24歳独身女騎士副隊長。 (西次)
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アラサー女子を愛でる話

 なんかノリと勢いで書いてたらできた。

 かいている内に、チノウシスウがおちていくようなかんじがしました。

 ひまつぶしにでも、みてくれたらうれしいよ。




 どうしてこうなった、とか。なんでよりにもよって、とか。

 考えても仕方ないと、女として生まれたことを割り切ったのが十歳の年。

 

 二十一世紀の日本で生きた記憶を持ちながら、おファンタジーな世界に転生したような。ようわからんフワッとした感覚を覚えながら生きて幾星霜。

 数えてみれば二十四歳。潤いのない乾いた日々を送っております。衣食住には不安のない生活が出来ているだけ、上等と言うべきか。

 

――本当、世の中ままならない。

 

 それでも前世とか今生とか来世とか乱世とか。微妙に暇になったときにでも考えるくらいに、私は今の人生を余裕をもって過ごしている。

 哲学っていうほど上等なものじゃないけど、自分なりの倫理観を保持したまま生活できているのは、きっと幸運な事なんだろう。

 

「モリー副隊長、ザラ隊長がお呼びですよ。何でもこの度、急に決まった遠征について話し合いたいとか」

「わかりました。すぐに行きます」

 

 モリーというのが、私の名であった。生んで名付けてくれた親は、わりかしすぐになくなってしまったが、感謝の気持ちに偽りはない。両親に恥じない生き方をしたいとは思う。

 女騎士なんて奇特な立場を求めたのも、それゆえだ。なんだかんだで国家公務員と言う立場は得難いものだし、女性の身でそれなりに稼ぎたいなら、鉄火場は避けて通れない。

 

 しかし日本で生まれた時は、どんな気性をしていたのだろう? 知識や趣味嗜好は鮮明なのに、個人的な思い出に関してはあんまり覚えていない。

 ちょっとした実務的な部分の記憶があるくらいだが、まあトラウマとか覚えていても困るし、思い出す必要のないことなんだ、きっと。

 実はボッチだったとか、いじめられっ子だったとか。そんなことは覚えていても苦しいだけだからね。仕方ないね。

 

 ついでに思い返すなら、前世はなんか男だった気がするけど。

 もう女として二十四年も過ごしているんだから、昔のことなんてどうでもいい気はする。

 かつては男でも今の私は女で、別の世界に生まれ、こうして騎士として仕事をしているんだから、それでいいじゃないか。

 

「隊長は、執務室で? あいもかわらず残業ですか」

 

 不相応にも、副隊長などと言う地位すら与えられて、ここにいる。

 ならば期待に応えたいと、本心からそう思う。少なくとも、仕事中毒の上官を思いやるくらいには、私だって義理を感じているんだ。

 

「ええ、いつも通り。……あの人も、もっと気楽になればいいのに。仕事人間にもほどがあると思わない?」

 

 そう言って、呆れ気味に話しかけてくれる彼女とは、割と長い付き合いだ。騎士として王家に仕え、特殊部隊に配属されてから、副隊長に昇進するまで同室で過ごした相手である。

 気心も知れているから、遠慮なく口を利いてくれる。飾り気のない付き合いは、貴重ともいうべきで。親友がそうしてくれるのは、ある種の気遣いでもあると、私にはわかっていた。

 わかっていたから、朗らかに返事ができる。

 

「ええ、ええ。そうですね。でも、あの人はあれで良いのですよ。仕事中毒というか――他にすることが見つけられない、仕事以外の出来事に興味を持てない人は、そこそこいるものでしょう。……だからこそ気遣ってあげたいと、私は思います」

 

 ワーカーホリックは男性に多いと見られがちだが、女性にだって、もちろんいる。

 別段トラウマとかPTSDとか、御大層な理由なんて必要ない。あるがままに生きるだけで、痛々しく見える。そんな人種だって、存在する。

 同時に、そうした手合いを愛好する性的嗜好の持ち主がいたって、いいじゃないか。具体的には私とか。

 

「甘やかすのは私の仕事ですから、彼女を優しい目で見ないように。一隊員として、隊長には敬意を払いましょう。それが道理ですね?」

「はいはい、モリーはいつもそうなんだから。わかってるって。……私の目が届くところでは、隊長の威厳を損ねたりはしないよ」

 

 気持ちを理解してくれる友人は貴重で、さらに有能で周囲に気を配ってくれる相手ともなれば、どれだけ感謝しても足りない。

 私は得難い友を得たと、幾度も感慨を覚えたし、今も本気でそう思っている。

 

「ありがとう。貴方のような友人をもてて、私は幸せです」

「――ああ、うん、どうも。……なんてことはないよ」

 

 本気で感謝しているから、頭を下げるのも、優しみのこもった言葉で答えるのも、当然の対応だと思う。

 目を背けて顔を赤らめる。彼女の反応は、一目で照れているな、と分かる。まっすぐな言葉に弱いのは、入隊した時から変わっていない。

 ここでからかうのは、礼を失する。もとより、感謝しかない相手なのだから、遊びを入れるのは非礼にあたろう。

 頭を下げて、礼を言うくらいしか返してやれないのが、歯がゆいくらいだった。給金がもうちょっと上がってくれれば、何かしらの形で報いてあげられるのに。

 

「では、失礼します。――また休日にでも、遊びに行きましょう。出来れば、他の皆も誘って」

「ありがたい話だこと! 隊長殿の機嫌が悪くなければ、そうするのもいいでしょうね」

 

 彼女はそう言って、早々にその場を立ち去った。

 何か、機嫌を損ねるような言い方をしてしまったのかと省みるけれども、とんと思いつかない。二人だけで出かけるより、皆でワイワイやったほうが賑やかだし、気兼ねせずに済むと思ったんだけどなー。

 言い方が悪かったのかな。なんとも、女性の精神は複雑怪奇である。いや、最近付き合いが悪いと言われれば、返す言葉もないんだけど。隊長に付き合っていると、どうしても残業が常態化するし……。

 でも子供のころからの経験上、女同士の付き合いは割と淡白な部分が多いし、あんまり気に掛けるのも違う気がする。ああもう、わからない。

 面倒くさいけど、そうした手間に悪感情を覚えないのは、やっぱり私の中に、男としての意識があるからだろう。

 自分と違う、理解しがたい一面があるからこそ、惹かれてしまう。まこと、男女の感情は複雑かつ解しがたい。だからこそ、面白いともいえるのだが。

 

 我が身が女になろうと、かつては男であったらしいこの魂では、どうにも推し量ることは難しい。何かしらの形で、お返しが出来ればいいのに。

 ――贈り物とか、あからさま過ぎて嫌がられる案件なのはもうわかっているので、結構気を使ってしまうのだ。

 

「おっと」

 

 隊長に呼ばれているなら、急がなくては。友人には、そのうち口実を設けて飲みに誘ってみよう。理由さえあれば、嫌がられないだろうと思う。たぶん。

 まあ、彼女はさっぱりした性格の持ち主だし、私の悪癖(変人とか戦闘狂とかはともかく、タラシとか呼ばれる覚えはないよ! 首級は取っても男の手すら握ったことないのに!)を指摘してくれる貴重な相手だ。

 

 埋め合わせはいつか必ずするとして、伝えられた命は速やかに遂行するのが筋だろう。ここでもたつけば、伝えてくれた友に対し非礼である。

 速やかに執務室まで出向いて、ドアをノックする。許可の声を聞いてから、礼に従って入室した。

 開け閉めの動作から、隊長の机の前までの歩数とその間隔、言葉を発する姿勢に至るまで、礼法に則った正しい動きを行ってこその礼儀だ。

 

 前世では就活での面接練習とか社内教育とかで、この手の作法は死ぬほど練習したからな! 今生での経験も含めて、堂に入った動作になっているはず……。

 騎士団においても、近年はそこまで律儀にやるものは少ないらしい。それはつまり、己の希少さを印象付けるのに、きわめて有効であることも示している――んじゃないかな。どうかな。やり過ぎてウザがられているとは、思いたくないけど。

 

「出頭いたしました、ザラ隊長」

「……モリー。いつもながら、嫌になるほど模範的な態度だな」

「下級ではありますが、騎士の家系でありますから。自ら騎士の模範としてあろうとするのは、むしろ当然のことでありましょう」

「平民出の隊長としては、耳が痛い所だな。皮肉で言っているわけではないと、わかるだけに余計にな」

 

 ザラ隊長は、いつものように不機嫌そうに見えた。睡眠時間を削って、目の下にクマを作りながら仕事に向かい合っている女傑である。

 見た目ほど気分が悪いわけではないと、わかってはいても痛々しく見える。ふつーに二十四時間勤務とかやらかす人、他に見たことないし。手を抜いて楽に生きられない性格してると、大変だなぁ。

 ――哀れ、嫁入り前の女の子なのに。これはどうあっても、私が守護らねばならぬ。……守護らずにいられようか。いや、ない。

 

「遠征についての話だと聞きましたが」

「ああ。……シルビア王女が懐妊された。それで、あちらの国で祝いの式典が催される。王族一同を連れて、出席せねばならん」

 

 シルビア王女――かつてはこの国の王女で、今は別の国に嫁いでいる。結構なおてんば姫で、護衛隊は苦労させられていたらしい。王女とは直接面識はないが、武勇の誉れ高いとか。

 ……王子なら武名は有用だと思うけど、王女でそれはどうなんだ。女捨ててない? 大丈夫?

 懐妊したなら、少なくとも相手方にも愛情はあると信じたい。信じさせろ。

 

「あの、シルビア王女がですか」

「あの、シルビア王女が、だ。今回の結婚は、上手くいったらしい。喜ばしいことだ」

 

 色々な意味で立派な人だけれど、伝聞だけでも私が苦手なタイプじゃないか。離婚を繰り返したとか、性に奔放すぎるとかいうウワサが、元男としての精神を刺激しているのかもしれない。

 今の私だって女性だけれど、昔抱いていたらしい理想やら幻想やらは、大切にしたいと思うんだ。だから、あんまりあけっぴろげだと……その……引く。

 

「事情が事情です。式典のための護衛が必要なことはわかります。王族を連れて、隣国への遠征ともなれば、慎重を期すのが当然ですね。――それで、我々も駆り出されると」

「そういうことだ。……総司令官は、護衛隊隊長のメイルが行う。別隊のフローレル隊長も同行するが、他にも国内警備隊からも一部の兵を引っ張ってくる予定だ」

「大所帯ですね。取りまとめるメイル隊長も、ご苦労されていることでしょう」

「……そうだな。私なら、それくらいの苦労は歓迎だが」

「オーバーワークは、誰のためにもなりません。隊長は勤勉なお方ですが、それも過ぎれば悪評につながることもあるでしょう。貴女自身のためにも、今回は手柄を譲ってあげてもいいのでは?」

 

 俺が俺がという態度は、だいたい周囲のひんしゅくを買う。時には他人に手柄を譲ることで、悪感情を回避することも必要だ。立ち回り次第だが、功績を譲ることで、恩を売ることもできる。

 あからさまだとかえって反感を持たれるが、さりげなく自然に、かつ譲られたという自覚を持たせるように動くのがミソだ。この点、繊細な対応が求められるが、ザラ隊長ならばやってくれると信じたい。方針を提示して、そこに利益を認めるならば、無理なくこなせるくらいには、彼女は有能だ。

 

「譲り合いの精神は大事です。特に、それが味方であるのならば」

「恩の売り買い、貸し借りの取り立て。明文化できない政治的なアレコレは、私だってめんどくさいものだ。……いや、言いたいことはわかる」

「メイル隊長の性格は把握していませんが、これを機に付き合いを深めるのもよろしいでしょう。人脈は、どこでどう役に立つかわかりませんし――任せるところは任せてやるのが、人付き合いと言うものです」

 

 もっとも、有能さにも種類があるもの。有能で仕事を掛け持ちできる人であればあるほど、何でも抱え込みたがり、信頼して任せるということがやりにくい。ザラ隊長もその傾向があるから、私の方から注意をうながすのが副官としての務めだろう。

 

「わかった、わかった。……感情は別として、そうすべきだな。ああ、メイルの奴に、栄誉は譲ってやるとしよう。もっとも、駆り出される対価として、何かしらの機会に譲歩を求めてやるか」

「その意気です。ザラ隊長ならば、たいていのことは押し通せるでしょう」

 

 騎士は王族に振り回されるのが仕事とはいえ、今回は専門外の仕事を任されるのである。

 通常の業務に穴をあけず、緊急の任務を差し込むのだから、無理を通す代償は受けてもらいたいところだ。

 具体的には休暇を通しやすくするとか、残業代に色を付けるとか。これが戦争なら略奪を大目に見るとかあるんだけど、今回はなー。護衛任務だしなー。

 

「ただ、王国の財政状況などを踏まえて、問題のない範囲でお願いしますね」

「もちろんだとも。私だって、限度はわきまえている」

 

 ともあれ、慶事は慶事。めでたいことだから、王族を連れて祝いに出るのはわかる。 

 だからこそ失敗はしたくないし、慎重に行動したい。別部署との連携を考えれば、事前の話し合いは必須だろう。

 私にできるのはザラ隊長の補佐くらいだけれど、せめて全力で期待にこたえたいと思う。

 

「しかし、此度の遠征は輪をかけて大事ですね。――総出で行くのですか?」

 

 総出で、というのは精鋭を全員持ち出すのか、という意味である。新人とか教官枠とかは含まれない。予備役も別だし、大っぴらにできない人員もその中に入らない。

 けれど、精鋭は有能でいろんな仕事を任せられるからこそ、精鋭と呼ばれる。そうした連中(私の親友もその一人だ)を引き抜いてしまうと、日常の業務にも支障が出る。

 休みなしで五十時間勤務とか、私と隊長以外の人に求めて良いことではないよ。

 

「まさか、特殊部隊は国内に目を残していかねばならん。遠征にともなう人選と、それから……急な話だったからな。隊員のローテーションの見直しも必要だ。私たちはともかく、平隊員への負担は最小限にしたい」

「安心しました。――いえ、部下を大切にしない方だと思っていたわけではありません。あくまでも、確認しただけのことです」

「そうかそうか。当たり前だが、お前は私と共に出向くことになる。別動隊を任せるなら、お前が一番だ。役に立ってもらわねば困るぞ」

 

 部下を労わる感覚を持っているのだから、ザラ隊長は上役として好感の持てる人だった。私をその中に含めていないことも、好感を抱く理由の一つになる。

 私をこき使う気が満々なことは、彼女の目を見ればわかる。そうでなくては。

 

「私への負担は、気にしてくれないんですか?」

 

 口元に笑みを浮かべながら言う。きっと、彼女は意図を理解してくれると信じて。

 

「なんだ今さら。検討すべき事案は多い。これからお前は、私と残業だ。異議はないだろ?」

 

 言葉の少なさは、信頼の表れだ。これならば、安心して事を進めることができる。ザラ隊長からの信頼が、ただただ嬉しかった。

 

「ええ、ありません。……さっさと終わらせましょう。貴女自身が、休む時間を作るためにね」

 

 どうせ最近はろくに眠れていないんでしょう、と問う。

 目をそらしても、わかりますよ。わからない人は、そもそも貴女の補佐なんて出来やしないんだから。

 

「いつも、すまない。……苦労を掛けるな」

「それは言わない約束でしょう。私は好きで、貴女の補佐をやっているんですから」

 

 ザラ隊長は、これで結構可愛らしい人だったりする。まともに眠れていないから、今はちょっと目つきが悪いけれど、見慣れれば愛嬌すら感じる。

 睡眠をとって目のクマが消えれば、まあ美人に見えるくらいには整っているのだから、もったいない話じゃないか。

 私がかつての男のままだったら、口説いただろうか。いや、そもそも出会えなかったかもしれず、今の様に信頼されたかどうかもわからない。そもそも前世の自分はまっとうな人間だったのか? 

 

 ……どうでもいいか。私は私だ。

 もしもの話について、思考を割く必要はあるまい。益体もないことを考えるよりは、目の前の仕事に集中するべきだった。とりあえずアレコレと必要事項について、話し合う。

 結構なことに、私とザラ隊長との間で、大きな齟齬は生まれなかった。極めて短時間で、話はまとまったと思う。

 

「人選は、こんなものでしょうか。全体のローテーションを見直して、どこまで調整できるか、後日改めて検討しましょう。疲れているときに細かい部分をつめようとしても、だいたい失敗しますからね」

「そうだな。……現状、これが最善か。しかし」

「何か、問題でも?」

「――いや、たいしたことではない。決定稿は、総司令であるメイルに提出し、承認してもらう必要がある。まあ、あいつは重箱の隅をつつくような奴じゃないから、充分に検討した案なら通るだろう」

 

 ザラ隊長は、言葉を濁しながら、言い方に悩んでいるように見えた。

 そんなに難しい話だろうか。私としては、率直に言ってもらった方がありがたいのだが。

 

「そうだな。不興を承知で言うが――」

「はい」

「お前を、他部隊の連中の前に連れて行きたくない」

「えぇ……?」

 

 何それ。

 私、そんなに駄目な奴だろうか。人前で粗相をやらかすほど、愚かではないつもりなんだけど。

 

「意図を図りかねます」

「……そうか、わからんか」

「申し訳ございません。――これでも副隊長として、不足なく仕事をこなしてきたつもりですが、何か、至らぬところがあったのでしょうか。部外者の前に立たせたくない理由があるなら、ぜひともお聞かせください」

 

 ザラ隊長は、視線を泳がせながら、答え方に迷っている様子だった。私自身の能力不足が問題なら、彼女は曖昧にせず指摘する。なのに言いよどむということは……。

 これはつまり、私自身には非がないパターンだろうか。それとも、表ざたにしたくない理由があるとか?

 どっちにしろ、追求せずにはいられない案件である。はぐらかさず、明言してほしい。

 

「……悪い意味でとらえてほしくないが、いいか? モリー、お前は有能だ。私が手放したくないと思うくらいには」

「過分な評価、ありがたく思います。ザラ隊長には入隊直後からお世話になっています。――こうして重用してくださることにも、本当に感謝していますよ」

 

 ザラ隊長からお褒めの言葉を賜られるとは、いや実に珍しい。この貴重な機会を存分に味わうためにも、言葉を尽くせるならば尽くしたいところだ。

 自然と、顔が緩む。きっと、今の自分は優しい目をしているのだと、奇妙な確信を抱いて言う。

 

「貴女が私を正しく用いてくれるなら、正しく力を尽くしましょう。ですから、どうか言葉を選ばず、思うままに話してください」

「ああ、言うとも。だから、その、あれだな。……私に、覚悟を決める時間をくれ」

「――ザラ隊長の、お望みのままに」

 

 惑う彼女の姿を見て、こんなザラ隊長も可愛いじゃないか、なんて。他愛のないことを考えてみる。いくら年を重ねても、乙女はやはり乙女なんだって、はっきりわかるんだね。

 

 一呼吸、二呼吸、そうやって彼女は天井を仰いで。改めて目を合わせる。

 彼女の表情は、いつも通りを装っていたが、どこかしら恥じらいがあるように見えて――。

 

「特殊部隊副隊長であるお前は、総司令官であるメイルの前に出て、少なくとも面識くらいは持ってもらわねばならない。これまで私の陰に隠れていたが、今回の任務は公のものだ。場合によっては、別動隊を指揮する可能性もあるのだから、顔を合わせて話し合う機会くらいは作るのが道理だろう」

「わかります。――それで、何が問題なのでしょう」

「メイルは、あえて集団の和を乱すような手合いではないが、アレだ。ちょっと人格的に問題がないとは言わないので、身内と引き合わせるには覚悟が要る」

 

 やはり曖昧な言い方だった。メイルとやらが問題児であったとしても、仕事上付き合いが必要なら相応に付き合ってみせるのが、大人の対応と言うものだろう。

 私には、覚悟の必要性があるとも思えないのだが。ザラ隊長は、何を躊躇っているのだろう?

 

「話が見えません。私は、率直に語ってほしいのですが」

「……私は、率直に語っているつもりだが、そう見えんか」

「何を悩んでいるのか、何かしらの懸念があるのか、私にはわかりません。ですが、いずれせよ私が問題であることはわかります。――私が副隊長として不適格であるなら、そう言ってください」

 

 結論を急いでしまったが、これくらい極端に言わないと本音を出さないのが彼女だ。

 己に厳しく、それでいて繊細な感覚を持つ女性は、対応が難しい。元男としては、女心の複雑さを痛感する。

 

「いや! ……そんなことはないぞ。そうだな、うん。私の言い方が悪かった」

「気になさらないでください。お悩みになるほど、私のことを思ってくださっている。そう考えれば、むしろ悪い気はしませんとも」

「お前なぁ……そういう所だぞ」

 

 ザラ隊長は咳ばらいを一つして、改めて口を開いた。副隊長になってから知ったことだが、これは彼女の癖だ。

 気心を知れた相手の前では、割と素直に反応してくれる。それがまた、可愛くて仕方ない所なんだ。

 

「結論から先に言うなら、連中から悪い影響を受けてほしくない」

「ちょっと結論がよくわからないですね? 周囲に問題を振りまくような者が、要職に就けるとは思われませんが」

 

 前世の記憶もあるから、たやすく他所の思想に染まるほど、まっさらな脳みそは持っていない。ザラ隊長が悪影響を心配するほど、精神汚染がひどい奴がいるのだろうか。

 そんなことは信じたくないが、過保護なまでに私を心配してくれているというなら、それはそれで光栄ではある。

 

「――すまない、少し誇張が過ぎたか。確かに……そうだ。メイルも他の者たちも、人格的にはそこまで悪くはないんだ。ただ、少し、な」

「私がこれから関わる可能性があるなら、知っておくべきことは、周知すべきではありませんか?」

「いやいや、本当に、改めて考えてみると大したことじゃないんだ。ちょっと下ネタを口にしやすい傾向があるくらいで。――どうせ否応なく付き合うことになる。私の他愛のない懸念などは、忘れてくれ」

 

 誇張と言い直したものの、言葉を濁すあたり、やはり何かしらの問題点はあるらしい。多少のネタ話くらい、愛嬌のうちだと思うのだが。もしや、政治的な意味合いかな?

 すると他部隊と付き合いについては、特殊部隊の副隊長として、接触の際は細心の注意を要するか。ザラ隊長の好意に応えるためにも、ゆめゆめ油断はするまいと気を引き締める。

 

「忘れよとおっしゃられるなら、そう致します。相手方と話し合う際には、悪感情を抱かれないよう、上手に立ち回ることにしましょう。……心配なさらずとも、つられて下ネタを口にしたりはしませんよ」

「お前が用心して接するなら、大丈夫だと思いたいが。……まあ、何だ。お前は面倒見がいいから、頼られるかもしれん。まかり間違って、他の部隊にも人気が波及することになれば、私としても複雑ではあるな」

 

 そこまで他と付き合いがあるわけでなし、共同作戦の一つや二つで人間関係をこじれさせるほど、私は付き合いの下手な人間と思われているのだろうか。

 そもそも、好感を抱かれやすい性格だなんて、自分でも思わない。なのに人気が波及とか、わけがわからないよ。

 

「いささか理解しがたくはありますが、好かれて悪いことがあるものでしょうか。仕事上、嫌われて爪弾きにされる方が、より悪影響は強いと感じますが」

「……疑問に思うのはわかる。なんで、段階を追って話そうか」

「ぜひとも」

 

 ザラ隊長の明晰な思考を、ぜひご開帳いただきたい。貴女に引き立ててもらわねば、私などただの粗野な雑兵に過ぎぬ。

 特に政治的な感覚に至っては、ついに身に着けることは出来なかった。でも現場にさえいれば、なんとなく、ふわっと感じ取れる――んじゃあないかな。どうかな。あれ、なんか自信なくなってきた。

 

「まず前提として、お前は出来る奴だ」

「破格の評価、痛み入ります」

 

 思い悩んでいるうちに、ザラ隊長が話し出す。

 即座に反応するくらいには、彼女を尊重したいと思う意識が染みついている。

 

「謙虚で出しゃばらない。個性はあるが他者との衝突は極めて少なく、むしろ周囲の人間関係を円滑にし、連帯感を持たせることを自ら命じている。自分の色に染めるのが上手いというか、他人の色に染まりやすいというべきか、ちょっと判断が難しい所があるが」

「いずれも、業務においては必要なこと。副官として、求められる役割は全力で尽くすのが道理と言うものでしょう」

「……そうか、そうだな。確かに名目としてはそうだ。だが、十全に役割を全うする副官は、得難いものだと私は思う」

 

 現実は複雑で難しいものだし、仕事を完璧にこなせる副官の存在は、確かに需要があるには違いない。

 でもなー。私はそこまで有能な人材だとは思わないし、隊長は身内をひいきする性質だと思うし、正当な評価ではないんじゃないかな。

 同じ部隊の中で長く付き合っていけば、部下の中にだって出来る奴がいると、理解するようになる。私くらいの人は、そこら中にいるよ。ザラ隊長こそ、替えの利かない人材だと思う。

 

「別部隊の隊長らに有能さを示したうえで、感情的にも好感を抱かれてしまったら。――粉をかけるとまでは言わんが、暗に引き抜きをかけるくらいのことは……流石にないとは思うが、それに近しい言葉を掛けられることもあるかもしれん」

「――在り得ないことだと思いますが、そうなったら一番困るのはザラ隊長でしょう。私に工作を仕掛けてきたとすれば、それは貴女への嫌がらせ以上のものではありますまい。どこか、別の部署で敵を作りましたか?」

「馬鹿を言え。私はこの国の特殊部隊の隊長だぞ? 政治的な感覚は備えているつもりだ。その辺りの塩梅は心得ている」

 

 でしょうね。だとすると、余計にわからないが……ああ。

 隊長、貴女疲れてるのよ。精神が弱ると、何もかもが悪く見えてしまうから、仕方がないよね。

 

「外部に理由は見つけられないなら、あれやこれやの懸念は取り越し苦労と言うものでしょう。やはり、心配なさることではありません」

「だといいが」

「それより、これからの仕事について思いを巡らすべきでしょう。王族を連れての遠征は大事ですし、他に気を取られていては不覚を取ることも、あるいはありえるかもしれません。そちらの方が、よほど問題ではありませんか」

「……ここぞとばかりに正論を展開しおってからに。私以外の奴に、そこまで気安く忠告したりするなよ。誤解されるかもしれんからな」

 

 諫言は耳に痛いもの。だからこそ、言い方に工夫するのが常だ。下手をすれば讒言と取られて、評価を下げることにもなる。

 でも、私は知っている。ザラ隊長には、そんな持って回った言い方が必要ないことを。

 

「貴女以外の人にそんなことしませんよ。ザラ隊長、貴女だからこそ、私は正直に述べるのです。――そうしても受け入れてくれる、現実を受け止めてくれる、得難い人であると思うから」

 

 この点、私は称賛を惜しまない。現実主義で、幻想の入る余地を許さず、思い込みがあれば指摘し、具体的な数字と事例を求める彼女はまさに女傑だ。

 実際の人間は、そこまで身も蓋もない現実を受け入れることに、抵抗を示すもの。

 

「私は、貴女の副官ですから。正直になるのも、素直に感情を示すのも、貴女だけです。これについては、疑問をもってほしくないですね」

「……もし、疑問をもったらどうする?」

「それはそれで、私の不徳と言うべきもの。責任を転嫁するべきではなく、己の不甲斐なさを痛感するのみです」

「――これだよ。いやまったく、モリー副隊長、お前は実にひどい女だ。私を甘やかすのもいい加減にしろ。手放したくなくなるだろうが」

 

 えぇ……手放したいとか思われる副官なんて、存在意義すら怪しいんですが。 

 というか、ザラ隊長って男としての琴線に触れるというか、前世の性的嗜好にストライクしてる感じがする。

 程よく執着して、程よく愛でたくなる。美人過ぎず、そこそこ可愛らしく、それでいて自立している女の子なんて――手元に置いて、甘やかしたくなっても仕方あるまいよ?

 

「そこまで甘やかしているつもりはありませんが、そうですね。もし、本気で甘やかしてほしいなら、要望に応えたいと思います。――さしあたっては、そうですね。同じ宿舎で同居しましょう。おはようからおやすみまで、メイドのように尽くしましょうか」

「やめろ。……やめろ。私を堕落させるな」

 

 衣食住のスキルについては、これで結構磨いているつもりである。

 ククク、許されるなら、ぐっでんぐっでんになるまで甘やかしてくれよう。私なしではいられなくなるほどにな!

 他愛のない会話が楽しい。言葉を重ねて引き延ばしたくなるくらいには、この上司に好感を抱いているのを、今さらながらに自覚する。

 

「望まれるなら、本気でご奉仕します」

「だから、やめろというに。私の立場で堕落したら、割と大事になる気がするんだ」

 

 そんなこと言っても、ザラ隊長が本気で嫌がってないことは、これまでの付き合いでわかりますよ。

 この世に生まれてからと言うもの、色々な意味で残念な女子に巡り合う機会が多すぎて困るね。もちろん、愛でる相手と機会に恵まれすぎて、愛情の配分が追い付かない、という意味だが。

 自分に対してだけ、だらしない女の子って。可愛いと思いませんか?

 

「堕落などと、お戯れを。――そんな甘いお方ではないと、私は知っています」

「おい」

「皮肉ではありませんよ。甘やかして堕落する程度の相手に、私が惚れ込むはずがないでしょう?」

「むやみにハードルを上げおって。私は、木石ではない。性欲もあれば、感情のままに振る舞うことだってあるさ。楽に流れることだってあるだろうよ」

 

 こうは言っても、いざとなれば羽目を外せない人柄なのはわかってるんですー。羽目を外す機会があっても、他人の目を気にする繊細さがある。そんなザラ隊長が可愛く思えて、仕方がないんだからしょうがない。

 でも付き合いのある隊員もそれぞれ違った可愛さがあるから、ちょっと悩ましい。精神は男なんだけど、今生だとレズビアンになるのかなぁ。

 

 彼女とか、いたことないけど。性的な意味で女性と縁がないのは、前世からの呪いだとでもいうのか。処女はともかく童貞とか、不名誉極まりないと思うあたり、やっぱり男らしい感覚が残っているんだろう。

 でも相手からすれば、同性相手は敷居が高いからね。仕方ないね。だから反応がつれなくても我慢するよ。

 だから言葉くらいは自重させないでほしいな! セクハラで訴えられない立場って、すごく貴重だと思うの。

 

「楽に流れるとは言いますが、そうでしょうか? 感情と公務を分けて考え、実利と実務を重んじる。個人的な利益ではなく、公益を優先する。隊長として、貴女ほど立派な方はいません。これは、掛け値なしの本音です」

「……私は、そこまで徹底していない。私だって人間だ。首尾一貫した行動を常にとれるかと言えば、怪しい所だ」

「それでも、公益をわきまえて、公人たろうとする。その気概を持っているのだから、これは称賛されて然るべきでしょう。まったくもって、ザラ隊長を騎士として得られた王家は、その幸運を感謝すべきです。――おかげで、内訌の不安を最小限に出来るのだから」 

 

 ザラ隊長の有能さは、これまでの業績が示している。

 裏切り者の摘発の迅速さ、敵兵の洗脳や、隠密任務の成功率の高さは我が国随一。正攻法の集団戦だって、水準以上の指揮能力を見せる。

 単純な殴り合いに関しても、私以外には負けたことないんだから、相当である。

 他国と比較しても、あらゆる分野で高水準でまとまっている彼女ほどの人材は、他にいないに違いない。

 

「今度は褒め殺しか? 今さら追従など必要ないんだぞ」

「私は事実を述べているだけです。調べ上げた他国との比較の数字を出しましょうか? 情報源の正確さも含めて、後程資料を挙げましょう。……今さらでも、貴女は自分の価値を知るべきだ。どれだけ自分が貴重で素晴らしい才能の持ち主か、ここらで自覚していただくいい機会です」

 

 他国の工作員をとらえて、そこら辺の特殊部隊の水準は聞き出してある。信ぴょう性に疑問はあるかもしれないが、情報は多角的に検証してこそ意味があるもの。

 個人的に集めた資料も含めて、細かな情報をそろえて、貴女が優秀であることを証明して差し上げようか!

 

「ちょっとした時間をいただけるなら、ぐうの音も出ないくらい客観的に示してあげますが?」

「勘弁してくれ。……お前な。私がどんな意味で心配しているか、本当にわかっているんだろうな?」

 

 わからん。だから教えてほしいんだってばよ!

 私の何が問題なんだ。こんな凡才を捕まえて、ひどい言い草だと思う。でもザラ隊長が私のために案じてくれていると思うと……あれだな。何か、興奮してきちゃったかもしれない。

 いやいや、私は紳士だ。仮に変態だとしても、前世が男性だったからセーフ。アブノーマル違うね。

 少なくとも、表情やら態度やらに、自分の感情を表すほど未熟ではない。取り繕うのは得意だ。

 

「ご教授願います。問題があれば、遠慮なくご指摘ください」

「……同性愛者は、護衛隊に入隊できない。――が、自覚のない奴もいれば、性的嗜好を隠している奴もいるだろう」

 

 あれ? 感づかれる様なヘマでもやらかしたかな? 冷や汗を自覚しながら、それとなく聞いてみる。

 

「左様で。――もしや、身の危険を感じておられる?」

「そうじゃない。お前は、望まぬ関係を強いる奴じゃない。それくらいには信頼している」

 

 安心した。その点に疑問を抱かれるなら、切腹して責任を取らねばならない事案である。

 んもー、思わせぶりなことを言わないでほしいね。うっかりで自害したとか、笑い話にしかならないじゃないか。

 

「おい、無言で頭を下げるな。模範にしたいぐらい綺麗な動作だから、余計に反応に困る」

 

 簡易的な拝礼である。本来ならもっと上の身分の方にすべき礼であるが、そこは私と隊長の仲だということで、大目に見てもらいたい。

 

「信頼を受けている事実に対して、これ以外に感謝を示す方法を知りません。どうか、ご容赦ください。ただ、本気でその信頼に応えたいと思っているのだと、受け取ってほしいのです」

「――だから不安なんだと言っても、わかってはくれまいな。隠れ同性愛者にお前が口説かれたらと思うと、少し心配だよ」

「気心知れた相手なら無下には出来ませんし、そうでなくとも年頃の女性に恥をかかせるのは、気が咎めることです。……改めて考えると、心配されるのも無根拠ではないかと思いますが」

「根拠くらいなら、いくらでも言ってやれるぞ。お前は女のくせに男っぽい部分があるし、同性に気を許し過ぎる」

 

 男前すぎて、同性と言うよりは紳士として受け止めたくなってしまう。だから面倒を起こしかねず、そこが懸念事項だと、ザラ隊長は言った。

 いやいや、私はさほど容色に恵まれていないし、女としての魅力に欠けている自覚くらいはある。

 髪の質は気にしたことないし、手入れは最低限。金髪を簡単にシニヨンの型にしているが、出来具合にはあんまり自信はない。

 肌は色白だけれど、こっちも意識してケアしているわけじゃないし……ニキビとかないのが、幸運だと思うくらい。だから、隊長の言い草は誇張が過ぎると思うんだ。

 

「同性愛者だからと言って、誰でもいいと言う訳でもないでしょうに。私を選ぶくらいなら、身近の別の誰かを選ぶでしょう」

「さあどうかな。人間、何が琴線に触れるものかわからぬものだ。お前の言動は、かえって色々と拗らせた女性に特効があるから厄介なんだ」

 

 まさかまさか、ありえない。個人的な感想を言うなら、そこまで女性に意識された覚えはないし、そんな男前な言動をしているつもりはない。そもそも特効があるとか、どこの意見を参考にしたんだって言いたいくらいだ。

 

「くどいようですが、心配が過ぎます。不安を抱くなら、もっと別の部分を見るべきでしょう」

「まあ、取り越し苦労と言えばそうかもしれん。……もう、いい時間だな、雑談は終わりだ。そろそろ休め」

「なんだかんだで時間を食いましたね。――夜どころかもうすぐ朝ですよ?」

「少しでも寝ていれば違う。……私もすぐに休む。数時間後に、またな」

 

 はい、ではまた。

 退室のムーブも気を抜かず、最後まで礼を通した。わりかし意識せずに出来るところまで、習熟しているらしい。頭の中はザラ隊長のことで一杯だから、変なところで些細なミスはしたくないね。

 とりあえず眠いっちゃ眠いけど、この感覚なら三時間も寝れば充分でしょう。足りないところは、数分刻みにでも合間に取ればいいかな。不健康と言うなかれ、特殊部隊はブラック業務なんです……。

 そのうち改善させたいけど、もっと有意な人材を確保しないと辛いね。そうした環境を整えるための準備は、これからの課題だともいえる。

 どうにかしなきゃなーと思いつつ、休みます。いい加減疲れました。命だけは、命だけはお許しください……。

 眠るときくらい、何も考えずに楽をしたいと思いました、まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザラ隊長の立場になってみれば、モリー副隊長と言う存在は、ひどく大きいものであった。

 少なくとも、就寝までの一時。目をつむって眠りに落ちるまでの時間、彼女を思い続ける程度には気にかけている。

 

 副隊長として引き立ててからと言うのも、便利に使い過ぎている自覚はあった。なんといっても、彼女が傍にいてくれれば、安心感が段違いである。実務面でも戦力としても、過不足なく要求を満たしてくれる存在が、貴重でなくてなんであろうか。

 

――だから、厄介なんだが。別の誰かと友好を結んで、感性が染まってしまわないか、心配でならん。

 

 ザラからの評価として、モリーは与えた立場に従って、適切な対応ができる人物だった。書類仕事も剣を取っての戦いも、一般の騎士たちと比べて遥かに高水準である。

 仕事を任せれば、その地位にふさわしい功績を立て、身に余るようなら必ず周囲を巻き込んで無理をしない。

 身の処し方が上手く、恨みを買いにくい行動をわきまえており、礼法から逸脱して動くことも稀であった。常に一歩譲る態度が板についていて、隊員からの評判も良いのだから、副隊長として申し分ない存在である。

 たぶん、特殊部隊でドブさらいなどやっているより、護衛隊で仕事をしている方が似合いの人物であろう。

 

――レズは護衛隊に選ばれない、という規定がある以上、疑いのある手合いは選考から漏れる。引き抜きの心配は、実際にはまずないと考えるべきだが。

 

 どうにも、周囲の感覚に合わせるのが上手いせいか、たやすく空気に染まってしまう傾向も見られた。

 空気を読むのが上手い奴はどこにでもいるものだが、許容できる内容については、個人差があるものだ。下ネタは大丈夫だが恋愛関係に触れてほしくないとか、口が軽いくせに家庭内の話題は常に避けて通る手合いとか、様々だが。

 モリーに関して、禁句はないといってよい。家族、職場、異性の付き合い方から食事の好みまで、彼女はそつのない話をして見せた。

 下品さを全く感じさせず、下ネタにも対応してみせるあたり、どうにも初心な感じは見受けられない。それでいて異性との付き合いが全くなく、同性との恋愛経験もないというのだから不思議なものではないか。

 

――思春期の疑似恋愛の相手として、うってつけに思えるのだが。なんだかんだで外面は悪くないし、男性的な部分も見えて、しかも品性がある。訓練生時代はどうだったのやら。

 

 容姿は、ぱっと見はそこそこ、というくらい。並みよりはいくらか上とは思うが、とびきりの美人と言うほどではない。周囲の嫉妬を買うほど優れてはいないのだが、それが逆に親しみやすい要素となっている。

 後、突出している部分はと言えば、胆力と戦闘力。特に土壇場での肝のすわり具合と、自己を顧みない捨て身の剣さばきは、見ていて戦慄するほどだ。

 そして、その強さと儚さが同居する退廃的な雰囲気が、かえってモリーに特別な魅力を与えている。

 

――私では、あそこまで達観できない。命が惜しいと思ってしまう。

 

 命を惜しく思うのは、生存本能が正しく働いているから、むしろ健全だとさえ言える。

 だが、そうした常識的な感覚を、モリーは持っていない。それはこれまでの働きぶりからもわかっている。

 

――体を捨て、想いを捨て、感情を捨て。思考も倫理も、全てを無にして剣を振るう。あそこまで極まれば、痛々しさを通り越して美しくさえある。

 

 その人生に何があったのか、心配してやりたくなるほどに、モリーの戦い方は危うかった。

 しかし、死中に活ありとでもいうべきか。捨て身も極まれば、かえって生存率が高くなるものらしい。実際、モリーは命を落とすことなく、五体満足で生きている。

 

『両腕を失っても。足を切り落とされても。敵に食らいつき、押し倒し、自らの歯をもって喉笛を噛み切る。そうした気概は、常に持っていますよ。――人を斬り、殺してこそ兵士です』

 

 危うすぎる。いつか大怪我するぞ、と指摘したら、こんな風に返してきた。

 たぶん、こいつは言葉のまま実行するんだろうな、と思うくらいには凄味があるから、余計に厄介だった。

 並みの男以上の覚悟を見せながら、女としての魅力も備えているのだから、敵の野郎どもにとってはやりにくいことだろう。

 

 捕らえて犯す、なんて思考に支配されているうちに、おおよその相手は死ぬ。彼女の剣か、別の誰かの手によって。

 恐ろしいことに、これで指揮能力もあるのだ。殴り合いの最中にも周囲に気を配り、一か所でも敗色を感じれば、即座に指示を飛ばしてのける。

 目に見える範囲の指揮なら、モリーは自分よりうまいのかもしれない。そう思ってしまうくらい、彼女には武の才があった。

 傷だらけ、血まみれで指揮が取れるものか――と疑問に思っていた時期もあったが、現実にやらかしてくれたから、もう疑うことはない。

 

『耳目が健在で口が動くなら、指揮には充分。手当をしながらでも指示は出来るし、訓練の行き届いた兵は、ちゃんと動いてくれますよ』

 

 切り傷の出血と骨折による負傷から、隊員に支えられながらも、彼女は戦い抜いた。特殊部隊はその任務の特殊性から、表ざたにできない戦闘を行うことも、まれにある。

 そうした場合、おおっぴらに戦功を表彰できないのが常だから、モリーは能力のわりに名が知られていないのだ。

 それが今回、公の大仕事に参加する。何事もなく終わればいいが、何かの間違いで多大な戦功をあげることになれば、さてどうなるだろうか。

 

――周囲への影響は、大きなものになるだろう。

 

 モリーが他の部隊から、悪い影響を受けないか。そのように心配しているふりをしてみせたが……実際にはある程度染まっても、当人の本質は変わるまいと思う。

 逆にモリーが他所の部署と接触することで、彼女の悪い部分に影響する奴が出てこないか、心配になったというのが実情だった。

 

――死を恐れず、敵を冷酷に殺す悪魔のようでいて。味方には極めて優しく、貞淑さと完璧な礼節をわきまえた、『男性的』な女騎士が傍にいる。

 

 他所にやったら、贔屓目抜きで、アレはモテるんじゃないか。そう思うと、頭が痛くなるザラ隊長であった。

 モリーは完全に女性だし、あらゆる意味で水準以上の、優れた女騎士であることに違いはないのだが――。

 何かしら男性的な視線と言うか、感覚的に妙に異性らしさを感じさせるところがあるので、油断がならない。

 そして、女騎士は女性を捨てているわけではなく、異性には敏感だ。時たま意識させてくれる男らしい存在が、引き締めた雰囲気を作ってくれることもある。

 

――モリーの立ち位置は、私たちにとって都合が良すぎる。だから、外向けのアピールに持ち出されたくはないというのが本音だな。

 

 ぜいたくを言うなら、どこまでも身内の中で完結させておきたい人物だった。内に取り込んでいるだけなら、部隊の士気が高まるし、部下の生存率も上昇する。

 それでいてアクの強い人物だから、外に露出させるのが怖い。国内の騎士団全てが悪鬼の如き存在となった場合を想定すると、頭が痛くなる。そうでなくとも、彼女自身の特異性から、惹かれてしまう女騎士が増えるのも、望ましいことではない。

 ただでさえ、特殊部隊の中でも、脳内がゆだっている奴が増えだしているのだ。今のところ、こちらで手綱を握れる範囲なので、悪い結果が表れていないのは幸いだが……他所に輸出して上手くいくかといえば、怪しい所だった。

 モリーの在り方は、彼女だからこそ成り立っているのであって、他者がまねしてよいことではないと、理解してほしい。

 

――そうだ。もし事が穏便に片付きそうなら、帰りに盗賊どもを根切にする計画がある。

 

 そちらの別動隊を指揮してもらえば、他部隊との接触は最低限で済むだろう。

 モリーを目の届かないところにやることになるが、部隊の指揮に関しては問題なかろう。場末の盗賊如きに不覚を取る女ではないと、信頼もできる。

 

 だから、せめて任務を果たして帰ったときには、通り一遍の、型通りの報告だけで済ませてくれたらいいな――なんて。

 特殊部隊隊長のザラは、儚い期待と共に、ようやく眠りに落ちたのであった。

 

 

 

 




 いかがでしたか? たのしんで、くれましたでしょうか。

 読んでくれて面白いと思ってくれたら、こうして書いてみたのも、意味のあることだったと思えます。

 続きについては、考えていますが……需要があるかどうか、ちょっと不安です。不安と言えば、こんな作品を喜んでくれる読者がいるかどうか、本当に不安です。

 ぜひ続きが見たいと思ってくれたなら、感想をいただけたなら、たぶん続けられると思うます。

 ここまで読んでくれて、ありがとうございました。次の投稿があれば、見てくださると嬉しいです。




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やべー奴が教官と絆を深めるお話


 なんか勢いで書いてたら、もう出来てしまいました。
 割とガバガバなお話になっている気もしますが、どうかお許しください。

 ちのうしすうをていかさせると、筆が早くなるんですね。初めて知りました。
 楽しんでいただければ、幸いです。



 戦いを前に剣を持てば、精神は切り替わる。頭の中が透き通って、まっしろになって、思考が一変する感覚は、今生で新たに得た性質だろう。

 友人が言うには、この時の私はまるで別人のように見えるらしい。姿かたちが変わったわけでもないのに、奇妙なことだが――。そうかもしれない、と納得できるような気もする。

 

 なにしろ、この時の私の精神は、生から死へと切り替わっているのだから。

 すなわち、死に狂う、という感覚。それをもって、自らの心身を作り替えるのだ。

 剣を持つ私は、まさに今、死に続けている。あらゆる形で、己の死を想像。斬り死に、撲殺、轢殺、毒殺。その過程と苦痛を想起し、死ぬまでの働き方を考える。

 

 体は何時なくなっても仕方のないもの。戦い続ければ、やがては消え去るもの。

 腕が切り離されれば、蹴り殺す。足まで落とされれば、凶器は口内の歯しか残らぬ――が、敵の喉元に食いつければ、かみ殺すことは可能だ。そこまですれば、戦場で死んでも恥にはなるまい。

 脳天を矢で貫かれ、一撃で殺されるようでは士道不覚悟というもの。その恥だけは受けてはならぬと、肝に銘じた。犬と呼ばれようと畜生と呼ばれようと、戦うからには勝ちを目指すのが士である。

 

 想いに思い、惑う心は捨ててきた。こうしてようやく、一匹の死狂いとなりて、敵を殺し殺されるモノとなる。

 死狂いとなった一つの存在は、たとえ数十人がかりでも容易くは殺せぬ。それを体現することが理想であり、そうなる他に、私は戦い方を知らない。

 

 見敵必殺。敵へと近接し、剣をそれの体に差し込み、ひねり、命を絶つ。切れ味が鈍れば、鈍器として殴り殺す。時には別の得物に持ち替え、戦場を俯瞰し指揮を執る。

 

 続けていけば、いつしか敵の頭目の首に届く。そして私は敵将の首を取ると、少しだけ正気が返ってくるのだ。

 だから、正気に戻ることを渇望するように、本能はあらゆる情報を即座に精査し、無意識の中で最善手を私に打たせる。これを才能というなら、私は大変な武才を授かったものだと思う。

 

 敵を視界に入れ、近づき、殴る。どいつもこいつも動かなくなるまで殴り続けて、敵が視界からいなくなれば、また探して殴りかかる。そのうちに頭目の出番がやってきて、私は歓喜と共にその首を刎ねた。

 

 ……興奮が静まり、心に人間性が戻ってくる。趨勢は決したのだと、本能で理解するように。

 私は、頭目の男の首を部下に放り投げ、槍の穂先に掲げさせる。とったどー、とばかりに歓声を上げ、周囲に状況を周知させよう。

 

「オイスター盗賊団首領、打ち取ったり――!」

 

 非正規戦闘において、首狩り戦術は割と有効である。特に盗賊団のような、ならず者たちにとってはそうだ。頭をねじ切ってしまえば、手足はだいたい逃げ散ってしまうもの。そんなこと、許してやらんがね。

 部下への指示は事前に済ませている。私が首を掲げたら、逃げ道を一か所だけ開けるように――と。

 逃げた先は殺し間だ。雨のように降りそそぐ射撃の前に、一人でも生き残る奴がいるだろうか? 当然、射手は全員手練れである。

 生き汚い野郎がいくらか残るかもしれないが、長槍兵をしこたま配置してあるから、まかり間違って突撃する馬鹿がいても、まず被害が出る前に潰せるだろう。

 一度向かい合ったなら、盗賊どもは逃がさない、捕虜にとらないのがウチの方針だ。全員そこで惨めに死ぬが良いよ。

 

「モリー隊長、盗賊団の拠点に、捕虜が三人見つかりました」

「そうか。状態は?」

 

 別動隊を指揮しているから、今は私が隊長だった。正面から殴り合っているうちに、連中のねぐらに小隊を突っ込ませて、探索させていた。

 特殊部隊の精鋭だから、上手くやってくれると信じていたが――報告に来た、伝令の表情が暗い。

 

「どうした。報告せよ」

「……実際に、目で見て確認された方が、確実であるかと思われます。許可がいただければ、ここまで連れてきますが……」

 

 あ、これ。シャレで済まん奴だ。

 ――わかっていたけどね。屑野郎が捕虜を取るなら、それは女性以外ありえない。そして、こうした外道どもに捕らわれた女の子が、どんな目に遭うのか。私にはちゃんとわかっているよ。

 もし私が捕らわれ、犯されるようなことになったら? ――元童貞の処女など、さしたる価値はあるまい。そんなことで、私は変わらない。だが、全ての女騎士に、私のような価値観を持たせることも、また不可能だろう。

 

「それには及ばぬ。私が行く。案内を頼みたい」

「では、こちらへ」

 

 うながされて進んだ先には、確かに三人の女性がいた。

 ……うん、あいつら、根切にするわ。してるけど。女の子のもてなし方くらい、学んでおけよクソッタレども。

 よし! 京観(敵の死体をつみあげて塚を作ること)でも作るか! 近場に村もないから、衛生的にも気にしないでも大丈夫。実際の作業については、あとで各小隊長と相談しようか。

 ここは高台だし、はぐれもの連中にとっても、見せしめにもなって、ちょうどいいじゃろ。ほんとなー、強盗くらいで済ましてくれれば、殺すだけで済むのに。余計なことまでするから、徹底しなきゃいけないじゃないか。

 

「お話、できる? 所属はわかるかな?」

「はい。どうやら、我が国の騎士団で、行方不明になっていた者たちのようです。面識のある者がいたので、そこは確認が取れています」

 

 殺意は置いといて、まずは目の前の彼女らを思いやらないといけない。被害者のケアは、いつだって重要だ。

 戦闘もほぼケリがついたことだし、私が直接かかわっても苦情は出るまい。とりあえず名前を聞いて、体調が悪そうなら休憩できる場所をつくろう。

 

 ――で、ちょっと話をしようと試みたが、まともな返答が返ってこない。っていうか、反応が悪い。

 口を開けて空を見つめたまま、ずっと黙っている子もいるし、私が近づいただけで震えて逃げようとする子もいる。最後の一人は比較的まともで、話しかければ答えようとしてくれるけど、うまく言葉が出ない様子だ。

 これはちょっと、時間を置かなきゃいかんね。詳しい話は帰ってからでいいか。

 私は今、フツーにムカついている。でも指揮官としては、怒りをあまり表に出し過ぎるのもよくない。感情を堪能するのもそこそこに、実務に戻らねば。

 

「伝令兵!」

「はっ!」

 

 一言呼びかければ、旗下の中からすぐに部下が応えてくれる。本当、隊長なんて過ぎた立場だと、本気で思う。

 

「奪還した彼女らを、受け入れる場所がいる。工兵隊の元へ走って、はやめに天幕の用意をするよう、伝えてほしい」

 

 戦いの後始末のアレコレで――割と騒がしくなると思うし、余計なものを見たり聞いたりすることは、今の彼女らにはよくないだろう。付き添いの兵も出して、三人を避難させる。

 ――さて、戦いはほぼ終わったが、きちんと皆殺したか、確認しなくてはならない。まずは足を動かして、盗賊どもの死骸を見に行こう。

 

「あらかた殺したか。壮観だな」

 

 さて現場に来たが、野郎どもの汚い躯がゴロゴロ転がっている以外は問題なし。

 この場における血の匂いは勝利の匂い。クソ虫どもを足蹴にしながら、戦場跡をながめる。隊員たちの様子も、見て取る限りでは深刻ではなさそうだ。

 すぐに小隊長たちを呼び、被害報告を受けたが、深刻な負傷を負った者は一人もいないとのこと。まさに完勝である。――ああ、安心した。

 

「結構。無事、皆殺せたようで、なにより」

「はい! 恐縮であります、モリー隊長!」

 

 元気の良い返事だ、と喜んでばかりもいられない。どうにも顔色の悪い子が多く見られる。

 さっきの子も、声を張り上げているのに、どことなく居心地が悪そうだ。小隊長に新兵はいないはずだが、ちょっと経験が浅い抜擢組だろうか。うちは能力さえあれば、小隊くらいはすぐに任せてくれるからね。

 

「どうした皆、気分が悪そうだが。ここにきて、体調が悪くなったのかな。うん?」

 

 口調はなるべく優し気にする。安心させるなら、ちょっとした微笑みも作ってあげるのがいい。

 ここでは隊長なんだから、補佐としてついている感覚は捨てて、上官らしい態度を取らなくては。さしあたっては、彼女らも気遣ってあげることから始めよう。

 

「いえ、そういうわけでは。あの……いや、そうですね。ちょっと、血の匂いにむせたのかもしれません。遺体も……はい。あんなに多く、やってしまったのは、初めてなので」

「そうか。経験が浅いうちは、仕方のないことだよ。この仕事についている以上、戦場から無縁と言う訳にはいかん。心配せずとも、そのうち慣れるさ」

「だったら、いいのですが」

「そもそも、だ。我らが討伐したのは、無辜の民を傷つける害虫どもだ。虫を潰すのに、罪悪感なんて感じなくていいんだ。――連中を殺すことで、国民を守ったのだと思いなさい。それが正しい認識だし、そう考えればこの惨状は、むしろ誇ってもいいことじゃないか。そうだろう?」

 

 クソな盗賊の死体など、作っていればその内に慣れるよ。だから気にすんな!

 殺生そのものにしても、家畜を糧にするのと、害虫を駆除することは、当然ながらまったく別の感覚だ。

 そして、血をともなう行為であるのは、両方とも同じ。家畜に対して罪悪感を抱くのはまだわかるが、害虫は見つけ次第潰して回って、ようやくせいせいしたと、サッパリした感覚を持つのが普通じゃないか?

 この点を勘違いしてはいけないよと、同時に伝える。

 

「……そうですね。それは、そうです。すみませんでした」

「気にすることはないさ。部下の体調を思いやるのも、上司の務めだ。――さて、報告は受けた。これから後始末の仕事だな。死体の処理を、そろそろ始めよう」

 

 負傷者の治療も一段落したし、武具の清掃も終わった頃合いだ。

 だから支障はないだろうと、話を進める。

 

「荷車で運んで、近場で埋葬するようにとマニュアルにはありました。その通りで間違いありませんか?」

「その通りにする。高台の……いい具合に見晴らしのいい広場がある。そこでまとめよう」

 

 小隊長からの問いは不足のないものだから、こちらも率直に伝えるだけで済む。

 遺体を運ぶ作業は、これで結構気が滅入るものだ。上層部と言うか、偉い所で務めている方々にとって、こちらも慣れない作業ではあるだろう。

 私は監督すればいいだけだから、実際の荷運びは部下がやる。人の仕事は奪うべきではないし、隊長には役割に見合った言動を行う義務がある。

 

 そうは思えど、こんな汚れ仕事は代わってやりたいなぁ……なんて。やくたいもないことを考えてみたりもする。今回は護衛隊からも、複数の小隊が参加している。彼女たちにとっては、辛い仕事だろう。

 単純な護衛任務に就いている本隊とは違って、こちらは実際に身を危険にさらしているのだから、特別手当くらいは要求しても罰は当たるまい。やっぱり休暇も……申請してあげたいな。

 私の分は良いから。どうにかなんないかな。ザラ隊長が帰ってきたら、相談してみようか。

 

「モリー隊長。荷車に積んで、一か所に集めましたが、これから如何しましょう。墓穴を掘るなら、早い方がいいと思いますが」

 

 そうこうしているうちに、一旦の作業は目途がついた。……今思ったら、無造作に塚を作って放置したら、死肉につられた動物に、人の肉の味を覚えさせることになるな。

 焼いた方がいいか。骨だけでも積み上げれば、それなりの迫力は出せるか?

 んんー。周りに燃え広がらないように、気を付ける必要はあるけど。焼いてしまおうか。あーでも、それだと煙いか。作業させる子が気の毒だなぁ。

 

 クッソ、だったら京観とか無理じゃねぇか! 普通に深く掘って土葬にするしかねぇ!

 相手が敵兵で、ここが敵国内とか国境線の微妙な位置だったりしたら、悩んだりしないのに! ……断腸の思いで、土葬を指示する、悔しいから、土葬の作業には参加する。思いっきり侮蔑の念を込めて、地獄行きを願いながら埋めてくれよう……。

 

「あの。……すみません。隊長が、無理に参加することはないのでは……?」

「そう言ってくれるな。……うちの、騎士団の子が捕虜に取られていた。その恨みを晴らす意味でも、体を動かしていないと落ち着かないんだ」

 

 だから許して。隊長らしくないとか言わないで……。何といわれても作業には参加する。いや、した。思ったより長丁場になったよ。

 

 空が暗くなってくる頃には、流石に皆も疲れてきたようで、明らかに動きが鈍ってきていた。

 もう処理する数も少ないし、後は私がやるから休みなさい……。あ、私の体調が心配? 大丈夫! まだまだ元気だし、明け方まで動けるくらいには体力もあるよ。クソを埋める仕事は辛いけど、もともと女の子に任せたい作業じゃないしね。

 こちらを気遣うくらいなら、皆休みなさい……。女騎士なんて辛いことばかりなんだから、楽できるときに楽しないとだめよ……?

 

「好きでやっていることだ。気にするな。――あとは任せなさい」

 

 隊長命令! って強調したから、引き下がってくれた。さあお仕事お仕事。クソを埋めて肥料にする作業に戻りましょうねー。

 ……皆、私を労わろうとしてくれた。女の子ってきれいだし、かわいいし、声を聞くだけでも嬉しくなるよね。心優しくねぎらってくれるなら、守ってやりたいと心から思うよ。

 

 なのに――どうして、それを傷つけようなんて思えるんだろう。私にはさっぱりわからないな。だから無作法な男とか、どうにかしてやりたくなるよ。

 

 ……終わったころには、空が薄く明るくなってきていたけど、二時間くらいは余裕で休めるだろう。経験上、これくらいの無理ならきく。日程に問題は出ないと確信をもって、寝床に入った。

 被害はないのだから、ザラ隊長には良い報告が出来そうだ。そう思っていたのに。

 起き抜けに突然、別部隊から伝令が飛んできた。

 

「東のクリムゾン盗賊団が、思ったより大規模だったので、援軍の派兵をお願いしたいとのことです」

 

 んもー、遠慮せずにそういうこと言うんだから。嬉しいじゃないか、期待には応えないと男がすたるよ。今の体は女だけど、それは気にしない方向で。

 まあ、無理をせず助けを求めに来たのは良い傾向だ。頼るべきものを知っている指揮官は、優等であると言ってよい。ならば助けに行くのに躊躇があろうか。

 

「では、私が行こう。こちらの仕事は済ませたところだし、特殊部隊の、気心の知れた者たちを伴っていけば、援軍としては十分だろうさ」

 

 数としては、ちょうど二百くらいだが、五百人分以上の働きをする自信があった。

 慣れない仕事に付き合わせたんだから、お嬢様たちにはこれ以上を求めるのは酷だろう。だから、後は私たちだけでいけると、報告を聞いたうえで判断した。

 

 すいません、ザラ隊長。再会は、ちょっと遅れそうです――なんて。

 自分のために、他愛のない妄想をしながら、次の仕事に取り掛かるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初見において、メイル隊長は目通りしてきた特殊部隊の副隊長に対し、なんとなく好感を抱いていた。

 

「モリーと申します。今後とも、よろしくお願いいたします」

「――あ、うん。よろしく」

 

 動作がいちいち綺麗で礼法に正しく、それなりの躾けを受けていたメイルの目にも、美しく見えた。

 つまり、自分をそこまで尊重している態度とも見れるわけで――。初見で好感を抱くには、十分な理由であったともいえる。

 

「特殊部隊の副隊長、ね。ザラ直属の部下ってことで良いんだっけ」

「はい。ザラ隊長の補佐を務めております。場合によっては、代理として部隊をまとめることもあります」

 

 あいつが認めるんだから、有能なんだろう。メイルの認識としては、それくらいのものだった。

 とりあえず面識くらい持っておこうと、こうして顔を突き合わせているのだが、今はこれと言って用事はない。

 

「……モリー副隊長」

「はい」

「遠征では何かしらの形で、手伝ってもらうこともあるかもしれないから。その時はよろしく。戻っていいわよ」

 

 メイルが退室を許可すると、モリーは綺麗な動作でその場を去った。

 この時、彼女にとって、特殊部隊の副隊長の存在は、さほど大きくはなかったのである。だが、帰国して報告を受けた際、メイルは驚愕する。

 

「……ザラ、これ、私の目がおかしいのかな」

「現実を受け入れろ。現場の兵から聞き取りをしたが、全て事実だ」

 

 メイルは、特殊部隊の隊長であるザラと共に、盗賊団討伐の報告書類に目を通していた。

 捕虜に我が国の女騎士が捕らわれていたのは、痛ましいことだが理解はできる。戦闘における消耗が最小限で済んだことも、喜ばしいことだ。

 だがその内容と言えば、別動隊を任せていたモリー副隊長の活躍が目立って仕方がない。一人で数十人を斬り倒したとか、殴り殺しながら指示を飛ばしたとか、誇張が入っているにしても、やり過ぎではないか。

 それだけの功績を立てたのだと言えば聞こえはいいが、報告を見る限り己の身を省みない、命がけの状況に常に身を置いていたのは違いないらしく、割とドン引きである。 

 

「特殊部隊って、あんなのがデフォなの?」

「馬鹿を言え、あいつが特別なんだ。……感化されてきている奴らがいるのは、確かだが」

「やばくない? なにこれ……私だって、もうちょっと安全マージンは取るわよ。指揮官が率先して突っ込んで、敵をなぎ倒しながら進むって……えぇ……? 私もやるけど毎回じゃないし、ある程度暴れたら満足して指揮に回るのが普通でしょ? 最初から最後まで殴り回り続けるとか、疲労で死んじゃうわよ」

「命知らずなのは、うちに来る前からそうだったらしい。クッコ・ローセ教官も、あれは治らんとサジを投げたと聞く」

「あの教官が諦めるとか、明らかに厄ネタでしょ、これ。あの人、なんだかんだで面倒見がいいのよ?」

 

 クッコ・ローセ教官は、新兵を鍛え上げる教官として、評判の良い人物だった。死なせたくないから、死ぬ寸前まで厳しく鍛える。

 そうして彼女の元を巣立った者は、おおよそが強者として長生きするのだ。いい例が、このメイルだろう。

 だが、そのメイルをして、モリーという人物は異質に映った。

 

「しかも、安易に死にかねない状況に身を置きながら、五体満足で生還してる辺り、ただものじゃないわね。相当の手練れなんでしょ? 一目見た時は、そんな風に感じなかったけど」

「手練れには、違いないが。流石にあいつでも負傷が皆無とはいかないぞ。まあ、いくらか休めば元通りになる程度の傷しか負ったことはないな。かすり傷くらいならよく受けているが、一番大きいのでも骨折どまりだ」

 

 危険の中に身を置きながら、生き残るのも生き残らせるのも上手い。本人の死狂い思考と合わせて考えると、どこかチグハグだが――ザラ隊長の眼には、それこそがモリーの才であろうと思われた。

 

「感心するよ。何をどうすれば、あんな才能をもって生まれてくるんだろうな」

「どんだけよ、それ……。ていうか、個人的な技量もそうだけど、周りの評価もアレじゃない? うちから出した隊員をビビらせても、得なんてないでしょうに。なんで余計に周りを威圧すんの? なんか、現場の恐怖が伝わってきそうな報告もあるんだけど」

「恥ずかしながら、周囲を驚かせている自覚とか、あいつにはないんだ。……指摘しようにも、改善しようがないなら、あえて突っ込むのも躊躇われるしな」

 

 戦い方もさることながら、戦闘が終わった後の振る舞いも、報告があがっている。

 別段、無礼な振る舞いをしたとか、そういうのではない。ただ、敵に対して容赦がなく、苛烈な態度で臨んでいること。器物を扱うように、ぞんざいに敵の死体を処理していたのが印象的だったらしい。

 わざわざ土葬の作業に加わるなど、行動も際立っていた。隊長の仕事は指揮が本業であって、末端の仕事をあえて行うのは、残業を自ら増やす行いになる。任せるところは任せないと、潰れてしまうくらいには、隊長と言う職は多忙なのだ。そのはずだが――。

 

「改善しようがないってどういうこと?」

「本人はあれが最善だと信じているし、実際にその通りに働かせれば、成果自体は目を見張るものだ。下手に干渉して悪化させるのもアレだし、なにより。……本人なりに、騎士の理想を追求して、ああなったらしいから。これを直すとなると、本人の全否定に繋がってしまう。だから私も、強く改善を求められなかったんだ」

「それ、辛くない? 本人、それでよくもっているわね」

「あいつ、私と同じで体力と忍耐力は常人以上でな。二日間ぶっ通しで仕事を続けられるくらいには、頑丈なんだ」

「……すっごい。ウチに来てくれたら、ちょっとは私も楽ができるかしら」

「やらんぞ、あいつはウチのだ。――というか、ちょっとレズっぽい気がするから、護衛隊には入れんだろ」

 

 マジで? とメイルが問えば。 

 マジだ、とザラは答えた。

 

「……一応面識はあるし、そこまでレズっぽい感じは受けなかったけど?」

「そうだな。一見して、淑女に見える。立派な女騎士にも見える。だが、一歩踏み込んで接すると、常にあいつがこちらを優しい目で見ていることに気付くんだ」

 

 それがまた、異性を連想させる視線で、妙にくすぐったく感じるんだと、ザラは言う。

 

「あんまり、近寄るなよ。お前があいつに感化されて、命知らずの馬鹿者にでもなったら目も当てられん」

「今さら、そこまで純粋じゃないわよ。もういくつだと思ってんの」

「33歳独身女騎士隊長。きちんとわかっているよ。そのうえで言うんだ。あいつには関わるな」

 

 下手に付き合って、お前まであいつに惚れてしまえば、人間関係が複雑骨折してひどいことになりかねん――と。ザラは、そこまで言ってしまった。これには、メイルも反論せずには居れない。

 

「私、レズじゃないんだけど。それでも心配?」

「あいつ、もし機会があったら、たぶんお前に対してはグッダグダになるまで甘やかし続けると思うぞ。あれで同性に甘いし、女を愛でて楽しむ傾向があるからな。……それも、ダメ女に甲斐甲斐しく世話を焼くのを楽しむタイプだ。シャレにならん」

 

 それはちょっと危ないかも……と、メイルは思う。異性と接点のない自分が、同性とはいえ充分に男らしい女性に甘やかされ続けたら……。

 あるいは、ほだされるかもしれない。そうなったら、なるほど。確かに厄介だと納得する。

 

「わかった。なるべく距離を取るわ。……業務上、関わることはあるかもしれないけど」

「そうしてくれ。なに、今回みたいに合同作戦を取ることなんて、そうそうありはしないさ」

 

 とりあえず、話はここまでということで、話題は切り替わる。

 ――だが、状況は彼女らの楽観をよそに、後日メイルはモリーと関わってしまうのだった。それもおそらく、もっとも意外なところから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリー、ただいま帰還しました!

 

 戦場から帰ってくると、自国の雰囲気を感じて、どことなく気分が和らぐ気がするよね。ついでに遠征帰りで休暇が取れたら……よかったんだけど。

 

 帰ったら帰ったで、隊員たちのローテーションに問題がなかったか確認しなきゃだし、出払っていた間に国内で起きたアレコレについて、早速報告も受ける必要があったからなー。休めないんだなー。

 それで、おおよその仕事が終わる頃には、すっかり夜になってしまっていた。でも朝までかからずに切り上げられたから、まだ良い方だよ! うん。

 

 いつもなら早々に部屋に戻って寝てしまうのだが、今夜は飲みに誘われているから、出かけることにする。あの人と過ごす一時は、私も楽しいから、断る理由はないのだ。

 

「よう! 今回の遠征では大活躍だったらしいじゃないか。指導した教官としては、誇らしい限りだよ」

「クッコ・ローセ教官、お久しぶりです。……別段、活躍と言うほどのことでは。むしろ指揮官としては、部下の働きこそ誇りたいと思います。無茶な注文を聞いてくれた兵こそ、一番称賛されるべきでしょう」

 

 クッコ・ローセ教官とは、指導が終わってからもなんだかんだで顔を合わせる機会もあって、今では立派な飲み友達と言っても良いんじゃないかな。

 適当な酒場に入って、とりあえず一杯。麦酒を頼んで、喉に流し込む。

 ……うまいかまずいかで言えば、微妙。二杯目はいいやってくらいの味。ビールはホップをしこたま入れるべき。苦みが足りないよ苦みがー。

 

「そうだな。いつでもそうだ。――お前のことは、新しい教え子連中から聞いたよ。馬鹿みたいに無茶をする上官がいるってな」

「どなたからのお話かは分かりませんが、私の指揮下に入っていた、誰かでしょうか。私はいつも通り、普通に戦って普通に指揮したつもりなのですが」

「お前の普通が、他の誰かにとっては普通じゃなかった。そういうことだろ? ……酒が足りんな。おかわりー」

 

 日本酒がないのは悲しいね。ワインとかが嫌いってわけじゃないんだけどさー。

 ともあれ、追加の酒類ツマミ類を注文して、話を続ける。

 

「お前、まだあんな戦い方続けてるのか? 半分くらいは諦めてるんだが、直せるなら直した方がいいぞ」

「私は変わりませんよ。貴女に指導され、卒業した時のままです」

「……強さだけなら、お前は教え子の中でも指折りだろう。そこそこ身綺麗にしてるし、女としてもまあまあだ。そうそう負けることはないと思うが、万が一があり得るのが戦場だ」

「教官だって、捕虜になったことがありますからね。私も、自分が無敵だなんて思ってませんよ」

 

 でも、今さら命を惜しむような戦い方は出来ない。出来なくなってしまった。私は、自分がただ一人の死狂いだと自覚してから、それは変えられないものになったんだ。

 いつからだったかな、あれ。……忘れてるってことは、たぶんどうでもいいことなんだろうけど。

 

「……なぁ、私にはちょっとわからんのだが。自らの戦死を前提とした戦い方が、そう長く続けられるとは思えん。今無事なのは、運が良かったから。そうじゃないか?」

「でしょうね。――ありがたいことに、武運には恵まれているらしいです。これで一応、討ち取られた時のこと考えて、代理の指揮官役くらいは用意していますよ」

「そもそも討ち取られるなって話だ。私が死んだ後はお前がやれって言われても、相手も困惑するだろうに」

「万一に備えるのは大事な事でしょう? 私はいつだって、自分が死ぬことも考慮して戦っています。今さら変えられません」

 

 ツマミをかじりながら答える。チーズもハムも、まあ、悪くはない感じ。

 この際、塩気があって多少の旨味があれば、もう贅沢は言わんよ。干しイカだけは、昔食べたのと近い気がして、なかなかいいと思う。

 

「変われないのか? 私はこれで、教え子には誰も死んでほしくないと思ってるんだ。無茶はしてくれるなよ」

「戦場で無茶をせずして、何をせよとおっしゃるのでしょう。――ああ、部下に無理はさせません。無茶と無理は別物ですし……これでも、やれる無茶だけをやっているつもりですが」

「動けるうちは無茶じゃないって? ――まあ、いい。もう知らん。勝手にしろよ、クソッタレ」

 

 途端に教官の雰囲気が悪くなった。言葉を選ばず、正直に言った、私の落ち度だろう。

 

「……すみません。私には、他の生き方が出来ないのです」

「なんでだ」

「殺す以上、殺される覚悟を持つのは当然のことですね? だから、私は自分の身を省みないようにしているんです」

「それじゃあ所詮、相打ちの兵法だぞ。一人で千人を相手にする気概くらい、お前なら持てるだろう」

「相打ちで結構ではありませんか。――殺しているのです。命を犯しているのです。殺される覚悟もなく、殺意だけが充実するようでは、私は完全だと思いません」

 

 捨て身で戦うのは、自分の命と相手の命を、同等だと認めているからだ。たとえ害虫の駆除が目的であったとしても、そこは変わらない。

 命は命で、それは本来、替えがきかない一つのものであるはずだ。どれほどのクズでも、私のような再生怪人と比べたら、そんなに劣る命でもないだろう。

 だから、私を殺していいよ。私も殺すから――ね。

 

「……そこまで思い詰めなくてもいいと思うけどな。敵は敵で、別物だと割り切ったらいい。私も教え子に、そうやって教えている」

「知っていますよ、貴女の評判はいつだって良い。……今さら、生き方は変えられません。年ですねー、いやはや」

「お前まだ24歳だろ。十分若いし、生き方を変える余裕くらい持ってろよ。つか、持て。私は本気で心配してやってるんだ」

 

 嬉しいなぁって思う。クッコ・ローセ教官って、本質は愛情深い人だと思う。割と本気で、今生でも男だったら口説いてました。

 いや、口説きたい女子なんて言ったら、いくらでもいるんだけど。なんか、この世界は美人が多い気がするよ。

 

「ありがたい話です。――期待に応えられないことが、残念でなりません」

「……そうか。ああ、ちょっと話を変えるが、私が教え子を抱いた話はしたな?」

「初陣前の少年兵の話ですね。聞いてます」

 

 初体験がクッコ・ローセ教官とか羨ましい、変われよ。

 ……変われよ。真面目に羨ましかったから、印象には残っている。

 

「抱いた連中は、みんな死んだ」

「はい」

 

 そうだろう。無理もない、と思うから相槌だけを打つ。

 

「私と関わった奴が死ぬのは、堪える。お前にも、そうなってほしくない」

「……結局、話は変わってませんよ」

「言うな。――今夜はいかんな。どうも、感傷的になる時期らしい」

 

 そうやって憂いに満ちた教官も、魅力的ですよって。率直に口に出せたら、どんなに素晴らしいだろうか。

 でも、彼女がそうした言葉を求めていないことは、もう知っている。だから、必要なことを伝えようと、それだけを思う。

 

「感傷的な今なら、言ってもいいかもしれませんね」

「何をだ?」

「その、教官に抱かれて、死んでいった男の子のこと。私には、彼らの気持ちがわかると思います」

 

 これは、本気の言葉だ。だから、ちゃんと教官の目を見て、真剣に話したい。

 

「――へえ、そう。聞かせろよ。あの少年たちが、なんだって?」

 

 彼女の目に、不穏な色が表れる。怒る一歩手前の表情だった。

 教官は情が深く優しいけれど、厳しい方だ。半端な言い回しでは、納得しないだろう。だから、心から思ったことを、丁寧に伝えねばならない。

 

「難しい話じゃありません。その子らは皆、教官のことが好きだったんですよ」

「そりゃ、嫌な奴に抱かれようだなんて思わないだろ。指導を通して、それなりに気心も知れてるしな」

「だから、ですよ」

「……わからんな。何が言いたい」

 

 立派な女性って、自分のことはわからないものなんだな――って、なんだか微笑ましい。

 だから、わかるよ。少年たちは、そんな教官と触れ合えて、本当に嬉しかったんだ。

 

「教官を好きになって、貴女の体に触れたから。愛してもらったから、無理をしたくなったんです」

「……私は、抱いてやっただけだ。愛など、与えた覚えはない」

「愛ですよ、それも。女性から愛情を受け止めたら、男の子は意地を張ってしまうんです。貴女に見合う自分になりたい。そのために功を立てようと、必死に張り切り過ぎてしまったんでしょう」

 

 教官の雰囲気が、和らいだ。そして視線を落とし、神妙な面持ちで言う。

 

「馬鹿なことを……。たかだか女一人抱いただけで、男がそこまで思い詰めるものか」

「思い詰めますとも、相手が貴女なら。私は女だけれど、教官の魅力はわかります」

「……知った風に語りやがる。まったく」

 

 ここぞとばかりに、浴びるように酒を飲む。教官にとって、それが禊にでもなればいい。私の言葉でも、慰めになったらいい。それが、亡くなった男の子たちのためでもあると思う。

 だって、男の子なら。女性を経験して、そのいとおしさを知った後ならば。

 情を交わした人には、悲しんでほしくない。幸せになってほしいと、ひたすらに願うものだろう。

 

「だが、慰めにはなった。……お前、本当は男だったりはしないよな?」

「残念ながら、女の体ですよ。本当に残念なことに」

 

 ほんとなー。目の前にいい女性がいるのに、容易に手を出せないのはつらいよ。

 でも、女性の幸福の一助になれば、それで十分じゃないかと、最近は思うようになった。

 

「思い悩むよりは、誇りに思ってあげてください。彼らはきっと、貴女に価値を認めたから、死ぬほど頑張ったんです。どうか彼らの為にも、自らをいやしめないでください。――いっぱしの男が命を張ろうとするほど、貴女は素晴らしい女性なんですから」

「……やめろよ。こんなオバサンに対して、なんでそう重い感情を向けるんだ」

 

 教官の表情に、優しさが表れている。かつての彼らの思い出でも、思い返しているんだろうか。

 それは死者を悼むことで、今を生きる人に必要なことだ。これで、教官の悩みの一つが解消されたなら、言葉を尽くした甲斐があるよ。

 

「ああ、もう、やめやめ! 今日はとことん飲むぞ! 付き合ってくれるんだろうな?」

「ええ、もちろん。貴女を朝までエスコートする栄誉を、ぜひ私にお与えください」

「……お前な、本当にな、そういう所だぞ。私には良いが、他では自重しろよ」

 

 後は、暗い雰囲気を残さず、楽しく飲めたと思う。

 明日がつらいかなーって、ちょっと心配になったけど。それくらいは、コラテラル・ダメージと言うものだよ……目的のための致し方のない犠牲だ……なんて思いつつ、私は今日も明日も生きています。

 

 これくらい張り合いがないと、生きている実感がないし、幸せだって感じられないと思いました。だからいいんじゃないかなって、割り切って生きています。まる。

 

 

 

 





 日間ランキング4位にまで至るとは……このリハクの(以下略)。

 いや、需要があるものなんですね。天原作品の人気っぷりを、ようやく理解した気がします。

 色々と考えているネタはあるので、もうちょっとは続きます。これもまた、読者の皆様方の応援のおかげです。

 次の投稿はこんなに早くできないでしょうが、できれば今後とも、よろしくお願いします。





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他国のお客さんと絡んでいくお話

 今回のお話は、単行本未収録の61話の内容を含みます。
 作品のサンプルだけでも把握できる部分ですが、ネタバレには違いないのでご注意ください。

 それから、原作では描写されていない部分に踏み込んでいるところもあります。
 もしかしたら、原作から逸脱して矛盾している部分があるかもしれませんが、ご理解いただければ幸いです。




 モリーは今日も仕事に追われています。執務室で書類をさばくのも、ザラ隊長と一緒なら気分も晴れるよ。

 でも下着ドロの話とか聞いて、割とげんなりしました。下着に興奮するとかよくわかりません。大事なのは中身でしょ? 中身のない布切れを盗んでまで、何をしたいのやら。童貞にはわからぬ、深淵なる真理が、そこには潜んでいるとでもいうのか……?

 あ、でもザラ隊長の下着姿なら見たいよ。遠征中に体洗う時に全裸とか見てるけど、それとは別に興奮する。した。

 

 なんて、余計なことに気を回している余裕はない。今、この国には諜報員というべきか、調査員と言った方がいいのか。

 ともかく、他国からのお客さんがたくさん入り込んでいる。おおよそは泳がせることにしているけど、情勢次第では多少はテコ入れも必要なので、こちら側の対応も大事だ。私の方でも、気を付けておく必要があるね。

 

 きっかけはたぶん、シルビア王女の懐妊。これで我がクロノワーク王国と、王女が輿入れしたゼニアルゼ王国の結びつきが強固なものとなった。少なくとも当面の間は、同盟国と見なしてよい。

 土地にも交易にも旨味がなかった我が国も、ようやく外交的に注目される時期が来たという訳だ。なにしろ、あちらの王子様は二度も婚姻を反故にしている。

 裕福な他国の姫を蹴り出して、貧しい我が国の姫様を選んだのだから、これは何かあるのではないか、と。周辺各国が、クロノワーク王国の利用価値を見直そうと思っても、納得できる状況である。

 ……ゼニアルゼが、それだけ注目の的であったと見るべきかもしれないが。

 

 探りを入れてくる理由は、とりあえずこれで納得できる。他国の連中が、我が国とどう付き合うべきか、それを探るための調査活動だろうから、積極的に排除するのも考えものだ。

 実際、よその諜報員とは、排除するよりお近づきになりたいものです。これで意外と美人が多くて、目の保養になるからね。

 

 まあ何事も、知らない賊より知ってる悪党。理解と共感が成り立つなら、共存もできるというものだよ。そして立派な悪党は賊と違って、約束を守ることくらいは知っているんだ。外交ってのは結局、約束を守ったり守らせたりするための行動なんだって、私は大雑把にとらえている。

 あとは勢力均衡? その辺はあんまりわかんない。でも雰囲気で何となくわかることはある。経験と感覚頼りの、ふわっとしたものだけれど、私の立場なら、それくらいで充分だろう。

 だから、他国の諜報頼りの外交にも、理解を示してあげようじゃないか。それはそれとして、入り込んでいる連中の素性くらいは調べるけど。

 

「こちらから探りを入れる際、具体的な対応は任せる。わかっているとは思うが、深くまで踏み込ませるなよ。ほどほどで済ませないと、あちらも引っ込みがつかなくなるからな」

「理解しております、ザラ隊長。――これまでにない規模の諜報合戦ですが、どうにか泳ぎ切って見せましょう」

「お前自身も現場に出ねばならんほど、お客の入りが激しいからな。こんな状態、あんまり長期になっても困るんだが。――ああ、そうだ。一応言っておくが、許容できる範囲でなら、情報を流して構わん」

「具体的には、どこまで?」

「公開情報は惜しまずに与えていい。防衛に関わること、王家の深い内情に関しては探らせるな。わかっているだろうが、改めて言っておく。……せいぜい今のうちに、内外問わず顔を売っておけ。忌々しいことに、おそらく今が一番の売り時だ」

 

 あ、これは『他国の諜報員とツナギを作れ』って、暗に言ってくれてる。

 特殊部隊の仕事は多岐にわたる。柔軟な対応も求められるし、場合によってはある程度の独断行動も認められる。『個人的な知り合い』を作るのも、そこに含まれるだろう。

 諜報戦に限らないが、いちいち上司の承諾を求めていては、機を逃してしまうものだ。とはいえ事前に了解を得られているなら、より柔軟な動き方が出来ると言うもの。この点、やっぱりザラ隊長はやり手だと思うよ。

 

「わかりました。上手くやりましょう」

「……その手管で、上手に口説けばいいさ。よそで食い散らかす分には、私も厳しくは言うまい」

 

 食い散らかす? ……カニバリズムの趣味はないんだけど、なんか酷い誤解を受けているのかもしれない。

 

「手管とやらはよくわかりませんが、隊長の言質をいただけたのですから、期待にはお応えしますよ。――では、外回りに行ってきます。今日はそのまま直帰ということで」

 

 これもザラ隊長なりのユーモアなんだろうかと思うと、なかなかツッコミも入れにくい。適当に受け流すように言いながら、ともかく仕事への意欲だけは言葉にしてみる。

 

「いつもながら、仕事も早ければ行動も早いな」

「書類仕事は、もう一区切りつきましたので。命令通り、都合のいい情報を流してきますよ。ついでに可能な限り、探りを入れてきます」

「――ああ、期待している。これも一応釘を刺しておくが、あまり大事にはするなよ。遊びで済む範囲でやるように」

 

 遊びで仕事をやるほど、不真面目でもないつもりだけど――ああ。こちらの裁量で、始末のつく所までなら、好きにしろって意味かな。

 ほどほどにしておかないと、後味の悪い想いをするかもしれない。心しておく必要があると、改めて思う。

 

「男の格好をして、意識して声を抑えれば、私は案外いい男に見えるらしいですね。――釣りに出かける立場としては、これほど都合のいいこともありませんが、ザラ隊長のご意見はいかがでしょう?」

 

 格好を工夫するのは難しくない(髪型をいじるとか、女らしい体格を偽装するとか)けど、声は苦労したよ。今はどうにか、中性的な感じになるまでは整えられたから、不信感は与えずに済むはず。

 

「これで、外面ばかりは良いんだからな。……道を踏み外す女子が出ても、私は責任なぞ取らんぞ。ほどほどにしろ。いいな?」

「もちろんです。では、明日の報告にご期待ください」

 

 わかっていますよ。……これは仕事だから、相手に入れ込んだりしません。入れ込ませる手管については、駆使させていただきますが、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんかウチの護衛隊隊長を見て、ゴリラゴリラとか言ってる奴らがいるんだけど。

 偶然、メイル隊長が市井で暴れ牛を取り押さえたところを目撃したらしい。どこの馬鹿だ牛を放ちやがった奴は。てめーのせいで、ウチの女騎士にひどい評判が付くとか、絶許案件なんですけど? ――情状酌量の余地があるかどうかは、また後でな。

 

 そもそもアレだ、メイル隊長そんなに毛深くないやろ! ……いや、別部署の人だし、あんまりまじまじと見たことはないけど、たぶん女らしくムダ毛の処理くらいはしてると思うよ! たぶん!

 ……腕力に関しては、匹敵するかもしれません。割とウワサくらいは耳に入るし、バカみたいに固いオニグルミの殻を指先で割って見せるとか、人間離れしていると思うんだ。

 いや待て、こっちの世界のオニグルミは、殻が薄いのかもしれない。今度試そう。

 

 とりあえず、そこのちょっと愉快な女の子二人。面白発言が目についたので声を掛けてみようか。――あの、街中で唐突に書きものとか、それもメモに『ゴリラ』なんて書き込むとか、不審者にしか見えないんですがそれは。

 

 ともあれ、声を掛けよう。ちゃんと相手の視界に入り、歩み寄る姿勢を見せながら、近づきすぎないところで口を開こう。パーソナルスペースは守ってあげるのが作法(おおよそ2~3mくらいの間隔)。

 

「やあ、君たち。この国に来て、日が浅いのかな?」

「あ、えぇ?」

「うぇーい! なんでばれましたか!」

 

 返ってきた二人の反応は、思っていたより面白い。外面は整っているが、精神面では未熟さが目立つね。

 ――あれで隠密行動のつもりだったんだろうか。新兵かよ。色んな発言も含めて怪しさバリバリだったから、諜報とは無縁の一般市民ってことはないと思うが。

 

 でも、外見は評価できる。女性として重要な部分は抑えているね。そこは高評価だ。

 よくよく見れば、ショートカットで地味な格好している子は、整えれば映えるような気がするし。ロングヘアにリボンで飾っている子は、つぶらな瞳がチャーミング。あえて目立たないように野暮ったく演出しているが、私にはわかるよ。

 しかし、可愛いさはアドバンテージになるが、決定的ではない。その能力のほどは、さていかがか?

 

「別段、怪しいものじゃないよ。私の名はモリー。生まれも育ちもクロノワーク王国で、公務員をやっている」

 

 男性らしく、形式に添った一礼を行う。そこそこの礼儀をわきまえた人物であると、まずは認識してもらわねば、話にならないからだ。

 

「ごていねいにどうも。私たちは、この国に来て、だいたい三日くらいですかね」

「だから、慣れてないのは仕方ありませんけれど。そんなにわかりやすかったですか?」

 

 一応、お話に付き合ってくれる程度には、警戒を解いてくれたようだ。諜報を行うならば、任務の性質上、初見の相手を邪険に出来ないというのもあるだろうが。

 しかし、なんとも。ああ全く、わかりやすかったよ、実にね。これで彼女らが諜報員でなかったら、私の眼も曇ったというべきかもしれないが。

 

 本当なら、こんなにすぐには声を掛けずに、初見は顔を合わせるだけで済ませるのが常道ではある。そうして顔を覚えてもらってから、なんだかんだと時間をかけて距離を詰めるのが、他国のお客さんに対する作法である。

 今回、それを崩したのは、性欲を持て余したから――ではなく。

 せっかくザラ隊長から許可が下りたんだし、少しくらい羽目を外すのもいいかと思ったからだ。理屈ではなく、直感的に今、突っ込むべきだと判断した。

 もちろん、ギリギリの一線は見極めるつもり。わきまえてさえいれば、失敗してもカバーの利く分野であるから、なおさら遠慮する必要もないしね。

 

「あの隊長殿を見て、今さらゴリラなんて言うのは、慣れていない他国の人に決まっているよ。――驚いたかい?」

「それはもう驚きましたね」

「ていうか? あれはもう本当にゴリラですね。ゴリラでしょう」

 

 名誉棄損も甚だしいが、付き合いのない他国の間諜に、本気で諭すのも滑稽だろう。

 メイル隊長は、たぶん深く付き合えば、その力強さが可愛らしく見えるタイプだと思うの。いや、あんまり接点はないんだけど、個人的に甘やかしたくなる系統の人だって、会ったときから見定めていたよ! 男だったら即口説いてました案件です。やたら多い案件なのは気にしない方向で。相当チャラい奴だったのかなー、私。

 でもその内、お付き合いする機会でもやってこないかなぁ、なんて。他の女の子を前にして、考えるべきことではないね。切り替えよう。

 

「まあまあ、彼女とて、好きで屈強に生まれついたわけでもないでしょう。むしろ、あそこまで自分を鍛え上げたことを称賛するべきではないかな」

「限度ってものがあるんじゃないですかね」

「しかりしかり。あれはまさにゴリラです。ゴリラ」

 

 リボンの子は、ゴリラに何かこだわりでもあるんだろうか……? いや、別に悪いとまで言わないけど、はしたないとは思います。淑女は同じ言葉を連呼するより、言い方を工夫するものですよ! でなきゃ学がないって怒られるんですからね?

 

「ではお二人さん。実績も名声もある護衛隊隊長のお話を肴に、私と一杯付き合ってくださいますか? もちろん、私のおごりですよ」

「……もしかして口説かれてますかね? 私たち。ナンパですよ、あなた」

「そうですね。ただ酒は魅力的なんで、ほいほい付き合っていきましょう。さ、おにーさん。行きつけの酒場にでも案内してくださいね」

「モリーと呼んで欲しいな。気兼ねなく、ね。こんなに可愛らしい女の子がいるんだから、言葉にするくらいは許してくれるかな。――ああ、節度は守るから、必要以上に近づいたりはしない。そこは約束するよ」

 

 男装して、男らしい口調で口説いてみれば、ほいほい付いてきてくれる相手は結構いる。

 これについては、あちらさんが『誘いには乗ってみるのが作法』ってくらいに、軽い気持ちで仕事をしている部分が大きいだろう。場末の諜報員は、大胆な奴が少なくない。猜疑心も相応だが、好奇心の強さも特徴だ。

 

 彼女らも、その例に漏れなかったわけだが、ちょっと心配にもなる。年若い女性だし、たぶん未婚ではあるまいか。……うちが言えるようなことじゃないけど、もうちょっと自分を大切にしてくれませんか。未婚の女性は、もっとつつしみを持つべき。何よりも本人のために、なんて。私が言っても空しいだけか。

 

 まあ、せっかく乗ってきてくれたんだから、こちらが配慮してあげよう。せめて余計な虫がつかないように、飲んだ後は宿までエスコートしてあげようじゃないか。

 

 行きつけの酒場に案内してから、一杯ずつ奢ってみる。酒が入ると、口が軽くなることもある。

 といっても、彼女らはそこまで甘くはあるまい。相応の訓練を積んで、ここにいるはず。

 つまり、全て私次第。楽しくなってきた。

 

「なんか悪いですね、おにーさん。催促したみたいで」

「でも、どうなんでしょう。そちらのご期待に添えられるかどうかは、わかんないですけど」

「別に構わないさ。――仕事終わりの一杯くらい、楽しく飲みたい。女の子たちを誘えたなら、おごって見せるくらいは男の甲斐性と言うものだろう?」

 

 別段、酒場での飲み食いをおごるくらいはどうとでもなる。給料の使い道はあんまりないから、こうして女の子に奢るために使われるなら、本望というものだよ。

 現代日本の娯楽に慣れた記憶があると、どうしてもねー。お金を払いたくなるようなアレとかソレとか。要するに薄い本とか。

 その手の文化に対する期待値が大きすぎて、こっちではほとんど手を出してないんだよなー。実際、読むに値する本を探すにも苦労するので、もうあきらめてるよ。

 だから、ここで私費の投入を躊躇う場面ではない。趣味と実益が両立するなら、気分的にも納得できると言うものだし、何より。

 

「それに、期待なら充分に応えてくれているよ」

「ええー、ほんとですかー?」

「飲んだくれてるだけなのに、それでいいとか。これはダメ女に引っ掛かる素質がありますね……」

 

 諜報員は大胆なのもそうだが、付き合いの良い明るい性格の者が、結構な割合で存在する。彼女らもそうした類の人種らしく、その表情に気負いはない。

 言ってみれば一種の傲慢だが、健全だとも言える。己に自信がある証拠だ。前向きな女の子は好きだよ。

 

「いいじゃないか。酒を飲むなら、可愛い女の子はいたほうがいい。男なら、これは誰でも同意するところだろう」

 

 いやー、いいね。久々に、楽しく仕事が出来そうだ。……あちらもあちらで、私を値踏みしている。ここまで誘導してきたことの意味を探りたいだろうが――まずは、ここで一歩詰めよう。

 

「改めて聞くけど、この国に来たのは初めて?」

「そうですね。初めてですね」

「あ、怪しいものじゃないですよ。入国のチェックはちゃんと受けてきてますので」

 

 だろうね。そこを外す無能なら、話す甲斐もない。

 滞在の理由も、観光とか商談とか、親戚の用事とか。理由はいくらでも後付けできるものだから、彼女らも堂々とこの場にいられるわけで、ちゃんとその自覚もある。

 だからこそ、後ろめたさがない。ごく自然に酒を飲み、歓談する余裕がある。――それはつまり、つけ入る隙も充分あるということだ。

 

「お近づきのしるしに、何か知りたいことがあったら答えるよ。……これでも、それなりに都には詳しい。付け加えるなら、困った人は放っておけない性質なんだ」

「それはどーも。で、おにーさん。仕事は何してるんですか?」

「公務員とは聞きましたが具体的に。ちょっと気になったんで、お気軽に答えてくださいね」

 

 女性二人は充分に姦しい。不快な姦しさではないから、努めて明るく答えられる。

 

「これでも騎士だよ。まあ、あんまり誇れる地位でもないけど、立派な公務員だ。嘘をついたり危害を加えたりは、名誉にかかわるからしないし、できない。他国の人とは、好意的にやっていきたいと、個人的には考えてもいるから。まあ親切の押し売りというか、お節介を焼こうと思ったわけだね」

 

 しれっとした顔で、そう宣ってみた。我ながら厚顔だとは思うが、それはそれ。武士の嘘は武略だって、どっかの偉い人も言ってた気がする。

 あれ? でも今の私は騎士だから、武士ではないわけで……。

 まあいいか! 武士道も騎士道も似たようなもんじゃろ。全然わからない。私は雰囲気で騎士をやっている……。

 

「そうなんですかぁ。まあ、ぺーぺーでも騎士は騎士です。すごいですねー」

「この国の騎士の水準は、極めて高いと評判です。どんな訓練をしたら、あんなに強くなれるんでしょうね?」

 

 メイル隊長の強さは有名だ。割と本気で、ゴリラとか言われても納得したくなる。

 でも、女の子に言っていい言葉じゃないよね。そこは自重しようね。

 

「別段、変わった訓練をしてるわけじゃないと思うよ。ただ、他国に比べると鍛え方が厳しいのかなーってくらい。地道に長く、深く鍛錬をする。強くなることに、裏技はないんだよ」

「ははー。模範的な回答ですね」

「花丸百点です」

 

 本気の意見です。いや、マジで。ズルして楽して強くなれるなら、苦労はないんですよ!

 立木を打つ稽古を朝から夕方までやるんじゃ……倒れたら叩き起こしてでもやらせるんじゃ……。

 安物の木刀だとすぐ壊れちゃうから、ちょっと長めに切った木材を握りこんで、打つべし。

 一日一万回以上のノルマは、慣れるまで地獄を見ました……。打っているうちに気を失うとかあったけど、なんとかやりきれてしまうんだから、すごいね人体。

 この稽古を、一呼吸で三十回くらい打てるようになるまで繰り返す。安定して出来るまで慣れたら慣れたで、今度は別の訓練が待ってたりするんだから、本当にね、もうね。

 

「でもなー。それじゃ面白い話にならないんですよ。奢ってもらってなんですけど」

「一杯、ありがとうございましたって感じで、もういいですかね。楽しくなりそうにないなら、これで失礼しますけど」

 

 んもう。交渉上手なんだから――って、言うと思ったか? 期待しているんだって、君たちの『足』が応えているよ。

 足を組んで、ぶらぶらしているのはリラックスをしているサイン。酒のジョッキを取るにも、机に置いた手を動かすにも、親指を上げて見せている。これは前向きな態度を示すサインで、本心から期待していることが見て取れるよ。

 そして、こちらの出方をうかがっている様子で、即座に席を立とうとしない。値踏みの態度を維持している。

 

 私だったら、引き留めてくれると確信して、まずは勘定を済ませようとするだろう。奢らせない、という態度を見せて焦りを誘う所だが、彼女らはそうしない。若者にありがちな未熟さと言えば、そこまでの話だが。

 

 誘いの手管は訓練で身に付くし、顔も言葉も嘘をつける。けれど、手と足は案外正直なんだよ? この点、自覚していても偽るのは難しい部分だ。

 だから、うちの特殊部隊では、ここを徹底的にしごく。残念ながら君たちの国では、そこまで訓練していないみたいだね?

 わざとやっていないことは、顔を見ればわかるよ。顔と身体で同時に嘘を吐くのは、私にだって難しい。高等技術を駆使できるほど、錬れている態度でもないからね。

 

「待った待った。じゃあ、もう少し踏み込んだ話をしようか。具体的には、騎士団の訓練について」

「大丈夫ですかぁ? 機密に関わること話されても困るんですけど?」

「いやー、きついっす。私たち、仕事でここまで来てるんで。支障がある話をされても困りますねー」

 

 うん。ちょっと踏み込むと下がる気性は、大事にした方がいい。きっと、それが君たちの命を保証することになるよ。

 でも大丈夫! 私はちゃんとわかってるからね。君たちが危なくなる手前の話に限るから、安心してくれていい。

 だから、そのしぐさと言葉から推察できる部分で、君たちを理解させてくれると嬉しいな。出来れば、これから良い友達になれるといいと思うよ。

 

「機密じゃないさ。訓練は城内が主だけど、市内や郊外で行われることもある。眼にした市民の数も多いから、わざわざ秘密にする価値は薄いと思うね」

 

 事実だ。だからこれは公開情報のうちに含まれる。

 本当に隠しておきたい訓練なんて、たぶんウチの特殊部隊くらいじゃないかな。後ろ暗い任務もあるから、それに対応させるとなると、どうしてもね。

 

「実戦に勝る訓練はない、って言葉がある」

「もっともらしいですね。異論はありませんけど」

「実戦は実戦、訓練は訓練でしょう。具体的に話してくれないとわかりませんよー?」

 

 言いたいことはわかる。実戦のための訓練なんだから、失敗しないようにあらかじめ鍛えておけって話だ。

 それでも、実戦を重ねれば自然と肝も据わるし、戦闘経験を重ねれば行動も最適化していく。だから、あの言葉は正しい。

 で、それを踏まえたうえで、有効に訓練を行おうとするなら、アレだよ。

 

「つまり、実戦形式の訓練が一番有効だという訳だね。もちろん、一番多いのは城内で行う型通りの訓練だけれど――たまに市街戦を想定した実戦訓練とか、数をそろえて模擬合戦とかがあるんだよ」

 

 年に数回くらいの頻度だし、滅多にあることではないけど、派手に訓練することはある。

 他国の事情は知らないが、ここまで(女騎士も含めて!)徹底して鍛え上げるのは、この国だけなんじゃないだろうか。

 まあ、死人が出かねないくらいの訓練じゃないと、本物の強兵は生まれないし、理解はできるよね。

 でも実際に死者を出しちゃったらシャレにならないので、教官はその線を見極める責任がある。そして、この国の教官たちは有能揃いであり、この手の失敗は聞いた事がないんだ。

 それで、ちょっと本格的にそれら訓練にまつわる出来事なんかを色々話してみたんだけど、なんか反応がいまいち。

 

「ははぁ……そうですか。この国の騎士様は大変なんですね」

「ドン引きでございます。言葉が真に迫っているのが、逆に嘘くさいと言いますか、何と言いますか、非常にアレです」

 

 なんでや! そう酷い話でもないやろ! ……あれ? もしかして他国の騎士って、そこまで訓練しないの? 叩けるだけ叩きのめして死域(脳内麻薬でハイになるけど、長く動き続けると死ぬやつ)を体感させるとか、そこから死ぬ半歩手前まで追い詰めるとか、精鋭を作ろうと思ったら必須体験だと思うんだけど。

 またまたー、どうせアレでしょ? 君たちが世間知らずなだけでしょ?

 諜報とは畑違いだから、正規兵の訓練を知らないのかもしれない。経験の少ない子たちにとっては、あんまり面白い話ではないかもしれないね。

 

「楽しい話にできなくて悪いね。他に聞きたいことがあればどうぞ。今度こそ期待に応えられるよう努力するよ」

「じゃあ、アレですアレです。ゴリ……メイル隊長って知ってます? いや、さっきのアレを見た感じ、強いのはわかりますけど」

「話のタネにですね。この国の女騎士隊長について、面白い話があればいいなぁと」

 

 ほほー、そっちに来ますか。話せるけれど、微妙に際どいところを突いてきたな……有能。

 でも、ゴリラとか言うのはやめておきなさい。どこで本人の耳に入るかわからんから。

 どうにも、細かいところで隙のある子たちだと思う。おねーさんは君たちの将来が心配だよ。……うん。あればいいね! 将来。

 

「メイル隊長については、護衛隊の隊長だってことと、色々と残念な話を聞いているくらいだね。直接関わりがあるわけじゃないし、言葉を交わしたのは一度だけ、それも短時間だった」

「ほほう。それでは、有益な話はないと?」

「有益っていうか、楽しい話題になりそうなアレコレですね。誹謗中傷まで聞きたいわけじゃないです」

 

 まあまあ聞きたまえ。許可されている範囲内で語ろうじゃないか。

 もちろん、ただじゃない。お代は後程頂くつもりで、話を進める。

 

「誹謗でも中傷でもないよ。33歳で独身、男性経験のない貞淑な女騎士」

「アラサーで処女とか不名誉ですよ。攻略する価値のない砦は、どんなに堅牢でも意味はないんですよ」

「やめてください。しんでしまいます」

 

 ええい失礼な連中だな。でもこっちがホストだから、あえて不快な表情は見せないよ。むしろ快活な微笑みを維持しつつ、気分を盛り上げてあげよう。

 誘導するにも、手順があるからね。――利用する前に、利用されてやる。稲は丹念に面倒を見て、こうべを垂れるのを見てから収穫するものだ。それでこそ、数十倍の利益を見込めると言うものではないかね。

 

「私生活は自堕落だけれど、不意打ち闇討ち騙し討ち。あらゆる形での暗殺を撃退し、ついに多くの殺し屋から依頼を拒否される事態になったらしいよ?」

「ひかえめにいって、ゴリラでは?」

「ゴリラでも死ぬんじゃないですかね……。まあ、武人としてすごい人だってのはわかります」

 

 気配を消して床下に潜む暗殺者とか、私でも感知するのは難しいと思うの。たぶん、私だったら死んでいるような窮地を、メイル隊長はいくつも乗り越えている。

 修羅場を乗り越えてきた自信と言うものが、普段の言動に現れているんだろう。私から見ても、彼女はやっぱり特別だよ。だてにシルビア王女の腹心をやっていない、という訳だ。

 

「剣に対するこだわりも強く、愛剣の柄だけでも、なじむまで何度も作り直させたと聞く」

「柄は重要ですからね。剣士にとって」

「それだけを聞くと、全然残念に聞こえないから不思議です」

 

 別に不思議じゃないでしょ? 私だって、柄が手になじまない剣とか、割と遠慮したい案件である。いざ実戦となれば、融通は利かせるけど。

 

「あと、酒豪らしいってことかな。何件も酒場をはしごするのも、珍しくはないらしい」

「えぇー? もしかしたら、ここにまでやってくる可能性があるんですか?」

「だとしたらちょっとまずいですね。ここらでやめておきましょう」

 

 さて、自然に話を打ち切れる流れが出来たところで。

 そろそろ、そちらの話に移りましょうね。――勝ち逃げなんて許さないよ? 聞かせた情報に値するものを、君たちには吐き出してもらいたい。

 

「そうだね、そうしよう。――でも、そうだね。私から話題を振ってもいいかな。せっかく知り合えたんだし、お互いに分かり合うのも大事だと思うんだ」

「本格的にナンパっぽくなりましたね。あんまりがっつくと、退いちゃいますよ」

「まあまあ、楽しい話を聞かせてくれたんだから。個人的な話をするくらいは問題ないでしょう」

 

 そう、個人的な話。まさにそこが分析の対象になり得る。

 だから、こちらの方に自然に話題を持っていきたかったんだ。私の語ったことは、そのための前振りに過ぎない。

 

「そうだね。じゃあ、出身地から。できれば、家族構成とか食事の好みとかも知りたいな」

「出身はソクオチ王国です。家族は両親ともに普通に健在です。普通の家庭なんで、食事の好みは、まあ家庭料理なら何でもって感じですねー。別に贅沢でなくてもいいです。外食は偶にできればいいかなってくらい」

「ゼニアルゼみたいに豊かな国でもないので、そこまで食事に変化とかないですからね。あえて言うなら、味付けは濃い目が好みです」

 

 だろうね。酒のつまみにも、塩気が強いものばかり選んでいるから、そこは予想していたよ。

 これで、ソクオチ王国の一般兵の待遇が透けて見えた。あちらの兵隊は、たぶん我が国と同じか、それ以下の生活水準だと思われる。

 それでいて、家族が困窮するほどには飢えさせていない。両親が健在だって言うことは、たぶん兄弟がいたとしても、そこそこに育てられたんだろう。

 親は子を優先するもの。自らが飢えても、子を食わせることを願うもの。それでも気軽に贅沢できる環境ではない、と。この程度なら、情報としての価値はあまりない。だから、もっと話を続ける必要がある。

 

「最近はゼニアルゼからの交易で、塩の値段も随分下がったからね。この国の滞在が長くなるなら、美味いツマミを存分に堪能できるよ」

「塩だけに限らないですよね、それ。ゼニアルゼは海に面してますから、海の乾物も流れ込んでくるでしょう。魚介の珍味とか、気軽に楽しめるといいですね」

「うちにも魚介の類はありますけど、安くはないですからね。むしろ肉の方が安いんじゃないでしょうか。どっちも手軽とは言えませんけど」

 

 あー、あー、なるほどね。豚や鶏は牛と比べれば効率が良い方だけれど、それでも育てるとなるとコストはかかるから。毎日食卓に出せるほどではない、と。

 少なくとも、下級の兵士に対して、そこまでの富は分配していない訳だね。これで上官が贅沢しているなら、反感もあろうというものだけれど。

 

「じゃあ、この国が羨ましくなった?」

「いえ、別に? そのうち、わが国の食習慣も改善していくでしょうし、うらやむほどではないですねー」

「希望的観測ですけどね。とりあえず今のところは、この国でささやかな美食を堪能したいと思います。帰ったら、海産物なんて気軽にツマミにできませんからね」

 

 わかった。だいたいの予測はつくよ。裏を取るのは後日の話になるがね。

 君たちは、自分たちの食習慣を改善できる余地が多分にあって、そのうちになんとかなる見通しがあるわけだ。軍事的行為か、外交努力かはわからないけど、それを末端にまで伝えていると。

 とりあえず今のところは、って言い回しから考えるに、早急な行動をとるつもりはない。でも希望的観測だから、確証もない。たぶん下っ端だから、報告をあげて判断を乞う立場だから、明言できないんだろう。

 付け加えるなら、美食を楽しめるのはこちらに滞在している間だけと、割り切ってもいる。そこから考えるに、改善の具合には期待していないようにも見えるけど、その理由は何だろうね?

 

「まあまあ、多少でも改善できるならそれでいいじゃないか。希望を持つことは大事だよ。明るい将来が期待できるから、本気で仕事もできると言うもの。そうだろう?」

「本当にそうですね。ついでに給料が上がると、もっと良いんですけど」

「どうでしょうねぇ。私たちの上司も、そこまで温情を与えてくれる方かどうか、ちょっと自信ないですし。仮に待遇が良くなるとしても、余剰分をポッケナイナイせずにいられるかどうか、割と不安です」

 

 ああ、うん。軍隊内では、横流しとか横領とか割とフツーだよね。ウチではそれっぽいのがあればザラ隊長が摘発するから絶対許さないけど、他国はだいたいこの点がガバガバだってことは知ってる。

 その不安を口にするあたり、色々と不満もたまってるんだろうなぁ。――せっかくだから、ここで吐き出していこうぜ。

 

「愚痴があるなら、言ってみればいい。ここなら、聞かれて困る相手はいないよ」

「ソクオチの人とか、まあ珍しいでしょうしね」

「あー、もうちょっと頼んでもいいですか? おごりで」

「いいよ。今日はとことんまで付き合おうじゃないか」

 

 酒とツマミくらいなら、必要経費と言うものだろう。……わざわざ申告なんてしないけど、そんなノリで注文する。

 君たちは気兼ねせず悪口が言えてハッピー、私は他国の情報を抜けてハッピー。win-winの関係だから、遠慮なんてしないよ。

 

「ぷはー、生き返りますねー」

「おにーさんも飲んでくださいよ。私たちだけじゃあ話も弾まないでしょう?」

「そうだね。そうしよう。――この出会いに乾杯、ということで」

 

 飲み比べも戦と思えば、手は抜けない。

 自らの酒量はわきまえている。そちらはどうかな。お互い、酔っぱらった風にした方が話しやすいと思っているなら、付き合ってあげてもいい。

 

 

 

 結論から言えば、これ以上は有益な情報は得られなかった。送り狼にもならず、無事に宿まで送ってあげたよ。翌日の朝はちょっと気だるかったが、まあ許容範囲内。

 

 次回への布石は打った。最後まで名を聞かずに済ませたのは、その一つ。今度会ったら、名前を聞く体で、もう一歩踏み込んだ話ができるだろう。

 その次は、またもう一歩。気安い関係にまで持ち込める自信はあった。情報を精査する時間がいるから、たびたび会いに行くことは出来ないけれど。

 もし彼女らの仕事が本当に諜報で、軍事目的のための情報収集を命じられていたとすれば。

 きっと、二三度は会う機会を作れるだろう。それはきっと、我が国にとっても、ザラ隊長にとっても都合のいいことであるはずだ。

 彼女たちに不幸になってほしいわけではない。むしろ全ての女性は幸福になるべきだと、私の中の男性的なものが叫ぶけれど、やっぱり優先順位と言うものは付けないとね。

 

 身内と他人を同等に見ることなんて、私にはできない。博愛主義は趣味じゃない。兼愛? 知らない子ですね……。

 私にとっては身近の人の幸せが一番、次にこの国の人々が幸福になってくれることを願う。他国の人への配慮は、その次なんだ。だから必要なら、あの可愛らしい二人も、使い潰す覚悟はできているよ。

 

 私はきっと、地獄に落ちるに違いない。

 一度死んでいながら、生まれ変わった身で、他愛のないことを考える。自虐もまた贅沢だと思い直して、仕事に向かった。

 

 どうか、世界が優しくなりますように。そう祈る権利くらいは、私にだってあるだろう。

 そう信じて、私は今日も生きています。まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝、訓練が始まる前の時間帯。

 クッコ・ローセ教官は、教え子の墓を回っていた。久々に、死者を悼む気持ちを思い出したからでもある。

 モリーから受けた影響が、彼女を行動に移させた。きっかけがなければ動けぬほど、教官の心中では触れがたい出来事でもあったから。

 すべて回った後、訓練場へ向かおうと思ったのだが、まだ勤務時間には早い。もう少し、散歩するのもいいだろうと思う。

 墓参りをして、少しだけ気分も晴れた気がした。少なくとも、今後は後ろめたい気持ちを覚えずにいられるだろう。いい機会を与えてくれたモリーに、感謝の気持ちくらいは伝えてやってもいい。それくらいには、彼女も考えていたのだが。

 

「なんだ。今日は早いな」

「クッコ・ローセ教官こそ、今日は妙に早いですね。墓地の近くで出会うなんて、割と意外性ありますよ」

 

 クッコ・ローセと顔を合わせたのは、まさにそのモリー本人だった。

 勤務時間にはまだ早いが、このワーカーホリックには時間帯など関係ないか、とクッコ・ローセは思い直す。

 

「しかし、訓練場に用事があるってわけでもないだろう。どこに用事だ?」

「いえ、たいしたことではありません。少し確認を。ちょうどいい機会ですから、この場で話しておきますか。――訓練中、小鳥の鳴き声がうるさいかもしれませんが、叩かないであげてくださいね」

「へえ、小鳥がいるのか」

「はい。ウチの庭師から、そのように聞きました。かわいそうですから、見逃してあげてください。木の枝で適当に休んだら、また飛び立ちましょうから」

 

 そうかそうか、とクッコ・ローセはうなずいて、了承した。むやみに追い立てては、小鳥がかわいそうだろうと、彼女も同意する。

 『小鳥』『庭師』『見逃す』――ありきたりな符丁ではあるが、この場ではそれで十分。どこの誰が訓練を拝見していたとしても、どうでもいいという話だ。

 

「わざわざ小鳥を追い回すほど暇でもないから、別に構わんさ」

「ありがとうございます」

「気にするな。私は鳥獣の狩猟免許も持っていないからな。言われなくても無視してやるよ」

 

 探りを入れてくるであろう、あの二人も。これで、安全は確保できたことになる。

 見知った顔に容易く消えられては、流石に目覚めが悪いものだと、モリーは内心そう思っていた。

 

「用件はそれだけか?」

「はい。教官の散策の邪魔をしてしまい、申し訳ございません」

「そう気を使ってくれるな。勤務時間前だぞ。友人として接してくれていい」

「……友人。ですか」

「嫌かな?」

「まさか。――ええ、はい。貴女がそう望むのなら、そのようにしましょう」 

 

 まだ少し態度が硬いな、とクッコ・ローセは思うが、指摘したところでどうにもなるまい。

 付き合いを続けていくうちに、変えていけばいいことである。その程度の手間を許容してやるくらいには、彼女はモリーを得難い存在だと認識していた。

 

「なあ、モリー」

「はい」

「ありがとな。前の、酒の席での話なんだが。……なんかさ、ようやく吹っ切れてた気がしてな。勤務時間まで少し時間があるし、一緒に歩かないか?」

「はい。よろこんで」

 

 この齢になって、年下の友人ができるとは思っていなかった。だから、クッコ・ローセは柄にもなく、ただの散歩だというのに、いちいちモリーを意識してしまうことになる。

 あるいは、昨夜の酒でも残っていたのか。特異なシチュエーションに、高揚でもしたのか――と。己の感情を理解するのにも、時が必要であった。

 

 対するモリーはと言えば、ただひたすらに喜んでいただけだが。

 気にかけている相手から、正式に友人扱いされ、傍にいられる。同じ環境を共にしてくれていると思えば、モリーは天上にも上る様な感覚を覚えていた。

 

「いいですね。こういうのも」

「何だ、いきなり」

「今生の幸せを、存分に享受しているということです。やっぱり、私は貴女が好きですよ、教官殿」

 

 馬鹿を言うな、と。

 わずかに頬を染めながら言うクッコ・ローセを、残念ながらモリーは目にすることができなかった。

 あまりの尊さに、モリーは彼女の顔を見ることさえ、躊躇っていたからである――。

 

 

 

 




 おかしい。どうして私は、こんなに頭を使っているのか……?

 頭からっぽにして、ちのうしすうをさげながら書くことを覚えたはずなのに、いつもの調子に戻っている……?

 次こそは、バカ話をしてみたいものです。あんまり真面目な展開ばっかりでは、原作の持ち味を活かせないと思いますので。

 色々悩ましいですが、もうちょっと続きます。では、また次の投稿でお会いしましょう。




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メイル隊長と絡んでいくお話


 馬鹿話にする予定だったんです……。

 本当に、おバカな展開で、軽ーいお話を作るつもりだったんです……。

 頭からっぽにして書いていたつもりなのに。どうして、こんなことに……。




 メイル隊長といえば、クロノワーク王国では名の知れた女騎士である。

 護衛隊の隊長という立場は、名を売るのに適しているのか。日常の言動、突出した功績などを鑑みれば、この国においてもっとも有名な騎士と言っても過言ではないかもしれぬ。

 

 それでも当人に自覚などないし、ただの一介の騎士に過ぎないという認識は、変わらずに持ち続けていた。

 この謙虚さは、美点と見ることも出来ようが。――実際のところは、謙虚というよりは無関心に近いのかもしれない。当人は責任とか地位とかをブン投げて、楽になれるものならそうしたい、などと考えていたのだから。

 功名心に飢えた手合いから見れば、許しがたい存在であったろう。

 

「あー、平隊員に戻りたい。楽したい。何も考えずに剣を振るえた頃に戻りたい……」

 

 それでも有能だったのが運の尽き。ともかく能力は充分にあったので、昇進を重ねて今や護衛隊の隊長。他国に嫁いだとはいえ、シルビア王女の一の腹心という評価は、国内においても未だに相当な名誉であると言える。

 それでも当人の認識としては、ただの一兵卒をやっていた頃の方が、気楽で良かったという感じだ。一応、評価されて嬉しくないわけではないのだが――。

 

「内務めんどくさい。カチコミ行って、ストレス解消したい……。でも護衛隊には他に仕事あるし、他に任せらんない分、こっちが余計に負担を被ってる気がする……」

 

 書類にはもう慣れたが、座りっぱなしで紙とペンで格闘するのは、いつだって気が重くなる仕事だった。

 メイルがあれこれボヤくのも仕方がないというべきだが、体を動かそうにも国内の犯罪組織は軒並み潰れており、治安は劇的に改善されている。

 何かしらの変事があったとしても、わざわざ護衛隊を用いるほどの事態にはならないだろう。

 それでいて、内務の仕事は増えている。護衛隊は王族の守護こそが主な仕事であるのだが、治安の改善によって、エメラ第二王女(シルビア王女の妹)がお出かけできる場所も、多くなった。

 そのため遊びに行ける範囲が広くなり、遠出する際にはあれこれと根回しすべき部分が増え、通達の書類も増し、隊長格の人員は執務室に缶詰めになるというわけだ。

 さらにゼニアルゼとの付き合いが増えたことで、護衛隊にも外交儀礼への付き添いが命じられることもあり、面倒な仕事ばかりが増える有様。これで欲求不満が溜まらずにいられるわけもなく、メイルは思考がやや物騒な方向に行くことを、なかなか止められずにいた。

 

 そんな折に、飲みに行く機会があったとしたらどうだろう。それも、珍しく他の部隊の隊長――ザラの誘いだとしたら。

 物珍しさもあって、さぞ楽しいこともあるだろうと期待するのも、致し方ないことではないか。

 

「……あれ?」

 

 だからこそ、不思議に感じたことがある。

 ザラの自宅に誘われ、ほいほい付いてきたのは良いのだが。意外な人物の存在に、思わず目を奪われた。

 

「モリー?」

「はい、メイル隊長。しばらくぶりですね」

 

 モリーは男装していた。髪はオールバックで、軽く化粧をしており、一見したくらいでは女性に見えないほど。

 メイルの目には、以前よりも男性らしく、引き締まった顔つきをしているように見えた。それでもモリーだと判別できる程度には個性を残しているあたり、絶妙な加減で外見を整えているのがわかる。

 服装はと言えば、男性騎士の礼服を着ており――体の線が出ないよう、所々で締め付けたり綿を足したりで、細かく調整しているから違和感がない。男性用の香水まで用意していたようで、どことなく嗅ぎ慣れない空気が、メイルを微妙な気持ちへと誘導していた。

 

「なんか、雰囲気に酔いそう……。ちょっと、ザラ」

「ああ、前に言ったことは忘れろ。ここ最近のアレコレを見るに、もうどうしようもないと割り切ったからな」

「人間関係が複雑骨折するんじゃなかったの?」

「もうしてる。いや、これから確実にする。だからもう、気にするな。私はあきらめた」

「ええ……? どういうこと……?」

 

 ザラ自身が、関わるなと言った相手である。モリーとは、そういう手合いであり、ソッチの趣味のないメイルとしては、反応に困る場面である。

 だが、ザラはここに来てモリーと引き合わせた。それも男装までさせて。意図を計りかねても、致し方ない場面である。

 

「……それはそれとして、メイル。お前、ハニートラップに弱そうだし、ここらで免疫を付けるのもいいだろう。下手な縁談にホイホイ釣られないためにも、並みの男にはなびかない様になってもらいたいんだ」

「ふーん、つまりこれは、男対策ってことね。ここまで来て時間外の業務とか、勘弁してくれないかしら。宴席に誘ったのは、それが目的?」

 

 メイルは、異性に対して免疫がない。そう言われればそうであるし、そこが不安だと言われれば否定も難しい。

 幸いと言うべきか、メイルはモリーに対して嫌悪感は抱いていない。少なくとも外見は完璧な美男子を装っているのだから、そうした手合いにもてなされるのは、悪い気分ではなかった。

 中身について、深く考えないことが前提ではあるが。

 

「そうだ。……我ながら忸怩たる思いだが、この際だ。やるからには徹底的に振り切れるべきだろう。半端で済ませるよりは効力も期待できるし、あきらめもつく」

「前言撤回が早すぎるんじゃない? ――っていうかザラ、あんたそんなキャラだっけ?」

 

 ザラの、おそらくは豹変と言ってよい行動は、メイルを困惑させた。その裏には相応の理由があるのだろうが、納得するのは難しい。

 

「私が影響されたら、まずいんじゃない? いや、簡単になびくつもりはないけど……ねぇ?」

「気にしなくていい。この際、多少は許容する。やり過ぎるなと、モリーの奴には言い含めてあるし――軽い付き合い程度に、男もどきと恋愛修行を行うのも一興だろうよ」

「ちょっと、恋愛修行って何? ハニトラに引っ掛かるつもりとかないし、練習は欠かしてないつもりなんだけど」

 

 メイルとしては心外である。簡易型彼氏(愛剣の柄)なら今も腰に差しているし、どんな男にでもついていくような尻軽でもないと、自負しているのだから当然だ。

 

「練習なら、無機物より実物がいいだろう。どちらも偽物だが、真に迫ったものの方が効果は期待できる。違うか」

 

 返す言葉がなかった。メイルは、感情のぶつけ処を見失って、視線を迷わせる。ザラはその感情の隙間に入り込むように、さらに言葉をつづけた。

 

「――私が不安なんだ。お前が調略される、なんてことは考えていないが。情にほだされて、適当な男にポロっと情報を漏らさないか、心配でな」

「名誉棄損で訴えるわよ?」

「男の好みについて、もう一度言ってくれないか?」

「十代のカワイイ子もいいけど、二十代の好青年ももちろん。おじ様でも渋かったらアリかな……?」

「その発言を踏まえたうえで、考えてくれ。――ハニトラに引っ掛からない自信があるか?」

 

 メイルはやはり、顔を背けて、天を仰いだ。言葉には出さずとも、それが答えだった。

 いや実際には、そこまでチョロくない。そのはずだ。そうだと信じたいが、明確に信じさせてくれるだけの根拠が欲しいと、ザラは思う。

 モリーが基準になれば、そこらの軽薄な野郎どもなど。目に入らなくなるだろうと、確信していた。だからこそ、この場をもって、二人を引き合わせたのである。

 

 おそらくは起きてしまうであろう、取り返しのつかぬ事態についても。ザラは、もはやあきらめに近い境地で受け入れている。

 そして受け入れる覚悟が出来たのなら、あらゆることを許容しよう。言葉巧みに、都合のいい方向へ持っていくことを、ザラは躊躇わなかった。

 

「引っ掛からない自信はない、と。それが自覚できているなら上出来だ。――まあ、今回は難しく考えなくていい。適当に飲み食いして、満足して帰ってくれれば成功だ。……色々な意味でな」

「あとが怖くなるような言い方しないでよ。……どう振る舞ったらいいか、悩むじゃない」

「なんだかんだ言っても、酒の席だ。適当にしていろ。モリーが何もかも、良いようにしてくれるさ」

「なにそれ、怖い。……でもタダ酒も魅力的だし、うーん」

 

 モリーは油断のならない人物である。放置もままならず、秘匿することも、もはや叶わぬ。

 現状に至っては、前言を撤回してでも、モリーはメイルと関係を持つ必要がある。そのように、ザラは判断した。

 これから起こる全てのことは、ザラの決断の結果である。その罪深さを思えば、今からでも考え直すべきかと、思わぬでもないが――。

 倫理と感情。両方を天秤に乗せれば、どちらに傾くか。考えるまでもなく、結果はわかっている。

 

「この際、身内同士で事が済むなら、ある程度の悪影響は飲み込むことにするさ。――モリー、彼女を席へ」

「はい。では、こちらへどうぞ、メイル様」

 

 突然名前を呼ばれたことで、メイルは我に返った。思わずモリーの方を見やると、外見は完璧なイケメンが、自分をエスコートしてくれているという状況。

 うながされるままに、席につくしかなかった。モリーが女性であるという意識すら、メイルの中ではもう消えかかっていた。

 おそらく、理屈でも技術でもない何か。よくわからない、なのに不快でもない。今のモリーと接していると、妙な感覚を覚えずにはいられない。

 

――ヤバイ。なんか知らんけど、本能がビンビンに危険を喚起してくれてる気がする。

 

 それが生存本能なのか生殖願望なのか。メイルは、最後まで結論が出せずに終わった。

 ずっと心臓の鼓動が喧しく鳴り続けているが、それは危機感か、焦燥からくるものか。何もわからぬままに、事態は進行していく。

 席にはすでに酒杯が用意されており、ワインが満たされている。この日のために調理された、上等の酒肴も器に盛られていた。

 

「さて、まずは乾杯だ。メイル、お前が音頭を取れ。この席では、お前が主賓だからな?」

 

 うながされるままに、メイルは杯を干した。しどろもどろに適当なことを言った気がするが、そんなことよりこの場の奇妙な雰囲気に、早くも飲まれてしまったことが、彼女にとっては非常に珍しいことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんでかメイル隊長を接待する流れになりました。ザラ隊長、なんだか最近吹っ切れた感じがして怖い。……なんぞ、あったんだろうか。悩みがあるなら相談に乗りますよ隊長!

 ――と、接待命じられたのだから、そちらの対応を優先すべきだ。ともあれ、メイル殿をもてなさねばならぬ。あれもこれも欲張ると、だいたいどっちも取りこぼすんだ。相手に集中すべき場面で、外すようなことはしませんよっと。

 

 実際、付き合う機会が巡ってくるなんて、とても幸運なことだ。せっかくの舞台であるし、メイル隊長は甘やかせるだけ、甘やかしてあげたいよ……。

 

「緊張しておられますか? メイル様」

「ああ、うん。……慣れていないから、どうもね。いや同僚とか部下の家で飲むことはたまにあるんだけど、こうやって変に気を使われるのは初めてだから」

「私も初めてですよ、メイル様。――私も意外な展開に、目を回しております。慣れていないのが私だけでなくて、何よりです」

「私はタダ酒を楽しみに来ただけなのに、サプライズのつもりだったのかしら。……ザラも案外、茶目っ気があるのね。うれしくないけど」

「不器用なところがありますからね、ザラ隊長は。でも、悪意はありません。その点は保証しますよ。……いきなりの展開に戸惑う気持ちは、私も同様ですから」

 

 曖昧に微笑みながら言う。まずは、共感を示すこと。笑顔と態度で、彼女の警戒心を和らげるところから始めよう。

 

「お気持ちは、わかります。いつだって、ザラ隊長は無茶ぶりをなさいますから。私に応えられる範囲なら、いくらでも努力して差し上げるのですが。メイル様にまでそれを求めるのは、難しいことでしょう。心中、お察しいたします」

 

 人は、自分と似た相手に、好感を抱きやすい。それが行動のつながりか、共感の感情であるかは、別に問わない。

 とにもかくにも、スタートダッシュを決めねば話にもならないから、ここは攻めて行こう。しかし、媚びすぎない程度に。

 

「同じように感じてくれるなら、嬉しいわね。自分だけが異常者じゃないって信じられるから。――それにしても、メイル様、なんて。久々に聞いたわ。実家を出てからは、使用人も入れていないし、部下は隊長って呼ぶから」

 

 リップサービスであっても、冷静に言葉を返してくれるあたり、メイル隊長も人がいい。

 付き合いきれない――とばかりにこちらを無視しても、許される状況なのだから。こうして、私のような男もどきと酒席を共にしてくれるのは、彼女なりの思いやりなのだろう。

 なればこそ、もてなしに手抜かりがあってはならぬ。共感はお互いの気持ちを引き寄せるが、ここはさらに踏み込んで私自身を語ろう。上手くはまれば会話も弾むし、さらに好感を得ることもできる。

 

「メイル様は、貴族の出でしたね。教育も厳しかったものと思います」

「そうそう、そうなのよ。お母様も教育係も礼儀に厳しいし、色事に関しては特にね。……使用人たちも隙あらばウワサするから、気を使うってのなんの。私がいまだに男を知らないのは、昔の環境が原因よ。きっと」

「同感です。私は貴族とは名ばかりの、貧しい家でしたが――しつけは厳しかった。充分過ぎるほど作法やら教養やらを身に着けてしまうと、異性を見る目も自然と厳しくなるものですから、どうしようもないですね。自分が苦労したのだから、相手にも同等以上の器量を持ってもらいたいと思います」

「わかるわー。そうよね、単純にヤれればいいっていう関係じゃなくてね。無駄に教育水準が高いから、今さらダメンズとかヒモとか、引っ掛けようって気にもなれないんだから。……でも、選り好みしないほうがいいのかしら。男の趣味は悪くないつもりなんだけど、一向に捕まらないし」

 

 メイル隊長は、たぶん自身の性体験の少なさを、不名誉に感じていらっしゃるんだろう。

 現代日本人的な価値観からすれば、別段不名誉というほどの事例ではないが。このクロノワーク王国の価値観において、いささか主流から外れているのは確か。割と色事に寛容だからね、ウチの国。

 改めて、メイル隊長と目を合わせる。私はこの場で、彼女の相手役を任されているのだから。自尊心を傷つけず、労わるような言い回しを工夫せねばならぬ。労わりと思いやりの気持ちを奮い起こし、優しい口調で語り掛けよう。

 甘く。心に染みわたるほど甘く。慈しむ感情が、顔にも声にも表れるように。

 

「ああ。メイル隊長は、苦労をなさったのですね。――結果、こうして無聊をかこつ事になられた、と。……さりとて、男性経験の有無が、女性の価値を決めるという訳でもありますまい。見初められる機会に恵まれずとも、これまでの人生、そこまで後悔のタネが大きかったとは思われません」

「後悔かぁ。ちょっとは感じるけど――まあ、ね。そう言っても、間違いではないのかしら。そこそこに活躍して、それなりに評価されてきたから、今の地位にいるんだし。それに不満を持つのは、贅沢なんじゃないかって思うの。たぶん」

 

 まあねは嘘のサイン、とは誰が言った言葉だったろうか。水の様にワインをあおる様は、どう見ても自らを偽る行為としか思われない。この場合、メイル隊長は不満を誤魔化していると見るべきかな。

 ――言葉を濁すような肯定の返事は、嘘を言いたくない場合のごまかしとして、よく使われるものだからね。最後に『たぶん』と付け足した複雑さには、理解を示さなきゃいけない。

 

「贅沢で結構ではありませんか。相応に価値のある女性は、いくらかの贅沢を嗜んでこそ、健全だと言うものです」

「……感情的な部分の話なんだけどね。言葉にしてみると不思議だけど、感情的な贅沢って何なのかしら」

「許される程度に、傲慢を楽しむこと。あるいは罪悪感や嫉妬心を、限度ギリギリまで頭の中で堪能すること、ですね。――いずれも、適度に嗜むくらいは、指揮官の特権くらいに思っておけばいいでしょう」

 

 暗に、ここでは感情的に振る舞って良いのだと説く。どんな形でも明言しておけば、それを理由にして甘えてくれるものだからね。

 ……まったく、おかしなものだよ。童貞だった記憶はあるのに、女性を口説く術は色々と知っているなんて。

 ただ、耳年増もここまでくれば、一芸の域に達するものらしい。現に、メイル隊長は時間を置きながらでも、きちんと答えてくれている。

 

「……指揮官が無駄な感情に溺れたら致命的でしょ? 賛成できないわね、それ」

「溺れない程度に楽しみましょう。程度をわきまえれば、実に贅沢な感覚を味わえます。――まあ、その程度をわきまえる、というのが難しくはありますが。私が見るところ、メイル様はそれが出来るお方だ。私が傍にいる今なら、どこまでも自分に正直になってください。……安心して、甘えてくださっても構いませんよ。私は貴女を支えるために、ここにいるのですから」

 

 本心からの言葉だから、私は真心を込めて、声を整えながら言った。

 なるべく男らしく、女性を慰めるような、優しい口調を心がけたつもりだけど、どうかなー。

 元男の紳士もどきの言葉でも、メイル隊長の慰めになってくれればいいんだけど。

 

「モリー? ちょっと、確認したいことがあるの」

「はい」

「あんた、本当に男じゃないのよね?」

「まことに残念ながら、女性です。ただし、今この一時は、メイル様のために。紳士として、最後まで貴女をもてなすことを誓いましょう」

 

 なんか最近、妙に性別を疑われる。色々と察知されてるんじゃないかって思うこともあるけど、それはそれとして君を口説くよ! 上司から許可が出てるからね!

 誓いの言葉と共に、完璧に丁寧な、男性用の一礼を行う。今回は私がホストだから。その辺りは、わきまえていますとも。

 

「そういえば……なんか、ザラの姿が見えないんだけど」

「ザラ隊長なら、キッチンの奥に引っ込んでいただきました。手酌で一杯やっていることでしょう。――こちらの会話は丸聞こえなので、それを肴にしていると思われますが」

「あいつも吹っ切れたわねー。……あんたみたいなのが傍にいれば、そうなるのも仕方ないかもしれないって、なんとなく察してあげられるわ。不幸にならない程度に、ほどほどに付き合ってあげなさいね」

「もとより、ザラ隊長を不幸にするつもりなどありません。私にできる範囲で、幸福になる手伝いをしてあげたいとは、常日頃から思っていますよ」

「――ああ、うん、そう。……幸運を祈ってあげるくらいは、タダだし。上手くいくと良いわね」

「ありがとうございます。しかし、今私が心を尽くすべきは、貴女なのですから。ザラ隊長のことは、もう忘れてあげてください。せっかく、この場を整えてくださったのですから」

 

 というか、ザラ隊長は最初から流れに身を任せる感じだったよ。最初の乾杯以降は陰に徹すると、アイコンタクトで示してくれた。

 わかりやすく口で伝えずに、さりげなくフェードアウトすることで、メイル隊長の意識から消える。

 なかなかできることじゃないよ。こうして現実に、事実を伝えても。眼に届かないところにいるのは確かだから、メイル隊長も大胆になりやすい。このままストレスの解消くらいには、役に立ってあげたいところだ。

 そもそもの話、持ち掛けてきたのはザラ隊長なんだから、遠慮なんて必要ないってことくらい、わかるよね。だから、思うがままに感情をぶちまけても構わないんだよ?

 

「じゃあ、悪いけど愚痴くらいは付き合ってもらおうかしら。――それくらい、わがままになってもいいでしょう? モリー」

「お望みのままに、メイル様。私はまさに、そのためにここにいるのですから」

「……そう。なんだか、かえって怖くなるわね。わかっていても口が軽くなるあたり、どうしようもないのかしら。――じゃ、ぶっちゃけるけど。ほら、私って、若いうちから姫様に抜擢されて、戦場を駆け回ったでしょう? 知ってるかしら?」

 

 結果、シルビア王女の指揮下で大きく功績を立てたことは、周知の事実。

 本人はさほど誇りには思っていないみたいだけど、それはいけない。

 誰よりも何よりも、貴女は頑張ったのだから。きちんと労って、よくできましたって、褒められてしかるべきなんだ。それも、本人が望むような形で。

 

「存じております。常人では叶わぬほどの戦果を挙げたことは、騎士団内でも語り草です」

「だから、なんて言ったら、言い訳になるかもしれないけど。釣り合う男を探すのに苦労するのよねー。いやさっきも言ったけど、理想が高いつもりはないんだけどね? そもそもの話、出会いに恵まれないというかなんというか。うん。……男漁りしようと思っても、男の方が近寄ってくれないような……。気のせいだと思いたいけど、どうなのかなぁって」

 

 性的欲求は女性にとっても重要なことであるし、そこには承認欲求――己を価値ある存在だと認めてほしい、という気持ちも含まれている。

 好ましく思う男に、自分を女性として求めてほしい。欲望を向ける対象として、自らの価値を確認したく思うのは、いずれの性においても普遍的な欲求だろう。下世話な話だが、下半身の事情の重さは、古今東西誰の身の上にあっても変わらない。

 

 メイル隊長は、今の今まで、まっとうに男性から言い寄られた経験がない。自分はそこまで魅力のない女なのかと、内心不安を感じている状態だとしても不思議はないかもしれぬ。次は、その辺りから攻めていこうか。

 私が見る限り、彼女はとても魅力的で、愛らしい女性なのだから。三十路を過ぎて熟れた今こそが、貴女の最盛期なのだと伝えたいよ。

 

「どうなのかと問われたならば、お答えしましょう。優秀な女性を前にすれば、たいていの男は気後れするもの。一から功績を立て続け、自ら地位を勝ち取ったメイル隊長を前にすれば、何かしらの劣等感が刺激されても仕方のないことです」

「ええ? そう? ――私にはわからない感覚だから、ちょっと理解は難しいわね。前線で戦って、勝ち残ってきたことに自負はある。ここに疑問をもたれるなら、恋愛以前の話になっちゃうかもしれないんだけど」

 

 そうだね、でもそれでいいんだよ。貴女は何も間違っていないし、その誇りは大事にしてほしい。

 メイル隊長は、もっと自信を持ってもいいと思うの。理解は難しいかもしれないけど、貴女は相応しい人に巡り合うため、今まで貞節を守っていた。そう考えたほうが、前向きに生きられるんじゃないかな。

 

「……でもねぇ。それで男が寄り付かないんなら、隊長よりは一兵卒の方が良かったんじゃない? 下手に高スペックだと、男の目から見て近寄りがたいって意見も、一理あるし……」

「そう自らを卑下なさいますな。高い資質を持つからこそ、より良い幸福を求めて何が悪いというのでしょう」

「求めたからって、得られるとは限らないでしょう? ……こんな悩み、今になって出てきたことじゃあないの。ずっと前から、なんとなく感じていたことよ。もしかしたら――私は、後の人生を、ずっと孤独に過ごすんじゃないかって。……ああ、もう。不安に思って、やり場のない想いを抱えることなんて、いつものことなのに。雰囲気にでも酔ったのかしら? 今の私も、どうかしているわね」

 

 追加したワインを一息に飲んで、空になったグラスを指で弄ぶ。表情はどこか虚ろで、諦観に支配されていた。

 そんなメイル隊長を前にして、慰めになる言葉をかけてやれんようでは、男を名乗る資格はあるまい。だから、私はどこまでも言葉を尽くすよ。そして可能な限り、態度でも示そう。許すなら、私の体を用いてでも。

 そうでなければ、悲しすぎるじゃないか。こんな素敵な女性の相手を務めている、その栄誉に応えられなくては、あらゆる意味で沽券にかかわるというものよ。

 

「メイル隊長、戦場での貴女の功績は、誰もが知るところです」

「まあ、それなりに暴れまわったからねぇ。……シルビア様がそれだけ規格外だったってこともあるけど」

「優秀な指揮官の命令を、忠実に実行する。それが出来てこそ、勝利を導けると言うもの。指揮官がどれだけ命令を飛ばしても、現実に実現できなくては画餅も同然。――期待される役割をこなしたということは、それだけでも称賛に値することではないでしょうか?」

「うーん、まあ、そうね。思えば、無茶なアレコレをどうにかして、ようやく勝ち取った勝利も一つや二つじゃないし。――頑張ってたんだなぁ、私って」

 

 人の心に踏み入る際の注意として、まず自分からは、あからさまに褒め過ぎないこと。

 一歩か二歩、探り探りに口にするくらいは良いが、踏み込み過ぎると警戒される。だから逆方向から攻めるのが良い。

 つまり、自分で自分を褒めさせる。己の価値を自覚させて、自尊心を満たす方向に持っていくのが、一番手早い手法だと私は考えている。

 それには、相手に対する情報が十分にそろっているのが条件だ。自分を褒めさせるには、手順がいる。取っ掛かりの情報がなければ、これを理解させるのは難しいのだから。

 

「頑張ったからこその、戦功でしょう。認められて、今があるのですから。さぞ、苦労したことかと思います」

「ほんと、良く五体満足に生き残ったと思うわよ。今だから言うけど、死にそうになったことだって、何度もあるんだから」

「ああ、聞き及んでいますとも。特にあの戦いについて――そう、伝聞に過ぎませんが、私の部隊でも話題に上ったことがあります。例えばですが――」

「――うん、懐かしいわね。そこについては、なんていうか――」

 

 もっとも、今回は心配ない。……当たり前の話だが、私は十分すぎるほどにメイル隊長の経歴をあたって、一通りの情報を頭に叩き込んでいる。事前の調査は一種の礼儀、私はそうわきまえている。

 だから話し続けながら、的確に誘導していける。話を続けているうちに、メイル隊長はすっかり良い気分になっていた。

 けれど、ある程度話したところで、顔を曇らせる。そうなってから語るのは、今の自分に対する不安だって、私にはわかっているよ。

 

「……今更だけど、そうした過去があっての今の地位なのよね。たまに、責任の重さに投げ出したくなるのは、どうしようもないことかしら」

「気楽な兵卒に戻りたい、と言う訳ですか?」

「極端な話、そう思うことだって、ないとは言わない。……隊長の仕事って、結構辛いのよ。手が抜けない仕事だってわかってるから、なおさらね」

 

 優秀な兵が、優秀な指揮官となるとは限らない。これは軍事上の常識だけど、メイル隊長は両方の資質を備えていると、私は評価している。当人に自覚がないのなら、ここは指摘しておいていい場面だ。

 

「投げ出さずに仕事をこなしている。それだけの忍耐力を備えているという、何よりの証明ではありませんか?」

「どうかしら。嫌々やっているのに、向いているってことはないでしょう?」

「それでも、メイル隊長は目立った失敗をしていません。それどころか、他者の誤りを指摘して、修正する余裕さえある。――炎上祭の警備案に、相当厳しい駄目出しをしたことは聞いています。徹夜してまで、あらゆるプランを備えたことも」

「……ああ、あれ。結局、その努力は無駄に終わったから、今さら評価されても微妙かしらねぇ」

 

 無駄? メイル隊長は、護衛隊を指揮しているのだから、王族に対する安全策を講じるのが仕事だ。これにやり過ぎ、無駄、ということはないだろう。

 王国の権威を守る仕事なのである。私の現代日本人としての感覚で言えば、かしこき辺りの警備に相当する。

 それを守るための努力を、どうして否定しようか。私としては、実行されなかったにしても、最善のプランを用意したメイル隊長は優秀だと、本気でそう思う。

 

「無駄と言うことはありません。当日になるまで、祭りが中止になるかどうかはわからないのですから。日程を延長して行う、という可能性も、在り得ないとは言えないでしょう」

「そうかな……そうかも……」

「事前準備を完璧に行うことは、難しいことです。忍耐はもちろんですが、適切なプランを立てて、人員を確保し、命令を徹底させる。さまざまな要素が入り乱れる中、想定できる限りのアクシデントに備えることは、容易ではありません。経験と実績のある人物でなければ、到底かなわぬことでしょう」

「……そうね。苦労したのよ? あれ。当日、雨で中止になったと知ったとき、いままでの努力は何だったんだって、空しくて。悔しかったの、ほんと……」

 

 メイル隊長の気分が、沈んでいる。そうした雰囲気を感じたら、フォローしなくてはならない。

 私は言葉を選びながら、徐々に距離を詰めることにした。

 

「悔しく思うくらい、頑張ったのですね。守るべき方のために、力を尽くせる。そうした方でなくては、果たせない任務ではないでしょうか。少なくとも、私はそう思います」

「全力を尽くしたのは、本当。そこは、断言できる。私は決して妥協しなかったし、させなかった。だから、後は当日の祭りを待つだけの、厳重な警備体制を作り上げられたんだから。――まったく、我ながら良くやったものよ。でも結果はと言えば、未遂に終わった。ちょっとくらいはへこんでも、仕方がないと思わない?」

「まさに。……貴女は、できる限りのことをした。そうではありませんか?」

「ええ、できることはやったわ。だからこそ、空しくなるんだけどね」

「空しいことなど、あるでしょうか。メイル様、貴女は正しく努力できる方だ。正しく努力して、守るべき対象を守れるお方だ。――で、あればこそ、今も王族は安穏としていられる。貴女のように、優秀で仕事をこなせる方々が、一人ひとり存在するからではないですか?」

「そうね。それは本当に、そう。――なんだ、私。結構できる女なんじゃない。後ろめたく思ったり、劣等感なんて、考えるようなことでもないじゃない」

 

 ここまで来たら、もう一押しかな。口調を多少ねっとりとさせて、感情をこめて言う。

 相手から勝手に感情を塗りたくられて、不快に思わない人は少ない。だがそれも手段次第であり、当人の認識次第だと思う。具体的には、今。

 

「メイル様。今こそ私に、貴女を口説く権利を与えてくださいませ」

「――今さら何よ。ザラに言い含められてるんでしょう?」

「それとは別の話、ですよ。私は、メイル様のことが、好きになり始めています。どうか許されるなら、貴女と私の距離をつめさせていただきたい。より傍に近づけてこそ、掛けられる言葉もあると言うものです」

「好きにしたら? ……ああ、うん。ほどほどにね?」

 

 ほどほどって、難しい距離だ。でも腕が触れ合ったり、手が重なり合ったりしても、私にとってはほどほどの距離だから問題はないはずだよ。きっと。

 といって、すぐには手を伸ばさない。そういうのは、順を追って、貞淑にね。でも気持ちだけは前向きに行こうか。

 

「割とグイグイ来てない? ……気のせいかしら」

「ご不快とあらば、いつでも離れましょう。――お嫌ですか?」

 

 ちょっと悲しげに、声色を抑えて、顔にも陰りを見せながら言う。

 これは、女性的な弱さの表れではない。男として、女性に応えられない不甲斐なさを悔いているんだ――と、自らに言い聞かせて。

 そうした態度をくみ取れるくらいには、メイル隊長は人がいい。後ろめたく感ずるかもしれない。私が本心からの思いやりで言ってると、わかってくれる方だから。

 

「嫌っていうか――我ながら不思議だけど、そんなに嫌でもないのかしら? でも、そうね。私の傍に居たって、良いことなんかないと思うから。そういう意味では、対応に困るのかしら」

「ご不快ではないのなら、どうか、このままで。今の私は、貴女の物です。困らせるのは本意ではありませんが、いくらかの慰めになるのなら、どうか受け入れてくださいますよう――お願いいたします」

 

 手と手の指先が触れ合うくらいの距離を維持して、こちらからは離れないようにする。

 それでも、メイル隊長が拒むならば追うまいと決意していたが――。意外と、彼女も離れようとはしなかった。

 それでも一応、顔を酒杯の方に向けたまま、咎めるような口調で指摘してくれる。

 

「何かしら表現したいなら、まず口で言いなさい。言葉の前に体で求めてこられても、その……困るの。わかる?」

 

 照れていると、はっきりわかる。体と言葉の不具合を、今さら追求するほど無粋でもない。

 だが、まだ動いてはならないと、自らを律する。手を伸ばせば、指を絡めることくらいなら、許してくれるだろうか。愛おしいと、心から思う。

 

「はい。――失礼しました。無作法、お許しください」

「……気にしてないわ。そんなには、ね。だから、言いたいことがあるなら、続けなさい。聞いてあげるから」

 

 メイル隊長は寛大だ。これが恋愛修行というか、疑似恋愛とでも言うべきか、ともかくハニートラップ対策であることは理解されている。あえて、こちらに踏み込ませているのだろう。

 続けなさい、というのは、それをわきまえた上での発言と見るべき。なればこそ、そこらの男娼など歯牙にもかけぬ程度には、耐性を持ってもらおう。

 だから、自重はしません。嫌がられない程度には、口説いてもいいでしょう? ――まかり間違って、愛人らしいポストにつけるなら、それはそれで美味しいことだしね。

 

「はい。では、言いたいことを言います。ですからメイル様も遠慮なく、気の置ける友人に対するように。私に接していただけたら、幸いです」

「――紳士って、こういうのを言うのかしら。ああ、もちろん。貴女が女性だっていうのは、わかっているつもりよ」

「どうぞ、お気兼ねなく。どうにも生まれた性を間違えたようで、妙に男を感じさせるような態度を取ってしまうらしいですね。――私としては、そこまで意識はしていないのですが」

「そこら辺は、なんとなくわかる様な気がする。……うーん、なにかしらね。はっきりとは言えないけど、どこかチグハグというか、男を感じさせない男というか。正直、年下の連中が貴女をもてはやすのも解る気がするわね」

 

 その点、自覚できないだけにわかりにくい所である。遠慮しないで言って良いのだと、ワインを注ぐことで、メイル隊長に伝える。

 

「誤解を恐れずに言うなら、生臭くないのよ。それでいて、男の臭いが微妙にあるっていうか。――体臭だけの話じゃないけれど、多少がっついてこられても、流せる程度には誤魔化されてしまうというか。……ええと、とにかく異質な部分があるから、かえって気になってしまうのね。どっちつかずだから、新鮮に感じるのかも」

 

 メイル隊長は、言葉を選んでいる。その様がまた、微笑ましくて。優しい目で見たくなるのも、仕方がないと思う。

 惑う彼女も可愛いなぁ、なんて。本当に三十路過ぎているんだろうか。印象としては、二十代後半で通る。

 たぶん、肌のケアとか陰で頑張っているんじゃなかろうか。私も三十を超えたら、考えるべきかもしれない。そこまで生きられたら、だけど。

 

「まあ、偉そうに言えるほど男経験はないから、私の勝手な感想になるけどね。――なんとなく、そこそこは安心して付き合える気がするのよ。無理に迫ってくるような人じゃないって、貴女と少しでも接したら、理解できることだもの」

「安堵されているようなら、何よりです。私にはメイル隊長を害する意図などないのですから、傍に居る間はリラックスしてほしいと思います」

「……たぶん、男ってそこまで考えないと思うの。いや、クッコ・ローセ教官経由の伝聞だけど、男は雰囲気より性欲優先っていうか、抱けるか抱けないかで判断してる風じゃない?」

「そういう手合いは紳士とは言えませんね。――男としての、性欲を否定するわけではありませんが、そうした連中ばかりでもないですよ」

「だとしてもね? ……私に紳士がよりついてくれない現実に、変わりはないわけで。悲しくなるのも、仕方がないと思わない?」

 

 メイル隊長は、ここぞとばかりに愚痴を吐き出してくれた。たぶん、一定の範囲まで近づければ、堰を切ったように感情を吐露できる性質なんだろう。

 出るわ出るわの四方山話。愚痴の中にも悲哀あり混沌あり、三十三年の人生が詰め込まれている。相槌を打ちながら、とことんまで付き合おう。

 私としては、この短い間にそこまで気の許してくれたことを、何よりも寿ぎたい。

 

「だからねー、モリー? 私だって、肉体関係だけじゃなくてね? 心から繋がって、愛し合いたいのよう。ちゃんとした彼氏と結ばれて、女としての喜びを知りたいのよう……」

 

 はい、わかります。愛したくて、愛されたいのですね、と。

 次から次へと移り変わる話についていきながら、メイル隊長をあの手この手で肯定し続ける。

 言葉を尽くし、彼女の気持ちを尊重した態度を続けていれば。絆を深めるのも、難しいことではない。

 それでも時間は有限で、打ち切るべきところにやってきた。そろそろ自宅までエスコートする時間である。

 

「夜も更けてまいりましたし、そろそろご自宅までお送りしましょうか」

「ああ、もうそんな時間? ……ここで泊ったら駄目かしら」

 

 ひそかに様子をうかがっていたザラ隊長だが、ここでキッチンから顔を出してきた。

 『帰らせろ』と言いたいのが、表情を見るだけで分かる。それでも一応、私からは言い方を考えないといけない。

 

「ザラ隊長に聞いてみましょうか?」

「やっぱりいい。――帰る。やっぱり、今日の私は、どうかしているわね」

 

 視線こそ、こちらに向けていないが、どこか顔が熱っぽい。アルコールの影響だろうが、さて、どこまで酔わせることが出来たろう。

 ここからの工程を考えれば、ザラ隊長からの任務は、ほぼ完遂できたと見るべきか。

 

「では、お送りします。――どうぞ」

「……夜道で倒れるほど、泥酔してないからね。心配いらないわ」

「礼儀、ですよ。女性を夜に一人歩きさせるものではない。紳士として、そう振る舞うのが常識でしょう」

「――そうね、モリー。今のあなたは、紳士なんだから。……ちゃんと、私を自宅まで送ってくれなきゃだめよ?」

 

 メイル隊長は、どこかフワフワした態度だった。深酒が過ぎたのかもしれない。

 最後の詰めを誤っては、全てが台無しになる。気分の良いまま、帰宅させるまでが私の仕事だ。

 ザラ隊長は、『いいから行け』とばかりにこちらに背を向けて、ヒラヒラと手を振り、出口を指し示した。はい。今日はもう、ここから直帰でいいですね。さっさと送っていきますとも。

 

「――今日は、ありがとう。最初は、どうなるものかと思ったけど。悪くはなかったわ」

「楽しんでいただけたようで、なによりです。私も、嬉しかったですよ」

 

 何が、とは言わない。

 メイル隊長も、問わなかった。

 それでいいと、私は思う。帰路は、もう何も話さなかった。

 

「じゃあ、またね」

「はい、また」

 

 またね、の意味。

 深く考えるならば、またよろしく、という意。言葉通りに受け取るなら、社交辞令。

 いずれが正しいのか、確かめるのは無粋だろう。メイル隊長が館に入り、玄関を閉めるところまで見守ってから、その場を去る。

 

 最初は、これくらいでいいんじゃないか。彼女の言い方を借りるならば、『悪くはなかった』のだろう。

 この調子であれば、次につなげることは難しくない。しかし、ザラ隊長の真意はどこにあるのだろう。この調子では、本気で口説いてしまいそうだけれど、そこまでの許しはもらっていない。

 特殊部隊の副隊長が、護衛隊の隊長を篭絡するなんて、政治的に問題になりそうなんだけど。近いうちに、真意を聞き出す必要があるかな。

 

「薄々にでも、私の性癖は理解してくださっているんでしょう? 私に、どうなってほしいのか。――いいえ、どうしてほしいのか。話してくださらねば、何もわかりませんよ?」

 

 そろそろ化けの皮がはがれて、感づかれても仕方のない頃だ。ザラ隊長を一代の傑物と評価している私としては、本性も暴かれていたとしても不思議はないと思う。

 だからこそ、確認が必要だった。貴女が何を考えているのか? そこまでは、流石に読み切れないから。

 

 お願いですから、私が責任を取れる範囲のことであってほしいと、そう星に願うのでした。

 神様? 私みたいな再生怪人を生み出した時点で信頼感ゼロだよ? ――本当、いろんな人にとって、もっと生きやすい世の中にしてほしいと思います。ええ、ええ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一晩明けてから、メイルはザラの自宅に突貫した。

 早朝一番、起き抜けに特急で身支度を整えて来たのだから、気合は十分である。

 

「昨夜のことで問いただしたいことがあるの。いいわね?」

「まるで行動力の化身だな。お前、そんなキャラだったっけ?」

 

 ザラもこの展開を予測していたのか、着替えは終えており、すでに臨戦態勢。食後の茶まですすっている。

 言葉とは裏腹に、余裕すら感じられる辺り、さらにメイルの感情をあおっていた。

 

「そっくりそのまま言葉を返してあげるわよ。――貴女、昨夜みたいなことをする性格だったかしら? 少なくとも、ちょっと前までは危険人物を遠ざけるくらいの分別は持っていたと思うけど?」

「昨日も似たようなことを言ってたな。――何度聞いても、答えは変わらないぞ。それにモリーの奴が危険人物だって? 酷い言いようだな。しっかり楽しんでいたやつが言うセリフじゃないと思うが?」

 

 メイルは鋭い視線をザラに向けた。当人は皮肉気な笑みまで浮かべているのだから、もう取り繕うのはポーズに過ぎない。

 わかって言っている。その意図がわかるから、さらに追及せざるを得ぬ。

 

「――あんたね、わかってるんでしょう?」

「明確に話せ。誤解しようのない言葉で、お前の口から聞きたいな?」

「……言いたいことがあるから、ここまで来たに決まっているでしょう」

「ごまかしは今さら必要ない。お前の本心を聞きたいんだ。それだけの話だよ」

「策士ね、貴女。どこまで想定していたのかしら。なんか、余計に悔しいんだけど」

 

 それほどでも、と涼しい顔でザラは答えた。ここまで割り切られると、毒気を抜かれる。

 メイルは呆れたような口調で、言葉をつづけた。

 

「モリーって、都合のいい存在よね。偽物の恋人役として、こんなに立派な相手はないんじゃないかしら」

「私にとっては当たり前だが、お前にとってもそうなるだろうな」

「間違いを犯したって、彼女は受け入れるでしょうね。どこまでも私をおもんばかって、優しくしてくれるんでしょうね。――きっと、別れたいって言ったら、潔く身を引くんでしょう」

「わかっているんじゃあないか。何が問題だ?」

「問題しかないわよ! 私が彼女にはまったら、その――」

 

 流石に色々と自由な感性を持っているメイルとて、そこから先は言葉を詰まらせた。

 だから、ザラが代わって口にする。

 

「家が絶えるって? それで誰が困るんだ。親か? それとも生まれるかもしれない不確定の子供か? いや、それ以前にお前をもらってくれるような奇特な男か? どれほどの可能性かは知らんが、出会えると良いな」

「――あんた、変わったわね」

 

 それほどでも、と。やはりザラは涼しい顔で答えた。

 メイルはその表情に暗く、恐ろしい感情を垣間見た気がした。何がきっかけかはわからないが、彼女はずいぶんとモリーとやらに執着しているらしい。それが感覚的にわかるだけに、余計不可解だった。

 だから、ザラの次の言葉には、困惑するばかりであった。

 

「ちょっと前に、機会があってな。クッコ・ローセ教官が、モリーについて話してくれたんだ」

「あの人が?」

 

 意外な接点があるものだと、メイルは意外に思う。

 だが意外なだけで、この点に関してはそれほどの驚きはない。そういうこともあるのか、という程度だ。彼女を困惑に導いたのは、ザラの反応である。

 

「そうだよ、あの人が、だ。――初めて見たな、あんな顔。雌顔って、ああいう表情を言うんだろうな。彼氏をのろける彼女っていうのは、ああいう言い方をして、あんな態度を取るんだろうなって思ったよ」

 

 メイルは、気圧されていた。

 こいつヤンデレの気があったのかと、ひそかに戦慄する。

 

「教官に嫉妬したの?」

「お前にモリーを紹介したのは、あいつの楔になってもらうためだ。あいつは基準がガバガバだから、ちょろい奴を傍に置けば、思いやりの感情を向けずにはいられない。そうして情を抱けば、いくらかでも未練に思うだろうからな」

 

 駄目だこいつ話聞いてねぇ。

 何を言っても、自分の気持ちを吐露することしか考えていないと、メイルはあきらめる。ザラからそこまでの感情を向けられているモリーには、もう同情するほかなかった。

 

「あいつは、大抵のことはできるんだよ。仕事は書類仕事から戦闘、諜報に至るまで。前に敵兵の洗脳を任せたことがあるが、見事に仕上げやがったんだ、あいつ」

「……そうなんだ。すごいわね」

「それも、自分に忠誠を誓わせるんじゃない。敵兵を調教するんだが、その過程の中で自国に対する疑問を抱かせ、徐々に不信感をあおり、最終的にこちら側に持っていく。わかるか?」

「私特殊部隊じゃないし、わかんないんだけど」

「私に! モリー自身が手管を尽くしているのに! 私の方に敵兵は忠誠を誓うんだよ! おかしいだろ。試しにあれこれ言いつければ、『はい、よろこんで』と実行するんだよ! 少し前までは、筋金入りの頭の固い兵士がだ。あいつに任せれば、自国を売るようなことを、ためらいなくやるようになるんだ」

 

 知る限りの情報を吐き出す。帰国してから獅子身中の虫となる。いずれも、売国奴の汚名を免れぬ大罪である。それを、モリーはこともなげにこなした。

 三度も試させて、全てがこの成果だ。怖くなって、ザラはもう尋問すら任せようとはしなくなった。

 

「怖いわね、それ」

「当人は涼しい顔だ。モリーは『過去の偉人の真似をしただけです』なんて言いやがる。何をやったのか聞いても『隊長は知る必要のないことです。暗黒面は私が担いますから』とか答えてくれる。なんだよ、それ。わけがわからん」

「うん、そうね。共感してもいい、そこだけは」

 

 モリーはやべー奴だ。女性なのに、同性に魅力的に映る。

 それだけではなく、ザラの言うようなことを実行できるのなら、危険人物と認定して間違いはあるまい。ありていにいってサイコパスだが、ザラはそれを否定する。

 

「それでいて、良識もあるんだよ。優しくて気遣いもできる。良く共感して、行き届いた配慮もしてくれる。女性に対しては、特に」

「付き合いは浅いけど、同感ね。それ、わかるわ」

「もうレズだって、確信してるんだが。時折男の様に振る舞うから、勘違いが加速する。なんだよあいつ、なんで男じゃないんだよ。女の気持ちがわかる男とか。口説かれたら、そりゃ落ちるだろ」

「今だから言えるけど。わかるわー、うん。……だから、落ち着きなさい。ね?」

 

 ザラは、メイルがなだめても止まらぬ。思うがままに、言葉を吐き出していた。これまでのうっぷんを、晴らすかのように。

 

「あいつに、一度聞いた事がある。お前は良く仕事ができるが、できないことはあるのか、と」

「へぇ。で、なんて答えたの」

「それが仕事である限り、最善を尽くします、と答えたよ」

「無難な答えね。優等生みたい」

「実際、優秀だ。だけどな、その次に何と言ったと思う?」

 

 わからない、とメイルは正直に答えた。

 だからザラも、正直にモリーの言を再現した。

 

「長生きだけは出来ないでしょう。性分ゆえ、剣に生き、剣に斃れる。戦い続ければ、いずれは負ける時が来る。敗北が死に直結するときに、自分がその負担を負う。その時がやってきたら、ためらいなく自らを犠牲にする。その覚悟はできています、なんて。あいつは言いやがったんだ」

 

 覚悟ガンギマリ。死狂いという表現が、もっとも適切だろう。 

 ともあれ、モリーはその気概を示した。だからこそ、上司たるザラは、対策を取らねばならなかったのだ。

 決意のきっかけは教官の雌顔だが、前々から思っていたこと。これまで積み重ねてきた様々な感情が爆発して、ザラは今に至る。

 

「あいつが、誰の物にもならないのなら、我慢できたんだがな。ちょっとした機会で、コロッといきかねん。だから、いっそ楔は多い方がいいと思ったんだ。後ろ髪を引かれる理由が多くあれば、あのバカも無茶を控えたくなるだろうからな」

「レズハーレムでもこさえるつもり? そこに私を数に入れられても困るのよ。第一、護衛隊に同性愛者は入れられないんだから」

「そうだ、入れない。つまり、入ってからならレズになっても問題ない」

 

 詭弁でしょう、なんて言い返しても、ザラは今さら持論を撤回などするまい。

 だからメイルは、彼女の意図だけを正確に読み取ろうとして、さらに問う。

 

「楔になるってことは、あの子が死を忌避する様な要素を作っていくってことよね。そして、私もその一つになってほしいと、他でもない貴女が頼んでいると。そう解釈していいのかしら?」

「それで正しい。――なに、タダとは言わんよ。この件を受けてくれたら、一つ借りにしといてやる」

 

 それが正しい対価であるのか、もうメイルは考えるのをやめていた。

 あと一言だけ。一つだけ確認できれば、それでいいと思い定めている。早朝にここまで乗り込んできたのは、それが第一の理由でもあるのだから。

 

「スケジュールの都合がつき次第、私の家に彼女を呼んでもいいんでしょう?」

「ぜひそうしてくれ。――私が許す」

「もちろん、友人としてよ? 恋人役とか、ちょっと躊躇っちゃうから。でも愚痴を吐き出す相手として、酒を飲んでくだを巻く対象としては、ひどく得難い人だと思うの。――程よく危険で、程よく好意を向けられる。実に刺激的な存在じゃないかしら」

「まさに。――まさに、そうだな。そうだとも」

 

 二人は笑った。

 メイルは、いたずらっ子のように。ザラは怪しい目つきで、病んだ乙女がするように。

 モリーにとって、これは災厄であるのか、それとも一種の幸福と見るべきか。客観的な判断ができるものは、ここにはいない。

 

 何よりも救い難い事実として、モリー自身が彼女らの真意を理解したとしたら、普通に喜ぶであろう、ということ。

 見ようによっては、これほどの不幸は、おそらくないのではあるまいか――。

 

 

 

 





 なんか異様に重い話になりましたが、ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

 今回のお話は、控えめに言っても好みが分かれるんじゃないかって、思います。
 これは無理。受け付けない、と思われたなら、どうかお許しください。こんな風にしか書けませんでした。


 次のお話は、もっと軽い展開になってほしいですね。割と本気で、そう思います。

 では、また。よろしければ、次回もお付き合いいただけると、幸いです。




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王女様に目を付けられるお話


 前の話の反動もあって、なるべく頭の悪い話にしたかったのです。

 色々とはっちゃけているかもしれませんが、ご容赦ください。




 モリーは今日もお仕事です。お仕事で接待してました。やっと一区切りついたけど、割と疲れます。他国のお客さんなら、なおさらね。

 

 諜報の方は一段落して、私が現場に出る機会も限られてきたけど、自分で渡りをつけた相手に対しては、責任を持つのが道理と言うもの。

 いくらかは部下に任せてやれたんだけど、どうしても私でないと駄目な案件は、引き続き担当することになったよ。具体的には、ソクオチの二人とか。

 

 こっちが逆に心配になるくらい、情報を抜いちゃってるんだけど。あの二人に危機感とかあるんだろうか。ないよね、きっと。

 都合がいいから助言なんて出来ないけど、ソクオチ王国の未来が心配です。私は仕事をこなしているだけであって、不幸になる人を増やしたいわけじゃないんだ……。あの子たち可愛いし、ひどい目にあってほしくはないよ。

 色々と都合よく動かしちゃうけど、許してほしい。願わくば、彼女らの上司が賢明でありますように。

 ――でも話を聞く限りは望み薄かな。最悪切り捨てるけど、他国の人だから仕方ないよね。今すぐ許せよ。

 

 ……情報を集める限り、ソクオチ王国はダメな方向に突っ走っているようで、どうにもキナ臭くてなー。裏を取って、確度の高い情報を整理した今だからこそ、ちょっと不安になってくる。

 訓練の規模と回数が、明らかに侵攻を意図しているように見えて仕方がない。これまで滅多にやらなかったらしい遠征の訓練が、連日行われているんだから。現場から苦情があがるのは当然だけど――そうした不満を抑え込ませてでも、やらなきゃならない理由があるわけだね。

 

 付け加えると、国境に兵糧を集積させているとか、商人からの買い付けの項目が露骨に増えてるとか。私たちはこれから行動しますよーって、ほとんど吐いているようなもんじゃないか。

 ザラ隊長が見たら、軍需物資の管理について講義をぶちかますところだよ。あからさまな動きは陽動に使え、買い付け先は時期を区切りつつ分散させろ、価格を高騰させるなとか一か所に集めるなとか、とにかく変化を気づかせるヘマは犯すな――ってね。悪い例があると、講義にも熱が入るってものだ。

 

 ぶっちゃけた話。ソクオチがいつ行動を起こしても不思議はないんだが、多少なりとも常識的な指揮官なら、兵の調練に今しばらくの時間をかけるだろう。鍛えた後の休息も考慮して……もう二、三か月は時間があると見るべきか。

 ――仮に連中が奇襲戦争を仕掛けるとして、どこが候補なのか。今は、その辺りを把握するのに時間をかけているところ。とりあえず、ウチに来た場合に備えておこうということで、上層部の意見は共通しているらしいよ?

 

 だから、書類仕事一つとっても真剣に目を通し、情報を精査、検討して――。机に座って考えるばかりでなく、部下の話を聞いたり実際に現場に出たりで、割と忙しい日々を送っています。まる。

 

 ……自分に対して語り掛けるとか割と末期だけど、いつものことと言えば、いつものことだね。精神的なうるおいが無ければ、本当に続けられない仕事だと思います。

 ――もっとも、今はそのうるおいを求めて、わざわざ遠出をしてきているのだが。

 

「……女騎士って大変なんですね。私はハーレム嬢で良かったです。国防を担うとか、重圧も凄いんでしょう。気苦労、お察ししますよ」

「お気遣い、ありがとうございます。これでも騎士としての自分は結構好きなので、後悔はありません。重圧はありますが、これくらいならむしろ張り合いも出てくると言うものです」

 

 ソクオチに後れを取るつもりはないしね。それより、きれいな女の子と話すと心がうるおう感じがして、癒される。乾いた精神が救われるようだよ……! 嬢に貢ぐ男の気持ちがわかりそうだ……。

 

 ――さて、遠出をしてきた、といっても。ここは国境付近の、手ごろな料亭の一室である。機密の保持を目的とした、その手の話に理解のある場所だから、他国との接点を作るのには最適と言える。……機密費の支出は厳格なんで、本当に部屋を借りるくらいで、歓待できないのが残念な所かな。軽食をポケットマネーで奢るくらいがせいぜいだよ。

 遠慮のない話をするには、いい機会なんだけどねー。でもハーレム嬢と顔を突き合わせて話をするなんて、緊張して仕方がない。

 いや各国の赤裸々な情報を抱えたハーレム組織とか、情報網として非常に重要で、協力し合いたいって思うのも当然だよ。今回顔を突き合わせているのも、そうした仕事の内だし。

 でも色気があるから、接しててツラいの。ムラムラするのを抑えながら仕事するのってキツゥイ。

 

「まあ、それはそれとして。――クミンさんは、今の仕事が自分に向いていると、そう思っておられるのでしょうか?」

「ええ、まあ。別に卑下するつもりはありませんよ。ハーレム勤めも、慣れれば悪くはないものです」

 

 話している彼女――クミンさんは、ハーレム嬢としてのキャリアを積んで、そこそこ長いと言う。

 ハーレム派遣組織、『天使と小悪魔の真偽の愛』構成員の一人であり、今や他国に嫁いだシルビア王女にとっては、新たな腹心でもある。その彼女に接触したのは、当然相応の理由あってのことだ。協力を求めたり求められたりする関係を、こちらとしては今後も望みたいところだからね。

 この点、身も蓋もなく言えば、シルビア王女の影響が大きい。出身国との共存共栄を図るのは嫁いだ姫の義務だから、こうした仕事もその一環なんだろう。そうでなくては、そもそも人員をよこそうとは思わない。

 

 現状、彼女が掌握したハーレム組織から、こちら側にも情報を流してくれることになっている。もちろん、こういうのは双方向で利用し合うものだから、一方的な話にはならない。ゼニアルゼにも利益を還元しなくては、不義理になってしまう。

 この関係を端的に言えば、ゼニアルゼとクロノワークが、蜜月の時期にあることを示しているわけだ。本来、他国のハーレムの内情なんて知り得ないのが当然。そこを曲げて協力してくれるのだから、まったくありがたい話じゃないか。

 かの姫様にとって、我々はまだ身内として見ていてくれているらしい。そうであればこそ、情報交換の会合も開けようと言うもの。話は色事に限定せず、割と突っ込んだところまで話してくれるので、こちらとしては大助かりだ。

 

「お互い、遠慮なくアレコレを聞きましたが。――とりあえず、シルビア王女は今後の軍事行動を見据えて行動していると見て、間違いないのでしょうか?」

「軍事は詳しくないので、その辺りはわかりませんね。ハーレム経由の情報をあからさまに活用するのは、しばらく控えるらしいですけど。……ああ、近々そちらの国の教官を招聘して、女騎士団を鍛えるようなことは言ってました」

 

 ゼニアルゼ王国の女騎士は、戦力的に不安が残るものであるらしく、シルビア王女はそこを改善しようと動いているという。

 ――戦力の増強は、国家の事業と言って差し支えないし、それだけで軍事行動を示唆するものではないが。同時に大きな土木工事も予定しているとあらば、物騒な考えが表れてくるのも、致し方ないと思うの。

 

「それから、ゼニアルゼとクロノワークをつなげるトンネル工事については、予算の見積もりを行っているところですね。――色々とギリギリですけど、私から伝えるように言われた件は以上で全てです。実際に工事が行われるのは、もう少し先のことになると思いますが」

「それだけでも、充分な情報ですよ。……シルビア様の意図が透けて見えますね。ああ、これ以上は余計なことに巻き込みませんから、クミン様は安心してください」

 

 ハーレム嬢に、危険な橋を渡らせるようなことはしないよ。余計なことまでは伝えず、ここらで切り上げるべきところ。

 ……しかし、トンネル工事が完了すれば、両国の交通がスムーズになる。それが意味するところを考えると、どうにも頭が痛くなる。

 

 地球の歴史においても、古くは秦の章邯が甬道(城壁付きの輸送専用道路)を築かせ、戦争の主導権を握った例がある。そして彼は中華最強の武将、項羽に敗れるまでは無敵を誇っていたのだ。

 

 物資と兵力の補充がスムーズになるということは、それだけ重要なことだ。この実例を見るに、土木工事と軍事行動は密接にかかわっていると見ていい。

 シルビア王女は軍事的才能にあふれていると聞くし、彼女はそれらの利点を当然のように理解しているのだろう。トンネル工事は両国の関係を密接にする。良い意味でも、悪い意味でも。

 これは本格的に、ソクオチにロックオンされたかもしれないね。めんどくせぇ。

 

「おおよその事情は理解しました。ウチからもそれなりに人員を出せますから、トンネルの完成は、比較的短時間で済むかもしれません。――すると、時間的な余裕はあまりないと見るべきでしょうか」

「……あの、それ。私が聞いていていい話ですか? ハーレムに帰ってもいいですかね」

「まあまあ、ちょっと話しましょう。事務的なやり取りだけでは、寂しいじゃないですか。――私としては、せっかくの機会です。ハーレムという異世界にいらっしゃるクミン様と、今しばらく会話を楽しみたいと思います」

 

 クミン嬢は外見も整っているし、日常的に男に見られているからか、しぐさもいちいち丁寧だ。

 女同士だからと言って、油断するところも全くない。これはおそらく、ハーレム内での暗闘も影響しているのだろう。洗練された振る舞いが板についていて、緩める雰囲気がまるで感じられなかった。

 

 いやまったく、若くして酸いも甘いも嚙み分けた女性とは、長くいいお付き合いをしたいものです。アラサーにはアラサーの良さがあるけど、こういうのもね。彼女も数年したら、いい具合に熟成すると思うんだ。

 たぶん、私よりちょっと年下ってくらいかな。……27~29歳って、アラサーギリギリの雰囲気がまた良いのよ。クミン嬢がそれくらいの歳になったら、また違った色気が出てくるだろう。将来が楽しみだ。

 

「よろしければ、どうです? 今ならワインもつけますよ」

「追加で、ここから先は別料金ってことで、いいですか? それなら、喜んで付き合います」

 

 店員を呼んで、彼女のためにワインを注文してから、無言でチップを渡す。途端にクミン嬢は媚びるような笑顔を見せた。

 いいねー、わかってる。お金が続く限りはいい仕事相手になりますよって、明確に応えてくれる辺り、彼女はやり手だ。おかげで、こちらが笑顔で好待遇しても不自然にはならない状況が出来た。

 お金を貢ぐくらいは簡単なことだし、可能な限り接近して、クミン嬢の心に食い込みたいところだね。

 

「せっかくなので、この機会に聞きますね。……実際のハーレム内では、相手にする男は一人で済みますが、だからこその苦労もあるでしょう。ゼニアルゼの王子様は床上手との伝聞ですが、本当でしょうか?」

「まあ、経験豊富なだけありますね。結構いいですよ。――私が比較できる対象はそこまで多くないですから、参考になるかはわかりませんが」

 

 注文したワインを嗜みながら、クミン嬢は答えた。香りを楽しむしぐさといい、飲み下す際の喉の動きといい、いちいち色っぽくてかなわないよ。本当。

 

「いえいえ、貴重なお話ですよ。クミンさんは、もともと風俗嬢だったんですか? 女の私から見ても、一つ一つの動作が非常に洗練されていると思うのですが」

「ええ、まあ。そこそこの経験をしてから、ハーレム入りって感じですかね。処女でハーレム入りって例もあるにはありますけど、慣れていた方が都合がいいってこともありますから。私はそっちの方ですね」

 

 ほーん。ゼニアルゼの風俗業界について、多少は知れた気がする。流石は各国を股にかけるハーレム派遣組織、その手のノウハウは充分ってことか。色事の手管も、実践した経験があるのとないのとでは大違いなんだろうね。

 天使と小悪魔の真偽の愛。名が示すとおり闇が深そうな組織だ。愛に真偽を問わないなら、いかなる要望にも応えてくれるのだろう。それこそ天使と悪魔、いずれの意味合いにおいても。

 

「なるほど。ハーレム構成員としての苦労と風俗嬢としての苦労とは、やはり別物ですか」

 

 私、童貞の上に処女なんで、その辺りはまったくわかんないけど。

 風俗店とかすごく興味あるけど、慣れないから躊躇っちゃうよね。そもそも私の場合、レズでもいける人でないと無理だし、店の方も困るんじゃないかな。――男娼? 野郎はパスで。

 

「一人に集中するから競争も激しくなるし、寵愛の奪い合いなんてのも、そこそこ激しかったりしますね。正妻である姫様との関係の強さが、そのままハーレム内での地位に直結しますから、人間関係に気を使うんです。……風俗店で働く場合は、また別の類の苦労ですね。本当にいろんな人が来ますからね。お金を出してくれるなら、相手を選べない場合もあります。ひどい客に当たっても、表面上は嫌がるそぶりを見せられないっていうのは、結構きついですよ」

 

 色々話を聞いていくと、やっぱりそれなりに溜め込むところがあるんだろうなって、察してしまうよ。うん、本当に苦労したんだね。

 

 紳士の皆は、風俗店に行くときはちゃんと身だしなみを整えよう。髭剃り爪切り歯磨きは当然として、体もちゃんと洗ってから行くんだよ。何? ソープに行く時はいいじゃないかって?

 バカモーン! 風呂とソープは別腹じゃろがい。そもそも汚れた身体に接しなきゃいけない相手を思えよ。汗と油にまみれた男臭い奴とか、仕事をする相手としては、それだけで『うわぁ』ってなるよね? 洗ってあげる側も大変なのだ。

 嬢を気遣うなら、事前に身だしなみを整えるのが作法ってものじゃないか。だから風俗を楽しむ時は準備を整えようね。おねにーさんとの約束だ!

 

 ……私風俗とか行ったことないけど。全部今聞いた話だけど。うん、私やっぱり疲れてるね。色々と酷いことを考えてしまう。

 でも私自身、風俗店に行く勇気とか無いから、利用する人々にはエチケットは守ってほしいと思うんだ。心の中でも、叫びたくなるくらいに。

 

 ともあれ共感と共に相槌を打ちつつ、興味を引くように話を聞いていく。聞いてほしいことと、聞いてほしくないこと。その辺りをしぐさや口調で判断しつつ、慎重に。

 そうやって続けていくと、クミン嬢も彼女なりにストレスを吐き出すように、思うところを述べてくれた。

 

「……王族のハーレムで思いましたけど、王様とか王子様とかも、真面目に仕事するなら大変なんですね。うちの王子は怠け者ですけど、立派にやっている人もいるみたいで、ご苦労様だなぁって思います」

「個々の事情はあるでしょうが、真面目に務めるなら王族は大変でしょう。王とは玉座に縛られた奴隷である、なんて言葉もあるくらいですから」

 

 話の流れで、身内のことについても言及する。クミン嬢にとっては、王子様も姫も身近な存在だ。

 気遣わねば首が飛ぶこともあり得るが、見えないところで言う分には目をつむられることも多く、ちょっとした話題に出すくらいは許されているらしい。寛容さは美徳って、はっきりわかんだね。

 

「怠け者と言われましたが、シルビア様の相手をなさっているのですから、そちらの王子様も仕事はそれで十分という気がしますね。あの姫様の精神的なケアが出来ているなら、それだけで国が回せるのでは?」

「……一概に否定できませんね。おっかないし、有能ですから、あの方は。速攻で粛清やらかした時はどうなるかと思いました――っと、これはオフレコで」

 

 ここまで話してくれるということは、彼女自身のストレスの大きさも関係しているのだろう。風俗って肉体労働だし、ハーレム内なら職場と自宅は一体になっているようなもの。

 愚痴を吐き出そうにも、周りには競争相手が多いとなれば――難しいかもしれない。私みたいに何を言っても聞いてくれる存在は、感情をぶつけるには最適というわけかな?

 

「わかっていますよ。せっかくお金を払ってまで付き合ってもらってるんですから、貴女に不利になることは致しません。騎士の名誉にかけて、そこは約束させていただきますよ」

「信じますよ? ……信じさせてくださいね。裏切ったらひどいんですからね、ほんと」

 

 いや本当、あのシルビア姫を恐れるのは賢明な判断だと思う。怖いから、ポロっと愚痴が出ても仕方がないよね。わかるよ。私、伝聞でしかあの人知らないけどね!

 だから、裏切ったりはしないよ。――こんなイイ子を、不幸にしたくはないから。

 

「どうぞ、信じてください。可愛い女の子には弱いんです。私」

「あっ。……そういう人も、いますよね。私の趣味ではありませんが、逆に信用しやすくなりましたよ」

 

 理解を示してくれたようで何よりです。――笑顔を崩していないということは、嫌悪を見せるほど退いてはいないということかな。

 レズと言われればそうかもしれないけど、私としては男の感覚のままなんだよね。だから、自分としては自然に振る舞っているつもりで、後ろめたさはないよ。体と精神は、案外統一されないものらしい。

 

「私らハーレムの人員は、個人個人で事情もあったりしますので。微妙な話題は、避けるのが無難なんですよね。私はそういうのないですけど、気にする人は気にしますから」

「ああ、わかります。私たち女騎士も、個々の事情は色々あります。不名誉な家の出とか、本人の責任のない所で、どうしようもない不幸を受けてしまった子とか。実力はあるのに公に取り立てにくい人を、特殊部隊で引き受けることも偶にありますから」

 

 ここまでは共通の、似たような話題。あとはもう少し、踏み込んでいきたい。

 クミン嬢の存在は割と大きなものであると思うので、ちょっとした伝手として持っておきたいかな。だから好意は買えるだけ買っておこう。

 だって彼女、ゼニアルゼの王子様にとってもお気に入りで、あのシルビア王女からも、それなりの信頼を受けているんだぜ? 話を聞くだけでも、それがわかる。当人はいまいち理解していない風だが――私には背景まで見えてきそうだよ。

 

 他国の工作員たる私に、こうして接触させている。その意味するところは何か。

 接触させても染まらない程度には、自己が強いということ。そして、自らの組織に忠を誓うくらいには、誠実であると認められているのだ。そうでなくては、私のような人間とは会わせないだろう。

 そうそう。私事になるけど、なんだか最近、急に悪名が広がった気がするんだ。そんなに変わったことをやっているつもりはないんだけど。悪名が身内の中だけにとどまっていて、よその国にまでは伝わっていないのが救いかな。

 

 まあ、今は私のことはいいので、聞き役に回る。ちょくちょく話を聞いてみると、クミン嬢も苦労はしているらしい。今の地位を維持するだけでも、大変なんだね。ハーレム内の序列って、曖昧なままには出来ないことだし、王子の機嫌を取る以外にも仕事はあるんだろう。お察しします。

 

「なるほど。色々なことが分かった気がしますね。興味深い話を提供いただき、ありがとうございます」

「料金を取った後で悪いんですが、大した話がないなら、もう終わりにしてもいいですか?」

「――ああ、すいません。無作法でしたか? 何かしらお気に障ったなら、詫びさせていただきます」

「いえ、そうでなくて。――急用を思い出しました。この続きは、またの機会にと言うことで」

 

 苦しい言い訳だが、ここは受け入れるのが男の器量と言うものだろう。

 ……私がそう言っても空しいだけだから、口には出さないよ。せめて、快く送り出そうと思う。

 

「では、また。――次に会うときは、クミン様に何かしらの土産を持参します。不躾な願いかもしれませんが、お許しくださいますか?」

「貴方がそうしたいなら、どうぞ。……失礼しますね」

 

 クミン嬢は、早々と去っていった。去り際の礼を省略したのは、それなりに気を許していますよ、というポーズかな?

 でもハーレム嬢の相手をしたことはないし、風俗の経験もないから、その手のプロ相手はどうもわからない。考えたくはないが、単純に嫌われた可能性すらある。

 身体に現れる『嫌い』のサインを徹底的に消して、表面を完璧に取り繕ってくる手合いは、苦手なタイプだ。個人的に友達になれるならいいけど、ビジネスパートナーには選びたくない。

 

 自分の色に染まってくれない相手は、手駒にしにくくて困る。……ああ、本当に。彼女の信頼を受けるには、どうしたらいいのだろう。

 出来るならば、シルビア王女への牽制として、彼女の心は握っておきたい。かのお方は、すでに他国のものとなっている。今は身内だが、将来はわからないから。

 

 まずありえないと思っていても、ゼニアルゼがクロノワークを従属させる未来とて、ありえないとは言えぬ。その時に備える手立ては、いくらあっても足りないくらいだと、私は思う。

 それはおそらく、ザラ隊長も同じだろう。この辺りは、確信していますよ。心配性ですからね、貴女も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クミンは、自らの感情を言葉にできずにいた。先ほどまで接していた女騎士が、可笑しいくらいに好ましく見え始めている。そうした傾向を感じ取れたからこそ、早期の撤退を選択したのだが。

 

――別に、嫌いなタイプではないですね。それに、噂ほどひどい人でもないと思います。

 

 モリーの活躍については、聞き及んでいる。戦場での戦い方については、特に印象的なものがあった。実際に会って話す限りでは、そんなに激しい戦闘を繰り返してきた相手とは思えなかったが、だからこそ手練れと言えるのかもしれぬ。

 シルビア王女が『要警戒対象。話した内容について、どう反応したか。詳細を報告するように』と言い含めるくらいであるから、相当なやり手なのだろう。

 

――まったくそんな風に見えなかったから、話が盛り上がってしまったけど。あの王女が見誤るとも思えないし、話が過ぎる前に切り上げたのは、我ながら良い判断でした。

 

 モリーは、もともとシルビア王女の派閥からは見えないところにいたらしく、探れる範囲での情報が少ない。これ以上を求めるなら懐に飛び込むべきで、クミンを接触させたのは現場で情報を収集するためでもあったのだろう。

 だから、クミンとしては顔を見て話をするまで、相当気を張っていたのだ。だというのに、実際に話してみれば、案外悪くない時間を過ごせたように思う。

 

――しかし、それが彼女の手口と思えば、警戒も止む無しかもしれませんね。

 

 早々に退いたのは、モリーに対して好意を抱き始めていたことを自覚したからだ。好意があらわれてくると、言わなくていいことまで口にしてしまうことも、ままある。

 さしたる義理があるわけでもなく、事前の情報もなかった相手だ。そうした人物と、少し接しただけで好きになれるほど、クミンという女子はチョロいタイプではない。

 なのに好意を勝ち取ってしまうならば、それは『相応の術策』を弄されていると見て間違いなかった。やり手の遊び人や、狡猾な詐欺師がそうであるように、連中は赤の他人から好かれる術を心得ている。

 

 たとえば、語り口調。たとえば、目に見えるしぐさ。声の調子や受け答えだけでも、気持ちをくすぐる様に言葉を尽くせば、良い気分になりやすい。そこに安心を与える態度を加えれば、どうしても好感を引き出されてしまう。

 モリーがそうした手合いである可能性を鑑みれば、早期の撤退は賢明な判断だったはずだ。

 

――隙あらば心に入り込もうとする。だからモリーとやらは厄介だと、今だからこそ言えますね。シルビア王女が警戒するのも、わかる気がします。

 

 いかに報告すべきか、クミンは少し悩む。彼女は女たらしでした、という実感を率直に述べるのは、いささか主観が入り過ぎている。

 単純に、話した内容や聞いている際のしぐさ、語り口に表情の変化など。明確に見て取れた部分だけを、簡潔に知らせた方がいいのではないか。そうすれば、自分の偏見や感情などを抜きに、正確な情報だけを伝えられるだろう。

 

 そう思って、必要な事だけをクミンは帰還後、シルビア王女に報告する。

 一つ一つに言及したから短い内容にまとめきれず、結構な時間を要したが、シルビア王女は黙って最後まで聞いていた。聞き終わると、気だるげな表情で欠伸をしてから、ためらいがちに口を開く。

 

「ここで判断するのは早計じゃが。……しくじった、かもしれんのう。いささか、こちらを見せ過ぎたか」

 

 どういう意味か――と、すぐさま問わなかった己の自制心を、クミンは褒めてやりたくなった。

 好奇心がうずくのを感じたが、シルビア王女に意見できる立場ではない。なので、伝えることを伝えたなら、そのまま通常の業務に戻ってよいはずである――のだが。

 

「――ふむ。せっかくの機会じゃ。お前の方から、モリーと会って感じたことを聞かせてほしい。事実だけではなく、実際に接したお前が何を受け止め、何を思ったか。感情的な部分を、ぜひとも聞かせてほしいものよ」

 

 だが、今回はシルビアの方が引き留めた。それも、驚くような理由で。

 

「ありのままでよい。あえて言葉を飾らず、率直に語れ」

「命令とあらば申し上げますが、私の雑感がそれほど重要な事でしょうか?」

「おうとも。重要も重要、最重要とさえ言って良いかもしれぬ。だから、さあ。赤裸々に述べるがいいぞ」

 

 気だるげな表情は、すでに微笑に変わっている。面白がっているのは明白だが、どちらも今さら稚拙な情事に羞恥を抱くような、初心な生娘ではない。クミンは淡々と、己の感ずるところを述べた。

 

「ほほう。それはなかなか、モリーとやら。結構なタラシであるようじゃの」

「具体的にどう、とまでは言いにくい所ですが。何かしらの、好意を得る手管を修めているような感じがしました」

 

 ふわっとした感想だが、クミンにはそうとしか言えない。彼女が何かしらの心理学を収めていれば、明確に答えることもできたであろうが――。

 残念ながら、この世界には未だ心理学の概念すら生まれていない。さらに言うならば、元男の女がいかにして女性を口説くかについて、クミンはあまりに無知であった。

 

「まあ、それはよい。……問題は、こちらの情報を的確に分析しておること。そやつの反応を聞いた感じでは、おそらくこちらの意図はほぼ完璧に伝わったと見て良いな」

「――問題、なのでしょうか? 意図を伝えるために、私を派遣させたのでは?」

「それはそうだが、どこまで読み取れるかを探る意味合いもあった。読んだ上で、どう返してくるか。そこが気になっていたのじゃが……そうよな。ザラが副官に用いるくらいじゃ。有能で当然と言うべきか。しかし、なんとも心を見透かされた感じがして、気持ちが悪いのう」

 

 シルビア王女が、眉を顰めるほどの展開になるとは、クミンも予想していなかった。

 粛清の際も朗らかに笑っていた彼女が、たった一人の女騎士を注視している。それがクミンの目からは、まったくの無害に見える相手であったからこそ、なおさら不可解であった。

 

「まあ、今は良い。こちらの人員をザラと直接接触させるとなれば、人の目を避けるのは難しかろうが。――その副官に情報を渡すくらいならば、どうにか秘密裏にやれよう。その場を整えてやるくらいは、こちらでしてやろうではないか」

「では、次回の会合の際にでも」

「ああ、モリーには『天使と小悪魔の真偽の愛』の年間パスポートを渡してやれ。これで管轄の風俗店なら、一年間入り放題よ。ま、宿泊は別料金じゃが」

 

 会合を待たずにこちらから送りつけてやろう、とシルビア王女は言った。いたずらっぽく、笑いながら。

 シルビア王女は、このハーレム組織の実権を握っている。パスポートを渡すくらいは、容易いことであった。

 

「多少の意趣返しには、なろうて。有能な者には、その有能さに合わせて手管を変えるものよ。……しかし今重要なのは、遠い未来より身近な将来についてじゃな。正式な手順を踏んで伝えるには、不都合なこともある。融通の利く方法で伝手を手繰れるなら、その方が良かろう」

「……はぁ。それでよろしいとおっしゃられるなら、私としては何も。――次の機会にも、私がモリーと接するのですか?」

「おお! それが良いかな。……嫌ではあるまい? いやもちろん、次の機会があればじゃが」

 

 口角をあげた、深い笑みでシルビアはクミンを見た。確信を持っている反応であり、実際にクミンも悪い気はしていない。

 わずかな徴候から、本心を見抜く。そうした聡明さを持っている王女に、彼女は苦手意識を感じていた。

 

「命令とあらば、否やはございません」

「可愛くないのう。男に媚びるのは上手いのだから、そいつの前ではきちんと猫をかぶるのだぞ」

 

 感じたからと言って、反抗できるものでもなかったが。しかし、ただ意のままに動くというのも、しゃくであった。だから次にモリーと会うときは、もっと不愛想に接してやろうと決意する。

 

「ちゃんと取り繕って、感情を誤魔化しながら接してやった方が、付き合いやすい手合いであろうからな。下手に本心なぞ見せると、食いつかれよう。――これは勘働きに過ぎぬが、自信があるぞ」

「……どうでしょうか。そこまで不誠実な人とは思えません。そもそも私はレズではありませんし、普通に対応すれば問題ないでしょう」

「わらわとて伝聞に過ぎぬが、それでもわかることもあるのでな。……往々にして、直感が本質を貫くこともある」

 

 シルビア王女の言葉は、天才らしく説明不足でふわっとした論理であった。

 凡人たるクミンにとっては理解の及ばぬ範囲であるから、聞き流すしかない。

 

「ま、わからぬならよい。適当にして居れよ。――わらわとしては、面倒くさい女子をあえて好むような、スキモノの気配が感じられて仕方がないのでな」

「……さようでございますか。私にはいまいち、わからないところですが」

「――ふふん。わらわにとって不利益の生じぬ部分であれば、モリーとやらに譲歩するのもやぶさかではない。……そうよな。それがよい。『今決めた』、クミン。其方はモリーの前では、思うがままに振る舞うが良い。わらわはそれを許そう」

 

 勝手に納得して、シルビア王女は言い放った。クミンにとっては訳の分からぬ展開だが、言われたことは理解する。

 

「思うがままでいい、とおっしゃられるなら、その通りに致しますが」

「不安に思うことはない。――ふむ、ふむ。そうか。予想通りなら、これは……うむ。やはり、モリーとやらの情報も、別口から集める必要があるな」

 

 シルビア王女は、もう自身の思考に没入していた。嗜好と言ってよいほど、かの尊き方は飛躍する様な思考を好む。

 それがまた、たびたび真実を見抜くものだから、傍から見ている側としても制止できない。どれほど胡散臭く、気味が悪く見えても、指摘することすらはばかられる。

 この部分に目をつむって無視できるあたり、彼女の夫たる王子様は、ある意味傑物ではなかろうかとクミンは思うのだ。

 

「――ああ、もう行ってよいぞ。ご苦労であった」

「はい。では、失礼します」

「しばらくは安らうが良い。一週間の休暇を与える。――モリーと接触しやすいよう、クロノワーク王国の、都にある店舗に配属させてやる。休暇明けにすぐ移動させるから、準備は整えておくようにな。名目上は、実技講習の講師として派遣させよう」

 

 明確に、ハーレムを離れよ、と言われた。実質追放処分ともいえる、理不尽な異動であるが――そうした理不尽を自然に強要するのが、王族と言うものだ。

 そしてクミンに、拒否する権利はない。シルビア王女の権限は強く、これに逆らうほどの気概を、彼女は持てなかった。

 

「……わかりました。そのようにします」

 

 クミンは礼法に従って、一礼してから退室した。だいぶ慣れたつもりであったが、シルビア王女はやはり貴種の中の貴種であった。

 どこかしら、威厳がある。そして、下々の物の運命を握って動かすことに、ためらいがない。そのように生まれつき、教育を受けているのだと、実感した。

 モリーと接するのが嫌な訳ではないけれど。結果的に強制させられるのだから、因果をモリーに求めて、責めたり甘えたりする口実はあるわけだ。

 

「……会いたいような、会いたくないような」

 

 複雑な感情が、クミンの中で生まれ始めていた。それはシルビア王女をきっかけとしたものであったとしても、大本はモリーと接したところにある。

 結局のところ、モリーは罪な女である、ということ。元男であることを鑑みれば、罪な男――という方が正しいのかもしれないが。

 

 しかし現実として、彼女は女である。ならばやはり罪は重いというべきで、女を夢中にさせる女と言うものは、どこまでも罪深いというべき。

 クミン嬢がその毒牙にかかると思えば、そう表現する以外に、言葉がないではないか――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰った後、ザラ隊長には洗いざらい証言しました。報告の義務があるのは確かなんだけど、その、ね。

 まさか相手がハーレム嬢だったとは思わなかったようで、ちょっとその点を追及されました。

 

「お前は無自覚に女を口説くからな。やらかしてないか不安なんだ」

「ひどい言い方をなさいますね。私はそこまでの節操なしではありませんよ」

「どうだか。……メイルの奴は、すっかりお前にご執心だぞ。この数日、お前に会えなくて寂しいとぼやいていた」

 

 ええー? ほんとにござるかー?

 いや、事実なら今夜にでも我が家にご招待を……と思ったけど、暇もなければ一戸建ても所有していない私には叶わぬことだった。

 ローンを組んででも、買った方がいいのかな。でもなー。結婚相手というか、生涯を共にする伴侶も見つけないうちから、箱だけを用意するのも滑稽じゃないかなって思うし。やっぱり後回しにしようかと思います。

 

「ありがたい話ですが、今は仕事中ですので」

「そうだな。クミン嬢を無事口説けたようで何よりだ。仕事だと思えば、手籠めにするのにも罪悪感を感じなくていいだろう。私から制止することはないから、好きにすればいい」

「……どういう意味でしょう。貴方からどう思われているか、不安になりましたが」

「どうも何も、そのままだ。好きにすればいい。私はどうとも思わんよ。ハーレム嬢などに嫉妬するほど、私は狭量ではないつもりだ」

 

 理解できない。むしろ、理解するな。してしまえば、引き返せんぞ――と、本能が叫ぶ。

 そうした感覚には従うようにしている私としては、ザラ隊長の言葉の裏まで探ることは出来ぬ。

 ゆえに聞き流したが、これはこれでいいのかなって気持ちになるよ。地雷を踏みたくはないから、ザラ隊長の意図については探りたく思う。

 

「嫉妬とは、どういう意味でしょうか」

「失言だったな。忘れろ」

「ご命令とあれば、そのように」

「――忘れろ。これは命令だ」

 

 ずるいよね、ザラ隊長ってば。そんな風に言われたら、こちらだって追及できないじゃないか。

 

「はい。……それで、仕事の話を続けても?」

「続けろ。もとより、お前にはそれ以外のことは期待していない」

 

 ザラ隊長の顔は、微妙に緩んでいる。それが微笑みであるとわかるのは、私くらいのものだろう。

 実際には上機嫌の言葉なんだって、私にはわかっているよ。理由はわかんないけど。

 

「報告したとおり、シルビア王女は軍事的な意図をもって動いています。少なくとも短期的には、軍事行動を起こすでしょう」

「意外と冒険的な思考の持ち主だったんだな、あの人。――あちらの騎士の水準からすると、荷が勝ちすぎる気がするんだが」

「その為の、教官の派遣でしょう。あの方なら、無理をさせてでも仕上げてくれる。……賭けには違いないですが、まだしも分が良い方だと思いますよ」

「派遣を断るのは――無理だな。これは外交、政治の分野だ。文官の管轄に首を突っ込めば、後でどんな嫌がらせが飛んでくるかわからん」

 

 諜報も外交のうちと言えるのだが、どうもクロノワーク王国では明文化されてないらしい。この辺りの微妙な区分けは、私にはわかりにくいのだが、部分的に把握は出来ている。

 

 例えば、私が外国の誰かから情報を抜く。――これは諜報。なので軍の分野。

 私が非公式に外国の要人と会い、情報交換をする。――これも諜報。なので軍の分野。

 しかし、私が外国の要人をおおやけに接待したり、公式の場で会合を行うことは出来ない。それは外交官の仕事であり、官吏の役割だ。

 もし外国の要人と問題を起こせば、その時点で外交上の失点になる。だから、どこかで一線を引くことが必要なのはわかるが……。

 

 その辺りの話は難しくてなー。政治的な機微を理解しろとか言われても困る。だから、『やるな』と言われたことはしないってことで、今まで折り合いをつけてるわけだね。

 

「軍事的な懸念を、外交官殿にお伝えしては?」

「で、その外交官殿の伝手で王様に助言させるわけか。『シルビア王女が、またやらかそうとしているかもしれません。ご注意ください』って?」

 

 教官を派遣するだけの、些細な案件と言えばそれまでだ。しかし外交に関わるため、これに断りの返事を入れるなら、王の権限で正式な声明を発表せねばならない。

 断る理由をでっちあげるのも、面倒くさい気がする。まさか『うちの娘から不穏な気配がするので、協力できません』なんて言えるわけがない。

 そもそも役人の視点から見れば、こんな些事でいちいち王様の仕事を増やしたくないだろう。よくよく考えれば問題だらけだった。

 

「――こんな話を持っていけば、不興を買うのは確定だな。手のかかる娘がやっとこさ嫁いで、上手い具合に子供も出来た。王様は今、機嫌が良いところなんだ。わざわざ冷や水をかけにいく奴がいるかよ」

「……それは確かに、そうですね」

 

 要するに、シルビア王女は相も変わらず絶好調。止める手立てはありません――というわけだ。

 

「それを確認したところで、本来の仕事に戻ろうか。――そろそろ忙しさも殺人的になってきたし、人員の補充も考えてほしいものだが」

「予算が下りないんですよね。……もともと潤沢ではないのですから、無理は言えませんが」

 

 余計なお話はこれまでにして、日常業務へと復帰する。今日は午前中は執務室で書類仕事。午後からは訓練に参加して、終わったら夜の街で諜報合戦だ。

 

 ……ここ数日はまともに休めていない。メイル隊長と飲んだ日が最後だったかなぁ。その日も普通に仕事はあったし、次の日も休日じゃなかったけど、夜の間はしっかり休めたからセーフ。

 

 本当、うちの女騎士って激務が平常なんだと、改めて思いました。まる。

 

 

 





 取り急ぎ投稿しましたので、粗があるかもしれません。問題があれば、どうぞお気軽にご指摘ください。

 出来たらすぐに投稿したくなるのは、私の悪い癖ですね。ともあれ、楽しんでいただけたなら幸いです。

 次回もたぶん、シルビア王女がらみの話になると思います。ノリと勢いで書くのが基本なので、内容の質については、保証できないのが難点ですが。

 よろしければ、また見てくださると嬉しいです。では、また。次の投稿で、お会いしましょう。



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教官と王女とやべー奴の話


 内容の大半が、酒飲んで駄弁っているだけの話になってしまいました。

 ノリで書いていると、無駄に冗長になってしまうので困ります。

 あんまり動きのないお話になってしまいましたが、暇つぶしにでもなれば幸いです。




 

 

 シルビア王女は、クッコ・ローセ教官の派遣を歓迎した。

 

 どれくらい歓迎したかというと、国賓待遇で受け入れて、住居と食事の世話についても事細かに指定するほどである。

 女騎士の訓練に対する、王女の真摯な姿勢が見て取れるが――実際のところ、彼女は必要なことをしているだけだと考えていた。

 今の己の立場をわきまえている。シルビアという王女は、外交においても素人ではない。

 

「あれこれ指図はしたが、お主の待遇に特別な意味を求めてくれるな。わらわは、もう他国の王妃なのだ。気心知れた相手と言えど、他国の客人に対しては、通すべき仁義があるということよ」

「……左様ですか。ともあれ、もてなしを受けた側としては、下手な仕事はできませんね。せいぜい気張らせていただきます」

 

 クッコ・ローセは、シルビア王女を前にして、率直に述べた。彼女が嫁いでからは、初の顔合わせになる。

 女は嫁に行けば、嫁ぎ先の家に入り、生家からは切り離される。ゆえに、かつての付き合いがそのまま維持できるとは限らず、地位も変動するから昔通りの対応もなかなか難しい。シルビア王女のように、柔軟な対応で接するのが正答であると言えよう。

 

「わらわにとって、クロノワークは祖国ではあっても、もはや自国ではない。と、言っても理解は難しいかもしれんが。――いや、そこまで意識する必要はないぞ? こちらとしては、普段通りの仕事をしてくれれば良いと思っておる」

「なるほど。普段通り、私が新兵をしごくノリでやってもよろしいと、そうおっしゃられるので?」

「新兵ばかりではないがな。……ま、その辺りは己で判断するのがよかろう。我が国の女騎士の練度を見れば、わらわの嘆きもわかってくれようさ。――鍛え方は任せる。ケチなど付けさせぬゆえ、思う存分やってやれ」

 

 シルビア王女は、なかば呆れながら言い放った。

 態度からしてぞんざいなので、クッコ・ローセはそこまでひどいのかと、内心不安を感じていたのだが。実際の訓練風景を見せてもらった時、なるほどと納得する。

 

「これは、ひどい」

 

 仮に盗賊団などの相手をさせれば、肉便器の配達にしかなるまいと思う。これ以上ないほどの酷評であるが、まともに戦えぬ騎士など、存在意義すら怪しいものだ。

 

「モリーとか。メナあたりでも充分か。――そいつらなら、一人で全員殴り倒して見せるだろうな」

 

 規格外の連中はさておき。クロノワークほどの水準は求めぬにしても、非正規の弱兵をたやすく殺せる力はあってしかるべきであろう。そうでなくては、職業軍人の資格はない。

 これは本腰を入れて取り組まねばならぬと、クッコ・ローセは鬼教官の仮面をかぶることにした。

 

 まず初対面から飛ばしていく。現実をこれでもかと突き付けて、己の弱さを自覚するまで叩きのめすのは序の口。体力が尽き果てるまで走らせたり、倒れるまで立木を打たせたり。

 叱責、罵倒、きわめて卑猥な悪口で、なけなしのプライドまで粉々に砕く。そうして体と心を叩き折った上で、改めて鍛えなおしていくところにクッコ・ローセの指導の妙味がある。

 

 一通りしごき終えて、一定の評価に達したら、彼女は指導に耐えた者を教え子として認めるのだ。場合によっては、大っぴらに褒めることすらある。

 すると不思議なことに、散々辱められ苦しめられた相手から認められることを喜び、教え子たちは互いに団結を深めるのだ。

 

「一種の心理効果ですな。入口が厳しく、認められるまでが苦しければ苦しいほど、人間は価値あるものを見出したくなるのです。――そうでなければ、苦しんだ甲斐がないという訳でして」

「わらわにはわからぬ感覚よな。……話に聞くだけでは、どうにも眉唾に聞こえるのう。報酬がなければ、人は動かぬものではないか?」

「酒とか金とか、物質的な報酬は、あえて与えません。確たる報酬がないからこそ、精神的な感覚が強調されるのです。……そうですな。明確な見返りがないからこそ、言い訳が利かなくなるとでも言えましょうか。『私は報酬の為ではなく、自分自身の納得のために続けている』――と。そんなふうに思うようになれば、もうこちらのものですな」

 

 逆に言えば、納得を与えるために、ここまでの手間をかけるのである。金銭的、物質的な報酬があれば、『そのためだけにやっているのだ』という言い訳を用意させてしまう。

 そうした言い訳を封殺するためには、下げた後で上げる。つまり、自らを鼓舞するような『充実感』を与えてやることだ。くどい様だが、これは前段階が厳しければ厳しいほどいい。

 

 プライドを折り、しごき、高圧的な指導の下で力を付けさせる。そのうえで成果を実感させ、向上した能力を自覚させて――。

 お前はもう一人前だと、褒め上げるのである。他でもない、憎まれ役の教官が、その時だけは優し気に語り掛けることで、それは完成する。

 

「私くらいの教官が、本気で手間をかけてやれば、失敗することはまずありません。ゼニアルゼの国民が特例ということも、どうやらないようですな。おおよそ全員が仕上がるでしょう」

「……ああ、うん。わらわ、生家のことながら色々と退きそう。――ここまで苦労したのだから、認められたことは素晴らしいことに違いないと、思いたくなるのだろうな。……これを計算してやっておるのだから、えげつないのう」

「誉め言葉だと思っておきます。……これで案外、訓練の進みが早い。流石は名家の令嬢たちだ、と言うべきですな。これは嬉しい誤算と言って良いでしょう」

 

 そうして鍛え続けて、肉便器から弱兵くらいにまで引き上げたところで。

 クッコ・ローセはあらためて、シルビア王女から相談を受けた。

 

「良い感じに育ってきておるようじゃが、足りぬものはないか?」

「時間以外は全てそろっていますよ。――贅沢を言うなら、もう半年はみっちり鍛えてやりたいくらいなんですが」

「お主のいう『みっちり』とは、どれほどの意味合いがあるのか、興味深い所であるが……半年、な。さて。それを許すかどうかは、外交次第かの」

 

 明確な引き上げの期限を決めていたわけではないが、クッコ・ローセは他国の人間であり、クロノワークから『そろそろ戻ってこい』と言われれば、すぐにでも帰国せねばならない立場にある。

 外交次第というのは、そういう意味であろうとクッコ・ローセは思っていた。

 

「ま、そこはそれ、常に万全を求めても可能とは限らぬ。戦場では何もかもが足りぬことも多い。――制限がある中での万全を期すなら、今必要なのは教官の追加であろうかの?」

「追加ですか。確かにウチの教官がもう一人いれば、出来ることも増えますな。私の負担も減るので、ぜひ歓迎したいところです。しかし……私一人抜けるだけでも、結構な手間でしたから。どうでしょうね」

「そんな余裕はない、か? 軍の教官の仕事は、結構大変らしいからのう。二人も派遣するのは厳しいか」

 

 問題を予想していたかのように、シルビア王女はすらすらと述べた。

 わかっているなら、あえて提案するその意図は? もちろん、彼女は出来ないことを言って、他者を困らせるような手合いではない。

 ここまでは、クッコ・ローセに知らせるための前振りである。シルビア王女は、これから巻き込むであろう彼女の、『納得』が欲しいのだ。納得して、物事に集中してほしいから、いちいち手順を踏んで話している。

 

「では、これならどうかの。現役の兵の中から、見どころのある奴を一人選んで、こちらに派遣してもらう。これなら不可能ではあるまい」

「相手次第ですね。指導に向かない奴に来てもらっても、役には立ちません。そうそう都合のいい存在が、いるとも思えませんが」

 

 そして、ここからがクッコ・ローセを引き込むための話になる。

 シルビア王女は、ただ不敵に笑って、核心を口にするのみだ。

 

「わらわが見るところ、一人おるな」

「はぁ。――誰のことでしょう?」

「特殊部隊副隊長の、モリーとやらよ。話に聞いたが、それなりにできそうではないか。そやつを呼び寄せれば、お主の助けになってくれるじゃろう。――違うか?」

 

 モリーの名を聞いたとたん、クッコ・ローセの雰囲気が変わった。

 女の顔を一瞬だけ覗かせて、直後に目が据わる。不穏な気配を漂わせるように、猛禽の如き眼光が、シルビア王女に向けられていた。

 

「――違いませんね。それはそれとして、意図をうかがいたいのですが、よろしいですか?」

「なんじゃ、嫌なのか? わらわは、単純に兵の調練の助けになればよいと思って、提案したに過ぎんのだが。お主も、懇意の相手が来てくれれば嬉しいじゃろうに」

「どこで私の交友関係を調べたのか、それについては聞きますまい。……ですが、余計なお世話だと言っておきますよ」

 

 シルビア王女は、どこまでも涼しい顔だった。凄まれた程度で怯むほどの可愛らしさがあれば、彼女はまた違った人生を歩んでいただろう。

 

「それほど奇抜な提案だとは思わぬ。実際、有能な人物ではないかな。何かしらの理由で、顔を合わせづらいとか、仕事を一緒にしたくないとか言うのであれば別だが?」

「……別段、嫌ではありません。教官適性についても、彼女であれば……そつなく新人の訓練をやりおおせるでしょう。ええ」

 

 クッコ・ローセがモリーの何を評価しているのか。シルビア王女はそこまで理解が及んでいるわけではないが、彼女が出来るというなら出来るのだろう。なおさら、都合がいいと言うものだった。

 

「ならば結構。呼び寄せるのに不都合はないということだな」

「さあ? それはどうでしょう。ザラの奴はいつでも忙しさにあえいでいます。副官を容易く手放させるのは、容易いことではないと思いますが」

 

 その疑問は予想していたとばかりに、シルビア王女は即座に応えた。

 

「対策ならば講じておる」

「と、言いますと?」

「クロノワークとゼニアルゼは、正式に同盟を結んだ。その武力を頼みとしているゼニアルゼとしては、なるべくクロノワークを矢面に立たせておきたい――という心理があるわけよ」

「でしょうな。私がこっちで教官をやっているのは、保険の一環でしょう」

「まあ、保険うんぬんはともかく。……必要とあらば、銭で殴る準備は出来ておると言うことじゃな。騎士団全体を年単位で維持させられるくらいの、大型の資金援助。それくらいのものを用意すれば、代償としては充分ではないか?」

 

 クッコ・ローセといえど、この返し方には絶句した。

 シルビア王女は、してやったりとばかりに笑みを深めてみせる。

 

「何も、モリーとやらの為だけに打った手ではないぞ。二手三手先のことを考えての判断である。――お主が思い悩むべき話でないことは請け負おう。なに、クロノワークにとっても悪いことにはなるまいよ」

「銭で殴るとは、資金援助のことですか」

「うむ。我が国の女騎士隊長のマユに、その辺りについては言い含ませてある。――お主とは入れ違いであったから、面識はあるまいが、あれはあれで使える女よ。……軍人よりは、むしろ官僚の方に適性がありそうじゃがな」

 

 それでも、女騎士の中ではマシな方だと、シルビア王女は言う。

 資金援助の話も、出来るだけ自然な形で持ち出して、『是が非でも』そうしたい理由があるなどとは、悟られぬようにする必要がある。

 マユならば、ヘマは犯さぬであろうと見極めたからこそ、クロノワークへと出向させたのだ。これはこれで、彼女なりの信頼の証であるともいえる。

 

「援助をしてくれるであろう相手が、あえて求めておるのだ。世話をする人員を一人、改めて用意する。それくらいの誠意は見せてくれるよな? ――こちらは金額、そちらは行動で、お互いに誠意を見せあおうではないか」

「……判断するのは私ではなく、国元の連中ですが。モリーを寄こすくらいで援助者の機嫌を買えるなら、小賢しい官吏どものこと。これくらいなら安いものだと考えるでしょうな」

「ふむ。……まあ、あれよ。もともと資金を提供する予定はあったのだから、そこまで堅苦しく考えずともよい。モリーはあくまでオマケに過ぎぬ。わらわが直接、見定めてみたいと思うただけのことよ。――いわば、娯楽。余興の類じゃな」

「娯楽のために呼びつけなさるとか、シルビア様はお暇なんですか? いえ、双方に利益があるというのなら、是非もないことですが、しかし――ううむ」

「娯楽も娯楽、退屈しのぎの戯れよ。……そう思い悩むでない。わらわは何も、とって食おうというのではないのだからな?」

 

 で、あればこそ。なんとも楽しみなことだ――と、シルビア王女は笑った。そこに邪念はなく、ただ興味だけが強くあらわれている。

 クッコ・ローセは、ここで会ったとき、どんな顔をすればいいのかと、少しだけ考えた。いくら考えたところで、いつも通りに接してやるほかないと、そう思い致るまでいささか時間が掛かったが。

 そうした教官の様子を、ニヤニヤしながらシルビア王女が観察していたことを、ついに彼女は気づけなかったのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーは、今、幸せを実感しています。だって、好きな女性たちに囲まれて、楽しく時間と場所を共有できているから。

 いや実際、急な任務が入ったことを説明されて、いくらか面食らっていたところだし。ザラ隊長がせめてもの労いに、飲み会に誘ってくれたこと。ついでにメイル隊長も連れてきてくれたことは、本当にありがたいと思うよ。

 

「と、いうわけでモリーはゼニアルゼに出向することになった。予定ではだいたい二か月くらいになるが、状況次第で帰国の時期は前後するかもしれない、とのことだ」

「ええ……? 教官がいるなら充分でしょ? あの人にかかれば、だいたいの新兵がものになると思うけど……」

 

 ザラ隊長は、経緯を一通り話してくれた。シルビア王女が、是非にもと望んで、私を教官役に指名してきたらしい。

 他の教官を抜くと、こちらの訓練に支障が出るだろうからと、一応の理由は付けてはいるが。――その思惑が別にある気がするのは、私の邪推だろうか。

 

「何かしら、政治的な判断があったのかもな。あるいは、教官一人では手が足らないのか。いずれにせよ、私たちにはあの方の考えなどわからない。……せいぜい、無事にやってこいと。快く送り出してやるくらいしか、できることはないな」

「本当、それね。――寂しくなるわ」

 

 嬉しいことに、メイル隊長とは、そこそこ付き合える仲になったよ。とはいっても、仲を深めていくには、もっと長い目で見るべきだと思う。

 それほどの回数を重ねてはいないけれど、ちょっとした合間に護衛隊の方に顔を出して、お茶の差し入れとか昼の休憩を一緒に取るとか、時間があったときに飲みに行くとか。機会だけは逃さないようにしているからね。今は、それで十分だろう。

 

 本当にね、メイル隊長って可愛いんだよ。だらしなさもまた魅力っていうかね、ザラ隊長にはない無防備さがまた――っと。現実の彼女たちを放置して、想いに浸るのは無作法と言うものだ。

 

「お二方の気遣いに、感謝いたします。――酒杯を交わすのも、これでしばらくはお預けだと思うと、少し寂しいですね」

「本当にね。……モリー。あっちで体調を崩さないようにね? ゼニアルゼの方が贅沢できるでしょうけど、あんまり度が過ぎた贅沢は身を亡ぼすものだから」

「ご忠告、痛み入ります。――はい。決して無理はしませんし、贅沢に溺れたりはしません。元気な姿で帰ってくると、お約束しますよ」

 

 戦なら約束はできないけど、今回はあくまでも教官役に徹するのが私の役割だ。

 体調管理くらいなら、自信はある。そもそも現代日本人としての記憶がある私にとって、ここらの贅沢なんて贅沢のうちには入らないよ。

 

 エアコンの効いた部屋で、疲労を和らげる椅子に体を横たえて。そこそこ上等の酒を嗜み、ネットサーフィンに興じるような、ハイソな趣味にはどうやったって浸れないしね。

 どこだって住めば都だし、人間は環境に適応する生き物だ。貧乏を楽しむ方法も、奢侈から遠ざかる手段も、わきまえているつもりだよ。

 

「しかし、教官役か。お前が、なぁ?」

「似合わないと、おっしゃりたいのでしょう。お気持ちはわかります」

 

 話題としては意外性もあり、酒の進む話なんだろう。メイル隊長も、興味深そうに耳を傾けている。

 酒杯の方については、ザラ隊長もそこそこペースで進んでいる。お二人とも酒豪だから、心配はしていないけど。酒の肴が私の話っていうなら、あんまり安心はできないかなぁ。ちょっと恥ずかしい。

 

「己のようになれ、などと。他人に言っても無駄だというのは、わかるな?」

「もちろん。私のようには、誰もなれません。ザラ隊長、貴女の代わりが誰にも務まらないように、各々には生まれ持った資質があり、個性があります。――そこをわきまえずに指導しようとは、思っていませんよ」

 

 これは本気の言葉だ。教官の前で無様をさらせないという、真摯な気持ちもある。

 もっとも、一番に気遣うべきは、訓練すべき新兵どもだろう。……いや、新兵に限らないのか。女騎士全体の訓練なのだから、色々と懸念されることもある。

 雑多な連中の面倒を、丸ごと見なければならないとしたら、これは結構大変な仕事だ。クッコ・ローセ教官も気苦労が絶えないことだろう。

 彼女を思いやってあげるのは当然だけど、しっかり情報も共有しないとね。ゼニアルゼの風俗とか文化とか、わからないこともあるけど、頑張ろう。うん。

 

「でも、どうかしら。モリーって、紳士じゃない? 女騎士をしごいて鍛えるとか、あんまりイメージに合わない気がする。……大丈夫なの? 実際」

「同感だ。だからこそ心配でもあるが。――そのところ、どうなんだ。敵兵の洗脳とは、また勝手が違う。ある意味近い部分はあるかもしれんが、ちゃんと強くならないと意味がないんだぞ?」

 

 私、ダメな子だって思われてるの……? なんて、変に拗らせた考えが浮かびかけた。

 いやいや、彼女らは純粋に案じてくれているんだ。心配されるくらいには、好かれているのだと思いたい。

 

「教官だっているんですから。そうそう変なことにはなりませんよ。――個人的に考えていることはありますが、独断で進めたりはしません。ちゃんと相談しながらやります」

「それなら、まぁ……」

「いいんじゃない? 教官が見てくれるなら、そこまで悪くはならないでしょ。たぶん」

 

 実際、新兵の訓練を指導する機会などなかったから、今回の任務は初の試みだ。不安はあるし、失敗したら取り返しがつくものか、戦々恐々である。

 でも、やれと言われたら最善を尽くすのが軍人だ。俸給をいただいている以上、いい加減な仕事はしないよ。

 

「色々と試行錯誤することになるでしょうが、そうなると二か月は少々短いですね。――いえ、長ければ長いで辛い事になるのですが、私個人にそこまで劇的な成果を求められても困ります」

「そういえばそうだな。モリーは専門の教官じゃない。一隊員だ。あえてモリーを求める理由があるのか……?」

 

 ザラ隊長は神妙な顔つきで考え込み始めたけど、メイル隊長はしれっとした顔で指摘する。

 

「いや、単純にあの王女様の興味を引いただけでしょ。あの方、結構ノリと勢いで物事を決めるところがあるから。わざわざ指定して呼びつけたっていうのは、そういうことよ」

 

 どこから私、モリーの情報をつかんだのか、それは気になるけどね――って、メイルさん。

 何、私あの物騒な姫様に興味を持たれちゃったの? どうして?

 

「ノリと勢いって、お前なぁ……」

「事実よ? それがまたピタリとハマって結果を出すもんだから、仕える身としては、いちいち疑問に思わなくなるの。――本物の天才って、ああいうのを言うんでしょうね」

 

 つまり、私をゼニアルゼに寄こすのにも、相応の理由があるってことじゃないか。

 やっべ、何ぞやらかしたっけ。最近のことなら、クミン嬢に粉掛けたことかな? ――って、アレは仕事での付き合いなんです、信じてください! あわよくばとは思いましたけど、彼女はそこまでチョロくないですから!

 

「そのノリを引っ張り出した理由が、何であるかはわからないけど。……意味があるってのは確かよ。シルビア様にとっては、後々の布石のつもりなのか、状況をかき回すための駒としてか。――まあ、私には及びもつかない、深淵なる事情があっても驚かないわね」

「感性だけで、そこまで計れるものなのか? ……私は件の王女様とは付き合いがないから、メイルの言を否定できないが」

「経験から言わせてもらうなら、シルビア様の行動理念は理論と感性が半々ってところかしら。趣味嗜好が表れやすい傾向があるけど、基本無駄なことは避けるわ。――よほどのことがない限りはね」

 

 酒が進んでいるせいか、二人とも言葉が多いねー。思ったことをそのまま口にできる酒の席は、ストレスの捌け口にもなる。

 ここは聞き役に回って、二人の会話を刺激しつつ、そこそこの相槌を打つのが正解かな。……自分のことだから、あんまり突っ込んだことを言いたくないってのもあるけど。

 

「私の派遣に意味を求めるとしたら、どうでしょう。シルビア王女の興味を引くほどの何かが、わが身にあるとは思いづらいですが……」

 

 ゼニアルゼに利益をもたらす何か。あるいは、シルビア王女にとって意味のある何か。

 そこまでの存在になれていると、考えていいのだろうか。とてもそんな自信は持てない、というのが本音だ。

 

「見てよザラ。これで自覚なしとか、やばくない? これで彼女、自分が凡庸な騎士だとか思ってるのよ?」

「……ノーコメントだ。モリーの名誉を傷つけたくはない」

 

 微妙な眼で見られた。なんでや。私って、そんな面白おかしい奴でもないやろ!

 鎌倉武士とか葉隠武士とか、それっぽいノリでやってる自覚はあるけど、この時代ならセーフじゃろ? 別に特別じゃないって。私はあくまで凡庸な女騎士です。少なくとも体は。

 

「どのような表現であれ、私を話題にしていただけるのは光栄なことです。――よろしければ、思ったことをおっしゃってください。どうか私の名誉など、考慮せずにお願いします」

 

 おかしくないって。フツーフツー、私は極めて常識的な人間です。信じて。でも違和感があるなら話してね。改善の努力くらいなら、いつでもするから。

 

「遠慮せずに、と言われたら、なぁ。――よくよく考えれば、お前のことを知って、深く調べたとしたら。興味を引いて当然だな」

「同感ね。……貴女が戦場で、どんな活躍をしたか。書類の上でしか知らない私にも、わかることはあるのよ?」

 

 ちょっと気まずそうに、視線を上に向けながら、メイル隊長は話してくれた。

 

「私はこれで結構、武闘派なつもりだけど。そんな私でも、貴女ほど吹っ切れた戦い方は出来ないわね。――死にたくないもの」

「ああ、問題はそちらの方ですか。……教官にもさんざん言われましたが、今さら生き方を変えられるほど、器用にもなれません」

 

 最近だと、あのクソ虫どもの駆除が該当するかな。近頃は害虫の駆除にも命がけになるから困るね。

 ……あれらが害虫なら、私はどうか。その辺りのことは、なるべく考えないようにしている。だから、他人からの分析を聞けるなら、それは貴重な機会だった。

 

「あれはあれでドン引きだけど、それだけじゃなくてね。貴女、すごく早いのよ」

「早い、とは?」

 

 女性に早いって言われると、なんだか男として微妙な気持ちになるよね。これはどういう意味の言葉か、ちょっと聞きたくなる。

 

「そうね。――殴り掛かる速度はもちろんだけど、作戦への理解に始まって、部隊の展開から、敵将の首を引っこ抜くタイミングまで。あらゆる状況への判断が早くて正確。軍事的才能という意味なら、私やザラより上なんじゃない? これは、興味を抱くのに十分な理由だと思うわ。もしかしたら、あの王女様の思考にだって、付いていけるかもしれないもの」

 

 そう言って、メイル隊長は具体的に例を挙げて答えてくれた。わざわざ過去の戦歴まで目を通してくれたらしく、あの戦いではどう、この作戦内容ではどう、と。丁寧に考察を述べてくれた。

 

「部隊長って意味でなら、ウチでは一番でしょう。旗下の一隊を安心して任せられるっていうのは、私らにとってはありがたい存在よ? それ以上の立場での評価は、この前の戦いの結果が物語っているわね」

「お前に殴り掛かられた、盗賊団の連中がかわいそうに見えるレベルだったな。――かのシルビア王女が知れば、見物のために呼び寄せるのも、ありえなくはないのか……?」

 

 別段、誇れるような戦いじゃなかったし、そこまで評価される結果だったとも思わない。

 だから、ここはあえて、毅然とした態度で臨もうと思う。……不興を買ったとしても、仕方ないと覚悟して。

 

「オイスター・クリムゾンの両盗賊団の処理についてでしたら、さしたることではないと考えます。程度の低い相手に対して、被害を出すだけでも不名誉になりましょう。――そのために必要な手を、出来る限り行った。それだけのことです」

 

 クソ虫の駆除程度で、身内を害されたくなかったって言うのが本音だった。私が体を張るのには、充分な理由で、だからこそ完璧な仕事を行ったわけで――。

 

「私が良く働いたというのは、嬉しい評価です。でも、負傷した兵が皆無ではなかったこと。捕虜の中には、いまだ心を取り戻していない、哀れな者たちがいるということを。――どうか、覚えておいてください」

 

 正直、私を褒めるくらいの情があるなら、少しでも傷を負ってしまった、隊員たちも思いやってほしいよ。それから、現場で命を張った兵卒たちについても。

 彼女たちは、頑張った。それを無視して私を褒められても、嬉しくなんかないんだよって、真摯に伝える。

 

「それよ」

「それだな」

 

 ちょっと。二人だけで頷いて、分かり合わないでください。理解できずに困っている子もいるんですよ!

 

「それとは、なんでしょう?」

「……説明したほうがいいか?」

「是非にも」

 

 ザラ隊長が、メイル隊長に視線を向けると、彼女は頷いてから優しく微笑んだ。

 ……何? 何の符丁なの? 私は何も聞いてませんよ! ザラ隊長!

 

「せかさずとも話してやるさ。……そうだな。敵に対して残酷でも、身内には優しい。それくらいなら、珍しくもない話だが」

 

 だよねー。うん、フツーフツー。現代日本人の価値観からは、どうかなーっていう気持ちはあるけど、私がいるのは近代以前の時代なんだから。やっぱり特別視する理由はないって思うの。

 

「なんて言うかな。お前の場合、落差がひどいんだよ。――お前は、礼節をわきまえていて、目上には丁重で目下にも優しく、傲慢さがまったくない。……気遣いも行き届いていて、不快を感ずるところがないっていうのは、副官として得難い資質だ。これは、いつも言っている気がするが」

「はい。過分な評価、痛み入ります」

「……そうやって、完璧な礼をしてみせる。親しさに奢らず、常に相手を尊重し、へりくだる姿勢を崩さない謙虚さについて。お前は、自分の価値を知るべきだよ。指揮下に入った兵たちからの評判もいい。好かれている自覚くらいはあるよな?」

「どうでしょう。鈍感な性質だとは思いませんが……はっきりと慕われているとは、なかなか言いづらい所ですね」

 

 どうかなー。表向きはそう見えても、内心は下心にあふれていることもありますよ。他人の心は覗けないし、自分の内心だって、把握しきれない部分はどうしても出てくる。

 やっぱり、私の本質はどこまでも男性的だ。レディファーストの精神っていうか、女の子に幻想を抱きたい、童貞らしい臆病さの発露っていうか。これは、あんまり価値を認めちゃいけない部分じゃないかな。

 女の子相手だと、目ん玉が節穴になってしまうことについて、これで結構自覚してるんです。

 女の子の定義については、アラサーまでなら充分範囲に入っているよ。だから駄目なんだって? そうね。でも改めるつもりはないですからー。

 

「困った顔も、品がある。そうした女は貴重だぞ。男受けすると思うんだが、どうだ?」

「寒気がするのでおやめください。――男に身を任せるなど」

「失言だな。とうとう取り繕うのをやめたか?」

 

 やっべ。やらかした。レズって思われちゃう。ていうか絶対見破られた。

 違うんです。私男なんです。体はともかく、精神はそうなんですよ! 前世の記憶があるから仕方ないんですよ!

 

「……お判りでしょうに。意地が悪いです」

「すまんな、許せ。――私がお前の嗜好を認めて受け入れられたのは、つい最近の話なんだ」

 

 拒否されないだけでも、嬉しいです。認めてくれたっていうのは、許してくれるってことで、いいんだよね。

 どうか、貴女の傍に、これからも居させてください。想いに応えてほしいなんて、望まないから――どうか。

 

「いいんだ。私は、お前の有能さを疑ったことはない。わざわざ私の方から遠ざけるようなことはありえないと、確約してもいい」

「恐れ多いことです。――人は、自ら発した言葉に縛られるもの。私などに、約束など不要です。そこまでせずとも、貴女が私を必要とする間は、傍を離れたりはしません」

 

 頭を下げるのも、慣れたものだ。貴女に対して、ここまで綺麗に礼を行うのは、私以外にはいない。

 そう断言できるくらいには、付き合いも長いと思うのです。同じように思ってくれるなら、これ以上の幸福はないよ。だからどうか、謝らないで。

 

「えーと、その。ラブラブな所、悪いんだけど。私も話に参加していいのよね?」

「おい、メイル。邪推してくれるなよ。これはあくまで、上司と部下の会話だ。いかがわしい意味合いなんて、まったくないんだぞ?」

「そうですよ。ザラ隊長は、公私を分けられる方ですし、同席している方を蔑ろにされる方でもありません。どうぞ、気兼ねなくご参加ください」

 

 遠い目をしているメイル隊長に、私もザラ隊長も気遣いを表明せざるを得ない。

 うーん、ちょっと疎外するような感じでも与えてしまっただろうか。私もまだまだ精進が足りんね、どうも。

 

「じゃあ、言わせてもらうけど、さっきの続きね。――ザラの懸念ももっともだけど、私が心配しているのは別の所」

「なんだ、他にもあるのか」

「ええ。……モリー? 自覚があるかどうかはわからないけど、カリスマ性を含めた軍事的才能って、貴重なのよ。出来不出来の差はともかく、作戦に秀でているだけなら、代役はいくらでもいる。私だってそうだし、副官のメナも、貴女と拮抗するくらいの力量はあるでしょう。でも、重要なのはそれ以外の部分なの」

 

 カリスマ性って部分以外は、わかる。自分には、もったいないくらいの才があることも自覚している。

 

「それ以外の部分、という表現についてはわかりませんが。――しかし私は、どうやら水準以上の才覚を持っているみたいですね。……真剣な殴り合いで負けた記憶は、ほとんどないような気がします」

 

 修行、訓練の場でなら、未熟なうちは敗北も重ねた。それでも、ここ数年は地べたを舐めていないのだから、我ながら大したものだと思う。この点については、非凡な自覚はないでもない。

 でもなー、他の部分に目を向けようにも、感覚的な感想に終始しているし、個人差があるんじゃないかな。少なくとも、個人的には納得するのは難しいよ。

 

「どうにも理解が及びません。他者の興味を引くほど重要な部分は、どこにあるのでしょう?」

「あー、うん。そう。――自覚と言っても、そこまでな訳ね。じゃあ、詳しく話してあげましょうか」

「お願いします、メイル様」

 

 酒うめぇ、とばかりに杯を干してから、メイル隊長は続けた。

 

「さっきのは、言い方が悪かったわね。本当に大事なのはそこじゃないのよ。――酔いが回ると、まどろっこしい言い方をして悪いわね、どうも」

「メイル。前置きはいいから続けろ。――で?」

「ザラ? あんたがカリカリしてどうすんのよ。……さて、ここからが大事な話ね。カリスマ性って、私は言った。これは、ザラが隊長として不適格であるとか、貴女の方が適任とか。そういう意味合いの言葉じゃないってことを、まずは理解してほしいの」

「はい」

 

 わかりました――って、明言するのは難しい話だった。なにそれカリスマ? 私にそんなものがあるなんて思えないんだけど。

 

「カリスマっていうのは、表現が悪いかもね。単純に、魅力的なのよ、貴女。その魅力が周囲に伝染して、他者を熱狂させる才がある。……そうした存在が、よりにもよってザラの部下に甘んじているっていうのが、シルビア様にとっては不可解なんじゃないかしら。私の目から見ても、貴女がザラに取って代わったって、おかしくないように見えるもの」

「それは流石に、贔屓の引き倒しというものではないでしょうか?」

「この際、個人的な感情は置いておきましょう。私やシルビア様からはそう見えた。その事実の方が、よほど重要だと知りなさい。――自分の魅力について、貴女はもっと自覚すべきよ? 私の目から見ても、モリー。貴女は複雑で、困惑するくらいに異質に見えるのよ」

 

 そして異質であればあるほど、不可解であればあるほど、深く興味も沸くものだと、メイル隊長は補足してくれた。

 

「私自身の魅力など、考えたこともありません。――しかし、ザラ隊長は有能なお方ですよ? その補佐をする側としても、相応の才覚を求められて当然ではないですか。何が可笑しいのでしょう?」

 

 私としては、副官でいられるだけでもありがたいと思っているのに。ザラ隊長は、良い上司だ。それは私が保証する。

 

「その疑問の答えは、自分で見つけなさい。――で、長い付き合いの私には、シルビア様の思考がそれなりに読める。だから、早々に切って捨てずに、続きを聞いてほしいのだけど」

「……失礼しました。どうぞ、続けてください」

 

 ちょっと感情的になっちゃったよ。……いかんね、どうも。ザラ隊長のことになると、どうしても譲れなくなる。

 これからは頭を冷やして、冷静に。かつ礼節を保って、メイル隊長と相対せねばならない。

 

「これは異質というか、影響力の強さとでもいうべきか、ともかく。……貴女の下に付いた者は、モリーという存在を強烈に意識してしまうのよ。だから、貴女に憧れたりする人も出るわけ。さっきザラも言ったでしょう? 部下に好かれている自覚はあるかって」

 

 マジか。

 ザラ隊長に目を向けると、マジだ、と具体的に言葉にしてみせた。

 

「さっきは言い忘れたが、実際特殊部隊にはモリーから影響を受けたと思しき隊員が、結構な割合でいるんだ。ここ最近、ウチの部隊の練度が上がっているのは、それだけ厳しい訓練に耐えてきたからだが――。それを耐えさせたのは、間違いなくお前の功績だぞ?」

「……訓練の足りない部下たちを、ちょっと個人的に見てあげたことはありますが。さほど時間は使っていませんし、特別な鍛錬をしたわけでもありません。単純に、本人の資質なのではありませんか?」

「お前って、本当に他人から向けられる感情に疎い奴だな。――モリー、こう言えばわかるかな? メイルはカリスマなんて言ったが、私からすれば同性を妙に引き付ける、まったく別の意味での魅力だと、そう表現したほうがいいと思っている」

 

 異質と言えば、そうなんだろうなとは思う。元男だし、日本生まれの記憶もあるし、この世界にはありえない哲学とか理論とか、頭の中には残っている。

 それらの知識を、意識して使うことは少ないけれど。他人にとっては、異端として見える部分もあるのだろう。改めて指摘されれば、否定できないところだ。

 

「まあ、男装して諜報活動なんかに参加している時点で、異質も異質ね」

「――メイル、なぜお前がそれを知っている」

「知らないの? 最近、夜の街じゃあ男装の麗人が女の子をとっかえひっかえしてるって、結構なウワサになってるんだけど。これ、やっぱりモリーのことで間違いなかったのね?」

 

 初耳だけど、人聞きの悪い話だ。私が直接相手をしているのは、ソクオチのあの二人だけだし、肉体関係なんて持ってない。

 事実に即していない時点で流言の類だとはわかるが、それならそれで、誰がどのような意図で流したのか。重要なのは、そこだろうね。

 

 もっとも、私の中ではすでに答えが出ている。これは確実に、私を諜報の現場から締め出す行為に近い。少なくとも、当分は現場から離れざるを得ないだろう。

 ――そこまでして、私の器量を計りたいのですかね、シルビア王女様。情報に強いのも考え物です。世の中には、知らないほうが楽しいこともあるんですよ?

 

「十中八九、シルビア王女の手引きですね。おそらく、私を確実に呼び寄せるための策でしょう。――身元が割れてしまっては、男装の意味も薄れてしまう。時間を置くべきですが……すると、私の転勤は二ヶ月で済むとも思えなくなりましたよ」

「お前のこれまでの仕事について、あの王女様は把握しているということか。……あの方の情報網はどうなっているのやら。どこまで調べ尽くされているかはわからんが、甘くない相手だ。向こうに行ったら、一時たりとも油断するな。何を弱みに握られても、屈するんじゃないぞ」

 

 今さら身の処し方とか、保身とかを考えられる性分ではないから、自然体で接するまでである。

 まあ私自身、シルビア王女には興味も出てきたところだ。こうも手を尽くして歓迎してくれているのだから、飛び込んでみるのも一興だろう。

 

「どう転がるかはわかりませんが、ゼニアルゼとしても、クロノワークから悪感情など持たれたくないはず。戦略を描いているのが、かの王女様だとすれば、無体なことはなさらないでしょう。――どうぞ、ご心配なく。私は無事に帰ってきますよ」

「そう願う。……メイル、お前も心配になってきただろう?」

「さて。そういう気持ちもないではないけど、モリーなら心配するだけ無駄ってもんでしょ。――勘だけど、シルビア様って、モリーとは相性が悪い気がするのよね。天才軍師の王女様に天敵がいるとしたら、モリーみたいな奴だろうって思うの」

 

 理由については、教えてあげないけど――なんて。

 なんて意味深なことを言うんですか、メイルさん。貴女、そんなことをいうキャラでしたか? 割と驚きです。

 

「ごちゃごちゃ話してきたけど、難しい話はもういいでしょう? どうせ、なるようにしかならないんだから、今からアレコレ悩んだってしょうがないじゃない。――ほら、せめてお酒くらい楽しく飲みなさいよ、貴女も」

 

 メイル隊長から杯を受け取って、ワインを注がれる。短い付き合いだけど、彼女としては割と珍しい行為なんじゃないだろうか。

 でも純粋に嬉しいから、喜んで受け入れます。

 

「では、モリーの成功と、無事の帰還を祈って」

「シルビア様の目論見が、害のない範囲で収まることを祈って」

「ザラ隊長とメイル隊長が、つつがなく平穏な日々を過ごせること。クッコ・ローセ教官の、穏やかで安楽な人生を祈って」

 

 ザラ、メイル、そして私モリー。

 三者三様の言葉を掲げながら、私たちは杯を空けた。どうか、無難で平和な日々が続きますように、祈りながら。

 それが儚い望みであったのだと、思い知るのに。さしたる時間は、必要なかったのでした――。

 

 

 

 

 

 





 どうにか、九月中の投稿に間に合いました。
 定期的に、安定して作品を公開することが、作者としての技量を高める一番の方法だと信じています。

 さりとて、有言実行も難しいのですが、今のところは実践できているわけですね。

 来月も、二回投稿出来たらいいなぁと。そう思いながら、執筆しています。感想などいただければ、幸いに思います。




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政治的な出来事に巻き込まれてしまうお話


 はっちゃけました。

 色々とアレなノリになっていますが……作者は何も考えずに書いているのです。
 深い考えがあるわけではないので、気軽な気持ちで読んでくだされば、嬉しいです。




 モリーがゼニアルゼに到着したと聞くと、クッコ・ローセは理由をつけて職場を離れ、早速彼女の顔を見に行くことにした。

 シルビア王女が呼び寄せるのだから、近々やってくるのだろうとは思っていた。だが、実際にここで出会えると思うと、どうにも気が逸ってしまう。

 

「おや、これは教官殿。お久しぶりです」

「――あ、ああ。モリー、お前も元気そうで何よりだ」

 

 とはいえ、いざ再会してしまうとありきたりな言葉しか出ないのが、クッコ・ローセという女性である。不謹慎なユーモアならいくらでも出てくるのだが、今はそんな気分ではなかった。

 

「はい。この程度の遠征で体調を崩すようでは、クロノワークの騎士の質が疑われてしまうでしょう。せっかく教官が勝ち取った信頼を、私自身の不手際で台無しにするわけにはいきません」

 

 しかしモリーの方はと言えば、久方ぶりに出会えたことの喜びを、節度のある態度で示してみせる。もう少し、お堅い態度を崩してもいいと思うのだが。

 

「信頼なぁ。別段、私は普通にやっているだけだが……そちらも、変わりはないか?」

「クロノワークは、いつも通りの平穏を享受していますよ。それがいつ壊されるかはさておき、準備には余念がありません。今回のこれも、その一環という訳ですね。――宮仕えの身ですから、あえて批判は致しませんとも」

 

 節度というか、どこかしらトゲがあるような、微妙な雰囲気だった。

 怒っている風でもないので、クッコ・ローセは反応に困る。なので、無難と思われる話題を出して、話をつなげることにした。

 

「そういえば、お前。シルビア王女との謁見は済ませたのか? あの方は、お前に色々と期待している様子だったが……?」

「ああ、そう言えば誰かに呼ばれていたような気がしますね。――でも、私は知りません。正式に御下命があったならばともかく、そうでないなら急ぐ必要はないでしょう」

 

 無難どころか、劇薬であった。モリーの言葉には、はっきりとした拒絶が含まれている。

 クッコ・ローセは冷や汗が出る思いで、彼女に問うた。

 

「お前……! すっぽかすつもりか?」

「人聞きの悪いことを言わないでください。――私は、正式なクロノワークの使者なのです。それが祖国の名誉にかかわるのなら、何で拒否などしましょうか。……まあ、私としては、傲岸なるお姫様に対して、いささかの好意を抱く理由もないというわけです」

 

 これはモリーの独断か、あるいは国元から何かしら言い含められてきたのか。

 それを知るすべはない。直接問いただしたところで、それを信じられるかどうかは、別の話なのだから。

 

「……私は、調練の合間に来てやったところだから、またすぐに戻らねばならん」

「そうですか。歓談は、またの機会にしましょう。私は、諸々の手続きを済まさねばなりません。まずは事務方に顔を出す必要がありますので、この辺りで失礼いたします。――では」

 

 モリーは他国の使者である。仕事に入る前に、これから所属する軍組織からの顔合わせは当然だが、関連する部署へのあいさつ回りも欠かせない。ゼニアルゼは大きな国家だから、公務員同士のつながりはどうしても広くなる。

 クッコ・ローセも経験したことだから、これ以上引き留めることはしなかった。一抹の不安を感じながらも、仕事に戻り――。

 いつも通りに兵どもをしごき終えて、軽く書類をまとめる。それから、さあ帰ろうかという時間帯に――シルビア王女からの使いが、息を急いてやってきた。悪い予感を覚えつつ、用件を聞き賜る。

 

『今すぐ来い』

 

 という一言。彼女の内心の怒りが垣間見えるようで、クッコ・ローセは焦りを隠すのにしばし時間を要した。ともあれ、急ぎ身支度を整え、シルビア王女の元へ走る。

 顔を合わせて見ると、なるほど。確かに不機嫌そうな面持ちで、彼女はベッドに体を横たえていた。

 

「モリーとやら、存外と図太い奴らしい。わらわの呼び出しに応じぬのは、どういう訳であろうかの? ええ?」

「まだ初日です。話を通すべき部署が多く、都合がつかなかったのでしょう」

 

 シルビア王女は、にらみつけながら責めるように言った。

 呼びつけておきながら、この態度。無礼と言ってもよいはずだが、クッコ・ローセは気にしないことにした。身内に対する甘えと思えば、むしろ微笑ましいとさえ思う。

 クッコ・ローセは、もともと弁が立つ方ではない。取り繕えぬなら、下手に言葉を重ねたところで、良いことは何もないだろう。適当に相槌を打っていれば、機嫌を直してくれると期待したいところだった。

 

「話を通すというなら、わらわを無視する道理はないぞ。――いや、そもそも日が暮れる前には用事も終わっていたそうでな? わざわざ大衆食堂まで足を延ばして夕食を取り、軽く街中を散歩してから宿舎に入ったそうな」

「それは、また」

「ふざけておる。わらわの名を侮辱するにもほどがあるわ。これほどの無礼者であるとは思わなんだぞ。調べた限りでは、礼儀正しいという話であったが――」

 

 そういえば、とクッコ・ローセは思う。モリーは何と言っていたか。『正式な御下命』がなかったとか、そんな風に話していた。

 シルビア王女は、どのような形でメッセージを送ったのか? 聞かずにはおれなかった。

 

「質問させていただきたいんですが、どんな風に呼びつけたんですか?」

「ああ? どうって……普通に言付けて、即刻わらわの前に来るよう命じただけじゃぞ?」

「誰に、どのように? 正確な文面もお願いします」

「……なんじゃ、小姑みたいなことを言うのう」

 

 シルビア王女は、視線を宙に向けながら、思い出すように言葉をつむいでいく。

 

「モリー到着の報を聞いたのが、ちょうど大臣と駄弁っているところだったのでな。大臣に言付けを頼んだのよ。じゃから、正確な文面など知らぬ。……わざわざ確認しようとも思わなんだ。わらわとしては、モリーがすぐに馳せ参じるであろうと、無邪気にも信じていたからのう!」

 

 途中から何かに気付いたように、シルビア王女は態度を急変させた。寝そべっていた体勢から跳ね起き、立ち上がると速足で部屋の中を歩き回る。

 あまりの変わりように、クッコ・ローセは困惑する。大臣とやらが、何かやらかしたのか? 彼女の立場からは、想像するしかない。

 

「人畜無害に見えたが、大臣め。わらわの専横がよほど気に入らぬと見える。――このような嫌がらせを仕掛けてこようとは、外見に似合わぬ陰湿さよ」

「政治的な、宮廷闘争ですか。私にはわからぬ世界の話ですな」

「……これは、詳細を調べなくてはならんな。ことによると、モリーの態度は責めるべきものでない――かもしれぬ」

 

 ぶつくさと文句をつぶやきながら、シルビア王女は今後の対応について、思考を巡らせていた。

 クッコ・ローセは、すでに考えることをやめている。それはそれとして、明日からはモリーが仕事仲間になるのだ。

 共有すべき情報を整理しなくてはならないし、適当な理由をつけて退室すると、彼女は資料をまとめにかかった。

 誰の思惑がいかなる成就を遂げようと、あるいは妨害されようと、世の中は回っていく。

 そうと知りながらも、誰もが無防備ではいられない。これもまた、人の世の悲しさと言うものであろうか――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼニアルゼに到着しました。モリーです。

 いやー、栄えてるね。ウチとは大違いだねってくらいに人が多いし、物も多い。あと風紀の自由っぷりも見ていてわかる。

 明るいうちから風俗とか、あんまり褒められたもんじゃないと思うの。秘してこその花よ。

 細い路地とはいえ、表通りから見える部分では、色事は遠慮してもらえませんかねぇ……。

 

 まあ、それはそれとして、諸々の面通しは終わったから、明日からは普通に働けるね。クッコ・ローセ教官との共同作業とか、割とドキドキしてますが。それとはまた別の出来事で、心臓に悪い綱渡りをしています。

 

 今から思い返すのもアレだけどさー。あんまり下手な手は打ちたくないし、再度考察するのもいいだろう。

 

 では改めまして、問題のシルビア王女様について。――何と言いますか、ええ。結構つつしみに欠ける方ですのね! 色事的な意味でなくて、政治的な意味でね。

 王子派閥(要するにシルビア王女の夫の派閥)の重鎮らしい大臣殿から問題視されているって、割とひどくない? 同派閥内で反目し合うとか、健全な関係からは程遠いと思います。

 聞けばあの王女様、国政を担っていた宰相とその参謀を、唐突に前触れもなく即処刑したとか。噂には聞いてたけど、マジで躊躇なく処断したんだね。

 いやー、流石は武名の誉れ高きシルビア王女様。果断即決、実に正しい。貴女にとっては最善にして最速の策だったろう。

 

 でも、正しければすべて良しってわけでもないよなぁ! 手順を踏まなかったことで、シルビア王女は独裁的で強権的な人物とみられている。実力が伴っているから、排除されるどころか君臨しているけど、大臣殿からしてみれば、危うく見えて仕方がないんだろう。

 

「――どうか、本日はご遠慮ください。シルビア王女が何を言われようと、しばらくは無視していただきたいのです」

 

 実際に会ったときは面食らったよ。なんで一騎士に過ぎない私の所に、国務に関わる大臣殿が飛んで来るんだって。

 彼曰く、シルビア王女は私と会って話をしたいらしい。だからすぐに来い、とのことだが……。大臣殿は、これをあえて退けてほしいという。

 

「王女様は、私に文を預けませんでした。ただ口頭で、モリー殿を呼んでくるようにと、私にその対応を任されました。なので、こちらとしても相応の態度で接しようと思うのです」

 

 大臣殿の顔に、怒りはない。呆れている風でもない。

 なんとなく、心配性のおじさんが、あれこれと気を回しているような雰囲気だった。声には少しだけ、疲れの色が見える。

 

「証拠が残らない、口頭のみ。つまり、非公式な対応で済ませるおつもりで……? おや、もしかして私巻き込まれてます? 陰湿な宮廷政治にかかわるつもりはないのですが」

「私も、他国人を関わらせたいとは思いません。あの王女様が不敬を重ねなければ、巻き込むこともなかったのです。――しかし、私が非礼を犯しているのは確かでありましょう。モリー殿、どうかお許しいただきたい」

 

 大臣殿は、そう言って恭しく頭を下げて礼をした。

 だから私は、慌てて弁解せねばならなかった。

 

「頭をお上げください! 許しなど、請われる筋ではありません。貴方に非などないではありませんか。……仮にも大臣殿を使い走りに用いるなど、そちらのほうがよほど問題です」

「そう言って頂けるならありがたい。いや私も、想いを同じくしてくださるならば、気が楽になると言うものですな。……これが宮廷政治と言うものでして、何とも回りくどいやり方であると、我ながら自嘲するしだいであります。仕事に割込む形で訪問した件も含めて、無作法をお許しください」

 

 うやうやしく、再度頭を下げて大臣殿は詫びて見せた。二度目となれば、無理に制止するわけにもいかぬ。

 ……天然でやってるなら相当なものだけど、この流れは彼の思惑通りではあるまいか。流れ的に、私は大臣殿に対して後ろめたい感情を抱かざるをえない。

 シルビア王女は私の上司ではないけれど、自国の王女であることには変わりないし、彼女が何かしらやらかしたなら、気まずい思いを抱いてしまう。

 大臣自身、表情も態度も凡庸な中年そのもので、警戒しにくい雰囲気もある。――まあ、こちらとしても、彼を責めて得することはないのだし、話を続けよう。

 

「……しばらくは無視せよ、との仰せですが、具体的にはどれほど?」

「まず二、三日は様子を見てください。尋常ならぬ雰囲気であれば、無理をせずに釈明されればよろしいでしょう。私が文句を付けたからだ、と言えば、モリー殿の責任問題にはならぬはずです」

「三日を過ぎたら?」

「私から場を整えます。連絡あるまで、仕事に専念してください。――どうかご心配なく。いずれにせよ、累が及ばぬよう工夫いたします。ですので、しばしお待ちください」

 

 重要なお話は以上。社交辞令とか別れの挨拶とか、そういうのはまったく頭に入ってこなかったよ。

 頭の痛くなることに、しょっぱなから巻き込まれた感じで、対応もおざなりになっちゃったけど……これは仕方ないと思ってください。本当いっぱいいっぱいなんで。

 

 思い返してみると、何で? って思う。シルビア王女には彼女なりの。大臣殿には彼なりの思惑があって、複雑な利害関係があるんだろうけど、そういうのは他所でやってほしいんですが。

 ああ、でも、私ってシルビア王女のわがままで連れてこられたんですよね。その時点で巻き込まれてますよね。――そりゃ大臣殿も無視できんわ。

 だってシルビア王女って、粛清やら反乱の鎮圧やらがあったのに、短期間で国内をまとめてしまったんだもの。別の派閥の連中にとっては、手段を選ばない冷酷な危険人物なのは確かだし、警戒されるには充分な理由だ。

 

 しかも動乱が治まったと思えば、今度は祖国から自分の身内(実際はともかく、対外的にはそう見られてしまう)を次々呼び寄せるんだからね。次は何をやらかすのか、邪推されても仕方がない。クッコ・ローセ教官だけなら、言い訳もできたんだろうが。

 

 そりゃあ、せめてほとぼりが冷めるまで、時間を置いてくれって言いたくなるのもわかる。

 王女のわがままを通す前に、『これは安全な策ですよ』って周囲に理解を求めて、環境を整えたいんだろう。穏健派っぽい大臣殿なら、それくらいの手は打つよね。わかるよ。だから、今少しは乗っかってもいい――んだけど。

 

 ぶっちゃけ、従ったら従ったで問題もある。なんで他国の大臣の、それも非公式な訪問での『申し出』を素直に受けるんだ! ――って非難されると、私の立場では返答に困る。

 シルビア王女とのつながりを重視するなら、大臣殿の事情を無視して、媚びを売りにいくのが正しい選択だ。ザラ隊長だったら、『悩んでないでさっさと行け』と言ってくれるに違いない。

 

 でも、残念ながら私の上官はここにはいないし、国元に相談を持ち掛ける時間的余裕もないわけで。……個人的感情で決めても仕方ないよね。帰ったら難癖を作られて降格とか免職とか、覚悟しておいた方がいいかも。

 頭が痛い。危機感を覚えながらも、自分を曲げることができない。今さら己の在り方は変えられぬと、心の底から信じている。見苦しくあがくよりは、自分に正直なまま潔く去りたい。私はそんな人間なんだ。

 

 ――だから翌日になって、仕事の現場に出るまでは、それら厄介な事情については忘れることにした。どうせ後で嫌でも自覚することになるんだから、必要な場面以外では思い悩みたくない。

 でも実際、クッコ・ローセ教官と職場で顔を合わせてしまうと、諸々の問題が些細に思えてしまうから不思議といえば不思議だった。人間、心の持ちようで随分と変わるもんだね。

 

「改めて、よろしくお願いします、教官殿」

「これからよろしく、モリー。さて、とりあえずは情報の共有だな。隊員の仕上がり具合と、これまでの訓練内容について。必要なことはおさらいしておこう」

 

 癒される。

 いや冗談じゃなくて、本気で教官の愛を感じるよ。錯覚だとしても、私はそう信じたい。それまでが殺伐としていたから、なおさらだ。

 手作りの資料に、わかりやすく添えられた私見が光っている。私、古本の書き込みは楽しんで見るタイプなので、実にありがたい。

 実用的でわかりやすいなら、文句をつける筋合いはないし、むしろ感謝すべきだろう。だから、言葉にして伝えよう。

 

「ありがとうございます。これで、おおよその見当は付けられますね」

「それで、検討や如何に? とりあえず、ウチの基準で弱兵程度までは鍛えた。精鋭にまで引き上げるとなると、本気で半年は見る必要があると思ってるんだが」

「期間については、何とも。しかし、調練の方法については、別のやり方を提示できるかと思います」

 

 教官殿は、祖国でのやり方を通しているから、私にはその詳細がわかっている。このまま継続しても、大きな問題は出ないだろう。

 私は教官の手伝いとして、そこそこの役に立てればいい。新しいこと、独自の手法を試したりして、リスクを冒す必要は、本来ないんだけど……。

 

「別のやり方?」

「と、言うよりは手っ取り早く戦力を底上げさせる方法ですね。――死域を体験させてみようかと」

 

 死域っていうのは、要は体を酷使して、脳内麻薬がどっぱどっぱ出てハイになっている状態のこと。なお、生半可な訓練ではまずならない状態で、しかも行きすぎるとガチで死亡する模様。

 結果として、死の半歩手前まで追い詰めることになるわけで、そこまでやるからには、生半可な鍛え方では耐えきれないのが目に見えている。その辺り、やれるかどうかの判断は教官に任せるしかない。

 

「……そこに至れそうなやつは、見たところ一人もおらんぞ。無理にやるのはお勧め出来ん」

「そうですか。なら仕方がありませんね」

「――というかな、お前のアレは死域ってもんじゃないだろ。別のナニカだ。他人にそこまで期待してやるな」

 

 まあ、結果に期待しすぎてはいけないってことはわかった。――でも、それならそれでやりようはある。

 基礎訓練の下地はそこそこ、体力も付いてきている。ここらで彼女らにも、自分たちの力量を確認させてやるべきだろう。

 以前は出来なかったことが、今は出来るようになっている。その自覚を持たせてやれれば、やる気も上がるってものだ。

 

「では実戦形式で、一つ模擬戦でもやってみましょうか。紅白に分かれて、お互いに殴り合うのです」

「おー、あれか。私も考えていたんだが、教官一人でやるには負担が大きくてな。……私とお前で、指揮官役をやれば――できなくはないか。しかし、問題が一つ」

「はい。……教官は、すでに女騎士たちから信頼されています。憎まれてはいるでしょうが、その指示に従うことに、疑いを持つことはないでしょう。――ですが私は新参者。いきなり上官として居座ろうとしても、反発を受けて当然です」

 

 なので、まずは私とこの国の女騎士たちとで、交流を深めねばならないわけだ。模擬戦の予定を組むのは、それからだろう。

 ここは軍隊なのだから、手っ取り早い交流と言えば、教官流のやり方に従うのが良い。具体的には、二人で話し合って決めた。

 

「じゃあ、そういうことで頼む」

「はい、承りました」

 

 奇をてらっても仕方がないので、当面は教官の真似事をすることになる。あの人は最初に団体戦を企画したそうで、男騎士たちのいい見世物になったらしい。

 その例に習って、初見で飛ばして後はそこそこゆるゆると、クロノワーク式の訓練を指導していけばいいやってことだ。だったら簡単だね!

 

 そうして、私は指導すべき女騎士たちと、面通しをした。隣で教官も見守ってくれているので、私自身も安心できる。

 全員そろったところで見回してみると、心がすさんでいるのか、目つきの悪い連中が多い。比較的平穏を保っている者もいる様子だが、そんな彼女らも私を胡乱な眼で見ている。

 いきなり教官が増えたって言われても、そりゃ困惑するだろうから仕方がない。割り切って、自己紹介から入る。

 

「ご紹介にあずかりました、モリーです。クッコ・ローセ教官と同じく、クロノワークで騎士をやっております。……これからは、私も指導に加わることになりました。どうか、今後ともよろしくお願いしますね?」

 

 最初の言葉は優しく、穏やかに。笑顔を維持し、反感を持たれづらいように、謙虚な姿勢を崩さない。

 ……あの教官とは違うみたいだぞ、と。彼女たちが理解してくれれば幸いだ。

 その方が、落差をより大きく感じるだろう。衝撃は、なるべく大きい方がいいな。衝撃によって思考に空白が生まれれば、その分だけ洗脳が捗るからね。

 

「さて、これから私は、皆さんの訓練を指導するわけです。教官ほど立派にやれるかどうか、さほど自信はありませんが――そこは皆さんと一緒に成長できたらいいな、と思っています。とりあえず、初日の今日は、軽く流しましょう。とりあえず――ですね」

 

 明るく、気さくで、軽い感じを与えましょう。安心できる雰囲気の演出も大事です。

 実際、私はそのつもりでやっているのだから、嘘はないんだ。私は本気で、彼女たちと向き合おうと思っている。

 

「死んでください」

 

 言葉の上での比喩だが、疑似的に体感させるという意味では真実である。今はまだ、そこまで追い詰めないけれど、ゆくゆくは、ね。

 せっかく教官が手塩に育てた原石なんだから。とことんまで鍛えないと損だろう。

 

「正確には、生への執着を捨ててください。何度打たれても、どうか意識を強く持って、呼吸を忘れないでください。痛みと疲労の中で、平常心を保てるようになってほしいのです。――大丈夫! 教官が鍛え上げた貴女たちならば、きっと耐えられます」

 

 何だか妙なノリになってる自覚はあるけど、やることは変わらない。これから全員、私に斬りかかりなさい。皆が倒れるまで、私は付き合おう。

 立ち上がれるだけの力があるうちは、文字通り死んだ気持ちになるまで、絶対にやめてあげないから。だからどうか、気を強く持って、身体まで死なせないでください。

 

「お願いです。どうか、全力を出し尽くしてください。それが出来ないのならば、それまでです。……願わくば、誰も亡くならず、無事に生きて帰ることができますように。私は願ってやみません」

 

 手加減はします。絶対します。

 安全性の確保は大事ですから。

 大丈夫、どこをどうしたら人の体が壊れるか。私はちゃんと理解していますよ。

 赤樫っぽい材質の木刀は、わざわざ自宅から持ち込んできた逸品で、手になじんで長い。加減を間違えて打つということも、まずないと確信する。

 これは訓練なのだから、相手を不具にはしたくないし、贅沢を言うなら骨折だってさせたくない。

 可能な限り手加減する必要があるのだから、そのための努力は全力でやろうと思う。

 

「では、皆さん。手にした得物を構えなさい。――始めます」

 

 ただならぬ雰囲気を察してくれたのだろう。ここは練兵場だし、最初から殴り合いを想定して広さも充分にある。

 私は紹介された段階で、おおよそ全員の視界に入っていた。そして彼女たちが武器を構えるのを見届けると、教官は練兵場の隅にまで移動する。――教官が観戦する態勢に入ったことを、私は認めた。

 

 その時点で、脳内のスイッチが切り替わる。戦の準備段階から、明確に戦時(訓練用)へと。

 私の心から、戦いに関するもの以外は全て放棄された。感情論も倫理観も、極論強くなるためには必要ない。

 強さの根幹とすべきは、日々の鍛錬と戦闘経験と心構え、あるいは鉄量。それのみなのだから。

 

「さあ、行きますよ? わざわざ私が仕掛けるまで待ってくださった、淑女の皆さん。……闘争において、礼儀正しさがどこまでの力になるか。思い知るいい機会となるでしょう」

 

 ざっぱに数えて、ここにいる女騎士は総勢五十名くらいか。

 過半数は雑に打ち倒し、残りはたっぷりと戦い方を見せ、焦らした上で地べたを這わせよう。

 そうした計算が働くくらいには、余裕があるらしい。ほぼ感覚だけで正確に現実をつかみ取る。この才能だけは、今生において有用だと確信できる――数少ない、私の持ち物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人に同時に斬りかかれるのは、周囲の空間をかんがみて、最大四人が限度とされる。

 だがよほど訓練が行き届いた者たちでなければ、多人数の同時攻撃は、お互いを巻き添えにしかねない。なので二人か三人までが、現実的な所だろう。

 

「躊躇うようでは、そこまで」

 

 それらを踏まえた上で、重要なのは先手を取り続けることだ。動き回れる空間を作らねば、多数の重圧に潰される。

 よって、敵を動かす。自らの動きに、敵を対応させる。相手方を受けの身にさせ続けて、常に攻勢を維持するのが肝要。

 それは結果として激しい機動を自らに課すことになるので、体力はもちろんのこと、機敏な運動を可能にするだけの身体能力が求められる。対多数の経験があるなら、視界内の敵の動きを予測して動くことも出来よう。

 次の手に対するリスク・リターンを計算し、身をゆだねる思い切りの良さもあればいい。私がそれらを備えているのは、鍛錬の賜物だ。

 他に付け加えるなら、運の要素は無視できないものだし、そこを補うならば、やはり才能がモノを言う――。

 

「さあ、止めて見なさい」

 

 時には乱戦に持ち込んで、敵に同士討ちの危険を自覚させるのもいい。慣れない内は、即座に対応できない。その一瞬の躊躇が、三手先までの安全を保障してくれる。

 一手の逡巡が、数秒の空白を生み、このわずかな間隙を縫って進むことが出来れば、体力が続く限り戦い続けられる。理論上、二人を一手で切り抜けられる動きが出来れば、敵百人を制圧することも可能なのだ。

 詰め、押し、力任せになぎ倒す。倒れる敵の身体を盾とすれば、攻撃の手を留めることさえできる。

 この隙をついて、切り抜け走る。姿勢を落とし、足を打って転ばせる。あるいは一足で前方に飛び、柄で敵の武器を抑え、鼻頭を頭突きで潰し、怯ませた後にその身体を誘導して再度盾とする。

 

 ――戦法は無限にある。攻め続ける限り、私が敵の群れの中で機動が許される限り、それは続く。

 だからこそ、彼女たちは私の足を止める策を講じるべきなのだ。決して、剣先だけに注意を払うのではなく、私の行動そのものに注意を払うべきだった。

 

「恐れ慄いてはなりません。平常心、ですよ」

 

 死の恐怖を知りながら、なお平常心を保つ、強固な精神が騎士には必要だ。

 それを会得するまで、何度でも教えましょう。わからない内は、死に続けるがよろしいでしょう。

 一度は木刀で叩いて意識を殺す。それから機会が巡り次第、相手を蹴り上げてよみがえらせ、戦意が戻ったところで再び、私は貴方たちを打ち倒そう。

 

「殺され方を、覚えなさい」

 

 肉体的にも精神的にも、大きな衝撃を脳内に叩き込む。死んだ、と思ってからが本番です。死の間際には、流石に脳も出し惜しみをせず麻薬を流してくれますから。

 気軽に疑似的な死を体感なされるがよろしい。すぐにはわからない人も、即座に理解する方も、平等に。どうぞ遠慮なく。

 私が脳内麻薬に頼る段階は、まだまだ先ですから。お気兼ねなく、斬りに来てください。その分こちらも、遠慮しませんから。

 

「吠えるのは無駄です。剣を振りなさい」

 

 やけっぱちな掛け声、涙交じりの怒鳴り声、恐怖を誤魔化す嬌声、いずれも不純だ。職業軍人の戦場には不要である。

 合図としての声は重要だが、甘い感情を吐き出すんじゃない。敵が貴女の心情をおもんばかってくれるなど、わずかにでも期待しないことだ。

 

「私を見なさい。後ろを見るな」

 

 退路を確認してどうする。指揮官が逃げろと言うまで、お前たちは戦わねばならない。

 敵前逃亡は士道不覚悟である。詫びにここで死んで見せよ。死に覚えて、次の戦いに活かせ。

 

「できなければ、甲斐がない。できるまで、やらせましょう」

 

 くどいように口にして、飽きるほどに自身の肝にも銘じる。

 私は教官なのだから。彼女たちを鍛えるものなのだ。だから、強くさせるために打てる手は、いくらでも打たなくてはならないのだ。

 クッコ・ローセ教官は、いまだに沈黙を守っている。つまり、続けてもいいと解釈した。

 

「多対一を意識なさい。私は一人で、貴公らは多勢なのです」

 

 そう言いながら、私は周囲の連携を断ち切るように動いている。仲間同士の動きが阻害される状況を作り出し、相打ちを意識させ、安易に斬りこめるような場面を作らない。

 私の動きを潰したいなら、多勢としての動きを利用し、少々の損害を覚悟しなくてはならないが――。

 残念なことに、そこまで肝の座った奴はいないらしい。敵を殺す覚悟は容易いが、味方を犠牲にする覚悟はなかなか身に付かないものだ。

 精神的な強靭さを身につけるには、とにかく叩くこと。あるいは叩かれることか。いずれにせよ、私と教官が満足する水準に達するまで続けることになる。

 とりあえず、今日のところは気力を一滴残らず搾りつくすまで、闘争の空気に浸ってもらおう。

 

 そうして――殴り方と殴られ方の実践講義を続けているうちに、最後の一人が倒れる。

 鍛錬の足りていない弱兵が相手とはいえ、五十名を相手に立ち回り続けるのは骨が折れるね。……木刀をぶん回している内はなかなか気づかないけど、終わってみると結構疲弊している自分に気付く。

 

「――皆さん、倒れたままでいいので、聞いてください」

 

 まともな決定打は、なんとか受けずに済ませられた。加減のない全力を打ち込まれてきたから、割と痛むところはあるけれど。

 それを感じさせず、まだまだ私は元気だぞ、と知らせてあげる。格の違いを、ここで見せつける必要があったから。

 

「私が一人で全員を倒せたことが、不思議に思われるかもしれません。しかし、これが訓練を受け続けて完成した者と、そうでない者との差なのです」

 

 私が特別であるように見えたのなら、それは貴女方の訓練が完了していないからだ。 

 我々の訓練を続ければ、いずれは私と同等の領域にまで到達するだろうと、倒れ伏す彼女たちに説いた。

 皆は、まだ起き上がれるほど回復していない。体はともかく、精神的な疲労まで重なっては無理もない。かろうじて上半身を起こし、座り込んだまま話を聞いている。

 

「教官は、貴女方を兵士にしてくれました。私の木刀に打ち据えられながらも、生き残っているのがその証拠です。――途中で意識を失うことがあっても、この短時間の休息で体を起こすまでに復活している。これは、評価していい所です」

 

 手加減が上手くいったとはいえ、皆さんよくできました。上半身だけでも動かせるなら、剣が振れる。得物を振り回せるうちは、敵と戦える。

 だから今、私の話を聞けている皆さんは立派な兵士であると、私は全員に説いて回った。決して、聞き逃す者が出ないように。

 

「明日は、また別の隊に同じ訓練を課します。――私は、全ての女騎士たちと剣を交えてから、改めて指導に入りたいと思います。以上! 医療班の手配はしていますので、各自宿舎で手当てを受けるように」

 

 こんな感じで良いですかねーって、教官の方を見た。

 微妙な顔をしてたけど、一応うなずいてくれたので、及第点はいただけたのかな?

 ともあれ、これからよろしくお願いします、皆さん。泣いたり笑ったりできなくなるのは、一時だけですから。

 打たれるだけ打たれて、負けっぱなしで済ませるほど、あきらめのいい人はいないでしょう?

