を叩いて言った。反応は上々。

 

 けれど、どうにも煮え切らない。それに、彼女らからのぎこちない態度もあまり変わらないし……。

 

 「で、そのお祝いの一つ……ってわけじゃないんですけど、何かお手伝い出来ることありますか? 今言った通り、気分転換に何か仕事でもしたいんですけど」

 

 しびれを切らした俺は直球で雑用の周旋を申請した。

 

「い、いや! 平気だし! 問題ないし! それに、そっちだってまだあんだから、身体を大切にしなって!」

 

(あるえー? おっかしいな……、いつもなら快く雑用回してもらえんだけど……)

 

 怪訝に思い俺は食い下がってみたが、そうすると段々と池田さんが、何やら必死で俺を追い返そうとしているのが分かった。

 

 愕然となった。てっきり俺は、風越の人たちと打ち解けていたものだとばかり考えていた。だが違ったらしかった。今回はどういった要因で断られたのか分からないが。まだまだ好感度が足りないのか。

 

 ここは引き下がるとしよう。

 

(でもなぁ……)

 

 やっぱりショックだった。これまであんなに優しく、雑用を恵んでくれたあの人たちが、それに福路さんまでもが、まるで俺を弾こうとするかのようにつっぱねるなんて……。

 

(仕方がない、他を当たろう)

 

 こうして、俺の雑用探しの旅が始まった。

 

【終幕に続く】




 実を言うと、最後の緑一色を結局ホンイツとして扱って次の局に進んだら、ついに京ちゃんが天和を和了ってしまうという案もありましたが、哭きの竜らしくないのでボツにしました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ありえない手筋で全国選手をフルボッコしてみた:終幕

 今回は閉幕のための回であり、勘違い要素と哭きの竜要素薄めです。その代わりちょっと暴走します。

 引き続き、ザツヨウの王者キョーちゃんをお楽しみください。


 雑用探しの旅に出かけ、次に見かけたのが鶴賀の人たちだった。

 

 蒲原智美さん、加治木ゆみさん、津山睦月さん、それと妹尾佳織さん。蒲原さんと加治木さんが私服であることを除けば、ちょうど去年のメンバーそのままだ。

 

 いや、あと一人足りない。

 

 ということは……。

 

「モモ!」

 

 そう俺が呼び掛けてやると、

 

「はい局長!」

 

 と姿を現したのは東横桃子、俺が立ち上げた『麻雀新選組』で密偵の山崎ポジ(俺が近藤でハギヨシさんが土方)の東横桃子であった。

 

 いきなり目の前に現れるものだから、少し仰け反った。

 

 モモへの今の呼びかけで、鶴賀の人たちも俺に気付いたようだった。何だか風越の人たちと同じ眼をしているような気がするが、まあいいか。何かもう面倒臭くなってきた。

 

「早速だがモモ、雑用を分けてくれ」

 

 まず俺はモモの顔を見て、次いで彼女のふっくらとしたおもちに視線が行ってから再度顔に移し、それから開口一番に雑用の周旋を頼もうとしたところ、

 

「そんなことより京さん、あれは何だったんすか!」

 

 突然モモは遮るように言ってきた。

 

「何って、雑用を……」

 

「そうじゃなくって、さっきの対局っす! あの七対子は何なんすか。タンヤオに手を伸ばすことを考えれば即リーしないのは納得っすけど、その後聴牌崩した挙句に一盃口すら失くしてたじゃないっすか!」

 

「ああ……、あれか……」

 

 ここに来て、あの時の局面で俺は、一盃口を崩しただけでなく七対子聴牌まで崩してたのだと知ったのだった。

 

「あのー、あれは……、そうだな……、情けを掛けたんだ」

 

 知らず知らずの内に、もう一つ過ちを重ねていたことで更に恥ずかしくなった俺は羞恥心に耐えかねてつい誤魔化そうとした。

 

「嘘っすね(明らかに甚振ってたっす)」

 

 キッパリとモモは言った。その直後に何やら呟いていたが、俺にはよく聞こえなかった。

 

(バレるよなぁ……。あの追い詰められた状況で七対子崩しといて、情けを掛けたなんてあり得ないし、どう考えたって素で見逃してたって見なされるわ)

 

 だが後悔はしていないぞ。元より俺は鳴きたかった、そのための対子だ。鳴きの無い麻雀なんてお魚抜きの海鮮丼だ。こればかりは割と本気だ。

 

「それと、あの最後の緑一色……いやホンイツのことだが――」

 

 と言い出したのは加治木さんだ。

 

(やめてくれー! あの似非ホンイツについては触れないでくれー!)

 

「一 - 四索、發待ち。發は上家と持ち持ち*1で、四索に至っては自分で暗刻。確かにあれなら高確率で一索を引いてホンイツに出来ていたし、君の気持ちは理解出来なくもないが……」

 

 一索を自模っていたらホンイツになってたな(笑)と言いたげな、実直な彼女にしては珍しい皮肉だ。

 

 言いたくなる気持ちも分からなくもない。ああいったミスの積み重ねで安っすい和了の連続とか、小島武夫先生だって草葉の陰でお怒りになっていることだろう。知らんけど。

 

「いや、あれは別に、いいんじゃないですかね……」

 

 と濁しながら、自然と俺は妹尾さんに視線が行った。

 

(俺は知ってるぞ、妹尾さんは合宿の時に緑一色を發ホンイツと申告していたことをな! 染谷先輩が愚痴ってた!)

 

 とは流石に言えない。それだとまるであの事故を妹尾さんに責任転嫁しているみたいで申し訳ない。

 

 しかし鶴賀の人たちは、俺の視線に、妹尾さん及び彼女のおもちへ注がれる視線に目敏く感付き、めいめい妹尾さんに視線を向けるのだった。

 

「ワハハ。ははーん、なーるほど、佳織が去年の合宿の時に繰り出したあれを真似たんだなー」

 

 安定の蒲原さん。

 

「えっ、わ、私のせいですかっ? ど、どうしよう……、謝ったほうがいいかな?……」

 

 一斉に目を向けられて妹尾さんはオタオタしだした。

 

「いや、あの、別にいいです、俺が勝手にやらかしたことです。妹尾さんのせいじゃありません」

 

「ついに認めたな」

 

 津山さんに言われたことが重く背中にのしかかった。そりゃないよ。

 

 結局、鶴賀でも雑用にありつけなかった。あの空気で雑用を回してくれとは言えず、有耶無耶になってしまい、俺が逃げ出す形でお開きとなった。

 

 その間際、加治木さんが、

 

「須賀君、私は君のことを信頼出来る男だと思っている。だからモモを任せた。彼女が独立出来るように、な……。勿論、今も君を信頼していたいと思っている。……くれぐれも、モモを頼んだぞ」

 

 物凄い重圧だ。思えばモモと付き合いを持つのに仲を取り持ってくれたのは加治木さんだった。あれにはこんな意図があったのね。嬉しいような……、重いような……。

 

(次はどこを当たるか)

 

 気持ちを切り替えて俺はまた雑用探しの旅に出る。

 

(他にあるとすれば、やはりあそこだろうか……)

 

「これはこれは、京太郎君。最初の半荘戦の勝利、おめでとうございます」

 

「あ、ハギヨシさん、ちょうどよかった。ちょっと仕事を回してもらえませんか」

 

「生憎と、既に済ませてしまったもので、差し当たってこちらから頼める仕事はありませんね」

 

 ハギヨシさんは、少しだけすまなそうな感じを出して返した。

 

「そうですか……、分かりました。じゃあ、何か俺に出来る仕事があったらお願いしますね」

 

「ええ、その時は。――それはそうと、先ほどの試合、見事な勝利でしたね」

 

「あれですか。いやあ、何だか気まずい試合になっちゃいましたよ」

 

「私は楽しめました。特にあの緑一色は……」

 

 と言ってハギヨシさんはその柔和な笑みを不気味に深めた。

 

(あ、御無礼する時の顔だ)

 

 この顔をしている時のハギヨシさんには正直声を掛けづらい。だから俺は黙って苦笑するばかりだ。

 

 そう言えばハギヨシさん、いつもあんなヤバイ卓に座ってるのかな。で、毎回紙袋にあんな大金を……。

 

 気になるところだが、とは言え出来ればもうあんな卓には座りたくない。ハギヨシさん怖いし。

 

 と俺が物思いに耽っていると、ふとどこかから、何やら俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 

「ん……」

 

 俺は耳を澄ました。

 

「京ちゃああああん!」

 

 この声は咲か。やけにダミ声だ。

 

(道に迷って、その先で俺を見つけたってところか?)

 

 そう思って振り向いたが、予想に反して咲は一人ではなく、清澄、それと龍門渕の面々も一緒であった。

 

「何だ、珍しく迷子にならなかっ――」

 

 俺が茶化すように呼ぼうとしたところで、すぐそこまで距離を詰めてきた咲は勢いよく俺に飛び付いてきたのだ。いくら俺の体格が良く、咲が軽いと言っても、そんな勢いで突撃されたら俺もよろける。

 

「京ちゃああああん! いつもの優しい京ちゃんに戻ってええええ! 嶺上開花は人殺しの道具じゃないんだよおおおおお!」

 

 涙ダラダラ、鼻水ズビズビの咲が俺の服に顔を擦り付けてきた。

 

「おい、やめろ! 汚いから! 鼻水汚い!」

 

 咲を引きはがそうとするのだが、今日のこいつはいつもと違って力が強く、意地でも離さないとばかりに腕を俺の背中にまで回して締め付けてきている。

 

 そうしているとお次は、ちょっと涙ぐんだ優希が寄ってきて、

 

「犬、何てことしてるんだじぇ! 嶺上開花を悪用するなんて何のつもりだ!」

 

 いや嶺上開花の悪用って何よ。嶺上開花に何があるってんだよ。世界征服でもするのか。

 

「須賀君、麻雀はよもや人を陥れる道具ではないんですよ。あんな、修羅のような打ち方をしてはいけませんよ。代打ちや玄人(バイニン)が跳梁跋扈する時代は終わったのに……」

 

 そう語る和の顔は悲しげだった。

 

(修羅って何だよ……。俺そんなヤバイこと求めてねえよ。ちょ、その顔やめてくんない? 博打狂いになった男に向ける眼差しやめてくんない?)

 

 やり切れない気持ちに俺は少し視線を下げた。具体的には和のおもち辺りに。

 

「須賀君……、あの……、嫌なことでもあったの?…… 悩みがあるなら聴くわよ?……」

 

 竹井元部長はいつになくしおらしく言葉を掛けてくれた。染谷現部長も同じような眼を俺に向けている。

 

(部長たちまでやめてくれません? 同情するなら雑用をくれ)

 

 もうこの際雑用だったら何でもいいかな。竹井先輩の人間椅子になるという仕事でもいいから。

 

 駄目だ、周囲の連中のあまりの頓珍漢な言動に、いよいよ俺の思考が明後日の方向へと向かっていくぞ。

 

「何を言っておるのだ、先刻の対局はあれが良いのだろうに! かのような土豪劣紳にはふさわしい末期だ!」

 

 と、横から入ってきた、渋い言葉遣いにはそぐわない高く幼いその声は、まさしく天江衣さんのそれであった。

 

「いやいやいや、あれはやり過ぎだろ……」

 

 衣さんに続き井上純さんが、俺と、俺の肩に腰を置く衣さんを見て言ってきた。

 

「衣はいつもやってることだから分からないだろうけど、それに慣れたボクたちから見てもあれは非道いと思うな……」

 

「同感……」

 

 国広一さんと沢村智紀さんまで……。

 

 困惑して俺は二人をちらと、あとさりげなく智紀さんのおもちもちらと見た。

 

「第一、目立ち過ぎですわ!」

 

(良かった……、透華さんだけはいつも通りだ……)

 

 唯一、龍門渕透華さんだけはまともなようでホッとした。龍門渕のお嬢様という位は伊達じゃない。

 

 どうにかその場は変な騒動にまでは発展せず治まったが、まったく踏んだり蹴ったりだ。俺はハギヨシさんに雑用を分けてもらおうとしていたのに、龍門渕勢と清澄勢の面々に見つかって小言を言われるとは。

 

 特に咲の奴……。あいつにだけは言われたくなかった、あの魔王だけには言われたくなかった。ジーザス。

 

 ところでハギヨシさん、まさかとは思いますけど、咲たちを巻き込んだ上で龍門渕の人たちを呼んでたりしませんよね? あの手に持ってた機械ってビーコンか何かだったりしませんよね? あとあの顔、御無礼する時の顔にちょっと似てましたけど。誰に向けての顔だったんですかね。

 

 俺は深いため息を吐いた。

 

「麻雀なんて嫌いだ……」

 

 前もって言っておくが、俺は麻雀というゲーム自体は面白いと思っている。良く出来たゲームだ。こんにち、世界には億単位の麻雀プレイヤが居ることには納得だ。

 

 だが俺からすれば、麻雀には疫病神か何かが潜んでいる。

 

 ホモのヤクザに目を付けられるわ、ブラックな金掴まされるわ、対局相手と険悪になるわ、何故か周りから人でなし扱いされるわ。およそ健康優良日本高校男児に降り掛かる艱難辛苦じゃない。

 

「麻雀やめよっかな……」

 

 口にしたその時だった。

 

「えッ、麻雀やめちゃうんですか!」

 

 その声に驚き振り向くと、そこには神代小蒔が、不安げな顔で俺を見上げていた。

 

「こ、小蒔か……、聞いてたのか」

 

「京太郎さん、本当に麻雀やめてしまわれちゃうのですか?……」

 

 目をうるうるとさせながら言う小蒔に、俺はたじろいだ。

 

 次いで、彼女の後ろに居た石戸霞さんに助けを求めるように目配せをした。のだが、霞さんはやれやれといった風に俺を見るばかりで、ちっとも助けに入ってくれない。

 

「ま、まあちょっと調子が悪いからな、ネガティヴになってんだろう。やめないからさ、ほら」

 

 どうにか小蒔を宥めすかし、俺は肩の力が抜けた。

 

 しかし今度は小蒔の様子がおかしい。直前の哀しげな顔とは打って変わって、今度は何やらアグレッシヴな情動があるらしい。

 

 俺を見上げつつ、ゆっくりと後ずさって、そのまま霞さんの背中に身を隠し、そこから俺を覗き込む体勢になっていた。その顔は、目を真ん丸に見開いて俺を見やり、顔を真っ赤にして口を引き結んでいた。照れた少女のようでもあるが、今にも笑い出しそうな子供みたいな顔だ。

 

 どう見ても俺に向かって笑いそうになっている。俺の何がそんなに可笑しかった。

 

「小蒔? どうした、突然。うーん……、ねえ霞さん?」

 

 霞さんの影に隠れる小蒔の顔――あとちょうど小蒔の顔の高さにある霞さんのおもち――を見てから、俺は霞さんの方に視線を流して尋ねた。

 

 彼女は、自分の後ろに居る小蒔と俺を交互に見て、微笑ましそうに笑っていた。

 

「霞さん?」

 

「あら、ごめんさいね。小蒔ちゃんたら、対局中の怖い京太郎君が、対局終わったら悲しそうな顔してたり優しそうな顔したりするものだから、そのギャップにキュンッて来――」

 

「わあー! わあー! わあー! わあー!」

 

 おもむろに語る霞さんの口を、慌てて出てきた小蒔が塞いだ。

 

 俺の耳では『ギャップに――』というところまでしか聞けなかったが、霞さんのそれまでの言葉から察するに、どうやら小蒔は、対局中の俺の辛気臭い顔と、対局後の調子の戻った俺の顔のギャップがツボに入って笑いそうになっているらしい。赤ちゃんが『いないいないばあ』に喜ぶのは、突然目の前から顔が消えた不安と、再び顔が現れた安心のギャップによるものという説と同じことか。

 

 ま、小蒔が変なのは今に始まったことじゃない。

 

 例えば去年、インターハイ後に再会した時、訝しげな顔で小蒔は矯めつ眇めつ俺を見たのち、こてんと小首を傾げ、

 

『守護霊をお変えになりましたか?』

 

 シャンプー変えました? ってノリで訊かれて反応に困ったものだ。それに比べれば今回のは序の口だ。

 

「あ、そうそう」

 

 ふと俺は、小蒔にちょっと用があったことを思い出したので、

 

「母さんがさ、宜しくって」

 

 今の内に済ましておこうと思い、母さんから頼まれた伝言を伝えた。

 

 俺の母さんからの伝言を聞いて、それまで顔を真っ赤にしていた小蒔は途端にキョトンとした顔つきになった。それから数秒間くらいした後か。唐突に小蒔は相好を崩して、くすくすと笑いだした。

 

「どうした」

 

「うふふ……、いえ、ちょっと面白いことがあったもので……。ふふふ……、そういうことだったんですね……」

 

 俺を置いて小蒔は自分自身だけで腑に落ちた様子だった。

 

「それなら、私の母からも、あなたのお母さまに言伝がございますよ。――回りくどいのはもういいから直接おいでなさい、と」

 

 というのを聞いて、今度は俺が噴き出す番だった。

 

「ははは! なるほどな。それならうちの母さんは、もう準備している、とも言ってたわ」

 

 俺がこう言ったのを皮切りに、俺たちはにぎにぎしく笑い出した。

 

「はい! 伝えておきます。ですので、京太郎さんもお願いしますねっ」

 

「おう!」

 

 俺たちはそう言って別れた。

 

 少しだけ、気が楽になった。良い事があると、たとえそれが目下の悩みに直結する事柄でなくとも、気が晴れるものだ。

 

「あ、雑用貰うの忘れてた……」

 

 途方に暮れて俺はとぼとぼと歩いた。あんな良い話風に別れておいて、そのあとで、雑用くださいとか頼み込むのはカッコ悪くて無理。ていうか似たシチュエーションで前に言ってみたことあるけど、残念な男を見る眼で見られた。

 

 さて次はどうしようか。そろそろ時間に余裕がなくなってくる頃だ。

 

 なのにまたしても振出しに戻ってしまった。これでは当分は雑用にありつけなさそうだ。

 

 もう闇雲に彷徨している暇はない。だから俺は、雑用をくれるであろう人たちの中で、所在の見当が付く人を探しに行った。

 

 で、その矢先に俺にメールが入った。差出人は弘世菫先輩。

 

『照を見てないか。見つけたら連れてきてくれ、手段は問わない』

 

 どうやらまた照さんが行方不明になったらしい。期待はしていないが、これで何か面倒事でも起きてくれれば良いな。

 

 というわけで俺は、宮永照捕獲ポイントを回ることにした。弘世先輩がメールで言っていた、はぐれた場所から近場のポイントに行けば見つかることだろう。

 

 と見当を付けて、まず一番目のポイントに到達したら、いきなり発見した。

 

 仕掛けられた罠に足を取られつつも、餌として設置してあったお菓子をカジカジと齧り続けるその様はまさしく宮永照さんである。

 

「どうも、鶴です。助けてください」

 

「はい、はい」

 

 ふてぶてしく要請してくる照さんを、俺は助けてやる。マッチポンプになるけど、引っ掛かる照さんも照さんだ。あと、手段は問わないと発言した弘世先輩も悪い。

 

「助けてくださってありがとうございます。お礼をしたいので竜宮城へどうぞ」

 

「ああそう。ところでクッキーあるんだけどさ、食べる?」

 

「食べます」

 

 照さんを保護した俺は、手持ちのクッキーを餌に照さんを誘導し、弘世先輩との待ち合わせ場所に赴いた。竜宮城へどうぞ、と言っておきながら、案内をするのは招かれているはずの俺。照さんが変なのは、彼女がまだ長野に居た頃に初めに言葉を交わしたころから分かり切ったことだ。

 

 無事、俺は照さんを見失うことなく弘世先輩と合流出来た。傍らにはチーム虎姫も居る。照さんが卒業しても、彼女らは振り回されるのか。

 

 俺は羨望を抱きつつ、照さんにクッキーを渡してから彼女を引き渡した。ついでに雑用でもくれればと思ったが、あまり当てには出来ない。何故なら白糸台は人手が充実しているし、外部の、それも男子生徒に気軽に雑用をくれたりはしないからだ。

 

「試合は見ていたぞ、須賀君。……やり過ぎなんじゃないのか?」

 

 出し抜けに弘世先輩が、今日何度も聞いた苦言を口に出す。

 

 言い掛かりはもう沢山だ。

 

「運が無かったんです、彼らには」

 

 こう俺はなげやりに一言で済ませた。当然、目の前の白糸台の人たちは不満げだった。不満が行き過ぎてドン引きしている顔だ。

 

(知-らね。鳴き麻雀が原因だなんて、俺わっかんねー)

 

 こうなったらヤケクソだ。対局相手の彼らには悪いが、俺は開き直ることにした。で、その勢いのまま、チーム虎姫らに、どうだと言わんばかりに目を向けた。それに気圧されたのか、彼女らは、渋谷尭深さんと亦野誠子さんは後ずさった。ちょっと傷付いた。

 

「ん……」

 

 そうして俺が哀愁に浸りつつ渋谷さんのおもちを盗み見ていると、彼女らの後ろにもう一人居ることに気付いた。彼女らの間から顔を覗かせ、俺を監視しているみたいだった。それが大星淡であるのはすぐに分かった。

 

 様子がおかしい。いつもなら、テンション高いバカ犬みたいに飛び付いてくるのに、今日は怯えたように震えている。飼い主(弘世先輩)に虐待でもされたのだろうか。

 

 首を傾げていると、やがて俺の視線に気づいた淡がビクリと身体を跳ねさせ、

 

「あ、あわーっ! あわーっ!」

 

 俺に威嚇してきたのだ。

 

 こんな扱いを受けるようなことを、彼女にした覚えはないはずだ。いや、あるにはあるが……。

 

「あのー、弘世先輩?……」

 

 戸惑った俺は、弘世先輩に尋ねた。すると彼女は、首を横に振り、

 

「いや、“あの事”以外に無いだろう……」

 

 さも当然の如く言ってきた。

 

 マジで“あの事”だったのか。淡の奴、まだ“あの事”を根に持ってるのか、しつこい奴だなあ。あれは事故だろうに。その証拠に、あの一局の後、俺はずっと負け通しで手も足も出なかった。

 

 まったく溜息が尽きない。

 

 そして俺は、多分に漏れず白糸台でも雑用を貰えなかった。予想通りだけど。

 

 それどころか、

 

「ところで須賀君、君は私のことを、照と淡と一緒にして『三馬鹿』と呼んでいるそうじゃないか」

 

 俺が弘世先輩のことを陰でこっそり『白糸台の三馬鹿』と呼んでいるのがバレてしまっていたと知ったことで、俺は遁走を余儀なくされた。

 

 然り而して、疲弊した俺は現在ベンチに座って項垂れている。弘世先輩のシャープシューターの眼光が原因だ。

 

 流石は元白糸台のシャープシューター(SSS)。シャープシューターは標的がどこに居ても決して見失わない。だからこそシャープシューターと呼ばれるのだ。これからは彼女のことを、敬意を持ってシャープシューターと呼ばせてもらおうと誓った。

 

 目を瞑りながら俺はベンチの後ろの壁に背を預けて、何度目かも分からない溜息を吐いた。

 

(もう麻雀やめよっかな。うん。麻雀なんて無くったって、俺は生きていけるし)

