仮初提督のやり直し (水源+α)
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第一話  提督の決断。艦娘の混乱

 こちらはシリアス多めな作品となっております。また、アンチ、ヘイトがございますので、自分の推し艦が不遇になっている場合があります。それだけで感想に批判、評価0や1を付ける人は流石に居ないと思いますが、予めご了承下さい。

       2019年 水源+α



「……辞めたい」

 

 不意に、そんな弱音を病室のベッドの上で吐き出してしまった。

 これまで色々なことを、見舞いに来てくれた一人の艦娘である大和と話し込んでいたが、俺は一通り会話が終わると、自然と口からそんな弱音を溢していたのだ。

 

 何かにすがるような思いだった。会話が終わった後に訪れた静寂が、元々疲弊しきって極限まで心細くなった心をさらに寂しくさせたのだろうか。

 

「……提督」

 

 俺の言葉に、大和が先程までの会話で淑やかに微笑んでいた表情を暗くさせる。

 

「……いや。ごめん。今のは、ちょっとした冗談って奴だ。……まだ二十二才という若輩者が、しかも提督というの立場にあるというのに、こんな弱音を吐くわけにはいかない。……だから、今の言葉は無かったことにしてくれ」

 

 やはり病室に居ると心細くなるのだろう。普段はこんな弱音は吐かなかった筈なのに、こうして無意識に吐いてしまった。気も滅入っている。

 

 普段の大和は俺のことを凄く思いやってくれる艦娘だ。だから、そんな俺のちっぽけな命令もいつも通り聞き入れ、俺が弱音を吐いたことを流してくれるだろう──そう思ったが、

 

「……無理です」

「──」

 

 今日の──いや、今の大和はそうではなかった。

 

「……提督は私達艦娘の為に、もの凄く頑張ってくれました。あれほど前任によって落ちぶれていた横須賀鎮守府は、提督の尽力によって今はすっかり以前の横須賀鎮守府に復興を遂げています」

「……そうらしいな」

「なのに、なのに……私や武蔵、陸奥さん、翔鶴さん以外の艦娘達は……提督に酷い扱いをしました」

 

 沸々と湧いてくる怒りを、その腹に抑え込んでいるかのような話し方で、静かに大和は語る。

 

「……誰も見向きもしませんでした。誰も提督の努力を認めませんでした……そして──」

「お、おい大和」

 

 

 

 

 

 

 

「──誰もが……提督の存在を否定しましたっ!」

 

 これまでの怒りを遂に抑えきれなくなったのだろうか。普段、俺の前ではこれほど声を荒らげることはなかった、あの淑やかな大和撫子のような子が、初めてその感情を露にした。

 

「提督は無茶しすぎですっ! 今まで無視を始めとした酷い扱いをされているにも関わらずにっ……提督は何も言わずに甘んじて受け続けています! しかも今回のような人間の力の数倍はある艦娘達から暴力を振るわれても執務を続け、挙げ句には懲りずに交友を持とうと近付いて……また暴力を受けて!」

 

「……すまん」

 

「しかも……今回に至っては暴力の範疇を超えて階段から突き落とされたんですよ!? 頭を打って死んでも……こうして助かった今でも後遺症があってもおかしくなかったんですよッ……!?」

 

「……」

 

「……私は。そして武蔵や陸奥さんや翔鶴さんだって今回のことを知ったとき……どんなに、どんなに心配したかっ……」

 

 気付けば、そこで大和の瞳が潤んでいた。

 

「や、大和……本当に申し訳ない。あ、ああ……ここにティッシュが」

 

「私がこうして涙を流してるのは誰のせいなんですかっ……ティッシュなんて取らなくて良いんです! 今は私の話に集中してください!」

 

「……分かった」

 

 そこで、それまで張り上げていた自分を落ち着かせようと深呼吸をした大和。表情はこれまで見たことがない程に、悲痛そうで、悩みに悩んでいる。

 

 

「……先程、提督が私に本音を呟いてくれる前、正直迷っていました。鎮守府にこのまま残り私達と共に護国の鬼として戦って欲しいと言うか。それとも、鎮守府から出て、戦いということから距離を置いて、穏やかな違う余生を送って欲しいと言うのかを」

 

「……俺は、提督だ。だからこれからも戦k「ですがもうひとつの考えが浮かびました」……ぇ」

 

「──もう私は……あなたに無理をさせたくありませんっ」

 

「大和……」

 

「思えば、着任から今までで、初めて提督の本音を聞けることが出来ました。……普段から私達が心配して声をかけても、苦笑するだけで、詳しくは話してくれなかったのですから」

 

 そこで依然として眦に溜めていた涙を初めて流しながら、大和は淋しく微笑する。

 

「初めて……この私に溢してくれた本音が……なんでこのようなものなのでしょうか。なんでこんなにも、互いを心苦しくさせるものになってしまったのでしょうか……?」

 

「……それは」

 

 大和は、動揺して言い淀んだ提督の反応を一瞥した後、その涙をハンカチで拭い、普段のような確りとした雰囲気になった。

 

「……提督。もう良いのです。提督は何も悪くないのです。提督は、あの娘達が過去から脱け出せるように尽力しました。そして、その結果が今の状態なのです。全てはあの娘達をあのようにしてしまった前任のせいもありますが、多くはそれらの暗い過去にすがり付いて脱け出せない、弱いままのあの娘達のせいです──自分達の自己満足が為に、目に余る行為を犯してきた、そんな娘達だったのですよ。軍人として。誇りある日本海軍の軍艦としての風上にも置けません……ですから私は、そんなあの娘達の解体処分を希望します」

 

「っ……や、大和。自分が今何を言っているのか理解できてるのか?」

 

「はい。味方を……戦友を、死刑に処して下さい。……今回を含めて今までのようなあの娘達の行いは、上官に対する暴力や命令違反という、立派な軍規違反であると同時に、法律上裁かれるべき犯罪行為にもなります。それに……もしも他の方が今の提督のような立場になったとしたら、精神的な疾患に必ずと言っていいほど陥り、即刻自殺もしてしまうことでしょう。今の提督はそれほど酷い扱いを受けているのです……前任の後に着任したのがあなたでなくもしも違う誰かだったのならば、その他の方が今のような状況になり、犠牲になっていたことも容易に想像が出来ます。……私でも毎日あのように扱われれば気が狂いそうになると思います。正直提督がいつか自殺してしまうのではないかと気が気でありませんでした」

 

「……いや、それは結果論で他の奴でも自殺はしn「提督ッ!!」──っ」

 

「……提督。どうか自覚してください。これまでの提督は他から見れば、どれほどの酷い扱いを受けていたという事実を……そして、提督の自己犠牲を見て心が張り裂けそうになるほど心配している人がいるということをっ……」

 

「……」

 

「もっと御自愛下さい。提督は少々自己評価が低すぎます。世間から見てもあなたはとても素晴らしい提督です。そして尊重に値する人間でもあるのです。確かに指揮した多くの艦娘があなたの力を認めませんでした。しかし、少なくとも私──大和。武蔵、陸奥さんや翔鶴さんはあなたのことを誰よりも認めています」

 

「そう、か」

 

「そうです」

 

「……」

 

「提督は軍を辞めますか?」

 

「──いや、まだ続けたいと思っている」

 

「ではもう一度やり直しましょう。現在の横須賀鎮守府の多くの艦娘を解体処分で一新して、新生横須賀鎮守府に生まれ変わらせましょう」

 

 強い意志を持った瞳で告げてくる大和の言葉に心が揺れた。

 

「……」

 

 

 

 

 確かに。大和の言う通りかもしれない。今のままでは、今回の階段から突き落とされた以上のことをされ、どんどんとエスカレートしていくと思う。挙げ句には俺の命も……

 

 

 なれば、現在横須賀鎮守府に所属していて、俺へ反抗的な態度を取る多くの艦娘達を解体処分して、新しい艦娘を建造で増やし、艦隊を一新すれば良いのではないか。

 今まで俺にして来たような目に余る態度をする艦娘が他の鎮守府に異動させたとしても上手くやっていけるわけがない。

 実際、今横須賀鎮守府に所属している艦娘の多くが一緒に前任の悪虐非道な振る舞いを耐え抜いたことで生まれた仲間意識による強い絆で結ばれている。その為絶対に離れたがらないので、他の鎮守府での戦闘で連携がとれずに力を発揮できないとも予想がつく。

 

 だからこそ解体処分して、新規に着任した艦娘を最初から育成すれば良いのではないだろうか。

 

 

 大和からの提案に、今まで散々揺れ動いてきた心が融解し始める。

 

 ──何をしたって又、裏切られるだけだ

 

(……そんなことはない。いつか、きっと)

 

 

 ──もう疲れただろ? あいつらがお前に死んでほしいと思ってるように、きっとお前も心の底ではあいつらに死んでほしいと思い始めてるはずだ

 

(違っ……)

 

 ──なんでそこまであいつらに拘るんだ。あんな奴等、唯のバケモノだ。お前も散々身を以て体験したじゃねえか。そうだろう? 

 

(……うるさい)

 

 ──お前がいくら手を差し伸べたって変わろうともせずに悲劇のヒロインぶってるクソアマ達を救う義理なんてあんのか? 

 

(……黙れ)

 

 ──お前がこれまで頑張ってきても、結局何も過去から進展してねぇ。大和が言った通り、あいつらは弱いんだ。そんな奴等に、重要拠点である横須賀鎮守府を守らせるのか? 

 

(……)

 

 ──もう諦めろ。横須賀鎮守府はここ一年間、ほぼお前だけの力で立て直してきたんだ。対して勝手に出撃して、勝手に遠征して、資材も勝手に減らし、報告書さえ出さずにお前と妖精さん達が苦労して直した入渠場で暢気に傷と汗を流してるような奴等だぞ? 

 

(…………)

 

 

 

 

 

 

 

 ──あいつらを解体しろ。そうすればお前の功績も認められるようになって、昇進すr

 

(──黙れッ!)

 

 

 

 

 

 これまで艦娘にされてきたことが一瞬のうちに、走馬灯のように流れた。

 溜め込んできた怒りや哀しみ、妬み等で蝕んでいた心の闇がここに来て大きくなっている。

 

 

(俺は……あいつらを)

 

 

 

 

 

 

「……大和の言いたいことは分かった」

「……提督!」

 

 やっと分かってくれた。そのような嬉々とした表情を浮かべたが、次の俺の言葉で、大和は又その顔を涼しくする。

 

「──だがダメだ。解体処分は受け入れられない」

 

 そう。確かに解体をすれば、今の状態は解決するのかもしれない。

 

 しかし、それが根本的な解決になるのかと言われれば違う。俺を無視し、俺へ暴力をふるってきた彼女達の目はいつも、深い闇に濁っていた。死んでいるのだ。この世界に絶望し、何もかも捨てようとしている。しかも、前任という勝手なやつに良いようにされ、心も体も汚されたからというとても可哀想な理由で。

 

 俺はそんな彼女達を。過去に絶望し、今を葛藤する狭間を行ったり来たりしている彼女達を見捨てることは出来ない。

 

 正直、解体したら清々はするだろう。だがそれ止まりで、俺の勝手なエゴを解体という行動で示しているだけなのだ。

 

 そんな行動をしてみろ。必ず未来の俺は、後悔するに決まっている。そもそも、彼女達がこうなってしまったのは大袈裟に言えば俺達人間側のせいだ。勝手に呼び出して、自分達のために戦わせて、挙げ句には非人道的な扱いをして、前任は居なくなりやっと自由を得たと思えば、後任である俺が着任し、又命令される。

 

 そして、一年間という彼女達にとって見れば短い間、反抗的な態度を取っていただけなのに、命令違反その他諸々で解体される。

 

 

 

 ……そんなこと、幾らなんでも酷すぎではないだろうか。これまで、なんやかんや俺へ反抗していたが、横須賀の近海を守り続けていたのは彼女達なのだ。それに比べ、俺達人間はどうだろうか。いや、俺はどうだったんだろうか。出来る限りの事はしてきたつもりだ。しかし、彼女達の深く刻まれた傷を取り除けないでいる。

 

 こう言い出したらキリがない。だからこそ、俺は彼女達を解体出来ない。いや、したくない。

 

 例えその心の殆どが艦娘への憎悪に蝕んでしまっていても、俺の一番大事な心の根っこは生き続けている。それは人としての道義だ。感謝の心だ。そしてそんな感情たちも、彼女達にもあるはずなのだ。

 

「……何故ですか」

 

 表情は驚きに染まっていた。それはそうだろう。ここまで怪我をしておいて、身の危険を感じない人間が居るわけがない。やられる前にやる。それを戦いの中で散々実行してきた大和が、ここで対処をしない俺を、今どんな目で見ているのだろう。無能な提督だと。いや大和は優しいので、理由次第で怒ってくれるのかもしれない。

 

「俺は横須賀鎮守府に着任する前に元帥から、ある命令を仰せつかっていた」

「それは、一体?」

「横須賀鎮守府を救ってやってくれ。とな」

「……しかし!」

「ああ! わかってる……そうした結果がこの有り様だ」

「ではどうして「俺がバカだからだ」……え?」

「あいつらは、心にそれはそれは深い傷を負っている。前任の独裁的な統制によって身も心も汚された」

「はい」

「勿論、お前だってそうだ」

「……はい」

「あいつらは来る日も来る日も俺なんかがされているような生温いものなんか目じゃないほどのことをされ続けた。俺は……ここ一年間ずっと耐え忍んで来て、あいつらの痛みを充分に理解できたんだ。いや、そう簡単に理解できたなんて言ってはいけない。それほどのことをあいつらは俺と同じように耐え忍んできたから、今日まで俺も耐え忍んだんだと思う」

「……」

「憎悪の対象が目の前に無抵抗で突然現れたとしたら、やり場のない怒りを俺もあいつらと同じようにしてぶつけていたと思う。……大和」

「……はい」

「……俺が憎いか?」

「提督」

「なんだ?」

「金輪際そのようなことを言葉にしないで下さい。流石に私も……怒ります」

 

 やはり大和は優しく、そして強い女性だと再確認した。

 

「……そうか。ごめん。でもこれだけは分かってほしい。大和」

「……はい」

「誰もがお前のように心を切り替えられるわけじゃないんだ。……お前のように強くなんかない」

「わ、私は弱いですよ……提督があの時来なければ、私の精神は今のように立ち直ってません」

「そうだ。俺もこれまで耐え忍んでこれたのはお前が居たお陰なんだ。お前が俺を精神的な支柱とするように、俺もお前を精神的な支柱とした。だからお前はここまで立ち直り、俺もここまで頑張ってこれた。だがあいつらの場合は違う。俺たちのように精神的な支柱が姉妹に居たとしても、その精神的な支柱が今にも崩れそうになってるんだ。──つまり、あいつらには希望を持てる存在が近くに居ない、生きる意味も見出だせてないでいるんだ」

「──!」

「さっきお前が話した、暗い過去から脱け出せない弱いあいつらが悪いという話だが、確かにお前の言う通りだとは思う。だが、一番の原因はあいつらの周辺に希望をもてるきっかけがないことだと、俺は思う」

「……」

「だから俺は……あいつらを解体処分したくない。生きる希望を持たせてやりたいんだ。救いたいんだ。大和、心配してくれてありがとう。でも大丈夫だ。これからも俺は横須賀鎮守府の為に尽力したいと思っている。これは元帥からの命令であり、一年間を通しても変わらない、彼女達とぶつかり合って益々叶えたいと思った俺の夢でもある」

「提督の、夢」

「そうだ。俺の夢だ。だからこれからもよろしく頼む。こんな懲りないバカ野郎だがな」

「……そんなバカ野郎だなんて」

「それに、もう心を鬼にして仲間を解体処分して下さいなんて言うな。お前が傷付くだけだろうが」

「っ! ……もしかして、気付いてたん……ですか?」

「バカ。一年間も一緒に居るんだ。お前が心優しい性格してるのは重々理解してる」

「…………てい、とくっ……」

 

 俺の言葉に明らかに身を跳ねさせて反応し、それまで本心ではまだ生きていてほしいという思いが、図星を突かれたことで一気に防波堤が融解したのだろう。

「ほら。泣くなよ実際俺の方が今骨折して泣きたいっていうのに」

 

「ですが…………です、が……っ」

 

 大和は本当に心を鬼にしていたんだろう。本当はまだ信じていたいあいつらのことを思い、葛藤しながら、俺へ解体をしようと進言してきた。本当に心優しい。素晴らしい艦娘だ。

 

「……はは。たまに子供っぽくなるよな」

 

 だが泣いている姿は一番似合わない艦娘でもある。いつもの通りに、淑やかに微笑を浮かべて欲しい。

 

 顔を俯かせて、肩を震わせ泣いている彼女の頭に、思わず手を置いた。

 

「! 提督だっていつでも子供っぽいじゃないですか!」

「撫でられながら言われても説得力がないぞ」

「……な、なっ! 離してください」

「おっと」

「ぁ」

「ん? どうした」

「っ……なんでもありません」

「そうか。……まあ、とはいっても現状が危険なままなのは変わりないな」

「そうですね。ですからこれからは交代制で提督の護衛に付くことにしました」

 

 涙をハンカチで拭いながらも、そう告げてきた大和に思わず聞き返す。

 

「え? いつ決まったんだ?」

「もしも提督が解体処分もせずに又鎮守府に戻ってくるケースも考えて、事前に私と武蔵、陸奥さん、翔鶴さんで取り決めたことです。……ですがもしものケースではなく本当に適用することになりそうですね」

「そうなのか……俺としても、今まではお前らも側に付かせようとはしなかったが今回のことを考えると付けざるを得ない状況だと思うが、……迷惑じゃないか?」

「ですから提督は自己評価が低過ぎます! これは個人的な理由を外したとしても提督をお守りするという艦娘としては当たり前の対応ですからね? 私達に迷惑だとか迷惑じゃないとかそういう次元の話では無いんですよ!?」

「……そうか。すまん」

 

「それで提督。これからも今までのようにあの娘達と接していくんですか?」

「……いや。流石にもう無理だと思ってる。不必要に親しみを持って接していくことはもうしない。実際、生きる希望は自分で見つけるものだし、無理に俺がお前みたくあいつらの精神的な支柱にならなくても良いと思う。突き落とされる少し前の鎮守府は俺が居ないところでは、頼み込んで支給した娯楽品を楽しんで居たようだったし、料理も美味そうに食べていたようだ。だから皆の心で徐々に鎮守府に帰ってくる理由も出来ていると思っている」

「ではどうするおつもりで?」

「それはもう決まってるだろう──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「基本不干渉。要は仕事以外の会話はしない。流石に俺も、あいつらには愛想が尽きかけている。あいつらに何か生きる希望を持たせて真っ当な人生を送らせるという夢は達成するが、もう友好関係を結ぶのは諦める」

 

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 横須賀鎮守府

 

 

 

 

「ハア……なんでワタシが執務室に行かないとならないノヨ」

 

 執務室へと続く廊下を、一人の艦娘が幾分か不貞腐れながら歩いていた。

 

(高級な紅茶カップなんて本当にあるでしょうカネ?)

 

 妹たちとのじゃんけんに負けて、霧島が目撃したという高級なカップを探しに、金剛は執務室に来たのだ。

 早速目の前にたどり着き、勿論ノックもせずに扉を開けた。

 

「……そういえば確か、誰かに階段で突き落とされて入院中デシタネ」

 

(まあ、ワタシ的にはどうでも良いことネ。さっさと妹達と更にゴージャスなティーパーティーするために見つけないとデスネ)

 

 好都合だ。金剛はそう思ったのと同時に、執務室を物色し始める。

 

「棚には何も置いてナイ……」

 

(だとしたら机かもしれないネ)

 

「この大きな引き出しに……あ、あったネ。──?」

 

 目的の物を提督の机の棚から見つけ、持ち上げた時、棚に何か違和感を感じた。ガコッ、という音と触れてみればその板の先に不自然な空間があるのに気が付いたのだ。

 

「ここ、なんかおかしいデスネ」

 

 棚の底の怪しい板を取り外してみると、そこには

 

 

 

「……ダイアリー?」

 

(日記……よネ?)

 

『日誌』と達筆で書かれたタイトルのノートが置いてあった。

 

「……」

 

(……もしかしたらシークレットシートかもしれないネ)

 

 日誌と書かれているものの、極秘書類を隠すためのカモフラージュかもしれない。でなければ、態々隠し棚という隠し方はしないと金剛は思ったのだ。

 

 そこで、恐る恐る、金剛は頁を捲った。

 

 

 

 

 

「──」

 

 その時、目に飛び込んできた文章に、彼女は思わず目を見張った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○月△日 天気は曇り

 

 今日は曇りで、近くの泊地から嵐の恐れありという連絡を受けたので、大事を取って休みにした。朝礼では相変わらず嫌われているようだ。着任してから二ヶ月経つが未だに俺と艦娘達との関係の間に深い溝がある。どうにかしなければならない問題だが、皆はそれほどのことを前任にされたのだろう。ここは俺が耐えなければならない時だ。

 

 皆に今日の活動は休みだということを知らせると、皿やコップなどが投げつけられた。どうやら皆は働きすぎると手当てを支払わなければならないので、態と手当てを減らすために短い間隔で休日を強要していると思っているらしい。

 

 短い間隔で休日を設けてるのは皆の体の疲弊を癒してもらうためと英気を養ってもらうためという意図があるのだが、皆は必要ないのだろうか。特に潜水艦達の疲弊は相当だと思うのだが。

 

 それは置いておこう。

 投げられた皿等が頭に当たり、少したんこぶが出来て朝礼は終了した。執務室で大和に心配されたが、これからこのようなことがエスカレートすると思うので今のうちにある程度の耐性は付けておかないと体が持たない。と返したら微妙な顔をされた。いつも心配をかけてすまない大和。

 

 そういえば金剛姉妹は紅茶好きとか大和に話されたことがあった。それもお茶会を開いて和気藹々としているのだそうだ。艦娘達との関係を進ませる為にも、これを利用する……というのは言い方が悪いが、良好な上下関係を成立させる為にも、この話を聞き流すことは出来ない。そう考えて、俺は先ず早々に執務を終わらせて金剛姉妹と仲良くなるために紅茶カップを買いに出掛けた。

 が、しかし。高級な紅茶カップを買ったら財布が随分と寂しくなってしまった。そういえば艦娘達の給料に俺の給料の三割くらい当ててた気がする。所得税もなんやかんやあるので、これは結構痛手だったが、金剛姉妹と仲良くなれるのなら問題ない出費だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──これは……

 

「……なんデスカこれは。こんなのまるで……ウソっ」

 

(しかもこの紅茶カップ……それに)

 

「ウソデス! こんなの、絶対にアイツじゃない! ……違う! ワタシは……っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○月×日 天気は雨

 

 

 天気は雨。土砂降りだ。朝礼ではまた休日と伝え、やはりいろんなものを投げつけられた反応だったが、心のなかではやっぱり昨日休日にして遠征しなくてよかったと思った。

 

 彼女達が沈むことはあってはならない。彼女達には前任によって潰されてきた喜怒哀楽が出来る人生を歩んでもらはなければならない。仲間達と清々しい朝を迎え、仲間達と一緒に美味い飯を食って下らない話をして、共に目標を達成して、時に喜び、ぶつかり合い、哀しみ、そして生きていて楽しいと思ってほしい。だからそれまで、俺は絶対に誰も轟沈させやしない。

 

 終戦まで、絶対誰も死なせない

 

 

 

 

 

 ──嘘、に……

 

 

「……ウソデス。ぜったいありえないデース! アイツがこんなこと書くわけが……っ」

 

 

 頁を捲る度に、目に入ってくる、提督が記した当時の心境と活動記録。

 

 口では思わず否定してしまうが、心の奥底でどんどんと蘇ってくる記憶と共に、当時の落ちぶれていた鎮守府が改善されていった事と辻褄が合っていく。

 

 

 

 

 

 ○月△×日 天気は晴れ

 

 

 

 早速、金剛姉妹の噂のお茶会を覗いてみた。扉の隙間から覗いて見ると本当に和気藹々としていた。

 

 そして同時に羨ましいと思った。俺には兄弟が居ない。小さい頃からこういう家族ながらの温かな雰囲気を感じられるのは父や母、お祖父さん、お祖母さんと一緒に居るときぐらいなものだった。しかし、その全員が深海の奴等の襲撃によって亡くなり、今や天涯孤独の身だ。

 だから、この雰囲気が羨ましかった。本当に輝いて見えた。

 

 あの後は結局覗いていたのが見つかり、主に金剛と比叡から殴られたり蹴られたりした。まあ覗いてたのが悪かったし、別にここで愚痴を書くつもりもないが、毎日こういう理由もなくサンドバッグにされるのは理不尽でならないと俺は思う。

 

 それでも俺は例え上官への暴力という軍規違反を犯しているあいつらを本部には報告しない。あいつらは真っ当な人生を歩むべきだ。

 

 そういえばもうすぐ監査官が来るんだった。明日の朝礼では厳しく監査官のいる間は暴力をしないように言っておこう。でないとやらかしかねないからな。

 

 いつか俺もあのお茶会に参加したいな。でも今のままでは叶わない夢。

 

 願わくば、艦娘と良好な関係を結べるように。ここで神に静かに願っておこう。 

 

 

 

 

 ──ワ、タシは……

 

 

「……っ」

 

 

(──!)

 

 

 

 最後の文章を読んだ瞬間、気付けば彼女の身体は動いていた。その心のうちにあるのは、果たして焦燥か──或いは、罪悪感か。

 提督の日誌を、今度は無意識に両手で大事に抱え、執務室を飛び出していったのだった。

 

 

 



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第二話  提督の復帰

オリキャラ注意です。


 あれから数ヵ月後。骨折した部位も完治し、懸命に続けていたリハビリの甲斐もあって以前のように歩けるようになった。

 家族は居ないので、入院中は基本独りで過ごすことになると思っていたが、度々大和と翔鶴が見舞いに来てくれたので、そこまで寂しさとかは気にはならなかった。

 それに俺のことを知ってか、士官学校以来会ってなかった元提督候補生──つまり今俺と一緒に第一線で艦娘の指揮を執っている他の提督達も見舞いに来てくれたことがあるので退屈もしなかった。所謂同期だな。

 

 そうして今、明日で退院するので病室を退く準備を終わらせてから、本を読んで時間を潰していると

 

「──うーっす」

「……? なんだ。お前か清二(せいじ)

 

 一通り片付けられた病室の扉を開け、そこに居たのは提督の証である純白の制服を着て、軍帽を片手に人懐っこそうな笑顔を浮かべる坊主頭の青年だった。

 

「よ。何読んでんだ?」

「純文学だ。恋愛小説だな」

「へえ。お前には似合わないな」

「そりゃお互い様だぞ坊主」

 

 宮原 清二。俺が提督候補生として士官学校で学んでいたときの同期だ。

 成績は結構下の方だったが、艦隊運営の腕はずっとずば抜けていた。今じゃその腕を見込まれ、舞鶴鎮守府の提督補佐として活躍しているらしい。

 

「坊主は今関係無いだろが母ちゃん」

「母ちゃん言うな」

「おいおい。今更本業隠すなよ。昔お前の部屋に勉強教えて貰いにいったときは俺らに良く夜食振る舞ってくれたじゃねえか」

「……それぐらいで母ちゃん呼ばわりは止めろと言ってるだろうが。あんぐらい誰でも簡単に作れるって言うのに」

「──ふふ。そのやり取り懐かしいですね……またやってるんですか?」

「ん? ──あ、お前もしかして……新島(にいじま)……だよな?」

「はい。お久し振りですね。西野くん」

「あ、そうだったな。新島が来てるんだったわ。言うの忘れてた」

「おいおい……」

 

 相変わらず、清二は平常運転らしい。

 

「すみません。宮原くんが早く言わないからつい入ってきちゃいました」

 

 そう悪戯な笑みを浮かべる新島に対して、清二は

 

「いやすまん。本当はもうちょっと御膳立てしてから登場させるつもりだったんだがなー」

 

 と頭を掻きながら苦笑した。

 

「本当ですよ全く。……これは後で反省文、十枚ですね」

「えーマジかー……ん? 十枚?」

 

 ──清二の後から入ってきた、清二と同じように純白の制服を着た女性の名前は新島(にいじま) (かえで)という。こいつも厳しい訓練を一緒に乗り越えてきた俺の同期だ。

 女子でありながら成績も実技も常にトップをひた走っていた。こと指揮能力についてはその当時誰も右に出る者はなく、試験的に艦娘を貸し出されて行われた演習では、前人未到の無敗の記録を保持している。

 それに、黒いショートボブという清楚な髪型で顔も整っているので、多くの士官候補生並びに提督候補生からの人気と人望もあった。勿論今も人望はあるが、当時の男だらけの士官学校の時の比ではない。

 

「相変わらずナイス支援だな新島」

「それはありがとうございます。あ、勿論冗談ですからね」

「……そ、そうか良かった。当時はやることなすこと本気だったから今もてっきりそうなんじゃないかとな」

「ああ。確かにそんな頃もありました。……懐かしいですね。でも卒業する頃にはもう今の感じでしたよね? 西野くん」

「いや俺に聞かれても……まあ確かに、出会った当初とはまるで印象は変わったけどな」

「まあ、あの頃は私も若かったんですよ」

「何言ってんだよ。今も充分若いだろうが」

「そうだぜ。まだピッチピチのお姉さんじゃねえかよ」

「ふふ。それもそうですね」

 

 清二のセクハラ紛いの発言も今やこの三人では恒例となっているので、新島は特に気にもせずに微笑んで応えている。

 

 因みに新島が俺のことを西野くんと呼んでいるのは、俺の名前が西野 真之(さねゆき)だからだ。同期からは普通に西野やら真之やらで呼ばれるのが専らだが、ここには居ない一人の同期から『さねっち』という愛称で呼ばれている。

 

「それにしても、二人とも最近はどうなんだ? 上手く行ってるのか?」

「俺は順調に提督街道を突き進んでるぜ。この頃艦隊指揮も任せられるようになって、地位も提督補佐兼参謀になってる。もうジャンプの主人公並の成り上がりようだわ」

「へえ……やれば出来るじゃねえか。ジャンプの主人公は流石に言い過ぎだけど、作戦参謀は中々良い経験をさせてもらってるんじゃないか?」

「まあな。何でも舞鶴の提督さんが言うにはあともうちょっと、だそうだ」

「あともうちょっと、か。……新島」

「……はい」

 

 清二の言葉から俺と新島は、あともうちょっとの理由を察することができた。

 

(……絶対セクハラ紛いの言動が問題で昇進が先送りされてるよな)

 

(女性にとって少々近寄りがたい性格なのが難点ですね……)

 

 そこまで考えて、二人して顔を合わせて苦笑する。

 

「ん? どうした二人とも。悟り開いたか? ムハンマドか?」

「違ぇよ。イスラム教の布教をした人じゃねえか。……あともうちょっとって言われたけど、今のお前じゃもう少し長くなりそうだなと思っただけだ」

「……同じく、です」

「うっわ相変わらずひっでえなお前ら。良いし。その内抜かしてやるし」

「そうかよ。じゃあ俺は一足先に執務室でコーラとポテチを嗜みながら高見の見物でもしてますかね」

 

 とは言っても、実際は何も口に入らないほど、精神が追い込まれていたが。

 

「宮原くんには何だか、絶対に負けたくありません。……下手すれば私の人生の最大の汚点になります」

「西野。お前は取り敢えずウザい。そして新島。お前はさりげに酷い。もう泣きそうだぜ」

「はあ……泣かないでくださいよ。塩水がこぼれてしまうじゃないですか」

「ついでに米もな」

「俺は塩むすびじゃねえよ! 坊主=おにぎりみたいな定理を作らないでいただきたい」

「宮原くん。残念ながら、既にその定理はとある芸人の力により、あの三平方の定理並みに世間では浸透してしまっています。もう手遅れです」

「……ふざけんな! 芸人、許すまじ!」

「新島。清二はどうやらマジで許してくれるらしいぞ」

「マジですか? ありがとうございます」

「もう煩い! こうなったら見返してやる。……というか俺をイジるときだけお前ら本当に息ピッタリだな」

「──それで新島の方はどうなんだ?」

「私も呉の方ですが、宮原くんと同じような感じですね」

「……もう良い。俺ぁ不貞寝する」

 

 ついにスルーされたことに清二のライフはゼロになったようで、俺のベッドに顔を埋めてしまった。

 

「提督の補佐をしつつ、作戦の立案や指揮を参謀として任されています」

 

 不貞寝する行動さえもスルーする新島に容赦ないなと思いつつ、苦笑して応えた。

 

「新島も提督まであと一歩のところまで近付いてるな。……清二、新島。取り敢えず二人とも、ここまでお疲れs「──おうっ!」……反応が早えよ。清二」

「ふふ。本当に単純なんですから。……私たちが目指すべき提督である西野くんからそう言われると、何だかやっと一段落がついた気がしますね」

「そうか?」

「確かに言われてみれば。誉められるには誉められるんだけど、やっぱり周囲の皆は何処か忙しないからなぁ……」

「同感です。確かに本心から功績を讃えてくれているのでしょうけど、まだ周囲の皆さんからは壁があるように思えて釈然としないんですよね。……まあ、私達はどうやら、若くして提督の才能を遺憾なく発揮する『稀代の卵』と世間から呼ばれているらしいですし、注目されているのは分かりますが……」

「そうそう。なんか誉められてるのにあんまり嬉しくないんだよな。昔俺をバカにしてた知り合いとかも急に連絡寄越してきて誉めちぎってくるし。なんというか……」

 

「「気持ち悪いんだよな(ですよね)」」

 

 清二と新島が珍しく共感し合っているのに少し笑いながら

 

「……成程。分かる気がしないでもない」

 

 と、相槌を打つ。

 

「そんなときに、こう……同期のお前から労われると、ああ~……ってなるんだよ。分かるか?」

「いや……ちょっと分かった気がしたけど、やっぱり分からなかった」

「つまり、西野くんのような自分達が目指すべき提督でありながらも、本音を遠慮なく言い合える仲の人に労われた方が、真実味があって、本当に自分が頑張ってきたということを実感できる……ということですね」

 

 そこで新島はクスッと、恥ずかしげに清二に問いかける。

 

「そう! それだ」

「…………なんか、恥ずかしいな」

「ふふ。……実は私も、です。普段は軽口ばかりでこうして本心をさらけ出すことは滅多にしませんからね。特に宮原くんに至っては普段はぶつかり合ってる相手に本心を言ってしまったも同然ですから、恥ずかしさは二倍ですね」

「お、おいおい……お前ら顔赤らめてんぞ。可愛いな~!」

「自己紹介すんな」

「……うっせぇ。あ、そろそろ彼女とデートなんだ。またなっ!」

 

 勝手に自滅して顔を更に赤らめた清二は、慌ただしく病室を後にする。

 

「あらら。今日は有給で、この後予定がないとここに来る前に豪語していたのにも関わらずに行ってしまいましたね」

「新島さんよ。それ以上は止めたげて」

「おっと。口が滑ってしまいました。この話はここだけの話ですよ?」

「もうその約束ごと全く意味がないんだよな。……というかあいつが一番恥ずかしがってんじゃねえか」

「ふふふっ。間違いありません」

「まあ、又会ったときにでも、一応俺を頼りにしてくれた礼でも言っておくか」

「そうしてください。多分ですが、西野くんから礼を言われた後の数日間の宮原くんは、恥ずかしさを悟られないように普段以上に突っかかってこようとしてくるはずですから、受けて立ってやってください」

 

 なんでだろうか。綺麗な笑顔で言われたが逆にそれが不自然に思える。

 

「……お前本当に容赦ねえな。普通そういうことは逆に悟ってやらないんだよ」

「おっと。口が思いの外滑ってしまったようです。この話は忘れてください?」

「ごめんもう忘れられなくなったわ。次会うときちょっと気まずくなったらどうすんだ」

「その時はいつも通りに軽口を叩き合い、そしていつも通りにそこに私が現れて、いつも通りに愉しげに私と西野くんで宮原くんを連携攻撃すれば済む話ですよ?」

「……そうだな」

 

 楽しげに微笑む新島に、俺も釣られてしまう。

 

「それでは私もここら辺で、お暇させていただきます。……一年ぶりの再会とは思えないほど話が弾みました。楽しかったです」

「こちらこそありがとうな。次は三人……いや、次はあいつも含めて四人で又駄弁ろうな」

「はい。お元気で」

「またな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり……西野くんは、西野くんでしたね」

 

(……次は提督同士、二人きりで……だなんて言えませんでしたけど、彼の元気な姿だけでも見れて良かったです。そして又、次に出会う日まで頑張れそうですね)

 

「必ず又会いに来ます。西野くん」

 

 それから彼女は手に持っていた軍帽を深く被り、歩いて遠ざかっていく彼の病室を背にして、独りでに綺麗に微笑んだのだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 

 

 

「──提督。お迎えに上がりました」

「ああ。ありがとう大和。早速行くか」

「はい」

 

 同期達の突然の再会があった日の翌朝。

 純白の軍服を確りと着て荷物とともに外に出ると、朝一の大和の華々しい笑顔が出迎えてくれた。

 病院前まで態々迎えに来たらしく、黒い高級車が停まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高級車のシートに大和と共に座ること一時間。大和とは情報交換を行っていた。

 

 

 

「──以上が提督が不在中の鎮守府の様子でした」

「……」

 

 そして今大和から聞かされた情報に、俺は少々困惑している最中である。話し手である大和さえも自分が伝えた情報に理解が追い付いていない様子だった。

 

「それは……本当、なのか?」

 

 思わず真偽を問い質してしまう。それほど、大和から聞かされた俺が不在中の鎮守府の様子が様変わりしていたのだ。

 

「……はい。全て本当のことです。身近で見ている側である私や武蔵外二人の秘書艦も同様に、くまなく一ヶ月間鎮守府を監視しておりましたが、本当に唯信じられない現実としか言い様がない光景でした」

「──」

 

 絶句する。

 

 目の前の大和がこの期に及んで嘘を吐くとは到底思えない。いや、大和は普段から信頼しているし、これまでの言動の全てが信用に足る艦娘であると証明している。しかしそんな信頼を寄せている大和を疑ってしまうほど、俺が今聞かされた『提督が不在中の鎮守府の様子』についての内容が衝撃的なものだった。

 

 大和からの話によれば、これまで不定期に自分達のタイミングで出撃や遠征をしていた多くの艦娘達が、俺が入院した後日を境に、きちんと割り当てられたローテーションで出撃をする艦娘が増えていったらしい。しかも最初の発端はあれほど俺に嫌悪感を露にしていた戦艦、それも金剛型というのだから驚きだ。

 お茶会を興味本意で覗いていたのが見つかり、暴力を受けて以来、主に金剛と比叡から悪口や暴力を振るわれていた。

 

 それなのに。どうして金剛型が率先して適切な行動を取るのだろうか。あれほど俺を嫌い、俺を否定し、率先して行っているらしい俺が立案した出撃と遠征のローテーション表を皆の前で破り捨てたこともあったというのに。

 

 分からない。なぜだ。

 

 それにまだあった。

 前任が退任し俺が着任した直後素行を著しく悪化させた一部の艦娘達がどうやら気持ち悪いほど大人しくなっているらしい。そいつらは勿論俺に暴力や嫌がらせを行っていた奴等だ。満潮、霞、曙、五十鈴、摩耶、能代だった気がする。大人しくなった時期も金剛型が積極的に活動し始めた時期と一致するとの話だが、一体何があったのだろうか。

 大和も流石に気になったようで直接、「何故急に大人しくなったのか」と単刀直入に聞いてみたらしい。

 すると帰ってくる答えは誰もが口を揃えて「償い」だと言ったとのこと。

 

(償いか……)

 

 彼女らが償いたい相手。それはどう考えても俺のことだと思うが、どうして今更そのような行動に出たのか俺は先ずそれが知りたい。

 

 又、大和によれば全体的に活動は活発ではあるが、雰囲気はお通夜ぐらいに暗いらしいし。

 

「一体何が起こってるんだ?」

「すみません。この現象の原因ついては未だに解明が出来ていません。聞き込みするにしても、前々から提督側についてた私達ですから不審がられる可能性があるので……なんとも」

「そうか……」

 

(とにかく。これはどの道にしろ、早急に鎮守府へ帰らなければならないな)

 

「運転手さん。急用が出来ました。横須賀鎮守府へ急いでください」

「──は、はい。分かりました」

 

 

「大和」

「……はい」

「嫌な予感がする。着いたら直ぐに執務室へ行き、状況を確認次第講堂に皆を集めて緊急集会を開くからそのつもりで居てくれ」

「はい!」

 

 



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第三話  とある艦娘達の本心

 提督が不在の鎮守府内のそれぞれの場所では、それぞれの艦娘達が多種多様な会話をしていた。

 

 例を挙げるとするならば、弓道場。

 

「……ついに、今日ですね」

「……ええ。そうね」

 

 そこには的前に立ち、早朝の射込み練習の後片付けをしている二人の艦娘が居た。

 

 的を取って土を払い、矢が刺さり穴が空いた土を水を掛けてから均す。

 

 普段から幾度となくやっているその作業。当然手間取ることもなく、綺麗に片付けをしていく。だが今の二人は、何処か一つ一つの行動に焦りや悲しさが感じられる。

 

「……」

「……」

 

 無言。不気味で居心地が悪い静寂が二人の間を取り巻く。

 辺りに響くのは土の足音や、土を払う又は土を均す音だけである。 

 

「…………私は──私達はどんな顔をして迎えれば良いのでしょうか」

 

 静寂が訪れて暫くした後、不意に土を均している片方の艦娘が口火を切った。

 その声は酷く落ち込んでいて、不安げである。

 

「……分からない、わ」

 

 不安げに聞かれた質問に、箒で矢取りの際に使う通路を掃除する、もう片方の艦娘が少し力無く答えた。

 

「そう、ですよね」

「……ええ」

 

 そうしたときには既に、二人の艦娘は無意識に作業を止め、顔を俯かせていた。

 

 

「……」

「……」

 

 再び静寂が訪れ、土を均していた方の艦娘は密かに、提督にどう顔を合わせれば良いのかを考えるために提督との記憶を振り返っていた。

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 それはある日のこと。

 

『ふふ。今日はB定食ですねっ』

 

 朝の射込み練習が終わり、食堂に向かおうとしていた時だった。

 

『あ。あの、赤城さん』

『っ』

 

 当時は、全く接点の無かった。会話だって事務以外にしなかった提督から初めて話しかけられたのだ。

 

『少し、良いですか?』

『……何か用ですか』

 

『あの、もし宜しければなんですけど、執務の方を手伝ってくれませんか。今日は特に多くて……』

 

『……すみません。加賀さんを待たせてますので』

 

『ぇ』

 

 

 

 

 

 

 

 またある日。

 

(朝食を堪能してたら蒼龍と一緒に練習することをすっかり忘れてましたっ……)

 

『──赤城さん』

 

『……』

 

『あの』

 

『すみません。忙しいんです』

 

『……』

 

 

 

 そして、また。

 

(今日は練習もありませんし、何も約束ごとは無いですからゆっくりお茶でも飲んで過ごしましょうか)

 

『……赤城さん』

 

『──っ』

 

(また……ですか)

 

『あの、今日は空いてますか?』

 

『……すみません。今日も予定が』

 

『そう、ですか……──いッ……!』

 

『?』

 

(……何を痛がって──……成程。他の方がされたのですね。よく見れば肘が腫れ上がってます。ああ。だから執務もままならないので最近私を誘ってきているのですか)

 

『……』

 

(ですが、私は提督を嫌いでもありませんし好きでもありません。しかも過激な人達から暴行されてるようなので火の粉がこちらに来ないか心配なので余り関わりたくないと思っています……。それにしても提督に暴行している人達のことですが……確かに前任のことは憎たらしいのですが、今の提督のことは何も知らないし、何よりあの時無関係だった人に暴行をしたくなるとは……到底思えないですね。しかし気の毒ですがここは私のこれからの平和な生活の為にも火種を持っている提督は邪魔でしかありません)

 

『それでは』

『……はい』

 

(……まあ、私がこういう行動をとっている時点で、提督に対して無意識に嫌悪感があると言えばあるのでしょうね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ」

「……そろそろ時間です。行きましょう赤城さん」

「……は、はい。加賀さん」

「……」

 

 こうして、二人の艦娘は弓道場を後にした。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 重巡寮のとある一室で、二人の艦娘が話し合っている。

 

 見た目からして高校生ぐらいの見た目から、一見して話している内容は年相応の明るい話だろうと誰もが思うだろうが、実際のところはその真逆だった。

 暗く、そして鬱々とした雰囲気がその部屋に、いやその部屋だけでなく、鎮守府全体にも及んでいる。

 

 

「……そろそろ時間だね」

 

 早朝だからだろうか、電気を点けてない。日は昇りきってはいるものの曇りという天気が理由で、まだ鎮守府には晴天時のような明るい光は差し込んでいないので、事実点けていないと薄暗く、見えにくい位の部屋の明るさである。

 なので今日の曇りで比較的薄暗い現在の場合は点けた方が良いと思うのだが、しかしこの二人の間に流れる重い空気から察するに、それは態とだということが想像できるだろう。

 

「そう、ですわね」

「熊野。大丈夫、なの?」

「……」

 

 そう心配された艦娘──熊野は瞳を僅かに揺らし、それを隠すように下へ俯いた。

 

「……熊野?」

「ごめんなさい。……分かりませんわ。ですが今は胸の奥が締め付けられて、とても……とても苦しいのです。これしか今は分からないんですの。私は……どうしたら、良いのでしょうか──鈴谷」

 

 熊野から聞かれたもう一方の艦娘──鈴谷も、先程の熊野と同様に、表情を曇らせ、今ではこれで一杯一杯かのような苦笑を見せる。

 

「……ごめん。私も分かんないや」

「……っ」

 

 鈴谷と熊野。二人は今、どうしようもないくらいに後悔していた。

 

 会話が途切れて、二人の間に沈黙が訪れたことからもそれは一目瞭然だろう。

 

(どうしよう、か)

 

 熊野から言われたことを、心のなかでもう一度自問した。

 

 今までであれば、鈴谷のその性格上直ぐに答えを生み出し、行動に移していたところだろうが、今の鈴谷にはそれは到底出来ないものなのだ。

 

 これからどうしようと言われても、自責の念や罪悪感、後悔ぐらいしか浮かんで来ない。無力感に襲われて、それを振り払おうと行動に移そうとしても今度は悪化しないかという不安の波が押し寄せてくる。

 

(……もうすぐ提督が戻ってくるというのに、私は何やってるんだろ)

 

 

 

 そこでふと甦る、後悔した記憶。

 

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 ──それは提督が階段から落とされる日の数日前。憂さ晴らしに勝手に出撃して帰還した時のことだった。

 

『あ、ちょっと今時間良いか? 鈴谷』

 

『……はぁ。何ですか?』

 

 当時の鈴谷はその時、何で私が……と思った。

 普段から皆から煙たがられ、避けられ、陰口を叩かれては少し悲しそうに苦笑する。鈴谷から見てもこんな扱いを受けているというのに、何故笑っていられるのかという気持ち悪い印象と、前任のこともあり同じ軍人なので一方的に、話したこともないのに嫌悪感を抱いていた。一部からは暴力を受けているのを見たことがあり、その暴力を受けたとしても平然と執務室へ戻っていく提督の行動にもっと気持ち悪く思っていた。

 

 この時が鈴谷にとって初めて提督と話した時。第一印象は最悪だった。

 

『ごめん。実は熊野のことで用があって』

『……熊野に?』

『そう。食堂で熊野の財布が落ちてるの拾ったんだけど……熊野が何処に居るのか知ってるか?』

『っ……何で私に聞くんですか』

『普段から鈴谷と熊野は仲良しに見えるし、姉妹だからな。知ってそうだから聞い──』

『──ッ!』

 

 瞬間、感情が一気に熱く沸き上がり、気付けば提督の頬へ向かって、掌を振るっていた。

 

『……っ!?』

 

 辺りに、パシンという、強烈な殴打音が響き渡る。

 

『ふざけんな! あんたっ……そうやって私が知らないのを良いことに平然と聞いて、何度も何度も裏では熊野を探しだして……熊野をぉッ!』

 

 ──過去に。前任にされたことが今、怒りとなって爆発している。

 

 どうやら私が知らぬ内に、前任が熊野を慰め物にしていたらしい。それも、熊野の場所を特定する為に、私に毎度聞いてきたのだ。そして、当時の弱かった私は、提督が怖くて、毎度の如く、馬鹿正直に熊野の居場所を教えてしまっていたのだ。

 そのあと、熊野が慰め物にされているのにもかかわらずに。

 

 私は、最愛の熊野を隠れ蓑に……利用していたのだ。

 

『な、何を言ってるんだ! ッ……俺は何もっ──』

 

 だから今、こんなにも目の前にうずくまる提督という憎むべき相手に対して、無我夢中に蹴りを入れているのだろう。

 

『黙って! 私は……あんたが大っ嫌い! キモい! 死ねばいいのに……軍人なんてっ……死ねばいいのに!』

 

 今考えれば、この行動は何も意味を成さないだろう。ただ、あの頃の弱かった自分を。熊野を隠れ蓑にしていた後ろめたい気持ちを。

 

 そして、これまでの鬱憤を、これまで溜め込んできた怒りを前任に似たようなモノにぶつける。鈴谷はそのような的外れで、最低な行為を提督にしていたのだ。

 

『死ね! 私を騙して熊野を苦しませたあんたなんて絶対に許さない……! 殺してやる……ころしてやるぅ!!』

 

 そして今の鈴谷は過去の記憶を振り返り。思う。

 

『軍人なんて……軍人なん、てっ!』

 

 最低だと。

 

 そしてこの後のことは一生忘れられないと、鈴谷は俊巡する。 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──……それは俺じゃねえよ!! 

 

『……!』

 

 それまで無我夢中に振るっていた蹴りを、その頃は憎悪の対象だった提督相手だというのに思わず止めてしまうほど、提督が放った咆哮は──怒りに、そして悲壮に満ちていた。

 まるで自分達と同じように、憎悪に、怒りに、悲しみに染まっていたのだ。

 

 

『……け、んな』

 

 声を張り上げた後、提督はそう言って、当時の私の襟を強く握り締めて引き寄せられ──

 

『っ!?』

 

 不意を突かれて、私はは思わず体勢を崩すし

 

ふざけんじゃねえよ!! 

 

 ──そして、瞠目する私に、提督は間近で怒鳴り付けた。

 まるで先程の私のように、これまで溜め込んできた鬱憤を、怒りをぶちまけるように。

 

 その時の私は何よりも、普段から暴力や陰口を受けたとしても決して見せずに笑ってさえいた提督が、初めてその瞳に涙を溜らせて見せたことに、衝撃的だった。

 

『いつも……いつもいつもお前らは、俺に……俺はお前らの為にと頑張ってるのに……──お前らはいつもッ

『っ、……』

 

 依然として瞠目し、そこで若干瞳が揺れる。そんな襟を強く握られて揺らされるままの私に

 

『お前らなんてっ……お前らなんて──ぁ』

 

 提督はそこで正気に戻ったのか、提督の涙で濡れた、強く握り締めていた私の襟から手を離し

 

……ごめんっ

 

 

 その一言を残して、私の前から逃げるようにその場を走り去っていった。

 

 

 

『──……ま、待っ』

 

 そこで初めて、自分が今、愚かなことを犯してしまったのを理解した。

 

 これまでの気持ち悪い印象は変わらない。しかし、今自分がしたことは唯の八つ当たりで、前任がしていたことと変わらないことだと。

 

 作戦がうまく行かず、作戦時に旗艦だった艦娘を一人残らせて暴行を行う。あの時の前任と同類な行動を取ってしまったのだ。

 

『……ぁ』

 

 普段よりも、淋しげに遠ざかっていく提督の背中に、その時の私はただ弱々しい声を漏らしながら、力無く片手を伸ばしただけだった。

 

 

 その後、私は直ぐに提督に謝ろうとしたが、そんな行動も虚しく、提督は階段から突き落とされ病院に搬送されてしまい、敢えなく謝ることは叶わなかった。

 

 

 

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 あの日から一ヶ月後の今日、当時のことが色濃く記憶に残り、心には絡み付いている。

 

「……っ」

 

 不意にそこで鈴谷の瞳から頬へ一筋の雫が流れ落ちる。

 

「! す、鈴谷?」

「くまのぉっ……わた、じ……ていとくに……ていとくにぃっ」

 

 後悔しても、したりない。

 

「鈴谷……」

「わだし……どうし、だらいいのかなぁ」

 

「……」

 

 熊野がそこで、私を優しく抱擁してくれた。私はあなたを売るような事をしたのに。

 

「わかんないっ! わがんないよぉ! 

 

(提督……) 

 

 そこで、熊野も目を瞑り、記憶を辿った。

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 

近付かないで!! 

『!』

『あなたも……どうせっ、どうせ同じなんでしょう!?』

『……ち、違う! 俺はただ熊野を……──くっ』

『……近づかないで。これ以上私を……汚さないでッ!!』

 

 

 

 

 

『……熊野』

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

「……っ」

 

 鈴谷を抱きしめながら、熊野も静かに涙をその頬へ伝らせる。

 

(ごめんなさい……提督。本当に)

 

「ごめん、なさい」

 

「……ていとくっ」

 

 

 その後、重巡寮は、鈴谷と熊野の部屋だけでなく、至る所で涙をすする音が木霊していたという。

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 △月 ○日 天気は晴れ

 

 最近、熊野の体調が気になっている。何処か虚ろげとしており、足取りも少し怪しい。声を掛けてみようか。

 それよりもこの頃艦娘から俺への嫌悪感が増してる気がしている。正直辛い。辞めたい。そう思う日々が続いている。

 暴力の頻度も増してきている。体の方もアザだらけで、寝るときに一々痛くて、寝返りを打っても痛みは増すばかり。執務中に寝不足気味で倒れそうになることもある。

 

 だがそれでも俺は諦めない。

 例えどんなに拒絶されても、例えどんなに殴られても、例えどんなに無視されても俺は絶対に諦めない。前任が着任する前の活気があり、栄光ある横須賀鎮守府を取り戻して見せる。

 

 そして元帥から仰せつかった──横須賀鎮守府、ならびに艦娘達を救ってやってほしいという命令を、俺の夢を必ず叶えて見せる。

 

 

 

 

 

 △月×日 天気は雨

 

 今日は凄く気が参っている。気が参っているのはいつものことだが、今日は特に心苦しい。胸がチクチクと痛み、ふとした瞬間に涙が出そうになる。

 

 つい先程、食堂で熊野の財布を見つけ、届けるついでに熊野の様子が心配だったので声を掛けてみたのだが、酷く拒絶され、挙げ句には頬を叩かれてしまった。どうしてなんだろうか。その気持ちだけだった。しかしよく考えてみれば直ぐに分かることだ。前任になにかトラウマを植え付けられたのだろう。

 

 涙を溢しながら走り去ってしまった熊野のことが更に心配になり、探していると熊野とよく一緒に居る鈴谷を見かけた。場所を知っているのかと思い、鈴谷に熊野のことを知らないか聞いてみれば、鈴谷にもいきなり激昂され、鳩尾に打ち込まれて屈んだ俺をこれでもかと蹴りを喰らわせられた。

 

 ……そこで俺はついにやってしまった。

 

 あの時の記憶はよく覚えていない。ただ、俺の心が限界を迎えていたのか、鈴谷に掴み掛かってしまったことは覚えている。俺は何故あのような愚行に走ってしまったのだろうか。何故俺よりも辛い思いをした艦娘にこれまでの怒りをぶつけてしまったのだろうか。

 

 こうして文字にしているが、書いている今でも今日のことを思い返して後悔し、そして情けなくも──だめだ。涙を流してしまっている。

 紙に滲まないように涙を何度も拭いながら書いているが、駄目だ。止まらない。

 

 俺が何も考えずに近付いたりしてしまったから熊野を泣かせてしまった。

 

 俺が依りにもよって普段から不干渉だった鈴谷に怒りをぶつけてしまった。

 

 鈴谷、熊野。本当にすまなかった。俺は最低男だ。本当に、最低な提督だ。

 

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 鈴谷と熊野。二人の心には金剛から見せられた提督の日記のとある二ページの文章が深く刻まれていた。



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第四話  謝罪

お待たせいたしました。変な展開や変な文章、誤字などがあると思いますが、何かあれば感想欄やメッセージ欄にお願いします。


「これは……」

「……」

 

 現在、俺と大和は鎮守府に到着して門を通り、執務室に向かっている。

 

 門を通る前は一月前と何ら変わりはないように見えたのだが、通った後建物に近付くにつれ段々と違和感を覚え始めていた。

 大和は俺が不意に困惑して呟いた言葉を予想しているかのように目だけを瞑って、歩き続けている。

 

 その俺が感じた違和感の正体。それは──

 

「……静か過ぎ、ですよね」

「……ああ」

 

 そう。静か過ぎるのだ。

 横須賀鎮守府はここ日本では都心の護る盾となる最重要拠点の1つ。しかも太平洋側に位置しているので、最も深海棲艦の襲撃を受けやすい。そのため、約200名近くもの艦娘が在籍している。

 一月前ならばこの前庭を歩いていれば誰かしらの談笑や演習中の砲撃音、工廠等からの金属音が聞こえてきたものだ。 

 

 なのに今、木々や防波堤に波打ちしている自然音ぐらいしか耳に届いていない。

 ここまで聞こえて来ないとなると、まるでもぬけの殻になった広大な廃墟のなかを歩いているようだ。

 

「二週間前までは、まだ騒々しさはありました。ですが……」

「……? もしかして、この静けさの原因が分かったのか?」

「いえ、これはあくまでも予測なのですが」

 

 静かな鎮守府というなんとも不気味になった勤務地を歩いている不思議な経験をしていると、隣を歩く大和が不意に、無意味な情報かもしれないと遠慮しながらも俺へ話し始めた。

 

「……大勢の艦娘達の集まりが、とある日の夜に行われたらしいのです」

「艦娘達の集まり……? まさか俺が不在中に大規模な作戦でも行ったのか?」

「私もそれを耳にしたときは警戒したのですが、そのような動向は見られませんでした。皆さんはいつも通り、提督のローテーション通りに出撃し、報告書も確りと提出していました」

「……やっぱり信じられないな。ちゃんと、ただ深海棲艦を撃滅するだけの艦娘としてではなく、横須賀鎮守府の艦娘として任務を遂行しているという話は……中々信じられない」

「……ですが、何度も申し上げた通りこれは真実です」

「ああ。大和が言うことだから信じる他ないんだけどな……それでも、俺のなかであいつらに期待をするな……とかな? 後ろ向きな言葉ばかりが浮かんでくるんだ」

「……提督」

「…………すまん。話が脱線したな。それで、勝手に大規模な作戦を実行しようとしたという線は消えた訳だ。じゃあ他に何か大和に心当たりがあるのか?」

「……はい。心当たりというよりは、憶測です。実は、その集まりをするように促したのは金剛さんだったそうなんです」

「金剛?」

「はい。金剛さん……いや正しくは金剛型の姉妹達が発端です。それで……そもそも横須賀鎮守府の艦娘達が次々と改心し、任務を真面目に遂行するようになったのは金剛さんが始まりだと先程話しましたよね?」

「あ、ああ」

「しかも提督が突き落とされた事件が起きてからそう経ってはいない時期、そして積極的に鎮守府の活性化をするという今までは考えられなかった行動を照らし合わせてみれば、あの集まりの目的が大体見えてきます」

「……俺に関係すること、だよな。多分。……そういえばさっき、俺にあんな過激な反抗──暴力をしていた一部のやつらが償いだといって大人しくしていると聞いたし……考えられるとすれば」

「はい。多分ですが、これからの提督への対応をどうすれば良いのか……みたいなことを考える集まりなのではないかと」

「うーん……」

「ま、まあ、これはあくまでも私の憶測なので……」

「ああ。わかってる。でも気持ちに留めておくよ」

「はい」

 

(取り敢えず、今は執務室に行って状況整理をしなきゃな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ここまで誰も会いませんでしたね」

「ああ。……ちょっと不気味だ」

 

 前庭から建物に着き、執務室間近まで来ている。

 誰にも会うことなく、辺りに響くのは俺と大和二つの足音のみだ。

 

「久し振りだな」

 

 執務室の扉前まで来ると、思わずそんな言葉を呟いていた。

 

 ここのドアノブを握る度に浮かんでくるのは、痛みや悲しみ、怒り──そして心地好さと優しさ。様々なものが複雑に絡まり合っている。

 

 気持ち悪い。しかし、僅かな温かな思い出がそれを抑え込んでくれている。

 

 

 

 

 ………………

 

 

 …………

 

 

 ……

 

 それは、着任してから半年が過ぎた頃だ。

 

『提督。お茶が入りましたよ』

『ああ。ありがとう大和』

『あら? 私もお茶淹れちゃったんだけど……』

『……ふっ。いいよ陸奥。そっちのも飲む』

『そう? ごめんなさいね。大和も』

『良いですよ。提督も、二杯飲めて嬉しいようですし』

 

 当初は大和だけが執務室で執務を手伝ってくれていたが、ある日陸奥が、突然目の前に来て、「私も……手伝うわ」と、進言して来てくれた。どうやら俺のこれまでの復興活動を正しく評価してくれたみたいで、前任とは違うことを分かってくれたらしい。そうして、いつの間にか陸奥もこうして時たま手伝ってくれるようになった。

 

『まあな。そういえば朝から一滴も水を飲んでなくてな。喉が渇いてたんだよ』

『え……もうっ提督! そうでしたら早く言ってくだされば良かったのに』

『そうよ? 一日に結構な水を飲んでおかないと、後々それが祟って体調不良を起こすことになるの。無理しないで頂戴』

『いやあはは。……善処する。でも今日は特に調子が良くてな。いつも退屈だと思っていた執務がスラスラと終わるもんだからつい明日のぶんにまで手を出してて、つい休憩するの忘れてたんだよ』

『ついって……日々の仕事量も他の鎮守府に比べて多いという激務なのに倒れたらどうするんですか』

『その時は溜まってる有給を使って休むよ。久し振りにゲームとか手を出してみたいと思って……いや大和。わかってるからそんなジト目で見ないでくれ。勿論ちゃんと休んでからするから』

『提督もゲームがしたいお年頃なのね』

『お年頃っていうよりは世代じゃないか? 俺の世代の遊びは専らゲームだったし』

『ふーん……じゃあ提督は私のようなお姉さんが出てくるエッチなゲームとかやってるわけね?』

『いや、18禁のゲームはやったことないな。ストーリーはきっちりしてるのが多いけど。俺が好きなのはRPGだ。冒険する奴』

『冒険する奴って言われてもやったことがないからどういう奴か分からないわね……というか提督、赤くなってる?』

『は? いや? 別に』

『……も、もう陸奥さん。終わりましょう』

『あら。大和さんが赤くなってたわね』

『大和は純粋過ぎるやつだからな。因みに陸奥はあざとい』

 

『『……提督?』』

 

『! ……お、おう。あ、時間だな。さ、執務に戻るぞ』

『て、提督! 私はこれでも大人なんですよ! 純粋とか子供扱いしないでくださいっ』

『そういう怒りっぽいところ』

『は、はいぃ!!?』

『もう提督? あざといって何かしら? 私の何処があざといのよっ?』

『……そういう無駄にむくれるところだな』

『ふふっ。流石に露骨過ぎたかしら』

『はは。ほら。やるぞ。明日の分も終わらせちゃおうぜ』

 

 

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

「……ふ」

 

 柄にも無く、以前のことを思い出して、自然と笑いを溢してしまう。

 

「……提督? どうかしたんですか?」

「いいや。何でもない」

「そうですか。入りましょう」

「ああ」

 

 そうして、ドアノブに手をかけて、捻ると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え」

 

 扉を開けた先にはいつも通りの執務室。しかし、そこには

 

 

 

 

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……っ」

 

 

 満潮、霞、曙、五十鈴、摩耶、能代がそれぞれ、それはそれは深く床に頭を打ち付けて土下座をしていた。

 

 

 

「あなた達は……」

 

 俺もそうだが、大和もさすがにこの光景は驚いたようで瞠目している。

 

「……何を、してるんですか」

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 困惑しながらも大和がした質問に依然として答えず、唯土下座をしている。

 ただ、俺はもうこの六人が大和の質問にも答えずに土下座を敢行する真意に気付いてしまった。

 

「……もう一度聞きます。何をしてるんですか」

 

 再度、大和が質問する。しかし、その時の声は先程のものと比べ格段に低くなり、困惑気味だった語気も鋭く、そして冷たくなっていた。

 

「「「……」」」

 

 然れど、その六人は答えず、ただじっと頭を床に打ち付けている。

 

「一体、何をしてるんですか。──今頃、何をしに来たんですか?」

 