 たぶん、そこそこ長い付き合いになるのかな。ゆくゆくは訓練が終わった後も、友人に近いような間柄になれたら嬉しいです――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クッコ・ローセは、モリーのはっちゃける様子を見て、ある意味で安心した。

 こいつは変わってない。少なくとも、人間性においては出国する前と同じだ。何かしら劇的な事情があったとは思われぬから、シルビア王女に冷淡なのは、政治的な理由からなのだろう。

 とすれば、本人に直接問いただしても、はぐらかされるだけだ。まあ、理由が政治であれば、クッコ・ローセに出来ることなどない。同時に、悪くなることもあるまいと、なんとなく理解する。

 シルビア王女にしろ、モリーにしろ、妥協を知らぬ馬鹿ではないのだから、どこかで合意するだろうと見越していた。

 そして他人事だと思っていたから、自分がそこに巻き込まれるなど、まったく考えていなかったのだ。

 

「――それで、シルビア様。何の御用でしょう?」

「用などない……と言えばそれまでじゃが。せめて愚痴に付き合え。お主くらいにしか、こぼせぬ類の話ゆえな」

 

 昨日も今日も、シルビア王女のうっぷん晴らしに付き合わされる。あくまで言葉だけで済むなら、まだ許容範囲内か。

 明日も仕事があるというのに、これは帰りは遅くなりそうだ、と諦めも込めて口を開く。

 

「愚痴、と申されますと?」

「ちょいと調べたのじゃがな。……モリーと大臣め、結託しよったらしい。――いや、悪い意味ではない。わらわが余りに専横が過ぎるので、ここらで鼻っ柱を折ってやろうということよ」

 

 随分と率直な言い回しをするが、シルビア王女はさほど不機嫌でもないらしい。口調も声色も荒れているが、表情、目の色は普段通りだった。

 

「ははぁ。それはまた、なんとも。大臣殿はともかく、モリーの奴は随分と偉くなったものですな」

「……ゼニアルゼにいる限りは、お主と同じくらいには偉いぞ。立場上、あいつも同盟国の武官であるからな。招いた側としては、待遇に差は付けられぬ」

「別段、私は気にしません。――ああ、いえ、シルビア様としては、あいつを私と同格扱いはしたくないかもしれませんが」

 

 なんだかんだで、シルビア王女はクッコ・ローセに甘い。王族らしからぬ馴れなれしさというか、距離の近さがあった。

 気を許した相手だからこそ、という限定的なものであるが、クッコ・ローセやメイルなどはそこをきちんとわかっている。モリーが彼女の懐に入り込むことは、おそらくないだろう、とも理解していた。

 

「ふん。――で、愚痴の続きじゃが」

「拝聴しましょう」

「結託とは言ったが、大臣の奴からモリーに接触したことをかんがみるに、主犯が大臣であることは明白。……どうやら母国主導の工作ではないようで、そこは安心したわ」

「ええ、ああ――はい。心配してたのは、そこですか」

「妊娠が確定したわらわを切り捨てるほど、バカではないとは思っていたがな。……何が起こるかわからぬのが、政治の世界と言うものよ」

 

 クッコ・ローセとしては、素直に感心するばかりである。シルビア様も色々考えてるんだなぁってくらいにしか感じないが、ここは同調して慰めておく場面だ。

 

「さぞや心労が多いことでしょう。心中、お察しします」

「……まあ、何じゃの。事はあくまで我が国の政治闘争よ。わらわも国政に関われているとはいえ、完全に牛耳るところまでは、なかなか行かんからのう」

 

 我が国、とシルビア王女は言った。

 当然のことではあるが、改めて聞くと少し寂しい――などと、クッコ・ローセは思う。それくらい、長い付き合いだった。

 

「いやいや、王子の正妃、という立場でそこまで出来れば上等では?」

「望みが過ぎると言えば、そうであろうな。……まだ急ぐな、と冷や水を浴びせられた気分よ。あの大臣が言うなら、ここはわらわが退いてやるのも、やぶさかではない」

 

 三日くらいなら待ってやってもいいと、シルビア王女は上から目線で言い放った。

 傲慢さが絵になる王女は、そう多くない。彼女は傲慢さが許される、数少ない例の一つであろうと、クッコ・ローセは思わずにいられなかった。

 

「それで納得されているなら、私から言えることはありませんな」

「いや、あるぞ。お主からは、生の情報が聞きたいのでな。――モリーに関してのことだが、今日も色々とやらかしたらしいの?」

「あいつにとっては平常運転です。今日のは若干あからさまでしたが、私が監督する中でなら、あれくらいは許してやろうと思いまして」

「……そうか。別段咎めるわけではないが、あれで普通とはのう。ま、それを含めて、再度具体的に話を聞かせてくれ。職場や戦場だけではない、生の本人のことをのう。――お主だけが知る部分などがあれば、ぜひこちらが拝聴したいくらいじゃが、どうかな?」

「……善処します。お手柔らかに」

 

 出会いから最近の出来事まで、掘り返すようにシルビア王女は追及した。別段秘していたわけではないが、積極的には語りたくない部分まで突っ込んで。

 

 いちいち話すのは気恥ずかしくもあり、時間もかかったのだが、希望の休日を一日確保してやろう――と約束してもらっては、遠慮も出来ぬ。

 話す情報の重要性など、クッコ・ローセには判断できないが、厄介な王女様に執着されたものだと、モリーに対しては同情せずにはいられなかった――。

 

 

 

 

 





 いかがでしたでしょうか。楽しんでくださったのなら、幸いです。

 シルビア王女との絡みは、次回まで持ち越しになりました。
 いざ二人が出会ったらどんな話をするのか? それはわかりません。
 きっと数日後の私が、どうにかするでしょう。

 では、また。次の投稿まで、しばらくお待ちください。



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王女と話し合ってから実戦訓練に備えるお話

 割とグダグダに話し合っています。
 本人たちは真剣ですが、客観的に見てどうか。

 ……ともあれ、よろしければ時間つぶしにでも、どうぞ。



 シルビア王女は、おおよその場合において、下準備は充分に行うことを常としている。

 モリーに関連する情報を一通り集めてみると、やはり彼女は傑物というか、怪人物と言った方が正しく思えた。

 

 戦においては冷徹であり、効率的に敵を殺す。さりとて部下を使い潰すわけでもなく、被害を最少限に抑え、時には退くこともわきまえた理性的な武人でもある。

 しかし個人として見れば、伊達男の様に振る舞いつつも、諜報員として信頼できる実績もある。

 これで国内の重要人物(主に女性)との交際もあるのだ。おおよそ信じがたいことだが、調べた限りでは健全な付き合いであるらしい。――少なくとも、外面は。

 

 どうにもモリーとやらは、不可思議な存在に見える。多芸といえばそれまでだが、そんな一言で済ませて良いものか。シルビア王女は、改めて興味をそそられた。

 

「礼をわきまえた狂人。酔狂者と、一言で片づけられれば楽なのだが、どうにもチグハグじゃの。……狂人が、まっとうな倫理観を持っている実例とも言うべきか。これで才覚が凡庸であれば、社会不適合者のレッテルを張られて、静かに破滅していけたであろうに」

 

 そうならなかったのは、はてさて幸運なのか不運なのか。さっぱりと死ぬより、だらだらと生きる方が苦痛になることもある。

 シルビア王女が見る限り、モリーはその辺りの感覚を理解しているようではあるが。

 

「うーむ、やはり直接会って話すのが一番の近道か。あれこれ悩んでいても不毛なだけよな」

 

 いまいましい大臣の動きによって制されてはいたが、本日中にはモリーと会える算段が付いている。

 これまた大臣の働きによるものだが、わざとらしすぎて感謝などしたくない気分であった。しかし彼の好意を無にしたところで、害があるばかり。結果だけを見るなら、大臣の調整能力は見るべきものがあった。

 

「派閥間の調整とか、落後した者への配慮とか、やりたくない仕事を率先してやってくれていると思えば。……まあ、認めてやらんでもないな。――うむ」

 

 後程、此度の働きについて、個人的に報奨を用意せねばならぬだろう。自身の慎みの無さに自覚もあるし、尻ぬぐいをしてもらったことも理解している。この辺りの分別は、シルビア王女もわきまえていた。

 

「ともあれ、時間は取ってある。日が改まってもよいように明かりの準備はあるし、ちゃんと休暇も用意してやった。今日のために万端整えてやったのだ。――楽しませてもらわねば、割に合わぬと言うものよ」

 

 ちなみに、シルビア王女は命じただけで、苦労は下々の者たちが被ることになっている。

 実務的な処理とか、仕事を抱えて酷使される連中の事情や感情などは、察する程度で流している。

 銭で返してやればよかろう――などと彼女は考えているが、実際に払う銭は税金であり、身銭を切っているわけではない。なのに自ら骨を折った風に演出できる辺り、彼女の厚顔さは一種芸術的でもあった。

 ――悲しいかな、出所がどうあれ、報酬さえあれば酷使に耐えるのが人と言うものである。

 

「雑務が間に入ったが、待った分だけ、期待値も上がると言うものよ。これで肩透かしされれば、誰を恨むべきかわからぬではないか」

 

 今度ばかりは失敗は犯せぬ。犯すにしても、他人のせいにはしたくないとばかりに、彼女は余計なものは排除している。

 時間の確保は当然だが、余人を交えずに語らうために、クッコ・ローセすら同席させていない。もしモリーが乱心すれば、たやすく害されるであろうが、そのような手合いでないことは、下調べの段階で把握している。

 

 この上で問題が起きたとしたら、それはもうシルビア王女の器量がそこまでであった、というだけのことだ。ならば、あきらめもつくと当人は考えていた。

 

 

 そろそろ、モリーが訪ねてくるであろう時刻になった。念のため、王女の特権で本日の仕事は早めに切り上げさせたから、疲労は残っていないはずである。なかば意地で、心行くまで語りつくす準備も整えたのだ。

 扉を叩く音と、入室の許可を求める女官の声。待ち望んだ対面がなると思い、気が急いた。無造作に『入れ』とだけシルビア王女は応える。

 

 そして彼女は、初めてモリーの姿を目にした。

 

「――ほう」

 

 シルビア王女は、目を細めて彼女を見やる。扉を開け、ゆったりと歩を進めるモリーの姿は、彼女にとっても印象的に映った。

 

「ふむ。……いや、これはこれは」

 

 モリーの容姿は、伝え聞いていたものと、大きく乖離してはいなかった。どんなにひいきしても十人並みの造形、という評価になるだろう。とりたてて美人であるともいえず、さりとて不細工とも評せぬ。

 それだけなら注目するに値せぬが、礼の作法が整っていた。前に進む歩法も頭を下げる動作も、全てが線が通っているかのように正確で、かつ滑らかだった。

 育ちの良さもあるだろうが、それ以上に自信と実績のない人間には、決してできない振る舞いと言える。

 礼法と言うものは、その身体に染みつけるものであって、度胸だけでどうにかなる分野ではないのだ。

 

 宮廷にいて長く、人を値踏みすることも多いシルビア王女が、素直に感嘆する水準なのだから――それだけで、容姿にも補正が入る。

 これならば十人並みから、そこそこの美人、くらいには格上げしてもよいだろう。

 

「クロノワーク王国、特殊部隊副隊長のモリーと申します。この度はお招きにあずかり、光栄に思います」

 

 声も悪くない。声の質だけで魅力を語るのは浅慮だが、欠いてはならぬ一部分であるのも確か。透明感があり、はっきりと耳の中に響くようで、心地よい。

 品性を感じさせる性質の声音は、よほどの教育を受けていなければ、到底維持できるものではないだろう。

 声の張りは、鍛錬の質を感じさせた。諜報員は、時に役者となることも求められる。この調子であれば、やはり彼女の優秀さは疑うべくもないだろう。

 

「シルビア王女も、お元気そうで何よりでございます。私も、国元に良き報告ができるものと、安堵しておりますれば。――どうか、ご自愛ください。大切な御身の時間を、私のために費やされるのは、恐れ大うございます」

 

 抑制が効いており、大きすぎず小さすぎず、丁度よい塩梅を心得ている。わずかな言葉であっても頭に残るほど印象深かった。

 へりくだる態度も、どこか毅然とした雰囲気があり、卑屈さを感じさせない。これほどの振る舞いが出来る女騎士が、彼女の他にいるものか? クロノワーク、ゼニアルゼの両国を見渡してみても、おそらくは居るまい。

 シルビア王女は、内心で感嘆していたが、表には出さぬ。弱みを見せず、強気に振る舞うことが、彼女にとっては常態であったから。

 

「せっかくの機会なのだ。堅苦しいことは言うてくれるなよ。――まずは楽にせよ、モリー。さ、早う席につけ」

「恐れ入ります。恐縮ですが、仰せの通りに致しましょう」

 

 そう言って、モリーは用意された席についた。いざ対面してみると、彼女は毛ほどの怯えも見せてはいない。

 権力者を前にして、泰然自若とした態度を取れる騎士は、そう多くないものだ。自信か、覚悟か。いずれにせよ、シルビアという強権政治の大家を前に、臆さぬ姿勢は好ましい。

 全ての要素を合わせれば、モリーとやら。異性からは、もしかしたら高嶺の花にすら見えるのでは――と。シルビア王女は、やくたいもないことを考えてしまう。

 

「さて。――もはや周知のことであろうが、私こそが『あの』シルビアである。……緊張するなとは言わんが、委縮はしてくれるな。気兼ねなく言葉を交わしたいと、わらわは思っている」

「お気遣い、感謝いたします。なるべくお気持ちに添いたく思うのですが、無作法があっては申し訳もございません。……どうか、私に言葉を選ぶ自由をいただきたいのです。曖昧な言い方、遠回しな表現など、どうしても使わねばならぬ所があるかもしれません」

 

 ここまで来て、持って回った例え話や、聞き苦しい宮廷用語などは聞きたくないシルビア王女である。

 内心で舌打ちしたが、自身の価値観を強制するほど親しいわけでもないのだ。ここは妥協するところだろう。

 

「――まあ、よい。長々と垂れ流さぬならば、許そう。ただし、そこまで言ったのだ。わらわの質問を拒否することは許さぬ」

「はい。御意に従います。私がシルビア王女の質問を無視することはありません。……どうぞ、気兼ねなくお聞きください」

 

 お互いに同じテーブルに着くまでが、一種の闘争だった。前提として、シルビア王女の部屋に至る以前までの流れが、すでに政治闘争の舞台であったのだから、それも当然か。

 ともあれ、いまや両者は接近し、手の届く範囲にいる。剣を帯びてはいないとはいえ、この距離まで近づけるには、相応の意図があるはずだ。モリーとしては、そこを聞かねば話にならぬのだが――。

 この点については、すぐにシルビア王女から説明が入る。

 

「初めに言っておこう。わらわは、クロノワーク王国に対し、如何なる害意も抱いておらぬ。お主を近づけたのも、まあ、せっかくなので誤解があるならば解いておきたいと思ったからよ」

「はい。祖国なのですから、それは疑っておりません」

「大変結構。――わらわがお主を呼んだのは、個人的な興味によるものが大きい。国家間の、特に面倒な部分を持ち出すような話ではないのでな。ゆえ、安心して言葉を吐けと、改めて伝えておこう。……声が聞こえぬほど遠ざかっていては、お互いに話し合うどころではないからのう」

 

 シルビア王女としては、明言することで安心を与えたかった。

 相手から本音を引きずり出すのに、安心ほど大事な要素はない。真に受けるかどうかは彼女次第だが、シルビア王女は与えた言質を無下にしない人物である。

 少なくとも、これからはそうしたイメージを作っていくべきだった。大臣の功績に報いるためにも、己自身を倫理の鎖で縛らねばならない。

 

「不躾ながら、質問をお許しください。……個人的な興味とは、どういった類のものでしょうか」

「そうさな。ごく普通に、気になったからだというべきか。……何にせよ、難しい話ではない。単純に思ったことを述べ、話をすればよい。わらわは常に、頼りになる友人を増やしたいと思っておるのだ。友人の定義については、今さら議論の余地はあるまい」

 

 わかってくれるな? とシルビア王女は付け加えるように言った。

 彼女なりに、謙虚な姿勢を見せたつもりなのだろう。そうとわかれば、モリーの方も態度をやわらげて見せるのが礼儀だ。

 この場限りの、都合の良い友人を演じるくらいなら、モリーにとっては造作もないこと。それ以上を求められるようなら、困ってしまうが。

 

「わかりました。……誠実であることは、騎士の美徳なれば。礼をもって応えてくださる以上、王族の言葉に対し、誠心誠意応えるのが道理でありましょう」

 

 本当の意味で友人になれるかどうかは別だ、と言外にモリーは答える。ことさらに誠意を強調するような仲を、友とは呼ばぬであろう。

 それを承知のうえで、微かに舌打ちしながらも、シルビア王女は言葉を返す。

 

「……随分と持って回った言い方をするが、わかってくれたならば結構なことよ。さて、何から切り出したものかな。あくまで個人的興味ゆえ、あれこれ考えてはいたが――ああ!」

 

 シルビア王女は、少し考えるような雰囲気を見せたが、意味ありげに微笑んで一言。

 

「聞こう。お主、クッコ・ローセとはどのような関係だ?」

「教官と教え子。あるいは、友人。それくらいでしょうか」

「想い人、恋人、とは言わんのか? ああ安心せよ。わらわは同性愛には寛容だ。――わらわにその毒牙が掛からぬことが前提、ではあるがな」

 

 初手からシルビア王女は仕掛けて見せた。

 きわめて親しいクッコ・ローセを話題に出したうえで、その関係を想像し、同性愛に理解を示して見せる。それでいて、『わらわにまで手を伸ばすな』とあからさまに言い放ったのだ。

 不躾な言葉に対して、嫌悪で答えるか寛容を見せるか。いずれにせよ人物像は計れよう。モリーは、この時点で探りの意図を感じた。

 明け透けで、わかりやすい一手である。それゆえにモリーの方とて、対策は容易い。決定的な言葉を避ければ、それで良いのだ。

 

「お戯れを。私は教官を慕っていますが、彼女の方は相手にしていないでしょう。あくまで、友人同士の付き合いをしているだけです」

「なるほどなるほど、受け入れてくれれば恋人――のみならず、伴侶にしてもいいと考えてはいる訳か。しかしあ奴の方が受け入れてくれるとは、流石に思われぬし。……いやいや、これはまた、不憫な話よ」

 

 邪推も過ぎれば非礼にあたるが、王族の非礼を咎めるにも作法がある。

 身内だけで話が済むなら、あえて咎めないというのも作法のうちであった。ゆえにモリーは言葉を濁す。

 

「さて。不憫と言われるなら、私のようなモノから好意を抱かれることこそ、不憫の極みと言うべきでしょう。――私の存在が、彼女のためになっているか、どうか。それに関しては、いささかの自信もございませぬゆえ」

 

 自らの感情を明言せず、無難な言説を用いて煙に巻く。それに構わず本質を突かれたら、露骨に正直な意見で答えて相手の出方を見る。

 モリーは定石を打ってきたと言える。これに対し、挑発するようにシルビア王女は嫌らしく微笑んで、言った。

 

「さあ、どうか。少なくとも、あやつは悪く思ってはおらぬ。――わらわは色々と知っているのだぞ? あやつの事情は、根掘り葉掘り聞いてやったのでな。あれが女の顔を見せるとは、わらわも思わなんだ。クッコ・ローセが恥じらう様は、何と言うかな……。見てて、ちとキツイというか、ちょっとアレっていうかな、うん――」

「お言葉ですがシルビア王女!」

 

 唐突に前のめりに発言するモリー。いきなりの強い態度に、シルビア王女も一瞬、気圧された。

 聞き逃せぬ一言があれば、食いついて譲歩を迫る。舐められて良いことはない。ゆずれぬ一線を示しておくのも重要である。

 この際は作法を忘れて良い。これ以上は踏み込ませないと、まずは言動で示しておく必要がある。いかに君主であっても、正式に任じられた騎士を誹謗するのは、無作法と見なされる。

 シルビア王女は、今一その辺りの理解が薄いようであるから、モリーの方が教えてやらねばならなかった。

 

「お、おう。……なんじゃ、失言であったかの?」

「恐れ多いことではありますが、あえて申し上げます。――クッコ・ローセ教官は、優れた軍人ですが、それ以前に立派な女性であります。身内であればこその発言でしょうが、名誉ある女性を認め、尊重してこそ、王女の体面も保てると言うものではありませんか?」

「……ああ、うん。そうかもしれん」

「王族ともなれば、多くの者が発言に注視し、影響を受けるもの。非公式の場であれ、他者を辱める発言は、ご自重なされませ」

 

 モリーの態度は、どこまでも真摯であった。発言の後は、頭を下げることで謝意を示す。

 この礼を踏まえた対応もそうだが、言葉に込められた感情にも嘘がない。シルビア王女には、それがわかる。

 わかったところで、態度を変えるわけにもいかないのが、彼女の辛い所であった。

 値踏みすると決めた以上は、自らの審美眼をとことんまで活用すべきだ。真の意味で、利用価値があるか否か。シルビア王女は、それを見極めようとしている。

 

「言い分はわかるが、なんとも堅苦しいことよ。――いや、わらわは対外的にも、評判がよろしくないことは自覚しておる。今さらの話ではあるが、指摘してくれたことを感謝すべきかな?」

 

 シルビア王女は、モリーを困らせてやりたくなった。大人げないと言えばそれまでだが、王族は敬われてナンボの商売だ。

 一時は圧されたとはいえ、圧されっぱなしで終わるわけにはいかない。意地の悪い問いかけは、モリーの器量を計り、自らの権威を主張するためにも必要であった。

 少なくとも、シルビア王女自身は、そう信じていた。

 

「感謝など不要です、シルビア王女」

「ほほう。配慮など迷惑なだけだと、お主は言うか。身分の差と言うものを、自覚させてやってもよいのだぞ?」

「――お戯れを。本心から私の面目を潰すつもりであれば、まず私の言い分を聞こうとはなさらぬはず。……心を偽っているのは、貴女の方でしょう。気にかかることがあるのなら、他人の話など持ち出さず、率直に話されればよろしい」

 

 ここに来て、モリーは厳しい態度を取った。その眼は細まり、猛禽のような剣呑さで、シルビア王女をとらえている。

 感情的になった訳でも、無謀さに身をゆだねたわけでもない。許されるギリギリの範囲で、彼女は誠実に向き合おうとしているのだ。

 

「何を――」

「シルビア王女。貴女は、もっと本心を口にして良いのです。私はクロノワーク王国の騎士で、その血筋に敬意を払うべき立場にあります。どうあっても、貴女の敵にはなり得ない。まずは、それをご理解ください」

 

 細めた目を戻し、声をやわらげて言う。モリーの言葉は、シルビア王女を尊重するように、ことさらに優しく聞こえた。

 しかし、その内情はといえば『クロノワーク王国の王族の血』に対するものであって、シルビア王女個人ではない。

 言葉による攻撃だと、捉えようによってはそうも聞こえる。これを理解せずに流せるほど、この強権的な君主は寛大になれなかった。

 

「言うものよ。――仮に、わらわがクロノワーク王国を切り捨てれば、お主からの敬意は無になるであろう。それくらいはわかる」

「ご賢察、恐れ入ります」

 

 真面目くさって、うやうやしくも無礼な一言を告げるものだから、シルビア王女は怒るを通り越して呆れてしまった。

 モリーは気負いもせず言い放ったのである。クロノワークから心を離すならば、お前は敬意を抱くに値しないのだぞ、と。

 

「馬鹿者。……そこは世辞であっても、そんなことはありません、と答えるべき場面じゃぞ」

「ご無礼、お許しください。――気兼ねなく話してよいとのことでしたので、つい正直に答えてしまいました」

 

 モリーは、少し困った風に視線を落としながら、遠慮がちに微笑んで見せた。これにはシルビア王女の方が鼻白む。しぐさが一々上品でケチを付けられぬから、余計に忌々しい。

 取り繕ってはいるが、『貴女の言葉を、真に受けぬ方が良かったかね?』――と、モリーから挑発されたように感じたのだ。

 

「ふん。……可愛くない奴め」

 

 癇癪を起すくらいなら、言葉の上では取り繕ってやっても構わない。そうした雰囲気が、モリーにはある。

 そうした真意を悟ったからには、無礼を許すくらいの度量を、シルビア王女は演出せねばならなかった。上位者としての気位の高さが、そうさせるのである。

 己に対する自負が、つけ入る隙を作る。そうと分かっていても、改善できぬ部分が、誰にでもあるものだ。モリーは、この好機を逃さない。

 

「わかった。許す。――何を話そうが、おとがめなしとしてやろう。そうすれば、少しは身のある議論が出来るのであろう?」

「議論までお求めになるのであれば、ついでに余人には漏らさない、という言質もいただきたく思います。……王女様は、たいそう口がお軽いように見えますので、念のため」

 

 怒りをあおるのは、言葉を引き出すためである。モリーの対応は、完璧だった。

 シルビア王女の自尊心を刺激するという意味で、まさに完全であったと言わざるを得ない。結果として、それは返ってくる。

 

「くどい。許すとわらわは言った。お主の不利益になるようなことはせぬとも」

 

 ……王族としての誇り高さが、仇になったというべきか。明言したのは、保証を相手に与えたも同じであるというのに。

 とはいえ、これは言質をあたえるほどに追い詰めた、モリーの方が巧みであったと表現すべきであろう。シルビア王女が失言について思い至るより先に、彼女の方が仕掛けた。

 

「では、早速議論のお題を用意しましょう。……ソクオチ王国の矛先について。覚えがおありではありませんか?」

「――ほう」

 

 シルビア王女は、議題の方に興味がわいた。ようやく、楽しい話になりそうだと、不信感よりも期待の方が強くなる。

 

「何ゆえそう思う?」

「諜報に関しては、我らよりシルビア王女の方が強い分野でしょう。我々が予測している中で、もっとも悪い状況に陥ることも――。おそらく、貴女ならば想定していたはず」

「答えになっておらんぞ。わらわが強力な情報網を持っていたとして、それがなぜソクオチの狙いを知ることにつながるのだ? わらわとソクオチとの繋がりを予測できるものは、何もなかったであろうに」

 

 ソクオチに限定する理由は何か? とシルビア王女は問うた。

 その顔には、挑発的な笑みが張り付いている。対してモリーは、決して笑顔は見せず、緊張した面持ちで話し続けた。

 

「最初から、貴女がそのように仕向けたからです。具体的に申し上げるなら、ソクオチにクロノワークを狙わせる意図があったと考えています。もちろん、根拠はございますとも」

「――聞こう」

「まず、ソクオチの諜報員と接触した私に対して、悪いうわさを流したこと」

「うむ、白状するが、それは確かにわらわが手配した。……しかし、それはお主を我が国に呼び込むため、一旦仕事を仕切り直させるきっかけとしてだな――」

「責めは致しません、これも軍略なのですから。――都合が悪かったのでしょう? 私がソクオチから情報を抜き続け、軍を発するその時を見極めさせては、ゼニアルゼではなくクロノワークが主導して返り討ちにしてしまう」

 

 モリーは、シルビア王女の真意を突いた。

 その証拠に、彼女は目線をそらした上で、手にした扇をあおいだ。やましい気持ちを持った者がするしぐさであり、そのストレスを和らげるための、ごく一般的な動作でもあった。

 

「あくまで、ゼニアルゼが主導しなくてはならない。クロノワークには防衛のみ任せて、そちらがソクオチの後背を突き、首都を占領する。主力が出張っていれば、国内の守りはどうあってもおろそかになるもの。改めて防備を固めるならば時間が掛かるし、その隙を突けば蹂躙する余地はあるでしょう。教官の練兵が間に合えば、おそらく不可能なことではない――と見ますが?」

「……さて、な」

「そしてソクオチを占領した後、有意な条約を結んで、後々の布石を打つ。……そうですね。ソクオチを乗っ取るために、嫡子を人質に取りますか? 洗脳するにせよ、都合のいい誰かを引き合わせるにしろ、貴女の思いのままだ」

 

 モリーの言を、シルビア王女は否定しなかった。否定しないままに、扇をあおぎ続ける。

 

「前提として、ソクオチの方から、クロノワークの方に攻め込ませる必要がありますが、シルビア王女のこと。すでに何かしらの策を講じておいででしょう?」

「……そこまでわかっておるなら、わらわは何も言う必要はないではないか」

「貴女は議論を求めたはずです。なればこそ、お互いに言葉を交わすこと、認識を改め、情報を共有することは重要であると考えます」

 

 黙して語らずば、誠意に欠ける。モリーは、容赦なくそこを指摘した。これもまた、言質を利用しての発言である。議論であるならば、一方的に話すことは許されない。

 一旦無礼を許容したからには、最後まで貫き通すのが道理。これには好悪の感情抜きで、シルビア王女も応えざるを得ぬ。

 

「お主に率直さを求めた以上、こちらも沈黙は守れぬな。――それをあえて突いてくる辺り、性格悪いのう、お主」

「シルビア王女に敵はいません。流石は天才軍師と謳われ、多くの国家に影響を与えた御方。きっと、貴女は歴史に名を残すでしょう。私のような凡人には、決して至れぬ境地であります」

「言いよるわ。お主とて、傑物には違いなかろうに」

「どうでしょう。――さて、話を続けますね。他に怪しいと思ったのは、ゼニアルゼとクロノワークをつなげるトンネル工事です。実際の着工まではまだ時間がありますが、時期といい、女騎士団まで動員する性急さといい、怪しさ満点です」

 

 モリーは、シルビアの誉め言葉に、反応らしい反応を返さなかった。ここに至っても、彼女は淡々と思う所を述べるのみで、好意や嫌悪といった感情を見せずにいる。

 こちらがどれほど高く評価しようと、嬉しくないとでもいうのか――と、シルビア王女は少しだけ悔しく思った。

 

「……ふむ。トンネル工事が、どうしたというのだ? あれは、両国の交通を容易にし、互いに密接な関わりを持つのに都合がいいのよ。わらわとしては、祖国とゼニアルゼが長く良い関係を築いてほしいと、そう願って作っているのだがな」

「はい、わかります。それは本心でしょう。――しかし、全てを語っているわけでもない。貴女にとって、『都合のいい』関係を築くために、これは確かに必要な工事なのでしょう。そこは、疑っておりませんよ?」

 

 モリーはどこまでも平易で、しぐさにしろ感情にしろ、乱れるところがほとんどなかった。

 言葉の上で不穏な雰囲気を演出することはあったが、彼女の表情は不気味なほどに静かな平面を保っている。クッコ・ローセに関わること以外は、だが。

 さりとて、その部分を突くべきは今ではない。敏感で繊細な部分を避ける貞淑さは、流石のシルビア王女とて備えている。なので、彼女はモリーの攻撃を避けずに受け入れることにした。

 

「わざわざハーレム嬢を派遣してまで伝えたことです。そこに何らかの意図があると、そう勘繰るのは間違いでしょうか」

「まったく。察しが良すぎるな、お主。……疑問ならばそれらしく言わんか。答えも思惑もお見通しだ、とばかりに白々しく言うでない」

 

 弱みを突くように、モリーは不気味なほどに静かに――しかし、辛辣な発言を続けた。これでは、シルビア王女から不興を買っても仕方がない。

 ある種不遜ともいえる態度であるが、この場では許される。すでに言質は取っているのだ。

 

「ご無礼、お許しあれ。シルビア様の提案に乗った以上、嘘を交えずに語るべきかと考えましたので」

「くどいぞ。二度も言わせるな。――いいから続けよ」

 

 シルビア王女は、呆れ気味でこそあったが、モリーの存在を容認していた。身内としてではなく、道化師のような批判者として、異なる意見を吐く敵手としてならば、価値を認めることもできるらしい。

 適当に顎をしゃくって、続きをうながす。

 

「土木工事と軍事行動の関連性は、シルビア王女には今さら講義することでもありますまい。通行が容易になれば、攻め込むのもまた容易になる。――まさに、それゆえにクロノワークはソクオチの攻略対象となるのです。しかし、これはおぜん立てされた行動に過ぎず、ゆえに事前に対策を取ることができる」

「まさに。トンネルが安全に利用できると分かれば、ゼニアルゼへの侵攻にも都合がいいというもの。お主の主張を認めよう。……国元に伝えたいなら好きにするがいい。すると、あちらから非難が飛んでくるやもしれんな。頭の痛い事よ」

「非難だなどと。――勝てる戦いを提供してくれたと思えば、さほど恨みに思うことでもありますまい。クロノワークの武力と、これから鍛え上げるゼニアルゼの戦力。それらを含めて考えれば、負ける要素はどこにもありません。……わかっておいででしょうに、シルビア様こそ人が悪いというべきです」

 

 シルビア王女は、余裕をもって扇をあおぐようになっていた。顔色にも、ようやく上機嫌な色が出てきている。

 

「まあ、そこはな。誘導する以上、手抜かりがあっては恥と言うものじゃろう。ゆえ、勝ち筋はもう見えておる。心配することはないぞ」

「はて、私が心配するところなど、あったでしょうか。――あるとすれば、それはシルビア様自身に関すること。ソクオチやらゼニアルゼの内情やらは、考えるまでもないことです」

「……何と?」

 

 外部のいざこざなんぞより、シルビア王女自身の方が心配だ――とモリーは言う。

 そこに食いつかずにいられるほど、彼女は無関心ではいられなかった。

 

「不思議ですか? ご自身の急進性を危険視されるのが、これが初めてであったとは思われませんが」

「余人であればともかく、お主があえて言うほどに、心配されているのだ。これには、わらわとて注目せずにはおれんわ。――良いから、思うところを述べて見よ。本人に直接問いただせば、何かしら新しい発見があるかもしれんぞ?」

 

 新しい発見を、誰よりも欲しているのはシルビア王女の方であったろう。刺激に飢えている身の上だから、斬新な意見を拝聴する機会に食いついてくる。

 それがわかっていたから、モリーは律儀にも正直に答えた。

 

「対等の相手がいないこと。理解してくれる人に恵まれていないこと。そして、それで良しとされている、貴女ご自身の傲慢さ。――私が王族としてのシルビア様に対する懸念は、これだけです。些細と言えば、些細なことですね?」

「たわけ。……傲慢は、王を殺す毒ぞ? 健全な傲慢さはむしろ良薬だが、一旦不健全な方向に振り切れれば、それは自覚せぬうちに自らの臓腑を焼いていく――」

 

 モリーの言葉を耳にした時点で、シルビア王女の優れた頭脳は、その意味を完全に理解していた。

 一を聞いて十を知るだけの知性は、すでに備わっているのだ。余計なことを問い質さず、納得するだけの下地は充分にあったと言える。

 

「あい分かった。……わらわの方が、気合を入れすぎたな」

「如何なる意味合いのお言葉でしょう。不興を買ってしまったのなら、お詫びいたします」

「――そうではない。ともあれモリーよ。今日のところは、もう戻ってよい」

 

 これには、モリーの方が驚いた。表情には出さないが、口調には表れる。

 

「夜は長うございます。話そうと思えば、まだ時間はありますが?」

「いいから、もう寝ろ。わらわの方も時間を置いて、頭を冷やしたいのだ。――女騎士どもの訓練が仕上がったら、また会おう。それまでは、好きにしているがいい」

 

 もうシルビア王女は、別の思案を始めているらしい。席を立って、ベッドへと寝そべった。

 お前はもう、さっさと帰れ――と。態度で示したのである。

 

「仰せの通りに。……では、失礼いたします」

 

 一礼してから、モリーは去った。踵を返し、室内に足音を響かせる。

 退室の際の儀礼を、完璧にわきまえた振る舞いであった。きっちりと扉が閉まるところまで、シルビア王女は確認する。

 

「――信を得れば、頼もしい人物であろうな。好ましくない部分があるのは、むしろ愛嬌と見てもよい。多少はトゲが無くては、面白くないからのう」

 

 イバラの花を愛でるように、痛みを伴うような強さ、美しさを価値とすればよい。モリーに対しては、これで決まった。

 さて思案のしどころだと、シルビア王女は考える。これからのプランを変更すべきか、推し進めるべきか。

 いずれにせよ、再度見直す必要があると思われた。何しろ、己には力はあっても、信がない。

 積み重ねた信頼ほど強固なものはないのだから、今一度周囲に目を向けるべきか。

 シルビア王女は、意外な形で好ましい刺激を受けたものだと、内心で喜んでいた。これだけでも、招いた価値はあった。

 さて、次に会うときは、どれほどのことが起こっているだろう。それを楽しみに思うくらいの遊び心が、彼女にはあったのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他国の政治に関わるとか勘弁していただきたい。今日も今日とて軍隊に癒しを求めています。モリーです。

 いや別段、私が特殊性癖ってわけじゃなくて。難しいことを考えずに、感覚と経験でどうにかできる仕事は、思い悩まずに済むから安心だねって話。

 

 とりあえず、女騎士たち全員との話し合いは終わった。皆納得して、私が指導に回ることを喜んでくれた。一通りやり遂げた後でも泣き笑いができる辺り、やっぱりここの子たちは見込みがあるよ。

 クロノワークは規格外だから、私が他に比べられるのは現代日本の学生や、社会人(ごく狭い範囲)くらいしかないけど。それでも前世の日本より戦国風味が効いているせいか、女の子も結構根性があっていいね。

 本格的に指導に回るのは初めてだけど、教官たちが感じている『やりがい』っていうのは、こういうものなのかもしれない。それを理解できるくらいには、ゼニアルゼの教官職にも慣れてきた。

 

 クッコ・ローセ教官を同僚にして働ける、貴重な機会だ。ここで私が彼女の役に立つ働きが出来れば、いくらかでも恩返しになるだろう。

 新米騎士の頃、教官には世話になりましたからねー。友達らしい付き合いも大事だけど、実務を一緒にするなら、馴れ合いはダメだから。実利的に助けにならないと、私がここにいる意味もない。

 

 ――と、言うことでそこそこ鍛え上げました。楽しい楽しい殴り合いから一か月ばかり、クロノワーク基準で標準より少し厳しい、くらいの訓練を行いました。もともと体力だけは教官が付けてくれていたし、一定の教育を受けている彼女らは、事の重要性を理解して、真剣に訓練に臨んでくれる。

 

 『戦争が近い』ってことを何となくほのめかせば、実家辺りを通じて真実を拾ってくれるから、真実味があって怖いらしい。いやー、悪いね。その感覚を利用させていただきました。

 ……ゼニアルゼも一気にキナ臭くなりましたね。おぼろげにでも、危機感を抱いてくれるなら、それはそれでいいんだけど。王女様、大丈夫? 情報漏れ過ぎてない?

 

 後が怖いんで、あえて深くは考えません。やったね、皆。お披露目の日は近いよ!

 ……なんて、冗談でも言った暁には阿鼻叫喚だ。だから、せめてそうなった時のために、平常心で戦える程度には度胸をつけてあげようじゃないか。

 指導する側としては、責任を感ずる部分だからね。そこは真剣に。

 

 ちょっと遠出して、一月くらいは都から離れます。だから事前にやるべきことは終えておくように――って、女騎士たちに二日の休暇を与える。

 それが何を意味するのか、ちゃんと説明した上で。……遠征の訓練は厳しいんだ。他所はどうか知らないけど、クロノワーク式はキッツいよ。保証する。

 

 だから念のため、退職届を用意しておくこともすすめました。脅しじゃなくて、実戦では生死にかかわることだし、足を引っ張るような奴はいらないんだ。

 男の騎士なら、訓練での死亡例も多々ある。実戦での戦死を防ぐために、殺すべき兵は殺しておくのが作法とも聞く。

 ウチはその辺りガチだから。男はそれでいいが、女の子にはそこまで求めるべきじゃないだろう。……私は、誰一人として亡くなってほしくないんだよ。

 こちらでの滞在期限もギリギリだけど、あえて希望すれば融通は聞くと思う。延長前提で仕事をしているんだから、これはこれでガバガバな理論ではあるけれど。

 

 休暇が終われば、参加する女騎士たちを召集して説明会だ。細かい日程は事前に貼りだして周知させているけど、当日に改めて説明するのも、上官の役目と言うものだ。

 

「休暇は有意義に過ごせましたか? そう言う訳で、模擬合戦を行います。本日と翌日は移動に時間を使いますので、実際に始めるのはそれ以降ですね」

 

 最初の二日間は、移動に時間を費やすことになる。費用度外視で贅沢に馬とか船とか使うけど、予算は充分にもらっているからね。徒歩とは比べ物にならない速度で目的地に向かう。

 何しろ、これから行われるのはただの模擬戦ではない。一方にとっては撤退戦であり、もう片方にとっては追撃戦である。

 充分に遠出して、遠征の辛さを体に覚え込ませておきたいんだ。これもまた、本番への備えだと知ってほしい。

 ……ソクオチだって、むざむざとやられはすまい。抵抗の強さを想定して、訓練を行わねばならぬ。

 名前通りのもろさを期待するなんて、軍人としてあるまじきことだ。だから本気で鍛えよう。

 

「クッコ・ローセ教官は、敵側を演じていただきます。……これから我々は、敵国内を通り抜けて自国まで帰らなくてはならない――という想定で動かねばなりません。要するに、敗走の訓練ですね」

 

 攻め込むのに、敗走前提とは弱気に過ぎる、なんて。思う人もいるかもしれない。

 でも、実際に守りが硬くて撤退戦――なんて状況も、ありえる話だ。その場合に備えずに楽観的に攻め込むなんて、それこそ暴挙だろう。だから備える。

 

「クッコ・ローセ教官は、別隊を率いて我々を追撃に掛かります。……決して甘くない逃避行になりますから、覚悟だけは事前に決めておきましょう。負傷しても自分の足で走らせます。……足が折れたら? ――戦友の負担になることが、どれだけ気まずいか、身をもって理解すればよろしいでしょう」

 

 勝てば勝ったで、追撃の仕方も覚えねばならない。追い散らして勝った勝った、で済ませる様なら軍人やめて傭兵にでもなりなさい。

 追撃戦で戦力を削がねば、戦った意味がないというもの。教官の陣営は追撃時の訓練、こちらは敗走の訓練。

 今回の遠征を終えた後は、立場を入れ替えて再度行うことになっている。こっちは時間が許せば、だけどね。

 

 一応、万が一の事態に備えて、回収班と医療班の用意はあるが、なるべく使いたくないというのが本音だ。実戦さながらの、長期間にわたる訓練である。中途離脱は好ましくない。

 勝つにせよ負けるにせよ、どちらの立場も経験してこそ、実戦の役に立つ。

 戦は常に優勢とは限らず、思いもよらぬ事情によって、勝敗は逆転するものだ。だから、どちらの経験もさせておくのが、親心というものではないか。

 

「さあ、まずは開始地点に行くまで競争です。攻撃側より先に着くことが出来れば、それだけ防衛が容易になります。もちろん、追撃側も事情は同じ。――兵隊は走るのが商売、という言葉は、決して比喩ではないんですよ?」

 

 走れ走れーと、女騎士どもを追い立てる。今ではもう慣れたもので、皆は私の命令も真面目に聞いてくれる。

 いい傾向だ。愛されるより、恐れられる方が都合がいい。軍隊とは恐怖政治がまかり通る組織であり、即応性が何よりも重視される。

 

 現場の将が、君主の意向をいちいち伺っていては、戦などできない。だから、私のような現場指揮官が柔軟に対応して、戦場を駆け巡るべきなんだ。

 訓練だって、それは同様。事前に申請して、国内を横断する手形と、補給のための物品はそこらへんに確保してあるから安心だね。寝床も最悪、人家の軒下を借りてもいいことになっている。

 事前に商人や住人に許可を取っているから、まず問題は起こるまいよ。補給が無くては戦えない。兵站の維持なくして、戦争は成り立たない。この辺り、シルビア王女は理解があって助かるってものだ。

 

「先に戦場に到着したほうが有利だと、何度言えばわかるのですか。必死さが足りません。――走りなさい! 貴女が遅れれば、それだけ仲間の命が失われるのですよ!」

 

 基礎訓練によって、能力はそれなりの水準にある。ただ、精神の方はまだ鍛え方が足りないと思う。何より、敗北への恐怖というか、勝たねばならない理由について、理解が浅い気がするんだ。

 だから、その点も含めて、今回の訓練でしごいてやる必要があるね。……せっかく敗走などという忌々しいものを、安全な訓練で体験させてやるんだ。とことん追い詰めてやって、構わないだろう。

 

「現地に付いたら、陣地の構築にはさらに時間を使います。到着が遅れれば、休みなしで動き続けることになりますから、気張って走りなさい。最初に苦労しておけば、後で報われることもあるんですよ!」

 

 最後尾から、急き立てるように連中を追い立てる。なんだかんだで能力は向上しているし、私もそこそこの信頼は築けたようで、彼女らは素直に走ってくれた。

 二泊の野営を経て(野営の経験も重要。上品なお嬢様に寝心地の悪さを教えてやれる)、目的地に着いた時には、もう昼近くであったけれど。明かりを用意して夜中まで作業を続け、模擬戦を迎える陣地を整えることはできた。

 前日くらい、まともな状況で、安心して寝かせてやりたかったから、これだけでも充分な成果だと思う。

 

 模擬戦は早朝から開始される予定だ。追撃側の教官の部隊は、そろそろ配置についている頃だろうか。

 いつだって、追う側が有利で退く側が不利なもの。なので、数のうちでもこちらが少なく、敵が多くなっている。

 

 理不尽さを理解させる意味でも、平等さは度外視だ。敗走側は不利が前提の戦場を渡り歩くことになる訳で、苦労して構築した陣地も、すぐに放棄しなければならない。

 労働の成果がむなしく敵に奪われてしまう、喪失感。敗北とは失うことであり、敗者とは勝者の因果を押し付けられる存在だと、実感させてあげようね。

 

「さぁ、忙しくなりますよ。これまで鍛えてきたのは、この瞬間の為だと知りなさい」

「はい! モリー教官」

「教官! いえモリー隊長、我々の状況は万全です!」

 

 ゼニアルゼの女騎士たちにとっては、辛い日が続くことになる。

 同情はしても、手加減はするまい。訓練の厳しさが、実戦での生存率に関わるのだから、気合も入ろうと言うものだった。

 一通りの訓練が終わったら、皆をねぎらってあげよう。自腹を切ってでも、報いましょう。言葉を尽くし、行動でも示そう。そうされるだけのことを、貴女方はしたのだ。

 そうするだけの成果を上げてくれると、私は確信している。だから、今は強いて求めよう。

 

「陣地構築と人員の配置、終わりました! 皆がモリー隊長の訓辞を待っています」

「よろしい。では、参りましょうか。……敗走の予行演習が、如何に大事であるか。言葉だけで理解してくれるなら、それに越したことはないのですから」

 

 願わくば、本番に至っても、誰一人として死なずに済むように。ありえない妄想を抱きながら、私は彼女たちに向き合うことを決めたのでした――。

 

 

 




 いかがでしたでしょうか、楽しんでいただけましたか?

 次は、実戦訓練の場から始めていくことになります。結構な部分で想像というか妄想が入るので、今から不安でもありますが。

 まあ、今度もきっと、来週辺りの私がどうにかしてくれるでしょう。

 来月の半ばくらいに投稿出来たらいいなぁと思いつつ。
 モリーの活躍に、ご期待ください。



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ア ナ バ シ ス だ


 割ときつかったです。
 ゼニアルゼの女騎士たちって、だいたい名無しなので、扱いに困りました。

 あと、作者には軍事の知識とかあんまりないので、アレとかコレとか。本当に正しい見解なのか、自信が無かったりします。

 ……しかし、もともと頭の悪い作品にしようと思って書いていたはずなので、悩みすぎて筆が進まないのも間違いだ、と気づきました。
 結果、色々とガバガバなお話になってしまいましたが、ご愛嬌ということで。

 無駄に長くなりましたが、楽しんでいただけたら幸いです。



 私、モリーの朝は早い。いつも早朝には目覚めてしまう体質なのだが、今日は特別な訓練の、その始まりの日なのである。

 その緊張のためか、おおよそ20分から30分くらい、早く目が覚めた様な気がする。時計がないので正確なことは言えないが――さて。

 どうも、私らしくもなく、気負っているらしい。体調は問題ないが、気持ちの高ぶりを自覚していた。

 

 教え子たちの状態は悪くない。陣地も構築して、一泊している。気力、体力はそこそこ充実しているだろう。

 失態が起こったとしたら、それは指揮官たる私の責任だ。そうと肝に銘ずるならば、なおさら失態は犯せない。

 

「いい朝ですね。突貫工事ではありますが、陣地もある。敵の攻勢を防ぐ準備は万端です」

 

 私は私の才覚を信じている。今までの鍛錬と、経験の積み重ねを頼りとしている。これから模擬戦の間は部下となる、女騎士たちの前で――私は、言葉を重ねた。

 これより、騎士という地位は意味をなさない。一隊員、一兵士として扱われるのだ。誠意を示すためにも、言葉を尽くすのは大事なことだと思う。

 

「私たちは、今日と明日、二日間は陣地にて防備を固めます。その後、後方で補給線を絶たれ、首都で政変があったという仮定の上で陣地を放棄。撤退戦に移行します。――なお、一定時間内に都に戻れないようであれば、その時点で我々は完敗したと判定され、ひどいペナルティを負うことになります。気合を入れるように!」

 

 具体的な日取りは、隊員たちには教えない。ぶっちゃけ政変だって、関係あるのは上層部だけなんだから、情報統制なんて当たり前だと理解してほしい。

 制限時間だって、ダイスを振って決めたもんだしな! ――あえて明言しないのが優しさと言うものよ。

 

 ――とはいえ。実際に補給が断たれたら、陣地にこもっていても継続戦闘は難しい。玉砕覚悟ならともかく、通常は撤退を考える。政変で政治的生命が脅かされるとなれば、なおさら気が気でない。

 ここまで来れば、せっかく構築した陣地を放棄する理由としては、充分だろうと思う。

 

「我々は、私ことモリーを総指揮官とし、その下に分隊が三つ存在します。分隊は各五十名。隊長三名がこれを統率する。総勢おおよそ百五十名、互いに気心の知れた仲間でありますから、生死を共にするのに不満はないでしょう」

 

 第一部隊長、第二部隊長、第三部隊長と、記号的に私は彼女らを呼び出した。

 記号的な呼び名だが、それはここが公式の場で、差別しない態度を表明せねばならぬからだ――というのは、言い訳だ。

 私個人が、彼女らと親しくなることを制限している。早ければもう一月くらいで帰ることになるし、下手に情を抱いたり抱かせたりするのは、年頃の彼女らにとっては良いことではあるまい。

 それでも何かしらの功績が認められたり、個人的に話し合う機会があったりしたら、ちゃんと『個人名』で呼ぼうとは思っているが。それもまた、訓練が終わってからの話だろう。

 

 私は明確な上位者であるのだから、贔屓はもちろん、ちょっとした嫉みや怒りを面に出せば、それだけでも大きな影響を与えてしまう。

 だから、節度が大事。冷徹に過ぎる印象を与えてでも、私は公正公平でなくてはならない。

 

「各々、部隊員の様子は把握していますね。体調不良の者は、いますか?」

「おりません」

「第二部隊、同じく」

「第三部隊も問題ありません」

 

 結構。全員を酷使してよいわけだ。ここに来て怖気づくもの、身体を壊す者がいないのは、指導と訓練が正しかったことの証左であり、彼女らの資質を証明するものである。

 この愛しい教え子たちを、可能な限り酷使して、鍛え上げることに。今さらながら、喜びを感じていた。

 ――きっと、彼女たちは大成する。集えば一国を落とすくらいのことはやってのけるし、生き残れば一人一人が、いっぱしの将校としてやっていけるだろう。教官の訓練が仕上がれば、名実ともに立派な女騎士だ。

 自身の器量で、実家や嫁ぎ先を支配するのも容易いはず。そうなれば、誰のためにもなるし、ゼニアルゼの未来も明るい。

 

 いいことづくめじゃないかと、改めて皮肉気に微笑んで見せる。まったく、クロノワークの女の子とは別の意味で、魅了的な子たちだ。

 個人的なストライクゾーンに入るには、まだ数年の熟成が必要になるけれどね! ま、それは関係のない話か。

 

「初日の攻撃の刻限は知らされています。現実の戦争でも、互いの布陣が明確であれば、相手が仕掛けてくる時間帯は予測がつくことが多い。なので、最初から実戦のつもりで臨みなさい。――同国人とはいえ、攻撃側はクッコ・ローセ教官が指揮しているのです。手心を加えてくれるなどと、軟弱な期待はするだけ無駄です」

 

 言葉を尽くして、部下の女騎士どもの危機感をあおる。そうして陣地に向かい、配置につかせた。

 私は最前列で、敵の姿を確認するまでは留まるつもりだった。教官のこと、意表をついて早めに攻勢に出ることもあり得なくはない。

 事前に決めた刻限など、所詮口約束よ――と無視してくる狡猾さが、教官にはある。

 そうした雰囲気を、感覚でつかむためにも。指揮者たる私は、気を抜かずに最前線の空気に触れるべき、というのが持論でもある。

 しかし特別やることがない現状、手持無沙汰な気分を紛らわせるのに、苦労する。

 開始直前にもなって、私は話し相手を求めようと思った。たとえ短い時間であっても、仲間の緊張をほぐしてやりたいし、それならば相手を選びたいとも思う。

 

「第一部隊長」

「はい、何か?」

 

 選んだのは、最前列を固める第一部隊長だ。第一、という言葉は力を持つものだから、私自身が最良だと思う人材を指名している。

 本名は知っているが、やはり口には出さない。情を移さず、必要以上に慕われないためにも、こうした線引きは重要だ。

 所詮己は他国人で、お客様に過ぎないのだと、己を律する。そのうえで、他愛もない話をするのは、私なりの余裕の表し方だ。

 

「アナバシス、という言葉を知っていますか?」

「いいえ。何という意味でしょう?」

「古代の異国の言葉で、『上り』を意味します。途中までですし、形だけとはいえ――下流から上流に向かって退くのだから、状況に即した言葉だとは思いませんか?」

 

 ぶっちゃけ、私が考えているのはクセノポンの著作の方だけどね! なんか不意に思い出した。ここに来るまでには大きな川を渡ってきたし、帰るまでに受けるであろう妨害や障害を考えると、オデュッセイアというよりはアナバシスだろうと思う。

 あそこまで複雑な事情が絡んでいるわけでもないし、内訌とか外交とかは無縁だから、そこまで似てるわけでもないけどね。

 

 付け加えるなら、敵地横断六千kmとか、そんな極端に厳しい状況でもなかった。例えに出すのは不適切でも、何気なく思い出したものだから、つい口にしてしまうんだね。

 よくよく考えれば、こんな贅沢な訓練があってたまるものかと、クセノポン先生に怒られそうだ。まあ故人には敬意を示すくらいにして、現実の私としては、軽く話題にするくらいは利用させてほしいと思うんだよ。

 

 ……岩波書店は批判も多いけど、いろんな分野で古典をカバーしている点は評価すべき。でも、もうちょっと読みやすく翻訳してくださいね。

 なんというか、うん。気合の入った趣味人以外はお断り、っていう姿勢は良くないと思うんです。

 

「忘れられた、カビの生えた言葉と言えば、そうでしょう。けれども、アナバシス――と。口にしてみれば、何とも壮大な響きであると思いませんか?」

「部隊長として恥ずかしくはありますが、私にはなんとも。教養が無くて、すいません」

 

 前世の感傷に浸りたい気分の私としては、あれこれと珍しい言葉も使いたくなってしまう。でも、相手にとってはひどい無茶ぶりに聞こえてしまうのだろうか。

 ……いやだねー、もう。自身の知識を誇るようでは、まだまだ私も未熟と言うべきだ。

 

「気にすることはありませんよ、第一部隊長。私の発言が、ぶしつけに過ぎた。これは、そういう話です」

 

 ちょっとは緊張をほぐす意味合いもあるが、頭を悪くして、どうでもいい話を持ち出したい気持ちもあった。

 これは、私にとっても試練なのだ。最初から張りつめていては、最後まで持たない。いくらかは思考を緩めておいた方が、長持ちするだろうとも思う。

 付き合わせる彼女たちにとっては、とんだ災難だ。それでも、この訓練を乗り越えて、成長してほしいと切に願う。

 

「さて、当たり前のことですが、守る側の方が攻める側の方より有利です。――小高い丘に陣地を構えれば、敵が攻めてくる様子も、こうして確認することができますからね」

「……そうですね。ええ、気がめいります」

 

 教官とは簡単に打ち合わせはしたが、彼女の方も『実戦のつもりで行く』と言っていた。クロノワークにおいては、『無様をさらしたら殺してやるぞ』という意味の言葉である。

 ――同国人の間では一種の冗談のようなもので、真面目に受け取る者は少ない言葉でもあるのだが……クッコ・ローセ教官のこと。甘く見れば、死ぬような目にあうのは必定。

 自分だけならともかく、指揮下の女騎士たちも諸共だと考えるなら、笑い話にもできぬ。

 誰もが、悔いを残すことなく訓練を終えられるように。私はそのためにここにいるのだと、改めて責任の重さについて、自覚することができたと思う。

 

「仕込みは終えています。本日は、押し寄せる敵を撃退することに専念しましょう。――各員! 遠慮なく槍を突き出してやりなさい!」

 

 さあ訓練の始まりだ。攻め手は当たり前のように陣地を攻撃し、我らはこれを防ぐ。真剣な殴り合いだが、模擬戦である以上は安全性を考慮せねばならぬ。

 守り手は槍を主要な武器として用いるが、穂先は刃物ではなく、タンポ(綿を丸めて布で包んだもの)に取り換えてある。だから、思いっきり突いても致命傷にはならない。

 相手も訓練であることはわきまえているので、タンポ槍でも突き落とされればしばらくは戦線を離脱することになっている。

 数の違いと言うものがあるから、守り手は休む暇もない。叱咤しながら、女騎士たちを指揮する。

 

「陣地に殴りこんでくる連中は、私が叩き落とします。――安心して、外側に集中なさい!」

 

 叩き落とす、と言うのはこれも比喩。私が木刀でコツンとやるだけで、敵側は無力化されることになっている。

 実戦であれば上腕骨か大腿骨か、あるいは脳天なりをカチ割っているのだから、これはこれで現実に即していると言えるだろう。これでも技量については、クロノワークでも有数の自覚があるんだよ。

 ……後で腫れるかもしれないけど、それくらいは許容してください。割とよくあるよくある。

 

「叩け叩け! 遠慮するな!」

「体に当てればそれでいい! どんどん打て!」

 

 部下の女騎士たちは、気合が入っている。敵側を叩き落とす作業は、彼女たちが集中すれば充分に能うことであるらしい。陣地を犯されながらも、守り切ることが出来ている。

 もともとそこまで力量に差がない子たちである。状況を整えてやりさえすれば、守備側が優勢なのは当然と言うもの。

 本来なら弓矢なり砲なりでお出迎えするところだが――。訓練としては、殺傷力を極力抑えねばならない。なので、使っても石つぶてがせいぜいというところだ。

 もっとも、ただの石でも当たり所が悪ければ死ぬがね。……兜の緒はしっかりと締めるんだよ、皆。私が鉢金を装備しているのは、視界の関係で、近接戦闘にはそちらの方が都合がいいからだ。君たちにはお勧めできない。

 

「モリー隊長、取りつかれました! 上がってきます!」

「壁の外側を剥がしなさい!」

 

 陣地の壁の外側は、いつでも取り外して放棄できるようになっている。

 幾重にも重ねた板は、張り付いた敵を装甲ごと取り外すことを容易にする。相手はそのまま倒れて装甲の下敷きになってしまうが、そこまで高所からの落下ではない。

 痛い目を見るだろうが、死者が出るほどじゃあないと思う。それに教官のことだから、落下に備えてサポートを徹底させているだろう。一手で脱落させられる数は、少数にとどまるかな。

 

「単なる力攻めです。一日、堪えなさい。一人前の騎士は、この程度で倒れてはならんのです」

 

 初日は力攻めに限るようにと、教官とも了解が取れている。詰まらぬところで意表を突く彼女ではないし、ここは信じていい。

 早朝から数時間ぶっ続けで働き、昼過ぎに第一波を退けて小休止を取るも、第二波がすぐに押し寄せてくる。

 攻め手が数に勝っていれば、ひたすらに攻撃を続け疲労を蓄積させて、守り手の士気を削ぐことができる。

 いかに守備側が優位とはいえ、連日これを続けられれば酷いことになる。なので――ここでは、ただひたすらに疲れるだけの戦いを経験させておくんだ。いつ終わるかもしれぬ攻勢を、防ぎ続けるだけの単純なお仕事です。

 本番では命が掛かっているから、本当に心が削られていくがな! ――まあ、予行演習としてはこんなものだろう。

 

「敵が退いていく……。やっと……?」

「流石に夜戦になるまで続けたりしませんよ。不慮の事故が怖いですからね」

 

 日が暮れてくる頃には、流石に敵側も攻勢をやめて退いていった。安堵して身体を崩し、へたり込む者多数。

 夜戦は高等技術なので、現段階ではまだ教えられない。だから今日一日の仕事は、本当にここまで。

 

 くたくたに疲れている女騎士たちを叱咤し、立ち上がらせて順次天幕に入れ、休憩させていく。いくら訓練とはいえ、見張りを立てずに全員が休むことは出来ない。

 後日疲れは残るだろうが、籠城とはそういうものだし、負け戦も基本そんなものだ。重い疲れと精神的重圧、それに耐えながら退くのが撤退戦である。

 訓練であるからには、本番並みの緊張感はないが、ここは指揮官も骨を折るべき場面だろう。

 

 具体的に言うと、皆を労ったり、激励して士気を高めておく。……人間は感情の生き物だから、誰か一人でもヤケになってもらっては、周囲が困るしね。それに、やる気さえあれば結構耐えられるものだから。

 根性論は基本害悪だけど、人の精神を無視して戦争とかやってられないんだよなぁ……。なので、出来る限りの配慮はさせてください。

 

「どうですか? まだ初日ですが、つらかったでしょう」

「あ、はい。――いえ、そんなことはないです。大丈夫です」

 

 声を掛けた子は、カラ元気を出すように笑って見せた。しかし一瞬、痛みで顔をひきつらせたのを、私は見逃していない。

 ケガ人の数自体は、攻撃側の方が多いだろう。しかし、あちらには手厚い看護が受けられるよう、医療班がついている。

 

「……指先に切り傷。腕には打撲もありますね? ちょっと診てあげましょう」

 

 我々には、そうした贅沢とは無縁である。……だからせめて、自ら部下の傷を手当してやったり、声を掛けて士気を維持しないといけない。

 陣地内にいるうちは、医療品の蓄えもある。――彼女らは傷の処置などは不得手の子が多いから、見本を見せる意味でも、私自身が手を尽くそう。

 痛みを感じさせぬよう、彼女の手を軽く握って、優しく微笑んでから手当にかかる。

 

「え、あ――すいません」

「何を謝るのです? 貴女は立派に戦いました。戦傷は、勲章といってよいでしょう。――それが例え、訓練であったとしても」

 

 これは本心。だから治療目的でも、体に触れるときは気を使って。手当には細心の注意を払い、労わるように処置を行う。

 

「さ、これでいいですね。……明日もまだ、今日と同じくらいの攻勢を防がねばなりません。辛い仕事を任せてしまいますが、一人だけ苦しい想いはさせません。今は共に、耐えましょう」

 

 後は一言二言、愚痴にも似た言葉を交わしてから、彼女とは別れる。

 次に無言でたたずんでいた子に話しかけて、思う所を吐き出させた後、感謝と共にその場を離れた。

 見張りの中に、ぐったりと床に這いつくばっていた奴がいたんで、ちょいと蹴り上げてから優しく声を掛ける。疲れているからって、地べたに変な格好で倒れていると――翌日に上手く身体を動かせないこともあるから、そこは指摘しておかねばならない。

 そうやって、時間が許す限り、ちょいちょい気になった子をケアをし続けました。

 

 もちろん、そんな道楽ばかりに時間を費やすことなんて、私には許されない。就寝の前に、分隊長たちを呼んで明日の打ち合わせを行いました。

 あんまりダラダラやっても仕方ないし、攻め手の行動はシンプルだから、本当に軽く話し合っただけではあるけれど。それでもちょっとした反省とか、改善の提案とかがあれば、少しは気持ちが楽になるよね。

 

「――と、これまでの経緯を見る限り、攻め手の行動は単調であり、明日一日に限るならば防衛は可能だと考えています。モリー隊長の見解はいかがでしょうか」

「同感です。……ただし、陣地にこもれるのは明日一日まで。それ以降は、敗走を続けることになります。実感が伴わないと、難しいとは思いますが。――辛いですよ」

「そんなに、ですか」

「それほど、です。――まあ、嫌でも味わうことになるんです。訓練という限定的な状況ですが、それなりに辛い思いをしていただかねばなりません。心の準備は、しておくことですね」

 

 旗下の隊員たちにも、その辺りは気遣ってあげるんだよ? 私の方でもちょくちょく見てあげるけど、完全に手を回すことは出来ないからね。分業って大事。

 

「検討に間違いはないと思います。御三方に、些事はお任せしましょう。明日一日は、私は一兵卒に戻ったつもりで、敵兵を打ち倒すことに専念しますね」

「……ええと、それはいいんでしょうか。不安なんですが」

「なんのなんの。私、モリーが請け負います。君たち部隊長らは、明日一日の防備くらいはこなせる力量がありますよ。だったら、こちらは作業に徹したほうが成果が出るものと考えます」

 

 実際、私におんぶにだっこでは、成長もないしね。任せられるところは任せて行こう。

 ちゃんとできたら、褒めてあげます。抱きとめて、甘い言葉をささやくくらいはお安い御用ですよ。

 ……年下は守備範囲外なので、純粋に愛でるだけです。男としての性欲? まだまだ見栄が勝りますね、無粋なことは致しません。

 母国に想い人たちを残していますから、不実はしたくないんですねー。教官? あの人は別枠なのでセーフ。

 

「ごあんしんください。教官も、こちらを追い詰めすぎて、早々に訓練を終わらせるようなことはしません。――そこまで甘くない人であることは、共通の認識であると思いますが?」

 

 部隊長たちは、そこはうなずいて肯定してくれた。共感できたなら、安心なことですね。

 あとは細かい部分をつめるだけで、解散した。彼女らだって、疲れがたまっていることはわかる。睡眠時間は多いにこしたことはないのだから、あまり長く話し合うのも問題だろう。

 

 私? 大丈夫! この程度じゃ疲れない程度に、身体は作ってるからね。あと三日くらいなら身体を酷使できる自信があるよ。

 でも休めるときは無理をしないっていうのも鉄則。各種の確認や点検に時間を使った後、たっぷり二時間は眠れたから、これからの闘争に不安はない。

 

「さあ、今日も今日とて、陣地にこもって守りの構えです。――今日くらいは、教官も絡め手を交えてくるかもしれません。各員、油断しない様に!」

「はい!」

「了解しました!」

「お任せください」

 

 元気のよい反応を耳にすると、安心できるね。旗下の女騎士たちの才覚は、本物だった。そうした確信を得られた私は、きっと幸せな指揮官なんだろう。

 ……予測に反して、二日目の防衛も、単調な攻めに終始していた。だから私も、思うところはない。ただ、完全に守りきれたという、結果だけが残る。

 そして、翌日の夜明けを待たずして、我々は移動を開始しなくてはならないんだ。

 

「二日間の防衛、お疲れさまでした。さあ、ここからは巻いていきましょう。――とりあえず、我々は陣地を放棄して、すぐに帰還しなくてはいけない事情が出来ました。しかし、連中はここぞとばかりに追撃してきます。実戦においては、追撃戦でこそ被害が多く出るもの。勝者にとっては、まさに稼ぎ時というやつですね」

 

 どよーん、って。何やら効果音が出そうな勢いで、部隊長の三人は表情が崩れていた。

 疲労の上に、苦労がのしかかってくるんだ。気持ちはわかるよ、うん。でもこれも訓練だからね。仕方ないね。

 

「陣地内で、天幕の中で休めるのは昨日まで。今日からは野宿の日々です」

「ええ? ……戦闘が続く中、野ざらしで寝るんですか?」

「第二部隊長。何のために、野営の訓練がありましたか? 自然の素材でシェルターを作る訓練は、こんな時のためにあるのですよ」

 

 葉っぱや木の枝だけでも、寝床は作れる。ていうか、作らせたし眠らせた。上手に作れば快適に一夜を過ごせるようになる。下手な人は……かわいそうなことですね? これまでの訓練の全ては、この日のためにあったと言っても過言ではない。

 

 陣地の天幕は全て置いていく。撤退戦においては、持ち運ぶ手間が惜しいし、何より重い。荷運びのための馬車はあるが、荷物は厳選したいし、何より――場合によっては、馬を放棄することだってありうる。

 馬の維持費と、物資・糧食の運搬量を計算して……途上で多くを失ってしまうことを、想定に入れるべきだろう。戦闘による損失だって、もちろん有り得る。

 

「騎兵を残しておきたい気持ちはやまやまですが、どうでしょうかね。こればかりはやってみなければわかりません。……優先すべきは人命であって、家畜は使い潰していいことになっていますから」

「モリー隊長。偵察にも物資調達にも役立つ馬を、完全に失うのは賢い選択ではないと思いますが?」

「第三部隊長。ご意見ごもっともですが、維持しようとしても無くなる時は無くなるものですよ。――まあ、極力そうした事態は避けたいとは思っています。なので、騎兵には限界まで働いてもらう方針で行きましょう」

 

 どう使うかは、私の裁量次第、と。いや実に責任重大だ。

 いかにして敵から逃げ延び、いかに多くを生かして帰らせるか。あくまで疑似体験だが、やはりこれは私にとっても試練である。

 

「これからは、あらゆるものが足りなくなってくるという訳ですか。モリー隊長、補給のあてはあるのでしょうね?」

「ええ、ええ。もちろんですとも第一部隊長殿。――必要最小限度の備えは、事前にしておりますとも。ただし、本当に足りるかどうか、そこは保証はできません」

 

 我々が敗走中であることを考えると、確保していたはずの物資がどこかに流れていたとか、当てにしていた市場が確保できないとか、そうした事態は実際に起こり得る。

 敗者は奪われる者であり、追い立てられる弱者を相手に商売とか、あんまりしたくない気持ちはわかるからね。仕方ないね。

 ――なので、最悪『略奪』という選択肢が浮かび上がってくるわけだ。今回は訓練であるから、必要はないけど。……実戦でもやらずに済ませたいね、本当に。

 

「顔色が悪いですね、皆さん。そんなに不安ですか?」

 

 そこまで考えたところで、皆の顔に不安の色が出ているのに気づいた。各隊長でさえこうなのだから、隊員たちはもっと不安だろう。

 ……考えすぎるから、かえって苦悩に苛まれるのだ。まだ余力のある今なら、無理にでも動かしてやって、前に進ませるのが一番いい。

 

「後ろ向きな思考を楽しむのは、そこまでにしましょう。――では、これから移動します。今がギリギリのタイミングでしょう。連中が陣地を占拠する時間を与えるため、いくらかの物資を分散して置くこと。――割と馬鹿にならない時間稼ぎになるので、覚えておきましょうね」

 

 用意はすでに済んでいたから、出立そのものは早かった。 

 陣地を後にして、後方からわいわい騒いでいる声が聞こえたのは、そういうことだ。教官殿とて、半日くらいの時間はくださるだろう。

 本気で追撃するつもりなら、間を置かずに追ってくるものだ。それでも経験の浅い兵を率いての追撃戦は、慎重に行うのが定石である。慣れていないと、思わぬ反撃を食らうこともある。

 私だって、見え見えの突撃なんて仕掛けられた日には、どうにかして返り討ちにしてやろうって思うもの。だから、教官も女騎士どもを落ち着かせるため、多少は時間を置くはずだ。

 その貴重な時間で、なるべく距離を稼いでおきたい。陣地を出て全力で移動すれば、夕暮れまでには河川にたどり着く。船があればその日のうちに川を超えて、撤退は難なく成功ということになるのだが――。

 

「船が、ない?」

 

 誰かのつぶやきが、耳に入る。わたくし、モリーとしても心が痛む事態ですね、いやはや。

 諸事情というか、訓練の都合により、こちら側の河川には船が一隻も存在しません。今日と明日だけは、別の場所に行ってもらうよう、事前に通達していました。

 

「船がないなら、自らの足で進むしかありませんね。さあ、上流に登りましょう。これから丸一日も歩けば、橋が架かっているところに着きます」

 

 安全地帯を抜け出て、背後から敵が迫ってきているという状況下。一刻も早く不快な状況から逃げ出したい、という気持ちはわかりますが、そうそう簡単に終わらせてあげられないんですよ。

 なお、橋を渡るルートはさらに遠回りで、余計に時間を食うことになる模様。

 色々と申し訳ないけど、今辛い目にあっておけば、この経験が活きる場面も出てくるって信じてる。そうと思えばこそ、私は彼女らを駆り立てるんだ。

 

「途中、野営をします。見張りは交代制で、隊ごとのシフト管理を守るように。これからは食事も量を絞りますが、それは細く長く食いつなぐためだと、ご理解ください」

 

 すきっ腹を抱えての敗走は、女騎士たちの精神を削っていく。粗食の上に酷使されるのは、兵士の宿命だから、少しでも慣れておくといい。

 ともあれ、一日歩かせるだけでも一苦労だった。荷駄を運ぶ馬にも、疲労があらわれている。

 馬は飲み食いするから、物資の消耗も激しくなる。どこで切り捨てるかは、私が決めるべきことだが――。同時に、どの程度残すべきか、それを決めるのも私である。

 

 野営明けの夕方頃、暗くなってきている時間帯に、ようやく河をかける橋までたどり着いた。

 すぐにでも橋を渡って、これを破壊すれば時間を稼げるのだが……訓練においては、そこまで許可されていない。

 実戦で、他国から攻められている状況ならば仕方ないが、そうでないなら土木工事の手間を増やすな、ということだ。改めて橋をかける労力を考えれば、反対も出来ない。

 それに、政変で急いで戻るってことは、政治的に強くない人物が指揮を握っているという想定なんだ。

 橋を落とすような自傷行為は、政治の場で糾弾の材料になってしまう。あえて橋を残して去るというのも、充分現実的な行為だろう。

 

「すっかり暗くなりましたが、全員橋を渡り終えましたね? 本日は、ここで野営をします。各員、前日までの割り当てを継続するように」

 

 もしここに敵の分隊がいて、渡河を阻止してきたら――と思ったが、そんなことはなかったぜ。

 ……ちなみに、まだ渡らねばならない大きな河がもう一つある。油断させておいて、本命はこれってこともあるか。いずれにせよ、ちゃんと都に帰るまでが訓練です。頑張りましょうね、皆。

 

「各々、足りないものがあれば申告するように。消耗品の備蓄は少ないですが、途中の市場で確保します」

「はい、モリー隊長。早速、各員から要望を聞いて回ります。……しかし、案外そういうことも許されるのですね? 意外です」

「第一部隊長。戦においては何事も臨機応変、柔軟な対応が求められます。安全な市場を見極める目を養わねばならないし、それはこれから教えるつもりですが――」

「……何でしょう?」

「貴女が隊長であったなら、戦いの中で、他にどうやって物資を調達しますか? ――私がある程度の手本を示すつもりですが、なるべくそれを考え続けなさい。これは部隊長としての義務です。よろしいですね?」

 

 戦争中で、敵国の中であっても。意外と統制のゆるい市場があって、そこで物資が調達できる場合もある。

 騙されて劣化品をつかまされたり、市場の中で襲撃されたりする危険性は当然あるが――。

 これを利用しないなら、現地調達。いわゆる略奪行為を働くしかない。そういう方法がある、と理解させたうえで、なるべく恨みを買わない方法を使ってほしいのだ。

 育ちの良い女性たちに、無作法を教えるなんて無粋なことだ。だから、三人の部隊長には市場まで同行させて、調達の任務を経験させたいね。

 

「腹が減っては戦が出来ぬ、の格言通り。――補給が無ければ、戦えません。武具が消耗すれば、被害が大きくなる。衛生管理が出来なくなれば、疫病が流行って戦う以前の問題になります。気にするべきは、食料だけではない。……ゆめゆめ、注意を怠らない様に」

 

 渡河をした翌日、予想された襲撃はまだない。教官が全力で追撃をしてくるなら、もうすでに一度は接敵していても可笑しくはないのだが……?

 数少ない騎兵を、どこの偵察にやるべきか。悩んだが、ここから少し進めば街があり、待望の市場がある。

 補給の最中に襲撃を食らうのが、一番めんどくさい。第二部隊長に騎兵を全て預け先行させ、周辺の偵察任務に就かせよう。

 

「第二部隊長。貴女方を除いた我々は、これからまっすぐ近くの街まで進みます。人の足では半日以上かかりますが、軍馬なら偵察して戻ってくるのに、さほど時間はかからないでしょう」

「すると、偵察の範囲は限定的ですか? せっかく渡った河を超えるとなると、少し勇気がいりますので、後方への偵察任務がないのはありがたいですけど」

「河を越えてはなりません。橋には少数の監視だけを置き、これから我々が進む街道の周辺を先行して、警戒してほしいのです」

 

 現場での判断については、いちいち口を出さずともいい。それくらいには、訓練を積ませている。

 準備を整えさせ、第二部隊長と騎兵たちを送り出す。私たち歩兵は、朝食を軽く済ませてから動いた。騎兵にも糧食を持たせたから、荷物は軽くなっている。

 ブーツや手袋、衣服の汚れは河でいくらか落とせたが、今後は衛生面での不安が付きまとう。

 消耗品の補給は、その点でも大事だ。だから、絶対に成功させたいと思う。

 ……教官も、その辺りの機微は理解しているだろう。あくまで訓練なのだから、この点を考慮して、攻撃の手を緩めてほしい――なんて。

 

 希望的観測は、指揮官をむしばむ毒だ。ただただ、備えよう。

 備えさえすれば、対応が出来る。私が抱えている緊張感が、他の皆にも伝染したようで、街に着くまで、ずっと張りつめた雰囲気が続いていた。

 小高い丘を越え、街が見えた時。ちょっとした歓声が皆の口から出たのも、無理なからぬことだと思う。

 

「おや?」

 

 そして、まさに街に入ろうとした直前になって、騎兵たちと第二部隊長が戻ってきた。 

 おそらくは、悪い報告を持って。彼女の顔色の悪さが、それを物語っていた。

 

「騎兵の数が、少々足りませんね。……報告してください」

 

 どこぞで伏兵にでもやられたか? と思ったら、案の定だったよ!

 敵はわが軍の後方にいたと思っていたけど、どうやら別動隊を一日早く出発させて、ここらで待ち伏せしていたらしい。

 

 伏兵自体はさっと退いていき、近くにはもういない様子。こちらの騎兵を削って、それで良しとしたのか。全滅させられなかった時点で、見切りをつけたのかもしれない。

 設定上のこととはいえ――補給路を断たれた、という前提があるのだから、伏兵の用意があっても不思議ではないかな。

 

 そもそも模擬戦を始めるにあたって、『事前の仕込みは無し』なんて取り決めはしていなかった。だから策にはめられても、これを非難するのは違うだろう。

 奇襲を受けて、六人の騎兵が倒れたそうな。実際に命を落としたわけではないが、以後はこちらから相手側に寝返ったという設定で、こちらの敵に回る。

 捕獲されたから、仕方ないね。寝返りの衝撃は強いから、訓練の形式としても使わせてもらってます。

 

「痛恨の失敗でした。お咎めは、いかようにも」

「これくらいの失敗でいちいち処罰していては、陣営から将校がいなくなりますよ。以後、気を付けてください。せっかくの訓練なんですから。……いい勉強になったでしょう?」

「はい、それは、もう。――次の機会があれば、同じ過ちは犯しません」

 

 第二部隊長から、頼もしい返答を得て、私個人としては充分成功した気持ちだった。

 今はいくらだって、失敗していいんだ。出来るうちにたくさんしくじって、悔しさをバネにしてほしい。

 

「橋の監視に向かった兵も戻ってきていない。……あちらも、いい加減本腰を入れてきた、と考えるべきでしょうね」

「すると、我々は前後から攻め立てられることに……?」

 

 ――事態は深刻だが、対策を講じねばならないのが私の立場だ。襲撃を受けながらも、偵察の成果はあった。もろもろの情報を受け取った私は、旗下の隊員たちとも情報を共有せねばならない。

 蚊帳の外にあった第一、第三部隊長も、悩みを同じくしてもらおう。共に悩み共に苦しんでこそ、戦友と言うものじゃないかな。

 

「接敵した距離を考えると、補給の最中になだれ込んでくる可能性はありますね。……モリー隊長の所見を伺いたく思いますが?」

「それは、後で述べます。まず、三人で話し合って結論を出しましょうね。――その後で、私が評価します」

 

 実戦で、私が彼女らの面倒を見れるとは限らない。出来たらいいなぁとは思うけどね。

 だから、まずは三人の部隊長の論戦を見て、結論までの流れを評価しましょう。

 独断的に、強権的に誰かが主導して結論を出すこともできるけど、出来るだけ多くの兵たちから支持を受けるためには、それだけ多くの人々と話し合う必要がある。

 

 せめて採決を取る際は、各部隊長を参加させておくと良いんだよ。これをするかしないかで、末端の兵士たちの納得の度合いが変わってくるんだ。

 どうせなら、納得させたうえで苦難に付き合ってほしいからね。そうでないと、負け戦となるとすぐに兵どもは散らばって逃げ出すものだから。

 ――この辺り、良家の女子はわかりづらい部分かもしれない。

 

「……結論ですが、補給は絶対必要です。補給行動は第三部隊に一任し、荷駄をまとめるのも彼女らに任せます。残り二部隊は街の近辺に陣取り、襲撃に備えます」

「陣地はどの程度まで作成しますか?」

「一度は襲撃に耐えられる程度に。どのみち敵が迫っているなら、ここらでもう一度迎撃すべきです。そこそこの損害を与えてから、再度補給の後、移動を開始する。――いかがでしょうか」

 

 悪くない案だと思う。陣地の作成が間に合えば、攻め手の意気を削げる。教官側は、また防備を固めた相手を前に、辟易するだろう。

 だから、教官は陣地にこもっている間は慎重に動かざるを得ない。すると補給自体は、安全に行えるわけだ。

 

「いいと思いますよ。平時であれば」

「……と、申されますと?」

「お忘れですか? 我々は背後を脅かされただけではなく、同時に政治的な危機に陥っているのです。早々に都に帰って釈明せねば、粛清されるかもしれないというのに、悠長に陣地を作って、敵を待つ暇はありませんね」

 

 そもそも作ったところで、長くこもっていられるような状況ではないのだ。膠着状態が続くだけでは、訓練としても望ましくないので、無理矢理にでも誘導していく必要があるわけだね。

 

「しかし、それではまともに追撃を受けよと言われるのですか?」

「はい。誤解を恐れずに言うならば、まさにそうです」

 

 といって、無為に損害を受けよ、なんて話ではないんだよ。

 割とギリギリな行為だけど、部隊を分けずに全員で街に乗り込み、補給そのものも街中で行う。訓練に無関係の人々を巻き込むので、忌避したくなる気持ちは理解しよう。

 でも考えてみてほしい。この街には城壁もあれば堀もあるので、教官が率いている程度の兵数では、そもそも突っかけようがない。

 直接市場で個々に物資を補給させ――もののついでに、民家のひさしでも貸してもらって、ゆったりと一泊させていただくのが一番効率的だ。

 一泊させていただく了解は、すでに訓練の前から手回しして、取り付けてある。こちらが少数だからこそ、可能な案だった。

 

「急ぐのに、一泊するのですか」

「急ぐために一泊するのですよ。……こうもあからさまに行動すれば、教官側も仕掛けやすくなる。おそらく、我々が街を出るのを待って、即座に殴り掛かってくるでしょうね。――我々は、それを陣地の保護も無しに、まともに受け止めねばなりません。よって、備えるためにも、休息は大事です」

 

 悲しいことに、敗走を強いられた時点で、我々は奪われる側なんだ。

 なので、一方的に苦しい状況に追いやることも、私の役目。そのうえで、敵側を思い切り殴りつけて、攻撃側にも教訓をくれてやるのも私の仕事だった。

 

 襲撃の際には、私が最前線で戦う――と言いきったら、皆も納得してくれた。

 信頼の証だと思えば、これほど面映ゆいことはないね。……まだ仕事中なんだから、深くは考えない。

 ともあれ、補給を済ませつつ、一泊する。万全に整えた上で、敗走へと戻ろうじゃないか。

 

 案の定、街を出て程なく。前方に陣を構える攻め手の姿が見えた。

 避けて通るには大きすぎる陣地であり、攻略できるほど戦力的な優位もない。……こちらの選択肢は、敗走を続ける以外にないわけだ。まったくもって現実的なことで、涙が出てきそうです。うーん。

 

「どうしたらいいのでしょう、モリー隊長」

「まあ、前向きに考えましょう。敵の姿が見えている分、殴りやすくなったってね」

 

 わかりやすく、近くを通ろうとすれば、殴り掛かってくれるだろう。そうすれば、殴り返すだけ。

 

「私は、敵をひたすら潰していく作業に入りますので、指揮は部隊長でお願いします」

「は、ええ?」

 

 ていうか、もともと私は部隊長を統率する感じで、訓練が始まってからは末端の兵を個々に指示したことはないよ。

 だから、これまで通りに采配すればいい。自信を持ちなさない、隊長たち。君らは、ここまで不足なく兵を導いた。ならば、最後までやれると、思いこむんだ。

 

「おや、早速お出迎えに来てくれましたよ? ――こちらは、迎え撃てばいい。手間が省けましたね」

 

 陣地を放棄してから、敗走において初めてのぶつかり合いになる。

 今回は、私が最前線で木刀を振るうのだ。それも、殺さない程度の力だという制限があっても、本気で立ち回るだのから――相応の被害を覚悟していただこう。

 

「各部隊長に次ぐ! 私を最大戦力として計算し、この場を切り抜けるように!」

 

 命令を伝えたら、後は流れに身を任せて動くだけだ。

 一番槍を目指して突っ込んできた奴らを、まとめて叩き、薙ぎ、ぶつかり合ってでも防ぐ。

 体の制御は本能に任せた。精神は平常心を維持しつつも、無心で相手を叩き潰す。

 一人、二人、三人四人――。どれほど叩き伏せたか、私は数えるのをやめていた。目が回る様に忙しく立ち回り、周囲に動く敵がいなくなるまで、さて何分経ったのだろう?

 

「モリー隊長、もういいです! 充分ですから、付いてきてください!」

「……ああ、失敬。つい夢中になりまして。ええ、付いていきますとも」

 

 敵の攻勢を防ぎ、第一波は全員なぎ倒した。私だけの活躍の結果ではない。旗下の女騎士たち、全員の奮戦の結果である。

 なればこそ、時間を無駄には出来ない。敵側が態勢を整えているうちに、行軍して距離を稼がなくては、何のために撃退したかわからないじゃないか。

 

 私自身、そこまで働いた自覚はないのだが、結果として多くの攻め手を離脱させたらしい。

 次の渡河の場所まで、何ら妨害を受けることなくたどり着いたのだから、この点については疑問が入る余地はなかった。

 ……それでも、まだ敵側の方が数に勝る。これもまた、軽視して良い情報ではあるまい。

 我々は後方の敵を完全に振り切ったわけではないし、これからすぐにでも前方の――河という名の敵と戦わねばならない。

 

「皆さん、ここの河には船も無ければ橋もありません。――が、足を踏み入れれば、水かさは腰の辺りまでとわかるはずです。注意して進めば、対岸まで歩いて渡れます。……ただし、この場から離れると、一気に水深が深くなるので、まっすぐ進む様に!」

 

 平時であれば、服や武器を頭にでも乗せて渡ればいいのだが。後ろからいつ敵が迫ってくるかわからない現状、無防備な態勢はなるべく見せたくないんだよなー。

 渡河の最中は、攻撃の好機である。この隙を見逃してくれる教官ではないから、半数ばかり渡ったか、おおよそが河の中にいる頃合いを見計らって、突撃してくると思われる。

 ――いかんね、どうも。私、やっぱり大部隊の指揮官向いてないよ。後手後手に回ってる。先の戦闘が妙に緩かったのは、ここで勝負をかけてくるためかとも思う。

 

 時間も迫っている。渡河が無防備になるのは、もう仕方がないと割り切るか。

 というのも、切り捨てられるものを切り捨てていいなら。……私だけなら、生き残る可能性はあると思うから。

 

 指揮官としては悪手に過ぎるが、最後尾で最後まで残ることにした。

 まことに申し訳ないが、道連れになる子たちも選別する。ほんの二十人ばかりだが、これくらいは残さないと、防ぐ時間すら稼げない。

 部隊長たちが優秀なので、こうした荒業もできる。ちょいと彼女らがゴネる場面もあったが、あくまで訓練なのだから、より多くが無事に帰ることを優先したい。

 付き合わされる二十人は、殴り倒された時点で死亡判定。割を食わせることになるけど、勘弁な。

 ちょっと怖い目に合った、実戦では注意しよう――って、そう思ってくれるだけで、今は充分だと思うの。だからせめて、必死に身体を動かすと良いんだよ。

 

「さて、孤軍奮闘。してみますか」

 

 私の後ろには、頑張って水をかき分けて進む部下がいる。すぐ傍には、渡河に備えて無防備な姿をさらしている子たちがいる。

 そして、こんな私に付き従ってくれる、決死隊が二十名。最後まで戦い抜く理由としては、充分に過ぎた。

 

「皆さんは、無理をせず。適当に流したら、降伏するなり死亡判定を受け入れるなりしてくださいね。――私? 私は、最後まで戦います」

 

 あわよくば逃げ出す隙を作って、先行した仲間との合流も計りたい。

 そう考えるくらいには、私も往生際が悪い性格でね。教官にも他の皆にも、苦労をかけてすまない。

 

「私を敵に回して戦うことの恐ろしさを、連中に理解していただきましょう。さ、私に続きなさい」

 

 私を入れて、たかだか二十一名の守りは、あまりに薄い。

 けれども、その薄さを実感する頃には、敵側にも相応の犠牲が出ていることだろう。

 勢いに乗って、弱みに付け込もうとする追撃側にも、私は楽をさせてやろうとは思わない。

 

 愛用の木刀を、向かってくる敵に突き付ける。心は無心に、気負いのない境地に精神を追いやると、私の意識は単純化した。

 

 来い、戦ってやる。戦いつくした先に、結果があるだろう。判定がどのようなものであれ、私は受け入れるつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クッコ・ローセは、戦士としての、己の敗北を思い知らされていた。

 

「追撃戦で、この被害か。成果もよろしくないとなれば、話にならんな」

 

 彼女の他には、天幕の中には誰もいなかった。一人であればこそ、つぶやける言葉であった。

 目の前の地図に、視線を滑らせる。この河での渡河が成功すれば、後は都まで街道を直進すればよいだけだ。

 敗走している側――という設定ではあるが、モリーの奮戦もあり、士気は低くない。心が折れていない兵は、よく走る。

 精神がやられてしまった兵は、座り込んで動きたがらない。時には、そのまま死を待つ者すらいるのだが――。モリーが上に立っている限り、そうした兵は存在すら許されまい。

 つまり、元気よく駆ける兵を追いかけねばならず、追撃できる距離ももはや残り少ない。

 クッコ・ローセに出来るのは、散発的で小規模な嫌がらせくらいのもので、モリーの部隊を撃滅するなど不可能だ。そのように、彼女は結論付けた。

 

「――ふう」

 

 ため息もつきたくなる。地図を手放し、もう一つの書類に目を通した。

 渡河の際、モリーは最後まで残って、こちらの追撃部隊を翻弄し続けた。その被害はと言えば、仕掛けたこちらが目を覆いたくなるほど。

 指揮を任せた者も、旗下の兵も、いずれも手塩にかけて育てた女騎士であったにも関わらず。クッコ・ローセは、教官としても敗北感を覚えずにはいられなかった。

 

「鍛え方が足りなかった、というより。あいつ個人の戦力が図抜けている、と見るべきだろうな。……そうでもないと、やってられん」

 

 ちなみに、モリーに付き従っていた二十名は、全員戦死判定だった。

 降伏も逃亡もせず、最後まで彼女の元で戦い、倒れたのである。……普通、どんなに慎重に決死隊の人員を募っても、死ぬまで戦う覚悟を持てる者は少ない。

 ましてや、これは訓練である。途中で『参った』の一言が出て当たり前だろうと思うのに、モリーの傍にいた連中は実に気合が入っていた。

 

「結果、大部分の渡河を成功させ、我々は無為に時間を費やしてしまった、と。いやはや」

 

 不甲斐ないのは私の方か、とクッコ・ローセは自嘲せざるを得なかった。

 したところで、もう結果は出ている。これでモリーの死亡判定をもぎ取れていれば、いくらかの満足感は得られたかもしれないが、見事に逃げられてしまった。

 モリーは水練も達者であり、服を着たままであっても、短時間なら深い川でも泳ぐことができる。これには意表を突かれ、追跡は出来なかった。

 今頃は、先に渡河させた部隊と合流しているだろうか。まんまとしてやられた、という印象だけが残る。

 

「まあ、初の実戦訓練と考えれば、そこそこの緊張感は維持できた方か。……しかし、今度は私が敗走を演じるんだよなぁ。モリーの奴、手加減してくれないかなー」

 

 モリーにとっては、教官職として初めての実戦訓練である。そうした事情もかんがみて、何が何でも、という雰囲気で追撃していたわけではない。

 手を抜いたと見られるのは不本意であったが、本気の追撃にクッコ・ローセ自身の身体が持たない可能性もあった。

 

 戦傷の後遺症で、長く戦うのは辛い体である。旗下の部隊と行動を共にするのが精一杯で、先陣を切って殴り合える体力は、もはや残されていない。そこに悲しみと悔しさを感じてしまうが、どうにもならないことであろう。

 そうした指揮官の姿勢は、部下にも伝染する。ふがいない結果は、そのまま己に返ってくるのだ。

 

「仕方ない。こうなったら、『負傷した指揮官』というお荷物を背負わせる。その前提で、次の訓練をやってみようか。私に、モリーのような立ち回りはそもそも無理なんだよ」

 

 なので、今度はクッコ・ローセの側がひどい目に合う番だった。おそらく、苦労はあちらの数倍くらいになるだろうが。

 頼るべき指揮官に、戦う力がない。その事実は、ひどく部下を打ちのめすものだから、きっと敗走は悲惨なものになるだろう。

 そして、そんな敗者の群れを、今度はモリーが追撃するのだ。

 

「……全部終わったら、一人一人にレポートを提出させよう。この訓練で何を感じて、何を教訓としたか。全員に問い質してやらんとな」

 

 せめて、書類の上では平等の苦労を与えてやろう。

 そんな風に考えることしか、クッコ・ローセには出来なかった。

 

 

 

 

 この実戦訓練についてだけ言うならば。

 モリーたちは無事制限時間内に都へと帰りつき、被害も許容範囲内に収まった。

 三日ばかり休息させ、攻守を変えて、再度訓練を続けたかったのだが――隊員たちの疲労の度合いが強く、期間を空けることになる。

 モリーもクッコ・ローセも、これは残念がったが、クロノワークの基準が厳しすぎたというべきだろう。

 

 そして、モリーには一時帰国が許された。本来の予定は変更され、もうしばらく彼女はゼニアルゼに留まることも決定した。

 クロノワークから届いた書状によると、モリーは正式に駐在武官として任じられたとのこと。シルビア王女が、どこからか手配したらしい。

 かのお方の、たっての願いとあらば――動いてくれる人材は、どこにでもいるものである。

 

「仕事はまだ途中ですが、帰国の許可と休暇をいただけるのなら、是非もありませんね」

 

 色々な意味で、手の長い王女さまだと呆れながら。それでも、母国にいる大事な人たちに会いに行けるのであれば、細かいことは追及する気になれなかった。

 

 往復に六日、滞在に十日。具体的な予定は、これから立てるところだが、大盤振る舞いされたものだなぁとモリーは思う。

 

「皆、元気でいるのでしょうね。――ザラ隊長も」

 

 副官抜きで仕事をするのにも、そろそろ慣れた頃だろうか。

 あるいはもう、特殊部隊に私の席などなくなっているのか――などと考えてしまう。そうした不吉な点も含めて、帰国して見定めたい所であった。

 

 ついでに、個人的に調べていたことも、改めて検討するのもいい。せっかくの大型連休。昔からくすぶっていた、心のしこりを取り除くには、良い機会であるかもしれない。

 

「まあ、可能かどうかは、それこそ帰るまでわかりませんが――」

 

 懸念を片付けるのは、なるべく早い方がいい。そう思いながら、モリーは荷づくりを済ませるのであった。

 

 

 

 





 ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
 この作品が、貴方にとって暇つぶしにでもなれたのなら、筆者として嬉しく思います。

 なお、『アナバシス』は岩波文庫から出ていますが、割と読みやすい名作です。
 岩波文庫は、翻訳者が悪いのか、相当読みにくい作品も多く混じっていますが(金返せと言いたくなるレベルで酷いのもある)、これは普通に読めるので安心してください。

 クセノポン先生の活躍以外にも、当時のギリシア人の考え方とか、軍隊の行動などが詳細に記されているので、読んでいて興味深い作品でした。

 古代の戦争で、敵地で孤立した軍隊が、いかにして脱出し、生き延びたのか。

 この点に興味を持った方なら、きっと楽しめるかと思います。
 色々と迷信臭い部分もありますが、気が向いたらどうぞ。アマゾンのレビューが参考になります。



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休暇を楽しみつつ、片手間に憎しみを思い出すお話

 基本、今回もぐだぐだ話しているだけです。

 次回は捏造的な要素が多分に入るというか、いくらかでも刺激的な話になるんじゃないかと思います。

 ともあれ、お目汚しでございますが、良ければご覧ください。



 帰国を許されました。色々な事情が交錯しているんだろうな――って思うけど、もう考えるのも疲れたんで、素直に喜ぶことにします。

 ザラ隊長の顔も見られると思えば、多少の労苦はさしたることじゃあない。

 確認したいことは結構あるし、心残りもある。帰国の許可は、本当に渡りに船だった。

 

「しかし、またすぐに戻ってくるんだろう?」

「ええ、はい。……その間、教官には苦労を掛けることになりますが」

「気にするな。もともと一人でやっていたんだ。……先の実戦訓練で、女騎士どもの意識も変わっている。今さら厳しくしごいたくらいでは、弱音の一つも吐かんだろうよ」

 

 予想していた退職者は、一人も出なかった。訓練のうちでも、戦いを経験したら怖くなるものだが、ゼニアルゼの女騎士たちは意外としぶとい。これはこれで、嬉しい誤算だった。

 実戦訓練を体験したことで、彼女たちの連帯感も強くなっているらしい。団結したら、将来のゼニアルゼはいろんな意味で変われるんじゃないだろうか……なんてね。

 

「ともかく、しばしのお別れだ。メイルやザラたちにもよろしくな」

「はい。教官は元気にやっていると、伝えておきますよ。お土産も、適当に見繕っておきます」

「それは楽しみだ。離れて時間がたっているわけじゃないが、懐かしさを感じさせる土産があるなら、ここでの仕事にも張り合いが出るだろうよ」

 

 クッコ・ローセ教官とは、ちょっと話しただけで別れた。名残惜しいけれど、それは母国を出立するときだってそうだったと思い直す。

 

 帰国のための馬車に乗り込んで、今後の予定に思いをはせた。

 ……再会を喜び合うのは当然だが、『情報の集まり次第』では、時間的な余裕はなくなってしまうかもしれない。

 捨て置けない事例だから、早めに片しておきたいけれど。こればかりは運しだいだと、私は気楽に考えることにした。

 

 

 

 

 

 

 久々に、クロノワークの都の空気を吸う。帰ってきたのだなぁと思うし、気持ちもこれだけで安らぐような感じがする。

 ただの錯覚に過ぎないだろうが、まあそれはそれ。無粋なことを考えるより、行動すべきだった。

 馬車から降りれば、都の風景より先に、あの人の姿がこの目に入る。来ているであろうことは、なんとなくわかっていた。

 もうすぐ帰れますよ、帰りの便はこれですよ、って伝えてはいたけど、本当に来てくれると思うと嬉しい。足取りも軽く、私は彼女の元へ向かう。

 

「ひさしぶり、というほど離れていたわけではないが――。ともかく、よく帰ってきたな、モリー」

「ザラ隊長も、変わらずお元気な様子で、何よりです。モリー、ただいま帰国いたしました」

 

 思えば副隊長になってからと言うもの、これほどの長期にわたって、お傍を離れたことはなかった。

 ザラ隊長と顔を合せなかったのは、二ヶ月にも満たない期間であるはずなのに、久々に会えたように思えて――なんか感動した。

 

「変わったことなどはありませんでしたか? 具体的には、私の後任とか」

「くだらんことを気にするな。……私の傍らは、お前のために空けてある。駐在武官の任期も、それほど長くはならんはずだ」

 

 ザラ隊長は、ぶっきらぼうに言い放った。

 ……事情は理解されているようですね。私にはわからない政治的な裏側の動向も、彼女には見えているんだろう。

 お疲れ様です、なんて。気安くねぎらうには、不適切な話になりそうだ。なので、あえて深くは突っ込みません。

 

「なら、案外早く本来の仕事に戻れるわけですね。――ありがたいことです」

「シルビア王女の手は長いが、限界もある。お前のために使える手札も、そう多くはあるまい。……不愉快な話は、ここまでにしよう。メイルの奴も会いたがっていたぞ」

 

 この日のために、貴重な休暇をもぎ取ってきたんだからな――と。ザラ隊長は言った。

 でも、たぶんザラ隊長も、それは同じことですよね。

 

「ザラ隊長」

「なんだ」

「出迎えてくださって、ありがとうございます。貴女に必要とされているのだと、そう思うだけで、私は幸せですよ」

「大げさな奴だ。昼食は三人で取ろう。ゼニアルゼからいい料理人が引っ越してきたようでな、そこの店に予約を取ってある。――時間的な余裕は確保しておいたから、心配しなくていいぞ」

 

 ザラ隊長は手回しがいい。ちょっと余力を回すだけで、これくらいの仕事が出来るのだから、普段から無茶ぶりされても仕方ないかもしれないね。

 で、店の前まで来たんだけど。どういうわけか、メイル隊長だけではなく、もう一人いた。

 

「お前も来たのか、メナ」

「ええ、まあ。メイル隊長を射止めた方に、少し興味がわいたもので」

「ちょっと、そういう言い方はないでしょ。――ごめんね、モリー。久しぶりの再会で、祝いたい気分はあるんだけど……メナの奴がどうしても付いてくるって、ねぇ?」

 

 メイル隊長も相変わらず――なんて、言えるほど長い付き合いではないけれど。それでもやっぱり、会えて嬉しいよ。

 傍に居る子は、メナっていうらしい。見た感じ、無表情に見えるが……これは、内心で状況を楽しんでいそうな雰囲気だね。

 片足の向きが、店の方を向いている。話をそこそこにして、食事に入りたいという気持ちが見え見えだった。

 

「まあ、話は食事をしながらでも。メナさん、はじめまして。モリーと申します。今後ともよろしく」

「……はぁ。よろしく」

「メナ。もうちょっと愛想良くしても、バチは当たらないわよ」

 

 ついでに、悪い子じゃないから許してあげてねって、メイル隊長のフォローが入りました。

 大丈夫ですよ、彼女は彼女で、私の好みのタイプですから。守備範囲内の女の子には、格別優しくしてあげないとね。綺麗な長髪は、ザラ隊長を思わせるから好きだよ。

 

「ああ、いい雰囲気ですね。ゼニアルゼにも、こんな感じの酒場がありましたよ」

 

 あまり経験があるわけじゃないけど、店の中に入ったときの感覚は、よく似ているように思う。

 ちょっとした事情で、あちらでも情報を探っていたからね。特別な店を探したり、いい雰囲気の酒場とか、色々と目を付けてはいたんだ。

 

「そう? じゃあ食傷気味で面白みがないとか?」

「まさか! あちらにはメイル隊長も、ザラ隊長もいないんです。――純粋に楽しみに来ていると思えば、どこだって愉快で面白いですよ」

 

 世辞ではなく、本音だった。あっちでは、色事なんかに現を抜かす暇なんてないんだよ……うん。

 ともあれ、皆で予約を取っていた席につく。個室を貸切っているあたり、皆も本気で楽しむつもりなんだってことがわかる。

 

「個室の用意があるなんて、本当にいい店なんですね。高かったでしょう?」

「ところが、そうでもなくてな。初回の利用に限って、割引が入っていてお手ごろだ。――色々と込み入った話もするだろうし、面倒を避けるにも個室が一番いいと思ってだな」

「ザラ。名目はもういいでしょう? 私、寂しかったんだから。モリー? 慰めてくれるわよね」

 

 そう言って、メイル隊長は私の傍によって、熱っぽく見つめてくる。

 ……あの、本気で困るんですが。貴女、魅力的過ぎて目に毒なんです。ザラ隊長の前で、浮気性な自分を自覚したくないんですが。

 ていうか貴方、本来のキャラじゃないですよね。皆をからかって楽しみたい気分なんでしょうか……。私は嬉しいけどな!

 

「へー。本気なんですね、メイル隊長」

「何よ、メナ。私がおままごとをしているとでも思ってたの?」

「いえ、別に。それで幸せなら、いいんじゃないでしょうか」

 

 あー、これ、めんどくさい奴だ。友人を見守るムーブに入った、親友のめんどくさいお節介のパターンだ。

 

「なによう。言いたいことがあればいいじゃない。今さら遠慮する仲でもないでしょう」

「そうですね。一対一なら、遠慮なく言わせてもらいますが。今は、他人の目がありますからね」

「ザラもモリーも、身内みたいなもんよ。遠慮せずに言いなさい」

「……そうですか。では失礼して、本音で語らせてもらいます」

 

 メナって人は、表情に変化こそないけど、それは心の中を体で表現するのが苦手ってだけ。実際には、感情豊かで情に厚い人なんだと思う。

 だって、そうでなければ、わざわざ得体のしれない私みたいな相手に、わざわざ接しようなんて思わないもの。それくらいには、常識的な人物なんだって、直感で理解する。

 

「モリーさん」

「はい」

「ぶっちゃけ貴女って、危険人物ですよね? 控えめに言っても、過去の言動を考察するに、戦狂いとか、容赦のない殺戮嗜好とか、そんな風に言っても間違いではないと思うのですが」

「率直に、シグルイ系女騎士だって断言してくれてもいいんですよ? それこそ、正しい認識というべきです」

 

 サバサバ系女子って、好き嫌いが分かれると思うけど、私は好き。

 メナ女史は、今少し醸成が足りない感じがあるけど、ギリギリ守備範囲内に入ってる。だから、率直な物言いはむしろ好意的に受け取りましょう。

 

「せっかくの高級店です。語りを楽しむのは前提として、まずは食事を楽しみません?」

 

 食前酒が運ばれてきたので、各自思い思いにそれを飲み干した。

 酸味と甘味が合わさった、口当たりの良いアルコールは、人を饒舌にさせる。少なくとも、私にとってはそうだった。

 

「メナさん。貴女は、私についてどこまで調べました?」

「さしたることは。ああ、先の盗賊団退治の件はよく聞きましたけど」

 

 私に興味を持ったのは、ごく最近って訳だね。おおよそは理解したよ。

 これ、たぶん。メイル隊長との付き合いが無ければ、彼女とは会う事さえ無かっただろうって思う。

 なんだかんだで、メイル隊長は部下からの評判はいい。それだけ思いやりのある人なんだって思えば、こうして付き合ってくれることにも、より深く感謝の気持ちが沸き上がってくる。

 周囲の人間関係に恵まれていること。それだけでも、生まれ変わった甲斐があるって思える。

 

「私に、興味がおありで?」

「いえ、別に。メイル隊長との関わりが無ければ、接点すらなかったんじゃないですかね」

「正直なお方だ。その個性を魅力と思う人は多いでしょう。――貴女のような女性を好む男は、必ずいますよ」

「今関係あります? それ」

 

 別にないよ。思ったことを語っただけ。私の感覚は、ちょっと一般的じゃないかもしれないが。

 でも、やっと私の方を向いたね。顔の向きじゃなくて、興味の方向性の話。

 怒りでも関心でもいいから、まずは個人的な興味を向けてもらうことが、何よりも重要だと思う。

 

「私、メナさんのことが好きになりました。正直で、率直で、身内を大事に出来る。それくらいには、情の深さを感じさせる方だ。そうした人は、これと見込んだ方に執着するもの。――愛されていますね? メイル隊長」

「ええ? まさか。……いや別に、メナへの友情を否定するわけじゃないけど」

「そうです。邪推もほどほどにしてください。メイル隊長とは、友人関係以上のものではありません。――そっちの意味でなくて、純粋に友人を心配しているだけです」

 

 あれこれ話しているうちに、前菜が運ばれてくる。

 魚介の切り身と新鮮な野菜を絡めたサラダは、実に絶品である。クロノワークでは塩漬け油漬けが一般的だろうが、それを感じさせないみずみずしさは、ゼニアルゼ特有の技法によるものか。

 それでいて味わい深く味覚を刺激するのは、シェフの技量を証明するものである。これを楽しまないのは損だろう。

 

「この店は、前菜もいいものですよ。せっかくですから、話は平らげてからにしてみては?」

「……いただきます。それはそれとして、モリー殿。貴女への疑いは晴れたわけではないんですからね」

 

 はて、なんの疑いだろうか。それほどの悪事を働いた覚えは――まあ、うん、そのね。

 私が反応に窮していると、ザラ隊長の方から問い質しに来た。

 

「メナ。疑いとはなんだ? こいつは内通なんぞできる奴ではないぞ」

「そっちではなくてですね。モリーとやらは、女癖の悪い酷い奴だって噂を聞いたもので」

 

 実際、諜報活動だけを見るなら、私は女性を弄んでいると言われてもしかたないかもしれない。

 誓って肉体関係など持ってはいないが、あの手この手で情報を抜いているので、一方的に利益を搾取していると言って良い。

 付け加えるなら諜報員は可愛い女の子が多いし、それも悪評の根拠になっているんだろうか。

 

「ああ、それならわかる」

「わかるわー」

「……では、噂は真実であると」

 

 御三方で勝手に納得しないでくださいませんか! ここに傷ついている子がいるんですよ!

 

「すみません。ちょっと異議申し立てをする権利をくださいませんか」

「権利って何、どこの国の言葉? ザラは知ってる?」

「私は知らんなぁ。モリー、お前が女たらしのだらしない奴であることは、誰も否定せんぞ」

 

 お二方は楽しんで言ってますよね。わかるんですからね、そういうのは。

 おかげでメナ女史の表情が硬くなっている。視線もどこかしら冷たく感じられるのは、気のせいではあるまい。

 

「へぇ……。結構遊んでいるんですね、モリー副隊長殿。私は男遊びとかする暇も機会もないんで、羨ましいですよ」

「ええと、その、メナさん。……副隊長、で結構ですよ。殿、を付ける必要はありませんから」

「わかって言っているんです。察してください」

「アッハイ」

 

 どうにも、最初から頑なな態度を堅持する子は難しい。下手にさわると傷つけてしまうから、直接よりは間接的に雰囲気を崩していきたい。

 こういう場合、他者の手がどうしても必要になる。なので、いい加減助けてくれませんか、ザラ隊長。

 

「そんな目で見るなよ。――さて、困らせるのもほどほどにしてやるか。せっかく久々に会えたんだし、ここらで弁護してやろうじゃないか」

「信じていました、ザラ隊長」

 

 そもそもの噂はガセ情報で、私を諜報の現場から締め出す謀略だったって、ちゃんと解説してくださいました。

 ……疑いたくなる気持ちはわかりますけど。これは本当なんです。犯人も自供しましたから、間違いありません。

 

「……所詮、噂は噂ですか。割と真実味があるように聞こえましたけど」

「優しいのは身内だけだ。モリーの奴は、素で同性をひきつける所があるから、それで誤解もされるんだろう」

 

 精神が男なもので、その辺りはお目こぼし願います。

 いや本当に、私の心は全然変わっていなくて。体に影響されるところがほとんどないのは、我ながら不思議だった。

 TSからのメスオチとか定番だけど、私自身が経験したからわかる。我が強い奴は、身体が変わっても精神はそのまんまだよ! 女の子とか大好きです。アラサーはもっと好きです。

 実際体験すればわかるだろうけど、男に抱かれるとか、ねーよ! って思うから。いやいやマジで。

 

「誤解される余地はあるんですね。……メイル隊長、大丈夫なんですか? こんなので」

「まぁ……うん。でも、モリーはこれで良い所もあるから」

「ダメ男に貢ぐ、かわいそうな女性っぽいですよ、それ。ダメンズとか今時流行りませんから、考え直してください」

 

 結構言うね、メナ女史。私自身、男として生まれていたら、ダメンズになっていたかもしれないと思う。だから一概に否定できないんでつらい。

 

「あの……メナさん。一応、私、女性なんですけど」

「なお悪いじゃないですか。不毛じゃないですか。なのになんで同性を誘惑するんですか?」

 

 別に悪気があって言ってるんじゃなくて、純粋に疑問だから聞いてるっていうのはわかるよ。

 でも、手加減してください。本音を語れば、少しはマシになるだろうか。

 

「……私が私であるために、必要な行為だから、ですかね」

「なるほど、本能で口説いていると。……チャラ男みたいなこと言いますね」

「メナさん。本物のチャラ男は、むしろはぐらかす場面ですよ。正直に答えるのは、愚か者の証拠です」

 

 それっぽいこと言ってるけど、だいたい妄想とかこじつけとかだから、上手く騙されてほしいですねー。童貞に多くを求めてくれるな……!

 しかし取り繕うためにも、私は言葉を重ねねばならない。不自然に思われなければいいけれど。

 

「好ましい女性に相対したとき、好かれたいと思ったり、お近づきになりたいと思うのは、不思議なことではないでしょう。これは、普遍的な感覚だと考えますが」

「男性ならばそうでしょう。でも、貴女は女性ですよね。あえて愚かになる必要があるんですか?」

 

 一息に否定せず、まず疑問を呈するのは貴女の長所だと思うよ、メナ女史。

 おかげでこちらも、会話を続けられる。

 

「愚かにならざるを得ないほど、可愛らしい女性が、目の前にいるからですよ。賢明であるよりは、バカになった方が幸福を感じられる場面は多い――と。私は考えています」

「……はあ、左様で」

「貴女も知るように。メイル隊長は、だらしない所がありますし、女性としてどうかと思うほど慎みに欠けますし、あけっぴろげに性的な発言もして、落ち着きのない行動をする面もありますが――」

 

 メイル隊長の目が泳いでいる。どうやって反論しようか悩んでいる様子だけれど、そんな必要はないんだよ。

 私は、そんな貴女が愛しいと思っている。ありのままの貴女で良いと思っているのだから、いちいち否定しなくてもいいんだ。

 

「それがまた、メイルという女性を彩る魅力というものでしょう。――完璧な存在を愛する難しさを思えば、メイル隊長はむしろ気安くて接しやすく、望ましい相手だと思います」

「……そうなんですか。私にはわかりませんが」

「ご友人である貴女が、あの方の良い所をご存じないとおっしゃられる?」

「――いえ、そうでなくて。男の人から見たら、割と幻滅するんじゃないでしょうか。そう思うくらいには、付き合いも長いので」

 

 付き合いの浅い私が、メイル隊長を持ち上げるような言い方をすると、どうしても違和感を感じるのだろう。

 欠点は欠点として、正しく認識してあげるのが友人関係と言うものだ。けれど、もし恋愛的な要素を考慮するなら、欠点は長所足り得る。この辺りの感覚は、彼女には難しいかもしれない。

 

「幻滅? ありえません。駄目な所も含めて、メイル隊長ですよ。その全てが好ましいと思えて、初めて本物の好意だと胸を張れる。そういうものだと思っています」

「……わかりません、やはり。私が貴女に共感するのは、無理なんじゃないですかね」

「メナさんは、それでいいんですよ。理解するには、別の視点が必要になりますからね。ある意味で男らしい感性が、必要になるでしょう。――そうした観点からメイル隊長を見直せば、色々な意味で可愛らしく思える、と。これはそういう話です」

 

 アラサーの魅力を理解できてこそ、一流の男と言うものだよ。今の私は女だけど、彼女の良さを語るのは容易いことだ。

 

「話の流れ的に、具体的に語ってもいいですよね?」

「……どうぞ」

「ちょっと、モリーもメナも、本人を無視しないでほしいんだけど」

「語らせてやれメイル。――私も少し、興味がある」

 

 許可出ました。なんで、自重しないでもいいですよね。せっかくなんで、話しましょう。めいいっぱい。

 運ばれてくる料理を楽しみながら、歓談に花を咲かせよう。

 

「まず外見については、改めて言うことでもないでしょうが――美人で体型も申し分ない。メイル隊長は、それだけで十分に男受けする人だと思います」

「男の影もない人に、その評は説得力がないんですがそれは」

「メナ……もうちょっと言い方ってものが、ね。うん、モリーも気持ちは嬉しいけどどうなのかなぁ……」

 

 メナ女史は実に現実的なお方だが、実証にとらわれすぎる部分があると思う。

 他ならぬ私が認めているんだから、メイル隊長は出会いさえあれば、引く手あまたの優良株だと思うの。

 

「縁がなかっただけですよ。――メイル隊長は、実際異性と接する機会さえ、それほどなかったのでは?」

「まあ、それはそうだけど。でもやっぱり、仮定の話をしても空しいじゃない」

「私の身体は女性ですが、精神は男のつもりです。その私の言葉だと思えば、少しは信憑性があるのではないでしょうか」

 

 こういう言い方は、ちょっと卑怯かもしれない。証明しようのないことだから、説得力は弱い。だから、改めて言葉を重ねよう。

 

「仕事に向かう、貴女の姿が好きです。真摯な態度で最善を尽くすメイル様は、自分の責任を自覚しているから、己に甘えを許さない。出来る女は男に避けられると言いますが、それは二流の男を遠ざけているだけのこと。――真に見る目のある人であれば、メイル隊長の素晴らしさを理解せずには居られぬものです」

「メイル隊長が有能であることは、私も認めています。……しかし、それだけで異性の目を引くのであれば、誰も苦労しないのではありませんか?」

「――メナさん。どうか、結論を急がれますな。私の話は、まだ終わっていません」

 

 どうやら、彼女の興味はより強くなって、私の方に向いてきている様子。

 ここまで来れば、説得は容易い。相手が聞く耳を持ってくれるなら、言いようはいくらでもあるものだ。

 

「己に厳しく、甘えを許さない方こそ、懐に入れて甘やかしてあげたい。自立した女性にこそ、癒しが必要であると私は思いますし、悪い男としての意識を持つ私としては――両手に抱いて、優しくしてあげたいと思うのですよ。……弱みに付け込んで抱きしめてしまいたいと、そう思うくらいには、ね」

「……モリー、聞いてて恥ずかしいんだけど。吐いた唾は吞めないのよ?」

「お望みであれば、いかようにも。――私はいつでも、本音で話していますから。メイル様が求められるなら、私に出来ることは何でも致しましょう」

 

 あんまりあからさまに褒めると、大抵の相手は退いてしまうものだ。いぶかしんで怪しむことだってあるし、素直に受け止められることは少ない。

 だから、褒めるにも状況を読んで行いたい。メイル隊長とは交流も重ねているし、今回はあちらから求めてきた話だ。ちょっとくらいの逸脱は、許されて然るべきだと思う。

 そうであればこそ、メイル隊長にも言葉が届くと言うもの。これまで自重していたのだから、これくらいは御許可願いたいものだね。

 

「何でもとか、冗談でも言わないでね。……今は人の目もあるし、あんまり直接的なのもアレかしら。だから、そうね。モリー、もう少し私について、語ってくれると嬉しいのだけれど」

「仰せのままに、メイル様。私などの言葉でも、喜んでいただければ幸いです」

 

 そうやって、アレコレ語りました。なんだか話が進んでいく内に、メイル隊長のみならず、メナ女史の顔まで赤くなっていくのは、どういう理屈なんだろうね?

 不快な訳ではないらしく、興味深く突っ込んでくるから、私としては楽しい限りで問題はないんだけどね。

 

「……まあ、なんというか、アレです」

「如何しましたか、メナさん。異論があるならば、受け付けますが」

「ええとですね、モリーさん。私が誤解していたのだと、ようやくわかりました。――貴女は本当に本心で、メイル隊長と付き合っているのですね。男女のそれとは違う仲ですけれど、私としてはとやかく言う気も失せました。……周りの迷惑にならない範囲でなら、まあいいんじゃないでしょうか」

 

 言葉の中に、メナ女史の複雑な感情が現れている気がする。

 納得していただけたのなら幸いだ。これで私とメイル隊長との付き合いに、障害は無くなった訳だね、いやはや目出度い。もとい、愛でたい。

 

「さて、モリー。メイルについてここまで語れたのだから、私についてはもっと詳しく話せるんだろう? ぜひ聞かせてほしいな」

 

 これで一安心かと思えば、ザラ隊長からの一刺し。ええと、何やら拗らせておられますか?

 

「……はい?」

「お前の口で、他でもない私を褒め上げろと言っている。――出来ないはずないよな。メイルに出来たんだから」

 

 あのー、ザラ隊長。目がすわってる感じがするんですが。

 気に障ったことを言ってしまったのだろうか。これは、気合を入れねばならない。

 単純に褒め上げるだけなら簡単だけれど、それだけではつまらないよね。期待以上の言動で答えてこそ、真心を示したと言えるんだと、私は思うから。

 

「好きになってしまった女性に対して、言葉を惜しんではいけない。――私は、そう思っています」

「そうだな。で?」

「……より強い好意を抱いている人には、言葉を選ばねばならない。とも、考えています」

「前置きは良い。――言いたいことを言えよ」

 

 随分と急かすのは、なんだからしくないような気もするが。……あれ、もしかして嫉妬ですか?

 話の流れ的に、メイル隊長が口説かれているのが気に食わないというか、もっと付き合いの長い私には何もないのか、とか。そういう方面での催促でしょうか。

 だとしたら、謝罪の意味も込めて、心から尽くさないといけないね。

 

「では失礼して。ザラ隊長、貴女について語るとなれば、まずはその生まれについて話さねばなりませんね」

「なんだ、私の親は平民だぞ。別段気にすることはないと思うが――」

「そうではなくて、重要なのは貴女がこの国に生まれてくれたこと、ですよ。仮に貴女が他国に生まれていれば、クロノワークは今のように、安穏としていられないと思います」

 

 そこまで評価したくなるほど、ザラ隊長は有能だ。ぶっちゃけ、個人戦闘の部分以外は、私の上位互換と言っても差し支えない。

 私は自分の影響力について、いい加減自覚してきたけど。それ以上にザラ隊長の影響は広範囲に及んでいる。

 

「他にも多くいるであろう、有用な騎士を差し置いて――今、特殊部隊の長の地位にいる。これだけでも相当な才覚が必要になりますが、ザラ隊長は特別です」

「具体的には?」

 

 料理をつまみ、ワインを嗜みつつ、急かす様に続きをせがむ。

 それでも具体性を求める辺り、やはりザラ隊長らしいなぁと思いました。

 

「特殊部隊の任務は、多岐にわたります。軍事の知識だけではなく、諜報を行う上では内政、外交といった政治的な分野にも精通しなければなりません。――無論のこと、知識だけではなく、現場を理解して適切な対応が出来ることが前提ですが……」

「が、なんだ?」

「貴女以上に、完璧な仕事をこなしている方は、クロノワークには存在しません。我が国一番の働き者で、才人である。――このモリーが、請け負います。ザラ隊長、貴女が健在である内は、他国がつけ入る隙などありませんよ」

 

 逆説的に、クロノワークは今こそが攻め時なんだって断言できるね!

 ザラ隊長が現役なうちに、出来る限りの領土拡張なり、外交的な功績なりを積み重ねて、超大国に準ずるくらいの立場は確保するべきだと思うんだ。国益を最優先に考えるならば。

 お互いに激務の上に激務が重なるだろうから、個人的には勘弁だけどね。

 

「これまた、ずいぶんと持ち上げたものだ。言葉は尽くせばいいと言うものではない。――我ながらめんどくさいものだと思うが、実績を褒めるばかりで済ませるつもりなら、私の満足は得られぬものと思えよ」

「ええ、ええ。そうでしょうとも。そうした面倒くささも、私にとっては尽くし甲斐を刺激されます。なので、無理に変わらなくてもいいんです、ザラ隊長。貴女がありのままであること、ありのままの姿で奉仕させていただけることが、私の喜びです」

 

 ザラ隊長の魅力を解さない男子って、節穴にもほどがあると思うの。

 そうした連中ばかりだから、私が愛でる余地も生まれるんだって思えば、バカにしたものでもないって思えるけど。

 それはそれとして、惚れた女性が評価されない辺り、男として複雑な想いはある。ザラ隊長も含めて、皆もっとモテていいはずなんだけどなー。

 

「前線でバリバリ戦う割に、髪の毛を伸ばしてるのは、こだわりがあるからでしょう?」

「……まあ、なんだ。これで短髪にすると、女らしさが消えてしまう気がしてなぁ。未練がましいと笑ってくれてもいいぞ」

「私、好きですよ。ザラ隊長の長い髪。つややかで、それでいて繊細で、返り血がこびりつくといつも不安になります。――この美しさが損なわれはしないかと、下郎の汚らわしい体液に汚れることが残念で、だからこそ私が気張らねばと、奮起してしまうのです」

 

 貴女が剣を振るうより先に、私が敵を排除したい。その身の危険を案ずるのはもちろんだが、それ以上に血に濡れる貴女を私が見たくないと思うから。

 

「今、触れてもいいですか? 貴女の綺麗な髪を、私は愛おしく思うのです」

「ああ、うん。……いいぞ」

 

 お許しを得たら、遠慮しないでもいいですよね。

 でもなるべく丁重に、傷付けたら大事だから、細心の注意を払って手を伸ばす。髪の感触を確かめるように、直接指で撫でて愛でる。

 

「少し、痛みましたか? 駄目ですよ、手入れをおろそかにしては。せっかく綺麗な御髪なんですから、維持の手間を惜しんではもったいないです」

「しかしなぁ。見せる相手も愛でる相手もいないのなら、手入れにも力が入らん。見苦しくなければよかろうと、適当に済ませる日々が続いている」

「……それはいけません。何よりも貴女のためにならない。男は、女性の髪の美しさを良く見ています。良き出会いを求めるなら、髪の手入れに手を抜かないことです」

 

 ザラ隊長も、いずれは嫁ぐ時が来るんだよなー。やだなー。

 許されるなら、私の嫁にして、一生愛でたいよ。なんで女に生まれたのかと、悔しく思う。

 私が男なら、何度拝み倒してでも嫁に来てもらうのに。どうか伴侶になってくださいと、金のわらじを履いてでも求めたはずだ。だからこそ、現状が歯がゆくてならない。

 

「――そう、だな。他ならぬモリーの言だ。髪の手入れには、気を使うとしよう」

「お聞き入れいただき、恐悦至極に存じます」

「茶化すな。……お前のために、してやろうというんだ。もう少し、真剣にとらえてはくれないか? でないと、その、なんだ。――困る」

 

 赤面するザラ隊長とか、すごい御褒美ですね。私が男なら速攻で求婚する案件です。

 ……野郎ども、見ろよ、これがザラ隊長だ。こんなに愛しくて、可愛らしいアラサーが他にいるかよ。

 私は、ザラ隊長の幸福の為なら、いつでも身を引く覚悟がある。なのに、どうしてこの国の男どもは彼女の魅力に気付かないんだ。

 出会いがない? そういうのは、嘘つきの言葉なんです。本気で良い女を探すつもりがあるなら、ザラ隊長を放置して他所に目を向ける理由なんぞないでしょう。まったくもって、クロノワークの男子も堕落したものだと、忌々しく思う。

 

「どうか、お許しください。困らせてしまうのは、本意ではないのです。ただ、ザラ隊長。貴女に対する好意を示すのに、言葉を尽くそうと思うのです。それをご不快に思われるのなら、考え直します」

「そこまで深刻にとらえるな。ただ驚いた、それだけの話に過ぎん。……まあ、アレだ。私にも羞恥心はあるから、言い方は考えてくれ。他人の目があるところで、あからさまな誉め言葉を向けられても――そうだな。反応に困るからな!」

 

 可愛すぎて辛いんで嫁に来てください。

 ……なんて、本気でそう思うから、私はこの国の野郎どもに厳しく接したくなってしまう。

 これほどの女を放置して、何が男か。男子たるもの、姉さん女房は喜んで迎えるべきだというのに。

 本当に、この身の至らなさを痛感するよ。生まれの不幸を嘆くことほど、贅沢なことはないけれど。それでも、今の私に出来ることは、してあげたいと願う。

 

「困りました。私としては、正直に話しているだけなのですが、ザラ隊長はそれを恥ずかしいとおっしゃられる。――メイル様、それにメナさん。私とザラ隊長のどちらが正しいと思います?」

「どーでもいーわね。強いて言うなら、お幸せに、ってくらい?」

「お二人だけで世界が完結しているなら、それはそれでいいんではないかと。他所を巻き込まない限りは、好きにしてもいいんじゃないですかね」

 

 ご意見ありがとうございます。これで私が間違ってないことは証明されたな!

 

「とのことです。――私がザラ隊長を大事に思っていることは、ご理解されているでしょうが、どうか今度ともよろしくお願いしたく思います。恥ずかしい言葉を口にするのも、どうか副官らしい発言と思って、ご寛恕くだされば幸いです」

「……わざわざクドイ言い回しをするのは、相変わらずだな。もちろん、わかっているとも。わかっていてなお、言い返さずにはいられない。そうした私の心情も、理解してくれると嬉しいんだがね」

 

 ザラ隊長は、やけ酒をあおるようにワインを飲み干した。

 無茶な飲み方はされない方だと分かっているから、あえて止めたりはしないが。それでも、気を使わせてください。

 杯につぐ時は度数の低いものを選び、口直しの水を傍に寄せてみたりする。これだけでも、私の意は伝わるはずだと、ザラ隊長を信頼している。

 

「……気を使わせているな、私は。隊長として、恥じる気持ちもある。モリー、お前には苦労を掛けて、すまないと思っている」

「いいのですよ。私は、ザラ隊長の思いやりを感じています。そうして気を使わせてもらっていると、理解しています。――だから、どうか。後ろめたく、思わないでください。私は好きで、貴女の副官をやっているのですから」

 

 ザラ隊長が、柄にもなく弱音を吐き出すものだから、つい二人だけの雰囲気を作ってしまった。

 外部の人が二人もいるのだから、それを茶化されるのは当然の流れで。私は、それを受け止める義務があるのだった。

 

「いやー、本当。ラブラブね、貴方たち。私が割込む余地があるのか不安になりそうね、これは」

「いやいやメイル隊長、割込んでどうするんですか。そっとしてあげましょうよ」

「だって悔しいじゃない。こんな男前の副官に口説かれて、赤面するくらいには嬉しい気持ちになっているのよ? その幸せのおすそ分けくらい、もらったってバチは当たらないわ」

「彼女は女性ですよ? 一番肝心なことを忘れないでください。」

 

 メイル隊長も、メナ女史も、勝手に語り散らしている。それくらいはかまわないと思うけど、ザラ隊長への配慮も必要だと思うの。

 彼女、自分への突っ込みはスルーできない人ですから。

 

「モリーが女なら、何が問題だと言うんだ?」

「えぇ……? 結婚できないじゃないですか。子供も産めませんよ?」

「寝起きを共にして、長時間仕事を共にしていれば、結婚した男女にも関係性としては劣るまいよ。――跡継ぎについては、養子を迎えればいい話だ。実績のある女騎士なら、養子をもらって家系を維持することは認められている。そら、何も問題は無くなったな?」

 

 ザラ隊長、ちょっと煽られたからって、過剰反応していませんか?

 勘違いしそうになるんで、あんまり過激な発言は自重してほしいのですがそれは。

 

「ずいぶんな力技ですね。ご両親にはなんと?」

「言い訳をするのは好きじゃないな。私を口説きに来ない野郎どもが全部悪い。――もっとも、モリー以上の男でなければ、まず相手にせんがね」

 

 この件はこれでおしまい、とばかりにザラ隊長は言い切った。

 これにはメナ女史も、突っ込むだけ無粋だと思ったのだろう。小言を口にすることは、もうなかった。

 

 以後は女性が四人も集まれば姦しい、とばかりに。ふつーの宴会になりました。

 メナ女史も、一度雰囲気を飲み込んだら遠慮せずに楽しむ方らしい。料理に舌鼓を打ちながら、あれやこれやの話題にも難色を示さずに付いてきてくれたよ。

 主に、アレな話題の提供者はメイル隊長だったけど。

 

「エロ本の開拓って、割と冒険よね。こないだ買った凌辱ものは微妙だったし、和姦は和姦でマンネリだしねー」

「いい作家が育ってないんですよ。ゼニアルゼの売れっ子の作品が、そろそろこっちに来てもいい頃だと思うんですけどね」

「そうそう。あっちの流行りとか知らないけど、クロノワークの作風って良くも悪くもドギツイから。――何ていうか、こう、繊細かつ耽美で。かつ新鮮味のあるエロ本とか、流れてこないかしら」

 

 猥談というか、ある種の創作論とでも言うべきか。私もちょっと興味あるかなーって部分だった。

 書籍を漁る時間とか取れなかったから、私も明確なことは答えられない。でもあのシルビア王女のことだから、エロ文化はこれから発展していくと思うの。

 風俗店に限らず、文学や絵画といった芸術分野の性的な表現についても。あの方なら、もっとやれーって煽りそうだし。

 

 ――で、他愛のない話も語り合って、食事も済ませて。適当に酔いが回ったところで、お開きという形になった。

 なんだかんだで、長話をしたものだと思う。日が暮れ、夜を意識する時間帯だった。これから宿舎に戻るなら、色々とギリギリである。

 色々と摘まんできたから、夕食が必要ないくらいには腹は満ちているのが救いか。

 

「私たちは飲みなおしてくるわ。またね、ザラ、モリー」

「では、失礼します。機会があれば、また」

 

 メイル隊長と、メナ女史を見送り、ザラ隊長に送られて宿舎へ。お休みのあいさつの後、彼女はそのまま執務室へと向かった。

 有休を取っていたと思ってたら、夜に仕事を残していたらしい。短時間で済ませる、なんて言ってたけど、こんな日まで働かなくてもいいじゃないですかね。――まあ、私も人のことは言えないけど。

 

「懐かしの我が家、と――さて?」

 

 宿舎の部屋は、私が出て行った時のままで、清潔で快適な環境が整えられていた。

 掃除してから出張した、という事情もあるし、私物が少ないので空間が広く感じられる、という部分もあるだろう。

 だが、今。私はわずかな違和感を覚えている。誰かが私の部屋に侵入した。その形跡があることに気付く。

 

「……ふむ」

 

 事前に清めていたとはいえ、期間を開けばチリが積もるものだが、その形跡がない。わざわざ掃除してくれたと思えば、感謝してもいいのだが。

 

「――ああ」

 

 机の上に、読みかけの本を置いていた。

 私は、栞を本から少しだけはみ出すようにして、入れる癖がある。――だが今、本の上側からはみ出ているソレは、栞のような小さなものではない。

 

 取り出してみると、それは手紙であった。紙質のいい、キレイな封筒だった。

 私の部屋に侵入して、これを本の中に刺し入れた者がいる。その事実に、私は喜びを隠せなかった。

 

「……なるほど、なるほど」

 

 封を切り、中身を確かめる。

 はたして、それは。

 私が求めていた内容で、間違いなく。

 かねてより願っていた、ある行為を遂げるための、最後の一手が成功したのだと。

 そう、確信できる内容だった。

 

「あは」

 

 最後に、確認のために顔合わせをしたいと、その書面にあった。

 よろしい。結構なことじゃあないか。帰国の祝いの後に、素晴らしい成果を確認出来るだなんて。私の運勢も捨てたもんじゃないね。

 いいとも。ばっちりと決めて行こう。初めて、年間パスポートを使う機会を得たんだ。活用しなければ、もったいない。

 

 クローゼットを開け、衣装を吟味し、化粧を整える。

 戦化粧とも思えば、厭うようなことではない。これで上出来、と思えるくらいに準備して、私は指定の場所へと向かった。

 『天使と小悪魔の真偽の愛』――その傘下の風俗店へ。クミン嬢とは、ひさびさの邂逅になるか。

 いやはや。あの端正な容姿から、どのような報告が飛び出して来るのか。まったくもって、楽しみではないかと、そればかりを思う。

 

 ――教官への土産に、あの野郎の首を持参していける。そう思えば、奮い立つ心を抑えきれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クミンはあくまでハーレム嬢に過ぎず、教養も経験も、その中で全て完結していたと言ってよい。

 風俗店の勤務には困らぬ程度には、如才ない振る舞いのできる女性でもあった。どのような荒くれであれ、下品な男であれ、あしらう術は心得ている。――ただし。

 

「ほう、ほう。いやいやまったく、興味深い。くっく」

 

 怪しく笑う男装の麗人に、如何に接するべきか。これは熟練の娼婦であっても、判断に困る事例であったろう。

 

「なんで笑ってるんですか。ちょっと、怖いんですけど」

「ああすみません。非礼をお詫びします」

 

 モリーは、そう言ってチップを差し出した。ありがとうございます、と受け取るには、少し躊躇する金額だった。

 

「……なんですか、これ。前金に充分な金額はもらっているはずですが」

「長年懸念し続け、心のしこりになっていた部分を、ようやく解消できるのです。お礼としては適正であると考えますが」

「頼まれていたことを、しただけです。料金相応の仕事だとも思います。それほど恩に着なくとも」

「直接ではなく、手紙で言付けて、是非にもと情報を集めていただいたのです。……多忙ゆえのぶしつけな方法でしたが、貴女は充分な仕事をしてくださいました。なればこそ私は、礼を尽くしたいのです」

 

 手間賃と考えれば過剰な額ではないと、モリーは主張する。とはいえ、それならそれで気にしてしまうクミンだった。

 

「……モリーさん。チップを気持ちよく受け取るために、聞きたいのですけど。その、情報の内容について」

「某盗賊団の生き残り。その中でも頭目の情報についてですね。私がその程度の木っ端を求める理由が気になると。そうおっしゃられる?」

 

 今のモリーは、確かに美男子と言ってよい様相だった。ばっちり決めた男らしい礼装と、それを引き立てる化粧、これに男性用の香水までつけて偽装すれば、クミンの目から見ても――息をのむほどの伊達男だった。

 

「はい。差し支えなければ、どうか」

「あはは。――いいですよ。お望みとあらば語りましょうとも」

 

 モリーは、経緯を端的に語った。要するに、恩師の敵討ちらしい。

 敵討ちと言っても、恩師自身は生き延びている。ただ、クッコ・ローセという恩師を傷つけておきながら、今ものうのうと人生を謳歌している下郎がいる。

 そのことに、モリー自身が我慢ならないという。それだけの、話であった。

 

「女性を捕えては凌辱を繰り返す悪漢にも種類があるのですね。飽きたら売るタイプと『壊す』タイプ」

「はぁ」

「教官が二度目にやられたのは後者だそうで。あの方から聞き出した内容では――」

「いいですいいです。グロい話は、結構ですから」

 

 クミンとしては、藪を突いたら大蛇が出てきたような気分だった。

 ちょっとした好奇心からだったが、追求するべきではなかったかもしれないと、軽く後悔している。

 

「まあそんなわけで。連中の――特に女性を壊して楽しむような。地獄に叩き込むべき害虫を処分する。その機会を与えてくれた貴女方には。……本当に感謝しているのですよ」

 

 これでようやく、殺しに行ける。

 

 熟練の娼婦でさえ見惚れるような笑顔で、モリーはそう言った。クミンは背筋に怖気が走りながらも、奇妙な快感を覚える。

 冷たい殺意に恐怖を感じつつも、しかし殺気の大本に目を向けてみれば。なんとも形容しがたい、不思議な魅力を持った麗人がここにいた。その事実が、彼女に戦慄と高揚を同時に与えている。

 

「――あの連中を、ずっと追っていたんですね?」

「ええまあはい。……お恥ずかしながら公私混同するわけにもいかず。積極的に捜索できなかったのです。此度は私のたっての願いを聞き入れてくださって、本当に感謝していますよ」

 

 ねっとりと、耳にこびりつく様な。

 一息で話す言葉はゆっくりでありながら、どこか粘着性のある暗い感情が含まれている。

 それが、また。クミンの心に突き刺さるように聞こえた。己の心音のうるささを自覚するのも、初めての経験だった。

 

「連中は三十名程度と、騎士くずれの盗賊団としては小規模です。慎重さと狡猾さから、これまで軍の捕捉を免れてきました。……手ごわい相手ですよ? 一人で立ち向かうのは無謀です。軍は動員されないんですか?」

「軍を動かせるような規模ではありません。小規模でチマチマ悪事を働く連中はよく見逃されます。……予算の都合と言うもので」

 

 そして、たまにある動員で潰して回るのだが、これも完璧ではない。一つ二つの小集団は、巧妙に逃げ延びるのが常であった。

 

「悲しい話だと思いますけど、だからといって、私的に。しかもたった一人で挑むことは、ないんじゃないですか?」

「私戦であればこそ他者を巻き込めません。容易ならざる敵だ――というのもわかっていますよ。あの教官が敗れた相手です。手札を惜しまず全力で殺しにかかりましょう」

 

 本気でやる気かと、クミンは心配した。自分が心配するような気持になったことに、いささかの困惑を感じながら問う。

 

「勝算は? まさか三十対一で、勝てると思ってるわけじゃないですよね」

「正面から殴り掛かったとしたら――よほどの達人でも、訓練を受けた正規兵相手には、二十人も斬り殺せればいい方です。……斬り終えれば、死ぬ。それくらいの致命傷を負うことを前提として、単独では二十。これが限度であると、私は思っています」

 

 運が良ければ五、六人くらいは追加できるかもしれないが、現実はそんなものだとモリーは語った。

 ならばなぜ、三十人もの悪漢の群れに、単独で挑むというのだろう。猛獣に肉を投げ与えるのと、何が違うのかとクミンは思う。

 

「まともには戦いません。正面切っての決戦など、私は挑まない」

「どうやるんですか?」

「ここで話すつもりはありませんよ。――そういうのは、帰ってきてから、語りましょう」

 

 机上の空論で終わるものなら、価値はない。証明した後でこそ、手柄話にもなるというものだ。

 死ねばそれこそ恥である。死人の恥など、語りようもあるまい。だからこそ、モリーは余計なことを話そうとは思わなかった。会話を切り上げるタイミングとしても、いい機会であったろう。

 

「情報、ありがとうございました。人員や住処のみならず、周囲の詳細な環境について確認が取れたことで、打てる手も増えました。――心より、感謝いたします」

「いえ、その」

「今度は自発的に顔を見せに来ますよ、クミンさん。呼ばれなければ来ない、なんて。そんなビジネスライクな付き合いで済ませるのも、もったいない気がしますからね」

 

 いつのまにか、モリーの中から怪しい気配が消えていた。

 前に会ったときのままのモリーが、ここにいる。それがひどく貴重なもののように思えて、クミンは声を絞り出すように、言った。

 

「ちゃんと、帰ってきてくれますよね?」

「死ぬか生きるかは知りません。お約束できない我が身の不徳を、お許しください」

「……嫌です、そんなの。知り合いがこれから死にに行くだなんて、それを見送るなんて。そんなのは」

 

 モリーは、困ったように微笑んで、諭すように答えた。

 

「執着を心に残して戦えば、剣先に鈍りが出ます。無念無想、平常心を保って戦うことが、己の力を発揮する唯一の方法なのです。――だからどうか、私に心を傾けないでください。私に期待させないでください。……そっけないくらいで、ちょうどいいんですよ」

 

 名誉に執着すれば、気負いが出る。

 生に固執すれば、心身が硬直する。

 憎悪に引きずられれば、思考が鈍る。

 ゆえにこそ、モリーは戦いに向かうとき、自身の頭の中を純化させるのだ。闘争のための最適化を行い、余計な考えを排除せねばならぬ。

 そうであればこそ、生きもし、殺せもするのだ。彼女自身、そうであらねばならないと思っているし、本能的な部分でも、調整が入る余地があるのだ。

 

「では、失礼いたします。――続きは、生還してからということで」

 

 物騒な言葉と共に、モリーは店を出て行った。最後まで優雅に、礼節をわきまえた態度を維持したままで。

 クミンは、これ以上言葉も出ず、見送るしかなかった。

 

「……勝手ね。なんて、わるいひと」

 

 吐き捨てるように、悪態をつく。もはやクミンに出来るのは、それだけであった。

 また店に来て、顔を合わせることになれば、どうしてやろうか。それを考えることだけが、彼女の慰めであった――。

 

 

 

 




 なにやら物騒な話を示唆しながら、次回に続きます。

 私自身、軍事的な知識に自信はないのですが、乏しい自前の情報を元に、全力で取り組んでいきたいと思っています。

 読者の皆様方の期待に添えられるよう、次のお話を鋭意執筆中です。
 できれば、感想などいただければ、幸いに存じます。他者の意見と言うものは、大いに参考に出来るものですから。

 次回の投稿は、十二月中には必ず。それまで、しばしお待ちください。



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多対一で勝つお話


 あんまり筆が進まなかったので、もしかしたら月末までかかるかも――と思ったのですが。

 ちのうしすうをさげて、あたまからっぽにしてかけば、なんとかなりました。

 ……それっぽく書いていますが、私のお話は基本的に頭が悪いです。

 お目汚しとは思いますが、暇つぶしにでもご覧いただければ幸いです。



 

 クミン嬢から情報を確認した翌日。私は即座に行動を起こした。

 標的である盗賊団のねぐらは、すでに判明している。時を置いて住居を変えられてはたまらないから、早く行動する必要があった。

 

「往復に二日半。準備は余裕を見て三日。襲撃そのものは一日で済むとしても、後始末にはさらに一日くらいは掛かると考えれば――。ざっぱに考えて、八日くらいは潰れますね。割とギリギリな展開になりそうです」

 

 襲撃の方は、相手次第で早めに片が付くかもしれないが、さてどうか。

 時間的には可能であるとはいえ、せっかくの休暇が殺伐とした現実に消えてしまうのは、なんともいえない感じがする。

 まあ、この機会を逃すのももったいないし、ああいう害虫をのさばらせておくと、被害が拡大するばかり。なので、悲観するよりは前向きに考えよう。

 

 駅馬車から降りて、近場の村落で準備を整える。必要なだけの用意はしてあるが、ちょっとした小物や食料などは、現地調達が一番面倒がない。

 女性は身支度に気を使うべきだし、それが実用的にも感情的にも有益な場面は多々あるのだと、私は実感として理解しているからね。……具体的には、ちょっと言いにくいけど。

 まあまあ、小さな村落ではあっても――駅が近くにある関係上、旅人の出入りはそこそこあるようで、商店や宿の設備も整えられていた。

 村人たちも結構気さくで、保存食等を買い込むついでに話しかけると、結構口を開いてくれる。

 

 この辺りではどんな獣が生息していて、どんな害を与えるのか。それの狩り方、処理の仕方。川魚の料理について、釣りの作法について――と。

 地味にあれこれとためになる話を聞きだして、入用になるものを買い求める。

 

「タヌキの毛皮なんて、ここらではありふれているからね。わざわざ買い求めるなんて、お客さんが初めてだよ」

「ありふれているから、必要なんです。……なんにせよ、助かりました。自分で狩るとなると、どうしても面倒なので」

 

 この辺りでは、タヌキが多くはびこっている。作物をあらす害獣なので厄介だが、狩猟対象としては手間の割に益が少なく、微妙な獲物であるらしい。

 加工次第で充分食える水準になるが、食肉としての価値は低く、そのためだけに狩ることはまずない。防寒のための毛皮としては有用だが、周辺の地域ではありふれているため安値で買い叩かれる。

 

 だからと言って、放置して繁殖しても面倒になるから、どうしても間引かねばならない辺り忌まれても仕方ないと思う。現代日本人的な価値観から見れば可愛く映るだけに、悪感情を直接耳にすると複雑だった。

 もっとも、それ故に毛皮を買い込んでもたいした出費にならない。これは嬉しい誤算である。

 

 なぜタヌキの毛皮が必要なのか。これは防寒用の夜着という用途もあるが、主目的としては盗賊どもの鼻を誤魔化すためだ。

 飢えている男どもは、女の臭いに敏感だ。格別変態的な野郎に限れば、犬のような嗅覚を発揮して、女性の居所を感知したりする。

 

 熟練の下着ドロは、そうやって獲物を感知したり、引き際を見極めたりするらしい。うんざりする話だが、当事者を尋問して得た情報なんで、信憑性は高いと思う。

 前世においては人間離れした異能であると、そう言い切ってよいほどだが――こっちでは鍛錬さえ積めば、常識を超えた成長が可能であるらしい。私自身、自覚があるからね、これは。

 でも、オニグルミは結局素手では割れませんでした。メイル隊長ってば、マジでゴリラ並み。

 

 だから、連中の鼻を誤魔化すために、周囲にありふれた獣の毛皮を身にまとう必要があるんだ。

 己の居場所を知られないための努力は、惜しんではならない。ステルスキルは、多対一において非常に大事な要素だから、なるべく奇襲する形で始めたいんだよ。

 タヌキの毛皮は、思ったより丈夫だった。何枚か重ねれば、小弓の矢や手裏剣くらいなら防げるくらいの厚みが出る。それでいて動きを阻害しないくらいには、重くない。服の上に巻いたり羽織ったりするには、一石二鳥だと思った。

 

「こんな時期に『かんじき』を求めるなんて、不思議なお方じゃのう」

「物は使いようです。雪上を歩く以外にも、使い道はあるんですよ」

 

 足跡を残さない様に歩くにも、大きめのかんじきはそこそこ有用だった。これで足元にかかる体重が分散され、跡が残りにくくなる。もちろん、周囲の環境や歩法には気を使う必要はあろうが――。

 それでも土や砂の上に痕跡が残りにくく、察知されにくい状態を作り出せるなら、少々の出費は問題じゃない。討ち入りの際には不要だが、調査段階では有用だ。

 というのも、襲撃の前に連中のねぐら周辺を偵察する必要がある。これも細心の注意を払わねばならないから、足跡一つでも気を使って当然だった。地形によっては履き替えの必要も出て来るが、そうした手間も含めて必要経費と考えよう。

 

 周到な盗賊なら、木々の枝並びから川底の石の配置まで、正確に記憶しているものだから、油断できないんだよ。なので、周囲の環境を壊さず、変化を残さない方法は可能な限り検討したい。

 狡猾で生き汚い奴ほど、細かい部分まで徹底しているもの。油断できる余地などない。誤魔化す手管は最大限を用いるつもりだが、さてどこまで通じるものか。

 ガチで犬とか飼いならしていたら、場合によっては詰みかねないので慎重に伺いたい。対犬戦闘を想定していないわけじゃないが、犬と人を同時に相手にするのはしんどいからね。仕方ないね。

 

 一応膝下に毛皮を何枚も巻いているから、噛みつかれても平気ではあるけれど、犬の瞬発力を侮ってはいけません(戒め)。利き腕に飛び掛かかられて、拘束されることにでもなれば致命的だ。

 なるべく相手にしたくないし、心情的にもいないことを祈ります。……人を斬ることを容認していながら、獣を斬ることを厭うなんて、おかしな話かな?

 ――そうでもないか。害虫と犬とを同列に語るなんて、それこそ犬に対して失礼と言うものだ。

 

 身支度を整えたら、連中のねぐらを見に行こう。道すがら、情報の確認も行う。村人の言葉に嘘が含まれていたら、色々と疑わねばならない。

 クミン嬢からの情報では、連中は近隣の村落とは協力関係にないはずだが、実際にその通りかどうか。これは、自らの目で確かめるべきことだろう。

 

 ……結論から言えば、村人たちの話はすべて正しかった。周囲の環境は話に聞いていた通りだし、質の悪いならず者(彼らは皆、いまいましそうに言った)が山に潜んでいるのも事実である。

 

 ――見張りが一人。

 高台の上から、ふもとの方を見下ろしている。無論、私は姿をさらすことなく、遮蔽の中から相手をこの目にとらえたのだが――。

 どうにも、やる気がなさそうな様子だった。気が抜けているようで、遠目にもぼんやりしているように見える。しかし、油断してはならない。全体を把握するには、部分部分を注視するよりは、大まかにでも視野を広くする方がいい。

 私自身経験のあることだが――熟練すれば、即座に違和感による警告が走って、身体を動かしてくれる。アレがそうした手合いであるという確信はないが、備えておくに越したことはあるまい。

 うかつに事を急げば、その時点で捕捉される。そう考えて慎重に動くつもりであるが、不測の事態はいつでも起こりうるもの。もしもの際の覚悟は決めておこう。

 

 そして、見張りが一人と言うこともなかった。要所要所に散らばって、外敵の侵入を警戒するのは、備えとして当然と言えども――。

 全員が精鋭、という訳にもいかぬらしい。まだ奇襲をする予定はないのだが、ちょっと誘惑されるくらいには、ひどい隙が何度も見られた。

 うーむ、これは考えを改めるべきか。小規模の盗賊団(事前情報の三十人より、数人は多い感じがするが)ともなれば、中核の精鋭は十人以下と見ていい。あとは素人に毛が生えた程度の練度とすれば、正面からでも壊滅させるのは可能かもしれんね。――まともにやりあっても、勝機はあるか?

 

 ……でも、油断はしない。これは狩りではないのだから、対象を無力な獲物と見る傲慢さは、己の首を絞めるだけだ。

 そっと見張りを迂回しつつ、敵の装備と罠の類を確認して進む。見張りの半分は小弓を持って待機しており、矢筒からは数本の矢がのぞいていた。射手の練度までは計れないにしろ、この規模の盗賊団ならば、頭数をそろえているだけでも上等だろう。

 

 罠の配置については、おおよそ見当はついていた――とまでは流石に言えないが。野外演習等でゲリラ戦の予習はしている。あとは、相手の気持ちになって、地形と相談しながら周辺を警戒すればいい。全てを把握できなくとも、必要な所さえ押さえておけば問題ない。

 ……どうにか作動させるような間抜けをさらさず、危険な場所は把握できたと思う。罠の配置と種類を頭の中に叩き込んで、来るべき時のために備えよう。

 

 初日はこうして、観察に重きを置いて行動した。短時間ではあったが、見るべきところを見て、日が暮れるのを待ってからこの場を離れる。見張りは日中と夜間の二交代制らしく、入れ替わりの合間を突けば、連中の目を逃れるのは容易い事だった。

 一方的な観察を可能にしたのは、技量と経験もそうだが、単純に身体能力に差があったことが大きいと思う。

 険しい地形をものともせず進み、相互の遮蔽物を縫うように動いて身を隠す。遠目から敵の姿を確認し、わずかな筋肉の動き、意識の起こりを把握して、気取られることなく近接する。ここまで来れば、偵察などし放題だ。夜目もきくから、帰り道に不安はない。

 

 運動能力のみならず、勘の鋭さや眼の良さも武才のうち。前向きに、神様からのギフトと思うべきだが、どこまでも公平でない世の中である。

 しかし、ここまで贔屓されたのなら、敗北は単なる恥辱では済まぬだろう。それはもはや、世界に対する裏切りだ。

 ゆえにこそ、必勝を期さねばならぬ。村まで戻るのは時間を食い過ぎるから、適当なところで枝葉をもってシェルターを作り、携行食で簡単な食事をとって休息する。

 毛皮を羽織り、落ち葉の布団に身体を潜らせれば、これで結構快適だった。大地の滋養を吸収するように、疲労が癒されるのを感じる。そのうちに意識が落ちて……。

 

 

 

 

 数時間――おそらくは、三時間から四時間。空が白見始める頃、覚醒。

 身支度のアレコレを済ませて、再度偵察におもむく。前日の焼き直しに近いが、今度はより深く潜入する。

 ねぐらの中に入り込めるか、どうか。可能だとして、隠密行動がどこまで有効か。勘と経験を頼りに、私は歩みを進めることにした。

 

 十数時間後――結果だけを言えば、必要なものを全て見聞きした上で、私は今頭目の傍にいる。

 といっても、捕らわれた訳ではない。ベッドの下に潜り込んで、彼の夜の営みを身近に感じているという――それだけの話だった。日中はあちこちを回って、物資の充実具合や個人個人の立ち回り、周回のパターンなどを調べるのに時間を費やした。ここにいるのは、一日の総仕上げとして、寝室回りを調べるためだ。

 

 上にいる二人の嬌声に辟易しながら、なおも観察を続ける。おそらく彼にとっての股肱の臣は、今日は休んでいるか、遠くの見張りに出ているのだろう。おかげでねぐら周辺の警戒は、呆れるほどにお粗末だった。

 入口が限定されているのは厄介だったが、『どうせここまでは来るまい』『それまでに見張りが見つけてくれる』という依存心から、どいつもこいつも気が抜けていやがる。

 こんな有様では、つけ入る隙もあろうと言うもの。ついつい深入りしてしまって、私は仇敵の存在を肌に感じるところまで来ているのだから、どうしようもない。これには流石に大胆が過ぎたかと、冷や汗をかく思いだけれど。

 

 ……うん、野郎のお楽しみとか、視覚的な暴力が目に飛び込んでこないとしても、割とキッツイですね。ここでぶち殺してやろうかとか、衝動的に考えてしまうよ。

 でも駄目だ。今は我慢するんだ。一人残らず根切にするなら、頭目だけを討っておしまいにはできないし、暗殺に失敗すれば応援を呼ばれてしまう。

 失敗は許されない。教官を代わる代わる犯してくれたクソったれども。その類する全てを、生かしてはおかぬ。

 明確な殺意こそが、今の私の原動力だった。なればこそ、眼前の悲劇を黙認しよう。非難と罰は、死後にこそ受けようと思う。

 

 ――私がそう考えたところで、胡散臭いにもほどがあると自嘲する。そんな贅沢が許されるくらいには、強くなったのだと信じているから。

 最後の瞬間まで、私は頭目の動向を観察し続けた。普段の行動のみならず、房中の術まで知り尽くせば、気性や好みまで深く理解することが出来る。理解を深められれば、戦術の傾向や剣先の運び方まで、私は見切って差し上げよう。命はそれまで預けておく。

 

 嫌な時間が流れに流れ、もういいだろうと確信を得る。気配を消してベッドをはい出し、ねぐらから抜け出て、再度シェルターまで戻る。

 地形はおろか、武具食料の備蓄や人材の品定めまで、見るべきものはすべて見た、と思う。

 襲撃の準備は充分に整った、と考えて良い。私はそう思うし、教官がこの場にいれば、襲撃を決行することを躊躇うまい。ゼニアルゼの女騎士たちがいれば、さぞいい訓練になったはずだ。

 

 もっとも、実際にこの場に彼女がいたなら、私を押しとどめたろう。個人的には勝つべくして勝つ流れに乗っていると思うが、客観的にどう見えるかは別。せめて人数をそろえろ、と文句をつけるに違いない。

 ……でもね、それは出来ない相談なんだ。だって、それじゃあ被害が出る。

 数を頼んでの一斉攻撃は、指揮官である私の安全は買えても、部下の被害は考慮できない。乱戦が前提なのだから、不測の事態で一人二人の死人が出ることはありうる。

 ――ならば、ここは。わたしが単独で気張るべき場面だろう。

 

 シェルターの中で、二度目の夜明けを迎える。休憩をはさんで三度目の偵察へ。今回は軽く済ませる。

 見るべきものはすでに見た。今回の目的は、私の存在が気取られていないか、先日の行動パターンが変わっていないか、それを確かめるためのものだ。特に前回は深入りしたので、その点から違和感を探られるとまずい。

 警戒が強まっているかどうかで、討ち入りの方法も考えねばならないのだが――。まことに幸運なことに、私の存在はいまだ謎のまま。連中はいたって平穏な様子で、日向ぼっこを楽しんでいる。

 ……場合によっては、別の意味で楽しんでいる。捕らわれの虜囚は必ず助けようと、決意を新たにしたよ。手練れがいる気配がしたので、ねぐらの中までは入らなかったが、もう充分だ。

 

 手の及ぶ範囲であれば、取りこぼさずに済む様に。私は、被害者のケアまでは出来ないけれど、せめて命だけは救ってあげたいって――切に、願う。

 

 そうして一日、見守った。変化がないと、確認する。ならば次は行動の時であった。夜明けを待って、襲撃すると決めた。

 夜襲は、地形を深く理解し、慣れている連中に分がある。だからこそ早朝。夜間の見張りが疲れの極みにある時間帯こそが攻め時。多くが起き抜けで気が抜けている今こそが、襲撃にもっとも適している。

 手の届く範囲に敵がいて、それはかつて私の恩師を害した仇である。いざ実戦ともなれば、あらゆる意味で憤怒の感情が湧き出てこようものだが――。

 

 不思議なことに、当日になって、いざ奴らの面構えを確認すると、そうした想いすら霧散する。

 脳内の思考から、余計な感情は排除され、冷たい殺意だけが残る。剣を振る段階になると、それすらも消える。殺すべき相手を前にすると、自然とそうなるのだった。

 

 ……持ち込んできた半弓を手に、まずは見張りを黙らせよう。即死させられる距離まで詰めて、脳天に矢をくれてやらねば。

 

 弓構え、打ち起こし、離れ。射法における、すべての面で理法にかなった射であれば、正射必中。放てば狙い違わず、目標を打ち抜くのが道理。

 剣だけでなく、弓術も修めるのが武士、あるいは騎士としての理想だろう。なればこそ、真剣に鍛錬を積んできたのだ。事ここに及んで、失敗はありえなかった。

 

 一矢を放てば、気の抜けた表情でそいつは絶命した。射抜かれた自覚さえ、あったかどうか。

 見張りは互いに離れている。二人一組で置いておけるほど、人数に余裕がない集団だ。各個撃破は容易だった。

 

 しかし、これで殺せる見張りは四人まで。一射一殺と言えど、確殺の状況を整えるには相応に時間を食う。

 これだけ時を置けば、哨戒中の仲間に死体が発見されてしまうものだ。流石にここまでやれば、相手も異変に気付こう。

 

「見張りの奴らがやられた! 襲撃だぞ!」

「そこのお前、頭に報告して来い。見張りに被害、敵の姿は見えず、以上! ――早くしろ! くどくど言わねばわからぬ方ではない!」

 

 さて、敵方も騒いできたところで、つけ入る隙を見つけねばならない。もしここで退いてしまえば、連中も姿をくらましてしまうかもしれん。――あるいは、憂さ晴らしに近隣の村々が荒らされることもありうる。

 いずれにしても不本意である。だからこそ、私は攻める手を緩めない。弓は捨てた。ここから先、一矢でも放てば位置を察知されよう。ゆえに一気に斬りこんで、奇襲の利を得るべし。

 

 弓を持った奴が一番厄介だ。突入は、残りの弓勢を狙い打つのがいい。

 ……いた。素人集団では、弓勢は集中運用するのが鉄則。下手な鉄砲でも数撃てば当たるように、練度が足りなくても一斉に射掛ければ、そこそこ通じるようになる。

 私だって、あの数で正面から撃たれれば負傷を覚悟しなくてはなるまい。だから、連中が射手をまとめて置いたのは正しい。――奇襲される可能性を、考慮に入れなければ、の話だが!

 

「うぉッ!」

「あッ!」

「何奴!」

 

 私は思考するより先に、身体が突入していた。この際、敵の殺害より弓の弦を斬ることを優先する。これで、敵は一斉射撃という強みを封じられたことになる。

 多対一の実戦では、まず欲をかかないこと。相手方の殺傷力を封ずれば、それで良いと割り切って動くべき。それ以外のことが許されるほど、この戦場は甘くない。

 

「敵は一人ぞ! 恐るるな、掛かれ――ッ!」

 

 敵方を仕切る者の声が響く。おそらくは前線指揮官の一人だろう。これを斬れば、本隊の右腕を落としたも同じ。

 そうと思えば、是が非でも迅速に黙らせねばならぬ。物言わぬ肉塊として、何もできない存在に墜としてやらねばならぬ。

 本能が身体を動かし、術理と経験が剣先を導く。サクリと手ごたえを感ずれば、そこに不具となった敵が出来上がる。この場で不具となり、戦意を失えば、それは死んだと同じ事であった。

 

「おお――ッ!」

「掛かれ、掛かれ! 女子に後れを取ったとあれば、末代までの恥ぞ!」

 

 私自身、言葉を発する余裕などない。無言で敵を切り裂き、剣を振る。一撃必殺など最初から求めぬ。

 身体に当たり、戦闘能力を削ぐだけで良いと念じながら。ただひたすらに剣を振るい、必死に立ち回った。

 奇襲の利はすでに消えている。ここからは私個人の力量、兵法の術理がどこまで通じるか。それにかかっている。

 

「囲め! 逃がすな!」

「追え追え! ひるまず仕掛けよ、それでも男子かお前ら――!」

 

 中核になる、少数の精鋭の姿が見えてきた。こいつらを殺せば、それだけで指揮が削げよう。

 敵を動かすように地形を利用し、時には相手の動きすら利用しつつ攻撃をさばき、隘路へと導く。

 狭い場所では、数の利が活かせぬもの。環境すらも利用し、強制的に二対一、一対一の状況を作り出すのが兵法の妙である。

 そして隘路は見通しが悪いもので、敵の目を誤魔化すには良い場所だった。慣れているはずの場所で、ありえないことが起きる。それもまた、戦術の醍醐味であった。

 

「お命、頂戴仕る」

 

 私は、感情の消した声で、そう言い放った。これから自分は、他者の命を奪うのだと。その宣言をすることで、己に対する備えとする。

 せめて堂々と殺して見せねば、誰に対しても顔向けできぬと思うから、そうするのだった。

 

 剣術は軽業ではないが、体に無理をさせて省みないのも、若さの特権というものだろう。

 相手を型にはめてしまえば、動きの予測はできる。そこで私だけが自由に、思い通りに動くことが出来たとしたら、どれほどの脅威となるか。

 隘路の地形をすり抜けるように、眼前の敵を斬り、あるいは死角を利用し、目標へと向かう。体力の消耗はあったが、今必要なのは速さだ。

 そうして作り出した合間を突いて、敵指揮官に肉薄し、腕一本をいただくことが出来た。端的に表現すれば、それだけのことである。

 

「貴様――ッ!」

 

 相手からの怒りを一身に感じながら、敵指揮官の利き腕を跳ね飛ばした。剣士としても盗賊としても、これで生命は奪ったも同じ。直ぐに止血すれば死ぬことはあるまいが、さて相手はそれを望むだろうか?

 

「ぐ、く……」

 

 へなへなとへたり込み、傷口を抑えた。落ちた右手をつかんで、明後日の方向へと歩き出すのは、医家を探すためか。

 ――無駄なことを。腕一本落ちたくらいで戦意が喪失するなど、士道不覚悟もいい所だが、連中はそもそも侍ではないし騎士ですらない。傷口への処理を忘れて歩けば、出血多量で死ぬのがオチだ。

 

 関心を失った私は、次の対象を待ち構える。すでに隘路は後方にあり、再度の利用は許される状況ではない。

 周りを囲み、円陣で向かってくる雑兵連中に、対応せねばならなかった。指揮官を失っても兵は残る。私は存分に恨みを買っているのだから、見逃される理由はないだろう。

 この円陣を崩すためには、当然自ら突っ込んで活路を見出さねばならぬ。前後左右から迫る敵を誘引し、後の先を取ることが唯一の手立て。

 

 敵刃を避けつつ、相手の脛膝を蹴っ飛ばしては怯ませ、仕切り直す。肉薄すれば頭突きで意表を突く。そうやって転ばせた敵の身体を盾にするよう立ち回り、剣を振るたびにどこかしら斬り裂いて、戦闘能力を奪う。

 動き回りながら、山肌にある大岩を背水の陣とし、私は何人もの盗賊どもと斬り結んだ。剣の術理、地形の利用、あらゆる要素をつぎ込んで殺し合う。

 

 これを続けていけば、いずれは脅威が消え去るのが道理と言うものだ。うぬぼれではなく、私の武才はならず者どもとは比べ物にならないのだと、そう確信できるだけの結果は出せた。

 うめき声が場を支配する頃になって、ようやく私は一息ついた。動けなくなった者たちを、順次介錯していく。雑兵は、おおよそ始末したと見るべきか。

 

 手練れに出会ったという感覚はない。円陣が崩壊した後は、各個撃破するだけの単調な作業だった。

 むしろ、這うように逃げる相手を追い、斬る。そうした行為にこそ、精神的な疲労を感じた。

 敵を信用していないから、逃せばやがては脅威になると警戒するからこそ、取るに足らぬ小物であっても念入りに潰す。そうした冷徹な計算が働いただけのこと。

 殺意も憎しみも消えた今となっては、倒れた敵の介錯も、己の責務と思う。……言い訳を用意してしまう内は、まだまだ未熟よと己を笑った。

 

 ともあれ、目についた敵は皆殺した。あとは、ねぐらに入って、隠れているであろう残党と、その首領を討ち取るだけだ。

 偵察は済ませているから、内部の罠の処理に問題はなかった。隠れ潜み、奇襲を狙う姑息なたくらみも、全て暴いた。全員返り討ち、屍をさらさせる。

 捕虜の開放は、最後の一人を討った後で良いだろう。敵の頭の寝室を前に、私は呼吸を整えていた。それは必要な相手であると、本能が判断していたから。理論ではなく、感覚で、一時を半開きになった扉の前で過ごす。

 

 いまさら、取り繕うこともあるまい。扉を蹴っ飛ばして、寝室へと侵入した。

 潔くも、首領がそこで待ち構えていた――というのであれば、物語としては上々であったろう。

 

「殺れ」

 

 しかし現実には左右からの斬撃。紙一重の差で、退いて避ける。退かされた、と思ったときには、もう次の攻撃が『両者』から放たれていた。ねぐらの地形を完全に把握していなければ、不覚を取っていたかもしれない。

 

 寝室には首領の他に、二人が待ち伏せていたのだ。おそらく、この二人こそが奴の懐刀。教官を打ち倒した敵手に他ならぬのだろう。

 

 

『油断していたわけじゃないが、不意を打たれてな。おそろしく早く、気配を消した攻撃だった。――たぶん、二人掛かりだったのかな。一人だったら、返り討ちに出来たと思うんだが』

 

 

 頭を打たれたせいか、よく覚えていないと前置きをしながらも――クッコ・ローセ教官はそう言っていた。

 だから、私も踏み込んだ瞬間を狙われるものと思って、覚悟していた。なればこそ、一瞬で対応できたのである。

 退いた後は、二人からの斬撃を避けながら、ねぐらの外まで出る。同胞の遺骸が転がっている惨状をながめながらも、この敵手たちの表情に変わりはない。どこまでも整然と、二人掛かりの攻撃は続いた。

 

 息の合った攻撃を、絶え間なく続けられる彼らは何者なのだろう。おそらくはきっと、深いつながりのある二人に違いない。

 顔つきはさして似てはいないが、兄弟なのかもしれない。とすれば、警戒を強めねばならぬか。こうした手合いは、割り切ってしまう場合があるから怖いんだ。

 

 ――すなわち、強敵が相手ならば、どちらかが死んでもいい。いずれかが、生き残ればいい。そうした捨て身になって、相打ち覚悟の打ち込みを躊躇なくやらかしてくるのだ。そのタイミングを見極められねば、その時点で私は死ぬだろう。

 

「――やるか」

「……いざ」

 

 敵手の二人が、互いに声を交わす。私は無言のまま、待ち構えた。

 右側の敵手が地面をけり上げると同時に、左側の相手は目つぶしの砂を私の顔にぶちまけた。

 とっさに身をすくませ、身体は硬直する――ように、私は見せかけた。実際には直前に目をつむっていて、砂は入っていない。が、そうと相手を思い込ませることが出来れば、敵手の行動も読みやすくなる。

 目つぶしが決まったと思えば、大胆に攻めたくなるもの。盲目でも敵意は感ずるし、直前まで構えを観察していれば、一手に限れば対応できるだけの修練は積んでいる。

 

「うぬ!」

「ええい!」

 

 半身になって身をかわし、両者の一撃を回避する。猪口才なりと、返す刀で二つの刃が急所を狙うが、これも目を見開いて一瞬でも刃を確認すれば、身をひるがえすのは容易である。

 無念無想の境地は、私に最善の行動を選択させる。無言のまま、敵刃をいなし続けた。私にせまる剣は、その全てを打ち払い、一撃たりとも身に触れることはなかった。

 反撃で打ち倒せるものなら、倒したかった。だがそれを許さなかったのは、敵ながら見事というべきかな。

 目つぶしが無効であったと分かると、状況は硬直した。敵手に左右から挟まれた状況は、なおも続く。

 

「……名を聞きたい。私は、モリーという。貴公らは?」

 

 何かしら、付け込む隙を見せてくれたらいいと思って、声を掛けた。

 しかし、返ってきたのは沈黙。私程度の呼びかけに答えるほど、二人の敵手は甘くなかったらしい。

 私を、容易ならぬ障害と見たのだろう。剣を持ちなおし、態勢を整える。片や上段、片や下段と、同時攻めを狙っているのがわかった。

 

「おさらばです」

「応、さらば」

 

 死を身近に感じた。声を挙げた二人は、すでに死んだつもりになっている。いずれかは死ぬと、そう見定めて仕掛けてくるのだ。本能から総毛だって、後はろくに記憶に残っていない。

 ただ、片方が私の首を狙い、もう片方が足を狙ってきたのだと。それだけは確実に理解していた。

 

「――兄者」

 

 一方を引っ掴んで引き込み、盾にしたような覚えがある。彼は首筋に剣を受けた。致命傷である。倒れ込んだ後は、起き上がれなかった。

 

「……許せ」

 

 その合間を縫って、間髪入れず、剣をもう一人の敵手に伸ばしたのは確かだと思う。

 

「うぬ!」

 

 が、これで決着とも行かず、打ち込んだ剣は防がれた。力押しに踏み込んで、押し込んで斬ろうと思ったが、流石に相手の男も手練れであり、容易く斬らせてはくれぬ。

 ならばと一瞬力を抜き、敵の剣を受け流してからの――。

 

「が」

 

 面打ち。違わず、私はその男の脳天から顔半ばまでを斬り裂いた。

 恐るべき二人の敵手は、これで死んだ。死の予感から逃れたことで、一気に疲れが圧し掛かってくる。息を整えること、しばし。

 ――教官の直接の仇は、これで討ったことになる。だが画竜点睛を欠いては、ここまで来た甲斐がない。

 

 二人の屍を前に、一礼してから数秒の黙祷の後、再び頭目の寝室へと至る。

 

「……奴らめ。死におったか」

 

 どのような表情で、頭目がそう言ったのか。顔を伏せたまま、奴は言った。気だるげに寝台から身を起こし、剣を抜く。

 対する私は、声も出さずに剣を構えていた。頭目自身にやる気が無かったり、生きる気力を失っていたなら、即座に首を刎ねてやっていただろう。

 だが、そうした隙を見せることはなく、あいつはこちらを油断なく観察しながら、剣を構えていた。……私は形勢を変えるために、再度ねぐらを出るように相手を誘導し、青空の元へと彼を導いていく。

 蒼天というには、雲がばらついていたが、外の空気はねぐらの中よりも新鮮で快い。この雰囲気が、相手の口を軽くさせたのか、頭目は言葉を発した。

 

「あれらも所詮は野良犬。生き残る価値があるのは、わしだけであった。それだけの話よ。――だが」

 

 騎士崩れの頭目は、この期に及んでも生き残る気が満々であるらしい。私を斬り捨てていくのだと、意気揚々に声を張り上げていた。

 醜い――と、私は本気で思う。しかし、生かす価値のない手合いだと思いつめれば、剣先に余計な重しが乗ってしまうもの。

 不純さを持っていては、付け込まれる。そうした老獪さがあればこそ、こいつはいままで生き残ってきたはずだ。無念無想の境地は、いまだ私の中にある。その確信が、あらゆる束縛から私を開放してくれていた。

 

「さて、貴様だ。どこをどうして、ここまでやってきたのやら。恨みを買う心当たりなど、多すぎてわからん。――確かめさせてはくれんかなぁ?」

 

 悠長に相手の言葉を聞いているのは、私の本能が性急な攻めを自重させているからだ。

 油断ならぬ相手であることは、立ち姿、歩法の動作でわかる。左右に動きながら、二手三手先を読み合う、形なき闘争。それを許すくらいには、互いに敵手としての実力を認めていた。

 

「わからんな。本当にお前ひとりか。たった一人の女の手で、我らが壊滅させられたと思えば、逆に愉快な感じもする」

 

 私は頭目の言葉を聞き流しながら、構えを変えたり、わずかな隙を見せたりと、相手の攻撃を誘っていた。それでもなお仕掛けてこないのは、語りたいことがあるからか。

 殺し合う以外に、やるべきことがあるとは思わぬ。――私と彼との間に、決定的な違いがあるとすれば、その点であったろう。

 

「お前のような女を孕ませれば、どんな子が生まれるのだろうな? 試してみようか」

 

 ここで挑発に乗るような、安い女になったつもりはない。といって、意識するほど女になったとも思っていない。――その種の言葉は、私の心に響かない。

 後の先を狙う方針はそのままに。私は、構えを正眼に切り替えた。状況次第では、先の先も選択肢には入れている。

 正眼からの突きは、熟練の剣士には起こりが見えやすく、対処されやすい手と言われているが――場合によっては有用だ。

 

「……やはり、面白い女だ。殺すには少々惜しいが」

「お前が犯し、殺してきた女性たちも。そうして惜しみながら、命を奪ったのか?」

 

 頭目に対して、初めて口を聞く。自分のことながら、感情がこもっていないから、どこか空虚な言葉だった。

 だが頭目の方は、私の反応を引き出せたことが嬉しかったらしい。

 

「思っていたより、いい声だな。ベッドの上でも聞きたくなった」

「後悔の時間が欲しいか? お前の命には、惜しむ価値すらないというのに」

 

 言葉を発すること。それ自体に意味はない。私個人の意思が変わることもない。

 狙いは、敵の呼吸を見極めることだ。敵の思考を知り、思想を知り、人となりを理解すれば、それだけ彼の剣がわかる。これまでの調査も含めれば、見誤る要素はどこにもなかった。

 あの男が意を発すれば、後の先を取る準備は出来ている。ただし、それには相手の方から仕掛けてもらう必要があった。

 仕掛けてもらうために、勝つために、本能が私の口を動かしている。……あるいは、仕掛けてくれなくてもいい。ただ、時間を稼ぐこと自体に意味があった。

 

「俺が騎士くずれだって話は知ってるか? いや答えなくていい。そうだな、俺だってな、最初から『こう』じゃなかったんだぜ?」

 

 むさいおっさんの意味深ムーブとか、誰得ですかね。何かを言っているが、右から左。聞くことで戦いが有利になるなら心にも止めようが、そうでないなら瞬時に忘却する。

 もっと重要なことがあるのだ。違和感を抱かせない程度に、距離をつめつつ側面へとじりじりと移動する。

 

「最初に女を殺したのは、いつだったか。そうだな、アレは……」

 

 気を張っていたのは確かだろうが、何かに陶酔しながら話をする男は、注意力を失うものだ。剣を下ろすほど油断しているわけではないが、どうして敵を前にして語りたがるのか。

 私が仕掛けないのを、話を聞いてくれているからと勘違いするようでは、そもそも長生きできる器ではなかったのだろう。

 

 しかし、間に合ってよかった、と思うのは流石にうぬぼれが過ぎる。あそこのアレは、私を待っていたわけではないし、私もアレの処分のために生きてきたわけではないのだから。

 じりじりと地面を擦るように、相手を探るように回り込んで。ようやく、目的の場所に立つ。そこまで来ると、あのアレも話に区切りを付けたくなったらしい。私に呼びかけてくる。

 

「――で、どうだ? 感想を聞きたいね」

 

 聞き流していればいいだけの時間は、終わった。程よい緊張で、全身を引き締める。

 私が何のために移動していたのか。答えは、日光を背にするため。

 位置取りに成功した時点で、私は仕掛けるべき時のために、意識を集中していた。

 

「おい、答え――」

 

 だから、もう口は開かない。あの男に思うがままに振る舞わせたのは、私が狡っ辛い手段を取る人間であることを、悟られないためだ。

 女性のために戦える女騎士なら、さぞ高潔な人間に見えるだろう? だが残念、私の本質はこうだ。

 

「う」

 

 空の雲の合間から、わずかに日光が差し込んだ。ほんの一瞬の、戸惑い。目に入る光を、急に意識する瞬間。

 およそ一秒にも満たぬ視界の途絶が、私の待ち望んだ好機だった。

 突きを行う動作、その起こりを悟らせず、最速で距離をつめれば捉えることかなわず。

 感じるより先に体が動いて。

 

「――?」

 

 刹那の差で、相手は剣の振りに躊躇いが生じた。目の暗みによる迷いが、生死を分けたのだ。

 私の突きは通り、頭目の剣は流れ、こちらの服を切り裂くことさえなかった。

 

 相手の首筋から、赤い肉と、白いものが見える。

 骨の白か、脂肪の白か、いずれにせよ命を絶つ一撃であることに変わりない。私の剣は、確実に頭目の急所を切り裂いている。

 

「ああ?」

 

 不思議そうに、男は倒れた。身もだえもせず、天を仰ぐように仰向けになりながら、苦しむ様子もなく、ただ視線をさまよわせ、だらしなく半開きになった口からはよだれが漏れている。

 即死できなかったにしても、私にとっては長い時間ではなかった。当人にとってどうであったかは、確かめる術はない。

 

 ただ、血を流して、命を失うまでの間。私は、頭目の男から目を離さず、最後まで見続けた。

 苦しむ姿を、眺めていたかったわけじゃない。愉悦も嫌悪も、もはや心になく。ただそうすることが、殺害者である私の役目であるのだと、そう感じたからだ。

 剣に生きる者は、いずれ剣に斃れる。彼は、未来の私の姿かもしれぬ――と思えば、自然と目を離せなかった。

 

 人が死ねば、ただの肉の塊になる。屍になったとわかると、今度は弔わねばならない。あれほど強く感じていた殺意も、怒りも、気付けばすでに過去のものになっている。

 敗者の始末は勝者の義務だった。ただ穴を掘って埋めるだけの作業だが、今は疲労を強く感じている。

 二時間。いや一時間でいいから、休憩の時間が欲しかった。だから、殺した頭目の寝室へと戻って、ベッドの上に寝転がる。

 

 ……返り血と、居心地の悪い変な臭いが、私の眠りを少しだけ妨げたけれど。それも、すぐに気にならなくなる。

 目が覚めたら、やるべきことはいくらもある。捕虜の開放も忘れてはいけない。ねぐらにあった備蓄を取り出して、各々に持たせて帰してやりたい。諸々の作業を終わらせるのに、一日で済むだろうかと、そんなことを考えていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある男が保護――あるいは自首のために、近場の街の役場に飛び込んできた。

 その際の証言によると、男はある盗賊団に所属していたらしい。だが、何者かの襲撃によって、盗賊団は壊滅。ただ一人だけになったため、助けを求めるようにここに来た――という。

 

「ころされる! おれはころされる! たすけて!」

 

 激しい恐怖を感じていた男は、証言を取るにも苦労したが、担当した衛兵と役人たちは辛抱強く向き合い、情報を抜き出すことに成功する。

 

「前触れなんてなかった。いつからアイツが俺たちを狙っていたのか、どうやって皆殺しにしたのか、そんなのよくわからない。……本当に、直前まではいつもの、つまらない一日だったんだ。俺が生き残れたのは、単純に偶然で、運が良かったんだと思う。隠れ潜んだまま気絶していたから、たまたま気づかれずに済んだから――それだけの、たったそれだけの理由なんだ!」

 

 事実であれば、放置するのも恐ろしい話である。一日で盗賊団を壊滅させる何かが、近場に潜んでいるかもしれない。それが善人であれ悪党であれ、確認するまでは安心できないというのが、この件に関わった者たちの本音であった。

 

 ともあれ、証言通りに現地に赴く。そして彼らは、人の気配だけが綺麗に消えた、盗賊団の跡地を目にしたのである。

 

「あれは、墓か?」

 

 調査員の一人がつぶやく。盛り上がった土に、雑に加工された木材が墓標の様に刺さっていた。

 そこには『名無しが眠る地 騒ぐべからず』とだけ記されていた。誰の手によるものかはさておき、あの男の証言は正しかったらしい。調べれば調べるほど、証言の正しさが補強されていく。

 現場では犯人の痕跡を見つけることは出来ても、正体につながるものは見つけられなかった。役人であれば調査内容を上げねばならぬ。捕虜がいた形跡もあるので、近辺の村々から聞き取り調査も行う。

 そうして調べられる限りのことは、書類にして上申した。後のことは後のことだと割り切って、役人どもは偽りなく率直に報告する。

 

『女だ、女騎士だった! 金髪の――後は知らない!』

 

 怯えに怯えた生き残りの証言も、余さずに加えて。

 だからこそ、ザラ隊長の目に留まった。留まってしまった、というべきかもしれない。

 

「これはモリーに違いない。逃げるように荷物をまとめていたのは知ってる。日程的にも可能であるし、私は確信しているよ。――おしおきが必要だな」

「そうね。彼女はやり過ぎた、って思うわ」

「私も無茶が過ぎると思いますので、異存ありません。――ていうか、相手が盗賊団とはいえ、私闘で皆殺しとか許されるんですか?」

 

 ザラと、メイルと、何故かメナまで加わってそう結論付けた。

 ……ちなみに、盗賊団は本来存在しないはずの人間の集まりであり、戸籍のないゴロツキであるからして――。要するに、連中は法の庇護下にはないのである。

 衆人環視の下であればともかく、人知れぬ山中で殺したところで、罪に問われることはあるまいというのがザラの見解である。

 もっとも、個人的に許せるかどうか、と問われれば別だが。

 

「あいつめ、面倒になると分かっていてすぐに逃げたな? そうかそうか、お前はそういう奴だったんだな。――ああ、そういう奴だったな、忘れていたよ」

「いやー、流石の私もびっくらこいたわ。三十人程度とはいえ、単独で盗賊団に突っ込むとか、私でも躊躇する案件よ」

「普通、一人で行動するより仲間を巻き込みますよ。どうして常識的な判断が出来ないんでしょうね、あの人は」

 

 三人は、あれこれと好き勝手にモリーを評する。それが許されるだけの関係を築いていると、理解しているから手加減はなかった。

 

「急ぐように去っていったのは、この件があったからか。……話していれば、力になってやったものを」

「だからこそ、急いだのよ。そもそもの襲撃の理由は――今度問い質してやるとしても。モリーのことだから、必要なことをやっただけで、他人を巻き込みたくないってスタンスなんじゃない?」

「馬鹿なんじゃないでしょうか。いえ、馬鹿ですね。疑う余地なく」

 

 ザラ、メイル、メナ。三者三様の感想を交えながら、彼女らは団結していた。

 表現の方法に違いはあれど、関心を持つ相手に対しては、一体になれるのが彼女たちの長所である。それは結局のところ、モリーという存在の大きさを証明することにもなっているのだが――。

 

「いつ帰ってくると思う? ザラの判断を聞きたいわね」

「わかるなら、ぜひ拝聴したいですね、ザラ隊長」

「……遠くはない。保証する」

 

 ザラの言葉が実現するかどうか。そんなことには、今さら疑いを持たない二人であった。

 つまりモリーの女難は、約束されたものであったのだが――。暢気に帰宅への道のりをたどっている彼女には、思いもよらぬことである。

 

「いやー、想像以上に上手くいきましたね。教官に良い土産が出来ました」

 

 盗賊団の頭目の、その顔拓(顔に墨を塗ったくって紙に押し付けるアレ)を作れば、証明としては充分であった。

 

「首の塩漬けも考えましたけど、そんなのと一緒に帰還するなんて気が滅入るし。そもそも私に猟奇趣味なんてないし。殺したっていう確証さえあれば充分でしょう」

 

 鎌倉武士にとって、これくらいは嗜み程度じゃない? ――などと、モリーはうそぶいた。

 シグルイの武士、あるいは女騎士にとって、この行為は特筆すべきものではないらしい。

 

「喜んでくれると良いのですが。……うーん、考えてみれば、過去のトラウマを刺激しかねないわけですから、微妙かもしれませんねー」

 

 遠回しに示唆しながら、クッコ・ローセ教官の反応を見なければならないと、モリーは慎重な判断を下す。

 その慎重さを、肝心なところで発揮できない気性こそ、教官は問い詰めたいに違いないのだが。

 

「まあ、別にいいでしょう。もとより、見返りを求めての行為ではありません。……これで教官の心が、少しでも安らいでくれるなら、それだけでも甲斐はあったと思いますから」

 

 モリーは、そんな他者からの評価について、どこまでも無頓着であった。結果としてどうなったかは、語るまでもないだろう。

 

 教官に報告した夜は特別激しくて、翌日の朝が辛かった。――というモリーの事後報告が、全てを物語っている。そして、帰国すればザラたちからの追及が待っている。

 そうした未来の出来事など思いもよらず、ただモリーは晴れやか気持ちで、再びゼニアルゼへと向かうのであった――。

 

 

 





 いかがでしたでしょうか。

 割と突貫工事で書き上げたので、文章に矛盾があったり変な表現があったりするかもしれません。

 なにかしら気がかりな点があれば、お気軽にご指摘ください。



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土産話もろもろと、重い女たちのお話


 今年最後の投稿です。

 来年中には完結するのかどうか、微妙な所でしょうか。

 ともあれ、来年もよろしくお願いします。




 クッコ・ローセが、それを見た感想はと言えば。

 うんざりする過去を思い出すようで、ここまでせずとも好かろうに、という呆れがどうしても先に来てしまう。

 モリーに誘われるままに酒の席に来てしまったが、これでは楽しく飲めないではないかと、苦情を言いたい気分だった。

 

「見苦しいな。――馬鹿だろ、お前」

「おや、すでにご承知のことだと思っていましたが」

 

 一瞬だけ眉を上げて、朗らかな笑みでモリーは答えた。これは彼女なりのサインで、『貴女の本音はわかっています』という、前向きな態度を示している。

 この、馬鹿だと言われながらも、むしろ誇りに思っているような態度が、クッコ・ローセの心中をさらにかき乱した。

 こいつは、これだけのためにどれだけの危険を犯したのか。想像できるだけに、平静になれない。

 そうだろうとも。お前は、私の過去の傷を切開し、治療したのだと――。

 率直に言えたなら、クッコ・ローセの人生は、随分と違うものになったはずだ。

 

「限度ってものがある。――ああ、くそ、上手く言葉に出来ん。だがアレだ、その。……お前が無事に、帰ってきてくれて。それだけは、嬉しかったと思うよ」

 

 咎めたところで、モリーの気性が治るわけではない。そうした確信があるから、無駄な言葉は吐きたくないというのが本音だった。

 まさしく彼女は常識的に、穏便に済ませたかったのである。本音を隠してでも、常識を優先するだけの分別が、クッコ・ローセには存在している。

 さりとて、割り切れない気持ちを無視できるほど、女を捨ててもいなかった。複雑な女心を理解してほしいと思うが、モリーはどこまでわかっているやら。

 

「……顔拓なんぞ、今時子供たちですら興味を持つまい。奥ゆかしいというか、遠回しに過ぎるというか」

 

 自分のためにここまで行動してくれる相手が、他にいるか。過去においても、未来においても、モリー以外にあり得るのか。そこまで考えて、期待する方が間違っているのだと、正気に返る。

 なればこそ、歯がゆかった。どうすれば、この大馬鹿野郎に報いることが出来るのか。クッコ・ローセにはわからない。

 

「くだらんことをする。まったくもって、不毛極まりない。……むなしくならんのか、お前」

 

 結局、口からでたのは代わり映えのしない憎まれ口だった。彼女なりの、可愛らしさの表現であると――。

 正しく理解できるのも、今生においてはモリーただ一人だけであろう。

 

「思いのほか不評のようで、残念です。首の塩漬けの方が良かったですか? 一応、そこまで考えた上でのことですけど」

 

 なればこそ、モリーは朗らかに答えた。憎まれ口も愛嬌と知るが故。それを受け止めるのが、男子の器量とわきまえているが故であった。今生では女であることなど、今は忘れて。

 

「そうだな! 私が悪かった! ……お前はそういう奴だったな、うん」

 

 しらふで付き合ってられるかとばかりに、クッコ・ローセはワインを飲み干した。手酌で杯に注ぎながら、片っ端から空ける。

 ツマミを忘れてかっ込むほどに、彼女の感情は激しくかき乱されていた。そうして落ち着くと、つぶやくように言う。

 

「……本音を言うとな。昔の話だと、割り切っていたつもりだった。本当は、トラウマだったんだと、今さら気付いたよ。消えてから、気付くだなんて。……変な話もあったもんだが」

「手ごわかったですよ、連中」

「五体満足で帰ってきていながら、そういうか」

「無傷であればこそ、生き残れたのです。なにかしら負傷して、剣先が鈍っていれば、その時点で詰みでした。――五体満足であればこそ、生き残れたのです」

 

 敵が弱かったわけではないと、モリーは主張した。自ら斬り捨てたからこそ、過小評価はしない。

 真摯な態度は、強敵に対して現れる。品性下劣であろうと、能力には敬意を示すのがモリーという女である。それがまた、クッコ・ローセの癇に障るのだ。

 

「馬鹿め。そうした手練れとやり合って、無事に済んだのはほとんど奇跡だろう。己を大切にしろ。お前だけの身体じゃないんだ」

 

 お前を心配したり、口にしがたい感情を抱いているのは、私だけじゃないんだと。

 複雑な感情を向けている者は、他にもいるだろうと、クッコ・ローセなりに言ったつもりだった。

 

「どうでしょう。――今日にでも、死ねる。そうした心持ちで、私は日々を生きています。こればかりは、どうも」

「本当に今日死にやがったら、絶対に許さんからな、おい」

「比喩ですよ。……まあ、それくらいには、気軽に生きたいという話で」

 

 しかし、モリーはと言えば、手前勝手な理屈を並べるばかり。だからお前は、そういう所が女心を無駄に刺激するんだと、怒鳴りつけたかった。

 

「すいません。……何を言いたいのか、わかっているつもりですよ、教官」

「どうだか。私の本音など、お前は欠片も理解していないだろうよ」

 

 そうしてしまえば、どうなる。隠していた本音をさらけ出して、怒鳴りつけてしまえば、クッコ・ローセはモリーの女になるしかない。

 縋りついて、依存する以外の道はないだろう。女としての己をどうしようもなく自覚して、男に見立てたモリーを求めて、疑似的な愛をささやく哀れな女になり果てよう。

 結果として、彼女を縛り付ける鎖になってしまう。そうなりたくはないと思うから、最後の一線を守るために、再度憎まれ口を吐く。

 

「どうあっても、その生き方は変えられん、と。お前はいつもそうだな。勝手も過ぎれば、いずれ報いを受けるぞ」

「報いの時が来たならば、粛々と、潔く受け入れるまでです。私はいつだって、この覚悟をもって、生きているつもりですよ」

「報い? 報いだと? ――お前が本当にその意味をわかっていて言っているなら、どんなに罪深いことだろうと思うよ」

 

 クッコ・ローセは、モリーの言葉をまともに受け取らなかった。受け入れられなかった、という方が正しいが。

 それでも、生き方を変えられぬ手合いに、あえて詰め寄るべき理由はないだろう。反論したい気持ちはあれど、努めて異論は口にしない。憎まれ口に留めておくのが、彼女なりの対処であった。

 逃げ道を潰して決断を迫ったりして、モリーに『はしたない女』だなんて思われたら、絶対に後悔するに決まっているのだから。見栄を気にするだけの女性らしさが、鬼のような教官にも存在したのである。

 

「未だ未熟な身の上ゆえ、全てを理解することはかないません。どうか、お許しください。ただ敵を斬ることだけに、才能の全てを捧げている身の上なれば。罪深さは自覚しているつもりですが、至らぬこともあるでしょう」

「……罪など、気にするガラかよ。殺すべき相手を、全員斬り殺しておきながら、言うことがそれか」

「さて。別段確認などしておりませんよ、生き残りがいるかもしれません」

 

 今さら追って、斬りに行けるほど暇でもありませんが――と、モリーは言った。

 意味ありげな微笑は、計算してのものか。こいつ、意図的に一人二人は逃しているな、とクッコ・ローセは悟る。その効用についても。

 まったくもって、在野の盗賊どもは恐ろしくてかなわんだろう。いつ、どんな形で恐ろしい手練れが飛び込んでくるかわからないのだから。

 風評自体に殺傷力はないが、抑止としての有用性を、認めぬわけにはいかぬ。

 

「どこぞの誰かが生き延びようと、あれやこれやと吹聴しようと。――まあ、なんだ。今となっては、どうでもいいことだな?」

「はい」

「……まったく、お前という奴は」

「最近、呆れられることが多いですね。地味に傷つくので、手心を期待したいのですが」

「お前に対して遠慮なんぞ、今さら不要だろうが。正直に本音をぶつけられる幸福を、存分に噛みしめたらいい」

 

 確かにこれはこれで御褒美ですね――と、モリーは苦笑しながら言った。

 そうした態度が、クッコ・ローセの反応を意味深いものにするのだと、果たして本人は自覚しているのか。

 モリーに対する感情を、抑えるのに苦労する。ここで本音を言えば、付け込まれるだろうか?

 いや、そうした下卑た欲望とは無縁な女である。なればこそ、素直に言葉にすることが出来た。

 

「いろいろ言ってしまったが、あれだ。……感謝するよ。私のために、してくれたことなんだろう? だったら、感謝の気持ちくらいは口にするべきだ」

「さて。……放置すれば犠牲が増えるばかりでしたから。連中を討ったのは、誰の為でもある、とも言えますね」

「馬鹿。そこは、嘘でも『貴女のためにやりました』という場面だぞ」

「――嘘など。それこそ、誠意に欠ける行いでしょう。好きな人には、いつでも誠実でありたいとそう思えばこそ。私は決して、貴女に対して嘘はつきません。ええ、絶対に」

 

 誠意を示したいからこそ、本心で語るのだと、モリーは言った。

 愚問であったと、クッコ・ローセは己を恥じた。そうせざるを得ないほど、モリーの態度はありのままに、純粋であったがゆえに。

 余計な言葉を引き出した無粋を、彼女は痛感したのである。

 

「すまん。――つまらんことを言ったな、許せ」

「さて、何のことでしょう。許さねばならぬほど、大きなことでしょうか。……他愛のないことです。深刻にとらえるべきことではありませんよ」

 

 モリーもクッコ・ローセも、杯を重ねた。ただ酒を飲み、愚痴をこぼす。くだをまく。そうした時間を楽しめる関係が、どれだけ貴重なことか。それを理解する賢明さは、お互いに持ち合わせていた。

 

「そうそう、以前の模擬戦の続きですがね。――私は、是非にもやり遂げたいと思っているのですが」

「今度は、私が追われる側だったな。切実に、手加減してほしいと思ってるんだが」

「ご冗談を。うかつに手を抜いたりしたら、教官のことです。どのような痛撃を受けるか、恐ろしくて手なんて抜けませんよ」

「……勘弁してくれ」

 

 クッコ・ローセはすでに第一線を退いている。現役バリバリの、つい先日まで盗賊狩りなんぞやらかした奴を相手に追っかけられるなど、悪夢以外の何物でもない。

 だから手心を加えろと、暗に提示する。それでもモリーの方は、まったく意に介しない。

 

「私は、教官を過小評価しません。旗下の女騎士たちにも、容赦はしません。それが私なりの敬意であり、彼女たちへの親心と言うものです」

「度が過ぎれば折檻と同じだぞ、それは」

 

 心外だ、と言うように――モリーは、挑発的な笑みを浮かべて応えた。

 

「折檻? これくらいは必須事項でしょう。訓練で済むうちに、なるべく辛い環境に耐えさせてやりたいのです。そこで持ちこたえて、生き残る気概を持たせてやりたい。……土壇場で気張れるだけの経験を積ませてやることが、私たちの仕事ではありませんか?」

「うーむ」

「なるべく手助けしますし、精神的なケアも致しましょう。それでも、どうにもならなければ、退職すればいいんですよ。これを許すくらいには、軍も私たちも寛大であるつもりです。違いますか?」

「……まあ、正論ではあるがな。――いや、それも、そうか。一般的には折檻でも、騎士にとっては訓練のうちだと思うべきだし、耐えられないなら退いてもらうのが道理ではあるな」

 

 ここまで説かれれば、クッコ・ローセとて理解を示す。訓練のために、彼女たちを鍛え上げるために必要とあらば、己の身体を酷使することくらい、難なくやってのける。

 長年、教官職を続けてきたという矜持もある。モリーの言葉は、彼女を奮い立たせた。結果として、ゼニアルゼの女騎士たちは地獄を味わうことになるが――。

 

「本番に強くなるためと思えば、この程度の苦労は乗り越えていただかねばなりません」

「肯定する。私たちも辛いんだから、あいつらもそろって苦労を負うべきだ。……分かち合ってこそ、身内と言える。そうだろう?」

「まさに。ええ、まさに、その通りですとも教官」

 

 両者は笑いながら、杯を重ねた。そうして生み出されるのは、さらなる地獄だが、彼女たちはまるでそれが慶事であるかのように、明るく語り合った。

 ゼニアルゼの女騎士たちが、精鋭となるのは確定事項ではあったが、そこに至るまでの過程については――。おそらく控えめに言っても、非常に愉快な道程となるに違いなかった。

 

「それはそれとして、今日はとことん付き合え。……それを求める権利くらい、私にはあるだろう?」

「そうですね。――たぶん、あると思いますよ。私で良ければ、付き合いましょう」

 

 明日が辛そうだ、と苦笑しつつもモリーは受け入れた。

 クッコ・ローセは、そうした彼女の心遣いに甘えた。翌日のことは翌日の自分が何とかするだろうと、そう思って――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 過程はともあれ、モリーもクッコ・ローセも最大限の努力をしたといってよい。旗下の女騎士たちも同様である。

 相応に時間はかかったが、諸々の訓練は完了した。すっかり出来上がった女騎士たちを前に、シルビア王女は嘆息して一言。

 

「誰がここまでやれと言った」

「はて、初めに望まれたのはシルビア様であったと記憶しておりますが」

「クッコ・ローセよ。物には限度と言うものがある。わきまえておるものと、考えていたのじゃが?」

 

 出来上がったので、その完成度を直接御覧頂きたい――と言われれば、彼女とて時間くらいは作る。視察の機会を設けて、こうして出張って見てみれば。

 目にしたものは、想像以上のものであった。苦言を呈したいほどに。

 

「仰せの通り、限度いっぱいまで鍛え上げました。まだ力不足だとおっしゃられるなら、恐れ入って許しを請うしかありませんが?」

「おい、私は真面目に言っておるのだぞ。――期待していた部分がないとは言えぬが、か弱い御令嬢どもを死に狂う戦士に変えろとまでは言っておらん。精鋭に仕上げろと暗に言った覚えはあっても、やり過ぎてしまっては支障があろう」

 

 クッコローセとモリーは、平時の調練をシルビア王女に見せていた。

 それは実戦と見紛うような真剣さがあり、一歩間違えば死者が出かねないほど激しいものの様に見えた。

 

「傷物の乙女など、そうそう娶ってはくれんぞ。やり過ぎては責任問題にもなろうが」

 

 女騎士の彼女らは、どんなに屈強に鍛えられたとしても、家に帰れば貴族の御令嬢なのである。

 嫁ぎ先を慎重に見定めて、いずれば家庭に入る女性たちなのである。シルビア王女としては、なるべく生きて帰ってきてほしいし、欲を言えば一人だって失いたくないのだ。そうであればこそ、政治的に打てる手も増えるのだから。

 

「シルビア王女。私モリーが考えまするに、戦傷を理由に女性を退けるような根性なしなど、最初から相手にすべきではありませんね」

「というか、そもそも実戦を想定させておきながら、その主張は通らんでしょう、シルビア様。モリーも私も、最善を尽くしました。これは、その結果です」

 

 とはいえ、現場指揮官の二人にこの辺りの機微を理解せよと言うのも酷な話。いや、クッコ・ローセが言うように、近々実戦投入するつもりであるのは確か。

 精鋭に仕立て上げつつ、令嬢の御淑やかさを求めるなど、道理が通らぬ。

 欲をかきすぎているのは、シルビア王女の方である。その事実を、彼女は自覚せねばならなかった。

 

「……あー、許せ。少し、頭が政治に寄り過ぎておった。うむ、良くやってくれたぞ、二人とも」

「ま、鍛える時間はいくらあってもいいんですがね。――周辺国家の正規兵くらいなら、普通に殴り勝てるだけの力量はあります。正面決戦なら、そうそう負けはせんでしょう」

 

 逆に言えば、それ以上は未知数であると、クッコ・ローセは答えた。あらゆる状況に対応させるには、まだ訓練の積み重ねが足りない。

 個々の兵士の柔軟性に頼れない場合。実戦の不確定要素に、どこまで対応できるかについては――それは、彼女らを率いるであろう、指揮官の能力と運にかかっている。

 そこまで事態が進んでしまえば、とても責任は持てない、というのが教官を務めた二人の主張であった。

 

「いや、責任は持ってもらう」

「そうは言われましても――」

「クッコ・ローセ。お主には彼女らを率いてもらう。臨時ではあるが、ゼニアルゼにおける公的な立場を用意しよう。軍における正式な地位と、独立した指揮権を与えようではないか」

「駐在武官に自国の部隊を任せる前例なんて、聞いた事がありませんが?」

「ほう! それはいい。わらわが初だと思えば、なんと気分がいい事よ。因習を打ち破り、新しい法則を作り出す。その愉快さは、わらわがもっとも好むこと」

 

 わかっていただろうに、のう? とシルビア王女は、意味ありげに微笑んだ。

 やべーこと考えてるな、とだけクッコ・ローセにはわかる。具体的にはよくわからないが、巻き込まれる流れになっている以上、あきらめて身を任せるしかない。

 

「当面は、教官職を続ければよいとも。――有事ともなれば、そのまま部隊を預かってもらう。文句など、どこにも言わせぬゆえ、この点は安心するがよい」

「そのリスクを受け入れてたとして、リターンはいかほど期待できるのでしょうかね?」

 

 やるからには全力で、功績を立てるつもりでいる。なればこそ、報償の確約が欲しい所であった。

 クッコ・ローセの発言には重みがある。しくじれば、両国から糾弾されかねない立場になるのだ。リスクに見合うものを求めるのは、当然の権利と言うものだろう。

 

「そうよなぁ……別荘と、年金付きの勲章でも授与しようか。引退後は、割のいい職を世話してもいいのう。あと付け加えるなら――」

 

 シルビア王女は、シャレや冗談のような口調で、きわめて実用的な提案をしてきた。

 おそらく、誰にとっても爆弾となるような、実用的かつ危険な提案を。

 

「同性婚と、重婚の許可くらいなら余裕でくれてやれるぞ。別荘もいい感じのやつを用意してやってな、意中の相手とかその他大勢とか、色々と巻き込んで楽しめるんじゃないかの?」

「ハハッ、ナイスジョーク」

 

 クッコ・ローセは、そう言って返すのが精一杯だった。ぐちゃぐちゃした内面の感情を抑えるのが大変で、まともに答えられない。誰を対象にした発言であるか、わかっているがゆえに笑ってごまかそうと思う。

 そうした彼女の態度を、傍で見ているモリーは気づくことすらできなかった。なんか大変だなぁと、のほほんと見ていたのだが――。

 

「何を他人事みたいに静観しておるのか。モリーよ、お主も同じじゃぞ?」

「はっ。……私も?」

「おうとも。お主にも有事の際には、クッコ・ローセ共々活躍してもらうことになる。同様に報酬も支払おう。この意味が解るな?」

 

 ハーレム、作りたいなら作ればいいのじゃぞ――と、シルビア王女は胸を張って言い切った。

 彼女は性風俗には寛容であり、一般的には恥ずかしい性癖だって、平然と受け入れられる度量の持ち主である。なればこその、この発言。

 モリーとしても、無視できなかった。毅然とした態度で、誠意をもって答えねばならぬ。

 

「まことに、厚意はありがたいのですが、アテがありません。真面目な話、私にそんなことを言われても困るのですが」

「……おい。こいつ、これで自覚ないのか?」

「遺憾ながら。モリーの奴は、いつもこんな感じです」

 

 モリーは至極真面目に返答したつもりだが、シルビア王女もクッコ・ローセも呆れるばかりである。

 

「あの、何の話をしているのでしょうか」

「モリー、お前、ちょっと女引っ掛けてこないか? 全力で手管を尽くせば、おぼこの二三人くらいは軽いだろ」

「技術の悪用は悪徳ですよ、教官! 素人にガチでやり合うのはマナー違反です。わかっているはずでしょう?」

 

 モリー自身は、その器量と才能を感じさせぬほどに清廉であり、馬鹿が付くほどの真面目な騎士である。

 この返答自体がそれを物語っているが、そうであればこそ頭の痛い問題であった。

 

「のう。ちょっとした提案じゃが、めんどくさいから娶ってやれよ。モリーも、そなたならば大人しくなるかもしれんぞ?」

「……シルビア様。ロートルを担がないでくださいませんか。本気にしても痛いだけでしょう」

「わらわは本気で言っている。誰かが抱き止めてやらねば、危うすぎて見ていて痛い。……理解が及ばぬなどと、言ってくれるなよ。わらわはクッコ・ローセという人物を買っている。失望は、痛みだ。お互いにとって、嬉しくないことだと思うが?」

 

 笑みを消して、シルビア王女は鋭い視線を向けた。

 だが、それに怯むような教官ではない。

 

「でしょうね、理解していますよ。そこまでわかっているなら、私が自重している理由も察してほしいのですが?」

「年齢差など、気にしてどうする。欲しければ勝ち取れよ。失いたくないなら、行動あるのみ。そうであろう? わからぬほどの馬鹿でもないよなぁ?」

 

 煽り合っている自覚は、お互いにあっただろう。それでも止められぬほどに、感情が暴走している。

 冷や水を浴びせたのは、当然のように、冷静な第三者であった。

 

「お二人とも、落ち着いてください。私には訳の分からぬ話ですが、駐在武官と王妃の対立は、あまりに物騒過ぎるものと考えます。――どうか、ご自重ください」

 

 モリーは、途中から理解を放棄して、ただ言葉だけを追っていた。その為、単純に穏やかでない雰囲気を指摘し、改善を求めたのだ。

 意中の人のその態度に、熱が冷めたというべきか。シルビア王女もクッコ・ローセも、これには静まらざるを得ない。

 

「――お主も大変よな」

「いつものことです」

「どうにもならなくなったら、相談するがいい。強引にでも、解決してやろう。力技で良ければ、どうにかしてやられるだろうよ」

 

 あくまでも最終手段だが、お主がそれを望むほど追い詰められたなら、是非もない――と、シルビア王女は言った。

 モリーとしては、なんでそんな深刻な話になるんだ、と突っ込みたくなる。

 

「何やら物騒ですが、話はもう終わったことにしてもいいんですかね」

「お前の良心が、それを許すならな? モリー」

「教官。私をあまり困らせないでください。……複雑な事情が、きっとあるんでしょうけれど。私の理解の及ぶ範囲でお願いします」

「気にしなくていい。悩んでいるのは私だけだ。お前は――ありのままでいい」

 

 そうクッコ・ローセがいえば、モリーに異論などない。雑談もそこそこに、シルビア王女の視察は続けられた。

 女騎士たちの調練を見ていると、結構な頻度でため息を吐く。そうした彼女の態度に疑問を抱きつつも、モリーは先導する。

 見るべきを見終えた後、シルビア王女はあきらめを含んだ言葉を、何とはなしにつぶやいた。

 

「他はともかく、モリー。おぬし、今から準備をしておけよ。受け入れる覚悟やら、人間関係の清算やら、後から悔いても遅いこともあるのでな」

「はい。心に留め置いておきます」

「……実感としては、理解しておらん様子だが。まあ、よい。周囲に不幸を振りまくようなことにでもならん限り、自由にやれ。わらわはそれを見守るまでよ」

「よくはわかりませんが、ありがたいことです。シルビア王女ほどの方に、気にかけていただけるなら、これ以上の栄誉はございません」

 

 抽象的な表現であったから、その意味するところを、モリーは理解できなかった。そもそも政治的な出来事には興味を持てないのが彼女である。

 駐在武官として、任期が終わるまで仕事を続けること。モリーはただ、それだけを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーは今、トンネル工事の監督をしています。思いのほか、女騎士たちが仕上がるのが早かったせいか、作業もとんとん拍子に進んでる。

 当然の様に教官も一緒だけど、皆段取りよく働いてくれるものだから、割と楽に仕事が出来ています。

 私自身、つるはしをもって現場で振るう贅沢を堪能しているのだから、ありがたい話だよ。

 

「指揮官は指揮をするのが仕事ですから、本当はこうやって現場の作業に参加するのは、よくないんですけどね」

 

 教官がいてくれるからこそ、許される暴挙である。

 あの人、結構甘えさせてくれるから好き。いや、基本厳しい人だけど、優しいからこその厳しさってあるよね。そうした人から、甘えられたり、甘えたりするのは、すごく貴重な体験だと思うの。

 

「クロノワークの騎士に負けない程度に、密度の高い訓練を課したつもりです。――こちらで全部やってしまう気概で、作業にかかりなさい!」

「はい! モリー隊長!」

「モリー隊長殿、やりましょう!」

「はっ! クロノワーク、なにするものぞってね!」

 

 さんざん鍛えたから、皆の士気は高い。待遇もいいから、女騎士たちの言動に不満はなく、作業に滞りもない。土木工事は、兵隊家業をやるなら必須技能だからね。訓練を兼ねた公共事業と思えば、なかなか効率的だと思う。

 技術士官の指導が入っているので、道路の舗装からトンネル工事まで、綿密に計画されている。工期をどれだけ短縮できるかは、皆の頑張り次第ではあるけれど――。

 

「土木工事は軍事に通じる。これもまた、士官教育の内なんですね!」

「手を抜くんじゃねーぞ。兵は見ている。指揮官が本気を見せるために、現場仕事をするというのは、有効な一手だ。限度を超えない範囲で、経験を積んでおこうぜ。――ですよね、モリー隊長?」

「ええ、ええ。もちろん、そうですとも。――うん」

 

 道路の舗装は、思ったより短時間で済んでくれた。この分では、早々にトンネルは開通するんじゃないかな。

 あちらはあちらで、メイル隊長をはじめとした、屈強な騎士がそろっているんだ。まあ、具体的に何か月後なんて、正確なことは言えやしないが。

 その後の整備には、いくらか時間はかかるんだろうけど、たぶんそこまで苦労はしないと思う。これで、クロノワークとゼニアルゼの交通の便は改善して、他国が侵略への価値を見出すことになるわけだ。

 諜報合戦が今も続いているなら、工事の進み具合も把握されているはず。どの辺りで仕掛けてくるかは、まだ様子を見る必要はあろうが――。

 クロノワークの方では、備えを整えているはずだ。ソクオチ王国の不穏な雰囲気については、余すことなく伝えられているだろうから、タイミングを見誤ることもあるまい。

 よって、私はギリギリまで贅沢を満喫できるわけだ。つるはしを振るう労働の喜びを、旗下の女騎士たちと共にする。

 いやー、心が洗われるね。最近、色々と仕事内容が厳しかったからね。何も考えずに身体だけ動していられる環境は、むしろ癒しだよ。

 

「正直、モリー隊長と肩を並べてつるはしを振るうのは、恐れ多いくらいですが」

「第一部隊長ともあろう者が、そうした態度でどうするのです。私が一番と認めたのですから、もっと不遜に接してもいいのですよ?」

「まさか。……クッコ・ローセ教官もそうですが、恩師に対して礼儀を省略するほど、ずさんな教育を受けた覚えはありません。どうか、最後まで敬わせてくださいよ。残り時間は、そこまで長くないのですから」

 

 現場での作業を続けながら、トンネル工事の合間に彼女らと言葉を交わす。

 実際、私がゼニアルゼの女騎士たちを指導できる期間は、限られている。非常事態にこじつけて、いくらかの延長はきくだろうが、どう長く見積もっても一年以上の滞在は難しかろう。

 

「体力を付けることです。こうした土木工事の作業は、鍛錬としても上質だ。……貴女方は女騎士として、兵卒を指揮する機会も、これからはあるでしょう。嫁ぐことがあれば、その先で家宰らの采配を任せられることもありうる。――その時のためにも、末端の作業に従事する者の気持ちを知っておきなさい。実感しているのといないのとでは、雲泥の差ですからね。こういうのは」

 

 なればこそ、口にする言葉も選ぶ。最後まで、彼女らの尊敬を失わぬよう、皆を傷つけぬよう、超然とした態度を貫こうじゃないか。

 

「はい、勉強させていただきます」

「大いに学びなさい。何よりも、貴女の人生の幸福のために。……今だから言いますが、今後、確実に命の危険が迫る山場があります。そこを乗り越えるためにも、出来ることはなんでもしてあげますから。だからどうか、タフになってください」

 

 異能生存体もかくやとばかりに、しぶとい存在になるべきで、そうしてあげたいと心から願う。

 教え子を思う教師の気持ちとはこういうものかと、ようやく私もわかるようになった。

 

「出来ることはしますよ、モリー隊長。ですから貴女も――我らを指揮できるうちは、出来ることをしてください。期待に応えたいと思うくらいには、付き合いも深くなったと思いますから」

「第一部隊長、言うようになりましたね」

「そろそろ本名で呼んでくれてもいいじゃないかと、そう思うくらいには、濃密な時間を過ごしてきたと思います。間違っていますか? モリー隊長」

「いいえ、いいえ。……そうですね」

 

 私はそう言ってから、彼女の名を口にした。フルネームで、心からの慈愛を込めて、教え子の名を呼ぶ。

 

「……モリー隊長」

「何でしょう?」

「責任は取ってくださいますか? 隊長の下に嫁げるなら嫁ぎたいって思う女子は、結構いるんですよ?」

「……聞き流してあげますから、結婚相手は親御さんと相談してください。地獄へ行くときには、道連れはいらない――と。私個人の意見としては、そう思ってますから」

 

 斜め上の回答が返ってくるとは思わなかったから、私の返答がアレなことになったのも、どうか責めないでいただきたい。

 母国の想い人たちが、ゼニアルゼの彼女らの気持ちを知ったなら、どう返すだろう。

 ザラ、メイルの両隊長は、メナ女史はどう思うだろう。クミン嬢なら、理解を示してくれるだろうか。益体もない妄想で思考を埋めることを許すくらいには、余裕があった。

 

 私モリーにとって、ありがたくない余裕ではあったけれど、切羽詰まった訓練ばかりでは精神にも悪い。

 これはこれで良い機会だったのだと、思い直す。――だからといって、最善手を取れるわけではないし、気持ちの整理をつけるのはそれ以上の難題だ。

 だからといって、目を背け続けるのもいい加減に限界だと、どうしようもなく理解していた。

 

「想いに応えるのも難しい。人間関係の清算とは、こういうことをいうのでしょうか。……まったく、どうやって片付けたものでしょうかね」

 

 つぶやきを聞いた教え子は首をかしげたが、どうかそのままでいてほしいと願う。

 私のみっともない姿など、彼女らには見せたくなかったから――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロノワークでは、ゼニアルゼからの多額の支援が入ったこともあり、騎士団内の雰囲気も随分と明るくなっていた。

 消耗品の補充にも不足がなくなり、雑務や事務を担当する部署が専用に作られる運びになったのも、資金援助の影響が大きい。

 これはある種、ゼニアルゼによる経済的な攻撃ではないのか――と、とらえる者もいるにはいたが、あまりに美味すぎる現状に甘んじているのが現実であった。

 

「休みが多すぎるのも考え物よね。新部署のおかげで、余計な仕事がなくなったのはいいことなんだけど」

「まあ、そうですね。――訓練を行うにも手順がいりますし、飛び入り参加はひんしゅくを買いますし。毎日毎日訓練漬け、なんて贅沢は通らないんですよね」

 

 メイルとメナは、ちょうど暇を持て余していた。本日の仕事は午前中で全て終わらせてしまっているから、駄弁る余裕もあるのだった。

 職場に酒を持ち込むわけにもいかないから、ビスケットとお茶を御供に、好き勝手に語り合う。

 最近は時間のつぶし方で困っているだの、以前から変化についての雑感など、一通り口にしてから――メイルは、一つの懸念をつぶやく。

 

「あー、そうだ。聞いた? ザラの奴、最近色々と凄いらしいわよ? 盗賊団とか犯罪組織とか、後ろ暗い連中をこの際一掃しようと励んでいるってね」

「私ら護衛隊がやっちゃうと、恨みが姫様に向くかもしれないからとか、どうとか。……せっかくいい時間つぶしのタネになると思ったんですけどねー。特殊部隊が羨ましいです」

「うん。止められた側としては、そうした気持ちもなくはないけど。――あんたも結構好戦的ね、メナ」

「……隊長も、ご同類でしょうに」

 

 ザラの活躍は目覚ましく、クロノワークの治安は大幅に改善しつつある、と言ってよい。

 もちろん彼女一人が奮起しているわけでもなく、個人の功績に全てが帰結するものではないが、彼女の働きは充分評価に値するものであった。

 とはいえ、そこまでやり尽くすことになった動機はと言えば、ひどく感情的なものである。

 

「モリーが無茶やらかしたこともあってか、八つ当たりの対象が欲しいんでしょうね。……彼女が帰ってくる頃には、落ち着いていると良いんだけど」

「ザラ隊長の機嫌ですか? それとも国内の情勢?」

「両方。私もねー、気持ちは多少わかるだけに、止めたくないのよね。時世の流れにも、ケチをつけたくないし」

 

 変化が多いと、世の中荒れるものである。ゼニアルゼからの援助がありがたいのは確かだが、その使い道やら部署創設の内務やらで、官僚たちは騒いでいる。

 メイル達の仕事に関わるわけではないが、ザラやモリーは気にするだろう。特殊部隊は、色々と気を回すことの多い役職であるから。

 

「まあ、荒れてるのは主にザラだし。今は見守ってあげる段階かしら」

「そうですねー」

 

 のほほんとした結論を出した辺りで、二人は茶を入れなおした。

 当の本人がやってきたのも、同じタイミングだった。噂をすれば影――と、モリーがいたならば言ったかもしれない。

 

「よう、暇そうだな。二人とも」

「ザラ、帰ってきてたの?」

「たった今な。――で、言付けを持ってきた。シルビア王女からだぞ」

 

 そう言って、書状を机の上に置く。簡易ではあるが、質の良い紙に、ゼニアルゼ王室の印が押されていた。

 そこに不穏なものを感じたとしても、メイルに落ち度はないと考えるべきだ。わざわざザラの手を介してくる以上、何かしらの意図があると思うのは仕方あるまい。

 

「怖い知らせじゃないでしょうね」

「ないさ。――まあ、あの方が突拍子のないことをやろうとするのは、いつものことだ」

「最近のザラと同じね。あんまり生き急ぐんじゃないわよ、まったく……」

 

 ともあれ、中身を確認しないことには話が始まらない。怖がりつつも見てみれば――きわめて穏当な。ごくまっとうな仕事の紹介であった。

 

「ふーん、トンネル工事なんてやるんだ。あっちでは先んじて進めているから、こちら側からは手伝い感覚で良い、と」

「モリーと教官がいるからな。あっちの女騎士たちの仕上がりは、上々らしい。シルビア王女も呆れるくらい、士気が高いと聞くぞ」

 

 断るという選択はない。せっかく暇を持て余していたところだし、ボーナスも出る好待遇だ。

 前線と違って、護衛隊では土木工事をやる機会もなかったし、久々にやりがいのある仕事になりそうだった。

 

「開通したら、あっちの連中とも顔を合わせるんでしょうね。――モリーがどんな顔で指揮しているか、見物させてもらおうじゃない」

「開通して終わりって話じゃないし、その後の整備は協力してやることになっている。そこそこ長い付き合いになるだろうから、くだらんことで問題は起こすんじゃないぞ」

「……私もメナも、そこまで馬鹿じゃないのよ。ザラ、貴女の方こそ、すっ飛んできてモリーに詰問とかやめてね? 話し合いは、正式に帰国してからになさい」

 

 メイルもザラも、モリーのことになると途端に感情的になる。良くも悪くも。

 そうした二人のやり取りをながめながら、メナは傍観者として、彼女たちの恋路を見ていることに気付く。

 

「あのお二人を狂わせるなんて。罪深い人ですね、モリー」

 

 眺めている分には楽しいからいいか、なんて。メナは、興味を持っている己を自覚した。

 人間関係はかくも複雑なもの。半分は理解できないままでも、知りたいことだけ知れればいい。

 モリーが誰を選ぶのか。あるいは、選ばないのか。いずれにせよ、その瞬間には立ち会いたいと思った。

 

「メナ、今何か言った?」

「いいえ、なにも」

 

 上司にして友人であるメイルを前に、メナは無表情の仮面をかぶり続ける。

 観察を続けよう。自分が面白いと思っている内は、気にかけてあげてもいいと、それくらいには、メナもモリーのことを意識していた。

 

 

 

 





 少しづつ事態は動いていますが、大きく動くまではまだ少し時間があるという感じですね。

 ソクオチ王国との戦いは、どこまで詳細にやるべきなのか。まだ結論が出ていません。
 たぶん、来年の私がどうにかするでしょうし、とにかく続けるのが一番大事だと思って、書き続けることにします。



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関係性の微妙な変化についてのお話


 定期的な投稿は、一度外れるとダラダラ長引いてしまうものです。

 なので、規則正しい投稿を心がけていきたいのです。

 では、どうぞ。ご期待に添える出来になっていればいいのですが。




 こんにちは、モリーです。

 割と唐突な再会に、驚いているのは私だけではなかったみたいで。

 

「あ、モリー。……奇遇ね」

「本当に奇遇ですね、メイル隊長。メナさんも、一緒ですか?」

「ええ、はい。まあ、何と言いますか。最前線でつるはしを振るってる辺り、貴女らしいと思いますよ。――誉め言葉ではありませんから。念のため」

 

 開通の瞬間に立ち会わせたのは、名誉なことなんだろう。割と調子よく掘り進んできた自覚はあるけど、早々に行き当たるとは思わなかった。トンネルの完成は、もっと先だろうと考えてたし。

 何より、その瞬間にメイル隊長らと顔合わせするなんて、想像もしていなかった。

 

「そっちはそっちで、よろしくやってるみたいね。モリーの方も、元気そうで何より」

「メイル隊長こそ、お元気そうで何よりです。メナさんも、相変わらずのご様子で」

「相変わらずとか言えるほどの付き合いはないでしょう。……馴れ馴れしい態度はちょっと引きますよ。注意してください」

「アッハイ。……すいません」

 

 ちょっと厳しくない? とか思ったけど、メナ女史とはさほど親しくないのも確か。

 うーん、自覚がないだけで、結構疲れてるね。言葉に乱れが出るのは、思考がそれだけ衰えてることを示している。

 調子に乗って、労働に精を出し過ぎたのかもしれない。そうと自覚すれば、即座に感覚を切り替える。生死が掛かっていないときは、どうしても反応が鈍くなるから困るね。

 

「まあ、アレです。せっかくの機会ですからね。開通後の整備は共同で当たるのですから、本日の業務を終わらせたら、一緒に夕食でもどうでしょう?」

「二言目には口説きにかかるとか、ちょっと自重してくれませんか。メイル隊長は最近色々と飢えてるので、不穏な言動はお勧めいたしかねます」

「メナ副長。口説くとか、深読みのしすぎですよ。――単純に、そちらとこちら、両国の女騎士たちの交流の機会を作りたいだけです」

「ああ、安心しました。酒を飲む機会ばかりが多くなって、気が抜けているのではないかと心配していたところだったので。――交流による連携の強化が主で、それ以外は些事であるとするなら、私としても受け入れやすいですね、はい」

 

 他意はありませんが、とメナ副長が付け加える。いや、彼女って、割とクレバーだよね。そうしたところも魅力だけど、それだけに対応にも真剣さが求められる。

 こちらから言い出したことだし、互いに益のある機会にしなければ、彼女の軽蔑を買うだろう。なればこそ、気は抜けなかった。

 

「ちょっと、メナ。誰が何に飢えてるって?」

「欲求不満であれやこれやと。ボーナス付きなのは良いんですけど、割と時間を食う仕事でしたしね。色々と溜まっていても仕方ないと思いますが……否定できます?」

「しない……けど、ね。でもオブラートに包んでもいいじゃない。――ああ、ごめん。モリー? お願いだから、深くは追及しないで」

「もちろんですとも」

 

 これは流すべきものだと思えば、さらりと忘れてあげるのが思いやりと言うもの。メイル隊長のたっての申し出とあらば、なおさらだった。

 ともあれ、仕事は一段落した。キリの良い所で切り上げると、クロノワークとゼニアルゼの女騎士たちで打ち上げの用意に入る。

 ごく自然に合同宴会への流れに入った辺り、両国の騎士の間には、そこまでの差異はないのかもしれない。いや、私らが鍛えたせいで、ノリがクロノワークの色に染まってしまったと見るべきか。

 良家の御令嬢を、シグルイ武士に変えたことについては、うん。本当に、親御さんたちに申し訳ないと思いました。まる。

 

「今となっては、罪深いことをしてしまった気がしません? 教官」

「おっ、そうだな。女性からの告白が絶えない身分で、良く言った。道を違えさせた自覚くらいは、あるわけだな?」

「そういう意味ではなくてですね! ……いや、まあ、そういう意味でもありますか」

 

 好意は嬉しいんですよ好意は。私も女の子は好きだし欲情します。おとこのこですから、体はこんなでも。

 ――でも、駄目。彼女らは、大部分が二十歳になるかならないか――くらいの若い連中なんです。現実とか、責任とかに目を向けると、どうしても二の足を踏んでしまうよ。

 

「他国人という、しがらみもありますし。彼女らの想いには応えられません。なので、ご心配には及びませんよ」

「ならばよし。しかし、拗らせて病む連中が出てこないことを祈るばかりだな。なるべく円満に振ってやれ。不利な注文かもしれんが、彼女たちの為にもな」

「……わかっていますよ。細心の注意を払って、傷つけずに諦めさせましょう」

 

 若いんだから、わざわざ狭い世界に閉じこもることはないと思うし、もっと見聞を広めて、多くの価値観に触れてほしいと思います。世知辛い話を別にしても、青い果実に手を出す趣味はないから、恋愛感情を向けられても持て余すんですよねー。

 

「ああ、こっちにもいたんですね。お久しぶりです、教官」

「ご挨拶が遅れて、すいません。教官も、お元気そうで何より」

「おう。メナもメイルも、立派にやってるみたいだな。ザラの奴はどうしてる?」

「あいつは勤勉に仕事をしていますよ。だいたい、いつも通りです」

「ザラ隊長、最近は勤勉過ぎて心配になるくらいですが。まあ、元気にやってるんじゃないですかね」

 

 身内同士で駄弁っているうちに、宴会の準備が整った。これくらいは任せても反感を抱かれないくらいには、日常的に個々の隊員との信頼関係を築いている。

 無論、それはメイル隊長らも同じ。お互いの上司と同僚が、似たようなノリで盛り上がれるなら、付き合うことに不備はない。交流としては、おおよそ理想的な形になっただろうか。

 

「それで、貴女。ゼニアルゼの……第一部隊長とか言ったっけ。モリーが随分と世話になったみたいね。有能な騎士がゼニアルゼにもいると思うと、頼もしいわ」

「そうでしょうとも。こちらも、クロノワークが盟友に足る実力を持っていることに安心しました。――いえ、モリー隊長を輩出した国家なれば、侮るべきではないことはわかっていましたとも」

「そうね、モリーは傑物よ。私が保証する。……ああ、護衛隊の隊長の言葉では、信憑性に欠けるかしら?」

「まさか。他でもない、モリー隊長が評価しているのです。それだけで、軽視すべきでない存在だと、確信するには充分でありましょう。違いますか? ねえモリー隊長」

「……私に話を振らないでください。バチバチやるのは結構ですが、禍根は残さないようにね?」

 

 もちろんですとも、とあの子は言った。言葉の中に、余計な力が入っている。どこか無理をして、張り合おうとしている雰囲気があった。

 彼女を第一部隊長に推したのは、それだけの能力があったからで、その責任を負って成長できると思っての人選だったけど、メイル隊長とは相性が悪いのかもしれない。

 

「禍根を残すようなヘマはしませんとも。――メイル隊長とやらの方は知りませんが」

「私? 私はモリーが困るようなことはしないわ。……第一部隊長殿は、モリーに随分世話を焼いてもらったんでしょう?」

 

 他国の重役相手に張り合おうとするのは、流石に空気が読めていないと思うべきか。しかし、こうした宴席では無礼講がまかり通る。

 なれば、彼女の挑発的な言動も、この場に限定するなら許容すべきか?

 

「ええ、ええ。貴女ほど優秀ではなかったせいか、随分と気にかけていただきました。――モリー隊長は愛情深いお方ですから、それはもう親切丁寧に手ほどきをしていただきましてね」

「へぇ、そう。それは良かったわね。出来が悪いことも、一種の資産なのかしら? ゼニアルゼのお嬢様は、いろんな意味で裕福なご様子で、うらやましいわ」

 

 どうして張り合うんですか二人とも! 特にメイル隊長、もっと大人らしく適当に聞き流してくれませんかねぇ……。

 これには私としても、口を出さずにはいられなかった。

 

「第一部隊長、とあえて言わせていただきます。――自重なさい。彼女らは、我々にとってのお客様です。もてなしに手抜かりがあってはなりません。言葉にも慎みが無くては、淑女とは言えないでしょう」

「……本名で呼んでくれないんですか? 寂しいです」

「私は反省を求めている。わからないなら今すぐ更迭させようか?」

「失礼しました、モリー隊長。メイル隊長、非礼をお詫びします」

 

 第一部隊長が、頭を下げて謝罪し、メイル隊長がそれをぞんざいに受け入れる。それで、この件は済んだことになった。

 

「結構。下がっていなさい。――後で個人的に時間を作りますから。その時は、貴女を名前で呼びましょう。ですから、今は我慢するように」

 

 私としては、身内をたしなめたつもりなんだけど、メイル隊長の機嫌は改善されていない様子だった。

 元凶はこの場から離れたが、あからさまに不機嫌な様子で、彼女は私に話しかける。

 

「手塩にかけて育てたらしいわね。可愛く思うのも、当然かしら?」

「いじめないでくれませんか、メイル隊長」

「どちらを? その子かしら。それとも、貴女? ――まあ、いいけどね。私と話すときは、肩書を抜きなさい。呼び捨てにされてもいいと思うくらいには、付き合いを重ねてきたつもりよ」

「おおせのままに、メイル様」

 

 そう言って、仰々しく一礼して見せる。まるでホストにでもなった気分だけど、今はこれで正しいのか。

 多方面のフォローに回らざるを得ない現状、私の役割としては、この態度が正しいと思うほかない。何はともあれ、全員が気持ちよく宴会を終わらせるまで、気を張り続けねばならないわけだ。

 

「せっかくの宴席です。皆も杯を持ったことですし、まずは乾杯して、後は流れで」

「そうね、モリー。ところで、音頭は誰が取るべきかしら?」

「……教官と一緒に、お願いします。二人でそれっぽい形にすれば、形式的には充分でしょう」

 

 どちらもクロノワークの騎士であることは、もう気にしないでください。ゼニアルゼの女騎士たちは、今やっと育ってきたばかりなんで、この場では格が劣る。

 シルビア王女としては、次世代に期待したい所なんだろうけど、たぶん私と教官の影響が強すぎるから、どうなるかな。

 次世代も模擬戦のアレコレを受け継ぐなら、脱落者が続出すると思うんだ。アレは私や教官が間に入っているから上手くいったようなもので、今の彼女らが引き継いでも不安しか残らないよ……。

 やりっぱなしで放置も出来ないし、こればかりは、私自身の手で調整しなきゃならんかなぁ。

 

「――そうそう、私の任期は、長く続かないものと思ってください」

「せっかくの宴席なのに、話す内容がそれですか? 名を呼んでもらっても、それでは喜びも半減です」

 

 乾杯の後、私は彼女の下に駆けつけた。それなりにフォローが必要だと思ったし、言葉を尽くすべきだと思ったからだ。

 まず最初の彼女の本名で呼びかけ、それから要件を告げたのだが、どうにも不評であるらしい。

 

「私は臨時の教官で、長きにわたって貴女の上官ではいられない。それを、わかっていてほしいのです」

「……もとより、覚悟の上です。忸怩たる思いですが、私などの力では、どうにもならないことでしょう。慚愧の念で、感情的になりそうですが、どうにか抑えて見せますよ。――その時は、笑顔で見送りたいと思いますが、もし泣いてしまっても、許してくださいね」

 

 それでも、伝えねばならぬことだったと思う。なあなあで済ませて良いことではないし、事前に知らせておかねば引継ぎにも問題が出るだろう。

 しかし、こうして教え子が悲しむ姿を見てしまうと、なかなか心にくる。

 

「……いや、あの。どうして、そう悲愴な顔で言うんですか。当然の帰結でしょうに。……まあ、何ですね。私も、貴女方のことは気にかけていますから。どうか、無理をしない範囲で頑張ってくださいね。――もし後輩の指導をすることがあっても、私の真似はしない様に」

「なぜです? 私としては、モリー隊長の薫陶を受け継いで、次世代に残していきたいと思うのですが」

「こら。貴方がそんな風では困ります。……人には、その人に見合った指導方法があり、個々人に適切な対処を行わねば、健全な成長は期待できません。しごけばいいと言うものではありませんし、やり過ぎては潰してしまいます。加減をわきまえること、まずはそれを理解することですよ」

 

 私らがあんな過酷な指導を課したのは、貴女方が優秀で、期待に応えてくれたからこそ。そして指導役が二人いて、隅々まで各員の状態を把握していたから可能だったんだ。

 表面的な部分だけを単純に真似てしまっては、脱落者がボロボロ出てきて二進も三進もいかなくなるだろう。

 私は別に、ゼニアルゼの次世代にまで責任を負う気はないけれど、悪影響を残してしまったとなると、いくらかの罪悪感は沸いてしまうからね。だから、これは忠告。

 

「はい。加減しながらしごいて、最終的にあのレベルまで持っていくべきだと、理解していますとも。何事も段階を追って、鍛錬を重ねていくのが正答でありますれば。――その辺りの塩梅をたがえては、失敗するのが常であると、そうわきまえております」

「ああ、うん、そう……。わかってるなら、いいかな」

 

 よく考えると、シルビア王女はそれを喜ばないんじゃないか――と突っ込みたかったけど、ぐっと堪える。死狂い騎士の供給を拡大しても、次世代では需要がなくなってるかもしれない。

 だから加減してやれとも言いたいのだが、生ぬるい訓練に意味がないのも確か。

 ……責任を取れる範囲にも限界があるし、これ以上踏み込むのも不合理と言うものか。あきらめて、適当に話を合わせることにしよう。

 

「不安はありますが、後のことは任せます。何かあれば、書簡でもいいですから、相談に乗りますよ」

「手紙を送ってもいいんですね! はい、もちろん。その必要があれば、ぜひ頼らせていただきます」

 

 アドレスを教えたのは、早まったかな? なんて思わないでもないけれど、彼女たちの成長の糧になれると思えば、許容すべき範囲だと容認できる。

 まったくもって、教官職は厳しいものだと思い知ったよ。……そうして、教え子にばかり気を取られてもいられないのが、ホストの辛い所です。

 

「モリー? そろそろこっちにも目を向けてほしいんだけど」

「そうだな、いい加減こっちの席につけ。お前は本来、クロノワークの騎士なんだからな?」

 

 メイル隊長と教官に請われては、答えぬわけにもいかず。色々と後ろ髪を引かれる思いで、彼女らの下へと赴く。

 第一部隊長こと、私が見出した子はただ一礼して促した。やればできる子なんだと、改めて思う。

 そうした控えめな気遣いを教えたのは私で、この子はそれを見事に体現して見せた。そこまでされては、未練を引きずるのはかえって非礼というものだろう。

 

「――教え子と話している途中だったんですが、お呼びとあらば是非もありませんね」

「ご苦労だとは思いますが、どうぞこちらへ。メイル隊長と教官がお待ちですよ」

「いえ。貴方も大変ですね、メナ副長」

「別に。むしろ楽しませてもらっているので、お気遣いは結構」

 

 何か引っかかる言い方だけど、今追及している余裕はない。

 ……うーむ、それはそれとして、教官もメイル隊長もすでにワインを空けていた。さては酔っていますね? いつものことと言えば、いつものことだけど。

 

「よしよし、まずは駆けつけ一杯」

「私らよりゼニアルゼの方を優先するなんて、貴女らしいわね。いえ、姑息になったというべきかしら? こちらは後回しで大丈夫って、確信していたんでしょう?」

 

 私は焦らず、教官から受けた杯を飲み干すと、メイル隊長と向き合って言う。

 

「はい。その通りです」

「――否定しないのね。これは意外」

「むしろ、ゼニアルゼの女騎士たちを優遇しない理由があるのでしょうか? 彼女たちのお世話が、私の仕事なのですから」

 

 メイル隊長は、からかい半分で難癖をつけてきたのだと理解している。だから、極めて事務的に対応した。

 それで通じる相手だと、お互いにわかっているからこその言葉だった。いや本当に、それくらいの付き合いはあると思ってるからね。……たぶん。錯覚じゃないことを祈ります。

 

「あっちでも、貴女は貴女のままで、上手くやってるってことかしら。――無用な心配だったみたいね?」

「心配させてしまいましたか? 確かに、新兵の教導はいささか苦労しましたが、そこまで疲れる仕事でも――」

「盗賊団へのカチコミについて。……たぶん、貴女が、一人で、やったのよね? 心配するわよ、当然」

 

 ……痕跡を消す時間も余力もなかったからね。驚きはあるけれど、顔には出さない。

 もっとも、よく私とそれを結び付けられたものだと思うけど。まあ、後始末は雑にやっちゃった自覚はあるんで、情報を精査すれば十分可能だったのか。

 

「ああ、わかりますか。――いえ、ちょっと。せっかくなので、教官への土産にと思いまして」

「あの手の土産は、もういらんぞ。割と真剣にな。……嬉しくなかったとは言わないが、心臓に悪い」

 

 この件については、ザラ隊長も把握しているというか、あの方が見つけてこられたみたいで。

 帰ったら絶対追及されるから覚悟しておきなさい――と、ありがたい言葉を賜りました。

 

「私は別段、不安なんてなかったけどね。モリーは控えめに見積もっても、私と同等の力があるんでしょうし、頭は私以上に回るでしょう? なら心配するだけ損じゃない。むしろ手柄を褒めてあげるべきじゃないかしら」

「それこそがまさに、ザラ隊長とメイル様の相違というものでしょう。私はあの方の右腕に等しいと、そう確信できるだけの付き合いはありますから。……右腕が勝手に動いて傷ついたら嫌でしょう? それは、そういうことです」

「相違! まさに相違ね。……私なら、モリー。貴女を甘やかしてあげられるわよ? 教官やザラみたいに、わかりにくい理解を示したりしない。率直に褒めてあげられる」

 

 都合のいい女になってもいいと、メイル隊長は言った。

 えぇ……? 貴女、そんなキャラじゃないでしょ? 目の色が真剣なだけに、軽く受け流せない重さがある。これは、どうしたことだ……?

 

「重婚と同性婚の件が流布したみたいでな。――あの王女様のこと、意図的にやっていたとしても驚かんが」

「教官、きょおかん! そこはあきらめる場面じゃないでしょう?」

「何が出来る。天才に翻弄されるのが凡人の常だ。――まあ、いいじゃないか。メイルもザラもお前を好いている。受け入れるのも一手だ」

「あと一手で詰みだって言いたいんですか、そうですか。……あの、冗談ですよね」

 

 教官は目線を明後日の方向にやりながら、ため息をついた。

 そしてメイル隊長は、私にしなだれかかる。良い匂いと微妙な体重のかかり具合が、私を興奮させてくれる。ちょっと自重してくれませんかね、いい加減危ないんですがそれは。

 

「何が冗談なのかしら。私は本気だけど」

「メイル隊長は、錯覚を楽しんでいるんですよ。そうでしょう?」

「どうかしら。こうして感じる体温も錯覚? 真摯な貴女の態度も、言葉も、全てが偽りなのだと思うべきかしら?」

「いいえ、いいえ! ――私は、本気で警告をしているのです。寡婦になりたくないのなら、私など選んではなりません。いずれ、私は死ぬのです。長生き出来ぬ身と、己を見定めています。なればこそ、メイル隊長はしかるべき殿方を選ばれるべきだと――」

「いないわよ、そんなの。……私もね、考えなかったわけじゃないのよ。不毛な恋は忌むべきで、建設的な相手を求めるべきだって正論もわかってる」

 

 メイル隊長は、ワインの入ったグラスを回しながら、その香りを楽しんでいる風だった。

 けれど、その顔には諦観と悲しみが見て取れて。

 

「お口に合いませんか? そのワイン」

「アルコールに違いはないんだし、酔う分には問題ないでしょう。香りだけは良いから、長く弄びたくなるのよ。……誰かさんと、同じね」

「その、それは」

「言わないで。酔わせてほしいの。――不毛? それが何。私自身の幸福について、貴女が語る資格はないわ」

 

 メイル隊長の口調は、これまでに聞いた事がないほどに真剣だった。

 私自身、心臓の鼓動を自覚するくらいには思い詰めて接している。これは、なあなあで済ませられる話ではない。それがわかるだけに、正面から向かい合う必要があった。

 

「早まってはなりません。勢いと流れで、過激な言葉を使いたがる気持ちは、理解できます。――ですが、後になって苦しむのは貴女自身ではありませんか」

「モリー。その気遣いの残酷さについて、自覚はないの?」

「……お許しください。私は、誰も道連れにしたくないのです。ただ一人、孤独に死ぬべきだと思うのです。遠くない日、私はこの命を手放す時が来るでしょう。……私のために殉じることなどないと、心から願うがゆえに。どうか、私に愛情など向けないでください」

 

 都合のいい存在として、使い潰される分には、私は嬉しく思っていますからと。

 心からの本心を、メイル隊長に伝えた。それが正しく伝わっていたかは、わからないけれど。

 

「重症ね、これは。私だけでは、癒せないのかしら」

 

 彼女から譲歩を引き出せたなら、まだしも上等だと思う。メイル隊長の感情は、きっと乱れているのだろう。何かしら、嫌なことがあったのかもしれない。

 その逃避先として、私が選ばれたというのであれば、むしろ栄誉と言うべきだけれど。でも、人の選択が常に正しくはあれないように、迷いから間違いを選ぶことも、ままある。

 ――私で間違う必要なんて、ないんだ。本当に。

 

「メイル様。貴女はきっと、近いうちに運命の相手と出会えるでしょう。私などで妥協することはないと、思います」

「……教官。モリーの言葉の方がよっぽど戯言っぽく聞こえるんだけど、これは私が可笑しいのかしら」

「可笑しくはないさ。モリーほどの男を探すことの方が、よっぽど難しいだろうよ」

 

 私、女なんですが――って、今さら言うことじゃないよね。そもそも私自身、女としての自覚よりは、男としての感覚の方が強いし。

 だからこそ、周囲の女性たちを惑わしているのであれば、余計に罪悪感を感じてしまう。

 

「他に選択肢はいくらでもあるでしょうに」

「モリー、貴女は唯一無二よ。私がそうであるように、他人の代わりなんていないの。わかってくれると、嬉しいのだけれど? ――私は、あきらめてないから」

 

 私は応えられなかった。ただ誤魔化すように、杯をあおる。

 こちらの気持ちを察したのか、メイル隊長はそれ以上追及はしなかった。教官もそう。

 

「で? 結論は先延ばしですか」

「メナ副長、もうちょっとデリカシーというものをですね」

「女の敵、女々しさの極致のヘタレが何か言ってますね。……それで、誰を選ぶんです? メイル隊長ですか、教官ですか、それとも別の誰か?」

「……あの、その、ちょっと、即答は出来かねますので。どうか、いじめないでください」

 

 メナ副長の追及から、私は言葉だけでなく視線もそらして逃げる。彼女なりに、私に対して含むところがあるんだろう。

 己自身の、もやもやした感情を口にするのは難しい。私だって、彼女らの思いを受け止めたいものだよ。でも安易に抱き止めていいものでもないと、わかっているんだ。

 

「モリー。すぐに決めなくていいし、誰を選ぶのも、あるいは本当に何も選ばずに済ませるのも、お前の自由だ。――だが、覚えて置いてくれ。私もメイルも、お前になら選ばれてもいいと思っている」

「あの、それは……」

「ここまで踏み込んだ話をするのは初めてだが、そうだな。――そういう気分になってしまったのだから、仕方がないと思ってくれ。ああ、やはりどうかしているな、今の私は」

 

 冗談とか、気まぐれの言葉であるとは、とても思えなかった。口調は軽いが、そこに乗っている感情は重い。

 教官がそうであるなら、メイル隊長もそうなのだろう。私は今、岐路にいるのか。

 

「……私は、己の生き方を変えられません。変えてはならぬものだと、そう思っています」

「今は聞くまい。それでいいな? メイル」

「ええ、今は。――せっかくの宴会なんだし、辛気臭い話はやめましょう。モリーの部下になっている連中も呼んで、あれこれと活躍を聞いてみましょうか。きっと、いい酒の肴になると思うんだけど」

 

 その後は、ゼニアルゼの女騎士たちも交えて、楽しい話が出来たと思う。

 私の活躍というか、訓練風景を語られるのは結構恥ずかしかったけど、これくらいなら許容範囲内。

 

 ……問題は、私自身と彼女らとの距離感を、今後も維持していくべきかどうか、ということ。

 選ぶ? 選ぶって何さ。私が誰かと一緒になって、生涯を共に過ごすとでもいうのかい?

 そんな割の合わない投資に、他者を付き合わせてどうする。ましてや、私が好意を抱いている、素晴らしい女性たちを巻き込もうなどと。

 

 納得も、結論も、いまだ遠いように思える。私の価値観が大きく変わる様な、そんな大きな出来事でもない限り――。

 いや、そんな発想自体が、甘えなのか。……私は変わるべきなのか。変わらねばならないのか。

 変わるとして、それが誰のためになるのか――。宴で盛り上がる周囲とは裏腹に、私はそんなことばかりを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザラとクミンとの間には、本来何も接点などなかったはずである。

 顔を合わせる機会があったとしても、互いにその他大勢の中に埋もれる程度の付き合いになっていただろう。

 特殊部隊隊長と、ただのハーレム嬢の間には、比べるべくもないほどの違いが横たわっている。――本来ならば。

 

「……なるほど、なるほど。よくわかったとも。シルビア王女の意向は、すべて理解したと伝えてくれ」

「理解した、と。それだけですか?」

 

 ザラは、非公式な形ではあるが、シルビア王女から様々な情報を得ていた。といっても、今回の主題はモリーのこと。

 彼女の近況と、これからの扱いについて、正式な上司であるザラに話を通しておこうと思ったのだろう。

 シルビア王女なりの気遣いとも言えようが、同性婚と重婚の許可については、挑発としか思えなかった。

 

「まだ言葉が必要か? ――そうだな。ならば、もう一言。『相手を見て言え』、以上だ」

 

 ザラは一滴も酒を飲んでいない。素面のままで、そう言った。

 クロノワークの風俗店(いくら高級であれど)で、ソフトドリンクだけで粘る手合いは、どうしても奇異の目で見られるものだ。

 もっとも、本当にただの情報交換のために訪れたのだし、当人は気にしていないのだが。

 

「いささか挑発的に過ぎると思うのですがそれは」

「挑発してきたのは、あのお方の方だ。モリーとそれに連なる人材を、諸共に引き抜こうとしているんだ。反応が剣呑なものになっても致し方あるまい」

 

 ザラは、モリーに同性婚と重婚の許可を与えることを聞いた。挑発でなければ、一種の政治的攻勢である。

 功績を立てた上でのことだと、一応の建前はあるが、彼女ならば難なくこなすであろう。それゆえに心穏やかではいられない。

 

「必ずしもそうなると、決まった訳でもないでしょうに。権利はあくまでも与えられるだけ。使わない自由は当然あります」

「私は最悪の事態について懸念している。お前にはわからんかもしれんが、これは明確な引き抜き行為で、ゼニアルゼがクロノワークに対して、明確な政治的影響力を及ぼした一例になる。……モリーは特殊部隊の副隊長であり、私の右腕だ。それをゼニアルゼ限定で自由を許すというのだから、色々と邪推するのは仕方がないことだろうよ」

 

 何はともあれ、シルビア王女は全てを理解した上でモリーに粉をかけている。

 まさか女として求めているわけではあるまいが、有能な人物を内に取り込むためであれば、どんな手段を取っても可笑しくはない。ザラはシルビア王女を過小評価しない。

 

 もし、モリーがあれこれの権利を活用することを望むなら、当然彼女はゼニアルゼの女騎士になるしかない。現実的な身分がどうあれ、心はあちらに傾くだろう。

 そうすれば、伴侶共々シルビア王女の手の内だ。引き抜き、と表現したのはそういうことである。

 あえて、権利を行使しないという道が残されているとしても。彼女の周囲の近況を聞く限り、どう転ぶかわかったものではない、というのがザラの感想だ。

 

「邪推と分かっているなら、おやめになったらいかがです? シルビア様は、話が分かる統治者ですよ」

「己に利益がある場合においては、そうだろうよ。――まあ、いい。わざわざ不穏な方向に、話を持っていく必要もあるまい。情報提供、感謝する」

 

 ザラは、もう必要なことは聞いたとばかりに、席を立った。だが、それをクミンが押しとどめるように、声を掛ける。

 

「もう少し、話していきましょうよ。……具体的には、モリーに関して」

「チップが少なかったのかな。追加で出せるのは、小銭くらいだが」

「そんなに卑しく見えますかね、私。――単純に、彼女の話をしたいだけです。他意はありません」

 

 どうだか、とザラは肩をすくめつつ、席についた。

 一度腰を上げながらも、再度話を聞く態勢に入ったのだ。ぜひとも意義のある話し合いにしたいものだと、ザラは思う。

 

「少しだけ、だからな。……で、そちらから振った話だ。話せよ」

 

 ソフトドリンクの追加を頼んで、ザラは言った。払いはお前が持てと、言外に示しながら。

 

「ドリンクが飲み終えるまでで結構ですよ。――例の盗賊団について、情報を集め、与えたのは我々です。料金の範囲で、それくらいの便宜は払ってやるようにと、シルビア王女からの命令もありましたので」

「それで実際に集めて知らせるのもどうなんだろうな。場合によっては、ウチの女騎士を嵌め殺す策略のようにも見えんか? ……モリーでなければ、生きて帰れなかったろう」

「不穏な行動であった、とおっしゃりたいのでしょう。危険性については、我々も認識していましたがね。……まさか、当人が単独で乗り込むと誰が考えます? 普通、作戦行動のための情報収集だと思うでしょう?」

 

 帰国次第、人員を集めて襲撃するのだろう、とクミンは思っていた。そうでなくとも、何かしらの対策を立てるためにも、情報は必要だったろう。

 しかし、結果はと言えば、盗賊団の単独撃破である。直前に会って誤解だと分かったが、そんなもの事前に予測しろという方が難しい。

 

「モリーの人となりを知らなければ、わからなくて当然か。責める方が間違いだと言われれば、まあそれはそうだな」

「――そこです」

「うん?」

「彼女、ひどく歪な精神をしていますよね。妙に男らしいというか、女騎士というより死に急いでいる兵士のような。……何というか、同じ人間の女であるという気がしません」

 

 追加で運ばれてきたドリンクをちびちびやりながら、ザラはクミンをうろんな眼で見た。

 こいつは何を知りたいのか。その真意を聞かねばならぬ。

 

「何が聞きたいんだ、お前」

「モリーという人間の本質について。――というのは冗談ですが、個人的な興味ですよ。彼女、性欲とかあります?」

「……本人に聞け」

「なるほど、手を出されてはいない、と。我慢強いのか、別の形で発散しているのか。どちらでしょうね」

 

 貴女との関係は、言葉を濁して、ドリンクを一気飲みする時点でわかりますよ――とクミンは言った。

 その通りだから、彼女は黙っていた。娼婦の常として、恋愛事情を察する技術だけは長けているらしい。その賢しさが、ザラの癇に障る。

 

「死にたがりは、その不安を誤魔化すために女を抱くものですけれど」

「あいつは死を恐れていない。忌避してはいるだろうが、本質的な部分では受け入れているような感じがする。……戦って死ぬことを、当たり前のこととして生きている奴だ。不安を誤魔化す必要など、どこにもあるまい」

 

 いきなり饒舌になるザラを、クミンは興味深く見守っていた。

 嫌われているな、と剣呑な雰囲気から察しても、それより興味の方が強く、話を続ける。

 

「私が調べた限りでは、モリーはたぶん同性愛者。しかし、女性を抱いた経験はない。もちろん男と関係を持ったこともない」

「そうだが? それがどうした」

「不自然でしょう? 性欲のない人なんていません。生死にかかわる仕事についているなら、なおさら。……貴女はそれを、どうとも思わなかったのですか?」

「下世話な奴め。モリーは、不純な欲望を女性にぶつけるような奴じゃない」

 

 紳士なんですね、とクミンは言った。

 そうだな、とザラは肯定した。話はここまでだとばかりに、席を立つ。

 

「もういいんですか?」

「不毛な時間は、ここまでにしよう。――できれば、二度と会わないことを祈る」

「儚い望みでしょうね。だって、モリーは絶対、私の元に来るんだから」

 

 続きは生還してから、と。きちんと約束しましたから。

 クミンは勝ち誇ったように、そう言った。

 

「貴様――」

「貴女に出来ないことを、私は出来ますよ。いいでしょう? 別に。私と彼女の間に、割って入るような理由もないはず。違いますか?」

 

 ザラは、顔をゆがめて、無言のままにその場を去った。

 顔をゆがめた理由は、嫉妬か羨望か。いずれにせよ、健全なものではあるまい。

 

「……ちょっと、からかってやったつもりだったのに。反応が愉快過ぎて、本気になりそうですね、どうも」

 

 クミンは、己の感情に正直に生きている。

 モリーに恋愛感情を持っているわけではないが、仕事上、あらゆる性癖に対応する術は身につけている。

 

「シルビア王女からも、モリーと親しくなるようにと、通達が来ていますし。心配した分のお返しを含めて、やり込めてあげましょう。……その時が楽しみですね、実に。ええ」

 

 見返りがあるならば、一時、彼女に身を任せるのもいい。そう思うくらいには、興味が惹かれる相手だった。

 その上、からかい甲斐のある人物まで付いてくるなら、モリーと付き合うのもやぶさかではないと。クミンは、不敵に笑うのだった――。

 

 

 




 微妙に関係が進展したところで、続きます。
 ソクオチとの戦いは、そろそろ始まる頃合いでしょうか。

 次の話で、唐突に戦争が始まったりするかもしれませんが、それもノリと勢い次第です。

 では、また。月末には続きを投稿したいと思います。



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ソクオチが即落ちする直前のお話


 まだ見直しやら修正やらが足りない気もしますが、とりあえず出来たので投稿します。

 後で大幅な修正が入ったりしたら、すみません。
 それでも、定期的な投稿から外れることの方が、私にとっては恐ろしい事なのです……。




 こんにちは、モリーです。どうしてかはわかりませんが、今、シルビア王女のお茶会に招かれています。

 不遜や無礼も、一周回れば芸の領域だとか、そんな風に考えてたりしませんよね?

 

「……この度は、お招きにあずかり、恐悦至極に存じます」

「そう固くなるな。余人を交えぬ、水入らずの一時だ。少しはときめいてもいいのではないか? ええ?」

「そうですね、シルビア王女。……そこな大臣殿がいなければ、そうした気持ちに答えるのもやぶさかではありませんが」

 

 なんというかねー、わざわざこの場に引っ張ってこられた大臣殿には、同情するよ。いやいやマジで。

 理由は知らんけど、王女様のことだから、単なる余興で呼びつけたとしても驚かないよ。

 

「こちらとしても、若者同士の会話に参加するには、いささか辛いのですが。今からでも退室させていただけませんかな?」

「おい、しらけるようなことは言うなよ。わらわはお主を買っておるのだぞ、大臣。手腕はともかく、その人格は得難いものだ。――というわけで、そこに居れ」

「聞いてみただけです。……ああ、我が国の将来が不安でなりませぬぞ」

 

 用意された茶も菓子も、たぶん上等なものだと思うのに、まったく味が楽しめない。どうにも、緊張感で頭の働きがそっちに傾いてしまう。

 わざわざ私を呼ぶ必要性についてはともかく、シルビア王女の思惑がわからない以上、まずはあちらから仕掛けてくるのを待とうじゃないか。被害者同士で、共感を示し合うのが一手。

 

「大臣とは、久々の顔合わせになりますね。お元気でしたか?」

「ええ、まあ。……どこかの国の王女様が、物騒な策謀を巡らせてなければ、もっと健康的に過ごせたのですが」

「お労しい。身近にいればこそ、気苦労も多いのでしょう。お察しいたします」

「ああ、そう言ってくださいますか。……いたわりの言葉をいただく機会も、最近はめっきり減ってしまいましてなぁ」

 

 いやまったく、誰のせいでしょうなぁ――と、大臣は余計な一言を付け加えてくれました。彼は、軽いジャブみたいなつもりで言ったんだろうか? 結構軽い感じで言う。

 これが誰に向けての言葉であるか。私は元より、当人にだってわかるだろうに。でも、シルビア王女は悪びれない。

 

「二人だけで盛り上がるな。わらわを放置して悪口合戦とはようやるのう。――特に大臣、性格変わっておらんか? お主はもう少し、情けないというか気弱というか、そんな印象だったのじゃが」

「遠慮しようがしまいが、シルビア王女が傍若無人なお方であることに、変わりはありません。……貴女に接しているうちに、神経が太くなってしまったのでしょう。人は環境に適応する生き物ですから、色々と感化されても不思議はありませんな」

「おう、そうか、成長したな。わらわに感謝しても良いのだぞ?」

「ジョークも大概にしていただきたいものですなぁ。――はは」

 

 大臣の乾いた笑いは、どこか皮肉気だった。これにはシルビア王女も表情をゆがめて、咎めるように言う。

 

「ユーモアのセンスがないのは、残念ではあるな。おい大臣、苦言があるなら聞いてやるから、皮肉気な態度はやめよ。……お主には似合わぬ」

「左様ですか。そろそろ、この茶会に意味を見出したい所なのですが、よろしいですかな?」

「茶会は茶会よ。持って回った言い方をして、雰囲気を重くすることもあるまいに」

 

 大臣殿は口調を整え、シルビア王女に厳しい視線を向ける。

 あの人も、結構鍛えられたんだろう。あの王女様、有能な人はとことん使い倒す方針だからね。

 そのうちに彼女の傲慢さにも慣れて、割り切った態度もとれるようになる。大臣が耐性を付けて、図太くなられたのなら何よりじゃないかな。ある種の同志と言ってもいいかもしれないし、私の方からも助け舟を出してみよう。

 

「申し上げます。まずは、趣旨を話していただきたく思います。――でなくば、他愛のない無礼講の場として、適当に駄弁るだけになるではありませんか。そうでしょう? 大臣」

「はい。そうですとも。それがゼニアルゼ式茶会の作法と言うもの。……ああ、シルビア王女はまだ日が浅うございますから、この手の作法に無頓着なのは、致し方ないのかもしれませぬが」

 

 嘘をつけ、と突っ込みたいですよね、わかります。

 シルビア王女、完全に胡乱な奴を見る目に変わってる。でも、呆れて見せるのは一時だけ。一度頭を振ってから見せた彼女の顔には、有無を言わせぬ迫力が宿っていた。

 

「では、わらわが趣旨を述べる。――良いな」

「良くない理由などございましょうか。――どうぞ」

 

 で、あっさり追従するあたり、大臣殿もいい性格をしている。

 まあ、そうでもないとこれからのゼニアルゼの宮廷では、やっていけないと思うし。全然悪くないよ。私を巻き込まなければ。

 

「ゼニアルゼとクロノワーク、両国の軍事同盟の話だ。特に、いずれかに攻め込まれた場合の話でな」

「茶話にしては物騒に過ぎますし、時機としても逸しておりまする。……すでに同盟の詳細は詰められており、両国で共有しているではありませんか。議論の対象としては、不適切と考えますが」

「そう慌てるなよ大臣。今さら一つ一つの条項を検討したり、変更を求めたりするつもりはない。将来的には別であるが、そういう意味でなくてな」

「と、申されますと?」

 

 なんだかんだで、大臣殿とシルビア王女との相性は悪くないね。なんとなくだけど、会話の引き出し方を心得ているみたいだ。

 

「ゼニアルゼの老練な政治家と、クロノワークの現役武官の見識を求めたいのよ。――仮に、ソクオチなどがクロノワークの国境侵犯を行った場合、我が国としては如何に対処するのが最適であると思う?」

 

 同盟国に敵国が攻め込んできた場合の話だ、とシルビア王女は言う。援軍として駆けつけるのは確定としても、具体的な方法について語り合いたいんだろう。

 ……話は分かったけど、大臣殿はいいとして、私がそれを語る意味はどこにあるのか。深く考えると怖くなるから、あえて方法論だけに集中しよう。

 

「ゼニアルゼの大臣としては、侵犯された状況によると答えます。我々がいつそれを知ることが出来たか、敵国がその時点でどこまで踏み込んでいるのか。交戦や略奪はあったか、クロノワークはどこまで反応できているのか。……検討すべき事柄は数多くあります。確たる情報のない第一報の時点では、準備を整えるのがせいぜいではありませんかな」

「堅実で常識的な回答じゃな。期待通りの役目ご苦労。――さて、次にモリー駐在武官の意見を聞こうか」

 

 大臣が全部言ってるんですがそれは。え、何? 他に付け足すべきことってある? あるとしても、貴女にとっては全部些事でしょうに。

 

「常識的でない意見をご所望ですか?」

「もちろん。わらわが知りたいのは、能動的な行動よ。仮に、こちらに都合の良い状況を想定するのであれば、いかに動くべきか。今のうちに意見のすり合わせをしておきたいな」

 

 意見の方向性さえ見えているなら、話は早い。王女様が私に言わせたいことは、透けて見えている。だから、期待される返答を用意するのも、容易いことだ。

 

「では無難な意見は言われてしまいましたので、それ以外について語りましょう。……敵軍の国境侵犯を、その直前で看破し、即座に反撃できるだけの戦力がクロノワーク内にあった場合について。――念のため申し上げますと、この戦力とはゼニアルゼ軍を差します。何らかの理由で、クロノワーク内にゼニアルゼの軍隊が駐留していて、何故か私がその指揮を執っているという状況ですね」

 

 あえて一呼吸置いたが、二人とも私の言葉を遮らなかった。非現実的だって言われたら、意見を引っ込める口実になったのに。

 大臣殿は明後日の方向を見やって、茶をすすっている。完全に傍観する態勢で、シルビア王女の方は、にやにや笑いながら続きをせっつく。

 

「聞いてやろう。その仮定のまま、話すがいい」

「はい。……私に色々な物事を即決する権限があったとしたら、直接侵犯した軍隊はクロノワークに迎撃させます。あの国の防衛体制はガチなんで、他国が侵入なんぞしてきたものなら、即返り討ちです。諸々の情報さえ伝えたら、後は勝手に仕事をしてくれるでしょう。後顧の憂いがなくなれば、次にすべきは報復です」

 

 物騒に聞こえるだろうけど、国家間の争いでは、舐められたらやり返すのが基本。ここで強気に反撃に出て、戦争など割に合わないと実感させねばならない。そうしてやっと、外交的にも妥協点が探れようってものだ。

 しかし、それには勝利という実績がいる。その示し方は、鮮烈であればあるほどいい。具体的には、国都が落とされた、とかどうだろう。宣伝を考えれば、これくらいの衝撃が欲しいとも思う。

 

「報復か、良い響きだ。やられたらやり返す。当然のことだが、やり方はいろいろある。モリー、お前ならばどうする?」

「無論、タダでは済ませません。ふんだくるためにも、殴り倒してマウントを取る必要があります。その為には、傍目にも華々しい勝利があればよろしい。欲を言えば、敵国側にも大失態を犯してもらいたいところですね。――第三者から見ても、擁護不可能なほどに」

「……聞こう」

 

 シルビア王女は、姿勢を正して私と向かい合う。

 真剣に傾聴する態勢だ。そうと雰囲気で察せられる。ならば、私としては真摯に応えるまでだった。

 

「鮮烈さを強調するなら首都強襲、これが一番効くでしょう。きわめて迅速に軍隊を移動させ、ソクオチの首都まで部隊を詰めさせます。ここでは具体的な方法は述べません。意味がありませんから」

「その意図を聞こう」

「私が指揮する軍隊の規模、人員の性質、時期によりますので。最低限の量と質さえ保証してくださるなら、どうにでも出来ますよ。それくらいの訓練も経験も積んでいますから、その点は疑わないでください」

 

 じゃないと、話が進まないからね! ……実際、私には自信がある。他の国であれば別だけど、ソクオチは情報が充分すぎるほどにそろっている。

 活用の仕方さえ間違えなければ、少数の軍隊を忍び込ませるくらいはやりましょうとも。

 私は前線指揮官として、必要な資質はおおよそ備えているつもりだ。特殊部隊の副隊長っていう肩書は、飾りじゃないんだよ。

 

「わかった。続けよ」

「首都に部隊を入れさせたら、その時点で勝ったようなものですが、より大きな結果を求めたいですね。王なり王太子なりを人質にとって、盤外戦術による勝利を得るのが最善ではないでしょうか」

「国境での戦闘がどうあれ、その時点で勝利間違いなし。ゆえに盤外戦術、と称すか」

「クロノワークが敗北するとは思えませんが、ソクオチ側の被害が十分でない可能性はあります。敵戦闘力の撃破が戦いの目的なのですから、そこを欠いては見せしめになりません」

 

 一度勝った相手には、未来永劫抵抗できぬだけの損害を与えるべき。私はその本心を述べる。

 

「見せしめとは、いささか物騒な物言いよな」

「王族は身内の被害を重視するもの。末端の兵がいくら死んだところで実感などしません。……なので、負けを認めさせるためにも、王か王太子の身柄がいるわけですね」

「身柄を抑えて、敗北を認めさせる。やった方の外聞も悪いが、国の重鎮を守り切れなかったソクオチ側の方が愚かに見えるであろうな」

「付け加えると、ソクオチのみっともない負けっぷりを宣伝するためにも、首都の混乱は大きくすべきです。その辺りの工作は、小細工に類するものですが、ダメ押しにやっておいて損はありません」

 

 殺すのも手だけど、やり過ぎると禍根を残しかねない。将来、ソクオチを併呑するつもりであれば、恨みはなるべく解消しやすい範囲に留めるのが肝要。

 

「うむ、うむ、良いぞ。それが可能であるなら、わらわとしても異論はない」

 

 この点は、シルビア王女も同意してくれた。ただし、確実に実行できるという確証が欲しいのだろう。

 口には出さずとも、その瞳が詳細な作戦内容を求めているようだった。彼女の眼光は、実戦を前にした将軍の様に、剣呑なモノが宿っている。

 

「身重の身でありながら、どうしてこう、物騒な話を好まれるのでしょうか」

「身重うんぬんは関係ないのう。わらわには、こういう生き方しかできぬ。やりたいこと、出来ることを自重しようとも――まあ、ちょっと考える場合もあるが、やり通すことに変わりはない」

 

 シルビア王女は、怯む気配もない。この人はこういう方で、きっと一生変わらないんだろうなぁ。

 そうと思えば、ここからさきは軍略を語るべき場面だと、覚悟を決める。自らの心の内を吐露するように、私なりの意見を述べた。シルビア王女は、ときおり頷きながら、最後まで聞いてくれた。

 

「――と、こんなところでしょうか。あくまで私個人の、現時点での考えですので、まだまだ修正すべき部分は多いでしょう。実戦に用いるには足りないと思われます」

「で、あろうな。……しかし、参考にはなった。少なくとも、期待を裏切られる様な結果ではなかったぞ。今少しは時間もある。余人を交えて検討を重ねれば、より完璧になろうさ」

「それはどうも。――せっかくの茶会なのに、物騒な話に終始してしまいましたね。あと、途中から大臣を無視して、話を続け過ぎました。ご無礼、お許しください」

 

 ソクオチの攻略法は、ご満足いただけたってことでいいんだけど。

 大臣殿はその間、暇を持て余していたわけだ。仕事の合間のお茶会と思えば、暇で悪いことはないはずだが、当人の気持ちはどうであったか。

 

「いやいや、ためになるお話でしたよ。私の立場では、現役軍人の軍略を生で聞く機会というのも貴重でしてな。……真面目な話、可能性が高くて、実現性が充分に見込めるのであれば、こちらとしても強く反対はできません」

「穏健派筆頭である大臣が、外征に賛成されるのですか? いくら報復とはいえ、やり過ぎだとも言えましょうに」

「いえいえ。……ソクオチの王家を断絶させ、領土を全て併呑する――などと言われたら、流石に反対しましたが。武力を用いるのは最低限、以後は緩やかに併合を狙ってゆくとのお考えであれば、穏健派としては文句のない所です」

 

 外交的にも、舐められたままではいかんという理屈も解る――と大臣殿はおっしゃられた。

 私、大臣殿の権限について詳しく知らないんだけど、もしかしてシルビア王女に注ぐナンバー2だったりするんだろうか。

 だったら、外交面についても考慮して、単純に戦争を否定しない態度を取るのも頷ける。ソクオチって、あんまり評判の良くない国だしね。

 撃退だけで済ませると、かえって闘争心をあおる結果になるかもしれない。不毛な殴り合いよりは、強烈な一発で沈めるのが効率的だ。

 

「短期決戦。それが、穏健派を取りまとめる条件です」

「もちろん、それを理解した上で立てた作戦ですとも。――大臣も、おわかりでしょう?」

「はい。あくまで念のための忠告です。欲をかいて、現場を暴走させないようにご注意ください。……あれもこれもと欲張るものではない、と申し上げておきますよ、モリー殿」

 

 私からの小言はここまで、と大臣殿は締めくくる。そうして、茶を一杯飲み干すと、席を立って退室していった。あまりにもあっさりと出ていくものだから、こちらの方があっけにとられてしまう。

 

「シルビア王女、大臣を止めなくて良かったんですか?」

「どうして止める。必要なことは済ませたし、言いたいことも言わせてやった。――なんだ、ああいう男が好みか?」

「ビジネスパートナーとしては、悪くない部類でしょう。外見は気弱で穏やかそうに見えますが、性格は常識的で芯も強い。それでいて、奇抜な発想を受け入れる度量もある。……対立派閥を制御させるには、ちょうどいい安全弁です」

「わかっておるではないか。――わらわは別段、ああいう男は好みではないが、居れば居たで使いようはあるのでな」

「……同情しますよ。本当に。この国の方々は、シルビア王女を内に取り込んでいるというだけで、随分な心労を背負っているのでしょう」

 

 結構な皮肉を言ったつもりだけど、やはり王女様には効いていない。涼しい顔で続きを話す様は、かえってこちらを挑発しているようにも見える。

 

「ゼニアルゼの連中は、どうにも気骨が物足りんくらいで、刺激が少なくてなぁ。……その中でも、あいつはなかなかやる方で、偶にからかうにはいい対象だと思っておるよ」

「はあ、左様で」

「……お主も、わらわがからかう対象に入れてやろうか。望むなら、週一と言わず三日に一度は呼んでやるぞ」

「ご勘弁ください。そんなことに時間を費やせるほど、お互いに暇ではないでしょう」

 

 残念至極、とシルビア王女はつぶやいた。どこまで本気やら。

 色々と怪しいけど、ともかくお茶会は無難に終えられたと思います。礼儀作法は体に染みついているんで、この部分では失礼を犯さなかったよ。

 発言の不穏さについては今さらだし、これからもっと不穏な活動に従事するんだから、結局のところ全部些事ってことで良いよね。

 ……もっとも、高確率で戦争に巻き込まれるってことだけは、疑う余地がない。

 たぶん教官も含めて、訓練を付けた部隊諸共放り込まれるんだろうけど、現実になるまでは何も考えたくないとも思いました。まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ソクオチ王国が不穏である、というのはクロノワークはもとより、ゼニアルゼも共通の認識として持っていた。腕のいい間諜を忍ばせ、連日動向を探り、定期的に高級士官が情報を分析する。

 そうした体制が確立されている以上、あからさまな行動はすぐに軍事行動と結び付けられるし、さらに精査すれば矛先を絞るのも容易い。

 軍を発するにも、いきなり即日という訳にはいかぬのが現実である。実際の行動のためには、遠征のための人選と物資の確保が必要であり、様々な形での書類の決裁も間に挟まる。兵站を整えるのも一朝一夕では済まないのが常であるし、まっとうな指揮官であれば準備にこそ時間をかけるもの。

 そうして、段階を経ていざ行動、ということになるのだが。この際、情報がだだ漏れであった場合、とんでもないことになる。自覚があるならばまだしも、まったく意識していなかった場合、戦う前からすでに劣勢であると言ってよい。

 

「ソクオチ軍は大休止の後、行軍を開始。休憩と行軍の間隔は、前日までと同じペースです。移動距離もほぼ変わりなく、おおよそ本日の昼前にはクロノワークの国境を越えることになるでしょう」

 

 具体的に言うならば、致命的なまでに正確な監視の目が付いてしまう。

 軍隊は、その動向が筒抜けになってしまえば、途端にもろくなるものだ。目がどこに付いていて、耳がどこに向けられているか。わかってしまえば、数時間先までの動向を把握することも出来なくはない。

 両国の国境付近は森林が多いため、身を隠しながら追跡し、その姿を捉え続けることは可能ではある。少なくとも、理論上はそうだ。

 

 ――もっとも、それが出来る技量を持った兵を作り上げるのに、どれほどの訓練が必要なのか。

 この点を考えると、気が遠くなるほどのコストを注がねばならぬだろうが。まさに武の国であるクロノワークであればこそ、である。

 そう考えれば、これほどの精兵に張り付かれていることについて、想定せよという方が理不尽かもしれぬ。

 

「よろしい。そのまま監視を続けよ。……まず、相手に国境侵犯をしてもらわねば、正当性を主張できぬからな。行軍の時間と距離を計算して、相手が踏み込んだであろう時刻に仕掛けるぞ」

 

 さらに、理不尽は理不尽を呼ぶ。シルビア王女は、身重の身でありながら前線に出てきていた。最前線の空気を吸わなければ、迅速な判断が出来ぬという事情もあったが――正規の軍事行動として、権限ある者が決断するポーズをとる必要があったのだ。

 行動は迅速にしなくてはならぬが、たまさかにでも現場の暴走と取られてはわらわの沽券にかかわる――とはシルビア王女の談。

 常識破りな行動を見せ続けることを、己に課しているようで。その辺りが、周囲に危うく映ることもあった。しかし、不器用にでも労わってくれる部下を得られたのは、彼女にとって幸運であったろう。

 

「わかっちゃいますが、随分と無茶なお方だ。とりあえず、同行されるのは開戦までにしてください。以後は、本国に引き上げていただきますよ」

「わかっておるとも。クッコ・ローセ軍事顧問は、期待に応えてくれるであろう。わらわは、そう信じておるよ」

 

 クッコ・ローセは軍事顧問という役職を与えられ、ゼニアルゼの女騎士たちを率いてここに来ていた。

 彼女らはクロノワークに入国し、両国が合同でソクオチ国境付近で訓練を行っていた――という設定である。都合が良すぎるが、政治的なパフォーマンスに過ぎないにしても、建前は必要だった。

 

「シルビア様、私と教官に部隊を任せてくださったのは、この時の為でしょう。開戦してからと言わず、今すぐ戻っていただけませんか」

「なんじゃ、モリー。つまらんことを言うのう」

「かつてはともかく、今は身重の身であると、ご自覚いただきたい。結果を出すためには、足手まといは必要ありません」

「……わかっておる。邪魔をして悪かったな。今すぐ許せよ」

 

 そしてまた、モリーも同じく軍事顧問としてこの場にいる。

 辛らつな言葉は正直でもあったが、反感を買うものである。それでいて、シルビア王女の顔に嫌悪の色はない。

 これでもモリーは身重の身を気遣っているのだと、わかるくらいには話も出来ていたからだ。

 

「クロノワークの伝令兵の機動は、機敏かつ正確。ですが、偵察と実働部隊の連携には、多少の誤差も考慮に入れなくてはなりません。計算通りに進まない可能性も考えて、今から動いておくのも手でしょう」

「国境を越えて攻め込むのは、相手がクロノワークに入ってから。そこは、譲れぬぞ」

「わかっています。ギリギリの線で待ち、最新の報告が届いてから相手の行軍距離を再計算。確実な時間を見定めてから、踏み入ります。……ええ、シルビア様の計画通りに、そう致しますとも」

 

 モリーの口調が、常よりも厳しいことにクッコ・ローセは気づいた。

 心境の変化か何かはわからないが、シルビア王女の不興を買ってよいことはない。たしなめようと思って、当然だった。

 

「おい、モリー。言葉には気を付けろよ。シルビア様がどういうお方か、わからぬほど愚鈍でもないだろう」

「ええ、ええ。わかっていますとも。――そうであればこそ、楽しませるための努力は怠っておりません。お判りでしょう? ねぇ、シルビア様」

「……ノーコメントだ。クッコ・ローセ。わらわは、モリーを見定めたいだけだ。今回の働き次第で、死罪にも表彰にも変わりうる。わらわが甘くなったと思っているなら、勘違いだと伝えておこう」

 

 シルビア王女は、感情を殺して笑みを浮かべている。それがわかる程度には、付き合いがあるから、なおさら戦慄する。

 彼女は自らの冷徹さ、酷薄さを表現する機会をうかがっているのだ。そうした雰囲気を、クッコ・ローセは実感していた。

 

「何を考えていらっしゃるか、わかりませんが。……モリーは必要です。今回も、今後についても」

「わらわがそんなに恐ろしいか、うん? これでも、随分と寛大な対応をしているつもりじゃが?」

「そうでしょうとも! なので、後はお任せください。吉報をお待ちくださるなら、きっと期待に応えて見せましょう」

 

 クッコ・ローセなりの気遣いである。戦いの前から、空気を悪くすることはない。何より、モリーの無礼を取り繕いたい気持ちが大きかった。

 しかし、気まずい空気がその場を支配していたのも、所定の時刻までのこと。伝令の報告により、ソクオチ軍の動きが知らされると、下士官も交えて速度と距離を再計算。

 多くの人数で計算することで、誤りを避けることが出来る。大部分で一致すれば、まず信用が置ける。

 そうして相手が確実に国境を越えた時間を狙って、彼女たちもまたソクオチとの国境を乗り越えた。

 

「先に仕掛けたのはソクオチであり、これは正当な報復攻撃である! ――連中は、我が生家たるクロノワークを狙う盗人どもぞ。ゼニアルゼは盟友の危機に対し、即応する義務があるのじゃ! 大義名分は我らにあり! 各員、思うがままに武を振るうがよい!」

 

 結局、シルビア王女は突入寸前まで居残ったが、この演説を最後にゼニアルゼへの帰路についた。

 やるべきことはやったのだし、戦う前から勝っているのだから心配はないのだと、そういう態度であった。

 

「まあ、王女様が戦えと言われたのですから、将としては応える義務がありますね」

「最初から、敵の動向なぞわかりきっていた。戦争のためにここまで来ていたんだから、今更って言ったらそうなんだが」

 

 ともあれ、モリーとクッコ・ローセは指揮官としての役目があり、旗下の女騎士たちにも王女の檄に従う義務がある。戦うこと自体に、異論はなかった。

 問題は速度。速攻をかけて、ソクオチの首都を落とすか――。あるいは、それに準じる結果を出さねばならない。少なくとも、首脳部を黙らせて混乱を招かせる必要があった。

 ソクオチの主力が出払っているとはいえ、防備が皆無ではあり得ず、これをいかに攻略していくかが最大の課題であった。

 

「これまでの訓練を思い返せば、事前の練習として最適だったと思いますよ」

「状況としては、確かにそうだな」

 

 繰り返し行った敗走と追撃の実戦訓練は、女騎士たちに強靭さを与えている。とにかくタフになっているのだから、強行軍程度で脱落するものはいない。

 攻城戦は未経験だが、この点に関してはこちらが補ってやればよいと、モリーは思う。

 

「いちいち侵攻ルートそのままを占領していく必要はない。ソクオチ王国が落ちた、という風聞を周囲にまき散らせる程度の成果があればいいんだ。――隠密行動で首都まで肉薄し、これを陥落させれば、まあ十分だろう。あるいは、陥落を待たずに風聞が拡散するかもしれんが、いずれにせよ全力で攻めねばならん」

「教官。わかってらっしゃるでしょうが、それはそれで難事ですよ。……なさねばならぬことであるのは、確かですが」

 

 あの訓練を思い返す。出来るだけ厳しくはしたが、命の危険のない範囲での戦いでしかなかった。だがここからは、誰かが命を落としても不思議のない、容赦のない戦いとなる。

 教え子を失う覚悟を決めるのは、モリーにとって辛い事だった。己の死よりも、厳しい事であったろうと、クッコ・ローセは察する。

 

「わかっているだろうが、速度を緩めるなよ。感づかれずに首都まで行く算段は付いているが、急がなくていい理由にはならんのだ」

「――もちろんですとも。訓練がアナバシスなら、今回はカタバシスというべきでしょうね」

「なんだ、それ?」

「アナバシスが上りで、カタバシスが下り。我々は今、河の上流から下流に下っているのだから、正しい表現であるというべきでしょう」

 

 モリーの言に、特別な意味はない。ただの感傷で、口にしているだけだ。

 アナバシス、カタバシス。いずれもギリシア語であり、今生では関係のない言葉である。モリーは古代ギリシアに私淑しているので、あえてそうした言葉を使っていた。偉大な先人の事績を思い返すことで、己を鼓舞しているのだ。

 こうしたモリーの心境など、クッコ・ローセにはわからない。疑問を口にするのは、それゆえだった。

 

「それがどうした。我々は今、戦争をしているんだ。闘争の中に突入している今、意味のない言葉遊びに耽溺している暇などあるまいに」

「――失敬、悪い癖です。自分だけならいくらでも冷静になれるのですが、教え子の命を預かっていると思うと、どうも」

 

 諧謔でも間に挟まなければ、重荷を背負うにも苦労するのだと、モリーは言った。

 彼女なりの人間性の発露であると思うから、クッコ・ローセも一概には否定しなかった。行軍の速度を落とさない範囲で、彼女を気遣ってやりたいとも思う。

 

「足を動かせ。拙速に勝る巧遅などない。――隠密行動の訓練が、正しく機能しているなら、結果を期待してもいいだろうよ」

「本当に首都に肉薄するまで何一つ気付かれないなら、それはそれで敵の無能を期待するようで、気が気でないんですがそれは」

 

 途中で感づかれた場合の対応も考えてあるが、結局のところ運の勝負になる。

 どうにもならぬ部分とはいえ、最善を尽くしても及ばぬ部分は確かにあるのだと、モリーはわかっていた。懸念を口にするのも、それゆえだ。

 

「まったくもって正論だが、ゼニアルゼの女騎士どもも捨てたもんじゃないだろう。……こいつらの練度を考えれば、油断している敵をだましきれる可能性も、決して低くはあるまいよ」

「ええ、低くはない。同時に、感づかれる可能性も否定しきれない。心臓に悪い話ですよ、まったく」

「悲観的になったところで、今さら行動を変えることは出来んぞ。……お前は本当に、身内のことになると弱くなるな」

「今回は特別ですよ。他所のお嬢様方を、教官という立場で指導した、初めての仲間たち。成長を見守って、ここまで育てて、今は肩を並べている。……格別に愛しく思って、当たり前でしょう?」

 

 クッコ・ローセ教官は楽観的だったが、モリーは懐疑的だった。特質上仕方のないことだが、運の要素が強すぎる、一種の賭けのような作戦である。不安をもって、当然と言うべきであろうが。

 しかし結果だけを見るならば、正しいのはクッコ・ローセの方だった。首都にたどり着くまで、何ら問題は起きなかったのだから、この幸運を生かさない方が愚鈍であろう。

 商人なり観光客なりに変装し、少数に分かれて進軍、首都を目前にして合流する。武装は商人組が持ち運んできたものを、合流した際に装備すれば――たちまち軍隊が再編されるという具合だった。

 

 本来であれば、武装した商人など徹底的に調べられてしかるべき。しかし、ソクオチでは直前まで兵站の構築のため、軍需物資が多く求められていた。すでに行動した今となっては、いささか時期を外しているといえるのだが――。

 それはそれで、需要の低下を見極められなかった、間抜けな商人のフリをすれば済む話である。遠征部隊への追加支援とて、ありえない話ではないのだし、軍官僚にとっても武具はいくらあってもいい代物だ。

 少し前は競い合うように買い集めていたものであるし、首都の市場に持っていくと言われれば、しつこく調べられることもなかった。

 担当したのが教養ある良家のお嬢様方であるから、偽装の具合も良好で、怪しまれることもなかったらしい。これはこれで、敵ながらソクオチの防衛体制を心配してやりたくなる結果だった。

 

「確認したところ、脱落者は皆無。万全ですね、怖いほどに」

「勝算のある戦いに挑める。実際、幸運だと思うぞ。……積み上げた訓練が、ようやく実を結んだというべきだ。私たちは、それを誇っていい」

 

 遠征に参加した女騎士の総数は、おおよそ三百名。関わりの多い少ないの差はあれど、これまでにモリーとクッコ・ローセが鍛え上げて来た、精鋭と言って良い者たちだ。

 この数で都市を落とすには、工夫が必要だろう。ただし、破壊活動に目的を絞るなら、その工夫の難易度はかなり下がってくる。

 国を落とすと一口に言っても、そうそう容易に下せるものではない。本当に下せるならばそれが一番だが、最高の結果を求めて無茶をして、被害を受けては元も子もなかった。

 最低限、遠征中の軍隊が、帰り場所を失ったように見せかけるだけならば――少数であっても充分可能であろう。

 

「さあ、ソクオチの首都に首尾よく入りこんだはいいが。ここからいかにして詰ませるか? 興味がわく所じゃないか。ええ?」

 

 首都に入り込んだ彼女たちは、とにかく全員の所在を把握し、一人残らず即応体制を取ることが出来ている。

 一都市への集結には成功しているが、まさか三百人余りが一か所の宿屋に集っているわけではない。短時間で連絡が可能な位置に、いくつか別れて潜んでいるのだ。

 そこは以前から通じている、信頼できる筋の物件だったり、一般の休憩所だったりするが、ともあれ正体がばれずに潜んでいられる所である。

 

「詰ませる算段は付いていますが、油断は戒めるべきです」

「そうだな。まったくその通りだ。で? 連絡手段の確認は、もうやっている。互いに情報を共有する態勢は万全だ。最悪でも退路を確保する余裕があるんだから、今さら何を案じるって言うんだ」

 

 作戦の開始と同時に動くことを考えれば、隠密行動も一時的なものだ。ギリギリまでばれなければ、それでいい。

 最悪の場合、強引にでも撤退する目途もついている。到着してから確認したので、この点に問題はなかった。

 ――とはいえ、初っ端から豪快に動くのもどうなのか。モリーとしては、決行を前に、今少しの慎重さを求めたい所だった。あくまでも、心持の問題にすぎないとしても。

 

「そう願いたいものですが。――では、手筈通りに。離脱のタイミングは、お任せします。こちらはこちらで、上手くやりますので」

「おう。一度出撃してしまえば、次に会うのは帰途か、ゼニアルゼに戻ってからになるな。……何があっても、私が慰めてやる。だから、あまり気負うなよ」

 

 モリーが一部隊を担う形になる。クッコ・ローセも彼女から離れて、別動隊を指揮することになっていた。それに対して、思うところがないと言えばうそになるが、あえてモリーは感情を口にしなかった。

 

「……教官。私、潜入任務は初体験でもありませんし、過剰に緊張しているつもりもないですよ」

「そうだな。――でも、教え子を伴ってきたのは、初めてだろ?」

 

 彼女たちを失う覚悟は出来ているか? と、クッコ・ローセは言外に伝えてきた。今のうちに、改めて覚悟を決めよと言われれば、モリーとしても心が揺れ動く。

 旗下の女騎士たちは、これから戦争の火蓋を切るのだ。ある者は倒れ、二度と祖国に帰れない。

 数が多くなるか、少なくなるか。これは行動の成否によって変わるだろうが、皆無という結果だけは有り得ぬ。そう思えば、モリーも気が重くなった。

 

「……気負うな、と言われれば。そうですね。難しいかも、しれませんね」

「これは隠密性が重要な任務だ。わかっているだろうが、不自然な感覚を周囲に漏らしてくれるな」

「大丈夫ですよ。私は、肝心なところではきちんと、感情が抑制されるんです。これまでもそうでしたし、これからも同じことでしょう。――闘争となれば、本能が私を動かして、最適解を導き出すもの」

 

 それが、私という生き物なんだと、モリーは言う。それを痛ましい目で見ることが、クッコ・ローセなりの感情表現であった。

 知ってか知らずか、モリーの方も労しい視線を受けて、殊勝にもこう言った。

 

「過剰に心配されるほどのことでもありません。――そもそも、我々だけで戦い抜け、と言われているわけでもなし。クロノワークからの増援も、今回は期待できる状況でしょう?」

「未だに連絡が来ていない以上、あんまり当てにするのもどうかと思うがな」

 

 一応、今回の作戦はゼニアルゼとクロノワークの合同という形になっている。

 首都を強襲する役割も、モリーらゼニアルゼ軍だけではなく、クロノワーク軍もバックアップに加わることになっているのだが――。

 現地集合ということで、事前に話し合って決めているのだが、いまだにそれらしい軍勢の影もなく、連絡もない。

 何かしらの事情で遅れているにしても、これ以上待っていられないというのが本音だった。

 

「敵の目を誤魔化すにも限度がある。一度集結してしまった以上は、早々に行動を起こさねば感づかれる。……日取りも厳密に決めていたわけでもなし、やれそうなら突貫してみるのも手だろうよ」

「成功の目があるならば、ですね。――支援があれば確実だったのですが、現有戦力でも首都部に混乱をもたらして、周辺の都市へ危機感をあおるくらいは出来るでしょう」

 

 それが限度でもありますが、とモリーは付け加えた。

 クッコ・ローセとて、その辺りはわきまえている。ギリギリまで粘って、それでもバックアップが望めないなら、撤退も視野に入れるべきだ。

 

「個人的には、半端なことはしたくないんだがな」

「状況がそれを許さないなら、是非もないでしょう。被害は最小限に、行動は臨機応変に、ですね。途中からでもクロノワークからの増援が来てくれたなら、作戦の変更はできます。どのタイミングで来るかにもよりますが、あんまり悲観的になるべきでもないでしょう」

 

 首都を占領するには手が足りないが、陥落した、と周囲に思わせる。そうした状態を短期間維持するだけであれば、事前に立てていた作戦で通用する。

 

「王の嫡子を拉致して脅すくらいなら、やってみせましょう。各員の隠密行動についても、不安はないくらいに鍛え上げたつもりなので」

「王子が一人だけっていうのは楽だな。何人もいたら面倒なことになってた所だ。――欲を言うならば、王の身柄も抑えたいくらいだが」

「それは流石に、クロノワークからのバックアップなしには不可能でしょう。王子の寝所だけならともかく、王のそれは警備の度合いが違います。……どうしてもとおっしゃられるなら、私が単騎で試みてみますが――」

「ああ、もう、わかった。無理はしなくていい。王子だけを誘拐するくらいなら、造作もあるまい」

 

 モリーはやれと言われればやる気であったのだが、クッコ・ローセが押しとどめるなら、無理に実行する気にもなれなかった。

 ソクオチの王子の寝所、その周辺の警備体制については、すでに調べがついている。いくらかの女騎士たちを陽動に暴れさせ、人員の移動を見極めれば、隠密裏に彼を確保して連れ出すことも不可能ではあるまいと、モリーは考えていた。

 

「まあ、ここの王様は老齢で病を得ているという話です。殺すまでもなく、心労でポックリ逝ってしまうこともあるでしょう。無理に狙うべきことではありません」

「そうだな。禍根を残さないことを考えるなら、病死という形を取ってくれた方が都合がいい。……シルビア王女は何も言わなかったが、病死に見せかける伏線を張っていても不思議はないな」

「気が滅入るんで、やめてくれませんかそういうのは」

 

 許せ、とクッコ・ローセがぶっきらぼうに言う。

 許します、とモリーがさらりと応えた。それだけで、二人にとっては充分だった。心根を伝えるのに、言葉を尽くすのが最善とは限らぬ。

 少なく、足らない言葉であればこそ、かえって気持ちが伝わることもある。これは、その証左であった。

 

「ご武運を」

「ああ、またな」

 

 再会を疑わぬ声。両者はそうして別れた。次に会うときは、戦勝を祝う席であると、信じて疑わなかった。

 

 

 

 





 いかがだったでしょうか。楽しんでくれたのなら幸いです。
 ソクオチとは、次の話で決着がつくでしょう。
 どんな展開になって、どんなオチが付くのかは、まだわかっていませんが。

 大きく書き直すようなことがあれば、次の話の前書きに記しておこうかと思います。

 ではまた次回まで、しばしお待ちください……。




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勝ってから戦う系のお話

 投稿が遅れたのは、休日出勤のせいです。たぶん。

 見直しの予定がずれただけで、実際には土曜日にはだいたい出来てたのでセーフ(自分ルール)。

 ともあれ、どうぞ。……拙い知識を披露するようで、どうにも恥ずかしくはありますが。

 時間つぶしにでもなれば、幸いです



 シルビア王女は速やかに帰国した。憂いなく休息をとって、ささやかな遠征の汚れを落とす。

 食欲や睡眠欲など、生理的な欲求もついでに満たし――ひと心地付いたところで、彼女は大臣を呼びつけた。

 戦いの興奮を分かち合うならば、夫である王子よりも大臣がいい。何より、実務的な話し相手として、この国には他に人物らしい人物がいないのだから仕方がなかった。

 

「お早いお帰りで、何よりでございます。成功を確信なされたと、そのように受け取って良いのでしょう?」

「うむ。――しくじる可能性はあるが、修正できる範囲に収めるであろうよ。勘働きではあるが、敗北の予感が全くせん」

 

 ゆえに、余裕をもって吉報を待っていられると、シルビア王女は言い切った。

 大臣としては頼もしさ以上に、疑問も出てくる。そこまで信頼するには、根拠があるはずだった。

 

「以前のお茶会で、おおよその展開は予想されていたのですかな?」

「あの時よりも、さらに強い確信を得ておるとも。――いや実際、実戦の空気を吸うと違うものだな。勝ちが見えている場面の空気は独特なものがあるゆえ、その雰囲気を感じた以上、長居は無用と思うたのよ」

 

 勝手知ったる自室の中で、シルビア王女はごく自然にくつろいでいた。そこに気負いはなく、正直な感想を述べているように見える。

 それがまた、大臣にはかえって不可思議に思えた。

 

「勝利の果実を、他人にゆだねるのですか。自らの手でもぎ取ろうとするのが、貴女という人ではありませんか?」

「わらわが形式にこだわったことなど、一度もない――とは、流石に言わぬが。しかし、名分より実質的なものを優先するようにしている。ゆえ、今回も刈り入れを任せるくらいは、どうとも思わぬよ。というか、忘れておるかもしれんが、わらわは身重の身だぞ?」

 

 鷹揚に答える様に、不自然さはない。とすれば、これは本心かと大臣は思う。

 しかし刈り入れを任せる、という表現からは自負心が読み取れる。任せてやっているのだ、と上から目線を強調するのは、生来の傲慢さゆえか。

 それとも、別物の感情が混ざっているのか。傲慢でなくば、おそらく信頼。

 だとしたら、モリーの重要性はさらに上がってくる。確かめるように、大臣は問うた。

 

「そう言えばそうでしたな。しかし、よほど信頼しておられるのですな? あのお二方を」

「――ふむ。信頼、か。結果を出してくれると確信を得るくらいには、なるほど。信頼していると言えるのであろうな」

 

 シルビア王女は、大臣から視線をそらしながら言った。

 何かしら、患う部分がある。態度からそれを見取った大臣は、さらに言葉をつづけた。

 

「いやはや、シルビア王女は果報者ですな。心から信頼する将帥を、一人でも得られたら君主としては至福と言うべきです。軍を任せて不安なく、勝利を確信できる相手ほど貴重なものはございません」

「――わらわを計るつもりか。その手には乗らぬぞ」

「まさか、まさか。貴女様を計るなど、そんな恐ろしいことが出来る者は、もはやゼニアルゼには居らぬでしょう。誤解されたのであれば、お詫びいたします」

 

 大臣は真面目くさって、頭を下げて見せた。それがまた、シルビア王女には演出じみて見える。

 いささか鼻につく態度であるが、無視できるほど大臣は小さな存在ではない。不本意ながら、彼女は言葉を尽くす。

 

「――不安などない。あ奴らは、見事ソクオチを落とすであろうよ。事後の処遇も決めておるし、まずその通りに進むはずだ」

「ならば、問題ありませぬな。懸念などないではありませんか」

「大いにある。彼女らがわらわの命に従っているのは、今回の件がクロノワークの益になることだから。わらわ個人ではなく、クロノワークとのつながり故にあの二人は戦ってくれる。……裏を返せば、わらわが祖国を切り捨てるようなことがあれば、もはや協力など求めようがないと言うことだ」

 

 憮然とした顔で、シルビア王女は言った。口惜しい、とでも言いたい雰囲気であったが、かろうじて口にしないだけの分別があったらしい。

 もっとも信頼する戦力から、忠誠を期待できない現状が歯がゆいのであろう。その辺りの機微を察せるくらいには、大臣は有能だった。

 

「今後、彼女たちを便利に使い倒すことは出来ない。やるとしても、それなりの名分を必要とするわけですか」

「戦いに名分が必要なのは、当たり前の話だが。……いかなる名目でも、わらわ個人の利益のために働かせるのは難しい。真面目に引き抜きでもしない限り、あの武力は『借り物』のままだ。となれば、アレコレと余計なことを考えるのも、致し方あるまい?」

 

 金や策で忠誠を買えるものなら、惜しみはせぬ――と、シルビア王女は言いたい様子だった。

 しかしそれは無理であろうと、大臣は思う。勘気を被ってでも忠告すべきか、否か悩みつつも、適当に言葉を濁す。

 

「――さて。シルビア王女は、複雑なお立場です。お気持ちは、お察しいたします」

「どうだか。……いや、いい。本心など言ってくれるな。そうして慰めを聞いている方が、よほど気楽だと言うものよ」

 

 大臣は、あえて追求しなかった。シルビア王女もまた、これ以上は語らなかった。

 不思議な共感が、二人の間には存在していた。すなわち、クロノワークは頼りがいのある国家であり、信頼を託すだけの関係を続けている内は、戦力的な不安がないこと。

 そして、万が一にでも関係を解消することあらば、それがすなわち自国の危機につながるのだと――。

 ゼニアルゼの外交的な安全保障は、きわめて厳しく、薄氷の上の優位に立っているのだと、否が応でも自覚させられたのであった。

 また、同時に。薄氷の上で成り立っているからこそ、シルビア王女が暗躍する余地も生まれる。

 大臣としても、理解は示してやりたいと思う。……ゼニアルゼに、益がある限りは。

 

「そうそう、忘れる所でした。――結局のところ、私をあの茶会に同席させた理由について、問い質しておきたいのですが」

「大臣の見解だけなら、わざわざ呼びつけんでも予想は出来た、と言いたいのであろう? ま、そこはな。ちょっと前に、モリーと共謀したことがあったではないか。あれの意趣返しも含んでおる。……もっとも、それ以上に。お主の見解を再確認しておきたかったというのも、確かな本音ではあるよ」

「ははぁ。これはまた、随分と見込まれたものです。――ところで彼女らですが、本気で引き抜かれるので?」

「そうしたいが、簡単にはいくまい。クッコ・ローセも難物だが、特にモリーなどは天性の女たらしゆえ、クロノワークの方に残した女どもを気遣って、容易に鞍替えはするまいよ。……容易には、な」

 

 何とかこちらを意識させるため、待遇の面で攻めてはみたがどう転ぶかわからぬ、とシルビア王女は言った。

 これは、何かしら企むな、と大臣は悟る。わからないと言いながら、顔は不気味に微笑んでいる。そうした時、いつでも彼女はろくでもない策略を脳裏に巡らせているのだと、ようやくわかってきたのだ。

 だからこそ、苦言を呈したくもなった。余計かもしれないが、嫌味ではなく純粋な善意で。何よりも同情すべき、モリーに対する借りを返すために。

 

「それはそれとして、私個人がモリーという人物を見定めるのに役立ったのですから、茶会に招いた意義はあるでしょう。シルビア王女の評はさておき、私としては頼りになる御仁だと思いますよ」

「なんじゃ、結局その程度の評に落ち着くのか。面白みがないうえ、わかりきっておる。今さら言うまでもあるまいに」

「ええ、まあ、はい。……追加で個人的な意見を申し上げるなら、シルビア王女ではあれを飼うことは出来ないでしょう」

 

 協力を要請することは出来ても、心からの忠誠は期待できない。大臣は、それを端的に表現した。

 目の前の絶対君主を前にして、臆した様子もなく主張する。これには、彼女の方が困惑した。

 

「飼う? ペットの話などしておらぬが」

「貴女の手駒となれば、それはペットと変わらぬでしょう。――愛玩され、使役されることに慣れてしまえば、それは飼われていると言ってよいのです。そして、モリー殿はそうした立場に身を置くことに、耐えられぬでしょう」

 

 わかっておられないなら、仕方がないとばかりに、大臣は率直に正直な感想を述べた。その意図が明確に伝わってくるものだから、シルビア王女は却って反論したくなる。

 

「安易に鞍替えはせぬ、と言うたが、絶対にありえないとまで言った覚えはないぞ」

「再度申し上げますが、無理でしょうな。少なくとも、シルビア様の個人的魅力とか、単純な好待遇などで、モリー殿は引き寄せられない雰囲気がありますので」

 

 シルビア王女は、大臣を鋭い目でにらみつけた。

 猛禽をイメージするような、極めて強い視線を受けながら、大臣は平然と思う所を述べる。

 

「誤解されたくないので、率直に申し上げますが――相性と言うものは、人間関係において重要なものです。そうですな?」

「うむ。認めるのも、やぶさかでないのう。――で?」

「モリー殿は、その業績からは意外なほどに穏健で常識的、しかもおそらくは愛国者です。なので、王女様とは合わないでしょう。個人的に引っ張りまわされること、外圧に屈することはあっても、自発的に協力することはあり得ません。……私とて付き合いは浅いですが、それくらいはわかりますとも」

「――言ってくれる。モリーの心がわかった訳でもあるまいに」

「モリー殿の価値観や、口に出していない部分についても、ある程度までは。……わかった、と申し上げてもよいくらいですが」

 

 それを語るのは、彼女が戦勝を報告して、何かしらの機会を設けてからに致しましょう――と大臣は言った。

 

「どうせ当てずっぽうで申しておるのだろう? わざわざ追及するまでもないことよ」

「ならば聞かねばよろしい。……私も、ようやく図太い態度と言うものを身に着けられましてな。諫言を怠けて良いというなら、そうさせて頂きましょう」

「――こいつめ」

 

 わずかな付き合いで、何を理解したのか。これが老獪と言うものか、とシルビア王女は大臣に問い質したかったが、それでは負けた様な気がして嫌だった。

 そして大臣を通して、モリーに対しても八つ当たり気味な感情を抱く。当人にとっては災難以外の何物でもないだろうが、今度会ったら絶対にいびってやろうと決意する。

 

「モリーめ、わらわをこうも振り回すか。まこと、厄介な奴が現れたものよ」

「モリー殿も、シルビア王女にだけは言われたくないと思いますが」

「言うなよ。おぬしを殺したくなる。……ああ、聞き流せよ。これは冗談だ。冗談であるべきだ。そうではないか?」

「ええ、ええ。そうでしょうとも。私としては苦笑するほかありませんが、ほどほどにしてください。……本当に、お願いしますよ?」

 

 大臣のまっとうな進言も、シルビア王女に届くことはなく。ただ、モリーへの対抗心ばかりが育っていた。

 これが未来において、如何なる意味合いを持つのか。誰も予想することは困難であったろう。

 いずれにせよ、現場で奮闘しているモリーにとっては、いまだ考慮するに値しない事件であったに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーです。最前線で今まさに潜入任務の真っ最中です。

 日も落ちて久しい夜間帯。暗躍するにはこの時間しかないってくらいだけど、首都の雰囲気は平時そのまま。巡回の衛兵にも緊張感がありません。

 こうやって、微妙に緩んでる敵陣に入り込んで、アレコレするのに愉悦を感じる人も多いみたいですが。個人的には、余計な感情は冷静さを奪うと思うので、慎重にやっていきたいね。

 

「第一班から第三班は陽動を行います。私が率いる本命の第四班は王子誘拐を試みますが、既定の時間までに戻らなければ、他の班はクロノワークの軍が来るまで潜伏を続けること。損耗を避けつつ、機会をうかがうためです。……首尾よく仕事を終わらせたら、再度集結します。集合場所へのルートについては、もう暗記していますね? ――ならば良し」

 

 首都強襲は、印象が鮮烈であればあるほど、外敵に対する警戒心を強く生むものだからね。だから、陽動にはいろいろと小道具を用意させている。

 火を用いるのはそのためで、簡単に消火できる程度に留めるのもそれ故だ。大火は人々から思考力と余裕を奪う。しかしボヤで済んでしまえば、人々は考えてしまう。

 これだけでは済まないのではないか。知らぬ間に、この首都は包囲されたり、敵軍によって攻められるのではないか。

 ここに追加で不穏な出来事が重なれば、混乱の度合いはより深まるだろう。兵の不審死、犬の鳴き声、家畜の暴走、あるいは不審人物の目撃情報でもいい。

 そうして不安をあおり、外側に目を向けさせるのが、彼女たちの役割だ。四方八方に注意の目を向けると、どこもかしこも手薄になる。中央から警備の目をそらせたら、その一瞬の間隙を縫って目的を達するのだ。

 これもまた兵法である――なんて、ね。紀元前に孫子が説いているような初歩の初歩を、今さら誇るのも馬鹿らしい話か。

 

「第一班から第三班へ告ぐ。……被害を最小限に食い止めることを、第一に。半端な結果でも、最低限の役割は果たせます。結果に拘泥せず、中途でも離脱する勇気を持つように」

「それを勇気と言ってよいものでしょうか? 確かに、工作を行った班は、多少なりとも痕跡を残します。仕事を続けるのは難しくなるかもしれませんが、戦わずに逃げることを、前向きに考えるのは難しいです」

「それでも、この場は退避することが、勇気の表れであると私は評価します。貴女方の命の値段は、本来はもっと高いものです。一つの作戦に、易々とつぎ込んで良いものではない」

 

 だから、死ぬ勇気は、もっと重要度の高い場面で使いなさいと、淡々と諭す。疑問を持った子も、その子に多少なりとも同調していた子たちも、それで静かになった。

 

「――自信を持って、もったいぶりなさい。私が鍛え上げた貴女達は、ソクオチとの抗争程度で、損耗してよいものではないのですよ」

 

 とはいえ、無警戒の都で、鍛錬を積んだ精兵が失敗する要素は少ないと思う。

 念のため。あくまでも、念のための言葉だ。それをわかってくれたのか、皆の顔には程よい緊張が見られるだけで、恐怖に震えている者はいない。

 いい兆候だ。仕事を任せるのに、不安はなかった。だから、被害さえ少なければ、それで充分だと思う。

 

「各員の奮闘に期待します。では皆さん、手筈通りに」

 

 各班に分かれての行動に移った。もう私に出来るのは、直轄の第四班を率いることだけ。他の班の幸運を祈りつつ、私たちは私たちで王城への潜入に向かう。人目を避けながら、巡回ルートを避け、物陰に身を潜めつつ進んだ。

 偶発的に、警備の穴が生まれていたら、陽動を待たずに入り込むつもりだったが――流石に何のこともなしに警備が薄くなることはなく。

 その時が来るまで、我々は近場で待機し続けた。程なく状況が動くと分かっているから、焦ることなく、安全策を取れたわけだ。

 

「そろそろ、ですか?」

「時間的には、ええ。――彼女たちが、上手くやれていれば」

 

 傍の子の一人が、確認を求めるように言って来た。私としては、そうであることを祈りたいくらいだよ。

 失敗はすなわち、教え子たちの死を意味する。それをここで実感するなんて、私は考えたくない。

 

「――あ。この、音」

「始まりましたね」

 

 始まりとも、終わりともとれる爆発音。これで、警備の目が向く。

 火薬は持ち込めなかったから、現地調達。音と響きからして、充分な量は調達できたはずで、発火のタイミングもほぼ予定通り。教え子たちが上手くやったとみていいだろう。ソクオチのアレっぷりに、今はただ感謝だ。

 事後の火災の規模については、運頼みの要素が強いが――。正直、これだけでも最低限の成果は得られた。

 巡回していた兵たちが、異常を察知して緊急への対応を優先している。詰所の上官に、判断を仰ぐことが義務付けられているのだろう。少し様子を見ただけでも、連中の動きがあからさまに鈍っているのがわかる。

 これに乗じて、行動を起こさぬ方が愚鈍と言うもの。旗下の兵は四人だけ、というのも功を奏して、どうにか城内へと忍び込めた。

 もう一人でも人員が増えていたら、どうなっていたかわからない。それくらい、微妙な差だった。

 

「――」

 

 口を開かず、視線とサインで指示する。月夜の空であればこそ、可能なことだった。警戒に二人、私を入れて実行に三人。

 巡回の兵を始末して隠ぺいするには、これが最善の布陣だった。どこかで報告があがって、不信感を持たれる頃には、全てが終わっているだろう。

 目的地はわかっている。事前の決めたルートがそのまま使えたから、時間的なロスは最低限で済んだのは、僥倖と言って良い。

 いや本当に、事前にソクオチの情報を抜けていたのは大きいね。その結果がこれとなれば、潜入任務は事前の準備が全てを決する、と言ってもいいかもしれない。

 

 邪魔を排除しつつ、王子の寝所への道を渡るまでは、順調だった。日頃の予定まで抑えていたから、この夜の時間帯になると、王子がすでに就寝していることもわかっていた。

 そこまで把握していたら、拘束して拉致するのに何の障害があるだろう。傷を残さないように、極めて丁重に連行させていただいた。王族なのだから、粗相があってはならないのですねー。拉致そのものが無礼だって言われたら、これも戦の作法ですって返してあげよう。

 

「――! ――!」

 

 もがいて暴れるのが、ほんの少しだけ遅かったですね、王子様。我々としては、その方が都合がいいので、できればもう少しだけ、そのままの貴方でいてください。

 王子を部下に担がせ、衛兵の目に触れることなく、城内から脱出。ここまでは想定通り。

 ――でも、ここから首都を出るには、また大きな問題を越えければならない。集合場所に、全ての班が集結する。

 

「陽動の結果は充分でした。過程を含めた詳細は、また後日。――被害についてだけ、詳しく聞きましょう」

「はい。では――」

 

 覚悟して報告に向き合うつもりだったけど、被害は想定よりもはるかに少ない、というか。損耗ゼロとはびっくりした。

 これ、ソクオチの防衛体制に物申していいくらいだよね? どうして戦時下の首都なのに、練度の低い兵で固めているんだろうか。

 精兵は全て前戦に引っ張られているのかもしれないが、もうちょっと危機感を持つ気になれなかったのかと言いたい。ソクオチならぬ即落ち――なんて、日本語っぽいダジャレが頭をよぎったよ。

 

「どうにもアレですが、都合がいいと言えばいい。……王子を伴って、首都からの強行離脱を行います。これを成功させるためにも、兵力は一人でも多い方がいい」

 

 一番の難所はここから。流石に時間がたてば、ソクオチの兵たちも落ち着きを取り戻す。

 そして王子が拉致された事実に気付けば、即座に首都を封鎖し、内部を徹底的に探るだろう。大事な荷物を抱えたまま潜伏など現実的ではないし、今を置いて逃げる機会はないと見るべき。

 

 潜入任務は行きは良くても、帰りに全滅の危険がある。せっかくの精鋭を丸ごと失ってしまえば、大損などと言う次元の話ではない。特殊部隊による首都強襲が、そうそう行われないのは、こうした理由があるからだ。

 ――この場にクロノワークの兵がいれば、心強かったろうに。そんな風に嘆くことも、私には許されない。希望的観測ではなく、冷静に現実を見て行動することが、私に求められていることだ。

 

「教官の方から、伝令は?」

「まだ――いえ、今来たようです」

 

 即座に伝令を読み上げてもらう。こちらが王子の拉致を行っている間、教官が何をしていたかと言えば、工作活動の補助と諜報である。陽動の班は実行に力を尽くしたが、教官らは後始末に尽力してくれている。今頃、ソクオチの衛兵たちは誰を疑い、何を調べるべきかも正確にはわかっていないはずだ。

 もっとも、そちらは補助的なもので、主目的は緊急時における兵の動きを見張ってもらい、その分布を分析すること。この情報だけは曖昧な所が多いので、現地で補強しておきたかった。これが分かれば、東西南北の城門のうち、どこを突破すべきかがわかる。

 そしてクロノワークが援軍にやってきた場合を考えて、事前に決めていた連絡場所へも張り込んでもらっていた。

 期待はしていないが、この場面でクロノワークからのバックアップがあれば、かなり安全な撤退が可能になる。出来れば、いい報告であってほしいが――?