 

 そんな想念が頭をもたげた時だった。

 

「京太郎君?」

 

 という声に反応して、上体を起こして目を開いた。

 

「玄さんに宥さん」

 

 居たのは松実姉妹。姉の宥さんと、おもちの同士・玄さんであった。

 

「どうしたの、そんな溜息吐くなんて、珍しいね」

 

 ためらいながら宥さんが、俺を心配する声を出した。男への苦手意識は相変わらずらしい。

 

「そうですか? 俺は年がら年中、ぼやきっぱなしですけど」

 

 再び俺は項垂れた。あまり顔を上げる気にはならない。せいぜい、二人のおもちまで視線を上げるくらいだ。

 

「でも、京太郎君が泣き言を言うとこなんて見たことないのです」

 

 おもちの同士、玄さんが言った。

 

「さてどうかなぁ……。二人だって、いつも俺を見ているわけじゃないでしょう」

 

「清澄の人なら、部活の時くらいは見ているよね。聞いたよ、京太郎君はどんなに嫌なことでも、不平は言っても泣き言は言うの見たことないって」

 

 その清澄の人というのが誰かは言及されていないが、松実姉妹が言うのなら、十中八九和のことだろう。

 

「和がか。そんな方面で褒めてくれるなんて意外だな」

 

「そう? 京太郎君は優しい人だから、おかしくないよ。京太郎君と話す時のおねーちゃんを見てれば分かるよ」

 

「ふふっ……」

 

 玄さんの言葉を受けて、面映ゆそうに宥さんが笑うのが聞こえた。

 

 ところでさ、と玄さんが口を切り、

 

「京太郎君は、どうして麻雀をやろうと思ったの?」

 

 唐突な質問だ。

 

 少々俺は驚いて呆然としたのち、

 

「俺、中学ん時、ハンドボールやってたんです。県大会では良いとこまで行ったんですよ。で、高校入学に伴ってハンドボールやめて、次は別のやつ、文科系とかやってみたいなってことで、そんで頭に浮かんだのが麻雀だったんです。ほら、文科系と言えばやっぱ麻雀ですし。麻雀も一応スポーツですからね、マインドスポーツ!」

 

 くすくすと松実姉妹は笑った。

 

「へえ、そんな感じだったんだ。和ちゃん目当てって聞いてたから、なんか意外」

 

「間違ってないけど……」

 

 俺は苦笑した。

 

「京太郎君って、よく話すみたいで、実は肝心なことを口に出さないよね。優しいからなんだろうけど、でも、それで勘違いされたりしてそうだよね……、それが心配かな」

 

 と宥さんが言った。

 

「確かに、人と話してると、時々齟齬を感じたりします。麻雀関連では特にそれが顕著だ。何だか嫌になってきますね……」

 

「でも、悪いことばかりじゃないでしょ?」

 

 玄さんは静かに言った。

 

「まあね……」

 

 目を閉じて、俺が麻雀部に入って得たものを想起する。

 

 最初に思い浮かんだのは和だ。あの、制服を押し上げるふっくらとしたおもち……。押し上げられた制服がカーテンみたいにひらひらと垂れさがるあの形……。あの感動は今も俺の中で生きている。

 

 次に喚起されたのは霞さんだった。和をはるかに上回る、まさに爆弾とも形容出来るあの巨大なおもちを見た時の衝撃。同じく大きなおもちをお持ちな小蒔と並ぶことによるシナジィ、初美さんと並んだ時のコントラストは本当にすばらっ。そして何よりもあの、和了した時に手牌を胸で押して倒したという嬉しいアクシデント。あのおっぱい倒牌(とうぱい)を、俺は決して忘れはしない。

 

 いや、彼女らだけではない。今俺が前にしている二人を含めて、麻雀を通して今まで出会ってきた数々のおもち少女も居る。

 

(そうか、そういうことだったのか。玄さんは俺にこれを思い出させるために!……)

 

 ふっと俺は小さく笑った。

 

「どうしたの、そんな笑って」

 

 と玄さん。

 

「ん、ああいや、ちょっとした悩みがあったんですけど、もう吹っ切れました。……ありがとう、玄さん」

 

 顔を上げて二人を見ると、彼女らはそっと微笑んでくれていた。

 

 俺のスマホが震えたのはその時だった。ハギヨシさんからのメールだ。

 

 内容は、

 

『急に恐れ入ります。人手が欲しいので、手伝っていただけますか。時間はさして取りません』

 

 相好を崩しながら俺は立ち上がった。気のせいか、身体が幾分か軽かった。

 

「用事が出来たんで、そろそろ行きますね」

 

「そうなの? うーん……、もっとお話ししたいけど、仕方ないよね」

 

 さも残念そうに言う玄さんと、それと宥さんに浅くお辞儀をしてから、俺はハギヨシさんに了承の返事をした。

 

 この麻雀生活にはさんざん難儀させられた俺だが、他方で、おもち少女たちとの出会いという得難いものもあったのだということを思い出した。

 

 俺はこの先、何度も迷うことだろう。麻雀が嫌になることも、きっと多々あることだろう。それでも俺は、今は迷わず前に進むことにした。

 

 これからひと仕事する人間がよくそう思うように、麻雀部は続けようと俺は思った。

 

 俺は清澄高校麻雀部一年、兼『のどっちのおもち研究会』、会員番号八番――須賀京太郎だッ!

 

「じゃ、俺はこれで。玄さん、会えて良かったです。あなたは最高の――おもちの同士だ」

 

 そう言ってやると、ぷっと玄さんは噴き出し、

 

「えっ……、あんな良い話みたいな雰囲気になってたのに、そこでおもちって言っちゃう?」

 

 驚きと笑いを綯交ぜにした顔で言ってきた。

 

 そんな彼女に、俺はニカッと笑い掛けてその場を後にした。

 

(おもちの話を持ち掛けてきたのは玄さんなのに、今更それを言うか、玄さん)

 

 ハギヨシさんのもとへの道すがら、俺は心の中で玄さんにツッコミを入れた。

*1
二人で同じ対子を持ち合うこと




・お知らせ
 就職先の都合上、三月二十六日から半年間はパソコンを使えない環境に身を置くことになるため、つきましてはこの回を投稿した後は、最低半年間程休載することになります。部隊配属後にこのSSの続きを書くモチベーションがあれば、また再開するかと思われます。その時はよろしくお願いいたします。

 ちなみにこのお知らせは呪われています。一週間以内に三人の人にこのメッセージを回さないとあなたに不幸が訪れます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白糸台でこれはひどい麻雀:前編

 どうも、お久しぶりです! 令和元年おめでとうございます! GWに時間が空いたので書いてみました。が、結局GW中に書きあがらなかったので、途中からスマホで書いています。スマホだと書きづらいので、変な感じになってしまいますでしょうが、悪しからず。


【0】

 東一局。

 

「ツモ……」

 

 宣言して京太郎は、自模った紅中を叩き付け、裸単騎にしていた牌を倒した。その牌も同じく紅中。そうして出来上がった京太郎の手は……。

 

{中} {東東横東東} {横西西西西} {南南南横南} {北北横北北} ツモ{中}

 

 大四喜、字一色、四槓子。

 

 和了するや否や、彼はしばらくの間を置いて席を立ち、そのまま卓から離れ去った。

 

 先ほどまで京太郎と卓を囲んでいた三人、宮永照、大星淡、弘世菫は各々、冷や冷やと汗を流したり、顔を青ざめさせたり、信じられないとばかりに目を見開いたりしていた。

 

 大会のルールであれば、本来はダブル以上の役満は無しである。だがこれは公式の試合ではなく非公式の対局、謂わば練習試合のようなものであり、ルールが変更されている場合があった。で、その変更ルールが、よりにもよってダブル役満有り、四暗刻単騎や十三面国士無双、純正九蓮宝燈、及び大四喜がダブル扱いとするものであった。

 

 よって、この京太郎の手は……。

 

四倍役満(クアドラプル)……」

 

 菫が呟くと、淡がビクリと身体を震わせた。

 

 そう、これが裸単騎の状態でツモ和了りされたということは、つまり誰かが大四喜を確定させ、それによる責任払いが発生していることとなる。

 

 無論、その確定させた者というのが、今動揺した淡だった。大明槓で四槓子の責任払いこそなかったものの、しかし大四喜は丸々と支払わねばならないのである。加えてこの局での親は須賀京太郎。ということは、

 

 大四喜(ダブル)、九六〇〇〇(淡の支払)。四槓子と字一色、三二〇〇〇オール。

 

【結果】

 トップ、京太郎……二一七〇〇〇点

 

 二着、照……△七〇〇〇点

 

 二着、菫……△七〇〇〇点

 

 ラス、淡……△一〇三〇〇〇点

 

 以上。

 

 この結果が告げられると、部室内は瞬く間にざわめき出し、次いで全員の視線が淡に向けられた。それらの眼には、淡が弱いだのと軽蔑するようなものはなく、むしろ同情をしているくらいで、而して京太郎の規格外な力に戦慄することさえある。

 

 考えてもみればいい。この局で京太郎と卓を囲んでいたのは、全国三年連続チャンピオンの宮永照、白糸台麻雀部部長の弘世菫、そして白糸台のエース、宮永照の後継者、大星淡なのだ。ダブル役満有りの特殊ルールだとしても、その三人を纏めて箱下まで沈めたのなら、それは敗者らへの侮蔑ではなく、勝者への畏敬を抱くのが自然というものであろう。

 

 さて、一体全体どのようにしてこんな状況になったのか。

 

【1】

「京ちゃんは、麻雀楽しい?」

 

 俺の前を歩く照さんが、そう尋ねてきた。

 

「まあ……、楽しいかな?」

 

 俺は答えた。すると後ろのほうで弘世先輩が、嘆息するみたいに息を吐いたのが聞こえた。歩きながら俺は、白糸台校舎の連なった窓ガラスを眺める。白く曇った窓ガラス。薄っすらと外の景色が見える。それを見つつ、どうして麻雀が楽しいと思えるのかを考えた。

 

「役作り、とかは楽しいかな。面子を作ってたら、たまたまそれが高い手で、よく分かんないけど倍満とか和了れて点数ガッポガッポもらえたら、それはそれで楽しいし。危険牌とか安全牌とかは……、考えるのが面倒くさいから勘で捨ててるけど」

 

 捨牌読みが出来ない、とは明言出来なかった。だから言葉を濁した。

 

(だって恥ずかしいんだもん)

 

 俺が麻雀を始めて一年が経とうとしている年度末になって、未だに麻雀がよく解らないなんてとてもじゃないが言えない。

 

「そうなんだ……、それは良かった。私は……楽しいって言えば楽しいけど、こうして全国で勝ちたいっていうほど情熱があるのかって言われれば、微妙な気がする」

 

 顔を半分だけ後ろに向けて、ささやかな微笑を照さんは浮かべた。

 

「咲を麻雀に戻してくれてありがとう。京ちゃんが戻してくれたんでしょう」

 

「別にお礼を言われることじゃないな……。だって俺、咲が麻雀強いってことはおろか、麻雀打てることも知らなかったし」

 

 それに俺は、宮永家の家族麻雀のことも、宮永姉妹の確執も知らなかった。

 

 さては照さんがいつ東京へ行ったのかも知らなかった。俺からすれば、いつの間にか見かけなくなったという程度のものだった。

 

 きっと照さんとしても同じだ。彼女は俺のことを『京ちゃん』と呼ぶが、少なくとも俺をそう呼び始めた当初、彼女は俺の名前を知り得なかったはずだ。俺は照さんに名前を訊かれたことも、ましてや自ら名乗ったこともない。咲がそう呼んでいるから、照さんも倣っただけなのだろう。

 

「でも言わせて。昔、咲には酷いことをしたから……。麻雀から逃げた咲にとって、京ちゃんは拠り所だったんだと思う。ちょっと咲が羨ましい、かも……」

 

 俺から顔を隠すかのように、彼女は再び前を向いて歩き続けた。

 

 俺がここ、白糸台高校に来ることになったのは、成り行きというものであった。

 

 今年度の夏、全国へ行く我が清澄麻雀部にーー雑用としてーー付いて東京に来てからというもの、東京という都市を気に入った俺は、高校生にしては高い頻度で訪れていた。

 

 幸いにも俺は、ちょっと……臨時収入に恵まれていて、新幹線を利用して行って、適当なホテルに泊まれるくらいには金銭には困っていなかった。地元でサイケデリックなシャツを着たお兄さんたちと仲良くなって、案内されたマンションで引き続き麻雀をやったら何故かお小遣いを貰い、その後日今度は、中年太りをした、髪の毛が白髪で灰色になっているおっさんたちと打ったのである。『二の二 - 六、ビンタは二十万』なんていう訳の分からない用語で始まり、『倍プッシュ』とかいうインターバルを挟み、『オケラ』という締めの言葉で札束を出されたのであった。

 

 まあそういうことだ。

 

 で、その金で東京に、今日は新宿(ジュク)などといった活気ある東側ではなく、西側へ赴いてみたところ、迷子になっていた照さんと遭遇し、結果、彼女の白糸台麻雀部での引退試合に何故か招待された次第であった。

 

(全国チャンピオンの権力って凄え……)

 

 浮足立ちながら俺は、初めて入る女子高――秘密の花園とも――という場所を、まるで罠でも警戒するかのような足取りで歩く。

 

「ところで――」

 

 どうにか間を持たせようと焦るように俺は早口に紡いだ。

 

「照さん、プロにスカウトされてたそうだけど、でも大学へ進学することにしたよな。どうしてなんです?」

 

 やおら照さんは、考え込むように顔を若干上に向けてから、

 

「んー……、菫と一緒に大学に行きたかったから?」

 

 顎に人差し指を当てて答えた。

 

「ああ、ああ、なるほどね……」

 

 とりあえず俺は納得した顔で小さく数度頷いて、

 

「弘世先輩」

 

 首をほとんど振らずに目だけで後ろのほうへ視線を流して俺は弘世先輩を呼んだ。

 

「何だ」

 

「苦労されてるんですね」

 

 という、主語を端折った俺のこのたった一言に、

 

「解ってくれるか……」

 

 と返してくる弘世先輩の声は、ようやく見つけた理解者を前に感激に溢れ、ひり出すようなものになっていた。

 

 相当大変なんだな、と思った。照さんのほうはまだいい、彼女は基本的にポンコツだが、時たま変なところでバカに生真面目で常識的になるからだ。問題は、その隙を埋めるかのように、もう一人のバカが馬鹿なことをやらかすものだから、弘世先輩の気が休まる時間は少ないのである。おまけに『白糸台のシャープシューター(SSS)』というめっちゃくちゃ恥ずかしい異名まで付けられ、時にはからかわれる三重苦。俺も陰でネタにしてるけど。

 

 ところで、照さんの他にもう一人、バカが居ると今述べた。そのバカとは一体誰のことなのかというと、それは、これから入る白糸台麻雀部の部室に行けば分かる。

 

 行き着いた教室の扉を、俺の前を歩いていた照さんは開いて入り、こわごわと俺も後に続いて入ったところで、

 

「あっ、来たっ?」

 

 と、中に居た何人もの女子部員の内の一人が立ち上がって、パッと花が咲いたような笑顔で俺のほうに顔を向けた。で、須臾にしてその嬉しそうな顔は失意のものへと変わり、

 

「何だ、キョータローか……。清澄の麻雀部員が来るって聞いたから、てっきりサキーって思ったのに。あーあ、ガッカリぃ……。あとその服カッコイイ、似合ってる」

 

 彼女、大星淡は俺への無礼も気にせず、憮然とした態度を明け透けにしてまた座り込んだ。

 

「いきなり随分なご挨拶だな、男子生徒って聞かなかったのか。ちなみにこの服は俺の一張羅だ、方々の女子から助言を貰ってコーディネートしたやつな」

 

 淡はこの白糸台麻雀部のホープであり、全国女子麻雀チャンピオン宮永照の後継者であり、而して麻雀の腕は折り紙付きだ。ただし見ての通り傲慢な奴で、俺みたいなボンクラ雀士はこのように当たり前のように見下される。今年の夏で清澄にしてやられたことでちょっとは懲りたと思っていたが、ロバが旅に出たところで馬になって帰ってくるわけじゃないのと同じように、たった一回の負けでしおらしくなる奴ではなかったらしい。

 

 ハギヨシさんに『御無礼』されちまえばいいのに。

 

「テルー先輩さー、どーしてこんなん呼んできちゃったんですかー。折角の引退試合なのに」

 

 気だるげな、取ってつけたような敬語で、だらだらと椅子の背もたれにもたれ掛かりながら淡は歯に衣着せぬ不平を吐いた。

 

「ほっとけよ。俺だって咲連れてくりゃ良かったって思ってんだから。ったく相変わらず感じ悪い奴だな、可愛いからまだそのワガママも愛嬌とは言えるんだろうけどよ」

 

 という具合に、負けじと俺も毒づき返した。

 

「仲良いね……。連れてきたの私なのに……」

 

 どういうわけか照さんが、ムスッと面白くなさそうな顔で、俺と淡を交互に見やって言ってきた。

 

「どこがだよ」

 

 全く意味不明だ。弘世先輩や、他の人たちも、照さんと同じようなことを言いたげな眼で俺と淡を見てくるし。俺より淡と一緒に居る時間の長い彼女らがどうしてそう思えるのか不思議でならない。

 

 俺も淡も、お互い怪訝な様子で顔を見合わせるばかりだ。

 

「うーん?……。何なの、みんな。変なの……。ま、それはそうと、キョータローだって折角来たんだし、半荘一回くらい打っとけば?」

 

 と、淡はすぐに疑問を投げて、俺を誘った。

 

「フッツーのだとオモシロクないし、ここは、箱下有り(ハコテンでもゲーム続行)のダブル役満有りでどう。あと、四暗刻単騎(スッタン)、純正九蓮、十三面国士、大四喜はダブル扱い。ほら、これなら、いくらキョータローが弱っちくてもちょっとは公平でしょ」

 

 で、このドヤ顔。

 

(くそうぜえ! でもグウの音も出ねえ!……)

 

 額に青筋が立つのを感じた。同時に、淡のその提案はむしろ温情ですらあると認めざるを得ない俺自身の才覚にげんなりした。また、このウザさがこいつの愛嬌であるだけに、怒る気が失せてしまった。

 

「で、こんなサンデイあげたんだから、負けたら何かしてもらおっかな」

 

「何じゃそら、勝手なことだ……。あとサンデイじゃなくてハンデな。――ふうむ、そうだな……、それじゃあ……、“おじさんのきんのたまをあげよう”か」

 

 と、ついそんな冗談を言った瞬間俺は、しまったッ、と自分のしでかした過ちに気付くも、時既に遅しで周囲の空気がピシリという音を立てて凍り付いた音を聞いた気がした。

 

 ここ白糸台高校は女子高である。そんな神聖な場所で、有名なギャグとは言え下ネタを披露するのはセクハラに他ならない。即ち、現在俺はピンチというわけだ。

 

 流石に訴えられるとまでは行かずとも、女子のえげつないネットワークによってその情報は伝言ゲーム式に尾ひれが付いてゆき、ついには清澄女子の耳に入ることだろう……。おお、こわいこわい。

 

 ところが、そんな俺の危機を破ったのは淡であった。

 

「えー、きんのたまってあれじゃん、五千円で売れるやつでしょ。それだったら五千円くれたほうが手っ取り早いんじゃない?」

 

 このように、突如淡から助け舟が出されたので、

 

「ん、お、おお。おう、おう、そうだな。じゃあお前への景品は五千円ということで――」

 

 との調子で乗っかってみたところ、

 

「バカ! それで本当に五千円渡す男がどこに居んの、五千円分の物買ってあげるぐらいしたらどうなのさ!」

 

 どうやらこいつは俺を助けようという意思があるわけでなかったようだ。

 

(あ、こいつただのアホだったか)

 

 いずれにしろ、渡りに船というものだから、有難いことには変わりないが。

 

「あん? 仕様がねえなぁ……、じゃあ服とかでどうだ」

 

「分かってないなあ、服が五千円で買えるわけないじゃん、ユニクロで上着買ってオシマイじゃん」

 

「じゃあ、ネックレスとか、イヤリングとかのアクセサリとか?」

 

「そうそうそう! それそれ! 何だ分かってんじゃん。じゃ、負けたらそれお願いね!」

 

 やけに上機嫌に言ってくる淡に俺は、

 

「はいよ」

 

 と渋々承諾する振りをしてはいるが、内心では淡に対していつになく激しい感謝をしていた。普段は空気読めないしうざったい奴だが、今回ばかりはその空気の読めなさに助けられた。

 

 淡からの賭けの提案をポケモンネタで誤魔化そうとしたら、いつの間にか五千円のアクセサリをプレゼントする約束を取り付けられてしまったが、まあいいだろう、これくらいの礼はしなきゃな。

 

 額にかいた冷や汗を手首で拭って、俺は淡が指した雀卓に足を向ける。

 

 何だか周囲の人がひそひそ言っているが、気にしない気にしない。女子はそういう話が好きなもんだ。言わせとこう。

 

「早く、早く!」

 

 と淡から急かされつつ俺は適当な席に座った。

 

 俺が席に座ると、淡は手のひらを額辺りにかざしてキョロキョロと麻雀部に居る人たちを眺め、

 

「うーん、折角だし、テルーとスミレも入れとこっと!」

 

(おいコラ何てことしやがる。やめろコラ)

 

 あり得ないだろ。だって俺、今年度の県大会予選では終始満貫以上に振り込みまくって敗退したんだぞ。そのか弱い雀士を全国トップクラスの雀鬼三人で囲うってどういうことよ。

 

 しかも照さんも弘世先輩も何当然の如く座りに来てんだ。俺にどうしろっていうんだ! ていうか俺をどうしようというんだ! 

 

 そこで俺は、ある黒歴史を想起した。かつて参加した脱衣麻雀。あの逆セクハラ脱衣麻雀のことだ。たしかあの時も、参加していた女子らは始まる前から様子がおかしかった。何か妙に行動がキビキビしていたし、変な違和感があった。

 

 思い過ごしだと良いが……。

 

 で、まず仮東決め。東南西北の風牌一枚ずつを出し、それらを裏返してシャッフルしてから、一人一枚取っていく。俺が引いたのは南だった。東を引いたのは弘世先輩で、彼女はちょうど俺の座っていたところの上家に座ったので、俺が移動する必要はなかった。席順は彼女(東)から反時計回りに、俺(南)、照さん(西)、淡(北)となった。

 

 ふと、俺は彼女らいずれの後ろに、人が立っているのに気付いた。それで目を向けると、その後ろに立っている女子生徒らは、クリップファイルと鉛筆を持って佇んでいた。もしやと思い、自分の後ろを振り向くと、案の定そこには同じようにクリップファイルと鉛筆を持った女子生徒が立っていた。

 

「牌譜取るんですか?」

 

「当然だろう」

 

 俺の上家に座っている弘世先輩が言った。

 

「白糸台では、特に一軍の者の牌譜は常に取らなければならないんだよ」

 

 そして彼女は教えることは教えたといった風に、口を閉じ、それっきり何かを解説しようというそぶりも見せなかった。

 

(麻雀名門校って凄え)

 

 他人事のように俺は納得した。適当に話を流したとも言う。

 

 もう一度俺は後ろの牌譜を取る人に向き直り、それから会釈でもしようかとしたところで、

 

「あなたの牌譜を取ることになりました者です、よろしくお願いします」

 

 と、先に牌譜係さんのほうが、口角を僅かに上げた柔らかい表情で丁寧に会釈をしてきたのである。

 

「ああ、こちらこそよろしくお願いします。あの、俺、始めてまだ一年も経ってないので、変な打ち方してしまったらすみません」

 

 相手があまりに物腰柔らかで折り目正しいもので、かつ今現在女子高の中で女子生徒に囲まれているという状況の緊張から、ついつい俺もへりくだって、自分を卑下して予防線を張ってしまった。これはちょっと良くないかな、と少し反省した矢先、

 

「いえ、お気になさらず。たとえあなたがどんなヌルい牌を打っても気になりませんから。誰だって最初はボンクラ雀士ですし、馬鹿みたいな打ち方をしたところで軽蔑をしたりなんてしませんので」

 

 彼女は微笑みながらそう答えた。

 

(口悪っ! 愛想は良いのにひどく口が悪いぞ、この娘!)