「「「……っ」」」

 

「っ……さい」

「や、大和?」

 

 大和の声が底冷えするほど低い声で何かを言った。聞き取れなかったがそれは重要ではなく、一番はあの温厚で心優しい大和が初めて、俺の目の前であのような低い声を出したという事実だった。

 

 

 

「ふざけないでくださいッ……!!」

 

「……!」

 

(大和……)

 

「「「——!?」」」

 

 それまでただ土下座していた目の前の六人は、大和の怒鳴り声にそれぞれ体を跳ねらせる。

 

「今頃……今頃何をしに来たんですか。あれほどのことをいつものように提督にしておいて、今更土下座ですかっ!! ……本来は祖国日本のために着任された提督が、前任のせいで傷付いた私たちの心身を癒さんがために、必死で態々大本営の上官にまで頭を下げに行って、私達が快適に過ごせるように施設の改良や娯楽品などの導入をしてくださったり、汚れて壊れたままだった入渠場の一部を修理、又は改良してくださったりしてましたのにっ……。なのにあなた達はッ……日々の激務で疲れている身でありながらも私達に残り続けている傷を支えてあげようと、交流を持とうとする提督を無視や、陰口の対象にして、挙げ句には散々暴力を振るっていたことを分かっているんですかっ……虫が良すぎますよ!!」

 

「「「……」」」

 

 そこで、能代と曙が少し顔を上げて、俺の方を潤んだ瞳——いや、罪悪感に塗れたような哀しげな瞳でこちらを見てきた。

 

「……今提督がなされたことを挙げましたが、これはまだ一部に過ぎません。もっと……もっと私達艦娘の為に、されたことはあります。ですが、挙げてもあなた達はまた奥底では、どうせ信じないでしょうね。——だって、一年もの間提督の言葉を……提督がしてきた事も。そして、提督から差し伸べられた手を無視していたのですからっ——ッ!!」

 

 そんな最後の言葉を自分の事のように口を噛みしめて、悔しみながらも放った大和。俺はその大和の姿に、凄く感銘を受ける。

 

「恐らくですが、提督はあなた達のことを多少なりとも許すことでしょう。提督はどこまでも優しい方ですから。……いえ、どこまでも優し過ぎる方だからこそ、ここまでの事態に発展してしまったのでしょう」

 

(大和……)

 

「ですが私はあなた達を……目の敵にしていた殆どの方を易々と許す気はありません。いえ、一生許さないでしょう。たとえ駆逐艦であっても、絶対に許しません。早く演習がやりたい気分です。……そして、滅多撃ちにしたい気分です」

「っ!?」

 

 流石に、それは不味いと、大和に待ったをかける

 

「お、おいそれは──」

 

 

 

 

 

 ——が、どうやら続きがあるらしい。

 

「分かっています。そんなことをすれば、私はあなた達と同等になってしまい、これまで寄せていただいていた提督からの信頼を裏切ることになります。ですからしません」

 

「……」

 

「ですがもし、又提督に危害を及ぼすようであれば、秘書艦権限で提督の護衛行為として即刻敵と見なし、問答無用で撃ち込みますので……覚悟をしておいてください」

 

「「「……!!」」」

 

「……さて。提督。私は側で確りと見守ってますので、この先はお任せします」

「……分かった。──大和」

「はい?」

「本当に……その、ありがとう」

「……はい。それでは提督」

「ああ。……それで、だ。土下座をしているのは見れば分かるんだが……お前らは一体何をしに来たんだ? 謝罪に来たのか?」

「…………は、い」

「お前は確か、満潮だったな。お前が言い出したのか?」

「い、いえ……その……皆で」

「皆で、か。じゃあ誰かが言い出したから仕方なくやってるって言う奴は居ない訳なんだな?」

「……はい」

「……満潮。俺にどんなことをしたのか、覚えてるか?」

「はい。沢山の……その。嫌がらせや暴、力を……しました」

「確かにそうだな。だけど、満潮は俺が突き落とされる前にした嫌がらせや暴力の内容は覚えてるのか?」

「ぇ……えっと……その、……あんまり」

 

「……霞。お前はどうなんだ」

「…………私も、です」

 

「曙」

「……覚えてないです」

 

「五十鈴は?」

「…………」

 

 五十鈴はそこで首を振る。

 

「摩耶」

「……オレ、あ……いや。私も、覚えてない、です」

 

「……能代は——っ?」

「ごめんなさ、いっ…………ご、めんなざ、い」

 

 能代に聞こうと目を向けると、そこには涙を流して顔を歪ませる能代が居た。それに少し動揺しながらも、俺は言葉を続ける。

 

「俺は今謝ってほしい訳じゃない。俺が聞きたいのは、俺が突き落とされる前にした嫌がらせや暴力の内容を覚えてるのか、だ」

「……っ……ない、です」

「……俺がなんで今こんなことを聞いてるか分かるか?」

 

 そう聞くが、当の本人達が顔に疑問符を浮かべていた。

 

「……満潮には資料を運んでいたら出会い際に足を引っ掛けられて転ろばされた。そしてその時大笑いしながら『さっさと辞めてくれない?』と言われたんだ」

「……あっ」

 

「霞は朝食の時だった。俺が食堂で朝食を食べているとお前は『何駆逐艦の方を見てニヤついてんのよクズ』って周囲に聞こえるように言ったんだ。お蔭で皆からゴミを見るような目で見られたよ」

「っ! ……そ、それは」

 

「曙には出撃後だ。報告書の提出を促した瞬間、脛を蹴られたな。その後は……そうそう。爆笑しながら蹲ってた俺の頭、踏んづけてたよな」

「……っ」

 

「五十鈴には散々やられたよ。出会い頭に鳩尾に一発。頬に二発だもんな」

「! ……」

 

「摩耶も随分と五十鈴がやったところへ的確に殴ってきたよな。もしかして手を組んでたのか?」

「…………!」

 

「……能代は……俺のこと階段から突き落としたんだろ?」

「……っ!!?」

 

「別にお前らを責めたい気持ちがない訳じゃない。……ただ、まぁ何が言いたいかと言うとさ。お前達加害者よりも被害者の方が圧倒的にその時の記憶が刻まれるってこと。それは何故かというと、体に、心に一方的に痛みを感じているからなんだよ」

「……!」

「お前らは大して痛みを、哀しみを感じなかった。俺をいたぶることで得ていたのは優越感と幸福感。そして──前任と同じ軍人に暴行をすることによって他の艦娘を守っていると思っていた正義感だろ?」

「…………」

「皆でやれば怖くない。皆が言っているから、皆がやっているから正義なんだ……そう思ってたんだろ」

 

 そこで、皆は一様にその顔を俯かせる。

 

「これは大和にも言ったことなんだが、皆の気持ちはこの一年間で充分に分かったつもりだ。だが一月前までのお前らがやっていたことなんて比にならないくらいのものなんだろ? だから、俺はこの一年間耐えてきたことを鼻にかけるつもりはない。復讐したいのも分かる。何かに行き場のない怒りをぶつけたいのも分かる。……だが、お前らがやっていたのは前任と何ら変わりない最低な行為だ」

「……」

「……それはお前らの他の艦娘を守るために行った決して正義に則ったものではなく、正義と言う建前で自己の鬱憤の発散のためにやっていた自己中心的で最低な行為だ。……お前らはそんなことのために痛めつけてきた最低な奴だ」

「……っ」

「もう一度言う。お前らは最低だ。前任と同じだ。被害者の皮を被った加害者だ」

「……」

「正直今、お前らを目の前にして、やり返したい気持ちが凄くある。だが俺はそんな最低な奴等を──苦しんでる艦娘達を、救ってやりたい。チャンスをあげたいという気持ちもある」

「……え」

 

 そんな言葉を放ったとき。それまで、俯かせていたその顔を、驚いたように瞠目させながらこちらを見上げてきた。

 

 

 

「……病院で大和にもそんな反応をされたな。まあそれが普通の反応だろうが、俺はどうやら普通じゃないらしいからな。どこまでも馬鹿で、どこまでも人を信じれずには居られないアホな奴だからだろう」

「……」

「……俺は本当に馬鹿なんだ。昔からこういう性でな。直ぐ人を信じて、直ぐ騙されるんだ。お陰でどんどん友達、恋人に裏切られる。家族も全員死んだ。……昔からどうも裏切られる側だから、俺はどうしても信じて切ってほしいと躍起になってしまう。だからこうして無視されたとしても、陰口を叩かれたりしても、酷い暴力を受けたとしても……そして階段から突き落とされたりしても──」

 

「っ!!?」

 

「──俺は何処か、お前らには期待しちゃうんだろうな。同じ裏切られる気持ちを味わったからかもしれないけど」

「……てい、とくっ」

 

 能代が、涙で顔を滲ませながら俺を呼ぶ。またそれに、動揺してしまう。やはり、男の性。涙を流す女性を見ると心が揺れてしまうのだろう。

 

「勿論、この件は許すつもりはない。大和は許してくれると期待したが俺も流石に無理だ。大和すまんな」

「ふふ。別に大丈夫ですから。続けてください」

「おう……まぁ、だから。罰は与えようと思う。その方がお前らにとっても気が楽だろうし、何よりここは海軍だ。規律を違反した輩は懲罰しないといけないからな。これまで見逃してきたが、これからは厳重にしていく。肝に命じておくように」

「「「……はい」」」

「それとだ。許さないとは言ったが、ここからやり直すことは出来る。過去は過去。今は今。未来は未来。お前らはここからだ。日本最高の横須賀鎮守府の艦娘としての誇りをこれから取り戻していけ。今も深海の勢いは止まってない。前線基地によれば、数も増えてきているとのことだ。だから……頼むぞ。全員、起立」

 

「「「っ!」」」

 

 

 

「あ、最後は俺にちゃんと謝ってから退室しろ。これは命令だ」

「「「はい」」」

 

「はい。先ずは満潮」

「はい。その……今まで本当に、本当にすみませんでした。罰も確りと受けます。……それと、これからもよろしくお願いします」

 

「よろしく。退室してよし。次、霞」

「……はい。……本当にごめんなさいっ。誤解も勿論この身をかけて解いておきます……なのでこれからも……よろしく、お願いします」

「よろしく。俺はロリコンじゃねえからな。はい次、五十鈴」

 

「はい。本当にすみませんでした。その……一杯殴ったりして……本当に、ごめんなさい」

「……もう殴ったりすんなよ。次、摩耶」

「………………本当に、申し訳……ありませんでした。だから、その……これからもよろしく、お願いします」

 

「……おう。よろしく。次、能代」

「…………っ」

「……能代?」

「…………てい、とくっ……ほ、んとうに…………もうじわけ、ありまぜんでしたッ!」

「……」

「わだじ……ていど、くを……でいとくをっ……」

「……ああ。そうだな。痛かったよ。……腕の骨とか折れたな」

「ひぅっ……!」

「だけどお前のお陰で皆は前を向いて歩き出すことが出来た。それはお前も同じで……まあつまり、ありがとうな。……痛かったけど」

「……っ!?」

「もう謝ったんだ。出ていいぞ」

「…………は、はい」

「能代」

「……?」

「これからよろしく」

 

「…………! は、いっ」

 

 

 

 

 

 

 

「……ふう」

「……お疲れ様でした。提督」

「そっちこそ。俺のために叱ってくれた時……嬉しかった。ありがとう」

「……いえ。秘書艦ですから」

「頼りにしてる」

「はいっ」

「……さて。色々と問題は山積みだな」

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 大和side

 

 

 ——と、目の前でそう言いながら背伸びをする提督に、私は思いました。

 

(……)

 

 提督は優しすぎる。普通ならあの場であれば怒鳴り散らかしても、報復で暴行をしてもおかしくないはずです。

 しかし、提督はそれさえもせずにただ叱っただけで終わらせました。

 

 愚直で優しい。

 それは良い意味でも、悪い意味でも。

 どうやら幼い頃からその優しすぎる性格が災いし、何度も裏切られたらしいので、普通の人ならばそこで人間不信に陥るところですが。

 提督はそうならず、逆に自分の身を犠牲にしてまで、自分を信じて欲しいがために行動するになったといっていました。

 その因果で、極端に自己評価が低くて、承認欲が常人よりも数倍は強いのでしょう。

 そしてこうも思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 提督の心の一部は、既に壊れてしまっていると。

 

 何かが欠けている。常識は通じなく、ふと少しこれまでとは違う風が吹くと簡単に崩れ去ってしまうくらいに脆くも、随所では鋼の様に強い、それが提督のこころだと思います。

 

(……提督。私は必ず、あなたを幸せにしてみせます)

 

 これまでも、そして現在に至るまで、提督の心からの笑顔を見ていない。何かを隠していて、何かに怖がっている。弱みを見せまいと自制してしまっています。

 

 私はあなたの本当の笑顔を見たい。そしてそれを見て、又、私も心からの笑顔を浮かべたいです。

 

 そう、いつか必ず

 

 

 

 私は、今も提督が浮かべるいつも通りの嘘に塗り固められた脆い笑顔を見つめながら、そう決心しました。

 

 

 



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第五話 冷めた心

 曙を除く満潮達が部屋から立ち去って一段落してから早数秒、大和が俺へ如何にも困惑してるかのように首を傾げてきた。

 

「それで提督。そこにいる曙さんを残らせたのは、何か理由でもあるんですか?」

 

「……? ああ、そうだったな」

 

(忘れてたな。……やっぱり一ヶ月前より、大和達以外の艦娘に余り関心が持てなくなっているのか)

 

 俺が先程まで主に危害を与えられていた艦娘達を前にして、何故あれほど冷静にいられたのか。

 正直な話、心が冷めきっていたからだった。確かに憎悪や怒りが沸々と湧き出てきていたが、それ以上に最早どうでも良いと言う感情が、さっさと会話を終わらせたいと言う気持ちが先行したのだ。

 

 この一ヶ月。陰口や悪口、無視、暴力という自分に害を為していたものから隔離された時間を過ごしてきた。

 入院中は静かに本を読んだり、主治医や看護師、リハビリで一緒になった人達と談笑したり、ストレスでそれどころじゃなかった好きなゲームを久々に嗜んだりという穏やかな時間を過ごしてきたのだ。

 だからだろうか。ここに戻ってきて早々、何故自分からこのような場所に来てるのだろうと思い始めている。

 

 人の温かみに触れて、人と話す楽しさを思い出した今の自分にとって、ここはもうどうでも良い存在に成り下がっていた。艦娘達のことだけを考えて悩みに悩んだ毎日が今思うと馬鹿馬鹿しく思えても来ている。そういう何もかも擲(なげう)って奔走していた、あの頃の苦悩に満ちた自分を否定するような考え方が心に浸食してきているのかもしれない。

 

 今まで篭っていたのだ。横須賀鎮守府という小さな世界に。最初からこうしておけば良かったのだ。月に数回は鎮守府から街へ特に理由がなくとも繰り出して、自分が話しかけても無視せずに話してくれる相手を見つけておけば、あそこまで精神的に追い詰められずに済んだし、状況も悪化しなかったんだ。冷静に考えてみればこうして色んなことが浮かんでくる。理由があれだとしても、こういう考え方が生まれたのは鎮守府から一旦出たからだ。

 

(……心に余裕があったら鈴谷にも当たらなかったと思うしな)

 

 突き落とされる前に、俺は一度鈴谷という艦娘に胸ぐらを掴んで怒鳴り返したことがあった。それまでは日記に書く形で気分を転換し、どうにか一回も艦娘達へ反抗的な態度をしてこなかったのだが、その時に初めて艦娘に対して怒鳴るという反抗的な態度をとってしまった。

 

 気分は最悪だった。何故なら、その時まで耐えて耐えて耐え忍んできたという過去の自分の行動の全てを無駄にしてしまったのだ。それに、鈴谷はあの時に初めて俺へ反抗的な態度をとってきた艦娘だ。前科があるわけではなく、何か熊野のことについて気に障ることを言ってしまった俺の失言が原因で怒らせてしまったのだというのに、俺は鈴谷の胸ぐらを掴んでこれまでの鬱憤をぶつけてしまった。鬱憤の主因は他にあるのに、関わってない鈴谷に怒鳴った最低野郎なのだ。

 

 だから今でも悔やんでいる。あの時の俺の心にまだ余裕があったらと。

 

(鈴谷には謝りたい。そして熊野にも)

 

 しかし、それはたらればに過ぎない。今を生きているんだ。過去に生きるのは以ての他だ。

 

 であれば、

 

「──……今できることをしないと」

「提督?」

「ああ。いや……それで曙。そんなに怯えなくて良い。残らせたのは俺の疑問に答えて欲しいからだ」

 

 曙を除く執務室で提督に謝った五人は出ていき、次に提督は未だに提督から話を振って貰えずにおどおどしている曙に漸く口を開いた。

 

「……っ、はい。でも、あの」

「謝るのは後で良い。質問に答えてくれ」

「……はい」

「何故俺に謝ろうと思ったんだ。簡潔に答えてくれ。余計なことは言わなくて良い」

「……それは、その……金剛に……──」

 

(金剛? また金剛か……)

 

「提督が書いた日記だと見せられたからです……」

「……っ!」

「それで……読み進めていくうちに、私達が送っていた生活が改善されていた事とか、色々と辻褄が合っていって……」

「ま、待て。曙。日記、だと? 日記ってもしかしてこれぐらいの大きさの紺色のノートのことか」

「は……はい」

「──」

 

(嘘……だろ。あれを、艦娘達に見られたってのか)

 

「あの……提督。日記とは」

「……大和。後でそのことは話す。曙ちょっと待っててくれ」

 

 そこで急いで自分の机の引き出しを開けて、高級な紅茶カップを取りだし、その下の隠し棚を開ける。

 

「……ない」

 

(……ここに隠してあった筈の日記がないということは、曙が言ってることは本当なのか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……!」

 

——ダァン 

 

「……!」

「っ……!」

 

 思わず、ノートを探していた両手で強く机を叩いて八つ当たりしてしまった。それまで静かだった執務室に大きく響いた強打音に大和は瞠目し、曙は驚いて体を跳ねさせる。

 あの日記は当時の俺の心境を書き殴ったものだ。余り書かないようにしていたが、所々彼女達に対して悪口を残してしまっているページもある。何より、あれは俺の精神安定剤の一つとしての役割を担っていた。己を鼓舞し、反抗心にまみれた行動を出さないように、艦娘一人一人を出来るだけ観察し良いところを書きまくり、「自分にはこういう態度だが、実は優しく、純粋で良い子なんだ」と、所謂心を安定させるための自己暗示の材料としても使っていた。

 

 言うなれば俺にとって負の遺産なのだ。日記らしいことは書いているが、心が潰れそうで夜が眠れなかった時に無意識に書いてしまった数々の誹謗中傷が残っている筈。

 

 当時の俺の心境を書きなぐった負の遺産としても、何より彼女達へふと書いてしまった誹謗中傷を見られれば、彼女達を傷付かせてしまうので見られたくなかった。

 

(見られたく……なかったのに)

 

 ……しかし見られてしまった今、何故かこれまで押さえつけてきた醜い心の一部分が膨張してきている。

 

 文字のなかでも期待するように自己暗示を掛ける程いつも折れそうだった弱かった自分を。

 

 彼女達の苦悩を解決も出来ず、ただ無視や暴力を受けただけで易々と誹謗中傷を日記に記してしまった醜かった自分を。

 

 彼女達にだけは──知ってほしくなかった。

 

「…………曙」

「は、はいっ」

「……質問に答えてくれてありがとう。もういい。退室して良いぞ」

「……え?」

「良いから。早く出ていってくれ」

「で、でも……まだ私は」

「出ろ」

「………………は、い」

 

 このまま曙と一緒に居ると息が、胸が羞恥心や自虐にまみれた心で苦しくなる。いや、大和達以外のあの日記の内容を知ってしまっている全ての艦娘が今、この近くに大勢居ると思うと、気が狂いそうだ。

 

 着任して初めて強めに言ってしまったためか、顔を見るからに俯かせて、とぼとぼと扉へ向かう曙。

 その後ろ姿を見て、ハッとした。

 

(いや、何曙に当たってんだ……曙も、他の艦娘達も、今回の件の主因らしい金剛も関係ないじゃねえか。あんな日記を書いてしまった俺にそもそもの原因がある。だから、俺は)

 

 強めに退出を促してしまったことを後悔し、それまでの怒りに似た何かが、段々と罪悪感へと変貌を遂げて

 

「……や、やっぱり待ってくれ曙」

 

 気付けば、呼び止めていた。

 

「……!」

 

 ドアノブに手をかけつつあったその小柄な背中へ声をかけると、分かりやすくピクリとさせて、直ぐ様今度は瞠目させた顔を振り向かせてくる。

 

「……」

 

 ここは単に先程のことを謝っても意味がない気がする。ここは、一歩踏み出そう。

 

「……お前に、実質初の命令を下したいと思う」

「──」

 

 言葉に詰まった。そんな顔だ。

 

「講堂に皆を集めろ。大至急だ」

「え……あ、は、はいっ」

 

「頼むぞ」

「……はいっ!」

 

 

 曙は依然として緊張していたが、先程までのような重い、重い何かが心身にのし掛かった暗い雰囲気は感じられなかった。

 今は、そう。

 

 

 

 

 

「──必ず……!」

 

 

 若干遠慮しながらも、敬礼して見せた曙の肩にのし掛かっていた何かが消えていたような気がした。

 

「はあ……」

 

 急ぎ足で出ていく曙を見送り、思わず椅子に腰を下ろす。

 

(何やってんだろうな……)

 

 身を仰いで、そう思ってしまった。

 

「提督は……優しいですね」

 

 そんな俺と、それまでの一部始終を見守っていた大和が口火を切る。

 

 

 「ただ謝罪を求めるだけではなく、挽回出来る機会を与えていました……その最たる例が先程の曙とのやり取りでしょう」

 

「……」

 

(俺は優しいのか)

 

「私は……正直、提督の立場であれば即刻解体も選択していたでしょう。謝らせる口も、その態度も取らせず、ただはね除けるだけで……」

「……」

 

(いや、違う。俺はただ、お前に)

 

「提督のその強さは、どこから来ているのですか……?」

 

(艦娘達に)

 

「提督……」

 

 

(皆に)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──認められたい、信じてほしいだけなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……曙から伝言です。講堂に全員集合完了とのことです。提督」

 

あれから30分後。一人で待っていた執務室に大和が入室し、そう告げてきた。

 

「……ああ。じゃあ行こうか。大和」

「はい。行きましょう」

 

 俺はそれに少しにこやかに答えると大和も同様に答えてくれる。

 

 正直、緊張がままらなくてここ30分ずっと黙考していたが、いつも通りお淑やかな綺麗な笑顔を浮かべてくれた大和のお陰で、少し気が楽になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 

 

 

 横須賀鎮守府 講堂

 

 

 

 鎮守府内に設けられた大きなかまくら屋根の建造物は、さながら小中校に設置されている体育館を連想させる。

 そこの使用用途は多岐に渡るが、主に使われる目的と言えば、早朝に行う集会や作戦会議、来賓を招いての食事会の会場として使用される。

 

 最近までは荒れに荒れていたので来賓は来なく、専ら集会のみに使用されているのだが、今日は久々の集会となる。

 

 一月前までは早朝に集会をここで毎日行っていたのだが、集会を執り仕切る鎮守府内の最高指揮官である提督が階段から落ちてしまい、入院してしまったので必然的に早朝での集会は行われず仕舞いでいたのだ。

 しかし今日久々に提督が復帰するとのことで、何時もより遅くの時間帯に集会が行われることになっている。

 

 なので講堂には既に全ての艦娘が整列して、提督を待っていた。尤も、大体が顔を俯かせているが。

 不気味なほど静かだ。度々会話が聞こえるが、内容は全て仲間の体調の心配だった。体調というよりは心の方だろうが。 

 

 駆逐艦や潜水艦達は今にも泣きそうで、軽巡や重巡達の大半はとても緊張した面持ちで、空母と戦艦達は平静を装っているが何処か落ち着かない様子だ。

 

 そして私も、一筋の汗を滴らせるくらいの緊張と、やはり罪悪感の波に揉まれながら、提督が立つと思われるステージ上を見据えていた。

 

 

「……」

「…………あ、あの。北上先輩」

 

 重い空気が講堂内に充満しているなかで、隣から話しかけてきた子が居た。

 

「……んー? どうしたの」

 

 話しかけてきたのは一週間前にここに異動してきた新入りの吹雪だった。

 

「……い、いえ。あの、どうしてこんなに空気が……その重いというか、なんというか」

「…………そっか。まあ配属されて一週間じゃね。というか、聞いても誰も答えてくれなかったんでしょ?」

「は、はい。……何かあったんですか?」

「……そーだねぇ。うん。あったね。……それはもう、酷いどころの話じゃないね。……皆も──そして私も」

「……はい?」

「……この鎮守府は……本当に腐ってたんだよね。いや、今もかな……」

「……北上先輩?」

 

 怪訝そうな顔で聞いてくる吹雪に、「……まあ後で、ね」と集会後に何があったのかを教えることにしてその場は凌いだ。あのままでは周囲に聞き耳立てている子が居たし、何より吹雪とは逆方向の私の隣に居る大井っちが今にも泣きそうな顔をしていたからだ。

 

 釈然としない吹雪に対して、私はもう一言付け加えた。

 

「ただね……これだけは言えるよ」

 

「……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──私たちが、最低だってこと」

「……え?」

「……っ」

 

 隣で奥歯を噛み締め、片手で手を振った大井を横目に

 

(ごめんね。大井っち。でもここで言っておかないと、ダメな気がしたんだよ)

 

 

 私は心でそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

「…………熊野」

「なんですか、鈴谷」

「……手、握ってくれないかな」

「……」

「そうじゃないと、私……」

「……良いですわよ。繋ぎましょう」

「……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……赤城さん。大丈夫?」

「……っ。は、はい。加賀さんこそ大丈夫、ですか?」

「……ええ。私は、ね」

 

(……でも赤城さん。あなた、震えてるじゃないの)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そろそろですね。陸奥」

「……翔鶴。そうね」

「……」

「ねえ翔鶴」

「何ですか?」

「……提督、こんな大勢の前で大丈夫なのかしら。体力的な面じゃないけど……こう、精神的な面で」

「……それは分かりません。でもお見舞いでお邪魔した時は普段と変わらないご様子でしたので」

「……そうなの」

「──大丈夫だ」

「え? 」

「……どうして? 武蔵」

 

 

 

 

 

 

「提督の隣には大和が居る。それに、提督自身も強い男だ」

「……そうね」

「……」

 

 

 

 ──艦娘達が様々な思いを巡らせていると遂にその時がくる。

 

 

 

 ガチャ

 

 

 

「「「──!」」」

 

 

 突如、講堂の扉が開き、皆はそれに反応し注目する。

 

 

 

「提、督……」

 

 

 艦娘の誰かが呆然と呟く。

 

 瞠目させた視線達の先には純白の制服と軍帽を着こなし、涼しい表情を浮かべる提督の姿があった。

 

 

 

「……」

 

 



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第六話 もう、間違わない

失礼します。

この話で多分一区切りになるので、これからの話に登場させたい艦娘のリクエストを募集しようかな思います。
リクエストする艦娘はメッセージにてお願いします!
この作品は他作品とは違い、暗い話なので、リクエストした艦娘が場合によって報われない可能性がありますがそこはご了承下さい。





 

「「「──」」」

 

 ──その時、講堂を埋める全ての艦娘が、一瞬にして静まり返った。そして一様にその目を見張らせている。まるで、何かに怯えていて、その正体を今目の前にした時のように。

 

 息を飲む者。

 

 動揺し僅かに一歩後ずさる者。

 

 今にも涙を流しそうな者様々であるが、一つ、共通することがあった。

 

 

 

「……」

 

 

 

 ──誰もが今、一人の男に注目していることだ。

 

 

 その男は、海軍で高等士官以上の者にしか支給されない、純白の制服を着こなしている。深々と被るのは、金の菊の刺繍という一工夫が施された軍帽。そして、胸には提督であることを表す、金で出来た大きな錨(いかり)と菊の紋章の勲章を胸に下げている。

 高い背丈。鍛え上げられた体。純朴で微笑めば優しげに見えるが、今は厳格な雰囲気を漂わせる。

 

 世間からは、若くして現状の日本の最高戦力である横須賀鎮守府の最高司令官に昇り詰めたという偉業を成し遂げた事から、『期待の卵』とも呼ばれている。

 

 

「……行きましょう。提督」

「……ああ」

 

 

 

 

 

 

 

 しかし事実は、前任による悪虐非道な行いにより落ちぶれてしまった厄介な鎮守府を、大本営から一方的に押し付けられた汚れ役でもあった。

 

 その事実は、大本営の一部の者と、提督自身しか知らない。

 

 ──提督は思う。この講堂に居る艦娘達は大本営から厄介者として扱われていることを知らないと。

 

 だからこそ、提督は当時は大本営を見返してやろうという野心で動いていた。

 

 だが、そんな野心も次第に変わっていく。毎日自分には強がって見せても、裏では辛くて、嗚咽をもらしている艦娘達を見てからだった。

 

 ——……なんで、私達だけ、こんなっ…… なんでなのよぉっ……

 

 そう。とある日の夜の廊下。ある艦娘が、普段から自分へ罵倒を浴びせてくる様子とは掛け離れた様相をしていたから。

 

 ——その当時まで、認めて貰いたい為。信じて欲しいが為に、他人の為に出来るだけ動くようにしていた。

 

 しかし、そこで初めて、艦娘達を自分の為に救おうと思えた。自身へのどんな非道な行いをされても、一年間耐えて、鎮守府の復興に尽力したのだ。

 

(……)

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「……」」」

 

 艦娘達は、そんな真相を提督が着任して一年経った時初めて、とある日記から全てを知った。しかも、提督が階段から突き落とされたという、まるで神が嘲笑うかのように、それはもう悪いタイミングでだ。

 

 ——大本営から、自分達のような人間に危害を及ぼしかねない厄介者を。

 

 

 

 

 ——落ちぶれた鎮守府を押し付けられたのにも関わらず、反抗的な態度を取っている自分達の為に、裏では復興に力の限りを尽くしてくれたことも。

 

 

 

 

 ——厄介者を押し付けた張本人である大本営のトップ達に、資材を得るために一人で好奇の目に晒されながらも、プライドを捨ててまで、その頭を下げ続けていたことも。

 

 

 

 ——自分達を気遣って、鎮守府内にある前任が残した数々の非道な行いの産物を、協力的だった大和達をも気遣い、一人で撤廃してくれていたことも。

 

 

 

 ——命令を聞かない自分達のせいで中々攻略に乗り出せなくて、大本営の連中から『臆病風に吹かれた無能』として後ろ指を指されていようとも、自分達のことを『厄介者』だと揶揄すれば、その相手に対して当時は本気で反抗してくれていたことも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして——自分達に忌み嫌われながらも、自分達がいつか振り向いてくれると信じ続けてくれていたことが何よりも、嬉しく。同時に、そんな提督の熱意を『前任と同じ軍人』だからという、一方的で勝手な思い込みで無下にしてしまってきた行いを、大いに恥じた。

 

 

 

「……」

 

 金剛は、ステージに向かう提督の姿を認めながら、自然と心の底から。

 

 ごめんなさい。

 

 そんな言葉が、浮かんできた。

 

 提督を、様々な感情に揉まれながらも、しっかりと見据える金剛。勝手な思い込みというだけで、提督へ暴力をしてしまった愚かな過去を持つ艦娘だ。

 

(……)

 

 なんでだろうか。提督の姿を今、こうして遠くから認めていると、そんな言葉しか思い浮かんでこない。確かにもっと、思うところはある。思うことはあれども、結局は『ごめんなさい』という言葉に行き着いてしまうのだ。

 

 そういう謝罪なんて、軽いものな筈なのに。何度も、何度も奥底から浮かんできてしまう。

 

 ——今まで、一度も妹達への前任の毒牙から守れなかった。だから次に着任してきた軍人には、徹底的に反抗してやろうと。

 

 

 そんな、まるで『前任が居た頃の私は出来なかったが、いつでも反抗できた』と、当時は強がりというか、言い訳に近い決意をしていた。

 

 ——今度は、必ず守るネ

 

 当時何も出来なかったのは、自分が弱く、仲間を救おうとする気概も無かった、ただ臆病だっただけだと言うのに、金剛は日記を見つけるまで、そう思っていたのだ。

 

 しかし日記を見つけ、その内容を見てからそんな勝手な考えも、どこかに吹き飛んだかのように、彼女の狂気とも思える妹達を守る心は、ゆっくりと融解し、次に支配したのは後悔や罪悪感だった。

 

 ——……ああ、そうか

 

 提督の姿を認めると、何で謝罪の言葉しか浮かんでこないのか。それは、金剛が何故その暴力や嫌がらせをしてきたのかという理由と関係している。

 それは、妹達を守るという名目と建前で、ただ自分勝手に思想を押し付けて、提督を悪者に仕立て上げて、あの当時の弱かった自分を消し去りたかっただけだったから。

 

 そんな自分が気付かなかった事実を、金剛はそこで初めて自覚することが出来た。

 

 なんと自分勝手なんだろうか。他人の為と動いてきた行動が、ただ自分の心にあった妹達を守れなかった罪悪感から目を逸らし、消し去るためというだけの完全なるエゴで、提督へ暴力を重ねていたのだ。

 

 だからなのだ。だから、金剛は提督の姿をその目で認める度に、『ごめんなさい』という言葉しか浮かんでこないのだ。

 

「……提督」

(……いや、私には)

 

 周囲の誰にも聞こえないように、小さくその名を呼んだ。

 

 果たして、私がこれからその名を呼ぶ資格があるのだろうか。いや、無いだろうと思う。

 

 切に思うのは——私を解体して欲しいということ。

 

 裏で提督が鎮守府を復興する為に尽力していたのにも関わらず、それに気付けずに、しかも何もしてやれなかった妹達への罪滅ぼしの為という勝手な理由だけで暴力をしてしまっていた。

 

 これでは、前任がやってる事と同義なのだ。

 

 そんな過去を持ちながら、自分が生きて行くことなんて出来ない。前任と同義なんてレッテルを貼られながら、生きて行くなんて、そんなことは。

 

 ——だから、この集会が私の最期になるだろう。

 

 せめてもの罪滅ぼしに、提督の居ない一ヶ月間は提督の日記を使い、提督の評価を回復することに尽力したが、それでも私は解体されなければならない。規律違反したものには罰を。軍では当然のことだと思うし、何よりも、私によって傷付けてしまった提督の心に対して、私という浅はかで、勝手で、自分の顕示欲を満たす為に暴力を振るってしまうような屑が向き合うこと自体が間違いなのだから。

 

 

 ——-最期の最後まで、自分勝手でごめんなさい。

 

(でも……)

 

 

 

 

 

 

 

 ——もし。もし少しでも時間が許してくれるなら……最後に一回だけ、提督と妹達とお茶会をしたい……やり直——

 

 

 

 

 

「——っ!」

 

 そこまで考えて、首を振る。

 

(やっぱり……私は、自分勝手だネ)

 

 そんな時間、許してくれる筈がない。提督がお茶会をしたかったのは、当時のまだ暴力を振るっていなかった私で、今の汚れた私ではないのだから。

 

「……お姉様?  大丈夫ですか?」

 

 すぐ隣で、私を心配してくれている榛名。

 

「……ぇ」

「確かに……」

「お姉様、何だか顔色が悪いですね……」

 

 

 榛名を皮切りに、比叡、霧島も私を心配してくれる。

 ……どうしてだろう。普段は、そんな心配なんて、直ぐに返答して、笑顔を見せることが出来るのに。

 

 今はなぜか、いつものように『大丈夫』と、答えようとすると目頭が熱くなり、ふとした瞬間に涙を流してしまいそうになる。

 

 ——……わた、しは

 

 当然、妹達は、この集会を最後に私が提督へ直々に解体届を出しに行くことなんて知らない。

 言う必要はあるのかもしれないが、心優しい妹達は、必ず止めにくるだろう。だから知らせるわけにはいかないのだ。

 

 妹達への憂いは、昨夜で断ち切った筈なのに、やはり身体は言うことを聞かない。

 

 妹達と離れたくない。

 

 一緒に居たい。

 

 これからも一緒に、海を駆け巡りたい。

 

 そういう思いも込み上げてくるが、一番は

 

 

 

 

 

 ——最期の最後まで、情けない姉でごめんネっ……

 

 

 

 

 という、思いだった。

 

 結局、私は何がしたかったんだろうか。前任に良いようにされて、その傷を何処かで引き摺り、弱かった自分を認めたくないが為に提督へと暴力を振るい、提督の心身を傷付けて、挙句には提督の熱意を無下にして裏切って……これまでの私は、一体何がしたかったのだろう。

 

 もう、分からない。これまでのしてきたことが、段々と無駄になって行く感覚が。

 

 私の自分勝手に巻き込んでしまった提督への罪悪感が。

 

 濁流のように、心から溢れ出してくる。

 

 

 

「——ごめん、なざいっ……」

「「「——!」」」

 

 突然、涙を流し、謝り出した私のことを見て、妹達は瞠目し、動揺する。

 

 もう弱みは見せないと決めたのに、最後まで情けない姉でごめんなさい。

 

 でも榛名、比叡、霧島……あなたたちは私と違ってやり直せる。

 

「……お姉、様」

「……」

「……っ」

 

 

 榛名達は、私が向ける視線の先を一瞥してから、何故涙しているのかを察した様子で、それぞれ、悲しげな表情を浮かばせた。恐らく、私が提督を見ると涙が出てしまい、思わず謝ってしまったのだと思っているのだろう。

 それも確かに含まれているが、多くはこれまでの情けなさで、妹たちへ自然と謝罪を吐き出してしまったことに気付いてないようだった。

 最期の最後まで、妹達はこんな私に付いてきてくれていた。

 

 

 

 

 ——バイバイ……元気でネ

 

 

 

 

 

 そんな、愛する妹達へ、私は告げることもない、別れ言葉を心で告げていた。

 

 

 

 結局、私は提督からも、妹達からも、逃げてしまった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 やはり。この場に居ると、胸が痛む。

 

「……」

 

 なんでこんなところに来なければならない。

 

 なんで態々、こいつらの相手をしなければならないんだ。

 

 怒り、恐怖、悲しみ。様々な思いを混じらせた気持ち悪い感覚が襲いかかる。

 

 本心ではもう既に、この場に居たくなかった。直ぐに離れて、執務室で鍵をして引きこもりたい気分だ。

 

 しかし、まだ心の奥底では、彼女達にちゃんと向き合うんだと。対極的な思いが、今すぐにでもこの場から逃げ出したい俺をなんとか留まらせている。

 

「……」

 

 この感覚は初めてだ。今まで、信じて、裏切られ、信じて裏切られを繰り返して生きてきたが、ここまで盛大に裏切られた相手にも関わらずに、まだ期待を何処かで寄せているのは。

 

 一体、どうしたというのだろうか。彼女達の何処に、期待を寄せるものがあるのだ。

 

 何か分からない『それ』を、必死に自問し、今考える。

 

 彼女達が最近、俺の日記を見た理由なのか分からないが、普段は反抗的だった行動を改善してきているからなのだろうか。

 

 俺の日記の、それまでの俺の心情を、真意を、考えを、醜いところから全て見られたからだろうか。

 

 そこまで黙考し、いずれも違うだろうと思った。

 

 あくまでそれらは結果であり、過程では無いからだ。

 

 着任して今日までの間の何処かに、ここまで彼女達に裏切られても、また期待を寄せてしまう何かがあった筈なのだ。

 

 これから講堂で俺は、トラウマであり、何処か期待を寄せてしまう、言ってしまえば気持ち悪い奴等に、挨拶をしなければならない。

 

 

(……あれは、武蔵。あと翔鶴と陸奥も)

 

 その時、大机があるステージへの階段を上る途中、これまで大和と同じように、俺に付いてきて、支えてくれていた三人の艦娘が視界に入る。

 

 翔鶴は心配げに眉をへの字にして、陸奥は落ち着かないのか腕を組み、武蔵は依然としてこちらを見据えていた。それぞれ違う様子だが、同じようにやはり俺のことを心配してくれているのだろう。

 

 心臓が、緊張と不安、恐怖ではち切れそうになっている今、この三人と少し後ろを歩く大和の存在を再確認出来たのは、気持ち的に大きい。

 

 そのままステージへ上がり、大机の後ろに立った。

 

(……このまま視線を上げれば、艦娘達全員の目と合うことになる)

「……スゥ」

 

 そこで、心を深呼吸で落ち着かせて決心する。

 

「……提督」

「ああ」

 

 そんな俺に、大丈夫か。という意図を込めた目を寄越してくれた大和に、心配するな。と、返答して、そのまま視線を上げた。

 

 

 

 

 

 

「——」

 

 

 

 

 

 瞬間、心臓が止まった。

 

 目の前に広がるのは、当たり前だが艦娘達。

 しかし、やはり俺にとって、こいつらの顔はトラウマだということを今、再度、深く理解することが出来た。

 

 変な冷や汗をかいて来ている。寒気もして、胸も腹も痛みが生まれ始め、動悸も先程と比べて明らかに荒くなって来ていた。

 

 ——やっぱり。俺は。こいつらとは、もう……

 

 マイクはあるが、敢えてそれにスイッチは入れず

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——おはよう。皆」

 

 開口一番。当たり障りの無い挨拶を、大きな声で始めた。艦娘達は依然として、緊張した面持ちで聴いている。

 

「今回は集まってくれてありがとう。……普段はこんなに集まることがなかったから、少し新鮮だ。さて。先ずは話すことは二つだけで、余計な事も言わないつもりだから、そのまま起立しておいてくれ」

 

 叫ばずに、されど聞こえやすいように意識した俺の声が、講堂に響く。

 

「先ず一つ目。大和から報告されたのだが、俺が居ないこの一ヶ月間。……良く、頑張ってくれたらしいな」

 

 

「「「——」」」

「……」

 

 まさか、労いの言葉をかけられるとは思わなかったのか、艦娘達は総じて目を見張る。一方、大和はその言葉を予想していたのか、あまり驚いていない様子だ。少し怪訝そうに眉を寄せている以外は。

 

「……なるほど。そういうことね」

「提督……」

「……」

 

 

 

 

 

「——……ありがとう。皆のこの一ヶ月間の精力的な働きにより、大本営からも、政府からもお褒めの言葉を頂くことができた。しかも、あの呉鎮守府のここ一ヶ月の敵撃破数に迫る成績を叩き出しているため、色んなことがあったにしろ、ここまで成長出来た皆を誇りに……誇りに思う。これからも、この調子で……皆には頑張って行って欲しい」

 

 講堂内が少し騒つく。ここにいる艦娘の大多数が、今日の集会で提督から罵倒を浴びせられたり、現実的に予想すれば、解体命令だって出されてもおかしくないと覚悟していた。そんな中、今までの話の中でそれらへ繋がるような話は出て来ていないのだ。しかも、出てくるのは称賛ばかり。

 

 要は今、彼女達は、この妙な空気に気持ち悪さを感じていた。

 

 そんなおかしな空気は勿論提督も感じている。確かに、ここで解体命令を出したい気持ちも無きにしも非ずだったが、その気の迷いは大和の前で確りと断ち切り、あの階段から突き落とされて艦娘達へ愛想を尽かした当時に、また艦娘達を救いたいと決心したのだ。

 

 それは元帥と誓ったこと。着任していつの日か、心で固く約束したことだ。

 

 正直、早々に立ち去りたい。しかしここを今、降りてしまえば、二度とこの横須賀鎮守府という場所を、胸を張って歩けなくなると思う。だから、こうして激しい動悸を我慢しながら話して、踏ん張っているのだ。

 

 俺は本物の提督でありたい。決して、艦娘達をモノのように扱うような虚偽の存在ではなく、彼女達にとって、本物でありたいのだ。

 

 彼女達へ愛想を尽かしたが、それでもこの根っこの部分は心の中に在り続けている。

 

 だから

 

 

「……そして二つ目。これは、まあ……個人的に話したい事だ」

「「「——!」」」

 

 騒ついてた艦娘達は、『個人的な話』という部分に明らかに反応して、その開けていた口を閉じた。

 

 

 

(……ついに。か)

(……私達への、当然の報いね)

 

 ステージ上の提督を見ながら、赤城と加賀はそこで、何かを察し

 

 

 

 

「……提督」

(……鈴谷と私は、提督に一言謝らせてくれれば、悔いはないですわ)

 

 

 鈴谷と熊野はどこか諦めながらも、辛い表情を浮かばせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……皆。すまなかった。俺は、お前達のこと、何も考えちゃいなかった」

「……は、い?」

「「「!?」」」

 

 大和が立ってるはずの後ろから、講堂が一気に騒がしくなったが、意に介さずに話し続ける。

 

「お前らの気持ちなんか考えず、不用意に近付いたりなんかしなかったら、こんな状況になってなかったのだと思う」

「……! て、提督! それは提督が——」

 

 

 

 

 

 

「——他にもッ!」

 

 大和はきっと。『皆を助ける為に近付いた結果であり、提督が悪いわけじゃない』と言おうとしてくれたのだろう。

 

 だけど、俺はそんな言葉を遮るように。そして、騒つく講堂内を静まらせる為に、声を張り上げた。

 

 案の定、そこで静まり返る艦娘達。俺はそれらを確認してから、言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

「まだ……まだ要因はあると思うが、やはりこれまでの俺の行動が主因だったのは確かだ。精神が不安定な状態の時に近付いたら……誰だって『こう』なることは予想出来たんだ。けど、俺はそんなことも考えずに行動したバカ。ハハッ……『こう』なって、当然だ——……はぁ、はぁ」

 

 やばい。もう、混乱して、言ってることが支離滅裂だし、動悸も抑えきれなくなって来ている。

 

「提督! 大丈夫ですか!?」

 

 大和の心配を手で制して、言いたかった提案を艦娘達へ提示する。

 

「……すまん。少し取り乱した。つまり……だ。もう俺は、お前らと親しくなりたいとは思わないし、お前らも俺に親しくなりたいと思わない。そうすれば、不必要に接近することもなく、変ないざこざは起こらないと思うんだ」

「……ぇ」

 

 誰かは分からないが、呆然とした声を溢したが気にせず話を進める。

 

「これからは……必要最低限度のコミュニケーションで行こう。そうすれば、お互いにとって良いだろうし、一年間一緒に戦ってきたつもりだったが、別に俺が居なくとも……いや、俺が居なかったから、この鎮守府は充分に機能していたみたいだしな」

 

 艦娘達の多くが、何故か眉を下げているように見えた。気のせいだろう。やはり、俺の日記を見たって一ヶ月で変わるはずがないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——これからも、よろしく頼む。では、解散」

 

 

 

 

 

 ——俺はもう、間違いは起こさない。




小説形式に改稿致しました。


6月8日 (土) 9:52 水源+α


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第七話 動き出す二人の軍人

今回新しく出てきたのは、第二話にて登場した提督の同僚である新島(にいじま)楓(かえで)の姉です。

もし新島楓が分からない場合は、第二話を流し読みすると良いと思います。


 ——大本営。

 

「——新島(にいじま)二佐。失礼します」

「入りなさい。亜門(あもん)一尉」

 

 男声と女声が大本営のとある一室に響いた

 高級士官用に用意された椅子に座り、資料をまとめている、長い黒髪を一つに結わえた端麗な女性高等士官である新島二等海佐を訪ねてきたのは、同じく男性高士官である一等海尉だ。

 

「何かあったのかしら。あともう少ししたら会議があるの」

 

 その会議に使う資料だろうか。忙しめにそれらを、まとめて準備している様子で鬱陶しさを募らせた語気で質問してくる新島に、亜門は冷静に用件を伝える。

 

「はい。実は、横須賀鎮守府の西野提督のことで報告があります」

 

「——」

 

 その亜門の言葉に、それまで書類を整理していた手を止めて、明らかな反応を見せる新島。

 

「……」

 

 彼女は数秒の沈黙の後に、静かに亜門へ、言葉を紡ぎだした。

 

「手短にお願い」

「はっ。簡潔に伝えますと……西野提督が現在の鎮守府で、部下である艦娘達から暴力を受けている可能性があります」

「……はい?」

 

 突然のことを話された新島は、思わず聞き返すが、亜門はその反応を予想していたのか否か、意に介さずにそのまま続けた。

 

「詳しくは、この調査書類に目をお通し下さい」

 

「……?」

 

 懐疑的な目を部下である亜門に向けながら、新島は言われるがまま、渡された書類に目を通すと

 

「っ!」

 

 普段は余り感情を表に出さないことで知られている新島二等海佐が、誰から見ても分かるような瞠目をした。

 それから数分もの間、食い入るように亜門から渡された最近の横須賀鎮守府と、そこを任されている西野提督についての調査書類を見る新島と、それを静かに見守る亜門の構図が出来上がっていた。

 

 やがて

 

「……この情報を知った日時と経緯を教えて」

 

 そこまで、一通り目を通したのか、視線を落としていた資料から流し目を男性士官の方へ向ける。

 

「……はっ。約1ヶ月前。例の横須賀鎮守府で、西野提督が階段から誤って落ちてしまったという事故が起きていたのは」

「知ってるわ。妹の同僚だし、私の後輩だもの。耳にした時は驚いたけど、直ぐに電話をかけて、安否の確認を取ったわ。それで?」

「はい。実はその事故が起きた当初は、自分達もお見舞いの機会があり、その時は余り事情という事情は聞かなかったのですが、少し顔に生気が感じられていなく、自分達が知っている西野提督……いや、西野先輩とは違ったように見えたんです。ですが、それは違ったように見えただけで、別に今回みたく、書類にまとめるほどの捜査はしなくても良いと思っていましたが……」

 

 そこで言葉を切った亜門に視線で促され、新島は持っている書類のある一文に注目した。

 

「『西野 真之 精神科 カルテ帳』……これかしら?」

「はい。実は西野提督は、入院先の病院に精神科があることを知り、お忍びで何度か診察に足を運んでいるようでした。当時はそれらの部下からの報告に目を疑いましたが、写真や映像を証拠として提出されたときは流石に看過するわけにもいかず、もう少しこの事故について掘り下げてみました」

「……続けて」

「そのカルテは今も横須賀鎮守府近くの総合病院で勤めている、とある精神科医から極秘にコピーをさせて頂いたものです。当時、担当した精神科医も、今回の事故とはまた別の相談をされた時……相談内容が内容なだけに、こちらがこの事に対処する旨を伝えると直ぐに渡してくれました」

「……西野提督との守秘義務に留まらない事情だと、精神科医もそこで判断したのでしょうね」

「そのようですね」

 

 そんな精神科医が守秘義務を破ってまで、西野提督を救済する為に、この事実を監査官である亜門に、情報を譲渡した心情を察した彼女の苦渋な表情に、亜門も同じように表情を沈ませた。

 

 彼女の目の先にあるのは、当時、西野提督の診察した時に、精神科医が直々に見て、実際に相談された状況を細々と綴った文である。

 

 羅列する文の端々には、一様に西野提督の酷い精神状態が記されており、特に新島が目に留まったのは

 

 ——いつ自殺してもおかしくない状態であり、未だ当人の中に残り続けている『艦娘を救いたい』という旨の、そのような固い生きがい、信念が無ければ、精神は崩壊していた可能性が高かっただろう。

 しかしながら、当人の話を聞く限り、その救いたい目標であるはずの艦娘達から、何とも記述し難い扱いを、ここ一年受け続けていたらしい。後もう少しあの状況の鎮守府にいれば、とっくにそれは崩壊していたと予測出来る。

 尽力してもそれが報われることはない、ある種のループ的な状況に陥っていたのだ。

 よくこれまでで自ら命を絶たなかったと思う——

 

 という文章だった。

 

 そう。人の心理に精通してる精神科医に『よく自殺しなかった』と言わしめるほど、当時の西野提督は追い詰められていたのだ。

 

「……」

 

 自分が知らない間に、妹の同僚がこんなことになっていたとは。

 

 

 新島二等海佐はそこでふと、西野提督。いや——新島香凜としての、西野 真之との思い出の一部分を振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二年前の夏。

 

 その日は丁度、トラック島での前線の指揮から本土に帰還し、功績を考慮されて一週間の休暇を貰い、実家にてゆっくりとしていた。

 

 前線指揮のしがらみから解放され、晴々とした心持ちで、昔から好きだった朝ドラを見ようとテレビの前で朝食を取っていた時のことだった。

 

「……?」

 

 突然、側に置いていた携帯から着信音が鳴り出し、開くとそこには、妹である新島 楓の名前があった。

 何だろうかと思い、耳に当てると、携帯から明るい妹の声が響いた。

 

《あ、もしもし。お久しぶりです。香凜》

「……え、ええ。楓? どうしたのよ。こんな朝早くに」

 

 当時はおおよそ一年振りくらいの会話だ。

 久々の妹の声を聞けて嬉しい気持ちは勿論あったのだが、それよりも、自分の知ってる妹の雰囲気が様変わりしていたのに驚いていた。

 

 私が知っている楓といえば、家族にも徹底した敬語のせいと、他人に極端に冷たく、人見知りだったせいか、全体的に暗い雰囲気があったのだが、少し見ないうちに——

 

《いえ。久々に本土帰りした姉の声を聞きたかったのと、少し用があってかけただけです……その、迷惑でしたか?》

 

 ——誰だこの子。健気で可愛い妹になってる。

 

「……い、いいえ。別にそんなこと思ってないわ。私もそろそろ楓に電話で士官学校の様子を聞いてみたかった頃合いだったし」

 

 物腰などその他諸々が、ここ一年で180度変化している妹に若干動揺気味に、されど、久々の妹との通話に、素直に嬉しい気持ちを感じながら続けた。

 

「それで……どうなの? 海軍士官学校を二年過ごしてみて」

《凄く良い経験を積ませてもらってます。これまで出来なかった学友も増えて、訓練や先輩からの絞りは辛いですが、楽しいこともいっぱいあって……とても有意義な生活を送ってると思います》

「ふふ……そう」

《はい。特に一番楽しみにしてる講義は演習です! 各鎮守府から派遣された艦娘さん達を実際に指揮するんですよ》

「へぇ……実践演習か。私がいた頃よりも提督候補生に対しての育成が良くなってるのね」

《そうみたいですね。あ。そうでした香凜。実は私、入学してからこの方演習では負け無しなんですよ!》

「凄い。私に似て将来有望な提督候補生になってきたわね」

《私に似てって……もしかして香凜も》

「残念ながら二敗してるわ。流石に無敗は無理だったわ。因みに負けた相手は、呉鎮守府で指揮してる坂本くんと、函館鎮守府で指揮してる石川くんね。当時は私を合わせてその三人が有望株って言われてたのよ?」

《やっぱり凄いですね香凜は。確か、最前線に近いトラック島で指揮してるんでしたよね? まだまだ勝てそうにないです》

「まぁ年季が違うもの。経験という力は、誰にも覆せないものよ。勝負は時の運とか言うし、やってみたら案外楓が勝つかも知らないわよ? ……というか、これまで無敗ということは楓の他に提督候補としての有望株は居ないってことなのかしら?」

《一応言われている人は五人居ますよ? でもどれも、私以外本物じゃないとか、私達提督候補生を教えて下さっている南野教官が言ってましたね》

「あぁ……南野(みなみの)さんか。南野さんが言うのならそうかも知れないけど。南野さんは私の世代も教えていた超ベテランなのよね。というか、まだ教えていたなんて……」

《そうなんですか!? 確かに貫禄がある人だなと思ってましたけど、香凜以上に年季があるんですね》

「そうね。多分だけどあの人なら、まだ現役で指揮執れるんじゃないかしら。指揮の腕は私と同等以上あるもの。ふーんそっか……じゃあ楓を負かしそうなライバルみたいな人は居ないってわけね?」

《いえ、居ますよ? 一人だけ》

 

「え? そうなの? 誰?」

 

《——西野くんという同僚の方です。この前と言っても二年生になって初演習くらい前なんですけど、その人に初めて敗北寸前まで追い込まれたんです》

「へぇ……追い込まれたのね」

《はい。最後まで油断ならない相手でした。次の一手を打つ前に、まるで此方の心の内を見透かしていたように、直ぐに対策を講じてくるんです。特に駆逐艦の指揮が非常に巧妙で、重巡と戦艦の砲撃を回避する私の艦隊を、駆逐艦が放った牽制雷撃に当たるように誘導されたりとかされましたね》

 

「——」

 

 思わず、驚愕する。

 

(まだ若く、実戦も経験してない提督候補生が、まさかそんな策を咄嗟に考え付いて、実行。見事成功させる指揮力があるなんてっ……)

 

 思えば、ここで初めて、西野真之という人物に私は興味を持った。

 

 普通、提督候補生の内から、楓が話したような西野という人が実行したらしい複雑な指揮が出来る筈がない。才能があろうとも、少なくとも五年はかかると言われており、ましてや深海棲艦とほぼ同じ動きをする艦娘達相手に、『砲撃で、牽制雷撃に直撃するように誘導させる』という芸当は、当時の私のような現役の提督でも難しいほどだ。

 正確な指揮と、精密な調整、何より指揮される艦娘達との信頼も無ければ成し得ないこと。

 

 それらを本番で実行したとなれば、とてもじゃないが、西野真之という提督候補生は、既に候補生の枠に留まらない程の器がある。

 

 ここで、艦娘達との信頼を勝ち取るのはそんな難しいことではないと思うかもしれない。しかしながら、演習で貸し出される艦娘達は皆、他の鎮守府から派遣された艦娘達だ。

 

 いずれも実際に実戦を経験し、所属している鎮守府の提督の指揮をそれまで忠実にこなしてきた中堅の艦娘ばかり。当然その艦娘達の方が経験値が高く、ある程度の戦術や作戦は身に付いていて、到底提督候補生が無闇な指揮を出来るような相手じゃない。

 それに、それら艦娘達に引き合わされるのは演習の一週間前。

 

 つまり、たった7日間という短時間で、歴戦の艦娘達とどれだけ親睦を深め、その提督候補生が臨機応変に展開する作戦に、従うに足る指揮官だと分からせるかが肝となってくるのだ。

 

 この時点でもう分かると思うが、提督候補生同士の演習で評価されるのは、臨機応変に対応し、作戦を実行できる指揮力だけでなく、艦娘からの信頼を得られる()()としての器も重要なのだ。

 

 それほどに、提督候補生同士の演習は難しいものなのだが、西野真之という楓の同僚は、それらの要素を全て及第点以上にクリアし、実際に楓を追い詰めた。

 

「……勿論、その人は有望株なんでしょ?」

 

 現役の提督として、非常に興味を持ったその時の私は、少し西野真之という人物について、つい探りを入れてしまった。

 

《……そういえば。有望株かと聞かれてみれば、あまり名前は聞かない方ですね》

 

「……そうなのね」

 

 妹の話を聞く限りでは、有望株以上でないとおかしいくらいの能力を持つ候補生だ。少し怪訝に思いながらも、妹の話を聞き続ける。

 

《はい。でも……不思議ですよね。西()()()()程の指揮力がある人なら、有望株と注目されてもおかしくないのですが……》

 

「——」

 

 またそこで、衝撃を受けた。

 

「……えっ? あの、楓?」

 

《? どうしました?》

「今、西野真之っていう人のこと、西野くんって呼んだ?」

《は、はい。呼びましたが?》

「そうよね? ……呼んだわよね?」

《……? 香凜、何か私は変なこと言ったでしょうか?》

「……」

 

 携帯の向こう側で、小首を傾げているだろう妹の反応に、少しため息をついてしまった。

 

 何せ、楓は、家族以外は全てフルネームで呼ぶ事がざらにある程の人見知りだったと私はあの時電話を取る前まで、認知していた。が、何度も言うが妹からの電話を取ってみれば、明らかに明るく、社交的になっており、おまけに西野真之という人物を親しみを感じる『くん』付けで呼んでいる始末。

 

(……触れない方がいいか)

 

 確かその時は、もう一々反応するのも面倒臭いし、敢えて触れないことにした筈だ。

 

 ——そしてその後、私は楓に、何故明るくなったのか、そして西野真之という同僚は一体どういう人かを根掘り葉掘り聞いた記憶がある。

 

 楓によれば、西野真之との演習での出会いをきっかけに、勉強を教え合う仲になり、西野真之の友達の宮原清二(みやはらせいじ)という明るい人とも友達になり、西野真之と宮原清二にその後も、どんどんと人を紹介されて、その影響かは分からないものの、気付けば他人とも話せるようになっていたのだとか。

 

 その話を聞いた後、私は提督としての才能もそうだが、何よりそれまでの妹の酷かった社交性を正してくれた西野真之と、次いでに宮原清二という人物に人間性の面においても興味を抱いたんだと思う。

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 

 

 妹との通話から約一ヶ月経った時、私はその通話から興味を抱き続けていた西野真之が在籍する提督候補生の授業を、海軍士官学校に野暮用があった次いでにお邪魔していた。

 

 教室の扉を開けると、既に候補生達は起立して休んでおり教壇の方へ注目していた。

 

「——全員、気を付けぇ!」

 

 教壇の上で私の隣に立ち、号令をかけたのは、妹との通話で、少し話題に出てきた南野教官。

 

 そんな中、私は自然と、確りと気を付けている楓と目が合う。流石にこの場では妹へ笑いかけたりなどしない。

 そして次に、一方的に興味を抱いている西野真之を探すと、直ぐに見つかった。

 実はあの通話の後、楓から『これは私と宮原くんと西野くんが遠泳大会で無事泳ぎ切った時のものです!』という自慢するような言葉と一緒に、写真が送られてきた際に、西野真之の容姿を焼き付けていたのだ。

 

「……」

 

 引き締まって鍛え上げられた体に、平均よりはやや高めの背丈。短く切り揃えられた清潔な黒髪に、少し切れ長な瞳。目鼻立ちは整っている。

 写真で見た時は素直に格好良いと思っていたが、実際目にすると、少し気迫が感じられ、楓からの話に聞いていた通り、有望株に足る雰囲気を周囲に漂わせていた。

 

 彼に悟られないようにゆっくりと視線を外し、挨拶をする。

 

「……私は、現在トラック泊地で指揮を執っている、二等海佐の新島香凜です。今日は一時間、君達の講義を見学しますが、私のことは気にせず、普段通りに受けて下さい」

「——礼!」

「「「お願いします」」」

 

 挨拶が終わったのを見て、また号令をかける南野教官に、小さくよろしくお願いします。と伝えて、教壇から降りてそのまま教室の後ろに用意された椅子に座ると、「着席!」と、また南野教官の号令が響き渡り、候補生達はやっと椅子に腰掛けた。

 

 私は二等海佐なので、この教室の中では一番立場が上になる。その為、私が座るまで、候補生達は座れないのだ。上官が座るのを見計らってから座る。堅苦しい礼儀作法の一つである。

 

「それでは、艦隊運営の講義を始める。教科書120ページの四角の一番。『資材の調達と遠征』というところだ——」

 

 

 

 

 

 

 

「——気を付け。礼!」

「「「ありがとうございました」」」

 

 艦隊運営の講義が終わり、休憩時間に入ったのを見計らって、私は楓の元に行った。

 

「新島准尉」

「はい。用件はなんでしょうか二佐」

 

 普段は楓と呼んでいるが、相手が妹だとは言え、ここは海軍士官学校。教育機関と同時に海軍の機関の一つだ。その中で気安く楓なんて呼んだら示しが付かない以前に、規則である。

 

「……後、西野准尉は居ますか」

「——! は、はい!」

 

 突然呼ばれて、明らかに動揺した西野真之に、教室中から多くの候補生達の視線が集まり始めた。勿論、呼ばれた楓も同様だ。

「二人に少し話があります。付いて来なさい」

「「はい」」

 

 人目を憚らずに私達は教室を出ると、指導室に二人を案内する。

 

「……」

「……」

 

 道中は、指導室に着くまで終始無言だった。

 

「——さあ、入って。先に座って」

 

 いきなり砕けた口調にした私に、西野真之——いや、西野くんは怪訝な表情を見せながら、「……失礼します」と、楓と一緒に、用意された椅子に座った。

 

「……さて。先ずは、時間取らせちゃってごめんね。楓……そして、西野真之くんも」

「大丈夫ですよ。香凜」

「えと……その、大丈夫です」

 

 そう笑顔で答える楓と、まだ緊張と私への不信感が拭えないのかぎこちなく答える西野くん。

 

「改めて、自己紹介するわ。私は新島香凜。そこの楓と姉妹なの。よろしくね。西野真之くん」

「あ、西野真之です。……妹の新島には普段からお世話になってて、その、よろしくお願いします」

「そうなの。楓の方からは自分の方がお世話になってると聞いていたけど……まあ、互いに助け合ってる仲なのね。ありがとう西野真之くん。これからも、楓のことよろしくお願いするわ」

「……はい」

 

 またぎこちなく答えた西野くんに、楓が小首を傾げる。

 

「……? 西野くん、緊張してるんですか?」

「え? ま、まあそうだけど。というか、あのトラック泊地の新島提督ご本人の前なんだから緊張するに決まってるだろ」

「ああ……確かに、香凜は有名らしいですから」

「へえ。私、結構有名人なのね。あんまり日本に帰らないからそういうの分からないのよ」

「でも香凜、昔から朝ドラ以外テレビ観ないじゃないですか」

「テレビ観るくらいなら部屋で本読んでいた方が私的に面白いのよ……それよりも、時間が無いしさっさと本題入りましょう。西野真之くん……は長いから西野くんで良いかしら?」

「……それは、ご自由に」

「分かったわ。……それで、最初に伝えたいことはお礼よ。ありがとう。西野くん。妹の極度の人見知りを改善してくれて」

「え? あ、ああ。そのことですか。……自分は何もしてないですよ。あくまで、色んな友達を紹介したりだとか、人と関わるきっかけを作っただけです。自分の力じゃなく、新島自身が治したことに、変わりありませんよ」

「それでもあなたがきっかけになった事は、楓の中では凄く大きな事だったと思うの。そうよね?」

「はい……」

 

 そこで楓に振ると、微笑を浮かべて頷く。

 

「本人もこう言ってる事だし、素直に自分の功績を認めなさい」

「……で、ですが俺は本当に——」

「——知ってる? 謙遜はたしかに美徳だけど、過ぎた謙遜はただ相手を困らせるだけなのよ?」

「…………はい。ありがとう、ございます」

「よろしい。……あ、もうこんな時間。やっぱり移動に時間使ったか」

「じゃあ香凜、もう良いですか?」

「……まだ西野くんに聞きたいことは結構あるのだけど、背に腹はかえられないわね。なら最後に一つだけ、これは聞いておきたかったことがあるの」

「はい。何でしょうか」

「あなた程の能力なら有望株として教官からも、同僚からも噂されるはずなのだけれど、実際はそこまで注目されてないと楓から聞いたの。それは何でか分かるかしら?」

「……」

 

 そこで西野くんは少し表情を沈ませ、心無しか楓も悲しげな表情を浮かべている。

 

 少し間を置いて、西野くんは口火を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「——……自分は妖精さんが見えないんですよ」

 

「……え?」

「提督になる為には、いくら努力しても、妖精さんが見えなければ成れることは出来ないと決められています」

「え、ええ。それは承知してるわ……では何故、あなたは提督候補生に?」

「……それは、まだあなたには話せません。そろそろ時間なので失礼します」

「え? ちょっと……」

 

 そう言い残し、制止もむなしく西野くんは足早に部屋を出て行ってしまう、

 

「あっ、西野くん! ……香凜、私もここで失礼します」

 

 そしてそれを追うように、楓も足早に去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はそれ以降、彼との接点は数えるほどしかなかった。しかし、あの時見せた違和感ある反応が、私の心の中で引っかかり続けている。

 

 そこで、回想を終わらせる

 

 

 

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 ——手に持っている調査書類を見つめながら黙考する。

 

「……」

 

(もしかして、妖精さんが見えないことを悟られて提督としての信頼を失い、暴力などの反抗をされていたっていうこと?)