 

「ソクオチの兵らは、事態の収拾に躍起になっているようで、全体的に警戒度は上がっています。休息している者たちを叩き起こして、兵員を増やして朝まで頑張る様子とのこと。具体的な兵数、分布の傾向は添付した地図に書き込まれています。――次に、クロノワークからの援助の手について。どうやら連中、我々より先にこの都に来ていたようですね。それも、随分自然な形で溶け込んでいたと、クッコ・ローセ教官は所感を述べています」

 

 全員に情報を共有させるため、読み上げさせたが――詳細が気になって仕方がない。

 

「……教官なりの皮肉ですね。こちらに一番危険な先陣を切らせて、後で悠々とやってこられては、そう思うのも仕方のない所ですが。すみません。……ちょっと拝見させてください」

 

 丁寧に頼んで、教官からの報告書を手元に寄せて確認してみる。

 ……うん、うん。ああ、この、これは――。

 

「クロノワークからの援助を、期待していいのですね?」

「あ、はい。……少数ですが、都市の外側にも部隊を待機させているようです。要請があれば、内と外から挟撃も可能だと、そう申し出ていました。あくまでも、常識的な範囲で、とのことですが」

 

 聞き逃せないレベルの報告が来たので、私はつい身を乗り出すような形で問いただした。

 伝令の彼女が顔を赤らめたのは、困惑からのモノだと信じたい。

 

「結構。続きをお願いします」

 

 報告書の内容も、伝令の言葉も頭の中に叩き込み、それから内容を吟味し、咀嚼するように理解していく。

 報告に続きがあることを忘れそうになるが、ここは意識して続きをうながし、きちんと聞き取っておかねばならないとわきまえている。

 

「はい。クロノワークは、援軍としての形を崩してはいません。我々が王子を連れて撤退する支援は行うこと。その為に手薄な城門まで案内し、これをこじ開けて脱出するまでは、手助けしてくださるそうです。ただ、その後の交渉については関われないとの言をいただいたとの由――」

「王子を返還する際の交渉は、全面的にこちらが責任を負うと言うことですね」

「はい。クロノワーク側は、一切口を出さないことを明言しています」

 

 なら、援軍としての義理は最低限果たしたと言えるだろう。だったら、もう少し早く反応してほしかったんですけど。最初に手を汚す役割を任せたかったにせよ、早くから接触してくれれば、気をもまずに済んだというのに。

 私個人が古巣の反感を買った覚えはないので、組織同士の軋轢とでも見るべきか。クロノワークとしては、あまりやり過ぎて国際的な顰蹙を買いたくないんだろう。良くも悪くもシルビア王女の功績にしておきたいから、関わるのは最小限にまとめて置きたいのかもしれん。

 ……もっとも、脱出後の交渉に関わらない、という線でまとめているあたり、つけ入る隙はあるね。

 

「委細承知しました。――では、クロノワークの方へ、伝令を頼みます」

「はい。如何様に?」

「こちらが脱出するまでは、任務の協力をお願いする旨、お伝えください。それから、ですね。……ちょっと待ってください」

 

 さらさらと、手早く書面に記すと、伝令兵にこれを渡す。

 内容はと言えば、奇をてらわず、率直な要求を伝えるように。

 

 『王子の命が惜しければ、交渉に応じろ。身柄の安全は保障するが、交渉の内容を実行するまで、こちらが寄こす交渉人以外は人の出入りを禁じ、外部への連絡も禁ずる。守らなかった場合は、ソクオチに戦争を終わらせる意図がないものと見なし、血を伴った制圧が行われるであろう――』

 

 と、こんな感じ。

 

「王子をさらわれて、気が気でない王様に、メッセージを送ります。この書を、確実に王本人に手渡せるよう、お願いします。本格的な交渉は、我々が首都を抜け出してからになりますが。――クロノワークの方々は、随分前から張り込んでいたようですし、それを行えるくらいの手回しは済んでいるでしょう」

 

 出来ないなら出来ないで、また別の手段を考えればいい。ともかく、使える間に使えるものは、いくらでも酷使すべきだと思う。

 書面を受け取った彼女は、すぐに動いてくれた。私からの命ともなれば、そうして当然ではあるのだが。……教え子を使い走りに使うのは、何とも奇妙な後ろめたさがある。

 対等に付き合えたら、どんなに良かっただろうかと、意味のない過程を思考の中で楽しみたくなった。もっとも、そんな贅沢が許されるほど、我々に余裕はない。

 

「では、全員で脱出を試みます。――先導は教官の班に任せます。合流までは隠密行動が求められますので、まだ気を抜かない様に」

 

 そうして合流したら、教官たちと共に全力で脱出することになる。クロノワーク側の戦力次第だが、内と外から攻めれば城門を破り、生還することは出来るだろう。

 あちらさんのやる気次第だが、被害もかなり減らせるはずだ。――何もかも上手くいけば、一人も死なせずに、全員で帰還することも、あるいは。

 そんな希望を持ちつつも、任務を遂行する際は感情をはさまない。闘争本能とでも言うべきものが、私から冷静さを奪わせなかった。

 たとえ目の前で誰が倒れようと、自分はその時の最善を尽くすのだろう。そうでなければ、彼女たちを率いる資格さえなくなるのだと、私はそう思い定めていた。

 

 

 

 

 

 

 国内でソクオチを返り討ちにしていることを、クロノワークの兵たちは疑わなかった。

 敗北するには相手がお粗末に過ぎると、末端の者ですらそう思う。であればこそ、舐められぬようにやり返すこと。恐れられるよう徹底的に叩くことも、クロノワーク軍としては賛同できることであった。

 

「問題は、積極的に絡めないこと。指揮官同士は同郷でも、立場の違いはいかんともしがたい。――おかげで、初動を遅らせねばならなかった」

 

 クロノワークからの援軍、その部隊の隊長は、そうつぶやいた。

 彼女は特殊部隊からの出向組であり、わざわざこの時のために引き抜かれて、クロノワークの別動隊を指揮することになった。

 

 特殊部隊には隊長と副隊長の他にも、高度な士官教育を受けた騎士が少なくない。

 隊長のザラは、国内で防衛側に回って主力を指揮しているが、何も全軍を守りに割いているわけではない。むしろ防備がすでに固まっている本国の方が、人員は節約できると考えてもよい。

 だからこそ、クロノワークとしては金銭援助のお返しとして、援軍の用意が出来るわけだ。

 首都内部に入り込んでいる分だけでも、ゼニアルゼの実働部隊より多い。外部に待機させている戦力については、さらにそれ以上。ゼニアルゼの潜入部隊がなくとも、首都を機能停止に追い込むくらいは出来るはずだが――あくまでも、主役はあちらだとわきまえてもいる。

 兵を隠ぺいする手段は限られるから、外で待たせている連中は、夜が明ければすぐに発見されるだろう。今こそ使うべき手札であり、その使い方についても、すでに迷いはなかった。

 

「クッコ・ローセ教官殿とコンタクトできたのだから、以後の連携に問題は生じるまいが、結果的にどうなるかは――運次第か」

 

 彼女は、クッコ・ローセ教官と面識があり、お互いに信頼を置いている。そして特殊部隊出身であるから、当然の様にモリーとも付き合いがあった。現場で即興でも、動きを合わせるくらいは出来る。

 今回、共同して作戦を行うと聞いた際は、それなりに高揚したものであるが――。政治的な事情から、軽はずみな行いは戒められていた。

 具体的に言うならば、『口火はゼニアルゼの方に切らせよ』と、厳命されている。その上、現地で合流するのは事が起こってから、ギリギリのタイミングで接触するように、と。

 政治的な事情があると、ザラ隊長は言っていた。目の下のクマが濃くなっていて、機嫌の悪さが見て取れていたから、詳しくは聞けなかったが。

 

「まあ、出来る範囲で仕事をするだけだ。――さて、そろそろ頃合いか」

 

 丁度いい具合に、クッコ・ローセ教官からの伝令が飛んできていた。内容を吟味し、思考し、可能であると結論付けたならば。

 ためらわずに実行、部下を酷使しつつ士気を落とさない限度をわきまえる。それくらいの名人芸を現実にする程度には、彼女は有能だった。モリーは友人にも、ある程度のスペックを求める。

 なればこその連携であり、息が合う理由にもなる。……実際、モリー旗下の女騎士たちが、最小限の被害で首都から離脱できたのは、その点が大きい。

 

「王子殿は無事です。――重傷者は、置いていくしか、ありませんでした」

「交渉で取り戻すさ。……生きていればな」

「はい。生存者は、生きて帰す。このモリーの首にかけて、それだけは成し遂げねばなりません」

 

 モリーは嘆き、クッコ・ローセは励ますように言った。結果どうなったかは、モリーの他は『直接の関係者』しか伝えられていない。

 後ろ暗い任務であっただけに、特定の者には沈黙が課せられる。家族に勲章と年金が与えられても、さてそれが慰めになるかどうか。

 

「お見事な対応でした。感謝します。――なんて、仰々しく言うことでもありませんか」

「そうだな。ちょっと前までは同部隊の誼で、今は同郷の誼だ。その内何かしら奢ってくれ。それでチャラだ」

 

 モリーと、援軍部隊の隊長が再度顔を合わせたのは、ソクオチを即落ちさせてから、しばらくたってからのことである。

 骨を折ってくれたクロノワーク勢を歓待するため、ゼニアルゼで宴が開かれた。その際に彼女らはいくらか会話したのだが、モリーの顔はひどいものであった。

 

「交渉は上手くいきましたよ。首都と外部との連絡は断絶し、ちょっとした工作で『首都陥落』の報を周囲にばらまけましたし、信じさせることが出来ました。――速やかに終戦を迎えられたのも、極めて有利な条件を引き出せたのも、そのためです。助けになれる部分は全力を尽くしたし、救えるだけ救いきったと思いもしますが、当人たちはどう思っているのでしょう。……彼女らの献身を最大限に利用した身としては、どうしても後ろめたく感じてしまいます」

 

 モリーは、暗い顔でそう言った。慰めすら拒否する表情で、最後まで視線を決して合わそうとはしなかった。

 クロノワークに踏み込んだソクオチの主力はなすすべなく敗退し、王子誘拐のごたごたも含めた心労によって現国王は崩御。拉致された王子を材料に、クロノワーク及びゼニアルゼ両国から、相当不利な外交を仕掛けられた。

 

 ソクオチに未来があるとすれば、ゼニアルゼの属国としての地位を目指すしかない。それくらいに徹底されたのだから、ソクオチの騎士は嫌でも今回の敗戦を意識するだろう。

 一応、今のところは存在を秘匿されているが、モリーの功績が大々的に知られるようになれば、どうなるか。彼女自身、考えたくもない事だった。

 

 

 

 

 宴の後は、戦後処理が待っている。モリーは例のごとく、シルビア王女に個人的に呼び出されていた。

 あの王女様のことだから、何かしらやらかしてくれるんじゃないかと、警戒しながら部屋に入ったが――。実際に話をしてみれば、今回の戦のアレコレについて、適切な話題を振ってくるだけだった。これなら、相手をするのも苦痛ではないと、モリーは安心する。

 

「際どい所でしたが、まあシルビア王女の注文通りに出来たのではないかと。被害も極めて少なかったはずですから、ご満足でしょう?」

「そうじゃな。満足するのは、これからの結果次第じゃが。――あ、そうそう。功績は功績ゆえ、前に言ったアレコレはちゃんと実行してやるからな。覚悟は決めておくように、のう?」

「え? マジで?」

「マジじゃよ。……おお、ようやくお主から一本取った気がするのう。いや愉快愉快」

 

 戦勝報告を含めて、面倒な事柄を片付けて。ようやくねぎらいの言葉をかけてもらえるかと思えば、シルビア王女はモリーの心を攻めてきた。

 事前に言っておいたことを実行するだけだと彼女は言ったが、モリーとしてはジョークじゃなかったのか、と奇襲を受けたような気持だった。

 

「同性婚の許可とか、ハーレムとか? ついでに別荘でしたっけ」

「言ったことは全て守るのが、信用を維持するコツと言うものよ。……よって、わらわは、お主に誠実さを求めても良いのではないかな?」

「兵卒としても指揮官としても、条件さえ整えれば誠心誠意尽くす気はありますよ。――恋愛的な意味では、ちょっと……。シルビア王女はきつ過ぎるっていうか、うん」

「冗談を言えるくらいには大丈夫と言うことじゃな! ――では、そういうことで。おーい、もう入ってきてよいぞ」

 

 シルビア王女が合図と同時に、多数の女性たちが部屋に乗り込んできて――モリーは、戦慄せねばならなかった。

 己を待っているである女性たち。ザラ隊長はもとより、メイルやクッコ・ローセ、なぜかクミン嬢まで詰め掛けてきたのだから仕方がなかったであろう。

 

「責任取って」

「ええ……? メイル隊長。ちょっと性急に過ぎやしませんか」

「責任取れるよな」

「断定されましてもその、ザラ隊長。それはちょっと」

「とりあえず抱いてください、抱き返しますから」

「クミン嬢は自重して、どうぞ。……ガチで。笑ってないで、勘弁してください」

「私は後回しで良いから、ゆっくりやってくれていいぞ。――いい感じに出来上がったところで、おいしく頂かせてもらおう」

「教官! 貴女もですか教官! 私を裏切ったんですね!」

「シルビア王女の仕込みだ。私としては、拒否する理由もなくてな。まあ、何だ。あきらめろ」

 

 急展開に畳みかけられつつも、モリーは貞操を守り切った。

 その軌跡について、あるいは奇跡について。知る者が知れば、さぞ感嘆したことであろう。

 

「……困ったものです。本当に」

 

 当人としては、そろそろ覚悟を決めねばならぬかと、思いつめていた。色事にかまける余裕が出来て、政治的な面倒事を意識せずに済んだと思えば、これもまた僥倖と言うべきか。

 生きる覚悟、死ぬ覚悟。どちらを優先するしたものか、モリーはようやく、悩み始めたのである――。

 

 

 




 軍事の知識とか本当に乏しいんで、かなり書くのに苦労しました。

 頭を使うと執筆が遅くなるのですが、だからと言って良いものになったかと言えば、そうとも言えず。

 ……ともあれ、話は進みました。今回、モリーが自身の力で功績を立てた、という事実が重要なのです。

 後回しに出来る課題ではないと、彼女はようやく理解しました。

 次の話は、モリー自身のお話になります。月末には投稿、できたらいいなぁと思いつつ。今しばし、お待ちください。




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TS転生者が如何にして死狂い騎士になったか

 本日は二月三十一日と思えば、ギリギリセーフ(自分ルール)。

 いや色々とギリギリなんでお許しください。修正が不十分なら、すみません。




 わたくしモリーは、ゼニアルゼでの任期を終え、ようやくクロノワークへ帰国することが出来ました。駐在武官の任期って、割と政治的な事情に左右されるらしいよ? 詳しくは知らんけど。

 シルビア王女の思惑はともあれ、母国から帰国の要請があれば断れんのです。実際、速攻でソクオチを落とせたのは、私らが指揮をとった結果と言って良い訳で。

 ゼニアルゼで栄誉を賜ったことは把握しているはずだが、クロノワークとしては詳細な報告が欲しいんだろう。報告書はもう上げているけれど、書面では語れないこともある。

 シルビア王女の政治的な態度とか、日常の振る舞い方とかは、郵送だとゼニアルゼの検閲を通らないだろうからね。特に褒賞に関しては、私自身も戸惑っているわけで、本国に帰って直接口頭で説明するのが一番後腐れがないと思うの。

 

「まさか、王様へ直に報告することになろうとは、私自身びっくりでしたが」

 

 報告の内容自体は、本当にシルビア王女の個人的なことだけなので。そんなに深刻な話にはならなかったと思う。

 あの方の意地悪さというか、アレな性格については、流石に肉親だけによく承知されていた。嫁ぎ先を乗っ取っていることについても、こちらの害にならぬならいいか、くらいの感覚だったし。クロノワーク王家って、割とノリが軽いのかもしれない。

 

「王様はあれで子煩悩だからな。シルビア王女のことは、ずっと気にかけていたんだろう。……お前の報告を求めたのは、クロノワーク側の人物で、今の王女に近しい奴が他にはいないこと。直近の出来事に関わっていて、自ずから褒章を与えられた人物だから――だろう」

「ザラ隊長? それなら教官も同じ立場なはずですが」

「あの人はシルビア王女とは旧知だから、評価にも慣れとか贔屓とか、余計な感情が入るかもしれないだろ? ……その点、お前は付き合いが浅くて、あの方の覇気にも動じない図太さがある。話を聞くには、お前が適任だと誰でも思うさ」

 

 私も戸惑わないわけじゃないけど、現場復帰してすぐ、私とザラ隊長は以前通りの関係に戻りました。

 誰かに『あんな事があったのに気まずくないんですか?』と聞かれたら、私はこう答えようと思う。

 ……帰国後のごたごたを全て済ませた後、愚痴を語る相手がザラ隊長しかいなかったんです、って。

 まあ、アレですね。普通に仕事に復帰できたのは良いんだけど、休暇もくれなかったからね。疲労感は気合で誤魔化せるけど、精神的につらい部分はどうしても残っちゃうから。

 なるべく早く苦悩を吐き出したい私としては、愚痴る相手を選べなかったんです。……ザラ隊長が悪いって話じゃないよ。

 早い話、自分の感情をぶつけられるなら誰でもいいからね、こういうの。張り詰めた弦は切れやすいものだから、適度にストレスを発散することも、意識的に行うべき。

 ――ちょっと前に、他の女性たちを率いて私を襲ってくれたことは、都合よく忘却することにしましょう。きっと、何かしらの理由で乱心していただけで、普通に話せば普通に接してくれるはずだよ。たぶん。

 

「まあ色々ありましたが、とりあえず方は付いたことですし。帰国したら、いつも通りまったり仕事しようと思ってたんですよ」

「私を前にしながら、本気でそう言うんだからな。モリー、お前って、やっぱり変わってるよ」

「ちょっと前に、何かしらの騒動があった気がしますが、すっかり忘れてしまいましてね。……それはそれとして、公私混同はなされないだろう、と。長い付き合いですし、それくらいの信頼は築いてきたつもりですから。荒事の後なので、後始末やら何やらで残業に追われているところでしょう? 力になりますよ」

「お前を引き入れた、過去の自分を称賛してやりたいよ。――冗談ではなく、本気でそう思う」

 

 ザラ隊長。私がいない間、本気で忙しかったんですね。……よくよく観察すれば、ちょっと前の一時帰国の時より、目のクマが深くなってる気がする。

 もう、本気でご奉仕しなくてはなりませんね、これは。副隊長権限で、肩代わりできる部分はこっちでやっちゃいましょう。

 だから押し倒しに来るのは勘弁な! そういうのは、もうちょっと、こう、落ち着いた雰囲気で気分を盛り上げてからね……?

 

「おっと、余計なことを考えている暇はありません。――では副隊長として、本来の業務に戻ります。よろしいですね?」

「よろしくない理由などないさ。上手く誤魔化された気がするが、まあ仕事では遠慮なく頼りにさせてもらおう」

「不在だった分まで、働かせていただきますよ。とりあえずは、ザラ隊長の書類仕事を分けましょう。こちらで出来る分は、やっておきますから」

 

 ちょっと前までは、こうやって手分けして、書類と向かい合うのが日常だった。教官職も悪くはないけれど、古巣に戻って来たっていう感じがして、気持ちが楽になった気がした。

 教え子の命を預かっている、っていう自覚が、あちらではどうしても強かったからね。守るべきものを抱えていると、自分が弱くなっていくようで、変な気分だった。出来れば、二度とああいう立場にはなりたくない。

 

「助かったよ。私としても、これ以上煩雑な仕事に埋もれるのは御免だ」

「傷痍軍人への恩給とか、諸々の補償とか、軍内では何故か特殊部隊が担当することになっていますからね。……本来は官僚がすべき役割だと思うんですけど、ウチの軍隊は身内で全部完結するスタイルでやってきてますから。今さら外部の機関を頼るのは面子が許さない、と」

「結果、しわ寄せはこちらに押し寄せるわけだ。……泣けてくるな、まったく。事前にゼニアルゼの援助がなければ、どれだけの残業を強要されたかわからんほどだ」

 

 援助の資金で、新部署を設立。雑用はそっちでまとめてやってるらしくて、今は随分と仕事が楽になったらしい。

 戻ったばかりで詳しくは把握できてないけど、将来的にはこの書類仕事も処理してくれるんだろうか。

 

「こうした恩恵を考えると、シルビア王女の活躍を非難できませんね。わかってやっているのだとしたら、やっぱり半端ない傑物ですよ、あの人は」

「それはそれとして、今は私たちがやるべき仕事がある。余計なことを考えず、面倒はさっさと済ませような」

「あ、はい」

 

 午前中は、書類の整理だけで潰れてしまった。これで午後からも書面と向き合わねばならないと思うと、割と気が滅入る案件ですね。

 ……まあまあ、喫緊の案件はない訳だし、眼前の書類仕事は明日明後日に回していい物も多い。一日中机の上で拘束されるのは、私もザラ隊長も遠慮したい。なので、ある程度で一区切りつけて、気分転換を入れたいところ。

 身体を動かすなら、訓練に参加するのが一番いいのだけれど、最近訓練を希望する連中が多くて、なかなか申請が通らないらしい。

 ゼニアルゼからの援助のおかげで、それだけ暇してる連中が多いってことだが。男女の別なく、暇のつぶし方を知らない無骨な騎士が多いと思うと、ちょっとわびしくなる。もうちょっと、娯楽産業が発達してほしいです。割と真剣に。

 流通の改善が望まれる。他国の商人が出張ってきてくれれば、需要も増えて豊かになるでしょうに。たぶん、きっと、おそらく。

 

「些事に拘泥するのは、もうやめましょう。……特殊部隊は任務の幅が広いから、身体を動かす機会も多い。その点では感謝ですね。適当に時間を潰せる仕事は、探せばいくらでもあるわけですから。――さて、どのあたりに出動しましょうか。手ごろな標的は、と」

「……念を押しておくが、モリー。久々の現場なんだから、なるべく緩くやれ。初日からバリバリ働かれると、他の連中の仕事まで奪いかねんからな」

 

 その点の塩梅は、もうわかっています――と。あれこれと書類を吟味しつつ、治安維持と情報収集の任務を焦点に当てて決裁を進める。出動云々はジョークですよ、ええ、ええ。

 ともかく、自分が出張れる仕事を見つけ次第、口実を付けて赴けば、足を動かす理由になって、いくらかは気分転換になるだろう。

 私の権限で出来ることは、そう多くはないけれど。ザラ隊長にちょっと伺えば、すぐに答えが返ってくる現状で、出来ることはすべてやったと思う。

 

「……いい加減、筆を動かすのに疲れました。剣を振るのに疲れたと言うのであれば、騎士としての面目も立ちましょうが――机の上で倒れたとあれば、特殊部隊の沽券に関わります」

「その辺りは真面目に考えすぎない方がいいぞ。私としては、そこまで面目を気にしすぎることはないと思うがね。なんだかんだで、我々は必要とされているんだ。……そうでなければ、情報を取り扱う業務は、今頃官僚どもの方に投げられていることだろうよ」

 

 まあ、特殊部隊の存在価値について、いちいち語らなきゃならんほど、クロノワーク騎士の教育水準は低くない。文官連中だって、武官の仕事を奪って反感を買いたくはあるまい。

 その点では、不安があるわけじゃないさ。でも、私は外国から帰国したばかりだし、母国の居場所でヘマを犯したくないんだよなー。

 私自身、無謬とは程遠い存在だ。復帰早々に失敗して、つけ入る隙を作っては悔やみきれんよ。だから働きを示すのは当然としても、リスクはなるべく犯したくなかったりする。

 

「事情はおおよそ把握していますが、今後の立ち回りを考えるに、ここらで我々の存在価値を示していきたいんですよね。ソクオチを落としたからこそ、生まれる問題もあるでしょうし。……出戻りの身としては、色々と気を回したくもなります」

「お前くらい、幅広い任務に対応できる奴は貴重だし、高度な訓練を受けた騎士の活用は、いつだって望まれているものだ。潜入任務然り、情報収集然り。――あれこれと思い悩むよりは、目の前の仕事に集中したほうがいいんじゃないか」

 

 とまあ、諭されてはそれもそうだと思う。じゃけん、早々に外回りに行きましょうねー。書類で形式さえ整えてしまえばこちらのものよ。

 クロノワークがソクオチと開戦、したと思ったらソクオチ終了の流れで、今国内は団体さんが押し寄せてきているみたいなんだ。

 外からのお客さんを監視したり歓迎したり、あるいは叩きだしたりするのも、私らの仕事だからね。私自身、責任を感じるところもあるし、直々に持て成すのもやぶさかではないんだよ。

 

「私が諜報の場から離れて数か月。ほとぼりが冷めたと判断するには、ちょっと短いようにも思えますが――。いかがなものでしょう。許可をいただけますか?」

「ああ、良いから行って来い。……ソクオチの面々は見かけなくなってるだろうから、お前の顔を知らん奴も多いはずだ。私の権限で許可する。出来る限り、最善と思うことをやれ。後は、そうだな」

 

 人員の入れ替えは珍しいものじゃないから、一つ二つの醜聞など気にするな――と言われたら。それもそうかと思う。

 いつも通り、仕事をこなすことを考えればいい。これまでも、これからも。私はそうして生きて来たし、それ以外の道があるとも思っていない。

 

「では、失礼いたします。――責任を取る覚悟は、また後日と言うことで」

「意識してくれていると、そう思って良いんだな。ようやく、覚悟を決めたのか?」

「意識はずっとしていますよ。……貴女は、私にとって大事な人だ。その点について、疑問を持ってほしくはないのですが」

「知っているよ。ああ、わかっている。――初めて会ったときから、なんて。ロマンチックなことを言えたらいいんだが」

「実利をわきまえた上で、打算を込みで私を取り込みたいのでしょう? ……ザラ隊長、私だって知っています。貴女のことも、貴女の気性や本質についても。ですからどうか、後ろめたく思わないでください」

 

 純粋な好意だけで、私を求めるような人じゃない。あらゆる意味で、私自身の価値が暴騰している。ソクオチ攻略の立役者、シルビア王女の覚えめでたく、そしてあのザラ隊長の懐刀でもある。

 そうした希有な立場に、私は立ってしまっている。最近は自分の未来について、考える機会が多くなった。先日のあれも、それを強く意識させてくれたと思えば、あんまり恨むようなことじゃないだろう。

 元男としては、女性に攻められるのもアリと言えばアリだしね。限度さえわきまえてくれれば、それもまた愛嬌の内と言うものじゃないか。

 

「――これで死にたがりでなければ、私だってもっと穏やかにアプローチしていたさ」

「ご容赦を。……戦死こそが名誉である、とはもう言いません。それでも生に執着できない私を、どうか笑ってやってくださいな」

「そういう所は、本当に最初から変わっていないんだな。――同じようなセリフを、前にも聞いた。思い出すと、少しだけ悲しくなるよ。……ああ」

 

 ザラ隊長はまだ何か言いたげだったけれど、待たずに出る。外回りを任せられたなら、せめて完璧に仕事をこなしたい。

 今さら失敗しようもない、ただの見回りにすぎないけれど、今はひたすら外の風に当たりたかった。

 

「出ます。答えは、帰ってきてからと言うことで。……覚悟はもともと決まっていましたが、口にするのは特別な場面を用意してからにしたいのです。私なりのわがまま、お許しください」

 

 時間が必要なのは、お互い様だと思うから。言葉を尽くすよりは、自分を見つめなおしたい。その上でこそ、未来を語ることも出来るだろうと、私はそう信じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそもの話をするのであれば、発端について言及するのが筋であろう。

 モリーという少女が己を自覚したのは、物心がついたのとほぼ同時だった。

 

「あ、これ、別ジャンルのやつだ」

 

 口にした言葉がこれ。そして現代日本との差異を実感すれば、後は己を鍛える方向に思考がシフトするのは、当然の成り行きであったのだろう。

 異世界転生と言えば、テンプレート的な解釈が出来る。それくらいには、当人もアレな感性を持っていたから、生存の手段を探るためにも自己鍛錬は急務であった。

 しかし、自分にだけ都合の良い『ずる』が許されているわけではない。適度な負荷を掛けつつ、時間をかけて成長していくのが無難であろう。それを、モリーは早期に理解することが出来た。

 ともあれ、鍛えれば鍛えるだけ成果が出るというのは好都合だった。一個人がゴリラ相当の腕力を得ることさえ、今生では不可能ではない。ならば自らを痛めつける勢いで突っ走るのも、失敗が許される子供時代においては有用な手段だった。

 結論から言うならば、充分に傑出した力を得ることが出来た。まして、鍛錬以上に才があれば、なおのことであろう。

 

――初手でイメージしたのが修羅の国のアレだったから、なし崩し的にそれを維持してきたけど。なんか違くない? 誰も私のノリについてこれてないんだけど。

 

 わざわざ修羅の国(きうしう)をイメージしたのは、なんか中世から近世の間っぽい時代であったことと、元が日本人であるから騎士よりは武士の方に親しみがあったから。

 一番大きいのは、モリーの大本になった魂――とでも呼ぶべきもの。その記憶と性質が『死狂い』に寄っていたからに他ならない。

 

――正気にては大業ならず、って言うじゃない? 多少の無理をしてでも、自分の価値を高める努力は怠るべきじゃないし、実戦的かつ実用的な兵法は、痛みがなければと覚えられないものだ。

 

 幼児は少女となり、精神に追いつくように、身体もまた徐々に成熟していく。それを掣肘することなく、見守ってくれた両親には感謝しかない。日ごろから並外れた鍛錬を行いつつ、子供らしからぬ態度で親を敬し、孝養を心がける様を見て、父母はどんな感想を抱いた事だろう。

 あえて確認しなかったことを、今さら悔いるモリーではないが。

 少しでも親の幸福を満たすことが出来たろうかと、己を見つめなおすこともあった。

 

――私という魂の在り方が、いかに異質であり異端であろうとも。生まれてきたのは、間違いなく貴方がたが居てくれたからだと、そう信じています。

 

 『考』は『仁』の大本である、といえばいささか儒教的な響きに聞こえるかもしれない。

 しかし、かの名著『葉隠』においても親孝行を説く部分があり、日本人的な価値観としても、今生の家族を愛することに違和感はなかった。

 長く健在で有られたならば、老いた両親を養うのも苦痛にはならなかったろうと思う。そこまで長生きしてほしかったし、そうならなかったことを嘆きもした。

 それでも成人前に父母を失ったとき、モリーは悲しみに溺れることはなかった。彼女にとって、死はすでに既知のものであったからだ。

 

――冥福を祈ります。私の様になるかどうかはわかりませんが、輪廻転生の機会あらば、どうぞ御健やかに。

 

 死を思う。今を生きる。

 いずれも知り、いずれにも固執しない在り方は、モリーが前世に知った価値観が元である。

 それは数多のサブカルチャーであり、名高い古典も含まれる。葉隠はもとより、一種の教養に過ぎない胡蝶の夢や邯鄲の枕も、今モリー自身が自覚してみれば、なんとも感慨深い逸話であることか。

 なればこそ、唐突に突飛な考えが浮かんだり、ノリで突っ走ったりもするのである。

 

――そうだ。葉隠武士になろう。

 

 直感で思いつき、実際にそうなった――と言えるかどうか。厳密に判定するなら、いささか微妙かもしれない。

 一通りの知識はあるにせよ、葉隠の内容を一語一句完璧に覚えているかと言えば、そうでもなく。正しい解釈が出来ているかどうか、客観的に判断してくれるものは誰もいないのだから。

 こういうのは、勢いとノリが全てだった。そうと思い込める程度には、モリーの精神はすでに極まっていたと言える。

 前世では、どのくらいの歳月を研鑽につぎ込んだのか。詳細な記憶は消えていたため判然としないが、いずれにせよ怪人物と言って差し支えあるまい。そうした人物が騎士を目指し、実際になりおおせたのだから、世の中わからない。

 

 改めて鍛えなおしたし、書物にも触れ、今生の文化にも慣れた。それでも騎士階級にまで達するには、多くの困難と障害があり、凡庸な才覚ではたどり着くことすら稀であったはず。

 それを覆し、現実のものとしたのは、間違いなくモリー自身の力量である。前世を含めて積み上げたモノを発揮すれば、それは実現しても不思議のない範囲であったと言えるかもしれない。

 客観的に見て、モリー自身がどう見えるかを別にすれば。

 

――解せぬ。私、そんなに危険人物ではないと思うんだけど、どうして皆そんなに私を心配するのか。死ななきゃ生き残れないって、そんなに可笑しい価値観なのかなー?

 

 モリーが騎士として見いだされたのは、クロノワークが武辺者を尊重する文化を持っていたこと。武しか寄る辺のない辺境国家であったことに端を発する。

 もともと強者を尊び、虚飾を無用のものとして、実利だけを追い求める国民性があったのだ。女騎士なる存在を社会に組み込み、必要不可欠な歯車として成立させた一事を持っても、クロノワークの特別性を考察することが出来よう。

 他国にしても、女騎士の存在はあるが、クロノワークほど中枢に食い込んではいない。母国における女性の地位が高いことも、モリーの立場に味方をした。

 具体的に言うなら、性別の差別なく、実力主義の風潮が彼女を後押ししたのだと言い切ってもよい。

 教官の覚えもよく、対人関係も良好なら、推挙されて当たり前と言えるだろう。モリーは訓練生時代から実力を発揮していたものだから、新人として配属された時も、相応の活躍を期待されていた。

 

「兵卒のモリーです。若輩者ですが、今後ともよろしくお願いします」

 

 末端の兵士でありながら、まんべんなく才を示したものだから、一定の兵役期間を経て特殊部隊に配属されたことも――ある種当然の成り行きであったと言えるのだろう。

 モリー自身に自覚はなかったが、今後の成長さえ見込めるならば、成績優秀で人格に問題が無い場合、特殊部隊への配属は一番に検討されるものであった。当人に政治的な理由があったり、実家が有力者であったりしたら、また別の道もあったろう。

 しかし、そうした便宜を図られる立場にない彼女は、導かれるままにその道を走っていった。

 任務をこなしつつも同期を助け、出来ないことは誰かに託すことを厭わず。交流を重視し、上下の関係をわきまえて、不器用なりにコミュニケーションを怠らなかった。

 そうした人物が抜擢されても、不審に思われぬ。そうした環境を作れるくらいには、モリーは経験も才覚もあった。結果論だが、そう評するのがもっとも自然であったろう。

 

「ザラだ。特殊部隊の隊長をやっている。……この地位に付いて浅いが、人を見る目はあるつもりだ」

 

 ザラ隊長との出会いを、どう表現したらいいだろう。ちょっとした面接だと、呼ばれるままに彼女と顔を合わせたのだ。

 モリーは一次面接において、ことのほか自分を良く見せようとか、気に入られようとか、そんな努力はしなかった。ただ、ありのままの自分を見せればいいと思ったのだ。

 

「訓練と実働の内容は見させてもらった。総合的に見て、新兵の中では優秀な方だな、お前」

「お褒めの言葉、ありがたく存じます」

「……可愛げがないな。お前くらいの年頃で、面と向かって優秀だと言われれば、少しは自信を表して見せるものだが」

 

 お前には、おごりが見えない。感謝の言葉さえ、空々しく聞こえるのはなぜか――と。ザラ隊長は探るように、彼女に問うた。

 モリーはと言えば『目のクマが無ければ、結構な美人なのに惜しいことだ』――などと。そんなことばかり考えていたのだが、それはそれとしてよどみなく返答する。

 

「あえて申し上げるならば、私は当たり前のことを認めているだけです。他人と比べて、自分がどれだけ出来て、どこが出来ていないか。それを把握して理解しているという、ただそれだけのことです」

「己が優秀で当たり前、と言うか。なるほど、大した自信家だ」

「正当な自信ならば、持っておく方が健全であると言うもの。――足りていない部分は、それこそ他者を求めればよいことです。何事も全て、自分だけでやり遂げねばならぬという訳でもないでしょう。そう思えばこそ、同胞に対しては気遣いを惜しみません」

 

 可愛げがないのは、そういう所だぞ――とザラ隊長は言った。思いやりも過ぎれば嫌味だ。塩梅を考えて行動すべきだと、彼女は忠告する。

 だとしても、モリーは変わらない。入れるべき言は入れるが、己の本質までは変えられぬのが人と言うものの悲しさだ。

 モリーは、恐れ入ります、と無感情に答えた。それからも、軽くいくつかの受け答えをして、面接は終了した。

 

「……ともあれ、今期の新人の中では、一等出来がいい。お前のことは覚えておく。下がっていい」

「はい。では、これにて失礼いたします」

 

 モリーは抑えるべき場面では、きちんと礼儀正しく振る舞える人物であった。言葉も作法も、まずは洗練されていると言ってよい。

 あえて文句を付けようとすると、こちらの方が無粋に感じられるほどの雰囲気だ。そうした空気をまとえるのは、ある種の才能というべきだろう。

 武才と、礼法。その二つがかみ合って、モリーという人物を作り上げている。訓練を完了した後、実戦で功績を上げたことも、ごく自然の成り行きであったと見て良い。

 面接の後も、モリーは参加した戦いでは常に勝ち続けた。すべてが彼女のおかげであるとはいえまいが、ここぞという時には、必ず目を引く功績を上げている。

 それでいて、勝った時は自分だけではなく周囲の評価も引き上げる形で、共に戦功を立てているのが面白い。

 仲間との信頼が無ければ成り立たぬことであり、我が強いだけの武人には出来ぬ器用さが見て取れた。

 この時点で、二度目の面接は確定していたと言ってよい。ザラはモリーを再び呼びつける。

 

「あれから色々とあったが、この度の勲章の授与では、部隊の仲間と共に表彰されたそうだな。緊張はしなかったか?」

「一人だけで特別な勲章を授与されるというのであれば、ひどく緊張したでしょうが。……戦友と同じ名誉を共有する、誉れの場です。共に喜べる幸福を感ずるばかりで、固くなるどころではありませんでした」

「……図太いと言うべきか、おめでたいというべきか。どっちなんだろうな、お前の場合」

 

 そして表彰される場において、完璧な振る舞いで応えたのも、モリーの人柄あってのことであろう。ザラへの返答もそつがない。普通、新人はそこまで立派な対応はできないものなのだが――。

 だというのに、こなして見せる彼女の姿に、何かしらの面白みを感ずる。秀逸な個性であると、ザラは認めざるを得なかった。

 

「まあ、なんだ。良く戦い、良く生き残った、というべきかな。実戦はこれで、何度目だ?」

「そうですね。意識して数えてはいませんが……十を数えるほどかと」

 

 正確にはもっと多いことを、ザラは把握している。だがあえて過少に申告した意図も解っている。本格的な殴り合い以外は、数に入れていないのだ。

 小競り合いなど、敵や味方に多数の死者が出ない戦闘は、実戦の内に入らないのだという風潮が当時存在していた。

 これをわきまえたモリーは、戦時下のクロノワークにおいては、それくらいの認識で当然のことであると言葉で示した。

 如才ない奴め、とザラは内心で褒める。新人でここまで行き届いた返答が出来る奴は多くない。しかし、そんなことはおくびにも出さず、言葉を続ける。

 

「そんなものか。初陣からずっとその調子なら、昇進も早いことだろう。今後も、順調に実績を積み上げることだ」

「私だけの功績ではありませんが――過分な評価、痛み入ります。信賞必罰は組織の拠り所と言うべきもの。昇進などは、適切な時期に行われるだろうと思います。焦りはしません」

 

 殊勝なことを口にしているが、モリーの功績の中でもっとも派手なものは、『誰よりも多くの敵を斬った』ことである。合計すれば、百人以上はすでに斬り捨てているのではないか。

 それくらいには、同僚や上司の証言からも信頼できる証言が取れている。人斬り包丁としては優れているらしいと、ザラはモリーを評価していた。

 その上で協調性があるのなら、小隊を任せるくらいの器はあるかと、そこまで考える。

 

「まあ、批判はあるだろうが、味方とするには、頼もしい相手だと思っているよ。……昇進は早い方がいいな。正直、すぐにでも三十人くらいの兵を任せてやりたいところだ。お前なら、上手に動かせる気がする」

「ご期待に添えられれば、よろしいのですが。――ザラ隊長は、特殊部隊を任されておられます。貴女ほどの人物から信頼を受けるのは、それだけで充分な栄誉でありましょう。……人斬りの評価や報酬より、そちらの方がよほど嬉しく思います」

 

 モリーは、騎士として熟練する前から、さらりとそう言うことが言える女だった。

 そのままでは、阿諛追従、あるいは佞言と取られても仕方のない言葉であろう。しかし、彼女はそうした嫌らしい雰囲気を感じさせず、軽く言い放って意識させないような、不思議な所があった。

 言葉は使い方、使う人次第で、どこまでも変化するものなのだと、ザラは理解させられたのである。

 

「実戦を十も経験したなら、そろそろ新兵とは言えんな。……私自身がお前と戦場を共にする機会など、そうはないだろうが、もしもの時は覚えておいてやる」

「はい。ありがとうございます、ザラ隊長」

 

 二度目の際の印象はと言えば、別れてからもどこか頭の中に残ってしまうような、妙にさわやかな感覚があった。

 外面が美麗な訳でも、特筆した魅力があるようにも見えなかったのに、不思議なものであると、ザラは思う。

 特殊部隊の隊長ほどの人物が、そうした印象をぬぐえないのだから――これは何かしらの訓練を受けていたのかと疑ったが、軽く調べた限り、公式にはそんな記録は見つけられなかった。

 

 とすると、ごく自然に、自らの資質のみでああした振る舞いをし、結果を残してきたことになる。

 これは価値ある原石かもしれぬと、そうザラが思ったのも無理はないことだろう。

 

「あいつ。近いうちにスカウトして、さっさと手元で扱き使った方が、いい働きをするかもしれんな」

 

 本気で登用するつもりなら、さらに面接を重ねて適性を判断した後、テストを受けて入隊という流れになる。

 任務の特性上、やたらと隊員を増やせないのだが、モリーの才覚次第では抜擢もありうるかもしれない。この時点では、ザラはそう思っていたのだ。

 

 

 

 

 二人が三度目の邂逅を迎えたのは、終戦間近。自国も敵国も、上手な矛の収め方に悩んでいる頃だった。

 武装こそ解いてはいないが、使者のやり取りが始められて、本格的な交渉がこれから始まる――という時期。たまたま国境(戦時下ゆえ暫定的なものであったが)近くの防衛にモリーが付いており、特殊部隊が使者の護衛をしていたので、ちょっとした合間に顔を見ることも多くなった。

 

「奇遇だな、モリー。どうやら五体満足で生き残れている様子で、何よりだ」

「ザラ隊長こそ、お元気そうで何よりです。――前線へは、度々来られるのですか?」

「いや、今回はそういう任務でな。……詳細は言えんが、お前たちに迷惑はかけんよ」

 

 顔があったから挨拶したが、いつもは黙殺してくれていいと、ザラは言った。

 そう言うことであれば、とモリーも納得して見せた。――確かに、声を掛けてくることはなかったのだが。

 見かけるたびに、さっと微笑んで礼をしたり、眉を上げて喜びを表現したりするのは、何故か。そこまで好意を得るようなことはしていないはずだが? ――と疑問に思ったが、すぐにザラは気づく。

 そういえば男の影が全くないくせに、同じ部隊の仲間たちからは色々と騒がれていたな、と。

 

「なるほど、女たらしか、あいつは。好意を隠さないようにも見えたが、人間関係で衝突した話も聞かないし、案外上手にやっているのか? 護衛隊には入れないだろうが、これはこれで悪く評価すべき部分ではないな」

 

 利用価値があると、ザラは認めた。おそらく別の部署でも問題なくやっていけるだろうが、残念ながらそうはならぬ。今さら他所にくれてやるほど、ザラの気前は良くないのだ。

 

「素質は充分と見た。なるべく早く、ウチに引き入れてやろう。少々早い気もするが、問題はあるまい」

 

 足りない部分は、引き込んでから鍛え上げればいい。身内に迎え入れて縛れ、とザラの勘がささやいていた。

 自身の権限を活用すれば、手元に置ける。手順を踏まねばならないから、多少時間はかかるが、それくらいは許容範囲内である。

 好意の有無にかかわらず、ザラは当初、モリーの利用価値だけを見ていたのだ。……後に個人的な感情まで揺さぶられるとは、夢にも思わずに。

 だから、今度は自分から出向いた。護衛任務が終わり、これから終戦の宣言が行われるという段階になって、ザラはモリーを自らの天幕に招いたのである。

 

「モリー、お前はウチでもらうぞ。不本意であるかもしれんが、私はぜひ来てもらいたいと思う」

「私はただの兵卒に過ぎません。ザラ隊長に権限があり、そう望まれるのであれば、どうして拒否などしましょうか」

 

 モリーは表向き、反抗を示さなかった。しかしそれは従順を意味するものではないと、ザラの方も理解している。

 無味乾燥な言葉と、作り笑顔のモリー。付き合いの浅いうちから、義務感以上のものを求めるものではないと、ザラの方もわかっていた。だから苦笑するだけで済ませる。

 

「流石に全幅の信頼を寄せてはくれぬ、か。お前、仮に今私が死地に赴けと命じたならば、どうする?」

「死にまする。剣を手に戦い、多勢に囲まれるか、己が剣境を凌駕する手合いと刃を交えて、その結果として死するならば。まこと仕合わせなり――と、そう申し上げるほか御座いません」

 

 モリーは朗らかに笑って、そう言って見せた。死狂いとしての彼女は、まさに戦士としてこの上なく頼もしい。

 とはいえ、頼もしさも過ぎれば不安を呼ぶ。あまりにも屈託のない、明るい表情で言ってのけたものだから、これにはザラの方が面食らった。

 

「死ねと言われて、喜ぶ奴があるか。……ジョークで言ってるんだよな?」

「私は上官に対して、偽りを述べるつもりはありません。徹頭徹尾、本音で申し上げております」

 

 マジかこいつ、とザラは天を仰いだ。本気であれば、結構な割合で悩まねばならぬ。

 いちいち物騒な発言をする意図は何か? 『一緒に仕事したくない』という意味の暗喩か?

 それならわかりやすい話で、対応も容易だ。問題は、これが本心である場合。

 

「ザラ隊長が、冗談で言っていることはわかっていますから。ありえない仮定を持ち出したのですから、こちらも必要以上に正直に答えました。……私がそういう人間であると、理解してくだされば幸いです」

「だからと言って、あんな言い方をする必要はあるまい。……モリー。お前、楽には死ねんぞ」

「安楽死など、ハナから求めませぬ、お判りでしょうに人が悪い」

 

 戦って死ぬことが望みだと、モリーは言った。いわゆる武人肌の人物の多いクロノワークでも、そこまで闘争に狂っている者は多くない。

 これは、何かしらの要因があって、ここまでこじれているのだと、ザラは気づいた。それが環境的なものか、精神的なものかまでは、わからないが――。

 

「経過を見て行こうか。……この戦争も、ようやく終結だ。終わったら終わったで、また別の苦労があるだろう。それに耐えられるかどうか、見せてもらうとしよう」

 

 三度目の対談は、これでお終い。適当な挨拶をしてから、モリーと別れた。 

 次に会うのは、もっと時間を置いてからだと思っていた。ザラは本気でそうするつもりだったし、冷却期間をおいてこそ、冷静になれるものだとわかってもいた。

 ただ、状況がそれを許さなかった。再会は数日後、それも戦場においてであった。

 

「裏切り? この段階で終戦交渉を白紙撤回だと? ――信じられん愚かしさだ。あの国の連中は頭がわいているのかよ」

 

 終戦協定の調印がなされる、まさに当日。クロノワーク優位の終戦が許せぬ勢力によって、全ては御破算となった。

 クロノワーク側の使者は捕縛され、それまで話が進んでいた協定は全て破棄された。さらにほぼ同時期に軍隊を動かして攻め寄せてきたのだから、ザラでなくとも文句を言いたくなる展開であろう。

 不意打ちと言ってよい攻勢であったから、ザラとモリーがいる拠点にも敵方は突っ込んで来ていた。態勢を整える余裕がなかったために、ほどなく乱戦へと突入する。

 

「――敵の勢いからして、数はそこまで多くない。後のことは撃退してから考えるか」

 

 他所の動きはともかく、ザラの方はそこまでの劣勢は強いられなかった。彼女ら特殊部隊のみならず、他部隊とも連携すれば、一時の平穏を得ることも出来よう。

 戦術的な采配において、彼女はクロノワーク有数の戦巧者であった。なればこそ、最適な行動も即座に取れる。

 その過程において、ザラとモリーは同じ戦場に立ち、お互いに見える範囲で剣を振るうこともあった。これも縁というべきか。

 

「奇遇ですね。……私のこと、まさかお忘れではありませんよね?」

「戯れ言は良い。モリー、お前は誰の指揮下にいる?」

「上官殿は、さきほどお亡くなりになられました。ちょうど近くにザラ隊長が居りましたので、ついでに我々の指揮をとっていただこうと思い、参上した次第です」

 

 手にした剣から敵の血を滴らせながら、モリーはそう言った。鞘はどこかに投げ捨てたのか、抜身のままである。

 平時であれば無作法を咎める所だが、緊急時だ。とにもかくにも、逆襲に出なくてはならぬ。

 

「やられたらやり返すのが基本だ。信義も知らん相手に、お行儀よくやる必要もあるまい。――ついてこい。暗くなるまでに、一仕事終わらせよう」

「はい、喜んで」

 

 特例中の特例だが、現場で徴集した兵を指揮下に組み込み、指揮官が独自の判断を行うことは認められている。

 代わりに成果を出さなければ、相応の罰が待っているのだが――ザラは無謀な冒険心などとは無縁の女性であり、勝算があればこそ速攻を選んだのだ。

 

「私の指揮は多少乱暴だぞ。頼むから、脱落してくれるなよ」

「もちろん。貴女の傍で、学ばせていただきます」

 

 そうしてモリーは、今度はザラの元で戦うようになった。特殊部隊へ編入され、まっとうでないやり方を覚えたのもこの頃である。

 戦とは、正面から殴り合う事ばかりではない。そして後ろ暗い戦いの中でさえ、モリーはその才覚を一切陰らせなかった。

 ザラが目を見張ったのは、白兵戦の強さ。それも自分だけではなく、他者に己の狂気を感染させる手法である。

 

「冷静に狂うのって、見ていて恐ろしいんだが。あれは狙ってやっているのか?」

「クロノワークの訓練自体が、世間一般から見て狂っているので。……ノリと勢いで狂気に染めるのは、たいていの指揮官がやっていることでしょう。私はまだまだ精度が足りてないと思うんですよねー」

「……試しに三十人率いさせて、本当に倍以上の敵を叩きのめしてこれる奴は多くない。熟練したらどれほどのものになるやら、興味深いな、まったく」

 

 天は二物も三物も与えたのだと、そう理解するほかなかった。戦争に関わらなければ、覚醒しなかった才能だと思えば、ザラは殴られている連中にも同情してやりたくなった。

 

「しかし、そろそろ打ち止めでしょう? そうなれば、私はお払い箱です。ザラ隊長は色々と動くことになるんでしょうが、私は原隊に戻ることになるのでは?」

「敵にはもう兵力が残っていない以上、確かに戦闘はこれまでだが――お前を原隊に帰してやるつもりはないぞ、モリー。まあ、人事より先に終わらせておくべき仕事が残っているから、そちらが先だがね」

 

 クロノワークと、その敵国の戦いは、結局相手を滅ぼすまで終わらなかったのである。

 後に国名すら残さず、国土は余すところなく参加国で分割され、ありとあらゆる利権はクロノワークが音頭を取って配分された。

 国元の官僚だけではなく、今回はザラも直接交渉に参加し、軍隊による脅しも含めて、反抗の余地のない話し合いになり――。

 おおよそ刈り取った利益をかんがみれば、一度くらいは協定も破られてみるものだ、と言えるくらいの結果はもぎ取れたと言えよう。

 

「しんどい仕事だったが、これで一区切りか。やるだけやった、もう後は知らん」

「お疲れ様です、ザラ隊長」

 

 終戦の後も、なんだかんだでモリーとザラの付き合いは続いていた。正式に特殊部隊へと配属させるには、まだいくつもの書類審査を通らねばならないが。

 権限はザラにある。採用は決定事項であるのだから、今から顔をつないでおくのも悪くはあるまいと、彼女は考えていた。

 

「長い付き合いになると良いな。……耐えられずに辞めていく奴だって、いないことはないし。戦傷で退役することだって、ないとは言えん」

「まあまあ、今から憂うようなことでもありますまい。よろしくするのはもう少し先のことでしょうが、ザラ隊長の下で働けることを、楽しみにしていますよ」

 

 以後二人の関係は長く続き、結果としてモリーとザラは、運命を共有する仲となった。

 クロノワーク特殊部隊の活躍は、各国にまで広く知れ渡り、それはソクオチ攻略によって不動のものとなる。

 

 防衛線の戦功によって、ザラの存在はさらに大きく、重みを増すこととなった。

 首都強襲によって、モリーの名声は、もはや以前とは比べ物にならぬほどに高まってしまっている。

 

 未来について、これからの身の振り方について、真剣に考えるべき時期である――と。

 そのように二人が考えたとしても、不思議ではなかったろう。

 

「ついに、戦いの中で死ねなかった、なんて――ね」

 

 まだ、未来はわからない。モリーにとっては、戦いの中で死ぬことが望みであった。

 無残に死ななければ、清算できぬほどの罪を犯した自覚もある。あまりに殺し過ぎ、死なせ過ぎた。

 そう思えば、人並みに幸福を得ることが、どうしても怖かった。一度幸福を得てしまえば、失うことに恐怖し、平静ではいられないのではないか。今まで積み上げてきた自分の精神を、崩壊させるきっかけにはならないか――?

 モリーは、考えつくさねばならなかった。己を変えるべきか、ありのままの自分を維持すべきか。

 

「どうしようが、なにをしようが。きっと、受け入れられて、ゆるゆると生きていく道もあるのでしょう。……まったくもって、柄ではありませんが」

 

 望まれるままに生きる道もある。それを理解しつつも、まだ曖昧な関係の中で揺蕩っていたい。

 状況が大きく動くまでは、せめてゆっくりさせてほしいのだと。そうした儚い望みの中で、モリーは生きているのであった――。

 

 

 

 




 取り急ぎ投稿させていただきました。

 至らぬ点があれば、遠慮なくご指摘ください。なるべく早く修正いたしますので。

 ギリギリなので、ここまでにさせてください。では、また。



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戦後についてのお話


 色々と書いたり直したりで、今も悩んだりしています。

 とりあえず先に進まなくてはならない、と思って投稿しました。

 あんまり話に動きがありませんが、どうかご容赦を。 



 生きている内は、悩みって尽きないものなんだなぁって。最近は何となく気落ちすることが多いモリーです。

 だからと言って、仕事に手を抜けるわけもなく、勤務に穴をあけること等ありえません。

 言うても特殊部隊は精鋭の集まりなんで、私が心配する余地なんてないんですけどね。気がかりがあるとすれば、ソクオチ関連ですけれど――。

 

「王子様は、ウチの姫様にご執心だ。人質である自覚はあるはずだが、どうにも絆されている感じがする。――こちらはこちらで、将来的にどうなるかは未知数ではあるが、期待を込めてもいいくらいには順調だろう」

「内輪で囲んでいれば、とりあえず大きな問題にはならない、と。我々とは別の部署で、関係ない分野ではありますが。ソクオチを担当している官僚たちは、結構な苦労をしているんじゃないですかね」

「……そっちを気にするのがお前らしいな。しわ寄せがくることを懸念してのことだろうが、今のところ運営状況は悪くない。この辺り、わざわざ口ばしを突っ込んでもいいことはないぞ」

 

 ソクオチはクロノワークの管理下にある。ゼニアルゼは賠償金だけを分捕って、国土自体に手はつけていない。……あくまでも名目上は。

 ぶっちゃけ、ゼニアルゼの資金援助が無ければ、こちらもソクオチを管理掌握する余裕なんて消し飛んでしまうんだから。どこまで行っても、シルビア王女に首根っこ掴まれている現状に変わりはない訳です。

 

「それはそれとしてもザラ隊長、楽観していい状況とも思えません。身近に視点を合わせるなら、人の心は変わるもの。男心はなおさらと言うものです。……王子の齢は十、多感で未成熟な男子なのですから、扱いは慎重にするべきでは?」

 

 未熟な男女の色恋沙汰、それを楽しみたい気持ちは理解しよう。

 年頃の姫様と王子様が、近しい所で寝起きしているのだ。男女の色恋沙汰は、どこでも関心事であるし、応援したくもなるだろうさ。

 でも野次馬の期待のために、子供たちは生かされているわけじゃない。当事者の気持ちをかんがみれば、余計な気を回してもいいことはないと思う。

 

「心配なのはわかるが、安心しろ。エメラ王女は、シルビア王女と比べれば驚くほど心優しいお方だ。男心を弄ぶことはあるまいし、傍目にも気遣いは十分すぎるほどになさっている。……恋愛感情まではわからんが、将来的には候補の一人くらいにはなっているかもな」

 

 ソクオチの王子様の扱いは、今後の外交において基準になるだろうし、重要視すべき案件なんですよね。

 敗者の常とはいえ、ソクオチの国体を維持する名目だけで、王子は生かされている。滅ぼされても王族が健在で、そのうち復活することが明言されているなら、あえて反乱を起こす気力も沸いてこないと言うものだ。

 

「候補の一人、ですか」

「あくまで候補。そうしておけば、最低限の体裁は整えられる。……実際には、適当な都合のいい相手をあてがわれるだろうよ。思えば不憫な男の子じゃないか、あの王子様も」

「……エメラ王女が是非に、と望まれない限りは。もしそうなったとしても、ソクオチがクロノワークの紐付きになるのは確定ですし、主導権はこちらにある、と。戦争に負けたのだから仕方ないと言えば、そこまでですが」

 

 成人すれば国王として、ソクオチの領土をまるっと相続できる――か、どうかと言えばいささか微妙なんじゃないかな。王位継承は認められても、権限のないお飾りってパターンが鉄板だと思う。

 表向きは防衛の結果ってことになってるけど、クロノワークとゼニアルゼが、共同で攻め潰した初めての国家なんだから。切り分けた肉は、身内に分配したくなるのが心情というものだろう。

 外交的には共同声明を発表済みだし、そこまで無体な扱いはしないとしても、命の保証と権限の保証は別物だ。

 クロノワークとソクオチで、王族同士が交わることがあるならば、実質的にはこちらがあちらを併合する行為と言って良い訳で。……周辺各国としては、クロノワークがソクオチの領土を食らって、大きくなることを危惧するのは当然の流れになる。

 

「考慮するに、これまた怪しくなりそうな情勢ですね。ゼニアルゼのシルビア王女は、今頃どんな絵図を描いているやら。――そう思えば、あの王子様をおざなりに扱うのも気が引けると言うものではありませんか?」

「ご意見ごもっともだが、ソクオチとクロノワークが一つになるとしても未来のこと。未来のための布石は重要だが、まずは目の前の仕事も処理せねばならんぞ」

「最近はだいぶ楽になりました。……まだ仕事は残ってはいますけれど、ちょくちょく暇になるくらいの余裕は出てきましたので。余計なことを考えるのは、そのせいですかね」

 

 私としては事実を述べただけだし、ザラ隊長も実感しているはずのことだ。だから普通に口にしただけなんだけど。

 彼女は意味ありげな笑みを浮かべて、私の言葉に応える。

 

「ほうほう。……合間に余計なことが出来るだけの余力はあるわけだ。いや、私自身わかっていることだが、最近は暇を持て余していかんな。新兵の教育も、以前とは比較にならんほど温くなっているらしいぞ? でないと、別の仕事を求めて出て行ってしまうそうだ。これは、国全体に余裕が出た弊害だな」

「ははぁ、それは結構なことですね。……いえ、十年後二十年後を考えると、軍隊の弱体化は深刻な話になりますが。それこそ別部署の問題ですし、私たちが憂慮しても仕方ないんじゃないでしょうか」

 

 それはそうだけど、私ら特殊部隊に関係があるんだろうか。あるんですよね、そうじゃないとザラ隊長がわざわざ話題に出す訳ない。

 副隊長に復帰した私としては、この前置きに不吉なものを感じるのです。ザラ隊長って、話の流れにさらっと難題を乗せてくるからね。警戒するのも仕方ないと思うの。

 

「で、物は相談だが」

「……はい」

「例のソクオチの王子様だが、相当大事に育てられてたみたいでな。剣の握り方から体の鍛え方まで、エメラ王女が心配するレベルで出来ていないらしい。王家の剣術指南役はもとより、ウチの教官たちも持て余して、扱いに苦労する有様だ」

「それはそれは。……彼も王子としての立場があるでしょうし、肩身が狭い思いでしょう。同情します」

「王子自身、劣等感を感じているようでな。――せめて男子として、エメラ王女に恥ずかしくない力量は身につけたいと望まれている。いじらしい話だとは思わんか?」

 

 何やら話が不穏な方向に進んでいる気がする。

 ええと、それで何の相談なんでしょうか。王子様が身の丈に合った望みをかなえたいなら、私が出る幕はないと思うんですけど。

 

「クロノワークとしては、外交的にもソクオチの王子様に、無体な真似は出来ん。むしろ丁重に扱って、将来の布石にしたい――というのが前提の話だったな?」

「ええ、まあ、それは。……理屈はわかりますが、私には関わりないことでは?」

「ところがそうでもない。――モリー、王子様からの御指名だ。自分をさらって、ソクオチを見事なまでにかく乱し、武力でも交渉でも上回った女騎士殿に、直々に指導してほしいとの要望でな。――教官たちは新兵の訓練に集中させたいし、現役兵で他国の王族に、適切な訓練を施せる人物を探すのも難しい。で、お前にお鉢が回ってきたという具合だ」

 

 だからって、どうして私に王子様の指導なんて役割が回ってくるのか。年頃の男の子にどうやって接したらいいのか、私にはわかりません。

 ……いや、私は今でも男だし? 体は別だけど精神は男の子だから。自分本来のノリで接すれば、案外上手くいくかも。

 いや、でもなー。失敗したら取り返しが利く話じゃないでしょ? これ。――ああ、なるほど。つまりこれは、『誰が貧乏くじを引くか』って話なのか。

 

「……私なら出来る、と見込んだ理由は? むしろ直接的に関係している以上、かえって反感を買ってしまうのではありませんか?」

「それはそうだが、似たような経験はあるだろう。ソクオチの諜報員を軽くあしらった経験と、ゼニアルゼの淑女を精兵に変えた実績を買われてのことと思え。――出来れば私としても、特殊部隊の政治的な功績を強調するために、お前に王子様のお守りを頼みたいと思うんだが」

 

 貧乏くじを引いて見せて、特殊部隊の有用さをアピールするってことですね。わかります。

 失敗したらこっちで泥をかぶるわけだから、よそに借りを作れる。成功したらその実績を以て、自らの能力の証明になる。

 もちろんメリットだけじゃなくて、デメリットも当然あるわけだけど、全部飲み込んで私が担当するのが一番だって、ザラ隊長は思ったわけですね?

 

「いいんですか? 私のノリでやっても。やり過ぎて、お叱りを受けたことだってあるんですよ?」

「結果としてどうなれば成功で、何を以て失敗と定義すべきか、微妙な問題なんだ。将来的に禍根を残さなければ、それでいい」

 

 それでも駄目か? とザラ隊長が困ったような表情で求めて来たならば。

 私に断りを入れる余地なんてない訳ですね。……惚れた弱みと言えばそれまでだけど、それ以上に年頃の男の子を応援したい気持ちもある。

 だから引き受けること自体に問題はない。ただ、懸念すべき事柄は当然あった。

 

「私は、直接的にソクオチを害した人物と言って、差し支えないと思うのです。……くどいようですが、王子様の中にも、わだかまりとか憎しみとかが眠っていて当然でしょう。これを私に向けるようであれば、指導にも悪影響があるかもしれませんが」

「悪影響か。――さて、理屈としてはその通りだろうが、あちらはあちらの事情があろうさ。楽観的に考えるなら、こんな話が通る時点で、そこまで大きな恨みは買ってないと思ってもいい。ソクオチの王子様は、気になる王女をひきつけるためならば、一時の恨みを忘れるくらいはできるんだろう。……本当にそうであるなら、別の意味で心配だが」

 

 実際のところ、やる気があるかどうか、それが一番大事だ。

 だから、本人の気持ちを聞けるなら、そうしたいと思う。両者の同意なしに、効果的な指導は望めないのだから。

 

「気になる王女をひきつけるためならば?」

「好きな女子を振り向かせるためならば。……なんて、そんな風に言うと色ボケした男の戯言にも聞こえようが。これを十歳の男の子が、しかも攻め滅ぼした側の王女に言う言葉だとしたら、実にロマンにあふれている。――そうだろう?」

「それが本心であれば、ですがね。直々に本人から聞いたわけでもない以上、判断はできません。――微妙なお年頃の男の子ですし、あんまり露骨な聞き方だと、正直に答えないかもしれませんが」

「まさに、前途は多難だな。……と言っても、断る気はあんまりないんだろう? 子供の指導くらいなら、空いた時間を潰すいい口実になる。それが私のためになるのなら、なおさらお前は断れない」

 

 ええ、ええ。それはそうなのですが。ちょっとアピールが強くなりましたねザラ隊長。

 心境の変化とは、結構大きなものなんですね。ソクオチの王子様を笑えません。

 

「人質は基本暇を持て余すものだからな。許可さえあれば接触は容易だ。――本日中には面会できるよう、体裁は整えておいてやる」

「ありがたいことです。……では、そのように」

「苦労を掛けるな。私だって、思うところがないわけじゃない。しくじったところで、責めたりはせんよ。――この埋め合わせは、また。いつか、する。……うん」

 

 私の頭の中は、すでにこれからの指導についての考えで占められていた。初心者を玄人にまで引き上げるのは大変だが、やってやれなくはないと信じたい。

 数奇な運命だが、これが敗者の扱いだと思えば、まだしもマシな方だろう。

 敗戦国の王子様なんて、冷や飯を食わせられ、飼殺されても仕方がない立場だ。訓練に参加し、剣を振るう自由が許されるだけ、温情はあるのだ。

 敗者に救いを――なんて、今さら考えるほど慈悲深い性質でもないが。それでも子供に対しては、誠実に向き合いたいと願う。

 まさに、誠実さこそが、子供に対する大人の責任であると思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 くだんの王子様と面会する前に、色々考えましたが。話を単純にすると、受け入れやすくなると思うんだよ。

 実際、ソクオチの王子様が、ウチの姫様と仲良くやってるって話は微笑ましいからね。口や手を出すのは問題だけど、見守るくらいなら許される。

 ぶっちゃけ敵対国の王子様と、こちらの王女様が良好だっていうのは、外交的に大きなアドバンテージだ。

 良く言われているように、将来的に結ばれるようなことがあれば、合法的に二国を併合できるわけで――それが一番うまみのある話なんだからね。

 そこまで事を進めるには、多くの障害はあるだろうけど、クロノワークとしては望ましい展開には違いない。だから、なるべく都合よく話が進むよう、誰も彼もが期待している――と。

 

 現状としては皮算用にすぎないとしても、これはソクオチとしても悪い話じゃない。あちらは王様が心労でポックリ逝っちゃって、王子様だけが残された状態だから、保証は欲しいはずだ。

 クロノワークが主導権を握って采配するなら、ソクオチの名は残せる。国土の管理はこっちで引き受けるけど、建前の国体は維持できるわけで、土着の士官や官僚たちに不利益はない形になる。

 結局は、両国にとって無難な形に収まるわけだ。ソクオチはクロノワークに同化する形になるが、別段差別意識があるわけじゃないし、格別憎しみがあるわけでもない――よね。

 そう願いたい。珍しく、極めて短期間に手じまい出来た戦争だから、憎悪をあおる様な出来事もなかったはず。

 ソクオチの王子様の意識しだいだけど、クロノワークと協調してやっていく気があるなら、必ずしも併合は悪い手ではないんだ。

 両国の国力を合わせて、正しく国益を分配するなら、誰にとっても損にはならないと思う。それが理想に過ぎないとしても、その為の努力を怠ってはならない。なればこそ、ソクオチとクロノワークの王族同士の交流は意味のあることだと、私は信じている。

 もっとも、加害者の屁理屈に過ぎない――と言われれば、その通りだ。この部分だけは、本当に突かれると弱い。だからこそ、余計な装飾を付けてでも誤魔化したくなるわけで。

 

 ……まあまあ、色々な打算込みでソクオチの王子様をクロノワークに連れてきてる訳ですからね。

 私としては、首都強襲の際にアレコレやらかしたから、ちょっと気まずい感じもあるけど、幸せになってくれたらいいなと個人的には思います。なのにどうしてこうなった。

 

「お前がモリーか。あの時は世話になったな」

「はい。私があの時にお世話をしたモリーです。……本日はお日柄もよく――」

「世辞は良い。剣を教えよ。お主は仇敵ではあるが、教導にも優れていると聞く。……手段を選ぶ余裕もないし、当面は頼らせてもらうぞ」

 

 こうして顔を合わせて見ると、実に不思議です。なんでか仇であるはずの私に、ソクオチの王子様の指南役が回ってきましたよ?

 話を聞いた時は疑ってたけど、顔を合わせて言葉を交わせば、実際に本人が望んでのことだと、ここでようやく理解できる。

 王子の顔に気負いはなく、憎悪の色もない。そうした境地に至ったからには、真摯に課題に挑む覚悟があるのだと、信じたくなりますね。ええ、ええ。

 

「私モリーが、あの戦いでどういう立場にあったのか。ご存じなのですね?」

「当たり前だ。そうでなくて、どうして『世話になった』などと言える。その能力を買ってやっているんだ。何が悪い?」

 

 他者が曲解した解釈をしたわけでもなく、純粋に王子様は私の指導を求めているらしい。わけがわからない。

 私、貴方を誘拐したり交渉のダシにしたり、割と酷いことをした自覚があるんですが。

 

「話を聞いた時は冗談とか、私に対する意趣返しだとか思ったものですが。……本気なのですね?」

「これでも、同年代と比べて頭がいい自覚くらいはある。子供だからと言って、馬鹿にするなよ。お前は将来、ソクオチを統治する王を前にしているのだ。――偽りなく、本気で僕を指導しろ。そして、それがお前の悪事に対する償いだと思うがいい」

 

 ソクオチの王子様は、毅然とした態度でそう言った。恨みには思うが、今は飲み込んでやろうという、そうした姿勢に名君とか暴君とかの資質を感じます。齢十でこれとか、末恐ろしいですね、いやはや。

 とはいえ本気で誠実に指導するとなると、マンツーマンで付きっきりになってしまう訳で。嫌とは言いませんが、良家の女子と王族系男子じゃ指導の感覚も違うだろうし、ちょっと厄介かもしれない。

 でもこれも勅命と思えば、優先せざるを得ないわけで。王様からもくれぐれも便宜を図るよう命じられているし(指導の許可証に、そうした一文が添えられていました)、この王子様はエメラ第二王女とも仲がいい。

 様々な関係性を考慮すれば、やっぱり無下にも出来ぬ。難しい仕事に苦しみつつも、適切な行動を求められている。これで失敗したらと思うと、今から頭が痛いね、まったく。

 何はともあれ、宮仕えの辛さを、改めて実感している次第です。基本王族って身勝手なものだからね、仕方ないね。

 

「もう嫌だ、やめたい、と。本気でそう思ったら、いつでも言ってください。断念して諦める勇気を持つのも、時には必要なことだと思いますよ?」

 

 やるとなったら容赦しないよ。それでこそ誠意であると、胸を張れる。

 だから、事前に無理そうならそう言ってくださいって、私としては穏健に話したつもりだった。

 

「舐めるなよ、それは勇気ではあるまい。諦めは諦めじゃないか。……僕はソクオチの王子として、クロノワークの姫に対して、恥じることのない立場を求めたい。その為なら、仇だって利用してやるんだ。それだけの覚悟を持っているんだって、わかってもらいたいな」

 

 うーん、これは統治者の器ですわ。シルビア王女みたいに、『他人は自分に従って当然』っていう、貴種特有の傲慢さを身につけていますね。せめて尽くす甲斐のある、立派な統治者になっていただきたい。

 これが他人事なら、全力で応援してあげたいよ。でも王子様の実家を直接的にぶっ潰した私としては、気まずさを堪えるところから始めなくてはいけません。

 具体的には、もうちょっと話しましょうか。理解のためにも会話は重要です。

 

「理解は示しましょう。ソクオチの王子様は、立場的にも難しい位置にあると思います」

「なら、期待に応えよ。僕は強くなるべきなんだ。そうだろ」

「……まあ、結構です。お望みとあらば、全力で応えてあげようではありませんか。ただし一度始めたならば、途中で嫌と言っても抗議は聞きませんからね?」

 

 毒食らわば皿まで。やるとなれば徹底的に。

 私が指導するならば、あらゆる意味で強くしてやりたいと思う。本気でそう望むならば、指導を受ける側にも相応の負担を求めたい。

 最後まで貫き通すという、強い意志が無くてはならない。さりとて、ソクオチの王子様にそこまで強要してよいものか。

 指導の内容については一任されているのだが、やはり相手の同意を得られてこそ、効果的な訓練が出来るものだ。無理やりやっても、結果は出ない。

 

「今さら遠慮か? 僕を寝室から拉致した時は、もっと大胆だったろう。……あんなに乱暴にしておきながら、今になって訓練に手心を加えるなんて。そっちの方が、絶対おかしいぞ」

「政治です。すべては政治なのです。どうか数少ないソクオチの王族として、自覚を持ってください」

 

 今さらくどくどと説教を続けるのは筋違いというか、往生際が悪いようにも見えるだろう。それでもわざわざ遠回りするのは、理由がある。

 明確な意思を、言葉にしてもらうためだ。一度口にしてしまえば、その言葉には力が宿る。

 自分の言ったことを自覚して、その通りに動こうとする『一貫性の原理』が働くわけだ。これを利用しない手はない。

 

「自覚? 自覚とはなんだ。僕がソクオチの王になるのは、決まっていることだ。今さらそれが何だと言うんだ? 未来の王を指導できるのだぞ。光栄に思ってもいいくらいじゃないか」

「……まあ、とりあえず覚悟はある、と。もう一つ疑問があるとするなら、どうして私でなければならなかったのか? 今の剣術指南役が気に入らないとしても、他の教官はいくらもいます。専門職ではない私を選んだ、その真意をお聞かせ願いたい」

 

 王族への剣術指南役は、実際には軍属じゃなかったりする。

 剣術指南って、かなり近い距離で接するものだから、人選にも政治的な配慮がいるわけで。あんまり軍と王族を近づけすぎると、官僚たちが面白くないってのもあるんだろう。

 ――他にもややこしい組織的なアレコレがあるんだろうけど、それを曲げて私に話が来た時点で異例だ。

 ソクオチの王子様は特別だから、という点を置いても、本人がそれだけ強く望まなければ在り得なかったはず。

 

「真意? 理由ならもう言ったぞ。お前には実績もあると聞いた。女子に出来て、僕に出来ないと言うことはないだろ。やると言ったら、やるんだ。――さあ、もう問答はいい。さっさと訓練を始めてくれ」

 

 よし、とりあえず同意も取り付けたんだから、細かいことはもういいよね。

 誰かの紐が付いていたとしても、当人の自覚が無ければ意味のない話。やっぱり子供に対しては単純に、誠意をもって対応すべきだと思いました。

 

「わかりました。今日は初日なので、軽く流していきましょう。まずは、いつもやっているメニューを消化しましょうか」

「……あれで軽いのか? 結構きついと思うんだが」

「私の指導方針に従ってください。それが、私を選んだ貴方の義務です。――よろしいか?」

 

 私は仮面を付け替えた。私人としての感情を捨て、公人としての義務を果たそうと思う。

 女騎士の役目は投げ捨てて、教官として生徒に真正面から向き合おう。それが彼にとって、本当にありがたい事かどうかは……。

 まあ、未来の王子様が考えることだと割り切って。私は私なりに、正直かつ丁寧に、指導すればいい。それが誰の為でもあると、信じることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーが王子の指導をしている頃、護衛隊隊長のメイルはゼニアルゼからの帰途についていた。

 馬車の定期便は、安価で安定した走行を保証してくれる。道路状態も良いから、帰国までの道のりはそう遠くなかった。

 トンネル工事が終わり、通行の便が良くなったせいだろう。事あるごとに、それこそ暇つぶしのような用事で、メイルはシルビア王女に呼びつけられている。

 出張のボーナスが出るのは良いし、こちらも暇を持て余していることもあってか、苦情を申し立てるほどでもないのだが。

 流石に外出が多くなると、様々な出来事に巻き込まれやすくなる。例えば、頭の上がらない恩師と出くわしたり、帰路が一緒になってしまうとか、色々と。

 

「――というわけで、凌辱する悪漢にも色々あってな。わかりやすいのは、飽きたら売るタイプと壊すタイプな。売る方は、売り物の衛生に気を付けるから生存率も相応に高くなる。だが壊すタイプは駄目だな。救助が来ないと、まず死ぬ。私は早めに助けが来たから良かったが、前任者がどうなってしまったのか、あんまり考えたくはないことだな」

「……教官。話のタネがそれしかないからって、あんまり語るのはどうかと」

 

 帰り道には、クッコ・ローセ教官も同行していた。それは別段いいのだが、教官のトーク術は刺激的過ぎて、馬車の中の空気が悪くなって仕方がない。

 ただ、一人だけ。東方からやってきたという女商人だけは、真剣に話に聞き入っていた。

 

「いえいえ参考になります。ためになる話をしてくださっていると、わかりますから。できれば、続きを聞きたいくらいですよ」

「お? そうか。なら」

「教官。その人は別ですが、他の客がドン引きです。自重してください」

 

 名は聞いていないが、女商人は服の意匠からして異国風だった。自分の服装は、宣伝を兼ねているのだろう。

 物珍しい東方の交易品をもちこんで、クロノワークなりゼニアルゼなりで商売をするつもりだと、傍目にもわかる。それでいて生臭い商売っ気を感じさせない、その場の空気に合わせる作法もわきまえていた。

 

「いやいや、お気になさらないでください。我々一般客は、現役騎士であるお二方と乗り合わせることで、護衛費用をケチっているんですから。ちょっとしたユーモアくらいは、許されて然るべきでしょう」

「ほーん。だから文句は飛んでこなかった訳か。――ま、少しは気を使ってやるべきかね」

 

 教官はそう言ったが、メイルには疑問だった。少し、という程度で充分なのか。

 この場には、一般的な年若い女性もいるのだ。軍隊式のユーモアは、良くも悪くも過剰なのが常である。

 もうしゃべらない方がいいんじゃないのか――と危惧しているうちに、さらなる問題発言が飛び出してきた。

 

「せっかくだから、助言でもしようか。――そこのお嬢さん」

「え、はい」

「気分が悪そうだが、上からでも下からでも、排泄行為はちゃんと馬車から見える範囲でやるんだぞ」

 

 何を言うんですか――って、キレられても仕方がないとメイルは思う。

 実際、その一般女性も食って掛かりそうになったが、追加の忠告によって黙ることになった。

 

「私と同じく、捕らえられて犯されていた女の中に、どこかの家の御令嬢がいてな。――護衛から離れて、見えないところで腰を下ろしている最中に、サッとさらわれる。そういうケースが、結構多かったんだよ」

 

 一般の女性には、想像することすら難しい。まさか、用を足しているところを襲撃されるなんて、考えたくもないことだろう。

 だが、まさに。そうした弱みを突いて、他人を食い物にするからこそ、この世において悪党と呼ばれるのだ。

 

「言ったろ? この世には酷い悪漢がいくらでもいるってな。……一度さらわれたら、生きていられるだけでも有難いだなんて、そう思いながら地べたを這いつくばることになる。嫌だろ? そんなの」

 

 クッコ・ローセ教官としては、真摯に忠告しているつもりである。油断を戒め、教訓として生かすために、過去の失敗談やら残酷な現実を説くのだ。

 傍で見ているメイルは、わかるけど言い方を考えてほしいな、くらいの感想で済んでいるが。

 そうした教官に諭された一般女性の方は、すっかり気力が萎えたようで、顔色を悪くしたまま席でうなだれていた。

 

「我慢は長くは続かんから、あんまり無理はするなよ。……まあ、なんだ。最近は相当治安もよくなったぞ。ちょっと前、派手に盗賊団が壊滅したらしいからな」

 

 だからとりあえず、この周辺で襲撃を受ける可能性はだいぶ低い――なんて、クッコ・ローセが言うものだから。

 つい、メイルは口をはさんでしまった。

 

「ああ、アレですか。モリーがやらかしたアレ。結構話題になってるんですね」

「……何だって?」

「ほら、前に話したじゃないですか。教官への土産の話。ここらで厄介者だった盗賊団を、一人で潰したんですよ。……土産のために三十人をなで斬りにしたっていうのは、ちょっとロマンチックって領分を越えてますが」

「ああ、アレか。――そうか、アレのことだったのか。今になって思い当たるとか、いかんな、どうも。実戦以外の部分が、相当衰えているらしい。……今さら持ち出す話でもなかろうし、今度会ったらどうアプローチしたものかな」

 

 今度は、別の方向に話が飛んでいく。

 そして物騒であっても、グロテスクではない話であれば、聴衆は食いつくものだ。馬車の中は、メイルとクッコ・ローセの会話だけで満たされる。他の者は、ただ耳を傾けるだけだ。

 

「アプローチ、ですか」

「間接的なアプローチか、より直接的なアプローチか、まだ決めかねているがね。……うん? 間接アプローチっていうと、何だか軍事用語みたいだな。別段、隠語めいた言い方をするつもりはなかったんだが」

 

 とことん色気がない話になるのも、それはそれで私らしいか――なんて。クッコ・ローセは、笑っていた。

 メイルは笑わなかった。他人ごとではないからである。

 

「では、やはり教官もモリーに?」

「お前が間に入ったっていいんだぞ、メイル? お互い、共闘できるところはしようじゃないか。私は何も、彼女を独占したい――だなんて、考えちゃいないさ」

 

 クッコ・ローセの笑みは、余裕から来るものだ。『自分がないがしろにされるはずがない』という確信を得ているから、そうした態度に現れる。

 比べて、メイルはどうか。そこまでの自信を持てる根拠があるかといえば、ないというのが正直な感想だった。

 

「……難しいですね。恋愛って」

「お前だけが拗らせているわけじゃあないさ。誰だって、痛みの中で生きている。乗り越えるのも溺れるのも自由だし、何なら忘れるのもいい。依存して迷惑をかけるのだって、一つの方法だろうよ。――お勧めはせんが」

 

 いずれにせよ、モリーであれば適切に捌いて見せるだろう。お互いにとって幸いなことに、モリーは理知的で思いやりがあり、常識的な対応が出来る人物だ。

 メイルが望む限り、最大限の力を尽くしてくれるだろう。なるべく経歴に傷がつかない形に収めようとするはず。

 結果として何も解決しなかったとしても、モリーは自分への損害を度外視する。そういう相手なのだと、今やメイルでさえ理解していることだった。

 

「嫌ですよ。好きな相手を傷つけるのは、子供だけの特権です。いい年をした大人がやっていいことじゃありません」

「結構。それでこそだ、戦友。――せいぜい、健闘を祈ろうじゃないか。後は、また他の連中も集めてみるか。二度目なら、もっとやりようはあるだろ」

 

 完全に身内だけの話になっているが、聞いている周囲にとってはどう映ったものか。

 馬車の中が奇妙な感心で一杯になったところで、女騎士二人に話しかける猛者がいた。東方の女商人である。

 

「ちょっと、よろしいですか?」

「おう、どうした。――ああ、話の途中だったな。ええと、どこまで話したかな……」

「それはもうよろしいんですが、個人的に気になることが。モリーというお方について、ですが。結構な武勲を持っている様子だと、お見受けします」

 

 クッコ・ローセの目が、明らかに警戒の色を帯びた。

 今話に出て来ただけのモリーに、こいつはどんな用があるのか。単なる営業スマイルが、途端に胡散臭く映る。クッコ・ローセは、猛禽のような目で女商人を捉えた。

 しかし当の本人は、そうしたプレッシャーなどは意に介さぬ様子で、言葉をつづけた。

 

「別段、悪いことは考えておりませんよ。商人と言うものは、いつでも顧客を探し求めているものです」

「具体的には?」

「話題の人物から、格別のごひいきがいただけるなら、今後の商売のタネになります。必ずしもそうなるとは限りませんが、この場の縁で引き寄せられるなら、引き寄せたいと思ったものですから。……ご紹介いただけるなら、幸いに思います」

「そうかそうか。その程度の話なら、別段警戒せんでもいいな。対価によっては、紹介状の一つくらい、書いてやってもいいかもしれん」

 

 それだけを言うと、クッコ・ローセは視線を女商人からそらし、適当にくつろいだ。メイルの方も、すでに興味を失った様子で、黙って頬杖などをついている。

 女商人は金貨を含んだ小袋を差し出すと、クッコ・ローセは無造作に小袋から金貨を一枚だけ取り出して、懐に入れた。

 

「私の『ためになる話』は、充分に聞いたろ? お前の態度も悪くはないし、金貨の一枚くらいはもらってやってもいい。――が、それまでだな」

 

 残りには手を付けない。その態度から見て取れるのは、『ここから先はお前次第』というメッセージである。

 

「モリー様を、ご紹介まではしてくださらない?」

「私自身が、いちいち口添えしてやるつもりはない。だが、普通に公共機関を通してアポを取れば、割と簡単に会えるだろうよ。――会ってからの結果までは、知らんがね」

 

 金貨一枚の応答としては、ここまでだとクッコ・ローセは明言した。

 それならそれでやりようはある、と女商人は考える。

 

「結構な話ですが……会うな、とは申されないので?」

「なぜだ? 会いたいなら会えばいい。最初はどういう意図かと疑ったが、そもそも商売人があいつを害せる訳もない。顧客にしたいならすればいいさ。――あれで案外、上客になるかもな」

 

 やる気のなさそうな返答に、女商人の方が面食らった。

 大事な相手だから、他国の商人などと言う、胡散臭い手合いを警戒したのではないのか――と。当の本人が、そう問い質したくなった。

 

「では、モリー殿を口説いてもよろしいと?」

「お前の利益になる相手かどうか、保証はせん。――まあ、なんだ。これも何かの縁だ。質問があれば、一つだけ答えてやろう」

 

 クッコ・ローセにとって、女商人の存在は、帰途の暇つぶし以上のものではなかったのだろう。だから容易く怒り、容易く許す。

 その程度のものであると、見切られていた。実際、女商人の力では、どうあっても彼女たちを害することは出来ないだろう。

 ただし、利益を提供することは出来る。あるいは、あえて利益を与えないことも出来る。それが、商人としての強みと言うものだった。

 

「お言葉に甘えて、一つだけ。――モリー殿の趣味嗜好について、詳しく教えていただけますか?」

「なんだそんなことか、いいぞ。あれの好みなら、多少は知っている。何もかもとは、流石に言えんが――」

 

 とはいえ、女商人の話術も見事なもので、それだけで二時間も潰れてしまった。

 あれが好き、これが好き、というだけの話ではない。それが好きなら、こういう嗜好があるのではないか。

 周囲の人の影響を受ける方か、むしろ与える方か。その場合、モリーはどこに注目して何を意識していたか。

 例えば、誰かが綺麗なアクセサリーをしていたとして、それをモリーが褒めたとしよう。彼女はそのアクセサリーをどのように好ましく思い、身につけた相手に如何なる種類の好意を向けたのか。そこまで知らなければ、嗜好を理解したとは言えぬ――と、女商人は言った。

 

「まったく、余計なことまでしゃべらされた気分だ。――これで最低限の線を見極めているのだから、東方の商人とやらは実にやり手だな」

「踏み込み過ぎず、ほどほどで引き下がるのは、長生きの秘訣ですよ。……あと、東方では優秀でない商人はもう絶滅しています。必然的に、いま生きている商人は全員が優秀な訳ですね」

「お、おう、そうか。……なんか、別の意味で魔境なんだな、東方って」

「文化的にも歴史的にも、この辺りとはまったく異質な土地です。何と言いますか、本当に。……豊かとも、貧しいとも言える場所ですよ。ただ一つ確かに言えることは、ひたすらに広く多い。そんな国であると言うことです」

 

 女商人が、ここで含蓄のありそうな言い方をした。表情もどこか沈んでおり、故郷に対する複雑な想いが見て取れる。

 こうすると、接しているクッコ・ローセにしろ、傍観者のメイルにしろ、口を挟みづらい。理解は難しいが、さりとて無関心に振る舞うのもはばかられた。

 微妙な空気が漂うが、この停滞の雰囲気を打ち破るのもまた、女商人であった。

 

「ともあれ、仕入れる商品も幅広いものです。対価に不足がなければ、お望みの物を調達するのに苦労しない国でもありますよ。――私は商人です。需要さえあれば、それに応えるのが己の役割であると、思い定めておりますとも」

「……まあ、何だ。商人と一口に言っても、色々あるんだろうし、大変だな」

「顧客に気遣われるようでは、商人の沽券に関わります。――どうでしょう。お近づきのしるしにと言うことで、何かしら贈り物をさせてください。何が良いでしょうか。装飾品や宝石の類なら、それなりに持ち合わせがありますが」

 

 沈んだ空気から一転して、今度は女商人の方がクッコ・ローセを圧倒した。袖の下を通したうえで、さらに贈り物となると、どうしても借りに思う気持ちが強くなる

 ここまでに作られた空気というか、展開の流れからして、一手で切って捨てるのはどうにも気持ちが悪い。

 こうなれば冷やかしも兼ねて、しばし話に付き合うのもいいかと。そんな風に答えるのが、無難な雰囲気になっていた。

 そして、ここから商談を成立させるのが、熟練の商人と言うものである。女商人はまだ若いが、仕事に対する知識や経験は浅くはない。

 

「――負けたよ。お前、やり手だな」

「ありがとうございます。売上よりも、そのお言葉こそが、最大の報酬でありましょう」

 

 東方の女商人とやらが、ここでは勝利者となった。

 もちろん、教官が敗者というのではない。売りつけられた装飾品も、場をわきまえて使えば、彼女に優位をもたらすに違いない。特に、モリーに対しては!

 考え方次第では、win-winの関係であると言えた。メイルは終始傍観する立場であったが、それだけに不安に思う。

 

「知らないところで、厄介ごとが生まれたりして。……モリー、貴女、苦労するわよ」

 

 クッコ・ローセ教官はもとより、怪しげな東方の商人にその名を知られたのだ。

 何かしら、厄介ごとが持ち込まれても、どうかこちらを恨むことが無いように。そんな風に祈るしか、メイルには出来なかったのである――。

 

 

 





 頭を使うと書くのが遅くなるのは、私の癖みたいなものでしょうか。

 原作に追いつきそうになっているから、ちょっとしたことでもネタにしたくなります。
 ただし、それで面白くなるかどうかは別物なので、ノリだけで書くのも考え物ですね。

 次の投稿は、月末を考えています。またニ、三日延びたりしたら、悩んでるんだなぁって思ってください。



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王子様の教導と女性関係についてのお話


 ついに四月も三日を過ぎてしまいましたが、ようやく投稿です。

 かなり悩みましたが、何とか形にすることが出来ました。

 楽しんでくだされば、幸いです。




 ソクオチの兵の練度は、私から見てもそこまで高くはなかったように思う。

 クロノワーク基準で言えば、いくらでも鍛える余地はあったろう。そこまで面倒を見る立場にはないから、あんまり語りたいことではないが。

 しかし、王族の鍛え方がなっていないことについて。今の私であれば、苦言を呈することはむしろ職務の内だと考える。

 ソクオチの王族は文弱なんですかね。前の王様も簡単に逝ってしまったし、この王子様に早死にされると困るんで、ぜひ屈強に育ってほしいんですが。

 

「これ、エメラ王女が心配するのも当然ですね」

「何、が。……悪い」

「体力がないのもそうですが、筋力も足りていません。この国の水準から見れば、比較にならないほどに劣っていると言って良いでしょう。……一通りの訓練は見ましたが、この内容でその疲労具合だと、ちょっと考えないといけませんね」

 

 やらせてみた限り、走ったり跳んだり剣を振るったりと、訓練メニュー自体は普通である。

 ただ、クロノワークなら八歳児くらいがやる内容で、王子様くらいの年頃だと適切とは言えない。

 ……頑張っている雰囲気くらいは伝わってくるから、あんまり露骨なことを言うのもどうか。言葉を選ばねばならぬと、改めて思う。相手は傷つきやすい少年なのだと、そう考えて対応しよう。

 

「僕は、まだ、やれる……ぞ」

「根性論は大嫌いなんです、私。無茶が出来る体ではないのですから、まずは現状を受け入れてください。――私は何も、貴方を責めているわけではありません。休むこともまた、修行の内ですよ」

 

 王子の未成熟な身体では、オーバーワークは成長を阻害する。身体に見合った鍛錬をさせるのが道理というものだ。

 ゼニアルゼのお嬢様は、あれで体は出来上がっていたから、比べる対象としては不適切だ。

 そもそもの前提として――あちらで無茶がやれたのは、教官が下地を作ってくれたことが何よりも大きい。当面は、王子の身体に見合った鍛錬を続けるのが無難だろう。

 

「立場的に、あんまり剣にのめり込まれても困る、というのが一番大きいのですが」

「……何の話だ。僕はただ、自分を鍛えたいだけだぞ」

 

 王族にとって、剣術など余技に過ぎぬ。執着すべきはそんな小兵法ではないのだと、そう言ったところで王子は納得するまい。

 この年頃の少年は気難しいから、面倒な話は後回しにしよう。きちんと上下関係を思い知らせてから、それから話を進めるのがいいか。

 

「今は詳しくは言いません。言っても、王子様はご理解されないでしょう。――まあ、鍛えるにも限度がございます。むやみに己を痛めつけても、未熟な身体では受け止めきれないものですからね」

 

 結果としては、以前までの剣術指南役と、そこまで内容的には変わらなくなる訳だ。王子様はご不満かもしれないが、そこは飲み込んでもらいたい。

 

「ともあれ、メニューはこなせたのです。今はそれで結構。……子供には、子供に適した鍛錬の方法があります。身体への負担を見るに、前任者は充分適切な指導をしていたのだと思いますよ」

「だが、しかし、それでも僕が強くなるには足りないはずなんだ! 現に、エメラ王女は僕よりも遥か高みにいる。追いつくには、それこそ並みの鍛え方じゃ無理だろう!」

「それで身体を壊しては元も子もありません。……正論はつまらないものですが、何事も近道と言うものはないのです。基本的に女の子は早熟で、男の子は晩成と言って良いでしょう。まだまだ焦る様な齢でもありますまい」

 

 あれこれ説いてみたが、納得した雰囲気はない。――ならば、言葉を変えよう。強くなるのは手段であって、目的ではないはずだ。

 

「それじゃあ、いつまで僕は『手のかかる弟』でいればいいんだ! 僕は、一刻も早く強くならなきゃいけない。違うか?」

「焦っておられることは、わかります。思い通りにいかぬこと、辛いことばかりが多い世の中です。それを耐えるばかりの現状に、物申したい気持ちはお察しいたします」

「物は言いようだな。どうせお前も、僕の気持ちを理解できないんだ。エメラ王女の優しさにすがって、庇護されるだけの立場が、どんなに惨めであるか。誰だって理解してはくれないんだ!」

 

 これは、人質としての自分を自覚しての発言か。他者の優しさに甘えていい年齢のはずなのに、立場がそれを素直に受け入れさせない。この年でそれだけのことを考えられるなら、将来が楽しみだと言ってもいいんだけど――。

 指導する立場からすると、意固地になられても困る。まずはその頑なな気持ちを解きほぐすところから、初めていこう。

 

「守られている現状が、ご不満ですか? しかし王子を身内であると、そう判定しているからこその思いやりだと、考えることは出来ませんか? エメラ王女は弱者をいじめるような方ではありません。――守られているならば、好かれているのは確かです」

「わかって言ってるだろ。それじゃあ駄目だ。……対等になって、初めて僕は彼女に。彼女に、その……言いたいことを言って、それから、なんだ。――それからようやく、僕は彼女との関係を、見直すことが出来るんだ」

 

 ソクオチの王子様は、恋に関しては口下手でもあるらしい。それはそれで可愛らしいものだし、私としても応援のし甲斐があると思う。

 何より大事なのは、王女様から好意を得ること。それもおそらくは、異性として意識してほしいのだという部分。

 この要点さえ実現できるなら、身体的な強さなどオマケのようなモノ、になるはずだ。

 

「わかりました。――ご無礼お許しあれ。その上で、本音で語らせていただきましょう。私が見るに、エメラ王女と対等になりたいなら、無理やら無茶やらは禁物だと言うことです」

「無茶をせずに済むなら苦労はないだろ。……もっと、具体的に言え」

 

 具体性を求めてきたと言うことは、聞き入れる態勢になったと言うことでもある。ソクオチの王子様は、頑迷な性質ではないらしい。

 人の意見を聞けるというのは、それだけで一つの才能だ。しかし、右から左に聞き流すだけで何一つ理解しないようでは、意見を聞いた内に入らない。

 その点、彼はどうだろうか。ここからの反応次第で、教育方針も変わってくる。

 

「申し上げます。例えば王子が相当な無理をして、剣でエメラ王女を打ち負かしたとしても、それで好意が得られるとは考えられません」

「なんで――いや、どうしてそう思う」

「愛する者を傷つけたところで、意味などありましょうか? 仮に上位に立ったとて、優位を確保したところで、それだけで好意を得られるものではありません。……落ち着いて、考えればわかることでしょう。強くなることと、愛されることとは別のものなのです」

「待て。ちょっと、考えさせろ。強くなることと……好かれることは、別、だな?」

 

 気迫で押し、通り一遍の道理を説き、自ら考えさせる。子供は案外柔軟なもので、新たな意見に説得力を感じたら、改めて考え直すことくらいはするものだ。

 ここで一旦思案に入る辺り、王子様は思慮深い方だ。だから説得する側としても、楽観的に論理を説ける。

 

「いや……そうか。王女に勝っても、自慢になる訳じゃない。彼女より強い奴なんて、この国にはいくらでもいるんだから。上を見ればきりがないのに、身近な対象だけを見て、自分は強いと誇るのも可笑しな話だ」

「自分で気づかれる辺り、やはり頭は良いですね、王子様。貴方は、その聡明さを誇られるといい。それが幸福につながるかどうかはさておき、まぎれもない、貴方自身の長所なのですから、ね」

 

 ここは褒める。自信を持てと、明確に言おう。それが彼のよすがとなり、根拠となるだろうから。

 

「長所か。僕にも優れた才能があると、そう言うんだな?」

「はい。王子には才能があります。その年の子供としては、極めて聡明です。嘘ではありません。――騎士の誇りにかけて、保証いたしますよ」

 

 ソクオチの王子様には、誰にとっても都合のいい存在であってほしい。私たちゼニアルゼの陣営のみならず、彼自身にとっても好ましい未来が得られることを、私モリーは願ってやまない。そう思えばこそ、さらに言葉を続ける。

 

「自信をお持ちなさい。貴方が自ら考え、導いた結論を、疑わぬことです。――この場合は、焦って無理をしないと言うこと。次に肉体的な強さにこだわらぬこと、です」

「――それは、いい、が。強さにも種類があるものだろうか? 剣を振るう力以外に、僕が頼るべき強さがあるのか?」

 

 疑問を持つのは良いことです。特に弱点から目をそらすため、都合のいい論理に逃げ込む理由を作るには、この手の疑問を解消して差し上げるのが一番楽だ。

 もちろん、私は誠実に対応する。誠実に嘘を言わず、私にとって有用で、かつ当人にとっても利益のある道を教えてあげようじゃないか。

 褒め上げつつ相手を誘導する話術は、まさに詐欺師のようなものだけれど。この場では実直で無骨な武人より、誠実で無慈悲な悪党の方が、王子様にとっては有益だろう。 

 

 『武の才はないから別の道を探せ』と『立派な長所があるからそれを伸ばせ』というのとでは、印象がまるで変わる。正直さや誠実さは、発揮する方向を間違えてはならないと、私は思う。

 

「ございます。それを、すでに王子は身につけておられる。これはつまらぬ追従などではありません。本心から申し上げています」

「ならば、言え! 僕が目指すべき強さとはなんだ。僕は、これから何を頼りに生きていけばいい!」

 

 ただの武人であれば、強くなることだけを推奨するだろう。己が武力を頼みとし、他者を屈服させ、思うがままに振る舞うのが力の本質である。

 だが、それが全てではない。目に見える力は、案外もろいことが多い。小指の先が欠けただけでも、直接的な戦闘力は下がってしまうものだ。

 だが手足の一本を失ったくらいで、頭脳の明晰さは陰らない。知恵の強靭さと言うものを、まずは自覚していただかねばならぬだろう。

 

「貴方には、同世代と比べても水準以上の知恵がある。頭がいい、というのは明確なアドバンテージです。これを活かさぬ理由はないでしょう。――加えて、王子には向上心がある。知恵ある者が自らを鍛えるときは、いつだって無駄なことはしないものです。……お判りですか?」

「わかっているか、と問われれば……どうだろうな。僕は、あまりに未熟だ。これからどうやって強くなるべきか。強くなって得られるものは、本当に努力に見合うものか。見合うものだとして、それが僕個人ではなく、祖国のソクオチのためになるものか、どうか――。僕には、わからない」

 

 曖昧な表現で言葉を濁すのは、自信の無さを表している。この年頃の王族が、驕慢でないことは幸いだ。

 しかしそれ以上に、本音らしいものをこぼしつつある。心を開きつつあるというのが、私を前向きにさせた。

 

「口数が多くなったのは、良い傾向だと判断しましょう。……祖国への忠、実に結構。少なくともその点では、私たちは共通の価値観を持っている。これから少しずつ、歩み寄っていこうではありませんか」

「図々しい、と言ってやる。……クロノワークの蛮族どもめ。僕が敗戦の屈辱を忘れたと思うなよ」

「ますます結構! どうか、その調子で本気でぶつかってきてください。敵から学ぶことがもっとも重要なのだと、私が教えて差し上げます」

「――この心に憎しみも恐怖も沸いてこないのは、エメラ王女の功績だと知るがいい。だが、そうだな。……思えば、モリーとやら。僕はお前の強さの理由も知らない。理解を深めれば、お前がどうしてそんなに強くいられるのか。その力の本質について、理解することが出来るのかな」

 

 さて、そうと問われて考えてみれば、私の本質は武士である。

 元来、武士とは名より実を取る現実主義者だ。勝利は単純な腕力で得られるとは限らないし、時には詭道も用いる。朝倉宗滴のお爺ちゃんは、良いことを言った。

 『武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候』――と。この格言を、わざわざ現代語訳する必要はないだろう。

 

 この点、葉隠は『見事な負け』を『汚い勝利』より上とするが、この辺りは解釈が難しい。

 そもそも死狂いには行動があるのみで、結果として勝敗があるもの。見事とか汚いとかは、見る者によっていくらでも変化するのだから、個人的には意識しすぎないことを勧めたい。

 むしろ個人的な美観に囚われては、傍目にはかえって見苦しく映ることが多い。無念無想の境地にて、やるべきことをこなす。単純に忠を尽くすことに専心するのが、武士として潔い態度であろうと思う。

 

 だから、王子様にも私なりの解釈を叩きこもう。こちらが利用する以上に、貴方もこちらを利用するがいい。

 私が指南役としての独自性を発揮するなら、こうした武士の本分を教えるしかないと思うから。この辺り、確かに誠実に、きちんと理解していただくまで、努力は惜しまないよ。

 

「――王子、貴方は御立派です。安易な結論に飛びつかず、まずは疑問を持って考えるところから始める。学ぶため、強くなるためならば、感情を抑えて従うことも出来る。それこそがまさに、貴方の長所なのです」

「長所。僕の、優れたところ、か。……僕は、本当にそれを頼りにしていいのか」

 

 すがるような目で、王子は私を見た。

 ここで、彼の期待に応えるのは容易い。だが、私は言った。疑問を持って考えるところが、貴方の長所なのだと。

 

「答えは、すでに貴方の中にあるはずです。私に判断をゆだねるより、自分の心に聞いた方が、よほど納得できるものですよ」

「そうか。――いや、そうだな。確かにそうだ。僕が決めるべきなんだ。僕が自分の意思で、学ぶ相手と学び方を選んで、将来のために出来ることをすべきなんだ」

 

 自分の発言に責任を持ち、それを相手にも示す。これが出来てこそ、初めて誠実と言える。私は、この点をおろそかにしたくはなかった。大人として、子供に恥ずべき態度を取りたくはなかった。

 だから、王子が賢明にも自ら決断してくれることは、実にありがたい。鍛えがいがある相手だと確信が持てた以上は、全力で支援しよう。

 武勇頼りの匹夫ではなく、文武両道の統治者になっていただこう。あるいは、それはクロノワークにとって将来の禍根となるかもしれないが――私は知らんよ。こんな私に、教育係を任せた人が悪いのです。

 

「ご理解していただけたようで何より。さて、せっかく見出した長所を磨かないのは、もったいないでしょう。――さしあたっては、勉学の部分はエメラ王女の苦手な分野なので、こちらで先行すれば多少は見直してくれると思いますよ」

「もっともらしい話ではあるが。……勉学は目に見えた結果が出しづらいだろう? 知識で上回ったとしても、クロノワークは武を重んじる国家だ。さほど評価されるとも思えないが」

「そうでもありませんよ。使う気になれば、学問は立派な力になります。――例え話をしましょう」

 

 木材は様々な用途のある素材だが、これを武器に用いるとしよう。

 知識のないものは、角材なり丸太なりを振り回すほかないが、加工すれば槍にも矢にもなる。場合によっては武器としてではなく、建材として使う方が戦術的に役立つこともあろう。

 今となっては当然の物も、先人たちの知恵の積み重ねの上にあると思えば、学問の存在はとても大きいものだ。何事も、用途と運用の手段が確立されていればこそ、広く役立てることが出来る。

 学問とは極論、あらゆるものを役立てるため、使い尽くすための方法を追求する手段なのだ。軍事的にも政治的にも、学問を無視して大成出来る者は多くない。

 王子が誰からも一目置かれる立場を欲するなら、まずは学を身につけることが肝要であると、私は説きたい。

 

「はっきりと申し上げましょう。統治はもちろんですが、戦略戦術。人を動かすことには、数字がつきものです。計算が出来ず、既定の書式に則った文章も作れない指揮官など、まず存在しません。――学のない人間は、人を率いるべきではないのです。このクロノワークにおいて、それを理解しない大人などいないと、私は断言できます」

 

 兵站の維持、物資の配給、部隊の編制。いずれも脳筋には務まらぬ仕事だ。全て勘と経験で上手にこなす例外もあるにはあるが、そうした規格外の例は参考にならない。

 だからクロノワークでは、士官教育は実質的な高等教育になっている。少なくとも、槍働きだけで成り上がれる構造にはなっていないのだから、我が国は結構なインテリジェンスを誇っていると言って良いのではないか。

 

「……将来的には、単純な剣の鍛錬よりは、学問に傾注した方が利益は大きいのか?」

「否定はしませんが、それは弱いままでいい理由にはなりません。――どうか、極端から極端に走らないように。敵に斬り殺される様な指揮官は、それまでがどんなに良くても悪い指揮官です。援軍が来るまで持ちこたえる程度の技量は、やはり必要ですから。……文武両道が、騎士の理想と心得てください。――ああ、もちろん王もそうです」

 

 統率者は、いわば人体で言う所の頭脳だからね。兵卒は手足であり、官僚は臓器。

 手足は便利な道具だが、場合によっては切り落としてでも、生命の維持を優先すべき状況がある。臓器は健康を保つために必要な機能があり、蝕まれれば最悪だが、相当なリスクは伴えど外科手術という最終手段が残されている。

 だが脳だけは替えがきかない。それを取り換えることは喪失を意味し、機能の停止は死を意味する。なればこそ、生存能力がもっとも優先されると王子に説いた。

 

「王子様、貴方は頭なのです。それをご自覚いただきたい。強さは手足の機能に任せればよろしい。十全な環境は、健康にさえ気を使うなら、身体の方が整えてくれるでしょう。――ですが、全ては頭脳の働きにかかっています。きちんと知恵を働かせるのは大前提ですが、ちょっとしたことで即死するような軟弱さでは、そもそも長生きできぬものとご理解ください」

 

 だから、身体の鍛錬をサボることは許しません。徐々に負荷を強めていくことも、どうか受け入れていただきたい。

 人の身体って、楽を覚えると鍛えにくくなるからね。常に少し上の厳しさを与え続けてこそ、成長があるんだ。

 頭脳も身体も、酷使できるように鍛えておかないと、将来が辛いからね。身体を壊さない、無茶をせずに済むギリギリの範囲で負荷を与えることは、とても大事なことなんだよ。

 

「お手柔らかに頼む。……いや、本当にな?」

「ええ、もちろん。耐えられない一線は越えませんし、心が折れる半歩手前に留めるつもりで、丁寧にしごきますから。――どうかご安心ください。私は、貴方を全力で鍛え上げます」

 

 終わる頃には、いっぱしの人物になっているでしょうとも。

 ですからどうか、折れないでください。貴方の感情が本物で、決意が確かな物であれば、耐えられますから。

 

「話が一段落したところで、改めて確認します。――訓練メニュー自体は、基本的な内容はそのまま。慣れ次第徐々に変えていきますが、こちらは長い目で見ていきましょう。ついでに座学の時間も入れていきますから、それも私が担当しましょう。私はこれでも高級士官の教育を受けています。なので、教師役としても適当でしょう」

 

 異論があるならどうぞ。ただし、その場合は前向きな提案であるように。

 王子様は若干気圧された様子だったが、ここで芋を引くような手合いでもなかった。

 

「いいじゃないか。――どうか、頼む。僕を一人前に鍛え上げてくれ。それがきっと、誰のためにもなるんだろう?」

「誰のためにもなるのだと、そこは確信を持っていただきたいですね。誰よりも何よりも、貴方自身が前向きに学ばねばならない。そうして、立派な統治者になるのだと決心していただけるならば、私はどこまでも労力を惜しみません」

 

 私は極めて朗らかに、正直な感想を述べたつもりだ。これについてこれるかは、王子の根性次第。意欲が続く限りにおいて、私はどこまでも誠実に応えよう。

 そしておそらくは、彼は私が期待する以上に、真摯に教育を受ける覚悟があるはずだ。

 

「さしあたっては、僕は今までの鍛錬を続ければいい。その上で、モリー。お前の教えを請えばいいと言うのだな」

「はい、まさに。まさにそれこそが、私が貴方に求めることです。――王子様」

 

 お互いに覚悟が決まっているなら、行動あるのみだ。私は手を抜かないし、貴方もそうあり続けてくれたら嬉しい。

 でなければ興ざめと言うものだし、こうであればこそ、未来に希望が持てると言うものではないかね――?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 というわけで、王子の教育については、おおむね上手くいきそうな感じですね。ええ、ええ。

 さわりだけでしたが、掴みは上々だったと思うのです。だから、これからに期待と言いますか、あんまり急いで成果を求められても困るのですね。

 

「そうかそうか。今後の展開が楽しみだな。――ああ、もちろん。失敗したとて責めはせんよ。前言を撤回したりはせん。その辺り、信用してくれると嬉しいのだが」

「……はい。それは疑っておりませんよ、ザラ隊長。ところで、なんで私は囲まれているんでしょうか。不思議ですね?」

 

 あんまり多くの女性に囲まれた経験とか、ないんで。結構精神にきています。ちょっと前に迫られたメンバーが勢ぞろいとか、どうなってるんでしょう。

 普通の飲み会だと思っていたら、女性関係の清算(別れる方向じゃなくて、まとめて面倒を見る方向で)を求められるとか、わけがわからないよ。

 もう私としては、作り笑いをするくらいが関の山なんだけど、ザラ隊長はこの状況が面白くして仕方ないらしい。結構なペースで酒が進んでいる。

 

「不思議でも何でもないさ。――酒が進んでないな。この店は酒も肴も一級だぞ? 飲み食いせねば損だろうに。流石は、シルビア王女が元締めをやっているだけあるな、これ」

「ええ、ええ、それはそうでしょうとも。それで――ザラ隊長。私の問いには、答えてもらってないんですがそれは」

 

 割と切羽詰まっている感じで問いただしても、ザラ隊長は明後日の方向を見やるだけで応えてはくれない。

 そして今度は、クッコ・ローセ教官の方が話しかけてくる。

 

「いやまったく、良い酒を御馳走になっているよ。ダメ元でねだってみるもんだな。……モリー、パスポートは返しておく。入場料がタダの上、部屋を借りる時も割引が付くとは、何とも至れり尽くせりってやつじゃないか?」

 

 ザラ隊長だけでなく、教官もなんでか楽しんでいる風ですけれど。いや、この店の年間パスポートを貸した私も私ですが、『先に場を温めておくから』って言われたら無下にも出来ないじゃないですか。

 

 私としては、生きた心地がしないんですが。だってね、教官とザラ隊長の他にもメイル隊長がいるし、クミン嬢もなんでか傍にいるのよ。

 で、じーっと、遠目からメナ副長がこっちをうかがっているんです。彼女だけ蚊帳の外で、傍観者を気取っているみたい。いや、参加されたら困るから、見守るだけでお願いします。

 

「いやいや、私としてはですね。教官からの誘いに応じたら、こんな状況になっているわけで。説明を求めたいわけですよ。――帰国の祝いに、私のパスポートで良い店を紹介するだけのつもりだったんですが。それが何で皆で集って、私のつるし上げみたいなことになってるんですかね?」

「今さらな疑問だな、女たらしめ。全てはお前自身の行動が原因だ。いい加減に受け入れろよ。それが誰の為でもあるのだと、そろそろ観念してもいい頃だぞ」

 

 ……目をそらし続けても、良いことはないと、ちゃんと理解しています。

 でもね、教官。私を伴侶に選ぶことは、どうしたって賢明だとは言えないと思うんだ。この点は、何度でも強調しよう。

 

「どうか、結論を急がれますな。……私などにかまけて、人生を無駄にすることなどないではありませんか。女同士の恋愛は、いばらの道です。私などは特に、いつ死ぬかわからぬような人間です。だからどうか、ご再考くださいますよう――」

「再考した上で言っている。……なあ、モリー。私も年だ。引退する時のこと考えて、生涯の伴侶を選ぶならお前だと、そう結論付けたわけだ。この私の意思を、お前は無駄の一言で切り捨てるつもりなのか?」

「クッコ・ローセ教官の素晴らしさを理解せぬ、我が国の男どもの不甲斐なさに憤慨しますね。こんなイイ女を放置して、どうして人生を謳歌できるのか。まったくもって、理不尽ではありませんか」

「――そう言ってくれるのは、お前だけだ。過去に抱いた男たちも、皆死んだ。生き残っているめぼしい奴はお前だけで――その上で、頼む。私と共に、生きてはくれまいか」

 

 教官は、そう言って頭を下げた。だから私は戸惑ったし、そうした態度を取らせてしまった自分に非があったのではないかと、焦りを禁じえなかった。

 

「おやめください! どうして教官が頭を下げるのです! ……そこまで私を求める必要など、どこにあるというのですか。どうして貴方が、これから人生を共にする伴侶に、困らねばならぬのですか。クッコ・ローセ教官、貴女は立派な女性であり、男を魅了するに充分な魅力を備えているお方です。私が保証します。ですから、わざわざ私のような者を選ばずとも、良いではありませんか――!」

「まさに。お前の言葉こそが理由なのだと、わかってはくれんのかな。……いや、わからんからこそのモリーだと、そう言ってやるべきなんだろうな」

 

 教官は、どこか遠い目をして、微笑みながら私を見た。その慈愛に満ちた視線が、さらに私をさいなむ。

 美しい、と思う。クッコ・ローセ教官は、まさに今こそが女ざかりなのだ。それがわかるからこそ、歯がゆかった。

 

「世の中間違っています。どうして、教官が伴侶を得る幸福をあきらめねばならぬのですか。どうして……」

「泣くのは、やめてくれ。私は充分過ぎるほどに幸福だよ。そうやって、私のことを思って、涙を流してくれる奴がいるんだからな」

 

 いつのまにか、本物の涙を流している自分に気付く。

 それを指摘されて初めて、私は己の状態を理解した。

 

「あ、え……?」

「女泣かせのやつだな、お前も。お前自身が泣いてしまうから、私は慰めなきゃならんだろうが。……本当に泣いてやりたいのは、私の方だと言うのに。まったく」

 

 次の瞬間には、柔らかい感触が私の顔を覆う。

 抱きしめられ、胸に抱かれたのだと理解するのに、何度かの呼吸が必要だった。

 そして呼吸にともなう感覚的な刺激――。言葉を飾らずに言うなら、クッコ・ローセ教官の体臭に包まれることで、私はようやく現状を理解する。

 

「……やめてください」

「抵抗しないんだな。突き放してくれるなら、あえて手を伸ばしたりはしないぞ? そら、その気があるなら振りほどいて見せろよ」

 

 教官の言葉が、私の本能をさらに刺激する。

 男としての感覚が、異性を求めていた。平たく言うなら、性欲が私を動かしてしまった。半ば無意識的に、教官の腰に両手を回し、抱き止める。

 

「何と言おうが、身体は正直だな。ええ?」

「……好きなものは好きなのだと、魂の求めには逆らえぬものだと、痛感します。どうか――お許しください」

「責任を取ってくれるなら、いくらでも許すとも。同性相手は初めてだが、野郎相手の経験ならそれなりだ。モリー、お前が望むなら、望むだけ可愛がってやるぞ?」

 

 どうだ、とばかりに教官が口説いてくるんですがそれはどうなんですかねぇ……。

 いや、あの、私は精神が男だからいいんですけど、貴女は本当に大丈夫なんですか。というか童貞なんで、優しくしてくれるとありがたいです――って。

 そうではなく! ……いかん。流されそう。誰か助けて、助けて……。

 

「教官、そろそろ私たちのモリーを開放してくれませんか。貴女だけのモリーではないと、事前に納得して頂いたはずですが」

「おう、そうだな。――特にザラは、『私の方が先に好きになったのに』とか思ってるんだろう? いや、すまんね……そら」

 

 唐突に教官に突き飛ばされると、私の後頭部に何やら柔らかい感覚が。

 離れようとする前に、やっぱり抱きしめられました。――え? なんで?

 

「ザラのことを言いながら私を優先してくれる辺り、貴女には頭が上がりませんよ、教官」

「この中では、メイルが一番付き合いが長いからな。――ザラには睨まれるかもしれんが、しばらくは堪能すると良い。嫉妬の視線も、慣れれば悪くないものだぞ」

 

 ガチ? ガチなの? ていうか鎧脱いだら割と豊かなんですね、メイル隊長。

 

「……メイル隊長?」

「ええ、私よモリー。意外かしら?」

「栄えある護衛隊長が、それでいいんでしょうか。これが理由で首にとか、ならないですよね?」

「レズは護衛隊に入れないって、アレね。……気にしなくていいわ。私くらいの地位になると、お題目を恣意的に捻じ曲げることも出来るし、何なら改正することだって無理じゃないもの」

 

 だから気にしなくていいのよ――って、撫でまわすのはちょっと。

 腹から胸にかけて、確認するようにサワサワしてくれると、なんか変になりそうです。

 

「ええ……? メイル、隊長。その、やめ……」

「今、すごくいい声してるわよモリー。可愛い子をいじめるのって、楽しいのね」

 

 どことなく、うっとりしたような声が怖い……怖くない?

 いやいや、錯乱してる場合じゃない。冷静にメイル隊長を諭さなければ。

 

「メイル隊長。これは、気の迷いです。何度でも言います。貴女は、こんなことをしてはいけない――あッ」

「抵抗しないくせに。……ああ、わかった。もっと触れてほしいのね? 羞恥プレイがお望みなら、そうしてあげるわ」

 

 メイル隊長の手が、服の下に入った。じかに触れられる感覚に、体が熱くなる。

 何もかもを委ねたくなる気持ちが沸き上がり、私はそのまま――。

 

「モリー、そこまでだ」

 

 ザラ隊長の言葉が、脳を揺さぶる。それだけで、私は正気に戻った。

 丁重にメイル隊長を体から引きはがし、今度は私の方から声を掛けた。

 

「すみません、メイル隊長。お気持ちは、本当に嬉しいです。私を好きになってくれたことも、私に触れてくれたことも、本当に。……ですが、お許しください」

「ええ、私の方こそごめんなさい。――みんなの前でやることではなかったわね。私って割と、思い込むと暴走するタイプなのかも」

「ザラ隊長でなくとも、別の誰かが押しとどめたでしょう。酒の席の戯れで済む範囲でなら、決して拒むものではありません。……どうか、気を落とさずに」

 

 腰に差した剣に手を当てて、自らの精神を落ち着かせる。

 思えば、無念無想の境地は己の中にある。武を自覚すれば、いかなる色に染まろうと、正気に返ることは容易かった。

 剣の柄を握りしめて、その重みを実感すれば、私はいつだって冷静な視点を取り戻すことが出来る。

 

「メイル隊長は、優れた容姿をお持ちです。私が男なら、本気で口説いているでしょう。ですから、私などで妥協することはないと思います」

「あいにくと、妥協しているつもりはないのよ、モリー。わからないんでしょうけど、貴女。そこらの野郎どもより、よっぽど魅力的なのよ。どうしてそう、男前なんでしょうね。涙は弱さの表れだって良く言われるけど、貴女のそれは、むしろ優しさと強さの表れにも見えるの。――私の目、曇っていると思う?」

 

 酒の席においては、無粋極まりない事であろうと――わかっていながら剣に手を伸ばしたのは、私なりのけじめのつけ方だ。剣の柄を握りしめて、思う所を述べる。

 メイル隊長は、決して冗談でこんなことを言う人ではない。なればこそ、こちらも本心で応えるのが筋と言うものだろう。

 

「曇っているとまでは。……ただ、こちらとしても譲れぬ一線があることもまた、ご理解ください。私を抱き枕の一種とするのも、男娼の代用として使われるのも、よろしいでしょう。私はそれを受け入れます。……ですが、どうか伴侶としては求めてくださるな。くどいと思われても、主張させてください。――死に狂いを夫に持ったところで、不幸になるばかりです。どうか、皆様方においては、もっとまっとうな方を選ばれますよう――」

「そこまでだ、モリー。理屈は、良い。私らは、その不毛さを充分に理解しているし、お前が主張するところもわかっているつもりだ」

 

 ザラ隊長が、寝不足のクマで彩られた表情で、私を見やる。

 本来の美しさを損なっている、その現実の残酷さが、私をさいなんだ。メイル隊長は会話を遮られた形になるが、別段恨むでもなく、ザラ隊長にそのまま口を開かせていた。

 

「ザラ隊長。……仕事の辛さは、改善されたものと思っておりましたが」

「ああ、何というか、ワーカーホリックが癖になってしまってな。出来ることがあるなら、どこまでも追及してしまう。この性癖はどうにもならんらしい。――慰めてくれるか?」

「お望みなら、どこまでも。……ああ、他人の目がありますから、どうか節度を守った範囲でお願いします」

「メイルほどタガを外しちゃいないさ。言われずとも、私は分をわきまえている」

 

 ザラ隊長が近づき、触れ合うような距離にまで接近する。

 彼女の気持ちはわかっている。愛されている自覚は、これでもあるつもりなんだ。でも、だからこそ。貴女の幸福を願えばこそ、否定すべき願いもあるのだと、私は思うんだよ。

 

「そこまでです。どうか、拒絶をお許しください」

「なぜだ。メイルには許して、私には駄目だというのか。それは、不公平と言うものだろう」

「愛情は、不公平なものですよ。本気で重く、愛すればこそ――許されない行為と言うものは、あるものです」

 

 信仰とか、崇拝の対象には、特にそうだ。私にとって、ザラ隊長は守るべき相手であり、忠を尽くすべき対象だから。

 だからこそ、うかつに触れるべきではないし、触れられるべきではない。きっと、ザラ隊長には私以上に相応しい人がいて、その為にも私などに汚されるべきではないんだと。本気で思うから。

 

「そうかそうか、だからどうしたと、返してやりたくなる。いいかモリー、ここに集った女どもはな。……お前のことが忘れられなくて、気を取られて仕方がなくて、その気持ちを愛情という形で表現したくてたまらないんだ。私もその中の一人で、だからこそ配慮してほしいと願う。この切ない想いを、理解してほしい」

「……申し訳ございません」

「謝るなよ。お前がどう感じようと、どうしようと。私たちの行動は変わらない。――まあ、なんだ。そろそろ観念して受けて入れろと、言いたいことはそれだけだな」

 

 細かいことはいいから、モリー。

 お前は、私たちのものとなれ。

 共有の財産として、以後の人生を私たちの為だけに生きろ。

 

 付け加えるように、ザラ隊長は言った。顔を赤らめて羞恥心を隠しきれない様子で、本心から述べているのだと、理解できるだけの誠意のこもった言葉だった。

 それこそまさに……夢のような、言葉だった。私にとっては、何よりも貴重な言葉であったと思う。

 信じることが出来たなら、彼女たちの幸福を確信できるだけの要素があるならば、私は飛びついたかもしれない。

 でも、この期に及んで私には、どうしても自信が持てなかったんだ。騎士としての自分に、自信はある。

 けれど、男としての自分を評価する気にはなれない。女性の愛を受け止めて、幸福にするだけの覚悟も、持つことは難しかった。戦うことや、死ぬことについては、いくらでも覚悟を決められるというのに。

 

「私。……長生き、できませんよ」

「お前と共に生きることが重要なんだ。短くたって、それがなんだ。密度があれば、私は構わないと思うぞ」

「構い倒すだけで済むなら、私としても否やはないのですが。……皆さんの生涯を背負うだけの覚悟は、なかなか持てませんよ。私は、愛でることも受け止めることもしましょう。けれど、責任を取ることだけは、難しいのです。――だって、私の身体は貴女方と同じもので。子を授かることも、正式に家を受け継ぐことも、できはしないのですから――」

 

 女同士の悲しさだ。子供を産めないのだから、家の存続には養子をとるしかない。 

 だいたい兄弟とか身内の中で養子をとるのが常なので、近しい親族に迷惑をかけることになる。

 私を選ぶと言うことは、そうした面倒に真正面から取り組むことを意味する。決して負担を背負わせたいわけではないのだから、私としては気後れしてしまうんだ。

 

「私は別段、背負うような家柄もない、平民の出だ。断絶したところで、嘆く奴なんていないさ」

「ご両親は、その……」

「どんな形であれ、いき遅れが片付くのなら文句は言わんさ。普通の夫婦でも、子供が出来ないことはある。――それよりむしろ、親としては子の幸せこそ願うんじゃないか?」

 

 だから気にするなと、ザラ隊長は言う。

 それはそれで正論だろうけど、相手が私だというのが問題だ。

 

「何を言いたいかはわかるつもりだ。だが、お前が相手でなければ、そもそもこんなことは言いださないし、わざわざこんな場を作ったりしない。教官もメイルも、同じ気持ちだからこそ、お前を求めているんだ」

 

 言葉が毒になる瞬間を、私は知った。女性から口説かれるという、まず前世ではありえなかったであろう経験に、私の精神はひどく消耗している。

 剣に手をやる時間が長くなった。無作法と知ってなお、私は私のよすがを確認し続けなければ、自身の心を守ることすらできなくなっていた。

 

「……嫌がっているようには見えないのに、拒絶だけはハッキリしている。理性を捨てて、欲望のままに振る舞ってもいいじゃないか。モリー? お前って、妙なところで道徳的だな」

「道徳は人が人であることの証明です。人が社会に生きるにあたって、道徳・倫理は必要不可欠でしょう」

「剣に手をやりながらでなければ、説得力もあるんだがな。――結局、社会を維持するには武力がいる。その態度を見ると、お前の言葉がひどい皮肉に聞こえるよ」

 

 ザラ隊長は、どこかでこの言葉遊びを楽しんでいた。だからこちらも、緊張感を解いていた。

 それが隙となって、本来ならばありえない失態を呼び込んだのだろう。唐突に、触れていた剣の感覚が消える。

 奪われた、と自覚してようやく、己のうかつさを思い知った。本当に剣をよすがとするつもりなら、鞘に納めずに抜いておくべきだったのだ。

 それが、どんなに無礼で非常識であったとしても。そうできなかった時点で、私の敗北は決まっていた。

 

「あっさりと取られるんですね。ちょっと意外」

「……クミン嬢。そういえば、どうして貴女がここにいるのか、聞いていませんでしたが」

「こうして持ってみると、結構重いですね剣って。人を殺す道具ですから、当たり前だとは思いますけど」

 

 ここは『天使と小悪魔の真偽の愛』傘下の店だから、店員としての彼女がいても不思議ではない。

 でも、ただの店員がここまで内輪の席に入り込めるかというと、特別に呼び出さない限りありえないと思う。

 

「クミン嬢は、なぜこの席に? 皆が普通に受け入れていたから、今まで追求しませんでしたが――」

「答えを言うなら、シルビア王女の紐として、貴女の首にまとわりつくために。――というのが表向きの理由。本音としては、貴女自身が面白いからですね。戦場に出れば相当な強者なのに、私みたいな手弱女に剣を奪われるところとか、特に」

 

 シルビア王女がわざわざ紐帯をつけにくるほど、私に価値があるのだろうか。

 ちと疑問ではあるけど、まあそれはいい。謀略家の策謀など、深く考えても仕方のないことだ。特に今は女性関係で忙しいんで、悩むのは後々。

 

「指揮を重視して、周囲への見栄えを気にする場合は別ですが、戦場では鞘は基本捨てます。乱戦では鞘を敵に掴まれたりねじ上げられたりして、体勢を崩すことがありますから。――まあ、言い訳ですね。失態は失態なので、存分に笑われるがよいかと」

「――笑っていますよ。なるほど、確かに抜身のままなら奪えませんでした。……なんというか、可愛い人ですね。こんなに強い人が、あんなに無防備に優しさを見せるだなんて、世の中面白いこともあるもんです」

 

 クミン嬢は、挑発的に笑って見せた。それがまた妖艶というか、自分の魅力をわかっている態度だと伝わるから、嫌味はない。

 ……なんだかんだで、身内以外の女性から向けられる好意というのは、処理に困る。私はどう振る舞うのが正解なのか、悩まねばならなかった。

 

「剣、お返しします」

「……ありがとうございます。本来、剣を奪われるようであれば、そんな無様は死を以て償うのが道理なのですが――」

「やめてください。……貴女の言葉を借りるなら、ここは戦場じゃないんですから。私らの店で、戦場の礼法を持ち込まれても困ります」

 

 丁重に剣を受け取り、あるべき物をあるべき所へ戻す。剣の重みが、私に安心感をくれる。現状、何も解決されていないことは考えないことにしよう。

 

「ともあれ、モリーさん。私は私なりに貴女を魅力的だと思っていますよ。付き合いは浅いですし、浮世の義理やら何やらのしがらみはありますけど、それはそれとしてわかることはありますから。――モリーさん、貴女はもっと感情的になっていいと思うんです」

「……何を望もうが貴女の自由です。ただ、私が貴女の期待に応える義務などないのだと、それは理解してほしい所ですが」

「義務はなくとも、義理はあるでしょう? 貴女が女性に弱いことは、これまでの経緯で充分に理解しています。その上で、こちらから申し上げましょう。――どうか、私も貴女の情婦に加えてください。そうすれば、今後とも情報面でお役に立てますよ」

「別段見返りなど求めてはいませんし、紐帯としてのクミン嬢に付き合うリスクを考えれば、無視されても仕方がないと思いませんか?」

「無視できないでしょう? 貴女。――付け込む隙が多すぎるのは、問題だと思いますよ。これはきちんと、私が目を光らせないといけませんね?」

 

 男の性として、美人には弱いんです。仕方がないじゃないですか。

 ぶっちゃけ、女に惑わぬ男は男じゃないと思うの。傾国傾城の女性を抱けるなら、破滅しても悔いなどないのが馬鹿な男の性で。たぶん私も、そんな馬鹿らしい習性からは自由になれていないんだ。

 

「あと、こちらの要望としてではですね。クミン嬢、というのはやめてください。どうかただの『クミン』と、そう呼んで欲しいんです」

「……ご要望とあらば、是非もありませんが。――すみません。慣れるまではどうしても、固くなってしまいますね」

 

 おいおい慣れていくと言うことで、ご了承願いたい。しかしハーレム嬢を身内に抱えるなんて、私も出世した者じゃないか――って。

 いやいやいや、どうして話を受け入れる方向で進んでるんだろうか! 私、そもそも皆を娶る余裕も権利もないはずでは……。

 

 いや、そういえばシルビア王女に余計な褒美をもらっていたような。なんだっけなー、忘れちゃったなー、忘れていたいなー。

 

「クロノワークの方では、まあ持ち家がある教官とか私とかの方に入り浸ればいいわね。ああ、クミンはシルビア王女の肝いりだから、もしかして別荘の手配とかしてくれてるのかしら?」

「そこまでではありませんが、店が所有している賃貸物件がいくつかありますので。数部屋を貸し切るくらいのことは、許可されていますね」

 

 話がどんどん進んでいく。ちょっと傍観者のメナさん、貴女はそれでいいんですか!

 貴女の隊長が毒牙にかかろうとしてるんですよ!

 

「いやまあ、何と言いますか。むしろメイル隊長の毒牙に、貴女がかかろうとしているというか。……他人の恋路は見ているに限りますよ。参加したくなったら言いますから、その時はよろしくと言うことで」

「……ええと、冗談ですよね?」

「冗談ですとも、今のところは。――あと、メイル隊長は私のものではありません。『貴女の隊長』という言い方は不適切かと」

 

 手酌で黙々と酒を嗜みながら、メナ副長はそんな風に言ってくださいました。

 冷めた目で見られているかと思ったんですけど、貴女は貴女で場の雰囲気にのまれてますよね? これで結構、その場のノリに流されやすいタイプだったりするんだろうか。

 

「まあまあ、いいじゃないですか。私なんかに関わるより、ほら。愛しの恋人たちがお待ちですよ」

「メナ副長。それこそ不適切な表現と言うもので、私は誰とも付き合ってません」

「これから付き合うんでしょう? 合ってるじゃないですか」

 

 私には、彼女の誤解というか、発言そのものを否定したかった。

 けれど、どうにも私は背後の敵というか、あらゆる意味で抵抗しがたい勢力が存在することを、忘れたがっていたのかもしれない。

 

「――さて、モリー。人生の墓場に入る覚悟はできたか?」

 

 利き手を引っ張られて、引きずられるままに、私は彼女たちの元へと連行されていった。

 ……とっさに引っ掴んだ酒におぼれて意識を失って、現実から逃げることを選ばねばならぬほど、私は詰んでいたと思う。

 だって、あのままだと私自身が理性を失って、アレしてコレして、重婚する未来が確定するからね。仕方ないね。

 

 幸いと言うべきか、明後日にはまた王子の指導がある。長期間の拘束はされないと思って、まずは彼女らに身を任せるとしよう。

 ……せめて、何かしら妥協できる形で収められたら、なんて。都合のいいことを考えながら、私は自らの意識を手放したのです――。

 

 

 





 モリーのお話も、そろそろ終わりが見えてきた頃でしょうか。

 実際にどういう形にまとめるかは、まだ漠然とした感じですが、それでも今年中には完結できるんじゃないかと思います。

 それでも、ノリと勢いだけで書いている物語ですので、完結するまで何がどうなるかはわかりません。

 今しばし、見守ってくだされば幸いです。




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人生の墓場への道は善意で舗装されています


 今回の話は、これまでで一番悩みました。

 これでいいのか。この方針で進めていいのか。ひどく考え込みました。

 今も、悩んでいます。でも、そもそもの話として、この物語は深く考えずにノリで進めるんだと決断して書いていたのです。

 だったら、もういいじゃないか。ノリで馬鹿っぽく見えても、とにかく話を進めるんだと己に言い聞かせて書き上げました。

 何はともあれ、こうして投稿しているのです。お目汚しですが、何かしら見るべきところがあったなら、それだけで書いた意味があったと信じられます。

 一時の暇つぶしにでもなれば――と。くどいようですが、常にそう思いながら公開に踏み切っています。よろしければ、どうか今回も付き合ってやってください。




 王子にとって大事なのは、良き指導者に恵まれることであり、己が頼むに足る力を得ることである。なればこそ、モリーという実行犯を憎むことはなかったし、ことさらに反抗しようとも思わなかった。

 ソクオチの王族として、実際に手を下した相手に思うところはあるが、そうした感情をぶつけるのは、それなりに実力をつけてからだと決めていた。

 指導されるに値する相手だから、モリーに対しては期待も抱くのだし、毅然とした態度で臨んでほしいと思う。

 それでも、精彩を欠いた雰囲気は伝わるもので、王子はどうにも不満だった。人間である以上、常に万全であることは不可能であろう。だが教え子として、師として相応しい風格を保ってほしいと願うのは、間違っているのか。

 

「……疲れてるのか? 本業の仕事が辛いなら、付き合わなくてもいいんだぞ」

「確かに私は無理をするなと王子に言いましたが、私自身は無理にも無茶にも耐えられる身体を作っています。――貴方の鍛錬に付き合うのに、支障はありません」

 

 初日にあれこれ諭されて、ソクオチの王子はそれなりに意識改革を行ったつもりだった。

 だからモリーが再度指導に現れた時、心なしかやつれている様子を見て、心遣いをしたつもりだったのだが。

 

「私生活で、ちょっとした問題があったのは事実ですが、実務に支障は来しません。ご心配なく」

 

 しかし相対してみれば、余裕が充分にあることが分かる。これからの鍛錬の指導について、不安を抱かずに済む程度には、モリーは余力を維持しているように見えた。

 

「何があったのかは知らんが、悩みごとなら聞くぞ。――これでも王子だ。下々の憂いを取り去ってやるのも、将来的には王の役目だろう?」

「おっと、機会あらばマウントを取っていくその姿勢、嫌いではありませんよ。……皮肉ではなく、本気で」

 

 しかし、今は必要ないとモリーは言った。今度は本当に、自信に満ちた声だった。

 だから王子も、それ以上は続けなかった。何よりも、自分の鍛錬こそが重要である。教師の自己申告が正しいのであれば、余計な気遣いで時間を割くことはなかった。

 

「戯れはもういい。……指導の時間だ。今日も頼むぞ」

「はい、任されました。――今日は、少し趣向を凝らしましょうか。いつも同じ鍛錬というのも飽きるでしょう。それに、一度くらいは辛い修行も経験しておくべきですし」

「……痛いのは嫌だぞ」

「痛くなければ覚えません――と言うのは一種の真理ではありますが、御安心を。今回は、そこまで深刻には痛みません」

 

 ただ、一日持つかどうか、厳しいかもしれませんね――とモリーは言った。

 そうまで言われたら、対抗心を持つのが年頃の少年と言うもの。挑戦的な発言をするのは、当然の成り行きだった。

 

「いいさ、やってやる。それが僕が強くなるために必要だというなら、臆したりはしない」

「そこまで覚悟を決めなくても大丈夫ですよ。辛いには辛いですが、単純な鍛錬ですから。……ただ、今回は少し場所を変えます」

 

 そうして、モリーに誘導されるままについていけば、そこは竹林だった。

 クロノワークでは、現代日本人ならば驚くべきことに、竹(地球のそれと比べても、かなり近しく似ているように思える植物)が自生していた。

 モリーが精神的には日本人でもあるため、これを剣術の訓練に用いるのは、当然の成り行きであったろう。

 

「真剣を与えるのは、初めてでしたね。持ってみて、どうです?」

「木刀と比べると、少し重いかな。……だが、どうということはない」

「鍛錬が終わった後、同じセリフが言えるなら大したものですが。――ともあれ、今日はその真剣で竹を打つ訓練を行います。夕方まで続けるつもりですから、弁当を持参してきました。……苦しくなったら、言ってください。今回の鍛錬は、かなり疲れるでしょうから、合間合間に休憩を挟みましょうね」

 

 そこまで言われると、何をされるのかと不安にもなろう。

 だが、モリーが指示したのは、真剣を持って竹を斬ること。ただ、それだけだった。

 クロノワークの鍛冶屋は腕が良く、日本刀とまではいかないが、切れ味のいい剣を打つ。竹一本を両断するだけならば、素人でも難しいことではない。

 

「青竹に対して、剣の刃筋をまっすぐに通すように斬るのです。竹はいくらでもありますし、多少不格好でも燃料にはなりますので、ご懸念無く斬り捨ててください。――剣とは鉄の塊ですが、案外切れ味はすぐに鈍るもの。少しでも長持ちさせるためにも、正しい斬り方は覚えておくべきです」

 

 例えば、兜や鎧に対して曲がった斬り付け方をしてしまうと、剣の刃は容易く傷つく。強度次第では、曲がったり折れたりすることもあるのだ。

 そうした厄介な部分は避け、人体を的確に斬るのが一番だが、それにはまず狙ったところへ正確に斬撃を通す技術が必要になる。

 ゆえに目標への刃筋の立て方、正しい斬り方を覚えさせて置かねばならない。

 

「兜割りは高等技術ですから、そこまでは求めません。ですが、最低限の剣の振り方は、身体に染みつかせておきましょうね」

 

 これを教導するには、竹を斬るのが一番手軽だ、とモリーは述べた。用意も片付けも比較的容易であり、資材も多く安価だから。

 

 さて真剣を持ってしても、立派に育った竹が相手である。下手な斬り方をすれば、手の平への衝撃も大きい。繰り返せば、少年の柔い手が腫れてくるほどには辛い鍛錬だ。

 これを避けるには、正しく剣を当てて、竹に対して垂直に刃筋を通す必要がある。コツをつかむまで、王子は手のしびれに悩まされることだろう。

 

「先は長いのですから、力み過ぎないように。変な打ち方をすれば、何度でも指摘してあげます。さあ、構えて。――始めなさい」

「はッ!」

 

 長時間をかけて、王子は汗を滝のように流すほど努力した。竹を斬るだけの作業は思ったより重労働で、手の内から響く痛みに耐え続けたのも称賛に値する。

 休憩を挟みながらも鍛錬が続けられ、夕刻までには、王子の手のひらは真っ赤に腫れ上がっていた。

 十歳という年齢を考慮するなら、大したものだというべきた。そこまで続けられたという時点で、鍛錬は成功と言って良い。

 根気強さと、痛みに対する耐性を身につけられたなら、その時点でエメラ王女に追いついたと考えても良かろう。

 正しく身につけるまで続ける必要はあるが、これはこれで満足すべき成果だとモリーは評価する。

 

「よく、頑張りました。……もう日も落ちてきますし、今日はその辺りが限界でしょう」

「そんなことは、ない。まだ、出来るぞ」

「根性論は嫌いだって、私は最初に言いました。……師の言葉に従うのも、弟子の務めです。今日は、ここまでにしましょうか」

 

 モリーは、王子の剣を取り上げることで、強制的に鍛錬をやめさせた。

 オーバーワークは誰のためにもならないのだから、師としては無理や無茶の類は諫めるのが常道であろう。

 

「辛い鍛錬も続ければ慣れてしまうし、痛みが常態化すれば、頭は誤魔化しのために感覚を狂わせて来るものです。それを見極めるのが私の仕事ですから、これ以上は無理をさせませんよ」

「……そうか。実際、僕は手が痛くて仕方がない。やせ我慢していたが、一度でも自覚してしまうと駄目だな。――不甲斐ないよ、まったく」

 

 モリーは、持参した湿布を王子に施した。薬効は証明されている確かな物だから、王子の手の腫れは、明日になればマシになるだろう。痛みが引かなければ、侍医に見てもらわねばならないが、今心配することでもあるまい。

 この調子で続ければ、そこそこものにはなるだろうと思うが、毎日続けるべき鍛錬でもなかった。今度はまた別の角度から、精神的な負荷も与える鍛錬をさせてみよう――とモリーは思った。

 

「あまり、気に病まれますな。……痛みへの耐性は、慣れ次第ですが身につけることは出来ます。エメラ王女はアウトドア派なので、疲労と痛みへの耐性もそれなりです。彼女の尊敬を得るならば、まずは辛い鍛錬にも耐えていただかねばなりません」

「――そうか、それで? お前のことだ。今日のとは別に、僕がやるべき鍛錬が他にもあるというんだろう?」

「ご賢察、恐れ入ります。ただ、これは王女では絶対耐えられぬことであり、そうであればこそ意味のある行為であるとご理解ください。……あえて辛い課題に挑むことで、己を鍛えるとともに、周囲からの関心も買うのです」

「要するに、並々ならぬ覚悟が必要だと、そう言いたいのだな? ……理解したから、率直に述べろ。僕は、どんな提案でも真面目に検討すると約束する」

 

 王子の言葉に、モリーは勇気づけられる。ここまで断言してこそ、本気で付き合う価値があるというもの。

 苦難に耐えてこその鍛錬である。なればこそ、プライドを傷つけられた時も、ぐっと堪える忍耐強さは鍛えて損はあるまい。

 

「痛み、とは精神的なものも含むものです。エメラ王女は、この点において全く耐性がありません。剣の鍛錬で、そこそこ辛い思いはしていますが、極めて単純な鍛え方をしていますから、屈辱をその身に実感したことはないはずです」

 

 軍隊においては、新兵はその心を折られる様な、精神的に厳しい状況で鍛えられるのが常である。しかし流石に王族には、そこまでのことは求められない。

 モリーは、あえてそうした『縛り』を無視することにした。新兵でもそこまではさせない、というような屈辱を与えつつ、しかも意味のある鍛錬をしようと、彼女は提案した。

 

「鍛錬において、屈辱を受け入れろと言うんだな? ……そして、王女は僕が受け入れた鍛錬の厳しさを推し量れないほど、馬鹿でもない。そうして僕が鍛えられていく様を見れば、なるほど。見直してくれるのは、間違いないか」

 

 理解が早いから、話も早い。モリーは、王子に対する評価を一段階上昇させた。

 子供には酷であると、そんな考えを持つのはもう止めだ。王子は男子であるのだから、むしろ困難には積極的に立ち向かうべきだ。挫折してからフォローすることを考えればよく、まずはやらせてみるべきだと、彼女は判断する。

 

「話は変わりますが、クロノワークでは農業の効率化が急務とされています。どこでも作物の収穫量は重要な関心事ですから、不思議なことではないでしょうが。……せっかくですので、王子様には下々の農民の苦労について、知っておくべきだと思うのです」

「農民たちの苦労は、それは大層なものだろうが……わからないな。どうしてここでそんな話が出てくる?」

 

 王子の疑問はもっともだったが、モリーはとにかく話を続けた。聡い少年ゆえ、聞けばわかってくれると思うから、あえて言葉を省略したのである。

 

「農業の肥料として、一般的なものは動物の排せつ物です。家畜のものを利用するのが一番多いのですが、東方では人のそれを使うと聞きます。我が国の実験農場では、そうした肥料の有用性を調べているのですね。……せっかくですから、ここらで我が国に貢献する労働をしていただきたいのです。王子自ら率先してやっていただけるなら、あらゆる意味で一目置かれるようになると思いますよ?」

 

 実行するとなれば、その日は特別な訓練メニューになるので、日程の調整は考えねばならないだろうが――と。モリーは新たな鍛錬を思いついたようで、王子としては詳細を聞くのが怖くなった。

 

「……嫌な予感がするが、具体的には?」

「便所から排泄物を汲みだして、畑の肥溜めに移す作業をやってみましょう。桶に詰め込んだ汚物はそれなりに重いし、下手に扱えば悪臭と汚れが体に染みついてしまいます。――不快な想いをしたくないなら、上手に扱わねばなりません」

 

 そして、肥を運ぶ作業は、身体の体幹を維持し、鍛える訓練にもなる。正中線を維持して崩さない、正しい姿勢を持って歩かなければ、汚物は桶から飛び出して身体を汚すであろう。

 正中線を維持するだけなら、もっと適した鍛錬はある。だが、ついでに精神面まで鍛え上げるなら、こちらの方が好都合だとモリーは判断した。王子には、それに耐えられるだけの資質があるとも見定めている。

 

「……おい、便所の肥って、あれか。人糞のことか。それを、僕が運ぶ……?」

「あえて屈辱の中に身を置くことで、忍耐力を養いましょう。危機に際しては、時にはなりふり構わず、手段を選べないこともあります。――汚い手に慣れておけば、そうした状況でも生存率が上がるものですよ」

「汚いの意味が違うだろう、それ」

「……せっかくなので、ちょっとした講義をしましょう。物理的にも、精神的にも、嫌だからやらない――なんて贅沢な思考は、戦場では邪魔なだけです。実際に選択するべきかどうかは別として、生存の為なら汚物の中にも紛れ込むのが、実戦的な戦士であるとご理解ください」

 

 肥溜めの中に身を潜めて、負け戦から逃げ延びた武士の話は珍しくない。モリー自身、それに近い経験もあるから、時には不潔さを躊躇わない決断が、命を救うことを知っていた。

 可能性は低くとも、実際に必要な場面に追い込まれた際、できるかできないかで生死が定まる場合がある。王子には、それを理解してほしかった。

 

「まあ、戦士というよりも、もっといい表現がどの国にもあります。『騎士』とか『武士』とかいうのがそれですね。……そして立派な騎士は、良き主君の元でこそ働けるのです。この場合の良き主君とは、ご恩と奉公――つまり相互に利益を与え合える関係を構築できる相手のことです。それにはお互いに共感とか、共通の知識や経験が不可欠です」

 

 自身がこうした状況にならずとも、王子の身分であれば、そうして屈辱の中で生き延びた勇士を評価する場面が出てくるだろう。

 その時に相手を思いやり、暖かく遇するためにも、生身で実感しておくのは悪いことではないとモリーは説く。

 

「不可欠は言い過ぎだろうが……そうだな。言っていることはわかる」

「そうでしょうとも。私の主張がご理解いただけたなら、鍛錬の内容自体は受け入れてくださるのですね? ――ご心配なさらずとも、王子の教育に当たって、いろいろな権限をぼったくって来ましたから、実行に支障はありません。湯と着替えの用意も整えておきます」

 

 発展途上の身体には厳しいものがあろうが、それでも加減しながら行えば、充分実戦的な鍛錬になるだろう。習熟すれば、重い装備を背負う行軍にも耐えられる。

 一種の苦行だが、兵隊は荷物を背負って走るのが商売だ。機動力のない兵隊は、存在意義すら疑われるもの。

 王子は兵士になる必要はないが、彼らが背負うであろう苦労について、知らぬままでいるよりは、知った方が良いと思う。荷物を運ぶ辛さを知らなければ、他人の重荷も理解してやれないものだ。

 

 戦国時代の偉人、呉起が戦に強かったのは、末端の兵の苦労を知り、そこに寄り添えたからだと言って良い。

 なればこそ、この作業は良き鍛錬になるとモリーは思う。どこまでも善意にて、彼女は王子を屈辱的な状況へと追い詰めるのだった。

 

「……お前、これがソクオチなら不敬罪で牢獄行きだぞ」

「この程度の作業すら忌避するから、ソクオチの連中は軟弱なんでしょうね。――私を牢獄に押し込められるくらいに屈強なら、安心してサボらせていただきますよ」

 

 現実として、ここはクロノワークであってソクオチではないし、王子は人質身分であるから不敬罪は適応されない。

 

「真面目な話、王女の気を引きたいなら、あえて汚れ仕事を引き受けるのも一手であると考えます。エメラ王女は聡明な方だ。貴方が苦痛と屈辱を我慢して、我が国に尽くすのであれば――その意気を組んでくれるくらいには、慈悲深いお方ですよ」

「だからといって、王子に汚物を押し付けるだなんて、ひどい話じゃないか? ……下心が無ければ、迷わず断っていたぞ」

 

 敗者を見下すのは勝者の常であるが、モリーは別段王子を虐待しようと思っているのではなく、純粋に鍛錬の一部として接しているつもりだ。見込みがあるからこそ、厳しく接しているのである。

 それがなんとなく、王子の方にも伝わるのだから、単純に非難ばかりもしていられない。鍛錬だと思えば、何事も受け入れて行動すべきであると、彼はわきまえている。

 

「だが、わかった。――お前の言うことだ。意味はあるのだろうし、無駄でもないのだろ。……なら、いい。従ってやるさ。しかし――」

「ええ、これで結果が出ないようなら、いかようにも罰してください。私は最善を尽くしているつもりですが、何事も結果が伴ってこその話ですから」

 

 さりとて、今日明日で成果が出るものでもなかった。長い目で見る必要があると、王子もその点は理解している。

 体の鍛錬も勉学も、モリーが関わっている。適度に身体を動かした後は、頭を働かせる時間だ。

 この点、元から聡明だった王子の相手は楽なもので、いくつかの課題を出してそれを解かせる方式でも充分だった。

 

「今日の私の授業は、ここまでです。後は教育係に引き継ぎますので、今度は頭を働かせるのですよ」

「――何度も言うが、わかっている! 今更手を抜いたりはしない。また明日な」

 

 さらにモリーは、ここでも他者を巻き込んでいる。自分だけではなく、エメラ王女の教育係も巻き込んで、正式に王族教育として成立させた。モリーは自分への負担を減らすとともに、多くの人にかからわせることで、王子の情緒面での発達も期待したのである。

 

 彼女自身、座学に関わることもできるし、いずれそうしようとも思うが――この点は焦らなくてもいいと考えていた。あまり王子を自分の価値観に寄せるのも、それはそれで問題だと気付いたからだ。

 

「多くの人に見えれば、それだけ多くの価値観にも触れることになる。軍人だけではなく、一般的な貴族、官僚たちと接すれば、多角的な視点の重要性に気付くことでしょう。王子には、出来るだけ柔軟な思考が出来るようになってほしいですね。――頭の中まで、私のような死狂いになる必要はありません」

 

 これまでは剣術の訓練を共にすることはあっても、王女と王子の成績を比較するとか、共に机を並べて学ばせるとか、そこまで踏み込んだ関係にはさせていなかった。

 ましてや王族とは直接関係しない、下々の者との接し方については、ここまで気安くすべきかどうか、議論の分かれる所であろう。

 

 付け加えるならば、王子は紛れもなくソクオチの王族ではあるが、人質の身でもある。

 ここで王女と王子に、対等の教育を施すということが、未来においてどこまでの影響を与えるのか。あまりに未知数であり、王家の教育係としては、下手に突くのを避けたのは当然の成り行きであったろう。

 さらに王子の立場になって考えるなら、恋愛関係は近すぎるとかえって意識しにくくなることも多い。二人の関係性を期待するなら、ここまで積極的に関わらせるべきではないかもしれぬ。

 だが、それでもモリーは王子と王女を近づけようとした。二人の関係性はさておき、純粋に能力を向上させるためには、近しくて競争する相手がいた方がいいし、その両者の距離は近いほどいい。

 彼女にとって、重要なのは両者が国際的に良い関係を築くことであって、結ばれることではない。

 それでお互いに幸福になれるのなら応援したいが、恋仲になることだけが男女の関係ではないと、彼女は信じていた。

 

 ……たとえ王子が振られたとしても、自分に自信を持って生きられるように。厳しい教育は、そのためでもある。

 人間関係は、一度悪く転がってしまうと修復は難しいもの。どちらに転ぼうと強く生きられるようにと、モリーは願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 そして指導を終えれば、モリーは現実へと立ち向かわねばならない。最初は忌避していた仕事が、いまや必要不可欠な逃げ場と化しているのだから、皮肉なものだとモリーは思う。

 

「自業自得と言えば、それまでですが」

 

 モリーの身体は、そうした表現が許されるならば――いまだ清いままだった。

 酒に逃げた先にあったのは、意外にも緩やかな拘束であり、暖かな歓迎であった。誰も彼もが、モリーの身体ではなく心を欲していたのだから、寝込みを襲わなかったのは当然というべきだが。

 代わりに、約束を求められた。モリーは、これを断る気力さえなかったから、ただ受け入れるのみである。

 

 1.これまで住んでいた宿舎を引き払うこと。

 2.こちらが指定した住居に移ること。

 3.仕事が終わったら、必ず家に帰ってくること。

 4.任務以外で外泊はしないように。ただし身内の家ならば、これを許す。

 

 ――要は、モリーが許容できる範囲で、その身柄を拘束するための約束だった。

 

「……別段、引っ越しが嫌な訳ではないし、好みの女性と共に住めるのなら、男としてはむしろ嬉しいくらいですが」

 

 いまだ、己の中に『納得』がない。問題と言えば、それだけだった。

 女性を抱くのも抱かれるのも、モリーにとっては恐怖だった。行為には責任が伴う。やってしまえば、己は変化せざるを得ぬ。

 

「好きな人と触れ合うことが、喜びであることは間違いないけれど。――躊躇ってしまいますね、どうにも」

 

 共に寝床を同じくすれば、執着も出るだろう。その人を愛すると言うことは、その人に縛られると言うことでもある。縛られたうえで、己は己だと意思を貫き通せるか――。

 戦いの中で、意中の女性(あるいは女性たち)を思うばかりに、不覚を取ることになってしまわないか。モリーはそれがひたすらに恐ろしかった。

 

 生きることにこだわれば、捕虜になる。勇敢であることを己に課せば、死ぬ以外の道は無くなる。兵法を実行する上では、そうした『とらわれ』の感情から自由でなくてはならぬ。

 

 モリーが生き延びてこられたのは、この手の執着から解脱して、ただ目の前の闘争に無心で向かい合ってきたからだ。このスタンスを崩せば、おそらくひどいことになるだろうと、彼女は自覚していた。

 自覚していればこそ、なおさら迷った。自分に向けられる愛情を、そのまま受け止めることを躊躇ったのも、それゆえである。

 

「惚れさせた責任とか、考えたこともなかったんですがね。――それでも無視ができるほど図太くはないつもりですし。モテ期を実感するなんて、本当に。人とは、変われば変わるものですね? ……まったく」

 

 とはいえ、約束は約束である。モリーはすでに部屋を引き払っており、少ない私物は業者に任せて運び込んでもらっている。

 だから後は、用意された住居に向かって、仕事の疲労を癒せばよい。

 問題は、その住居がザラ隊長の家であることだ。部隊長の家なのだから、居住性に問題があるわけではない。ただ、想い人の傍で生活することに、ひどく気後れしてしまう。

 

「た、ただいまー。……なんて」

「おかえり。――待っていたぞ」

 

 玄関空けたら、ザラ隊長のお出迎え。

 今日が初日だからって、気合入り過ぎじゃないっすかね――と。モリーは内心で、そう答えるのが関の山であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう言う訳で、よそ様の家が自分の家になった違和感に慣れるのが、目下最大の試練と言いますか。

 とにもかくにも現状を受け入れるだけで精いっぱいの日常を、何とか生き抜こうとあがいております。モリーです、モリーです……。

 

 そうだ、私はきっと夢を見ているんだ。こんな風に想い人に夕食の配膳から一緒にやって、お互いの顔を見ながら食事するなんて、出来過ぎた夢みたいじゃないか。そうに違いない。

 

「まだ表情が硬いな、モリー。ここはお前の家でもあるんだ。早々に慣れろとは言わないが、せめて気を抜いて過ごせるようになってくれ。……お前に負担を与えたいわけじゃないし、私だけが楽しむようでは、不公平と言うものだろう?」

「え、ええ。そうですね、その通りです。――お気遣い、ありがとうございます」

「礼などいいさ。お互いに気を使うのもいいが、自然体で過ごせるのが一番だ。まずはお互いの距離の詰め方から、図っていこうか?」

 

 ……現実から逃げるのもここまで。にじり寄ってくるザラ隊長を、私はどう扱えばよいのだろうか。

 いや、扱う? そんな考えこそ、不遜ではないのか。私には、彼女をどうこうする権利など持ってはいないのに。

 

「……私は、どうしたらいいのでしょう」

「わからないなら、私に全て任せればいい。それではいけないのか?」

「納得したいのです。私がその、貴女に、手を出していい理由が、わからない。――それがあったとして、貴女の幸せにつながるという確信が、どうしても持てないのです」

 

 言葉だけなら、想いだけなら、簡単に表すことが出来るさ。口先でも、行動でも。

 けれど、その先にザラ隊長の幸福があるのか? 彼女の人生を豊かにして、喜びのある未来を、共に歩める自信があるのか?

 ――そう問われれば、答えに詰まった。安易に否定すれば、彼女の気持ちを傷つけてしまう。肯定するにしても、納得と確信のない言葉に、どれほどの説得力が持てようか。

 

「大げさだな。思うがまま、望むがままに振る舞えばいいし、刹那的な快楽に身をゆだねるのも人間の本能と言うものだろう」

「そして愛情を持って人と接するのもまた、人間の本能です。愛情など幻想、と解釈する人もいますが――。私は、他者を思いやる心は、人が生まれながらに持つ善性の感情だと考えています」

 

 誰かを、好きになる。好きになったら、近づきたいと思う。

 近づいて、知り合えばより感情は深くなる。好意が募れば、愛情に変化することもあるだろう。

 

 好きな人に、幸福になってほしい。

 私は、そうした想いを抱くことが、愛情の始まりだと思っている。始まりにして、本質であるとも。

 

 だから、ザラ隊長には幸福な人生を歩んでほしい。その為に出来ることがあるなら、一助となりたい。けれど、自分が全面的に関わってしまえば、かえって彼女自身を縛るのではないか。

 幸福にするつもりが、かえって不幸を呼び込むのではないか。そう思えば、どうしても積極的にはなれなかった。

 

「その高い倫理観が、お前の行動を抑制しているんだな。――戦場では、あんなに苛烈な戦いをするくせに」

「剣を持った私と、今の私は別人のようなものです。いえ、もちろんどちらも私ですが、戦場に私情を持ち込まないようにしているので。……有用と思えば、非道なこともやります。私はそこまで言われるほど、立派でもありません」

 

 とはいえ、悪鬼羅刹の類になりたいわけじゃないし、手段は選びたいと思う。

 けれど優先すべきものの為なら、そこそこは外道な手段も取れるつもりだ。……そうした事態は、起こってほしくないと切に願う。

 私が知る限り、速攻で燃え広がる様な火種は、まだ見つけられていない。将来的にはともかく、いましばらくは穏やかな日常を享受できると信じたい所だった。

 

「――まあ、なんだ。これから一緒に暮らしていくんだから、そう緊張してくれるなよ。この家にいる間は、私を上司だと意識しなくていいんだ」

「はい。……わかっていますとも、ご心配なく。すぐに慣れます。熟年夫婦とは言いませんが、それなりに付き合いも長いですし――」

 

 と、ここで玄関のドアがノックされる。来客の音の響きに、ザラ隊長は不機嫌そうに顔をゆがめた。

 

「……誰が来るかは、想像がつくな」

「誰か、訪ねてくる予定でも?」

「拒みはせんと、事前に言っていた。流石に一線を越える日は、誰にも来るなと伝えておくがね」

 

 ……深くは聞かない方が、精神衛生によさそうだ。ともあれ、客であれば対応せねば。

 玄関を開けると、そこには来客が二人。

 

「やあ、楽しんでる?」

「……メイル隊長。楽しむような余裕は、まだないですね」

「そう、残念。私が入り込む余地があったら、今日にでも抱いてもらおうかと思ったんだけど」

 

 曖昧に笑ってごまかしました。――他にどうしろと。

 まあ、でも、冗談が分からないほど追い詰められてもいない。メイル隊長にその気がないことは、私にもわかっていた。

 おそらく、ザラ隊長も。だから、メイル隊長を迎えるのに抵抗はないはずだ。――が、もう一人のお客は、私には初対面だった。

 

「ところで、そちらの方は?」

「ああ、紹介するわね。東方の商人の、ミンロン……だっけ。ちょっとしたことで知り合って、あれこれ話したらぜひモリーに会いたいなんて言ってね。――実際珍しいものを売ってくれるし、何かの役に立つかと思って連れて来たの」

「ご紹介にあずかりました、ミンロンと申します。東方の商人として、様々な商品を扱わせていただいております。――よろしければ、お見知りおきください」

 

 東方とな!?

 ……割とびっくりしました。いやまさか、その中華風の衣装。この世界に中華があるのか……?

 いや別に、あっても可笑しくないとは思うんだけど、実際に目にすると疑ってしまうよ。

 

「こんな時間にお伺いするのは、非礼にあたるかもしれないと、私は思ったのですが――メイル様に誘われまして」

「いいじゃない、別に。モリーは夕方まで何だかんだで残って仕事することが多いし、そうなると部外者が関われるのは夜になってからになるでしょう? ……会って話して損になる相手じゃないと、私は貴女を評価したのよ? 少しは自信を持ちなさいな」

「……では、そのように。商人としては、緊張しっぱなしですが、これもまた経験でしょう。モリー殿、どうかよろしくお願いします」

「ええ、はい、まあ。……いいですけどね、別に」

 

 でもこれはこれで結構な刺激だ。色々と確認したいことはあるし、とりあえず歓待しようじゃないか。

 

「では、お二人とも中へ。――夕食はお済ですか?」

「適当に食べて来たから、別にいいわよ。ああ、でも酒のつまみくらいは欲しいかしら」

「私は……どうぞお構いなく。今回は顔をつなぐだけのつもりで、ちょっとした商談が出来ればいいと思って来たまでですから」

「ミンロン様も、遠慮なさらずに。これも縁です。どうか私の面子を立てると思って、歓待させてください」

 

 日本の文化は、建前の文化と言われることがある。これは『恥』の概念が一般化して、衆人に浸透した結果だと思う。

 対して中華は『面子』が建前の上位に来る文化圏だと、私は思っている。政治的に大義名分をやたらと持ち出すのも、個人の面子がそれだけ重要で、社会的な常識になっているからだと解釈している。

 

「面子、ですか。……クロノワークでは、商談において騎士の誇り(プライド)は、そこまで重要なものとされていないと聞きますが」

「騎士は誠実であることを旨とします。誇りは誠実さから生まれるもの。――私は己の面子を明言しました。……ミンロン様が私に商談を持ち込むつもりがあるなら、私の歓待を受け入れるべきだと思いますよ?」

 

 下手に面子を潰すようなことを行えば、中華圏では社会的にも物理的にも、生死を掛けた殴り合いに発展することがままある。

 大義名分は、これを緩和させるための必須事項だ。日本であれば『恥』をかきたくないばかりに争わずに済むところを、中華では面子のために妥協が出来ないケースがあり、これに折り合いをつけるために建前が必要――と考える。

 

 要は、私が『面子』を主張した以上、よほどの建前がない限り、彼女はこれを否定できないわけだ。お互いの理解に齟齬がない限りは、だけれど。

 

「いえいえ、別段嫌だというのではないのです。ただ、実利的に私がモリー殿のお役に立てるかどうか、わからない部分がございます。期待に応えられるかどうか、それだけが不安なのです。……私に歓待される価値があるのか、と思えば、気後れするのも致し方ないとご理解ください」

 

 しかし否定できないにせよ、意味もなく歓待を受けるなら、それは施しを受けるのと同じこと。

 さりとて施しを受けねばならぬほど、ミンロン女史は追い詰められてはいない。恵んでもらわねばならぬほど、情けない存在ではない――と彼女は言いたいのかも。

 ミンロン女史の面子を尊重するならば、こちらから助け舟を出すのが『礼』というものだ。

 

「――なるほど。そうした考えをされるのであれば、ご懸念はごもっとも。しかし、ご安心ください。私は純粋に、ミンロン様を歓迎したいと思っているのです。これは本音ですよ」

「本心から、部外者の私を歓迎してくださると、そうおっしゃられる? ――ぶしつけな訪問をしたという自覚くらいは、あるのですが」

「その上で、私に利益を持ってきた。そう言い切れるだけの自信もまた、持っているのでしょう? ――貴女は度胸を示し、私は度量を見せる。こうして、お互いに『面子』を尊重するのが、東方の商人のやり方ではありませんか?」

 

 私の方から、再度面子の重要性を口にする。それは彼女の価値観に寄り添う用意があると、暗に示すことにもなろう。

 ミンロンという女性は、決して無能な商人ではないのだと、私の勘が言っていた。『面子の文化』が通じるなら、私の発言と態度だけで、察してくれるはず。

 この価値観を共有してくれるなら、長く付き合うのもやぶさかではないのだが、さて。

 

「なるほど、これは遠慮する方が非礼と言うべきですかね?」

「まさに。ミンロン様は、遠慮なく持て成されればよろしい。――さ、ワインを注ぎますから、どうぞ。我が家では一等、上等な代物ですよ」

「いただきます。……モリー殿、礼を尽くされれば、礼で返すのが我が国のやり方です。まして面子を掛けた商談であれば、誠実に対応するのが筋と言うものでしょう」

 

 受け入れてくれたなら、一定の信頼は寄せていいと、私はそう判断する。

 彼女の態度で確信を得ながら、何気に『我が家』と強調することで、ザラ隊長にも配慮を示そう。

 あの人はあの人で、無視すると怖いからね。お客を遇するのと同じくらいの頻度で、構ってあげないと。

 私は……その、アレです。疑似的にも夫として、うん。――ザラ隊長を伴侶(妻と言い切るほどの度胸はない)として、相応の扱いをしなければいけないと思うのです。

 

「あ、メイル隊長も遠慮なさらないでくださいね。……ザラ、いいでしょう?」

「呼び捨てにするなら、丁寧語も使わずに言えよ。私は気にしないから、ほら。漢らしく乱暴に扱って見せろよ。うん?」

「――ええと、その。何と言いますか、ノリで呼び捨てにして申し訳ありません」

 

 もちろん、私はザラ隊長がそう言って返すことはわかっていたよ。

 でも、ちょっとした諧謔が必要な場面はある。私は冗談が許される雰囲気を、身をもって作り出したわけだ。このノリを解するなら、メイル隊長もミンロン女史も、距離を詰めるのに躊躇はするまい。

 

「モリー殿と、そちらのお方とは、ずいぶんと気安い間柄なんですね。その調子で、私との距離も詰めに来られると。そう思ってよろしいのでしょうか」

「ミンロン様も、そう緊張することはないんですよ。――商人らしく、一個人との商談をまとめに来たんだと思ってください。実際、私は貴女に興味があります」

「……光栄なことですが、どのような種類の興味でしょうか、モリー殿」

 

 理解を示したことで、かえって警戒心をあおってしまったかもしれない。ミンロン女史の声色と態度が、若干固くなっているような気がした。

 これは、そこまでおかしな興味は持っていないと、きちんと言葉にしないといけないね。

 

「書物を持ってきているなら、ぜひ一見させていただきたい。私は前々から、東方の文化に興味があったのです。こっちの言語に訳されていないものでもいいですから、まずはそちらの文化を書物を通じて知りたいのです」

「書物ですか。用意がないとは言いませんが、難しいのではないでしょうか。……訳されていない書物は、ひどく読みにくいものですよ?」

「それはそうでしょうが、まずは試しに。――いけませんか?」

 

 武士の教養としては、漢文は必須事項といっていい。江戸時代まで武士にとって教養とは漢学であり、中国の思想や文学がもてはやされていた。

 憧れが複雑骨折して、日本こそが中国であり中華なのだ! なんて見解さえ生まれたほどだから、相当だと思う。いや、確かに『清』は化外の民の王朝かもしれないけど、日本人だって漢民族からみれば大して変わらんでしょうに。

 この点、理解は難しい。だから私は、単純な興味だけで中華の文化や歴史を愛好していた。今も出来るかどうかは、彼女次第だろうか。

 

「いけないわけでは、ありませんが。……モリー殿が東方の文化に理解を示しているとは、初耳ですね。あの教官殿は、そうしたことは一言も伝えてくれませんでしたが」

「今、初めて口にしたことですから。――私は、東方を注目しています。脅威になりうるかどうかは別問題として、単純に隣人として迎えることが出来るなら、それに越したことはないとも思っています」

 

 なので、ミンロン様。貴女を一個人としても商人としても、特別な感情を持って接しようと思います。

 受け入れてくださるなら、どうかサービスしてくれませんかね。具体的には、貴女の生国の文字とか習慣とか、文化的な背景を知る機会が欲しいんですがどうでしょうか。書物だけではなく、貴女自身の生い立ちや経験を話してくれてもいいんですよ?

 

「私がそうすれば、商談は有利になるのでしょうか、モリー殿」

「こちらの期待に完全に応えてくれるなら、大口の顧客になってもいい、と思います。これでもそれなりに伝手はありますので、紹介する相手には困りません。そちらこそ、ビジネスチャンスを不意にしたくないなら、全力でこちらの要望に応えていただきたいのですが、いかに?」

 

 こちらの中華がどんな経緯をたどったのかは知らないが、それを知ることが出来るならば、財布の金を惜しんだりはしないよ。

 これは面子にかけても本心だと言えば、わかってもらえるだろうか。

 

「……書物は、数は多くはありませんが、持ち込んでいます。ただし売り物ではありません。私自身が読み返すために、手元に置いているものです」

「それほどの、お気に入りの書物ですか。一日だけでも、お貸し頂ければありがたいのですが?」

「本当に翻訳されていませんから、読むのは難しいと思いますよ。東方の文化に興味があると言っても、我が国の言語はいささか複雑でして。――解読できる自信はおありですか?」

 

 ぶっちゃけた話、私は漢文ならそこそこ読める。完全な白文だと厳しいけど、標点本なら何とかね。漢籍にも通じていないと、文武両道の武士とは言えないから――。

 

 ……今自覚したけど、前世の私って、結構気合の入った趣味人だったんだなーと思う。まあ読むことが出来るだけで、漢詩を自作しろって言われたら厳しいから、そこまで自慢できることじゃないよね。

 

「私の知る東方の言語と、まったく同じものであれば、多少は読み解けます。……いくらかでも似通っていれば、もしかしたら読めるかも、と。それくらいの期待ですかね。単なる趣味で提案したことですから、貸し出しを断られても、それでどうこうということはありません」

 

 これが原因で、悪感情などは抱きませんよと、ここで明言する。口にすることは、実際重要で、面子の話を出した以上、曖昧な表現は不誠実と取られるし、言った言葉は撤回できない。そして言ったからには、実行する責任が生まれるわけだ。

 何より、半端な対応では舐められる。結果として、ミンロン女史は行動を持って、私に対する義理を通さねばならないわけだ。

 

「……それでは、こちらを」

「これは――ありがとうございます。つかぬ事をお聞きしますが、常に持ち歩いておられるのですか?」

「私にとっては、座右の書でもあるので。かさばらないよう、文章を厳選して自ら書写したものです。……よろしければ、皆様にもわかるように訳して朗読してくださいませんか? 読める部分だけでも結構です。モリー殿がどの程度の教養をお持ちなのか、私としても興味がございます」

 

 そう来たか。いや、流石にこの場に書物を持ち込んでいるとは思わなかった。

 意外な展開に、黙って傍観していたザラ隊長やメイル隊長も、身を乗り出してくる。

 

「ちょっと、モリー。貴女本当に読めるの? ていうか東方の文化に興味を持ってたなんて、初耳なんだけど」

「私も初めて聞いたぞ。これでも付き合いは長いつもりだったんだが、どこで知る機会があったんだろうな?」

「――ええと、疑問はもっともですが、まずは現物を検めさせてくださいね」

 

 後で言い訳に苦労しそうだけど、これはこれで結構な展開になったと思う。ミンロン女史の書を手に取って見てみれば、懐のポケットに収まる程度の薄さだった。

 表紙は無地で、手作りなのだろう。いささかつくりは荒いが、問題はそこじゃない。緊張しながら、書を開くと、そこには――。

 

「……おい、どうしたモリー」

「びっくりしてるのはわかるけど、何? なんか凄いことでも書いてるの?」

 

 心臓が止まるほどの衝撃と言えば、伝わるだろうか。

 私は今、何を見ているのか。理解が進むたびに、頭の中が揺さぶられるようだった。

 だから、思わず口にした。前世の残滓が、それ以外の行動を許さなかった。文章を音読してから、わかるように解説する。

 

「一言にして以て終身之を行うべき者有りや。子曰く、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」

 

 論語の一節だ。死ぬまで行うべき、そんな一言がありますか、と師に問う。

 師は言う。それは思いやりだ。自分がしてほしくないと思うことは、他人にしてはいけないよ、と。

 

「兵は詭道なり」

 

 孫子の言葉としては、有名な方だろう。

 戦争は騙し合いである。相手が思いもよらぬ方法で攻め、出し抜くことが重要だ。

 

「凡そ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す。故に善く戦う者は、人を致して人に致されず」

 

 さらに孫子の一節が続く。敵に先んじれば、余裕を持って迎え撃てる。遅れてやってくる敵は、疲労の極みにあるだろう。

 よって、戦巧者は相手を思うままに誘導するものであって、相手に誘導されるようなことはないのだ。

 

「小利を顧みるは、則ち大利の残なり」

 

 韓非子の名言。目先の小さな利益につられると、後々得られたかもしれない大きな利益を失ってしまう。

 商人が心得る言葉としては、何ともおあつらえ向きじゃないか――なんて。そう思ってから、ようやく失言に気付く。

 

「……モリー殿。非礼を、お詫びさせてください」

「あ、え?」

「生半可な知識では、我が国の格言を訳せない。そこまで完璧にそらんじられると言うことは、充分な理解を得られているのでしょう。――ならば、私としても要望に完全に応えねばなりませんね」

 

 ミンロン女史は、覚悟の決まったような、すっきりした顔でそう言った。

 ――やっべ、やらかしたわ。ちょっと、後で言い訳に苦労するような反応は勘弁してくれませんかねぇ……。いや、元はと言えば私が悪いんですが。

 

「モリー、貴女がそこまで東方の言語に精通していたなんて。凄いのね、貴女」

「同感だ。いや、凄いな。……私だって、そこまでスラスラと東方の格言を訳したりは出来ん。いつの間に、そんな技能を身につけていたんだろうな? まったくもって、興味深いことだ」

 

 メイル隊長は単純に感嘆している風だけど、ザラ隊長は違いますね。詳細を聞き出さねば気が済まない、って顔してるよ。

 でも、今はミンロン女史と話しているから。追及は、またの機会に願います。

 

「モリー殿。いくらか言葉が硬く聞こえましたが、もっと砕けた表現が出来ないわけでもないのでしょう?」

「ええ、まあ。もう少し、平易な表現をしようと思えば、できます。ちょっと格好をつけてしまいましたね。お恥ずかしい」

「いえ、それはそれで結構なことだと思いますが、どうでしょう。――貴女にその気があるなら、我が国の書物を翻訳する仕事を受けては見ませんか。売上次第ですが、上手くいけばそれだけで食べていけると思いますよ」

 

 そうすれば、わざわざ危険な任務に飛び込むこともないのだと、ミンロン女史は言った。

 事実であるとすれば、ザラ隊長をはじめとする、私に恋する女性たちにとっての福音となるだろう。

 私は、騎士という職業についている限り、あえて危険を避けるようなことはしないつもりだ。障害を打ち破り、闘争の後に仕事を果たすのが私の役目だと信じている。

 だから、もし荒事に関わらずとも生きていける目算が立ったのなら、彼女たちはそちらの道を進めるだろうことはわかっていた。

 

「今から引退後の話をするのは、少し早くはありませんかね?」

「いや、せっかくの申し出だ。ちょっとした合間の手慰みに、試してみるのは悪くないんじゃないか?」

「ザラの案に賛成。私、東方に興味はなかったんだけど、モリーが訳した書があるなら、ぜひ読んでみたいわね」

 

 この展開を予想していたわけでもあるまいが。ミンロン女史は、商機を見つけたと思ったら、これを引っ掴んでものにするだけの決断力があるんだろう。

 少なくとも、商談を人任せにせず、自ら背中を押してくるだけの話術は持ち合わせていた。

 

「――では、次はいくらかの書物を用意しましょう。こちらから申し出たことですし、それらの書物はそのまま進呈します。翻訳の期限は定めませんが、時折進み具合を確認させてください。報酬はその出来次第、ということに致しましょう」

 

 すでに決まったことであるように、彼女は言ってくれる。

 嫌とは言わないし、暇つぶしにもってこいなのは確かだ。私個人としても、前世の漢籍とのつながりとか、同一の部分や相違点があるなら把握しておきたい所でもある。

 なので、東方の書物をいただけるなら、翻訳作業は厭うものではない。報酬もついてくるなら、なおさらだった。

 

「後は――そうですね。仕事の話ばかりというのも、味気のない話です。今度は東方の珍しい品々も見ていただきましょうか。どの商品が売れ筋になるか、意見は多いほどありがたいですから」

 

 もちろん、良心的な価格で――とは、ミンロン女史のお言葉です。

 ありがたい話だが、うま過ぎるような気もする。ここまでして、彼女に利益があるのだろうか? 色々と人脈を紹介すれば、大口の顧客にはなれるかもしれないけど、それは私でなくともいいわけで。

 訳した書籍とて、売れるとは限らないのだし、投資するには不確定要素が多すぎるんじゃないかなー。

 

「ここまで話が進んでしまった以上、断ったりはしませんよ。興味深いのは本当ですし。でも、少し不安ですね。本日であったばかりの人間に、そこまで入れ込むのは商人としてどうなのでしょう?」

「私の手腕に疑問があると、そうおっしゃられる。――わかります。付き合うなら信用できる相手がいい。信用と能力は、この場合不可分です。商談であれば、確かにそうでしょう」

 

 ミンロン女史は、そこから捲し立てるように己の存在を強調した。具体的には、東方の商人という希少性と、各国につながる国際的なコネクションの話だ。

 故国からクロノワークまでの道のりは遠く、商品を輸送するには相応の人脈が無くては無理だ、というのはわかる話。そして有能さ以上に、人格を信用されなければ、そもそも出入国の許可さえでないものだ。

 

 そうした話を、アレコレ語る彼女の姿は、なるほど。それだけで信用したくなるだけの説得力があった。

 雄弁で口が回るくせに、嫌味が無くて憎めない商人だな――って、私はなかば絆されたような感情を抱いていた。

 最初に興味を引かれたのが、いけなかったのだろう。切り捨てる必要性も切迫性もない状況が、ミンロン女史に優位を与えてしまう。

 私は、少しでも気に入らなければ拒絶すればいいだけだ。それで損失などない。

 だが、利益も得られぬ。東方に縁のある品々と聞くと、どうしても日本とか中華の存在が頭にちらついて仕方がないというのに。

 

「私の負けですかね? これは」

「継続した付き合いを、お願いしたいと思っております。――禍根を残したくはありません。何かしら希望があれば、最大限考慮させていただきます」

 

 これはミンロン女史の本音だろう。私との付き合いを重く見ているのだという、わかりやすいアピールでもある。

 だからこそ、邪険にはし辛い。関係を維持するのに異存はないから、とりあえず今日のところは普通に歓待して、酒席を共にしてしばし雑談にふけるくらいはいいだろう。

 

 ……いちいち話す言葉に如才がなく、多少の会話だけで絆されそうになったのは、ミンロン女史の才覚がそれだけ優れているからか。

 歓談の後、別れが名残惜しく思えた時点で、もう決着はついていたんだと思う。

 

「まあ、今回は軽い挨拶のつもりでしたから、ここで失礼させていただきます。――後は、どうぞ御ゆるりと」

「……そうですか。ええ、では、また。今度は出来れば、様々な種類の書が欲しいですね。歴史書、思想書などがあればいいのですが」

 

 検討しておきましょう、とだけ述べて、ミンロン女史は去った。

 ――さて。部外者がいなくなれば、あとは身内だけが残るわけで。

 

「夜は長いぞ、モリー。とっくりと、話し合おうじゃないか」

「私も興味深いことになったから、当事者として参加させてもらうわね? ……あの商人を連れて来たのは私だし、それくらいの権利はあるでしょう?」

 

 ……その夜は結構大変でした。

 嘘はつきたくなかったんで、色々とぼかしたり、無難な範囲で答えたりしましたけど、上手に誤魔化せた気がしません……。

 でも明日も仕事があるわけで、ほどほどのところで開放してくれました。ベッドまで同じじゃなかったのは安心したよ。うっかり潜り込まれたら、寝れなかったかもしれん……。

 

 流石に今日休めないとなると、明日の業務に差し障るので、もう何も考えずに休みたいと思います。

 そうして私は、明日以降の仕事やら未来への展望やら、何もかも忘れて、意識を落とすのでした――。

 

 





 いかがでしたか? 楽しんでくださったなら幸いです。

 この物語も、終わりが見えてきました。話自体はまだ続きますが、方向性はほぼ固まった気がします。

 原作の展開次第で、いくらかは伸びるかもしれませんが、おおよその形は定まりました。
 あとは、完結まで走るだけ。最後まで付き合ってくださるなら、筆者としてこの上ない喜びです。

 次の投稿は、五月の半ばくらいになるでしょうか。出来れば、五月中に二度投稿したいのですが、こればかりは勢いとノリ次第なので確約できません。






 ……そろそろ私以外にも、この作品の二次創作が生まれてもいい頃だと思うのですが、一向に現れないのはなぜなのでしょうか。

 『33歳独身女騎士隊長。』は料理し甲斐のある題材だと思うので、もっといろんな方々が挑戦してもいいと思うのです。
 個人的に、自分以外の方の解釈も見てみたいので、今後に期待したいところですね。



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東方の商人には警戒しよう、というお話


 グッダグダ考え事をしながら書くと、本当にペースが落ちてしまいます。

 どうしてこうなった。もともと、私は何も考えず、頭をからっぽにしてバカ話を書きたかったというのに……。

 ともあれ、どうぞ。無駄に長くなりましたが、時間つぶしくらいにはなると思います。



 ミンロンを帰らせ、モリーを寝かしつけた後、ザラとメイルは二人で飲みなおしていた。

 

「もうちょっと粘ってもよかったが、あんまり問い詰めるのも良くないからな。……モリーのことは何でも知りたいが、余計な負担を強いては良妻とは言えんだろう」

「早速妻気取りとか、貴女もいい性格してるわね? モリーの方だって、まだ結婚したつもりはないでしょうに」

「私の家にアポなしで飛び込んで『抱かれに来た』、なんて言い切ったお前ほどじゃないさ。初夜が3Pでは雰囲気も何もないだろうが、まったく」

「貴方って結構繊細……ジョークよ、ジョーク。お互い、笑って流せる程度には付き合いもあるんだから。そこは空気を読みなさいよ、ね?」

「――それは、いい。いいがメイル。あのミンロンとやらを紹介した意図を聞きたいんだが?」

 

 モリーは思い悩むところがある様子なので、適当に駄弁って、なあなあの雰囲気のままで終わらせた。寝床までエスコートするのは手間だったが、それを厭うような関係では、すでにない。

 だがメイルについては違う。何を思って、東方の商人など連れて来たのか。役に立つから――なんて理由だけではないと、ザラは確信していた。

 

「ええ。モリーの耳を心配せずに済む状況になったら、私の方から切り出そうと思っていた所よ」

 

 メイルは意味ありげに笑って言う。思わせぶりな態度であったが、ザラにとっては有効である。少なくとも深読みをさせるくらいの効果はあった。

 

「……穏やかじゃない話なのか? 商人、いや流通の問題? それとも東方の国で何かあったとか、クロノワークの外交に関わる話だったりするのか? いや、諸事情で話せないというなら無理強いは出来んが」

「何勝手に緊張してんの。――大丈夫、今回の件は私の独断だし、さしたる意味はないから。正直に言えば、伝手はあればあるだけいいと思って、直感的にその場のノリで紹介しただけからね? そこまで深読みされても困るのよ」

 

 異存なんてあるわけない、とばかりにメイルは言い切って見せた。それがまた、ザラを困惑させる。だから、あれこれと懸念になりそうなことを連ねてみたが、メイルの方はバツの悪そうな表情で、こう述べた。

 

「人の言う言葉を、そのまま信じて疑わずに済むなら、この世はもっと単純であってくれただろうよ。……どこまで本当やら」

「格別の理由はないわよ? ミンロンはゼニアルゼとクロノワークの交易にも、色々と関わってるみたいだから。今後のことも考えて、両国とつながりのある商人と懇意になっておくのもいいんじゃないかって。……いや、本当に単純な動機に過ぎないんだから。そこまで警戒することないじゃない」

「良く言う。お前、普段は割と武断派というか、荒事以外はさほど鋭くないイメージがあったんだが。――認識を改める必要がありそうだな?」

「……あら? 私、そんなに大層なことを言ったのかしら」

 

 メイルは微笑を浮かべながら、手酌でワインを注いでいた。とぼけているようには見えないが、ザラはメイルが馬鹿ではないことを知っている。

 本当に何も考えてなかったとしたら、それはそれで感覚だけで最適解を導き出す、希有な才能の持ち主というべきだ。

 できれば、普通に頭を使った結果であってほしいとザラは願う。こちらの方が計算が立つし、何より御しやすい。

 

「ぬけぬけと言いやがる。……モリーは駐在武官の役割は終えたが、シルビア王女との個人的付き合いが残っている。あの方の気まぐれ一つで呼び寄せられる立場なのは、まず間違いない」

「ああ、私も『立場は同じ』だから同情するわ。シルビア王女って、身内には結構無茶ぶりするのよ。……私は護衛隊の隊長っていう立場があるから、出向するにしても短期間になるだろうけど、モリーはどうかしら」

 

 メイルが『馬鹿のフリをしている』ように見えるのは、さらりとこのような発言をして見せるからだった。明快な言葉を避けてほのめかし、深読みをさせる手管を使っているのだと、ザラには思えてならない。

 

「――わからん。シルビア王女の匙加減で全てが決まるだろう。……そこで、あの女商人か。両国で商売をしており、私たちのような騎士階級とのコネクションもある。我々が任務で離れていたり、どうしても傍に居られない状況になった時、あいつの手を借りれば、モリーを支援することもできるはずだ。経済的な支援はもとより、情報提供とかも、場合によっては在り得るかもな」

 

 よくそこまで考えられるわね――と、メイルは知らん顔だ。意図したものではない、と主張したいのだろうが、どこまで本当やら。

 女は恋をすると変わるというが、ここまで計算高い策を打ってくるとは思わなかった、とザラは思う。

 

「お前の功績だよ、これは。モリーはさぞ高く評価するだろうな? 上手く機能したなら、どうやってお返しをすればいいのか、真剣に悩むレベルだぞ」

「それはそれは。随分と買いかぶってくれたものね? ……そこまで都合よくハマるとは思えないし、モリーの感情については推量に過ぎないんだから、あんまり深刻に考えすぎない方がいいわよ?」

「どうだか。――付け加えるなら、お前はシルビア王女に対して、そこそこの要求は通せるくらいには親しいだろう? その気になれば、モリーがゼニアルゼに飛んでも――」

「そこから先は言いっこなしよ、ザラ。邪推はそれまでになさい」

 

 メイルの顔からは、笑みが消えていた。代わりに、猛禽の如き鋭い目が、ザラを見返している。

 切り替えの早さは、流石に歴戦の猛者と言ったところか。そして猛者は愚直であればこそ、重用されるもの。メイルはまさに、その典型であったと言える。

 

「私一人が抜け駆けするつもりはないし、誰に対しても、何に対しても不義理を働くつもりはないの。――おわかり?」

「わかった、信用しよう。お前の主張は理解した、と言っておく。……まあ、いいさ。邪な意図がないというのであれば、商人の伝手を増やすのは悪くない」

 

 ミンロンとやらが、どこまで有用に働いてくれるは、まだわからない。

 実力を見定める必要はあろうが、もし彼女がシルビア王女と密接に繋がるようなことがあれば、それだけで価値が出てくる。権力と結びついた商人は、伝手さえあるならば金卵を産む鶏に等しい。

 

「あいつ、シルビア王女と――」

「ミンロンはシルビア様と引き合わせるわ、無理にでも。……当然よね?」

 

 ミンロン自身の伝手を最大限に活用すれば、あるいは単独でも面会にこぎつけることは出来るかもしれない。だが、それでは有難味があるまい。わざわざ護衛隊長が骨を折ったという形で、恩を着せてこそ意味がある。

 何より、速度は力だ。商人の身分では、まず仲介役にワイロを渡すところから始めることになる。しかし護衛隊長のコネがあるならば、直通で連絡を取り付けられよう。

 

「お前の方から働きかけて? あんまり早く引き合わせるのもどうなんだ。あいつが私らを便利に使うことも在り得る。――騎士と商人の格の差ってものを、まずは思い知らせてもいいだろう?」

 

 とはいえ、そこまで相手に都合のいい配慮をすると、『こいつは利用できる』と味を占めてしまうかもしれない。

 今後、ミンロンへの経済的依存度が高くなれば、侮りからどのような恥辱を受けるかわからぬ。

 ザラには、そうした懸念があった。無条件に他人の善意を信じられるほど、彼女は無思慮でいられなかったともいえる。

 

「余計なことを考えるのね、ザラ。あの商人を手っ取り早く利用したいなら、まずはシルビア王女に話を通すこと。それが先でしょう? 演出については、あの方に任せた方がいい。こっちで気を回すようなことじゃないわ」

「ミンロンがシルビア王女に取り込まれるのも、あんまり望ましい展開とは言えんぞ。出来れば、そこそこの関係を維持してほしいものだが……」

「どうにでもなるでしょ。私たちとシルビア王女は、対立する理由がないわ。ずぶずぶの関係になったらなったで、上手に利用させてもらえばいいじゃない」

 

 ザラとは逆に、メイルは理論より直感を重視する。『そうして良い』と考え、脳裏に警報が鳴らないならば、それは進めていい話だと思ったのだ。

 

「お前なぁ。シルビア王女に丸投げして、それで丸く収まるとは限らないだろうに」

「それはそうだけど、大事な場面で外すような人じゃないわよ、あのお方は。――大丈夫、きっと上手くいくから」

 

 メイルが確信を持って、そう言い切るものだから、ザラもそれ以上は押さなかった。商人を蔑んでいるわけではないが、見下されるのも御免である。舐められぬ程度には、手綱を握っておきたくもあったが――。

 しかし、あえて追求するほど、優先度が高い話でもない。問題が起こってから対処しても、遅くはあるまいとザラは思い直した。

 

「まあ、私が動かなくても、別の誰かがどうにかするかもだし……。ミンロンを躾ける機会は、また機会を見てからでいいんじゃないかしら」

「わかったわかった。否とは言わんよ。……いかんな、どうも。モリーに近づく女は、誰彼構わず警戒したくなる」

「重症ねえ。私も、とやかくは言えないけど」

 

 余計な感情を抜きにすれば、ミンロンの有能さや、その人格を疑うべき段階ではない。

 メイルから聞く限り、今のところ健全な商売をやっているらしい。土着の商人と比べて、しがらみがない分、自由に動けるというメリットもあるだろう。

 逆に庇護も受けられないので、自衛のコストがその分大きくなるが――と、ザラがそこまで考えたところで、メイルの言葉が飛び込んでくる。

 

「なんだかんだ悩んだり話したりしたけど、私たちが行動するより先に、シルビア王女の方からちょっかいを掛けに行くかもね。国内流通と交易については、私は門外漢だけれど。――何が大事かってことくらいは、これでも多少はわかるのよ」

「ふーん、どの程度わかっているつもりだ?」

「流行は上から下に流れるってことと、流通網は権力を無視して構築できないってこと。あとは……暴力は全てを解決するってことくらい? かしら」

 

 メイルは不敵な笑みをこぼしながら、意味ありげに言った。その意味するところを、ザラは完全に読み切っていた。

 武力は見せ札としても一級だ。合法的に凶器を振り回せる身分は、どうあっても商人には持ちえない。こちらは、それを自由に利用できる。

 ある意味、一方的に主導権を得られる立場にあると言ってもよい。ただ、それは劇薬でもある。

 

「ミンロンの方が、それを危険視して退いたらどうする? せっかくのおぜん立てが全て無に帰すぞ」

「東方からわざわざやってきた、気合の入った商人よ? 利益に見合ったリスクは望むところでしょう。むしろ、逆にこちらの武力を利用してやろうって考えても可笑しくないわ」

 

 大きな利益として、あるいは大きな損害としても、こちらは好きなだけ提供できる。ミンロンが利に聡い商人であればこそ、お互いに尊重し合える関係は構築できるのだと、メイルは暗に指摘したのだ。

 

「だから、価値の分かる相手同士を引き合わせる、と。――モリーのために」

「間接的にでも役に立つ可能性があるもの。――ええ、モリーのために」

 

 とはいえ、現実に試みるうえで問題は色々ある。あれこれと話したが、いまだ不確定要素は大きいと言わねばならない。

 そもそもの話、ミンロンをシルビア王女が用いるかどうか。これだけでも確たることは何も言えぬ。

 有能な人物であろうから、環境さえ整えば重用されると思われるが――あの王女様は、あれで結構感情的かつ横暴である。上手くいかない可能性も、それなりにあるだろう。

 

「結果的に失敗したっていいじゃない。私たちは、私たちに出来ることをやる。そういう姿勢をモリーに見せて、理解してもらうこと。――彼女の伴侶として、これ以上に重要なことはないでしょう?」

「ん……そうだな。当然だ。私たちがモリーのために出来ることは、全て試みるべきだ。そうでなくてはいけない。――まったくもって、世話の焼ける奴だな?」

「ええ、ええ。……私たちが手を尽くさないと、いつ死ぬかわかったものじゃないんだから。どうにかして囲い込まないと、一時だって安心できないんだから」

 

 メイルは呆れた様子で、しかし好ましいものを語るように、微笑んでいた。

 ザラもまた、共感するように苦笑しつつ、彼女の想いに応えた。それでこそ同士だと言わんばかりに。

 

「同意する。いやはやまったく、頭の痛いことだよ。――私一人の束縛で済むなら、話は単純だったろうに」

「皆で、大切に囲いこまなきゃね? ……老後を一緒に過ごせるなら、それが一番いいんだから」

「お互い、長い付き合いにしたいものだ。願わくば、誰が新しく入って来ようとも、どのような変化があろうとも」

「気の早い――いえ、ある意味気の長い話なのかしら? ザラらしくもなく、殊勝なことを言うじゃない。なんかあったの?」

「おい、茶化すな。本心だぞ、これは」

 

 今更疑うような間柄でもあるまいと、メイルは言い返して――互いに杯を傾けた。

 モリーがようやく、己の懐にやってきてくれたのだ。彼女の心を得るためならば、何でもしようという意思が、そこには現れていた。

 

 ――がんじがらめに縛って、飼殺してくれよう。黄金製の籠の中で、長く寵愛されるのが、お前には似合いだ。

 

 ザラは女としての感性で、まさに正しく己の幸福を追求していたのだと、そう表現して良いのだろう。モリーがまっとうな嗜好の持ち主であれば、遠慮していたであろうし、抵抗も相応にあったに違いない。

 

 だが、誰にとっても幸運なことに、彼女もまた奇特な性癖の持ち主であり、女性からの好意は何であれ御褒美として受け取る器の大きさがあった。

 結局のところ、喜劇的結末は必然であったのだと言わねばならない。それだけの軌跡を残し、文献に名を残した騎士として、モリーは讃えられるのだが、当人たちにとってはどうでもよい事であったろう。

 

「今日は、話せてよかったわ、ザラ」

「ああ、私もだよ、メイル。……語り合ってこそ、お互いに理解できる。敵手であれ、伴侶であれ、それは本当に大切なことだ。そうだろう?」

「――同感。今度は、教官も一緒にね」

 

 目の前の恋愛に全力で挑むこと以上に、大事なことなど。彼女たちにとっては、ありえないのであるから――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日もいい天気ですね、モリーです。

 ……朝、隣で想い人が寝ているっていう状況に、色々と悶々としています。別々のベッドがあるはずなのに、どうして……?

 もしや据え膳――いや深く考えるのは止めよう。理性が飛ぶ。なので、早々に身支度をして仕事に出ましょう。

 

 ちなみにザラ隊長は、着替えから朝食まで、かいがいしく世話を焼いてくださいました。朝っぱらから、理性が蒸発するところでした。彼女を嫁にする人は幸せだね! 間違いない。

 奉仕する側なら、逆に蕩かせてあげられるだけの技量はあるつもりだけどね? 攻守逆転した時の反応が、今から楽しみだよ――とか。

 そんな風にでも思わなければ、たぶんずっと尻に敷かれたままだと思うんですがどうでしょう。

 

 ……とりあえず今日は仕事は控えめにして、愛しの方々へのお返しをしていこうと思います。正確には、その準備ですが。

 

 アレですよアレ。まー何と言いますか、過剰なくらいに愛されている自覚はあるので、私の方も具体的な行動で報いておかないと、面子が立たないんですよ。贈り物とかデートとか、あんまり重すぎると引かれることもあるけども。

 彼女らくらい深い付き合いをしている間柄なら、普通に受け入れてくれると思うんだよね。

 

 好きな人に対して、受けた好意に値するだけのものを返せているのか。これから、その人のためにどれだけのことをしてあげられるのか――。

 

 これ、結構重要なことだと思うんですよ。自覚を持つのもそうだけど、行動するのはもっと大事。

 物理的にも心理的にも、つぎ込めるリソースが多い分だけ、相手への愛情の深さを表現できると思うのです。

 愛が重いとか深刻に過ぎるとか、思う人はいるんでしょうけれど、私はこれでも充分かどうか怪しいって思うんだ。重いのはお互い様だし、人数分の差で私の方がむしろ足りないくらいじゃないかな。

 

 ――何というかね、アレだよ。対したこともしていないのに、『自分は愛されている』なんて考える馬鹿にはなりたくないんで。行動でも現物でも、お互いに愛されてるっていう実感を表現するのが大事だと思う。

 愛されて当然だとか、そんな感覚が許されるのは親子関係だけです。愛に溺れるだけ溺れておきながら、この点をおろそかにしてはいけません(戒め)。

 

 勘違いした男子にありがちなんですよね、これ。女性からのちょっとした好意を都合よく解釈して、『こいつ俺に惚れてるな』なんて思ったりするんだ。

 惚れられてる自覚を持っちゃったから、少しくらい無視したり、横暴に振る舞っても許されるだろう、なんて勘違い。明らかに見放される前兆なんだよなぁ……。

 

 漫画とかドラマとか、そうした道化の空回りが良く話題になるでしょう? あれ見るたびにちゃんと考えろよテメー、って私は思ったもんです。

 相手にとって、価値のある存在になれているのか? それだけの行動をして、お互いへの理解を深めることが、できているのか。

 独りよがりで相手のためになっていない行動は、迷惑なだけです。それに勘違いを付随して妄想にふけって、それを愛だなんて吹聴しては道化以下の小物になる。

 相手の立場になって考えて、己の言動を振り返りましょう。愛情とは、思いやりから始まるものだと、私は思います。

 

 だから私は好意に対して、明確な行為で愛情を表現するのですよ。そうであればこそ、愛される価値もあると言うものではありませんか。

 幸せにしてあげられる自信を持つためにも、私自身が考えて行動することに意味があるんだって、これは確信を持って言えることだよ。

 

「そう言う訳で、早速頼りにさせていただきたいんですが、色々と見せてもらえます?」

「……午後半休にして、求めるのがそれとは。これはまた、頼りにされたものですね。信用されていると考えて、よろしいのでしょうか?」

 

 王子は昨日の鍛錬の疲労があるから、私の授業はお休み。座学だけなら、まだ私が出る幕はない。で、部隊の仕事に戻っても、最近は書類仕事も少ないので、早ければ午前中にやるべきことは全部終わっちゃうんですよね。

 

 なので、空いた時間を利用しようと思ったんです。具体的には、私はミンロン女史の元で、皆への贈り物を吟味しようと思ったわけで。

 これこれこういう事情なんで、なんかいいのある? なんて、軽いノリで話したつもりだったんだけど、彼女の方はそこまで軽く考えてはくれなかったようだ。

 

「もちろん、信用しているから事情を話したし、こうやって頼っているのです。そこは、疑わないでほしいものですが」

「……ならば、是非もありません。女性への贈り物と言う事でしたら――そうですね。いくらか思い当たるものがあるので、用意させてください。在庫は結構はけていますが、まだ残りがあったはずです」

 

 考えようによっては、いい反応だと思う。昨日の今日だから、商談をするにも最適のタイミングだと思ったんだよ。鉄は熱いうちに打てって言うし、拙速は相手次第だが刺さる相手には良く刺さる。

 ――私は幸運にも、機会を間違えなかったという訳だ。たぶんね? なんとなくだけど、そう思うの。

 

「貴金属、装飾品の類は取り揃えております。ご要望次第で、ピアスにも指輪にも、加工いたしますが、いかがでしょう?」

「……多芸なんですね。自ら商品を加工する商人なんて、滅多にいないんじゃないですか?」

「西域への商談ともなれば、わざわざ職人を伴ってくるわけにはいきませんから。自分で出来ることは、自分で済ませるようにしています。その方が利益になると思えば、躊躇うことでもありません」

 

 ここは素直に賞賛していい所だ。ミンロン女史は、多くの才能に恵まれているらしい。有能な人物と友誼を持てた幸運を、私は噛みしめねばならないね。

 

「今現在、贈答品用の在庫がいくらあるのかはわかりませんが、見せられるだけ見せてはいただけませんか。そちらのセンスを疑うわけではありませんが、身近な人への贈り物なので、自ら見定めたいのです」

「ええ、もちろん構いませんよ。その点、こだわるお気持ちは理解できます。――少し、お待ちください」

 

 そうやってミンロンは様々な小物を取り出してきた。指輪やピアスといった装飾品、観賞用の宝石や東方の衣装など、私の目から見ても相当な価値だとわかるものばかり。

 何気に書物が混じっていたりするのは、彼女なりの皮肉かな? ……とっとと訳して見せろという催促だったりしたら、もうちょっと待ってくださいとしか言えないんですが。

 

「衣装は、採寸も済ませていないのですから、流石に――」

「これはサンプルです。生地は持ち込んでおりますので、採寸を済ませれば私が裁断から調整させていただきます」

「……服の仕立てまで自ら手掛けるとは、そこまで出来る商人は、どれだけいるのでしょうか。本当、ミンロン様は多芸ですね」

「幼いころから、色々と仕込まれたもので。今では、卑近なことまで習熟してしまいました。……お恥ずかしい話です」

「何を恥じる必要があるのですか。貴女は自身の才覚を、もっと誇るべきです。――東方の賢人の中で、もっとも偉大な教育者もそうだったでしょう。卑近なことにこそ、真理が宿るものです。身近で日常的な仕事の中にこそ、大事なものがある。私はそう思いますよ」

「恐れ入ります。――ただ、私としては商人としての価値を見ていただきたい。上客として、お金を落としていただくのが一番なのですが、いかがでしょう」

「……ああ、うん。そうですね。いや、これは失敬」

 

 まあまあ、思ったより感銘を与えられなかったのはいいよ、うん。伊藤仁斎先生なら、もっと良い言葉で表現してくれたんだろうけど、私にはこれが限界だった。

 ずっと気になってたんだけど、孔仲尼先生は別名で降臨しているのか、それとも別人が似たようなことを言い残したのか? これだけでは、ちょっとわからない。……翻訳作業に励む理由が出来ましたね、これは。

 

 それはさておき、ミンロン女史の弱みが見えた、と思う。東方では、裁縫仕事は女の役目なのだろう。こっちでは男も裁縫をするから、針子を蔑んだり軽い扱いを受けたりすることはないのだけれど。

 

「知っていますか? こちらでは冬の寒い時期、農閑期には男も家の中で出来る仕事をするのです。具体的には写本や手芸などですが」

「いえ、初耳です。……東方では、手芸は女子の仕事ですね。男が稼ぐための手段としては、一般的ではありません」

「それはそれは。女性の地位が低いのでしょうか。我が国では、考えられないことですが」

「黙秘させてください。――理由は、聞かないでくれると助かります」

 

 左様で。なんというか、色々と想像はつくね、確証はないとしても。

 ――さて、どこまで東方は中国っぽいんだろうね? 男尊女卑は確実としても、程度のほどはどうだろう。ミンロン女史の素性も含めて、確かめたくなるよ。

 まあ、これで案外、深刻でない範囲でまとまっている可能性はある。とりあえず、女の身で商人をやれるくらいには、女性への社会進出が認められているんだろう。

 

「……あれこれ並べてくれたものを見るに、品物がいいだけに迷いますね」

「急ぐ理由がないのであれば、当人たちを交えてみるのもアリでしょう。お互いに嗜好のすり合わせを行うのも、共同生活においては大事なことと考えます」

「多人数で冷やかしに来られても、困るだけでは?」

「ただの冷やかしにはならないでしょう。――モリー殿は、それくらいに誠実なお方であると、見定めております」

「期待が重いですね。けれど、裏切るのは後ろめたいものですし、うーん」

 

 ウィンドウ・ショッピングなんて概念はまだないんだろうけど――別段購入するつもりが無くても、商品を見て回るくらいは許してくれるらしい。

 それはそれとして、共同生活なんて言葉が出てくる辺り、ミンロン女史も目ざといものだ。誰かしら、誘ってみるのもいいかもしれないが、それよりはまず彼女だ。ミンロン当人の才覚にこそ、今は目を向けるべきだろう。

 しかし、あからさまでは警戒を呼ぶ。まずは私の方から急所をさらけ出そう。そうであればこそ、お互いに踏み込んだ話が出来ると言うもの。

 

「難しい所ですけど――その。私って、わかりやすいですか?」

「私にわかるのは、伴侶を得ることは人生の大事である、ということです。モリー殿はこれから一家を立てる身の上になる訳ですから、妻のご機嫌を取るのも夫の役目と言えるでしょう」

「耳が痛いですね、実に。……女の身で、妻を持つのはこれで結構な負担だと思うのです。形に残せないだけに、気を使うことも多い。できれば、ミンロン様はそのための一助になってほしいものです」

 

 東方の商品は、物珍しいものが多い。ミンロン女史が披露してくれるなら、ありがたい話だ。新鮮な気持ちでショッピングを楽しめる場は、ご機嫌取りに最適であるし、利用させてくれるなら便宜を図るのもやぶさかではない。

 

「どうぞ、思うがままにお引き回しください。お呼びとあらば、すぐに駆け付けます」

 

 だから私を御贔屓に――と、ミンロン女史は言いたいらしい。機会に食いつく貪欲さと、己を演出する上手さは称賛に価すると思うよ。

 なればこそ、警戒は解かない。やり手の商人相手に油断は禁物だ。隙を見せれば、どこまで収奪されるかわかったものではない。

 信頼と信用は別。頼るのと用いるのとでは、立場の違いもあるしね? ……ミンロン女史は傑物だから、私としてはなるべく上位の立場を維持したいんだよ。

 

「名目上でも、夫としては家計を思うがままに掻き回す訳にはいきません。今回は、高値の買い物は遠慮しましょう。彼女たちへの贈り物はおろそかにできませんから、金をかけるのは次の機会に回します」

「その際は、ぜひ声をおかけください。何はともあれ、駆けつけますので。保証としては、これで足りるでしょうか」

 

 そう言いながら、ミンロン女史は一冊の書物を進呈してきた。

 彼女曰く、これも投資の一環だという。ぱらぱらとめくって見た感じ、法家の書物っぽい。

 

「ん? あれ? これって……うわ」

 

 ――ていうかこれ、商君書じゃない? 『則ち草必ず墾かれん』ってフレーズがこんなに何度も繰り返される書物なんて、他にはないよ。

 

「ちょっと、これ危ない……危なくない?」

「おや、わかりますか? 理解の速さが尋常ではありませんね。……大丈夫。今現在の東方において、この手の思想は主流ではありませんから」

 

 禁書じゃないからセーフって、ええ? マジで? ……現在に当てはめると陳腐化した内容も多いけど、これって国外に持ち出していい類の書物なのか?

 中央集権の貫徹、貴族特権の廃止、愚民政策に厳罰主義等など、見る者が見れば危険思想とも捉えかねない文言が山ほどあるんですが、これ。翻訳作業に重ねて、注釈も追加しないと酷いことになるよ。

 そもそも商業を軽視して、極端すぎる農本思想を表した商鞅の書を、女性の商人が持ち込んでくるとか、これだけでもひどい皮肉なんですがそれは。

 

「……ありがたいのですが、これは少し、過剰ではありませんか?」

「翻訳する書物は、いくらあってもいいでしょう? 投資した分は回収するつもりですし、気兼ねなく受け取ってください。私ほど貴女の語学力を評価している人物は、他にいないと確信しております。――ああ、心配せずとも急かしはしません」

「やります、やりますよ。だから煽らないでください、地味に精神にくるので。……貴女の思い切りの良さだけは、本当に感心しますよ」

「貴女個人の感心より、不特定多数の関心こそを買いたいものです。翻訳本が売れなければ、私は丸損ですからね? ――おそらく、そこまで酷い事態にはならないと思いますが」

 

 流石にここまで投資を受けたら、私の方もお返しに本腰を入れねばならなくなる。

 翻訳作業は積極的にやりたい仕事でもあるから、この点でミンロン女史には頭が上がらない。

 だって、非公式とは言えど、諸子百家っぽい書物をちらつかせて来るんだもの。

 法家があるなら、兵家とか儒家もあるよね? 中国最初にして最後の思想的自由が認められた時代の、最高のエッセンスを抽出した文献を持ち出されては、従うしかないじゃない。

 

「翻訳本の売れ行きについては、さほど心配していません。――モリー殿の名声を利用すれば、まず確実に利益が見込めましょう」

「私、そこまで知名度があるとは思っていないんですが。特殊部隊の副隊長なんて、一般人とは縁遠いものですし」

「そこはそれ、売り方次第ですよ。高尚な書物は、上流階級から流行らせるのがよろしい。そしてモリー殿は、ゼニアルゼの上流階級とは、良い関係を築いておられるでしょう?」

 

 言われてみれば、ゼニアルゼには教え子たちがいる。彼女たちは、私が本を書いたと聞けば、興味を持つだろう。

 ちょっとでも気を引かせれば、このやり手の商人のこと。あれやこれやと手管を用いて、教え子たちを中心に一過性のブームを作るくらいは、やってのけるかもしれない。

 

「他国の事情とか、もう面倒見切れませんし考えないこととして。――想い人への贈り物について考える方が、よほど楽だ……とも言えないのが辛い所ですが」

「いっそ、物を贈るのはやめて、行動で示すのはいかがでしょう。一人一人に時間をかけて、特別なデートをする。それも一種の贈り物ではありませんか? 締めくくりに小物の一つでも贈れば、それでいいではありませんか。私がそれらしいものを、いくらか見繕いましょう」

「――ああ、その手がありましたか。仕事以外で逢引きとか、したことがなかったですね、そういえば」

 

 これはこれで、覚悟を決めなくてはならなくなるが、まあそれはいい。

 いい機会だと思えば、迷いも消えるかもしれない。……実際に行動するとなれば、そこまで上手くいくかはわからないが。

 

「躊躇うには、躊躇うだけの理由があるものです。じっくりと、考えられるのがよろしいかと。心配せずとも、小物類は嵩張らない割に売れ残りやすい物ですし、時間はあります」

「ほほう、悩むだけの時間をくださると? ――ミンロン様は、私のスポンサーになってくれるのですかね? 投資に見合った結果が出たなら、今後ともよろしく付き合って頂けると、そう考えてもよろしいんですね?」

「……割と唐突に、話を別方向に変えますね、モリー殿。そこまで言われると、ちょっと身構えてしまいますよ」

「そうは言われましても、大事なことですので。――いえ、女性関係と並べて語ることではないでしょうが、いずれにしろ大事です。唐突なのはお許しください。……いかがでしょう?」

 

 ちょっと感情的になりたい気分だったので、ミンロン女史には付き合ってもらおう。

 贈り物を選ぶのは、またの機会と言うことにして。――今は、彼女と向き合おうじゃないか。

 

「いかが、と申されましても、もともとこちらから進めた話です。モリー殿は、遠慮なく私を頼ってください。出来る限りのことは、させていただきます」

 

 口にしたからには、責任が伴う。ミンロン女史は、これからも投資してくれる意思もあるだろうし、過剰な警戒は非礼にあたろう。

 ここからは私も、誠意を見せなくてはなるまい。多少は財布の中身をひん剥かれても、笑って済ませる度量がいると思う。

 

「なら、こちらも出来ることはしてあげたいと思います。相互互恵の関係こそが最良というもの。商人と騎士階級の癒着など、この時代においてはさほどの問題ではありませんし。――シルビア王女は御存じですか? ああ、伝手があるかどうかを聞いているので、誤解の無いよう。……貴方がよろしければ、紹介するのもやぶさかではありません」

 

 商人として生きる上で、辛酸も相当に舐めただろう。そうした彼女の気持ちに寄り添いたいという感情も、私の中にある。

 貴女は私に投資をした。だから、私も貴女に投資しよう。これは、そういう話です。あの王女様を持ち出したのは、こちらもリスクを負えるのだと言いたかったからだ。

 身内の中で、シルビア王女に一番近しいのはメイル隊長だけど、私の方からもアプローチは仕掛けられるからね。東方から面白い商人がやってきた、と伝えれば、興味は引けるだろう。

 

「シルビア王女と来ましたか。……随分と踏み込んで決ますね、モリー殿。貴女はそこまで性急に話を進める方ではないと、そう思っていたのですが?」

「場合によりけりですよ。――ミンロン様は、ご立派な商人であらせられる。なれば、騎士身分の私としては、今後ともお付き合いを継続していきたいのです。お互いのためにも、我々は関係を維持するべきです。間違っていますか?」

 

 維持するためには、明確で継続的な利益が必要になる。商人との付き合いが難しいのは、この部分の調整がめんどくさいからだ。

 だって、彼女を受け入れれば、既存の商人たちからヒンシュクを買うのは間違いないからね。なんで地元のウチらを無視するんだって言われたら、普通なら返答に困るところだ。

 この点、シルビア王女を間に入れれば、少なくとも私の方は言い訳が出来るからね。そうして名目上でも、付き合って良い理由が出来れば、充分お互いの利益になると思う。

 

「言いたいことはわかりますが、ここで権力のお話をするのはいかがなものかと」

「そうした方が、本気だと理解してくれるでしょう? 書物のお返しと思えば、私としては適正だと思うのですが」

「それにしても――いえ。この場で否定してしまえば、私自身の見る目が疑われてしまう。怖気づいては、商機をみすみす逃すことにも――。……この件、返答は急がなくとも構いませんか?」

「もちろんです。とりあえず考えておいてください、という話ですよ。誰も急かしたりはしません」

 

 という訳で、とにもかくにも保留と言うことで話は終わった。

 私もこれ以上は深く語らず、ちょっとした買い物だけを済ませ、挨拶して別れた。

 

 ――収穫はあった、と思う。ミンロン女史の思考というか、スタンスというか。人となりをいくらかでも探れたから、今後の参考になる……んじゃないかな。どうかな。

 わざと都合のいい面を見せただけ、ともとれるし、そこは要観察だね。で、一番重要な皆へのお返し、という意味では別段収穫はなかったわけですが。

 ……どうしようか。マジで身体で返すことになるんだろうか。私は、欲望に従うならむしろ嬉しいくらいだけど、理性の部分が『まだやめとけ』とささやくんです。

 

 ――なるようにしかならんか。今、私は人生の節目にいる。この機会に、周囲の人たちに目を向けて、自分に出来ることをしなくてはならない。

 それだけは、確かな意思を持って、断言できることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、ミンロン女史からは装飾品を一つだけ買いました。あとは、ちょっとした小物消え物を少々。お話をして時間を取ってもらった分、相応の買い物と言うことで。

 装飾品は贈答用じゃなくて、私用にね? 皆へのお返しは、また別に機会に考えよう。

 焦って選ぶことでもないと思うし。――あんまり後回しにするのも私の精神衛生に悪いから、なるべく早く行動すべきではあるんだけどね。

 

 だから、まずは一番接しやすい相手に一番わかりやすいお返しをしようと思います。

 開店まで適当に時間を潰した後、クミン嬢の店へ。私が来たと分かったら、どうやら色々と便宜を図っていただいているようで、すぐに来てくれました。

 まあシルビア王女からの紐帯、という話が事実であれば、私の監視と管理はクミン嬢の仕事だからね、こうもなろう。

 

「モリーさんと店で会うのは久しぶり――というほどでもありませんが、珍しくはありますね。私に、何か?」

「仕事の話抜きで、お互いを理解し合う機会が欲しい、といいますか。……要は逢引きですね。お時間、よろしいですか?」

「愛人設定は別料金――なんて、冗談ですよ。もともとそのつもりで来ているんですから、通常料金でお相手しましょう」

 

 店で会う以上は、それなりの場代を払ってもらわねばならない、と。その辺り、クミン嬢はしっかりしている。

 彼女の価値を考えれば、それも当然か。自らを安売りする態度は、周囲からの侮りを生む。あえて職場で弱みを作る理由など、彼女にはないだろう。

 

「でも意外ですね? 私、歓迎されてないと思っていたので。……真面目な話、何かしらの口実がないと、自宅を訪ねるのも難しいんじゃないかと考えてました」

「そう難しく考えることもないでしょう。――先日など、メイル隊長が東方の商人を連れてきていました。無礼だ何だと、余計なことを考えていては、ありえない行動でしょう。私たちの中で、気兼ねはいりません」

「それは、また。……詳しく聞かせてください」

 

 思った通り、私の話はクミン嬢の興味を引けたようだ。後は、経緯を詳しく語ればいい。今日会ったときの話も含めていいだろう。

 ミンロン女史との関わりについては、現在進行中の部分もあるんで、ぼかすべき部分はぼかすけどね!

 

「貴方に東方の教養があったことにも驚きですが。……それに見事に対応して、投資の決断をした商人も凄いですね」

「完全に同意します。彼女は大成しますよ。――そのうち、シルビア王女とも顔を合わせるでしょう。ゼニアルゼとクロノワークの交易に関わるならば、機会は自ずと作られると思います」

「木っ端商人に関わるほど、暇な方ではないですが。……モリーさんがそこまで言うのであれば、可能性はあるのでしょうね」

 

 シルビア王女に報告することが増えた、と思っている頃合いかな。今は、名前を耳に入れさせるくらいで充分だろう。

 クミン嬢も思考にふけっているところ悪いけど、ついでに私の個人的な用事をここで済ませてしまおう。貴女もまた、私にとっては好意を向けるべき対象なので。

 

「失敬、仕事に関わる話をするつもりはなかったのですが。……すいません。どうにも気が利きませんね、私は」

「いえいえ、構いませんよ。楽しいお話でしたし」

「しかし貴女の男として、この辺りで甲斐性を見せておきたいと思うのです。――これを」

 

 私なりに、クミン嬢にお返しをするとすれば、まず彼女の立場を考えねばならぬ。

 彼女の為を思えばこそ、周囲の嫉視を招く贈り物は、よろしくあるまい。だから出来ることと言えば、これくらいしかなかった。

 

「お菓子の詰め合わせですか? ありがとうございます」

「ゼニアルゼで流行りの焼き菓子だそうです。よろしければ、職場の皆さんとお分けください。――評判が良ければ、大々的に売り出していくそうですよ?」

「それはそれは。……しかしゼニアルゼの流行り品であれば、結構な値がするのでしょう?」

「菓子にしてはそれなりに。ですが、流通が安定すれば、かなり安くなるそうです。具体的には、これくらいに――」

「あ、それなら割と手が届きますね。私的に買って楽しむのもアリかも」

 

 嗜好品の流通を安定させるためには、相応の売り上げが見込めねばならない。だから、ここで大いに受けることがあれば、それだけで菓子の需要は大きくなる。

 需要が大きくなれば、供給する価値が生まれて――大量生産、販売の商機が生まれるわけだね。薄利多売で顧客を作り、いい評判を作っていければ、全体としての利益につなげられる。

 取り扱う側のミンロン女史にとっては嬉しい話になるだろうし、皆も美味しい菓子が安価で買えて嬉しい。

 クミン嬢は、ただ受け取って周囲に菓子をばらまくだけでいい。費用については、私が自腹を切ろうじゃないか。見栄と言えば見栄に過ぎないけど、貴女を気にかけていますっていう気持ちの表現としてはベターだろう。

 クミン嬢に関しては、余計な手練手管を用いるよりは、多少下品でも率直に向かい合った方がいいと思うんだ。

 

「定期的に、店の方に差し入れましょう。全員にいきわたるくらいには、用意できると思います」

「あの、ありがたいですけど、そこまでしてもらう義理は、流石にないと思うんですが」

「そこはあれですよ。旦那の甲斐性と言うことで」

「お菓子で買える甲斐性なんて、知れたものですよ? 男の人なら、もっとそれらしい貴重品を持ってくるところですが」

「それだと、露骨すぎて嫉視を招くでしょう? ――これは想像ですが、クミンさんは特別な立場にいるはず。職場の同僚との関係を、悪化させる要因は作りたくありません」

「むしろ、私と周囲の関係を良好にするために、嗜好品を持ち込んで職場の雰囲気を改善させよう、と。……私とモリーさんの関係が無ければ成立しない、そうした事情を作っておけば、自然と私自身の立場も強化されるわけですね?」

「それで得られる立場など知れたものですが、ないよりはマシでしょう? 出費と影響をかんがみるに、これが大きすぎず小さすぎない、ちょうどいい所だと思うのですが」

 

 まあ、直接やり取りすると流石にあからさまに過ぎるかな。流通の業者から店に卸してもらえばいいわけだし、私の名前を出すこともない。

 人気がお客の間にまで波及すれば、私の手を放れても、店の経費で落とすことも出来るだろう。上手くいけば、クミン嬢にもミンロン女史にも良い顔が出来るわけだ。

 ――そうならなかったら? 私が無駄に金を落とすだけで終わるね。でもどうせ使い道なんて限られてるし、節度はわきまえてるし、問題はないよ、うん。

 

「……なんだか、妙な雰囲気になりましたね。逢引きって感じでもないような。モリーさん、仕事から離れると結構不器用だったりします?」

「本職には誤魔化せませんね、どうも。……クミンさんには、勝てる気がしませんよ。快く負けられる相手というのは、貴重ですから。嬉しいと言いますか、何と申し上げたら良いやら」

「私は気にしません。それより、いいんですか? 時間延長は別料金です。これは、割引が効きませんから。――時間を無駄にしたくないでしょう?」

 

 料金と時間について言及する辺り、もっと個人的な話がしたい――というポーズであると、私にはわかった。

 クミン嬢は、真面目に私と向かい合ってくれるらしい。彼女の鷹揚な笑顔は、私の感情をどこまでも受け止めてくれるだろう。職業上、感情をぶつけられることにも慣れているはず。

 そうしてもいいのだと確信を得られたならば、こちらだって遠慮する理由はない。

 

「ええ、ええ。まさに。語るべきことは、色々とあります。他愛のない話も。……色事については、うとい方でして。とりあえず、思いつくままに語り合いましょうか」

「いいんじゃないでしょうか。私、これで結構現状に満足してますんで。付き合えるうちは、付き合いますよ」

 

 ありがたい話だった。彼女自身、どこまで本気の好意を向けてくれるのか、わからない部分も多いけれど。

 それでも、長く付き合ってくれる気持ちがあるのなら、私はそれに感謝するべきなんだ。

 

「ありがとうございます。――私は色々と、なかなか公言しにくい感情を抱えていますので。そこらへん、愚痴を聞いてくれると嬉しいですよ」

 

 クミン嬢は、私との関係も仕事の内だと割り切っている節がある。

 他の三人と比べると、感情とか好意とか、そうした部分がさほど重くない相手だ。愚痴を吐くには、最適だったというのもある。

 今のうちに発散しておかねば、ストレスはかさむばかりだろう。そうと思えば、私も思い切って話すことが出来た。

 それが彼女にとって、いい時間になったどうかは、わからないけど。料金を支払った分、彼女の為にもなったのだと。そう思いたいのですね。ええ、ええ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミンロンという商人は、個人の才覚だけでこの世を生きている。そうした自負があった。

 もちろん他者の助けを借りることはあるし、運の要素も無視はできない。だがそれらの環境全てを利用し、利益を己のものにするには、実力があることが前提である。

 なればこそ、人脈を築く上でも一人だけを頼ることはない。多くの伝手をたどりながら、その中の一つを選択するという形をとるのだ。

 この場合、彼女にとってモリーは数ある投資先の一つに過ぎず、金をかけるべき人物は他にもいた。

 狡兎三穴の教えの通り、一つの策に頼り切っては身が危うい。一方がしくじった時の為に、他の道も用意しておくべきだ。それがモリーにとって近しい相手だというのは、奇縁というものか。

 

「それでは、シルビア王女との面会、保証してくださるとは――」

「保証? いささか図々しくはありませんか。……私は、あのお方の手先でしかない。私は自分の仕事の範疇で報告を行い、その中で貴女のこともいくらか触れる。お目通りが叶うかどうかは、私の上司の判断次第ですね」

 

 ミンロンは今、クロノワークの風俗街にいた。その中で『天使と小悪魔の真偽の愛』傘下の高級店に入り込めたのは、彼女の人脈と商才のなせる業であったろう。

 しかしミンロンの才覚も、このクミン嬢と関わるまでが限界であった。彼女の返答も、色よいものではない。

 なぜかと、ミンロンは己に問う。相手の逆鱗に触れるほど、多くの会話をしたわけではないというのに。

 

「何か、機嫌を損ねるようなことを申し上げたのでしょうか。だとしたら、お詫びいたします」

「詫びなどいりません。貴女方商人にとって、詫びとはワイロを贈ることでしょう? そんなものを受け取っては、上司に言い訳が出来ません」

 

 口舌だけでは足りぬ。それは、わかっていたことだ。だがワイロを贈ろうにも、相手の方から求めさせてこそ意味がある。ここで切るには早すぎると思えばこそ、ミンロンはさらに言葉を重ねた。

 

「クミン様、では貴女の直属の上司に話を通していただきたく」

「……報告はしますが、話が通るかどうかはまた別の話です。申し訳ありませんが、ミンロンさん。私が貴女に出来ることは、そう多くないんですよ」

 

 クミンは、すでにモリーと出会って話をした後だった。つまり、ミンロンの情報を持っており、何を求めているかを知っている。

 モリーがミンロンとシルビア王女を引き合わせたがっていることも、なんとなく読めていた。

 だが仕事以外の場では、人の好いモリーのこと。彼女が良いように利用されては、どうにも不快な気がするので、クミンとしては一つ釘を刺しておきたかったのだ。

 色々ともったいぶって、ヤキモキさせるくらいは可愛い悪戯ではないかと思う。

 

「私の上役に用があるんですよね。それもこの店の店長とか、そんな次元ではなく。狙いはシルビア王女でしょう。あのお方にお目通り願うことが、貴女の目的です。違いますか?」

「はい。私の方でも、方々に手を尽くしておりますから、いずれは叶うと思いますが――」

 

 最後までは言わせない。ミンロンの目的が何であれ、今はクミンが主導権を握っているのだ。

 

「ああ、私の方からも報告しておきましょうか? 生意気な商人がいて、分不相応な願いのために動いている――と。私程度では、さしたる不信は招けないでしょうが、決断を遅らせる理由にはなるでしょう」

「――お待ちを。流石にそれは誹謗中傷と言うものでは? クミン様の上司とて、根拠のない暴論を聞かされたくはありますまい」

「そうですね。なので、私に誹謗中傷される隙など、作らない方がいいですよ。……おわかりですね?」

 

 クミンが強硬に出れば、ミンロンは強く出ることが出来ない。席を蹴って出ていけるほどの実力も、この女商人にはなかった。

 二人の力関係は、クミンの方に大きく傾いていたと言える。その自覚があればこそ、相手を追い詰める楽しみを、彼女は享受できるのだ。

 

「……随分と身も蓋もない言い方をされますね。手土産が少なかったと言うことでしょうか? ワイロと見なされぬ形で、ひそかに利益を提供することも私には出来ますが」

「――すいません、言葉が足りなかったですね。では最初から説明します。……私たちは別段貴女の商売に興味などないし、金に困ってもいません。だから凡百の商人たちと同じ扱いをします、と。これは、それだけの話なのです」

 

 クミンは金の無心など求めてはいない。ただ彼女の思惑の上を行くこと。マウントを取って、主導権を握ること自体に快感を覚えているのだ。

 そしてミンロンの方も、商人としての才覚が、正確に相手の感情を読み取らせる。クミンの返答には内心で焦った。相手がこの状況を楽しんでいるなら、変化させるのは容易ではない。

 

「それだけ、ですか。私としては、投資するつもりでお話しているのですが」

「モリーさんに粉を掛けたように?」

「……それとこれとは、話が別では?」

「そうですね。それはそれとして、私は面白く思わなかったというだけの話です。……ああ、別に謝罪とか求めてはいませんので、勘違いなさいませんよう」

 

 本来、クミンはここまで嗜虐的な言い方をする女性ではない。ただモリーとの関係性ゆえに、己がミンロンの上位にあることを強調しているのだ。

 

「モリーさんは紳士ですから、私の様にあからさまな言い方はしなかったでしょうけど。――利巧すぎる人って、普通は嫌われたり警戒されることが多いですよね。私も思い当たることがありますから、わかりますよ」

「何のお話でしょう? 私は純粋に商売の話をしていたつもりですが」

「信頼を積み上げたいなら、他人の下風に立つことを受け入れてください、という話です。……私をただの通過点に見なしたり、上役に会うまでの繋ぎに過ぎないとか、そんな風に見下したりしない様に」

「いえ、決して私はそのような――」

「そうでしょうとも。無自覚なんでしょう? だから、無理には言いませんよ。貴女にとっては理不尽にも聞こえるでしょうし、これ以上責めもしません。忘れてくれて結構です」

 

 ミンロンの反論など知ったことではない、とばかりにクミンはまくしたてる。なるほど、確かにミンロンとて確たる意思で、クミンを見下しているわけではあるまい。

 ただ自然に、商人の方が娼婦より格上だと、そのように思い込んでいるだけだ。手っ取り早く金の話をすれば、適当に食いつくだろう――とも。

 あっさりとワイロの話をしてくる辺り、そういう女性たちしか知らなかった可能性もあるが、いずれにせよミンロンの言い方は彼女を傷つけた。

 クミンは金の価値の重さを知っているが、同時に己のプライドも大事だと思っている。傷つけられたからには、殴り返したくなったのだと、これはそういう話だった。

 

「私にはミンロンさんほどの商才はありませんが、モリーさんはそういった実利など度外視して、私個人を見てくれる方です。――少しは、彼女の謙虚さを見習ってはいかがでしょう」

「……非礼があったなら、お詫びいたします。どうぞ、お許しください」

「はい、許しますとも。――貴女の言葉が、本当に真実であればですが」

 

 彼女にとって、他の女性陣とは違い、ミンロンはマウントを取っても問題のない相手だ。言いがかりに近い言葉を用いたのも、今の内から教育しておこうとの意図である。

 クミンは商館内で序列を決めるかのように、番頭が丁稚をこき使うように、ミンロンを扱うつもりだった。少なくとも、『モリーの家』という範疇の中では。

 

「話を戻しましょうか。……投資の件については、悪いんですが私にその権限はありませんので。受けるかどうかも、上役の判断次第です。まあ、その気があるってことくらいは伝えてもいいですが」

 

 クミンは遠回しな言い方をしているが、伝え方はどうにでもなる。あえて恣意的な表現をして、ミンロンに対する風評被害をもたらすくらいは朝飯前だろう。

 それがわかるから、ミンロンは旗色の悪さを認めるしかなかった。どうにか笑顔で包み隠してはいるが、声と口調には緊張が現れてしまう。そうと自覚しながらも、なおも彼女は食い下がった。

 

「足りないものがあるなら、用立てます。必要なものがあれば、どうかお申し付けください。――お役に立てると思うのですが」

「では、お引き取りください。明確な返答については、また後日と言うことで。……ミンロン様のご活躍をお祈り申し上げます」

 

 お帰りはあちらだと、クミンは視線で指し示した。きわめてぞんざいな態度であり、対等な話し合いの雰囲気ではない。

 ミンロンは飛び込み営業に近い形で、この場に乗り込んできたのだから、それは仕方のないことであるだろう。クミンの個人的な事情をかんがみるなら、短時間でモリーに取り入った彼女を気に入る道理はない――と、そういった考えも混じっていた。実利という分野では、クミンはミンロンに敵わない。そこを嫉妬したと言われれば、否定は難しかった。

 だが、ここで粘れずに素直に帰還できるほど、ミンロンは愚鈍な商人ではない。

 

「最後に一つ、耳寄りな話をしたいと思います」

「もったいぶる様な話ですか? 伝えたいことがあるなら、最初から話してください。……どうぞ?」

 

 クミンはそれ以上、何も言わなかった。ぞんざいな態度は変わらないが、聞く耳は持っていると態度で示す。

 ならば、とミンロンは口を開いた。このために、面白くもない人の恋話に首を突っ込んだのだから――と。彼女なりに、思う所を述べた。

 

「モリー殿の疑惑について、お話させてください。あの方が東方に通じていた事情について、何か知っていますか?」

 

 クミンの視線が、ミンロンを向いた。ようやく関心を引いたと、彼女は確信した。

 同時に不興も買ったのだが、そこまで気にかける余裕など、今のミンロンにはない。

 

「私は何も知りません。――が、任務の特性上、さまざまな国家の情報について詳しいのは、不思議なことでもないでしょう」

「それが東方でなければ、の話です。我が国は閉鎖的で、文化的な書物を輸出したり、学者が国外に出る場合などは、確実に記録が残るようになっています。――しかしここ数十年、そうした記録はありません。今回私が持ち込めたのは、ほとんど特例のようなものですね」

 

 ミンロンは、出まかせを言っているわけではない。東方からの競争相手が少なく、流出する財物もまた少ない西方であればこそ、商機があると睨んでやってきたのだから。それこそ下調べは嫌というほどに徹底して行っていた。

 なればこそ、不審を抱いた。あそこまで流暢に東方の言語に通じ、訳せる人物が、どうして今まで埋もれていたのか? そしてそれほどの人物が、なぜ騎士などやっているのか?

 ミンロンにとっては、腑に落ちないことでもあった。無論、それはクミンとてそうである。なればこそ、彼女の話にも付き合おうと思ったのだ。

 

「勘違いとか、調べから漏れているとか、そうした可能性もあるでしょう?」

「否定はしませんが、それにしても不思議な話ではありませんか。モリー殿は、学者の家に生まれたわけではなく、東方の文献に触れる機会がそうそうあったとは思われません。ましてや、独学で習得する時間的余裕など、どれほどあったのか? ――これは、明らかに不審な事柄です。放置してよい案件ではないと、私の方から申し上げておきましょう」

 

 ミンロンは、疑いを投げかけた。自ら投資しておきながら、モリーへの不利益になりかねない疑惑を他者へ吹き込んでいる。この矛盾を、いかに表現すればいいだろうか。

 

「悪口を叩く輩は、むしろ不信を招くものです。……モリーさんに対して、含むところでもあるのですか?」

「いえ、別に。いい商売相手になると思っています。実際、それなりの商談をまとめておりますし、長く付き合いたいと思っておりますとも」

「へぇ? ――東方の商人とやらは、複雑怪奇ですね。そこまで投資しておきながら、他人に不信感をばらまこうとするとは。ありていに言って、不義理に過ぎるのではありませんか?」

「目の前の顧客が全てです。私は顧客が求めるであろうものを、情報も含めて売買するのが商売。モリー殿からは、口止めされた訳でもありません。つまり、必要とあらば開示するのも私の自由と言うものです。よって、これは不義理な行為ではありません」

 

 一見矛盾した行動だが、結果が良ければすべて良し。彼女には、ここから巻き返す算段も、モリーへの信頼を取り戻す道筋も見えていた。

 後で埋め合わせをすればいいと、覚悟を決めている。だからこそ、ここで強く主張したのである。

 

「物は言いようですね。私が嫌悪を抱くとか、そんな風に思わないんですか?」

「これは正当な疑惑です。東方の人間として、確かに不審に思うことがあった。そうとわかっているなら、関係者に告げない方がむしろ不誠実でしょう?」

「何事にも、言い訳のしようはあるものですね! ……不本意ですが、一理くらいは認めてあげますよ」

 

 もっとも、そうしたミンロンの道理など、クミンにとっては考慮に値しない。そこまで悟れなかったのは、まさに商人としての未熟さゆえであろうか。

 

「まあ、いいでしょう。東方に通じていること。改めて考えてみると、不思議と言えば確かに不思議。――ですが、追求するほどの問題かどうか、いささか怪しい所があります。……貴女の言葉を裏付けする、証拠が必要ですね」

「証拠があれば、また訪ねてきても良いとおっしゃられるので?」

 

 次の機会を、新たなチャンスをくれと、ミンロンは言っている。それを許可するくらいは、クミンの裁量でも許されるだろう。――いささか楽しくない展開だが、利を認めないわけにはいかない。

 この点、シルビア王女に伝われば、いくらかの興味を引くかもしれない。想像が出来るだけに、無視できなかった。ミンロンの指摘に価値を認めるなら、クミンは便宜を図る必要があった。それが、彼女の仕事でもあるから。

 

「――証拠が出てきたら、ですよ。……嫌とは言いません。ただ、今回の報告の結果は本当に期待しないでください。この店の場代を割り引くこともしませんよ」

 

 要するに、具体的なことはしないし何の保証も与えないのだが、また来れば会って話くらいはしよう――と。それだけのことに過ぎないのだが。

 

「充分です。では、次の機会にまた」

 

 返事を聞いたミンロンの足取りは軽く、去る時にも気負いは感じられなかった。

 虚勢であれ、そこまで徹底できるなら才覚の内であり、クミンはそれをくみ取れるだけの察しの良さを持ち合わせていた。

 物の役に立ちそうならば、それらしく伝えるのも彼女の役目であった。あえて厳しく接したが、無能な人物でないことはわかる。己の感情的にはさておき、シルビア王女は気に入るかもしれない。

 

「報告は詳細に、私見も込みで伝えておきましょうか。……個人的には危険人物に近いと思いますが、癖の強さは利用価値の大きさにも通じるものですし。最終的には、シルビア王女が判断することでしょう」

 

 クミンは所詮末端の人材であるから、気楽に仕事が出来る。判断を上に丸投げできるのだから、なおさら楽でいいと思う。

 それより、今回の話をモリーに持ち込めば、どれだけ甘えられるだろうか。功績に応じた見返りは、求めても非難には当たらないはずだと彼女は考える。

 普通、同性愛には忌避感がともなうはずだが、モリーに対してはそれがない。自分にそのケはなかったのに、どうしてだろうかと疑問も出てくるが、結局のところ実感して確かめるのが一番いいはずだ。

 

「モリーさんに抱かれるのって、どんな感覚なんでしょうか。――想像しても不思議と不快感がわかない辺り、彼女は私にとっても特別なんだって、なんとなくわかります。そんなに付き合いは長くないのに、不思議なものですね」

 

 モリーは聡明な人だから、クミンの偏見込みで辛らつな意見を伝えたとしても、真に受けるとは限らない。自ら裏を取って確信を得るまでは、あの女商人に対して強い態度を取ることはないだろう。

 特に女性には甘い傾向があるから、讒言などはもってのほか。先ほどの案件を話す機会があれば、口調から声色まで注意してなくてはなるまい。

 邪推されてしまったら、面倒な話になる。モリーから誤解されることは、それだけでひどく辛いことのように思えた。

 

「モリーさんって、悪い人ですね、本当に。貴女の関心を買いたい。貴女にとって大事な存在に慣れたら、どんなに楽しいでしょうか。騎士どもはもとより、シルビア王女まで翻弄させることが出来たなら、その一助と成れたなら、どれほど痛快なことか!」

 

 それこそがまさに、モリーの魔性であったのだと、気付いた頃には手遅れだったのだから、どこまでも恐ろしい話であろう。

 自覚のあるなしに関わらず、接触した者たちを惑わさずにはおれぬ。そうした魅力を、モリーは生まれながらに持っているのだ。

 これを天性の才能というならば、厄介ごとを呼び込む性質は受け入れて然るべきかもしれぬ。

 

「明日にでも、甘えに行きましょうか。ザラ隊長殿は、3Pに抵抗のない人だと嬉しいんですけど」

 

 いずれにせよ、モリーには試練が待ち受けている。純潔を今しばらく維持したいのなら、並々ならぬ術策が必要になるだろう。

 手練手管を、童貞の為に使い尽くさねばならぬと自覚したならば。モリー自身は不甲斐なさと情けなさで男としての自信を失うか、あるいは――吹っ切ってしまうのか。

 いずれにせよ、クミンが楽しめない展開にはなるまい。

 

「女として、女に墜とされる喜びを教えるのも、また一興でしょう。……同性愛の性癖はなかったつもりなんですが、モリーさんだけは別枠だって思えるんだから、本当に不思議ですね?」

 

 クミンがやる気を出している以上、抵抗は無意味である。何より彼女は、シルビア王女の紐として、モリーを縛り付けねばならない立場だ。

 今の仕事を引退しても、安楽に過ごせる場所を確保できるなら、大抵のことは許容できると言うもの。そこに愉悦が伴うなら、なおさら迷う理由はない。

 

「マナーの悪い客より、こちらを思いやってくれる女性を相手にした方が、まだ楽ですしね。……嫌なことを無理矢理、というタイプでもないですし。周囲の人間関係も恵まれていて、将来性もある。ちょっと悔しいですが、あの商人でなくとも、投資したくもなりますよ」

 

 見た目は派手でも、色街が苦界であることに変わりはない。クミンはなるべく楽に暮らしたいものだから、現状はなかなか具合が良かった。

 モリーが嫌悪を抱くような手合いでないことも、彼女を安心させている。いずれシルビア王女からは別の指令も飛んでくるだろうし、モリーの監視は厳しい仕事になるが、それでも――。

 どこかの王族のハーレムで、政治的な暗闘に巻き込まれたり、主人の女に生殺与奪を握られたりするのは御免だった。一時ならともかく、生涯をそこで終わらせるなど、なおさら在り得ないと思う。

 

「妥協するなら、ここらでしょう。――ええ、私は納得して仕事をしている。納得して、好意を向けたいと思っている。……末端のハーレム要員として、これが出来る精一杯でしょう」

 

 クミンは運命を悲観していないし、己の力量で生き延びていけると信じている。だからモリーに媚びを売ることも、さしたる苦労ではないと考えていた。

 少なくとも、モリーの本質と、それに影響された周囲の女どもと正面からぶつかるまで、彼女は自信を維持できていたのである――。

 

 

 





 いかがでしたでしょうか。楽しんでいただけたのなら、幸いです。


 話を書き続けていると、作者でも色々な部分が頭から抜け落ちていることに気付いたりします。
 付け加えると、自分で何度も見直していると、面倒になってスルーしてしまったりするところもありまして……。
 変なところで矛盾などが出ていないと良いのですが。


 次の投稿は、六月中には必ず。二回できるかどうかは、その場のノリ次第になると思います。では、また。


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天下の静謐はもう少し先のお話


 何だか話数を重ねるごとに余計なことを考えたり、考えるたびに時間を費やしたりして、サクサク書けなくなってきた気がします。

 それでも、最低一月に一度のペースは落としたくないので、取り急ぎ投稿させていただきました。



 

 シルビア王女にとって、本来ならば異国の商人など興味の対象外だった。もの珍しさより、実用性を求めるのが為政者として正しい態度である。

 ただ、メイルから是非にと紹介されたのであれば、検討してもよいだろう。いかに運用するかは、実際に会ってから決めればいい。……シルビア王女が有能である、と認めればの話であるが。

 

「ほーん、で、ミンロンとやらは使えそうなのか」

「精査中、といえば聞こえはいいですが、まあ放置に近いですね。個人的に話を聞いたり商売の動向を探ったりはしましたが、それだけです。結局のところ、私の単なる勘働きに過ぎませんが――そこそこは、使えると思いますよ」

「……ふむ。しかし、メイルの勘は案外馬鹿に出来んからのう。おぬしが何かを感じたというなら、期待をかけてもいいかもしれん」

 

 シルビア王女は、メイルをいつものように呼びつけていた。何かしら新しい話題とか、娯楽的な何かを求めてのことである。

 横暴に見えるかもしれないが、これはこれで必要なことだった。他国の情報というものは、それだけ重要なものであるし、確たる信用のおける情報源は、さらに貴重である。

 呼びつけられるメイルの方も、出張には結構な手当が出るので、拒否する理由はなかった。……モリーとの関係を考えれば、今後はどうなるかはわからないが。

 

「どことなく、ミンロンという名は聞き覚えがあるな。……ああ、そうだ。確か、ゼニアルゼの王宮にも出入りしておったはず。わらわが嫁入りする前から、御用商人として使われていたような、そんな話を聞いた事があったわ」

「御用商人ですか? その割には、随分若く見えましたが」

 

 ゼニアルゼ王家に重用される御用商人ともなれば、おおよそが歴史のある大家であり、その当主ともなれば相応の年齢の者が多い。メイルが意外に思うのは、当然のことであったろう。

 

「実際、不相応なほど若いのだろう。いい話は聞いた覚えがない。……数多くいる御用商人の中では、出る杭として打たれる立場であったと見るべきか。少なくとも、このゼニアルゼに限るならば」

「クロノワークへの進出と、私たちとの接触が無ければ、ここまで話が届くこともなかったわけですね。……彼女にとって、あの出会いは運命的であったかもしれません」

 

 運命的、という表現は、メイルにしては感傷的な表現ではないか。シルビア王女は何となく違和感を覚えたが、人は変わるものだ。いちいち気に留めることではないか、と判断する。

 

「――つまり、両国との交通を改善させたわらわは、そやつに貸しがあると言ってもよいな? 初手から話を優位を進める、いい口実が出来たのう」

「いささか強引な論理にも聞こえますが……話の流れ的に、彼女と会ってくださるんですね。面会はある種の特権に近いですが、よろしいので?」

 

 シルビア王女と面会したい、と申し出ている者は、商人に限らない。その中であえてミンロンを選ぶのだから、相応の理由が無ければ面倒な結果にならないか?