 

 もしかして嫌われてんのかな、俺。だって、周りを見てみれば、俺ってやけにじろじろ見られてるし。中には、俺のほうを見ながら何やらヒソヒソ話してる女子も居る。女子高に男子が入り込むとか、女子側としても良い気持ちはしないだろうし、仕方がないのであろうが。

 

 戸惑って俺は、助けを求めるように目の前の弘世先輩らに視線を向けたのだが、しかし三人は取り立てて何も反応した様子はなく、さもいつも通りの日常しかないみたいに振る舞っている。その中で、弘世先輩は俺に目を向け、それから苦笑いした。

 

 ああ、なるほど、この牌譜係さんはそういう人なのね……。

 

 何だか釈然としないけど、とりあえず対局を始めようと、俺は自動卓の中央のパネルにあるスイッチを押した。ピッという機械音が鳴って、そのパネルが浮き上がって、そこに牌を放る穴が現れた。ここに牌を入れるのである。

 

「んふふ、今日は何だか調子が良いし、飛ばしていこっかな。これくらいなら、玄人(バイニン)だってチョチョイのチョイってとこだね」

 

 自動卓の上に散らばっていた牌を、中央に開いた穴の中へ押し入れながら、歌う調子で淡はそんなことを言った。

 

「何だ、そのバイニンってのは」

 

 淡から発された聞きなれない単語に、思わず聞き返した。

 

「何、キョータロー、バイニンも知らないわけ? 何か月麻雀やってんのさ。まさかだけど、上野(ノガミ)のドサ健も知らないってことはないでしょ、それで知らなかったらモグリだよ、モ・グ・リ」

 

「うるせえ、大きなお世話だよ。俺はバイニンも、そのドサ健とやらも知んねえ。小島武夫とかの麻雀新選組くらいだよ、知ってるのなんて、せいぜい」

 

「フッフッフ……、それじゃあその無知のキョータローに、この淡ちゃんが特別に教えてしんぜよう!」

 

 別に頼んでもいないのに、淡は勝手に語り出す。

 

 加えて淡はやたらと寄り道をして話を引き延ばすし、だらだらと長引かせたものでので、かいつまんで説明する。

 

 玄人(バイニン)というのは、麻雀などの博打で飯を食っていく手合いのこと。現代では、専ら裏プロや雀ゴロの総称として使われている模様だ。淡たちは都市伝説みたいに語るが、実際にそれっぽい人物らと同卓したことのある俺としてはゾッとする話だ。

 

 ドサ健というのは、阿佐田哲也こと色川武大や、小島武夫らと同じように元バイニンであり、そして麻雀を世に知らしめた立役者なのだそうだ。阿佐田哲也のほうが著書『麻雀放浪記』で麻雀を宣伝し、その宣伝に集まってきた人たちに麻雀を教えるビジネスを、東京の上野を中心に展開していたのがドサ健だったらしい。また、そのせいで麻雀でお金を失う人が沢山出てきたのも彼の功罪だとも。

 

(こいつ、最近知った知識を自慢したかっただけだろ……)

 

 語り終えて鼻高々になっている淡を見て、俺はそう悟った。何がモグリだよ。ハギヨシさんあたりに喧嘩売って『御無礼』されろ。

 

 俺は呆れたが、淡相手に指摘するのは面倒臭いので、そのまま何も言わずに、もう一度中央パネルのスイッチを押して穴を閉じた。卓上に色違いの牌による山が上がってくる。各人その山の位置を調整し、その後弘世先輩がサイコロを振るスイッチを押した。カラカラコロコロと音を立ててサイコロは転がり、一と一の面が上を向いて止まった。

 

「二だな」

 

 親は俺で、配牌は俺の山の右から二トン以降から取り出す。サイコロの出目に従い俺は山の二番目辺りに切れ目を入れ、まず第一配牌を取る。その次に照さん、淡、弘世先輩の順に取っていくと、三回目の配牌が終わる頃には、弘世先輩の山の八トンが残った。

 

 で、最後のチョンチョンと取った二枚の牌を込め、出来上がった配牌が――

 

{一赤五九①赤⑤2赤59東南西西西北}

 

(これはひどい)

 

 無感動ながら俺はそう思わずにはいられなかった。何これ、何向聴? 西が揃ってるのと、赤ドラがそれぞれ一枚ずつあるのが哀しいんだけど。何かこう……、お情けで貰ったみたい……。手作りくらいは楽しもうとは思ったけど、こりゃあ駄目だ。

 

(もういいよ、どうせ和了れねえよ。お手上げ! いや、そもそもこの面子で打つ時点で色々と諦めなきゃいけないけど、少なくともこの局はぶん投げるわ。手作りすら無理だもん。何目指せってんだよ)

 

 この時の俺はもうヤケクソもいいとこな状態になっていて、その勢いに任せて切ったのが赤五筒であった。

 

 次は赤五萬を切ってやろうか。その次に赤五索。最後に西の暗刻落としをするのだ。何という暴挙。これには麻雀の神様もきっとお怒りになること請け合いだろう。だが知るか。

 

(俺が嫌いなんだろ? 俺だってお前のこと大嫌いだよ、バーカ!)

 

 という感じに、胸の中で麻雀の神様への怨嗟を練っていたその時だった。

 

 突如俺の腹に、圧迫されたような、或いは締め付けられるような痛みが走った。腹の中で何かがギュルギュルと、煮え滾るマグマさながらに唸る。頭の中はその刺激の奔流で溢れていき、支配され、目下のことを考えることすら出来なくなっていく……。

 

 背筋を伸ばすこともままならない俺は、自然と背が丸まって、卓に片肘を突いてその手の甲に、噴き出る冷や汗を隠す風に額を乗せる。

 

 要するにあれだ、トイレ行きたい。

 

立直(リーチ)!」

 

 淡がダブリーを掛ける声が聞こえて、俺は無意識に彼女に目が行く。しかしそのダブリーに対して、何か想念が沸き上がることは無かった。何せ俺の腹痛はまだ続いている、抑えるだけでも必死だ。

 

 ふう、と俺は深く息を吐いた。ラマーズ法の要領だ。あ、駄目だ、ラマーズ法は出るほうのやつだ。

 

「背中が煤けてるぜ……」

 

 本当なら、ケツが煤けてるぜ、とボヤきたいところだったが、女子に囲まれているこの状況で言うのは憚られた。間違いなく公然わいせつ罪あたりで捕まる。

 

「なーにそれ。背中が煤けてるってどういう意味なのさ」

 

 自分に言われたと勘違いしたらしい淡がムッとした様子で反応してきたが、それに弁解する余裕は無かった。ただ弘世先輩の番が終わって、自分に回ってきた時に山から自模り、その牌を確認するくらいだ。

 

 自模ってきたのは北だった。ちょうど持っていた北一枚と重なって対子が出来上がった。それで俺が切ったのは一筒。赤五筒切ったことで手持ちの筒子がそれだけになったもので疎ましくなった、ただそれだけだ。赤五萬を切るのは今度にしよう、と直感的な思考をしていた。腹痛で頭が回らないし。

 

 それから次の照さんの番、淡の番と移っていく。淡が自模切りしたのは北であった。

 

「ポン」

 

 反射的に俺はそれを鳴いた。

 

 その時の俺の動作の速さと言ったらない。どこかの工場のベテラン作業員の流れ作業の如き速さで、まず俺は赤五萬を切ってから、手牌から倒した北の対子に淡から喰い取った北を繋ぎ合わせて、それを卓の右端に滑らせた。ひょっとしたら一秒にも満たなかったのではなかろうか。

 

 と、そうして自分の凄さに一人で惚れ惚れとしていると、腹の痛みが引いていっているのに気付いた。よし、と俺は安堵した。冷や汗が引いていくのが分かる。出来ればこのまま東一局くらいは持ちこたえてほしいものだ。女子高の中心で漏らすとか絶対に嫌だ。

 

 続く俺の自模、弘世先輩の山の最後の一トンから出てきたのは二筒。でも生憎と一筒はもう切ってしまっているので速攻で自模切り。

 

 すると……。

 

「え……」

 

 と淡がその打牌に反応した。何で反応するかは分からない。大方俺のあまりのアホな打ち方に呆れているのだろう。こいつは、どれほど俺が麻雀弱いことは知ってはいても、具体的にどんな打ち方をするかは知らない。

 

 次巡、南を自摸ったので、俺は赤五索を切った。それから下家の照さんを見た。彼女がいつまで経っても牌を切る様子が無かったからだ。何やら沈思する顔をしながら俺のほうを見ている。

 

(照さん、頼むから早くしてくれ! またいつ次の波が来るか分からないんだぞッ!)

 

 俺のそんな切実な心の叫びが通じたのか、彼女は小さく息を吐いて、やおら南を切り出した。

 

「ポン」

 

 すかさず俺は鳴き、打九萬。早く終わってくれという願いを込めて。普通、鳴きまくったところで早く終わるわけがないのだが、けれど遅刻している時に電車の中で走りたくなる心理と同じ。気休めにそんなことをしてしまうのが人情というやつだ。

 

 ――とは言えお陰で大分精神的に余裕が出てきた。手が進んでいると思えるだけで安心出来るものだ。

 

 その僅かな余裕で、次の照さんの切る牌を見る。彼女は、今俺が切った九萬と同じ九萬を出した。それと淡も、照さんの次に打ったのは九萬だった。場に九萬が三枚。得した気分。意味は無いけど、まあ気分の問題だ。

 

 弘世先輩が七萬を切った。

 

 で、俺の番。引いてきたのは七萬。何てこったい、九萬捨てなきゃ塔子になってたじゃねえか。九萬はあと一枚しかないし、赤五萬だってさっき捨てちゃったし。

 

(しゃーない、捨てるか……。どうせドラでも何でもないんだから)

 

 ちょっと未練を残しながら、俺はこれを切った。

 

 だがこれが俺の流れを乱したのか、それからの俺の自模は良いものではなかった。今俺に残された数牌は、一萬、二索、九索。いずれも孤立牌だ。哀しいことに俺は、それらに絡まない牌ばかり掴まされ、索子に至っては一枚も来なかった。それでもう諦めて二索を捨ててみたら、今度は一索を引いてしまったりもした。

 

(何だよこれ! 運が悪いにも程があるだろ! 麻雀の神様ごめんなさい! もう嫌いだなんて言わないから自模運戻して!)

 

 困った時の神頼みとはこのことだ。全く虫の良いことだと自分で呆れる。

 

 しかし、俺のその情けない姿に麻雀の神様も溜飲が下がったのか、俺は次の自模で南を持ってくることが出来た。やってみるもんだ。

 

「カン」

 

 と南を加槓。嶺上から三筒を自模、全くどうでもいい牌だ。これをそのまま切ってもよかったが、気まぐれに自摸切りを止めて一萬を打つことにした。特に意味はない。

 

 だがここで、俺に、再びあの恐ろしい衝撃が走った。

 

 そう、ご存知、腹痛の波である。

 

(第二波が来るぞーッ! 衝撃に備えろーッ!)

 

 頭の中で警笛が鳴り、すっかりと乾いていた汗も、前回の波に輪を掛けて噴き出してきた。俺は文字通り腹を括り、身体に力を込めた。

 

 そうして俺は絶望の痛みを思い出す。俺はあと、どれくらい我慢出来るのだろうか。……いや、我慢出来る出来ないの問題じゃない、何としても我慢せねばならないのだ。さもなくば俺は、色々な意味で汚名を被ることになるのだから……。

 

(あああ! ヤバイ……、ヤバイ……、ヤバイ……。あとどれくらいだ……、あとどれくらいでこの局は終わるんだ!……)

 

 俺の眼は自然と、彼女らの手元に目が行った。彼女らが如何に早く牌を切り、そして早く手を仕上げるかが肝だ。クソッ、やけに牌を切るのが遅いように感じられるぜ。

 

 淡はまだ良い。既にダブリーを掛けているから、捨てるのにそんな時間は掛からない。でも問題は弘世先輩だった。彼女が淡の次に自模をしてきた時、

 

「……」

 

 弘世先輩、まさかの黙り込んでの長考。チラチラと俺のほうを見てくる。

 

(お願いだ、弘世先輩! 早く打ってください! 打ってくれるだけでいいんです! 別になんにもしないから! 絶対危害とか加えませんから!)

 

 それから数秒程――いや、俺にとっては十数秒か? 彼女が打牌したのは、それくらい経ってからだった。

 

 彼女が切り出したのは西だった。

 

「カン!」

 

 俺は即座に大明槓。急に西が飛び出してきたのもので。

 

 だって仕方がないだろ、お腹が痛くてまともな判断力が無いんだから。これは謂わば本能というやつだ。俺にとって鳴きとは本能みたいなもんだ、初心者だもの。牌効率とか全然分からないなら鳴きで手を作りたい、それが人情というものだろうに。

 

 例えば、今のカンで嶺上牌から自模ってきたのが東なら、それを対子として残してまた数牌を切るのも人情というものだ。俺が先ほど引いた三筒を切ったのはそのためだ。

 

 しかしまあ、約束というものは、たとえ己の内でしたことでも、反故にするもんじゃないなあと、この巡で思い知ることになるわけだ。

 

 何と、またしても弘世先輩が、自模ってきた牌と睨めっこして動かなくなったのだ。

 

 まず彼女は場にある河の牌を眺めたのち、続いて渋い顔をしながら淡の手牌をしげしげと見た。別に何かが見えるわけでもないだろうに、何をそんなに迷うのか。俺は、自分が嘘を――自分の中で完結していることとは言え――吐いたことを棚上げして、恨みがましく彼女を目だけで凝視していた。

 

 そして彼女は、俺を一瞥したところで、意を決したように、手の中から牌を一枚抜いて打ち出したのであった。

 

 よし来た、と俺は少しだけ気が楽になり、山から一枚牌を自模り、それを――手牌のとこまで持ってくる前に自模切りした。四萬だったし、要らなかったし。何より早くこの局を終わらせたかった。

 

 それでも世界は不条理だった。

 

 今度は淡だ。淡の奴、ダブリーしているくせに、自模ってきた牌を見て固まりやがった。ふざけんな、もうお前は立直掛けてんだから、その牌が和了牌でなけりゃどの道打たなきゃなんねえんだよ!

 

「早く切れよ、時の刻みはお前だけのもんじゃない」

 

 もう限界が近い俺は、我慢ならず淡を急かした。

 

 ――こうしている間にも、俺の腹にはどんどん限界が近づいているんだぞ、と、出来ることならストレートに訴えたい。

 

 俺の声音が強すぎたからか、淡は怯えた顔で、俺と牌に交互に視線を泳がせていた。どうやら俺は墓穴を掘ったらしい、却って淡の動きを遅らせてしまうとは。

 

 数秒か、いや、俺にとっては十数秒にも感じられる刹那の時間を置き淡はようやっと牌を切った。

 

「ポン!」

 

 ノータイムで俺は鳴きを入れる。俺の顔に、涙なのか脂汗なのか判らない湿りを感じた。

 

 これで俺の手は裸単騎、すなわち聴牌だ。あとは何で待つかだ。俺の手には六索と九索。よく分からないので、どちらにしようかなの要領で、六索を切った。これでよし。

 

 しかし問題はまだある。それは、淡の自摸の動きが緩慢になり、場の回転が僅かに遅くなったことだ。今の俺にとっては、その僅かな時間すら惜しい。

 

 で、俺の番に回ってきたが、自摸ってきたのは何と六索!  俺が今捨てた牌だった。つまり、俺は和了し損ねたのである。そうしてますます俺の気力は枯れていくのであった。

 

 その上今度は、次に自摸った照さんが、チラと俺に視線を送って止まったのである。止まったのは一瞬くらいか。だがその一瞬の時間が、俺に限界を感じさせるのだ!

 

 それでも俺は耐え忍んだ。俺の中に残った最後のプライドが、どうにか持ちこたえさせたのだ。

 

 俺が自摸ったのは北だった。遮二無二俺はこれを、

 

「カンッ!」

 

 嶺上牌を自摸り、そうして持ってきた東をまたしても、

 

「カンッ!」

 

 追い詰められた男の、魂のカン。これが最後の嶺上牌。そうして俺が自摸ったのは、中。そう、俺のラッキィ牌ーーと勝手に思ってるーー三元牌の紅中だ。

 

 ようやく俺にもツキが回ってきたか、と、焦燥のあまり物狂いになった頭で勝手に考えて、俺は待ちをこの紅い中牌に変えたのだ。

 

「まさか……」

 

 後ろでそんな声が聞こえた。誰が言ったかは分からないし、考えている暇は無い。

 

 俺は視線だけで、照さん、淡、弘世先輩の自摸と打牌の動きを追う。ただ、早く終わってくれという切実な祈りをしながら。

 

 その後、俺にとっては長い長い一巡ののち、とうとう俺は手に入れたのだ。白い板に刻まれた、紅い中の文字を。

 

 俺はこの牌を、手を鞭みたいに振り下ろし卓に打ち付け、

 

「ツモ……」

 

 そう宣言して和了、同時にこの地獄の一局に幕を引いたのであった。

 

 俺の手に残った最後の牌、中牌を倒し、続けて卓の右端に寄せていた牌をその側に引っ張ってきて、皆に見せたのだ。

 

 そこで俺は、自分の手には、字牌しかないことを知ったのであった。俺はこの手を知っている。未だ麻雀については素人レベルにしか知らない俺でも、この手が字一色という役、

 

「役満だ」

 

 ということを知っているポン。

 

 よし、やることをやったポン、ここでちょっと休憩を入れてもいいだろうポン。そう思い、おもむろに立ち上がって俺は部室を一旦後にするのだポン。

 

(ひろポン、てるポン、あわいポン。点棒移動よろしく)

 

 そんなテレパシィ(持ってないけど)を送り、後ろ手で扉を閉めた。

 

 それから、廊下を歩いていて、俺は重大なことに気付いたポン。言うに及ばずポン、女子校では男性職員用のしか男性トイレが無いポン、俺はその場所を知らないということポン。

 

 再び俺は絶望した。ちょっと気が緩んだところで、残酷な現実を突き付けられるポン。とかく世界ポンとは不条理だった。

 

 徐々に俺の下半身から力が抜けてゆき、そして終わろうとしたその時だった。

 

「あの!」

 

 後ろから追いかけてきて声を掛けてきたのは、あの牌譜係さんだった。俺には、彼女が天使のように見えたポン。

 

「ちょうど良かった……」

 

 何かを言おうとしていた彼女を遮るようにポン、俺は静かに尋ねた。

 

「男性用トイレって……どこ……」

 

「へ?」

 

 彼女は素っ頓狂なポン声を上げたものの、すぐさま取り直して、冷静な対応で俺をトイレまで案内してくれた。口はポン悪いけど、やっぱり彼女はポン良い娘だ。

 

(こうして、俺の誇りポンは守られた。どうにか、女子ポン校の中心で粗相をしてしまうといったことは避けられたポン)

 

 狭いトイレの中、腹が締め付けられるような激痛を受けポンながら、今まで俺を苦しめていた原因を追い出すポン作業をしながら、俺はそんなことを頭の中で呟いていたんだポン。




 ロケーションに無理があるけど、やりたいネタあったので敢行。それと当初の予定では、淡は京太郎は完全に眼中にない鼻持ちならない態度で描く予定でしたが、それだとキャラとして不遇なので、小馬鹿にしつつも相性は良い方向性で行きました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白糸台でこれはひどい麻雀:後編

 やたら重い荷物背負って異様に長い山道を歩いたけど、私は元気です。皆さんも如何でしょう。

 今回は淡泣かす(漆黒の意志)

【お知らせ】【済】
今回は和了にチョンボがあったので、近い内に修正します。
→修正中……。
→修正完了しました。今後は微調整していきます。


【1】

 色々な意味での闘いを終えた俺は、牌譜係さんの案内の下、再び麻雀部部室の扉をくぐった。苦悶が解消されたことで、頭が軽く、狂気から正気に戻れた気がする。

 

 部室内はやけに、ざわざわと騒々しかった。何でそうなっているかは分からないが、大方俺に関することなのだろうとは、部室内に入ってきた俺を皆一斉に見てきたことから分かる。きっと先ほどのあの役満が原因だろう。正直、素直に喜べない。

 

 とは言え、あれはただのラッキィパンチだった。あんなものでそんなに騒がれたところで、俺が居た堪れないだけだ。

 

(いや待てよ……)

 

 あの時の俺の打ち筋は、俺自身はよく分からないが、素人丸出しの打ち方だったとしたら。いやきっとそうなっていたに違いない。それにここは白糸台、麻雀部の強豪ーー照さんや淡の力を加味すると最強の高校ーーなのだ。部員の下っ端でさえ、並の打ち手ではないのだから、俺の打ち方がおかしいことに気付いたはずだ。だとしたら、この視線はどちらかというと蔑まされている視線なのでは……。

 

 苦笑を禁じ得なかった。すると周囲のざわめきの色がまた変わったのが分かる。バツが悪くなって俺は、淡たちが居る卓へしれっと座る。

 

「さて、続きだな」

 

 そしてしれっと言ってやる。

 

「まだ……続けるのか……」

 

 弘世先輩が言ってきた。

 

「まあ……続けますよね、だって役満一回和了っただけですし、まだ局はあるんですから、先輩たちなら簡単に巻き返せるでしょう」

 

 彼女のおずおずとした態度に疑問を持ちつつ、俺は答えた。だって、東一局でいきなり役満をツモ和了りしたところで、誰かが箱下に沈むわけでもない。たしか今の親は……、

 

(あれ、親って誰だっけ。最初の風牌を引くやつで東を引いた弘世先輩だったか、サイコロで指名された俺だったか……。まあいいか)

 

 どっちにしても、他家が払うのはせいぜい一六〇〇〇点程度なのだから、箱下はあり得ない。縦しんば沈んでいたとしても、これは箱下有りのルールであり、しかもたった一回の和了なら、それも俺が相手なら気にすることでもないだろうに。天下の白糸台の、チーム虎姫のーーこの時期では元と言うべきかーーメンバー三人が、やけに弱気なものだ。

 

 委細構わず俺は、さっさとサイコロを回した。 何故なら俺は今親らしいからだ。中央のパネルの、東と貼られたパネルが俺のほうを向いて赤く光っているのだから、多分そう。山は既に卓上に積まれている。あとはサイコロの出目に従って山に切れ目を入れて配牌を取るだけだ。

 

「キョータローはさ……、さっきの役満、和了れるって分かってたの?……。それとも、その時だけのマグレ?……」

 

 出し抜けに淡が、親の顔色を伺う子供のように沈んだ面持ちの、暗く沈んだ低い声で尋ねてきた。

 

 ツイている、というのは十中八九さっきの役満のことだろう。いつまで根に持つのやら。確かに俺は、運任せに麻雀を打つきらいがあるが、さりとて偶さか降って湧いた幸運を根拠に次をあてにするほど馬鹿じゃない。

 

 だから言ってやろう。

 

「勝負は時に任せるほど甘くはない。ましてや時の刻みに強運(うん)なんて存在()ない。哀しいまでに自分の、自分だけの力に身を委ねるーーそれが勝負!」

 

 そうだ、全ての事が時間で解決出来るわけではない。むしろ、時間が経つに連れて深まる苦しみもある。例えばさっきの腹痛とか。あの孤立無援の孤独感を女子高生のお前に……お前らに分かってたまるか!