 

 しかし、それだけの理由で上官相手に暴力を犯すなんてことは馬鹿げた話だ。ましてや、艦娘達は人間より悪意を他人に抱きにくいという研究結果が報告されている。果たしてそれは、妖精さんという超常的な存在が影響しているのかは定かではないが。

 

 それにいくら悪意を抱きにくいとは言えど、もしそれらが人間基準だとしても、妖精さんが見えない程度で上官相手に暴力をする程の悪意を抱くというのは考えにくい。

 

(……横須賀鎮守府。過去に何かあったのかしら)

 

 何故艦娘達が提督に対して、解体覚悟で暴力を振るっていたのか。

 

 そう考えた時、西野くんが着任する前に指揮していた、前任である遠藤元提督の時に何かしらが起こっていた為、提督へ憎悪を抱いていた。その結果、後任として着任した西野くんを当て馬にしたという線が妥当だろうか。

 

(そういえば、横須賀鎮守府の前任だった遠藤は確か『一身上の都合により、急遽辞任した』という旨の電文を各鎮守府、泊地に送ってきていたわね。後にも、大本営から公式に同じような電文が送り付けられた記憶があるわ……)

 

 一身上の都合。何か臭う。

 

「……亜門一尉」

 

 そこまで思考を巡らせ、側で控えていた亜門に、一つの命令を下す。

 

「——西野提督の前任だった遠藤について捜査しなさい」

「……はっ」

「あら? やけに今日は早いわね。いつもなら私の命令に一つ二つ何かしら言ってくるのに」

「……流石に今の命令は冴えてましたよ」

「その言い草だと普段は冴えてないってことになるけど……?」

 

「……気のせいです。しかし、今回の捜査は必ず、何かが出て来るかと思います」

「ふふ。やっぱりあなたも勘付いたのね? 今回の事故と、西野提督が精神的に追い詰められていた原因」

「はい。これは大本営と遠藤元提督の間で、秘密裏に何かあったとしか思えません。この前の遠藤元提督が辞任した時の理由が余りにも不可解且つ不明瞭なものでしたしね」

「『一身上の都合』……確かに少し考えれば意味不明だったものね」

「ええ。ですから、これからは過去の資料とか入手する為に、立場上色々と融通が利く新島二佐にも協力を願うこともあると思いますので」

「大丈夫よ。何か欲しいものがあれば言って頂戴。今回は全力でバックアップするから」

「はい。では、失礼します」

「ええ。ご苦労様」

 

(これから、忙しくなるわね)

 

 必ず、西野くんは守る。何せ、楓のお気に入りであるし、密かに私も結構普段から気にしてしまっている人であるから。

 

 亜門が部屋を後にするのを見計らって、私はソファーに深々と寄り掛かり、ため息を吐いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ——横須賀鎮守府の他に、また二人の人物が動き出した。



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第八話 迫る不安

誤字などがあればご報告お願い致します。


 今、横須賀鎮守府の執務室で、俺は大和と翔鶴の三人で、一ヶ月の間入院していたせいで溜まりに溜まっている書類を片付けている。

 

 現在、呉鎮守府より功績を挙げられてないものの、規模自体は日本一の横須賀鎮守府であるため、全国から資材調達の要請や、救援要請、各鎮守府、警備府、泊地等が担当する海域の近況報告書が流れ込んでくる。他にも色々とあるのだがそれは置いておき。

 

 実質、規模が規模なだけに、大本営の一個下くらいの権力を横須賀鎮守府は有しているため、横須賀鎮守府の提督は次期元帥候補がなると言われている。

 勿論、なる気は毛頭ない。

 

 横須賀鎮守府の役割は確かに近海の監視や、横浜に毎日流通する民間航路の安全確保が目的であるが、実は裏では全海軍施設の管理、総司令も一任されている。勿論、大本営にも一任されているが、現在は戦争状態。一々上層部の指示を待っている時間も惜しい戦いの中では、現場の判断、即応が好ましく、また直ぐに艦娘を対応に当たらせられる面においても、大本営より、横須賀鎮守府の方に軍配が上がるだろうという理由で、元帥が数年前に、『即応体制』という革新をした。

 

 詳しく説明すると、それまでは大規模な海戦が起こる度、大本営に連絡、そして指示を待たなければならなかった。

 

 しかし、元帥が打ち出した『即応体制』という横須賀鎮守府を中心としたこの革新的な体制はどんな規模の海戦が起きたとしても、必ずしも大本営の指示を仰がなくとも良いというものだったので、対応が遅れて、大惨事になることが少なくなったのだ。

 

 お陰で近年では、各海域で起こる海戦をいち早く察知し、即対応が可能となり、遥かに敗北率や轟沈数も少なくなった。各鎮守府、警備府、泊地、基地の間に固い情報共有ネットワークが確立。それまで一進一退の攻防が続いていたが、現在は安定した戦線維持に成功している。

 

 改めて思うと、俺は大本営と同じくらいの権力を持っていることになる。

 

 正直言って、自分の判断一つで多くの命が犠牲になるのだから凄く怖い。しかし、元帥から任されたこの役目を必ず果たすと心に決めている以上、ここで怖気付くわけにはいかない。

 

 

 ——あの講堂での出来事から、既に2週間が経過している。

 

 

 

 現在まで、特に問題も起きずに滞りなく横須賀鎮守府は運営出来ている。

 

 前までは勝手に出撃、遠征して、鬱憤を晴らさんばかりに近海に現れる偵察に来た深海棲艦、或いははぐれた深海棲艦を撃破しまくっていたのだから、現在の落ち着きようは少し新鮮な気分だ。

 

 横須賀鎮守府の主な役割は近海の監視、及びタンカーや漁船の運航ルートの安全を確保することであるため、結果的に憂さ晴らしだった深海棲艦を撃破する行動がそれらの役割の達成に一応繋がっていた。

 なので、本当はまともに命令を聞いてくれない等、まともに軍事施設として運営が成ってないのに、大本営側からはちゃんと役割を果たしていると思われていて、怪しまれることはあれども。ここまでの一年間、艦娘達の俺への暴力などの行為は明るみに出ることはなかった。

 

 もし艦娘達が憂さ晴らしに近海の深海棲艦を撃破も、出撃もしなかったら既に徹底的に捜査されて、バレていたことだろう。

 

 因みに、月に一回は監査官が来るのだが、その時は命令はちゃんと聞いてくれていた。

 

 しかし、俺が階段から落ちてしまったという事故が起こり、当然その知らせは大本営の耳に届いているはずだ。

 近い内にこれまでの緩い監査官ではなく、違う監査官が来る可能性が高いため、前とは比べものにならないくらいに自分の命令を聞き始めた艦娘達を見て、『問題無し』と評価をして、大本営に帰ってくれるだろうと踏んでいるが、やはり危惧しなければならない。

 

 目敏い監査官が来たら、その時はもう神頼みするしかない。

 

 せっかく一年間も引きこもりたくなるような苦痛を耐え忍んできて、やっと艦娘達と未だに気まずいままだが、ようやく適切な上下関係に修復することが出来たというのに、その艦娘達が解体されて刑務所に入れられていくのを見るのはキツいものがある。

 そんなことになれば、俺は一体。何の為に一年間も耐え忍んでいたのかと絶望することになるからだ。

 

 まだあいつらのことは恨んでいるが、同時に今回の騒動で本当の俺を見てくれるようになった。

 階段突き落とされ騒動の前のあいつらにはきっと、俺のことは過去の前任と重ね、憎悪を向けるべき対象に見えていた。その結果、俺が断固として艦娘達の粗相を上に報告しない性だと認識した瞬間に、『もう屈しない』という反抗心や正義心が心を支配して俺を孤立させ、弾劾し、挙句に暴力をしてきた。

 

 しかし、それらの過去の言動を恨んでいる反面、過去の前任を引きずっていた彼女たちが少しずつ前を向き始め、前任と同じ軍人という枠組みに入れずに、俺という個人の存在を少しだが認めてくれて嬉しい気持ちがあるのだ。

 

 着任前に、天涯孤独な俺にとって父同然に育ててくれた元帥に頼まれた、いや課せられた任務がある。

 

『横須賀鎮守府を……艦娘達を、救ってほしい』

 

 その任務を胸に、提督候補生からいきなり提督として、どんな理不尽なことも耐えて、耐えて、頑張ってきた。

 

 大本営に用があって出向いた時は毎度のごとく周りから、元帥殿の贔屓(ひいき)で提督になれただけの凡人と揶揄され続けたが、そんなもん知ったことか。このクソ野郎と鼓舞して、頑張ったとしても、陰口や暴力などの捌け口にされて誰も見向きもしてくれないだろう横須賀鎮守府にまた帰る。

 

 何度も、幾度と無く。そんな生活を繰り返していた一年間。

 

 いくら身を粉にして報われなくとも、こうして頑張っていればその先で、俺が元帥に再会して『無事、任務を達成しました』と、胸を張って笑って言っているような未来があると信じて。

 

 いくら突き放されて殴られたとしても、こうして頑張っていれば、あいつらと——いや、艦娘達と今は亡き家族のような……和気藹々とした、そんな温かい横須賀鎮守府で自信を持って指揮を執っている自分がいる未来が待っていると信じて。

 

 そんな二つの願いは、結局夢物語で終わったのだが、現在の状況は明らかに去年よりも進展していると言える。

 

 二週間前の講堂で、あいつらに向かって俺は——

 

『必要最低限度のコミュニケーションで行こう』

 

 ——と、あの場で、あの状況で、自分の心身のことも、艦娘達のことも考慮に入れた最善の提案をした。

 

 あの提案を言った直後、何故か凄くざわついていたのを覚えているが、何か間違っていたのだろうか。

 

 俺が居ない間の一ヶ月間の横須賀鎮守府は、素晴らしい程に機能していた。現最高の呉鎮守府にだって引けを取らない程の功績を叩き出したのだ。

 

 では、ここ一ヶ月間で栄光を戻しつつある横須賀鎮守府を立て直そうと俺が頑張っていたあの一年間は、どうなるんだろうか。

 

 無意味だったと言われれば、確かにと頷かざるを得ない。

 

 何せ、極端な話というか、単純に考えれば——俺が居なくなれば良かっただけな話だったからだ。

 

(……)

 

 しかし、分からない。俺には。

 

 最近。ふと突拍子もなく、講堂で突き放すような言葉を放った時、一様に悲しくさせた艦娘達の悲しげで、寂しげなあの時の表情を思い出す。そしてその度に、俺は何故か胸が痛むのだ。過度な関わりを持たなければトラブルなんて起こりもしないし、双方嫌っているのだから、どちらにもwin-winな提案だったはずなのに。

 

 あいつらは一体、俺に何を求めてるんだ。

 

 前任のような、艦娘は兵器であり、軍の所有物だと考えている最低野郎であってほしかったのか。

 

(俺に向かって陰口を叩いたり暴力などをしたということは、そういうことだったんじゃないのか?)

 

 元帥のような、普段は厳しいが誠実で、実は部下を第一に思ってくれている熱い人であってほしかったのか。

 

(そうであってほしかったなら、何故一年もの間頑張っていた俺を信じてくれなかったんだ?)

 

 そんな二つの疑問の答えは不思議と簡単に浮かび上がってくる。

 

 ——西野真之は、いくら頑張っても艦娘から信頼されないような小さな器の持ち主。それ即ち、提督の器ではないということ。

 

 確かに、俺のことを信頼してくれている人は少なからずいる。提督を目指すきっかけの元帥であり、義父である安斎さん。士官学校の元同僚で、今はそれぞれ舞鶴と呉で経験を積んでいる宮原や新島。トラック泊地で最前線で指揮を執っている新島の姉さんもなんだかんだで心配してくれてるし、大和、翔鶴、陸奥、武蔵も信頼してくれている。他にもまだいるが、だが、逆に考えてみればこれくらいしか居ない。

 

 提督に関係なく、多くの部下を抱えて、命令を下す士官という立場に立つこと自体が許されない程に、命を預けるに値する指揮官としての器が未熟すぎるのだ。

 

 一年間、死に物狂いで頑張ってきたつもりだったが、艦娘たちからは結局、それはただの独り善がりの偽善で、地位を上げる為に仕方なくやっていた行動にしか見られなかった。

 

 頑張るだけじゃダメなのだ。

 

 やはり、頑張ったとしても、指揮官としての器——カリスマ性は才能である以上、それはどう取り繕っても指揮官に向いてないということだ。

 

 妖精さんも見えない——妖精さんからも信頼されない俺はどれだけ見繕ったって、ただの『士官学校上がりの贔屓された提督擬き』に過ぎないのだから。

 

 多くの艦娘達を救えないままだ。

 

 有言実行出来てないではないか。

 

 何が救う? 何が提督になりたいだよ。

 

 ただの夢ばかり見てる女々しいクソ野郎が

 

 卑屈過ぎだろうか。だが、一年間も費やして得られなかった信頼は、つまりそういうことではないだろうか。

 

(……やっぱり、俺には)

 

 ——て……と! 

 

(俺に、提督は……)

 

「——提督!」

 

「……え?」

 

 それまで、執務の手を止めて窓から見える水平線を見て呆然としてたらしく、呼ばれた方へ聞き返すように隣に目を向ければ、そこには少し頬を膨らませた翔鶴が居た。

 

「はぁ……やっと気付いてくれましたね。さっきから五回くらい呼び掛けても、ずっと窓の方を見てたんですよっ?」

 

「あ、ああ。ごめん。ちょっと水平線みてボーッとしてた」

 

「また水平線を、ですか? ……まあたまになら良いですが、最近の提督はこういうことが多くなってきてますので、今後余りに水平線を見てボーッとするようであればカーテンは閉めさせて貰いますからね? ……ではこの書類の整理が終わったので、確認をお願いします」

 

「う、うん。ごめん翔鶴。えっと、ああ。『資材』についてか。確認するわ」

 

「はい。では引き続き執務に戻りますね」

(っと。まずいまずい。ボーッとしてた)

 

「——……あ、大和その書類取ってくれないか?」

「はい。えっと、これでしょうか」

「……ありがとう。それと翔鶴。その書類はそこに置いておいてくれ。後で目を通すから」

「あ、はい。ここですね?」

「うん。そこで良い。……にしても、一ヶ月分の書類の整理がこんなに溜まってたなんてな」

「……すみません。提督が休養中に、私達も何とか頑張ったのですが、本格的な執務はまだしたことがなかったので、勝手がわからずそのままにしてしまいました」

「いや、別に大和達を責めようとして言ったわけじゃない。ただこの書類達を見て、一人で引いてるだけだから、余り深く受け取ってもらっちゃうと困る。それに、本来の提督補佐役である大淀が居ないし。あ、でも大淀、確かもうそろそろ復帰出来そうなんだろ?」

「え? そうなんですか。……大淀さんの調子はどうでしたか? 翔鶴」

 

 そこで話を振られた翔鶴は走らせていた万年筆をゆっくりと置いて、穏やか表情で話し始める。

 

「はい。とても元気なご様子でしたよ。休養して一年、当初は心が不安定な状態でしたけど、ここ一ヶ月になって、提督が事故に遭われた直後に、何かのきっかけか、前任が来る以前のような笑顔を、よく見せてくれるようになったんです。まだぎこちないですけど……でも、前はあれほど恐怖していた男性の方にも段々と接せられるようにもなってきているんです」

「そうか……大丈夫そうで、本当に良かったよ」

「はいっ。最近、大淀さんと話す機会が無くて心配だったんですけど安心出来ました。ありがとうございます。翔鶴」

「いえ。提督と大和さんはこの頃大変でしたし、動けるのも私や陸奥さん、武蔵さんくらいしか居なかったですし……礼には及びませんよ。それにしても、提督」

「? なんだ」

「実は大淀さんから伝言を預かっておりまして」

「伝言?」

「はい。大淀さんから『提督。あなたのお陰で、私は苦しみを乗り越えて更に強くなれました。ありがとうこざいました。そして、これからもよろしくお願いします』とのことです」

 

 伝言を言い終えた後、花のように笑う翔鶴と、静かに瞑目して微笑した大和。

 

「……」

 

 そんな予想だにしなかった感謝の言葉が、予想以上に。今の俺の心には深く、深く響いた。

 何も返さないまま、瞠目してる俺に、翔鶴と大和が同時に頭を下げる。

 

 

「提督。……大淀さんを深い闇から救い出して下さったことに、心から感謝を申し上げます」

「大和からもお礼を。私の大切な友人を、また救って頂きありがとうございました」

「……」

 

 未だ、黙って茫然としたままの俺に、翔鶴は真っ直ぐに見つめて、言葉を紡ぎ出した。

 

「……大淀さんが言ってました。提督は時間を見つけては、遥々鎮守府から病室までお見舞いに来てくれて、自分を笑わせようと頑張ってくれたと。何度拒絶しても、また気付かない内に隣で、その温かい笑顔を向け続けてくれたと」

 

 何でだろうか。

 

「……そう、か」

 

 あんなに自分を拒んでいた大淀が、俺に礼を言ってくれた事が、こんなにも。

 

「……提督」

 

 そんな俺を見る翔鶴は、まるで子供を諌めるかのように口火を切った。

 

「最近、何か考え事が多く見受けられますが……それについては何も言いません。あくまでそれは自身のことであるからです。ですがこれだけは言わせてもらいます」

「……」

「提督の判断に間違いはありません」

「……い、いや——」

「——いいえ、ありません」

 

 否定しようにも、翔鶴は言葉を遮りなお続ける。

 

「私から見たら、間違いはありませんでした。現に今、こうして艦娘としての自信を持って生きていられるのも、提督の判断があったからなんです。そして、その提督の判断に従うか拒否するかを選んだ際、私は従うという判断をしたからこそ、今こうしていられるんです」

「……」

「確かに、当時の提督の判断や行動で過去から救われた艦娘は少ないでしょう。他の人たちは、これを『間違い』と揶揄することでしょう。しかし、そんな行動で心から救われた私達からしたら、提督の判断や行動について『正解』だったと言う他無いんです」

 

 そんな翔鶴の言葉に、大和も続く。

 

「利己的な考え方で申し訳ありません。ですが確かに、提督のその手で救われた私達からすれば、提督の判断は間違っていなかったんです。それに、少なくとも今の鎮守府の状況を見れば分かる通り、もはや身を粉にして努力して、鎮守府の復興を実現させた提督の行動を『間違い』だったという艦娘は一人もおりません」

「……ですから、提督。もう自分を責めないで下さい。過去は変えることは出来ませんが、積み上げてきた過去が今、違う形であれ、多くの人から認められて、実を結ぼうとしてるんです」

「……翔鶴」

 

 ああ。この二人は本当に——

 

「……提督。皆さんとこのままで、この状況を維持するか。それとも、この状況を変えるかどうかは、これまで『間違い』は無かった提督の判断にお任せします」

「……ありがとう、大和」

 

 ——本当に、優しい。

 

 

 

 

 

「そう、だよな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——……よし」

「あ。提督」

 

 二人からの有り難い言葉を貰い、意気込んで執務にまた戻ろうとしたが、何かあったのか疑問符を浮かべた翔鶴へ、大和と俺が二人して聞く。

 

「何かありました? 翔鶴」

「ど、どうした翔鶴」

「どうやら既に一二〇〇を回っているようで……」

「本当か?」

 

 そうして、時計に目を向ければ、確かに12時を針が回っていた。

 二人とも執務に集中していたら、気が付けば昼になっていた感覚なんだろうか。なんだかとても意外そうな面持ちを大和、翔鶴が浮かべている。

 

 一方、俺はというと。ただ殆どの時間をボーッとしていただけなので、そんな中で執務を黙々と進めてくれていた少し二人に悪い気がして、つい苦い顔をしてしまっている。

 

 どうにかして罪滅ぼしというか、なんというか。とにかく、二人には少し何かをしてあげないと悪い気がする。

 しかし、誤った過去は戻らないので、正直余り気は進まないが二人にこんな提案をした。

 

 

 

 

「……あー、その。大和、翔鶴」

「はい?」

「? どうしました? あ、提督の昼食は私達が持っていきますので」

「あ、いや。今日は……食堂で三人で食べないか?」

「……え! それ本当ですかっ」

「……! て、提督? ……あの、どうして」

 

 俺の言葉に、素直に頬を染めて嬉しそうにする翔鶴と、嬉しそうにするのを抑えて冷静に見せようとする大和。

 

「……まあ、その。二人には前から誘われてたけど、食堂には皆がいて、気まずい理由から断ってただろ? でも、毎日嫌な顔をせずに執務を手伝ってくれる二人に、悪い……っていうか。その。今日も、ほら頑張ってくれたじゃないですか。だから、日頃のお礼で、間宮券もあるし使い所かなって。そう思ったわけで……」

 

 普段から結構な付き合いがあれど、俺からこうして誘うのは初めてなことかもしれない。そのせいか、照れ臭さが勝って言葉が変になってしまっている。

 

 そんな変な俺を、大和と翔鶴はクスクスと笑ったが、同時に心優しく

 

「——……提督。では、行きましょうか?」

 

 そう言って、裾を掴んで引っ張る可憐な笑顔を見せた大和。

 

「——提督っ! 間宮券ありがとうございます! 今日の昼食は楽しくなりそうですね?」

 

 そして、そんな二人に並んで楽しげに微笑む翔鶴の二人と一緒に、俺は食堂へと足を運ぶ。

 

 

 

 

 

(このままで本当に……良いのだろうか)

 

 

 食堂にいるだろう艦娘達のことを思いながら、そんな一抹の不安を胸にして。

 

 

 

 

 

 



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第九話  吹雪

「……」

 

 大和、翔鶴と共に食堂の前に着くと、やはり緊張してくるものがある。手に汗握るし、鼓動も速くなっているのだ。

 

 後二、三歩で食堂に入れるというのに、一向に立ち止まってしまった足が動いてくれない。当然、両隣に居る大和と翔鶴は自分の今の精神状態を理解してくれている為、心配そうにしながらも、俺が自分自身の足で食堂に入るのを待ってくれていた。本当に良い部下に恵まれてる。

 

「——……はぁ」

 

 速くなっている鼓動を落ち着かせるように、そして心の準備を整えるように、その場で深呼吸した。

 

(……多分、この会うと気まずい気持ちは俺だけじゃない。食堂に居るあいつら、艦娘達も同じなんだ)

 

 

 

 

 

 

 

 ——最低限のコミュニケーションで行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな方針を取って二週間だが、出撃、遠征後の報告時のあいつらには別段変わった様子は見られなかった。

 

(少し気まずそうに、報告してる子以外の艦娘がこちらをチラチラと見てきてはいたが)

 

 例えば。赤城さんが戦果報告をしに来た時の四日前に遡る——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『——……て、提督。報告に来ました』

 

 

 四日前の14時15分頃。その日の時は執務の仕事が一段落し、一人執務室でコーヒーを片手に小休憩していた。そんな時、何故か少し俯いたままの赤城さんが報告書を持って執務室に来たのだ。

 

『……? 』

 

 やはりまだ一部の艦娘以外の娘には抵抗があり、当初は大和達の誰かが側に居ないと正常に艦娘達と話が出来なかったのだが、それも少し慣れて来て、自分一人の状況でも一対一で話せるようになったころだ。

 

『……えっと、お疲れ様です。報告をお願いします。後、申し訳ないんですが、その線から内側には……』

『……!』

 

 その言葉に、赤城さんは少し瞠目した後、分かりやすく沈んだ表情を浮かばせた。

 

『……申し訳無いです。では、お願い出来ますか』

 

 暗い空気を漂わす赤城さんのことを気にしながら、報告を促す。

 

『……はい。太平洋側の元排他的経済水域の境界線近くまで哨戒活動を行い、会敵は無し。赤城、衣笠、大井、筑摩、夕立、時雨六名の被弾は皆無。任務を終えて全員、先程1400時過ぎに帰港致しました。以上です』

 

 気まずさを感じさせる雰囲気ながらも、流石に自分が着任するずっと前から主力として活躍してきた歴戦艦であるのか、スラスラと報告する。

 

『ありがとうございます。無事だったようで何よりです。あそこは特に深海棲艦が出没する海域ですからね。今回の哨戒任務では何事も無く済んで幸運でした。お疲れ様でした赤城さん』

『……』

 

 多少たじたじになりそうだった言葉も綺麗に言い終えたので自分の心の中で安心していたら

 

『…………はい』

 

 数秒経って帰って来たのは赤城さんには珍しく、何処かパッとしない返事だった。

 

『では、これを。間宮券です。今回の哨戒任務を担当した娘達の分とあなたの分です。ゆっくりと英気を養って下さい』

『……い、いえ。ですがっ……今回は、何事も無かったので』

 

 すると、途端に俯かせ気味だった顔と目を初めて、しっかりと俺の顔を捉えて赤城さんは拒んだ

 

『だ、だからこそです。だからこそ、今日みたいな日にしっかりと有事に備えて、英気を養っておくべきなんです』

 

 その気迫に少し圧倒されながら、疲れを癒してもらいたいからとまだ粘ってみると

 

『っ! ……で、ですが!』

 

 やはり、赤城さんは頑なに渋った。

 

 ここまで渋る理由はなんだろうかと。確かに気まずく思ってる者同士だが、赤城さんから受けた仕打ちは無視程度でしかなく、互いをここまで気まずくさせる程のものではないとこちらは思っているのだが。

 

 そこまで考えた時、ある答えに行き着いたが、同時に自嘲の念が押し寄せてきた。

 

『……ああ。そう、ですよね。俺から、俺と艦娘達はこれからは最低限のコミュケーションで行こうと言ったのに、こんなお節介は……鬱陶しい、ですよね? ……はは、すいません』

 

 そうだよな。と素直に思える。自分からあんなこと言っておいてなんて虫の良さなんだと、赤城さんがここで憤りを感じるのも無理はない。

 

 そう思っていると——

 

っ! それは違うんです!! 提督ではなくっ……私のッ ——私達の方がッ……』

 

『——!』

 

 しかし、そんな勝手な自己完結で、独りよがりな返答をした途端に、それまで何処か暗く、消極的だった赤城さんが様変わりし、その声を張り上げて必死に否定した。

 

 驚いたと同時に、そして、何でそこで否定したのか理解出来ないでいた。

 

 いや、なんで俺が俺自身を否定することを口に出す途端に否定を入れてくるのかと。普通に考えるに、俺のことを思って、否定してくれたと思うだろう。

 

 しかしその否定に至った赤城さんの真意を理解しようとしても、散々打ちのめされ、散々蔑まれて捻くれてしまった薄汚れた心が、否定しようとするのだ。

 

 ——赤城さんが俺に何かを思っていて、そしてその思いを伝えたいと思っているのではないか。

 そしてその何かとは、自責の念に駆られてこれまでの行いを俺に謝罪したいという思いと、この互いに気まずい関係から信頼し合える関係に修復したいと思っているのではないかと。

 

 そんな、『もしかしたら』という様々な憶測が出てくるなかで、心の中のどうしようもなく黒い何かが否定するのだ。

 

 ——艦娘と西野 真之という男は分かり合えないと。

 

 

 

『……いえ、無理しなくて良いんです。すいませんでした。退室しても良いですよ』

『……!』

 

 そうやって、何を思ってか、無意識に。——赤城さんからの思いから逃げるように。

 

 強引に退室を促した俺の顔を、赤城さんは何処か悲しげに眉尻を下げて、何かを訴えかけるように見つめた気がした。

 

『……赤城さん?』

『っ…………失礼しました』

 

 しかし、今一度よく見れば、入室時と同じようにその顔を少し俯かせていた。

 

『…………』

 

 

 赤城さんもそうだが、あの後名取も報告に来たとき——

 

 

 

 

 

『……あ、あの。失礼、します。遠征の報告に、来ました』

 

 赤城さんの後で、心もブルーになっていたのだろう。

 

『……ああ。報告を頼む』

 

 当時は少々、そうやって素っ気なく返答してしまった為か、名取は肩を落として、少し悲しげな目をした気がした。

 

『あ……はい』

『っ……ごめん名取。その線より内側は入らないようにしてくれないか』

『え? あっ……ご、ごごごめんなさいッ!』

『……いや、大丈夫だ。でもごめん。艦娘の距離が近くなると動悸が激しくなったりとか、胸に痛みを感じ始めることがあるから……すまん』

 

『……!』

 

 そこからだ。

 

『……名取?』

 

 ——名取が、突然その顔を歪ませて、静かに涙を流し始めたのは。

 

『…………ほん、とうに。申じ、……っ訳、ありまぜんでしたっ……』

『お、おい。いきなり……どうしたんだ名取』

 

 その時は分からなかった。何故、名取がこんなになって俺に謝っているのかを。しかし次の言葉を聞いた時——

 

『あのどきっ……提督さんは、ほんとうに辛そうな顔でッ……泣いていて……でもわだしは、怖くてッ……逃げて、じまいましたっ』

『……っ』

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ——名取が何故謝っているのかを重々理解することが出来た。

 

 あれは階段から突き落とされる事件が起こる、三日前の出来事だ。

 それまで名取と俺の接点はあったにはあった。ただ、それは俺と名取が廊下ですれ違う時くらいだった。しかも大抵名取は姉達と一緒に行動していたので、すれ違う際は長良と五十鈴の陰に隠れて、明らかに避けていたので、話したことも一度もなかった。

 そのくらい接点は無い等しい名取だったが、俺は突き落とされる三日前の夜。その日も無視や陰口、避けられるなどと言った対応を艦娘達に取られて、心身共に限界も近付いてきていた。

 

 いつになったら認めてもらえるのだろうか。

 

 いつになったらこの辛い状況から解放されるのだろうか。

 

 そもそも、なんで自分が前任の尻拭いをする形で着任し、こんな目に遭わなければならないのか。

 

 そのようなことをもはや精神安定を図るための代物となってしまっている日記に書き終わり、早めに就寝を取ろうと思ったのだが、その日はどうにも寝付けなかったので気晴らしに外に出てみたのだ。港の方へ歩くと、夜に寝静まった鎮守府を照らす半月が、雲一つ無い夜空で輝き、穏やかな海面にその月光を反射させていた。

 

 ——綺麗だ

 

 夜中の肌寒さを、暗闇の中で一人という漠然とした恐怖を感じるがそれ以上に、あの日の夜は、目の前に広がる暗い海の海面から、夜空の月へと伸びる月の道が、どうしようもなく綺麗に見えた。一年もの間、夜になればふと寝る前に、自室の窓から何度も見ていた筈なのに、すごく新鮮な気持ちになれたのだ。

 

 ——このまま足を踏み入れば、真っ逆さまで海に落ちるな

 

 だからだろうか。不意にそんな馬鹿げたことを思ってしまった。死にたいと。死んで楽になりたいと。

 

 試しに一歩、二歩と足をゆっくりと、防波堤の上を進めていく内に、様々な感情が湧き出してきた。

 

 もう限界だ

 

 ここで死んで良いのか

 

 楽になりたい

 

 死んだら何もかも失うぞ

 

 逃げたい

 

 逃げてどうするんだ。その先に意味があるのか

 

 ここまでやっているのに、どうして認めてくれないんだ

 

 認めて欲しいのか。認めさせたいのかどっちなんだ

 

 

 

 

 

 

 ——生きていても意味がない

 ——生きることに意味がある

 

 穏やかな波が打ち付ける防波堤の上で葛藤した。

 

 その時にはもう、足を止めて。

 

 ——ッ……くっ……

 

 静かに膝を地面につけて、涙を流していた。まだ葛藤があるのならば死ぬ覚悟なんて出来ていない。そんなこと、実行に移す前から分かっていたことなのに、俺は本気で死のうとも思わずに死のうとしたのだ。

 

 

 色々な感情がある。しかし何よりも、戦場で日夜戦い、生と死の瀬戸際に立たされている艦娘たちに、簡単に死のうと思った俺の行動が本当に、本当に申し訳が立たなくて。だからこそ、涙が止まらなかった。

 

 大の大人が夜中の防波堤の上でうずくまり、情けなくも大号泣している。

 

 誰か通りかかったら間違いなく変人として通報されるだろう。そんなことを思いながらも、俺は本気であの時は泣いていた。

 

『——っ』

 

 そんな時、足音と誰かの声がした気がした。

 

 不意に、その物音がした方を振り返ると、そこには誰も居なかった。

 

 気配を感じたのは気のせいだったか。

 

 不思議に思いながらも、そろそろ寝ないと明日の執務に差し支えると、涙を拭って誰にも見られないように自室に戻ったのだった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

『……そう、か。あれは名取、だったんだな……』

 

 当時のことを思い出し、感慨に耽る。

 

 そんな俺の言葉に対し、名取はコクリと頷き、ショートボブの髪を揺らした。

 

『……私も、あの夜……息苦しい鎮守府の空気に、険悪になっていた皆に耐えかねて、どうしようと悩んでいてっ……眠れなかったんですっ』

 

 しかし。あの名取が。姉達に隠れていた引っ込み思案な名取がここまで目の前で感情を爆発させるなんて。と当時は思った。

 

 

『辛い時は……港にある、防波堤で海を見るのが習慣でしたっ……ですがっ——』

 

 それまで顔を俯かせて、震えていて、静かな声だったが

 

『——でも私以上にあんなに、あんなに誰かにっ……だすけを求めていた方がっ……先に防波堤の、いつもの場所で泣き、崩れていたんです……』

『……』

『わだしはその時っ……何も出来ずにっ——ただ物陰で見守ることしかっ……出来なかったんです!!』

『——』

『わた、しは……卑怯ですっ……周りの空気、にながされてっ……提督さんのことを、っ! 避けてっ……普段から、何も出来なくて……努力して、も。いつも……優しく挨拶してくれる提督さんをわたしは怖がって……でも助けたくて、何も出来なくてっ! 五十鈴姉さんに長良姉さんが居ないと結局何も、なにも出来なくて——』

『…………』

『わたしが、よわい、がらなんですッ……あの夜、勇気をだして声を、かけられなかったわだしがっ……』

 

『名取——』

 

 

 

『わだじはわたじが嫌いですっ……! ——っ!!』

 

『っ! な、名取!』

 

 普段なら想像つかない程に声を張り上げた名取は、そこで執務室から走り去って行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——そんなことがあったりして、これまで他の報告に来た艦娘達の時も、赤城さんや名取の時と似たような状況になったりしている。そう。お互いにすれ違っているのだ。

 

 正確には赤城さんや名取の時と同じように、皆一様に俺に何かの思いを伝えたがっていて、俺はその思いを受け取るのを怖がって、逃げている。

 

 悪循環に陥っているのだ。

 

 ——俺と艦娘。どちらも互いに否定し合っているのだから、仲良く交流をすることなんてこれからないだろう。

 

 そんな俺の汚れて捻くれた子供のような心が、このすれ違いを生んでいるに違いないだろう。

 

 しかし、このままでも良いのだ。しっかりとした上下関係。事務だけの、仕事上だけの付き合い。

 

 ここは軍だ。

 

 上官とそれに従う部下。一定以上の関係になる必要はない。

 

 色々と迷ってはいるがどっち道、俺のしていることは間違ってないと思う。

 

 ただ。こうして艦娘達とすれ違う度に思うことがある。

 

 自分達が俺という一度裏切られた軍の人間を、艦娘達は恐怖し、強く反発し、これでもかと拒んできた。

 

 では今の自分はどうだろうか。あれほど恐怖し、あれほど自分達を苦しめた前任と、同じような酷いことをして、挙げ句に殺そうとしてしまった、俺という相手に、罪悪感に苛まれながらも歩み寄って来始めた艦娘達に対して、恐怖して、奥底では憎んでいて、ここ二週間拒み続けているのではないか。

 

 自分が今してることは、以前の艦娘達と同じようなことなのではないだろうか。

 

 そういえば。同級生をいざこざで泣かしてしまった時とかその度に、自分が嫌なことは他人にしてはならないと、ガキだった頃に今は亡き母からしつこく叱られたことを思い出す。

 

 考えてみれば今、自分が艦娘に対してしてることは、俺がされて嫌なことだ。

 

 また思えば、ここ二週間、艦娘達が報告に来る度、大体が俺の独り善がりの言動が発端で、元々気まずかったのが更に気まずくなってしまっている。

 

 

 俺は一体、何をしているんだ。艦娘達への当て付けなのか。それとも仕返しをしたいが為だけに、この鎮守府に戻って今、指揮を執っているのか。

 

 

 違うだろう。俺は——提督になりに来たんだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行くぞ。大和。翔鶴」

「はい」

「提督。無理しないで下さいね」

「ああ。分かってる」

 

 食堂の扉に手をかけて開くと——

 

 

 

 

 

 

「——あ! 電! その天ぷら一口良いかしら!」

「え? もちろんいいのです! 雷ちゃん。この大きなエビさんあげるのです!」

「わぁ。ありがとう電!」

「もう、雷。食事してるときは騒がないのがれでぃとして当たり前なのよ! しゃんとしなさい! はしたないわ!」

「いや、暁もうるさいと思うけど」

「えぇ!? そうかしら、響」

「うん。まぁ、別に良いんじゃないかな。賑やかだし」

 

 

 

 

 

 

 

「——あっ、時雨! 間宮券あるっぽい! 良いなぁ」

「ほんとだー。良いなぁ時雨ちゃん」

「うん。四日前の哨戒任務で提督がくれたんだ。春雨は?」

「私はもう前に使っちゃったな。間宮アイス、凄く美味しかったよ」

「へぇ〜! 春雨もなのね。やっぱり提督さんは良い人っぽい! 皆この前まで悪い人だから無視しようって言ってたけど、あれは嘘だったのね!」

「……うん。そうだね。提督は、ここ一ヶ月の素晴らしい鎮守府を作り上げた、本当の功労者だからね」

「……」

「え? でも時雨、この前は悪い人って言ってたっぽい!」

「……うん。そうだね。ゆる、されないよね……僕」

「……時雨がもしかして提督さんに悪いことしたのなら、ちゃんと謝った方が良いっぽい」

「うん。いつか、僕が旗艦になって、報告に執務室に行けるときが来たら土下座してでも謝るよ。必ず」

「その時は夕立も付き合ってあげるっぽい!」

「……私も付き合うよ。時雨ちゃん。夕立姉さん」

 

 

 

 

 

 

「——最近私、調子が良いんだよね」

「そうなんですか? 川内姉さん」

「うん! なんかねー、夜戦モードの私がずっと続いてる感じ?」

「それは……すごいですね」

「ちょっとなんで神通は引いてるの?」

「い、いえ……あの、夜戦の時の川内姉さんは凄いですから。それが最近ずっととなると……ちょっと」

「ええ! なんだよー。じゃあ那珂はどう思うの」

「え? 那珂ちゃん? 別に川内ちゃんが良いなら良いんじゃないかなー」

「あ、なんか誤魔化した感じがするっ」

「……でも確かに、夜戦モードの川内ちゃんがずっととなると、流石に敵に同情しちゃうなって那珂ちゃんは思っちゃう」

「ですよね」

「もー! 二人共なんかヒドい!」

 

 

 

 

 

「—— ……」

 

「……」

「…………」

「……はぁ。大井っち」

「……? なんでしょうか。北上さん」

「ここ最近特に元気ないじゃない。何かあったの」

「えっ……いえ、特に無いですけど」

「特に無くて、私だけに甲斐甲斐しい大井っちがこんなに喋らないっていうのは有り得ないでしょ。何、相談乗るけどー?」

「……ですが、本当に無くて」

「……提督の事?」

「っ!」

「……はー。もう分っかりやすいなー大井っちは。提督と何かあったのかは聞かないけど、モヤモヤするんだったらさっさと会って話し合ってくれば良いじゃん」

「……でも! そんなの」

「もしかして怖い?」

「……」

「……大井っち。私も同じように提督としっかりと話し合いたいと思ってるよ。そして、キチンと謝って、解体されるならされるで良いかなーとも思ってるんだよね」

「……!」

「私、あの人の命令ならどんなものでも受け続けるつもり。例え、大破状態で進軍しろと言われても、私は胸を張ってその命令に従うことが出来る」

「……北上さん! それは——」

 

「——大井っち」

 

「!」

「大井っちが今、あの人にどんな思いを抱いてるのかは知らない。でも、私は本気。あの人は私達にとって人間を信じられる最後の希望。砦だよ」

「……北上さん」

「あの人が生きている限り、私は全力で人間を救う。あの人の故郷を守るために。だから私はあの人のために戦う。大井っちはどうなの。今、戦っている理由は何?」

「……私は」

「……」

「私にとって北上さんの為に戦うことは当たり前でした。……ですが、正直最近、戦っていても妙な気力が無くて、呆けてることが多くなっていたんです」

「うん」

「私は……人間が嫌いです。特に前任、軍人という人間が。目にした瞬間、砲撃して消しとばしたくなるほど。ですが最近、皆さんが一度自分たちの手で拒んでしまったあの人に振り返ってもらいたいと、必死に任務に励んでいます」

「……うん」

「そんな中、私は何故かやる気になれないんです。あの人のことを、本当に信じていいのか。あの前任と同じ軍人なのに、本当に背中を任せて良いのかって」

「……」

「ですが……北上さんの提督への思いと決意を聞いた瞬間から、こう段々と自分の中で変わりつつあります。これからは軍人としての彼では無く、一人の人間として見ようと」

「そうなんだ」

「はい」

「じゃあ、もうこの後は大丈夫だね。大井っち、付いていかなくても良いよね」

「……はい」

「よし。この昼食が終わったら早速執務室に行こうか。やっぱり心配だから途中まで付いてく。ケリ付けてきなよ?」

「はい!」

 

 

 

 

 様々な談笑が聞こえてくる食堂。俺はついに半年ぶりにここで食べるらしい。

 

「……やっぱり多いな」

「だ、大丈夫ですか?」

「あ、ああ」

 

 早速動悸がしてくる。トラウマに近い大勢の艦娘に囲まれているせいだろうか。

 

 大丈夫だ。問題ない。俺は提督だ。これはショック療法だ。我慢しろ。

 

 自分をそんな言葉たちで励ましていると

 

 

「……えっ」

「っ!」

「司令、官?」

「……提督、さん」

「どういうこと?」

「何か口頭で連絡があるとか……?」

 

 

 と、やはり騒がしくなる。

 

 そんな騒然としている状況下で、「あ。あそこの席空いてますね。先に翔鶴と座っておいて下さい。私は水取って来ますので」と、大和が手を引いて空いている席まで連れていってくれた。

 

「……提督? 何を頼みますか?」

 

 翔鶴と席に座ると、早速、翔鶴が聞いてきてくれた。この状況で自分から話をするというのはキツイから助かる。

 

「ん、ん? ああ……じゃあ今日はB定食で」

「分かりました。では、私もB定食にします」

 

 と、俺みたくB定食が何なのか注文表を見ないで決めてしまう翔鶴。

 

「……え? いや、俺に合わせなくても良いんだぞ翔鶴」

「いえ、無理にではなくて。私もたまたまB定食が良いなって思っただけですよ」

 

 注文表を見ないでか。

 

「でもB定食、大盛りキムチ炒飯だぞ? 女子にはキツいんじゃないか?」

 

 と、そう聞くと、途端に翔鶴は、得意げな微笑を浮かべた。

 

「ふふん。提督。私は空母です。こう見えて結構食べられるんですよ?」

「……ああ、なるほど。確かに空母は運用する上で多くの資源も必要になってくるし、その分動かす方も燃費が悪いのか」

「そうなんです。ですから結構、空母の私達はお腹周りを気にしてるんですよ」

「いや、大丈夫だろ。皆それ以上の運動はしてるんだから」

「ふふっ……そうですね。それより、嬉しいです」

「……ん? どうしてだ」

 

 俺がそこで首を傾げると、翔鶴は若干頬を染めて、こう言ってきた。

 

「提督が私のことをちゃんと女性として見てくれてると分かったから……ですかね?」

「え? いや、当たり前だろ」

 

 逆に翔鶴みたいな大和撫子を女性以外にどう見たら良いんだ。

 

「その当たり前なことをやってくれるのが女としては嬉しいのですよ。提督」

「……そうか」

 

 褒められているらしいので、素直に嬉しい気持ちだ。

 

「では、私が食事を取ってくるので、提督はここで待っていてください」

 

 翔鶴はそう言い残して、間宮が居る厨房の方へ歩いて行った。

 

 さて。

 

 

 

「「「……」」」

 

 

 なんだか妙に皆から睨まれてる気がするが、なんでなんだろうか。実はさっきから気付いていたのだが、俺と翔鶴の会話を、皆耳をすまして聞いていた。

 

 途中までは興味本位で大多数は聞いていたのだが、俺が翔鶴に『当たり前なことをやってくれるのが女としては嬉しいのですよ』と、褒められた時から、なんだか敵意を感じる鋭い視線になった気がする。

 

「「「……ッ!」」」

 

「……っ」

 

 大和。早く来てくれ。この静まった食堂の重い空気を打開してくれ。

 

「——提督。お待たせしました。氷水です」

「お、おお! ありがとう大和」

 

 と、そんな時。にこやかに微笑しながら水を持ってきた大和が救世主に見えた。

 

 周りには静かにチラチラと視線を送ってくる艦娘達という完全アウェイな状況だったが、大和が席に来たことによって安心感のボルテージが上がり、その肩に勢い余って片手を置いてしまう。

 

「えっ……」

「っ! す、すまん!」

 

 頬を赤らめる大和の肩から手を離し、直ぐに着席する。恥ずかしい。普段はこうして感情を素直に出すことは無いんだが。

 

「い、いえ。そのっ……私が注ぎます、ね?」

「お、おう。ありがとう」

 

 意識してるのかまだ頬が赤い大和がトクトクトクと注いでくれる。

 

 一方でコップを持っている俺は、さっきのボディータッチは明らかなセクハラではないかと自責の念に駆られている。

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

「——あの。司令官!」

 

 誰も艦娘が話しかけない、奇特で気まずいこの状況の中で、一人俺に話しかけてきた艦娘がいた。

 

 

 

 

 

「初めまして! 先月呉鎮守府からここ、横須賀鎮守府に着任した、特I型駆逐艦 吹雪です! よろしくお願い致します! 司令官!」

 

 



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第十話 新たな風

大変長らくお待たせしました。


「……」

 

 翔鶴、そして大和以外誰も俺に話しかけてこない。多くの艦娘たちが、こちらからも感じられるほどに気まずい空気を侍らせながら、遠巻きに見ている、そんなどちらとも気まずい状況下で話しかけて来た一人の艦娘。

 

 ──特I型駆逐艦一番艦 吹雪。前々から呉鎮守府から異動してくる優秀な艦娘が居たと聞いていたが、そうか。俺が入院した時と同時に、入れ替わる形で来たのか。

 

 華奢で、すこし顔に幼さを残しつつも、駆逐艦ながら、何処かしっかりとした雰囲気が並の駆逐艦よりある印象だ。

 

 二ヶ月前。現在呉鎮守府の司令官である坂本提督という、士官学校の時にお世話になっていた先輩から、「そちらに優秀なんだが、まだまだ精神的にも、戦いの面においても若い子だ。しかし、お前の今の状況を良くしてくれると思う。どうか、よろしく頼む」と無理矢理な形で移籍させてきたという経緯があるのだが。

 

 ところで、なんと言っても。

 

(……)

 

 ……確かに、今の状況になにかの変化を起こしそうだと。突拍子もなく、そう思ってしまう。そんなオーラがある。

 

「──あの、司令官?」

 

 と、考えごとをしていると、吹雪が中々返答がこない俺に小首を傾げてきた。

 

「……あ、ああ。君の話は二ヶ月前から聞いていた。来てくれてありがとう。すまない、こんな形で、しかも初めて挨拶をすることになって」

 

 そんな俺の不甲斐なさがある言葉に、吹雪はそんなことを気にしてないと一目で分かるほどの、快活な笑みを浮かべてくれた。

 

「いえ。司令官が階段で事故を起こして入院していたことは、先輩達から聞いていましたので。……その、大丈夫ですか? お怪我の方は」

 

 なんだか新鮮である。大和達以外の艦娘から体の心配をされるのは。

 

「……大丈夫。あと数週間もすれば完治するだろうからな。心配してくれてありがとう」 

 

「いえ。前々から坂本元司令官の方から、色々と司令官のことは聞いていましたので……その影響なのか、実はここに来る前から少し、司令官のことについて興味があったんです」

 

「あ、そうなのか。あの坂本先輩が」

 

 因みに、もう一つ付け加えると、坂本先輩は提督になる前に一ヶ月ほど呉の方で提督補佐をしていた頃でもお世話になっている人だ。23才ながらも、日本で二番目に規模が大きい呉鎮守府を指揮している凄い人でもあるため、色々と提督について教えていただいたということもあって、士官学校時代からもだが尊敬している人の一人だ。

 

「はい……ですが、今こうして対面して話してみると、坂本元司令官が話した通りに優しく、そして生真面目という印象を受ける人ですね」

 

 そうして柔らかく、気恥ずかしさなのか頬染めて微笑んでくる吹雪。

 それに一瞬見入ってしまうも、いかんと思ってそこから自然と目を逸らして、話も逸らす。

 

「あ、ああ、えと。そうだ……横須賀鎮守府に来て一ヶ月……どうだ。ここは。上手くやっていけそうか?」

 

「「「……っ」」」

 

 そんなタジタジになる俺を見て、周囲で一連の会話を見守っていた艦娘達から少しクスッと笑われた気がする。

 イラッとくるよりは、恥ずかしさに似たむず痒さを感じたので、意地で吹雪の方へまた目を合わせると、そこには同じようにクスりと笑う吹雪がいた。

 

「ふふ……あ、失礼しました。はいっ! ご飯も美味しいですし、先輩達も親切で……何より、横須賀の海は綺麗ですから、今のところ、施設面においても呉鎮守府に見劣りしてないので、以前と比べてみても変わりなく過ごせています!」

 

 坂本先輩から聞いている通りに、若さと明るさが比例している子だ。

 

 ──そして不思議と。今まで俺と艦娘達の間での気まずさで沈み気味だった食堂の雰囲気が、吹雪が話し始めてから緩和されていっている気がする。

 

「……そうか。確かに、俺もよく一人で海に見に行くときがあるからな」

 

「そうなんですね! 私もよく呉の方でも、時間があれば海を見に行っていたんですけど、今や横須賀の海の虜になってます! 特に海軍カレーパンを食べながら、夕日が沈む水平線を眺めるのが好きですね!」

 

「お、おう。そうか」

 

「その時は良く夕立ちゃんと一緒にいくんですよ!」

 

「そうか。夕立と……」

 

 夕立。関わりは廊下ですれ違う程度だったが、その時には萎縮気味でも、勇気を出して小さな声でも毎回挨拶してくれた数少ない艦娘の一人だ。

 

 本当に優しい艦娘なんだと、関わりが少なくてもわかる子だ。

 

「夕立ちゃんがですね。水平線に沈んでいく夕日を指差しながら……「っ! 吹雪ちゃんその話はダメっぽいぃ〜っ!」……夕立ちゃん!?」

 

 そんな吹雪の話を遮った夕立が慌てて前に出てくる。

 

 当時からこんなに確りと夕立を目の前で見たことが無かったので新鮮だ。容姿からでも分かる通り、きっと仲間たちの前では吹雪と同じくらいに凄く元気な子なんだろう。

 

「どうしてもこうしたもないっぽい! 提督さんにその話は恥ずかしすぎるの!」

 

「……」

 

「……吹雪ちゃん?」

 

 と、そこで吹雪は何を思ったかすこし悪戯な笑みを浮かべて、次には少し大きな声で態とらしく

 

「それで、『そこで暁の水平線に勝利を刻むっぽぉい!』っていきなり夕立ちゃんが立って……「ダメっぽいぃ!!」ん〜!?」

 

 そんな夕立の面白い話を食堂に聞こえるように言いかける吹雪の口をまた慌てて両手で塞ぐが、殆どの内容が漏れてしまっているので無意味である。

 

「……ぷはっ! ちょっと夕立ちゃん! 苦しぃ……ん〜!」

 

「もう話させないよ吹雪ちゃん! ああ顔熱いっぽいぃ〜!」

 

 そんな吹雪と夕立の小さな攻防戦を、一応ここの鎮守府の最高指揮官である俺の目の前で繰り広げているという、着任当初からあり得なかったシュールな光景に、それを見ている軽巡や重巡を中心に微かな笑い声が広がっていく。

 

 いつの間にか側にいる翔鶴はクスりと片手で抑えて笑い、大和は我慢しているのか少し体を震わせている。

 

 そして、そんな周囲の雰囲気に流されて────

 

 

「──ぷっ、ははっ! ……」

 

 今まで、張り詰めていたものが。

 

「ははは────」

 

 今まで肩にのしかかっていた何かが。

 

「……提督?」

 

気づけばどこかに行ってしまっていた。

 

「くっははは!」

 

 大和が怪訝な顔をしているが、そんなこと。

 

「「「──!」」」

 

 周囲に居る一部艦娘達も驚いた顔をしているが、そんなこと、今は関係ない。

 

 俺が今心から笑えているのは目の前で、まだみんなから笑われていてもなお続けている吹雪と夕立の絡みを見ているのもあるが

 

「……ははっ」

 

 何よりも。着任当初から夢に見ていた、艦娘たちと俺が心から笑えている状況になれたことが……嬉しくて、嬉しくて。

 

 これはそう。嬉しくて笑っているのもあるかもしれない。

 

「えっ、司令官?」

 

 そんな感慨深くなっていると、目の前の吹雪と夕立が不意に絡みをやめた。

 

「あ、な、なんだ?」

 

 一瞬絡みをやめたのは俺が変な笑顔を浮かべて気持ち悪かったからかと不安に思ったが

 

「……なんで、涙を」

 

「「「……?」」」

 

 吹雪の言葉と、艦娘たちの不思議そうに向けられてくる視線たちにハッとして、自分の手を瞳に伸ばすと、確かに涙に濡れていた。

 

「──え?」

 

 

 

 

 涙を流していることに自覚は無かった。しかし、どうして無意識のうちに涙を流しているのか。その理由は……

 

「どうして……泣いているっぽい?」

 

 夕立が怪訝な顔してもう一度質問してくる。

 

「……いや、ははっ。どうして、なんだろうな」

 

 ──いや、もうその理由の答えはわかっているではないか。

 

 心がそう急かしてくる。

 

「提督……」

 

 心配そうな目で、翔鶴が俺を呼ぶ。

 

 しかし、なんで涙を流してしまったのか。その理由を今ここで吐いてしまったら、艦娘たちから軽蔑されないかと心配でならない。

 

 そもそも、ここ一ヶ月。鎮守府は俺が居なかった方が正常に機能していた。これまで一年間という貴重な時間を、無駄にしてしまった無能な司令官である俺が、果たして『艦娘たちと俺とが、こうして心から笑っているこの夢にまでみた状況に感極まってしまった』と、言っていいのだろうか。

 

 そんな不安の波が押し寄せてくる。

 

 ああ、まただ。また、()()()()()()()()()()()と思い始めている。

 

 しかし、また心の中で問いかけてくるのだ。

 

 ──また、自分から手放してしまうのか

 

 そんな警告に似た良心が。

 

「……」

 

 嗚呼、またか。

 

 

 その時、足が自然と後退り、出口に向かおうとしていたが

 

 

 

 

「司令官!」

 

 今までにないほどに透き通った吹雪の声が、俺の足を止めた。

 

「……この鎮守府の過去に、何があったんですか」

 

「……っ!」

 

「ふ、吹雪ちゃん!」

 

 周りで固唾を飲む音。夕立が止めようとする声。しかし、吹雪は止まらない。

 

「私は着任して一ヶ月間、何があったのか仲間たちに聞いてみても誰も話してはくれませんでした。このことばかりが、この鎮守府で過ごしてる中で、唯一心にしこりを残しているんです。そして今、司令官が涙を流したのは……きっと、それに関係することなんですよね?」

 

「……」

 

「提督」

 

「……」

 

「……私は、ここの。横須賀鎮守府の本当の艦娘になりたいです!」

 

「──!」

 

 そうだったんだな。

 

 吹雪は確かに、もうここの艦娘になり、その明るさで多くの仲間を作った。

 

 しかし、吹雪の中では、どうしても。過去に横須賀鎮守府であった事件の真相を聞けずに、本当の仲間意識になれなかったのだ。だから不安で、本当にここの仲間たちは信用してくれているのか不安で仕方なかったのだとしたら。

 

 このまま、逃げていてはダメだ。

 

 この鎮守府に流れ始めた、()()()()を、ここで途絶えさせてはダメだ。この風を途絶えさせてしまえば、それこそ無能だ。

 

 

 もう、散々反省したではないか。

 

 もう、沢山苦しんだではないか。

 

 そんなもの、もう懲り懲りだ。

 

 

「……分かった吹雪。あとで1600に執務室に来てくれ。その時に洗いざらい話す」

 

 ここからだ。

 

「っ! は、はい!」

「そしてさっき涙を流してしまった件だけど……ただ嬉しかっただけなんだ」

「──嬉し、かった?」

「……こ、こうして皆で笑えたのは、着任当初から考えられなかったんだ。だからこうして笑えたのが嬉しくて……いや、ま、まあそのことについてもあとで話すから、ここではもう勘弁してくれ」

 

 そう。ここからなんだ

 

「「「……!!」」」

 

 その言葉に、艦娘たちの多くは驚きながらも頬を染めた。

 

「……」

 

 そんな中、夕立一人が凄く不思議そうな顔をしていた。

 

「な。なんだ夕立……顔に変なものでも」

 

「……あ、いや……その。もしかして提督さんって……」

「お、おう」

「色々と不器用な人……っぽい?」

「ぷふっ!」

 

 そんな夕立の言葉に、隣で大和が吹き出す。

 

「や、大和?」

「い、……いえっ。すみません。くしゃみで……っ」

「……そうか」

 

 ……普段の俺ってそこまで大和が共感できるほど不器用なのか。というか翔鶴も体震わせて明らかに笑ってるな。

 

「大和」

 

 なら、どうやら不器用らしい俺のことを笑った仕返しをして、器用なこともたまにはすることを主張してやるか。

 

「っ……は、はい」

「昼食は没収な」

 

 そうして、机に置いてある昼食をのせたトレーを持って厨房に返しにいこうとすると

 

「も、申し訳ありません! もう、もうしませんからそれだけは!!」

「……ほーん。ならこの天ぷらを譲渡すれば今日は許してやる」

「え……」 

 

 冗談なのにそんな悲しそうな顔されると冗談ではなくなるではないか。

 

「……仕方ありません」

「嘘に決まってるじゃないか」

「えっ!」

 

 全く。普段の頼れる秘書艦大和はどこに行ったのやら。食い意地がすごくて、なんだか

 

「ははは!」

「もうっ! 提督!?」

「ぷ、はは! すまんすまん大和」

 

 笑えてくる。

 

「──!」

 

 そして、そこで吹雪は少し驚いた表情をみせた。何故かは知らないが今まで俺と吹雪との会話を見守っていた周囲の艦娘達も瞠目させている。

 

「……ん? どうした、吹雪」

「い、いえ、その。失礼ですが、先輩達から、提督は着任から本物の笑みを見せたことがないと聞いていたので……」

「……」

 

 言われてみればさっき。俺は確かに自然に笑顔になれた気がした。自分でもそれを思い出して、驚いている。

 

(でもそうか。確かに、あいつらの前では作り笑いを見せてしまっていたな)

 

 それはつまり、あまりにも躍起になりすぎて、緊張してしまい、自然体で接していなかったということだろう。その結果、作り笑いをしてしまい、胡散臭く見えて、信用されなかったのかもしれない。

 

 俺がこれまで艦娘に信用されず、積もりに積もった不信感と憎悪で階段の事件に至ってしまい、今のような微妙な距離感になってしまっている原因は、俺自身にもあったのだ。

 

 前任への憎悪。人間への不信感以外に、俺の態度にも原因があった。

 

(無視しても、陰口を叩いても、殴っても、蹴っても、辛いはずなのに作り笑いをして、そのような行為を黙認するような上官がいたら、俺は果たして、そいつのことを信用し、ついていけるだろうか)

 

 答えは否だろう。

 

「……そうか」

 

 少し考え込んでから返事をする俺に、吹雪はたどたどしくなり

 

「す、すみません提督! 私変なことを──」

 

 失言があったのかと、頭を下げようとするが

 

「──いや、ありがとう吹雪。夕立」

「え?」

「……ぽい?」

 

 そんな唐突の感謝に、吹雪と夕立は首を傾げた。

 

「いや。……なんでもない。吹雪、夕立。そろそろ席に戻って食べた方がいい。時間も時間だからな」

「あ、はい! それでは、失礼します! ほら行くよ夕立ちゃん」

「そうね! 提督さん、失礼しましたっぽい!」

「──」

 

 そう。俺は今まで本当の自分を失いかけていた。

 自分を抑え込み、艦娘達に対して理想であろうとする心が災いし、理想の提督を演じて接し続けていたのだ。

 

 自分の席へ戻っていく吹雪の背中を見て、ふと思う。

 

 

 

 ──また、話をしたい。

 

 そうしたら、また何か。俺に気付かせてくれるかもしれない。

 そして、吹雪という新しい風をきっかけに、この横須賀鎮守府は前に進み始めるかもしれないと。

 

 吹雪と話す前までは、これからどうしようという一抹の不安があった。しかし、こんなに短く、何気なかった会話の中で、自分の過ちに一つ気付くことができた。それに少なくとも、艦娘である吹雪とは正常に話せた。不思議といつもかくはずの冷や汗もかいてない。

 

 そしてなんと言っても、吹雪と夕立のおかげで、他の艦娘たちと話せてないにしろ、距離は縮められた気がする。

 

いや、そうか。今日の1600に。また話せるではないか。

 

そうして艦娘とまた、話したいと思えるようになったのも。

 

 これは明らかな進歩ではないだろうか。

 

(たとえそうでなかったとしても。俺はそう思いたい)

 

「提督」

 

 そこで、隣で座っていた大和から声をかけられた。

 

「ん? 大和。どうした」

 

「いえ。ただ伝えたいことが一つありまして……」

 

「……?」

 

 少し言いづらい言葉なのか。はたまた、恥ずかしい言葉なのか分からない。そんな表情をした後。

 

 少し頬を赤らめてから、大和は美しく微笑んできた。

 

「先程見せてくれた笑顔。とても、素敵でしたよ」

 

 

 その言葉に、さすがに驚いて、次の返答が上擦った声になってしまう。

 

「……そ、そうか。いや、まあ。これからはもう少し心を開けるように、頑張るから。その……」

 

「ふふっ、分かってますよ。気長にお待ちしております」

 

 そんな俺を見て可笑しそうに笑う大和に、釣られてしまう。

 

「——……ああ。待っててくれ」

 

 

 

 俺はそう言って、また自然な笑顔になる。今度もちゃんと笑えているだろうか。そんなことを思いながら昼食を食べるために席につくのだった。

 

 



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第十一話 妖精さん

遅れてすみません。今回は少々短めかと思いますが、見て頂ければ幸いです。

追記 (2020, 3/6 22:14)

実は本作品のこれからのことについて、皆さんから意見を聞きたいことがあるんです。本日より追加した、活動報告の方にそれらの詳細が記してあります。もし良ければ、私のマイページの方から活動報告に飛び、次いでにそこに記してある、私が皆さんに聞きたいことの詳細を見て、ご意見を頂けると助かります。

失礼致しました。


 吹雪たちとの一悶着があったその後。特に状況は変わりなく、依然として向けられてる視線達は気になるものの、腹が減っていたせいかすぐに平らげてしまった。

 今までであったなら、艦娘たちに囲まれた状況で食べるなんて言語道断だったのだが、先ほどの吹雪と夕立の絡みで一緒に笑い合えたのが理由なのか、今はそこまで恐怖感などその他諸々の感情は湧き上がってこなかったので、なんの問題もなく昼食にありつけられた。それに、側に大和と翔鶴も居てくれたおかげで、比較的リラックスした昼食を楽しむことができたのもある。

 

 このひと時で、こうも人というのは心情が変わっていくのか。

 

「……ふぅ。美味かった」

 

 そんな様々な因果があって平らげた今日の飯は、この頃で一番美味かった飯だと言える。そんな余韻を乗せた満足気な俺の言葉に、翔鶴も丁度平らげたのか、反応してくれた。

 

 

「……はい。美味しかったですね」

「なんだか、いつもより……美味く思えた」

 

 率直な本音を溢すと、翔鶴は「だから度々、提督のことを誘っていたんですよ。みんなと食べるご飯は美味しいですから」と、静かな笑みを溢した。

 

「ああ……そうだったな。すまなかった。今まで断ってしまって」

「いえ。良いんですよ。提督に非があるわけではありません。これは、私と大和さんの……提督と出来れば昼食を共にしたいという我儘に過ぎ無かったのですから」

「それでも、翔鶴と大和が今日誘ってくれていなかったら、俺はこれからも、恐怖心という狭い牢の中に閉じ籠っていたかもしれなかった。今日、俺は一つ、吹雪と夕立と接することで、今まで気付かなかった……いや、気付かないフリをしていた自分の過ちを、再度認知することが出来たんだ」

「……このひと時が、提督の心中で何か変われたきっかけになったのであれば、私は幸いでございます」

「ああ。ありがとう翔鶴」

 

 そう。俺がここ一年間。艦娘たちのことを救済しようと尽力しようとしたが、当の艦娘たちには認められなかったこと。

 

 (はた)から見れば、多くの人は俺のことを『どうしてこんなに頑張っている提督を認めないのか』『大本営に騙されて、態々こんな魔境に入れられた提督が不憫すぎる』と擁護するだろう。実際。大和たちはそう擁護してくれている。しかし、それは大きな間違いなのだ。

 先程の、吹雪と夕立との会話で分かったことである。それは、艦娘たちに、『理想の提督』という一つの軍人として接してしまっていたということ。なにも反論もせず、ただ無視や暴力をされているのに、上官として罰則を与えなければいけなかったことを黙認していたということ。これは罪なんだと。しょうがないんだと心の中で諦めて、これまで前任が犯してきた艦娘たちへの人間たちの罪を、この身一つで無理やり清算させようとしたのだ。

 

 当然、艦娘たちからしたら上官という立場ではなく、上官という立場でありながら、まんまと艦娘たちからの酷い行いを受けにきた、そんな胡散臭い人間が提督として着任してきても、誰も信じるはずがないのだ。

 

 部下である艦娘——能代に、階段から突き落とされたあの騒動も、これまでの積もりに積もった不信感などが災いしているのだろう。

 

 被害者の皮を被った加害者だったのだ。俺は。

 

「……」

 

 そんなことを自覚すれば、当然かなり気が落ち込んでくるが、自分の過ちの全容を理解し、これで先に進める手立ての一つとなると思えば、そう悲観はしなかった。これまで紐解け無かった、絡みに絡まった糸のような、俺と多くの艦娘たちとの辛く、暗い過去からなるすれ違いの関係に、今回の出来事を皮切りに、新しい一歩を踏み出せる気がする。

 今はまだ不安要素しかないこの鎮守府だが、小さな希望の光が灯ろうとしている。俺がこれからすべきことは、その灯りを消えさせず、大きく、そしていつの日か、艦娘たち全員が『帰りたい』と思える鎮守府を作り上げることだ。

 

 その為の第一歩として、やはり艦娘たち全員との和解をしなければならないだろう。

 

 問題は山積み。だけど、着任当時と比べれば、まだ希望がある。

 

 ——必ずやり遂げて見せる。

 

「……」

「提督?」

 

 自然と力が入る拳を見ていると、翔鶴が不思議そうな顔色をさせてきた。

 

「あ、ああ。どうした」

「いえ、なんだか少し呆けていたので、不思議に思っただけです」

「いや。まあ……大丈夫だ」

「なんですか。その釈然としない返事はっ」

「す、すまん」

 

 頬をむくらせる翔鶴への反応に困っていると

 

「——二人とも。麦茶を持ってきました。食事終わりに一杯如何ですか?」

 

 その時、氷が入った麦茶を持って大和が来てくれた。

 ナイスタイミングだ。

 

「ありがとう大和。頂くよ」

「大和さんありがとうございます」

 

 俺と翔鶴は礼を言い、麦茶を一口含む。「ふぅ」と、落ち着いた余韻に浸っていると、翔鶴はゆっくりと顔をこちらへ向けた後に口火を切ってきた。

 

「ですが、実は今回もそうでしたけど、提督はご飯の時になると、今のように呆けていたり、いつもそちらに夢中になるもんですからね。話しかけても無視されることもしばしばありますし」

 

 ——と、少々揶揄うような微笑みを浮かべながら、そう言ってきた。

 

「え。それは……本当なのか」

 

 翔鶴に驚きながらそう聞き返せば、直後に「はい」と返答してくる。どこか様子がおかしい。もしかしたら、先程俺に話しかけてくれたが、飯に夢中になってて気付かなかったために、少し気に障っているのかもしれない。

 

「そ、そうなのか」

 

 そういえば確かに、俺が最後のスパートでご飯をかき込んでいたとき、隣から声がかけられた覚えがあるような。しかし、食堂は今、先程のピークは去ったものの、まだまだ他の艦娘達が談笑をしながら食べている。

 

 多分だが、翔鶴が俺へ話しかけたとき、丁度真後ろの席で、背を向けて談笑に勤しむ、二人の艦娘の声が重なってしまい、俺の耳に届かなかった可能性もあるが。

 

「……ごめん。今日はさっきまで何も食べてなかったから、しかも久々の間宮さんの料理となって、余計に飯に集中してしまって」

 

 そんなことを長ったらしく語っても意味がないというか、ねちねちそんな言い訳を吐く生き物は海の男じゃない。なのでここは素直に謝る。

 

「……」

 

 そんな俺の謝罪に、依然として無言の『笑顔』なのだが、それは普段から向けてくる優しげな『笑顔』とは程遠いものだった。

 なんだか。こう、冷たい感じである。率直に怖い。

 

「あの……翔鶴、さん」

「はい。なんでしょうか。提督」

「えーっと……」

「……」

 

 またもや完璧な『笑顔』。いや、完璧すぎる『笑顔』だから尚更怖い。これほどまで『笑顔』に威圧感を感じるのは翔鶴くらいなものだ。

 

「——ふふ。翔鶴。その辺にしないと、提督が可哀想ですよ」

 

 と、そこで翔鶴のいる右隣の反対側。俺の左隣で何故か微笑みながら、こちらの様子を静観していた大和が、助け舟を出してくれた。

 

「提督は騙せますが、私は騙されませんよ? 困っている提督を見て、本当は面白がってるあなたのことは」

「は?」

「えへへ。バレてしまいましたか。流石はこの横須賀鎮守府最強の船。その数十キロ先の敵もお見通しな『目』は誤魔化せませんか」

 

 拍子抜けして素っ頓狂な声を出した俺とは違い、二人はなおも話を続ける。

 

「今のはそんな事関係ありませんよ。寧ろ、こんな簡単な演技にまんまと嵌ってしまう提督に心配するほどです」

「……え?」

 

 てっきり助け舟かと思えば、大和は呆れたような顔で俺にそう言ってくる。

 

「そうですね。指揮能力は見事なものですが、まだまだ若いところが見受けられますよ提督。頑張って、日々精進ですよ」

「……はい?」

 

 そして、原因である翔鶴も大和のその言葉に便乗して言ってくる始末である。

 

 え? 今の俺が悪かったの? 