 メイルには政治的な事情などわからないが、念のために尋ねておきたかった。

 

「よいよい、奴はまだクロノワークにいるのだろう? その内こちらにもやってくるのであろうが、せっかくじゃ。馬車を用意して、呼びつけてやるとしよう」

「雑に呼びつけるようなやり方では、かえって反感を買うのではありませんか?」

「わらわはそういう無礼で横暴な女ゆえ、今さらやり方など変えられんよ。――そうであればこそ、突拍子もなく東方の商人などを呼び込めるのだ。わらわの気まぐれに巻き込まれた、という形であれば、周囲からの嫉視も最低限に済ませられるであろうよ」

 

 悪役じみた歪んだ笑みを浮かべて、シルビア王女はそう言った。顔はアレだが、彼女なりの配慮であるとメイルは認めた。

 

「シルビア様なりの気遣い、という訳ですか。この点は理解してもらえるよう、ミンロンにはそれとなく言い含めておきましょう。……クロノワークで商談をまとめている最中だったりしたら、結構な迷惑になるでしょうけど」

「そこまで時間は取らせんよ。三日かそこらの時間をいただくだけだと思えば、さしたることではあるまい」

 

 ゼニアルゼとクロノワーク間の交通は、今やかなり改善されていた。ミンロンにとっては、移動自体は苦にもならぬだろう。

 実際に商談の邪魔をされてしまったなら、精神的に辛かろうが――。

 

「多少強引に進めてしまうが、受け入れてもらわねばな。わらわの伝手に、やり手の商人は居らんし……ここらで新規の人材を確保するのも、一手ではある」

「また愉快なことを考えておられるので? その一手の結果、どれだけの人が巻き込まれるんでしょう」

「知らぬ。有象無象の事情など知ったことかよ。――わらわはわらわが思った通りに、思うがままに生きる。先のことについては、まだ語ってはやれぬな。メイルはしばらく、適当にしておればよい」

 

 そこはそれ、シルビア王女という人物と付き合いたいならば、必要な痛みでもあったろう。

 彼女は常に振り回す側であり、下々の者たちは、いつだってシルビア王女の都合で利益も不利益も押し付けられるものだった。

 

「しかし、シルビア王女に商人の知り合いが少ないというのも、なんだか意外な気がしますね。実際、より取り見取りなのでは?」

「そうでもない。あいにくゼニアルゼの商人どもは、頭の良さより腹の黒さの方が目についてな。取り込む価値すら見出せぬゆえ、勝手に商売させておくのがいい。適当に利用するだけなら、それで不足はないのでな」

「なるほど。――いえ、実感としてはわからないのですが、ミンロンが貴重な存在になるかもしれないと、そう見込んでいるのはわかりました」

「……まあ、なんだ。軍人とか政治屋とか、人脈がそちらの方に偏っているという自覚くらいはある。毛色の変わった商人などがいるなら、手元に欲しいと思っていたところだ。自由に使えそうな手駒は、これからはいくらあっても足りぬ故な」

 

 手駒を増やしてどうするつもりか――なんて。メイルは、問い質そうとは思わない。

 物騒な話に手を突っ込んでも、巻き込まれるばかりで良いことなんてないんだと、彼女は付き合いの長さから察していた。

 それでも、いざとなれば駆り出されるんだろうなぁ、なんて。あきらめるくらいには、深い付き合いでもあったのだが。

 

「とにかく、決めたことよ。ミンロンとやら、わらわが直々に見定めてやろうではないか」

「では、そのように。彼女には、私が付き添った方がよろしいですか?」

 

 メイルを付き添わせれば、ミンロンも事の重要性を実感するだろう。わかりやすく、目を掛けられていると自覚するはずだが――シルビア王女は、その方法は取らなかった。

 

「それには及ばぬ。が、おぬしの帰国と、ミンロンへの迎えは足並みをそろわせよう。そやつがこちらに来る前に、助言くらいはしてやれ。……わらわの気遣いも、これが限度よ」

 

 貴人の行いには、比喩なり暗喩なりが含まれていることが多々ある。これをミンロンがどう受け取るかは別として、メイルはそれなりに気に掛けてはいるのか、と何となく察した。

 相応の理由があるとはいえ、先触れなしに馬車をよこして呼びつけるなど雑過ぎる。本来ならば、取り込むべき相手にする態度ではない。

 だがそこにメイルを入れて助言させることで、そちらを尊重するつもりはあるのだと、間接的に示すことが出来よう。むしろ雑な対応は見せかけで、本心は別のところにある――と、そこまで理解してくれるかもしれない。

 前提として、シルビア王女が雑な対応をするときは、わざわざ身内を巻き込まないものだ。ミンロンほどの商人なら、その程度の情報には通じているはず。

 

「わかりました。――しかし、助言ですか。そう言われましても、余計なことをせずに誠実に対応すれば、無体を働く方ではない、と。私に言えるのは、それくらいではありませんか?」

「それでよい。メイルほどの女が言えば、そこには意味が生まれる。わらわとしても、おぬしを不実な女にはしたくないゆえな。――使い出のある駒であれば、さっさと厚遇して取り込むのが最良。他所の誰かに誑し込まれる前に、こちらで確保しておきたい。……実績次第では、直通の連絡手段を与えてやってもよかろう」

 

 状況が上手く推移すれば、シルビア王女はミンロンとの間にホットラインを作り上げることになる訳だ。

 仲介役を省くことには、メリットもあればデメリットもある。メイルとしては、そこまで入れ込む理由があるのかと、いぶかしく思うほどであった。

 

「しかし、そこまで急ぐことですか? あの商人、やり手だとは思いますが、人格は別だと思います」

「必要と感じたならば、即座に動くのがわらわの信条でな。……そもそも、賢愚と善悪は別物だ。多国を股にかける商人であれば、馬鹿ではあるまい。そして多少なりとも頭が回る手合いならば、わらわの知己になる意味をこれ以上なく理解するはずよ。で、あれば――どのような形に収まるにせよ、相互互恵の関係は作れようさ」

 

 シルビア王女は、いつものように不敵な笑顔で、そのように言い切った。

 メイルはそれを、信じて良いと感じ取った。感覚的なもので、理屈ではない。戦場で己を救うものは、まさにこの感覚的なもので、本能が保証する限りにおいて、信頼できるものだ。

 脳内で警報が鳴り響かないうちは、流れに身を任せるのが最良。メイルは自分の感性を信頼していたから、異論は述べなかった。

 

「今回の件、私なりに骨を折ったつもりです。――見返りは、期待してもいいですよね?」

「ああ、もちろんだとも。そやつとの交渉で、明確な利益が得られる見込みが立てば、紹介したお主に報酬を与えるのが筋と言うもの。わらわは、仁義を守ることで信用を得ているのだ。この点をおろそかにする愚は犯さぬ」

 

 まずは会って見ねば話にならぬが、会見の見通しが立っているなら、おおよその結果は予測できる。とすれば、功績の前借も可能になるだろう。

 シルビア王女とメイル。お互いの能力を信用していればこそ、成り立つ計算である。なればこそ、メイルはここで一歩踏み込みたくなった。誰よりも何よりも、己の為に。それが必要だと、本能が突き動かすのだ。

 

「お気に召してくださったなら、なによりです。では、私への報酬を具体的に考えていただきたいのですが」

「いささか気が早くないか、それは。ミンロンの才覚を見定めてからでも遅くはあるまい」

「すいません、ちょっと遅いんです、それでは。……私の恋路に関わることだと、言えばわかるでしょうか」

 

 遅い、とメイルは言った。そこにシルビア王女は引っ掛かったが、恋愛においても速度は力である。

 恋敵に対抗するためにも、決断と行動には早さが求められる。そこを理解してやらねば、主君として片手落ちと言うものであろう。

 

「ああ、モリーと関係のあることか。察するに、色々と関係は進んだようじゃな? ……わらわの方からでは、ちと想像がつかん部分もある。詳細に語ってくれると嬉しく思うが、どうかの?」

「――つまり、言い値で買ってくださると。そのように見て、よろしいのですか?」

「金か物件で済むなら、ある程度は融通してやろう。わらわ自身に何かしらの行動を望むのなら、それなりの情報を求めるがな?」

 

 シルビア王女は、これ幸いにと情報収集を試みる。今つつけば有用な話が聞ける、と思ったのだ。

 メイルの方も、釣り針に獲物が掛かったことを理解した。ささやかな願いを口にするくらいは、許されるだろうとも思う。

 

「そこまで多くは求めません。次にモリーを呼ぶときは、私も同行させてください。何の口実であれ、モリーの相方として、私を招待してほしい――と。望むのは、それくらいですよ」

「……ま、よい。許そう。何とか理由を付けようではないか。それゆえ、わかっているよな?」

 

 モリーに対するアドバンテージは、稼げるだけ稼いでおきたい。もちろん、メイルは彼女に不利益となる情報は渡すまいが、他愛のない些細な話だけでも構わなかった。

 

「では、私見でよろしければ喜んで述べましょう。出来ればお互いに近況を語り合って、意見のすり合わせをやっておきたいくらいですがどうでしょう。……私が色ボケしている可能性だって、無きにしも非ず――なので」

「この際だ、構わんさ。受け取った情報に値するだけのものを、こちらも公開してやろう。わらわとメイルの仲ゆえ、多少はオマケしようではないか」

 

 公開情報だけでも、おおよそのことは読み取れる。それだけの能力は持っていると、シルビア王女は自信を評価していた。

 その上で、メイルが知る限りではあるが、モリーの近況を把握した時――。彼女が持った感想はと言えば、それなりに深刻なものであった。

 

「――ミンロンとやら、存外に重要人物となるかもしれん。モリーがそれだけ大きな影響力を持っているのだと、言ってしまえば身もふたもない話じゃが」

「モリーと東方の商人が結びつくことが、大きな話ですか?」

「大事も大事よ。モリーと本気で付き合うつもりなのか、商談のついでに問い質さねばなるまい」

 

 モリー回りの最新情報は、人間関係も含めてシルビア王女を楽しませた。だが、ミンロンが絡んだ話を全て聞かされて、彼女はむしろ懸念の方を強く抱く。

 

「そもそも、何故あ奴に東方の教養などがある。いや、そこまでは誰しもが抱く疑問だが、なんやかんやで流せよう。――だが商人の方がそこに食いついて、翻訳作業を求める? なんだそれは。まるでこれから、東方文化を流行させたがっているようではないか。そこまで見込まれるモリーも不思議じゃが、これに投資する方もどこか狂っておる」

「……いや、流行したほうが利益になるからじゃないですか? 東方の商人っていう肩書も、そうなれば一種のステータスになるわけですし」

 

 それが問題だとばかりに、シルビア王女は顔をしかめて言葉を続けた。

 

「東方文化が流行して、思想まで影響されればちと面倒なことになるやもしれん。王族を含めた上流階級にまで、あちらの文物に魅了されたらどうなる? ……交易面での不利、金銀の流出、その程度で済めばいいが――」

「経済的な不安なら、シルビア王女がご自身で調整なされれば、それで片が付くではありませんか。交易を締め上げるくらいの政治力はお持ちなのだし、嫌になったら改めて交渉し直せばいいのでは?」

 

 シルビア王女の頭脳は、一足飛びに不穏な結論をはじき出したが、その疑念は行き過ぎであろう――と、メイルは言う。

 

「前々から、東方とは細々とやってきているんでしょう? 多少規模を拡大したところで、影響はないはずです。モリーを過大評価するついでに、ミンロンまで危険視する必要はないでしょう」

「……まあ、そうよな。考えすぎか。文化侵略とか、同化政策とか、色々と思いついて混乱したのかもしれん。だがモリーについては、過大評価しているつもりはない。翻訳作業とて、首尾よくいけば歴史に名を残す偉業となるやも――いや、やはり大騒ぎしすぎか、これは」

 

 シルビア王女の深淵なる考えなど、メイルには理解が及ばぬ。それこそ話題を変えられては、改めて気にすることさえ難しいので、曖昧に笑ってお茶を濁す。

 

「うむ。それはそれとして、メイルの為にもモリーを呼びつける口実を作らねばならんな。――なんぞイベントでも考えて……個人的なパーティーでも良いか。ミンロンとの商談を終わらせ次第、催し物をでっち上げてやろうか」

「何かしら、お考えのようですね? ……一応申し上げておきますと、私と付き合うノリでモリーと接しても、距離を取られるだけだと思います。彼女、アレで常識的な所がありますから」

「常在戦場のノリで教官やっておったのに、常識的とな? ……まあ、距離感を間違える愚は犯さぬよ。――さて、名目は何が良いかな」

「お手柔らかにお願いします。……あんまり刺激的なお題目だと、モリーの方が嫌がるかもしれませんので」

 

 メイルの心情を述べるなら、モリーを連れ出すだけならともかく、メイルと二人きりで同行させるということになれば、もれなくザラが不機嫌になるのはわかりきっている。

 それだけならまだ耐えられるが、この上シルビア王女にまで気に入られてしまえば、ザラの感情がどうこじれるかわかったものではなかった。

 なので、メイルとしてはモリーは王女と距離を取ってほしい、とも思う。都合のいい話ではあるが、望むだけならば自由であろう。

 

「で、あるか。しかしモリーのやつ。以前からわらわに良い感情は抱いておらぬ様子であった。……ゼニアルゼにおける功績をかんがみれば、わらわがモリーを重用したい気持ちも、理解してくれてもいいはずじゃがな」

「モリーはクロノワークの騎士であって、ゼニアルゼの騎士ではありません。それを重用とは、表現が適切ではないと思いますが?」

「さして変わらぬ――と、いや、これは失言であったか。……おぬしは難しいことなど考えるべきではない。さほど長くは留まれぬが、モリー同伴でゼニアルゼに滞在できる貴重な機会じゃ。さほど待たせずに済むであろうから、楽しみにしているがいい」

 

 シルビア王女がそういうのならば、事実なのだろう。短期の出向なら、ザラも納得してくれるはず。

 しかし、胸騒ぎがする。他の誰でもない、メイル自身が何か穏やかではないものを感じていた。

 ――それもたった今、シルビア王女による『さして変わらぬ』発言を聞いた瞬間に、である。二人きりの楽しい旅行になればいいと、そう思っていたというのに。これでは、何かしらの事件が起きる前触れのようではないか。

 

「そうですか。そうおっしゃられるなら、はい。……私としても、これ以上異論は申し上げません」

「うむ、うむ。……さて、どうしたものかな。色々と思いつくが、どうすればあやつを驚かせてやれるものか――」

 

 原因は、シルビア王女の傲慢か? それとも催されるであろうパーティに問題が? 理解など及ばぬし、運営に関わることも出来ないというのに、気になって仕方がない。

 異論を口にできるほどの確信も、根拠さえもなかった。しかしメイルは、ここで素直に思考を放棄できるような、能天気な頭など持ってはいない。

 さりとて、名案が浮かぶほど明晰でもなかったから、悩みばかりが膨らんでいく。

 

「もう、頭が痛いってもんじゃないわよ……」

「なんじゃ、体調を悪くしたのか? 疲れたなら、しばらく休んでいっても良いぞ」

「――いえ! 心配には及びません。……精神的なものなので」

 

 いよいよとなった時、モリーと共にどうやって過ごすべきなのか。滞在する期間が、どんなに短かったとしても――もはや考えなしに自堕落に過ごすことは出来ないのだと、メイルは本能的に理解せざるを得なかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王子様の鍛錬も、だいぶ練れてきたと思う今日この頃です。モリーです。

 予定していた通り、実験農場での肥運びもやらせてみました。最初の内は色々と酷いことになって、涙目になってたよ。

 糞尿にまみれる王子様とか、たぶん西方では史上初ではなかろうか。でも五日、六日と繰り返すうちに慣れたみたいで、汚物を運ぶ効率が段違いに上がりました。

 若者は成長が早いね――と、それ以前に彼の忍耐を褒めるべきだろう。生来の貴種である王子様が、ここまで身をやつした以上、称賛しない方が無作法と言うもの。

 

 もっとも、肥運びが上手になることが目的ではないからね。重要なのは正中線の維持、体幹を鍛えること。この点が出来てなければ意味がないのだけれど、とりあえずの成果は出ている様子。このまま続けていけば、身分を失っても立派な兵士としてやっていけそうだ。

 兵隊は走るのが商売、と良く言われる。戦力の機動がそれだけ重要であることの証左であり、遊兵の存在がどれだけの機会損失をもたらすのか――という、実に実戦的な格言であると思う。

 しかし、兵を走らせるには充分な配慮が必要だ。飢えと渇きから守るのはもちろんだが、戦うための装備を用意してやらねばならない。

 しかし重装備だと、疲労から体幹が崩れることがよくある。体幹が崩れると疲労しやすいし、長距離を移動すれば、戦闘時には満足に動けなくなることも多い。

 こうした体勢の不利が、思わぬ危険を呼び込むものだ。だから兵隊の訓練には、体力の向上が最も重要で、疲労への耐性を付けることが次の課題であると言える。

 辛い運動に早々に慣れてくれた方が、鍛錬の段階も進められる。王子の飲み込みの早さは、私にとっても嬉しい誤算だった。

 ……嬉しいだけで済まなかったのが、惜しいほどに。

 

「そろそろ試合をさせろ。随分汚い思いをしたんだ。報われてもいい頃だと思わないか?」

「……試合、と申されましても。同世代で一国の王子と競える相手など、それこそエメラ王女しかいませんし。あの方とはやらない、と前に決めたはずでは?」

「何を惚けた顔をしている。――僕は、お前と打ち合いたいんだ。今の僕が、どこまで通じるかを知りたい。いいだろう?」

 

 正直な感想として、面倒なことになった、と思う。

 鍛錬を繰り返すたびに改善が見られたから、間違いなく見込みはある。ソクオチの王子様は、長い目で見れば充分強くなれるよ、絶対。でも私を相手にするのは、まだまだ早いんじゃないかな。

 

「子供と大人です。勝負にならないことは、わかりきっていますよ?」

「わかってる。でも、僕には伸びしろがある。これから鍛えれば、いつかはお前だって越えられるかもしれないじゃないか」

「身分にかかわらず、自身の未来に希望を抱くのは、誰であっても許されることでしょう。……自分の可能性を信じることも、個人の自由であると思います」

「やっても無駄だから考え直せ、って言いたいんだろう? でも駄目だ。僕は退かないぞ」

 

 鍛錬を続けるうちに、我を押し通すだけの強さを得られましたか――なんて、寿いでやりたい気持ちはあったけれども。

 王子の成長を喜ぶ一方、この調子では私を越えることは一生あるまい、という無慈悲な確信も得てしまった。

 とはいえ、それは相手が王子様である以上、むしろ正しい傾向だと言える。トップが死狂っては下々の者が苦労してしまうからね。

 葉隠は、あくまでも仕える側の人間の為の書なのだ。統治者には統治者に向いた志向がある。私の思想を受け継がせるにしても、そのまま与えるのは害の方が大きいと見るべきだ。なので、いくつかのクッションを介して受け止めさせたかったのだが――。

 

「しかし、今私と直接殴り合うのは、悪影響の方が大きいでしょう。手加減はしますが、それでも痛みが皆無とはいきません。万が一怪我でもさせてしまえば、最悪責任問題になります。誰にとっても、いい結果にはならないと思いますが」

「……だが、圧倒的な強者に対する立ち振る舞いを、僕は知りたいんだ。せめて、それなりの出血を相手に強いるために、学べることは全て学びたい。……僕は間違っているかな?」

「いいえ。――戦場では、自分よりも弱い相手とばかり戦えるとは限りません。場合によっては、はるかに格上の相手と対峙することも在ります」

 

 実際、己より強い相手と対峙したら、相打ち覚悟でやるしかない。でも、それは単独戦闘の話。王子の身分であれば、たった一人で敵と向かい合う機会などあるまい。

 もしありえたとしたら――うん。その時に頼りになるのは、まぎれもない己自身の力だ。それは間違いない。

 だからもしもの時に備えようという気概は、褒めてもいいかもしれない。今やるべきことか? とは思うけれど、ここらで期待に応えてあげないと、王子様はへそを曲げてしまうかな。

 

「そこまで望まれるなら、仕方がありません。……一度だけですよ」

「え?」

「今だけ、打ち合う時間を作りましょう。今回限りなら、深刻な怪我はさせずに済ませる自信はあります。ですが、それ以上はやりませんからね?」

「充分だ! 早速やろう!」

「ええ、すぐにでも」

 

 一本目は本当に速攻で終わるから、準備に手間をかけることもない。適当に間合いを取って、互いに木刀を構えればそれで形式は整う。

 ……木刀より竹刀の方が安全だし、痛みも少なく済むのだけれど。痛くないと覚えられないことって、結構あるからね。仕方ないね。

 王子を糞まみれにした責任もあるから、強くお願いされると、どうにも断りづらい。今日一日打ち合うくらいなら大きな問題にはなるまいと、そう思って受け入れることにした。

 

「では、始めます。――構えて」

 

 他に仕切る者がいないから、私の言葉が開始の合図になった。

 王子様は木刀を正眼に構え、じりじりと間合いを詰めてくる。……気張っているのはわかるけど、力み過ぎて体の動きが硬くなっている。経験自体が浅いのだから、仕方がないと思うが。

 どの方向から打ち込まれても、動じずに対応できる――そうした不動の強靭さを求めるのは、無理な年齢である。なればこそ、ここらで己の分と言うものを理解して頂かねば。

 

「――は、え?」

 

 殺気まじりの気合を、王子にたたきつける。それだけで、彼は一瞬だけ意識が曖昧になる。

 言葉を発する必要はなかった。気迫をもって圧倒し、間合いに入って木刀を打ちおろす。

 

「一本。これが実戦なら、死んでいるところですよ」

 

 それだけで、王子は木刀を地に落とし、無防備となった。実戦なら返す刀で切り捨てている。

 

「も、もう一度!」

「どうぞ」

 

 再度王子は木刀を拾い、距離を取って構え直したが同じこと。一足一刀の間合いから、飛び込んで一撃。今度は少し強く打ち、木刀は彼の手から弾き飛ばされた。

 

「ご理解いただけましたか?」

「……くそ」

「汚い言葉を使わないように。汚くなるのは、身体だけで充分です。――さあ、もう一度構えなさい」

 

 大人と子供の体格差は大きい。あちらからは届かなくても、こちらからなら届く、という状況は一方的な優位を保証する。

 圧倒的な力量差を理解して挑んできたのだから、これくらいの痛みには耐えてもらいたいと思う。

 

「今度は、そちらから打ちなさい。――さあ」

「はッ!」

 

 王子は、本当に力いっぱい、全力で打ち込んできた。

 けれど、それは子供としての、未熟な腕力による脆弱な一打に過ぎない。私は微動だにせず、木刀で受け続けた。

 反撃はしない。ただ打ち込みを防ぎ続ける。それだけで、彼の方が疲労で根を上げた。私の方はと言えば、さしたる疲労もなく王子の剣をさばけてしまったので、余裕は有り余っている。

 他愛のない会話に付き合ったのも、それだけの余裕があったからだ。

 

「……駄目だ! もう、やめだ、やめにしよう」

「お疲れになりましたか?」

「ああ、よくわかった。今の僕では、到底及ばないと言うことが――」

「理解されたのなら、大変結構! ……ところで、私は止めていいとは言ってませんよ?」

 

 王子様は、私の言葉を理解したくなかったんだろう。表情が固まって、ひきつったような形になる。

 そして恐る恐ると、問い質してくるんだ。

 

「……何だって?」

「続けましょう。貴方が始めたことです。私は、とことんまで付き合いたいと思うのです。……弱音を吐けるだけの余裕があるのですから、まだまだ続けられるでしょう? 精根尽き果てるまで、打ち合おうではありませんか」

「いや、それだと僕の方が持たないって」

「実際に打ち合ってわかりましたが、大丈夫! まだまだ持ちますよ。貴方は少し、痛みに対する耐性が低すぎる。……兵士としては充分ですが、将となるにはまだ足りません。将たるものは、痛いだの辛いだの、いちいち弱音を吐いてられないのですよ?」

 

 じゃけん、もうちょっと鍛錬を続けましょうね。身体を壊すところまではやらないから、ご安心ください。

 

「貴方から言い出して、始めたことでしょう? 最後まで責任を持たないと、だめです」

「いや、だから止めるって」

「鍛錬の時間はまだ終わっていません。やり始めたからには、貫徹することです。何事も、そうして初めて信頼が得られるのです。……ご理解ください」

 

 ギリギリまで追い詰めて、ぶっ倒れる直前までは叩き合うよ。ちゃんと王子様にも反撃の機会はあげるから、一方的な拷問にはならないんじゃないかな。

 男子たるもの、師とはいえ女子から叩かれて無反応では沽券に関わろう。だから、私は貴方に配慮して、対等に叩き合う機会を上げたいのです。

 結果として苦痛が長引くとしても、それくらいは耐えてほしい。男の子でしょう? 意地を見せてください。

 割とテンション上がってきたので、間違って体にアザを作っちゃったら御免な。手加減はするから、大丈夫だとは思うけど。

 

「では、続きを。……いい鍛錬にしましょう。これは忍耐力を養うにも、痛みに耐える訓練にもなります。なので、ご自身の言動を後悔してはいけません。貴方は、強くなるための最短距離を走っている。それだけは、保証いたしますよ」

「ああ、もう。こうなったらヤケクソだ。――付き合ってやるよ! クソォ!」

「……ソクオチの品性が問われます。追い詰められても、品性は落としてはなりません。何よりも王子自身の為に、その生国の為にも、言動には注意なさってください。……後日、その点も含めて教育して差し上げますから。明日が辛くなるでしょうが、お覚悟を」

 

 改めて、教育の必要性を自覚したよ。だから王子様、私の指導が厳しくなっても、どうか折れてくださるな。

 私は貴方を見込んでいるし、貴方も私を評価してくれているのでしょう。だから、お互いに殴り合って、理解を深めようではありませんか。

 得物が木刀でも、打ち合っていれば傾向はわかります。何をしてほしくないか、どうやって相手を打ちのめしたいのか。剣先の動きと剣線の流れを見れば、当人の嗜好は読めるもの。

 私相手に長く打ち合うことのリスクまで含めて、色々と享受して差し上げます。なので、どうか王子様も成長してください。

 

「そうであればこそ、骨を折る甲斐もあると言うもの。何よりもあなた自身の人生の為に、ここは気張りどころですよ?」

「……モリー、お前ってやっぱりロクデナシだ。恨んでやる」

「結構、それはそれで栄誉と言うものです。一国の王子から、そこまでの情念を向けられるというのは、女騎士としてそれなりのロマンと言うものでしょう。――軽口を叩いた分の根性くらいは、期待してもいいですよね?」

 

 厳しくいきます。同意は求めません。

 本望でしょう? 貴方の態度を、私は最大限にくみ取っているという自覚くらいはあるんですから。

 

「返答は口ではなく、行動で示してください。……では、続けましょう」

「泣いて叫んでやった方がいいか? 外交問題になるぞ」

「男としてのメンツを捨てたいならどうぞ。……とりあえず、木刀を手から離すような無様は、二度とさらさぬように。指揮官たるもの、何があっても身を守る手段を捨ててはなりません。何度でも言いますが、戦死した指揮官は、それまでがどんなに良くても、兵士にとっては悪い指揮官なのです」

 

 戦死は名誉だ。それは否定しない。

 兵士にとって、戦って死ぬことは名誉であるべきだ。指揮官にとっても、それは変わらない。

 でも、兵士にとっては名誉より命の方が大事であることもまた事実。だから、名誉を捨ててでも生き残らせてくれるなら、兵士は指揮官を信頼してくれる。

 敗北が重なっても、ギリギリの線で生き残る筋を確保してくれるなら、兵は指揮官に従ってくれるものだ。逆を言えば、兵を見捨てて逃げるような手合いには信頼を向けないし従いたがらない。

 途中で死ぬような奴も、責任の放棄という意味では似たようなものだ。死んだ指揮官に対しては、兵は平気で罵倒する。

 敗北した兵は、心を慰めるために愚かな上司を批判したがる。そして死人に口はなく、弁護の声は酒場や病院まで届くことはないんだ。

 

「長生きするための術を教えましょう。だから、どんなに辛くても折れてくれるな、と願います。――王子様は、私の期待に応えてくれるものと信じていますよ」

「ちょっと強引すぎないかそれは。……僕に耐えられる範囲でやってくれ。いや、切実にそう願うから、考慮してくれ。マジで」

「ええ、ええ。最大限に考慮させていただきますとも」

 

 だからどうか、最後まで私の教育に付き合ってくださいと、私モリーは求めるのですよ。

 それからは、個人的にも客観的にも、それなりの教育を施せたと思います。ソクオチ王子は、やっぱり根性のある人だ。

 私の課題に耐えられるなら、一端の武人にはなれる。将としての勉強はこれからだが、こちらは長い目で見ないとね。

 結果として、使い出のある他国の君主が生まれるなら、クロノワークとしても利益につながる。彼自身の成長を願うという意味でなら、私は誰よりも真剣に向き合っていると思うんだよ。

 

 これから家庭を得て、彼女たちと長く人生を共有したいと思えばこそ、私は出来ることを尽くしたい。

 打算ばかりの、自分本位の願いであったとしても。彼女たちの幸せを願えばこそ、手は尽くしたい。そう願うくらいは、私の自由だろうと、心から信じたいとおもうのです――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宮仕えが終わって、帰宅したら。今度は翻訳のお仕事が待っているんですねー。

 ちなみに、もうザラ隊長の家に住むことについては、納得できるところまで来ました。

 でも同じベッドで寝るところまでは、どうしても……その、ね。うん、許して、許して……。

 

「翻訳作業というのは、こうも簡単に進められるものか? ……辞書も何もないというのに、よくもここまで『しっくりくる』文章を作れるものだ」

「辞書は頭の中にあるもので。……適当にやってるわけではありませんよ? そのままの直訳だと、正しく理解できない部分もあるので、適度に手を入れています。これで結構、頭を使っているつもりなんですが」

 

 ちなみに、夕食も湯あみも着替えについても。ずっとザラ隊長が付いて、世話してくれています。

 ……翻訳作業も、傍らで見守ってくれていたり。出来た文章を読んで感想を言ってくれたりするから、これも手伝いの内に入るのかな。でもあんまり近くに来ると集中しにくくなるから、自重してくれると嬉しい……嬉しい? どうかな……これはこれでいいかも……。

 

「ぼーっとして、本当に使ってるのか?」

「ああいえ、はい。……そうですね。ちょっとザラを意識し過ぎました。まだまだ慣れませんね、どうも」

「――お前というやつは、まったく。時々こちらがびっくりするくらい、心に響くことを言うよな」

 

 どうしようもないことなんだろうが、ほどほどにしてくれ――って。

 ザラ隊長はそう言いますけど、自覚とか無いんです。いやいや本当に、どこにびっくりする要素があるんだろうか。解せぬ。

 

「ええと、例を上げましょうか。商君書はちょっと特殊な書物なので、別のやつを――そうですね。孫武先生っぽい人が書いた兵法書から一つ抜き出して、解説してみましょうか」

「曖昧な言い方が気になるが、兵法書? 兵を用いる方法を、明文化して教本にしているのか? ――こちらでは門外不出だぞ」

「ええ、まあ、西方ではそれが普通ですが。――東方では兵は凶器、立派な人が用いる手段ではないと、半ば蔑まれていると聞きますから。この手の書物が流出しても、問題にならないのでしょう、きっと」

 

 推測の上に推測を重ねた論だから、説得力がないとは思う。けど、これが私なりの結論だった。

 ミンロン女史がいくら才媛で、人脈がそこかしこにあったとしても。流石に禁書の類は持ち出せないと思うんだよ。本当に流出したらヤバイ代物は、一介の商人に触れさせないはず。

 『孫子』は普遍性のある書物だけど、具体性に欠ける部分も多い。現実的に活用するには相応の技術、受け取る側の高度な解釈が必要になる。

 それこそ韓信みたいなバグ野郎でもなければ、即実戦で活用できるような代物じゃあないんだ。使いこなせるものならやって見ろって、高を括っても仕方ないと思うよ。

 

「そうは言うがな、軍事技術の流出は大問題だぞ? 東方の……どこの国の話だか知らないが、先人の知識を放出して、何とも思わないものか? 私なら、恥ずかしくて穴にでも入りたくなるな」

「本当のところは、あちらの人に聞かなければわかりません。――けれど、いいではありませんか。他人が失態を犯す分には、笑って済ませられます。交流のない、利害の及ばない相手であれば、なおさらでしょう」

 

 東方独自の思想も入っているから、そのままの直訳では西方の、私たちの国家では活かしづらい。私という例外的存在が無ければ、ただの読み物として流されていたと思う。

 詳細な注釈つきで解説できる人物が西方にいるなんて、想定外だったんだろう。西方生まれで高度な教育を受けて、なおかつ東方の教養があり、両言語に精通した人物がいて。

 そんな人に翻訳の機会が与えられるだなんて、なかなか想像できるもんじゃないよね。

 

「言いたいことはわかるが、それで? モリーはどんな一節を抜き出して、私に説いてくれるんだ?」

「では、戦争は戦わずして勝つのが最良、戦って勝つのは次善の策に過ぎない、という部分について話しましょう。……ぶっちゃけ、この部分は東方の思想に詳しくない人が訳すと、びっくりするくらいの珍訳になりそうな部分なので。私なりの注釈を入れないと、理解し辛いと思うのですね」

 

 戦争においては、敵の戦闘力の撃滅が目的であり、ことさらに戦闘を避けるのは間違いである――という考えがこちらでは一般的だ。

 しかし孫子によれば、百戦百勝は最善ではない。戦えば被害が出る。戦い続けることは、それだけでリスクだとも言えよう。

 戦争が政治の延長線上の行為である以上、目的の達成が出来るのならば、戦闘そのものにこだわる必要はない――はずなのだ。

 

「殴り倒してからの方が、要求は飲ませやすい。抵抗する力があれば、敵はあきらめないし禍根を残す。私はそう考えるがな」

「それはそうです。戦わずして勝つ、というのはあくまで理想。ただ、理想的な展開に持っていけるなら、それに越したことはないのです。――最初から切り捨てるのと、最後まで選択肢を持っているのとでは、色々と違ってくると思いますから」

 

 ぶっちゃけ、戦わずして勝つ、という思想は、現実的ではないと言えばその通りだと思う。

 けれど、この思想は『戦う前から勝つ』という志向も同時に持っている。この点に限れば、西方においても充分有用な思考法になるだろう。

 そこら辺も含めて、詳細に解説しようと思えばできるんだけど――孫子の理論は、解説しようと思うとどうしても長くなるね。

 

「東方の価値観と、我々の考え方は明確に異なっている。この一説を解いたのは、そうした意味合いもあるのかな?」

「……そうですね。まあ、本格的な理解は翻訳を待ってください。注釈も含めて記しておきますから、後で感想をお願いしますね?」

「もちろん。お望みとあらば是非もない――が。色気のない話は、ここまでにしようか」

 

 ええと、その。

 ザラさん? そうやって指を絡めてこられると、仕事にならないんですが。いや、近い、顔が近い。

 なんかいい匂いするし、ドキドキするから、ちょっと。シャレにならんでこれは……!

 

「あの、ザラさん?」

「ザラ、と。呼び捨てで頼む。――さっきは、そう言ってくれただろう」

「いえ、それはですね。なんか意識してなかったというか、そういう雰囲気だったというか――」

「なら、そうしてくれ。……頼むよ」

「ザラ、離れてください。困ります」

「そう言いながらも、顔を背けるだけで、抵抗しないな? ……わかるよ。理性的だものな、お前は」

 

 わかってくださるなら離れてくれませんかね。

 真面目にやばいんで。マジでマジで。理性が、理性が……!

 

「安心しろ。抱けとは言わんさ。――抱いてやる、と言いたい所ではあるが」

「……受け入れることも出来なければ、突き放せもしない私の弱さを、どうか笑ってください」

「微笑ましいな、モリー。愛おしくもある。そうした態度が、こちらの理性をとろかしていくのだと、そろそろ気づいてもいい頃じゃないか?」

 

 ザラの目の色が変わった気がした。身を乗り出して、お互いに身体を重ね合う体勢になる。

 勢いあまって、受け止めかねたけれど。ザラの方から誘導して、ベッドの方向へと上手く倒れる。

 ……ベッド上で、私の方が押し倒されたような形になっているわけで、これはこれで不味いんじゃないでしょうか。いえ、私の方は役得というか、嬉しいんですけど。

 ザラの身体を堪能するだけで済ませるには、重い展開になっていると思うんです。だから、彼女の意図を聞かずには居れない。

 

「どういう趣向でしょうか、これは」

「お前は何もしなくていいし、意識しなくていい。私の方が、勝手にやることだ。だから、今はそのまま身を任せてはくれないか。……上手に出来なかったら、済まないと思うが」

「いえ、このまま身を任せたら人生の墓場コースですよね、これ。――今少し、私に時間をいただきたいのですが」

 

 お前がそこまで言うなら――って、ザラ隊長は身を引いてくださいました。

 こうして私の言うことを考慮してくれるんだから、やっぱり彼女は良い人だと思います。幸せにしてあげたいと思う気持ちも、嘘じゃない。

 私がそれをするべきなのか、私でいいのか、なんて。女々しくも悩み続けている私の方に、問題があるわけで。

 

「お許しください。どうか、どうか――」

「いいよ、許す。そんなお前だからいいんだと、何度でも言おう。そうして、いつかお前の正直な気持ちをぶつけに来てほしい。それだけでも、私たちは報われるし、幸福を感じられるんだ。他の連中の気持ちを代弁するようだが、この点に関しては保証してもいいくらいさ」

 

 だから焦るな、自らを見つめなおして、後悔のない選択をしろ――と、ザラは言ってくれました。

 女性にここまで言わせて、何の責任も取らないというのでは、男子の沽券に関わる。だから私としても、彼女に応える義務があるわけだ。

 

「覚悟を決めるのは、また全員がそろってからにしたいと思います。だから、今日のところは、これで」

 

 私は身を乗り出して、ザラの手を取った。そして、手の甲にそっと口付ける。

 ……キザと思うなかれ。羞恥を気にしていては、行動などできない。敬愛と信頼の気持ちとして、受け取っていただきたいと思う。

 

「……おい」

「ご無礼、お許しください。私が今、出来るのは、これくらいのことでしか――」

 

 言葉の途中で、身体ごと引き寄せられて。

 唇を重ねられたのは、ちょっと。

 いや、だいぶ。驚いた。

 と、思う。

 

「これくらいというなら、ここまでしろよ。――私だって、木石じゃないんだ」

 

 すぐに離してくれたことが、ありがたいと思うと同時に、残念でもあった。

 もう一時でも続いていたら、私はけだものと化して、襲い掛かっていたのかも、しれないのだから。

 

「お許し、ください。どうか、どうか……」

「お前が、自分を律していることはわかる。悲しいくらいにな。……だから、今は待つよ。その内、私の方から襲い掛かるかもしれないが、それくらいは許せ。待たせる方が悪いんだから、当然だな?」

「――ええ、ええ。そうでしょうとも。悪いのはいつだって、私の方です。……その時の私は、貴女を拒めないでしょうから。そこまで貴女を待たせてしまった償いとして、ですね。その……私の身体で良ければ、好きにしてくれていいですから」

 

 ザラの献身に対して、前払いできるのはこの程度の言質くらいだった。

 抱かれる一方というのも、男として情けない限りではあるけれど。でも、私の方から能動的に抱きに行くだけの覚悟を、どうしても持てないでいた。

 

「根性なしと、ののしってくださって構いません。事実、その通りなのですから」

「抜け駆けは他の皆に悪いし、急ぎはしないさ。今は、な。……何かしらの急展開があったり、どこかで寝取られる雰囲気があったりしたら、また別だが」

「そんな心配はしなくていいと思いますが……まあ、そういうことで。今後とも、よろしくお願いしますね」

 

 そんな風に微笑みながら、淡い恋心を楽しんでいられる余裕が、まだあったんだと思う。

 シルビア王女からの招待を受けて、メイル隊長を伴って出かけるような展開になるなんて、この時は流石に思わなかったから。

 

 帰国後に、ザラの方からどんな無茶ぶりを受けることになるのか。

 戦々恐々としながらも、拒むことも出来ない立場であることを、私はどうしようもなく痛感するのでした――。

 

 

 





 次もまた、月末投稿になるかもしれません。最近はひどく筆の進みが遅い気がします。

 この調子だと、今年中に終わるかどうか、微妙なところかもしれません。
 終わらせ次第、ナザリックの赤鬼の続きを書いていきたいのですが……。
 他にも書きたい題材があったりするので、悩ましい所です。

 しかし今はこの作品を仕上げなければ、どうにもならないと考えています。
 完結まで今少し、お付き合いいただければ幸いです。



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商人と君主の胡散臭いお話


 まだまだ文章の練り込みが足りないというか、見直しが足りないような気もします。矛盾点があったらお笑いください。

 でも頭を使うのはこれが限界でした。
 はやく、あたまのわるい話が書きたいです。

 お目汚しですが、時間つぶしの慰めにでもなれば幸いです。



 東方の商人であるミンロン、そしてゼニアルゼの次期王妃であるシルビア王女。二人の商談は、穏やかな雰囲気のままに終了した。

 当初予想していたような衝突も齟齬もなく、シルビア王女が主導権を最初から最後まで握り続けたと言えよう。結果として、これからゼニアルゼは東方との交易の一大拠点となるのだ。

 ミンロンはあらゆる伝手を総動員し、大量の文物をゼニアルゼに運び込む。シルビア王女はこれを大いに宣伝する。単純な話であると言えば、その通りであるが――。

 

「質はともあれ、量が量だけに買い付けが手間ですが、必要な分は確保できるでしょう。――では、そのように」

「言えばすぐさま用意する。それだけの準備をしていたというのは、わらわ的にポイントが高いぞ。……今後も、貴様の才幹に期待しよう」

「以前にバラして売り歩いた分がありますから。在庫も含めて、回収して持ち寄ればどうにかなるでしょう。――面倒は面倒ですから、これきりにして頂きたいところですがね」

「安心せい、以後は無理を強いたりはせん。おぬしに出来ぬなら、他に頼めばよいのだ。わらわは何も、おぬしに執着しているわけではないのだからな?」

 

 歴史が動いた瞬間であると、そうした認識を強く持っていたのは、シルビア王女ではなくミンロンの方であった。

 なればこそ、シルビア王女の揺さぶりにも動じず、あえて確認するように問う。

 

「当座は、ご期待に添えましょうとも。――ところで、才幹に期待する、と言われましたね。最大限に才を振るってよいと、そうした意図の発言でしょうか?」

「許す。民間での交易に関しても好きにやれ。――なんだ? いちいち確認するようなことか、これが。わらわは、おぬしを小間使いにするつもりはないぞ」

 

 小間使いにはしない、という意味をミンロンは正しく把握した。

 ――お前はお前で好きにやれ。ただし責任は持たん。これはまさに、そういう意味合いの言葉である。

 なればこそ、自由にやれるし己の裁量で商売が出来る。まさしくシルビア王女こそ、盛り立てるに相応しい人物であると彼女は判断した。

 

「……失礼いたしました。そうであればこそ、忠を尽くす甲斐もありましょう。このミンロン、交易の自由を許してくださる限りは、シルビア王女の忠実な僕となりましょう」

 

 彼女らの悪だくみは、利益以上の混乱を招くかもしれぬ。確実に、これからは多くの者が巻き込まれ、さらなる商機が生まれるであろう。

 シルビア王女はそれを主導する立場となり、ミンロンはその先駆けとなるのだ。

 

「自由を許すならば、下僕とは言えまいが――今後も活躍してくれるなら、良い付き合いを継続したいものよ。おぬしの方から、他に何か言いたいことはあるか?」

「……では、失礼して。隗より始めよ、と言う言葉が、わが国にはあります。意味については、モリー殿に聞けばわかるでしょう。そして、さらにもう一言。これも、モリー殿に直接お伝えください」

「なんじゃ?」

「火の牛にはご注意を、と。おそらくは、これで通じるでしょう。……もっとも、意味を解するまで少し時間が必要でしょうが。私はこれから一仕事ありますので、そのように伝言をお願いします」

 

 権力者を伝言板代わりにするなど、一商人に許される態度ではないはずだ。とんだ下僕もいたものだ、とシルビア王女は呆れた。

 しかし彼女はそれを受け入れる。ミンロンの言葉の意味は解らないが、それを許すくらいには重用すると、すでに決めていたからだ。

 

「別に構わぬが、それなら手紙でも残していけばよかろうに。わざわざわらわが直接伝える必要があるのか?」

「私なりの諧謔という奴です。お付き合いいただければ幸いというもので」

 

 不遜は許さぬ、と拒否するのは容易い。しかし、言伝をするくらいは手間でもない。

 ならば、これも一興かとシルビア王女は判断する。

 

「謎解きはモリーに任せよ、と。……よくわからぬが、あやつと会う楽しみが一つ増えたと、そう思うことにしよう。おぬしは、使い出のある奴だ。一度くらい、僭越を許してやろうではないか」

 

 悪だくみは、これでお終い。ミンロンは自らの商売に精を出し、シルビア王女は覇道を突き進む。

 いずれも共犯意識はあったとしても、友愛はない。お互いに何かしらの感情を抱くことがあるとすれば、それはどちらかがしくじった、その時にこそ生まれるものだ。

 

「わかっているとは思うが、しくじるなよ。もしもの時は、こちらも躊躇いはせん」

「ええ。報酬をケチらない限り、私は貴女の味方です。どうか、くれぐれもお忘れなきよう」

 

 その時が来たら、感情的には侮蔑、現実的には収奪という形で現れるであろう。元来、商人と専制君主の間には、それだけ容赦のない力関係が存在するのだから――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、モリーもメイルも事後に聞かされた話だが、クッコ・ローセ教官は再びゼニアルゼの駐在武官として、当国に派遣されていた。これにはシルビア王女の意向が最大限に配慮されており、彼女がクロノワークの宮廷をいまだに掌握していることを意味する。

 

「やはり、傍に侍らせるなら、お主のような相手が良いのでな。多少の無理は承知でも、呼び寄せたくなるのだ」

 

 本人不在の宮廷であるから、影響力はやがて弱まっていくであろうが――少なくとも、それは今ではない。

 そして、クッコ・ローセはゼニアルゼに再び駐在し、シルビア王女に呼び出されている。顔を合わせれば、そこには確かに変わらぬ不敵な彼女の姿があった。通り一遍の挨拶を終えると、とりあえず正直な感想を述べる。

 

「すいません。評価してくださるのは嬉しいのですが、正直そろそろ家庭に入りたいんで、長期の出張とか勘弁してほしいんですが」

「モリーとの事情は聞いておるが、実際おぬしが言うと違和感バリバリじゃな……。まあ、そういうことであれば、モリー共々ゼニアルゼに越して来ればよかろう。住居の手配はしておるし、それなりのポストも用意してやれるぞ」

「さて、魅力的な提案ではありますが、受け入れるのは難しい話ですね」

 

 なんとなく、このまま済し崩し的に役職が固定されてしまうのではないか。クッコ・ローセは、そうした懸念を覚えつつある。

 モリーとの共同生活を楽しみたい、そうした欲望のある彼女にとって、この立場はありがたいものではなかった。モリーがシルビア王女の申し出を受け入れるはずがない、と分かってはいたが、話を合わせねば後が怖い。シルビア王女は、決して甘い相手ではないのだ。

 

「仮に越してこられたとしても、ザラとメイルが拗らせますよ、それ。モリーならヤンデレても寛大に接するんでしょうが、拉致監禁からの凌辱エンドだと私の方が割を食うんで、できれば遠慮したいところですね」

「なるほど。おぬしの意見はわかった。和姦こそ至上、という考えは理解しやすくもある」

 

 ならば、まとめて引き抜くか――なんて、シルビア王女は気軽に言ってのけた。

 あまりに軽く言うものだから、冗談のように聞こえてしまう。実際には、結構な割合で本気で考えている。その為の策謀も、練り始めているのだと、クッコ・ローセにはわかっていた。

 

「そうすれば、誰も彼もが幸せになれよう。違うか?」

「シルビア王女の手のひらで、貴方様のご機嫌一つで揺らぎかねない幸福ですね。……私だけなら、諦観と共に受け入れることも出来ましょうが。メイルらは承服しないでしょう」

「ふーむ、距離を近づけすぎたかな? メイルも、わらわが単に甘い上司ではないと、弁えておるであろうが――。多少の不興は飲み込んでもらえると、勘違いしている気配もないではない。……此度の催しに呼ぶついでに、そこら辺を改めて自覚させてやろうか」

 

 シルビア王女は、意地の悪い笑みを浮かべながら、そう言った。悪童の精神を保持したまま、能力と身体だけが大人になっている。これを未熟と評するか、破綻と腐すべきなのか、判断の分かれる所であろう。

 しかし、クッコ・ローセは、彼女がこの手の悪い感情を浮かべるたびに忠告したくなるのだ。『権力と才能の上に胡坐をかくのはおやめなさい』と。

 さりとて実際に口にできるほど、豪胆にもなれない。保身を覚えるほどには、クッコ・ローセも年季を重ねている。溜息を吐いて、穏やかに諭すくらいが関の山だった。

 

「メイルのやつをいじめるのは、やめてあげてください。あれで結構、繊細な所もあるんです。恋人のモリーを伴うのなら、なおさらでしょう」

「なればこそ、余計にいじってやりたくなるのではないか。これでも、わらわは嬉しく思っているのだぞ。あのメイルにようやく恋人が出来たのだ、とな。相手が同性だとか、年下だとか、そういう部分は目をつむっても。……感慨深いではないか。多少はアレコレと口を出したくなっても、致し方あるまい?」

「それはそうでしょうが。それだけに、恋人との一時は大事にしてあげたいと、私は思います。どうか、あいつの気持ちを汲み取ってはやれませんか」

 

 気持ちがわかるだけに、クッコ・ローセは強く言えなかった。せめて、メイルの立場を尊重するように、懇願するのが精一杯である。

 

「無粋な真似をするつもりはない。冷やかしてやるし、モリーに関しては突っ込んで聞きたい部分もある。……だが、わらわなりに二人を祝福してやりたい気持ちもあるわけでな」

「お気持ちは結構ですが、祝福の仕方にも限度と言うものがあります。ほどほどにしてあげてください」

「考えておく。――いや、楽しみではないか。ミンロンとの商談も、そこそこには楽しめた。催しを行う準備も整えている。そろそろ呼びつけてもよい時期であろう」

 

 いい口実が出来たので、東方の文物を持ち寄り、それらを鑑賞するパーティを催すのだとシルビア王女は言った。

 これには、ミンロンを通して得た東方文化を普及させ、東方との交易を活性化させたいとの思惑がある。クッコ・ローセにも、それくらいは読めた。

 

「東方については、警戒することも考えたが、周知させて利益を取る方向で行く。まあ、この点は深く考えずとも良いぞ」

 

 ミンロンとシルビア王女が、商談と称して密かに話し合いの場をもったのは、確かである。だが彼女らがどのような話をして、何を取引したのか。クッコ・ローセにはあずかり知らぬことであった。

 

「名目としては、ゼニアルゼ、クロノワーク、ソクオチの三国が外交を正式に樹立したこと――それを祝う席になる。戦後の話し合いが一段落して、互いに外交官を常駐させる用意も整ったことだし、我が国で親交を深めるためのパーティを開くのよ。……おかしな話ではあるまい? 東方の文物は、交易の目玉商品として使う。恨みを水に流すには、それなりの理由が必要になる。これを機会に、お互いに仲良くする価値があると、わかってもらいたいのでなぁ」

 

 東方からの交易は、ゼニアルゼがもっとも太いパイプを有している。分け前をくれてやる、と言われれば、なかなか拒否はし辛い所であろう。

 クロノワークにせよソクオチにせよ、交通の便が悪い部分があるため、ゼニアルゼの優位性が揺らぐことはまずない。そこまで含めて、シルビア王女の策であった。

 

「名目はまあ、いいとして。……すると、モリーとメイルは外交の使節としてやってくるわけですか? 使節としてなら、もっと他に適任が居そうなものですが」

「その手の堅苦しい席にはせぬよ。参加者も選別するから、こじんまりとした宴になる。――わらわの意向で、三国の緊張を解くための一環として、交流の機会を作ろうというのだ。誰にも恥をかかせるつもりはないと、そこは理解してもらわねば困るな」

「その人選、本当に大丈夫なんですかね……?」

 

 実戦に参加したモリーと、内情を探られていたメイル。二人を呼ぶのは、クロノワーク側が和解を望んでいることを表す、格好の人選になる。

 ソクオチ側としては、この機会を逃す手はないとばかりに、前のめりにやってくるであろう――と、シルビア王女は言ってくれたが。

 逆に言えば、ソクオチの感情を刺激しかねないのではないかと、クッコ・ローセは懸念する。

 

「一応聞いておきますが、私も参加することになるので? 生来の無作法者ですので、あんまり華やかな場は、遠慮しておきたいんですが」

「出来れば参加してほしい所じゃが、無理は言うまい。駐在武官には、嫌な誘いを断る権利もある。……しかし、華やかにはするが、宮廷の儀礼などは持ち込まぬよ。作法にうるさい侍女どもは、今回お呼びでないという訳じゃ」

 

 まあそれくらいは許されて然るべきであろう、とシルビア王女は言った。続いて、自らの所見も述べる。

 クッコ・ローセは肩をすくめつつも、耳を傾ける。パーティに出るつもりはないが、話を聞いて損はないと思ったからだ。

 

「これだけ広く宣伝するのだ。大いに交易に励みたいし、励んでもらいたいが――東方と繋がりが深くなりすぎるのも問題よ。わらわが直々に調整できるうちに、貨幣の交換レートなどは安定させたいとも思う。……金銀の流出は極力さけねばならぬから、豊富な海産物と西方の芸術品などで、賄える部分は賄っていきたいものじゃな」

 

 今回、外交的な名目で人々を呼ぶが、東方の文物がメインのパーティだ。あちら側の交易品を、大層魅力的な物として演出し、今後の外交につなげていきたいとも彼女は語る。

 多国を巻き込んだ貿易の法整備は、いまだ確立されていない時代である。相互互恵をもたらすにも一苦労であるから、シルビア王女が色々とつぶやきたくなるのも仕方ない事であろう。

 

「ゼニアルゼは海に面していますし、魚介の乾物などは安定供給が可能でしょう。珊瑚や真珠も交易品としては、上等な方と言えます。……しかし、それも東方に需要があれば、の話ですかね」

 

 クッコ・ローセは、流石に如才なく立ち回る。言質を取られない程度に、有益な言葉を返した。それでこそ、とシルビア王女は笑顔で応える。

 

「まあ、芸術品は売れるかどうか微妙なところはあるが。鉱石や海産物に関しては、売る見込みは充分あるぞ。あちらでは高級な食材も、こちらではありふれた養殖ものだったりするのでな。いくらでも欲しいと望まれる類の美食も、こちらは輸出する用意がある。これはこれで、大きなアドバンテージと言えよう」

 

 養殖の技術は、一朝一夕に仕上がるものではない。西方では長らく絹の生産が行われなかったように、ある種の技術・製法が伝わるには一定の時間を要する。

 ゼニアルゼに輸出できる交易品があり、東方からの文物も受け入れる余地が大きいのであれば、これを躊躇うつもりはなかった。

 

「そこまで東方にこだわる必要があるのですか? 私としては、ちと疑問ですが」

「西方と東方では、あらゆる物が異なっている。これからは、互いに文化を交わらせ、影響を与え合って発展していく時代が来るであろう。……その時、こちらが受け入れるばかりでお返しが何もできないというのでは、国家としての沽券に関わるではないか」

 

 東方と西方の接触は、歴史の必然と言うべきもので、避けられるものではない。

 シルビア王女は今後を見据えた上で、これを自ら制御しようとしていた。自らを利するばかりではなく、周囲を巻き込んだ上で、異文化の衝撃を和らげようとしているのだ。

 クッコ・ローセはそこまで読み切ってはいないが、相応の考えがあることはわかっている。そして彼女が辣腕を振るうならば、悪い結果にはなるまいと信じたかった。

 

「おっしゃられることは、なんとなく理解できますよ。……やられっぱなしは趣味ではない、ということですね」

「当たり前ではないか。経済的にも思想的にも、わらわは余所に搾取されたくはない。儲けさせた分以上に、こちら側が儲けねば割に合わぬよ」

 

 お互いに利益を確保しながらも、自分の方に大きな儲けを引き寄せるには相当高度な技能がいる。

 他国から大量に、各種製品がなだれ込んで来たとしよう。それを国内に流通させれば、既存の産業に影響が必ず出る。無策で放任すれば、長期的にはひどい副作用に悩まされることだろう。

 価格の暴落、民間工場の閉鎖、職を失った人々の暴徒化――。そうした悪影響を防ぐための施策は、どこまで用意されているのか。

 シルビア王女は、おそらくそうした状況を想定した上で、丸く収める手段を用意しているのだろう。だから心配はしていないが、クッコ・ローセとしても興味のある分野である。

 

「どうやって……と、具体的に聞いてもいいですことですかね、これは」

「言わぬぞ。お前に話せば、モリーの耳にも届くであろうし、そうなればあやつを驚かせる貴重な機会を逃しかねん。……まあ、まだ漠然としたことを考えている状態ゆえ、語って聞かせるほどの価値はないとも、うむ」

 

 シルビア王女は、微笑みを浮かべながらも、視線をそらせつつ――そう言った。

 クッコ・ローセは知っている。彼女が『漠然としたことを考えている』と口にしたのは、『勝利条件を見極めている』という意味であることを。

 そしてそこまで考えていると言うことは、彼女自身が闘争を望んでいるという事実をも意味する。

 

「ぶっそうな話ではないですよね? 搾取されたくないからと言って、武力を見せ札に使うとか、そういうことではないでしょう?」

「ノーコメントだ。……一応言っておくが、わらわは必ずしも武力的解決を望んでいるわけではないぞ。いざとなれば、躊躇うことはないがな」

 

 これから起きるであろう争いは、必ずしも必要な戦いではないと、シルビア王女自身もわかっているのだろう。

 視線をそらせ、言葉を濁そうとしたのは、多少なりとも後ろめたさを覚えているからか。

 

「考えはいつ修正してもいいものですし、心変わりは恥ずかしいものではない、と。それだけ申し上げておきます」

「……おう。覚えておく」

 

 シルビア王女は、充分に権力を活用している。己の才能に相応しい振る舞いをし、社会的な貢献をしている自覚もあるはずだ。

 ゼニアルゼもクロノワークも、彼女が闘争に勝利するたびに何かしらのものを勝ち取っている。

 だが、彼女は知らない。百戦百勝は善の善なるものにあらず、と東方の兵法にあることを。

 戦わずして勝利する道は、いまだ彼女にとって縁遠い物である。

 もっとも、その境地に達し得た名人は、歴史上数少ない。これをシルビア王女の未熟さというのは、酷な話であったろうか――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーです。最近女関係について考えることが多くなりました。今は仕事中だけれど、ぶっちゃけデート気分でもあったりする。

 ――というわけで、またやってきましたゼニアルゼ。今度はメイルさんも一緒だよ。

 公式の場ではメイル隊長って呼ぶけど、ザラを呼び捨てにした手前、メイルさんとも他人行儀な言い方はできない。というか、許してはくれない。

 

「メイルと共に旅をするのは、初めてですね。護衛隊とは、遠征でもご一緒する機会がなかったので、なんだか新鮮な感じがします」

「え、ええ。……そうね。新鮮というか、初めてというか。色々と考えちゃうわね」

「緊張することはありませんよ。私は、どのようなメイルも受け入れる準備は出来ています。ありのまま、思うがまま、望むがままに振る舞ってくれていいんですから、ね?」

「……善処するわ」

 

 ゼニアルゼにやってくるまで、二人きりの馬車の旅を満喫しました。とはいっても、そこまで長い時間でもないけれど。でも一緒に馬車に揺られて過ごすのも、これはこれで趣があるなぁと思いました。

 でも、こうやって出張する仕事が多くなると困るなー、なんて考えてしまう。シルビア王女に目を付けられた、わが身の不幸を嘆くばかりです。

 

「まあ、アレね。シルビア王女に招待されたはいいけれど、今回の趣向は東方に偏っている気がするのね。詳しくない私でもわかるくらい、なんか特別な空気が漂ってるような……」

 

 パーティ会場は、それなりに賑わっているみたいだった。人数こそ多くないが、東方の文物が珍しいのだろう。結構な頻度で、周囲から愉快気な声が聞こえてくる。

 陶磁器とか絵画とか、芸術品が多いが――御香や毛皮、絹の生地といった交易品もあった。これらは単なる展示物では得なく、この場で買い取ることも出来るらしい。さっそく身にまとってご満悦な連中も見られた。

 

「特別と言えば特別ですね。パーティなのか即売会なのか、メインがどっちかわかりませんね、これ。それでうまく回っているのは、環境を整えた結果というべきでしょうか」

「スタッフの教育が行き届いているのはもちろんだけど、お行儀の良い招待客を厳選したんでしょうね。パーティ自体が破天荒なのは、シルビア様らしいっていうべきね。あの人、形式とか儀礼とか気にしないから。……ゼニアルゼでも、そこらへんは変わらないみたい。周りに迷惑かけてないと良いんだけど」

 

 周囲を巻き込むほど、シルビア王女が気合を入れてきた、と見るべきか。それとも、場を任された者どもが張り切っているのか。いずれにせよ、盛況になって悪い場でもあるまい。

 私が気を回すような話ではないから、それはいいとして。大事なのは、メイルさんが楽しんでくれるかどうかだ。

 

「細かいことは良いじゃありませんか。名目こそ御大層な、外交の成功を祝う会――みたいなノリですが、武官の私たちにとっては、そこまで関わりのあることではありません。純粋に物珍しさに驚いたり、楽しんだりしてもいい場ですよ、ここは」

「……そうね。シルビア王女も、私たちに余計な役割を背負わせたりしないでしょうし、素直にパーティを楽しみましょうか。モリーの正装なんて、滅多に見れないかもしれないし」

「ああ――それは。私も軍用の礼服は持っているのですが、用意されたのは男性騎士の正装で。それを着せられたのは、予想外でしたね、ええ」

 

 メイルさんは、女性らしいシックなドレスなのに。私はそれをエスコートするのに似合いな、男性用の礼服に身を包んでいるのでした。

 スタッフに髪型もセットされて、男物の香水まで付けられたのでなんか居心地が悪い……。

 シルビア様、もっと別に力を入れるべきところがあるでしょ? 私なんかに関わってる場合ですか?

 

「真面目に言うけど、その格好、本当に似合ってるわよ。育ちのいい青年将校って感じがして、ねぇ?」

「……任務で男装することはありますが、ここまで徹底するのもどうかと思うんです。誰が得するんですか、これ」

「私は嬉しいわよ。私得。だから、しばらくそのままで居てね?」

「なら、我慢します。たまには王女様のお遊びに付き合うのもいいでしょう。――二度は御免ですが」

 

 クロノワーク騎士の礼服とか、あのお方にとっては入手も容易でしょうねぇ……。だからといって、この機会に遊びを入れるのは好ましくないと思う。

 真意はともかく、名目としては三国の外交樹立を祝う、厳かな意味合いもあるんですから。

 

「それはそれとして、何か、いますね。至極厄介なのが」

「……何? 知り合いでもいたの?」

「ええ、まあ。――顔を合わせると、面倒かもしれません。そっと潜り抜けて、さっさとシルビア王女に挨拶してしまいましょう」

 

 びっくりなことに、ソクオチ側の大使として、かの諜報員二人が派遣されていました。

 メイルさんをゴリラ呼ばわりしたり、訓練場に忍び込んだりしてた、あの二人組がこの場に来ているとか、奇縁というしかない。

 たぶん彼女らの上司とかもいるんでしょうけど、顔を合わせて面倒なのはこちら。ちょっと前に情報を抜きまくった身としては、なんだか微妙な気分になるんで、できれば避けたいんですねー。

 今となっては、さてどんな顔で会うべきか。ちょっと考えてしまうくらい、面倒な案件ではある。

 

「ちょっとくらいなら時間は取れるから、遠慮しなくてもいいのよ?」

「ぜひご遠慮させてください。あの子たちに見つかったら、面倒になりかねないので――」

「なんか浮気男っぽいわね、その言い方。……いいんだけどね、別に」

 

 そのジト目と返答に困る言い方はおやめください。胃が痛くなりそうです……。

 この時ほど、シルビア王女を恨んだことはない、と思う。

 

「あ」

 

 目を合わせた私の方がうかつだって、指摘されたとしても。

 だからって、招待した側の責任を追及しないで済ませるなんて。そこまでしてあげるほど、私はあの方に対して義理は感じていないのだから。

 よし、今回もちょっと厳しめに対応しよう。そうしようって、決めました。ええ。

 

「あれ? モリーさん。モリーさんじゃないですか!」

「うわー、奇遇ですね。こちらには、クロノワークの使者として来られたんですか? 私らは、ソクオチの代表として来てるんですけど、本当にすごい偶然ですね!」

「……はい。凄い偶然ですね、本当に」

 

 シルビア王女が情報通であることを鑑みれば、おそらくこの展開も彼女の手のひらの上だと思うべきだろう。私とメイルさんをちょっと困らせて、自らの優位を見せつけたいのか。あるいは、単に面白そうだから呼びつけたのか。

 この件については、意趣返しをそのうちにしてやらねばなるまい、と。そう考えてもいいくらいには、困る展開だった。

 だって私は今、ほぼ変装と言って良いくらいの正装をして、メイルさんと共にいるのだから。前回よりも男性的な格好なんで、勘違いも加速しそうです。

 

「傍らにいらっしゃるのは、奥さまですか? いけませんよー、妻帯してるのに他所の国の人に粉を掛けるとか。刺されても知りませんからね」

「ゴリラな護衛隊長が奥さまとか、それは弁護したくなりますよね、わかります」

 

 からかっているんですね? 無知なフリして言ってるんだな、わかるんだぞそういうの。以前モリーさんを探っていたのは、こっちでも把握してるんだぞオラァン。

 でもメイルさんを妻と言われたら、否定するのも違う気がします。ザラもそうだけれど、彼女ともこれから真面目に付き合っていくわけだし、真っ向から『違う』とも言えない訳で――。

 

「いえ、あの……」

 

 どうしよう参った。否定できないから答えに困る。男装している今、彼女らは私を男だと思っているわけで。

 ……いやいや間違いじゃないし? 私は男捨ててないし? でも傍から見ればどうかって言われたら、うん、その、そうね。

 ――と、私が色々考えて固まっている間に、メイルさんの方から答えてくれました。

 

「はい、私が妻のメイルです。……ゴリラ?」

「あ、気にしないでください。メイル護衛隊長のお噂は、我々の耳にも届いていますよ。功績も実力も、大したものだとね」

 

 歓談するのもいいけれど、シルビア王女が待っている。パーティが始まったら適当に時期を見て訪ねて来い、と前もって伝えられているのだから、私たちはこれを無視できない。

 ――という風に、言い訳にして立ち去る理由を作りましょう。

 

「すいません。シルビア王女に呼ばれておりますので、先を急ぎます。正式なご挨拶は、また今度と言うことで――」

「あ、そうなんですか。こちらこそ呼び止めて失礼しました。……頑張ってくださいね」

 

 ソクオチの二人とは、会話もそこそこに別れ、主催者の元へと向かう。でも頑張れって何だろうか。何かしらの意図あっての発言かと、ちょっと考えてしまう。

 とはいえ、意図があろうがなかろうが、気を抜かずに対応するほかないと、私は結論付ける。

 どうせ実際に対面してしまえば、相手の術中なのだ。こちらは呼びつけられた側なのだから、儀礼的な作法もいくらか省略していいだろう。

 シルビア王女は簡潔でわかりやすい態度こそ好まれるし、この場では仰々しい儀礼は求められていないはずだ。

 

「クロノワークより、ご機嫌をうかがいにまいりました。シルビア王女、お元気そうでなりよりです」

「うむ。まあ、そこな席に座れ。落ち着いて話そうではないか」

 

 そしてシルビア王女は、予想通り鷹揚な態度で私たちを迎えてくれた。通り一遍の挨拶をして、形ばかりの礼をする。

 

「作法こそ丁重だが、心がこもっておらぬ。モリー、おぬし。わらわに含むところでもあるのか?

「大いに。さりとて、顔に出さぬ程度の分別はあります。お互いに、大人の対応をしようではありませんか」

「ぬけぬけと言いくさる。――まあ、良い。他ならぬおぬしが相手なのだ。少々のことは、飲み込んでやろう」

 

 礼法にかなった態度は、これで充分だろう。彼女も私に遠慮はするまいし、私だってシルビア王女には忌憚のない意見を述べたいと思うから。

 

「何はともあれ、二人とも、よく来てくれた。……しかし、そこまで急いで来ずとも、適当に見回っても良かったのじゃぞ? 東方の文物は、珍しいものであふれておる。今から楽しんで来ても良いぞ」

「ご冗談を。――私にとって、さほど見るべきものはありません。メイルが興味を持っていたなら、話は別でしたが」

 

 メイルさんは質実剛健というか、自然な欲求に正直な方というか。ともかく、宝物や芸術を楽しむような嗜好は持っていないので。

 私自身、興味はちょっとあるけれど、場をわきまえているつもりだからね。好奇心のままに振る舞ったりはしない。

 

「それは残念。やはり、東方文化に精通しているお主には、この付け焼刃の展覧会。むなしく映るのかな?」

「……私は武人であり、美術品の審美眼などは持ち合わせておりません。私の意見など、参考にせずともよろしいでしょう」

「言いたいことがあれば聞くぞ。異なる意見は貴重であると、わらわとて弁えておる。……本当だぞ?」

「それでも、言うべきことはございません。ゼニアルゼきっての洒落者であり、教養人であるシルビア王女の主催なのです。西方において、これ以上の東方の文物を集めることは、叶いますまい。……自信を持ってよいと考えます」

 

 部外者である私が、よそのパーティの運営に口を出すのも、間違いでしょう。これはこれでいいんじゃないですかね、って。適当にお茶を濁す返答をしてみたんだけど、シルビア王女はお気に召さなかったらしい。

 どことなく、目線が鋭くなった。手の扇は、口元どころか、顔半分を覆い隠すように動いた。嫌な表情を見られたくないという、無意識での行動だろう。これはもう、彼女の癖と見るべきか。

 

「……わらわが相手だと、きちんと理解して物を言うのだな。愚鈍な連中であれば、その物言いで通ろうが、わらわには嫌味にしか聞こえぬ」

「――とは言われましても、個人的にもシルビア王女は充分過ぎるくらいに体裁を整えられたと思います。これ以上は求めようもないほどに」

「じゃが、それでも思うことはあろう? 何でもよいから、思いついたことを述べて見よ」

 

 王族のパワハラとか、訴えようがないだけに対応に困ります。

 仕方がないから、適当に言い逃れるしかないですね、これは。

 

「言いがかりに近いことですが、それでも良ければ」

「許す。そのまま話せ」

 

 とりあえず、言質を取ってから始めるのが作法だと私は考えている。

 シルビア王女もそれはわかっているから、付き合って応えてくれる。

 

「……では、申し上げます。東方の文物そのものについては、まあ結構です。どの伝手で手に入れて、いかに掻き集めたかはこの際、問わずにおきましょう。……ただ、その貴重な文物をきちんと理解できる参加者に恵まれたかと言えば、必ずしもそうとは言えないでしょう」

「相応の教養人を集めたつもりではあるが、東方文化に詳しいものは、確かに皆無であるな。しかし、なればこそ機会を作って触れさせてやることに意味がある。そうではないか?」

「そうです。だからこそ、貿易が重要なのです。文物を大量に集めて、多くの顧客に売りさばくことが肝要。……東方に限らないことですがね、これは」

 

 シルビア王女の主張は否定しない。貴女の目的が、東方との交易を活性化させ、そこから利益を得ることにあるのなら――まずは東方の文物の価値を知らしめ、保証することが必要だ。今回の催しは、その一環だろう。

 今回だけに留まらず、継続していくことは予想できるし、勝手にすればいいと思う。だから私に言えることがあるとすれば、もう一つ。

 

「貿易関係の構築は、外交の分野。そして外交には軍事力が大きく絡むのは、言うまでもありませんね。……強大な貿易国家であるためには、強大な軍事国家でなくてはならない。優位な交易レートを設定するには、武力的な実績が絶対に必要ですから」

 

 アヘン戦争で、英国が中国を殴り倒したのは、それだけの必要性があったからだ。貿易赤字――すなわち他国への富の流出は、時に過激な手段をも許容させる。

 現代の知識を持つ私は、それを知っている。だから口に乗せて、思うことを語るのだ。

 

「モリー、おぬしのような勘のいい愚者は嫌いよ。一を知れば十を知る。これが賢者であれば、懐柔も出来ようが――。おぬしのような無骨な忠義者は、始末に負えぬ」

「愚者であるつもりも、賢者のつもりもありませんが、まあいいでしょう。それとも、話を続けない方がいいですか?」

「ばかもの。言いかけて止める方が、よほど不敬と知るがいい」

 

 私が何を言い出すか、おおよその予測がついたらしい。シルビア王女にとっては面白くない話になるかもだけど、彼女に対してはむしろ、ある程度は反骨心を見せた方がいい気がする。

 確認するように、こちらから目くばせをすれば、『さっさと続きを話せ』とばかりに睨みつけてくる。わかりやすい態度はありがたい。このノリを続けてもいいのだと確信できるから。

 だから、発言を続けましょう。不興も一定の値を越えれば、かえって価値が出るものだよ。――きっとね。

 

「さて、逆もまた然り、ですね。強大な軍事国家は、強大な貿易国家でなくてはならない。大きな武力を維持するだけの、財源を確保する必要がありますから。そうでなくては、軍隊に国家が食いつぶされかねない。……どこかが財源を用意してくれるなら、話は別なんですがね? おや、どこかで聞いたような話ではありませんか」

 

 私が考えるに、クロノワークとゼニアルゼは一蓮托生であり、単なる同盟国以上の存在であると思う。

 クロノワークは、これまでの戦乱のツケで軍縮も検討されていた。そこを押しとどめたのがゼニアルゼからの援助であり、軍隊の維持どころか拡張さえ出来るようになったのだから、影響はかなり大きいと言える。

 クロノワークの軍事が、ゼニアルゼからの援助前提のものになるのも、時間の問題だろう。その実情に気付いた頃には、全てが遅い、と。いや全く、上手にやったもんだと思いますよ、シルビア王女。

 国家レベルの経済をもって軍事力の担保とするなんて、この世界の歴史上、前代未聞じゃないだろうか。間違いなく、貴女は先駆者として歴史に名を残しますよ。二国間の相互依存関係の好例として、後世に語り継がれると思います。ガチで。

 

「あーあー、聞こえなーい。私、何を聞かされているのかしら。招待されるのが罰ゲームだなんて、役得になってないんだけど。契約違反ではないでしょうか、シルビア様?」

「知らんな。わらわが約束したのは、モリーと共に招待することだけ。内容にまでは言及されておらぬ。……メイルよ。後程埋め合わせはしてやるから、今すぐ許せ」

「お願いします、切実に」

 

 間に挟まってしまったメイルさんには、悪いことをしたかもしれない。

 余計な話を聞かせてしまって、巻き込んだことには思うことはある。けれど、今言わねばならないことを自重してはならない。

 私は公人として招かれている。なればこそ、クロノワークの騎士として、ゼニアルゼの王妃にはばかることがあってはならないんだ。

 自国の利益を守ること、自国の名誉をおとしめないことが、私の義務である。だから視線を逸らすなよ、王女様。

 

「私を見なさい、シルビア王女。私はクロノワークの騎士として、貴女の誠実さを問うている。母国を見限り、ゼニアルゼ一国の利益だけを追求するなら、私としても相応の態度を取らねばなりません。お判りでしょう?」

「――くどい。おぬしは、実に回りくどいな。主張があれば遠慮なく述べるが良い。おぬしに対しては、今後も無礼講を保証する。撤回もせぬと、言質を与えてやろう」

「……ありがたく。では、述べましょう。あくまでも個人的な感想であり、ザラ隊長及びクロノワーク家臣団とは見解を異にするとご理解いただきたい」

 

 そろそろ会話を打ち切りたい私としては、ここらでもういいだろう、と判断する。

 ちょっとした助言で義理は果たせると思うから、後はそちらで考えていただきたいね。

 

「貴女が交易で利益を得ようと思うように、他の誰かも『損失を他人に押し付けたい。自分だけが儲けたい』と思うものです。結果として、お互いに首を絞め合うことになることもあるでしょう。――身内ばかりをひいきせず、多くの人々に目を向けてください。自らはほどほどに儲けて、余剰は下々に施す。そうであればこそ、恨みを買わずに済むと言うものではありませんか?」

「ありきたりの正論よな。今さら聞かされるような話ではない」

「ありきたりの正論を、私が今、口にすることが大事なのです。何かの折にでも、思い出してくだされば幸いです」

 

 利害の一致から協力することがあるなら、利害の影響次第で反目することもありうる。

 シルビア王女は自らの利益を周囲に還元して、味方を作るべきだと、私は暗に伝えた。

 できれば雑に利益をブン投げるんじゃなくて、一人一人気に掛けた対応をしてもらいたいね。そうであればこそ、信頼も生まれると思うから。

 

「……モリーの意見はわかった。考慮しておこう。それだけか?」

 

 どの程度正確に伝わったのか、私にはわからない。だが当人が『わかった』というのだから、これ以上は蛇足だろう。

 

「今は、これだけです。もっと率直な意見が聞きたければ、密室でなければ無理ですね。パーティ会場は、他人の目があり過ぎる」

「ならばそうしよう。――おぬし、狙ってやっているのなら大した悪女よ。いやむしろ、突き抜けて男らしいと言うべきか。……ああ、本気にするなよ。わらわも宴の席ゆえ、口が軽くなっておる」

「左様ですか。……どうかご自愛ください。シルビア王女ほどの立場であれば、言葉の重みも格別でしょう。うかつに言質を与えれられぬように、ご注意ください」

 

 何言ってるかわかんないですね? なぜに唐突に悪女とか男らしいとか、そんな言葉が出てくるんでしょう。……いいんですけどね、別に。

 

「メイル、おぬしにはつまらぬ話であったか?」

「は? いえ、別に」

「無理はせんでいい。招待客への配慮も、わらわの仕事の内よ」

 

 メイルさんに対しては、単なるご機嫌伺いに、時間を取らせて悪かったな――と。シルビア王女としては殊勝なことに、そんなことまで口にしてくれた。リップサービスが過剰な気がするけど、とりあえず聞き流すことにしますね。

 

「とりあえず、しばし時間を置こう。わらわも頭を冷やしたいし、おぬしらにパーティを楽しむ時間くらいは与えてやりたい。――わかるよな?」

 

 パーティが一段落したら、また呼んでくれるらしい。今度は個人的な話になるから、招待客の耳のない状態で語りたいとかなんとか。それまでは自由に見回ってこいとのお達し。

 厄介払いするだけなら、もう少しぞんざいな言葉でも充分であったはず。なのにこちらに気遣いを見せると言うことは、それなりに我々の立場を思いやってくれたのだと。そう解釈していいのだろうか。

 

「はい。では、また後で」

「可愛くない奴だな、本当に。……メイルやクッコ・ローセとの関わりさえなければ、排除してやりたくなるくらいよ」

「お戯れを。――権力者は大変ですね? お察ししますよ、シルビア様」

 

 ぶっちゃけ何も解ってないけどな! それっぽいことを言って、意味深に振る舞うムーブって楽しいよね。

 あの方の『排除したい』なんて言葉を真に受けると、すごく怖い気がするからこれでいいんだ。

 

「わかった風に言いやがる。今は頭を冷やして考えたい気分故、せいぜいメイルと共に楽しむのだな」

 

 どうにもシルビア王女とは合わないね。どうにもならないことだけど、ビジネスには個人的な感情を入れないのが信条だ。

 

「そうそう、一応は忠告しておこうか。わらわとメイルは、知らぬ仲ではない。伊達男を気取って、万が一にも不幸にしたら殺してやるぞ」

「その脅しは無意味ですね。――付き合うからには、幸せにしてあげたい。その想いは、真実本気であると明言できます。至らぬところがあるとしたら、それは人間らしい不完全さの表れであると、ご理解くださいな」

 

 人間関係は、単純なものではないと、それだけは主張させていただきたい。ましてや傷一つない完璧な在り方など、求められたって無理だ。だから、努力するけどそれ以上はとやかく言ってほしくないね。

 メイルさんが顔を赤らめて、興奮を隠しきれない有様で、我々の会話を見守っている。その事実だけで、色々と察していただきたい。

 

 シルビア王女なら、それだけでわかっていただけると、そう考えても買い被りではありますまい――なんて生意気にも言ってみたら。

 

「そういうことにしておこう。わらわとて、夢見る乙女の気持ちはわかる。そのまま夢心地のままで居られたなら、どれほど幸福であることか。……苦しい現実など、目をそらして置けるものならば、いつまでも直視せずにいたいものだ」

 

 普通に受け入れてくれた辺り、ガチで器が大きいと思います。これからは、あんまりきつく接しなくてもいいかな、なんて。ちょっとは真剣に思いを致す私でありました――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 様々な思惑が交差する中、面倒な諸事に頭を悩ませるのもここまでにして。シルビア王女のご厚意に甘えて、後は自由時間――とか、そんなお気楽な話はなかった。

 メイルさんは芸術の価値がわかるほうじゃないから、東方の展示物には興味を示さなかったけれど。

 別の方向性で、彼女の興味は引けたらしい。主に不穏な意味で。

 

「シルビア王女への挨拶も終わったし、今だから言うけど。……見える範囲の招待客に限っても、間者の類が結構いるんじゃないかしら。今回のパーティは多方面に見せつける意図があるんでしょうし、たぶんわかって見逃してると思うの」

「おや、この手の連中は誤魔化すのも上手いものですが。……わかるものですか?」

「だいたい勘だけど。――でも、諜報員って独特のニオイがするから、色々と察しちゃうのよ。ゼニアルゼとソクオチだけじゃない。他の国も混じってるわね」

 

 ニオイというのは比喩だと、メイルさんは言った。ちょっとした仕草、たとえば目線とか歩き方とか、口調の響きだとかで、彼女は何となく察してしまうらしい。

 ……何それ。控えめに言っても、超能力に片足突っ込んでませんか?

 

「私も勘は良い方だと思うのですが、メイルには負けますね」

「百発百中の自信は無いかしら、流石に。なんとなく、そんな気がするってだけ。……でも、肝心な所で外したことはないから、ちょっとは信頼してくれてもいいのよ?」

「メイル。貴女はいつだって、頼りになる護衛隊長ですよ。――そして、これからは真に心を預けるに足る、伴侶になっていただくのです。いちいち疑ったりはしません」

 

 手を取りながら、目を合わせながら微笑んで。メイルさんを慈しむ気持ちを、言葉でも表現する。

 指輪を贈るのはもう少し先の話にしたいけれど、愛すべき女性に対して、言葉を惜しんではならないと思うんだ。

 浮気? ザラ公認だからセーフ。ハーレムはたぶん合法です。……でも覚悟を決めるのはちょっと待ってな。

 

「……そう。ありがと」

 

 目をそらしても、顔の赤みは消えていませんからね?

 可愛らしいなって、本気で思う。そんなメイルさんだから、言葉を尽くす甲斐があるんだって、確信できるんだよ。

 まさに、アラサーなればこそ現れる魅力っていうか、充分に熟成されたからこそ価値のある感情っていうか。三十代の女性の羞恥心って、尊いと思いませんか? あなた。

 私は、とっても貴重なものだと思います。私自身がその対象となるなら、なおさらに。

 

「こちらこそ、ありがとうございます。メイルがそうやって、サポートしてくれるから、安心して仕事が出来ます。私は外交の使節として、ゼニアルゼに出向してきているのです。シルビア王女の言動はもちろんですが、周囲の動きについても目を向けておかねばなりません。……諜報員が多く入り込んでいるとしたら、それはあの方の意向に他ならない。意図的に集めたのなら、それなりの理由があるはず」

 

 事前にわかっているのなら、探りようがある。後で顔を合わせた時にでも、問い質してみようか。

 シルビア王女は招待客を選べる立場だ。関係者である三国以外の諜報員も紛れ込ませたなら、宣伝以上の意味があるのだろう。

 ぱっと思いつく範囲では、パーティを介して三国間の親密さをアピールすることか――と。そこまで考えて、メイルさんに感謝すべきだと気づく。

 この点、メイルさんが指摘してくれなければ、私だけで気づけたかどうかは怪しい所だ。素直に感謝したい。

 

「そうと確信できたなら、思い当たる節もあります。――メイル、ご指摘ありがとうございます。……本当に助かりました。これでシルビア王女の意図が、なんとなく捉えられそうです」

「そう? だったら、嬉しいわね。私には、あのお方の考えなんてわかりゃしないんだから。――モリーの方で理解してくれるなら、ありがたい話ね」

「ええ、お互いに。こうやって、補い合う。なればこそ、夫婦となる意味があると言うもの。そうではありませんか?」

「……あの、ね。モリー。そういう所よ、本当に。見境なくそんなことを言ったりしてるんじゃないでしょうね。だとしたら、そのうち刺されても文句言えないわよ」

 

 選んでいますよ、その辺りは御心配なく。

 

「貴女と、ザラ隊長と、教官。それにクミン嬢を除いては、ここまで率直な物言いはしませんよ。――ああ、ミンロンとシルビア王女は別枠ですから、その点はご理解ください」

「だったら、大丈夫? ……なのかしら。まあ、私の取り分が確保されているなら、とやかくは言わないでおきましょう、ええ」

 

 夜のローテーションは、近いうちに決めておかないと――だなんて。

 怖いこと言わないでくれませんか、メイルさん。童貞も処女も、まだ捨てる覚悟は出来ていないんです。

 いえ、もちろん、是非にもと望まれたなら。私の貞操なんて、もったいぶるようなものではないとわかってはいるんですが。

 ……皆さんを幸せに出来るだけの自信が、いまだ持てないヘタレでありますから。その点は、どうかご容赦いただきたい。

 

「私なんぞの身体で良ければ、お好きなように、と。本当は断言して委ねてあげたいくらいなんですが。……貴女を全身全霊で愛する覚悟を決めるまで、今しばらくの猶予をいただけませんか?」

「ケチケチしないで、さっさと抱きなさいよ。こっちはちゃんと、待ってるんだから」

「メイル、貴女の価値の高さを考えるならば。……抱き止める側にも、重い覚悟が要るのだと、どうかご理解ください。素晴らしい女性は、絶対に幸せになるべきなんだと。私は心から、そう願っているのですから」

「……そう。私は本当にいいんだけど、モリーの意思が何よりも大事だから。私は、待てる。今しばらくは、時間をあげましょう。この点については、ザラよりも気は長いつもりよ」

 

 後は適当に見回って、時間を潰しました。メイルさんはメイルさんなりに、気を使って東方の文物にも目を向けてくれたよ。

 あくまでもフリというか、見せかけに過ぎなかったけれど。それを指摘するのは、無粋と言うものだろう。

 

「では、また明日」

「ええ、また明日。今日の残り時間は、シルビア王女に譲ってあげるわ」

 

 ここで別れて、メイルさんは別行動。聞かれたら困る話になると思うし、諜報員の耳目を彼女にふさいでもらいましょう。再度シルビア王女と相対するのは、私だけでいいから、周辺の警備を任せます。

 あの方もまだ話したりない所があるのだと、なんとなく察していたからね。

 なんで、メイルさんと別れてから、宴の熱が治まった辺りでシルビア王女に面会しました。

 後片付けとか始まっているけど、もう関係ないよね? そのつもりで、貴女も待っていたんでしょう?

 

「この期に及んで、取り繕う必要はないでしょう。余計なおべんちゃら、臭い芝居も必要ない。率直な言葉と正直な意見こそが価値を持つのだと、そう解釈するのが正しい。違いますか?」

「いいや、違わぬ。モリーよ、そうであればこそ、おぬしと語り合う価値があると言うものだ。……クッコ・ローセの奴も呼びたかったのじゃが、この場で顔を合わせたくないというものでな。また後日に会わせよう」

「ご配慮には感謝したいのですが、それには及びません。こちらで勝手に会いますので、ご心配なく」

 

 シルビア王女と、再度渡り合う。その事実に高揚するのは、何も緊張からだけではないだろう。

 私自身、彼女とのやり取りを楽しみつつある。その事実を自覚するのに、さほどの時間はかからなかった。

 

「さきほどは聞けませんでしたが、ミンロンから何かしら吹き込まれましたか? 二人でどのような悪だくみをしたのか、おおよその見当は付きますが」

「そういえば、メイルには口止めはして居らなんだな。……悪だくみ、なぁ。そうでもあるし、それだけでもないと言える。――さ、語り合おうではないか。夜は長い。今しばらくは、邪魔も入らぬゆえ、遠慮なく申すがいい」

 

 私はそこで語れるだけのことを語るべきだと思ったし、求められる限りは余すことなく言葉を尽くそうと考えた。

 

「ところで、隗より始めよ、という言葉の意味は知っておるか?」

「大事業をするには、まず身近なことから始めよ。物事は言い出した者から始めよ、という意味合いの言葉ですね。それが?」

「ミンロンからの伝言じゃ。それから、『火の牛にはご注意を』とも言っておった。意味は分かるか?」

「……なんとなくは。いえ、ちょっと考えさせてくださいね。解釈の余地は色々とあるので」

「おう、今日中に済むのであれば、それまでは待ってやろうさ。わらわとしても、気になる話である故な」

 

 後日省みるに、私の発言程度でどの程度の影響を与えられたか、わかりはしないが。出来るだけのことはしたのだと、それだけのことは言える。

 

「時間が来たらパーティは終わるものだが、わらわと其方の語り合いは、納得するまで続けるぞ。――朝まで続くかもしれんから、覚悟はしておけ」

「よろしいでしょう。お付き合いしますよ。長期戦はむしろ、私の得意分野です。そちらこそ、先に斃れたりしないでくださいよ?」

「ぬかせ。では、まず先ほどの言葉の解釈についてだが――」

「ええ、なんとなくですが、意図はわかりますとも。これから親切丁寧に、説明いたしましょう」

 

 シルビア王女がどのような未来を見据えて、いかに行動し、結果として何が現れるのか。それを確認するだけの時間くらいは、私にも許されているのだと。

 今の私にわかるのは、その程度のことであった――。

 

 





 シルビア王女とのお話は次回に続きます。
 いつもいつも、こいつら話してるだけなのに何でグダるんですか? って聞かれたら、答えに困ります。

 何故って、すぱっと済ませたら、これから何をどう書けばいいのかわからなくなるからですね。
 まずは雰囲気を作らないと、舞台を用意できないのが私という書き手なので。
 未熟な文章を垂れ流すのは恥ずかしさもありますが、他に書き方を知りません。

 こんな話が続きますが、最後まで付き合ってくだされば幸いです。


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思惑がぶつかり合って複雑になるお話

 なんか色々と難しそうな話をしていますが、その場のノリで語っている部分ばっかりです。

 真面目に頭を使い過ぎたので、アレな所があっても気づけないくらいに疲弊している自覚もあります。

 グダグダ悩んで停滞するよりは、定期的な投稿を続ける方が大事だと思って、今回も投稿します。


 シルビア王女って、あんまり関わりたくない人種なんだよね、個人的には。敬して遠ざけたいってのいうのが本音です。

 上司として不足があるわけじゃないけど、下手な答えは許さない迫力とか、腹黒い策略家としての面が強すぎてね。

 話してて気が張り詰めていく感覚は、何度味わっても慣れないと思います。有能過ぎる上司って、部下にとっては割とキッツい。だって、自分と同じくらいの有能さを求めてくるんだから。

 

「とりあえず考えがまとまったので、ミンロンの言葉について、解釈を述べさせていただきます」

「うむ。隗より始めよ、火の牛にはご注意を、と。わらわにとっては意味の解らぬ言葉であったが、おぬしは奴の意図を把握できたのだな? 考える時間は多少くれてやったのだし、期待に応えてくれねば困る」

 

 ぶっちゃけ、それらの格言がこの世界にも存在したことに驚きです。

 正確には、それらしい人がそれらしい事をやって、偶然似たような逸話を作ってしまったってことなんだろう。たぶん。

 で、物事は共通していると考えれば、解釈自体はそう難しくはなかった。それを話すだけならば、何も悩むようなことはない――なんて、簡単に言えたらよかったのに。

 

「では、申し上げます。さきほどはちょっと語りましたが、改めて最初の言葉から考察していきますね」

「頼む。東方の教養は、流石のわらわも持っておらぬのでな。――この点については、おぬしが頼りよ。間違った解釈でも、とりあえずは真に受けてやろうさ」

 

 シルビア王女の重い言葉に、怯みそうになる。――が、自信を持って答えよう。

 前世と今生の歴史において、おおよそ似たような事績があったと考えるなら、単純にあの二つの言葉をつなげるのも容易である。

 問題は、それをそのままシルビア王女に伝えて良いのか、ということ。私は与えられた時間の中で、ミンロンの意図ばかりをずっと考えていた。

 そしておそらく、彼女の思考をいくばくかは読めたように思う。だからこそ、あえて核心の部分は伏せることにした。

 

「隗より始めよ、を言葉通りに解釈するなら『まずは私を重用すれば良いことありますよ』っていうミンロンなりのアピールですね」

 

 とりあえず、ここは素直に解釈していい部分だった。偽りを述べる意味はないだろう。

 身近な相手を厚遇したり、言い出しっぺを大事にするのは、要するに周囲へのアピールに過ぎないというわけだ。

 

「彼女のような木っ端商人ですら、ゼニアルゼでは重用される。なら、もっと太いパイプを持った自分なら、西方で大きな商売が出来る――と、東方の大商人どもは考えるかもしれません」

「ふむ。ミンロンを使い続ければ、その内に東方から大きなカモがやってくると。……道理ではある。今後の交易を見据えるなら、悪い展開ではないな」

 

 売り込みに来る連中をカモ呼ばわりするあたり、シルビア王女の認識はどこまでも上から目線で、変わるところがない。

 油断は付け込む隙を与えてしまうから、今少し自重を求めたいところだ。

 

「カモではなく、老獪な狐が相手だと考えましょう。おそらく、西方まで出張ってくるような大商人は、相当な根性が入っていると思われます。……たやすい相手ではありますまい」

「商人、というくくりにある限り、わらわの敵ではないわ。――いいぞ、隗より始めてやろうではないか。ミンロンめ、それならそうと素直に言えば良いものを」

 

 色々と鼻につく部分はあれど、とにかくシルビア王女は理解が早い。私がこう、といえば即座に検討して答えを出す。

 

「商人が、怖くはありませんか?」

「法と武力で締め付ければ、あいつらは制御できる。もちろん、恐怖だけでは反発を生むであろう。ゆえに一方を抑えつつ、もう一方を厚遇する。あるいは、商人の組合に序列を設定し、商人同士で利害の対立をあおる。『利』に目がくらんでいる狐狸など、あしらいようはあるものだ」

 

 返答も、私が予想した通りのものだ。やはり、正直に見解を述べるのは躊躇われる。浅い解釈を述べるだけに留めるべきかもしれない。

 商人の恐ろしさについては、いずれ指摘してもいいだろうとは思うが――さて。

 

「次に、火の牛、というのは如何なるものだ? まさか東方の牛は、火をつけて喜ぶ性癖があるとか、そう言う訳ではあるまい」

「……松明を牛の尾に括りつけて走らせる。そうやって暴走した牛の群れを利用して、敵軍を混乱させる計略が、かつての東方には存在した。それだけの話ですね」

 

 慎重に、シルビア王女の反応をうかがいつつ、話を続けた。これは事実として記録されているから、実際にそうして勝った例があるんだろう。

 ――策を用いて、戦に勝利したこと。重要なのは、その部分ではないが。ミンロンに配慮するなら、ここでネタバラシは避けるべきだ。今彼女の『真意』を伝えるのは、無粋であるとも思うしね。

 

「火牛の群れを、敵の部隊に突っ込ませるのか。状況次第では、有用かもしれんな。……わらわなら、もう少し真っ当な奇策を使うがの」

「真っ当な奇策、という言葉こそ不可解ですが、それはそれとして。――ミンロンがこれに注意しろというのは、『競争相手も奇策を用いるかもしれない』と暗に伝えてくれているのではないでしょうか? 明言しなかったのは、どこに耳があって、誰に伝わるかわからなかったからと考えられます」

「だとしても、率直に述べてもよい内容ではないか? 解説が必要な忠告など、迂遠に過ぎるわ」

 

 それはそうだ。よって素直な解釈をするべきではなく、もう一歩踏み込んで、深く考察すべき言葉であるのだが――。

 私は、それを伏せると決断した。代わりに、もっともらしい理屈を並べる。

 

「東方の格言を使うことで、シルビア王女のあちらの価値観とか、文化をそれとなく伝えたかったのかもしれません。もったいぶった言い方で煙に巻くのは、東西を問うものではありませんが――。文言の使い方次第で、感じ方は変わってきます。ここらでミンロンが試しに使ってくるのも、こちらの対応を図るためではないでしょうか」

「なるほど? 充分な理解と、行動が伴わないならば、東方への理解や関心は表面的な物であると判断されていたかもしれんな。その点も含めて、モリーであれば正しく理解し、周囲の耳目を封じた上で解説してくれる。――そのように、信頼してくれたわけか。おぬし、あの商人から相当な好意を向けられておるようじゃな」

「……どうでしょう。私には、よくわかりません」

「左様か。ま、よい。何はともあれ、ミンロンの言葉については得心が言ったわ」

 

 とりあえず、奇策を使ってくるような競争相手と言えば、思い当たる節もないではない――と、シルビア王女はつぶやく。おそらく私とは接点のない相手だろうから、こちらは気にしなくてもいいだろうが。

 ……今のところ、ミンロンの謎かけに不興は覚えていない様子だ。ならば、そろそろ話を変えてもいい頃合いだよね。

 真意の確認は、彼女と直接会ったときにでもすればいい。私が配慮した、という事実もそえれば、それなりの好意も買えるだろう。……なので、個人的に話したいことを話していこうじゃないか。

 

「あと、周囲への監視が行き届いているのは、メイルが傍に居てくれたからですよ。彼女は今、その勘の良さを最大限に発揮してくれています。私たちが諜報員を気にせずに話せるのは、まさにそのおかげです」

「……メイルに褒賞を与えよ、とでも申すか? 埋め合わせはすると、すでに言った。ゼニアルゼにおける身分の保証と、クロノワークへ提供する予算も、来期はいくらか引き上げよう。それでは不足かな?」

 

 こちらが催促した形になってしまったけど、これはこれで悪くない流れだと思う。

 私は恋人として、メイルさんに出来ることは、なるべくしてあげたい。シルビア王女に提言して、何かしらのお返しが期待できるなら、卑しい言い方もする。

 

「不足です。今少し、当人の気持ちに寄り添った褒美が必要ですね。――違いますか?」

「わかった。メイルにはまた、機会を見計らって贈り物をしよう。邪推されぬよう、きちんとした名目でな。……それから、また今度直接会って労ってやるさ。文句はあるまい?」

「――さて。私は、思う所を述べた。貴女は必要なことをした。それだけのことでしょう?」

「今回のパーティは、呼ばれたこと自体が罰ゲーム。そう言いたげでもあるな。……無礼を許してはいるが、何を言っても怒られない、などとは思うなよ? わらわは、わらわの権威を犯す者を容赦なく罰する。粛清した時と同じようにな」

 

 怖い怖い。メイルさんに対しては、これ以上を求めることは出来ないだろう。欲をかいたところで、それを許すような甘い人でもなかった。

 次の機会については、今考えなくてもいいだろう。それよりも、別の課題に目を向けるべきだと私は言いたい。

 

「失礼いたしました。ご無礼、お許しください。……言葉に気を付けよ、とおっしゃられるならば。この場で改めて、祝辞を述べさせていただきます。……ゼニアルゼがソクオチを属国化したこと、まことに喜ばしいことだと存じます。そもそも今回の宴は、それを祝うものだと言ってもいいのでしょう?」

 

 無礼を詫びた、その舌の根も乾かぬうちに皮肉を言う。私の態度は相当に不遜なものであるが、シルビア王女は咎めない。

 

「わらわとて、そこまで性格が悪くはないぞ。――外交には、最大限配慮してゆく。招待客も、それが分かる人物だけを呼んだつもりじゃ」

 

 咎めない代わりに、反論で返してくる。シルビア王女に非礼を重ねてしまうが、私はあえて遠慮なく言わせていただこう。

 

「すなわち、今後シルビア王女が取り込むべき相手――都合よく操れる手駒を呼んできた、ということでしょう。東方の文物は、これを彩る添え物としてある。それが真意ではありませんか?」

「真意かどうかはさておき、ここで怒れば、おぬしの考えを肯定しているようなものじゃな忌々しい。……もう少し、愉快な話題はないものか」

 

 雑な展開になったが、多少強引にでも、シルビア王女の興味を別方向に持っていきたかった。あんまりミンロンについては、話し合いたくないんだよね。

 少なくとも、今ここでは避けるべきだ。……彼女に、その意図を聞くまでは。

 

「では話題の提供も兼ねて、僭越ながらお聞きします。――シルビア王女は、どの辺りを落としどころにするおつもりで? 徹底的にやり尽くすおつもりなら、事前に覚悟を決める時間が欲しいのですが」

「……おい、わざと言っておるのだろうな? いきなり落としどころなどと言われても困る、何のことかをまず言え」

 

 最初の一言が大事だと、私は思う。怒り、あるいは苛立ちの感情を引き出して、そこから納得させるのが肝要。疑問を持たせるような、意味深な言い方が出来るならなおいい。

 一旦感情的になってから、それを沈められると、どんな理論ももっともらしく聞こえるものだから。

 理性的な相手であればこそ、この手法がてきめんに効くんだ。理によって立つ者は、感情だけで決断を下さないから。より多くの情報を得るために、よりよい決断の為に、シルビア王女は私から話を聞こうとする。

 情報と言うものは、多ければ多いほどよい、という単純な物じゃない。……こちらの都合の良い方向に誘導する手管だけは、全力で尽くさせていただきますね。

 

「そうですね。過激なことを言うなら、私はシルビア王女が『クロノワーク・ゼニアルゼ・ソクオチ三重王国』でも作り上げるんじゃないかと、そんな心配をしていたりします」

「ほほう、わらわが三国を併合すると? 面白い考えであるな。……是非はともかくとして、それの何が悪い? 実行するつもりはないが、参考までに聞こう」

 

 口にしたはいい物の、これはハッタリに近い。これくらいハッチャケられると酷いことになりそうだな――ってくらいのものを、まずは提示する。

 これに興味を持ってくれれば、続きをスムーズに話しやすい。本題への前座としては、面白い題材になったんじゃないか。

 

「実現させるとなると、それぞれの王国の継承権が、しっちゃかめっちゃかになりますね。特に、三国の国王を兼任することになる人は、誰を後継者にするか困ることになるでしょう」

「中央集権を維持するならば、てっぺんはただ一人なのが望ましい。三重王国なんてゲテモノが存在するとしたら、国王はその三国の王として全てを束ねねばならぬ。……全てを束ねるだけの正当性を、どこで担保するのか? まずはそこで揉めような」

「クロノワーク、ゼニアルゼ、ソクオチの王族全てが、三重王国の国王となる資格を持つならば。――王座をめぐる争いは、単純に考えても三倍の規模になりますね。今そうなるとしたら、シルビア王女が剛腕を振るえば何とかなるとしても。次代は、どうなるでしょうか?」

 

 多民族国家の不安定さは、ユーゴスラビアの例が証明している。一時は独裁者のカリスマ性で持たせることが出来るだろう。だが、卓越した統率者が亡くなり、その重しが消えてしまったら?

 その時の反動は、ひどく大きくなるものだ。これは、シルビア王女ならば正しく理解してくれるはず。

 

「維持できずに崩壊、分裂がオチよな。その混乱で、どこまで没落することになるか、想像もつかん。……なるほど、これは結構なデメリットか」

「まさに。――わかっておいででしょうに、御人が悪い。そうした不安を感じさせておきながら、対策を用意しないというのでは片手落ちでしょう?」

「ほざけ。人が悪いのは、おぬしの方であろう。わらわは別に、三重王国などと言うゲテモノを作る気はないというのに。――邪推したおぬしが悪いわ。個人の妄想にまで、わらわは責任を持てぬぞ」

 

 ええ、ええ。邪推ですとも。

 ですが、この悪い想像に現実味を与える方がいるのだから、仕方がないではありませんか。

 ――と、私が口にしてしまったなら。シルビア王女としては、これがどんなに茶番じみた発言に聞こえても、真面目に対応するほかない。

 

「そうした邪推をする愚か者が、私以外にもいるとしたらどうです?」

「……放置はできぬ。対策を練らざるを得ぬな? ――しかしそこまでいうなら、証拠を出すがいい。吐いた唾は飲めんぞ、ええ?」

「可能性の話をしています。貴女は強権的で傲慢だ。自覚はありますね? 流石に」

 

 証拠なんてない話なので、話題をスライドさせて曖昧かつ否定しきれない部分に持っていく。

 証明するのも手間だからね、その点はぼかしつつ話を進めようじゃないか。ありうるかもしれない、ってくらいの話でも、備えておくにこしたことはないでしょう?

 

「傲慢で有能な貴女が相手であればこそ、小人はくだらぬ懸念を抱くものだし、馬鹿らしい妄想に浸るものです。三重王国は流石に冗談としても、ゼニアルゼが二国を属国化し、時を経て吸収・併合していくのでは――と、懸念する声はどうしても出てくるでしょう。これを想定していなかったとしたら、この機会に備えるべきではありませんか?」

「具体性もないくせに、やたらと不安を煽る言葉を使いおる。――が、これは具体性はなくとも、実現性はある話よな。改めて考えてみると、備えがいらぬとは口が割けても言えぬわ」

 

 シルビア王女って、野心と気性が噛み合い過ぎている人だから、大変だね。周囲からの『疑い』に対して勇敢であるために、少しの懸念でも捨て置くことが出来ないんだから。

 

「……言の有用さを認めよう。疑いの段階に過ぎぬのなら、証拠を求めたわらわの方が無粋であるともいえる。下手に突いて暴走する者が現れては、かえって厄介。しかし、な」

「はい。ご不満があれば、残らずお聞きいたします」

 

 もっとも、何と答えられようが、言い逃れる用意は出来ていますが。姑息なことをしている自覚はあるけれど、卑怯とは言うまいね。

 なに、終わり良ければ総て良しって言葉もある。私と貴女の間に限れば、悪くない結果になるよ。きっとね。

 

「なるほど備えは重要であろう。だとしても、リソースは有限だ。危機をいたずらにあおったり、論理を飛躍させるばかりでは、実際に動いてやる理由にはならんな」

「ならば、危機感を自覚していただきましょうか。――ソクオチの王子様を、クロノワークの第二王女と接触させた時点で、ゼニアルゼは野心を疑われています。正確に言うなら、シルビア王女自身が、ですが。……少女時代を戦乱の中で過ごした為でしょうか。物騒な実績ばかりが噂になります。悪名が大きければ、どんな善行も裏を読まれるようになりましょう」

「言いよるわ、こやつめ。……そろそろ痛いところを突くばかりでなく、改善案の一つくらいは提示して見せるがいい。そうでなくては、世俗の雑音と何ら変わるところがないぞ」

 

 当然、そう来る。ケチを付けるばかりでなく、いい加減に代替案を持って来い――と。

 シルビア王女は実利を求めるお方だから、単なる忠言では足りぬ。実のある提案こそが、彼女を動かすだろう。が、即座に答えてみせると有難味が感じられないものだ。

 なので、一呼吸おいて、前提から話していきましょうねー。

 

「今のところ、シルビア王女の采配に大きな誤りはありません。未来はともかく、現状を維持する限りは大した問題は起きないでしょう」

「現状維持とか、平穏無事とか、停滞とどう違うのじゃ。先へ、もっと先へ! 留まるのも後退するのも、わらわには耐えがたい。昨日より良い今日、今日よりも便利な明日を目指して歩み続けるのは、人の性と言うものよ。――わらわは、ただ正直に己の欲求に従っているに過ぎぬ。これからも、それは変わらぬ。これを理解した上で、献策するがいい」

 

 この返答もまた、予想の範疇。開明的、先進的、そうした姿勢であるからこそ、シルビア王女には人が付いてくる。

 理屈はよくわかんないけど利益がある。この人の言うとおりにしていれば、いいことがある。そうした実績を積み重ねて、今の彼女がある。

 そして、シルビア王女はこの手の風評を裏切れない。そうしてしまえば、最低限の信用さえ失ってしまうから。利に聡い事こそが、まさに彼女の強みにして弱みなのである。

 

「ならば実利的な話をしましょう。……先ほどの『落としどころ』という部分の意味も、今やご理解していただけたと思います」

「どこまでを求めるか。三国の外交を成立させ、東方との交易を進めるだけで満足するのか。――より多くを欲して、さらなる敵を作り、勝利を重ねる道を選ぶのか。おぬしが聞きたいのは、その辺りか」

「平地に乱を求める類の方とは、思っておりません。シルビア王女は確かな理性をお持ちです。……実利がある道を選ばれる。私はそう信じておりますので、ちょっとした提案を致しますね」

 

 どんな形であれ、戦えば必ず勝つ――と確信している辺り、シルビア王女も大概だ。

 ただの傲慢ではなく、実際にやってのけられる程度には能力もあるのだから、なおさら質が悪い。

 なので、私はこう言おう。

 

「――シルビア王女は調停者、あるいは裁定者となられるのがよろしい。野心があったとしても、ここまで、という線引きさえして見せれば、小人とて案外安心するものです。クロノワークに対する資金援助と、同じような投資を他国にも施す。ゼニアルゼの統治を緩やかなものにして、数年は税制を優遇するなど――私の頭でも、これくらいの策は考えられます。ここまでやれば、くだらない疑惑をはねのける実績ができることでしょう」

「……このわらわに、多国間の争いを調停する役割を担え、と言うのか。ゼニアルゼを、この西方における盟主にせよと?」

 

 シルビア王女は、鋭く私の言葉の本質を突いてくる。そこまで理解してくれたのなら、後は補足するだけで充分だ。

 

「まさに。盟主であって、独裁者ではないところが重要です。ゼニアルゼは、クロノワークに影響を残しつつも支配はせず、ソクオチも手綱を握るのみで自立を許す。他国においても、武力を背景に脅したりせず、緩やかな同盟でつながり続けるのです」

 

 利益を得たいなら、まずは与えるべきだ。与えて後、余裕を持って資源を吸い上げる。なるべく細く長く食い続けられるよう、無理のない範囲で継続させるのが肝要であると、私は見る。

 

「ゆるい同盟など、維持する意義があるとは思わんぞ。半端な行為は好きではない。手を緩めすぎて支配力が落ちてしまえば、結果的に利益が逃げていくのではないか?」

「そこはそれ、シルビア王女には実績があります。……くどいくらいに強調しますが、貴女が主導して呼びかけるならば、それを無視することは誰にもできません。実績は信頼を生み、利益は信用を生みます。東方の交易が莫大な富を運んできてくれるなら、西方の各国はどこであれ、貴女の傘下に入ることを考えるでしょう。大事なのは、名分を得ることです。暴君ではなく、名君としての名声を貴女は得るべきだ」

「さらなる力と富、望んで得ようと思えば、手に入る多くのもの諦めてか?」

「名声は人を動かす力になります。信頼は見えない財産と言ってもよろしいでしょう。……明確な数字としての表れないものを、シルビア王女は好まないかもしれませんが。明文化されていないからこそ、強みとなる場合もあるのです」

 

 今後、ゼニアルゼを中心とした貿易圏が、西方を席巻するのは目に見えている。

 シルビア王女が東方への交易を餌にするならば、それは余所には容易に使わせないはずだ。何らかの手段で、東方からの物流を限定させるような、後ろ暗い手を用いても可笑しくない。

 それを実際に用いるのではなく、ほのめかす程度に留めても、影響力は充分に示せると私は見る。伝家の宝刀は、抜かない方が役に立つ場合が多いのだと、どうかご理解くださいませ。

 

「ふーむ。おぬしの提案を考慮するに、名声と信頼が備われば、盟主たるに不足はないと言いたいのか。確かに盟主たれるならば、武力に寄らずとも他国を動かせよう。……しかし肝心かなめの交易だが、余所がそこまで儲けられるかどうか、長期的に継続できるかどうかは流石に保証は出来ぬぞ。これだけでは、他国の動きを縛るには弱いな」

「シルビア王女が交易を支配したとしても、需要と供給は常に変動するもの。調整にも限界はあります。――しかし、私にもわかることがある」

「何だ?」

「長期的な利益の保証など、貴女はハナから用意してやるつもりはないのでしょう? 目先の富を与えられるだけ投げてやれば、それだけで多くの人は食いついてくる。利益を前にすれば、誰だって目がくらんでしまうものです」

 

 こちらはちゃんとわかっていますよ、って態度を取って見せると、シルビア王女も考えを開帳してくれるくらいの度量はある。

 答え合わせをするように、彼女は語ってくれた。

 

「そうよの。一時の熱狂と興奮をあおるだけならば、それで充分じゃ。で、一度流れを作ってしまえば、誰も彼もが乗り遅れまいとする。……この心理を利用し、一気に外交的なアドバンテージを確保すればよい。短期的にでも、早々に懐が潤ってしまえば、わらわの傘下に入るのが正しいと思うであろう。多くを巻き込むのは、さほどの手間ではあるまい」

「正しくご理解いただけているようで、なによりです」

 

 名より実を重視するのであれば、抗うことのできぬ流れを作れる。シルビア王女には、その自信があるのだと、表情にも口調にも表れている。

 私の言葉に、説得力を感じてくれているなら幸いだ。なればこそ、言葉を続ける甲斐もあろうさ。

 

「かくして、西方の大同盟が成立する、と。――結構な話ですが、そうして傘下に入る国が多くなれば、重要なのはバランスです。勢力均衡、とでもいうべきでしょうか。聡明なるシルビア王女におかれましては、それだけでおおよそはわかっていただけると思いますが」

「……勢力が均衡すれば、互いに殴り合うリスクが跳ね上がる。結果同盟を維持する理由が生まれ、平和の中で発展と繁栄を模索することが出来る。――なるほど、なればこその盟主か。武力と経済力、両方の分野で突出する国があっては、どうしても恫喝による支配が見えてくる。これを法と信頼で代用できるならば、超大国の存在は無用のものとなろう。……ゼニアルゼは今の規模を維持するだけで、必要なだけの発言力は維持できる、か」

 

 西方であれ、東方であれ、どこか一国が飛びぬけないように手を尽くす必要はある。どうしてもゼニアルゼが優越する形になるが、そこは盟主という肩書がものを言う。

 経済力が突出しても、軍事力がそこそこなら案外警戒されないんだ。……この時代、割と統治者も脳筋が多いので。だからこそ、シルビア王女が活躍する余地もあるってわけだね。

 

「はい。周辺各国から遠くは東方まで、全てを図面としてとらえて、力関係を整える。あらゆる国家が、相互に影響し合い、あるいは依存しあう。そうした時代が、近づいてきているのだと思います」

「ずいぶん先を見据えているというか、妄想たくましい奴よな、おぬし。妄言とまでは言えぬ辺りが、絶妙であると褒めてやるぞ」

「お褒めにあずかり、光栄至極であります」

「……皮肉じゃぞ、そこは誇るな」

 

 いいじゃん別に。言うだけなら自由だよ。西方大同盟が実現したなら、名分なしに武力は用いることはできず、話し合いから始めねばならぬ迂遠さもある。

 だが、有効に機能させられるならば、この時代は黄金時代への先駆けとなれるのではないか――。

 なんて、私の妄想に過ぎないとしても。一代の傑物であるシルビア王女が考慮するならば、少なくとも一時の平穏くらいは勝ち取れるはずだよ。

 

「さて――時代、時代か。おぬしの言葉に、実現性がないとは言わぬ。わらわの目論見の幾分かも、含まれていたことは認めよう。……そうよな。何もかもが、変革の時を迎えるのだと、おぬしもそう考えておるのか」

「間違いなく、異文化が衝突し合う時期がやってくると見るべきでしょう。長期的な視野で、物事をとらえねばなりません。猶予があるうちに考えて、動いていくべきではありませんか?」

 

 シルビア王女は、私の言葉を否定しなかった。猶予というのは、西方と東方の文化が衝突し、互いに理解を深めるよりも先に、齟齬と誤解から憎悪が生まれるまでの期間を言う。

 この警告は、私なりの誠意と受け止めていただきたい。……ミンロンを脅威だと言いたいわけじゃないから、ここから先は言葉に気を付けよう。

 

「やはり、避けられぬか。東方を仮想敵国と見るのは、なるべく避けたい所じゃが」

「一度は、どこかでぶつかるでしょう。もちろん、何年先になるかはわかりません。あるいは我々の孫の世代まで、引き延ばせるかもしれませんが――。血を見ることなしに、お互いを認め合うことは難しいものです」

 

 交易問題からの衝突は、シルビア王女が最低限に抑えるとしても。文物と共に人々が広く交流を重ねていけば、人間関係がこじれることもある。

 わかっていない内にタブーを犯してしまったり、不文律や暗黙の了解を無視して、不興を買うことが今後も予想される。

 だからお互いに文化的な差異を認識し、意識の差を埋めていく作業が必要になる訳だが、これは言うほど簡単じゃない。それこそ、私がアレコレ言った中では、一番難しい作業だろうと思う。

 ――下手をすれば、それで全部が覆る可能性さえありうると、私は見ている。

 

「わらわがゼニアルゼを掌握するにも、粛清が必要であった。ソクオチを殴り倒してから従わせたのは、それが支配を及ばすための最短手段であったからだ」

「そして、シルビア王女の思想を手っ取り早く伝えるための手段でもありました。貴女の考えは先進的過ぎて、言葉だけでは誰も動いてくれないのでしょう? ――そして貴女は名分を作って、武力を振るう手際が実に上手い。それこそ、常用したくなるくらいには」

「今後は流石に、自重せねばなるまいが。それでも必要と感じれば、ためらってはならぬ。……盟主と言うものは、信頼と同時に威厳も周囲に示す必要があるのだ」

 

 東方と西方は、今は心理的にも距離があるから冷静に付き合えている。

 だが、今後は通商を通じて距離が縮まっていくだろう。技術の発展によって、交通網が整備されてしまえば、さらに傾向は加速する。

 そして身近になってしまえば、ちょっとした差異が癇に障るようになるんだ。文化的な衝突が、武力的な対立に進むまで、時間的猶予はどこまであるのか。

 十年後ってことはないと思うが、二十年、三十年後はわからない。そして三十年後の世界がどう変わっているのか、それを予想するのはさらに難しい。

 

「今から備えるとなると、本当に難題よの。今回話した件は、いずれも不確定の未来であり、確証があるものではない。利益につられる人間は多いし、時代の流れを誘導する自信もある。わらわも最大限に動くつもりであるが、やるべきことを全てやって、経過を見つつ行動を選んでいく必要があろうな。……何か一つでも、確証を持てることがあればよいのだが」

「では一つ、保証しましょう。――例のソクオチの王子様ですが、偶然にも私が教育を受け持っています。彼を見事な君主に育て上げ、ソクオチが頼れる盟友となれるようにいたしましょう」

 

 シルビア王女が私の言を取り上げて、その考えをいくばくかでも採用してもらえるならば、私だってリスクを抱え込まねばなるまい。だからこその、この発言だ。

 

「ふむ? そう保証したところで、結果が出るのは十数年は先の話であろう。いますぐ影響のある話でない以上、わらわがありがたく感ずるはずもない。――なにより、そこまで言い切れるだけの権限が、おぬしにあるのか疑問じゃのう」

「疑問はごもっともです。端的に述べるならば、師弟関係は主従関係も国境も飛び越えるものだと、そう申し上げればご理解くださるでしょうか」

 

 ソクオチの王子様――名を『オサナ』というらしい。

 最近になるまで王子様で通していたから、名前で呼ぶことはめったにないんだけど、そろそろ名で呼びつけてもいい頃合いだと思う。鍛錬を通じて、それなりの絆は築けたはずだ。

 一方的ではあるけれど、みっともない姿を散々見た仲でもあるから、後は指導を重ねていけばいい。座学で思想も植え付けていければ、将来的にはいい具合に私の影響を残せるだろう。

 

「楽観に過ぎると言われればそれまでですが、期待してくれてもいいと、このモリーが請け負います。――これでも、あの子から尊敬を勝ち取っている自信はありますから」

「自己申告を信じるのは、いささかリスキーでもあるが。……まあ、即効性のある手札ではないし、将来に期待が持てるというだけでも充分か。喫緊の課題に役立てられぬのが、もどかしいのう」

 

 それはそれ、未来への投資と思いねぇ。だから私と私の周囲に、もっとお金を掛けたり権限を委譲したりしてもいいのよ?

 シルビア王女をスポンサーだと思って、それなりに尊重していくからさー。お願いしますよー。

 

「おぬしが請け負うのならば、信頼してもよい。……いや、どうせ時間のかかることだ。王子の教育課程はこまめに報告せい。その経過を見て、判断するとしよう」

「なるほど、長期的な視野に基づいて、投資してくださるのですね? 今ここで明確に拒絶しないのであれば、アテにさせていただきますが、よろしいでしょうか」

 

 今後の便宜を図ってくれるかどうか。資金的な援助を続けてくれるだけでも充分だが、シルビア王女に対する発言権を保証してくれるなら、それにこしたことはない。

 貴女に影響を与えられる立場って、すごく貴重だからね。その点、どうかなーって、私なりに思うのですがいかが?

 

「――オサナ王子を教育しているお主の影響力を、甘く見ることはせん。やり方次第では、かの王子の憎悪をゼニアルゼに向けることすらできよう。そのリスクを回避できると思えば、多少の投資は必要経費と見てもよい」

 

 シルビア王女の鋭い視線が、私に突き刺さる。ここまで来た以上、裏切りも足抜けも許しませんよってことだろう。

 

「私なりに、心境の変化もありましたので。今後も上手くやっていきたいと思っておりますよ。好悪の感情は別として、ですが」

「余計ゼニアルゼに引っこ抜いてやりたくなったが。……今は止めて置いてやろう。時期を見て、いずれな」

 

 まあまあ、私の育成能力を買ってもらったと、そう思って良い流れだった。投資をいただける算段が付いたのなら、こちらとしても異存はないよ。

 これで、当面の利益は確保できたと見てもいいかな。せっかくこんな場まで出張ってきたんだから、これくらいの個人的な見返りは許してほしいね。

 

「ご支援、決して無駄には致しません。期待に応えられるよう、最大限努力いたします」

「大変結構。……盟主となるならば、ソクオチの支持も必要になる。おぬしがその盟友を強化してくれるなら、願ったり叶ったりというべきよな」

 

 その辺りは、今後の王子様の成長を見守りつつ判断してください。

 おねショタは趣味じゃないから、あくまでも健全な師弟関係を維持するつもりだけれど、シルビア王女の意向も考慮して育てていきましょうね。

 

「そろそろ、一区切りもついたというべきでしょう。色々と語りましたが、シルビア王女の見解を改めてお聞きしたいですね。――私は、有益な提案が出来たでしょうか。私の言葉は、貴女を動かせたのでしょうか」

 

 シルビア王女は、考えるそぶりを見せた。視線を明後日の方向にやり、手の扇を適当にあおぐ。

 動作に気負いがないのは、思考に淀みがない証拠だろう。表情は笑みが消え、確たる感情も現れていない。

 

「……難しいな。有益っぽいのは確かであるが、実益が出るのは当分先の話であるし、わらわは他人の言葉ではなく、己の判断で動く。それはいくらでも変更がきくものだし、後でやっぱりやめた、なんて事態もないとは言えぬ」

 

 それでも真面目に、考えてくれている。少なくとも、彼女の声からは茶化す意図など感じ取れなかった。わずかな言葉の後、しばし口を閉じて思案する態勢になっている。

 なんだかんだ言っても、私の言い分は聞いてくれているし、検討すべき事柄も多いから明言しかねている。そうした雰囲気が伝わってきた。

 

「流石に、投資はしよう。おぬしの言に、一定の利は認める故。頭の中を整理して、今後の計画を見直すことも異存はない。――が、わらわは己を変えられぬ。我道をどこまでも進んでこそ、わらわである。……障害があれば、踏みつぶさずには居れぬ。理解が及ばぬ愚者などは、殴り飛ばしてやりたくなる」

「裁定者はともかく、調停者は難しいですか?」

「盟主という案は良い。力と支持を背景に、調停を行うことはやぶさかではない。だが、それも己の方が優越していればこそ可能なことだ。――前提として、力を維持するための手段を妨害するものがあれば、わらわはこれを許さぬ。道理とか法とか、そんなものは二の次になるであろう。正義を行うには、まず強くあらねばならぬ。わらわは、そう考える」

 

 正しい主張だった。この世界、どこまでも弱者にやさしくは出来ていない。やさしくなるには、強くなるしかない。強者こそが、世界に法則を強制できるのだから。

 ゆるい同盟に反対したのも、この点が気がかりだったのだろう。圧倒的な経済力、軍事力を持って支配する方が、事は単純に済むはずだから。

 

「しかし強さという尺度は、どうとでも変わるものです。それこそ、物理的な強靭さに限らない。貧民の群れは、怖くないですか? イナゴの群れは? 身分を問わぬ悪意、憎しみの感情は、敵に回しても容易く打ち破れるものでしょうか? 身内の中ですら生まれる同調圧力は、無視しても良いものですか?」

「――暴力で解決できることは多い。わらわに出来ぬと思っているなら、それは勘違いだと言いたいが?」

「さりとて、暴力が全てであるとも思っておられぬ。要は、より実利を得られる方を貴女は選ぶ。……私は、そう信じておりますよ」

 

 いささか卑怯な論調であるという自覚があるが、シルビア王女はこれを容易には否定出来まいよ。

 なけなしの信用さえかなぐり捨てては、利益のある事業に参加できなくなる。そんなのは、お嫌でしょう?

 

「……モリー、わらわはそろそろ、本気でおぬしのことが嫌いになりそうじゃよ。……ああ言えばこう言う。それも、痛い部分をいやに指摘してくるのが、なんともなぁ」

「痛い方が、印象に残るでしょう? 諫言とは、厳しいもの。貴女に必要なのは、反論も含めた様々な意見や価値観を提示できる、別種の存在です。こうして話しているだけでも、色々と考えさせられたではありませんか?」

「否定はせん。――悔しいから、肯定はしてやらんぞ」

「貴女は統治者、私は従者。直接の君臣ではありませんが、お互いに求められる役割は違うものです。……あらかた語りつくした気がしますので、そろそろお開きにしましょうか?」

 

 これ以上ダラダラ話してもなーって、私は思うんだ。初めに求められた返答はしたんだから、もういいじゃん。ね?

 

「実務的なことについては、まあ、よかろう。――が、せっかくの機会よ。クッコ・ローセやメイルとするような、他愛のない世間話をするのもいいではないか」

「……面倒なんでお断りいたします」

「ついに取り繕うのをやめたな、おぬし。ま、付き合え。心配せずとも、そこまで際どい話はせんよ」

 

 結局、下世話な話題に付き合わされました。私と女性たちの色恋沙汰が、そんなに面白いんですかねぇ……。

 とりあえず、明言は避けておきました。同棲とか、結婚とか、私だって思う所があるんだから。

 適当にあしらって、シルビア王女から解放された時には、もう結構な時間がたっていました。

 帰りにメイルさんに労ってもらいつつ、最後まで律儀に周囲を警戒してくれた彼女に対して、私は感謝の念を抱かずにはいられないのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルビア王女は、モリーとの会談を充分に楽しんだと言える。

 ちょっと前にはドン引きしたことさえあったが、認識が変わった今は、その見識の広さに一定の価値を見出していた。どうにも好意を抱くのが難しい手合いであるが、嫌うには惜しい人物でもある。

 彼女の言葉によって、想像以上に頭を使い、今後の政策を考え直す機会を得たとも判断していた。それ以上に大事なのは、ああやってモリーと話し合うことを、愉快に思う気持ちがあることだ。

 自室で一人、思案を巡らせながらもモリーを思う。異端としか言いようのない存在に、興味がわいて仕方がない。それこそ、独り言を口に出すほどに。

 

「どのような思想も、いかに異端に見える思考も、必ず背景がある。影響を受けた書物、あるいは人物の影が無くてはならぬ。突然変異に見える怪物がいたとしても、必ずそこには至るまでの過程があるはずなのだ。……しかし、そうした経緯の見えぬ異物が、ここに現実として存在している。これは、何を意味するのであろうな? わらわは、それが気になって仕方がないのよ」

 

 シルビア王女は、訳知り顔でそう言った。必ず裏があるのだと、そう言いたげな雰囲気である。

 実際、会談の場で示したモリーの見解は、シルビア王女の想定以上に過激であり、確信的であった。

 知識以上に、その考察内容があからさまに異質なのである。これに比べれば、東方に対する教養の深さなど、ほとんどオマケのようなものではないか。

 

「あやつの経歴、改めて調べなおした方が良いかもしれんな。……出自的に、そこまで多くの書物に触れられたとは思えぬ。教育を通じて学んだにしても、あの手の発想は士官の教科書にも載ってはおらん。特殊部隊の内情も含めて、本格的に洗ってみるか」

 

 可能であれば、モリーのような人物を教育によって作り出せるかもしれぬ。そうなれば、どれほどの利益となることか。シルビア王女は、そこまで見込んでいた。

 このように、さんざんに持ち上げるような言い方をしたものだが、ここにモリーを知る女性たちが居れば別の見解を示すだろう。

 

『現実的で有能な人間ほど、例外的な存在に理屈を付けたがる。意味も理由もなく、突如奇妙な存在が生まれることもあるのだと、私は実感として知っている。――理不尽を理不尽として、適当に割り切って生きる方が賢明と言うものさ。あれを解析するとか、再現するとか、真面目に考えても出来んものは出来んよ。……シルビア王女は大胆に見えて、こうした鷹揚さを持ち合わせておられぬ。気苦労の多いことだな』

 

 ザラ辺りならば、このように評すだろう。裏などなく、モリーはありのままで異質であり、そうあることが魅力なのだと。

 しかしザラにはザラの見解があるように、シルビア王女にはシルビア王女の考えがあるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、シルビア王女が色々な方面で検討を重ねているとき。モリーもまた、気楽に遊んでいられる状況ではなかった。

 会談の翌日、モリーの部屋に一通の手紙が届けられた。差出人はミンロン。時間があるなら、会って話そうという内容だった。

 もとよりゼニアルゼへの出向は、パーティの参加が目的ではあったが、日程には余裕がある。明日には帰国の準備に入らねばなるまいが、今日一日くらいは自由に過ごせるだろう。

 

「メイルさん。申し訳ないのですが、急な仕事が入ったようです。少し離れますが、心配しないでくださいね」

「まあ、私は仕事の予定もないし、いいんだけど。……ゼニアルゼでデートをするのは、またの機会になっちゃうわね。それが少し、残念かしら」

「本当にすいません。この埋め合わせは、必ずしますから。――では、失礼します」

 

 モリーは、そうしてメイルと別れた。残念そうな彼女の表情に、罪悪感さえ抱きつつ。

 やましい所のある己に、ひどい不甲斐なさも感じながらも――。しかし、ミンロンの前に出る頃には、それを心の奥に押し込めていた。

 

「この度はお招きいただき、ありがとうございます。……ミンロン様がゼニアルゼに来ていたというのは、まことに奇遇ですね」

「ええ、そうですね。……モリー殿はシルビア王女に招かれたそうで。あのパーティに関しては、私も一役買っているのですよ。東方関係の文物をそろえたのは、他でもない私自身なのです」

「それはそれは。商売繁盛で、なによりですね。うらやましい」

「いえいえ、それほどでも」

 

 モリーとミンロンが落ち合ったのは、ゼニアルゼの中ではそれなりの料亭であった。

 高級過ぎず、庶民が利用することもあるような店である。それでも奥の個室に案内されれば、嫌でも特別感は演出される。

 モリーもミンロンも、一言目から核心には入らない。しかしお互いに、何を話したくてこの場にいるのか、わかっていたはずである。

 

「ご謙遜なさらず。……いや、ミンロン様には実際に懸念事項があるのでしょうね。よくわかりますとも」

「おや、モリー殿に何がおわかりだと? こちらの内情に関しては、明かしてはいないはずですが……」

「貴女が言い残した言葉。『隗より始めよ』『火の牛にはご注意を』の真意について。――この場を借りて、話しておきたいと思います。貴女だって、それを聞きたいがゆえに私を呼んだのでしょう? ご心配なさらずとも、シルビア王女にはごく浅い理解を語っただけですから、問題はありませんよ」

 

 わかっていたから、挨拶が済み次第すぐに斬りこんでいった。

 特にモリーは、長々と引き延ばしたくはなかったから、率直に述べる。ミンロンもまた、これには正直に答えた。

 

「はい。実は、その通りで。……いや、本当に言うだけ言ってみるものですね。しかし、真意とまで言われますか。確かに、意図を隠して伝えた言葉ではありますが――」

「ミンロン様、とりあえずは答え合わせをしませんか? こちらも、さほどの確信を持っているわけではありませんから。――これで間違っていたら、私の方が恥をかいてしまいますが、その時はどうか笑ってやってくださいな」

「そうですね。笑うのは構いませんが――その前に、せっかく料亭の個室を借りたのです。適当に飲み食いしながら、ゆったりと話しましょう。モリー殿と一対一になれる機会は、そう多くないと思いますから、ね」

 

 モリーにせよ、ミンロンにせよ、互いに思惑がある。

 自身の利益ばかりを考えているわけではなく、互恵関係を維持したいと本気で思ってもいた。

 だが、それを未来の情勢が許してくれるかどうか。未知数であるとモリーは考えている。万が一の事態にでもなれば、彼女は躊躇うことなく東方の商人を斬り捨てるであろう。

 

「まずは、乾杯をしましょうか。モリー殿も、多少は酒を入れた方が口が滑らかになるでしょう?」

「そうですね。では、クロノワークとゼニアルゼの栄えある未来に」

「交易による繁栄の未来に、乾杯」

 

 そうして、二人は酒杯を空けた。お互いに、多少の酒を入れたくらいで頭が鈍るような手合いではない。

 ミンロンもまた、リスクを背負ってここにいた。腹を割って話すことは、単なる投資以上に覚悟を必要とする。仮にここでモリーの反感を買えば、投資の回収どころではなくなり、命すら危ういかもしれぬ。

 それでも、機会を持つ価値があると、ミンロンは判断したのだ。あるいは、モリーの特別性を理解しているのは、シルビア王女ではなくミンロンの方であるかもしれない。

 

「で、答え合わせを始めていいですよね?」

「せっかちですね、貴女。モリー殿は、もう少し落ち着いた方だと思っていましたが」

「場合によりけりです。――ともあれ、語らせてください。いいですね?」

 

 ミンロンは微笑んで、頷いた。

 モリーはこれでようやく話せるとばかりに、口を開いていった。

 連日で厄介な話を続けねばならぬ。その事実に辟易しながらも、モリーは必死に現実と戦うことを選んだのである――。

 

 




 早くGL的な意味でイチャイチャする話が書きたい……。

 ですが、もう少しだけ色気のない話が続きます。今しばらく、お付き合いいただければ幸いです。



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適当な発言は己に返ってくるというお話

 書いていて、面白いかどうかわからなくなる瞬間があります。

 これで本当にいいのか、矛盾点はないか、言葉遣いは間違っていないか、不安になる時もあります。

 そんなことはいい、とにかく原稿を続けるんだ――と。

 無理にでも前に進まねば、どうにもならない。そう信じて、今回もまた、投稿させていただきます。



 

 意中の女性と、適当に酒食を嗜みつつ歓談する。食卓には様々な料理が並べられ、今や身近なものになりだした砂糖菓子の類もあった。

 私はこの密会に望んで来たのだし、客観的にも火遊びを楽しんでいるように見えることだろう。それを否定はしないが、大事なのはここでの話が国家戦略に関わっている、ということだ。

 ミンロン自身の重要性が、そうさせるのではない。東方と西方との接触が、今後大きくなっていくこと自体が問題になるんだ。

 

「隗より始めよ――いい言葉ですね? 郭隗先生のその後については、寡聞にして知りませんが、能力以上の待遇に恵まれて、さぞ幸福だったことでしょう」

「語源になった方の詳細は知りませんが、天寿を全うしたのではないでしょうか。特に粛清されたとか横死したとか、そういう話は聞きません」

「結構なことです。ミンロン様も、同じように長生き出来ればよいですね」

「ええ、同感です。――ああ、別段脅迫の様に受け止めているわけではありませんので、ご心配なく」

 

 物騒な話を振っていくのは、それが必要だと信じるが故だ。

 ミンロン女史も、わかっているからこれは軽く流す。

 

「何はともあれ、始めた以上は最後まで初志を貫徹してもらいたいと、私は本気で考えているのですよ? モリー殿」

「そうでしょうとも。なにより、重要なのは『火の牛』の方ですね? ……『隗より始めよ』の言葉は、これを表現するために持ち出しただけで。時系列的に、ああいう言い方をするほかなかった。違いますか?」

 

 ミンロンは、グラスのワインを回しつつ、その香りを楽しんでいた。

 表情は笑みを浮かべたまま、平然と続きをうながすように言う。

 

「おおよそは、合っていると答えましょう。……貴女なりの解釈があるなら、ぜひここで話していただきたいですね?」

「では、遠慮なく。――郭隗先生が厚遇されたことで、経過は省きますがその国は歴史上でも有数の、最高水準の将軍を得ることが出来ました。そして、敵国の七十余の都市を落とし、最後の二都市を残すまで追い詰めることが出来たのです」

「ははぁ。それはまた、凄いことです。その敵国の滅亡は目前ですね」

 

 わかっていて言っているんだろう。間違いなく、彼女はこの故事を理解して引用したのだと、私は確信を得た。

 ならば、この解釈はだいたい合っているのではないか。少しだけ、自信が持てた気がする。

 

「……ただし、この内の一都市に、希有な能力を持った役人がいたのですね。策略に秀で、軍才にも恵まれた、まさに傑物というべき小役人が」

 

 彼の名は、田単という。対する最高水準の将軍の名は『楽毅』。どちらも軍事的才能においては、中国史でも有数、と言って良いレベルだろう。

 そうした人物が、同じ時代に絶妙のタイミングで舞台に躍り出るのだから、歴史と言うものは時として創作以上に作り事めいていると思う。

 

「血筋をたどれば公族に連なる人ですから、そこそこの地位であったかもしれませんよ? ――それでも平時であれば、将軍になるまで出世できたとは思えませんが、これもまためぐりあわせと言うものですね」

「ええ、まあ。……やっぱりミンロン様も、わかっていて言ってたんじゃないですか」

 

 めぐりあわせと言うなら、ミンロンとシルビア王女との出会いもそうだと主張したいのか。

 彼女は意味深な微笑みをたたえたまま、何も答えない。ともあれ、私は言葉を続けた。

 

「ともあれ、その小役人が抜擢され、将軍として指揮をとった後、その敵国は勢いを盛り返します。あの手この手の謀略を用い、有能な敵将を失脚させ、『火牛計』をもって敵軍を撃破した。そして、あっという間に全ての都市を取り返したのです」

 

 色々と端折ったし、火牛計が決定打を与えたわけでもないけれど、言いたいことは伝わっただろう。

 ミンロンの真意とは、こうだ。『私から始めて、上手くいった事業も。思いがけないことからひっくり返り、全てが水泡に帰すかもしれないからご注意を』――と。

 彼女は、不安要素が噴出することを危惧しているのだ。実現性があるから、あえてあおるような言い方をした、と見ることも出来る。

 

「そこまで追い詰めておきながら、最終盤で全てがご破算、ですか。戦争とは難しいものですね」

「戦争は政治の一部分です。……隗より始めた事業が、火の牛の突撃によって焼け野原になってしまう。その可能性を、貴女はほのめかしている。私は、そう捉えました。……この解釈は、間違っているでしょうか?」

 

 おそらくミンロンは、そこまでの道筋について、見当がついているのではないか。

 何がどのような形で暴発するか。おおよその情報を持っていなければ、私ならばわざわざ『火の牛』なんて言い方はしない。

 こちらとしても、予想がまったくつかないわけではなかった。与太話レベルで、実証するのも難しいくらいの曖昧な想像に過ぎないなれど、どうかな。今のところ、事態を注視していくしかないとも思う。

 だから、ミンロンとの答え合わせを急ぎたかった。ここで言い逃れられては困るから、明確な返答を望むよ。

 

「そうですね。モリー殿の解釈で、間違っていない。そう答えておきます。……一旦成功した後で、高転びする可能性があるのは、商人の世界でもままあることでして」

「間違ってはいない、ですか。正しい、とは言わないのですね?」

「解釈には続きがあるでしょう? まだ話は終わっていません。……そこまで説いておきながら、どうしてシルビア王女には伏せたのです? この解釈をあの方に聞かせたところで、私にも貴女にも不利益はない。そのはずではありませんか」

 

 迷う理由はないはず。それをどうして――と、ミンロンは言う。

 本気で怪訝に思っている様子はなかった。口調もよどみなく、顔から笑みこそ消えているが、気迫が感じられない。

 雰囲気からして、疑問はあるが、だいたいは私の答えも予想がついている、というところか。

 つまり、答え合わせをしたいのは、そちらも同じと言うことだね。ならば、期待に応えようじゃないか。

 

「伏せた理由は簡単ですよ。その方が貴女の利益になるから」

「それは、どうして?」

「投資された分くらいは、還元したいと思うからです。でなければ、不義理ではないですか。シルビア王女は他家に嫁いだ身ですから、主家ではありません。こちらの優先順位としては、貴女の方が上なのですね」

「……私に、義理を感じてくださるのですね。それも、シルビア王女以上に。やはり貴女は、私の思った通りの方だ」

 

 やはりとか、思った通りだとか、あからさまな言い方をするくらいには、気を許してくれているのか。

 もろもろの感情は別として、ミンロンに肩入れすべき理由はある。私は商人をあなどらない。

 その影響力を、情報収集能力を、私は決して甘く見ない。なればこそ、身内に取り込めそうな手合いは、その機会を逃したくないのだね。

 

「ミンロン様。貴女は、シルビア王女にとって特別な存在であり続けたいと思っている」

「はい。特別であればこそ、実入りの良い仕事が回ってくるのです。なるべく長く付き合いたいと思うのは、当然でしょう?」

「それで、私が貴女に対して、何か有益なことができるとしたら。それはシルビア王女への働きかけが、一番だと思うのです。……あの方が私に価値を感じている内は、私の言葉にも耳を傾けてくれるでしょう」

「権力者に口利きしてくれる身内ほど、頼りになる者はありません。私としては、東方への信頼できる窓口が、自分だけ――という状況がもっとも望ましいのですが?」

「わかります。不可能とも言いません。……しかしその為には、私以上に貴女自身がシルビア王女の興味を引き続けねばならないのです」

 

 しかし、これは至難の業だ。シルビア王女は先進的かつ革新的なお方。あの人と同じ境地に立つとか、似たような目線で未来を論じるとか、まっとうな人間に出来ることではないよ。

 時代の寵児といっていいシルビア王女。その盟友となるためには、よほど優れているか、他者にはない唯一の利点が無くてはならぬ。

 

「それは、まず不可能……ですよね?」

「もちろん。あのお方は単純そうで、なかなか複雑です。私たちのような、木っ端の存在に耽溺してくれたりは、しないでしょう。適当な所で見切って、その他大勢と同じような扱いをしてくるはずです。――よほどのことがなければ、ね?」

 

 正攻法では、ミンロンはこれを満たすことは出来ない。なので、東方の商人、という一部分に特化する必要があるわけだね。

 ミンロンは、私の身内に迎える価値のある人だ。だから、出来ることはしてあげたい。見返りは後程でいいから、まずはこちらから歩み寄ろうと思います。

 

「よほどのこと、ですか。たとえばどんなことでしょう?」

「よほどのこと――と言いましたが、貴女に限ってはそう難しくないのですよ。ここで、私が貴女の真意を伏せた事実が活きてくる。そうして、私と貴女が『結託している』様子を見せるだけでも、充分に特別性を強調できます。私があえて真意を述べなかったことは、その内シルビア王女も感づくことになるでしょう。何のためにそうしたか? 深読みしてくれればしめたもの、ですね」

 

 シルビア王女は頭がいい。聡明であり過ぎるから、勝手に悩んでつじつまの合う結論を出してくれるだろう。

 それが私たちにとって都合の悪い解釈となっても、この場合は構わない。利益があるうちは、毒を飲み込むことすら、あの人は躊躇わないだろうから。

 

「結託、ですか。深読みされるくらいに興味を引けるなら、後は私の手腕次第で独占的な立場も確保できるか……? いえ、それは楽観に過ぎるでしょうね」

「私に出来る範囲であれば、援護いたしますよ。一蓮托生とまでは言いませんが、見捨てたりはしませんとも」

 

 私の言葉に即答してくる辺り、ミンロンも答えを急いでいる感じがする。

 そこまで興味を引けているなら、こちらもわざわざ出向いてきた甲斐があると言うものだ。

 

「しかし、あまり深刻に考えすぎないでください。一時だけでも、大きく印象付けることが出来たならば。そして、これを契機として長く付き合う口実が出来るのであれば。……シルビア王女は、決して貴女を忘れません。いい意味でも、悪い意味でもね」

 

 例えば意味ありげな言葉で誘導してみたり、結果がピタリとハマって、都合のいい方向に転がりだしたとしたら、そのインパクトの強さは唯一無二のものになるだろう。

 私もフォローするし、ミンロンにも柔軟な働きを求めたい。どうしても曖昧な言い方になってしまうが、出来ないことをやれっているわけじゃないから、大丈夫だよね。

 

「今後、シルビア王女と接する機会は増えることでしょう。その好機を無駄になさらぬよう、お願い申し上げます」

「モリー殿の骨折り、決して無為には致しません。……持ちつ持たれつでやっていきましょう。今後とも、よろしくお願いします」

 

 ミンロンがそう言って見せた笑顔には、本物の感情が乗っているようだった。

 安堵、そして好奇心。利益をもたらす者への好感情を、彼女は私に向けてくれている。

 それだけの価値を認めてくれたのだから、私の見識も捨てたものではないらしい。

 

「そのような言い方をされるなら、私の見解が正しいと、認めてくださるのですね? 認めてくださるなら、これからやってくるであろう『火牛』の正体について、話してくださってもいいではありませんか」

「……どうでしょう。まあまあ、そこまで結論を急がずともいいでしょうに」

 

 ミンロンは、悪い笑みを浮かべつつ、酒杯のワインを飲み干して見せた。その態度そのものには、軽蔑や感嘆といった感情は見て取れない。

 どこまでも自然体であり、無理がなかった。こちらをあなどる雰囲気が感じられないので、まったくの見当違いという訳でもなさそうだが――?

 

「香りはまあまあですが、このワインは酸味が少し強いですね。私の好みとしては、もう少し甘味があると良いのですが」

「――さんざんグラスを回して楽しんでいながら、そう言いますか」

「あんまり回し続けるのはマナー違反と言うべきですが。貧乏性なもので、ちょっとしたものでも使い倒したくなるのです。……ああ、ご心配なく。貴女は一瓶のワインではありません。雑に消費するには惜しい資源だと、私はモリー殿を評価していますよ。だからこそ、これからも投資は惜しみません」

 

 酒杯を置いたミンロンは、私の方をじっと見つめる。目の動き、その瞳の光は、当人の意識を如実に映し出す。

 彼女の目に曇りはなく、私を観察しようとする意思ばかりが透けて見えた。やはり単なる興味以上のものを、ミンロンは私に向けてくれている。

 何ゆえか、などと考える前に、単純に光栄だと思った。世界を股に掛ける商人から評価されるというのは、実際に名誉なことであろうから。

 

「投資の件については、ありがたい話です。ともあれミンロン様、話には続きがあるのですが、いいですか? そちらが語らないのなら、その分まで話しておきたいのです」

「――ああ、ええ、はい。どうぞ、続けてください」

 

 しらじらしく、戸惑って見せるのは如何なる意味を持たせた演技か。

 怪しく思うが、追求するよりも、まずは思う所を述べるのが筋だろう。

 

「ミンロン様に、こうして便宜を図る。特別性を強調して、信頼性を私が保証すれば、シルビア王女からの関心も強くなります。あの方は大口の顧客になり得ますから、大きな利益につながるでしょう。そうすれば、仲を取り持った私は貴女に貸しを作れるわけですね?」

「ええ、それはそうですね。しかし、モリー殿はなぜ私への貸しにこだわるのか。……そこは、やはり疑問です。友人、顧客、といった当たり前の関係ではなく、それ以上のものを私に求めておられるのでしょう? まずは、この疑問を解消させてくださいな」

「――貴女が前途有望で、後世に影響を及ぼしそうな商人だから、ですね。貴女にわかりやすく言うなら、これから価値が大きくなるであろう『奇貨』であるから。そういえば、納得して頂けるでしょうか」

 

 ミンロンは、こちらの言葉を否定も肯定もせず、ただ笑みばかりを深めて私を見る。

 怪しい笑顔だったが、それが何を意味するのか、理解するのは難しい。ともあれ、思う所を述べるだけだ。

 

「奇貨居くべし――。これもまた、東方の大商人の故事ですね。まあ、今回に限ってはシルビア王女の目を誤魔化すのも、そう難しくはない話でした。あの方が東方の歴史や文化にまで、興味を持たれなかったのは幸運でしたね、ええ」

「だから、物のついでとばかりに私に便宜を図ってくださったと?」

「まさか。私は本気で、貴女を身内にしたいと思っています。――共にこの時代を生きるパートナーとして、深い付き合いをしていこうではありませんか」

 

 商人に知り合いが他にいない、という事実を別にしても、ミンロンは特別だ。

 まず数少ない女性の商人であり、さらに東方出身である。あちらの様子が気にかかる私としては、単なる友人以上の存在になって、お互いに深く知り合えたらと思うんだよ。

 彼女が言うところの、持ちつ持たれつの関係を構築できたなら、なおいいんだけれど。

 

「モリー殿は、これから多方面に影響を与えていくであろうお方です。そうした方と、より強いつながりを持てるのは、私としても願ったりですが……さて」

「全てを賭けるほどの覚悟は持てない? わかります。いえ、そこまででなくとも、勝負の場で掛け金を気にするのは当然のこと。――なので、結論は最後まで聞いてからで結構ですよ」

 

 こちらを見定めるような、値踏みの視線を、改めてミンロンから感じる。言葉を濁すのも、私の意図を読みかねているからだろう。

 何はともあれ、感心を引けたのなら上々。ここまでくれば、説得は難しくない。こちらの意図と言っても、そこまで複雑ではないのだから。

 

「私は、シルビア王女とは違います。商人を恐れ、敬意をもって接します。恩を売るのも、身内にしたく思うのも、それゆえだと言って良い。……あの方は、貴女方を荒ませたらどうなるか、まるでわかってはおられないのですよ」

 

 政略、戦略、内政においても才覚をいかんなく発揮されているシルビア王女だが、流石に未来が見えるわけじゃない。

 未知の失敗、経験のない分野での失策について、甘く見積もってしまう悪癖があるように感じた。でなければ、商人たちの存在をあんなに軽く扱えるはずがない。

 もっとも、侮っていてくれるからこそ、私が付け込む隙もある。どんなに強い人間であっても、無謬ではいられないものだ。今であればこそ、突ける弱点。これに付け込まずにいられるほど、私は高潔な人間ではないのだね。

 

「まあ、あの人のことですから、一度やらかせば真摯に学ぶでしょうし、その後の復旧も適切に行えるのでしょうが。それまでは、己の誤りを認識できない。――余りある才能の弊害ですね、これは。凡夫としては、うらやましい限りですよ」

「……凡夫の定義については、解釈が一致しそうにないですが、ともかく。私自身に大きな価値があるのだと、そうおっしゃられますか」

「貴女に火牛になられては困りますので。……何かにつけて、贔屓してもいいですよ。色々と書物を融通してもらいましたし、翻訳業も続ける気になりましたからね」

 

 私がミンロンを重用したいのは、それが大きな理由である。身内に取り込む前に、まずは私の有用性を示すのが先だ。だから宣伝活動を行ったり、便宜を図ったりするのは当然だと思う。

 こういうのは腐敗の温床であるし、あんまり露骨だと風聞が悪い。やり方は考えねばならないが、シルビア王女を利用する手もある。

 

「真面目な話、貴女が活躍する機会は、今後も多くあるでしょう。先日のパーティで文物の収集に役立った、というのも結構大きな要素ではないでしょうか。シルビア王女は、そうした小さいこともよく覚えておられるものですから」

「さて、本当にそうだと良いですが。……実のところ、どんなに楽観的にとらえようとしても、不安が消えないのですね。今覚えが良くとも、後発の大商人どもに飲み込まれればそれまで。だから今のうちに、稼げるだけ稼いでおきたいとも考えています」

 

 それはそれで本音だろう。先の見通しがある程度たっているとはいえ、交易は水物。何が影響して大きく変わるかわからない。

 よって、取れるものは取れるうちにもらっておきたいと考えるのは当然だった。問題は、私が勝ち逃げを許すつもりはないのだという、ただ一点にある。

 私は貴女を引きずり込んで、身内に取り込みたいのだ。だから、私はこう言おう。

 

「最悪の場合に備え、西方全てが焦土になる前に、ですか? なるほど、流石に貴女は優秀だ。どうせそのうち壊れるものなら、いくら収奪しても心は痛まないとおっしゃられる。その割り切りようは、まさに大商人の風格が感じられますね」

「……何の、ことやら」

「即座に否定しない辺り、思うところがあるようですが?」

「突拍子もないことを言いだしてくれたせいで、思考が追い付かないんですよ。……いや、本当に何のことです? 私ども商人には、西方を焦土にするような力はありません」

 

 ミンロンの口調は穏やかだが、動揺しているのは明らかだった。疑問を繰り返すのは、私の言葉が彼女の想定以上であったから。

 思考が追い付いていないというのは本当だろうが、ミンロンはおそらく、その仮面の下には恐るべき計算が働いているはずなのだ。

 私がどこまで読んでいるのか、思考をどれだけ読まれているのか。彼女が探り出す前に、こちらから話してあげてもいい。

 

「驚かせてしまったのは、ご容赦ください。俗に言う『下馬威(シャマウイ)』というやつですよ。――東方の国では、こうやって揺さぶりをかけたり、謀略をほのめかしたりして、主導権を争うのが常だと聞きました。……私なりにそれを見習ったつもりですが、いかがでしょう」

 

 下馬威を雑に日本語に訳するなら、出会い頭のハッタリ、というのが意味としては近いものになるだろうか。

 唐突に前振りなく『ガツン』とやる。こうして相手の思考をリセットさせ、こちらのペースに持っていくのだ。さて、ミンロンはこれにどう対応するかね? 正しい反応が引き出せたなら、拍手の一つも欲しいものだ。

 

「西方で食らわされるのは、はじめてですね。しかし、下馬威(シャマウイ)までご存じとは。ひどく狭い業界の、有名でもない語句をどこで耳にされたのやら」

「ちょっと、そちらの方面に詳しい先生の著作を拝見しましてね。……重要なのは、そこではないでしょうに」

 

 だいたい安能務先生のせいですね! まあ、この世界の東方とはまた別の話になるから、今意識する必要はあるまい。

 私もどう説明していいかわかんないんで、話を続けましょう。

 

「失礼。――では、お聞かせ願いましょうか。モリー殿にとって、焦土とは何を意味するのでしょう? ゼニアルゼにしろクロノワークにしろ、流通が滞るようなことには、まずなり得ないと思います。つまり、物質的に干上がることは考えられない」

 

 すぐに答えてもいいのだけれど、その前に話すことがあるね。

 私がなぜ、商人の存在を重く見て、ある種の恐怖さえ抱いているのか。この点を論理的に説いて納得を得ない限りは、彼女は私を信じないだろう。

 

「なり得ないと、おっしゃられる。つまり焦土とは比喩であると、お分かりになりましたか」

「当然でしょう。そこら中に火をつけて回るほど、私は野蛮でも愚かでもありませんから」

「ごもっとも。……なに、そう難しいことではありませんよ。例えば、そうですね。これはあくまでも一例ですが」

 

 食卓には、様々な酒食が並べられている。その中で、私は砂糖をふんだんに使った菓子を取り分け、自分とミンロンに配する。

 砂糖はこの時代、西方では生産量が限られていた。今や交易によって多量の砂糖がゼニアルゼに輸入されているし、一昔前では考えられないほど安価になったのは記憶に新しい。

 皆が求め、需要が下がることは決してない身枠の調味料。その砂糖こそが、『火の牛』の一種であると、私は見る。

 

「砂糖の塊ですね。私も嫌いではありませんが、これが何か?」

「塊と言えば風情も何もありませんが、ともかく。これは、甘くて美味しい砂糖菓子です。砂糖は主に南方か、東方から仕入れられます。……西方でも細々と作られていますが、生産できる土地が少なく製法も未熟で、東方のそれとは比べられません」

「しかし、将来的には違うでしょう? シルビア王女から、砂糖の生産を拡大する話も聞きました。どこかの国で、将来の主要な産業として見込んでいるとか何とか。――ですから、砂糖の調達を私たちに依存している時期も、そう長くは続かないでしょう」

「西方での砂糖の生産拡大、ですか。シルビア王女の肝いりなら、まず失敗しないでしょうね。――なればこそ、危惧せざるを得ない、と言いましょう。最善策というか、あらゆる意味で丸く収める方法がないだけに、これは難しい問題なのです」

 

 砂糖産業の拡大については初耳だが、だとしたら事態はより深刻だろう。シルビア王女にはわからないのだ。だって、こんな事態はこれまでどこの誰も経験したことがないのだから。

 あのお方ならば、マンパワーと資金、あるいは武力に物を言わせて、力づくで成功させようとするだろう。

 それが必ずしも悪いとは言わないが、長い目で見て、どんな影響が出るか。目先の利益が大きいほど、そこまで頭を働かせることは難しい。

 

「確認しますが、東方の政情は安定しているのですね? 内乱とか戦争とかの徴候は見られない。そう考えて間違いないでしょうか。具体的には、極端な増税とか農民蜂起や地方の軍閥化ですが」

「どこでも問題はくすぶっているでしょうが、少なくとも私が知る限り、祖国は安定していますよ。……この手の物騒な話は、想像したことさえありませんね」

 

 その返答が聞きたかった。なら、私の勝手な想像にも、それなりの説得力を持たせることが出来る。

 ミンロンは、まさに基盤が東方にある商人であるがゆえに、警戒が必要なのだ。本人に対するのもそうだが、彼女の祖国にもより強い関心を持っておきたい。

 出来る限りの便宜を図らないと、諸共に被害をこうむるのではないか。そう危惧すればこそ、こうやって言葉を多く費やしている。これもまた、私なりのミンロンへの投資と言って、いいかもしれない。

 

「では、話を続けましょう。……砂糖は、精製するのに大変な労働力を必要とします。重労働なので、不具になる人もいれば疲労で倒れる人もいるくらいです。そうした苦役に耐えられる人は、西方でもそこまで多くないでしょう」

 

 良質の砂糖を作るなら、サトウキビを刈り取って二十四時間以内に精製するのが望ましい――と聞いている。伐採・圧搾・精製の作業は一気にやってしまった方が経済的だ、という理由もあって、どうしても重労働からは逃れられない。

 この労働力の確保のために、奴隷貿易が望まれた時代すら、私の知る歴史にはあったんだ。でも、こっちではもう大っぴらに奴隷を調達できる状態ではない。となれば、別の方法で解決せねばならない訳だ。

 

「――いえ、仮に西方にも頑強な労働者が余るほどいたとしても、あえて使う人はいなくなるはずです」

「いなくなる? ……どういうことでしょう」

「政情が安定している東方から、安い労働力がやってくるからですよ。出稼ぎ労働者、といってもいいですが、ああした人達は需要があれば遠方にもやってきます。こちらとしても、地元住民より安上がりで良く働く人がいるなら、そちらを選択することでしょう。……生産を手っ取り早く増やすには、それだけ多くの労働力を突っ込む必要があります。これを容易に解決できるなら、他国人だからと言って採用しない手はありません」

 

 いわゆる苦力(クーリー)ってやつですねー。奴隷貿易が合法化されない限り、他に安上がりな解決策はないだろう。

 交通に問題がなく、法的な障害も無ければ、普通に連中は大挙してやってくると思います。中国らしい国なら、人口は余所に売るほどあるはずだし。

 

「出稼ぎや口減らしは、貧しい農村あたりなら当たり前にやっていることでしょう。山奥で盗賊やるよりは、外聞もいい。――まして西方から望まれて働きに出かけるのですから、環境や文化の違いなど些細なことと見なされるでしょう」

「人が多いことは認めます。飢饉もありますが、豊かな所は本当に豊かですから。……学のない農民が、低賃金でもよく働くことも、私は知っています。こうして並べると、なるほど。納得がいきますね」

「人口もそうですが、何事も多すぎれば問題が起こります。……結果として、貧乏くじを誰に押し付けるか。その争いの決着については、私もわかりませんが――」

 

 その国の経済に見合わないほどに人口が増加すると、景気が悪くなる。地元での雇用の口がなくなった苦力(クーリー)たちは、外国でも働けるなら働きに行くし、国家としても失業対策として出稼ぎを許すはずだ。

 で、中国人らしい要素があるのなら、彼らは基本的にたくましく生きるもの。苦役に耐え、低い賃金でも真面目に働く。そして同胞を助け合い、他国にいながら社会を形成するようになって――定着する層も、現れるはずだ。

 そうこうしている内に、重労働を苦力に頼るのが一般的になるだろう。そして彼らは低賃金に耐えるものだから、賃金全体の水準も押し下がっていく。

 その果てにあるのは労働者同士の仕事の奪い合いであり、治安の悪化である。東方の民と西方の住人が、明確に争う理由が出来てしまう訳だ。

 

「しかし、元をただせば出稼ぎ労働者が安い賃金で働いてくれるから、格安で西方産の砂糖を提供できるわけですね。……そして恐ろしいことに、これからは砂糖需要が跳ね上がります。甘いものは人々を魅了しますから、これは確定的だと断定してもいいくらいです。クロノワーク、ソクオチにもゼニアルゼの交易の恩恵がもたらされるなら、安価な砂糖が求められるのは当然のこと。当面は交易を通じて得るしかありませんから、価格も極端には下げられないでしょうが――数年後には西方での生産拡大により、砂糖の値段は確実に下落します。大きな問題が現れるとしたら、それからでしょう」

「……モリー殿。私はいったい、何を聞かされているのでしょうか?」

 

 砂糖問題に苦力と、何かそれらしい脅威論を組み合わせて、黄禍論のはしりっぽいナニカを語り聞かせているつもりです。

 個人の予想に過ぎないし、よくよく考えると明確な証拠がないから、ガバガバ理論なんだけどね。

 でも、こうやって順序良く話を進めれば、恐ろしく聞こえるものでしょう? ふふふ、怖いか? 私も怖い。

 

「何とは、異なことをおっしゃられますね。これこそがまさに、『火の牛』の本質ではありませんか。シルビア王女がおぜん立てした全ての利益が、東方からの『黄禍』によって台無しにされてしまう。貴女がほのめかしたことを具体的に述べているだけですよ、私は」

 

 中国人排斥法からの、黄禍論の蔓延――なんて。悲観的に過ぎると言えば、そうなるのかな? でも、これが冗談じゃなくて真面目に議論されていた時期が、地球の歴史には存在する。

 黄色人種の進出による、白人の利権への影響。想像以上に広がるインド、中国系労働者。そして彼らに取って代わられ、失職する自国民たち。結果、有色人種を脅威と見て、差別的な論理があらわれて来たのだね。これらを雑にまとめて『黄禍論』という。

 

 21世紀を生きた私にとっては、まったく価値を認められない論理ではあるが――。

 それは後世の神の視点による論理に過ぎず、当事者意識を著しく欠いている。当時はそうした空気があり、危機感があったという事実に目を向けるなら、決して軽視できることではないはずだ。

 

「大々的に黄禍論をぶち上げるほど、深刻に見ているわけではないですが。……今後の展開を考えると、覚悟はしておいた方がいいですよ。ぶっちゃけ、時代の流れに対しては、個人に出来ることなんてほとんどないですからね」

 

 私もこれを本気で危惧しているわけじゃないんだけど、ミンロンが思わせぶりなことを言うものだからね。貴女の真意を確認する意味でも、あえて使わせてもらったよ。

 この世界では黄禍だなんて言ってもわかりにくいかもしれないけど、要は東方の存在が西方の国々を脅かして、その支配権を奪いにかかるのではないか――? なんて、具体性のない危機感をあおる言論に過ぎないわけだ。

 差別的に過ぎるし、表現の仕方として、あまりにも不穏すぎると言われれば恥じるしかないよ、これは。

 でも、初めて耳にするであろう貴女には、ひどく刺激的に聞こえたんじゃないか? だからどうか、本音を漏らしてくれたまえよ。

 

「我が民族は、決して西方の民、あるいは国を敵視などしていません。黄禍などと呼ばれる筋合いはないはずですが」

「敵視? それこそまさかです。東方の民は、自らとその一族の利益を最重視しているだけ。格別意識などする理由はありません。中国的な宗族の価値観によるならば、他所からの略奪は、むしろ誉れと言うものでしょう? 化外の民から、上手く騙して儲けてやった――などと言えば、かえってハクが付くと言うものです。身内の男どもにも、自慢が出来る。……違いますか?」

 

 ミンロンを傷つけるような、あおるような言い方をしたのは、彼女の本心を引き出したいから。

 申し訳ないけれど、それだけ火の牛を警戒しているんだと受け取ってほしい。埋め合わせも兼ねて、今後も贔屓するから許してください。

 

「ひどく饒舌に語られますね。しかし低賃金に耐えるのでしょう? 我々は。それで儲けなど出るわけがありません。私としても、慈善事業に近い形でパーティに参加させていただきましたし、黄禍という表現は不適当でしょう」

「その点については、簡単に納得が出来ますとも。小さくしたいものがあれば、一旦それを大きくする。弱らせたいものがあれば、一旦これを強くさせる。――そうして太らせてから、搾り取る。最終的な勝利の為ならば、負けを重ねても屁とも思わぬ。孫子も韓非子も根底には逆説的、間接的アプローチが存在し、これは老子が元祖と言って良いでしょう。そして老子が記した道徳経は、東方社会では必須教養だと聞いています。商人の間でも、これは真理に近いと思うのですが、如何ですか?」

 

 武士にとって、漢籍は必須教養なのは今さら言うまでもないことだけれど。儒教思想と同じくらい大事なのは老荘思想だ。早すぎた中二病とか揶揄されることも在るけど、あれこれ語りたくなるほどには重要なので、馬鹿に出来ないんだ、これが。

 男性優位の中国社会、悪い意味での中華思想、それがこの世でも現れているなら、この私の言葉はてきめんに効くのではないか。

 そうした私の予想は、上手い具合に当たったらしい。

 

「ああ、良い目をなさいますね。ミンロン様はいつもの作り笑顔より、今の表情の方がずっと魅力的だと思いますよ」

「……貴女は、儒教を御存じですか?」

「漢籍の翻訳をしている私に、それを聞きますかね。もちろん、知っておりますよ」

 

 ミンロンの表情からは笑みはすでに消えており、猛禽のような鋭い目が私を射抜いている。それを内心でほくそ笑みながら、おくびにも出さずに言葉を続ける。

 

「先生は、素王などという称号を迷惑に思っていることでしょう。生前に送られていたら、たぶん助走をつけて殴りに行ったのではありませんか?」

 

 本心から言っているのだから、嘘には聞こえまい。実際、孔仲尼先生はずいぶん過大評価されて、大きすぎる責任を押し付けられていると思います。当人は波乱の春秋時代を生きた、尊敬すべき立派な教育者に過ぎないというのに、ひどい話じゃないかね。

 現代の人はよく先生のことを腐すけど、紀元前数世紀前の人物に、中国全体の病巣の責任を求めるのは理不尽でしょう。儒教と言えば葬儀の盛大さを非難されることが多いけど、先生は葬儀自体の豪華さより、悼む人の気持ちが大事だって、ちゃんと明言してるんです!

 

 ここ大事だから覚えて帰ってください。くれぐれも、後世の腐れ儒者と孔子を混同しない様に。

 論語読みの論語知らず――なんて言葉が出来るくらいだから、先生の考えを理解せず、うわべだけを利用する連中が如何に多かったことか。まったくもって、嘆かわしい話じゃないか。

 

「モリー殿がご存じなようで、なによりです。私の立場の難しさも、その様子では理解されているのですね」

「ミンロン様は、よく頑張っていると思います。先生は、相手によって教え方を変えますし、個々人に合った言葉で指導しますから、一つ一つを切り取って見ると矛盾して聞こえる部分もあるでしょう。ですが、それは一人一人に真摯に向かい合った結果であるから、そう見えるだけのこと。本質は、思いやり深く優しくて、礼儀作法によって秩序を保とうとした人道主義者であったと思います。――少なくとも、女性差別論者ではありません」

 

 論語を見る限り、先生は儀式の形式も簡易なものに、低予算に抑えることを容認してるんだ。

 それでいて、浪費ともいうべき儀礼の保存にも執着してるらしいのが、事態をややこしくしてるんだけども。……まあ、でも、今はそんな事はどうでもいいんだ。重要じゃない。

 孔仲尼先生が、キリスト以前のヒューマニストとして、中華の大地で必死に生きた人であることは確かなんだ。だから、儒教と孔子は別物として考える必要があるわけだね。

 

「わかってくださいますか。……西方の文化に触れるほど、東方の儒教思想にはうんざりさせられます。こちらの方が、女性の社会進出が進んでいると思うと、なおさら故郷の後進性には絶望したくなりますよ」

「お察しします。……ただ、先生の名誉のために申し上げるなら、原始儒教は富を忌避していないし、絶対的な服従を強いるものでもないと答えておきます。きわめて奥ゆかしく、批判するにしても遠回しに言い換えて、相手に受け入れやすい形で意見すべきと説いています」

「それが面倒臭いんですよねぇ。……何度言っても聞き入れてくれない人もいますし、最初から見下して来られては、どうしようもありません。女性だからと言って、それだけで劣っているわけでもないでしょうに。少なくとも、あんたよりは賢いよって、何度口にしそうになったことか!」

 

 孔子にしろ朱子にしろ、意見することを怠らなかったから、煙たがられたんだよ。意外かもしれないけど、先生らは目上の人が相手でも、言うべきことは言えとむしろ推奨している。

 儒教には現代にそぐわない所は確かにあるけれど、その本質は至極真っ当なものであるはずなんだ。

 だというのに、後世の弟子どもの不出来さ具合といったら! ミンロンの態度を見ていると、こっちでも儒教は悪用されているんだなーって、そんな風に考えざるを得ないよ。

 

「女性と小人は扱い難し――とは言いますが。ミンロン様ほど有能な人物であれば、また別の解釈があって当然ではありませんか? 努力をして、才覚に見合う成果を上げたのなら、評価もまた相応にされてしかるべきだ。野郎どもからのやっかみなど、笑い飛ばしてしまいなさいな。貴女には、それが許されると私は思います」

「……東方の野郎どもが、モリー殿のような見解をお持ちであったなら、どれほど良かったかと思いますよ。こちらこそ、過分な評価、痛み入ります」

 

 表情を緩ませ、苦笑を浮かべるミンロン。どうやら、私は彼女の関心を買えたらしい。先ほどの無礼な物言いも、忘れてくれていたらもっといいのだけれど。

 ともあれ、今はたたみ込む様に話を続ける必要がある。ここは言葉を惜しまず、彼女を持ち上げていこう。

 怒らせたら納得させる。立腹させてから落ち着かせる。これ、意を通すための話術の基本です。

 

「私は、ミンロン様をあなどったり、その影響力を軽視したりは致しません。なればこそ、誼を通じたいと思うのです。――それこそ、シルビア王女よりも」

「モリー殿が便宜を図ってくださるのも、打算あってのことだと言われるのですね? 当たり前の話だと言えば、確かにそうなのですが」

「まさに。……私は、かのお方とは違って、商人を恐れます。くどいようですが、恐れるがゆえに恩も売る。見返りを求める以上に、損害から逃れたいがために、私は貴女に敬意をもって接するのです」

 

 ちと話が脱線したので、話を戻しましょうか。私が貴女の境遇に理解を示しているのだと、それをわかってくだされば結構。

 

「で、話は戻って砂糖需要に目を向けましょう。これだけなら限られた分野での限定的な問題に過ぎません。――労働力を他方から調達するのも、その内に黙認される。安価な砂糖の為なら、どうしたって苦力の定着は防げません」

「それだけを聞くなら、現金なものですね。結局、実利が全てですか」

「実利が全てであればこそ、それが犯されるなら危機感も過剰に上乗せされます。……正直なところ、問題とは全て、この類の恐怖に帰結するのです」

「なるべく、わかりやすく解説していただけます? 危機感とか恐怖とか、たかが砂糖菓子の話にどうしてそんな物騒な言葉が出るんでしょう。一商人として、疑問に思いますね」

 

 きちんと思考する時間さえあれば、ミンロンだって私が何を言いたいかはわかるはずだ。

 そうする時間さえ惜しく思えるほど、私が彼女の興味を引けていると考えれば、事態はこちらの都合のいい方向に進んでいるのだろう。

 

「ならば、もっと深刻な話題に入りましょうか。砂糖菓子って、癖になりますよね。在ればつい手を伸ばしますし、なくなると寂しいって思いません?」

「それはまあ、そうですが」

「これが唯一の楽しみだと、そう思う人が出ても可笑しくない。さもしく娯楽の少ない世の中、せめて甘味で癒されたいと願いのは、当たり前のことだとは思いませんか?」

「……否定は、しません。でも、それが何だというのでしょう?」

「万が一にも、供給が滞れば暴動が発生しかねない。上流階級は誤魔化す手段を心得ているでしょうが、多くの下層民たちはそうもいきません。そして暴動が起これば、社会機能はマヒします。――これを危惧するなら、砂糖の値段はどうしても上げられないのですよ。砂糖は安価で提供されてこそ、意味がある。一度需要が満たされてしまえば、砂糖不足に人々は耐えられなくなる。砂糖の安定供給が、治安維持の必須事項になってしまうことでしょう」

 

 ぴくりと、ミンロンの表情がわずかに動く。明確な感情は現れていないが、強い関心の目で見られているのは確認できる。

 それでこそ、言葉を紡ぐ甲斐もあると言うもの。さらに自論を述べて、反応をうかがうことにしよう。

 

「根拠のない想像ですね。たかが砂糖に、よくもそこまで理屈をつけるものです」

「砂糖に依存性があることは、当然ご存じだと思います。違法薬物ほどひどくはありませんし、明確に健康を損なうほどではないから、問題視されることは稀ですが。――貴女も、商売になると思うからこそ、砂糖を扱っているのでしょう?」

「……クロノワークに砂糖菓子を売り出しているのは、確かですが。邪推されては困ります。あれは、需要があるから供給しているだけのことで――」

「そこです。まさに、普通に商売のタネにしている。……貴女だけではなく、他の多くの商人たちも、今後増大するであろう砂糖需要を見込んでいるはずです。投資の量も、これから増大する一方でしょう。……関わる人が、それだけ多くなる、というわけです」

 

 ミンロンは、やましいことをするつもりなどない。それは私にもわかる。

 問題は、貴女がどう考えるかより、その他大勢がどう思考して、何を危惧するかなんだ。

 

「そして需要があるのだから、生産量を増やすのも当然の成り行きですよね? 安価な労働力として、東方の出稼ぎ労働者が使われる――という話を先ほどしました。安価な砂糖を確保し、大量に売りさばく。現在、ゼニアルゼが周辺各国との交通網の整備を必死でやっているのは、こうした交易で大量の輸送を可能にするためです。……商人たちが、この恩恵を最大限に生かさない理由がありませんね?」

「……前提は理解しています。それでも、砂糖を理由に暴動がおこるなど、私には信じられない」

「それは、ミンロン様がまっとうな精神を持っており、周囲から惑わされない程度の経済的余裕があるからです。容易く儲かる砂糖に頼り過ぎた零細商人たち、砂糖貿易で莫大な利益を得てしまった大商人は、後戻りできないくらいに砂糖産業への投資を続けるでしょう。彼らにとって、安定供給される安価な砂糖は生命線です。――これが脅かされる危険を、ほのめかされてしまったら? もしかしたら、ひどい過剰反応が起きてしまうかもしれない」

 

 砂糖に味を占めた労働者が、供給を絶たれたことで不満を爆発させ、暴動がおこる恐れあり――。

 実際にそうした事例が起こらなくてもいい。そうした脅威があるのだと、事業者側が理解してしまったなら、『安価な砂糖』の供給の維持は、どうしたって止められない。

 もしもの場合を恐れるがゆえに、過剰な備えをするところもでるだろう。そうして物騒な雰囲気が現れれば、苦力たちへの反感も徐々に表面化してくる。

 暴動を起こすとしたら、あいつらだ――なんて。あらぬ疑いをかけられるか。そうでなくとも、もとから怪しい余所者たちだ。

 迫害を正当化する理由など、いくらでもつけられるだろう。そのうちに、危惧が現実のものにならないと、どうして言える?

 

 つまり、出稼ぎ労働者を安く買いたたく体制は変えられず。

 仕事を奪われる地元住民の怒りはそのままに。

 砂糖を求める大勢の人がいる限り、砂糖の為の犠牲は許容されて。

 人々のうっぷんは晴らすべき場を求めて、いずれ暴発する時を待ち続けるのだ。

 

 大きな社会の変化が訪れるまで、この問題はくすぶり続けるだろう。

 何かのきっかけで、くすぶっていた火が暴発することになれば。それこそ焦土という表現が的確になる様な、大きな災害が表れてしまうかもしれない。

 ……改めて考えを整理してみると、やっぱり怖くない? ソフトランディングの方法って、何があるんでしょうかねぇ。

 

「結果、連鎖反応的に、色々なものが噴出して――西方が焦土となる。そうした未来を、私は恐れています。荒んだ商人がアコギな商売をすればするほど、その可能性は高くなるでしょう。違いますか?」

 

 色々と物騒な考えはあるが、取り返しがつかなくなる段階に至るまでに、シルビア王女辺りが感づいて対策を取ってもいいはずだ。

 だから、最悪の事態なんて早々起きないと信じているけれど。……無策のまま成り行きに任せすぎてしまえば、深刻な問題としてあらわれてくる可能性はある。

 私がこんなに好き勝手に話し続けたのは、ミンロンと私との間で、問題意識を共有したいからだ。

 貴女に不安があるなら、私は理解する用意があります。場合によっては、力を貸しましょう。ここまで話すのは、その意思表示ですよ――と。わかっていただけたなら幸いだ。

 

「……いえ、それは、いや。ああ――なるほど。なんとなく、モリー殿が何を主張したいのか、わかってきた気がします」

「それは結構なことです。私の考えを認めてくださる、と。これはつまり、ミンロン様の真意を完全に理解したと、そう判断してもよろしいのですね?」

 

 随分と話を引き延ばしてしまった感はあるが、満点をくれると嬉しいよ――なんて。

 高望みかな? いや、でも火の牛に気を付けるなら、ここまで考えを巡らせる必要があると思うんだ、真面目な話。

 

「――ああ! 火の牛にはご注意を、と。その件の成否を問うておられたのですね。今さらですが、すっかり失念しておりました。それくらい、濃い内容でしたから」

「いい加減、先ほどの様に煙に巻くのはご勘弁いただきたい。明確な返答がいただけないと、私は不安を抱いたまま行動しなければなりません。……精神衛生の為にも、真摯に採点していただきたいのですが――?」

「ええ、まあ、そうですね。……評価不能、というのが正直な所でしょうか。ぶっちゃけた話、そこまで私は深く考えておりませんでしたので」

 

 ホホーウ? ここで韜晦するとか、まだ底を見せるつもりがないと申すか。

 でも駄目だよ。絶対に明言してもらうよ。でないと、怖くて恐ろしくて、貴女に首輪をつけてしまうかもしれないんだからね?

 できればそれは避けたいから、いくらでも言及しよう。

 

「曖昧な言葉を受けいれられる余裕は、私にはありません。私はシルビア王女とは違うと、事前に申し上げたとおり。……私は、決して貴女を、ミンロンという一商人を過小評価しない。その意味を、きちんと考えていただきたいのですが?」

「失礼しました。決して、モリー殿をからかうつもりなどないのです。――予想を上回る解答を得られたので、つい誤解させるような言い方になりました。ええ、満点も満点。それ以上に加点してあげたくなるほどの、貴重な見解を聞かせていただきました。これだけでも、末永くお付き合いする価値があると、そう認めても良いほどですよ。……モリー殿は、役者の才能もあるのではありませんか?」

 

 言い方は引っ掛かるけど、とりあえず保証がいただけたのなら納得しよう。

 こちらの見解を肯定してくれるなら、わかるよね? ――首輪とまでは言わずとも、貴女には紐をくくり付けておきたいんだ。

 何かあった時に、便利に使い倒すために。私個人の為ともいえるけど、それ以上にクロノワーク及び周辺各国の公益の為にね。

 

「ミンロン様からの過分な評価、痛み入ります」

「謙虚さは美徳です。しかし出来ることなら、貴女の思考というか、意見を述べる相手は選んでほしいと思います。モリー殿のそれは、決して安売りしていい物ではないのですから。……論拠に乏しいとはいえ、あそこまで理論立てて未来を予見して見せたのです。いたずらに吹聴しては、それこそ多大な混乱を招きかねない」

「それはもちろん、話す相手くらいは選びますよ。――しかし、人の悪さについてはそちらも同等では? こちらの見解を予想しているからこそ、ほのめかしたり韜晦してみせたのでしょうに。まあ、正しく答え合わせが出来たのであれば、あえて苦情など申し立てたりしませんが」

 

 どこかバツの悪そうな表情で、ミンロンが視線をそらせてみせる。

 うーん、これはいかなる感情の発露であろうか。そこまで意外なことを言ったつもりはないんだけどなー。

 

「……モリー殿には、これからも相談に乗っていただくことがあると思います。その時は、どうぞよろしくお願いしますよ?」

「悩みを聞いたり、話に付き合うくらいはかまいませんが……。個人的なワイロは受け取りませんし、わかりやすい即物的な見返りを期待されても困りますよ? よろしく、といっても、お互いのやり取りには節度が必要だと思うのです」

 

 私の微妙な言い回しを理解してくれるだろうと、ミンロンには期待している。山吹色のお菓子とか持ってこられても、処分に困るからその辺りは察してね? という話だ。

 私は国家に忠誠を誓う騎士なのだから、公益に関わらない範囲で、あからさまに個人的な利益を図ったりするには、どうしても人の目が気になるのだね。

 組織人としても、なるべく不正など行いたくないわけだ。だからこそ、上手に建前とか大義名分とかを引き合いに出す必要があって――敏腕商人なら、これくらいは理解してもらわないと困る。

 

「節度ある付き合いで、充分ですとも。モリー殿と意見交換が出来るだけでも、大きな利益になります。ついでに翻訳業で稼がせてもらうつもりなのですから、文句など言えはしません。……ちょっと時間はかかりますが、また書物を持っていきますよ。もちろん、翻訳作業は急がなくて結構です」

「翻訳は副業だと強弁できるので、その辺りでの協力は惜しみませんよ。……意義のある仕事ですから、本当に儲けられるかどうかはさておき、全力で取り組ませていただきますとも、ええ」

 

 わかってくれたようで、なによりです。前世ぶりに漢籍に触れられると思うと、それだけでも報酬として十分すぎるくらいだからね。

 東方への伝手は、私にとって非常に価値のあるものだ。ミンロンを切り捨てる手は、本当に最後の最後まで使いたくないと思う。

 なので、相互互恵の関係を維持するためにも、相応のコストは許容できるし、させよう。

 

「まあ、私も東方の文化にはそこそこ通じているとはいえ、謎かけはこれきりにしてもらいたいところですね。……深読みするのが怖くなりますので」

「お望みとあらば、そう致しましょう。――モリー殿に見抜かれて、肝を冷やすような事態は、二度三度と体験したいことではありませんから」

 

 ミンロンの表情には、すでに余裕のある笑みが戻っている。とりあえず話も一段落したことだし、これ以上物騒な話題を持ち出すこともないだろう。

 あと、なんか話すべきこととかあったかな? ないよね。じゃ、適当に世間話でもして時間を潰しましょうか。

 ああ、そちらから厄介ごとを話したいならご自由に。対価を弾んでくれるなら、相手になります。

 

「では、そういうことで。――他に話したいことがあれば聞きますよ」

「今はモリー殿のお気持ちだけ、ありがたく頂いておきます。……後は軽く情報交換したら軽く飲み食いして、お開きにしましょう。正直、精神的にはお腹いっぱいな気分なので」

 

 さほど口にしているようには見えなかったけど、小食な方かもしれないし、追求は無粋と言うものだろう。

 食卓にはまだ色々と残っているし、こちらで消化するとしよう。食おうと思えば三、四人前くらいは入るし、せっかくのおごりだからね。

 多少は残すのが礼儀と考えれば、ちょうどいいくらいか、なんて。そんな風に考えられるくらいには、余裕のある話し合いが出来たと思うのです――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミンロンとクッコ・ローセが度々顔を合わせるのは、共通の人物が原因だったと言える。

 ミンロンから見たクッコ・ローセは、商売のついでで会える相手であり、意中の人物たちと近しく、かつ発言力のある人物だ。誼を通じていても、損はないと見る。

 だから指輪を見立ててほしいと言われれば、真面目に良品を集めるし、選び方のアドバイスもしよう。

 実際に購入するところまでこぎつければ、ちょっとした雑談に付き合うくらいはサービスの内である。

 

「お前も大変だな。パーティの運営に付き合わされて、その疲れも癒えない内にモリーを相手にしたとか。あいつと本気で付き合うつもりなら、付いていけるだけの体力は持っておいた方がいいぞ」

「負担がかかったのは、身体じゃなくて精神と頭の方ですがね。……私は割と適当に、思わせぶりなことを言って、何かしらの情報をこぼしてくれたら嬉しいな――ってくらいの感覚だったというのに。どうして、ガチな厄ネタをつかまされたんでしょうか」

「知らん。私からアドバイスできるとしたら、モリーやシルビア王女相手に、うかつな言葉を向けるもんじゃないってことくらいだ。……うん。お前、話の内容はともかく、もってくる品物にハズレはないらしいな?」

 

 クッコ・ローセは、自らが選んだリングをはめて見たり、眺めてみたりして、具合を確かめている。

 基本装飾品に無頓着なクロノワーク国民だが、結婚指輪は別なのだろうかと、ミンロンは適当に考えていた。

 

「そろそろ贈り物をしてやってもいい時期なんだが、どうにもアイツの前に出ると緊張しそうでなぁ。……本気の求婚とか、まさか同性相手にするとは思わなかったし、この年で何を高望みしているのか、なんて思いもある」

「モリー殿は、そうした偏見とは無縁の方でしょう。クッコ・ローセ殿が真摯にモリー殿を求めるなら、決して無下にはしないと思いますが」

 

 クッコ・ローセから見たミンロンは、せいぜいが知り合いの商人――という程度の認識で、別段特別には見ていない。

 都合よく使い倒せる相手として、便利には思っているがそれだけだ。格別便宜を図ってやる気はないし、離れていくならそれまでと割り切っている。

 二人の意識の差が、そのまま会話にも表れていた。クッコ・ローセは割と遠慮なく話しているのだが、ミンロンの方はやや気を使いながら言葉を選んでいる。

 

「本気を本気として受け止めてくれるからこそ、こちらにも覚悟が要るんだよ。……だが、そうだな。結婚指輪を用意して、迫ってもいい頃合いだ。近いうちにメイルらも引き連れて、強引に話をまとめてやるべきかもしれんな」

「私から購入された指輪は、その為のものですか? モリー殿の指のサイズなどは、把握しておりませんが」

「サイズ調整くらいは、こっちの職人にやらせる。……ここで重要なのは、私がモリーの為に指輪を用意したってことさ。あいつの気性を考えるなら、実際にはめさせる必要すらない。目の前に人数分のリングを持っていけば、否が応でも悟るだろうよ」

「……その時は、寿がせてください。私にとっても、悪い話ではありませんので」

 

 勝手にしろよ、とクッコ・ローセは言い放つ。モリーが許すなら、あえてケチを付けるようなことではないと考えているのだ。

 彼女にとって、あるいはシルビア王女にとって、ミンロンが使い出のある駒である内は、好きにさせてやってもいいだろう――と。そう捉えるだけの寛容さが、クッコ・ローセにはあった。

 

「で、私からの要件はそれくらいのものだが、お前さんの方の話は長くなりそうか? だったら悪いが、あんまり悠長に付き合ってやれる気分ではなくてね――?」

「いえ、すぐに済む内容ですよ。モリー殿の趣味嗜好については聞きましたが、それ以上に疑問に思う部分が出てきましたので。……話せる範囲でいいですから、情報が欲しいのです」

 

 クッコ・ローセの目が細められる。こいつはどういう意図で探ってるんだ? とばかりに、不信感を露骨に表して見せた。

 しかしミンロンとて、容易く引く気はない。真正面から相手を見据えて、本気であることを伝える。

 

「ほーん。……そうかよ、で?」

「端的に申し上げまして、あまりに教養が深すぎ、見識が広すぎるのです。単純な軍人とは思えません。士官教育の範囲に収まらない知識の出所について、何かしら知っているのでしたら聞いておきたいのですね」

「知らんな。……ぶっちゃけ、その点についてはザラの奴だって掴めているか怪しいもんだ。特殊部隊の教育は、私も多少だが知っている。賭けてもいいが、その中に東方の文学とか思想とかは入ってない。……東方のマイナーな書籍の内容なんて、うちの外交官も把握してないんだからな」

 

 嘘ではない、とこれはミンロンも悟った。つついて何かしら出てくるとしたら、それはザラの方だろう。

 モリーがもっとも心を預けているであろう彼女であれば、詳細を理解しているかもしれない。

 彼女でさえ何もつかめていないのであれば、もはや気にする必要もないだろう。ミンロンは、そう考える。

 

「わかりました。――今日のところは、これで失礼させていただきます」

「おう。調べ方は、ちゃんと考えろよ。……誰も知らないってことは、誰が知ってもいいことはないってことでもある」

「わきまえております。――では、また」

 

 シルビア王女でさえ、あのモリーの経歴、能力を培った過程について、強い興味を示している。

 ミンロンもまた同じように、モリーに得体の知れない感覚を覚えていた。結果がどうなろうと、追求せずにはいられないほどに。

 

「本当にわきまえてたら、あいつの隠し事に触れようだなんて、思わないはずだがね。……まあ、近いうちに身内に引き入れるつもりなら、大事にはならんだろ」

 

 クッコ・ローセは、これ以上の忠告はせず、ミンロンを見送った。

 モリーが彼女に無体な真似はしないと確信していたし、彼女もまた馬鹿ではないと理解していたから。

 

「さて、私も出遅れた分を取り戻さんとな。……モリー。次に会うときは、たぶんプロポーズの時だぞ。時間はもう、充分にやったよな」

 

 最後には、収まるべきところに収まるだろう。ならば自分がいま気に掛けるべきは、モリーとの今後についてだ、と。

 クッコ・ローセは、指輪を満足げに眺めながら、そんな風に考えていた――。

 

 

 




 ぶっちゃけた話、どうしてグダグダ言いながらも執筆しているのか? と問われれば。

 書かなければどうにもならないからだ、と答えるしかないのです。

 自分の中に何かしらの想いが蓄積していって、それを吐き出さねばどうにかなりそうになる。文章で表さないと、落ち着かなくなる。

 こうして書いたものを投稿して、他の人に見てもらうのは、せめて自分のやっていることが、暇つぶしのタネくらいにはなるのだと。それくらいには価値あることだと、信じたいからに他なりません。

 とはいっても、これら全ては読者の皆様方には関わりないこと。どうかこれからも、適当に読み流してくだされば幸いです。

 ……今回もくどい話になってしまったことを、誤魔化すためにこんな話をしたわけですが。

 ともあれ、ここまで付き合ってくださった、読者の皆々様。
 無理のない範囲で、今後ともよろしくお願いします。



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今後を見据えて色々と動いているお話


 色々とぶち込んだ内容になっていますが、もともと後先考えず始めたお話なので、こういう展開になるのも致し方なし、と筆者は納得しております。

 無駄に長い話になったのは、どうかご寛恕ください。



 ミンロンとの会合を終えて、翌日にはすぐ帰国の途に就いたから、割とあわただしい出向になってしまったけれど。それでも、メイルさんと一緒に過ごせた時間は楽しかったと思います。

 西方と東方に関するフンダララとか、一時的にでも忘れられるなら充分な癒しになるんですねー。

 

「この馬車、内装も特注だから案外楽に過ごせるのね。下手に野営するより、よっぽど快適なんじゃない? これ」

「屋根とクッションがあるなら、充分快適でしょう。木の葉と枯れ枝で作るシェルターと比べれば、何でもそうかもしれませんが」

 

 帰りの道程は、専用の馬車を用意してくれていました。シルビア王女に気を使わせてしまったかなー、なんて考えつつ。乗り心地の良い特注の馬車内で、私とメイルさんは他愛のない話に花を咲かせるのでした。

 

「それはそれとして、真剣な話をしましょう。――どういう心境の変化かしら? モリー」

「……何のことやら。特別可笑しなことはしていないつもりですが」

 

 適当に駄弁っていたところに、メイルさんは唐突な言葉を差し込んできました。

 心境の変化、か。……随分と早く気付くものだなぁ、なんて。暢気に返事をすることも、私には出来た。

 それをあえてしなかったのは、少しでも彼女との会話を楽しみたかったから。時間はあるのだから、ちょっとしたことでも心を通わせるように――特別感のある話が出来たらいいと思うのです。

 

「私はシルビア王女の話も、ミンロンの件も、肝心の内容には関われていない。だから想像するしかないんだけどね? ……どちらも、今後のクロノワークにとって、重要な話し合いだったんじゃないかって思うの。違う?」

 

 メイルさん、笑顔なのはいいのですが、目が笑ってないですよ。――そんなに気になることなんでしょうか。直接メイルさんに関わる案件ではないので、気にしなくてもいいのに。

 ……でも、ちょっと本気で問い詰められると困るので、曖昧に言葉を濁させてください。詳細まで話すのは、結構面倒な話になると思いますから。

 

「否定はしません。――ですが、どちらかといえば、私は巻き込まれた側ですよ? 国家戦略に関われる立場ではないですし、どちらも私なりの見解を述べただけです」

「へぇ、そう。……こっちを見なさいよ。やましいことがなければ、私の目を見て話せるはずよね?」

 

 うーん、メイルさんって接しやすくて話しやすい人だから、つい気を抜いてしまうんだね。

 身内同然だから、警戒する必要もないわけで。……隙を見せても仕方がないじゃないか。改めて面と向かうと、やっぱり美人だなーって思いました。美人過ぎないあたりが特にイイ感じ。

 惚れた弱みとか、感情的な脳内修正とか――そういう余計な要素もあるんだろうけど、メイルさんを好ましく思うこの気持ちだけは、本物なんだと確信する。

 

「もちろんです。やましいことなどありません」

「なら、遠慮なく聞くけどね。……貴女、そんなに権力とか財力とかに執着する方じゃなかったじゃない? むしろ、己の腕一本で生きていくというか、自分の力だけを頼みにする傾向があったと思うの」

「――そうですね。そんな風に考えていた時期が、私にもありました」

「茶化さないで。私、これで感性は鋭い方だっていう自覚はあるのよ。……もう、率直に言いましょうか。察するに、貴女。自分の価値を高めるというか、己の有用性を知らせるために、シルビア王女とかミンロン辺りにアピールしてない? なんか最近、身だしなみとか礼法とか、そっち方向に気を使っているように見えるのよ」

 

 で、そう見える私があっちこっちに顔を出す行動をしていれば、メイルさんも感づいてくると。

 あれこれと勘のいい貴女も、また違った魅力が垣間見えるようで、私は好きですよ。

 

「わかりますか。メイルさんに理解していただけるという幸福を、私は噛みしめています。……嬉しいんですね、これが。意中の女性に評価していただけるというのは、これで結構な幸福な出来事です」

「私もモリーの本音が聞けて嬉しいけど、それとこれとは別。さ、正直に吐いちゃいなさいな。――心境の変化は、どうして? 理由を聞かせなさいよ」

 

 でなければ、不安で仕方がないとメイルさんは言いました。

 男冥利に尽きるね、これは。愛しい女性が、私を案じてくれている。この可愛らしい姿を独占できる今の環境に、心底感謝したい気分だった。

 

「聞かせろと言われるなら、是非もありません。夫として、妻の勘の良さは嘆くべきでしょうか。それとも喜ぶべきでしょうか」

「浮気されたら、たぶんすぐに気が付く自信があるわね。――まあ、元から数人がかりで貴女を確保しようって話なんだから、女性関係を責めるのは筋違いなんでしょうけども」

「いいんですよ、嫉妬しても。女性側が浮気を責めるのは正当だと思うし、貴女になら刺されてもいい。それはそれで、男らしい最後と言うものでしょう」

「女でしょうが、貴女。……並みの男より、色々と立派なのは認めるけどね」

 

 シルビア王女が専用の馬車を用立ててくれたから、完全に二人だけの空間が出来上がっている。御者は気が行き届いている人がなるものだから、何を話しても、耳に入っても聞いてない風にしてくれるだろう。

 おあつらえ向きに、恋人同士が水入らずでバチバチやり合うような、緊張感ある舞台が出来上がった訳だね。

 

「今さら生き方を変えられるほど、器用でもないでしょう? 貴女。――心境の変化で、媚びを売って生きることを選ぶとも思えない。想像することも出来るけど、結論はぜひ貴女の口から聞きたいわね」

「考え方を切り替えることは出来ても、感性は変えられませんからね。……答えずに誤解される、というのも悲しいので、語るのはいいですよ」

 

 どうにもならぬくらいに、気持ちを寄せてくれる女性には真摯に向かい合いたい。ここは正直に、私なりに事実を語り聞かせよう。

 

「メイルさんにそこまで悟られているなら、隠す意味もありますまい。……正直に申し上げるなら、覚悟を決めたからです」

 

 死に狂いの精神を捨てたわけではないから、あくまでも基本的な立ち位置を変えるだけだ。

 自分だけを見て、己の生き方を貫くだけで済んだ、楽な人生もここまで。女性を待たせすぎるのは、男としての沽券にもかかわるし、何より武士らしくない。

 これからは、私以外の身内の命を背負わねばならないのだと。これを自覚するには、別の意味での覚悟が必要だった。

 

「一応聞いておくけど、何の覚悟かしら?」

「貴女と添い遂げる覚悟ですよ、メイル」

 

 意識して、声を出す。

 慈しむように、本心からの言葉であると、確かに示すように。

 私は誠実に、心から貴女を甘やかしたいと想う。私個人のプライドなど、それに比べれば軽いものだ。

 

「……ええ、メイルさん。私は、貴女を守りたい。この生涯をかけて寄り添って、幸せにしたいと願っています」

「モリー。貴女が軽々しく言葉を使っているだなんて、私は思わないけれど、それでも。……あえて、聞いてもいいのかしら。幸せにするっていうのは、私を娶ってくれるという事よね?」

「はい、もちろん。その決断をしたからこそ、私は行動しているのです。――いや、本当に申し訳ないと思っているのですよ。ここまで待たせてしまったことを、不甲斐なく思います。なればこそ、これからは汚名を返上するために動いていきたいのですね」

 

 結局のところ、私は自分に向けられた愛情を切り捨てられない。

 彼女たちの手を振り払って、孤独に生きて死ぬことを選べないのだと――。そんな当たり前のことに気付くのに、今の今まで掛かってしまったのは、笑い話と言えるだろうか。

 言い訳を探して責任を避ける態度にも、そろそろ限界が来ていた。だから、いい加減に割り切って、覚悟を決める頃合いだとも思うんだよ。

 そして、一旦決意を固めてしまえば、私は具体的な行動を起こさねばならない。こうなると、己の命だけで全てが完結していた時代が懐かしくなる。

 

「女性を幸福にして、なお幸せを維持し続けることを考えるならば。どうしても、権力や財力を求めたくなるものです。甲斐性なしの、なさけない夫にはなりたくない。この辺り、どうかご理解いただければと思います」

「私をはじめとして、貧乏に耐えられないような、軟弱な女でもないのにね。……でも、貴女の面子を潰すようなことはしないわよ。夫を立ててこその妻ってものでしょう? ――対等であればこそ、お互いを気遣うことに意味がある。稼ぎたいって言うなら、好きにすればいいんじゃない?」

 

 メイルさんからの理解を得られたことは、万の兵を味方につけるより心強く思う。だが、同時にそれに溺れてはならないと、強く己を律する。

 金銭とか権勢とかは、具体的に求めれば生臭い話になってしまうのは避けられない。世俗的で露骨に過ぎることだから、口にするときはオブラートに包んで表現することだ。

 特に、女性を口説くときは自覚しなくてはならない。決して押しつけがましくないように。それでいて、相手に意識させるような口調を用いるのがいい。

 

「ありがとうございます。――メイルさんが私を思いやるように、私も貴女を思いやってあげたい。優しくされたら、優しくしたいと思うのは、可笑しいでしょうか?」

「別に、そうは思わないけど。……そうね。甘えるのも、良いかもしれないわね」

 

 芳香なる美酒に酔わせよる様に、気持ちよく酩酊させる言葉を選ぶのが肝要である。

 私は今、まさにメイルさんを愛でているのだから。彼女を愛したいと願っているのだから、手間を惜しもうとは思わないよ。

 

「いざとなれば、養ってあげるつもりなんだけどね、私としては。……でも、甲斐性のある旦那様であってくれるなら、その方がいいのかな。シルビア王女と長く話し合っていたのも、ミンロンの呼び出しにわざわざ応じたのも、私の為だっていうのかしら? でもね、他の女と逢引きしておきながら、私を気に掛けている風に言うなんて。身勝手な意見を言わせてもらうなら――とんだ浮気者だって非難されても、仕方がないと思わない?」

 

 メイルさんは、口で言うほど怒っていないことはわかる。顔は薄く笑っていて、機嫌も悪くはなさそうだ。

 こちらの出方をうかがって、反応を楽しんでいる段階なのか。だとしたら、その意に添おう。伴侶たるべき人に気を使わずして、どうして夫などと名乗れようか。

 

「お許しください。生来の無作法者で、女性を相手にするとどうしても不器用になるのです。……メイルさん。私は、貴女が好きです。許されるなら、愛したい。その目を見て、その綺麗な身体を抱きしめて、指で触れて。身体を合わせながら、己が気持ちを伝えることが出来たなら。これほどの幸福はないものと、私は思うのです」

「どの口で、そんなことを言うのかしら。一番は、別にいるくせに」

 

 童貞に多くを期待してくれるな――なんて求めるのは、もはや甘えを通り越して卑怯と言うべきだろう。

 私は今、メイルさんだけを見ている。女性を口説くときには、紳士はどうあるべきか? 出来る限りのことを、してあげる。それ以外にはないと、私は信ずる。

 

「メイルさん、今の貴女は魅力的ですよ。他の誰かを思い出すよりも先に、貴女のことを見てしまうくらいに」

 

 近づくことを、メイルさんは許してくれた。隣に座ることを、この人は黙認してくれた。

 そっと手を合わせる。指を伸ばして、私とメイルさんの指が絡み合う。十秒を数える。目を閉じる。

 ……一分を黙ったまま数えて、私は彼女の顔を見た。気のせいでなければ、メイルさんは上気した表情をしたまま、微妙に視線だけをそらしてくれている。

 うぬぼれでなければ、意識してくれているんだって。そう思いたくなるぐらいには、おあつらえ向きに状況は整っていたんだ。

 

「……何よ。それで、口説いているつもり?」

「はい。メイルさん、聞いてください」

「聞いてる。……というか、耳が付いているんだから聞こえない訳ないでしょう。言いたいことがあるなら、言いなさいよ」

 

 はー、尊い。

 凄いね、メイルさん。けっしてチョロい女性じゃないって全身で主張しながらも、容認という形で私にアピールしてくる。

 私にもプライドがあるんだから、素直になり切れない部分は察しなさいよ――って態度。彼女の歪な言動については、可愛らしさしか感じないよ。

 アラサー女子の魅力って、ここにあるんじゃないかな。なけなしの自尊心が虚勢を張らせてしまって、正直に好意を表せないもどかしさ。

 

 わかりますわかります。メイルさん、私は理解していますから。ここに至っては、鈍感であることを許される立ち位置にないんだって。もう覚悟を決める時が来たんだって。私は理解しているから。

 なればこそ、今が誠意を示す舞台なんだって、自覚出来たんだよ。メイルさんがどうしようもなく可愛らしくて、愛しくて。

 他の全てを忘れて、貴女だけに注力することを許してください。後先を考えるような賢しさから、私を自由にさせてください。この流れであれば、それが許されると思うから、なおさらに言葉を尽くしたいのです。

 

「愛しています」

「……なに?」

「メイルさん。――貴女が、愛しいのです。私に、貴女を愛させてください」

「そう」

 

 メイルさんは視線をそむけたまま、こちらを見てくれない。

 でも、わかっていた。私の言葉を受け止めかねているだけで、決して反発しているわけではないことが。

 

「そう。……もう一度、言ってくれる?」

「メイル、貴女を愛している。だから、結婚してください」

「売り言葉に買い言葉って、知ってる? なし崩し的に、勢いで出た言葉には誠実さを感じないの。私、間違ってるかしら」

「いいえ。ただ、それでも付け足す言葉があるとすれば、私は本気だ、ということです。……シルビア王女の確約がありますから、ゼニアルゼで婚礼を挙げましょうか。貴女が望むなら、どこまでも私は愚かになれます。この気持ちをどうか、わかっていただきたいのです」

 

 畳みかけるべき展開だと思ったから、駄目押しの口説き文句を付け足した。

 ――いささか余分であったかもしれないが、どうせいずれは受け止めてもらわねばならぬことだ。だから、本気の言葉で口説いておくのも、必要なことだと私は信じる。

 

「……ザラには恨まれるわね。もしかしたら、教官にも」

 

 事実上の結婚宣言ですね? 貴女がいいなら、もう私は躊躇わないよ。

 迷う時間は過ぎ去った。男として、女性側に主導権を与えるのもどうかと思う。だから結論を急いだり、唐突に過ぎたりするのは、目をつむってくれたまえよ。

 

「合意と見てよろしいですね? ――大丈夫。お二方は、そんな些細なことで怨恨をもたらすほど狭量ではありませんよ。仮にそうなったとしても、悪いのは私です。咎は、私が受けますから。メイルさんには、決して累を及ぼしたりはしません」

「そうね。……二人とも、そんな貴女の性格なんて把握しているはずだから、下手なことはしないでしょう。いえ、むしろ巻き込む? 皆一緒に結婚式とか、どうなのかしらね」

 

 諦めた風に、メイルさんは言いました。

 何と言いますか、複数の妻を持つことに後ろめたい感じを隠せない私であります。

 だから彼女がどんな言い方であれ、私の感性を受け入れてくれるのであれば、それでいいんじゃないかなーって、楽観的に解釈したいよ。

 

「モリー、愛の告白に感動したところで、いいかしら?」

「――はい、何なりと」

「覚悟を決めた理由については、もう少し追及させてほしいの。……やる気になったのは良いことでしょう。私たちにとっても、都合がいい展開ね。でも、貴女は安易に己の考えを変える人でもなかったはず。――だから何が貴女を変えたのか。ぜひとも聞きたいんだけど、どう? 権力と財力を求めるのは、私たちが原因であるにしても。こうして急いで言葉にするくらいの、大層な理由があるんでしょう?」

 

 惚れた女性の為に――という一言で全てを飲み込んでくれるほど、メイルさんは都合のいい相手ではない。

 そこは、まあ、わかっていた。生身の女性に対しては、どこまでも真摯に向かい合うべきだ。だから、求められるままに答えましょう。

 

「自分に出来ることを、出来るうちにしておきたいと。そう結論付けられたから、ですね。どうにも、これから西方全体は、大きな試練を押し付けられるでしょうから。私とて、安全圏ではいられないと思うのです」

「……それって、そんなに特別なことかしら? 戦場で死に狂うような貴女が、今さら考えること?」

「私にとっては、そうですね。自分の未来について考えるなど、これまでほとんどしてこなかったことですから。……これから、多くのことが起きます。あまりにも大きな時代の流れが、西方から東方まで巻き込んでいくでしょう」

 

 数年後か、数十年後かは、やっぱりわからないけど。とにかく歴史的な事件が起こるのも、そう遠いことではないと思う。

 先日に語った砂糖に関する話など、一例に過ぎない。西方にも火種がないわけではないし、サラエボ事件っぽい何かが起きてしまえば、その時点で大惨事だ。

 これが極端な例だとしても、良くも悪くも変化は起きる。資本の流動、新たな需要、未知の分野への開拓――。

 いちいち考察するのも面倒だし、どのみち自分にできることなんて、多くはないんだ。だったら、自重する方が馬鹿を見るってもんじゃないか。

 私だって、少しくらいは自分の欲望に素直になりたくなる。メイルさんも、そうした私の感情に寄り添ってくれるなら、拒んだりしないよ。

 男って、基本惚れた女性に対しては甘くなるからね。仕方ないね。いささか以上にクドイ口調になるのも、必要経費だと思って頂きたい。

 

「そこで、気付いたのです。出来ることに限りがあるなら、やるべきことをやらずに、後悔したくはない。誰かを後悔させるような結果を招くのは、さらに良くない――と」

「それで、私たちを受け入れる覚悟が出来たっていう訳? ――インテリは大変ね。いちいち行動するのにも、理屈を付けなきゃいけないんだから」

「理由付けは大事ですよ。……優柔不断のそしりは、甘んじて受けましょう。ですが、もう決めたことです。これからは貴女の想いを無下には致しません。それは、信じていただきたい」

 

 アレコレ考えたんだ。思いつくしたんだ、本当に。

 余らせた時間を、思索に当てるくらいの余裕もあったから。だからこそ、これは既定路線だと理解してほしい。

 

「政治的に、避けようのない衝突が西方に迫っています。結果としてどうなるにせよ、私とメイルさんの関係を、曖昧なままにしておきたくはないのです」

「私との関係だけじゃなくて、ザラとか、教官とかも含めての話よね? 今更抜け駆けなんて、したくはないから。そこ、大事よ?」

「もちろんです。責任は、取りますよ。取ろうと思ったからこそ、私も今のままではいられない。周囲への影響力を確保して、もしもの時の保険を作っておきたい。自分ひとりの命ではないと思えばこそ、備えなければならないのです」

 

 誰かにとって、大事な存在になること。

 守りたい誰か、という存在を持つこと。

 私が避け続けてきたそれを、今さらのように受け入れることに、戸惑いがないとは言わないけれど。

 ……猶予があるうちに動かなければ、間に合わないこともままある。頼るべき縁は、多ければ多いほどいいんだ。私の為でなく、皆の為に。

 

「備え? 貴女がそこまで言うほど、必要なのかしら。キナ臭い話とか、とんと聞いた覚えがないのにねぇ」

「そこはそれ、一家の主として。まずは家内の安全を確保しなくてはなりませんから。……きちんと仕事をして稼ぐのもそうですが、コネクションを築くことで得られる利益というのも、結構馬鹿にならないんですよ」

 

 別に人間関係をおろそかにしていたつもりはないが、これからは意識して縁を作っていくべきだろう。

 利益の話だけじゃなくて、単に話を聞いたり、酒席に付き合うくらいだけの付き合いでもいい。

 それがあるのとないのとでは、印象が全く違ってくる。人間は社会性の動物だから、多少でも関係がある相手なら、なかなか無下にはしにくいものだ。

 

「一度でも好印象を抱いた相手に、悪いことをしようとはまず思わないでしょう? その人に悪いウワサがあっても、鵜呑みにしにくくなる。交友の広さと言うものは、それだけで一種の武器なのです」

「それはいいけど、維持するの大変じゃない? 私、貴女にはあんまり時間を犠牲にしてほしくはないの」

「ええ、わかります。なので、相手は選びますよ。そう野放図に広げては、逆に悪評にもつながるものですから。――まこと、この世は難しい」

 

 むつかしい、むつかしい。人間が社会性の動物である以上に、感情の生き物である以上、人と人との関係は計算だけでは成り立たない。

 私だって、誰とでも上手に付き合えるだなんて、過剰な自信は持ってないんだ。

 

「シルビア王女とミンロンを選ぶ理由は、何となくわかるわ。……そうね。だったら、細かく注文を付ける方が無粋かしら。旦那様を信じるのも、そう。妻の役目――ってものでしょうしね」

「そうしてください。メイルさんの信頼を裏切るようなことは、致しませんとも。だから、心おきなく信じてください。――いいですね?」

 

 彼女の顔に両手を添えて、そっと動かしつつ私の目を直視させた。抵抗しない時点で、答えは明白だ。

 

「答えなきゃ、ダメ?」

「答えなくて、いいですよ。もう、わかりましたから」

 

 そう言って手を離した後、メイルさんの顔が目に見えて赤くなった。羞恥心を感じて、言葉が出ないことって、あるよね。わかるよ。

 かつて私が、まさにそうだったから。これでお互い様だね、なんて。口にしてしまうのもまた、無粋と言うものだろう。

 

「手を、握っても。出来たら、そのままでいてもいいですか?」

「しばらくはね。……休憩したくなったら、モリーの方から離していいのよ?」

「メイルさんも、休憩が欲しくなったらそうしてください。夫婦の間で、遠慮なんてしなくていいんですから、ね?」

 

 私とメイルさんは、帰国までの道のりの間、ずっとお互いの体温を感じ続けた。

 肌と肌を、あるいは指と指を合わせるというのは、相手が特別であればあるほど、意味がある行いだというのに。私はようやく、気付くことが出来たのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼニアルゼから帰国したら、またいつもの仕事が私を待っています。まあ、変化がないわけじゃないから、惰性に流れることはあんまりないよ。

 

 なお、家庭環境が変わったことによる変化は含まないものとする。……ザラに色々と察知されて、詰問されたのは堪えたけどまあまあ。仕事に影響のない範囲だからセーフ。今はお互いに忙しい時期だから、機会を作ってまた話し合いましょう?

 

 で――具体的な仕事に関して。ソクオチの王子様こと、オサナ王子について。そろそろ座学の方も担当しようという話になりまして。

 普通の学問とか教養科目は、私がやらんでも他に適任者がいますからね。必然的に、教えるべきは武門に関するアレコレになる訳です。

 少年なりに訓練もそこそこ重ねたし、実用的な知恵を身につけてもいい頃合いだろうと、私も考えた。なので、これからは机の上でも戦闘を講義していきましょうねー。

 

「いきなりですがオサナ王子。この国には『戦士学』という考え方があります」

「いつもながら、唐突な前振りだが、考え方? 学問じゃあないのか?」

 

 一人前扱いには程遠いが、いい加減一個人としての人格も認めてあげたいと思う。

 茶化すような王子様呼ばわりは、もうやめてもいいだろう。オサナ、と名で呼ぶのは、私なりの親愛の表現ではあるが――。まあ、わかってもらえなくても問題ない。

 

「学問と言ってもいいのですが。……戦闘時における人間のさまざま症例を収集し、実戦の経験を積み重ねて、それっぽい理論にまとめたものが『戦士学』というべきものの正体です。他の国でも、たとえば歴戦の老兵ならば当たり前に知っているようなことばかりですね」

 

 初陣の兵が大小失禁をやらかすのなんて、だいたい常識として認知されてきた感があるとはいえ。

 戦争に限らず、極限状態における人間の反応については、書物に記録されることが極端に少ない。

 失禁の事例について詳細に説明すると――『生存が脅かされる極限状態に、人間は容易く慣れることは出来ない。突発的に訪れたそれに対して、重要な部分にのみ反応が集中し、生死に直接関係のない筋肉が弛緩した結果、体内に溜まっていた荷物が放り出された結果である』――なんて明確に定義されないと、どうしてもフワッとした解釈にしかならないからね。なんか知らんけど漏れてた、くらいの感覚だと教えようがないわけで。

 

「失禁は恥ずかしいもの、なんて考えてしまうと『自分は情けない奴だ』と思って委縮したり、思うように動けなかったりするわけです。――これを当たり前の身体の反応に過ぎない、と割り切ってしまえば、初見でもとりあえず対応できるようになるわけですね」

 

 これ、明確に言語化されないと訓練に組み込めないんですよ。初めから、これこれこう――と身体の反応を教え込ませることが出来るなら、いざというときに心構えが出来る。

 そして心構えが出来ていると、不思議なくらいに物事を受け入れられるようになる。失禁しても戸惑うことなく、恥ずることなく戦友たちと共に戦い続けられるんだ。

 

「他にも、例えば心拍数。ある程度までは上昇しても、利点はあるのですが……。過剰に上がってしまうと、悪影響ばかりが現れてきます。それこそ視覚、聴覚、触覚に至るまで『鈍る』のです。人によっては、びっくりするくらいに機能しなくなることすらある。これを事前に知っているのといないのとでは、雲泥の差ですよ」

 

 クロノワークが軍事的に他国を圧倒しているのは、この部分をきちんと知識化して教育に組み込んでいるからだと思う。それくらい、戦士学は闘争において重要だ。

 極限状態における人の感覚。生存を脅かされる状況下で、人間の身体がいかなる反応を示すのか。クロノワークはこれを徹底的に収集、分析し、一兵卒から上級指揮官に至るまで教育に組み込んで周知させている。

 これだけは米軍レベルの水準に達しているんじゃないかな――って、私が驚嘆するくらいなんだから相当だよ。あるいは、私のような転生者が過去にいたのかもしれないが、証明しようがないことだ。ここでは、あえて考えなくてもいいだろう。

 

「戦場で、敵に命を狙われている、と確信した瞬間。人は、視覚をひどく限定させてしまいます。敵が握る武器、武器を握る腕、あるいはその表情にばかり集中してしまう。――だから、その敵が激しく左右にブレて動いたりしたら、すぐに見失って動揺するわけですね。これを周辺視野の消失、と戦士学では定義されます。この手の初見殺しにやられる新兵が、かつては相当いたらしいですよ?」

 

 経験上、この点については他国でも克服できていない連中が結構いる。二度三度と経験していけば、失禁等も含めて自然と克服する弱点ではあるんだけどね。単純に、出来てない連中が淘汰されていくからだとも言える。

 でも、これは言葉にして理論化すれば、訓練段階でかなり改善できることでもあるんだ。『戦士学』なんて学問が成立するのは、それ故だと言ってもいい。

 

「初見殺し? ……つまり、わかってさえいれば避けられることなのか」

「良くお分かりで。オサナ王子のおっしゃる通り、これは事前に仕込めばどうにかなる問題なのです。――我が国のブートキャンプでは、新兵は数多の初見殺しを一通り学ばされます。知識で実践でも、出来る限りのことは経験させられますね。まさに、これこそがクロノワークの武の真髄であると言い切っていいくらいです。初陣を生き延びる兵が多ければ、それだけ精兵になれる割合が増えるのですから。……他国に武力で優越するのも、よくよく考えれば当然の結果であると言えましょう」

 

 恐怖の予防接種、なんて表現が的確だろう。怯えてすくむ新兵がいなくなれば、それだけでも生存率の上昇になる。ウチの教官たちが訓練を厳しくするのは、理由があるからなんだよ。

 恐怖は慣れる。繰り返せばそれだけ鈍感になっていく。あんまりやり過ぎるとそれはそれで悪い結果を招くから、調整は必要だけど。これをしくじる様な者は、我が国の教官には一人もいない。

 蓄積した経験を理論化するってのは、そういうことなんだ。クッコ・ローセ教官がとびきり優秀なのは、背景にある文化や教育が、彼女の資質と釣り合うくらいに高水準であるからだとも言えるんだね。

 

「物事には背景があります。理論を作り出したのには、それを必要とする環境があったから。そして、理論化できるだけの実例が多くあり、これをまとめて言語化する人々が存在したからです。――何事も積み重ねが大事だという話ですね。ブレーク・スルーは、突如として実現するものではありません。それまでに積み上げた理論の総量が大きければ大きいほど、画期的かつ革新的な発想が生まれやすくなるのです」

「ソクオチには存在しなかった、革新的な思想。それが、クロノワークの戦士学とやらか。……僕にも、当然伝授してくれるんだろう?」

「もちろんです。ここまで口にしたのですから、ある程度は修めて頂きたいですね。――貴方が将来、強い指導者たることを求めるならば、私が説く教えは、確実に役に立つと思いますよ」

 

 戦士学を学ぶと言うことは、兵どもが戦場で経験する全てを理解すると言うことであり、彼らを遇する術を知ることでもあるんだ。

 生死の境で闘争に明け暮れる者たち、その感覚に共感し、彼らの価値を把握することが出来るのなら、それは間違いなく人心を掌握する手段になる。

 

「学問として学べるなら、結構なことだ。……実際に体験しろとか言われても困る展開だよな。僕だって、自分の命の大切さは理解してるよ」

「貴種である以上、己だけの命ではありません。――まさに貴種であるからこそ、義務からは逃れられないとも言えますが。それならそれで、上手に対処しましょう、という訳です」

 

 ソクオチの軍事力は、当分低いまま押さえつけられることになるだろう。将来的には、オサナ王子はその中で肩身の狭い兵士や騎士たちと接して、上手に働かせねばならない。

 冷や飯を食わされている連中というのは、往々にして面倒くさい手合いが多いものだからね。

 そうした奴らの尻を蹴り上げるには、適切なやり方と言うものがある。時間的に余裕があれは、そちらも講義しておきたい所だった。

 

「戦士学からは少し離れますが、オサナ王子。――あなたは、シルビア王女を尊敬するべきです。たとえ仇敵であろうとも、そうであるからこそ、なおさらにあの方から学ぶべきなのです」

 

 まあ、戦士学の実戦部分については、オサナ王子は頭で覚えてくれれば結構。

 大事なのは、それを収めた兵士たちを統率することだ。彼の将来を考えるなら、模範とすべきは私ではなく、シルビア王女の方だろう。

 あの方はあの方で、戦士学の精髄を理解した上で利用している。その上で、政治的にも強い指導者として君臨しているのだから相当だよ。

 

「あの方は国家の頭脳として、国の元首として、相応しい能力の持ち主と言って良いでしょう。少なくとも、戦争の途中でくたばる様な、軟弱な指導者どもとは全く別の人種です。――実のところ、シルビア王女はこの手の信頼を得るだけの実績があるからこそ、ゼニアルゼでも実権を振るえているのですよ」

 

 名目上としても支配者を名乗るには、王女ではなく王妃となる日を待つしかないのだが――。

 実質的には、すでにゼニアルゼの統治者である。オサナ王子が見習う対象としては、適切だと思うよ。

 

「貴方の命は、ソクオチにおいてはもっとも高価なものだと言えます。……国家の指導者は、最後の最後まで死んではならない。その力の拠り所を握りしめて、しぶとく戦い続ける気概を持たねばならないのです。滅びの美学などとは、一番遠い所にいなくてはなりません」

「ああ、いるらしいな。無様に負けるくらいなら死ぬ――ってやつ。話に聞いた時は全然共感できなかったなぁ。……半端な所で死んだ父上は、その辺りどうしても擁護できないと思う」

 

 それで正しい、と私はオサナ王子を肯定する。くっころ展開は女騎士がやるからロマンがあるのであって、彼のような直系の王族がやっていい話ではない。

 敗北時の責任を取ることも、王族の義務だ。結果として処刑されるとしても、統治者は早々に楽になることは許されない。

 

「前に言いましたよね? 死んだ指揮官は、それまでがどんなに良くても悪い指揮官だと。死人は、無力です。責任を取ることすらできません。だから本物の指揮官は、指導者は。……率いるべき人間が一人でも存在する限り、その義務を果たし続ける責任から、逃げてはならないのです」

 

 戦いが終わるまでは、特にそうだ。戦後処理でどうなるかは別として、負け戦でも指揮官は指揮をとる仕事を放棄してはならない。

 最悪の事態となっても、勝者に生贄として捧げられるまでは、命を保つのが義務であると心得よ。

 兵権を預かる責任と言うものは、決して軽くない。この責任を背負い、兵と共に生き続けるのが良い指揮官と言うものだ。

 

「そうはいうがな、モリー。お前の戦いぶりを伝聞で聞く限り、そこまで己の命を貴重に扱っているとは思えんぞ。……他人に責任を求めながら、自分の命はぞんざいに扱う。これでは説得力に欠けると、僕は思う」

「私が己の死を度外視しているように見えるのは、まあ、アレです。そもそも戦場では命を惜しむ方が返って死にやすいもの。死ぬために突撃するのと、死を恐れずに狡猾に戦うのとでは、全く違うのだと心得てください」

 

 死狂ってるのは、私にとってこれが最適解であり最大効率を叩きだす手段だから――なのだが。別段下準備を軽視しているわけじゃないし、無謀を肯定しているわけじゃないんだよ。

 とはいえ、今説明して理解してもらえるかと言えば、微妙な所か。死線に対する向かい方なんて、個人個人で違って当然なんだから。この辺り、オサナ王子も自分に合った方法で対処すればいいと思う。

 

「逆に考えましょう。――死んでいないのだから、死ななかったのだから結果オーライだと。戦場では、結果が全てなのですよ、ええ。なので、セオリーを無視しても成果が出るのなら許容されます。……誰にもできることではないので、オサナ王子は私の真似なんてしない様に」

 

 貴重な命である自覚があるなら、この違いは判りますね? ――なんて、ここまで言えば、命の価値が平等でないこともわかるだろう。

 兵の戦い方と、将の戦い方とでは、おのずと違いも現れてくる。一緒くたにしても許されるのは、私くらいの立場までだ。

 

「話を戻しますが――たとえ負け戦でも、指揮官ならば被害を最小限にするための努力はできるでしょう。死ねば、それすらできません。……シルビア王女なら、最悪の敗北に直面しても、最後の最後まで抵抗を続けて――庇護下の人民の為に、最低限の生存権を勝ち取ってくれる。そう信じることが出来るお人です。かつてのソクオチには、彼女のような人がいたでしょうか?」

「……僕に、その手の難しい話を振るなよ」

 

 ちょいと嫌味な言い方になるが、シルビア王女が優れていることは、どんなに強調してもしすぎることはない。

 オサナ王子にとっては、彼女は偉大な仇敵であってもらわねばならない。それでいて、もっとも親しむべき師でもあってほしいと、私は思う。

 

「結論から申し上げますが――。いなかったから、オサナ王子。貴方が、ここにいる」

「いちいち言わなくていい。皮肉か、それは」

「いいえ、いいえ! ――彼女を見習えと、私は言いました。オサナ王子、貴女はシルビア王女のような人にならねばなりません。おわかりですね?」

 

 オサナ王子は、わかっているとばかりに即座に答えて見せた。

 

「ソクオチは今、国際的な信用も地に落ちている。これを覆し、かつての地位を取り戻すために、僕はシルビア王女のような『強い指導者』を目指さねばならないと。そういう、ことなんだろ」

「弱いよりは強い方がいい、というのは事実ですが、あまり極端な解釈はよろしくありません。強さより、共感が大事になる場面もあるでしょう。……オサナ王子はまだまだ成長の余地があるのだから、焦りは禁物です。強い己をアピールするよりは、兵たちの苦痛と苦労に理解を示す、話の分かるお坊ちゃんくらいの立ち位置を確保しましょう」

「それ、なめられるだろ。僕は王族として、毅然とした態度を取りたい。平民を蔑むつもりはないが、区別はつけるべきだと思う。――僕は間違っているか?」

 

 すぐに是か非か、全てか無か、なんて論調で迫るのは、オサナ王子の幼さを示すものだと受け取れよう。

 けれど、それは人生経験の浅さがそうさせるのであって、彼の資質に問題があるわけではないと私は考える。

 

「どんな態度で臨もうが、実績もなく年若い王子など、舐められて当然だとご理解ください。『実戦を知らぬお貴族様に何がわかる』――というのは、古今東西、変わらぬ兵の本音と言って良いのですから」

「……読めて来たぞ。だから『戦士学』なのか。これを履修し、末端の兵たちの心を理解し、その在り方を肯定できるようになれば。少なくとも、ソクオチでは貴重な話の分かる王族であると、アピールできる」

「まさに、その通りです。将来的に、オサナ王子が政治的な影響力を確保したいと望むならば、どうしても地元の兵隊の支持が不可欠。まずは武力を手の内に入れること。それが叶わずとも、無視できぬ程度には自軍から好意的な感情を向けてもらうことが重要です」

 

 なんだかんだで、正当な王族という出自は大きな大義名分になる。地縁に根差した権力の基盤と言うものは、外部勢力から見ればこれで結構めんどくさい。

 マキャベリが後顧の憂いを残さぬよう、征服後は前の君主の血族は根絶やしにしておけ――なんて主張したのも、それだけの根拠があるからだ。

 だが、族滅なんて手っ取り早い手段を用いるには、この時代の人類は倫理観を身に付け過ぎている。そうした時代においては、融和と寛容というお題目を無視するわけにはいかない。

 なればこそ――思いやりを、共感と理解を用いて人をたぶらかす術を伝授しようじゃないか。実践的であるがゆえに、私の教えは役に立つ。

 役に立つ分だけ、オサナ王子は私からの影響を受ける。影響を受ければ受けるだけ、彼は私という呪縛から逃れられなくなるのだね。

 ……どうか、後になって卑怯だとか言わないでくれたまえよ。私は私で、守りたいものを守るために必死になっているだから。これだけ恩に着せておけば、未亡人の面倒くらいは見てくれると思う。容易く死ぬつもりはないが、保険はいくらあってもいいものだ。

 

「具体的に述べるには時間が足りませんが、手っ取り早くわかりやすい事例だけ、簡単に話しておきましょう。さらに実用的な内容については、次の機会を楽しみにしてください」

「……それを楽しめというのは、流石に無理がないか? いや、モリーの授業は有意義なものだと、認めぬわけではないが、色々とな。今の僕には、荷が重いというか何というか」

「エメラ王女は座学で苦手な分野がありますから、オサナ王子が賢く見える状況を整えてやれば、結構なアピールになると思いますよ?」

「――よし! 続けてくれ。頑張ってついていくから、どんな退屈な話にも付き合ってやるぞ」

 

 という事情で、いくらか時間を取って講義しました。オサナ王子は飲み込みが早い方だから、あと十数時間も続ければおおよその感覚は掴んでくれるだろう。

 今後も授業を重ねる必要はあるし、あんまり楽しいお話にならなくて恐縮だが、私なりに不得手な分野で頑張ったと思うのです。

 講義の時間は、今後もそう取れるとは限らないけど。戦士学は実地の経験が役に立つし、帝王学はシルビア王女をそのまま参考にすればいいんで、その点では楽な方かな。

 今後も彼の教育を担当するなら、私自身が客観的に意義のある授業を提供する必要がある。

 そして私がオサナ王子に教育を施すことに、客観的にわかりやすい利点があるとするなら――。それは彼のモチベーションを引き上げつつ、立場に遠慮せず厳しく接することが出来る部分にあるだろう。

 戦時に出来た因縁が、ここではいい影響を与えているわけだね。クロノワークの教師たちも充分に有能なんだけど、こればかりは私だけの独自性を主張できる。

 

「最後に、もう少し語らせていただけるならば。どんなに辛いと思っても、己を鍛えること、学ぶことを諦めないでください。――貴方自身と、貴方に期待する多くの人たちの為にも」

「それが、クロノワークの為にもなるから?」

「違うとまでは言いませんが、そこまで意識しなくていいですよ。……私は私自身の為に、貴方を教育しているのですから」

 

 今の段階で、具体的な話をするのは止めておこう。大人どもの暗い思惑なんて、子供に知らせるようなものではないのだから。

 私はただ、かわいそうな男の子に、自分を守るだけの力を与えてやりたい。それだけのことなんだ。

 

「では、今日はここまで。――あと、シルビア王女の業績を書類に起こしていますから、復習代わりにこれを読破しておいてくださいね」

「……分厚いんだが、これ。いや、別に嫌だとか言う訳じゃないんだけどさ」

「結構。読むだけではなく、自分なりの感想もまとめておいてくださいね。次の機会には、それを元にして色々と話し合ってみたいと思います」

 

 割り当てられた時間が終わり、次の教師への引継ぎを行う。またの機会を待ちつつも、今後の展開についても考えておこう。

 オサナ王子の教師――なんて立場は特殊なだけに、これを未来に利用することも、想定しておきたい。

 保身は決して恥ではないのだと、私はわきまえていた。権力に近づくことも、あるいは距離を置くことも。どちらにもそれなりの利点はあるものだ。

 ま、この辺りは自分ひとりで考えねばならぬことじゃない。特にザラとならば、いい相談ができるだろう。

 

 ……別段、話題に困っていたとか、自分の感情を誤魔化す言い訳にしたいとか。

 こんな話を持っていくのは、そんな不純な理由からではないと、主張させて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザラが渋い顔で嫌々接する相手と言えば、そう多くない。その中でも一等苦手な人物を上げるとすれば、クミンというハーレム嬢であろう。

 情報交換の機会を逃せない相手であり、シルビア王女が紐帯として寄こした人物でもある。その有能さを疑うべきではなく、なればこそ警戒も怠れない。

 それでいて、モリーからの好感度は高いのだから。まこと、質の悪い奴だと判断されても致し方ないであろう。

 

「ザラさん? わざわざ店の中にまで呼び込んで、話し合おうって言うんです。もう少し、景気のいい顔をしてはいかがですか?」

「……目つきの悪さは、睡眠不足のせいでな。他意はないから、気にしなくてもいいんだぞ」

 

 ザラは、こうして顔を付き合わせた時点で、不機嫌そうな雰囲気を隠そうともしない。この態度こそが、彼女の本心をそのままに表現していた。

 反対に、クミンは営業スマイルを浮かべて、気楽に話しかけている。まるで、お前の機嫌などうでもいい、と言わんばかりに。

 

「気にするなと言われても、ザラさんは私に対して複雑な感情を隠しきれない様子ですが?」

「お前は、本気でモリーに惚れているようには見えんからな。警戒するなという方が無理だろう。シルビア王女は、お前を監視役として使いたいらしいが、本心としてはどうなんだ?」

 

 ザラは、クミンと目を合わさない。お前に対して、心を開くものか――と、そう言いたげでもある。

 この頑なな態度が、何を意味するのか。クミンにはわかりやすすぎて、むしろ愉快なほどであった。

 

「監視役、なんて単純な表現は好みではありませんね。……私は、あのお方には逆らいたくないだけです。何よりも自分自身の為に、己の安全を脅かすような行動はとれません。――お判りでしょうに」

「なるほど。本心がどうあれ、あの王女から『仕事のできない奴』と見なされるは恐ろしい、と。……そうだろうな。お前とて、左遷されて今の生活レベルを落としたくはあるまい。自分を高く売るためには、言いつけられた仕事を完遂せねばならんと言いたいわけだ」

「シルビア王女とて、モリーを味方に引き込みたいから、こうして私を派遣させたのです。そこは、信用していただきたいですね」

 

 クミンは悪びれず、臆せずにものを言う。

 その態度を不快に思うザラではないが、小気味よく感じるほど甘くもない。

 

「モリーのことを可愛いとか魅力的だとか言っていたが、怪しいものだ。シルビア王女の紐でなければ、引きちぎっていたところだぞ」

「比喩にしても物騒ですね。――モリーさんは悍馬を乗りこなせる名騎手かもしれませんが、彼女でなければ乗りこなせい悍馬に、価値はあるのでしょうか?」

 

 本気で邪魔だと思えば、ザラは比喩ではなく物理的に、彼女のたおやかな首を引きちぎっていたかもしれない。

 そうした雰囲気を理解していながら、クミンは退かなかった。もとより、この場を用意したのは彼女の意思である。ここで折れるような弱さなど、彼女は持ち合わせていなかった。

 

「挑発には乗らんぞ。そろそろ本題に入れ。……お前と私は、どうにもそりが合わんようだからな」

「そうですね。どちらがモリーにとって価値ある存在になれるか、試してみるのも一興と言うものでしょう」

「なら私の勝ちは確定しているな。今からでも媚びれば、ちょっとは利益を還元してやってもいいんだぞ」

「――アラサー処女の貴女が、色事の手練手管で私に敵うとお思いで? だとしたら、楽観を通り越して滑稽ですね」

 

 分が悪いのは貴様の方だと、クミンは大胆にも言い切って見せた。

 ザラは不快に思いつつも、これくらいの気骨が無ければ利用価値すらないのだと、理解もしていた。だから、自然と容認する方向に話が進んでいく。

 

「……ゼニアルゼもそうだが、クロノワークが性に対して自由な国家で良かったな? お前の発言は、他の国なら正妻が独断で処断できるくらいに、危うい言葉だった」

「あんまり仲良くしすぎると、こちらはこちらで困るのですよ。……私までシルビア王女の手から離れてしまうと、次の手はさらにモリーさんにとって厳しいものとなるでしょう?」

 

 だから私と貴女方は、多少いがみ合うくらいでちょうど良いんです――と、クミンは言った。

 

「これまでの言動は、全て意図的な物か。……それに私が耐えられるかどうか、試したと?」

「我々が結託したなどと、その手の疑いをもたれるだけでも不味い、と私は思います。シルビア王女は疑い深い性質ではありませんが、根拠のない楽観に浸ってくださる方でもない」

「認めよう。お前は聡明だ。――必要以上に嫌うことはないと、こちらも明言しておこうか」

 

 好きにはなれんがモリーに惚れた者同士、助け合うことに異存はない――と、ザラは付け足すように言う。

 クミンはそうしたザラの女らしい一面を認めて、逆に好感を持った。感情を理性で制御できる人は、信頼に値する。感情を溜め込むのではなく、率直に吐き出して見せるのも、ザラなりの誠意なのだろう。

 

「そうそう、聞きましたか? シルビア王女が、また何か企んでいるらしいですよ?」

「土木工事の件なら、すでに話が来ている。あまり自分が特別な立場であると、思い込まないことだ」

 

 なら結構です、とクミンは言った。その上で、彼女は思う所を述べる。

 

「シルビア王女も、交易と影響力確保のために、交通網の整備は急ぎたいらしいですね。交通が容易になることは、物資の流通の他にも役立つことがあって、たとえば軍隊の派遣も迅速になる。ゼニアルゼによる平和、という時代を目指すなら絶対に達成すべきことだと。……まあ、これはモリーさんから聞いた事ですが」

「――何?」

 

 前に砂糖菓子をプレゼントしに行ったことは知っているが、ここ最近において、クミンとモリーが逢引きした話などザラは聞いていない。

 聞き流すには、あまりに不穏な話だと判断する。

 

「どこで会った? 何を話したんだ? まさか、いかがわしいことはしていないだろうな」

「そのめんどくさい女っぽい態度、私でもどうかと思いますよ。――本当は直接会いたかったんですがね、ちょっと思い直しまして、手紙を通して相談に乗ってもらっています」

 

 片手間に出来ることですし、いちいち店に来てもらうのも悪いですし――と、クミンは言った。

 文通くらいで文句を言うほど、ザラとて狭量ではない。モリーとて、信用できる相手ならば、際どい話にも付き合うだろう。彼女は偽りを言っていないと、ザラにはわかった。

 

「それほどの頻度ではありません。内容も他愛のないことです。私にしているくらいですから、文通程度なら他の女性ともしているのではありませんか? 例えば、ゼニアルゼの教え子たちとか」

「文通相手のおおよそについては、掴んでいるということかな。この期に及んで、自らの利用価値を主張しおってからに。……まあ、今さら私が気にするようなことではないが」

 

 モリーと同棲し、結ばれる日も遠くないと分かっているザラである。この程度の余裕は持っていて然るべきであろう。

 

「問題が起こりそうなったら、こちらで喚起しますからご心配なく。……私は感情面だけでなく、実利的にもモリーさんのお役に立ちたいと思います。そうであればこそ、私にも価値が出てくると言うものでしょう? 彼女はおそらく、一度でも情を交わした相手を無下には出来ない。何度も骨を折ってもらった相手なら、なおさらでしょうね」

「お前がモリーに献身したいなら、好きなだけするがいい。もとよりお前など、それ以外の部分で期待などしていない」

「ミンロンと比べれば、私の方がよほど勝っている。そう認めてくださるなら、結構なことですよ」

 

 クミンは、挑発的にもそう言った。

 その言葉の剣呑さを、当人は理解しているのか。確認する意味でも、ザラは問うた。

 

「ミンロンとは仲が悪いのか? そうそう接点があるとは思えんが」

「あれを身内に抱えるなら、私以上に警戒は怠らない方がいいですよ。……モリーさんの経歴について、きちんと探った方がいいとそそのかしてきました。何かしら、疑いを持たれたようですね?」

 

 クミンとしては、これは身に危険が及ぶ範囲ではないとしても、かなり強い発言だった。

 反撃として、何かしらの反応を引き出せればいい。そう思っていたが――。

 

「なんだ、あいつ。ちゃんとそうやって、気を回すくらいには気に掛けてるんだな。商人というものは、利益さえあれば細かいことは気にしないものと思っていたが」

 

 相手を選んで吹聴するくらいには、狡猾であるらしい――などと、ザラはさらりと言ってのけた。

 これには、クミンの方が毒気を抜かれてしまう。

 

「ずいぶんとあっさり言うんですね。パートナーを侮辱されたとか思わないんですか?」

「別に侮辱じゃないだろ? ただの疑問だ。モリーの奴は、生まれ育った環境に比べて、異様な精神と知識を持っている。それに違和感を感じたなら、誰だって背景を調べたくなるさ」

 

 私は気にしていないが、とまでザラは付け足した。特殊部隊の長であり、直属の上司でもある彼女が、これを問題視していない。

 恋愛脳ゆえのガバガバ論理ではない。ザラは、そんな浅はかな女ではないと、流石のクミンも理解している。ならば、これには理由があるのだ。

 

「私がその辺りを気にしていないのは、一度モリーの身辺を探ったことがあるからだ。当たり前の話だが、怪しい気配は欠片もなかったよ。少なくとも、実は他国からの間諜であるとか、一族そのものが厄ネタの塊だったとか、そういう事実は一切出なかった」

「見つけられなかっただけ、という可能性は?」

「……私に対してそれが言える奴は、クロノワークにはいないぞ。お前は他国者だろうから、その辺りの感覚はわからんだろうがな」

 

 ザラが『裏がない』というのだから、本当にモリーの背後には何物も存在しないのだ――と、メイルらであれば素直に納得したであろう。

 なおも疑いを持てるのは、クミンやシルビア王女くらいであるが、ザラは気分を害した風でもない。

 

「不思議は不思議のまま残るが、本人には野心も邪心もない。放置しておいて、問題は無かろうさ。それでも真実を追求したいなら、ベッドの中で聞いてみればいい」

 

 モリーはそれでも答えないだろうが――と、ザラは無感情に答えた。クミンは事情に明るくないのだから、いちいち咎めても仕方がないのだと言うように。

 

「……まあ、それはいいでしょう。私だって、モリーさんの生い立ちはそこまで興味もありません。ミンロンやシルビア王女がどう感じるかは、別の話でしょうが」

「お前が気にすることではないな、それは。必要とあらば、こちらで手を打つさ。シルビア王女は、多くのことに関わり過ぎている。一介の騎士に、そこまでの関心を持ち続けられはしないさ。――ミンロンについては、真摯に言い聞かせれば分かり合える気もする」

「どちらにせよ、希望的観測に過ぎないことですね?」

「舐めるなよ。私が言葉として口にすることは、だいたい根拠があることだ。……説得材料は、ある。お前などに教える義理はないが、心配は無用だと保証くらいはくれてやろうさ」

 

 ザラの視線はどこまでも鋭い。これを信じないようなら、お前の方にもリスクを求めてやるぞ――と。そうした意思を感じるだけに、クミンも引き下がらざるを得なかった。

 

「いいですよ。そこまで言い切るのであれば、私の方で余計な気を回すのはやめましょう」

「頼むぞ。お前にまで余計なことを吹聴されれば、後始末が面倒になりそうだ。――モリーの為とはいえ、苦労が少なくて済むなら、それに越したことはない」

「いやいや、お互いに苦労しますね? モリーさんは問題ばかりが多くて困ります。問題以上に、付き合って楽しい相手でなければ、遠慮している案件ですよ」

「私と、それから教官やメイルもだが――お前と一緒にするな。私たちは、本気であいつのことを想っている。打算と愉悦で繋がろうとしているお前たちとは、別種の人間だと理解することだ」

「わかっていますよ。理解しようとしても、理解しきれない。そうした度し難い人種には、私も敵いません」

 

 クミンは飄々とした態度を崩さない。それが、彼女の誇りであり生き方なのであろう。

 ザラはそれを許容できないほど愚かではないし、理解の及ばぬものを受け入れるだけの寛容さも持ち合わせている。だから、一度だけ警告をしよう。

 

「一応言っておくが、モリーに対して、悪意は持つなよ。私たちを揶揄したり、内心で見下すくらいはいい。広い心で受け入れてやるとも。――だが、あいつを蔑んだり、裏切ったりしたら、私たちはお前を許さない。この意味が分かるな?」

「媚びるべき相手もわからないような女は、ハーレムや風俗店で生き残れやしませんよ。これで、結構な生存競争を生き残ってきたんです。……ええ、わきまえていますよ。私だって、貴女方と敵対しようだなんて、欠片も思ってはいないのですから」

 

 そこまで話して、合意を得られたなら、話は全て終わったと言って良い。

 後は適当に相槌を打って、解散の流れになった。ザラはクミンを気に入らない相手だと思っているが、同時に話の通じる奴だとも思っている。

 ザラは、クミンをモリーに縋りつく宿り木のようなものと認識していた。それゆえ、寄生した成木を失うことを極端に恐れる。そこを突けば、誘導は容易いものだ。

 共生が可能な相手に対しては、ザラもクミンも鷹揚だった。お互いに単純な利害関係と割り切れば、いがみ合うべき理由はない。

 

「お互いに、持ちつ持たれつで行きましょう。私の方でも、モリーさんをフォローしますよ。巡り巡って、それが貴女達の為にもなる。――違いますか?」

「違わないさ、まったく! だから、私はお前が嫌いだよ」

「私は、貴女のことが嫌いではありませんよ、ザラ隊長。……実利がある限りにおいて、貴女は私を許容する。口喧嘩の相手も、居た方が張り合いがあると言うものです」

 

 モリーがいないところで、外堀が埋められていく。

 まことに丁寧に、詰まされていくのだ。行く先が人生の墓場だと思えば、そこまで悪い結果でもないだろう。

 人間、誰しも終生の寝床を定めねばならない。寝床の寝心地が良いものになるなら、その棺に収まることは、決して不幸とは言えまい。

 

「モリーの奴も覚悟を決めたのなら、そろそろ借金を徴収しに行く頃合いだろう。これも負債の回収と思えば、当然の流れだと言えるな」

「明け透けに言うなら、アラサーを惑わした責任を取らせる流れですね。女の感情や欲求をあおったことを借金と捉えて、結婚を負債の回収に例えるなら、そこまで的外れとは言いません。――が、もう少し色気のある言い回しをしませんか?」

「無用だ。クロノワークにおいては、率直さこそ美徳とされる。私だって、クロノワーク女子として、当たり前のことを求めているに過ぎないんだからな」

 

 そうして、モリーは責任を求められる。本人に覚悟があるなら、真面目に受け止めねばならない展開だった。

 全てを計算した上で迫っているなら、ザラこそがもっとも狡猾な女であるともいえるだろう。そんな女性を娶って、モリーは生涯にわたって責任を持ち続けねばならないのだ。

 

「クロノワーク女子は、誰も彼も重いですね。――もっとも、だからこそ私のような女に、価値が出てくると言うものですが」

 

 クミンはそう言って、モリーに同情するのだった。元ハーレム嬢、という立場は、騎士身分から見れば明らかに格下である。遊びで抱くのも抱かれるのも、クミンは受け入れるつもりだった。

 そして、肉体関係が出来たからと言って、ことさらにモリーから特別扱いされたいとも思わない。適切な距離で、ほどほどの付き合いが出来ればいい。シルビア王女からの特別報酬をいただける立場は、なるべく長く維持したいのだった。

 

「重しが無ければ、どこかに飛んで行ってしまいそうな奴だ。私たちの重い愛情は、モリーを守るためでもあるんだぞ?」

「物は言いようですね、本当に。――その手の理屈は、嫌いじゃありませんよ。好きでもありませんが」

 

 しかし、重い愛は相手を疲れさせるとクミンは思う。モリーの精神が如何に強靭であるとはいえ、そんな女性を多数抱えてしまえば、疲労も馬鹿になるまい。

 愛の重みに疲れているとき、友人感覚で付き合える愛人というものは、これはこれで需要があるように思われた。

 そうして、己の独自性を強調して、生き残りを図るのだ。他者の中で埋没するくらいなら、自己主張で生存権を確保してやろうと思うくらいには、クミンもまた計算高くあったのである――。

 

 




 『戦士学』というものについては、原作では全く触れられていない、私が勝手に付け足したものなので、あんまり気にしないでいただけると幸いです。
 原作では地味に人の命が軽かったり、アレな描写が普通にあるので、そうしたシビアな価値観を説明するのに『戦士学』は便利な概念だと思いました。


 興味を持った方は、デーヴ・グロスマンの『戦争の心理学』をお薦めします。
 例によって、アマゾンのレビューなどを参考にして頂ければ、なんとなく察していただけるのではないでしょうか。

 同じ作者の『戦争における人殺しの心理学』という書籍の続編にあたるので、そちらも合わせてお読みいただければ、より楽しめると思います。



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外交と交易と不穏な関係のお話


 前振りだけでやたら回りくどい話になってしまいましたが、もういつものことと割り切ってしまいます。

 とにかく前に。話を進めなければ。
 来年中に完結させたいと、本心から願っています。その割に筆の進みが遅いのは、どうかお許しを。



 シルビア王女が交易の拡大を求める動きは、迅速かつ丁寧な物であった。彼女の意欲の強さと言うものが、その姿勢には現れていた。

 大規模な物流を管理し、これを維持する。それを主宰することの意義は大きく、それがためにゼニアルゼは国力以上の権威を持つことになるのだ。

 

 すでに国家間をむすぶトンネルが完成し、街道や宿場の整備などと言った土木工事も一通り終了した。

 これにより、ゼニアルゼ・クロノワーク・ソクオチ間における交通の便は、以前とは比較にならぬほど改善されたと言える。今後は交易品を山ほど積んだ馬車が行き交い、多量の物資が多国間を循環することになるだろう。

 

 さて、急速に交通が活発になれば、あらゆる需要が活性化する。交易に投入されるヒト、モノ、カネ。その全てがこれまでとは段違いなほどに跳ね上がっているのが、今という時代であった。

 そして商売のタネは商人だけのものではない。他の例を述べるなら――単純に生産者は売買の機会が増える、街道整備には土木事業者が必要になる、という具合である。

 

 その延長線上に、盗賊が存在していると言えば、納得は容易だろう。

 ゼニアルゼ、クロノワーク、そしてソクオチの三国が交易に力を入れている現状、これをかすめ取ろうとする勢力が現れるのは、当然の成り行きである。そして、自衛への動きもまた、必然であった。

 

「その手の不届き者を処分するのも、私たちの仕事とはいえ――。シルビア王女、ちょっと急ぎ過ぎてない? 大丈夫?」

 

 クロノワークでは、護衛隊や特殊部隊まで含めて、できたばかりの交通網を警護する仕事に従事していた。

 その中でもメイルとザラは、積極的に盗賊どもを掃討する実働部隊を率いている。

 

「展開があまりにも早いから、メイルの危惧もわかるがな。あの人も、流石にわかってやっているはずだ。……盗賊どもも、私らが潰して回ればすぐに自重するだろ。今はどこもかしこも労働力が足りてない。職を選ばねば、一応の食い扶持にはあり付けるからな」

 

 盗賊稼業が割に合わぬと気付いて、剣を捨ててくれるのが一番面倒がない――とザラは言った。メイルは彼女の意見に理を認めつつも、現実は非情だと説く。

 

「その食い扶持にもあり付けないくらい、当人たちの現状が詰んでいたらどうしようもないでしょ? 常習犯とか、教育が受け付けないレベルで頭が残念な奴とか、そんな連中は結局盗賊であり続けることを選ぶのよ。……生まれ持った環境の差って、残酷よね」

「――どうしようもない連中の首を切ってやるのも、私らの仕事か。まったくもって、世知辛い世の中だな。まったく」

 

 メイルもザラも、治安を守る側の人間である。こうやって、交易の物資を狙った盗賊どもを狩りだすことに、思う所があっても異議があるわけではないのだ。

 特に今回は、特別予算で実働部隊にはボーナスも出る。口で言うほどには、ザラも気分を害してはいない。

 

「交通網の発達は、交易上の利点だけではなく、国威の向上にも繋がる。流通を抑えている内は、ゼニアルゼなくして西方の安定はありえないだろう。シルビア王女の目論見に乗せられて、こちらにも益があるうちは良いんだが。……行きつく先が見えないというのは、案外不安を煽るものだな」

 

 交易の安全を確保するために、治安の維持が不可欠とはいえ、話の展開が早すぎるように思えた。

 ――予算を計上して、命令を伝達し、実行する。言葉にすれば簡単だが、間に挟まる煩雑な書類仕事の量を思えば、事前に想定していなければありえない速度ではないか。その辺りの闇を、ザラもメイルも察しざるを得ない。

 

「盗賊の掃討に関して、何かしらの不穏な意図があっても可笑しくはないけど――深く考えても仕方のない事よ。世知辛い世の中でも、蹂躙する側の私たちはマシな方なのは確か。特別予算を付けての治安維持とか、ゼニアルゼとつながる前は考えられなかったことよ。これで懐も温かくなるし、不穏分子が消えて皆からは感謝される。……そう思えば、シルビア王女にも感謝したくならない?」

 

 細かい事情に精通しているわけではない。ただ、シルビア王女の指揮に従うことに慣れているメイルは、闇を感じてもこのままの流れに乗ることを選んだ。なればこその、この発言である。

 

「……騙されるな。あの人はあの人で、金をばらまいて人望を買ってるつもりなんだ。味方で居れば、利益をくれてやる――なんて。露骨にもほどがあると、私は思うぞ」

 

 ザラは、これに反発した。とはいえ、消極的な形であるから、表立って是正しようとは思っていない。

 それがわかるから、メイルも思う所を述べる。

 

「懸念する気持ちも、わからないではないけど。現状、シルビア王女の手に乗ることが、悪いこととは私は思わないわね。――ザラも、気を回すことが多いんでしょう。でも、私たちの手の及ばないところまで考えても、どうにもならないのが現実ってものよ。とりあえずは、目の前の任務に集中すべきだと思うの」

「……とりあえずは、という部分に関しては道理だな。潮が変わるまでは、あの人のノリに付き合うのもいいだろう。私も偶には現場に出て剣を振るわなくては、勘が鈍ってしまう。――よくよく考えれば、隊長としての威厳を示す、いい機会でもあるしな」

 

 この手の殲滅任務は、かつては珍しくもなかったのだが、流石に狩り過ぎたのか随分と活動も控えめになっていた。

 今回の件であぶりだされた連中は、おそらく出がらしに近いであろう。――少なくとも、勝手知ったるクロノワーク国内に関しては。

 

「ちょいちょい潰しながら、国内を回ってるけど。数が少ないから歯ごたえがないのよね。……まあ、盗賊相手に戦死者とか出したら恥だし、楽に済むならそれに越したことはないにしても――」

「小粒過ぎて逆に怪しい、と。……余所に流れている可能性も、あるにはあるか? 盗賊なんぞ流民も同然だし、河岸を変えるのも不思議ではないが」

 

 すると、どこに流れたのか、というのが問題になる。ゼニアルゼは元々治安の良い国だから、変化があれば即座に情報が来るはずだが、その手の悪い話は聞いていない。

 クロノワーク内は、ただいま自らの手で探りを入れている最中だ。これまでの成果を思えば、潰し残しがあっても少数だろう。

 ――ならば敗戦を経験し、経済的にも政治的にも脆弱になったソクオチはどうか。疑うならば、そちらになると、両者は同じ結論に達した。

 

「しかし、何だ。お前も色々と考えるようになったな? メイル」

「貴女やモリーばかりに、頭脳労働を任せるのもね。――私は直感型だから、理論を積み上げて結論を出す貴女達とは、また別の思考で答えを出せる。思うんだけど、私も一緒に議論に参加できたら、より多角的な判断ができて、いい感じにならないかしら?」

「もちろん、なるさ。これからは、アテにさせてもらおう」

 

 言うなれば、ザラは知略型の将である。その本質はと言えば、理論と実践を擦り合わせて現実を正確にとらえ、明確な利を持って行動するのが彼女の本質である。

 対して、メイルは本能型。直感を信じて自ら行動し、理論ではなく感覚で結果を叩きだす。よって事が起きる前は突拍子のない行動に見えても、実際に変事があれば、結果的に理にかなっているという――。

 知略型からすれば、なんとも理解しがたい論理で動いているように見えるのだ。しかし、そうであるがゆえに、利用価値もある。ザラは、それは率直に認めた。

 

「自分にないものを身内が持っていて、いざという時は補助してくれるっていうのは、安心感があっていい。実際にメイルがやる気になってくれるなら、私は本気で歓迎する。――有能な同僚を持ったことを、私は幸運に思うよ」

「実務的にも、愛人的な意味でも? ……貴女の寛容さに、私は感謝するべきなのかしら」

「――いらん。モリーを相手に正妻を争うなど無意味なことだ。別に私だって、お前のことは嫌いじゃない。上手くやっていこうじゃないか、お互いに。何と言っても、まだまだ世の中は平穏からは遠いのだからな」

 

 ザラは、ただでさえ悪い目つきを更に鋭くさせながら、強い口調で言った。

 メイルはやはり、とそれに応える。

 

「一波乱、起きると思う?」

「メイルの方でも同じ意見なら、ほぼ確定だろうな。――私も小耳にはさんだ程度だが、ソクオチの方がどうもキナ臭い」

 

 これまでのメイルであれば、どこから情報を得てるんだ、と突っ込みを入れる場面であるが。

 もはや一蓮托生と思えば、いちいち探りを入れようとも思わなかった。だから、己が感ずるところをそのまま口にする。

 

「やっぱり? ……盗賊どもがそっちに逃げ込んだっぽいから、何かあるとしたらその方面かしら。ザラはどう思うの?」

「ソクオチで盗賊が荒らし回ってる程度で済むなら、まだ良かったんだがなぁ。……私なりに色々と考えてみたが、どうにも――」

 

 ここで、ザラはうんざりするような表情で、自らの懸念を口にする。言葉を濁すあたり、本気で悩んでいるだろうと、メイルの方でも察してしまった。

 

「何? 貴女が懸念するようなことが、まだ残ってるっての?」

「ちょうど、モリーがオサナ王子を連れて、ソクオチの祭事に出向いている。その話だけなら、もう聞いてるだろ?」

「ええ、モリーも忙しないわね。彼女なりに苦労してるのはわかるし、助けになってやりたいのはやまやまだけど。助けを求めない内は、見守ってあげるのが女の立場と言うものでしょう?」

 

 まったく同感だし、メイルの勘が危険を感じ取っていないなら、問題はあるまいとザラは結論付ける。その上で述べることがあるとすれば、政治的な部分になるだろう。

 

「とはいえ、不安がないと言えば嘘になるがね。ソクオチは微妙な時期だから、あいつを加えて護衛を強化し、王子様を巡行させる。この政治的なアピールで、ソクオチの未来は明るいと主張したいんだろう。――これ、シルビア王女の発案らしいんだが、不穏な気配を感じるのは気のせいだろうか?」

 

 ザラとしては、モリーをきちんと副隊長として使いたい気持ちがあった。だから、こうやって外部から口出しをされて、内向きの任務から外されることには思う所がある。

 だが今回は、シルビア王女から手が伸びていることに、より怪しい気配を感じるのだ。

 

「……直感だけど、私も何か起こると思うわ。あのお方が発案ってところが特に」

「交易の活性化からの、盗賊どもの掃討は、結果としてソクオチへの不穏分子の追い込みになってしまう。あまりにも計画的であり過ぎると思うんだが、メイルの意見を聞こうか」

「そうね。――シルビア王女の仕込みなら、タダで済むはずないわ。私とザラの意見が一致するなら、絶対何か起こるし、今から駆けつけるのも遅すぎるわね。まあ、モリーが付いているんなら、心配は無用でしょ」

 

 メイルはその直感で、結論を先取りする。ザラも、彼女の反応から、結果を察した。

 モリーの精神性を考えるなら、結論はすでに出ていると言って良い。

 

「盗賊っていうか、不穏分子ども? そいつらに同情するわ。……真面目に働いていれば、長生きできたでしょうに」

「私は寿いでやりたいがな。無様に生きるくらいなら、さっさと死んでおくべきだ。後腐れのない形であの世に行けるなら、むしろ救いであるとさえ思う」

「……それはちょっと、モリーの感覚に毒されてない? 物騒過ぎる発言だと思うんだけど」

「ああ――ちょっと、大丈夫じゃなかったかな。モリーの奴め、どこまでも私を惑わしてくれるな。……今回は、メイルのおかげで正気に戻れた。これからも、お前が指摘してくるなら安心できるんだが」

「それくらいなら、お安い御用よ。……でも、ザラって付き合う相手に染まる女だったのね。モリーがダメンズじゃなくて良かった」

「ダメンズだぞ、あいつ。女関係もそうだが、自分に対する評価ってものがわかってない。……どういっても自覚を持たん馬鹿には、ダメンズという表現で足りるかどうかはわからんがね」

「いいじゃない、多少は馬鹿でいてくれた方が、支え甲斐もあるってものよ。モリーがどうしようもない馬鹿なのは、確かだし。その馬鹿さ加減にたぶらかされた身としては、変わってほしくもないんだけどね」

 

 処置なしとばかりに、メイルは呆れてみせる。もっとも、彼女はモリーの人間性を問題だとは感じていない様子である。呆れながらも、その駄目っぷりが愛しいという具合に。

 いずれにせよ、ザラにとっては些事であった。彼女が思うのは、凱旋してきたモリーを、いかに迎えるのか。

 

「過程はどうあれ、ソクオチがキナ臭くなっているなら、モリーが巻き込まれるのは必定。……あいつのことだから、首尾よく功を立ててくるか」

「せいぜい、体で労ってあげましょうかね。……慣れてないから、不器用なことになっても、それはそれで愛嬌ってことで」

「――今後のことを考えると、割と死活問題だな。あいつに限って、どこかの娼婦を偏愛するなんてことはないだろうが。私たちが努力を怠っていい理由にはならないんだよなぁ……」

「モリーのことを、愛してるんだもの。愛しているなら、優しくしてあげたいし、力になってあげたいと思う。――私もザラも、その気持ちは確かに共有しているんだから、心配しなくてもいいんじゃないかしら」

「そうは言っても、泥棒猫に横からかっさらわれたくはないからな。いや、モリーが私たちを蔑ろにするはずはないと思うんだが、やはり女としての自分に自信がないから、どうしても不安になるんだ」

「……それだけは、他人事じゃないわね。床の作法に疎いのは、私も同じだし。ううん、こればかりはモリーの意見を聞かないと何とも言えないかしら」

 

 我が身で釣り合うのかどうか、喜んでくれるかどうか、その辺りでちょっと羞恥心を感ずる程度には、ザラやメイルもまた乙女であったと言えるのだろう。

 もっとも、乙女であることに拘泥する理由もない。体で関心が買えるのなら惜しむべきではないし、何より夜伽は直接的に身体を通じ合わせるコミュニケーションだ。

 お互いに愛情を感じ合うのに、これほど鮮烈な方法はない。より深く、より正直に重なり合うための努力は、欠かしたくないのだと。そう思うくらいには、二人の想いは真摯であったと言えるのだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば知らん間に、まさかのソクオチ行きである。モリーは今になって、己の境遇を省みています。要人警護とか、滅多にやらない分野だからちょっと緊張しちゃうね。

 ……いや、ソクオチの方で政治的な行事をやりたいから、オサナ王子を一時帰国させるのはわかるんだよ。

 属国化したソクオチは政情不安だから、王子を用いて鎮静化を図るのは良い。彼自身、ここで争いのタネをまく様な馬鹿でもないし、余計な言動は祖国の為にもならないと私からも言い聞かせてるんでね。現状、政治的な利用に問題はないだろう。

 とはいえ、肝心のソクオチは敗戦の後で軍が弱体化している。だから、護衛に気を使うのはまだわかる流れだ。

 

 わからないのは、オサナ王子の近侍として、私が選ばれたことだよ。王子が是非にもと望んでくれたため、この行事が終わってクロノワークに帰国するまでは、私は彼の傍に付いていなくてはならないらしい。もっと別に、適任が居なかったんですかねぇ……?

 

「座学の授業も進まない内に、この仕事ですからね。――私とて、思うところはありますよ」

「面倒とは思うが、許してほしい。僕が一番信頼する護衛となると、モリー先生以外には考えられないのでな。エメラ王女にも、色々と心配されたし、僕としても万全を期して望みたいんだ」

 

 馬車に揺られながら、オサナ王子はそう言った。王族と同乗する立場になるなんて、偉くなったものだなぁ――なんて、暢気な気分にはなれそうもありません。

 クロノワークからソクオチへの旅路は、そう長いものではないけれど。それでもどんなに早い馬車を使っても、天候次第では二日から三日は掛かってしまう。

 交通が改善したとはいえ、ソクオチの首都への道のりは、そこそこの時間を要する……というのは、現代的な感覚なのかもしれない。

 一日あれば端から端まで移動できる、現代日本の基準が可笑しいんだろうね、これは。

 

「理解はしましたが、信頼する相手が、かつて己を捕らえた相手だ――というのは、笑える話ですね」

「笑い話ではなく、本気で言っている。有能な敵というのは、時として半端な味方より信頼できるものなんだって。……僕は、そう思うようになったんだよ、先生」

 

 オサナ王子は、敗戦後直ぐにクロノワークに移送されたから、母国への信頼を育む時間が足りなかったのかもしれない。

 ……敗戦までに、信頼を培えなかったソクオチ騎士たちの不甲斐なさを、私は責めるべきなんだろうか。それとも、相手の無能さに付け込める現状を祝うべきなのか。

 

「なんとも複雑な感がありますが、ともかく。……先生とか、思いっきり身内っぽい言い方はいかがなものでしょうか。オサナ王子との付き合いは、そう長いものではありません。教師役をやっているのも、数奇なめぐりあわせの結果と言うべきで、私は望んでやったことではないのです」

「しかし、先生は僕と真剣に向き合ってくれている。子供だからと言って侮らないし、過剰に手加減したりしない。……僕に出来ることを見極めて、やれるかぎりのことをさせてくれる。無茶に近い鍛錬も、身体を壊さないギリギリの線でやらせてもらってるんだ。これで結果も出てるんだから、信頼するなという方が無理だろ」

「体力が付いた実感とか、これまでの己の蒙昧さを自覚したことは、全ては貴方自身の努力の成果です。……私が指導せずとも、貴方ならばそのうちに気付いた事であり、成長できたことです」

「僕自身の努力だけでは、今この時には間に合わなかった。だから信頼しているし、傍にいてもらっているんだ。これは別に、悪いことじゃないだろ? ここは、素直に感謝させてほしい」

 

 子供って案外、大人の言動を観察しているものなんです。特にこの時期の男の子は繊細だ。

 だからオサナ王子が子供であっても、決して舐めてかかったりせず、本気で対応してるわけですね。

 子供だからできないよね、まだ幼いから仕方ないよね、なんて言い方は相手を傷つける。

 私は、会話一つでさえ教育だと思って、真剣に向かい合うことが重要だと思っているんだよ。

 悪く言えば、取り入るための手段の一つに過ぎないわけだが。オサナ王子は聡明な人だから、私の打算を理解した上で、その有用性こそが大事なのだと答えてくれている。

 

「賛辞は、ありがたく受け取りましょう。それでもソクオチ国民からすれば、僭越であると捉えられても仕方がない。そういう扱いをしてきたという自覚はあります」

「だから、なんだ。他ならぬ僕が良しとしているんだ。外野にあれこれ言われる道理はないぞ」

「世の中、それですべて片付いたら面倒はないのです。……王族の体面と言うものをお考え下さい」

「そうした下らない体面より、貴女は僕の教育を優先してくれた。だからこそ、容赦なく、厳しく鍛え上げてくれてるんだろう? そこまで真剣に、本気で僕と向き合ってくれた人は、ソクオチにはいなかったんだ。両親でさえ、そうだった」

 

 おっと、ここでオサナ王子の闇が入りましたね。ネグレクトとかじゃないんでしょうけど、なんか機械的に扱われてたとかそんな感じかな?

 ……いや、あの。その手の話は茶化せないので対応に困るんですがそれは。

 

「ご両親とか、母国での近侍の連中とか。心を許せる人はいなかったのですか?」

「……どうだろう。今思えば、そんなに意識していなかったともいえるし――。ああ、そうだな。少なくとも、こうやって適度な緊張感を保ちながら、明け透けに話せる相手はいなかったよ、モリー先生」

「公式の場では、ご自重ください。――わかりましたね?」

 

 もちろんだ、とオサナ王子は快諾してくださいました。……わざわざ指摘しなきゃならん辺り、私のおかれている立場は複雑になりつつある。

 特殊部隊の副隊長で、ゼニアルゼには多くの教え子がおり、東方の商人とのつながりもあれば、シルビア王女との交流もある。

 そのうえ、ソクオチの王子様の個人的な教師であり、この度は信頼できる護衛としてここにいるのだから。

 ……私自身、政治的にやっかいな存在になっている気がしますね、どうも。

 さりとて半分は狙ってやったことだから、文句をつけるのは贅沢が過ぎるってものだろう。ソクオチの首都につくまでは、静かに時を待つほかあるまい。

 

 ――クロノワークからソクオチへの移動は、退屈なものだった。とはいえ、馬車で運ばれるのに楽しみを見出せるほうが珍しい。

 メイルさんが傍に居るわけではないし、オサナ王子は馬車の中で活動できるほど活発な人でもなかった。

 だから、自然と馬車の中で休憩するか、なんとなく外に出て周囲の景観をながめるくらいしか、やることがないわけだね。

 王子や他の護衛達と駄弁るのが嫌ってわけじゃないけど、こういう状況で警戒を怠れるほど、私は豪胆にはなれないのだ。だから、馬車の近くで不審な動きがあれば、即座に動けるくらいの体勢は、常に整えていた。

 

「――しかし、何もなし、か」

「何もなくて結構じゃないか。……僕は疲れた。久々に、王城の自室に戻らせてもらおう」

 

 ソクオチの首都までの道のりは、色々と怪しい所もあり、それだけに警戒はしていたのだが――結局、最後まで不穏な気配は感じなかった。

 順当に工程が進んでいるのだから、私は喜んでいいはずだが。どうにも引っかかるというか、感覚はまだ油断するな、と呼び掛けてきている。そもそもこの度のオサナ王子の帰国について、私はキナ臭いものを感じて仕方がないんだ。

 

 まるで、誰かがこれを機会に騒乱を引き起こすような、そんな危惧を私は持ち続けている。

 誰が望み、誰が暴れるのか。何者の思惑によって、何者がたぶらかされるのか。複雑に絡み合う政治事情とでもいうべきか、ともかく謀略的な臭いが鼻にくる。

 

 これは感覚的な物で、論理的な証拠がないから、確信を得るには遠い。最近忙しくて、情報収集に時間を割けなかったのが響いているね。

 ――出立前には、彼女らと挨拶する暇さえなかった。せめて、ザラと連絡が取れていたら違ったんだろうか。

 

「王子はどうか、気にせずにお休みください。こちらはこちらで、警護だけは万全にしておきますので」

「そうか、ご苦労。祭事は明日からだが、そう難しいものではない。護衛上、傍を離れられないとはいえ、そう固くならないでもいいぞ。――では、またな」

 

 オサナ王子を見送った後、私は私で思考を回す。懸念を放置して、行き当たりばったりで対応するのは私の好みじゃないのでね。

 

 別段、祭事の内容を問題視しているわけじゃないんだけど。――いや、ある意味では危惧していると言ってもいいのか。

 ともかく誰ぞが不穏な企みを計画していて、オサナ王子を巻き込もうとしているなら、彼が帰国した今を狙わない理由はない。最悪の事態に備えるのも、私の仕事だろう。

 相手がどこの誰であれ、私は王子の身辺を守る義務があるのだ。そう思えば、なおさらに気が引き締まる思いだった。

 

「仮にオサナ王子を害するとして。……王城までの街道で襲わないなら、次はどこを狙う? 相手の狙いは政治的な物か、単なる怨恨か? いずれにせよ、考えるべきことは多そうですね」

 

 日程を見直さねばならない。祭事を取りやめることは難しくても、やり方は変えようがあるはず。オサナ王子は、説いてわからぬ人ではない。安全の為だと言えば、聞き分けよう。

 我ながら心配が過ぎると思わぬでもないが、本能が危険を喚起しているのであれば、無視も出来ぬ。

 襲撃者が機会をうかがっているとして、帰国の途という、わかりやすい状況を見逃す理由があるとすれば――それは何か。

 こちらの情報が洩れていて、最適の時期を見越して態勢を整えている、という答えがまず思いつく。

 そこまではいかずとも、敵はこちらの弱みを探っていて、隙を見せれば襲い掛かってくると想定するのが無難だろうか。行きではなく、帰りの気のゆるみを狙うというのも、アリと言えばアリな線だ。

 

 ともあれ、本日は警備が密な首都の、さらに厳重な王城にオサナ王子はいるのだ。私などが気を回さずとも、流石に今宵に敵が動くとは思われなかった。

 

「明日以降の警戒は、さらに強めねばなりませんね。私の進言で変えられる範囲で済むなら、ありがたいのですが」

 

 祭事は十数日にわたって続けられる。この語に及んでは、細かな工程に至るまで、私の目で確認せずには居れぬ。

 この眼が黒いうちは、如何なる狼藉も許しはしないのだと、そう決意を新たにしながら、私は今回の仕事に向き合うのです。

 

 ――さて、肝心の祭事の日程と、その内容に関して。

 

 まずソクオチの祭事って、どんなの? って思ってたけど、そこまで大層な行事でもないっぽいね。

 やることを単純に言ったら、各地を回りつつその土地の獣を狩ったり、焼き畑に参加するだけ。それをもったいぶって形式を整えるから、祭事になる訳だね。焼き畑って辺り、クロノワークの炎上祭に通じるものがある。

 ソクオチだと毎年じゃなくて、数年おきに行われているって辺りが大きな違いだろうか。似てるには似てるので、どこかで文化が混じり合った歴史があったとしても、可笑しいとは思わないけど。

 あるいは昔、直系の王族がソクオチ各地を巡行して、地方領主の監視を行う風習でもあったのかもしれない。その名目として行っていたことが、いつの間にか祭事として扱われるようになったとか、ありそうではある。

 

 ただ、これを現在の情勢でやる場合、ただの祭では終わらせられない。ソクオチはクロノワーク・ゼニアルゼ同盟の実質的な属国になった。それからすぐに行われる祭事に、政治的な色合いがないなんて、それこそありえない話だった。

 

 シルビア王女は、ソクオチ内で大規模な粛清は行わなかった。ゼニアルゼでは、隠すことなく大っぴらにやらかしたというのに、である。

 それどころか、オサナ王子の扱いは寛大で、立場を尊重して一時帰国まで許している。

 敗戦後もソクオチの王族は取り潰されることなく、既得権益にしがみつく層だって、有用なうちは容易に切り捨てない――という。これはその政治的アピールとして行われるものだと、よくよく考えれば気付くだろう。

 実際に、正当な王位継承者たるオサナ王子が、他国の護衛付きで祭事をやるわけで。この意図をくみ取れない馬鹿は、貴族なんてやれてないと思うんですね。

 

 更に思考を展開すると――これでソクオチ内が盤石になっちゃうと、クロノワーク・ゼニアルゼ同盟が西方世界で追随を許さない、一強の勢力になりそうな感じがある。

 ほどほどにソクオチが荒れていてくれた方が、周辺各国にとっては都合がいい。強国の足を引っ張る属国があれば、いざという時に譲歩を迫れるかもしれないからね。

 少なくとも、その可能性があるってだけでも安心感が段違いだ。だから他国の連中が、今回の祭事は失敗してほしい、と思っても不思議はない。

 

 ――私が何かしら、不穏な気配を感じたのはその点かもしれない。今さらソクオチで暴動とか反乱祭りが起こったところで、クロノワークの国境が抜けるわけもなし。私の身内には被害が出ない問題だから、楽観的にとらえてもいいんだけど。

 

 ……シルビア王女は、かなり困ってしまうね。交易を売り物にしている彼女からすれば、ソクオチの治安が悪化して交通が滞れば、その影響は捨て置けないものになるはず。

 ソクオチ領だけが交易の恩恵を受けられないとなると、シルビア王女の威光にも陰りが出る。その仮想敵の隙を見逃すほど、周辺各国の狐狸どもは甘くはあるまい。

 なにより、彼女に対する、有効な嫌がらせになる――と思えば。敗戦を経験したソクオチ貴族にとっても無聊を慰める手段にはなるか。

 

 先の敗北によって割を食った連中が、後先考えずに何かしらやらかす可能性はある。外部からちょっかいを掛けに来る馬鹿と繋がることも、あるいはありえるか。

 そう思って、備えておくべきだろう。将来の損を飲み込んででも、恨みつらみを解消したい。そうした感情を抱えてこそ、人だと言える。これは平民も貴族も関係あるまい。

 出来る限り防ぎたいとは思うが、もし事件が起こってしまったら、論理ではなく感情の問題だから、大義名分で収まる話じゃない。

 オサナ王子にはなるべく関わらせたくないから、彼が休んでいる内に出来る手は打っておくべきかな。

 

 具体的には、まず情報収集を。『天使と小悪魔の真偽の愛』とのつながりが、ここでものを言う。もしもの時に備えて、傘下の風俗店とはあらかじめ繋ぎを取っていたからね。今宵の内に、気がかりは解消しておきたい。

 書類を送って、もしもの時は協力しましょうって話を付けるくらいなら、通常業務の合間に出来ることだし。近隣諸国にある提携先の店くらいは、把握しておくのが嗜みってものでしょう。

 ……あくまで情報収集するだけです。風俗店としての利用するつもりはありません。だからこれは浮気じゃないって、帰国したら伝えないとね。女の耳は早いから、そこは気を付けないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王城にいる間は、オサナ王子の身辺に不安はない。だから私が出かけても、警備上の問題はなかった。

 そもそも私、王子の護衛隊枠じゃなくて、近侍枠だからね。ここ大事な所。要所は彼らに任せて、私は遊撃的な立場で動いていこう。

 あらかじめ人員に余裕を持たせていたことが、私の行動に幅を持たせている。……その予算がどこから出ているかと言えば、ゼニアルゼ――ひいてはシルビア王女の懐からなわけで、どうにも作為的な何かを感じます。

 

「だからといっても、今追及すべき問題ではないんですけどね」

「私がここにいる時点で、何を言ってもあのお方の陰謀につながりそうですよね。……私は怖いから、追及なんてしませんけど」

 

 事前に話を通していた、組織傘下の風俗店に足を踏み入れると――そこにはクミン嬢がいました。

 私はもう驚かないよ。私がこちらに出向くことは、出立の前から報告をあげていたことだから。

 シルビア王女が私に何かを求めているとしたら、繋ぎとしての役割は彼女に任せる。

 そして、彼女が寄こす情報はきっと、決定的でわかりやすい代物なのだろうと、容易に想像がついた。

 

「で、情報でしたか? 何を求めているかによって、値段も時間も変わります――と、本来なら申し上げるところですが、今回は特別です。つい先日、必要な情報がまとまりましたので、新鮮なまま格安――しかも即日で詳細をお渡しできますよ」

「話が早くて助かります、クミンさん。毎度求めるばかりで、お返しが出来ず心苦しいくらいですが」

 

 ちょーっと引っ掛かる物言いだけど、今は良いや。

 それはそれとして、お金を渡せばいいだろって態度は、女性に対して失礼だと思うから。何かしらの形で、クミン嬢の力になれたらいいんだけど。

 情報は重要だから、ちょっとした贈り物くらいじゃ還元出来た気になれないんだね、どうも。

 

「モリーさんから、充分なお返しはもらっていますよ。――チップは要りません。私と貴女の仲じゃないですか」

「生来の不器用者なので、お金以外でしてあげられることがないのです。お許しください」

「いえいえ、ありますとも。そうですね、例えば――」

 

 おおっと。体で払うっていうのは、ナシで。……そうやって私を篭絡して、利用しようって腹なんでしょうが、貴女の思惑には乗りませんよ。

 

「キスくらいなら、挨拶みたいなものでしょうに」

「何のギャグかと思われるでしょうが、これで身持ちは固い方なので」

 

 残念ながら、仕事中なんでね。そういうのはプライベートの時間でお願いします。

 

「いえ、納得です。――貴女は、クロノワークの不利益になることはしない。そういう意味で、身持ちは固いと思いますよ」

「ご理解していただけたのなら、何よりです。……この流れで言うのもアレですが、さっそく情報の提供をお願いします」

「はい。今回については、ちょっと前からシルビア王女の通達がありましたからね。前に盗賊のねぐらを見つけた時よりは、よっぽど楽な仕事でしたよ」

 

 敗戦を経験すると、ベッドの中でこぼす愚痴も、それっぽいものが多くなるらしい。クミン嬢の経験話を色々と聞き流しつつ、私は手渡された書類を精査し始めた。

 あらかじめ範囲を絞って調達した情報でも、その中には様々な雑音が混じる。単純に有用なもの、個々では分かりづらいがつなげると真相が見えるもの、あるいはただのフェイクなど。

 この辺りの見極めは、実際に見て判断しないことにはわからない。感覚と経験で、なんとなくわかる部分だけでも覚えて帰ろう。今回は多分、それだけで充分だ。

 

「なんか扱いが雑ですね? メイルさんやザラさんと比べて、ちょっと私への対応が悪くありませんか?」

「風俗産の情報なんて、洩れたら面倒なことになるにきまってます。持ち出し禁止の書類に向かってますので、雑談に付き合う余裕が無くてすみません」

 

 お返しできなくて済まんね、なんて言っておきながらのこの態度ですよ。我ながら度し難いとは思います。

 でも、譲れないところは譲れないし、貴女を無条件で受け入れられるほど、私の器は大きくない。

 それを恥もすれば悔しくも思うけれど、やはり人間には限界と言うものがあるのです。だから返せるものがお金しかなくっても、どうか蔑まないであげてください。

 

「シルビア王女に報告する際は、『クミンからの情報は役に立った』と申し上げておきますよ。――彼女がソクオチに来てくれたから、情報の伝達はスムーズに行われたのだと、これも合わせて伝えておきますね」

「こちらの有用性をアピールしていただける、と。しかしその言い方では、さほど役に立っているように聞こえませんが?」

「……いえいえ。私がクミンさんを尊重し、心を砕いている。そうした姿勢を見せること自体が重要なのです。少なくとも、さしたる理由なく貴女が更迭されるようなことがあれば、私はシルビア王女に対して隔意を持つでしょう。――そうした態度を取ることもまた、一つの政治的な手段なのです」

 

 彼女とてハーレムで生き残ってきた経験、手管と言うものがあるだろう。それを応用すれば、今後も生き延びる手立てはあるはずだ。なので、私は彼女の立場を補強するだけで充分と見る。

 もっとも、これくらいは今さら言うまでもないことだろう。あくまで確認の為に話しているが、まるで釈迦に説法でもしている気分だよ。

 

「結構な話ですね! あれも政治、これも政治、ですか。――書類の内容は、おおよそ掴めましたか?」

「全てが真実であると仮定するなら、値千金の情報ですね。……これらの情報の精度を確認できないのが、残念です。本来ならば、複数の情報源から検討したいところですが――」

「そこはそれ、私たちにとっても生き残りが掛かっていますから。モリーさんには、ご理解いただければ幸いです。……しかし、そこまでの内容だったんですか?」

 

 情報の調達方法については、重ねて深くは聞くまい。ともあれ、所感を求められれば答えよう。

 

「ざっと見た感じ、随分と楽しそうなことが起こりそうな雰囲気ですね。ソクオチの政情不安は予想していましたが、治安の悪化が一番ひどい。この国唯一の武力である騎士団も、盗賊狩りで明確な成果を出せていない。……ですが、今一番怪しいのは盗賊集団より、貴族階級の腐敗ですね」

 

 先の敗戦で、徹底的に人員も装備も潰された騎士団は、治安維持の能力をほぼ失っているのだろう。

 戦後に満足な補給を受けた様子がなく、武具の更新どころか兵糧の備蓄さえ満足に行われていないというのは、何かしらの作為を感じる。これでは盗賊退治にしくじっても、責めるのは酷と言うものだろう。

 すると、本来騎士団へと配分されるはずだった予算はどこに行ったか? クロノワークもゼニアルゼも、現状は賠償金の取り立てなどしていない。だから、問題は国内にあるということになるんだが――。

 

「腐敗、と言われますと? ソクオチの治安は、確かに悪くなっています。ですが、それは敗戦後の混乱から立ち直っていないだけなのでは?」

「クミンさんは、書類に目を通していないのですね。……色々と考えはありますが、まあ穏当な部分から話しましょう」

 

 ソクオチの貴族階級といっても様々だが、今は関係のある部分だけを語っておこう。

 ――領地持ちの貴族連中からの徴税が、上手くいっていない。地方からの納税が滞っているのだから、騎士団の維持すら困難になってきていると、書類からは読み取れる。

 滞っている理由は様々だが、その中で『税を配送中に盗賊に奪われた』のが一番多い。それこそ、結託してわざとやってるんじゃないか、って言いたくなるくらいに。

 ここまでの情報を抜いてこられる辺り、『天使と小悪魔の真偽の愛』という組織の闇の深さも感じ取れる。あらかじめこの手の情報を書類にまとめて、この私に渡してくる辺り、シルビア王女の思惑も察しが付くじゃあないか。

 おそらく、この機会に一度派手に爆発させて、私にその後始末をしてほしいんだろう。期待が重くて恐縮してしまうよ、まったく。

 

「腐敗した連中と、盗賊連中が結託する理由がある、といえば深刻さが伝わるでしょうか」

「どこが穏当なんでしょう。……私は聞かない方がいい話ですか? 用事はもう済ませたんですし、そろそろ帰っていただいても構いませんよ」

「それを気遣いと捉えるか、厄介払いと捉えるかで、随分と今後の対応が変わりますね? クミン嬢」

 

 弱みに付け込む形で悪いが、私はここでクミン嬢から明確に言葉を引き出したいと思っている。

 人は、自分で口にした言葉に縛られるものだ。言ったからには、その通りに行動することが求められる。

 一貫性の原理とでもいうべきものだが、実際に言ったことさえ実行できぬ手合いを信用する者はいない。なので、ここは私の方から彼女にチャンスを与えたんだって、前向きにとらえてもらってもいいんだよ?