 

 その文句を紡ぐ当初、俺は先刻の役満について軽い調子で語っていたはずだった。だが語るに連れて、だんだんと、あの局のさなかで俺を苛んでいた腹痛を思い出していった。気付けば俺の文句は、あの腹痛へのぼやきのニュアンスを含有して、熱が入っていた。

 

 気付けは辺りは水を打ったように静まり返っていた。熱を入れすぎたようだ、しかも、女子の前ではとてもじゃないが言えないことについて。遠回しに言っているとは言え、もしかしたらその想念が自分の内から飛び出して周りに伝わっているのではないか。そう思うと気が気じゃない。

 

「さて、始めますか」

 

 こう言って俺は、勝手に配牌を取り、局を先に進めるようとする。こうすることで誤魔化そうとしたのだ。

 

 んで、その局での俺のツキだが、まあ……良くはあった。絶好調なくらいだったか。いや、最終的にはオジャンになっちゃったけど。

 

 配牌からやたらと一九字牌があって、そんで自摸にも字牌が来たので、思い切って国士無双を狙ってみたら、何と十巡くらいで聴牌したのだ。一索を頭とした国士無双だ。勿論、ここは黙聴をした。いくら俺でも、役満の時には立直を掛けないほうが良いって知恵くらいはある。

 

 で、その次の巡で、今度は西を引いたので、何となく雀頭をその西に切り替えて一索を切ることにした。これも俺なりの浅知恵というやつだった。ここに至って国士無双の構成牌を手出しで切ることで、降りた風に見せかけたり、まだ聴牌していない風に見せようっていう魂胆だった。

 

「ロン!」

 

 まあ淡に振り込んじゃったんだけどね。

 

{③③③1123南南南} {裏⑧⑧裏} ロン{1} ドラ{3南} 裏ドラ{5⑧}

 

 役無しか? 違うな。これは多分……三暗刻ドラ七……いや三索がドラだからでドラ八か。えーっと……三倍満かな?

 

 妙なことに、この局で淡はダブリーを、出来ていたはずなのに、していなかった。局は始まってからずっと、牌を取っては捨てるばかりを繰り返していた。いくら俺が自摸切りと手出しを判別出来なくとも、流石に分かる。

 

「遠慮するな、三倍満くらいくれてやるよ……」

 

 乾いた笑いを浮かべて、ゆっくりと俺は卓の引き出しを開いて点棒を摘む。

 

 淡を見ると、奴は目を丸くして、それからギリッと歯を噛み締めて、

 

「三暗刻ドラ四……跳満の一本場。ごめん、つい癖で裏ドラめくっちゃった……。それにこれ三倍満じゃない、裏ドラが乗ったとしても倍満だから」

 

 俯いて、喉から絞るみたいに申告したのである。いつものバカっぽい喋り方じゃない。

 

(あるえー? また点数計算間違えちゃったかな。やっべ、淡も気を悪くしてるように見えるけど……)

 

 卓の中から摘み出そうとした三倍満の点棒を、一度俺は取り落とす。

 

(くわばら、くわばら。危うく点数を間違えるところだった。淡の奴もなかなかどうして、フェアプレイ精神があるんだな。いや、それが普通か)

 

 感心した。

 

 再度俺は、引き出しから点棒を摘み出そうと中を覗き込んだところで、ふと気付いた。

 

(あら? なんかこれ、点棒多くない? それに黒棒も三本……)

 

 俺の引き出しの中には、役満和了って徴収したにしては多過ぎる点棒があるばかりか、よく俺が世話になっていた黒棒*1が三本浮いているではないか。

 

 とすると、俺があの時に和了ったのは、ただの役満ではなく、ダブル役満か何かだったのでは。そう考え、もう一度あの和了の際の手を思い浮かべようとしたのだが、字牌ばっか並んでいたという印象しかなく、分からなかった。

 

 ただ分かるのは、今の失言で、大分空気が悪くなってしまったことである。

 

 周りの女子生徒に、嫌味な男でも見る眼で見られてる気がする。照さんと弘世先輩は、呆れたのか眉を潜めて俺を見ているし、あと心なしか淡が泣きそうに見える。

 

 そんな針の筵で、俺は身動き一つ取れず、また背中が丸まりそうになる。

 

「次の局に行くか」

 

 どうにかそう言えた。そのお陰か、この膠着状態は、緩慢ながら動き出していった。気まずい状況は脱せた……ら良いな。

 

 しかし問題はここからだ。

 

 今の放銃に因るものか、俺の運はすっかり抜け切ってしまっていたようだからである。その以降の局は惨憺たるものだった。

 

 まず、今淡が和了ったことで親が照さんに移ったのだが……。

 

「ロン! 一五〇〇」

 

「ロン! 二〇〇〇の一本場は二三〇〇」

 

「ロン! 二四〇〇の二本場は三〇〇〇」

 

「ロン! 二九〇〇の三本場、三八〇〇」

 

「ロン。三九〇〇は五一〇〇」

 

「ロン……。四八〇〇は六三〇〇」

 

「ロン……。五八〇〇は七六〇〇……」

 

「……ロン。七七〇〇は、九八〇〇」

 

 照さんによる連続和了が発動したのであった。しかもそのほとんどが十巡以内で和了ってんだからどうしようもない。

 

(まあ当然ですわ)

 

 ちなみにさっきっから出和了りされているのは俺ね。そりゃあ、適当に鳴いて手牌の数減らしてりゃ放銃率も上がるわな。裸単騎に受けたら、自摸牌も合わせて二つの内いずれもが照さんの当たり牌で、あまつさえ高めに放銃なんてことも。

 

(まあ当然ですわな)

 

 で、大体照さんが九連荘くらいする頃だろうか。

 

「……ロン……」

 

{一一一二三四五五六七九九九} ロン{八}

 

 九蓮宝燈に振り込んじゃったんだよなぁ、ついに。結構な点棒があったのに、あっと言う間に随分へこまされた。黒棒なんて、四連荘したところでとっくに返してるし。

 

 それ以上に非道かったのが淡だ。あいつめ、ダブル役満(仮)を俺が和了ったのをまだ根に持ってやがるのか。しつこい奴だ。

 

 照さんに九蓮直撃された直後の局で、淡が三倍満をツモったことで、照さんの連続和了は一旦ストップされた。これを境に、今度は淡による高手和了の怒涛に俺はまるっと飲み込まれた。

 

 その和了りぶりったら、『御無礼』を言い出した時のハギヨシさんを彷彿とさせるもので、低くとも跳満は当たり前、酷い時はドラ爆弾の数え役満まではあった。照さんよりも連荘数が大きかったかもしれない、或いは、一回一回の打点が高かったからそう感じるのかもわからないが。

 

 余談だが、それとは別にもう一つ、印象に残ることがあった。

 

「チィ!」

 

 淡の『チー』の言い方が微妙に変わったのが気になった。なんかこう、どう表現すればいいのか分からないが、跳ねたような発音だった。正直笑いそうになった。ちょっと口を尖らせて言ってる顔とか特にやばかった。

 

 さて、ここまでに照さん淡に、俺から点棒を毟り取る流れがローテーションで巡ってきたわけだが。

 

 照さん、淡って来たのなら、次に和了るのは……、

 

「ツモ! 三〇〇〇・六〇〇〇」

 

 白糸台のシャープシュータ(SSS)こと弘世菫先輩であった。

 

 そして次局、彼女のそのシャープな狙い撃ちの餌食になるのは勿論、

 

「ロン!」

 

{九九赤⑤⑥⑦23456789} ロン{1} ドラ{4}

 

「メンピン一通、ドラ二。一八〇〇〇だ……」

 

 シャープシュータのシャープな一八〇〇〇(インパチ)が直撃! 彼女も照さんや淡に負けず劣らずえげつない! 流石白糸台のシャープシュータ!

 

 ちなみにこれ、実は一発でロンされていたはずだったりする。

 

 そもそも俺の手は、

 

{一二三①②③123白白西東}

 

 見ての通り索子の一二三は既に面子が出来ていたりする。けど、手に四索(ドラ)が来たなら、少しでも翻数を上げようと一索を切るのが人情というものだ。で、そのあとで弘世先輩が立直を掛けたわけだ。

 

 ところが、その次の巡から三連、立て続けに一索を引いてしまい、不本意にも槓子落としをする羽目になったわけである。それで、四つ目の一索を打ったところで、弘世先輩の親っ跳が、

 

「ブルズアイ……」

 

 してしまった次第である。

 

 あの四つ目の一索が俺に来なければ……、否、あの四索をすぐに捨てるか西や東を打っていれば、間違いなく俺はあの一索を四つとも抱え込んでいただろうに。

 

 それにしても弘世先輩も優しいほうだ。打点はきつかったけど、優しいほうだ。俺が三回、高めに打ってもそれを見逃してくれていたのだから。俺が続け様に一索を四枚打った時は、きっと彼女も呆れや憐れみの情を俺に向けていたに違いない。

 

 とは言え、俺の悪い流れはここだけにとどまらなかった。

 

 東四局、?本場。ドラ表示牌{⑧⑧⑧}

 

 カンを二回掛けられたことで、ドラ表示牌が三つになったのだが、何と三つとも八筒。このパターンは俺も覚えてるぞ、いくら俺が素人同然の馬鹿雀士としても、これで九筒一枚でドラ三の価値になったのだと。

 

 俺のターン、自摸(ドロゥ)! 

 

{二二三四四七七222456} 自摸{⑨}

 

 ジーザス! 和了り牌から程遠い、なのにドラ三の値打ちのある九筒!

 

 このパターン見たことある。このでっかいドラ牌は超危険牌、打ったら死ぬ。けれど、もう立直掛けちゃったこの期に及んで、これは打たねばならない。つまり、俺は死ぬ。

 

 俺は諦めた。諦めてその牌を打った。大丈夫、こういうのには慣れてる。清澄の人でなし魔王たちのお陰で。

 

「ロン!」

 

{赤⑤⑥⑦⑨678} {横六六六六} {横發發發} ロン{⑨}

 

 照さん。發、ドラ七……倍満。

 

「ロン!」

 

{⑨中中中} {横453} {横四赤五三} {③横③③} ロン{⑨}

 

 淡。中、ドラ七……倍満。

 

「ロン!」

 

{⑨333} {白白白横白} {横④④④} {横九九九} ロン{⑨}

 

 弘世先輩。白、対々和、ドラ六……倍満。

 

 三人が一斉にロン宣言をし、一斉に点数申告をした。何てこったい、これが噂の友情大三元というやつか……。俺の運の流れも、ついに地の底に付くまでに至ったか。

 

「ふっ……」

 

 もう半笑いしか出ない。

 

 しかし三人は各々、他家を見やり合ったのち、それから俺に顔を向け出して、

 

「三家和で流局か……」

 

 弘世先輩は鼻から息を吐いて言った。

 

(さんちゃほお……って何だっけ?)

 

 どこかで聞いた用語だな。流局って今彼女は言ってたけど、でも三人ともなんか怪訝そうな顔で沈思しているっぽいけど、これ本当に俺が点棒支払わなくてもいいの? 訊きたいとこだけど、さっきの倍満と三倍満の誤認の件もあるしなぁ……。

 

 このような懸念をしていると、やがて三人はゆっくりと動き出し、卓の中へ使い終わった牌を押し込み始めた。どうやら流局で合っていたようだ。あの懸念はただの杞憂だったというわけだ。

 

 ところで、今のサンチャホオとやらのおかげで俺は命拾いしたわけだが、果たして手放しに喜んでよいものか。だって俺、この東場で既に箱下だぜ。優希の逆状態。黒棒だってもう取られてるし、どころか足りない分をメモっておく必要さえある。もう点数訊くのも怖い

 

 大体あれだよ? そもそも俺って百合系の漫画やアニメで言ったらモブじゃん。行ったとしても、物語序盤くらいしか存在感ない、モブに降格した脇役じゃん。実写化したら存在そのものが無かったことにされる奴。そんでもって、一部のファンに根強い人気があって、二次創作ではめちゃくちゃ優遇されるとかありそう。あと、原作では接点の無かった女キャラとカップリングやらハーレムやら描かれたりして、それを見たアンチが『京豚』とか騒ぎ出すとかあったりとか……、その程度のキャラだろ。

 

 俺は消沈した。

 

(ここからどう転がるのやら)

 

 と思いきや、以後の対局には何ら劇的なことがあったわけでもなく、照さんらが小さな和了をしたり、親のノーテン流局が起きたりで、あっという間に終わったのであった。

 

「えーっと……、参りました」

 

 対局終了後に、差し当たって俺の口から出たのはそれだった。妥当な言葉だろう。

 

 まあ微妙な反応されたってことは言うまでもないわけだが。

 

 こうして、俺のなっさけない対局は幕を下ろした。俺は以後は麻雀を打たなかった、あれだけやらかしたんだから当然だ。ひたすらに、白糸台麻雀部員と話をしたり、率先して雑用を手伝ったりした。雑用は嫌いじゃない、むしろ好きかもしれない。手をこまねいていると居た堪れないから、何か仕事をしているという客観的状態が欲しいのだろう。それこそ雑用のほうをよくやっていたくらいだ。麻雀部の人と話してると、先ほどの無茶苦茶な麻雀についてほじくられるから、げんなりする。

 

 そう言えば、淡から、

 

「キョータローさ……、途中から手抜いてた、でしょ……。……何で真面目に相手してくれなかったの……」

 

 訥々と、詰問された。

 

(まあバレるわな、途中から如何にも消沈してたし、そもそもこの三人に勝てるわけないし、あれだけ負けといて諦めないほうがおかしいだろ。そりゃ適当になるし、アンニュイな気も透けるわ)

 

 というわけで、この旨を端的に、

 

「一度でも負けの味を覚えた奴は所詮ーー負け犬さ」

 

 簡略化した言葉で言ってみたら、

 

「そんな……、そんなこと、なんで言うの?……」

 

 突如淡が絶句し涙目になって大変な事になったのであった。

 

「お、おいおい、泣くなよ……」

 

 泡を食って俺は淡を慰めようとした。言い方が悪かったのか? でもまさか、自信家の淡が、自らを悪いほうに考えるなんて卑屈なことをするとは思えない。だって淡が卑屈になる根拠がないもの、せいぜいあのダブル役満(或いはそれ以上)を和了った時ぐらいだろう。いや、本人の感じ方の問題もあるし、俺の勝手で決めつけちゃいけないか。

 

 重い空気にしてしまったことでその場に居づらくなった俺は、弘世先輩に一声掛けてからひとまず退散することとなった。

 

(悪かったな、淡。今度買ってやるアクセサリはワンランク上等なもんにしてやるから)

 

 心中で淡への謝罪を述べながら、俺は白糸台から離れていく。あと俺に出来ることといえば、

 

「淡がハギヨシさんに御無礼されませんように」

 

 このように、無意味な祈りをすることだけであった。

 

 こうして、俺の白糸台高校来訪は、くそみそな結末に終わった。白糸台にはもう敷居が高くて行けねえな。

 

【2】

「これが、彼の牌譜です」

 

 京太郎が帰った後、彼の牌譜取りをしていた彼女は、牌譜を菫たちに見せた。

 

「本当に無茶苦茶な牌譜だな……、素人の打ち方そのものだ。特にこのーー」

 

 と言って、菫は東一局の牌譜を指差した。

 

「多分だけど、この時の淡の待ちは、八萬と中のシャンポン待ち……そうでしょ」

 

 照は自分の読みを述べて牌譜係を見た。

 

「ええ」

 

 返答して、牌譜係はもう一枚の牌譜を出した。

 

{八八②②②677889中中}

 

 これが淡の待ち。

 

「宮永先輩の読み通り、あの局での大星さんの待ちは八萬と紅中のシャボ待ち。でもその肝心の和了り牌の在り処は、彼が領上牌から掠め取ったのと、大星さんからガメた二枚。そして残る八萬二枚は……」

 

 牌譜係は二枚の牌譜を取り出して置いた。

 

{22335599發發白白八}

 

 菫の手と、

 

{三四五③④赤⑤⑤⑥⑦678八}

 

 照の手。

 

 いずれも八萬単騎待ち。

 

「何故打たなかったのですか」

 

 率直に牌譜係は二人に尋ねた。

 

「確証があったわけではないが、八萬を自摸る前、須賀君、照と淡から九萬が出て、その後私と須賀君から七萬が出た。八萬を自摸った時、はたとそれを思い出して、嫌な予感がしたんだ。だから打てなかった」

 

 額から一筋の汗を流して菫は答えた。

 

「いえ、そうではありません」

 

 牌譜係は追求するように、目を細めて言問うた。

 

「先輩たちはあの時、大星さんに差し込むという選択肢があったはずです。なのにそれをしなかったのは何故か、と」

 

 改めて問われた菫は、腕組みをして押し黙った。

 

 構わず牌譜係は、再び口を開き、

 

「序盤で彼が出したあの二筒、あれは本来は大星さんが掴み、暗槓をするはずだった牌でした。しかし大星さんが出した北を彼が喰い取ったことで、それに伴って二筒も彼に流れた……。立直を掛けていた大星さんは、当然あの二筒を鳴けない。後で彼が加槓をしましたが、槓ドラの裏が大星さんの二筒に乗っていたとしたなら、ダブリーとドラ四の跳満のところが、ドラ三の満貫にまで落ちました。さりとて先輩方なら、敢えて満貫に差し込むという判断があったのではありませんか」

 

 あの時彼女らが掴んだのは八萬ーー。もしそれが中牌だったら、高めで役牌が付いて点数が跳ねていた。安めを掴み、淡に差し込めば、少なくとも京太郎の四倍役満和了は止められていた。

 

 それを突き付けられても、菫は努めて平静を装ってはいた。だが表には出さずとも、彼女の心の揺れは、彼女の細かな仕草からか、それとも雰囲気からか、周囲はそぞろに悟っていた。

 

 しばしの間、場に沈黙が立ち込めた。それから少しして、

 

「山の角を無くして打ち破るんじゃなくて、山の角を逆に利用して大星の槓材の位置を特定して奪い取った?……。支配力が大星以上なら、もしかしたら……」

 

 照や菫、淡と同じ『チーム虎姫』の一員である亦野誠子のその呟きが静寂の中に浮き上がって、これを皮切りに皆ざわめき出した。特に、あの一局の中で密かに起こっていたことに気付かなかった者は、ひとしお驚愕していた。

 

 そのさなかで、牌譜係は照を見据えていた。先ほど牌譜係が菫にした問いを、宛然と、言葉を使わないでするように。

 

 照は避けるように目を伏せ、そこから再び視線を上げ戻し、重々しい口を開いた。

 

「様子を見ようとして、敢えて淡には差し込まなかった。そうして京ちゃんの麻雀を見極めようとした」

 

 出し抜けに彼女が口を切ったことで、たちどころにざわめきは収まった。そうして彼女らはめいめい照に注目して、彼女の言葉に耳を傾け出した。

 

「でも何も分からなかった……。あの東一局の京ちゃんのデタラメな打ち筋がよく分からなくて、それで次の二局目では、京ちゃんが全然見えなかった……」

 

 宮永照の能力の一つーー最初の一局で(けん)に回ることで相手の本質を見抜き、次の局で、まるで相手の後ろに鏡でも立っているかのような精度の読みを発揮するもの。通称『照魔鏡』と一部に呼ばれているそれを、京太郎が破っていたという事実は、大きな爆弾炸裂の衝撃さながらに皆を愕然とさせた。

 

 ――と、大仰なことが呈されたが、何のことはない、単に照が京太郎を見誤っていただけである。実際には京太郎はあの時、和了どころか麻雀そのものを放棄したに等しい自暴自棄な状態であり、そうとも知らず真逆な見通しを立てていた照が混乱した。ありもしない京太郎の幻を見極めようとしてドツボに嵌ったのだ。

 

 そもそも読みというのは、相手が合理的、もしくはジンクスや事情、性格に則った打ち方をしていることが前提である。まともな打ち方が出来ない京太郎は確かにカモなのかもしれないが、反面、深読みしようものなら、照をはじめとした上級者からすればたちの悪い存在といえよう。なまじ京太郎を知っているなら尚更か。

 

「あの連荘の時も、そこはかとなく変な感じだった。よく分からないけど、どんどん調子が戻っていくのに……。例えるなら、東一局では京ちゃんの哭きで、どんどん荒れていく海を連想していた。それで、私の連荘の時には、その荒れた海が、京ちゃんの哭きで今度は治まっていく気がした」

 

 気がしただけだ。

 

 京太郎が、自身のガムシャラな鳴き麻雀で場を荒らし、これによって彼に良い流れを失っただけのこと。だが白糸台麻雀部は気付くことはない。あの京太郎のラッキィパンチ一発のせいで。

 

「そうですね……、まるで東一局で彼があなた方から喰い奪った運を返したみたいでした」

 

 牌譜係は結んだ。

 

 彼女の言ったことを疑う者は、ここにはもう居ない。皆一様に、京太郎の恐ろしさを理解して、身を震わせ戦慄している。間抜け面でポロポロと運をこぼしていた京太郎のことなど夢にも思っていない。

 

「ところで」

 

 と菫が流れを切って、

 

「照に親番が来る時に淡が和了った跳満のことだが、裏ドラが乗っても倍満だったはずのあれを、須賀君があれを三倍満と言いそうになっていたのは何故だか、君には分かるか」

 

 牌譜係を見ながら言った。

 

「挑発としてなのか、単にダブリーの二飜を足して計算して十二飜(三倍満)と間違えたのか……」

 

 京太郎の親を流した、あの東一局一本場。あの時淡は箱下であったため、立直は掛けられない状態であった。幸いにも三暗刻が付いていたので和了れたが、役無し聴牌で行くこともあり得た。

 

「勘違いであるにしろ、ないにしろ、あの局での彼はたちが悪かったのですが……」

 

「あの国士無双のことか? あれは何待ちだった」

 

 と菫が顎に指を添えながら訊いた。

 

「南待ちです。南は既に大星さんが暗刻にしていたので最後の一枚を待っていたことになります。そしてその南は、彼自身がツモ和了りしていたか、それかーー」

 