 

 そんな疑問をはっきりと浮かばせているような困惑顔な俺に、翔鶴は気付いたのか、耳元にその口を近付けて

 

(ふふ……申し訳ありません。提督)

「ふぇっ」

 

 と、そんな小悪魔が囁くように言ってくる。しかも、俺は耳が弱いことを知っていながらである。

 

「っ! しょ、翔鶴!? あなた今提督に何をしましたか!」

 

 咄嗟に大和がそれに気付き、声を張り上げるが、時すでに遅し。その時には、翔鶴は机にあるお茶を何知らぬ顔で啜っていた。素早い動きである。

 

「いえ。ただ謝罪を申し上げただけですけど」

「態々耳元で囁くほどのものではないですよね!」

「申し訳ありません。つい」

「『つい』とはなんですか『つい』って! 絶対反省してないですよね!」

「してますよ。ごめんなさい大和さん。ふふ」

「してないですっ! 大体翔鶴はですね——」

 

 必死に頬を赤らめながら抗議する大和と、それに冷静に、あくまで微笑みを絶やさず対応する翔鶴の対極的な二人の口論に、それを見守る周りの艦娘たちの反応は様々であり。

 

 ——大和はこの鎮守府では、能力的にも練度も最強の一角の艦娘。

 

 ——そして、翔鶴は鎮守府内で一航戦の赤城に次ぐ、練度を誇っている熟練艦。

 

 そんな二人が、間に俺を挟みながら、なんとも度し難い議題で言い争っているのだ。

 

 普段、この鎮守府を牽引し、貢献しているはずの二人がこうしているのを初めて見る駆逐艦たちや巡洋艦たちは、予想通りあんぐりとした感じで、驚いているのか、呆然としているのか分からない反応をしている。

 一方、戦艦たちや空母たちはどう反応して良いのか分からないので、瞠目させているか、苦笑させているのが大半であった。

 

「……」

 

 しかし、普段から冷静な大和がここまで踊らされるとは。

 なんと末恐ろしい人なんだろうか。翔鶴は。

 俺はその内、この人に骨抜きにされているのかもしれない。

 

 そんなことを考えながらも、流石にそろそろヒートアップしてきたので止めに入る。

 

「二人とも。一旦落ち着い——」

「「——提督には関係ありません!」」

「……」

 

 が、二人から同時にそんなことを言われてしまった。この場合また俺が悪いのかと内心困惑する。というか、冷静に対応していたはずの翔鶴もムキになってしまっている。このままじゃ後の祭りだが、かと言って俺もそうだが、艦娘内でも古参で武勲艦であるこの二人を止めに入れるような度胸がある艦娘はこの食堂にはいないという状況である。

 赤城さんと加賀さんがこの場にいれば、止めに入れるかもしれないが。

 

「大体翔鶴は最近提督との距離が近いんです! 自粛してください!」

「私は普通にしているはずですが。大和さんの意識的な問題なのでは?」

「はーん。……朝早く起きて提督の寝顔を拝みに行ってるようなあなたが『普通』だなんて冗談でも甚だしいですよ!」

 

 ん? 今聞き捨てならないものを聞いたぞ? 

 

「っ!? ……たとえ、もしそれが本当だとしてですけど。なんでそんな事を知ってるんですか? もしや大和さんも覗きに来てたんですか?」

「っ……ち、違うに決まってるじゃないですか! あの時はたまたま朝早く起きて……ああっもう! ああ言えばすぐこう言いますね! あなたは減らず口多連装砲でも付いてるんですか!」

 

 なんというか、反応を見るに翔鶴も怪しいが、大和も充分怪しいな。

 

「大和の方こそ……提督と私の話してるところに妬いちゃって、すーぐ私に突っかかるじゃないですか。突っかかり多連装魚雷でも付いているのではなくて?」

「は、はいぃ!?」

 

 

 ——さて。空の食器とトレイを片付けてこよ。

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 食堂では大和と翔鶴のヒートアップした口論を止めれそうになかったので、現在俺は一人で工廠に向かっていた。まだ吹雪との、16時に執務室で、これまで鎮守府でなにがあったのかを話し合うという約束まで早いので、野暮用というよりは個人的な用事を済ませに来たのだ。

 

 最近ではすっかりご無沙汰なのだが、階段から落ちる前まで、毎月に五回は通っていた。何故かというと建造も、開発もそうなのだが、一番は俺の個人的な理由でもある。

 

 それは——提督でありながら、『妖精さん』が見えない体質が関係している。

 

 実は工廠には、大和たちと一緒に行動するようになる前に、俺のことで親身になってくれた一人の艦娘がいたのだ。

 

 そんな彼女の名前は——

 

「——〜♪」

 

 工廠に着くと、そこで独りでに軽やかな鼻歌を響かせながらも、艤装の修理だろうか。夢中で作業をする艦娘——明石がいた。

 

「明石!」

「〜♪ ……あ、提督!」

 

 俺がそう呼ぶと、直ぐにこちらへ振り向き、作業を中断してまで小走りで迎えにきてくれた。

 

「こんにちは!」

「こんにちは。悪い……今忙しかったか?」

 

 相変わらず、着任当初の最悪な鎮守府の状況だった時からも、快活で、こちらも元気を貰える良い挨拶と笑顔だ。しかし、先程まで夢中で作業していたようにも見えたのだが。

 

「いえ。忙しいとは言っても、そこにいる妖精さんたちが、なんだかんだ、金平糖をあげれば、必死になって手伝ってくれますから大丈夫です。あと、私もそこまで職人気質ではないので、別に作業中に話しかけられても、鬱陶しいなぁとか思いませんからね。なのでこれからは別に無理に気を遣わなくても大丈夫ですから!」

「……そうか」

 

 そんな言葉に、下手に俺から気を遣わせようとさせない、人の好さが滲み出る彼女らしい返答に、俺もそれ以上追求はしなかった。

 

「はい! ところで提督。今日は何をご入り用で?」

「いや、何か欲しいものがあるわけじゃなくてだな」

 

 そこまで言って、明石も察したのか「あ、なるほど。ではアレですね」と言ってくれた。

 

「ああ。久しぶりなのだが頼みたい。今出来るか?」

「はい! 当然です! ……明石の出番ですね。準備しますので、どうぞこちらに座ってお待ちになってて下さい!」

 

 言われた通り、脇に置いてあったパイプ椅子に座り、待つことにする。

 

 今からやることなのだが、至極単純なものである。

 

 明石が妖精さんを俺の目の前に置き、俺がその妖精さんに色々なコンタクトを取るというもの。つまり、妖精さんが見えない体質な俺のリハビリみたいな感じである。

 

 と言っても、これが上手くいった試しはなかった。これまで何十回と繰り返してきたが、全て見えもせずに終わってしまっている。

 

「——はい。準備完了です! どうですか? 見えますか?」

 

 明石が準備したのは、金平糖が数個置かれている皿がある小机だ。しかし、俺には今見えていないだけで、明石からして見れば、実際には今そこに、金平糖をかじっている妖精さんがいるのだという。

 

「……いや、全く」

「うーん。一応今ので、試行回数は116回目ですね。提督、何か話しかけてみてください」

「……」

 

 そう言われてみると弱る。何せ相手は妖精さんだ。人間の世間話、しかも俺という世間話という話題もないつまらない男の話である。興味を持ってくれるとは考えにくい。

 

 はて。何を話そうか。

 

「え、えと。提督の趣味とかは」

 

 見かねたのか、話題の助け舟を出してくれる明石。

 

「……すまん。趣味という趣味はないんだ」

 

 だが申し訳ない明石。ここ数年は趣味にも充てる時間がないのだ。

 

「では昔話とかはどうでしょうか。なにか、学生時代の話は」

「学生時代か……」

 

 学生時代。別に特筆すべき思い出という思い出はない。ただ学校に行き、学友と一緒に遊んだり、勉強したり、協力して文化祭をやり切って、楽しんだり。友達も余り多かったわけでもなく、2、3人くらいでいつも行動していた。

 至って普通な学生生活であった。まだ提督候補生だったころの話であれば、覚えていることも多いし、少しは話せるのかもしれないが。

 

「明石」

「はい」

「……すまん。思いつかない」

「そ、そうなんですか」

 

 やはり妖精さんが興味を持つような話題が見つからない。たとえ見えていないが、ごく普通の学生生活を話したとしても、多分小首を傾げてもなお金平糖をかじっている妖精さんの姿が容易に想像できる。

 

「それでしたら……——」

 

 ——ヂリリリリリリ

 

 また、なにかの話題を提示してくれようとした明石だったが、突然工廠に鳴り響いた電話の音に遮られる。

 

「あ、す、すみません提督」

「いや、俺に構わず。ゆっくりでいいぞ」

「はい。少しの間失礼しますね」

 

 と、広い工廠の入口の方にある固定電話の受話器を取りに行った明石を尻目に、とりあえず勇気を出して。俺は少し妖精さんに話してみることにした。

 依然として、皿から独りでに宙に浮いたまま、妖精さんなのだろうか。少しずつ削られていく金平糖。そこに妖精さんがいるのは確実だった。

 

 不自然に、皿から宙に浮いている金平糖を真っ直ぐに見つめながら、俺は口火を切った。

 

「妖精さん……こんにちは」

 

 挨拶しても、特に宙に浮いている金平糖に変化は見られなかった。

 

「多分、明石から聞いているとは思うが、俺はここ横須賀鎮守府の提督という地位に就いている者だ。西野(にしの) 真之(さねゆき)という。これからもよろしく頼む」

 

 先ず何から話そうか。であれば、俺がここに来た時の話だろうか。別に話しても良いが、いきなり空気が重くなるのも忍びない。何せ指揮する筈の人間が、部下たちにひたすら無視されているという話だ。話している方もそうなのだが、その話を聞いてる方も悲しくなる。そしたら別の——

 

 そこまで考えて。やめる。ここは率直に聞こう。

 

「妖精さん。実は君だけではなくて、この工廠にいる全員にも聞きたいことなのだが」

 

 そんな俺の真剣な雰囲気を察したのかは知らないが、宙に浮いていた金平糖が、元の皿の上にゆっくりと戻されていく。

 実体は見えないが、気を遣ってくれているのが分かる。

 

「妖精さん。実は提督でありながら……俺は、君たちの姿を視認できないんだ。生まれて来てからずっと。そこで、君たちに質問なのだが、どのようなことをしたら、この先後天的に妖精さんを見える時が来るのか教えてほしい」

 

 君たちを見えるようになれるのにはどのようなことをしていけば良いのか。本人たちに聞くというのも中々に滑稽に感じるが、今まで明石にこのような実験を116回も続けてきて、未だに何も尻尾さえ掴めれずにいる。しかし、形振り構ってはいられないのだ。これから鎮守府が変わっていく為には、今のような、俺が認知していないところで妖精さんが支えてくれているこの現状ではなく、互いを認知し、フォローし合わなければならない。このままでは妖精さんだけが俺のことを認知して支えてくれるが、俺は妖精さんのことを認知していないので、一体何をフォローされたのかすらも分からずにいて、自分が何か、余計なことをしでかしてしまうかもしれない。艦隊運営の効率的にも悪ければ、最悪艦娘の命さえ脅かしかねない現状だ。

 現在はまだ、人間と深海棲艦たちの最前線での攻勢は見られないものの、あと数年もすれば、大規模な海戦が起こり得る可能性が高い。今のうちに、身内の厄介ごとは終わらせておかないと、いざと言う時にそちらへ集中できなくなり、結果敗戦してしまうのだ。

 

「……」

 

 しかし、妖精さんから一向に返事がこない。それはそうだろう。見えない状態でそもそもあんな質問を投げかけたって意味がない。

 

 であれば。

 

 咄嗟に胸ポケットから、手帳と鉛筆を取り出した。

 

「話せないのであれば、ここに言いたいことを書き記してくれるだろうか」

 

 たとえ見えなくとも、そろそろコミュニケーションくらいは取っておきたい。そんな気持ちで咄嗟に機転を利かせた結果、筆談という方法を取ったのだが、そもそも妖精さんたちは字を書けるのだろうか。

 

 ああ。くそ。行き当たりばったりだな。と、自分の計画性の無さにイラついてしまう。

 

「やはり……ダメなのか」

 

 今日のところは、引き返そうかと。

 

 明石も今、急ぎの電話中だし、このまま進展もないままここにいても、迷惑なだけだと。

 

 少し嘆息をしてから、開いたままの白紙のページと鉛筆を片付けようとしたその時。

 

「……っ!」

 

 奇跡だろうか。目の前の鉛筆が、先程の金平糖のように、独りでに浮遊し、動き始めたのだ。

 

 徐々に、白紙のページに低学年児が書くような拙い平仮名だけの文字が、書き記されていく。

 これまで何度話しかけても無為に終わった。提督候補生時代では、何度もやること成すこと、妖精さんが見えないことが壁となって立ちはだかり、皆んなから嘲笑と憐憫の目を向けられた。妖精さんが見えない提督としてレッテルを貼られ、当然若くして提督になった俺への、数々の軍人たちからの不満の風当たりは物凄くあった。時には、候補生時代に苦楽を共にしたはずの一部の元学友たちからも、数々の不平不満が一挙にぶつけられた。俺が一体何をしたというのかと。ただただ理不尽な世界と、偽善や建前で成っていた、友情とは名ばかりの虚偽の人間関係の醜さに、絶望し、悲観した。

 

 しかし今、目の前で、これまで苦しんできていた自分のコンプレックスでもあった『妖精さん』が、俺に初めて顔を向けてくれたのだ。複雑な気持ちだ。俺はこの物体が見えないという理由で、多くの人間関係に拗れを生ませられたというのに。何故、こんなにも嬉しい気持ちになっているのだろうか。これまで自分に理不尽に降りかかってきた悪意に対して怒りや不満、悲しみ。そして、これから妖精さんと初めて会話できるという嬉しさと希望。

 

 この数々の感情が今織り混ざって、気持ちが悪い感じである。

 

 だがついに、俺は妖精さんと。

 

 独りでに、ゆっくりと白紙のページに書き記していた鉛筆は、やがて動きを止め、机に倒れる。

 

 俺は書き記された手帳を、またゆっくりと、目前まで持って行った。そこに記されていたのは——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——ていとくをやめてください

 

 

「……は?」

 

 

 そこには、思わず呆けた声を出してしまうほどの、衝撃を受けてしまう文章が羅列していた。

 

 

 

 

 



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第十二話 『提督を辞める』ということ

今回は少しこの世界の歴史を遡ってみました。


 ──トラック諸島。そこは、かつて旧日本海軍の軍事施設が存在していた島であり、敗戦まで当時の大日本帝国が統治していた島でもある。しかし敗戦後。アメリカによる国連信託統治により、1986年にミクロネシア連邦として、名をチューク諸島に改名し、独立した。

 日本に統治される前から、スペイン、ドイツからの植民地支配も受けていたかつてのトラック諸島。しかし、第二次世界大戦という世界中を巻き込んだ大嵐の時代を経て、ついにチューク諸島の島民たちは、強者からの支配から脱し、独立することが出来た。

 

 

 

 

 しかし。2018年の夏。またもや、チューク諸島だけでなく、世界中にも、大規模な厄災が降り掛かってしまう。

 

 その厄災とは──深海棲艦の出現であった。

 終戦記念日である8月15日。突如として世界中の海域に出現した、人智を超越する力をもつ怪物たちに、当時運航していた多くの艦船たちが瞬く間に撃沈され、また太平洋、大西洋、インド洋に航行していた殆どのセスナ機、ヘリコプターなど低高度を飛行するあらゆる航空機も撃墜された。

 その被害は相当なものであり、急遽国連で会議に至るまでになったほどである。各国はまだ深海棲艦の詳細の多くを認知していなかった為か、世界情勢は第二次世界大戦が始まる前。世界恐慌以来の、国家間の緊張が生じた。

 それだけではなく、コンテナ船による海輸ができなくなったことにより、各国で品薄による影響で様々な物の物価が高騰。海外への輸出入が困難になったためか、多くの業界の収入が回らなくなり、株価が大暴落したことも大きな問題になった。また、一、二ヶ月経っても深海棲艦に対する具体的な対策案が国連から発表されない理由で、不満が各地で高まり、大規模なデモが発生。

 物価の高騰によって、多数の業界が、人件費の削減によって多くの人をリストラしたため、貧困層の増加により、反政府組織による抵抗の悪化。各地で、特にアフリカの方でまたもや紛争を巻き起こす種となってしまった。

 

 このままでは取り返しのつかないことになる世界の情勢を鑑みて、国連は各海域で暴れ回る未確認生命体──深海棲艦の殲滅を断定。アメリカ主導で、世界で有力な海軍力を持つ6カ国に招集を呼びかけた。その結果、日本、中国、ロシア、イギリス、フランス、インド、アメリカと世界で初となる、7カ国の総力を合わせた国際連合艦隊を結成。深海棲艦の本拠が存在する可能性が非常に高い太平洋へと、各国の軍港から、それぞれの最新鋭の軍艦が国民総出で華々しく見送られた。

 

 ──しかし、結果は惨敗であった。

 

 高速で海上を()()し、砲弾、魚雷、ミサイルをその小さな体躯で避けていき、近付かれて一発砲撃され、沈没してしまう艦船が殆どであった。もとより、イージス艦やフリゲート艦などの現代の軍艦は、一昔前の軍艦のような、鉄の塊の如き頑丈さは持ち合わせていない。何せ、現代の軍艦の定義は()()()()()()ことを念頭に置いており、要は互いに姿が見えない遠距離から、レーダーで敵艦を捕捉し、対艦ミサイルを発射し、撃沈するというのが現代の軍艦たちが理想とする戦術なのである。そのため、半径約数キロ以内に近付かれることは先ず想定されていないので、最低限の装甲しか施されていなかったのだ。

 しかも深海棲艦による砲撃は、一昔前の戦艦並みの威力があった。

 そんな砲撃が、装甲もままならない現代の軍艦に放り込まれるのだ。深海棲艦からすれば、鈍くて、脆い。甲羅も持たない亀を相手にしてるようなもの。戦力差は歴然であった。

 

 歴史的な大敗北を決した太平洋という広い海域で行われたこの歴史上もっとも大規模且つ一方的な展開で悲惨な状況になったこの海戦を、後の人々はこう呼んだ。

 

 

『第一次太平洋海戦』と。

 

 こうして、深海棲艦の出現により、世界中が大戦以来。いや、大戦時以上の混乱の渦になっている中──

 

 

 

 ──深海棲艦が現れてから、激動の三ヶ月間。世界では様々な問題が起こり、次々と人の命をも失われていく状況下で、一つの小さな光が、日本という極東の島国に差し込む。

 人類の総力を挙げても、退けられなかった深海棲艦に対抗しうる存在。

 

 

 

 

 

 ある日の夜明け。暁が水平線に昇る頃──艦娘が現れたのだ。

 

 

 その艦娘は自らの名を、『大和』と。そう名乗った。

 

 

 

 その『大和』が、日本政府と早々に協力関係を結び、早々に向かったのが、横須賀の自衛隊と米軍が所有していた軍港であった。とは言っても、第一次太平洋海戦で敗北を喫したこともあって、ここに停泊していた多くの艦艇が戻ってこなかったことで、ドックはほぼ空っぽの状態。もはや軍港として機能はしていなかった。そんな軍港を、『大和』と共に現れた『妖精さん』という超常的な力を持つ存在が、人間たちの協力も得ずに、瞬く間に、艦娘たちが利用できるように改装していった。そして、一週間後には艦娘たちが整備、休養、抜錨できる施設。『横須賀鎮守府』へと変貌を遂げていた。

 

 それから。先ず、『大和』は横須賀を中心とした、近海に彷徨っている深海棲艦たちの掃討を開始。同時に、それらを倒して得た不思議な資材を元に一人、また一人と艦娘たちを誕生させていった。まるで、二次大戦時に惜しくも沈んで行った、様々な海域で藻屑となっている、かつての軍艦たちをサルベージするようにである。

 

 そうして誕生したのが。

 

 ──駆逐艦『島風』

 

 

 ──軽巡『神通』

 

 

 ──重巡『妙高』

 

 

 ──正規空母『赤城』

 

 

 ──潜水艦『伊58』

 

 

 ──工作艦『明石』

 

 という六人の艦娘であった。

 

 それぞれ、多くの深海棲艦と戦い、勝利、一度は深海棲艦の闇に染まりそうになった世界中の海を、人類が生活できるほどに航路を回復させた糸口となったという、偉大な艦娘たちである。

 人々は『大和』も合わせてこの七人をある言葉で総称した。

 

 あの日。暁の水平線に世界初の艦娘である『大和』が突然出現し、その後数々の恩恵をこの世界にもたらしてくれたことに倣い

 

 

 

 ──『暁の七艦』

 

 

 

 と、そう呼び、各々人々から、大いなる賞賛と尊敬の意を浴びせられた。

 それからその人々の希望となりながら、七人はまた、後継者を作らんがためと、多くの艦娘たちを誕生させていった。

 

 十年後の2028年。西野真之が提督として、横須賀鎮守府に着任した時に居た殆どの艦娘たちが、その七人によって誕生させられた艦娘たちであるという事実がある。他にも、各都道府県に存在する鎮守府に在籍する多くの艦娘たちも同じなのだが、それはまた別の話である。

 

 

 話は戻り。そんな『暁の七艦』の中の一人である『大和』が、横須賀鎮守府の次に拠点を作り上げたのは、チューク諸島であった。

 

 一度は独立し、それまで長閑な時間を送っていたチューク諸島。しかし、周囲に深海棲艦が現れたことにより、深海棲艦の初出現の2018年8月15日から三ヶ月もの間、外国との一切の交流を断っていたのだが、突然日本の護衛艦とともに来た艦娘により、深海棲艦は掃討されたことにより、島民たちの生存を確認できた。

 そこに、『大和』主導のもと、少しずつ物資を運び込み、それらを『妖精さん』が組み立てて『トラック泊地』を作りあげた。チューク島に設立したのに、名前を何故『トラック泊地』にしたのかは未だに日本政府は理由を語らない。しかし、なぜそこに作り上げたのか。それについては『大和』がこう語ったのだと言う。

 

 

来たるべき艦隊決戦の時、ここは勝利するための鍵となり。要となるからです──と。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 2029年6月14日。西太平洋沖 

 

 現在でも、人類と深海棲艦の最前線であるトラック諸島沖周辺。太平洋を経由する様々なタンカー船やコンテナ船の護衛、航路の監視、深海棲艦の掃討。多くの重要な任務を抱える、そんな太平洋の一大拠点の一つである『トラック泊地』の飛行場に、日本という遠くから空旅をしてきた、一機の輸送機が着陸した。

 

 出迎えるためだろうか。その基地の航空自衛隊の殆どの職員たち。そしてそれに混ざるように、二人の艦娘が並んでいる。

 

 輸送機が飛行場の脇に止まり、次に高速で着陸してきたのは護衛の為に付いて来ていた、二機のF-35戦闘機である。

 これだけの出迎えと、護衛機が付いている。この状況だけで、輸送機に乗っているのはそれほど重役なのだろうか。

 

 輸送機の扉が開き、一人の女性が降りてくる。多くの勲章を胸から吊し、それぞれ金の刺繍が施してある純白の制服と制帽を着用している。

 

「……全員気を付けぇ!」

「「「──」」」

 

 一人の武骨な自衛官が号令をかけると、一糸乱れぬ動作で三十人もの自衛官と二人の艦娘が気を付けた。

 

 全員の視線は、輸送機から今降り切った女性の軍人に向けられていた。

 

「礼!」

 

 全員が予め軍帽を外していた為に、敬礼ではなく、また一糸乱れぬ動作で、彼女へ小礼を行う。

 それらに応えるように、彼女もまた敬礼を行い「休んで下さい」と一声かけると、また全員が姿勢を戻し、言われた通りに体を休ませた。

 

「新島提督。長い空旅、お疲れ様でした。お身体の方の調子はどうでしょうか。少し目に隈が出来ているそうですが」

 

 先程号令をかけていた、この基地では重役である自衛官から、労いの言葉をかけられた彼女の名は新島(にいじま) 香凜(かりん)。そう。西野提督の同僚である、新島(にいじま) (かえで)の姉である。軍部の中でも、西野提督のことを第一に気にかけている、数少ない幹部達の中の一人でもあった。そんな彼女が、それに対して微笑んで対応する。

 

「……ああ。この目の隈は気にしないで下さい。いつもの事ですから。それにしても、柴木(しばき)ニ尉。貴方の方こそ、少し顔色が優れない様子ですよ? 少しは休む時間を確保して、万全な体調を維持することも、ここの皆さんを指揮する指揮官としての責務だと、私は思いますよ」

 

 そんな彼女からの返答に、巨躯で武骨な自衛官──二等海尉である柴木は、「あ、いやっ! これはこれは」と愉快に笑った。

 

「ご心配痛み入ります。最近は特に仕事も多くなって来ましてね。小官もただ椅子に座ってるだけでは無いですからね。舞い込んでくる執務の仕事などその他諸々が重なってしまい、正直に申しますと、最近あまり休養が取れていないのが現状ですね。というか柴木ニ尉とか……固いのはこの辺にしときませんか。なんというか、しっくりこないですし」

「確かにそうですね。柴木さんとは、なんだかんだで長い付き合いですしね。なるほど。そんな事情が。てっきりずっと椅子に座って詰め将棋をしてるのかと思ってましたけど」

「こりゃ手厳しいですなぁ……まあ、ここだけの話。週に3回くらいはしてますがね」

「態々多くの部下が居る前で聞こえるように言ってしまう柴木さんのそういうところですよ」

「ははっ! まあまあ。ここには憲兵という堅物も居ませんし、多少の無礼は許して下さいよ。……何せここは人類にとっての最前線。深海棲艦への反抗作戦を五年前に開始してから今日までもそうでしたが、これからも要となる最重要拠点です。そんな場所に立ち、ここを護っています。……気を休めるときに色々と身体から抜いておかないと、いざと言うときに本領を発揮することは叶いませんから」

 

 と、それまで笑顔だった柴木二尉が、少し表情を曇らせる。

 そんな彼に、新島提督は「……そうですね」と、頷く他なかった。

 

 今は束の間の平穏を取り戻せているが、三年前に、多くの艦娘たちを擁した万全な状態で挑んだ『第二次太平洋海戦』では、多くの犠牲を出しながらも、辛勝出来たばかりなのだ。新島本人が思うに、最近徐々に深海棲艦側の動きが活発化してきている。そのことを踏まえれば、近々また、大きな海戦が巻き起こってしまうことは予想している。

 また、それは柴木二尉も薄々感じ取っているのだろう。このまま平穏な日々が続くことはあり得ないということを。そして、もし深海棲艦が次に攻勢を仕掛けて来るとすれば、恐らくここ──チューク諸島にある基地、泊地諸共(もろとも)破壊しに来るだろうということも。

 

「──柴木さん」

「……? どうしましたか」

 

 しかし、それを分かっているからこそ。彼女──新島提督は怖気付いてはいられないのだ。

 

「有事があった際は……私たちトラック泊地に在籍している『第一太平洋艦隊』にお任せください。泊地に在籍している全ての娘たちは、これまで多くの深海棲艦と戦い、何度も死線を潜り抜けてきた精鋭ばかり。必ずや、自衛隊の方々を、命を賭してでも祖国に帰還させます」

 

 提督とは、今の時代で言うところの、その国の守護神の立場にある地位の人の意味も孕んでいる。

 深海棲艦と艦娘は対の存在同士。どちらとも人智を遥かに超越する力を有している。そんな存在である彼女たちを従わせ、指揮し、深海棲艦という敵を倒して、勝利を手にし、国を敵の魔の手から退ける役割も持っているからだ。

 

 逆に言えば、一度戦いに負けてしまえば、それ相応の犠牲が伴ってしまうという側面もあるのだが、だからこそ彼女は、自信を持って、今、目の前で柴木ニ尉みたく、心の中で怯えている人達に言うのだ。

 

 ──必ず勝つと

 

 提督には国を、国民を護る為に、勝利し続けなくてはならない責任がある。日本から。世界からそんな多大な期待を、新島はここ五年間ずっと背負って、時には苦悩しながらも戦い、多数の海戦で勝利を収めている彼女だからこそ言えるのだ。

 

 勿論、柴木二尉も、今この場に居る多くの自衛官たちも、そんな彼女の功績を知っているからこそ、そんな彼女の言葉に、胸を撫で下ろすことが出来る。

 現状だと、世界中を探しても、新島 香凜ほど深海棲艦と戦闘経験がある実戦的な艦隊を指揮している者は居ない。アメリカの方の『ノーフォーク海軍基地』所属の世界中の海外艦で構成された国連直属の艦娘部隊があるという噂があるが、練度、経験、組織としての完成度。どれをとっても、日夜最前線で鬼級や姫級などの強敵と戦って、実際に勝ち続けている精鋭の艦隊を指揮している新島に軍配が上がるだろう。

 

 そんな、現役最強の艦隊の指揮官が目の前で、『任せてくれ』と言ってくれているのだ。

 彼女の揺るぎ無い自信から発せられたその言葉は、日々、深海棲艦の脅威に怯えていた柴木二尉の心を安心させるのには、充分なものであった。

 

「……その時はあなたにお任せします。ありがとうございます。新島提督」

「「「……」」」

 

 柴木の少し後ろで並んで休んでいる自衛官たちにも日々積もっていて、複雑に渦巻いていた不安も、無くならないにしろ、緩和されたのか自然と安心したような表情を浮かばせていた。

 

 新島自身も、面々の心を少しでも安心させることが出来たことで、自然とその表情を柔らかくした。

 

「では、私はこれで。……行くわよ。──北上、青葉」

「はいっ」

「はい!」

 

 ──目の前で自分たちの提督が人々をまた、心の面で救っていた様子を、微笑んで見守っていた二人の艦娘。当の本人にその名前を呼ばれれば、その表情は瞬時に確りとしたものに変わった。

 

 泊地からの送迎車へと歩き始める彼女たちの背中を見送りながら、柴木二尉はふと思う。

 

「……」

 

(やはり、あの人こそ。いや、新島提督も含め、ここの泊地に在籍している彼女達こそが、人類の希望なんだと……また、再確認出来た)

 

 

 

「……礼!」

「「「──」」」

 

 

 そしてまたこうも思う。

 

 ──彼女たちの背中は、小柄で、華奢のように見えるが、実は私たちより数倍は逞しく、頼もしいものだと。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、そこの基地の自衛官。そして、今日も人類の海を守る彼女たちは知らない。

 

 

 

 

 ──既にもう、始まってしまっているということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◯ ◯ ◯

 横須賀鎮守府 工廠

 

 

 

 

「──」

 

 どういうことなんだ。

 

 妖精さんが、拙い文字で書き記した、自身の手帳の一ページの文章。

 

 ──ていとくをやめてください

 

 というこの衝撃的且つ不可解な文章。

 

(なん、で……)

 

 いくら考えても、妖精さんが俺に、なんでこんなことを言って来たのか理解出来なかった。

 ──いや、正しくはこの言葉の真意を、理解したくないという、俺の自己中心的なモノが、理解しようとするのを阻害しているのかもしれない。

 

 しかし、心当たりはある。

 

 確かに俺がここに着任してから、艦娘たちやこの鎮守府にもたらした恩恵は少ない。結局、一人で鎮守府復興の為に奔走して、心のどこかで救っていたと思い込んでいただけだった。艦娘たちに信用されなかったのも、俺に原因があったことを今日やっと理解することが出来た。やっと。やっとだ。

 

 一年という、あれほど長い期間。艦娘たちとぶつかり合っていたのに、今日やっとそのことを理解したのだ。

 どれだけ阿呆なんだ。客観的に見てみれば、部下たちの懐疑的な視線。悲痛の叫びに気付かずに、ただ救済に似たそれっぽいことをやり切って満足してたような鈍感で自意識に自惚れていた奴が、自分の鎮守府で提督をやってると思うと、自分でも今すぐ辞めてほしいと思ってしまう。

 

 妖精さんが見えない体質なんかじゃない。元々、俺の普段からの行動に妖精さんから好かれない理由があったのだとすれば。

 

 納得がいくと同時に、思わず自己嫌悪してしまう。

 

 

「……そ、うか。そういう……こと、だったのか」

 

 嗤えてくる。自分に。

 俺は艦娘たちの理想の提督という仮初の存在になろうとした。助けるためになろうとした──否。自分の勝手な独善で、救おうという気になっていただけだった。誰だって人の仮初の善意を。偽善を押し付けられたら、その人のことを信用しないに決まっているだろう。

 

 そうか。そういうことだったのか。

 

「……っ」

 

 つまり、俺は今まで、ただの自己顕示欲の欲求解消のために、この提督という立場も。

 

 艦娘たちを救済しようという理由も。

 

 当時着任した鎮守府の状況も。

 

 

 

 

 ──全て。自分のために、利用していただけに過ぎなかったのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 勿論、そんな事は露にも思っていない。しかし、妖精さんがもし、俺の心中に無意識の内に芽生えていた、黒くて醜いエゴの本質を見抜いていたのだとしたら。

 

 

「は、ははっ」

 

 ──そんな独善的で、自己顕示欲の塊な最低な提督は

 

(妖精さんから、辞めてくれと言われても……しょうがないじゃないか)

 

 

 もう。自分のことが分からなくなって来た。

 

 俺は今日。吹雪という艦娘に出会い、少しだが交流を深め、今まで俺がやらかしていたこと。そして、今まで気付けなかったこと。──そして、艦娘との交流はやはり心温まることも。多くのことを学べた。

 

 思えば。これまでの俺の行動に、果たして明確な『自分』というものがあっただろうか。

 艦娘たちと、提督としてではなく、『自分』として接して来てただろうか。

 

 俺という『自分』は──体何者なんだろうか。

 

 着任前の俺と、今の俺は何が違うのか。

 

 人というのは、何事も主観的に捉えてしまうものだ。愚かな者と、賢い者の違いというのは、自分のことを俯瞰的に見て、分析し、次の行動に活かせるかどうかなのだ。

 

 自分の今までの行動は前者の方だった。

 客観的に捉えようとして、結局最終的には自分という小さな世界で物事を決めてしまっていたのだ。だから、艦娘たちが何故あれほど無視してきたのか。暴力を働いてきたのか。それらの行動の本質を見抜くことが出来なかったんだ。

 

 そんな俺だからこそ妖精さんは『ていとくをやめてください』などと──

 

 

 

 

 

 

 

「──!」

 

 いや。違う。もし、妖精さんが違う意図で俺にそう言っていたのだとすれば。

 

「……妖精さん。──俺は、提督を辞めれば良いんだな?」

 

 そんな俺の質問に、妖精さんは相変わらず姿を現さずに、依然として静寂で応えてくる。

 それで充分だ。

 

「…………そうか。いや。ありがとう。妖精さん」

 

(妖精さん。もし君の言った言葉に対して、俺の解釈が正しかったら、その時は褒めてくれ)

 

 今日のところはもう帰ろう。──嬉しい誤算があったものだ。

 

 

 

「──提督。遅れてすみません。首尾はどうですか」

 

 と、そんな時に、電話が終わったのか明石が近くまで歩いて来ていたようだ。

 

「ああ。やっぱり今日も相変わらず……だったな」

「……そうですか」

 

 自嘲気味に返すと、明石は反応に困ったからなのか苦笑する。

 

「いやでも……ああ、これ言っちゃって良いのかな」

「ん? なんだ」

「……実は提督のやる気の維持の為にこういうことは、これまで敢えて言わなかったんですけど、提督がここに来るたびに、妖精さんたちが一際嬉しそうにしてるんですよね」

「……え?」

 

 妖精さんが、俺が来ると嬉しそうに、だと。

 今日一番に驚いたかもしれない。

 

「はい。それはもう私の肩の上とか膝の上とか、酷い時は頭の上でぴょんぴょん跳ねるもんですからくすぐったいやらなんやらで……提督と話してるとき、悟らせないようにする為に実はずっと我慢してたんですよ」

「そ、そうなのか」

 

 何だか。俺が知らない間に明石には苦労をかけていたようだ。後で間宮券でもあげた方が良いかもしれない。

 

「はい。でも何故か……散々私の肩の上とかで喜ぶ癖に提督の方には一切誰も向かわないんですよ。不思議ですけどね」

「……」

 

 避けられているのか。それとも何か、俺に姿を見せられない且つ、話せない理由があるのかもしれない。ただ、今凄く安心している。嫌われていたとしたら本当に辞めざるを得なかっただろう。先程書き記された、妖精さんの言葉に新しく思いついた解釈を元に、これから行動しようと決心したことが無駄になるところだったが、これなら大丈夫そうだ。

 

 ──俺はこれから提督を辞めるのだ。妖精さんに言われた通りにな。

 

「その、何故俺の元に来れないのかは聞いたのか」

 

 気になる。やはり俺には、何か。例えば、そう。妖精さんが近付けられない体質だったりするのだとしたら、提督として死活問題になりかねない。

 

「あっ……そういえば聞いてなかったですね。——ねぇ、あなたたちなんでなの?」

 

 そう聞くと、明石はハッとして、肩の上の方を見て問い掛けた。そこに妖精さんが居るのだろうか。俺からしたら明石が虚空に向かって話しかけてるようにしか見えないが。

 

「……ふむふむ。え、どういうこと? ……むっ。肝心なところを教えてくれないんですか? ……はぁ分かりましたよ。もうこれ以上聞きませんから──どうやらですね」

「ああ」

 

「──誰かに強く言いつけられているらしいです。提督には必要以上に近付かないこと……という風に」

「……それは誰なんだ?」

「それが、頑なに教えてくれないんですよ。『これはおしえられません』って」

「そうか」

 

 なるほど。少なくとも、妖精さんが俺にあまり交流を持とうとしないのは、俺の方にだけではなく、妖精さん側にも一因があるわけだな。

 内心、体質の問題ではなくてホッとする。

 

「いや、ありがとう明石。……今までも、結構な迷惑もかけてたらしいしな」

「あ、ああ! いえ、別に大丈夫ですから。これは私が勝手にやってたことなんですから。提督は気にしないで下さい」

「でも礼は言わせてもらう。今まで、懲りずに俺に付き合ってくれてありがとう。正直、明石が居てくれたから、ここまで諦めずに妖精さんと向き合うことが出来たんだ。この礼は、いつか必ず」

 

 俺が頭を下げながらそう言うと「……ふふ。もうっ。今の時代、艦娘に頭を下げる提督はそう居ませんよ?」と、笑顔で応えてくれた。

 

「……そ、そうか」

「そうです!」

 

「──ふ」

 

 俺もそんな明石の笑顔を見て、自然と笑顔になる。

 

「……っ!」

 

 すると、明石が突然、俺の顔から目を背ける。

 一瞬そんなに俺の笑ってしまった顔が気持ち悪かったのかと思ったが、明石がそんな失礼なことを思ってあからさまに目を背けるわけがない。憶測だか、多分気恥ずかしくなったのだろうか。たしかに距離は近かったし、だとしたとしても、こちらの方も何だか気恥ずかしくなってくる。

 

「あ、ああ。い、いや。まあ、その……なんだ」

 

 恥ずかしい。こんなにむず痒くなるのは久しぶりだ。

 

「──あ、あの……提督?」

「……?」

 

 おどおどとしていると、依然として俺から目線を背けている明石から何か聞きたいことがあるようだった。

 

「えっと、礼をしてくれるという話でしたよね?」

「あ、ああ。礼は必ずするぞ」

 

 是非もないだろう。これだけ俺に付き合ってくれている人に礼をしないなんて考えられない。

 

「その話ですが……実は最近食堂の方に行けてないんですよ」

「そうなのか? ちゃんと飯は食べれているのか?」

「あ、はい。妖精さんに持ってきて貰ってます。ですが……久しぶりに間宮さんのアイスを食べたいと思ってまして」

「そういうことなら、ここに丁度二枚の間宮券があるが……二枚ともあげれば良いのか?」

 

 実はこの二枚の間宮券は、この後、食堂で口喧嘩していた大和と翔鶴を仲直りのきっかけになれば良いなと思って持ち合わせていたのだが、明石がそういうのならまだ在庫があるし、あげてもいいと思っている。

 

 が、しかし明石は「い、いえ! そういうことではなくて」と、差し出した間宮券の二枚の内一枚だけ抜き取って、若干頬を染めながら、次にはこう言ってきた。

 

「もし迷惑でなければ、二人で間宮さんのアイス、食べに行きませんか?」

「……」

 

 普段の俺ならば断っていただろう。何故なら、あの時講堂で放った、『これからは最低限のコミュニケーションで行こう』という言葉に、その行動は反しているからだ。あとただ単純に、艦娘と関係を深めることに怖がっている節があるのかもしれない。仲良くなって、その先にまた裏切りがあった時、俺はまた立ち直れるか分からないからだ。だから、これまで交流を不必要にしなかった。

 

 

 

 

 しかし、俺はそこで妖精さんのあの拙い文字を思い出す。

 

 

 ──ていとくをやめてください

 

 

 

 そうだ。俺は今日を持って提督を辞める。

 

 これからは、『自分』として艦娘たちと接していこう。

 散々、失った。散々、後悔した。散々、泣いて——散々、悲しんだ。

 

 そんなもの、もう散々である。

 失うものは何もない。

 もしまた何かあった時は、後悔をして、学んで、また歩きだせばいい。

 

 

 

「……やっぱり、ダメでしたよね。すみません出過ぎたことを──」

「明石」

 

 寂しげに言葉を最後まで吐き出そうとしたが、止めるように途中でその名を呼ぶ。

 

「え?」

 

 明石と俺しか居ない工廠内に、呆然とした声が響き、少しの静寂の後、口火を切った。

 

「……今日だけではなくて、これからも一緒に行ってくれるか?」

「……!」

 

 着任当初から、明石とは一度もこういう会話をしたことなかった。

 

 しかし今日。俺はまた一歩踏み出してみようと思う。

 

 

「……はいっ」

 

 

 ──明石はまるで満開した花のように笑顔を咲かせた。それは彼女と出会ってから、一番綺麗に思えた一瞬でもあった。



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第十三話 不器用でお人好し

大変長らくお待たせしました。今回はとある艦娘を登場させてみました。そして、『戦闘描写と轟沈描写が必要か否か』という四つの選択肢のアンケートを取らせていただいたところ、現時点では『戦闘描写、轟沈描写どちらともが良い』という意見が一番多かったので、戦闘描写と轟沈描写をこれからうまく混ぜていこうと思っております。そして新たにアンケートを設けました。お題は『今後登場して欲しい艦娘』です。選択肢にある艦娘以外にもしご要望があれば、メッセージや近況報告の方のコメント欄の方へお願いします。
それと、出来れば、感想の方に応援コメントをしていただけるとモチベーションに繋がりますので、そちらの方ももし宜しければ、よろしくお願い致します。長文失礼しました。


•少し内容を改稿しました。2020/6/19


 ——工廠にて、明石と一緒に、明日の暇な時間帯に間宮のアイスを食べに行く約束をしてから、執務室に戻る。

 

 やはり今日は、()()()違う気がする。

 

 食堂では吹雪と、それまですれ違った時の挨拶程度の関係でしかなかった夕立と話し、関係が良い方向へ進展させることが出来た。

 

 そして工廠に行けば、それまで何ヶ月もの時間をかけても、何も進まなかった妖精さんとの関係も、話せてはいないものの、筆談という形で初めてコミュニケーションを取ることが出来た。

 

『なんとかして、妖精さんとの関係を持ちたい』という俺の我儘に、着任当時からずっと今まで、あの大和とも関係が険悪だった頃。鎮守府内でたった一人だけ、俺に偏見も、哀れみも、何一つ抱いてる態度も見せず、親身に付き合ってくれていた艦娘の明石。しかし、一緒に居た時間の割には俺との関係は微妙なもので、会話もあくまで事務的な内容で済ませていたが、今日は意外にもたまたま持っていた間宮券がきっかけで、なんと明日。一緒に間宮のアイスを食べる約束までしてしまった。

 

 ——俺の中でそれまで停滞していた()()()()との関係の時間の針が、今日だけで明らかに良い方向へ大きく動き出している気がする。

 

「……」

 

 なんだか、不思議な気持ちだ。

 

 今こうして鎮守府の廊下を歩いているが、これほどまでにリラックスしていることが、すごく不思議に思えてしまう。

 

 当時の鎮守府内に蔓延していた、あの互いを僻みあっていた険悪な空気。

 

 正直になれなくて、目の前にすると互いに違う行動を取ってしまい、どんどんと気まずくなっていく関係。

 

 永遠の曇天模様の空のように、重く、何処かどんよりとした雰囲気。

 

 様々なものが、俺の心身を蝕んでいった。鎮守府(そこで)歩いているだけで、ましてや居るだけでも、常に誰かに監視されているようで、心身ともに滅入り、腹痛も、頭痛もままならないという、体調にも影響を及ぼすような状態まで至っていたのだというのに。

 

(……晴れてる)

 

 ふと外を見てみれば、今にも泣きそうで曇天だったあの空もすっかり快晴だった。心なしか、今日は気分が良い。体も心も軽く、踏み出す足もちゃんと地にしっかりと踏めているような気がする。当時みたく、地に足が付いてない、フワフワとした気持ち悪い感覚は一切ない、

 

 それに、あの頃は余裕が無かったのか、周りの声や音にまで鈍感になっていた。いや、鈍感になっていたのではなく、意図的に聴覚をボイコットしていたのかもしれない。どこからでも、いつ俺へ艦娘たちから陰口を吐かれているか分からない環境で、一々それを聞き傷付くのも疲れていた。しかし今、心に幾分か余裕が出来たのか、聴き心地が良い小鳥の囀る声が、窓の向こう側から聞こえてくるのを感じ取ることが出来ている。なんだかそれだけでも嬉しくて、つい口許が緩む。

 

(……しまった)

 

 ただ、独りでに俺が廊下を歩きながら笑っているところを見られると、恥ずかしいし、気持ち悪がられるかもしれないので、直ぐ様表情を戻した。

 

 ——思えば、ただひたすらに。一年もの間、俺と艦娘たちは色んな所で()()()()()()()。その結果、徐々に取り返しのつかないところまで悪化してしまったんだなと、しみじみと感慨に耽る。

 どちらにも非があった。しかし、俺が思うにこちら側の方が罪が重いのかもしれない。提督という立場でありながら、先に艦娘たちのメンタルケアではなく、先ず鎮守府の復興を目指したことが主因なのではなかったのかと。お蔭で現在、施設自体は万全とは言えずとも、運営が滞りなく進行できるほどに回復している。しかし、それだけに注力していた結果、艦娘への人事を怠ってしまったことで、ここまでの状況に至ったのだ。

 

 ……きっと、艦娘たちは、俺に本心でぶつかってきて欲しいと思っていたのだろう。だが俺はその心を無碍にし、自己の勝手な主観で艦娘たちの理想の提督像を思い描き、それを演じ切って接してしまった。結果、誰もそんな胡散臭い司令官のことを——俺のことを信用せず、弾劾されてしまうまでに至った。

 

 実際、彼女たちも最初の一ヶ月は態度は依然として悪かったが、それでも暴力はしてはこず、陰口さえ吐いてきてさえいなかった。恐らく、着任して一ヶ月間は俺のことを見定めていたのだろう。自分たちを率いることになった次期提督が、前任よりもどれほどの『器』を持っていて、どれほどの誠意を持って、自分たちと接してくれるのかを。しかし、着任して一ヶ月間の俺への評価は『期待外れで信用出来ない。且つ、得体の知れない大本営の犬』となってしまった。だからあれほどの弾劾が行われた。二度と前任のようなことを横行させないよう、俺がいち早く辞めるようにと。たとえ提督相手だとしても、危害を加えてでも、妹たちを、姉たちを、仲間たちをみんなで守ろうとした。またあの前任の時のような、独裁者に支配されない為に。

 

「……」

 

 なんとも言えない気持ちになる。

 

 こうして考えてみればみるほど、自分が犯してきた失敗を嫌というほど発見してしまう。また、何故今になって、これほど冷静に自分を分析出来るようになっているんだと苛立ちを覚えてしまう。

 

 当時からこれくらい冷静に思考して行動すれば、こんなことにはならなかったのに。

 

「──っ! あ、あの!」

「……ん?」

 

 と、そんな時。黙考しながら歩いていると、不意に声がかけられた。声がした方を見れば、そこには──前から歩いてきたのか、川内がこちらに敬礼していた。今日は確か午前中から昼にかけて遠征してて、この後はもうずっと非番だった筈だ。多分、これから軽巡寮に向かうところなのだろう。

 

「あ、あの、……こ、こんにちはッ!」

「え。あ、えっと。ああ。こ、こんにちは……」

 

 少し覚束なく、それでいて妙に気迫に溢れていたが、それでも挨拶をしてくれたので、こちらも随分はっきりとしない挨拶を咄嗟に返す。

 

「あ、ははは……」

「……」

 

 そこで今の気まずい空気をどうにか変えたいと、明るく努める川内に、何の話題もなく、特に何もいうことがない俺。またそれが更に気まずい思いを加速させる。

 

「……」

「……」

 

 そしてついには、二人とも黙ってしまった。それに、目を合わせるのも気恥ずかしくなり、互いに目を逸らしてしまう始末。例えいくら初心なカップルでも、まだ会話は続くと思うし、まだ顔を合わせているだろう。それに、これからは妖精さんに認めてもらうために、ある意味で今まで被っていたものを破り捨て、『提督を辞める』ことを実践していかなければならない。深呼吸しろ。自分の、ありのままで接するんだ。提督という仮面も被らずに、嘘偽りのない、西野 真之という一人の男として。それに、川内は当時、俺のことを無視していただけで、別にそれほど気まずい関係ではない。気まずいことには変わりないが、それでも暴力や嫌がらせをやられた艦娘と話すよりかは全然ハードルが低い。実質初対面で話すが、上手く話せるだろうか不安なのだが。

 

「え、と。川内」

「あっ、は、はい!」

 

 どうにかして会話を成立させなければ。と、この気まずい雰囲気をずっととは流石に耐えられなくなった俺は、何も話題を考えずに話を進める。

 

「その……」

「……」

「……あー」

「……!」

「——そ、その。最近は……どうだ?」 

 

 うん。駄目だ。もう何も思いつかない。聞かれた相手にとって一番返答に困るであろう質問をしてしまった。なんだよ最近はどうだって。

 しかも、こうして二人で話す分では初対面なのに、自己紹介というか、社交辞令も無し。

 

 突拍子もなく聞かれた川内は、案の定困った表情で「え……さ、最近ですかっ?」と聞き返してくる。これはもう押し切るしかない。心を落ち着かせる。

 

「……そうだ。その……俺が復帰してからもう半月だ。なにか、困ったこととかはあるか? 後は、何か要望があれば聞いておきたいんだけど」

「——!」

 

 その時、彼女が何に驚いたのかは知らないが、明らかにその目を瞠目させた。しかし、「あ、その。す、すみません! 今考えますねっ」と、瞬時に表情を真剣なものへと変えて、少しの間考えてくれた。そして何か見つかったのか、それまで逸らしていた目をこちらに向けてくる。

 

「えっと……その、特に困ったこととかは今のところありません」

「そうか。それで、要望とかはあるか?」

「要望、ですか。そうですね——」

 

 うーん。と、唸りながらまた一生懸命に考えてくれる。川内は本当に根が優しいのだろう。みんなからの人望も厚いと大和経由での噂で耳にしているが、こうして一言、二言話すだけで何故皆から慕われているのかが分かってしまう。

 

(……勿体ないな)

 

 だからこそ、こんな素晴らしい部下と一年もの間、いざこざで余り接せられなかったことが悔やまれる。今更後悔しても遅いが。

 

 少し心を沈ませていると、川内が「あ!」と、何か思い付いたようだった。

 

「その、要望のことなんですけど」

「あ、ああ……」

「出来れば演習場を利用できるようにして欲しいのですが……」

「演習場、か」

 

 そういえば、ここからそう遠くないところにその施設はあった。本来は艦娘同士で実戦形式の演習をするために利用される施設だったのだが、しかし、前任が来て以来、そこは殆ど使われなくなってしまったようで、随分と廃れていた。当時、鎮守府の復興は着々と進ませていたが、一人だけで廃れている広い演習場を利用できるまでに回復させるのには、流石に無理があったため断念していたのだ。

 

「はい。演習場があれば、私たちの後輩も育成出来、後輩に教えることによって、私たち自身も多くの経験を積めると思うんです。それに提督も知っていると思いますが、年々敵が強くなっていっている気がするんです……」

「ああ。トラック泊地の新島提督から、良く作戦の立案に意見を求められていた次いでに、そのような報告は受けていた。なんでも、『鬼』と『姫』という知能を持った深海棲艦が現れてきているらしい」

「……! やっぱり」

「やっぱり、っていうのは」

「その、最近の深海棲艦。なんだか変なんですよ。妙に統率が取れているというか……以前より明らかに戦い辛くなってるんです」

「……なるほど」

 

 川内のこの情報。すごく助かる。深海棲艦のことについては、日々戦い合ってる艦娘たちの方が俺ら人間より知っている。統率されているように見えた。戦い辛くなっている。この情報だけで、今の俺にとって値千金のものだ。

 

 その時にはすっかり、今までの気まずさと気恥ずかしさからくるパッとしなかった雰囲気は消えて、二人の間には重い空気が流れていた。

 

「……取り敢えず、川内の要望の件はわかった。尚更、演習場を利用できるようにしないとな。このままだと、まだ経験の浅い艦娘たちが初陣で大破、轟沈してしまう可能性が高い。幸い、ここにはトラック泊地に次ぐ練度を誇る艦娘が多く在籍している。育成面においては問題ないと思う。近日中に演習場を利用できるように急ごう。対策も講じておく」

「っ! はい! ありがとうございます!」

 

 川内にも普段からの戦いの中での一抹の不安があったのだろう。まだ経験の浅い艦娘たちが果たして初陣で無事に帰ってこられるかという不安が。今はまだ大丈夫だが、もし数が足りていない状況で、普段から鎮守府で待機している艦娘たちがもしいきなり、演習場が使えてないまま。そして、充分の経験を積ませてないまま、戦場に放り出されてしまったら……その結末は簡単に予想出来る。その為にも、先ずは演習場を復興させる。当面の目標ができたな。それに、川内にも礼を言わないといけない。

 

「川内。その、ありがとう」

「……えっ?」

 

 俺からの礼が意外だったのか、当の本人は驚いた様子だ。

 

「川内の意見と情報がなかったら、俺はこれからもこの問題を先送りにしていたと思う」

「……っ! そ、そんな。私はただ」

「それでも、礼を言わせてくれ。川内がもしこの場で意見を言ってくれなければ、これからもこの重大な問題を楽観視していた可能性があったんだ。だけど、川内の鬼気迫る意見で、俺の『演習場はまだ先送りで良いだろう』というそのバカみたいな価値観も捨てることが出来た。だから川内。本当にありがとう」

「——」

「……それに、ほぼ初対面で、自己紹介も社交辞令とかも無しに、いきなり変な質問とかしても、答えてくれようと努力してくれただろ? その、艦娘とは余り接して来なかったから、接し方が良く分からなかったんだ。だから変、じゃないかと不安で……」

 