 

「なんですか、それ。――ああ、こちらの主体性のお話ですか。積極的に関わる気がないのなら、ハーレムに加えてやらないぞ、と。もしかして脅迫されてますか? 私」

「まさか、まさか。単なる軽口です。……貴女には感謝しています。それは本当、ですから」

 

 クミン嬢の存在が、私の精神を楽にしてくれたのは確かだ。私はともかく、彼女を使い捨てる理由など、シルビア王女にはないはず。

 あの方は、クミン嬢に被害が及ぶような手筋は取るまい。そう考えれば、ここで与えられた情報の精度は相応に高いと見ていいだろう。

 

「紐付きであることの利点ですね。私に利用価値があるように、貴女にも利用価値がある。――シルビア王女がそう判断している内は、私たちは安全です。ですから、安心していいんですよ?」

「……女性を口説く言葉ではないですね」

「今はお仕事中なので。甘い言葉が欲しければ、また今度に」

 

 真面目な話、シルビア王女が私に求めていることは、全て情報の中に含まれている。これを理解して、期待されたような行動ができなければ、彼女は私の価値をその程度のものと考えるだろう。

 今後を見据えれば、それは上手い展開ではない。シルビア王女の手から遠ざかるには、まだ早いのだ。

 ――ここに指針は定まった。行動するには、流石に独断とはいかぬ。オサナ王子へ話を通さずばなるまい。

 

「では、モリーさん。今度は皆さんと話を詰めてから参りましょう。……その時は、逃げないでくださいね」

「諸々のことは、帰国後にでも。――なんか怖いので、お手柔らかにお願いします。いや、本気で」

 

 終わった後のこと等、今から考えても始まらない。そうは思っても、帰国後のアレコレについて、頭を悩ませずにはいられないのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソクオチに帰ってからと言うもの、オサナ王子の心中は複雑な感覚で一杯だった。自室で寝っ転がっていると、色々なことを考えさせられる。

 例えば、久方ぶりの自分のベッドの感触。自国の人々が自分をどんな目で見ていたか、どんな感情を己に向けていたか。想像すればするほど、頭の中が混乱するようだった。

 

「――なんでだろうな」

 

 意味もなく、つぶやいた。自分は本当にここにいていいのか、いるべきなのか。ソクオチの正当な王族であり、王位継承者である己が、祖国においてそのような疑問を持つ。

 根拠のない感覚に過ぎない、といえばそれまでだが。仮にでもそう感じてしまった理由が、オサナ王子にはわからない。

 祖国に懐かしさは感じる。愛着もある。王族として、将来はこの国を導かねばならないとも思う。

 だが、帰ってきた己を歓迎する者は、皆どこかしら偽りの気配を漂わせていた。

 兵も使用人たちも、『よくぞお帰りなさいました、王子』という。だが、笑顔の中に別の感情があることを、この聡い子供は気づいていたのだ。

 

「……敗北者の子。お飾りの王子、か。陰口を聞いてみれば、なんてことはないじゃないか」

 

 確かに、ソクオチは敗戦国なのだ。王族として、オサナ王子にはこれを受け止める義務がある。

 適当な悪口など聞き流せばよい。力を持たない己の立場を省みれば、彼らが嘆きたくなる気持ちも、確かにわかるから。

 口先だけなら、不満のはけ口くらいにはなってやってもいい。――そう思うことが出来たのは、モリーの教育の賜物であったろう。

 

『君、君たらざれば、臣、臣たらず――という言葉が、東方にはございます。君主が君主らしい仕事をしていなければ、臣下だって臣下らしいことはしてあげません。ご恩と奉公の関係、と呼んでもいいですね』

 

 君臣の関係は、明確な上下が定まっている。だが人間は感情の生物であり、建前をそのまま実行するとは限らない。

 嫌な上司には対策を練るし、好ましい上司には忖度もする。そして上に立つ資格すら持たない子供に対しては、表面だけを取り繕えばいいだろう――なんて考えたりするのだ。

 

「モリー先生は、本当に先生だよ。現実を叩きつけて、厳しさで折れそうになっても。僕を鍛え上げて、立ち向かう力を与えてくれる。――僕に恩師と言うものがあるとするなら、それはモリー先生以外には、いないだろうな」

 

 いますぐに、オサナ王子を王位につけることは出来ない。成人しなければ、戴冠式は行えない。

 だが祭事に参加して、国民たちにソクオチの王族は健在であるのだと。我が国の未来は、決して暗いものではないのだと、アピールすることは出来る。

 この主張に説得力を持たせるには、オサナ王子の行動こそが必要であった。それを現時点で可能にしたのは、まさにモリーの力添えがあったからだと、当人は意識している。

 そうでなければ、師と認めたりはせぬ。王族の誇りと言うものは、決して軽いものではないのだ。

 

「僕に出来ることは、どれだけあるのか。そして、するべきでないことは、なにか。子供ながらに、考えていかないとな」

 

 実権のない王子だから、周りに流されるのは仕方がないにしても――。

 それでも自主性は尊重される立場であるし、やけになって暴れるほど現状の扱いは悪くない。

 

「モリー先生は、少し出てくると言っていたが。……何かしら、情報を集めてくれているのかな。明日にでも、その辺りを聞いてみよう」

 

 信頼できる師の存在は、確実にオサナ王子の精神を救っていたといえる。自分で考えられるだけの学識と、精神的な余裕。何より、貴種としての使命感の自覚。それをもたらしてくれた相手が誰なのか、彼は確実に理解していた。

 そして同時に、これは結果的にソクオチの未来を救済したとさえ、言えなくもないのだった。

 

 先に結論から述べるなら、オサナ王子が間近に迫る試練を切り抜けるには、モリーの存在が不可欠であった。

 そして、彼がこんなにも早くに試練を与えられ、これに立ち向かえたのは、モリーの教えが前提として存在する。

 

 モリーが国家間の政治において、カギとなる人物にまで躍り出た。単なる特殊部隊の副隊長であったはずの彼女が、そこまでの影響力を発揮しつつある。

 単純な個人で居られる時間も、そう残されていないのだと。それを自他共に周知されるまでには、さらに今少しの時間が必要であった――。

 

 




 というわけで、ソクオチ動乱編です。
 割とサクッと終わらせる予定なので、次話で収まってくれると良いのですが。

 この物語は100%、ノリと勢いで出来ています。出来具合にばらつきが出るのは、そういう作風でないと続けられない私の落ち度と言うものでしょう。

 次回作ではちょっとは改善させたいなあ、なんて思いながら、執筆を続けています。




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愚者には愚者なりの理由があるというお話

 今年最後の投稿です。例によって、無駄に長くなりました。

 ソクオチのお話は次話で解決と行きたいところですが、実際に書いているとあれもこれもと、どんどん長引くことも在りますので。

 それでも来年の内には完結させて、次回作に移りたいと、本気で思って執筆を続けています。


 なお、33歳独身女騎士隊長。 の書籍版第二巻も一月十二日に発売予定ですので、よろしければそちらもご確認ください。




 ソクオチの祭事の初日は、首都の神殿で王族が趣旨を述べるところから始まる。

 演説内容は、ソクオチの成り立ちと、王族の誇りについて。その国民たちに語り掛け、ソクオチの民であることの自覚をうながす内容になっている。

 獣を狩るにも焼き畑を行うにも、人出は必要なので、祭事には一般の国民たちも参加するのが通例だ。

 彼らへの協力を仰ぐ以上、王族が直々に声を掛けるというのも、一種の政治的なアピール行為である。代々続く祭事には、それ相応の手間と建前が必要になるというわけですね。

 

「この短い期間で帰国できたこと。その為に尽力した人々に、まずは感謝したい。我が国の祭事を延期させず、この大変な時期に行えたのは、多くの人たちがソクオチの為に働いてくれたからだ」

 

 もっとも、今回は伝統を上からなぞるだけではない。上から目線の傲慢な内容にならないよう、演説の原稿はシルビア王女家臣団の検閲と修正が入っています。前世紀から受け継いできたような、言い回しが古くて表現が硬い文章なんて、王子がしゃべっても滑稽に聞こえるだけだ。

 だから、年相応でも聞き手を思いやる様な、共感と寛容を強調するようなお話になっているんだね。――貴族の機嫌を取るよりも、庶民の人気取りをした方が、今は利益になるという判断かな。

 

「僕は、祖国の伝統と文化を守らねばならない。伝統と文化こそが、我が国の民と貴族を結ぶ、共通の価値観だと思うからだ。……僕は、それを維持する義務を負う王族であることを、これからも自覚し続けることを誓おう。まだまだ未熟で、至らぬ身であるが――少しでも、良い未来を創っていきたいと思っている。この度の祭事は、その第一歩だ。この場にいる者たちにも、改めて感謝の意を述べたい。皆が今もソクオチの民であってくれて、嬉しい。……ありがとう。そして、出来るなら今後とも、お互いに支え合って生きていこう」

 

 現代日本人的な価値観からすれば、割と陳腐な内容ではあったけれど。オサナ王子が直々に読み聞かせれば、案外悪くないようにも聞こえるから不思議なものだ。

 通り一遍の拍手の音も、案外本気で叩いている者がいるかもしれない。だとすれば、ソクオチの未来も捨てたものではないと思えるのだが、さて。

 ……ともあれ、言うべきことは言った。オサナ王子の話が終わると、集った者たちが隊列を組んで動き出す。

 

「――僕からは以上だ。さあ、出立するぞ」

 

 神殿を出れば、目的地までまっすぐに駆けるのみだ。幸いにというべきか、徒歩で向かうものは誰もいない。今回の祭事は、最初から最後まで、騎兵と馬車が全てを賄うことになっている。

 費用も掛かるし大仰に過ぎるが、ゼニアルゼの支援が大きいので、ソクオチ側としても文句はなかった。そして私としても、機動力を確保できたことは喜ばしいと思う。

 

 首都を出れば、オサナ王子に付き従うのは、まず護衛隊。そして私を含めた近侍達と、祭事の実務やら実働に必要な人手たちになる。これは現地でも集めるので、最初から最後まで付き合わせる人員はそこまで多くなかった。

 実際、大人数を付き従えて国内を巡行するとなると、時間が掛かって仕方がないだろうと思う。

 予算だけは潤沢だったから、馬車と騎兵をぜいたくに使えたのは僥倖と言うものだろう。そうでもなければ、十数日と言う日程で祭事を終わらせるのは難しい、という事情もある。

 

 祭事とは言うものの、実際には王族の巡行である。この点、長年行われている祭事なのだから、警備上の観点からもきちんと検討されている。

 巡行ルートは整備が行き届いている街道を使うし、騎兵と馬車であれば、賊に襲われても逃げやすい。

 祭事への参加は、騎士にとっても平民にとっても名誉だとされる。報酬も相応だから、参加者の士気は高かった。相手が何者であれ、襲われても戦わずして投降する、ということもあるまい。

 

 もっとも、それだけにかかる費用は膨大だと言える。そのため、ソクオチではこの予算を工面するのに数年をかけていた訳だが――。もしかしたら、ゼニアルゼからの出資によって、この期間が短くなる可能性もある。

 ソクオチの内情が安定すれば、この手の祭事は規模を大きくして、一種の公共事業にしてしまうのも面白いか。そうすれば、国民への人気取りの手段としては有用だろう。

 

 ――まあ、それは未来の話。今現在、首都を出立した私たちは、近場から順次国内を巡ることになる。

 今回の祭事は敗戦の後ということもあって、規模としてはそこまで大きくない。狩猟と焼き畑の行事も、一か所のみ。

 それ以外の場所は、おおよそ巡行するだけで、ほぼ素通りすることになっている。場所によっては会見や会食もあるが、多くはないし規模も小さい。

 寂しい限りだが、内容よりも祭事をやったという事実の方が重要だろうから、文句をつけることもあるまい。王子を迎える方も、色々と厳しいご時世だからね。

 祭事においては、王族を歓待するにも格式が必要になる。それを用意できるところと言えば、流石に限られよう。

 

 ――で、この『限られる』っていう部分が今、問題だったりする。つまり、敗戦を経験し、徴税が滞っている中で、なお潤沢な財源を持ちうる土地。そこの領主たる貴族の存在が、まさにソクオチという国体を脅かしている。

 単純に豊かな土地を抑えているだけでなく、単独の武力をも備えている封建領主が、主君に対して忠誠を誓い続けてくれるかどうか――なんて。

 答えはもうわかりきっている。盗賊と結託している証拠は手元にないが、叛意に近い何かを持っているのだろう。何かしらの思惑が無ければ、盗賊など利用しようとは思うまい。

 

 盗賊を討伐する余裕が、ソクオチの中央には存在しないこと。先の敗戦によって、シルビア王女にケチを付けたい連中がいることを想定するなら、現状はあまりにも不穏と言える。

 この状況で祭事をつつがなく終えられるなら、ソクオチの政体はいまだ強固であるとアピールも出来たんだろうけども。

 今になって怪しい雰囲気が漂ってくるのだから、ソクオチは厄介な土地だ。いっそ、敗戦の際に思いっきり抵抗してくれていれば、今になって問題視することもなかったというのに。

 

 直前まで大人しくしておきながら、この段階で反抗を考えるなんて。シルビア王女には抗し切れなくとも、オサナ王子には従いたくないとでもいうのか。あるいはオサナ王子の現状にこそ、不満があるのか――。

 いずれにせよソクオチの内部、それも重大な地位を占める地方貴族が、何かしらの企みを持っているのは疑いない。

 

「……と、おおよそ適当に現状を語りました。ご感想を聞きたいですね? オサナ王子」

「何かしらの懸念があることはわかった。しかし、地方貴族へ疑いを向ける理由としては、まだ弱いと僕は見る」

 

 当たり前のように馬車に同乗し、オサナ王子と向かい合って話す。

 語ったのは、私の偏見交じりの半端な真実。もう少し言いようもあったのだが、この手の汚い話に対して、彼がどう感じるかが興味深かった。

 

 疑わしきは罰せず。それが法の基本だと思えば、確かに『背くかもしれぬ』という理由で処断なんてできない。そんなものやらかしたら、国力が低下する上に汚名まで背負って、末代まで馬鹿にされるんだからね。私は詳しいんだ。

 ――もっとも、某所で仕入れてきた情報の中に、証拠につながりそうな話があったとしたらどうだろう。探りを入れる理由としては、充分ではあるまいか。

 

「断定できるだけの情報があればよろしいとおっしゃる。決定的な証拠はこれから集めるつもりですが、疑いが深まることはあっても、消えることはないと思いますよ」

「……地方貴族の叛意が真実であれば、これから訪ねる先は狼の口も同然だな。祭事の最中は、いつ襲われても可笑しくないってことになる。正直、何かの勘違いであってほしいよ」

「まあ、情報源がいささかアレな所はあります。信頼できない、という意味ではなく、ある種の信頼だけは充分にあるから悩ましいのです」

 

 店の中で見た資料は、持ち出して証拠とするには難しい。『天使と小悪魔の真偽の愛』という組織は、この手の情報を握りつつも、大っぴらに公表せずに秘しているから一目置かれているのだ。

 だから大義名分は、今から確保せねばならない。突貫工事にもほどがあるが、情報も状況も整っている。私一人の労力でも、そこそこの結果は出せよう。

 単なる護衛とか近侍とか、性に合わないと思っていた所なんで。特殊部隊員としての力量が求められる仕事は、こちとら大歓迎ですよ。

 

「色々と申し上げましたが、現段階で断定するのは早計だ、とのお気持ちもわかります。なので、現地で私が直々に調べましょう。そこで集めた情報を吟味しつつ、改めて対応を考えればいいではありませんか」

「今から? 間に合うのか?」

「――絶対確実に、との保証は出来ませんが。ちょっとした伝手で、探るべき場所は辺りを付けています。巡行ルートをかんがみるに、そこまで無理のない範囲だと考えます」

 

 地方貴族に、王子が領地に入った途端に事を起こす、という気概はないと見る。そこまで果断なら、シルビア王女からの情報も、軍事色の強いものになっていたはず。

 私兵どもの調練、軍需物資の動き、社交界での振る舞いなどをかんがみるに、その地方貴族は拙速よりは巧遅を選ぶのではないか。

 こればかりは勘働きだが、まだ時間はあると思う。そうだと信じるならば、後は行動あるのみだ。

 

「僕の邪魔をしようってわけじゃない。僕が知るべきことを調べてきてくれる。これは、そういう話か?」

「はい。首尾よく地方貴族を処断できる名分を持ってきたら、ためらわない様に。叛意が本物ならば、相手は貴方にとって明確な政敵です。これを打倒すれば、王子としてハクが付くことでしょう」

 

 私以外の近侍連中だって、シルビア王女の息が掛かっている。なので、私が独断的に動いても妨害なんかはされないはずだ。

 ……よからぬことを吹き込むには、いいタイミングだともいえる。疑いも信用も、半端であればあるほど確かめたくなるもの。私の提案は、オサナ王子にとっては渡りに船だったろう。

 

「悪くない手だ。名分を口実にして家探しでもやって、言い訳のしようもない証拠が出れば、正しく不穏分子だな。処断できれば、どれだけ良い気分になれることか――なんて。そんな返答を期待していたか?」

「――さて。許可をいただけたなら、こちらとしても大義名分が出来ます。……シルビア王女ならば、これを奇貨として、誰はばかることなくソクオチへの支配を深めるでしょう。それが良い事か悪い事かは、すぐに判断できぬことです」

 

 ソクオチの威信が地に落ちている今、得られるものはさして多くない。とはいえオサナ王子が粛清を容認してくれるのなら、どれだけこの地で血を流そうとも、それは彼自身の責任となる。

 結果的に栄誉を得るか、汚名を得るかはわからない。彼が流されるままの存在なら、押し付けられた結果を受け入れるほか、手段はなかっただろう。

 

「わかっているんだぞ。ソクオチには頼りない騎士団が残るばかりだ。仮に不穏分子どもをまとめて処断するつもりなら――他国の軍を頼るほかない。そうしたら他国に依存するようになって、いずれクロノワーク辺りに併呑されるようになるんだ」

 

 違うか? とオサナ王子は、いたずらっぽく子供らしい笑顔で答える。違わない、と私は応えた。

 これがいまだ未熟で、さしたる権限も持たぬ王子の身分で出来る、最大限の抵抗だったろう。虚勢であれ、そんな風に胸を張れるだけでも立派だと思う。

 

「では、何があっても、絶対に他国の軍には頼らないと?」

「出来ればしたくはないって感じかな。――頼る場合は、肝心な部分だけは己の力で勝ち取る。その準備を整えねばなるまい。たとえば、反乱がおきたとして、増援を他国に求めたとしても。……その首魁、あるいは根拠地だけは僕の手で押さえる。それくらいの結果は出してやろうと思うよ」

 

 そうであればこそ、ソクオチの影響力、存在感をアピールできる。交渉の余地が生まれると、オサナ王子は言った。

 実際そこまで上手く事が運ぶかは疑問だが、やるべきこと、目指すべきことは理解しているわけだ。

 この彼の態度に狡猾さを見た私は、教育の成果が早くも出たな――と、呆れ気味に口を開く。

 

「敵に学ぶ、というのも。ほどほどにした方が良いかもしれませんね。いささか悲観的ですが、在り得ることです。シルビア王女なら、場合によってはソクオチを経済的な植民地にすることを躊躇わないでしょう。……しかし、貴方自身に大きな価値を見出してくれるなら、交渉の余地は確かに残ります」

 

 答え合わせのように、私なりの見解を述べる。一を聞いて十を知る生徒に、私などができることなど、さほどないように思えた。

 

「シルビア王女は、十代の頃から武名を轟かせた。今では政治的にも苛烈な手腕を発揮している。僕は、あの人よりずっと若いが――前例に習うには、まず模倣から始めるのが一般的だろう? なら態度と考え方くらいは、あの人らしく振る舞ってみようと思うさ」

 

 シルビア王女の資料が役に立ったらしい。実際、彼女の功績は大したものであるし、言行録を学んで模倣するならば――今のオサナ王子の読みは正しく見える。

 だが彼女は英雄だ。凡人が、英雄を完全に模倣することは出来ない。私としては、彼女の悪い部分まで真似してほしくはないんですよね。武断的な姿勢は、一度でも失敗すれば人心が離れてしまうから。

 

 ――しかしオサナ王子とて、凡庸な器とも言い切れぬ。見どころがあるのは確かであるし、成長すればどこまで伸びるのか、まだまだ見定めるには時間が足りない。

 すべては結果だ。結果さえよければ、支持する声も高まるだろう。今回の件が、その一助になればいいと、私は本心から思う。

 

「そうだ。ついでに思ったことを言うと、この祭事のスケジュールはいささか急ぎ過ぎるように感じる。もう少し、ゆっくりと時間を掛けてはいけないのか? ……僕もせっかく祖国に帰って来たのだから、もっと国民たちと顔を合わせて、語り合える機会も作りたい。それに、モリー先生も情報を集める時間は、余裕を持っておきたいだろ?」

「……ええ、まあ、確かに。警備上の問題がありますが、そこは護衛隊に頑張ってもらえればよろしいでしょう。時間をかけた分だけ、費用もかさみますが――今さら五日や十日伸びたところで、費用の増加など誤差の範囲とも言えます」

「では、問題ないのか?」

 

 オサナ王子としては、自分なりに出来ることをしたい、という気持ちがあるのだろう。ソクオチの王族として、己の存在感を主張したく思うのも、無理なからぬことだが――。

 

「おおよそは。……しかし、私の都合が含まれるとはいえ、オサナ王子が言い出したことです。護衛隊や近侍連中と話をつけて、段取りの変更について納得させるのは、貴方の仕事になりますよ? 今になって変更するからには、参加する者たちを納得させねばなりません。先触れを出して、巡行する領地への言伝も必要です。――彼らに如何に声を掛け、如何に報いるのか。ここまで考えて、実行できるなら大したものですが」

「……難しいのは、わかったよ。考えておく。僕の一声で皆が即座に納得して、簡単に変更できればいいのにな」

「残念ながら、王子には気楽な生き方はさせてあげられません。ただの傀儡で居たくないのなら、まずは手順を踏むこと、相手の事情を思いやることを、考えるようになさいませ」

 

 まあ、無理矢理理由をつけて、ごり押しする手もなくはない。諸々の事情をかんがみて、『必要になったとき』に教えてあげるとしよう。

 

 ともあれ、問題が起こるまでは祭事の工程を進めねばならぬ。そうしてこそ、オサナ王子は政治的な基盤を得られるのだ。

 政(まつりごと)と呼び、祭りと言う。まさに祭事は政治そのもの。

 そして王政国家においては、儀式をつかさどり、主宰する王族こそが、国を統治する正当な権利を有する。これをオサナ王子は正確に理解していた。

 

「なあ、モリー先生は、僕の味方だと思って良いんだろう?」

「――はい。貴方がクロノワークの庇護下にあるうちは、我が国の利益となる範囲内に限り、味方として力になりましょう」

 

 ここは無条件に肯定すべき場面ではなく、正直に己の職務を述べるべき場面だ。

 オサナ王子はまだ子供だが、際限のない信頼を相手を抱くほど、幼くはない。互いの線引きは理解していると、そう思っての答えだった。

 

「そうか。なら、今のうちに扱き使わせてもらうぞ。とりあえずは、僕の護衛を。それ以上のことも求めるかもしれないが、状況に応じて相談するとしようか」

 

 オサナ王子は、私の発言を当たり前のように受け入れてくれた。私の正直さを、美点だとさえ評価してくれているかもしれない。

 ――もちろん、そう答えてくれるだろうと、私は予測していた。彼の教育に費やした時間はさほどではないが、意図的に都合のいい思想を吹き込んだところはある。これはこれで急成長の代償と考えれば、安いものじゃないかね。

 

「では、そのように。――さっそくですが、提案があります。状況がキナ臭いのは間違いがないので、情報を集めたいと申し上げました。その為に必要なことを、貴方に求めます」

「聞こう」

 

 まあ、アレだね。少年の多感な時期に、私のような危険人物に教育を任せるべきではないよ。

 次世代はもう少し、教師の選定に慎重になってほしい。こうして利用されることが、今後もないとは言い切れないから。

 ……いささか皮肉めいているが、私はそこまであくどいことをするつもりはないんでセーフセーフ。

 

「馬を一頭。それから私の自由行動を許可してください。個人としての裁量権が欲しいのです。――具体的には、独断でどのような動きをしても、罪に問われない権限ですね。それを、オサナ王子の名義で許可をいただきたいのです」

「……それは、僕の為の行動であると。そう判断してもいいんだろうな?」

「もちろんです。今のオサナ王子は、クロノワークの庇護下にあります。これを守るのは、クロノワーク騎士の義務と言って良いでしょう」

 

 なので、不安は杞憂であると私は主張した。これが本当に妥当であるかどうか、正確な判断はオサナ王子には出来ない。

 なぜなら、彼が持つ情報などたかが知れており、判断基準となる材料が少なすぎるからだ。よって、彼の信頼を勝ち得ている時点で、こちら側の勝利は確定していたと言える。

 

「確定でそうなるとは限りませんが、あるいは剣を振るうような事態になるかもしれません。――むやみに武力を行使したくはありませんが、そうなった時に言い訳が出来るよう、事前に許可を取っておきたいのですね」

「正当な形であれば、誰も文句は言うまい。そこまでいう以上、かなりグレーな範囲になりかねないんだな? ……それは少し困るぞ」

「わかります。――しかし、ここで何も動かずに放置すれば、それこそ後々大事になりかねません」

「ソクオチの国体が危うくなるほどの、大きな気配があると? まだ疑惑の段階のはずだ。強引な手段を使うほどのことかよ」

「……こればかりは、信じていただくしかありません。状況が状況ですから、書面を整える時間すらに惜しいというのが本音ですね。なので、せめて言質をいただきたく思います」

 

 それはそれとして、オサナ王子とて無条件に了承するわけもない。いくらかの詭弁を要するが――それはつまり、説きさえすれば許可は得られると言うことだ。

 

「即答は難しいな。……穏便にできないのか?」

「できないかもしれません。ゆえに、貴方の許可を得て行動している、という保証が必要なのです。王子がもし、私の不在について何かしら聞かれた時は、『王子の個人的な用事で、色々と動いてもらっている』と答えてください。――詳細については、はぐらかす感じで」

「何かあったら僕の責任になるぞ、その言い方。もう少し、どうにかならんか?」

「では、『国元の任務で動いているから、詳しくは知らない』という感じで。私はソクオチ出身ではなく、外様の近侍ですから。多少は勝手に動いていたとしても、不思議には思われないでしょう」

 

 私の任務はオサナ王子の近侍を務めることで、細かい指令は特に受けていない。

 私は『最善を尽くそうとしている』だけなので、これもまた任務の内である――と強弁できないこともないと思う。

 

「うーん。……それなら、いいか。この言い方なら、シルビア王女から指令を受けていると、周囲も勝手に誤解してくれるかもしれん。だが僕の口から裁量権を与える、ということはしたくないな」

「ならば黙認、という形でお願いします。……貴方は何も知らなかった。私はやむを得ず事後報告をした。結果が良ければ、罪と功を相殺させ、咎めはしない。いかがでしょう」

 

 二言三言、余計に付け加えれば、彼を説き伏せるのは容易かった。ここで真面目に検討しているあたり、本気でこちらの立場をおもんぱかってくれてるんだろう。

 

「わかった。口頭で悪いが、モリー先生に自由を許そう。ソクオチ国内において、僕が貴女の行動を制限することはない。――ただし、僕がかばえる範囲にも限度があると、わきまえてくれよ」

「ありがたく。……信頼に値するだけの成果を、必ず挙げてきますとも。今のところ、警備上の不安はありませんし、私が単独行動しても危険はないでしょう。ええ」

 

 都合の良すぎる発言は、かえって不安になるよ。誘導したのは私だけど、もう少し突っ込まれることも覚悟していたのに。

 今回はこちらに都合のいい展開だから、あえて指摘したりはしないけれども。オサナ王子からの信頼が痛いです。

 

「――許可は頂きましたし、そろそろ私は出ます。落ち着いたら、また話をしましょう」

「祭事の目的地までは、まだ遠いが。馬車の足を止めないなら、結構急ぎの仕事になる。きつくはないか?」

「つく前に、やるべきことがあるのです。馬車よりは、単騎で馬を駆った方が早い。時間は有効に活用しなくては。……ええ、貴方の決断を、最大限に利用するためにも」

「そうか、では行け。祭事の開始までには戻れよ」

「はい、抜かりなく。では」

 

 オサナ王子は主家の人間ではないから、多少アコギな真似をしても、不義理とまでは非難されまいが。

 ――彼の無邪気な信頼を、私は全面的に支持してあげられない。そのことが、どうにも心にしこりを残していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私がオサナ王子の傍を離れるのは、彼の警護に不安がないから――という保安上の理由よりも、『彼の目から離れる』という理由の方が大きい。

 私の個人的感情とか、精神衛生上の問題で、あの子にはあんまり感づかれたくないと思うしね。

 

 ――ともあれ、まず確認するべきは、地方貴族と盗賊どもとのつながりですね。

 

 件の店で情報を取り寄せた時、すでに疑ってはいたけれど、現地で調べるのが一番確実だ。被害者たちに聞き込みをしてもいいが、さらに手っ取り早い手段が一つある。

 盗賊と結託している馬鹿どもから、直接証拠を分捕ってくることだ。もともと連中の居所に関しては、資料の中で目星がつけられていた。情報源の精度を確認するうえでも、こちらを探るのが一番だろう。

 

 特殊部隊の任務としても、潜入からの物品強奪は、かなり難度が高い部類だ。ここで万が一落ち度のない相手を責めてしまえば、私個人の政治生命もそこで終わる。

 失敗は許されない、と己を叱咤しつつも。実際には保険もかけているから、そこまで必死とも言えないか。

 何しろ情報源がシルビア王女傘下の組織であり、オサナ王子からも言質は取りつけている。非難されても言い逃れようと思えば出来るわけで、これくらいは武略の内だろう――なんて姑息に考えていたりもします。

 逃げ道を考えてしまうのは、所帯を持とうとしているからだって、明確に自覚もしているよ。

 

 ……まあまあ、そんな風にちょいちょい出ていって調べてるんですけど。

 ソクオチの盗賊も貴族も、たるんでるんですかね。危機感を感じないレベルで警備がガバガバなんですが。

 

 盗賊どもの方は、最近になって他国からドバドバ流入しているから。規模が大きくなった分、緩くなる部分はどうしても出てくるんだろうと理解はできるけどね。

 盗賊どもの寝床は、場所さえ知っていれば入り込むのは訳もなかった。いつかの時のように、殲滅してゆっくり漁ることも考えたけれど――王子の教育に悪いので、濃い血の匂いをさせて帰るのも望ましくない。

 なので、今回は完全に隠密行動。……完全に無血とはいかなかったけど、滞在中は完璧に隠ぺいできたし、行き帰りに一日かからなかったので良しとしよう。

 

 ……さて、そもそもの話。私はソクオチで一波乱起きると確信しているわけだが、盗賊たちだって、事が済めば都合よく処分されることを恐れる。

 今日までご苦労様でした。お役目は終わったので、罪をひっかぶって始末されてください――なんて展開は、教育のない盗賊だって予想するものだ。

 

 だから、何かしら貴族側の弱みを保管しているはずだって読んでいたんだけど、予想は的中。頭目の寝床にあった書類には、確かに貴族と盗賊のつながりを示すものがあった。

 急ぎの仕事だったから、どうなることかと思っていたけど、上手くいってなにより。拠点が狭い洞窟内とかじゃなくて、ちょっと街道から外れただけの廃村だったから、侵入も脱出もどうにかなりました。

 

 具体的な書類の内容は、『徴税の馬車を襲撃して、税金を山分けする』という文言で始まっている。貴族側の利益はあんまりないように思えるが、盗賊に分配された金が領内で使われるなら、結局は税金分は全額自分のところで循環するわけだからね。

 中央に分捕られるよりかは、地方の得になる訳だ。今のソクオチに隔意を抱いてるなら、嫌がらせにもなって溜飲も下がるというもの。

 書類の書式も、正式な外部への依頼書として、不足ないものだ。こうやって書面に残させることで、盗賊どもは貴族側の弱みを握っている、と思い込む。

 

 そして貴族側は、『正規の花押を押していない書類』を渡すことで、これは捏造されたもので証拠能力はない――と主張できるわけだね。

 姑息と言えばそれまでだが、書式がどんなに整っていても、公式の印が入っていない書類は、偽造の疑いが付きまとう。

 

 盗賊側は弱点を握っているつもりで、実際には弱みにすらならない紙切れを持たされている訳だね。盗賊稼業も、生き残るには学が必要な時代になったんだなって。これを見ると思うよ。

 まあ、証拠能力の有無は、この際問題じゃない。尋問の小道具として使えれば、それでいいんだから。

 花押の印がなくったって、存在するだけで怪しいだろこんなもん。裁判は無理でも、個人的に面談しにいく理由にはなるわ。オサナ王子だって、お話するくらいなら問題視はするまいよ。

 

 ――で、貴族屋敷は流石に忍び込むのが面倒だったんで、風俗店に出入りするところを狙いました。そもそもの情報源からして、こっちの方面に隙があることはわかってたので。

 容疑者貴族の秘書官が、お忍びでやってきたところを確保。ちょっとそこら辺の廃屋を借りて、お話させていただきます。こういうの、貴族本人だけじゃなくって周囲もずぶずぶに加担していることが多いからね。

 盗賊宅から確保してきた書類を見せると、結構動揺してくれたので、そこからはノリと勢いで押し切ります。

 証拠能力がないと分かっていても、実際に前振りなしで目の前に突き付けられると『何でここにこんなものが』って思って、驚きもすれば焦ったりもするものだからね。

 

 で、口を割らせました。秘書官が根性のない小物でよかった。もちろん、こいつは不穏分子の一味でしかないんだけど、引き出した証言をかんがみるに、それなりの格があったみたいだ。

 

 秘書官としては、盗賊がらみの騒動に一口噛んだのは、ちょっとした出来心だったらしい。今ならソクオチ政府の目を逃れて私腹を肥やせる、ってね。悪いことを考えてるのは、上司の貴族だって言いたいみたい。

 反乱より横領の方が刑が軽いからって、明らかに嘘ついてますね。事が成功したら、加担した見返りにそこそこの利権を主張するつもりだったろ?

 風俗嬢への口が軽いと、肝心な所で嘘がバレたりするんだから大変だ。来世では気に留めておくんだね。

 嫌? 助かりたい? なら嘘なんて吐かずに全部本気で答えるんだよ早くしろよ。

 

 ……とりあえず、尋問を続けまして。廃屋にあった桶に水を張って、息止めチャレンジする内に色々なものを吐いてくれたので、事後は普通に開放しました。

 

 上司の貴族の思惑について知る限りと、どれだけ怪しい書類を決裁したのか、部下にどんな命令をしたのかとか――聞けば聞くほど頭が痛くなりました。

 調子こいて嘘ついてるんじゃないかって疑いたくもなるが、裏取りは後でいいかな。

 

 この時点でも、オサナ王子には伏せずに話さねばなるまい。面倒な話になるが、彼のこと。最後まで聞いて、正しく理解すれば、私の判断を非難はするまい。

 

 ――こいつの発言が真実であれば、祭事の最中に『お客さん』がやってくる。今はその対策だけ、立てておけばいいか。

 さしたる傷もつけてないし、私も顔は隠していたから、こちらの正体はすぐにはつかめないだろう。

 あえて温い方法で聞き出したから、深刻な危機感までは覚えていないはず。秘書官程度の地位なら、事を隠してやり過ごすこともできる――なんて、楽観的に考えてくれるかもしれない。

 根性のない手合いは、脳みそまで平和ボケしていることがままある。ぜひ、事が終わるまでそうして夢に浸っていていただきたいね。

 

 こうしてあれやこれやと動きつつも、なんとか祭事までにオサナ王子の元に戻ってきました。

 調査を終えて帰ってきて、彼に報告する段になると、やはり私としては複雑な気持ちを隠しきれなかった。

 

「おおよその情報を集め終わったので、色々と話しておきたいと思っているのですが。――しかし、何とも。うーむ、悩ましいですね、これは」

「……悩むようなことなのか? ヘマはやらかしてないだろうな、本当に」

 

 今回の潜入自体は、祭事とか巡行の歓迎の合間とかで済ませられるくらい、近場で済んじゃったんだけど。

 ……事前提供された情報とルートを考えるに、最初からおぜん立ては全部出来ていたんじゃないかなって思いたくなる。薄々そんな気はしてたんだけど、もう確信に近いよ。

 

 オサナ王子を祭事に参加させるのは、政治的なアピールが目的で、ソクオチの安定化が目的だったはずだ。

 地方貴族の叛意は、シルビア王女にとっても不本意なもので。祭事が無事に終わることを願っているのだと、私は心のどこかで、そう思いたかったんだ。

 しかし、実際のところは馬鹿どもに騒ぎを起こしてもらって、諸共に処分するために――。その為の起爆剤として、オサナ王子を利用したんじゃないのかって、邪推したくもなる。

 

 こうなると、どこまでもシルビア王女の手の平か。オサナ王子が対抗心を抱いたところで、空しいんじゃないかって気にもなろうさ。

 

「私は失敗してませんので、心配しなくていいですよ。……とりあえず、こちらの首尾は上々です。なので、まずはご報告を」

 

 手の平で転がされてる感はあるけど、それはそれとして、仕事としては完璧にやったと思う。

 敵の無能さに助けられた部分もあるから、あんまり自慢も出来ないがね。ともあれ、私が必要だと思う情報は、ここで開示する。

 あらかじめ資料としてまとめているから、一通り目を通していただきました。解説はそれからということで。

 

「盗賊側からの情報と、秘書官の発言を聞くに、もう疑いだけでは済まんか。とうとう、狼の口に飛び込む覚悟を決めねばなるまい。地方貴族の反乱に関しては、もう明確に備えるべき段階に入ったと見よう」

 

 秘書官の上司たる貴族、要は祭事を行う地を収めている地方領主なんだけど。

 彼がどこまで本気かはわからないにしても、祭事の為にやってきたオサナ王子を『確保』すべく動いていることは、証言が取れた。

 

 盗賊とのつながりは、予備戦力として当てにするため。領地の外では盗賊でも、内部では傭兵として扱き使う算段であったという。

 クロノワーク・ゼニアルゼが合同で国内の盗賊を狩りだしているところだから、これを避けてソクオチに流れた連中が相当数いる。これを戦力として利用されてしまうと、ひどく厄介なことになるだろう。

 

 傭兵としての、雇用契約の書類を事前に作成しているあたり、真実味があると思う。

 秘書官は盗賊どもの数までは知らないらしいが、まさか百や二百ってことはあるまい。千を越えているとは、思いたくないが。

 ――で、使うだけ使って戦力が目減りしたら、報酬代わりに濡れ衣を与えて処分する、と。いやはや結構な陰謀家じゃないかね、地方貴族。

 

「私からの情報は、疑わないのですね?」

「モリー先生は、僕の為に動いてくれているんだ。今さらだろ。……突貫で集めて来た情報とはいえ、これらは充分に価値があるように思える。しかし、これから物証を確保するのは難しいんじゃないか?」

「祭事を中止し、事をおおやけにして、相手を盛大に非難するつもりであれば、なるほど。確かに物証は必要でしょう。――しかし、今回は貴方の危機感をあおるための証拠だけあればよい、と私は考えます」

 

 今から祭事を中断するには、関係各所を納得させるだけの物証が必要になる。しかし現段階では疑いこそ濃いものの、証拠能力のある物証は得られていない。

 下手に動いてこちらの思惑を知られれば、不穏分子たる地方貴族も、今から証拠の隠ぺいに走るだろう。そうなれば、罪に問うなど無理筋になる。

 こうなれば、敵に危機感を与えたまま、雌伏の時を与えるだけ。次の機会には、さらに厄介な問題を引っ提げてくるんだ。

 ならば今のうちに火を起こさせて、この場で収める方法を取るのが一番面倒がない。

 

「今の僕らで収められるならば。それが可能なら、僕としても否とは言わんが――」

「故の危機感です。今、事を起こされれば我々が戦力的にも地理的にも不利です。なにしろ、祭事の間は敵側の腹の中ですからね。……しかし、あらゆる手段を惜しまないのであれば、勝算はあると考えます」

 

 ここから反撃する手を、すでに私は考えていた。飛び回って得られた情報から、敵の分析は済んでいる。

 かなり綱渡りだが、これを乗り越えられずしてオサナ王子の飛躍は在り得ない。彼の地位向上は、私の未来に大きな影響を及ぼすだろうから、今のうちに出来ることはしてあげたいのですね。

 王子を失って、全てがご破算になる可能性もある。それを避けるために、今から逃亡する手もあるのだろうが――ここで安全を求めすぎるのも、いい手とは思えなかった。

 

「極端な手段を求める辺り、相手を裁判に引きずり出す手段は使えないと、そう白状しているようにも聞こえるな。……血を見ずに収められるなら、僕の面子くらいならいくらでも捨ててやれるぞ」

「面子を捨てると言うことは、誇りも捨てると言うことです。戦いを前にして、抵抗さえ見せずに尻をまくる。シルビア王女は、こうした行為を嫌います。――本当に勝ち筋がないなら逃亡もアリですが、今回はそうではない」

 

 安全を重視して、祭事を中止して逃げる、という手段を私はあえて捨てた。その安全策は、シルビア王女が求めるものではないとわかってしまうから。

 あの人ならば、かの武名の誉れ高い王女ならば、むしろ危機の中に好機を見る。私程度の才覚でも、今から勝つ手段は見いだせたのだ。――これを後から指摘されれば、あの人は私とオサナ王子をどう見るだろう。

 

「……勝ち筋はある、と考えている訳だ。本当だろうな?」

「はい。というか、シルビア王女には勝ち筋が最初から見えていたのかもしれません。たぶん、オサナ王子が求めなくとも、私は人員に加えられていたでしょうね。……あまりにも、私がこの場にいることが前提の条件がそろっている。高く評価されるのは嬉しいですが、あんまりギリギリの線を求められるのも、しんどくて仕方がないですね、まったく」

 

 消極策を取って逃げた場合、かのお方はソクオチを見限るだろう。オサナ王子を政略の道具として、その人物を省みることなどなくなる。ただのお飾りとしての人生を、本当に送らされてしまうのではないか。

 

 私自身が、臆病者と蔑まれるのは耐えられる。だがオサナ王子を『すくたれ者』にしてはならぬ。

 祖国の危機に立ち向かうのではなく、ただ逃げる。そうした手段を取ったという経験が、未熟な王子のどのような悪影響を残してしまうのか。……私は、これを恐れた。

 

「オサナ王子、貴方が本当に戦いたくない、逃げたい、というのであれば私もそうします。ですがその結果、貴方の価値が暴落することは御承知いただきたい。ここで敗北しても価値が落ちるのは確かですが、ここで『戦わないこと』がシルビア王女からどう映るか、よく考えていただきたいのです」

「僕が求めたのは――穏便な解決策であって、逃亡手段じゃない。僕は別に、逃げるためにはどうしたらいいか、なんて聞いてないぞ」

「では、オサナ王子は、戦うことを選ばれるのですね」

「……血を見ずにはすまぬというなら、腹をくくって立ち向かう気持ちは、一応持っているつもりだ。同じ国の民を犠牲にすることも、苦渋の思いで受け入れる。――それが国の未来の為ならば、戦いを選ぶのが王という者だろう?」

「そうですね。――まさに、貴方は将来のソクオチ王なのですから」

 

 『己なら出来た』と理不尽を突き付けて、省みない傲慢さがシルビア王女にはあるように思えた。

 それが、私にとっては不快に過ぎ――オサナ王子にとって、致命的な物となりうる。そうと思えば、ギリギリまで抵抗するのが筋ではないか。それが、自分なりの義理の果たし方であるとも感じるのだ。

 

「……今となっては、愚痴になるが。シルビア王女とて、大人しく領地を管理してくれているなら、現状維持を認めるだろうに。この地の貴族も、馬鹿なことを考えてくれたもんだ」

「オサナ王子を祭事に派遣したのは、安易な粛清をせずにまっとうに収めていく、という意思表示ではあったのでしょう。確かに、シルビア王女は寛容な姿勢を見せました。粛清を控えて賠償金の請求もしなかったのは、あの方が安定を求めているからだと考えられます」

「何が問題なんだ、それで」

「地方貴族にとっての問題は、態度で示すだけで明言しなかったことです。『ソクオチ貴族の地位は安泰である』――との声明を出せば、シルビア王女は自分の言葉に縛られる。そうすれば地方貴族とて、叛意を抱くことはなかったでしょう。……ありえない話ですが」

 

 対話は重要だ。特にオサナ王子が、自らを納得させるために、まだ言葉が必要であるというならば。――私は、どこまでも付き合ってあげたいと思う。

 繰り言と言えば繰り言だが、ここで話をやめては、彼の心にしこりを残す。ならば、これに応えるのが師のあるべき姿だろう。

 

「なぜか――とは、聞くまい。そんなソクオチ貴族にだけ都合のいい話があってたまるか。僕らは、負けたんだ。勝者が敗者に媚びることはない。敗者が敗者としての自覚と義務を忘れるなら、シルビア王女は勝者として厳しくこれを打ち砕くだろう。……それが道理であると、僕も思う」

 

 祭事を無事に済ませて、現状維持を許す。初期の初期は、あのお方とてそのつもりで企画していたかもしれない。

 だが、ソクオチ貴族の厄介さに早期に気付いてしまったため、こちら側にかじを切ることになった――と。そう考えれば、納得は容易だった。

 

「まあ、こちらにも非がないとは言いません。軍事的にも政治的にも、シルビア王女には実績があり過ぎて、言動には常に陰謀が疑われてしまう。これは何の布石か、見過ごして良いものか、今のうちに行動すべきではないか――? そうして疑惑を招き、軽挙を起こさせる。悪い意味でのカリスマには、満ち溢れているお方です」

 

 現にこうして、急場を利用する策を実行できている。その事実そのものが、シルビア王女に黒いうわさを付きまとわせていて、悪名の源泉ともなっているんだ。

 ある意味では、私もそれに加担しているともいえるのか。……あの方と共犯者になるとか、遠慮したいんですけどね。

 

「……あの方の不徳が、ソクオチを狂わせてしまったと見ても、過言ではないかもしれませんね。有能すぎる悪党が王女をやっている、そうした表現がぴったりなお方ですから。気まぐれの善意を信じるには、ソクオチの環境が悪すぎたとも言えるかもしれませんが」

「過言だろう。過言でなくては困る。悪辣な面が印象的だが、シルビア王女は基本的に理性的な方だ。あの方は故のない処罰などなされぬ方であるはず――」

 

 この手の悪名は、今に始まった話じゃない。今回のソクオチ貴族の暴発だって、その悪名の影響が皆無とは言えないだろう。

 実態が悪名から乖離していても、周囲が悪名の方を信じるなら同じことだ。オサナ王子のように、理性的なシルビア王女を信じる者はソクオチにはいなかった。悲しむべきである。

 

「誰も彼もが、貴方ほど理性的ではない。経験も権限もない王子が、どんなソクオチ貴族よりも冷静に現実を見ている、というのは。……果たして、救いなのか皮肉なのか。難しい所ですね」

「どうでもいい。そんなことより、まだわからないことがある。僕を確保したところで、ソクオチの何が変わる? 誰が得をする? 平地に乱を起こすだけじゃないのか? 腐ったとしても、代々ソクオチに仕えてきた地方貴族だぞ。……なりふり構わず反抗するには、疑念と恐怖以外にも相応の理由がいるはずだ」

 

 オサナ王子は疑惑的だ。シルビア王女に対するスタンスの違いもあるが、代々ソクオチに仕えた貴族が、短絡的な理由で害をなしに来るなど、信じがたいという。

 せめて、自分が納得できるだけの理由があってほしいのだと、そうした願望が見て取れた。

 まあ実際、予想できることは他にもある。ここで言葉を惜しんでは、彼とて納得はしてくれないだろう。

 

「まだ、言うべきことはあるんだろう? 決定的な証拠、あるいは論理。いずれかをモリー先生は持ち合わせている。違うか?」

「はい。その代々仕えた、という歴史。あるいは忠義の表し方も、人それぞれにある。忠義などと言う概念よりも、己の利害こそが全てという者もいる。……その中には、オサナ王子にはとても受け入れられない類の者も、当然あると言うことです」

 

 忠義という、形而上の概念は目に見えない。人の思い込み次第で、いくらでも変容する。特に地方の貴族たちは、戦わずして負けたという事実をどこまで受け入れているのだろう。

 先制攻撃したソクオチ側が、返り討ちにされただけならばまだしも。短期間に首都を落とされ、敗北を認めさせられる。そんな情けない結果を招いた王族たちに、忠義以外の感情を抱いても不思議はない。

 私がソクオチで騒乱を巻き起こす場合でも、こうした人々の感情を利用するだろう。

 

「非業の死を遂げた前王の遺児を、一刻も早く祖国にお迎えするべきだと、そういう意識を持つ貴族は、それなりにいるわけです。要するに前王の直系の男子であるオサナ王子は、ソクオチ国内で養育されるのが望ましい。――そのためならば、多少の荒事は許容される。伝統と文化を守るというのは、こう言うことなのだと主張するのです。半端な忠義者たちは、こうした論理で動いていることでしょう。……今のソクオチが抱える弱点の中で、これが一番わかりやすい部分だと思いますよ」

 

 実際クロノワークやゼニアルゼにいると、どんなことを吹き込まれるかわかったものではないから、心配されても仕方がないと思う。私とか私とかシルビア王女とか、不安要素には事欠かない。

 

「誰がそんなことを言いまわってるんだ」

「風俗店の中で、そこそこの連中が似たような愚痴をこぼしていたそうで。……実際に重要なのは、将来の王が他国に移されて、ソクオチ貴族には周囲に侍る機会さえないことですね。王子はまだわからないかもしれませんが、王位継承者には派閥が出来るものなのです」

 

 将来、オサナ王子に取り入る余地がなくなると思えば、貴族どもは結構焦るものらしい。……だからって、間に何らかのアクションも挟まずに武装蜂起とか、短絡的にもほどがあるけれど。

 

「だから、僕を誘拐するって? そんな強硬手段を取れば、クロノワークとゼニアルゼの面子が潰れる。報復を考えれば、賢明な手ではないってわかるだろうに」

「賢明とは言えないかもしれませんが、祭事が行われる今が最大の好機であるのも、また事実。……それに王子の身柄さえきっちり抑えていれば、なあなあで済ませる可能性もなくはないです。シルビア王女は、損切りを躊躇う人ではありません。リスクとリターンを秤にかけて、状況次第ではソクオチの早期独立も、一応は考慮することでしょう」

 

 本当に、なくはない、っていう程度の希望的観測ではあるけれど。少なくとも当座は安全を買えるっていう確信が、あちらさんにはあるんだろう。

 領地で養っている私兵と、流入した盗賊どもという予備戦力。あとは外国とのつながりがあれば、立ち回り次第でワンチャンくらいはあると私は見る。

 

 この場合は早期独立という手段で、体面だけは取り繕う形になるかな。これでどれだけの期間、政権が維持できるかどうかまでは、私にはわからないが――いずれにせよ、オサナ王子を政略の道具に使うのは間違いない。

 そしてシルビア王女がいくら報復に熱心でも、彼まで害す理由はなかろう。最悪でも彼さえ残れば、ソクオチには復興の目が残る。その保険があると思っているから、地方貴族どもはこんな軽挙ができるんだろうよ。……胸糞悪い。

 

「損切り、か。僕を養育して恩を売る策を捨て、ソクオチを除いた世界秩序を構築するって話か?」

「あくまでも、貴方を掌から取りこぼす、という失態を犯してしまった場合の話です。この場合は対応が果てしなく面倒なことになるので、シルビア王女とて対応が後手に回ってしまうこと、間違いありません。……ソクオチの不穏な状況が長引くと、交易にも支障が出てきますからね。状況次第ですが、早めの損切りは手段の一つです」

 

 シルビア王女自身、どう転んだって打つ手はあるだろう。それだけの余裕がゼニアルゼにはある。ゆえに、ソクオチが不幸なことになっても、それはそれと割り切ってくれると思う。

 当面はオサナ王子を誘拐させたままで、犯人たちを泳がせるくらいのことはする。だから、ここで私たちがどこまで踏ん張れるかか重要だ。

 

「そうだ、可笑しいだろ。熟慮すれば、今回の祭事は無難に済ませるのがソクオチの為だってわかるはずだ。僕と対面で、本気で語り合えば、説き伏せることも不可能では――」

「外患をお忘れですよ、オサナ王子。地方貴族とて、周辺各国との付き合いがないわけではない。そして外野の彼らは、近場に強国が出来てほしくないはずです。……ゼニアルゼが、シルビア王女が直接的な害になる訳ではなくとも、超大国がすぐ傍にあると思えば、安心できない」

「……シルビア王女の悪名以上に、外からそそのかす奴らが原因か?」

「証拠はありません。なので、これまではあえて追求しませんでしたが――。私が他国の外交官とか、相応の地位の貴族であれば、もののついでにそれっぽい話を流して、『あわよくば』とソクオチの叛意を煽るくらいはするでしょう。それが、国際情勢と言うものです」

 

 くどいようだが、シルビア王女は油断ならない奸物なので、地方貴族が危機感を持つのは仕方ないと思う。まして、上手にそそのかす手合いが近くに居るとしたら、なおさら抵抗は難しい。

 ソクオチは敗戦を経験した。屈辱を舐めさせられた。自業自得だとか、当然の帰結だとか、客観的な意見はこの際お呼びではない。重要なのは、当人がどう思うかだ。

 なにより『生き残るためにはこうするしかない』――って、そう思い込んでしまえば。簡単な妥協は敗北と捉えて、たやすくは退けなくなる。密かに支援してくれる外国の同志なんかがいれば、余計な欲もでてくるだろう。

 

「馬鹿だろ、そいつら」

「蔑むのは御勝手に。――当人たちは、必死なのです。戦後の混乱に巻き込まれて、諸事に忙殺されている領地持ちは特に。上から下まで、この短期間に冷静さを取り戻すのは、難題だったのかもしれません」

 

 だから、私は彼らを責めない。色々と短絡的な行動も、まあ同情する。それはそれとして、粛々と対応し、相応の報いを食らわせてやりたいとは思うがね。

 

 犬と言われようが畜生と呼ばれようが、勝つことを求めるのが武士と言うものだ。だから私は、クロノワークの利益の為にこう言おう。

 

「不穏な動きがあれば、私に全てを任せてくださいますね?」

「……わからぬ。諸外国は、ソクオチ貴族をそそのかして、我が国を混乱させて、僕を育ててくれた国民たちを不幸にして、何を得るというんだ。強国ができてほしくない? そんな曖昧な目標で血を流させたところで、連中に利益があるわけじゃないだろう」

 

 明確な国名を出せるほど、証拠は出てきていない。だから諸外国、なんて曖昧な言い方になるが、争いを起こす狙いそのものは単純な物だ。

 

「あえて言うならば、時間を得るために。シルビア王女による支配に抵抗する時を稼ぐために、ソクオチを傷物にしたいのです」

「――その心は」

「ソクオチで内戦が起こる。そこで血が流れ、統治にも苦労する。……それは結局のところ、勝者の敗北を意味します。ソクオチを面倒な土地にして、クロノワーク・ゼニアルゼの足を引っ張らせる。属国にした意味がないくらいに、荒れた土地にしてしまえば、シルビア王女も骨折り損のくたびれ儲け。その才も陰ったと、こき下ろすことも出来ましょう」

「こき下ろして、名声を落とせば、シルビア王女の影響力も薄れる。薄れた分だけ、他の連中の発言力は大きくなる。……それだけの。たったそれだけの、理由なのか」

「他国人からすれば、ソクオチの民、貴族、いずれの血も利用価値しか認めません。流れた分だけ既得権益が守られるなら、この程度の陰謀は片手間にやってくるものです」

 

 ゼニアルゼの西方の盟主化も、誰もが望んでるってわけではないからね。むしろ、既存の枠組みの中でやってきた連中からすれば、ご勘弁願いたいことだろう。

 だから、可能な限り先延ばしにしたい。できれば彼女の寿命が来るまで――と考えれば、ソクオチなどいくら犠牲にしたってかまわないと思うはずだ。

 ――まあ、証拠のない予想に過ぎないわけだから、まったくその通りってことはないだろうけど。そこまで的外れってわけでもないはずだ。

 

「させるかよ。僕がいる限り、ソクオチは健在だ。……わかった。そういうことなら、改めて頼む。僕の為ではなく、ソクオチの民の為に願う」

「はい。お聞きしましょう」

「良いように、してくれ。僕の責任において、出来る限りのことはする。だから、ソクオチを混乱から救ってはくれないか。具体的には、この祭事が終わるまで、最大限の配慮を求める」

「承りました。――私なりの解釈で、ソクオチの為に働かせていただきます」

 

 オサナ王子から決定的な言葉を引きずり出したところで、私の仕事はキリが良い所まで来たと判断する。

 後は消化試合だ。一つ一つ、問題を片していこうじゃないかね。

 

「とりあえず、祭事の最中に何かしら面倒が起きるかもしれませんが、あまり気に病まぬように。初手を切り抜ければ、かなりマシになるはずです」

「……僕はどうしたらいい? 出来ることはないか?」

「しいて言うならば、何も知らない態度で居てください。私が良いようにしますので、後は流れで。適度に檄を飛ばしてくれれば、こっちで合わせますよ。……思うように、言いたいことを言いたいように、大声で口に出してくれればいい。それだけです」

 

 オサナ王子には口だけを出させて、手出しはさせない。――今回は、私の差配で動いていただきます。

 具体的な行動に出るのは、あちらに先制させてから。大義名分は、一応あった方がいい。

 実際に、やられたからやり返すっていう論法は、多くの人を納得させるものだからね。

 

「わかった。……それで、いつまで待てばいい?」

「祭事が終わるまでは、余計なことは考えなさらぬように。とにかくオサナ王子は、心構えだけを強く持っていてください。……貴方はソクオチ最後の王族、正当な王位継承者なのです」

 

 それだけは自覚するようにと、重ねて申し上げました。これで私が期待していることを、いくらかでも伝えられただろう。

 

「死んだ指揮官は、それまでがどんなに良くても悪い指揮官だ。国家の指導者は、最後の最後まで死んではならない。その力の拠り所を握りしめて、しぶとく戦い続ける気概を持たねばならない――か」

「私の授業内の言葉を、覚えてくださっているのですね。……ええ。気長に、根気強く立ち向かう気持ちを持つことです。貴方にしか、出来ないことなのですから」

 

 前王には他に子供が居らず、兄弟は女だけで皆嫁いで久しい。誰もが認める王位継承者は、オサナ王子しかいない、というのが現実である。

 まさにそうであればこそ、オサナ王子が狙われるのだともいえるが――才覚があるのも痛し痒しと言ったところか。

 

 ……私の手の届く範囲にある限り、その才能を守りたい。そう願えばこそ、手も汚そう。

 オサナ王子は、これから雄飛するであろう鳳の雛だ。願望が入っていることは否定しないが、そうならないと断言することもまた、できないはずだ――。

 

 

 




 次回作については、『ブリガンダイン ルーナジア戦記』と決めています。

 学生時代、PSの『ブリガンダイン グランドエディション』をプレイして、二次創作まで手を付けていたものですから(どこにも投稿せずに終わったけれど)、制作発表があったときは驚いたものです。

 PS4に移植されたので、これを機会にやってみると色々と妄想が捗ってくるわけですね。
 グスタファ神聖帝国こそ至高。シン・ゾアール!


 ……ともあれ、ソクオチ動乱編は次の話まで続きます。
 来月末まで、しばしお待ちください。



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地方勢力はめんどくさいってお話


 年齢をタイトルにしている作品にとって、年月の経過をどう表現するかは悩みどころだったりするのですが。

 原作二巻巻末のオマケを見て、『ヨシ! 解決したな!』と思いました。

 なので、今後はモリーの年齢については作中で言及しません。タイトルも変わりません。
 ご理解いただけると、幸いです。



 今後の予想できる敵方の動きとか、こちらの対応策については、オサナ王子はもとより護衛隊の皆も交えて話を通す必要があった。

 ぶっちゃけ、護衛隊への負担は半端ないものになるんで、ここで仕事だけを押し付けるような真似はしたくないんですね。

 だから私の方から促そうかと思ってたんだけど、幸いにもオサナ王子は自分で気づいて発言してくれました。

 

「このオサナの名において、皆の功績を粗略に扱うことはない、と明言する。今すぐに報いることは出来ずとも、確実にシルビア王女に伝えることは確約しよう。――かのお方であれば、今回の危機を乗り越えた功績について、決して無下にはなさらぬ」

 

 こうやって、立場のある人が報酬を保証するっていうのが、突発的な仕事を頼むときには重要だったりする。

 そういうわけで、色々話して計画したり覚悟を決めたりと、あれこれと事前にできる準備はやりました。地方貴族の領にたどり着いたら……後は、その時が来るのを待つだけだね。

 

 

 それから事態が動くのは、案外早かった。地方貴族の領地内では、そこまで怪しい動きは感じられなかったが、祭事の当日ともなれば一気に周辺が騒がしくなる。

 事を起こすとするなら、この手の忙しい頃合いに起こすのが常道というものだろう。ゆえに私はもとより、オサナ王子も護衛隊も警戒は怠らなかった。事前に防ぐことを選ばなかったのだから、せめて初動の遅れだけは防ぎたいというのが本音だった。

 

 ……果たして、その時はやってくる。祭事が進み、狩猟の後、焼き畑への作業に移る際。そこで不穏に動く影を感じ取った私は、護衛隊よりも早くに行動する。これはもうほぼ反射的な反応と言うべきもので、私自身も身体を動かしている自覚すらなかった。

 

「そこまで」

 

 焼き畑の班から、今にも王子の方へと飛び出そうとしていた刺客を叩き伏せ、地べたを舐めさせる。

 実行直前から、刺客の不穏な動きは多くの人の目に触れている。私が拘束するところを見ても、誰も不自然には思うまい。これは事前活動が実った結果とも言えるので、まんまとハマってくれた犯人には感謝すら覚えている。

 この手の輩が成功しようと失敗しようと、あちらの計画は進む。感情の処理に困る味方なんて、居るだけ邪魔だからね。鉄砲玉にでも使ってやるだけ、連中は情け深いとさえいえるかもしれない。

 とはいえ、こちらが手段を選ばずに動く名分として、この蛮行は充分な理由になるだろう。――なんて、そんな余計なことを考える余裕すら、私にはあった。

 

「オサナ王子、刺客を捕まえました。彼は明らかに、貴方に対して害意を抱いています。即刻、処断するのがよろしいでしょう」

 

 これは、相手から言葉を引き出すためのポーズである。実際、この場で首切りとかやりたくないからね。

 ありきたりのポーズでも、刺客は危機感を感じて、色々と漏らしてくれるかもしれない。

 これまた私の個人的な期待だから、応えてくれなくてもいいよ。貴方がこの場で口に出さなくても、後で勝手に出したことにすればいいんだからね。

 

「クロノワークの犬め! ソクオチは貴様らを許さぬ! オサナ王子とて、それは同じのはずだ!」

 

 尋問するまでもなく都合のいい発言をしてくれるだなんて、刺客殿はどこまでもご立派なお方だ。

 せっかくだから、もっと吠えてくれたまえよ。貴方が失言をすればするだけ、こちらは優位に立てるのだから。

 

「では、なぜ王子の前に飛び出した。人質にして、この場から連れ去ろうとしたのではないか」

「そうだとして、何が悪い! 説得する時間が惜しいゆえ、致し方ない行為だ! 貴様らは貴様らの都合で、オサナ王子を利用している。これを救出するのに、王子自身に協力願おうとしただけだ」

 

 馬鹿を引きずり出して、愉快な発言を吐き出させるのは、まったくもって楽な作業だった。

 オサナ王子の表情が曇っても、刺客の男はそれを知覚できなかったらしい。私でさえ、明らかに沈んでいる表情が確認できると言うのに、彼はさらに不穏な言葉を続けてくれる。

 

「そもそも前王が戦いのさなかで横死したのは、貴様らが暗殺したからではないのか! そんな殺人者の群れの中に、大切な王子を置いてはおけぬ! その危険を思えば、我が行為はむしろ義挙と言うべきだ!」

 

 シルビア王女がどんなに陰謀の手を伸ばしていたとしても、流石にそこまでは届いてないと思うんだよね。これはひどい邪推であり、そちらの被害妄想と言うべきだ。

 しかしこいつ、鉄砲玉にしては言い回しが古風だな。これで案外、良い所のおぼっちゃんかもしれない。適当な処断で終わらせるより、ある程度は生かして使うことを考えてもいいね。

 

「偏見に満ちた濡れ衣をかぶせに来るとは、流石に不穏分子は言うことが違いますね。――ソクオチの前王は、病死なされたのです。おそらくは、日々の心労に体が耐えきれなかったのでしょう。心中お察しいたしますが、我が国とは関係のないことであると申し上げておきますよ」

 

 まあまあ、この手の過激派が宣うことなど、おおよそ身勝手な偏見に満ちてるものだよ。

 とりあえず適当なことを言って、こちらを非難して、自分たちは悪くないって主張したいだけだ。

 こちらはこちらで、理路整然と論理の穴を突けばよい。それだけで、オサナ王子は私を支持してくれる。

 

「そもそも、この祭事で騒ぎを起こすことが、ソクオチにとってどれだけの損失を招くか、考えたこともないのですか? オサナ王子が、祭事にどれだけの価値を見出していたか。――貴方には、それすらもわからないのですか?」

「シルビア王女の肝いりで始めた政治ショーに、どれだけの価値があるという!」

 

 そうやって単純に怒りを示して、個人的な感情に終始しているから見放されるんだって、わかんないのかな。

 ありていに言って、感情的になり過ぎて、目が曇っている。この感情の激しさは、生来のものか、教育の結果としてあるものか? いずれにせよ、それが刺客としての行動に表れるほど、彼から冷静さを失わせている。

 

「それが、貴方の答えですか。それだけしか、言えないのですか?」

「我々は圧政に抵抗する! ソクオチの遺臣、忠臣として、他の答えなど必要ない!」

「……なるほど。貴方がそういうのであれば、それでいいのでしょう。貴方の心の中ではね」

 

 過程がどうあれ、動機がどうあれ、オサナ王子は実利を評価する方だ。どのような形でも、ソクオチへの貢献が認められるなら、あの子は受け入れる。

 そこに理解を示さない時点で――こいつの忠誠心など、たかが知れていようぞ。

 

「あえて指摘しますが、政治ショーだから価値があるのですよ? これが首尾よく、最後まで平穏に実行されたのであれば、それこそソクオチが問題なく国体を維持できる証明になったでしょう。貴方の軽率な行動が、それを台無しにしたのだと。せめて、罪の意識くらいは感じませんか?」

「戯れ言を――」

「ああ、はい。もう結構ですよ。ええ、ええ」

 

 言質さえ取れればそれでいい。自称ソクオチの忠臣殿が、いかに愚かな人間であるか。これを周知できたなら、もう充分だ。

 オサナ王子は、この馬鹿の発言を最後まで聞き続けてくれた。結果として、刺客の言葉を地方貴族の意思と捉えてくれるだろう。

 

「オサナ王子、聞いた通りです。……ただの刺客でさえ、ここまで頑なな態度を取る。地方貴族は、貴方を利用して、己の都合を押し付けようとしている。きっと、その為にどれだけの人が被害を受けようとかまわないのでしょう。もしかしたら、ソクオチという国家を維持する気持ちすら、持っていないかもしれません」

「そこまでひどいとは、信じたくない。――いや、何を信ずるべきかは、勝った後に考えるべきだとも思う。だから、今はとにかくこの場を切り抜けよう」

 

 劇的な状況下で、劇的なセリフを引き出す。これだけ環境を整えたら、どんな子供でも腹をくくる。オサナ王子が戦う気概さえ持ち続けてくれたなら、この戦いに負けはないのだ。

 

「見事なお覚悟です。ソクオチは今回の件で、さらに評判が落ちるでしょうが――オサナ王子が毅然とした態度を貫かれるなら、希望が残ります」

「前王の遺臣は馬鹿ばかりだが、次代の王は立派である、と。そう思ってくれるよう、僕は自らの立ち回りを考えねばならない。……そうだな?」

「はい。でなければ、ソクオチは上から下まで愚かで軟弱な者たちであると、諸外国から失笑を買いましょう。もちろん、クロノワークやゼニアルゼも同様に」

「そうはさせん。……僕が立たねば、誰もソクオチの国体に価値を認めてくれなくなる。だから、僕はここで戦わねばならないんだ」

 

 いい流れが来ている、と思う。刺客を適当にあしらいつつ、護衛隊に一時預けて、周辺の警戒を任せる。刺客の成果に関わらず、襲撃部隊はすぐにでもやってくるだろう。

 捕まえた刺客の扱いは考えねばならない。首都に護送して、きちんと背後関係を調査し、裁判にかけて判断を下す――なんて。

 そんな真っ当な扱いは、流石にしてあげられない。可能な限り恣意的な扱いをして、役に立っていただくとしよう。

 

「オサナ王子、捕らえた刺客はこちらで活用したいので、少し時間をいただけませんか?」

「今は忙しいだろ? とりあえず、拘束だけしておけばいいんじゃないのか」

 

 それは確かにそうなんだけど、忠義面した馬鹿って、無駄に口が堅いからね。痛み苦しみでは口を割らない可能性がある。時間を掛ければいいってもんじゃないんだ、これは。

 だから捕縛した直後、彼自身が興奮状態にある今であればこそ、意図せずにこぼしてしまう言葉もあると私は見る。

 

「まあ、お任せを。それより、護衛隊に防備を固めさせてください。簡易にでも陣地を作って、防衛の構えを取るようにと。事前に話し合った通りに、人員と陣形をそろえさせればいいでしょう」

「――うむ。皆にはそう伝えよう。だが、刺客の方はどうにかなるのか?」

「尋問の小道具は揃えてきましたので、数分くだされば充分ですよ。では、そのように」

 

 いかにして男から情報を引き出すか、引き出したか。その為の小道具と手段を並べて実行するのに、時間はさほど掛からなかった。

 語るまでもなく、私にとってはひどく退屈な仕事だったが、結果だけを述べるならば――必要なことは聞き出したと言える。たった一つの事柄を聞き出せたなら、もう用はない。

 そもそも刺客の男は下位の騎士であり、そこまで多くの情報は持っていなかった。施された教育も上辺だけの薄っぺらいもので、ここで失敗して死ぬことすら計算に入れられていると、すぐにわかった。

 ただ、生まれの不憫さだけは同情するよ。――この時代、弱い人間に世間はやさしくない。どうにもならぬことだと、哀れに思う。

 

 十数分ばかりで尋問を終えると、オサナ王子の元へと戻る。

 予想していた通りの凶報が入ったのは、私と彼が顔を合わせるのと、ほぼ同時期だった。

 

「――モリー先生、悪い報告が入ったところだが、聞いてくれるか」

「前にも言いましたが、人の目があるところで先生呼びはしないでくださいよ」

「この祭場は囲まれている。おとなしく僕の身柄を渡すならば、その他全員の安全な脱出は保証すると言うことだ。……祭事の最中に軍事行動とか、奴らは本気で、今のソクオチがどうなってもいいらしい」

「正当性は我にあり、ですか。我々の安全など、本気で守るかどうか疑問ですね」

 

 まあ、ここが虎口であることは、初めから分かっていた。飛び込んだのは、相手の行動を誘うためでもあったし、刺客も襲撃も覚悟はしていたことだ。

 

「それで、あの刺客から何か聞き出せたのか?」

「はい。――彼の『身元保証人』は、地方貴族です。正確に身分を言うなら、私兵ではなく下級官吏に過ぎませんが、妾腹の息子だそうで」

 

 都合のいい存在が、良い所で転がり込んで来てくれた、と思う。

 別段、そこらの木っ端でも問題はなかったんだけどね。証拠なんて捏造すればいいんだし。でも、偽物よりは本物を使う方が、リスクはより小さくなる。

 

「……地方貴族の、妾腹の息子。下級官吏でくすぶっている内に、歪んだ感情を持て余したか?」

 

 この状況で刺客なんて飛んで来たら、普通は有無を言わさず殺害する。私がいたから、そうはならなかったが。

 普通は、刺客の身元なんてすぐには割れない。時間を与えるつもりも、相手にはないだろう。だから、この時点で看破されたことは、あちらにとっても計算外のはずだ。

 今、この場でそれが優位に働くことはあるまいが、後々効いてくる。その時には、地方貴族には己のうかつさを後悔してもらおう。

 

「苦痛に強い相手でも、やりようはあるということで。言い訳する理由を与えて、尚且つプライドの源泉を刺激すれば、結構ポロっと漏らすことがあります。あの手の感情のコントロールが聞かない馬鹿は、余計に」

 

 本来ならば、地方貴族にとっても私兵にとっても、あの刺客は失って惜しくないカードだ。開戦の景気づけに、思い切って使う気になったのだろう。当人も志願したと言っていたから、成功報酬に何をねだったやら。

 詳細まで聞く気はなかったし、興味もない。重要なのは、戦後に地方貴族を追求する要素を増やせたこと。彼が言い逃れる余地を、一片でも少なくすることだ。

 この場を切り抜けたら、刺客殿には役に立ってもらう。首だけ引っこ抜いて活用するか、その下の身体まで必要になるかどうかは、状況次第だ。

 

「ともあれ、ここからは、いささか以上に派手に立ち回ることになります。よろしいですね?」

「否とは言うまい。――人死には、なるべく避けたいが」

 

 事ここに至った今、手段を躊躇う理由もない。――私と言う武力を用いることも、オサナ王子は容認するだろう。

 そして、おそらくはあらゆる謀を許してくれる。筆記用具と書簡を背嚢に詰めて持ち出すことも、許可をいただけた。

 ……文書の偽造とか、平時であれば結構な罪になるのだけど。これは戦だし、相手は地方貴族の私兵だからね。そして、戦とは騙し合いが基本だ。

 情報に優越することが、全てに優越することにつながる。私は、それを忠実に実行するつもりだった。

 

「そうですね。私も、なるべく殺したくはありません。今大事なのは生き残ることであって、敵を殺害することではありませんから」

 

 本心だった。暴力は、手段の一つに過ぎない。全てを殺して回るなど、労力がかかるばかりで効率を無視している。大事なのは生き残ること、そして勝つことだった。

 防衛陣地の選定は済ませてある。オサナ王子はそちらに向かってもらい、こちらはこちらで動くことにしよう。

 

「幸いにというべきか、ここは山地の狩猟場です。これを包囲するなら、ふもとを抑える形になっているでしょう。――頂上の辺りは、逆に安全と見えます。王子は、護衛隊やその他の人員を声を掛け、山を登ってください」

「わかった。それからは、護衛隊の指示に従えばいいんだな?」

「はい。全員で、籠城の構えを取ってください。私は単独でこの包囲を抜けて、方策を実行します。……護衛隊は優秀です。オサナ王子が指示を飛ばさずとも、細部はあちらで調整するでしょう」

 

 護衛隊の防備が固まっているなら、敵側も容易には抜けない。私単独ならば、包囲網の脱出だけならどうとでもなろう。

 そして敵情を視察しつつ、可能な限り勝ち筋を打っていく。あざむき、だまし、場合によっては指揮官の首を狙うのもいい。

 

「今しばし、時間をいただきますが、私が機会を作ったら打って出てください。上手くいけば、私兵どもの陣が乱れるはずです」

「状況の見極めと、取捨選択の全ては護衛隊に一任する、と。――ああ、わかっている」

「充分です。後はまあ、臨機応変に柔軟に、と行きましょう。本番は、ここを切り抜けてからです」

「理解しているとも。張り切り過ぎて、倒れたりはしない。体力はそれなりに付いたし、首都まで戻れば騎士団もいる。アテにするには弱い兵力だが、もし敗走しても戦うことは出来るだろう。……その時の為に、僕は強い指導者として振る舞わねばならない」

「――今から気負うようなことではありません。さしあたっては、私の成果をお待ちくださいね?」

 

 言うは易しだが、実際にどこまで敵を混乱させられるかは未知数だ。とにかく柔軟な判断と行動が求められるので、私は身軽な立場になりたかった。

 

「勝機があるなら最善を尽くすし、尽くさせる。だから……頼むぞ」

「はい。必ず、吉報を持ち帰りましょう」

「……わかっていたが、僕のせいで、この戦場が生まれた。これは、僕の責任だ」

「貴方だけの責任ではありません。責任を問うならば、私も無関係とは言えません」

「人が、死ぬな」

「はい。敵も、護衛隊も、あるいは私も」

「先生は死なないさ。死ぬ気がないのに、そんな風に言うものじゃない」

「――そうですね。意味のないことを申し上げました」

 

 なるべく早く事態を収めたいので、なんとも厳しい手段を取ることになる。いつもは戦場に出るたびに、己の死を幻視したものだが――。

 

 今回は不思議と、そうした感覚を覚えなかった。まるで、こんなところでは自分は死なぬと、わかっているかのように。

 この予感が、現実のものになってほしい。そんな都合のいい妄想を抱くくらいに、私は弱くなってしまったのか。

 

 そうだとしたら、原因は一つしか考えられない。

 待っている人がいる。

 愛する人、愛してくれる人たちがいる。

 その事実が今の私を支えていると思えば、この弱さも抱えて生きていくことが、私の義務なのだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今の時間帯は昼間。これから夕方になり、暗くなっていくことを考えれば、防衛側とて安穏とはしていられない。

 しばらくは戦闘が起きなかったとしても、夜になれば敵も味方も夜間戦闘を案じねばならぬ。

 もし敵側に夜戦の心得があれば、かなり厳しいことになるだろうが――夜戦はどちら側にとっても賭けに近い。

 これにあえて挑むだけの背景が、相手にあるかどうか。答えは、数時間もすればわかるだろう。本当の問題はむしろ、夜が明けてからになる。

 防衛側は籠城戦に近い形になるが、当然ながら蓄えなどは知れている。三日四日と戦い続けられる備蓄など、祭事の際に必要になる訳もなく。もし長期戦になるとしたら、わずかな食料と替えの少ない武具をやりくりして戦わねばならない。

 これは、敵も味方も周知されていることだろう。これが理解できぬほど、相手も無能ではないはずだ。

 

 そして戦場は山地。木々の生い茂る森が近く、ふもとには広い平原がある。我々は山道の中にいた。

 ふもとから伸びる道は、そこそこ広く整備されていた。馬車と騎兵が並んで通れるくらいには広さも強度もあるのだが、この道を外れれば足場は一気に悪くなる。

 なので馬車と馬を使って山道を占拠、そこに簡易な陣地を作成し、こもって戦う体勢を整えれば、かなり防衛しやすくなるだろう。

 馬車は案外丈夫なもので、弓兵の雑な射撃なら防げるくらいの強度がある。馬は調練を積んだ軍馬であり、人の命令によく従ってくれるため、即席の遮蔽物になってくれる。これらを山地の高所で上手に用いれば、ちょっとした砦といってもよい防備が整うわけだ。

 

 流石に砲兵の砲撃に耐えられるほどではないが、敵はその手の大火力は持ち合わせていない。――砲兵は育成にも維持にも金がかかるからね。

 地方貴族がこれをそろえるのは、困難だったのだろう。……私とて連中が砲兵まで抱え込んでいたら、逃げる手段をもっと真剣に考慮した。そうせずにいられたのは、幸運だというべきか――。

 

「いや、シルビア王女が調べた時点で、地方貴族の元に砲兵がいないことはわかっていた。だからこその現状であると、そう言えるのでしょうね」

 

 重要なのは、オサナ王子が堅固な陣地におり、安易な力攻めを躊躇わせる状況だと言うこと。

 そして私が一人、遊撃戦力として存在していることだ。たった一人で出来ることなど、限られてはいるが――。

 打つ手があるからこうして単独行動しているのだし、勝ち筋があるから戦うのだ。

 

 まずは待つ、そして観察する。出来れば今、ここにいる戦力の詳細が知りたい。

 貴族の私兵連中か、傭兵化した盗賊どもか。いずれにせよ装備と練度のほどを知れば、つけ入る隙も見いだせよう。

 

 ……ふもとには、確かに兵どもが包囲網を敷いていた。姿を隠しながら様子をうかがうのも、山地の遮蔽物を利用すれば十分可能である。これで目耳も良い方なので、失敗する要素はない。

 おおよそ敵の状態は、小一時間も観察を続ければ把握できた。……今回上手くいったのは、私が不整地での諜報活動に慣れていたからだろう。クロノワークの厳しい訓練は、あらゆる意味で私を活かしてくれる。

 

 敵陣を改めて観察すると、敵兵は思ったより装備がしっかりしており、体格や顔つきも整っている。――要するに、良い環境で育ったことが見て取れた。

 命令の伝達も兵どもの動作も、即席の出来合いではない。何度も繰り返された訓練の賜物だと、はっきりわかるほど堂に入っていた。

 

 ……これは、貴族の私兵連中が相手だと思った方がいい。見栄えを気にするのは、それだけの余裕があるから。練度の高さは、それを可能とする環境が整っていたからだ。

 お抱えの私兵には、そこそこの待遇を用意するのが作法である。それに実戦を知らぬ若者特有の、甘い顔つきが見て取れれば間違いはないと思う。

 

 ひときわ大きい天幕は、人の出入りが多い。遠目から推察できることは多くないが、伝令らしき兵が度々入る様子を見るに、あれが指揮官の詰所と考えてもいいだろう。

 ならず者にはならず者の、お行儀の良い正規兵にはそれなりの対処方法と言うものがある。人間はテンプレートではないから、常時目を光らせて対応を考えねばなるまいが――。

 初見殺しと言うものは、悪辣で防ぎにくいから初見殺しと言うのだと、彼らに教育してあげよう。

 

 先の戦争で戦ったのは、中央の軍のみ。ソクオチの地方は、内戦にも外征にも十年以上は参加していない。

 古株の士官が残っているならともかく、そうでないなら相手は童女と童貞ばかりであろう。訓練を積み重ねようと、実戦の重圧を知らないのであれば、一度の混乱が致命的になることもある。

 そして、致命的な混乱を引き起こすには、未熟さの隙をつくのが一番いい。戦場の霧の深さと言うものを、初戦で実感させてやる。そして、慣れる前に殺すのだ。

 

 もしこれが手練れの盗賊であれば、容易に騙されてはくれないし――。そもそもこちらが防備を固めている間に、無為に待っていることなどありえないから、もっと事態はややこしくなったはずだ。

 火を投げ入れるなり捨て駒を突っかけるなり、何らかの妨害を行っていたであろう。護衛隊は精兵揃いなので、少々の工作で破られる防備など築くまいが――疲労の蓄積までは防げない。

 

 自領内で目標を取り囲み、待ちの姿勢に入っている現状。三日四日は時間をかけても問題にならない。

 ある程度は持久戦も許されるのだから、今は敵側に焦る理由はない――というのは理屈だけの話。理論は理論で別として、実践の場に出れば人間の身体は現実に対して正直になる。

 感情が揺れれば気力は萎えるし、気力が萎えれば迷いは大きくなる。迷いの大きさは初動の遅れにつながり、その遅れは相手に行動の自由を許すだろう。

 こうしたドツボにはまらせる手管を、私はいくつも持っている。この場で使える方法を思案するだけで、おそらくは事足りよう。

 

 正規装備でがっちり身を固め、真面目に隊列を作って隙一つ見せない有様は、私には緊張と不安の裏返しにも見えた。

 ……この様子なら、夜襲はあるまい、と判断できる。兵士どもの士気の低さと緊張の強さは、不安定な状況だと大抵悪い方向に現れるものだ。指揮官がそれを理解しているなら、待ちの体勢を崩すまい。

 そしてオサナ王子らを囲んで、こちらの出方を待つ――という手ぬるい手段に出た以上、彼らの行動にも予想が付いた。

 

 私兵どもの本陣から飛んできた伝令兵を刈り取り、伝令の内容を確認する。これまた予想通り、『援軍の要請』だった。

 敵陣をぐるっと回って見た所、その数はおおよそ800という所か。こちらは護衛隊が150、祭事に付き合わせている非戦闘員が200程度。

 こちらとしては、無為無策の突破は被害を拡大させるので遠慮したくなるところだし――。

 私兵側としても、囲むくらいならともかく、防備を破って叩き潰すつもりなら相当な被害を覚悟せねばならぬ。

 特に地方貴族側は、オサナ王子という玉を、無傷のまま確保したく思っている。ここで無理に攻めて、彼を失うことになれば、大義名分を失ってしまう。――なので、数で威圧するためにも、包囲網をより厚くするためにも、援軍は必須と考える。

 

 前提を知っている私からすれば笑える話だが、オサナ王子が決断を迷って引きこもっている内に、次の手を打ちたいんだろう。あちらの目線からだと、特に下手を打ったという自覚はないはずだ。

 実際には、オサナ王子はそこまで無力なお人ではないのだけどね。彼を見誤ったことが、敗因になると思えば、なんとも愉快な気分だった。

 

 ――私だったら、どうしたか? オサナ王子を確保するために、初手から全力で攻めるよ。手に入るのが玉体でも遺体でも使いようはあると割り切って。……敵がそうしないのは、まさに幸運だった。

 おそらく指揮官は行儀がよく、丁寧に教育を受けた真っ当な人間なのだろう。被害を厭って、定石どおりに降伏勧告をやってくるあたり、間違いあるまい。つけ入る隙を、私はそこに見た。

 

 伝令兵は、一人だけではない。援軍の重要性を考えれば、万一に備えて複数の伝達手段を用意するのが常道だ。

 なので、問題なく援軍はやってくるだろう。例の『傭兵集団』が、だけどね。地方貴族が養える私兵は、実際の所そこまで多くない。

 この場にいる連中が、おそらく無理のない範囲での限界だと思われる。……掻き集めれば、さらに数百はもってくれるかもしれないが、彼らはそれを選ばなかったわけだ。

 

 ――伝令には、確かに傭兵をこの場に呼び寄せる旨が書かれていた。盗賊どもを傭兵として雇用し、この場に呼んで使い潰す。そして、私兵の消耗を抑えてオサナ王子を確保する――というのが敵側の方針だろう。

 思いのほか、盗賊どもは近くにいるらしい。伝令の書簡には、『そこを通って、いつまでに、ここに来い』とまで詳細な指令が書いてあった。

 迅速な援軍の派遣のため、あらかじめ話を通していたルートなんだろうね。最初から呼び寄せなかったのは、ガラの悪い連中を近くにおいて、不穏な気配を悟られたくなかったからか。

 

 ともあれ、この最短ルートで駆けつけてくるとしたら、ほどなく援軍はやってくる。他の伝令が盗賊どもの元にたどり着いて、すぐに動いたとして――十二時間程度くらいは見てもいいか。

 全ての歯車が上手に噛み合って、全速力で来られたとしたら、さらにニ三時間は短縮できよう。そうしたら、深夜から明け方には合流されるかもしれない。

 夜間行軍にはコツがいるが、事前に手配されていたならこの程度、クロノワークでは新兵でもこなしてのける。

 

 総合的に見て、悪くない手段だった。この場に私がいなければ、有効な手段になったと思うよ。こんな所に他国の特殊部隊員がいるなんて、想像する方が難しいから仕方ないけど、なればこそ意表もつけるというものだ。

 伝令が一人返ってこないことに、指揮官は不吉を覚えるだろう。しかし、これを深く考えて、敵への情報漏洩を考慮するところまでいけるかどうか。疑ったとして、対策を打ち出せる精神的余裕があるかは、怪しい所だった。

 

 ……じゃあ、仕込みに入りますか。伝令の内容は、きっちり書き取って筆跡を覚える。さっと覚えた後は、伝令を偽造しよう。

 ――あちらの筆跡を真似るのは、偽の伝令に真実味を持たせるためだ。完全に合わせるのは難しいが、この手の細かな努力を怠ってもいいことはないからね。

 

 それから始末した伝令君の装備をはぎまして、丁寧に磨いて、不審な所が無いように。これを着こめば、まぎれもないソクオチ兵に見えるようにしよう。

 以前からソクオチはクロノワークの仮想敵国だったから、ソクオチ兵の立ち振る舞い方は当然心得ている。特殊部隊員として、これは当然の心得だと言って良い。

 そして、ソクオチでも女騎士は珍しくない。私がその中にまぎれても、目立たないくらいには誤魔化せようさ。

 こうした自信があったから、私は手段を選ばないで行動できるのです。卑怯とか見苦しいとか、そんな概念は知りませんし聞こえません。

 何よりもまず、勝たなければ未来がないんですから。だから、これは仕方のない判断なのですよ。ええ、ええ。

 

 

 

 

 

 

 

 盗賊どもがやってくるのは、思ったより少しは早かった。本当に夜間行軍してきたようで、明け方近くには私兵どもの陣営が見える位置に来るだろう。

 わかりやすく、整備された街道を通ってきたので、夜間でも私の目なら間違えることはない。明らかに怪しい集団であるし、武装している。

 

 半端な位置で留まったのは、私兵どもを信頼していないためか。到着早々に無理を押し付けられると思えば、ギリギリの距離でまずは休息をとる――というのは、無難な手ではあるだろう。

 ここらで二時間ばかり時間を潰せば、夜明けはもうすぐだ。夜戦を避けて、体も少しは休める。そうでもしなければ、士気すら保てないのが賊軍と言うものだが、無茶をしてくれない相手と言うのも厄介だ。

 学がないなりに備えているし、ちゃんと考えている、との印象を私は受ける。こちらは、新兵の集団と思わない方がよさそうだ。

 

 盗賊稼業は大概嫌われ者だが、元をたどればただの村民であることが多い。土地の貧しさか、過程の問題か、何かしらの外的要因で臨まぬ道を歩まされてきたのだと思えば、同情の余地もあるだろう。

 だからといって、彼らを前にして感傷などは不要である。教育のない農民とて、考えつくせば知恵者を凌ぐことさえあるのだ。経験を積んだ盗賊は、時に精兵も驚く様な働きをする。

 私モリーも、それはわきまえていた。無学の狡猾さを知ればこそ、相応の態度を持って接しようじゃないか。

 

「伝令! 私兵指揮官よりの伝令です! 道をお空けください」

 

 私兵の伝令に扮すれば、近くまで寄っても盗賊ども(彼らは傭兵を自称しているが本質は変わりない)とて粗略には扱えぬ。地方貴族と私兵がどんなにいけ好かない相手でも、飯を提供してくれる存在ではあるのだから。

 ここで伝令を無視するようなら、そもそも来ていない。連中の頭目は、感情と実利は別にして、名目上の主とその周囲に配慮が出来る性格なのだろう。

 

「伝令兵。今度は何か」

「指揮官殿の命にて、次の指示をお持ちしました。ご確認ください」

 

 口頭での命令ではなく、書簡による意思伝達を行う。私兵の指揮官は几帳面な性格らしく、形に残る方法で意を伝えようとする。

 この辺りは育った組織の慣習とか文化が大きく出る部分だから、別に良いとか悪いとかの問題ではないだろう。

 盗賊の頭目には識字能力があるようで、黙って書簡を受け取ると中身に目を通した。流し読みではなく、きちんと文字を目で追っている。読めるふりをしている、という風でもなかった。

 

「――随分とぶしつけな命令だな、ええ?」

「返答を持ち帰れと命じられております。いかに?」

 

 相手がぶしつけ、とまで評した命令は、私が書簡に書いたものなので、偽造した命令である。

 この偽の書簡には、『休息が終わり次第、夜が明ける前に山頂の敵陣を攻めること。急ぎの仕事ゆえ、我々の陣を素通りして構わない』と記してある。

 挨拶無用、こきつかってやる――という意識が、露骨に表れている文面だ。頭目が顔をしかめても仕方がない。

 

「……お前、俺たちへの指示については聞いてないのか」

「重ねて申し上げます。返答を持ち帰れ、と命じられております。……よろしいですね?」

 

 白々しくも、私は答えない態度を貫く。答える必要性を感じない、という顔を見せて、返事だけをせっついた。

 お前はただ、返事だけを寄こせばいいという傲慢さ。その方が、こいつにとっては『らしく』見えるはずだ。

 

「私兵連中は、これだから好かん。……わかった」

「どのように、お伝えしましょう」

「素通りするにしても、ウチの部下は礼儀を知らん。とんだ無作法をするかもしれんが、そこは寛大な精神を持って見逃すように、と伝えろ。急な命令の変更を聞き入れてやるのだ。そちらの配慮に期待する」

「――では、そのように」

 

 期待していた返答は受け取れた。ボロが出る前に立ち去るのが無難だ――と思って、立ち去ろうとした、その直前に。

 

「待て」

「はい」

「……今回、伝令はお前だけか?」

 

 まさかの呼び止めが入りました。この盗賊の頭目、思ったより慎重な性質であるらしい。

 私の言動に不審を抱く余地はなかったはず。とすれば、気まぐれな問いである可能性が高い。

 

「はい。私のみで、他に伝令は飛んでおりません」

 

 余計な言葉は吐かない。ただ堂々と、やましい所はないと態度で示そう。あちらも、一伝令兵が詳しい情報を持っているとは思うまい。

 

「……そうか。いや、いい。行け」

 

 相手が何を感じたのか、私にはわからない。だが、こちらに害意がないことはわかっているのだろう。

 疑われたのなら、その時はその時で対応は考えていたが、見逃してくれるのなら幸いである。

 

「では、失礼します」

 

 こうして、私は虎口に入りながらも、目的を達して脱出する。盗賊の頭目が、あの伝令を真に受けてくれたのなら、両軍の間にちょっとした混乱が起きるはずだ。

 それを利用すれば、こちらの不利を覆すことも不可能ではない。可能性はまだ、潰えてはいない。今は、その程度の希望でも充分だった。

 

 そして盗賊と傭兵を兼ねた連中は、明け方に私兵どもと衝突する。明け方まで歩哨に立っている連中は、疲労が重なって判断力が鈍っているだろう。

 明かりはまだ充分ではなく、薄暗い視界の中、連絡もなしに近づいてくる傭兵の群れは、彼らにとって単なる賊とさして変わらぬように見えよう。

 陣を素通りすると言っても、私兵どもはそれを把握していない訳だから、当然の様に盗賊どもを押しとどめようとする。盗賊どもは、話が違うと文句をつける。

 

 そこに私が矢を射かけたり、裏切りを示唆する声を張り上げたり、あるいは指揮官の首を取ったりしたら、どうなるか。――運しだいだが、最悪でも派手に立ち回って、適当に被害をまき散らすことは出来る。

 この混乱に乗じて、どこまでの戦果を見込めるか。全てはそこにかかっていると言って、いいだろう。

 私にとっては、この戦の勝利を形を決めるための一手であり――。おそらくはオサナ王子にとって、今日と言う日は人生の節目にもなるのだと、そうも思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 ソクオチの既得権益層にとって、先の敗戦は痛恨事であったと言って差し支えない。

 地方貴族の私兵、その指揮官の彼にだってわかるほど、それは顕著であった。現在の心境はと言えば――なるべくしてなった、こうするしかなかったのだ、という自己弁護の論が全てである。

 指揮官の上司たる地方貴族には、王家に対する忠義も複雑な感情もあるだろう。シルビア王女に対する不信も、大きな割合を占めているのも間違いない。だがその下にいる者たちにとって、雲の上の事情などに興味はなかった。

 

「強硬手段も止む無し。子飼いの者としては、同調するのに苦労はなかったとも」

 

 クロノワークもゼニアルゼも、ソクオチに賠償金を求めることこそなかったものの、統治に関わる部分にはメスを入れて来た。

 それが一部の官僚と私兵たちにとって、はなはだ都合の悪いものであり――決起を支持させる理由になったのである。

 具体的には関税法の改正と、複数ある関所の廃止を求めてきたことが致命的だったと言える。

 地方貴族には、色々な出費がつきものだ。その中でも私兵を養うこと――すなわち、権威を保証するための武力を維持することは、何よりも優先するべきことである。

 高い地位に相応しい格と重み、発言力を確保するには、個人的に忠誠を捧げる武力集団の存在が不可欠。彼らを食わせていくためにも、あるいは機嫌を取るためにも、関税収入は妥協できない部分であった。

 

「交易が大事なのはわかるが、その為に飯の種を捨てよ――というのは道理が通るまいに」

 

 それを逆に廃止し、交易の交通量を増やそうとするシルビア王女の考えは、社会全体の利益を考えるなら正しい物であったろう。しかし地方貴族はもとより、その下にいる私兵どもには、まず理解不能な理論であった。

 関所を廃止し、流通の経費が安くなれば、交通量が増える。交易の機会が増えれば、結果として税収も増えるものだが――これを正確に理解しようとする者が、ソクオチ貴族の元には誰も存在しなかった。

 

 関所を廃すると言うことは、中間搾取の方法が減ることを意味する。全体的にはともかく、確実に廃止した分だけ自らの糧が減ると、官吏たちは考えた。

 そして今後の発展が未知数である以上、どのように楽観視したところで、私兵の規模は縮小してしまうと説かれれば――地方貴族とて、決断せざるを得ぬ。

 その意を受けた私兵たちも、現状が望ましくない方向に進んでいることはわかっていた。上司の都合はともかくとして、ワイロをもらう機会が減るのは、よろしくないと思ったから。

 それこそ、盗賊を用いて徴税を逃れようとするほどには、彼らは腹を立てていたのだ。

 

 貴族の私兵は、当然ながら親方の財布が豊かでないと養えない。その指揮官の家系ともなれば、責任ばかりが重くなるもので、なればこそ凋落を受け入れることは出来ぬ。

 流石にソクオチの正当な王位継承者に弓を引くのは気が引けるものの、命を狙うわけではなく、むしろ保護するために戦うのだと思えば誤魔化しも効いた。

 誤魔化しは誤魔化しに過ぎず、本音は己の待遇と地位を保ちたいという保身が全てであるのだが――。

 なまじ単純な欲望が動機であるだけに、妥協はできなかった。こうしてオサナ王子を囲んで脅すのも、自分の欲求に従った結果である。そこに後悔がないと言えるほどには、私兵指揮官も割り切っていたと言える。

 

「オサナ王子を確保することを考えれば、無作法に攻めるわけにもいかん。援軍のアテはあるゆえ、今日くらいは様子を見ても良かろう」

 

 指揮官の見解と言えばこの程度のもので、緊張はあっても危機感はない。相手は孤立無援の孤軍である。真面目に攻めれば――陣地にこもったところで、二日三日も耐えられれば上出来と言ったところか。

 盗賊崩れの傭兵どもは、ここからそう遠くない位置にいる。援軍として呼んでくれば、賑やかしの役割くらいは果たすだろう。数で威圧できれば、それだけでこちらの勝利が近くなる。

 被害を抑えて勝ちを得られるのだから、これだけは急ぎたかった。せっついて夜間行軍してでもやってこい、と伝令を飛ばしたので、深夜か早朝にでもここに来るだろう。

 

 お互いに良くない感情を抱いていたとしても、傭兵にとって貴族の私兵は上司に近い。特に今回の作戦は私兵側が全権を任されている。

 飯の種を握られている傭兵側としては、彼らの要望にはなるべく応えねばならなかった。もし私兵側が地方貴族に『傭兵の働きが悪かった』と告げ口すれば、待遇が悪くなるであろうことは容易に想像がつく。

 形としては傭兵、という枠に収まっている連中だが、元はと言えば脛に傷を持つゴロツキどもである。地方貴族の庇護を捨て、余所に向かったところで、まっとうな暮らしなどできるはずがないのだ。

 

「せいぜい急いで来いよ、弱卒ども。所詮余所者のお前たちに、他に生きる場所などないのだからな」

 

 夜陰に紛れての行動なら、お前たちの得意のするところだろう――と、指揮官は軽蔑するように吐き捨てた。それくらいしか取り柄がないのだから、こちらを待たせるんじゃないぞ、とでも言いたげに。

 

 ――非正規兵を使うのに利点があるとしたら、容易に使い潰せることと、無理をさせても周囲から非難が飛ばない部分にある。

 元が盗賊稼業の連中だと思えば、使ってやってるだけありがたく思え、とさえ指揮官は考えていた。

 報酬の額はすでに決められている。あちらだって、一人当たりの儲けが増えると思えば、多少は間引かれても文句は言うまい。

 

 オサナ王子の護衛隊が防備を固めるなら、そうすればいい。傭兵のならず者どもを仕掛けさせ、適度に消耗を強いれば遠からず降伏するであろう――とさえ、彼は考えている。

 指揮官はソクオチの生まれであるがゆえに、自国の国民性を知っていた。軟弱な王族の王子など、すぐに泣きが入るに決まっているのだ。

 

「命を奪うのではなく、正当な地位に持ち上げて、玉座に縛り付けてやるだけだ。子供だからと言って、我慢できないことではなかろうて」

 

 独り言を漏らし続ける程度には、指揮官も油断していた。だからダラダラと包囲を続けさせたし、策も錬らずに時間を潰し続けたのである。

 彼に思慮と言うものがあるとしたら、援軍要請の伝令を複数放った時点で、そんなものは使い果たしていたのだろう。そうでなくば、モリーの計略には容易く引っ掛からなかったはずだ。

 

 夜の帳が下りてしまえば、光源は松明の灯りが全てだった。明け方ともなれば少しはマシになるが、今度は疲労で視界がぼやけてくる。

 ソクオチに限らないことだが、西方では夜目がきく人間は少ない。クロノワークの特殊部隊員であれば、わずかな光源で目標を正しく捉えたであろうが、地方貴族の私兵などに、そこまで期待するのは酷であったろう。

 

「実戦は、訓練以上に疲れるものだな。……明るくなったら、仮眠をとるか。夜中に何もなかったのだから、まさか昼間の内に仕掛けてはくるまい」

 

 いかに油断があったとはいえ、夜討ち朝駆けを食らう可能性は、流石に指揮官とて考慮する。

 オサナ王子の護衛隊に、そこまで大胆な行為ができるかどうか、いささか疑問でもあったが、内部への警戒だけは厳重にさせていた。

 

「――しかし、怯えて守りに入るくらいなら、早々に下ればよいものを。こちらと違って、援軍のアテも無かろうに、防備ばかりを固めおって」

 

 山中の簡易砦は、無理攻めするには面倒な相手だった。しかし、相手は孤立無援であり、こちらには追加の捨て兵を持ってこられる。勝ち目がないことを理解してほしいものだと、この指揮官は考えていた。

 そして、アテにしていた捨て兵の補充――つまり傭兵の援軍がやってきたときも、素直にその事実を受け入れるばかりで、備えをしようとは欠片も思わなかったのだ。

 そう、敵襲に対する備えを。

 

「――なんだ?」

 

 騒がしい、と指揮官は思った。兵どもが騒いでいる。

 

「兵卒どもの喧嘩か? そこのお前、見てこい」

 

 従卒に向かわせ、確認させる。この大事な時に、援軍が問題を起こしに来るとは考えたくない、というのが本音であったろう。

 援軍は傭兵とはいえ、元は育ちの悪い村民であり、盗賊稼業を行っていたような連中である。

 貴族の私兵として、養われてきた自分たちとは、合わぬ部分もあるだろう。その辺りはわきまえていたから、多少の衝突で短気は起こさぬようにと前々から言い含めていたはずである。

 だから問題があるとしたら、あちらの方。盗賊どもの方から突っかけて来たのだと思わざるを得なかった。

 その想像性の欠如こそが、思わぬ敗北を呼び込むことになるのだと――。そこまで理解を深めるには、指揮官は若すぎたというべきであろう。むしろ、これは『仕掛けた』モリーの方が狡猾であったのだと、そう捉えるのが正しい。

 だから、戻ってきた従卒が伝えた言葉に惑い、隙を見せることになるのだ。

 

「申し上げます! 敵襲、敵襲です! 救援に呼んだはずの傭兵どもが、我らに仕掛けて来たとの由!」

「馬鹿な、誤報ではないのか」

「矢を射かけられたのは確かです。そして、気勢を上げてこちらに詰め寄る者どもがおり、それが例の傭兵どもであるのは事実だそうです!」

「ううむ……そうだ。兵どもには、むやみに騒ぐなと言ってやれ! 実際に斬りかかられるまでは、連中が本気で敵対しているかはわからん! 同士討ちなど馬鹿の極みではないか。――せっかく舞台を整えたというのに、何がどうなっている」

 

 指揮官の思考が止まる。対応する前に現実を疑うのは、指揮官の未熟さを示すものであったろう。

 悲しいことに、彼は身内の犠牲を厭う性質の男だった。犠牲を厭うからこそ、傭兵を捨て駒に使うという発想から逃れられなかった。

 

「……矢? 矢だけか。頻度はどの程度だ。多数による一斉射撃か、それとも単発のものが散発的に飛んできたのか」

「は、いえ、そこまでは――」

「まったく! 事は正確に報告しろ! ……ええい、今さら聞きに行かなくていい。襲撃が事実なら、どうせもう遅い。事実なら、だが……やはりわからん。何かの間違いであったと思う方が、よほど筋が通るぞ」

 

 事実、ありえてはならないことであった。この状況で、契約を結んでいた傭兵がこちらを切る理由などない。誤報を疑うのは当然の判断であるが――確かめようと行動する前に、余計な思案に時間を割いたのがまず第一の失策。

 

「お待ちください! 偵察の一隊を組織するまで、ご自重を――」

「まどろっこしい。俺が自ら、事実を確認せねば納得できん。誤解であってほしいが、だとしたら何の意趣返しだ、これは……」

 

 そうして彼は天幕を出て、単独での物見に出る。粗忽な行いだが、彼自身は腕に覚えもあったので、かえって窮地を窮地と捉えることが出来なかった。

 そもそも遠出をするつもりがなく、自陣の外側を軽く見回れば、いくらかでも事態を把握できるだろうと思ったのだ。

 味方の陣営に隙を作ったつもりはないし、本格的な衝突の前ならば大丈夫であろうと考える。それこそが油断であると批判するのは、若い指揮官に対して酷であったかもしれない。

 

 しかし、これが本物の敵襲であり、安全が脅かされる可能性を考慮しなかったのは、まぎれもない失策であり、二つ目の落ち度であった。

 彼は、これが敵の策である可能性まで、きちんと考えるべきだった。思考停止が雑な行動につながり、無防備な散策が惨事を呼ぶ。

 虚々実々。嘘と事実を交えながら、実情からかけ離れた誤解を招かせる。戦場の礼法として、これはまさに正道と言えよう。

 

「指揮官殿でありましょうか? 伝令にございます。偵察の成果をお伝えします」

「早いな。誰が組織して偵察したのだ」

「はい。では、申し上げます」

 

 用いたのは言うまでもなくモリーであるが、相手にそんなことはわからない。クロノワークの精兵であり、特殊部隊員であり、何より経験豊富な曲者がこの場にいることを、私兵の指揮官は知らなかったのだ。

 

「――!」

 

 伝令兵に扮したモリーが、警戒心を持たぬ指揮官に近づく。間合いに入れば、その首を刈り取るのは、ほぼ一瞬の出来事であった。

 

「無作法、お許しあれ」

 

 近寄って、抜き打ち気味に一閃。使い慣れた剣と鞘は、その持ち主に完璧に応えてくれた。

 首級を持ち帰る必要はない。遺体を捨て置いたまま、彼女は姿を消した。オサナ王子の見せ場を作るという仕事が、まだ残されていたからだ。

 包囲を破るくらいの隙は、今作った。だが、オサナ王子が逃げるだけでは、印象が弱い。

 敵の隙が大きくなれば、戦果も拡大できる。状況に合わせて、柔軟に動くように伝えているから、ここから最善の結果を求めるくらいは欲をかいてもいいだろう。

 

「とりあえず、偉そうにしている奴から斬っていきましょうか。混乱から立ち直るまでに、あとニ、三人はいけるでしょう」

 

 きつい仕事だとは思っても、無理難題とは思わない。この場所を任されているのは、自分ならばできると、信頼されているからだ――なんて。

 そんな風に楽観的な考えが許されているのは、それだけの能力を、彼女が持っているからであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーの仕事が何をもたらしたかと言えば、単純に言えば小規模の同士討ちである。

 それがもたらす混乱を、上手に処理する能力を私兵どもは欠いてしまった。それがまさに、この状況における最大の価値であった。

 オサナ王子も、寝ぼけ眼でモリーの戦果を確認することが出来ている。

 

「何やら、やかましい。モリーがやってくれたか?」

 

 山頂から見える範囲では、ふもとが何やら騒いでいる、くらいのことしかわからない。

 明け方はまだ暗さが残っているから、多少は明かりが揺れているのはわかる。ただ、それが何を意味しているかも不透明だった。

 しかし、職業軍人の護衛隊――その隊長にとっては、これが好機であることを理解した。

 そして打って出る、という判断を隊長がしたのであれば、オサナ王子はこれを支持するだけで良い。

 

「任せる。僕も、前に出よう」

「一応申し上げておきますが、危険です。オサナ王子に万一があれば――」

「万一の危険より、一片の勝機の方が大事だ。僕が前に出て呼びかければ、混乱した私兵たちに迷いが生まれるかもしれん。その迷いが、この場での勝敗を決定づけることになればいい、と思う」

 

 なにより、モリーばかりに活躍させて、オサナ王子が守られるばかりでは格好がつかぬ。

 護衛隊に、ここぞという場面で手柄を与える機会も欲しい。幸いモリーの方が上手くいっているのだから、多少は欲をかいてもいいだろう、とオサナ王子は判断する。

 

「今なら包囲を突っ切るのも難しくはあるまいが。……あわよくば私兵を投降させて、地方貴族の反抗の目をここで潰したい。可能と思うか?」

「王子がそれを望まれるのであれば、安全を保障する限りにおいて、支持いたします。なので、私どもが脇を固めることをお許し願いたく」

「すまんな、苦労を掛ける。――だが、僕の勘が『ここで命を賭けろ』と訴えるんだ。ここで失敗する器なら、どうせソクオチを繁栄させるなど夢のまた夢。そうだろう?」

 

 護衛隊長は答えなかった。もしもの時は、非戦闘員を盾にしてでも逃がそうと、ひそかに決心しつつも。

 成功を確信して、ただオサナ王子の想いに寄り添うこと。それ以外に、ソクオチの未来はないと信じたから。

 オサナ王子は、窮地において自らの資質を開花させたのだ。平穏なまま、ぬるま湯に浸ったままでは、覚醒しなかったかもしれぬ才を、ここ一番で発現させた。

 それがそのまま、彼の運気を示すものであり――ある意味では、モリーの運の強さを示すものでもあったろう。

 

 

 そして、両者はまさに才と運によって、ソクオチの動乱を収めることになるのだ。以後の結果について、子細を語るには及ぶまい。

 

 

 ただ、わかりやすく端的に述べるならば。私兵どもは指揮官を失ったことで、体勢を立て直すことが出来ず。盗賊どもは私兵らの混乱を見て、形勢不利を悟り退いた。

 そしてオサナ王子らの勇気ある行動によって、この場にいる全ての者が、地方貴族の趨勢をも理解する。

 

 私兵の大部分は、この場で投降。逃げ延びた少数も、地方貴族の元に不吉な報を運ぶ役目を負った。

 オサナ王子の確保に失敗しただけでなく、その頼みとする武力を大幅に減らしてしまった地方貴族は、己の敗北を自覚せねばならなかった。

 ほどなく、彼は他国への亡命の道をたどる。そして、オサナ王子と護衛隊は祭事を中断。首都へ戻ることとなった。

 祭事を取りやめて、またの機会を待つのが当たり前の判断であったろうが、ここでオサナ王子は継続を希望する。

 

「不穏分子はまとめて処理した、と考えてもいいんだろう? だったら、中断した祭事を継続することで、ソクオチの国威を示そう。ソクオチ貴族が亡命したことで、諸外国も我が国の危うさを知ったはずだ」

 

 そこで、オサナ王子が滞りなく祭事を済ませる様を見せれば、いくらかでも体裁を取り繕えるはずだ――というのが彼の主張。途中までは出来ていたのだから、継続する体で適当に済ませれば格好だけは付けられる、とも言う。

 

「もとより、私は同盟国の手伝いとして、貴方の近侍に選ばれてここにいるのです。――オサナ王子、貴方の決断を、私は尊重しましょう」

 

 モリーもまた、それを支持した。オサナ王子にその気概があるのなら、支援するのがクロノワーク士官の役割であろうと、弁えていたからだった。

 

「同盟国? 従属国の間違いだろう?」

「いずれ、正式に同盟国になるでしょう。オサナ王子の戴冠後は、クロノワークはソクオチをそうした扱いにするはずです。まあ、私の勝手な想像ではありますが」

 

 クロノワークは、武威の国だ。武を示した他国の王族に対して、非礼は働けない。

 武を重視するがゆえに、この場で示した実績をクロノワークは無視できないとモリーは語る。

 

「まあ、とにかく祭事を終わらせましょう。――今の貴方なら、それが出来ると信じていますよ」

「そう願いたいな。……先生には、随分と苦労を掛けてしまうが」

「私をねぎらうより、護衛隊他、付き合ってくれた方々を見舞ってあげてください。そして、感謝なさることです。彼らは、貴方がソクオチの王子であればこそ、ここまで付き合ってくれたのですから」

 

 それはある意味、個人的な友誼によるものより、はるかに重いものであると、モリーは説いた。

 

「そうだな。僕は、ソクオチの王位継承者なんだ。その義務を果たして、彼らを庇護することが、今も将来も僕の仕事であるはずだから――」

 

 流させた血に値するものを、オサナ王子は皆に与えねばならない。

 権威に従ったものに、せめて名誉と信頼を。手っ取り早く富を分配できない彼には、他に与えられるものがない。

 経済的な保証は、シルビア王女に任せねばならぬが、オサナ王子には功労者に名誉を与える権限がある。王族の役割を果たすというのは、こういうことなのだと、彼は経験によって理解を深めていた。

 

「それでいいのです。オサナ王子、貴方がそれで皆を信頼し、返礼に忠誠を受け取ることが出来たのならば。その時こそ、貴方は正しく王として成長することになるのです」

「ちょっと、照れくさいな。……いや、でも。そうか。これが、王族としての自覚を持つってことなんだな」

 

 モリーは、オサナ王子の成長を称賛し、純粋に喜んでいた。

 打算もある。謀の一種でもある。だが、単純に男の子が成長する物語は、誰にとっても快いものであると、モリーは心から信じていたのである――。

 

 





 色々悩みまくって、ごちゃごちゃ書いていたのですが、最後らへんはすっぱりと省略しました。

 書いていて楽しくなかったというのもありますが、とにかく話を先に進めたくなりました。
 終わりが見えてきたと思っているので、展開を進めたかったというのが本音です。

 もともと、時間つぶしにでもなれば上出来だと思っておりますので、多少の雑さは大目に見てくだされば幸いです。


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暴君と名君は紙一重というお話


 クッソ長くなった上に話がとっ散らかっている気がしますが、ノリと勢いに任せた結果がこれだよ!

 次の話は、もっとわかりやすい内容にしたいと思います。

 内容自体は、すごく重くなるかもしれませんが、それはそれということで。



 モリーです。ソクオチでの祭事をどうにかこうにか終わらせて、帰国の途に就くことが出来ました。

 オサナ王子にとっては、ソクオチから再度離れることに思うところはあるだろうけど、これも政治であると理解してくれよう。祭事のための一時帰国だって、最初から分かっていたことだからね。

 ……問題は、ですね、オサナ王子がシルビア王女に会いたがったことなんだ。

 

「僕の方は、祭事の後に予定はない。クロノワークに戻れば、また平穏な日々を過ごすことになる。それが悪いとは言わないが、大事の後だ。……いくらかでも懸念を解消しておきたいと思うのは、当然のことだと思うが」

「懸念、とおっしゃいますと?」

「シルビア王女とて、ソクオチの国体を維持したい気持ちは僕と同じだと思う。だが、今回の騒動であの方の認識も変わったかもしれない。……僕がどれだけ頑張ったとしても、彼女がそれを評価してくれる人かどうか、僕にはわからない」

 

 シルビア王女って、割と誤解されやすいタイプなのかなって個人的には思う。私は情報を得て考察できる身分にあるから、あの方が求めていることも解る。公言するようなことじゃないから、オサナ王子にもあえて詳細を伝えようとは思わないが。

 とにかく敵には容赦なく、対外的には実利を優先する人ではあるけど――メイルさんとの付き合いを聞く限り、情を介さぬお方ではないし、身内に対しては親身にもなってくれるはずなんだ。

 

「そこまで心配するほどのことではないでしょうが、そうですね。単純に、オサナ王子とシルビア王女が話し合うのは悪くないと思います。わだかまりを今から解消しておけば、将来よりよい連携が望めるかもしれません」

「まあ、それもシルビア王女が僕に興味を持ってくれればの話だ。会談を受けてくれるかどうかは、申請してみないことには何ともな」

「――受けます、絶対。これに関しては、理屈よりも感覚と言うか、勢いみたいなものです。曲がりなりにも、臣下の暴走を押さえつけて見せた貴方は、シルビア王女と対する資格がある。私は、そう思いますよ」

 

 オサナ王子には『ソクオチ支配の正当性』くらいの利用価値しか、シルビア王女は認めてなかったはずだ。

 極端な話、生きているだけの置物であったとしても、彼女は許容しただろう。それが、案外使える駒になりそうだと知れば、ともかく顔くらいは見てやろうって思う。あの方の思考をたどれば、そこまでは確実だと断言できる。

 

「祭事のアレコレを言っているなら、僕は最後の一押しをやっただけだ。そこまで大したことはやってないぞ」

「好意的に解釈するなら、最後に一押しするだけで、貴方は望み通りの結果を得た。周囲を上手く働かせる才能がある、と見ることが出来ます」

「……うーむ、僕に興味を持ってくれるなら、悪いことではないか。虚名も使いようだってことだろ?」

「まさに。その辺りは、実際に対話して判断されることです。オサナ王子は、深く考えずに接していいと思いますよ。――どう転んでも、貴方自身が損をすることはないと思いますから」

 

 シルビア王女は、力や才に対しては、とても真摯に認める態度を取ってきている。だから、これから身内になるであろうオサナ王子に対して、そこまで無体なことはしないと思うんだよね。

 文章や風聞ではない、本物のシルビア王女と出会って、どこまで影響されるのか。なかなか興味深い話だった、彼が個人的に会いたいっていうなら、私は支持する。

 もちろん、形式は整えねばならないから、その点は気をつけねばなるまいが――。

 

「私のような騎士身分であれば、シルビア王女との面会もかえってやりやすいのですが。……オサナ王子は、クロノワークが預かっているソクオチの王族です。貴方がゼニアルゼを公式に訪問し、その事実上の支配者であるシルビア王女に会うとなれば、面倒な手続きがいくつも必要になりまして――」

「手続きが必要なら、僕も骨を折ろう。根回しや書類の作成など、わからないことは多いが、教えてくれれば手足くらいは動かすさ」

 

 その辺りは帰ってから打ち合わせをする、ということで収まったんだけど。オサナ王子が、シルビア王女との面会を求めたのは、結果的にいいタイミングになった。

 

 帰国してから聞いた話では、シルビア王女の夫たるゼニアルゼの王子様が、この時期に正式に王位を継承したのだ。

 以後は、シルビア王女ではなく『妃殿下』と呼ぶことになる。あの方がついに王妃になったんだなーって思うと、何やら妙な気分になります。言い方が変わっただけで、実際には何も変化してないんだろうけど。

 

 戴冠式への対応としては、駐在していた外交官が出席して義理を果たした様子。

 クロノワーク側としては、シルビア妃殿下の夫を軽視しているわけでは決してない。王と王妃の連名で祝いの報は入れているから、不仲と言う訳でもないんだろう。

 しかし、これでシルビア妃殿下が無事出産されたら、その時はクロノワーク王なり王妃なり、格の高い人物が見舞いに訪れることは間違いないわけで。

 対応の違いを鑑みるに――ゼニアルゼの実質的な支配者は、王ではなく妃殿下であると、誰も彼もが理解しているらしい。

 

「それで、僕の申請は通ったのか? 大事なのはそこだぞ」

「問題なく通りました。今なら、戴冠式の後のお祝いムードで、色々とゴリ押せる雰囲気があります。あわただしくなりますが、数日中には馬車を出せるでしょう」

 

 大事なのは、クロノワークがソクオチの王位継承者を預かっており、その当人がゼニアルゼの支配者に会談を申し込んでいるという事実だ。

 オサナ王子の申請が通ったのは、私が書類の作成を手伝ったのもあるが――。時期的にゼニアルゼに伺いを立てる相手として、彼の立場は都合が良かったわけだね。

 

「『庇護』している他国の王子を、他国に『嫁がせた』王女の元へ、ご機嫌伺いに向かわせる。クロノワークの外交的視野から見れば、将来的な連携の為の布石。そう捉えることが出来るでしょう」

 

 その音頭を取るのがシルビア妃殿下ではなく、クロノワークであると示すのに、オサナ王子の申し出は渡りに船だったと言える。

 妃殿下はまだ実家を自分のものだと考えておられるが、実家には実家の意向があるんだってわかってほしい頃合いだ。貴女の御両親は、別段無能な人ではないんだよ。おそらくは、妹殿もね。

 

「わかっていたが、先生はあくまでクロノワークの騎士なのだな。他家に嫁いだシルビア……妃殿下に、媚びを売る気はないと」

「まだまだ王女気分が抜けない御様子ですから、付け入る隙はありますよ。オサナ王子がおねだりしたら、案外素直に聞き入れてくれるかもしれませんね?」

「……僕だけじゃなくて、先生も来るんだぞ。わかっていると思うが」

 

 ええ、まあ、はい。申請の書類を手伝ったときに察しましたが、一応ここまで突っ込まないであげました。

 付き添いに私を選ぶ辺り、クロノワーク内でのオサナ王子の立場について、色々とお察しされてしまいそうですね。でも、拒否するのも後味が悪いわけで。

 

「望まれるなら、そのように致しますが。――王子が相対するのは、まちがいなく西方で随一の君主です。余裕を持つのはよろしいが、ゆめゆめ油断などなさらぬように」

「言われるまでもない。格上であることは認めているし、業績も見事だ。それは認めるが――僕はそれゆえに、あの方の本心が知りたいし、僕の気持ちを理解してもらいたいとも思う」

 

 オサナ王子が一人で立ち向かうには、難しい相手なのも確か。私の助力が必要とされるなら、応えるのも仕事の内――ではある。見守る以上のことができるかどうかは、状況次第だろうか。

 ともあれ、それならそれで、根回しをやっておかなくてはならない。最近は本来の業務から離れたことばかりしている気がするから、本来の上司に断りを入れておこう。

 

「ザラ隊長に話を通すのはもちろんですが、ついでに備えもしておきましょうか」

「何の備えだ? ゼニアルゼは敵地ではあるまい」

「国家に真の友人はない、と申します。こちらに油断があれば、妃殿下は容赦なく食らいにかかるでしょう。――ザラ隊長なら、私よりも多くの情報を得ているかもしれません。そのあたり、聞き出しておこうかと」

 

 実務的なことはもちろんだけど、私と彼女は個人的にも関係があるわけで。

 他にも色々と面倒な話をしなければ、シルビア妃殿下の前には出れないのだと説くと、オサナ王子は素直に理解を示してくれた。

 要約すれば男子の面子という奴なんで、共感を誘えば簡単にわかってくれましたよ。

 

 だから、しばらくは根回しに注力することを許してくれて――。

 こうして久々に、ザラと同じ職場に出てこられた訳ですね。ごたごた続きで、帰国しても自宅に帰れなかったのは許してください。望まれるなら、だいたい何でもしますから。

 

「なるほど、おおよその事情は理解した」

「わかってくださいますか」

「対価としては、何が適切かな。正直、自宅に監禁しておいた方が安心できる気がするんで、足かせでもつけて生活してもらおうか?」

「――監禁拘束プレイは初心者にはキッツいんで、まずは色々と慣れてからですね? できれば、またの機会にしてください」

 

 ソクオチへの付き添いで、ちょっとだけ離れてしまったけれど、貴女の傍が私の居場所だと思うのです。

 前後の事情を聞いてくれて、理解を示してくれただけでも有難い話だよ。だから特殊性癖だって、私は否定しません。否定しませんから、今はご勘弁を。

 

「それはそれとして、もう少し他にも言うべきことがあると思うが?」

「……何のことでしょう」

「お前はもう少し、察しのいい奴だと思っていたが」

「我が身の不徳を、恥じ入るほか御座いません。――貴女の前では、ただの愚かな男になってしまうのです。落ち度ばかりの私ですが、どうか、見捨てないでやってください」

「――誤魔化されんぞ。お前、何だ、アレか。私らの愛情だけでは、足らんとでもいうのか。また、無茶をしたんだろう?」

 

 出来ることを最大限にやっただけ、なんて言葉が届く状況ではなさそうだ。

 ザラ隊長としては、自分の直属の部下が、知らないところで危険を犯していたのが気に食わないのだろう。

 上司としては、面子の問題で。個人的には、おそらく感情的な意味で、私は彼女を傷つけてしまったんだ。

 

「メイル辺りは、詳細を知っても平然としてるんだろうがな。私は心配した。あれは、逃げの一手を打っても許される状況だった。

「しかし、勝ち筋がありました。事前に多くの情報が得られていた。敵にも隙があった。これを突けば、最悪でもオサナ王子は逃せる。あれはソクオチ内の風通しを良くする、最大の好機でもあったのです」

 

 私は、全力を尽くさねばならなかった。その理屈を説明しても、ザラ隊長には届くまい。ただ、やるべきことをやったのだと、それだけを主張する。

 クロノワーク騎士は、勝つために手段を選べ、とは教わらない。ただ敗北の先に幸福はない、と教導されるのだ。

 だから、私はオサナ王子に敗北を押し付けられなかった。端的に言うなら、それが全てだった。

 

「オサナ王子の為に、そこまで命を張る理由がどこにある。お前は、クロノワークの騎士なんだぞ。重ねて言うが、お前は逃げるべきだった」

 

 ザラ隊長が言う通り、逃げの一手が常識的な判断であったと思う。あそこで逃げたところで、責めるものは誰もいない。

 しかし、その結果どうなるか? 想像の翼をはためかせれば、それはオサナ王子の未来に大きな影響を及ぼしたことだろう。それも、悪い方向に。

 

「まさにクロノワークの騎士なれば、命を懸ける理由になるのです。自ら庇護する王子を、下らぬことで失うなど恥以外の何物でもありません。私たちの国は、勝者の義務をおろそかにするような、恥知らずの国であってはならないのです」

 

 勝者の義務と、私は言った。クロノワークとゼニアルゼは、ソクオチに勝利した。そして、かの国を一時的に統治する権限を得てしまった。

 そこまで手を突っ込んでおきながら、危機と知れば責任を投げ捨てる。――それは、恥だ。

 

「逃げることが恥であると? お前にそんな殊勝な考えがあったとは思えんが」

「私は結果を出したのですよ、ザラ隊長。逃げるべきであったと言われるなら、こちらもあえて言います。――我々騎士は、勝つことが本分です。勝てる相手に対して、命を惜しんで背を向けるなど、あってはならないと考えます」

 

 それが全てではないにしろ、これはこれで私の本心だった。人を愛することを知り、彼女らと生きることを決意しておきながら、私の精神は変質しなかったらしい。

 死ぬ気がしなかったから戦った、などという理屈は、死に狂いの在り方とどう違うのか。改めて考えてみると、そこまで違わないような気がしてくる。

 

「逃げることを考えるのは、やるだけやった後でも遅くはなかったのです。なので、ザラ隊長の非難は私に刺さらない。……納得できませんか?」

「納得など最初からしているさ。――私はただ、己の感情を持て余して、お前にぶつけただけだ。モリー、私にはそれすら許されないというのか?」

「いいえ、いいえ。貴女にはそれが許されます。何よりも、私が許します。……ザラ隊長に我慢を強いている現状、私の行為を非難するのも当然でしょう。言いたいことがあれば、何でも言ってくださって、構わないのですよ」

 

 だが、同時に繰り言を無駄に繰り返さない人であることも知っている。よって、私が戦いを避けなかったことについて、問い詰めるのはこれまでだった。

 ……ここまでは、難なく言い訳を通す自信があった。問題があるとすれば、ここからだ。

 

「――で、今度はオサナ王子に付き添って、またシルビア王女の元に出向くのか。政治活動に忙しそうで、なによりだよ」

「ザラ隊長? 王女ではなく妃殿下、です」

「知ってる。……私なりの皮肉だよ。本質は何も変わっていないのに、呼び方だけが変化する。奇妙なものだと思わないか?」

「妃殿下になったからと言って、劇的な何かが始まるわけではない。それを皮肉りたいのでしょうが、おそらくその予想は外れますね」

 

 私の意見に、ザラは剣呑な眼を向けた。何を知っている、と問い質したい様子で。

 こちらも、確定的な情報をつかんでいるわけではないから、邪推に近い回答になる。それでもザラには伝えておきたかったから、私は素直に答えた。

 

「ソクオチの祭事で、地方貴族がやらかした件は御存じでしょう」

「ご存じだからこそ、さっきまで問い詰めてやったんだが? 反省が足りないらしいな?」

「失礼しました。――結局のところ、あれは最初から最後までシルビア妃殿下の目論見通りだったのです。あの地方貴族の処分を持って、ソクオチの国内は交易路として完全な役割を果たすようになる。将来的には、クロノワークもこれに追従する形になるでしょう」

「お前が失敗していた場合はどうなった? それでも、シルビア妃殿下の目論見通りに進んだと思うか?」

「仔細は変わりますが、私の代わりを後日、別の人間がやるだけでしょう。状況さえ整えば、シルビア妃殿下が暇つぶしに遠征してきてもいい。……結果はおそらく、同じようなものになったでしょう」

「お前がやった方が、まだしも穏当な結果におさまる、か。それも無茶した理由の一つ、というべきかな?」

「――私も、今回の件で色々と考えさせられました。妃殿下が何を望んでいるのか、何がしたいのか、おぼろげながら見えてきた気がします」

 

 交易において、貴族領にある関所の存在は結構難しい。

 流通だけを考えるなら、関所なんて少ないほうが費用を節約できる。しかし、この関税収入で地方の財政がなりたっている部分もあるので、単純に廃止を強制するのは考え物だ。

 

 大事なのは、関所を乱立させないこと。細かく何度も取り立てるような形式にせず、関税の支払い方法を一本化して手続きを簡略化すること!

 手間が省略される分、中間搾取の余地がなくなって面倒も減る。払う側もありがたいし、負担が減れば利用者も増える。利用者が増えれば、税収も同様に増していく。

 そして取り立てた関税収入を、公正かつ明瞭に分配する環境を整えることが、もっとも重要だ。

 

 分配そのものは、シルビア妃殿下は正しく行うだろう。ソクオチ全土を実験場にし、おそらくは今後のモデルケースとして、税法の改定から始めるつもりだと私は推察している。

 人員の選別も重要だが、これはクロノワークかゼニアルゼの官僚を出向させるのが一番都合がいい。そうやってソクオチに首輪をつければ、もしもの時も安心だ。

 これでうまく運営できれば、ゼニアルゼによる東西交易が安定する。街道の整備と関税の調整が完全に噛み合えば、西も東も流通が盛んになること疑いない。

 

 結果として、やらかした地方貴族の派閥は、今の流れに反対した不穏分子として処理される。シルビア妃殿下が本気を出せば、これくらいはやるのだと、周囲は認識する。

 あの方を恐れるか、へりくだってでも利益を得たい手合いは、この流れに逆らえない。結果として、シルビア妃殿下がこの時代の交易を支配し、ひいては西方諸国の盟主たる地位も見えてくる。

 そうした未来が、私には現実的なものとして映った。この話をザラにしてみると、少しは驚いてくれるかと思ったんだけど――案外、あっさりと反論してくれた。

 

「そこまで断言するのはどうか、と思うぞ。――理論は分かった。壮大な話だが、未来の話だ。今のところ、実証するには事例が少なすぎるようにも思う。盟主なんて言葉は、口にするにはまだ早いんじゃないか?」

「……それはまあ、そうですが」

「未来の話をするなら、遠い所よりも卑近な所から始めるのが道理だ。……お前、私とどうにかなる気はあるんだよな?」

 

 その点、不安を抱かせたなら私の落ち度だ。優しく微笑み、ザラの目を見て私は言う。

 

「嫁にします。これは絶対です。式とか手続きとかは、改めて考えねばなりませんが、それくらいには真剣に考えてます」

「メイルや教官も含めてな? ……ハーレム嬢の方は、どうなるかはわからんが」

 

 ここでクミン嬢について言及するなんて、ザラの感情がわからない。嫉妬しているなら、無視すればいい。嫌っているなら、あえて触れる必要はないというのに。

 

「……クミン嬢が、何か?」

「いいや、『私』は何も? 何も知らんし、わからんよ。ただ、どこかの誰かの感情が変わったり、価値観を入れ替えたりすることは、常に起こり得る。私は、そう考えているとも」

 

 クミン嬢に、何かしらの危険が迫っているというのか? いや、それならザラの性格からして、率直に言うはず。

 この点、私にぼかすような言い方をすれば、負い目を残す。私に対しても、クミン嬢に対しても。

 そんな面倒な感情を処理する道を選ぶより、正直な感想を述べるだろう。なのに、あえて曖昧な言い方をするとなれば、理由は一つしかない。

 

「クミン嬢は、現状妃殿下の紐帯としての役割を担えていない。私への影響の小ささを考えるなら、むしろ不要と判断される可能性がある――と、そういうことですか?」

「否定はせん。あの方が本気なら、もっと重いものでお前を縛ろうとするだろうさ。……しかし、これは私の邪推だ。情報は確たるものではないし、気にしなくていいぞ」

 

 もっと重いもの、とザラは言った。妃殿下が私に重荷を背負わせるとしたら、どんなものになるだろう。思い当たるところはいくつかあるが、本命はどれか。

 

「確証はない、予測に過ぎないとおっしゃられる。……懸念事項と、これから先の見通しを考えるに――。なるほど、これは容易ならざる事態なようで」

 

 事前の準備は、万全を期さねばなるまい。オサナ王子の供をするなら、油断は消しておくことだ。

 シルビア妃殿下は悪辣な陰謀家であり、実務に優れ、人の心をつかむ天才でもある。代案は常に用意してるだろうし、自身の影響力の強さも自覚しているはず。

 想像できる限りの対策は、打っておくべきだ。邪推と呼ばれようが、その為の努力を怠ってはならない。ザラは、それを私に教えてくれているんだ。

 

「シルビア妃殿下は、オサナ王子との会談で、何を望むと思いますか?」

「あの方のことだ。何を望んでも不思議はない。……私が一番恐れるのは、お前を奪われることだ。それだけは、絶対に許容できぬことだ。相手が、あの人であっても――」

「私を本気で引き抜く用意が、出来ていると思います?」

「うまくいけば儲けもの、くらいの感覚で用意しているかもしれん。……お前は、あの方の目の届くところで、活躍しすぎた。使い勝手のいい駒を、都合よく使える場所に置きたいと思うのは、当然のことだろう?」

「私に限った話ではないと思いますが、そうですね。――やはり、備えは必要ですか」

 

 シルビア妃殿下としては、ここらでクロノワークに対し、何らかの工作を掛けたいと思うはず。

 何かしらの名目で、わが国の人材を懐に呼び込んで、足抜け出来ぬほどの利権と責任を押し付けることができれば――。妃殿下はそこからズルズルと生家を巻き込んで、ゼニアルゼの権勢を拡大する策を打つことができる。

 私がその対象に選ばれる可能性も、なくはない。……先手を打って、各所に働きかけるべきか。私は、その必要性を認めた。ザラの指摘は、それだけ大きなものであると確信する。

 

「――感謝を。ザラ隊長がそこまで警戒なさるのであれば、私も本気で抵抗します。此度の会談は、それだけ重要なものになるのでしょう?」

「さて。……話題がそれたな。とにかく、ソクオチがどうなるにしろ、交易についても、数年は未来の話になる。まずは家を収めてから、余所に意識を割くべきだと言っている」

 

 ザラにとって大事なのは、国家間の事情ではなく、私との関係なのだと言う。

 そこに愛しさを感じつつも、緊張だけは維持する。彼女も油断していい相手ではないと、男としての私が警鐘を鳴らしていた。

 

「そして意識を割くべきは、家の話ですか?」

「私は平民の出だから、さほど気にしたことはないがね。――他の奴らとの兼ね合いもあるだろ?」

「ええ、まあ。なんとなく、わからないでもありませんが」

「込み入った話になる。詳しくは、シルビア妃殿下との会見が終わってからにしよう。……その方が、色々と覚悟も決まるだろうしな」

 

 ザラは、何かしら聞かされているのだろうか? 詳しく聞きたかったが、彼女は話してくれなかった。

 すぐにわかることだからと、もったいぶるような言い方で。しかし、気にかかることを一つだけ呟いてくれた。

 

「本来なら色々と労ってやるところだが、今はお預けと言う話だ。……最近、欲求不満が溜まっている自覚もあるんだが、限界まで溜め込まないと、正直に吐き出すことも難しくてな。――なんというか、まあ、覚悟だけはしておいてくれ。メイルらを呼び出さないでやったのは、私なりの恩情だと思ってもらっていい」

 

 しかし色恋の優柔不断さは、お前に移されたのかも――なんて。流石に濡れ衣だと思うのですがそれは。

 ともかく、帰国した後に顔を合わせることがあれば、その時は話だけをして終わり、という形にはなるまい。

 行動すべき時がやってきている。この身が女であろうと、男として彼女らとの責任を果たすべき日が、すぐそこにまで来ているのだと。私は、改めて自覚するのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オサナ王子とシルビア妃殿下の会談については、とんとん拍子に話が進んで、出国まで十日もかかりませんでした。

 これはつまり、シルビア妃殿下も、オサナ王子との対談を強く望んでいることの現れとも取れる。拒むわけはないと思っていたけど、どこまで興味を引いたかは未知数だった。

 流れとしては、悪くない。オサナ王子の将来を考えれば、あの妃殿下と友誼を結べるなら、それだけで将来の布石になる。

 ついでにクロノワークにとっても、ソクオチの安定は利益につながる。オサナ王子がシルビア妃殿下の援助を受けて、国内を掌握してくれるなら、こちらとしても歓迎すべきことだ。

 

 まあ、あんまり早く話が進んだから、私の方の準備も割とギリギリになったけど許容範囲内。アレとかコレとか、今はオサナ王子には伏せておくべきことで、実際に必要になるまで口にはしません。

 将来を言うなら、私だって同性婚というハードルを越えねばならない訳で。いや、私の心は男のまんまだから、別段違和感を感じてるわけじゃなくて。

 

 ……ザラもメイルさんも、教官も。私でいいのかって、土壇場が近づけば近づくほど気にしてしまう。

 特に、私は戦場に出れば全てを度外視して勝ちに行く。その精神性は絶対変わらないものなんだって、証明してしまったからね。……変われないから、そのまま生きられるだけ生きるしかないわけでありまして。

 

 ――自ら死に近づき、命を捨てて戦う心。死に狂いの武士であることが、私の根底にある。

 私は彼女らに、いつ死んでも心を乱さぬよう、覚悟を持ってもらわねばならない。

 それも、自分から口に出して、皆に受け入れてもらうという手順を踏む必要があるだろう。ここまでやって、ようやく誠実であると思う。対等であるとは、間違っても言えないけれど。

 

 会談が終わって帰国すれば、必ずその時がやってくる。クロノワークの出国からゼニアルゼへの入国まで。そんな個人的なことばかりを考えていた。オサナ王子の付き人としての使命を、それこそ忘れそうになるほどに。

 

 それでも騎士として、公務員としての自覚を意識することで、最後の一線だけは守りつつ、ここまでこられたと思う。

 凡雑な手続きを済ませて、今まさにシルビア妃殿下との会談に臨む。オサナ王子は緊張している様子だったが、実際に席について顔を合わせると、落ち着いたように穏やかな表情を見せた。

 

「オサナ王子とは、はじめまして、になるかのう。――わらわが、シルビアである。まずは楽にせよ。会話を楽しむ余裕くらいなければ、この先持たんぞ」

 

 私も、妃殿下となってからは初めて顔を合わせる。王女時代と、何かが変わったような気はしないが――彼女の場合は、不変であるがゆえに恐ろしいとさえ思う。

 シルビア王女、あるいは妃殿下。いずれにせよ彼女の本質は、力と支配、その行使にある。

 相手が子供だからと言って、適度に手を抜いてくれるとは思えなかった。全力で潰しに来ることはあるまいが、あえて厳しく接する可能性は充分ある。

 

「こちらこそ、はじめまして。――ソクオチの王子、オサナだ。立場の違いは在れど、お互いに対等の相手として、楽しくおしゃべりしよう」

「うむうむ、いいぞ。賢い子供の虚勢と言うものは、見ていて実に可愛らしいな。……では、その立場を尊重し、オサナ殿と敬称をつけて呼ぶことにしよう」

 

 口ではオサナ王子を尊重する言い方をするが、本心がどこにあるのかは明白だ。彼女は、あくまでも背伸びした子供を愛でる感覚で、彼を見ているのだろう。

 何があろうと、シルビア妃殿下は強い統治者であり続ける。どのような相手であれ、彼女の前で我を通し続けるのは難しい。

 オサナ王子は、果たして最後まで己を保っていられるのだろうか。そして、私はどこまで力になってやれるのか。こればかりは、出たとこ勝負で臨まねばなるまい。

 

「そして、モリー。おぬしが同席するとは、多少は情でも沸いたのか? それならそれで、嬉しい誤算であったと解釈しよう」

「誤算? 本当ですか?」

 

 シルビア妃殿下の智謀は、私などでは測りきれぬ領域にある。掌で転がされてる感のある私としては、誤算とか言われても信じられない。

 私がここで何かしらの反撃をしたとしても、どうせ想定済みなんだろうって思うくらいには、私は貴女を認めているんだ。

 

「遠慮のない物言いは、そちらの方がわらわにウケがいいと理解したからか? ――何でもいいが、誤算は誤算よ。今日この時点で、オサナ王子がわらわと直接対決しようなど、予想できなかった。……おぬしが本気で肩入れしなければ、お互いにここまで出張ることはなかったであろう?」

「私はいつでも本気ですよ。こうして対面することも、そこまで可笑しなことではないでしょうに」

 

 私がオサナ王子の供をしたのは、何よりも彼が望んだからだ。立場上、私は彼の教育係でもあるのだから、別段不思議はないと思う。

 本気であることが、そこまで可笑しいのだろうか? 私が何かを答えるよりも早く、シルビア妃殿下は言葉をつづけた。

 

「まあ、それはそれとして。――オサナ王子。最初の話題は、こちらから振らせていただくが、よろしいな」

「楽しいおしゃべり、その範囲内であれば、どんな内容でも結構だ」

「まあ、話題というほどのものではないが、そちらの懸念を一つ片しておこう。……わらわに、ソクオチを見捨てる意図はない。オサナ殿は間違いなく王に即位できるし、わらわはこれを補助すると明言する。ソクオチの土地、民に対しても配慮は必要であれば、最大限に考慮してやろうではないか」

 

 それこそまさに、オサナ王子が求める言葉だった。会って早々に、この言葉を持ち出してきたのは、彼に対する思いやりと考えていいのだろうか。

 

「それは――どういう」

「さしたる意味はない。わらわは勝利した。オサナ殿は敗北した側だが、今後は勝利者の陣営に加わるのだ。これを冷遇すれば、かえって利益を損なう。なれば、むしろ厚遇するのは当たり前の成り行きであろうよ」

「そうか。……そうか、なら、僕の心配はほとんど解消されたといってもいいな」

 

 妃殿下は最初に慈悲を見せることで、オサナ王子の不安を取り去った。しかし初手でガツン、と一発やることで、こちらの思考を誘導する意図がないと、どうして言えよう。

 ソクオチを見捨てる気はなくとも、配慮を行うとしても、それが何を意味するかまでは明言していないのだ。……しかし、年若いオサナ王子にこれを見破れ、というのは酷であるかもしれない。

 

「ご厚意、ありがたく受け取ろう。……すまないが、話を続ける前に一つお願いがあるが、いいかな? この流れであれば、僕としても口にしやすいと思う」

「――聞こう。ほかならぬオサナ殿の願いとあっては、わらわも無下にはしたくない」

 

 ならば、とオサナ王子は臆せず口を開く。ここまで友好的に接してくれる妃殿下であれば、希望に沿う結果を与えてくれるであろうと、確信するがゆえに。

 

 だが、心せよ。相手は権謀術数を思うがままに行使する、理想的な専制君主なのだ。

 オサナ王子は、誠実さが誰にでも通用すると考えている。特に才能と実績のある相手なら、過ぎた正直さは武器になるとすら思っているかもしれない。それが間違いだと知るには、今回の会談はいい機会だろう。

 

「先の祭事では、同行者たちに多くの苦労を掛けた。そもそもシルビア妃殿下の肝いりで始めたことであるし、何かしらの褒章を与えてやりたいと思う。ソクオチの王子として名誉は与えられても、財を与えることはできない。経済的な褒章を、シルビア妃殿下から与えてやれないだろうか?」

「それは、わらわが論功行賞に関わってよいということかな? わらわの一存で、思うが儘に褒美を与えてよいと言われる?」

「僕にはできぬことを、補助してくれるならありがたいと思う。お願いできるだろうか?」

 

 シルビア妃殿下は、悪そうな笑顔でこれに応えた。後々何を言い出すかは、私にだってわかる流れだ。

 ええ、ええ、そうでしょうとも。貴女はそういうお方だ。ノーガードな誠実さは、時として害となりうる。それをわかりやすい形で、オサナ王子に教授してくださるのでしょう?

 

「うむ、うむ。オサナ殿は優しいな。――よいとも。参加者については、一人ひとり論功を精査せねばならぬだろうが、満足のいく褒美を下賜してやろう。それこそ護衛隊から非戦闘員に至るまで、確実に保証してやろうではないか」

「ありがたい。僕からは以上だ。改めて、そちらの話題について、お聞かせ願いたい」

「オサナ殿から、感謝の言葉までいただけるとは感謝の極み。まあ、そこまで言われるなら、わらわとしても本気で臨まねばなるまい。――これまでの言、全て偽りなしと考えてもよろしいな?」

「くどいぞ。まぎれもない、ソクオチの王子の言葉だ。嘘があるなどと考えてもらっては、我が国の沽券にかかわる。シルビア妃殿下も、己の権勢に疑いなど持たれたくなかろう?」

 

 オサナ王子が促すと、シルビア妃殿下は表情を正して彼と向き合った。言質を取ったからには、主導権は彼女にある。必要なものを獲得したのだから、あとは適当に流しても最低限の成果は得られよう。

 しかし、懸念事項は他にもある。真面目な話を切り出すならば、彼女とて愉悦にばかり浸っているわけにもいかぬ、というわけだ。

 ここからは、私も気を引き締めて対応を考慮していかねばなるまい。

 

「子供相手と、あやして諭すのはこれまで。――では、本格的におしゃべりを始めよう。まずは、オサナ殿の祖国について」

「我が国は問題を起こしたが、見どころはあると思ってほしいな。そうでなければ、僕では事態を収拾できなかった。聡明なるシルビア妃殿下であれば、わかってくれると思うが――」

「もちろん、期待しておるとも。だが改革が必要なことまでは否定できまい。具体的には、ソクオチの税制改革について、思いついたことから話していこうか」

 

 そういって、一呼吸置いたのちに妃殿下は自らの考えを披露してくれた。

 おそらくは、すでに行動に移しつつある決定事項を、彼女は口にしたのだと思う。

 

「もともとソクオチの国政には、色々と口ばしを突っ込む予定ではあったが……。先の祭事の一件で、大義名分が出来た。迅速に計画を進める機会を作ってくれて、わらわとしてはありがたい話であったよ」

 

 もともと敗戦後のソクオチは、クロノワークとゼニアルゼの手によって、思うがままに弄繰り回す予定だったはずだ。

 なのに大義名分とは何か。……わかっていたことだけれど、オサナ王子の前で言われるのは、何ともやりきれない感情を覚える。これを情が移ったというなら、そうなのだろう。

 

「税制、税法、とにかくその手のものは厄介でな。王家であっても恣意的な課税は許されぬ。好き勝手に増税されては下々がたまらぬ、という事情もあるのだが、徴税の手間を考えると閣僚や役人たちの事情も汲んでやらねばならぬでな。この点は、戦勝国の特権を持ってもなかなか手を突っ込むのは難しいのだ」

「それは、どうして? シルビア妃殿下に恐ろしいものがあるとは思えぬが」

「オサナ殿、それは買い被りというものよ。わらわとて、自由にできぬものはある。自由にしてはならぬものが、あるのよ。――専制君主であればこそ、自制が大事なのだ。わらわはそれをわきまえておる。完全に、とまでは流石に言えぬが」

 

 必要だから、で強権を振るうこともあるシルビア妃殿下だが、税に関することは国民全体に影響する。

 傲慢で横暴な妃殿下でも、一般の国民に嫌われたいとは思わない。税収は大事であればこそ、収める側の納得を得たいと考える。

 暴動とか一揆とか、割と外聞の悪い話になっちゃうからね。シルビア妃殿下の評価に関わることだから、慎重になるのも当然だった。

 敗戦国の地方であれ、名分がなければ干渉をためらう――という感覚は、まさに彼女のバランス感覚のなせる業だろう。普通の専制君主であれば、地方貴族への課税や関所の廃止など、気軽に押し付けても不思議はないところだ。

 

「シルビア妃殿下は、地方貴族に関の廃止など、関税について色々と口を出していたらしいが? これは税制改革とは言えぬのかな」

「文字通り、口を出しただけよ。改革はこれからの話になるな。強制力のある命令となると、どうしても手順を踏む必要が出てくる。――オサナ殿は、王子であるがゆえに、統治者というものに幻想を抱かれているようだ。連中が盗賊と結託してまで、納税を拒否したのは何故だと思う? ……己の庭に手を出されるのを嫌ったためよ。どのようにこちらが言い聞かせようと、地方勢力は己が権力を手放さぬ。通達を送っただけでは、難癖をつけて従わぬのが常よ。それでは中央集権を進めたい側としては、困るであろう?」

「わからないな。――僕は、税について聞いている。地方分権の話はしていない」

 

 シルビア妃殿下は、微妙な形に笑みを作った。

 愛嬌のある、不出来な生徒を前にした教師のように。あるいは、愛すべき年下の兄弟を見るかのように、その笑顔には慈しみがあった。

 その愛情の中に、優越感が混ざっていたのは明らかだったが、あるいはそれが妃殿下なりの慈しみ方であったのかもしれない。

 

「では、わかりやすく話そうか。――税を取り立てる権利とは、すなわち権力に他ならぬ。地方独自の財政を認めるならば、税法もそれに従わざるをえぬ。……わかるかな。例えば関税一つをとっても、地方にその権限があるのなら、中央の勝手で変えることは出来ぬのだ。それこそ相応の名分がなければ、介入など夢のまた夢というものよ」

「シルビア妃殿下は、その夢を現実とするのに、地方貴族を暴発させた。これは、そういう話なのかな?」

「オサナ殿? 人聞きの悪い言い方は、するものではない。暴発したのは、あちらの勝手。わらわとて、不安をあおる言動はあったやもしれぬが、別段法に触れる行為をしたわけではないぞ。……ほのめかし、世論をあおり、ちょっとした工作を入れたことは否定せぬが、最後の決断をしたのはあちらよ。わらわを非難するよりは、祖国の無能な貴族を恨む方が、筋が通るのではないか? そして二度とこの手の騒動を起こしたくないならば、法整備から始めるのが定石であろう」

 

 外部勢力による諜報戦に対応するなら、法の整備を行って、その場で処置できる環境を整えるのが一番の対策である。

 その分だけ地方の権限が強くなってしまうが、この辺りは紐帯を作って首輪とするなり、法整備のさじ加減で調整するべきだ。

 ソクオチは、その点が甘かった。だから地方貴族への工作が成功して、情報が筒抜けとなり、私が出張った結果、私兵どもを叩かれて亡命する結果になったわけだ。

 シルビア妃殿下は、それを丁寧に教えてくれた。オサナ王子を傀儡にするつもりはないのだと、これだけでもはっきりとわかるような言い方だった。

 

「シルビア妃殿下。僕は、ソクオチの王位継承者だ。それは、わかってくださっていると思うが」

「おうとも。わらわは、ソクオチの未来の王に話しておるのだ。その自覚もなしに、余計なことは言わぬよ。――これは、わらわなりの、オサナ殿への敬意の表れだと思ってくれてよい。将来への投資として、信頼を得るための努力をしようというのだ」

「信頼を、得るための努力? 僕に対して、シルビア妃殿下が?」

「他の誰でもない、わらわがオサナ殿からの信頼を必要としておるのだ。この点、疑いを持ってほしくはないな。……おぬしは、個人的な好悪でわらわを排斥するような、愚かな者とは違う。そう信じているし、周囲にも信じさせてほしいと願っておるよ」

 

 あのシルビア妃殿下が、オサナ王子の信頼を求めている。これはつまり、将来的にゼニアルゼがソクオチの助けを必要としているのだと、そういっているに等しい。

 オサナ王子は、それを理解した様子で、改めて問い質そうとする。

 

「今の僕の存在など、ゼニアルゼの支配者たる貴方にとっては、小さなものだと思う。その信頼を、あえて必要だという意味は、どこにあるのかな」

「オサナ殿は、自らの存在価値を過小評価しておられる。――茶化すような言い方で申し訳ないが、おぬしの存在は、ソクオチの国体を維持する以上に重要なものだよ」

「茶化しているなら、貴女の発言の重みも知れたものだと思うが?」

「そこは許してもらいたいものだ。それこそまさに、わらわとオサナ殿の力量差を示しているといって良い。まさか、おぬし。わらわと本気で対等の話ができるとは思っておるまいな? オサナ殿の立場は確かに貴重なものだが、わらわと比べれば、流石に格の違いというものを理解してほしいものよ」

 

 シルビア妃殿下は、その目に猛禽のごとき鋭さを宿していた。しかしオサナ王子もまた、成長している。

 彼女が狡猾な猛禽なら、彼は若き牡鹿である。気高さと強さを備えるシルビア妃殿下だが、オサナ王子の成長力を過小評価はしていないはずだ。

 

「格の差は、別として。立場の違いにだけ注目するなら、貴女とて夫の立場を利用する配偶者に過ぎない。お互いに名分なしには、実権を振るえぬ立場でもある。――だが、僕は時さえ満ちれば大手を振って権力を行使できる。王の配偶者と、一国の王。尊敬を受ける身としては、どちらが正しい? それを思えば、今対等に向かい合っているのは、むしろ僕からの温情であるとさえ思わないか?」

「――ソクオチの流儀で、わらわを評価するか? 存外、威勢のいいことを言うではないか。実力が伴うならば、オサナ殿の発言には意味があろう。じゃが、現状のおぬしはモリーの威を借る小動物にすぎぬ。せめて、もう少し貫禄が欲しい所よ」

 

 新生したソクオチが、ゼニアルゼの脅威にならぬと、どうして言えよう。今は力の差があるとしても、将来はわからないのだ。

 なればこそ、彼女は威圧しつつも恫喝まではしていない。これは妃殿下なりの、礼の表し方と言えるだろう。

 ……私のほうへ話が飛び火しているところは、考えないようにしたい。

 

「言われているぞ、モリー。お前は、僕の後ろ盾か何かか? 恩師ではあるが、それ以上のものになる気はあるのかな?」

「いつの間にか、私の方に飛び火してますね。厄介事は勘弁なんですが」

「いまさら何を言う。この場に同席している時点で、厄ネタに巻き込まれているに決まっているじゃろうに。――ま、おぬしの現段階での判断には興味がある。せっかくだから語ってゆけよ。……モリー、あえて聞くが、ゼニアルゼとソクオチの関係をどう見る。今後、いかに変化していくと思う?」

 

 遠慮なく難題を振ってきますね。オサナ王子も興味深そうに、私の反応をうかがっている。

 ここまでお膳立てされれば、私としても答えないわけにはいかなかった。

 

「お二人の今後の行動次第――なんて、言い逃れが通用する場でもありませんか」

「おぬしの政治判断が、どこまでアテになるかのテストでもあるからな。オサナ殿も、良く見ておくがいい。おそらくは三国でもっとも物騒な頭脳が、いかなる予測をはじき出すか? とても興味深いとは思わぬか」

「もちろん、ぼくも興味深いと思う。……正直に、思ったことを話してくれ。気兼ねはしなくていいから、なるべく現実性のある方向で頼む」

 

 無視するのも野暮ですねこれは。期待を裏切るのもつらいので、雑感を述べるくらいなら、まあいいかと思いました。

 ところで、物騒な頭脳って言い方はどうなんでしょうか。そこまでひどい考え方をしてるつもりはないんですが。

 事前にある程度は備えていたとはいえ、改めて披露するとなると、少し恥ずかしい気もする。……読みが外れていたら、とんでもない赤っ恥だと思いつつ、口を開いた。

 

「予測は予測なので、あんまりアテにしないでほしいのですが――」

「予防線なんぞ張ってないで、早う語れ。オサナ殿も待っておるぞ」

「では、僭越ながら申し上げます。……ソクオチとゼニアルゼに限るなら、問題は明白です。お互いの不信感が解消されるまで、不穏な状態が続くでしょう」

 

 先の祭事の一件で、膿は出たと思う。けれど、完全に出切ったとも思えぬ。

 地方貴族を見せしめにしたとして、しばらくは平穏な時期が続いたとしても。水面下でゼニアルゼへの悪感情は、くすぶり続ける可能性がある。

 

「ずいぶん曖昧な言い方をするものだ。もう少し具体的に表現してくれぬものか」

「シルビア妃殿下であれば、いくらかの予測は立てられているでしょうが――。まあ、今は力で押さえつけている状態ですから。何らかの理由で暴発する要素は、いまだに残ったままだと考えるべきでしょう」

「懸念を表明するだけなら馬鹿でもできるな。それで?」

「なので、力による統治のほかに、ソクオチへの方策を練る必要があります。――ここで重要なのは、ソクオチが交易上重要な立地にある、ということです。交易による旨味を上手に分配できるなら、恐怖以上の利益によって、ソクオチを鎮静化させることが……出来るかもしれません」

 

 歯切れの悪い返答は、どうかお許しを。対策としてはフワッフワだし、穏健に過ぎると言われれば確かにそうだ。でもこの部分に触れない方がまずいくらいだし、一番重要な部分だから、まずはここから話させてください。

 

「他には?」

「旨味を与えるにしても、やり方は考えねばなりません。一応確認しておきますが、妃殿下。ソクオチの税法に手を突っ込むということは、税法の複雑化を意味する、ということでよろしいですか?」

 

 私がそういうと、シルビア妃殿下も表情を変えた。茶化すような笑みは消え、目つきは鋭くなる。雰囲気も剣呑なものを漂わせつつ、彼女は言う。

 

「……それがわかるのか、おぬし。ただの武人には収まらぬ、とは思っていたが――」

「肯定、ということでよろしいですね? ゼニアルゼの優秀な官僚を送り込む理由としては、充分でしょうか。そうやってソクオチ内でゼニアルゼの影響力を増やしていけば、そのうち反抗する力など失くしてしまうでしょう」

「ここには、オサナ殿もいる。モリーよ、初めからわかりやすく説明してやれ」

 

 シルビア妃殿下の悪辣さを理解したところで、解説です。オサナ王子は、まだ実務の方は詳しくない。国家を運営するうえで、税が重要なのはわかっているだろうが――財源としての税と、権力構造の中の税について、そこまで詳しいわけじゃない。

 

「とりあえず、僕にもわかるように話してくれ。……シルビア妃殿下は、ソクオチをどうするつもりなんだ?」

「オサナ王子が戴冠するまでに、ソクオチを可能な限り縛り付けること。経済的にも政略的にも、単独では成り立たないレベルで政府を内部から改変するつもりなのですよ、この方は」

 

 オサナ王子の顔が、難しい表情に変わる。ソクオチの属国化については、何をいまさらという感じもするが、独立の可能性まで摘み取られかねないとなれば、話は別だ。

 一国の王ともなれば、何もかもを自前で揃えたがるもの。首に縄をかけたままの王に、どんな価値があるのか。貴族も国民も、そうした王を受け入れられるのか、難しいところである。

 

 妃殿下が黙ったまま、私の言葉を否定しないことも、真実味を与えている。

 仔細まで語るとなると長くなるので、説明は簡素にしよう。それでも彼なら、大事な部分は理解してくれるだろうから。

 

「ソクオチの貴族は、クロノワークとゼニアルゼの干渉を歓迎しない。それは当然の態度でしょうが、暴発した馬鹿のせいで、弾圧に近い対策を取られても文句は言いにくいわけですね」

「しかし、流石に圧政を敷かれてはソクオチの民も黙ってはいないぞ。僕もそうだが、人間は恐怖に慣れるもの。命知らずの勇士だって、わが国にはまだまだ残っているだろう。――属国からの独立の希望なしに、彼らは耐え続けられないはずだ」

「はい。なので、絞めつけつつも緩めるところは緩める。希望を奪うのはやりすぎとも言えますから、ちょうどいい具合に目をそらさせるよう、調整が必要なのです。……税法への介入は、その一環だと捉えてください」

 

 私の予想通りなら、妃殿下は王道ではなく覇道によって、西方の盟主になろうとしているのだろう。――それを悪いとは言わないが、こっちを巻き込まないでほしいというのが本音だった。

 

「税法の改正には、本来なら結構な手続きがいるはずです。戦勝国と言えど、恣意的な課税は難しい――とはシルビア妃殿下のお言葉ですが。ソクオチ側の非を付く形であれば、無理は通る。ソクオチの法に照らして考えるなら、政府の閣僚に話を通して、同意を得る必要がありますが……」

「名目があれば、話をゴリ押すことも今なら可能である。――そこで、わらわはどのような悪辣な税法を通すのであろうな?」

 

 妃殿下は、半ば楽しみながらそう言った。この方にとっては、自分の考えが読まれる、ということは不快ではないのか。

 理解者が欲しいなら、私以外の誰かを求めてください。貴女の相手は疲れるので。こういうのは、今回限りにしてほしいものです。

 

「私が思うに、大事なのは関税です。地方貴族が反発した、という例のアレ。……シルビア妃殿下としては、舐められぬためにも、ゴリ押す名目がある。改正するには、もってこいの対象だと言えましょう」

「それは、わらわが主宰する交易に関わるからか?」

「はい。そしてそれ以上に、今後の布石になるからですね。具体的には、ソクオチへの余所からの介入を防ぐために。あるいは、介入してきた馬鹿を殴り返すために」

 

 ここまで話すと、オサナ王子も私の目を直視するようになった。何かを見定めるように、私の意図を探るかのように、彼は私と向かい合う。

 

「……モリー、僕にとっても興味深い話になってきた。続きを頼む」

「もちろんです。――ソクオチは、まだまだ物騒です。首輪をつける必要がありますが、あからさまではよくない。なので、税法の改正によってこれを成します。主に税法の複雑化、煩雑化によって」

 

 妃殿下は、まだ口をはさまない。私の読みが正しいのかどうか、確かめるためにも言葉をつづけた。

 

「今回は関税法を改正しますが、これで関税収入をソクオチ、クロノワーク、ゼニアルゼの三国で取り分けるのです。……わかりやすく言うと、ソクオチの関税収入は、他の二国によって搾取される形になりますね」

「おい、それはあからさまな内政干渉だろう。ソクオチの国体をないがしろにすること甚だしい。僕はもちろん、わが国の閣僚とて承認するとは思えぬぞ」

「シルビア妃殿下は、ゴリ押すと言いました。私も、通ると思います。……下手に反発すれば、潰されるとわかっていますから。先の地方貴族の暴発が、それを示してしまったのです」

 

 妃殿下とて、これがやり過ぎに近い行為だとわかっているだろう。あまりにもあからさまな搾取であり、ソクオチへの侵害行為である。

 だが、ここまでやるのだ、という態度を示すことで、彼女への畏怖は強まる。同時に反発も大きくなるが、そこで飴の出番だ。その飴が首を絞める縄にもなるのだが、段階を追って進めれば、これでなかなか気づきにくい構造になっていく。

 

「しかし、実際には搾取というにはわずかな取り分にする。ぶっちゃけ、1%以下の割合でもいいのです。これだけ安ければ、横取りというよりは経費に近いものと考えやすくなる。……ここで大事なのは、ソクオチの関税にクロノワーク、ゼニアルゼの両国が噛んでいるという事実。それだけなので、取り分そのものは小さくていいのです」

「……わからないな。わずかな取り分のために労力を割いて、何の意味があるんだ? 徴税を担当する役人たちは、仕事が増えて困るだろうが、影響と言えばそれくらいだろう?」

「つまりですね。ソクオチの関所の利用者や、交易路に害をなそうとするものは――ソクオチだけでなく、クロノワークやゼニアルゼにも喧嘩を売る形になるのです。関税収入は、関所を使ってくれなければ入りません。これを妨げようとするのは、三国に対する敵対行為に等しい。……そういうことになります」

 

 税制改革は、名目づくりの布石である。交易を邪魔しようとするやつがいるなら、妃殿下は速やかに排除したいと思うだろう。

 そこで大義名分を持って殴りつけるために、関税に割り込む形で三国を関わらせるのだ。

 

「何かあれば、うちに関税収入が入ってこないのは、どういうことだ――って、そうやって非難するわけです。三国が関わっている税収なら、三国がまとまって殴りつける理由になる。口実としては、なかなか上手いやり方ではないでしょうか」

 

 シルビア妃殿下の権勢を危険視する連中は、ソクオチを急所と思って手を出すだろう。そうした馬鹿どもを排除する理由づけとして、これ以上のものはあるまい。

 ソクオチが足を引っ張るどころか、むしろ絶好の大義名分となる。あそこは弱くて構わないのだ。余裕で殴り返すだけの力が、他の二国にはあるのだから。

 

「妃殿下のゴリ押しが通れば、税収の計算やら分配の方法やら、面倒が増えるわけです。……これが結果として、ソクオチへの紐帯になる。オサナ王子、官僚の育成って、結構時間がかかるんですよ。複雑な税法を習得した官僚は、なおさらに。――今のソクオチに、その手の人材はどれだけいるでしょうか。急にやり方が変わったり、書式が変わったりしたら、慣れるまでどんな間違いを犯すかわからない。万が一にも間違いを犯せば、問題はソクオチ内にとどまらない――と考えれば、些細な失敗すら避けたいところでしょう」

「それを防ぐために、わらわが育成した官僚団を、顧問としてソクオチに派遣するのよ。割と突貫工事で仕込んだが、元がゼニアルゼの高等教育を受けた連中だ。問題はあるまい」

 

 ようやく、妃殿下が口を開いた。それも、答え合わせをするような形で。

 

「ようもまあ、そこまで理解したものよ。驚いたぞ、モリー」

「私は、ここまで悪辣なことを思いついたことにドン引きです。……何考えてるんですかね、シルビア妃殿下は。これを本気で検討してるなら、物騒ってレベルじゃないんですけど」

「読み切った時点で、おぬしもわらわと同等であろうが。――嬉しいぞ。メイルの奴でも、ここまでついてこられなかったというのに」

 

 オサナ王子は、難しい顔で話を聞いていた。情報を処理するのに、頭を悩ませている所だろうか。

 

「ソクオチがゼニアルゼからの顧問を受け入れてしまえば、ソクオチは彼らの働きなしには、どうにもならなくなる。税に関わる実務を掌握されるというのは、そういうことです」

「……ゼニアルゼという国は、文弱の国だと思っていた。逆に言えば、文官がそれだけ豊富な国でもあるのか。文を持って武を制する。それもまた、統治というものか」

「ま、今回は幸運が重なった結果ともいえる。派遣する官僚どもも、実際には在庫処分という意味合いが強くてな。――手元で腐らせるよりは、新天地で頑張らせた方が、まだしも害は少なかろうよ」

 

 おおっと、ここで話の流れが変わりました。私の予想の範疇にはない――けれど。彼女の言葉を拾って解釈しなおせば、理解は難しくない。

 

「国内でやらかした連中を再教育し、ソクオチに送る、ということですか?」

「正確には、上司がやらかした為、巻き添えを食らった連中じゃな。――粛清された者を身内に持つと、色々と肩身が狭くなるらしいのう。いや、わらわもこれには同情して、新天地で働く場を作ってやらねばと思うたのよ」

「……そもそも、粛清を始めたのは妃殿下ではないですか? ゼニアルゼ国内は充分まとまっているでしょうが、以前の粛清のツケをソクオチに押し付けるおつもりで?」

 

 そうはならぬ、とシルビア妃殿下は言った。派遣する官僚たちは、家族を置いて出向するので、ゼニアルゼに人質を置いてゆくことになる。

 その上、職場が近い者同士は賞罰を連座させることで、協力と監視の目を作るのだという。

 

「これで上手くいかぬなら、その都度調整しよう。何事も目論見通りにいくとは限らぬが、そこまで大きく外した政策は打っておらぬと、わらわは自負しておる」

「……上手くいきすぎるなら、それは報告のほうが間違っている可能性がある。確認と修正の作業は、慎重に行われますよう。クロノワークの騎士として、これだけは確りと申し上げておきます」

「――言うまでも無きこと! 見たいものだけを見て、信じたいものだけを信ずる。そのような幻想に耽溺するほど、わらわは耄碌しておらぬよ」

 

 シルビア妃殿下はそのように言いますがね、私は疑っていますよ。

 自覚なく急所をさらす。油断とは、まさにそれを言うのだ。この流れで話が進むなら、私が指摘する機会もあることだろう。

 その時に悔しがっても、どうか根に持つことがないようにと、神に祈るような気持ちで願わせてくださいな。

 

「そうそう、モリーよ。おぬしの言には、まだ足りぬところがあるな? ソクオチの民、役人どもを黙らせる理由として、飴をなめさせることをほのめかした。――しかし、その具体的な方法までは言及しておらぬ」

「関税収入から工面すればよいでしょう? 交通量も物量も増えるのですから、収益はこれから上昇していきます。多方面からの交易が定着すれば、多少増税したところで交通量は変わりません。――増税のラインはしかと見極める必要があるでしょうが、現地に派遣される優秀な官僚もいる。連中がきっちり仕事するなら、双方が共に栄える未来が待っている。心配するほどのことではありますまい」

 

 私のほうから、正確な計算を提示することはできない。しかし、今後交易が活性化するならば、関税だって相応に増えるはず。

 それで賄えない規模の事業を計画するほど、妃殿下は愚かではないと思うんだけどねー。

 

「惜しいな、肝心なところに目が届いておらぬ。――関税の収益を、誰が直接分配する? 誰に公平な判断ができるというのだ? なるほど、収入自体は充分であろう。だが、それも正確に全額を十全に活用できてこその話ぞ。……ゼニアルゼの出向官僚どもに任せたら、たちまち腐敗しよう。これは、賭けてもよい」

 

 なにせ奴ばらは、結託して利益をむさぼる習性を持つ。目を離せば談合と隠ぺいに走るのは、悪徳役人の習性のようなものゆえ、わらわでも制御しきれぬ――だなんて。

 わざわざ丁寧に解説するのは、オサナ王子への訓示のつもりか。後々彼が、一国を収める立場になった時、この言葉を思い返せるようにと。

 そのような慈悲を見せる程度には、彼に価値を見出しているのか。だとすれば、かの専制君主も、愛を知る段階に至ったとみてもいいのかな。

 

「いつになく言葉が多いですね、シルビア妃殿下。それが意味するところを、知らぬわけでもないでしょうに」

「ちょっとした気まぐれよ。オサナ殿は分かっておらぬだろうが、理解されなくとも愛情を与えずにはおれぬ。母としての感情を、わらわも少しは理解できるようになったのだ」

 

 利用しつつも、愛着を覚えた相手には何かを返したくなる。私なりに言い換えるならば、それこそが人間の習性というものだった。

 それを母と表現するなら、私も妃殿下に温情を返したくなります。――ちょっとくらいなら、加減してもいいかなって、ようやく思いました。

 

「わらわが思うに、ソクオチの関税を取り締まり、現地でその収入を管理し分配する者は、クロノワークの士官が望ましいな。実務能力と武力を持ち合わせているという点で、わが母国の騎士は実に適任だ」

 

 はい、来ましたね。予想した通りの展開だから、私はあわてないよ。

 この点、気付かせてくれたザラには感謝しなくてはならない。帰ったら、思いつく限りの奉仕をしようと、それだけの覚悟を決めるくらいには、大きな情報をよこしてくれました。

 

「それは確かに、その通りですね。まあ、誰をどんな理由で引っ張ってくるか、というのが問題ですが」

「……おぬしのことを言っているのだぞ、モリー。わらわは、おぬしにソクオチの統治にかかわってほしいと思っておる」

 

 私を自身の手駒として、引きずり込みたいのだろう。あからさまな引き抜きだったが、ここまで強引に押してくる理由は、あまり予想したくない。

 ――追及したら、ろくでもない答えが返ってきそうだから。対策は用意してるので、今は話を流すことに専念しよう。

 

「名分がありませんね。過剰な褒章は、禍根を残すと思いますが?」

「なんと。先の祭事にて、おぬしは充分な功績を残したではないか。わらわなら、これに対して充分な褒美を与えたいと思う」

「私だけが功績を立てたわけではありません。私だけが大きな褒美をいただいてしまっては、他の者に示しがつかないでしょう」

「別段、領地などを与えようというのではない。好待遇で呼び寄せ、ソクオチ内でその手腕を振るわせたいというだけのこと。……名目としては、能力を買われての栄転と思えばよかろう。わらわは、この度の論功行賞において、自由な裁量を許されておる。――オサナ殿の同意も得られておるし、障害があるとは思われぬが?」

 

 で、ここでオサナ王子の顔色が変わる。彼なりに言い訳を試みるが、言質を取られたことを忘れちゃいけませんよ。

 彼なりに、これが私の望まない展開だって、わかってはいるんでしょうけれど。今の貴方では、どうにもならないことがあるとも知るべきだ。

 妃殿下は、ここぞというところでは、決して譲らない。隙を見せた相手をとことんまで追い詰める癖があるんだって、これを機会に理解してくださいな。

 

「待て。僕はそんなつもりで言ったわけでは――」

「そんなつもりも何も、わらわはおぬしの言を確かに記憶しておる。『此経済的な褒章を、シルビア妃殿下から与えてやれないだろうか?』と。わらわが論功行賞に関わってよいか、確認を取ったら許可もいただけた。……これで、思うが儘に褒美を与えたら文句が飛んでくるとは。オサナ殿は、もう少し周囲に配慮した発言をしてほしいな?」

「それは、そんな――」

「うむ、うむ。おぬしは賢い子供だ。誠実でもある。自分のために働いてくれた者に、お返しをしたいと思ったのじゃろ。苦労に見合ったものを与えて、功に報いてやりたいと思い、実際に行動した善良さは評価しよう。……じゃが、その誠実さを利用する悪者がいることも、これで理解したな?」

 

 ああ、これ妃殿下、わざとやってますね。私のほうに意味ありげな視線をやってくるあたり、本当に意地が悪い。

 これも教育の一環と思えば、そこまで悪く言うのも違う気がするが。ともかく、私のほうから切り出す必要があるだろう。

 

「大丈夫ですよ、オサナ王子。こんなこともあろうかと、事前に対策は打ってきていますから」

「……どういうことだ? 僕は何も聞いてないが」

「必要にならなければ、黙っているつもりでしたから。本当にそれくらい、些細なことですので」

 

 そういって、私は懐から小さな勲章を取り出した。

 こんなこともあろうかと、だなんて。口に出してしまうとギャグだが、備えが重要であることは確かなのだ。

 

「随分と小さな勲章だが、それは何なんだ?」

「オサナ王子は聞いていなかったでしょうが、私はクロノワーク王家から、此度の件での報酬をすでに受け取っています。この勲章は、その証だと思ってください」

 

 ボーナスというには小さすぎる額だが、私に対する論功行賞はすでに終わっているわけだね。

 この上さらに褒美を重ねようとするなら、それは妃殿下の生家たる、クロノワーク王家にケチを付けることに等しい。

 両親と妹の家に配慮する気持ちがあれば、今更私へ褒章を重ねることなど出来はしないだろう。

 

「この話、間違いなく栄転ではあったのだぞ。……おぬし、それで満足なのか」

「地元を離れる決心は、どうしてもつきませんでした。――祖国は、私には過ぎたるものを、いくつも与えてくれました。彼女らとの出会いも、騎士としての栄誉も、全てがクロノワークでなければ得られなかったものです。妃殿下の誘いは光栄ですが……今の私に、それは相応しくないものでしょう」

 

 将来的にはともかく、私はまだまだ現役の騎士として、現場で働きたいんですよ。

 特殊部隊の副隊長って職は、現場にも管理に関わる地位だし、個人的にちょうどいい位置にいると思う。

 付け加えるなら、ザラと一緒に働ける機会は、なるべく長いほうがいいしね。

 

「はー、もったいない。……まあ、今回はおぬしのほうが上手であった。そういうことであろうな」

「――と、いうわけでオサナ王子。貴女が気に病むことはありません。シルビア妃殿下も、ありがとうございます。教材としても、充分身になるお話をしてくださいました」

「教材にされた、というのが正しいところだな。……わらわは、ここで隙を見せるなら儲けもの、くらいには思っておったよ」

 

 そのようにうそぶきつつも、妃殿下は苦笑していた。この場ではあきらめると、態度をもって示したと言える。

 

「いろいろと話しましたが、切り上げるには良い頃合いでは?」

「……モリー、それはおぬしが決めることではない。オサナ殿、まだ話したいことがあるなら付き合うが、どうか?」

 

 オサナ王子に、アイコンタクトで『ここまでだ』と伝える。

 恩師の私の判断を、彼は疑わない。それくらいには付き合えているのだと、そう思う。

 

「いや、充分だ。次に会うときは、もう少し成長して、備えを万全にしてから望むことにするよ」

「できれば、お守は無しでの。オサナ殿も、独り立ちしたい年頃であろう?」

「モリー先生が、それを許してくれたなら、そうしようとも。だが、今のところは彼女の監督の下で、何事も対処したいと思う」

「贅沢者め! モリーほどの者をそばに侍らせることが、どれだけ幸運であることか、オサナ殿は自覚すべきよ」

「――言われずとも。それくらいは、自覚しているさ。ご心配なく」

 

 というところで、なし崩し的にシルビア妃殿下と、オサナ王子との会談は終了した。

 終わり際がグダグダな話し合いになったので、これ以後の私は適当に聞き流して相槌を打つだけに留まったけれど。

 陰に引っ込んでいられるなら、私にとってはそれが分相応だと思いました。

 

「ああ、そうだ、モリーよ。今ここで駐在武官をやってる、クッコ・ローセの奴が母国に戻りたいというのでな。長期休暇をやることにした。物のついでだ、連れて帰ってやってくれんか?」

「最後に爆弾を放り込んでくるあたり、やはり根に持っておりますね、妃殿下」

「何のことだか。わらわとしては、あ奴もそろそろ報われてよいと、そう思っているだけよ。……おぬしが抱き止めてやれ。それが惚れさせた責任というものだ」

 

 惚れたのは私が先だと、妃殿下の前で口には出来なかった。

 そうした言葉は、当人の前で言うべきだと、私にはわかっていたから――。

 

 




 随分冗長になってしまいましたが、今後の展開を考えるうえで、どうしても外せない話でもありました。

 表現方法が拙いのは、筆者の未熟故と、どうか笑って許しやってください。

 次の話は、ようやくモリーが観念する話になると思います。
 ……名目上、独身でいられる期間もそう長くはないでしょう。
 それでも、今更タイトルは変えられないと思えば、もうちょっと熟考しておくべきだったかな、なんて。

 そんなことを、今更のように考えてしまいました。
 では、また。来月末の投稿をお待ちください。



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これから責任を取るための準備的なお話


 いつものギリギリ投稿ですが、例によって推敲がちゃんとできていない可能性があります。
 なにか可笑しなところがあったら、どうか広い心でお許しください。



 表向き、会談は終了したことになっているから、ここから先の会話は記録に残らない。モリーなどはもう仕事を終わらせたつもりになっていたので、すでに退室させている。

 お守り役としては失態だが、彼女がそう勘違いしたのも無理はない。ここはシルビア王妃の支配が行き届く空間であり、無理を通すのも物事を隠ぺいするのも、たやすいことであった。

 

「さて。モリーはいないが、良いかな? 続けても」

「わざわざ伺いを立てるようなことかよ。――僕も、本当なら話を打ち切って帰っていたところだ。引き留めているのは、シルビア妃殿下の方だろう?」

 

 モリーが一時でも場を離れれば、取り繕って継続するくらいはお手の物である。終了した形を一応取りながらも、それを撤回して仕切り直す。

 この時点でシルビア王妃は常識を疑われる行為をしているのだが、相手がオサナ王子一人であるため、リスクといえるほどのリスクはほぼないと言えた。

 

「ふむ、それもそうだ。じゃが、許せよ。別段悪い話をするわけではない。気に食わぬなら沈黙を守ることだ。それが結局は、己を守る鎧になる」

「鎧は剣になれない。妃殿下が満足するまで打たれ続けるような、稽古の人形になるつもりはないぞ」

「わかっておるではないか。……まあ、なんだ。そうやって敵意を向けても、わらわは咎めぬ。そのまま正直に、思うところを話そうではないか。時間は、そう長くは取らせぬよ」

 

 そうして、余人が立ち入らぬ――いわば密会というべき状況を作ってから、オサナ王子とシルビア王妃は改めて会談を続けた。

 

「二人きりになったところで、仕切りなおそう。オサナ王子の方の話題が尽きたのなら、こちらから振っていかねばな。――当人がいれば、口も重くなる。不在であればこそ、語れる本心というものもあろう」

「……何かと思えば、話すことがそれか。モリー先生が、どうしたっていうんだ」

 

 オサナ王子は不遜な態度で答えたが、シルビア王妃は不敵な態度でこれに応じた。

 

「わらわは、あれを評価しておる。一代の英傑、というのは大仰かもしれぬが、才人であることは疑いない。そう思わぬか」

「……うーん」

「深く考えるようなことではないと思うがのう。ま、よい。少しくらいは、思案してみればよいさ」

 

 いかなる意図の質問であろうか、とまずオサナ王子は考える。モリーに対し、ひとかたならぬ恩讐を感じている身としては、シルビア王妃の思惑通りの答えなど返したくはないのだが。

 しかし、悩んでばかりもおられぬ。一通り考えて、素直に話すのが一番無難だと結論付けた。

 

「ひとかどの人物であることは確かだろうな。僕は先生を尊敬している。これからも、師事していきたいと思っている。……この答えでは、不足かな?」

「いや! 構わぬよ。――わらわの問いかけに対し、ひねくれた答えを避け、正直な感想を述べる。実直な男の子らしい反応だと、わらわは微笑ましく思う」

「当人を蚊帳の外に置きながら、何を話しているんだと言われそうだな」

 

 確かに、モリーはすでにこの場から去っている。こうやってオサナ王子に口を開かせているのも、強引に過ぎる手順の結果であったが、それだけの甲斐はあるとシルビア王妃は考えていた。

 

 この師弟が、お互いに何を感じているのか。将来のクロノワーク、ソクオチ間の外交に関わるほどの関係であれば、ぜひとも詳細を探りたいというのが彼女の本音である。なればこそ、モリー抜きでオサナ王子と話さねばならなかったのだ。

 

「……あ奴が後で何を言おうと、どうでもいいではないか。興が乗ったから語る。その気になったから、閉会するつもりだった会談も続ける。親睦を深めるための話し合いというのは、それでいいのだよ」

「親睦? 親睦というのか! 物は言いようと、今ほど強く感じたことはないぞ」

 

 オサナ王子とシルビア王妃は、それなりの思惑があるとはいえ、話が長引きすぎた弊害か、感情が表に出やすくなっている。オサナ王子の方は、その傾向がさらに顕著だった。

 一度熱くなったからには、引っ込みもつかない。意見の差異こそあるものの、お互いに興味のある話題であればこそ、続ける意思も湧くというものであった。

 

「ともあれ、オサナ殿。おぬしはモリーの資質をどう評価する? 忌憚のない意見を聞きたい。……正直に述べてよいぞ。これからの話は、全て表ざたにせぬとここに誓おう」

「貴女は僕の信頼を勝ち取るのに、相当な努力が必要だと思う。口先でそう言われても、なかなか信じるのは難しいものだ。――誓うと貴女は言ったが、何に対して誓うのかな?」

 

 オサナ王子は、シルビア王妃に一度やりこめられている。同じ轍を踏みたくない彼としては、何かしらの言質が欲しいところであった。

 これには、彼女とて理解を示す。誓うべき対象を具体化することで、これに応えた。

 

「――我が生家、クロノワーク王家に誓う。天地神明にかけても良いのだが、目に見えて現実的なモノのほうが、説得力はあろう。オサナ殿、これでわらわの言葉にも、真実味が出てきたと思うが、どうかな?」

「大変結構! ……そうであればこそ、僕の方も本音を語れるというものだ」

 

 そうして咳払いをし、気持ちを改めるようにオサナ王子は語る。そうした仕草一つ一つが、シルビア王妃にとっては子供の強がりに見えて、なおさら微笑ましく感じられた。

 賢い子供は生意気にも映るが、観察してみれば案外愛嬌もあるのだと、彼女は思う。

 

「正直な感想を述べるなら、モリーは正しく、忠実な騎士であると思う。王家に尽くし、自らを省みること少なく、周囲に気を配れる人物だ。その上、武力知力に秀で、実務の実績も十分。……こうして見ると、理想的な騎士の姿であるな」

 

 オサナ王子の真面目腐った態度が、シルビア王妃には芝居がかって見える。

 もったいぶった言い方は、かえって浅慮を悟られるものだと、遠回しにでも教えてやろうと彼女は思った。

 

「はてさて、そこまで言い切るのはいかがなものか。オサナ殿が評したのは、表面的な部分にすぎぬ。奴の本質は、もっと深く、もっと恐ろしいものだ。……お分かりかな?」

「わかっている。これでも、一国の王子。人を見る目は、それなりにあるつもりだ。――自ら手を汚すことをためらわぬ、武人らしい一面も確かにある。必要とあらば、どんな非道なこともできるのだろう。そこまで想像はしたくないが、否定してはならぬ部分だ」

 

 口に出す気はないが、付き合いを続けていくうちに、相手の人物像を見通すことができる――という。そうした能力を、オサナ王子は備えていた。

 

 シルビア王妃に対しては、直接接する機会が少ないため、まだ断言はできないが。

 モリーに対しては、確実に評せる。それくらいの付き合いは重ねたのだと、オサナ王子は判断していた。

 

「要は、敵には容赦しないというだけのこと。僕個人の意見として、モリー先生を師事することに迷いはない。……しかし、彼女のようになりたいとは思わないし、なれるとも思っていない。軍事的才能も、政治的能力も、僕は認めているが――」

「参考になるかどうかは別の話である、と。いや、オサナ殿はよく奴のことを見ている。わらわも、ほぼ同意見であると言ってよかろう。端的に言って、あれは劇物よ。……あれでもう少し、付け込みやすい弱みがあれば、利用するだけして切り捨てられるのだがな」

 

 周りの女どもは、そろって強靭な者ばかり。たやすく利用させてくれぬ環境を整えているあたり、モリーは曲者であるよ――と、シルビア王妃は評した。

 しかし、オサナ王子の人物評は、彼女とは異なる。この点、一日の長があると思えば、ちょっとした優越感さえ感じられた。

 

「劇物だが切り捨てるのに難しく、有能であるならばむしろ、深く懐に抱きこむべき、と考えているのか? ――ふむ。シルビア王妃も、人物を見誤るということはあるのだな」

 

 オサナ王子は、不敵に笑って見せた。それが気に障ったかのように問いただすのは、こちらの威厳を損なう行為であったろう。

 そうとわかっていながら、彼女は反応せざるを得なかった。それだけの関心引く相手であったから、無理もない。

 

「……どういう意味かな、それは。侮辱するつもりで言ったというのであれば、聞き捨てならぬぞ?」

「誤りは誤りだと、本気で言っているんだ。――モリー先生は、危険人物からは程遠い相手だと、僕は断言する。それを理解せず、能力と気性だけを取り出して危険視する貴女は、僕から見ればひどく滑稽だ」

 

 取り越し苦労も、過ぎれば精神的な負担になる。そこまで細かく気を張っておられるとは、実にご苦労なことであると、オサナ王子は評した。

 

「モリー先生は、道義に外れたことはしない。祖国に忠誠を誓った真っ当な騎士であり、仕えるべき王家を尊重する姿勢が、身体はもとより魂にまで染みついている。そこまでわからないほど、妃殿下の目は悪くないはずだ」

「――わらわはモリーが仕えるべき相手ではない。それゆえ、うわべしか見れず、正当な評価ができぬというのか?」

 

 オサナ王子は、明言を避けた。それでいて、シルビア王妃には察することを求める。

 

「あの人は、貴女の臣下になることを拒んでいる。今はその時ではない、と考えているのか、そもそも仕えるに値しないと考えているのかは、僕にはわからないよ。ただ、その意志の強さは妃殿下も理解しているはずだろう?」

 

 さらに煽るような発言をして、彼の顔は挑発的な笑みが浮かんでいた。シルビア王妃の感情を刺激しつつ、彼は追撃するように言葉を続ける。

 

「才覚があるから、疑われるのは仕方のないことだ。だが、あえて言おう。あの人は貴女と違って、信じれば信じるほど――信頼の厚さにしたがって、気力を充実させていく人だ。愛情に関しても、たぶんそうなんだろう。愛されれば愛されただけ、相手に還元しようとして、どこまでも無理を通していく。傍から見ても、難儀な性分だと思うよ」

 

 オサナ王子は、モリーを信頼している。疑う余地などないと確信していればこそ、こうした態度がとれるのだ。

 彼の見るところ、彼女は『愛された以上は、愛してあげたい』『愛する人を幸せにしてあげたい』と考えるタイプの人物だ。大事なのは、その上に公共心とか忠誠心とかいう、わかりにくいものが乗っかっているという部分である。

 

 例えばそれはザラやメイルといった、愉快な女性たちに向けられているし、彼女らを育ててくれたクロノワークに対する忠義としても現れている。

 これを本心から感じ取っているオサナ王子にとって、他人がどう思うかは関係ない。己の信頼を示すのに言葉が必要なら、惜しみはしないとばかりに彼は言葉を続けた。

 

「モリー先生は、無条件の信頼に全力で応えてくれる人だと、僕にはわかっている。貴女がそれを理解していないことを、不思議に思うくらいだ」

「理解していないわけではない。――じゃが、理解してなお、それに頼ることができぬ。そうした立場の違いがあるのだと、オサナ殿にはわかってもらえぬのかな」

「なら、わからなくて当然だとも。……モリー先生は、僕が信頼するに足る人だ。立場の違いなんて些細なものだし、理由なんてお互いが知っていればいいことだろ? そもそもあの人は、自己の栄達のために僕を利用することなんて、絶対にしないんだから」

「そういう問題ではない、と言うのはたやすいが。……さて、どう返したものか」

 

 シルビア王妃は、オサナ王子の感情をおおよそ察した。モリーが善意の人であると、彼は理解しているのだろう。彼女はそこまで否定するつもりはないのだが、周囲への影響というものは、当人の意識とは別に発生する。

 あるいは、モリーに影響を受けた誰かが、モリーの意思とは別に余計なことをしでかすこともありえるだろう。

 劇物、と称したのはそれゆえであり、当人に含むところはあんまりない、というのがシルビア王妃の認識である。

 ――もっとも、それを目の前の賢しい子供に説いたとて、つまらぬ話が長引くだけであろうが。

 

「モリーにはモリーの問題があろう。長所短所に目を向け、正しく評価するのが君主たる者の役割である。……無条件の信頼など、ばかげた話よ。モリーが特別見事な働きをしたとしても、これに特別な意味を見出すほど、わらわは若くはない」

 

 御恩と奉公の関係に、個人的な感情で入れ込むほうが馬鹿というものだ。シルビア王妃の認識としては、その程度である。

 しかし、オサナ王子にはまったく別の見解があるらしい。

 

「それこそ、価値観の相違とでも言うべきだな。僕は若いを通り越して、むしろ幼いくらいだと自覚している。――だが、そんな僕にも本物の誠意はわかる。モリー先生は、この僕が心から信用して、頼っていい相手だと思っている。それを妃殿下がどうしても理解できぬというなら、それはむしろ貴女の不徳を示すものではないかと、そんな疑いさえ抱いてしまうね」

「わらわにケンカを売りたいのなら、もう少し言葉を選ぶことだ。――おぬしの言い方では、威勢がいいだけの虚言にしか聞こえぬ」

 

 これにはシルビア王妃も反発する。貴様に何がわかるのだと、そう言いたげでもあった。

 しかし、オサナ王子はひるまない。シルビア王妃に対して、モリーに関することだけは、こちらの理解が正しいと確信するがゆえに。

 

「モリー先生、と何度も公言している時点でわからないかな? ……彼女は、僕がクロノワークの傘下にいる限り、決して裏切ることも期待に応えずにいることもできない。模範的な騎士であるがゆえに、主家の意向に忠実であることが求められるからだ」

 

 そして、将来的に僕がクロノワークの家と繋がることで、この信頼は完成する――とまでオサナ王子は言った。

 ここまで語れば、シルビア王妃も彼の意図を看破できる。

 

「ふん。可愛げのないやつよ。……おぬしとエメラとの縁談は、まだ決定したことではない。自信を持つのは良いが、常に未来がおぬしの思い通りになるとは思わぬことだ」

「僕は、クロノワークの家、といった。別にエメラ王女が対象でなくともいい。クロノワークの貴族なり、騎士なりの家から妻を迎えればいいんだ。家格や地位にこだわるほど、僕の料簡は狭くないぞ」

 

 対象さえ限定しなければ、オサナ王子の方から求めた場合、クロノワーク王家は否とは言わぬ――と、オサナ王子は言った。

 まったくの同意見であったから、シルビア王妃もそこは認めた。

 

「賢しいな。もっと子供らしく、目先のことだけ考えておれば良いものを」

「目先のことだけを考えていられるような、気楽な立場じゃないって自覚したんでね。――それだけの教育を受けたし、今も己の血筋と祖国の未来について、真剣に考慮せずにはおれぬよ。モリー先生が教育係でなければ、ここまで行動できなかったとも思えば、実にたいした人だとは思わないか?」

「……あれが傑物であることは認める。認めるが、わらわが信を置くには一定の条件がいる。腹を決めた今、それを押し付ける機会をいつでも狙っておるのだが――。ああ、いや、なるほど。これをわらわの不徳というのならば、納得できぬでもないな。立場の弱さゆえに、そなたはモリーの信頼を得られる場所にいたのだろう。それが少し、うらやましくもある」

 

 オサナ殿は諧謔のみならず、皮肉の表現にも長けている。これをモリーの教育の成果というならば、認めるほかない――とシルビア王妃は明言せざるを得なかった。

 直接の利害にかかわる部分ではないからこそ、彼女の方から譲れたといえる。

 そして、負け惜しみのようにも聞こえるから、オサナ王子にとっては留飲の下がる答えでもあった。あえて反論しないことが、シルビア王妃なりの誠意であった。

 

「ま、良い。一杯食わされたと認めよう。オサナ殿、そなたは立派な男子である。そなたがその気なら、わらわの方から妹を説得しても良いが?」

 

 エメラ王女の婚約者に推しても良いのだと、シルビア王妃は言った。

 だが、男として。何より一国の王子として、そこまで頼るわけにはいかぬ、とオサナ王子は答える。

 

「それには及ばぬ。惚れた女を自力で口説けずに、夫となる資格などない。欲しい相手は、自ら拝み倒してでも手に入れる。それが筋だ」

 

 妹に対し、一定の好意は持っているらしいと、シルビア王妃は判断する。

 ここは干渉するだけ無粋であると考え、茶化すような口調で彼女は言った。

 

「ならばよいが――ああ、もしやモリーを口説くつもりではあるまいな。できれば最上であろうが、それは流石に高望みが過ぎるぞ。……その方面でこちらに助力を求めるなら、わらわにも出来ぬことがある、と素直に白状するほかない」

「それこそまさかだ。僕は、そこまで高望みなんてしないさ。……というか、モリー先生はそういう対象として見れないよ。あんな母がいたら良かったのに、とは戯れに思うけれど――現実になったら、それはそれで困惑しそうじゃないか」

「まさに。――モリーの奴め、なんという教育をしておるのだ。将来の駒にするつもりが、対等の指し手に変わるとなれば、あらゆる想定を見直さねばならぬ。まことに、厄介なことよ」

「楽しそうに笑いながら、そう言うか。……モリー先生は、妃殿下の遊び相手として認識されてしまったと、そう考えてもいいのかな」

 

 オサナ王子は、あきれ気味にそういった。気付かせたのは己であっても、悪びれる雰囲気はない。

 モリーならば、この程度の試練は乗り越える。そう信じていればこその、楽観的な態度だった。

 

「そなたの解釈に文句など付けぬ。ただ、次に顔を合わせたときは、どんな風にいじってやろうかと、その程度に考えておるくらいよ」

「モリー先生に、詫びる必要があるかもな。妃殿下に目を付けられたとあらば、どんな難題を押し付けられるかわからん」

「……誤解しないでほしいのだがな、そなたがモリーの生徒になる以前から、わらわがあ奴に目を付けていた。今回の件は、あくまできっかけにすぎぬと理解することだ」

 

 こう言いながらも、シルビア王妃の目は輝いていた。彼女はモリーを敵手に値する人物であると認めたのである。

 将来的には、敵手となりうる相手。そうでなければ、盟友となりうる手合いであると、彼女は判断した。それが正しい評価であるかどうかは、以後の経過を観察せねばなるまい。

 逆説的に言うなら、その観察の必要性があるからこそ、オサナ王子を軽率に扱えなくなる。モリーが彼に何を吹き込み、いかに教育していくのか。その傾向を探ることで、彼女の思想を把握することができるだろう。

 その必要性を感じていればこそ、余計な口出しは出来ぬし、師弟の絆を見守る理由ができてしまうのだ。

 

「それで? 目を付けて、散々考慮を重ねた挙句、結論がソクオチへの出向か? 妃殿下はモリーを遠ざけたいのか近づけたいのか、どっちなんだ?」

「近づけるために、一旦距離を離す。それもまた、権謀術数であると理解されるがよい。――わらわはモリーを評価しておる。ソクオチに向かわせて、わらわの管理下で働かせることができれば、手駒として取り込んだも同然であろう」

 

 そして、モリーには才覚にふさわしい活躍をしてもらうつもりだったのだ、とシルビア王妃は言った。活躍の余地がある土地なればこそ、任せるにふさわしいのだとも。

 

「粛清の種など、探せばまだまだある地方じゃ。そなたの未来を考えて、師が率先して働いてくれる。そう思えば、悪くない手段であったと思わぬか?」

「――モリー先生は、僕の臣下じゃない。これからも、そうなることはあり得ない」

 

 だから、過剰に期待してはならないのだと、オサナ王子は言った。

 その中に寂しさを見出すのは、シルビア王妃でなくとも簡単なことであった。だが、ここでそれを付くのは野暮であろう。

 

「そなたはそう思うか。しかし、わらわは諦めぬぞ。モリーを手元に手繰り寄せたら、やはり領地の一つもくれてやりたいものよ。……与える領地は、難しければ難しいほど良いのう。わらわが思うに、さぞ愉快な使い方をするのではないかな」

 

 ソクオチに派遣できたのなら、理由付けはいくらでもできたのに、残念ことよ――とまでシルビア王妃は言ってのけた。

 

「その辺り、僕にはわかりにくいところだな。領地の経営を、軍人に任せるのか? 代々貴族としての教育を受けた、由緒正しい人材が他にいくらでもいるだろうに」

 

 軍人に領地を与える――というのは、占領地の統治を考えるなら悪い手段ではない、とシルビア王妃は考えている。

 だが、これの詳細を語れば、未来へのプランを一つ開帳することにもなる。そこまで公開する気はないから、適当にお茶を濁しつつ話を進めた。

 

「それは確かにそうだな。あるいは、高度な教育を受けた官僚どもであっても、それなりに上手く領地を治めようさ。……ソクオチはいささか難しい土地じゃが、権謀と術数に長けた者であれば、手管次第で治められなくはない、とわらわは見る」

「言い訳はしないよ。ソクオチは、悪い部分ばかりを見せているっていう自覚はあるから。――でも、わからないな。ゼニアルゼの方でどうにかなる問題なら、クロノワークを巻き込む必要も、モリー先生を引き込むべき理由もないじゃないか。……役人の腐敗なんて、締め付け次第でどうにでもなるものだろう?」

 

 ところが、そう簡単な話でもないとシルビア王妃は言う。この辺り、苦い顔で言うものだから、オサナ王子はかえって強い興味を持った。

 彼女の弱みとなるかもしれない。これは好機かもしれぬと思えば、なおさら緊張感をもって臨まねばなるまい。

 

「繰り言になるが、役人ども、官僚らの習性というものは厄介でな。少し語ったが、あれはなかなかに救いがたいものよ」

「救いがたい、というのは穏やかな表現じゃないな。ゼニアルゼの官僚には、なにか不都合な癖でもあるのか?」

「ゼニアルゼに限らぬ。クロノワークはもちろん、ソクオチでも変わるまい。――くどいようだが、連中の多くは結託する。皆が皆、愚かな行為に走るわけではないとしても、無私の忠誠を期待できる手合いではないのだ」

 

 例えば処断すべき罪が発覚しても、かばいあって、なあなあに済ませることも多い。これを容認せねばならぬほど、実務の多くを任せきっているのだから、組織構造そのものの問題ともいえる。

 

「事あるごとに談合を行い、悪事を共有し、隠ぺいして利益をむさぼりたくなるという習性は、おそらく変えようがあるまい。良い悪いではなく、そうして生まれつき、育たざるを得ないのが宮廷の官僚というものだと、理屈ではなく本能で理解せよ。……下手に理由を探ろうとするほうが、馬鹿を見るぞ、あれは」

 

 21世紀の現代社会でも汚職が根絶できぬのに、近代以前の時代であれば、なおさら清廉潔白を一役人に求めるのは無理難題である。

 シルビア王妃は制度をいじりつつ、この辺りを少しづつ改善しているが、劇的な変化は望めまいと達観してもいた。

 

 個人の資質の問題ではない。目先に利益があれば、飛びつきたくなるのが人の性。押しとどめる機構がなく、背中を押す者たちが跋扈する環境であれば、大部分の人間は腐敗の魅力からは逃れられぬ。

 それこそ優秀な『死に狂い』のような例外的な存在でもなければ、こうした手合いを殴り倒して更正させ、効率的に組織を運営させることなどできたものではない。

 

 私心のない有能な人間であり、権限を任せるに十分な実績があり、かつ清濁併せ飲んで現実的に活用できる者。

 

 それだけではなく、自分の代では果たせない、理想への道筋を示して未来に託す。その意義を真の意味で理解できる人物でなくてはならなかった。シルビア王妃の見るところ、この全てを満たす人材は、モリーを置いて他にはない。

 

「反逆の意図がないのだから、忠心だけでは丸め込まれる。義を重んじる者は名目を気にしすぎるゆえ、法に触れぬ程度の搾取は見逃してしまう。かといって、武断的過ぎれば反感を買って仕事が滞る。……熟練の官僚というものは、陰湿なサボタージュも上手にやってのけるものよ。わらわがソクオチに派遣する連中とて、そこは変わらぬ」

「色々と腹黒いことを考えていたようだが、現実に運用できないなら意味がなかろう。僕が言うのもなんだが、その様子で税法の改正とか、ソクオチの統治などは大丈夫なのか?」

 

 わらわにとって不快なことが多くなるだけで、現状でもおおよそは問題にならぬ――とシルビア王妃は断言した。

 

「あれで粛清の恐怖を与えてやれば、しばらくは大人しくする習性も同時に持っておるのでな。定期的にアレコレして締め付ければ、何とか及第点の統治ができるであろう」

 

 そのうえで、完璧に事態をコントロールしたいという欲望を彼女は持っていたのだ。

 自らが思い描く理想の統治。その一助となるのであれば、利用したいものは何でも使いたいというのがシルビア王妃の本音である。

 

「わらわの目が届かない範囲でも対策はあるのだが、なかなか完璧にはいかぬもの。わらわとしては最善の結果を求めたいのよ。――モリーに任せられれば、いい具合に引き締めてくれたと思うのじゃが、どうかな」

 

 どうかな、と問われたところで、オサナ王子の答えは決まっている。

 

「モリー先生は、クロノワークの軍人であるべきだ。それが、一番幸福なことであると、僕は思う」

「……わからぬな。才は発揮してこそ意味がある。開花し切っておらぬ才能があれば、わらわは育てたいと思う。そして能うならば、可能な限りの権限を与え、周囲に良い影響を与えてもらいたいのだ。停滞は悪であり、進歩こそが善であるとわらわは信じる。時間資源人材、その全てが幾らあっても足りぬ、無駄に費やしてよい道理はない! ――違うか?」

 

 シルビア王妃は、猛禽のごとく鋭い目で、オサナ王子を射抜いた。

 これに怯むようでは、モリーに対して申し訳が立たぬ。彼とて、そう思うくらいには、育ててもらった自覚があるのだ。

 

「違わない。違わないが、それが個人の幸福につながるとは、必ずしも限らないんだよ」

「モリーには見返りを十分に与える。富も名声も娯楽すらも、合法的な範囲で必要に応じてくれてやろう。不正を働くのでなければ――実績に応じた報酬を得るのは、当然ではないか」

「そういうことじゃない。……あの人は、もう十分に満たされている。それがわからないから、貴女はモリー先生の忠義を受け取ることができないんだ」

 

 まるで、お前と違って己は彼女の忠義を受け止められているのだと、そういわんばかりにオサナ王子は断言した。

 

「――言ったな。言ってしまったな、オサナ殿」

「事実を指摘しただけだと思うが、問題はそこじゃないんだろうね」

「わかっておるなら、みなまで言うなよ。言えば許せなくなる」

「……すまない。だが、誰かが指摘するべきだと思ったんだ。誰もが貴女の合理性についていける訳じゃないし、理解しても忠誠を尽くせる人ばかりではないと、僕の口から言いたかった。これは、それだけの話なんだ」

 

 シルビア王妃は、本気で腹を立てた。もちろん、その怒りはすぐに霧散したが――王子の身の上で、この専制君主の怒りを買えたという事実は、それだけで特筆すべき結果であったといってよい。

 それが、どちらにとっても不利益をもたらしかねない爆弾であったとしても。貴重で価値のある関係性であったことは、間違いない事実である。

 

「オサナ殿。人が、本当の意味で満たされることなどない。腹が満ちても、甘い菓子を欲しがる子供はいる。富をいくら積み上げようとも、名誉や地位を極めようとも、自身にないものを求めてしまうのが人の性よ。――わらわ自身もそうであるし、わらわが治める国というもの、民というものも、そうした生き物じゃ」

 

 これには、オサナ王子のほうが違和感を抱いた。そこまで深刻に考えねばならぬほどのことであろうか、と。

 あるいは、これこそが統治者の孤独というものかもしれぬ。シルビア王妃はあまりに聡いがゆえに、わからなくてもよいことを、わかってしまったのであろうか。

 

「クロノワークの民は、素朴で慎ましい生活を良しとしている。その母国で生まれ育ちながら、どうしたらそんな結論が出るんだ?」

「……見えているものが違うから、としか言いようがないな。それに、わらわはもはやクロノワークの姫ではない。わらわが治めるべきはゼニアルゼの民であって、クロノワークの民のためにできることなど、そう多くはないのだ」

 

 この点、モリーは確かにわかってくれているのだろう。それだけでも、彼女は他の有象無象などより、よほどシルビア王妃を理解している。

 やりたい放題しているように見えて、彼女は統治に関しては細やかな配慮を尽くしていた。闘争と粛清にまみれながらも、民政の視点を持てるのが彼女の優れたるところである。

 

「話がずれたな。……モリーがクロノワークの騎士であることに固執するなら、わらわも色々と考えねばなるまい。新しい手を見つけるほうがよほど建設的であろうが――届きそうなところに美味しい果実があると、欲が出てくるものよ。むろん、これは比喩ゆえ、ゼニアルゼ王家への心配は無用じゃ」

「そうか。なら、あえてこれ以上は言うまい。――結局、とりとめのない話になったけれど、もういいのか?」

「いいとも。それに、充分身のある話ができたぞ。……モリーを語る、そなたの姿。わらわを評する、その態度。オサナ王子という未来の王が、いかなる存在たり得るのか? これを図るのに、良き話し合いができたのではないかな」

 

 ここまで言われて、そういえば結構感情的に、思いつくままに口を動かしていたことに気づいた。

 今更だが、シルビア王妃が狡猾な人間であることなど、すでに嫌というほどわかっていたというのに。

 

「……結論を聞いてもいいかな?」

「どう答えようとも、現時点ではただの予想。そなたにとっては意味のない言葉になろうさ。それでもあえて言うことがあるとすれば――暇つぶしには、なった。わらわは、最初から最後まで会談を楽しめたと言える。……無論、そなたもな。答えとしては、それでよかろう?」

 

 会話を打ち切る言葉としては、あまりにそっけない。それでも、シルビア王妃はこれ以上、語るつもりはない様子だった。

 結局、オサナ王子は釈然としない思いを抱いたまま、会談を終わらせるしかなかった。

 今度会うことがあれば、その時は、必ず己が主導権を得る。準備をして、己を磨いて――思いつく限りの対策を備え、王子ではなく王として彼女の前に立とう。口には出さずに内心で、ただ強く決意していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーです。今回は、予定よりちょっと早く帰国することになりました。

 オサナ王子は、シルビア妃殿下との会談が終わってからも、数日間ゼニアルゼに滞在するとのこと。

 まだまだ心配事はあるので、彼についていたかったのだけど。私は残念ながら、滞在を許されなかったのです。

 

「僕はもう少し、シルビア妃殿下の周囲を観察したい。あの方への理解を深めることが、僕にとって重要なことだと思うし、ゼニアルゼの観光をこの機会にしてみるのもいいだろう。……観光にまで先生の付き添いを必要とするほど、この国は物騒ではない。だったら、もう帰国してもらって、お守り役から解放してあげるべきだと思う」

 

 本当は、最後まで付き合ってほしかった、という思いが感じられる言い方だった。

 言葉だけを取るなら、彼なりに独り立ちを意識し始めたともいえるのだろうが――声色に不安の色が出ている時点で、本音が漏れているのですね。

 

 それでも、私は彼の主張を受け入れた。男子の面子を尊重してのことである。

 いかなる心境の変化か、オサナ王子は、私に気兼ねしているのだろう。無理を言ってついてきたもらった、なんて考えているのかもしれない。実際には、そんなことはないというのに。

 

 とはいえ、男の子が意地を見せたのなら、これを認めるのも大人の務めだろう。そんなこんなで、私は帰国の途についているわけだ。……クッコ・ローセ教官とともに。

 

「なんだ? 緊張しているのか。今更、私を恐れる理由もないだろうに」

 

 帰国に際しては、行きと同様に立派な馬車を出していただけました。

 御者を除いては、他に同乗者もいないので、私と教官だけのプライベートな空間が出来上がったわけですね。――緊張するなってのは、無理な話じゃないでしょうか。

 

「恐れもしますよ。……貴女の人生を背負うかもしれないと思うと、気後れせずにはいられません」

「気にするなよ。私も、年が年だ。子供など最初から望める訳もなし。――伴侶を作れるだけ、ありがたいと思うべきだろうよ」

 

 そんなことはない。貴女は、もっと幸福になっていいんだと、私は言いたかった。

 けれど、それを言う資格など、女の私にはないのだ。心だけが男であっても、応えることができないことはある。

 その事実が、今はただ悲しかった。

 

「……謝るのは、筋違いですか」

「見当違いも甚だしいな。女として生まれて申し訳ない、とか。男じゃなくてすみません、なんて、お前が後ろめたく思う必要はないんだ。――私も、他の連中も、今のお前だから惚れたのだし、愛することを選んだんだ。この辺り、疑うべきじゃないだろう」

「疑いはしません。私も、いい加減に覚悟を決めました」

 

 誰かが聞いていれば、ここまで大胆な発言ができたかどうかわからない。

 でも、一度口にしてしまえば、周りの環境など気にも留められなくなる。馬車の中の振動や、車輪の音など、もはや私が意識するところではない。

 目の前に、クッコ・ローセ教官がいる。今の私の世界は、それがすべてだった。

 

「おっ、娶るか? いいぞ。私もあいつらも、まとめて抱き止めて見せろよ」

「……私はおそらく、いや確実に、貴女方よりも早死にします。戦死か事故死かはわかりません。とにかく、長生きできないことはご理解ください」

 

 言ってしまった、と思う。クッコ・ローセ教官にとって、私の言葉は今更説く必要のないものだろう。

 私にその傾向があることはわかっていたことだし、男と女の関係であれば、彼女はさっぱりと聞き分けてくれただろうという確信もある。

 問題は私が彼女と同じ女の体を持っていて、何も後に残せるものがないことだ。私の頑張りでどうにかなることなら、いくらでも努力できるのだけれど。――こればかりは、ままならぬ世の中だと思う。

 

「お前は死なんよ」

「わかるものですか、貴女に」

 

 反射的に、私は口を動かしていた。放った言葉の意味を自覚する前に、教官が言った。

 

「わかるよ、私には。……お前から、死の臭いがしなくなった。たぶん、無意識のうちに死を避けることが身についたんじゃないか?」

「――まさか。それこそ、まさか、です。私にそんな自覚なんて、かけらもないんですよ?」

 

 自分が言った言葉について、ようやく理解が及んだ。そうやっていう言葉が、まさか、だなんて。

 私は、私が思う以上に、自分のことをわかっていなかったのか。だとしたら、それを誰より先に理解した彼女は何なのか。何というべきなのか。

 

「お前、私を愛してるだろ」

「はい、それはもう」

「お前は、私たちに対して、何ができるかを考えている。どうしたら幸せにできるか、不幸にしてしまわないか、ずっと悩んでいる」

「――はい」

 

 だから、想いに応える、彼女らと共に生きるという選択を決めた後も、私はずっと考えていた。

 私が彼女たちに何かができるとして、幸せにできたとして。……それを長く維持することが可能なのか。

 できなかったとしたら、それは私の落ち度で。結果として彼女らの不幸を招いてしまったら、どうしようもなく後悔するであろうことを、私は恐れていた。

 

 死ねば考えずに済むなんて、そんな容易い逃避ができないことも、私には怖かった。

 

「気にするな、なんて言葉で言ったところで、お前には意味のないことだろう。行動で示そうにも、結婚は一生ごとだからな。人と人が寄り添うこと、幸福であり続けることは、たやすく達成できることじゃない」

「……愛し合うということは、難しいことですね、本当に。ただ想いを伝えるだけでも、体を重ねたとしても、それで何かが証明できるわけでもない。――ええ、教官の言うとおり、一生ごとですから」

 

 教官が何を言いたいのか、私にはわからない。ただ、なおも彼女は言葉をつづけた。

 

「だから、お前の悩みは、お前自身が時間をかけて向かい合っていくしかない。……私たちにできるのは、傍にいて見守ること、くらいかな」

「――それ以上のことを求めるのは、贅沢が過ぎるでしょう」

「それ以外のことに、価値を見出せないんだろう? モリー。お前は本当に、どうしようもない女だよ。贅沢ではなく、無欲、という意味でな。お前がその気なら、もっと出世できたろうに」

 

 無欲だなんて、初めて言われた気がする。自分を振り返ると、むしろ欲深いほうだと思うんだけどね。

 一番大事な人はいる。その人の周囲を守りたいと思う。好意を向けてくれたら、応えたいと願う。……何をどう考えても、無欲には結び付かない。

 

「私は自分を無欲だとは思いませんが――それより。せめて、男扱いしてくださいませんか」

「いやだね。何が悲しくて、お前を男にしなきゃならんのだ。……偽物の男装より、本物のお前の姿のほうが、よっぽど価値があると思うが?」

 

 ありのままの私でいいって、たぶんそういう意図で言ってくれてるんだろう。でも、本来の私は男だっていう意識が強いので、答え方に困る。

 そうして口ごもっていると、教官の方から話を続けてくれた。

 

「というか、お前を男扱いする方が怖い。どこに飛んでいくかわからん」

「ええ……? 別に変わりませんよ。何を想像してるんですか」

「シルビア妃殿下を寝取って、ゼニアルゼを裏から支配する有様かな? お前が男だったら、その万が一が有り得ると思うぞ」

 

 何を言われているのか、理解するのに時間がかかった。理解を拒みたくなるくらい、そうした想像は私にひどい衝撃を与えてくれた。

 

「……あの方は確かに美人だと思いますが、とてもじゃありませんが女性として見れませんよ。人妻に横恋慕とかシャレになりませんし、その手の物騒な冗談は、やめていただきたいんですが」

「二度とは言わんさ、安心しろ。――だが、私は冗談を言ったつもりはないよ。妃殿下は強いお人だし、性欲に負けるような性格ではないが……。あまりに強靭で賢すぎる弊害かな。どうしようもなく孤独なんだ、あの人は」

 

 だから、本心から理解される、ということに餓えている。己をわかってくれる相手には、ほだされてしまう可能性がある――と教官は言った。

 

「そうは言いますがね、どんな孤独にだって、妃殿下は耐えますよ。ごまかす手段はいくらでもありますし、やりたいこと、やらねばならないことは山積みでしょう。迷ったり日和ったりしている暇は、ないはずです」

「それはそうだろうさ。――だが、無謬な人などどこにもいない。弱みというには小さ過ぎる傷だが、お前がその気になれば付け込めるだろ?」

「怖いことを言わないでください。……鳥肌が立ってきました」

 

 手練手管を尽くすにしても、相手は選びたいところだ。教官らしからぬ冗談ということで、この場は流そう。

 あの人に哀れみを感じている部分はあるが、共感したいとまでは思わない。そんなことよりも大事なことがあるはずだと、私は主張しよう。

 

「仮定の話は、そこまでにしましょう。……私が責任を取るべきは妃殿下に対してではなく、教官を含めた女性陣に対してですから」

「わかっているなら結構なことだがね。――私の用意は万端だが、他の二人はそうでもないかもしれん。帰国したら、こちらで場を整えさせてもらいたい」

 

 他の二人、とクッコ・ローセ教官は言った。

 メイル隊長と、ザラのことだろう。……クミン嬢が入っていないことに、何かしらの意図を感じるね。

 

「一応、クミン嬢も責任を取る中に入っているのですが」

「真面目なのはお前の美点だが、何もかもをまともに受け取る必要はあるまい。――あれは、お前の人生の負担になる。抱えてもいいことはないと思うがね」

 

 別段悪感情を抱いているわけではないが――と、一言付け加えてから、教官はさらに言った。

 

「クミン嬢自身、今頃は見捨てられても仕方ないと思っているだろうよ。シルビア妃殿下も、お前と彼女との関りをもう重視してない。連絡役なら、誰がやっても同じだろうとのお考えだ」

「……それ、妃殿下が確かにそう答えたんですか?」

「匂わせる程度には、な。――お前、今回の会談に参加したんだろう。何かしら、シルビア妃殿下から褒美らしいものを受け取らなかったか?」

「面倒くさいことになるのがわかっていたので、事前に対策して逃れました。……まさか、本気で?」

 

 女ではなく、立場と土地で私を縛りに来た。シルビア妃殿下は、本気で私を取り込みにかかるつもりなのだろうか。

 一時の冗談、もののついで、という形ではなく、彼女なりの明確な目的をもって、私を求めに来るとしたら。

 その内心は、いかなるものか。将来的に、私という存在が必要になる事態など、それこそ荒事でしかありえないように思う。

 

「あの方はまた、平地に乱を起こすつもりなのでしょうか。ソクオチにクロノワークの武官を置くのはいい。けれど、特殊部隊出身の私がいけば、かえって警戒心を呼ぶでしょうに」

「さて、本心は分からんが。案外、そこまで物騒なことは考えていないんじゃないか? ただ、お前が十全に動ける場を提供して、どこまで働けるか試したかった――なんて可能性もある」

 

 そこで見事な仕事ができてしまったら、立場と実績がそのまま私を縛るだろう。私なしには回らない職場ができてしまえば、そこから逃げることはできなくなる。

 一度背負った責任を放棄するのは、私の趣味じゃない。この辺り、教官はわかってくれている。

 

「これ以上。お前に女を増やしてほしくはないから、あんまり余計なことは言いたくないんだが。……クミンとやらにも、一度会ってやれ。私の方から話を回してやったから、今はクロノワークにいるはずだ。案外、放っておいてもあちらの方から連絡が来るかもな」

「会って、どんな話をすればいいのでしょう。私は別に、彼女をどうこうしたいとか、積極的には思ってないのですが――」

「それは良くないな。……その嬢は、今更別の道が許される環境にいるのか? お前との縁を切りたくないと考えていた場合、色々と面倒なことになるかもしれんぞ」

 

 そこまで不安なら、私が同席してやってもいいが、なんて教官は答えました。

 冗談とも本気とも取れるような、軽い口調だったので、気軽に了承してしまったのが運の尽き。

 

「苦労を掛けますが、教官が同席してくれるなら気が楽ですね」

「じゃあ決まりだな、帰国次第準備を整えるから、逃げるなよ」

 

 最初から最後まで、教官の話術に踊らされたという結果になりました。

 ……色恋に関して、私がポンコツになることはわかってくれていたらしい。なればこそ、彼女の助力を否定してはならぬとも思う。

 既定の路線に乗らされている気もするが、抵抗は無意味だろう。私自身、彼女らに対しては出来ることすべて、応えたいと思っているのだから――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――で、組織傘下の店に席を用意してくれたわけだけど。教官とクミン嬢がガチで同席して私の隣にいるなんて状況、帰国前は本気で予測できませんでした。

 ……だって、半分くらいは冗談だって思うじゃないですか。でも実現した以上は、腹をくくるべきだろう。

 

「奇妙な組み合わせですね。私とクッコ・ローセ教官とは、そこまで接点はなかったはずですが」

 

 あいさつもそこそこに、雑感を述べるような形で、クミン嬢の方から口火を切ってくれました。

 それは私も同感だけど、これからは違うんじゃないかな。この辺り、ちゃんと認識する機会になればいいと私は思うよ。

 

「モリーが間に入らなければ、おそらく一生会うことはなかったろうな。だが、これも縁だ。お互い、仲良くやってやろうじゃないか」

「いいんですけどね。――私の役割も、そろそろ変わってきそうですし。特別な手当てを受け取れる期間も、そう長くはないのでしょう」

「何の手当だ。危険行為手当、なんてもんじゃないだろう? ……察するに、シルビア妃殿下の命でモリーに付きまとうこと。こいつの首にひもをかける役割に、手当てが出ているというわけか」

 

 教官がクミン嬢を挑発する理由があるとしたら、ここで格付けをしておいて、力関係を明確にすることだろうか。

 

「別段否定はしませんが、そこまで露骨に言うことではないでしょう。露骨な女は嫌われますよ」

「あいにく、誰かさんと違って、愛されているっていう自覚があるもんでね。――役割が変わったのなら、無理して付き合うことはない。お前なりに、今後の身の振り方を考えておいた方がいいんじゃないか?」

 

 今更、彼女が本気で手当てを目的として、私と付き合っていたとか思わないけど。

 役割が変わったって言い方は、どうしても気になる。この辺りは、私が指摘しておくべきだろう。

 

「ええと、クミンさんは、何かしら近況の変化でもあったのですか?」

「詳しくは、話したくありません。今言えるのは、お察しされていることは、そこまで的外れじゃないってことくらいです」

「クミンさんも、なかなか大変な立場なのですね。シルビア妃殿下に振り回されるのは、私たちも同じですが――。騎士身分と一般人とでは、やはり違いもあることですから」

 

 色々ぼかした言い方をして、真面目に受け止めていないように聞こえても、どうか許してください。

 まずは、貴女から踏み込んでほしいのです。愚痴を聞くだけでいいのか、助けてほしいのか、その辺りを最初に明確にしましょう。

 

「違い、といえばあまりにも無情な違いですね。モリーさんも、クッコ・ローセ教官殿も、シルビア妃殿下に求められて傍にいる。……私はといえば、妃殿下に命じられてここにいる」

「つまり、あの方の気まぐれ一つで、お前は別の地方に飛ばされてもおかしくはないわけだ。――その場合、モリーのそばに置くだけの価値が、お前にはないんだと。そう言われたも同然だが」

 

 その辺りどうなんだ、とクッコ・ローセ教官は無情にも言い放った。

 でも、私もこれを咎めようとは思わない。まったく同感だったし、妃殿下がクミン嬢に別の仕事を与えるのであれば、私は彼女の紐帯から逃れたことになる。

 ……あの方の思惑を理解するうえでも、クミン嬢の答えは興味深い。私は、じっと返答を待った。

 

「モリーさん、何か言ってくださいよ。私を慰めてくれないんですか?」

「貴女が求めている言葉を探っているところですよ。……自ら慰めてほしいだなんて、そんな言い方をする人ではなかったと思うのですが」

「状況が変わりましたから。――いえ、そうですね。私の方から、情報を公開するべきですね」 

「私は、クミンさんの立場が悪くなることを望みません。言わなくていいことまで、口にすることはないのです」

 

 おそらく彼女は、こちらの悪い下心に気づいているのだろう。だから自ら踏み込んでくるのだし、睨みつけるように私を見るのだ。

 ――私は決して、清廉潔白な君子ではないし、女性に対しても常に紳士であるわけではない。

 

「紳士の仮面は、もう取っ払ったんですかね。うわべだけの態度や言葉は、むなしいだけです」

「我が身の不徳を恥じ入るばかりです。――取り繕って、対決から逃げようとした。私の罪ですね、これは」

 

 常に紳士であれたらいいとは思うけれど、一番大事な女性のためならば、いくらでも狡猾になれる。だから、クミン嬢には割を食わせてしまうけれど、どうか許してくれたまえよ。

 正確には、許すしかないような状況に追いやるのだが。責任を取ればセーフだろうと思うから、私はさらに罪深い言葉を重ねた。

 

「シルビア妃殿下は、貴女を必要としなくなった。正確には、私を縛るのに、貴女を使うことをあきらめた。そうですね?」

「……同性を魅了するだけの力がなかったと、そう判断されたらしいですね。詳細まで聞き出せるほど、私はあの方に近くないもので。――無理をするな、これ以上はあえて近づく必要はない、と。そこまで言われたら、私はどうしたらいいんでしょうね。今更負け犬のように、別の男に走ればいいんでしょうか」

 

 クミン嬢の声は沈んでおり、気落ちしている様子が見て取れる。

 しかし、油断するなかれ。彼女はハーレム嬢だったのだ。その上、若くして酸いも甘いもかみ分けた風俗嬢でもある。

 弱気な態度は擬態であると、私は看破する。看破してなお、慰めよう。弱みを見せた女性に対し、不利とわかっても愛情をささやくのが男というものだと。私は、そう信じているから。

 

「貴女にその気があるのなら、私の下で時期を見定めればよろしい。これでも、女性一人を養うだけの甲斐性はあります」

「一人じゃすまないでしょう? 他の女性陣はどうするんです?」

「あいにく、他の女性陣は生活力に長けているもので。私があえて養わずとも、たくましく生きていける女性ばかりなのです。――私が外に女性を囲っていても、訳を話せば納得してくださるでしょう」

「……ああ、そうですか。つまり、私だけが庇護せねばならぬ弱い女性だと、そう言いたいわけですか」

 

 否定はできなかった。それでも何かを言わねばならぬと思いつつも、口ごもってとっさに答えを返せなかった。

 否定するのは簡単だけど、説得力が伴うかは別問題。そして、私は説得力を伴う言葉を使うほど、彼女に対して労力を割くべきではないと思ったから。

 

「――否定するなり、肯定するなり、何でもいいですから答えてくださいよ」

「私にできることなら、します。転職がしたいなら、伝手をたどって用意しましょう。気晴らしに付き合ってほしいなら、相手になります。――それ以上を求めるなら、まず、貴女の口から本音が聞きたい」

 

 私に、悪いことをしているという自覚はなかった。悪いことを口にしていると自覚してしまえば、彼女のペースに飲み込まれてしまう。

 たとえ虚勢であったとしても、私はクミン嬢の前では強くあらねばならない。隣にいる、これからの人生を共に歩む、教官のためにも。

 

「……助けてください。これでいいですか?」

 

 明確にどう助けてほしいのか、そこまで言わないあたり、やはりクミン嬢は狡猾だった。

 私の性格的に、こう言われたら手は抜けない。それならそれで、こちらのしたいようにするだけだがね。

 

「では、私が助けたいように助けます。――とりあえず、貴女の立場の保証からですね。シルビア妃殿下に、私から手紙を出しましょう」

 

 他の女性陣と、貴女は明確に立場が違う。だから、貴女は私の庇護が必要な、弱い存在であってほしい。

 言葉を飾らずに言うなら、私の家では己の身をわきまえて行動してほしいのだ。そうでなくては、示しがつかない。

 

「私が自ずから記し、伝えるのです。この意味を、よく理解していただきたい」

「政治的なモノですか、それ? だとしたら、もっと直接的に言ってほしいんですが」

「教官、メイル隊長、ザラ。三人とも私にとっては対等に愛すべき方々ですが、貴女は違う。貴女は、私が庇護すべき存在です。――庇護することで、お互いに利益がある。そうすることに意義を見出している間は、いい関係でいましょう、と。私が言いたいのは、そういうことですよ」

 

 これからの私の発言は、全て貴女のためでもあるが、それ以上に教官らとの差異を理解してもらうためでもあるのだと――。そう考えて、捉えてほしかった。

 クミン嬢は聡い人だから、私のが言いたいことも理解したのだろう。とりあえずは納得し、受け入れてくれた。

 

「わかりました! それで、手紙の内容については、どのような?」

「クミン嬢は私のお気に入りなので、本人が嫌だというまで傍に侍らせます、と。大っぴらに知らせたくないことがあれば、必ず彼女を通して知らせてください――とまで言えば、あの方もこちらの意図を理解してくださるでしょう」

 

 そちらで設定した紐帯を、そちらの都合で切り捨てるんじゃないよ、と伝える訳ですね。

 これで私の首には妃殿下の紐がつけられたまま、あの方の派閥に組み入れられることにもなるんだけど。

 クロノワーク内にいる限り、別段それは悪いことじゃないからね。あの方が将来的に生国を切り捨てるというなら、また話は別だけど、おそらくそんな日は来ないわけだから。

 

「それで、私の何が助かるんですか?」

「貴女は私の近くにいることで、給金は据え置きか、少しくらいは上げられるかもしれません。――もちろん、貴女が望むのなら、私など放って男を作ってくれていいし、他にも行き場があるなら離れてくれて構いませんが」

「十分な貯蓄ができたあたりで、私には穏便に引退する道もある、と。……モリーさんなりの好意だと思えば、破格の待遇といっていいのでしょうね」

「ご不満ですか、クミンさん」

「ケチを付けるほうが馬鹿でしょう。不満を口に出すような愚行は犯しません」

 

 感情の処理については、流石にまだ踏み込む段階ではないと思う。クミン嬢に道を示すことができた、というだけで今は満足しよう。

 ……彼女は、私という地獄から、抜け出す余地がまだ残されている。だったら、最後までその道を残してあげることが、私のやるべきことだった。

 

「お互いの格付けが済んだところで、いいかな」

「はい、教官。どうぞ」

「メイルとザラも呼んで、これからの話し合いをする場を作りたい。今すぐでなくていいから、都合のいい環境を整える必要がある」

「……そうですね。私も、まとめて背負う覚悟を決めねばなりません。心の準備などと言っていたら、いつまでも話が進まないこともわかります」

 

 だから、そろって休暇をとれる日を見繕わねばならないわけだね。その辺りは、まず帰宅してからザラと話し合って、それからメイルさんにも話を通すことになるか。

 

「のけ者にされたくありませんから、私も参加させてくださいよ」

「クミンさんに、その気があるならば。もちろん、認めましょう」

「お前くらい図太いやつがいた方が、話が早くなるかもしれん。私もいいぞ。――女どもの間で、序列を作っておくのは必要なことだからな」

 

 なんか大奥みたいなことを言い出した教官だけど、私はそこまで深く考えられなかった。

 思考放棄は問題の先送りのような気もするが、どうにも実際の現場に出なければ、頭が働かない。

 

「序列? ああ、確かに大事ですね。私は一番寵愛を受けている相手に媚びればいいわけですから」

「自分が一番になれないと思っている時点で、知れているぞ。モリーにも媚びてやれ。尻に敷かれる旦那を支えてやらずに、愛人を名乗れると思うなよ」

「……教官、ちょっと。愛人呼ばわりは流石に、どうかと」

「ここで取り繕って、どうする。クミンの奴は覚悟してここにいるはずだ、そうだな?」

「ええ、まあ。それはそれとして、当面は側室として認知してくれるなら、それが一番いいんですがね」

 

 女性関係がこじれにこじれるのは、やはり童貞なのが悪いのか、なんて他愛のないことを思う。……それをいつまで維持できるのか、そこまで考えると、やはり複雑な感情を自覚せずにはいられないのでした――。

 

 




 というわけで次回。ついにモリーが観念するお話になります。
 あるいは、色々な意味で彼女が分からされるお話になるかもしれません。
 まだまだ描写すべき部分はあるのですが、ともあれ全員と結ばれた辺りで、一旦物語に一区切りをつけることになるでしょうか。

 どこまで書き続けるべきかは、まだ結論が出せていませんが、どうか今しばらく、見守ってやってください。



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墓場に入るタイミングは何時が適切だろうってお話


 ここまで見守ってくださっている読者の方々には、本当に感謝しています。
 こんな冗長な物語に目を通してくださっていること、筆者としてありがたく思います。

 一つの結末は、もう、すぐにたどり着けるでしょう。夏か秋には、そこまで進められたらと思います。
 どうか、今しばらくお付き合いのほど、よろしくお願いします。



 

 状況が目まぐるしく変化している中、私は帰国してからもザラの家でのほほんと暮らしていた。正確には、状況が暮らすことを許してくれた、と表現すべきだが。

 

 ――限界までため込んでから、爆発させる。そうした勢いがなければ、彼女は踏ん切りをつけられない。自己申告を信じるなら、そういうことになる。だから、私は普通に日常生活で彼女らと接したし、仕事の上でも決して関係を崩さなかった。

 

 全員がそろうタイミングがつかめない、という事情も、一時の停滞を助長する要素になった。

 以前ほどではないにしろ、結構な量の仕事が舞い込んできたから、そちらがひと段落するまでは時間が稼げよう。

 交易関係の土木工事が、いまやクロノワーク騎士団の主要業務になっているのだから驚きである。

 とはいえ、日帰りで済む範囲はすでに終わらせており、首都近郊の交通の便は以前とは比較にならないほど改善した。

 治安の回復も相まって、予算が許すならば、これを国中に行き届かせるのに半年とかからないだろう。結構な突貫工事になるが、可能とするだけの能力と人員が、クロノワークにはあった。

 大事業と言って差し支えないが、必要なことであると誰もが理解していた。ゼニアルゼの援助もあり、実入りが良いものだから、臨時収入と考えれば悪くない展開でもある。

 

 私はといえば、外回りの仕事が多かった反動で、内勤ばかりを任される毎日だった。オサナ王子の教育に割り振る時間が増えたのは、ありがたくもあり、難しくもあった。

 とはいえ、余裕ができたのは確かなので、思い出したように翻訳の仕事を続けたりもしている。……ミンロンにこちらから連絡してもいいくらいには、訳した文章もたまってきていた。

 今日も今日とて、仕事終わりに帰宅して、早々に夕食を済ませると机に向かって作業をしていたのだから相当である。

 

 商君書とか孫子とか、それっぽいのは、だいたい訳し終わってるから一度見せておきたいんだよなぁ。見直しと校正の作業もあるので、製本はまだまだ先の話になるが――。

 本当に、商売になるのだろうかと私は懐疑的だった。その辺り、会ったら再度話をしなければなるまい。うまくいったら、引退後の進路として考えてもいいのだが。

 

「いけませんね、どうも」

 

 今考えるべきは、そんなことではない。そもそも、翻訳作業などしている場合ではない。

 ザラを筆頭として、メイルさん、クッコ・ローセ教官、そしてクミン嬢。彼女たちに対する責任の取り方を、本格的に考えねばならないはずだ。今私に与えられている時間は、そのためのものであると、言い切ってもいいくらいだというのに。

 なのに、暇さえあれば書物に向かって逃げている。これでは、婚儀を挙げても尻に敷かれるばかりだろう。それはそれで幸せな気がしないでもないが、元男として、彼女たちを守れるくらいには強くなりたいと思う。

 

「結婚は人生の墓場というし、一緒に入る人たちのことを考えると、どうしても深刻に悩んでしまうので。……頭の中が取っ散らかってしまうから、翻訳作業は息抜きとしていいんですよねぇ」

 

 問題は、息抜きが過ぎて本題に取り掛かれないこと。まさに本末転倒なんだけど、私としては本当に悩ましいことばかりで。

 ……式場とか、儀礼的な準備であるとか、そういう部分は彼女たちに任せきってもいいかもしれない。ただし、それには私自身の覚悟というか、本心からの納得が必要になるんだ。

 私が婚姻届けにサインする日が来るなんて、本当に来るとは思わなかった。しかも相手が複数で、それが現実として許される日が来るとか、前世の私が聞いたら鼻で笑うレベルでありえない話だと思う。

 だからこそ――現実離れした今の現状に、どう対応すべきか、なお揺れ続けてしまっているわけだ。

 拒否など考えられない状況ではあるけれど、受け止めることに躊躇いを感じ続けているのが本音でもあった。人一人を幸福にすることさえ、大仕事であるというのに。私には相手が四人もいるのだ。生半可な決意で、受け止められることではあるまい。

 それでも、男なら腹を決めろよ! と叱咤する自分がいる一方で、私でいいのかよ! と疑問を抱いて後ろめたく考える自分もいる。

 心は決めたはずだ。なのに迷いが生まれるのは、私の心の弱さゆえか。弱さであるなら、いかにして補えばいいのか。結論は一つしかありえないのに、言葉にすることすら私には難しい。

 

「……堂々巡りでは意味がない。迷いは不毛、覚悟を決めたのなら、どこまでも忠実であるべき、ですね。それが、いかに難度の高い課題であろうとも。夫たるべき私には、怯むことすら許されないのだから」

 

 とはいえ、一念発起して解決するほど現実は単純じゃない。私が彼女たちを受け止めて、共に生きる。そうして、皆で幸せになる。最終的な目的を言うなら、それがすべてだ。

 そして、私が愛すべき彼女たちは強者揃いであり、こちらが心配する方が失礼だと思うほどたくましいのである。……なんだか考えれば考えるほど、問題は私の方にあるんじゃないかって思ってしまうね。

 

「なんだかんだ言いつつ、結局は私自身の問題に帰結する。そういうこと、ですか」

 

 漢文が敷き詰められた書物から目を離し、翻訳の手も止めて、唐突に呟いてみる。これは要するに、私だけの問題なんだと理解する。

 皆が私を愛してくれるなら、その愛に殉ずるのが男というものではないのか。愛されておきながら、これに応えない方が不誠実というものではないのか。

 たとえ実にならぬ恋でも、祝福されぬ婚礼であっても、お互いが望む結果であるなら、抱き止めるのが筋であろう。

 

「忠を尽くすのは、祖国に対してだけ、だと思っていたんですけどね。――愛されたなら、愛に殉じねばならぬ。彼女たちにも忠を尽くすのが、男としての私の役目でしょう」

 

 私が彼女たちと出会えたのは、クロノワークに生まれたから。そこの王家につかえる騎士になれたのは、私にその能力があったからだと言える。

 さかのぼるなら、その能力を得られたのは家庭環境に恵まれたから。その環境を用意できたのは、両親の努力もあるがクロノワークという国家の枠組みに組み込まれていたからでもある。そうでなければ、前世の記憶があっても騎士となれたかどうかは微妙だったと思う。

 

 そして騎士として生きられたから、私は敬愛し、また尊崇する女性たちと付き合えて、こうして覚悟を決める段階まで来られたのだ。

 ここまでくれば、祖国に対する忠心は、もって当然であろう。なおも考えるならば、そうした素晴らしい人たちと結ばれることを、単純に幸福を感じていいはずだ。

 彼女らは、すでに覚悟が決まっているのだと考えれば。それだけで、こちらの情けなさを思い知らされる。

 

「――案ずるより産むが易し、とは言いますが、さて」

 

 口にしてみても、軽い言葉だと思う。軽いがゆえに、心に響かない。やはり、一人で悩んでいるとろくな考えが浮かんでこない。自分だけの問題ではないのだから、相手も交えて話し合うべきなのだろう。

 これ以上は不毛なだけだと思って、机の上を片付け、ベッドに寝っ転がる。明日も仕事があるのだから、なるべく早く休むべきだとわかってはいるのだが、どこか落ち着かず、眠る気になれなかった。

 以前とは比較にならぬほど、書類仕事が減ってきているし、残業もせずに済む体制が整っている。極端な話、一睡もできなかったとしても、仕事に支障はきたさぬだろうとも思うのだが。

 だからといって、体調を万全に整える努力を怠ってよいわけがない。どうにかして休もうと、ごろごろベッドの上で悶えていたところで、部屋のドアがノックされる。

 

「どうぞ」

「……疲れているところ、悪いな」

「いえいえ、貴女を前にして、閉ざす扉を私は持っていません。話があるのなら、付き合いますよ」

 

 入ってくる相手は分かっていた。私はザラの家にすまわせてもらっているのだから、家主が訪ねてきたのなら、快く迎え入れるのが筋だった。

 最近は忙しいが、彼女と私が所属している特殊部隊はマシな方だ。早々に土木工事を終わらせて、治安維持の方に回っているからね。ザラはそれでも外回りが多いが、休みの日もそこそこある。

 メイルさん達の護衛部隊は、暇が多くなった分、余計に土木工事を押し付けられているらしい。もっとも、仕事が多い分稼ぎも多くなるのだから、この辺りは痛し痒しといったところか。

 

「察するに、悩んでいるか」

「……悩みなしとは、流石に言えない身の上でして。女々しいと言われれば、それまでなのですが」

「私たちのせいかな、それは」

「いえ! むしろ、問題は私の方にあります――なんて。貴女には、聞き飽きた言葉でしょうけれど」

 

 繰り言のように、言いたいことだけを言って終わりには出来ない。私なりに、何か建設的な話がしたかったのだが、いざ口を開こうとすると、どうにも難しい。

 

「いいじゃないか。女々しくたって、ふがいなくたって。最初から百点満点の夫婦なんて、どこにもいないと思うぞ」

「そこはそれ、男子の面子というものがございまして」

 

 精神的には、今でも男のつもりだった。立ち振る舞いも、男性騎士のそれを意識している。それが滑稽に見えたとしても、今更変えられぬのが私という人間である。

 

「女の癖に何を言ってるんだ。……お前の心が男っぽいことは、なんとなく理解してはいたがね。現実を受け入れるのが、大人ってもんだぞ」

 

 現実を理解して受け入れつつも、それでも反抗するのが男の子です。口にして主張するほど、こじらせているつもりはないけれどね。まったくもって、精神と肉体の乖離ばかりは、如何ともしがたい。

 

「言い訳をさせていただきたいのですが」

「いいぞ。思うがままに宣って見せろよ」

「……私、元々男だったんだって言ったら笑います? 本当は男として生まれるはずだったのが、何かの間違いで女性になってしまったというのは、どうでしょう?」

「そう思ったり願ったりするのは自由だ。――それはそれとして、やっぱり現実を見ろよと言いたくなるが」

「そっくりそのまま、お返ししますよ。女同士の結婚は、貴女方に大きな負担を強いてしまうと思います。……私は、嬉しいし、それだけで幸せです。でも、皆がそうだとは限らない。違いますか?」

 

 私がそう聞くと、ザラは即答しなかった。それだけで察せようというものだが、早合点するなとばかりに彼女は言った。

 

「なあ、そう否定ばかりせず、私の主張を聞いてみないか?」

「――はい。話したいことがあるなら、聞きましょう」

「ならば言うが、お前に恋した連中は、私も含めて我が身の不幸を嘆いたりなんかしないぞ。むしろ、お前に出会えてよかったと思っている。むしろお前がいたからこそ、こんなに幸福を感じられるんだと、明確に自覚しているくらいだ」

 

 彼女の言葉をそのままに。ありのままに信じることができるなら、どれだけ幸福かと思う。

 それでもなお疑ってしまうあたり、私の精神は悲観的に作られているらしい。後ろ向きの思考は誰も幸せにしないから、ほどほどにした方がいいとはわかっているんだけどね。

 わかっていてなお直せないからこそ、人というものは感情に支配されているんだなぁって、いやというほど自覚してしまうよ。

 

「私は、それほどのことを、貴女方にしてあげられているのでしょうか。皆を幸福にできるだけの甲斐性を、持ち合わせている自信など、欠片もないというのに」

「お前のそれは、もう性癖を通り越して習性に近いのかな。――好きな人には近づきたがるのに、いざ近づいてこられると気後れする。敵に対する勇猛さと比べれば、まるで別人のようにも見えるぞ」

「私は、私です。……それは変わりません」

「知ってる。――本当だぞ、モリー。お前の女の中では、私が一番付き合いが長い」

 

 そう言って、ザラは私の隣にまでやってくる。視線を外したり、顔をまともに見れなかったりするのは、どうか許してください。

 代わりに手を差し出すと、彼女は優しく握ってくれた。これだから、私は幸福を感じつつも、申し訳なく思うのだ。楽しんでいるのは、自分だけなんじゃないかと、後ろめたくなってしまうから。

 頭の中がごちゃごちゃしているうちに、ザラが身体を密着させに来ると、思わず体が硬直した。――それは確かに、戦場であればありえない反応だった。

 

「弱さも、強さも、この目で見ている。……お前の弱さは見えにくいから、クミンとかミンロンとかは理解すら及んでないだろう」

「あの二人の前では、意識して強くふるまっているつもりです。――これからは弱みを見せるとしても、何かしらの意図を持たせねばなりません。油断できない相手という意味では、確かに二人は同類とも言えますが……」

 

 付き合いのある商人と、シルビア王妃からの紐帯を同列に語るのは、何か違うんじゃないでしょうか。貴女はさらに特別だから、やっぱり比べるべきではないんだよ。

 

「ま、今はそっちはいいだろ。どうせ向き合う頃には、勝負がついているんだ」

「――え?」

 

 強引に顔を向けさせられて、顔があったところで、私とザラのが接触する。

 柔らかい、と認識するところで、彼女が言った。自らの鼓動がやかましくて、聞き取ることさえギリギリだった。

 

「癖になりそうだよ。――私も、変わったもんだ。こう言う手は、好みじゃなかったはずなんだが」

 

 想い人の方から身体で迫られると、どうしても拒めないのは私の弱点だ。ザラでなければ、まだ冷静に相手にできたんだろうけれど――。

 

「……こんなはずじゃなかったことばかり、ですよ。世の中は」

 

 私にできたのは、微妙な返答を返すことだけだった。シーツの中に追いやられても、私は押し返すことすらできない。力が抜けていて、反抗など思いもよらない。そうした状態に、私はある。

 

「力技で押し通すのは、お互いに問題を先送りにするばかりだって、わかってるんだがな。――お前のせいだぞ? モリー、お前は本当にひどいやつだ。他の女には容易く飴をやるのに、私にはわかりやすく甘えてくれないんだから」

 

 ザラはその優しい手で、私を包み込むように抱いてくれた。私は身を任せて、彼女の目を見つめ続ける。

 彼女が何を望んでいるか、私が返すべき反応とはなんであるのか。はっきりしないまま、つたない言葉だけを続けた。

 

「甘えてないだなんて。そんな、はずは……」

「色々と自覚が足りてない。だから、わからせてやるのが一番早い、というわけだ。私を恨んでくれていいぞ」

 

 私の服に、ザラの手がかかる。拒絶すべきか、と思った。まだ早い、とも。

 ……それでも、先延ばしにして彼女を傷つけることの方が、私には怖かった。だから、やっぱり私は抵抗ができないままで。

 

「――ばか。私の思うが儘にさせて、抵抗しないでいると、本当にどうにかなってしまうぞ」

「ザラ。貴女には、泣いてほしくないんです。貴女が泣いてしまうと、私はどうしたらいいかわからなくなるから」

「だからって、私の欲望を拒絶せず、なし崩しに犯されてどうする?」

「いやでは、ないんです。むしろ嬉しいくらいで、申し訳なく思うほどに。……貴女の手を拒む理由があるとしたら、それは私の方にあって。貴女の人生を背負う重みに、震えているというだけで」

 

 身体を提供するくらいは、貴女の正当な権利と思う。心も体も、犯される対象が貴女ならば、私は幸福に思うべきなんだ。

 それくらい、私は貴女たちの想いを弄んだのだから――だなんて。そんなことをつぶやいてしまったからか、ザラは悲しそうに目を伏せてしまった。

 

「弄ぶって、なんだよ」

「うぬぼれでないのなら、貴女がたに愛されたこと。愛したこと。そして、そんな皆の声に充分に応えないままに、怠惰な日々に流されていること、ですね。……皆がそろってから。決意表明をしてから、なんて。区切りをつける時期を見計らう辺り、私はずるい男なんだって思います」

「そんなもの、弄ぶうちに入るか。誰だって戸惑うことはあるだろう。後悔するまい、失敗するまいと思って、慎重にもなるさ。この手の臆病さは、非難されるべきことじゃない。――私は、モリーの負担にはなりたくないんだ」

 

 負担になりたくないと言いながら、私の体に縋り付くザラの姿は、何と言ったらいいのだろう。

 私は、貴女からかけられる負担なら、受け入れたいと思うのに。貴女に負担をかけたくないからこそ、悩んでいるというのに。

 

「支離滅裂、ですね。体も心もチグハグで、論理的な思考さえ難しい」

「お互いにな」

「ええ、ええ。それがまた、愛おしくもありますよ、ザラ」

「悪いやつだ。お前は、本当に、悪いやつだ、な」

 

 私はその日、ザラを抱いて眠ることになった。結局、彼女は私を犯すことはなかった。ここまでされてしまったら、愛されているのだという自覚を、強く覚えずにはいられない。

 一線は越えないままに、ただお互いを触れ合わせたまま、私とザラはお互いを感じながら眠りに落ちる。

 この幸福を共有してくれたのなら、これ以上のことはない――なんて思いつつ。決断の日が来るのは、もう遠くないのだと改めて自覚したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日が来たら、たぶん流れに乗って、なし崩し的に責任を取ることになるんだろう、なんて考えていました。

 それが嫌なわけではないことは、私は強く主張したいし、彼女らもわかってくれると思う。

 ただし、諸々の覚悟を自分の中で留めておくのではなく、きちんと表明して理解を得ねばならない。

 これが私にとっては、一番の難題であって――まさにそれゆえに、話をここまでこじれさせた原因であったともいえる。

 

 会場は、当然のようにザラの自宅になる。私が同居している時点で、他に選択肢はなかったとも言えるのだが――。

 一定の広さと秘匿性を兼ね備えた場所となると、どうしても限られる。時間を気にせず話し合えるという点も、なおさら都合がよかった。

 

 ザラだけではなく、他の女性たちに対しても、私は自ら呼びかけ、日程の調整を行った。

 中心にいるのは、私だという自覚は確かにあった。だから、ここは形だけでも、自ら主導する姿勢を見せることが必要であると思ったんだ。

 全員の都合がつき、いざその日を迎えたときに。私は、私なりに彼女たちを歓迎して、自らの思案したところの全てを、思うが儘に主張せねばならないのだ。

 

「全員揃ってくれたところで、まずは感謝を。私のために、今日この日に集まってくださった貴女がたに対して、私に何が返せるのか。――ここしばらくは、そればかりを考えていました」

 

 ザラがいる。メイルさんも、教官も。これにクミン嬢を入れて、四人。私が責任を取るべき相手は、これで全てだった。

 

「結論を求めても良い頃合いだ。モリー、改めて聞かせてもらおう。……お前の答えは?」

 

 代表として、最初に発言したのはザラだった。私はあらかじめ心しておいた言葉を、素直に口に出そうと思う。

 

「私は、それが許されるなら、愛したい人を、思うが儘に愛したいと思います。――望まれるなら、伴侶として人生を共に生きたいとも」

「それは、全員に対してか?」

 

 ザラの目が、鋭さを増している。半端な返答では済まさぬと、その表情は語っていた。

 だから私も、本音で応えたいと思う。 

 

「はい。私は皆に対して、責任を取りたい。合意が得られるなら、重婚という形になりますが、そうすることを許していただきたいのです」

 

 何をいまさら、と思われても、改めて言葉にすることが大事なんだと信ずる。

 ザラは何も言わなかった。ただ頷くだけで、私の言葉を容認する。そして、彼女の次に発言したのは、意外にもクミン嬢だった。

 

「もちろん許しますとも。私はもとより、シルビア王妃も可能な限りの支援を行うとの確約をいただきました。――クロノワークで婚礼が難しそうなら、ゼニアルゼで式場を用意する、と。書面はこちらに」

 

 そう言って、クミン嬢は持参した書類を広げる。私が確認したところ、不審な部分は見受けられない。

 全員で回し読みして確認したが、誰もケチを付けなかった辺り、法的にも問題はないらしい。この中ではもっともシルビア王妃に近しいメイルさんも、これには太鼓判を押した。

 

「確かに、シルビア様の筆跡ね。あの方がモリーを気にかけているのは知ってたけど、本当にここまで協力してくれるなんて。……見返りは、何かしら。安易に頼るのは、怖い気もするわね」

「いや、これは前々から約束してくれていた報酬だ。重婚の許可は、明言してもらっている。私もそうだが、ゼニアルゼではかなり融通が利くと思うぞ」

「教官はそうでしょうね。――ん、でもこれは悪いことじゃないかも。クロノワークでも重婚は、地位と財産があるならそこまで目くじらを立てる問題じゃないし」

 

 メイルさんとクッコ・ローセ教官が話し合っている中で、私は私なりに考えてみる。

 形式はどうあれ、書面で確約した事柄は拘束力を持つ。あえて形に残している以上、シルビア王妃は、私が頼れば力を貸してくれるのは間違いない。

 もっとも、いざ頼ったら、後々まで散々いじられそうな気配はある。やはり、安易な判断はしたくないところだ。

 

「私が言うのもなんですが、あんまり深く考える必要はありませんよ。式場まで用意するのは、シルビア王妃からのご厚意なのですから。別段、見返りを求めてのことではないとの言葉も賜っております」

「……あ、そう。貴女はご厚意というけれど、書面のどこを探しても『厚意』とか『無償』なんて言葉がなかったのは確かなのよ。――モリー、真に受けたら駄目だからね。あの方のことだから、あの手この手で投資した分を回収しに来ると思うから」

 

 メイルさんは疑いをもって、そこまで言い切った。付き合いの長い彼女が言うのだから、私もこれを信じよう。

 もとより、シルビア王妃は強く狡猾な指導者だ。書面に記されてない部分まで、律儀に守るとは考えない方がよかろう。

 

「――と、疑われるとわかっていましたので、もう一つ。こちらは書面ではなく口頭ですが」

 

 クミン嬢は、まるで予想していたとばかりに得意顔で言葉を続けた。たぶん穏便に済ませたいんだろうけど、こちらとしては不穏な気配しか感じないから、かえって警戒してしまうんだよ。

 

「クミン、って言ったかしら? 貴女をモリーの嫁に出すことが、シルビア様なりの信頼の証だ――なんて、そんなお目出度いことを言い出すんじゃないでしょうね?」

 

 どの面下げて得意顔してやがるのか、とばかりにメイルさんがクミン嬢をにらみ付けた。口調もいささか攻撃的だが、当人は気にせずに平然と主張して見せる。

 

「惜しいですね。シルビア王妃は、私に『モリーとの生活を最優先して良い』と言いました。……モリーさん。貴女が望むのなら、私は自分の伝手を貴女のためだけに使うつもりです。これをお目出度いというなら、どうか寿いでいただきたいものです。私にしてみれば、これは全面降伏を宣言したに等しいのですから」

 

 クミン嬢は、そういって私の目を正面から見つめてきた。嘘をついているような雰囲気はない。

 

「全面降伏とまで言われますか。私は貴女に対しても責任を感じていますが、人生を背負うほどの借りはないものと思っていましたが」

「ここまで付き合わせておいて、それはないでしょう。……私の人生くらい、軽く背負ってはくれませんか。無理にとは言いません。途中まででいいですから、ね?」

「無理のない範囲で、と言うことなら、まあ。……家の中では、私よりも妻たちのご機嫌を取るように。それをわきまえるなら、とやかくは言いません」

 

 しかし、そうなると――彼女は、シルビア王妃の手から離れようとしているのか。それは少し、危険な考えではないか。

 

「勘違いしないでほしいのですが、これはシルビア王妃も承知のうえで、ということです。あの方は、私をただの連絡役として使う。私は、何事かあれば逐一伝える。――それ以上のことは求めないこと、明言していただきました」

「ああ確かに、これは書面に残せませんね。クミン嬢との関わりを書類にしてしまうと、シルビア王妃とて外聞が悪くなる。風俗の女性たちを通じて、間接的に情報を得ていることを公言するに等しい。……しかし、私との生活を優先、ですか。それが意味するところはつまり――」

「貴女の家庭に入って、他の女性たちともよろしくやってなさい、という意味でしょう? 違いますか、モリーさん」

 

 クミン嬢は、穏やかに笑っていた。己の利用価値が落ちた、なんて悲観している顔ではない。

 彼女は、シルビア王妃の紐帯という役割から、ほぼ解き放たれたといっていい。紐ではなく、鈴のような役割へと変化したと私は受け取った。

 おそらく、それで十分だとあの方は考えたのだろう。その判断は正しい、と私は思った。

 

「私は、誰に対しても不義理を働く気はありませんよ。シルビア王妃にも、もちろん貴女にも」

「モリーさんの言葉には、重みがありますね。一度口にした以上、貴女は決してそれを破れない。……私を受け止めて、離さないでいてくれますか?」

「クミン嬢が望む限り、私は貴女を抱き止めているでしょう。貴女が望まなくなれば、手を離しましょう。お互い、悲観も楽観も抱けるほどには、付き合いは長くない。……今のところは、これで納得してくださいな」

「いいでしょう。期待以上の返答は、いただけたものと思います。納得についてはまた別の話ですが」

「譲歩できる部分なら、譲れるだけの度量はあるつもりです。要望があるなら、何でも言ってください」

 

 これで、クミン嬢とは納得づくの関係が築けそうだった。私の返答で、彼女の笑みが少しだけ陰り、寂しそうに見えたのは――。何かの見間違いであると、そう思うことにした。

 

「ともあれ、そうですね。……これからはクミン嬢ではなく、クミン、と呼び捨てにしてくれたら、納得します。伴侶に対して、よそよそしい呼び方は不自然ではありませんか」

「はい、クミン。……すいません。これは、私が悪いですね」

「いいですよ、もう。――非礼は、これから埋め合わせていただきますから。とにかく、私からは以上です。思うところはあれど、モリーさんの全てを私は受け入れましょう。他の皆様方は、いかがです?」

 

 クミンは挑発的な笑みに表情を変え、周囲を見やる。私は少し驚いたが、これも彼女なりの政治の手段なのだろう。

 他の三人を刺激しつつ、私の反応を観察している。ここでの反応次第で、取り入るべき相手を見定めようとしているのだ。

 相性の良し悪しを見るには、まず初手でガツンとやらかすのが手っ取り早い。私がフォローに回るとわかっていたから、出来ることであるとも言えた。

 このクミンの不遜に対し、最初に物申したのは当然というべきか、メイルさんだった。

 

「貴女に言われるまでも無く、私も、教官も、ザラだって。モリーの全てを受け入れる覚悟は出来ているのよ。――モリーの伴侶は、貴女だけじゃないんだから」

「わかっています。同意見であるなら、喜ばしいことです。……だったら、私たちは上手くやっていけますよ。モリーは私を受け入れてくれるのですから、あえて排斥するような言動はしないはずですよね?」

 

 むしろ、積極的に受け入れるべき――とまでクミンは言い切った。反論できる余地がないことに、メイルさんも気づいてようで、苦い顔でこれを肯定する。

 

「そうね。……別に、こっちから嫌うべき理由もないことだし、ええ。お互い、上手くやっていこうじゃないの」

「そうしましょう。今後ともよろしくお願いしますね、皆さん」

 

 ここまでの全てが、クミンの自己紹介であったともいえる。それが悪いことだとは私も思わない。

 彼女は私の家庭に入るのだ。騎士身分ではない、曲者らしく見えるクミンの存在は、家の中では良い刺激となってくれるかもしれない。悪い方向に転がる心配なんて、今からするべきことじゃないだろうと私は判断する。

 

「クミンはそれでいいとして、私からもいいか」

「教官、なんでしょう?」

「せっかくだから、その教官呼びもどうにかしたい。クッコ・ローセとフルネームで言うのもなんか違うかな。何かしら愛称でもあればよかったんだが、残念ながらそういう機会もなかったことだし、ううむ」

 

 クッコ・ローセ教官の問題が、ここで持ち上がりました。……いや、私も私で、前々から考えていたことではあるんだけど。

 じゃあ実際、どう呼ぶのが自然であるか。良い考えがあんまり浮かばなかったんで、先延ばしにしていたんだよね。

 

「そうですね。これもまた、私の落ち度でした。……んん、しかし、フルネーム呼びはそこまで悪いものでしょうか?」

「ベッドの上で呼ぶには、いささか語感が悪いかもしれんと、そう思った次第でな。お前が気にしないなら、別段構わないといえばそうではあるが――」

「なら、ちょっと試してみましょうか」

 

 と言っても、今からクッコ・ローセを押し倒すわけではなくて。実際に口調を変えて、声色次第でいい具合に聞こえないか、試せばいいと思うのです。

 

「クッコローセ。クッ、コローセ。――うん、クッコロ……セ」

「おい、ちょっと」

「こう、ですね。――クッコ・ローセ。どうです?」

「もういいよ……それで。でもな、絶対に外ではその口調で呼ぶなよ」

 

 何度か試しているうちに、彼女の方から了解を得られました。やや顔が赤くなってるけど、恥ずかしいですかね。

 私としては、そこまで特別な言い方をしたつもりは……あるけど。それにしても意識しすぎでは?

 

「いや、教官が赤くなるのも無理はないわよ。モリーって、案外良い声を出せるのね。私も、そんな風に呼んでもらおうかしら」

「おい、メイル。これは私の特権だぞ。勝手に奪うな」

「冗談だから怒んないでよ、クッコ・ローセ教官? モリーの家では対等の伴侶同士だから、お互いに遠慮は無しってことで。敬語も省かせてもらっていいでしょ?」

 

 クミンが作り出した流れが、思わぬところに影響を及ぼしている感じがする。

 メイルさんがクッコ・ローセに、ここまで軽い口調で話しかけたことがこれまであっただろうか?

 彼女の主張は、確かに私の家の中に限定するなら、そこまで可笑しな話ではない。だが、これまでの人間関係をリセットするような言い方をするのは、何の意図があってのことか。

 

「お前な、そりゃ理屈の上ではそうだし、悪いわけじゃないが――」

「なら、良いってことで。クッコ・ローセ教官は、私にとっても恩師だけれど。モリーの伴侶という意味では同等だし、むしろライバルに近いのよね。仲良くやっていくつもりではあるけど、競争相手であることに変わりはないわけだし」

 

 モリーの体は一つしかないわけだから、なんてメイルさんは言いました。

 ……そうだね。そして、命のストックも一つ。死ねば今生はお終いだ。この関係も終わって、私は無に帰るか、新しい環境へと生まれ変わることになる。

 改めて考えると、少し怖い。だが、似たような恐怖を彼女らも感じているはずだと思えば、これで対等なんだと思い直す。

 私がそんな風に頭を悩ませている間にも、メイルさんは言葉を続けていた。

 

「まあ、ライバルっていうなら、一番手ごわくなりそうな相手は別にいるんだけど。……ねえ、ザラ。貴女は競争相手が多くても、焦ったりしないのね」

「一番に愛されてる自覚はあるからな。身体だけの関係で終わらせるつもりはないし、日常でも仕事でも、陰に日向に尽くしたり尽くされたりしていければいいと思っているよ。――もちろん、今後一生を通しての話だぞ、これは」

 

 ザラは余裕のある表情で、そういってくれた。私とて感情のある人間であり、皆を平等に愛したい、と考えてはいる。

 しかし、それでも感情というものは理屈ではなくて。あえて一番を選ぶとしたら、確実にザラを選ぶだろうという自覚はあった。そういう意味でも、確かに彼女の言葉は正しい。

 

「いい機会だから、ここらで話しておこうか。――私たちは社会的にはともかく、精神的にはそろってモリーに依存していることを、そろそろ理解した方がいい」

「ザラ、貴女――」

「メイル、お前は特に顕著だな。……仮にモリーに出会っていなかったら、寂しい独身生活に、行き遅れの女独特の面倒くささを拗らせて、どこに行きついたものか。想像すると恐ろしいものがあると思わないか?」

 

 これには流石に、メイルさんも顔をしかめて反論しようとする。しかしどこか歯切れの悪い感じで、強く非難するような言い方にはならなかった。

 

「ほとんど悪口に近い言い方をするのね。――貴女と私の間に、どんな差があるっていうのかしら」

「モリーと出会った時期、直接的な関わりの差かな。……まあ、これは単純に運ともいえるから、あんまり自慢は出来んことだ」

 

 運も実力のうち、なんて安易な解釈はしないのだと、ザラは明言した。

 だからこそ、次に続く言葉を私は注目する。ここからは明確な意図をもって、自らの立場を強化していくのだとわかるから。

 

「とりあえず正妻を気取るつもりはないが、もしモリーの立場で言いにくいことがあるなら、私から話さねばならないこともあるだろう。仕事の上でも、家の中のことでもな」

「ザラ。それはつまり――」

「モリー、今は私に語らせてほしい」

 

 私が言いかけたところで、ザラはこれを押しとどめるように、とっさに言葉を割り込ませた。

 

「何も明確な序列を作ろうって話じゃない。それはモリーも望むまい。そうだな?」

「……はい、それはそうです。家の中でマウントの取り合いをされるというのは、夫の立場では結構辛いものがあると思いますから。クッコ・ローセは教官としての立場もあるから、上下関係に厳しくなりがちなんでしょうけれども。伴侶の中で序列なんて――ないほうがいいのは間違いないんです」

 

 ザラの気持ちを、自分はどこまで理解できているのだろう。彼女は彼女なりに、私を中心とする家をまとめようと考えているはずだ。

 しかし、話題にするには早すぎる気もする。この時点で話を進めようとしているのは、それが主導権を握るために必要だからか。

 

「明文化しないから、良いこともある。かっちり枠組みを決めてしまうと、柔軟性がなくなって、解釈の自由がなくなってしまうからな。……戦場で柔軟性を失ったら、仕掛けるにも守るにも不利となろう。その辺り、皆も理解してくれるはずだ」

「――それで結局、何が言いたいのかしら。私には、ザラが早速正妻の権力を握りに来たように見えるけれど」

 

 メイルさんの疑問も当然だった。クッコ・ローセもクミンも、表情に動きはないが、観察の目は厳しく光らせている。ザラの意図について、誰もが興味を示していた。

 

「お前らに危機感を与えようかと思ってな。メイルは自覚がないらしいが、先の教官への態度こそ、私には宣戦布告に聞こえた。……教官は年の差もあるから、あえて出しゃばることはするまいが、モリーが一番尊敬している相手でもある。お互いを競争相手として見るより、対等の身内としてやっていくことを考えるほうが、よっぽど建設的だぞ」

 

 私が直接口を出すより、ザラの方から注意を喚起した方が、有効なこともある。有言実行というべきで、私は黙って容認するほかなかった。

 

「貴女が言うの? それ。立場的には、夫になるモリーが言うべきことよね」

「あいつは仕事なら何でも卒なくこなすが、自分の女に厳しいことが言える奴じゃない。ちょっとしたことでも大きなことでも、馬鹿正直に受け止めるだけに終わるだろう。……私たちは、それに甘えるべきじゃないんだ。伴侶なら、そうあるべきだ」

 

 ザラの言葉は、いちいちもっともだと思ってしまった。それだけ、私に夫としての力がないことも痛感する。

 仮に彼女らが諍いを起こしたとしたら、私は我が身を犠牲にすること以外に、できることはあるまい。相手を咎めることすら、覚束ないはずだ。

 それが誰にとっても幸福につながらないとわかっていながらも、厳しい態度は絶対に取れないのだと、ザラは知ってくれている。その事実が、本当に頼もしかった。

 

「ちょっといいか、ザラ」

「なんでしょう、クッコ・ローセ教官」

「敬語を崩さないのは、お前らしいって言った方がいいのか。――ま、なんだ。私は気にしてない。メイルの態度は、相応に理があると思ってる。だから、お前もそう気張りすぎるなよ」

 

 長い付き合いになるんだから、今から気にしすぎると禿げるぞ――だなんて、クッコ・ローセは軽口を飛ばして見せた。

 今この場で、そうできる気概を持っている人がいる。その事実、私はただひたすらに感謝した。ザラもクッコ・ローセも、メイルやクミンだって、私には過ぎたる伴侶であると、はっきりわかんだね。

 

「クッコ・ローセ、貴女に感謝を。……本当は、私がザラに言うべきことでした。彼女にも、貴女にも、私はずっと甘えっぱなしで、申し訳ないくらいです」

「いい、いい。それこそ好きなだけ甘えろって話だ。甘えてもらった方が、こっちとしては嬉しいしな。ザラもまんざらではあるまいし、今後を考えれば一方的な奉仕ってわけでもない。互いに支えあってこそ、夫婦というもんだ。そうだろ?」

「まさに。至言というべきです」

 

 クッコ・ローセに敬意を抱いて、信頼するのは故あってのこと。メイルさんもクミンも、この場にいる女性たちは、そろって現実主義で夢想や空想に耽溺する性質ではない。

 ただ、それでもお互いに感情的になることもあれば、嫌なことから目をそらして、都合のいい事実にすがりたくなることも――ないとは言えないだろう。

 そういう時に、無理なく諭すことで現実に立ち返らせる技能を持つのは、彼女を置いて他にはない。

 ザラは少し、厳しさにすぎるところがあるからね。それもまた優しさなんだけど、うまい具合にクッコ・ローセが補助してくれるなら、私は家の中で不安を感じることはなくなる。実際、足を向けて寝れませんよ、ええ。

 

「ということで、メイル。お前のやらかしは、やらかしじゃなくなったわけだ。むしろ、良い具合に呼び水になったとすら言える。よもやと思うが、計算してやったことか?」

「そんなわけないでしょう? その場のノリの発言で、別に本気で言ったわけじゃありませんよ、教官」

「だろうな。だが、そうやって肝心な場所で必要なことを言い、結果を出すのがお前の良い所だよ。――さて。翻って、お前さんはどうかな? クミン嬢」

 

 ここでクッコ・ローセの口撃の対象がクミンへと移る。

 もちろん、これは悪い意味での口撃じゃない。ここで何かしらの発言を引き出すことで、内輪の枠に引き入れる。

 そうした手順を踏むことで、連帯感を持たせたいという意思が、私には感じられた。

 そしてクミンもまた、そうした機微を理解できぬほど、愚かでも鈍感でもなかったというわけだ。

 

「私に何かが言えるのですかね、教官殿」

 

 値踏みするような視線で、クミンがクッコ・ローセを見やる。それに気づきながらも、彼女は遠慮なく踏み込むように言った。

 

「殿はいらんぞ、クミン嬢。お前さんがクッコ・ローセと呼んでくれるなら、こちらも嬢を抜いて呼んでやれるんだがな」

「なるほど、まったく! ――誰も彼もが曲者揃いで、私としては頭が痛いですよ。出し抜くことを考えるより、おもねる方がよっぽど楽ですね、これでは」

「最初からおもねるつもりだろうに、白々しいことだ。まあ、それくらい曲者の方が、私もやりやすい。馬鹿を相手にするよりは、対等の知能を持った人間と話す方が楽だからな」

 

 クッコ・ローセが、クミンを対等の相手と認めた。それを、この場で公言して見せたという事実は重要だ。

 これで、ザラもメイルさんも彼女を見下せない。無下に扱えば、クッコ・ローセの面子を潰すことになってしまうから。……私には過ぎたる女性であると、本心から思う。

 いや、そんな言い方をするなら、四人とも私には過ぎた妻たちだと言えるわけで。こんな風に評すること自体、僭越なんだって思うべきなんだ。くどいように感じても、この点はいくら強調したって足りないくらいだと実感する。

 

「それで、クッコ・ローセ教官。私に何か言いたいことでも? わざわざ指名するからには、よほどのことなんでしょうね?」

「クミンは、こうして見ればモリーの好みからはやや外れた印象を受けるな。ちと若すぎる感があるし、都会的で垢抜けた美人に見える。知っているだろうが、こいつはやや熟女好みの部分はあってな。――ぶっちゃけ、シルビア王女。今は王妃だが、とにかくあの人の関係でなければ、そもそも出会う機会さえなかったんじゃないか?」

 

 クッコ・ローセ教官、とあえて言いたくなるような場面だった。人に教え聞かせる雰囲気を作り上げる才について、彼女は一等優れている。

 あの歴戦のハーレム嬢たるクミンが、大人しく耳を傾けている。傾聴の姿勢を作らせるのは、案外難しいんだ。

 曲者であればあるほど、聞いているフリをするのが上手いものだからね。この事実だけでも、あの人の才覚を示すには十分だろう。

 

「不毛な議論はそろそろ打ち切って、結論を早々に出すべきだと思います。私の本音を語るなら、モリーさんの本音をさっさと語らせてお開きにして、なし崩し的に式を挙げるべきだと思いますよ」

「それも有益な手段の一つだろうがね。あいにくと、この世のしがらみは複雑に過ぎる。単純一途ですべてが解決するなら、誰も苦労はせんよ」

「苦労しすぎて、いい年して独り身でいる人は言うことが違いますね。含蓄のある言葉、ありがとうございます」

「それほどでもないさ。毛を逆立てた猫を愛でるのは、これでなかなか趣があるものだ。……育ちがよければよいほど、調教する甲斐がある。教官としての腕の振るいようがあると思えば、やっぱりお前さんは有用だよ」

 

 女同士の喧嘩って、ひたすら陰湿になるか、おおっぴらに殴り合うかのどちらかなんですかね?