 と牌譜係が一寸言い淀んだところに、

 

「淡が掴んでいた、そうだよね」

 

 照が口を挟んだ。牌譜係は頷いて、更に牌譜を取り出し、置いた。

 

「ええ、あれはそういう流れでした。大星さんの待ちは一 - 四索両面待ち。でも一索は彼と大星さん持ち持ちで枯れ。四索は一枚はドラ表示、もう一枚は弘世部長が順子に、もう二枚は宮永先輩が対子にしていました。つまり、空聴です」

 

 牌譜係が言ったことに、一部はハッとした顔を見せ、また他の者は分かっていたかのように眉をひそめた。

 

「後は南です。アナログの観念で言えば、あの流れで南を掴んでいたのはおそらく大星さんだったでしょうね。出しても国士直撃、カンをしても暗槓国士で直撃。けど字牌を四枚保持しても和了が無くなる。大星さんはあの時、僅かに生きていた運さえも完全に喰われていたのです、他でもないあの彼に」

 

 ――ですが。

 

 と牌譜係は挟んで、

 

「こともあろうに彼は一索を打ち、大星さんの倍満手に振り込みました。その時彼が自摸っていたのは西でしたが、こちらを打ったほうが安全というのはお分かりでしょう。何せ彼の手の中に二枚、宮永先輩の第一打で場に一枚切れており、単騎待ちでもない限りは安全性が高いのですから。にも拘わらず、です」

 

 あれはただ単に京太郎が、国士を誤魔化そうと一九字牌を打つ浅知恵を働かせただけである。西が安牌など、京太郎にそんな読みが出来るわけがない。しかし、彼女らはそんなことも露知らず、勘違いをいやが上に膨らませ、

 

「なら、私の親番での彼の振り込みも、か」

 

 菫が話を広げる。

 

 それを受けて牌譜係は、菫の親番での京太郎の牌譜を出し、

 

「彼が向かっていたのは混全帯(チャンタ)、それと三色同順。引いてきたのはドラの四索で、これでチャンタは消えますが、それでも四索はドラなので、ノベタンに受けて西か東を打つべきでした、四索自摸ればドラ二でチャンタを捨てた分は回収できますからね。けど打ったのはーー」

 

「私の高め一気通貫の一索だったわけだな……。ただ、あの時はまだ私も一向聴だったから、四索を出しても通っていたな。そうすれば、三巡もあれば須賀君はチャンタを一発でツモ和了していたところか……」

 

 抑揚なく菫は答えた。

 

「弘世部長の手を黙聴と踏んで、あなたの聴牌の時期を見誤ったか、或いはあなたを引きずり出したかったか……」

 

 菫はフッと笑い、

 

「引きずり出したかった? まるで私が、彼との衝突を避けたみたいな物言いだな。元より須賀君を狙ってはいなかった。なら引きずり出すもないだろう」

 

「ですが、あなたは彼の一索抜き打ちとそれに続く三枚切りをも見送りましたね。振聴でもないにも拘わらず、一発ロンでさえあなたは見送りました」

 

 切り返しの言葉に困り菫は口を閉ざした。

 

「飽くまでも私の勝手な憶測なのですが、部長は気味悪がっている感じがしました。触らぬ神に祟りなし、と言いますか。彼からの高め直取りを拒否しているようにも見えました。ですが、四枚目の一索を彼が打った時、やむなくあなたはロンを宣言しました。何故なら、好ましい当たり牌が出た以上、それで仕上げなければならない、折角寄ってきた運を逃すことになるから。それが流れというものです」

 

「生憎と私はアナログではないのでね。君の意見はただのこじつけに過ぎないと言わせてもらうよ」

 

 表面では冷静を装っているが、彼女の胸の中では、心臓がバクバクと、銃口を突き付けられた如く拍動していた。

 

(彼女の言っていることは、当たらずとも遠からずだ。私が須賀君を狙っていなかったのは本当だ。けれども、彼は私の狙う先に唐突に現れたかと思えば、まっすぐに私に向かってきていた。その時、私は荒海の上を遊泳する龍を幻視した。その龍は『射ち落としてみろ』と言わんばかりに、私に向かってきた。いよいよ私に接触しようという所で、堪え切れず私はそれを射抜いた……)

 

 ――我ながら馬鹿馬鹿しい、と彼女はこっそりと、小首を横に振って自分を嗤笑した。

 

 で、ここで、彼女の思考から離れて考えてみよう。

 

 彼女はその龍とやらの姿に畏怖を抱いたようだが、実際にはその龍はただの迷子だとしたら、果たしてどうか。しかもその龍は、ドラが来たことに目が眩んで自分の手がチャンタ形であることを見逃して、そうして彼女の射線上に迷い込んでしまったのだとしたら。いやはや、威厳ある神にも等しいはずの龍が、如何にも滑稽で可愛らしい様相になっていくではないか。

 

「そして、部長が彼から点棒を搾り取ったのちに、最後の友情大三元による三家和を以って先輩たちへの運の返還は完了され、並びに場の流れもようやっと治まり、静謐を取り戻したと言ったところでしょう」

 

「一度場を荒らしてから再度元に戻すなんて、一体全体彼の目的は何だ……。概ね淡が気に触ることをーー」

 

 菫はそこで言葉を切り、淡を盗み見た。

 

『一度でも負けの味を覚えた奴は所詮ーー負け犬さ』

 

 この台詞を言われて涙を流してから、淡は放心してずっと椅子に座って卓に突っ伏していた。時折、京太郎のことを思い出したかのように、彼にまつわることを一言呟いてはすすり泣くことを繰り返していた。それを見ては周りの麻雀部員は、京太郎への非難を含んだ慰めを行っていた。

 

 淡は、今の菫の言ったことに敏感に反応したからか、卓に伏せていた顔を少し横に向けて菫の方を窺っていた。そんな淡を慮って菫は言い淀んだ。

 

「弘世部長のおっしゃったことは半分当たりでしょうね。正確には玄人(バイニン)に反応したのでしょう」

 

 しかし牌譜係は淡に気を使うことなく、

 

「哭きの竜――という人物を、皆さんはご存知ですか」

 

 哭きの竜? と部員たちは異口同音にオウム返しに聞き返した。

 

「かつて存在した伝説の雀士の一人です。哭くたびに牌が閃光を放ち、カンをすれば飛ぶようにドラが増える。鳴き麻雀を主体としているにも拘わらず、その打点は高くなるのだと……。うちの雀ゴロくそ親父が言うには、近頃、二代目哭きの竜が現れたのだそうです」

 

 牌譜係は眼をギラつかせながら語り出した。そのあまりの剣幕に菫たちは閉口し、一歩引く。

 

「で、ここからが本題なんですが、バイニンというのはオカルト使いを嫌っています。いえ、恐れているとも言うべきでしょう。だからこそバイニンたちは、オカルト使いを標的にはしないようにしています。が、万に一つ、オカルト使いがバイニンの縄張りを荒らそうものなら、彼らは如何なる手を尽くしてでもそのオカルト使いを叩き潰しに掛かるのです。こういったことから、バイニンとオカルト使いは恐れ合うとも言われています」

 

 彼女は淡の方を見て、

 

「彼は、大星さんをバイニンたちから遠ざけようとしたのでしょう。それほどまでに鬼気迫る迫力でしたからね、まるで自身の内にある悪いモノを抑え込んでいるみたいに。それは、自分たちの縄張りを荒らさせないものと邪推することも出来ますが、好意的に解釈するなら……大星さんを守ろうともしていたと考えることも出来るでしょうね」

 

 それを聞いて淡は、また京太郎の言葉を反芻し出す。

 

『一度でも負けの味を覚えた奴は所詮ーー負け犬さ』

 

 淡からして、あの時の京太郎の顔はまさに諦観に満ちていた。俺のようにはなるなと言われている気さえした。ともすると、負け犬という台詞は彼自身に向けているようにさえ思えた。

 

 突然、彼女の目から涙が溢れ出した。

 

「違うもん……、負けてないもん……」

 

 その涙には万感の思いが溶け込んでいた。悔しさ、悲しさ、切なさ、……そして寂しさ。

 

「私は負けてないっ!……」

 

 突如叫び出した淡に、周囲は困惑することはなく、むしろ彼女の胸中を察して同調し、涙ぐみそうになる者も居た。

 

「ゼッタイにっ……ゼッタイに強くなってやるっ!……、ゼッタイにこっちを向かせてやるっ!……、本気出させてやるっ!……」

 

 そうなると、もう誰も淡を慰めに動き出せないでいた。何故なら、淡の気持ちが分かるから。分かればこそ下手な慰めは頼りないからである。

 

 その様子をやや離れた場所から見ながら、菫、照、牌譜係は立っていた。

 

「皮肉なもんですよ。バイニンが跋扈していた時期の麻雀に対するダーティなイメージが払拭されて、次第に人口を増加させて近年では一億人を超したというのに、そうして人や富が集中するやヤクザもんがこぞって利益を吸い上げようと働いて、それで裏レート麻雀が復活するなんて……」

 

 牌譜係は腕組みをして、フッと笑ってそう紡いだ。その調子はいつもとは違い、いつも以上に砕けたものであった。口が悪くも丁寧ないつもの彼女とは違うと、二人は思っていた。

 

「君は、父親とは仲が宜しくないのか」

 

 出し抜けに菫がそんな質問をしたものだから、牌譜係はギョッと目を丸くした。

 

「え、ええ、そうですね。あの親父ったら碌なことしないんです。勝ってるならまだ良い、けど、負けられたらこっちも堪ったものじゃないんです。あまつさえ私の大学費用にも手を付ける始末。私が親父から教わったことなんて、麻雀くらいのものです。ええ、ガラの悪いおっさんたちの居る雀荘でね。そりゃこっちの口も悪くなりますよ。そのせいでハブですよ、ハブ。仲間外れ。だから頑張って丁寧な言葉遣いを心掛けたんですよ」

 

 バカに饒舌に喋くる彼女を前に、菫は、やはりかという風に哀しげな表情を見せた。

 

「だからこそ彼には感謝なんです。あの親父を完膚なきまでに叩きのめしてくれたんですから。ホント、ざまあ見ろ。これで懲りたでしょ、もう……」

 

 そう言って彼女はカラカラと笑った。

 

「麻雀部を辞めるのは、もう変わらないんだな……」

 

 菫の言葉を聞いて、照がえっと声を上げた。

 

「どういうこと……」

 

「そのままの意味です、宮永先輩。大学費用が全部溶けてしまったんで、稼がなきゃならないんです。だから、三月いっぱいで麻雀部は辞めます。一年間お世話になりました」

 

 牌譜係は丁寧なお辞儀をした。

 

「行くのか?」

 

 菫が訊く。

 

「ええ、今日これから良い場が立つので。ふふ、人鬼には気を付けないといけませんね……」

 

「一ついいか」

 

 話の流れを切って菫が言う。

 

「君は、父親を酷く悪く言っているが、……本当はどうなんだ」

 

「どう、とは何のことでしょうか」

 

「これは、さっき君に妙な勘繰りをされた意趣返しとでも思ってもらって構わないことだが、ーー本当は君は、実の父親と、父娘らしいことをしたかったんじゃないのか」

 

 菫からそう言われた牌譜係は、途端に貼り付けたような笑みを浮かべた。

 

「君は、寂しかったんじゃないのか。だから、その君の寂しさを置いて自分勝手なことをする父親を許せなかった。寂しさが恨みに変わっていった。父親が負けて喜んだのは、それは君がまだ、父親への希望を持っていたからじゃないかと、私はそう思ったんだ。たとえどんなに嫌な男でも、実の父親は一人しか居ないからな……」

 

「どう思われるかは、ご自由にどうぞ。私は否定も肯定もしませんから。では、私はもう行きます。あなた方との一年間は、愉快なものでした。大星さんはアホの子、宮永先輩はポンコツ、弘世部長は将来結婚出来なさそうだけどーー」

 

「大きなお世話だ!」

 

「――とても楽しかったです! どうかご達者で」

 

 そう言い残すと、彼女は菫たち背を向け、どこかへ去っていった。

 

 その背中を眺めながら、照は物思いに耽っていた。

 

(また京ちゃんは誰かを、どこかに導いた。その先にあるのは喜劇か悲劇かは判らないけれど……)

 

 照は淡のことを思い返した。淡は、京太郎からの、嘲りとも取れるような台詞から、自分なりの道を示した。

 

 いつも同じだった。彼は明確に答えを教えてくれはしない。

 

(でも、京ちゃんの後を追いかけてみれば、停滞していたものは動き出す。氷が解けていくみたいに)

 

 京太郎が咲を麻雀へ戻して、而して照も彼に導かれるままに歩いていたら、咲と再び巡り会い、離れ離れだったものはまた元に戻ったのだ。

 

 その時から照にとって『京ちゃん』とは、『咲の友達の京ちゃん』ではなく、『須賀京太郎』としての『京ちゃん』となった。

 

 大切な存在になっていた。どう表現すればいいのか分からないけど。

 

(分かりやすく言えば、弟かな)

 

 それにしては、彼女は彼に畏敬を持ち過ぎた。

 

 弟を恐れる姉……天照大神と素戔嗚尊(スサノオノミコト)ではあるまいし……。

*1
箱下時に払う一万点棒。これが無いと点数表示がマイナスになる。




 不備がありませんように。

 それにしても牌譜係がモブにしてはやけに目立つなぁ……、ここまで来る予定ではなかったのに。

 なお、『シャープシューター』の表記が『シャープシュータ』と、語尾の『ー(長音符)』が省略されてるのは、『一(イチ)』や『ー(ダッシュ)』と混ざらないようにする工夫の実験ですので、ご了承ください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

やめなされやめなされ、惨い麻雀はやめなされ:前編

 依願退職しちゃって暇なので、就活の傍らに執筆開始(三ヶ月くらい前)。皆さんも人間関係は気を付けましょう。

 現在、所々に牌譜の不備があり、修正していますが、まだあるかもしれません。よろしくお願いします。


【1】

 さて! さてさてさてさて、いよいよやって参りましたこの時期が。

 

 全国高校生麻雀大会県予選まで残り一ヶ月を切った。

 

 去年の大会のお陰で、我が清澄高校麻雀部には、何人かの有力な女子選手が入ってきまして、今や清澄高校は、長野の麻雀に於ける少数精鋭の強豪高校と認知されている。去年に引き続き女子は団体戦に出られることとなりましたとさ。

 

 え、男子? 一人も入らなかったッス。お陰で今年も俺は個人戦に出場することと相成りましたとさ。

 

「勝てもしないのにな……」

 

 席に座ったまま俺は、机に突っ伏している。正直、気が重い。大体どうして、碌な練習もせずに、そこそこ腕の立つ雀士と対局し、ボッコボコにされに行かにゃならんのか。そりゃあ、麻雀は面白いゲームだ、良く出来たゲームだ。だけど和了れなきゃつまらないし、勝てなきゃつまらない。まったくげんなりする。

 

 と、そこへ話し掛けてくれるのは、

 

「なあ、須賀、お前大丈夫か」

 

 俺の友人の高久田誠君。俺を気遣ってくれる奴らの中で、直接俺に話し掛けてくれる数少ない人物の一人だ。

 

「大丈夫じゃねえかもー……」

 

 近頃どうも上手く行かない。正直、女子陣が麻雀強過ぎて、俺は彼女らに気後れしてしまっている。ついては、俺みたいな素人雀士が大会に出るのは気が重い。

 

 そのせいか、最近の俺はどうもダメダメだ。よく物を失くすし、その失くした物が変な所にあったりという不思議現象見舞われている。

 

 あと注意散漫になっているからか、校内でよく人とぶつかる。しかも、同じ人に何度もぶつかるし、酷い時だと背後に居る人物にさえぶつかっていくらしい。いや、俺自身としてはぶつかっているつもりは無いのだが、ぶつけられた相手が言うには、ぶつかってきたのは俺のほうなのだと。

 

 あ、そうそう、先生からもなんかしょっちゅう怒られてる気がする、それも大体は同じ先生から。ていうかあの先生厳しすぎだろ。まあ、さりとて、教師陣に不満たらたらというわけではない。渡る世間は鬼ばかりではないと言うことわざ通り、怒りっぽい先生が居る他方で、やけに優しい先生も居たりする。

 

(……って、んなわけないじゃーん!)

 

 どう考えてもぶつかってきたのは向こうであって俺悪くねえし、むしろあれって、『聖咲ちゃん騎士団過激派』らによる俺への面当てじゃん。教師のほうだって、我が校の華たる(女子)麻雀部から悪い虫を引っぺがそうと俺を追い落とそうとしているのが丸見えだ。

 

 あー、憂鬱だ。こんなに気が落ち込むのは、期末試験の山外して、全く勉強していない所ばかりが出題された時以来だ。

 

「あんま一人で抱え込むなよ?」

 

 俺の肩を叩いて、我が友は言ってくれた。慰めてくれるのは素直に嬉しいものだ、けれど……。

 

(でもちょっと大げさ過ぎね? ひょっとして、慰めるように見せかけて俺の貞操を狙っているんじゃ……)

 

 という想像をして、俺は背中にうすら寒いものが走るのを感じた。

 

(いや! いけねえ、いけねえ。それは下衆の勘繰りだ……)

 

 俺はかぶりを振ってこの想念を隅に追いやった。これも、変なホモヤクザに目を付けられたせいかな。

 

 本当に嫌になってくる。俺の周りには、こんなにも良い奴らが居るってのに。

 

 例えばあそこの、俺をちらちら見ながら耳打ちし合っている女子の集団とか。他にもあそこの男子のグループだって、俺に何と声を掛けたらよいのか分からないのか、忌々しそうにさえ見えるくらい苦々しげな顔で、俺を弱いだの、麻雀部を辞めたほうがよいだのと気遣ってくれる話をしている。皆、俺の苦労を知ってくれているからか、可哀想な人を見る眼で見てくる。本当に良い奴らだ!

 

「おう、あんがとよ。んじゃ、俺そろそろ部活行くから」

 

「須賀、お前……」

 

 俺は席から立ち上がって、部活に行くことにする。活動内容は勿論、仕事を貰うためである。雑用やってストレス解消してなきゃやってられん。

 

「つっても、染谷部長、なかなか雑用回してくんないんだよな……」

 

 部室への道すがらの廊下をとぼとぼ歩きながら、俺は途方に暮れていた。

 

 麻雀部に入部者が居るのは、喜ばしいことだ。が、新入部員が居るということは、人手が有るということであり、即ち雑用が俺に回ってこなくなるのである。正直これは死活問題だ。俺が麻雀部に居る意義が無くなる。

 

 去年の竹井部長の人でなしなら、遠慮せずに俺に雑用を言い渡してくれたかもしれない。しかし現部長の染谷まこ先輩は、去年俺が雑用ばかりであまり麻雀を練習出来なかったことを慮ってくれているからか、なかなか雑用をくれない。一応、力仕事は、男としての俺の顔を立てるために寄越してくれたりはするが、牌譜整理などといった、女性でも出来る、むしろ女性だからこそ出来る仕事は新入部員の女子に任せてしまっているのが現状だ。

 

「正直、麻雀の練習とかダルいんだけどなぁ……」

 

 牌効率だの何だの、そんな煩瑣なことを考えるのなんてぶっちゃけ面倒臭い。高い手和了る浪漫に浸って何が悪い。……まあ俺は未だに役を覚えきっていないけど。

 

 大体さ、麻雀って運要素強過ぎね? いや、元がギャンブルだから当然なんだけど、期待値の高い選択をしていくと勝ちやすいというのが人生に似ている。ほどほどに頑張ればそれなりに良い成績が残せるが、けれどそれではそこで頭打ち。真に頂点を極めるのなら、時にはリスキィな行動にも出ねばならないが、それで当たりを引き続ける強運が無ければ意味が無い。畢竟、運がモノを言うところが、まさに人生と同じだ。

 

 いやいやおかしいだろ。麻雀って娯楽のはずだろ。何が哀しくて娯楽の中で、生々しい人生の苦渋を味わわねばならんのだ。和の親父さんも、その運に左右されるという点で麻雀に否定的らしいけど、同感だわ。弁護士っていう、社会の荒波に揉まれてきた人なら、そう考えるのも致し方ないことだろう。

 

 と、まあ、先ほどから俺はこの調子でぼやき続けていた。周囲には生徒らが居るので、麻雀部への不平とも言えるこのぼやきを聞かせるわけにもいかないので、辺りを憚る小さめの声でである。

 

「須賀京太郎!」

 

 突如として掛けられた声に、俺は顔を上げた。見ると、俺の前方に、一人の男子生徒が仁王立ちしていた。何だこいつ。

 

「僕は、『原村和親衛隊』! 二年の――」

 

 と鳴り物入りに名乗りを上げる彼を見て俺は悟った。

 

(……この人、『のどっちのおもち研究会』の人だな)

 

 『のどっちのおもち研究会』の人は、まず人前では『のどっちのおもち研究会』とは名乗らず、何かしら和にちなんだ名称を使う。理由は……訊くな。

 

 また、この理解に苦しむ変人めいたふるまいはまさしく、変人集団『のどっちのおもち研究会』の会員に違いない。いや、会員にしてはいささか常識的だが、この変人っぷりは間違いなく会員だ。『研究会』会員番号八番の俺が言えたことじゃないけどさ。でも世の中色んな変態が居るよ。去年のクリスマスなんか、サンタさんの格好した謎のおっさんが『We Wish You A Merry Christmas』を口ずさみながらその辺の男に殴り掛かる意味不明な事件あったし。

 

 あ、いっけね、馬鹿なこと考えてたら名前聞き逃した。でも別にいいや、後で聞けばいいし。

 

 んで、彼が俺に何用なのか。

 

 要約させてもらうと、彼も県大会に出たいので、麻雀部唯一の男子である俺に打ち筋を見てほしいのだそうだ。あと、俺が大会出るのに及び腰だということを見抜いてくれているからか、実力次第では俺の代わりに出てくれるのだとか。良い奴だなぁ……。『研究会』の人たちは、ドの付く変態だけど、やはり良い人ばかりだ。会員になって良かったってつくづく思う。

 

 つっても、俺、今の話ほとんど聞いてなかったんだけどな。前口上がダラダラ長いし。

 

 まあ内容大体合ってるんだろうし、いいだろ。

 

 俺としては諸手を挙げて喜べることなので、二つ返事で了承した。急いて返事をしたものだから、少し素っ気ないものになってしまったかもしれないが、寛容な『研究会』の人たちならきっと大丈夫。

 

 で、何やかんやで、入部テスト対局。場所は当然麻雀部の部室。

 

「……何このギャラリィ」

 

 てっきり麻雀部とか『研究会』の人たちだけかと思いきや、うちのクラスの連中や、それにとどまらず別のクラス、果ては別の学年の生徒まで居るではないか。

 

「それに何故に高久田まで……」

 

 しかも何故か、この対局には高久田まで同卓すると言い出して、この状況だ。

 

 高久田が麻雀出来るのかって? 大丈夫、こいつも何ヶ月か前に麻雀始めたそうだから。で、俺は高久田の麻雀デビュー祝いとして、復刻版の初代プレステと、SIMPLEシリーズ第一弾にしてシリーズ大ベストセラーである『THE麻雀』(プレミア)をプレゼントしてやったわけだ。金余ってたし。