 目の前で礼をしたり、一人で勝手に自信を無くして騒がしく捲し立ててくる俺の顔を、それまでボーッと見つめて来ていた川内の顔が——破顔する。

 

「ぷっ、ふふ!」

「え?」

「——……ふふふ!」

「あ、あの? 川内?」

 

 いきなり笑われたことに戸惑っていると、川内が涙を滲ませながら「いっ、いえっ。あ、ああ! 違うんです……こ、これはですねっ」と、フォローする様に言って、少し深呼吸をして心を落ち着かせた後、次には微笑みながらこう言ってきた。

 

「あの。すみません急に笑っちゃって。でも、その。……今までの自分が、馬鹿みたいに思えて来ちゃって」

「……?」

「ああ! いえ。実は私、今話してみるまで……提督のことを怖がってたんです」

「……怖かった?」

「……はい」

「そう、だったのか」

 

 確かに、俺のことを嫌いになっていた奴もいれば、怖がっていた奴もいたと思う。川内は意外にも、俺のことを嫌いになっていたのではなくて、怖がっていたのか。当時は遠巻きに見ていて、神通、那珂とは違い、素直で元気な性格だったことは分かってはいたのだが、だからこそ素直なことが災いして、俺への悪評を周りの人から聞き、それを信じ切り、嫌いになっていると思っていたのだが、どうやら違かったらしい。

 

「でも今提督と話してみると、想像していた提督像とはかけ離れていて。意外と、表情に出る人だなぁとか。あとは話していて分かったのですが、なんというか提督は……不器用でお人好しな人ですよね」

「……不器用で、お人好し」

 

 褒められているのか、褒められていないのかよく分からない微妙なラインを突いてきたな。

 

「だって会話が途切れてしまった時、なんとかして会話を続けさせようと頑張ってくれてましたから」

 

 バレていた。

 

「それで『最近どう?』って不器用に聞かれるもんですから……そこからですかねっ。無意識の内に提督への恐怖心が和らいでいて、素で反応してしまった時もありましたから」

「あ、ああ。そうなのか」

「はいっ……でもこれで、なんだかスッキリしました。今まで提督とは気まずい関係のままでしたから」

「そうか。それは……良かった。でも実は俺もなんだけど……」

「はい?」

「……今日は川内と話せて嬉しかった」

「ふふ。それは良かったです」

「ああ」

 

 そこで示し合わせたように、二人で柔らかい笑顔を向けあった。ちゃんと自然に笑えているだろうか。すこし不安に思う要素はあれど、俺はこの状況に感動さえ覚えていた。正直、気を抜いてしまうと涙を流してしまうほどに、今この艦娘と笑い合えてる瞬間を——とても嬉しく思えているのだ。一年前だったら有り得ない状況だった。しかし今、現実になっている。これを嬉しいと言えず、何と言えば良いのか。

 

「……あと、提督」

「ん? どうした」

「……これまで、提督のことを無視してきてしまって……っ、本当にすみませんでした!」

「……」

「周りの意見に流されて、ただ皆の仲間外れになりたくないって……ただそれだけが理由で、あなたのことをとても沢山傷付けてしまいました。しかも私だけでなく、皆からも無視されてて、いつも哀しげに、引き攣った笑顔を見せる提督を見かける度、この奥が。胸が……痛くて、痛くて」

「……そうか」

 

 なるほど。彼女もまた、罪悪感という苦しさと葛藤してきたようだ。元々の根底にあった彼女の心優しさが、人一倍俺への罪悪感や自身のはっきりとしないところが、彼女自身を傷付けていたのだろう。

 

「私っ……そのどうしたら、良いんでしょうか。どう詫びれば——」

「——もう良いよ。詫びたじゃないか。今さっき。だから、もう良い」

 

 だから、もう良いんだ。

 

 だけども、それじゃあ意味がない。

 

「え? で、でもっ」

「でも許した訳じゃない」

「っ……」

 

 そこで明らかに表情を沈ませる川内。そう、許した訳じゃない。これは簡単に許してはいけないものだ。ここでもし許してしまえば、互いにとってメリットがない。ただ有耶無耶で終わり、納得の行かないままで終わってしまう。だから——

 

 

 

 

 

「だけど、許していこうとも思う」

「——!」

 

 そう。猶予を与えるのだ。

 

「だから川内も、今まで提督としての責務を全う出来ていなかった俺のことを許してくれなくても良い。本当に、本当に申し訳なかった。ただ、許そうする努力はしてくれないだろうか」

「……?」

 

 そして自分から、自分がギリギリ達成できそうな目標を禊として打ち立てる。

 

「俺はこれから、この鎮守府を艦娘たちが生きて帰ってきたいと思える、そんなところにしたいと思っている。施設面だけでなく、精神的にも支柱となれるような、そんな鎮守府を。だからこれからはその目標へ向かって、精一杯気張るつもりだ。その目標を達成出来てからでいい。その時には俺のことを初めて、許してはくれないだろうか」

「提督……」

 

 これによって、自身の向上というメリットにもなるし、俺が鎮守府を良い方へ変えることによって、川内側にもメリットがあるはずだ。こういう話で、どちらか一方が許すだけでは、互いの心にしこりを残すことになる。だからこそ、こうして良い落とし所を見つけることで、互いを許し合えることが出来るのだ。

 さて、返答はどうだろうか。

 

 静寂が廊下を包み込む。川内のそれに対しての返答まで、たったの10秒程度。しかし、俺からしたら1分にも思えてしまう。それほどまでに緊張していた。

 

「……わかりました! では提督も約束です!」

「っ! ああ!」

「私はまだ中堅で燻っていますが、最終的にはこの鎮守府内で最強の軽巡になる目標があります! もしその目標が達成された暁には……これまでの非礼を許してくれませんか!」

「……勿論だ。約束しよう」

「はい!」

 

 これによって、互いが納得する形で、罪を清算できるだろう。

 

「じゃあ川内。これからもよろしく」

「はい! 提督こそ皆との関係修復、頑張ってください!」

「……ありがとう」

 

 

 

 

 

 

 こうして川内との出会いを経て、その他にも道中様々な艦娘たちとすれ違った。流石に川内のようとまでは行かないが、一人一人不器用なりに頑張って一言二言交わしてから、別れていった。まだ依然として気まずい関係にあるが、中にはたどたどしくも、全員が確りと敬礼をしてくれた。食堂での一連の会話を見ていてくれたようだ。そこで以前よりかは親しみやすくなったのだろう。

 やはり一ヶ月前までの一年もの間、居ない者として扱われていたので、一部の艦娘を除いて、誰も挨拶なんてしてはくれなかったので、未だ少々慣れない。最近やっと、艦娘からの『敬意』に慣れ始めたところだ。

 

 そういえば、そろそろ遠征から名取たちが帰ってくる頃だな。

 

 物資は潤沢にあるが、ここは出撃よりかは遠征任務につく艦娘が多い。それはなぜかといえば、物資が潤沢なのは横須賀鎮守府に限っての話であるからだ。他の鎮守府——例えば稼働範囲が広い呉鎮守府やトラック泊地は、戦闘が多いため常に物資が不足している。なので実際には、全体的に物資に余裕があるわけではないのが現状である。その状況を解決するため、横須賀鎮守府は大本営の次に権限を持つ鎮守府なので、ある程度の無理は効く。それを利用して、俺が着任して初めに実践したのが、『物資支援体制』である。場所的に横須賀鎮守府は前線から遠い理由で、戦闘はそれほど多くはない。その為、必然的に物資には余裕が出来る。それを使わずに腐らせるのは勿体ないと、日々戦ってくれている全国の鎮守府へ物資を提供し、物資面で全体的にバランスよくサポートする体制を権限で作り上げた。

 

 他にも、権限で作り上げたものといえば、『トレード制度』というのもあった。大本営からはなぜか反対されたが、当時の他鎮守府の提督たちの多くが賛同してくれたお蔭で作れた制度だ。簡単に説明すると、横須賀鎮守府の経験豊富な艦娘と他の鎮守府の経験が浅い艦娘をトレードし、それによって他鎮守府にとっては経験豊富な艦娘という即戦力が確保できるメリットがあり、一方横須賀鎮守府は前線より後方に位置しているので、強敵との戦闘機会が少なく、雑魚との会敵が多い傾向にあり、そこで経験の浅い艦娘をじっくりと熟練艦の指導を元に育成できるというメリットがあった。互いにwin-winな関係性を、トレードし合った鎮守府同士で結べるので、鎮守府間の良好な関係を繋げる役目も果たせる。概ね、全国の提督から好評の制度だ。

 

 そう。俺はこれまで、横須賀鎮守府の提督として失敗続きだったのだが、全てが失敗に終わったというわけではない。上記の二つの制度を作り上げたし、最初は全国の鎮守府に監査を入れ、どの鎮守府が健在で、どの鎮守府が厳しい状況にあるかを調べ上げ、なぜ厳しい状況にあるのかも把握し、それぞれの解決に、他の提督と話し合い、努めたこともあった。当時の俺は、確かに鎮守府内では信用を得られなかった。胡散臭さ満載の笑顔を振りまき、例え無視されても、暴言を吐かれても、陰口を叩かれても、暴力をされたって何も言わなかったという、上官もクソもへったくれもない、まさにただの提督擬きだった。接し方が分からなかったのもあるが、やはり一番は、心のどこかで、俺の醜いエゴからなる艦娘への勝手な同情や哀れみを押し付けてしまっていたのは確かだ。それは最近気づけたことだが、幾ら外面では『救いたい』と取り繕っていても、心の奥底ではいつも下に見てしまっていた。同等の関係性を持とうともせず、『救ってやろう』と無意識な傲慢で思ってしまっていたのだ。そんなことを思っている俺を、当時の艦娘たちは見抜けないはずがないだろう。だから拒絶し、弾劾したんだ。なんだろう。ここ数日で、自分の心が分かってきてる気がする。

 

 

 その話は置いといてだ。一方で鎮守府外の俺への評価は一定以上あるのは確かなのだ。当時の鎮守府間の状況を良くしたいという俺の誠意が行動で示されたこともあってか、全国のほとんどの鎮守府では俺のことを信用してくれている。なんでも、横須賀鎮守府の前任より横須賀鎮守府の提督らしいと好評らしい。全国中の基地に配属されているだろう士官学校時代の同僚や先輩たちからたまに電話をする度に、よくそのような話は聞いていた。聞いた時は本当かと信用出来なかったが、今にして思えば、心に余裕が出来た結果でもあると思うが、信用してみようとは思えるような嬉しい話である。

 

 だが、今提督らしいことは一つも出来ていない。

 

 運営らしい運営も、演習も、作戦指揮でさえまだ出来ていない。このままもし、大海戦が起こってしまえば、指揮系統に綻びが生じて、多くの犠牲を出すことになってしまう。

 今日は大和以外の艦娘と交流することができ、妖精さんとは筆談だが対話できた。あとは、『提督』としての使命を全うするだけなのだが。

 

 俺はそんなことを思いながら、執務室に到着し、扉を開くと

 

「……大井、北上」

 

 

 

「……」

「……」

 

 

 そこには大井と北上が待っていた。

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 ——提督が工廠で、明石との用事を終え、執務室に戻ろうとしてる時、食堂では大井、北上が、端の席に座り、何やら真剣な顔で話し合っていた様子だった。

 

「あら?」

 

 現在の時刻は1300。昼食を食べにくる艦娘たちがピークの時間帯はとっくに過ぎており、殆どの者は寮へ待機しに戻ったり、遠征や警戒任務に出向く為にドックへ向かったりと、今は比較的人が疎らになっている状況だ。

 そんな中、食堂を取り仕切っている艦娘——間宮は厨房から姿を現し、片付けをしている途中で、窓際の端っこで話すそんな二人の艦娘のことが目に入ったのだ。

 

(何を話しているのかしら?)

 

 その時彼女は不思議に思ったと同時に、気になってしまった。しかし、片付けもしないといけないので、片手間ではあるが、耳を少し傾けながら手を動かすことした。

 

「——そろそろ、決心は着いた? 大井っち」

「……は、はい」

 

 決心? とはなんだろうか。そんな疑問を、今の会話から感じた。

 

「じゃあそろそろ執務室に行こっかー」

「き、北上さん」

「んー?」

「……北上さんは、その。行くのが怖くないのですか?」

「……」

「あ、いえ、すみません。でも——」

「——怖いよ。そりゃ」

「!」

「そんなの……怖いに、決まってるじゃん?」

 

 そこで北上は、にへらとしたいつもの笑顔を大井に見せる。だがそれは、何処か引き攣ったような、無理してるような、笑顔と呼べるかさえ微妙な表情だった。大井はそんな彼女の反応から、色々なことを察することができた。

 一見して、今執務室に行こうと促す北上の方が、大井より行動力があり、どんなに提督との関係が気まずくても、執務室というアウェイな場所に行こうとする勇気があると思うだろう。しかし、それは少し違ったのだ。

 ——北上も、大井と同じくらいに不安なのだ。普段から飄々としてて、何を考えてるか読めない。しかし己の芯が確りとしており、有事の際には最適な判断を下すことのできる冷静さもあり、性格の方もふざけてるように見えるが根は優しく、艦隊の多くの艦娘たちからも頼りにされている。そんな彼女のことを、大井は尊敬していた。勝手に憧憬とさえ思っていた。自分にはないものを持っている。戦いにおいても、その他のことにおいても、全てのことで周囲の人から人望を集める北上を。

 

 だが、大井はつい先ほどの会話から、自分と同じように不安であることも察することが出来、また普段から憧れていて、その背中を追いかけていた北上も、自分と同じ立場の艦娘であることを再認識出来た。

 

「私ね……提督に、物凄く酷いことを、したんだ。大井っちはまだ、提督のことをガン無視してただけだったけど、私はその先のことをしてしまった。あの時の私は『人間』という存在そのものが嫌いで。特にその中でも、軍人という人種に物凄く憎しみを抱いてたの」

「……!」

 

 知らなかった。いや、知り得なかったの方が正しいのか。北上さんはこのことをひた隠していた。多分私を、皆を不安にさせないように。

 

「……最初は堪えてたの。でもね……いつしか、あの軍服を着た人間を見ただけで、とても嫌悪感を感じるようになった。特に近くを通りかかったり、すれ違ったりした時は、それはもう吐きそうになったりとか、酷い頭痛に見舞われたとかしてさ……」

「……」

 

 そう言って、途中で北上さんはそんな重く捉えないで欲しいと私のことを気にかけたのか、()()()()()()()ははは……、と笑顔を向けてくれた。しかし、見るからに無理して笑っている感じが否めなかった。その笑顔を見るととても心苦しくなる。

 

(そういえば──)

 

 そういえば。当時、北上さんと出会う時、度々なのだが、体調が如何にも優れているように見えない時があった。昨日までは気さくに、飄々として元気そうに駆逐の子たちと鬱陶しがりながらも、いつも通りに話していたのに、次の日に出会った時、まるで別人のように顔色が真っ青になってた時があったのだ。もしかしたら、提督とすれ違った日に限り、そういう症状が出ていたのかもしれない。あの時もきっとそうだったのだろう。

 

「……もうそんなことにも嫌になってきて、こんな不甲斐ない自分に腹が立っても来てた、ある日。私はその日、気晴らしに遠征でもしようとドックのほうに移動してたんだけど、前から提督が歩いてきたの。でもやっぱりその時は吐き気を催したりとかして、とてもキツかったんだけど、いつも通り愛想笑いをしながら通り過ぎようとした。でも、酷い顔色の私を見て、提督が『……お、おい。大丈夫か』と、心配してくれて。だけど、突然肩に手を置いてきたもんだから…………気付いたらさ。咄嗟に提督のことを……ッ、殴り飛ばしちゃってたの」

「──!」

「その時は……訳がわからなかった。朦朧としてる中で、目の前には、私に思い切り殴り飛ばされて、その拍子に壁にぶつかって、全身を強打してしまって。痛みで蹲る(うずくま)提督と。周囲には殴ってしまった時の拍子に飛び散った血痕。何も、分からなかった。自分がその時、どんな表情をしてるのかさえ、分からなかったんだ……」

 

 ……彼女も彼女なりに、これまでも、自分がしてきたように時には迷い、時には葛藤し、時には苦しみながらも、向き合ってきたのだ。見るからにとても辛そうに話している北上さん。

 

 私は依然として、北上さんの過去の話へ瞠目して、黙っている中、北上さんは話し続けた。

 

「その後、私は提督から脇目も振らずに逃げちゃった……大井っちもその時のこと覚えてるでしょ? 私がアホみたいに息を切らして、血相を変えて部屋に入ってきた時あったじゃん?」

「あ……」

 

 確かに、あの時のことは覚えている。その日は私と北上さんは珍しく別行動をしてて、部屋でゆっくりとしていた。14時を回った頃、突然廊下の方から騒がしい足音が聞こえてきた。その時、突然扉を開いて、慌ただしく入ってきたのは北上さんだった。「き、北上さん。ど、どうしたんですか!?」と、顔色がすごく悪く、様子も変だった北上さんに、私はその場で咄嗟に聞いたが、北上さんは自身のベッドに震えて蹲ったまま、結局翌朝まで喋ってくれなかった。私もあの時は辛かったし、何より北上さんがとても辛くしていたのだから、覚えていない訳がない。

 

「……あの時の私は、多分あの場から早く逃げたかったの。当時は嫌い、というよりは怖かったに近かったけど、殴ってしまった後の罪悪感とか、何も関係の無い提督への色々な思いとかもごちゃ混ぜになって……飛び散ってたあの血痕を見て、益々怖さに震えたよ。——でも、その時一番思ったのはね」

 

 そこで北上さんは感慨深げに、それまで俯いていた顔を、こちらに向けてきた。その目は何処か憂いがあり、今にも泣き出しそうに揺れている。

 

「あの時、一瞬だけでも私が私で無くなってたことが一番怖くて。本当に、怖くて。怖くて……怖くて、仕方なかった」

「……」

「だからまた提督と出会ったら、また手を出してしまわないか。また()()()()()が中から出てきてしまうんじゃないかって……すごく不安で、怖いんだよねー」

「……そう、なんですね」

 

 思わず心配げな顔をしてしまう私に、北上さんは微笑む。

 

「ごめんね大井っち。今話すべきかは迷ったんだけど、でも、不安がってる大井っち見てたら、なんだか話したくなっちゃって」

 

 多分、今その話をしたのは、私よりも北上さんの方が提督と会うのがすごく気まずいことを知らせたかったのだろう。私は提督とは、一切合切不干渉という対応を取っていた。そう考えれば、失礼ながら、北上さんの方が提督へしでかしたことの業が深いと思いざるを得ない。私よりも、北上さんの方が今、執務室に行くことへのある種の恐怖を感じているのだ。

 

 そんな北上さんに、私は努めて、明るく応えた。

 

「……いえ。今、私は嬉しいんです」

「え? どうして?」

「北上さんが、私に。そのような言いづらいことを。勇気を持って話してくれたからです」

「……大井っち」

「話の軽さ、重さなんて関係ありません。もし、また……一人で困っているのであれば、これからはどんな話でも、いつでも私に溢して下さい。話し相手くらいにはなれますから」

 

 そんな言葉に、北上さんも優しく微笑んでくれた。

 

「……もうっ、大井っちは。普段は人間関係のことについては凄く不器用なのに、こういうときは無駄に器用なんだからなぁ」

「ふふ。北上さんのことは長年一緒にいる訳ですから、殆どのことがお見通しですよ」

「あはは——」

「ふふ——」

 

 私と北上さん。今までも、そしてこれからも。どんな困難が降りかかろうと、私は北上さんと一緒に、何度でも乗り越えていくことでしょう。穏やかな海も、荒々しい海も。何処へ行こうとも、一緒ですよ北上さん。それに、今行こうとしてる所だって。

 

「では、行きましょう北上さん」

「……うんっ。行こっか、大井っち」

 

 提督が待っている執務室へ。謝罪を兼ねて、直接会って話し合ってみたい。一体どのような目的があって、どのような信念を持ち、そしてどのように今後、この鎮守府を導いていくか。私自らのこの目で確かめてみたい。提督としての器がどの程度あるのかを。

 

 

 

 

 

 

「……ふふ」

 ——そんな大井の思惑など露知らず、二人の最終的には微笑ましく締めくくった会話に耳を立てて聞いていた間宮も、思わず静かに、微笑んでいた。



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第十四話 取引と決意

またまた長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません。学校も始まり、次回もいつになるかはわかりませんが来月中には出したいと思っております。また、メッセージや近況報告の方に、意見やリクエストをどしどし募集しております。もし良ければ、誤字報告の方もしてくださると助かります。感想や、評価もお待ちしております。

                   水源+αより


 ──横須賀鎮守府 執務室

 

 

 

 

「……大井、北上」

 

 何故、二人がここに居るんだ。

 

 工廠から執務室に戻って、その扉を開けてみれば、そこには軽巡である北上と大井が居た。この二人とはあまり関わりがない反面、正直、何故ここに居るのかが予想できなかった。

 それに少し緩和したとは言え、まだ多くの艦娘たちの近くに行くと鼓動が早くなり、動悸も乱れてしまう。

 

 しかし、そんなことも落ち落ち言ってられない。それでは、折角話に来てくれた二人に失礼だ。深呼吸して落ち着いて行こう。

 その間に少し記憶を辿ってみると、そういえば北上とは一応関わりがあったことを思い出す。

 

(……確か北上とは一悶着あったな)

 

 とは言っても、北上は当時から俺のことを相当嫌っていた。だから特筆すべき関わりといえば、俺が北上から殴り飛ばされたことだ。しかし、あれはいくら当時の北上の体調を心配したからといって、俺が不用意に彼女の肩に触れてしまったのが原因だ。別にそれについてはもう気にしてはいない。

 

 だが。もし北上がそれについて、罪悪感など色々なことで気にしてしまっているのであれば、その時は誠意を持って接しなければならない。一人の人間として。相手が言わんとしていることを、相手が態度で伝えようとしてることを、受け止める義務がある。

 

 これから何を言われても自然体で受け止めることを決心していると、大井が口火を切った。

 

「……提督、空いてるお時間は御座いますか?」

 

 時間か……と、腕時計を見て考える。

 

 吹雪は確か16時に、この鎮守府の過去に何があったのか聞きに、執務室に来るはずだ。今は14時。まだ余裕はある。幸い、執務の仕事も大和たちが頑張ってくれたお蔭で今日中に終わらせるのには充分な量まで減らせているし、このまま長い話になったとしても大丈夫だろう。

 

「……16時までは空いている。北上と大井から俺に用があるなんて珍しいな。……何か()()()があってここに来たのか?」

 

 この雰囲気は、ただの相談事では終わらなそうな感じだな。

 

 目の前の大井の鋭く冷たい雰囲気に、思わず何かを感じ取った。

 

「はい。相談事、というよりは積もる話があって、ここに来ました」

「……積もる話か。長くなるのか?」

「それは……提督、次第と言ったところでしょうか」

「……分かった。そこに椅子があるから、腰を掛けてくれ」

「「失礼します」」

 

 さて。これから何を話し合うのか。いや、正確には何を質問され、俺が答えていかなければならないのか。

 

 どちらにしろ、俺はもう『提督』という仮面は被らずに、嘘は吐かないと決めた。質問されるのであれば、どんな質問にも正直に答えるだけだ。

 

「それで、何を話したいんだ?」

 

 早速、用件に入る。こういう時に回りくどくすると、逆に面倒くさくなる。ど直球に話題へさっさと入った方がスムーズに話が進む筈だ。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 横須賀鎮守府 重巡寮 

 

 

 

 

 

「ただいま──ってあれ、熊野。今日は非番だっけ?」

「……ああ、鈴谷。いえ、私も午前中に任務を終えて、ここに帰ってきたばかりなの」

 

 重巡寮のある一室。そこに、任務を終えて帰ってきたばかりなのか、鈴谷が扉を開けて入ってきた。

 てっきり、部屋には誰もいないと思っていたのか、そこにいた熊野に不思議そうに問いかけるも、熊野は頬を穏やかに緩ませて応える。

 

「そっか。じゃあ今日はもうずっとゆったり出来るじゃん」

「……そうですわね。帰ってきたばかりでしょうし、鈴谷はそこに座って休んでいて下さい。今、紅茶煎れますから」

「ありがとう熊野。そうさせてもらうね」

 

 二人にとっては、この時間は久々の二人で揃っての休息の時間だ。鈴谷と熊野はその事は口に出さずとも、意図せずに訪れた、この穏やかで大切な時間を嬉しく思っていた。

 

 熊野に言われたとおりに、側に置いてあった適当なクッションを鈴谷は抱いてから座り込み、熊野の紅茶を待つ。

 

 前までは、前任によって家具が全て売り払われた結果、ベッドだけという無機質な部屋だった。しかし、西野提督がここに来てからというもの、そのような制限も無くなり、鎮守府に要請すれば限りはあるが、家具や娯楽品を発注出来るようになったので、今はもうすっかり前任が来る以前の、いやそれ以上に充実した部屋になっている。

 

「……」

 

(……そういえば、提督が復帰してからもう二週間か。それにしたって、以前と同じく遠征と哨戒任務ばかりで、今の状況に変化を与えることも起きてないし。それに、成果報告しようと執務室に行って会ったとしても、相変わらず事務的な会話で終わっちゃうし)

 

 そんな鈴谷は、熊野が紅茶を煎れている後ろ姿をなんとなく眺めながら、逡巡していた。

 

 私が謝りたい相手である提督が二週間前に復帰した。しかし、依然として状況は平行線のままで、何も進展していなかった。廊下ですれ違っても、執務室で話す時も、互いに遠慮しているのか、それとも私がそれ以上に意識してしまっているせいなのかもしれないが、直ぐに会話が終わってしまう。提督にも以前のことで、多分物凄く遠慮させてしまっているのが分かる。当時の余計なことを考えて、挙句に一人で暴走して、提督へ酷いことをしてしまった私をぶん殴ってやりたい。

 

(……それに、あの涙)

 

 当時のそれまで、艦娘に対して一切の反抗のはの字も見せなかった提督が、唯一私だけに見せた溜まりに積もった本音と悲壮な表情が、私の脳裏からどうしても離れて消えなかった。

 散々陰口を言われて、散々拒否されて、愛想笑いばかり浮かばせていた当時の彼は、見ていて痛々しかったし、何より『何故言い返そうともしないのか』と、私自身がイラついていたことを覚えている。

 

 あれは、そう。前任と接していた時の私自身を見ているようだったからだ。

 たとえ前任が立案して実行した作戦が失敗し、任務も失敗したとしても、前任からの理不尽な物言いに対して、当時の私が行ったことは『……そうですよねぇ』と、何もかも諦めて取り敢えず浮かべていた、あの醜い愛想笑いだった。それが、あの時の提督と重なって見えて、日々の鬱憤もあり。そして、熊野への肥大化し過ぎた罪悪感から、あの時の提督に向かって暴力をしてしまったのだと思う。

 今にして思えば、正直あの時の暴力を振るう理由なんて、なんでもよかったのかもしれない。ただあの時の提督を見ていて無性にイラついてしまったのだ。

 

 ……そんな因果で、私は暴力してしまったのだろう。悔やんでも悔やみきれない。何故、私はあんなことをしてしまったんだ。

 

(……このまま、なのかな)

 

 このまま。私はこの鎮守府を陰ながら守ってくれていたあの人と、何も話せないまま終わってしまうのだろうか。

 

 不安が。失意が。罪悪感が、またあの時のように流れ出してくる。

 

「鈴谷。紅茶です」

 

 と、その時熊野が紅茶を持ってきてくれた。

 

「あ、……ああ。ありがとう熊野」

「いえいえ」

 

 それから、二人して煎れたての紅茶を啜る。少し乱れかけていた心の中を諫めるのに持ってこいだった。

 

「美味しいよ。紅茶」

「それは良かったですわ。前に金剛さんに教えてもらったことがあったので、その煎れ方を参考にしてみたのです」

 

 なるほど。それは上手い訳である。金剛四姉妹の紅茶好きは艦隊の中でも語り草となる程だ。

「へぇ」と相槌を打ち、また紅茶を口に運んでいると

 

「──提督のこと、考えてましたか」

「っ!? けほけほッ!」

 

 いきなり私の心を言い当てられてびっくりする。その拍子に、気道の変なところに紅茶が入ってしまい、むせてしまった。

 

「あ、ああ、すみません鈴谷」

「……いや、良いんだけど別に。というか、凄いね。なんで分かるの」

「なんとなく、そういう顔をしていたからですわ……私も、空いた時間があれば同じようなことを考えて、同じような顔をしていますから」

「あー……その、ごめん」

「何故謝るんです。別に悪いことでは無いですわ。実は私も、鈴谷が来るまで、提督のことを考えていましたの」

「……そうだったんだ」

 

 普段通りの熊野だったため、全く分からなかった。

 

「ええ。私も、多分鈴谷と同じようなことを考えていました。でも結局は答えなんて見つからずに、そう思えば思うほど、会って話をしたいと思ってしまうんですわ」

「……うん。分かるよその気持ち」

 

 そう。結局は会って話さなければ、何も進展しない。当たり前のことで、単純なこと。しかし、それが一番難しいというのもまた事実としてある。

 

「……そんな資格なんてあるはずがありませんのに……どうすれば、良いんでしょうか」

「……そう、だよねー」

 

 二人して、紅茶を片手に天井を見上げていると

 

『──れで、何を話したいんだ?』

 

「……え?」

「……これは、提督の声?」

 

 ──不意に執務室から、館内放送を経由して、鎮守府全体に提督の声が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

「それで、何を話したいんだ?」

 

 ──そんな俺からの問いかけに、大井は依然として、こちらの目を確りと捉えながら応える。

 

「……先ずは謝罪から。提督。今まであなたへ、部下としては最低で、人としても不遜な態度を取ってしまっていました。提督が入院されて数日経ったある時に、金剛さんから、とにかく提督の日記を見るようにと強く言われて、そこで初めてそれまでの全容を知りました……全ては勝手な勘繰りをして、無意識にあなたのことを敵だと決め付け、どうせ軍人だからと思い込んでしまっていた──私自身に、責任があります」

 

 大井はそこまで言った後、次にはその頭を勢いよく下げた。俺は表情には出さずとも、心の中では驚きながら、次の大井の言葉を待つ。

 

「本当に。申し訳有りませんでした」

 

 はっきりとしたその謝罪の言葉だけで、大井がどれほど強かな女性かを理解することができた。この様子だと、彼女は本当に曲がった事が嫌いなのであろう。ただ真っ直ぐに、正しいと思った道へ進む。それが彼女の信念なのだ。現にこうして、謝罪の言葉を言った後、過剰なまでに十数秒くらい頭を下げ続けている。

 そんな彼女の誠意が込もったその姿勢に、素直に感服したと同時に、尊敬の念さえ覚えた。

 

 彼女はやがて、その下げ続けていた頭をゆっくりと上げて、また俺と目をしっかりと合わせてきた。しかし、その表情は先ほどの確りとした、厳粛のようなものではなく、眉を少し下げて、何処か心の中に憂いの色が垣間見えるものだった。少々躊躇をした空気のまま、彼女は奥底から、過ちを自ら絞り出すように、その言葉を続けた。

 

「……私が見えているところでも、そして私が知らないところでも。皆からいくら煙たがられ、多くの言われようのない偏見や理不尽を一身に受け続けていたのにも関わらず、提督はこの鎮守府を……私たちが帰る場所を、大本営の圧力や他鎮守府からの疑念から、守り続けて下さってたんですよね。私は……いえ、私たちはそんなことも露知らずに、提督に対してお礼も言わず、ずっとあなたの尊厳を否定するような対応を続けてしまっていました。もし、あなたが当時、前任が行ったことを揉み消したい大本営の圧力などから、私たちを守って下さらなければ、今頃犯罪者として仕立て上げられ、世間から厳しい目で見られていたことでしょう。本当に、様々なことでご迷惑を掛けてしまっていました」

 

「……大井」

 

 ……本当に、あの一年間にも及ぶ量を付けた日記を、隅々まで見られていたのだろう。約350枚後半のページを。

 

 確かに大井の言う通り、なんとかして問題を起こしてしまった前任の事を揉み消したい大本営は、俺を横須賀鎮守府に着任させ、傀儡として上から圧力をかけて上手く操ろうとしていた。大方、それで当時所属していた前任による悪行を受けた被害者であり、証言者になりえる艦娘たちを口封じのために、強制的に解体なり、無理な出撃などをさせて轟沈させ、証拠の隠滅をしたかったのだろう。

 だがそれを察知することが出来た当時の俺は、元帥に頼み込み、後ろ盾になって貰ったおかげで、大本営の圧力から屈することもなく、艦娘たちの意思を尊重し、自分なりに鎮守府を復興させようと頑張れたのだ。

 ……結果としては大失敗。全く、艦娘たちとは分かり合えなかったのだが。

 

 しかし、艦娘たちの尊厳や自由を守ることは出来た。

 確か俺が正式に元帥との関係を明かす前まで、大本営は俺と元帥が義理の親子関係ということを知らなかったみたいだ。だから士官学校から妖精さんが見えない体質の、如何にも無能そうなポっと出の俺を、傀儡として横須賀鎮守府に着任させてしまったんだろう。やはり、俺がこうしてまだ、一応提督としてやれているのも、元帥のお蔭という面が非常に大きい。

 お義父さん、ありがとう。

 

 俺がそう逡巡していることは知らずに、大井は言葉を紡ぐ。

 

「ましてや、今も世界が深海による影響で大変で、それに対抗しうる力を所有しているにも関わらずに、目的も見失い、軍艦である誇りと認識も欠けていた私は……まるで駄々をこねていた子供のようなものです。私は今すぐ解体命令を出されても、別に何も異論はありません。私はそれほどのことを犯してしまいました。最後に本当に、本当に申し訳有りませんでした」

 

 そう言って、また大井は頭を下げる。

 隣に座る北上も、先程からの彼女の謝罪の姿勢に瞠目しているほどだ。しかし、これが彼女なりの最大限の謝罪なのだろう。どれだけ謝罪してもし足りないと、彼女の態度から滲み出ているようだ。

 

 大井は命令違反、命令放棄、無視という軍規違反を犯している。なるほど、確かに解体命令ものだ。本人もそんな命令を出されても仕方無しと言っている。

 

「……分かった」

「……」

「大井からの確りとした謝罪は受け入れる他ない。これまでの大井がしてきた数々の命令違反や無視などは水に流そう」

「……ありがとうございます」

「だがここは軍だ。相応の処分を行うこととする。それで、早速この件についての処分なのだが」

「……はい」

 

 普通ならここまでのことをした部下の処分は軍法会議もので、そこで正式に解体命令が下されることだろう。しかしだ。

 ──しかし、それは出来ない。

 

「所属している横須賀鎮守府第三艦隊から暫くの間除名とし、今後結成予定の304教育艦隊の教育艦への異動とする。先に言っておくが北上、お前もだ」

「「……え?」」

 

 俺の決定に、二人はどうやら何か言いたいことがあるらしい。

 

「何だ。不服なことでもあるのか」

「い、いえ、あの。私は、解体処分ではないのですか?」

「いやいや、提督殴り飛ばした私はともかく、大井の処分は妥当だと思うけどね……でも、何で私を解体しないの? 私は犯罪を犯したんだよ?」

 

 北上もその意見に肯定して頷いている。

 

 北上も、どうやら俺を殴り飛ばしてしまったことを謝罪したくて、今日はここにきたのだろう。

 

「……二人とも、今の戦況は把握出来ているのか?」

「はい。ここ二年間はトラック泊地を最前線として、安定した戦線維持に成功しています」

「……それに。全体的に艦娘の練度も上がってきたから、敗北数も轟沈数でさえ、0に抑えることが出来ているっていう話も聞いてる」

 

 大井と北上はそれぞれの観点からそう述べる。

 

「つまり二人が言いたいことは、戦況的には均衡状態だが、こちらに分があると考えている、でいいんだな?」

「「はい」」

「……しかし、最近戦ってみて何か違和感を感じなかったか? そう、例えばの話だが……妙に深海棲艦たちの統率が取れているとか」

「「──」」

 

 それに対して、彼女たちは一様に瞠目させる。

 俺がここに復帰して、早二週間は経過しているが、これまで大井と北上には高い練度的にも遠洋へと出向き、タンカー船の航路哨戒の任務につかせていたはずだ。勿論、太平洋の奥に入り込めば入り込むほど、深海側の強さも上がってくる。この二週間はずっとそれなりの強さの深海棲艦と戦ってきた彼女たちの記憶の中に、少なからず何かの心当たりがあったらしい。

 

 でなければ、こうして目の前で、分かりやすく目を見開くなんてことはしないと思う。

 

 思えば、俺はもうここから素で話してしまっていた。普段から見せることのない、俺のありのままの姿勢で。しかし何故だろう。なんだか、いつもより口が回る。別人になったまでとは行かずとも、明らかに前の俺と今の俺は違う気がした。

 

「……何故、お前らを解体処分にしないのか。別にこれは俺の個人的な感情で解体しない訳じゃない。まあ、お前らのこれまでの境遇に憐んで決めたこと、ではあるのかもしれない。別にそこに、そういう訳ではないという偽善は吐かない。だけど分かって欲しいのは、他にも明確な理由があるから、お前らを解体しないんだ」

「……つまり、戦力低下をしないために」

 

 俺の言葉から察せた北上が、未だに先程のことが引っかかっているのか、顔を神妙なものにさせながら、そう言ってきた。

 

「ああ。ここ二年で全国の、いや世界中の艦娘たちが強くなっている。三年前の低練度の艦娘たちで挑んだ結果、多くの犠牲を出して辛勝した『第二次太平洋海戦』の頃とは、明らかに成長を遂げて、一年前から轟沈数も0に抑えることが出来ている。だけどそれは、敵も同じなんだ。それに、今まで人間が手付かずだった海の資源も、あいつらは潤沢に確保出来ている手前もある。あと、最前線であるトラック泊地の新島提督を始め、多くの鎮守府の提督とは常に情報交換をしているんだが、その都度必ず議題に上がるものが二つある。一つ目は、敵の統率力が上がってきていること。そして二つ目は、年々個々の強さも上がってきていることも最近じゃ言われるようになった」

 

 特に近頃、提督の間で注意しているのが、『flagship』と呼称される特異体の存在である。トラック泊地の新島提督が既に二度、三度戦ったことがあり、全て勝利を収めているが、それまでの深海棲艦を凌駕するその圧倒的な防御力と火力に、とても手を焼いたそうだ。世界でも有数の練度を誇る、あの新島提督率いる『第一太平洋艦隊』が手を焼いたほどなのだ。そんな存在が、もし他の海域に出現したら、被害がどれほどのものになるのか想像に容易い。

 

 トラック泊地以外に、日本であれば呉鎮守府や函館鎮守府、そしてここ横須賀鎮守府の近海に現れたとしても、総合力的には対応出来るとは思うが。例えばそれほどの地力が無い鎮守府や警備府、泊地や、未だに艦娘という対抗策を所有出来ていない近くの諸国などに現れた時、多大な被害が必ず出てしまうことだろう。

 

 まだ『flagship』のことは機密扱いだが、危険性の面も考慮して、艦娘には伝えておくように言われているので近々集会の時に注意喚起しておこうと思っていたのだが、早いに越したことはない。ここで明かしても問題無いだろう。

 

「──近頃、『flagship』と呼ばれる特異体が、最前線で現れたようだ。その強さや練度は、この鎮守府で所属している艦娘に例えるなら、大和や武蔵、翔鶴、赤城さん程。いやそれ以上もあり得るかもしれない」

「「……っ」」

 

 分かりやすくするために、この鎮守府で指折りの練度を誇る艦娘と例えると、『flagship』の特異体の実力の凄さが分かったようで、二人は間も無く静かに息を呑んだようだ。

 

「他にも『elite』という一段階下の特異体も各海域で現れてきているという報告も全国の幾つかの鎮守府から寄せられている。だから、いつこの均衡状態が崩壊してもおかしくない時に、お前らを解体処分なんて出来ない。それに大井、北上」

「「……?」」

「二人は将来的に重雷装艦への改装をするかもしれないという改装案が、先日大本営から電文があった」

「……重、雷装艦」

「……なんか、凄そう」

 

 二人はその話を聞いても、あまりパッとしないらしい。

 

「……要は、これまでより、雷装の口径や数を魔改造させ、より強力な雷撃を繰り出せるようになれる改装、と覚えておけばいい。そういう案が今、検討段階にある。だからこそ、今も高練度だからそうなのだが、これからはもっと貴重な戦力になり得る人材を、はいさようならとするのは、無能がすることだ」

 

 俺もそこまで落ちぶれてはいない。ただ艦娘と上手くコミュニケーションが出来ないだけなんだ。

 それにだ。何よりも重要な理由がまだある。

 

「──それに、二人は既にここの艦娘だ。後輩からは頼りにされ、先輩からは認められて……これからの活躍に期待されている。そんな二人が解体されでもしたら、士気低下など待った無しだ。だから解体なんて持っての他という理由もある」

「「──!」」

 

「……二人は気付けてないようだが、普段から全く接していない俺でも、今の会話を通して見て分かる。お前らは、精神的にも仲間たちの助けになれるような存在なんだろう……過去の俺も、それになろうと努力はしたが、それに成れるような器じゃなかった。誰もが俺のことを疑い、背中を預けられる人間では無いと判断した。けど、お前らにはそれがある。この意味、分かるな」

 

 依然として瞠目している二人に向かい、俺はこう言い切った。

 

「……お前たちは必要不可欠ということだ。勿論、今後一切、この鎮守府で誰一人とて解体なんて認めない。もし大本営が何かしら言ってきたとしても、戦力低下なんてバカなことやってる場合ではないと一蹴できる。横須賀鎮守府の提督の権限を使えば、それなりに降りかかる火の粉を振り払えることは容易だしな」

 

 つまり、不都合なものはこの権力で取り消して仕舞えば良い。

 そんな俺の言い草に、大井が割り込む。

 

「……で、でも、それって──」

「──権限の濫用にはなるとは思う。しかし、悪用ではないだろう。もう俺は汚職が蔓延っていて、変革を恐れているような()()()()()に屈するのも、変に取り繕うのも辞めた。それが真の提督への道だと思っている」

 

 大井が曲がった事を嫌っているのは分かっている。

 俺の屁理屈みたいなことを否定したい気持ちも分かる。

 

 しかし、バカ真面目過ぎる。それでは大本営に渦巻いてしまっている、権力闘争に引けを取ってしまう。当時の俺もそうだったように。元帥の後ろ盾無しじゃとっくにここには居ないし、きっと日本の何処かで憲兵に監視されながら、その後の人生を細々と生きていたことだろう。

 

 実際、俺は大本営の奴らから舐められてしまっているのが現状だ。しかし、これからは横須賀鎮守府の提督らしく、堂々と力を誇示していかなければ、いざと言う時に俺の案が通らない可能性がある。今までの俺のような受け身ではダメだ。もっと、自分自身に自信を持って、自分が置かれている状況を上手く利用していくんだ。

 

 

 

 

 

 

 

「──それが、あなたの中の『提督』というものですか」

 

 不意に、大井が冷静にそんな問いをしてくる。

 

「どういうことだ?」

「実は謝罪した後、ある質問に答えて頂きたいと思っていました。それが、私たちがここに来た理由の一つでもありました」

 

 質問。俺の中の『提督』という概念について、ということだろうか。

 

「もう一度問います。あなたの中の『提督』とはどう言ったものなのでしょうか。提督は何を目指し、私たちを何処へ導こうと言うのですか」

「……提督。私も知りたい。教えて欲しい。私たちは解体しない。それはもうわかったよ。なら、提督はそこまでして私たちを何の為に戦わせるの? 多分、ここの横須賀鎮守府の艦娘たちは、国の為だなんて、そんな漠然とした理由でもう戦えないと思う……何故かと言うと、私たちが護っていた筈だった人間に裏切られたから。深海棲艦と戦って轟沈した方がまだマシな、生き地獄を人間によって体験させられたから。……ねえ、提督。私たちは何を理由に、戦い続けないといけないの?」

 

 ──大井は問う。お前にとって『提督』というのはどういう存在なのか。そして、どういう存在であるべきかと。

 

 ──北上は問う。自分達は一体何を戦う理由にしたらいいんだと。

 

 二人の質問に、俺は俺なりに考えて結論をだす。『提督』としてではなく、一人間として。西野真之という、一人の男として。

 

「……俺にとって『提督』は憧れの存在だった。家族は小さい頃に深海の攻撃によって亡くし、独りぼっちだった俺を拾ってくれた親代わりの人が、今の元帥だったんだ」

「……元帥とは、現在大本営では最高位の」

「そうだ。当時はまだ海上自衛隊の幹部だったけど、急遽、臨時として、色々と探りながらも艦娘たちを勇敢に率いて戦っていたらしい。俺が今でも抱いている『提督像』というのは、元帥のように艦娘たちを大事に育て上げ、良好な上下関係を経て、見事な指揮を振るい、艦隊を勝利へと導く。そういうものだと思っていた。でも俺がいざ実践してみると、お前たちも分かっている通り、そうはなれなかった」

「……」

「理想とする『提督』になるつもりが、今はこの有り様で、どうにかしてこのまま鎮守府を上手い方向へ持っていこうと必死だった。艦娘たちの多くとは、未だに気まずいままで、大事に育て上げるどころか……何一つしてあげていない。見事な指揮を取る前に、先ず指揮をすることさえも出来ていない。実際、俺はただ元帥に憧れて『提督』になった。一見、別に悪いことではないと思うが、その実、それは憧れ以外の何ものでもなく、ただの空っぽのものだったんだよ。……理想ばかりを目指して奔走し、策を弄した。しかし結局はダメで、とどのつまり、俺は『提督』になれるような器ではなかったことを、最近になって漸く理解することができた。それはもう今、重々自覚出来ているし、現にこうして取り繕ってるわけでもなく、素に近い態度で話しているしな。今までのように……無意味に背伸びして、空回りとかはしてないだろ?」

 

 そう言われて、二人は気まずそうに顔を俯かせる。それはそうだろう。何せ、当時から裏で思っていたことを当てられて、さらに返しづらい質問を投げかけられたのだから。

 

「……大井」

「……はい」

「俺はもう『提督』になるつもりはない」

「……え?」

「正直に言おう。俺は元々、妖精さんが見えない体質で、そもそも今こうして純白の制服に身を包むのもおこがましいくらい、提督の適正がないんだ」

「「──!」」

 

 突然のカミングアウトに、二人して今日一番の驚いた顔をした。当然だ。提督とは妖精さんが見えない人間がなれるようなものじゃない。否、絶対になれない役職だ。

 

「……は、はい? どういうこと、ですか? では何故、あなたは今、こうしてこの横須賀鎮守府の提督の座に居るんですか」

「……俺が着任した時の当時の鎮守府の状況を見れば自ずと答えは出る。無能な指揮官を着任させて、無能な指揮をさせることで、あたかも戦場では殉職したかのようにお前らを自然と消すつもりでいた。大本営は本格的にお前らを消そうとしてたんだ。口封じの為にな」

「なんてことを……っ!」

「……! なるほど。それはまた……中々に重い事実だな〜」

 

 大井は静かに怒気で声を震わせて、北上は衝撃が抑えられないが、努めて話を続けさせようと促してくる。

 

「……ああ。悪いな北上。人間っていうのは、権力を持ってしまうと、その瞬間からどうしようも無いくらいに屑になってしまう。あいつらも思っているだろうが、艦娘たちも、同じ人間だとは俺も思ってない。だけど俺が思うに、艦娘は艦娘だ。たとえ人間ではなくとも、俺たちと酷似した感情がある時点で、尊重されるべきだと思っている。ましてや護国の鬼として、俺ら人間に協力して戦ってくれているんだから。だけど、そんな尊重すべきお前たちへ、もうどう取り繕っても、人間がまたとても惨いやり方で裏切ろうとした事実が残っている……正直、北上が言う通り、もう人間を護るために戦う、なんて理由は捨てた方が良いのかもしれない」

「「……」」

 

 諦観を滲ませた声色が執務室に響いた後、数秒の静寂がその場に訪れた。二人とも、恐らく今は残酷な現実を突きつけられて、どうしようも無いくらいに人間へ期待することを諦めると同時に憎しみを膨らませているのだろう。

 そんな二人の沈みきった表情を依然として見据えながら、次にこの言葉を言い放った。

 

「──だけど二人には戦い続けて欲しい」

 

 その言葉に対して、二人は未だにその顔を俯かせて反応しない。それでも俺は曲げずに言い続けた。

 

「……大井、すまないが俺は『提督』にはなれない。器がある訳でもない。才能がある訳でも、なにか特別なことが出来る訳でも無い。だけど、艦娘たちを導けること。いや、それはおこがましいか。それでも、道標くらいにはなれると思う。俺は俺が信じた道を行けるように、艦娘たちが信じた道を行けるためにこれからも努力するつもりだ。悪く言ってしまえば俺は大本営から送られてきた犬、仮初の提督だ。だけどなってしまった限り、俺はそれなりの権力を保持している。それに、俺には元帥閣下の後ろ盾もある。そう言う面においても、全力でお前たちが戦えるようにサポートするし……お前たちの尊厳や自由、そして生命を、人間の醜いエゴから護り切ることを約束する」

「……それは、本当ですか」

 

 大井は俯かせていた顔を上げて、俺と同じようにその目で見据えてくる。まるで、俺という存在ではなく、俺の本心に問いかけるように。

 

 

「……別にこの場で信じろ、というのも無理な話だ。ただ、猶予は与えてくれないか。頼む。別にこれは無謀なことじゃなく、今の俺なら実行出来る自信があるから、勝算があるからこの場で言っているんだ。言ってしまえば、これは取引だ。散々裏切られてきた人間から取引しようなんて馬鹿げた話だと思う。だけどもし、この取引通りに俺が大本営やその他諸々から艦娘一人でも護り切れなかったら、その時は躊躇なく俺を殺してくれても構わない。その後の処理は、元帥と上手く口裏を合わせて、()()という形にする。そうすれば、撃ち殺した艦娘やそれを止めずに傍観していた艦娘たちが罪に問われることはない。何せ、この鎮守府の防犯カメラは、大本営に監視されているかもしれないと危惧した過去の俺が全て撤去済みだ。その場には証言者という証拠しか残らない。その証言者たち全員が『病死』したと言い張れば、それがその場の意見として世間に具信される。このご時世だ。SNSを使えば、パッと直ぐにその情報は世界中に広がる」

「……」

「もしこの取引を受けるのであれば、その代わりにお前たちには今後も継続して深海と戦い続けてもらう……どうだ」

 

 この取引は、俺に圧倒的に不利な形の取引だ。しかし、なり振り構ってはいられない。これから俺は、大本営ではなく、得体の知れない謎の敵──深海棲艦たちと戦い続けて、勝利を収めていかなければならない。

 

 俺の家族の最後。それは、深海が放った砲弾が着弾し、一瞬のうちに、何も言葉を交わすことなく、目の前で粉々となり、その場に残ったのは、猛々しく燃え上がる炎と、家族だったモノの肉塊と肉片。そして僅かに残った遺品だけ。当時、まだ学生だった頃の俺には残酷過ぎる光景だった。

 

 ──二度と、そんな惨すぎる最後を迎えてしまう家族を生み出さないためにも戦い続けて、この国をこの世界を護り続けないとならない。

 

 俺はあの日の夜から、そう誓って、凡人らしく身を粉にして生き抜いてきた。しかしそれは全て過去の産物。今を、これからを生きていかずに、何を護れると言うのか。

 

 ……だからこれは俺の目的の為の一つの取引だ。例え俺に不利な条件だとしても、双方が納得しなければそれは取引とはならない。

 

 それから何十秒、互いの本心を読み合うように、互いの眼を見つめていたのだろうか。とうとうその時が訪れる。

 俺を見据えていた目を閉じて、一回嘆息してから、大井はその重い口を開いた。

 

「……分かりました。取引、成立としましょう」

「……ありがとう」

「ですが一つ付け加えます。もし、私がその取引を反故した場合、その時は私を、あなたの手でも、周囲にいる艦娘の手でも借りて良いので、見せしめに殺して下さい。そうすれば今後、反故される可能性も低くなり、そちらにとっても都合が良いことでしょう。生かすにしろ殺すにしろ、そうなった場合は反乱分子として私は今後、提督以外からも目を付けられ、その内殺されるでしょうしね……これで初めて、対等の取引と言えましょう」

 

「……大井」

 

 

 ……やはり彼女は曲がった事が嫌いなのだ。別に俺はこのままの不利な条件で良かったのに、妙に義理堅いというか、頑固なところがあるんだな。彼女も彼女なりにけじめをつけるつもりなのだろう。

 そんな彼女の言葉に、俺は「……ああ」と少し頬を緩ませて肯定した。さて、先ずは一つ終わった。後は北上のことについてだ。

 

「……それで北上。お前たちが戦う理由についてだが──」

「もういいよ」

「……は? 何言ってるんだ?」

「……だから、もういいって言ってるじゃん」

 

 何を言ってるんだ。それでは説明が付かないじゃないか。先程まで、あれほど嫌いな筈の俺の目を見据えてまで言ってきてたのに。

 

「どうしてだ?」

 

 素朴な疑問だ。どうして、彼女はここで引き下がるんだ。

 小首を傾げる俺へ、北上は「どうしても何も」と、さも当然の理由があるような言い草で理由を述べた。

 

「……あれほど自分に不利な条件並び立てて、挙げ句には事後処理は万全だから、もし取引を反故したら殺してくれても良いって……提督なのに、部下である大井っち相手に言ってしまう時点で、私の中の答えは決まってるよ」

「……答え?」

「提督がどれほど私たちのことを気にかけてくれてるのか、今までの行動からも……それも今までの会話からも充分に分かったし。それに、提督は私にこう言うつもりだったんでしょ。『人間の為でもなく、艦娘に生まれてきたからでもなく、ただ姉妹や仲間たちを護るためだけに戦い続けろ』って。さっきから、妙に提督も提督で、人間に対して余りの言い草だったし……そこから『人間を護るために戦い続けろ』ってどうしても提督がいってくるのが想像できなかったからさ。それに、私たちが周囲の子たちからどれだけ大切にされているのかも、私たちより分かってたし。もしかしてって思ってたけど……まさか本当に言いそうな雰囲気だったからさ」

 

 と。ニカッと照れ臭く笑う北上。

 

「……」

 

 確かに、北上が言った言葉に近いことを言うつもりだった。そんなに俺は言う前から言葉が予想できてしまうほどに、これまでの話の端々に見えていたか。

 

「──無言は図星ってことでいいよね……でも、ありがとう提督。私は、みんなと生き抜く為に戦うよ。ね、大井っち」

「……北上さんの為に戦います」

「もう、素直じゃないんだからな〜」

「……き、北上さんが言うのなら、皆さんの為に」

「……ぷふ。ま、それで及第点かな」

「な、なんですか。そんな顔で見ないでください」

「ええ〜? ……頬赤いよ?」

「こ、こらっ!」

 

 北上の中で答えが決まったのであるのなら、俺がこれ以上言うのも蛇足というものだろう。それに、目の前で少し戯れあい始めた二人の微笑ましい様子を見て、ふと思う。

 

 二人がそれぞれの答えを見つけられたのであれば、それで良いか──と。

 

「……大井、北上」

「あっ……は、はい」

「……はい」

 

 二人にはすまないが、もう少しそうさせたかった反面、少し時間も押している。また寮に戻ったら戯れあってくれ。

 

「……これからも沢山迷惑をかけると思うが、よろしく頼む」

 

 最後を締めくくる言葉としては少々物足りないが、これくらいが今の俺と彼女たちとの距離感では丁度良い塩梅だろう。

 

 

 

「はい。よろしくお願いします」

「了解」

 

 二人は敬礼して、執務室を後にする為に扉へと確りとした足取りで歩き出す。

 

 

 

 

「……」

 

 立ち去っていく彼女たちの華奢ながら、頼もしい後ろ姿を見ながらも、何処か充足感が俺の心の中で湧き出てくる。また一歩。艦娘たちとの距離が縮まれた気がした。

 

「あ、提督」

 

 すると、何か言い忘れたのか北上が扉を閉める前にひょっこりと顔を出してきた。一体何だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

「──……一応、提督の為にも私は戦い続けてあげるよ。それだけだから。それじゃ」

「……」

 

 

 瞬時のことで全く理解が追い付いていない。しかし、数秒経った後、俺は先程以上の充足感が湧いて出てきていた。

 

 やっと艦娘の誰かに、一応なのだが認められた嬉しさ。

 

「……よしっ」

 

 俺はその嬉しさを噛みしめながら、清々しい気持ちで執務へと戻るのだった。

 

 

 

 

 

 ──……カチッ

 

 

 

 

 提督が意気揚々と執務を始める中で、執務室内に不自然な音が響いた。

 独りでに動く、館内放送のマイクのスイッチがONからOFFへ、ゆっくりと、知らず知らずの内に切り替わっていることを、提督は知らないままでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 ──先程までの数十分もの間、鎮守府内に長く響いていた館内放送は、鎮守府内に居る多くの艦娘たちの耳に届いていた。

 

 そして誰もが、この時の館内放送の内容を忘れないことだろう。提督の元に訪れた大井と北上。執務室にて行われたその三人の会話は、館内放送を通して、全て漏れ出していた。

 

 誰の仕業かは分からない。しかし、その館内放送の件は瞬く間に艦娘内で持ちきりとなった。

 

 主な話題としては二つある。それは

 

 ──実は、当時から大本営の思惑で自分達を消すように圧力があったが、提督が一人だけで、元帥とのコネクションを上手く利用しながら、艦娘たちを守っていたこと。

 妖精さんが見えない事実と、自らが仮初の提督として着任させられたことも、例え『提督』に足る器じゃなかったという事実があったとしても、自分達の為に裏でここまで頑張ってくれていたこともそうだった。

 

 ──そしてもう一つは大井との間に、ある取引をしたこと。それは他から聞いていれば、提督の決意表明にも近かった。

 

 

『お前たちの尊厳や自由、そして生命を、人間の醜いエゴから護り切ることを約束する』

 

 

 表立って言い切った提督のその気概に溢れる言葉に、その時館内放送で聞いていた多くの艦娘たちの胸を打った。ある者は思わず頬を染め、またある者は静かにその言葉を反芻し、そしてまたある者は馬鹿らしいと鼻を鳴らすが、どこか期待を孕ませる瞳をしていた。

 

 その日から、艦娘たちの胸にある想いが生まれていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──提督。いや、西野真之という一人の男のその気概を、信用してみよう。と

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてその同時刻。戦艦寮のとある一室にて、一人の艦娘が館内放送の内容を聞いていたのか、顔に穏やかな微笑を浮かばせていた。側には煎れたての紅茶が置かれている。

 

 彼女は窓から見える海を見渡しながら、静かに呟いた。

 

「……提、督」

 

 ──その艦娘の手元には、『日誌』と記された手帳があった。



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第十五話 『人』と艦娘

 お待たせ致しました。なんとか今月中に更新することができました。どれもこれも、皆さんの応援のお蔭です。この場を借りて、礼を言わせて下さい。ありがとうございました。
 また、お伝えしたいことがあります。前に出したアンケートである『今後登場して欲しい艦娘』の集計が完了したので、ご報告させて下さい。
 およそ1336件もの人が、アンケートに協力してくれました。本当にありがとうございます。さて、結果といたしましては

一位 ウォースパイトなど、海外艦(373票)
二位 金剛(370票)
三位 鹿島(226票)
四位 鈴谷(192票)
五位 瑞鶴(175票)

という結果になりました。なので今後はこのアンケート参考に、登場させていきたいと思っています。
 今後とも、この作品をよろしくお願いいたします。長文失礼しました。        
      
              水源+α



「──……司令官。今日はありがとうございました」

 

 それまで、目の前のソファーに姿勢を正しく座りこんでいた吹雪は立ち上がり、深々とその頭を下げてきた。彼女の相変わらずの、年不相応の礼儀正しさに少々慣れない気持ちを覚えながら、俺は帽子を取って机に置き、口を開く。

 

「……ああ。こちらこそ、聞いてくれてありがとう。でも、非番の時間を取らせてしまってすまなかったな。まあ、これまでのこと……この鎮守府で、過去に一体何があったのかも含めて説明するとなると、自然と長くなってしまうのは予想出来てはいたが、まさかここまで話し込んでしまうとは」

 

 ──執務室の時計の針は、既に十八時半過ぎを回っていた。

 

 手短に、これまでの経緯を説明しておくと。

 実は大井と北上と話し合ったあの後、約束の十六時まで時間があるし、執務に精を出していたのだが、直ぐに入れ替わるように息を切らした吹雪が扉を開けて入ってきたのだ。開口一番に「……あの、司令官! 館内放送のボタンがオンになっていませんでしたか!?」と言われたものだから何事かと思い、急いで確認して館内放送のボタンを見てみても、特に変わった様子もなく、寧ろオフになったままだったので、思わず首を傾げたものだ。そんなことを聞いてきた吹雪も吹雪で、怪訝な顔をさせながらも首を傾げていたのだが。

 しかし、その話は置いといてだ。

 

 ──今の今まで、これまでの全てのことを洗いざらい、吹雪に話し終わった。俺が横須賀鎮守府に着任する経緯から、一体この鎮守府で何が起こっていたのか。そして、ここの艦娘たちと俺との間に一体何があったのか。如何にして彼女たちと俺はすれ違ってしまったのか。

 

 全て何もかも話したのだ。

 

 その話を聞いた吹雪が見せた反応は、予想していたものとは違っていたが、概ね何も知らない第三者として聞いたら、中々にぶっ飛んだ話で、困惑していたのは間違いないだろう。

 

 

 

 ──提督を艦娘たちが弾劾した。

 

 

 吹雪にしてみれば、ここに配属前の呉鎮守府に居た頃と比べれば、あまりにも現実味が無さすぎる話だったんだろう。何せそこの坂本提督は、前に電話に話したときに知ったのだが、毎日艦娘たちに引っ張りだこになるくらいに、親しまれているらしい。時には、坂本提督関連で、艦娘同士の(いさか)いに発展することもあるらしく、その度に彼は間宮券を片手に、いざこさの仲裁に奔走しているらしい。それほど彼が提督としてではなく、人として艦娘たちから認められているのが分かるエピソードだろう。

 

 そんな呉鎮守府からここに来てみれば、突然知らされる数々の想像し得ない過去と、俺と艦娘たちの間にある、普通なら考えられない深い溝。その時の吹雪の頭は理解が追いついて無かったはずだ。

 それに、俺が当時の置かれていた状況を淡々と話していく途中で、たまに真剣に見据えるその目に、悲壮感を見え隠れさせていた。恐らく、その時話していたことは、当時の艦娘たちから、どういう待遇をされたのか──についての話だったので、目の前で被害者である俺が、当時の心境を語っていることに、一種の哀れみやそれに近い感情が渦巻いたのだろう。勿論、そのまま話すと一方的に彼女たちの心象が悪くなってしまうので、あくまで自分も悪いところがあり、誤解させてしまう言動が多々あったこと。そして、自分が良かれと行動したのが、裏目に出ることが多かったことなどを交え、彼女たちと結果的にすれ違ってしまったことを軸に、その話を進めた。しかし──

 

『……司令官に何か非があったにせよ、それでもまだ先輩たちが悪いと思います。先輩たちが行った命令無視、陰口、暴力……このことに関しては、そう簡単に許してはいけないと思います』

 

 ──その話を聞いた吹雪は少し暗く、しかし確りとした声色で俺にそう訴えかけた。

 俺はその意見に対し、果たして肯定していいのか、それとも否定するべきか迷っていた。吹雪はこれから、先輩として交流のある艦娘と、これまで通りに接しられるかが不安だ。俺の話を聞いたことで、少なくとも気まずくなるのは確実だろうに。

 

 それに、俺にはまだ心の迷い、甘さがあったのだろう。しかし彼女のその真剣な目を見て、迷いを断ち切り、その場で俺は静かに頷いたのであった。

 

 その後も途中途中で吹雪に意見を求めながら話を進み、今現在に至っている訳だ。

 

「いえ。それより大丈夫でしょうか。正直、話を聞かせて頂いてるだけの私より、過去のことを話して下さっていた司令官の方が……その」

「……ああ、大丈夫だ。確かに辛いものは辛い。再び、過去と向き合ってる気分だった。でもそれは、別に悪いことじゃないと俺は思う」

「? それは、どうしてでしょうか?」

 

 少し目を伏せながら、遠慮気味に彼女は聞いてくる。普段から明るく努める目の前の彼女にも、何か辛い過去があるのだろうか。

 確かにそうだ。吹雪が言った通りに辛い過去と向き合うことはとても辛いし、それを改めて口に出して、相手に話にするなんて真似、したいっていう人の方が少ないのが当たり前だ。

 だけど──

 