 男としては、ちょっと怖すぎて口をはさめないです。――クッコ・ローセの教官としての手腕を信じて、ここは任せるしかない。

 いや本当、夫の立場って家庭内では弱いもんですね。現状、これはこれでご褒美ってなもんですが、私の特殊性癖に付き合わせるのもアレなんで、早々に結論だけでも出してほしいとは思います。

 

「調教? そういうのは、モリーさんの好みではないと思いますが」

「言葉の綾だよ。本気で言ってるわけじゃない。……どうした? ちょっとした冗談じゃないか。余裕をもって、受け流して見せろよ。それとも、真面目に受け止めねばならないほど、追い詰められていたりするのかい?」

「……モリーさん、こんな性悪に惚れることないですよ。私で手を打ちませんか」

 

 クッコ・ローセから視線をそらし、クミンは私を見た。助けを求めている風でもあるが、半分は冗談だろう。それがわかっているから、ここは黙って成り行きを見守る。

 

「おっと。これは弄りすぎたかな。私も弱者をなぶる趣味はない。お前のことは私からモリーに取りなしてやるから、安心して無礼を働くがいいさ」

「モリーさん、助けてほしいんですが。この場の皆、私をいじめにくるんです」

 

 クミンの言葉に真剣さはないが、助けてほしいのは確かだろう。夫として見栄を張りたい身の上であるから、助け船くらいは出してやりたい。

 

「私なりのやり方で、お助けしますよ。――クッコ・ローセ。クミンは武門の家に慣れていないのです。今少し、猶予を与えても良いでしょう。クロノワークのノリについていくには、まだ慣らしの時間が必要であると、私は思います」

「私が教育するなら、その猶予を有効に活用できると思うんだが、どうかな? モリー、私を信頼して任せてくれないか」

 

 この方向へ誘導するため、クッコ・ローセは発言を弄した。そう見てよいのか、この場で後々にまで影響を及ぼすことを決めるべきなのか。私は判断を決めかねた。

 優柔不断と言うなかれ。私はクッコ・ローセを信頼すると同時に、恐れてもいる。ザラもメイルも差し置いて、彼女こそが己を縛る枷になるやもしれぬ。

 

「家庭内の教育を、クッコ・ローセに全て任せられるなら、私は安心できるのでしょうね。教官としての能力は、この上なく優秀なのですから。間違いなく、従順になるよう教育してくださるのでしょう」

「わかっているなら、同意をしてくれたとみてもいいな? クミン嬢のことは、私が教育する。モリー家の中でのふるまい方、気遣いの仕方というものを仕込んでやるとしよう」

「――それには及びません。基本的な部分は、私から言い聞かせます。クッコ・ローセには、私が教えきれなかった部分を補助する形で、クミンに教え聞かせてあげてください」

 

 そうした可能性が今、見えた。なればこそ、私は慎重な姿勢を取るべきで。その私を支える立場にこそ、ザラは相応しかった。

 

「ザラ、貴女もクッコ・ローセに付き合って、クミンと接してあげてください。彼女は他国人ですから、私の家に入るにも、やはり面倒が多くなることでしょう。彼女の事情を斟酌して、手心を加えてあげてほしいのです」

「構わんが、これは貸しだぞ。――それも、大きな貸しになる。わかって言ってるんだろうな?」

「……私にできることなら、何でもします。それこそ、何でも。可能な限り、希望に添えると、約束しましょう」

 

 ザラに縛られるなら、それもいい。彼女相手でなくては、そこまで想えなかっただろう。

 クッコ・ローセとの違いを、私は残酷なまでに自覚せねばならなかった。序列など付けたくないと思いつつも、感情は正直に答えを出す。

 愛おしくもあり、厭わしくもある。この想いに名前を付けるとしたら、やはり『愛』ということになるのか。

 無償の愛というものが成立不可能なものであるとするなら、相手によって差を付けることが、愛の証左となるものか。私には、わからない。

 

「言質は取ったぞ、モリー。私に対して、そこまで言うんだ。……わかっているな?」

「感情的に、理解を拒否している有様で、申し訳ございません。――ただ、ザラが相手なら、どのようなことでも受け入れられる。私が自覚しているのは、それだけです」

「割と激しいプレイを求めても、応えてくれるわけだ。……お互いに処女なのはわかっているから、あんまり高度なことは要求するつもりはないのだが。まあ、なんだ。覚悟だけは決めておけよ」

「ザラの名誉を汚すことはしません。恥をかかせるつもりもないと、申し上げておきましょう。……私に約束できることなど、その程度のものですが、できる限り希望に添えたいと思います」

「それ以上を求めるほど、私は夢想家じゃないつもりだ。――充分だとも。それはそれとして、その時が来たら頼むぞ。期待している」

 

 私にできることなら、何なりと――だなんて。調子よく宣ってみたのはいいものの。

 実際、ザラはどこまで無茶ぶりをするつもりなんだろうか。私の身体で済む話なら、今更拒むことでもないけれど。他人を巻き込むなら、期待に添えかねることは理解してほしいと思う。

 

「ザラの特別性を皆に見せつけたところで、いいかしら?」

「なんでしょうか、メイルさん」

「重婚するってことでも、私たちは構わないと意見を一致を見た。クロノワークはこれを規制する法を持ってないし、問題があってもゼニアルゼで婚礼は行えるのよね。――だったら、後は式場とか形式とか、そういう話を進める段階になっていると思うの。違うかしら?」

「――ええ、まあ、そうとも言えますが」

「だったら、私としても意見はしたいですね。元はハーレム嬢ですが、これでも結婚に関して人並みの憧れはあります。騎士階級とは違う意見が出せますし、いくらかは有益な助言ができるのではないかと」

「おい、メイルもクミンも話を勝手に進めるなよ。私も教官も、対等の立場だってことを忘れてくれるな」

「ザラは特に、こだわりたいだろうからな。メイルもクミンも、先走ったりするなよ。皆で一緒に、モリーの家に嫁ぐんだ。どうせなら、団結して強固な家庭を築きたいと思う。その気持ちは、共有しておきたいと思うからな」

 

 メイルさんとクミンが話を盛り上げると、我もとばかりにザラやクッコ・ローセまで話に割り込んで来ようとする。

 私はそれを眺めるばかりで、あんまり口をはさめなかったけれど。

 受け入れ、抱き止める覚悟を決めた今となっては、こうした雰囲気も心地よかった。そうした感情を抱けるくらいには、今生の生き方を前向きに受け止められている。

 

 死に向かい合い、いつでも死ねるという考え方にも、変化が現れようとしている。

 人でなしの死に狂いが、まっとうな人間としての道を歩もうとしているのだと、そうなりつつある現状を自覚しながら――。現状の幸福も、受け入れているのが今の私だった。

 

「で、具体的な話。婚姻届けって、どうすればいいのかしら。縁がなかっただけに、ちょっと想像がつかないんだけど」

「……今、ここでそれを口に出す蛮勇は、認めてやるぞメイル。とりあえず、同性でしかも重婚となると前例がないから、役所に話を通すところからかな。モリーの家を建てることが、法的にどこまで可能かどうか――探るとしたら、そこからだろう」

 

 メイルさんは家柄が良い所の出なので、彼女が私の家に入るとなると、面倒があるかもしれない。

 最悪ゼニアルゼの方に家を建てることになるかもしれないが、それがあくまでも最終的な手段に留めておきたいところだ。

 クロノワークこそが、わが祖国である。そんな思いを抱く程度には、私も彼女たちも、生国に愛着を抱いているのだから――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とりあえず。最悪祖国を出る覚悟は、皆できてると思っていいのよね?」

「愚問だなメイル。モリーだけに覚悟を強要するほど、私は狭量ではない。――そんな日が来ることはないと、信じたいがね」

「私は他国人ですから、抵抗感なんて最初からありませんしー」

「ゼニアルゼで武官をやってる私が、その伝手を使わずにどうするって話だ。教官としての人脈があるから、クロノワークを出てもどうにかなる算段はつけてるさ」

 

 モリーが覚悟を決めて、彼女たちを受け入れる決断をした時点で、他の全ては些事となった。婚儀はまた別の問題だが、娶られること自体は皆が同意しているため、流れ自体は悪くない。

 妻となる女たちには、まだまだ語り足りない部分はあるものの、これ以上余計なところは見せたくないということで、モリーは一足先に自室で休ませている。

 

「モリーは私たちに、軽い幻想を抱いている節があるからな。同性だというのに、おかしなものだ」

「童貞が女性に抱く、信仰っぽいアレのこと? 私もこの年で処女だから、偉そうなことはあんまり言えないわね」

「メイルだけに限らん。……クミン嬢は別だが。モリーの奴、同性同士での生活は長いはずなのに、妙なところで初心だったりするからな。その一方で、手慣れた雰囲気もある。不思議なものだよ、実際」

「でも、魅力的でしょう? ――だから大切にされたいし、してあげたい。その辺り、私たちは共通の認識を持てている。それだけは確かよ」

 

 モリーは多くの仕事を抱える身で、ある意味上司であるザラ以上に責任のある立場を任されていた。

 遅くまで付き合わせては体調に悪影響があるし、愚痴やら主導権争いやらは、モリーの耳に入らないところで、こっそりと決着をつけるべきことでもあった。

 聞いていれば気が休まらないだろうと思えば、ここでの退場は英断である。モリーへの負担を最小限にすること。それだけは、誰もがわきまえていたことだったから。

 

「私は、客観的に見るなら――典型的なもてない女、って奴なんでしょうね」

「メイル。何だ、いきなり」

「ただの愚痴よ。この場で語るのは、恥をさらすだけかもしれないけど。……ザラがさっき言ったように、自覚するべきことはある。私なりの結論を言えば、皆も口が軽くなってくれるんじゃない?」

 

 個々人で思うところはあろうが、誰もが彼女と結ばれることを望んだ。一人一人の感性に沿うならば、語るべき部分はなお残されている。あえて目を向けるならば、やはりそこには切実な現実というものが横たわっていた。

 

「私は無駄に有能だし腕っぷしは強いし、性欲を取り繕うような慎みとは無縁だし。男が引くような要素が、これでもかってくらいに盛られているのに、自分から改善しようって気が起きないのよね。……怠惰と言えばそうなんでしょうけど、これくらいの怠惰も許せない男に、どんな魅力があるのかって話よ」

「メイルの意見に賛同しないではないが、言っててむなしくならんか、お前」

「この年になると、自分を変える努力って奴がひどく苦痛になるんだもの。仕方ないじゃない」

 

 ザラの突っ込みにも、怯むところがない。メイルは自分がだらしない女であることを自覚していたし、今から他の男を探したところで、モリー以上の相手が出てこないであろうこともわかっている。

 彼女が並みの男性以上に優れており、紳士的で好ましい相手であったことも、メイルの感情を後押ししていた。

 

「モリーは、そんな私に理解を示してくれる。求めれば、男らしく、愛してくれる。これだけ男前なら、身体が女でもいい。そう考えても、可笑しくないわね。……だって、彼女を慕っているのは私だけじゃないんだもの」

 

 シルビア王妃の証言によって、男性器に対する幻想はすでに失われている。剣の柄に負けるような代物なら、別段特別視する理由もないではないか。

 

「まあ、皆で彼女を共有することが前提なんだけどね。同じ家で、同じものを分かち合う。仲間意識を持つっていうのは、そういうことでしょう?」

 

 代替品があるならば、心地よい関係を優先して何が悪い。この気持ちを共有仲間もいるならば、将来においても不安を感ずることはない。もろともに落ちていくならば、行きつく先が地獄であっても、慰めあうことも出来よう。

 

「いいぞ、皆で好きなように関係を深めろよ。モリーを愛するなら、愛されたいなら、流れに乗れ。――私が認める。あいつを愛情の鎖で縛りつけて、死のうにも死ねない環境においてやろうじゃないか」

 

 何より、正妻たるべきザラがこれを推奨するのだ。モリーとの婚姻を望むのであれば、この流れに逆らうことは出来ぬ。

 

「そもそもモリーに皆の前に引き出して決断の場を与えたのは、こうやって意識の統一を図るためだったと言っても良いからな。メイルは分かっていたが、教官とクミン嬢の同意を得られたなら最善の結果だったと言っていい」

「その狡猾さは認めますよ。……ハーレム嬢とは、また別次元の狡猾さです。高度な教育を受けた女性士官というものは、こんなに厄介な者なんですね。ぶっちゃけ、敵に回したらかなわないと思いますよ」

 

 クミンが呆れ気味に評した。彼女たちの狡猾さ、モリーの弱みに付け込む容赦のなさは、ハーレムでそのまま活用できると断言する。

 

「モリー限定の話だと、理解してほしい所だな。私らは面倒くさい女子だと、これでも自覚はあるつもりなんだ。普通のハーレム嬢が関わるような手合いじゃないから、戸惑うのは仕方がないが」

「そのモリーが相手だからこそ、私は危惧しているんです。……いざ私が彼女の家庭に入ったら、のけ者にされるんじゃないかって。そうした不安を抱いても仕方がないのだと、どうかわかってくださいよ」

「そこに理解を示さないなら、モリーの家に入る資格はないと私は見る。メイルも、教官も、ちゃんとわかってくれているとも。――そうだろう?」

 

 メイルもクッコ・ローセも、当たり前だと言わんばかりに頷いて見せた。そうした柔軟性と寛容さこそが、まさにモリーの妻として、絶対に必要な要素であるとも言えた。

 

「そうじゃなきゃ、モリーを相手に選んでいないし、愛し合うことも出来ないじゃない。今更わかりきったことを確認して、なんになるのかしらね?」

「お互いに対等な関係であると理解して、あいつの愛情を奪い合うことの不毛さを自覚するいい機会になるだろう? 私は最初からあきらめているからこだわりはないが、あわよくば愛情を独占できるんじゃないかと勘違いする可能性も、有り得なくはないからな」

 

 モリーのことを真に理解しているなら、そうした勘違いは犯さないはずだと、クッコ・ローセは断言した。この場にいる誰もが、この手の愚かしさとは無縁であるはずだと、確認するように言いながら評する。

 

「ザラの言うとおり、まったくもって幸運なことだ。モリーを愛し、愛される者たち。全員がこうやって意識を共有して、幸福を分かち合えるんだからな」

「断言して語るあたり、クッコ・ローセ教官も狡猾ですね。どんな娼婦だって、そこまで楽観的に言い切りませんよ。ここまで徹底したら、間違っていたら言い逃れられないというのに」

「私だって自信はあるからな。教官としてはもとより、女としてモリーから求められている。そうした確信を得るのは、幸せなことだと本心から思う」

 

 だからこそ、価値観を共有できない相手がいるなら、排除することにためらいはないとクッコ・ローセは言う。

 

「穏やかじゃないって、危機感を抱くかもしれないが。私たちが団結することは、それだけ重要なんだ」

「わかります。ハーレム内では、女関係がこじれるとひどいことになるもの。流血沙汰は珍しくないし、モリーさんの家でそうなったとしたら、絶対に惨劇になりますから」

 

 クミンが、クッコ・ローセに同調する形で発言する。反論もなかった。

 モリーならば、我が身を盾にして、流血沙汰を納めようとするとわかりきっていたからだ。

 

「この調子なら、引退後の進路を相談しても良さそうだな。駐在武官も教官職も、老年になるまで続けられるわけじゃない。モリーは自活の道なんていくらでもあるだろうが、私たちは私たちで、未来を見据えて動く必要があるだろう」

「教官の意見には賛成だけど、具体的にどうすればいいのかしら。――ザラは、何か展望とかある? モリーに養ってもらうっていうのも、手といえば手であると思うけど」

 

 引退後なら、多少の年金もある。貯金と合わせれば、慎ましく生きていくことはできるだろう――とメイルは思っている。

 この点、ザラもクッコ・ローセも間違いだとは言わなかったが、別の道を探ることもやめなかった。

 

「武官を引退しても、モリーには文官としての道もあるからな。副収入として、ミンロンからの翻訳依頼も考えれば、私たちが経済的に困窮するとは思われない。――が、それはそれとして、張り合いのある人生を目指すなら、仕事を得る努力くらいはしておくべきだ。軍を離れると、個人的な伝手を頼るというのも難しいから、そこは考えどころだが」

 

 ザラは自分の伝手をどこまでたどれるか、有効に使えるかを計算していた。それとは別に、クッコ・ローセも自分なりの意見を述べる。

 

「ザラの意見に加えて、私ならシルビア王妃から職を紹介してもらうことも出来る。引退後にあっちに引っ越す必要があるが、現役を退いた後ならモリーもとやかくは言うまいよ」

「あら、私の意見は無視ですか? 風俗以外にも、これで結構顔は広いつもりですけど――」

「選択肢は多いほうが良い。有用なら検討するから、洗いざらい吐いてしまえよ。お前に不信感を持っているわけじゃないが、知らないってことは、それだけで警戒を呼ぶものだからな」

 

 あれやこれやと、話し合っているうちに、四人全員がそれなりの連帯感を得られたこと。

 価値観を共有する土台を作っていけたことは、モリーに取っても幸運なことであったに違いない。

 皆で幸福になる。その目的を達成する目途がついたということは、それだけ大きなことであったのだから――。

 

 




 次の話はまだ準備に使って、その次くらいには独身生活も終わりを迎えられると思います。

 結婚式については、あんまり詳しく描写するのはキッツいので、それ自体はさらりと流したいところですね。

 以後については、まだ考え中です。結末自体は、もう目に捉えているのですが、納得いくところまで書いておきたい気持ちもありますので。



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婚儀までの時間も安穏とさせてくれないお話

 色々とギリギリで、あんまり見直しできていないのも、もはや恒例となってしまいました。

 ともあれ、期日には間に合いました。無駄に長いですが、よろしければお付き合いください。



「何と言いますか、ザラには本当にお世話になりますね」

「別段、苦ではないさ。慶事ともなれば、なおさらに。――メイルも教官も、積極的に協力してくれる。お前は、待つだけでいい」

 

 婚姻に関することといえば、話すところ多く、詰めるべき部分もあるにはあるけれど。結局のところ、同意さえ得られたならば後は流れで進む事柄であったらしい。

 

「待つだけというのも、いささか不安ですが」

「夫はどっしり構えてくれれば、それでいいのさ。こまごまとしたことは、妻に任せろ。……私らが妻になるんだと思うと、色々と感慨深いものだ。ぶっちゃけ、モリーがいなければ、どいつもこいつも家庭に入れたかどうか怪しいものだからな」

「――クロノワークの野郎どもの不甲斐なさについて、私は言及してもいいと思うのです。メイルさんもクッコ・ローセも、ザラだって。誰もが特別な魅力を持っている、立派な女性たちだというのに。何が不満で口説こうとしなかったのか。私にはわかりません」

「可能性の話をしても、今となっては意味のないことだ。モリー、お前はただ受け入れろよ。……私たちにとっては、それだけでいいのさ」

 

 思うところはありますが、私は待っているだけで、あれこれの細部は皆の方で手配してくれるそうです。――自分からやったことといえば、婚姻届けを書いたくらい。

 個人的に、私が彼女らを娶れることに幸福を感じるのと同じくらい、彼女らを見初めなかった男連中に対して情けなさを感じています。

 あんなに魅力的で美しい女性たちを知りながら敬遠するなんて、男としてあるまじき態度ではあるまいか。元男として、ここは強く意識していきたい。

 

「方々を駆け回った甲斐もあって、式場の手配は済んでいる。クロノワークで婚儀と入籍の手続きが出来たから、手間はだいぶ減るな。モリーにも心の準備とやらが必要だろうが、こっちとしては一刻も早く済ませたい気持ちもある」

「よく、式場を用意できましたね。クロノワークは、同性婚に寛容な国ではなかったと思いますが」

「寛容でなかった、とは一概には言えんぞ。ただ、必要がなかったから周知されなかったというだけだ。――細かい事情はともあれ、我々が共に暮らすことに不自由はないと、それだけ理解してくれればいい」

 

 ザラの言葉は、私に明確な安心を与えてくれた。多少はせかされている風にも感じるけど、それだけの心配をかけているのだと思えば、むしろこちらが後ろめたくも感じる。

 改めて、私を選んでくれた彼女たちに感謝したかった。本格的に応えるのは、式を挙げた後になるだろうけれど。この気持ちだけは本物だと伝えたい。

 

「ザラに限りませんが、皆の気持ちを汲んであげたいと思います。なので、遠慮は無用ですよ。――これでも、夫として一家を支える覚悟はできているつもりです」

「つもり、なんて一言を付け加えるあたり、モリーは変わらんな。だからこそ、支え甲斐もあるというものだが……」

「どうしました? やはり、私が相手では不安ですか」

「悲観するようなことじゃないさ。弱みに付け込めるのは、私だけの特権じゃない。独占できないことが、少しだけ面白くない。――お互いに対等と認めあっているのに、感情は納得しないというのは、どうにもな。理屈じゃないんだ。これは、女としての習性かもしれん」

 

 配偶者に対する独占欲というべきもの。それをザラは、正直に述べてくれた。

 なら夫である私は、その感情を上手に処理する手助けをするべきなんだと思う。

 

「良いではありませんか。ザラには、ザラだけの良い所があります。その美点を語るのに、言葉だけで済ませるのが申し訳ないほど――私は、貴女に惚れていますよ」

「結構なことだ。もちろん、手を出してくれるんだろう?」

「時が来れば。……話は変わりますが、婚儀の衣装は、白いほうが映えると思うのです。貴女の黒髪に、白のドレスはよく似合うことでしょう。私に、このわがままを通させてはくれませんか?」

 

 いささか以上に気障な物言いだが、ザラにはこれが刺さる。

 時と場合と言葉を選べば、ヘタレた男の感傷でも、それなりに通るようになるものだ。私は、彼女たちとの付き合いの中で、それを学んだ。

 

「教官やクミン辺りには通じないぞ、それは。メイルだって怪しいものだ」

「各々の魅力を生かすには、それぞれの特徴を捉えて、正確に理解することが必要です。個性というものは、それだけ替えの利かない部分でもありますし――色とりどりの相違が、私には余計に眩く映ります。クミンは赤、メイルさんは青が似合いましょう。クッコ・ローセは……さて、暗色なら何でも合いそうな気がしますね。暗い色を魅力的に着こなせるのは、妻の中では彼女だけの特権でしょう」

 

 あばたもえくぼ、という奴で――私は彼女たちが着飾るなら、何でも美しく見える自信があるわけですが。それでも個人的な感想を述べるなら、こういうものになるのです。

 

「おい。教官だけ、何か特別な言い方をしてないか?」

「ザラも、メイルさんも、クミンでさえも特別ですよ。そこは、疑ってもらいたくないのですが……」

「わかっている。これは、私の愚痴だな。許せ。……業務連絡は終わらせた。婚儀の日程は、本決まりまで少し時間を見てほしいが、長くは待たせないはずだ」

「楽しみなような、恐ろしいような。――いけませんね、どうも。戦場の方が、よほどやりやすいなどと思ってしまいます」

 

 剣を手に、生き死にを競い合う――あの物騒な戦場が、懐かしくてたまらなかった。そこまで間隔は空けていないと思うのだが、死の覚悟は生の覚悟と違って、簡単に決められるものだった。

 毎日緩みなく死を想起する。そうした日常に生きていたはずが、何がどうしてこうなった。改めて思うと、感慨深いものじゃないかね。

 

「死の臭いがしなくなった、とクッコ・ローセは言いました。自覚などなかったのですが、こういうものなのかもしれませんね」

「ありがたい話だ。――もっとも、死なぬだけでは不足。共に生きるということは、未来を共にするということだ」

 

 将来について。本当なら、もっと以前から真剣に考慮しておくべきことだった。

 人生設計なんて、さして考えてこなかったことが、今になってツケになって響いてきている。結局、その辺りは彼女たちに助けてもらうわけで――。

 

「実際、ザラには助けられています。これからも頼るでしょうし、貴女以外の方にも、負担を与えてしまうかもしれません」

「家族の中で遠慮は無し、だろう? ……お前がいなければ、成り立たない家なんだ。己を卑下するのは、私の前だけにしておけ」

「今はそうします、ザラ。これは本当に、貴女だけですよ」

 

 言葉を弄している、という自覚はあった。それでも、本音であることも確かだった。

 ザラに甘えることは、モチベーションの維持にも繋がるので、許される限りは甘えていこうと思います。

 

「それはそれとして、だが」

「はい」

「……無粋な話だが、急な仕事が入った。時間つぶしにはちょうどいいから、お前にも付き合ってほしい。私は通常業務に掛かり切りで付き合えないが、メイルも同じ仕事に就く。何かあれば、頼ればいい」

「はい。ご命令とあれば、なんなりと」

 

 式を挙げるまでには、まだ猶予がある。通常業務をこなしつつ、その日を指折り数えるのもいい。別の仕事が入ったところで、それは変わらないと思っていたが――。

 

「突発的に慣れぬ仕事を振ってしまうが、メイルがいる。頼りすぎるのも問題だが、相談くらいは乗ってくれるだろうさ」

 

 詳細を聞くと、なるほど。これは確かに私より、メイルさんに向いた仕事である。

 むしろ、この分野では彼女の独壇場ではなかろうか、とさえ思う。

 

「しかし今になって、エメラ第二王女の護衛ですか。オサナ王子もそれに伴う、と」

「ただの温泉旅行だが、王族が泊りで出かけるんだ。護衛の必要性は、どうしても強くなる。――お前が出向くのは、そのためだな」

 

 それが表向きの理由にすぎないと、私にはわかった。なんとなく、面倒ごとの臭いがする。もっとも、面倒ごとなんてすっかり慣れてしまったところだ。

 

「温泉旅行、ですか。最近、温泉を掘り当てたと聞きましたが、宿場も王族を招けるくらいに整ったのですね。我が国のことながら、その仕事の速さには感心します」

「余計な仕事と言えばそれまでだが、何事も前向きに捉えることだ。。――上手く転がれば、後々の布石になるかもしれんぞ」

「あの方の発案でないというなら、異論はありません。……大丈夫ですよね?」

「シルビア妃殿下は関わっていない。少なくとも、私が知る限りではな。――そこまで不安に思うことも無かろうに」

 

 シルビア妃殿下の意向ではないと、それだけはしつこく確認しつつ、私はその任務を受け入れた。

 なんだか最近、一気に重要人物になってしまった気がする。以前はここまで、王族の方々と付き合う機会なんてなかったのに――と。

 評価されてうれしいやら、機会ばかり増えて悩ましいやら、何とも言い難い所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少々さかのぼる。ザラの立場から見るならば、今回のエメラ王女の温泉旅行に、モリーの存在が必要であるとは思われなかった。

 王女の遠出は、初めてのことではない。経験の蓄積があるのだから、警備は護衛隊だけで十分のはずである。ならば、モリーは政治的な意味で必要とされたのだと即座に看破する。

 よって、この任務が下りてきたとき、ザラがまず確認したがったのは上層部の意向だった。

 通達が来た時点で、話を聞きやすく、詳細を聞かされているであろう相手のもとへ飛んで行く。その行動力には、突撃された方が驚かされたことだろう。

 

「ザラ。いきなり飛び込んできて、どうしたっていうのかしら。王妃護衛隊は、特殊部隊ほど忙しくないけれど、暇と言うほどでも無いのよ?」

「フローレル護衛隊長殿、本日こちらに寄せられた命令書の内容に関して、確認しておきたいのだが。……護衛任務について、モリーがその任に能わぬ、とは言わん。だが、彼女はすでにシルビア妃殿下に目を付けられた身。この上にエメラ第二王女まで関わらせてしまうと、どんな風聞が生まれるかわからぬと、そうは思わないか」

 

 厄介事は御免だ――とばかりに、ザラはフローレルを睨みつけるように見た。 

 メイルがエメラ王女の護衛隊長をしているように、フローレルは『王妃』の護衛隊長を務めている。

 関わりのあるメイルからではなく、関係性からは離れているはずの、別部署のフローレルから話が舞い込んできたのだ。

 命令書には、確かに彼女の名が署名されている。王女に関わる事例に、王妃護衛隊の隊長の名が入るということ。

 これはフローレルの意思だけではなく、王妃の意向も含まれていることを意味する。いかなる事情あってのことかと、疑問をもって当然だろう。

 

「怒鳴りこんできた理由は分かった。……でも、私に言われてもね。やんごとなき身分のお方が、そう望まれた。私は、それに抗するだけの論拠を持ち合わせていなかったのよ。娘の教育に熱心な王妃様が、さらなる一手を望まれた。――それだけのことといえば、そう厄介な話には聞こえないでしょう?」

「どうだか。……そもそも現場の判断としては、通達の仕方にもやりようがあるだろう。エメラ王女の護衛が、直属の護衛隊だけでは不足というならば――外部の協力を募るよりも、まずは護衛隊の陣容を検討するのが先。それを無視してこちらに話を持ってくるのは、メイルの面目にもかかわる話ではないのか?」

「ああ、どうしてメイルに話を通さなかったのか、って? 今頃はあっちにも知らせが行ってるだろうから、別段無視をしているわけじゃないけど? ――メイルだって、王妃様の命と聞けば、反対は出来ないわ」

「言い訳は結構! やんごとなき身分、とお前は言った。……これが王妃様の意向なら、意図するところは何だ? モリーの存在は、政治的な価値が現れつつある。ここにエメラ王女を関わらせるとなると、どんな面倒が起こることやら。――あるいは、それ自体が目的なのかな? いずれにせよ、真意くらいは上司である私に話してほしいものだ」

 

 ザラの剣幕は、いささか以上に剣呑だった。これから慶事が待っているというのに、厄介ごとを背負い込まされるなど、無粋極まる。

 そうした彼女の気持ちを察しつつも、フローレルは話を進めた。

 

「……聞いてるわ。部下のモリーと結婚するんだって? 同性同士っていうのもアレだし、さらに重婚だなんて前例のない話だから、結構話題になってるのよ」

「そんな話はしてない。今になって、クロノワーク王家の方から、モリーを政治的に巻き込む理由があるのか。――私が聞きたいのは、それだけだ」

「だったら答えは簡単よ。『王と王妃の判断である』――と。悪いけど、私に話せるのはそこまで。私だって、振りたくてこんな任務を振ったわけじゃないの。そこは理解して」

「……ああ、わかった。お前に怒りをぶつけても意味がないことは、理解したとも」

 

 フローレルは、己が巻き込まれた側の人間であること。今回の件は、貧乏くじを引かされた結果であることを伝えた。それでも納得が欲しいと思うのは、ザラなりの意地でもあった。

 

「わかってくれたなら、どんなに不満でも直訴するのは流石にやめて欲しいの。意固地になったところで、立場が悪くなるだけだから、本当にね」

 

 権威に反抗するような態度をとるな、とフローレルは言う。

 ザラとて、道理はわきまえている。母国を出るのは最終手段であり、見込みがあるうちは短慮など犯すつもりはなかった。

 

「そこまでの僭越を働くつもりはない。……直接話すのは無理としても、王様か王妃様と書状のやり取りくらいは、出来ないものかな。あいつが護衛につく第二王女という立場は、決して軽くないはずだ。上司として、心配する理由になる」

「書状で意見交換するくらいはいいでしょう。――でも、私が間に入る、という条件付きよ。貴女の質問状を、私が受け取る。検閲して問題ないと思ったら、王妃様に渡す。……王妃様が王様まで伝えてくれるかどうかはわからないし、答えに不満があっても抗議は受け付けない」

「……私の質問に答えてくれたのが、王妃様である保証もないやつだろ、それ」

「仕方ないでしょう。政治的配慮ってやつよ。王族に恨みを残すわけにはいかないし、形式を踏ませることで、権威に傷をつけさせない配慮にもなる。巻き込まれた人には、気の毒に思うけど――」

 

 私にできることなら、なるべく協力するから――とフローレルは答えた。

 そこまで思いやる姿勢を見せながらも、序列と秩序を乱すところまでは許容しない。節度ある態度が、そこにはあった。

 

「フローレル。お前なら、不誠実なことはしないだろう。それくらいは、信頼している」

「……悪いわね、本当に。今回に関しては、とばっちりを食らわせてる自覚はあるから、同情するわよ」

「気遣いは結構。なにより信頼しているのは、お前じゃなくて制度の方だ。その辺り、勘違いしてくれるなよ?」

「ええ。律儀に制度を守る私は、貴女の信頼に値するってことでしょ? 私以外の相手に、そんな言い方しないようにね。誰もが貴女の真意をわかってくれるわけじゃないんだから」

 

 部署の違いはあれど、同僚として認めていることは確かである。ザラは能力と人格を認めない相手に、ここまで正直になることはない。そういう意味では、彼女はフローレルをメイルらと同様に信頼しているともいえる。

 ――趣味嗜好に関しては、やや理解しにくい部分はある。感覚の違いで、意見が対立することもあった。しかしそれも、相手を嫌っているからではなく、話せばわかる相手だと認めているから、口論も恐れずにできるのだ。

 

「で、肝心のエメラ王女の護衛任務についてだが」

「王女本人の同意は得ているわ。……本当よ? だから、モリーが嫌われるっていう事態にはならないはず。むしろ――」

 

 色々話してみたいと喜んでいたらしい、などとフローレルは言った。この話、メイルは今頃知って、どのような感想を抱いているだろうか。

 おそらくは、急に決まった任務である。背後の事情は気になるが、それは後々に置いておいて――まずは目の前の仕事をこなさねばならぬ。

 モリーがしくじるとは思わないが、上司としても女としても、フォローできる部分はしておきたいとも思う。

 

「護衛任務と言っても、温泉に入りに行く王女に付き添うだけで、危険なんて欠片もないんだけど」

「メイルらも一緒なら、なおさら心配するようなことではないな。……政治的には、別として」

「ええ、くどいけれど政治的には別。そろそろモリーって人、官僚どもから嫉視と掣肘を食らっても可笑しくないと思うわ。今、エメラ王女の傍に『新たに』侍ることを許される。これが意味するところは――なんて。わざわざ言うまでもないかしらね」

 

 どんなに育ちがよくても、高い功績を残したとしても。王族に取り入る機会が得られるかどうかは環境次第、運次第である。

 この点、モリーは恵まれすぎている。そんな風に見る向きは、クロノワークの宮廷内にも漂い始めていた。

 

「本人が望んで得た機会ではないというのに、はた迷惑なことだ」

「その道理が通じる相手が、どれほどいるかしら。当人の意識とは別に、周囲の感情は煽られている。――迷惑な話だっていうのは、理解するけれど。それはそれとして、現実に立ち向かうことをお勧めするわ」

 

 これに関しては、シルビア妃殿下の影響が大きい。あれほどの人物が特別視している。自ら会談のために呼び寄せてもいる。

 この事実は、決して軽くなかった。身分にかかわらず、誰にとっても。

 

「さて。危惧するのも、されるのも飽きた。……私個人を任務にねじ込むのは、流石に無理かな?」

「素直にメイルたちに任せなさい。モリーって人も……貴女の夫? 妻? なんでもいいけど、伴侶になるくらいなんだから。ここで下手を打つほど馬鹿じゃないでしょ」

「違いない。そこまで馬鹿なら、惹かれることもなかったろうが――。それはそれで、こちらが助ける余地が少なくて困るな」

 

 モリーに何をしてやれるだろうか――なんて。そこまで考えられるくらいには、自分は彼女のものになったのだと。

 そんな自覚を持てることは幸せだと、ザラは思うのであった。そして、したためた書状の回答も、満足のいくものではなかった。

 

「……大半の質問には答えず、黙って推移を見守れ、とおっしゃる。悪いようにはしないから――だなんて。王族のあいまいな言葉なんぞ、何の保証にもなりはしないのですよ、王妃様」

 

 ザラは己の感情を飲み込んで、余計なことまではモリーに伝えないことを決めた。推移を見守ることを、事実上容認したことになる。

 これは、彼女がモリーを心から信頼していたことも意味する。この上で間違いを犯すなら、それは仕方のないことなのだと。共に沈む覚悟さえ、ザラにはあったのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーです。なんか最近、妻帯者の気持ちがどんなものか、無性に気になっているモリーです。やっぱり婚儀を控えた身としてはね。

 それはそれとして仕事はしなければならないわけだけど。

 

 ――ちょっと前から、トンネル工事やら街道整備やらが盛んになったのは周知のとおり。この土木事業が進んでた初期の時の話ですけど、なんか温泉が出たらしいですよ。ついでに、なんかあっという間に旅館とかできたらしいよ。

 資金に物を言わせて人員を突っ込めば、クロノワークは最強なんだって、はっきりわかんだね。フツー、こんなスピードで療養地の建設とかできませんよ。

 なんだかんだで現場には居合わせなかったけど、景気のいい話でクロノワークは結構盛り上がっていたのも事実。

 工事の際には特殊部隊にも話が来てたんで、手の空いている隊員たちは大体参加してたみたいですが、私は行けませんでした。

 あの頃のザラは『今後のことを考えると、ちっとは稼いでおかねばならんな』とか言って、参加しに行ってましたから。……私は私で、翻訳作業に逃げてた時期なんで、あんまり思い返したくはないことですね。ええ。 

 

 まあまあ、改めて我が身を省みてみれば――オサナ王子の教育に関わってる私は、あんまり長く都を出られないから、最初から参加の目はなかったとも言えるのですが。

 王子の剣術指南に座学も含めると、スケジュールが結構詰まっちゃうんです。もっとも、今一番の問題と言えば、私の現状についての話になるんですけど。

 

「ふーん、大人って複雑。色々と気にすることが多いんでしょ?」

「そうですね。ついでに理由を付け加えるなら、特別な立ち位置にいる私がボーナス的な事業に参加すると、やっかみを受けかねない。交友を求めて色んな所に顔を出すにしても、政情を考慮し、場所を選ぶのが筋だ――という話です。まあ、色々と手遅れになってる可能性もありますが、なるべく楽観的に考えていきたいので」

 

 何の因果か、エメラ王女と会話する距離まで近づいていたりします。通り一遍の挨拶と自己紹介を終えると、結構グイグイ来るんですね、この子。

 私って、そんなに重要人物だったっけ? 何度思い直しても、ホイホイと王族に接していい身分とは思わないんですけど。旅程に同行するだけならまだしも、侍女でもないのに同じ馬車に同乗するとか、どんな特別扱い何だって話で。

 特殊部隊って、基本日陰者だからね。こっちの方がやっかみ受けやすい立場なんじゃないかって思うと、うん。どうしてこうなった。

 

「……随分と難しい話をするのね。私にはわかんないかな」

「エメラ王女は、武の才に恵まれているかもしれませんが、政略方面での理解に乏しくありますね。――今少し、勉学の方を励まれてはいかがでしょう? その方が、将来のためであると考えます」

 

 ちなみに、オサナ王子は我々とは同乗せず、メイルさんと一緒に別の馬車にいます。

 護衛隊としては、まとめて管理する方がいいんでしょうけど、これもまた政治というものか。

 

「うーん、それはちょっと。……勉強が嫌いなわけじゃないけど、今は良いかな。私なりに勉強はしているつもりなんだから、配慮を求めてもいいわよね。具体的には、やりたく無い時は手加減してほしいとか、宿題は少なめにしてほしいとか――」

「いかなる理由であれ、勉強を怠ってよい理由にはならぬと、私は忠言いたします。王族の義務を果たすためにも、どうか研鑽を怠らぬよう、お願い申し上げます」

「――せっかくの療養のための旅行なんだから。無粋なことは言いっこなしよ、もう」

 

 護衛任務だって話だけど、実際にはエメラ王女のお守りって認識が正しいのかもしれない。

 本来はメイルさんの護衛隊の役目のはずなのに、どういうわけか今回は私が表に出ているっていうね。私としても、何かしらの政治的な意図を感じずにはいられないよ。

 

「そうやって拗ねるようなことでもありますまい。……子供らしい無自覚さは、意図的なものでしょうか。そのように育てられたというのなら、まだしも理解はできますが」

「私の教育を決めてるのは、お母さまかな? お父さまは、だいたい私の言うことを聞いてくれるし。――怒られるのは、もっぱらお母さまからだもの」

 

 怒るだけで済ませているのなら、教育は意図的なモノである――と私は判断した。エメラ王女が純真な性格を持ったまま育ったことも、怠け癖を矯正していないことも、おそらく意味のあることなのだろう。

 シルビア妃殿下のような娘は、二人もいらない。年相応の感性と真っすぐな気性を持たせて、優秀になりすぎない程度に教養を学ばせる。それでいて怠け根性を残すことで、周囲に依存する体質を残しておくのだ。――それは結果として、周りの庇護欲を刺激することになるのだから。

 これはおそらく、汚れ仕事を他人に背負わせるため、あえてそう教育しているのではないか。ならば正しく忖度を機能させるためにも、後ろ暗い部分は何一つとして教えられていないだろう。

 計算されているが、上手に機能させるには監視と誘導のための目がいる。自然な形で、当人に意識させずに活用するには相当な労力が必要なはずだが――。

 そこまで考えてやる義理など、私にはあるまい。早々に思考を打ち切って、適当な話題を振る。

 

「――それはそれとして、いいんですか? 温泉旅行にオサナ王子を連れ立っていくなんて。性別を意識して、男女の区別をつけていく年頃でしょう? 淑女として、エメラ王女は羞恥心などは感じておられないと?」

「……あんまりわかんないかな。私が女の子だっていうのはわかるけど、オサナ君が男の子だからって、それが何だっていうのかしら。……あ、そうだ。よく考えたらオサナ君って、弟みたいなものだし。それだったら、一緒に温泉に入ってもいいと思うんだけどなー」

「エメラ王女がそう思う限り、オサナ王子と温泉をご一緒する機会はこないでしょうね」

 

 夫婦になればその限りではないが、肝心の彼女にその意識がないのだから、どうしようもあるまい。

 頑張れ男の子、とオサナ王子を応援したくなる展開だった。

 

「メイル達と違って、モリーとの会話は新鮮ね。思い立って、特別に指定した甲斐があったと思うの。――真っ向から厳しく言われるのって、めったにないことだから。その上、嫌味もないし怖くもないんだから、とっても不思議」

「さて、その辺りの感覚はわかりませんが――。しかし、私はそこまで関心を持たれる存在でしょうか? 王女の耳に届くほどの、重要人物になった覚えはないのですが」

「オサナ君の教育に関わっているってだけで、私が関心を持つ理由になるのよ。あの子に凄く厳しい鍛錬をしているって聞いたら、指導してる人がどんな人か。気になっても当然でしょ?」

 

 エメラ王女は、無邪気にもそう言った。邪気も嫌味もない、率直な感想だと分かるから、かえって質が悪い。

 言葉を濁して受け流す。そこそこ適当に返してうやむやにする。そうした無難な手が取れないから、素直に事実を述べるほかない。

 

「彼、頑張っていますよ。その頑張りが伝わっているから、エメラ王女は私と話したくなったと、そういうことですか?」

「それは正直、あるかな。……うん。たぶん、そうだって思う」

 

 シルビア妃殿下とは、この点は似ていない。己の感情を把握しきれず、あいまいな部分をそのままに、なんとなくで人に接する。

 あの人は隙を見せないし、己の強みを強調して、相手の弱みをついてくる人種だ。エメラ王女が同じように育たなかったのは、私にとっても都合がいい。正直な対応さえ心がければ、反感を買うことはないと確信できるから。

 

「だから、温泉旅行の旅路に供をさせて。こうやって、直接話し合えたのは、私にもいい機会だって思うの。王族専用の馬車に同乗させたのも、あえてオサナ君と引き離したのも、今の私に必要なことなんだって、確信が持てるわ」

「……やっぱり、姉妹ですね。似てない部分もありますが、本質は似通っている。理屈でなく、本能で必要なものを求めて、それがぴたりと嵌ってしまう。将来が楽しみですよ、ええ」

 

 オサナ王子は別の馬車に乗っている。到着先は同じ温泉旅館だが、流石に部屋までは同じではない。

 私は、表向きにはオサナ王子の付き添い、という形になっているから、こうやって強引に押し込まれなければ、エメラ王女と口を聞く機会さえ無かったろう。つまり、ここまで全て彼女の手の内であるとも言える。

 エメラ王女って、どんなタイプなのかわかんないんで、話してて割と冷や汗ものです。こんなことなら、メイルさんにもっと詳しく聞いておくんだったよ……。

 

「しかし、私に興味を持たれるまではいいとしても。貴女に私が必要であるとは思われません。教育であれ、護衛であれ、他に適役がいくらでもいるでしょう?」

「……ねえ、モリー。オサナ君って、目の離せない弟みたいだって、私はそう思っているの。弟みたいなもの――であって、本当の家族じゃないけれどね。私にとって、特別な相手であることは確か」

 

 私の問いに、エメラ王女は答えなかった。私の言葉が聞こえなかった、ということはないだろう。

 ただ単純に、私の言葉を価値のないものと見ている。自分が話したいことだけを話している。そうしたわがままなお嬢様としての部分を、見せつけられた気分だった。

 

「特に、手がかかるから可愛いっていう所も、あると思うの。……私より強くなった弟を見るのは、ちょっと寂しいかなって。そう考えちゃうのは、間違ってるのかな」

「はい、間違っています。エメラ王女、その考えは、男の子を侮辱しています。――なので、早々に改められるがよろしい」

 

 まずは実際に、真っ直ぐにぶつかって見よう。この反応次第で、こちらの対応も変わる。

 私は率直な意見を述べる。偽らず、おもねらない、生のままの感情で張り飛ばす。エメラ王女は、どのような顔を見せるだろうか。想定した通りの反応であれば、良いのだが。

 私は彼女の顔を直視した。いかなる変化も見逃さないつもりで、瞬きすらせずに見据える。

 

「メイルなら、もっと私に気を使ってくれるのに。どうして、意地悪なことを言うの?」

 

 少しだけ不機嫌になった様子で、頬を膨らませつつ、エメラ王女は言う。

 しかし、その悪感情もごく浅いものであることを、私は理解した。ならば、返す言葉は決まっている。

 共感ではなく、事実と正論で押すのだ。嫌われることを恐れず、オサナ王子の肩を持つ。それがおそらく、彼女に最も響く。

 

「これは意地悪ではなく、オサナ王子の教師として、正直な感想を述べているのです。オサナ王子は、相手がだれであれ、愛玩されることを望みません。対等の立場で、公正な評価をすること。その方が、彼は好ましく思うでしょう。……将来の苦難から目をそらさずに、立ち向かう勇気を育てることが、私の役目であります。もし、エメラ王女が彼を弟と思うなら、慰めるのではなく叱咤するべきだと、ここで申し上げておきます」

 

 私が教育を担当するなら、加減なんてしたくないのですね。とことん鍛えるから、オサナ王子には輝かしい未来を勝ち取っていただきたい。

 結果として、それが私の為にもなるだろう。師の私に対して、礼節を忘れる子ではないからね、彼。

 

「だからって、あの子を痛めつけることはないんじゃない? 他の教官たちでも、オサナ君に辛い目を合わせるのは、心が痛むはずよ。貴女だけが、特別。どうしてなのかしら」

「クロノワークのどの教官にとっても、オサナ王子は他人です。他人ごとだから、突き放せる。……要は、彼の将来など知ったことではないって態度でも許されるわけですね。だから、半端な教育でも、甘ったれた鍛錬でも黙認されます。クロノワークの王族教育に関わる人からすれば、他国人の教育まで面倒見切れるものか、と言いたくもなるでしょう」

 

 でも、私はそんなことはしてやらない。手の抜いた指導では、出来上がる器もろくなものにはなるまいよ。

 

「しかし私は、いかなる事情があっても、教育に手を抜きたくないのです。人を育てることの重要性を知っているから、全力で尽くしたい。それが本人の為であり、私自身の為にもなると、信じています」

「そうは言うけど、オサナ君に対して厳しくしすぎじゃない? 私だって、手の皮がむけるまで剣を振るったことはあるけど、彼みたいに倒れるまでやらされたことはないのよ」

「それは、お互いの資質の差とでも言うべきでしょうか。オサナ王子は、そこまでやらねば身にならないのです。逆にエメラ王女は、そこまでやらずとも充分なほどの技量が、すでにある。――立場の違いも、それを後押ししています。何より、王子本人が望んでいる。ならば私とて、職務に全力で取り組むのが筋というものでしょう」

 

 エメラ王女からしてみれば、弟分を虐待されているようで、面白くないのだろう。

 まして、自分の管理下ではなく、他人の権限でそうされているのだから、なおさらに忌々しく思う。

 少女らしい独占欲の発露であれば、まだ可愛げもあるのだが――さて。

 

「そう。オサナ君が、望んで厳しい修行をしているっていうなら……これ以上、私から文句は言えないかな」

「ご理解いただき、幸いです」

「じゃあ、私も同じくらい厳しく鍛えてって言ったら、そうしてくれる?」

「王女の教育まで承った覚えはございません。――そちらの教育係に恨まれそうなので、ご遠慮させてください」

「そんなの、私は気にしないけど。……じゃあ、オサナ君がどんな勉強をしているのか、どんな風に頑張っているのか。それくらいは聞かせてくれる?」

「はい、もちろん。ただし、本人には伝えないように。内緒にしてくれると、約束してくださいますか?」

 

 エメラ王女は、内緒にすると約束してくれた。私から聞いた話を口外しないなら、あれこれ話しても問題にはなるまい、と思った。

 あれこれと話をせがんでくるエメラ王女は、付き合いの浅い私にとっても、充分かわいらしく見える。不機嫌になったり、顔を膨らませるのも、一種の愛嬌とも思う。

 

 馬車にいる間、話を続けねばならないという点では気が休まらなかったが、気安く接して咎められないという点では、実に都合がよかった。

 無味乾燥な護衛任務ではなく、多少なりとも心を通わせた相手を守ると思った方が、仕事にも身が入るものだ。

 ここから先、どう転ぶかはわからないが――ともあれ、初日は問題なく過ごせそうだと思ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 温泉街についてみれば、結構栄えてるじゃないか、なんて感想が真っ先に浮かびます。

 箱物だけが立派なわけじゃなくて、人の出入りもそこそこある様子。設備以上に、人材の方が重要ですからね、保養のための施設というものは。

 

「お姉さまが、色々と手を回してるって聞いたわ。お姉さまのやることなら間違いはないだろうし、楽しみね」

「――ええ、そうでしょうとも」

 

 お察しなレベルで、関係の風俗施設も充実しているのは流石だと思いました。王女の前だから、口にはしないけれども。

 

「私は早速温泉に入りたいんだけど、オサナ君はどうかな?」

「無理だとお伝えしたはずですが。……本当に一緒に入るおつもりで?」

「やっぱり、いけないの? 何度頼んでも駄目?」

「いけません。――ご自身の性というものをご自覚いただきたい」

 

 オサナ王子の身にもなってほしい。多少なりとも意識している女子が、同じ時間に温泉に入っているというだけでも刺激的なんだ。これで一緒に入ってしまえば、あれやこれやが大変なことになってしまう。

 男子の理性に期待すべきではないし、女子の無理解を矯正するのも容易ではない。なればこそ、やんわりと諭して未然に防ぐことが寛容であると心得る。

 

「ふーん。まあ、いいけど。それはそれとして、貴女はどうするの?」

「護衛が役目にございますれば、武装を解かないまま、温泉の周囲で警備にあたるものと考えております」

「それ、つまんないから。私と一緒に温泉に入るっていうのはどう? オサナ君の代わりになってくれるでしょう? それが貴女の仕事なんだから」

 

 誰かの代わりになった覚えはない――なんて正論よりは、女の子のわがままに付き合う方が正解か。

 馬車の中では遠慮なくものを言った分、ここは素直に従う態度を見せて、点数を稼ぐのもいい。――ただし、許可を取ってからね。

 

「護衛隊長であるメイルさんの承認が得られれば、否とは申しませんが……」

「なら問題ないわね。メイルは私の言葉を無視したりしないし、是非にもと望んだなら拒否したりしないもの」

 

 はたして、その通りになった。メイルさんは『警備上に問題がないなら、王女の要望に応えるのが義務』だと言いました。

 彼女には彼女なりの渡世の義理があり、職務への自負というものがある。王家の仕える騎士として、無理のない範囲のわがままであるなら、これを叶えるのが彼女の仕事だ。

 で、首尾よく許可を得たのはいいとして。……王族と裸の付き合いをするなんて、しかも王女を相手にそうせねばならぬとは。数奇な運命をたどったものだと、我ながら思うよ。

 

「うん。良いお湯加減ね。――モリーはどう?」

「いいんじゃないでしょうか。仕事にも支障はございません」

「もう、そうじゃなくて。……貴女は温泉を楽しむつもりがないの? だったら、誘わない方がよかったのかしら」

「エメラ王女のご希望に添えるのも、私の仕事にございます。ええ、まあ……はい。お湯加減は、悪くはないと思います」

 

 温泉の中まで警備するのは、護衛として正しい姿勢なのだろう。実際、オサナ王子の方は、メイルさんが入っているわけだし。

 ……なんか、それはそれで意識してしまうが、とにかく今は仕事なのだ。目の前のことに集中しよう。

 

「それだけ?」

「……他に、何か?」

「もう少し、気の利いた話をしてくれると思ったの。たとえば、仕事の話じゃなくて、好きなこととか、楽しいこととか。オサナ君の話とか!」

 

 私が周囲に目をやると、そこには確かに他の護衛隊員の姿があった。メイルさんの部下と言ってもいい方々だが、今は私からも視線をそらして、任務に専念してくれている。

 私は警備に気を回さずとも好いように、気を使ってくれている――と。好意的に受け取るなら、そういうことになるのだろう。

 別の意味では、エメラ王女の話し相手という、一番面倒な仕事を押し付けられたとも取れるのだが。

 

「オサナ王子は優秀です。最近は勉学の進み具合も良いですし、剣の握り方も様になってきましたよ」

「頑張ってるって話は、もう聞いてるから、そうじゃなくて。……ちょっと前までは心配になるくらいできてなかったのに、最近は自信もつけてきたみたいで可愛くなくなったし。教師の受けもオサナ君の方が良くなってきたし。あの子、私より成績は悪かったのよ? だから、ちょっと複雑って言うか、ねぇ?」

「すべては当人の努力のたまものでしょう。ほめてやってあげても、いいではありませんか」

 

 エメラ王女が、オサナ王子を弟のように見ている、という情報は知っている。

 彼女のいら立ちは、弟のような存在が、いつの間にか自分よりも高みに至ろうとしていることを危惧してのことだろう。

 

「認めてあげたいけど、でもね。それでも、面白くないの。オサナ君は、私と同じところにいてくれると思ってたのに。あの子は私を置いていきそうで、最近になって怖く思ったの。――貴女の、せいなのよね?」

「オサナ王子自身が決意して、努力しているのです。私は、それを手助けしているだけ。……もしエメラ王女が、自身の教育方針について疑問を抱いているのなら、その旨をご両親に訴えてみてはいかがでしょうか」

 

 優秀過ぎる姉を持つ身としては、ふがいない弟の世話をしてみて、自らの価値を再認識したかったのかもしれない。……子供ゆえの傲慢さと思えば、そこまで責めることではあるまいよ。

 この辺りを矯正するとしたら、それは親の役目だろうと私は思うのだ。

 

「言ったわ、もう。そうしたらね、教師たちと話し合って、教育の進め方を見直すようにって言われたの」

「ごく当たり前の意見だと思われます。それで、答えは出たのですか?」

「私についている先生の意見だと、モリーに異存がないのなら、オサナ君と一緒に授業を受けてもいいんだって。そのための時間的な調整は、こっちで合わせても良いって言ってた」

「……いきなり話が飛んだ気がしますね。私が、エメラ王女の教育に関わるのですか?」

「いけない? お母さまの許可は取ってるのよ?」

「悪いとは、申しませんが……」

 

 これ、結構重要なことだと思うんだけど、今の今まで私にまで報告が上がってないのは何でなんですかね。

 周囲に目をやっても、やはり私と目を合わせてくれる人はいない。……クロノワークの宮廷政治に巻き込まれた、と見ていいんですかね、これは。

 

「スケジュールを今から見直すとなると、混乱しませんか? 私とオサナ王子の方は、いくらでも調整は効きますが――」

「私が、遊びの時間を削ればいいわけだから。授業中は、警備の必要性もそんなにないじゃない?」

「野外授業もありますが、基本は城内ですからね。――護衛隊が出張らなくてもいいわけで、実際には負担はそうでもない、と」

 

 エメラ王女の教育係たちが、どんな思いで部外者の介入を許しているのか。彼らの面子はどうなるのか――なんて。私が悩むべきことではないのだろう。

 それでも危惧は危惧として、頭の隅にはおいておきたい。

 

「それで、どう?」

「オサナ王子が同意したなら、時間を作って、そちらの教師陣とお話させていただきましょうか。一応、ここで確認しておきたいのですが……一緒に私の授業を受けるとなると、手加減はできません。それで、よろしいのですね?」

「いいわよ。オサナ君にできて、私にできないってことはないんだから」

 

 とても不穏な気配を感じる私ですが、ここは腹をくくる場面だろうと理解する。

 どうせ、背後には私などには及びもつかぬような、後ろ暗い政治が関わっているのだ。ならば、これは避けるのではなく飛び込むべき。

 しかし死中に活を求むる、のではない。生き抜くために、危地に赴こう。――そうせねばならぬ所に、私はいるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エメラ王女とは、まあまあ無難に対応できたと思う。それはそれとして、やはりメイルさんとも顔を合わせたくなりまして。温泉旅館の一室を借りて話し合おうと思うのです。

 ――で、就寝前に時間を取ることにしました。この間の警備は、メイルさんの護衛隊が交代でこなすことになります。

 彼女たちには、仕事が終わったら、ねぎらいの品くらいは送っておきましょう。それが礼儀というものだ。

 ミンロンが選んだ砂糖菓子なら、値段も手ごろで満足度も高いはずだから、適当だと思う。

 

「そこまで気を使ってもらわなくても、これは業務の一環なんだから」

「そうは言っても、逢引きに近い感覚はあります。仕事の話だけで済ませるつもりは、お互いにないでしょう?」

「確かに。――ミンロンに話を通してくれたら、私の方から配っておくわ。それはそれとして、まずは業務に関して。互いに思うところを話していきましょうか」

 

 警備上の問題とか、私が仕事を把握するうえでの情報の共有とか、業務を行う上でも、やはりお互いに面と向かって話し合うのは大事だと思うのです。

 もろもろのことをつらつらと話して話されて、一区切り。一呼吸入れて、改めて口を開く。

 

「……と、いうわけです。エメラ王女とのアレコレは、とりあえず考えるのをやめましょう。式を挙げるまでは、頭を回す余裕がありませんから」

「モリーも大変ね――なんて。他人事みたいに言える立場でもなくなったわけだし、遠慮なく頼ってくれていいのよ? ……王家というか、王妃派閥には貸しを作られたところだから、拒否は難しい所だけど」

「王妃派閥に、貸し? 初耳ですが」

「今、初めて言ったもの。何と言うか……そうね。私たちの婚姻に関わる部分で、あちらに貸しを作らざるを得なかった。そういうことよ」

 

 式場の手配から今届の受理に関わる実務まで、私は彼女たちに頼り切っていたわけだから。この辺りを非難する資格など、私にはない。

 しかし、これが巡り巡って、私の方へ妙な形で返ってきたということだろうか? だとしたら、初めから私に抵抗の余地はなかったことになる。

 

「シルビア妃殿下が関わっているわけではないのですね?」

「私が知る限りでは、ないわね」

「メイルさんが断言するのであれば、心配することではありませんか」

「ええ。心配すべきは、別の部分。……護衛隊長が同性愛者ってことになっちゃったからね。内規を変えるのに、まあ色々と。そこまで反発が大きかったわけじゃないから、貸しと言ってもさほどではないんだけどね」

 

 護衛隊への入隊条件に、『レズじゃないこと』って明記されているらしい。

 メイルさんは、入る前は確かにそうではなかったのだから、違反であるとは言えないんだけど。

 それが許されない組織の隊長が、同性婚をするわけで。――この内規を見直す機会として、メイルさんは結構な働きをしたらしい。

 らしい、だなんて言い方しかできないことに、忸怩たる思いがある。事後になって知らされてみれば、やはり私の方が彼女たちに大きな負担を与えているのではないか。

 

「――ああ、気を使わないで。私だって、こういう場面ではちゃんとできるんだってところ、見せておきたかったのよ。モリーによりかかるだけの女にはなりたくないもの」

「そんな。むしろ、私の方が、何も貴女に返せないのではないかと、そればかりを心配しています。……してあげられることは、なんでもしてあげたいのですが」

 

 私の言い方があまりに暗いものだから、メイルさんに心配させてしまったかもしれない。めったに見せない微笑を浮かべて、彼女は応えてくれた。

 

「ありがと。でも、『なんでもする』って言い方はよくないと思うの」

「安売りするのは、貴女たちだけですよ」

「……そうじゃなくて。なんでもするって言われたら、こっちもちょっと考えちゃうから」

「ああ、それはいけませんね。私が自発的にお返しをするべきでした。――貴女に考えさせるのでは、手を抜いているのと同じこと。なんでも、なんて言い方で逃げるのは、やはりよろしくありませんね」

 

 場合によっては、手抜きとも受け取られかねない。『何でもいいから言ってよ』とか『希望には最大限応えます』だなんて、言う方は軽い気持ちで言えるけれど。これに答えるほうは、かなり頭を使うものなんだから。

 

「――モリー、貴女には敵わないわね。たぶん、ずっと」

「さて。ともかく、政治的な事情に関わりたくとも、今はこちらからアプローチをかけるのは難しい。……式が、近づいているのです。その日が来るまでは指折り数えて、期待に胸を膨らませておく方が、よほど有意義というものです」

「面倒ごとが近づいているとしても? 本当にそう?」

「ええ、ええ。本当に、今は結婚生活を夢見るくらいの気持ちでいてくださいな」

 

 私はともかく、メイルさんにはそのように過ごしてほしい。憂うのも考えるのも、私の仕事だと思いつつ。

 情報交換を片手間に済ませて、適当に駄弁りながら――私たちは、その日を終えるのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日。温泉旅行は二泊三日なので、もう一日現地で宿泊する。

 前日はエメラ王女と一緒だったが、今日はオサナ王子も共に行動することになった。温泉街は、子供には面白い娯楽などそろっているようには見えない。

 よって、せっかくだから余興に何ぞやってみようか――なんて、私は思ったのです。

 

「護衛関係もありますから、そこまで突拍子のないことはできませんが。とりあえず、私の授業の雰囲気だけでも掴んでいただこうかと思います」

「モリー先生。エメラ王女が一緒だが、これからは一緒に授業を受けるというのは本当か? 僕は構わないが、あちらにはあちらの都合があるだろうに」

「……本当です。今後の授業のスケジュールは見直しが必要ですが、なんとか都合はつけますよ。なので今日は軽く、これまでの授業のおさらいをしようかと」

 

 オサナ王子の反応は、微妙なものだった。気になる異性と同じ授業を受けるというのは、なかなか複雑な思いがするらしい。

 

「一応聞いておくが、具体的には?」

「エメラ王女は、剣の鍛錬は充分にされておりますので、座学の方になりますね。歴史や数学、一般教養といった分野は、他の教師もおりますので、それ以外の部分を」

 

 具体的に言うなら、姉上であるシルビア王妃の実績と歴史的意義について。いろいろと問題はあるけど、批判より賛辞をあげたくなる御人ではあるんだ。

 ……たぶん、あの人がいるおかげで、こっちの世界の西方は、かなり豊かな時代を迎えると思う。当代の人間として、あるいは身内として、明確に自覚しておくことは大事だからね。

 ――あとは東方関連のお話に、エメラ王女がどこまで興味を示してくれるか――ってところも大事かな。

 

「東方関係は、そこまで急いで詰め込む必要もあるまい。これから僕らの世代が関わる可能性が高いし、予備知識として有用なのは認めるが……」

「だから念のため、ですよ。西方と東方の衝突は、きっと大きな不幸の始まりになる。派手に殴り合う前に、相手のことを理解する努力をしておきたいのです。――書物で得られる情報は限定的ですが、共通の知識を持っているということは重要です」

 

 そこをとっかかりにして、話し合いに持ち込めるようになるかもしれない。可能性として残しておきたいから、王族の東方知識はあったほうが良いんだ。

 無理に詰め込んでも偏見が増すばかりだから、この辺りは本当に興味が持てたらいいな、くらいの感覚でやるつもりだけどね。

 

「ふうん? なんだかよくわからないけど、それはオサナ君も同じことをやってるのよね?」

「ああ、結構面白いぞ。純粋に異文化として見て、色々興味深い」

 

 ミンロンから聞いた話も盛り込んでいるから、地理や人口から見える事情とか、地政学に近い学問の講義みたいになっている。

 オサナ王子には、それが新鮮で面白いんだろうが、エメラ王女にとってはどうだろう?

 

「じゃあ、ちょっと聞いてみようかな」

「エメラ王女は初めての授業になりますし、おさらいなので、そこまで深く掘り下げたりはしません。――むしろ比重としては、シルビア妃殿下の方が大きくなります。エメラ王女は、ご自身の姉上に対して、どこまで理解されていますか?」

「お姉さまはお姉さまじゃない? 何か色んな事をしてたみたいだけど、私には優しかったし。悪いことも言われてるみたいだけど、どうしてそんな風に言われるのか、全然わかんないくらい」

 

 なるほど、だいたい何も知らないと考えてよさそうだ。としたら、結構刺激的な中身に驚くかもしれない。

 ……時間的に、そこまで深い講義ができないのは残念だった。批判交じりの評価というものは、しっかり解説しないと誤解を招きかねないものだからね。仕方ないね。

 

「でも、楽しみ。お姉さまが私にとって大事な家族で、しかも他に人にとっても大きな人でもあるっていうのは、きっと凄いことよ。お姉さまは、どんなことをしているのかしら!」

「ご期待に沿えられないかもしれませんが、正直にあったことはあったという態度だけは、崩さない態度を通します。――お気持ちだけは、強く保ってくださいね」

 

 時間的な制約もあって、小一時間ばかり語ってから、質疑応答を受け付ける形にしました。

 シルビア妃殿下は、まず戦場にて武名を得られたこと。その実績を重ねたうえで、政治の場でも実績を積み重ねたこと。

 結婚には三度失敗したが、四度目はゼニアルゼで良縁を得られたことまで話して、エメラ王女から質問が飛んできた。

 

「結婚って、難しいのね。あの姉さまでも失敗するんだから」

「……まあ、そうなのでしょうね。特に王族は政略結婚ですから、事前に付き合って、相性が悪ければ白紙に戻すというのも難しいですし。とりあえずくっ付けて、婚姻という契約で縛ろうとするのが一般的です」

 

 戦争も内政も、あるいは外交でさえも、エメラ王女の興味を引かなかったが――。

 姉が結婚して出戻った話は、真剣に聞いていた。私としても、伝聞にすぎない話であるし、宮廷にいるものであれば、誰もが知る程度の内容でしかない。

 だというのに、彼女にとっては新鮮に聞こえたということは、誰もがはばかって口にしなかったということだ。……これはうっかり、余計なことを口にしてしまったかもしれない。

 

「どう難しいか、なんて。結婚したことない人には、わかんないよね?」

「ご両親に聞かれてみては?」

「――お父さまもお母様も、仲は良いもの。喧嘩したところなんて、見たことないし。上手くいかないことって、あるのかな、って不思議で。お互いに好きになる努力をしたら、どうにかなるものじゃないの?」

 

 純真で、少女らしい疑問だと思う。とはいえ、私とてたいした答えは持ち合わせていない。

 

「シルビア妃殿下には、シルビア妃殿下なりの苦労があったのでしょう。そのうえで、結婚の解消という道を選ばれた。――この世には、むなしい努力もあるのだと、そういうことではありませんか?」

「モリーは先生なんだから、生徒の質問に、あいまいな答えで返すのはズルいじゃない。……あ、そうだ」

 

 納得されてない様子だけど、じゃあどう言えばよかったのかと、頭を悩ませる。

 結婚前の野郎に、この手の質問は答えづらいんだよって、率直に言えればどんなに楽だろう。

 そんな風に不毛なことを考えていたから、エメラ王女の奇襲を防げなかった。

 

「モリーは、近いうちに結婚するのよね。お母さまがそんな感じのことも言ってたから、なんとなく覚えていたんだけど」

「……は、はい。それは、そうなのですが。王妃様が、わざわざそんなことを話題にされたのですか?」

「ええ。夕食の席で、ちょっとした世間話ってやつなのかな。よく城内の出来事とか、その日にあったことをよく話すんだけどね。そこで、モリーの話が出たの。――で、オサナ君との教育の話にもなって、私が興味があるって言ったから。よくよく考えたら、今モリーの授業を受けているのも、あの日の会話が原因なのかもね?」

 

 容易ならざる事態になった。直感的に、私はそう判断せざるを得なかった。

 ――メイルさんだけではない。ザラもクッコ・ローセも交えて、相談すべきことが増えたと思う。

 

「話がそれちゃった。……ええと、それでね。モリーは結婚するんだから、私に結婚生活の内容について、色々教えてほしいの。私の近くには、そこまで教えてくれそうな相手がいないし、モリーが答えてくれるなら助かるなって」

「申し訳ないのですが、私の家庭は、一般的な王族のそれとは違いますし、参考になるとも思えません」

「知ってる。私、本当に知ってるのよ? 女同士だと子供ができないとか、不便なことがあるとか。……これも、聞いた話だけどね。でも、結婚生活に、違いはないでしょう? 上手くいかないこととか、お互いに嬉しいと思ったこととか。――参考にできる話は、多いほうが良い。違う? モリー先生」

 

 エメラ王女の行動原理が、好奇心であることは疑うべくもない。だが、拒むほどの深刻な理由がないのも確かだった。

 しかし、私がそこまで自分自身を主張して、政治的な軋轢を生まずに済むかどうか。

 私生活をひけらかすような手合いに教育を任せて、彼女の母である王妃は、どう思うものか。それが、気がかりだった。

 

「……教師として、結婚生活まで指南せよとおっしゃられる? それこそ、王妃様の許可が必要な話だと思います。エメラ王女の教育方針については、王妃様の権限に関わること。こちらで出過ぎたことをするわけには――」

「じゃあ問題ないわね! 私が頼めば、きっとお母さまは反対しないし……そうね、それなら私と一緒に会いに行きましょうか」

「――はい?」

「決まりね。大丈夫! お母さまはいい人よ。……ちょっと怖い所もあるけど。でも、きっとモリーのことは、気に入ってくれるわ」

 

 一瞬、私が呆けていたとしても、責められはするまい。それだけ、エメラ王女の口にしたことは衝撃的であったから。

 

「エメラ王女。モリーにとっては、いきなりの話だろう。今日のところは、素直に授業を受けて、それで終わりにしないか? 王妃様との面会は、帰ってから検討してもいいと思うぞ」

「オサナ君は黙ってて。これは、譲れないんだから」

「僕は自分の意思で言葉を口にしている。エメラ王女とて、それを封じることはできないし、許されない。……僕は、貴女の庇護下にあるわけじゃないんだから、意見したいと思ったら遠慮なくする」

「――最近、本当にかわいくなくなったわね。でも、いいわ。私はお姉さんだから、受け入れてあげるの。よかったわね、モリー先生?」

 

 これまで沈黙していたオサナ王子が、助け舟を出してくれる。そうした事態が、私にはひたすらにありがたかった。

 彼の一言で、己を取り戻す。教え子に助けられるという幸福を、私はかみしめつつ、エメラ王女と向かい合う。

 

「ともあれ、王妃様と私が面会するかどうかは、また後日の話にしましょう。とにかく、東方の講義がまだ残っています。――せっかくの温泉旅行なのですから、勉強はさっさと終わらせようではありませんか」

「……そうね。じゃ、モリー。色々と面倒が増えるかもしれないけど、考えておいてね」

 

 何を、とは問わなかった。私にとって大事なのは、講義を続けることで――そうして、厄介ごとから目を離すことだった。

 目の前の仕事を片付けてから、問題に目を向けるべき。まず何よりも、卑近なことこそ重要である。

 ……すべての講義を終わらせて、解散した後。自室に戻ってから、頭を抱える。

 本当にどうしてこうなった。王妃様との面会は、本当にエメラ王女の思いつきなのだろう。あまりに唐突な話し方だったから。

 

 ――だったら、話がうまく進むはずはないし、放置してもいいはずである。だが、私の感覚は、ひたすらに危機感を訴え続けていた。

 運命の流れともいうべきものが、私を濁流に放り込もうとしているような。そんな違和感を感じつつ、私は王女と王子の温泉旅行が終わるまで、胸騒ぎを抱え込み続けたのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旅行から戻り、帰宅する。ザラは笑顔で迎えてくれたが、私は悩ましい話を彼女に打ち明けねばならなかった。

 当然、両者はこれを厄介ごとと捉えて、今後の展望を考えることになるのだが――。ザラの家に居付いていたクッコ・ローセは、意外なほどに前向きだった。

 

「別に、罰を受けに行くわけじゃないんだ。エメラ王女の紹介なら、胸を張って会いに行けばいい。それでも心配なら――そうだな。メイルの奴とも相談しろ。あいつに話して、悪い顔をしなければ、たぶん悪い結果にはなるまいよ」

 

 メイルは勘の良さだけは、超一流だからな――なんて、クッコ・ローセは言いました。

 理屈でなく、本能で良し悪しを判断する。私にもそうした感覚はあるし、それが危機感をあおっているから心配しているのだが。

 どうも、クッコ・ローセは私のそれより、メイルさんの方を信頼しているらしい。

 

「私は、嫌な予感がして仕方がないのですが」

「それはそうだろうよ。お前にとって、昇進も王族とのコネクションも、そこまで魅力的ではない。私らとの生活以上に優先することなんて、お前にはないんだから」

「……生活を維持するための、政治的な点数稼ぎは、私にも重要だとわかります。今回の件が幸運であるのか、そうでないのか。判断するには、情報が足りてないのでは?」

「ごちゃごちゃ考えたがるのは、お前の悪い癖だな。その繊細さが重要になる場面もあるだろうが、政治においては分析よりも直感が必要になる場があるものだ。――私はただの教官だが、経験はそれなりに積んでいるつもりだ。まあ、だまされたと思って従ってみろよ」

 

 クッコ・ローセにそこまで言われては是非もない。私一人で済む問題なら、いくらでも譲歩できるのだが。

 今後は家庭を持つのだから、色々とナイーブになっても仕方がない状況である。危機感が刺激されやすい環境にあるのだと思えば、自分の感覚が過敏になりすぎていたとも取れる。

 第三者の視点の重要性を加味すれば、やはりメイルさんの判断を基軸にするのが妥当かもしれない。

 なので、さっそく都合がつき次第、家に連れ込んでみました。……いや、違うんですよ。性的な意味でなくて、政治的な意味で貴女を欲したわけで。それは、決してメイルさんを軽視しているわけでなくてですね――。

 

「そう。ちょっと残念だけど、まあいいわ。……エメラ王女が王妃様との面会を約束して、それが実現したら厄介になりそうだな、って。そういう事情ね?」

「はい。なので、実現の可能性と今後の展望について、メイルさんの勘を頼りにしろとクッコ・ローセが言いまして。……申し訳ありませんが、お付き合いください」

「いいんだけどね。――個人的な意見を言うなら、そこまでの危険は感じないわね。本当に、家庭的な要件になるんじゃないかしら。王族の家庭的な問題なんて、国家的にも重大事にもなりえるから、楽観ばかりもしていられないっていうのは本当。……でも、確かに。悪く転がる可能性を考えるよりも、前向きにとらえるべきだと私は思うの」

 

 メイルさんの意見は、私の感覚を鋭く刺激していた。自分だけでは気づけなかったことを、彼女は教えてくれている。

 そうした確信を抱きながら、私は話の続きを促した。

 

「そこまで複雑な話じゃないわ。要は、エメラ王女の後ろに王妃様がいる。双方を味方につける機会を得られたんだって思えばいいわ」

「……きな臭い話になりませんか、それ」

「面倒ごと、厄介ごと、って捉える方法もあるでしょうけど、まず王族に意見を通せる機会自体が得難いものだと思いなさい。――ここまで言えばわかるでしょうけど、今回のそれはモリーに取っては危機であると同時に、それ以上の飛躍の機会でもあるのよ。端的に言えば、エメラ王女の側近になれる可能性がある。それも、王女が嫁いだ後は要職につけるかもしれないほどの、大きな好機になるんじゃないかしら」

 

 メイルさんは、いい笑顔でそう答えた。私としては、困惑するほかない。そこまで大きな話になるのかとも思うし、下手を打てば逆効果なのは変わりないとも思う。

 

「モリーなら下手なんて打たないわよ。万が一の可能性を考えるより、大きな飛躍の機会をよろこぶべきじゃないの?」

「万が一でもあれば、危惧せずにはいられません。私の命は、もはや私だけのものではないのだから」

「お堅いのね、相変わらず。……モリーと一緒に心中できるなら、私たちは本望よ。だから、そんなことで怯まないで。私のために危機感を抱いたとしたら、それは間違い。いつだって、私はモリーの傍にいるし、死ぬときは一緒なんだから、怖くはないわ」

 

 だから私は危機感を抱かずにはいられないんだって、言っても仕方のないことなんだろう。

 だが、悪いことばかりじゃない。要は、私がしくじらなければいいことだ。メイルさんが言うように、前向きに捉えることにしよう。

 

「メイル。お前だけじゃないぞ。私も教官も、想いは同じだ」

 

 ザラが代弁するように言う。彼女が言うなら、本当にそうなのだろう。死ぬときは一緒、なんて陳腐な言葉だが、それを発言し、肯定しているのが他ならぬ彼女たちなのだ。

 その言葉の重みを感じて、私は気を引き締めた。共に幸福になる道を行くのだ、と。

 

「いいわね。じゃ、その時が来たら一緒に逝きましょうか。――もっとも、モリーの目を見るに、そう簡単に済む問題じゃあなくなったみたいだけど」

「大変結構! メイルの勘は確かだからな。お前が言うなら、悪い方には転がるまいよ。……モリーが栄転するなら、私も歓迎だ。妻となる身であれば、どうあっても離れはしないんだからな」

 

 そうして、話は終わりました。私たちは、楽しく語り合って、その日を終えた。

 王妃様との会談が実現し、正式にスケジュールに組み込まれ、たっぷりと時間を確保されたことも、エメラ王女が同席することになったのも。

 

 今や、私たちを恐怖させる理由にはならなかった。一丸となれたのなら、思い悩むことはなにもなかった。ただ、機会をつかみ取ろうとする意欲があるだけ。

 一心同体であることが、こんなにも安らかな気持ちになれるだなんて、私は知らなかった。

 共に生きていけるなら、それだけでいいのだと。そう受け入れられたことが、一番の収穫だった。

 私にとっては、それがすべてだったんだと、自覚できたのだから――。

 

 




 というわけで、次回は王妃様との会談から始まると思います。
 原作では存在だけが明記され、登場していない人物です。筆者の想像が占める部分が大きくなってしまいますが、どうしても避けられない部分なので。

 どうにか上手に納められればいいのですが、さて。
 ともあれ、また次回。来月の投稿まで、しばしお待ちください。


 ……結婚式も、ついでに書くと思います。さほど詳しく書かないというか、バッサリカットする形になるでしょうが。




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ついに独身生活が終わってしまうお話

 モリーも独身生活が終わりますが、結婚式についてはさらっと触れるだけの形になります。

 近代以前の結婚式の詳細とかわからないので、仕方なきこととご理解いただけると幸いです。


 事の発端をかんがみるならば、王族と付き合ったのが運のつき、とも取れようが――私はそこまで現状を悲観していない。これも巡り合わせと思えば、気にやむよりは前向きに捉えるべきだろう。

 危機感は、すでに期待感に置き換えられている。配偶者の信任が得られたなら、もはや恐れるものは何もないとさえ、私は考えられていた。

 

 今や王妃様との会見を前にして、王家専用の庭園に案内されながら、テーブルについて王妃と王女を待つ態勢である。

 かつてシルビア妃殿下を前にしたときは、まだ余裕があった。

 だがクロノワーク王妃たる御方を目にした時――私は、礼を尽くす以上のことを考えられなかった。

 主筋の王妃が、その地位にふさわしい風格を持っていることを、光栄にさえ思う。まさに、あの方の母であるのだと、理屈でなく感覚で理解させられたのだ。

 

「――わらわが、クロノワークが王妃である。此度は娘のわがままに付き合わせ、ご苦労であった」

「特殊部隊副隊長、モリーと申します。この度は――」

「かしこまった挨拶はいらぬ。宮廷と言えば、どこであっても礼儀作法にうるさいものだが、今は別。ただの親子と、その教師の話し合いになると思え。……周囲の目も、今は排除しておる」

 

 礼法にのっとった挨拶と、自己紹介を押し止め、王妃様は率直に親としての顔を見せた。

 目を排除したとは言ったが、警備に穴があるという意味ではない。何を聞かせても口外しない、特別な人員が周りを固めているということだが――。

 果たして、それがただの話し合いに必要なことであるか、いささか疑問である。

 

「モリーよ。そなたには、これから娘の教育を頼むことになる。こちらの思惑はさておいて、まずは引き受けてはもらえぬか? わらわの口から、改めて頼みたい」

「お望みとあらば、是非もございません。――できる限りのことを、尽くします」

 

 そして、私はそれに一般的な教師の対応ができたと思う。……面白みのない答えだったろうが、相手はシルビア妃殿下ではない。口調は似ているし、雰囲気も類似したものがあるが、あの方ほどの鋭さは感じなかった。

 何よりも重要なことだが、私にとっては明確な主筋にあたる。警戒するよりは、何事も受け入れ、尊重する態度を保つのが臣下というものであろう。

 

「エメラ。お前からも改めて挨拶せよ。――この席は、お前の為のものでもある」

「はぁい。……モリー。オサナ君ともども、これからよろしくね?」

 

 余りに軽い返答に、王妃様も眉をしかめた。私としては、エメラ王女の性格がどうであれ、王妃様の満足のいく教育ができればいいのだが。

 ――とはいえ、以前シルビア妃殿下が呆れたような、過剰な結果になったら、今度は言い訳が聞くまいとも思う。教育方針次第では、自重も必要だろう。

 

「もう少し、言い方というものがあろう。すまぬな、モリー。この子は、いささか純真に育てすぎた。……比較対象の姉がアレであったゆえ、その辺りを汲んでもらえれば嬉しいのじゃが」

「主筋の姫様であれば、非礼を咎めるにも作法がございます。この場は王妃様がいらっしゃるのですから、私から言うべきことはありません」

「わらわが詫びれば、それで済むことか。――察するに、教育方針もここで伝えておくのが良いのであろう?」

「はい。より具体的であれば、こちらとしては助かります。他の教師たちと連携を図ることを考えるなら、王妃様の意向が強いほどありがたいのですが」

「意向? 正しく威光というべきだな、それは。わらわの言葉を盾にして、自らの教育を正当化しようというのかな?」

 

 シルビア妃殿下と瓜二つと言ってよいほどの、強い眼光が私を見据えた。

 それで委縮するような繊細さが私にあれば、もっと別の人生もあったのだろうか。

 

「ご賢察、恐れ入ります。王族の教育現場というものは、政治の現場と言っても間違いではございますまい。……我が身を守るために、言葉を賜りたい。これは、そういう話なのです」

「ぬけぬけと言いくさる。おぬしのその態度、相手によっては、無礼にしか映らぬぞ。――いや、なるほど。これはシルビアと相性が悪いわけだ。わらわにとっては、その事実がかえって快い」

 

 意図しての言葉か? と王妃様が言う。とんでもない、本心を述べただけだと、私は弁解する。

 空々しい会話だが、内容よりも姿勢が重要だ。私は、なりふり構わず王妃様の庇護を求めた。王妃様は、これを咎めながらも気分を害さなかった。

 何より、娘のシルビア妃殿下の名前を出した時点で、こちらの目論見はすでに成功したようなものである。

 

「シルビア妃殿下とは、なかなか縁が切れません。今後も、何かと面倒を押し付けられる。そうした関係は、勘弁していただきたいと思うのですが――」

「そこは、わらわが出張るようなことではないな。……じゃが、あの子の顔を曇らせるのも、それはそれで楽しいことかもしれぬ。あれは、わらわと悪い所が似すぎたからのう」

 

 強く賢い指導者たること。シルビア妃殿下は、それを体現しているように、私には思える。

 短所を補って余りある長所が、彼女を支配者として君臨させている。私は、そこまで妃殿下の短所を酷評するつもりはないのだが、親ともなれば異なる感想を抱くものらしい。

 

「話は脱線するが、わらわとて好きで強かになったわけではない。生まれはクロノワークではないし、それなりに上品な環境で幼い時期を過ごした自覚もある。――じゃが、それ以上に少女時代を戦乱にまみれて育ったことも確かなのだ。ここに嫁いだ後は、優雅な暮らしを取り戻したというのも、また事実ではあるがね」

 

 王妃様の護衛隊は、その内情も装備も絢爛としたものだと聞いている。貧乏国なりの見栄でもあろうが、それを許すだけの政治力が、王妃様にあったという証でもある。

 王族の正妃ともなれば、予算もそこそこつけられてしかるべきだが、クロノワークはどこまで言っても武の国だ。

 護衛隊の方に予算を割いていれば、実際に優雅と言えるほどの生活ができていたかどうか。怪しいものではないか、と私は思う。

 

「優雅、と言って良いものでしょうか? 今後はともかく、これまでのクロノワークは貧しい国でした。上品な育ちであれば、なかなか耐えられぬものと思われますが」

「戦場と比べれば、平和な環境というだけで贅沢に思える。わらわはそうした時代を生きたのだし、それだけに今のクロノワークの安定を、心から喜んでいるのだ。末娘の教育を気にかけるほどの余裕も、こうして生まれるほどに。――よくよく考えれば、ゼニアルゼからの援助も大きい。シルビアに一方的に貸しを作らされた気分で、なかなか不愉快な話でもあるがな」

 

 王族の悩みなど、私には理解が及ばぬ範囲である。育ちが良いほどに、戦乱の時代は厳しく感じられたことだろう。

 一世代上の人々に対して、私は尊敬を覚える。先代から私達の代に至るまで、多くの人が尽力した結果が今なのだ。小競り合いで済んでいる現状は、まさに王妃様の世代から作り上げてきたことである。

 そうと思えば、やはり恭しく言葉を賜ることも、必須であるように思う。礼儀としても、そうすべきだと私は信ずる。

 

「まあ、よい。具体的な教育方針、であったな? それはもう決めてある」

「拝聴いたします」

「うむ。――オサナ王子と同じ内容を教育せよ。エメラが特別に講義してほしいと望むことがあれば、これにも応えてやってくれ。内容に文句は言わぬ、言わせぬ。元より、本人が求めたことだ。わらわはこれを追認する。……どうかな? 形としては、これで問題ないと思うが」

 

 私なら、将来に悪影響を与えるような教育はしない――という。

 この種の信頼があるから、ここまで明言してくれるのだろう。その事実が、私に責任の重さを自覚させる。

 

「私の授業内容は、事前に検閲しないのですか? テキストなども、望まれるなら提出するつもりでしたが」

「おぬしのやり易いようにやれ、こちらから難癖はつけぬ。エメラが如何に変化したかは、わらわの方で見ておくゆえ、心配はいらんよ。それよりも――」

 

 意味ありげにこちらを見やり、それからエメラ王女に視線を向けた。

 

「教育の話をするならば、その子自身の資質について、わらわの方から伝えておくことが、いくつかある」

「お母さま?」

「エメラ。お前がお前のままでいられたのは、わらわがそれを許したからだ。権謀術数から身を遠ざけ、人の悪意の目に触れさせず、過酷な環境への理解もない。……ただの子供であることを、わらわは許した。これは、姉のシルビアには、決して与えてやれなかったものだ」

 

 懺悔するように、王妃様は言った。その言葉の中には、わずかに罪悪感が隠れているようで。――続く言葉は、さらに具体的だった。

 

「モリー。この子は、泥水のような、屈辱の苦さすら知らぬのだ。戦場の砂塵が目に入る痛みも、餓えに倒れる兵の哀れさも。敵地を暗闇の中で走る恐怖も、戦火に震える民の目を見たことすらない。――わらわの世代では、考えられなかったことよ」

 

 王妃様は、シルビア妃殿下がそうであったように、戦争を知っている。もちろん、王妃様はあの方ほど戦場の経験はあるまいし、軍事的才能に恵まれているわけでもない。

 本人が言われるように、つらい記憶は遠い彼方で、親子共に王族として不自由ない生活を送っている。

 王妃様は、ただ知っていることを話しているだけだ。それだけでも、充分に重い内容である。特に、エメラ王女にとっては。

 

「でも、お母さま。私には、戦争世代とは話が合わないのは当然だって、お父さまが言ってたじゃない。そんな時は、適当に話を合わせて流すのがいいんだって」

「わらわの見解は違う。話を無理に合わせようとする方が、よほど寒い感情を相手に与えよう。……うわべだけの言葉で取り繕えるほど、戦の傷跡は浅くないものよ。ここまで知らせるつもりは、本当はなかったのじゃが」

 

 わからぬことはわからぬこととして、触れさせぬのが親心というものだと。そう思っていたのだと王妃様は言った。その上で、私を見る。

 

「しかし、モリー。今はおぬしがいる。王族であろうとも、おもねらず、真摯に子供として向かい合ってくれる大人が、ここにおるのだ。――くどいようだが、くれぐれも頼むぞ」

「……ご期待に応えられるよう、微力を尽くします」

 

 他に言いようがあるだろうか。決して悪い気分ではないのだが、王妃様から直々に頼まれると、一介の騎士としては恐縮するばかりである。

 

「おぬしをエメラの取り巻きに加えるのは、反発が多かろうと思う。この子は馬鹿ではないが、基本的に周囲の愛情を疑ったことのない子だ。与えられた感情を、そのまま受け止めて、素直に返す。そうした資質に恵まれたと、そういうことも出来ようが――」

 

 愛情が、時に人を傷つけるということ。その意味を理解できるほど、情緒が育っていないのだと王妃様は言いました。でも子供に対して、そこまで多くのことを求めたくないと、私は思う。

 

「おっしゃりたいことは、なんとなくわかります。私から言えるのは、エメラ王女は、まだ子供だということです」

 

 エメラ王女の周囲の人間が、私を貶める可能性がある。讒言を行うかもしれぬ、と王妃様は言いたいのだろう。

 気持ちはわかる。ぽっと出の私を危険視し、特殊部隊という出身について、偏見をもって悪く言う人もいるだろう。――それが、エメラ王女の為であると、本気で案じて。

 この辺りのフォローも、私には求められている。エメラ王女の感覚と、周囲の感情の齟齬。年頃の女の子には、上手に処理できなくて当然だ。私は主筋の娘に対して、助力を惜しもうとは思わない。

 

「シルビアであれば、ここまで配慮する必要もなかったのであろうがな。あの子は子供の時分から、その才気を発揮しておった。……まあ、これはわらわの責任だ。才能のある子が生まれて、嬉しかった。調子に乗らせても、それで上手くいっているなら、それでいいのだと錯覚して。結果として――あの子に、三度も結婚を失敗させてしまった。わらわ自身は、良い結婚をしたという自覚がある分、どうしても顔を合わせづらくなってなぁ……。それでいて、実際に会えば苦言ばかり口にしたくなる。似ている分だけ、感情も複雑になる。老いとは、親とは、何とも難しいものよの」

 

 どこか遠い目をしながら、王妃様は呟いた。この方なりに、シルビア妃殿下に対して思うところがあるのだろう。

 それを追及する資格は、私にはない。ただ黙って、傾聴する。

 

「いや、すまぬ。話がそれたな。とにかく、エメラは周囲の感情に配慮するほどの能力を持たぬ。――結果として、おぬしは難しい立場に身を置くことになるな」

「王妃様の意図通りに、ですか?」

「……エメラもやがては嫁に行く。その時、嫁入り道具と共についていく人員に、おぬしがいれば面白いと思うのでな。苦労が重なれば、かえって愛情も湧く。打てば響くような資質を持つ、エメラのような子であれば、なおさらよ。そうであろう?」

 

 必要十分の返答はいただいた、と考えることにする。情を抱く程度には、エメラ王女との付き合いも長くなるに違いないのだから。

 

「否定は致しません。全ては、これからなのです。私も、王女も、妃殿下も皆」

「そう言ってくれるおぬしであればこそ、託すに足るとわらわは見る。シルビアも、まさにそうであればこそ、おぬしを頼るのであろう」

 

 本心を隠さずに、王妃様は言ってくれている。私には、それがわかる。

 エメラ王女に私を意識させたのは、まちがいなくこの方の意思だろう。私に利用価値を認めたのみならず、我が子へ影響を与えることを許した。

 それだけ見込まれていると思えば、気後れなどしている場合ではない。

 

「関係性があり、近づく理由も相応にある。正式に守り役とするには、まだ過程を踏まねばなるまいが――まあ、それくらい手間とは思わんよ。それくらい、おぬしは価値のある駒じゃ」

「評価していただいたこと、ありがたく思います。しかし、私の他にも有望な人材は居るでしょう。あえて、私である必要があるのですか?」

 

 私でなくともいいのに、という想いは、常に私の心にあった。好意も期待も、抱かれることを光栄に思いつつも、私でなければならぬ理由は何か? 不思議といえば不思議だった。

 たまたま相手の目について、気まぐれに近い好意を得ただけと思えば、それで納得も出来るのだが。

 

「必要性はある。……伝手が広く有能で使い出のありそうな人材と言えば、なかなか貴重なのだ。しかも国内外の貴族との結びつきがない家の出で、シルビアに物申せるほどの力の持ち主と言えば、そう多くない。エメラは、なるべくシルビアの才に毒されてほしくないのでな。おぬしに見てもらえるなら、安心できる」

「私はすでに、シルビア妃殿下の才能と業績について、エメラ王女に講義しています。これは、許されるのですか?」

「シルビアの短所が、エメラに引き継がれたわけではあるまい。姉妹関係が良好であるのは喜ぶべきことであるし、おぬしの働きがそれに一躍買ったとすれば、むしろ感謝したいとさえ思うぞ」

 

 私の経歴というか、あちこちでの働きも、この分では調べつくされているに違いない。もしかしたら、会話の内容さえも。

 あらゆる要素を考慮されながらも、私を有用であると判断されたわけだ。

 

「エメラ。モリーをどう思う? まだ付き合いは浅かろうが、思うところはあろう」

「うーん。……まだわからないけど、付き合ってて嫌な感じはしないかな。オサナ君も先生として認めてるんだし、悪い人じゃないと思う」

「だ、そうだ。――心配が一つ消えたな? これでもエメラに歩み寄れぬなら、それはおぬしの問題であろうよ」

 

 意地の悪い言い方をされるものだ、と思う。もともと反抗するつもりなどなかったのだが、念を押したり、確認するように言葉にするのは、王妃様なりの処世術なのだろう。おそらくは、そうやって政治の場を生き抜いてきたのだ。

 

「……仰せの通りにいたしましょう。エメラ王女、今後ともよろしくお願いいたしますね」

「うむ。エメラも、モリーの言うことはよく聞いて、真面目に勉強するようにな」

「はぁい。でも、あんまり宿題は多く出さないでね。さぼりたくなっちゃうから」

 

 正直に告白してくれるのは、誠意と取るべきか。怠け根性をしかるべきか。

 ……まあ、それならそれで、対応を考えていけばいいだけの話。教育だけを捉えるなら、エメラ王女への対処はそこまで難しくない。

 

「エメラ。わらわとモリーは、もう少し話を続けたいが、眠くなったならいつでも自室に戻ってよいぞ」

「そうする。けど、もうちょっとだけ聞きたいの。……なんとなく、聞き逃したら駄目な気がするから」

 

 だから気にしないで続けてほしいと、エメラ王女は言った。

 それでこそだ、とばかりに王妃様は怪しく笑った。厄い気配を感じたのは、気のせいではないだろうと思う。

 

「さて、モリー。エメラはお前に興味を持った。その発端がオサナ王子であることは、当然わかっておるであろうな」

「それは、もう」

「正直に言うが、あれとエメラは不釣り合いであると思っていた。本来であれば、婚約者候補になっても、実際に嫁げたかどうかは微妙なところであったろう」

 

 もちろん、可能性は皆無ではなかったが――なんて王妃様は言う。

 ここまで言われれば、続く言葉は想像がつく。

 

「やはり、私のせいだ、とでも言うおつもりでしょうか」

「まさに、おぬしのせいだとも。エメラと、成長したオサナ王子が結ばれれば、合法的にクロノワークとソクオチを併合する目も出てこよう。――いや併合ではなく、同盟関係が長続きするなら、そちらでもよい。要は、こちらに都合よく動いてくれる隣国があればいいのだ」

「この場でそこまで言われるということは、ほぼ決定事項なのですか?」

「未来は誰にもわからぬ。じゃが現実的な話として、考慮してもいいくらいには、わらわも王も意見を同じくしておる」

 

 王妃様のみならず、王もエメラ王女の嫁ぎ先として考えている。オサナ王子の価値がここまで上昇したことに、私は確かにかかわっていると言えるだろう。

 ……私が過分な評価をいただいているのは、先のソクオチの騒動で、勲章を授与されたことが影響しているかもしれない。

 

「ソクオチにて、反乱騒ぎがあったであろう? 周囲の助けがあったとはいえ、これを自ら主導して治めて見せたことが、やはり大きいな。将来性のある王子であれば、わらわとしても娘を託すに足ると思いたくなる。ましてモリーのような補佐役がいるなら、何の不安があろうか」

「私をソクオチの楔として打ち込み、クロノワークとの橋渡しとして働かせつつ、併合する口実にもしようとおっしゃられますか」

「そこまで至るかは、さて、どうかな。シルビアに首根っこをつかまれたソクオチだ。時がたてば併合する必要性は改めて判断せねばならぬし、あちらの意図に踊らされる立場にはなりたくない。どちらに転ぶにせよ、わらわの方で主導権を取り返すには、決定的な一手がどうしても必要になるのよ」

 

 そこで一息ついてから、シルビア妃殿下を思わせる――猛禽のごとき目で、王妃様は語った。

 

「エメラを嫁がせれば、シルビアから徴税権と人事権を返還させる、もっともらしい理由付けになろうさ。盟主として、姉として、それくらいは贈答せねば、格好がつくまいよ。それで娘の幸福と国益が同時に満たされるなら、実に魅力的な選択であろう?」

 

 王妃様は、まさしくシルビア妃殿下の母だった。つまらなさそうに聞き流しているエメラ王女とは、役者が違う。結婚話を目前でされていても、この年の少女には、実感として響いてこないのかもしれない。

 エメラ王女は、子供なりに感性の鋭さは見せるものの、彼女は活かし方を知らない。対して王妃様は、豊富な経験から謀略もたしなんで見せる。これには、私も慎重な返答を考えねばなるまい。

 

「しかし、その頃にはゼニアルゼから出向した官僚どもがソクオチの内部に巣くっています。これを引き揚げさせるとなれば、シルビア妃殿下に大きな貸しを作る形になりますが、それはよろしいのですか?」

「常識的な貸しの範囲に収めさせるさ。引き揚げさせる必要があるかは、その時に改めて検討すればよかろう。シルビアとて、母であるわらわに、そこまで強く接するだけの成長をしたとは思えぬ。……あれと私は、似すぎているゆえな。政争の場であれば、互いに向かい合うのも面倒に思うほどよ。わらわがいる限り、過剰な持ち出しは許さぬつもりだ」

「貸しは貸しであります。シルビア妃殿下であれば、一度の貸しでさらなる貸しの機会を作るでしょう。そうやって相互依存が進むようであれば、根本的な解決になっておりませんが?」

「根本的な解決と言うものは、常に相応の時間と手順が必要になるもの。そこは、おぬしに任せる。わらわとて老いには勝てぬし、鈍りもする。いずれはシルビアを抑えきれなくなる時が来よう。――しかし権限と時間さえあれば、おぬしはシルビアを上手にあしらえるであろうよ。それくらいには見込んでおる」

 

 で、その見込みを外すなら期待外れだってことで、私を庇護する理由も消える。ひいては、我が家のお嫁さんたちにも類が及ぶんだろうっていうね。

 結果として、私は必死に活路を探さねばならないわけだ。――私を酷使するだけの名分を、王妃様は確保している。そう思えば、いまいましく思ってもバチは当たるまい。

 

「厄介事を押し付けてくださる。そこまで、エメラ王女が可愛いですか? それとも、シルビア妃殿下を憎んでいるのでしょうか」

「等しく愛したいと願っておるとも。エメラをひいきしている自覚はあるが、シルビアを娘として大切に思う気持ちもある。……繰り言になるが、わらわも老いた。老いを自覚するほど、正直に感情を示すことも難しくなる。それを哀れに思うなら、モリーよ。どうか手を貸してはくれまいか」

 

 王妃様の言動とは、老獪と言うほかない。そこまで言われたら、臣下がどうして断れようか。

 従うのみならず、最善を尽くさずにはおれぬ。主君とそれに連なる血筋が、私という存在を求めているのだ。

 君主制の国家において、それに仕える騎士として。日本的な価値観を備えた、武士の忠義に沿うならば、期待に応えるのが益荒男というものだ。

 王妃様直々に頼られたのならば、あらゆる困難に挑み、これを踏破するのが男子というものであろう。誉れとは、そうして得るものである。

 

「仰せのままに。――報酬は、期待してもよろしいでしょうか?」

「そうよな。前払いに、おぬしの結婚式に出席するというのはどうかな。王妃が直々に表れて祝辞を述べれば、誰もおぬしにやっかみを言うことも出来ぬ。……同性婚は、どうあっても多数派にはなれぬ。ごく少数にとどまる希少な例であれば、まして相応の功績を立てた者たちのそれであれば、特例として認めるのも一興であろうよ」

 

 回りくどい言い回しをしているが、王妃様が私たちの結婚式に出席するというだけで、政治的な裏付けになる。

 ……演出が過剰すぎるという気もするが、せっかくの提案だ。ここは、乗らせていただくのが礼儀というものか。

 

「あ、じゃあ私も一緒に出席する。結婚式って見たことないし、どんなのか知りたいの」

「ほう! それは良い。エメラが是非にと望むのなら、わらわが許そう。……問題はあるまいな、モリー」

「ええ、まあ。――断れるような流れではありませんし。でも、途中で退屈になったからと言って、勝手に退出できる儀式ではない、と。それだけは申し上げておきますよ、エメラ王女」

「これも経験だって思うから、大丈夫よ。どうしてもダメなら、体調不良ってことにしてもらうから」

 

 王妃様とエメラ王女が、私たちの結婚式に出席する。これをシルビア妃殿下が知ったら、どうするだろうか。

 ギリギリまで伏せるだろうから、まさか妨害などしてくるとは思わないが――。

 後日、顔を合わせたときに何を言われるかと考えれば、今から憂鬱である。

 

「とりあえず、式に関しては後日打ち合わせるとしまして。……教育に関して、もう一つだけ、お断りしておきたいことがあります」

「――聞こう」

「責任をもって行う以上、それなりの時間を費やすことになります。しかし私の本業は特殊部隊であり、都合がつかない場面も出てくるでしょう。周囲との軋轢もあれば、衝突もあるでしょう。……無理のない範囲で結構です。できる限りの部分で、王妃様が味方してくだされば、大変助かるのですが如何でしょう?」

「できる範囲であれば、力になろう。具体的には言えぬがな、そこは許せ」

「値千金の言質をいただきました。これで、心置きなくエメラ王女をしごけるというものです。――何事も、痛くなければ覚えないものですから。ええ、もちろん加減は致しますとも。痛みとは、常に肉体的なモノとは限らないものです」

 

 王妃様から、必要な言葉は引き出せた。ここまでくれば、後は如何に仕事を進めるかを検討すべき段階であろう。

 

「本当、手加減はしてほしいんだけどね。……体を動かす方はともかく、勉強はちょっと苦手だし」

「エメラ。嫌いだ、苦手だと言って、相手が配慮してくれることを当然と思わぬように。もし敵に迫られたとき、白刃を前にしながらも、腑抜けたことを抜かすようであれば――待っているのは、死である。ゆめゆめ、心せよ」

「……ほら、お母さまって、難しいことを言うのよ。モリーも、何か言ってあげて」

 

 個人的な解釈に立ち入るのは、返答に困るので、あんまり話を振られても困るのですが。しかし求められた以上は、思うところを述べねばなるまい。

 

「エメラ王女の模擬戦への参加は、時期を見て行うことにしますね。他人と争う、ということの意味を理解するには、まず経験してみるのが一番いいので」

「言ってほしかったのは、そういうことじゃないんだけどなぁ……」

「うむ、うむ。エメラも、そろそろ闘争の何たるかを知っても良い頃よ。――加減は任せるが、人格をゆがませることのないように」

「純真さを失わせず、ただ鍛えよとおっしゃられる。難題ではありますが、努力はいたしますとも」

 

 結果がどうなるかは、やってみるまでわからない。それでも、できませんは通らないのが宮仕えというものだ。

 授業の計画を、詳細に立てねばなるまい。すると、本来の特殊部隊の業務が圧迫されそうである。

 人事異動の可能性が、真実味を帯びてきたと感ずる。――その時が来るとしても、もう少しは先のことだと思っていたけれど。案外、その時は近いのかもしれない。

 

 私自身が、婚儀を挙げることになるなどとは、考えもしなかったように。

 あるいは、エメラ王女の直臣となる未来も、ありえるのかもしれない。

 翻訳家として生きる道もなくはないし、ミンロンとの伝手を使えば、他にも生きる糧を見つけることはできるだろう。

 未来は多様で、あらゆる手段を求められる。そう思えば、長生きするのも悪くはないのか――なんて。今更のように、私は思うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結婚式の当日ともなれば、緊張するものなんだろうって思われがちだけどね。

 当事者になってしまえば、思考停止する瞬間がいくつもあって、考えるより先に体が動いたりして。

 あれよあれよと進行していってね? 気付けば初夜の床にあるっていうね、なんとも言い難い一日になりました。まる。

 

「色々あったが、夜はこれからだぞ、モリー」

「えっ、あ、はい。……それは、まあ、そう、ですかね」

 

 まあ色々とまだ終わってないんですけどね! ザラの声に、戸惑うような反応しか返せなかったのは、我ながらどうかと思う。

 でも押し倒されてないから、まだセーフ。いや、この後に及んで手も出せないとかアレなんですが、自分からっていうのもハードルが高いもので。

 

「最初は私からというのは既定路線だが、やはり緊張するかな? 私も、人のことは言えないが……そうだな。少し、話そうか」

「あっ、はい。そう、ですね。――気持ちを落ち着かせるにも、話すのはいいかもしれません。今日は何とも、色々と刺激的な式でしたから」

「刺激的と言えば――まさか、あのお方が出てくるとはな。お前なりのサプライズと言ったところか? ええ?」

 

 ザラがからかい半分に、そういった。私はあの方々の件を誰にも話してなかった。だから、その時は本当に全員が驚いたと思う。

 事前に裏方のスタッフと打ち合わせはしていたんだけど、当事者たる彼女たちにはあえて知らせなかった。サプライズとして、これ以上のものはなかったと思う。

 式の半分は、もううろ覚えだけど。本当に王妃様とエメラ王女が来てくれてたのは、把握してるよ。最後まで付き合ってくださったことには、もう感謝しかない。

 

「唐突であったからこそ、意味のある行為でしたから。……一応言っておきますが、王妃様もエメラ王女も、自ら望んであの場に来られたのです。政治的な貸し借りというものは――まあ、ないとは言いませんがそこまで大きなものにはならないはずです」

「お前はまた、そうやって勝手に……! いい加減、身体に教え込んでやりたくなるな」

「おおっと。……相談しなかったのは、それなりの理由あってのことです。だから、私は謝りませんよ」

 

 寝技に持ち込まれるのは、まだ心の準備ができてないので避けまして。

 ――今はまだこちらのペース。主導権があるうちは、やすやすと誘いには乗りませんよ。

 謝らないのは、その必要がないという以上に、力関係も明確にしておきたいから。……こういう辺りに、私の男としての意識が強く出てるんだろう。

 

「ほう? どんな言い訳をしてくれるのか。興味があるな」

「第一に、王妃様の意向であれば、我々が合議したところで結果を変えられるわけがない、ということ。面倒は御免だと言っても、あちらから突っ込んでくるものは避けようがない。違いますか?」

 

 王妃様の意向、ってことにしておいた方が都合が良いので、そういうことにしてもらってます。

 誰にも文句を言われない形で、祝福していただく。そこまでしてもらわねば、私への報酬にはなりませんからね。

 

「だとしても、心の準備というものがあるだろ。初夜のそれとは、また違うかもしれんが、黙っていることはないじゃないか」

「――いきなりの話だったということもありますが。対策を練る時間がない以上、王族の気まぐれに振り回される感覚を、皆で共有しておきたかったのですね。実際、骨身に染みたでしょう?」

 

 こう言えば、メイルさんは業務上、充分以上に理解してくれるだろう。クッコ・ローセも、経験があるだろうから、多少は驚いても普通に受け入れてくれる。

 クミンは、他人事だったことが自分に降りかかることで、新たな悩みが出てくるはずだ。とはいえ彼女はしたたかな女性であるから、時間はかかるだろうが、適応できないことはあるまい。

 だが、ザラはどうか。今まで縁が遠かっただけに、より大きな動揺を生んだに違いない。

 

「目論見道理というわけか? だが共有して、どうなる。連帯感がどうやら、なんて言ってくれるなよ。そういうのは、今更の話だ」

「物事の主軸は私にある、ということです。我が家で何かしらの変事があるなら、それは私が常に発端となる。そうでなかった時があったとしても、責任は私自身にかかってくるのだと。……それを自覚していただく、いい機会になると思ったのです。この手の事柄は、印象が強ければ強いほどいい。だから、事前に相談しませんでした」

 

 結婚式当日くらいは、私がマウントを取ってもいいでしょう――と。端的に言えば、それだけの話です。

 逆に言えば、これを過ぎれば、後は尻に敷かれても本望と言うもの。男としての意識を強く示せるのは、きっと、これが最後だと思うから。

 

「お前だけがすまし顔で、式を進行できた。その事実だけで、私らが大人しくなると思うか?」

「いいえ。ただ、式に参加した方々。あるいは、その内容を伝え聞いた人たちはどう思うでしょう。大事なのは、そこなのです」

「モリーの家は、モリー自身が統治している。奥方たちに動かされるような、弱い当主ではないと、周囲に示すことになった。……見方を変えれば、そういうことになるのか?」

「まだまだ印象は薄いでしょうが、この手のことは最初が大事。そして、積み重ねれば事実としても認識される。――実際の家庭内で、私が皆の尻に敷かれていたとしても。対外的な姿勢に変わりがなければ、周囲は勝手に都合よく理解してくれるでしょう」

 

 視点によっては、男としてのプライドを守るために必死になってるようにも見えようが。

 それを正確に捉えられるのは、この世に私以外にはいない。だから、彼女たちの目には、おそらく単に背伸びをしているように見えるだろう。それならそれでいい、と私は思う。

 

「私にはわからんが、お前なりにプライドを持っていることは、なんとなくわかったよ」

「ご理解くださり、ありがとうございます」

「それはそれとして、気に入らないとは思うがね。――そんな演出を必要とするほどに、私達の家が大きくなるとは考えづらいぞ」

「そうですね。……本当に、そうであってほしいと思うのですが。最近、転がってほしくない方向に話が飛んでいくことも多いので、色々と警戒してしまうのです。こうなれば開き直って、力を付けられるだけつけていこうかとも思っていますよ」

 

 で、こうやってザラの逆鱗をなでる結果になったのは、まあ失策とも言えるのですが。

 彼女の不機嫌を買ってでも、必要なことだと私は思った。それが正しかったかどうかは、今後の展開を見ていかねば判断できぬことだろう。

 

「エメラ王女の嫁入り道具にされかねない、というのも、転がってほしくない話に入るのか?」

「新婚初夜に、他所の嫁入りの話をするというののも――まあ滑稽に聞こえますが。本音を言うなら、そこまで忌避する必要はないと思っています。あくまでも就職先の一つと考えれば、選択肢に入れるのもアリでしょう」

「こちらに選択の余地があればいいがな。……お前は何時もそうだ。状況が勝手に転がって、小手先の技術でしのぐばかり。お前自身、何がやりたいのか。どうなりたいのか。最終的な形を明確にしなければ、流され続ける人生になるぞ」

「それでは、ザラにも、他の皆にも申し訳ない。――私は、私自身の未来について、決断すべき時期に来ているのだと自覚しています。結論を出すには、まだ少し時間をいただきたいのですが……」

 

 どうなりたいか、と問われれば、皆で幸せになりたいのだと素直に言える。

 しかしそのために必要なものが何か、と問われたら。いかにして幸福を維持するのか、と聞かれたら。

 私は、これに明確な答えを返すことがまだできない。だから、今は時間が欲しいと思う。自らの環境と、周囲の情勢を見極めるだけの時間が。

 

「それは、いいさ。私たち全員を抱き止めるのが、お前の義務だと思えば、そうそう無理強いも出来ん。それはそうと」

「はい」

「せっかくの初夜なんだ。お前もそうだが、私も決断してここにいる。……据え膳を無下にして、私達に恥をかかせてくれるなよ」

 

 言葉は無用。あとは私が、夫として相応しい振る舞いをすればいいだけ。

 

「童貞に、過剰な期待は、なさいませんよう」

「いい年して処女の私は、そこまでの知識も技術もないんだ。……好きにしてくれたらいい」

 

 好きにしろ、だなんていわれたら、私にできることなんて限られている。

 欲望を発散するのに、大義名分が必要であったとしたら、それがこれ以上なく満たされた状態であったわけで。

 ――理性を感情が凌駕するという、久しく感じていなかった経験を通じて、私は感情のままにふるまったのでした。

 

 事後のことですが、ザラは一応満足してくれたそうです。一つ文句をつけるとしたら、初めてのくせに言動が手慣れていたのが気に食わない、とのこと。

 私から感想を求めたわけでもないのに、色々と評するのはいたたまれないので、勘弁してくれませんかねぇ……。

 というか、手慣れてなんかいませんよザラが相手だったから特別なんですよ――なんて。そこまで口にする勇気を、私は持てなかったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手慣れた遊び人なら別でしょうが、流石に一晩でザラ以外も相手にできるほど、熟練してはいません。

 翌朝まで付き合えたこと自体、私にとっては偉業と言うべきものでした。……この点は、初体験故致し方なし、と伴侶の皆様方にはご理解いただいている。一番槍はザラで、初夜は彼女に譲るというのが、事前の打ち合わせで決まっていた。

 本日もお休みはもらっているので、しばらくゆっくりしたい気持ちもあるけど――嫁さんを四人ももらった身としては、彼女らへの配慮が第一だと思うのです。新婚だしね。

 

 ザラの家はこれで結構大きなもので、家族五人が過ごすには不足ないくらいの間取りがある。

 一人一人が私室を持てるのは、本当にいいことだと思います。個人的に。

 

「で、次に来るのが私な辺り、色々といっぱいいっぱいなんだろ? 思うところがあるなら吐き出して見せろよ、ほら」

「クッコ・ローセには敵いませんね。……本当に、甘えたくなるから困ります」

 

 私は彼女らを支える立場であって、一方的に甘えていい相手ではないはずなのに。

 それでも、一番年上の彼女にはどうしようもなく。自然と口調が甘くなるのも、クッコ・ローセの懐の深さを思えば致し方なきことと思っていただきたい。

 

「あのな、モリー」

「はい」

「あんまり、その声を私に向けてくれるな。……何と言うか、その、アレだ。そそられるから、困る」

「失礼しました。――いけませんね、どうも」

 

 私が癒されても仕方ないんですよ。クッコ・ローセが安穏と暮らせる環境を整えるのが、私の大切な役目なのです。

 

「昨日は婚儀のあれこれで、あわただしかったですが、どうにか上手く締められたと思います。――クッコ・ローセの感想としては、いかがでしたか?」

「生涯一度きりの婚礼だと思えば、何でも良い思い出になるさ。初夜に参加できなかったのは、少し心残りだが。……ああ、ザラの具合はどうだったね? まさか緊張のあまり、覚えてないとか」

 

 下世話な話だが、これも彼女なりの気遣いなのだろう。上手くいかなかったのなら、慰めてやろうとでも言いたげでもあった。

 

「婚礼の場と寝台の上とでは、状況が違います。――何より、私は夫であり彼女は妻です。これ以上の解説は、余計というものでしょう」

「違いない」

 

 ザラの様子を見ればわかることだ、と彼女は言った。

 

「まさに。……とりあえず、恥は掻かせずにすみましたよ」

「ま、お前がそう言えるのなら、良しとしておこうか。このまま駄弁っても良いが、せっかくだ。私にも付き合え」

 

 そうして体を密着させてくるのは、反則に近いと思うのです。

 ……いい女はいい匂いしかしない、とは誰が言った言葉だったか、だなんて。いつかどこかで聞いたようなセリフを、つい思い出した。

 

「なし崩し的に押し倒される前に、一つだけいいですか?」

「手短にな。朝食の用意ならクミンがやってるし、半時間もあれば満足させてやるさ」

「――ご配慮、痛み入ります。それはそれとして、ですね」

「おう、何だ?」

「ノックの音。……聞こえないふりをするのは、やめませんか?」

 

 実は、ちょっと前から聞こえていたのだが。私としても、クッコ・ローセの顔が迫ってくる状況で、冷静さを保つのは難しかったというわけで。

 でもいい加減、無視するにはノックの音が大きくなりすぎていた。

 

「無粋な奴め。ザラは流石に遠慮するだろうが、ここで邪魔をしてくるような奴と言えば――」

「はい、私です。……朝食の準備ができましたので、呼びに来ましたよ」

「半時間くらい、気を聞かせてくれても良かろうに」

「これは失敬。――いえ、別段構わないと言えば構わなかったのですが、ザラとメイルの二人にせっつかれては、私などではどうにも」

 

 ならば仕方がないな、とクッコ・ローセは納得して見せた。

 内心はどうあれ、私は解放されるらしい。かえって後が怖いともいえるが、今考えるべきことでもあるまい。

 

「何気に二人を呼び捨てにしているが、仲良くなったつもりか? おい」

「お互いに仲良くしなければならない状況で、呼び捨てくらいで咎めるのもどうなんでしょうね? しかも、当事者でない貴女が言うべき嫌味でもないと思いますが」

「……お二人とも、そこまで。朝食ができたのでしょう? なら、冷める前にいただくのが礼儀と言うものです」

 

 クミンがわざと言っていると、雰囲気で何となく察した。私の仲裁を引き出すために、あえて挑発したと見える。

 クッコ・ローセにその手の小細工は不要だと言いたいが、これも彼女なりの処世術と思えば、無下にも出来ぬ。

 

「クッコ・ローセ。どうか、許してあげてください。クミンとて、初めての環境に慣れるのに精いっぱいなのですから」

「そうだな。お前は、いつも正しいとも、モリー。――わかっている。クミンの方から無礼を詫びるなら、水に流そう。何、頭を下げろとまでは言わん。砂糖菓子の一つでもおごってくれるなら、それで手打ちにしようじゃないか」

 

 冗談じみた口調で言ったが、クッコ・ローセは本気でクミンを気にかけているようだった。

 彼女は立派な大人だから、政治的な虚勢の張り方について、理解もあった。だがザラもメイルも、その辺りの機微には疎いはずである。

 菓子折り一つで、クッコ・ローセは助力する名分を得る。クミンが協力を要請するなら、応えるのはやぶさかではない――と、彼女は言うのだ。

 

「ご苦労を掛けます」

「あいつの為じゃない。お前の為だ。別段、クミンを嫌うわけではないし、ああいう手合いの利用価値も認めている。……しかし、私にも女としての感情があるのでね。そこは、忘れてほしくないものだ」

「クミンには、強く言い聞かせましょう。クッコ・ローセの機嫌を取るように、と。それが彼女の為であると、話せば理解するくらいの能はある相手です」

 

 なので、不安に思うことはないと公言する。これで、二人は協力し合う土台が整ったわけだ。

 

「ならば良いが。できれば、クミンの方から色よい答えと言うものを、直にこの耳で聞きたいものだ」

「そうしましょう。朝食が終わり次第、こちらから提案して見せます。拒んだなら、その時はその時と思います」

 

 もっとも、私の心に不安はない。クミンは計算づくで行動に出たはずであり、全てを容認して私の家に嫁いできたはずである。

 ならば高度な柔軟性を保ちつつ、臨機応変な対応をするだけの才覚はあるものと思う。

 それが出来ぬなら、かえって切り捨てる名目が立つ。妻と呼ぶべき女性たちの中で、クミンだけが私の中で異質だった。

 守るべき相手と言う意識はあるが、それはそれとして、優先順位は一番低い。

 彼女自身、そうした己の立場の弱さを自覚しているはずで――。なればこそ、こちらの提案を断るとは思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を終え、食器を片付けて洗い物を済ませれば、衣類の洗濯に取り掛かるのが我が家の日課である。

 ……というか、ザラの習慣に私が合わせた結果なんだけどね。でもこれくらいなら、合わせるほうが夫の甲斐性というものだろう。

 実際、そこまで時間のかかることではないし、休日の朝ともなれば、一時間くらいは家事に使うのも一興だろう。

 

「専業主婦の方には、尊敬の念を禁じえません。――母親の立場から、家庭の全てを運営するということは、何ともしんどいことなのですね」

「私、自分の母親を尊敬するわ。いや、婚期に関わることでは色々と煩かったし、モリーとの結婚にも文句をつけたがったみたいだから、素直に感謝とかできないんだけど。……私自身、同じ立場に立ったとしたら、母と同じだけの仕事ができたか、同じくらいの結果を残せたかどうかは、わからないからね

 

 メイルさんは、彼女の性格から見れば、異例なほどにくどい口調でそう述べた。

 思い悩み、苦悩の中にいる証拠であると、私は捉える、そして慰めるように声をかければ、果たして甘えるように寄り添ってくるのかメイルと言う女性である。

 

「休みの日に、夫によりかかるくらいは、良いわよね? ザラに初夜を譲った分だけ、私にも奉仕してくれると嬉しいの」

「もちろんです、メイル。――貴女は素晴らしい。私は、心からメイルを愛したい。貴女を愛させてもらうという特権を、どうか私に授けてはくれますまいか」

 

 芝居がかった口調は、メイルさんへの奉仕にあたる。こうして特別性を強調するのが、私と彼女の関係性だった。

 やがて自然な、等身大のやり取りへと変化するだろうが、その前に仰々しい芝居じみたやり取りを楽しむのもいいだろう。

 

「もちろん、与えましょうとも。――でも、私の前でクミンといちゃつくのは無しね。ザラと教官相手なら譲れるけど、彼女は別だから」

「妻の間で、差別意識など芽生えてほしくないのですが?」

「もちろん。差別じゃなくて、けじめの話。クミンは身内判定するのはまだ早いから。理由は、わかるわよね?」

「わかります。――では、クミンさんのケアをしてから、メイルに奉仕すると致しましょう。これが我が家の裁定として、受け入れてください」

「今日は一日、休日だものね。……昼食の担当はザラだから、午前中には私のところに来てほしいの」

「では、そのように」

 

 メイルさんは、特に不満そうな顔もせず、涼しい顔で私の結論を受け入れた。クミンもまた、それを当然のように聞き流した。

 これがおそらく、しばらくは我が家の当たり前の光景になるんだろう。……慣れれば状況は変わる。それまでの我慢だと、自分を叱咤しつつ、クミンに一言。

 

「クミン。挑戦するのは結構ですし、ある程度はコミュニケーションの一環と言うものでしょう。しかし、ここは私の家なので、無軌道なのもよろしくない」

「ほう。それで?」

 

 ザラ、クッコ・ローセ、そしてメイルさんの視線が私に突き刺さる。こうして妻たちの力関係を調整しつつ、家の運営を行うのが私の仕事になるのだ。

 これも男の甲斐性を見せる場と考えれば、そこまで苦になる仕事でもなかった。何しろ愛している自覚も、愛されているという実感も、同じくらいにあるのだから。

 

「……なので、一つだけ約束してください。一度楽しんだら、愛されるための努力も同様に行うこと。――いいですね」

「もちろんいんですとも。いやはや、モリーさんも大変ですね! 私としては、軽いジャブのつもりだったのですが」

「楽しみすぎですよ、クミン。新しい環境に浮かれるのはよろしいですが、私などにたしなめられるような事態は、貴女にとっても不本意でしょう。――元ハーレム嬢として、鋭い政治感覚をここでも活かしてくださいな」

 

 クミンは無難に静かに、協調的な態度で過ごすことも出来たはずだ。なのにあえて挑発的な言葉を使うのは、自分が現状を楽しむため、自らの存在を家の中に刻み込むための儀式なのだろう。

 私がかばうことは、初めから計算に入れていたに違いない。その計算に乗った以上は、私の方針に従う義務が生まれて、そうなれば大手を振って交流を深める口実となる。

 元ハーレム嬢って、軍人にとっては取っつきにくい人種でもあるからね。これくらいのギミックは、可愛いものとして理解しようじゃないか。

 

 ……その日一日は、こうやって妻たちの機嫌を取ることに終始しました。

 一日の半分以上は、身体を酷使していたような気もするけれど、まあまあ。それはそれで、男子の本懐と言うべきもので。

 むしろ役得ではないかさえ、思ったのです。――ついでに言うなら、強靭な女性の体を得て生まれたことを、一番強く感謝した日にもなりました。

 そうでなければ、精力が尽き果てていたことでしょうとも。ええ、ええ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザラもメイルも、そして今やゼニアルゼに詰めることの方が多くなったクッコローセも、その本質は軍人である。

 ザラは武門の家ではないが、騎士としての実績、能力共にクロノワーク有数と言って良いだろう。特殊部隊の運営に関しても、落ち度が全くない。

 少なくとも、王族の私室に招かれるほど、たいそうなことをしたという自覚はなかった。

 

「それで、私などにどのような御用でしょうか、王妃様」

「相談事があってな。モリーの上司兼嫁のおぬしに興味もあったし、一度意見を聞いておきたかったのよ」

 

 直前まで、定かならぬ書状のやり取りしか許されなかったはずが、いまや直接顔を合わせる立場になっていた。

 

「以前はおぬしから書状も受け取ったが、あれは護衛隊の面子を立てねばならなかったからな。一度くらいは、ああいう形でやり取りをせねば、わらわの権威に傷がつくとか何とか、気を回すものが多いのよ。そっけない返答も、それゆえと思え」

「はい。無理なからぬことかと思います。王妃様は、国家の象徴、その一部でもありますから」

「堅苦しいのは嫌いじゃ、とシルビアならば言うであろう。……わらわも、それには同意せぬでもない。前置きが長くなったが、そろそろ語ろうか」

 

 権威と近しくなったのは、間違いなくモリーの影響である。ザラが彼女の妻であり続ける以上、おそらくは避けられぬ事態。

 この変化に適応するのは容易ではないが、ザラはザラなりに節度を守りたいと思っている。

 

「王妃から相談を受けることは、我らにとって栄誉と言うべきでしょう。意見を求められたなら、答えるのが臣下と言うものです」

 

 ザラは王妃の言葉に、そう答えた。平日の昼間、業務の最中に突発的に呼びつけられたことに不穏何かを感じつつも、忠実な態度を崩さない。

 まさに騎士としてあるべき姿であるが、王妃はそこに別人の姿も見えていた。

 

「モリーもおそらく、同じ状況なら同じ言葉で返すのであろうな。上司は部下に似る、というべきか? それとも逆であるのか。追及してみたくもなるな、これは」

「……お戯れを。モリーと私が似ているとしても、それは偶然というものでしょう。あいつはあいつの個性があり、私のそれとは似て非なるものです」

「ま、よい。それで、相談事なのだが。シルビアのことよ」

 

 シルビア妃殿下のこととあらば、ザラとしても慎重な態度が求められる。他家に嫁いだとはいえ、王妃にとっては実の娘だ。

 不敬にあたることは、口にも出せぬ。ザラは、モリーのような度胸は持ち合わせていない。

 

「シルビア妃殿下が、何か?」

「クロノワーク、ゼニアルゼ、そしてソクオチの三国で合同軍事演習を行いたい、との申し出があった。書状にはゼニアルゼの国王の名が記されているが、シルビアの企画であることは疑いようがない。――わらわは、軍事には疎くてな。あれの意図がつかめぬのよ」

 

 確かに重要な問題であるし、疑問ももっともだろう。シルビア妃殿下の真意を探るため、情報収集が必要だとザラは思う。

 

「意見を求められたなら、答えるのが務めでもあります。しかし、王家には専属の相談役がついているはず。軍に相談を持ち込むにしても、特殊部隊の隊長に持っていくには、話が大きすぎると考えますが……?」

 

 自分なりの見解を述べることに異議はないが、どうして自分にこの相談が持ち込まれたのか。王妃の真意こそ、ザラは知りたかった。

 

「わかっておる。じゃが、これは個人的なルートで書状を差し止めているところでな。王ですら、この件はまだ知らん。……正規の方法で、立場の高いものに相談として持ち込めば、政治的に厄介なことになるのじゃよ。それゆえ、内密に話し合える相手を選ぶ必要があったと、そういうことよ」

 

 付け加えるなら、今なら結婚式に出た縁で、冷やかしの為に呼んだという風に演出できよう――とも王妃は言った。

 冗談めかした言い方だが、そこまで予防線を張ったうえでの相談事など、どうせ厄介ごとに決まっている。特に気になる言い回しがあったので、ザラはまずそこから問うた。

 

「差し止める? どうしてでしょう。軍事演習に、そこまでの問題があるとは思えません」

「三国を関わらせるだけでも普通ではないが、規模が段違いなのじゃ。――これに巻き込まれて、どのような結果になるか。わらわでは想像がつかぬ。最近のシルビアは、大きなことをやろうとしているように見えて、どうにも危なっかしい気がするのだ。焦ってはおるまいか、おごっているのではないか。親としては、心配でな」

 

 規模が大きくなったからと言って、何が問題になるのか。ザラにはわからない。

 演習は演習にすぎないはずで、そこに政治的な要素が絡むとは思われぬ。あったとして、それがクロノワーク王妃が深刻に思い悩む理由になるのだろうか。

 とりあえず、件の書状に目を通し、内容を吟味しつつ王妃の話に耳を傾ける。

 

「演習自体が穏便に終わったとしても、政治的な問題を残すのではないかと、危惧してしまってな。わらわの感覚が正しいのか、取り越し苦労なのか、まずはそこから判断してもらいたいのよ」

「……軍事的な見地から見れば、計画自体は緻密なものです。ほどよく余裕もある。何かしらの不測の事態が起こったとしても、火消しの為の戦力は別に用意している。滞りなく演習が進む見込みも、書面からは充分読み取れます。できない、と言って断るのは、難しいでしょう」

 

 モリーならば、どのような判断を下すだろうか、とついザラは考えた。しかし考えただけで、モリーの思考を再現できるほど、ザラは器用ではない。

 

「個人的な見解を述べるなら、シルビア妃殿下の思惑がわからぬ以上、流れに身を任せるほかないと考えます。予算があり、拒否する正当性がなく、三国による演習で見事な姿を見せられるなら――やった方が良いとさえ言えましょう」

「その思惑がわからぬ、というのはこちらも同じ。じゃが、わらわの勘が、何かしらの警鐘を鳴らしておる。流してしまいそうなほど些細な違和感じゃが、無視するのも、何かシャクでな。……しかし、そうか。ザラ、おぬしでもわからぬか」

 

 軍事的な見地からは、落ち度がないとすると――。見るべきはやはり、政治的な影響であろう。

 問題は、ザラがそれを明確に答えられない、と言うところにある。

 

「王妃様。前提として、私には周辺国の情勢であるとか、最新の政治状況について、完全に把握しているわけではありません」

 

 現場から情報を持ち換えるにも、分析して正確性を見極めるのにも、時間がかかる。ザラが知っているのは、せいぜいが二週間前ほどの情勢にすぎない。

 王妃に独自の情報網があるなら、そちらの方が優れている可能性があると、彼女は見ていた。

 

「かまわぬ。完璧を求めているわけではない。もっと建設的な助言を求めているのよ」

「恐縮ですが、それならば私よりも、よほど適切な見解を述べられる者がおります」

 

 そちらの方が、よほど自分より自然な形で、相談に乗ることができる。ザラと王妃は、この点でも意見が一致するであろう。

 

「そうか! ――他ならぬおぬしが、それを言うか。わらわも、該当する人物には心当たりがあるな」

 

 二人の頭の中には、同じ人物が想起されていた。ザラが口にする前に、王妃の方から提案する。

 

「では、余興として。手のひらに、その人物の名を書いて見せ合う――というのはどうだ?」

「王妃様も、お好きなようで……。お付き合いしましょう」

 

 王妃自ら、筆記用具を資質の棚から取り出し、机に並べる。そしてお互いに筆をとり、さらりとその人の名を手のひらに記した。

 

「よいか、同時にだぞ」

「はい。では――」

 

 合図をし、えいや、と見せ合う。

 果たして――。

 

「やはり、な」

「……こうなります、か」

 

 確かにそこには、同じ名があった。モリー、と両者の手に記されている。

 

「王妃様。出来レースを、あえて演出する理由があったのですか?」

「余興と言ったであろう? ……余興に持ち出すほど、かの人物に興味を持った。そうとも言えるが、しかし適役であることは間違いない」

 

 ザラは、これを否定できなかった。初めから、王妃の勝利は確定していたのである。

 

「すっかり重要人物になりおおせましたね、あいつも」

「時勢が、環境が、もはやモリーをただの副隊長として扱うことを許さぬ。そうした時代がやってきているのだと知るがいい。……ザラを呼んだのは、内意をひそかに伝えるためでもあったのだよ」

 

 余興は、その緊張をほぐす為のものでもあったと、王妃は言った。

 そんなもの、必要ないくらいに覚悟はしていたと、ザラは言いたかった。

 

「決定事項ですか、それは」

「ほぼ確定している、とだけ言っておく。実際の話――エメラとオサナの夫婦が出来上がるとしてだな。モリー以上の補佐役が、他にいると思うか?」

「……なるほど。クロノワークの国益の最大化のためには、やむを得ぬ人事異動であると、そういうことですか」

「そうでなければ、おぬしも納得するまいよ。――安心せよ。すぐには動かさぬ。エメラが成人しても、結婚は数年は見送る予定じゃ。シルビアの時のような失敗は避けたいゆえ、上手くいきそうかどうか、しばらく様子を見たい」

 

 いずれにせよ、モリーの出世は間違いないというわけだ。仮に破局したとしても、王妃がここまで言い切るのだから、いずれかの補佐につくことは確実と思ってよい。

 一家の主たる、モリーの栄達には喜んでいいはずである。妻のザラとしては、寿ぐべき場面であるとわかっているのに、複雑な感情を抱かざるを得なかった。

 

「モリーは、私の副官なのです。夫であるとしても、私だけの、副官で……」

「ザラ。できればで良い。モリーのことを話してはくれぬか。――他愛のないこと、出会いからこれまでの全て、思うところを話すがよい。時間は取ってある」

 

 これくらいの労を折るのが、主君としての義務であろう、と王妃は言った。

 彼女は、結婚生活を冷やかしてやるつもりで、それを口実にしてザラを呼び寄せたつもりだった。

 

 ザラとモリーの関係性の深さを探って、お互いの利用価値を見定めるつもりでもあった。

 だが王妃は利害を別にして、ザラの言葉に耳を傾けようと思った。せめて、それくらいしてやらねば、君臣の間といえど礼を欠くであろう。

 

 王妃は、まさにシルビアの親であった。賢く強い指導者の母たる人間であり、見事に育てたがゆえに、かえって罪悪感を抱くほどの人格者でもあった。

 そうであればこそ、今のザラの気持ちに寄り添おうとするのであり。その感情を、前向きなものに修正しようと思うくらいには、肩入れしてやろうと、結論付けたのである――。

 




 王妃様については、原作で名前だけのキャラなので、シルビア妃殿下の性格を参考にしつつ、面倒くさい母親っぽくしてみました。
 もし今後原作で出てきたらどうしようか、と思いましたが、もう仕方ないことと割り切っております。

 色々ありましたが、あともう一つ、大きな山場を越えて終わりにしたいと思いました。
 今しばらく、お付き合いくだされば幸いです。



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商人と軍隊の健全な関係のお話

 数分ですが、日にちをオーバーしてしまったことは痛恨事だと思いました。
 しかし、定期的な投稿は続けられている。その事実が、今の私を支えてくれています。

 今回もグダグダした話が続いていますが、物語は確かに進んでいます。
 私の書いた話が、時間を潰す一助になれば、幸いです。



 王妃様から、『なんかシルビアが大規模な軍事演習を企画してるんだけど、どう思う? 詳細を教えるから意見を述べよ』なんて書状が届きました。

 

 ザラ隊長経由だから、ジョークでなく本気で望まれているのがわかります。文面は率直で単純な内容だったが、それだけに誤解する余地がない。

 ……付属の資料を見る限り、色々と思いつくことが確かにある。明らかに、シルビア妃殿下は状況を動かしにかかっているとわかるよ。

 なんとなく、時計の針を強引に進める理由が、どこかにあるのだろうと私は思いました。

 なので、王妃様がこれについて、私から話を聞きたがったのは、おそらくシルビア妃殿下とのかかわりの深さゆえであると――そう思っていたのです。

 

「書状は見たな? 理解したな? では、とりあえず所見を聞こうか」

「求められたのなら、是非もございません。私個人の意見を述べることはできますが……正規の相談役は、いかがなされたのでしょう?」

「――つまらぬことを聞くな。今は、おぬしと話しておるのだ」

 

 有無を言わさぬ言葉で、王妃様は私に詰め寄られた。どうせ、面倒くさい背後事情は全部黙らせてきたのだろうし、ここまで来たら言葉を濁す方が無作法だ。

 あきらめて、腹をくくって思うところを述べよう。そのために政治的に面倒なことを引き入れたとしても、やりようはあると信じて。

 

「端的に述べるなら、合同軍事演習はシルビア妃殿下が西方の盟主たること、それに相応しい実力を対外的に示すことになります。そして交易の主催者として、西方の経済を支配するだけの力があること。それもまた、同時に主張するつもりなのでしょう」

 

 ざっと見た感じでも、演習に掛かる費用は莫大なものだ。砲兵と騎馬、それを全力で運用するための補給隊、観戦専用の慰安所の建設等と、費やされる労力も半端ではない。

 ゼニアルゼの経済力あってこそ、可能な行事であると言える。関係各所への根回しも考えれば、政治力においても卓越した技量を持つ、シルビア妃殿下でなくては――そもそも実行さえ不可能だったろう。

 そこまでの労力をついやすならば、その背後には当然、大きな目論見があるのだと想定すべきだ。

 

「西方支配! いきなり話が大きくなったな?」

「大きくなりましょうとも。盟主たるには力が必要。力を持っているなら、誇示せねばならぬ。脅しつけ、逆らうよりは従うことに利を見出させ、その利の大きさを理解すれば、従わずにはおれぬ――。それができるだけの武力も、策謀も、シルビア妃殿下は持ち合わせています。まさにそうであればこそ、三国による軍事演習などを思いつくのですよ」

 

 王妃様がこれに危機感を抱いたのは、間違いなく正しい。

 だって、これはゼニアルゼの財政状況をアピールし、それが軍事行動に如何に結びつくか、わかりやすく示すことになるのだから。

 

「財政と軍事。わらわには、両者がどう結びつくか、漠然とした理解しかない。モリーよ、おぬしはこれを具体的に解説できるのかな?」

「不透明な部分はありますが、おおよそは話せます。――ゼニアルゼ全体の税収と財政状況は、現在も調査中で、全体像を漠然と把握するので精一杯。しかし、演習に投入される費用を想定すれば、おのずと見えてくることがあります」

 

 ここまで言えば、王妃様も疑問を呈する。解説が必要なのは確かだから、ここで言葉を惜しもうとは思わないよ。

 

「わかりやすく話すがいい。ともかく、わらわは軍事に疎い、ということを十分に考慮してくれよ」

「私の持論ですが、強大な軍事国家は、強大な貿易国家でなくてはならない。強大な貿易国家が、多国にまたがる交易を支配することによって得られる利益は膨大です。……そして交易による利益は、一国に留まらない。差配の仕方によっては、西方の経済を左右し、他国の権力基盤をも揺るがすことになるでしょう。ゼニアルゼはそれが出来る位置にあり、シルビア妃殿下はこれを政治的に利用するはずです」

 

 東方からの交易は、人脈からしてゼニアルゼを介する部分が大きい。また最近は東方との商人の行き来も増えている傾向がみられるから、ここにきて国家間でも関係強化に動いているとみるべきだ。

 さらに諸街道の整備、関所の削減、流通網の構築が急速に進められている。それらを通じて、交易をいかに差配するか。これはゼニアルゼの裁量が及ぶ部分が大であった。

 何しろ交通の便が良い通路は、全てゼニアルゼを通っているのだから。人脈と権力の使いようによっては、荷止めも出来れば、交易の活性化も思いのままだ。

 

「経済の、政治的な利用か。従わなければ、道を作ってやらんぞ、とでも言いだすのかな。……有効ではあるな。周りが儲けている中、自分だけが損を被っていると思うのはつらいことだ。多少の無理は飲み込んでも、皆と同じ利益を享受したいと、大抵のものは思うであろう」

「まさに。交易を差配するということは、他国への政治にも介入できることを意味します。そのうえで、軍事力も不足なく行使できるなら――。ゼニアルゼこそが超大国として、西方に君臨することも、おそらくは不可能ではないでしょう」

 

 恩恵が数字に出るのは、実際に交易が回りだしてからだが――現時点でも、軍事活用は可能だ。これを全力で活用しようとしている点が、実にシルビア妃殿下らしい。

 

「前提として、財政あってこその軍事である、と主張させていただきましょう。ゼニアルゼは潤沢な予算をもって、陸海軍を維持しています。およそ他国からは考えられぬほどの金額が動きながら、これを破綻させたことがない。その背景には交易収入と徴税の効率化にあり、それがシルビア妃殿下の辣腕によって、国際情勢を動かすほどの力を得たのだと考えてください。合同軍事演習は、その嚆矢であり――」

「話が長い。一言で言え」

「要するに、唸るほどの金をもって、多方面を殴りつけにかかったのですね。金で軍を動かし、他国を従え、実績を持って自らの権威を主張しているとお考えください」

 

 金、金というと俗っぽく聞こえるが、その本質は恐ろしい。

 ゼニアルゼが近代的な官僚組織によって、効率的な徴税を可能にしていることは、すでに周知されている。なればこそソクオチに官僚団を派遣できるのだし、厳正な税制度の運用も輸出できるというものだ。

 だが、それが自国における効率的な増税すらも可能にしていることに、まだ誰も気づいていない。――おそらく、シルビア妃殿下と私以外には。

 とはいえ、これはまだ話すには早いこと。まずは喫緊の課題について、王妃様と話し合うことが先決だろう。

 

「国際情勢を動かす? 金があれば、能動的に他国へ影響を及ぼして、思いのままにしてみせるとでも言うのか?」

「実際、この合同軍事演習の諸経費は、大部分をゼニアルゼが負担することになっています。この申し出は、当然受けるのでしょう? 現実的にも、ゼニアルゼとクロノワークは同盟を結んでいます。ソクオチはまあ、アレですが……ともかく、一度はともに訓練して、息を合わせておくのは重要です」

 

 クロノワークは元が貧乏国であるため、受けない手はない。そして、それは結果としてシルビア妃殿下の脚本に従う結果となる。

 この点に関しては、王妃様も苦い顔で肯定して見せた。

 

「――それは確かに、受けずにはおれぬ部分ではある。シルビアめ、自分の財布が大きくなったことを知り、金で他者を殴る術を覚えたか」

「クロノワークも、ゼニアルゼから援助を受けています。軍にも結構な額が流れていますが、それ以上に経済的な恩恵が大きい。王妃様も、そこはおわかりでしょう?」

 

 王妃様は、悩ましい顔をしつつ、それを肯定した。実際、交易だけでも結構な利益が見込まれているのだ。

 同盟関係が長続きすれば、人々の交流もそれだけ深まる。人口が増え、生産力が向上すれば、国も豊かになるだろう。……ゼニアルゼの存在があればこそ、クロノワークも発展できるのだと、王妃様は認めざるを得なかった。

 

「悲しいかな、クロノワークもソクオチも、ゼニアルゼの援助なしには、長期的な発展が見込めぬことはわかっておる。……すると、おぬしはこうも言いたいのか? 他国の財政に依存した経済は、そのまま相手国の支配を受け入れるに等しいと」

「支配といっても限定的なものですが、まさにゼニアルゼの援助が、そのままクロノワークを動かす理由になりうるのです。この環境が継続すれば、シルビア妃殿下が望むままに、わが国は政治的な借りを積み重ねることになります」

「あの子に借金を作ると、恐ろしいことになりそうじゃな。隣国の友好国からの借りを、まさか踏み倒すわけにもいかぬ。――ふん、自覚したところで、今更の話か」

 

 何事も慣れてしまえば、それが当たり前になる。長く続けば、経済以外の多くの部分も依存するようになるだろう。あの方なら、意図的にそうする。

 

「ゼニアルゼに首根っこを押さえつけられたクロノワークは、シルビアの思惑に従うほかはない。おぬしはそう言いたいのだな?」

「肯定します。クロノワークは、抵抗の方法を考えねばならない。それを忘れたなら、緩やかな支配を受け入れることになりましょう。妃殿下の思惑にただ乗りすることは、王妃様にとってもご不快なことではありませんか?」

 

 シルビア妃殿下の思惑を素通しすれば、そのままゼニアルゼの支配下に入ることを容認する形になる。

 王妃様が危惧しているのはその部分であり、感情的にも受け入れがたいのは理解してあげたいと思う。

 

「前提は理解した。軍事演習自体については、どう思う? 示威行為であることはわかるが、具体的にどうなるというのだ」

「詳細は資料で確認しました。二日目までは、豪勢に費用を大盤振る舞いした、単純な軍事的示威行為と取っても良いのですが、最終日である三日目だけは目的が明らかに違います。これをまずはご注目ください」

 

 一日、二日目は、わかりやすいくらいに武力と財力を見せつける内容だった。連携をとれるかどうかなど関係なく、結果も問題視していないだろう。いずれに有意な判定であろうと、ゼニアルゼを無視できる国などいない。同時に、クロノワークの武力を知らぬ国もない。

 それだけでも面目は保てようが、周辺各国を威圧するだけでは足りぬ、と考えるのがシルビア妃殿下だ。

 三日目の日程こそが本命で、これは三国が合同で狩りをする。王族の狩猟ほど優雅な形にはならぬが、人員の大さと装備の豪華さでは、おそらく前代未聞と言って良い形になるだろう。

 

「規模の大きさが目につくものの――わらわは、そこまで奇異とは思わぬな。三日目は狩猟の形をとり、ゼニアルゼとクロノワークの国境付近で獲物を追い立て、狩るという。キツネやシカ、イノシシなどを根こそぎにすると思えば剛毅であるが……何が問題だ?」

「問題があるといえばあります。――この辺りの国境線は、密輸業者がたびたび出入りしていることで有名です。具体的なルートはまだたどれていませんが、シルビア妃殿下はどこかで確かな情報を得たのかもしれません」

 

 ゼニアルゼ、ソクオチ、クロノワーク三国の国境が近く、しかも深い森が広がっているものだから、調査が難しい土地だった。

 政治的に面倒な場所でもあるから、人の手も入っておらず、狩りの獲物には事欠くまい。

 シルビア妃殿下でなければ、演習の舞台にすることは、まず叶わなかったろう。

 

「……クロノワーク国民にとって、麻薬は苦い記憶として残っていますからね。我が国の王女であった彼女なら、その麻薬が密輸によって運び込まれたことは把握しているでしょう。目の敵にする理由は、十分すぎるほどにある。これは、そういう話なのですよ」

「ああ、麻薬依存者の取り締まり等に関して、色々と面倒があった話は聞いている。――シルビアがいる頃からあった話だから、あの子もゼニアルゼで同じ問題で悩みたくないのであろうな」

 

 シルビア妃殿下は、『天使と小悪魔の真偽の愛』という組織を通じて、多くの情報を得ている。それが我々以上の精度をもって、情報収集をしていたとしても、私は驚かない。

 そして、彼女が密輸商が麻薬で儲けていたと知れば、殺意を抱いて当然だろう。実際、それだけ人道に反する行いなのだから、潔く成仏してほしいものだ。

 

「もしかしたら、三日目はかなり特殊な演習になるかもしれません。狩りを模した形で、密輸の摘発を行うことも――あるいは有り得るでしょう。そこまでいかなくとも、密輸に利用している道をあからさまに横断することで、密輸業者を牽制することくらいは、普通にしそうな感じですね」

 

 シルビア妃殿下は、感情的なもの以上に、政治的に密輸商を潰さねばならない理由がある。

 交易には関税がつきもので、関税収入がどれだけ財政に大きな影響をもたらすか、シルビア妃殿下はよくご存じだ。

 密輸による税金逃れ、そして禁制品の流通を阻止することは、あの方にとっては絶対にやらねばならないことと言って良い。

 何より、これから交易を進めていくうちに、特定の品目の関税が上昇する可能性がある。関税が高くなれば、その品目を扱う業者が、密輸の道を求めてやってくる可能性もあった。――だから、今のうちに対処しておくのだ。

 

「密輸商は、大抵目端が利いて、よく聞こえる耳を持っているもの。今回の演習内容が広く知れ渡れば、シルビア妃殿下の内意を多くの商人が理解することになるでしょう。それで密輸の道をたたむようであれば良し。そうでなければ、弾圧も辞さない――とね」

「なるほど。しかし、ほのめかすだけでは、いささかあの子らしくない気はする。とはいえ、密輸の現場を演習に利用したとして――。そこまで大きな反響があるものかな。事前に言い含めておけば、兵どもは適切に処理するであろう。ちょっとしたサプライズ、という範囲でおさまるのではないか」

「その辺りは、なんとも。……この場で予想できるのは、そこまでです。いずれにせよ、軍事演習そのものはクロノワークの損にはなりません。むしろ示威行為の一端を担うことで、ゼニアルゼからの援助をさらに引き出すことも出来るでしょう。物騒だからと言って、異議を唱えるほどよりは、よほど大きな利益になります」

 

 利益につられて、シルビア妃殿下の駒にされるのは面白くない。しかし、拒否するには感情的な理由だけでは足りない。

 私から視線をそらし、思案している様からしても、王妃様の苦悩が目に見えるようであった。

 

「ふむ。まとめるに、密輸への対策が本命であるか。――他国に威信を見せつけ、自らの力を誇示すること。そして自らが主宰する交易に対して、邪魔するものは武力で排除すると行動で示すこと。……これらが目的であるとすれば、わらわとしても考えることがある」

 

 一国の王妃が、娘への対抗意識を思っている。それを嘆くべきか、気概があると喜ぶべきか。私にはわからない。

 しかし、望まれることに応えるのが、私の役目である。主筋に対しては、どこまでも礼を尽くさねばならぬと、私は思う。

 

「何か、こちらから一つでも能動的に出来ることないのか。何もせず、唯々諾々と話に乗るだけでは面白みがないし、何より不快じゃ。――おぬし、腹案を述べよ。まさか、ないとは言うまい」

「あります。単純で簡単で、しかもシルビア妃殿下を悩ませる一手。……興味はございませんか?」

「聞こう。話せ」

 

 王妃様は、ここでようやく価値のある話が聞けた、とばかりに前のめりになった。

 

「密輸について、話しました。禁制品の中に、麻薬があるとも。……時に、麻薬の生産地についてはご存じでしょうか」

「南方が主な生産地であるらしいな。東方からもやってくるそうじゃから、いずれも警戒すべきであろう。――西方では、気候と土壌が会わぬ様子で、育ちが悪いと聞く」

「はい、その通りです。特に注意すべきは東方で、生産量はともかく、流通路は南より東の方が整っています。よって東方の商人に対しては警戒する向きもあるのですね」

「ゼニアルゼが東方からの交易を推奨し、あちらの商人とのつながりも強化している、このご時世であってもか?」

「禁制品を持ち込める伝手を持つ手合いは、限られます。精査すれば判別は難しくないでしょうし、最悪水際で食い止めればよいこと。そこまで割り切れるなら、とにかく流通の充実こそ優先して、商人の呼び込みに走るのも間違ってはいません。――まあ、シルビア妃殿下は上手にやりますよ。この点、心配はいらないでしょう」

 

 だからこそ、こちらから打つ一手が重要になる。私が提案するのは、絶妙にシルビア妃殿下に刺さる手となる。

 楽観的に見るならば、ゼニアルゼからクロノワークへと、周辺各国の注目を引き付ける機会にもなるだろう。

 

「それで、こちらが打つべき手は単純です。東方の商人に、公式補給商の証書を与えること。それだけです」

 

 公式補給商とは、軍用の補給を担当する商人のことだ。ごく短い期間、関所における免税特権を受ける代わりに、軍の補給品を納める義務を負う。

 クロノワークでは複数の商人が持ち回りで担当しているのだが、これを今回は恣意的に利用したいと思う。

 

「――おい。それは、それだけ、などと言って良い行為ではあるまい。公式補給商は、国内国外問わず、多くの商人たちから垂涎の的となって久しい役職だ。特にクロノワークのそれは、軍内の補給に大きく関わる。下手な商人に与えて、軍の行動に支障が出るようでは困るぞ」

 

 もちろん、ここでの東方の商人とは、ミンロン女史のことを指す。彼女は私とのつながりが深すぎるから、信用に値する。何より有能だ。任せて間違いはあるまい。

 

「それこそ、軍人である私にとっては周知のことです。……大丈夫ですよ。ミンロンは、短慮を起こすような人ではありません。我々の価値を理解して、適切な身の振り方をするでしょう。王妃様の快諾さえいただけるなら、まず確実に彼女からの信任が得られると、私は考えております」

「ふうむ。……一考には値する。おぬしの言だけではいささか不安ゆえ、こちらでも調査の時間が欲しいのう。で、仮にミンロンとやらに公式補給商を任せるとしたら、多少の嫌がらせにはなるのか」

「ミンロンは、シルビア妃殿下ともつながりのある東方の商人です。その彼女を、クロノワークが一時的にであれ、公式に雇い入れる。しかも、この機会にそれをやるというのが重要です」

 

 自分とつながりがあり、しかも密輸撲滅を狙っている時期に、クロノワークにとってはよそ者である東方の商人を公式補給商に任命する。

 わが国がそれをやる、という姿勢は、シルビア妃殿下にとって不快なものであるはずだ。

 

「ミンロンとて、やり手の商人です。公式補給商の意味は理解するでしょう。――彼女にとって、これはシルビア妃殿下とのつながりを薄くすることに繋がる。密輸問題は、一手で解決とはいきません。今後も継続的な対策が必要になる以上、東方の伝手はいくらでも必要になる。その矢先に、使い勝手が良く信頼できる相手を、こちらで確保すれば――」

「少なくとも、ミンロンが公式補給商である間は、あの子はミンロンと言う有力な商人を動かせなくなる。軍の補給を担う仕事は、なかなかの激務じゃ。シルビアが仕事を頼める余地は消えよう。それを狙って、こちらが策謀を仕掛けたと悟ってくれたなら、なるほど。嫌がらせくらいにはなるかのう。……ううむ」

 

 出てくる結論がこれなものだから、私の能力の限界について、王妃様も理解してくれたなら幸いだ。

 ぶっちゃけ、なし崩し的に王家の相談役とか押し付けられても困るのです。副隊長としての仕事をこなしつつ、王子王女の教育係をやるだけでも大変なのに。

 だから、王妃様はここらで私の器と言うものを見切っていただいて。無茶ぶりは私以外の誰かにしてほしいと思います。

 

「長く話した割には、いささかしょっぱい結論じゃが――まあ、良い。充分なとっかかりは得た。あとは、わらわが適当に判断しよう」

 

 情報の差し止めはここまで。となれば、すぐに合同演習の話は各所にいきわたり、受諾する方向へと流れていくことだろう。

 王妃様は、そこでどのように動くというのか。追及するのは、流石に臣下の分を超えている。

 

「つたない所見ですが、お役に立てたなら幸いです」

「正直、ザラの奴にはめられたような気がせんでもない。お前と同じような見解なら、あやつでも述べられたのではないかな?」

「そこはそれ、私を立ててくれたのでしょう。……私は、彼女の夫ですから」

「そうか。――そうか。ならば、あえて咎めはするまい。わらわも妻として、夫を立てる心意気は、理解できる故な」

 

 そうして、会談は終わった。

 私は語るべきことを語ったし、王妃様も聞くべきは聞いた、という態度を崩さなかった。

 結果が成功だったのか失敗だったのか。私は本当に、ここに来るべきだったのか。その結論を出すのは、もう少し、先のことになるだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王妃様は、三日後には結論を出してくれた。公式補給商の証書は、すぐに手続きを行って作成してくれるとのこと。なので、私も即座に行動をしようと思います。

 ちょうどいい具合に、クロノワークに滞在してくれていたので、会うこと自体は難しくなかった。私とミンロン女史が会うのは、結構久しぶりな気がするね。

 ――冷静に考えると、実際にはそこまで長く離れていたわけでもないんだけど、感覚としてね。短い間に、多くのことがありすぎたものだから。

 

「翻訳出来た分は、とりあえずここまで。ミンロン様の目から見て、妙な訳があったら教えてください」

 

 いきなり大きな話題を持ち出すのもアレなので、とりあえずは宿題の提出から始めよう。

 ミンロン女史も、これには興味をもって目を通してくれた。これが彼女の役に立つなら、私も骨を折った甲斐があるというものだよ。

 

「商君書に武経七書まで訳してくださるとは、よくそこまでの労力を注いでくださったものです。パッと見た感じですが、なかなか面白く訳してくださったようで。……正直な話、読んでいて味気ない翻訳になると思っていました」

 

 単なる西方の知識人が訳せば、説明に終始して冗長になりすぎたり、細かなニュアンスが伝わらなかったりするものだ。

 アミオ訳の孫子に見られるような、無理に西方の価値観に合わせた意訳ではなく、分かりやすく単純に、意図を解説するようにしました。ミンロン女史から見て、好評なら幸い。

 

「大々的に売り出せるほどの出来かどうか、何とも言えませんが、できる限りのことはやりました。ある程度の意訳、再解釈はどうしても必要なので、注釈も含めて分量が倍以上になってしまったのは致し方なき事。……実際に売り出す際は、分割することになるのでしょうね」

 

 婚儀が始まるまでは、結構自由に使える時間があったからね。引きこもって悩むばかりの毎日を送るよりかは、まだ建設的な暇の潰し方だろう。

 ともあれ、内容自体は満足してくれたらしい。なら、こちらも労力を費やした買いがあるってものだ。

 

「大事な部分だけを抜粋して、軽量版の方を売り出すというのもよさそうです。より深く知りたい層には、完全版を作って高く売る手もあるかと」

「いかに扱うかは、持ち帰って検討してください。今回ミンロン様を呼んだのは、別件で話し合うことがあるからです」

 

 ちなみに今回、ミンロン女史のために、王妃様とのアレコレ話して準備していたりします。これもまた、貴女を取り込むため。

 

「話し合うこととは、何でしょう。商売のタネになることは、大抵やりつくしているつもりですが――」

「いえいえ、まだ手の及んでいない範囲があるはずです。私は、貴女の為に用意したものがあります。よろしければ、ご笑納いただければ幸いです」

 

 私はここで、切り札と言うべき手段を用いて、彼女に貸しを作りたいと思う。

 すでに許可はいただいている。他ならぬ王妃様のお墨付きであるなら、誰にはばかることもない。公式補給商という札を、ここで切る。

 

「それは、どういったものでしょう。商人としてそこそこ成功している自覚はありますし、今更役人になどなるつもりもありません。限定的な権限などよこされても、もてあますだけなのですが」

「大丈夫ですよ。ちゃんと実利があって、適切に扱えるであろう範囲の役職を持ってきましたから。これは確実に、ミンロン様が今後の躍進の為に、役に立つはずです。――ミンロン様は、公式補給商、という役職をご存じですか?」

 

 ミンロン女史の目に色が変わった。話を持ち出された時点で、己に関わってくることだと察したのだ。

 

「はい、それはもちろん。ごく短い期間、免税特権を受ける代わりに軍の補給品を納める義務を負う役職です。――免税された分だけ、安価で提供しなければなりませんが、その他の持ち込む商品に関しては、禁制品を除けばとやかく言われることもない。手広くやればやるほど、実入りの多い役職だと聞いています」

 

 なればこそ、多くの商人がその役目を保証する証書を求めている。ミンロン女史が正規の方法で得ようとするなら、十数年は先の話になっていただろう。だからこそ、私がこれを彼女の為に用意できたなら、非常に大きな貸しになる。

 ミンロン女史は、信用を重視する商いを続けてきた。できた貸しに対して、彼女は誠実に対応してくれると、私は信ずる。

 

「禁制品を除けば、という部分が大事なのですね。……ミンロン様もご存じの通り、密輸してでも禁制品を持ち込んで、手っ取り早く稼ごうという輩が多いもので。公式に雇い入れて、定期的に商人たちを真人間に戻してやらねばならんのです」

「モリー殿、私は密輸に関わっていません。――が、公式補給商の認定を受けられるなら、いくらか協力できることがあるかもしれませんよ?」

「ありがたい話です。機会があれば、よろしくお願いしたいものですね」

 

 私の言葉に、ミンロン女史は素早く反応して見せた。説明が要らない程度には、理解があるらしい。

 ここで自らを売り込めるほどの才覚があるなら、心配はいらないか。ならば、やはりここで話を持ち出して正解だったということになる。

 

「それはそれとして、ミンロン様は三国で軍事演習をやる話は、まだ聞いていませんね?」

「初耳です。三国と言うと、クロノワーク・ゼニアルゼ・ソクオチのことですか。それだけの軍隊が集って、軍事演習を?」

「他国からも観戦を呼びかけ、武官文官問わず多くの人々が集うそうで。規模は大きく、長期間に及びます。もちろん、ここまで大規模な演習は、一回限りだそうですが。――そこで、クロノワークはその演習に用いる軍需物資の調達を、指定した公式補給商たちに任せることになっています」

「私も、その中に入るということですね? 詳細については、いつ?」

「近いうちにお知らせしますよ。……察しが良いというのも、考え物ですね」

 

 話の流れとして、自分にその役割が回ってきたのだと、ミンロン女史はすでに察していた。

 事実その通りなのだが、美味しいばかりの仕事ではないんだと、くぎを刺しておく必要がある。

 

「補給の手続きは煩雑ですから、一人で何もかもをやるのは大変でしょう。西方の商人にも協力を要請して、一緒にやってくださいね。補給商は、ある程度連携して動くのが通例となっていますから」

「それくらいの伝手はあります。……というか、それがなければ話を受けられない。わかっておられるでしょうに」

「一応の確認です。付け加えるなら――」

「はい?」

「この話は、西方の世界が貴女を受け入れる、通過儀礼のようなものだと思ってください。少なくとも、東方出身だからと言って、いわれなき差別を受けることはありません。もしあっても、法は貴女の味方です」

 

 それだけの態勢を、クロノワークは整えている。ミンロン女史は、わが国で仕事をする限りは、余計な掣肘を受けずに済むのだ。

 お上からのお墨付きは、クロノワーク内において絶対的な保証になる。公式補給商の役割は、それだけ重大なのだから、つまらぬことで負担は掛けたくないんだね。

 

「公式補給商の証書は、一年間有効です。手続きが済み次第、私からミンロン様に手渡すことになります」

「……夢のような話ですね。これまでの投資が、一気に返ってきた気分ですよ」

「そこまで感謝されることではありません。私は、できる人に、必要なモノを提供したにすぎません」

 

 それでも感謝するというなら、なるべく恩に着てください――だなんて、私にはそれくらいしか言えなかった。

 もっと気の利いたことが言えれば、とは思うけれど。一武人には、これくらいがせいぜいである。

 

「――あえて、直接聞きましょう。モリー殿は、私の何が欲しいんです?」

「賄賂は求めていません。翻訳の報酬はいただきますが」

「わかっていらっしゃるでしょうに。……公式補給商は、ぽっと出の若者に任せるべき訳ではありません。得体のしれない、東方の商人の為にこれを用意する。どれほどの貸しを作れば、そんなことが可能になるんですか?」

 

 ミンロンには、私が政治的な貸しを、そこかしこに作って用意した――なんて風に見えたらしい。実際には、そこまで大きな支払いをしてきたわけではないのだが。

 ……王妃様と混みいった話をしたので、つながりが深まった気がするけど、それはそれで悪いことでもあるまい。

 ――ともあれ、その対価として何を求められるのか。ミンロン女史としては、危惧せざるを得ないわけだ。

 

「どうしても嫌なら、今から辞退することも出来ます。それこそ、私がそこら中に貸しを作ることになりますが」

「……受けます。それで、私は貴女の為にどんな便宜を図ればよいのです?」

 

 ここまで来て拒否られるとは、流石に私も思っていない。とりあえず、事前に決めていたことを伝えるだけで、今は充分だろう。

 

「これまでと変わりませんよ。私と偶に会って、情報交換とちょっとした買い物をさせてもらえれば、それで結構です」

「対価が見合わない、と思います。商人としての信用にかかわります」

 

 ミンロンは、大口の客とは親密になりたがる傾向があるらしい。もう少しおねだりしてあげた方が、彼女のためだろうか。

 よって、今なら私の要望が通る。いささか悪辣だが、無理を言うわけではない。相互互恵の関係は、私だって維持したいと思っているんだよ。

 

「では、もう少しだけ」

「伺いましょう」

「私が情報を求めたら、なるべく迅速に、かつ正確な内容を持ってきてください。私の方から情報の拡散を頼んだら、特別な理由がない限り、引き受けてくださるように。……これくらいですかね? もちろん、報酬は払います」

「……公式補給商の証書に加えてそれでは、私の方が一方的にもらいすぎだと思います。もう少し、欲張ってもいいでしょうに」

 

 これには、ミンロン女史も明確に嫌な顔をした。遠慮がなくなったのは、それだけ気を許せる間柄になったのだと、そう思っていいのだろうか。

 

「便宜、というには微妙な提案かもしれません。しかし、重要なことですし、ミンロン様がそうしてくれるなら、他のことは些事と言ってもいいのです」

「……求められた情報に関しては、他の客には提供せず、独占したいということでしょうか? 情報の拡散も、当然モリー殿が発信元だというのは、隠した方が良いのですね?」

「独占も口留めも、私が特別にそうしてほしい、と頼まない限りは、自由に扱ってくださって構いません。――あるものはすべて商う。そうしてこそ、商人と言うものでしょう? 私は、貴女の商売を邪魔したくないのですよ」

 

 何かしら特別な要請するときは、当然通貨料金は払いますよ――なんて。そこまで言うと、ミンロン女史はかえって困惑したらしい。困ったような顔で聞き返してきた。

 

「やはり便宜とは言えませんね。どうしても、こちらの方の利益が大きくなりすぎます。貴女には、私にリスクを押し付けようという気が全く感じられません」

「結構なことではありませんか。そうして、クロノワークで割のいい商売をしてくれるなら、この国への依存度も高まるというものです。――ミンロン様ほどの商人を釘付けにできるなら、私としても骨を折る甲斐があったというもの」

「別段、クロノワークに執着はしてませんよ。……モリー殿はいい商売相手ですが、それだけならば他国にも色々といるわけですし」

「他国の大口の客と、同程度の価値は認めていただけるのですね。それはそれで、光栄なことです。前にも言いましたが、私は商人の価値を過小評価しません。ミンロン様ほどの相手ならば、特別扱いしたいとも思います」

 

 私の言葉にどれほどの価値を認めてくれるかは、未知数と言って良い。ミンロン女史は実利に聡い人であり、やり手の才人だ。

 私の将来性を買ってくれるなら、さらなる投資も見込めると思う。公式補給商は、そのための貸し作りと言う面も大きい。

 ……将来的には、私についてきてくれると嬉しいなぁ。いずれ勧誘はするつもりだけど、最低限の付き合いだけでも充分助かると思う。だから、絶対に貴女との縁は切らないよ。

 

「モリーさんには敵いませんね。一方的に儲けさせてくれるのはいいのですが、かといって油断できる相手でもない。下手に扱えば、ひどいしっぺ返しが来るのでしょう? 」

「相互互恵の関係は、お互いに敬意と信頼を抱くからこそ長続きするのです。――ミンロン様が私のみならず、クロノワークの全てを侮るようなことがあれば、また別なのでしょうが。……そういう日は来ない。私は、それを確信しております」

 

 ミンロン女史は、困ったように苦笑しつつも、話し合いは穏やかな形で終わったと言える。

 あらゆる手筋を使って、全力で働かねばならないと、ミンロン女史は最後にこぼしていたが、彼女ならどうにでもなるだろうと思う。

 覚悟も実務能力も不足はない。付き合いは浅いが、そこそこの信頼もある。なによりシルビア妃殿下のお気に入りの商人だ。

 ここらでコケて、失望されるような下手は踏むまい。そうであればこそ、利用する価値もある。

 

「ああ、そうだ。忠告と言うか、ぜひ知らせておかねばならないことが、一つ」

「伺いましょう」

「密輸商との関わりは、これを機に断っておいてください。公式補給商という立場は、彼らにとっては敵も同然なのですから」

「……別段、その手の連中と付き合いなど持った覚えはありませんが。ええ、わかりました」

 

 私も、これ以上は追及しない。ミンロン女史は、多くを語らない。それで、充分だった。

 

「シルビア妃殿下は、交易と関税においては本気で取り組んでいます。我々も、それに追随する姿勢は崩しません。密輸に対する厳しさは、今後強まる一方でしょう。どうか、それをお忘れなきよう――」

 

 言うべきことは、これで全てだった。私の方も、もう少し楽な日々を送りたいものだけれど。……最近は王妃様と顔を合わせる機会も増えてしまったから、どうしてもね。

 思い出すだけでも、色々と頭が痛くなる話ばっかりしていましたよ。しかし、一家の主としては、ここらで奮起せねばならぬと思うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 心の中に、いくらかのわだかまりを残しつつも、日々は過ぎていく。軍事演習の準備などは、メイルさんの護衛隊たちが、暇になった時間を使ってこなしてくれている。

 ザラは王妃様の指示で、色々と情報収集に走り回っているらしく、私にさえ詳細は語ってくれない。

 クッコ・ローセも、今になってシルビア妃殿下のもとへと呼び出されたそうで。……なんだか、私の周囲にも不穏な雰囲気が漂いだしてきた気がする。

 ……おかげで色々とご無沙汰です。いえ、新婚生活に幻想を抱いていたわけじゃないけど、ちょっと寂しくなりました。仕方がないのはわかってるので、我慢はできるんだけどね。

 

 そんな中、私は今日も今日とて、オサナ王子とエメラ王女の教育に携わるのでした。今日は特別に、王妃様も見学に来られるとのこと。

 ……授業参観って、実際にやられるとすごく緊張するもんだってわかります。当日になって、いきなりの王妃様の参戦ですよ。

 

 授業内容はいたって普通の歴史の授業。内容はミンロン女史から取り寄せた、東方の歴史書を用いたものですから、書物自体は西方では物珍しいかもしれないけどね。でも内容はと言えば、ほぼ中国の歴史的なサムシングなわけで。

 

 これをダイジェスト風味に語ると、どうしても楽しい内容にはなりません。アレンジを利かせつつ、子供を引き付けるような面白みを持たせて授業を行うのは、結構大変なことでした。

 いやー、世の教師さん方は本当に立派な仕事をしていたのですね。保護者の前で、生徒をどのように評価するのか? これもまた、私にとっては難しい課題だった。

 教師をやっていながら、試験を受けているような感覚は、最後まで抜けませんでしたよ。王妃様がいると、授業のやり方一つ一つを点検されているようで、どうにもやりにくいですねー。

 ……などと考えつつ、講義がひと段落したところで。オサナ王子の方から、申し出があった。

 

「僕の方から、話を振りたいことがある。此度の軍事演習についてだ。これに政治的な意義があるとすれば、どのあたりにあるんだ? ぜひモリー先生の見解を聞きたい」

「……授業の延長ですか? 私は構いませんが、長い話になりますよ。その件については、王妃様にも話していますが――」

「オサナ君もそうだけど、私も知りたいのよ。……王女としての自覚を持つなら、政治的な行事は避けて通れないものだし。いいでしょう? どうせこの後は自由時間だもの」

 

 まあまあ、私の方は休憩時間を削ればいいので。可能と言えば可能な範囲なのですが。

 授業参観にやってきている、王妃様の方を見やる。……なんか思いっきりやれとばかりに微笑んでくれました。良い笑顔で返された以上は、自分なりに解説しましょうとも。

 

「わかりました。――いささか以上に複雑な背景がありますが、一から話しましょう。王妃様にとっては既知の話なので、面白くないかもしれませんが」

「構わぬ。おぬしが二人にどのような授業をするのか、最後まで見守ってやるさ」

 

 王女と王子以上に、王妃様の方が私の話を楽しみにしているのかもしれない。そんな期待を感じつつも、私は口を開いた。

 

「そもそもの話からしましょうか。これはシルビア妃殿下の呼びかけから始まったことですが、三国が軍事演習を行う必要性について。まずはオサナ王子から、思いついたことを言ってみてください」

 

 最初から答えを提示するのではなく、まず考えさせる。自分なりの回答を用意させてから、答え合わせをするのが私の流儀だ。

 オサナ王子は、あらかじめ答えを考えてきたのか、これはよどみなく答えて見せた。

 

「三国が連携することで、仲良くやっている証明になるな。少なくとも、内紛の可能性がないことは示せる」

「それだけなら演習である必要はありません。王族同士の交流と、流通網の整備で相互依存関係は構築できます」

「わかっている。――軍事的な行動をもって、周辺国への牽制を行う。手を出しても無駄だぞ、痛いしっぺ返しを食らうぞ、と前もって通達すること。共同軍事演習の裏にあるのは、そうした自己主張だ。違うか?」

 

 オサナ王子は、たいそう自信があるのだろう。胸を張って答えてくれた。王妃様も、満足げに笑顔で目を細めて見せる。

 少年の時分で、そこまで見通せたなら十分だ。将来性も期待できると言っていい。

 

「答える前に、エメラ王女の見解も聞いておきましょうか。詳細は、伝わっているはずです。――貴女は、どのような感想を持っているのか。漠然としたもので良いですから、言葉にしてみてください」

 

 エメラ王女は、頭を悩ませ、うんうん唸りつつも、最後には言葉に出してくれた。

 本当に自信がない様子だったから、感覚的なモノではなく、少ない知識をひねり出した、付け焼刃の理論である自覚はあるのだろう。それでも、今は考えて答えを出したということが大事なんだ。

 

「合同の軍事演習って、大きな行事よね? それこそ、お祭りと言ってもいいくらいに」

「それはそうですね。祭りと言うには、いささか物騒な形になりますが」

「皆を巻き込んだお祭りだもの。純粋に面白そうだし、楽しめたらいい思い出になると思うの。たぶん一生の、忘れられないものになるんじゃないかしら」

「なるほど。結果として、どうなるか。エメラ王女は、思い出を抱えた人たちが、どんな風に変わっていくか――わかりますか?」

「……うーん。難しいけど、そうね。これだけのお祭りなんだもの。やり切れたなら、それだけでも充分大したことじゃない? 実績、っていうのかしら。一緒に大きなことができたっていう事実は、将来的に大事なことだと思うの」

 

 生徒たちが良く考えて答えを出したなら。私は、これを正当に評価する義務があるのだね。

 オサナ王子も、エメラ王女も、自分なりの考えを持っているのがわかる。そして、どちらも評価すべき部分がある。

 

「オサナ王子の答えは、だいたいあってますね。発言内容に間違いはない、と言っていいでしょう。軍事演習である以上、軍事的な目的、政治的な意図があるのは間違いないことです」

「そうだろうとも。自信があったからな!」

 

 胸を張るのと同時に、エメラ王女の方もチラチラ見る。多少申し訳なさそうなのは、彼女の答えに賛同できないものを感じているからか。

 自分の答えとかぶっている、という部分もあろう。それは否定しないが、彼女の意見はいい着眼点だと私は思う。

 

「エメラ王女の答えもまた、正しい見解であると言えましょう。実行すること、実績を作ることが何よりも大事。今回の件は、まさにそれゆえに、あらゆる妨害が許されない行事となるのです」

「……僕の意見と、そう変わらないように聞こえるが?」

「明確に違う部分があります。エメラ王女は、この件を祭りに例えたこと。良い思い出になる。一生忘れられない、とまで表現しました。――実際、あのシルビア妃殿下が運営しているのです。それくらい、徹底したものなると考えられます」

「……つまり、僕もエメラ王女も回答としては不完全。不合格ってことか?」

「まさか。評価としては、両者正答。物事には複数の回答があり、全ての正解を見つけるのは難しい、ということを知ってほしいのです」

「物は言いようだな! いや、これは僕がひねくれているだけか。素直になれないのは、そういう年頃だと思って、許してくれ」

「――はい。もちろん」

 

 そうやって、天を仰ぐように言われると、かえって子供っぽく見えるから不思議だった。精神的には、数歳分は余分な経験を積んでいるだけに、こうした仕草が微笑ましく映る。

 それはそれとして、オサナ王子は聡明な人だから、突っ込みは忘れない。

 

「回答はどちらも正解で……結果、どうなるというんだ? 感覚的な、ふわっとした感想では、僕は納得しないぞ」

「軍事演習の、具体的な内容はご存じですか?」

「いいや、知らないが――どうせ三つに分かれての乱戦とか、模擬的な打ち合いに終始するんじゃないか? お互いに重傷を負うほどの模擬戦なんて、不毛なだけだろ」

 

 限定的とはいえ、戦場の狂気に触れながら、そこまで真っ当なことを言えるオサナ王子は、まことに賢明な指導者になれるだろう。

 だが戦とは凶事であり、まっとうな感性が足を引っ張ることもある。死に狂うことが最善手を呼び込むことがあると、彼もそろそろ理解していい頃だ。

 

「では、私が知る限りのことを話しておきましょう。……つい先日、王妃様から詳細をお聞きしましたから」

 

 王妃様に視線を向けると、黙って頷いてくれた。黙認する、というサインだと受け取らせていただきます。

 

「まず、クロノワークだけが戦闘力に突出しているので、新兵を多く参加させることでバランスをとります。ゼニアルゼは弱兵も多いですが、クッコ・ローセ教官が鍛え上げた連中は精鋭なので、そちらが主に用いられるようです。……ソクオチは、わずかに生き残っている精兵を全投入するそうです。あちらはあちらで、見栄を張るために全力ですね」

「我が国を弁護するなら、それだけ国威と言うものは大事なんだ。反乱騒ぎで落ち目だと見られていると思えば、ここらで信用を取り返したくなる気持ちもわかるだろう?」

 

 それはそれとして、具体的な内容を聞けば、オサナ王子はどう思うだろうか。

 勝ち目が全くないのであれば、善戦するだけでも価値があろうが――下手に勝算が建てられるだけに、手を抜く余地がないのだから、ソクオチ兵は大変だなぁと思います。

 

「一日目はソクオチとゼニアルゼによる攻城の模擬戦になります。クロノワーク兵は、二手に分かれて補給の任につきます。――派手に砲を鳴らす予定ですから、弾薬の補給は急務となるわけですね」

 

 一日中も砲を稼働させるとなると、摩耗した部品や砲の交換、弾薬の補給にどうしても人手が必要になる。

 これだけでも全体では数十トンの物資が動くことになろう。兵たちの食料も大事だ。調理する人員、料理を運ぶ人員まで含めればどこまで多くの人が関わることになるか。

 一日目からして、予算の額がひどいことになりそうである。本格的な戦時と比較しても、遜色ない費用が掛かっているはずだ。

 

「金が掛かるってことくらいしか、僕にはわからん」

「では、二日目以降はオサナ王子にも理解が容易でしょう。二日目は、クロノワーク兵が二国に対して野戦を挑みます。……刃物は使いませんが、タンポ槍と竹刀でも重傷を負うことはあります。そして、そうなりかねないほどの激戦を予定しているのですね」

 

 正確には、流石に精強なクロノワーク兵と言えど、新兵中心なら手加減をする余地がない。

 二国を相手にするということは、それだけ兵力差があるということであり、これを埋めるのに全力で立ち向かわねばならないからだ。

 

「そうは言っても、事前に打ち合わせをして、やりすぎない程度の加減はするんだろう?」

「いいえ。死ななきゃ安いの精神で、ガチでやり合うとのことです。……不具になった兵がいれば、保証は充分に行うことになっています。他ならぬ、ゼニアルゼの予算で」

「まあ、それはいい。それ以降の演目は決まっているのか?」

「三日目が最終日になります。これまでとは打って変わって、戦闘ではなく狩猟の形になります。――とはいえ、王族がたまにやるような、娯楽性のある狩りではなく、獣を間引きするための狩りになるそうで。……狩りの獲物は、イノシシやシカばかりではないということですね」

「すると、参加者は軍人に限らないわけか? ソクオチの祭事のように、民間人を多数入れることになると?」

「はい。本格的な、お祭り騒ぎになることでしょう。――手間と費用を考えると、裏方はすごく苦労しているはずです。ゼニアルゼが負担してくれなければ、クロノワークの方で演目の変更を申し出ていたかもしれませんね」

 

 激しい戦闘を三日続けてはやってられない、という事情もあろうが、この日ばかりは目的が違う。

 軍事目的ではなく、政治色の強い最終日になるのだと、私にはわかっていた。

 しかし子供たちに知らせるには、まだ早い。だからこの場では、当たり障りのない意見で流しておこう。

 

「なんとも、随分と大盤振る舞いだな。ゼニアルゼは、それで財政が持つのか? ……いや、持つからやっているのか。ソクオチで同じことをやれといわれたら、途方に暮れるだろうに」

 

 オサナ王子の言い方は、呆れの感情が大きいが――わずかに恐れも含まれている。

 それならば、私の方から補足を入れて、より強い恐怖を抱いてもらおう。

 

「これが組織力の差、というものです。今回の件もそうですが、将来的にはソクオチもその恩恵にあずかれるでしょう。……なればこそ、ゼニアルゼは西方の盟主たり得るのです」

 

 私の頭の中には、高度な官僚組織によって、軍隊を維持するソクオチの姿が見えていた。私に思いつくくらいだから、シルビア妃殿下もわかっているはず。

 クロノワークがゼニアルゼの対等の友であるなら、ソクオチは番犬だ。飼いならすつもりがあるから、今回の軍事演習にソクオチを入れたのだと私は思う。

 

「盟主? クロノワークではなく、ゼニアルゼが?」

「はい。クロノワークは戦えば負けを知らず、国力も今後増大することが見込まれる国です。――ただし悲しいことに、わが国の繁栄は、ゼニアルゼとの友好関係が前提。万が一にでも、かの国と喧嘩別れしてしまえば、経済面の損失は目を覆うほどのものになるでしょう」

 

 腹が減っては戦は出来ぬ、というのは紛れもない事実だ。そして流通と交易を支配するゼニアルゼを敵に回せば、食料のみならず、あらゆる物資が欠乏するのは目に見えている。

 それだけなら短期決戦で勝ちの目もあろうが、ゼニアルゼは今やシルビア妃殿下の支配下である。対クロノワーク戦を想定して、もしもの備えを怠るとは思えない。

 そして、ここまで主導権を握られている以上、クロノワークがゼニアルゼの上位に立つことは、どうあっても不可能だ――と説く。

 

「ゼニアルゼからの援助は大きいからなぁ……。クロノワーク単独の経済力が貧弱である以上、友好を保つ方が利が大きい。盟主として持ち上げるだけで、金が入ってくるなら、抵抗なく従うか」

「シルビア妃殿下は、国家の面子と言うものも理解しておられます。あからさまな態度はとらず、少なくとも表面上は対等に近い付き合いを維持するでしょう。――本当の実態などと言うものは、一部の人だけが理解すればいいのです」

 

 丁寧に説明すれば、オサナ王子は不足なく理解する。エメラ王女もまた、なんとなく真剣な顔で考え込んでいた。

 王妃様は、その二人を愉快そうに眺めていたが、ここらで口をはさむ気になったのか。軽い口調で話しかけてくる。

 

「授業の延長としては、そこまででよかろう。疑問も氷解したであろうし、軍事演習にはおぬしらも招待される。――細かい部分は、現地で把握すればよい。楽しみは、後にとっておくものぞ」

「はい、お母さま。……じゃあ、遊びに行こっか、オサナ君」

「あ、うん。――ではモリー先生、王妃様。これで失礼します」

 

 そうして二人は退室していった。教室には、私と王妃様だけが残る。

 意図して子供たちを他所にやり、二人きりにしたこと。王妃様のやることなのだから、当然意味がある。

 

「続報がある。それを加味したうえで、今後の行動をおぬしに伝えておきたくなった。――今回は見識を頼ってのことではない。決定事項を知らせておけば、おぬしならば適当に役割をこなしてくれよう?」

「役割を果たすのは私の義務ゆえ、それは結構なことなのですが。……面会の機会を作るのに、授業参観を使うのはどうかと思います。もう少し、やりようがあるのでは?」

「いや、ない。授業参観を名目にすれば、わらわが只の親バカであったのだと、それで収まる。これから様々な形で、わらわは政治的な行動を起こすことになるのだ。親として、子を思う態勢を忘れないためにも、これは必要な行為であったと考える」

 

 私としても、周囲の嫉視を気にする身の上だから、これは王妃様に気を使ってもらったと捉えるべきだった。

 ならば、あえて異論を唱えるほうが無作法と言うものか。ため息をつくのも無礼、と思えばこそ、正面から王妃様に向かい合い、話し合う覚悟を決める。

 

「密輸ルートと、合同軍事演習での狩猟場が重なったそうじゃ。――シルビアめに確認の書を送れば、あっさりと認めおった。ザラに裏取りをさせているが、現状あの子の言い分に矛盾はない。……ミンロンとやらを、公式補給商に据えたのは結果的に英断で合ったな。こちらで確保したことで、色々と愚痴ってこられたよ」

 

 王妃様の話を聞く限りでは、シルビア妃殿下はミンロン女史をゼニアルゼの公式補給商として、抱えるつもりであったらしい。

 先手を打たれたことを、あの方は恨めしく思ったという。嫌がらせとしては、この時点でもそこそこの成果があったと言えよう。

 

「ま、それはよい。東方の商人を抱え込むことの是非についても、アレコレ言うておったが、わらわには聞こえぬ。理解する気もない」

「それでは、シルビア妃殿下があまりにも……。せめて、理解する努力をしてあげてください。親子の情は、おろそかには出来ぬものです」

「情はあるとも。理解すれば薄れると思えばこそ、聞かぬふりをするのよ。……このあたりの複雑な感情を、おぬしにわかれとは言わぬがな」

「――言葉が過ぎました。申し訳ございません」

 

 王妃様がそこまで言われるなら、臣下としては唯々諾々と従うほかない。

 頭を下げ、自らの僭越を詫び、さらなる発言を待つ。

 

「……自らの献言をもって、その無礼を詫びよ。シルビアはわらわからの書状に対し、愚痴ばかりを送ってきたわけではない。それどころか、誰がそんな入れ知恵をしたのかと聞いてきた」

「返答がまだでしたら、私の名前は伏せていただきたく」

「もしモリーの影響であったとしたら、これを機会に会ってお礼をしたい。そう記されておった。わらわとしては、偽るのも気が引ける。――なんであったか。そう、親子の情をおろそかにせぬためにも、下らぬことで偽りを述べたくない。それが筋ではないかな?」

 

 私にこれを拒む権利などあろうか? そんなもの、欠片たりとて存在しない。自らの発言に対しては、責任を持つべきだった。

 

「……シルビア妃殿下には、お受けしますとお伝えください」

「うむ。軍事演習に参加の予定がなければ、ぜひ貴賓席で共に鑑賞したいとのことだ。あの子の相手は難しかろうが、できる限り愛想よく接してやってくれ」

「全力を尽くします。――生来の不器用物ゆえ、上手に出来なくともご容赦ください」

「構わぬさ。おぬしの努力を理解できぬほど、あの子は愚昧ではあるまい。それくらいの教育は、充分に施したつもりじゃ。……人の気持ちを踏みにじる悪童らしい面もあるが、有用な人材には温情を惜しむ子ではない。それだけは、信用して良い」

 

 王妃様の保証がいただけるなら、こちらとしても安心して出向ける。

 油断はしないが、どのような話題を持ち出されても、無難に応える用意はしておかねばなるまい。

 

「何かしら、王妃様から伝えたいことがあるなら、伝言を承りますが」

「おぬしに頼るほど、親子の間に深刻な溝があるわけではないさ。あえて言うならば、せいぜい焦らしてやれ。シルビアの知性に対抗できるのは、わが国ではおぬしくらいのものであろうからな」

「過大な評価、痛み入ります。最善を尽くすこと、ここに誓います」

 

 続報がこれだけなら、私は多少の責任を背負うだけで済んだ。

 嬉しくないことに、続報はこれだけではなかった。世界情勢も、賢明な指導者たちも、私と言う存在を放っておいてくれないらしい。

 

「今一つ、おぬしには伝えておくことがある」

「伺います。何なりとお申し付けください」

「おお、頼もしいな。――では、言うが。様子を見ようなどと悠長なことは、もはや言わぬ。特殊部隊から離れ、エメラの近臣となる気はないか? 受け入れるなら、今から実用的な役職を与えても良いと、わらわは考えておる」

 

 固辞するべき話ではなかった。将来を見据えて、自らの栄達を図るなら、受ける以外にない。

 そしてクロノワークの未来、私の家の未来を考えるならば、やはり拒否することは出来なかった。

 感情的なしこりと、実務的な引き継ぎ問題の解決のため、時間を引き延ばすこと。私が口にできたのは、それだけだった。

 

「やはり、後一年、可能ならば二年、時間を見ていただきたいと思います。シルビア妃殿下が第一子を産んで、心境の変化がないとも限りません。あの方の出方を探り、後顧の憂い無しと判断した後であれば、ザラ隊長の許可を頂いて、エメラ王女の傍に侍ると致しましょう」

「そうか。……それも、よかろう。おぬしの為に、席を一つ空けておく。――心しておけ。エメラのお守りは、シルビアの相手をするよりキツイかもしれんぞ」

 

 王妃様も、私の個人的な事情を、わかってくださったのだろう。嫁を四人も娶った関係上、彼女たちへの責任と言うものが、私にはある。反対はされなくとも、納得を得るには時間が必要なものだ。

 なにより、妻の内三人が現役の軍人であるというのも問題だ。なので、たとえ栄転であったとしても、配置換えの提案には慎重になりたい。

 

「私の忠誠は、常にクロノワーク王家にあります。――ご安心ください。他に何かあれば、お聞きいたしますが」

「いや、もうよい。今少し、問い詰めてやりたい部分はあるが……それを先延ばしにしてやるのも、また臣下に対する思いやりと言うものであろう」

 

 悩ませるばかり、酷使するばかりでは主君としての沽券にかかわると、王妃様は言い放った。

 

「まずは、眼前の課題をこなしてから、改めて考えようではないか。シルビアの動向が、西方全体に影響を与えている。我が娘ながら、面倒なことよ」

「娘であればこそ、誇りに思う。そう考えることは、できませんか?」

 

 僭越と知って、言葉を重ねた。王妃様も、自身の複雑な感情の処理に困っている風でもあった。

 私の言葉で、いくらかでも楽になれたならと、そう願う。

 

「さて。人の感情と言うものは常に正しくあるわけではないし、間違っていたとしても責められたくはないものよ。……少なくとも、わらわは国益に背くことはしたくないと思うておる。そして国益に利する間は、あの子を愛したいとも思う。この返答では、不足かな?」

「充分です。臣下としては、足らぬ部分を補えばよい。そう思って腹をくくれば、どうにでもなる問題でしょう。――私にできることは、全てやりましょう。主君に対し、死に物狂いで尽くす。騎士として、それが義務と言うものでしょう」

 

 殊勝である。ほめて遣わす――なんて。王妃様は付け足すように、言葉を費やしてくださった。

 なればこそ、私は励まねばならない。国家に対し忠を尽くし、王家に対して尽力する。

 あらゆる倫理を置き去りにして、殺生を重ねてきた我が身である。悪徳を重ねながら、家庭を持った罪深い身の上である。それくらいの働きをせねば、つり合いが取れぬというものだ。

 今後の見通しについて、個人的に考える必要があるか。情報も、最新のものに更新しておく必要があろう。

 

「しかし、モリーほどの騎士であっても、家庭の事情を抜きには自由に動けぬか。これはまた、一種の笑い話というべきではないかな」

「笑うほどのことではありますまい。人は常に、私人として家庭内の立場を持っています。――強い軍人が、家の中では妻の尻に敷かれているだなんて、珍しくもない話ではありませんか」

 

 さて、いかに動き、いかに言い聞かせるべきか。私は思考をフル回転させながら、未来への布石を打つことにした。

 それが誰にとっても、最善であると信ずればこそ、そうすることができるのであった。できるなら、私の妻たちも、意見を同じくしてくれるなら心強いと思うのでした――。

 

 




 いかがでしたでしょうか。このぺースでいけば、ギリギリ今年中には一区切りつくと思います。
 原作が続いているので、一旦は終わらせても、なんだかんだで色々と書くことはあるのでしょうが……。
 ともあれ、終わりを目指して突き進んでいこうかと思いました。

 では、また。次は今月末に、確実に投稿したいものですね。 



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軍事演習は政治的な意図を持つというお話

 もっと話を進めるつもりが、シルビア妃殿下との会談が長引いてしまい、それだけで一話を区切らねばならなくなりました。こんな時、自分の未熟さを思い知らされます。

 見直しが足りてないような気がしながら、どこかで矛盾があったり、わかりにくくなっていないか、思い悩みつつも投稿のボタンを押す。

 今回もその気持ちが、どうも強い気がしていますが、定期的な投稿を忘れては本末転倒。

 いまだ未熟な物書きの端くれですが、今後とも見守ってくだされば幸いです。



 ミンロンに公式補給商の証書を渡したり、諸々の実務をこなしたりして。ともかく急ぎの仕事はやり終えたので、後は推移を見守ればいい。

 そう思って、我が家のために妻たちをねぎらおうと思ったのですが、何とも。この世は案外世知辛く、そう上手くいきません。

 合同軍事演習は一大事業だから、それまでには各人の仕事もひと段落つくだろうと思いたかったんだけど――どうも直前まで手が離せない状況が続くみたいで、夫としては立場がないと思うのです。

 

 メイルさんは内勤が楽になったらしいけど、交易の護衛依頼がこのところ多くなったようで、家を空けることも出てきて、まともに夜を過ごせていません。

 ザラは王妃様から仰せつかった、様々な情報の裏取りに動かされているし、クッコ・ローセはゼニアルゼから帰ってきたと思ったら、軍事演習の前準備に駆り出されて現場に泊まり込みの日々が続いている。

 

 結局、私がまともに毎日を過ごせる相手は、クミン嬢だけになる。……それが不満である、なんていうわけじゃないけれど。

 ともあれ、自室に招待されて、もてなされる程度には交流を深めておりました。

 クミン嬢は風俗経験があるだけあって、男を転がす手管に長けているというか、接していて快い部分がある。――それがまた言葉にしにくい所で、なんとなくほだされていく感覚が、どうにも言い難く。

 ザラ達と比べてしまうと、弱い部分は確かにあるけれど。それでも、彼女でなければ味わえないであろう、唯一無二の経験もまた存在しているのですね。

 

「クミン。貴女の存在が、今の私にとっては救いになっているところはあります。……それはそれとして、ザラと会えない夜を重ねると、どうしても寂しさは感じてしまう。我ながら贅沢が過ぎると思うのですが、こればかりは感情的なものなので、どうにも」

「いいんですよ、別に。――私に対して、それを正直に話してみせる。その図太さを維持できるうちは、大丈夫でしょう」

「……実際、貴女がいてくれて、助かっています。最近は家事も任せきりですし、その割に構ってあげられてないことは、本当に申し訳なく……」

「私もあなたも、必要とわかっていて一緒にいるのですから。気兼ねはしないでくださいな。家事については、できることをやっているだけです。――いいじゃないですか。こんな家の形があっても」

 

 クミン嬢の言葉も、今の私にとっては心地よい。ぶっちゃけ、都合のいい女扱いをしているも同然だが、それでも彼女は今の私を肯定してくれる。

 元ハーレム嬢なのだから、この種の手管には長けていて当然ではあるだろうが――。

 何はともあれ、私に尽くしてくれる。その事実が、ただひたすらにありがたかった。

 

「――と言うわけで、モリーさんはベッドに横になってください。これもまた、私のお務めですので」

「……あ、はい」

 

 婚儀を終えて、共同生活を続けているうちにわかったことだけど、クミン嬢はマッサージが上手だった。

 眠りそうになるくらい心地よい時もあれば、どうしようもなくムラムラする時もあったりと、なんだか効能にバラツキがあるのは気になるんだけどね。

 いずれにせよ、替えが効かない程度には、立派な技能であると私は認めている。こっちで食べていく方法もあるんじゃないかと、暗に提案したこともあるほどだが――。

 

「必要があって習熟したことですが、今ではもう、身内以外にしてあげたいとは思いませんよ」

「……ありがたい話です。私だけが堪能するのはもったいないので、皆にもしてあげてくださいね」

「ええ、もちろん。求められたら、拒むつもりはありませんよ」

 

 つまり、私が彼女たちの間を取り持つ必要があるわけだ。これをクミン嬢なりの処世術と取ることも出来るし、彼女独自の狡猾さの発露である、と取ることも出来る。

 個人的な見解を述べるなら――クミン嬢は私の家の中で、しっかり生き残ろうとしているのだろう。単純に、そう捉えるのが正解と思いたい。

 

「皆も、クミンにつらく当たっているわけではない、と思いますが」

「皆さん、強かな女性ですよ。どんな状況でも、モリーさんにすがったりはしない。ただ一人でも、自立できる人たちです。……私とは違う」

「それこそ、貴女だって誰かに依存する人には見えませんが」

「……取り繕うのが上手いだけですよ。私は、自分の弱さから目を背けられるほど、強くはありません。弱いままでいられないくせに、半端な強みだけを身に着けてしまっている。そうした自分を、嫌悪することだって――無いとは、言いません」

 

 クミン嬢の言葉がどこまで本気なのか、私にはわからない。それでも、彼女がここまで心情を吐露しているなら、これを無下にすることはしたくなかった。

 ぼんやりとした頭でマッサージを受けながら、口だけを開く。身体は任せて、しかし心までは支配されないように。

 

「私は、クミンのことが好きですよ。いつまででも、我が家に居てくれて、いいと思っています」

「生涯面倒を見てくれる。そんな風には、言ってくれないんですね」

「手の届くところにいてくれるなら、私にできる限りのことをします。離れないなら、ずっと。……それでは、不足ですか?」

「私が居ないとやっていけない。私を愛して、ずっと離さないと――。嘘でもいいですから、そう言ってくれませんか? そしたら、私だって心変わりするかもしれませんよ?」

 

 私がそんな嘘を言えないと、彼女はわかっているはずだ。わかっていて、戯れている。クミン嬢は、そうした諧謔に酔う癖があるらしかった。

 私はと言えば、女性関係で不実な言葉は使いたくない。口にしてしまえば、本物になってしまう。――だから、私は当たり障りのない言葉で返した。

 

「クミンほどの方であれば、私よりももっといい条件の方と、もっと満たされた人生を送ることも出来るでしょう。……私だけにこだわる必要はない。違い、ますか?」

 

 クミン嬢の指圧が、明らかに強くなった。次の瞬間には和らいだが、私には誤魔化せない。

 ――彼女の動揺が、行動に現れた。そう思うべきだった。ブラフとするには、タイミングが絶妙すぎる。

 クミン嬢が嘘をつくなら、もっと上手にやる。ここで下手な動きを見せること自体が、彼女の感情を示しているのだと、勝手ながら判断させていただこうか。

 

「ちょっと、痛かったですよ」

「こっているんですね。あんまり疲れをためるのは良くありませんよ」

「失敗したと、素直に言ってもいいんですよ?」

「……何のことやら。続けますね」

 

 心地よい刺激が、彼女の手指を通して、身体を伝っていく。疲れも同時にほぐされて、癒されていく感覚は本物だった。

 なればこそ、クミン嬢の本物の感情も、余すところなく理解してあげたいと思うのだ。

 

「クミンさん。よろしければ、ですが。最近、誰と連絡を取っているのか、確認しても良いですか?」

「別段、特筆すべき相手とは連絡していませんよ。昔の同僚とか、以前世話になった人に、自分の近況を伝えているだけです」

 

 少なくとも、シルビア妃殿下には確実に連絡したのだと、正直に話してくれている。

 今このタイミングで何を伝えたのか。それを予想するのは難しくない。

 

「私が王妃様と会っていたことも、話しましたね?」

「隠ぺいする気がないのなら、どこかから漏れるでしょう。……というか、わかっていて、ほのめかしていたんじゃないですか?」

「それはそうですが、一応の確認として。――クミンのほかにも、私の近くにシルビア妃殿下の目があるかどうか。調べておくことは必要でしょう?」

「……正確には、王妃様の傍です。そちらから私の方に話が来て、身辺を探って確信を得る。そして、シルビア妃殿下に伝達する。何か、おかしいですか?」

「いいえ、わかっていたことです。私に対しても明言しているあたり、すでにお互い了承済みのことなのでしょう。なら、大きな問題にはなりませんか」

 

 私と妃殿下の関係は、結構微妙なものだ。敵対してはいないし、今後もするつもりはないというか――むしろ、積極的に協力関係を築きたいとすら考えている。

 だからクミン嬢への対応も、ぞんざいには出来ない。彼女の申し出は拒否しないし、不満があれば解消しよう。

 

 私の身体を弄ることで、多少の慰めになるのであれば――それくらい、好きにさせてあげたかった。

 適当に話している間にも、マッサージは続けられる。終わった時には、身体のみならず、精神的な疲れも消えていくようで――。

 私の方がお礼を言いたくなるくらい、いい気分転換になったと思う。

 

「ありがとうございます。……最近は身体を動かすより、考えることの方が多いもので。こうやって、身体をほぐしていただけると、良いリフレッシュになります」

「私などにはわからないことですが、王妃様の相談とか、王子王女の教育は大変ですか?」

「大変ではない、とは言えませんね。元々畑違いの仕事ではありますし。――それでも、やりがいはありますよ」

 

 自分の家を残す、なんてことはあんまり執着していませんが。それでも、利用価値のある縁であることは確か。

 今後とも、王族との関係は維持していきたいところだ。……打算は別として、力になってあげたいと思う気持ちも、確かにあるのだし。

 

「充実しているのですねぇ。――立身出世も、夢ではないということですか」

「良い意味でも悪い意味でも、ですね。……クミンは、どうです? 最近の仕事場の様子は」

「モリーさんとの家庭もありますので、今は休みも多いし、半日だけの仕事ですから。基本的に、店の中でも雑用ばっかりやっていますよ。人間関係でしたら――まあ、うちの事情をちょっと突っ込んで聞かれることもありますけど、適当に流しています」

 

 クミン嬢は、クロノワークの風俗店で今も働いている。もちろん客を取ることはないが、それはそれで職場の空気になじめなくなるのではないか――と、心配していたのだが。

 しかし、彼女の声は思ったよりも軽く、悩んでいる様子もなかった。シルビア妃殿下とのつながりを維持するためにも、傘下の店舗から離れさせることも難しい。現状うまくやれているなら、これ以上は働きかけることもないだろう。

 

「楽しくやれているなら結構です。私から離れたとき、頼るべき場所が一つもないというのでは、こちらも心苦しいですから」

「どうして離れることが前提なんでしょうかね? 私、うまくやれていると思うのですが」

「クミンさんに問題があるわけじゃなくて、ですね。むしろ私の方が、見放されないか心配で――とか、わざわざ言うようなことでもありませんか」

 

 私自身、クミン嬢がどこまで本気であるかは、測りかねている。わからないから、試しているという部分があった。

 とはいえ、あまり深く探るのは非礼というもの。この辺りで止めて、伝えるべきことを伝えよう。

 

「近々催される、合同軍事演習について、聞いていると思います」

「はい。遠出をなさるんですね。数日は、家を空けられると」

「遠いというほど遠くはありませんが――まあ、少しの間は家を留守にします。その間は、自由に過ごしてください。家にあるものは、好きに使って構いません」

 

 他の妻たちは、私と一緒に演習に付き合わされるので、実質彼女は家の中に一人取り残されることになる。

 せめて、自由な行動を保証してあげるのが、私にできる――せめてものことだろう。

 これで十分とも思わないから、もう一つ、してあげたいことがあった。

 

「それから……ええと、クミンさん」

「なんでしょう」

「私はこれから、シルビア妃殿下と会う予定があります。貴女が望むなら、要望を伝えることができます。――貴女は、よくやってくれている。ですから、相応の見返りをもらっていいのだと、私は思うのです」

 

 これが誠意なのか、やけっぱちに近い、なにかしらの感情の発露なのか。

 私は、自分を分析することをやめた。とにかく、クミン嬢のために、何かしらのことをしてあげたかったのだ。

 おそらく、これまでの人生で、自由らしい自由などなく――誰かの都合で振り回されていたであろう、クミンと言う人に。

 ハーレム嬢として、風俗嬢として生きていく以外の道がなかった彼女に対して、私は男としての度量を見せたかったのだ。

 

「……ご遠慮します」

「なぜか、と聞いてもいいでしょうか。クミンさん」

「感情的なものなので、理屈を求められても困りますね。――モリーさん。私は、少なくとも今すぐ貴女の傍を離れるつもりはないし……そうですね。何なら、私を楽しませ続けてくれるなら、一生を共にしてもいいと考えていますよ」

 

 だから、余計な気を回す必要はないんだって、クミン嬢は付け足すように言いました。

 いやいや、だからといって、それに甘えたいとは思わないよ。夫の見栄として、妻の献身には答える義務があると思うのです。

 

「流石にそれは、クミンさんの取り分が少なすぎるでしょう。私が貴女の娯楽になるとしても、貴女の人生の貴重な時間と引き換えにするほど、価値のあるものでしょうか?」

「今更、ですよ。私の人生が、私以外の事情で浪費されるなんて。――完璧な人生なんて、そうそうありえないものです。私もモリーさんも、それは同じ。だったら、少しでも楽しめるほうを選びたい。これって、可笑しいことですかね?」

 

 否定できなかった。クミン嬢のような、風俗嬢であることを選んだ人、選ばざるを得なかった人々に対し、人生の娯楽を捨てろだなんてことは言えない。

 世知辛い世の中、苦痛多く理不尽に流されるしかない只人の人生の中で、せめてもの生きがいとなり得る娯楽の価値は、途方もなく大きなものだろう。

 私がその一助たり得るなら、むしろ肯定してしかるべきではないか。そうであってこそ、彼女の期待に応えられるというものではないか。

 

「期待が重いですね。私の存在が貴女の為になれるなら、そうありたいと思うのですが」

「ぜひとも、期待に応え続けてくださいな。――私が楽しむ以上に、貴女の妻たちの為にも。あの方々には、モリーさんの存在が不可欠です。貴女が引き取らねば、皆さん一生独身でもおかしくない方々だと思いますよ」

 

 結局、クミン嬢との一時は、他愛のない会話で占められてしまった。マッサージが心地良かった分、しわ寄せを食らったような気分で、どうにもすっきりしない。

 ただ、駄弁っていただけであったとしても。彼女の無聊を少しでも慰められたのならば――その事実をもって、私は満足すべきなのだ。

 私は、風俗嬢に敬意を抱く。その身を尽くして、他者に奉仕する仕事は、尊いと思うから。

 

「――私個人の楽しみのためにも。せいぜい長生きしてくださいね、モリーさん」

「はい。なるべく努力して、楽しんでいただきますとも。貴女だけでなく、彼女らの人生を背負うと決めているのです。……今更、たやすく死ぬ気などありませんよ」

 

 合同軍事演習を前にして、クミン嬢へのケアは多少は出来ただろうか。時間を費やした分だけ、彼女の癒しとなれたなら、これ以上のものはない。

 クミン嬢は、価値のある女性だ。その彼女の為になることができるなら、私だって男としての矜持を満たすことができる。

 個人的に、それはとても大きいことだった。たとえ、他の誰にも、この気持ちを理解してくれなかったとしても――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 背後には色々な出来事があり、難しい政治的事情があり、不穏な気配もないではない。

 そうした事情がありと言えども、合同軍事演習は滞りなく進められる運びになった。これは、僥倖であったと心から思う。

 ……他国の介入とか、妨害とか。予想は出来ていたはずだから、シルビア妃殿下が見事に対処した、と考えるべきだろうか。

 

 当日になってみれば、私は演習に直接関わらぬ立場で、ただ推移だけを見守っていたのだから、そもそも何も文句など言えない立場だ。

 詳しくは話してくれなかったけど、ザラは準備段階で結構な貢献をしたらしい。メイルさんは演習中は補給に関わる仕事をしているし、クッコ・ローセも演習では現場指揮官として、様々な働きをしている。

 

 意外なことに、クミン嬢も単純な労働力として参加してくれた。家の中でだらだらするよりも、張り合いのある仕事が欲しい、という理由で。

 私としては、彼女が自由に行動できる余地を作ったつもりだったので、結構意外な感じがした。婚活なり出会い探しなり、そうしたことをやっていたとしても、咎めるつもりもなかったのだから。

 ――ともあれ、兵たちの食事を作ったり配膳に加わったりして、民間人に交じってこまごまな仕事をやってくれたのは感謝したい。

 

『これくらいしなければ、モリーさんの身内とは言えないでしょう』

 

 なんて、彼女は言ってくれた。ここまで尽くしてくれるなら、認めるべきだし、認められなくてはならないと思う。

 帰ったら、どうしようか。なんて、今から考えています。私から奉仕するとして、どんな形がいいのかな。

 

「……というわけで、妻のご機嫌を取るのに忙しいのです。シルビア妃殿下には、穏便に話をして、適当に楽しんでいただけましたら幸いです」

「わらわが楽しめる話となると、限られるがのう。できる限り、刺激的なものを頼むぞ」

「刺激的でないと楽しめない、とおしゃられますか。……ご要望にはお答えしますが、それ以上のものは、求められても困りますよ。話を煽るだけ煽って、建設的な結論が出なかったとしても、咎めないでくださいね?」

 

 軍事演習の一日目。戦場を見下ろせる慰安所から、適当に演習を観戦しつつ、私はシルビア妃殿下の相手をせねばならないらしい。

 何しろ、席が隣だったもので。席がほぼ独立していて、周囲の耳目を気にせずにいられることだけが、幸いだった。

 

 頼りの王妃様は、遠めに作られていた、別の慰安所にいる。そちらはオサナ王子とエメラ王女がいるので、子供二人のお守りは任せられるのだが――。

 代わりに一番面倒な人の相手をさせられていると思えば、まるでつり合いが取れていないんじゃないかなぁ。

 

「ま、よい。つれない返答じゃが、わらわはこの機会をふいにするつもりはないし、気になることもある。――おい、おぬし、何をした。最近の母上の対応が色々とガチってるんじゃが。面倒な手合いに、さらにやりにくくなる材料など提供してくれるな。わらわが好き放題できなくなるだろうがよ」

「お呼ばれしたので、思うところを適当に話しただけです。主君への献策は、臣下の務め。それに文句を言われても困りますね」

 

 話をしただけです――と素直に答えたのに、妃殿下は私を非難するような目で見てくる。

 確かに、ミンロン女史を公式補給商に推薦したのは、私ですが、ええ。その点については申し訳ないと思いますが、貴女が好き勝手したいように、私達も自分の都合を優先したいのですよ。

 

「おう、そうか。実をいうとな、わらわへの嫌がらせの礼として、この場を用意したのじゃ。――他国の要人が、遠巻きにおぬしを見る目、気付いていたか?」

「ええ、まあ。……視線は気付いても、演習の喧騒のせいで、話声までは聞こえませんが」

「おぬし、結構名が売れておるぞ。こうしてわらわの傍に侍らせてやったから、帰国後は社交界への誘いが殺到するかもしれんな?」

「ご配慮、感謝いたします。ならばこちらも、礼には礼で返しましょう。率直に、正直に思うところを述べますが、これはシルビア妃殿下への誠心が故、とご理解ください」

 

 嫌がらせには、嫌がらせでお返しになられる、と。まあ、その程度で済むならまだ軽い。

 ともあれ、私は妃殿下に話題を提供し、楽しんでもらわねばならない。彼女の方からそれを望まれるなら、是非もないだろう。

 刺激的なのがお望みなら、最初から強くいくべきだった。

 

「そもそも妃殿下、貴女は性急に過ぎます。環境を整えるにも、急がずゆっくりやる手もあるでしょうに。ご自重なさるわけには、参りませんか? いくらかの課題は、次代に残してもいいはずです。……次代の成長のためにも、適当な仕事は残しておくものですよ」

「今のうちに、やれることはやっておきたいのじゃよ。仕事など、いくらでも後から湧いてくるわ。のちの世のために、などと遠慮しようとは思わぬ」

「あくまで、仕事を急がれると。悪いとは申しませんし、あえてこれ以上は止めませんが。――ならば、早すぎる社会の変革、その反動を受け止める覚悟もおありなのでしょうね?」

 

 シルビア妃殿下は手加減を知らぬ。最善を尽くして、自国を肥やし、他国への支配を及ぼしていくだろう。

 実際に目にしてみると、その行動は時代を加速させるほどに大きく見えた。

 合同軍事演習は、もっと後に回しても良かったはずなのだ。それを前倒しにして、自らの権威をことさらにアピールする。

 間違いなく、彼女は偉人だった。常人では、ここまで短期間に実行できないし、周囲を巻き込めない。……なればこそ、私は危惧を抱く。

 

「わかったような口をききくさる。自重などせずとも、何もかもが上手くいく。そんな可能性だってあるじゃろうが」

「ご自身でも信じていない、根拠なき楽観論を口にしてどうするのです。そこまで考えナシなら、わざわざ私などを呼び出して、異なる意見を聞こうだなんて思わないでしょう。――新たな視点から、厳しい意見が欲しくなった。私をここに配置したのは、それが本心なのでしょう?」

 

 特別な席の位置と演習の騒がしさが、この会話の全てを覆い隠してくれる。

 余計なことを話しても、誰の耳にも届かない態勢は整っているわけだ。なればこそ、遠慮なく語ることも出来よう。

 

「厳しさを求めているわけでもないが、刺激的な会話は確かに期待しておるよ。――おぬしは、どこまで見えているのかのう。わらわが西方に君臨し、あらゆる利益を差配し、一代の英傑として名を残す。それくらいは、見通されていても不思議はないが」

「はい。まさに一代の英傑であるがゆえに、一代でしかない欠点が、未来においては致命傷となるでしょう。――もし妃殿下が早世することになれば、次代でゼニアルゼの覇権は終わります。これは、保証してもいいことです。なので、健康には気を使って、絶対に長生きしてくださいね」

 

 あまりにあっさりと、確信した口調で私が断言するものだから、これにはシルビア妃殿下の方が面食らったらしい。

 軍事演習は始まったばかりで、砲兵は砲撃の準備に追われていた。遠目から確認しただけだが、個々の動きに淀みがなく、相当な練度の熟練兵だとわかる。

 轟音が響くのは、もう少し後になるだろうが、その時までに話を一区切りつけたいところだった。

 

「……聞き捨てならぬことを言ってくれるな。どういうことじゃ。わらわにわかるように説明せい」

「事業は半端に手を付けてはならない、ということです。もう少し、詳しく述べましょうか?」

「白々しい。もったいぶった言い方をするな。――続けよ」

 

 しばし言葉を失った後、鋭さを増した目で、私に問う。

 これが下馬威(シャマウイ)というもので、東方の交渉術の手法である。初手でガツンとやっつけて、会話の主導権を握るとしよう。

 翻訳した書物の影響もあってか、つい使ってしまったが、この程度は愛嬌というもの。私なりの意趣返しとして、出会い頭の一発で、どうか頭をくらませていただきたい。

 

「仮に、の話ですが。もし各国の戦争によって、交易路がふさがれてしまったら、いかがします?」

「もちろん介入する。武力か政治力か、いずれかを使ってな」

「では、軍事力は維持しなくてはなりません。交易は多国間をまたがる広大なものですから、場合によっては軍の拡大も必要でしょう。常備軍を増やし、兵站を整え、練兵を繰り返して質を維持する。――ゼニアルゼの富を持ってさえ、馬鹿にならない負担であろうかと思います」

 

 ここまで言えば、聡明なるシルビア妃殿下は意味を察してくれる。

 その対策まで考えているのなら、私の言葉の重要性も――またわかってくださるはずだ。

 

「キリがない、と言う話か? そうして軍事費ばかりが拡大すれば、今までの収入では養いきれなくなり、外に収奪の為の植民地を求めねばならなくなる。……西方では具合が悪い。では東方か、南方か? しかし、交易関係のある東方は後回しにしたいところ。となると、結論は一つよな」

 

 東方を後回しにするだけで、標的から外したわけではない――という辺りが、実にシルビア妃殿下らしいと思う。

 だから彼女は覇者として相応しいと言えるのだし、彼女を欠いたゼニアルゼは、それだけで一気に落ち目になるとわかるのだった。

 

「よどみなく話される辺り、前々から考えていた様子ですね」

「モリー。これは内心にしまって、遠い未来まで公開しなかったであろう考えである。それを今指摘した、おぬしの先見性は買ってやろう」

「この点、妃殿下から評価されても、嬉しいとは言い難いですね。――いずれは、西方諸侯を総動員して、交流のない南方へと征服戦争に乗り出しますか?」

「手段の一つとして、頭の片隅にはおいておくという話よ。軍備の拡大も、まだ試算すら終わってない状況じゃ。――わらわは戦争を厭うわけではないが、まずは統治の安定を優先したい。外征に打って出るのは、二十年くらいは先の話と考えておけ」

 

 つまり、シルビア妃殿下の娘なり息子なりが育って、成人するまで。それまでは、守成の時期と見定めているわけだ。

 この度の合同軍事演習も、守成の為の一手である。そう思えば、案外急がずに、腰を据えてやろうと思っているかもしれないが。……状況が変わっても、果たしてこらえ続けてくれるだろうか?

 

「征服事業は多方面に影響を及ぼすし、音頭を取るにはわらわでなくては不可能であろう。その事業の途中で、わらわが倒れたとしたら……なるほど。南方に乗り出すどころではなくなる。国内にも動揺が走ろう。その手の弱みに付け込みそうな手合いは、両手足の指では足りぬゆえ、内外から利権を食い荒らされ――ゼニアルゼは凋落するか」

「はい。……もっとも、妃殿下はそれくらいはご理解なされておられる。ここまでスムーズに話が進んだのは、その証拠ともいえましょう」

 

 シルビア妃殿下の統治はまだまだ始まったばかり。交易も軍備の見直しも、半端なところで止まれば、情勢が荒れかねない繊細な問題だ。

 妃殿下は、自分がどれだけ貴重な人間か、自覚しておられる。なればこそ、私の言葉も届くと思ったのだ。

 

「お互いに、見解を同じくしておるわけじゃな。しかし、わらわに健康問題はないゆえ、そこそこは長生きするであろう。問題のある後継者など残さぬつもりであるし、子の教育については、能う限り最高のものを用意する。次代のゼニアルゼには、不安など残さぬつもりじゃ」

「シルビア妃殿下の言葉には、重みがありますね。そう言われれば、案外ゼニアルゼの覇権も長く続くような気がしてきます。……凋落するとしたら、孫世代になりますかね」

「ほほう、孫世代でのう。――わらわが下手を打たぬ、とわかっているのであれば、どうしてゼニアルゼの凋落などをほのめかすのじゃ? 不興を買うだけだと、わからぬか」

 

 シルビア妃殿下は、不快そうにこちらを睨みつける。脅された、と思われたのかもしれない。

 それでもなお、いずれは進言しておかねばならぬと思っていたのだ。進展次第では、他人事ではすまない可能性もあるのだから。

 

「謝罪はしません。代わりに、根拠を述べます。……まず国際社会は競争社会であり、国家に真の友人はないものとご理解ください。その上で、ゼニアルゼに脅威足りえる敵が出現したとしたら――その敵は、いかなる戦いを挑んでくると思いますか?」

 

 ふむう、と顎を落として、シルビア妃殿下は思案に入る。

 そうしてくれるだけの価値を、認めてくれている。その期待を裏切ることだけは、したくないと思った。

 

「どこが敵国になるかによるな。クロノワークであれば、単純に武力で殴りに来るであろう。ソクオチは、もはやまともに戦えぬであろうから、そうじゃな。離間策をもちいて包囲網でも敷いてくるか? ……すると、外交的な孤立こそ、今後は注意すべきであるな。盟主の地位の確立、維持のために、諸国とは良好な外交関係を保っていかねばならぬ」

「――はい、それが大前提。そして、もうひとつ私が危惧するところがあります。正直、これは言われれば気付くことだと思いますが……ええ。もし気づかれていないのだとしたら、大問題です」

 

 期待に応えようと思うからこそ、厳しい言葉は避けて通れない。これから話すことは、地球の歴史を知っているからこそ、言えることだ。

 カンニングに近いものであるが、なればこそ私は危惧せざるを得ない。理解していただければ幸いである。

 

「ゼニアルゼは、巨大な商業国家です。これに敵対する国が真っ先に狙うべきところは、その財政。……ゼニアルゼが『財政危機』を起こすように仕向けること。敵はそれを目的に動くでしょうし、妃殿下はそれを第一に警戒すべきなのです」

 

 ゼニアルゼが財政危機におちいること。それが意味するところは、交易の支配からの転落であり、既得権益の破壊である。

 凋落の根拠の一つとしては、まず十分なものではなかろうか。

 

「言いたいことはわかるが、交易を狙ってくるなら、むしろ撃退しやすいと思うぞ。あれは一国が儲けるばかりではない。多くの国々が関わっている以上、短慮は起こすまいと思うが――」

「それはどうでしょう。多くの国々が関わっているからこそ、盟主の地位から引きずり下ろしたい、と思うものは多いはずです。……財政が圧迫され、交易路を維持することができなくなれば、関係者全員が損を被ることになる。そうなればゼニアルゼに代わって、別の国家が交易を差配するようになるでしょう」

 

 シルビア妃殿下を納得させるには、これだけでは足りぬ。さらに言葉を尽くして、語らねばなるまい。

 

「そして財政危機に至る道は、多くあります。景気の動向、自然災害や飢饉の影響によって、物価が高騰する可能性もあれば、外交的な摩擦によって、交易が止まる可能性も否定できません。付け加えるならば、他国が不景気になったり、治安が悪化したりすれば、ゼニアルゼに難民が流入してくる場合もあるでしょう。――敵がこれらを悪用すれば、ゼニアルゼにとって不愉快な事態を招かせることは、そう難しくないと考えます」

 

 難民に関しては、最悪武力でどうにかする手もないではない。近代以前の倫理観ならばそれで通るが――経済に関しては、そう簡単には解決できぬ。

 例えばどこかの国が、何かしらの事情で穀物に対する関税を上げたりすれば、穀物の価格が高騰するだろう。敵国がそれに便乗して、私利を図ることは充分にありえる。

 

 そしてゼニアルゼは、食料自給率がそれほど高くない。食料を輸入せねばならぬ関係上、価格高騰が何年も続けば、損失が許容範囲を超える可能性があった。

 軍備を拡張するなら、兵を食わせるための費用もそれだけ増える。基本的に、軍隊そのものは生産に貢献しないことを考えるなら、これは大きな問題であった。

 

「シルビア妃殿下は我慢ができるでしょう。しかし、国民の感覚はまた別のもの。交易が止まって市場に不安が広がれば、買い占め、売り渋りなどで流通が硬直することも想定されます」

「……実際、供給が止まれば物価は上昇するもの。そうなれば、価格が高騰してから売り抜けようとする不埒者は、どうしても出てくる。だからこそ、わらわは交易に気を使っているのじゃが――なるほど。これは、確かに戦争を吹っ掛ける理由になるな」

 

 これで即座にゼニアルゼの財政が破綻する、と言うわけじゃない。問題は、危機感だ。

 経済的な面での危機感から、業を煮やして武断的解決策を取りに行く可能性。これは、交易国家において否定しがたい部分であろう。

 

 アヘン戦争の経緯を思えば、これは決して絵空事ではないはずだ。

 妃殿下自身が望まずとも、国内の不満の声を抑えきれずに、不本意な戦争を起こさねばならぬ事態に陥ること。私が最初に恐れるのはそれだった。

 

「発端がどうあれ、当事者ともなれば、戦争は経済状況を一層悪化させます。戦時中ともなれば、物価の高騰以上に通商破壊が一番厄介。――総合すれば、ゼニアルゼの損失がどこまで膨れ上がることか。結果として、損失を補填するだけの戦果が求められるようになります」

「モリーの言には、否定しがたいものを感じるな。戦果、より経済的な戦果か。……戦争が、より難しくなりそうな気配を感じるのう。経済に関する戦争行為について、今少し語るならば――私掠船による商船の拿捕、陸上輸送路からの略奪が一般的なところか。保険業者が、悲鳴を上げそうじゃな」

「それを保護するにも、くどいようですが軍事力の拡大が絶対に必要です。戦争に勝つためにも、交易を維持するためにも、軍事費は減らせないどころか増えるばかりになる。――外征まで二十年かかるなら、それまでどの程度の軍隊を維持できるでしょうか。拡大した軍隊の消費が、備蓄を食い尽くすまでに、はたして収奪は間に合うでしょうか?」

 

 交易による収益が、ゼニアルゼの生命線ではあるが。それを守るための武力が、大きな負担となって財政を圧迫する日がいずれやってくる。

 シルビア妃殿下は、実務にも通じている方だ。ゼニアルゼの国庫の知識は私にはないが、彼女の頭の中では確かな数字として、計算されているはずである。

 軍隊を養える限界が、どこにあるか。いかにして費用を捻出し、消耗を抑えるか。考慮すべき部分が多いだけに、結論も多様になる。妃殿下も、すぐにこの場で答えを出せる雰囲気ではなかったらしく、明確な答えは返ってこなかった。

 

「いくらかでも、身の丈に見合った拡大に収めれば――いや、話はそう簡単ではないか。西方の盟主としての面子を維持するなら、軍事力は手放せぬ。……改めて課題に向かい合ってみれば、わらわとしても思うところはあるな。もっとも、まだまだ先の話ゆえ、確たることは何も言えぬ――いうのが本音じゃのう」

「一応、妃殿下に確認しておきたいのですが、無策ではないのですね?」

 

 シルビア妃殿下は、目を伏せながら思案する姿勢を見せた。焦りは見受けられないから、どうにかする当てがあるのだろう。

 私にどこまで披露すべきか、公開してもいい情報を取捨選択している。妃殿下の思案とは、そういう意味であると見ていい。

 

「策を検討する余地はある。厄介事は未然に防ぐのが、もっとも被害が少ない。まずは敵を作らぬこと、味方を増やすことよ。……二十年後の征服と収奪の前に、外交と内政に目を向けねばならん。この軍事演習で、ゼニアルゼを筆頭とする三国の力は見せつけられよう。外交を通じて、今は速やかに西方に平穏をもたらすことを考えるべきじゃ。一国ずつ狙い撃ちにし、対話によってゼニアルゼの影響下に置く。現在の情勢なら、それが可能であるとわらわは見る」

「まずは武力ではなく、対話によって?」

「手段は限定せぬ。それこそ、あらゆる方法の対話によって、じゃ。この時点では、いくらかの譲歩は必要経費と割り切れる」

 

 周辺各国でも、ホースト王国やヘツライ王国等は、そもそもゼニアルゼに対抗する意志など持ってはおるまい。そうして数か国で防衛条約を締結すれば、他の国とて平地に乱を起こすことは難しくなる。

 残ったわずかな不安要素は、シルビア妃殿下が剛腕でどうにかする、というわけだ。

 

 やはり結論を急いでいるように見えるし、ふわっとした計画ではあるけれど、このお方のやることである。

 こちら以上に多くの情報を把握しているであろうし、実現性は充分と見ても良いのではないだろうか。

 

「モリーよ。今、おぬしにわらわの本心を伝えてやろう。――西方の国家首脳を集め、平和条約を締結することが、当面の目標になる。それができれば、ひとまず急速な軍備の拡大は抑えられるとわらわは考えておる。盟友であるクロノワークから、護衛としての武力を輸出し、交易の調整も進めよう。……ここから数年ほど国力を蓄える時期を得られれば、わらわの子が成人するまで、時間は稼げるはずなのだ。外征の余裕も、ここで作る。なればこそ、万全を期すつもりで策を練っておるのじゃ」

 

 西方全体の平和条約がなるならば、シルビア妃殿下の思惑はほぼ現実のものになるはずだ。

 地球の歴史に例えるなら、ウィーン体制もどき、とでもいうべきものが出来上がる。しかも、実際のウィーン体制よりも状況が長く安定するかもしれない。

 

 何しろ主目的が西方世界の安定と協調にあり、平和を目的とする条約なのだ。英邁で開明的な指導者たる彼女が、本気で天下の静謐をもたらそうという。

 これを拒むのは、時代の逆行に等しいとすら、私には思えた。

 

「お見事な考えです。本当に出来るのであれば、シルビア妃殿下はまさに偉大な指導者であると言えるでしょう」

「すでに、わらわは立派な支配者じゃぞ。近隣の各国への防衛条約、さらに大きい枠となる西方全体への平和条約。……どちらも草案は出来ておる」

「あとは、それが画餅とならぬよう状況を誘導するのみ。そのための努力は、この軍事演習も含めて現在進行形である、と。――なるほど、確かにご立派です」

 

 将来への問題は多くあるにせよ、それへの対策はこれからも講じられる。私が思っていたほど、実際には大きな衝突は起きないかもしれない。

 シルビア妃殿下一人が、それらすべてを背負っていると思えば、やはり不安は残ってしまうが。

 

「……上から目線で、偉そうに評価しおってからに。話が通じすぎるというのも問題じゃな。話していて楽しいが、理解が深いゆえに批判がより不快になる」

「恐れ入ります。楽しく思われる程度には、的確な言葉が返せたようで、何よりです」

 

 妃殿下の心境も、複雑なことだろうと思う。ここまで濃ゆい会談になるとは、おそらく想像していなかったはずだから。

 だから、私はさらに言葉を重ねた。ここからは、よりお互いに歩み寄って、認識をすり合わせよう。

 

「さて、そうした前準備が順調に終わったとしましょう。なんやかんやで時間的余裕を作り出し、収奪の為の植民地を得たとしても、収益が安定するとは限りません」

「まだ不穏な話を続けるつもりか? わらわなりに努力を重ねておるのじゃから、平穏無事に過ごさせてくれてもよかろうに」

「気楽に過ごせるなら、私もそうしたいのですが。――せっかくです。悪い方向に転がった場合についても、想定しておいて損はないでしょう」

「まだ楽しませてくれる話題があるなら、今しばし耳を傾けてやろうではないか。せいぜい、思うところを述べるがいい」

 

 シルビア妃殿下は余裕の態度だが、今なお楽観を許してくれる状況ではないと、私は考えている。

 なればこそ懸念を口にして、思考実験を繰り返し、もしもの事態に備えたいし備えてほしいのだ。

 

「改めて申し上げます。敵は狡猾である、とお考え下さい。短慮を起こさないからこそ、長期的に財政を崩していくように、徐々に利益を削っていく方法を取るのです。これをあなどってはなりません」

「いざ戦争ともなれば、わらわ自身が指導する。クロノワークの精兵も動員すれば、短期で治められる自信もあるぞ。――かかってくればよい。返り討ちにすればよいだけのこと」

 

 いつのまにか、演習を眺めることさえ忘れて、会話に集中していた。打ち出される砲撃の音も忘れるほどに近づいて、私達は今後の未来について、本気で検討していたのである。

 

「シルビア妃殿下は、物事を単純化したがる癖がございますが、敵の手段が常に直接的なものであるとは限りません。私たちはここまで、植民地からの収奪を前提に話していますが――収奪する前に独立されたとしたら、どうでしょう。独立した土地から、他国へ富が流出したとしたら、どうでしょう。……事態がここまで進んでしまえば、武力解決は大きな痛みを伴うものになるはずです」

 

 イギリスがアメリカ独立戦争で、多額の負債を負ったように。ゼニアルゼが同じ轍を踏まないと、どうして言えるだろう。

 戦争につぎ込んだ資源の損失ばかりではなく、植民地で見込めたはずの需要も消えてなくなる。独立によって競合相手が増えた分だけ、財政の悪影響も大きくなるだろう。

 それが何を意味するかと言えば、財政危機を呼び込む結果に直結しかねない。これをシルビア妃殿下に説けば、彼女はたちまち理解して見せた。

 

「ふうむ。非常時について検討すればするほど、財政危機が実感を伴ってくるな。財政悪化によって軍縮ともなれば、盟主の地位も安泰とは言えぬ。他国にとって代わられる可能性も、なくはない。……言われてみれば、確かに道理である。しかし、わらわにはわらわの情報網があるのでな。不穏な気配は見逃さぬし、事前にわかっていれば、打つ手はいくらでもあろうよ」

 

 妃殿下の表情に、変化はない。ここまで言い切っても、彼女にとっては驚きに値しないということだろう。

 

「おぬしは批判ばかりじゃが、ゼニアルゼの地位はたやすく奪えるものではないいぞ。――わらわこそが西方の利益の差配者であり、世界交易の主である。敵以上に味方も多い。常に味方と共に戦い、孤立を避けるように立ち回れば、いかな強敵でも対抗できると信ずる。客観的にも、あらゆる要素を加味すれば、ゼニアルゼの未来は暗いものではないはずじゃ」

 

 当事者が語る客観性ほど、信用ならぬものはないが――それでも、私は妃殿下の主張を認めたい。

 彼女の実務能力とカリスマ性を考慮に入れるなら、ゼニアルゼの繁栄は否定できるものではなかった。それほどまでに、シルビア妃殿下の存在は大きい。

 

「財政危機も、敵の謀略も、わらわの歩みを止める理由などにはさせぬ。西方世界は、わらわのゼニアルゼによって、平穏と繁栄を享受していくべきなのじゃ」

 

 彼女なら、本当にどうにかしてしまうはずだという安心感がある。私ですらそう感じるのだから、余人にとってはなおさら強く実感するはずだ。

 理屈でなく、感覚的に成功を確信する。シルビア妃殿下がそこにいるというだけで、信じられる。この現状こそが、まさに将来のゼニアルゼの弱点となり得るのだが――。

 率直に指摘したところで、当人は認めないだろう。自分に対して自信を持ちすぎているからこそ、シルビア妃殿下は厄介なんだ。その自信が過剰とは言えぬほど、英雄的業績に恵まれているから、なおさらに。

 

「しかし、シルビア妃殿下による平穏と繁栄を享受してしまえば、ゼニアルゼの国家としての性格も変わっていかざるを得ない。――交易を主導する商業国家としてあるがゆえに、政治的にも商業偏重の傾向にも進んでいくことでしょう」

「……いよいよ話が抽象的になってきたな。今更の話ではあるが、仮定を重ねすぎてはおらんか? あれこれ話したが、今はわらわとおぬしの頭の中にしか存在せぬことばかりよ。未来を想像することは出来ても、それが実際に起こるかどうかは、誰にもわからぬことではないか」

 

 懸念がすべて現実になるかどうかは疑わしい、とばかりに妃殿下は疑問を呈して見せる。それはそうだ、と私の方もわきまえねばなるまい。

 軍事演習は、いまだ続いている。二人して視線はそちらに向けながらも、彼女の疑問に応えるべく、私はさらに言葉を重ねた。

 

「では、段階を踏んでいきましょう。ゼニアルゼは交易で繫栄します。これを政治にも用いて、西方の支配を図ります。ここまではいいですね?」

「……雑な認識じゃが、まあ良しとしよう。で?」

「経済の発展が著しいがために、国家の政策もそれを主軸に置く形になります。戦争も経済が原因となりかねない状況なら、無理もないことですね? ――そして国民たちも経済発展の恩恵を受ける以上、商業重視の方針は歓迎されることでしょう」

「国が富み、民の支持も得る。いいことづくめではないか」

「はい。そして、誰もがこう考えることでしょう。経済の成長が保証されている間は、ゼニアルゼは安泰であると。外交の実績などとは関係なく、富の蓄積と物流の維持こそが政治の目的であると考え、商業の発達が第一となり、それ以外の全ては二の次となる。……なにかしらの理由で、国内の経済に不都合が生じれば、それはそのまま政府への不満となって、強い反発を招くことになりましょう」

 

 ゼニアルゼを地球の国家に例えるなら、やはりイギリスが適当だろうか。

 産業革命はまだ起きていないし、色々と条件が違うから、安易に例えとして持ち出すのは不適当かもしれないが――。

 これからの西方は、おそらくパクス・ブリタニカならぬパクス・ゼニアルゼというべき時代を迎えると、私は考えている。

 その繁栄は似たような形になると思うが、衰退については、まったく違う経緯をたどるだろう。

 近代のヨーロッパほど、社会が成熟していない上に――何と言っても、ゼニアルゼにはシルビア妃殿下がいるのだから。

 

「国内の反発、のう。戦争被害が理由ならともかく、利益が多少目減りする程度で暴発するような手合いなど、多くはない。そんなものは武力で抑え込めよう。――国内の全てを敵に回す手は打たぬし、内外を問わず、敵を限定させる手管には十分長けておるつもりじゃ。そうすれば、予算を抑えた陸軍だけでも、抑止は可能である」

 

 ゼニアルゼの軍隊は精強ではないが、警察力は決して低くない。陸軍を治安維持に向ければ、確かに抑止は可能であろうと、私も思う。

 問題は、抑止したところで、国民の認識は変わらないだろうという点だ。

 

「そうでしょうとも。国内政策のみならず、戦争においても、シルビア妃殿下の上に立てるものはない。ただし、世の人はあなたほど賢明ではない、ということにも気づくべきです」

 

 シルビア妃殿下は聡明な方だから、目まぐるしく変わる話題にもついてきてくれる。

 複雑な話の組み合わせも、彼女の頭脳を混乱させる理由にはならなかった。なればこそ、私が直々に語り聞かせる価値があると言えよう。

 

「商業によって成り立っているゼニアルゼという国家は、商業の信用と経済状況について敏感にならざるを得ない。――軍事戦略にも、これは影響します。その意味がお判りでしょうか?」

「……不穏な気配を感じてきたぞ。モリーよ。経済の重要性については、今更説かれるまでも無いと言いたいところじゃが――。なんとも不思議なことに、おぬしの言葉はわらわに不安を与えてくれる」

 

 説得力を持たせるには、やはり何度も段階を踏んでいく必要がある。

 シルビア妃殿下の目が、猛禽のごとき光を得た。私を見定めようとする、厳しい目だった。

 

「ここから先の発言は気を付けろよ。……冗談では済まされぬことを、仮定のままで、おぬしは口にしようとしている。自覚はあるじゃろうが、こちらからも注意しておいてやろう」

 

 鋭さを増した視線が、こちらに向けられる。そうと知ってなお、私は目を彼女に合わせて説いた。

 ここで退くようなら、そもそも最初から諫言なんてしようとは思わぬ。気心がしれていると思えばこそ、言葉を尽くして言い聞かせる甲斐もあるのだ。

 今までの話は、次の結論に説得力を持たせるための前振りであるとさえいえる。より慎重に話を進めようと、私は口を開いた。

 

「これからのゼニアルゼは、軍事戦略のみならず、戦争が起きてしまったら――その推移すらも、経済を後押しするか否か。経済の発展につながるか否かが、重要視されるようになります。富裕層から貧民まで、同じ意識を共有することでしょう」

「わらわとて、それを軽視するつもりはないが……なぜか、と聞いておこうか?」

「元が交易による富で栄え、商業の利益で生きてきたゼニアルゼです。繁栄を長く享受していればこそ、その現状への執着は強くなる。――貴族は権益を維持するために、商人は投資を回収するために、民は自分の雇用を守るために、経済成長が長く続くことを望みます。人間とはそういうものだと私は思うのですが、妃殿下の認識は違うのでしょうか?」

「いや、そうは違わぬな。確かに、納得のいく話ではある。いささか、偏見がすぎるようにも聞こえるがのう」

 

 あえて、私は断言した。シルビア妃殿下も、言葉は濁しつつも明確に異を唱えなかった。

 仮定は仮定である。――それは確かだが、刺激的な対話を望んだのは彼女の方だ。なればこそ、最後まで付き合ってもらおうと思う。

 

「ゼニアルゼの国民が望むことも、ゼニアルゼから零れ落ちる富を当てにしている国家群も、望むところは変わらない。……望まれるのは、経済が繫栄する国。多国間の交易を通じた、商業を発展させ続ける豊かな国家です。西方支配とは、まさに経済的支配を意味する言葉であり、武力による制圧を意味する言葉ではありません」

「的確に言葉にされると、もやっとしたものを感じるのう。おぬしの言は正しい。わらわも常にそれを意識しているというのに――どいつもこいつも、わらわが武断的な人間であると思いこみよる。誰もがおぬしのように、物分かりが良ければ助かるのじゃが」

 

 妃殿下は合理性の塊のような方だから、理を解けば素直に認めてくださる。

 なればこそ、私だって言葉を尽くすことができるのだった。

 

「……続けよ。おぬしの言葉は、わらわに刺さる。みらいのカタチも、頭の中に生まれつつある。言葉遊びのようなもので、わらわを酔わせることができるのなら、その功を特別に認めてやっても良いのじゃぞ」

 

 妃殿下の眼光がやわらいだ。ならば畳みかけるまでと、私は攻めるように話した。

 

「経済重視の政策は、国民目線からすれば適当でも、軍人や王族の志向からは一致しないこともあるでしょう。戦争・外交観というものは一朝一夕には変わりません。価値観の違い、国民性の違いが、大きな衝突を生むこともある。――そうであればこそソクオチは暴発したのであり、鎮圧せねばならなかったのです」

「……認識の不一致か。ひとたび戦争が起きてしまえば、それが致命的な事態を生むと言うのかな?」

「致命的、とまでは言いません。ただ、戦争の参戦や講和条件について、国民たちは経済的な理由をもって、賛否の態度を決めていくことになるでしょう。戦果は儲かるかどうか、損害を回避できるかどうかが基準となり、商業的なリスクを案じて、請願運動を起こすようになるかもしれません。……商業的に成熟していけば、国民たちが力を持つようになります。これは、避けることができない問題だとご理解ください」

 

 もっとも、大多数の平民が政治的な力をつけるようになるまでは、百年くらいの時間は見るべきだろう。

 シルビア妃殿下が健在の間は、目立った勢力にはならぬと思ってもいい。それでも、将来的には無視できる視点ではないことは確かだ。

 

「ふむう。……反乱騒ぎは、盟主としての面子に関わる。政情不安の国が、他国の調停など出来るはずもなし。国民へのご機嫌とりは、必須となるか」

「ゼニアルゼ王家は、国民のことを理解してくれる。そういう信頼があれば、多少の問題があっても国内はまとまります。その信頼を構築するには、まずは将来の国民のために何ができるか、その望むところ、拒否するところを知らねばならない。私の予想が正しくなかったとしても、それだけは心に留め置いてくださいますよう――」

 

 国民の訴えを無視することで、孫世代に大きな負債を残すことになれば、まさに凋落に繋がってしまう。

 妃殿下にとっては不快だろうが、多数の国民が請願運動を起こしたとしたら、国家全体の生産性の低下を招く。凝り固まった不満は、はけ口を求めて暴力へと転化することもあるだろう。

 無策のままでいることは、武力革命を呼び込むことになりかねない。将来に禍根を残したくなければ、真面目に対応するべきだった。

 

「考えておこう。――あとは、そうじゃな。先ほども言ったが、戦時体制はそう長く続けるつもりはないぞ。短期間であれば、そうそう情勢も悪くは転がるまい?」

「妃殿下は先の計画も立てられるし、自ら状況を打開することも出来ましょうが、普通の国民は違います。いつ終わるかしれぬ戦争と、非日常による閉塞感、それに経済不安が重なれば、一般の人が耐え続けるのはまず不可能です」

 

 ここまで問題が進行してしまえば、軍部と民間の認識にまで齟齬が出るはずなのだ。もとより、平時における軍隊は冷や飯ぐらいに近い。

 武力こそが治安を維持し、平穏を保証する装置であると頭ではわかっていても、感情は別だ。――兵站のために民間の富が食われ、軍事目的のために市民が損害を被ることになれば、一般人は憎悪に近い感情を抱くだろう。

 

「いつまでに終わる、という見込みがあればよいのか? いやしかし、軍事行動に縛りを入れるのは不愉快じゃな。時間や手段を制限しては、取れる作戦も取れなくなる」

「では、シルビア妃殿下は国民の不満を無視されると?」

「そうは言わぬ。戦争の進め方に茶々を入れられたくはないが……配慮は、必要であるか。内乱などが起きるリスクも考えて、何かしらの補填を保証しておこう。それでも足らぬなら、備蓄を開放するなどして、臨機応変に対応すれよい」

「まあ、これは思考実験です。現段階でそこまで考えられるなら、まずは充分でしょう。――実行者がシルビア妃殿下であることが、何よりも絶対条件であること。やはり問題はそこに帰結します」

 

 シルビア妃殿下であれば、この微妙な関係も調整が効くだろうが、それも彼女が現役であればこそ可能なこと。

 百年後、問題が表出したらどうなってしまうのか。確かなことは、誰にも言えぬ。ならば不安要素は、できるだけ検討した方がいいだろう――とばかりに、私は言葉を続けた。

 

「ゼニアルゼがこうやって盛大に軍事演習ができるのも、シルビア妃殿下の才覚のたまものであると言えるでしょう。ええ、かの国の権威は、保証されたも同然です。――貴女が生きている限りは」

「先程から、そればかりをほのめかしておるな。未来のことは、未来のわらわと、その後継者がどうにかするであろう。おぬしが心配することではない」

 

 シルビア妃殿下は、自らの正義を疑わない自信家だ。明確なビジョンをもって、未来に投資できる聡明さも持ち合わせている。

 後継者の育成に失敗することなど、妃殿下は考えていない。自分の子供に対する盲信と言うべきものが、そこにはあるのではないか。私は、それが気がかりだった。

 対策方法はいくらあってもいいのだから、こちらの意見にも有用性はあるはずだった。そう信じて、私は口を開く。

 

「流石にシルビア妃殿下は賢明です。私が話す不確定な未来に対しても、対策を即座に話してみせる。他者の価値観を認めない頑迷さ、愚かさとも無縁である。――そんな才能あふれる貴女だからこそ、いなくなった時の混乱は、ひどいものになるでしょう」

「……わらわの跡を継ぐ者は、他ならぬわらわ自身の子であるぞ。無能であるはずがないし、強く育つことを疑ったことはない。おぬしは、確たる証拠もなしに不安をあおるのか?」

 

 そうまで強い口調で言われれば、こちらとしても不安はあおるまい。ここでは、健やかに立派に育ったことを前提としよう。

 どちらにせよ、根本的な問題は変わらないのだから。

 

「自分の子に対しては責任を持てても、孫やひ孫の教育にまでは責任を持てないでしょう? 孫世代の凋落を案じたのは、そういう意味でもあります。――貴女の存在は、歴史の奇跡と言うべきもので、子々孫々にまでその水準の才能を求めるのは酷というもの。そして、百年後には今の時代よりも、さらに大きな問題と立ち向かわねばならなくなる。はたしてゼニアルゼは、その時に貴女と同等の指導者に恵まれているのでしょうか?」

 

 確たる証拠もなしに、盲信する方が危険である――とシルビア妃殿下に訴えれば、彼女も即答できなかった。もっとも、これは私の言い方がズルかった、とも言える。

 

「孫の世代の懸念など、今のわらわに見えるはずがあるまい。晩年にでも見えたのなら、万難を排して見せようが――やはり、百年先のことまで見通すのは無理があるな」

「シルビア妃殿下が、一代の英傑で終わるならば、確かにその通りでしょう。……貴女は、それで満足なのですか?」

「わらわを煽れるのは、世界広しと言えどおぬしくらいのものよ。一代の英傑で足りぬならば、不世出の英雄たろうと思う。それくらいの気概を持てというならば、おぬしにも責任を求めたいのう?」

 

 言葉を尽くした結果、こうして新たな重荷が肩に乗るわけですね。

 半ば自ら求めた形になっているので、否定はしづらいんだけど。それでも、一言くらいは言い返してもいいだろう。

 

「私はクロノワークにおいては一介の騎士に過ぎません。ゼニアルゼの女王の相談役など、荷が重いですね」

「一介の騎士であっても、定期的に書状を交換するくらいは出来よう? 騎士と王妃に、個人的な交友があって悪い道理もない。――できれば、わらわの確信を補強するためにも、この軍事演習の期間内はわらわに付き合ってもらいたいのう」

「それくらいでよければ、協力いたしますとも。ザラも王妃様も近くにいらっしゃいますし、後で許可を取っておきます。両国の為になると訴えれば、まさか拒否などなさらないでしょう」

「他者の許可をわざわざもらってくるなど、可愛げのない奴め。……まあ、よい。演習が終わったら、ディナーの時間になる。おぬしとわらわの家族を集めて、席を共にするとしようか。母上は面倒じゃが、エメラがいる席で、余計なことは言うまいしな」

「はい。余計なことは、充分に聞かせておきました――と、私から王妃様にも伝えておきます」

「……おぬしなりの心遣いじゃろうが、そんなことで貸しだとは思わんからな」

「私なりの詫びでもあります。本当に、言わなくていいことまで言ってしまいましたから。――シルビア妃殿下に、思うところがあるのなら、また付き合いましょう。本業に支障のない範囲であれば、力をお貸しします」

 

 明確な対策があれば、ああしてこうして、って言えるんですけれども。対処療法以外の対策となると、あんまり即効性のあるものは思いつかない。

 長期的には、多数の国民の意見を反映させる議会とか、選挙であるとか、そういう方向にもっていくのもアリなんだろうけど――。いかんせん、社会がそれを有効活用できるほど、成熟していないっていうね。

 所詮は思考実験だと思えば、今から深刻に考えても仕方ないかもしれない。今後の推移を見守って、結論を出していくべきだった。

 

「その言葉、忘れるなよ。役立ってくれたなら、相応の報酬は約束してやる」

「もちろんです。――お返しについては、うちの家族にしてあげてください。私自身に報酬を渡されるよりは、そちらのほうが嬉しいので」

 

 とりあえず刺激的な話はできたと思うし、時間つぶし程度には楽しませることは出来たろうから、妃殿下もどうにか納得していただきたい。

 今日の演習が終わったら、ザラとメイルに慰めてもらってもいいかな。それくらいの働きは、したように思う。

 

 演習は、そろそろ佳境に入ろうとしている。シルビア妃殿下と私はそれを見守りつつ、終わった後のディナーの作法について、改めて思い返していたのでした――。

 

 

 




 今回と前回のお話で、かなりの部分を参考にした書籍があります。
 『財政=軍事国家の衝撃 戦争・カネ・イギリス国家 1688-1783』という本なのですが、これがとても知的な刺激に富む内容で、近代国家を創作するうえでかなり参考になるのではないかと思いました。

 個人的に興味深かったのは、イングランドの徴税役人の数が、ヨーロッパでも屈指であったこと。
 それに、徴税を業者ではなく、政府役人がすることの利点について詳細に書かれています。
 フランスやプロイセンはかなりの部分を業者に頼っていましたが、イギリスはこれをさほど利用しなかったそうです。それが何を意味したかも――この本は書いてくれています。

 他にも様々な部分で知識欲を刺激されるので、軍事と財政のかかわりについて、イギリスの特殊性について、詳しく知りたい方は一見の価値ありです。

 公式補給商、の言葉もこの本から取っていたり。免税特権やらなにやらは、こっちで勝手に付け足したことですけれども。

 まあ、本当は原作的に考えて、時代が違うので、参考すべき書物ではない気もしますが!
 個人的に、知識を物語の中に取り込む実験として、色々と試行錯誤させていただきました。



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色々あって甘い空気ばかりには浸れないというお話

 夜勤明けは頭が働かなくて困る。最近は投稿がずれ込むことが多いのも、それゆえです。
 本当は頭なんか使わずに、気軽に執筆したいのに、話の展開も筆者の近況もそれを許してくださらぬという。

 ともあれ、定期的な投稿だけは続けていきたいと思います。では、どうぞ。


 シルビアは王妃であり、王である夫を思うが儘に操る支配者である。

 それが許されるほどの実績の持ち主であり、君臨して恥じる所がないくらいには、不遜な性格をしていた。

 世が世なら酷評され、毒婦とも妖婦とも呼ばれたかもしれぬ。しかし、現世における評価と言えば、おおむね前向きなものが多い。

 それだけ粛清を繰り返し、反論の余地を残さなかったという見方もあるが――それでも民衆からの受けがすこぶる良いのだから、これは政治的才覚に優れている証拠とも取れよう。

 

 有能な賢君、強く妥協を知らない統治者として、シルビアは名声を高めている。それを異様、異常の一言で表現することも出来ようが、より的確なのはモリーが言った『歴史の奇跡』という評価であろう。

 

「……演習自体が上手くいったのはよい。しかし、その後の雑事やら後始末やらが大変で困る。わらわが監督する部分が多く、まだまだ任せられる人材も少ないことも思えば、理想はいまだ遠いと言わねばならんな」

 

 シルビアは己を賢いと思っている。軍事的には有能だとも判断している。おそらくは、統治者としても飛びぬけて優秀なのだろうと理解してもいる。

 だが、それが余人には到達しえぬ次元であるという自覚はなかった。誰もいない自室、次第に大きくなっていく自身の腹をなでながら――シルビアは独り言をつぶやく。

 

 独り言と言っても、馬鹿にしたものではない。自ら考えをまとめるのに、口を出して確認することは役に立つ。……誰かに見られると気まずいので、周囲の目をわざわざ排除しなければならないのは、面倒と言えば面倒だが。

 

「どいつもこいつも、わらわを誉めそやす。称賛する言葉はもう聞き飽きた。わらわが欲しいのは、表向きの評価ではない。……やりたいことをやりたいようにやって、実績を重ねて。行きつく果てに、何があるのか。まだ見ぬ丘の先の風景を見られるのは、いつになるのじゃろうな」

 

 そして人の目がない場でなければ、とても口にできないことで。口にせずにはいられぬほど、彼女の心は苛立ちで占められていたのだ。

 よりよい環境を作り、最先端の社会を自ら先導するという快楽は、何物にも代えがたいものがあった。そのシルビアの欲望は、人類を次の次代へと導く助けとなるだろう。

 

 だが、自分が欠けた社会は、何を呼び込むことになるのか。繁栄と成長、それ以外の悪い何かが、脅かしに来るのではないか。

 そこまで考えが及べば、なるほど。モリーからの示唆は、決して無視できぬものと思えた。

 

「――わらわ自身、母上の上位互換であるという自覚はある。じゃが、この子がわらわを超えて成長する可能性は、どれほどある?」

 

 低い、とは思いたくなかった。環境を整え、教師を用意する。あとは、自ら学ぶことを覚えさせれば、すくすく育つであろう。

 自分の子供時代を思えば、さして特別な教育を受けた覚えもない。己と同等の才覚があれば、周囲に恵まれている分だけよく成長してくれるはずだ。

 

「案外、苛立つものだな。……自分の努力でどうにかならぬことに、わらわはここまで弱かったのか」

 

 はずだ、と自らを鼓舞するような感覚が出てくる時点で、不安を持っていると認めたようなものだ。

 シルビアは、天才の子が天才足りえない事例を知っていた。そんなもの、歴史を探ればいくらでも出てくるようなことだ。

 

 親が一から築き上げてきたものを、愚かな子が台無しにする。愚か者でなくとも、実績無き才子は周囲から認められにくい。

 結果、力量を発揮できずにつぶれる――なんてことが、戦国の世にはそこそこ見られた。シルビア自身、敵対勢力に対して、そうした弱みを突いてきたこともある。

 

 我が身を振り返って、我が子の未来を悲観的に見れば、案外否定しきれぬところが煩わしい。

 自分の子は悪い例に習わぬと、根拠もなく信じていた。このシルビアの後継にふさわしい才覚をもって生まれることを、今の今まで疑ったことはなかったというのに。

 

「モリーの奴め。余計なことを言いおってからに。――問題を提起するだけ提起しておきながら、その実、奴に責任などない。それを求められる立場にない、というのが一番腹がたつのう」

 

 己の想定が幻想であったとして。生まれてくる子の出来が悪かったとして。

 はたして、どのような手段を取るべきなのか。シルビアには、結論が出せなかった。

 自分が子を産むころには、もう三十台は目前である。年を食うごとに、子供が生まれにくくなることは、彼女も知っていた。二人、三人と生めるだけの余裕が、果たして己にあるのか。……それだけは、どうにも自信が持てなかった。

 

 そうなると、いかに出来の悪い子とは言え、たやすく切り捨てられる手札ではなくなり――かといって抱え込むにもリスクがある。

 出来の悪い後継者と言うものは、政治的混乱を引き起こすものだ。結果として、あらゆる準備を台無しにしかねない。シルビアには、それが忌々しかった。

 

「最悪、見どころのあるやつを養子にする手もあるが、それもそれで後世に禍根を残すかもしれん。……政治的混乱、後継者争いが激化する可能性が増えるだけ、ということもありうる。この辺りの塩梅はどうも、難しいものよ」

 

 もちろん、政治に関するあらゆることを、正しく判断する自信が彼女にはあった。最善が望めぬならば、次善の手を。それも難しいなら、とりあえず決断を先延ばしにするのも手段の一つ。

 自ら判断し、実行できるうちは、未熟な子供に仕事を任せるつもりもない。戦争において、シルビアは勝利を重ねてきた。勝つためにやるべきことが、彼女には常に見えていたからだ。

 

 内政や外交の分野においても、失敗した覚えはない。抑えるべき要点、互いの欲求の調整など、彼女の目には明確に映っていたゆえに。

 それが実務である限り、シルビアの才覚は常に最善の行動を選択させた。

 だが、子育てに絶対と言うものはなく、自身の死後のことなど保証できたものではない。

 彼女がいかに傍若無人な君主であったとしても、その事実を認めぬほど、頑迷であり続けることは出来なかった。

 

「誠に不愉快な話よ! あやつの意見の正当性を、今になって自覚せねばならぬとはな」

 

 認めていてなお、真っ向から見据えることを避けていた。シルビアは、今になって、その事実をモリーによって自覚させられていた。

 子供に対しては、地道に教育に努力を重ねるしかない。それでもなお、人の才能の出来不出来は、運を天に任せるほかない。

 

 努力ではどうにもならぬ、才能の暴力と言うものがあるのだと、シルビアは誰よりも知っていて、それを利用して今もゼニアルゼを支配しているのだから。

 まさに、彼女は賢明であるが故に、自らの盲を開かねばならなかったのである。

 

「――ふん!」

 

 机を蹴っ飛ばして、憂さ晴らし。直情的な行動を恥じながらも、誰が見ているわけでもない、閉鎖された自室という空間が、彼女をそうさせた。

 

「……ふう」

 

 鉄が仕込まれた靴は、痛みを感じさせずに足を振りぬかせる。破損した机を眺めながら、思考を落ち着かせた。

 壊れたものは、後で取り換えさせればよい。無意味に見える消費も、それが需要を生み、雇用を増やす理由になるのだから全くの無駄でもあるまい――と、自らを正当化するまで数秒。

 

「よろしくない傾向であると、自覚せずばなるまいが。それはそれとして、やはり腹が立てばモノにあたりたくなるものよ」

 

 独り言が多くなるのは、それだけシルビアに理解者がいないことを示していた。夫である国王には、決して聞かせられぬことでもある。

 夫は、シルビアが無謬の支配者であり、面倒ごとを全て片付けてくれる伴侶であると今も信じている。なればこそ、能天気に腰を振って日々を過ごしているのだ。

 不安からトチ狂って、余計なことをやらかしては目も当てられぬ。シルビアが感情を素直に発散できるのが、自室に限られるのもそれゆえだった。

 

「モリーのしたり顔が目に浮かぶわ。……絶対に足抜けなんぞさせてやらん。あ奴は、一生わらわと未来について頭を悩ませるべきなのじゃ」

 

 それが、危機感をあおった者の責任であると、シルビアは思っている。それゆえ、酷使する理由を作り出すため、あれこれ策謀を練っているのだった。

 彼女に悩みはあっても、焦りはない。急を要する、焦燥を呼ぶような出来事が、彼女の耳目に入っていないから――というのもある。

 どう転んでも、西方はゼニアルゼ一強で安定するのだ。そのように誘導しているし、実力も備えている。

 権威はこれから作るが、障害となりえるものは見当たらぬので、順調にいくだろう。……なればこそ、今の地位を受け継ぐ存在は、己と同様に無謬でなくてはならないのだ。

 

「さしあたっては――そうよな」

 

 出産の前後は、さすがのシルビアも休暇を取る。しばらく動かずとも、良い方向に事態が推移するよう、できる限りの策は打っておくべきだった。

 具体的に言うなら、大臣への権限の委譲準備、夫である国王への最低限の教育など。自分が国政から不在となる間、現状を維持させるための打ち合わせは、絶対に必要である。

 

 その上で、可能であるならば。

 盟友であるクロノワーク王家から、多少の支援も引き出しておきたい。――金銭面ではなく、人材面で。

 さんざん金を出してやったのだ。断れるはずがないと、シルビアはわかっていた。

 

「まあ、今回は軽めで済ませてやるが、いずれは……」

 

 急な変化の要求は、流石に虫が良すぎる。しかし、すでにシルビアは心の中で決意しており、いつか必ず押し通すのだと決めていた。

 危機感を共有する責任とは、共に悩むことであり、共に行動することである。彼女はそう考えていたし、モリーもそうであるべきだ。

 

 気負いも不安も感じさせない、不敵な笑みを浮かべながら、シルビアは自ら筆をとった。

 誰の目にも入らぬよう、自室で直筆の書状を作成する。厳重に封をされたそれは、もちろん謀略的な意味を持つ。

 内容はと言えば――自らの母に向けた、『対面しない会談』の申し込みである。

 

「演習後も、さっさと帰らず、わらわの夫の顔を見にいくというのじゃ。その意味のない道楽に、こちらで有意義な理由を作ってやるとしよう。――どうせ、わらわが母上と顔を合わせても、喧嘩になるばかりじゃろうからな」

 

 合同軍事演習が終わってからも、王妃はゼニアルゼの王都までついてきていた。名目上は娘であるシルビアの見舞いついでに、夫にも挨拶をするという形である。

 

 もっとも、シルビアは母の見舞いなど受けるつもりはなかった。王妃の方も、娘よりは娘の夫の方を案じているのだろう。そうでなければ、わざわざ挨拶に来るような人ではないと、シルビアはわかっていた。

 

「わらわが、夫の手綱をきちんと握っているかどうか、気になっているのかもしれん。……あるいは、母上はわらわの夫を値踏みして、父上と比較して悦に浸りたいだけか? いずれにせよ、わらわへの対抗意識以上のものではあるまい――」

 

 とはいえ、どこまで本気かはわからない。その辺りの思惑も含めて、娘は母と向き合うつもりだった。

 ただし、対面ではなく書状を通じて。

 会談を模した、文章でのやりとりならば、お互いに冷静に対話も出来よう。実際に相手の表情と、感情のこもった声を聴いてしまえば、意固地になるかもしれないからだ。

 それくらい、この母娘は複雑な想いを抱えていた。憎んでいるわけでも、嫌っているわけでもない。

 ただ、シルビアは親の干渉をどうしても不愉快に感じてしまう性質であり――。

 王妃は親として、娘が若さゆえの失敗をするところなど、できれば見たくない性質だった。

 それゆえ、面と向かえってしまえば、余計なことまで口出しし、こじれてしまいかねない。

 

 いびつな親子の話し合いは、書状を介したおかげもあってか、問題なく収まった。結果として、書状でのやり取りは正解であった言える。

 しかし、その内容はと言えば、国際交流事業に関することであり、外交と交易を交えた、シルビアとクロノワーク王妃の謀略が絡む話に終始していた。

 

 そして結局、これらはモリーの身に降りかかってくることになるのだが。

 面倒ごとがやってくるまで、今しばらくの時間が残されていたのは、せめてもの救いであったろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合同軍事演習は、特にアクシデントもなく、順調に成果を上げたと思います。帰国して数日たった後、改めて思い返しても――目立った失敗はなかったはずだと確信する。

 

 最終日、狩りを模した密輸の摘発行為には、各国の要人たちも驚いたみたいですが、個人的には想定内だったのでセーフ。

 ぼんやり見学してる場合じゃねぇ、とばかりに誰も彼もが詳細を問いただしたらしいけど、シルビア妃殿下のことだから適切に対応してくれたことでしょう。

 

 ……ゼニアルゼが主宰する交易において、密輸行為は許されない。それが周知されたとき、西方世界はシルビア妃殿下の強権と、その武力に、どのような反応を示すのだろうか。

 

 無難に正規の利用法を突き詰めるしかないと思うんだけど、それってつまりゼニアルゼの経済支配を受け入れることでもあるからね。もうひと悶着くらいは、あっても可笑しくはないかも。

 そんな風に、半ば他人事のような感想を抱いていた私は、当事者たる自覚をしていなかったというか、忘れていたのですね。

 どうせ、そのうち巻き込まれるというのに。今少し、行動的になるべきだったと、そのうち後悔することになるかもしれない。

 

 ここ数日、ザラの下でぬるい仕事ばかりしているから、ふと我に返ってそう思うんだ。

 ――面倒な仕事がひと段落して、新婚生活に戻れると思ったら。浮かれていた気持ちが抑えきれなくなっちゃってね、こればかりはなんとも。

 自分の変わりようと言うものを、ここ最近で一番実感したよ。

 

「余裕だな? モリー。私が相手では、つまらんか」

「……考えるところがあったのは事実ですが、別段気は抜いておりませんよ」

 

 クッコ・ローセと、久々に剣を合わせている。家の敷地は、剣を振るうのに不足ない程度には広い。

 ふと思い立って、稽古をするくらいなら、支障はなかった。……休暇中にやることとしては、健全な部類に入るのではなかろうか。

 

「肌を合わせるばかりが、夫婦のコミュニケーションじゃない。こうやって殴り合うのも、たまにはいいだろ?」

 

 型を確認しつつ、ゆっくりと打ち合わせるだけの、痛みを伴わない鍛錬ではあったが。

 息の合う相手、癖を知り尽くした相手とであれば、情事と言っても差し支えないくらいに、濃密な一時になるものだと。それを、思い切りわからせられた気分だった。

 

「そう、ですね。――ええ、まったくもって、クッコ・ローセは上手な人です」

「経験が違うからな! 楽しんでくれたようで、何よりだよ」

 

 一通り打ち合って、お互いに気持ちのいい汗をかいた後、適当なところに座り込んで話し合う。

 当然のように、密着するようにクッコ・ローセは私に寄り添った。……彼女の汗の臭いが私をいかに刺激しているかについて、口に出すことは、避けたほうが良いのだろう。

 言ってしまえば――そういう、雰囲気になる。せめて今くらいは、健全なコミュニケーションを楽しみたかった。

 

「シルビア妃殿下と、突っ込んだ話をしたみたいだな。演習の間、あの方と話をしていたところを多くの人が見ている。余人を排除するくらいだ。真剣な話し合いになったんじゃないか?」

「……ええ、まあ。それが、どうかしましたか?」

「また、余計な厄介事を抱え込んでいないかと思ってな。相談相手として、私は適役だろう? 話してみろよ。多少は、役に立つ助言も出来るかもしれんぞ」

 

 そうでなくとも、他人に話すことで、頭の中を整理できる。そう、クッコ・ローセは言ってくれた。

 ならば、ここで彼女に甘えるのも、夫としての特権であろうか。悩むまでも無く、私は思うところを述べた。

 

「ゼニアルゼの将来について、少し話しました」

「今後の政治の話か? では、気軽に口にできることではないかな」

「いえ、別段隠すような話ではありませんから。……シルビア妃殿下の辣腕によって、ゼニアルゼは発展する。そして、孫世代くらいには維持しきれずに、没落するんじゃないかな――って。なんとなく不安をあおる感じで、もっともらしいことを言っただけです」

 

 クッコ・ローセの口が、への字に曲がって、それから頭を抱える。

 ……失言だったことは、私にもわかる。いや、口にしてからわかることって、あるよね。

 

「お前、色々と無防備になってないか? 前は、もう少し慎重だったと思うが」

「家の中では、どうしても気が抜けてしまいますね。まあ、新婚ゆえ致し方なし、とご理解ください」

「そっちじゃなくて、だな。……まあ、いい。とりあえず、私にわかるように、簡潔かつ明瞭に説明しろ」

 

 そうして、私はシルビア妃殿下に語った内容を、適当に簡略化して話した。

 聞き終わると、クッコ・ローセは天を仰ぐような動作をしたものだから、相当呆れているのだろう。

 

「まず、財政のあれこれは私にはわからん。だが、妃殿下が子育ての才能に欠けていたら、確かに大問題だな。――子がマシでも、孫の代まで凡庸なら、将来の見通しは明るくない、と。……懸念するところは分かったが、当人の前で明け透けに口に出す奴があるかよ、この馬鹿」

「返す言葉もございません。しかし、シルビア妃殿下は、不快な事実にも果敢に立ち向かわれる方です。あの方でなければ、私だって迂遠な方法で伝えましたよ。……シルビア妃殿下には、正直に思うところを指摘するのが、一番早いでしょう。こうやって課題を事前に出しておけば、どうにかしてくださる――はず、です」

 

 ゼニアルゼの将来が不安だと、こちらとしても困るしね。座視して問題が起きてから駆り出されるというのも、あんまりいい展開ではないよ。

 私たちの世代は安泰でも、次世代に厄介事が降りかかってこられるのは嫌だ。ウチだって、養子を取って家が続く可能性だってあることはある。……彼女らが望めば、の話だけど。

 

「お前は、手伝ったりしないのか?」

「私が? さて、クロノワークの一騎士に過ぎない私には、やはり荷が重すぎると思うのですが」

 

 将来的には、やはり考えねばならぬことだと思う。でも、今の段階で私がやってみせるって言うのも、何か恐ろしい気がしてね。

 妻と接する時間を欲して、問題を先延ばしにするような行為、以前の私であれば、絶対に取らなかったことであるはずだ。

 その点をかんがみるに、やはり私は、自覚もないうちに変わってしまったのだろう。

 

「どの口で言いやがる。――その調子で、さんざん煽ったんだろ? 妃殿下のことだから、お前も働かせてやろうと、あれこれ考えているだろうさ」

「……お忘れかもしれませんが、私は今でも特殊部隊の副隊長なのですよ? これ以上は業務を抱えきれません。せめて一、二年は様子を見守りたいところですね」

 

 そういえばそうだったか、なんて、クッコ・ローセは白々しくも言い放った。

 ――彼女が思わせぶりな態度をとるときは、いつだって意味がある。私だって、そこまでわかりやすく言われれば、追及したくもなった。

 

「思い当たることがあるとか? 個人的に、シルビア妃殿下から書状でも届きましたか?」

「惜しい。書状でなく、伝言だ。形に残ると都合が悪いとか何とか。――まあ、私にとってはどうでもいいことだが、お前にとってはそうでもないんだろうな」

 

 あの方って、いつ休んでいるんでしょうって。不思議に思うくらい、精力的かつ迅速にやることやってますね。

 これもシルビア妃殿下の謀略の一環だと思えば、聞くのが怖くなってきた。それでも、無視する方が返って恐ろしい結果を招く気がする。

 

「一語一句たがわずに伝えるとな、『母上に媚びろ。エメラを育てよ。オサナ王子はついでで良いが、なるべく厳しくしごいてやれ』――と言うことになる」

 

 クッコ・ローセに先を促して、妃殿下からの伝言とやらを聞く。

 パッと聞いた印象としては、なんでわざわざそんなことを? と思う。書状にして伝えるほどの内容ではないし、伝言してまで伝えねばならぬ内容でもない。

 

 だが一語一句たがわず、なんて言うくらいだから、どこかにシルビア妃殿下の思惑があるんだろう。

 隠された意図をつかんでみろ、的確に答えを返して見せろと、あの方に言われている気がした。

 

「……あの方が考えていること、クッコ・ローセにはわかりますか?」

「さて、な。考えるのはお前の仕事だ。……私は駐在武官の任期が切れたから、新兵の教官を務めるのに忙しい。クロノワークも、最近は軟弱な奴が増えたからな。鍛えるのも手順を考えねばならん」

 

 率直にとらえるなら、優先順位を付けろ、という指示に聞こえる。

 王妃様、エメラ王女、オサナ王子。この順に、働きかけろ――なんて言いたいのではないか。

 だとしたら、余計なお世話も良い所だ。わざわざ指摘されるまでも無い、と言い返したくなるものだが……。

 策謀大好きなシルビア妃殿下が相手だと思えば、意味深な内容よりも、踏ませた手順に意味を持たせているのではないか? そんな疑いを、私は持った。

 

「一応確認しておきますが、誰が貴女にその伝言を伝えたんですか?」

「それが不思議なことにな、クミンの奴がわざわざ私に言って、それをモリーに伝えろというんだ。そこまでが、シルビア妃殿下の指示らしい。直接伝えればいいものを、これはおかしいと私も思うぞ」

 

 こちらで問いただすまでも無く、クッコ・ローセはそこまで私に話すつもりだったという。

 ……ええ、ええ。そういうことですか。疑った通りの展開になるなんて、シルビア妃殿下も意地の悪いお方ですね。

 

 この意図を理解できると確信される程度には、私を信頼なされていると。そう考えても、よろしいんでしょう。

 ――正直、複雑ですね。めんどくさいと思いつつも、評価が嬉しいとさえ思う。シルビア妃殿下ほどの方に、見込まれている。それは確かに、栄誉であることには違いがなかった。

 

「本当に、シルビア妃殿下は意地の悪いお方。……ああ、でも。クミンにも役割を持たせてくれたことは、むしろ感謝すべきなのでしょうね。なんとなく、わかった気がします」

「どういうことだ? 私にはさっぱりだが」

「クッコ・ローセ教官、とあえて言わせていただきましょう。教官の貴女の通じて、育てろとか、しごいてやれとか、そんな風に伝えている時点で意図は読めます」

 

 王妃様に媚びろ、という部分を一番最初に置いていることも考慮すれば、意図は明白なんじゃないか。

 話した感じ、親子仲は結構複雑だったはず。なのに、この率直な表現。あのお二方は、感情はともかく、政治的には結託することを選んだらしい。

 王妃様と妃殿下。どこでどう話し合ったかは知らないが、私にわざわざ伝えてくるあたり、巻き込む気だけは満々だとわかった。

 

「まずクミンを用いることで、我が家における彼女の立ち位置を補強すると同時に、ひと手間を加えるほどに、私の家を重んじるという内意も示す。次にクッコ・ローセ教官を間に入れることで、妃殿下が教育に本気で関わる気であるとも伝えてくれている。――王妃様に媚びよというのは、いい加減に出世して、独り立ちしろとでも言いたいのでしょう」

 

 媚びれば――。

 その気になりさえすれば、便利に使ってやっても良いぞ――なんて意志すらも、透けて見えそうだった。

 これらが私の邪推であってくれた方が、精神衛生には良いのだが、たぶん当たらずとも遠からずと言うところではないか。

 別段、主君に媚びるのを嫌がる性質ではないけれど、盲目的な忠誠が望ましくないこともわかっている。やり方は一任されているのだから、この辺りの塩梅は、臨機応変にやっていくほかあるまい。

 

「……色々と考えてるんだなぁ、シルビア妃殿下も、お前も」

「問題は、私はまだ、ザラの副官でいるつもりだということ。王妃様に媚びるのは、後回しにしましょう。別段、期限を切られたわけでもありませんし」

 

 しかし、シルビア妃殿下にしては悠長な言い方をするものだ、と思う。彼女は彼女で、なにかしらやるべき仕事を抱えているはずだ。

 外交に内政に派閥調整にと、あの方の仕事は多岐にわたる。できる限りのことを自ら監督し、それで破綻させるどころか成果を上げているのだから大したものだった。

 

 実績を数えれば数えるほど、私などが上から目線で語ることが、本気で不敬であるように思う。

 あそこまで精力的に働いてくれているのだから、多少は役に立って見せるのが、誠意というものだろう。……まあ、今は準備に力を入れたいので、表に出る時期は見定めさせていただきたいですね。

 

「考えることは、とりあえずここまでにしておきまして。一息入れたことですし、今一度打ち合いましょうか」

「そうするか。モリー、お前の剣は、ようやく姑息さを覚えたようで、色々とうれしくなったよ。死に急いでいた過去が、まるで遠い昔のことのようだ」

「私は昔から姑息でありましたし、死を思う精神を捨てたわけでもありませんよ。……ただ、愛する人を置いていけないと、そう考えるようになっただけです」

 

 陳腐な答えだったが、クッコ・ローセは満足してくれたようだった。

 それからの打ち合いも、お互いに楽しめたと言っていいだろう。多少の打撲くらいは、必要経費と言うものだった。

 

 得物が竹刀であったからこそ、娯楽として成立する内容であったと思う。……クッコ・ローセ、腕は鈍ってないですね。本当に、頼もしい方ですよ、ええ、ええ。

 

「夜は夜で、楽しみ方を考えている。嬉しいだろ?」

「私が受けに回るのは、何度目でしたっけ? ……貴女には、敵いませんね」

「抵抗する気もないくせに。まあ、いい。愛する分には、不足のない身体だよ、お前は」

 

 身体だけなんですか――とか言ったら、たぶんクッコ・ローセの術中にはまるのだろう。そんなことを思いながら、夜を心待ちにする私もいる。

 色々と苦悩したし、躊躇いもしたものだが。やはり、家庭は持ってみるものだと思うのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クッコ・ローセと戯れた後、家庭内で仲睦まじく過ごすことができたのは、私にとって救いであり、生きがいでもあるのだと、改めて自覚する。

 こうした日常を守ることが、生きることなんだって、わかりはじめた今日この頃。

 

 適当に日々を過ごしつつも、時間を作って私は王妃様との会談に臨みました。

 申請から実現に至るまで、ほとんど間があかなかったことは、私が政治的な影響力を持ちつつあることを示しているのだろう。

 

 名目上は、エメラ王女の教育方針の確認、という体で。……この日の為に、正規の教育係の方々と話し合って、スケジュールをまとめて来てもいます。

 教育係の教師たちには、横から割り込んできた私を嫌ってるんだろうな――って思って、覚悟して話し合いに行ったんだけど。意外や意外、そこまで悪く思われていなかったようで。

 

 なんと、オサナ王子の教育の大部分を引き受けていることが、結構効いていたらしい。

 教師陣にとっては、貧乏くじみたいなものだと思うから、受け持っている私にはそれなりに好意を頂いてるみたいです。

 他国の王族とか、接し方も考えちゃうよね。わかるよ。……それはそれとして、遠慮なくしごいた上に糞まみれにするとか、割とドン引き案件だったとも聞きました。

 やべー奴は敬して遠ざけるのが無難だって、それは一番言われているから。――どんな形であれ、私の存在が容認されて、受け入れられているなら、文句を言う筋合いではあるまい。

 

「他にも敵に回したくない理由として、妻たちの存在をほのめかされたのは、いささか不快でしたがね」

 

 軽い雑談から始めるつもりで、私はそういったのですが。王妃様は呆れ気味に、これに答えた。

 

「人間、だれしも理解できない強者を恐れる。残念ながら、当然というべきじゃよ。――ザラにしろメイルにしろ、もてない女の代表格であろうが。何をどうして、惚れたり惚れられたりするのか、余人にはわからぬものよ。……クッコ・ローセは事情が違うが、あれはあれで軍部に顔が広い。新兵から同寮、さらには昇進して高官になって連中も含めて、あやつを慕うものは多いのだぞ。それらをまとめて妻に迎える剛の者に対して、敵対する方が怖いじゃろう」

 

 明確に利害が対立するならともかく、お互いに領分をわきまえ、尊重する姿勢を取る間は、妥協して様子を見るのが定石である――なんて言われたら、それもそうかと納得しました。

 岡目八目とは、このことかと思う。一歩引いた立場であればこそ、正確に物事を把握できるというもの。やはり、王妃様との付き合いは大事にしたいと、想いを新たにした。

 

「私にはその点、まったく共感できない所でして。――皆、可愛いんですよ。どうして厄ネタ扱いするんでしょうね?」

「おぬしほどの剛の者でなければ、そこまでは言えぬよ。並みの遊び人や、経験豊富なだけの色男では制御できぬ連中じゃ。……男と言うものは、自分より強い生き物を嫁に迎えたがらない。例外はあるにはあるが、滅多にいるものではないからのう。わらわもシルビアも、そこは恵まれていると自覚せねばならぬ」

 

 改めて、実感のこもったお言葉であると思うが、茶化していい場面でもあるまい。王妃様と王様の関係について、そこまで突っ込みたくなかった。

 

「あの演習の後、ゼニアルゼにしばらく残られていましたよね? 色々と理由付けはあるのでしょうが、狙いは予想がつきます。――シルビア妃殿下と、何を話し合ったか。聞いても良いですか?」

「さて、わらわもシルビアも、話し合ったと言って良いものか。書状を取り交わすことを、一般的には話すとは表現するまい? ――おお、そうじゃ。おぬしから提出してもらった教育方針についてじゃが、目を通した感じ、別段不満はない。スケジュールもそのまま実行するがよい。こちらから干渉はせぬが、その代わりに手を抜くことは許さん。何度でも言うが、それだけは、心に留め置いておけ」

 

 早々に本題に入ったつもりだったが、王妃様は私の問いには答えず、言いたいことだけを口にする。

 主君の家庭事情には、あんまり踏み込むのも難しいので、改めて問う気にはなれなかった。

 

「では、そのようにいたします。――ところで、王妃様。私はシルビア妃殿下から、貴女に媚びるようにと、言い渡されておりますが」

「ほう、それで?」

「媚び方にも色々とございますれば、私は私にふさわしい媚び方で応えようかと」

「他ならぬモリーが、己の流儀でわらわに媚びようという。……興味があるな」

 

 シルビア妃殿下を思い起こすような、鋭い視線が私に向けられる。

 しかし、あの方ほどの威圧感はない。跳ねのけて、自らの意志を貫くことは、ずっと容易かった。

 

「ご期待に添えられるよう、努力いたします。さしあたっては、王子と王女の教育方面で応えていきますね」

「――その話は、もうした。おぬしはわかっておるはずじゃ。おぬしが急激な栄達を望まぬなら、わらわの方からしてやれることは少ないぞ」

 

 王妃様はつまらなさそうな顔で、そういった。迂遠に過ぎる、ともいいたいのだろう。

 媚びるには、相手の好みにしたがって、適切な言動を取ることが求められる。このままでは、私は妃殿下の期待に応えられずに終わるだろう。

 しかし、王妃様は助け舟も出さずに臣下を使い捨てるほど、無情なお方ではない。私にはそれがわかっていた。

 

「その上で媚びるつもりなら、そうじゃな。――シルビアに対するのと同じように、即物的で実利的なものをわらわに提供して見せよ。あの子の下で、新兵を鍛え上げたように。新しい知識で度肝を抜いたように。あるいは、わらわ直々のお願いごとに、付き合ってもらう……というのはどうじゃ?」

 

 やはり、と思う。こうして求めるところを率直に言ってくれるから、王妃様は仕え甲斐のあるお方だ。

 シルビア妃殿下は求める水準が高すぎる上、複雑に過ぎるから対応に困る。こうしてわかりやすく反応してくれるだけ、王妃様は慈悲深いとすら言えるかもしれない。

 

「そろそろ、私は逃げる余地をなくしてくるだろうとは思っていました。……主君に媚びるということは、良くも悪くも劇的な変化を起こすものですから」

「よく言う。おぬし、今更逃れられるとも思ってはおるまい。――せいぜい、気張れよ。わららにとって都合の良い存在である限り、王家がおぬしを庇護しよう。何なら、養子も見繕ってやってもいいぞ」

「それは流石に、即答できません。……申し訳ないのですが、家の皆と相談させてください」

 

 私のような微妙な立ち位置であれば、王家の庇護は必須と言って良い。同性婚の末に、家を建てるともなれば、政治的な事情に首を突っ込まないではいられない。

 モリー家などというものが成立して、所属する家族にそれなりの待遇を保証してやるには、どうしても実績がいる。それも過去のものではなく、これからの実績が。

 

 これも踏まえて、シルビア妃殿下は私に王妃様との接触を望んだのだろう。私を末永く使い倒すつもりなら、政治的な地位を確立しておいたほうが、何事もやりやすいからだ。

 そして、おそらくお二人は詳細についてまで合意を得ているとみていい。そうでなくては、ここまで露骨な行為を求めてくるはずがないからだ。

 

「ふむ。……おぬしの心情をかんがみて、副隊長としての立場は、今しばらく維持させておこう。王家の教育係として、現状は教師の権限も多少付与させているのだ。専任の連中と比べても遜色ないものであるが、今のところ問題が出ていないなら、さらなる拡大解釈も許されるであろうよ」

「王妃様の立場から『許す』と言われるなら、クロノワークで通らないものはあんまりない、と思われますが――無理を通すのは、いかがなものかと」

 

 というか、私がアレコレ余計なことをして、問題が出ていないのはですね。それだけ周囲の方々が気を使ってくれていたり、私の方からも気を使って相手の権限を侵さないように、それとなく人間関係を構築した結果なわけでありまして……。

 背後には目立たない、目立たせてはならない影の努力があったんだってことは、理解していただけないのでしょうか……?

 

「要するに、あれじゃな? 無理の出ない範囲で、現状のおぬしが使えるものを使えば、わらわに貢献してくれる。そう明言したと受け取っても良いのであろう?」

「……ええ、まあ、はい。一騎士として、主君の要望には最大限応えたいと思っております」

「では王妃として、それらしくお願いでもしてみるかのう? ――これからのクロノワークと、ソクオチの未来のために。おぬしには、両国の懸け橋になってもらいたい。わらわがひいきしたくなるくらいには、見事な成果を挙げてくれよ」

 

 なんだか大きな話になってきましたね? 最初から、この辺りが落としどころなんだってわかりました。一体、私に何をさせようというのか。

 ……王子王女の教育、という話に収まることではない。そういう雰囲気が、王妃様から感じられる。

 

「オサナ王子と、エメラ王女に関わる話……なんですね?」

「他にはあるまい――と、言いたいところじゃが。今回は純粋におぬしに関わることよ。一応聞いておくが、おぬしはソクオチの士官とも面識があるじゃろ?」

「先の戦争の最中と、その後の政治的な場で顔を合わせたことを、面識と言うならそうですね」

 

 シルビア妃殿下主催のパーティで、ちょっとだけ挨拶した方々も含めれば、士官だけではなくそれ以外の方とも顔合わせはしている。後は、任務の中で色々と。

 それだけならば、わざわざ王妃様の前で、話題に出すようなことではないはずだ。これをあえて追及するということは――。

 

「その面識を活用して、人脈を広げる機会をやろう。もちろん、おぬしだけではない。妻どもも一緒につれていけ。正式な公務として、体裁は整えてやるゆえ、そこは安心せよ」

「……クミンも加えるのですか? 彼女だけは、クロノワークの公職についておりませんが」

 

 ザラやメイルは、仕事を共にする機会や名分もあるが、クミンはそうではない。

 無理に連れていくのは、流石にどうかと思う。

 

「判断は任せる。わらわがおぬしに求めるのは、オサナ王子とエメラをソクオチに派遣する際、それを護衛するついでに周囲を調査してほしいのよ。出来る限りでよいから、怪しいやつと使えるやつを整理してもらいたい」

「待ってください。そういう事業がすでに予定されていて、実行される段階に入っているとでもいうのですか? 私、何も聞いていないのですけれど」

「おぬしを押し込むと決めたのは、最近であったからな。それに特殊部隊の副隊長程度の地位では、耳に入らずとも仕方なかろう。ザラの耳には届いておるだろうが、守秘義務と言うものもある。――おぬしが出世すれば話は別じゃが、それは未来の話よ。とりあえず経緯については説明してやるから、それから考えるがいい」

 

 オサナ王子とエメラ王女が、クロノワークの軍隊を連れながらソクオチを巡行して、治安の改善と交易路の安全をアピールするんだって王妃様は言いました。

 いわゆる政治的な宣伝によって、交易を活性化させる一助にさせるつもりらしい。

 ついでに相互に人材を交流させて、友好のアピールと、実用的な人脈を構築する。これによって、相互理解が少しでも進めば、外交の連帯をはかることも出来よう、だなんて王妃様は言いました。

 

 さらに話を伺うと、実務の大部分は、王妃様の手配に任せて良いという。その代わり、実働では大きく動いてほしいとのこと。

 

「というのもな。クロノワークの騎士たちにも、そろそろ飴を配らねばならん。あの子らを外回りに行かせて、おこぼれを与えるのが一番簡単なのじゃが……それで、変な虫がついても困るのでな。おぬしが仕事の片手間にでも面倒を見てくれるなら、助かるという話よ」

 

 外国慣れしていない女騎士たちに、余計なことを吹き込む連中が群がってきては支障があるという。

 クロノワーク側の参加者が多いだけに、王妃様は気を回しているのだろう。実入りの多い仕事だからこそ、旋回する価値がある。ケチを付けられてはたまらないから、対策も必要になると。

 

「護衛任務って、特別手当が出るらしいですね。あんまりにも美味しいから、護衛隊以外にも枠を拡大して採用するくらい、希望者が集まっているとか何とか。――ここで悪評を建てられて、希望者が少なくなると困りますか?」

「困るに決まっておろう。護衛には、どうしても数が必要になるゆえ、減少傾向はなるべく避けたいのじゃが――。こちらの思惑など関係なしに、他国の馬鹿どもは干渉してくる。頭の痛い話よ」

 

 もっとも、問題はそれだけではないと王妃様は付け加える。

 

「さらに問題を言うなら、護衛に出張った一部だけが潤っては嫉視を招き、組織が不健全化するのでな。利益は分かち合うというポーズを取らねば、王家としても誠意を疑われるところよ。護衛任務に参加しなかった者たちにも、交易の収益から、いくらかを還元してやりたいところじゃのう」

 

 護衛隊を組織して、王女と王子を外遊に出す。そうすれば国家予算から計上して、予算を付ける理由になる。そうして使うべき理由ができたなら、散財するのも王家の務めなのだと王妃様は言ってくれた。

 ため込むばかりでは恨みを買うこともあるし、税を取った分を吐き出して、国内に流通させるのも国策の内ではあるだろう。

 

 お二人を護衛するついでに商隊も同行させ、交易を推進させるのだと王妃様は付け加える。ゼニアルゼが交易を推進しているのはわかりきっていることだから、ここに協力する姿勢を見せれば外交にも意味が出てくることになるのか。

 だとしたら、複合的な理由で、これを断ることはできない。オサナ王子やエメラ王女のような、公式の立場のある王族であれば、なおさらであったろう。

 

 しかし、それとは別の考えもある。商人からの護衛依頼は、実入りが良い。実働部隊もその恩恵を受けるから、志願したい者はいくらでもいるだろう。

 その隙をついて、いらんことをしようとするやつがいるかもしれないと、王妃様がそれを案じておられるわけだ。

 

「確認しておきたいのですが、本当に悪い虫がつく余地があるのですか? 私には、いささか疑問ですが」

「人間関係は、感情的なものじゃからな。単純な利害であれ、色恋であれ、常に理性的で合理的であることは難しい。非合理な形で交易に介入したり、王家の交流に割り込みたがるものも、皆無とは言えぬ」

「ならば、悪い虫は駆除するに限ります。やり方は、お任せいただけるのですか?」

「いや、いちいち駆除に動いては、おぬしの顔を売ることが出来んじゃろ? 害虫には害虫の使いようがある。――潰すときは指示するから、基本は把握に努めるだけでよい」

 

 ソクオチ内では、祭事において大きな暴発が一度起きていた。今度はオサナ王子だけではなく、エメラ王女も一緒である。

 名目を付けて、お二人が巡行するとなれば、警備や戦力の質も段違いになるだろうから、まともな奴なら事を起こす気にもなるまい。

 しかし、馬鹿に理屈は通じない。何かしらの隙を伺って、害をなそうと虫が群がることは、ありえなくもない話だ。

 

「警戒だけでよろしいのですね? 私個人の交流が、そこまで重要であるとは思えませんが」

「おぬしを便利使いすることはすでに決めておるし、この流れに逆らう気は、流石にないのであろう? ――ならば、今はわらわが作る場に流されておけ。悪いようにはせん」

 

 王妃様は、意味ありげにほほ笑むだけだった。ならば、せめて主命には忠実であることが、騎士の義務であろう。

 

「……求められたことには、その通りに応じます。やりすぎないくらいに、留めておきましょうか?」

「うむ。不穏分子だけでなく、害虫除けに使えそうな者がいるなら、伝手を通じておいて損はあるまい。それらをまとめて、後で用いる時の参考にしておきたいのよ」

 

 特殊部隊員としては、外交工作の一環として、他国人との人脈を作ることに意味はあると感じる。

 ましてや、それが王妃様の手によって、国家規模の計画に関わるとしたら、拒否など考えられないレベルである。流れに乗れというなら、そうしよう。

 

「おぬしだけではなく、巡行すれば多くの騎士が交流に関わる。おぬし一人に依存しているわけではないと、明言しておこう」

「リスクまで考えて、複数の手段をこうじておられるなら、不安はありません。ご期待に添えられるよう、努力いたします」

「大変結構。気負うなとは言わぬが、全力で取り組んでくれるなら、細かいことで文句はつけぬよ。――特殊工作員には、ある程度の独自の裁量を認める。それが主君の度量と言うものであろう」

 

 それから、これは余談であるが――と、前置きをしたうえで、王妃様は語った。

 

「前にソクオチで、反乱騒ぎを起こした地方貴族がいたであろう? 各国を渡り歩いた末、ヘツライ王国に亡命しておったのじゃが、つい先日そやつの首が届いたぞ」

「それはまた、結構なことです。ちなみに、どちらに届けられたのでしょう? シルビア妃殿下の方か、それともオサナ王子の方でしょうか?」

 

 にやり、と王妃様の顔が愉悦にゆがんだ。大事なところをわかっているな、とばかりに王妃様は答える。

 

「オサナ王子の方、と言っても良いな。正確には、クロノワークに届けられた、と表現すべきであろうが」

「クロノワークの庇護下にある、オサナ王子の敵を討った。これを口実にして、我が国との外交関係を進めていこうという意思を感じますね」

「ヘツライ王国は、うまくやったものよ。……そもそも、あの祭事の混乱は、ヘツライがいくらか関わっていると見て良い。その伝手がなければ、あの地方貴族も亡命しようとは考えなかったであろうからな」

 

 その辺りの背後関係は、私が詳しく知る必要はあるまい。王妃様や、シルビア妃殿下などが把握しているなら、それで十分だ。

 

「ま、そういうわけじゃ。――ヘツライ王国は、防衛条約を飲むぞ。そのうち、オサナ王子を巡行に向かわせることを考えておる。まずは近場から回っていくから、結構先の話になるじゃろうがの」

「外交で譲歩を迫る、良い口実ができたとお考えですか?」

「誰にとっても悪い話ではない。ヘツライ王国とて、暗部を掘り返されたくはなかろうし、口をつぐむ見返りに、多少の譲歩を迫る程度で許してやるのだ」

 

 最大利益をクロノワークが確保している、というのが一番大事なんですね、わかります。

 ……まあ、ヘツライの連中だって、致命的な失敗をしているわけではないし、外交的には今後の立ち回りが制限されるくらいで、悪い話ではないんだろう本当に。

 私としても、職務の範囲内で国家に貢献できるならば、積極的になっていい場面だと思う。個人的にも、仕事を回してくれた王妃様に対して、恩を感じるべきだろう。

 

「はい、まことに光栄なことであると、恐縮いたします。――王妃様に目をかけられ、自らの才覚を発揮する機会を得られたこと、感謝申し上げます」

 

 率直な気持ちだった。王妃様は、シルビア妃殿下とは違う。真に主筋であり、わが王国の権威である。

 騎士として、認められれば嬉しく感じて当然だった。己の中に忠義というものが、正しくあるのであれば、それは彼女の為に使われてしかるべきであるとも思う。

 

 特に最近は、私個人の都合で動きすぎていたからね。――こうやって、主筋の命で動くことを意識しないと、国家公務員としての自覚が飛んで行ってしまうよ。

 

「……思いのほか、素直に感謝されたな。シルビアには結構な無礼を働いていたと思うが、反骨精神はそうでもないのか?」

「先の婚儀で、王妃様にご出席願えたこと、忘れておりません。ご恩を受けた主君に対して、素直に謝意を示すのが騎士の模範と言うものでしょう。――シルビア妃殿下は、すでに他家に嫁いでおりますれば、対応も相応のものになってしましますので」

「まあ、そうか。シルビアに対して、わらわと同様の敬意を払うのは難しいかもしれんな。――露骨に引き抜きなど仕掛けてくる相手に、愛想などふりまいていると、こちらの方が誤解しかねん」

 

 後はこまごまとした雑談を挟んで、王妃様との会談を終えた。

 正直、教育関係の質問がもっと飛んでくると思っていただけに、あまり突っ込んで聞かれなかったことが意外だった。

 私への信頼であると考えても、いささか楽観が過ぎるのではないか。しかし現状に問題がない以上、こちらから余計な話を振るのも躊躇われた。

 

 ――王妃様は、シルビア妃殿下に、愛情以外の複雑な感情を抱いている。

 エメラ王女に対しても、いずれはそうなるのかもしれない。王妃様自身、娘を単純に愛せなくなることを恐れているのか知れず――それがゆえに、慎重な態度を取らせているのかもしれない。

 

「子育てとは、ままならぬものですね、なんとも」

 

 王妃様がそうであるように、シルビア妃殿下もまた――自身の子への向き合い方を、悩む時が来るのだろうか。

 そうだとして、私には何ができるか。やれることがあるとして、関わっても良いものか……。

 

 色々悩んでも、結局はその時の環境によって結論は変わる。今は、心構えだけをしておくしかないと、それだけ結論付けて、悩むのは後日に回そうと思ったのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 荒事に備えるために、軍と言うものは存在するはずである。しかし、仮に賊に敗北する軍隊と言うものがあるのならば、それは軍組織そのものの敗北であり、国家の威信にかかわる事態であると言って良い。

 

「ええい、どうしてこうなったんですか!」

 

 ラッカは、ソクオチの騎士であり、部隊長としての地位にある。彼女はソクオチ敗戦の後は、治安維持のために一部隊を率いていた。

 多国間の交易が始まってからは、彼女は商隊の護衛任務なども担っている。敗戦の責任を追及されても、処断されずに降格処分で済んだのだから、まだマシだとも言えようが――それだけに、これ以上の失敗は許されない。

 もし、ここで護衛の役目を果たしきれなかったとしたら、ラッカたちの存在価値はどうなるのだろうか。想像ができるだけに、彼女は今の自分に固執する道を選んだ。

 

「こんなはずじゃ、なかった。ただの奇襲なら、対応できた自信はあったのに!」

 

 護衛すべき商隊から、襲撃を手引きする者がでるとは思わなかった。

 中と外の両側から攻められ、初動から主導権を奪われてしまえば、一気に敗北までもっていかれかねない。

 多くの精鋭を失いつつも、一度は撃退して踏みとどまり、怒りを口にするだけの余裕があるだけ、ラッカは優秀であった。

 

「ラッカ将軍! 予備兵力はもう使いきりました、前線も消耗しています。ここはもう危険です、ご再考を――」

 

 劣勢の中、敗報を伝えに飛び込んできた部下が、そう進言する。しかし、ラッカはあくまでも強気に答える。

 

「私は敗戦の将です! なのに今ここで、賊を相手に敗走して、恥を重ねろというのですか! 我々はまだ負けていない!」

 

 街道そのものは整備されていたが、見通しの悪い山道を通る部分は、どうしても避けられない。

 問題の山道を横断していたところ、商隊は賊の襲撃の対象となり、ソクオチ騎士団はこれを迎撃した。

 もとより、積み荷を狙った盗賊に襲われることなど、想定していたことである。これを難なく撃退してこそ正規兵と言えるし、実際に今日この日までは、何度も撃退したはずなのだ。

 

 しかし、現実としてラッカとその旗下の兵たちは、窮地に立たされていた。言い訳がきかぬほどの損害は、すでに彼女を失脚させるに十分なもので。

 命まで奪われるかどうか、もはや事態はそこまで進行している。ただ、本人だけが、その現実を拒否していた。

 

 昼間から始まった戦いは、夕方になり、日が落ちても続いている。盗賊どもは、一気に潰せないとわかると、戦い方を変えてきた。

 攻めては退き、守りの薄い所、あるいは死角から忍び寄り、的確に痛撃を与えて去ることを繰り返している。

 

「救援の伝令は、そろそろ最寄りの拠点にたどり着いているはずです。そこから援軍が駆けつけてくれれば、勝てる。今しばらく、耐えてください!」

「これ以上は難しいとご理解ください! もはや、商隊の被害は許容して、一点突破して脱出するほかございません。損失を最小限に、部下の命を多く助けるためには、それ以外の手段はもはやありえぬものと心得る時です!」

 

 内からの手引きにより、劣勢に追いやられた際に。これは下手に動けないとラッカは判断し、救援の伝令を飛ばした後は、守りの態勢に入った。

 これが軍隊だけなら、無理やり山道を突破し、平地に出る策もあった。それができないのは、守護すべき対象を抱えていたからに他ならない。

 裏切り者がいたとはいえ、商隊の大部分がまっとうな商人たちであり、これを守る義務が、ラッカには存在した。

 

 劣勢の中、戦いながら陣地を構築し、商隊に被害が一切出ていないのは称賛されてしかるべきであろう。

 ――ただし、それも無事にこの場を切り抜けてからのことだ。賊が相手では、名誉ある戦死などありえない。待っているのは、さらなる辱めである。

 

「撤退、脱出? それが容易くできるなら、軍人はどれだけ楽なことか! ――ソクオチ騎士に、これ以上の敗北が許されると思わないで。私たちが生き残れても、護衛任務が失敗すれば、ソクオチの名誉は地に落ちるでしょう。……少なくとも、私がその引き金を引くことになるなんて、それだけは絶対に許されない!」

「そのようなこと、言っている場合では……」

 

 部下の兵とて、己の命が掛かっている。口答えもしたくなろうが、ラッカにはそれが自分の威厳のなさゆえと思い、なおさら頑なになってしまう。

 

「所詮賊は賊に過ぎません! 強いのは、攻めている間だけ。この場をしのいで、援軍と呼応し、まともに追撃できれば――鎧袖一触に討ち果たせるはずなのです」

 

 敗走する敵を追撃できれば、完勝する。それ自体は、ただの事実の確認にすぎない。

 問題は、それが現実からは程遠く、むしろラッカらの方が敗北を受け入れる段に入っていることだった。

 

 ……そもそもの話、伝令達はちゃんと無事に拠点にたどり着けたのか? 全員途中で狩られていて、誰もこちらの窮地に気づいていない、ということがあり得るのではないか?