 

 PS4版? 自分で買え。

 

 卓を挟んだ俺の対面には、対局を頼み込んできた会員壱(もとい変態壱)、その下家に位置する所には、壱に付き添ってきた会員弐(もとい変態弐)。ちなみに高久田は壱さんの上家のほうに居る。

 

 壱さんはやけに得意げな顔だ、ともすると俺を馬鹿にしているみたいな顔だ。そこから推して量るに、このギャラリィを集めたのはこいつだな。あの大仰な自己紹介といい、何とすると彼はエンターテイナとしての側面があるらしい。憎い奴だ、二つの意味で。

 

 彼は卓に散らばった牌から、東南西北の四枚と一、二筒の二枚の計六枚を持ってくると、これらを裏返してシャッフルし、また横に並べ、これを卓の縁に当てて綺麗に揃えた。

 

 ああ、その方式の仮東(カリトン)決めね、随分と本格的だ。流石は、清澄麻雀部で県予選に出ようと言うだけはある、意識が高い。

 

 それから壱さんはおもむろにサイコロを振るスイッチを押してサイコロを転がした。出た目は十、つまり、彼の下家に居る弐さんが該当する。それで彼が振って出たのは三、なので、弐さんの対面にあたる高久田である。

 

 ここに至って、壱さんは、シャッフルした六枚を表に返した。

 

{西東②南①北} この中で、二筒と一筒子を各々端に移動させ、{②西東南北①}

 

「今出たのが三だから、高久田から反時計周りに取っていくんだな。三は奇数だから、取っていくのは一筒の側から」

 

 と俺は、北牌を指差し、これを取って高久田に寄越した。次いで、高久田の右隣りの壱さんが南を取り、次に弐さんが東、最後に俺が西を取った。ちょうど、現在の俺らの席を反時計回りするみたいに牌を取っていくわけだ。

 

「僕は、ここで」

 

 と、東を取った弐さんは今自分が居た席にそのまま座り、

 

「なら僕は……」

 

 と続いて壱さんがその下家に座った。

 

「俺がここか」

 

 高久田が更に下家に座って、俺は残った席に着くことになった。椅子に座る際、観客の中に居た咲をはじめとした麻雀部の面々と目が合った。とりあえずダブルピースを送る。で、なんか知らんが、それを見た観客の一部が口々に、

 

「女ったらし!」

 

「屋根裏のゴミ!」

 

 とか何とか言ってきおった。

 

 誰だ屋根ゴミっつったの。屋根裏要素どこだよ。好き放題言ってくれやがって。三ヶ月前のバレンタイン思い出してブルーな気持ちになっちゃったじゃねえか。

 

 で、着席が完了したその後、高久田がやおらサイコロを回して、

 

「七だな」

 

 そうして出たのは七であった。

 

「出親は、僕かな」

 

 言いながら弐さんが、中央の穴に牌を押し込みながら言う。

 

 牌山が昇ってきた。サイコロは、山が出てくる寸前に既に回してあったので、間髪入れずに弐さんは山に切れ目を入れ配牌を開始した。出たのは五だったので、弐さんの山から取っていく。

 

「ところで――」

 

 と高久田が口を挟んだ。

 

「流れからして、ルールは大会ルールでいいんだろうが、槓ドラは明槓・暗槓問わず即ノリでいいか? 正直、ややこしいんだ」

 

 視線を向けられた壱さんと弐さんは、二人してお互いに顔を見合わせたのち、

 

「別に、僕としては構わないが」

 

 壱さんは、相変わらず貴族みたいな喋り方で応え、

 

「僕も、いい」

 

 弐さんも首肯しながらボソボソと、呟くように言った。

 

 全員の配牌が完了するや、出親の弐さんはいきなり第一打を切った。彼が理牌を行いだしたのはその後だ。

 

(はっや……。理牌無しに第一打を決められんのかよ。俺なんか未だに、理牌した後に悩んでから、数の少ない数牌や孤立牌、風牌とかを切るのに)

 

 と弐さんに感心していると、その間に壱さんが、それと同様に第一打を切った。俺は面喰った。二人して随分と麻雀慣れしているみたいだ。もうこの時点で入部テストは合格でいいんじゃないかなと思う。半荘もやる必要ないんじゃないかな?……、ていうか東風戦も要らないんじゃないかな?……。

 

「ツモ。一三〇〇・二六〇〇」

 

{六七八①②③赤⑤⑥⑦2333} ツモ{1} 

 

 とこのような具合に、八巡目で立直(リーチ)を掛け、十巡でいきなり和了ったのは、壱さんであった。

 

 うーん、良いね。具体的にどこが良いのか分からないけど、良いね。

 

【2】

 東三局。親は高久田。

 

 高久田誠は焦らずにはいられなかった。

 

「ロン。平和(ピンフ)のみ、一〇〇〇点」

 

{二三四五六七①②③④⑤北北} ロン{③}

 

 【東三局終了時点での点数】

 

 トップ、弐―― 四〇四〇〇点

 

 二位、壱―― 二七〇〇〇点

 

 三位、京太郎―― 二〇三〇〇点

 

 ラス、高久田―― 一二三〇〇点

 

 この状況が出来る潮目は前の局、東二局(親は壱)連荘二本場だった。それまで、壱と弐の鳴きによる早和了り戦略を前に、立直すら出来なかった高久田は焦燥を募らせていた。が、さりとて、相手に合わせて鳴きの早和了を目指すのは愚策だと、彼は自身に言い聞かせつつ、なるべく門前の打ち方を保とうとしていた。

 

 ところが、件の東二局(親は壱)連荘二本場にて、ようやっと高久田は聴牌。そこで気が緩んだのが隙。抑え込んでいた焦りが一気に解放され、無警戒にも彼は立直を掛けてしまったところ、弐による黙聴の六四〇〇(七〇〇〇)を直撃させられたのであった。

 

 それで、今しがたの千点の直撃。折角の自分の親番を蹴られ、点数も二万をとうに切り、現在一三三〇〇点。いよいよ彼も打つ手が無くなってきた。

 

(クソッ、分かってはいたけどよ!……)

 

 元々彼がこの対局に参加しようと決意したのは、この圧倒的不利な状況を少しでも緩和できればと思ってのことであった。

 

 この勝負、もし高久田が参加をしなければ、残る一席は当然、現在対局している相手の息の掛かった人間が座るはずであった。つまり、京太郎一人に対し、三人が相手となることとなる。

 

 高久田とて、麻雀を始めたのはつい最近のこと。練習と言えばせいぜい、ネト麻か、京太郎からプレゼントされた『THE麻雀』くらいのもの。自身が戦力になるだろうとは、端から期待していなかった。さては、麻雀歴が一年の京太郎、それも去年の県予選で惨敗を喫し、しかもその時から今の今まで、麻雀についてまともな指導を受けていない彼が、斯様に不利な対局を切り抜けられるとも思っていなかった。

 

 ただ、友達を独りで闘わせるのが嫌だった。

 

 東四局、親は京太郎。十二巡目。

 

 {三四五②②③④344556東}

 

 高久田、二-五筒両面待ち、聴牌。高めタンピン三色(五筒)。

 

 しかし彼は立直は掛けず、最後まで取っておいた東を切った。

 

 ……いや、掛けられなかったのだ。

 

 二度に渡ってしくじったことで彼は今、負け腰の疑心暗鬼に陥っていた。故に、立直という自分に利がある行為にさえ恐れを抱いていた。例えば、ここで立直した後で敵方に追っかけ立直をされてしまったら……、という具合に、メリットよりもリスクのほうに意識が行ってしまう心境にあった。

 

「ポン」

 

 高久田の捨てた東を鳴いたのは京太郎であった。手牌から不要牌を切り出し、次いで二枚の東を倒して見せ、高久田の河から東を持ってきて副露。何ら不思議ではない。東場で、東家(親)の京太郎が東の刻子を作れば、ダブ東で二翻付くのだから、彼が東の対子を抱えているのは当然であろう。

 

(東が来たから、つい鳴いちゃったけど、これって役牌付くんかな……)

 

 まあ当の京太郎は、ダブ東なんて考えてすら居ないのだが。ていうか未だに風牌に役牌が付く条件を意識出来ない。どころか、今が東場なのか南場なのか分かっているのかも怪しい。

 

 次巡。

 

「立直!」

 

 壱が立直宣言をし、リー棒を場に放った。

 

 これに高久田が浮足立つ。その調子で、自分の自模番で牌を持ってくる。持ってきたのは和了牌ではなかった。しかも、たった今立直宣言をした壱の現物でもなかった。そうなると自然と高久田は呼吸が乱れた。

 

 一瞬、オリようかと彼は考えるも、しかしどうにも自身の手はそういうようには動かず、結局彼はその牌を自模切りすることにしたのであった。幸い、壱の当たり牌ではなかったため、直撃ということは免れた。

 

 その次の自模番は京太郎。彼は高久田と同じように、持ってきた牌を数秒程見つめたのち、自模切りした。

 

 出たのは赤五筒。高久田の当たり牌だが、彼は京太郎から出和了するわけにはいかない。

 

 高久田は歯噛みした。もし、前巡で立直を掛け、かつ京太郎が鳴きを入れていなければ、これを一発ツモでメンタンピン三色のドラ一で倍満だった。彼自身の弱腰もさることながら、東を持っていて、かつ京太郎が東の対子を持っていたことからして、今の自分たちはツキに見放されているのだと、つくづく高久田は思い知ることとなった。不幸中の幸いにも、その後の壱と弐の番で、高久田の当たり牌が来たということは無かったが、……ますます緊張が重なる彼の慰めにはならない。

 

 ところが次巡、彼が引いてきたのは、お目当ての五筒であった。

 

 彼は一つ吐いた息に、よし、という声を含ませた。

 

「ツモ!」

 

 と宣言して彼は手牌を倒した。

 

{三四五②②③④344556} ツモ{⑤}

 

「ツモ、タンヤオ平和三色。満貫」

 

 喜色をを噛み殺した面持ちで高久田は早口に申告した。

 

 同時に、何かがおかしいようにも感じていた。

 

 点数申告をしようとするその時、高久田はハッと気付いた。だがもう遅かった。

 

「二〇〇〇……、四〇〇〇……」

 

 この支払の内、四〇〇〇点は京太郎の親被り。しかもこの東四局は京太郎の親であり、それを流す結果ともなったのだ。

 

 サッと高久田の顔が青ざめる。苦境から脱したと思ったらまだ苦境という、上げて落とされたその心持ちたるや。そんな苦難を前に彼は、一体これをどう受け止めればよいのか、全体これからどうすればよいのか、といったように、五里霧中に陥っていた。

 

 ゆっくりと高久田は顔を上げ、目の前の対局者らを上目がちに見た。

 

 京太郎は、相変わらず、卓に肘を突き手の甲に額を乗せながら、もう片方の手で支払いの点棒四〇〇〇を高久田へ差し出した。

 

 他方、敵方の二人。弐のほうは依然としてつまらなそうな顔で、おもむろに点棒を渡す。片や壱には表情は無く、しかし内心でほくそ笑んでいるであろう無表情で高久田を見据えながら点棒を寄越してきた。

 

 高久田は胸の内で、認めざるを得なかった。

 

(悔しいが、こいつら、強え……)

 

 対局当初での早和了に加え、二度に渡って高久田から安手ながら直撃を取り、しかもそれで動揺を誘った末に彼に京太郎の足を引っ張らせ、高久田と京太郎のコンビを破綻させた。

 

 今となってはもう、完全に流れまで掌握されてしまっていた。

 

 南一局(親は弐)で弐が一〇〇〇オール、その次の連荘一本場では跳満を和了。更に連荘二本場では、今度は壱が跳満。そしてその次の局(親は壱)で、弐が壱に跳満を差し込み、

 

 【南二局終了時点での点数】

 

 トップ、壱―― 五四九〇〇点

 

 二位、弐―― 二八一〇〇点

 

 三位、高久田―― 一一〇〇〇点

 

 ラス、京太郎―― 六〇〇〇点

 

 今の差し込みで、壱と京太郎の点差は絶望的なまでに開いた。その点差は四八九〇〇点……親の倍満、子の三倍満直撃でも捲れない。

 

 この勝負は飽くまで京太郎の勝負であって、高久田は単なる助っ人に過ぎない。つまるところ、高久田がトップに立っても意味が無い。出来ることとすれば、高久田が壱から大物手を直取し、そのあとの局で京太郎が、逆転可能な大物手を和了る、など。あまりにも薄く、頼りない可能性。

 

(こういうわけかよ……。差し込みや鳴かせのコンビプレイなんて、どうして大会では出来ないはずのやり方で来るんだと思ったら、……要は公開処刑しようって腹か)

 

 元よりこの勝負は、『大会でまともに打てる腕』を示すことが目的である。そうすればこの二人は大会に出られるわけだ。

 

 ここで不可解なのは、『大会でまともに打てる腕』という曖昧な条件と、『対局後に京太郎はどうなるか』が明確になっていないことであった。

 

 だが今の高久田なら分かる。少なくとも敵方二人は、もう十分に腕を示したと主張出来る状態にある。そのため、大会に出られるかの腕前についての疑問は、後ろ盾さえあれば封殺出来る。

 

 そして京太郎の処遇についてだが、無論、負けたからとて彼が麻雀部を強制退部といったことはないはずだ。

 

 ――そう、彼自身が退部を希望しなければ……。

 

(大方こいつらは捨て駒、スケープゴートってとこだな、悪い奴ほどよく眠るとはいみじく言ったもんだ。――クソッタレが! こんなカスどもに……、それとどっかで高みの見物してる奴どもに……、ぜってえ負けたくねえッ!)

 

 そう彼は闘志を燃やしだす。が、現状その望みはあまりに薄く、それでも諦め切れない思いがせめぎ、彼は自らの無力さを痛感せざるを得なかった。

 

 南二局、連荘二本場(親は壱)。

 

{1122233二二三三四五南} 

 

 開始数巡にして高久田、二盃口一向聴(四萬待ち)。流れ自体は敵方に持っていかれたものの、ツキはまだ残っているらしい。

 

 打南。

 

「立直」

 

 同巡、一萬で立直を掛けてきたのは弐で、

 

「ポン!」

 

 それを鳴いたのは壱であった。

 

 その後高久田に自模番が回ってきて、自模ってきたのは、

 

(白……生牌、しかもドラか)

 

 生牌の危険性について、高久田は知識では知っていても、実感としてはよく分かっているわけではない。しかし、追い詰められたこの期に及んだことでか、普段ならさほど悩まず打つであろうこのドラ白板も、今なら打つべからざる危険牌だとひしひしと感じる。

 

 だから彼は二索を打った。これは通る、既に三索を捨てている弐には。

 

 高久田の後、京太郎、弐と続いて壱の番。彼が捨てたのは發。

 

「ポン」

 

 仕掛けたのは京太郎だった。それで打ったのは赤五索だ。

 

(何故ここで赤ドラを……)

 

 高久田は疑問を浮かべた。

 

(なんかここまで蚊帳の外だったし、ヤキトリだし、一回くらい和了りたい)

 

 京太郎は大して考えてない。

 

 ギャラリィたちはひそひそと、出来るだけ小さな声で囁き合っていた。

 

「ねぇ……、正面の人からポンすると、自模順ってどう変わるの?」

 

 そのギャラリィらの一人の女子生徒が、そばに居た男子生徒にそっと耳打ちした。

 

「各々の正面と引く牌を交換するように変わるんだってさ。つまり、須賀とその正面、高久田とその正面が、次の引く牌を交換してるってこと」

 

 その男子生徒が麻雀用語を避けて説明すると、一応納得したように彼女は、ふうんと頷きながら相槌を打った。

 

 高久田の番、九筒を自模。彼は、対面の弐の河に視線を移した。

 

(奴は立直直前に五筒切りか……)

 

 もし、この五筒が最近まで孤立牌でなかったとすれば、裏スジである九筒は危険牌。

 

(こいつが危険牌なら、ここは迷う必要は無いな……)

 

 さして迷うことなく高久田は五萬を打つ。

 

「チー」

 

 京太郎がまた一鳴きし、四萬と六萬の塔子に五萬を噛み合わせ、先ほどの緑發の明刻の上に重ねた。

 

 打紅中。

 

 続く弐の自模、一筒。これは彼の和了牌ではないため、ノータイムで切る。

 

「ポン!」

 

 壱、これを鳴き、淀みない動作で副露。

 

 打六索。

 

 高久田はこれに不吉なモノを感じた。それから壱の河を見やると、彼の河には中張牌と字牌のみが捨てられていた。その上、尖張牌(チェンチャンパイ)*1が絡んだ塔子落としまでやっている。

 

(脂っこい牌ばっか切りやがって……。隠す気も無いと来たか)

 

 それもそのはず、この局の親は壱で、役満を和了ろうものなら、ツモでも一六〇〇〇オールで京太郎と高久田がトビ終了。和了れないのなら和了れないで、さして問題ではない。また、たとえ京太郎と高久田が大物手を聴牌しようとも、最悪の場合、弐による差し込みで強引に終わらせてもよい。

 

 ずばり、清老頭。ここで畳む腹積もりらしい。

 

 確信して高久田は自模。二枚目の白を持ってきたことで、先ほどの白と合わせて対子に。

 

{112233二二三三四⑨白白}

 

(よし、白が合わさったぞ。どうする……、勝負するか?……)

 

 と、高久田は九筒を僅かに摘まみ上げ、

 

(いや、これは打たないと決めたろ……)

 

 かぶりを振って、四萬を持ち上げる。これで七対子ドラドラ、九筒単騎待ち聴牌。

 

 立直はしない。これは和了るなら十中八九、ツモ和了だ。立直を掛ければ跳満になり、ますます京太郎の首を絞めることになる。

 

 もう迷うことはない。

 

 そのはずだった。

 

(いや待て……)

 

 高久田の手が止まったのは、牌を切ろうとした矢先だった。

 

 理由は本人にも分からない。ただ、直感では感じるものがあるらしく、自然と目が場に向く。まず目に付いたのは、壱の河、一列目に八筒が捨ててある。決め打ちにしても、九筒が一、二枚の時から、それも初期に八筒を捨てるだろうか。

 

(さては既に九筒を暗刻ってるな。ということは、俺のこの手は空聴……)

 

 彼の読み通り、壱と弐の手配は、

 

{1199⑨⑨⑨} {横①①①} {横一一一}

 

 壱、一-九索シャンポン待ち。清老頭。

 

{七八九789⑥⑥⑥⑦⑧白白}

 

 弐、六-九筒両面、白の変則三面待ち。安目で六筒による立直のみ。白なら役牌が付く。高めは九筒による三色同順。

 

 それぞれこのようになっている。

 

 ひどく分の悪い状況だ。

 

 この三人の内、和了が無くなったのは高久田だけであり、あとの二人はめいめい残り僅かとなった和了牌を引かなければならなくはなったものの、それによって自身らが不利になることはない。

 

 尚更、高久田は迷う。そもそも、弐の待ちは白なのか九筒なのか。経験の浅さ故に、数牌と字牌が合わさった変則三面待ちを読めない高久田には分からない。

 

 案外に九筒は当たりではないかもしれないし、もしかしたら白はまだ山の中かもしれない。考えれば考えるほどに様々な憶測が飛び交い、次第に自分の読みの何もかもが曇りだす。そうして決断は衰え弱まっていく。

 

 そのさなか、高久田の頭に、一つ小さく閃くものがあった。それは前に京太郎が捨てた赤五索であった。それと、今しがた壱が打った六索。

 

(一索は、五索の裏スジ。対して六索は、同じく裏スジなのに須賀の当たり牌じゃなかった。二索と三索は俺から三枚ずつ見えている。残る一枚ずつが、もう山の中に無いのだとしたら……。うん、あり得なくはない。確証はないけど、それでも――)

 

 ――それでも、信じよう。

 

(お前に賭けるよ、……須賀)

 

 まさに迷いを完全に断ち切った手つきで、高久田は一索を河へ叩き付けた。清水の舞台から飛び降りるとはこのことだ。

 

「ロン!」

 

{1199⑨⑨⑨} {横①①①} {横一一一} ロン{1}

 

 その決死の打牌に、壱は容赦なく出和了宣言をかました。終わりだ、と、そう言うかのように、壱は勝ち誇った顔で高久田を見てから、京太郎へ顔を向けた。

 

 だが、即座にその顔は一転して、驚愕に強張った。

 

「頭ハネだな」

 

 京太郎に代わって、高久田がそう宣言した。京太郎の手牌もまた、倒されていたのだ。

 

{23八八八②②} {横五四六} {發横發發} ロン{1}

 

 發のみ、一〇〇〇は一三〇〇。

 

 その点数をあらかじめ読んでいたかのように、高久田はその手牌をほとんど見ないで、引き出しから点棒を取って京太郎のほうへ置いた。

 

 顔だけをその点棒へ向け、京太郎は静かにこれを見続ける。

 

(……あれ? これって俺いいの? 俺が貰っちゃっていいの?)

 

 一方、京太郎は戸惑っていた。

 

 同時和了の場合、優先とかそういうのはどうなるのかというのは、このアホンダラはまだ解っていない。

 

 和了牌が出たので思わず和了り、それから不毛な迷いに惑っている内に、なんか高久田から点棒貰って、今に至るわけだ。

 

 縋るように京太郎は高久田へ顔を向けた。

 

 これを受けて高久田は、なんかやり遂げた感溢れる精悍な顔つきで、黙って頷くだけだ。

 

 なんかカッコイイので、そこはかとなく京太郎はムカついた。

 

 まあいいか、と京太郎はとりあえず点棒を受け取った。差し当たってヤキトリは避けられた、これでよし、と納得する。単純な奴だ。

 

(赤ドラ捨てちったのは勿体ない感じがすっけど、和了れたんだし、結果オーライ! やっぱ嵌張待ちより両面待ちだな)

 

 で、そんな京太郎の、内面を露知らず、高久田はしたり顔で壱を一瞥すると、何事も無かったかのように次の局へ取り掛かった。

 

 忌々しそうに壱はねめつけるも、ただの悪あがきだと一笑に付し、同じように次の局へ歩みを進める。

 

 さあ、ここが潮目。流れは変わった。それまで、壱と弐が勝ちそうだったという雰囲気が俄かに霞掛かり、誰もが勝負の行方を見失いだした。依然として、京太郎不利であることは変わらないのにも拘わらず、である。

 

 そう、京太郎には、それほどの凄味があった。さも、この状況を理解していない風に、静かで、鷹揚な、そして飄逸で揺るぎない居住まいに、全てが飲まれていった。

 

 色々な意味で。

*1
数牌の端から三番目にある三と七の牌。辺張待ちの牌。




 今更見てくれる人なんて居んのかなとは思えど、思い付いたネタを書かずにはいられない次第であります。よければお付き合いよろしくお願いいたします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

やめなされやめなされ、惨い麻雀はやめなされ:中編

 本人も(楽だからという理由で)哭きの竜役気に入ってるみたいだし、池田秀一で哭きの竜リメイクしないかなぁ……。もしくは置鮎ボイスか津田健次郎ボイスでやってほしい。

 P.S.4.
 あけましておめでとうございます。だいぶ遅くなったけど!