「……辛い過去に向き合うことは、辛いに決まってる。でも向き合うことで、自分の過去の過ちや、他人の過ちを顧みることが出来る。そうすれば、本人の努力次第で過去に起こしたその失敗を次に起こさないように出来るし、何よりこうして人に話すことで、話された人も教訓を得て、同じ失敗を犯さないように注意するようになるかもしれない」

「……」

「……これはただの自論だけどな。けど、俺が思うに。失敗ってやっぱり、成功への第一歩になると思う。失敗は成功の母というけど、その通りだなと思うことが、最近じゃ増えて来たんだ……今の鎮守府の状況は以前よりずっと良い。それに、たまに心地良いとさえ感じることもある。以前までは執務室以外に落ち着ける場所は無かったんだけどな」

 

 目の前で自嘲気味に苦笑する俺に、吹雪は少し不安な顔から悲しげにさせる。

 

「だけど、今は失敗して良かったって思ってるよ。何せ、自分の殆どのものを見透かされた訳だからな。取り繕うものなんて何も無い、今の状況の方が凄くやりやすい」

 

 ──日記を見られたこと。見られた当初は、何故こうも人の心に土足で入り込めるのかと憤り以外に何も感じなかった。しかし、今になって、その怒りは鳴りを潜めている。

 当時の心境を書き殴った物を見られたのだ。それ即ち、艦娘たちに自分の本性が知られてしまっているということ。であるなら、以前まで持ち合わせていた意地や、印象を良くしようと、自分を無理な偽善で彩る必要がないということにもなる。実際、入院から復帰して以降、艦娘の目の前では、素の自分で多少なりとも振る舞えていると思う。いや、素で振舞うしか無いのが、正解と言ったところか。

 寧ろ今、また以前のように『理想の提督』を演じたら、それこそ欺瞞(ぎまん)だろう。

 

 人は建前と偽善で言動している節がある。しかし、この戦時下において、建前や偽善で言動することが間違いなのかもしれない。

 

 艦娘たちと俺との間で起きた(いさか)いは、言ってしまえば互いのエゴとエゴがぶつかり合っただけに過ぎないのだ。人はエゴの塊で、互いの利害が一致する時、初めて互いのことを仲間だと認識する生き物。では今回の艦娘たちはどうだろう。人と同じように思考し、自分自身の考えや価値観で、艦娘たちから不安要素しか無かった、当時の俺に楯突いたのだ──

 

「失敗して諦めるのではなく。失敗し、次に活かすことが出来る。笑って、悲しんで、喜んで、ぶつかり合うことで、自分なりの価値観や経験を元に、自らを作り上げることが出来る……確かに、時には醜いエゴで他人を傷付ける。だけど、それも人の力っていうことなんだと思う。だからこうやって、未だに多くの艦娘たちとは、互いに素直になれないままで……腹を割って話せない、気まずい関係でいるんだと思う」

「……司令官」

「俺からしてみればな、吹雪。お前たちの方が、よっぽど人よりも人間らしさがある」

「──」

 

 確かに彼女たちは人間ではなく、艦娘だ。

 

 人からしてみれば、人智を超越する力を持ちながら、人と同じような見た目をしている不思議な存在でもあり。

 

 場所によっては神聖視して、守護霊扱いもされているような存在でもあり。

 

 時には怪物扱いされ、畏怖されている存在でもある。

 

 しかし、俺はある日から思っている。階段から突き落とされた日から、今までずっと。

 突き落とされた時、身体中を打ち付けられて、とても痛かった。しかしそれ以上に、あの時。

 

 そう。俺を後ろから突き落とした犯人でもある能代が見せた、あの苦渋に満ちた表情を見てからだ。

 俺のことを突き落とした犯人には変わりない。しかし、あれほどまでに、葛藤させながらも実行させるまでに追い詰めてしまった俺も、提督として、人として失格だと思う。そして恐らく、俺が助かったのも、能代本人のお蔭なんだろう。直ぐに救急車を呼んだのも彼女なのだ。そうじゃなければ、今頃俺は出血多量で死んでいたかもしれないし、後遺症があるままだった。俺を突き落とした後、彼女は一体どういう思いで、救急車を呼んだのだろうか。執務室に駆け込み、自らの震える声で、俺の容態を知らせていたのだろうか。

 

 信じていいのか。信じてはいけないのか。沢山の葛藤に揉まれながら彼女が最後に起こした行動は、それでも俺を救うことだった。過程はどうであれ、彼女は人としての道義に従ったのだ。

 沢山思い悩み、苦悩して、時には心の中の罪悪と葛藤しながら、一つの答えに行き着く。自分で納得は行かずとも、『人』として、自分自身を許容できる道の選択をするのだ。

 

 彼女たちはいくら圧倒的な力を持ち合わせていようとも、そういう部分のエゴは、俺たちと変わらない。

 ──そう。俺たち人となんら変わらない。彼女たちの心は『人』そのものだ。

 

「……人間らしさ、ですか」

「そう。俺たち人間は、吹雪たちのように素直な奴は少ない。常に、自分の気持ちや心に嘘をついてる。ある意味、理性的とも言えるのかもな。でも、理性的だからこそ、簡単に損得の選択が出来てしまう。自分の利益になるものより、不利益になるものを徹底的に切り捨てるのが、人っていうものなんだ。前任だって、正にそうだった。艦娘たちを権限で押し付け、自分の利益になることをさせた……夜伽も、その一つだろうな」

「……っ」

「でも、前任はその実態が暴かれる前に、この鎮守府を後にした。心身共に、たくさんの傷を負った艦娘たちを簡単に見捨ててな。後は、大本営も正に理性の化け物だろうな。そんな状況下の鎮守府に、半ば強引に艦娘たちの不平不満を受けさせる当て馬として、ある一人の男を着任させた。大本営的にもその男の存在は、現在の上層部の方針や体制を揺るがしかねない邪魔な存在であり、しかし無闇に手を出せない元帥の義理の息子でもある、文字通りの厄介な奴だった」

「っ! ……それって」

 

 怪訝な表情を浮かべる吹雪。何かを察したようだ。

 

「そう。正に奴が俺だった。大本営からしたら、捨て駒に近かったんだろうな。消えた前任の代わりに、艦娘たちから一方的にボイコットや弾劾されることで、『艦娘を従わせることも出来ない、指揮官としての責務も全うしない無能』として、監督責任を押し付ける理由作りとか。あと、俺は妖精さんが見えない。その体質のことも利用して、提督の器では無かったと、軍を辞めさせる理由として済ませる気でもいたかもな。結果、艦娘たちから文字通りの弾劾が行われたその後、精神を病ませた俺が自分で提督を辞職し、大本営的にも邪魔者が消えて万々歳。これが、大本営の仕組んだ筋書きといったところか」

「そんなっ……」

 

 言葉にならない、といったところか。愕然としている。

 

「でもこれは、ただの俺の予想だ。だけど、普通あんな状況下の鎮守府に、まだ士官学校を卒業したひよっこを着任させるか? っていう疑問があるのは確かだ」

「……」

「……今まで挙げたものは、あくまでも例えばの話だから。つまり。悲しい話だが、これが人間でいうある意味の人間らしさだ。でも吹雪。艦娘たちは……あいつらは違う。確かに、俺の時みたく、他の奴に危害を加えてしまうかもしれない。俺はその危害を受けて、一時は病んで、自殺しようと考えたこともあった。でも、それはあいつらも同じことだ。権力という力で、あれほど艦娘の誇りと名誉を傷付けられたのに、自殺を踏み留まり、結局一瞬で消し去る力があるにも関わらずに、前任のことを殺しはしなかった。そして決して、仲間を見捨てようとはしなかった。最期の最後まで人の道を踏み外すことは無かった。仲間を守る為に、俺に必死に暴力をしてまで、必死にその思いの丈を伝えようとしていた。俺が求めてる人間らしさっていうのは、正にそれなんだ」

「……」

 

 吹雪は、俺の言葉を聞いてからまた、考え込む。

 人として。それは一体どういうことなんだろうかと。今、悩んでいる筈だ。俺もまだ、人間だと言うのに人としての意義を分からないでいる。

 

 しかし、考えることをやめてはいけないのは分かる。思考停止は、死んでいるのと同じだと、お義父さんがよく言っていた。だからこそ、今こそ。彼女たちから何かを得るべきなのだ。目の前で今考え込む彼女から、人としての意義とは何かを。

 

 俺はこの横須賀鎮守府の着任前まで、心の何処かに艦娘たちを人として見れない、醜い本音を隠し持っていた。事実、世間では艦娘を深海と同じ怪物と揶揄する意見も多くある。

 

 しかし、当時の彼女たちから陰口や無視、暴力をされるほどに痛感する。偽善や建前で、自分に非がない時にだけ行動に移す自分たちより、余程人間らしさがあると。

 仲間の為に。艦娘としての誇りと意地を示さんが為に、泥臭く本能的に抗ってくる彼女たちの言動は、どことなく現代の人が忘れかけていた、本当の『助け合い』の精神を思い出させてくれた。今は大抵のものが金で解決する。しかし、金という概念さえ知らない、深海相手に戦っている今。本当に命に関わる危険が迫ってきた時、果たしてその紙切れでその命は救えるだろうか。否だ。奴らはただひたすらに、目の前の人の命を無慈悲に殲滅するだけだ。人類が作った文明の通貨である紙切れに、興味など露にも示さない。

 いざとなったら交渉材料になる金という保険も無く、ただ頼れるのは己の力のみの、そんな状況下で仲間たちと戦ってきたからこそ、艦娘たちはここまで仲間に対して、自分の身を挺することが出来る。

 

 艦娘たちから学べることは、沢山あるのだ。

 

 人としての道義。尊厳。意義。人類全体が危険に脅かされている今だからこそ、彼女たちから多くを学ばなければならないと俺は思う。

 

 そんなことを思っていると、吹雪は何か自分の中でまとまったのか、しっかりとこちらを見据えて、口を開く。

 

「──司令官。私は今日まで『人』は、護るべきものとしてしか見ていませんでした」

「……ああ」

「ですが、司令官の話を聞くと、果たして『人間』は本当に護るべきものなのかと疑問に思うようになりました」

「……そうか」

「とても自分勝手で……とても残酷で、冷酷で。先輩たちを、司令官を沢山苦しめて」

 

 苦悩に満ちた表情だ。とても着任当時の元気で、爽やかな雰囲気は感じられない。自分たちが護っているものは、どれほど悪い面を持ち合わせているのかを、今日俺の口から無慈悲に伝えられてしまった。その結果、人とは果たして護るに値する存在なのか、疑問に思えてきてしまったと、目の前の彼女は言った。普通は戦う理由の一つでもある『人を護る』ことに、懐疑的になってしまい、その目も悩みに揺れるところだ。

 

 しかし。それでもなお。

 

「……ですが」

 

 ──彼女の目は、活きていた。

 

私はそれでも、この国を。司令官の故郷を護りますっ! 

 

 彼女も今、葛藤したのだ。自分の存在意義にも近いことを、自分自身で否定しそうになった。深海から護ることはそう簡単な話ではない。だからこそ、護るべき対象は、自らの命を賭すに値する、それ相応の存在であって欲しいという、艦娘としての思いや願い。一種のエゴ。それを、残酷なまでの人の悪意を知った今、無碍にされた気になったことだろう。しかし彼女は、それでもなお──自分の信念でもって、言い切ったのだ。

 

「……それでこそ、艦娘だ」

「えっ」

「ここに来てくれてありがとう。吹雪。君のおかげで、俺はまた夢を見れそうだ」

 

 俺の夢。──鎮守府のみんながどんな時でも帰りたいと思える母港を作り上げること──

 

 今のままじゃ到底叶うこともない夢。それを叶える前に、この状況下では必ず誰かが犠牲になる。しかし、させない。させるものか。

 人の悪意を知ってもなお、それでも救うと言い切った彼女の心意気に、『人』として応えたい。

 

 俺の全身全霊を持って、艦娘たちに、そしてこれまで志半ばに沈んで行った英霊たちに、靖国で顔向け出来る様に。

 

 俺は国民だけでなく、艦娘たちを護り切ってやる。俺の命を賭してでも。

 

 

「……吹雪。俺も、この国を護る。そして、お前たちも」

「……!」

 

 瞠目する吹雪。しかし、俺の一見聞いててクサい言葉でさえ、彼女はその笑顔で優しく受け入れてくれる。

 

「……はいっ──司令官! これからも、よろしくお願いします!」

 

 今度は自信に満ちた表情を見せてくれた。やはり吹雪は、何かをやってくれそうな気がする。

 恐らく彼女の存在は、これから横須賀鎮守府でも大きくなっていくだろう。何せ、彼女はこの鎮守府に吹き込んだ──新たな風なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「—…… It is time soon《そろそろ時間ね》」

 

 潮風が、彼女の絹のような綺麗なブロンドの長髪を揺らす。透き通るような声で流暢な英語を溢した、優雅に玉座型の艤装に座る彼女の姿は、女王とも呼ぶにも相応しい。彼女の後ろに聳えるのは、大規模な海軍基地の母港。ここはイギリス本国の南西部に位置する、西ヨーロッパ最大規模の海軍施設である—デヴォンポート海軍基地だ。

 

 万人の男を虜にするような、絵画から飛び出したような美しい少女は、そんな基地近くの海上にて、東の方を見据えていた。これから出港するのだろうか。目的地の方角を見ているようだ。

 

「 ……Japan. Country where even the world takes pride in its eminent skill level and number of warship daughter possession」

《……日本。世界でも有数の練度と艦娘保有数を誇る国、か》

 

 日本。今やどの国でも、その国の名を知らない者は居ない。深海棲艦が出現してから今日まで、多くの艦娘を以て、太平洋という最前線に立ち続け、世界を先導している。数年前まで絶望的だった世界の状況を、ここまでに回復させた立役者とも言っても良い国である。

 間違いなく、世界中の艦娘をかき集めても、日本で日々深海を相手に戦い続け、研鑽を積み、確実に練度を高めていっている日本艦隊に遅れを取るだろう。それぐらいまで、今や日本の艦娘たちは世界の主戦力とも言っても良い貴重な財産でもある。

 

 そして、それらを指揮する指揮官の存在も、世界にとって重要だった。高い練度の艦隊を巧みに指揮し、勝利へ導く人の存在は、ことこの美しい少女にとっても、とても興味深いものだった。

 

「And. The country where I also need the battleship Yamato declared with a world's strongest, too」

《それに。あの世界最強とも謳われる、戦艦大和もいる国よね》

 

 そこで彼女は、口角を上げる。普段から余り笑顔を見せないと、母国イギリスでも有名である戦艦—ウォースパイト。

 玉座型艤装に座り、堂々とイギリス艦隊を先導する姿は人気で、イギリスだけでなく、主に西ヨーロッパ諸国からも人気、或いは崇拝されるまでに至っている。なんと言っても、その強さにも魅力があり、現在西ヨーロッパで随一の歴戦艦としても名高い。

 西ヨーロッパのどの海戦にも抜錨し、戦果を挙げるので

 

 

 ──戦いあるところに、必ずWarspiteあり。

 

 と、英国海軍では言われているほど。

 第二次世界大戦当時でも、イギリスきっての、ましてや世界でも随一の殊勲艦であったことからも、その期待を一身に背負っている。

 

 彼女は優雅で美しくも強かである。英国淑女の体現者でもあるだろう。

 

 そんな彼女は今、珍しくも燃えていた。

 

「I'd like to meet the battleship Yamato by all means. And I'd like to fight once. One now would like to know how much strength it is」

 

《戦艦大和に是非会ってみたい。そして、一度戦ってみたい。今の自分がどのくらいの強さなのかを知りたいわ》

 

 自分がまだ至っていない強さの境地。なにゆえ、世界最強と戦ってみたいほどに、彼女は強さを欲するのか。

 

「……In this national storage old I have defended against an invasion of an other country. And I also have to keep fighting for my company who became a victim so far」

《……昔の私が他国の侵略から守ってきたこの国のためにも。そして、今まで犠牲となった仲間たちのためにも、私は戦い続けないといけない》

 

 そう。何も、横須賀鎮守府の吹雪だけではない。自分の母国を護りたい気持ちは、万国共通なのだ。それは仲間たちのためにも、たとえその命を賭してでも。

 

 だから彼女は強さを欲するのだ。護るべきものを、護り切れる力を。

 

「Arc Royal. Later was left. Because…… a flagship of Western Europe combined fleet will be you.」

《アークロイヤル。後は任せたわ。西ヨーロッパ連合艦隊の旗艦は……多分あなたでしょうから》

 

 そうして、彼女は内に秘める強い思いを静かに燃やしながら、後ろに控えていた少女へと振り向いた。

 

「……I see. Leave this. Even if it won't be a flagship, it's just done as usual」

《…… 分かった。こちらは任せておけ。もし旗艦にならなかったとしても、いつも通りにするだけだ》

 

「……Haha。I meet. If it's so, I'm relieved. Then, I go by and by」

《ふふ。なら安心ね。では、そろそろ行くわ》

 

「…… A fortune」

《……武運を》

 

 ──そんな言葉に、彼女は頷き踵を返した。ついに出港する。母港には沢山の人々が押しかけ、多く温かい声援を送ってくれた。

 停泊していた軍艦たちも祝砲を上げ、華々しくも彼女の門出を祝す。

 そんな多くの人々の、期待と声援を一身に受けるウォースパイトは、最後でもその孤高の優雅さを欠かすこともなく静かに、手を挙げて応えるだけで母港を出た。

 無駄な言葉なんて要らないだろう。彼女の勇姿を見てきた国民たちは知っているのだ。彼女はどこまでも強かなのだと。

 

 やがて、遠い日本への航路に着いた頃、彼女は次の目的地の名を、思い出すように口にする。

 

 

 

 

 

 

 

「…… The next destination《次の目的地》は、横須賀鎮守府……だったわよね。ちゃんと日本語、話せているかしら」

 

 実は前々から日本文化自体に興味もあったウォースパイト。彼女の勉強の成果か、随分と流暢な日本語を話せている。

 次に出会う艦娘たちと、戦艦大和。それに、その艦隊をまとめ上げる司令官は一体どういう人なのだろう。密かに期待感を混じらせ、彼女は再び速度を上げるのであった。



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第十六話 あいしています

今回は伏線回です。

今後の展開についてのアンケートも集計が完了したので開票します。


(48) そろそろ戦闘して欲しい
(316) 艦娘たちと和解して欲しい
(218) 海外艦との交流をして欲しい
(26) オリキャラとの絡みを見たい
(239) 主人公の活躍が見たい

ということなので、これを参考にしていきたいと思います。
計847票も協力ありがとうございました。


それと、また新しくアンケートも改築しました。金剛姉妹のことについてなので、良かったらよろしくお願いします。


「──敵艦前方に発見! 皆サーン! ワタシにfollow me! このままGo a headした後、直ぐに左旋回で斉射するヨー!」

 

 と、後続する皆を不安にさせないように、ワタシは努めて明るく声を出した。前方から高速で接近してくるのは、一隻の深海の駆逐艦。対して、こちらはまだ経験を積めてない駆逐艦達とワタシを含めた六隻の艦隊だ。

 

「しょ、正面からなのです!?」

 

 そんなワタシの言葉を聞いても不安がってしまっている、直ぐワタシに後続する電に、笑顔で応える。

 

「Yes! but,no ploblemネ! 最初はワタシが倒して見せるカラ」

 

「……は、はいなのです! よろしくお願いしますなのです! 金剛さん!」

 

 そんな言葉に、電は先ほどより幾分かマシな面持ちになった。目の前の深海棲艦へ集中し始めたみたいである。

 それを見て微笑ましく思いながら、自身も目の前を見据えて、集中する。

 

 敵艦である駆逐艦たちはこのままワタシ達に突っ込んで出会い頭にゼロ距離で砲撃を当ててくるつもりだろう。であれば、この場合、普段通りであれば、既に有効射程圏内に入っている敵艦へ、砲撃を喰らわせるのが盤石といったところだろう。

 しかし、ワタシはワタシらしく正面から行くことに決めた。高速戦艦を舐めてもらっては困る。そちらが突っ込んでくるのであれば、敢えてワタシもそれに倣おうではないか。何しろ、後ろには可愛い後輩たちがいる。ここで自分の度量を見せつけておけば、目標としてくれるかもしれない。

 

「……!」

 そうして、目前に迫り来る敵艦に、冷静に砲塔の照準を微調整する。長年慣れ親しんだこの感覚は、無意識下でも、正確な砲撃を可能とするのだ。

 

 敵艦もワタシの頭に防弾を撃ち込む気満々だ。勿論、ワタシもそれは同じこと。

 間合いの勝負。まるで居合みたいだ。

 

 ギリギリまで引きつけろ。

 

 

 

 

 ……Now! (今!)

 

「──Fire!」

 

 

 

 

 勝負は一瞬だった。

 

 

 

 ほぼゼロ距離での着弾だったのか、辺りには、爆煙が立ち込んだ。砲口からの硝煙の香りが、鼻腔をくすぐる。

 

「「「わぁ……」」」

 

 すれ違う時間はたったのコンマ1秒か2秒。しかし、それで充分だ。敵艦はワタシの砲弾を間近でまともに喰らったせいか、その場で爆散した。

 

 後続の駆逐艦達は、戦艦でありながらも、超接近戦を制したことと、細かな微調整を必要とする離れ業に驚きの表情で感嘆しているようだった。

 

「金剛さん……やっぱりすごい」

 

「ハラショー……」

 

 雷と響が、そう褒めてくれる。

 

「Thankyou! 二人トモ! but、次はYou達が戦う番ネ!」

 

 やはり後輩から持て囃されるのは悪い気がしない。ワタシは素直にお礼を言っておくと同時に、軽く釘を刺しておく。

 

「さっきみたいなことは出来ないけど、金剛さんみたいな立派なれでぃになるためだったら、何だってできるわ!」

「その意気なのです暁ちゃん! 私も頑張るのです!」

 

 そんな言葉に対して、先程まで萎縮気味だった電と暁が、良い感じに意気巻いている。

 

 そう。何故、暁型の子たちに、先程のような芸当をわざわざ見せたのか。それは、未だ慣れない実戦で緊張している面々の身体を解す為でもある。

 士気はとても重要だ。本来の力を出すためには、モチベーションや冷静さが不可欠なのだ。先輩である、ワタシが少し無理をしてあのような曲芸を見せることで、戦う前の士気向上にはなった筈だ。

 

「その意気ネ! じゃあ先ずは近辺のはぐれをどんどんとFightして経験を積んでイクヨ」

 

 これならば、今日のところは安心していけるだろう。ワタシは後ろに続く可愛い後輩たちを流し見て前に向き直った後、次の目的海域に向かった。

 

 

 

 

 ──────

 

 ────

 

 ──

 

 

 

 

 

 

 

 横須賀鎮守府のドックに帰還してみれば、時計は既に十六時を回っていた。ふと、自分が身につけている艤装の砲身を、軽く撫でる。今回は結構な時間、後輩たちの任務に付き添っていた手前、残弾が残り少ない。艤装が出撃前よりかは、幾分と軽く感じられる。

 しかし、最近結構な出撃回数だった為か、慣れ親しんだ艤装に少し違和感を覚えるほどくらいには、耐久力が落ちてきているようだ。確かにこうしてちゃんと見れば、砲身部分に、若干の欠損があるのが多く見受けられた。

 

 この艤装も、そろそろ変えどきだろうか。と、相棒的な存在でもあった艤装の変更を検討すべきか迷うと、少々の寂寥感が募る。

 

「……暁型の子たちの成長に比べれば、Bestなんデショウケド」

 

 取捨選択は、必ず訪れると言うもの。例え、自分の得物が削れていくのだとしても、自分の後に続く未来の卵の育成が急務だ。長年、横須賀鎮守府に在籍してきたからこそ思うことは、やはり層を厚くしなければ、結果として熟練艦の練度も落ちていく──ということだ。

 

 今は低練度でも、経験を積んでいけば、必ず熟練艦になり得る。だからこそ、下が上に……上が下にと、相互に触発され続けるという連鎖が起きなければ、一歩、いや二歩、その先へ行けない。ワタシの自慢の妹、霧島が最初に言い出してから早二週間。ワタシは存分に、姉妹からアイデアを貰い、この鎮守府を更なるレベルへ引き上げるために奔走している。

 

 だから今日の遠征という名目で、暁型の子たちを連れ出して、一日でも早く練度を上げるために指導しているのだ。

 もちろん、やっていることはそれだけではない。最近では、自分の任務のほかに、他の艦娘の子たちの手が回らない海域に哨戒しに行ったりとかしている。もちろんその出撃分で消費した資材は、すべてその海域で拾ってきたもので折り合いを付けている。

 今は固い基盤を作るために、後輩たちの育成などが最近だと専らなのだが、ただ、提督にはこのことを知らせていない。

 もちろん、何も褒賞が出るわけでもなく、ボランティアに近い。言うなればただの自己満足であり、偽善的な行動だ。だからこそワタシは、提督には秘密にしている。

 

 別に、このことが明るみになったとしても、問題が起きるほどのものではないことは分かっている。しかし、ワタシの心の根源的な部分が、それを許せないのだ。

 

 事故前の当時の提督は、前任の悪辣極まりなかった運営のせいで、鎮守府の崩壊していたあらゆる施設や体制の復興に尽力していた。実際に、以前よりも改善されていくにつれ、多くの恩恵を、ワタシを含む多くの艦娘たちが、気づかぬ内に受けていたことは明らかである。

 それと同時に、自分の提督に対して良かれと思ってやっていた、数々の排他的な行動には、勘違いでは済まさられない様々な多くの非があったことに、初めて気付くことが出来たのである。

 提督は誰彼に言われたからという訳でもなく、すべて自主的に、且つ自分の出来る範囲の最大限の力で、鎮守府に貢献していた。誰にもその功績を知らせることはせず、いや、当時から一緒に行動することが多かった大和たちには既に知られていたとは思うが。それでも、彼は独りでやってのけた。

 

 本来ならば、ワタシを含め大多数の艦娘たちが、彼の鎮守府に尽くして、もたらしてくれた恩恵に対して沢山の賛美と恩を払うべきだった。それは義務的なものではなく、ただ心から素直に「ありがとうございます」と伝えて、その提督のしてくれた恩に報いるために、部下として、一人の艦娘として、より一層尽くしてれば、済むことだったのだ。しかし、ワタシたちはそれさえもせずに、ただ提督がしたことを自己満足で偽善であると、一方的に嘲笑い、差し伸べようとする手を拒んだ。

 

 そんなワタシに、果たして提督へ「今、鎮守府の為に、任務はもちろん、育成にも尽力しています」と堂々伝える資格はあるだろうか。もし仮に、それを伝えたとしよう。その時ワタシに、提督は笑顔を向けてくれるのだろうか。──果たして、自分自身の過去を赦せるのだろうか。

 

 不安ばかりが募った疑問は尽きない。そんな状態だからこそ、ワタシの近況を提督には伝えることが出来ない。

 

 いずれは伝えなければならない時が来るだろうとは思う。

 

 ──そしてもう一つ、ワタシは部屋にある提督の日記をいつか返さなければならない時が来るだろうとも思う。その時、否が応にも対話をしなければならない時が来る。

 

 ……今のワタシに、提督を前にして平然と会話が出来る自信がない。

 

 あの日記は、毎晩読んでいた。自分への戒めのためでもあり、或いは自分を戒めていることで一時の安心感を得るためでもあった。

 日記の序盤。着任当初の提督のこれからの期待と希望に満ちたページが、中盤にかかるにつれ、どんどんと苦悩や焦燥に満ちていき、終盤に差し掛かれば、殆どがワタシたちへの怒りや悲しみ、失望──憎悪にページは満ちていた。所々、明らかに涙で滲んだ文字も見受けられた。

 

 しかも考えるにだが、当時、大和にもこの日記のことは知らせていなかったということだが。であれば、日々自分に降りかかる多くの理不尽への愚痴や怒りの吐き口が、この日記にしかなかったことが分かる。周りには吐き出せず、ただこの日記に書き殴るしか、当時の提督は出来なかった。大和でさえも、いつか裏切るのではないかと、本心で信用できなかったことも、日記に綴られていた。

 

 つまり、この日記は当時の提督の本心そのものだ。

 

 何回読み直しても、読んでいる方のこちらの胸が突き刺されるような感覚に陥った。ただただ、悲痛なのだ。ページをめくる毎に、ワタシは分かってしまうのだ。

 

 序盤は達筆だった文字が、後半にかけて、見るからに段々と荒々しくなっていく文字も。

 

 希望や期待が、見ていられないほどに悲痛な内容に変化していく様も。

 

 その日その日の提督の心境が生々しく、ワタシの心に突き刺さってくるのだ。

 特に、日記の最後のページ。提督が階段から突き落とされる昨夜に綴られていたであろう、白紙が目立つそのページには、たった一言だけ記されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──辞めたい

 

 

 

 

 

 弱々しい筆圧だった。まるで、余命幾ばくもない、体が衰弱した老人が遺書を書いたかのような、今から消えていなくなりそうな、そんな筆圧で綴られていた。

 

 ワタシはそのページを読み、毎度の如く涙を溢しそうになる。当時の提督の心境を考えたら、尚更であった。ワタシたちに一切の不平不満などなく、ただ本心からの一言がそれだったのだろう。

 それに、常々思うことがある。それは『もしワタシが提督と同じ状況下だったら、この最後のページにどんな言葉を綴るだろう』と。一体、何を書いてしまうのだろうかと、そう思った時に咄嗟に出てきた言葉は『死にたい』だった。

 

 そんな自分が心の底から情けなくて。罪悪感がまたしても増大してくるのだ。

 提督と同じような立場であったら、尚更死んで楽になろうとするワタシと。一年間もの理不尽に耐え忍び、悲しんで、苦悩して、葛藤しながら、それでも尚無意識にでも生きようとする彼の強さと誇り高さに、ワタシは泣いてしまいそうになる。日記を読むたびに、普段から気丈に振る舞っているように見せている自分の器の矮小さが、これほどまでに強かで、それでいて澄んだように真っ直ぐな心の持ち主である彼と比べて、身に染みるのだ。

 

「……」

 

 これまでも、今も、提督はワタシたちの為に執務に限らずに色んなことを頑張ってくれているに違いない。ふと、鎮守府の南側にあるドックから、東棟の執務室の方を見据えた。

 

 だからワタシも同じように、いやそれ以上に、雑務でも色んなことをして、貢献する。それが今のワタシの生きがいである。

 他の鎮守府の戦艦たちはワタシをみて嗤うに違いない。だけど、ワタシはそれでも、ワタシらしく気丈に、今の道を歩むまでだと、心に決めている。妹たちも、ワタシの進む道を肯定してくれている。今はただ、提督が認めてくれるまで、ワタシがワタシ自身を認められるまで鎮守府に最大限貢献するまでである。

 

 

「……あら、金剛。今帰ったの?」

 

 ドックで暫く立ち尽くしていたワタシに声をかけてきたのは、陸奥サンだった。

 

「ハイ。陸奥サンも今、帰還したんデスカ?」

「そうね。私も今帰ったとこ。お疲れ様、金剛」

「陸奥サンもお疲れサマデース。ということは、今から入渠するところデスヨネ」

「今日はあまり戦闘はしなかったけどね。でも、汗も沢山かいたし、疲れを癒す為に入るつもりだわ」

「なるほどデス。では、ワタシは後に行きマース」

「……そう」

「ではワタシはここら辺でByeByeネー」

 

 挨拶を済ませて踵を返して、3歩ほど出口の扉に向かって歩き出した、その時。

 

「ね。もしかして、今入渠してる皆のこと……気にしてるの?」

 

 と、後ろから少し遠慮しながら、陸奥サンがそう問いかけてきた。恐らく、ワタシが今入渠しに行かないのは、他の皆の視線を気にしてるからではないか、ということだろう。

 艦娘たちが、提督に本格的に危害を加え始めたのは、ワタシが発端だったことは周知の事実だ。ただ妹たちとの茶会を覗いていただけだった提督に、ワタシは世界で一番大切なこの時間帯まで、軍人は汚すのかと、ついカッとなって手を上げてしまったのだ。そこからは、余り自分から言いたくはないが、少なくとも一時期、日常的に暴力をしていた覚えがある。

 

 そんな事実を提督の日記に目を通した多くの艦娘たちからすれば、当然、良い思いはしなかったのだろう。それからというもの、自然と、ワタシから距離を置き、中には陰口を言ってくる子が後を絶たなかった。結果的に今、ワタシは嫌われ者となってしまっている。

 別に、自分もそのことについては納得している。当たり前だが、100%納得している訳ではない。悲しい気持ちももちろんある。ただ、このことについてはワタシに非があって、その報いを受けている。それだけのことだと思っている。

 

 皆から忌避されている今の現状に、別に何も異論もないワタシに、陸奥サンのこの言葉だ。

 

「……確かにあなたが提督にしてしまったことは、到底許されないことだとは思う。ワタシもそうだけど、皆、日記の中見ちゃって……どれだけ途中まで無視してた私も、一時期苛まれたわ。でも、今の鎮守府があるのはあなたの活躍があったからこそよ」

「……」

「皆が皆、あなたを嫌っている訳じゃないと思うの。中には、接し方が分からずに悩んでる子だっているし……」

「……」

「それに、最近までずっとあなたは、一番の働き者じゃない……いくらなんでも働きすぎだし、その内倒れるわよ……ねぇ金剛、ちゃんと休んでるの?」

 

 心配してくれている。最近は妹たちくらいからしか、心配されなかった。いつもありがとう、と。ワタシは返しつつも、気丈に振る舞っている。姉として、横須賀鎮守府の最古参の一人である自覚を持って。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……大丈夫。ありがとう、陸奥さん」

 

 この言葉だけに対しては、いつものエセ口調ではなく、素の自分ではっきりと応えた。

 

 みんなの嫌われ者。当時提督がそうであったように、ワタシも耐えて、耐える。いつかこないであろう報われる日が来るまでは──

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ワタシは()()()()()()の艦娘ではない。それまではただの、はぐれ者でいいのだ。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 

 

 暗く、そして穏やかな海。ここは、夜の大海原の真ん中だろうか。空に広がるのは、燦然と輝く星たち。穏和な波音がそれらを装飾し、この空間にいる自分の心を大いに癒してくれた。

 しかし、何故俺は船の上でもなく、大海原の真ん中で一人、水面に立っていられるんだろうか。

 

 俺は漠然とした疑問を抱きながらも、既に水面を歩き始めていた。水の感覚はあるが、踏んだ時の確かな感覚があり、歩けることが出来ていた。不思議だ。不思議な、筈なのに。

 

 

 

 ──今はそんなことがどうでも良く感じられた。

 

 水面をあるけるなんて真似、それこそ魔法でも使わなければ出来ない芸当なのにも関わらず、俺は別に特段気にならなかった。この世界の概念が、もはや『水面は歩けるもの』であるようにと勝手に自覚しているようだった。

 

 目的地も何もなく、ただ、満月の月明かりに水面が照らされているミルキーウェイに向かって、歩き続けていた。

 突然、夜のどこかの大海原で立ったまま目を覚ませば、とても綺麗な星空と満月が宵闇を支配する、神秘的なこの世界。水の上は歩けちゃうわ、普段より、とても明瞭な意識で且つ、頭の中が澄んでいる自分。何もかも、()()()()だった。

 

 

 

 ──……し、……る

 

「……え?」

 

 と、そんな時。どこから、この世に居ると思えないほどの、綺麗な声が聞こえた気がしたため、立ち止まる。

 辺りを見渡しても、穏やかな夜の海が広がっているだけ。

 

 しかし、またもや

 

 

 ──……し、て……る

 

「……!」

 

 途切れ途切れだが聞こえてきた、どこまでも澄み切っていて、儚げで、綺麗な声。

 心に、身体中に、その声が反響していく。ある種の楽器の音とも言ってもいい美声に、俺はまた、その声の主を探した。しかし見つからない。やはり辺りは大海原。誰一人としていなかった。

 

 誰だ。一体、誰が俺に。

 

 そう思いながら、瞬きをした次の瞬間

 

 

 

 

 

 

 

 

「──」

 

 

 

 

 

 

 ──あの穏やかだったはずの海が、火の海になっていた。

 

 思えばここで初めて、夢の中であると自覚したのだ。

 

 その他にも、鼻につく硝煙の臭いや、血肉が焼け焦げた独特の焦臭さが辺りに充満していた。思わず、鼻を摘む。あの綺麗だった星空も、今やまるで海戦後の海から放たれた多くの硝煙のせいで、真っ黒な雲に遮られていた。

 突然移り変わった光景に絶句していると──

 

「……っ!? うわぁあ!!」

 

 足に何か当たったと思えば──そこには指が中指と親指が欠損し、骨も剥き出しになっている手だった。そう、手だけである。切断部分からは今さっきだったかのように、未だに多くの血が当たりの水を生々しくも滲ませていた。

 

 そして大きくのけ反って後ろを見ると、俺はまたもや驚愕する。

 

「……はる、な」

 

 一番近くに変わり果てた姿で浮かんでいるのは、あの金剛姉妹の榛名だった。一言二言くらいしか話したことがなく、余り関わりも無かった。しかし、顔見知りではあった榛名のその姿は、目を背けたくなるほど悲惨だった。表情は恐怖に満ちた表情で、とても歪んだものとなっていた。これだけでも、胸が苦しいのに、服やあの綺麗な肌までも焼け爛れ、右腕が欠損しているのだ。それに、あの綺麗だった長い髪の多くが焼き焦げて、異様な臭いを放っていた。腹には二発の風穴が容赦なく空けられており、中から多くの血が今でも流れだしており、内容物までもが──

 

 

 

 

 

「──ウゥウ"オ"オォオ"オオオ"オオォオオエエ」

 

 思わずその場で吐いてしまう。何故だ。何故こんな悲惨な状況になっているんだ。

 

 周囲に浮かぶ多くの死体も、恐らく艦娘たちだったモノだろう。

 近くに力無く浮かんでいた恐らく霧島、比叡も榛名と同じように、焼かれる中で何も抵抗も出来ずに、死んだようだった。

 夕立も、あの吹雪も。多くの駆逐艦も、命を落としていた。全身から血を流している者もいれば、パニックになって溺れて息絶えた者も居た。もちろん、中には四肢が欠損している者もいた。

 熊野、鈴谷も……こちらは眠っているようにすんだ表情だった。互いに身を寄せ合い、お互いの手には、砲塔が握られて居た。恐らく、二人して自害したのだろうか。証拠に、互いの脇腹に大きな穴が貫通していた。陸奥も、翔鶴も、みんなその表情は涙を流し、恐怖に満ちている。

 

 そんな死体たちが浮かんでいる血の海には、誰のかも知らない手や足、指、肉片や内臓さえも生々しく浮遊していた。ある種の狂気が、心のうちに芽生え始めている。

 

 

「……も、う。や……て……くれ」

 

 

 俺は無言のまま、暫くその場で凄惨な光景を見て呆けていた。やがて、俺は見つけてしまう。

 

 

 

 

 

 

「や、ま……と」

 

 

 

 

 

 最強と謳われたあの戦艦大和。胸を大きな砲弾に撃ち抜かれており、そのまま心臓を持っていかれたのだろうか。俺は覚束ない足取りで傍まで行き、血みどろな美しい身を起こさせた。彼女から溢れ出てくる血が俺の抱える手に流れてくる。眦に涙を溜まらせた開いたままの瞳を、俺は優しく片手で閉じさせる。ふと、大和の右手に握られているものがあった。

 

「……!」

 

 そこには、血で乾き乾いた間宮券があった。

 大事そうに握られていた。死ぬ間際まで、大和は誰を思って、この間宮券を握っていたのだろうか。

 

 俺はそこまで思って、思わず歯を食いしばる。自分が非力なばかりに、彼女たちを……失ったのだ。

 もう耐えきれなかった。燃える海。黒い空。死体だらけの地獄。何もかも、俺にはもう耐えきれなかった。

 

 

「もう……やめでぐれぇえぇええぇ!!──」

 

 ただ自分の無力感に失望した。何もかも失い、俺にはもう、残っちゃいなかった。

 

 

 

 咆哮する。それも、蛇足な気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──あいしています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今度は、あの美声が明瞭に聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ!!」

 

 突然、目が覚め、身体を起こした。

 しかし、窓の外はまだ暗がりで、恐らくまだ深夜であった。何故この時間帯に起きたのかは分からない。しかし、起きなければ不味かったという、漠然とした感覚に襲われる。

 

 

「……な、んなんだ」

 

 ふと、窓の外を再び見てみれば、穏やかな夜の海が見えた。微かに波の音が聞こえてくる。目覚めが悪い時、普段ならこうして外の海を眺めていれば落ち着くのに、今回はどうにも落ち着かなかった。いや、寧ろ、危機感が煽られていく。

 不思議な感覚だ。不思議な感覚な、はずなのに。

 

 

 

 何故か、俺は今の感覚をおかしいとは思えなかった。そして、漠然とした何かに、恐怖感を植え付けられている気もしてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その刻は、刻一刻と近付いている。



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第十七話 一航戦の『闇』

遅れました。

日頃から当作品をご愛読下さり、誠にありがとうございます。今回は過去を掘り下げてみました。次話から一気に展開を進めていきますので、何卒、よろしくお願い致します。


さて、前話から『金剛姉妹の中でも誰と接して欲しいか』というアンケートが、皆様のご協力で集計結果が出ましたのでご報告させていただきます。

(433) 榛名
(141)比叡
(88) 霧島

 計661票ものご協力、感謝致します。やはり榛名は人気ですね。私も早く「はい!榛名は大丈夫です」と満面な笑顔で言わせてみたいものです。長い道のりになりそうですがね。
 それでは、長々と失礼しました。 

※注意。この話は人によっては大変不快な思いをする可能性があります。
             水源+α


 ──大井たちや吹雪との一件があった日から、既に三日が過ぎた日の早朝。

 俺はまだ、朝日が横須賀の海の水平線から顔を出したばかりの光景を、窓の側にて眺めていた。

 

「……」

 

 今朝の気分は、余り優れないものだった。就寝中、突然寝覚めが悪い夢を見てしまい、飛び起きたのが原因だ。それにその後もしばらくは、見てしまった悪夢が尾を引いて、中々寝付けずに、起床時間近くの六時前の今まで、結局起きてしまっていたのである。

 悪夢から目覚めた時に、尋常じゃないほどの冷や汗をかいてしまっていたので、少々身体がベタついており気持ち悪い感覚だ。なので日直前までに、さっさと寝巻きを脱いで、軽くシャワーを浴びることにした。

 起きた直後は、自分が見ていた夢がどんな内容だったのか記憶が曖昧で、朧気だった。しかし、少し前まで部屋の窓から見える横須賀の薄暗かった海を見ていたら、徐々にその内容を思い出すことが出来た。

 

 ──生温かい温度のシャワーを、寝汗でベタついた全身に満遍なく当てて洗い流しながら、俺は深く黙考する。

 

 その夢について先ず言えること。それは、とても惨く、正に地獄絵図だった。今でも思い出すと身震いする。それに、その夢は通常の夢とは明らかに異なっていた。

 

 ──夢の中で、文字通りの大勢の艦娘たちの欠損した死体から滲んだ血と、海の潮の香りが混ざった、形容し難い臭い。

 

 ──力なく浮かんでいる艦娘と混ざるように、深海棲艦の死体から、海面に滲み広がる謎の黒い油のせいか、海面に炎が燃え滾っている凄惨な光景。

 

 ──そして、戦場特有の生暖かくもどこか肌寒さを感じる、異様な空気感。

 

 ──様々なモノが浮かんでいる血の海の上に広がるのは、戦いの熾烈さを物語るように、互いに砲口から硝煙を吐き出し続けた結果出来てしまった、美しいはずだった夜空を覆い隠すほどの重厚な黒煙の雲の群れたち。

 

 そう。それらすべてが。まるで、現場に居たように明瞭に感じられたのだ。

 

 ただの俯瞰的に見るような夢とはまた違う、気持ち悪いほどの確かな現実感があった。そう、それは(ひとえ)に──これからの残酷な未来を垣間見ていたような感覚だった。

 

 あのような、ただ残酷なだけの光景が、今も俺の脳裏にしっかりと刻まれている。思い出せば、途端に胸が締め付けられるほどに。それと同時に、改めて実感するのだ。今、俺たちは()()をしているのだと。

 

 当たり前である。しかし今、専ら戦場で戦い続けているのは、彼女たち艦娘だ。俺たち人間はただ、まだ容姿からして見ても年端の行かない少女たちへ命令を下している側なのだ。彼女たちが日々、戦場で無慈悲なまでの殺し合いをし、肌身で戦争を体験しているのに対して、人間が住んでいる本土は艦娘たちの頑張りが災いし、悪い平穏を取り戻している。敵が近海に来る前に艦娘が掃討してしまうのだからしょうがないことであり、それで本土に勤務している軍人たちも含め、多くの人間が今戦時中であることに余り実感が湧いてない様子も無理がない。

 現在の戦争は、艦娘と深海棲艦の殺し合いの上で、成り立っていることを忘れてはならないと思うし、同時にとても歯痒く、情けなくも思えた。もし我々人間にも、あの深海棲艦と戦える術があるのであれば、出来れば彼女たちの代わりに、男である俺が先頭に立って戦いたい気持ちがある。言うのは簡単だ、そんな状況になったとしても、俺は果たして本当に先頭に立ち戦えるかどうかと聞かれれば、『戦います』と、その場で直ぐに即答出来るだろうか。

 

 いや、恐らく出来ない。一瞬の自分の身可愛さが頭を過り、迷った末に躊躇してしまう。しかし、艦娘たちはノータイムで頷き、肯定するはすだ。

 

 だから尚更、情けなく思うのだ。

 それに、俺たちが深海棲艦と戦おうとしても、彼女たちはそんなことを望まないだろう。

 

 ──何せ彼女たちにとって、深海棲艦と戦うことは、彼女たちの存在意義(アイデンティティ)なのだから。

 

 彼女たちの多くは、第二次世界大戦中に沈んだ軍艦の英霊に近い存在だ。それぞれの過去には、護るべき人々、『母港』という拠り所があった。戦時中に起工された軍艦たちは、各々出港時に多くの人々から、華々しく送られた。戦いに勝利して、無事に船員たちが帰ってくるようにと。実際に戦果を上げ、祝福されに母港へ帰港する軍艦も少なくなかった。そんな明るい過去もあれば、当然暗い過去もある。

 それは、軍艦が──いや、過去の彼女たちが戦時中にどのような最期を迎えたのかという辛い記憶である。大和にも直接は聞いたことはないにせよ、度々あの慈しむようで、どこか淋しそうに横須賀の海の水平線を遠く見つめているあの表情も、恐らく何か、過去のことを思い出していたからだろう。

 

 

 ……潜在的に覚えているはずなのだ。自分の身が、かつての多くの船員たちの骸と共に、暗く、深い海へ沈んでいく──あの光景を。

 かつては敵国を侵略するため、或いは敵国から日本を護るために起工され、最後まで船員たちとと共にあった彼女たちは、終戦までにどんな形であれ、殆どが自沈、爆沈──或いは轟沈という『死』を経験している筈だ。そんな重い過去を背負っているにも関わらず、こうして今日まで人間たちの為に、国の為にと戦ってくれているのだ。

 艦娘たちは、俺たちの想像を遥かに超える経験がある。本人たちにその自覚が無くとも、精神年齢や普段の立ち振る舞いが、見た目と年相応でも、駆逐艦でさえその中身は──魂は今地球上に居る人間の誰よりも、成熟しているのだ。

 

「……偉大、だよな」

 

 ──どんな原理であの時代に沈んでいった軍艦を、その身体で形成しているのか、第二次世界大戦から百年近く経ち、発達してきた、現代科学の力を以ってしても、解明出来ていない。妖精さんと呼ばれる超常的な存在についても未だに全く解明されていない状況だ。

 

 思えば、俺たち人間は深海棲艦以上に、仲間であるはずの艦娘たちの実態を理解出来ていないのではないだろうか。年々増え続けていると報告がある、艦娘と同じように女性を型取り、知力も能力も進化した深海棲艦。まるで、『闇に堕ちた自分たちと戦っているみたいだった』と、一戦交えた多くの鎮守府の艦娘たちから、そのような報告書が寄せられてくる。明らかに意思を持っており、戦った艦娘へ、確かな敵意と憎悪、行き場のない悲しみと怒りに身を任せて、狂気的なまでの執着を向けて来たという報告もされてもいた。

 

 以上の点から踏まえて見れば、艦娘と深海棲艦が互いに何か関係性があることは明白なのだ。対をなす存在。表裏一体とは言えないものの、その存在自体の共通点は幾つもある。

 

 本当にこのまま何も知らずに、ただ深海棲艦を駆逐して、世界の海を護るのを目的としていて良いのだろうか。何か見落としているのではないかという、漠然とした不安が押し寄せてくる。

 

 突然襲って来た、正夢のような悪夢。近年、統率が取れてきているようにも思え、且つ人の形へ進化を遂げている深海棲艦たち。

 

 ──そして、夢の中であの地獄の中で場違いな愛を俺に囁いてきた、あの未知の存在。

 

「……『あいしています』か」

 

 突然聞こえてきた謎の声は、地球上の人間とは思えないほどに、透き通っていて、美しい声だった。まるでこの蒼い海で、これから生まれてくる命も、これから失っていく命も、多種多様な命を全て包容出来るほどの、海の女神を思わせる美声だったのだ。

 

 しかし、得体の知れない存在なのは確かであり、人間の夢に干渉してくる新種の深海棲艦だという線も捨てきれなかった。ひとまず、現時点では、あの声の正体のことは保留にしておこう。

 

 

 

 普段では絶対に起こり得ないこうした現象が、立て続けに起きているのだ。間違いなく、近頃に何かが起きる予兆だと思うのは早計だろうか。

 

「……とりあえず、先ずは目先の鎮守府の問題を解決させなければ」

 

 未来のことを憂うのは後にしよう。先ずは目先の問題をきっちりと解決していかなければ、どの道この先やっていけない。

 朝日が照りつける早朝の部屋に、シャワーの水が浴室の壁や床に打ちつける音が響く。この心地良い水滴の音が、先ほどまで妙にざわついていた心を少し落ち着かせてくれた。

 

 しかし、朝からシャワーを浴びるのは久しぶりだが、たまには良いものだな。

 

 そんなことを思いながら一通り浴びたあと、シャワーを止めて、さっぱりとした身体に、付着している水滴をタオルで拭き取る。

 

 そこで「……ふう」と一息吐いて、いつもの純白の制服に着替え始めていると──

 

 ──コンコン

 

 と、小刻みに、されども優しいノックが響いた。

「提督、おはようございます。大和です」という声が扉越しに聞こえてくる。

 

「……おはよう大和。少し待っていてくれ」

「はい」

 

 そう呼びかけて、急いで着替えを終えると、扉の元へ行き、ドアノブを捻って、扉を開けた。

 するとそこには、不意に見惚れてしまうような可憐な笑みを浮かべている大和が居た。思わず、少し惚けてしまうが、なんとか口を動かした。

 

「あ、ああ……ごめん。待たせた」

「いえ、こちらこそ申し訳ありません。いつもよりも早く来てしまった手前もありますし……あ、失礼しますね」

 

 そうして部屋に入って来て、一通り部屋を見渡した後、俺にその視線を向けてくる。

 丁度、着替えたばかりの純白の制服姿の俺の格好を見定めるように、何回か「ふむふむ」と頷くと

 

「あ、すみません提督。改めまして、今朝は起こしに来たのですが……部屋も綺麗で、服も大丈夫そうですね。ふふ、やはり要らぬお世話でしたか。しっかりと為されているようで、大和は嬉しいです」

 

 そう言って、彼女は柔らかな笑みを向けてくる。

 

「あ、ああ。流石に今はな。でも、甲斐甲斐しく俺の私生活を正してくれたのは大和だろ? 着任当初の俺は、色々と私生活には無頓着だったせいか、部屋はいつの間にか散らかしてるし、今朝のように中々起きれなかったからさ……当時は起こしに来てくれたのに、そのくせ寝ぼけた俺が着替えるのも手伝ってくれたし、本当に助かってたよ」

 

 まるで母のようだったと言えば、大和が怒ってしまう。だがこれまで、俺のやる事成す事から、凄く身の回りの世話まで手助けをしてくれていた手前もあり、昔時々『お母さん』と呼んでしまったことがあった。小学生の頃に妙に世話を焼かれたり、叱られたりしてると、不意に女性教師を母と呼んでしまう現象と同じようなものだろう。

 

 そんなことを思っている事も露知らず、俺の言葉を聞いて、大和も当時を振り返り、思い耽った。

 

「そういえば、そのような時もありましたね。着任当初の提督の仕事ぶりには感心していましたが、私生活が点でダメでしたから。なので当時はとても不本意ながら、見かねた提督のお手伝いをさせて頂きました。まだ、あの頃の私は……提督に心を開けていなかったと言うか、正直に申しますと、提督が何か怪しい動きでもしたら、直ぐに取り押さえるつもりでしたから。まだ提督が大本営から送られてきた前任と同じような行動をするようであれば、直ぐに殺すように皆さんから言われてました。まさか、そんな監視役を買って出たつもりが、いつの間にか提督のお世話係になってしまっていたのは今も驚きですよ……まあ、今はその……提督の世話をする、一見損な役回りは、私にとっての生きがいの一つなんですけど。なんだか、最近は確りとされてきて、少々寂しい気が否めないですね」

「そ、そうなのか。というか、意外と危険な存在だったんだな大和は……」

「申し訳ありません。勿論、これまで隠しているつもりは毛頭無かったのですけど、昨今忙しそうな提督へ中々、切り出せずにいたのが本音です」

「……いや、気遣ってくれて悪いな、大和」

 

 そう照れ臭そうに話しながら、彼女が実は俺が不穏な動きをしようとした瞬間に殺すつもりで送られてきた刺客だったことをカミングアウトされて、少々思考が追いつけないでいる。

 だが冷静に考えれば、確かに筋は通っているか。『提督』と足り得る人間なのか、それとも前任のような『提督』と足り得ない人間なのか、鎮守府最強であり、かつ頭が回る艦娘を側に置かせて見定めさせるついでに、不審な動きがないかを監視させる。合理的な手法だ。

 

 ……ダメだ、考えれば考えるだけ、艦娘へ畏怖の念が倍増していく。俺が知らない水面下でそんな思惑があったなんて、身震いものだ。

 

 にしても、大和は俺を世話することが生きがいになっていたのか。……出会って当初の大和はどこか虚ろげで、無気力そうだった記憶がある。不安でもあったのだが、彼女が言うには『色々と俺と接しているうちに、段々と自分を取り戻すことが出来た』だそうだ。聞こえは良いが、正直言って、俺は本当に大和に何もしてあげられてないんだけどな。

 恐らく、私生活が無頓着だった当時の俺を世話することで、自分がしっかりしなきゃという思いが強くなり、結果それまで無くしかけていた自信を多少なりとも取り戻すことが出来たということなんだろうが。

 

 心が正常になる前の彼女はあまり出撃させなかったのだが、心が戻ったのを暁に、彼女は率先して自ら、積極的に出撃するようになった。かつての誇りを取り戻したようだった輝かしくなった彼女のことを、俺は相変わらず遠くから見守っていることしか出来なかったのだが。

 

 

「確かに、そんな時もあったな」

 

 俺はつい苦笑してしまう。

 

 ──当たり前な事だとは思うが、鎮守府に着任当初、俺と大和との関係は今のように良好なものではなかった。むしろ今の真逆で、結構ギクシャクしていた。大和との関係は、着任して間もなく、集会があった日。多くの艦娘たちが歓迎ムードではない空気で静まり返っていた講堂内で、ただ一人、率先して俺の秘書艦として、いや俺を監視する目的もあったのだろうが、名乗り出てくれた時から始まる。

 士官学校を卒業して間もなく、仕事内容は理解しているものの、何処か覚束ず、書類上のミスも度々していた俺に、『……はぁ。情けないですね』と、当時の大和は呆れた様子だったが、不服そうな顔をしながらも俺が分かるまでしっかりと教えてくれたのだ。この頃から人の良さが滲み出ていたと思う。

 

 あと、あの時の大和と話す内容と言えば、殆どが事務関連のことくらいだった。第三者からすれば、若い男と女が二人きりの執務室という密室で長く居るときに話す内容じゃないかもと思うかもしれないが、当時の状況を鑑みれば、事務以外のことを話しても自分の立場を危うくするだけだった。雑談なんかした暁には、前任がしたことの手前もあり、彼女たちからすればこの後に及んでこちらを、口説いているのかと思われる筈だ。それで自分の印象を落としたくなかったから、俺も基本的に事務関連の話以外はしなかった。

 

 しかし、ある日から突然大和の強硬な態度が少し軟化して、そのまま接していくうちにどんどんと今のような関係に落ち着いた。

 

 途中から、彼女が徐々に笑顔を見せてくれる回数が増えてきていたのだが、当時の俺はそれに対してあまり上手く笑い返してやれなかった苦い思い出がある。日々、自身に晒される理不尽な憎悪や恐怖でいつしか本当の自分の姿を忘れてしまいそうになっていたのだ。あの頃の大和に、『どうせ大和も他の艦娘のようになるんだ』と、親しくなることを恐れ、本心から接することが出来なかった愚かだった自分が、今も頭の片隅にいるのだ。

 

 いまだに信用するなという醜い心もある。だが、それでも良い。その心以上に、今は大和を、『艦娘』を信用しようする心が大きいのだ。自分の醜い部分を下手に抑え込もうとせず、逆に受け止めることで、今後の自分への糧とするのだ。

 おめおめと立ち止まってはいられない。何より、三日前に大井と取引をした日から、既に魂はここ横須賀鎮守府に預けてあるのだから。

 

 

 

 しかし、そういえばどんなことをして、大和の俺への心象が良くなったんだろうか。残念ながら少し記憶が曖昧だ。当時は色々と精神的にも追い詰められ始めた頃で、毎日を懸命に生きていたのであまり覚えていることが曖昧も良いところなのだ。

 

 

 と、こちらも思い耽っている場合ではない。挨拶代わりに軽い社交辞令でも挟んでおこう。

 

「そういえば、翔鶴とは仲直りしたのか?」

 

 そんな少し揶揄うような俺の言葉に対して、大和は気恥ずかしいのか、苦笑気味で応えてくれる。

 

「え、ええ。まあ……その、はい。提督がくれた間宮券のお蔭で」

 

「そうかそうか。それは良かったよ大和」

 

 大袈裟にうんうんと頷きながら、茶化す俺に、大和は不服そうに頬を膨らませる。

 

「……提督。前々から気になっていたのですが……もしかして度々している私と翔鶴さんの喧嘩を面白がっていませんか?」

 

「そんなことはない。ただ見てて、周りの艦娘、お前からすれば後輩になる子たちが、喧嘩中のお前らの気迫に怖気付いているからな。提督としては、士気の低下は見過ごせないし、だからこうして節介焼いてるんじゃないか」

 

「……え? 私たちが喧嘩してるときの皆さんが?」

 

「ああ。何せ二人とも古株の方だし、どちらともこの鎮守府、ひいては全国の鎮守府中トップクラスの熟練度と実績を誇ってるからな。あの子たちの立場からすれば、普段からお前たちに憧れて目標にしている筈だ。そんな二人が目の前で喧嘩してたら、怖気付いてしまうのも無理はないだろ」

 

「そ、そうだったのですね。確かに、今思えば私たちが口論をしていると、皆さんが異様に距離を取っていたのを思い出しました」

 

「そうそう。だからこれから自粛するように……まあ、ここだけの話、面白かったのは確かだけど」

 

 これまでの大和と翔鶴の口論は、正直、側からみればどうでも良い内容が多かったのだ。なので、普段から一緒に居るということもあり、尚更優秀すぎるスペックを目の当たりにする二人と、それに比べてどうでも良い内容でポンコツ口論する二人のギャップが、自分にとってはツボだったりするのである。

 

「ちょ、ちょっと提督っ……今何を──」

 

 勿論、それに対して大和は何処か不満気な表情にするが

 

「──あ、そうだ大和。これ、余ってたから。ほら、間宮券」

 

 追及しようとする彼女を遮り、少し揶揄いすぎたのでこの辺で終わらせて、丁度ポケットにあった間宮券があったので手渡す。

 

「え? あ、ああ。えっと、ありがとう、ございます?」

 

 と、突然のことで、つい疑問系になってしまう大和には、意外に食い意地があることは、これまで過ごして来て理解している。これで機嫌は取った。計画通りだ。

 

「……よし、執務室に行くか」

 

「あ、そうですね…………って、誤魔化さないで下さい! ちょっと、提督っ! お聞きしたいことがあるのですが!」

 

 どうやらご機嫌取りは失敗だったらしい。足早にその部屋を後にする俺に、暫くして呆然としていた大和がそうして頬を膨らませてくる。

 

 

「も、もう。私と翔鶴さんが口論になる時の殆どが提督絡みのに……当の本人がこれでは、当面この問題は解決しなさそうですね。……全く、この鈍感提督には困りますっ」

 

 後ろを足早に歩く大和が、口を尖らせた様子で何か言ったような気がした。聞かなかった事にしよう。

 一方、俺は俺で先ほどまでのしかかっていた重荷が、今朝のやり取りで軽くなっていたことに、機嫌を良くする。

 

 大和には本当に助けられてるな。

 

 

 

「……今日は良い日になりそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

 今朝は寝覚めが悪かったが、大和のお陰で、存外と良いスタートを切った気がした。

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 時刻は十四時過ぎ。執務室にて、俺はいつも通りに事務作業にあたっていた。大和は近海で姫級が出現したらしく、翔鶴など精鋭たちと、そちらに出撃している。

 そんな時、今、今日の戦果報告に来た、加賀さんと対面していた。

 

「──加賀さん、今日はお疲れ様です。まだ昼ごはんまだでしたよね? 間宮さんには俺から、昼を食べずに任務に行った加賀さんたちに、帰ってきたら何か美味しいものを振る舞って欲しいと言伝しておきました。食堂に行けば、美味しいものが並んでいるはずです。一足先に、英気を養って下さい」

 

「……はい」

 

 と言っても、流石は加賀さんと言ったところだろうか。今日、加賀さん率いる瑞鶴、夕張、神通、五十鈴、朝潮の6艦で構成した哨戒艦隊には、最近姫級の深海棲艦が出没している太平洋方面の海域に偵察をかねて行かせたのだが、姫級が出没しなくとも多くの深海棲艦が巣食う海域の筈だ。なのに、今目の前にしている加賀さんの服に汚れどころか、塵一つもない。

 今手渡された報告書には、今回の任務での敵艦撃沈数が五十四体と達筆で記されている。確か昼前の十一時から抜錨して、十五時に帰港したはすなので、およそ4時間でこの撃沈数だ。

 

 しかも殆どが加賀さんの先制攻撃のみで撃沈している。次点で瑞鶴だが、彼女も彼女で素晴らしい戦果だ。姉である翔鶴にも引けを取らない練度だ。

 凄い、と。その一言に尽きる。

 

 やはり、ここの一航戦と五航戦は充分にトラック諸島の最前線でも主力として活躍できる実力がある。

 

 間違いなく、日本でも最高練度だと言えるだろう。

 

 ……このまま順調に一航戦に追随する形で五航戦も成長し続けてくれれば、来たる大規模な作戦でも安心だ。

 報告書を眺めて思考を巡らせていると、紙越しに何か、少し遠い目をしている加賀さんが目に映った。それに、なんだかいつものような覇気も感じられない。戦績はいつも通りなのだが、普段から周囲に放っている自信が、物足りない気がした。

 

「……? どうかしたんですか、加賀さん」

「……いえ、別に」

「……」

 

 何か察して欲しい事でもあるんだろうか。この状況で察することであれば、普通に早くトイレに行かせて下さいということになるが、それは流石にないか。

 話したいこと、相談事があるのだろうか。そうだとしたら色々と辻褄が合うのだが。

 ──というか

 

「……もしかして髪飾り変えました?」

「……えっ」

 

 と、聞けば困惑気味な彼女の反応。

 

「あ、ああ! いや、すみません。何かいつもと違う様子だったのでそういうことかと思いましたが……」

「…………え、ええ。変えた、わ」

「そ、そうですか。その、良くお似合いです」

「……っ。ぁ、その。……ありがとう」

 

 なんだか微妙な感じだが返事はしてくれた。どうやら髪飾りのことは合っていたらしいが、彼女が今思っていた事とは、また違うらしい。となると、何か悩んでいるのだろうか。

 

 そう考えていると、加賀さんは咳払いをして、部屋を後にしようとする。

 

「──……失礼するわ」

「あ、その。あの、か、加賀さん!」

「……」

「……何か悩んでますか?」

 

 今までの俺なら、加賀さんに遠慮して、このまま彼女が部屋を後にするのを見送っていた。だがもう決めたのだ。『提督』としての体裁を気にしてばかりではなく、一人の人間として艦娘たちと向き合っていくと。ここで逃げていては話にならない。

 そんな俺からの問いに、加賀はゆっくりと振り返り、拒絶するようにこちらを見据えて

 

「ないわ」

 

 と、だけ放ってきた。

 

 では先ほどまでの思い詰めていた目はなんだったのだろうか。確かに見た筈だ。あのような思い詰めた目は俺が一番していたのだ。自分のことのように分かってしまう。今、加賀さんは頼ろうとしても、頼れる存在が近くにいないのだ。彼女にも体裁があるため、動けずにいる。現鎮守府でも最古参で、尚且つ練度もトップの位置にいる彼女は、普段からみんなの命の為に厳しくしていることを俺は知っている。だからこそ、自分の今の弱っている訳でもなく、ただ誰かを頼ろうとしてる部分を誰かに悟られまいとひた隠そうとしてることも知っているのだ。

 

 当時の俺を見ているようだ。『自分』というものをひた隠し、『提督』を演じては信用されずに、散々な目に合って今に至っているが、自分としては彼女がまた俺と同じような失敗に陥らせないようにしたいのだ。彼女の様子から見ると、まだ悩んでいる状態だ。つまり、彼女が今抱えている問題には、まだ解決出来る余地はあるが、中々踏み出せずにいると言ったところだろう。もし今の彼女が失意に落ち込んでいたとしたら、既に手遅れだったが、今ならまだやり直せる。なら人として、『今』と向き合う悩んでいる彼女の背中を押してあげるのが、道義ではないだろうか。

 

「……加賀さん。俺は、信用出来ませんか」

「……」

 

 加賀さん。俺は確かに一度、あなたたちから信用を得るのを失敗した。

 あなたの大切な人である赤城さんにも拒絶された。そして、あなた自体からも。

 

 ──赤城さんに近寄らないで。()()()()()()()()()

 

 

 あの時、どこか浮かれている節があった俺の心へ、あなたから無慈悲に刻まれたその言葉は、未だに深く記憶にある。

 当時の俺は信用ならなかった。上官としても、男としても、人としても信用出来なかった。ある意味、あなたは俺という存在自体を肯定しなかった。

 

 何回も弁明しても、あなたから返ってくるのは

 

 ──そう。……でも、あなたも前任も、結局は()()

 

 という言葉だった。

 

 言われた時はいつまでも理解出来なかった。だってそうだろう。俺と前任には明らかな違いがある。善か悪かという違いだ。例え偽善で動いているとしても、前任のように危害を加えたりなんかしてない。寧ろ、あなたを救ってやってるのではないかと。

 

 しかし良く良く考えれば、当時の俺も、前任も本質的には同じだった。

 

 前任の醜いエゴからなる悪虐非道な行いも、俺の押し付けがましい自己満足からなる鎮守府の復興作業や、艦娘の目の前では、良い人間に見せようと、いつまでも仮初の笑顔を浮かべていた偽善的な行動も。

 

 彼女からすれば、どちらも傲慢な人間に見えたのだ。良いか悪いかで言えば、明らかに俺がしてきた行動の方が()()に決まっている。実際、今の安定している運営が出来ている横須賀鎮守府は、俺の成果だ。でも、当時から彼女は見抜いていたのだ。俺と前任に共通する本質的な傲慢さに。

 

 彼女は頼んですらいないのに、救って()()()と息巻いていた俺を、醜いと吐き捨てたのだ。

 

 ……俺は思いあがっていた。仮初の提督だろうと、提督になったのであれば、困っている艦娘たちを導いてやろうとしていた。でもそれは違った。『真の提督』というのは、加賀さん。あなたが一番知っているから、当時の俺を拒絶したのではないかと。

 

 

 

「ええ……信用出来ません」

「……」

「……っ」

 

 いつものように、俺を突き放す加賀さん。しかし、黙り込んでいる俺を見た彼女の目は──揺れていた。

 

「……提督。では──」

 

 彼女はいつも堂々と俺を拒絶していた。俺が一ヶ月の休養を経て、復帰した後も報告に来る度に作戦についてダメ出しをしてきた。俺も歴戦の艦娘である彼女の言葉を重く受け止めて、作戦の改善に努めてきたのだ。

 普段から親しくしている大和や翔鶴たち、明石を含めた以外の艦娘では、一番関わりがある艦娘とも言ってもいい。

 

 ──彼女も彼女で、今までのことで俺に何か言いたいことがあるのは知っているが、復帰後も話す気配が無かった。全てが事務的な会話で終わってしまっていた。

 

 だが、もう。今日でそれは終わりだ。

 

 俺からの追及を逃れるように、加賀は背を向けて、部屋から出ようとしていた。見るからに早足だった。……これ以上踏み込んでくるなという意志が行動に出ていた。

 

 彼女らしくない。今までは俺の前では堂々と自信に溢れていて、常に冷静な対応をしていたのに。

 

 なんだか、それが気に入らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「──逃げるなッ! 