 一度疑問に思えば、ラッカの思考は一気に劣勢に持っていかれる。これを覆すだけの頑固さは、流石の彼女にもなかった。

 

「うう……でも、確かに。守るばかりでは、弱気になるのもしかたないと、わからないでも、ありませんか。――いえ、確かに最悪を想定して動く方が、この場では適切かも……」

 

 嫌な不安を振り切るように、ラッカは決断する。――すなわち、都合の悪い現実を一部だけ認めるという形で。

 

「貴方! 前線の小隊長たちに伝令を――」

 

 彼女の口から出かかったのは、撤退という言葉か、あるいは突破であったか。

 いずれにせよ、形にならなかったものに意味はない。

 

「え? あ」

 

 流矢が、目の前の部下の頭を射抜いた。ぐらりと身体を傾け、倒れるまでを、ラッカは唖然とした表情で見ていた。

 

「……っ、……っ!」

 

 即死であったろう。すぐに動かなくなったことを確認する。声にならぬ声が、ラッカの喉元から絞り出された。

 行動の出先を潰された彼女は、思考の再起動にも時間を要した。実務の才はあれど、臨機応変の能力に欠けることが、ラッカの弱点であり――。

 

 それはつまり、ソクオチ騎士が危地から脱出する時間を、それだけ浪費させられたことを意味した。

 疲労し、消耗した部隊は盗賊どもの攻勢を支えきれず、崩壊。ほどなく彼女らは完膚なきまで叩きのめされ、わずかに逃亡兵が残るだけとなった。商隊はその大部分が確保され、損害は目を覆わんばかりであったという。

 

 ――そして、余裕があれば、捕虜を取るのが盗賊どもの嗜みである。処理用の道具としてであれ、人身売買用の在庫としてであれ、用途はあるものだ。

 ソクオチ騎士団の女騎士たちは、ラッカも含めて捕らえられ、屈辱にまみれることになる。しかし、それが結局はどのような事態を招くことか――。

 この時は勝利した側である盗賊どもはもとより、捕虜となった彼女らにも、おそらく想像さえつかなかったはずである。

 

 

 

 




 思ったように話が進まないので、もしかしたら今年中ではなく、来年の三月くらいまでだらだら続くかもしれないと感じる今日この頃。

 こんな無駄に長いお話に付き合ってくださる、読者の皆様方には、本当に感謝しております。できれば、最後まで見守ってやってください。



 これだけではアレなので、次に取り掛かりたい題材について話しますね。
 次回作はブリガンダインにしよう、と決めていたのですが。
 そうこうしている間に、カリギュラ2が発表され、発売。プレイしてみると、むくむくとこう、こみ上げるものがありまして。

 ……カリギュラの二次創作に取り掛かりたい気持ちが、強くなってきました。
 どちらにしようか、どっちも進めるべきか、悩んでおります。
 結局はノリと勢いで決めることになるのでしょうが、この作品を一旦終わらせた後は、時間を置きたいところ。

 熟慮するよりは、行動した方がいい結果をもたらすと信じておりますので、それほどは待たせないと思うのですが。
 ともあれ、そういうことを考えているということだけ、お伝えしたいと思ったのです。



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天下泰平が近づきつつあるというお話


 毎度毎度思うのですが、自分は確かに見直しができているのか。
 矛盾点はないか、何かを見落としたり忘れてたりしていないか。ずっと不安を感じる癖があるようです。

 おかしい……。もっと頭の悪い物語になるはずだったのに。
 読者からどう見られているかはわかりませんが、筆者自身にとっては、とても頭を使わされる、負担の大きな物語になってきています。

 それでも定期投稿を続けているのは、一度止まってしまえば、際限なく悩み続けて、話が進まなくなる可能性があるからです。
 早く、話を畳まなければ――などと思いつつ。よろしければ、最後まで付き合ってあげてください。



 盗賊どもに襲撃を受けたその日、ソクオチ騎士団による護衛隊は敗北し、ほぼ壊滅した。

 他にも戦力は残されているのだが、きちんとした任務に耐えられる状態ではなく、最低限の警察力を維持するのがやっとである。

 何より大きな問題は、先の敗戦から生き残った、貴重な実働戦力の多くをこの失態にて失ったこと。さらに護衛任務に失敗することで、信用も底辺まで落ちてしまったのは、ソクオチにとって国体を揺るがすほどの事態になりえた。

 

 交易の安全が確保されないなら、ソクオチを通る道路は利用されなくなる。通行量が減り、関税収入が減収ともなれば、財政悪化は当然の話だ。

 そして今のソクオチに、減収を許す余地などない。方々への支払いが滞れば、ソクオチ政府の運営自体が成り立たなくなる。

 祭事における反乱騒ぎから、オサナ王子が維持していた国家的な信頼に、決定的なヒビが入ったとも言えよう。

 ソクオチがゼニアルゼに泣きつくにしても、限度と言うものがある。貸し出せる資金とて、無限にあるわけではなかった。

 

 なればこそ、分かりやすい形で、敗戦の恥をすすがねばならない。

 資金以上に重要な、国家としての信用を取り戻すため。何よりソクオチ内の治安維持のために駆り出されたのが、クロノワークの特殊部隊であった。

 

 そして、彼女らに与えられた第一の目的が、敵盗賊団の殲滅。そして二つ目が捕虜となったソクオチ騎士の救出である。

 最低限、これをこなすことができれば、即座にソクオチの信用が戻る――ということはないとしても。

 それでも、どうにか体裁は繕える。何より、クロノワークが庇護者としての面目を保てるのである。

 ソクオチ内をクロノワークが警備するのであれば、交易路としての価値も維持できよう。

 

「部隊長として、敵味方として付き合った雑感を言うなら、ソクオチ騎士団は『良く言って並』程度の実力だったな。……ちょっと前の演習でも、連中は扱いに苦労したもんだ。クロノワーク並の水準とはいかずとも、もう少し練度を上げておけと、何度言いたくなったことか」

「演習内で、一応の連携は出来ていたはずですが、ザラ隊長は手厳しいですね。……奇襲を受けて、指揮官が動揺してしまえば、どんな軍隊でも敗北することはあります。たまたま、間が悪かったのだ――と、そう考えましょう」

「そうだな。身内がこんな失態を犯したなら許せないが、他所のことだしな。……元々期待値が低かったのだから、酷評するのも哀れな話か。モリーが言うなら、そういうことにしておいてやろう」

 

 特殊部隊が派遣される以上、当然その中にはザラと共にモリーの姿もある。彼女らが率いる部下たちも、そろって現地入りしており、駐屯地で計画を練っているところであった。

 とはいえ実務に関わる話はすぐに済む。余った時間を使って、夫婦の語らいをするくらいは、許されても良いだろう。

 もっとも、その内容はと言えば、きわめて現実的なもの。今直面している事態についてであり、色っぽい話にならないあたりが、彼女ららしいともいえる。

 

「我々が出張った以上、今後の懸念はすべて払しょくしておきたいところだが――。ここは他国だし、好き勝手にやるわけにはいかん。手段を選ばねばなるまいが……どうしたものかな。最悪、クロノワークから援軍を呼ぶべきか。そうなれば、王妃様の期待を裏切ることにならないか? 難しいな」

「ザラ隊長の懸念ももっともですが……おそらく、そう事態は難しいことになりませんよ。確かにこの上に援軍をよこすというのは、望ましい事態ではありませんが――。そうなったらそうなったで、上手に運用してくださるでしょう。我々の上司は、無能とは程遠い方々なのですから」

「それも、そうか。……モリーの指摘は適切であると、私も信じたいよ。なるべく早く、ゴリ押してでも、盗賊団は潰しておきたいそうでな。交易もそうだが、政治的にもソクオチ内の治安維持は重要だという話だ」

 

 特殊部隊の側から、ひそかに王妃様の内意を伺ったところによれば、これくらい強引にやらなければ、何事もままらぬ、とのことであった。

 オサナ王子とエメラ王女の巡行を前にして、これくらいのアピールはしておかねば、いずれの国民からも支持は期待できない――とのお達しである。

 

「王妃様も苦労をされておりますね。巡行が重要なのは事実でしょうが、それら政治的行事が生み出す経済効果こそが一番大事なはず。――巡行に伴う商隊と、その護衛。どちらもクロノワークが担当する以上、利益もほぼ総取りする形になる。盗賊なんぞを気にして、懐の心配をするような事態だけは、王妃様も避けたいのでしょう」

「裏側の政治事情に通じるのも結構だが、我々の任務はもっと実際的だ。……盗賊相手とはいえ、部下を率いての戦場は久々だろう。まさか、お前に限って鈍ってはいないよな?」

「はい、もちろん。教官からも、お墨付きはもらっていますよ。――死んだり死なせたりすること関して、私が鈍ることはない、とご理解ください」

 

 ザラもモリーも、一騎当千とはいかずとも、雑兵百人分くらいの働きは軽くこなす猛者であった。そして、旗下の部隊員もそれに準ずる程度の練度がある。

 いかに歴戦の盗賊が相手でも、これに不覚を取ることはない。だが討ち漏らしが出て、再度暗躍されるようでは作戦失敗だ。

 人手がどうしても必要になったら、ザラは援軍の手札を真剣に検討すべきである。士官としての感覚が、そう本人に告げていた。

 

「ならばいい。が、問題は敵の殲滅が叶うかどうか、だ。最初から、これだけを私は心配している。――追い散らすだけで済むなら、頭を悩ませずに済むんだがな」

「致し方ございません。援軍は最後の手段として、とりあえずは置いておきましょう。……私の勘としては、そこまで大事には至らないと思うのですが」

「お前の勘を当てにしたいところだが、何事も最悪を想定するのが隊長の役目でもある。――まあ、とりあえずは動かなければ判断しようがない。思い悩むのは、後にするとしよう」

 

 王族の二人がソクオチを巡ることは、すでに公言されており、各地に通達が行きわたっている。援軍など呼んできて大事にしてしまえば、巡行の日程がどうしても合わなくなる。

 そして今更日程の変更などしてしまえば、クロノワークの面子に関わる事態となりかねない。

 そうした政治的問題をザラは懸念していたが、その対処まで特殊部隊に求めるのは、筋が通るまいとモリーは思う。

 

「何事も、これからです。私でよければ、愚痴は聞きますよ。……しかし、そうした悩みをザラ隊長に持たせてしまうこと自体、間違っていると思いますがね」

「それを言うなよ。――私はクロノワーク王家に忠誠を誓っている。特殊部隊員の全員もそうだ。騎士として、主君の意向はくみ取るのが筋だろうよ」

「ええ、ええ。私も、自分だけが悩んですむことなら、アレコレ言わないのですが。……しかし、お互いに立場もある身ですし、微妙な発言もここまでといたしましょう」

 

 口でははばかっても、モリーは内心で王妃様に対して批判的にならずにはいられなかった。必要とあらば、諫言するのも忠臣の仕事である。

 それには当然ながら、言い方にも工夫が必要となるであろうが――どうにも面倒だと感じたら、ザラの態度に習うのが賢明か。

 

 ともあれ、今回ほぼフリーハンドを与えられて遠征に来たのだ。目標を達成することが第一で、それ以外の結果については、命じた側のクロノワーク王家が責任を持つべきだった。

 すでに作戦に必要な決断と、権限は与えられている。ならば最善を目指して、できる限りの手を打つ。それ以上は望むべくもないのだと、モリーは言いたかった。

 さりとて口にしたところで、むなしいばかりだとわかってもいたので、別の話題に移すことも、彼女は忘れなかったが。

 

「それにしても意外です。周辺国との行路は、随分と掃除が進んでいたと思うのですが、盗賊が出る余地がまだあったんですねー」

「お前は、実働部隊としては、さほど動いていなかったからな。内勤の比率が高いと、実感できない部分があっても仕方がない。――ソクオチに限るなら、賊どもが潜む余地は、いくらでもあるだろうよ」

「まあ、そうですね。ソクオチに限るなら、まさに。……祭事の時の連中には、結構逃げられてますし。ソクオチ軍が、その全てを捕捉するのは難しかったのでしょう」

 

 盗賊どもは、反乱騒ぎに加わったこともあって、祭事の後は大人しくしていたのだが――。この度、交易が活性化していくにつれて、改めて顔を出してきた。

 それも、内通者を事前に用意したり、優位な戦場に限定して襲撃したりと、狡猾さも増している。

 

 今回の護衛にあたって、ソクオチ軍も警戒はしていたにしても、軍の弱体化はいかんともしがたいところであったろう。

 盗賊どもがどんなに巧みに戦術を駆使したとしても、装備と練度の部分で圧倒的な差があれば、こうも徹底的な敗北はあり得なかったはずだ。

 これもまた、敗戦の爪痕であると思えば、クロノワークが責任を持つのも当然の成り行きであったと言える。

 

「私らも、ソクオチとの国境線近くは、念入りに潰して回ったがね。内部はまだ手付かずの部分が多い。その辺りに踏み込んでは、ソクオチの領分を犯すことになるからな。……こうして明確な落ち度が現れるまでは、手を出せなかったわけだ」

「いずれにせよ、もう事態はここまで推移しています。――狡猾な連中ほど、危険を避け、稼ぎ時を見逃さないもの。身を隠して準備を整えつつ、機を見計らっていたのでしょう。並々ならぬ手合いだと考えるべきです」

「同感だが――皮肉なものだな。半端に強さを示してしまったがゆえに、本気で潰されることになる。盗賊稼業も、楽ではないらしい」

 

 目先の利益を貪ったがために、結果としてクロノワークからの介入を招いたことは、どう考えても弁護は出来ないが――。そもそも、盗賊などに長期的な展望を求めるほうが間違っているのだろう。

 特殊部隊単独での入国だから、こちらの動きは完全に隠ぺいできている。連中が気付くのは、こちらが襲い掛かってからだ。この時点で、ザラもモリーも、敗北など考えてはいなかった。

 もちろん、旗下の部隊員たちとて、それらは理解している。ゆえに適度な緊張はあっても、不安の気配はみじんもない。

 

「盗賊などがのさばっては、交易の邪魔だ。シルビア妃殿下も、それはわかっているはず。事前にソクオチに支援しても良かったのに、今日この日まで何もしていない。――何かしらの理由があって、放置してたんだろうと思うが、思惑が読めんな」

 

 軍が敗北することまで計算に入っていたかはともかく、不穏分子をソクオチで暴発させる手は、すでに一度やっている。

 二度目が必要だと感じたならば、躊躇う方ではないと、モリーは考えていた。あるいは、もっと悪辣なことを考えているのか。

 たまたま目を逃れていたという可能性もあるが、それならそれで、後腐れがなくていい。

 

「そうでしょうとも。――ソクオチ騎士団が当てにならぬとなれば、クロノワークなりゼニアルゼなりが、ソクオチの軍政に干渉する理由付けになる。そして軍の存在は、国家の独立性を保証するものです。……思ったより早い展開になりましたが、ソクオチの軍が解体される可能性も、そろそろ考慮に入れてもいいかもしれませんね」

「考慮したところで、どうしろって思うんだが、モリーは違うのかね? ……ソクオチの軍自体は落ちるところまで落ちたとしても、祭事の時はオサナ王子が気張ってくれた。シルビア妃殿下は、それを評価していないのか?」

「評価はしているでしょう。ただ、本格的に駒として使うのは、成人してからになると思いますよ。――戴冠するまでの過程を、どう利用するか。シルビア妃殿下は、今それを考えているところでしょうね」

 

 ザラの見解に、モリーは同意した。補足するように、自らの分析も添えて。

 

「とはいえ、我々もこの機会を最大限に活用しているのですから、妃殿下を非難できる立場にありません。――ソクオチの巡行は、面倒以上に利益が大きい。ならば、どんなに手間がかかっても、ここでソクオチを助けないという選択肢はないわけですね」

「オサナ王子とエメラ王女の巡行は、滞りなく実施されねばならぬ、と。……他国の王子だけならともかく、幼い王女を巻き込むほどのことかね? ――おっかない話だな、まったく」

「こうやって、事前に掃討作戦を実行させるくらいです。安全には、充分に気を使っておられる。そのうえで、政治的な事情を優先するくらいは、王妃様も王族としての責務を果たしてくださっているのだと、好意的に見るべきでしょう」

 

 ザラなりに思うところがあるのだろうけど、今回の件は個人的にも悪い策だとは思わない。

 ここからソクオチを立てなおすには、祭事において実績を作った、オサナ王子が必要不可欠だ。

 子供ながらに内乱を治めた、彼の存在こそがソクオチ国民の誇りになる。おそらく唯一のよりどころにさえなるはずで――そこからどうなるかは、モリーにはたやすく予想できた。

 

「ソクオチは、長い試練に耐えていかねばなりません。耐えるには、希望が必要です。オサナ王子がそうなるならば、シルビア妃殿下は笑いが止まらないでしょうね。ソクオチがどんな風に改変されても、オサナ王子が王として君臨すれば、それだけで国民の不満は抑え込める。将来的に、ソクオチの文化や伝統がどれほど残っていることか。……恐ろしい話だと思いませんか?」

「それで消えるような文化など、その程度のものだろう? どういう種の恐怖か、私にはわからん。――モリーには、シルビア妃殿下の目論見がわかるのか?」

 

 さて、とモリーは一考した。妃殿下の気持ちなど、正確にわかるものではない。ただ、自らの目論見が成就するという、単純な喜びはあるだろうと思う。

 ソクオチを実験場にして、様々なことを試みるのではないか、とは察しているのだが。具体的な方向性までは、読み取ることが難しい。

 

「わかるとも、わからぬとも言えません。しかし、想像するだけならば、自由ではありませんか?」

「そうだな。――ともあれ、我々の仕事をするとしよう。敵が賊だけなら、そう時間はかからぬだろうが……」

 

 敵、と言うものの定義について、モリーは考えるところがある。ザラも、おそらくはなんとなく不穏なものを感じているのだろう。明言できぬ辺りに、その難しさがある。

 

「謀略がらみの仕事は、いつも大変ですね。後に尾を引くとわかっていると、なおさらに」

「お前に言われるまでも無いさ。……新婚生活は、戦場で過ごすことになるかもな。一家そろって、前線で団欒か。思えば、奇妙な一家になってしまったものだ」

「今更、ですよ。ザラ達を娶って受け入れると決めたときから、私個人の覚悟は済んでいます」

 

 だから、それはそれで一興と言うものだと、モリーは断言した。

 ザラは、それを好ましく思い、なればこそ愛し甲斐があるのだと言いたくなる。

 

「だが、前線では遊びを入れる余裕はない。――わかっているな?」

「ええ、ええ。――楽しむのは、仕事を終わらせてから。わきまえておりますとも」

 

 モリーの家庭は、今のところ円満だった。

 モリーに取っては、それでよかった。シルビア妃殿下の思惑も、賊の行動も、あるいは今後の国際的な問題すら、彼女にとっては二の次であった。

 

 妻たちのために生きる。そう決めたモリーは、死に狂う感性を持ちながらも、生き汚く戦う術を心得ていた。

 あらゆる意味で、敵にとっては最悪の衝撃になるに違いない。まさにそうであればこそ、シルビア妃殿下の切り札になるのであり、クロノワークの王妃にとっては、替えの利かない鬼札にもなりえたのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーです。急遽仕事が入り込んで、色々と働くことになりました。

 

 敵地を踏むことも、敵の首を刎ねる機会も、これからは劇的に少なくなる。そうした確信と共に、私はソクオチを改めて訪れることに。

 ソクオチって、先の敗戦で国家機能にひどい損傷を負ってしまったからね。王の死は最たるものだけど、アレコレの結果として、役場から軍隊まで結構な人材が欠けてしまったわけで。

 さらに祭事の反乱騒ぎで、組織が委縮するところもあるだろう。弱体化の末、在野の賊に敗北を喫するのも、経緯を知れば納得はできる。

 

 そうは言っても、負けは負けだし、政治の世界では結果が全てだ。……そして、指揮官は敗北の責を負わねばならない。

 ラッカ、という人。件の護衛隊を率いていて、任務を果たせなかったのみならず、盗賊どもに捕らえられたことが判明している。

 どういう経緯をたどるにせよ、もはやソクオチでは真っ当な騎士はやれない。別段交流のあった人ではないんだけど、半端に情報だけ拾ってしまうと、どうしても同情してしまうね。

 

 それはそれとしては、私は私で仕事前にやっておくことがある。下手をすれば、ラッカという人を笑えなくなるのだから、手抜かりはしたくなかった。

 作戦上、私が副隊長として、一時的に部隊員を掌握することになるのだから――できれば、参加者全員から納得を引き出しておきたいと思う。

 

「皆さんと一緒に仕事をするのは、本当に久しぶりですね。……久々ですが、私の指揮に不安があれば、正直に申し出てください。数が多ければザラ隊長に伝えて、別の方に指揮を変わっていただくよう働きかけましょう。部隊での空白期間が、ちょこちょこあったのは事実ですから、ザラ隊長も納得してくださるはずです」

 

 私が率いるべき、一隊の団員たちを前にして言う。彼女らは私と同じ特殊部隊員であり、訓練を積み重ねた中である。

 最近は少し疎遠になっていたから、こうして声をかけるのも、少しぎこちない形になったかもしれない。

 

「はい。いいえ、モリー副隊長。特殊部隊の中の誰もが、貴女のことを尊敬しております。指揮に不満など、あるわけもございません」

 

 一人の兵が、そう答える。その意見に反対の声はなく、士気に衰えも感じられない。

 私の気持ちなど、杞憂にすぎなかったのだと。そう信じたくなるくらいには、良い返事だった。

 

「なぜか、と聞いてもよろしいですか? 最近は、以前ほど部隊にも顔を出せなくなってしまいました。余計な仕事にばかり現を抜かして、現場をおろそかにしている。――そう思われても、仕方がないと思っていたのですが」

「ありえません。……モリー副隊長、昔ほどの頻度ではないとはいえ、貴女が仕事をきっちりこなしてくれていることは疑いありません。手を抜けるほどの器用さを持ち合わせていないことも、隊員は皆、かつての働きぶりから理解しております。それに、なにより――」

「なにより?」

「あの、ザラ隊長を娶られたお方です。それほどの御方に不満だなんて、とても言えませんよ。モリー副隊長殿、貴女は勇者だ、間違いなく。……そして、そんな勇者に率いられることを、私達は誇りに思っているのですよ」

 

 勇者、というものの定義について。可能ならば話し合いの場を持ちたいくらいだが。

 ともあれ、皆の目はやる気に満ちていた。ならば、私もその信頼に応えよう。

 

「ありがとうございます。……その尊敬に応えられるよう、務めを果たすと致しましょう」

 

 部隊の指揮に問題がないなら、すぐにでも作戦の説明に入りたい。全員の視界に入るよう、地図を広げる。

 そして、よく聞こえるように声を張って、やるべきことを明確に伝えよう。

 

 

「改めて、確認しましょう。我々の任務は、盗賊どもの根拠地を探り、そこを強襲することです。それも電撃的に、徹底的に、です」

 

 

 ――ザラ隊長の本隊も、別口で盗賊どもを探っている。本隊とはいっても、私が率いる襲撃部隊と規模はほぼ同じ。

 情報を集めることは簡単ではないし、信頼性も付け加えるなら、さらに難度は上昇する。手勢も手段も、多ければ多いほど良い。そこは、私も理解しているところだ。

 

「ザラ隊長たちは、ソクオチの都市住民たちを探っています。――賊とつながりのありそうな連中から、あらゆる方法で情報を抜いていることでしょう。賊とはいえ、このご時世、商業と無縁ではいられません。自給自足が不可能であれば、外とのつながりは不可欠。そして、賊と繋がることで不当な利益を得ている連中は、今の時勢を読み取れていない馬鹿しかいないわけですね」

 

 だから、後顧の憂いなく粛清ができる。ゼニアルゼではなく、クロノワークの主導で。

 オサナ王子とエメラ王女のソクオチ巡行は、クロノワークが主として実行する。その前段階である盗賊討伐も、当然ながらクロノワークが責任をもってやるわけだ。

 ゼニアルゼの、シルビア妃殿下の都合を別にして、王妃様が自らの判断で私たちに命を下した。その事実の重さを、隊員たちにも周知させる。

 

「これは、王妃様が直々の勅命です。なので、我々も思い切った行動を取らねばなりません。何と言っても、失敗が許されないからです」

「背景については、わかりました。――ザラ隊長の部隊が都市部の攻勢を担当するなら、モリー副隊長と我々は、被害地域を主体に探り、盗賊の掃討を主目的に動くということですね。電撃的に、徹底的に、というのは?」

「文字通りの意味、ですよ。準備が整ったら、都市部で動く本隊と時期を合わせて、同時に動きます。こちらは賊の根拠地。あちらはつながりを持つ都市住民の捕縛。これは、連動してやらないと賊一味を取り逃しますから」

 

 これくらいの工夫をしなければ、完璧な仕事にならない。危険性も上昇するが、それを跳ね返してやり遂げるだけの能力が、我々にはあるのだと確信する。

 

「禍根を残さないためにも、仕事は早く、痕跡を残さず、漏れのないように。――ザラ隊長からの情報も当てにしますが、こちらはこちらで敵の情報を集めましょう。なに、やりようはあります」

 

 改めて言うのも恥ずかしい気がした。私が率いる連中は、わざわざソクオチに派遣されるだけあって、優秀な面々がそろっている。あくまでも確認するつもりで、私は今後の展望について話した。

 

「とりあえず、現状でも敵に対する取っ掛かりはあります。ソクオチ騎士団は、護衛任務に失敗して、壊滅しました。守るべき商隊は盗賊どもの餌食になり、ひどい損害を受けている。――裏を返せば、盗賊らは収奪に成功して潤っている。勝利に酔って驕っている。だから、調子に乗って殺しすぎ、奪いすぎました。この驕りを突きます」

 

 普通、盗賊は身代金を取るために、めぼしい人物は捕虜にするか、あえて見逃すことすらある。なるべく殺しは避けた方が、実入りもいいし恨まれないから、賢い賊は略奪行為もスマートにやるものだ。

 だが、この盗賊どもはやりすぎた。許せる範囲を超えるほどに。我々を出張らせるほどに、連中は儲けすぎたともいえる。

 

「早速、農村と街道周りを探りましょう。運搬には馬が必須ですし、馬が通る道は踏み固められるから、見定めも可能なはず。……密輸の関連で、そうした隠し道の情報はシルビア妃殿下から提供していただいてますから、時間はさほど掛からないでしょう」

「道の方はそれで良いとして、農村ですか。狭い社会の中で、よそ者が情報を探るのは、難しいのではありませんか?」

「部外者は部外者でも、恨みのあるなしで大分変わってくるものです。この場合、恨みは羨み、とも言い換えていいでしょう。……近くに盗賊稼業で儲けている馬鹿がいると、農民たちはとっても腹が立つのですよ。苦労知らずの放蕩野郎が、博打で一山当てて、我が物顔でふるまっているのを見ると、ムカついてくるでしょう? そういうことです」

 

 遠くの外敵より、身近な乱暴者の方が、狭い社会の村人たちから見れば厄介に思えるものだ。 

 だから、わずかな痕跡をたどって聞き込みをするだけでも、それなりの成果はあると私は見込んでいる。

 情報収集のための出費も認められているし、こちらも経費として相応の額を持ち込めた。金の使い方を誤る手合いは、特殊部隊の中にはいない。確度の高い情報も、すぐに集まるだろう。

 

「それぞれ、単独行動でもヘマは犯さない。それだけの能力は持ち合わせていると、皆を信頼しています。細かい指示は、もはや必要ないでしょう。――各々の持ち場だけは、きっちり決めておきます。他に質問があれば、受け付けますが? ……ない? では、話を続けても構いませんね? では地図を眺めながら、お互いの担当について、詰めていきましょう」

 

 聞き分けの良すぎる隊員たちに、若干の違和感を覚えつつも。

 なんか怖いくらいに従順だから、これはこれでいいかな……なんて思いつつ、任務に集中するのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソクオチにはソクオチの事情があり、クロノワークやゼニアルゼにも、国家特有の都合や予定と言うものがある。極論すれば、どんな貧民だって、将来の見通しについては真摯に考えるものだ。

 

 ひるがえって、ソクオチ騎士団を打ち破ってしまった盗賊側にしてみれば、『勝ちすぎてしまったこと』に対して、忸怩たる思いがあった。

 もっとも、それは盗賊団の頭目だけが感じていることで、能天気な配下どもは蹂躙と飽食に満たされている。それがまた、一から事情を把握している頭目にとっては不愉快だった。

 

 かつて、ソクオチの祭事における騒乱を忘れてしまったのか。適当に捕虜を嬲ってご満悦の野郎どもに、危機感を持てと説教したくなる。

 ならず者、破落戸と呼ばれても、知恵がないわけではない。そう信じて、男は口を開いた。

 

「おい、気を抜くなよ。女騎士どもを飼っているのは、身代金と今後の交渉の為に必要だからだ。別段、てめぇらの性欲処理を考えてのことじゃあないんだぞ」

「わかってますよ、お頭。だから、どいつもこいつも紳士的に、壊さないように丁重に『使ってやってる』んでしょうが」

 

 へらへらとした顔で、楽観的な心情を述べるやつが、今は盗賊団で幹部をやっている。

 女を使った後の、だらしない虚脱感。それが態度から感じ取れて、呆れそうになった。

 この程度の馬鹿を使わざるを得ないということが、頭目の男にとっては不本意だった。そうと言っても、流民や逃亡騎士の中に、真っ当な教養人などいるわけがないのだけれど。

 

「何がご不満なんです? 俺たちは、騎士団すら食い物にしてのけた。ここらが危なくなって来たってんなら、また河岸を変えればいい。違いますかね?」

「……今のソクオチを抜け出すのは簡単じゃねぇぞ。クロノワークとゼニアルゼの連中が、国境を張っているのはわかりきってることだ。……前科者は、関所で跳ねられて通報されて終いさ」

「皆で関所破りをすればいい。うちの戦力なら不可能じゃない。そうでしょ?」

 

 確かに不可能ではない。結果として、我こそ賊だぞ、と声高々に主張して、国家の面子を叩き潰すことになるになるのだが。――そうした手合いが、他国で盗賊稼業をやろうとしても、目立ちすぎて標的になるのはわかりきっていた。

 

「そうだな。どれだけ死ぬかわからんが、破れはするだろうよ」

「クロノワークとゼニアルゼの方が無理そうなら、次はホーストでも、ヘツライでも。……ああ、女騎士で評判のヴァルキリー王国とか、いいんじゃないっすか?」

 

 逃亡の後の展望があるなら別だが、そうでないなら破滅への道を進むに等しいのだと、こいつにはわからないのか。

 

 ――わからないのだ。だから、こんな盗賊団の幹部なぞやっている。それを理解して、頭目は諦めと共に溜息をついた。

 

「……夜の見張りは、しっかりやらせろ。日の出前に眠り込む馬鹿がいたら、首を刎ねてやれ。それから捕虜は絶対に死なせるな。衛生に気を遣わせて――不潔な生活をさせたら、ただじゃおかねぇからな」

「わかってますって。こっちだって、汚い女を抱きたくはありませんからね。ああ、お頭が使うときは一晩置きますし、その間は誰にも触らせませんから、大丈夫ですよ」

 

 身ぎれいにさせておきますんで、心置きなく――と付け加える馬鹿にたいして、頭目はどうしてやろうか、と思った。

 ……どうにかしたところで意味はない、と悟るのに数秒。この間、怒りをこらえられたのは奇跡だったと我ながら思う。

 

 調子に乗りやがって。本格的な軍隊を向けられて、数で攻められたら、死ぬのは俺たちだとわかれ――と、口にしようとしてやめた。

 

「心配なんぞしてねぇよ。……気心の利いた部下をもって、俺は幸せだな?」

「でしょう? へへ、これからも期待してくださいよ。俺たちは、どこまでもお頭についていきますんで」

 

 勝手に地獄に落ちやがれ、そこまで付き合えるか――と、心の中で叫ぶ。

 頭目は歴戦の猛者であり、盗賊として長く生きてきた、ひとかたならぬ曲者である。その曲者としての嗅覚が告げているのだ。

 

 危うい、と。このままでは虜にされ、終わってしまう、と。

 

 それを避けるために動けと、しきりに思考を刺激し続けていた。頭目の男は、この自身の感覚を信頼していたから、なおさら気が気でなかった。

 もしもの時は、全てを捨てて逃げねばならぬ。そうした覚悟を決めるほど、男は危機感を抱いていたのだった。

 

「勝っている時こそ、用心しろ。……若いやつには、それがわからんらしいな」

 

 配下の連中から離れて、自室でそう呟く。ベッドと簡単な棚があるだけの簡素な部屋だが、育ちが貧しい男であるから、不満は感じない。

 略奪品を売りさばいて、そこそこの富は得ていた。資材を得られたなら、配下に元大工の者がいたから、彼らに仕事を与えれば箱物を作ることはできた。

 それなりの苦労の末に作ったものだが、これを維持することは、考えなくてもいいらしい。どうせ近いうちに、この盗賊団は壊滅させられるのだから。

 

「さて、思案のしどころだぞ。これは」

 

 鍵付きの棚の中には、自分だけしか把握していない、大事な書類も入っていた。最悪の場合、他所に売りつければ保身を図れるかもしれない――という。ある種の保険に近いものである。

 それを改めるようにベッドの上に広げ、男は頭を悩ませた。今すぐに売るべきか、出し惜しむべきか。決断次第で、今後の身の振り方も変わる。

 

「ソクオチの面子を叩き潰して、その誇りを汚したなら。連中は、本気になる。本気になられたら、盗賊稼業はお終いなんだよ。――糞が」

 

 過ぎたことを悔やんでも仕方がないことだ。頭目とて、あの時の襲撃では調子に乗って、暴力に身を任せすぎた。

 自分にも非がある。それは、認めざるを得ない。それはそれとして、盗賊団全体の統率は、もう諦めるべきだろう。ソクオチ騎士団を潰せるほどに、この集団は大きくなりすぎだ。

 適当に間引いて、自分と少数の仕える連中だけを連れて、河岸を変える。可能なら、そうすべきだと判断する。

 

「……よし」

 

 書類を扱う以上、文字が読めるだけではなく、使い方まで理解せねばならない。頭目はそこそこの教養ある男だったので、活用すべきものを厳選し、相手によって使い分けることもできる。

 特に、この密輸商と関わった件について。詳細な依頼書と、事後の支払い証明書は、証拠能力があるはずだ。無理を言って作らせたものだから、あちらは当然対策をしているだろうが、難癖をつける理由にはなる。

 

 しかるべき場所に提出すれば、大きな力を持つと見ていい。しかも一つではなく、複数存在するとなれば、影響力はさらに強くなる。――これの存在をほのめかせれば、取引材料にはなるだろう。

 それでも、保身のために使うなら、慎重に用いる必要がある。まずは、小さなところから、情報を流出させて、こちらの思惑をそれとなく伝えるのが肝要か。

 

「……いずれ討伐隊が組織されるだろうが、先手を打とう。さて、どこに持っていくべきかな?」

 

 力を失った、ソクオチ政府に垂れ込む気などない。主権がゼニアルゼ、もしくはクロノワークにあることなど、今時盗賊だって知っている。

 無難なところで、どちらかの駐在武官事務所だろうか。伝手がないから、まずは自然に接触する機会を作らねばならないが、そこは工夫をすればよい。

 仲間にも知られたくはないから、自ら動くことになるが――。近々、理由を付けて遠出する機会を設けようと思う。

 

 どうせ、先の襲撃で目を付けられているのだ。当初は交渉のつもりで捕らえた女騎士どもだが、相手におもねる為に、五体満足で置いていくことも手段の一つだった。

 適当なところで襲撃を失敗させ、数を減らす。その上で、拠点のここに敵軍隊を誘引し、無能な連中もついでに処分させてもいい。

 

 あちらが自分を受け入れてくれるとも限らないから、最悪身一つで逃亡せねばならぬ可能性も考慮すべきだろう。

 状況次第だが、事後処理に追われる軍隊を尻目に逃げ出すことは、これまで何度もしてきたことだ。

 損切りの判断をためらわないこと。盗賊として長生きするには、それが一番大事だと、男は経験上理解していた。

 

「何がどうあっても、俺は生き延びて見せるぞ。――そうだ。俺は馬鹿じゃない。あいつらとは違う」

 

 後はほとぼりが冷めるまで他国に逃げるか、潜伏を続けてもいい。稼業を盗賊から傭兵に切り替えるのは、難しいことではなかった。

 散々襲ったから、見よう見まねで商人を装うことも出来る。犯した罪など、発覚させねば問題ではないのだ。

 

 男の算段は正しかった。目論見をうまく運ばせるだけの才覚もあった。

 そして、ザラの本隊と首尾よく接触し、情報を流すことによって当面の命の安全を確保する。それだけの能力の持ち主でもあった。

 ……流石に全てを守ることは出来ず、身柄の安全を得る程度がせいぜいではあったが――頭目の男は、運に恵まれたと言って良い。

 ザラは男からもたらされた情報を精査した結果、内容はモリーの元に送る価値がある、と判断する。早馬で伝達すれば、一日とかからず伝わるだろう。

 そして、頭目の話が事実であれば、援軍を頼む必要もなくなる。その結果をもって、男は生き延びることができるだろう。――その全てが事実であると、証明した後のことになるが。

 

「うまくいったか。……まだ予断は許さんが、俺だけでも生き延びることは出来たらしい」

 

 頭目の男は、自らの安全を買えたことを理解して、静かにほほ笑む。もはや帰らぬ拠点のことを思って、わずかに哀れんだ。

 使えそうな部下を拾ってやれれば良かったのだが、そこまでは許されなかった。ここまでやらかしておいて、部下の助命まで乞うのは虫が良すぎる、という理由で。

 

 それにしても、彼が特殊部隊に接触できたのは、ほとんど運だった。何かの間違いですれ違っていたら、頭目の男とて生き延びる目を逃していたはずだ。

 紙一重の差で、ギリギリの線で生き残った。それを思えば、無理にでも笑顔を浮かべて、楽観的な未来にすがりたくもなるだろう。

 

 馬鹿にしていた幹部を含めた、あの盗賊連中とて、ここまで生き残ってきたのだ。何かの間違いで保身に成功していれば、他国に逃げて――時期を得たならば、あるいは成り上がることすらできたかもしれない。

 

 ただ一つ。誰にとっても誤算であったのは、すでにクロノワークが本腰を入れていたこと。付け加えるならば、よりにもよって、新婚で気合の入っているザラとモリーを敵に回したことが、致命的であった。

 つまりは、特殊部隊がソクオチに派遣された時点で、盗賊団はすでに詰んでいたと言って良い。

 そして、自覚を持っていた頭目だけが生き残る。これもまた、一種の運命の残酷さと言えるであろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザラ隊長からの書簡を確認して、全ての情報の裏取りは終えた。疑いの余地なく、盗賊の拠点に向かって、襲撃の準備は整ったとみて良い。

 意外なところからやってきた情報提供者のおかげで、カチコミするまでに必要な事前準備は、あっさり終わってしまった。これ自体は僥倖と言ってもいいのだけれど、個人的には面倒も抱え込みそうで、手放しでは喜べない事態だったりします。

 

 まさか目当ての盗賊団の頭目から、直々に情報提供をされるとか、誰が想像できるよって話で。

 ザラ隊長も驚いていたけど、幸運も含めて実力と言うべきだろう。追い風が吹いているのは、私達か。それとも、意外な形で生き延びることになった、頭目の方だろうか。

 ……ひとまず、今は身柄も抑えて監禁してるから、処遇は後回しにしていい。事が終わり次第、ザラ隊長と相談しよう。生かすも殺すも、その後のことだ。

 

 さて、諸々あって主要な盗賊団の居所が割れたのなら、後は粛々と処理を進めるだけ。手勢は限られているので、手順も踏みつつ、できるところからやっていく形になる。

 特に攻め方については、初手で単騎特攻とか出来ないからね。……三十人程度の小勢が相手ではないのだから、段階を踏まないといけない。

 

 敵地が緑に囲まれた山とか、定番すぎて面白みもないけれど、それだけ利用価値のある地形だから仕方ないね。

 そしてこうした拠点を何度潰したかわからぬほど、クロノワークの特殊部隊は実戦経験があるわけだ。

 

「皆さんは経験しているので、これはあくまでも確認ですが――」

「わかっておりますとも。モリー副隊長に続きます。思うがままに、どうぞ」

 

 部下がいるせいだろうか。以前、単独で盗賊の巣穴に飛び込んだ時よりも、随分と気持ちが楽だった。

 息を吸って、吐く。気負いも気合も、呼吸と共に自分から除いていく。必要なものは、それらではないとわかっているから。

 

「突入準備。――行きます」

 

 率先垂範を示すように、突入においては先頭で切り込む。もとより、頭目に見捨てられた盗賊団など、刈り取るのに苦労はせぬもの。

 誰かに任せるより、自分がやった方が確実だし被害も出ないとわかっているから、そうするのだ。

 

 時刻は明け方。空が明るみだした頃合いである。頭目からの情報提供もあったから、夜間の襲撃も可能ではあったが、誰一人として取り逃がしたくない戦いである。

 殲滅するつもりで仕掛けるのだから、視界は鮮明であったほうが良い。なにより、『頭目がすでにこちらに降っている』ということを、連中は知らない。

 

 そして、彼の働きかけにより、疲れ切って油断している時間帯を一方的に知ることも出来た。

 明け方まで眠ることを許されないから、日を見れば気が緩む。これを利用する方が、よほど効率的だろう。

 ザルになっている門の警備も、拠点内の弛緩した雰囲気も、こうした事前の仕込みの結果である。

 

「私に続きなさい。門番の首を刎ねたら、各自の判断に任せます。――私の言葉が届く範囲で、存分に働きなさい」

 

 だから、実際に仕事にかかれば、展開は早い。突入に苦労はしなかった。門の見張りは少数。誰もが隠密行動に慣れている特殊部隊であれば、潜んだまま静かに事を済ませるのも、たやすいこと。

 何より相手は素人であり、油断もあれば隙もある。この手の弱みに付け込む手腕については、クロノワーク一の集団であるという自負もあった。

 門番の始末を速やかに済ませ、侵入を果たす。我々は、その自負に恥じない結果を上げたのだと、自信を持って言えた。

 

 首尾よく敵の拠点に忍び込めたのは良いとして、ここからの一手は慎重に行うべきだ。捕虜を捕えているのはわかっているから、人質として活用されるのが一番厄介である。

 逆に言うなら、盗賊側も人質に固執する傾向を持つ。いざ戦闘が始まると、切羽詰まる前に交渉道具として使って、こちらの動きを縛ろうとするだろう。

 

 交渉にしろ逃亡にしろ、希望があるうちはすべてを捨てる覚悟など持てないものだ。勝利の経験に酔っぱらっているうちは、得に。

 そして、希望を見出す前に、目の前の危機にすら気付かなかった者は幸いである。影に潜んだ刃に倒れ、地に伏す彼らは、自分が死んだ理由すら理解していない。

 部隊はその場その場で、手の届く範囲の盗賊どもを切り捨てていた。そして、屍が二十を数える前に、拠点内の騒ぎが大きくなる。

 

「重傷者はいない? よし。隠密行動も、ここらが限界でしょう。――各自、目的の場所まで敵を追い込むように」

「了解!」

 

 こちらの被害時状況だけを確認して、作戦を続行する。ここまで容易く侵入され、被害を出した経験など、あちらにはあるまい。敵が動揺してくれるなら、誘導もまた容易い。

 捕虜を収容している牢屋は、拠点の中で、もっとも上等な館の地下にあった。

 頭目からの情報では『地下に一括して管理している』ということだから、人質として使いたいなら、まず盗賊どもは建物の中にこもらねばならぬ。

 

 私たちは、それをちょっと助けてやった。姿を見せるべきところでは顔を見せ、敵意を煽りつつ、斬り殺した遺体を放り投げて危機感を刺激する。

 訓練を受けていない盗賊どもは、それだけで自陣営の敗色を悟ったらしい。交戦らしい交戦もなく、私達は目的の館の前までやってこれた。

 

「旗色が悪いと見るや、一目散に立てこもって守りの態勢を見せる。頭目からの情報は、正しかったと見てよろしいですね」

「適当に殴り倒して、力量の差を見せつけただけでこの有様。クロノワークの盗賊どもの方が、よほど気合が入っているのではありませんか? モリー副隊長」

「比較することに意味などないでしょう。――ともかく、展開は予定通り。そろそろ思い切った手で、詰めていきましょうか」

 

 館の地下には捕虜がいて、建物の上部には首領の私室があるらしい。そして、各自の財産を管理する金庫も、館のどこかには存在すると聞いた。これもあるから、盗賊どもはここを最後の砦とするのだろう。

 いまだに財産を置いて逃げることを選ばない程度には、欲深い連中がそろっているらしい。後始末を考えると、とても好都合なことだと、私は思う。

 

「詰めると言っても、如何なさいますか、モリー副隊長。このまま相手を拠点にこもらせてしまえば、打ち破るのにいささか時間が掛かってしまいますが」

「わかっているはずです。この展開は、すでに想定済み。――くれぐれも、ザラ隊長には内緒にしておいてくださいね?」

「……ですから、確認のために聞いたのです。我々部下の総意としては、副隊長殿には危険を冒してほしくないのですから」

「お気遣いはありがたいのですが、無用の心配ですよ。私の命より、作戦の成功を祈っておいてください」

 

 そもそも立てこもりを許さず、野戦で根切にする――というのは人数差から言って不可能だった。

 敵は百を超える盗賊団で、こちらは三十人にも満たない小隊にすぎない。真正面からカチ合えば、数の差などひっくりかえせるだけの力はあるが、逃げに専念する敵を追うには、心もとない数だった。

 

「私からも、聞いておきます。一応の確認ですが、きちんと全員、追い込みましたね?」

「はい。事前に聞いていた通りの人数なら、間違いなく残りの全員は館に立てこもりました。……副隊長殿、しかし、本気で?」

「残念ながら、この部隊の指揮官は私なのです。指揮官権限で、押し通させていただきますので、どうかご勘弁を」

 

 人質の身を考えないなら、館ごと焼き討ちにして、飛び出してくる賊を適当に切り捨てるとか、そうした派手な手でどうにでも始末できる。しかし、個人的な嗜好として、こうした手段はなるべく使いたくないのである。

 ならば普通に攻城戦のノリで、真っ当に戦うのはどうか。――充分勝算はあるが、敵は捕虜を人質として使うことは疑いない。

 なるべく救出したい我々としては、その前にけりを付けたかった。敵には精神的な余裕を抱いたまま、悪辣な手段を思い浮かべる前に殺し尽くしたいのだ。

 

 よって、結論はこう。私が単騎で潜入して、捕虜のいる地下に侵入。見張りを処理して、そのまま地下の出入り口を死守。後は部下たちが強行突入するまで、捕虜目当てにやってくる賊どもと遊んでいればいいのだ。

 内部で混乱が起きれば、賊は館を拠り所にして戦うより、逃亡を試みたくなるだろう。そして人質を使おうと地下に来たら、私が一人ずつ斬って捨てていく。

 館の内部の構造も、すでにこちらは把握している。狭い地下の空間を利用すれば、練度の低いならず者程度に討ち取られるほど、私は弱くないつもりだ。

 

「もっとも、素人が相手とはいえ、限度があります。なるべく手早く、しかし取りこぼしのないように、お願いしますよ?」

「はい。では、そのように。……モリー副隊長殿は、いい意味でも悪い意味でも、相変わらず特殊部隊員の憧れです。それはそれとして、無茶はしてほしくないので――今回の件が終わり次第、ザラ隊長に苦情を訴えるつもりですから、どうか無事でいてくださいよ」

「ご心配なく。やり方は乱暴ですが、死ぬ気だけは――まったくありませんので」

 

 控えめに言って、頭の可笑しい作戦だが、私としてはこの頭の悪さが懐かしい。

 ちょっと前まで、私はこれくらいの馬鹿をやっていた。馬鹿らしい理論を現実に押し付けて、結果的に合理をねじ伏せる。その頃の私自身を取り戻したくて、あえて危険を冒そうと思うのだ。

 クッコ・ローセあたりが聞けば、『死に狂いの馬鹿に戻ってどうする!』と怒るに違いないが、今はその愚かしさが必要なのだと言いたい。

 

 そうして、行ってきます、の一言だけ残して、私は賊の拠点へと侵入を試みた。

 実際に拠点の中に入りこめたこともそうだが、頭目からもたらされた情報に間違いはなかった。

 あの男、本気でこいつらを切り捨てて降るつもりか。あえて不備を残して、こちらの失敗を誘い、弱みに付け込んでくるのではないか――。なんて不安も、少しはあったのだけれど。

 

 そうでないなら、別の意味で厄介だった。……まあ、結構。密輸情報の精度次第では、王妃様に媚びるための、良い材料になる。例外として扱うのも、やぶさかではないが、いずれにしろ後のことだ。

 

 もしもの時の為の脱出路は、進入路としても使いうる。そして首領だけが把握していた道を使って、館の地下に直接侵入する。

 脱出路を作った職人は、首領が自ら手を下したというから、中の賊どもは存在すら知らないはずだ。

 そして、想像の埒外からやってきて奇襲されたという事実は、連中から抵抗という抵抗を奪い去る。

 陰から忍び寄り、牢番の賊が知覚するより先に、私は彼らを楽にしてやった。――これで、現世の苦痛からも快楽からも解放されたのだ。せめて、来世ではもう少し恵まれた立場に生まれることを祈ってあげよう。

 

「ソクオチの女騎士の方々、聞こえますか? 貴女方を、助けに来た者です」

「――ッ!」

「無理をせず、そのままで。……声を出すのは、もう少し後で。これから少し、怖い音がするかもしれませんが、心配せずに。どうか私を信じて、今しばらくお待ちください」

 

 拘束された上に目隠しと猿轡までされて、転がされている。捕虜の現状はと言えば、その程度のものだった。

 独特の臭気が、鼻につく。……垢と、おそらくは様々な体液の臭い。血臭がしなかっただけ、マシだと思うことにしよう。それくらいには、紳士的に扱っているわけだ。

 

「捕虜になってから、死んだ人はいませんね? ――結構。では、我々の目的は完全に果たせたことになります」

 

 この結果をもって、賊どもに対しても、一片の慈悲くらいは与えてやっていいかもしれない。無駄に使いつぶすような真似をしていないだけ、盗賊どもはまともだった。

 やはり、捕らえて下手な尋問で苦しませるよりは、さぱっと殺してやった方が、彼らの為だろう。これもまた慈悲と思い、速やかに地下への出入り口に陣取った。

 また近くにいた見張りの二人は、後ろから急所を突いて始末する。……ほぼ即死だったから、痛みもさして感じなかったろう。私が掛けられる慈悲は、これが限度だった。

 

「――ふむ。始まりましたか」

 

 声が聞こえた。突入の為の号令だろうか、威勢のいい、聞き覚えのある音声が耳に響く。

 部下に指揮を任せたことに不安はなかったが、勇ましい言葉も、結構似合うのではないか。突入前にした小粋な会話を思い出しつつ、周囲に気を配ると、当然のように不快な足音が連続して聞こえてくる。

 

「歓迎しますよ。盛大に」

 

 速攻で人質に頼る、お前たちは正しい。正確に戦力を把握している証拠だが、今更正気に返っても遅いのだと理解していただこう。

 授業料はお前たちの命だが、最小限の苦痛で済ませてやれるのだから、むしろ感謝してくれたまえよ。

 ソクオチ騎士の彼女らを嬲り、愉悦に浸った賊どもなど――数多の苦痛に塗れさせても、なお足りぬほどの罪を犯しているに違いないのだから。一太刀で命を奪うことも、私からの情けであると思え。

 

「空間が制限される狭い場所であれば、きわめて守りやすい。若干上を取られる不利を考慮しても、なおこちらに分があると信じられる状況です。……まあ、充分持つでしょう」

 

 独り言をつぶやく余裕さえ、私にはあった。そして現実として、結果も事前の大言に遜色ないものになったと思う。

 地下への出入りは、螺旋階段。武装した大人が並んで降りられない程度には狭かった。そして一対一ならば、負ける要素はない。

 私の背丈が、盗賊の男どもと比べて低かったことも、状況に優位に働いただろう。私の頭に武器が直撃するより先に、私の剣は敵の足を斬り飛ばせた。バランスを崩した野郎の命を奪うのはとても簡単な作業だったし、怯んだ敵が相手であれば、適当にあしらって粘るのは作業のようなものだった。

 

 私達は、完全に目的を果たしたのだ。盗賊どもは残らず屍をさらしたし、捕虜の安全も確保して、彼女らは安全に救出できた。

 とはいえ、捕虜となってしまった彼女たちの未来は、そこまで明るくない。ソクオチに帰っても、地位を取り戻すのは難しいから、多くはクロノワークかゼニアルゼの方で引き取る形になるだろう。

 祖国を捨てるのは悲しいことだが、失態を咎められて処罰を受けるくらいなら、他国に逃げるのもまた、一つの手段である。

 

 私から、他に語るべきことはない。

 忸怩たる思いを抱くのは、私の情緒がいまだに健在であることの証なのか。

 妻たちに甘えてから、なおも覚えていられたならば。

 あるいは、真剣に考慮してもいいのかもしれない。

 

 ……女性の、それも近しい身分の方の、痛ましい姿について。私は目に入れただけで、結構精神が傷ついたらしい。今の今まで、そこまで意識したことはなかったはずなのに。

 思っていたよりも、私って真っ当な感性を維持できているんじゃないか。作戦を終わらせて、事後処理を済ませて。

 アレコレと余計なことに心を引かれながら、ザラ隊長に報告を済ませたのでしたとさ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 捕らえたままにしてある頭目の処遇については、また後日に考えようとザラは結論付けている。

 とりあえず命の保証だけはするとしても、無罪放免とするには犯した罪が大きすぎる。盗賊の頭目と言うのは、それだけで死刑に値するのだ。

 これを曲げる以上は、それなりに役立ってもらわねばならない。ザラとモリーの判断だけでは難しいので、上役に話を通す必要があった。

 今はその連絡待ちの状況であり、だからこそ面倒を後回しにして、彼女らは休養を取ることも出来たのである。

 

「疲れたか? 仕事ぶりは完ぺきだったし、お前にとっては簡単な作業だったように思うが。……その反応は意外だと、あえて言わせてもらおうか」

「いじめないでくださいよ、ザラ。二人きりの時くらい、一方的に甘えさせくれてもいいでしょう? 妻として、夫を慰めてくださいな」

 

 こいつは重傷だな、とザラは結論付けねばならなかった。結婚生活は、随分とモリーという女性の情緒を真っ当なものにしてしまったらしい。

 戦場の狂気に浸りつつも、それを完全に御して合理を追及した精神性は、今も変わらないらしい。しかし、消耗の度合いが随分と強まっている気がした。

 

 仕事を終えて、自宅に帰って、ザラの自室に押しかけて。

 一方的にベッドに押し倒す形で、モリーは慰めろと言った。その図々しさに呆れつつも、ザラは受け入れた。

 これもまた、モリーらしい可愛げであると。一番の理解者は、正しく解釈できたのだった。

 

「私の胸は控えめな方だと思うが、顔を押し付けるほど恋しいのかよ。――どれだけ餓えていたんだ」

「ザラの身体は最高です。あ、いえ、その。……正直に言いすぎました。すみません」

 

 そう言って恥じるモリーが、可愛すぎる。胸に顔をうずめて、モリーの体温を身近に感じているザラにとって、そんな態度はツボにハマりすぎた。

 ザラの方が性欲を持てあますほど、モリーの態度は職場とは打って変わって、年頃の少女らしく映る。

 実際には、お互いにいい大人であるはずで、しかもモリーの性自認が男子であるという事情もあるのだが――。そうした現実を無視したくなるほど、ザラにとってモリーは愛らしい女性であり、同時に愛しい夫でもあった。

 

「今後も楽ができる状況ではないので、家の中ではせめて癒されたいのです。色気のない話で済みませんが――招待状は、ザラも受け取ったでしょう?」

「ソクオチで、長期的なパーティを開く話か? エメラ王女と、オサナ王子の巡行のついでに、あちらで華やかな宴を開きつつ、アレコレと政治的な話を続けるらしいな」

「こちとら、そのために盗賊を掃討してきたんです。なのに、また巡行に付き合えと言われる。……一応の休日はいただきましたが、護衛の上にパーティまで参加しろとか、激務が過ぎませんか?」

「私は、忙しいのはいいんだがな。仕事を奪いすぎて、かえって妬まれないか心配だ。そうそう、王妃様は同行されないが、シルビア妃殿下が出向かれるとも聞く。……これほど嬉しくないパーティの招待も、そうそうないと思うぞ」

 

 あー、うー、とザラの身体を堪能しながら、モリーは悩まし気に唸っている。

 何を考えているやら、とザラは呆れつつも、悩みを共有してこその夫婦だと思う。

 

「思うところがあるなら、吐き出してしまえよ。口に出すだけでも、楽になることだってあるさ」

「……私たちだけではなく、他の騎士たちも交流の場に放り出される。前々から聞いていた話ですし、そこはまあ納得していますが……。私は、その交流を素直に楽しめる立場にないんですよね。ああ、めんどくさい」

 

 モリーは、王妃様から言いつけられていた件について、今になって実感がわいてきたらしい。

 それでも、モリーのことだから卒なくこなすのだろうと、ザラは思う。ならば何を悩んでいるのか?

 

「何か、不満でもあるのか? 詳しくは聞かんが、無理な仕事と言うわけでもなさそうだが」

「そうですね。言いつけられていた件に関しては、そうです。でも、パーティにシルビア妃殿下がやってきて、私が相席させられる――という風景が、容易に思い浮かびまして。……あの方の話に付き合うのは、いささか辛いものがありますから。こちらは仕事もあるのですから、余計な負担は重ねたくないというのに」

「お前は感覚的にマヒしているかもしれないが、妃殿下と対談できる機会は、本来は得難いものだぞ。それだけ期待されているのなら、自分を売り込む勢いで、思うところを述べればいい」

「売り込みについては、もう十分な気がします。――私の方から持ち出す話題も、そろそろ尽きてきたところですので。期待が重いから、会って話す機会もなるべく少なくしたいのですよ」

 

 今になって、シルビア妃殿下を忌避するような態度に、ザラは違和感を覚えた。どうせ呼ばれたなら拒否は出来ぬと、腹を据えてかかるのがモリーの常ではなかったか。

 

「会いたくない理由でもあるのか? いや、ちょっと前に過ぎた発言があったことは、教官から聞いているが」

「色々と思うところがありまして。……もしかしたら、あるいは、なんて我ながら不穏な考えに最近囚われております。シルビア妃殿下が、自分がなくなった後も、自家による西方支配をもくろむならば、どのような手段を取るか――。一応は説得力のある方法を、私は一つ思いついたのです」

 

 もし言及されることがあれば、黙っていることはできない。かつての主筋であり、友好国の妃殿下である彼女に対して、偽りを述べることは出来ぬ。さりとて、形を変えて追及され続ければ、いやでもこちらの思考は明るみになるだろう。

 

「シルビア妃殿下は、聡明な方です。私の隠し事など、少し探られればすぐに検討を付けてしまうでしょう。逃げられない状況で詰め寄られれば、私なりの結論を話さざるを得ないと、そう思うのです」

「それの何が嫌なんだ。お前の意見は、一人の騎士の意見にすぎない。それが採用される可能性は未知数だし、仮に採用されてうまくいったとして。ただシルビア妃殿下の政権が盤石になるだけだ。クロノワークとしても、我々として損はない。違うか?」

「損得の問題ではありません。長期的には、むしろ得につながるから微妙なのです。――妃殿下の琴線に触れて、重用されるようなことになれば、王妃様に対する背信になりかねない。忠誠の優先順位を、私は間違えたくない。……これは、私が守るべき、最後の一線であると考えています」

 

 だから、シルビア妃殿下に付き合い続けるのは考え物なのだと、モリーは言った。

 しかし、それならば対策は難しくないように、ザラには思える。要は、シルビア妃殿下と王妃様。両者の間に合意があればよいのだ。

 

「モリーでも、面倒な現実から逃げたくなることってあるんだな」

「……それを言わないでくださいよ。貴女の身体に縋り付いて、全てを忘れて癒される。夫である私には、それくらいの権利はあるでしょう?」

「もちろん。――なら、そうだな。だったら、夫の栄達を願うことも、妻の権利として認めてくれるよな?」

「ザラ。それは、その……ですね。せっかくの夫婦の営みの最中なのですから。無粋なことは、やめませんか?」

「無粋な話題をはじめに提供してくれたのは、モリーの方だろ? だったら、いいじゃないか。悪い話にはならないから、話を聞いてくれよ」

 

 そうして、ザラは自らの調整能力を全力で開放して、モリーを説き伏せるところまで理論を詰めていった。

 シルビア妃殿下の都合と、王妃様の都合を踏まえたうえで、モリーの家を存続させる方策について、二人は納得できるまで話し合ったのである。

 

「私が目をそらしていたことを、ザラは真っ向から向かい合って、解決策までたどり着いてくれた。――私は、良い妻を持ったのだと。満天下に自慢しても良いくらいですね、これは」

「そこまで言われると、かえって恥ずかしくなるからやめろ。……モリーはいじわるだな、本当に」

「ザラ以外に、ここまで素直になることはありませんよ。ええ、これは嘘偽りない本音であると、明言しましょう」

 

 他の妻たちには、それぞれの魅力があり、むけるべき感情にも違いがある。

 だから、決してメイルやクッコ・ローセ、クミンらをおざなりに扱うわけではないのだと、モリーは心の中でつぶやいた。

 

 モリーとて、言葉にすべきことと、そうでないことの区別はついている。

 ザラの身体に溺れながらも、思考をやめずに賢明な判断を下す。それくらいには、現状には適応できていることについて。

 

「ザラ。私は、貴女に許しを請うべきなのだと、常々思うのです」

「なんだ、今更。複数の妻がいること、気が多いことを、咎めたりはしないさ。改めて思うが、全部ひっくるめてお前なんだ。――私なりに納得をするのに時間をかけてしまったが、今ようやく、お前に言うことができるな。……許すよ、だから、私を愛してくれ。今後一生、その全てをかけて」

「ええ、ええ。ザラ、私は貴女の為に生きましょう。……貴女の為にも、生きましょう。それくらいしか言えない、私を許してください。どうか、どうか――」

 

 モリーもまた、複雑な感情を抱いていた。だからといって、一途な生き方を貫けるような、贅沢な環境にはいられない。

 それがまた、ザラに対する負い目となって、モリーをさいなむのだ。他の誰を責めるでも恨むでもなく、己に対してだけ心に刃を突き立てる。

 そうしてどうしようもない衝動を、モリーが持っていることを。確実に理解しているのは、ザラだけだった。

 

「許すよ。私は、そう言った」

「はい。ザラ、貴女は、私に過ぎた人です。本心から、そう思います」

 

 モリーは、強くザラを抱きしめた。

 強く、しかし負担にならぬ程度の加減が、確かにあった。

 ザラは、モリーの気遣いを身体で感じて、心から応えたくなった。

 

「あっ」

「もう、何も言うなよ。言葉は無粋だ。ここからは、身体で対話をしようじゃないか」

「ちょ、え、あの。……いけません。そんな、ふしだらな――」

「恥じたりはするなよ。お前は、夫なんだから。妻の求めに、答えて見せろよ。それも含めて、甲斐性と言うものだろう――?」

 

 そこから先は、言葉はいらなかった。

 結果として、ザラもモリーも、すべての不安から解放された状態になったのだと言える。

 

 身体を重ね合わせ、心を通わせて。

 そうしてようやく、モリーの中から葛藤が消えた。恐怖も不安も消えた、武士とも騎士ともいえるガンギマリがそこに誕生したのである。

 

「わかっていたことですが、家庭を背負う決断をした時点で、逃げるという選択肢は消えているのですね」

「それこそ、何をいまさら、という話だな」

 

 事後のベッドの中で、二人は他愛のない話に興じていた。

 そこに幸福を感ずるのならば、もはや細かなことで悩むこともないのだと、モリーは決意を新たにしたのである――。

 

 

 




 ここまで書いて、最短でも後三話は絶対に必要だな、と思いました。
 根拠はありません。なお、原作がまだ続いている関係上、一旦完結しても続きを書く可能性が残っている模様。

 終わりが見えてくると、次に何を書こうか、なんて欲が次々と湧いて出てきます。
 前回はカリギュラか、ブリガンダインか、と思っていたところに。ある作品を自分なりの解釈で描きたいなぁという、余計な考えが浮かんできたり。
 自分の頭の中でも、まとまった結論は出せていません。ともあれ、もう少しでこの物語は一旦の結末を迎えます。

 では、また来月の投稿でお会いしましょう。



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西方と東方がアレコレするまで秒読みと言うお話

 物語が終わりに近づくと、安堵する部分もありますが、長く続いたことによる弊害もあるわけで、困る部分もあったりなかったり。

 読み直しが面倒に感じてスルーしていたり、過去の話の内容をすっかり忘れていたりして、自分の頭の悪さを自覚することもしばしば。

 それでもどうにか、書き続けられていること。それだけが自分の取柄であると思い、執筆を続けています。



 モリーです。今私は、エメラ王女とオサナ王子に付き添って、巡行の旅程を順調に消化しているところです。

 とはいっても、巡行の旅程に入ってからと言うもの、私は王子にも王女にもまともに話せていない。この辺り、護衛隊の管轄だから、あんまり干渉するのもね。この場はあえて距離を置くことで、彼女らの顔を立てた形になる。

 それでも一度は軽く顔合わせはしたけれど。ちょっと緊張している風でもあったから、色々と心配だ。……まあ、私がこうして心配すること自体、越権行為だと言えなくもないから、言葉にすることはやめよう。

 

 とりあえず、仰々しいくらいに結構な数をともなって動いているんだけど、これ動員のコストが結構大きくないかなぁ。

 ここまでの護衛の必要がないくらい、すでに治安は改善しているんだけど。――しかし、見方を変えるならば、これはこれでクロノワークの武威を示すことにもなる。

 ソクオチはいい意味でも悪い意味でも、これから西方の注目を集める国になるっぽいから、ここでアピールしておくことで、政治的な効果をもくろんでいると見るべきか。

 

「その上で疑問を呈するならば、どうして私とザラ隊長が離されて配置されているのか? ということですね。……王妃様は、我が家の事情にまで、口を挟むおつもりでしょうか」

「というより、王妃様なりの気遣いじゃない? エメラ王女の護衛隊に紛れ込ませる辺り、将来的な布石もあるかもしれないけど。……ザラばっかりが贔屓されるのも、良くない傾向だと私は思うのね」

 

 私は今、メイルさんと一緒に護衛隊の中にいます。特殊部隊からの出向している形式になるので、お客さん扱いであんまり仕事もくれないし、どうしてこうなった。

 ――なんてわが身の不幸を嘆いても、何かが変わるわけでもなし。思い悩むよりは、現状への理解を深めた方が、前向きになれるというものだろう。

 

 そばにメイルさんがいてくれるのが救いだが、今回は護衛隊の中に入れられているので、馬車の中で二人きり、なんてシチュエーションではないけれど。

 それでも、私達二人の会話を邪魔するものは誰もいない。それくらいには空気の読める隊員を、選りすぐってきたのか――と邪推するくらいには、私達にとって都合のいい状況だった。

 

「贔屓、とおっしゃられますと? 私、家の中ではそれなりに、平等に接していたつもりですが」

「ザラはモリーと同じ部隊だし、仕事の中で一緒にいることも多いでしょう? で、貴女にとっては今が大事な時期で、仕事をおろそかにできない。――自然と、ザラと同行する機会が多くなる。私や教官には、一方的に不利な状況が続いていると、そう見ることも出来る訳ね。だから一緒に行動できる今回の件は、王妃様に貸しができたって、思いたくなるくらいには都合がいいのよ。少なくとも、私にとってはね?」

 

 そうやって熱っぽい視線を向けられても、行軍中に何かしらやらかすことができないわけで。

 メイルさんもそれはわかっていて、私を意識させるためだけに言葉を弄しているんだろう。隊長権限で、同じ寝床を確保されている身としては、毎回夜が怖くなる心地です。

 

 なお、彼女が傍にいる間、部下の皆様方は私と目を合わせてくれません。護衛隊長たるメイルさんに、反論を述べたり諫めたりする気概のある方はいらっしゃらぬご様子で。私とメイルさんが適当にだべっていても、何にも言われないっていうね。

 

 唯一、苦言を口にしてくれそうなメナ副長だって、空気を読んで無視してくださいます。……メイルさんの機嫌を損ねるくらいなら、多少の風紀の乱れは許容範囲内ってことだろうか。

 一応、こんなでも仕事に支障をきたさない程度には分別もあるのだと、そうした信頼だけはあるのだから。

 

「護衛隊の中に紛れるには、私は異質に過ぎると思います。メイル隊長には苦労を掛けますが、どうかご勘弁を」

「モリーは気にしなくていいのよ。護衛隊の中では、既婚者の地位が結構高いんだから。その上、私は隊長職にあるわけで、大抵の無理はきく。モリーが同行しても、不自由はさせないわ」

 

 メイルさんの頼もしいお言葉に、私は甘えるほかないのか。そんな風に悩みつつも、アウェーでの居心地の悪さを、メイルさんと話すことで誤魔化して。

 今日も今日とて、巡行の護衛任務に従事しています。……私がやるべき仕事なんて、そうそう残ってはいないのだけれど。――なんだかんだ言っても、奇襲に即応できるだけの態勢は整えているあたり、クロノワークだなぁって思いました。

 遠目には気が緩んでいるように見えても、実際にはいつでも殴り返せるだけの気合は入っている。ソクオチのような醜態をさらすことだけは、絶対にないと信じられた。

 

 さて、懸念はいろいろあるにしても。ここは単純に、メイルさんと一緒に居られる幸運をかみしめるべきだろう。

 私だって、公私混同が嫌なだけで、彼女と共にあること自体は嬉しく思う。ザラとはまた、顔を合わせる機会もあると割り切るべきだった。

 

「まあ、仕事中の息抜きもほどほどにするべきだっていうのも確か。――護衛任務にしくじって、誰かさんの二の舞になるのだけは、御免だからね」

「……ええ、それは本当にそうです。護衛隊は気合が入っていますから、そんなポカはやらかさないと思いますが」

「そうね。私がいるかぎり、奇襲の余地は許さないつもりよ。モリーに気を割いている間も、最低限の警戒は続けているからね。仮にこの場で乱入されたとしても、適切に行動して要人の安全を確保する。――それくらいの仕事は、してみせるわ」

 

 メイルさんの表情も、その気迫も、口にしたことを実現できるだけの能力があることを、私に確信させてくれた。

 私がアレな任務をやっていたことは、もうメイルさんには話してある。だから、絶対に譲れない一線に関しては、実感として共有できていると思う。

 巡行を成功させなければ、我が家の繁栄もないのだと、それくらいは理解してくれているはずだ。油断せずに備えてくれているのも、それゆえだと信じられる。

 

 幾日も行動をともにしながらも、野営の際も万が一に備えて求めにも応じられなかった。

 メイルさんにとっては、生殺しのようなものだったかもしれないが、ともかく。私たちは同じ部隊の中で、上手にやっていけた。

 巡行は滞りなく進み、何かしらのアクシデントがあっても、問題なく対処できたと思う。

 エメラ王女とオサナ王子の身には危険が近づくことはなく、不安な夜を過ごさせるようなこともなかっただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ソクオチ内を一回りして、首都におけるパーティが開かれるまで、私達に落ち度はなかったはずだった。

 実際にパーティ会場に入るまで、私は楽観的な気分でいられたのだが、それはすぐに霧消することになる。

 

「ザラとメイルさんと、私。わざわざ巡行に連れてきたのですから、妃殿下に呼ばれるのは、致し方ないことかもしれません。……それでも人の目を気にしてほしいし、性急に過ぎるとは思うのですよ、シルビア妃殿下? わざわざ注目されるような形で、人前で呼びつけるのはいかがなものかと」

「一言目から苦言とは、呆れたものよ。わらわがその程度の理由で、自重するわけがあるまい。それでも二人と引き離して、おぬしだけを呼びつけたのは――まあ、悪いとは思ってるがね」

「……これも仕事なれば、嫌とは申しません。しかし、また一対一でお話しするのであれば、もう少し場を整えてからの方が、よろしいかと存じます。公開されたパーティの中で話すには、不都合がありますまいか。お互いに過激な話題に事欠かないと思うので、そうした懸念を捨てられないのです」

 

 覚悟で済む問題であれば、どれほど気楽であったろうか――なんて、あきらめと共に私は思う。

 パーティ会場に入ったら、即座にシルビア妃殿下からのお誘いがあった。主催者からの招きとあらば、答えるのが礼儀である。

 しかし、その先にあるのが謀略とか政略の場であったとしたら、皮肉の一つも吐きたくなろうさ。

 

「おぬしも気苦労が多いのう。あんまり悩みすぎると禿げるぞ?」

「禿げるほど悩むことはないので、ご心配なく。私もそろそろ、あきらめて割り切ることを覚えてきましたから」

「左様か。――ま、気を楽にせよ。今回のパーティは、堅苦しい形式のものではない。とりあえず付き合え、周囲を回りながら、まずは観察してみようではないか」

 

 そう言って、シルビア妃殿下はパーティ会場を連れまわしてくれた。宴席としては豪華だと思うので、目を楽しませる効果くらいはあった。

 とりあえず、一通り観察した感想としては、招待客の数だけは多く見える。政治的な理由によるものだろうが、それが妃殿下にとっては滑稽に映るらしい。

 

「ほれ、どこを見ても小粒な連中ばかりよ。小国の次男三男、余り物の放蕩息子どもばかり。そこそこの役職にこそあれど、将来的な出世の目はほぼない連中じゃ。――モリーの目には、どう映る?」

「それでも、公人としてこの場に居る以上、己と対等の相手だと思っていますよ。なのに、シルビア妃殿下はいささか辛辣ですね」

「辛辣にもなろうさ。――これ、という人材は、探すのが難しいものじゃ。数合わせのための人員なら、いくらでも集められるというのにな」

 

 数合わせ、と妃殿下は言うけれど。彼女が意味もなく、散財のために無能どもを集めるわけがない。

 どうせ、何かしらの思惑で選別したんだろうと思うよ。その上で私との物騒な会話を想定していたのなら、聞かれても問題ない程度の相手だけを呼び出してきたんだろうさ。

 ――なんて本音を、そのまま漏らすよう下手は打たない。当たり障りのない言葉で、話をつなぐことくらい、私にもできた。

 

「無思慮な言葉は、人を傷つけます。……声を抑える努力をしてください。シルビア妃殿下は、ゼニアルゼの実質的な権力者なのですから、発言には気を付けていただかねば困ります」

「良いではないか。――聞かれたとて、どうということもない。わらわに難癖をつけに来る度胸のある者など、そうはおらん。仮にいれば、その気概を買って取り立ててやっても良いくらいよ」

 

 誰に聞かれても意に介さない。そうした傍若無人さが妃殿下にはあり、それが許されるほどの器量の持ち主でもあった。

 私の苦言など聞こえないとばかりに、言いたいことだけを口にし続ける。豪奢なパーティの風景すらも、妃殿下は興味がないのだ。彼女が興味を持つのは、自らの想定を外れるような出来事か、それを起こしそうな相手――。

 この場に限るなら、私の存在がそうなのだろう。だからこそ、こんな問答に付き合わされている。

 

「その手の度胸が必要とされる場は、はた目には滑稽に映るものですよ。特にこのような宴の席では、何かの催しかと勘違いされかねません」

「ある種の滑稽さを演出するのも、政治に必要なことではある。……そうやって、ふてくされずに、わらわの手管にも理解を示してほしいものよ。宴の席は色々なものが緩みやすい。皆が浮かれている環境では、誰もが警戒心を解きやすくなるもの。おぬしもわかるじゃろうが――付け入る隙も、そこには表れやすいのよ。場を整えたわらわが言うのもアレじゃが、せいぜい利用するがいい」

 

 シルビア妃殿下の口調からして、宴の席が諜報の場となりえることを、それとなく指摘しているように聞こえる。

 どっちにも都合がいいのだから、お互いに思うが儘にふるまえばいい。妃殿下は、そう言いたいのだろう。何かしら言い返すべきか――と思ったところで、思わぬものが目に映った。

 

「……シルビア妃殿下、あれは」

「うん? 珍しいな。アレに声をかける勇者がいるとは、わらわも驚きを禁じえぬぞ」

 

 妃殿下の傍についているのは、私だけだから、このパーティ会場のどこかには、ザラもいればメイルさんもいる。

 だから、視界の端に彼女らの姿が映っても、不思議なことではなかった。――見慣れぬ野郎が、傍についていなければ、私だってスルーしていただろう。

 

 服装から判断するに、あれはホースト王国の騎士か。その男が、メイルさんに話しかけているのを、遠目で確認する。

 

「あやつらが既婚者と言う情報は、行きわたっていなかったのかな? メイルに声をかけるとは、怖いもの知らずにもほどがあろう。モリーに恨まれるリスクを冒してまで、やることではあるまいに」

「恨んだりはしませんよ。彼女らは立派な女性ですし、魅力的に見えて当然です。有象無象の野郎どもが惹かれてやってきても、私は驚いたりしませんよ」

「……あばたもえくぼと言うか、惚れた弱みゆえの馬鹿さ加減と言うべきか。おぬしもたいがい、あやつらには弱いのう」

 

 面白がるような口調で、シルビア妃殿下は言う。

 私としては、別に心配してるわけじゃないんだけど。まあ、うん、そのね。

 うちの嫁に何の用スカ。なんて言いたくもなるわけでして。

 

「様子を見る限り――ああ、脈はないなアレ。……うむ。心配などせずとも、おぬしが駆けつける必要はあるまいて」

「ええ、ええ! 私には、わかってましたけどね」

「……わかりやすいくらい余裕失くすな、お前。面白すぎるぞ」

「彼が勇者なら私も勇者です。私が彼に負けているとは思いませんし――何より、世の中は早い者勝ちなんですよ」

 

 行動力のあるものが、いつの時代だって勝つものだ。そもそもメイルさんは私の妻なんだから、結果はわかっていたんですよ。

 軽薄な野郎どもに口説かれたところで、先約があるのだから断るのが筋と言うもの。今更彼女の価値を理解したって、遅いんですよまったくもって。

 

「一年前なら、あるいはありえたかもしれませんが、今は私と言う夫がいますからね!」

「……どうかなぁ。メイルが未婚であったとしても、怪しかったんじゃないかアレ。割と真面目に、相手の男の顔が引きつっておるぞ。――はて一体、どんな物騒な話をしたのやら」

 

 行き遅れるのも残当じゃな、なんてシルビア妃殿下はおっしゃいますが、それなら相手の目が節穴なんだと私は言いたい。

 メイルさんの美点については、私は即座に十個は口にできます。それくらい魅力的な人なんだから、わかんない奴が馬鹿なんですよ。

 

「見る目のない馬鹿が多い世の中ですね。……それはそれで腹が立つのが、夫として複雑であると言いますか」

「ふーん。ま、個人の嗜好には立ち入るまい。メイルだって、おぬしのような旦那を持てて幸せであろう。――エメラも、そうであってほしいものよ」

「……そうですね。まったく同意します」

「うむ、うむ。幸せな家庭を築いてもらいたいし、それを大過なく維持してもらいたいものじゃ。わらわとて、妹の幸福を願うくらいには、情もある。――王族の幸福とは、国家の安寧と同義であるから、まずはそれに備えねばならん。おぬしも、そう思うであろう?」

 

 おおっと、一気に妃殿下の発言が、政治色を帯びたものになりました。

 ここからの発言は、注意を要する。本能的な感覚を信じて、私は気を引きしめた。

 

「のう、モリー。世の中、馬鹿が多すぎるとは思わぬか。馬鹿に資源を浪費させるくらいなら、わらわ達の方で有効に活用してやるべきだと、そう考えたことがないか?」

「無いとは申しませんが、実際に行動を起こすならば、やり方は考えねばなりませんね」

 

 嘘です。そんなもん頭をよぎったことすらありません。でも私は買いかぶられている節があるし、素直に答えると後が怖いんで。

 話を合わせつつも、制止するような言い方をさせていただきました。さて、妃殿下は何を言いたいのかと、身構える。

 

「もちろん。場末の借金取りなどの真似事はせんよ。――わらわは、もっと誠実で、もっと効率的な収奪の方法を考えておる」 

「……再度申し上げますが、誰が聞いているかわからないのですから、発言は気を付けた方がよろしいかと」

「取って付けたような気遣いなどいらぬ。周囲の喧騒で、誰も聞いてはおらぬさ。聞こえていたところで、雑音に等しく処理されるであろう。……第一、内容の重大さに気づくような者は、この場に呼んでおらぬからな」

「それでも、もし、いたら?」

「些事である。いずれにせよ、わらわの答えは変わらん。おぬしが危惧するようなことは、決して起らぬ」

 

 万が一を考えれば、言及しないわけにもいかなかった。けれど、シルビア妃殿下は自信をもって言い切った。

 ……私にはわからない形で、警戒網を強いているのだろうか。それくらいしていても、違和感はないが――。わざわざ刺激的な話題を選ばなくてもいいのにと、やはり思う。

 

「相も変わらず、妃殿下も悪い人ですね」

「おう、流石に悪辣さで上をいかれてはかなわん。――こればかりはわらわの専業ゆえ、譲れぬよ」

 

 ここからが本題じゃが、とシルビア妃殿下は一言断りを入れた。さりげなく、周囲に目をやって、自身が注目されていないことを確認する。

 私の方でも、それは確かめていた。――実際、このパーティで私たちはさほど目を引いていない。オサナ王子と、エメラ王女の二人が、それだけ人目を引いていることの証明だった。

 

「先の盗賊討伐にて、ソクオチ騎士の捕虜を確保してくれたじゃろ? これには、わらわもよくやった、と褒めてやろう」

「女性しかいなかったのは、予想通りでしたが。……傷ついた彼女らの今後が、非常に心配になるところです」

 

 本題と言うには、迂遠な話を持ってくるな、と思いつつ。真意はともかく、ねぎらいの言葉はありがたいものだった。

 私はそれ以上に、被害者の方が気がかりでもあったが、妃殿下には何かしらの考えがあるらしい。

 

「そこまで案ずることはない。わらわが引き取って、責任をもって職を世話してやるからな。一人たりとて、無駄には使わぬ。ちょうど都合のいい、適当に使える駒が必要なところでな、約束しても良いぞ」

 

 捕虜経験がある女騎士というと、扱いにも慎重になりそうなものだが、妃殿下はこれにも責任を持つという。

 彼女の手の長さに感嘆しつつも、需要があって人手のいる業種など、私にだって想像がついていた。

 

「最近整備した、温泉施設の従業員――いえ、言葉を飾らずに言えば、風俗嬢として雇い入れるおつもりで?」

 

 少し前に話題になったこともあるし、温泉街の高級娼館ともなれば、嬢の出自にだって気を遣うもの。

 客層が上流階級、しかも貴族を含むともなれば、そこらの平民を捕まえて教育するという手は難しかった。

 下手を打って信用を落とせば、元も子もない。信用できる伝手で手に入れた人材でなければ、任せられないこともあるだろう。……そういう意味でも、ソクオチの元騎士という経歴は都合がいいはずだ。

 

「半分ほどは、な。しかし、誰もが風俗で働くのを好むとは限らぬ。中には書類仕事で身を立てようと思う者もおろう。ソクオチ騎士とて、それくらいの教養はあろうし――こちらで改めて教育を施せば、立派に働いてくれるだろうて」

 

 その手もあるか、と私は暢気に構えていた。だから、適当な相槌を打つつもりで、私は話を促すように応える。

 

「ちなみに、どのような教育を施されるのでしょう? 無体なことは、あまり考えたくありませんが――」

「何を想像しておる。そこまで無茶ぶりはせんよ。ただ、税務官としての教育を叩き込んで、そちらの方面で活躍してもらう。それだけのことよ」

「税務官、ですか。……んん? このタイミングで、税務官の教育……?」

 

 すごく、すごーく、嫌な予感がします。

 あれれー? もしかしてシルビア妃殿下、自分でたどり着いちゃいましたか? 私の方から、なにかしらの発想を提供したわけでもないのに。

 ――私が絶対に言いたくない、ゼニアルゼによる経済支配。その一端を、ここから始めるおつもりでしょうか。

 

「顔色が変わったな? おい、モリー。お前、何を感じたか言ってみろよ」

「……さて」

「無言で顔を背けるな。わらわは本気で聞いている。これだけの情報から、何を連想した。何に感づいた。わらわは、それを聞くまでおぬしを解放せんぞ」

 

 もし、問い詰められたら答えを拒否できない。私は、自分がそういう性質の人間だと理解している。

 だから、こうして詰め寄られたら、正直に答えるほかはない。あきらめと共に、私は自身の考えを言葉にした。

 

「徴税請負人、徴税請負業者。……私は、それを連想しました」

「ほう! ――いや、それだけではな。そのまま続けろ。それらが、どうつながっておぬしの顔を曇らせたのだ?」

「経歴上、彼女らをソクオチには派遣できません。捕虜になったという事実は、ソクオチではそれだけ不名誉なことなのですから。……しかしゼニアルゼであっても、財政管理を他国者に任せたくはないはず。これはクロノワークとて同様でしょう」

「その方面はうちの官僚どもが、がっちり固めておるからな。なら、どこの税務を任せるのか、と言う話になる。――うむ、ここまで聞けば、不穏な気配を感じられても致し方あるまい」

 

 しかし、それだけではないだろうとシルビア妃殿下は目で語っていた。続きを促されるように、私は口を開く。

 私が何もせずとも、最適解を思いつくのであれば。こうして進言することに、どれほどの意味があるのか――なんて、やくたいもないことを思った。

 

「当然、彼女らの行先は他国になります。そうですね。ゼニアルゼに借金を申し込んでいるとか、何かしらの外交的失点を持っている国。そうしたところから、徴税業務を請け負うのです。……順序としては、ゼニアルゼが他国の土地の徴税権を『買取り』、その仕事を代行する。そのための駒として、彼女らを使うおつもりでしょう」

 

 買取り、という部分を強調して口にする。徴税権の買取、と気軽に言ってしまえるような、簡単なことではないが――。

 地球の歴史上では、きちんと例のあることだ。『売官制』とまで言えば、おそらくシルビア妃殿下も即座に理解するだろう。だが、そうした決定的な一言までは、積極的に口にしたくはなかった。

 

「徴税権というと大仰に聞こえますが、要は徴税業務と政府への送金を、こちらで代行するだけのこと。それで即座に国家の運営が乗っ取られるとか、そういうことにはなりません」

「ああ、ならんな、即座には。――何より大事なのは、徴税権をこちらで握って、収益を確保することじゃからな」

「はい。シルビア妃殿下の駒が、他国で国家事業の一部を担う。その事実が定着すれば、そこは実質、ゼニアルゼの勢力圏に成り代わることでしょう」

 

 他国人の税務官に仕事を任せるのが当たり前になって、彼女らがいなければ国家が維持できないところまで来てしまったら――。それは、シルビア妃殿下に国庫を支配されるに等しくなる。

 一地方から始めて、徐々に影響力を広げていけば、そうなる。わかる人には、そこまでの道筋が見えてしまうから、実際には様々な形で妨害が入るだろう。

 簡単に事が進むとは、妃殿下だって考えてはおるまい。しかし現実的に、実行可能な政策であることも確かではないか。

 

「乗っ取りまで目指しているわけではないから、いささか表現が大仰に過ぎるのう。……しかし、徴税権を買い取る、というのはそれだけの大ごとじゃ。過程の説明が雑に過ぎると思うが――おおよそ、わらわの考えと一致する。当然、これを現実にするには大勢の税務官が必要になる。捕虜の数だけでは足らぬから、適当な冷や飯ぐらいも突っ込んで、ようやく稼働できるだけの体裁が整う見込みじゃ」

 

 シルビア妃殿下は、私の意見を一切否定しなかった。つまりは、そういうことなのだろうと察する。

 彼女は、西方全体の経済を支配するつもりなのだ。他国の財布にまで手を突っ込んで、自らの権益の拡大を図る。そのために、今から準備に取り掛かっているのだ。

 

「確認したいのですが、これは財政のために、来るべき時の為の貯金を殖やすために、シルビア妃殿下がご自身で考えられたことですね? どなたかの入れ知恵ではないと、そう考えてもいいのでしょう?」

「肯定する。今の話は、わらわの頭の中だけにあったことじゃ。――わらわも、色々と思うところがあってな。外征の前に、西方で合法的に、なるべく恨まれない形で収奪を行うことができないものか? ゼニアルゼの財政を確たるものにし、なおかつ他国への影響力を増大させるには、どうするのがいいか? ……色々と、頭を絞って考えたのよ」

 

 それで出てくるのが徴税請負制度とか、シルビア妃殿下は天才と言うほかない。並みの天才ではなく、歴史を変えるレベルの才能の持ち主であると、改めて思うよ。

 

「つまりは全て想定内である、と。……シルビア妃殿下。貴女は、どこまでこの世界を変えるのでしょうね」

「さてな。歴史的評価など、今から気にすることでもあるまい。――しかし、よくぞそこまで言い当てたものよ。ここまでわらわの思考についてこれるのは、おぬしが初めてじゃ。もしや、お互い同じようなことを考えておったのかな?」

「……そうですね。似たような考えは、私の頭の中にもありました。だからこそ、楽観はしたくないのですが――」

 

 収奪、と妃殿下は言った。徴税権の買取――その行き着く先を、彼女は知らないはずだ。

 もし理解しているなら、この問いに正しく答えるはず。そう思って、一つだけ問うた。

 

「徴税の請負をするにあたり、その内情の報告と言うか……収支の会計などは、公開するつもりはありますか?」

「ない。――そこまで馬鹿正直に仕事をしてどうする。徴税請負の何が美味しいかと言えば、増収分まで報告する義務がない、という部分にある。一定額を納めれば、あとはわらわの懐にいれるだけのことよ。……この辺りは、最初の契約できっちり詰めておくからのう」

「交易の差配をしているのは、妃殿下ですからね。これから関税収入が増加するのは、目に見えている。特にもうけが出そうなところで、徴税権を確保すれば、諸々の手間を含めても充分な収益が見込める――というわけですか」

「うむ。よって、帳簿はこちらで管理する。代行先の政府にも、細かいところまで知らせてやる義理などなかろうて」

 

 ……まあいいか。まだ、その問題が顕在化することはない。

 世代を経て問題化する部分であるから、今からつついても妃殿下の機嫌を悪くするだけだろう。

 反感を積み重ねて、革命が起きる頃には、私達はすでに天寿を全うしているに違いないのだから。

 

「とりあえず、ざっと思うところを述べましたが、いかがでしょう。ご期待には、応えられましたでしょうか」

「充分にな。――おぬしを勧誘したい気持ちが、より強くなった気がするのう。今後を見据えるなら、数年は先延ばしにしても良い。しかし、わらわの子が成人するまでには、確実にわらわの傍に置いておきたい。本気で、そう思っておるよ」

「その件に関しては、もう私から言うべきことはないですね。私はクロノワーク王家につかえることに、不満を持ったことはありません。――よって、他家に嫁いだあなたに対しては、求められたときに助言をするくらいがせいぜいです」

 

 私に子供のお守りをさせようっていうんでしょうか? 教育係はやっていても、守り役としての実績なんてないわけで。

 どうしてそこまで期待されるのか、どうにもわからない。というか、わかりたくないというのが本音だった。

 

「とまあ、色々と重要な話をしたわけじゃが、やはり周囲に人はおらんらしい。誰もがパーティの喧騒の中で、思い思いの快楽を追及しておる。箸にも棒にも掛からぬ次男三男どもとはいえ、社交の場の振る舞いは、なかなか慣れておる様子ではないか」

「そこまで厳格なパーティではないとしても、一応の作法と言うものがあるはずですが……。オサナ王子もエメラ王女も、事前に食事を済ませて来てるくらいですよ?」

 

 私の指摘を、王妃様は真面目に受け取らなかった。作法を破って楽しむのも、一部の貴族の楽しみでもある。

 だからこそ真面目に守る者が評価される世界でもあるが――結局のところ、シルビア妃殿下は無作法をたしなめるどころか、助長して楽しんでいるのだ。

 

「それはそれ、よ。宴には宴の礼儀作法があるものじゃが、上手にやれば美味しい思いもできる。花に食いつくか、料理に食いつくかの違いはあれど、美味なる獲物には事欠かぬ。……結果として、わらわとおぬしの会話は、誰の興味も引けなかったらしいな?」

 

 これはつまり、シルビア妃殿下がそれだけの運に恵まれていることの証明でもある。

 彼女は、その治世において西方を支配するだろう。死後はさておき、健在である限りはゼニアルゼは安泰である。

 おそらくは、クロノワークとソクオチも。この確信が、私にとっては救いであった。

 

「実際には、誰の耳に入っていても可笑しくないと思いますが――。さて、まだ何か、話すことはあります?」

「詳細を詰めようと思えば、いくらでも。――じゃが、あえてやめておこう。楽しみは、後に取っておくのが良い。わらわとて、それくらいは学習する」

「……何のための学習なのか。きっと、聞かない方が私の精神衛生の為なんでしょうね」

「わかっておるではないか。まあ――あきらめろ。おぬしは決断してしまったのだ。多くの妻たちと、共に生きる。そう決めた時点で、わらわから逃げる術を無くしてしまったのだと知るがいい。どうせ、後悔などしておらんのだろう」

「それは、もう。――ああ、そう思えば、既定路線だったのだと諦めもつきますか」

 

 それからパーティが終わるまで、適当にだべって過ごしたことは、責められるようなことではあるまい。

 何時の前にか加わっていた、ザラやメイルさんたちと、それなりに楽しく過ごせました。それだけでも、妃殿下に付き合った甲斐はあったんだと思いたい。

 

 この際、ソクオチの士官連中とも顔を合わせたり、ちょっとした会話の内容から、アレコレとお察ししたり。

 内情を探りながらも、相手に寄り添うように、思いやりのある対応を心掛けたつもりです。個人的によしみを通じて、顔を売る仕事は充分こなせたと思う。ここからさらに人材を見定めるには、もう少し機会と時間が必要だろうが。

 

 将来は楽観できるものではないとしても、最低限の保証はある。後は、勇気で補えばいい。

 そう決意する機会でもあったのだと思えば、己が巡行に付き合わされたことも運命だと、素直に受け入れることもできたのです――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 パーティは一日では終わらない。とはいえ自分たちが参加できる規模のものは、昨日のそれだけで、以降は完全に警備に回ることになっているわけですね。

 ……もっとも、今回に限っては警備と言っても形だけのこと。休憩と称して、宴の分け前を多少頂くくらいは、黙認される部分もある。

 警備も仕事の内だが、今回は他国の要人との交流も、また仕事の一部分。理由さえあるなら、適当に話を合わせたり、見返りに料理にありつくことも許されていた。

 さりとて、よほどうまくやらないとヒンシュクを買うものだが、この点クロノワーク騎士は図太くも狡猾だった。

 

「――では、また。今度は、もう少し違う形で出会いたいものですね」

「ええ、はい。そうした機会が訪れることを、心待ちにしておりますわ」

 

 決まり事を破って、女性に節操なく声をかける馬鹿は、どこにでもいるものだ。パーティドレスのご令嬢にはもう飽きた、とばかりに儀礼用の武装をしている護衛隊にも、色々な声が掛かってきている。

 護衛隊の皆さまは、これで結構手馴れていて、危うげなく接してくれている。これなら特殊部隊でも、適度に任務をこなせるんじゃないか――と思っていたところで、一仕事終えた隊員が、私に話しかけに来てくれた。

 

「……お互いにわかっていて、適当に息抜きする口実にするのはいいけど、たまに本気にした馬鹿が混じるのが気が滅入るよ。特殊部隊の方では、この手の仕事も多いのかしら、モリーさん?」

「私は出向しているだけですし、あまり任務に立ち入ったことは言えません。――あえて言うならば、護衛隊は特殊部隊と負けず劣らず、責任の大きな仕事が多い。そこは本当に、誇りをもっていい所だと、私は思いますよ」

 

 斬った張ったで、ことが単純に片付く仕事ばかりではない。面倒くさい相手に、現地や難癖をつけられぬよう、気分良く帰っていただけるよう、接客の技術さえ必要になる仕事もある。

 

「おや、またこちらにどなたか来られるようで。……視線からして、お目当てはモリーさんでしょうか。特殊部隊の手腕を、まずは拝見させていただきますよ」

「……それはそれは、緊張いたしますね」

 

 別部署の職人に、自分の手管を観察されている。そう思えば、気が引き締まる思いだった。

 さて、相手を見れば金髪を優男だった。騎士としての外装だけはご立派だが、さて実力はどうしたものだろう。

 血筋とか地位とか、そうしたものが無駄に高い家の出で、怖いもの知らずに育った放蕩息子とか。具体的に言うなら、この手の人物に見える。

 扱いに失敗すれば、結構な恥をかくことになるか。まあ、私だけで担当しているわけではないし、こちらはこちらで上手にやればいいと、前向きに考える。

 

「貴女が、クロノワークに名高い特殊部隊、その副隊長殿ですね?」

「はい、モリーと申します。警護中にて、簡易な挨拶のみでお許しください」

「いえ、こちらこそ仕事中に無作法を。礼を失したこと、お許しください。――私はホースト王国、王子護衛騎士隊長のタラシーと申します」

 

 わかってんなら最初から声掛けに来るんじゃねぇよ、と言えたらどんなに良かっただろう。感情的には好きになれないが、仕事であれば、にこやかに接することも私にはできる。

 そちらの思惑としては、こちらが名目だけの警護をしていることも、他国人との交流を求めていることも、予想の内なんだろう。だから、堂々と名乗って口説きに行けるわけだ。

 王妃様から直々に、交流と調査をして来い、なんて言われてなければ――適当に挨拶して終わらせていただろう。これも仕事と思うだけに、なおさら気が重かった。

 

 クロノワークが、外交的なふるまいを気にしだしたことは、他国もつかんでいよう。今回のパーティは、お互いにそれを理解したうえで、交流を深めに来ているのだと――彼は、そう判断しているはずだ。

 いやまったく、たしかに間違いじゃあないよ。貴方がホーストの公務でここにやってきているであろうことも、想像はついている。でも、私にはわかっているんだ。

 ――お前、さっきメイルさんに話しかけていたよな? ええ? 思いっきり口説きに行っていただろう。見えてたんだぞ。

 あわよくば女性をひっかけて、自らの欲望を満たすことも考えていた。そう思われても仕方がない程度に、お前さんは遊び人らしく見えるよ。

 

「……何の御用でしょうか。わざわざ私の元にやってこられるのを見るに、何かしらの目的があって、声をかけてきたものと思いますが」

「そう警戒なさらないでいただきたい。私は、ひいては私たちは、クロノワークに媚びを売りたいと思っているのですよ。お近づきのしるしとして、まずはこれを」

 

 そうして、タラシーとやらは書類を差し出した。中身を改めて見れば、これは名簿らしい。それもソクオチ内に存在する、他国の間諜や過去に内通した経歴のある役人など、内憂になりえる存在の名簿である。

 

「ホースト王国の、長年の諜報活動の成果とでもいいましょうか。こちらでつかんでいる情報は、それが全てです。どうか、ご活用ください」

「……これを頂けるということは、ホースト王国はソクオチを切り捨てて、クロノワーク側につくということでしょうか?」

「勘違いなさらぬよう。――我々が切り捨てるのは、ソクオチ旧来の権益にしがみつく者たち。あるいは今の体制に反抗する者たちであり、ソクオチそのものではありません」

「その言葉が真実であるかどうかは、資料の真偽を確認してからにしましょう」

 

 疑いをばらまく謀略でないのなら、これはこちらへの恭順を示すものか? わざわざ私たちの仕事に協力してくれるというところに、何かしらの意図を感じずにはいられない。

 

「そちらがソクオチ国内に、不安を持っていることは、わかっております。これは、内情を探る手間を省かせて差し上げようという、ホースト王国からの好意であること。まずはそれをご理解ください」

「タラシー殿のご厚意が、真実のものであったとして。……この名簿だけでも貢献度は大きい。他の資料と付き合わせて検討すれば、精度はさらに上がる。上司へ報告すべきことが、また増えましたね」

 

 あちらとて、下手な情報でこちらの信用を失いたくはあるまい。盗賊の頭目から得た情報と合わせて、共通する部分があれば、確実に黒と見て良かろう。

 あいつも、とんだことで命拾いするかもしれない。そう思えば、いささか複雑ではあった。

 

「ともあれ、ありがとうございます。ホースト王国の好意は、確実に国王まで届けることをお約束しましょう」

 

 最終的な判断は、ザラとか王妃様に任せるとしても、有用な情報であることに変わりはない。

 あちらさんの好意については、王妃様から王様に伝えてくれるよう、私から申し上げればよい。それくらい、価値はある情報だと判断する。

 しかし、我が意を得たり、とばかりに破顔するタラシーの表情がどうにも鼻についた。

 

「いえいえ、こちらこそよろしくお願いいたします。ところで、モリー殿。ここからが本題なのですが」

「はい。拝聴いたします」

 

 この手のイケメンはどうにも好きになれない。生理的に嫌と言うか、こいつの下心が顔に透けてみるから、なおさら気分を害してしまうのだろう。

 私は話を促すように視線を向けた。タラシーは憂い顔のまま、一旦目を伏せて、それからためらいがちに話を切り出してきた。

 

「簡単に申し上げるならば、商業のお話です。ホースト王国、ならびにヘツライ王国の商人たちと共に、東方で事業を立ち上げる計画があります。――なので、クロノワークの商人たちからも、出資を募りたいと思っているのですね」

「タラシー殿は、私を商人と勘違いされているのですか? 私は祖国において、商業に関する権限は、なにも持ち合わせていないのですが?」

「別段、クロノワーク商人に渡りをつけてほしいと話しているわけではありません。……出資を募るにしても、そちらに乗り込む前に、まずは王妃様に話を通していただければ、と思うのです」

「王妃様に、出資を黙認せよ、と伝えろと? その許可をもらって来いというのですか、貴方は」

「まさかまさか。そこまで強くは求めません。――ただ、こちらにそうした動きがあり、民間での商業活動が多国にまたがること。それをクロノワークが容認するかどうか、せめてその確認くらいはしておきたいのですよ」

 

 嫌なら嫌と明言してくれれば、商人たちにも警告できる。もし早めに話に乗ってくれるなら、盟友として受け入れやすい。

 そんな風に、タラシーはもっともらしく語った。……民間での商業活動、なんて言いやがったが、どうせ時期を見て政府の資本も突っ込んでくるんだろうに。

 

「王妃様からの許可が欲しいのですか? 民間での商業活動なら、勝手にやっても文句を言われる方ではないのですが」

「それはそうですが、クロノワーク商人の中にも、話を聞けば興味を示される方はいるでしょう。だから、王妃様にその気があるなら、ぜひ宣伝してほしいのですな」

 

 東方での事業といえば、交易関連に決まっている。いい加減、ゼニアルゼだけに利権を独占させる手はないと、そう思って行動したくなる頃合いだ。

 そこにクロノワークを入れようと画策するあたり、敵も色々と考えているね。だが、素直に了承するほど、王妃様も私も甘くないよ。

 

「こちらの申し出を受け入れてくださるのなら、クロノワーク商人には、われらと同等の権利を保証いたします。決して悪い話ではないと思いますが――」

「……それで、私になぜ頼むのです? 他にも適任者がいるでしょう。このようなパーティの席ではなく、正式に外交の場を通じて要請されればよろしい」

「もっともなお話ですが、私もホースト王家の使い走り。今そうせよ、と言われれば従うほかございません。――とにかくこういう話が合ったのだと、お伝え願いたいのです。そのうちホーストから外交官が派遣されますので、詳細はその際に」

 

 タラシーの口調からして、これは私だけに言っているのではなく、別方面から色々と動いていると見ていい。そうでなくては、一言で良いから伝えてほしい、なんて言わない。

 別口から契約を取り付けられる、という自信があるのかもしれない。とすれば、ここで私を巻き込む意図は何か? ……難しい政治問題に、それも他国を通じた謀略について、自分はまきこまれているのではないか。そうした危機感を、私は感じつつあった。

 

「意図が読めません。不可解です。――わざわざ面倒を起こしにかかっているようにも見える。私が付き合う義理が、どこにありますか?」

「さきほど渡した書類に、それくらいの価値を認めてはくださいませんか? まだ足りぬとおっしゃられるなら、今少し掛け金を大きくすることも、考えております。……その上で、今一度返答を考慮していただきたい」

 

 さて何を言ってくるのかと、警戒していたのだが――。タラシーの言葉は、私の想像の埒外から、大きな衝撃を与えてくれた。

 さらに掛け金を積み上げる準備すら、あちらにはあるのか。だとしたら、ここでの下手な発言は政治的失点になりかねない。貸しを作るような言質だけは、与えてはならなかった。

 

 ここは、どう振舞うのが正解なのか。ほんの一瞬だが、私は頭を悩ませた。だが、考えるまでも無く、すぐに結論は出る。

 

「私は、副隊長に過ぎません。この場においては、護衛隊へ出向しているだけの、ただの一隊員です。――貴方からの話は、全て上司に報告する。私に確約できるのは、それだけです」

「結構です。我々には余裕がある。急ぎはしませんが、決して無視はなさらないように。……馬車に乗り遅れてた商人たちは、誰を恨むことになるのか。どうか、賢明な結論を出されますよう――」

 

 ここらで切り上げようと、タラシーは話を切るそぶりを見せた。しかし私の方は、まだ彼を帰してやるつもりはない。

 

「確約できるのはその程度のものですが、個人的な見解を述べることは出来ます。――タラシー殿、せっかく一説吹いてくれたのですから、今度は私の言葉にも、しばし耳を傾けてくださいますね?」

「ええ、もちろんですとも。お互いの理解の為にも、言葉を交わし合うのは大事なことです」

 

 とりあえずの了承は得られたと思って、私は話を進める。下手な発言は己の首を絞めるが、ここは好機でもある。

 情報をなるべく引き出したい。覚悟を決めて、飛びこむことにしよう。確認したいことがあるから、まずはそこから行こうか。

 

「商人たちが、東方で事業を立ち上げる。そう決意した理由について、私は知りたいのです。どういう過程で、なぜそういう流れになっているのですか? それに王家が関わっているとしたら、どこまで深入りしているのか。ぜひ答えていただきたい」

「理由については、完全に商人たちの都合です。東方で商人が個々に取引をした場合、あちらでは供給が需要に追い付かず、仕入れ値が高騰する。しかし帰って西方に持ち込んだら、供給が需要を上回って売値が暴落する。……その恐れがあるということで、いっそ出資を募って現地で企業を立ち上げ、まとまって取引をした方が効率的ではないか――という話ですね。そして、ホースト王家は、これを影ながら支援したいのですよ」

「話を聞く限り、私はその件については慎重に判断すべきだと思っています。そちらの王家には悪いのですが、距離を置いた方がよろしいのではありませんか?」

 

 やはり交易関連か、と予想通りの展開に頭が痛くなる。王妃様に伝わったら、すぐシルビア妃殿下にも知れ渡るだろう。打つ手を間違えれば、怖い相手の怒りを買うかもしれない。

 とはいえコストの問題であるというなら、一応納得できる話ではあった。市場調査や現地勢力との折衝などは、商人個々人が各々やるよりも、企業化して一括してやる方が効率がいい。

 東方で貿易会社を作るというのは、確かに合理的な話だった。これだけを聞くと、納得して同意したくもなるだろう。

 

「慎重に、ですか。モリー殿は、返答を遅らせたいようにも聞こえますが――それはまた、どうして?」

「西方から遠く離れた東方の地で、商人たちが企業を立ち上げる。――それが現実になるとしたら、企業が独自の武力を持つことを許可しないわけにはいきません。そうですね? タラシー殿」

「はい。傭兵を雇う権利くらいは、認めてあげねばなりません。……そうでなければ、彼らは自らを守れません。交易に際してさえ、護衛が不可欠な世の中なのです」

 

 母国から目の届かぬ遠方で、一企業に武力の保有を許した場合、結果として大きな政治権力を与える危険があった。

 西方では個人が傭兵を雇うにしても、法的な制限がある。しかし、東方ではそうした制限など、守りようがないだろう。

 武力があってこそ、初めて安全が得られる。――西方の権力が及ばぬ地であればこそ、自分の力で財産を守らねばならない。だから、当たり前の権利と言えばその通りなのだが。

 

「傭兵を雇うだけで済むなら、私もとやかく言いたくはありません。しかし、現地で徴兵して訓練を行うとか、私兵として囲い込むようなことをされては、東方国家との折り合いが悪くなる可能性がある。まかり間違って、連中が東方の地方を武力制圧してしまったら――許可を出した王家にとって、ひどい汚点になるではありませんか? ……なので、何かしらの制限は絶対に必要であると考えます」

「なんと、では――」

「結論を急がないように。……どうせ放っておいても、商人たちは東方に乗り出すでしょう? どのみち、武力の保有はなし崩し的に認める形になる。だから、こちらから首に紐を付けたいという、そういう話です。――王妃様には、この話を受け入れるのなら、クロノワークの騎士をお目付け役として派遣すべきではないかと、提案してみましょう」

「……あの、一騎当千と評判のクロノワーク騎士を、ですか。ともに東方に赴けるならば、護衛役としても助言役としても、頼もしいものです」

「提案するだけで、決定したことではありません。ともかく、まだ何もかも始まったばかりのお話ですから、今はこれ以上、話を詰めようがないと思いますよ」

 

 実際、私の立場で好き勝手に物事は決められない。あちらが王妃様への推薦を求めるのなら、そうしよう。ただし、私的な見解も添えて、素通しにだけはさせたくなかった。

 真面目な話、他国に東方で東インド会社の真似事など、絶対にさせたくはないんだ。どう転んだって、真似事以上のものにはならないだろうから、なおさらである。

 

 社会が未成熟な今の西方が、遠方に経済的植民地を得ても、有効に活用できるかわからない。ホースト王家の紐帯でつなぎとめられるかどうか、それすら未知数なんだ。

 稼働すらしていない話の段階で、取り越し苦労にもほどがあるかもしれないが、個人的に思い悩むくらいは自由だろう。

 

「左様ですか。ならばお互い、まずはいい話ができたと、そう思ってよろしいですかな? モリー殿」

「そう解釈していただいても構いません。――なので、まずは報告を済ませて、後は王妃様からの反応次第ですね」

 

 とはいえ、王妃様が前向きに検討してくれる可能性はあるし、個人的に色々と考察の余地もある。

 クロノワークの利益の為にも、与えてくださった情報は、全て活用させていただこう。

 

 タラシーとやらの背後には、何があるのか。情報さえあれば、考察は難しくない。

 彼が持参した名簿の正確さを図れれば、今回の話にどこまで力を入れているか、相手の本気の度合いもわかるだろう。

 

 何はともあれ、これからは諜報合戦だ。帰国したら、また忙しくなる。そう思うと、やはり憂鬱だった。

 まだまだ結婚して日も浅いし、せっかくの新婚生活、どうにかして楽しむ余裕が欲しいものだね――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホースト王国は、その国家の運営において、財政面では他国に優越していたと言って良い。

 流石にゼニアルゼほど極端ではないものの、軍事力の貧弱さのわりに金がある。そのくせ、たやすく殴り掛かれないくらいには、面倒な立地でもある。

 それでも、かつての戦国乱世においては争いとは無縁でいられなかった。ホースト王家は、代々頼るべき盟友を見定め、上手に勝ち馬に乗ることで生き残ってきていたのだ。

 

 ホーストにおいて、外交こそが一番の関心事であった。

 内政での失敗が、国家の崩壊につながった例を彼らは知らない。しかし、外交での失敗が戦争に繋がり、結果として滅びてしまった国家を彼らは良く知っていた。

 ホーストは、どんな些細な外交行事にも手を抜かない。最近の西方の変遷についても、多くの情報を集めたうえで適切に身を処してきたと言える。

 

 オサナ王子とエメラ王女の巡行に際し、他国を招いてのパーティが開催されることになった時も、ホーストは適切な人員をもって対応したのである。

 

「シルビア妃殿下も、ご苦労な事じゃあないか。――ここまで出張ってきて、わざわざ悪態をつく。御身には、自分以外の連中がよほど馬鹿に見えるらしいぞ。タラシーのような奴がうっかり目に入ったら、どう酷評されるか分かったもんじゃないだろうさ」

「……チャラ殿下。文句があるなら、いっそ目の前まで出て行って、思うが儘に口にされればよろしいのに」

「そんな恐ろしいことができるか! あの女は放言を許すほど甘くないぞ。根に持たれて、外交関係が悪化したら、それこそ問題だ。モリーとやらが許されているのは、それだけの才覚を持っているからだろう」

 

 ホーストの第三王子チャラと、タラシーは適当にくつろぎながら駄弁っていた。

 チャラはマナーなどどこ吹く風で、適当に料理をかっくらい、酒を飲み、周囲を睥睨している。

 主賓たる王子王女の前でこそ、取り繕うことをするが、その目が届かなくなれば、礼儀など真面目に守る人物ではない。チャラのそうした性格にため息をつきつつも、タラシーは口を開いた。

 

「そのモリー殿ですが、話した感じでも才覚は感じさせてくれましたよ。――少なくとも、政治的な感覚は確かです。先に話をした、メイル殿とはまた違う感性をお持ちのようでしたね」

「お前を怪しんだからか? よほどアレな女でもなければ、お前のうさん臭さはすぐに気づくさ。その程度で才覚がある、とは俺は納得せんぞ」

 

 これでもチャラは、タラシーの女癖の悪さや、多少の礼儀のつたなさは許容してくれる。

 その程度の鷹揚さは持ち合わせているから、部下としてつきやすい相手ではあるのだと、タラシーは思う。

 

「……それはどうも。しかし、疑いを持つ理由には、それなりの説得力がありました。その後の会話も含めれば、彼女が何かしらの意思決定に加わっていたとしても、そう可笑しくはないと思います」

「へぇ、そいつはすごいな。クロノワークは女騎士の地位が高いと聞くが、そこまでか。――身分も血筋もそこまで高くない、ただの一騎士が、国家の中枢に影響を与えている。その考えが正しければ、よしみを通じる理由にはなるか」

「まあ、私が手管を尽くしたとしても、そうそう靡かないでしょう。……既婚者ですしね」

「同性婚だろう? 付け込む隙はあると思うが」

 

 チャラはそう言うが、さてどうか、とタラシーは考える。モリーが男を知らないとしても、あえて三十路過ぎの女性を選ぶ以上、相当こじれた性癖の持ち主であるはずだった。

 話してみた感じ、男に餓えている風でもない。仕事中であったから、と解釈してみても、己に脈があるとはどうしても思えなかった。

 

「まあ、たぶらかす必要は、必ずしもない。――モリーとやらは、最近顔が売れてきつつあるからな。クロノワーク王妃と、シルビア妃殿下との間に何かしらの連絡網があることは、こちらもつかんでいる。……モリーが連絡役として関わっているか、折衝役として間に挟まっているかは、今後を見ていけばわかることだろう」

「私は案外、モリーこそが要なのではないか、とも思いますけどね。……根拠はありませんが、彼女は魅力的です。外見ではなく、打てば響くだけの才能を感じさせてくれました。上司から可愛がられるだけのものは、確実にあるはずです」

 

 根拠のない言葉は、チャラに確信を与えない。しかし、タラシーという男の人格はともかく、実績と才能については、そこまで疑うべきではないともわかっていた。

 ゆえにチャラは、追加の仕事を彼に与える。

 

「東方で起業する、と息巻いていた連中を、こちらで誘導する計画は今のところ順調だ。クロノワークは単独で関われるだけの積極性は、持ち合わせていないだろうが――。巻き込めれば、ゼニアルゼに対する牽制くらいにはなる。不和の元になってくれたら最高だが、そこまで求めなくてもいい。……まずは末端から、少しずつ工作していこうじゃないか」

「貴方も貴方で、野心家ですね。エメラ王女に粉をかけながら、交易政策にも首を突っ込んで見せる。――まあ、エメラ王女の方は、最初から期待していなかったご様子ですが、交易については本気ですからね」

「ふふん。親父も兄貴たちも興味を持っていないようで、俺が独断で動いても、結果さえ出せば文句はあるまい。言質だけは取ってあるから、あとはこちらの裁量次第さ」

 

 こうして宴の席で物騒な話をしている時点で、シルビア妃殿下を笑える立場にはないのだと、タラシーは突っ込みたくもあった。

 しかし、妃殿下が言うように、パーティの参加者はそこまでの鋭い観察眼の持ち主など、そうはいない。声を潜めるべきところは潜めているから、宴の喧騒の中で耳に入れるのも難しいだろう。

 そう思えば、これはこれで隠れ蓑くらいにはなっているのだと、前向きに見ることも出来る。

 

「そして、私は継続してクロノワークへの調略を担当せよ、と。……モリー殿に顔を覚えられたのは、果たして幸か不幸か、どちらなのでしょうね」

「お前が直接出張る必要は、必ずしもない。というか、本業は俺の護衛騎士隊長なのだから、ちゃんと部下を使えよ」

「ある程度はそうしますが、私が直接監督してこそ、仕事の調整もきくというものですから。……第三王子の護衛という立場は、そこまでの激務ではありません。チャラ様は遊び歩く方ですが、それがかえって工作には都合が良かったりもしますからね」

「諜報と護衛が、同時にできるわけだな。護衛騎士にして特殊部隊員とは、わが国では揶揄されることもある。――その名声に見合うだけの成果を期待するぞ」

 

 主従の間に絆と言うものがあるのなら、彼らのそれも一種の絆で結ばれていると言っても良いだろう。

 信頼があり、信用があり、忌憚のない言葉を交わす余裕もある。それが他者を害する者でない限り、尊重されてしかるべきものであるはずだった。

 

「チャラ様自身、そうした境遇を良しとされておられる。なればこそ、私どもが動く余地が生まれ、活躍する土台ともなりえるのです。……その点は、本当に感謝しておりますよ」

「第三王子なんて立場は、結構面倒だからな。よほどの功績を立てない限り、いずれ王族の籍を外されて、兄上に仕えるだけの一臣下になり下がる。後のことを考えるなら、実績で信用を勝ち取らねばならん。――お前が出世して、俺の後ろ盾になってくれるなら、それでもいいんだぞ?」

「ご冗談を。今は何を言っても、絵空事でしょう。……しかし、東方での事業が上手くいけば、ホーストの誰もが我らを無視できなくなる」

「あちらで回収した富を、懐に入れる手はずは整っているな? ――ならばよし。シルビア妃殿下が産休を取って、復帰するまでの間にどれだけ動けるか。そこが肝心だぞ」

「もちろんです。――チャラ様はお望みのままに、ふるまわれるがよろしい。こちらはこちらで、立派に仕事をいたしましょうとも」

 

 わきまえております、とばかりにタラシーは答えて見せた。

 今はだれもが、東方を向いている。西方と東方の接触から、衝突に至るまで。

 実際には、そこまで時間は残されていないのではないか。五年後、十年後と言う間隔ではなく、二、三年で事件が起きるのではないか。

 

 ――これらのやり取りをモリーが見ていたら、そのように判断したであろう。

 だが彼女はこの場におらず、彼らが動いた後でなければ、行動を把握することはできないはずである。  

 

 モリーが後世に名を遺した例として、もっとも有名であろう一件。

 それが発生するのは、もう、すぐのことであった――。

 

 




 アレコレ理論だけを積み上げて、説得力があるのかこれ? と自分でも思いますが、そもそも頭の悪い小説のつもりで書き始めたこと。

 細かい部分の粗さは、どうしようもないと割り切って、とにかく前に物語を進めます。

 なんか話が勝手に広がっている気もしますが、終着点は思ったより遠くはないはず。

 四月までには終わらせたいと願って、また執筆作業に戻ります。
 次は、もっと話が進むといいなあと思いつつ。また、来月にお会いしましょう。



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東東方会社とかシャレにしても笑えないお話

 タイトルは、東東方会社(ひがしとうほうがいしゃ)と読みます。
 ユーモアのセンスが低くて申し訳ないのですが、この辺りが限界でした。
 見直し等も色々とギリギリでしたので、見苦しいところもあるかもしれません。ご容赦ください。

 個人的な興味も次回作へと移りつつある今日この頃。多少強引にでも、話をまとめにかかるべきであると決めました。
 おそらく、あと三回か四回ほどで、この物語は一旦の完結を見ることでしょう。その後のことはその後のことだと割り切って、とにかく走りきることばかりを考え、筆を進めています。

 相変わらず無駄にクドく冗長なお話ですが、最後までお付き合いいただければ幸いです。



 シルビア妃殿下主催のパーティも終わり、巡行は問題を起こすことなくその行程を終え、私達も帰国することができました。

 といっても、そうそう安穏とはしていられない状況でもありまして。あのタラシーとやらが持ち掛けてきた話は、あれでなかなか物騒な方向へと飛びかねない一件だと思うのです。

 個人的にも情報を集めたいところだけど、伝手を手繰るにはどうしても時間が掛かってしまう。今は勘働きにすぎないが、強い危機感を感じるので早急に確認したいところだった。

 

 ある意味では当然の流れではあるけれども、ようやく各国も東方交易のために本腰を入れてきた、という感があるわけで――。

 この動きをシルビア妃殿下はどう見ているのか。知りたくはあったが、私にはまず報告を上げねばならない相手がいるのでした。

 

「ふむ。話はおおよそ理解したが――なんじゃ、おぬし。自ら東方まで遠征したいのか? 新婚のくせに、妙にフットワークの軽い奴じゃのう」

「……話を受けるなら、お目付け役がいる、という話をしたつもりですが。自ら売り込んだつもりはありませんよ? 他に適任者がいないなら、考えてはみますが」

「うむ、うむ。ならばよい。一応、聞いておかねばならんと思ってな」

 

 王妃様は、私の報告を聞き終えると、いきなりたしなめるように言ってきた。私の答えに満足したのか、何度もうなずいてくれるんだけどナニコレ。

 そんな不安を持たれるような仕草をしたつもりはないつもりだが、王妃様には王妃様の懸念があるということかな?

 

「ホーストからの工作については、以上です。私以外にも、情報は集まっているはず。専門職と分析の時間が必要でしょうから、私はもう下がりましょうか?」

「なぜ下がる必要がある? おぬしはわらわの個人的な相談役じゃ。そうそう簡単に、厄介事から逃れられると思うなよ」

 

 報告内容自体は、書類にして提出しているから、本来ならばこんな機会は必要ないはずなのに。どうしても、直接会って意見を聞きたいらしく、私はこうして王妃様の前にいる。

 相談役、などという口実を設けて話を続けようとする辺り、初めから私を図るつもりだったのは明らかだった。

 

「まずは、これじゃ。相談の前提として、情報がなくては始まるまい」

 

 そして、王妃様は目の前に書類の束をぶん投げて、とりあえず目を通してみよ、と軽く言う。

 内容を見れば、それは先の宴で得た情報を、詳細にまとめている。私が報告した、ホースト関係の情報についても、いくらか触れられていた。

 

「拝見いたします。……しかし、相談役と言う役職を頂くなどと、そうした辞令は受け取っておりませんが?」

 

 ここまでの無茶ぶりをされれば、雑な対応も許されるというもの。書類に目を通しながら、王妃様にそう答えた。

 書類を読み進めるほど、状況が入り組んでいることを理解する。ホーストだけでなく、ヘツライが関与しているのも真実。それに便乗する形で、西方各国の商人たちも、東方に乗り込む準備をしているという。

 

 各国王家からの支援も、この分では現実的であるらしい。二流の貴族、落ち目の騎士まで、それに類する噂は行きわたっていたとのこと。

 さらに上の階級においては、ゼニアルゼへの対抗心から、自ら交易に乗り出したい意欲にあふれている――とまで記述されていた。

 いくらかの願望と言うか、虚構が混じっていることは確かだろうが、だからといって、誰も何も行動しないという結果にはなるまい。今後、何かしらの動きがあるのは確実と見ていいだろう。

 

「いや、なに。王家相談役というものは、肩書だけで具体的な権限があるわけではないし、わらわの一存でいかようにも処理できる部分でな。――要するに、わらわがそうと決めたなら、書類など用意せずとも即座に押し付けられるのよ」

 

 私が思考を回しつつ書類に集中している間に、王妃様はそんなことを言ってくださる。

 こうして、あの子にできぬことを、わらわがやっていると思うと愉快じゃな――なんて。王妃様はそれでいいんでしょうが、こちらの感情にも配慮してほしいと言いますか。

 

「……書類は、あらかた拝見しました」

「それはまた随分早いな」

「おおよそ、予想の範疇のことばかり書かれておりましたので、ほぼ流し読みで済みましたから。――状況は、楽観を許してくれないようですね」

「楽観的な見解など、最初から求めてはおらぬ。おぬしが独自に持っている価値観、思想をもって、現状を分析して見せよ。わらわは、まったく新しい視点からの意見を求めておる。……おぬしならば、それができると信じておるよ」

 

 王妃様は、ここでもシルビア妃殿下と似たようなことを言った。親子は似るものなのだと、嫌でも理解する。諦めに近い境地で、私は現状を受け入れざるを得なかった。

 思いもかけない形だったが、判断に必要な情報は得られた。感じていた危機感は正しいもので、もう一段階、警戒を引き上げる必要がある。

 

 傍観はもはや許されないと、ようやく確信が持てた。

 地球の歴史を知る身としては、東方と西方の衝突を前にして、無為であることの愚かしさを知っている。押し付けられたとはいえ、相談役としての責任を果たさねばなるまい。

 

「左様でございますか。王妃様がお望みとあらば、是非もございません。……しかし、期待に応えられるかどうか、不安ですね」

「難しく考えるな。相談役と言うものは、何事にも一歩引いて、冷静な意見を言えるから価値があるのじゃ。……ここでわらわに気兼ねして、言葉を濁すようでは意味がないぞ」

「つまり、私が何を言っても、相談に応えた形になるのですね。ぶしつけな言い方でも、不敬であると咎められない、と思ってよろしいでしょうか」

「――もちろん、わらわに限ったことではあるがな。夫である王の前では、まだ明け透けな言葉を口にしてくれるなよ。それさえ守ってくれれば、おぬしの発言権は保証しよう」

 

 口先だけで不安を口にして、王妃様から言質を得ておく。些細だが、これも必要なことだ。王族に影響を与えられる、貴重な立場を、ここでは活用していこう。

 もはや、これも運命だと割り切るべきだった。気を見て敏に動く、それが許される立場に、私はあるのだから。

 

「拝命した以上は、真剣にやります。――相談がお望みなら、さっそく始めましょう。もう、四の五の言っていられる状況ではないと、私は判断しておりますので」

 

 すっかり目を通した書類をよけて、真剣な面持ちで王妃様と向かい合う。

 実際、個人的にも助言しておきたいことはあった。役職を授けてくれたのであれば、むしろ活用すべし。

 そう覚悟して言ってつもりだが、王妃様は面白げに表情を緩ませている。そんなに愉快な顔をしたつもりはないのだが、このお方にとって、今の私の態度は楽しく映るらしい。

 

「良い顔になったな。そうでなくては、面白くない。――で、ホーストの連中が言い出した出資の件についてじゃが。わらわが宣伝してやることで、こちらが得られるメリットが不明瞭に過ぎる。自国の商人の保護が大事なのはわかるが、どれだけの富をこっちに引っ張ってこれるか? ここがしっかりとわからない限り、王家の方から直接支援するというのも、ちと躊躇いたくなるのう」

 

 そもそも、よそ者の縄張りに、自国民を無思慮に送り出すことはしたくない。

 まして、自ら関わって責任を負うことも、よほどのことがなければ避けたい――と言われれば、私も強く勧めるのは難しい。

 もっとも、それは情報を得る前であったなら、の話。今の自分であれば、言葉巧みに誘導できるという、悲しい自身が私にはあった。

 

「そのお言葉が出るということは、出資する商人を保護するつもりは、確かにあるのですね? 商人たちの利害を考慮した発言と、そう捉えて良いものでしょうか?」

 

 まずは、一段階置く。些事に見える事柄を前に出して、相手の言葉を引き出しておくことは大事だ。

 それがひいては、最終的な納得に通じる。理論より感情を優先するのが人の性であり、感情さえ満足させれば理論が通るものだと、私にはわかっていた。

 

「おぬしの言う通り、おおよそはそう解釈して良いぞ。――わらわは軍事的にはシルビアに敵わぬが、それ以外の分野の見識で、負けた覚えはないのでな。商業の保護が不要であるなどと、馬鹿なことは言わぬさ」

「王妃様をシルビア妃殿下と比べて、劣るという評価を与える手合いは馬鹿です。そんな相手は、無視してもよろしいでしょう」

 

 本心だった。王妃様を下位互換の置物だなんて考えて侮る手合いは、小人物と言って良い。

 このお方は、本気で今の政治と向かい合っている。王妃と言う地位にあり、行政に直接かかわって、実働戦力に影響を与えられる時点で、敬われるべきなのだ。

 私はそれをわきまえて、話をしている。なればこそ、歴史が動く瞬間を、こうして実感できるのだった。

 

「真面目な話、他所に富を無駄につぎ込んで、国内の経済が悪化するようでは困る。クロノワークは国力を増強する方向へ舵を切っていて、ここからが重要な時期なのでな。商人たちを無謀な投資に誘う話なら、遠慮したい。――そもそもの話、ノリと勢いで突っ走るには、あまりに重い話ではないか? 躊躇って当然であろう」

「王妃様の懸念は理解できます。ただ、商人たちもリスクは理解したうえで挑戦するのだと、その意気だけは買ってあげてください」

 

 出資と言えば軽く済むような気がするが、今の時代の合資会社は、基本的に『無限責任』だったりする。

 出資者は経営に関わり、その責任を負わねばならない。東方で起業した後、もし多額の負債を抱えて会社がつぶれれば、出資者は個人的な財産をもって弁償する義務が生じるのだ。

 ――もっとも、責任に見合った仕事も割り振られるわけで、成功した時の見返りは大きい。

 今ならば、大きな責任を負う代償に、クロノワーク商人は東方への交易に食い込む権利を得られるというわけ。

 

 人によっては、魅力的に映る案件だろう。だからこそ、悩ましいともいえる。

 この一件で食い込める交易路は、ゼニアルゼが主導する道と重なることもあろうが、基本的には外れた方向を目指すことになるだろう。

 新天地に橋頭保を築く以上、ゼニアルゼという縛りから逃れたくなるのが商人の性と言うもの。

 ゼニアルゼの関税を避けて、独自ルートを打ち立てられるなら、それに越したことはない。成功すれば――の話だが、夢のある話ではある。

 現実として開拓の余地がある以上、参加したいと思う者はそこそこいるはずだ。

 

 自らの才能を過信して、失敗した時のリスクを度外視する。その手の『出来る馬鹿』がクロノワークの富を持ち出す可能性。そして国内の富を持ち出すだけ持ち出して、現地で散華する可能性を、王妃様は見ているのだろう。

 私も、それは否定しない。当たればデカいが、しくじった時の傷も大きい。なればこそ、やるからには半端は駄目だと伝えたいんだ。

 

「私も、王妃様の判断は一面では正しいと考えます。ですが、こちらの思惑に関わらず、商人たちは独自に動いて、勝手に東方へと進出するでしょう。――ですから、最初期からこちらで調整を入れ、首輪をつけておくのも一手ではないでしょうか?」

 

 一面では正しい、と王妃様の言い分を認めつつも、無策で良い訳はないと指摘する。王妃様も、これには苛立ちを含めた口調で応えてきた。

 

「一理は認める。おぬしの判断にケチを付けるわけではないが――だからこそ、わらわはおぬしに自ら主導する気があるのかどうか、まずそれを聞いたのじゃな。……しかし、おぬしは己が唯一の適任者である、という自覚がないらしい。では先ほどまでの発言は、どこまで本気にしたらいいのか? ここでもやはり、躊躇うべき理由ができてしまうわ」

 

 薦めるならば、薦めるだけの準備をするべきだと、王妃様は指摘する。わかってはいたことだが、甘い相手ではなかった。適当な言葉を吹いただけでは、危機感の共有など無理な話である。

 ここは少しづつ、詰めていくとしよう。

 

「ここで、積極的に自らを売り込むほうが、うさん臭く聞こえるでしょう? 私が適任かどうかは、また後で考えればいいことです」

「おぬしは、目の届かぬところで荒稼ぎをするような馬鹿でもあるまい。それもあって、適任だと思うのじゃがな」

 

 東方に派遣された後で、ホースト連中に丸め込まれては元も子もない。金や地位で釣り上げられて、一緒になって蓄財するような奴は不適格だ。

 だから、クロノワークへの帰属意識が強い人間を選ぶ必要がある、というのは確かだ。その中に私も含まれていると言えば、否定できない。

 

「……とりあえず、相手の本気の度合いと、東方国家の反応次第では、短期的な影響はあまりないでしょう。ホーストからの誘いは無視しても、すぐには問題は現れないはず。――しかし、あちらで他国に拠点を作られると、わが国の交易にまで支障が出てくる可能性があります。それを干渉しないまま放置するというのは、やはり考え物であるかと」

「支障とは何か? 次いで、ゼニアルゼの損は、必ずしもクロノワークの損に直結しない――という部分も考えて答えてみよ」

 

 お互いの間に隔絶した経済格差があったとしても、クロノワークとゼニアルゼは、対等の同盟国という体面がある。

 なればこそ、あちらの都合に完全に合わせて、媚びるような態度はとりたくないはずだ。王妃様とシルビア氏殿下との間に、何かしらの密約があるかもしれないが、それはそれとして自らの権利を主張したいのだろう。

 

「では、ゼニアルゼとクロノワークの立場に違いも交えて、お答えしていきましょう」

「うむうむ、それでこそ相談役に据えた甲斐があったものよ。体を張るばかりが貢献ではない。言葉を用いることが最善につながることも、またある。国家同士の約束事がその典型例であるし、商売においても契約は重要である。――おぬしなりに、本気で説いてみよ。わらわの気が変わるかもしれんぞ?」

 

 なんか最近、こんな感じの話ばっかりしてんな私――なんて自嘲しつつも、頭の中で素早く理論を組み立てる。

 命がけで戦う場が戦場と言うならば、いまもまた戦場にいることに変わりはない。王妃様の認識如何で、多くの人々の運命が変わりかねない。

 少しでもいい未来を目指すならば、まさにいまこそ奮起べきだった。

 自分で背負うと決めた、彼女たちの為と思えば、それくらいはなんとでもなった。

 

「まず、他国の商人たちが商業的な理由で東方に進出する。この結果、ゼニアルゼのそれとは競合する形になるので、シルビア妃殿下にとって、彼らは潜在的な商売敵になります」

「うん? いや、必ずしもそうはならんだろう? 国籍に関わらず、商人たちはその多くがゼニアルゼが整備した道を通る。そこで関税を落とすのだから、むしろ積極的に交易に励んでもらう意味でも、敵と言うより同盟者と言う方が近いではないか」

 

 あるいは関税を落とさずとも、交易の活性化そのものが、西方に経済的活力を呼び込み、消費を拡大を促すだろう。

 あらゆる需要が拡大していけば、ゼニアルゼもそれを利用して利益を確保するはずだ。一概に敵味方とは言えない、と王妃様が言うなら、確かにそれは間違いではない。

 だが、それはお互いに永遠に友であることを保証しないし、喧嘩別れする可能性は常にあるのだと私は言いたかった。

 

「一面ではそうです。しかし、国の思惑と一個人、あるいは一企業の思惑は、一致するとは限りません。何より、他国者ほどシルビア妃殿下の才覚を恐れ、警戒する。……今回の件も、大方は妃殿下の影響力を受けたくない他国の連中が、独自の路線を模索して動いているのでしょう。その執念を甘く見てはなりません」

 

 議会制民主主義が主流の世ではなく、王政国家が標準の時代だ。上に政策あれば下に対策あり――とばかりに、個人は個人の利益を追求する。

 社会保障が未成熟な社会では、そうしたところで責められない。自国を出て、他国で出稼ぎをしているような感覚で、他国人を食い物にするのも個人の勝手だろう。

 しかし、そのやらかしが度を越せば、確実に国家が責任を追及される。管理責任を問われ、外交的な失点を負うことになるのは、いつの時代でも個人ではなく国家なのだと私は知っている。

 

 中国は、21世紀になってもアヘン戦争のトラウマを乗り越えられていない。

 コロンブスから始まった、ネイティブ・アメリカンと白人種との確執は、これからも解決されないまま続くだろう。

 例を出せばキリがないが、私が知っている現実に対して、ここで何かしらの影響を与えられるならば、行動せずにはいられない。

 私は、この世界で幸せになりすぎた。せめて、こうして世界に還元せねば、後ろめたくて仕方ないではないか――。

 

「シルビアの才覚が鋭すぎ、自分本位に過ぎるということは、否定せぬ。おぬしはそこが問題だ、とでも言いたげだな? で、一致しないとなれば、どんな不具合が出る?」

 

 頭を切り替える。物思いに浸る暇はないぞ、現実に対処せよと、己を叱咤して口を開く。

 

「第一に戦争の危険性。今回の件を別にしても――ゼニアルゼの商人たちが、東方に出向いて事業を立ち上げる日がやってくる。商業の発展が国是となる、かの国においては、交易の分野で他国に後れを取りたくはないはず。――ホーストやヘツライあたりが先に進出していたら、どうしても利害が衝突し、いずれ物騒な事件が勃発することが予想できます。国家同士が対立を望まなくとも、商人たちが利益を分け合えるかどうかは、別の話ですから」

 

 国の外に出たら、商人と賊の違いなど、一目で見分けることも出来ぬ。権力の目が行き届く範囲ならともかく、そうでない場所であれば、商売敵を殴り殺すこともままあるのだった。

 オランダとイギリスは、17世紀の近代においても、交易問題で殺し合いをしていたのだから。こちらでの商人たちにも、過剰な倫理観を期待するだけ無駄だろう。

 

「……つまり、ゼニアルゼ商人と他国の商人が、他国で殴り合って、深刻な武力衝突が起こると? 結果として、国家間の緊張が増し、戦争に至るとまで考える訳か」

「その他国の商人の中に、クロノワーク人が一人でもいれば、話し合いの余地が生まれるかもしれない。――個人と国家は別物ですが、完全に無視できる者ばかりではありません。場合によっては、争いを避ける切り札となりえます」

 

 何より、クロノワーク人は屈強な者が多い。国家のお題目より、目の前の暴力の方が商人たちには効果的だろう。

 武力的な意味での抑止力。その結論に至れば、王妃様も理解を示した様子で、肯定的に応えてくれた。

 

「ふむ。東方への進出は、クロノワークが発言力を持つ理由付けになるか。……まず一つ、こちらが干渉すべき理由ができたな。ならば、もしクロノワークが介入できず、話し合いの余地がなかったら、どうなる?」

「先ほど言ったとおり、戦争になるまで殴り合う危険は残ります。もう少し語るなら、そうですね。物騒な事件――言葉を飾らずに言えば、略奪と殺戮。これが勃発することもありえます」

「それは怖いな。放置すると大変なことになりかねん。……とはいえ、まだ説得に至るほど納得してはおらぬぞ。話を続けよ」

 

 心なしか、口調が楽し気に聞こえた。王妃様の、期待の視線に応えねばならない。

 このお方は、シルビア妃殿下とはまた違った傑物なのだろう。新しいものを認めて、新たな価値観を理解しようとする。

 王妃様の柔軟さは、確かにその子にまで受け継がれているのだ。

 

「具体的には、利害的な対立から、お粗末な証拠をでっちあげ――それを口実にお互いを殴り合う。そうして出た損失を巡って、商人たちの対立から国家的な問題まで至る恐れがある、というわけですね」

「ああ、どこまで本気で入れ込むことになるか、被害と現地の反応次第では読めなくなるな。……『恐れ』だけなら確かにある、か」

 

 いまいましい、とばかりに王妃様は唇を軽くゆがめて見せる。今は想像上の案件にすぎないが、ありありと思い浮かべられるくらいには、説得力を感じてくれたらしい。ならば、後は畳みかけるだけのことだ。

 

「はい。戦場が西方になるか東方になるか、そこまではわかりませんが――。あちらでの利害調整が、よほど上手にやれなければ、国家規模の殴り合いに行きつくと予想は出来ます。だから『東方会社』がそこまで肥大化して、問題を起こさぬうちに、こちらで首輪をつけた方が無難ではないかと思うのですね」

 

 東方で起業した連中については、面倒だから『東方会社』とひとくくりにまとめてしまおうか。勝手に命名して申し訳ないが、話を進めるにはそちらの方が面倒がないんで、お許し願いたい。

 

「東方会社、か。面白みのない社名じゃが、まあ暫定的に、そう定義しようか。ホーストやらヘツライやら、その他有象無象をまとめて表す言葉としては、それくらいで上等じゃろうて」

 

 ――さて、タラシー相手に多少語ったが、東方会社は自らを守るために武力を保持せねばならぬ。

 殴ったり殴られたりすることが初めから想定されているなら、ここは手を抜けない。そして交易を守るのに武力を用いるならば、政治に食い込むまでさほどの時間はかかるまいと思う。

 

「では第二の問題。殴り合いが始まるか否かに関わらず、西方と東方の交易を差配し、物流を掌握し、武力まで保持する集団が現れれば、現地勢力との関係が問題になってきます。あちらからすり寄ってくるか、自ら接触する形になるか。いずれにせよ、税金以上のことを求められたり、求めたりすることになりかねません」

 

 しばしば、物流と言うものは政治にかかわることであるから、武力をもってそれを守護する企業は、地方勢力と深く結びつくことになるはずだ。なにしろ、為政者は民と兵を食わせねばならぬゆえ。

 そして、結びついてえらいことになる、というパターンも想定しておくべきだった。

 

「税金以上? 東方会社の傭兵を借り上げて、戦争でもやらかすとでも言うのか? ……そこまで短絡的でなくとも、上手に利用してやろうという輩がわいてくると?」

 

 王妃様の声には疑いの色があったが、それはどちらかといえば、信じたくない――という願望によるものであったろう。

 実績とか証拠とか、そういったものがない以上、ただの妄想と言われればそれまでである。

 しかし、人が時として驚くほど馬鹿になる――という実例も、私達は知っているのだ。

 

「東方の政治情勢については、まだ一定の均衡を保っている様子ではありますが、火種はどこにも転がっているもの。きっかけさえあれば、すぐに発火する。……我々とて、それはソクオチで実感したばかりではないですか。そして切羽詰まった馬鹿は、どんな愚かな手にも縋り付くのです」

「――火種については他人ごとではないにしても、それは流石に馬鹿らしい話じゃぞ。国家の軍隊ならばともかく、一企業の私兵を戦争に用いたところで、真面目に戦ってくれるはずがあるまいに」

 

 王妃様の言葉は正論だった。他国人の傭兵が、死ぬまで善戦してくれる可能性など、考慮する方が馬鹿だと言える。

 ただ、政治的に馬鹿をやらかす手合いは、そうした道理さえ理解できなくなっている。だから、場合によっては東方会社などと言う、部外者にさえ頼りかねない。おそらくは、後先も考えずに。

 

「結果が成功であれ失敗であれ、打診された時点で東方会社は東方の勢力争いに無縁ではいられない。敗北して叩き出されるとか、不利な条件を飲まされるとか。それくらいで済めば、まだ御の字とさえいえるでしょう」

「わかるぞ。一番の問題は、成功した時じゃな? 下手に手柄を立てて、領地など押し付けられたらどうなる。――統治せねばならぬ。役人を雇い、税金を徴収し、施政の方策や裁判の処理にまで関わることになろう」

「そちらだって、失敗すれば話は早いのです。やっぱり無理だったなってことで、現地勢力に丸投げする口実ができるのですから。半端にこなせてしまう下地があればこそ、こじれてしまうのです」

 

 なお、事務をおろそかにしたり、無能な人員を出向させるほど、西方の商人はレベルが低くはない模様。

 当たり前の話だけど、成功するつもりで進出するんだから、何事にも全力で仕事をしてくれるだろう。

 あちらさんの事情は分からないけど、相応にリソースをつぎ込むことは確実。そうなれば投資した分を回収しくなるものだから、追加での援助だって十分考えられる。

 何事もそうだが、資本を注げば注ぐほど、成功の可能性は高まる。成功したことで背負い込む問題については、この時点では目に入らない。なればこそ、余計に厄介だと私は思うのだ。

 

「そこで、第三の問題点が浮き彫りになります。東方の一地方を、一企業が直接統治することになるとしましょう。ノウハウがないから、失敗はある程度あるとしても、元々の処理能力と学習能力で、なんとか乗り切ったとします。……武力で保護され、安定した交易が行えて、統治の実績もある土地が出来上がりますね」

「国家の中の国家、と言ってもよいな、それは。軍閥と何が違うんじゃ、それ。……遠からず、東方の国家が割れる元凶になりかねんぞ」

 

 王妃様は、問題を正しく認識してくれた。ここまで話を進めたならば、私の懸念も理解してくれる。

 地球の史実における東インド会社は、一企業でありながらインドを統治することになった。

 後に時代の流れで解体される運びになったが、その勃興期から全盛期においては、一種の国家と呼んでも差し支えない程度の機能を備えていたのだ。

 こちらでも、その轍を踏む可能性があると私は見ている。もちろん、こちらの東方がインドや中国そのままというわけではあるまいが――だからといって、油断していいとは思わない。

 

「軍閥、というほど軍事的な側面が出てくるわけではないでしょうが――。あちらの政治情勢に、明確な影響を与えること、確実と見るべきです。悪い意味でもいい意味でも、放置して良いとは思いません。まかり間違えば、東方の政治勢力を操縦し、恣意的な交易が可能になってしまう。ゼニアルゼとクロノワークだけを排除して、東方交易を身内だけで独占する体制すら、整えてしまうかもしれません」

「ソクオチを排除せずに残すあたり、嫌らしいことを考えておるのう。……不和を呼び込む土壌は、どこにでも育つものじゃ。モリーも、なかなかひどい事態を想定しておるではないか」

 

 東方会社が掌握する土地にもよるが、特産品を独占して、高く売りつけるくらいは普通にするだろう。

 さらに追加して、領地内では商売敵であるゼニアルゼ商人から積み荷を略奪しても、証拠隠滅が容易くなる環境が整ってしまう。

 ここまでがっちり権力を固められたら、いかなる無法もまかり通る。前段階とは比較にならぬほどの影響が、ゼニアルゼとクロノワークの両国に降りかかるだろう。

 

 付け加えるなら、ここらで東方会社がソクオチだけを厚遇することで、各種外交問題をソクオチに擦り付けることすら可能かもしれぬ。

 事実かどうかに関わりなく――何かしらの裏取引があったことをほのめかせば、三国同盟の維持にも支障が出よう。

 

「ここまで語れば、他人ごとではないのだという、私の主張。――お分かりいただけましたか?」

「うむ。これ以上ないほどに理解したとも。さて、そこまで言い切った以上、具体的な対策も考えておるのじゃろう? ……こちらが武官を派遣したところで、漠然とした指示では有効に動けるとは思えぬ。いかに動かし、いかに活用する? おぬしの意見を聞かせろよ」

 

 ここからが肝心だった。問題を認識しても、的確な処置を施せないなら、対応はどうしても後手に回る。

 損害が出るばかりで改善が見込めないとなれば、初めから手を出すことも躊躇いたくなるだろう。この王妃様の不安をぬぐって差し上げるため、私には答える義務があった。

 

「まず、武官を派遣する意義については、ここまで語ればわかっていただけると思います」

「正式な役職を持った、武力的な抑止力を東方会社に置くことができる。――最初期から協力的に動いておけば、あちらにもクロノワークの利益に対して配慮を求められよう。参加するクロノワーク商人の保護、交易の優遇、色々じゃ」

 

 必要性については理解したと、王妃様は言う。なにより、クロノワークの武官を東方会社の要職に推せることが重要だった。

 

「王妃様のおっしゃる通り、抑止力と言う意味でも、利益の確保するための意味合いでも、わが国から武官を派遣する意義は大きい。――自慢するわけではありませんが、クロノワークの騎士の水準は、西方一と言っても過言ではないでしょう。それを提供するのですから、見返りを頂く理由としては、充分だと考えます」

「東方会社の影響力が強くなる場合も考えるなら、最初から捻じ込んでおいて、クロノワークの影響力を確保しておくべき。――モリーの意見はわかった。考慮に値するとも認めよう。じゃが武官を向かわせて、それで安泰とも思えぬよな」

 

 それはそれとして、まだ一手くらいは追加の策が欲しい、と王妃様は思わせぶりな発言をした。私から視線を外し、思案するように顎に手を当てて、口を閉ざす。

 私からの発言を待っているのだと、すぐに理解した。そして、何を求められているのかも、わかっているつもりで言う。

 

「ここで、東方会社の後ろ盾になっているであろう、ホーストやらヘツライやらの国家に対し、謀略を仕掛けます。狙いとしては、興味を東方から足元の火種に向けさせること。連中から余裕を奪い、東方へ割くリソースを減らさせることが目的です。――それには、厄介事が東方からやってくる形にするのが、一番いい。そして幸いなことに、私には東方の商人の知り合いがおります」

「ああ、公式補給商に任命した、あやつじゃな。しかし、今はそちらの仕事で忙しいはずではないか? こちらを手伝う余力があるものかな?」

「それほど大きな仕事を頼むわけではないです。ただ、東方にいる知り合いに向かって、情報を流していただきます。――なるべく正確に、こちらで選定した情報を大々的に宣伝してもらうのですね」

「謀略の一環として、情報を商材にするわけか。で、内容については?」

 

 一国の謀略に、己は手を染めようとしている。それを自覚しつつ、私は口を開いた。

 あるいは、これは私が無辜の民を犠牲にする手段を、ついに許容したことを意味するのか?

 

「東方の住民たちに、西方には働き口がある――という話を流布させます。これまた、いずれ不可避の出来事ではあるのですが、こちらで調整できるものなら、できるだけやっておきたいというのが本音。……そして、働き口にはどこがよいか。具体的に示しておいた方がよろしいでしょう」

「で、そこにホーストやらヘツライやらを勧めると。ふーむ」

「はい。ご不満ですか?」

「さてな。おそらく、あちらにとっては嫌な手なのじゃろう。謀略と言えば謀略に違いはあるまいが、何ともな」

 

 王妃様は理解されなかったが、それでいいと思う。むしろ、わからないほうが正常なのだ。

 私自身、非道なことを口にしている、という自覚はあった。結果的に、経済的にも人道的にも、どれほどの惨禍を呼び起こすことになることか。

 震えそうになるほど、ひどいことを口にしようとしている。わかっていながらも、言葉は止めない。

 己が直言出来る立場にあり、被害を最小限に抑えられる手立てがあるならば、それを行わないわけにはいかないのだ。

 今、この現状を呼び水にして、制御可能な範囲に落とし込めれば、最終的な被害は相当数抑え込める。そのためならば、一時の悪評くらいは飲み込むべきだと私は思うのだ。

 

「どんな画期的な内容が出てくるかと思えば。……存外、随分地味な話をするのじゃな。それで人が来るものか? 百人千人程度では意味がないのだぞ」

「では、一万以上であれば意味があるとおっしゃられる? ならば、心配いらないと申し上げましょう。――ミンロンの調べでは、東方の人口は西方を圧倒するとのこと。一万人くらいの移民ならば、数年とたたずに達成されるはずです」

 

 何分、情報の裏付けが取れていないから、ここで断言したところで完全な納得は得られまいと思う。

 しかし、東方に中国らしい国があるということを、ミンロン女史の存在から私は確信している。ならば、出稼ぎ労働者が嫌と言うほど湧いて出てくるだろうことも、確実と私は見ていた。

 

「数年かけて、万単位の人民が東方から西方に移住する。それだけ聞くなら、たいそうな一大計画よな。……それを、雑な噂話から始めるのか。わらわとしては、今少しの計画性を求めたいところよ。働き口の世話をするにしても、こちらで主導してやる義理がどこにある?」

「はい、義理と利益の話をしましょう。そして、今後の計画についても。この案について、いまだ考え尽くせる所まで、詰めることがまだできていませんが――。無駄な時間を過ごさせる結果には、ならないと思っておりますよ」

 

 東方との衝突自体は、以前から予測できていたことだ。前々からちょっと考えていたことと、この場で即興で思いついたこと。それをまとめて、今口にしている。

 時間が足りていないから、つたない所はお許しくださいね。

 

「そう願う。――で、東方移民の処遇をいかにする? わらわは、西方が荒れることを好まぬ。我が国はもちろん、ソクオチであれゼニアルゼであれ、そこは同じよ」

 

 何より、シルビア妃殿下が不幸になる事態までは望まない、というのもなんとなく理解しているつもりだ。

 だから、ある程度はこちらで制御する必要がある。

 

「東方に武官を派遣にする意義が、ここで出てきます。――まずゼニアルゼとソクオチ、クロノワークへの移民に関しては、派遣武官に直々に判断させます。正規の手続きを経た者を正規の移民として扱い、それ以外は不法移民として処分する体制を整えましょう。可能な限り、特殊技能、もしくは気性的に問題のないものだけを受け入れる形にしたいですね」

 

 つまり、きちんと人物を見て採用を決められるくらい、教養とか判断力とか、現場で必要とされる能力を持ってなければならない。

 派遣する武官も、選別して適切な者を選ばねばならないが、そこは王妃様にも一人二人の心当たりくらいはあるだろう。

 

「そして有象無象の移民どもは、他国に流れ込んで、連中の悩みの種となる――と。なんとも都合のいいことを言う。誰でも棄民を受け入れるよりは、使える人材を呼び寄せたいと願うものよ。……第一、そんな優秀な人間は数が少ない。取り合いになって、外交的なしこりを残すのは避けたいものじゃな」

「なので、そこは最初の契約で縛りたいですね。【王妃様が宣伝する対価として、移民選別の優先権を得ること】を確約していただきます。……交渉役の話術次第ですが、あちらもあちらで一枚岩ではないはずだし、こちらの協力は必要でしょう。流れ次第では、充分見込めると思いますよ」

 

 確約をもらえるという前提自体、希望的観測よな――と王妃様は突っ込んだ。確かに相手に拒否される可能性もある。

 しかし、それならそれで一時的に手を引けばよいこと。事態の趨勢を見守るほかなくなるが、どうせいずれ口実は出来ると私は思うのだ。

 何かしらの事件が起こった際に、クロノワークの武力を派遣する。その恩を押し付ける形で、改めて干渉する余地を作ればいい。そこまで説けば、王妃様は飲み込んでくれた。

 

「よかろう。それで、ほどほどの数の移民を選別して受け入れたとしよう。受け入れた者に適切な仕事を与えられたとしよう。――こちらの利益を確保したとして、他国はどうなる。ゼニアルゼの人選にまでは、流石に踏み込めまい。労働力を確保するつもりが、暴徒の群れを受け入れる形になるかもしれんだろう? シルビアが下手を打つとは限らぬが、万が一があるのではないか」

「暴徒として入り込むものなど、一人もいませんよ。犯罪者が移民になることはありますが、労働力としてやってくるのが普通です」

「多量に押しかけてきた労働力など、奴隷扱いされて当然であろうが! 反発からの治安悪化は、さんざん議論されてきたところよ。――おぬしはそれに対し、無策であろうというのか?」

 

 感情的に口調で問い詰めてくるあたり、母親らしく心配しているのも、確かであろう。

 これを解消して差し上げるのも、臣下の務めと言うもの。言葉を重ねることで、王妃様の期待に応える。

 

「言っては何ですが、現状、働き口ならいくらでも作れる環境が整っています。戦乱が収まって、平和の時期の到来をシルビア妃殿下は見越しておられる。――あの方は、砂糖栽培の事業を進めているとも聞きました。単純労働の人員は、まだまだ必要になることでしょう。暴徒であれ犯罪者であれ、短期的には労働力として使えます」

「将来的にはともかく、現時点ではシルビアへの追い風になるか。しかし、長期的にはどうなる?」

「長期的な対策については、時間さえあれば妃殿下が適当にやってくださるでしょう。産休のことを考慮に入れても、余裕はあります。あの方ならば、十分に対応できると信じるべきでは?」

「盲目的な信頼に、意味などない。おぬしの方から助言したり、行動する余地があるというなら、信じられるのじゃがな。――その辺り、どう考えておる?」

 

 半端な回答は許さぬ、とばかりに王妃様は攻めてくる。これに答える用意も、私にはあった。

 

「移民対策について、王妃様から直接思うところを伝えておけばよろしいかと。今まで私が話したような懸念を伝えれば、それで十分です。――さすれば、妃殿下は多くの移民を自国だけで抱えず、他国に分散させるようにしむけるでしょう。ゼニアルゼの外交努力次第ですが、それなりに効果はあると思います。シルビア妃殿下も、王妃様が相手なら、それだけで恩に着てくださいますよ」

 

 後のことはどうとでもなるだろうって思うから、言い方があいまいになるのはご寛恕いただきたい。

 シルビア妃殿下がこの程度でどうにかなるようなら、はるか以前に破綻している。過剰な心配は、あの方への侮辱に等しいとすら思う。

 そんな感想が出るあたり、王妃様より私の方がよほどシルビア妃殿下を高く評価している。そんなことを、今更のように自覚した。

 

「それで、済むか? 人の海は、制御が聞くものではあるまい。わらわたちが移民の後押しをして、一時期だけでも西方の秩序が乱れるとなれば、責任は重大であるぞ。……収拾するための策があったとしても、自覚してその発端を作るなど、ぞっとする話ではないか」

 

 とはいえ、言うは易く行うは難し、である。強制的な移住や誘導は、反感を伴う。思ったような待遇を受けられないとなると、東方からの移民は結託して色々とやらかしにかかるかもしれない。

 最初の内はどうにかやりくりできても、やはり長期的には衝突は免れない。王妃様が重ねて言うものだから、シルビア妃殿下がしくじる可能性も、まったくないとは言い切れなかった。

 

「……確実なことは何も言えません。しかし、くどいようですが、東方からの人口流入は、いずれ必ず起こること。これを今呼び込むことで、後世へ対応を押し付けずに済む、という利点は確かにあります」

「――わらわとシルビアが健在であるうちに、問題を解決しておこうというわけか」

「はい。シルビア妃殿下の、直系の子供に、問題を残さない。そこまでは無理だとしても、軽減させる努力を尽くすには、今のこのタイミングしかないと思うのです」

 

 仮の話ではあるが、私が関わらず、王妃様も東方会社を無視したとしても、やはり彼らは彼らで動き出す。

 そして、連中は絶対に奴隷に近い契約条件で、東方の労働力を買い上げるのだ。交易が広く行われることで、東方の特産品の需要は跳ね上がることはまず間違いない。

 

 農産物、鉱物、東方ならではの加工品(絹・綿製品や茶等)の増産が求められる。これを大規模なプランテーションとして構築し、経営するには数多くの人員が必要だ。

 そうなれば、苦力の類を呼び込んで、東方人と西方人の入植者が同居する環境が、遠からず実現する。

 奴隷貿易が解禁されない限り、これは確定事項と言っていい。限度はあるだろうが、労働力の供給と言う観点から見るなら、奴隷より移民を用いる方が道徳的だろう。

 

 移民は労働させるにしても、正式に雇用せねばならないし、個人的に財産を持つ権利も認められる。

 好条件が重なれば、帰化の後に結婚して、人口の増加と消費の拡大にも寄与してくれる。人口が増えれば問題も出てくるが、それは今は置こう。

 

 これに対し、奴隷は自身が飼い主の財産であり、経済活動を行う余地がなく、あらゆる自由が認められない。意欲の減少からの生産性の低さは、効率重視の人間にとっては我慢ならないレベルになる。

 要するに、長期的にはコストに見合わないのだ。そんな存在を作るくらいなら、シルビア妃殿下は黄禍くらいは飲み込む。

 ――とはいえ結果として、文化的な対立、習慣の違いからの悪感情は、どうしても避けられない。それを危惧する気持ちは、私も王妃様も変わるまい。

 

「孫に苦労を背負わせたくない、という気持ちはわらわにもある。……しかしな、どうせ問題が起こるからといって、こちらばかりが負担を背負うことはなかろう。ホーストやヘツライにいる何某かに、多くの問題を押し付けてやる手はないものか?」

「ホーストにしろヘツライにしろ、これといって傑出した人物の話は聞きません。重要な問題は、人任せにしていいものではありますまい。クロノワークならば、これを主導して解決する手段もあると思うのです。――他国から適切な距離を置いて、独自の路線を歩んでいた実績があり、ゼニアルゼとの血縁関係もある。我々がここに介入する意義は、はかり知れません」

 

 結局、我々が部外者を気取っていても、他の連中がやらかすのは時間の問題となるのだ。ならば、せめてこの機会を好機と捉えて、可能な限り自勢力の拡大を目指すのが無難であろう。

 影響力を確保していればこそ、介入する余地も生まれる。シルビア妃殿下だけではなく、王妃様もそれに参加できる態勢を構築できれば、西方と東方の衝突は、もっと穏やかなものになる。

 そう出来ると信じればこそ、私も言葉を尽くすのだ。だがここにきて、王妃様はもっと個人的な視点でこちらの策を評価したがる。

 

「シルビアは、これからが大事な時期なのだぞ。身重の身で、あれは充分に働いた。――少しの間、休養が許されても良いじゃろう。わらわ達の努力で、どうにかなる範囲に収まるのじゃろうな?」

「収めます。我々が適切に対応できることが前提ですが、今ならば王妃様と私達が全力で動ける。これは、明確なアドバンテージであると考えます。……大丈夫ですよ。クロノワーク騎士は、誰も彼もが傑出した武人であり、同時に高級官僚としての資質も持っています。指針が明確であるならば、下手は打ちません。どうか、我々を信じていただきたい」

 

 思えば、先日の一件が最後の外交行事であったのかもしれない。あの方のことだから、もう少し無茶を重ねようと思えばできなくはあるまいが――。

 とりあえず現状、ゼニアルゼにそこまで切羽詰まった問題はない。他国の動きが気になるのはいつものことだから、体の具合次第では、もう休養に入っていたとしても不思議はなかった。

 

「シルビアにとっても、現状はこれ以上の負担は背負えまい。とにもかくにも指示が行きわたっており、目を離せるだけの余裕があるならば、近いうちに長期休暇を取っても可笑しくはないな。……あの子も、妊娠の適齢期を過ぎておる。そう何度も子を孕めぬと思えば、大事を取るのが無難であろう」

「東方会社の一件がわかりやすいですが、その間にゼニアルゼを抑止する問題が起こること、必定でしょう。私どもが図らずとも、他国が図ります。本当の意味でシルビア妃殿下を脅威に思っているのは、我々ではなく他国の者どもでしょう。押しつけがましい形になりますが、何かしらの手段を用いて、この好機にゼニアルゼに貸しを作るべきなのです。そうして外交的優位を取って、ようやくクロノワークはゼニアルゼと対等になれましょう」

 

 ミンロン女史には、適切かつ迅速に、広範囲に情報を流してもらう。一度噂になって、第一陣が西方に着いたら、彼らには計画的な労働が待っている。そして、次にやってくる連中に備えて、耕地か工場か、あるいは漁場でも採掘場でもよい。

 とにかく行き場を用意しておかねばならない。それくらいの体制を整えておく必要があり、これにはクロノワークとゼニアルゼが共同で行う形が良いだろう。

 

「……簡単に言ってくれるが、先の策とて簡単なものではない。移民の選別作業はたやすくないし、優先権がどこまで守られるかも問題じゃ。教育の行き届いた人材は、どこでも必要とするであろうからな」

「では教育ではなく、気質の差を重視しましょう。とにかく従順な相手を選ぶようにするのです。――これに関しては、家庭ごとやってきている者を選別して受け入れるのが一番かと。妻子を抱えた夫は、多少の無理も受け入れます。その夫を抑えれば、一家を抱え込むこともたやすい」

 

 待遇は一律になるし、クロノワークは厚遇できるほど資本の余裕はないが、治安はいい。

 食うもの住む場所に困らないならば、あえて問題を起こす馬鹿などごく少数だ。一家を抱えているならば、なおさらのことだった。

 

「いささか非道であるが、道理である。相手の弱みに付け込むのは、謀略の常とう手段故な。……しかし、手加減はしてやれよ。わらわとて、あえて民を搾取したいわけではないし、シルビアの不幸を望むわけでもないのだ。その子や孫の身の上に対しては、なおさらじゃの。――次代の担い手に憎まれるようなことは、したくない。虫が良いと言えば、それまでじゃが」

「それこそ、東方に派遣する武官の采配次第、と言えるでしょう。すでに王妃様の中では、その方向で固まっていると思いますが、人選は慎重にお願いいたします。……失敗が許されないお役目でありますから、出し惜しみをするべきではないと思います」

 

 ふむふむ、と王妃様は私の意見に理解を示しつつ、意味ありげな視線を向けてくる。

 ……なんだか嫌な流れになってきたけれど、私は負けないよ。東方に行かずに済むなら、行きたくはないんだ。妻たちを連れて行くのが、大変だからね!

 

「では、まとめてみようか。東方会社に派遣する武官の条件について、一つ一つ検討していこう。――まず他国に派遣して、重役が務まるだけの能力がなくてはならぬ。周囲に侮られず、尊重され、的確な判断で他者を導く。それだけの指導力が必要ではないかな?」

「まさに。そうですね、実戦部隊の隊長並みの実力があれば申し分ないと考えます。……必要なのは地位ではなく実力なので、その点は間違えないようにしましょう」

 

 実際に隊長格を引き抜いて派遣しようとしても、希望する人なんていないだろうし。

 東方会社への出向は、実質西方世界からの追放に等しい。せめて待遇面については、相手方に相当吹っ掛けてやって、上等なものを用意してあげねばなるまい。

 そうしてようやく、希望者が集まるというものだろう。

 

「周囲を威圧するだけの武力があったとしても、使いどころを間違えてはどうにもならぬ。思いつく限りの、多くの問題や事故などにも対応できるだけの頭脳がいる。その上で、東方に対する深い理解が必要じゃな」

「そこまで多くの知識はなくとも、現地に飛んでも学習を続けられるくらいには、意欲を持ってもらいたいところですね。――違う文化圏の学問を、積極的に学ぶ姿勢がなくては、現地の知識人に軽蔑されましょう」

 

 武力的な抑止力としてはもちろんだが、調整役として色々と飛び回ることにもなりそうだから、東方への理解は深いほうが良い。

 実務にも交流にも励んでもらわねばならないから、あちらの教養くらいは身につけて、現地に溶け込む努力が必要になる。

 

「威を示すための武、協調の為の知。他国者ばかりの東方会社で立ち回るには、いずれもおろそかに出来ぬか」

「はい。何も完璧にやる必要はありませんが、周囲に味方が少ないのは確実。自分一人でも一定の成果を出せるような、柔軟性と行動力が求められます。……他の連中がやりたがらない、やろうとしても難しい課題に、自ら取り組んでいく積極性も必要ですね」

 

 西方の知識人は、東方の資源に興味はあっても、学問にまで目を向ける余裕はあるまい。

 それをこちらが身に着けることで、いち早く東方の知識階級、支配層への浸透が可能になる。

 ホーストなどから主導権を奪うためにも、東方でのクロノワークの立場を強化するためにも、派遣武官には多くのことが求められる。

 柔軟な思考と行動力はもちろんだが、環境への適応能力こそが最も肝要だ。ここまで考えると、人選はかなり限られてくるだろう。

 

 ……んん? なんか言ってて違和感を感じてきたような。王妃様の顔も、どこか緩んできている。何を笑っているのだろう。

 

「ふむ、ふむ。まったく同感じゃ。想定は色々と出来るが、この時点でも相当な人物を派遣せねばなるまいな。一会社にすぎないとはいえ、東方会社はゼニアルゼを除いた多国籍連合といってもいい集団となるじゃろう。その中で、存在感を発揮していくのは、骨の折れる仕事になるであろう」

 

 そこまでできる人物は、クロノワークにおいても貴重である――なんて王妃様は続けて言った。

 貴重な人物を放出したくない、と思っているのだろうか。そう思えばこそ、自らの負担を嘆きたくもなるのだろう。

 

「東方会社は、ただ利潤の追求だけを考えたいところであろうが、東方はそこまで単純な土地ではないらしい。それを理解しているのが、我々だけであるとしたら、大変なことではないか?」

「派遣させる人物に、何かしらの大きな実績があれば、面倒な連中を黙らせることも出来るでしょう。――諸問題を小さいうちに潰していくためには、派遣武官の権限もそれなりに確保しておかねばなりませんね」

「最初の契約では、そこまで強く出ることは出来んな。――追加の条件として、東方で単独で立ち回り、社内での権力を握りに行けるだけの才覚も必要になるのう?」

 

 なんだか順調にハードルが上がっている気がするが、実際に最善を目指したいのなら、それくらいの能力を求めたくなるのだろう。

 ――我が身を省みても、そこまでの能力はないと思う。派遣される人は大変だ。

 

「さて、モリー。わかっていると思うが」

「……私には何もわかりませんが、何をおっしゃりたいのでしょう?」

「わらわには、適任が一人しか思いつかん。諸々の才覚があり、確かな実績があって周囲を黙らせるだけの気迫も持ち合わせている。――それでいて東方への理解が深く、書物の翻訳までしている教養人が、ここに居るな?」

 

 他国者に対して、面と向かって誇れるような実績など、持っているつもりはないけれど。教養人と言えば、確かに否定できない所だった。

 

「私、ですか? 確かに知識面では、多少覚えはありますが……。それ以外の部分では、どうでしょう?」

「わらわが認めているのだ。そこは、疑問を持ってくれるなよ。――ひいき目も謙遜も抜きで、おぬし以上に適切な人選があると思うか? その頭で今一度、考えてみよ」

 

 ……よくよく考えれば、副隊長と言う立ち位置は、万が一抜けても替えが効く立場でもある。

 王妃様が私を選んだのは、そういう理由だろうか。しかし、私個人はともかく、妻たちは容易く替えが効く存在ではないと思うが――いや、むしろ都合がいいのか。

 

「私が単身赴任で、東方に行くという形には出来ません。妻たちに対する責任が、私にはあります」

「で、あろうな。メイルとクッコ・ローセ、それにザラまで東方に派遣する算段を付けねばならん。……うーむ。そう考えると、今回の件にそこまで力を入れるべきか、やはり改めて検討せねばならんな」

 

 逆に言えば、そこまでの面子がそろえば、東方会社におけるクロノワークの地位は盤石になる。

 ここまで力を入れて臨む、という態度が見せるのは、クロノワークが東方交易に本気であることの証明になる。全力で投資するという態度は、東方会社におけるクロノワークの立ち位置に、良い影響を与えてくれるだろう。

 その上、手数が増えた分だけ行動範囲も広がる。個人的にも、苦手分野をサポートしてくれるなら、出向の必要条件を満たせる自信はあった。

 

「ひとまず、わらわが直々に宣伝するくらいは、よかろう。今すぐホーストをせっついて、詳しい資料を持ってこさせるか。ついでにあちらの外交官も呼び寄せて、クロノワークが参加する条件について、詰められるだけ詰めさせよう。その際の交渉には、おぬしもわらわの傍にいてもらうぞ」

「ええと、それは相談役として、でしょうか。それとも現地に向かう武官候補として、意見を求められたりするのでしょうか?」

 

 わざわざ言わねばわからんのか、という目を王妃様はした。そうと感じ取った以上、繰り言はよろしくない。

 すでに一度開き直って、思うがままに献策した身だ。どうせなるようにしかならぬ――と、改めて覚悟を決めるべきだった。

 

「さて、いざ外交官がやってくる段になれば、真面目に話し合えるくらいには、情報もそろっていることだろう。――そして、何の権限もない使い走りが、わらわに一方的に要求を伝えに来るとは思えぬ。やってくる外交官は、相応の地位にあるとみて良いじゃろう。その時に、何かしらの答えも出しておきたいのう」

 

 情報次第で、私をどう動かすか決める。そうした意図が読める発言である。

 答えとは何か? それは東方会社への介入の度合いであり、クロノワークが本気で乗り出すべきか否か、その判断の答えであろうと予測できる。

 

「モリーよ。おぬしとその妻たちを東方にやるべきか否か、近々結論を出すべき時が来る。……可能性は低くはない、と考えておけ」 

 

 結果として、そうなる。私は固い面持ちで、王妃様の結論を受け入れるほかなかった。

 私個人の問題で済むなら、事は簡単だった。だが、今の私の身体は、自分一人だけのものではない。

 ここまで話を進めておきながら、私は自らの身勝手さを笑いたくなった。

 迷いがある、とは言わない。だが、妻たちの意思を無視しすぎているのではないか。流石に、そう思わざるを得なかった。

 

「何はともあれ、妻たちと話し合う時間を、頂きたく思います。……今は可能性だけの話ですが、相談しないわけにもいきますまい」

「よいぞ。時間なら、まだまだある。一大事業じゃ。実際に東方会社が成立し、動き出すまでに、二年から三年くらいの余裕はあろう。……その間に、やりたいことは済ませておくのじゃな」

「私が行くことを、すでに前提として考えてはいませんか? ここまで語った私が言うのもなんですが、まだ企画段階のことですよ?」

「そうじゃな。しかし、腰を据えてかかるべきだと、わらわは改めて思い直している。――おぬしを相談役にして、良かったとも思っておるよ。じゃから、せめて備えておけ」

 

 あの連中もいい歳だし、後任が育っていないわけがあるまい――と王妃様は軽い口調だった。

 それが事実だとしても、準備期間に二年から三年と言うのは、適正なのか。……特殊部隊の方はともかく、メイルさんとクッコ・ローセはどの程度のめどが立つのか。話し合うべきことは、多そうである。

 

「東方に派遣した後は、西方にも容易く帰れぬ。任期は決めておくが、年単位の仕事になることは確実であろう。……栄転らしい体裁は整えておくが、政治的には追放処分に等しい。おぬしには、オサナとエメラの後見人になってもらうのも、悪くはないと思っていたのじゃが――」

「私には、責任が重すぎます。国家を背負うお二人に対して、私などが出来るのは、教師の真似事をするくらいですよ」

「……そうか。まあ、よい。わらわはおぬしを過大評価しておるのかもしれんが、期待させるに足る実力を、おぬしは持っておるはずじゃ」

 

 いざ派遣が決まった時は、クロノワークにとっても一大事業への参加になる。周囲を説得し、納得させるために、まずはおぬしが尽力することだ――と、王妃様は付け加えた。

 ならば、使えそうな駒は確保しておきたい。物は試し、とばかりに一つ求めてみよう。

 

「では、必要な手札をそろえたいと思います。――ちょうど、使えそうなやつを確保しておりますので、その処遇をこちらに任せていただきたいですね」

「どいつのことじゃ? ある程度融通は利かせようと思うが、限度があるぞ?」

「……大したことではありません。ちょっと前、ソクオチで確保した盗賊の頭目がいたでしょう?」

「いたのう、そんな奴も。――そんなのでいいのか」

「経歴的に使えそうですし、万が一放流することになっても、東方であればこちらに損害はない。……手軽に使い潰せる駒として持ち出したいのですが、ご許可いただけますか?」

「もともと、無罪放免とはいかぬ奴ではあった。罪滅ぼしに東方で働くように言い聞かせれば、嫌とは言うまい。――せいぜい、うまく使ってやれ」

 

 私自身が最善と信じる道の為に、行動することが許されるのならば。そこまでやって、初めて責任を果たしたと言える。

 具体的にどう使うかは、向こうに行ってから考えてもいいか。多少雑に使っても、あれは裏切るまい。一対一なら、どうあがいたって負けないくらい、彼我の実力差は大きいのだから。

 

「では、そのように。……最善を尽くします」

「励めよ。――帰ってきたときには、それなりの役職を用意してやる。ある意味、そこからがおぬしの本番かもしれんな?」

「まだ、何も始まってはおりません。そんな先のことまでは、考えられませんね」

「考えたくない、の間違いであろう? しかし、許そう。おぬしには、それだけの価値がある。わらわは、そう信じておる故な」

 

 クロノワークの為に。そして、私の家の為に。西方と東方の衝突を出来る限り回避し、双方の損害を抑えること。

 ……その発端を見極め、曲がりなりにも本気で対処できるのは、私しかいない。

 その想いが杞憂であり、うぬぼれであればいい。そんな益体もないことを考えつつ、帰宅後の話し合いについて、大いに悩むのでありました――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と言うわけで、嫁の皆の前で、事の経緯と私なりの分析を交えて、王妃様で語ったことの全てを話したのですね。

 その王妃様の反応も含めて、正直に語りました。その反応はと言えば、想像していたものと寸分たがうことないもので――。

 

「話はわかった。とりあえず――弁解を聞こうか」

「ザラ、これはですね。ノリと勢いが多分に入っているとはいえ、到底見逃せない時代の流れと言うものでして。……王妃様に相談役を押し付けられたこともありますし。決して、その、好き好んで西方から飛び出したいわけでは――」

 

 そういうことじゃない、とザラは私に詰め寄った。メイルさんも、クッコ・ローセも、クミン嬢すらも彼女に賛同するように、鋭い視線を向けてくる。

 

「それはわかった。お前の結論に異を唱える段階では、まだない。……冷静に考えるなら、我々は国家に仕える騎士だ。自由な発言が許されているなら、思う限りの最善の策を提案して、悪いということはない。――結果として、重大な仕事と責任を負わされるとしても、公僕としての役割に忠実であったからだと、納得することも出来る」

 

 とうとうと、理論的にザラが見解を述べている。しかし、理論だけではない。これから私は、彼女の感情を受け止めねばならないのだ。

 

「お前は私たちの夫で、この家の柱だ。――お前自身の認識はともかく置くとして、私たちの夫が、国家的に重要な任務に携わるのなら、それに誇りを持つべきなのだろう」

「……私は、王妃様に単身赴任は受け入れられない、と申し上げました」

「当然だ。今更、付き合わせるのが不憫だ、なんていうなよ? 別段、一生を東方で過ごすわけじゃないんだ。待遇は充分なものが保証されているだろうし――五年か十年か? それくらい、新天地を開拓するつもりで働いてやるさ」

 

 この流れからして、皆がついてくることに関しては、覚悟完了してるってことで良いんだろうか。とはいえ、ここから問いただす方向にもっていくにも、度胸がいる。

 

「ええと、その。――ああ、クミンさん。貴方のご意見を聞きたいですね?」

「いいんですよ、別に。貴女が養ってくれるなら、どこにでもついていきますとも。……興味がないでもないですし、あちらの方に手を伸ばすのも、ありと言えばありでしょう」

 

 クミン嬢だけ、確認を取っておきたかったから聞いたが、どうも異存はない様子。

 職場が本格的に変わるから、躊躇くらいはされるかなぁと思ったんだけど、思い切りが良い。……もしや、組織ぐるみで東方に手を伸ばそうとしていらっしゃる?

 

「じゃあ、具体的な計画を詰めるとしようか。――なあ、モリー?」

「アッハイ。……とりあえず、まだ二年か三年ばかりは時間があるみたいです。その間に後任を育てていくということで、問題ないのでは?」

「最短で二年、と見ておくとして。充分かと言えば、まあ特殊部隊長の後任くらいはどうにでもなるが。メイル、そっちはどうだ?」

 

 ここで話題がメイルさんに飛ぶ。護衛隊の方はと言えば、答えは明確に出ていた。

 

「副隊長のメナは、現時点でも私の代わりくらいは出来るでしょう。……彼女の補佐を鍛えるのに、二年という時間は充分と言っていいと思う。だから、こっちはそんなに問題ないけど――ザラ。貴女の方が難しいんじゃない? 私の方と違って、トップ二人が抜けるんだからね」

「ところがそうでもない。見込みのあるやつは二、三人いるし、こちらも私とモリーで育成すればいいのでな。モリーは雑事が多くて大変だろうが、仕事の引継ぎくらいはきちんとできるはずだ。――そうだろ?」

「……はい。まあ、私も有力な部隊員の目星くらいはつけておりますから、その辺りはどうにか」

 

 お互いに同意見で何よりだと、ザラは言い放った。どこかしら、言葉にトゲがあるのはなぜだろう。

 ――なんて、わからないふりをするのも良くないとわかってはいるけれど。明確に態度に見せる前に、今度はクッコ・ローセが言う。

 

「私の方も、前々から教官の代わりを探していてな。候補は何人も見つけている。経験を積まつつ監督していけば、二年ほどで一人前に仕上がるだろうよ」

「教官は仕事が早いですね。いつから探してたんです?」

「モリーに求婚したりされたりすることを、覚悟してからかな? だから、私の方は若干余裕がある。時間は短縮できないが、仕事量はそこまでではないからな」

「じゃあ、こっちを手伝ってくださいよ。新兵の中から護衛隊に入れる隊員が増えれば、色々とはかどりますから」

 

 メイルさんとクッコ・ローセは、お互いに支援し合うことで合意したらしい。となれば、後に残る問題はほぼなくなると考えていいだろう。

 誰も彼もが、基本的に出来ないことは出来ない、とはっきり言うタイプだ。こうやって検討し合う余裕がある以上、現実的に可能なことをするのだ、という意欲も垣間見える。

 

「全員の意思確認は出来たな? ……躊躇う余地は消えたと思うが、どうだ?」

「――どうだ、と言われましても」

「お前は、お前がやりたいと思うことを追及していい。それが最善だと思うなら、私たちはそれを信じよう。これはただそれだけの、単純な話だよ」

 

 信頼が、信頼が重い。彼女たちの想いに応えられているだけの自信が、私にはないだけに――。

 余計、責任の重さを感じてしまう。個人的な我がままに付き合わせてしまうことが、とても申し訳なくて。でも、今更彼女たちを放り出すほど、薄情にもなれなかった。

 

「……妻を都合のいい女扱いするのは、個人的に忸怩たる想いがあります」

「私達だって、お前を都合のいい夫として扱ってる部分もあるしな。そこはお互い様だろう。――これからも、こうやって語らいながら、人生の岐路を決めていくことになる。モリー、これが我が家の作法と思って、早々に慣れておけよ」

 

 私はここで、何か言うべきだろうか。そんな疑問が浮かんだが、苦笑して受け入れることにした。

 

「これでは、一方的に甘えてしまいますよ。……苦労を掛けます。私にできることがあったら、何でも言ってください」

「楽をするなよ。『何でも言って』とか抜かして、言われないことには目を向けない。――そんなモテない男の真似をすることもないだろう?」

 

 ザラが妻たちに目配せしつつ、そう言った。参った、とばかりに私は観念にして彼女たちに言質を与える。

 それが私の戒めになり、彼女たちの幸せにつながるのだと、そう信じて言葉を紡いだ。

 

「失敬。どうも、私は自覚が薄かったようです。私にできることは、なんでもします。ですから、皆の幸福な人生の為に、協力してください。……どうか、お願いします」

 

 私がそう言って頭を下げると、彼女たちは温かく受け入れてくれた。それだけで、私は過分な幸福に恵まれたのだと信じられる。

 

 なおさら、負けられなくなった、と思う。

 東方と西方の衝突で、あるいは私が主導する政策で、多くの人々が巻き込まれることだろう。

 命が失われ、取り返しのつかない損害も、生まれる可能性がある。それでも、怯むわけにはいかなかった。

 

 よりよい未来のために。我が家の安寧の為に。

 その前提となる被害は、飲みこむしかないのだと。ここでようやく、私は本気で覚悟を固められたのでした――。

 

 




 話の説得力がどうとか、国家間の整合性がどうとか、ぐちゃぐちゃ考えることばかりが増えると、自分の中でもてあますということがわかりました。
 この物語を書いていて、それが一番の成果だったと思います。
 とりあえず、自分の中の乏しい知識をかき集めて積み上げる形で、一応の体裁は整えたつもりです。

 次回作では、この辺りをきちんと改善しなければならない。定期的な投稿を続けることと合わせて、教訓を実感できました。

 こんな未熟な物書きではありますが、今少し頑張りたいと思っています。
 来年もまた、よろしければお付き合いください。



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東方に向かうまでの準備的なお話

 毎回ギリギリで、本当にこれで十分なのかと疑うことも、もう癖のように感じてしまいます。

 とにかく色んなことを事前に準備して、備えている。そういうお話になりました。
 まだまだ不安な部分はありますが、どうにかこうにか話を畳もうと、努力しています。

 ここまで付き合ってくれている読者の皆様には、感謝しかありません。よろしければ、今少しお付き合いください。



 モリーは語るべきことを語ったつもりだったし、彼女たちも理解を示してくれた。それだけで終わったのなら、物語はきれいに収まっていたことだろう。

 けれど、現実は厳しいもので。モリー自身もそうだが、妻たちの方も不安を共有せずにはいられなかった。

 少なくとも、ありきたりな行動だけでは済まされない。夫の考えは別にして、彼女らは彼女らなりに考えていたのである。

 

「もう寝たのか。いや、無理もない。モリーはモリーで、今後のことで頭がいっぱいだろう。――今はそっとしてやるのが、妻の務めだろうさ」

「そうね。私もそれは同感。私達では想像もつかないような、遠い未来のことを考えているんでしょうよ。……割り切ってしまえば楽なのに、不器用な事ね」

「メイルも私も、そんなモリーに惚れたんだ。不器用で良いじゃないか。これ以上、競争相手が増えても困るし、何より私たちが補助できる分野がなくては、こちらだって気後れするじゃないか」

 

 モリーの家では、当人は一番早く眠りに入る。誰かが同衾する時は別だが、そうでないときは妻たちが集って良からぬ企みをしたり、愚痴をこぼし合ったりするのが日常だった。

 この場には、モリー以外の全員が残っている。誰もが彼女を『寝かしつけて』やりたかったが、モリーもまた深い悩みの中にいる。

 それを察して、今夜ばかりは一人にしてやるだけの情けを、この場の誰もが持ち合わせていた。

 

「あるいは、これは我々の試練と取るべきなのかな。モリーと人生を共にするだけの価値が、私達にあるのか? という――」

「ザラ。貴女はモリーの妻になってから、ちょっと変わったのかしら。そんな詩的なことを言う性格じゃなかった気がするんだけど」

「変りもするさ、お互いにな? メイルも教官も、たぶんクミンだってそうだろ? 皆が皆、モリーと言う唯一の個性に触れて、変化したんだ。……いい方向に変わったと、そう言ってもいいだろう。誰も彼もが、彼女に感謝している。違うかよ?」

 

 違わない、とメイルは肯定した。肯定を当然のものと受け入れたうえで、ザラは付け加えるように言う。

 

「それはそれとして、メイルの方こそ東方への出向を本気で検討するほど、上昇志向は強くなかったはずだな? 賭けても良いが、東方から帰ってきたとき、私達の政治的立場は強化される。……望むなら、部隊長どころか市長や支部長くらいは任せてくれるかもしれんぞ?」

 

 今でもモリー家は、クロノワークの軍隊内では相当に顔が利く面子がそろっている。

 しかし、今回の任務が本当に東方出向であり、それを首尾よくこなして帰ってこれた場合にどうなるか。

 ――状況次第だが、一つの派閥として、国家中枢で幅を利かせることすら可能になるかもしれない。

 ザラには、その将来の風景が微かながらに見えていた。メイルもまた同様であったから、軽い口調で笑い飛ばすように言う。

 

「冗談! モリーがそうしてくれって言うならともかく、自分から面倒な仕事に関わりたくはないのよね。――軍官僚ならまだしも、文官として政治に直接かかわりたいとは、あんまり思ってないのよ。私個人をいうなら、教官職への転属がせいぜいでしょ。これでも、武の方に偏っているっていう自覚くらいはあるしね」

「本当にそうかな? 私なら、メイルにはもっと複雑な仕事を与えて、こき使ってやりたいと思うぞ」

「それが嫌だから、適当なところでお茶を濁したいのよねぇ……。出向して、ここに帰ってこられたら。いっそ退役してしまおうかしら?」

「我が家の専業主婦になるわけか。――あのメイルが、と思うと感慨深いな」

「それはお互い様よ。ザラだって、いずれは軍をやめる時が来る。その時は、貴女だってモリー個人を拠り所にするでしょう? 私も、貴女も、きっと本質は変わらないわ」

「まさに。……いや、冗談抜きで、本当にそうだな。まったく、罪な奴だよ、モリーは」

 

 まだまだ語り足りないとばかりに、ザラとメイルは言葉を交わし合った。

 モリーを寝かしつけたら、妻たちの暗闘の時間である。夫に無用の心労をかけまいとする気遣いがある一方で、詰めるべきところは詰める。

 その必要性を感じ取ったなら、とことん追求するくらいには、彼女らは強かであった。

 

「まあ、なんだ。メイルは書類仕事もそこそこできるが、一番注目すべきは動物的本能というか、直観力だからな。実戦ではもっとも頼りにしたいし、我が家の生き残りのためにも、その才能は活用してほしいと思う」

「頼りにされるのは嬉しいから、期待には応えたいところだけど――。口で言うほど、モリーは心配してないんじゃないかしら。きっと何とかなるって信じているし、個人的な感想を言うなら、今回の件は悪い流れではない――とも思うの」

「理論的に説明できることか? だとしたら、この場で語ってほしい所だが」

 

 メイルとザラ、それにクミンとクッコ・ローセもこの場にそろっている。

 モリーの家庭内で大事なことがあるなら、一人として除け者にしていいわけはない。それくらいには、皆が皆を尊重していた。あるいは、その事実こそがモリーの人徳を表しているのかもしれない。

 

「クッコ・ローセ教官。それに、クミンだっけ? ……私の結論を言う前に、意見を求めてもいいかしら」

「いいぞ。どんな意見が入用だ? 私に応えられることなら、率直に答えてやるぞ」

「私も大丈夫です。……ただのハーレム嬢が、的確に答えられることなんて、そんなに多くないと思いますけど」

 

 クッコ・ローセは不敵に、クミンは苦笑しつつメイルに応えた。クミンは最初こそぎこちなかったが、今では普通に会話に混ざれるくらいには、打ち解けていた。

 

「ハーレム嬢という経歴は、必ずしも悪いものじゃないさ。ザラもメイルも喪女に片足突っ込んでいた身だし、私だって褒められた身の上じゃない。お前は私達にはない視点を持っている、という意味でも重要だ。是非その知見を活かして、モリーの力になってやってくれ」

「クロノワークでは普通なんでしょうが、他国では風俗嬢なんて、あんまり歓迎されない立ち位置なんですけどね。皮肉に聞こえない辺り、本気でおっしゃってるんでしょう。……それを素直に受け入れる程度には、私も毒されている、と。皆さんがおっしゃる通り、まったくもって、モリー殿は罪な人です。どれだけ多くの人の運命を変えれば気が済むのでしょうね?」

 

 クミンは呆れたような口調だが、クッコ・ローセはそれを彼女なりの賞賛と理解した。

 ならば共存は容易だと見て、話しを進める。

 

「とりあえず、協力する意志があると見なそう。状況は複雑だが、モリーだけに注視するなら我々がやるべきことは単純だ。――あいつに付き従って、あらゆる厄介事を処理していけばいい。四人がかりでやれるなら、出来ないことは何もないだろう」

「元ハーレム嬢の私にできるのは、人脈を弄ることくらいのものですけどね。皆さんほど、直接的な助けにはなれないでしょう」

「それが大事な場面も出てくるかもしれん。直接的ではなく、間接的なやり取りが大事になる状況は、軍事的にも政治的にも珍しくないことだ。……私は教官職を務める中で、それなりの経験を積んでいる。お前にも、お前の所属する組織にも、モリーに投資すべき理由はあるだろう? 出来る範囲で良い。協力してくれ」

「望まれるなら、もちろん。私なりに、可能な限りの協力を約束させていただきますよ。……個人的に、モリーさんに情も感じていることですしね」

 

 肯定的な反応が返ってきたなら、次は具体的な問題に話し合えばいい。諸々の意見が出そろったところで、メイルは、ザラに目配せしつつ、己の見解を述べることにした。

 目配せした時点で、意図は伝わったと見る。――ここで大事なのは、クミンがどこまで信用できるかだ。

 クッコ・ローセもシルビア妃殿下とのつながりは深いが、明確にこちら側であることは疑いない。クミンだけは、その所属組織からしてシルビア妃殿下とのつながりを否定できない。

 よくよく観察して、動向を把握しておくべきだった。微妙な話題を振って、その反応を見ることで、意図を図る。

 そうした感情の読み取りに関しては、ザラの方が得手とするところだ。メイルには、それがわかっていた。ザラがここで口を挟まないということは、当面は信用できるということ。

 ならば、正直な見解を述べても良い頃合いだろうと、メイルは判断した。

 

「率直に意見を述べてくれたこと、感謝するわ。誰も過剰な不安は持っていないし、必要とあらば出来る限りのことはするっていう覚悟もある。だったら、ここはモリーの作った流れに沿って、そのまま上手に乗りこなすのが一番でしょう」

「根拠のない直感でモノを言っているなら、かえって不安になってしまうぞ、メイル。もう少し、言葉で補強してもらいたいんだが」

「ザラは何時だって慎重だし、退路を確保する癖がついてるんでしょうね。――だから、私もそれには配慮しましょうか。率直に言うなら、モリーの力量を私は信じているし、これまでの実績も本物だと思っている。それは王妃様も、シルビア妃殿下も同じだっていうこと! お二人の志向を考慮に入れるなら、これ以上の保険はないと思うのよね」

「お二方が、もしもの時はモリーの為に動いてくれるって? だから心配ないんだって言うなら、お前は王家と言うものに幻想を持ちすぎだぞ」

 

 結局は人任せか、とザラは厳しく指摘する。期待をかけるのは良いが、常に相手が答えてくれるとは限らぬ。

 楽観的に受け入れるには、状況は不透明に過ぎるではないか。そう言われれば、メイルとしてもさらに言葉を尽くさねばならない。

 

「勘、っていうのは言語化が難しいものだけれど……。なんていうか、東方がきな臭いっていう感覚は、ずっとあったのよ。だから、ここで早めに対処するのは間違ってないはず。――実際に王妃様とモリーが動いているんなら、私の勘の裏付けにもなっていると思うの。人任せにしたまま、モヤモヤを抱えていくのも気持ちが悪いし、皆も一緒なら大きな失敗はないと思う。後、これは単純な事実として――私たち以外に、東方派遣の仕事を全うできそうな人材はいないでしょ」

「五年後、十年後ならばともかく、現時点では確かにそうだな。メイルの意見は分かった。……おおよそ希望的観測だが、かえってそんな曖昧な楽観で望むほうが、余計な力が抜けていいかもしれん」

 

 それなりに論理的ではあるが、やはり先行きが不透明であることに変わりはない。とはいえ皆が皆緊張して、気を張り詰めるのもよろしくないだろう。

 メイルくらいは楽観的でいてくれた方が、家庭内の空気も良くなる。そうした意味で、ザラは彼女を信頼していた。

 もちろん、信頼の度合いで言うならモリーが一番ではあるのだが。

 

「そうそう、モリーはこの流れをどこまで想定していたと思う? 私個人としては、なくはない、程度には考えていたと思うんだけど」

「同感だな。そうでなければ、あれこれと余計な献策などするまい。あいつは、無駄なことは嫌うし、いらん面倒は避けるやつだろう。――あえて厄介事を引き受けに行くとしたら、よほど大事な理由があると見るべきだ」

 

 メイルの言葉に、ザラがまず共感を示した。これにクミンと教官が、所感を述べる形で補足する。

 

「メイル殿と、ザラ殿に賛成します。一介の風俗嬢として応えるなら、モリーさんは献身的な男性に近い感性をお持ちです。気遣いの仕方が男性的なんですよね。――きっと、未来のこととか、大局的な観点から、ここで大きく動くべきだと判断されたんでしょう。果断なのは結構ですが、行動してから私たちを気遣う辺りが、とても男らしいと思いますよ」

「ついでに言うなら、モリーは私たちを巻き込むことを避けなかった。躊躇があったにせよ、共に行くことを決断した。その部分は真面目に評価してやりたいな。……だからといって、今すぐできることは多くないがね」

 

 クッコ・ローセは、政治事情に疎い。軍事方面からなら考察も出来るが、状況を把握してもモリーが抱くような懸念について、共感することは難しかった。

 

「ザラ、この中ではお前が一番の情報通だ。今回の件について、何か知っていることがあるなら、ここで共有しておくべきだろう? モリーが悩むほど、東方と西方の関係は難しいのか? 私にはピンとこない話だし、全てが杞憂であると信じたいところだが」

「……この件に関しては、モリーこそが一番の専門家ですよ、教官。正直、彼女が言ったことの裏付けは、取れていません。言っていることには、それなりに筋が通っているとは思いますが――」

「結局、全ては王妃様の決断次第、か。私たちにできるのは、そなえることだけ、と」

 

 ザラとクッコ・ローセがそう言って、結論が終わりそうなところに、クミンが口を挟む。

 

「皆さん、東方に出向することは、ほぼ確定って見込んでるんですよね。まあ、個人的にはどっちでもいいんですけど、行くなら行くで一つ、問題が出てきませんか?」

「後任については、各自でどうにかする目算がついているし、あちらでの生活に不安はあるけど、そこは適応できる自信はあるし――。どんな問題かしら?」

 

 言語と文化、さらに職場や生活環境の変化は、確かに大きな問題である。ただ、そこは周囲のサポートもあるだろうし、自分たちだけが辛いわけではない。

 そのようにメイルらは感じていたが、クミンだけは別の視点から指摘できることがある。

 

「私たちの家庭の特異性って、自覚ありますよね? 女だけの家って、西方でもかなり珍しいほうですけど、東方ではどうでしょう。――たぶん、いろんな意味で注目されるんじゃないでしょうか」

 

 クミンの言い方は穏やかだったが、それが意味するところを、他の三人も気づいた。

 女性のみで構成されるモリー家は、直系の子孫を残せない。他でもない東方会社の重役が、そうした家庭であるとしたら、外部の者はこれを見過ごすであろうか?

 それはありえないことだ、とクミンは指摘する。だから、心構えくらいはしておくべきなのだ。

 

「……要するに、我が家には付け入る隙があると見なされ、他国者がそこを突いてくる、と。その恐れがあるということかな?」

「まさに。――人によっては、理解が難しいでしょうからね。実際、モリーという特異な個性がなければ、この家庭は成立し得ない。自覚はあるでしょう? お互いに」

「それはそうだ。私もメイルも教官も、あいつだからこそ嫁ぐ覚悟ができたんだぞ。……まあ、他国者に理解が及ぶことではあるまいがね」

 

 話はわかったが、これを弱点とみなすのも馬鹿らしい話だ、とザラは言う。モリー以上に魅力的な男がそこらにいるなら、誰も苦労などしていない。

 ――家庭内なら、それで決着がつく話である。だが、クミンはそれだけは済まない、と警告を発した。

 

「モリー自身に婚姻話を持っていったり、男の存在をほのめかしてくるようなことは、まあないでしょう。……そういう話ではなく、誰がこの家を継ぐのか、という問題です。無理にでも養子をねじ込みに来られた場合、拒むのが難しくなるかもしれません」

「そこまでするような価値のある家かしら? クロノワークの重役って言っても、今限りの話よ? 引退すればそれまでだし、所詮はモリーだけで持っているような家。存続させる意義も薄いんじゃない?」

「メイルさんの意見ももっともですが、そうは見ない人。見ようとしない、無理解な人もこの世には多いだろうってことですね。……まあ、これはモリーさんが将来をどう考えているか、それ次第でもあるんですが」

 

 モリーが己一代だけで終わらせるならば、何も問題はないのだが。それはそれで、彼女が一家で成し遂げた業績を、後世に引き継がせるのが面倒になる。

 モリーに息子、あるいは娘がいるならば、彼女の残した仕事を片付けるにも都合がよく、残した財産をもって新たな事業を立ち上げることも出来るのだ。その可能性を潰すのは、はた目にはとてももったいないことに見えてしまう。

 

「……思うところはあるけど、その対応は後回しで。時が来たら、モリーの方から話を振るでしょ。それから相談してもいいんじゃない?」

「同感だな。というか、そんな後世のことなんて、いちいち考えていられるか。――付け入る隙があると思うなら、突っ込んでみればいい。やけどで済めば運がいいほうだと、相手に思い知らせてやろう」

 

 メイルとザラがそう言えば、この場はまとまった。後のことは後のことだと結論付けて、妻たちは夫の決断を信じる。

 モリーへの信頼が、そうさせた。そうさせるだけのものを、彼女は持っているのだと、妻たちは理解していたのだ。

 それが正しい認識であったかどうかは、未来の歴史が語ってくれることだろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんというか、展開の速さに目を回しそうになってます。モリーです。

 ホーストの外交官は、ほとんど時間を置かずにクロノワークにまで飛んできた。意外な話ではあるけれど、ここで時計の針を進められるのならこちらにとっても好都合な話である。

 

 王妃様と、外交官。それに私の三人を加えての話し合いの場は、そのままクロノワークとホーストが、外交的実績を作る場になる。

 記録を取るための書記官は当然用意するが、実際に言葉を交わすのは三人だけ。

 外交と聞けばお堅い話し合いを想像しそうなものだが、実際クロノワークとホーストの関係は良好だ。遠い分だけ上手にやっているともいえるが、気軽に言葉を交わせる土壌はすでに整っていた。

 

 今回は商業的な分野での話だし、あちらは王妃様に媚びを売る形になる。私が参加しても違和感がない程度には、ゆるやかな形式になるだろう。

 外交文書を作成する所まで持ち込めるかどうかは、話のはかどり具合にもよるが――これは急がなくてもいい。

 とにかく今は、草案程度でも構わない。お互いに乗り気になれるくらい順調に進めば、全ては好転するはずだ。それくらいの気合をもって、望むべき場であることは間違いない。

 国家間の条約に近い、拘束力を持つ外交交渉。それだけの権限を任された人物が、正式な辞令をもってクロノワークにやってくる。

 環境が整ったなら話を進めねば損と言うもの。あちらとて、事前に仕込んでおかなければ、ここまで迅速に動けなかったろう。それがわかるから、初めから私と王妃様は作為を疑っていなかった。

 

 つまり、ホースト側もクロノワークの支持が欲しいこと、疑いない。頼りにされているのなら、応えることで信頼も買えるだろう。――利用価値があるうちは、裏切らないくらいの信義も、期待していいはず。

 実際に顔を合わせることになった『外交官』が、よりにもよって見覚えのある相手だったからこそ、余計にそう思った。

 

「随分と早い再会になりましたね、モリー殿」

「そうですね、タラシー殿。何がどうして、護衛隊長が外交官になれたのか。あの時の会話は何だったのか。私には、何とも理解しがたい所ですね」

 

 呆れ気味に、私は言った。この感情に配慮するように、タラシーとやらは優し気な口調で言葉を続ける。

 

「そこは、私どもの不手際であると、率直に認めましょう。――本当に申し訳ない。ちょうど間が悪く、本国から正規の外交官を引っ張ってくる時間がなかったのです。それでもクロノワーク王妃が、今すぐに話し合いたい、と強く迫られるものですから、こちらとしても柔軟に動く余地がなかったという次第でして――」

「自らの不徳を許してほしいのか、責任をこちらに擦り付けたいのか。意見ははっきりさせるべきじゃぞ、タラシーとやら」

 

 この場の主導権を握っているのは、王妃様である。話を進めたい彼女にとって、タラシーの弁明にもならぬ言い訳に、ケチを付けたくなるのも当然であろう。

 私としては、彼の発言の真意を探りたかったが、あんまり出しゃばるのも良くない。王妃様の意見は正当なのだから、ここは話をそのまま続けるのが無難だと考える。

 

「では、責任を果たすためにも、具体的な内容を早急に検討した方がよろしいでしょう。とにもかくにも、私が権限を得てこの場に居ること。大事なのは、それだけではありませんか?」

「道理ではあるがな。……忌々しいが、そなたを責めることに意味がないのも確かじゃ。タラシーとやら、さっそく話を進めていこうではないか」

「はい、ではそのように。こちらとしても、何かしらの成果なしには帰れません。クロノワークの意をくみつつも、ホーストはホーストなりの要望を通しておきたいのです」

 

 我が意を得たり、とばかりにタラシーは笑顔で言葉を続けた。笑顔の裏に何があるのか、私が見極めるべきはそこだろうと、よくよく注視して耳を傾ける。

 

「具体的に申し上げるなら、ホースト・ヘツライ・クロノワークの商業的東方進出について。各国の商人をまとめて、東方で企業を立ち上げること。その企業を通じて、東方交易の利益を参加者全員に公平に分配すること。――それが、我々の目的になります。今回はお互いの認識をすり合わせ、協力し合うための土台を作っておきたいのですね」

「……失礼。私の方から訂正を入れさせていただきます。タラシー殿、その『我々』はホースト・ヘツライを意味するものであって、クロノワークはまだその枠内にないこと。それを明言してください」

 

 おや、と思って口を開く。この時点で一緒くたにされてはたまらない。こちらはホーストの下風に立つつもりは全くないのだから、些細な言葉であっても聞き逃したくはなかった。

 王妃様が積極的に関わるとしても、それは今回の話が終わってからだ。クロノワークの騎士として、外交の場においてもヘツライにおもねるようなことはしない。それを示すための指摘である。

 

「……そうですね。配慮に欠ける発言でした。クロノワークの方々には、これから仲間になっていただくため、手順を踏んでいくと致しましょう。今はまだ、まとめて大枠に入れる段階ではないことを、ここに明言いたします」

 

 内心の舌打ちが聞こえるような、苦渋の含まれた声だった。

 なし崩し的に言葉をまくしたてて、こちらから主導権を奪えれば最上だった。そんな本心が聞こえるようでもある。たしかに先導しているのはあちらなのだから、多少は折れる必要もあろう。

 

「結構です。こちらこそ、ぶしつけに口を挟んだこと、お詫びします」

「……いえいえ、お気になさらず。同じ西方の国家とはいえ、お互いに国民性の違い、文化の違いと言うものもございます。多少の無礼は気にせずいきましょう」

 

 タラシーのもって回った言い方は、自らの責任を回避するためのものだろう。それを許すくらいの度量は、王妃様にも私にもある。お互いに、とまで言ったのだから、有言実行してくれるならば文句はないとも。

 とにかく私は、適当なタイミングで横から口を挟む。それくらいの役割はできるつもりだった。そして王妃様も、私に続いて意見する。

 

「しかし、なんともまあ、随分と分厚い資料を持ち込んでくれたものだ。これでは、目を通すだけでも一苦労じゃぞ」

「長く厚い情報の量は、そのままこちらの誠意であるとご理解ください。――もちろん、目にするだけの価値がないとおっしゃられるなら、無視するのも王妃様の自由であります」

 

 一言いいたくなる程度には、彼が持ち込んだ書類の束は大きい。時間がなかったとはいえ、せめて対面前に提出しておけよ、とケチを付けたくもなろう。

 しかし、タラシーは平然と誠意である、とまで言い切った。強気に過ぎるが、それもまたホーストなりの外交態度なのだろうと、王妃様は受け入れる。

 

「馬鹿を言え。そちらの誠意を無下にするほど、わらわは愚かではない。……ぶしつけな言い方になったが、今すぐ許せよ」

「はい、許しましょう。繰り返しますが、私はホーストの外交官として、相応の権限をもってこの場に立ち入らせていただいています。お互いに歩み寄ることで、より多い収穫を得たい。私が望んでいるのは、それだけですから」

 

 王妃様が、苦い表情を隠さぬまま、分厚い資料を次々にめくって確認している。私ほど読むペースは早くないが、向き不向きの差もあれば事前知識の差異もある。タラシーがこちらの誠意を疑うことはないだろう。

 

 ――さて肝心の資料の内容と言えば、私が想定していたものばかり。参加する商人たちの名簿と、実際の投資部門と投資額について。それから商館を建設する候補地と、企業を立ち上げた後の商業的な利権等に関してのものだった。

 新しい情報もあるが、そちらは後で精査する形でもいいだろう。現地入りの具体的な時期や、現地の協力者などについては、この場で真偽を確認したところで意味はあるまい。

 そこは、外交官に扮したタラシー自身ではなく、参加者である商人たちと話し合うべきだ。

 

「資料を読み込む時間なら、いくらでも差し上げましょう。私の滞在期間は七日もありますので、今は挨拶のみで終わらせて、また明日にでも話し合うという形でも結構です」

「いえ、タラシー殿。何度かに分けて話し合う、という点には同意します。が、王妃様が割ける時間にも限度がありますし、この場で話せることは話しておきましょう。……そうですね、たしかタラシー殿は、先日私にこう言われました。今ならば、クロノワーク商人とそちらの商人を、同等に扱う用意がある、と」

 

 資料の方でも、確かにそれらしい記述がある。まずはここから進めていこうという私の言葉に、タラシーは応えた。

 

「確かに、それに類することは言った覚えがありますな。ただし、それにはそちらの協力が必要であると、ご理解いただいていると思いますが」

「この場で明確にしておきたいのです。お互いを対等に扱うために、そちらはどのような協力を求めるのか。――正式な立場と環境で、言質を取っておきたいのです」

 

 王妃様に宣伝してほしい、とだけタラシーは言っていた。だが本音を言うならば、もっと大々的に協力してほしい所だろう。

 王妃様の権限は、王への直訴だけではない。王様は王妃様の才覚を知っているだろうから、よほどのことがなければ文句はつけないはず。

 王妃様がその気になれば、クロノワーク商人たちから大きな投資を取り付けることも出来よう。彼がそれを狙っていないとは、私には思えなかった。

 

「ホーストとしては、王妃様が東方への進出に前向きであること。それを国内の商人に宣伝して、我々に同調する同士を増やしていただきたいと考えております」

「それだけではないでしょう? せっかくですから、言うだけ言ってみてはいかがです? ――王妃様は、過剰な要求をしても気分を害する方ではありません。それに見合うだけの見返りがあるならば、あるいは乗り気になってくれるかもしれませんよ?」

 

 タラシーの言は、以前に私が聞いていたものとほぼ変わりない。ただ、それだけが望みではあるまい、と思う。

 その辺りを突いたときに、いかなる言葉が飛び出してくるのか。気になっているのは、私だけではない。王妃様もまた、彼が本音で話してくれることを望んでいるはずだ。

 

「――うむ。モリーの言は正しい。わらわのやる気を刺激してくれるなら、期待に応えてやっても良いな。……タラシーとやらよ、ここが正念場であると思え。半端な物言いをすれば、それがホーストの意思であると受け取るぞ。さて、返答やいかに?」

 

 ここまで焚きつければ、タラシーも後には引けなくなる。それだけのリスクを冒す価値があると、彼も理解しているはずだった。

 王妃様がここまで踏み込んだ発言をする以上、今更冗談では済まない。お互いに言質の取り合いになる。

 21世紀の価値観からすれば前時代的だろうが、今私たちがしている外交とは、そういうものなのだ。

 

「正直に申してよいのであれば、そうですね。ゼニアルゼを除いた東方交易、西方における新たな経済圏の創出こそ、ホーストの狙いであるとご理解ください。そのために、王妃様には国内の資本をなるべく交易方面に投資するように――。率直に言えば、投資を躊躇っている商人たちの為に、まずはクロノワーク王家が身銭を切って、我々を支援してほしいのです」

 

 身銭を切るやり方については、クロノワーク王家が私財で出資金を出すか、来年度の国家予算の中から工面するか、王家につながりのある人物を通じて出資させるか。

 いずれの形でも構わない、とタラシーは言った。そこまですれば、商人たちも王家が本気であると理解し、出資への抵抗も少なくなるだろう――とも。

 しかし、これには流石の王妃様も難色を示す。

 

「これはまた大きく出たな! ええ? お前、自分の言っていることの意味を理解しておるのか。わらわの退路を断つのみならず、あのシルビアに対して、真っ向から喧嘩を売るつもりかよ」

「まさかまさか、そのような恐れ多いことは考えるだけでも恐ろしいことです。――我々は、我々の利益を追求したいだけ。ゼニアルゼを除外するのは、彼らは彼らでやっていけるだけの力があるのだから、あえて仲間に入れる必要性がないという、ただそれだけの理由なのですから!」

 

 芝居がかった言い方で、タラシーは思うが儘に語ってくれた。その事実に誠意を感じないでもないが、彼個人の見解が全てではあるまい。

 こいつが道化を演じる裏で、利益を誘導する存在がいても不思議はない。私としては、その危険性について追及せざるを得ないのだ。

 

「新たな経済圏の確立は、紐帯の成立も意味する。――武力ではなく、物流と交易を主軸にした新しい西方秩序。ゼニアルゼに先んじて、ホーストが狙っているのは、そういうことなのですね?」

「……モリー殿が何をおっしゃっているか、私にはわかりかねるのですが。王妃様は、ご理解なされているのでしょうか?」

「いいや、初耳だな。――おい、モリー。ここは公式な外交の場ではあるが、ここで聞き逃すとよろしくない展開が待っているような気もする。おぬしの意見について、まずは追求させてもらおうか」

 

 この辺り、きちんと定義しないとクロノワークとしての協力は難しいかもしれない。

 私の解釈が正しいかどうかは、タラシーが答え合わせしてくれるだろう。すっとぼける余地を残さないくらいには、明確に言語化してやるつもりだ。

 

「ゼニアルゼをなぜホーストが除外したのかと言えば、それはあちらの狙いに乗りたくないからでしょう。ゼニアルゼはシルビア妃殿下指導の下、あの方らしいやり方で西方での地位を確立しようとしている。ホーストはそれを警戒し、別方面に手を伸ばして、独自の勢力圏を確保しようとしているのでしょう。少なくとも、私にはそう見えて仕方ないのですね」

 

 シルビア妃殿下が、いかにして西方支配を図っているのか。私に話してくれた部分も含めて、詳細をこんなところで公開するつもりはないが――。

 外から見ていて、彼女は色々と疑われても仕方ないところがある。西方支配を受け入れさせる方法についても、そろそろ他国が感づいても良い頃合いだ。

 妃殿下であれば、相手の思惑など関係なしに、乗らざるを得ない環境を整えていくはずだ。今回のホーストの動きは、そこから脱却するための悪あがきであると、言い方は悪いがそう言っても間違いではあるまい。

 

「自国の国力向上、勢力拡大を望むのは、国家の性と言っても良い。だから、それ自体を責めるべきではありません。問題は、それをいかにして成し遂げるか、ということ。ホーストは、ゼニアルゼの後追いではありますが、東方交易に食い込むことで、どうにかこれに対抗しようとしている」

「わが国だけではありません。それ自体は、悪いことではありますまい」

「はい。悪いことではない。だから、この場で語っております。――東方交易をホーストが開拓し、その利益を恣意的に分配できるなら、結果として独自の経済圏を創出することになる。新しい交易路と、大規模な物流の維持がホーストの主導によって叶うなら、立派にゼニアルゼの対抗勢力となり得るでしょう」

「ゼニアルゼに対抗するつもりで、東方に向かうのではありません。需要と供給を満たすには、かの一国だけでは手が足りたいことでしょう。我々は、結果としてゼニアルゼのお手伝いをすることになる。私タラシーは、そのように認識しておりますよ」

 

 タラシーはうまくこちらの言葉をかわしてきたが、強く否定することも出来ない。

 彼は、経済圏の創出それ自体には言及しなかった。これを肯定も否定もしない態度こそが、ホーストの姿勢を示していると私はみる。

 

「交易を差配することで、ホーストはその影響力が及ぶ範囲において、強大な政治力を持つことになります。東方の企業がどこまで成功するか、それ次第ではさらに勢力を伸ばすことも出来るでしょう。……逆に言えば、新たな経済圏の中では、ホーストに逆らうものは生き残れなくなる。ホーストから利益を受け取っているつもりが、首枷をはめられる結果となる。そうした効果を狙っているのではと、私などは懸念しているのですね」

「モリー、言葉が過ぎるぞ。タラシー殿とて、そこまで政策には関わっておるまい。――我が国の騎士が失礼したな」

 

 ここまで話せば、王妃様とて私を放置しない。遠慮なく言いすぎたかもしれないが、そこは想定内。

 王妃様からのストップがかかったのは、脅しはもう十分、という合図でもある。とりあえずの役目を果たせた以上、とどめは王妃様に譲るべきだろう。

 

「モリー殿はそうおっしゃいますが、国家が独自に生き残りの道を探るのは、そこまで可笑しな話ではないでしょう。……私は、クロノワークとホーストの友好のため、ここにいるつもりです。それに、嘘はありません」

「そうかそうか。ありがたい話よ。――友好には確かな実績が必要じゃ。言葉だけでは心もとない。おぬしが友好の形を明確にしてしてくれるなら、ありがたいのじゃが」

「……その友好のために、今回の件を進めようというのではないですか。王妃様とモリー殿に異存がないのであれば、そろそろ実務的な部分を詰めていきたいですね」

 

 こちらの懸念は横にうっちゃって、とにかく友好が目的なんだということで押し通す。王妃様は、よく相手の言葉を引き出した、と言っていいだろう。

 その手で来られるなら、まあ構わない。こんな話を掘り下げたって、どうせ不毛な会話が続くだけだ。

 

「実務の話か。宣伝をすることも、身銭を切ることも、最終的な決断はまだ引き延ばしてもよかろう。今は、疑問を解消していく段階ではないかな? ――では、モリーよ。そなたから口火を切っていくがいい。わらわは、それを見守るとしよう」

 

 王妃様と目を合わせて、その意向を伺う。鋭い眼光はそのままに、微笑は崩れていなかった。

 私は、このまま攻めていって構わないらしい。――ええ、ええ。私としては、そちらの方がやりやすい。

 タラシー殿、お互いに事情があることはわかっている。後は、お互いへの理解を深めていけばいいんだよ。

 胸襟を開いていこうじゃないか。こちらだって、ただで利用されてやるつもりはないのだからね。

 

「はい。ではタラシー殿。誤解してほしくないので申し上げますが、私もお互いに上手く付き合っていきたいと思っています。王妃様もそうでしょう。……話を進めますが、この資料に署名している商人たちについてお聞きします。彼らが東方で起業するとして、それをいかに統制するのか。具体的な方法について、これには書かれていません。資料の不備でないなら、タラシー殿の方からご説明いただきたい」

 

 統制、というのは言葉が強すぎるかもしれないが、商人たちを野放図に東方に解き放つのはよろしくない。こまごまな理由については、タラシーの前で語りたくはないので省く。

 いざと言うとき、手綱を握ることで回避できる争いもあるだろう。その分、動きが遅くなったり単調になったりするかもしれないが、長い目で見ればその方が安定するはずだ。

 対策を打つつもりがあるなら、ぜひ意見を聞いておきたかったのだが――。

 

「統制とは驚きました。クロノワークでは、商業を武力で押さえつけるのが当然なのですね? ホーストでもヘツライでも、法的に拘束することは出来ても、流石にそこまで思い切った政策は取れませんよ」

 

 わざとらしい言い方をして、質問に答えない。やっぱりこいつ嫌いだ、と思いつつも私は言葉を重ねた。

 

「誤解なさらぬように。経済活動を制限しようというのではありません。――東方で商人たちが武力を持つことは避けられない、と貴方は以前に言いました。持たせた武力を放置するのではなく、こちらで制御する術を持つべきなのです。そうでなくては、商人どもは自己の利益のために、好き勝手に血を流し続けるかもしれない。そうした危機感をもって、私は提案しているのです」

 

 勝手にゼニアルゼに喧嘩を売る真似をされてはたまらない。それだけは避けねばならぬと考えるから、手綱をこちらで握るべきなのだ。だからこそ、クロノワークは武官の派遣まで考えているというのに。

 具体的には、傭兵を統率する部隊をこちらで掌握し、統率できれば一番いい。現場指揮官くらいなら、私でも務めることだと思うから、ここは強く押してもいい場面だろう。

 

「ご懸念はわかりましたが、基本的にこちらから命令を強制する権限はありません。クロノワークから協力を仰いでいる時点で、ホーストにはそこまでの余裕はないとご理解いただきたい。商人どもには、交易に関しては色々と便宜を図っていただきますが、現時点ではそれくらいが限度。現地に出向ける役人も多くはありませんし、我々が手を尽くしても、統制は緩いものになります」

 

 緩いけれども、一応は統制を取る気はあるわけだ。タラシーの言い方は曖昧で、真面目に信じるのが難しい。

 交易への便宜とは、言い方を変えるとホースト国内での商業利用、ということになる。ホースト側が本気になれば、国内での活動を制限することも選択肢に入る、と見てもいいはず。

 交渉材料としてはやや弱いが、一定の統制は取れる可能性があった。タラシーが保証できるのがそこまで、というならば、やはりこちらが主導するべきだろう。

 

「そちらでは、やろうとしてもできない――とおっしゃられる。ならば、クロノワークから出向する武官の格によっては、可能な限り自由に動いて、企業内で権力を振りかざしてよいわけだ。……そうですね?」

 

 そちらにやる気がないなら、こちらが徹底的に切り回してやろう。否定するなら、それなりのリスクを負うが良い。私はそのつもりで、あえて過激にものを言った。

 しかし、タラシーはこれをあっさりと受け入れる態度を示す。

 

「つまり東方での商業活動は、クロノワークが責任をもって、西方社会の利を代表し、彼らを統制していただける――ということですか? ならば、それはそれで願ってもない話ではあります。できるものなら、ぜひお願いしたい」

「……タラシー殿。ホーストは東方進出に対して、懸念事項があっても具体的な対策するつもりがない、というつもりなのでしょうか。だとしたら、この案件そのものに対し、あまりに不誠実ではありませんか」

 

 言質を取りに来た辺り、あちらの手が思うほど長くないことも同時に示している。

 明確な弱点に見えるが、言質を取られて首輪をはめられれば、私個人の恥では済まない。ここは外交の場であり、全ての発言は記録されている。

 多少の無礼やユーモアは許されても、それ以上のことはうかつに口にできるものではないが――。

 限界さえ見切れるなら、ギリギリの線を攻めることができる。果たして、これはホーストが意図的に残した弱点なのか否か? 私は、それを見極めたい。

 

「モリー殿はそうおっしゃいますが、今から講じることのできる対策は、そう多くありません。監視を付けて、必要に応じて手を加える。それではいけませんか?」

「いけないとは申しませんが、土壇場になってからでは遅い場面もあります。事前に仕込めるなら、それに越したことはないでしょう」

「――では、やはりクロノワークにお任せしたい。武名のある貴女にその部分を担っていただけるなら、我らとしても商人どもから利益を巻き上げることだけに集中できる。正式に合意が得られるなら、その方向で調整していきましょう」

 

 いかがです? なんてタラシーは笑って提案してきた。どうも、あちらとしてはそれを当てにして、ここに来ているらしい。

 弱点どころか、それを理由にしてこちらを引きずり込む。ホーストの外交官として、彼は充分に辣腕をふるっているつもりなのだろうね。

 

「モリー殿がこの場に居る時点で、正直貴女が出向してくることは確定的、と思っておりました。クロノワークが誇る特殊部隊、その副隊長の貴女が来てくださるならば、商人どもへの抑えとしては十分すぎる位でしょう」

 

 行くのが私だけではない、ということを知ったら、どんな反応をするだろう。これは出来る限り、奇襲するような形で教えてやろうと思いました。

 その持ち上げるような言い方も気に食わない。へつらうならもっと上手くやりたまえよ。

 

「……武名など、気にしたこともありませんが。そんなに私は有名なのでしょうか」

「知る人ぞ知る、くらいには。――商人の情報網は、あれで侮れぬものです。盗賊討伐からソクオチの反乱騒ぎまで、調べようと思えばそれなりの話は出てきますよ。特にモリー殿は、最近になって名が売れてきたところですからね」

「それは、どうも」

 

 最初からクロノワークの参加と、大きな介入を前提とした外交。相手の方が楽観的過ぎて怖くなるくらいだ。

 共存共栄こそが最大の利益を生み出す――というのは、理想論にすぎない。私はそう思っているのだが、あちらは違うというのだろうか。

 

「とにかく、東方に進出する商人たちとも、できれば協議を重ねたいところですね。王妃様、とりあえずは前向きに検討するということでよろしいでしょうか? ここに至っては、私自身、自分が出張ることを嫌とは言いません」

「そうよな。実際に現地に行く者たちを無視して、実際的な組織構造を語るのはよろしくない。タラシーよ、そういう訳ゆえ、モリーのことはまだ外部協力者くらいに考えておくがよい。現段階で、そこまで詳細に詰める必要もあるまいよ」

「結構です。ただ、私もそれなりの成果を求められる身です。――王妃様の協力について、確かな発言を引き出しておきたいと思います」

「よろしい。宣伝については任せよ。わらわが直々に、国内の商人どもとの話を付けよう。――望む者がいれば、参加を促しても良い。クロノワーク王家が正式に、東方交易を推し進めていくこと。それを明言するだけで、ホーストがこちらの要望を聞いてくれるなら、安い買い物ではないか」

「クロノワーク王家からの出資はありませんか?」

「すぐには答えられぬ。七日間の滞在中に、結論は出せぬ話であると――それくらいは察してくれよ、タラシー殿。おぬしが稼ぐ功績としては、これくらいでも充分ではないか」

 

 私が東方に出向する話は、ここで正式に確定した。もはや受け入れる以外の道はないとわかっていたが、いざその時が来てしまうと、色々と気が重くなった。

 そんな勝手な感慨に浸っている間にも、話は進む。ここまでくると、私も口を挟む余地も少なくなってきていた。

 

「……わかりました。王妃様、モリー殿。我々はよく話し合って、よい成果を出せたと思います。ただし、詳細を詰めることを後日に回した以上、要望をそのまま通すかどうかは、この場で約束することができません。――それ以外の部分でなら、誠実に対応させていただきますとも。我々の誠意を認めてくださるならば、お互いに実のある決定ができるでしょう。私が滞在している間に、建設的な議論をして、外交実績を作り上げることができるなら、それに勝るものはありません」

 

 ……なるほど、誠意か。分厚い資料も、早い対応も、ホーストが本気であればこそ。王妃様も、ここまでされれば無下にするのは難しい。

 あちらはあちらで結果を求めているのだろうが、クロノワークとて外交実績を欲しているのは同じ。ここで雑な態度は取れなかった。

 

「モリー」

「はい」

「東方会社の一件に関しては、全てをおぬしに任せる。タラシーが滞在している間の交渉も、おぬしが主導せよ。わらわは、特別に問題がない限りは口を出さぬ」

 

 これは『東方会社』という概念が、公式の場で使われた最初の例になるだろう。

 王妃様がここまでのことを口にする以上、事態はすでに後に引けぬところまで来たと言っていい。

 私は、息を整えねばならなかった。ここから任される事業は、東方と西方の歴史において、ひどく重要なものになる。その自覚をもって、事に当たらねばならないのだ。

 

「……私にフリーハンドを与えてくださる、と」

「どうやら、おぬしはタラシーに気に入られたようじゃ。ここからはオフレコで頼むぞ、よいなタラシー」

「はい。では、そのように」

 

 私の想いなど一切関知せず、王妃様は自らの都合を優先する。

 タラシーはそれを素通しする形で、書記官たちに目配せをした。彼らが手を止め、直前の発言を記録せずにいること。それを確認してから、王妃様は言葉を続けた。

 

「協力感謝する。――正直に言うならな、東方で会社を立ち上げるくらい、そちらで勝手にやれと言ってやりたいくらいの気持ちだったのじゃよ。それを覆して、わらわをこの場に引っ張り出したのは、モリーの働きが大きい。……わかるか、事前の働きで、モリーはすでにおぬしらに益する行動をしていた。それを理解してもらいたいのよ」

「それは――はい。認めましょう。王妃様がおっしゃられるならば、私としても、その働きを無視することは致しません」

 

 無視をしない、つまり実際的な行動をしてくれるのだと明言したに等しい。

 言質を与えないようでいて、解釈の余地を残す。その隙を、王妃様は見逃さなかった。

 

「では、モリー個人に対しても便宜を図ってくれるであろうな? 『東方会社』の組織において、モリーを要人として受け入れるように。ただの番犬として使い潰すことは、わらわが許さぬ。それを心して、商人どもと向かい合うことじゃ」

「……クロノワークが本気で入れ込む以上、ホーストも楽をせず、運営に口を出せとおっしゃられる。私などがどこまでできるかはわかりませんが、最大限に努力させていただきます。約束できるのは、それくらいですが」

「大変結構! おぬしの実績が、ホーストの実績に直結することをよく考えろよ。おぬしをこの場に送り出した者とて、事業の中途で不祥事など起こされたくあるまい。――せいぜい気張れ、良いな」

「……私は、ホーストの代弁者に過ぎません。具体的な待遇については、持ち帰って検討することも、お許しください」

「良いとも。じゃが、心せよ。くどいようじゃが、そちらから持ち込んだ話であるからには、半端な対応は許さぬ。それこそ、ホーストの信用問題になる故な。――ゆえ、一層の尽力を期待する。タラシー殿も、よくよく上司と協議を重ねることじゃな」

 

 タラシーが滞在している間、毎日こまごまとした話し合いはあったけれど、結局は私の後ろにいる王妃様が終始主導権を握り続けていたと言っていいだろう。……私が王妃様の意を汲んで動くことはわかっているんだから、あの方も人が悪いというか。

 

 しかし、王妃様の威光を利用して、クロノワークの権益確保に努めたのは私の功績だって、胸を張ってもいいだろう。

 七日間で出来る限りの話は詰められたと思うけれど、やはり商人たちを抜きにして語れる部分は限られてしまう。

 本番は、もう少し後になるか。そう思えばこそ、準備だけは万全にしておきたいと思う。

 

『東方派遣は決定事項ゆえ、モリーには出来る限りの支援と、帰国後の昇進を約束する。結果だけを出せ。それ以外は些事と割り切る』

 

 王妃様からは、そんなありがたい言葉もいただきました。王族がここまでの言質を与えることなんて、滅多にないことだからね!

 凄いことだよ。我ながら胃が痛くなるほど光栄で、まったくもって愉快な話だ――と思うことにしました。

 割り切らないと、精神がすりつぶされてしまうからね。仕方ないね。

 

 ――それはそれとして、妻たちから多くの苦言と警告を頂く結果になって、いっそう頭が上がらなくなったことは、後日譚としてはどうなんだろうか。

 西方に帰ってきたら、一生をかけて奉仕しよう。そう思うくらいには、借りを作ることになる。そうした確信が、私にはあった。

 別段負担とも思わないから、全然いいんだけどね。奉仕させてくれるのがご褒美、なんて思うことも出来るよ。

 ……だから、どうか東方が私が思うような、最悪でも中国とインドが混じり合ったような社会であってほしいと願う。

 

 単純に色分けできない情勢であるのは、承知の上。それでも、私の前世知識が役立てられる環境であるならば、主導権を握ることはできるはずだ。

 今生において、私の天運が試されるとしたら、今を置いて他にはない。そう信ずればこそ、願わずにはいられないのだ。

 どうか、幸せな家庭でいられますようにと。いるかどうかもわからない神様にも、祈ってしまうのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 外交なんてものに関わっても、仕事が劇的に変わるわけでもない。もろもろの事案をこなしつつ、日々は無情にも過ぎていく。

 ……とかなんとか言って、この世の無常を痛感するフリをしたところで、私自身は極めてクレバーに未来を見据えたいと思っている。思っているだけで、適切な行動ができるかどうかは別の話なんだけど、なればこそ打てる手はすべて打っておきたいんだよね。

 

 東方派遣が決定した以上、私は取捨選択を迫られている。現状の流れは想定できたことでもあるけど、実際に向き合うことになれば、時間と労力もは馬鹿にならない。

 

 耐えてくれる妻たちには、感謝しかないよ、本当に。

 理解ある我が家の妻たちの献身について。私はちょっと、どころではないくらいに後ろ髪を引かれてしまうのですが。

 ともあれ、承認してくれたのなら、私は私なりに動かねばなりません。日常業務はもちろんのこと、旅立つことを想定して、後継者の育成なり特殊部隊の練度の上昇なり、やるべきことは多くあるわけですねー。

 

 中でも、手っ取り早く処理できることは、早いうちに済ませておきたいものだからね。一日で終わるようなことはすぐに片付けて、少しでも心を軽くしておきたかったんだよ。

 確保していた駒と向き合う機会としては、今くらいの時期がちょうどよかったと思う。

 

「――とまあ、そういうわけで頭目殿。貴殿の扱いは、私に一任されているのですね。念願叶って、懲役も罰金もなしに社会復帰が叶うのだから、少しは感謝してくださいな」

「よく言う。名目を盾にこき使う気だろう? だとしたら、こっちからも要望は聞き入れてほしいものだ」

「希望があるなら聞きますとも。こき使うこと自体は、本当ですから。なるべく気持ちよく働いてもらうためにも、環境は整えさせてください」

「なるほど、俺にお前の下で働け、というのか。いや、もちろん嫌とは言えん。――よほど理不尽な仕事でなければ、真面目にやってやるさ。俺は長生きしたいんだ、これでもな」

「生存欲求が旺盛なのは、いいことです。人間、追い詰められるとあっさり諦めますからね。……貴方がそうでないのは、私にとっても朗報です」

「御託はいい。俺に何をさせたいのか、率直に話せ。死なない範囲でなら、協力してやろう」

 

 そうして率直に経緯を説明すると、盗賊の頭目だった男はすぐに理解を示した。

 東方会社に出向くことも、納得してくれた。彼を個人的な部下として使える体制は、ここで整えられたと言える。

 書類を見せるようなことはせず、全て口頭による説明だったが、一度聞けばおおよそ事態を把握したらしい。

 ……証拠になりえるものは、残せない。そうした裏事情まで、きっとお察しされてるんだろうね、これは。

 

「貴方はクロノワーク商人の一人として東方へと向かい、割り振られた仕事をこなしてください。余裕があるなら、個人的な取引も許しましょう。――倉庫に専用のスペースと、信用できる貨幣商を紹介できると思います。商人として稼いだ分については、税金を除けばそのまま懐に入れてくれて構いません。後は、時々こちらの要望にしたがって、仕事をしてくれるだけでよろしい。……私個人の意向としては、貴方を雑に使い捨てるようなことはしたくないのですね。それだけは、確約いたしましょう」

「ありがたい話だが、確約してくれるんなら誓紙が欲しいな。使い捨てない、なんて言葉だけで信用するのは、ちと難しい話じゃないか。おい」

 

 挑戦的な笑みで、彼は私と向かい合った。男を拘束はしていない。そんなものは意味がないと、お互いにわかっている。

 彼我の実力差を理解するくらいには、頭目の男は察しが良い。私ならば、素手であろうと彼を殺せる。この場で不意を打たれても、適切に処分できるだけの自信が、私にはあった。

 

「書面で身分の保証をしろというなら、そうしましょうとも。――後日、貴方の身分証明書が届きます。犯罪の経歴のない、一般的な商人としての立場が与えられます。それでは不満ですか?」

「それは結構なことだな! ……ふん。これ以上を求めるのは、上手くない手だと俺にもわかる。ああ、受け入れてやろうさ」

 

 誓紙を渡す、とは言わない。無罪の証明はする、とだけ答える。私は誠実に彼と向かい合っているつもりだった。だから、決して嘘は言わない。

 論点をちょっとだけずらした言い方は、意図的なものだ。そこを突っ込まれると、お互いに不幸なことになると思うので、そっとしてくれると嬉しいんだ。受け入れてくれるのなら、その賢明さは評価するよ。

 

「ところで……お前さん、どこかで盗賊団を潰さなかったか? たった一人の金髪の女騎士が、数十人の盗賊どもを殺し回った話を、少し前に聞いた覚えがある」

 

 私の内心に気づいてか、あるいは別の方向に興味が行ったのか、頭目の男は話題を変えてきた。

 あちらの意図はわからないが、ここで嘘をつく意味もないだろう。正直に答える。

 

「どうでしょう? あいにく、盗賊の生き死になど覚えておく価値もないことなので。排除した障害のことなど、すぐに忘れるようにしています。……クロノワークの女騎士、それも隊長格であれば、それくらいは当たり前に出来ますから、別段自慢にもなりません。誰かと混同していたとしても、可笑しくないと思いますよ」

 

 数十人の賊相手なら、環境さえ選べるなら、ザラでもメイルさんでも出来るだろう。

 クッコ・ローセは教官職で現役兵じゃないし、昔何かあったらしいから、難しいかもしれないが。まあ当人はもう気にしてないみたいだし、今更話題にすることでもあるまい。

 

 私は――どうだったかな。そのうち思い出すかもしれないけど、真面目に考えることはない。どうせ、こいつも場を和ませる軽口として、言っているに過ぎないんだから。

 

「いずれにせよ些事である、と答えておきましょう。とにかく細かいことはすぐに忘れるので、やったかどうか聞かれても、覚えがないというのが本音ですかね」

「……ああ、そうかい。そりゃ悪かったな。馬鹿なことを聞いた。有象無象を殺すことに、何の理由も感慨も覚えない。その手の奴に、これは愚問だったな」

 

 私にとっては、男の寸評など、どうでもいいことだった。男としてはこれでも挑発しているつもりなんだろうが、私は別段どうとも思わないよ。

 覚えていないことをあれこれ言われたところで、気分を害す理由もないし、勝手に納得する分には好きにしてくれたまえ、って感じだ。

 

「いえいえ、お気になさらず。――私は、貴方の直属の上司になるのです。ある程度なら、部下の粗相を許すのも、上司の度量と言うものでしょう」

「元犯罪者の部下に、何をさせるつもりだ? まさか、本当に真っ当に商人をやらせるわけじゃないんだろう?」

「一応は、そのつもりですが。……信用されていないんですね。人を素直に信じられないとは、よほどつらい目にあってきたのでしょう。心中お察しいたします」

「――まあ、いい。今更馬鹿にされたところで腹も立たん。強者が弱者を嬲るのは、当然の摂理だ」

 

 此の程度の諧謔は、軽くいなして見せるか。それくらいの図太さがなければ、商人を偽装することも難しかろう。

 ただ、本音としても、彼には本物の商人になってほしい。彼自身の為ではなく、私の意図する未来のためにも。

 

「では、商いの道で強者となっていただきましょう。――無理なら無理で別の使い道がある、というのは本当ですが、真面目に成功してほしい、と思っているのも本音です」

「その理由と、俺の使い道について、詳しく聞いておこう。……元犯罪者にだって、それくらいの権利はあるだろうよ」

「ええ、もちろん」

 

 私が東方に行った際、使い勝手のいい駒として、こいつを自由に扱いたい。

 伏せ札として、自由に動かせる駒があれば、私は相当幅広い活動ができるのだから。……そして、万が一不祥事が起こった際には、使い捨てても心が痛まずに済む存在。

 そんな都合のいい相手として、この頭目の男を求めた。理由としては、そんなものである。

 もっとも、率直に口出したりはしないが。――表向きの理由だけでも、私が彼を必要としていることは、理解してもらえるだろう。

 

「東方会社――と単純に言ってもわからないでしょうが、先ほど言ったように、貴方には私と共に東方に出向いてもらいます。言葉も文化も違う土地で商業に関わってもらうのですから、私としては、今から勉学に励んでもらおうと思うのですね」

「……俺は貧農の出だ。読み書きは死ぬほど努力して身に着けたつもりだが、貴族的な教養とは無縁の人間だぞ」

「問題ありません。私が翻訳した書物を使います。それを教材にして勉強すれば、当座は取り繕えるくらいの格好はつくでしょう。――そうして東方文化になじめてから、次の段階に入ることになります。肝心の商売については、まあ今は何を売り買いしても失敗はないでしょう。不安なら、周囲の商人仲間に相談しても良いですよ」

「……本気で使い潰すつもりがないなら、いい。俺としても、豊かに長生きできるなら、努力を惜しんだりはせん」

 

 後は、いかにして長く上手に使うか。駒の成果については、私のやり方次第と言ったところだろう。

 手綱を締める手段は、常時確保しておかねばなるまい。それくらいの曲者でなくては、わざわざ手間をかけて使う価値もない。

 クロノワーク商人に紛れさせ、適度に収益を上げていく手腕については心配していなかった。荒くれを統率し、必要に応じて切り捨てるだけの決断力もあるならば、商才を身に着けることも難しくなかろう。

 稼ぎ時と、ねらい目の投資先、損きりのタイミングをある程度指定してやれば、勝手に成功するに違いない。

 私が現地にいち早く溶け込んで、情報の優位を確立することができたなら、それくらいの便宜は図れる。

 

 ここで重要なのは、私が個人的に動かせる、クロノワーク出身の商人が会社に参加することだ。ミンロン女史は、気軽に使えるような立場じゃないからね。

 

「今後の計画について、詳細に詰めていきましょうか。行き当たりばったりで行動せねばならぬ事態だって、想定される環境です。――直通の連絡網を整備して、いつでも動向を確認できるだけの環境は、維持するようにしましょう」

「俺の監視は外さないぞ、と。率直に脅しにかかったらどうだ。わざわざ遠回しに言わなくとも、こちらに抵抗の術はないんだぞ」

「あいにくですが、私は他人を過小評価する癖は持っていないんですよ。……どうか、目の届くところに居てください。そうであればこそ、お互いに支援し合えるというものでしょう?」

 

 出自ゆえに、政治工作、あるいは荒事に用いることを考えてもいい。頭目の男には、使いようがいくらでもある。

 だからこそ支援は続けたいし、手綱は放したくない。そうした雰囲気を男も感じ取った様子だった。

 

「なるほど、なるほど。――少なくとも、俺に最低限の投資はするつもりらしい。継続してくれるかどうかは、あんたからの恩情次第ってところかね」

「……否定はしませんが、私以外の人員には、取り繕うことを覚えるように。誰も彼もが、嘘偽りなくふるまってくれるわけではないんですからね」

「わかっているとも! ビジネスパートナーとしては、あんたは善良な部類だろう。――まあ、俺が商人として成功できるかどうかは、保証できんがね」

「心配ないと言っても、たやすく信じてはもらえませんか。……とにかく、まずは挑戦してみることです。何事も、行動しなければ結果はついてきませんよ」

 

 そこらへんはこちらでサポートするし、最悪損失はクロノワークが負担する。私から必要経費だと王妃様に直接申し入れれば、拒否されることはあるまい。

 せっかく取り寄せた駒なんだ。たやすく使いつぶれてしまっては、そちらの方が拍子抜けというもの。

 

 私は、こいつを長く利用したい。こいつは、私を都合よく踏み台にしたい。

 とりあえず短期的には、相互互恵の関係が成り立つ。それくらいの目算は、お互いに見定めているのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっと前のオサナ王子とエメラ王女の巡行は、政治的な事業である以上に、商業的な意味合いを持っていた。

 たとえ成人前であろうと、王族と言うものは、常に義務を背負っているものである。そろそろ外遊も許されていく年頃であるし、これからはどんどん外向けの仕事も任されるようになるだろう。

 

 特にオサナ王子は、誇り高く自覚も強い。自らに課せられた義務を、疲れるから、嫌だから、なんて感情で拒否したりはしない。

 しないが、それでもストレスはたまる。巡行そのものが負担と言うよりは、それに伴う他国人との交流が、慣れないお二人には辛いらしい。

 エメラ王女は楽観的な性質だが、仕事も含まれる外遊行事は、自由が利かない分不満が多いらしい。オサナ王子に絡みたがるのは、その退屈を埋めるためでもあるのだろう。

 そして平時においても、お二人は互いを意識している節があった。この辺り、言葉にするのは難しい所だが、仲が良くて結構なことだと個人的には思う。

 

 だから自分に何かできることがあるのなら、出来る範囲で協力してやりたくなる。

 何を言いたいかと言えば、お二人が息抜きの為に、是非にもと希望したのが、私の授業であり――。

 私がオサナ王子にエメラ王女、両者と久しぶりに向かい合ったのは、そうした教育の場であったわけですね。

 最近はお互いに忙しくて、特別に時間を取ることも出来なかったからね。思っていたよりも、自分が好かれているという事実にまずは驚きましたが。 

 

「せっかくだ。後の授業は、僕の希望に沿った形にしてくれないか?」

 

 一通りの義務的な講義を終わらせると、オサナ王子はそんなことを言い出した。

 義務的って言っても、彼はそれなりに私の授業に興味を示してくれている。積極的に質問したり考察を求めたりと、やる気は充分。

 他の先生が絶対やらない分野――シルビア妃殿下の業績とか、その事後の政策についての評価とか。

 割と政治的に微妙な部分も恐れずにやっているからね! 刺激に満ちているのは、確かだった。

 

「お望みとあらば、是非もございませんが……御題は何を?」

 

 だから、ここでさらにオサナ王子が踏み込んでくるのも、それはそれでわかる話である。

 実際的な政治の話なんて、まともな教師は扱いたがらないはずだ。自らの地位や進退について、私は気にせずにいられる立場にある。

 それがわかっているから、彼も遠慮なく自分の要望を通しに来るんだろう。

 

「現状に関係のある話をしよう。――ホーストが何やら怪しい動きをしていることは、僕も知っている。ヘツライなども関わっているらしいが、東方交易はよっぽど儲かるらしいな。モリーには、この東方交易が西方社会にいかなる影響を及ぼすか、是非講義してもらいたい」

「あ、私も興味ある。東方交易は、お姉さまも関わっているのよね? オサナ君もそのうち関わっていくなら、私も知っていて損はないと思うの」

 

 僕の将来にも、大きく関わりそうだからな――と、オサナ王子は言いました。

 それに乗っかる形で、エメラ王女も強く肯定する。……仲がよろしいことで、結構なことだとは思うけれど。

 今このタイミングで、東方交易に関わる授業をする。そこに実務的な内容を入れ込んでしまうと、王妃様の不興を買いかねない。今は微妙な時期だから、情報漏洩に繋がることは避けるべきだ。

 私の態度も、自然と慎重なものになる。とりあえず、今回は基本的な部分を、ほんのさわりだけを伝えるだけにしておこう。

 

「でしたら、まずはホーストとヘツライの関係について。これをざっと解説しましょうか。どちらが主で、どちらが従なのか。これを明確にしておけば、東方交易の外交折衝についても、理解しやすくなります」

「……僕が言うのもなんだが、いきなり複雑な話になりそうだ。エメラ王女は僕ほど勤勉ではない、という部分には、充分な配慮を求めたいな」

「ご安心を。そうは複雑な話になりません。――エメラ王女にお尋ねします。ヘツライの歴史について、何かしらご存じでしょうか?」

「ええと……その、ごめんなさい。何も知らないの。勉強熱心じゃないから、っていうのは、言い訳にならないのよね……?」

「いいえ、大丈夫ですとも。ヘツライに関しては、影が薄い国家ですし、クロノワークとの関わりも薄い。第二王女の立場では、知識がなくとも無理はありません」

 

 エメラ王女が率直に話してくれたから、こちらとしても授業に入りやすい。まあ、この年頃の子であれば、そう責められるものではないだろう。

 それに、知らないことを教える。こういう形であれば、私も気遣いなく率直な授業ができる。

 私としても、政治的な立ち回りを求められているという現実について、多少なりとも適応してきているんだからね。――下手なことはしませんよ、ええ。

 

「ヘツライは、言葉を飾らずに言うならホーストの属国ですね。隣接していて、文化的にも商業的にもホーストに頭が上がらない。養える兵は少なく質も悪いので、軍事的にも小国と言って差し支えないでしょう。――併合されてないのは、労力に見合うだけの価値がない上、緩衝地帯としての意味があるから。単純に、それだけの理由で独立を保っているのですね」

 

 クロノワークとはまた別の意味で、ヘツライは独立国家の地位を保っている。その内情について語るなら、どうしても悲しい事実に触れねばならぬ。

 オサナ王子が疑問を自ら述べなければ、私とて残酷な現実について、余計な言葉を重ねたかもしれない。それくらい、ヘツライの立ち位置は難しかった。

 

「もっと直接的な表現をしてもいいんだぞ。時間はあるんだし、詳しく聞いておきたい。――とりあえず、ホーストに頭が上がらない理由について聞こうか」

「はい。では、ヘツライの経済事情について触れていきましょうか。ヘツライの商人どもが、ホーストが主導する東方会社に参加する理由についても、まとめて語ることができます」

 

 ヘツライって、本当に悲しい立場にあるんだね。どれくらい悲しいかって言えば、外国と通じている貴族のお情けで、王家が生き残らされているってくらい。

 ヘツライ王家に生まれるのは、人生かけて罰ゲームをやらされるのと同じなんじゃないかって、私なんかは思うよ。……それでも諦めてないから、エメラ王女に粉をかけたりするんだろうけど。

 

「ヘツライがホーストの経済的属国であると言えば、驚きますか?」

「驚く以前に、そこまでヘツライとホーストについて知らないからな。……ソクオチが、そこまで両国を注目していなかったこともあるが、純粋に興味を持ったことがないんだ」

「聞いたことはあるけど、あんまり覚えてないかな。……驚くようなことかしら。何が問題かも、ちょっとわかんない」

 

 悲しいくらいに存在感のない国だってことは、共通的な認識としてあるわけだ。

 けれども、これから関わることもある国なんだから、ちょっとは改めてもらわねばならない。

 私が知っている情報だって、特殊部隊に所属しているから得られた部分が大きい。散漫な情報の中から必要な部分だけ抜け出して、簡潔に伝えよう。

 現状としては、経済的な要点を伝えるだけでも、危機感は共有できるはずだ。

 

「ヘツライは強い隣国に囲まれているせいで、低成長社会を強要されてきた。その歴史をかんがみれば、わが国も学ぶべき点が多い国ですよ」

 

 社会的にも商業的にも、ヘツライはホーストをはじめとする周辺国家の都合に振り回されている。

 現在もそれは変わらず、先日のタラシーの件でも体のいい口実にされているあたり、本当に哀れに思う。お二人にはせめて、多少なりとも理解を示してほしいところだった。

 

「どう学べというのだ? ヘツライはクロノワークやソクオチを比較して、なお小さい弱国だろう。今更僕らが弱者に媚びる必要もないと思うが」

「弱者には弱者の理由があります。そこに至るまでの過程を無視してさげすむのは、良い傾向とは言えませんね。――エメラ王女は、どうお考えですか?」

「うーん、そうね。気にしたこともないっていうのが本音かなぁ……」

「正直で結構。……かの国の轍を踏まないよう、ヘツライの現状に理解を示すだけでも充分ですとも」

 

 ヘツライの悲しい所は、物流のための交通網と、国内の主要な商人たち、そのほぼ全てが隣国との取引に依存していることだ。

 国内の商業が発展していないので、いまだに物々交換がまかり通っていたりする。自前で充分な貨幣を製造する技術も資源もないから、他国の貨幣を使って取引せざるを得ない。

 

 特にホースト方面は街道が整備されているため、そちらを利用することが多いらしい。ホーストが東方交易に乗り出すなら、ヘツライ商人もまたこれに乗りたがる。単純に、その方が楽だからだ。

 商人たちは国内の余剰生産物を、他国の贅沢品との取引に使って、自らの財を増やすことしか考えていない。

 ヘツライ王家は、まさに他国におもねることでしか存続できないのだ。そこまで言えば、エメラ王女はともかく、オサナ王子の方は簡単に理解を示してくれた。

 

「するとヘツライは、交易に関わることについては、他国の意向に従わざるを得ないのだな。国内の産業を発達させるより、余剰を持ち出して贅沢品に交換する方が、簡単に儲けられる。……そんな環境が続いていたなら、なるほど。国内に投資して商業を発展させる余地など、そうそう残るわけもないか」

 

 ヘツライでは、工業化に置いて必須とすら言える、分業体制すら確立していない。

 昔ながらの家内制手工業が幅を利かせている現状では、余剰生産物もそこまで備蓄があるわけでもなかったりする。

 なけなしの備蓄をかき出してでも、他国の贅沢品を仕入れるのは、国内に需要があるからだ。

 

 ホーストは、このヘツライからの需要を見越して、ゼニアルゼから高品質の工業製品や宝飾品を買い入れていると言っていい。

 ホーストはこれらを輸入して、高値でヘツライに売りつける。余剰を使い尽くす勢いで、ヘツライはそれを買い入れ、舶来の品で権威を示すのだ。

 なにしろヘツライは低開発地帯であり、高品質の工業製品すら満足に調達できない。見栄えのいい軍隊を用意したいなら、交易に頼るほかはなく、ホーストはここに付け込んで依存させているのだった。

 

「まさにその通りです。国内の産業を育てるには、気の長い投資が必要になります。本来ならば、公共の組織がそれを担うはずなのですが――。王家は統制できるほどの力がなく、地方の貴族は商人の賄賂によって懐柔されている。ホーストもこれを支援する形でヘツライの力を削ぎにかかっていますから、商業が発達する余地すら残っていない有様だったりしますね」

「名実ともにホーストの属国じゃないか! ……ああ、そうか。弱いっていうのは、それだけで抑圧されて、搾取されてしまう理由にされてしまうんだな」

 

 近代以前の社会では、国家が弱いと国民が不幸になる傾向が強い。

 絶対にそうなる、と言うほどではないけれど――武力、経済、あるいは政治力。いずれかで優越する大国が、周囲を食い物にするのは当たり前のことだった。

 これからのゼニアルゼは、少し事情が違うにせよ――大枠では、自国の為に他国を利用するという構図に変わりはない。

 オサナ王子がソクオチの今後を考えるなら、いかにして自らの力を蓄えるか、よくよく考える必要があろう。

 

「悲しいことに、その通りです。――この世の真理と言うものを、ご理解されましたね」

「僕がしっかりしていなければ、ソクオチはヘツライの轍を踏むことになる。……より深く学び、より強くならなければ、我が祖国の未来は暗い。それが、よくわかったとも」

「エメラ王女、これはクロノワークも他人ごとではありません。まだ理解できない部分もあるでしょうが、勉強は続けましょう。……強くなるにも、弱みを隠すにも、知恵と知識がなくては始まりません。悪い男に騙されないためにも、身体だけではなく頭も鍛えておかねばなりませんよ」

「……理屈は分かったけど。でもね、うん。それは、大丈夫だと思う。皆がいる間は、悪い人に騙されることはないんじゃないかな?」

 

 エメラ王女がおっしゃるように、出来る範囲で補助するのが臣下の役割だ。

 ただし、それが成立には前提条件がある。そこは、最低限ご理解していただかねば。

 

「周囲を頼るのは、いいことです。ただし、エメラ王女。これだけは確実に、覚えておいてください」

「何?」

「自分とは異なる意見や、嫌な言葉を聞いたからと言って、発言した人を排除してはいけません。落ち着いてから自分が間違ったとわかったら、訂正することをためらわないように。……これは、本当に大切な事なのです」

 

 簡単にできるように思えるかもしれないが、実際にはとても難しいことだ。

 誰にでもできることではない。素質がなければ、ひどく苦痛なことである。だからこそ、なるべく未熟なうちに、早いうちからくどいくらいに説いておきたかった。

 今の私は、王族に対して合法的に説教臭いことを言える立場なのだ。利用しておいて、悪いことはあるまい。

 

「大丈夫、知ってるから。――モリーのことも、嫌っちゃダメってことよね?」

「嫌うのは構いません。ただ、聞きたくないからと言って無視したり、都合の悪いことから目を背けて、向かい合うことを忘れてしまったら……いずれ、もっと悪い形で自分にのしかかってきます。それをお忘れなきよう」

「宿題を忘れたままにしていると、後で苦しくなるってことかしら。――なら、わかる。私はちゃんとやるから、そこは安心してね」

「はい。エメラ王女は、王族です。多くの人々に影響を及ぼす立場になるのです。ですから、余計に強く意識しておいてください」

 

 これからは、お二人の教育に関わる機会も劇的に少なくなるだろう。

 東方派遣の為の準備を思えば、そこはどうしても削れてしまう部分だ。帰ってきたときのことを考えるなら、もう少し布石を打っておいても良いのだが――。

 何事もやりすぎは良くないし、優先順位と言うものがある。特に政治関係は、要人だけではなく周囲の人間関係にも気を遣うものだ。

 讒言、悪口の類を吹き込まれないよう、王族周りの工作が先。そう思えば、これ以上踏み込むのはリスクの方が大きいように思えた。

 

「東方に向かうとなれば、モリーの授業も受けられなくなるな。そこは、少し残念だ」

「オサナ王子には、熟練した教師陣がついております。私などが抜けたところで、そこまで大きな影響はないでしょう。――王子は、立派な王になれますよ」

「そうだな! 必要なことは教えてもらったし、何より武勲を与えてくれた。……モリーが傍にいてくれたのは、政治的な部分が大きい。これ以上は過剰であるとして、もう役割を終えた――と判断されても、仕方のない所ではあるな」

 

 とはいえ、今はまだ時間も残されているのだから、無粋なことはここまでにしておこう。

 授業を続けられるのなら、私の価値観を伝達することも、将来を見据えた布石を打つことも可能になる。

 なるべく誰の為にもなる形を整えるから、個人的な保身を狙うことくらいは許してくれたまえよ。

 

 ……単純な死に狂いでいられた昔が懐かしい、なんて。

 そんな風に思うくらいには、自分の変化を自覚してしまっている。それが悪くないと思えるほどに、今の家庭環境を受け入れている。

 自分にそんな真っ当な感性が残っていたこと。それ自体が新鮮な驚きであったけれども、わかっているならやるべきことも単純だ。

 

 モリー家というものが成立した時点で、私の命は私だけのものではない。妻たちの命も、同時に背負っている。そう思えばこそ、なりふり構わぬ態度で未来に備えるのだ。

 これもまた、一種の死に狂いの形だろう。単純に、己の命の使い方を変えるだけのことだと思えば、心理的な抵抗もない。

 

 男が女を得ただけで、こんなに俗っぽくなるものなのか。いや、それでも国益と言う最後の一線だけは守っているのだから、許してほしい、だなんて。

 そんなことを考えながら、未来に向けてあらゆる手段を考慮し、備えるのでした――。

 

 




 まだまだ描写する余地はあると思いますが、準備段階の話はここらで一旦打ち切って、話を進めます。

 次回は実際に、東方会社が設立するところまで書いていけるでしょう。いくらかのトラブルが、彼女たちを待ち受けていたりもするのですが、きっとどうにかしてくれるはずです。

 最初から最後まで、その場しのぎのノリと勢いで突き進んできた本作ではありますが。

 少しでも読者の暇つぶしの役に立てたのなら、それだけでも嬉しく思います。



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時間は大切に使いましょうというお話


 もうちょっとだけ、準備的な話が続きます。
 毎回毎回ギリギリか、多少時間がオーバーしてしまうのはお許しください。

 定期投稿の難しさを、今更に実感しております。
 筆が乗らない時間が、大きくなっていくことを理解しつつも、どうにかこうにか物語を進めようと努力中です。



 これからの時期は、自分の人生の中でも、もっとも大きな節目に当たる。慎重かつ大胆な行動が求められると、モリーは判断する。

 ここらで一度、己と己の周囲を取り巻く環境について。客観的な評価と言うものが必要だろう。

 すべてを開帳する必要はないが、目標が目標ゆえ、大きな問題をいくつも残している。幸いにも、相談相手としては、最適ともいえる者たちが傍にいるのだ。

 お互いに都合もあるから、一気に悩みごとの解決には至るまいが――頼らない手はない、ともモリーは思う。

 

「まずは大目標として、クロノワークの西方における地位向上と、それによる勢力均衡の確立。東方交易を含めた、東方と西方の覇権争いを軟着陸させることができたら、クロノワークの権威は確実に高まる。クロノワークが安定した勢力として、西方の地位を確立したなら、そのおこぼれとして我々の重要性も高まっていくこと、必定でしょう」

 

 モリーは、自らをクロノワークの騎士として定義し続けていた。

 夫である前に騎士である。祖国への帰属意識が第一で、それが自分の家族の安泰にもつながると信じるのが、彼女なりの倫理観というものだった。

 

「そうして自らの価値を高めたなら、次の目標として、我が家の維持と発展について思いをいたすことも出来るはず。妻たちに対して、どのように報いるべきかは……難しいですね。なるべく寄り添いたいと思うのに、今は状況が許してくれない」

 

 モリーが政治的な立ち位置を確保した場合、それを不都合に思う者は、常にどこかにいる。

 座れる席にも、パイの大きさにも限りがあるものだ。よって、それにありついたとき、ありつけなかった者たちが羨むのは当然であろう。

 なればこそ、モリーはパイを独占しようとは思わない。むしろ味方を作りたいモリーとしては、口実を見つけては、周囲に利益をばらまくくらい、露骨に人気とりに励んでもいいと思っている。

 分かち合う同志として、身内以外の相手を引き込むことの必要性を、この時点でも彼女は認識していた。

 

「これで十分、何て言えるほど、大したことはできていませんが。これでも外様ゆえ致し方なし、と割りきりましょう」

 

 いくつもの懸念事項に対策し、モリーは己の人脈を総動員することで、政治的な工作をほぼ終えていた。タラシーとの七日間の交渉も、この中に含まれている。

 

 クロノワーク王妃とは改めて会見し、東方交易とそれに関わる他国との交渉について、正式な外交官として任命されている。副隊長も兼任する形で続けているから、軍の中で一番激務を背負わされたが、それだけに権限も大きなものだ。

 

 東方会社への出向に際して、モリーに随行する人員を確保する権限。これを行使する形で、妻たちを引っこ抜く名分を確保した。

 ここまでは既定路線だが、必要に応じて人員を追加することも認められていた。上限は決まっていないが、東方会社の影響力が強くなるにつれて、仕事は増えていく。

 十人や二十人では済まないくらいに拡大することも、モリーは見越している。その人員全てを味方につけて、政治的な保身を図るつもりだった。

 

「やはり、効果的なのは蓄財でしょうか。……放置して好き放題にされるくらいなら、監視下で小金を稼ぐ機会を作ってやる。目標達成のため、必要なことと思えば、それくらいは上司の裁量として、許されてもいいでしょう」

 

 端的に言うなら、東方に出向く度胸さえあるなら、モリーの口添えで交易の権益に一口噛むことができるわけだ。

 というのも、東方会社の職員は、上限こそあれど、皆個人的な商売をすることが認められることになった。

 西方に残った家族へ贈り物をするついでに、ちょっとした交易品をやり取りするくらいは許されるべきだと、モリーが主張した結果である。

 

 職員の給与は決して低くない上、小金を稼げる副業を持てる。そんなポストを、モリーは用意できる。

 さらに、これをモリーの後任にも引き継がせれば、東方会社の慣習として定着するだろう。それには、彼女がつつがなく任期を終える必要があり、これがモリーの政治生命を保証してくれるはずだ。

 

「職員へのちょっとした役得など、私にとっては大事の前の小事。将来的なことを考えるなら、東方会社をクロノワーク外交の東方出張所にできるかもしれないから、そっちの方がよほど重要だよ。……東方会社が民間企業なのか、公的機関なのか。線引きがあいまいになってややこしくなる可能性もあるけど、最初の内はどうしても国家的な支援を受けるわけだし。――まあ、そこは様子を見てやっていきますか」

 

 とりあえずポストさえ整えられるなら、後方の官僚に対する飴として、これ以上のものはあるまい。ただ、他人に権益を分け与える以上、モリー自身が大っぴらに交易に参加することは認められぬ。

 あえて、大きなパイを他人に譲る。そうした態度こそが保身に繋がると、彼女は信じていた。

 

「官僚を抱き込めるなら、政治的な讒言はおおよそ封じられる。――王族からの信頼も、だいたい得られた感があるし、嫉視による失脚の危険は少ないはず。まあ数年くらいなら大過なく過ごせるでしょう」

 

 もっとも、東方会社が上手に運営できなければ、全てが空手形になる。そこは外してはならない線だとわきまえながらも、モリーはやることをやっていた。

 実利とか役職とか、そうした即物的なものはもちろんだが、交易のもうけを国内の投資に向けるよう、参加する商人たちにあらかじめ助言するくらいは出来る。

 クロノワークの発展に、間接的に寄与したのがどこの誰であるか。それを周知させるくらいには、人脈の構築と環境の整備にも力を入れていた。

 

 オサナ王子、エメラ王女はもちろんだが、二人の教師陣から側付きの使用人まで。手をつけられるところはやりつくしたと言ってよい。

 細々なところまで話を回したから、東方から帰還したところで、モリーの手元に特権が転がり込んでくる余地はあるまい。それでも、政治的な安全を確保するためと思えば、安いものではないか。

 まだまだやりたいことはあるが、後は相手からの反応待ちの部分があるゆえ、とりあえずはここらで満足しておくべきだろう。

 

「いけませんね、どうも。一人になると、一人言が多くなる」

 

 自室で書き物をしながら、思考を整理する。計画書などを作ったのは何時振りだろうか、なんて思う。

 口に出した方が記憶に残りやすいのは確かだが、人の目を気にするならば、控えたほうが良いものであろう。

 だが、口を動かしていた方がストレスを吐き出しやすい。リラックスすべき自室において、そこまで自重したくもなかった。今日くらいはいいだろうと、思うが儘に思考を回す。

 

「まあ、怒られたくはないので、ほどほどにしておきましょう。……後は、なるようになる。そう信じるほか、ありませんか」

 

 口と同様、手を動かして、文字に記すのは、頭の中をまとめるという意味合いもあるが――それ以上に他者への説明に使えるのが大きい。

 具体的な内容については、東方会社の今後の見通しについて。積極的に介入できる部分とホーストの思惑の分析、ついでそのために必要なリソースに関することである。

 モリーは、己の能力を過信しない。自分がアドバンテージを得られているのは、反則的ともいえる前世知識による部分が大きいのだと、自覚してもいた。

 

「中国に東インド会社ができたと想定して、色々と考えていかねばなりませんね。……地球の国家と企業で例えてしまうと何が何やらですが、あちらの歴史を教訓にできるだけでも、私の存在は規格外だと思うべきでしょうか」

 

 モリーは、忸怩たる想いでそれを自覚せねばならなかった。誰に見せることも出来ない顔で、彼女は自らの特異性を活用する。

 それが反則に近い行為であり、ズルであることを認めながらも、その有用性がゆえに自重することも選べなかった。

 

「私は全力で動いている。それとは関係なく、この世界の時間もまた動いている。……時計の針は止まることなく、本来ならば人々は犠牲を経験に、歴史を教訓にして前に進むしかなかったはず。――私は一体、どこまで抵抗できるのでしょう?」

 

 モリーは、自分について客観的な評価を下す必要があった。自身の偏見や感情を取り除くことは、そうそう出来るものではない。

 しかし、そうしたノイズを考慮に入れても、やはり己こそがこの時代のキーパーソンになりえてしまうのだと、嬉しくもない不吉な予感を実感してしまうのである。

 

 取り越し苦労で済むなら、ただの自意識過剰な笑い話で済む。馬鹿なのは私一人であってほしいと、心底願う。

 だが、このタイミングで自分が都合の良い立ち位置にいること。政治的にも能力的にも、他に適役が見いだせないことなどを考えるならば。

 ――やはり、自身の特別性について思いを致さずにはおれない。

 

「このために、私はこの世界に呼ばれてしまったのか? ……いいえ、いいえ。そんなことは認めたくない。せめて、彼女たちの為に。彼女たちの幸福のために私が生まれたのだと考えたい。そうであれば、どんな努力も些細なことだと思う」

 

 ザラ、メイル、クッコ・ローセ、クミン。彼女らは、モリーがいなければ、相応の人生を歩んだだろう。

 モリーがいなかった場合と比べて、どちらが良いものか。もしもの運命について、モリーは考えたくなどなかった。だから、それについてはあえて目をそらす。

 目をそらした分だけ、別のところで、誠実でありたい。そう祈るから、彼女はあらゆる手段を用いて、我が家の安泰を図っているのだ。

 

「クロノワークと言う国に対する忠誠と、我が家に対する愛情とでも呼ぶべきもの。両立させるなら、手段は択ばなくてはならない」

 

 取れる手段は、本当に何もかもを考慮しないのであれば、無数にある。

 あることはあるが、自分だけが利益を独占すると後が怖いし、誰かに割を食わせる形にすれば、やはり禍根を残す。

 自分一人ならともかく、家庭がある身で、恨みを買うことは極力避けるべきだった。とすれば、やはり無難な手段を用いて、地道に進めていくのが一番であるという結論になった。

 

「当初の計画を変更するべきかな? 結局のところ、自分が出張るのが一番確実。……いち早く乗り込んで、現地の方々と誼を通じられたら、東方会社における私の地位も、まず磐石と言えるのですが」

 

 遠距離からの通信では、どうにもならぬ部分が確かにある。ホーストの連中とて、そこまで深入りする段階ではないだろう。

 商人たちの中には、現段階でも東方に食い込んでいる者がいくらか存在するだろうが――。

 逆に言えば、彼らに接触することで、効率的に影響を与えることができる。東方への移動手段や、あちらでの工作についても、相談次第では動かせる可能性はある。

 

 問題は、こちらが切れるカードが少ないことだ。東方会社には、まだ実績がない。東方の人々が自分たちを信用してくれるか否かは、いまだ未知数であった。

 とすれば、まずは自らの力の証明から始めるのが無難であろう。そう思えば、今からあちらで活躍しておくことが、最善策ではあるまいか。

 

「……どうにも、思考が過激な方向にいってしまう。出来ることがあるから、それを無視したくないっていう気持ちもあるけれど。――焦っているのかな」

 

 悩んでいるばかりでも、事態は好転しない。思考を切り替えるきっかけを求めるなら、自分の心に問いかけるよりも、人の目を当てにしたほうが良いだろう。

 明日、いくらかの仕事を片付けたら、妻たちのご機嫌伺いも兼ねて、あれこれ聞いてみるのもいいかもしれない。

 

 自分の命を安売りできなくなった、今であればこそ。その大事な要因に対して、真摯に接する機会を作ることは重要だろう。

 戦う理由など、考えるまでも無いことだった。そんな単純に生きられた時代では、もはやないのだと。そう自覚するがゆえの行動だった。

 結果として、自らの決意が固まるなら、それもいいだろう。そう思って、モリーは明日からの予定を組み始めたのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミンロンは、公式補給商として働く合間にも、モリーとのつながりをおろそかにしなかった。仕事は残っていたが、直接訪ねられたのなら、応対するくらいは何でもない。

 

 彼女にとって、モリーは自分を引き上げてくれた恩人である。その認識を確認できたのなら、モリーの目的は半ば達成されたようなものだった。

 それでもせっかく顔を合わせたのだから、あれこれと話を進めたく思うのは、仕事人の性とでも言うべきだろう。

 

「――お忙しいところ、申し訳ございません。急ぎではないのですが、ミンロン様の助けが必要なことがありまして」

「いえいえ、そんな他人行儀に『様』なんてつけなくていいですよ。どうかミンロンと呼び捨てにしてくださいな。身内に加えるなら、それくらい軽いほうが良いでしょう」

 

 ミンロンの事務所にまで出向いて、モリーは彼女と語らっていた。

 相談相手としてはともかく、協力者としては申し分のない才女である。とりあえず、確定的なことくらいは、話題に挙げてもいいだろうとモリーは判断する。

 

「では、お言葉に甘えまして。――ミンロン、貴女に頼みたい。私は近いうちに、東方にまで出向くことになります。それに備え、いくらかやりたいことがあるので、私に協力してくれませんか? 今は手持ちがないので、料金は後払いという形になりますが……」

「いいですとも。私はモリー殿の為に、便宜を図れるだけ図りましょう。私自身は西方での仕事に掛かり切りですが、東方にも縁を残していますからね。……正直、私もこちらで一方的に儲けすぎました。そろそろ、多方面に色々とお返しをしてもいい頃だと思っていたところです」

 

 ミンロンは、今更モリーを切り捨てる選択など選ばない。付き合うほどに、新たな魅力が発見される。そうした面白みのある相手と、実利的な取引もしているのだ。

 ここで不義理を犯しては、商人の風上にも置けぬ。本心からそう思うから、ミンロンは本音で応えた。

 

「とにかくモリー殿。なんでも言ってください。最大限、期待に応えさせてもらいますよ」

「いいんですか、そんなことを約束して」

 

 ミンロンが好意的であることは嬉しいが、いささか度が過ぎているようにも思われた。

 期待が重すぎても、応えられるかどうかはケースバイケース。モリーは少しだけ不安になったが、ミンロンは胸を張って言った。

 

「他ならぬ貴女の求めです。私は、あんまり阿漕な商売はしたくないんですよ。――結局のところ、長く太く稼ぐには、信用を積み重ねるのが一番いいんです」

「実入りのいい仕事を回してくれるっていう信用ありきの話ですよね、それ。……ミンロンがそこまで骨を折ってくれるなら、こちらとしても美味しい話は真っ先に伝える義務が発生する。最終的な収支は、どちらが上になることか」

「そこは、あいまいにしておくのがお互いの為でしょう。私も、モリー殿も、有益な付き合いを続けたいと思っている。大事なのは、そこですよ」

 

 ミンロンは、正直に話した。だからこそ、モリーも信用して話を持ち掛けるのだ。

 どうせ、他には任せられない仕事を任せることになる。信用は大前提であると覚悟を決めれば、モリーも思い切った提案ができる。

 

「ならば、遠慮なく要求します。ミンロンも忙しくて大変でしょうが、東方の知り合いに向けて情報を流してほしいのです。……東方会社が進出したい場所、商館の候補地について、あちらで懇意にしている商人に伝えていただきたい」

「その程度なら容易いことですが……それだけでよろしいので?」

「後々、色々と頼みたいことはありますが、現時点ではそれだけです。……一応断っておきますが、それだけ、と言えるほど軽いことではありません。重要な事です」

 

 モリーはそう言って、手書きで写した資料を彼女に渡して見せた。

 モリーはこの件について王妃様から任されている。事前工作くらいは、自分の責任でやることも許されていた。

 

「なるほど、今の内から話を通して、候補地を確定させるおつもりですね? ……西方の商人が東方に進出するなら、現地の協力が不可欠。話の分かる東方商人がいて、利益を分かち合える態勢が整っているなら、企業を立ち上げるにも都合がいい」

「そこまでわかっているなら、話が早い。単なる候補地を、最適の建設地に改造します。――決定権は私にはありませんが、環境を整えることはできる。他がかすんで見える位に良い立地にしてしまえば、後は背中をちょっと押すだけでいい」

 

 とはいえ、今から用意できるのは、策とも言えぬほど単純で、遠回しな方法しかない。

 本気でやるつもりなら、モリーだけが現地入りして、直接動くことも選択肢に入れねばなるまい。

 

「情報を伝えるだけであれば、すぐにでも動きましょう。私とて余裕はそう多くありませんが、商談の片手間にできることです」

「すいません。工作の資金は、まだ確保できておりませんので、私のポケットから報酬を出したいくらいですが……。妻に内緒で出せるお金は、それほど多くのないのです。後払いと言うのは、そういうことでして――」

「大丈夫。今回のお代は、私からのおごりってことで、サービスしておきますよ。……これで、モリーさんにも多少はお返しができたと思うことにしましょう」

「ありがとうございます。――重ね重ね、厚かましくて申し訳ないのですが、他に東方で信用できる人物がいるなら、ぜひ紹介してもらいたいと思います。これは、多ければ多いほどいいですね」

 

 ミンロンがどこまで協力してくれるのか。その限界の線を見極めておくのも大事である。

 個人の商人にとって、自らのコネクションを公開することはリスクだ。これを受け入れてくれるなら、モリーはミンロンに対して負い目を一つ作ることになるだろう。

 

「では、後日紹介の段取りを組みましょう。書面だけでの付き合いで良いなら、結構な数を用意できると思います。……ただ、大部分は身内になりますので、そこはご了承ください」

「いえいえ、紹介してくれるだけでもありがたいですよ、本当に。――これで、私が打てる手も広くなる。ここまでしていただけるなんて、ミンロン様には頭が上がりませんね」

 

 とにもかくにも、最初に必要なのは現地の信頼できる貨幣商。次に交易品を管理するための倉庫や、陸路や海路に関わる建設業者など。

 ミンロンの紹介で行き届かない所は、また別の機会を探らねばなるまいが――。

 東方の情勢に、多少なりとも今から干渉できるならば、全力でやるべきである。

 今は、商業の方面はそこそこで構わない。本命は、政治面。現地の権力者に取り入るのがもっとも効率のいい方法である。

 

「これからも、良い付き合いを続けていきたいものです。――公式補給商の任期が切れてからが、勝負だと思ってください。現状維持を望むなら、もう十分すぎる実績が貴女にはあります。ですが、更なる高みを目指すのであれば、東方会社への関わりは持っておくべきでしょう」

 

 モリーには、ミンロンをさらに深みに引きずり込みたい、という意図があった。外交的な謀略に加担させられるくらい、ずぶずぶの関係に慣れたなら、後ほど色々とはかどるだろう。

 そうした下心を察しつつも、ミンロンは自らの栄達に深い関心があった。だから、余計なことは聞かず、ただ見返りの確認だけをする。

 

「つまり、モリー殿は東方会社に私の席を用意してくださる、と」

「正式な役職などは、かえって負担となるかもしれません。外部協力者として、私の管理下という形ではありますが、それなりの役得を与えてあげられると思います」

「……なるほど。それはまた、ありがたい話ですね?」

「どうか、警戒なさらないように。私は貴女に成功してほしいのです。お互いに、共存共栄の関係を続けていきましょう? ――難しく考えずとも、とりあえずはこうして情報交換を続けるだけでも結構です。後のことは、後でまた改めて考えればいい。違いますか?」

 

 ミンロンは、モリーの提案を、消極的にだが受け入れた。この関係が意味を持つのは、数年後の話になるが――それまで友好的なやり取りを続けられるだけの自信が、モリーにはあった。

 自分の東方会社での地位を考えれば、ちょっとした儲け話を嚙ませるくらい、そう難しいことではあるまい。ミンロンを通じて、情報のやり取りができるだけでも、後々効いてくるはず。

 

 モリーは、本格的に行動すべきタイミングを見計らっていた。

 日々の業務では特殊部隊の副隊長として。オサナ王子とエメラ王女の前では、教師として。

 そして妻たちの前では、ただ一人の夫として、不足ない働きをしていた。――そして、彼女はまさにその日常を守るために。彼女たちと、彼女たちが生きる世界をより良いものとするために、モリーは戦おうとしているのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クミンは、己を流れに乗るのが上手な女だと思っている。それが事実であるかどうかはさておき、当人がそのように自己評価している、という部分こそがもっとも重要であった。

 モリーの存在については、今のところは人生を相乗りする相手として、それなりに評価している。

 

「家ではなかなか、一対一でお話するのは難しいですからねぇ。二人きりになっても、誰かの耳を気にしなくてはならない。――お店までご足労頂いたのは、申し訳ないと思いますが」

「大丈夫ですよ。誰にも聞かれたくない話くらい、貴女にはあって当然です。弱みを握られる相手は、少ないほうが良い。……今や、上等なワインもサービスされる立場になりました。昔とは、大違いですね」

「クミンさんの立場は、私のせいで色々と複雑になりすぎている気もします。いらぬ苦労を与えているのではないかと、申し訳ない気持ちもあります。――不都合などは、ありませんか?」

 

 クミンは家庭に入ったとはいえ、以前の組織から離脱したわけではない。雑用仕事ばかりを任されているものの――それは、同僚からのやっかみを最小限にするという意味合いもある。

 今、モリーの手元には二つのワイングラスがあり、彼女は一つをクミンに渡した。いずれが主であり、いずれが従であるかは、もはや明確であった。

 

「いいえ、別に。私も、モリーさんのおこぼれに預かっていますからね。お互いに持ちつ持たれつ、ということでいいんじゃないですか?」

「お互いに支え合っている、という意味であるなら、積極的に肯定していきたいですね。仕事上の付き合いだけでは、もはや済まない間柄なのです。――私の家は、お気に召しましたか?」

「ええ、まあ。皆さん、面白い方々ばかりで飽きませんね。もちろん筆頭は、モリーさんですけど」

 

 クミンの立場の強さについては、シルビア妃殿下の庇護も大きいのだが、あの方は彼女が所属する組織を庇護しているのであって、一個人をひいきしているわけではない。そこを勘違いするほど、クミンは馬鹿ではなかった。

 ひいきされることを望むならば、本当の意味で安全を買いたいならば、強者のひざ元に居場所を確保すべきなのである。クミンは、それを理解していた。

 

「おほめに預かり、恐悦至極。――お仕事の話をしても?」

「ええ、どうぞ」

 

 モリーに取っても、他の妻たちに聞かせたくない話はある。彼女らはモリー家の妻でもあるが、それ以前にクロノワークの騎士である。

 余計な情報を耳に入れて、意識させたくはない。時には、知ったという事実そのものが、負担になることだってあるのだ。

 この点、クミンは気にしなくてもいい。便利使いできる立ち位置は、これはこれで重要なものであった。

 

「ホーストとの外交について、進展をお話したいと思います。シルビア妃殿下の方には、まだ詳しい話が行ってないでしょうから。……王妃様も、自分から振りたい話題ではないでしょうし、こちらから知らせてあげたいのです」

「それ、漏らしていい話なんですか? 国家機密では?」

「王妃様からの許可は得ています。大っぴらに吹聴していいことではないでしょうが、この店の秘匿性は評価していますので、まあギリギリ許される範囲でしょう。『天使と小悪魔の真偽の愛』という組織は、顧客の信用をよく守る。――必要な人にだけ、必要な情報を渡してくれる。私は、そう信じていますよ」

 

 全権を委任されるということは、情報の伝達についても一任されているということだ。

 それからモリーが口にしたことは、ただの進行報告のように聞こえた。クミンには意味の分からない部分もあったが、彼女は情報の分析官ではない。ただ伝令の役割をこなすのみである。

 

「――詳細は把握しました。内容の報告については、シルビア妃殿下へ、直通の連絡網を使います。モリーさんの言葉を一語一句そのまま伝えますので、その点はご了承ください。……随分と言葉を選んでいたように聞こえましたが、基本的に普通の進行報告ですよね?」

「はい、そうですね。シルビア妃殿下には、それだけ伝えてくだされば、充分にご理解されるでしょう。……クミンさんが傍にいてくれて、本当に良かったと思います。妃殿下と内密のやり取りをするのに、貴女はとても有用ですから」

 

 クミンが狡猾なのは、強者二人の間に己を置くことによって、自身の価値を両者にアピールしている点である。

 いずれからも切り捨てられない。それだけの理由が、今の彼女にはあった。モリーがその価値を発揮し続ける限り、クミンは安楽な生活を維持できる。――今の環境に安住し続けるべきかどうかは、また別の話であるとしても。

 

「本当に、仕事の話に終始するんですから。もっと色気のある話をしてくれてもいいのに。……まあ、それも可愛げと思うことにしますか」

「そちらの方は、夜が更けてからしておきたいのです。――貴女に寝かしつけてもらうのは、とても心地よいのですが。それを受け入れてしまうと、一日が終わってしまうので」

「……いいんですけどね、別に。私、ベッドの中でも記憶力はいいほうですから。うかつなことを言って、後悔なさらないでくださいよ」

「わざわざそう言ってくれるんですから、クミンさんはいい人ですよ。――ええ、覚えておきます。これからは、注意しましょう」

 

 東方会社の一件を、モリーは家庭内で情報を公開した。当然、クミンはそこで得た情報も含めて、ゼニアルゼに送ることになる。

 シルビア妃殿下の判断を、クミンは知ることは出来ない。あの方の行動次第では、モリーの不利益になる結果すらあり得るかもしれぬ。

 だが、モリーはたとえそうなったとしても、自分を責めないこともわかっていた。クミンにとって、それが何よりも大事なことだった。

 

「せっかくなので、もう少し時間つぶしのお話でもしましょうか。私の仕事なんて、雑用も良い所ですが……同僚の視線も、以前とはずいぶん違うように感じます。ああ、悪い意味ではないですよ?」

「私の存在が、クミンさんに余計な負担を与えているのであれば、謝罪します」

「いえ、別に。……むしろ、私の立場は日増しに強化されているようですよ? ただの雑用が、店長よりも偉そうにふるまえる様子で、かえって面白いですね」

「何事も、ほどほどに楽しむのが一番ですよ? クミンさんは、その辺りの加減を間違える方ではないと思いたいのですが」

「大丈夫。一度試してからは、もう二度とやりたくないと思い知らされましたからね。――私はやはり、小心者のようで。モリーさんの家で、妾をやっているのがお似合いだと確信しました」

 

 妾とはいっても、他の妻たちと待遇に違いがあるわけではない。それでも、当人の意識の違いが、家の中での地位にも表れている。

 クミンだけが、外様の立ち位置から変わっていない。どんなに打ち解けようと、いつ我が家からいなくなっても可笑しくない相手。それがクミンの立場の悲しさであり、モリーもそれはわかっているつもりだった。

 

「随分と悲観的なお言葉ですが……本格的に、私の家に収まるつもりですか? 私自身は嬉しいですけれど、無理をしてはいませんか?」

「おや、これは異なことをおっしゃる。私の方から別れたいなどと、一度だって言った覚えはありませんがね。――その手の気遣いは、いい加減くどいと思いますよ」

「それはそうですが、クミンさんはシルビア妃殿下の紐帯であることも否定されていない。……ただの連絡係とはいっても、それだけで十分に政治的な役割を担っていると言えます。これから私たちが東方に赴くとなれば、貴女の役割はさらに大きなものとなるでしょう。組織の東方進出の尖兵になることさえ、おそらくは可能だと考えます。――私の家に束縛するのが、かえって申し訳ないくらいではありませんか」

 

 東方進出の際、自前の傭兵や使用人など、人員を持ち込んでくる商人たちは多いだろう。

 そんな連中が、現地に馴染めるかどうかは未知数である。同じ西方からやってきた風俗を利用できるなら、そちらを利用したいと思う層は、確実にいるはずであった。

 ――よって、『天使と小悪魔の真偽の愛』は、東方に拠点を作り上げられる。その需要があるのだから、この波に乗らない方が不自然であろう。

 

「なんといいますか、そこまで買いかぶられると、かえって面映ゆいですね。――私は、モリーさんから見て、すごい才女のように見えるのでしょうか」

「クミンさんは、立派な才女ですよ。それこそ、ミンロン女史に負けない程度には、恵まれた才能があると思います。――そうでなければ、シルビア妃殿下も、ここまで貴女を使い倒そうとはしなかったでしょう」

 

 あるいは、モリーの立場も合わせると、クミン嬢が第一店舗の支配人になっても可笑しくない。

 経験とか能力とかはさておいて、政治的な状況がそれを後押しすることは大いにあり得る。

 もっとも、それはシルビア妃殿下が、他国の東方進出をどうとらえているかで、反応が変わってくるのだが――。

 

「私に、あの人の考えなんてわかりませんよ」

「それは、誰もがそうです。シルビア妃殿下は、破格の人ですから」

「嘘。私、聞きましたよ。……あの方の西方支配のやり方について。説明されるまでも無く、さわりを聞いただけで理解したらしいじゃないですか」

 

 あんまりにもクミン嬢が恨めしく言うものだから、モリーは自分の耳目を疑いそうになった。

 話を進めるのと、相手のメンタルに配慮すること。彼女は、自らの役割を理解しつつも、その難度の高さに怯まねばならなかった。

 

「ええと、あの。……クミンさん?」

「私は、自分を過剰に評価しません。適切に、正しく身の程をわきまえています。……他の方々とは違う。私には、軍事的才能はないし、商才もない。ただ、人に媚びるのが上手なだけの女です」

 

 自虐に浸る女性を口説くのは、なんとも後ろめたい気分にさせられる。それでもモリーは、現状から逃げることだけはしなかった。

 クミンがそこに付け込もうとするのも、当然の成り行きであったろう。

 

「とりあえず、軍師的才能とか商才とかは、一般人が持っているものではない、という前提から話しましょうか?」

「ただの一般人が、モリーさんの妻をやっていけるわけがないでしょう。私なりに、悩んでいるとご理解いただけませんかね?」

「アッハイ。……すいません」

 

 基本的にちょろい人なのに、なんとなく気を引きたくなってしまうのは、なぜなのかとクミンは思う。

 これを、『人徳』などと言うのだろうか。最近、モリーが翻訳した東方の書物を読み始めているから、そんな感想も出てくるのだろう。

 それが正しいかどうかは、さて。ベッドの中で遊んでから、枕の上で聞かせてもらうとしよう。

 クミンはクミンなりに、モリーを好んでいる。好意を表すのに、もはや努力を必要としない段階に入ったと思えば、これは快挙と言うほかない。それは、愛と呼んでも差し支えない感情でもある。

 ハーレム嬢とか、風俗嬢などが身請けをされて、家庭に入る覚悟を決めたときと言うのは。だいたい、そうした感覚を伴っているものなのだから――。

 

「とりあえず――クミンさんが組織での東方の顔役になることについては、私の方からも推薦すると、シルビア妃殿下に伝えてください。……風俗店を東方にまで拡大する場合、クミンさんの立場は結構重要なものだと思うのです」

「理解しがたい所もありますが、私は基本受け身な女ですから、向いてないと思うんですけどね。しかし、やれというなら拒みませんよ。――今の私は、なんといっても、東方会社の重役の奥様なんですから。……本当、私には過ぎた身分だと思います」

 

 上役の説得から、環境の整備まで。根回しを手抜かりなく行うのがモリーのやり方である。

 そこまでお膳立てされれば、女冥利につきるというものだった。なればこそ、クミンも全力を尽くす気になる。

 

「ところで、もののついでにお聞きしたいのですが――。妻たちに私がお返しできることって、何があるでしょうか。自分だけで考えると、短絡的に高価なプレゼントとか近場でのデートとか、そんな色気のない手段ばかり思い浮かんでしまうのです」

「……私はともかく、彼女たちはモリーさんが一生懸命考えてしてくれたことなら、だいたい喜ぶと思いますよ。まあ、私などでよろしければ、相談に乗ってあげますが」

「お願いします。――真面目に、貴女は我が家に必要な方ですよ。そこは、自信を持ってください」

「そうですか。……まあ、いいんですけどね」

 

 クミンは、己を流れに乗るのが上手な女だと思っている。それを証明するには、これからの立ち回りをよくよく考える必要があるだろう。

 ここで期待に応えられないようなら、今後の人生ずっと、浮き上がらないまま、惰性で生きることになりかねない。

 

 クミンは前向きな女性である。自らの可能性に挑戦するためにも、モリーの妻と言う立場は手放したくはなかった。

 完全に自分勝手な事情であるが、結果としてそれもモリーの追い風になる。あらゆる流れが、彼女を後押ししているのだと。クミンのような女性でさえ、それを実感していたのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教官職というものは、これで結構仕事が多いものである。クッコ・ローセは格別有能な指導教官であったから、働き口に困ることはこれからもないだろう。

 しかし、時には余計な仕事が増えることもあったから、評価されるということは難しい。美味しい所だけもらっていけるようには、なかなか世の中出来ていないものだ。

 

「しがらみが増えた分、仕事も増えてしまってな。後任の指導は、職務の一環だから問題はないのだが――新兵への教導に加え、正規兵への練兵の手伝いにも行かされている。どうにも、軍としては私を外部に出したくないようでな。徐々に権限を増やして、昇進させていく方向で調整しているっぽいぞ」

「それはそれで結構なことではありませんか。シルビア妃殿下に都合よくつかわれていた、今までの方が不自然だったのです。……軍組織と王族は、密接な関係を維持しておくべきですが、妃殿下はすでに他家の人。ほどほどにしておくのが、一番でしょう」

 

 平日の昼休み、ちょっとした空き時間も、なるべく妻によりそうようにしているモリーである。

 職場でイチャイチャするのは、まあ風紀の面でよろしくないところもあるだろうが、そこはそれ。

 食事を共にして、かるく会話するくらいであれば、目こぼしされるのが軍内の不文律である。クロノワークの軍隊は職場恋愛を否定しない。まして夫婦の会話くらい、いくらかは許されてしかるべきだろう。

 

「しかし、こうなると私が東方まで出向く話は、難しくなるんじゃないか? 後任を育てるだけなら余裕だと思っていたが、物事はそう単純でもないらしい」

「いえいえ、そうでもないですよ。要は、軍の面子を損なわないよう、上手に転属すればいいわけで。――帰還後に現場に復帰する形にすれば、面目も保てると思いますよ」

 

 実際には、シルビア妃殿下よりもクッコ・ローセ個人への執着があるらしい。軍にとって、優秀な教官の存在は、それだけ大きいものだ。

 安易な配置転換や引退などは、許したくないのだろう。よって、責任を持たせて昇進させるのは、有効な手段と言える。

 もっとも、モリーにはモリーなりの見解がある。現状は複雑だが、決して悪いものではないらしい。

 

「クッコ・ローセが軍からの期待を背負っているなら、それを逆用しましょう。――軍のポストを東方に用意する。それを拡大するために、彼女の力が必要だ――と言えば、まあ通るでしょう。実際、東方会社の警備部門には、熟練兵がいくらでも必要になるはずです」

 

 現地で雇用する分を考えれば、クロノワークから持ってくる分は少人数に限定することになるだろうが、軍にとっては歓迎すべきことのはず。

 飯のタネは、多ければ多いほどいいものだ。モリーは、それを与える権限を持っている。大事なのは、それだけだった。

 

「私は、鍛える相手が誰であっても構わん。それこそ東方人でも傭兵でも。……まあ、実際に出向する時になればわかることかね」

「我が家が総出で東方に行くことは、妥協せずにごり押していきますので。そこは、ご心配なく。帰還後の地位も、まず間違いなく昇進がついてきます。下手を打つことさえなければ、我々は安泰ですよ」

 

 クッコ・ローセは忠実に仕事をこなしてきたし、実績もある。帰還後の出世は、適正の報酬とも言えた。

 何より、東方出向と帰還後の昇進を定型化できるのなら、士官の箔をつけるという意味で、有用性が出てくる。

 

「それは景気のいい話だ。しかしお前は王妃さまとは縁があっても、軍の高級官僚たちとは疎遠だからな。面子に配慮すると言っても、お前自身があちらまで手を伸ばすのは、難しいんじゃないか?」

 

 軍官僚と内政や外交を担当する官僚たちは、また別物である。別物である以上、渡すパイも別の部分から調達してこねばならぬ。

 これに関して、モリーはとりあえず反感だけは買わない形で接するつもりだった。

 

「はい。手を伸ばしすぎるのも、いろんな意味で危険ですから。――そちらは、王妃様を通じて説得するようにしています。王族と軍組織の関係は、近しいほうが良い。今回の件に限れば、軍にとってもそこまでリスクはないですし、単純に機会が増えた、くらいに捉えてくれるでしょう」

「東方に軍人のための役職が新たに出来て、給料もいい。帰ってきたら昇進のおまけつきとくれば、なるほど。定着したなら、軍としてもありがたい話になるのか」

「新しく事務専門の部署も出来ましたし、そちらに新しいポストを用意しておくのもいいでしょう。――本人の希望次第で、選択に幅を作っておく。そうした環境づくりは、今後確実に必要になりますからね」

 

 政治工作は終えているから、モリーはこれを後押しするだけで良かった。タラシーとの七日間の話し合いの場は、それだけモリーと王妃の距離を近づけたのである。

 当面の財源は、ゼニアルゼからの補助金をつぎ込めばいい。今後の情勢次第だが、税収が増えれば、補助金をあてにせずに維持することすら可能かもしれない。

 そのためにも、モリーは全力を尽くすつもりだった。東方会社への出向は、今後のクロノワークの政治に大きな影響をもたらすだろう。

 

「王妃様は、東方への出向は栄転という形に演出する、とおっしゃっていました。王族がこれだけの言質をくださったのですから、臣下はこれを現実のものにしなければならない。その義務が生じます」

「うかつな言質を与える王妃さまではない。となると、誰にとっても利益になる。そうした環境を整えられる自信があるのだろう。……私などには理解できない、高度な政治的判断という奴かな」

「正しい見解ですが、それが全てでもない。単純に、時代の流れであるとも言えます。今、西方も東方も、変革の時期なのです。――適応するために、誰も彼もが試行錯誤をしている。これは、そういう話でもあるのですよ」