 南三局。

 

「テンパイ」

 

京太郎

{①①①⑦⑦⑦發發中中} {白白横白}

 

「テンパイ」

 

{一一九九⑨⑨1199東東西}

 

 京太郎と壱が、聴牌したその手牌を倒した。

 

「ノーテン」

 

{發中東一二三234③④⑦8}

 

「ノーテンだ」

 

高久田

{一二三九⑧⑨⑨119西西西}

 

 対するノーテンの二人、高久田と弐は、逆にこれらを伏せた。

 

 京太郎と壱、ノーテン罰符、プラス一五〇〇点。対して高久田と弐は、その支払いでマイナス一五〇〇。

 

【南三局終了時点での点数】

 

 トップ、壱―― 五六四〇〇点

 

 二位、弐―― 二五六〇〇点

 

 三位、京太郎―― 九八〇〇点

 

 ラス、高久田―― 八二〇〇点

 

 以上。

 

 次局は南四局(親は京太郎)のオーラスとなる。この勝負は、京太郎がトップを取らねば勝ちではない。そのために京太郎は、現在トップの壱から倍満の直撃を取る、もしくは三倍満のツモ和了りか、連荘からの逆転を期待するしかない。

 

 しかし、勝負を長引かせるのは却って不利だ。差し込みをするにしても、残り八二〇〇しかない点棒が減る上に、相手の矛先が高久田に向けば危険は二倍になる。ここは振らず和了らずに徹するのが妥当だろう。

 

(ここで、終いか……、俺の役目は……)

 

 悟ったように微笑み、高久田は引き出しから一五〇〇点分の点棒を取り出すと、これを京太郎へ差し出した。

 

 この差し出された物を、京太郎はしばらく見ていた。てっきり、そのまま点棒を卓に置いて寄越すものと、京太郎は思っていた。ところが高久田は、それを差し出したまま置くことなく、ちょんちょんと、受け取りを催促するように振った。京太郎には意図は不明だが、高久田は直接渡したがっているのは分かった。

 

 敵方の二人も同様に、手で点棒の受け渡しを行っていた。上に向けて差し出された壱の手のひらの上へ、弐は摘まんだ点棒を置いた。受け取って壱は、それを震えるくらい握り締めてから、引き出しへ収めたのであった。

 

「麻雀ってよく分かんないけど、高久田君がファインプレイをしたっていうのは何となく分かる……」

 

 と、高久田と壱の間辺りで観戦していた生徒が、隣の生徒に小さな声で話し掛けた。

 

「あのキザ野郎が早い内に聴牌した混老頭七対子の西単騎待ちを止めたばかりか、その後対々和に向かわせないために、入ってきた一九牌をガメて、順子を崩してたんだ……」

 

 と、話し掛けられたほうは答えた。

 

 それを聞いていた麻雀部の現部長、染谷まこは、尋常ならざる面持ちでゴクリと唾を飲んだ。

 

「高久田君……でしたっけ。彼、なかなかですね……」

 

 小さく頷きながら顎に手を当てて、真剣な顔で彼を評するのは原村和であった。

 

「でもたしか、高久田君が麻雀始めたのって去年くらいだったはずだよ、京ちゃんが言うには……」

 

 と宮永咲が小首を傾げて訝しんだ。

 

「そうですね、それは捨て方から見ても分かります。それと、あの変な人二人組も、麻雀を始めて一年かそこら、或いは一年も経っていないかも分かりません……」

 

 と語る和に、

 

「い、一年っ? 今のやり取りでまだ初心者なんて、とてもじゃないけど思えんじぇ……」

 

 と戦慄したのは片岡優希であった。

 

 勿論、そうなったのは優希だけではない。他の麻雀部員の女子生徒たちも同じであった。

 

 去年の大会のお陰で、清澄の麻雀部には、有力な打ち手を含めた何人か女子生徒が入部した。勿論、その中には、麻雀未経験なのも居れば、麻雀歴一年前後という女子だっている。その彼女らからしても、あの彼らのやり取りは、麻雀歴一年のそれではないように感じられたのだ。

 

「確かなの?」

 

 と咲が、和に問う。

 

「高久田君の打ち方を見てみると、ある程度牌効率を知っているらしいものの、やはりまだ甘いところが見受けられます。また、相手側の打ち方のレベルが高久田君と同じなのは、おそらく素……。思うに今の彼らは、経験に依る読みではなく、持ち前の洞察力や直感で読んでいるのでしょう……」

 

(いや、それだけじゃない。京太郎の小三元和了牌を止めていた――否、大三元を妨害していたあやつ……。最初に京太郎が白を鳴いた時に、あの手が向かう先を見切りよったばかりか、東と一萬を抱えといて、いざって時にはあのキザに鳴かせようとした……。まったく、『持ってる』奴じゃ)

 

 まこは敵方の二人の内、弐のほうに警戒を向けていた。さりとて意味はなく、京太郎がしてやられないことを祈るばかりだったが。

 

 南四局一本場、オーラス。京太郎のラス親。

 

 これで京太郎が壱から倍満直取か三倍満ツモ和了、もしくは連荘で時間稼ぎからの逆転を為せなければ、敗北。即ち、京太郎は立場を失くし、居場所を失うこととなる。

 

 余裕だ、と壱は、ドラを捲りながら人知れず笑みを浮かべていた。ドラ表示は四索で、だからドラは五索。

 

(南二局では思わぬ横槍に泡を喰ったものだが、何てことはない、ただの悪あがきだったのさ)

 

 その証拠に、前局で京太郎は、大三元聴牌どころか、小三元すら和了出来なかった。あんな大物手が入るなんて奇跡、この土壇場で二度も起きまい。

 

(奴の運は――枯れたんだ)

 

 自らの勝利を確信して、壱は手始めに八筒を打った。

 

「ポン」

 

 それに水を差すように、京太郎は哭きを入れた。それから索子を打ち、倒した八筒の対子に持ってきた八筒を入れ、卓の端に滑らせた。

 

(ふん、往生際の悪い)

 

 そう胸中で嘲笑いながら、壱は弐へ視線を送った。弐は一瞥を返すと、興味なさげに自分の手に視線を戻し、それから六筒を打った。京太郎は鳴かなかった。

 

 再度回ってきた壱の自模番。彼は三筒を捨てたが、これは京太郎も鳴かなかった。

 

 次、高久田は西を捨てた。次、京太郎、一索を捨てる。その次に弐は打發し、壱はこれを、

 

「ポン!」

 

 と鳴いて七筒を捨てると

 

「ポン」

 

 またも京太郎が哭いた。

 

 それから次に京太郎が哭いたのは二巡後であった。彼は、壱が自模切りした四筒を、

 

「ポン」

 

 と哭いて、八索を切った。

 

 そして更に三巡後、壱は一筒を引く。

 

{四赤五六④⑤5南南白白} {横發發發} 自模{①}

 

 ここで彼は沈思した。

 

 もし、京太郎がこの局での逆転を期待しているのなら、こんな見え見えの染手はあり得るだろうか。ここで京太郎が目指さねばならないのは、壱から倍満の直取か、三倍満のツモ和了か、連荘して次局に期待するしかない。

 

 とは言え、少なくともこの一筒は京太郎の当たり牌ではないというのは予想がつく。だから彼はこれを打つのを迷わなかった。

 

「ポン」

 

 京太郎は最後の哭きを入れた。そして彼が中を捨てたことにより、

 

{裏} {①横①①} {④横④④} {⑦横⑦⑦} {⑧横⑧⑧}

 

 何かしらを聴牌をしたのであった。

 

 一番の可能性は、清一色トイトイによる跳満で、赤五筒入ってようやく倍満。

 

 ひとまず直撃は免れたことで、壱はほんの少しほっとした。

 

(差し当たってこれでまた奴の腹の内が見えた。おそらく連荘狙い……)

 

 と、壱がそう仮説を立てた。

 

 ところが、その次巡の京太郎の番で、彼は引いてきた八筒を、

 

「カン」

 

 と加槓して、既に副露してある八筒の明刻に向かって、叩き付けんばかりに走らせた。そうして牌と牌がぶつかった瞬間であった。

 

 バチッ、と音を立てて、一瞬……ほんの一瞬だが、

 

(何だ……、今一瞬……閃光が……)

 

 そこにスパークのような青白い閃光が弾けたのを、幾人かの者が幻視した。

 

 嫌な予感がして、壱はドラを捲った。現れたカンドラは――、

 

(三筒……つまり須賀の四筒の刻子にモロ乗り)

 

 これで京太郎の聴牌は、清一色対々和ドラ三、倍満。あと一翻で京太郎の勝利条件が整うところまで来た。

 

 この事実に壱は動揺した。彼だけではなく、ギャラリィたちも然り。

 

(間違いない、須賀京太郎は三倍満のツモ和了狙いだ。そのためのあと一翻は赤五筒。奴のあの裸単騎か、もしくは自分で引くか……)

 

 自分の手牌の中にある五筒を見て、壱はそう考えた。筒子に限り、赤五は二枚ある。つまり、仮に壱と同じで京太郎も五筒を持っているとするのなら、残る二枚は確実に赤ということになる。掴んでしまえば即和了れる。

 

 そして壱は確信していた。それは京太郎の背後に居るギャラリィを見ての確信だ。京太郎は、残る裸単騎の牌を、聴牌してまもなく伏せてしまっていたが、しかし背後のギャラリィはそれまでに確かに京太郎の待ちを見ていたはずである。そしてあれらの顔はまさに、京太郎が五筒の――それも赤五筒の裸単騎で待っているという顔だった。

 

 何とも小賢しい、最後の手段。ギャラリィを利用して牌を読むなどとは。裏を返せば、それだけ壱も追い詰められたと言えよう。

 

 けれども流れはまだ壱にあった。

 

 それは次の弐の自模番である。彼は持ってきた牌を見て、少々瞠目した様子を見せて、それから壱へ流し目を送ると、持ってきた牌を意味ありげにちょんちょんとつついた。

 

 一見して捨て牌に悩んでいる風だが、

 

『赤五筒を掴んだぞ』

 

 というメッセージが潜んでいた。

 

 これで残る五筒は一枚。

 

(早く和了って、流してやらねばな……)

 

 そう考えて壱は、

 

「チー」

 

 弐が打った六筒を鳴いた。

 

{四赤五六5南南白白} {横⑥④⑤} {横發發發}

 

 これで聴牌、南と白のシャンポン待ち。当然この二種の牌の内いずれかは、弐が持っている。あとは一巡耐えて、弐に差し込ませればいい。

 

 これにて壱が確信したのは勝利であった。最後のほうでの京太郎の悪あがきに、壱は随分と戦々恐々させられたものだが、どうにかなった。

 

(手こずらせてくれた……。所詮は、流れを失った凡骨か)

 

 そんな安堵交じりに、彼は五索を意気揚々と打った。

 

「ロン」

 

「えっ……」

 

 鳩が豆鉄砲を喰ったような顔をする壱を余所に、京太郎は伏せていた牌をひっくり返して見せた。

 

{赤5} {①横①①} {④横④④} {⑦横⑦⑦} {⑧横⑧⑧} ロン{5}

 

ドラ表示{4③} → ドラ{5④}

 

「対々和ドラ三……、いや、五索はドラだからドラ五か?……。跳満?……」

 

 と高久田は少し怪訝な顔をした。何というか拍子抜けだったのだ。連荘があるとは言え、この方法で直撃を取っておいて、まだ逆転していない。にも拘らず京太郎は、妙に――相変わらず辛気臭い顔しているが――自信満々な様子。

 

 一体この違和感は何なのか。

 

「いや、五索だけでもドラは三つじゃな、つまりドラ六で――」

 

 と、染谷まこの言った言葉で気付かされた者たちが居た。主に麻雀のルールを完全に把握していない者たちだ。卓に座る者も――ついでに京太郎も――同様。

 

 殊初心者ほど忘れがちだが、赤ドラとドラは別々である。この場合は、ドラが五索であるため、赤五索は赤ドラとドラ五索として、ドラが二つ扱いである。これに、壱が捨てた五索を足せば、ドラが三つということになるわけだ。

 

 ということは、

 

「対々和ドラ六……倍満!……。逆転した!」

 

 誰かの声によってこの事実が知らされた時、一呼吸、場は静まり返ると、須臾にしてざわめき出し、中にはワッと沸き立つ者も居た。

 

 誰よりも、それこそ本人よりも喜んでいるのは、他でもない高久田であった。

 

「ッシャア! どうだ見たかこの野郎ッ!」

 

 立ち上がって京太郎の肩に腕を回し、彼を揺すりながら、ざまあ見ろとばかりに捲し立てた。

 

 この結末に、ポカンと壱は京太郎の手牌を見つめ、弐は目を泳がせていた。

 

「い、いや、ちょっと待てよ!」

 

 しかし、この結果にアヤを付ける者も居た。

 

「須賀の待ちは、赤の五筒だったろッ! 何で赤五索に変わっているんだよ! 握り込んでたのか!」

 

「何を言っとるか。京太郎の待ちは、元から赤五索だったぞ。筒子の面子が並んだ思い込みと、赤五筒と赤五索が両方とも真っ赤だから、見間違えたか」

 

 と、含むような低声でまこが言ってやると、何かしら後ろめたいことでもありそうなその者は言葉に詰まった。

 

 しかしながら、壱が振り込んだのは、これらのことばかりが要因ではない。ポイントとなったのは、京太郎の加槓である。

 

 新たに加わった槓ドラ四筒だ。あのモロ乗りによって、壱は五索がドラであることから目を逸らされたのだ。

 

 これだけでなく、京太郎が本当に三倍満をツモ和了してしまうことを危惧し、早和了りを急いてしまったのも要因である。経験の浅さからか、普通のドラと赤ドラが別になることをあの局面で察知出来ず、追加されたドラ三を見抜けなかったっこともあっただろう。

 

 幾重にも張り巡らされたまやかしの糸の中、ひとたびでも壱は納得をしてしまったばかりに、放銃してしまったのであった。

 

「何て奴だ……」

 

「計算だけじゃない……。並外れた直感と強運、そんな不確かなものを信じられる精神力じゃなきゃ到底出来ない」

 

「恐れ入った……」

 

 と、ギャラリィの中には、京太郎の成し遂げたことへの畏敬や称賛を口にする者が現れ出した。いつの間にか皆一様に、京太郎への評価を逆転させていた。いや、実際そうなのだ。南二局までのやられっぱなしの姿と、それ以降の逆転する姿は、まさに真逆の姿だったのだ。

 

 ――これが、去年の県予選で満貫以上の手ばかりに振り込みまくり、敗退した男の実力なのか。

 

 ――実力を隠していたのか、はたまたこの一年以内に開花したのか。

 

 掴みどころのない男、それが今の京太郎への、周囲からの妥当な認識であった。

 

 ……まあ実際には、

 

(……赤五索と赤五筒を素で間違えてたって言えないよな、これ。寸でのところで気付いて慌ててロンしたなんて言えない空気だよな、これ)

 

 過大評価――それも間抜けなミスのお陰で――されていることに赤面している顔を、さりげなく手の甲で隠す京太郎であった。

 

「まだだ……」

 

 そう低い声で呻くように言ったのは壱であった。

 

「まだ勝負は、続行する。あんなつまらないミスでなんて、認めない!……」

 

 どうやら壱は頭に血でも昇って熱くなっているらしい。そうでなければこんな、負けておいてそれを認めず食い下がるなんて、見っともない真似は出来ないだろう。

 

 そんな壱の眼を見て、京太郎は考えた。

 

(あれ……、この人ってもしかして、俺に友好的な『のどっちのおもち研究会』の人じゃなくて……、過激派のほう?……)

 

 今更になってようやっと、相手方が敵であることに気付いた始末であった。

 

 だがもう遅かった。

 

 壱は、近くに置いていた鞄から、複数の紙幣を取り出すと、勢いよく卓に叩き付けた。いずれも一万円札。そう来れば、この部屋の中に居る者たちは誰だって驚愕する。

 

 そして、それから壱が何を言うかのか、誰もが予想出来ていた。

 

「この金を賭けて、もう一度僕と勝負してもらおうかッ! 僕が負けたらこれは持っていけばいい、だが貴様が負けたら、今度こそ男子麻雀の県予選への出場権は僕が持っていくッ!」

 

 ついに、この男は一線を越えようとしていたのだ。この出所不明な、用途不明の、高校生が軽々と出せるような額ではない大金を賭けて。

 

 当然、これを看過出来ぬ者だって居る。

 

「ふざけるなっ! ここをどこだと思っとる! 高校の麻雀部だぞ! 現代の麻雀を何だと!……」

 

 イの一番に激昂したのは染谷まこ現麻雀部々長である。当たり前だ。彼女はこの中で年長であり、麻雀部の部長であり、それに――麻雀が好きだからだ。

 

 怒鳴りそうになったのは彼女だけでなく、和もだった。彼女とて麻雀を愛している。でなければ、確率論を究めて、オカルトを一蹴なんてしない。しかし彼女が怒りを現さなかったのは、染谷まこが先に声を上げたことで、少し冷静になれたからだ。

 

 なお、この場で一番驚愕し、一番困惑し、一番『ふざけるなっ!』と叫びたがってたのは他でもない、

 

(エエエエエェェェッ!? 何この展開イイイイイィィィッ!?)

 

 京太郎だ。

 

 外見では相変わらず辛気臭い顔で、手の甲に額を乗せて俯いているのだが、内心ではハッキョーセットさながらに甲高い声で悲鳴を上げていた。

 

(何だその大金は! どっから集めてきた! ていうかその金で何するつもりだったんだよお!)

 

 ある意味、この場で最も良識があり、常識的なツッコミが出来るのは彼ぐらいのものであろう。

 

 何せ――

 

(ちょっとちょっとちょっとォ! そこの人ォ! うちの麻雀部の人たち説得しないでッ、丸め込もうとしないでッ! 確かに麻雀は元々博打だけどさ! それ、正論なんだろうけど正論になってねえから! ていうか先輩たちもなに納得しそうになってんすかァ!)

 

 ――この部室で今の対局を観戦していたギャラリィがことごとく、この、博打への突然の移行に対して好意的だったのだから。

 

 平時なら彼らとて、目の前で行われようとしている博打を止めていたことだろう。ところが、彼らは理性が薄まっていた。何故なら先ほどの、京太郎の逆転劇の熱が冷めやらぬために、彼らは更なる熱を求めて、ついては博打を求めた。

 

(助けて! 高久田君!)

 

 そう縋る眼を高久田に向けるのだが、

 

「……お前の好きにしろ」

 

 と、何を勘違いしたのか、彼は精悍な顔で頷くだけだった。カッコよかった。

 

(そのカッコイイ顔ムカつくなァ!)

 

 取り付く島もなく、途方に暮れて卓に視線を降ろした時だった。彼の目に、ある物が偶然映ったのだ。

 

 それは紙幣だった。

 

(た、太子?……。聖徳、太子なのか?……)

 

 それは聖徳太子の絵。聖徳太子の描かれた紙幣。

 

 即ち、旧壱万円札!

 

 突然だが、須賀京太郎は――というか若者全般に言えることだが――レア物に弱い。

 

 たとえ、その物品の愛好家でなくとも、レア物と聞くと、ついつい保持したくなったり、可能なら手に入れたくなってしまうものなのだ。

 

 その多分に漏れず京太郎も、

 

「いいだろう……」

 

 聖徳太子に目が暗み、ほぼ無意識に再戦を了承してしまったのであった。

 

(だって、別に俺がまた打ったからって、勝ってその太子様を頂けるとは限らないだろ? 仮に勝ったとしても、また次の対局に行けばきっと負けるだろうし、その時には太子様以外の金を返上して、ついでに大会の出場権も体よく押し付けられるって寸法よ!)

 

 こんなしょうもない言い訳をしながら。

 

 次の半荘、東一局。今度の出親は高久田で、彼から反時計回りに、壱、弐、そして京太郎。

 

 ドラ表示{3} → ドラ{4}

 

「カン」

 

 序盤で京太郎、いきなり対面の壱が出した二筒を大明槓。現れた新ドラ表示は西で、新ドラは北。

 

「ポン」

 

 で、再度京太郎から始まった自模番回りで、弐が打った二索を哭いた。

 

(何だこの鳴きは……、タンヤオトイトイか?……。三色同刻も付いている可能性もあるが……、いや、そもそもタンヤオのみ手も……)

 

 そう考え込みつつ壱と弐は慎重に牌を切った。

 

「カン」

 

 次巡の京太郎の自模番で、二索が加槓された。またも現れた新ドラ表示は一索のドラ二索。

 

(二萬は切れない……)

 

 壱は手牌にある二萬に不吉なものを感じ、代わりに安牌の四萬を打った。

 

 そのはずだった。

 

「カン」

 

 事もあろうにその四萬は京太郎によって大明槓で喰い取られてしまった。これにグッと壱は息を詰まらせた。

 

 そんな壱を意に介すことなく、間髪入れず京太郎は嶺上牌を掴み取り、その牌を見ると、

 

「ツモ、嶺上開花」

 

 容赦なく卓に打ち付け、手牌を倒したのだった。

 

{二二44} {四横四四四} {22横22} {②横②②②} 嶺上ツモ{二}

 

 ドラ数は……、

 

「たしか……この対局ではカンは明槓、暗槓問わず即ノリだったな」

 

 不意にまこが口にしたことで、王牌に視線が集まった。対局直前に決めた通り、ここでは明槓でもドラは即ノリする。この最後に開く槓ドラは何なのか、皆気になるところであった。

 

 捲ったのは高久田だった。そうして現れた、最後のドラ。

 

ドラ表示{3西1一} → ドラ{4北2二}

 

 これによって京太郎の手のドラ数が確定。

 

 嶺上開花、タンヤオ、トイトイ、三色同刻、三槓子、ドラ九……十七翻で、四翻お釣りの数え役満。

 

 加えて大明槓包*1により壱に直撃。東一局のこの場では、一撃で壱がハコテンとなり、京太郎の勝利で終わりだ。

 

 ギャラリィは弥が上に沸いた。京太郎に好意的、及び敵対的でない者に限るが。

 

 あの鮮烈な逆転の続き、その次の局で相手に有無を言わせず役満直撃で畳み掛けるとなれば、まさに少年漫画の逆転劇そのもの。これに滾らない者は少ないくらいだろう。

 

 対照的に、京太郎に敵対的な者は、ある者は気を揉み、ある者は焦れた。京太郎に臆し、恐れる者も居た。流石にこの熱気の中で、京太郎にヤジを飛ばすわけにはいかないが。

 

 今まさに、この場は完全に、須賀京太郎という男に飲まれていた……。

*1
責任払いって意味だよぉ……。




 前編後編で終わる予定だったのに、思ったより長くなったので分割します。次回の投稿は三日後くらいに。

【朗報】

 ・アカギポジションのキャラが決まりました。

 ・そのアカギポジのキャラと、人鬼(ハギヨシ)にそれぞれスポットが当たる番外編のネタも、まだ構想途中ではありますが、それぞれ一話ずつ思い付きました。

 いつか書いてみたい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

やめなされやめなされ、惨い麻雀はやめなされ:後編

 今更気づいた。このssって、プレイスタイルは『哭きの竜』だけど、ストーリィ展開は『むこうぶち』っぽいですね。


【1】

 

(な、なんか訳も分からないまま勝っちゃったんだけど……)

 

 京太郎はビビッていた。

 

 勝てばイイナーってノリで勝負を受けて、とりあえず適当に鳴いて和了を目指したら、それが数え役満とやらで、しかも包則とかいうよく解らないルールで壱に直撃させてしまい終了とか、朴念仁のきらいがある京太郎には何が何やらという具合であった。

 

 まあ一番納得出来ていないのは京太郎であることには違いないが、とは言え、それは彼だけに限らない。例えば壱もだ。

 

 京太郎を見据えながら壱は、また鞄の中から金を取り出すと、先ほどと同じように卓へ叩き付けた。

 

「まだだ! まだ勝負は続けられるッ!」

 

 それを京太郎は、

 

「構わない」

 

 二つ返事で了承した。

 

「俺が負けたら、大人しく県予選参加権と、この金を返上する」

 

 ただし、聖徳太子の壱万円札は返さない。

 

 三回目の半荘、東一局。出親は壱から始まり、京太郎、弐、高久田である。

 

「ロン! 王手飛車*1

 

 {中中發發} {横六七八} {5横55} {横③②④}

 

 京太郎、壱から出和了り。

 

 奇妙なことにこの半荘では、既に幾局も終わっているのに、東二局から動けないでいる。原因としては、京太郎である。彼は最初の一局で壱の親を流してから、安手での和了や聴牌流局でずっと京太郎が連荘しているのだ。

 

 そして京太郎の親のまま、東二局、七本場。

 

 弐、十三巡目にして聴牌。

 

{八九九九②②②④④111發} 自模{④}

 

 四暗刻単騎待ち。これを弐は八萬切りの發待ちで闇聴する、京太郎か高久田から(ちょく)ろうというわけだ。

 

「チー」

 

 高久田がこの八萬を鳴いた。

 

{一一二三四四五赤五六六發} {横八七九}

 

(聴牌急いで鳴いちまったが、この局面で生牌發は打ちたくねえな……。上家の無口野郎も、聴牌間近……いや黙聴か?)