「……!!」

 

 つい、怒鳴ってしまった。普段から余り声を張り上げたことがない俺から怒鳴られてしまった彼女も、少し身体を跳ねさせる。……やってしまった。後で怒られてしまうのだろうか。

 

 しかし、それよりも。

 加賀さん。どうして、そうなってしまったんだ。どうして、今のあなたは、()()()のようになってしまっているんだ。

 

 今の彼女らしくない様子が、昔の自分に重なってならなかった。自意識過剰だろうか。いいや、そんなことはどうでもいいのだ。

 俺は加賀さんのそのどこまでも真っ直ぐな生き方を尊敬していたのだ。どの言動にも彼女なりの筋が通っていたのだ。だからこそ、あの頃の俺見たく、今まで俺の前では弱みを頑なに見せなかったのに、今簡単に尻込みしてしまっている彼女に、腹が立ってしまっているんだ。

 少し深呼吸して落ち着かせてから、話を続けた。

 

 

「……すみません加賀さん。でも、いつも気になっていたことがあるんです。今日はそれをどうしても聞きたくて。それに、今思い詰めてるのは、きっとこれと何か関係かあるんですよね?」

「……っ」

 

 僅かに目を見開いたのを、見逃さなかった。

 

「話してくれませんか。加賀さん。どうしていつも、俺を嫌っている様子のあなたが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──どうして()()()()から今まで、俺を助けてくれていたんですか

 

 

 

 

 

 

 

 

「──!」

 

 そう言われたとき、加賀さんは暫く驚いた表情をさせた後、諦観の意を込めた瞳で、こちらを見てきた。

 

「……あなた、一体どこまで──っ」

 

 ──知っているの? という続きの言葉を寸前で飲み込んだ様子の彼女は、数秒間、俺と見つめ合った。俺の真っ直ぐな視線と彼女の動揺気味の視線が交差する。

 

 そしてやっと観念したのか、彼女は嘆息し。静かに語り出す。

 

「……わかりました。全て、お話しましょう」

 

 ──────

 

 ────

 

 ──

 

 

 

 

 

 

 西野提督──あなたが来る前の横須賀鎮守府は、恐らくここに来る前に聞いていた前任の話よりは、確実に地獄だったわ、

 

 無理な作戦のもと、無理な出撃をさせては入渠もさせて貰えず。あまつさえ任務が失敗したこと、私たちのせいにし、引いては、その責任を夜伽によって清算させていたのが、実態だった。当時の横須賀鎮守府には、そんな最低最悪な遠藤という男が指揮していたの。

 

 ……彼が来た時から、横須賀鎮守府は様変わりしました。鎮守府の施設や無理な開発によって、周辺の海は汚れていき、世間からの批判の声も大きくなっていったわ。それに、私たち艦娘への対応も、とても言葉では言い表せないほどに残酷なものだった。

 

 非道な行いの中でも、一例を挙げるとすれば。

 ──一航戦赤城、そして私、加賀を含めた空母、その他の戦艦や重巡洋艦。

 彼の提督はそれらの主力艦である私たちを温存させ、それまで控えであった低練度の子たち──つまり軽巡洋艦や駆逐艦の子たちを中心に出撃をさせました。名目上は、低練度の子たちのステップアップとして、実戦で経験を積ませる()()ということだったけど、真実は違ったのよ。

 

()()()()。察しの良いあなたなら、この言葉だけで分かるでしょう。

 

 当時の政府が国家予算案で軍事費の削減、つまり軍縮を行ったのは知っていますね。現在大本営が保有しているイージス艦などの護衛艦を減らし、少しでも深海によって破壊されてしまった東北の一部地域での復興資金に充てたいという、政府の意向だったのですが、大本営はそれを良しとはしませんでした。しかし、結局世論には勝てずに、渋々軍縮を行った軍部がそれの対策として行ったのが、軍備の経費削減でした。

 しかしそれだけでは飽き足らず、ついには艦娘への経費削減に踏み切ったのが、ここまでの経緯です。

 それで先ず目をつけたのが、日本で一番艦娘の規模が大きな横須賀鎮守府でした。そんな経費削減の為だけに、前任である遠藤元提督を着任させて、こう命令したのでしょうね。

 

『艦娘の中でも数が多い艦種から出撃させて減らしてくれ』と。

 

 当然、私たちもその動きを察知し、直ぐに遠藤元提督へ止めるように直談判しに行きました。

 

 しかし、遠藤元提督は首を縦に振りませんでした。あまつさえ、そんな行動を取った私たちを糾弾し、暴力を働いたのです。

 ……勿論、私はそれに反撃しようとしました。ですが、どうしても出来なかったのです。遠藤元提督の前だと、急激に身体の言うことが聞きませんでした。あろうことか、私の意識は遠藤元提督の虜に……いつの間にかなってしまっていました。

 

 そして気付いた時には、私は──遠藤元提督の寝台の上を汗だくの裸で横になっていました。側にはあの醜い男の甘酸っぱい不快な汗と混じり、微かな血の匂いと、鼻をつくような臭いが充満していました。

 

 当然、私と同じように無意識のうちに捌け口とされていた子は多いでしょう。

 西野提督。あなたが思っているよりも……この鎮守府はずっと、多くの闇を抱えているんです。

 

 ……そんな目をしないで下さい、提督。あなたが聞きたいと言ったから、私は話しているの。

 

 話を戻します。

 

 遠藤元提督が一体、どんな力を使っていたのかは知りません。ですが、私は。得体の知れないその力に、知らぬ間に屈してしまっていたのです。

 

 ですから私は、その力を恐れてしまい、あなたが来るまで、一航戦の誇りがあった私は、あの子たちのために何もしてあげられなかったわ。

 

 ……出撃をしても入渠も出来ず、日々傷が重なっていき、たとえ出撃しなくとも、いつの間にか傷物にされてしまう。当時の艦娘たちに、安息できる場所なんてどこにもなかったわ。だけど唯一の希望がありました。それは一月に一回来る、監査官でした。最初は、私たちもその人に望みを託していたの。でもその監査官はいつまで経っても、この鎮守府にのさばっていた闇を見破ることはなかったわ。

 

 当然でしょうね。

 

 ──何せ、その監査官は遠藤元提督に買収されていたのですから。

 

 実際にその監査官が帰る間際に、あの男から賄賂を貰っている光景を目撃した子がいました。

 その時からです。人間に心底失望したのは。

 

 こうなれば、私たちは一体何のために、深海棲艦と戦っているのか、分からなくなっていました。何故私たちを裏切り続ける人間のために戦わなければならないのかと。

 失意に溺れました。仲間の為になにもしてあげられなかった、無力な自分が。出撃し、帰ってこなかった子たちを見送る毎日に、私の心はどんどんと蝕まれていきました。

 

 

 

 

 

 そんな時に来たのが、あなたの義理の父、元帥閣下でした。元帥直々の抜き打ち監査ということで、流石にその時ばかりはあの男も焦っていました。大勢の監査官を連れた元帥の厳正な監査の下、次々と見つかっていく不正に、あの男がどんどんと青い顔へと変貌していく様は、感服ものでした。でも私は、今頃来た元帥閣下に、恨みを感じていたわ。もっと早く来ていれば、救えた命もあったのにと。でも、それはお門違いもいいところ。

 上官の間違いを正せなかったのは、部下である私たちの無力さ故の責任であり、故にこの結果なのだから。

 

 その後すぐに遠藤元提督は辞任させられました。

 

 あの恐怖の対象が居なくなったことに、一時はみんなで喜びました。でも涙する人も多かった。

 

 あの男に傷つけられた痕は、色濃く心に刻まれたままでしたから。なにをやっても、消すことは出来なかったの。そうです。あの地獄のような日々から救われたと思いきや、待っていたのは一生この深過ぎる傷を負って生きていかなければならないという、残酷な未来だったのだから。

 

 

 

 

 

 そこにあなたが着任したのよ。

 

 タイミングとしては最悪とも言っても良かった。全員が殺気立っていたのだから。

 着任当初、私を含めた多くの艦娘たちが、あなたを理由もなく憎んでいました。軍人には碌な人間が居ないと、一方的に嫌っていたの。でもあなたの最初に話した言葉は、今までその意見で一致していた艦娘たちを二分──いや、三分することになった。

 

『今日からこの鎮守府に着任することになる、西野真之だ。元帥閣下から、この横須賀鎮守府を救ってほしいと仰せつかったからここに来た……先ずは同じ軍人として、前任がしでかしたことについて謝罪させてくれ。申し訳無かった……君たちが人間のことを心底恨んでいることは知っている。だから俺を信用してくれなんて言葉は吐かない。ただ一つ、俺の行動だけを信用してくれないか。俺はまだまだ未熟で、頼りないと思うが、鎮守府復興のために尽力するつもりだ。前任と同様なことはしないと、ここに誓う。だから、これからもよろしく頼む……いや、これからもよろしくお願いします』

 

 嘘は吐いてないことは直ぐに分かりました。周囲の妖精さんが教えてくれましたから。他の艦娘たちも同様に、提督があの場で嘘を吐いていなかったことはどんどんと認知していったわ。

 その後、全員で話し合った結果、あなたの最初の言葉を聞いて、信用しようとする共存派と、信用出来ないから退任に追い込もうとする排他派と、静観をする静観派に分かれたの。

 でも最初に、三つの勢力で──着任して最初の一ヶ月はどの勢力も様子を見ることにする──という協定を結ぶことにした。

 流石に最初から排斥するのも割には合わないことは排他派も分かっていたのです。

 

 因みに、いつもあなたの近くにいた大和さんたちは共存派とはまた違う、穏和派という少数な勢力だったわ。でも、この鎮守府ではトップクラスに練度が高かった大和さん、翔鶴さん、陸奥さん、武蔵さんのほかに、重要な役割を持ってた工作艦の明石さん、間宮さんも所属していたから、少数ながらも力としては一番大きかったの。だから一度として、抗争に近いことも起きなかった。それと、私は最初のうちは排他派だったわ。でも、後にその一か月間、あなたが宣言通りに復興作業に勤しむ行動を見て、静観派に乗り換えたの。赤城さんも静観派だったわ。

 

 でも、排他派の中でも過激な子たちが居たでしょう。あの子たちは最初からあなたの行動なんて眼中になかった。最初のうちはまだ理性的だったのに、どんどんと盲目になって、あなたを排斥しようとした。流石に共存派の子たちと静観派である子たちも、その異常性に気付いて止めようとしたわ。でも、過激派の子たちの中に能代さんが居たのもあって強く言えなかったの。

 

 ……恐らく、あの子が一番、前任によって傷付けられた艦娘だから。その事実を周知していたからこそ、周りも止めようにも止められなかった。

 協定通り、一か月間様子を見た後、あなたも体験している通りに、無法地帯になっていた。静観派や共存派の子たちまでも、能代さんに気を遣ってあなたを無視するようになり、排他派はあなたを追い詰めるように多くの非行を犯した。

 後はもうあなたの知っている通りよ。

 

 ……私たちは逃げたのよ。あなたの善意からも、能代さんと向き合うことも。

 確かに最初、能代さんはあなたをここから出て行かせようとした。でも私たちもそうだけど……あなたが日々すり減っていく痛々しい姿を見て、途中から明らかに乗り気じゃなかった。だけど周囲の『そうさせる』雰囲気に流されていたの。彼女も思い悩んでいた。私たちよりもずっと思い詰めていたの。

 ……でも最後まで、周囲の排他派の子たちから『前任からの一番の被害者』として祀り上げられて、沼に浸かったまま、抜けようにも抜けられなかった。特に金剛さんや比叡さんの力も強かった原因もあって。それで、周りの重圧に追い詰められた結果、あなたを階段から突き落としてしまった。

 

 能代さんのことは許さなくても良いから、せめて、贖罪の機会を与えて──え? もう謝罪は受け取ったのかしら。そう。あなたはやっぱり、強いのね。

 

 

 

 ……話を続けるわ。

 

 静観派である私はせめて、あなたを表では体裁上しょうがなく突き放していたの。もしも手助けなんかしてしまっていたりしたら、排他派に目を付けられたり……それに赤城さんにも申し訳が立たなかったのもある。全て個人的な理由で、あなたを拒絶していた。

 

 ──最低だと、思っているわ。だから私は、せめてもの報いで裏で密かに鎮守府の復興に出来るだけ手助けしていたの。

 

 ……申し訳なく思っているわ。あなたのことを本質的には前任と同じだと言ってしまったことは謝るわ。でも、あなたの行動にも問題があったことは確かよ。私たちが信用しようにも、陰口、暴言暴力をする排他派の艦娘たちのさせるがままにして、黙って受け入れている提督を、果たして信用して良いのか分からなかった。もしかしたら歩み寄って油断した瞬間、裏切られてしまうのではないかという疑惑があった。当時の大本営もそういうことをしかねないと踏んでいたから……でも、これはただの言い訳。あなたの行動から、あなたの真意を読み取ることが出来なかった、私たちの落ち度。そう思ってくれて良い。……あなたには私たちに責任転嫁できる権利がある。私たちはそれほど、寧ろ排他派よりもあなたに理不尽なことをしたと思っている。他の部下の上官への非行を見て見ぬ振りして、動こうにも動けなかった無能な部下と罵ってくれないと、こちらの気が済まないくらいには。

 

 ……ごめんなさい。話が逸れましたね。

 

 勿論、あなたの活動を陰ながら手助けしていたのは、私だけではないわ。赤城さんや瑞鶴、あなたが入院してからだけど、『提督にひどいことをしてしまった』と、鈴谷さん、熊野さんも手伝ってくれた。

 

 と言っても、あなたの為にしたことと言えば、周辺海域の哨戒と敵の掃討、資材調達……後は鎮守府の掃除くらいだったけれど。それ以外には思い付かなったの。私たちは結局は兵器だから、これくらいしかあなたの為に出来ることは無かった……

 

 ……別に、お礼は要らないの。これは私たちなりのけじめなんですから。

 

 だから提督。私が言いたいことは、別にあなたのことを嫌っている子は多くないの。寧ろ、あの当時、能代さんに妙な引き目を感じて、不本意ながらも提督のことを無視してしまっていたことを悔やんでさえしているわ。

 

 理不尽を耐え忍び、心身ともにすり減りながらも、必死に頑張っている提督へ、当時何も手助けをしてあげられなかった事を悔やんでいる娘が多いの。

 

 私の知っている限り、榛名さんは凄く思い詰めていたわ。まだ話したことは数回程度でしょうけど、当時から物凄くあなたのことを心配していた。排他派に加担していた姉妹である金剛と比叡のことを止められなかったことを、ある日泣きながら相談されたの。霧島さんからも同じように。

 ……慕われているのね。

 

 前任が居なければ、きっと西野提督は今、横須賀鎮守府で自信に溢れながら、立派に指揮を取っていたと思うわ。でも私たちのせいで、ここまで拗れてしまった。

 

 だからあの日記を見たとき、私はもう……あなたに合わせられる顔はないと思った。他の子たちも、同じようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……そう。あなた、優しいのね。でもその優しい言葉は、今の私にとって苦しいだけです。それに縋ろうとする私の弱さがとても醜く見えてしまうの。

 

 

 私たちの意思は違えど、結果的にあなたを針の筵(むしろ)状態にしてしまったのは確かなんですから。虐めに加担していたのは事実なのよ。

 でも、私が矮小な体裁などを気にせず、あなたの味方で居たとしても、結局私は何も出来なかったと思うの。深海棲艦と戦う以外に何も力がない……不器用な私では。

 

 大和さんみたいに、傷付いているあなたを優しく包み込むことなんて敵わない。逆に私はどうしていいか分からずに冷たく突き放してしまうかもしれないのだから。

 私は冷静だとよく言われるわ。でも違うの。私はただ、

 

 

 

 

 

 

 

 ──どこまでも、心が冷たいだけなのよ。

 

 

 

 

 

 ──────

 

 ────

 

 ──

 

 

 

「……もう、分かったでしょう? 私があなたに頑なに口を開かない理由を」

「……ああ」

 

 

 ──長々と話された内容は、とても俺が想像し得ないほどに残酷で、複雑なものだった。

 

 思えば、こんなに生々しく前任が犯したことを聞いたのは初めてのことだった。それは当然だ。このような過去を話してくれと言われても、誰も口を割るはずないのだから。

 

 艦娘たちで派閥が分かれていたことも初めて知った。大和からこのことを話されなかったのは、妙な気苦労をさせないための気遣いからだろうが、俺としては話して欲しかった気持ちがある。こんなに、俺のことで仲間同士が分かたれてしまっていたのかという衝撃が、今も抜け切れない。この事を提督ながらも察知できなかった自分の愚かさを恥じる。

 ……能代もこの派閥に分かれてしまった原因で、俺を階段から突き落とす以前から、周りの空気を気にして、流されて、一体どれほどの葛藤をしていたのか。

 それに、大和たち以外にも、手助けしてくれた艦娘たちが多く居たことも初耳だった。あの当時から、大和たち以外にも手助けしてくれている艦娘が居たのも知っていたが、それは加賀さんだけだと思っていたのだ。実は赤城さん、瑞鶴、鈴谷、熊野。この四人が密かに助けてくれていたらしい。

 

 そういえば不思議に思っていたのだ。確かに俺は、鎮守府の状況を鑑みて無理だと判断し、指揮系統が正常に機能するまでの暫くの間、密かに周辺の警備府などに、哨戒や海輸航路の確保を要請していた。しかし絶対にそれだけでは穴が出てくるはずで、横須賀近海へ数匹程度、深海棲艦が現れると予想していたのだが、それは一切無かったのだ。ではその漏れを誰が仕留めていてくれていたのか──……哨戒に出て行ってくれていた加賀さんたちには感謝の念しかない。

 

「……それで、これからどうするつもりですか」

「どうする、とは」

「私から、出来れば話したくなかった真相を聞き出せました。ではそれを踏まえて、提督はこれからどうするつもりなのか、私は聞きたいわ」

 

 そう言って、加賀さんが俺へ随分と漠然とした質問を問いてくる。

 

「俺は……──」

 

 

 その先に続く言葉を失う。そうだ。俺は加賀さんからこの話を聞いて、一体これから何をすれば良いのだろうか。

 ……これまで通りに提督を続けていくのが正解なのだろうか。否、それでは決して彼女たちのためにはならない。

 

 ──彼女たちは、俺が想像していた以上の闇を抱えていた。

 

 それを踏まえて、加賀さんが俺に真に聞きたいこと。

 

 それは『果たして、西野真之という男は、そんな彼女たちの抱えている闇を受け止め切り、前を向かせて、一緒に歩んでいくことが出来るのか』ということなんだろう。

 

 彼女の真っ直ぐに見据える視線が、俺の本心に問いかけて来るのだ。

 

 

 

 

 

 ──この話を聞いても尚、あなたは進み続けるのか。

 

 そんなことを、問われているような気がした。

 

 彼女たちにとって、前任から刻み込まれた悲痛すぎる過去は、消したくても消せない、一種の腫瘍のようだった。心のガンだ。仲間たちを、姉妹を守りきれずに、前任の毒牙に触れさせてしまったという罪悪感と、為す術もなく良いようにやられてしまっていた後悔と、自分の無力さ故に湧き上がる行き場の無い怒り。全ての感情が複雑に絡まり合っている彼女たちの心の奥底で、今も日に日に蝕んで行っているのだ。

 

 

 

「……提督。私はしっかりと、逃げずに伝えました」

「……!」

 

 何も言えずにいる俺の横まで歩いてきて、耳元で優しげに、されども芯がある声色でそう言ってくる加賀さん。

 そう急かされても、俺の心の内はまだ、定まらずにいた。

 瞠目する俺を尻目に、彼女は扉の方へと歩き出す。

 

「……答えが纏まったら、教えて下さい。いえ、教えなくても、行動で示して下さい。私も全力で、あなたが選んだ最善の道を行く手助けするわ。……それが私があなたに出来る、唯一の報いなのでしょうから」

 

 そうして、彼女が執務室を後にするのを、俺は見送った後、椅子に座り込み、暫し黙考をし続けたのであった。



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第十八話 蠢く影

皆様、お久しぶりです。進路活動が一段落が付いたので投稿しました。長らくお待たせしましたので、今回は13000文字と奮発しました。内容的にはまだまだ亀みたいな進行度なんですけど、これから展開的に早足で進んでいく予定です。早く和解とは行かずとも、提督たちには前を向いて歩いて欲しいものですね。

さて、挨拶はここら辺にして。随分前にあげた『ヤンデレと言えば?』アンケートの結果が出ましたので公表します。

(487) 時雨
(84) 夕立
(156) 榛名
(98) 扶桑
(378) 作者

以上です。総合すると、1203票もの数が集まりました。ご協力して頂いた方々、本当にありがとうございました。作者という項目は完全に遊び心で入れたのですが、もう皆さんがヤンデレと言うならいいです(思考放棄)。

 前書き長文で失礼致しました。また、これからも当作品をよろしくお願いします。




 横須賀鎮守府で色んなことが変化した数日間から二週間が経った頃、日本の関西地方に位置している都市の一つである呉市。

 

 そこは昔から、その立地的に軍港を始めとする様々な軍事施設が多く点在している。そんな数ある軍事施設の中には、主に日本海を始めとする周辺海域に出没する深海棲艦への哨戒を任務としている、海上自衛隊、アメリカ海軍の統合本部もあり、呉は日本でも有数の軍事都市でもあり、生粋の『防衛都市』でもあった。

 

 呉が『防衛都市』と言われる所以には、もう一つ理由がある。

 

 ──それは、横須賀鎮守府に次ぐ規模を誇る、呉鎮守府が鎮座している為だ。

 それも規模だけでなく、所属する艦娘たちも横須賀鎮守府所属の艦娘たちに迫る練度を誇っているため、戦力面においても申し分ないほどだ。

 現在、深海棲艦の主な出処については色々な諸説があるが、北太平洋海域のウェーク島辺りではないかという説が濃厚である。

 

 話は少し逸れるが、最前線であるトラック泊地は一番深海棲艦が出没する太平洋でも南西の海域を任せられているが、一方で呉鎮守府は日本海、東シナ海、フィリピン海域にも渡る三つの海域の哨戒、または侵攻してきた深海棲艦の撃破を任せられている。艦娘も数が有限であるため、呉鎮守府が主導で周辺に点在する警備府、基地とも連携し、この三つの海域の安定をもたらし続けていた。

 

 そんな重要な役割を担っている呉鎮守府なのだが──

 

 

 

 

 

 

「──新島。少し良いか」

 

「はい? 何でしょうか提督。まさか……また休憩しようという算段ですか。提督の雑談タイムはもう懲り懲りですし、たまにつまらないご冗談を言われてこちらの気分も害すことになるので、そろそろやめていただきたいです」

 

「……いやまさか名前呼んだだけでこんなにも毒を吐かれるとか想像出来ねえよ。一応、君は俺の補佐をする立ち位置なんだから、例え事実だとしてももうちっと配慮してくれないもんかねぇ」

 

 ところ変わって、二人の男女が話している場所は呉鎮守府の執務室。二人とも純白の制服を着用しており、男の方は右胸に提督であることを示す金の錨の徽章も付けていた。

 そんな提督だと思われる男は、この場にいるもう一人の女性士官とのやり取りをした後、だらしなくも机に突っ伏した。今はどうやら、そんな提督らしくもない姿に女性士官は呆れている最中のようだ。

 

 世間的に、国民の大体は守護者と位置付けされている鎮守府のイメージを、大半がお堅い印象を抱いている。しかしその世間からの印象とは完全に真逆なほのぼのとした雰囲気が、執務室に限らず、呉鎮守府には流れていた。

 

 現に今、横須賀鎮守府の西野提督とは士官学校時代の元同僚であり、首席で卒業した新島(にいじま) (かえで)も、その優秀すぎる能力で補佐という仕事を並行しながら、参謀という役も完璧にこなしているのが裏目に出たのかは知らないが、目の前で悠々と背伸びをしながら欠伸までしてしまっている提督のだらけた姿に、ため息を吐いてしまう状況だった。

 

「……ほら突っ伏さないで起きてください。因みに何回も申しあげてますが、提督であるあなたの間違いを正すのもまた、提督補佐である私の務めです」

 

「……さいですか」

 

 さも当然かのようにきっぱりとそう言い切った部下に対して、彼も彼で少し思うことがあったのだろう。少し間を置いて、机から突っ伏していた上体を起こし、部下に目を合わせる。

 

「ま、流石は『官校』を首席卒業した新島はほんとしっかりしてるつうか、しっかりし過ぎてるつうか。でもまあ……良いじゃねえかよ。こうして執務も一段落ついたしさ。ていうかよ、そんなにお堅いとやってらんない仕事だぜ? 今はお前にやってもらってはいるけど、その司令官の仕事っていうのは軍の中でもトップクラスに激務だし、背負っている責任も大きい。だからお前もお前で、日頃からガス抜きしといた方がいい……って俺もこれを何度言えば良いのやらなぁ。はあ……」

 

「そんな溜息をされても私が今、上官の不真面目な行動に対して正しい対応をしているのは事実ですし、それに比例して、あなたの日頃の行いが悪いこともまた、事実なんですよ坂本提督。例えば、この前はこんなことがありましたね……坂本提督が執務されるとその日は珍しく息巻いて仰った後、私が安心して少し野暮用があった関係で離席した時、次にこの執務室の扉を開けたらそこには提督が堂々と居眠りをされていたことがありましたし」

 

「……記憶にございません」

 

「政治家みたいなことを言わないで下さい。あなたは今、歴とした軍人です」

 

 遅れたが、今新島の話相手になっているのは、呉鎮守府の現提督である坂本(さかもと) (ひろし)だ。歳は二十三歳という軍人の中でも若手の方だが、その能力は総合的に高く、特に艦娘たちからの信頼が厚いことで知られ、彼女たちの能力を最大限まで引き上げることができる『提督』としての才を持つ。

 現状、横須賀鎮守府の西野提督の二番手として、日々、深海から日本を護り続けている実績を持ち、どこか飄々としていて、その親しみやすい人柄と整った容姿も相まって、軍部からも、国民からも多大な支持と人気を誇っている提督である。

 そんな偉大な人物なはずなのだが、『The 真面目』として知られる新島──部下からの言葉で、当時の失態のことを思い出させられたのか、眉をピクっと動かして動揺してしまう坂本提督。今の状況の彼からは、正直前評判通りの坂本提督としての威厳は見当たらなかった。もはや今の彼の姿は、ただの怠惰な坂本である。

 

「あれは……ほら、あれだよ」

 

 歯切れ悪く言い訳を絞り出そうとする上官に、部下である新島は情けなく思いながら、口を挟む。

 

「……あれだよ、と仰ってる時点で、もう真っ当な理由が無いとお見受けしますが、取り敢えずは最後まで聞いてあげます」

 

「……いやさ、あの時の書類の多さつったら地獄を見てるようなもんだったんだぞ。あんなん俺が頑張って捌いたとしても、間違いなくそれで溜まった疲労で、その後の執務に差し支えてたし。それに……めんどくさかったんだもん」

 

「一番最後の怠惰な言い分が本心なのは分かりました。ですが、提督が『後の執務に差し支える』と思ってしまうほどの量の書類がという言い分を考慮したとして、そんな量の書類をあなたが居眠りをしてる間に、一体何処の誰が片付けておいたんでしょうか……坂本提督」

 

 新島からの鋭い眼光が坂本提督を射抜く。思わずビクッと体を跳ねらせるが、しかし、彼は往生際悪く、目の前の部下からの雷を覚悟で、その質問にゆっくりと答えた。

 

「あの書類を片付けてくれたのは誰だったかなぁ……」

 

「……はい。誰でしたか?」

 

「確か俺だっt──」

「──私に決まってるじゃないですかっ!」

 

「いてぇ!?!」

 

 思わず近くの不要になった書類を丸めたもので、上官であるにも関わらずに頭をスパーンと思い切ってしまった新島。しかし、怒鳴った後に冷静になっても、罪悪感はない。何せ『サボりがちな提督が提督補佐に叱られる』このやりとりが日常と化しまっているのだから。

 もはや上官とその部下という海軍の徹底した上下関係や立場も関係なく、そこにあるのはしっかり者の部下に容赦なく正される情けない上官の図である。

 

「私があの時提督をどれほど起こそうとしても、あなたは意地でも起きませんでしたよね! それに書類の中には期限が迫って来ているものも多かったんですよ!? 私が仕方なくそれらを処理しておかなければ、あなたは今ごろ大本営に赴き、そこで頭が硬すぎる上官たちから沢山の嫌味を吐かれているところだったんですよ!!」

 

 遠回しに大本営に居座る軍人たちを揶揄してしまっている新島にさしもの坂本提督も苦笑してしまう。

 

「……あはは」

 

「笑い事じゃありません!! 大体、坂本提督は普段からだらしなさすぎなんです! 外出する際などは普段のそれとは見違えるように確りと成されている事を、何故日頃からの執務でも継続出来ないのですか! 多少の気の緩みは仕方がないと思いますが、明らかに提督のは気が緩み過ぎです!」

 

「いやぁ……こう言ってはなんだがな」

 

 執務室に響き渡る、提督補佐官の彼女の怒鳴り声は、呉鎮守府の作業員から艦娘たちまで広く語り草となっている。

 もはや呉鎮守府の名物化してしまっているのだが、新島のその誠実さから上官のことを思って上下関係関係なく叱っている行動なのだ。その話を他人が聞けば、真面目に補佐をしているだけなのに名物化してるなんて気の毒だなと思う事だろう。

 

「……なるほど。ではもう一回だけ、聞くだけ聞きましょうか」

 

 しかしこのように彼女も彼女で、ただ叱るだけではない。必ず弁明の機会を与えている。そこは甘さでもあるが、いくらだらしなくても尊敬をする提督への、彼女なりの誠意でもあった。

 

「ありがとう。ま、俺の言い分としてはだな。艦隊運営については俺がやっているが、その他全ての仕事……例えば作戦立案だったり、指揮なんかもお前に任せているだろ?」

 

「……そうですね。私が着任した当初、提督が経験を積ませるために一通りやってみろと突拍子もなく命令されて驚きましたが、提督から司令権の殆どを一時的に引き継ぎ、現在に至ります」

 

「そそ。最初の内はまだ教えられるところとかあったけどなぁ……もう着任して一年とちょっと経つだろ? ……もうお前完璧なんだもん。後、俺がお前に教えられることなんか『上官に如何にして媚びへつらうか』くらいしかねえしよ……で、最近思ってきたわけよ。あ、これ俺もう要らないんじゃねって」

 

「はぁ……」

 

 弁明の機会を与えられた彼の弁明は、聞いてる側からすればもはや弁明ではなくただの戯言の一つに過ぎなかった。逆に弁明を与えてしまった彼女が呆れてしまうほどだ。

 

「そんな軽い感じで坂本提督の存在意義についてを説かれても困るだけです。それに、あなたが辞めたら私について来る艦娘なんて殆ど居なくなるのは分かっているでしょう。仮にも私が補佐として着任するまでの三年間、呉鎮守府の提督としての使命を、あなたは全うしてきたという実績があります。少なくともその過程で、あなたに付いて行きたいと思える熟練の艦娘たちが大勢出来ました。今は私の命令に従ってくれていますが、彼女たちの提督はいつでも、坂本提督……あなたなんです」

 

「嬉しいこと言ってくれるねぇ」

 

「あの、黙って聞いてくれますか?」

 

「あ、はい。すみません」

 

 側から見れば完全に部下に上官が尻に敷かれている、なんとも情けない構図だ。

 気を取り直して、彼女はまた話を続けた。

 

「……ここで提督がもし辞任することになれば、一挙にここの艦娘たちの士気が低下し、必然的に彼女たちの戦いの行く末に影響していきます。戦いにおいて、士気というものはとても重要なものです。精神論というのは私は苦手ですが、しかしこれだけは言えます。あなたという旗印がいるといないとでは、彼女たちが戦場で発揮する力はまるで違ってくることでしょう。それほどまでに、彼女たちはあなたに全幅の信頼を置いています。家族としてあなたのことを思っている艦娘もいれば、もちろんその中には、あなたへ密かに恋慕を抱いている艦娘も居ることを、普段から見ていれば分かります」

 

「……」

 

「……彼女たちは艦娘です。深海から世界を護る為に今世に生まれてきてくれました。しかし、ここの鎮守府の彼女たちは、一番にあなたが待っていてくれる鎮守府を護りたいから、日々未熟な私の指揮にも素直に動き、または柔軟に対応して、勝利を掴む為に戦場に立ってくれています。私も故郷にいる母や父、妹、友達……全てを深海から護りたい思いでここに立っています。──それはまた坂本提督も同じではないのですか」

 

「──」

 

「……あなたがよく夜七時近くの執務室で、ご家族の方々と通話していることは知っています」

 

 普段からしているどこか読めないヘラヘラしたその顔を一変させ、驚いた表情を浮かべた坂本提督。しかし直ぐ様いつものような表情に戻して、次には鼻で笑った。

 

「はっ、なるほどぉ。だからいつも通話が終わって五分くらい経った時にお前は茶を持ってきてくれてたのか……なーんかちょうど良すぎて、おかしいと思ったんだよ」

 

 声色的には冷静に見せているが、してやられた感がすごいしてくる。新島は敢えてそこに突っ込まず、ふっと少し微笑む。

 

「ちなみに話の内容は聞いていませんよ。ただ、扉越しから聞こえてくる提督の声は普段とは違い……どこまでも穏やかなものだったので少々驚きましたが」

 

「家族に優しくするのは当たり前だろ? 俺は自分と身内には甘いのをモットーにしてるからな」

 

「自分に対しては厳しくしてくださるとありがたいです」

 

「なるべく善処しよう」

 

 声色的に今の言葉を変換すれば、『やれたらやるわ』みたいなものだろう。

 

「はぁ……」

 

 全く、仕方がない人だ。

 

 そんなことを思いながら、彼女は話を戻す。

 

「少し話は逸れましたが、要はこういうことです。提督にも何としてでも護りたい()()という対象があるように、艦娘たちにもその対象が存在するということ。そして彼女たちの多くが真っ先に護るべき対象として、()()()を強く認識しているはずです……本当に、ここまで司令官のことを考える部下がいるというのは──とても素晴らしいことです」

 

「……ああ、俺もこんなに優秀な部下たちを従えてることを誇りに感じてるさ」

 

 感慨深く、坂本提督はそう呟いた。

 

 そんな彼を新島は真剣な顔で見つめる。

 

「坂本提督。だからもう、あなたがあなた自身のことを不要だと言わないでください。所詮、私の指令や作戦は、坂本提督の存在がいて、初めて成立するものなのですから。ここまで上手く戦績を伸ばせたのも、全てはあなたの成果です。私は補佐として、ただ呉鎮守府に指揮や作戦立案で貢献しただけのこと。あなたは私を信じてくれた。だから彼女たちは、あなたが信じてくれた私の命令に嫌な顔をひとつもせずに動いてくれた。もう一度言いますが、呉鎮守府はあなたという旗印が居るから『強い』のです」

 

 意志が篭った藍色の瞳で彼の心に直接投げかけているように、その言葉を言い切った。そんな彼女に対して「……中々言うじゃん」とぽりぽりと照れ臭そうに頬をかきながら、ぼそりとその場でボヤく。

 

「……ったく。やっぱり妹なのか、何もかもあいつに似てやがる」

 

「私の姉……ですか?」

 

「……あいつはいつも冷静に俺の心の内を読んで逃げ場を潰して俺の論を徹底的に潰してくる。隠し事なんか直ぐにバレるし、同僚の間じゃ嘘発見機と呼ばれるくらいに、頭よかったしそりゃ末恐ろしい…………ってなんかお前のせいで士官学校時代を思い出してしみじみしちゃったじゃねえかこのやろう。けっ! 話は終わりだ!」

 

「姉と……色々あったんですね」 

 

「あーはいはい。で、話ってのは終わりか。終わりね、よし休憩時間終了。じゃあ新島は俺の代わりに見回り行ってきてくれ。ほらさっさと行った行った」

 

「……ふっ」

 

 珍しく恥ずかしそうにしている彼に苦笑していた彼女だったが、どうやらまだ話は終わっていないようだ。

 

「──提督、提案があります」

 

 その時、普段通りに見える新島の微々たる変化に、坂本提督は気づく。先程とは打って変わって、今の新島には珍しく、何処か苦悩が見え隠れしていた。

 

「な、なんだよ。改まって」

 

「その前に。この先で提案することは、あくまで私個人としての意見なのですが、構いませんか?」

 

 彼女にしては珍しく、躊躇している様子だ。坂本提督は不思議に思いながら、いつも通りに返す。

 

「……はぁ、俺は早く今、身体中に巡るこの意味不明な熱さを、風に当たって涼ませたい気分なんだよ。さっさとしてくれ」

 

 

 

 

 

 

「──もう潮時でしょう。私の総司令権を、あなたに返したいです」

 

 

 

 

 

 しかし、そんな彼女の言葉に、坂本提督も珍しく明らかに動揺してしまった。

 

 

「…………え? 何でだよ。呉鎮守府の未来はお前なんだからこのまま総司令権を行使してもらって経験を積ませて行かないと、俺としては困るんだけど。というか、総司令権だぞ? 将来的に提督を目指す提督補佐のお前としては、是非とも手中に収めておきたい権力な筈だろ。ここ一年間のように、これからもここで実績を上げ続ければ目標の提督への道も近くなる。正直な話、提督補佐に艦隊指揮させる事自体不可能な話なのに、お前は優秀だからと特例で許可が降りたほど、大本営もトラック泊地の新島提督の妹であるお前に期待を寄せている。何故、今ここでそれを手放すんだよ?」

 

「……」

 

 坂本提督からすればここで総司令権を手放す新島の言動が理解出来ないし、それを止めるために今話したことはほんの一部であった。彼女には、このまま呉鎮守府の実質的な提督として総司令権を行使し続けて欲しい理由は沢山あるのだ。

 しかし、目の前の彼女は怯まずに、確りとした眼差しでこう告げてくる。

 

「──これは彼女たちのためでもあり、私のためでもあるんです」

 

「……どういうことだ?」

 

 ──新島は今、悩んでいた。

 呉鎮守府は全国で最も提督と艦娘たちとの信頼が厚い鎮守府でも知られている。確かに、新島が坂本提督から司令権を引き継いだ後、以前の呉鎮守府の戦績よりも高戦績を叩き出し続けているし、総合的に見ても、士官学校から卒業して早一年で坂本提督と並ぶか、それ以上の能力を兼ね備えているのは事実であった。しかし、艦娘たちとの厚い信頼を築いてきて、なおかつ今もなお新しい信頼関係を築き続けている坂本提督が兼備する『提督としての器』の面で言えば、まだまだ敵わないでいた。

 

 新島はそこに、ある種の危機感を感じているのだ。憶測なのだが、艦娘たちと坂本提督との間にある、『信頼』の一歩先の『愛』にも見紛えるような厚過ぎる繋がり。

 本来、彼がいるはずだった立場に自分がいるという今の状況は、そんな繋がりを彼に求めている艦娘たちからすれば、邪魔だと思われないだろうかと。彼女たちの不満が爆発すれば、それこそ士気の大幅な低下に繋がってしまう。

 

 新島はそんな状況に至ってしまう可能性を、今までの話で坂本提督本人へ間接的に伝えているのだ。

 

 ──このまま提督補佐である私が指揮をすれば、いずれ指揮系統に問題をきたしてしまうのではないかと。

 

 そんな目の前の部下から、今の状況に潜む危険性に関して遠回しに伝えて来たことに対し、その真意を理解した坂本提督本人も思わず苦笑する。

 

「……はっ、お前は本当に真面目だな」

 

「私は本気で考えているんです。坂本提督、早急に私から総司令権をあなたへ移行することをお勧めします。でなければ、艦娘たちの間で『もしかしたらこのまま新島が提督を引き継ぐ形で、坂本提督が辞任するかもしれない』という不安が渦巻き、要らぬ心労を抱えさせてしまいます。私はこの一年間、充分に経験を積めることが出来ました。ですが、私はあなたの()()()()()()()()()()。あなただから、ここの呉鎮守府は力を発揮することが出来るんです。もしかして……──本当に提督という立場から退くおつもりですか?」

 

「……!」

 

「……私は()()()()()()()()()()()

 

 一挙に重い空気になった執務室。先程まで流れていた穏やかな雰囲気はとうに何処かへ行ってしまった。しかし、それほどまでに新島は今の状況に危機感を抱いているのだ。そう。彼女は聞き逃さなかった。先程、坂本提督は無意識にも『呉鎮守府の未来が新島』だと、あたかもそれが分かっているかの如く、不穏な言葉を述べていた。

 根拠として、坂本提督はまだまだ二十代で、現役を退く年齢には程遠い。なのに、彼があのような発言をしたということは、もしかしたら水面下で、もう新島に提督を引き継がせる準備をしているかもしれない。それに、坂本提督が今、呉鎮守府を辞めようと考えているのならば、今まで呉鎮守府を筆頭に維持して来た多くの海域の戦線が崩壊してしまう恐れがあった。その予想できる主因は『坂本提督がやめてしまうことによって、呉鎮守府の艦娘たちの戦意が大幅に低下してしまい、それに比例して作戦の成功率も低下してしまうのではないか』という憶測の下の理由である。

 彼が提督を辞めるならまだしも、軍人さえ辞めるつもりであれば、これから会うこともなく、置いていかれてしまった艦娘たちはどう思うのだろうか。親愛をも向けていた彼女たちの家族とも言え、心の拠り所でもあった坂本提督が、何処かへ行ってしまったら。

 

 ──彼女たちは最悪、暴挙へ出てしまう。

 

 それに、トラック泊地に居る新島の姉と同じくらいに、絶大な人気を誇る彼が一線を退くことになれば、更に世論の戦争への不満が爆発し、各地でデモ騒動も起きかねない。或いは、犯罪にまで至ることも予想出来てしまう。

 

 それは今、新島が最も恐れていることだ。

 

「……そうか。ま、いいか」

 

 一方で彼女から投げかけられた憶測に、坂本提督はそう呟いた後、座っている椅子からゆっくりと腰を上げ、静かに机の棚を漁り始める。

 

 明らかに、彼の雰囲気が変わった。思わず、そんな彼が放ち始めた異様な雰囲気に、息を呑んでしまう

 

 やがて、彼が取り出したのは──

 

 

「………………どういう、ことですか」

 

 嫌な予感が増長する。

 

 

 

 

 

 

「どうもこうも、退職届だな。あともうすぐで、俺はここを辞めることになる。出来れば、このことは最後まで言いたくなかったが……優秀な部下を持てて、俺は嬉しかったよ。新島」

 

「……!」

 

 何故? 咄嗟に新島は疑問を抱く。彼はただ無条件に艦娘たちから親しまれてはいない。彼も彼なりに努力し、戦いの中で傷心していようとも、病んでいようとも、どんな艦娘とも正面から向き合って、一人一人仲間を増やして行ったのだ。その結果が今の呉鎮守府であり、世界でも有数な力を持つ艦隊へと育て上げたのだ。

 

 だからこそ、何故そんな彼が、こんなにもあっさりと辞めようとしているのか理解出来なかった。

 

 彼も分かっている筈だ。自分が居なくなることで、どれほどの艦娘たちや国民たちが悲しみに暮れ、様々な問題の引き金となってしまうのかを。だらしなかったが、若くして提督に上り詰めるほどに能力は高かったし、冷静に今の情勢を観察する力も備わっているはずなのだ。だから本来の彼ならば、絶対に今このような一種の暴挙とも言える狂った判断はしない筈なのだ。

 

 おかしい。何かがおかしい。

 

「新島、これからこの呉鎮守府をよろしく頼むぞ。お前には期待しているからな」

 

「は……え?」

 

 

 

 

 坂本提督は坂本提督だ。今目の前にいるのは、彼である──彼であるはずなのに、目の前に居る坂本提督に何か違和感を覚えてしまう。

 

 ……坂本博という男は果たして、このように残酷な判断を出せるような男だっただろうか。

 

 何処かで、歯車が狂い始める音がした。

 

 

 

 

「あなたは一体、誰ですか?」

 

 

 

 

 ──静かに、坂本提督の瞳の奥に、何かが蠢いているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 

 

 夕食時になった横須賀鎮守府。間宮食堂では、任務帰りから遠征帰りまで、今日の一日の仕事を終えた殆どの艦娘たちが、和気藹々と食事を摂っていた。以前と比べれば、随分と落ち着いてきた印象を受ける横須賀鎮守府。その影響か、以前のようなギスギスした雰囲気も無く、心身共に回復し始めている間宮が、腕によりをかけて作った様々なメニューを食べて、素直に笑顔を浮かべる艦娘たちも増えて来ている。

 

 これらの状況を鑑みるに、明らかに良くなっている兆しを見せ始めた、横須賀鎮守府の指針。これほど状況が良くなったのは、どれもこれも西野提督が着任後に真っ先に取り組んだが、出来ず仕舞いだった復興計画の元に、鎮守府内外からの多くの作業員や、もちろん改心をした大半の艦娘たちの協力で成り立ったものだ。中には未だに協力はせずとも静観する艦娘も多くいるが、その殆どが提督の組んだ出撃や遠征のローテーションを必ず守り、陰ながらも復興の手助けをしていたことには変わりない。

 

 横須賀鎮守府も、変わりつつあることを、多くの艦娘たちやスタッフたちも予感していた。一昔前までは前任提督であった遠藤による独裁的な指令が横行し、それを取り締まるはずの憲兵や監査官も買収されて不正だらけ。まるで無法地帯だった、かつての日本最高の鎮守府の光が今、取り戻りつつある。

 

 この間宮食堂でも艦娘たちによる穏やかな談笑があるように、今頃、鳳翔が切り盛りしている居酒屋でも、主に作業員スタッフたちによって喧騒にも似た盛り上がりを見せているところだろう。そして口々に『昔の横須賀鎮守府のようだ』とここまで復興して来た時の思い出話を酒の肴にでもして、夕食を楽しんでいそうだ。

 

 

 そんな中、騒々しい食堂内に一際目立つグループが一つ。基本的に各姉妹毎にグループに分かれて夕食を摂っているが、件のグループの布陣は中々に異様なものだった。

 

 

 

「吹雪ちゃん! その海老フライは頂いたっぽい〜」

「あっ! ちょっと夕立ちゃん! それ最後に食べる予定だったやつだから返してぇ!」

「ふふっ、賑やかなのです」

「そうかい電? このくらいが丁度いいと思うけどな」

「響はほんとにどこでも冷静ね!」

「……雷もこの状況で黙々と食べてるけどね。それで、暁はどう見るのさ。あの二人の海老フライファイトを」

「ふん! そもそも夕食を食べてる時に食べ物の取り合いする事自体が間違ってると思うわ! ま、わたしは立派なれでぃだから、あんなはしたないことはしないと決めてるし!」

「流石だね。ふむふむ。じゃあ……そのハムカツは私が貰っておくよ」

「なっ! かえしなさい! それはわたしの」

「あれ? れでぃははしたなく食べ物の取り合いをしないと、決めてるんじゃなかったっけ?」

「クッ…………っ! ……ふ、ふん。くれて差し上げるのよ。立派なれでぃは食事時に波風立てるようなことはしないのよ!」

「Danke♪」

「なんだか暁ちゃん、見事に言いくるめられてる気がするのです……」

「ひ、響。なんて恐ろしい子なのかしら!」

 

 吹雪、夕立を含めた第六駆逐隊の面々が微笑ましさと少々の腹黒さが混じった会話を展開し──

 

「……まったく、騒がしいわね。吹雪も夕立も、まるで駆逐の子みたいじゃないの」

「あはは、まあまあ大井っち。そう言わずにさ……さて、唐揚げもーらいっと」

「……え? き、北上さん……っ!」

「……あー、いやうん。冗談冗談。ね? だから大井っちさ、そんな怒ろうかあげようか葛藤してる複雑な顔するのはやめて。やってる方が言うのもなんだけど、なんだか気の毒に見えてきちゃったよ」

「……い、いいですよ北上さん。私の唐揚げ……どうぞお食べ下さい」

「あー……だめだ。これめんどくさいやつだ。大井っちはいつも大袈裟に捉えちゃうからなー」

 

 北上、大井もその近くに座り、それなりに楽しんでいる様子だった。しかし、それだけでは食堂内で目立たない。しかし、現状だと一番、食堂内の艦娘たちの目を引いているのは確かなのだ。その要因とは──

 

 

「あは。大井っちが壊れた人形みたいになっちゃった。ね、どうしよ金剛さん」

「──……ハァ、なんで先程からワタシに判断を委ねるのデショウカ」

 

 そう。そこには良くも悪くも、今最も注目されている艦娘である金剛が食事を摂っていたのだ。あの事件以降、今度は金剛が艦娘たちにとって一番近付きづらい存在となってしまっている。提督の日記を見る限り、彼女の行動が結果的に引き金となり、西野提督を追い詰めてしまった真相をみんなが知ってから、ずっとこの調子だった。

 

「えー、だって近くに居るし。あと最近、話せず仕舞いだったからさ。金剛も私とかと話したくなったから隣に座ってるんでしょ?」

 

「席が空いてなかったからここに座るしかなかったんデス。というか、大井サンへの対応は大丈夫なんデスカ」

 

「あきらかーに私の気を逸らそうとしてるのバレバレだっつーの。もうっ、ほんと頑固なんだから……ほら大井っち、そろそろ戻ってきて。唐揚げは目の前にあるからね。ちゃんと食べるんだよ?」

 

「北上さぁあん……」

「あーよしよし……ってなんだコレ。私はママか──なんつってねー? 金剛さん」

「だからなんでワタシに……今度は反応に困るのを振ってくるんデスカ……」

「えー、昔の金剛さんだったらこの訳の分からないノリにも『イェーイ!』とか返してくれたじゃん」

「……昔はそうデシタネ。今や恥ずべき過去デスヨ」

 

 ずいずいと金剛の心の懐へ飄々と入ろうとしてくる北上を、金剛は相変わらずドライな反応で躱していた。

 そんな淡々と食事をする彼女の様子を北上は「……ふーん」と含みのあるような声色で少しの間見守った後、

 

「そっか。ま、今の金剛さんに落ち着いた理由もすこーしは予想はつくけどね……とりあえず、金剛さん()頑張ってよ。応援してるから」

 

 また何か含みのあるような言い方で言ってきたので、金剛も流石に手を止めて、北上の方を見る。

 

「なんの話デスカ」

 

 

 

 

 

「ん? なんの話かは──その巾着袋に入ってるモノが、教えてくれるんじゃないかな?」

 

「……!」

 

「「「──!?」」」

 

 北上の何気なさそうな言葉に、突然驚いた表情で席を立ち上がって距離を取ろうとする金剛。北上はその行動を予測していたのか驚きもせず、普段通りに味噌汁を口に運ぶ。

 何かに逃げるような金剛の突然の行動に食堂内が騒つく。

 

「あ、あの。金剛さん、どうかしたのですか?」

 

 そんな中で、電が遠慮しながらも心配してきた。

 

 金剛はそれに対して、一呼吸吐いて、その驚いていた表情を戻し、出来るだけ優しく返答する。

 

「……気にセズに大丈夫デス。ごちそうさまデシタ」

 

「あれ? もういっちゃうの金剛さん。まだご飯残ってるみたいだけど」

 

「……当分は話しかけないでクダサイ」

 

「…………っ」

 

 なんの気もなしに後ろから投げかけられた北上の言葉に、金剛は振り向かずに語気を強くして言葉で突き放した。

 

 離れていく金剛の背中を、北上は何も言わずに、されど少し寂しさを混じらせた眼差しで見送った。その眼差しは、果たして何を意味するのか、北上本人しか知り得ない。

 その後、一連のやり取りで周りから注目を浴びた自覚がありながら、北上は胸中に渦巻いたモノを紛らわすように、大井とまた話し始めるのだった。

 

 

 

 

 

 ──────

 

 ────

 

 ──

 

 

 

 

「……」

 

 食堂から思わず足早で戦艦寮に戻った金剛は、先程ばかりに北上から言われた言葉を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──その巾着袋に入ってるモノが、教えてくれるんじゃないかな? 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 金剛は腰に巻き付けてあった巾着袋に手を伸ばし、やがてその中身を取り出す。

 

 そこには、『日誌』と記された提督の日記帳が入っていた。まさか、気付かれていたのか。それとも、ただのあてずっぽうで言ったことなのかは知らない。

 しかし、北上のあの言葉には、確かな意味を孕んでいた。

 

 ──そろそろケジメを付けろ、と。

 

 そんなことは分かっている。しかし、金剛はどのような顔で提督に会えばいいのかが分からずに、踏ん切りが付かないでいた。

 

「……ワタ、シは……っ」

 

 このような苦悩している姿を妹たちに見られたらどう思われるだろうか。情けない姉だと、嘲笑うだろうか。しかし、あの妹たちだ。そんなことは思わずとも、自分が苦悩している姿を見れば、きっと同じように苦悩してしまう。それほどまでに、あの娘たちは心優しい。

 

 妹たちの前では理想な姉でありたい。しかし、今の自分にそんなことを思える余裕なんて無かった。あるのは提督への様々な思い。いや、ある種の()()でもあるかもしれない。

 

 そんなこれまで蓄積してきた様々なオモイを、如何にして表現出来ようか。

 

「……」

 

 姉妹たちにも気を遣わせて、他の艦娘たちにも気を遣わせて、挙句には北上を心配させてしまった。分かっている。あの時の言葉は、中々踏み出せずにいる自分の背中を押す言葉であり、決して嫌味なんかではなかったことも。周りにも気を遣わせないように遠回しに心配してくれたのだ。

 

 しかし、素直になれない。突き放してしまう。自分に関われば傷つけしまうのではないかと。もしくは、傷つけるのが怖いから、しぜんと語気も強くなってしまう。

 

 悪循環だ。何をしても、悪い方へ行ってしまうような気がしてしまう。

 表では出さないようにしているが、部屋へ帰った途端に悪感情が溢れ出してくる。完全に心が病んでしまっているのだろう。

 

 このままではいつか破綻してしまうことは目に見えていた。

 

「……でも、だからこそ。今こそ、行くべきデスヨネ」

 

 ──極限まで追い詰められた今でこそ、本当の自分で提督に接しられるかもしれない。もう何も怖くない。これ以上の失敗は無いのだから、きっちりと提督へ謝ってケジメを……

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、部屋の扉が勢いよく開かれ、そこに立っていたのは肩で息をした榛名の姿だった。急いで走ってきたのだろうか。その表情は、恐怖と緊迫が混ざり合ったものだった。

 

 

「榛名!? ど、どうしたノ!」

 

「金剛姉さま! 今すぐ執務室に来て下さい!!」

 

「え? 何があったんデスカ!」

 

 

 

 

 

 

「──提督が倒れてしまったのです!!」

 

 



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第十九話 榛名の思いと金剛の葛藤 前編

 金剛型三番艦──榛名。

 

 敬愛する金剛お姉様が筆頭の金剛姉妹が一人、榛名。それが私の名前です。周囲からは紅茶好きでそれぞれに個性がある姉妹だと思われているようです。

 

 ですが、榛名は元々、姉妹の中でも目立たない方で、特筆すべき点がありませんでした。

 

 そんな榛名を前任が着任する前の当時の提督や、金剛お姉様を始め多くの艦娘たちが、私が来たことを大喜びで迎えてくれました。……今でも、あの華々しい記憶は鮮明に残っています。

 

 ですが。着任当時の榛名には、周囲から寄せられてくる『期待』というものを重く受け止めてしまい、ただひたすらにいつか失望されるのではと。独りで勝手に恐れを抱いていました。

 人と接している時は明るく努めていましたが、部屋に戻れば言いようの無い焦燥感に駆られ続ける毎日。金剛お姉様達に置いて行かれるのではないかという、漠然とした恐怖が私を襲いました。

 

 榛名には得意なことが何もありません。

 金剛お姉様みたいに皆さんの前に表立ち、より良い未来へと牽引出来る訳でもなく。

 比叡お姉様みたいに沢山の敵を撃破出来る訳でもなく。

 かと言って、霧島みたいに『艦隊の頭脳』とも呼ばれ、臨機応変に的確な指示が出せるほどに、頭が良い訳でもありません。寧ろ優秀な姉妹たちの中で、従来の控えめな性格も相まって、少々遠慮し、萎縮してしまっている節があるということを、自覚し、それに情けなくも甘んじてしまっていたのです。

 

 そうです。端的に言い変えるとするなら、周囲が評価してくれていた自分の能力を、私自身が一番疑っていたんです。

 

 

 だから榛名は、榛名なりに考えた結果、いつも金剛お姉様を目標にして、努力して来ました。

 

 演習する時は金剛お姉様の動きを細部まで観察し、自分の戦い方に上手く織り交ぜていき。ある時には、比叡お姉様のように積極的に前へ出て、空母たちの盾になり。またある時には、霧島のように的確とは言わずとも、常に戦場を俯瞰的に見ることで、誰が一番危険な状態であるか。そして、どの敵が狙い目なのかを見つけるようにしてきました。

 

 勿論、実戦で試していた初めの内は、失敗続きでした。しかし、その度に姉妹たちの中でも特に金剛お姉様が激励してくれました。

 

 ──good! challengeして失敗することは悪くないネ! 榛名のフォローはワタシに任せて下サイ! 