 

 差し当たって高久田は一萬を打って、弐と同じ發単騎待ちで聴牌、一気通貫、混一色ドラ一。

 

 続く壱の自模番、

 

{東東南南西西中中白白①⑧⑨} 自模{⑨}

 

 七対子、混一色、混老頭、一筒待ち聴牌。立直(リーチ)掛けてツモれば倍満の手だ。

 

「立直ッ!」

 

 迷わず壱は八筒で立直を掛けるも、

 

「カン」

 

 それを切り捨てるように京太郎は大明槓で八筒を喰い、

 

ドラ表示{⑦⑦} → ドラ{⑧⑧}

 

「ツモ、嶺上開花」

 

{二三四456①①發發} {横⑧⑧⑧⑧} ツモ{①}

 

 嶺上開花ドラ八……倍満。壱に大明槓包で直撃、並びにハコテンにより、京太郎の勝利である。

 

(えええぇぇぇぇ……、また勝っちゃった……)

 

 今の局の京太郎は、門前で聴牌したはいいものの、適当に集めたそのしっちゃかめっちゃかな手に自分で困惑していた。で、どうせ負けること前提なんだからと、立直を保留にし、その矢先に上家の壱から八筒が出たので脊髄反射で八筒をカン。

 

 そこまではまだよいのだが、あろうことか和了してしまった。

 

 ギャラリィの手前で和了見逃しを、京太郎はやりたがらない。今日以前に打った時、相手に情けを掛けるつもりで和了見逃しをしたら、余計なトラブルが発生したという苦い思い出があったからだ。

 

 と、こういった要因もあるが、それだけではない。

 

 何とこの鳥頭、前局で大明槓包則をしておいて、それをすっかり忘れたのである。そのため、自分の手のデカさを考えず、ここでツモ和了しても大丈夫だろうと高を括ったところ、このザマであった。

 

 ふう……と京太郎は、嫌になって溜息を吐くと、

 

「ウケる……」

 

 と呟いてしまった。

 

 その言葉に対して壱は、

 

「そうか……、受けてくれるというのなら話は早い」

 

 しばし京太郎は、こいつは何を言っているんだと戸惑った。それでふと卓を見て、自分の失態に気付くことになった。

 

 そこには、壱が再び出した万札が置いてあった。要は、『ウケる』と言ったつもりが、同音異義語で『承知する』意味の『受ける』と取られてしまったのだ。

 

 こうして、京太郎の闘いは徒に続いた。しかも京太郎は、そのことごとくに勝利した……してしまった。そうして彼の手元には、壱から毟り取った諭吉さんと樋口さんと野口さんたち(プラス太子様一人)が、それこそ扇子二つくらい作れちゃうほどあった。

 

(どうじゃ? 酷いことじゃろう?)

 

 他人事みたいに京太郎は胸の内で語る。

 

 他方、相変わらず金を出す壱。どこから持ってきたんだと京太郎は、敵ながら壱の身が心配になってきた。ヤクザに身売りでもしたのかと勘繰ったくらいだ。その発想はお前だけだ京太郎。

 

「この金で最後だ……、つまりこれは最後の勝負だ」

 

 顔面を蒼白にしながらも、壱は京太郎を真っ直ぐ見据えて言った。この金は、壱の財布から取り出された物だ。

 

 流石に周囲のギャラリィも、冷や汗を出しながら、やめておけ、それぐらいは残しておけ、と止めに入った。それも彼らは壱の仲間だとか擁護派だとかそんなのではなく、むしろ京太郎に好意的で、壱を嫌っているほどであった。

 

 彼らも――見ていられなくなったのだ。

 

 先ほどまで、彼らだって二人の博打を悪ノリで囃し立てていた側だった。しかし何度も対局を重ね、洒落にならなくなってくると、次第にその熱は冷めていく者が続出し、ついには誰しもが開いた口が塞がらないほどであった。

 

「いや、ここまでやったんだ……、なれば最後まで……。お、おい、き、君は、どうなんだ?……」

 

 強がった笑いを浮かべようとしたのか、壱は引きつった顔で言った。

 

 対する京太郎は、依然変わらぬままの姿勢で、顔を伏せながら、

 

「あンた、背中が煤けてるぜ……」

 

 厳かに低い声で、ポツリと言った。

 

(いやぁ……、普通こんだけやれば、俺みたいなボンクラ雀士なんてあっさり陥落するもんなのに、どうしてこうまで負けるんかねぇ……。運無さ過ぎでしょ、アナタ! もう頼むぞッ! もう後が無いんだからな、お互い。ケツに火が点いてら! 俺だってこんな気まずい大金要らねえよ、大会出場権も要らねえよ、早く貰ってくれぇ!)

 

 漫画『哲也』に出てくる印南善一みたいに変貌した壱の人相と気迫を前に、京太郎は前記の台詞一言しか口に出せなかったが、頭の中では、呆れやドン引き、申し訳なさ、応援などの様々な想念が渦巻き、言いたいことが山ほどあったのだ。

 

「は、ははは……、毒を喰らわば皿までさ……。ほら、さっさと始めようか……」

 

 言いながら壱は、使い終わった牌を卓中央の穴へ押しやっていく。

 

 その様を見て京太郎は、一つ思った。

 

(思い切った人だなぁ、この人。案外素直な奴なんかな……)

 

 罪悪感から目を背けるように、無意味なことを考えていた。

 

 最後の半荘戦。東一局、出親は弐から始まり、壱、高久田、京太郎。

 

「ポン」

 

 十巡目で京太郎は、弐から東をポン。

 

「ポン」

 

 その更に一巡後で、今度は壱から西をポン。

 

「ポン」

 

 また三巡後、高久田はアシストで南を打ち、京太郎はこれをポン。

 

 が、その時壱は見てしまった。

 

 壱の山の右端の上山の牌が落ち、ちょうど壱に顔を向けていた。

 

(北……、それも一巡後の須賀の自模牌……)

 

 その牌を戻しながら壱は、自分の負けを悟った。けれど不思議と絶望的な気分にはならなかった。最早、負けて金を毟られることには慣れた、いや、麻痺したと言うべきか。

 

 と、ここで、壱の脳裏に、陰湿めいたものが浮かんだ。悪戯心とも言うべきか。

 

 壱は自分の自模番が回ってくるや、掴んだ牌を、手牌に持ってくる振りをして件の北牌とすり替えようとしたのだ。

 

 その瞬間であった。

 

 壱の左隣の下家に座っていた弐が、何気なく手を動かす振りして、壱の山の上山を左から指で押したのだ。牌をすり替えるのに合わせて実行したものだから、いきなり崩れた山に驚いて壱は持っていた牌を取り落とした。

 

「ごめん」

 

 口だけで謝りつつ、弐は崩れた壱の山を直した。そうして残った牌が、壱の自模牌ということとなる。

 

 これを拾い上げて、壱は少し驚いた。北だったのだ。てっきり弐は、壱のイカサマを妨害したものと彼は思ったのだが、これはどちらかというとアシストであった。とは言え、弐が「ごめん」と言った時に壱と目を合わせた時は、警告じみた眼をしていたので、そういった意図もあったのだろう。

 

 これに頭が冷えた。どうやら彼自身も、まだ博打の熱から冷めていなかったらしい。

 

 だからこれを打った。打って京太郎を見やった、全てを出し切って諦観した顔で。それから、しまっておいた最後の金を卓に投げ置くと、

 

「これで僕は……血も出ない……」

 

 この壱の様子から、高久田は察し、自分の番であるにも拘わらず自模らなかった。卓と、卓を囲む他三人の間に視線を漂わせ、事の成り行きを見守っていった。

 

 少し、間が空いたのち、おもむろに京太郎は、

 

「終わりだな」

 

 言いつつ、手牌を片手で伏せると、席を立ち今まで奪い取った金を鞄に仕舞って席を立った。

 

 ただしたった今壱が差し出した金は持って行かなかった。

 

「ま、待ちなさい!」

 

 教室を出ようとする京太郎を呼び止めたのは和だった。

 

 呼ばれて京太郎は、ピタリと止まり、顔を少しだけ振り向かせた。

 

「あなたは……何でそんな平気な顔していられるんですかっ?……。こ、こんな恐ろしいことを!……」

 

 言葉足らずな訴え。けれども何が言いたいのかは、誰でも分かる。

 

 黙してから京太郎は、やがてゆっくりと口を開き、

 

「己とは、哀しいまでに己のために生きるもの……」

 

 格好付けたこと言って誤魔化しているが、要はついノリで旧壱万円札に目が眩んで相手を骨の髄までしゃぶり尽した挙句、その直前でビビッて、格好付けた言い訳を残して逃亡しようというだけだった。

 

(しょーがねーだろー? 旧壱万円札欲しかったんだもの)

 

 こんな京太郎の内面など、和をはじめとしたギャラリィは夢にも思わず、彼が放った台詞に気圧されていた。

 

 ――ファミレスで絡んできた酔っ払いからの受け売りなのに。

 

 それはさておき、今の京太郎の行動に高久田は少しだけポカンとしていたが、やがて嬉しそうに、或いは呆れたように相好を崩し、後に続いて部室を出た。

 

 二人が立ち去ったのを見てまこは、京太郎の席に近づくと、伏せられていた彼の手牌を裏返した。

 

{一二三北} {横南南南} {西横西西} {東東横東}

 

 小四喜、北単騎待ち。壱の放銃だ。

 

 ぞわりとした怖気が、漂った。あの時、京太郎はあの北をロンすれば、壱を殺せた。なのにそれをしなかった。言うなれば壱は、生殺与奪を握られていたに等しい。

 

 まこは黙って、その牌をまた伏せた。何人かは、彼女の後ろからそれを見ていたが、その者ら以外には見せないようにした。

 

 さもなくば、この悪夢は終わらないから。

 

 現場では解散ムードが漂い始めた。このまま、京太郎の手を気にする者が現れねば良いのだが。

 

 そこで誰かが、

 

「おい、早いとこ散らねえと、先生やばいんじゃねえのかっ」

 

 と口にしたことで、今の自分たちの状況を思い出したギャラリィの生徒らは、焦ったように部室の出入り口に殺到した。とは言え、パニックになったわけでもないので、さほど混雑は起こらず、皆落ち着いて一人ずつスムーズに部室を後にし、速足で立ち去っていった。

 

 後に残されたのは、壱、弐と、麻雀部の面々、及び新参部員たちであった。

 

 ギャラリィらが出ていった後で、やおら和は、卓の席に座ったままの壱と弐に視線を向けると、途端に、普段からは考えられないほど厳めしい顔で彼らに近づいて、両手で強く卓を叩いた。

 

「あなたたちを賭博罪と名誉棄損で訴えます。理由は勿論、お分かりですね? あなたが彼をこんな茶番で貶め、陥れようとしたからです。覚悟の準備をしておいてください! 近い内に訴えます! 裁判も起こします! 裁判所にも、問答無用で来てもらいます! あなたは犯罪者です! 刑務所にぶち込まれる楽しみにしておいてくださいッ! いいですねッ!」

 

「お、おお、落ち着くんだじぇ、のどちゃん!」

 

「の、和ちゃん! 怒り過ぎだよ、日本語がちょっと変になってるよー!」

 

 優希と咲が必死で彼女の腕を抱え込んで止めている。

 

「落ち着け、和。ジョルノ・ジョバァーナみたいになっとるぞ」

 

 まこは、努めて落ち着いた声音で和を宥める。

 

 傍から見れば思わず吹き出してしまいそうな光景だが、当人らは至って真剣だった。特に和からすれば、京太郎がいじめられたのは自分のせいかもしれない罪悪感の心境に近い。言うに及ばず、怒られている当人らだって、笑う気にはなれない。

 

 何せ壱は、『原村和親衛隊』とやら所属で、当然、原村和に好意があった。で、その原村和本人にこんなに怒鳴られれば、やはり堪える。自業自得でも、あれだけさんざんやられた後で追い打ちを掛けられるその姿には、新参部員たちも同情を禁じ得ない。

 

「それにしても、あんたら、何でこがな茶番を開いてまで京太郎を追い落とそうとしたんじゃ。他にももっとやりようはあっただろうに」

 

「仕方がなかった……。最初はただ彼奴を疎む程度のものだったのに、いじめがエスカレートしていくみたいに、どんどん熱が強くなっていった。僕らはそれを疑問に思えなかったし、思いたくなかった……。そのいじめには……実行役が必要なのさ……。宗教的に言うのなら、御子、預言者、そんなところかな……」

 

 虚ろな眼で壱は訥々と語る。

 

「なら、どうしてあんたがそれをやったんじゃ」

 

 更に聞き込むまこだが、肝心の壱は、今喋ったきり、腑抜けてしまいとても喋れる状況ではなかった。

 

 そこに、

 

「それは、ス、ス、ス、スケープゴート、だね」

 

 不意に横から口を出してきたのは弐であった。やけに言葉を詰まらせていたが、その顔は緊張しているとは思えないほど落ち着き払っていた。

 

「聞、いたままの意味。先、口出した奴に、周りが、賛同。ま、ま、祀り上げて、やらせる」

 

「君って……、無口って思ってたけど、もしかして……」

 

 と、唐突に横から口を出したのは、新参部員の一人だった。どうやら弐とは、同級生か何からしい。

 

 言い掛けて彼女は、ハッと口を両手で覆って口をつぐんだ。デリケートな事柄を言わんとしていたのが知れる。

 

「で、どういうことなんじゃ」

 

 話を逸らすのを兼ねて、まこが改めて訊いた。

 

「状況が、白熱した。そうなるよう、仕向けたのが居る。金を、集める雰囲気にしたのも……」

 

「そいつは誰じゃ」

 

「さあ。でも、多分、し、しししし、仕向けたそいつは黒じゃない」

 

「黒じゃないとは、どういうことじゃ」

 

「……さてね。それより、今心配するのは、さっきの博打」

 

 そう弐が言ったことで、皆肝心なことを思い出し、一斉に顔を青ざめさせた。

 

 先ほどやっていた対局では差しウマ*2を握っていた。それは紛れもなく賭博行為であり、違法である。もしこれが教師、親や外部の人間に漏れようものなら、たちまち状況は地獄へ一転、大童となるだろう。

 

「い、いや、そんなことがあるか。第一、学校側が隠すじゃろうて。不本意じゃがな……」

 

「どうかな。人間、追い詰められると、何するか」

 

 まあ、と弐は間を挟み、

 

「汚い、や、や、奴らには、協力しない。……僕たちは、脅したんだ、須賀を……。そういうことに、する……」

 

「けど、その証言だけで済むんか。いくらそんな証言があろうが、賭博をした疑いのある生徒を学校側が放置しとくは思えん」

 

「あいつ次第。活躍して、認められれば……」

 

「認められれば? それだけで収まるはずが……」

 

 と和が話に割って入ってきた。

 

 ところが和は、言葉を紡ぐ途中で何かに気付いた。そうして言葉が尻すぼみになって、やがて途切れた。

 

「どうした」

 

 それにまこが声を掛けるものの、当の和は何やら不吉な考えに没頭していた。

 

「まさか……、あなたたちの集まりを煽った張本人は――」

 

 和の問いに、弐は頷いた。

 

「く、く、く、く、黒幕も……ここまでなるのは……想定外。足が付かないよう、間接的にやってたから……。でも、皆、暴走した。僕も、悪ノリして、お……、お宝を……、太子様を……」

 

「大人がそんなことをするなんて……」

 

 和のその一言で、他の麻雀部員も、黒幕の立場に気付き、皆一様に目を丸くして戦慄した。

 

「む、向こうも神頼み状態」

 

「なるほど……、これじゃ収集はつかんのう」

 

 まこは頷いた。

 

「それにしても、あんたも大変じゃな。見受けたところ、和にそんな執着しとらんようじゃ。大方この男の召使として付き合わされたか……」

 

「好きで、やってる。こいつは、面白いし、喋る価値がある。最後まで、付き合うさ」

 

 と弐に返されて、苦々しげにまこは自らの失言を悟った。

 

「だから――」

 

 引き続き弐が語り出そうとした折のことであった。

 

「もういい、喋るな。まったく相変わらず聞き苦しい喋り方だな、君は」

 

 抜け殻のように黙していた壱が、復調して突如割り込んできたのだ。

 

「どの道、金が戻らなければ、そこが綻びになる。なればまずはそこを補填するのが急務じゃないのかね」

 

 まだ調子は取り戻しきってはいないが、それでも壱は、ついさっきあんなにクソミソにされたとは思えないほど、調子が良さそうだった。

 

「何じゃいきなり復活しおって。第一、金はさっき京太郎に巻き上げられたろうに」

 

「元手ならある」

 

 と言って壱は、卓に置いてあった、自分の財布から取り出した金を指差した。

 

「それに当てもある。さて、こうしては居られないな! 早速、算段を立てねば!」

 

 ほら行くぞ! と勢いよく壱は立ち上がり、部室の出入り口まで歩いていき、そこの前で振り返って弐に向かって手招きをし出した。弐はそれに、鼻で溜息を吐くと、のっそりと席を立って歩いていった。

 

 弐が近づいたところで、壱は扉を潜って部室を出て行った。それに弐も続こうとする。

 

「ね、ねえ!」

 

 そんな弐を呼び止める声があった。思わず弐は足を止め、振り向いた。その声の主は、先ほど弐の喋り方について言及しようとして口を噤んだ新参部員の女子であった。

 

「もしよければだけど、今度一緒に打たない? あ、いや、ほら、君って凄く強かったし、出来れば私も打ってみたいかなって……。クラスでも全然喋ったこともなかったし、ね?」

 

 と、言い訳でもするように滔々と彼女は喋った。

 

 一方、弐のほうはその唐突な申し出に面喰ったのか、毒気が抜かれた表情を見せた。僅かな間、そんな顔をした後、彼はいつものつまらなそうな顔つきに戻り、無言でそそくさと部室を出てしまった。

 

「……何だか、男の子の友情って、よく解りませんよね」

 

 しみじみとした様子で和が、そう溢した。

 

「私も、京ちゃんと高久田君のこと、いまいちよく解らない」

 

 と語ったのは咲。

 

「落ち目の男と、飽くまで一緒に居るつもりとはな、それも地獄の果てまで。ひょっとすると、あやつら、存外素直な奴らだったり……」

 

 女の子の友情にも似たようなことはある。されど彼女らは、彼らの友情について、それとはまた別のモノを感じた。

 

「うーん、言葉に出来んじぇ……」

 

【2】

 

「食うか?」

 

 俺は高久田にオレンジ・シガレットを差し出して言った。高久田は鼻声で返事をして受け取り、口に咥えた。もう一本取り出して、俺も咥えた。

 

「お前、容赦ないよなぁ……」

 

 からかう口で高久田が言ってきた。

 

「俺は悪くねえし」

 

 真っ向から開き直ってやると、カラカラと高久田は笑った。

 

 懐に仕舞った金が、やけに重々しく感じられる。そりゃそうだ、巻き上げた金なんだから。俺みたいな小心者が持っちゃいけない金だ。出来るのなら今すぐ返したいくらいだ。

 

 けど、そのまま返すのは憚られた。負けておいて、情けを掛けられて金を返してもらうなんて、あの人も恥ずかしくて無理だろうし。きっと受け取らない。

 

 俺だってそうする。……保証は無いけど。

 

 それはともかく……、前にハギヨシさんが言っていた、『死に金は回せない』という言葉を思い出したこともある。

 

 だって、カッケーじゃん。ハードボイルドじゃん。じゃけんその言葉に従うまでよ。

 

 とは言え、やっぱりこんなお金を巻き上げてそのままサヨナラするのは気が引ける。小市民な俺には、純度の高いハードボイルドを貫くのは難しいのだ。

 

(クリスマスにサンタさんになりすまして枕元に置いておく……とか? いやいや、無いない……却下だ)

 

 あれこれ返す策を思案するも、名案は思い付かない。いっそストレートに、勢い付けて返せば、案外うまくいくんじゃね? こう、手の中に握って、その握った手で相手の頬を殴りつけながらとか。

 

「何つーか、惜しかったな、あいつら」

 

 ふと俺は口に出した。

 

「惜しかった?」

 

「え、ああ、うん。惜しかった」

 

 高久田が反応してしまったので、とりあえず俺は語ることにした。

 

「お前とあの二人を入れて、更に一人入れれば、団体戦出場できたよな。結構楽しめそうじゃん、思い出として」

 

「何じゃそりゃ。喧嘩の後に仲間になるとか、青春か」

 

「いや青春だろ。俺たち高校生じゃん」

 

「まあ、そうなんだろうけどよ……」

 

「ならいいだろ、楽しけりゃ何でも」

 

「……それもそうだな!」

 

「だろ! よし、じゃあ手始めに、牛丼でもどうだ」

 

「おっ、良いねぇ。じゃ、須賀の奢りな」

 

「流れるようにたかってきやがったなオイ」

 

 そうして俺たちは、笑いながら帰路を歩くのだった。

*1
聴牌時では役未確定だが、二つ以上の和了牌の内いずれが出ても役が確定して和了れる待ち。

*2
終了時に下位が上位にあらかじめ決められた点数もしくは金を支払うこと




 無理矢理な展開だったけど、やりたいことはやった。後悔はしていない。反省もしていない。

 次回は、ちょっと小話でも書こうかなと思ってますが、先に、ヒロアカのSS書きたいので、後で。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。