 

 こちらも釣られて笑ってしまうようなあの爛漫な笑顔に心は救われて。

 

 どの戦闘においても好戦積を残してきたあの頼もしい背中に、榛名は安心出来ました。

 

 失敗をし続けて、金剛お姉様を始め、沢山の艦娘たちに助けられながら。榛名はついに、それぞれのことをこなせるようになりました。金剛姉妹の中ではオールラウンダーとしての地位を確立するくらいには成長して、出撃する機会も多くなりました。

 やっと一人前になり、成長出来た自分に自信を持てるようになれた榛名に、当時の提督を始め、多くの艦娘たち。そして、お姉様たちが讃えてくれました。

 

 比叡お姉様からは『榛名って本当に努力家だよね』と褒められました。

 

 霧島からは『あとは少し抜けているところを治せれば、妹としても安心ですね』と素直になれないところを抜きにしても、最大限の賛辞を送ってくれました。

 

 ──そして、金剛お姉様からは『……榛名は本当に、自慢の妹デス』と、頭を撫でられました。

 

 ……榛名はそんなお姉様たちからの言葉につい号泣してしまった話は、今でも笑い話としてあることに納得いきませんが。

 

 その時の榛名は心の底から横須賀鎮守府に来て本当に良かったと思えました。

 

 しかし、そんな時に。当時の提督が円満退職して次の提督が着任してきました。遠藤提督です。

 

 第一印象としては、小太りな印象を受ける平凡な中年の男でした。話し方はおっとりとしていて、そこまで悪くなかった記憶があります。

 

 

 

 

 

 

 ──一ヶ月後までは、好印象でした。

 

 ある日から彼は豹変しました。それまで穏やかな人柄だったのに、傲慢な暴君のそれへと変貌してしまったのです。それまで、私たちが出撃で失敗したとしても、『大事に至らなくて本当に良かったよ』と生きて帰ってきたことに真っ先に喜んでくれるような、お優しい方でした。ですが、人が変わったように変貌してしまった彼はそれまでの真逆の対応を取り始めました。

 それは、作戦に失敗した艦隊の旗艦の娘を残らせて、罰を行い始めたのです。最初のうちは、耳を塞ぎたくなるような、こちらの尊厳をひたすらに否定するような暴言を殴りつけるだけで終わっていたのですが、段々と過激になっていき、ついには暴力まで振るい始めました。

 執務室に旗艦の娘だけを残して、一方外で待たされていた艦隊の娘たちは、見せしめとばかりに、部屋の中から響く痛々しい殴打音と共に、悲痛とも形容し難い悲鳴を聞かされていました。

 

 ……そう。榛名は、聞かされていました。

 

 金剛お姉様が旗艦とする艦隊に入れられることが多かった榛名は……金剛お姉様の悲鳴を聞かされていたのです。

 

 ですが、金剛お姉様の悲鳴はたまに聞こえてくる程度でした。……恐らく、金剛お姉様は自分が暴力されている状況でも、聞かされている私たちのことを思って、暴力を必死に耐えて、声を上げるのを徹底して我慢されていたのだと思います。

 

 そんな打たれ強い金剛お姉様がいけ好かないのか提督は特に痛めつけました。時には2時間にも及ぶ暴力を振るっていたこともあり、ですがその時も金剛お姉様は口を噛み締めて声を上げることを拒み続けました。

 

 ──……一方、榛名は必死に反抗してくれている金剛お姉様のことを陰ながら見ていることしか出来なかったんです。

 

 提督の命令に逆らえない。私だけでなく、他の娘たちも同じように謎の力に抗うことが出来なかったんです。

 彼の目を見ると頭が朦朧としてきて、知らぬ間に命令に従ってしまっていることが、殆どでした。

 

 執務室前で何をしようとも出来なかった情けない自分への怒りと、金剛お姉様への罪悪に打ちひしがれそうな榛名に、金剛お姉様はいつものようにボロボロになりながら『……大丈夫ネ』と笑いかけてくれました。その笑顔はぎこちなく作ったものでなく、本当に心から思っているような澄み切ったものでした。

 榛名はそんな金剛お姉様に謝ることしか出来ませんでした。一人前に成長して、良い気になっていたその頃の自分からしたら、姉の一人も守ることが出来ない残酷すぎる現実はとても正気を保っていられるようなものではありませんでした。

 

 食料も充分に与えてはくれず、娯楽品も要らないと売り払われ、入渠も満足に出来ていない不完全な状態で、死ぬかもしれない戦場へ出撃していく日々。当然、犠牲者は少なくありませんでした。特に駆逐艦の娘が……どんどんと轟沈していきました。せめて一緒の艦隊になった娘は護ろうと私が敵の砲弾を一身に引き受けましたが、力及ばず目の前で轟沈させてしまいました。

 

 敵の砲弾によりひしゃげてしまったあの小さな手に、助けようと手を差し伸ばしても……救えなかったのです。

 

 ……少なくとも、今の復興された横須賀鎮守府の状態であれば、絶対にあの娘達が沈んでいくようなことは起こり得ませんでした。

 

 遠藤元提督のように、過酷で過密な出撃のローテーションを毎日の如く繰り返していたあの当時と比べて……今は本当に変わりました。

 

 暴虐の限りを尽くしていた遠藤提督が忽然と鎮守府から姿を消して、私たちが喜びと安堵に浸っている当時の荒廃し切っていた横須賀鎮守府に着任してきた西野提督によって、着々と復興されて、私たちは今こうして、万全な状態で戦えています。彼に私たちは救われました。

 

 前任のような戦艦や空母などの主力艦だけで構成した明らかに均等が取れていない艦隊だったり、邪魔とばかりに駆逐艦だけで構成した艦隊だったりではなく。西野提督は本当にバランス良く、艦隊のローテーションを組んでくれました。

 

 西野提督は戦艦や空母のような主力艦ではなく、駆逐艦と軽巡に重きを置く、珍しいタイプの提督でした。それまで不遇だった駆逐艦の娘たちに自信を与えてくれるように、特に駆逐艦の使い方が物凄く上手く、雷撃戦においてとても効果を発揮しました。例えば、駆逐艦が雷撃により、敵の機動力を削いだところに私たちのような戦艦を始め、重巡が斉射して仕留めるといった盤石な作戦の他には、駆逐艦による先制雷撃に敵が当たるように戦艦や重巡の砲撃で仕向けるといった奇想天外な作戦まで、全て西野提督が考えたものです。まだとある理由で他の鎮守府との演習をしたことはありませんが、間違いなく全国でもトップクラスの指揮力を持つお方だと思いました。

 

 ……そんな、明らかに前任とは比較にならないほどの優秀な提督なはずなのに、私たちと彼との関係はとてもではありませんが上手く行っておりません。

 

 理由は西野提督へ、多くの艦娘たちが無視をしたり、陰口を吐いたりして、従おうとしなかったからです。

 

 その実態の半数以上の艦娘たちが単純に軍人に対する恐怖が先行して中々話しかけることが出来なかったというのもありますが、軍人に対する憎悪が過激な一部の艦娘たちによる提督への一方的な弾劾を見ても、介入はせずとも、助けようとはしなかったという事実があります。つまり、殆どの艦娘たちが西野提督を助けようとはしなかったのです。虐めを軽く超えるような、一種の差別。迫害に似た何かが彼へ水面下で行われていたのです。

 

 ……それに、その過激派の艦娘たちの中に、金剛お姉様がいました。金剛お姉様が軍人にどれほどまでの怒りや憎悪を抱いているのかは、散々目にしてきました。

 

 自分も密かに前任をいつ殺してもおかしくないくらいには憎悪を抱いていました。

 なので、金剛お姉様を始め、過激派の艦娘たちが西野提督へ暴力を振るっている最初のうちは私も清々する感覚を覚えながら、黙認していました。

 しかし、金剛お姉様や比叡お姉様に殴られてもなお、怒りを露にすることもせず、ただ謝って立ち去っていく西野提督の態度を見ている内に、榛名は初めてお姉様たちがしていることに疑問を抱いたのです。

 

 そしてある日、榛名はいつものように袋叩きにされて執務室に戻っていく西野提督の後をつけてみました。

 好奇心と、そして無意識のうちに募らせていた罪悪感も相まって、彼が何故部下である艦娘たちにここまでされてまで提督を続けていられるのかを探りに行きました。

 

 彼が入って行った執務室の扉の近くまで行き、着任当初から秘書艦兼監視役として任されていた大和さんとの会話に耳を傾けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──て、提督! どうされたんですか!』

 

『ああ。いや、運動してたら転んだ』

 

『嘘を吐かないで下さい! 誰にやられたんですか!』

 

『……それは、言えない』

 

『ど、どうしてっ』

 

『……教えると真っ先に大和がそいつらに向かって叱りつけに行くだろう。一時は沈静化すると思うが、エスカレートするのは目に見えてる。あと、お前とやつらの関係を考えるとそれは得策じゃない。お前はこの鎮守府の中でも高い発言力と発信力がある。そんなお前が表立ってあいつらを弾劾でもすれば、これまで静かだった艦娘たちもそれに賛同して、もしかしたら今度は俺に暴力を加えているそいつらが忌避されてしまう状況に陥る場合がある。それはなんとかして避けたい』

 

『人の心配をしてる場合ですか! このままではいずれあなたは耐えきれなくなり……死んでしまいます!』

 

『……安心してくれ。俺は死なないし死ねない。元帥から頼まれたんだ。横須賀鎮守府を救ってくれと。俺は命の恩人の道義に従うし、何より……俺自身が、彼女たちを救わなければならないと思っている』

 

『……あなたは救おうとしてる人たちに暴力を振るわれて、今まさに身体も心もボロボロな状態なんですよ?』

 

『それは彼女たちだって同じで、俺が特別な訳じゃない。……それこそ、あいつらは、今まさに大本営からも見捨てられそうになっている。だからこうしてる時間も惜しい。明日の提督会議での書類を作成しないとな。大和手伝ってくれるか。ここの艦娘たちは……決して見捨てて良い奴らじゃない』

 

『……もうっ。なぜそこまでして、他人を救おうと思えるんですか』

 

『──救わなくちゃいけないからだろ。例え俺の手を振り払ったとしても、前に向いて進められるくらいにはな。でも多くの艦娘たちが、俺の手を振り払ってもなお、過去の自分と葛藤してしまっている。……正直、ここで何があったのかはざっくりとしたことしか把握出来てない。あいつらにどれほどのことを前任がしでかしたかも分からないが、それでも苦悩してる人たちの尊厳を守らなければ、提督云々の前に、一人の人間として失格だろ』

 

『…………はあ。しょうがない人ですね。但し、書類作成は治療してからです。早く座って下さい全くっ』

 

『……迷惑かけるな大和──』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな会話を聞き届けた榛名はしばらく呆然とせざるを得ませんでした。

 

 ──自分がしていたことは、間違いだったのか。

 

 よくよく考えれば、榛名が提督へしていたことは、執務室前で金剛お姉様が暴力されているのを黙認していた時となんら変わりないことでした。いくら憎い軍人相手だからと言って、あそこまで一方的に暴力を振るっていたのは流石にやりすぎだと、榛名はここで初めて気付きました。

 

 そして、誤解をしてしまっていたことも。

 

 執務室での彼と大和との会話は明らかに演技ではなく、素でした。そして内容も、榛名が一方的に決めつけていたものを根底から覆すことばかりのもので、とても前任と同じ軍人とは思えませんでした。寧ろ、とても真摯に私たちと向き合おうとしてくれている、そんな誠実な印象を受けました。

 

 その先も話を聞いている限り、先程の会話に嘘偽りがないことを示しているように、鎮守府の未来を憂いて、より良い方向へ進めるように建設的な会話をしていました。

 

 聞けば聞くほどに、彼の本性──誠実な人柄が伝わってきました。普段からの印象に強く残っていた、あの胡散臭い愛想笑いを浮かべていた彼はすでに榛名の脳内から消え去り、そこにあるのは、どうすれば()()()()()()()横須賀鎮守府を再建していくかと葛藤する提督そのものでした。

 

 そこで思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 ──金剛お姉様を止めないと

 

 

 敬愛しているからこそ、今やっている排他的な行動も無意味であり、逆効果であることを伝えなければならないと思いました。

 これほどまでに真摯に鎮守府のことに向き合ってくれている提督をこのまま蔑ろにするのは間違っています。

 

 私はこの真実を伝えようと直様、金剛お姉様の元に伝えに行くと

 

 

『榛名……これはあなたを守るためネ』

 

 と、今にも消え入りそうな笑顔でそう言われてしまい、私はそれから中々言い出せずにいました。

 

 榛名は金剛お姉様の他にも、排他派の艦娘たちに西野提督は前任とは違い、とても誠実な人だと伝えに周りましたが、聞き入れては貰えませんでした。

 

 その頃にはもう、彼への募りに募った罪悪感で胸が一杯でした。

 

 また、あの時の金剛お姉様と同じように、榛名は無力だと。

 

 そうやって心が挫けそうになる時に、密かにまた執務室前まで行って、彼と大和さんの会話に耳を傾けに行くことが多くなりました。

 

 やはり、最初に聞いたときと変わらず、二人は常に鎮守府のことを考えて話していました。殆どが事務的な内容でしたが、たまにやり取りされる雑談から、段々と彼の人柄も分かってきました。

 

 ……とても誠実なのは変わりませんが、たまにされる食べ物などの話をしている時は明らかに声を弾ませていたり。それでいて、会話の端々で感じられる不器用さに、時々聞いている榛名の方もクスッと笑ってしまいそうな、そんな素敵な人柄でした。

 

 榛名はいつしか、執務室前で密かに耳を傾けて提督たちの会話を聞くことにより、心が救われていました。

 当時の鎮守府はどこもかしこもギスギスした空気が流れており、みんなが暗い顔をしていました。何処か息苦しくもあった状況で、一番安らぎを覚えたのは、提督と大和さんとの何気ない会話でした。

 殆どの会話が事務的ですが、大和さんの方から大体話題を作り、提督がそれに返していく構図でした。本当に何の取り留めのない会話に、当時の私の心は救われたのです。

 

 その後も、私は任務に勤しみながら、排他派へ説得を続けました。このまま西野提督が辞めたりでもしたらまた、信用できない軍人に良いように利用されてしまうと。実際、西野提督がここに来たのは、それを未然防ぐためでもあったと、執務室の会話から分かっていました。

 彼は着任する前から、既に横須賀鎮守府を救おうとしていたんです。

 

 そのことを伝えても、排他派の艦娘たちはなおも聞き入れてくれませんでした。

 

 当時の金剛お姉様も比叡お姉様も、あなたのためという一点張りでした。

 

 このままでは本当に西野提督の精神が壊れてしまう。そう危惧した榛名は霧島へ真相を話して、協力を持ちかけました。

 

 しかし、霧島も信じてくれませんでした。

 

 路頭に迷った榛名はやはりまた、執務室前にいました。少しだけ会話を聞いて、また頑張ろうと。

 

 そんな時でした。

 

 

 

 

 

 

 

『……そういえば最近、金剛姉妹と一緒に榛名さんを見ないですね』

 

 驚きました。まさかここで榛名が話題に上がるなんて思いもしませんでしたから。

 

『ん? そうなのか?』

 

『はい……でも意外ですね。あの金剛姉妹でさえ、関係が拗れることもあるんですから』

 

『……俺のせいか?』

 

『……一因ではあるかと』

 

『確かに榛名は最近、俺が暴力されているところを見る時明らかに気まずそうにしてたな』

 

『では、榛名さんは金剛さんや比叡さんの提督に対しての行動に、良く思ってなさそうだと?』

 

『その線は有り得るかもしれない。榛名は金剛や比叡と違って、控えめな方だからな』

 

『……言われてみればそうですね。金剛姉妹の中でも特に控えめな方かと』

 

『……なあ、大和』

 

『はい?』

 

『……これから榛名のことを随所で気にかけてやってくれないか?』

 

『……はあ、それは構いませんけど。何故です?』

 

『普段から敬愛してる姉たちが間違いを犯してることを普段から見続けて、榛名は決して精神的に良い状態だとは思えない。俺も士官学校時代、普段から尊敬している先輩が、虐めに加担しているのを見た時はショックを受けたからな。それが肉親だったら尚更だ。榛名は本当に今、精神的に辛いことだと思う。出来れば俺が気にかけてあげられたら良いんだが、状況が状況だ。俺と接触した榛名が、今度はターゲットにされるかもしれないからな。これは、ここで最高練度であり中立の立場であるお前にしかできないことだ。頼めるか?』

 

『……分かりました。お受けしましょう。はあ……最近はお人好しの誰かさんに振り回される毎日で疲れますねっ』

 

『はは。悪い』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──傾けていた耳を離した時には、榛名は自然と涙を流してしまっていました。バレないように漏れ出しそうな声を潜めながら、その時の榛名の胸には提督の言葉が響き渡っていました。そして、疑問も浮かびます。

 

 どうして榛名なんかを気にかけてくれるのか。

 

 関与したことなんて一度や二度くらいで、こうして一方的に認識出来ているのは榛名の方だけだと思っていたのに、何故彼は自分を認識してくれているのだろうか。

 

 そんな素朴な疑問を抱いた後、やはり罪悪感が募った後に、今度は途方もない嬉しさが込み上げてきました。

 

 ……榛名は提督に酷いことをしたのに。どうしてあなたは榛名のことを

 

 思わず、執務室に飛び込んでしまいそうでした。ですが、榛名にはまだその資格がないと必死に自制して、その日は自室へ戻りました。

 

 

 

 

「……」

 

 

 なんて自分勝手なんだろう。

 

 最初は見捨てておいて、いざ彼の誠実な人柄に触れた途端に急に支持をしだした私は、なんて独善的で醜いエゴの塊なのだろうか。

 

 そして何故、自分から見捨てた彼に、無意識の内に救いを求めにいっているのだろう。

 

 酷い自己嫌悪に、榛名は襲われました。

 

 

 



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第二十話 榛名の思いと金剛の葛藤 中編

 前書きにて失礼します。
 更新が大幅に遅れてしまい、申し訳ありません。また今回で後編を作るつもりが、約19,000文字になり長引いてしまったので中編という形になってしまいました。次回は必ず金剛を主に掘り下げていければと思いますが、提督と対話もきちんとさせるつもりですので悪しからず。……あれ、今度は20,000字超えそう(小並感)

それと【皆様が思う改善点】のアンケート結果が出ましたので発表します。

(9) 内容
(30) 展開
(283) 進行速度
(8) 文章力
(82) 主の性格

 という計412票の投票結果となりました。皆様のご協力に感謝を。
 やはり【進行速度】が問題点ですよね……思い切って一ヶ月に四回更新にするべきでしょうか。頭がパンクしそう。
 あと、【主の性格】に入れた方はもれなくこの作品の超絶バッドエンドのifルートを読む権利を与えます! 覚悟しといて下さい!

 では、これにて失礼いたします。

 ps.新しいアンケートを設置しましたので出来ればご協力をお願いします。
               水源+α




 ──それからというもの、提督の声を聞いていると何故か、心の奥が騒ついて、妙に落ち着かなくなりました。

 思えば、この時に『榛名と提督の関係』はどういうものなのかという疑問が胸中に渦巻きはじめました。

 

 当初は全く会話もせず、接しようとも思えませんでした。榛名にとってしてみれば、彼は榛名と金剛お姉様たちとの特別な時間を土足で入り込もうと異様な優しさと不自然な笑顔を振りまかしてくる、大本営から送られてきたただの胡散臭い軍人の一人でした。

 

 ですが、その後に彼のことが気になり聞き耳を立てた結果、真摯に今の鎮守府の状況に向き合おうとしていた会話を耳にしました。何度も言いますが、私はそこでそれまで抱いていた偏見が大部分を占めていた彼の印象が、とても誠実な軍人へと変化していきました。そして、話を聞いている限り恐らく提督の恩師であろう元帥閣下からの横須賀鎮守府復興の期待に、自らの信念に従った行動で以って応えようとしている直向(ひたむ)きに邁進せんとする心意気を感じ取れたのです。

 

 ──そして気付いた時には、『自らの心の安寧を保つため』という理由で、執務室の扉の前で提督と大和さんの穏やかな会話を拠り所としていました。

 

 

 ……いや、この『自らの心の安寧を保つため』というのも、あくまで理由の一つに過ぎなかったのかもしれません。当時の金剛お姉様たちは、はっきり言って別人のようでした。以前からとても仲間想いで、皆さんから寄せられる期待に自らの言動で応え続けていたような方です。当然、皆さんからも慕われていました。ですが、前任への憎しみや悔恨がお姉様の根底をも変えてしまいました。

 

 以前は周囲を笑顔にさせようととても明るく振る舞い、誰よりも自分自身を信じて、一つ一つの言動が自信に溢れていました。その反面、たまに失敗をされてしまうことがあり、少々抜けているようなお人柄でした。ですが、実はとても聡明でよく榛名たちの変化に気付いて下さるくらいには、常に周囲を気遣かっているようなお優しい方でもあったのです。榛名を始め、多くの艦娘たちの道標となるように、そんな『自信』に裏付けされた行動の成果で以って、目指すべき道を示し続けてくれていた以前のお姉様と、当時のお姉様を比べてみたら何処か違和感を覚えました。榛名が真面目に話をしている時も、明らかに無理に笑顔を作り、良くも悪くもこちらの懐に姉妹の仲であるはずなのに深く踏み込んでこない──はっきりとしない言葉を返してくるばかり。本来のお姉様は、そのようなどちら着かずの不明瞭なお言葉を吐かれるような方ではありませんでした。良い事は良い事だと。そして、悪い事は悪い事だと、簡潔明瞭にはっきりとした物言いをするような方だったはずでした。

 

 

 

 

 

 ──では何故、お姉様があのように自分の言動への『自信』を失ってしまわれたのか。

 

 恐らく真実を知った当時の私が提督の肩を取り持つような言動をし回っているのを認知していたからでしょう。

 当時のお姉様も自身の行っていた排他的な行動が、果たして正しかったのか、それとも間違っていたのか迷っている様子でした。金剛お姉様の長所でもあったあの『自信』によって引き起こされた排斥運動が、完全に裏目に出てしまったと榛名は思います。

 

 ……金剛姉妹の仲も、当時は余り良好とも言えず、どちらかと言えば日に日に関係が拗れていくような感覚を覚えました。これは金剛姉妹に限らず──当時の横須賀鎮守府の艦娘たちの関係も空中分解目前の状態だったと言えます。

 

 その理由は、当時存在していた排他派、静観派、共存派の三つの分かたれてしまった勢力関係にありました。

 

 当初の三つの勢力は、自分の意見を具体化する為に作られたものでした。そうした方が直ぐに互いが指し示す方向性が理解出来、意見交換する時も大まかに線引きをして議論出来るからでした。ですが、段々と排他派の人たちが提督へ過激な排斥を始めたことで、均衡を保っていた三角関係が崩れていきました。

 

 特に、提督をなんとしてでも退任に追い込みたい排他派と、それを止めようとする共存派の人たちとの関係が一番に拗れていきました。私は静観派に居ましたが、当時の排他派たちの行動は目に余るものがありました。提督へ余りにも範疇を超えた嫌がらせをしている排他派へ『許容し難い』と、静観派の人たちまでもが殺気立ってしまい、中立を貫いていたのが最終的には共存派寄りになっていきました。

 

 横須賀鎮守府でも最高の練度を誇る大和さん、翔鶴さん、武蔵さん、陸奥さん。そして重要な役割を担っている明石さんに間宮さんが参加している穏健派という圧倒的な力と権限を持った勢力が居たことで、二つの勢力が表立って対立することはなかったのが唯一の救いでした。

 

 ……気づけば既に、当時の皆さんからは、『艦娘』としての面影はとうに消え去っていました。

 私たち『艦娘』は、あの暗くて凍えるほど寒かった世界中の海底から、長い長い時を経て、戦時中に共に沈んでいった多くの船員たちの意思とともに、現代に護国の鬼として蘇りました。そして現世に蘇ったからには、深海棲艦に反抗出来ない人間たちの力になることを使命として、人類のために深海棲艦と全力で戦うことを、私たちの存在意義としてここまで戦ってきたはずです。

 

 であるにも関わらずに、横須賀鎮守府の艦娘たちは……課せられた使命を忘れ、様々な戦いを共に駆け抜けてきたはずの仲間同士でいがみ合い、勢力同士で牽制に明け暮れていたのです。

 

 榛名たちが戦うべき相手は仲間ではなく、ましてや大本営でもなく──深海棲艦だというのに。

 

 ……今考えるとなんて愚かで。そして、なんて不毛な時を過ごしていたのでしょうか。

 

 時々、そう思い耽ると同時に、あのままでは不味いと頭では分かっていても、説得する以外の行動を起こすことが出来なかった自分自身の不甲斐無さに怒りが湧いてくるのです。そうして憤然と湧き上がってくるこの怒りを、何処へ消化すれば分からないまま、現在に至ります。

 

 

 

 

 更に、こうして今光を取り戻しつつある横須賀鎮守府で過ごしていると時々思ってしまうのです。

 

 例え姉という親しい相手だとしても、誇りある金剛型の妹として。また、人類を深海から護り戦い抜いていく使命を志した同じ艦娘として、榛名が当時の金剛お姉様を強く制止していたら、どのような未来になっていたのか。

 

 ……たられば。確かにそう言われればその通りでしょう。過去のことを変えることは出来ません。ですが、それでもなお考え耽ってしまうのです。少なくとも、あの時の金剛お姉様を頑なに制止していたら、今よりもマシな生活を送っていたことは明らかでしょう。あの場で萎縮して、金剛お姉様や比叡お姉様と衝突しなかったことが。そして、こうして今も、当時の提督に直接的に関わろうとしなかったことをいつまでも憂い続けてしまっている今の榛名よりは……確実に。

 

 葛藤に塗れながら、情けなくも金剛お姉様を含め排他派の艦娘たちの行動を止められずに、擦り切れた心の癒しを求めて何回も、何回も執務室前で聞き耳を立てる日々が何週間か続き、ついには何をしようにも説得出来ずに途方に暮れていた当時の榛名に──突然、加賀さんが手を差し伸べてくれました。

 

 正直言って、最初は驚きました。赤城さんと共に静観派の筆頭でもあった加賀さんは、普段から提督に対する当たりが強いことが知られていましたから。ですが今でも、あの時に加賀さんと交わした会話はとても印象深く覚えています。

 

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 横須賀鎮守府の防波堤。その日は、直接的ではなくとも間接的に提督の手助けを少しでもしたかったせめてもの思いで、横須賀近海に現れるはぐれの深海棲艦を撃破していくという、自主的な哨戒を終えた後、一度一人になりたくてそこを訪れていました。その時の榛名は身体的にもそうでしたが、自分の説得に耳を貸さない金剛お姉様たちに嫌気が差し、精神的にも参りそうになっていたのです。

 

 戦時中だというのに、当時は妙に穏やかな海でした。心地良い海風に身を任せ、波の打ち付ける音に耳を澄まし、水平線に夕日が落ちてくる綺麗な風景を眺めていた時のことです。

 

 

 

 

 

 

『──……あなたも、彼を助けたいのね』

『……!』

 

 

 

 

 

 開口一番。突然、後ろから投げかけられたその聞き覚えのある声と自分の今の心境と同調するような言葉に、思わず驚き、瞠目しました。

 

『加賀さん……ですか』

『……』

 

 後ろの加賀さんはそれに返事はしませんでした。されども、榛名の次の言葉を静かに待っているようでもありました。深呼吸をして少し間を空けた後、ゆっくりと振り返り、私は口を開きました。

 

『…………加賀さん。榛名は……いえ、私は西野提督があのような仕打ちを受けるのは間違っていると思いますっ』

 

『そうね……』

 

 そんな榛名の言葉に、加賀さんはいつも通りに無表情に近いものでしたが、僅かに首肯してくれました。

 

『っ……』

 

 その時、榛名はまた目を見開いていました。加賀さんが私の言葉に頷いてくれたことへの驚き、そして突如として湧き上がって来た感動がありました。

 何せ、普段から提督にもそうでしたが、艦娘にも同様に厳格だったあの加賀さんから、自分の言葉を肯定されたのですから。そして、心が一気に救われた気がしてなりませんでした。これまで榛名の行って来た『西野提督は前任のような軍人ではなく、誠実な人だ』という趣旨の話を、素直に聞き入れてくれた艦娘はごく僅かで、大半が否定するか、苦笑で流されました。駆逐艦の娘たちは怖がりながらも信用してくれましたが、主要艦の娘からは、もはや私のことをいつまでも同じことを吹聴してくる厄介者として扱われていました。

 

 

 ですが、初めて加賀さんに榛名の言葉を肯定してくれたあの時、今まで溜まりに溜まった心の内のモヤモヤとしたものが空くような感覚と、今までの反動も相まって、感極まっていたのです。そして気付いた時には、これまで溜め込んできた様々な苦悩を吐き出すかのように激情に駆られながら、次々と言葉を紡ぎ出していました。

 

『何故……あれほどまでに誠実な人が。何故、私たちのことを、横須賀鎮守府のことを一番に憂いてくれている人が……あんなにも不遇な目に遭ってしまっているんでしょうか』

 

『……』

 

 加賀さんは私のその言葉に依然として表情を変えません。ですが、静かに私の言葉を聞いて下さいました。今までこういう愚痴に近い言葉は最も信頼を寄せている金剛お姉様の前でしか吐いたことがありませんでした。ですが、当時はその金剛お姉様までもが、『提督』のことで榛名と対立してしまっている状況でした。そんな理由もあり、加賀さんと話すそれまでは、本当に溜め込んでしまっていたんだと思います──

 

『榛名は……理解出来ないんです。西野提督が鎮守府外でも大本営という敵と、榛名たちの『横須賀鎮守府の艦娘』としての尊厳の為に戦って下さっているのに、どうして多くの艦娘たちが彼に恐怖を依然として抱き、また一方的な怨嗟を向け、今の()()()()異常な状況を変えようとしないことが──榛名には、わからないのですッ……!』

 

 だからなのでしょうか。つい感情的になってしまい、怒鳴るようで、されども少々の遠慮も混じらせた声色で、榛名は真剣な顔で聞いて下さっている加賀さんへ口を叩いてしまいました。

 他にも山ほど、吐き出したいことがあったのですが、心の内は何故か、多くの()()の気持ちで一杯でした。

 

 ──榛名の話を聞いてくれている相手が、艦娘にも厳しくある加賀さんだからこそへの安堵。

 

 ──今まで金剛お姉様たちへ『提督と艦娘は協力すべきです』と、粘り強く説得していた過去の榛名が起こしていた行動は正しかったんだという安堵です。

 

 主力艦の誰もが、提督と手を取り合おうとはせずに、躊躇や迷いがあって傍観するか、疑わしきは罰せよと西野提督が前任のように豹変する前に追い出そうとするかのどちらかの両極端な手段を取ろうとしていました。ですが、こうして初めて加賀さんという同じ考えを持つ主力艦の艦娘がいることを知り得ました。

 間違いなく、榛名はここで自分自身の行動に疑いを持ち始めていて、曇り切っていた心が一瞬で晴れたかのような感覚が湧き上がっていました。文字通りに、救われたのです。

 

 ……あの時、提督について話せる艦娘がいるというその事実が何よりも、嬉しかった。だからなのでしょうか。ついには──

 

『……榛名さん?』

 

 ──気付けば、大粒の涙を流してしまっていました。……戦艦だというのに、お恥ずかしい限りです。それでも、当時は頬から防波堤へと雫落ちていく感覚に構わずに、目の前の加賀さんへまだまだ心のうちをのたうち回る激情に身を任せて、吐露し続けました。

 

『……西野提督はっ……彼はここに着任することで、大本営から横須賀鎮守府を傀儡にしようと企てる軍人の手から、榛名たちのことを護ってくださったそうですっ……』

 

『…………そう』

 

 全てはあの執務室で何度も聞き耳を立てなければ知り得なかったことです。さしもの加賀さんもその情報は初耳だったらしく、珍しくもその瞳孔を少し瞠目させ、同時にあたかも今まで提督の努力を知っていなかった自身への無知へ悔しそうにその口を噤んでいました。

 

『それだけではないんです……提督は、確りと榛名たち一人一人の個性や相性、能力に向き合って、細かく把握してくれていました。……でなければ、あのような艦娘一人一人の力を最大限に活かせるように艦娘同士の相性も考慮に入れた艦隊のローテーションを作成できるはずがないんですっ! あくまでも憶測ですが……っ、榛名は絶対にそうだと思います!』

 

 ……表立って話すことも出来なかった榛名は、遠くから提督を目で追う日々が続きました。そして、つくづく思い知らされるのです。彼の影ながらの努力がどれほどのものであるかを。

 

 彼は、いつも艦娘たちと接した後、その場で何気なくもあの『日誌』に必ず何かを書き込んでいました。きっとあれは、ただ良好な関係を艦娘との間に構築を図っただけではなく、その裏では榛名たちが戦いで最大限の力を出せるような艦隊構成を練る為でもあったのです。どの娘とが装備の面でも性能的な面でも、戦闘において相性が良く、また作戦行動で高いレベルの連携が可能になるのかなど、ひたすらメモされていたのだと思いました。憶測でしょうか。ですが、私はその時の時点で確信していました。

 

 時には例え、怖がれて逃げれられたとしても。

 

 何かをした訳でもないのに軽蔑されていて無視されたとしても。

 

 そして、理不尽な暴力を振るわれたとしても。

 

 彼の片手にはいつもあの『日誌』がありました。いつでも、榛名たちの些細な情報でも良いからと書き込めるように。

 そして、榛名の憶測が現実的になったのは、提督が階段から転落し入院をされてしまった直後に、金剛お姉様から鬼気迫る様子で提督の『日誌』を見せられた時でした。そこに、全てが詰まっていたのです。

 

 膨大な文量でした。ページを捲るたびに、提督がどれほどの悲痛を一年間耐え忍んできたのか痛感させられました。どんなことをされようとも表面では笑って一言も陰口を吐こうともしなかった彼が、艦娘へ向けて書き殴った多くの誹謗中傷も見受けられました。その誹謗中傷の文字さえも弱々しく、悲痛過ぎた彼の一年間が文面から滲み出てくるほどでした。

 

 そして。確かにあったのです。艦娘の客観的な評価や特徴などが詳細に記されていたページが。恐らく、これを元にあのローテーション表をお作りになられたのです。これだけでも、彼がどれほど艦娘のことを考えていたのかが思い知らされました。

 

 そんな彼の気持ちや努力を考えると、痛くて、悲しくて。そして、ただひたすらに──報われなくて。

 

『それに提督は明らかに優秀な人だと思います! 士官学校を卒業して直ぐに、横須賀鎮守府という日本で一番規模が大きい鎮守府の提督に着任されたのにも関わらず、立派に執務をこなし、鎮守府の問題に着手していました。……常に鎮守府の未来のことを考えて、実際に執務室で大和さんと沢山のことを話し合っていたんです……見事に『横須賀鎮守府の提督』を成されていたんです! なのに……っ──どうしてここの皆さんは彼自身を見ず、功績をも認めず、いつまで軍人という肩書きに固執し続けているんでしょうかッ……。影で助けて貰っているのは榛名たちなのに。いたずらに近海の深海棲艦を殺しまわる今の皆さんは、何を深海から人類を()()()()()()()()とつけ上がっているんですか……!』

 

 任務としてではなく。何か信念があってというわけでも、ましてや仲間の為にというわけでもなく、ただ憂さ晴らしのために深海棲艦を撃沈していく日々を皆さんは送っていました。ただ惰性に近い心意気で深海棲艦を殺戮していくあの当時の横須賀鎮守府の艦娘たちは、本当に見ていられるものではありませんでした。ただ、それでも一応は横須賀に住まう人たちのためという大義はありました。ですが、一向に艦隊を組まずに任務も行わず、遠征も度々行い、一定の功績を挙げて監査の目をすり抜けていくことに何の意味があるのでしょうか。確かに人は護っています。ですが、『人類』の助けとなると言われれば、絶対有り得ないことです。

 

『……勿論、榛名にも罪があるんですっ! 提督が着任して当初、彼がどのような決意と信念でここにきていたかなどの詳しいことも露知らずにっ、ただ金剛お姉様に暴力をされるがままの提督を護ろうともしませんでした……心の内では彼も同じ軍人だからと、期待するだけ無駄だと勝手に決め付け、挙句には痛がっている提督を見た時……清々する気持ちが湧き上がってしまったのです。また愚かな私はこうも思ってしまったのです。前任には悔しいほど何も逆らえなかったのに、新しく送られてきた提督にはあの謎の力が無く、金剛お姉様がやられているとおりに、直接手を下すこともできると……そしてやっと、軍人という縄から解放される。あの厳しい日々はもう来ない。そんな、とても醜く、独善的な心が沸々と湧き上がってきました』

『……』

 

 そう。悪いのは皆さんだけではありません。勿論、()()も罪を犯していたんです。

 

『ですが、そんな考えは間違いだと気付いた時にはもう遅かったのです……榛名は直接手を下すことはしませんでしたが、他人がしている所を止めなかったのです。ある時、金剛お姉様から暴力をされている提督がふと、榛名に縋るような、助けを求めるような視線を送ってきたことがありましたッ! ……殴られて、蹴られながらも無言で何かを訴えてくる彼の目線から当時の私は思わず目を逸らしてしまいました。後にも先にも、提督が私に助けを求めて来たのはその時だけで……っ! 以降は何もかも諦めたような表情で、金剛お姉様たちの暴力や嫌がらせを受け続けていたのですっ……!』

 

 ……榛名は、提督から一度震える手で伸ばされた手を残酷にも無視してしまいまったのです。今でも、私が無視をしてしまった当時の彼の哀しみに歪み、そしてそれ以降のどの艦娘にも向けられた何処か諦め切った表情が脳裏に焼き付いて離れませんでした。

 

 醜く、どこまでも利己的な後悔が、私の中に渦巻いています。だからこそ──未だに彼に合わせる顔がないんです。

 

『…………もしかしたら、榛名が一番提督へ、酷いことをしてしまったのかも、知れないのです』

 

 救いを期待して、無慈悲に裏切られる気持ちは前任の時に身を以て体感したはずなのに……私は彼からの期待を、信じようとしてくれた気持ちの全てを裏切ってしまいました。

 

『ですが……表立って彼女たちの排斥運動を止めてしまえば、榛名が提督と繋がっていると見立てられるか、または提督が榛名を前任と同じような謎の力を使用して従わせていると余計な勘繰りをされ、彼への暴力行為がまた一段と激化してしまう可能性が大いに考えられました。だから、榛名は()()()()()()()()()()()()()()として、排斥派の艦娘たちへ説得しに幾度となく向かったのですッ……ですが──』

 

 提督を助けたかった気持ちには嘘はありません。ですが、逆に不用意に助けてしまうことで、もっと彼を傷付けてしまう可能性がありました。それほどまでに、当時の排他派の艦娘たちの精神状態は不安定で、何をしでかすか分からない危険なものでした。当然、榛名の説得も聞き入れては貰えませんでした。唯一、金剛お姉様や比叡お姉様が反応を見せてくれました。明らかにお二方の表情には迷いがあり、私の必死な説得も届きそうでしたが、後戻りは出来ないと言わんばかりに最終的には首を力無く横に振るばかり。

 

 結果、彼女たちの行動を止めることは叶いませんでした。

 

『──駄目、だったのね』

『……は、い』

 

 少し瞳を緩ましたようにも見える加賀さんの優しい表情に、また涙を流しそうになりました。何もかも吐き出した後、力無く首肯したそんな榛名を──

 

『──……良く、頑張ったわね』

 

 

 

 次には優しく抱擁してくれました。

 

 

 

 

『加、賀さん……?』

『良くここまで頑張ったわね』

『……っ』

『──……私もあなたと同じように、彼を助けることが出来なかった。立場上、無闇に助けたらこの状況をさらに混乱させてしまうから。私が今、榛名さんに秘密裏に会っているのも、状況を鑑みて、最善だと思ったからよ。今まで動けなかったのは、あくまでも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というイメージを植え付けるためだったの。全て私がこれから行動しやすくする基盤作りのためと言っても差し支えないわ』

『……そう、だったんですか?』

 

 驚きでした。

 加賀さんは鎮守府の中でも艦娘内では絶大な影響力があります。それは、どの艦娘も低練度時代に加賀さんから厳しくされながらも、戦闘のいろはを叩き込まれたからです。赤城さんと共に、最古参艦としての立場にある加賀さんは、現在主力である艦娘たちの教官的な存在でもあるんです。

 だからこそ、加賀さんは今の状況で動きづらかったのでしょう。多くの艦娘の成長に関与している一方で、多くの艦娘の信頼を得ている方です。彼女は自分の及ぼす影響力を考えて、これまで中立という立場を徹底してきたのです。

 

 だから、提督と接する際も厳しく、またどの艦娘と接する際も厳しくされていた。それもただ厳しくするのではなく、正当な理由を付けた上で、自らの失敗を自覚させるように促した後に、的確なアドバイスを織り交ぜながら叱っていました。これも、一種の彼女なりの怒れる優しさだったと言えます。

 そのような一面があるから、多くの艦娘たちは毅然とした常に中立に物事を見ている加賀さんに、一定の信頼を寄せていたんです。静観派に大半の艦娘が所属しているのも、加賀さんが居るからという面が大きいと思います。

 

『みなさんを騙すようで心苦しいのだけれど、これ以上中立の立場でいると……こちら気が狂いそうになるの。導き方に問題があるにしろ、彼がやっていることは()()そのものだったわ。あのような誠実な人を無理に心を鬼にして叱るのも……もう限界。だから今日は、今の加賀という中立の立場に甘んじている私自身を変えるために、榛名さんに一つ確認したいことがあって来たのよ』

『……な、なんでしょうか』

 

 

 

 

 

 

『あなたも提督を……助けたい?』

『──』

 

 

 普段の無表情とは打って変わった加賀さんの穏やかな瞳が、虚を突かれて見開いたままの瞳に問いかけてきました。その問いは艦娘として助けたいという建前なのか、ましてや金剛お姉様を助けたいがために、彼を助けたいのか。

 

 もしくは……心の底から、彼を救いたいのか、私の瞳の奥にある真意に問い掛けているようでした。

 

 加賀さんからしたら、彼を助けるのならどんな理由であれ構わないはずです。榛名は……金剛お姉様にこれ以上罪を犯させたくない。未来で後悔している金剛お姉様の姿を私は見たくありません。

 

『榛名は……』

 

 

 ……ですが榛名は今、それ以上に。殆どの艦娘から正当な評価を得られずとも、私たちの母港である横須賀鎮守府を、そしてそこに所属している艦娘たちのために愚直に復興へ邁進している彼を──提督を。

 

『っ──』

 

 艦娘として。いや、建前は必要ありません。

 

 彼の血の滲むような努力を知る一人として──

 

 

 

 

 

 

『──西野真之というあの何処までも誠実なお方を、榛名は心から救いたいと思っています!』

 

 

 

 涙を拭ってから、私は加賀さんの瞳を真っ直ぐに見つめました。

 そんな榛名に、加賀さんは柔らかく微笑んでくれました。

 

『……ようこそ、()()()()()()へ。歓迎するわ……榛名さん』

『えっ……?』

 

 

 素っ頓狂な声を漏らした榛名を他所に、加賀さんは微笑を絶やしませんでした。

 

 

 

 

 

『今は私とあなたのまだ二人だけの艦隊だけど……これからは提督の復興活動を私たちが影で最大限に支援していくわよ』

 

 

 

 これが。突然のことで呆然とする私と、秘密裏に結成した加賀さんを旗艦とした()()()()()()との出会いでした。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 

 

 そして、現在。

 

 

「──加賀さん。榛名の担当した海域の哨戒、完了しました」

 

 あれからは、忙しい日々が続きました。第一支援艦隊の役割は横須賀鎮守府近海だけで無く、近くの警備府が漏らしたはぐれの敵艦の排除などの哨戒任務や、鎮守府の資材が無くならないように遠征へ出向いたりと言ったものでした。ですが、任務や遠征に行かない艦娘の分も込みですので、より多くの敵を相手にしながら、より多くの資材調達をしなければなりませんでした。労力は普段の三倍と言ったところでしょうか。当初は二人だけでしたが、加賀さんから差し伸べられた手を取って半年が経とうしている今日までに、新たな仲間が四人も増えました。

 

「──こちらは全て終わりました」

 

 横須賀鎮守府の空母の中で随一の練度を誇る赤城さんに。

 

「──こっちも終わりました」

 

 あの翔鶴さんに並ぶほどの実力がある妹の瑞鶴さんに。

 

「──私と熊野の方も終わったよ」

「──お疲れ様ですわ」

 

 主力に相当する練度で出撃する艦隊を常に支えている鈴谷さんや熊野さんのこの四人が、第一支援艦隊に新しく加入しました。なんといっても、横須賀鎮守府に在籍する空母たちの中でも、一番目と二番目、翔鶴さんを抜かして四番目の練度を誇る三人がいるのは、心強いことこの上ないです。

 

 赤城さんは加賀さんが誘ったことにより直ぐに加入してくれたのですが、瑞鶴さんに関しては「提督さんのことを無視し続けてきたことを謝るために……先ずは提督さんの力になりたい」という個人的な背景があったようで加入して来ました。詳しい話を聞くと、どうやら常に提督の隣に居て信用できる翔鶴さんの話と、彼の日誌の内容にかなりの整合性があったことで初めて、自らの過ちに気付かれたそうです。しかし、気付いた時にはもう遅く、提督が入院してしまったらしく──だからこそ、せめて彼が入院されている間にも、例え彼が見ていなく、働きが評価されなくとも、鎮守府復興の手助けをしたいと言っておられました。

 

 そして。丁度、提督が階段の転落事故で入院した約二ヶ月前に提督へ抱いていた大きな誤解を猛省して、艦隊に加入させて欲しいと頭を下げに来たという経緯がある鈴谷さんと熊野さんの存在も大きいです。このお二方も、瑞鶴さんと同じように日誌をご覧になられた結果、提督に対しての印象が180度変わられたようです。鈴谷さんと熊野さんは提督に直接手を出してしまったらしく、数々の非礼に対しての贖罪で第一支援艦隊への加入を決意されたそうでした。

 

 榛名にもこの艦隊に所属した背景があったように、瑞鶴さんや鈴谷さん、熊野さん一人一人にそれぞれの違った背景がありますが、全員が「西野提督の手助けをしたい」という同じものを志しています。その為、「提督の為に」とやる気に満ちて普段よりも力が湧き上がってきますし。何より、加賀さんと私だけだった二人だけ艦隊の時より、明らかに現在の六人の方が活動範囲も哨戒効率もぐんとはね上がり、効果として最近の横須賀近海は敵艦が現れることさえ少なくなっている現状です。正直、ここまで心強い味方が加入するとは思いませんでしたが、提督が大怪我から横須賀鎮守府に復帰されてから三週間が経とうとしている今では、とてもありがたく思っています。

 

「では、そろそろ帰投しましょう。赤城さんもそれで宜しいでしょうか」

「はい。艦載機の消耗はありませんが、搭載する爆弾や魚雷の数も流石に乏しくなってきてます。ここは潔く帰還しておきましょう」

 

 二人の意見に特に異論もない榛名を含めた四人は頷き、私たちはいつも通りに横須賀への帰路に着きました。

 

 

「それにしても、ここら辺でも敵艦を見なくなったよね……流石に狩りすぎたのかも」

「まあ、あの赤城さんに加賀さん。それに、瑞鶴さんもいるんですから、当然の結果とも言えますわ。もしここに翔鶴さんも加入することになれば、横須賀鎮守府の四大空母が勢揃いしますわよ……」

「うわぁ……なんか、ここまでとなると敵が可哀想になってきたよ」

 

 前を三人で並走しておる頼れる空母たちの背中を眺めながらそう話し合って苦笑を浮かべる鈴谷さんと熊野さんに、榛名までも苦笑してしまいます。

 確かに、横須賀近海に現れる敵艦はいずれも深海棲艦の中でも最も弱いとされているはぐれの駆逐艦や潜水艦ばかり。駆逐艦は言うまでもなく、水中に潜っている潜水艦までも練度が高すぎて爆弾を落として撃破してしまうほどです。なので殆どの戦闘が私たち砲艦の射程距離に入る前に次々と撃沈していってしまう凄すぎる空母たちの()()を前に、榛名や鈴谷さん、熊野さんはたまに抜けてきた敵艦を迎え撃つだけで事足りてしまっている現状です。

 

 あの圧倒的な殲滅力を目にして苦笑してしまうのも無理はありません。

 

「なんか自信が無くなってくるんだよねぇ。だって、鈴谷たちの自慢の主砲をドーンって撃つ前に……というか、会敵する前に敵艦の殆どが沈んじゃってんだから」

「はぁ。鈴谷がそのようなことを言ってしまったせいか、何故だか私も消化不良な気がしてきましたわ……」

「ええ〜だってさぁ……まあ、安全で楽なのはいい事なんだけどさ。なーんか違和感っていうか……ここら辺がムズムズするというか。榛名さんも思わない?」

 

 突然聞かれて虚を突かれましたが、今率直に思っていることを伝えました。

 

「え? は、榛名は……現状には満足しています。けど」

「けど?」

「確かに、その。少しだけ、貢献できてないことへの歯痒さは……榛名も感じてはいます」

「そうそう! それ! この際主砲を撃てるかどうかは別としてさ。鈴谷たちでも注意を引きつけるーってことくらいは出来る筈なんだけど……なんか、それすらも出来なくて戦闘も終わっちゃってるから」

「空母さんたちの艤装ばかりを消耗させてしまっている手前もありますからね。重巡である私たちの自慢なこの巡行速度も、本来は空母を護衛する為にだと言うのに……お役に立てないことが虚しくなってきます」

 

 そんな榛名たちの少ししょんぼりとした空気を感じ取ったのか、前から速度を落として瑞鶴さんが話しかけて来てくれた。

 

「──三人ともどうしたのー? なんか如何にも沈んでる空気って感じだったよ?」

「瑞鶴じゃん。いや、そんな大したことではないんだけどね。ね、熊野」

「はい。……本当に大したことではないんですけど。寧ろ、ただの愚痴に近いものというか、なんというか」

「ふーん。そうなんだ。でも榛名さんが悩んでそうなのは珍しいよね」

「あー確かに」

「言われてみれば……」

「「「……」」」

 

「えっ! ええ! いや、その……あまり榛名を見ないで下さい」

 

 現状、赤城さんや加賀さん、瑞鶴さんばかりに任せてはがりの今の状況に歯痒さを感じている事実です。

 

 でも、言われてみれば確かにいつも以上に心に何か引っかかっている感覚があります。

 

「榛名はただ……瑞鶴さんたちに大半の敵艦を任せてしまっていることに申し訳なさや、情けなさを感じているだけですっ」

 

 何故か誤魔化すような焦りが湧いてきて、矢継ぎ早に言った言葉に、聞いている面々は意外そうな表情をさせました。

 

「え……てっきり提督さん関連のことかなって思ったんだけど」

「……鈴谷も。というか、鈴谷がそうだから同じなのかなって」

「私も提督を支援する艦隊に所属して今日まで活動してきました、現状あまり貢献できておりませんので……それと同じような歯痒さを、榛名さんも感じておられたのかなと……」

「……あ、あの! この話はもう終わりにしませんか!」

 

 まさかここで提督の名を出されるとは思わなかったので、益々湧き上がって来た恥ずかしさで、無意識の内に皆さんを追い越すように速度を上げてしまいました。

 

 ……そうしていくら話を強引に終わらせても、皆さんが言うように図星──ということには変わりありませんが。

 

「おやっ! 榛名さん。もしかして照れちゃってるね〜!」

 

 直様、逃がさないと言ったばかりに榛名の隣に着けてくる瑞鶴さんに揶揄われて、更に顔が熱くなってしまいます。

 

「ええ! その、やめて下さい。榛名はただ……」

「──どうかしたの?」

 

 と、次は騒がしいこちらの様子を疑問に思った加賀さんが赤城さんと一緒に速度を下げて並走してきました。

 

「か、加賀さん。その、大丈──ふぇっ」

 

 そう返答をしようとすると、突然瑞鶴さんが榛名と加賀さんの間に無理矢理入ってきたので言葉も途中で途切れてしまいました。そんな瑞鶴さんは加賀さんに顔を近付けると、声を若干張り上げて口火を切りました。

 

「──加賀さん。いえ、一航戦には関係ありませんよ。教官殿には分からないようなガールズトークに花を咲かせていましたからね」

「……あら。ということは、大方後ろが騒がしかったのは、その五航戦のうるさい方がまた一人で騒いでいたからね。……可哀想な子」

「いえいえ、私だけではなく……み・ん・なで楽しく会話に盛り上がっていただけですよ? まあ、()()()な方の一航戦にはこの楽しげな空気が分からないようですけど」

「──あ? 少し黙ってなさいこのボンクラ五航戦」

「──は?」

 

 いつもこの二人は即発している気がします。果たして仲が良いのか、それとも悪いのかは分かりませんが、やはり不穏な空気になって来ました……

 

「そのくらい分かっているわ。ただ先程私の口論に負けて、いそいそと榛名さんたちの方に行ってしまった五航戦が、寂しさ紛れに無理に楽しく薄っぺらい会話を強要しているのかと思ったから、可哀想な子と言っただけよ」

「…………ま、まあ? 加賀さんだってさっき私が榛名さんたちと話している時、この輪に入りたそうにこちらをチラチラ見てましたよね? どうせ一航戦が五航戦のどーたらみたいな無駄なプライドが邪魔して、中々会話に入ってこれなかったんでしょうね。そうして考えてみると、可哀想ですね……一航戦は。色々なしがらみがあって同情します!」

「──あ? 少々喧しいですね。負け犬の遠吠えかしら?」

「──は?」

 

 もう、お腹が痛くなってきました。榛名に限らず、鈴谷さんや熊野さんも気まずそうにされています。こういう時、大体赤城さんが仲裁に入って下さるのですが、その赤城さんは遠くを見つめていて、何かに思い耽っている様子でした。

 

 ……つまり、現状このお二方の口論を止められる人が居ないということです。

 

「…………そのような大口を叩いているけど、結局今日も私の撃沈数の半分ほどだったわね。少なくとも、あなたの姉の方がまだ有用だと思うの。それでも、私には敵わないでしょうけど」

「……ふーん? まあ良いですよ。私には加賀さんにはない圧倒的な運がありますし、何より私たちの方が最新鋭ですからね。私は加賀さんにはない()()という力がありますから。あ、そろそろ加賀さんのその圧倒的な経験に尊敬も込めて一航戦様……いや、それとも加賀おばさんと呼称すべきですか?」

「──あ? 姉はともかく、いつまでも未熟なままな方の五航戦はいつ私を納得させる戦果を出して頂けるのかしら? 待っているこっちの身にもなってくれる?」

「──は?」

 

「──はいはいストーップ! 余りの張り詰めた空気にっ……ぷはぁ! 息止まるかと思った!」

 

 すかさず今度は持ち前のその爛漫さで鈴谷さんが二人の間に割り込んで入ってくれました。正直、榛名よりも多くの場数を踏んでいることもあり、こちらが底冷えするほどの威圧感が二人の間に流れていたのに仲裁に入れる鈴谷さんは素直にすごいと思います。

 

「もー二人とも! いっつも居合わせると喧嘩になるのどうにかしてよ! 見てるこっちがヒヤヒヤするじゃん!」

「……文句を言うなら、先に仕掛けてきた五航戦の弱い方に言って頂戴」

「いやいや、聞き捨てならないことを先に言ってきたのは加賀さんの方じゃないですか!」

「ドードー! 二人ともしんこきゅー! 落ち着いて! ねっ! お願いだから!」

「鈴谷さんありがとう。でも平気よ。私はいつも冷静だわ。ただ事あるごとに絡んでくる羽虫みたいな存在がいるから、鬱陶しく思っているだけなの」

「鈴谷さんありがとね! 私は冷静だから! でもねっ。何をしても後輩をいびってくるようなど・こ・かの一航戦の青い方のせいで心が多少荒立っているだけだから!」

「……二人とも全然良くないじゃん!?」

「……鈴谷も大変そうですわね」

「熊野! そう言うんだったら助けてよぉ〜!」

 

「あ、あはは」

 

 もう苦笑するしかありません。仮にも鎮守府に帰還している最中だというのに、このてんやわんやは不味いとは思いますが……

 

「本当に粗方狩り尽くしてしまったのでしょうか」

 

 喧嘩をなさっているお二方とその喧嘩に目も暮れずに遠い目で耽っている赤城さんが強すぎるせいで、ここの海域は本当に敵艦が居なくなっていますし……警戒は一応しておきますが、奇襲については大丈夫でしょう。多分、お二方の仲裁も鈴谷さんに任せておけば平気ですね。

 

 それよりも、榛名は赤城さんが気になりました。いつのまにか少し前方を航行している赤城さんは先程からずっと目の前の水平線を眺めていました。不思議に思ったので、後方から聞こえてくる声たちを置き去りにし、速度を上げて赤城さんに並航しました。

 

「──……」

「あの、赤城さん? 大丈夫ですか?」

「っ! あっ……榛名さん」

 

 突然声を掛けられて驚いた様子の赤城さん。少し悪い気がしました。

 

「い、いえ。特に用は無いのですが、赤城さんが遠い目をされていましたので少し気になって」

「……そうでしたか」

「……何か、お悩み事でも?」

「悩み事……そう、ですね。それに近いものと言いますでしょうか」

「赤城さんにはいつも助けられてますから、何か溜め込んでいるのであれば是非榛名にお聞かせ下さい!」

 

 自分がそう言ってか知らずか、ふと随分と前に加賀さんへたくさんの愚痴を吐いた時のことを思い出しました。

 赤城さんは名実ともに全国一の空母です。恐らく、トラック泊地に所属されている精鋭揃いの空母たちの中でも引けを取らずに活躍出来るほどの練度を誇っているでしょう。間違いなく、世界でも有数の艦娘と言える赤城さんですが、相応の悩みも抱えてらっしゃる筈です。あの加賀さんでさえ、榛名と同じように提督を助けようにも助けられなかったことについて悩んでらしたのですから。きっと、赤城さんにも何かあるに違いありません。

 

「榛名さん……ありがとうございます」

「では──」

「──ですが申し訳ありません……榛名さんの温かいお気遣いはとても嬉しいものなのですが、この考え事は絶対に私自身で、解決しなければならないものだと思っているんです」

「……え?」

 

 咄嗟に断られて呆けた反応をしてしまった榛名の顔を見た赤城さんの表情からは既に、先程のような曇っていたものではなく、どこかすっきりとされたように穏やかな微笑みに変わっていました。海風に揺れるその綺麗な黒の長髪を片手で抑え込みながら、「相談したいのは山々なんです。ですが、これだけは自分で解決したいんです」と恥ずかしさを誤魔化すように、片目を閉じながら悪戯に少しだけ舌を出して、そう言って来ます。

 

「そう、でしたか」

 

 それに対して、榛名はそうとしか返すことが出来ませんでした。今の赤城さんの顔を見て、榛名はこれ以上悩み事を聞き出そうとは思えなかったからです。ですから、ここは考え事をされている赤城さん一人にさせるべく、速度を落として後方に居る四人に合流しよう思い立って移動した時

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──……て……くっ」

 

「──えっ?」

 

 赤城さんの方から聞こえた、微かな呟き声を聞き取る事は叶いませんでした。しかし、その声色は微かに聞こえたこちらが少し不安になるくらいには、悲壮に感じ取れました。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 ──あの後、道中は何も無く無事に横須賀鎮守府に着港できました。

 

「今回もお疲れ様。ここからは自由時間とするわ。艤装の着脱後は直ぐに入渠し充分に英気を養うこと。明日も秘密裏に昼頃に出撃するわ。そろそろ横須賀近海だけではなく、少し遠くの方を哨戒するつもりなので、各自艤装の点検作業も忘れずに行いなさい。何か破損箇所があった場合には直ぐにあそこにいる明石さんに確認してもらうことを徹底しなさい。いいですか?」

 

「「「はい」」」「はーい」「分かりました」

 

 榛名と鈴谷さん、熊野さんは返事。瑞鶴さんは加賀さんが相手からなのか間延びした返事をし、赤城さんは頷きます。返事するだけでも多様な艦隊に少し苦笑したような加賀さんは横一列に整列している榛名たちにそう告げたあと、早々に何か用事があるのか、明石さんのところに向かっていってしまいました。

 

「んじゃ、先ずは入渠済ませちゃおっか熊野。夕食まであと三時間あるけど、早いな越したことはないでしょ?」

「そうですわね。では、赤城さんに榛名さん。今日もお疲れ様でした」

「はい。ゆっくりと入ってきて下さいね」

「お疲れ様でした。鈴谷さん。熊野さん」

 

 鈴谷さんと熊野さんも入渠しに行ってしまい

 

「私も入渠してこよっかな。榛名さん、またね」

 

 と、瑞鶴さんも鈴谷さんたちに追随して行ってしまいました。

 

 結果、その場に残ったのは榛名と赤城さんの二人でした。

 

「……っ」

 

 先程会話したことがあった手前、この二人の間を支配する静寂に少し気まずく思っていると

 

「榛名さん」

「はい! 榛名は大丈夫です!」

 

 いつの間にか緊張していたせいか素っ頓狂な返事をしてしまったことに恥ずかしさが募ります。そんな私に赤城さんは可笑しそうに──

 

「ふふ、どうかしましたか?」

 

 ──と、聞いて来ました。未だに恥ずかしさが拭えない中で、声が上擦らないように返答しました。

 

「あっ……い、いえ何でもありません。そのどうしましたか?」

「少しお聞きしたいことが一つありまして、宜しいですか?」

「質問、ですか? えと、そのくらいは榛名で良ければ……」

 

 もしや赤城さんの悩み事に関連しているのかと勘繰りますが、咄嗟に表情には出さないようにしました。

 

「では榛名さんは……」

「は、はい」

 

 

 

 

 

 

「──もしも、自分が撃破した深海棲艦から、轟沈間際に突然旧友に似た声が聞こえてきたら……榛名さんはどう思いますか」

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………は、い? それは、どういう、ことでしょうか?」

 

 赤城さんが何を言ったのか、言われた直後に理解が追い付きませんでした。少なくとも「実は人間は空を飛べるんだよ」と真顔で聞かされた時と同じくらいには、余りにも現実離れをした質問でしたから。ですが、もしも赤城さんが言ったことが本当のことだとしたら……榛名は今まで仲間だったモノを、この手で。

 

 そこまで考えると、得体の知れない鋭い頭痛と吐き気に襲われらました。

 

「っ……うぁッ!」

「榛名さん!? だ、大丈夫ですか!」

 

 少し朦朧とする中で、それは一体どういうことですか? と榛名がまた聞き返そうとしたその時 

 

「──赤城さん待たせてしまってすみません……と、榛名さん? 顔色が随分と悪いわね。大丈夫?」

「加賀、さん。大丈夫です」

 

 丁度、明石さんとの用事を済ませてきた加賀さんが話しかけてきました。

 

「でも本当に顔色が悪いわよ? 何があったの」

「それは……」

 

 そこで、榛名は思わず口を噤みました。赤城さんから聞かれたあの質問のことを話してしまえば、加賀さんだけではなく、ドックにいる艦娘や作業員の方々の耳に入り、要らぬ混乱を招いてしまう可能性がありました。

 

「あの、私が少し変なことを言ってしまったせいで榛名さんの顔色が悪くなられたんです」

「変な、こと?」

「はい。じ、実は──」

「赤城さん!」

 

 咄嗟に、赤城さんが言いかけるところを名前を呼ぶことで止めました。例えその内容が信じ難いものだとしても、赤城さんが発信元であると知れば本当に信じてしまう人も現れてしまうからです。

 

「榛名は……大丈夫、ですから」

「は、榛名さん……でも」

「申し訳ありませんが、榛名はここで。赤城さんに加賀さん。また明日もよろしくお願いします」

 

 これ以上詮索される前に、取り敢えずそこから立ち去ることを選択しました。心配そうにこちらの背を見ているであろう加賀さんと赤城さんに申し訳なさはありますが、行動は間違ってなかったと思います。それに、赤城さんもこれ以上無闇にあの話を広げることはしないでしょう。赤城さんの話を遮った榛名を見たとき驚いた表情の後、こちらの意図を理解したように真剣に私の目を見据えながら、密かに小さく首肯をされていたのが理由です。

 

 赤城さんも榛名の動揺具合を見て不味いと思い直したんだと思います。

 

 そう思いながら、榛名はドックを後にしました。

 

 

 

 ──────

 

 ────

 

 ──

 

 

 

 

 妙な胸騒ぎが、先ほどからしっぱなしでした。

 

 

 ──もしも自分が撃破した深海棲艦から、轟沈間際に突然旧友の声が聞こえてきたら、榛名さんはどう思いますか? 

 

 

 もちろん、赤城さんからあの質問された時からずっとです。

 

 今こうして戦艦寮に向かっていますが、自然と足早になっているのが分かります。廊下と足の裏がうまく着いてない浮いてる感覚もあるんです。ふわふわとした、明らかに普段通りではありませんでした。

 

 忘れようとするも気になって、気になって仕方がありません。何故赤城さんはあのような質問をあの時、榛名にされたのか。そして、何故あのような恐ろしい質問をされるまでに至ってしまったのか……赤城さんは、本当に深海棲艦から仲間だった艦娘の声が聞こえてしまったのでしょうか。

 

 思い耽りながら歩いていると、気付けば執務室前に止まっていました。何故、執務室前まで来てしまったのか。それは最近はしていなかったのですが、やはりこうして精神が不安定な時は執務室での提督と大和さんの温かな会話を聞いて落ち着こうと、身体が無意識に出向いてしまったから。

 

 ……嘘です。本当は怖くて怖くて仕方がなかったからです。出来れば今すぐにでも執務室にいる提督に相談したいほどですが、榛名にはまだそんな資格はありません。彼から目に見えるほどの成果を挙げられるその日まで、榛名は彼と話す資格など無いのです。

 

 …………これも、嘘です。本当は彼と話すことが怖いからです。何かに取ってつけた自分が納得できる理由を勝手に自分の中で作っては、彼と話すことを避けてしまっているんです。本心では分かっています。今、提督に一番すべきことはこれまでの謝罪とこれから榛名はどうするべきか展望を伝えること。そして、願わくば金剛お姉様と提督が対話する機会を作ることです。

 

「……」

 

 ですが、切っ掛けがないと中々この執務室の先へは踏み出せません。……榛名は意気地なしです。

 

 そう執務室前を分かりやすくも行ったり来たりして、思い悩んでいると──

 

 

 

 

 

 ──ガシャァーン! 

 

 

 

 と、何かのガラスが強い衝撃で大きく割れる音が聞こえてきました。カップを落として割れた音という小さなものではなく、明らかに窓ガラスの類が割れた音でした。間違いなく、提督の身に何かが起こったのは確実です。

 

「っ!」

 

 榛名はすかさず、西野提督が着任されて以降一年振りとなる執務室の扉を開けて急いで中に入りました。辺りを見渡すと、前任が施していた悪趣味だった内装が改装されて、清潔で立派な執務室の姿がありました。それだけでつい感動を覚えてしまいますが、直様切り替えて提督を探しに机の方へ向かうと

 

 そこには──

 

 

 

「っ! 提督ッ!!」

 

 

 

 

 ──口から泡を吹き、倒れ伏した提督の姿がありました。

 

 

 

 



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