 

 その時代の中でも、なるべく多くの人々を巻き込んで、利益を分け合いたい。モリーは、そのための努力を惜しむつもりもなかった。

 結果として、我が家の安泰につながるから。なればこそ、こんなわずかな休憩時間にも、妻の元に足を運んで、感覚を共有しようとしているのだ。

 

「なんでもいいさ。私は、お前に従うだけだ。――貞淑な妻として、モリーに使えるのも悪くはないと思っているよ」

「……皆の前では、なかなか言い出せないことですが。クッコ・ローセは、もう少し欲望を強く持っても良いと思うのです。割とすぐに自分を見切って、限界の線を引く癖があるような。自覚がありませんか?」

「ない、とは言わんが。――しかし、なんだな、モリー。今お前、悪い顔をしているぞ」

「そうでしょうとも。これから貴女に、良からぬことを吹き込もうとしていますからね」

 

 人目を気にする必要がないのか、モリーは堂々とそう言った。

 クッコ・ローセもまた、モリーが無思慮に過激な発言をする相手ではないと知っている。だから軽い気持ちで聞き返すことができた。

 

「ほほう? では聞こうか」

「東方での、クッコ・ローセの役割についてです。基本的には、傭兵の教導を任せたいのですが、あちらでは女性の士官は舐められるかもしれません」

「殴り倒して、言うことを聞かせればいい。私たちは、それができるだろう?」

「ええ、まあ、それはそうです。――ですが、殴り倒した後でケチを付けたり、復讐を考える馬鹿はいつでもいるもの。なので、何かしらの権威もついでに主張できるよう、備えておくのが良いと思うのです」

 

 モリーが何かしらの懸念を口にするときは、その対策まで考えている場合が多い。

 クッコ・ローセは、夫を立てることを知っている。やりたいことはやらせてやろうとばかりに、話を促した。

 

「ふむ。――具体的には?」

「私たちは、クロノワークの代表として、東方会社に乗り込むことになります。クロノワークの武名は、西方ではだれでも知るところですが、東方ではそうではない。……なので、少し小細工を弄してみようかと」

「言い方が回りくどいな。やりたいことを素直に言えばいい」

「では、結論から申し上げます。――私が先んじて現地入りして、東方でのクロノワーク騎士の武名を轟かせておく、というのはどうでしょう?」

「……ジョークとしては、あまり上等ではないな。おまえ、もう少し真っ当なユーモアを身に着ける努力をしてみろよ」

「いえ、私は本気です」

 

 だから皆がいる時ではなく、クッコ・ローセ一人の時を狙って発言したのだと、モリーは言った。

 

「思いついたのは、最近の話ですが……。事前に現地入りして、いくらかの工作を行うことは有用であると、個人的に結論も出しています。行き帰りがすごい手間ですが、まあ半年から一年くらいの期間を見積もっています。政治的にも軍事的にも、私個人が動いておけば、後々スムーズに話を進められるだろう、と」

「お前ひとりで考えて出した、視野の狭い結論に聞こえるが? 焦りすぎだ。私たちを置いて、一人で向かうなど愚の骨頂だぞ。一年も放置して、あいつらに愛想をつかされたらどうする?」

 

 そこが大きな問題だと、モリーも自覚していた。だから冗談交じりに口にしてみた、と言う部分はある。

 しかし有用ではあるだろうと思うから、なかなかその案を捨てられないのだ、ともモリーは言う。

 

「いけませんか?」

「行くことを前提にしたいなら、まずは誰か一人でも連れ出して、モリー家の維持を図ってみるんだな。妻を一人でも連れ出して東方に赴くなら、まだしも言い訳はつくだろうよ。――私たちの人生を背負う覚悟があるなら、誰か一人でも伴って、寄り添う態度を見せてみろよ。信用とか信頼とかは、そうした行動一つ一つを重ねていって、つちかっていくものだろう?」

 

 クッコ・ローセは、それなら己が適任だと言わんばかりに発言する。モリーもまた、なんとなく察していればこそ、彼女にきわどい言い方をするのだろう。

 ここまで話を進めた時点で、モリーの目的は達せられたと言っても良い。

 

「……ご苦労を、かけてしまいますね。本当に、私などにそこまでの価値があるのか。貴女方を娶ってしまったことは、迷惑だったのではないか。そんな、やくたいもないことを考えてしまいます」

「他の連中に、そんな弱音を吐くなよ。私でなければ、ひどく落ち込んだだろう。あいつらはあいつらで、結構繊細なところもあるからな」

「わかっています。……でも、クッコ・ローセだって、繊細なところはありますよ。だから、ぞんざいな態度はとりたくないとも思うのです」

 

 モリーはクッコ・ローセとの距離を詰めた。家族として、あるいは妻として、モリーは彼女のことを尊重しているつもりだった。

 だから、こうした機会を利用して、密接で濃厚なコミュニケーションを取りたがる。

 

「勤務中だぞ、自重しろよ」

「それは、もちろんです。……手を重ねるだけですよ。触れ合うくらいは、いいでしょう?」

「悪いは言わんさ。――ああ、いいとも。私だって、新婚気分を味わいたい。似合わないって、笑っても、いいんだぞ」

「どうして? こんなに、クッコ・ローセは可愛いのに。……私が独占することに、罪悪感すら自覚しています。貴女はもっと、いい男に口説かれていても可笑しくはなかった。その猶予を与えなかった私が言うのもアレですが、それだけに。ええ、私は、貴女に尽くしたいと思うのです」

 

 本心だった。それがわからぬほど、クッコ・ローセも鈍感ではなかった。

 

「ザラの奴は、お前を悪党だと言っていたよ。いつだったかな。悪い奴だって、酒に酔った顔で繰り返し、な」

「否定はしません。そう思われただけでも、私の不徳でしょう」

「そうだ。悪い奴だよ、お前。――今後の人生、全部使って、私達に尽くせよ。せめてもの、罪滅ぼしにな」

「はい。誠心誠意、皆様の幸福のために、全力を尽くします。それこそ、命を懸けて」

 

 そうして口説きつつ、政略面での細部を詰めていくのが、彼女のやり口であると。

 わかっていながら、クッコ・ローセは拒めなかった。好きだとか、愛しているとか、現実的に説得力のある言葉で追い詰めて、女に妥協を迫る。

 そんな悪い夫に、百戦錬磨であるはずの彼女も、自分から折れてしまう。

 

「――で、お前、私に何を求めているんだ。なんとなくは察しているが、口に出していってみろよ」

「……私と一緒に、東方に出向きませんか? クミン嬢も一緒ですから、寂しくはないと思うのです」

 

 内々に承諾はもらっている、とモリーは言う。そこまで考えて行動しているなら、クッコ・ローセにも独自の役割があるはずだった。

 

「わかった。それで、私の役割は何だ?」

「くどいようですが、兵の徴兵に調練。それと――これは時期を見定めてからになりますが、それらの兵どもを率いて、治安維持活動ですかね」

「激務じゃないか。私にそこまでの借りを作っていいのかよ」

「貴女に尽くします。クロノワークの地位向上と、東方での権威の確立が鳴った暁には、その後の人生全てをもって、貴女方を愛し、慈しみます」

「……そこまでのことを口にする以上、疑うまい。私の為に、無謀な単騎行をやらかして、怨敵を討ち取ってきたお前だ。ああ――そうだな。今更だった。私は、お前を離したくない。共に行けるなら、どこまでも行ってやろうさ」

 

 クッコ・ローセの確約を得られた。それだけでも、モリーは万の味方を得られた気分だった。

 そして、彼女らがクロノワークの先駆けとなったことが、後の名声の布石にもなった。

 

「ああ、私は構わんが、他の連中の説得はちゃんとやっておけよ。多少の話は通しておくが、後は知らん。それくらい、夫の最低限の義務と言うものだ」

「はい。――気が重いですが、もう決めたことです。メイルさんとザラの了解は、ちゃんと取ってきますよ」

 

 これより西方秩序の再構築と、繁栄の時代が始まる。その発端は、まさに東方会社の発足にあり――。

 その立ち上げに尽力した彼女らの働き無くしては、おそらくは未来は大きく違ったものになっていたであろうと、後世の歴史家たちは結論を出すことになるのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日の仕事が終わると、モリーの家で一番早く帰宅するのはメイルである。

 最近は色々とやることも増えて、彼女も夕方まで執務が続く日が多くなっていた。激務と言うほどではないにしろ、疲れがたまる日もある。

 その日は、何かしらの理由を付けて、モリーに付き添ってもらっていた。妻らしい特権を使っているともいえるが、それを許すだけの甲斐性が、夫の方にもある。

 

 夕食の用意をして、皆の帰宅を待つだけの時間。その間に、二人きりの空間をつくる。そうして、メイルとモリーはお互いの顔を見ながら、適当な話をしてくつろぐのだ。

 

「まあ、最近はモリーも忙しそうだし。私のわがままに付き合わせるのは、ほどほどにした方がいいんでしょうね」

「わがまま、などと。私で良ければ、可能な限りお付き合いしますよ」

「……これでも、甘えている自覚はあるのよね。甘えられるときは、素直に甘えておかないと、もったいないじゃない? ――また近いうちに、それが難しい状況になる。なんとなく察しているから、細かいことまで言わなくていいわよ?」

「メイルさん。私は――」

「良いのよ、別に。教官は頼りがいのある人だものね。……私が負けてるとは思いたくないけど、分野が違うんだから仕方ないんでしょう。あの人から、ちょっとだけど話は聞いたわ。正式に赴任する前に、東方へ行くんですってね?」

「はい。東方会社の重役として赴く前に、現地であれこれと試してみようかと。やることをやったら、また戻ってきて、東方出向の辞令を待つことになりますね。――皆さんを伴うのは、それからの話になります」

 

 この件に関しても、王妃様からの許可はいただいている、とモリーは言った。

 重要な話は、先に済ませていたわけだ。となると、これは最後の詰めになるのか。メイルは、自分が反対することの無意味さを理解した。

 

「私はついていけないわよ」

「わかっています」

「……あなたが好きよ、モリー。それは、変わらないから」

「愛しています。――許してくださるなら、私の気持ちも、生涯変わることはありません」

「でしょうね! 貴女は悪い人だもの。きっと、死ぬまで私の気持ちを奪ったまま、都合よく利用するんでしょう。……でも、それが嫌じゃないのは、きっと。モリーがモリーだからなんでしょうね。教官も、そんな貴女だから絆されたんだわ。たぶん、あのクミンも」

 

 モリーが一番に気にしたのは、シルビア妃殿下とのつながりのあるクミンであり、真っ先に頼ったのはクッコ・ローセだった。

 メイルは、自分がそこまで重要な地位にいないことを、まずは認めねばならなかった。ザラは同格だが、モリーにとっては直属の上司でもっとも付き合いが長い特別枠だ。

 

「実利で妻の間に格差などつけません。メイルさん。私は、貴女が大事です」

「知ってる。……ごめんなさい。わがままが言いたいのよ、私は。もっと、貴女の力になれたらいいのに、ってね。余計なお世話かもしれないけど」

 

 己だけが、さしたる援護が出来ない現状に、メイルは多少の焦りを感じていた。

 多少で済んでいたのは、元の精神が強靭であったから。ここで取り乱すほど、彼女の心は未熟な形をしていない。

 今のメイルは立派な人妻であり、初心な生娘では、もはやないのだ。

 だから、ただ言われるままに日常を過ごして、必要な仕事をやるばかりではなく、特別な形でモリーに応えてやりたいと思う。

 

「後任を育てるのは、私にとっては難しい話じゃない、って。――こんなこと、わざわざ言うことでもないんでしょうけど。でも、今の職務を放り出してついていくことは、絶対にできない。したくない。……ねえ、私にできること、何かある?」

「メイルさんは、今のメイルさんのまま、私の家に居てくれたら、それだけでいいんですよ」

「護衛隊長って立場は、引継ぎにも相応の時間がいるの。信頼が特に重要だから、替えが効きにくいわけで。――他人に押し付けるにも、順序がいる。それを短縮するのは、誰の為にもならないって、私は知っているんだから――」

「わかっています。メイルさんは、そのままでいいのですよ。貴女に無理をさせたくない。夫の見栄です。それをどうか、お許し願いたい」

 

 言葉に偽りの色はなく、モリーの本心であることはわかる。

 それでもメイルは、言葉の奥にあるものまで見えていた。やれることが本当にないなら、率直にそう答えるのがモリーの誠意であると、彼女にはわかっていたのだ。

 否定せず、本心だけを口にした。メイルには、それが歯がゆかった。モリーが意図的にそうしているのなら、まさに悪党と言いたくもなろう。

 

「悪い人ね、モリー。私から言葉を引き出そうとしている。そんな風にも見えるわよ? ……ここまで言った以上、私の覚悟を無下にしてほしくはないの。あるでしょう? 私だけが、特別に出来ることが」

「……なんとなく、気付いていらっしゃるのであれば、言葉を濁す方が非礼ですか。ええ、確かに、メイルさんにしかできないことがあります」

 

 モリーの表情は、神妙なものであった。利用してやろう、という悪意などはみじんもない。

 ただの事実を述べるように、彼女はメイルを頼ろうとしていた。

 

「メイルさんは、エメラ王女の護衛隊長を務めています。その縁で、王妃様にも王様にも面会する権限がある。――そうですね?」

「相応の名目があれば、の話ね。モリーだって、エメラ王女の教育相談の名目で、王妃様と会っていたじゃない」

「はい。つまり、必要さえあれば王族に直接意見を挙げられる地位にある。――そうでなくとも、よからぬ噂が王族に伝わっていれば、その空気を察することができる立場にある。これを利用しないのは、いかにも勿体ないというものです」

「……どう利用する気? 無制限に好きなだけ、貴女の思い通りに動くほど、世間も王族も甘くはないわよ」

「悪辣なやり方はしません。メイルさんには、王族の周囲に注目してくだされば、それで結構です。我が家に良からぬことが迫る可能性があれば、貴女の勘にしたがって、自由に動いてください。知りたいこと、知らせたいことがあれば、随時手紙を送ってください。離れている間は、いちいち私に許可を取る必要はありません」

 

 フリーハンドをメイルに与える、とモリーは明言した。

 その意図するところは、保身であるとメイルにもわかった。だが、それだけでいいのかとも思う。

 

「それだけ? 私には、もっと出来ることがあるんじゃないかしら」

「では、私が一足先に東方で工作をしている間、クロノワークでの政治活動をお任せしましょうか。――なるべく王妃様やエメラ王女、それからオサナ王子と接する機会を作って、友誼を結んでくださると嬉しいです。上流階級との交流は、欠かさないように。それが何よりも、私への援護になるでしょうから」

 

 讒言に対する備えはあるが、思いもよらぬ外的要因が入り込む可能性はある。

 メイルが備えてくれるなら万全だと、モリーはそれだけを伝えた。

 メイルにはそれで充分であると、わかっていたから。

 相互理解は、確かにあった。メイルの方が、いささか不安がっている部分もあるが、それもまたモリーの想定内だった。

 

「……私に、そんな政治の現場で斬った張ったをやる素質があるかしら。戦場なら、それなりに自信もあるんだけど」

「政治とは、血を流さない戦争そのものです。――大丈夫、メイルさんならできますよ。貴女なりのやり方で、本能にしたがって動いてください。危機感を覚えれば、頼るべき相手を頼り、攻め時と思えば積極的に自らを売り込んでください。……後任を育ててくれているなら、いずれはそれも布石となるでしょう」

 

 モリーはその場その場で、必要なことを語っているだけだと思っていた。

 メイルにとって、彼女の言葉が何よりも重いことに思い至らなかったのは、モリーらしいと呆れるべきか。それとも、些事は些事と割り切る胆力に感嘆すべきなのか、メイルには判断がつきかねた。

 

「考えることが、本当に多いのね! モリーを尊敬するわ。あるいは、ザラも同じ悩みを共有しているのかしら。直属の上司なんだし、同じように頭を使っているんでしょう?」

「まあまあまあ、そういうことも、なくはないですね。……私は、ザラにだけは本気で頭が上がりませんから。そろそろ問い詰められそうな雰囲気もありますし、もしもの時はメイルさんにも頼りたいんですが」

「ザラが貴女を害するはずがないでしょう? そのザラが貴女を責めるなら、必要なことなのよ。――諦めなさい。傷ついたなら、慰める位はしてあげるから」

 

 やはり対決せずにはいられぬか、とモリーは思う。

 東方へのいち早い工作と、その有効性までは、ザラは認めるだろう。それはそれとして、感情的に納得はしがたい。そうした情念の強さを理解しているモリーとしは、ザラの説得はつらい仕事であった。

 

「最後に回したのは、それだけ厄介で、でも重要な事だってわかっているからでしょう? モリー、逃げちゃだめよ。ここで逃げたら、きっと一生後悔するんだから」

「メイルさんからの忠告とあらば、従いましょうとも。――ええ、私は、それくらい貴女を信頼しています」

「リップサービスなんて、今は良いから。とにかく、ザラにも尽くしなさいよ。――たぶん、あいつが一番面倒くさいんだから!」

 

 わかっていますよ、とモリーは返す。本当に、それはわかっているのだ。

 理解していながら、容易ではないと心を引き締める。それだけの価値を認めていたから、モリーも最後に彼女を据えていたし、そのための策も練るのだ。

 

「言葉だけでは足りないでしょうね。……私の身体で奉仕するくらいで、済めばいいのですが」

「ご褒美を安易に与えるのもどうかと思うけどね。ザラに対しては、もうちょっと強気でもいいくらいよ? あいつ、貴女がいなかったら絶対生涯独身だったに違いないんだから」

「いいえ、いいえ。私なりに、尽くしたいのです。妻を複数持った夫として、それくらいはさせてくださいな。ザラのみならず、メイルさんにも。私は、そうした心構えをもって、皆に仕えたいと思うのです」

 

 それならそれで、せいぜい頑張りなさい――なんて、メイルは軽口を叩いた。それが、メイルの限界でもあった。

 惚れた弱みと言うのは、それだけ大きいものである。もっとも、それだけならばお互い様と言うもの。

 ザラは、クロノワーク随一の傑物であると、モリーは信じている。なればこそ、特別な準備も必要であると思うのだ。

 対決を最後に回したのも、それが理由にある。そうして、モリーは万全の態勢をもって、彼女と向かい合うのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザラとモリーが向かい合う場は、余人が立ち入らぬ場所。それこそ他の妻たちすら除外して、二人きりになれる空間――。

 乗馬して、郊外へ遠乗りする。行き帰りも含めて、せいぜい三、四時間の空白にすぎないが、それだけでおおよそを理解し合えるくらいには、長い付き合いの二人である。

 

 適当に駄弁りながら、乗馬を楽しむ。その柔らかな雰囲気を小一時間過ごした後、ザラの方から難しい話題を切り出してきた。

 

「東方への工作に関する話は、聞いている。あちらに一番乗りする形で飛び込んでも、お前なら上手にやるんだろうな。――その考えの有効性は認めるが、それはそれとして、癪だ。お前、私が許さないと言ったら、それで自重してくれるのかよ」

 

 モリーは沈黙した。それが答えであると、ザラの方が理解した。

 

「する気がないなら、いちいち私の気持ちなど斟酌するな。夫らしい傲慢さで、妻を従えるのも手段の一つだぞ」

「従える、などと……私は、そんなつもりでは。――お怒りなのは、わかります。貴女からすれば、約定破りに聞こえても仕方ないことでしょう」

「怒ってはいるが、諦めてもいる。お前はそういう奴だ。未来を見据えて、自分たちの為に何が最善であるか、常に考えてやまない。気苦労が多すぎて大変だろう?」

「――ザラは、私の貴重な理解者だと思っています。貴女に助けられたことは、数多くていちいち口にするのもはばかられる。……ですから、どうか、いじめないでください」

「苦情くらいは入れさせろよ。――それくらいのことを、お前はやっている」

 

 騎乗して、ゆったりと並んで歩ませながら二人は語らう。馬の足音は穏やかだが、お互いの空気は不穏であった。

 周囲に人の目はない。別段聞かれて困る話をするつもりもないのだが、それはモリー側の事情である。

 ザラの方がちょっとした外出と、内緒話を望むのであれば、モリーはそれを拒めなかった。

 

「現段階で、私がお前について、東方にまで遠征できないことはわかっているな? 二年後ならともかく二、三か月後にすぐにでも出向けるかと言えば、メイルも私も無理だろう。教官とクミンの奴がうらやましいよ」

「……返す言葉もありません。しばらく、寂しい思いをさせてしまいます」

「その間、私が男に口説かれたらどうする。遠距離恋愛が非現実的なことくらい、お前にはわかるだろう?」

「それは、それは……」

「どうした。言い訳をして見せろよ。他の連中のように、私を言いくるめられると思ったら、大間違いだからな」

 

 ザラは真剣な表情で、モリーを見た。そこに遊びの感情がないことは、明らかだった。

 

「言いくるめたなどと、私は誠意から彼女たちに本音を語っただけです」

「そうだな。お前は本気でそう思ってるんだろうな。……私だけだよ、本当の意味で、お前のズルさを知っているのは。――犠牲になるのは、自分だけで良いと思っているんだろう? 早々にしくじって死んじまえば、私達にはやり直せるだけの時間が残る。そんな風に、都合よく考えているんだろう?」

「失敗を前提にして、戦いに向かう馬鹿はいませんよ。私は何時だって、勝つつもりで戦っています」

「だが、失敗の可能性を無視するような阿呆でもあるまい。――失敗する可能性は、初期段階が一番高い。しくじって成功の見込みが消えたなら、被害は最小限にすべきだ。……生きて帰るのが最善だが、最悪の結果が出ても生き残る目を残したい。お前なら、そう考えるはずだ」

 

 モリーが、こわばった表情を見せて、ザラから視線をそらした。

 口に出さずとも、応えたようなものだった。だから、ザラは追撃を緩めない。

 追って、追って、どうしようもない所まで、追い詰めてやらねばならぬ。勝機を見出したなら、一度の好機をつかみ取り、全力で攻めてやりこめるべきなのだ。

 反撃を許さぬほど、決定的な打撃を与えるべきなのだ。軍事的にも、恋愛的にも、それが主導権を握る絶対条件であることは、確かであろう。

 

「意外ですね、そんな結論が出るあたり、ザラ隊長も案外少女趣味なんですね?」

「否定から入らず、初手ではぐらかしにかかるのは、お前の悪い癖だな。私くらい付き合いが長いと、それが逃げ口上だと即座にわかるぞ。……お前は悪党だが、わかりやすい馬鹿でもある。いい女に対しては、得にな」

「どんなに素晴らしい女性が相手でも、公務であれば、自己を殺して事務的に接することくらいは出来ますよ」

「今回は私事も込み込みだろ? わかっていて逃げるのはやめろよ。流石に傷ついてしまうぞ」

「ザラがその程度で私を見限ることがないってことくらい、ちゃんと理解しています。……再度申し上げますが、いじめるのはやめてください」

「そうだな! マウントを取るのは、一度で十分だ。本当は乗馬ではなく、ベッドでお前の上にまたがって語り合いたいと思っていたんだぞ?」

「……自分の妻には、最低限の羞恥心をもってほしい。そう願うのは、間違いでしょうか」

 

 間違いではないな、とザラは言う。さらに付け加えて、それも相手次第だと、もっとも論理を展開していった。これにはモリーも返す言葉がない。

 いちいち言われれば、もっともだとも思う。モリーにできるのは、己の非を認めることだけだった。その上で、折れることはしない。ここまでが、彼女にとっての最大の妥協点である。

 

「必要だと思うから、私は止まりません。それはご理解ください」

「うん、そうだな。それはそれとして、ムカつくから殴っていいよな?」

「どうぞ。貴女には、その権利がある。思うが儘に、なさいませ」

 

 モリーの目に迷いはなく、その態度はどこまでも貞淑だった。

 ザラの方が負い目を感じてしまうほど、彼女の受け答えは完ぺきだった。それがまた、鼻について仕方がない。

 

「……やめようか。相手を責めたところで、どうにもなるまい。私の方だって、折れるための準備が必要だった。これは、それだけの話なんだ」

「はい。そう願います」

「だから、本音で語れよ。――モリー、お前には何が見えてる。何を知ってる。もう少し、時間的余裕があったんじゃないのか?」

 

 急な話と言えば、モリーの方も返す言葉がなかった。

 それでも馬の歩みは穏やかだった。お互いの心情は別として。

 

「見通しが甘い、とおっしゃられる?」

「甘かったとしても、それを責められる立場に、私はないな。東方に関しては、あらゆることが未知数なんだ。――お前のやっていることが、最終的に国益につながるなら、騎士である私たちに非難できるものではない。……すべてがうまく運ぶなら、モリー家はクロノワーク有数の名家になる可能性もあり得る」

「存続すれば、の話ですね。……私が続けるつもりであれば、養子でも取るのが一番なのでしょうが、そこまで未来の話は、考えている暇もないです。今の私は、とにかく十年二十年先の災害を想定して、先手を打っているようなものですから」

 

 だとしても、目をそらしていていい話でもあるまい、とザラは言いたかった。

 モリーの存在に、政治的な価値が出始めている。その雰囲気を、ザラは放置したくなかったのだ。

 だが、この調子では本当の意味で自覚するまで、言葉は意味を成すまい。ザラは、気長に攻めていくことにした。

 

「お前がこうやって、一人一人に時間を割いているのは、自分の存在を私たちに刻み付けたいからじゃないのか? 出来る範囲で思い出を作っておきたい、なんて。不器用なお前らしいじゃないか」

「……そうですね。至らぬ夫で、申し訳ないと思います」

「本当だな。口先だけの奴ではないとわかっているから、皆お前を信じているんだぞ。……せめて、期待を裏切るな。ちゃんと帰って来いよ」

「適当な工作を終えたら、ちゃんと戻りますよ。――本番は、それからなんですから。東方旅行の為の下見として、一足先に見て回っている。それくらいの認識でいてくれたら、充分です」

 

 モリーは旅行気分で行くわけではないが、これが彼女なりの精一杯の諧謔であろうと、ザラは受け取った。

 彼女の精神衛生が悪化しないかどうか。ザラは案ずるのは、その点である。

 

「――生きて帰るのはもちろんだが、あんまりあちらの文化に毒されるなよ。クロノワークに比べて、東方は文明的なところなんだろう?」

「さあ、現地で実物を確認するまでは、なんとも。個人的には、そこまで期待してはいませんよ。……文化の毒を言うなら、翻訳業をしている時点で、私はもう染まっていると言えなくもありませんし。大丈夫ですよ」

 

 ザラの方も、下手な世間話を交えたせいで、モリーの方も心配されていることを如実に感じていた。

 乗馬しての遠乗りは、相手次第で良い思い出にも悪い思い出にもなる。

 見慣れたクロノワークの風景を心に刻みながら、モリーは自らの役目と感情にどうにか折り合いを付けつつ――。

 ザラの方も、モリーの気遣いを理解しながら、その日は時間いっぱいまで二人きりの時間を過ごした。

 

 モリーが士官として、東方に一番乗りするまで。それが、最後の逢瀬になった。

 続きは、帰ってきてからだと。そんな他愛のない約束を、ザラは心の支えにするのだった――。

 

 

 




 確実に、あと三回程度では終わらない雰囲気です。
 もう夏までに完成できたらいいかな、くらいに考えています。

 ただ、話を加速させるつもりで、次の話くらいで一気に時間を進めようかと思っています。
 ナレーションで妃殿下に子が生まれたり、半年くらい過ぎていたりするかもしれませんが、それくらいしないと話を進められない気がするので。

 ここまで付き合ってくださっている、読者の皆様方には、感謝しています。
 では、また。完結までいましばらく、お付き合いください。



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事前工作とか面倒ってレベルじゃないお話


 なんやかんやで情報を詰め込みすぎ、冗長に書きすぎた気がしますが、強引に物語をまとめにかかっているので、致し方ないことだと割り切って投稿します。

 ここまでくると、見直しにも多量の気力が必要で、こんな時刻まで投稿がずれ込んでしまいました。

 ……読者の皆様は、いかがでしょうか。暇つぶしになったとしても、呼んでいて疲れることはないでしょうか。

 作者は不器用な人間ゆえ、作風を変えることも、もはやできませんが。
 最後まで付き合ってくれたなら、嬉しく思います。



 なんやかんやで仕事の引継ぎを済ませていたら、知らぬ間に時間も過ぎて三か月。

 嵐のような三か月間で、家庭を顧みる暇がほとんどなかったのは、本当につらかったけれど、皆は理解してくれた。私に過ぎたる妻たちであると、何度も思う。

 

 どうにかこうにか、東方への出立の準備を整えたら、いざ旅路へ。

 クロノワークを出立し、ゼニアルゼを経由したらホースト、ヘツライの陸路を経て船に乗り、海路から東方入りする。

 その道程は順調で、明日にでも予定の地にたどり着くだろうと、私は見込んでいた。

 

 ホースト製の船に乗ることには不安もあったが、船員たちは良く働いているし、私達を接待する余裕さえある。

 これはこれで、私達への期待の表れだろうから、能天気な態度は見せられない。

 

 東方会社に貢献するつもりで、いち早く現地に到達するのだ、という顔をしておくべきだろう。

 商館を立てる予定地を整備し、出来る限りの政治工作を試みるべきだ、とも思う。

 東方会社とクロノワークの諸々の契約については、王妃様監修のもとでガチガチに固めてきたから、後顧の憂いはない。東方人の西方への入植問題についても、今はまだ先送りできるし、当面は不安を感じずに済むはずだ。

 放置しても下手を打つ王妃さまではないのだから、私達は東方での働きに集中したいと思う。

 

「港が見えてきましたね。――なんというか、いよいよ東方に来たって気がしますよ」

 

 共に乗船しているクミン嬢が、潮風に髪をなびかせながら、そう言った。場所が変われば、立ち振る舞いも変わり、新鮮な魅力を感じることもある。

 それがまた、私に不思議な感動をもたらしてくれるものだから、ここまで連れてきて正解だった――なんて。不謹慎にも、そう思った。

 

「クミンさんは、船旅は初めてじゃないんですよね? 船酔いで、げえげえ言うことになったら、どう介抱したものかと、結構心配していたんですが――」

「大丈夫ですよ。これで結構、世間の荒波に揉まれてきたつもりはあるので。……詳細までは、聞かないでくださいよ。それより、これから東方で仕事をしなきゃいけないんですから、モリーさんも心の準備くらいはしておいてくださいね?」

「――ご心配なく。クミンさんこそ、私と教官に積極的に頼ってくださいな。これから、我々は面倒な国際情勢の最前線に赴くのです。勢力圏を確保するまでは、なるべく緊張感を持っておいてください」

 

 クッコ・ローセも、今は私の傍にいる。クミン嬢も、彼女に対しては敬意を示していた。その証拠に、話を振ればきちんと向かい合って言葉を交わしてくれる。

 

「わかっておりますとも! モリーさんはもとより、クッコ・ローセ教官殿も。気をつけていくつもりですが、私は一介の元風俗嬢にすぎないので、ちゃんと守ってくださいよ」

「手の届く範囲でなら、守ってやるさ。――妃殿下への義理もあるから、そこは手を抜かんよ。クミン、お前は自分が希少な立場にあることを、もっと自覚してもいいんだぞ」

「それこそ、きちんとわきまえていますよ、教官殿。東方の地は、こちらの組織の力が及ばない土地です。身内に頼ることを忘れるほど、ボケてはいないつもりですから」

 

 クッコ・ローセとクミン嬢がバチバチやりあっているけど、これくらいはじゃれ合いの範疇だろう。私としては家中の諍いよりもこれからも仕事の複雑さについて、想いを致さねばならない。

 

 東方の国が中国っぽい何かであるなら、情報を集めるにも、政治的な工作をするにしろ、手間暇かけてやっていく必要がある。

 東方社会に受け入れてもらう側としては、こちらが有用な存在であることを理解してもらわねばならないのだから。

 

 例えで済まないくらい、東奔西走するのは目に見えていた。港の確かな形を目に納めながら、ここをいかに発展させていくかを考える。

 私もクッコ・ローセも、戦時中に嫌と言うほど船に乗ったものだから、余裕をもって寄港の瞬間を迎えることができた。

 

「いよいよ、ですね。クッコ・ローセもクミンさんも、覚悟しておいてください。……西方の常識が通じるとは思わないように。明日からは、私達も東方世界の住人です。船から降りたら、東方会社指定の旅館に案内されますが、進出したばかりの土地は油断がならない。身内以外は信用しないくらいの気概を持つように、お願いします」

 

 何より、そこまで事態が目の前に迫れば、色々と緊張もしてくるもので。クッコ・ローセやクミン嬢が不安を感ずるならば、それを和らげるのも家長しての役割だと思うのですね。

 

「モリー、お前の意気は買うがね。――本当に、この流れで良かったんだな? 今からでも短期滞在に切り替えることだって、出来なくもないだろ。東方会社の商隊を引き連れていくくらいは想定内だったが、ホースト国の連中に体よく利用されている気もするぞ」

 

 東方会社って、私が暫定的に定義した呼び名にすぎなかったはずなのに、いつのまにか正式に採用されてしまいました。

 今では、誰も彼もが東方会社と呼ぶようになってしまった。命名者として、これは光栄に思うべきなんだろうか。そんな風に、どうでもいいことを考えていると、クミン嬢の方から話を進めてくれた。

 

「そうですねぇ。モリーさんは人が良いですから。何を話したのか、私は聞きませんが、何となくわかることはあるものです。――東方での基盤作りまで、こちらにぶん投げてくるあたり、あっちはあっちで不自由なことも多いんでしょう。モリーさんが暗躍する舞台は整ったと考えても、まあいいんじゃないでしょうか」

「そこは、断言してくださっても構いませんよ。……クミンさんがおっしゃられるように、そのために備えてきたし、これからの備え他の為に、現地入りしたんです。ネガティブな思考は一旦おいて、前向きに仕事に向かおうじゃありませんか」

 

 妻たちの懸念は一応は頭に入れておくけど、東方に入ったからには、最善を尽くすのみだ。

 今回はそういうノリなんだ、と言えば、二人は納得してくれた。

 

「モリーがそう言うなら、お前なりのノリに乗ってやるがね。――本気で気張れよ。本国に残しているザラやメイルに恨まれたくはないんだ」

「私たちは、最悪でも心中できる余地がありますからね。もしそうなったら、あの世でどう申し開きすればいいやら、複雑ですよ」

「……何を想像しているか、わかりませんが。お二人とも、余裕はあるわけですね。現地の仕事に向かい合った後でも、その図太さを期待できるなら、他愛習い軽口さえ頼もしく聞こえますよ。――ええ、ええ」

 

 そんな風にだべっているうちに、船が港につき、下船の作業を見届けて、久々の陸地へと足を下ろす。

 ――というわけでやってきました東方へ。私モリーは今、クッコ・ローセとクミンを伴って、東方までやってきています。

 あれこれと面倒を処理して、充分な余裕を作ってから出ていけたのは良かったけど、ここまで来るのに思いの外時間がかかってしまった。

 

 おかげで、シルビア妃殿下の出産祝いにすら出向けなかったけれど、そこはクロノワーク王家が公式に対応していたから、今さら私などが出張る必要もあるまい。帰還してから、改めてご機嫌伺いに行けばよい。それくらいに、私は楽観視していた。

 

 ともかく、この時代の航海術は近代に準じたそれであるから、優雅に船旅とはいかなかったけれども――。

 海路は安定していて、危険を感ずることはなかったから、それで満足すべきだろう。

 

「懸念事項は、山ほどあるとしも。東方会社への貢献次第では、我々の権限がより強いものになるはずです。……東方会社は思っていたより、クロノワークに依存する部分が強くなりそうですからね。我々を除けば、武力面では基本的に現地での徴兵に頼るらしいですし。クッコ・ローセが活躍する余地が大きくなった――と思えば、そこまで悪いことでもないでしょう」

 

 出国から現地まで、結構な道のりではあったけれど――途中から海路を使えたこともあって、一度出立したら旅路そのものは結構スムーズに行けました。

 

 割と驚いたのが、クミン嬢が馬に乗れたこと。商隊の中から馬車を一つ確保しておくべきか――と思っていたところ、彼女が立派な馬術を披露してくれたので、懸念が一つ消えました。

 船に乗っている間は意識していないけれども、船に酔わない程度には旅慣れている。その事実に、ちょっとした頼もしさも感じてしまう私でした。

 

「仕事にまじめすぎて、楽しむ余裕を失いがちなのが、モリーの欠点だな。物見遊山ではないが、東方の地は興味深いぞ。――西方に比べると、風光明媚といっていいらしい。船から見た光景だけでも、緑豊かで土地が肥えていそうなことはわかったぞ。港の人々にも活気が見える、いい街だな、ここは」

「こんな恵まれた土地は、東方でも一部だけでしょう。教官殿は、一部を見て全てを知って気になられておられる。――見識の低さで、モリーさんの足を引っ張らないでくださいよ」

「……お前な、ちょっとは浮かれさせろよ、新婚旅行みたいなものだぞ、これは。お前は前歴からして、もっと享楽的な性格をしているかと思ったが、そうでもないらしいな? ――余裕が足りんぞ、クミン。せめて、自分がどれだけ上等な旅をしていたのか。それくらいは、自覚をもっておけ」

「それくらい、知っていますよ。陸路で使った馬が、結構な上物だったことくらい理解してます。……貴女に笑われない程度には、馬術にも習熟しているつもりでしたが?」

「ああ、一般人にしては上手な方だと思ったぞ。だから、わざわざケチもつけなかった。――なんだ? もしかして褒めてほしかったのか?」

 

 私が個人的に聞いたところ、クミン本人曰く、幹部教育の成果だそうで。……クミンが有望株だということは、あちらの組織においても周知されているらしい。他にどんな教育を受けているのか、ちょっと興味はあるけれど、詳しく聞くのも野暮だろう。

 ここまでクミンに投資してくれているのだから、私も彼女を推していくのに不安はなかった。

 

「クッコ・ローセ。クミンさんをからかうのは、そこまでにしてあげてください。彼女にしかできない仕事が、ここでは待っている。もちろん、貴女だってそれは同じ。お互いに対等と思って、尊重し合うことを忘れないでいてほしいのです」

「いいとも。それはそれとして、お前と私も対等だな? クミン」

 

 クッコ・ローセが、そう言ってクミンの方を見やる。彼女の方も、そう嫌な顔は見せず、素直に肯定して見せた。

 

「ええ、そうですね。少なくともモリーの前では、私達は平等です。――これで、いいんでしょう?」

「家中の序列を理解してくれているようで、何よりだよ。私に対してなら良いが、ザラに対してはもう少し丁寧に接するように。……まあ、いましばらくは意識しなくても良いがね」

 

 クミンがわかってくれたなら、それはそれでいいんだけど、問題はこれからの展望だよ。

 ここに来るまでに、商人たちとタラシーどもとは話を付けてきたけど、東方は全く別の文化圏だ。

 フリーハンドを確保した、と言えば聞こえはいい。だが、それはつまり全てを自分の力で勝ち取らねばならない、という現実も示している。

 

「お願いしますよ。我が家の中で争っている余裕など、我々にはないのです。――東方は、油断ならぬ土地です。この事前工作の結果次第で、西方の未来が変わる。それくらい重要な仕事だと思って、気を引き締めてください」

 

 その西方の未来が我が家に関わってくるからこそ、ここでの奮闘が求められる。

 今から実感しろ、と言う方が無理な話だろうが、私なりの真剣さで彼女らに説いてきたこともあるし、わざわざここまで付き合ってくれているのだ。二人にも、色々と期待していきたいところである。

 

「モリーが言うなら、それは確かなんだろうさ。――もとより、仕事に手を抜くつもりはない。業務以外のことでも力になるし、何なりと言ってくれ」

「私だって、できることはやりますよ。……シルビア妃殿下とか組織の上司とか、言い含められているところはあるわけで、求められている部分もそれぞれ違うわけではありますが。――モリーを一番に優先するっていう気持ちは、これでも確かだと自負しているんですよ?」

 

 今更確認するようなことでもないが、二人ともやる気にあふれている様子だった。

 それでも言葉を引き出したのは、私も不安になっているせいなのか。苦笑しながら、感謝を述べる。

 

「……ありがとうございます、二人とも。そこまでの決意を示してくれるなら、私も二人を遠慮なく頼れます。何と言っても、今回はホーストの商人たちも多く参加してくれているというのに、肝心のホースト本国の連中が当てにならないものですから。武力については、クロノワークに完全に依存するつもりらしいので、私としては頭が痛い所ですよ」

 

 あいつら、楽天的過ぎる。改めてタラシーとか第三王子とかと話したけど、交渉らしい交渉にならなかった。

 結果として、私は東方会社の代表としての立場を勝ち取れた。今回だけの一時的な処置で、西方に帰ればただの重役の一人に戻る――という条件付きだが、とにかく自由に動けるだけの立場は手に入れられたのだ。

 

 事前工作のついでに、商隊を組織して交易の実績も積ませてもらう。海路を取った際に、商船をいくつか手配して、売れ筋の商品も詰めるだけ積んできている。

 この上、東方会社からは人手も出してくれたのだから、ありがたいというべきなのだろう。

 

 しかし護衛に使う兵については、クロノワークだけが負担せざるを得なかった。ホーストもヘツライも、正規兵を持ち出すことができない事情があり――。

 おそらくは、それが東方会社における彼らの弱みなのだろう。商人たちへの統制に不安を持っていたのは、どうやら事実であるらしい。

 

 もっとも、クロノワークだけがここで武力を供出した、という事実は大きい。これを好機として、大きな手柄を挙げておきたいものだ。

 

「ともあれ、今日はすぐに休みますが、明日には東方会社が進出する予定地を見に行く予定です。正確には候補の一つですが、私はこの港湾都市を根拠地にしても良いと思っていますから、実質決定したのと同じことだと思ってください」

「ずいぶん強気だな。――それはいいとして、今のところ我々が率いている商隊が、東方会社の全てだろう? ホースト・ヘツライから供出してもらった人手と物資は、現状ではこれが限界だと聞いたが、第二陣、第三陣の手配はどうなるんだ?」

「準備ができ次第、出立するそうですよ。我々が交易を終えて、商船が無事に帰還できたら、それだけでも一つの成果です。――その儲けと実績を元手にすれば、案外早く準備ができるのではありませんか? 第二陣以降の受け入れに関しては、先触れが来てから対応しても遅くはありませんよ」

 

 諸々のことを考慮して、今から考えてみるに、タラシーは本国でも結構な権限を任されているんだろうって思ってたけど、実際にはそうでもないらしい。

 国内の商人たちをまとめる手腕については、どうにも疑問符を付けざるを得ない。専門分野が別の人が、無理をして商業に関わっているっていう雰囲気があった。

 

 それでもどうにか渡りをつけて、体裁が整うくらいの商隊を用意できた辺り、有能な人ではあると思う。

 ――ただ、有能なだけの人が、一時とはいえ外交官を任されていたなんて。彼の背後には、どんな人間が控えているのだろう。そこは、少しだけ気になった。

 

「東方会社、その初めての一歩と考えると、いささか寂しい気もしますね。三国が共同して行う国家事業なのに、主体は民間の商人。しかも公的な身分を持っているのは、モリーさんとクッコ・ローセ教官殿だけ。――現地の人たちは、面食らうと思いますよ?」

 

 クミン嬢の意見はわかるが、今から憂いても仕方がない部分でもある。ここは割り切って動くのが筋だろう。

 

「そうはいっても、ここまで来てしまったものは仕方がありませんよ。これで、交易品を山ほど積んで、往復すればそれなりの稼ぎにはなりますし。――まあ、商船が三つ四つ並んでいるだけでも、大所帯と言っていいんじゃないでしょうか。不届き者が襲撃してきても、まあ多少の被害さえ許容すれば、自前の護衛だけでなんとかなるでしょう」

 

 これを襲えるほど大きな海賊団などがいれば、事前にわかるはずだが、その情報はない。それ以下の小規模な破落戸集団であれば、そもそも大きな商隊は狙わない。

 この点、治安維持に力を割いているクロノワークとゼニアルゼの影響が大きい。このせいで、治安に気を使っていない海路や街道は、そもそも使われなくなってしまった。

 ホーストもヘツライも、国内の治安維持に心を砕かねばならなくなり、賊の掃討は商業活動をする上での大前提となってきている。 

 追いやられた連中が、最終的にどこに行きつくのか。そこまでは、私は考えなくていいだろう。社会保障が充実する時代は、まだまだ先なのだから。

 

 

「――そうだ、聞きそびれていたが、この都市の名はなんと言うんだ?」

「東方の港湾都市、ドヴール。東方の文字と発音だと、杜布羅(ドゥブールォ)というらしいですよ」

 

 

 西方と東方が混じり合う地。双方の文化の影響を受けた、交易にもっとも都合の良い都市。

 私たちが発展させるべき土地が、いかなる問題を孕んでいるか。私たちは、まずはそれを探らねばならないのだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドヴールは、もとは名もない漁村に過ぎなかったが、交易路としての立地の良さと、港湾としての開発のしやすさによって、発展してきた土地である。

 西方の資本に依存する部分が多いため、西方の文化を受容する土台も整っている。ドヴールという名前と、当て字そのものの漢字が、それを物語っていた。

 

 何が言いたいかと言えば、こちらではまだクロノワークの威光が通じる土地な訳ですね。西方にはそういう面倒くさい国家があるってことくらいは、周知されていたりする。

 しかもドヴールは東方交易の要地でもあるわけだから、この都市の民は、西方からやってくる商人をもてなすことにも慣れていた。

 

 到着初日。歓待の宴の席で、私は西方からの商隊の代表として、東方商人たちの前に居た。

 彼らが用意したきらびやかな料亭と、それ以上に贅を凝らした酒食などは、随行する者たちにとっては関心を引くのに充分であったろう。

 

 しかし、私と妻たちの興味を引くに足らない。

 私達は観光に来たのではない。東方商人どもが、どう理解しているかは別として、私達は仕事をするために、ここまで足を延ばしてきたのだから。

 

「たいそうな歓待、痛み入ります。私は清貧に慣れておりますが、部下の商人どもはそうではない。……ドヴールは、まことに実り多い土地なのですね、会長殿」

「モリー殿がおっしゃられるように、他国の方からは、そう見えることが多いようですな。――しかし実際は、交易に頼るしか能がない土地でもあります。元々が貧しい漁村ですからな、西方からの投資が続かないことには、自給することすら難しい土地柄なのですよ」

 

 歓待の席で、私はドヴールの商工会の会長と、顔を合わせていた。……雑な言い方が許されるなら、現地の商業の元締め、という言い方も出来る相手だ。

 油断はできないが、それはあちらも同様だろう。わざわざ会長自ら我々のご機嫌伺いに来る辺り、東方会社は各方面からも注目されているらしい。

 あきらかに、ただの商隊の代表に対する態度と待遇ではない。私個人の武勇は別として、クロノワークの武官の評判について、聞き知っているのかもしれない。だとしたら、こちらの武力に敬意を表してくれているのだろうか。

 

 私の視点から見る限り、相手からの反応も悪くなかった。初期の宣伝戦においては、まずまずの勝利を得られたと見ても良かろう。

 この辺り、王妃様やタラシーの働きも大きい。自分の影響力を見誤らないよう、常に心しておかねばなるまい。

 

「……自給できないから、外に富を求める。結果として、商工業が発展する。よくある話ですが、実際にこのドヴールではそれで利益を享受する人々が、実に多い。東方と西方の交流においても、今後はこの街が果たす役割が大きくなっていくことでしょう」

「はは、いえ、そうですな。――そうありたい、そうあってほしいと願っております。モリー殿はお世辞がお上手だ。東方会社、その先遣隊の代表がクロノワーク人と聞いたときには、どんな相手かと警戒もしたものですが……。話の分かるお人で、安心しましたよ」

 

 背後の事情はあちらもわかっていて、おだて合っている所があったりする。私だって、東方の民から反感を受けたくはないから、あんまり厳しい態度はとりたくなかった。

 あちらは投資を望んでいる。こちらは主導権を望んでいる。自然と、言葉もあたりさわりのないものになる。 

 ただ、私の方はぐだぐだやっている時間もないわけで。――ここらで一歩、踏み込んでもいいだろう。

 

「まさにドヴールは、外とのつながりが生命線です。陸路も海路も比較的整備されているし、物流を動かしている商人たちは、お互いに繋がり合っていて横の連帯も強い。……だからこそ、金融業や交易が発展した。そうではありませんか? 会長殿」

「否定は致しませんとも、モリー殿。しかし、今日はそこまでお堅い話をする場ではございません。――心置きなく、宴を楽しんでいかれればよろしいでしょう」

 

 会長殿は、自分一人が先走りたくはないようだ。商工会は合議制で、会長職も持ち回りであるなら、この態度もうなずける。

 商工会の会合などで、抜け駆けを咎められたくはないはずだ。だから、私もほのめかすような言い方で締めるとしよう。

 

「はい。そのようにいたしましょう。――しかし、この街は、まだ開発する余地がたくさんある。私はそう思いますし、おそらく西方で私の報告を待っている方々も、同じ結論を出すでしょう。ですから、私としてはここらで実績を作っておきたいのですね」

 

 実際には順番が逆で、私が実績を作ることで西方での反応も変わるわけだが、そこまで話してやるつもりはなかった。

 とにかく、今ここにいる私の重要性について理解してほしいのだ。ここまで言えば、会長もおおよそは理解してくれる。

 

「それは剛毅な話ですな! 我々にできる範囲でなら、協力もやぶさかではございませんが……具体的に、どのような実績を求めておられるのでしょうか」

「とりあえず、東方会社の設立準備として、必要なことすべてを。交易会社として、活動に十分な設備すべてを、私はここに作り上げたいのです」

 

 せっかくの機会であるし、初見の段階で、インパクトのある印象を与えておきたい。

 出会い頭に、ガツンとやる。衝撃が強ければ強いほど、後々の商談もやりやすくなるだろうと、そうした計算もあった。

 

「――すべてをドヴールに、ですか。それはまた、難しい話ではありませんか?」

「難しくとも、押し通します。そちらとて、話が早い方がいいでしょう。……違いますか?」

 

 だから私は、遠慮なくこう言った。場合によっては、現地への一番乗りという優位性を生かして、出来得る限りの強権をふるうつもりだ。

 私自身、東方会社の代表と言う地位を勝ち取って、ここに来ているわけである。私の尽力と実績が、目に見える形で現れたならば。――タラシーとその背後の連中とて、こちらの発言を無視できなくなる。

 独自の交易路の開発、港湾の拡大と整備、取引に必要な商館の建設など諸々の準備をここで整えてしまえば、なし崩し的にドヴールが東方会社の拠点となるのだ。

 

「しかし、すべてをおやりになる、とすると結構な大仕事ではありませんか。どこをどのように手伝えばいいやら、我々としてもわかりかねまする」

「難しく考えなくてもいいんですよ。――会長殿、こちらで兵どもを徴募することは、ご許可願えますか?」

「傭兵を五百人ばかり集める位なら、商工会の権限でどうにかなりますが」

「でしたら、その通りに傭兵をかき集めて、こちらの兵と合わせて訓練を行う許可を頂きたい。それから、彼らを半年くらい食わせてやる環境を作ってくれるなら、ありがたいですね。――初期投資として、それくらいは受け入れてくださいますか?」

「……ふーむ、それくらいなら、会長権限で通せなくはないですがね。しかし――」

 

 こちらがどれだけ本気で、ドヴールに投資してくれるのか。これが不透明では、協力しづらい、と言いたいのだろう。

 雰囲気でそれを察した私は、すぐに帳面で金額を提示した。まず、不足のない額面であると思う。

 ありていに言うなら商工会への賄賂だが、見方を変えれば、それも一種の投資であることは違いがないのだから。

 

「まあ、糧食の代金だと思って受け取ってくださいな。以降は半年ごとに契約を更新していく、という形で。とりあえず、即金で出せるのはこれくらい。……足りなければ、ホースト国の方に申請しましょう。いかが?」

「ふむ、ふむ。――まあ、結構です。ここでケチを付けるよりは、趨勢を見守る方を選びましょう。我々は、何事にも慎重なので、急いで結論を出したりはしないのです。何かしらあれば、その都度話し合うことにいたしましょう」

「――では、今後ともよろしくおねがいしますね。……ええ、ええ。悪いようには、しませんとも」

 

 いくらかの交渉の後、私の提案は受け入れられた。タラシー辺りが後で頭を抱えることになるかもしれないが、知ったこっちゃない。

 無理のない金額で治めた自信はあるんだ。これで不満に思うなら、私に頼ったお前自身の見解を恥じたまえよ。

 私は、私の目的と倫理に基づいて行動する。それは、西方から東方へと活動の場を移した今も、変わることがない。

 

 国や会社を代表してここにいるという事実、一家を支えているという紛れもない現実。それらを背負っている自覚がある今、私は全力を尽くさねばならないのだから――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 到着したとたんから、様々な仕事が湧いて出てくる状態だったけど、それも二日三日と処理していくうちに余裕も出てくる。空き時間があれば、得た情報の分析や、今後の対策について思いを巡らせることもできた。

 

「調べれば調べるほど、利の多い土地です。それだけに、防備の不足が気になって仕方がない。――近いうちに口実を設けて、要塞化する手はずを整えねばなりませんね」

 

 私が見るところ、ドヴールの交易上の利用価値は高く、競合する周囲の港湾都市と比べても頭一つ抜けている。

 海路陸路が整備されていて、まず交易地として有用であること。東方からも西方からもアクセスしやすい、いわば交通の要所であるから、交易品の集積地としても使いやすい位置にある。

 しかも物流と金融業が発達しているため、経済的影響力は大きい。ここに西方からも投資を集中させれば、ドヴールは東方国家の中でも、有数の大都市になるだろう。

 

 もう一つ、発展させるべき理由と言うのもあるのだが――そこまで語るなら、相手は選ばねばなるまい。よって、私はしかるべき相手の前で、持論を展開させているのだった。

 

「もう少し深いところを話すなら、交易を除いても、ここは東西の富の集積地となりえる。経済発展の可能性と拡張性は言わずもがなですが、それ以上に政治的な意味合いが大きい。ドヴールは『隣接している全ての国家に税を支払っている』――この事実が示すところは、実際にとても重要なのですね。多方面に媚びを売ることで、武力制圧のリスクを下げる。やり方を間違えれば返って怒りを買うこともありましょうが、その努力をし続けていることは、とても大事です。これこそ、ドヴールの政治力と財力の証明といっていいのですから」

「だから、同時に防備も固めるべきだとお前は言うのだな? 元盗賊としての見解を述べるなら、現状でも決して攻めやすい土地ではないぞ」

 

 元頭目の男と、私は今向かい合っていた。彼とは、なるべく早く意見のすり合わせをしておきたかったから。

 

「貴方にとってはそうでしょうが、私にとってはそうではない。特殊部隊を率いていい、という前提なら、私はこの街を落とせますよ。――せめて、それを防げるくらいには強化したいのです。その理由についてまでは、今は明言しませんがね」

「商人どもや妻も遠ざけて、一対一で語る内容がそれか。……俺は、どんな悪だくみに参加させられるんだ?」

「国家規模の経済政策……ですかね? とりあえず、広義ではそういう解釈をしてもいいはずです」

 

 密会の場を作るのは、さして難しいことではなかった。旅館の一室を借りて、相手を呼んで、人払いをすればそれで済む。

 クッコ・ローセもクミンも、そこは理解を示してくれる。だから、私は安心して仕事の話ができるのだね。

 

「元盗賊の身で、そこまで大きな事業に関われるとか。一年前の自分なら、絶対に信じられないようなことが起きているな。――しかし、今の俺はただの商人で、自前の武力すら用意してないんだ。そこは考慮しておいてくれよ?」

「ええ、ええ。わかっていますよ。せっかく特別に、身分を用意してここまで連れてきたんです。無為に過ごさせるつもりもなければ、使い潰すつもりもありません。大事に酷使していきますので、どうか付いてきてくださいな」

「……粛清されたくはないし、相応の飴もしゃぶらせてくれるんだろう? だったら、裏切る理由はないさ。勝っている間は、従ってやるとも」

 

 かつて盗賊の頭目だった男だが、今は私の部下である。ある意味特別な立ち位置にあるし、彼には独自の判断で動いてもらうこともあるだろうから、情報の伝達は必須事項だ。

 でも、周囲の目があると色々と勘繰られることもあるからね。だから、わざわざひと手間かけて、耳目を排除した屋内で語り合っているわけだ。

 

「結構。話を続けますが、ドヴールに赴任している総督に軍権がない――という事実からも見て、この都市がいかに特別であるか理解してほしいですね。……商人たちが自衛している。自衛を許されている。その事実は、それだけ中央からの統制が緩んでいるということも意味します。要するに、この都市が養える範囲であれば、武力の私用は黙認される可能性が高いのです」

 

 複数の情報を組み合わせて分析するに、ドヴールは商工会が事実上の統治者だ。もちろん東方国家に所属する以上、名目として都市を統治するのは、中央から任命された官吏である。

 いわば『総督』とでも言うべき人物が、ここにもいるのだが――すでに実権は現地の勢力に奪われていると見ていい。

 

「……俺に話すようなことか、それは」

「はい。商人兼盗賊の貴方であればこそ、話す価値のあることです。頭目であった頃も、相応に狡猾にふるまっていたでしょう? そのノリを思い出しながら、聞いてください」

 

 当人も自覚しているように、盗賊の頭目だった男は、この場ではただの商人としての立場でしかない。

 それでもわざわざ連れてきたのは、今であればこそ使いようがあると見極めてのことだった。

 

「とにかく、ドヴールは東方の都市でありながら、その名の通り西方の影響も強い。東西の人材が交流し、互いの文化が程よく混じり合う土地柄は、どちらに対しても交易の利点として働きます。……不文律とか、暗黙の了解とか、とにかく明文化されていない掟などについても、東西両方共によくよくわきまえている。それが出来る人材がここにあるのですから、安定した取引を行うなら、ドヴールは都合がいいと思うのですね」

「下調べは完ぺき、というわけかな? ――で、その情報をひけらかして、俺にどうしろと言う」

「普通に、西方の商人として動いてほしいと思います。――ただし、多くのことを学んでもらわねばなりません。造船や石工、簡単な医術を含めた薬剤知識などは当然として。染料や織物、金属細工についても、ここで造詣を深めておきましょうね。専門家に対抗できる精通しろとまでは言いませんが、商人としてそれら商品を扱うからには、半端な知識のままでは許されないと思いなさい」

 

 彼もまた、私の部下となってここにいる。非正規で自由に運用が効いて、荒事にも商業にも使える人材は貴重だからね。使い倒さなくては損というものだ。

 大切に育てたいから、新進気鋭の新米商人として、学ぶ場を与えてあげよう。商工会にも話を通してあげたから、最低限の学識はそこで得られるだろうさ。

 

「商人として、即席の教育を受けた後で、なお勉強しろと言うのかよ。……老け込んだつもりはないが、もともと育ちは良くない。俺の頭の出来に、そこまで期待されても困るんだが――」

「ドヴールは、交通の要所です。多くの外国人が滞在し、東西の雑多な人種が入り乱れ、生活を続けている希有な土地です。各々が持つ技術技能も、日常的に活用されていて、これを現地の人々は貪欲に吸収している。いわば、知識の交流の場としても、ドヴールは重要な役割を果たしうると私は考えています」

 

 そうして、私は用意していた資料兼教材の束を取り出した。

 東方会社の有能なスタッフがまとめてくれたものだから、非常にわかりやすく簡潔に収まっている。

 この男は頭が良いし、覚えも悪くない。時間もあることだし、ここらで一つ、気長に育成してみようと思ったわけだ。

 

「……無理にでも覚えて活用しろと、そう言いたいわけだな?」

「ここドヴールは、多種多様な人々が集まる土地です。適度な知識は、商売の上でも有用でしょう。――物分かりの悪い相手に、問屋も職人も良い品を提供してはくれませんよ。せめて富裕層の間に入っても、恥ずかしくないだけの教養くらい、ここらで身に着けておきなさい」

 

 将来的に、男にとっても手に入れる知識は、大きな財産になるはずだ。

 もっとも、今は手放すつもりはない。たやすく足抜け出来ない程度に、立場を縛っていくつもりだ。

 それは、彼とて理解しているらしい。苦々しい表情で、睨みつけながら私に言った。

 

「散々無茶ぶりしておきながら、俺の方は拒否する自由すらないわけだ! ――適当な額を稼いだら、トンズラするかもしれない、とは考えないのか?」

「手っ取り早く稼げる職を、自分から失いたいならそうなさい。……賭けても良いですが、傭兵稼業だろうと、盗賊稼業だろうと、今の貴方の立場ほどは儲かりませんよ」

「……俺の変わりなど、いくらでもいる、とでも言いたいのか」

「いいえ。貴方は特別な人材だと思っています。だから、私とのつながりは保っておきなさい、と言いたいのです。――お互いに利益の最大化を求めるなら、協力する方が効率が良い。そうでしょう?」

「……そうだな。よくよく考えれば、稼げる仕事なのは間違いない。お前が勝っている間は、逆らうのも怖いしな。今は、お前の方針に従ってやろうさ」

 

 頭目だった男も、今や肩書だけは立派な独立商だ。破落戸だったころの癖も、すぐに矯正できるだろう。それくらいの才気は感じさせるから、私もまた期待したい。

 

「――さて。話がそれましたが、ドヴールの重要性について、今少し語りましょう。立地がよく、経済的発展性があって、政治的にもそこそこ安定しているなら、ここは財産を隠すのにうってつけの場となります。各地から富が集中する条件がそろっていると見てもいい。色々な意味で穴場であると、まずは貴方に理解してほしいのです」

 

 男自身にとってもそうだが、今後の東方会社の方向性を決める上でも大事なことだ。交易をおこなう以上、金融業とのかかわりも深くならざるを得ない。そして、取引の量や額が大きければ大きいほど、隠れ蓑も作りやすくなる。

 

 名義を変えた隠し財産だって、その気になればいくらだって作れそうだ。これを『売り』にすべきかどうか、私はちょっと考えていた。

 ――東西の国家の王族、要人たちの秘密口座を抱えるようになれば。まさに東方会社こそが、国家の垣根を超えた、最初の国際企業になれるかもしれない。その歴史的意義は、とても大きいだろう。

 東方と西方の融和に際して、これが大きな役割を持つ日が来るかもしれない。そう思えば、今の私の立場がどれほど責任重大であるか、今一度自覚せねばならなかったのだ。

 

「各国の大商人や、貴族どもがここに財産を貯蔵するって? そこまで多額の預金を積み上げられるほど、多くの金融商が集っているわけではないし、港の倉庫を拡張するにも時間がいるだろ? 秘匿性を考えるなら、ここでなくとも良い気はするぞ」

 

 頭目の男の疑問は、確かに的確なものだ。しかし、それは『これまで』の前提にすぎない。

 『これから』は違うのだと、私の口から説明する。

 

「ところがそうでもないのですね。――だって、ここには東方会社の本社が立つんですから。私がそうすると決めて、西方の有力者に働きかけるんです。東方の連中だって、その流れに逆らおうとはしませんよ。素直に投資を受け入れて、物資と財産の集積地に改造して、政治的な合意さえ得られたなら、ドヴールは最高の交易都市になりますよ」

 

 結果として、ある程度の政治的安全性は低下するだろうが、問題ない範囲で収まるはずだ。

 何より、今のドヴールには私とクッコ・ローセがいる。

 防備を固める時間さえあれば、難攻不落の要塞にしてしまって、別の意味で政治的な安定を図っても良いんだから。

 

「……お前さん、東方会社の重役とは聞いているが、どこまで大きな権限を持たされているのか。改めて、聞いていいか?」

「これでも私、東方会社の先遣隊として、かなりの自由裁量をもぎ取ってきましたからね。一時的とはいえ、東方会社の代表という身分に違いはないわけだし――社内で手の届く範囲なら、できないことはないと言ってもいいですよ。特に『非常時の際の独断専行権』は明文化して保証してもらっています」

「……どんな弱みを突けば、そんなことが許されるようになるんだ。卑賎の身としては、うらやましいを通り越して、呆れてしまうぞ」

「ま、そこは私だけの成果でなくて、身内が総出で頑張ってくれたからですね。――西方において、クロノワークを敵に回したい国家なんて、一つもないんですから。結果として、私が今自由に動けている。活躍できる土台は整っているのですから、この機会を逃すわけにはいきません」

 

 そうやって、前例と前提を積み上げれば、東方会社は私の功績と発言を評価せざるを得なくなる。ここでの政治活動さえ成功させられたなら、私の想定通りの展開を呼び込めるだろうと見込んでもいる。

 途中で引っかかったり思うように動かなくなったりすれば、その都度修正を入れていけばいい。とにかく、この頭目の男の前では、だいたいが上手くいった未来を見せて、楽観的な感情を植え付けてやろうと思うのだ。

 楽観と期待こそが、人々の原動力となる。自らが富むという確信が得られればこそ、誰しも勤勉になれるというものだろう。現金の重要性を、私は理解しているつもりだった。

 

「ここまでの『前提』を踏まえたうえで、私が貴方に臨むのは、隊商を率いて東西を往復し、交易品をやりとりすること。その儲けを喧伝して、東西の商人たちに東方会社の有用性を認知してもらうことです」

 

 意味ありげな視線を男に向ける。こいつに期待しているのは、あくまでもその才幹のみ。

 いち早く保身を図り、まんまと生き残った生存性の強さと運、何よりも盗賊団を率いていた統率力と運営力を私は買っていた。

 男は、そうした私の意図をくみ取った様子で、良い感じの返答をもって返す。

 

「ついでに言うなら、交易の邪魔になる盗賊どもを撃退して、クロノワーク商人の屈強さと商才をアピールするわけだな? 俺はその第一号となって、見本としての動きを徹底しろと言うことか」

「こちらの意図を理解してくれて、結構なことです。――そこまでわかっているなら、細かい指示はいりませんね? 売れ筋の商品と、多量の商品をさばける市場を紹介するだけでも、今なら一財産築けます。貴方はその幸運な一例となって、東西交易の成功者としての地位を確立してもらわねばなりません」

 

 この男には、出来る範囲で、可能な限り成功してもらう。手助けはするけれど、他の商人の目もある。

 大っぴらに特別扱いするのは、いくつかの実績をあげてからになるだろう。

 彼にあれこれと語ったのは、こうして対面で話をする機会を作るのが、しばらくは難しくなりそうだという事情もある。

 わかっている話はさっさとぶちまけて、仕事に集中したい。私自身の名声を稼ぐ手段だって、これから確立していかねばならないんだから。

 

「私は私で、仕事をこなさねはなりません。しばらくは、お互いの役割に集中しましょう。その過程で、名声も高まっていくものと考えたい所ですね」

「……無茶振りされているという自覚はあるつもりだが。出来る範囲で、やれるだけのことはやるさ。食いはぐれない程度の実績を積み立てることは、俺自身の為でもある。手を抜いたりはせんよ」

「そうあってほしいですね。――貴方を粛清しにいくのは、骨が折れそうですから。間違っても、他国になびいたりしないように。私の見立てでは、色々な形で引き抜きに来ると思いますから――いかに魅力的に思えても、仮想敵国の甘言に乗ってはいけませんよ?」

「単独で盗賊団を殲滅してのける化け物を、わざわざ敵に回したりはせん。……なるべく、安眠できる身分を維持したいんでな。あんたに狙われることだけは、絶対に避けるとも」

 

 なんだか不当に恐れられてる気もするけど、それでこの男の心がつなぎとめられるなら、あえて訂正はするまい。

 

「逐一、情報は提供します。それで、『充分』ですね? 難しそうなら、その都度対応を考えますが――」

「難しい言い方をするなよ。……行間を読んで、明言しない所も適当に察して動けというんだろう? 出来る限りの配慮はする! 俺の方から言えるのは、それだけだ」

「まあまあ、いいでしょう。貴方への対応は、貴方自身があげた成果しだいで決めるとしましょう。――頑張ってください。期待しているのは、本当ですから」

 

 お互い、仕事への熱意だけは本物であると確認できただけ良しとしよう。

 これから忙しくなるから、クッコ・ローセとクミンのご機嫌とりだけは、充分に気を使っておこう。

 諸々の問題への対処を考えながらも、私が一番に気にかけるのは、やはり妻たちのことだった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドヴールには、独自の文化がある。

 涼廊(ロッジア)という開けた建築物(扉がない開けた出入り口に、一定間隔の柱で屋根を支える建築様式。現代の建築基準に従うなら、東屋の造りに近い)の中で、身分の垣根なく議論を重ねたり、賭博や盤上遊戯をしながら情報交換をする。

 商人と船長、貴族と平民、職人と農家が共に同じ屋根の下で語り合い、笑いあう場がこの街にはあるのだった。

 

 東方と西方の文化が混じり合う地で、どちら側の民も、幾度もの衝突の中でどうにか折り合いを付けようとしたのだろう。

 その努力の結果として、涼廊(ロッジア)で共通の趣味を通じて、倫理観と職業意識のすり合わせをする。そうすれば、お互いを良識・常識を共有した仲間として受け入れることができる――という文化が、このドヴールでは発達していた。

 

 誰にとっても、情報は有用なものだ。そのやり取りが頻繁に行われるロッジアでの遊興は、情報収集にも有用であったし、顔を合わせて人脈を広げる場としても重要な場であることは確かである。

 私自身、これを利用してアレコレと働きかけることもしているので、このドヴールの文化は素晴らしいと思う。

 ――まあ、賭博に関しては、ちょっと勝ちすぎて出禁を食らっちゃったので、しばらく大人しくする必要はあるけれど。それでも、充分以上の結果は得られたよ。

 

「様々な形で情報収集を行いましたが、判断に迷いますね。……総督がぼんくらなのは、この際は都合がよいとしても。周囲の環境は、ドヴールに味方するものばかりではない。政治工作を行う際は、慎重に動く必要がありますね」

 

 個人的な不安要素を口にしながらも、私は自らを省みてみる。対策を練るにしても、現状への正しい認識が、まずは必要だった。

 

 事務をいくらこなしても、教養をどれだけ披露しても、東方の文化に馴染むには時間が掛かるもの。ドヴールへの出向から幾日もたったが、私達がこの地に慣れるにはまだまだ実績が足りない。

 東方会社は、以前から派手に宣伝してくれていたから、組織の名前だけは知れ渡っている。投資に対して本気であることも、もはや疑う者はいないだろう。その証明として、第一陣の商隊はそこそこの規模であったし、取引額も大きなものになった。

 

 これが繰り返し何度も行われるなら、恩恵にあずかりたいと思う者は多いだろう。

 個人的にも、東方会社の代表として、必要な相手に便宜を図ることはできる。だが、このドヴールで個人が存在感を表すのに、それだけでは足りない。

 

 私モリーが一個人として、名声を得ることを求めるならば、やはり武力を示すのが手っ取り早いだろう。

 もっとも、今の東方は比較的平穏である。近隣国家が戦争しているわけでもないし、不安要素が多少あるだけで、荒事が必要な雰囲気ではなかった。

 

 しかし、現状が平和だからと言って、今後の平穏まで約束されるわけではない。何より、ドヴール周りは、これから間違いなく経済的に荒れる。

 東方会社の進出と言う事態は、良い意味でも悪い意味でも多くの人々を刺激するのだ。

 

「ドヴールが有用な都市であるなら、それを確保する意義がどれだけ大きいか。周辺の勢力は、それを確実に理解しているわけです。――どうも、東方でもここらは中央の統制が緩い土地柄だそうで。万が一、現地の軍閥が反乱などを起こしたら、どうしても狙われやすい位置にあることは間違いありません」

「そうは言うが、この街は長い間戦乱とは無縁だったと聞くぞ。安定した土地で、一足飛びに反乱騒ぎなんて起こるものかよ。――そもそも、兵どもがまともに戦える水準になってない。今攻められたら、私達だってひどい目にあうだろうに」

 

 クッコ・ローセも、ザラの次に私との付き合いが長い。議論の相手としても、思考を整理する手助けとしても、都合のいい人材である。

 私は書類をさばきつつ、もろもろ執務をしながらも、合間を縫って話をすることにしている。

 雑談を模した形で、有用な話し合いができる。そうした相手は貴重だし、それ以上に時間が貴重だった。無駄を省く以上に、効率を重視せねばならない。

 他人の目は、もう気にしないことにした。公私ともにイチャイチャしている風に見えたとしても、それが全てにおいて効率的なんだから、仕方がないじゃないかって思う。

 

「ことさらに、ドヴールを戦場にしたいわけでもあるまい? 何より、この地は守るに適していない。守って勝つ戦をするには、もっと厳密に区画を整理して、防衛を優先した街づくりを始めねばならないし、城壁も厚くして要塞化する必要があるぞ。……理想を言えばキリがないのはわかっているが、予算はどこが出すんだ。しっかり金をかけないと、防衛面での改善は難しいとわかっているだろう」

「はい。――なので、ここから数か月かけて、事態を見守ります。問題が起こりそうなら、早期解決を図る。不穏な事態が起きたら、それを口実に商工会を絞ります。名目さえあるなら、出資を渋るような手合いではないでしょうし、しばらくはそういう路線で行こうかと思ってます」

 

 東方会社の進出は、西方からの侵略と取れなくもない。過剰反応によって、ドヴールがそのとばっちりを食らうことだって、ありえなくはないだろう。

 そこまで深刻でなくとも、悪い影響を受けて、ちょっとした混乱が起きることは充分にありうる。その事態に適切に対応することで、個人的な功績を稼いでおこうと思っていた。

 

「上手くいけばいいがね。――商人どもなんて、どいつもこいつも魑魅魍魎に近しい連中だろう。私には、上手くあしらう自信もない。モリーは、よくやっているよ、まったく」

「お褒めに預かり、恐悦至極。……まあ、話してわかるくらいには、理性的な連中ですよ。そうでなくては困るのですが、想定以上にものわかりがいい。このままなら、私の想定内で物事が収まることも、期待していいんじゃないかと思いたくなります。楽観は危険だと、わかっているんですけどね」

 

 私も、ドヴールに着いてからは休む間もなく働いているし、ちょくちょく社交場に顔を出しては情報収集に明け暮れている。

 ミンロン女史からの紹介状もあったから、各方面へ顔を売ることは成功したと思うし、交易に関わらせることで、実利による関係も構築している。

 個人的にも、信用できそうな金融商とか倉庫番とか、確保できるならしておくに越したことはないと思うのだ。

 そして、彼らとのつながりの結果として、いくらかの情報を前払いしてもらっている。それらを分析するに、思っていたよりもドヴールの平和は薄氷の上にあるものと、私は確信したのだ。

 

「何と言いますか、この街は財源になるものが多いのです。――交易そのものに加え、交易を支える港湾周りと、その維持のために必要な多くの人口。それを養う物流に、人の心をつかむ娯楽。どれをとっても、多くの富が動きます。……この既得権益を破壊して、全て自前の人材で固めることが出来たら、どれほど大きな財源になるでしょうか」

「破壊は、武力によってしか達成されない。――それは大きな代償を伴うものだ。モリー、お前には何が見えている。東方会社が傭兵を雇い入れ、調練を繰り返している。傍目にどう映るか、わからないお前じゃないだろう?」

「まさに。しかし、誤解のないようにお願いしたいのですが、ドヴールは魅力的過ぎる街です。私たちが干渉せずとも、いずれ本格的な武力制圧の危機からは、逃れえなかったことでしょう」

 

 東方会社が来なければ、その事態は十数年くらい先延ばしにできたかもしれないが、そこまで口にする必要はあるまい。

 西方からの投資がなかったとしても、この街が発展・拡大していくことは間違いないのだから。

 財力だけが肥大化した港湾都市は、武力に弱い。税金以上に搾り取れる、報復を受けても痛くない――なんて考える権力者が一人でも近くに生まれてしまえば、その時点でドヴールの命運は決まるだろう。

 

 私自身、時計の針を進めているという自覚はあった。だが、私が今ここにいるのは、時代の流れに沿った結果でもある。

 せめて、自分が主導する限りは、犠牲が少ない未来を引き寄せたいと思う。そのために必要なことは、全てやり切りたい。

 クッコ・ローセがここまで付き合ってくれた以上、夫としては半端な成果で満足してはいけないのだ。

 

「最悪の未来を想定しているのは、私達だけではないのです。例えば商工会の連中だって、不穏な気配が漂い出していることくらいは、掴んでいるでしょう。――我々を番犬代わりに使うなら、それもよろしい。そうやって上手く働けたなら、労力に見合った見返りを期待したとしても、悪いことではありますまい」

「無下にはされんだろうな。東方会社は大きな組織になる。……西方からの投資は、間違いなく本物だ。まだ第一陣だが、結構な額の取引が成立している。ここに商館を置いて、本格的な商業活動ができたとしたら――なんて。この成果を正しく持ち帰れたなら、夢を抱きたくもなるだろうよ」

 

 クッコ・ローセには書類仕事を手伝う義務はなく、役職上は私に付き合う義理はない。

 それでも一緒に書類に向き合って、分析する仕事を共有してくれる。共に悩んでくれているという現実は、私にはとても贅沢に感じられた。

 なればこそ、率直に向かい合って意見を戦わせよう。それが結果として、よりよい未来を呼び込むと信ずればこそ、私は隠さずに心情を述べるのだ。

 

「お前はどこまで想定しているのか、聞いてもいいか? 遠い未来ではなく、近く起こりそうな事態については、私も考え方を共有しておくべきだろう?」

「そうですね。――手っ取り早く、我々が武力をふるう事態を期待しています。具体的には、財政危機に陥って、都合の良い財源を確保したくてたまらない独立勢力とかが殴り掛かってきてくれたら最高ですね。殴られたら殴り枷すのは当然ですし、殴り勝ったなら賠償を請求する権利くらいはあるでしょう。……我々にそれだけのことができたなら、ドヴールの人々にとって、これ以上ない宣伝効果が表れると思うのですよ」

 

 そこに行きつくまでには、いくらかの手順を踏まねばなるまい。そこも含めて、様子をうかがう必要があると私は見ていた。

 ただ、あらゆる要素を加味してみれば、特別な工作までは必要あるまい、と思う。東方会社が当たり前の利益を追求するだけで、流れは勝手に不穏な方向に流れていく。

 私が意図的にふるまわなくても、それは変わらないだろうと私は確信していた。

 

「お前がそこまで言うんだ。せめて殴られる前に、防衛策くらいは固めておきたいな。それには、現地住民の協力が不可欠だが――」

「先も言ったとおり、この街の民とて馬鹿ではありません。武力侵攻の予兆さえあれば、説得は難しくないでしょう。防備を固めるにも時間はいりますし、そこは気長にやりますよ」

 

 そして、情報の裏取りに現地の情報網が使える。ミンロン女史からの紹介状には、そこまで含まれていた。

 ……最悪、自分が身一つで駆け回ることも考えていただけに、これはありがたかった。本気で彼女に足向けて寝れませんよ、ええ。

 

 ドヴールが周辺に税金を払って回っているのは、どれかが殴り掛かってきても、誰かが助けに来てくれることを期待してのことではあるが――。

 しかし、常にその保険が機能するとも限らない。ささやかであるが、自前の武力を保証されているのも、もしもの事態に備えるためだろう。

 そして、今まではこの体制でやってこれた。しかし、これからは違う。……我々が、東方会社がやってきたからだ。

 

「しかし、わからんな。今のドヴールは、そんなに美味そうに見えるのか?

「将来的な成長性を加味すれば――多少の傷は承知のうえで、強引に奪いにかかりたくなる程度には魅力的ですね。……シルビア妃殿下の交易拡大政策が、良くも悪くも影響している感じです。東方会社としては、ゼニアルゼに負けないくらいの販路を確保したいわけで、この港湾都市は大規模な商館を立てることがほぼ内定している状況にあります。別段、それは隠しているわけではないので、情報に通じている方々の間では、周知の事実になっていることでしょう」

「手っ取り早く奪って稼げる手段がここにあると、東方では知れ渡っているわけか。……なるほど。つまり、武力でドヴールを脅すことができれば、己の采配で利益を確保できる。そこで西方交易という新たな財源を得られると思えば、多少の無茶は通したくなるものかね」

 

 本格的に戦乱を起こす気はなくとも、誘惑にかられて、ちょっかいをかけてみようか――なんて。不穏な考えを引き起こすには、充分な状況がそろっている。

 だから、私は出来るならばこれを逆用したい。どこぞの勢力が攻めに来てくれるなら、我々が武力を振るってこれを撃退しよう。

 

 そこで実績を作ることができれば、ドヴールの有力者は私を頼る。力は信頼を生み、信頼は交友を充実させてくれる。何度でも強調するが、これが本当に大事なことなのだ。

 ここまでくれば、東方会社とて、現地の勢力と信頼を結んだ私に特権を与えないわけにはいかなくなる。確かな立場を築く一歩として、これは大きな機会と言えるはずだった。

 

「無理をすることはない、と私は思うがね。……モリー、念のために聞いておくが、焦ってはいないよな?」

「あまり性急に事を進めるつもりはない、と申し上げておきます。――私個人が急いたところで、どうにかなる仕事ではありませんし、まずは手元の兵力を鍛えることに注力したいので。最低でも二、三か月は平穏に暮らしたいと思っていますよ。そこからアレコレと実績作りに動きたいところですが、実働までは半年くらい時間を空けたいですね。……根拠のない希望で良いなら、それくらいに思ってます」

「傭兵どもを精兵に仕立て上げたいなら、一年は時間をくれよ。東方の傭兵は、練度が低くて困る。――そのくせ女と見れば舐めてかかってくるから、教育するのに手を焼いて仕方がないんだ」

「良い人は兵にならない、なんて言葉があるくらいです。苦労を掛けますが、どうか頑張ってください。……本当に、お願いします。貴女しか、頼れる人がいないのです」

 

 夫としてどうかと思うけど、この点についてはガチでクッコ・ローセに頼るしかなかった。

 私が調練に参加できたらいいんだけど、現状としては東方会社の代表としての仕事が多すぎて、手が回らない。

 このうえ、情報収集と政治工作まで担当しなくてはならないんだから、彼女に任せる仕事が多岐にわたっても仕方がないだろうと思う。

 

「まったく。もし、私が同行しなかったら、どうなってたんだと言いたくもなるぞ」

「……想像したくはありませんが、ひどいことになったと思いますよ。たぶん、私はまともな睡眠時間さえ確保できなかったんじゃないでしょうか」

 

 そうして、クッコ・ローセは席を立つ。そろそろ調練の時間だったかと思い当たると、せめて言葉だけでもねぎらいたくなった。

 

「ありがとうございます。……貴女が私と共にいてくれなかったら、たぶん、私はここに居なかったと思いますから」

「そんなに東方に来たかったのか? だったら別に、私じゃなくても――」

「そうではなく。……クッコ・ローセ。私を教導したのが貴女でなければ、私はもっと以前に戦死していたでしょう。共に生を謳歌できる今に、感謝しています」

 

 本気だった。いつでも真面目に接しているつもりだが、妻に対しても、言葉を惜しんではならないと思う。

 

「だから、ありがとう。――これからも苦労を掛けますが、できれば、ずっと一緒に生きてくれると嬉しいです」

「……馬鹿。その気もないのに、こんな所までついてくるかよ。――私は行く。東方の傭兵どもは、言葉が通じにくいし文化も違う。早々に叩いて、上下関係を徹底させてやらんと、後がうるさいんだ」

 

 そう言って、彼女は退室した。

 私は見送って、また自らの仕事と向かい合った。

 それでいいと思うし、これが我が家のやり方なんだと思う。

 

 ……今しばらくの時間さえ稼げれば、東方会社はドヴールにおける橋頭保を確保できる。

 その後のことは、情勢次第。何事も上手くいけばいいのだが、どうせアクシデントは起きるもの。そう考えて、期待しすぎないほうが良いだろう。

 忙しい毎日だと、夫婦の営みも難しくなる。――せめて、彼女が寂しさを感じないよう、心を砕いていきたい。今の私には、それだけでも精いっぱいだった。

 

 

 

 

 

 クッコ・ローセの方に不安はない。やるべき時に、彼女は最高の仕事をするだろうと期待も出来る。

 だが、クミンの方はまた別だ。彼女の能力に不安があるわけではないが、風俗は理屈や腕力でどうにかなる部分ではないから、余計に厄介なわけで――。

 

「ドヴールでは、売春宿や情婦を囲う邸宅は、海沿いの城壁近くに構えるのが作法のようです。そこを『小さな城』と呼んで隔離するのは、この街ならではの独自文化と言っていいでしょうね。……東方では、性文化も西方とはずいぶん違うようです。その辺りの衝突が昔は結構あったらしくて、今では法でガチガチに固められていると聞きました」

「――調査お疲れ様です、クミン。あいさつ回りも兼ねて、あちこち振り回してすいません。……これからしてもらう仕事と思えば、どうしても必要な事でしたが、辛くはありませんでしたか?」

「いえ、別に。あいさつ回りくらいで音を上げたりしませんし、ドヴールの風俗の作法を習うのも、嫌ではありませんよ。……売春宿の女将さんたちは、結構気のいい方々ばかりでしたし、貴重なお話も聞けました。事前準備の一環と考えれば、私がここで怯むわけにもいかんでしょう?」

 

 クミンには、東方会社の一部門を任せるつもりで、ここに連れてきている。

 明け透けに言うなら風俗店の経営なのだが、いきなり箱を作ってさあ始めよう、なんて無作法な真似は出来ない。

 事前に商工会に相談して、許可を得るのは当然だが、それ以外にも配慮が必要な部分は多くあることだろう。

 クミンには、ある程度独自に動いてもらっている。彼女自身が顔を売る必要もあるし、街の先輩方を尊重し、礼節をわきまえた態度を見せておくことは、今後の布石にもなる。

 

「まあ、商工会の方は知りませんが、女将さんたちは余所者の流入には慣れているみたいで。遠ざけるよりは、近くにおいて様子を見たいんでしょう。挨拶と社交辞令のついでに、あれこれアドバイスもしてもらいました。……過去のやらかしとか、風俗に関する法についてだとか。ここでやっていくつもりなら、絶対に知っておかなくてはならないことは、だいたい教えてもらったと思います」

 

 不法な売春行為は、厳罰をもってこれにあたるのがドヴールの流儀であると、クミンは言った。

 過去には、市中引き回しの上、都市からの永久追放処分が下されたこともあったらしい。そのことを思えば、半端な知識のままでは風俗店の経営などままならない。

 私もそうだが、クミン自身もドヴールの流儀をより深く理解していかなければなるまい。

 

「本当に、お疲れ様です。――東方会社が、ここで風俗店を経営するとなると、どうしても事前に話を通すべき場所が多くなるものですから。既得権益を犯さない範囲で、新たな需要に対応するためだと言って、ようやく娼館建設の許可を取り付けました。……これで、ようやく貴女を管理職に着ける手はずも整いましたよ」

 

 東方会社の社員専用の風俗店。東方会社に出向した西方人、もしくは東方会社に所属してドヴールに交易に来た西方商人たち。

 彼ら、彼女他の為の風俗店を、ここに立てる。この件については、王妃様もタラシーも好都合だとして、すでに決定していることであった。

 

「私が女将をやるのは、若すぎる気もしますけどね。……ま、それはそれとして。ドヴールでは、売春窟よりもやっかいな性問題があると聞きました。モリーさんは、案外興味を持つんじゃないかと思うのですが――」

「聞きましょう」

 

 クミンが言うには、娼婦が起こす問題より、富裕層が囲っている情婦の問題の方が深刻であるらしい。

 この街の政治にすら影響を及ぼすそれは、確かに私の興味を引くものだった。

 

「富裕層は、まあ総督府に勤める高級官吏とか、総督自身も含まれますが――。連中、赴任前の領地から、情婦を連れて来てることが多いんですね。そいつら、名目上は女中として屋敷に勤めていることになってるんですが、結構質の悪い女が多いようです」

「……具体的には?」

「家の仕事を別の人に押し付けて、男を連れ込んだり、寝屋で主人から得た話を怪しげなところに売ったり――まあ、色々です。真面目な女性もいるんでしょうが、元々が地元の人ではないですしね。住民への配慮とか考えず、迷惑をこうむることが多いらしいですよ」

 

 今は深刻な事態になってないですが、とクミンは締めくくった。

 ……関係性が薄い連中の話だが、どうにも不穏な気配がする。もしかしたら、火種というものは、そんなところから生まれるかもしれない、なんて思ってしまった。

 

「わかりました。気には留めておきます」

「そうしてください。――私からは、それだけです。さ、行きましょうか」

「……寝所に入るには、まだ明るい時刻ですが」

「マッサージをするだけですよ。一時間もくだされば、それで結構です。――疲れがたまっているようですから、せめてこれくらいは、ですね」

 

 そうして、私は彼女に身を任せた。

 ――これからのドヴールの未来を考えるよりも、気楽な時間を過ごせたのは確かである。

 まだまだ先は長いのだから、今のうちに英気を養っておくべきと言われたら、否定することも出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてモリー家が東方に進出し、各々が最善を尽くし続け、時間は進み――良からぬ事態が、やがてやってくる。

 

 私たちがドヴールに根付いて半年がたった頃。東方会社からの商隊が、海上陸上問わず姿を消す事例が発生した。

 一度や二度ではなく、短い期間内に複数件も。これほどの大型の事件、私自身が調査に乗り出して、事態の収拾を図らねばなるまい。

 

「……まあ、わかっていたことです。さあ、ここから始めていきましょうか」

 

 半年もの時間は、こちらに味方した。剣の鍛錬は怠っていない。クッコ・ローセの調練も、それなりに成功している。

 精兵とはいかず、促成の急場しのぎの新兵でしかないとしても。勝利の味を覚えさせれば、勢いだけなら歴戦の強者に劣らぬようになるだろう。

 

 クロノワークの武名を、東方でも轟かせる好機がきた。そう思って、私は最初の調査に乗り出すのでした――。

 

 

 




 作中に描いたドヴールという港湾都市に関してですが、当然原作には出てきません。
 しかしモチーフというか、参考にした都市は現実に存在します。

 東方と言う土地柄を考えれば、厦門とか上海租界とかを参考にするべきだったのでしょうが、資料が手元になかったので……。

 実家の本棚をひっくり返し、都合の良さそうな都市の紹介書籍を読み込んで、どうにか形にしてみました。

 わかる人には、元になった都市がどこであるか、簡単にわかったかと思います。
 ドヴールなんて名前からして、隠すつもりがないことの証明とも言えますから。

 諸々のセンスのなさについては、どうかご容赦ください。
 お話の結末も、そろそろ迫ってきた頃合いです。最後まで駆け抜けるために、また今日も執筆を続けます。

 今しばらく、見守ってくだされば、幸いです。では、また――。



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謀略を武力で殴り倒していくお話


 話の展開を急ぐあまり、クッソ適当な理屈をこねくり回している感があります。
 この物語自体、なんとも頭の悪そうな作品でありますし、作者の脳みその程度について、そろそろ疑問を抱かれても仕方がないとも思いました。

 ――色々と突っ込まれても、今さら後には引けぬのだと。観念しながらも、執筆を続けています。



 モリーの働きは、タラシーはもとより、第三王子たるチャラにとっても予想外だった。

 ましてや、彼らの背後にいる大商人たちにとっては、嬉しい誤算とでも言うべき結果を、東方会社にもたらしてくれている。

 

 代表職だからと言って、業務にかまけるばかりではない。積極的に現地住民と関わり、その文化を理解しようとする姿勢は、これまでの西方人にはありえない態度であった。

 たいていの西方人は、商人であっても現地の文化を理解しようと努力したり、その理解をもって相手を慮るようなことはしなかった。

 

 その異質ともいえる彼女の性格が、ここでは功を奏した。彼女が構築することになった、独自の情報網と人脈。それは、モリー個人の才覚によるものではあったが、結果として東方会社の収益に多大な貢献をなしているといってよい。

 

「節操なく動いている割に、悪評が一切出回ってないというも凄いな。……地元の名士から人望も得ている、という評価もあながち間違いでもないのだろう。気前が良い、礼儀正しい、なんて話が出てくるほど現地に馴染める奴は、これまで一人もいなかったのだからな」

「東方の作法は、明文化されていない部分も多いですからね。――それをわきまえて、あちらの名士を尊重し、恥をかかせないというだけでも、破格と言っていいものです。いままでの我々は、それさえできなかった。……あちらにとっても、モリー殿は替えが効かない人物になってしまっている。一方的にアドバンテージを握られているようで、いささか複雑ですが」

 

 東方会社が進出して、はや半年が過ぎようとしていた。モリーが代表として現地で働き、収益を合上げ続け、企業としての実績を積み上げ続けていることについて。タラシーとチャラは、これを評価せざるを得ないのだった。

 

「――なるほど。お前の言っていた通り、モリーとやらは確かな才を持っていると認めてやろう。交易の成功と、現地での環境づくりの結果まで含めれば、彼女の働きを無視するわけにはいかん。まったく、クロノワークのどこで、東方の文化なぞ学んだんだ?」

「さて、そればかりは情報が少なすぎて、なんとも。……ともかく、彼女には今後も東方会社の経営に参加していただかねばなりません。それだけの実績は、あげてくれているのですから」

「モリーは、あちらの有力者たちへの受けがいいらしいからな。武力以上に、そうした折衝能力は貴重だ。――お前が言うとおり、複雑だ。今はありがたいが、個人に依存しすぎると組織は硬直化する。彼女の意向に従わされるようになるのは、はっきり言って望ましくない」

「しかし、良い流れをせき止めるのもよろしくない。悩みどころですな」

 

 ドヴールを東方会社の本拠地とすることに、出資者の誰もが賛成するだろう。もはやそんな段階まで来てしまったことを、二人は認めた。

 認めたうえで、今後の計画を定めねばならない。モリーが現地における東方会社の代表であるなら、チャラとタラシーは西方における会社の共同経営者であるのだから。

 

「あるいは、このまま彼女に経営を任せてもいいかもしれません。ただの重役で終わらせるには、惜しい結果をもってきています」

「おいおい、忘れていないか? 東方会社は、もとより俺が自前の力を蓄えるために作り上げたものだ。……初期投資と考えて、五、六年くらいは任せても良い。だがいずれ、モリーからお前に代表の地位を譲らせるつもりだ。俺も今はともかく、将来的には会社経営に集中できるかはわからんからな。俺の身内の中で、お前の他にいい人材はいないのだし、今から覚悟を決めておけよ」

 

 タラシーは、いずれドヴールに入り、モリーから現地の経営を引き継ぐことになる。チャラ王子は権益は身内で独占したいと思っているくらいだから、これは既定路線であるとしても、タラシーには不安もあった。

 前任者の手際と比べられて、己のそれが劣っていた場合、肩身が狭いどころの騒ぎではなくなるのではないか? その当人が近くにいるという事態は、自分を追い詰める結果になるのではないか――?

 しかし、ここで後ろ向きな態度を見せては、チャラに取り入った甲斐がない。不安は口に出さず、ただ主君の言葉に頷くのみだった。

 

「それと、これは内々の話だが――。クロノワーク王家が、身銭を切る決意をしてくれた。今はまだ公にできないが、商人たちを通じて、王家の私財が東方会社に流れ込むことになる。下手な運用をすれば、あちらの不興を買うだろう。この辺りは、よく注意せねばならんな」

「……とはいえ、東方会社の現状を見れば、大損するような運用はしないでしょう。災害とか略奪とかが間に挟まらない限り、短期的には結構な利益が出るはずです」

 

 交易に参加し、資金を回し続けるならば、時には損失ができることもあるだろう。だが東方会社が進出して間がない今は、需要ばかりが大きく供給が追い付いていない。

 仕入れれば仕入れるだけ売れる状況なので、つつましいクロノワーク王家が満足する程度の利益ならば、まだまだ確保できる状況であった。

 

「……王家が、大っぴらに会社を支援するのだ。当のクロノワークの武官であるモリーに対しても、便宜を図らざるを得ん。代表を退いた後の地位も、慎重に考える必要があるだろうな。悪い流れではないが、代表職を譲らせた後も主導権を奪われぬよう、警戒だけはしておかねば」

 

 王家による投資と、現地での武官の活躍。クロノワークの影響力が、東方会社内では日に日に大きくなるようだった。

 計算外の事態ではあったが、それでもタラシーとチャラに焦りはない。東方会社と言う枠内にある限り、基本的に彼女らは味方である。利用価値がある間は、使い倒すことを考えるべきだった。

 

「後のことは後のこととして、今を見ましょう。――東方会社の成功自体は、喜ばしいことです。モリー殿に企業経営のセンスまであったことは予想外でしたが、収益の大きさは彼女ら以上に我々の影響力の拡大につながる」

「周辺各国の商人どもも、東方会社の活躍がうらやましくなるころだな。ゼニアルゼ商人は、独自の販路があるからまだいい。問題は、それ以外の連中だ。……俺たちとゼニアルゼの取引量が大きすぎて、他の零細商人どもが付け入る隙はなくなった。そろそろ、そいつらがこちらに泣きついてきてもいい頃合いじゃないか?」

 

 東方交易に旨味があるのは事実だが、無制限に好きなだけ、とは流石にいかない。東方市場は、ゼニアルゼと東方会社の両者がほぼ独占している形になっている。

 独立商人が今から東方の市場に乗り込もうとしても、売れ筋の商品はすでに契約済みで、卸先も数年先まで予約で埋まっている――なんてのは普通にあることだ。

 となれば後手に回ったとしても、いずれかの傘下に入ることを検討せねばならない。

 

 しかしゼニアルゼ商人はあれで排他的なところがあり、自らの飯のタネをよそ者に分け与えるようなことはまずやりたがらない。特別なコネクションがないのであれば、そちらから権益のおこぼれを受け取ることは、不可能だと考えるべきだった。

 消去法で、零細商人たちは東方会社を頼ろうとするだろう。――そして、東方会社にはそれを受け入れるだけの懐の深さがあった。

 

「初期メンバー以外からは、基本的に搾取する方向でよろしいのですね?」

「ほどほどに、恨まれない範囲で搾り取る。この辺りの塩梅を間違えるなよ。……それくらいの商才もない奴に、会社を任せることは出来ん。タラシー、お前も男なら、俺の期待に応えて見せろ」

「もちろんですとも。これでも、実家は商家でして。――凡庸な次男坊でしたが、帳簿の付け方と人を見る目くらいは、それなりにあるつもりです」

 

 ならばよい、とチャラは横柄な態度で言葉を切り、書類の束をタラシーに投げつけた。

 

「だが、心しておけ。他所の小物連中はどうでもいいが、クロノワークだけは事情が違う。その書類の中にある名前には、それなりに気を使ってやれよ」

「名簿と、誓約書? ……いえ、これは雇用契約書ですか」

「今回参入するクロノワーク商人は、東方会社の正規社員として扱う。――俺個人の財布にするのは難しくなるが、あの国はこれから伸びる。今のうちに恩を売っておくことも、後々の布石になるだろうよ」

 

 チャラはその端正な顔に苦渋をにじませながら、そう言った。

 彼がモリーの働きにケチを付けたくなる部分があるとしたら、ただ一つ、この点にあったと言える。

 

「この場合、モリー殿がクロノワーク商人に恩を売った、という形になるのでは? 彼女が早々に東方入りして、業績を上げた。その事実がなければ、クロノワーク商人の後発組は、他の連中と変わらない待遇で迎えて良かったはずです」

「それを言うなよ。……まあ、逆に考えれば、クロノワーク商人だけに便宜を図ることで、不公平感を連中に押し付けることも出来るだろう。すべてがモリーのせいなら、お前を代表に据えた際の反発は、最小限で済むはずだ」

 

 そもそも、モリー自身が代表を長期間続けることを望むとは思えぬ。クロノワーク王妃とて、お気に入りの相談役を東方に縛り付け続ける気はないはずだ。

 チャラの認識ではそうであるし、とにかく先のことを考えていかねばならない。東方会社の進出は、これからが本番なのだ。社内でのゴタゴタは、なるべく避けたいところであった。

 

「何事もなく、順調に成長してくれるなら、モリーの奴はそろそろ西方に一時帰国させるべきだな。書面での報告は丁寧なものだが、全てを語れるわけでもない。こちらも人材を投入する準備は整いつつあるのだし、ここらで足並みをそろえさせるか――」

「そうですね。非常事態が起きれば別ですが、そうでないなら、直接報告も聞きたいところです。色々と、興味深い話が聞けそうだ」

「後は、そうだな。――クロノワーク側の反応が読めんのは辛いが、これで冷遇されるようなら引き抜きを狙ってもいいかもしれんな」

「……モリー本人が承知するとは思えません。待遇とか金銭とか、そうしたもので動く人ではないと、過去の業績が語っております」

「冷遇されたら、の話だ。クロノワーク側は、現状そこまで恩恵を受けていないからな。あちらが東方会社の存在をどう受け止めるのか。……モリーの帰還に合わせて、その辺りは十分注視していく必要があるぞ」

 

 この数週間後にもたらされる凶報と、その後に追加される朗報に翻弄されることになるとは、夢にも思わないチャラとタラシーであった。

 彼らは東方から遠く離れているがゆえに、物事に対して楽観的に過ぎる見方さえ許されていたのである。

 

 彼らは現地の状況について、まったくの無知であった。まさにモリー本人が帰還するまで、それを自覚することができなかったのは、東方会社にとっては大きな痛手であり――。

 そして何よりも、クロノワークにとって大きな利益となる。当事者たるモリーが、そうしたのであるから、彼女の名声がこれ以上なく高まるのも、当然の成り行きと言えたであろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東方会社の商隊が狙われた。その商人と護衛たちを殺害し、財産を強奪する。こうした手口が行われたとしたら、犯行に及んだ連中が何者であるか?

 追及して当然というものだろう。私は早急に調べたし、方々に手を尽くして可能な限りの情報を収集した。

 ミンロン関係の伝手は当然として、自ら交流した下町や名士たちからの生の情報。それにクッコ・ローセが、傭兵たちから聞き込んだ話と、クミンが色街から持ってきた噂など。

 それらすべてを総合して、私は『敵』の姿をはっきりと見定めることができた。

 

 結果は充分なものだったが、あまりに大事となりえる爆弾も含まれていたから、慎重なふるまいが求められる。

 もっとも、私とて東方会社の代表だ。たやすく引くことはできないし、手練手管をつくして抵抗するのが当然成り行きだった。

 

 では、いかにして反撃を試みるか? 重要なのはその点だが、相手もなかなかの手練れであるらしい。

 生存者も目撃者も少なく、きわめて短時間に手早い仕事をやっている。おかげで、調査が思ったより長引いてしまった。――じっくり調べられた分だけ収穫もあったが、全ての報告を俯瞰してみるに、事態は思ったより複雑とみてよい。

 

「被害状況を見る限り、陸路より海路の被害が大きい。そしてクロノワーク、ホースト、ヘツライの商人、いずれの区別もなく襲われている」

 

 ここまで手際が良いと、疑いを向けるべき相手も限られる。情報も、それを裏付けていたから、まず見当違いと言うことはあるまい。

 さりとて見当がついただけで、明確な証拠があるわけでない、というのが悩ましい所であるが。

 

「海の被害が大きいけれど、そちらは無差別に海賊どもへ依頼を出した結果、被害が拡大してしまったように見える。練度の高い襲撃が陸路に集中しているあたり、本命はこちらか。……答え合わせをするためにも、商工会の方に、まずは話を聞きに行かねばなりませんね」

 

 襲われたのは、東方会社に所属する者たちのみ。従来の東方商人たちは、まったく被害を被っていない辺りが策謀を感じさせる。

 これは望んでいた展開ではないから、面倒が増えて気が滅入る思いだった。証拠はないが証言はあり、現場の痕跡はそれを裏付けている。

 すべての予想が正しかった場合、今回の件はドヴールの政治に大きく関わる部分があり、こればかりは単独でどうにかなる範囲を超えている。

 

 最初から、ドヴールが必ずしも東方会社の味方でないことはハッキリしていた。相互互恵の関係は築けているつもりだが、所詮私たちは余所者。商工会の方も、必要に迫られれば切り捨てることを躊躇わないだろう。

 対策については、ほぼほぼ結論が出ているのだが、直接的な行動を取るにはまだ一手足りない。

 こちらの正当性を確実に確保するには、どうしても現地の人間の協力がいる。商工会としての立場は複雑だが、会長個人に狙いを絞れば、話し合いの余地はあるだろうとも思う。

 

「信用と実績のある相手から、反撃の保証を得ておけば、東方会社が大義名分を得られる。商工会からの支援を受けられれば、今後の展開にも都合がいい」

 

 商工会は、すでにこの件に関して多くの情報を握っていると私は見ているし、それはおそらく間違いではないだろう。

 緊急時の強権をふるう、その根拠を得るために――私は、ドヴールの商工会に向かったのである。

 

 不幸中の幸いと言うべきか。商工会にアポイントメントを取るくらいの時間的余裕はあったし、あちらも私との対話を拒まなかった。……何のために、とは、今は考えないでおこう。

 

 総督府の中にある、商工会の事務所に出向くと、案内の為の人員が、私を待っていた。それに従って進むと、応接室を通り過ぎて、さらに奥深くへと進んでいく。

 商工会会長は、自身の執務室に私を通してくれた。応接室を使わなかったのは、私の目的を察しているからであろう。余人に聞かせたくない話をするからか、もっと不穏なことを考えているのか――。

 いずれにせよ、私は会長に詰め寄る権利くらいはあるだろう。通り一遍の挨拶と社交辞令を済ませた後、私は単刀直入に話を切り出した。

 

「東方会社への襲撃が、大きな問題となっています。陸路海路ともに被害が大きく、なんらかの対処が求められている。この件について、今日はお話させていただきたい」

「その話については、こちらも把握しております。……災難でしたな」

「災難で済む話ではありません。――この問題には、私も全力で対応せねばなりませんでした。我々は一時商業活動を自粛し、独自に調査を進めたのですが、そこでわかったことがあります」

「……伺いましょう。なにやら、不穏な話になりそうだ」

 

 責任を感じているのか、会長の表情は暗く、恭しい雰囲気で私の言葉を受け入れていた。

 しかし、その内心が見た目通りのものであるか、わかったものではない。警戒を解かずに、私は思ったところを述べる。

 

「怪しいことに、東方会社以外の商隊には被害が出ていません。同じ日に同じ道を通過した他の商隊は、まったく襲われていない。これは明らかに、東方会社を狙い撃ちにした、どこかの誰かが画策した襲撃であるという事です。――とあるクロノワーク商人が生き残っていたのが幸いしました。それ以外の商人たちは、丸ごと食われて生き残りさえいませんでしたから。……その商人が言うには、襲撃した者たちは土着の盗賊とは思えぬほど練度が高く、一つ一つの動作が軍隊のように洗練されており、東方の言語をしゃべっていたというのです」

 

 会長の表情と顔色は変わらない。そんなことでは動揺しない、とばかりに言葉も返してくる。

 

「一商人の証言を、疑いもなくすべて信用なさるのですかな? いえ、その商人が嘘をついているというのではありません。……殺戮と略奪の衝撃が、記憶を定かならぬものにする。あげく、ありもしない事実をあったかのように話す、なんてことはよくあることです」

「敗者であれば、そうでしょう。しかし、そのクロノワーク商人は襲撃を撃退した、唯一の例なのです。――勝者の言葉を無視するほど、私も貴方も愚かではないはず」

 

 こういう時の為に、あの頭目の男を飼っていたのだ。……なんていうほど、何もかも見通していたわけではないけれど。

 偶然とはいえ、あれが襲撃に合いながらも生き延びたことが、この状況で活きている。撃退と言うにはギリギリの状況で被害は大きく、反撃らしい反撃は出来なかったらしいが――救援が来るまで生存し、積み荷を守れたなら十分勝利と言っていいだろう。

 その彼から事情を根掘り葉掘り聞きだしていたから、その事実をもって私は会長に相対できるのだね。

 

「重ねて言うならば、東方会社に所属するクロノワーク商人は、その屈強さと度胸とおいては西方一という自負があります。どんな凄惨な荒事であっても、うろたえたり妄想を抱くほど弱くはない。貴方が何と言おうと、私はわが国の商人を信じますし、何より――心当たりが、おありでしょう?」

 

 私がそう切り込むと、会長はだんまりを決め込んだ。しばし、沈黙の時が流れる。

 ……こちらの出方をうかがっている、というのもあるだろうが、調べがついていることもわかっているのだろう。自分からは口火を切れない。それくらいには後ろめたく感じており、負い目をあえて見せているというところか。

 

「嫌われ者の総督が、ドヴールに法外な税金と言うか、賄賂を要求した話は知っています。――貴方がたが、それを拒否したということも。そして、その理由付けとして、東方会社を話題に出したことも調べがついているのですよ」

 

 今の東方の権力者は、自身の野心や行動を隠すのが下手らしい。余所者がちょっと調べただけで、たやすく情報を持ってこれるのだから、相当だった。

 ここまで私が発言すれば、会長としても思うところがあるのだろう。彼なりの弁解が始まった。

 

「……こちらに責任を求められても、どうしようもありません。不毛な議論には参加しないと、あらかじめ申し上げておきます。――災難であったと、同情は致します。しかし、そこまで調べられてあるなら、我々に何を望まれるのでしょう?」

 

 弁解かと思えば、これは開き直りに近い。会長は、自分にできることはたかが知れている、とまで言い切った。

 ……だとしたら、私など門前払いすればすんだことである。明らかに、彼は私を値踏みしている。関わりたくないなら、韜晦するだけでお茶を濁すつもりなら、代役を立てても良かったというのに。

 それをせずに向かい合っているのだから、彼なりの意図があるのだろう。ドヴールの統治者にとっても、今回の件は不本意な結果であったに違いない。

 だとしても、私は彼を責める口調を緩めるつもりはないのだが。

 

「まるで他人ごとのようにおっしゃいますね、会長殿。ドヴールの商工会が、実質統治者と化している現状について。それを容認し、維持し続けている時点で、貴方がたも当事者だ。――我々が一蓮托生の身であると、ご理解していただきたいのですが?」

「モリー殿。貴方はこの街では一介の部外者に過ぎない。東方会社の代表と言えど、都市の方針に口を出す権利はなく、よって一蓮托生の身になどなりようがない。……御帰りでしたら、裏口からどうぞ。今の貴方には、敵が多いと思いますから」

「――なるほど。では、今しばし私の話を聞いていただきましょう。その上で、我々の存在を軽視されるなら、それも結構。まずは、事の起こりから説明していきましょうか」

 

 ここに至るまでの発端から語らねばならないとしたら、ちょっとした長話になるのだが、会長はそれを咎めなかった。

 つかの間ではあるが、私が主張する時間くらいはいただけるらしい。……それくらいの価値は、東方会社に認めてくれている。その事実が、私を後押ししていた。

 

「我々が襲撃を受ける以前から、その兆候はあった。始まりは、近隣の交易都市――ありていに言うなら、ドヴールが交易において競合しうる都市に、野心的な総督が赴任してきたことに始まります。彼はその都市に根を張り、社会を掌握し、近くにあったドヴールにまで影響力を伸ばしてきました。……ここの総督は、すでに骨抜きになっていることを知っていたのでしょう。そうでなくては、ここまで強気な態度は取れなかったはずです」

 

 ドヴールの立地が良すぎることと、富の集中が目に見えていることが、かえって良からぬ輩に野心を与えてしまう。――というのは、事前に想定していた通り。

 しかもこの交易都市は、防備がそこまで硬くない。無能な総督が据えられているから、政治的にも隙がある。……不穏な状況を中央政府に伝えても、ドヴールに優位な判定が返ってくるかどうかは微妙だった。

 

 当の野心的な総督が東方国家の中央にパイプを持ち、不都合な事実はもみ消せる立場にあるなら、冒険的行動を取るのは、むしろ当然とも言えた。

 ついでに付け加えるなら、個人的な実績と名声の為に、そいつ自身が政治的な成功を求めているとも聞く。そのせいで悪名も広がっているが、当人は気にした風もないという割り切りぶり。

 

 この手の危険人物に目を付けられながら、ドヴールの商工会は賄賂の要求を拒絶したのだ。

 まずは受け入れて、出方をうかがう策もあったろうに――。商工会としては、一切の妥協をしなかったのである。

 その言い訳に『東方会社』の名を持ち出されたのだから、こちらとしてはたまらない。西方交易に投資を集中したいから、その手の話はまた今度にしていただきたい――だなんて、商工会は公式に回答しやがった。

 

 そんな心にもない拒絶をされたら、件の総督も面子を傷つけられたと思うわ。意趣返しに東方会社に襲撃をかけるくらい、こちら側の倫理観なら平気でやってのける。

 海路は適当な海賊に依頼して、陸路は盗賊に偽装した総督自身の私兵を用いて、我々の商隊を狙ったのだ。

 東方会社としては、断固抗議しなければならないし、商工会には責任を追及しなくてはならない。なぜなら、この段階に至るまで、何の兆候もなかったはずはなく、情報が洩れなかったはずがないのだ。

 

 こいつらは、現状を予測できたはず。……こんな結果になるとは思わなかった、だなんて言い訳は通らない。そんな無能者の集まりが、交易都市ドヴールでやっていけるわけがないのだから。

 ドヴールの商工会にしてみれば、東方会社をかばってやる義理もない。むしろこの件を利用して、我々の価値を見定める機会にするつもりか。

 だから、私はより強い非難の目で会長を見ているのだが、当人はと言えば涼しい顔でぬけぬけと言ってのけた。

 

「良い情報網をお持ちなのですな。貴女がドヴールで触れたコミュニティの中では、そこまで詳細な話は出てこないでしょう? ――つまり、モリー殿は以前から東方とのつながりがあったと考えられます。どのような縁で得たのかは知りませんが、大切になさることですな」

 

 商工会長殿は、皮肉っぽい言い方で、こちらの感情を煽ってくる。

 何が言いたいのか、何を示唆しているのか。私には、わかっているつもりだった。だから、ここは正直にお前は無駄なことを言っているのだと、そう返してやろう。

 

「私の伝手を潰そうと考えておられる? 脅しかもしれませんが、お生憎様。こちらの情報源は、貴方の手の届く範囲にはいませんよ。……一番重要な相手は、今は西方に居ます。ミンロンと言えば、お分かりになるでしょうか」

「ミンロン……? もしや、それはゼニアルゼとクロノワークで商売をしていた、女商人のミンロンでしょうか」

「ご存じでしたか。――はい、そのミンロンです。彼女には、いろいろとお世話になりましたよ」

 

 彼女の名を出すと、会長は一瞬だけ目をむいて驚くような仕草を見せた。

 これには、仕掛けた私の方が困惑するほど、大きな成果である。内心の驚きを隠しつつ、私は会長の言動を注視する。

 

「あのミンロンが、貴女に! いやはや、意外な方の名が挙がりましたな。客家(はっか)の秘蔵子が、あちらで大成されたとは聞き及んでいましたよ。――出自すら怪しい東方の一族が、西方の王族に取り入って、今や公式補給商などやっている。私自身、顔見知りの相手ですから、上手くやったものだと感心したものです。……モリー殿はミンロン殿とは、どこまで近しい関係なのですかな?」

 

 客家、という言葉を初めて聞いたから、一瞬思考が止まる。――何の因果か、こちらの東方にも、地球の中国と同じ名の、例の一族が存在するらしい。

 驚いてばかりもいられぬから、これが思わぬ突破口になると判断し、思考を回しつつ言葉を返した。

 

「……近しいも何も、頻繁に書面でやり取りをする仲ですよ。東方の書物を翻訳して、彼女に手渡したこともありましたね。――その公式補給商に推薦したのが私である、という部分も含めれば、彼女にとって私は恩人であると言っても良いほどです」

 

 会長が私とミンロンの仲について初耳であったとしたら、まず怪しんでも仕方がないところはある。

 しかし、否定する要素もなかろう。東方会社の代表が、以前から東方商人と懇意であったとしても、それほど不自然には見えない。

 私がドヴールの文化に馴染んでいること、東方文化に通じていることくらい、これまでの私の行動を監視していれば、たやすくわかることであるはずだ。

 その事実をもって、説得力とする。――幸いにも、これは会長殿に上手く刺さったらしい。彼はいかにも悩ましいという雰囲気で、苦々しい口調で思うところを話してくれた。

 

「……ふむ。ここに赴任されるもっと以前から、客家の方に伝手があったならば、なるほど。ドヴールにこうも早く馴染めたことも、ここまで耳が早く、正確な情報を得ていても、不思議はありませんな。――あの連中は、商才に恵まれているというか、商才がなければ生き残れなかった背景があります。迫害を受けて移住を繰り返しながら、多くの地域に根を張り巡らし、商業活動を続けてきた一族。我々とて、その手の長さと耳の速さについては、完全に把握できてはいません」

 

 客家、という一族がこちらの世界にも存在することに、内心驚きつつも――そういう事情であれば、ミンロンがあそこまで商業活動に執着し、西方まで出張って来たのか。その理由についても納得がいった。

 客家は、ユダヤ人によく例えられる。余所者として迫害されつつも、資本家として、商人として高名なところはそっくりだ。時折、びっくりするような偉人を輩出することも似ている。

 

 李光耀、孫文、鄧小平など。苦汁をなめながらも、名声を得た政治家が多いことで有名な客家と、マルクスやスティグリッツといった学者系の偉人が多いユダヤ人とは、また違う部分もあるけれど――。

 異邦人ながら、迫害を受けつつも成功を続けてきた民族として、類似性は多い。そしてミンロンは、政治を理解する商人としては実に客家の出らしい資質を持ち、学識を金に換える方法を知るという意味では、ユダヤ人に通ずる部分を持つ人でもあった。

 

「まさに。彼女の伝手を利用できる私の有用性について、ようやく理解が及んだと見えますね?」

「考慮する余地が出てきた、というだけですな。……まあ、それはいいでしょう。ロッジアで直々に情報収集をしていた貴女だ。東方人の文化と価値観を知って、いち早く馴染むことができたことも、客家の入れ知恵があったからだと考えれば、それなりに納得も出来ます。――ああ、話が随分とずれてしまいましたな。続きをどうぞ」

 

 ミンロンからの支援は多少受けたものの、彼女の全貌を知っているわけではないのだが、正直に話すこともないだろう。買いかぶってくれるなら、なによりだ。

 これで、お互いに交渉をする余地が出てきた、と見ても良い。彼は、私に新たな利用価値を見出してくれた。

 会長とて、この現状は不本意なものだろう。我々が協力してドヴールの防衛力を強化できるなら、それに越したことはないはずだ。

 もっとも、協力をするには様々な前提を乗り越える必要がある。――そのための一歩を、彼らの方から踏み出してほしいと、私は思うのだ。

 

「ええ、そうしましょう。……ともあれ、野心的な総督が、ドヴールを間接的な方法で脅しにかかっている。東方会社は、そのために損害を受けてしまった。私は、貴方がたに賠償を求める権利があると思うのですが?」

「武力的な危機が迫っているというのに、内輪もめのタネをまいてどうするのです? 我々は、団結するべきだと思うのですが」

 

 私が聞きたかったのは、その言葉だった。商工会の会長が、自ら手を組むという言質を、私に与えてくれた。その事実は大きい。

 

「団結、という言葉を引き出せたのは、まことに結構なことです。やる気はあるのだ、と信じられますから。……しかし、賄賂を拒絶しておきながら、有効な解決策は特に持っていないのですね? 危険な相手が、今もドヴールを狙っている現状に変わりはないのです。現状を打破するためにも、ここは武力を用いるべき場面ですよ」

「手をこまねいているわけではありませんとも。私ども商工会の伝手で、中央の方に働きかけてもらっています。政治的にも効果が出るのはもう少し先でしょうが、当面は東方会社が矢面に立ってくださるという。――協力して、事態に当たる準備は、もうできていると考えてよろしいのでは?」

 

 細々なことをいちいち詰めなくとも、お互いに言いたいことは理解した。

 武力を用いて、私が全面で敵部隊に対抗する。

 商工会は伝手をあたって、政治的な工作で敵総督を失脚させる。

 

 分担作業で立ち向かう合意が、ここでようやく取れたことになる。言質を取った以上は、安心していいだろう。ここで商工会を敵に回したら、ものすごく厄介な事態を招いたに違いない。

 人の縁と、私自身の運に感謝しよう。これで、直接的な行動を取りやすくなった。

 

「結構です。――しかし、ミンロンの話を出してから、急に協力的になりましたね」

「正直に申せば……貴女の身柄を売る算段も立てていたのですが、やめましょう。客家は連帯感の強い一族だ。ミンロン殿の恩人、少なくともそれに近しい相手を傷つけたら、今後の商売に支障がでかねない。ならば、いっそこれを奇貨として、思い切ったことを試そうと思ったまでです」

 

 会長から感じていた、ある種の不穏な気配が消えたこと。

 そして、今は前向きな言葉が出てきて、真面目に検討する時間に入ったことは、私にとっていい流れだった。

 しかし、油断してはならない。ミンロンと会長が顔見知りだとしても、彼の存在について、私は何も聞いていなかった。

 つまり、ミンロン目線ですら、信用に値しない人物であるはず。――そうした手合いには、警戒を解くべきではない。

 

「奇貨居くべし――というわけですか。では、私と貴方の間では、今後も建設的な話し合いができると、そう思っていいのですね?」

「もちろん。――いやはや、モリー殿は私に感謝すべきですぞ。私が会長職にあったから、こうして語り合えるわけで。他の誰かか会長の椅子に座っていれば、客家への配慮など考えもしなかったことでしょう。東方会社への支援についても、迅速に行うには会長権限が必要になる。……まことに、幸運なことだと思いませんかな?」

 

 確認するために疑問を投げかけてみたが、会長はこれを快く肯定してくれる。

 同時にマウントも取りに来たが、それならそれで返し技も私は心得ていた。

 

「そうですね。同じくらい、貴方も私が東方会社の代表であったことを感謝すべきですね。――早い段階で、ドヴールの競争相手を潰してやれる。その機会を得たうえ、よそ者が自発的に武力を行使してくれるのですから! 私でなければ迅速な対応も、軍事的成功も、見込みさえ立たなかったはずです」

「ドヴール自身の武力が心もとないのは事実。――我々のために働いてくれるなら、是非もございません。作戦は、これから立てられるので?」

「行動はこちらで決めること。支援するつもりがあるなら、まずは糧食と消耗品――馬具と武具の類を供出してもらいたいですね。別に足りてないわけではないですが、そちらが協力したという事実が、私には重要なので。あと、勝った後は兵たちに報奨金も弾んでやりたい。宴会の手配を任せてもよろしいでしょうか?」

 

 それくらいのリスクは飲み込めよ。その上で、なお掛け金を積み上げる気があるなら、見返りも用意してやる。

 私は、それだけの気迫をもって会長と相対した。その意気が通じたかどうかはわからないが、彼の対応は無難なものだった。

 

「わかりました。言い訳が聞く範囲でなら、こちらも協力しましょう。……大言にふさわしい結果を、期待していますよ、モリー殿」

「では、言い訳が聞きそうな範囲で、無茶ぶりをさせていただきましょう。――そちらこそ、結果が出る前に、逸って動くことのないように。私が勝つにせよ負けるにせよ、ドヴールの特権階級には最後通牒を待つだけの時間的余裕がある。どうか、浅慮だけはなさいませんよう、お願い申し上げます」

「いずれかに全賭けするほど、度胸も強くありませんでな。……これは東方のことわざですが、賢いウサギは、巣穴に逃げ道を三つ作るものです。先人の知恵に習って、生き残る道を模索する。その努力は、いつだって欠かしたりはしません。――ともあれ、糧食と消耗品の話はわかりました。すぐに提供できると思います。勝てば宴会の費用も、負担させていただきましょう。……お約束できるのは、それくらいのことですが」

 

 会長殿は、狡猾な顔を隠さずにそう言った。

 彼は油断ならない功利主義者だが、そうであればこそ、勝敗が決まっていない今、決定的な裏切りをする可能性はまずない。

 見の態勢が許されるうちは、どちらにもいい顔をするだろう。そして私が勝てば、図々しい面で恩着せがましく見返りを求めてくるはずだ。

 見返りをもらいたいなら、ギリギリまでこちら側を支援する立場を崩すまい。そうしたそぶりを見せて、私の言葉を肯定するならば。

 少なくとも現状が悪化しない限りは、信用しても良いのだと思いたい。それだけの雰囲気を、私は感じ取っていた。ならば、今はあえて無理押しをすることもあるまいて。

 

「とりあえずは、それで充分ですとも。こちらから仕掛けられる状況が、ようやく整いましたから、まずはご安心ください。……クロノワーク騎士を敵に回すということの意味を、東方の総督に思い知らせるいい機会です。我々は、いくさで負けたことがほとんどありません。負けるにしても、必ず相手を傷物にして、『色男』にしてから前のめりに倒れてやる。それだけの気概を、クロノワーク騎士は持っているのですから」

「商工会としては、モリー殿が特別であることを祈るのみですよ。貴女が特別強くて、抜きんでた勇敢さをお持ちであると考えたい。そうでなくては、全てのクロノワーク騎士に対して、ひどく特別な対応をしなければならなくなりますから」

 

 勝った後のことを考えすぎても良くない。いかにして敵に向かって、いかに勝利するか。私が今心を砕くべきは、敵に勝つための策、あるいは戦術の構築である。

 大まかな思案はすでに固めていた。後は、現場で上手に回していけばいい。

 

 クッコ・ローセがここにいてくれたことが、今になって強力な手札となって活きてきたと思う。彼女が兵を整えてくれたから、私も無茶ができるのだ。

 私の自信を、会長も理解してくれたのだろう。リップサービスも込めて、口先では媚びるようなことも言ってくる。

 

「頼もしいことです。なにより、そこまでの覚悟をもって東方の問題に介入していただける方は、クロノワーク騎士の中でも、おそらく稀でしょう? ――もし勝利を収めることができたなら、東方会社に投資すべき理由が、一つ増えることになりますな」

「では私としても、負けられない理由が、一つ増えることになりますね。……兵の統制に関しては、ご心配なく。無思慮な行動は厳に戒めますし、あちらの出方を待ってから、殴り返す形にします。戦後は落ち度を責める形で搾り取れると思いますから、ぜひこれを機にドヴールの権益を確保してくださいな。――お互いに、持ちつ持たれつ、で行きましょう?」

 

 それから、私達は必要なすり合わせを行い、戦うための準備を整えた。

 すべてが終わった後、東方会社はドヴールへの投資を、さらに拡大せねばならぬだろう。

 償い、というのではない。迷惑をかけるのはお互いさま、という意味で、これからも上手にやっていきましょう――という意思表示の為だ。

 

 商業の為ならば、ある程度の損害は許容する。それを肯定するのがドヴールの流儀であり、ゼニアルゼもこれは変わらぬであろう。

 強かな商人たちとやり合いながら、私は私なりの利益を確保せねばならない。事後はすさまじく難しい仕事と向かい合うことになるだろうが……。

 まさに、今はそういう時代なのだ。そう思って、割り切るしかないのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 臨戦態勢を維持していること。ドヴールからの支援内容も、不足ないこと。

 そして、大義名分たり得る非常事態がせまっていることを、残らず確認した私は、ようやく行動する機会がやってきたのだと思う。

 

 クッコ・ローセは旗下の兵をまとめてくれている。私の指示に従う、忠実な兵を教育してくれたことが、まさに今の状況を作り出してくれたと言っても良い。

 クミンは万が一を考えて、色町の地下に潜んでもらっていた。彼女も個人的に人の縁を作っていることだし、何があっても生き残れる算段はつけているだろう。

 風俗街は、一種の城でもある。ドヴール内部で変事があったとしても、あそこなら時間を稼ぐくらいは容易であろう。

 何一つ心配することのない状況を確認したら、私は手持ちの札の中で、一番使いやすいものから切っていくことにした。

 すなわち、武力。東方会社への略奪行為、その物的、人的証拠を力づくで獲得しよう。

 

「私自身と、頭目殿。ここでクロノワーク騎士の実力を見せつけつつ、クロノワーク商人の屈強さもアピールする。……まずは力。単なる見せ札ではない、常駐戦力のお披露目と行きましょう」

 

 殴られたんだから、殴り返すのは当たり前のことだった。東方会社が初めて接する緊急事態。ここで臆病な態度を見せると、舐められる。一度舐められれば、ずっと格下に見られ続けてしまうのが常というもの。

 

 公平性とか倫理観とか、そうしたものが未発達な社会では、暴力こそが正義を主張する最良の手段となる。

 私は、これを躊躇わない。身内も守れぬ代表に、存在価値などあるものか。やらかしてくれたことの代償は、必ず払ってもらわねばならぬ。

 

「出陣する。クッコ・ローセには留守を任せるゆえ、当面の護衛計画は彼女に担当させる。遠征のための必要書類を関係者全員に配布し、通達を徹底させるよう伝えよ」

 

 待機していた伝令に言づけると、私はすぐに行動した。

 練兵には、私も出来る範囲で協力していたから、この土壇場で率いるにも不安はない。兵の顔もその性質も、一人一人確実にとは言わぬが、隊としてまとまった際の練度の高さは把握している。

 

 ――商隊につけていた護衛が全滅したのは、私達の担当ではなかったから。

 

 東方会社の護衛を、私個人が全て担当するのは現実的ではない。クッコ・ローセが鍛えるにしても、全ての商隊にいきわたらせる数もないし、訓練も習熟させるには時間が掛かる。

 なので、商隊が個々で既存の傭兵を雇って、護衛として用いているのが現状だった。数少ない、私とクッコ・ローセが直々に鍛え上げた連中は、襲撃を受けた者たちのリストの中には入っていなかった。

 

 つまり、敵は我々の強さを知らない。適当な傭兵を叩くつもりで、こちらに向かってきてくれるなら、撃退は容易だ。頭目に撃退された奴にしても、負けたとは思ってはおるまい。侮った奴は侮ったまま、こちらを襲ってきてくれる。

 

 もっとも、ただ撃退するだけで済ませるつもりなど、私にはない。生け捕って情報を搾り取りたいし、近場に根城があるなら攻め込んで潰してやろうとも思う――が、まずは野戦だ。

 あちらは己が優位を確信している。今はまだ、好き放題に荒らしている最中。無敵ゲームが続いている間だと、勘違いしていることだろう。我々が対策を打つにしても、もう少し先になると、楽観しているはず。

 ……そうでなくては、この襲撃頻度はありえない。おそらく、今日明日にでも商隊をドヴールから出せば、それを襲うことを躊躇う理由はないはずだ。

 油断大敵、という言葉はまさに至言である。

 軍事的優位を確信すること、戦場の霧を見通したと思い込むこと。それらすべてをひっくるめて、油断こそが軍人を殺す、もっとも大きな瑕疵となりうるのだ。

 

 

 私たちは、商隊を装ってドヴールを出立した。わかりやすく襲撃ルートをたどるようなことはしない。

 むしろ、公的にははばかられる、密輸ルートに近い、険しく見通しの悪い荒れた道を選んで進んだ。

 失敗例と同じ轍は踏まない、という姿勢を見せること。そうして、表面上の対策をしているという態度が、かえって信憑性を生むのだ。

 

 敵側は、多少の対策など正面から踏みつぶせる練度があると仮定しよう。そうした精鋭を運用しているなら、この状況で仕掛けない理由など、どこにもなかった。

 ……あちらが襲撃の為にあらゆる道を見張っていると考えるなら、むしろ攻め込ませるよう――敵を誘うような行動こそが、敵を型にハメる一手に繋がる。

 

「不謹慎ですが、久々の鉄火場を前にすると、高揚してしまいますね。――さて」

 

 東方国家は、自らが犯した失態を、どう取り繕うのだろう!

 最終的に、我々が勝つにせよ負けるにせよ、タダで済ましてやるつもりはない。

 野心的な総督とやらには、けじめを付けさせる。その意気を強く持ったまま、私は闘争に備えるのでした――。

 

 

 

 

 

 

 東方会社の護衛部隊は、たとえ正規の訓練を受けていない傭兵であったとしても、相応の装備と実績のある者たちを厳選していた。

 これを撃滅できたということは、敵は機動力と打撃力を両立する部隊――すなわち、騎兵を有していることを証明している。

 交戦経験のある、頭目商人の証言からも、これは裏付けが取れた。練度の高い騎兵を運用、維持できているということは、それだけ大きな基盤を持っていることも意味する。

 

 総督は軍権を持たないから、私兵を持っていること自体が可笑しく見えるかもしれない。

 しかし、これは正式な軍組織の運営が認められておらず、戸籍を持った住民に兵役を課す権限がない――というだけの話。

 上役の地方長官の許可さえあれば、傭兵を雇ったり私兵を囲ったりすることは許されている。非正規の軍隊を汚れ仕事に使うくらいなら、違法とまでは言えなかった。この辺りのいびつさは、この世界の東方独自の文化だろう。

 

 この東方社会では、上役の意向次第で、ある程度の無茶が通る部分がある。成文法が大きな力をもつ西方と違って、東方では権力者の都合で法が曲げられることも珍しくない。

 それでも破綻なく物事を実行できている時点で、野心的な総督殿は、組織運営と政治工作が大変上手らしい。――軍事的才能までは持ち合わせておるまいが、それは外部で補えばいいことだ。

 非公式かつ独自に組織した部隊を抱え込み、信頼できる指揮官に丸投げすればそれで済む。

 逆に言えば、現場指揮官に依存しているわけだから、これを撃破出来たら一気に事態は優勢になる。それがわかっているから、こちらとしても対策は万全を期しているのだ。

 

 騎兵は、野戦は得意でも、攻城戦はそうではない。馬を傷つけたくない彼らは、陣地を攻めたがらないものだ。

 守りに長けた兵は、騎兵のあしらい方も熟知している。もともと交易の護衛部隊として、防衛のための調練も繰り返してきたのだ。今、この場で開帳しておくのも、それはそれで政治的な意味合いを持つ。

 

 騎兵に対して、優位に戦える高い練度の護衛部隊。それを東方会社だけが、その影響を受ける職員と会員たちだけが活用できるとなれば、どうなるか。

 我々の実績を慕って、傘下に入りたがる者。媚びを売りに来るものは多くなるだろう。結果として、私個人の影響力もまた強くなる。

 

「能動的に、かつ攻撃の自由を選べる、正規訓練を受けた騎兵隊。――たかが一都市の傭兵では、一方的に敗北して当然の相手。……しかし、我々には対抗手段がある」

 

 まさに、そのために半年の調練があったのだと、私は断言できる。

 護衛すべき商隊があり、守るべき積み荷がある。これを守って、なお逆撃を与える方法といえば、一つしか思いつかない。

 先人の知恵に習ったまでだといえば、それまでだが。しかし、目的を一つにしぼれるなら、訓練はより簡略に、より精密に行うことができる。

 旗下の兵には、それが確実に可能であると、私は把握していた。なればこそ、兵も勝利を疑わずに戦いに臨めるというもの。

 

「では、参りましょう。――商隊の者たちには、私が直々に護衛につくことは、まだ伏せておくように」

 

 襲撃を受けたポイントと、これから狙われるであろうポイントは、おおよそ抑えてある。

 兵と共に、おとりとなる商隊の準備も整えた。――引っかかってくれるまでの時間は、短ければ短いほど良い。

 それだけ、敵の意図を早く潰せるのだから。我々としては、相手の損害の最大化を目指して、どこまでも努力するつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵がどの地点で、商隊に目を付けるのか。要するに哨兵をどこに置いているかが問題であるが、そこはそれ、相手の気持ちになって考えればいい。

 ――敵部隊が騎兵で構成されていると予測できたなら、まず一撃を入れるにも離脱するにも都合のいい地形を見繕っているはず。

 

 障害物の少ない、開けた平野部などは、特に警戒する必要があるだろう。

 もっとも、そうした場所は攻めやすさゆえにこちらの油断を誘えない。あくまで偵察に留めて、襲撃自体はもう少しわかりにくい所――。

 例えば遮蔽の多い森の中道や、人の手が入って、ある程度拡張されている山道など。地元民と地元の馬でなければ、とても仕掛けられたものではない地形で、仕掛けてくると見るべき。

 

 ……そうした道は、よく密輸にも使われる。正規ルートでの襲撃を終えたばかりであれば、こういう裏道を継ぐに狙いたくなるものだ。私はそう考えたし、結果としてこの予想は正しかった。

 

「引っかからなかったら、その時はその時だと思っていましたが」

 

 試行錯誤の手間が省けたと思えば、初回で釣れたのは結構なことである。

 『積み荷』を乗せて、商隊に偽装した部隊を私は率いている。あちらは素人と護衛の集団を襲うつもりだろうが、こちらは全員が職業軍人だという事実。

 それを悟られるときには、すでに決定的な状況になっているだろう。――それを期待して、ギリギリまで我慢しよう。

 すでに不審な人影は捉えている。偵察されているという感覚は、私に確信を与えてくれた。

 

 敵の部隊については、騎兵が主として存在していることと、高い練度を持っていること。

 わかっているのはそれくらいなのだが、それと同様に留意すべきは、高地の存在だ。見下ろすにも身を隠すにも、そして突撃の衝撃力を高める上でも、これが重要になってくる。

 

 敵の大きさを、我々は測れない。しかしそれは相手も同じ。初見での驚きを誘えるこちらの方が、やや有利と見ていいだろう。

 一手の優位を、覆せないほどの成果に持っていくのだ。その時を、私はひたすらに待った。

 兵たちもまた、よく従ってくれた。十分すぎるほどに教育してくれたクッコ・ローセに、心の中で感謝を繰り返して――ようやく、その時が来た。

 

「大休止! 馬を止めよ」

 

 山地の合間の、落ちくぼんだ広い空間。高所から駆け降りることができて、短い草だけが生え樹木がなく、馬を遮るものは『お互いだけ』という環境。

 いかにも山に慣れない素人が、疲労を一時抑えるために休養する。そうした姿勢を見せたくなる状況だけが、都合よくそろっていた。

 

 そして、我々は実際に足を止めている。馬車を寄せて天幕を張る用意もした。複数張った天幕の中と馬車の陰で、どんな準備をしているのか、あちらには見えづらいことだろう。

 ……日が高いうちから休む姿勢を見せるのは、いささか不可解に映るかもしれないが、優位を確信している相手はむしろこちらを侮る理由になる。

 ここまで隙を見せてやれば、攻めよせてこない方がおかしい、と言うものであった。

 

「各小隊長は、手はず通りに動いていまずね。――流石ですよ、クッコ・ローセ」

 

 隙を見せたように装いながら、馬車と天幕を遮蔽とし、積み荷として載せていた木製の大楯と鉄の鎖をもって陣地を手早く構築する。

 一見すると野営の準備にしか見えないように、贅沢して手間をかけているように見せかける訓練を重ねているから、不信感は最小限にできるだろう。

 

 とはいえ、この作業の間に殴られたら目も当てられないことになるから、半ば以上は賭けだったが――。どうやら、賭けには勝てたらしい。敵が成功体験に酔っていて、慢心する余地が残っていたせいだろうか。

 もし敵がこちらの隙を待つのではなく、全滅させるための包囲を敷くこともなく、ただただ速攻を心掛けていたら、私は一か八かで乱戦を狙って暴れまわる以外に手段はなかった。

 

 もっとも、こちらは相手の手口を知っている。速攻せずに機会を待ち、根こそぎにするやり方で、連中は徹底した略奪を行っていたのだとわかっている。味を占めたものが、たやすくは手段を変えないことも。

 ……犠牲になった人たちに、哀悼と感謝を。まさに、私は彼らが負債を先払いしていてくれたからこそ、ここで勝てるのだと、そう思うから。

 

「来るだろう来るだろうと、ぞわぞわした感覚が背中を這うばかりでしたが。――この音と振動は、間違いない」

 

 足を止めた瞬間から、こちらは馬車の陰に隠れながら作業を行っていた。高地からも、なにやらせわしなく動いている様子くらいは見れたろう。

 それでも、まさか即席の陣地作成を行っているとは想像していないはずだ。――馬が掛けてくる音が聞こえてきたから、なおさらに確信する。

 

「地の利はあちらにある。ここは窪地であり、駆け降りれば速度が上がって衝撃力は比類なきものとなるでしょう。……我々に逃げ場はない」

 

 それを知っているから、敵は勇敢に挑める。ただ無心に突っ込むという、贅沢な行動を選択できるのだ。

 うらやましいと思うよ。そんな贅沢、私は一度だって堪能したことはないというのに。

 

「そして、一度速度の乗った騎兵は容易に止まらず、対象を蹂躙する。熟練の騎兵であれば、柔い障害物は一息に粉砕される。……ただの馬車であれば、ひとたまりもないのでしょうが」

 

 騎兵の突撃は恐ろしい。本当の本当に恐ろしいものなのだと、経験者である私は知っている。

 火器が十分に機能しない時代、砲兵が機能していない戦場において、機動力と質量が伴った騎兵突撃は、野戦で一方的に戦果を拡大できる存在であると私は認める。

 

 そう、野戦では。お互いに裸同士でぶつかり合う野戦に限れば、騎兵は荒ぶる神に等しく、卑賎な歩兵は首を垂れて慈悲を請うしかあるまい。

 だが、これが攻城戦であればどうだろう。――即席とはいえ、構築済みの陣地に突撃したら、騎兵がどうなるか。

 

「いつ聞いても、ひどい音ですね。――馬体が倒れる音響と言うものは、どうしてこう耳に響くのでしょう」

 

 質量と機動力は、そのまま跳ね返って自滅する。わかっていたことだった。

 馬車を引き裂いて、天幕を破って。鉄鎖と大楯に守られた陣地が、矢と長槍で騎兵をお迎えする。

 そのまま障害にぶつかった騎兵は、三つに分かれた。油断によって打ち倒されるものと、倒れた仲間の合間を縫って、逃亡を即座に選ぶもの。

 そして哀れにも、馬を御せず、かといって即座に死ぬことも出来ず。負傷したまま、こちらに捕らわれるもの。控えめに言っても、彼らの未来は明るくない。

 馬は鼻骨から頭蓋を砕くような衝撃で失神しているものすらあり、騎兵は転げ落ちて意識を手放すか、身体を投げ出して無防備になったものも多い。

 いずれにせよ、陣地で伏せていた兵の餌食になるのが定めよ。

 

「良し良し、生け捕りにできるならした方が利益は大きい。身代金も情報も、多ければ多いほどいいのですからね」

 

 馬に跨って高所から駆け降りる時は、どうしても視野が狭まる。

 目に映ったものを頭が処理するより先に、馬の速度が風景を単純化させ、戦場の緊張がさらに思考へのノイズを作る。

 それを抑えて冷静になってこそ熟練騎兵と言えるのだが、油断大敵! 練度がどんなに高くとも、勝利を重ねれば緩みは避けられない。

 

 一瞬のゆるみも、その一瞬が死の瞬間に繋がって染めば、反省の暇すらない。この場合、目端の利くものが少数居たとしても、混乱が大きければ大勢に飲まれてしまうのが悲しい所だった。

 

「逃げるものは逃がしていいし、復讐戦を望むにしても、一旦は仕切り直すのが道理。後は流れ作業も良い所ですね。……あちらさんの緩みに付け込む形になりましたが、これまた運命と思って受け入れていただきたいところ」

 

 ここまでは、私でなくともできたことである。たとえば、クッコ・ローセに指揮を任せて、私は東方会社のオフィスで書類仕事をしていても、戦果そのものは変わらなかったろう。

 だから、私は証明せねばならない。ここまで出張ってきた以上、私でなけば得られなかったであろう成果をもって、犯した危険に見合うだけのものを持ち帰らねばならぬ。

 

「尋問の技術はザラに劣りますが、捕虜の扱い自体はクロノワークでも屈指である自信はあります。――久々に、本気で情報を抜きにかかりましょうか」

 

 どれだけ時間が掛かったとしても、流れ作業であれば疲労は少ない。油断をするような間抜けでもないつもりだから、最後まで警戒は怠らなかった。

 しかし、本当に疲れたのは最前線で体を張った部下たちだろう。ねぎらう意味でも、給金は奮発せねばなるまい。ボーナスも期待してくれていいよ。

 ドヴールは物資が充実しているから、消費の拡大は事業的にも望むところだからね。交易が活発になる要因になるなら、それくらいの出費は受け入れるものだ。

 一夜の宴会を行う余裕くらいは、何が何でも捻出してやろう。それくらいの手柄を兵たちは立てたし、商工会も否とは言うまい。

 

 事後のことまで考える余裕がある。そんな幸せな戦場にいることを自覚しながら、私はひたすらに思考を回していた。

 軍事的な優位を、政治的な優位に持ち込むこと。東方会社の代表として、まずはその点を考慮に入れないわけにはいかないのだ。

 ここでは、ひたすらに悪辣にふるまっていい。舐められないためにも、東方会社の名声の為にも、これは必須のことであると、私はわきまえているのだよ――。

 

 

 

 

 

 

 

 勝利の後は、いつだって面倒な義務を果たさねばならい。勝ったからには勝者の責任と言うものも生まれるわけで、下手な譲歩は誰の為にもならないから、落としどころを探るにも苦労したりするんだ。

 東方国家との関係がどうでもいいなら、一方的にふんだくってやるんだけど、それではドヴールの交易都市としての外聞が悪くなるだろう。とはいえ、交渉はもう少し先になる。時間的余裕があるうちに、諸事は済ませておきたいところだ。

 

 戦後処理は現場での確認も必要だから、私も直々に軍馬や馬車の調子を見たり、備品の状態を改めたりと、そこかしこを見回っている。勝った後だからこそ、気を引き締めねばならないと、わきまえているからこそ、ここは手を抜かない。

 

 で、捕虜に対するアレコレとか敵側の総督への責任追及とか。これからの調略に必要な事務仕事も私はこなしながら、クッコ・ローセと向き合う時間も作っておく。

 一番重要な初戦は終わったし、事後の処理もとりあえずは一区切りついたんだから、それくらいは許されるだろう――って、私は楽観していたんです。

 

「色々忙しいのはわかるが、戦場で敵を倒せばいいだけの仕事ではあるまい。勝ったからと言って、ここで気を抜くなんて。お前らしくもないぞ、モリー」

「と、言いますと?」

 

 書類を整理した後は、捕虜の扱いも含めてクッコ・ローセと話し合うことはあった。今の今まで気を抜いた態度は見せていないはずだが、彼女はどこに引っかかったのだろう?

 

「まあ、お前を補佐するのが私の領分でもあるから、いいんだがね。……ドヴールの商工会はともかく、傭兵同士のコミュニティの中では、今回の争いが根深いものだという話が出ている。お前もお前なりに分析はしているんだろうが、勝った今こそ素早く動くべきだぞ」

 

 私のために時間を使ってくれるのは嬉しいが、妻は夫が大成することを望むものだ――なんて、クッコ・ローセは言いました。

 

「根深いのはわかっています。だから、戦って捕虜をとってと、色々工作しているのではないですか」

「そうだな、言い方が悪かったか。――どうにも、私に見えて、お前には見えないものがあるらしい。政治も結構だが、末端の兵士にも目を向けてやれ。私の部下には、東方出身の連中が結構いる。そちらからの情報だから、すぐにお前が気付かなかったのも仕方ないが――」

 

 以前の私なら、ただの嗅覚でそれを嗅ぎ付け、すぐさま対応を考えただろう、とまでクッコ・ローセは言った。

 そこまで熟知されていることに喜びながらも、至らなさを自覚させられて、気恥ずかしくもある。いずれにせよ、よくできた妻の采配に、脱帽するほかないというのが本音だった。

 

「お手数をかけまして、申し訳ありません。埋め合わせは必ず。……それで、それがどう話に繋がるのでしょう?」

「あわてるなよ。良い人は兵にならないというが、貧民たちに選択肢などない。手っ取り早く食える身分を求めるなら、外資企業の兵卒と言う職業は、悪くないものだよ。給料の未払いが起こることもないし、衣食住の面倒も見てもらえるんだからな」

 

 まるで、東方社会では給料の未払いが当然で、兵は略奪が唯一の楽しみであるような言い方をするのだね。まあ、あながち間違いでもないんだろうけど。

 兵は凶器なり、争いは逆徳なり――っていうし、そうしたある種の人間に対しては、東方社会が差別的な扱いをしていたとしても、特に驚きはない。

 それでも彼女が言うからには意味があるのだろう。クッコ・ローセはそんな前置きしてから、本題に入った。

 

「私自身意外に思ったんだが、兵卒どもは東方生まれでありながら、西方人の企業に思ったより懐いている。私もいい加減、兵どもから慕われている自覚も持てるようになったが、これ自体異常だぞ。ゼニアルゼやソクオチの連中だって、もっと根性があった。――根深いというのは、東方では民衆が国家と言うものをまったく信用していないことだ。権力に対する不信が、西方以上に根強くはびこっている。そんな感じがする」

「ああ、問題と言うのはそれですか。……まあ、苛政は虎より恐ろしい、なんて逸話があるくらいですから、それが東方の常識と言うものでしょう。しかし貴女の直感は、そんな表面的なものを捕えているわけではない。そうですね?」

 

 私の視線は、政治面に偏ってきている。いわば名士層に毒されてきているきらいはあるので、そこをクッコ・ローセが矯正してくれるなら、こちらからお願いしたいくらいだった。

 

「ドヴールの総督は存在感のない空気のようなものだから、まだマシだが。おそらく仕掛けてきたであろう、件の敵側の総督についての評判がすこぶる悪い。風評という奴かな? ――事情を知っている我々が公言していないにもかかわらず、すでに疑いの目が向けられているぞ。……兵どもだけではない。おそらくは、下層の住民たちの間でも『あっちから仕掛けてきたな』という認識で一致してきている」

「敵愾心を共有できたなら、連帯感もまた強まる。悪くない展開に思えますが?」

「そうでもない。……敵対都市への敵愾心が強くなりすぎれば、復讐心もまた苛烈になる。地理的に近すぎるし、住み分けられるようないい土地が近隣にはない。勝ちすぎれば調子に乗って、武力による冒険的行為――身もふたもなく言えば、武力侵攻を兵どもや住民の方が望むかもしれん。東方会社が実質的な領主になることを、ドヴールを含むこの地方が容認する可能性。それを真剣に考える時期が来たのかもしれんぞ」

 

 私などにはわからないが、お前にとっては頭の痛くなるような課題じゃないか――だなんて。

 クッコ・ローセは気軽に言いました。――ぶっちゃた話、想定していた事態ではあるんで、対策自体はないではないんだけど。

 

「周辺地域一帯を、我々が占領して実質的な西方の植民地になる。それをドヴールが自ら望むとは思えませんが?」

「一方的な収奪を望むお前じゃないだろう? ……わずかな期間だが、お前は東方社会に馴染む努力をしてきたし、実績も積んでいる。今回に関しては、武名も上乗せされた。名分さえあれば、武力の行使も正当化できる。ドヴールの商工会は、思ったより有能だぞ。――ほれ」

 

 無造作にも、クッコ・ローセは一枚の書状を私に見せた。東方の言語で書かれたそれは、読み解いてみると、私をドヴール総督直属の部隊指揮官に任命すること。

 さらには総督の指示にしたがって、不謹慎な行為に及んだ総督を懲罰すること。その正当性を認める旨が書かれていた。

 

「書類は、正式な書式にのっとっている。間違いなく、東方国家の中央政府が認めたもの……! 総督の指示とはいっても、ドヴールの内情は商工会が支配しているも同然でしょう? つまり、これは私が商工会公認の武力装置になったことを意味するわけで――」

「出し抜かれたな? まあ、お前の力にも限界があるし、ものは考えようだ。――共犯者として、ドヴールの商工会は不足のない相手だ。ここまで政治的に動いてもらって、成果を出してくれている。後は、私達が勝てばいいだけのことだよ。武力を握っているのはこちらだから、商工会への発言力も強くなるだろうさ」

 

 簡単に言ってくれるが、否定すべき要素もなかった。

 苦笑して、受け入れる。それくらいの度量を見せてこそ、東方会社の代表として、貫目を示せるというものだ。

 

「とりあえず、勝つ算段はそれなりに立てているつもりです。クッコ・ローセ、最後まで付き合ってくれますね?」

「いちいち聞くなよ。――ここにいないザラやメイルだって、お前と共に心中する覚悟くらいは決めてるに違いないんだ。手段を選ばず、好きにやれ。どこまでも、私達はモリーと一緒だ」

 

 勝たねばならぬ理由が増えて、当たり前のように幸福を実感した私は、確信を持って行動する。

 名目も大義名分もそろったなら、ただ勝つだけだ。世界はどこまでも酷薄で、力こそが正義を担保する唯一の法であると、今さらのように実感する。

 ここで勝ち切れたなら、東方会社は武名と名声の両方を獲得し、大手を振って東方社会を席巻できるようになる。

 好機であることに違いはなく、上手に活かせたならば、我が家の安泰を得るどころか、クロノワークの国威の上昇すら狙えるだろう。

 

 思ったよりも大事となったが、降ってわいたチャンスをフイにするつもりは毛頭なかった。

 こうして、私モリーは東方社会での地位を確立し、東方会社の代表として、実績を積み重ねていくのでした。

 それが後年、どれほどの影響を残すことになるのか。この時点では、じっくりと予測するだけの余裕すら、なかったのでありました――。

 

 




 今回に限りませんが、私の作品内での戦術については、あんまり真面目に受け取らないでください。
 なんか、わちゃわちゃしている間に勝ちました。それくらいの認識でいてくれたら、それで十分だと思います。

 ……戦闘描写は、本当に苦手です。次の作品では、もっとまともな書き方ができるようになりたい。

 そんな益体もないことを考えながらも、物語は続いていきます。
 今少し、付き合っていただければ幸いです。では、また。



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東方で名声を得つつ権力に繋がっていくお話


 ものすごい雑にまとめにかかっているので、展開が粗だらけになっているのではないかと、結構不安に思っていたりします。

 そうした雑さを自覚するだけに、ここまで付き合ってくれている読者の皆様方には、感謝しかありません。

 後二話くらいで完結させられたらいいなぁ、なんて思いつつ。
 今回も無駄に冗長なお話になっておりますので、時間があるときの暇つぶしにどうぞ。



 殴りに行くと決めたら、やるべきことは数多い。常在戦場の心意気のまま、やる気を仕事につぎ込んで、物資と人員の補充と防備の構築に日々をと費やした。

 商工会に良いように使われているのではないか、なんて疑問もあるけれど――とにかく、今は武力装置になることは受け入れよう。

 この戦いで完全な勝利を手に入れない限り、我々に明るい未来はやってこないと信ずるゆえに。

 

 ドヴールの商工会は、独自の伝手があるのだから、これを総動員してさらに敵総督を追い詰めていくだろう。

 詳細は私にまで伝わってこないが、彼が追い詰められればそれは行動に出る。こちらはその行動を分析して、対応していけばいい。

 

 私も私で、早々に部隊を再編成し、敵総督の元へ殴り込みをかける準備を積み上げていた。

 砲兵の育成も間に合ったので、その気になれば攻城戦だってやれなくはないのだが――。正直、脅しの手段として温存しておきたいところではある。あれ、維持はもちろん運用にも大きなコストが掛かるので。

 

 攻勢の為の部隊は出来上がったし、ドヴールの防衛は出来る限り固めた。東方の中央政府への書状はまた作成途中だけど、これは書式以上に慣例が(皇帝の名と同じ字は避けねばならないし、代用する文字についても決まりがある)面倒臭くて、調べるのに時間が掛かっているからで、こちらは近日中にどうにかなる当てがあるわけだけど。

 ここに至っても、殴り込みに行くことを躊躇う理由があった。

 

 名分があるからと言っても、それでも敵総督の都市にまで攻め入ってヒャッハーすることは許されない、という事情がある。

 野戦なら被害も限定的だが、攻城戦となると色々なものが犠牲になるものだ。東方国家の威信にかかわる事態にもなりかねないし、私だってこれには配慮が必要なことくらいわかる。

 

 そもそもの問題として、我々に課せられたのは懲罰であって、殺害でも略奪でもないんですね。――この辺りがまた、東方政治の複雑なところよ。

 敵総督を殴りつける許可はもらったが、それ以外のアレコレまで好きにしていいとまでは言われていない。争いは当事者同士で治めるようにと、言外に示されている気がするのですね。

 

「征伐じゃなくて懲罰ってところがまた、アレなんですよ。要するにこれ、やらかした総督を捕えて護送しろってことで。――そのためなら軍隊の動員も正当化されるわけですけど、どんな殴り方をしてもいい、という意味じゃない。都市に被害が及ばない範囲で、『穏便な武力行使』しか認められていないのですね」

 

 周囲の環境を激変させるような軍事行動は、東方国家にとって歓迎できない行為であるはずだ。一日で終わるような野戦は、ギリギリ許容するにしても、騒ぎを大きくすべきではない。

 ここを失敗したから、敵総督はドヴールの商工会に政治的敗北を喫し、こちらに反撃の名目を与えてしまったと言える。

 敵と同じ轍を踏む気はない。……私の方が失態を犯して、あの会長殿に弱みを握られる、なんてことは絶対に避けたかった。

 

 私は諸々の背景を理解したうえで、適切に軍事力を用いねばならない。これが出来ねば、東方国家は我が社を異分子として排除しに来るだろう。

 こちらへの非難を避けたうえで、明確な勝利を求めるならば――よほどスマートな手段を選ばねばならず、これには前提としていくつもの条件を満たさねばならぬ。

 強制的に難易度を上げられて、さらに縛りプレイを強制されているようなものだが――政争ゲームに巻き込まれたと思えば、これくらいは当然の条件であると私は理解していた。

 

「降伏勧告を受け入れてくれたなら楽なんですが、あちらも素直に負けを認めるほど、往生際は良くないでしょう。今頃全力で逃亡を図るか、政治的な巻き返しを狙っているはずです」

「頼れる常駐戦力を失ったわけですからね。ただちに報復しては来ない、と。……だったら、好機ですよね。なおさら急がなきゃならないのでは? どうしてモリーさんは、準備を整えるだけで済ませてるんです? ――武力こそは、正義を示す一番手っ取り早い手段でしょうに」

 

 クミンは、状況が安定したと判断して、私の家に戻ってきていた。

 彼女の仕事は風俗関係(情報関係はそのついでのはず)だから、その気になれば転がり込む先はいくらでもある。彼女が危険性がないと判断して帰ってきたのだから、まずはそちらの報告を聞きたいくらいなのだが――。

 とりあえず、彼女は私にダメ出しをしたいらしい。幹部教育を受けているだけあって、その見解はそれなりに筋が通っていると思う。

 

「速攻ができる状況ではありません。敵総督は都市の城塞で守られており、これを打破するのは難しい。我々は無敵ではないし、武力には限界もあります。……力が正義になるのではなく、正義が力によって示される場合が多いだけであると、私などは主張したいのですね」

「どっちでも大して変わりはしませんよ。だから名分を作ることにこだわるより、一息に全てをやりとげて、それから取り繕う手段を取った方が、かえって事は簡単に済むと思うんですよね。――城壁に砲を一発ぶち込めば、それだけで脅しになるでしょう? まずは殴ってから交渉する。優位に立つには、それが一番では?」

 

 クミンの疑問は妥当なものだろう。私も本心では否定しきれない意見であるから、言葉を選んで反論する必要があった。

 

「政治的な配慮はもちろんですが、下手に殴りつけると今後の商売に差しさわりもありますので……。都合のいい状況が整うのを待っているというか、敵が隙を見せるのを待っているといいますか。……詳しい部分は軍事機密に関わりますから、身内にも明かしたくない事情があるのですよ」

「言い訳は結構。それで、続きは? ちゃんと話してくれないと、こちらも手助けがしづらいではありませんか」

 

 クミン自身、ドヴールの中の『小さな城』で影響力を持っている。立場上は私の妻でもあるが、無条件の協力を求められるほど、弱い存在でもない。

 知りたい、教えろ――と求められれば、最大限の譲歩をすべき相手でもあった。彼女がそこまで食い下がるのだから、背後には相応の理由があるはずである。

 シルビア妃殿下への配慮を思うなら、ここで情報の開示を渋るのもよろしくない。話せるギリギリまで話して、力を貸してもらう算段を立てようと私は思う。

 

「あえて、そう望まれるならば、是非もございませんが。……楽しんでいますね? クミン。手助けはありがたいのですが、余計なことまで首を突っ込んでおりませんか? ちょっと不安になってきましたよ」

「余計なこと、の定義によりますね。――それはそれとして、家の中まで仕事を持ち込まないでもいいでしょうに。そこまで切羽詰まった時期は過ぎた。私は、そう認識していますけれど」

 

 クミンは楽観的だが、内応者がいないとは限らないし、商工会だって信用するのは難しい相手だ。

 特に政治工作は、ドヴール側に露見させない方がいい。あちらには中央政府に伝手があって、私にはない――という状況が、いずれ致命的な事態を招くかもしれぬ。

 それを思うなら、今からでも布石は打っておくべきだった。私が今、自宅にて書類を作成しているのも、そういう事情からである。

 

「東方に来て半年にもなりますよね? ……文化も政治も、おおまかな部分については理解が及んだと思います。その上で、先ほどの疑問に答えるなら――敵側の面子に配慮するため、というのが大きいですね。あちらから仕掛けてきたこととはいえ、強引に我々が東方の都市を蹂躙しては、悪名と共に信用も失います。大っぴらに攻城戦を仕掛けて、戦争の形をとってしまうと『西方対東方』の図式になりかねない。――あくまでも武力は脅しの手段に留め、懲罰の段階を踏む。できれば、あちらから降伏させるか、最低限の犠牲に留めるのが最善なわけです」

「あくまでも、その最善の形を求めておられる、と。……モリーさんは、敵を限定したいのですね。敵総督一人を除ける状況が整えられるなら、その方がいいとおっしゃられる」

「理想を言うなら、そうなりますね。あちらの総督が失脚すれば、それで済む話なのです。今回の件を大々的に宣伝しつつ、相手の失態と蛮行を政治的に利用する。彼は中央にパイプがあるはずなのですが、かえってそれが自らを追い詰めることになるでしょうね」

 

 敵総督はもう退くに退けない所まで来ているだろうが、その上役は別である。失敗した不出来な部下を切り捨てて、自身の派閥を維持するという手段が取れるはずだ。

 あちらから詫びを入れさせて、速やかに護送が叶うならば、私としても敵に対して恩情も与えられよう。

 これまで通りの商売をさせてもらえるなら、黙って納税しようじゃないか。お互いに妥協できる範囲としても、妥当なところではあるまいか。

 さすれば私はこれ以上軍事行動を取らずに済むし、東方国家としても、波風を立てずに物事を穏便に終わらせることができる。

 八方丸く収まるのではないか――と。そうやって私個人の願望を述べて見せると、クミンは呆れたような口調で返してきた。

 

「戦わずして勝つのが最上、でしたか? こちらの国の兵法書ってやつに、そう書いてあるんでしたっけ。理想論に過ぎると思いますね、私は。軍属でない身で言うのもアレですが――軍隊は、敵を殺すためにあります。戦いを避けては、敵を弱らせて、こちらの言い分を飲ませることができない。名分とメンツにこだわるあまり、迷走してはいませんか?」

 

 敵戦闘能力の撃滅こそが、軍隊の存在意義である。だから、戦いを避ける選択は誤りだ――とクミンは主張する。

 ザラも以前、同じようなことを言ってたなあ、なんて。私は暢気にもそう思ってしまった。

 実際、彼女の言葉は間違ってない。クミンが教養を深めていることも意外だったが、意見が正しいものであるからには、無視することもできなかった。

 書類を作る手を止めて、彼女と向かい合う。

 

「意外なところで、クミンとザラは似ていますね。近しいことを、かつて彼女も言ったものです」

「茶化さないでください。……というか、この場であの人の名を出すのは卑怯でしょう? 今、ここにいるのは私だけです。私を、見てください」

 

 非礼とわかって、口にしてのは私の方だ。それを咎められれば、素直に詫びるのが道理である。

 

「失礼しました。――本音を言うなら、迷走しているつもりはないです。私はまだ相手方の総督に勝ってはいませんが、追い詰めてはいる。工作に時間を割くことで、敵に余裕を与えているように見えるでしょうが、これは必要経費とでも言うべきものです」

 

 手元の書状を書き上げると、これをまとめて封をする。念のため、文面の修正に有識者の意見が欲しいので、これはミンロンの伝手を頼ろう。そうして見直して、問題がなければ伝令を走らせればよい。

 出すところに出せば、それなりの反応が返ってくるだろうと、私は期待した。――ダメならダメで、正攻法で殴り合うのみ。別段損はしない。

 

「これも政治工作の一環として、ミンロンさんの伝手を使って、書状を中央政府の方に送ります。すぐに物事が解決するわけではありませんが、戦後処理に役立つ可能性がちょっとは期待できる――と思うので。……彼女に頼りっぱなしで、申し訳ないくらいですよ。西方に帰ったら、明確な実利で応えてあげなくては、信義にもとるというものです」

「ミンロンとか、私には関係ないので捨て置くとしまして。……中央政府のどなたに、どんな書状を送るのでしょう。詳しく聞きたいですねぇ」

「クミンには敵いません。――他言無用で、お願いしますよ」

 

 漏らす相手は選べ、と私はクミンに釘を刺した。他言無用、というのは身内以外に漏らすな、という意味である。

 彼女ならば、それくらいは理解する。ドヴールで出来た身内に対して、情報的な優位が必要になることもあるだろう。

 風俗街で一勢力を担う覚悟があるのなら、私さえも利用して見せるがいいのだ。それがお互いの利益になるうちは、黙認しようと思う。

 

「敵側の総督は、いわゆる東方における辺境領の派閥に属しています。これとは、別派閥の大物――。要するに、東方国家の中枢を取り仕切っている宰相殿へ、この書状を送ります。書状の内容について、端的に述べるなら――『東方会社が懲罰を兼ねて、宰相殿に個人的に引き渡します。貴方が望むままに処分して、政治的に利用してやってください』と。……まあ、そんな感じの文章を東方の書式に則って作りました。これが通用するかどうかは、まだ未知数ではありますがね」

 

 辺境と中央は当然のように仲が悪いものだから、今回の件は良い得点稼ぎになると思う。

 未知数なのは、利用するのが初めてなのこともあって、きちんと伝手が機能してくれるかどうか、わからないからだ。

 とはいえ、行為自体は非常に価値があると思う。なにしろ、西方の騎士が自らへりくだった表現を用いて、東方国家に書状を送ることなど、これが史上初のこと。

 宰相殿に政治センスがあるならば、書状をあえて丁重に扱うことで、私を西方への窓口に使おうとするだろう。それに応えるのも、やぶさかではないと思う。

 

 そしてこれには別の意味もあって――これまた、東方独自の文化だが。

 敵対派閥の長に対して、直属の部下を厳しくやりこめることで、強い警告を与えるという権謀術数が存在する。

 この場合、中央政府が敵総督を懲罰の対象することで、辺境閥に『好き勝手は許さん。場合によっては手段を選ばず潰してやるぞ』というメッセージを伝えることになるね。

 

 で、これに懲りたら妥協して、こっちのやり方に合わせろ――とほのめかすわけだ。この警告を無視するか受け入れるかは、宰相殿の話のもっていき方によるだろう。

 いずれにせよ、彼は政治的なカードを手に入れることができる。私はそれを提供して、東方会社は中央政府と協力していける旨を伝えられる。

 ここまで私はクミンに説明すると、彼女なりに理解は示したが、疑問が色々とあるらしい。

 

「引き渡す? 事前に受けた要請に従うなら、どこにどう護送するか、そこは東方なりの規定にそって、司法機関にこそ引き渡すべきでしょう。これを曲げて直接宰相殿に話を持っていくのは、怖くないですか?」

「クミンさんの疑問ももっともですが……真面目に守るよりかはある程度曲解して、『より多くの人の為になる』選択肢を、私は選びたいのですよ。ドヴール商工会の意向に従って、司法の規定に従うのも一手ではありますが、私は我が家と母国の利益になる道を行きたい」

 

 敵総督を首尾よく捕らえたなら、東方会社が責任をもって護送する。手順さえ踏めば、懲罰の要請からも逸脱した行為にはならないはずだ。

 そのために必要なことは全部やるし、賄賂も書面も用意しよう。――ただ、敵総督を手元において、引き渡す相手を決める権限だけは、絶対に確保する。

 

 書状が正しく効力を発揮すれば、宰相殿の元へ送り届けることも難しくあるまい。発揮しなかったとしても、最後の最後で司法機関にぶん投げればいい。不格好な形になるが、いずれにせよ損はしないだろう。

 

「まあ、最終的には司法機関に引き渡すことになるでしょうね。ただ、宰相殿の手は司法にも及んでいるはずなので、私はこれを利用したいと思うのです。――難しい仕事になりますが、挑戦するだけの価値はあると判断した。これは、そういう話なのです」

 

 どの道を行くにせよ、主導権だけは最後まで握りしめるべきだ。ここまであちらに主導権を握られては、東方会社そのものがドヴールに従属することになってしまう。

 商業的にも政治的にも、私達は自由こそを望む。貸しを作るのは良いが、借りを作ることだけは、絶対にしたくなかった。そのためならば、後ろ暗い手段もあえて取ろうと思うのですね。

 

「モリーさんって、もうちょっと清廉な方だと思っていましたけど。結構腹黒いんですね。……元からですか? それとも、東方に来たから?」

「さて。私は必要だと思ったことをやっているだけなので。あんまり、自覚はないですかね? そこらへんは、クッコ・ローセに聞いた方が正確な答えが返ってくると思います。……まあ、今重要なのは私ではなく、争いを決着させる方法と、その戦後処理についてです。書類と格闘するだけでも、戦場で敵を屠るだけでも終わらない。――政治とは、面倒極まりないもの。東方会社の代表ともなれば、そこから逃げることも出来ません。厄介なものですよ、まったく」

 

 正規の書類と謀略用の後ろ暗い書類、それらを整理しながら私は言った。本当に、自宅にまでこんな仕事を持ち込まねばならぬとは、会社の代表と言うのも因果な職業である。

 とはいえ、勝つための算段は立てているし、勝った後どうするかの見通しもある。

 

 引き渡された敵総督がどう処分されるか。それは私の知ったことではないが、この作業を通じて私は東方国家の中枢にコネを作る。

 宰相殿との直接的なつながりができれば最良だが、そこまでいかずとも、直通の連絡相手ができたならば、中央政府への確実なパイプが作られることになる。

 権力に直結する人脈あれば、その権威が私個人の武名と繋がって、東方会社も恩恵を享受することができるだろう。

 

 少なくとも、野にいる盗賊・海賊どもは東方会社を避けて通るようになるはず。ドヴールの商工会も、私を出し抜くことは難しくなる。

 そうやって一目置かれる立場を確保できたなら、さらなる利益のために権勢の確保すら視野に入ってくるだろう。

 将来的には、商工会の権益を犯すことさえ可能になるのではないか。

 

 史実における東インド会社のように、東方社会に根を張って、多くの人民を統治し、その生活に責任を持つ立場にさえ、なれるかもしれない。

 東方国家に新たな需要を作り、西方の商品を売りつける市場を生み出すこと。極めて重要なそれを東方会社が得る機会を、私個人が確保することができたならば。それだけでも、私が東方会社で独自の権力を得る大義名分になり得る。

 東方市場は、西方と比べても随分大きい。人口からして、段違いに多いのだ。戸籍に含まれない納税権を持たぬ小作人や破落戸とて、モノを売り買いする。

 そこに西方の商品を割り込ませて、取引に食い込むことができるなら、西方社会にさらなる旨味を与える結果となるだろう。

 

 東方からの移民を選別し、西方への入植を差配する段階までくれば、もはや企業の枠を超えた影響力を持つことになる。そうなれば、東方会社の存在意義は、歴史上でも極めてまれなほどに強まるはずだ。

 私と言うクロノワーク騎士が、それを推し進めたという実績は、西方に帰国した際に大きな武器になることだろう。

 

「気の早い話ですが、クロノワークに一時帰国したら、報告書を山のように積み上げることになるでしょう。……今後のことも考えると、王妃様に対しては隠し事も良くない。洗いざらいぶちまけることになるでしょうから、どんな反応が返ってくることか。想像できないだけに、恐ろしいですね。家名を高めるのは望むところですけれど、東方に死ぬまで縛り付けられるとか、流石に遠慮したい案件ではありますよ」

 

 今回の件は、東方の政治情勢に割り込むことになる。クッコ・ローセやクミンの前では、積極的に語らなかったこと。なんとなくで誤魔化した部分も、隠さずに報告せねばならぬ。

 結果さえよければ、地位のはく奪とか懲罰とかの話にはならない……はず。今から思い悩んでも仕方のないことだが、やはり気が重くなることだった。

 

「よくはわかりませんが、モリーさんも色々考えて動いているのですから。――その王妃さまだって、モリーさんの独断専行を許したんです。何が起こっても、文句を付けられる言われはないでしょう。あの妃殿下の母上なのですから、そこは柔軟に判断してくれるんじゃないでしょうか」

「そうですね。そうだと信じたいです。……勝って終わるためにも、まず今探るべきは敵総督の動向です。相手の動き次第では、政治的な行動より軍隊の運用を優先することもあるでしょう。もっとも短絡的で、手っ取り早い悪手を取ってくれたら、私としても助かるのですが」

 

 どういう意味か――と、クミンが聞いてくる前に、私室の扉が開けられた。

 ノックもなく、ぶしつけな行動が許されるのは、ただ一人。クッコ・ローセ以外にはいない。

 

「ノックもなしに、すまんな。危急の報ゆえ、そこは許せよ」

「はい。聞きましょう」

「……クミンもいたのか。お前、昼間から盛るつもりでここに来たんじゃないだろうな? だとしたら叩き出すが――いや。もしかして、良からぬことを企んでるのかね。妙に余裕のある面で笑うじゃないか、ええ?」

 

 何のことでしょう? なんて思わせぶりな態度で、クミンはクッコ・ローセの視線から逃げた。

 逃げた先には、私がいる。――私よりも、クッコ・ローセよりも、さらに早く情報を彼女が得ていたとしたら、どこから聞いたものか非常に興味がある。

 しかし、今は報告が先である。私は危急の報とやらを、まずは把握せねばならない。

 

「クミンのことは後にして、言わねばならないことがあるのでしょう? ……どうぞ」

「そうだな、すまん。――西方へ交易に向かった商隊が略奪された。今度は東方会社じゃない、ドヴールの一般商人が、件の総督の毒牙にかかったわけだ」

「なるほど? 悪あがきに近いですが、ドヴールへの圧力としては存外悪くない。敵総督殿は、あれで単純な馬鹿でもないらしいですね。どうせ懲罰が避けられないのなら、共に地獄に引きずり込んでやりたいのでしょう。あわよくば、この被害をもって、こちらから譲歩を引き出せるかも――なんて、考えてるかもしれません」

 

 想定の中では、対処が簡単な方である。再度殴り返して、力の差を思い知らせてやればいい。

 ドヴールの用心棒が、どれほど苛烈な手合いであるか。アピールするいい機会だった。

 

「とはいえ、気分はよろしくない。あちらに次の手を打つ余裕を与えるのは、やはり好みませんね。……性に合わないことをやっている自覚はありますし、我慢も続けるとそれ自体が弱みになる。相手が雑な攻撃に出てくれたからよかったものの、これが要人の暗殺とか交易路の破壊とか。こちらの手が届きにくい部分を攻めてきたら、エライことになってたかもしれません」

 

 さりとて、自分の方針が間違っていたとも思わない。これは、あちらの焦りだ。焦りからの行動ゆえ、短絡的な行動に出たと考えられる。

 敵総督としても、ここで意地を見せずに逃げ帰ってしまうと、派閥内で舐められる。返り咲くことすらできぬと、思い詰めているのだろう。

 まるきりの馬鹿ではないにせよ、敵に回した相手が悪かったと思ってもらおう。それくらいには、私も不快に感じていた。

 

「やり返しにかかるか? いいぞ、モリー。後先考えない馬鹿をやったのは、あちらが先だ。準備だけは整えてあるんだから、少しくらい殴ってもいいだろう」

「……それはそれとして、略奪の規模はどれくらいですか? あちらがどの程度の予備選力を残していたのか、多少は予測も立てておきたいので」

「そこなんだが、ハッキリとはわからん。――が、襲われたのは小規模の商隊ばかりだ。百人を超える大所帯はやられてない。獲物をほぼ逃さなかった前回ほど、行為も徹底できていない様子でな、生存者も結構多いらしいぞ。証言はまだまとめ切れていないが、すぐに詳細な報告があがってくるはずだ」

 

 そうなると、後の問題は被害の程度だった。損害が大きい様子であれば、それとなく援助するという手もある。

 東方会社と関係がなくとも、同じ都市の同業者だ。気にかけてやる理由はあるし、恩を売るタイミングとしても悪くはない。

 私がそう思って、クッコ・ローセに問おうとした時、クミンの方から切り出してきた。

 

「ああ、私からも良いですか? その件で、ちょっとお耳に入れたいことが幾つか。……襲ってきた兵は、傭兵が主体です。なので騎兵の数はごく少なく、物的被害はともかく死者はあんまりいません。兵力は千を超えることはない、とも聞きました。それに、その傭兵も東方出身で固められてはいますが、各自バラバラに動いていて統率もあまりとれていないようで。……追い散らすだけなら簡単ですが、根絶するのはかえって難しいらしいですよ?」

 

 クミンが流してきた情報は、真に私が求めていたものだった。それを聞いたうえで、クッコ・ローセが補足するように言う。

 

「そこのそいつが何で知っているかはともかく、修正を一つしとこう。『傭兵』じゃなくて、『盗賊』だ。少なくとも、私はそう定義した。モリー、この意味が分かるな?」

「はい。雇われた破落戸どもは捕虜にしない。貴女は彼らの首を荒野に打ち捨てて、その存在に汚名を塗りたくることに決めた、と。……私も、その意見を全面的に肯定します。それはそれとして、なんでクミンが知ってるんでしょうね? 本当に」

 

 クッコ・ローセが危急の報として、今私に知らせてきたことを、クミンはあらかじめわかっていたことのように話した。

 これは、捨て置くには難しい問題である。当然、種明かしはしてくれるのだろうと、期待をもってクミンを見つめた。

 

「物欲しそうな顔で見られるのも、悪くないですねぇ。――次のプレイは、そうした趣向もいれましょうか?」

「はぐらかすなよ、クミン。軍事上の観点から、情報の漏洩には気を使いたいんだ。どこでどうやって、その手の話を仕入れてきたのか。包み隠さず、正直に言えよ」

 

 クッコ・ローセにすごまれては、クミンとて折れざるを得ない。わざとらしく、肩をすくめてから彼女は言った。

 

「念を押されなくとも、嘘なんて言いませんよ! ――正直に言えば、ほとんど偶然みたいなもので、自慢なんて出来やしません。色街って、いろんな人が利用するんです。で、私は新参ですが、それなりの『顔役』とはつなぎが取れまして。そちらの伝手からの情報ですね、はい」

 

 モリーさんには、くれぐれもよろしく、なんて言ってました――と、付け加えるようにクミンが言う。

 彼女から聞いた顔役の経歴が正しければ、東方辺境の商圏に多大な影響を持つ、裏稼業の元締めに近い存在であるらしい。……どう考えても盛っているだろうから、真面目に考えすぎるほうが馬鹿らしいと思う。

 顔役の存在については、ぶっちゃけ怪しいが――こちらに直に話を伝えず、クミンをつなぎとして使うことを選んだ相手だ。

 慎重な立ち振る舞いをしたいというのなら、今はその意思を尊重しようと思う。

 

「謎が解けた、と単純に納得できる話じゃないな。その顔役の意図は何だ。こちらに情報を伝えたかったのはわかるが、こいつを選んだせいで色々台無しじゃないか? わざわざ思わせぶりな態度をして、伝えるのを遅らせたろ? ……私を待って、事態が動くのを見届けて、初めて口を開いだ。積極的に自分から話さなかった辺り、お前もなかなかの奸物だよ」

「誤解されたくないので、これも本心から言いますが。――私としては、定かならぬ情報を伝えたくはなかったのです。なので、実際の襲撃の報告を待ちました。その上で発言したのは、こちらの情報が役に立つと確信できたから。……そうであればこそ、追加で情報の開示も出来るというものです」

 

 容易に明かさなかったのは、この情報があったからだと、クミンは言う。

 そこまでのものなら、こちらとしても拝聴したい。私は無言で頷き、先を促した。

 

「モリーさんに伝えるべき話として、さらにもう一つ。敵は一人ではない、という話です。件の総督の上役、その派閥そのものに対抗する手段がなければ、結局は守勢に回らざるを得ない。……東方の支配階級と言うか、知識人や名士たちは、面子を西方人以上に重視します。こちらが一方的に打ち負かしてしまっては、敵側の派閥そのものを敵に回しかねない。そうなれば、政治的な問題は絶えず噴出し続けるでしょう。――モリーさんとしても、それは不本意な状況だと思います」

「だから、色々な手段を講じています。中央政府への工作はその一環であり、宰相殿へ個人的な伝手を作ろうとしているのも、そのためではないですか」

「はい。そこは理解しています。しかし、現実的には敵総督の身柄が必要で、現状はそこまで進んでいない。――もちろんモリーさんのことですから、失敗するとは思っていませんが、労少なく確実に成果が得られるなら、そのほうが良いはずです……よね?」

 

 クミンの言い方は、いかにも意味ありげで。その意図するところがわかるだけに、不可解でもあった。

 

「まるで、解決策をあらかじめ用意している、と言わんばかりの言い方ですね? クミン。貴女にはそこまでの力も権限もないはずですが」

「用意したのは私ではなく、話を持ってきた顔役の方ですけどね。……率直に申し上げるなら、敵側の総督は政治的な失策を続けています。面子へのこだわりがあるから、強硬策に固執しているのでしょう。――先の失敗に懲りず、総督殿は再度軍隊の動員を試みているようですよ? 今度は自らが統治する都市で徴兵を行っており、それは商隊への襲撃などと言う規模でなく、もしかしたらドヴールに突っ込んでくるつもりかもしれません」

 

 敵総督は、ドヴールに面子を潰されたため、軍事的勝利を欲している。とにかく勝てば取り繕える――というのは一面の事実でもあるから、相手が固執するのも無理はあるまい。

 ブラフではなく本気でやっているとしたら、それはそれで望むところだ。あちらが落ち度を重ねる分には、一向にかまわないんだよ。

 

「現実的な手段とも思えませんが、まあ敵総督からしたら、無理を通す必要性があるのはわかります。――それでクミン。その対策とやらについて、詳細を聞きたいのですが」

「単純ですよ。敵総督が統治している都市まで、モリーさんが出向けばそれで済みます。――簀巻きにして放り出してやるから、適当に捕虜にして処分すればいい。顔役は、そう言っていました」

 

 軽い口調のまま、クミンはそう言った。言った後で、『信用するにせよしないにせよ、やっぱり軍隊を引き連れていって、脅す形くらいは取ったほうが良いと思いますけど』なんて見解も述べる。

 

「それはまた、豪快なことで。信用できるなら、これ以上ないほど形で勝利できるのですが。……怪しまない方がどうかしている」

「そうだな。簀巻きの総督をおとりにして、こちらを奇襲するつもりかもしれん。のこのこやってきたモリーを逆に捕らえてしまえば、あちらは無条件で勝利したも同然だ。早々簡単に逆転は起きないだろうが、万が一の場合を考えるとな。……お前がいない東方会社は、まとまりを欠くことになる。正直、想像したくないぞ」

 

 クッコ・ローセはもっともな意見を出したが、私が一番危惧するのは『本当に言ったとおりになった場合』だ。

 顔役の提案に乗っかって、そのまま勝利した場合。私は姿の見えない、難しい相手を懐に抱かねばならない。

 見返りを要求されたら、突っぱねられない立場に追いやられてしまう。――東方会社の権益を奪われる結果になりかねないと、まず私はそれを危険視した。

 顔の見えない相手に貸しを作ることは、それだけ恐ろしいのだ。

 

「無視しましょう。――ドヴールの商工会の方が、利益が明確な分、扱いやすい。見知らぬ顔役などよりも、頼るとしたら、まだそちらの方がいいでしょう」

「といって、連中がこれ以上私たちに肩入れしてくれるでしょうかね? ……ああ、実際に被害が出てしまったから、一応は協力する名分もありますか」

「クミン。今回の件に関しては、これ以上商工会を当てにはしません。あちらはあちらで、政治力を存分に発揮するでしょう。……金だけは有り余っている様子ですから、ドヴールの権益だけは、どう転がっても確保しますよ」

 

 そういう自助努力だけは期待しているが、逆に言えばそれ以上のものを私は必要としていないわけだ。

 ……自前の武力でごり押して、どうにかしてみよう、なんて思っているので、我ながら進歩のないことだなぁと呆れてしまうけれど。

 

「で、モリーはまだ静観を続けるつもりか? 面倒事は斬って捨てたい――そんな私の気持ちを、お前は理解してくれてると思いたいが」

「ええ、わかっています。軍を動かすタイミングとして、今は悪くありません。……顔役の話を真に受けるわけではありませんが、敵総督を排除する動きが見られるのなら、ちょっとつついてみるのもいいのではないかと」

「お前のちょっと、は信用できん。具体的に言ってみろよ」

「……私自身が単独で、敵総督が統治する都市に潜入してみる。これも一手ではあるでしょう? 男装すれば、まず見分けはつきませんし。特殊部隊で培った技能を総動員すれば、一定の成果は見込めると思うんですね」

 

 幸運に恵まれれば、単独潜入からの敵総督の拉致とか、オサナ王子の時の再現が叶ったりするかもしれない。

 過剰な期待は禁物だが、それでも確かな情報を得ることはできるだろう。私自身が乗り込むという手は、そこまで悪くはないと考えているのですね。

 

「……危険だぞ」

「承知の上です」

「リスクとリターンが釣り合わないと思うが?」

 

 そこを言われると、確かにそれはそうなのである。でもあちらの急所を探れるものなら探っておきたいし、情報をよこしてきた顔役殿の話がどこまで本当なのか。これも実地で確認したいところなんだ。

 

「それにな、お前だけが楽しむとか不公平だぞ。こっちにも、美味しい所をよこせと言っている。……以前から私たち抜きで盗賊どものねぐらに突っ込んだり、あれこれと悪い遊びをしていただろうが。これ以上は容認したくない。ザラとメイルがこの場に居ても、同じようなことを言うぞ」

「そう言われると……私としても、難しいですね。ええ、わかりました。ここは、私が折れましょう」

 

 クッコ・ローセもクミンも、それなりに顔が売れている。素性が割れている以上、潜入任務には不向きだろう。

 だから、あちらの様子を探る手段としては、顔が割れていても問題なくて、荒事と諜報の分野において成果が期待できる人物を送らねばならない。

 

 私も皆も駄目となると、人員は限られるが――ちょうどいい奴が、一人いる。……結果的にではあるけれど、頭目の男に教育を施しておいたことが、ここで決定的な効力を持つことになった。

 

「盗賊の元頭目で、今は商人として教育している男がいます。そいつなら、仕事を任せても不安はないでしょう。――少なくとも、私が勝っている間は従ってくれますので、ここは便利に使ってやりますか」

「……へえ、お前にも使い勝手のいい駒があったんだな。ちょっと嫉妬しそうだぞ」

「ご冗談を。――今は適当に使えますが、将来的には独立するであろう手合いです。いつまでも信頼できる男でもないので、クッコ・ローセとは比べられませんよ」

 

 彼とて、いつまでも私の駒ではいてくれぬと思うが、今回は利害が一致する。地位と名声をおまけに付けてやれば、快く引き受けてくれるだろう。

 ……クミンの方は、さっきから面白くなさそうな顔をしているが、勘弁してほしい。この辺りが、私の器の限界なんだ。ご機嫌取りはするから、許したまえよ。

 

「クミンとは、また別に遊ぶ機会を設けるとして。――クッコ・ローセとは、近いうちに一緒に楽しむ機会があるでしょう」

「頼むぞ。私はそんなに我慢強い方ではないからな。……まあ、モリーのことだ。心配はしていないがね」

 

 クッコ・ローセからの信頼が重い。彼女の期待に応えるのもそうだが、クミンも難物だ。言質を与えただけでは満足するまい。

 まったくもって、家庭の維持は悩ましい。まったく嫌ではないし、苦労もまた味であると理解はしているものの――荒事が控えている現状では、どうしても及び腰になってしまう。

 無理のない範囲でサービスしていくとすると、今できるのはこれくらいか。

 

「勝負を急がねばならぬのは、敵の方。あちらの出方を伺いつつ、数日は暇つぶしでもするとしましょうか。……さしあたっては、そうですね。捕虜から聞き出した、連中の野営地でも見学に行くとしましょう。大方は引き上げているでしょうが、何かしら残っているかもしれませんし」

「こちらの調査能力を舐めて、使い続けているようなら皆殺しにしてやればいい。単純な話だな」

 

 クッコ・ローセは、案外乗り気だった。ご機嫌とりの手段としては正解であったらしい。

 クロノワーク騎士の殺伐さを甘く見ていたわけではないが、これは心配すべきところなのだろうか。

 呆れたように、クミンもそれは指摘してくる。

 

「――おお、こわいこわい。盗賊だか傭兵だか、あるいはどこかの兵隊かは知りませんが、お二人を敵に回すことになるなんて、運の悪い連中です。クロノワーク騎士を甘く見るということは、こういうことなんですから! 東方でもきっと、噂になりますよ。……いい意味でも、悪い意味でもね」

 

 彼女が言うように、自分が背負うと決めた人たちは、一筋縄ではいかない方々で。

 むしろ、自分の方が負担になっているんじゃないか。彼女らの幸福のために、何かができているのだろうか――なんて。今更な疑問さえ浮かぶのです。

 

「クミンにも、クッコ・ローセにも、苦労を掛けます。……悪い亭主で、すいません。この騒ぎが収まったら、絶対にお返しをしますから。ですから、いましばらくは、共に歩んで頂けますか……?」

 

 余計な言葉だった。言ってしまってから、ようやく気付くような。そんな己の愚鈍さを嫌悪しつつも、二人は決して馬鹿にすることなく、私と向かい合ってくれる。

 

「いつもの弱気が出たな。お前らしいというかなんというか。――心配しなくとも、心中してもいいくらいには、お前に賭けているよ」

「そういう訳なんで、しゃきっとしてください。どうせ、お互いに一蓮托生なんです。負けるつもりもないくせに、弱音を吐くのはやめてもらえますか?」

「……クッコ・ローセはともかく、クミンは辛辣ですね」

「夜の閨でなら、いくらでも甘やかして差し上げますよ。でも、モリーさん。実際は勝つための道筋は見えてるんでしょう? 私は背中を押すくらいのことしか、できませんから」 

 

 だから、あえて厳しく言いました――だなんて、クミンは言う。

 そんなだから、私も奮起できるのだと思えば、確かに彼女の言葉は的確だ。

 

「そうだな。クミンはそれくらいしか出来ん。戦場で共にあれる私と違って、こいつなりにできることをしているんだ。お前は、それを素直に評価してやらねばならんぞ」

「恩着せがましいですよ、教官殿」

「いいじゃないか。他愛のない与太話だ。――モリー、気負うなよ。戦力的にも時間的にも、こちらには余裕がある。お前が神妙な顔をしていると、旗下の兵だって調子が狂うだろう」

 

 だから、不遜なくらいでちょうどいいのだと、クッコ・ローセは言ってくれた、

 ありがたいくらいの、気遣いを私を施してくれる。二人の思いやりが、身に染みるようだった。

 負けぬために、勝つために。やれることがあるならば、徹底すべきだった。そうしてこそ、彼女たちに報えるのだと。そう思って、私は一層成果を上げることを決意するのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余裕を持って行動できる余地が、私達にあったとしても。実際に物事がその通りに、時間的な余裕を与えてくれるとは限らない。

 十日と待たず、敵総督の方が動いた。――統治している都市から抜け出して、中央への逃亡を図るという。

 軍隊の動員が上手くいかなかったこと。兵員の確保がままならず、地元住民の反感(これは私らも手の者を使って、随分煽った)があり、悪手とわかっていても逃げの一手を打たざるを得ないと判断したらしい。

 

 クミンが件の顔役から、その情報をもらってきた。それだけならば、まだ疑う余地もあるのだが、こちらが潜り込ませた商人たち(元頭目の男含む)も似たような、裏付けする話を持ってきていたので、動くべき時が来たのだと理解する。

 

「今こそ、機ですね」

 

 特に、絶好の機会がやってきたという確信が生まれたならば、一心不乱に行動すべきなのだ。ある程度の無理は飲み込んででも動くべき理由があるのなら、その時こそためらってはならないと思う。

 執務室で書類と格闘する時間は過ぎ去った。得た情報を頭の中で改めて整理して、軍を動かすためにクッコ・ローセと打ち合わせをし、兵どもに呼びかける。

 そうして出動する体制を整えたならば、目標に向かってただひたすらに駆けるだけだ。

 

「進発前に聞くようなことでもないかもしれんが――。欺瞞情報だったらどうする? こちらをおびき出して罠にハメる、ということもあり得るぞ」

 

 出動直前になってから、クッコ・ローセから警告が入る。

 彼女としては、今から取りやめにしろ、と言いたいわけではあるまい。勝ち戦のあとだから、気を引き締めるために言ってくれたのだろう。

 ならば、私はこれに真摯な答えを返さねばならぬ。死地を共にする妻に対して、それが私の義務だと思うから。

 

「クッコ・ローセの疑問はもっともですが、そんな手間をかけて我々を殲滅しても、敵総督の政治的危機は変わりません。――中央から懲罰の要請が出ていて、それを大々的に返り討ちにしたら、『翻意あり』と本気で見なされる。失点を取り返す前にそんなことをしたら、反乱者として討伐対象になることさえ、ありえるかもしれない。……そんなリスクを、あちらが犯すとは思えません」

 

 そして、リスクを省みない馬鹿であれば、そもそも罠にハメるという考えそのものが出てこないはず。

 今さらでも自発的に中央に出頭すれば、自分の上司なり基盤となる領地なりをアテにして、失敗を取り繕う余地が生まれる。そうした判断ができる時点で、こちらを殴り返す意志は消えたと見るべきだった。

 

「後は、まあ、単純に。今を逃してはならぬ、という強迫観念に近い何かが、私を突き動かしている部分がありますね。……結局のところ、決断の根拠は、私個人の勘働きに過ぎないということです。幻滅しましたか?」

「いいや? むしろわかりやすくていい。――今回は、私も共に出るぞ。一緒に楽しもうじゃないか」

 

 私たちは兵を率いて出動するが、これは逃げを打った敵総督を補足し、捕縛することを目的としている。

 街中ではなく、外であれば多少の荒事は日常茶飯事。ちょっと前のアレコレもふくめて、東方の社会を騒がせるような事態にはなるまい。

 敵兵力は千を下回る程度と聞くから、こちらも騎兵を千ばかり率いていけば、それだけで負けはない。そして、遭遇戦で騎兵で蹂躙することが叶うならば、戦いそのものは小規模で治められよう。

 

 中央政府も、これくらいなら許容する。……もっとも、戦場に絶対はない。

 思わぬ反撃を食らうやもしれず、これを共に楽しもうと言ってのけるクッコ・ローセは、実にクロノワーク騎士の鑑であると思う。

 

「急いできたから詳しい情報は聞いていない。その上、状況は流動的だ。モリー、相手を取っ捕まえる算段は出来ているよな?」

「はい。うちの手の者が、あちらに張り付いて随時伝令を送ってくれています。諜報部隊は念入りに育てましたし、敵総督は素人。――まず、逃がすことはありません」

 

 部隊を率いて、ドヴールを出る。そして私とクッコ・ローセを先頭に、我々は敵総督の足跡を追った。

 騎兵のみの簡易な編成だが、今回はこれで足りる。あちらは苦し紛れに逃亡を図った形で、手札も割れている。この上で敗北したり、取り逃した利する余地はなかった。

 

 だから補足した後、適当に蹴散らして身柄を確保したことは、驚くようなことではなく。

 しかし、順調なのはそこまでであったのだと、後年私は回想することになるのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 念入りに諜報網を作り出し、相手の焦りに付け込んで速攻をかけた結果、ようやく盤面を詰ませることに成功したものの。政治的には、これからが本番であると思うのです。

 

 野戦は敵を騎兵で蹂躙する結果に終わり、被害は最小限で敵総督の身柄を抑えられた。結局、彼は逃亡して望みをつなぐことすら、敵わなかったことになる。

 周りを取り巻いていた破落戸たち――その首は荒野に打ち捨てられ、今頃はカラスか野犬の餌になっていることだろう。

 

 とりあえず敵総督を確保できたので、これから護送するためのルートを算定し、彼の身柄を宰相殿へと献上しなくてはならない。

 目論見通りに点数稼ぎになってくれるか、こちらの下心を理解してくれるかどうか。大事なのはそこだが、私はもう心配していない。

 ドヴールに帰還して、護送の段取りを組むのに数日費やしつつ――その間に宰相殿から、書状の返事が来たからだ。

 

 内容はと言えば、宰相殿はこちらの言い分をほぼ完全に飲んでくれた。

 敵総督の身柄を引き受けるから、司法的な手続きはそのまま踏んでくれていい。その過程で使いをやるから、その者に囚人となった総督の身柄を引き渡すように――とのこと。

 首都までの護送の道のりは手間だが、それくらいの苦労で済むならば僥倖である。

 

 あちらにはあちらの思惑もあろうが、流れに乗ってくれたのはありがたい。身柄を引き渡す部隊には、私も同行しようと思う。

 私は特に、東方文化への理解があることで有名になっているらしいのだ。評判を維持したいなら、自ら赴いて配慮をする姿勢を見せねばならぬ。

 風評というものは馬鹿にならないし、せっかく努力して作り上げたものを壊すのはもったいない。

 

 だから、宰相殿と対面して交渉する機会があったとしても、相当な部分を譲ることになるだろう。私個人の裁量で済む範囲であれば、それは構わないと思う。

 なにより私個人が出向くことで、あちらからも要望を出しやすい環境を整えたいという事情もあった。

 私自身、東方会社の代表としてここにあるのだから、一気に事を進めても良いはずだ。東方国家の宰相、その個人的なパイプ役となれるのなら、これは破格の話であろう。

 

「だからといって、ここまでとんとん拍子に話が進むと、それはそれで後が怖いと思うのですね。……私などには及びもつかない陰謀が進行していて、こちらはそれに乗っからされているだけなのではないかと、そんな不安を抱いたりもします」

「といっても、こちらから持ち掛けた話だ。今さら中央政府の要請を断ることも出来まい? 臆することなく、やりこなして見せろよ。一家の主として、それくらいの仕事はやってくれねば、妻たちに不幸の皺寄せがくるかもしれんぞ?」

「――お任せください。そこまでクッコ・ローセに言わせたならば、不安にあえいでいる暇などない。確実に、成果を出してごらんに入れましょう」

 

 戦後処理の一環だが、敵総督の身柄を護送する段取りをさらに慎重に整えつつ、中央政府への先触れも遣わして、着々と段階を踏んでいく。

 書状の返事が異例と言っていいほどの速度で返ってきたことは、どうも最後まで頭に引っかかっていたのだけれど。それ自体は好ましいことなので、今は深刻に考えないことにした。

 

「弱気になってのは、まあ仕方がないとご理解ください。真面目に中央政府の謀略が入ってるんじゃないかと疑いたくなるくらい、こちらの都合がいい方向へと転がっています。……ええ、都合が良すぎる。交易による収益は、西方が上回っている。貿易赤字を積み重ねているのが東方の現状であるのに、この上さらに便宜を図ろうとする。中央政府の意向がどんなものなのか、確認せずには帰れませんよ」

「おかげで、お前自身が東方の首都に出向いて、長期滞在する予定までできてしまったわけだな。……見込まれていると思えば、そう悪い流れでもあるまい。私もついて行ってやるから、元気出せよ。クミンの奴は、ドヴールへの最低限の抑えとして、残しておかねばなるまいがね」

「抑えと言うか……連絡役、としてですがね。彼女なりの生き残り方ではあるのですが、方々に人脈を作りつつ、西方と東方の連絡網も整備してもらっているわけで。武力以外の方面では、彼女も立派に東方会社の重役と言えます」

「私としては、あの女が社会的に大きな立場になりつつあることに、ひどい違和感を覚える。……本当に大丈夫なんだろうな?」

 

 とんとん拍子に物事が動いてくれたのはいいことだけれど。おかげで引継ぎのための書類仕事に、さらに数日は忙殺されることになってしまった。

 国元のザラやメイルに言い訳の書簡も、追加で書かねばならないわけで。これは結構な負担になってしまったなと、やらかした後で気付くのです。

 

「出発前にあれこれ言うのは無しですよ。……そうでしょう?」

「そうだな。私だけでも付き添えるなら、まあ文句を言う筋ではあるまい。後方にも信頼できる指揮官も育ったところだ。軍事的な見解を述べるなら、二、三か月程度なら留守を任せても大丈夫だろう。――不安はあるが、致命的な事態になる前には戻れると、それくらいには信じられるとも」

 

 クッコ・ローセがこんな大事な部分を甘く見るとも思えないので、その発言には説得力があった。

 私はそれを信じたし、彼女の信頼に指揮官たちも見事に答えてくれたようで。

 私たちが敵総督を護送する段になったら、見事な部隊運用で、見送りのパレードをやってのけてくれた。

 

「元は東方の貧民か傭兵が、随分と立派に育ったものです」

「苦労したぞ。私でも二度とはやりたくない仕事だった。……まともにはなったが、まだまだ鍛える余地はある。帰ってきたら、またしごいてやろう」

 

 踏むべき手続きはすべて行い、万端の準備を整えた。その間、取っ捕まっていた総督自身の心情については、色々とお察しする。

 本当はこちらで尋問などもしておきたかったのだが、少しでも手を付けると後が怖いような気もする。なので、結局彼個人には何も触れることなく、このまま護送される運びとなった。

 

 飢え凍えたり、身支度をする余裕もない――というほどひどい扱いはしていないし、囚人用の首枷足枷も免除しているのだから、それで納得していただこう。

 ただ、護送の為に囚人用の車には乗ってもらわねばならない。不名誉なことだが、誰がどのような形で送られるのか。はた目にも明確にわかるようにしておけねばならないんだ。

 

 ――そうして、出発当日を迎え。私達は、敵総督を護送する旅路へと向かった。

 

 中央政府のある首都への道のりに不安はない。流石に東方国家も、首都に繋がる国道の維持をおろそかにはしない。

 治安も保たれているから、行きかう馬車も品が良い連中がそろっている。西洋の軍隊が通りがかっても、遠巻きに眺める位で絡んでくる馬鹿に困らされることはなかった。

 

 ただし、それは首都にたどり着いた際、スムーズに事が運ぶことまで保証しない。

 政治的な問題は常に個別の案件であり、あれが上手くいったからと言って、これも上手にさばけるかといえば、そうなるとは限らないもの。

 

 関所を通り抜けて、実際に首都の街並みを目にした時は、懐かしさと物珍しさが入り混じった気持ちに浸りかけたが、個人的な感情にかまけてもいられない。

 東方文化が咲き誇る都を、囚人を伴う護送車と共に進む。正規の手続きを踏んでいるから、好機の視線にさらされるだけで、我々は順調に目的地へとたどり着いた。

 

「首都にたどり着いたが、司法機関にすんなり引き渡す、という手順ではないのだろう? 肝心の宰相殿の伝手によると、仲介に手の者をよこすという話だったが――」

「そこは問題なく、先触れを出していますから。……しかし、宰相殿と面識があるわけではありませんし、こちらは利用される側と言っても過言ではないわけで。最悪、引き渡したら即とんぼ返りもあり得るでしょう。本当に、最悪の場合ですがね、これは」

 

 そこまで悪い待遇にはなるまいと思うが、過剰な期待もここでは無用であろう。

 あちらがこちらの話に乗った時点で、最低限の意思の疎通は計れているのだ。ここからは純粋に、お互いの欲望にどうやって折り合いをつけるか。おそらくは、そういう話になる。

 

「先触れも含めて、根回しはある程度、事前にやっていますが。さらに念のため。――宰相殿の屋敷に、連絡を回しておきましょう。確認はしつこいくらいにやった方が、かえって相手の疑念は薄れるものです。……我々は無法者ではないのですから、お行儀よくやっていく意思くらいは見せなくてはね」

 

 とにかく、こちらはこのまま司法機関へと向かい、そこで引き渡しの為の手続きを踏むことになる。東方における公共機関の手続きは煩雑なものが多く、時間もかかることが多い。

 特に、敵総督は名士階級であり、れっきとした正規の高級官吏である。尋問にも気を遣う相手だから、現場の獄吏が即座に受け入れをするわけにはいかない。

 まずは上役に許可を取り、尋問を行うための書類を作成する。それから宰相殿の元に持っていき、朱印を入れ、恐れ多くも皇帝陛下の裁可を仰く。

 

 すべての態勢が整って、獄につなぐのはそれからのことになるのだという。実際に手続きをした印象としては、これなら確かに宰相殿の手が届くし、司法機関との折り合いもつくだろうと納得した。

 迂遠に過ぎる気はするが、それが東方国家のやり方であれば、部外者が口を出すのも無粋である。

 

 高級官吏の処分はそれだけ面倒くさいもので、諸々の調整を含め、数日の間はこちらで囚人の管理を続けることになった。

 それ自体が不名誉の上塗りであり、犯した罪に対する罰にもなるのだから、東方社会もこれで結構上手に出来ていると思う。

 

 こちらとしても、ここで出来た時間を使って、宰相殿と打ち合わせを行う余裕ができるのだから、煩雑な手続きも一長一短と言ったところか。

 

「流石に直接面会してどうこう、という形式にはなりませんか。こちらが仲介者の元に出向いて、そこで話し合いをしたいそうです」

 

 宰相殿から返答が返ってきた。

 事前の打ち合わせ通り、仲介者を通しての相談という形になる。内容については、今護送している敵提督の処遇――つまりは、いかにして八方丸く収めるか。

 派閥間の調整と、私達東方会社との折衝が主な議題となるだろう。

 

 ここでも強調すべきは、どんな話し合いが行われるにしろ、法を犯すわけではない、ということ。

 あくまで宰相殿の権限で、司法の判断を遅らせる手続きを取って、慎重な判断を下す。

 そのための時間を利用して、私達と宰相殿の間でコンセンサスを取っておくのだ。これだけならば、誰が損をするという話にはならない。

 

「だろうな。――しかし、私は行けんぞ? 護送車は適当に宿舎の横に付けておくが、こちらの人員は休ませてやりたい。私が見張り兼護衛を担当するつもりだから、今日は不寝番だ」

「はい、お任せします。……しかし、クッコ・ローセも、無理をしてはいけませんよ。身内を始末しにかかるような派閥ではないと思いますが、総督は今微妙な立場に居ます。命さえあれば、それでいいとお考え下さい」

「護衛は私だけじゃないし、統率しているのは私が鍛え上げた部隊だ。無理をしないでも、隙を突かれるようなヘマはしないさ」

 

 クッコ・ローセから背中を押される形で、私は交渉の場へ出向くことになる。

 会場は事前の打ち合わせに従い、首都でも有数の料亭になっていた。今更東方文化に驚きはしないが、雰囲気だけでも豪勢な環境は、これで結構迫力のあるものだった。

 

 中華的な世界観に親しみはあるし、理解もある方だと思っていたが、こちらの世界のそれは微妙に西方の文化が親和していて、趣があるというか――。

 まあ、簡単に言うなら『見事』と感嘆するほどの芸術性にあふれていたのですね。

 

「この料亭は、首都でも随一の美食と景観を提供することで有名だ。――お気に召したかね? モリー殿」

「この上なく堪能させていただいておりますとも。……貴女が宰相殿の懐刀であると、そう理解しても良いのですよね?」

 

 以外にも、現れたのは妙齢の、しかも麗しい女性だった。

 状況が状況だけに、実務に向かない相手が来たとも思われぬ。宰相殿の情婦であるはずはないのだが、余計な勘繰りが頭をよぎった。

 

「不思議かね? ――おおかた、私が若すぎることに疑念を抱いたのであろう?」

「率直に言うならば、そうです。しかし、私も同じ女性でもありますから、そこで不安は感じておりませんよ。……ただ、何かしらの意図があるものとお察しします。違いますか?」

「ほほ。西方の騎士殿は、察しが良い。――保証できることは、最初に言っておこう。私の言葉が、宰相殿の言葉であると、そう認識してくれても間違いではない。私に決定の権限があるわけではないが、私の意見を宰相殿が無視することはない、とも言っておこう」

「それはまた、結構な地位にあるのですね。いささか、驚きました」

 

 東方では、地位の低いはずの女性が権限を持ち、この場に居る。

 これだけでは宰相殿の意図が読めないが、おそらくこれは重要な事なのだ。改めて、彼女の言動を注視しなければならぬと、気を引き締める。

 

「さらに言うならば、東方辺境での『顔役』でもある。……私からの厚意を無下にしたこと、覚えているよ。クミンに情報を与えたはずなのに、モリー殿はこれを無視された。私は面子を潰されたと思ったよ」

 

 到底聞き逃せぬ言葉が、彼女の口から飛び出してきた。それが正しいとするなら、最初から宰相殿は私達をひいきするつもりで、敵総督を陥れるつもりで動いていたことになる。

 

「ご厚意を受け取れなかったことは、申し訳ございません。しかし、こちらも多くの責任を負っている立場にあるものですから。――厚意にタダ乗りするよりは、自ら状況を動かして、勝利を勝ち取りたかったのです。騎士の意地と言うことで、どうかご理解ください」

「戦場で武名を勝ち取った、モリー殿のお言葉だ。……勝った後でケチを付けるのも、はしたない行いであったな。貴女の言い分を認めよう」

 

 とりあえず、空気をやわらげるつもりで、当たり障りのないことから話題に出してみよう。

 案外、関係ないと思われるようなことから、新たな視点が得られることもあるものだ。

 

「お互いに理解が進んだようで、なによりです。……しかし、女性が東方社会の上流階級に君臨するのは、難しいと聞いていました。その若さで辺境の顔役になれたということは、相当な苦労を重ねてきたのでしょう?」

「ああ、それは正しい。だが、辺境においては女系家族が上流を占める割合と言うのも、結構大きいのだよ。――もしかして、これは初耳だったかね?」

「ええ、客家は男性が優越していると聞きましたし、懇意にしている女商人も、男にはよく煮え湯を飲まされたと聞かされましたから」

 

 ここは正直に言う。目の前の女性が、いかなる身分であり、どんな意図を持たされて、ここにいるのか。私は、それを探らねばならないのだ。

 

「場所が変われば、法も変わる。習慣や風俗などは、言うまでもあるまい? ――これからは、その手の既成概念を改めるとともに、建設的な話し合いができるものと期待しよう。何しろ、お互いに女同士なのだからな?」

「女同士だからと言って、油断できるものではありませんが――まあ、いいでしょう。それこそお互いに、損になる話はしない。それくらいは、信頼したいと思っています」

「相互互恵こそ、長期的な利益を保証するものである。友好的な関係を築きたいという想いは、共通しているよ。……そこは、疑いを持ってほしくはないが」

 

 猛禽のごとく鋭い目が、私を射抜いた。――彼女は才気にあふれた女性らしく、気が強く有能であるらしい。

 シルビア妃殿下を相手にしているつもりで、相対せねばならぬか。そうした覚悟をもって、私は言葉を返した。

 

「ええ、ええ。信頼していますよ。――では、肝心の交渉を始めましょうか。貴女のことは、何とお呼びすればよろしいでしょうか?」

「個人的な名を伝える許可はもらっていない。正規の役職も得てはいないから、単純に『仲介者』でも『連絡係』でも結構。……ああ、西方ではどんな言い回しが適切なのか、わからない部分もあるゆえ。そこは、ご寛恕いただきたい」

「それこそ、お互い様でしょう。私の方の無作法も、大目に見てください。それでお相子と言うもの。――貴女のことは、『顔役殿』と呼ぶことにします。それが適切な距離感であると思いますが、いかがでしょう」

「大変結構! お互いに異存がないのであれば、さっそく始めようか。総督殿も、あまり長いこと晒し者にはなりたくあるまい」

 

 ここで本格的な話し合いが始まるとともに、ここでの交渉の決着こそが、東方での私の実績に多大な影響を及ぼすであろうことを。

 私は否応なく、理解せざるを得なかったのです――。

 

 




 次回作は、半年くらいで完結するような短編でも書いて、気分転換してからまた長編に挑戦しようか、と考えています。

 終わりが見えているせいか、気移りしがちですが、まずはこの物語を結末まで持っていくことに集中しなければ。

 よろしければ、また次回もお付き合いください。



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宰相殿の思惑から臣下の礼までのお話


 今回の話を書いていて、物語の終わりの形がほぼ固まってきました。
 次でおおよその問題を片付けて、その次にエピローグ的なお話を付け加えて、この物語はひとまずの完結を見ることになるでしょう。

 三年ほどの期間をかけて、書き続けたものが、ついに終わりを迎える。
 その時が来るのだ、ということを、ようやく実感する所まで来ました。

 ここまで付き合ってくださった読者の皆様方に、心からの感謝を。
 今しばし、見守っていてくださると幸いです。



 

 どんなに豪勢に見えるとはいえ、料亭である以上は酒食をもってもてなすのが役割である。

 もっとも、私の方はいかなる贅を尽くした料理も、心行くまで味わえるような余裕もないのだが、これはこれで見るべきものもあった。

 

「料理の中に、西方独自の食材がほとんど見えない。東方では交易が盛んな割に、文化面では西方の影響が少ないと聞きます。……価値観の違いと言うのもあるでしょうが、高級料亭でも西方の臭いがまったく嗅ぎ取れないというのは、それだけでも色々とお察ししてしまいますね」

「モリー殿、この料亭は、景観はもとより料理も上等だ。……仕事抜きで、少しは楽しんでもよかろうに」

 

 皿に盛られた、様々な料理を見るだけでも、情報は集められる。食材はもとより、どのような香辛料が、どの程度使われているのかも重要だ。

 この地の住民の嗜好がわかれば、需要がわかる。単純に西方の食材が口に合わない、ということかもしれないが――もし売り出したいなら段階を踏む必要があると、それくらいは判断できた。

 

 高級料亭ではなく、大衆食堂などでは事情が違うかもしれない。料金もわかれば、相場についての理解も深まるのだが、そこまで聞くのも不躾か。

 この辺り、改めて調べるほどの余裕はないから、次の機会を待つとしよう。

 

「私なりに楽しんでいますよ、ええ。――ただ、楽しみに耽溺できるだけの余裕がない、というだけの話です」

「おや、緊張しておられる? これは存外、かわいらしい所があるものだ。――そう恐縮していたところで、物事の成否に関わりはないというのに」

 

 そうして、顔役殿はいたずらっぽく笑って見せた。その笑顔の裏で、きっちりこちらを値踏みしているであろうことは、私にもわかる。

 東方の宮廷は魔境であろう――と、覚悟はしてきた。首都近郊は、すでに相手側の手の内であるから、相手が誰であろうと気を抜くことはできない。

 

「……貴女が宰相殿と近しく、意見を通す力があるとしても。私としては、宰相殿本人の意見を知りたいのです。彼は我々の働きを利用して、辺境閥への政治的勝利を得ました。こちらの功績を認め、今後の関係をより良いものにするつもりがあるなら、具体的な行動をもって示してほしいのです」

 

 顔役殿は結構な切れ者に見えるが、それだけに頭から信用してかかることが躊躇われる。

 こうした心情を理解してくれていたのか、彼女は宰相殿からの書状をここで披露してくれた。

 

「具体的な行動については、私の立場から保証しても信用など出来まい。しかし、ここに宰相殿の意見がそのまま書かれた書状がある。これをもって、誠意の証明としよう。……一応言っておくが、本物だぞ。宰相府の花押もあるから、疑うだけ時間の無駄だと言っておく」

「はい。……確かに」

 

 宰相殿の手で、署名と印が押されている。東方の書式と印については、事前に調査してあるから間違いはない。これを偽造するのは、誰であっても相当なリスクだろう。

 私に対して、そこまで大きな陰謀を作り上げる必要性はないはずだ。何より、この書状がそのまま偽りであれば、すぐにバレる。ゆえに疑うことに意味がないと、私も信じられた。

 一通り目を通してから、口を開く。

 

「……読み終えました。私が誤解していないことを確かめるためにも、この場で内容を簡単にまとめておきたいのですが、よろしいですね?」

「どうぞ。誤解があれば、それを正しておくのも私の役目だ」

 

 合意を得たので、私は自分が理解した内容を、そのまま口に出していく。

 

「宰相殿は、こちらの功績を認める。その褒賞として、『皇帝陛下の前で平伏し、臣下となる特権を与える』と、書状にあります。それに伴って、西方人としては破格の待遇で迎え入れる、と。――これは、間違いないですか」

「間違いないとも。確かに、宰相殿は貴公を特別に皇帝陛下の臣となることを許可している。……東方国家においては、これは確かに特権なのだ。皇帝直属の臣下となれば、商業活動に制限などなくなると、そう思ってくれて構わない」

 

 これを受け入れるならば、私個人に限っては、首都における商業活動も許すと書状には書かれていた。私の名前があるならば、会社が取引を行うことも出来るのだから、純粋に商圏が拡大すると考えていい。

 東方会社もゼニアルゼも、辺境領での交易がせいぜいであり、東方国家の首都で商いをすることは許されていなかった。

 それが今回の件で解禁されるとなれば、私は西方における東方交易の第一人者にさえなれるかもしれない。

 

「それは夢のある話ですね。……商売に関わる、あらゆる活動が許されるわけですか」

「もちろん。ただし、目に余るようなら特権はいつでもはく奪できると、それだけは覚えておくように」

「ええ、わかりました。首輪をつけることを忘れない辺り、きっちりしていますね。――怒られないように、ほどほどにやっていくとしても。やはり、市場の大きさには惹かれますね」

 

 首都には東方商人の利権があり、これを侵すのは難しい話になるが、やりようはあるだろう。競合しない範囲であれば、新たな需要を刺激することで割り込むことは可能であるはず。

 首都で西方の交易品を流行らせることができれば、東方会社は充分にこれを供給する用意がある。上手くいったときの利益は、はかりしれないものがあった。

 

「付け加えるなら、臣下と言っても具体的な仕事が与えられるわけではない。領地もなく、ただ交易に関する権益だけを恵んでくださる、というのが素晴らしい。――随分と、こちらにとって都合のいい話ですね?」

「余計な仕事を押し付けられても、困るだろう? これくらい気を使ってくれなければ、頭を下げる甲斐もあるまい」

 

 やり甲斐の話をするなら、確かにこれは頭を下げるだけの価値のある話だった。

 首都の市場は辺境の比ではなく、ここからは東方の主要な都市――その全ての交易路と繋がっている。皇帝陛下のお膝元を抑えることが出来たら、東方会社はより広い範囲で商売ができるようになるだろう。

 リスクなく、その立場だけを頂けるなら、確かに都合のいい話だった。

 

「ありがたい話ですが、即答しなくてもいいのですね? 期限を定めないのであれば、こうした返答も許されると思うのですが」

「いいとも。そちらはそちらで、身内で相談することもあるだろう。一年も待ってはやれないが、数か月くらいは余裕を見てやろう――とのことだ。宰相殿の寛容さとご厚意に感謝しろよ?」

「ええ、それはもちろん。与えてくれた時間を、無駄にはしませんよ」

 

 どんなにうまい話であっても、私はクロノワーク騎士だ。クロノワーク王家に忠誠を誓っているのに、勝手に東方国家の皇帝に仕えることはしたくない。主君である王妃様に無断で、個人の判断で決めていいことではないだろう。

 しかし、首都交易の恩恵は無視できぬほど大きいものだ。相談する時間があるのだから、ここは前向きに考えるべき。

 

 どうにか折り合いをつけるためにも、今回の件について王妃様の裁可を仰ぎつつ、さらなる議論が必要だろうと思われた。

 今から西方とのやり取りを行うとしたら、数か月の期間は、猶予としてはギリギリになるか。

 

「臣下扱いが難しいなら、また別の形を考えようとも、宰相殿は仰せだ。……実際受け入れられなくても仕方ないと、私などは思っているよ。――形式上の問題にすぎないにしても、異国の君主に臣従するのは悩ましいであろうし、儀式の折には衆人環視の下、皇帝陛下の前で三跪九叩頭の礼もしなくてはならない。……わかりやすく言うなら、ひれ伏して、頭を三回床にたたきつける行為なのだが……西方人にとって、これは大きな屈辱であるらしいな?」

 

 あー、はいはい。清の時代にやってきた、イギリスの外交官が拒否した儀礼のことね。三回たたきつけるのを三回繰り返すアレ。

 ちょいちょい中国の文化そのままの形で出てくるから、どうにも違和感を覚えてしまうけれど。

 別段、それ自体はなんとも思わないよ。顔役殿は挑戦的な言い方をするが、その程度の異文化交流で私は退いたりしない。

 

「土下座を繰り返すことくらい、何とも思いやしませんが。――ともかく、判断が難しい。臣下の礼を受けるとなると、私は仕える相手を増やすことになります。まずは国元に打ち合わせて、回答することにしましょう。細かい条件を詰めるのは、それからということで」

「おや、思っていたより前向きだな? 貴公が頭を下げることで、貴公の主君を貶めることにはならんのかな。……私だって、こちら側が傲慢なことを言っている自覚くらいあるんだぞ」

「貴女はそうおっしゃられるが、宰相殿も皇帝陛下も、我々を最初から見下しているのは確かでしょう? この認識を変えるのは、現状では無理といっていい。……そうでなくては、『臣下になる特権』なんて言い出さない」

 

 異文化とはそういうものだと、私は理解している。特に中世から近代の宮廷においては、外交の場であっても、他国の使者を冷遇して自尊心を満たす、強者としての振る舞いに陶酔する、というのは普通にあり得るケースだった。

 西方とて例外ではなく、戦時中はその手のひどい話は結構聞いたものである。

 

「――まあ、まるで施しのように利益をぶん投げてくれる姿勢には、思うところもありますが。儀礼的な部分に関しては、私個人の面目でどうにかなる話なんです。だったら、受け入れる努力くらいはしますよ」

 

 とはいえ、東方国家は見下すのと同時に恩恵を与えてくれるのだから、その傲慢さは余裕とも受け取れた。

 それだけ東方の地は豊かであり、交易の価値は多大である。私のプライドを投げ売りするくらいで、大きな見返りを得られるのなら、さて。王妃様は、これを拒絶するだろうか?

 

「一応確認しますが、臣下の礼を取るのは、私個人だけでよろしいのですね? 部下や国元の上司などを、わざわざ連れて来いとは言いますまい?」

「もちろんだとも。もっとも、西方人を宮廷内に入れる機会など、そうそう与えられるわけもない。今回は特別なんだと、そう思ってくれ」

「結構。ならば、話は簡単です」

 

 話のもって生き方次第だが、王妃様は私の臣下の礼を許す可能性がある。

 西方と東方の価値観の違いだが、東方にいる間くらいは、他国の臣を演じる位は構わぬ――と飲み込んでしまうかもしれない。

 

 面目もあるから、よほどの利益、権益をむしり取らねば許可は出すまいが――。逆を言うなら、そのよほどのことが保証されるなら有り得ることだ。

 どうせ、私が西方に帰ったら東方の皇帝に何ができる訳もない。不義理を行うつもりはないが、ここは割り切ってもいいだろう。

 

「見返りさえいただけるなら、前向きに話をまとめても良いと、そう考えていますよ。予想するに、そちらが求めているのは実利ではなく名誉。そちらの言い方に従うならば、西方の化外の民が、東方皇帝の徳を慕ってやってきた。――そういう形を取りたいのではないですか?」

 

 東方の皇帝にとって、権威こそが全ての源泉である。富とか武力とかよりも、場合によっては重要とみなされる場合がある。

 西方からの使者が、わざわざ東方の宮廷にやってきて頭を下げて臣従しに来る――という形式は特に、その権威が強調されるような出来事だろう。

 これだけのことをされてしまえば、宮廷内で臣下どもはひれ伏す以外に選択肢はない。皇帝陛下はその存命中に、この事実をもって自らの『徳』。いわば統治の正当性を訴えることができる。

 辺境からさらに遠い蛮夷の人間でさえ、皇帝の権威を認めるというのだ。宮廷の名士たちがこれを否定することなど、できるはずがないというもの。

 

「わかるのか。その意味するところについても」

「はい。東方皇帝の権威が西方に届いたという結果、重要なのはそれであって、過程ではない。その事実さえ演出できれば、全ては丸く収まるというわけでしょう。――これを取り仕切って演出する立場に、宰相殿はいる。皇帝陛下の権威を保証しながら、自らの地位も盤石なものにしようと言うのだから、相当なやり手ですよ」

 

 宰相殿は、辺境閥から政治的勝利を得たいから、私の話に乗った。それは一面の事実であろう。

 しかし、ここでもう一つ、彼は点数を稼ぎたくなったと私は見ている。西方からの客人を首都に招いて、ここで皇帝陛下に拝謁させる。

 そして、西方人が自ら臣従を申し出たことを演出し、皇帝陛下の徳をたたえることができれば、宰相殿の権勢はさらに強まるだろう。

 

「そもそもの発端はドヴールでのいざこざですが、これはもう蚊帳の外に置かれることになるでしょう。……宮廷内では、辺境の争いは些事として扱われる。そういうことで、よろしいでしょうね?」

「当然、そうなる。ただし時間こそ与えるが、臣下の礼については有耶無耶のままにはしたくない、と重ねて主張させてもらうぞ。……儀式的なものであるし、実際に東方での役職が与えられるわけではないが、こちらのやり方には従ってもらわねばならん。多分に、屈辱的ではあると思うが」

「先ほども主張しましたが、時間さえいただけるなら前向きに返答いたしますよ。……しかし、宰相殿は強欲なお方ですね。目端が利きすぎる、とも言えますが」

 

 この儀礼を主導した宰相殿は、皇帝陛下の信を得る。その過程で、私は臣下の礼を取った見返りとして、首都における独占交易権を獲得する。

 各方面に恩を売る形になって、宰相殿の権力地盤は強化されるわけだ。私たちも恩恵を頂く以上、彼を支持する態度を取らなくてはならない。

 西方人からの支持は、宮廷においては異端のレッテルを張られる理由にもなろうが、力さえ伴うならば問題にならない。

 

 私は先だって武名を挙げており、東方会社もこれから伸びていく勢力である。宰相殿の立ち回り次第では、むしろ唯一無二の強権をふるえるようになる可能性だってなくはない。

 そうした野心を持っていればこそ、宰相殿はここで我々に手を伸ばしてきたのだと、そう捉えてもいいくらいだ。この強欲さに敬意を表すためだと思えば、三跪九叩頭の礼も苦ではないよ。

 

「ともあれ、権益確保のためならば、膝を折って、頭を床にたたきつけることくらい、軽いものです。その手の行為を何度繰り返そうと、私個人の誇りが傷つくわけではないのですから」

 

 武名は得たし、実績も作れた。未来への確かな見通しもあり、王妃様に良い報告ができるだろう。これ以上を求めるのは、強欲と言うものだ。

 多分に屈辱的とされる儀礼であっても、晴れやかな気持ちで臨める。そうした確信が、私の中にはあった。

 

「実利の為ならば、西方の騎士にとっては一時の屈辱など気にならない――ということかな。こちらの名士階級どもに見習わせたいくらいだよ」

「さて。まあ、これは私が特殊なのだと考えていただければ。――誰しも、守りたいものを持っている。私はその中に、自分の経歴とか体面とか、そういうのを入れてないだけですから」

 

 実際問題、私の土下座は安いぞ。元々自分自身、ありふれた家の生まれであるし、高貴な地位にあるわけでもなく、主君と私自身が納得するなら外交的な問題にはならないからね。

 王妃様の許可さえあれば、クロノワーク騎士と東方皇帝の臣下を同時にやりこなして見せようと思う。

 

「結構。で、ここまでは既定の話。実はもう少し語り合いたいことがあるのだが――その前に、前提を一つ話しておこう。貴女が辺境閥の総督を捕縛したことは、貴女方が思っている以上に大きなことだ。局地戦、それも小規模の遭遇戦であったとしても、西方人が率いた軍隊に敗北した事実。これを、宰相殿は重く受け止めている。……誤解を恐れずに言うなら、仮想敵国としての西方を、今になって宰相殿は意識し始めているのだ。文化的に西方は東方に劣っているが、軍事的にはそうではないかもしれない、とな」

 

 顔役殿は、まずはそういって切り出した。これ以上は書状の内容を超えているのだが、代弁者たる顔役殿が言うに、宰相殿の考えには続きがあるらしい。

 こちらとしても、相手の方から懸念を話してくれるのなら傾聴するのみである。あちらの意図を読み、その行動を知れば、分析も容易になるというものだ。

 仮想敵国という言葉は重いが、これまでの話の流れから言って、敵対よりは融和を取る。それがわかっているから、私としても緊張しすぎずに話を聞くことができた。

 

「本当は侮れるほど、西方は未開の文明ではないかもしれない。とすれば、今後は交流を深めていくべきなのだ。排斥するよりは、混じり合って良き隣人になるのが最善であろう。施しのつもりで続けてきた交易も、将来的には技術交流、人材交流という形で進めていけないものか――と、宰相殿は考えておられる。……これは、凄いことだぞ。この国の名士が、西方から学びの姿勢を取ろうというのだ。前代未聞とすら言っていい」

 

 こちらと地球の歴史が同一ではない、ということを差し引いてみても。東方国家は西方に対する偏見から、相手を正しく評価できない場合がある。

 自国が一番、という自負を持つのは良いのだが、結果として技術的、軍事的に劣っていくなら問題だ。そして事実、中国は外交的な閉鎖性から反感を買い、技術的な分野で圧倒された結果、アヘン戦争における敗北へと繋がっていく――。

 この辺りの危機感を、どうやら宰相殿はお持ちであるらしい。なら、色々と取引のし甲斐があると、私の方も思う。ただし――。

 

「敵対的な態度を取られるよりは、よほどいいことです。こちらにとっても利益のある話ですから、全面的に肯定したい。――しかし、交流が必要だというのは、宰相殿一人のお考えですよね? 皇帝陛下も、意見を同じくなさっているとは思えません。……違いますか?」

「だとしたら、どうだというのか。宰相殿の権勢を思うならば、それで必要なもの全てを調達できる。交流の為の箱が必要なら作れるし、監督役が必要なら派遣しても良い。……モリー殿が臣従するなら、ある程度は便宜を図れるだろう。何が不満だ?」

 

 顔役殿の口調からして、東方の宮廷は、西方の騎士が頭を下げに来る光景だけを求めていて、背後関係には無頓着であると見ても良い。

 そして、宰相殿だけは違う視点を持っていて、だからこそこうして私にアプローチをかけてきている、と。

 

「不満、と言うのではありませんよ。ただ、そちらとて無理を通す形になるでしょうから、周囲からの反発も大きいでしょう。だからこそ、辺境閥から譲歩を得て、政治的優位を得たことがここで活きてくる。――周囲を黙らせて、己が意を通せる環境が、今なら整っている」

 

 優位を維持しつつ、皇帝陛下への心象も改善したうえで、将来の憂いに備える。宰相殿の動きは、まことに見事と言うほかない。

 その政治力と謀略の巧みさを、全て祖国のためにつぎ込んでいるのだから恐れ入る。間違いなく宰相殿は東方一の政治家であり、同時に愛国心も東方随一であると私は見た。

 

「それがなんだね? 遠回しに言わず、率直に語ってほしいものだが」

「素直に言うなら、宰相殿は名士である以上に『愛国者』だな、と。異例と言うなら、これが一番異例と言うべきです。現状に満足せず祖国の発展を願い、今できることを全力でやっている。……百年先の脅威の為に、今自分の身銭を切る覚悟を持つのは、難しいことです。それができる宰相殿は賢人でありますから、こちらとしても誼を通じておきたいと、改めてここで述べておきます」

 

 こちらからしても、東方の有力者がここまで積極的に融和の姿勢を見せてくれているのだから、それは最大限活用したいと思うのだ。一度通じた誼は、私が会社の代表から降りた後も残り続けることだろう。

 

 西方と東方、その二つの世界が重なり合う時代に、私と彼という存在が生まれたのは僥倖と言うほかない。

 お互いに祖国を優先したい気持ちはあるだろうが、話せばわかる相手を得られたのは大きい。ここで宰相殿が十全に動けている間に、できる限りの成果をもぎ取りたかった。

 西方と東方の衝突が見える今だからこそ、その真意について、確認することは必要だろう。

 商業的な部分だけではなく、軍事的な意味でも、情報と言うものの価値は大きいのだから。

 

「これはあくまでも私個人の想像ですが、西方と東方の交易が進めば、互いの人材も交流を深めていくもの。その上で西方の情報を取り入れ、分析し、いかなる意味での脅威となりえるか。将来的な危険性について、その本格的な判断を下す材料とするのでしょう。――西方から、東方を侵攻する計画が起こった時。それをいち早く知るためにも、人の出入りは多いほうが良いとは思いませんか? あるいは、それを止めるための手段があるならば、事前に把握しておきたいとも考えるはず」

 

 一気に考えを述べてしまったが、情報の波に溺れずに、答えてくれるだけの知性が顔役殿にはある。

 これはそれを試すための発言でもあったが、期待通りの返答を、彼女は返してくれた。

 

「物騒な想像についてもアレだが、そこまで自分たちが重要であると主張したいのかね? 西方人は、その気になれば東方を征服して、想いのままにできるとお考えかな?」

「そこまでは言ってません。――が、百年後はわからない。未来に不幸のタネを残すよりは、お互いに上手にやっていく、そのための努力を払うべきでしょう。……宰相殿も、それを理解しているからこそ、貴女を私の元によこしたのではありませんか?」

「――さて、どうかな。宰相殿の深淵なるお考え、その全貌など、私にはわからんよ。だが、そうだな。モリー殿、貴公に対しては、真剣に話し合うに足る相手だと思う。交誼を結ぶ相手としても、競争相手としても、おそらくは最上であろう。……言葉の多さは、それだけ多くの憂慮を抱えているということでもあるからな」

「結論として、お互いに盟友たることに障害はない、ということでよろしいですね? ――結構。なら、時間をかけてでも少しずつ、歩み寄って活きましょう」

 

 まず東側の価値観に寄り添うなら、皇帝にとって、自らの権威の証明こそが至上の命題であるはず。

 西方人の臣従を宮廷内で演じることで、皇帝陛下は自身の権勢が確かな物であると信じるだろう。その素直な傲慢さは、私にとってはかえって微笑ましいくらいだが、宰相殿には違って見解があるはずだ。

 おそらくは、危機感。顔役の表情と口調からも、宰相殿の懸念が垣間見えるようだった。

 そして私も、結論を同じくしている。西方と東方は、ほどよい距離感を保ったままではいられない。

 

 いずれ深刻な衝突を起こすであろうと、相手方が予測していても可笑しくはあるまい。なればこそ、その時期を遅らせるためにも、起こった時に傷を浅くするためにも、情報は必要だ。

 さらに可能ならば、和解しやすくなる土壌も作っておくべき。そのための布石として、今回の件はまさにうってつけだ。

 

「宰相殿は、この交渉の場を演出し、女性である貴女を重用しているように私に見せている。……価値観を西方に寄せている、と受け取れる態度です。現時点でここまでの配慮ができるのなら、私達はわかり合えるはずでしょう?」

「モリー殿の言葉には、同意したくなるところもある。なおさら争うよりも和合を求めたいな。臣従を受け入れてくれるなら、こちらも掛け金を上乗せするよう、宰相殿に掛け合っても良い」

 

 掛け金の内容については、宰相殿の判断を待たねばならぬ。よって、そちらはもう後で打ち合わせるとして――目下の課題は、臣従について。

 許可を取ったらさっそく取り掛かりたいのだが、宮廷内の作法もあるだろう。性急に事を進めるのは、良くないかもしれない

 

「まあ、今日のところはここまでにしましょう。――私は国元に相談することがあるし、そちらはそちらで宰相殿に成果を報告したいはず。話を前向きに進められそうだと知れば、宰相殿も少しは安心できるでしょう」

 

 私の言葉を一語一句、間違いなく伝えてくれたならば、おそらくは理解してくれると思う。

 我々は共存可能である、と。そして将来の利益のために、いい関係を築けると考えてくれたならば。

 次に会える時は、お互いにもっといい話ができるはずだった。

 

「具体的な話を進めるなら、そちらからの報告待ちになる。あまり楽観も出来んよ。……無理なら無理と、早めに言ってくれると助かる。そちらの場合でも、多少は見返りをくれてやろうと、宰相殿はお考えだからな」

「上から目線なのも、今は頼もしいくらいですね。――それだけの余裕が、東方にはある。良い報告ができるよう、こちらも努力します」

 

 よくよく考えてみれば、東方会社の代表とはいっても、私はクロノワークにおいてはただ一介の騎士に過ぎない。

 王家の相談役なんてものに就任してはいるが、あれは直接政治に影響を及ぼさない役職だから、私が頭を下げたところで西方国家の誇りが汚される、なんてことにはならないんだ。

 王妃様への書状には、この辺りをもうちょっと強調してもいいだろう。

 

「すっかり料理も冷めてしまったな。――作り直させようか」

「いえ、いえ。それには及びませんよ。……せっかくのごちそうを前に、話し込ませてしまった私の方に非があります」

 

 とりあえず、実りある話ができたと思う。首都にまで出張った甲斐があったと思って、ここは納得しよう。

 東方料理は、思ったよりも口に合った。中華料理とはまた違った味わいだったが、舌が肥えてない分、余計に美味に感じたかもしれない。

 

 これだけ豊かな食卓を、クロノワークに届けるにはどれだけの時間と労力が掛かるだろう。

 顔役殿と談笑しながらも、そんなことを考えていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仕事に仕事が重なってくると、家庭の方にしわ寄せが来るのはどうしようもないことで。

 そもそも今回の件が容易ならぬこと、厳しいものになることは最初から分かっていたので、驚きこそないとしても――。

 朝まで勤めてくれていたクッコ・ローセには、感謝を示すべきだろう。時間が許すならば、ドヴールへ戻ったら、今度はクミンもねぎらってやりたい。

 特に彼女は西方への連絡役として、使うこともあるだろうから、よくよく慎重に接することを忘れてはならない。……お返しは何が良いかな。その辺りは、帰路で考えよう。

 

「総督引き渡しの手続きは済んだか? 都の見物をしていられる余裕があるようには、まあ見えんが。……また、厄介事を背負い込んだわけではなかろうな?」

「厄介事は最初からですよ。――今後の展望が、それなりに明るくなるであろう朗報もあります。首都に来た甲斐はあったと、そう言っても良いでしょう。……華やかな首都を見物する余裕がないのは、本当に残念ですが」

「まあ、またの機会もあるだろ。――なかったとしても、惜しむようなことじゃない。お前が無事で帰ってくることが、何より一番大事な事さ」

 

 とにもかくにも、雑事を済ませて総督を引き渡し、ここでの仕事はすべて終えた。顔役殿との連絡手段だけは確保して、首都を出る。

 猶予は数か月。返事だけでも、早めにしておきたいので、ドヴールへの家路を急ぎ、帰宅の途へ。

 

 帰り道は何事もなく、順当に帰還。しかし、安堵して休息するような余裕もなかった。

 帰ったとたんに、商工会の会長から呼び出しが来ていた。日程の調整とか、そうした悠長な段取りを省いて、すぐに顔を合わせたいということである。

 

 おおよそ、予想はついている。会って話をするだけ、という単純な内容にはなるまい。

 話の進み方次第では、休む間もなく東奔西走することになるだろうか。……クッコ・ローセやクミンをねぎらう時間くらいは、確保したいものだが。

 

「私は私で心苦しいのですが、あの人も、気苦労が多そうですね」

 

 まだまだ問題は残されているとはいえ、ひと段落したのは確かなので、ここで情報を共有しておいてもいいだろう。

 帰宅して早々、適度に身支度を整えて、そのまま商工会へと足を運んだ。私が顔を見せると、直通で会長の執務室へ行ってほしいとのこと。

 ……これはまた。性急に過ぎるとは思っていたが、あちらはあちらで、切迫した事情でもあるかもしれないね。

 

「ご苦労様でした。引き渡し業務は、順調に済んだようですね? モリー殿」

「ええ、まあ。おおむね上手くいったと言っていいでしょう。――これで、ドヴールは安全です」

「安心しました。この上、さらに厄介事などが降りかかってこなければいいのですが。……時にモリー殿、首都の居心地はいかがでしたか?」

 

 そして顔を合わせると、挨拶もそこそこに話を切り出してきた。私は首都に長居したわけではないし、語れるほどのものを見物してきたわけでもない。

 だから会長が聞きたいのは、別のことだろう。

 

「居心地を語れるほど、首都を堪能できなかった――なんて。率直な返答を望んでいるわけではないでしょう?」

「モリー殿が政治的に、独自の動きをしていたことはつかんでおります。貴女が、首都で何をしたのか。何を得たのか。……商工会が知りたいのは、そこなのです」

 

 単刀直入にもほどがあると言いたいが、ぐだぐだと前置きで時間を潰すよりはいい。

 だったら最初からややこしい言い回しをするなよ、とは思うが――。韜晦と交渉が日常の人間に対して、複雑さを捨てろというのは無理な話か。

 

「宰相殿とのつながりを持ちました。あとは――そうですね。国元との打ち合わせ次第ですが、また宮廷に呼ばれることになるかもしれません」

「もっと具体的にお願いしたい。……つながりとは、どのような? 宮廷に呼ばれるほどの出来事に、モリー殿は巻き込まれるというのですかな?」

 

 会長にとって、私の存在はやや複雑だ。

 ドヴールの防衛という観点から見れば、味方であることは確かである。しかし同時に商業的には競争相手であり、無条件の信頼を抱くことはできない。

 こちらの動向に敏感になるのは当然だろう。ただ、私だって彼らに対して思うところはある。

 信頼と言うものは、お互いに向けあってこそ意味がある感情なんだ。真実を打ち明けろというなら、そちらも相応のものをテーブルの上に出したまえよ。

 

「そこまで素直に語るほど、私の口は軽くありませんよ。――これだけの答えでも、同じ都市に住むものとして、最低限の義理は果たせたと思います。要件がそれだけなら、失礼させていただきますね?」

「――お待ちを。我々は運命共同体です。貴女個人はともかく、東方会社はそうであると認めましょう。……情報を共有できれば、お互いの商売もやり易くなる。そうは思えませんか、モリー殿」

 

 席を立つだけで、会長は引き止めに来た。まるで茶番だが、段階を踏むこと自体に意味があるだろう。

 こちらはわかってやっている。あちらも、茶番と理解しながら手順を踏む。

 価値観を共有できるのだという実演を挟みつつ、私は再び腰を下ろすと、彼と向かい合い、作り笑顔でこれに答えた。

 

「情報の共有と言うものは、双方向でなくては意味がない。……自分から提案するくらいなのですから、そちらからも情報を流してくれるのですよね?」

「必要に応じて、会合を開くことにしましょう。我々はそうやって、お互いの活動を報告する習慣があるのです。……商工会の内輪だけでやっていたことですが、これから東方会社も参加できるようにいたします。――それで? 私の疑問について、詳細にお答え願えますかな?」

「そうですね。それなら身内同士と言うことで、情報の共有はしない方が不自然と言うもの。……ええ、ええ、会長殿が望まれるように、あったことをそのまま話しましょう」

 

 すっかり言質を取る癖がついてしまったが、東方は基本魔境なので、これくらい強かにやっていったほうが良いと思うのです。

 そうして私は、首都であったこと。顔役殿との出会いと、話し合いの内容について、簡単にまとめて語ったのでした。

 

「皇帝陛下に拝謁し、臣下の礼を取ることで、首都における交易独占権を得る! ……貴女個人にそれを付されるということは、貴女が代表である限り、東方会社はその恩恵にあずかれるということ。……話が大きくなってきましたな」

 

 話を聞き終えると、神妙な顔で会長がこう言った。まだ確定的であるとは言えないものの、私自身は前向きに捉えており、王妃様を説得する材料も多い。

 ならばまず通るのではないかと仮定し、会長は今からその後のことを考え始めている。

 

「首都には当然、ゼニアルゼはもちろん他の西方勢力が入り込む余地はない。……東方の首都に商館を立てられれば、大きな取引も可能でしょう。ドヴールは交易都市として、充分な機能を持っていますが、あちらはそれ以上だ」

「会長殿は、大きな未来を描くのが好きなのですね。――商館を立てる許可はまだもらっておりませんし、取引の数量を制限される可能性だってありますのに」

「首都は人口が段違いなのですぞ、モリー殿。そこに多少なりとも食い込めるなら、東方会社はさらに影響力を強めていける。――西方の品物を売るつもりであれば、いくらかの宣伝が必要になるでしょうが、投資する甲斐はあると、私などは思うのですよ」

 

 投資、と会長は言った。もしかして、彼は東方会社に対して、何かしらの援助を考えているのだろうか。

 その辺りをつついてみようと、私は率直に問うてみた。

 

「ドヴールの商工会が、東方会社に投資ですか?」

「いえ、商工会が会社にではありません。貴女個人に、私個人が投資するのです。……そうでなくては、角が立つところもございますのでね」

 

 どうも東方では、組織と個人を分けて考えるところがあるようだ。これは、書物だけではわからない、実際に接してわかる文化の違いだった。

 西方ではそうした考えがない、というわけではない。ただ、ここまで割り切っておきながら、『角が立つ』とはどういうことだろう。

 

「理解が難しいかもしれませんが、商工会と私個人の商会はまた別なので。……モリー殿の思惑と、東方会社の運営陣の考え方が、常に一緒であるとは限らないでしょう? モリー殿は現在の代表ではあっても、十年後の未来は違うかもしれない。――貴女がいる東方会社だからこそ、投資する価値があるのだと。そこは、誤解してほしくないのですな」

 

 ああ、それならわかる。――実際、私もそこまで長く代表を務められるか不明瞭だし、代表が変わった後のことで、責任を求められても困る。

 個人間の契約なら、双方が同意するだけで解除される。後腐れを残さない意味でも大事だし、組織と組織の契約よりは面倒が少ないだろう。

 

「あとはまあ、そうですな。しくじった時は、私個人が失脚する程度で治めておかないと、商工会への評判に響くでしょう? その辺りを考えて、個人と個人のやり取りに収めようという話です。肝心の投資内容については――今確約できるのは、首都に置くであろう商館。そちらの根回し位になりますか。それ以上のことは、臣下の礼を無事終えてから決めることにしましょう」

「……曖昧な言い方になるのは、立地が決まってないから、ですか?」

「それもありますが、首都にいきなり競合相手ができるわけですから。――周囲との軋轢を最小限にするためにも、商圏が重なる相手との折衝がいるでしょう?」

 

 会長の支持があれば、煩わしい周囲の干渉から守ってくれるというわけだ。

 投資と言う割に、金銭的な面での支援ではないが――あるいは、それ以上に価値のある代物かもしれない。

 かわりに会長自身の影響力が強くなってしまうが、まあ別にいいか。どうせ会長も、私が代表でいる間は派手に動くつもりもないだろうし。

 

 当然の配慮として、状況次第では名分を用意して殴りに行けるよう、警戒だけは怠らぬようにすればいい。当座は、それで問題ないだろう。

 その分、私の後任とか地雷だらけの身分になってしまうけど、上手にやってくれることを祈るとしよう。

 

「これは大前提ですが……まず、私は王妃様を説得しなくてはならない。それが出来なければ、やはり意味がありません」

「でしょうな。――しかし、きっとうまくいきますとも。だって、モリー殿は実に乗り気だ。貴女ほどの人物が、本気で必要だと思うことであれば。貴女の主君とて、無下にはなさらぬでしょうよ」

「……会長殿には、西方にも親しい人が多いのですか? どうにも、不穏なものを感じるのですけれど」

「まあ、そこはそれなりに。諜報面については、お互いに探らないようにしましょう? それが、お互いの為というものですぞ」

 

 私も会長も、それ以上は余計なことを口走らなかった。

 後は細かい部分もお互いに情報を共有し、今後も支援し合う関係を作っていくこと。口約束ではあったが、その同意だけは得ることができた。

 

 終わってみれば、こちらも実りある会談だったと言える。帰宅した後、クッコ・ローセとクミンに説明することが増えたなあ、なんて。そんな感想が出てくるくらいには、軽い話し合いだった。

 

 とはいえ会長との口約束は、表ざたにしないことを前提とした、密約に近いものである。

 おそらくは、今後もそうした内容の話を繰り返していくのだろう。一つ一つが他愛のないことでも、重なれば難しくなる場合もある。

 

 将来的には仕事が大きく増えることになるだろうが、もう踏み出したこと。口に出せないことは、自分の内に抱え込んでしまえばよい。それくらいの覚悟は、すでに私の中にあるのだから――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宰相殿から与えられた、数か月の猶予の中で王妃様を説得し、同意を得たうえで行動の自由を勝ち取らねばならない。下手をすれば、私の忠誠すら疑われかねない、難しい仕事になる。

 そう思って、東方交易と西方の交流について、熱の入った論を展開し、可能な限りの説得材料を並べて、書状を送ったわけだが――。

 

 正直、一通目からまともな返答が返ってくるとは考えていなかった。割と突拍子もない話をしている自覚はあったから、『帰ってきて説明しろ』くらいの返事でも可笑しくないと思っていたんだ。

 

「なのに、『モリーのみが臣従の態度を取るだけならば、許可する』なんて。王妃様がそんなに物分かりの良い方だったとは思いませんでしたよ。さらに『確実な利益が目の前にあるのなら、一時の屈辱は受け入れろ。王家への不敬も、この場合は許す』なんて追記までして。……話が早いのはいいのですが、これはこれで心配です」

「モリー、気を抜きたい気持ちはわかったが、茶化していい話でもあるまい。王妃様には王妃様の考えがあり、この場合は背中を押してくれたのだと、そう考えるべきだろう」

 

 クッコ・ローセがそう言ってたしなめる。確かにその通りで、王妃様がそのような判断に至ったのであれば、私が全面的に責任を背負って、積極的な行動に出なければならない。

 一番苦しい道を歩むことになるが、それもまた想定通りではあるはずだった。

 

「失礼。どうにも、アレですね。一気に重要人物になってしまった感が強くて、弱音を吐きそうになりました。……これで、大手を振って東方の宮廷に赴く口実ができたわけです。宰相殿にも、早々に良い返答が出来そうで、結構なことだと言わねばなりません」

「行きたくなさそうですねぇ。私としては、モリーさんが皇帝の臣下になることも、東方会社の代表であることも、そこまで大きなことだとは思いませんけれど。――出世と言うにも微妙なところですし、実際何か悪いことでもあるんですか?」

 

 クミンが茶々を入れてきたが、ここに明確な反論ができないのが辛い所だった。何と言っても、これは感情的な話なのだから。

 

「実利面で、悪いことは、別にないです。……ただ、王妃様があっさり許可したことが、個人的に引っかかるというか。もしかしたら、王家に私の忠節が伝わってないんじゃないかと、そんな風に思えたと言いますか――」

「忠節とか、そんな大したものありましたっけ? モリーさんが、義理を通す気があるのはわかります。でも、クロノワーク王家への忠誠を示すつもりなら、東方で働くよりも、もっとマシな方法がいくらもあったと思いますよ?」

 

 クミンの言葉に反論することはできる。もっともらしい言い方をして、納得させるのは難しくはないだろう。

 しかし考えてみれば、私は王家第一、国家第一の模範的な騎士であったことは、おそらくないのだ。

 私個人の、おそらくは誰にも理解できない価値基準をもって、自分勝手な忠誠を向けていたのだと――。そのように言われたならば否定できないし、ここに至ってクミンが指摘した問題を、ようやく自覚できたような気がした。

 奉公に一生懸命なのは、今も昔も変わりない。だが大義の為に家族を犠牲にすることは、もはやできそうにないと思う。

 

「……もっとマシな方法、ですか。一応、東方を今抑えておくことは、クロノワークにとって重要な事だと思うのですが」

「モリーさんが言いたいことは、何となくわかりますよ。――王家をないがしろにしてるわけじゃないし、きっと将来のクロノワークにとって、東方が大きな役割を果たすこともあるかもしれません。でも、それ以上に私たちの安全と生活の保障が、今のモリーさんにとっては大事なんじゃないですか? 普通に西方で騎士をやっているより、今の方が実入りも良いし、非常時になっても打てる手がいくらでもある。それだけの権限を得られる立場を選んだんだから、モリーさんは忠誠より私情を優先してるんですよ」

 

 だから、こうやって私のような元風俗嬢に、大事な役目を任せたりしている――と。

 そんな風に、自嘲気味にクミンは言った。悪いことではないのだから、そろそろ開き直ればいいのにと、雑感まで添えてくれる。

 見かねたクッコ・ローセが口出しするまで、私は自分の身勝手さを直視せねばならなかった。まさに自業自得だから、誰を攻めることも出来ない。

 

「そこらへんでやめてやれ。モリーを困らせることが、お前の目的じゃないだろう」

「……そうですね! 思うところはありますが、困らせたくて言ったわけじゃないです。でも、覚えておいてください。モリーさん、貴女の言動は、他人からは理解しがたく映ることもあります。主たる王妃さまだって、確実に貴女の気持ちをわかってくれるわけじゃない。だから、油断なさらぬように。――逃げ道を作ったり、もしもの時の備えをすることは、別段不義理でも不実でもないんだって、私は言っておきますよ」

 

 粛清される対象にならない、なんて。そんな保証はどこにもないのだと、クミンは真剣な面持ちでそう付け加えた。

 彼女なりの危機感の発露だろうか。私は、そんなに危うく見えるのだろうか。

 なんだか自信を無くしそうになるが、落ち込んでいる暇など私にはない。むしろ発奮して、彼女たちの期待に応えてこそ、夫として相応しい態度だと言えるだろう。

 

 ――そうだ。私は、立ち止まっている暇などない。西方と東方の衝突に備え、あらゆる意味でより良い将来を目指す。

 私は、そうすると決めたのだ。我が家の安泰はもちろん、祖国の繁栄と、同盟者たちの幸福を守るために戦うのだと。

 

「クミン。シルビア妃殿下とクロノワークは、同盟関係にあります。余裕のある時で良いですから、損をさせるつもりなどないと、お伝えくださいな」

「その程度なら、わざわざ伝えなくとも妃殿下はお察ししますよ。……ゼニアルゼにとって、私達は東方交易での競合相手なのでしょうが、大きな枠組みで見れば協調も可能だと私は思います。モリーさんも、そろそろ妃殿下への対策を考えてくれているはず。そうですね?」

 

 確認するように、クミンは私へと問いかける。単純に『考えだけはある』と伝えても良いし、しばらくは東方に掛かりきりになるから、帰国するまで何にもできません――と正直に伝えても良いのだが。

 

「ええ、ええ。好きなように情報を流してくれていいですよ。対策など必要になった時に考えれば十分間に合います。妃殿下ならば、私の行動も思うところも、おおよそ理解してくれるはずですから。――情報さえ与えていれば、間違ったことをする人ではない。その信頼があるから、私も現状の問題に集中というもので、ええ」

 

 あえてひねくれた言い方をして、クミンを困らせてみようか。案の定、微妙に困ったような表情で、クミンは言った。

 

「私に対してはそれでいいですが、まさか商工会の会長に対しても、そのノリで話したわけじゃないでしょうね。……侮っていい人じゃありませんよ」

「不在の間、何かありました? 短絡的な人ではないと思いますが、クミンに対して脅しとか恐喝とか、間接的にほのめかしたりとか――」

「ないです。そうじゃなくて。……詳細は省きますけど、色町でも色々と商業の話が出てくるわけでして。今の会長がやり手で、ドヴールの繁栄に貢献しているとか、自分の代で商売の規模を数倍に拡大したとか。そういう話を小耳にはさんだので、モリーさんのことも利用するつもりで近づいてるんじゃないかと、ちょっと心配したんです!」

 

 困らせすぎたかもしれない。割と真剣な声で言ってくるので、これはこれでアリだな――なんて思いつつ、安心させるように答えよう。

 

「会長殿の思惑を完全に理解しているわけではありませんが、まあ。利用は、確実にされるでしょうね。しかも、拒む手段はほぼないのです。……東方は完全にあちらの領域で、勝手にアレコレ動かれた場合、私の方から打てる手といえば、顔役殿かミンロンの伝手を頼るか、単純に武力に訴える位のものですから」

「顔役のことについても気がかりですが、わかっていて、打てる手がない? それは自虐が過ぎるんじゃないですか、モリーさん。貴女ならどうにかしてしまいそうですけれど」

「買いかぶりすぎですよ。――まあ、東方会社の収益なんて、『最終的には』どうなってもいいのです。どんなに長くても、三百年もすれば解体される会社だと思って、今のうちにやりたいことをやれればいい。だから、ドヴールの商工会が首都の商圏を荒らしまわることになって、責任がこっちにまで飛び火したとしても。その頃には、だいたいやれることはやりつくしているでしょうしね」

 

 だから、まあ問題にはなりません――とまで言うと、クミンは呆れたような様子だった。

 

「……結局、貴女の手の内、ですか。モリーさんって、本当に遠くのことは良く見えるんですね」

「見えたつもりになっているだけですよ。――東方情勢は、いまだに微妙なところにあります。西方の本社にも連絡を入れないといけませんね。……万が一の時は、あっちにも問題を押し付けてやりたいので。私達だけが苦労するなんて、不公平でしょう?」

 

 東方の宮廷では、何が起こるかわからない。土壇場でちゃぶ台返しがないとも限らず、引き返せぬ場面で難題を押し付けられる可能性は、排除できない。

 宰相殿の権勢がどんなに強くなろうと、反抗する者が茶々を入れてくるかもしれないし、皇帝陛下の遊び心で約束を反故にされることもありえるだろう。

 

 そうした際、問題を共有できる――もしくは丸投げできそうな相手を見つけて、対処させるための布石を打っておくことは、とても大事だと思うんですよ。

 だから、ホーストで胡坐をかいているであろうタラシーとかチャラ王子とか、その辺の連中も一緒に悩んで苦しみましょうね――ってお話を、書簡を通して伝えておきたいんだ。

 

「色々考えて、最終的に押し付ける相手を探すっていう結論を出すあたり、モリーさんも良い性格をしてますねぇ」

「知らなかったのか? こいつ、結構アレだぞ。まともに見えて狡猾だし、卑怯とか卑劣とか、そんな評判を気にするような奴じゃないんだ。私も、気付くのに時間が掛かったが。――いいじゃないか。そんな奴が、私達に対してだけ、特別に優しく接してくれる。そう思えば、案外悪くないだろう?」

「……恐れ入ります。まあまあまあ、そういうわけで。今回の件が、東方での大一番になりますが。これを乗り越えられたら、大きく展望も開けるわけです。そうなったら、私も時間を確保できるでしょうし、お二人には特にお世話になりましたから。お返しをしていこうかと思っていますよ、色々と」

 

 思考を回せば回すだけ、将来的な問題と言うものは現れてくるものだ。その全てに適切な対処など、できるわけもない。

 私にできるのは、手の届く範囲で、守りたいものを守ること。それくらいのものだと、わきまえねばならぬ。

 妻二人から向けられる、温かい感情を実感しつつ、今後の備えをしていく。それだけで十分なのだと、そう思うのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 議論の必要すらなく、王妃様から即座に許可が出たことで、私の方も早々に決断することができた。数か月という時間的余裕も、かなりの部分を短縮し、皇帝陛下との謁見も実現に向かうことになる。

 顔役殿への連絡も、早いうちに済ませた。これで事前にできることはだいたいやって、おおよそ三か月後。いよいよ東方皇帝に対し、臣下の礼を取る儀式へと望むことになった。

 この際、クッコ・ローセとクミンは伴わない。万が一面倒なことが起こった場合、巻き込んでしまうことを避けるためだ。

 

 ……とはいえ、実際の謁見までは、当日までも様々な下準備がいる。事前の調整はもちろんだが、儀式に参加する段になっても、首都についたとたんにすぐ始まる、というものではなかった。

 

 まず、東方会社から皇帝陛下への貢ぎ物の類があり、これを運び込む作業がある。東方においては、臣従を示す儀式に際し、この手の礼物は必須と言って良い。

 目下の者からの貢ぎ物を鷹揚に受け取り、謁見の際にはこれをねぎらう言葉を与える。それからお返しに、貢ぎ物以上に価値のある財物を与えて返す。

 それが東方皇帝の権威を示すための工程であり、宮廷における作法と言うものであった。

 

 貢ぎ物については、私自身が吟味し、商工会の会長からのアドバイスも受けつつ、交易品を中心に様々な工業なども盛り込んだ、欲張りセットとなっている。

 具体的には、西方の丈夫な軍馬とその馬具、東方の製法を真似て作った磁器、貴金属製品や美術品。他には、鉄製の武具と大砲なども持ってきている。

 

 現状でも、軍事技術に限るならば西方が優越しているのだと、それを理解させるための内容である。砲兵隊も連れてきているから、時間と場所が許すならば、デモンストレーションをしておきたいところだ。

 皇帝陛下と文官どもはわからないが、宰相殿はそれだけで西方の脅威を知るだろう。そして、技術格差を埋めるために、より深い交流を急ぐはずだ。そこに付け入れば、クロノワークが独自の権益を得ることも出来るだろうし、東方における独自の立ち位置も確立できるかもしれない。

 ……欲を張りすぎだと言われたら、やはり否定はできない所だった。

 

 もちろん軍事技術に限らず、西方の文化や工業力を示すために、この場限りは赤字になっても良いとアレコレと持ち込んで来ている。印刷技術や測量、土木工事の方面なら、やはり西方が強い。技術書も多量に持ち込んで来たから、翻訳する気があるならこれもまた、東方国家の益になること間違いないだろう。

 知識だけでも詰め込んでおけば、いざ技術者が交流にやってきたときに、充分な指導を行える。

 もっとも、それだけに貴重な品々が多いものだから、これを管理する官僚たちとも、作業についての打ち合わせが必要で、結構な時間を食ってしまった。

 まあ、実際に西方の文物を宮廷内に持ってこれたのだから、宰相殿の意向にはそっていると思う。

 

「――と、いうわけで。礼物の処理に関しては、後はこちらで管理する。ぞんざいに扱ったりはせぬから、そこは安心してくれよ」

「……顔役殿が連絡役兼接待役を務められるとは、聞いておりませんでしたよ。あらかじめ聞いていれば、個人的な贈り物も用意できたのですが」

「余計な気を回すなよ。――貴公には、もっと別に心を砕かねばならぬ問題があろう。皇帝陛下の謁見までは、今しばらくの期間がある。数日は歓待を受けるだけの日々が続くが、焦らずに待っているといい」

 

 顔役殿が出迎えてくれた時は、何か良からぬことでもあったのかと、悪い報告が飛んでくることを覚悟したものだけど、案外物事はスムーズに進んでくれている。

 彼女と宰相殿が、ちょっとしたいたずら心で、彼女を我々に張り付かせているというなら、それもいい。これを機に、少しは東方の宮廷勢力への理解が深まればいい、とも思う。

 

「申し訳ないが、人員配置や警護の問題から、自由はどうしても制限してしまう。そこは納得してくれよ」

「ええ、まあ、はい。それくらいなら構いません」

「あとは、そうだな。こちらが把握するためにも、連れてきた者らの名簿が必要だ。砲兵隊なんぞも連れて来てくれたから、余計ややこしい作業をせねばならん。とりあえず全員の経歴と人数の詳細を教えてくれ。――そのために、記録官も連れてきた。逐一情報を書き残し、後日の学びとする、ということでね」

 

 礼物だけでなく、こちらの人員をすべて把握しようとする態度は、実に勤勉に見えた。

 求められるままに人員名簿を手渡し、本日の業務は終了。これから私たちができることは、待つことだけだ。

 

「流石に一か月も待たせることはない、と思う。もしドヴールの方へ知らせたいことが出来たら、私に言ってくれ。書簡を送るくらいのことはしよう」

「ありがとうございます。その時は、頼らせていただきますね」

 

 この状況で、何かしらの情報を送らねばならない事態。それはきっと、厄介事が降りかかってきたときに他ならない。

 そんな事態は歓迎したくないな、なんて。私は暢気に考えていたのです。

 

 

 

 

 後々聞いたところによると――この頃のホーストではチャラとかタラシーとかが、情報の波でおぼれて、右往左往していたらしい。

 臣下の礼が終わるころには落ち着いていたらしいが、その後でさらに難題が降りかかってくるとは、思っていなかったろう。

 

 あの時は悪いことをしたなぁ、とか。すべてが終わって振り返った時に、そう思うのでした――。

 

 




 今回もここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
 毎回、投稿直後から目を通してくださっている読者も多い様子で、確認するたびに恐縮しております。

 物語を畳む決意をしてからと言うもの、自分自身では『この物語のどこか面白いのか?』まったくわからなくなってしまって、筆が止まる日も多くありました。

 それでもここまで続けてこれたのは、言葉がなくとも見守ってくださっている、多くの読者がいてくれたからです。
 数字として、きちんと読んでくれる皆様がいる。その事実に支えられて、今も物語を綴っています。

 次回作は、色々な意味で意欲的なお話になるでしょう。ある程度書き溜めてから投稿するつもりなので、年末位になるかもしれません。

 生きている限り、ものを書き続けたい。そう思って、私はこれからも懲りずにやっていくことでしょう。
 暇なときにでも、チェックしていただけたなら幸いです。では、また。



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謁見を終えてから帰国からの四方山話


 話を畳むことに精いっぱいで、色々雑になっている感はありますが、とにもかくにもここまでこぎつけました。

 次の話で、終わらせることができると思います。足りないところがあったら、気が向いたときにも外伝っぽく付け足していくことになります。

 もともと頭を使わずに、思いつくまま書きなぐってきた物語。最後まで見守ってくだされば幸いです。



 

 顔役殿のお言葉通り、一か月も待つことはなかった。謁見そのものはすぐにでも行えるのだが、その前にせっかくだからもてなしてやろうというのが、東方国家の流儀であったらしい。

 

 おおよそ二週間ばかり、旅行に連れ出されて観光地巡りをさせられたのは、東方の国威を示すためであったのだろう。世界遺産に相当する遺跡や建築物、東方の文物を見学できたのは、あちらなりの配慮だったのだろう。

 それでも仕事で来ているのだと、強く意識している私は、あんまり楽しめる状況ではなかった。

 態度にも口にも出さなかったが、割と気を使われてしまったので、これは残念と言うほかない。この辺り、接待してくれた顔役殿には申し訳なかったと思う。

 

 もっとも、気を使っているのはお互い様ともいえる。皇帝陛下との謁見は、おそらくすんなりとは終わらないだろう。

 そこで気分を害するようなことがあっても、私は全てを飲み込んで悪意を返さぬこと。これだけは保証できると、顔役殿には伝えていた。

 

「なるべく楽しんで観光してもらえるよう、心を尽くしたつもりだったが、やはり時期と環境が良くなかったのだろうな。……好奇の目線は多く、大っぴらにもてなして見せるのも難しい。次の機会があれば、挽回させてほしいものだ」

「いえ、充分楽しめましたよ。お心遣い、本当に感謝します。――東方の文化は興味深いものでした。それはさておき、明日の謁見の際は、同行されないのですか?」

「ああ、私は許可されていないのでな。……言うまでも無いが、用心しろよ。文武百官が、貴公の臣下の礼を見物しにやってきている。土下座を繰り返す儀礼は屈辱的だが、本当に耐えられるのかね?」

「今更前言を撤回したりはしませんよ。ええ、大丈夫です。どんなにアレなことを要求されても、どうにか切り抜けて見せましょうとも」

 

 雑な話題転換にも、顔役殿は付き合ってくれた。だとしたら、これに正直に向き合うのが私の義務だろう。

 王妃様の許可も得ているし、王家への不敬も許容されるのだから、よっぽどのことがなければどうにかなると思うんだよ。

 

「前に、掛け金を上乗せする、と言ったな? ――臣下の礼を受ける段になった以上、そちらの覚悟は本物だと理解する。ここまで受け入れてくれた以上、こちらも応えたいと思うのだ」

「景気のいい話は大好きですよ。くださるものは、ありがたくいただきます」

「首都における独占交易権に加えて、さらに免税特権を与えるとの仰せだ。ここまでのことをしてやるのに、どれほど苦労されたことか。宰相殿の尽力と配慮に感謝してくれよ」

 

 もう一声なにか無いのかなぁ、なんて。そんな贅沢な感想を口する正直さは、流石に持ち合わせていなかった。

 ぶっちゃけ、それでも十分すぎる位の話ではある。取引が多くなればなるほど、関税は大きくなるものだから、免税はすごく助かるんだ。

 でも宰相殿の権勢を考えるなら、もうちょっと商圏の拡大を許すとか、競争相手になる東方商人への圧力とか、期待してもいいと思うんですよ。

 特に免税特権なんて、周囲から嫉妬の的になりかねない。――あるいは、それが目的なのか。将来的には排除するつもりだから、景気のいい話をもってきているのだろうか。

 

「もちろん、免税特権は期限付きだ。最初の三年だけの特別待遇だと思え。……安心したか?」

「はい、感謝いたします。宰相殿の長寿と繁栄をお祈り申し上げます。どうか、その権勢を長く維持されますように」

 

 この三年間の間に、どれだけのシェアを占められるかが勝負になる。宣伝にも手は抜けない。流通網を整備し、新たな需要を作り出し、西方の文物を東方へ注ぎ込む。私が代表を務めている間の、短い期間に限れば、それで十分な利益がでるはずだ。

 少なくとも、王妃様への言い訳になるくらいの成果であろう。お世辞の一つや二つ、自然と口に出るものだ。

 

「……そこまで現金な態度を取られると、それはそれで思うところがあるな。いや、いい。私の立場でケチを付けたところで、意味のない話だ。とにかく、明日は上手くやってくれ」

「もちろんです。全部終わったら、帰路を急ぐことになるので、しばらくは会えなくなりますね」

「心配せずとも、ドヴールへの連絡手段はすでに確立している。私が『顔役』と呼ばれているのには、それなりの理由があると思ってくれ。――こちらの配慮を、無駄にしてくれるなよ」

「はい。末永く、よりよい関係を続けていきたいものです」

 

 こちらの危惧を理解したかのような返しに、私は顔役殿への感謝を示した。期限付きの待遇であれば、東方商人たちからの嫉視も、そこまで強くはなるまい。

 それはそれとして、明日にも東方の宮廷に入る以上、覚悟は決めておこう。私が今心配すべきは、商業活動ではなく、廷臣どもの謀略である。

 

 儀式の中、あちらから仕掛けてくる可能性は少ないとしても、意に添わぬ約束などを押し付けられてはたまらない。

 謁見に備えて、アレコレ思考を回しておくことも忘れずに。想定される事態について、思いつく限りの対策を講じるのだ。

 

 それでも、斜め上の状況は逃れえぬ、と悲観してしまう辺り。私も充分以上に委縮しているのか。

 いや、今さら怯えるようなことではないはずだ。ここで怖気づくくらいなら、初めから東方になど来ていない。

 そう思って、自らを奮起させ、立ち向かおう。流血こそ伴わないが、明日は戦場に出向く。そうした気概で望むべきなのだと、私は理解していたのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 首都に滞在している間、食事や観光に関しても。あるいは寝所や浴場についても、かゆい所に手の届くような心づくしを、我々は受けていたと言って良い。

 ほしいと言った果物や酒は必ず届けてくれたし、代価として金銭を返そうとしても絶対に受け取ってはくれなかった。

 うっかり受け取ってしまえば、かえって罰されてしまうと、苦笑気味に言われては仕方がない。なんというか、過剰なくらいにもてなされている気がするけど、これが東方流のやり方だと思うことにしよう。

 

 実際、英国からの使節団も、これくらいの待遇は受けられたとも聞く。

 初めて宿泊した日の夜は、花火をもって祝ってくれた上、楽隊を派遣して東方の音楽を心行くまで堪能させてくれた。このことは、たぶん一生忘れられないだろう。

 ここまで歓迎されてしまうと、かえって恐縮してしまうほどである。私個人だけではなく、伴ってきた砲兵隊も同様の待遇を受けられたのだから、東方国家が今回の件についてどれだけ熱心であるか、わかろうというものだった。

 

 ……ここまでしてくれたのだから、というのもアレだけど。

 

 当日、宮廷に向かうために整列して行進する際、先頭の旗持ち(東方の役人が務めた)が『東方皇帝への貢物を持ち、臣従を求めてきた西方人大使』という旗を高々に掲げていたことは、容認してあげようと思う。贅沢を言うなら、もっとオブラートに包んだ表現にしてほしかったけれど。

 しかし形式的にはそれで構わないと王妃様から許可は取っているのだし、全ての儀礼を受け入れることは、すでに覚悟していたことである。

 だから、私は平然とした態度を維持するべきなのだ。二度手間になるような、非効率な行動を求められても、それが道理に叶うならば、その通りにしようじゃないかね。

 

 

 一度提出した、こちらが貢物として持ってきた礼物を、再度我々が宮廷の中まで運んでゆく。

 先導する旗持ちに従い、指定の場所に配置して皇帝陛下のお目通りを待つ。

 東方文化は儀礼においても、なかなかもったいぶった演出を好むらしい。こちらが何を貢いできたのか、それを実際に目にしてみたいと、皇帝陛下が望んだのであろう。

 途中、皇帝陛下の庭園の前を通ったが、丘の上からそれらしい人物が見えた。我々が臣従しに来たことを、あらゆる意味で上から目線で眺めたかったのか。

 ――本当に、良い趣味をしているよ。私はそれも東方文化の妙味であると理解できるけど、他の者はそうではあるまい。

 東方会社の随行員、砲兵隊の者たちは、よくはわからなくともとにかく見下されている、と感じるだろう。どうにも気が重いが、ここでの文化的な衝突は、避けることも出来ない。

 ともかく、こちらは言われたとおりにしたのだから、後は状況が動くのを待つだけだった。

 

 そんな中、突如として銅鑼が鳴り響く。そして、ゆったりとした落ち着いた音楽が流れた。皇帝陛下がやってくる、その前触れである。

 廷臣どもは平伏し、出迎える。我々もそれに倣うべきなのだろうが、今回に関しては特別に免除されていた。

 どうにも、皇帝の方が我々の姿を間近で確認したがったそうで、平伏せずに片膝を付く態勢を取り、腕を組んで目を伏せつつ、その時を待った。

 

 ……私は、東方皇帝の姿を初めて目にすることになる。そこから西方と東方の世界は、つながりを得ることになるのだろう。

 自らがそれに関与し、情勢を動かすきっかけを作ることになる。最近の私は、責任の重さを実感する機会ばかりで、胃もたれしそうになるくらいだったが――今回は、さらに特別と言って良い。

 

「面を挙げよ」

 

 廷臣どもが、まず皇帝の声に従い、顔を挙げて起立する。

 

「西方の異人へ告げる。――面を挙げよ」

 

 再度の皇帝の呼びかけに応える形で、私達も起立した。実際に確認してみると、皇帝の顔立ちは思ったよりも平凡なもので、平たくも無機質な、仮面のような表情をしていた。

 外見から感じるものはないが、大事なのはそこではない。皇帝自身が歓迎の態度を取ること。重要なのは、それだけだった。

 

「西方からの使節、モリーよ。貢ぎ物をもって来朝したこと、まずはご苦労であると褒めておく。――珍しい西方の品々は、朕を楽しませるであろう」

「陛下の歓心を得、お言葉を賜ったこと、恐悦至極に存じまする」

 

 すかさず平伏し、再度叩頭。こうして、あくまでも臣従する態度を続けることで、皇帝陛下は自らの権威を再確認してくれることだろう。

 安い土下座で温情を頂けるなら、ありがたいことだ。――商業の自由を許してくれるのなら、西方と東方の交流がこれで決定的なものになるならば、私個人の面目なんぞどうなっても構わぬ。それくらいの覚悟は、すでに決まっているんだよ。

 

「足りぬ。礼儀作法を習わなかったか?」

 

 皇帝陛下は、無表情のまま、そういった。不興を買ってしまったと判断し、即座に答える。

 

「ご無礼、陳謝いたします。――では、そのように」

 

 目の前で平伏し、頭を叩きつけること三度。それを三度繰り返し、合計九回もの土下座を行う。

 

 私個人の安い土下座でも、繰り返せば皇帝の歓心を買うには充分であったらしい。満足そうな笑みと口調で、陛下ねぎらいの言葉をかけてくれた。

 

「よい、よい。無作法を許そう。改めてこちらの儀礼に従ったこと、それをもって償いとする」

「陛下の恩徳に感謝するように。よいな、モリー殿」

「はい、感謝いたします。……宰相殿、ならびに廷臣の方々。我々は東方国家との友好を築くためにここに来ております。どうか、お互いに交流することをお許しください。そして願わくは、共に栄えることをお許し願います」

 

 宰相殿とは、ここでようやく初めて面識を得る。他の廷臣どもは覚えるに値しないが、彼だけは別だ。

 老齢に至っているが、覇気のある人物。ともすれば皇帝陛下よりも存在感のある、傑物のように見えた。容姿と雰囲気だけでそう思えるのだから、これは相当なものである。事前のやり取りからしても、知性と忠誠心は疑う余地がない。

 彼の関心を得られれば、それだけで十分と見るべきだった。皇帝陛下が何か言っているが、これは適当に受け流すだけでいいと、すでに私は見切っていた。

 

「西方より我が徳を慕って、はるばるやってきたことは評価せねばなるまい。約定通り、首都における自由を認めよう。――宰相、それでよかろうな?」

「はい。もとより、そのような約定なれば。これを保証することが、陛下の徳を示すことにもなりましょう」

「では、そうせよ。モリー、と申したな。西方人としては、呼びやすい名である。そなたが望むならば、東方の公的行事に出ることも許そう。自ら商業活動を励み、顔を売りたいならばそうすればよい。……朕は満足した、これでよいな?」

 

 宰相殿の言葉が後押しになり、諸々の保証をこれで得た。ようやく私も肩の荷が下りる――と思ったところで、周りを取り巻いて見守っていただけの廷臣どもが騒ぎ出した。

 

「恐れながら陛下」

「西方人に首都で自由を許すのは前例無き事」

「先帝、ならびに高祖に対して不敬ではありますまいか」

 

 甲高い耳障りな声が、三度も響いた。宦官でも混じっているのかよ、と突っ込みたかったが辛うじてこらえる。

 ……しかし、今頃になって騒ぎ出すということは、宰相殿はあえて根回しをしていなかったということになる。

 怪しい雰囲気になっているが、それでも皇帝陛下の言質は得たのだ。どうとでもなると思っていたのだが、状況はそこまで単純でもなかったらしい。

 

「朕の決断に異を唱えるか」

 

 陛下は不機嫌そうに言うが、決して横暴に罰しようという雰囲気は出さない。廷臣の発言を待つだけの余裕もあり、これに付け込む形で連中はさらに発言を続ける。

 

「まさかまさか、恐れ多い」

「皇帝陛下のご判断は常に正しく、我々はそれに従うのみでありますれば」

「しかし、足りぬところを補うのも廷臣の務め。どうか、お許しを」

 

 廷臣どもの声が、宮廷内に響いていく。私にとっては不快なさえずりであったが、皇帝陛下はこれにも耳を貸そうとする。

 わざわざ口に出さずとも、つまらなそうな顔で視線を向けるだけで、彼は廷臣たちを動かすのだ。

 

「発言をお許しいただけたこと、感謝いたします。――足りぬのは、モリーとやらの立場」

「単なる一武官が頭を下げただけで、褒賞を与えるのはやりすぎでありましょう」

「せめて、もう少し上の役。西方の王族を、陛下の臣下とする。それを認めてようやく、首都における商業の自由を許すべきでしょう」

 

 そうでなくては、東方国家そのものが舐められているようなものだ、と廷臣どもは好き勝手に言ってくれた。

 土壇場でケチを付けてくることもあるだろうと、事前に構えていたので驚きはない。これは想定されていた事態であるから、私の方も即座に対応する。

 

「我が主君、クロノワークの王族から改めて書状を送り、書面で臣下たることを容認させれば、それでよろしいでしょうか?」

 

 東方会社の西方における代表者は、ホースト王国のチャラ王子になるが――あちらに話を通す前に、まずは自弁の札を切るべきだ。

 この際、書面で容認する、という言質だけを与える。クロノワーク王や王妃が、実際に東方皇帝の臣下になりに行くわけではない。

 現地においては、臣下扱いすることを許す――という形に限定させるのだ。書面だけならば、そういう誤魔化し方も通じるとみて、私は提案した。

 

「結構。では書状には、正式に王族の印を押すこと。実名入りで、『東方皇帝の意向にひれ伏し、これに従う』という旨を記すこと。それを守ってようやく、陛下の面子が立つものと、臣は考えまする」

 

 宰相殿が、あえてそう言った。この場の主導権を得るために、ここで押しとどめるために、一言付け加えてくれたのだろう。これがこちらのギリギリの線であると、見極めて口を出したのは明らかだった。

 

「同意いたします。まさに、それでこそ陛下の徳が示されるというもの」

「書面に残しておけば、言い訳の余地もなくなりまする」

「それが叶うならば、東方国家が、西方国家を臣従させたことになる。まことに歴史的な偉業として、陛下の名は万世に残りましょうぞ」

 

 廷臣どもに何かしらの皮肉を言ってやりたくもあるが、私が刺激しても悪影響があるばかりだろう。右から左に聞き流してやるのが最善と思う。

 なにより、これくらいの難癖は予想できたことだ。私では足りぬ、上役を出せ――といわれたなら、そうしましょうとも。書面だけではあるが、こちらも屈辱を受け入れてやろうさ。

 

 王妃様は、事前に東方国家の無礼を許し、不敬を受け入れると覚悟を決めている。私もそれを前提として動いたし、充分な見返りを確保してくるつもりだ。

 ――そして、我々がここまで譲歩した以上、機会あらばチャラ王子らにも泥をかぶってもらおう。クロノワークだけが割を食うのは問題だが、事を大きくして全体に屈辱を共有してもらえるならば、これは一王家だけの汚名にはならない。

 

 東方皇帝の傲慢さを許容してやれば、東方国家から膨大な利を得られる。その認識が広く共有されたならば、私の今回の行動も、正当化することは容易いはずだ。

 

「皇帝陛下の面子の為ならば、どうして断れましょうか。私モリーは、必ずそれらを明記した書状を送らせましょう」

 

 そういうわけで、私はこころよくこれを受けた。後日、実物をもって証明すれば、我々は何をはばかることもなく、商業活動に専念できるわけだ。

 交易による利益と、交流することによる文化的な衝突の緩和、あるいは新たな価値観の創出につながるやもしれぬ。後世における重要事を、無難にやり遂げることができた。

 そう思って安心したところで、皇帝陛下が口を開く。

 

「ならば、それでよい。――面倒な儀礼は、省略するに限る。ここからは、宴だ。皆、楽しめ」

 

 そこからは、また場所を移して飲めや歌えやの大宴会になった。

 私自身、皇帝陛下から酒を賜ったり、随行員たちも一杯ずつ酒杯を分け与えられた。砲兵隊のデモンストレーションも、日程を決めて行われることが決まる。

 皇帝の傍には、常に宰相殿がついていて、我々の便宜を図ってくれていた。思わせぶりな視線も、何度感じたかわからない。

 

 ……そんなに念を押さずとも、恩に着ていますよ。それを証明するまで、そんなに時間はかからないだろう。

 それを確信できるくらいには、良い具合に進行した。良い報告ができそうだと、私は安堵したのでした。

 まあ、これからも一つ二つは山場を越えることになるんだろうけど。一番大事なところは切り抜けたと思えば、気が楽になろうというものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宴は一度で済むものではなく、西方からの使節と言うものは、とにかく東方の廷臣たちの興味を引くものらしい。

 皇帝陛下が酒を注いでくれた、という事実も後押しして、数日間の饗宴の中で我々は常に特別扱いを受けていたと思う。

 我々を蛮族とみなして、これを手懐けるための謀略の一環ではあるだろうが――それならそれで構わない。どんな形であれ、まずは関心を持ってもらうことが第一だ。

 

 砲兵隊のデモンストレーションも、なかなか好評だった。あれが自分たちに向けられる日が来るとは、実際思っていないのだろう。そうでなくては、あそこまで無邪気に見物できなかったはずだと、私は思う。

 ただ宰相殿だけは、鋭い目を向けてきた。……砲の進化は、城壁の意義を薄れさせる。籠城戦が無意味になる将来、いかにして国を守るのか。彼だけは、そんな所まで考えてもおかしくないが――さて。

 

 とにもかくにも、好感触のまま儀式も宴も終わらせることができた。悪い印象を与えなかったことが、思ったよりも評価されたようで、あちらもさらなる配慮をする余裕ができたらしい。

 帰還の時になっても、我々の厚遇は変わらなかった。皇帝陛下自ら送り出すという形で、それは為された。

 廷臣たちもぞろぞろと見送りに来たものだから、こちらも恐縮して仕方がない。落ち度を作るわけにはいかないから、首都を出て見送りが見えなくなるまで、ずっと緊張を強いられてしまったよ。

 

 全ての行事が終了した後で、ようやく一息を突く。だが、むしろここからが本番ともいえる。

 これは何よりの成果であるともいえるのだが、皇帝直筆の親書を受け取ってきている。

 はっきりいって、責任重大なんてものではない。冗談抜きで、私がこれを安全に持ち帰ることが、今後の双方の関係に影響する。

 中身は勝手に見ることもできないが、親書である以上は王妃様への挨拶とか、今後の付き合いについてのことが主だろう。外交的な重要事と言って差し支えない。

 

 万が一の失態も許されないと思えば、心身への負担も大きなものとなる。しかし、今回は苦労を共にする相手がいる。

 クロノワークへ皇帝の親書を持ち帰る役目があるから、大手を振って妻二人を伴って帰国できる。国元の様子も気になる頃合いだったし、これはいい機会でもあると思う。

 

 ドヴールに戻ると、すぐに帰国へ向けて支度を済ませたかったのだが、ここでクミンから意見が出た。

 

「すいません。モリーさんには悪いんですが、シルビア妃殿下から速達便が来まして。――私はどうも、ここを離れられないようです」

「ええ……? それは、どうしてです?」

「組織の根を、東方に本格的に根差す好機だそうで。近いうちに人員を送るから、私がここでまとめろと、そのようなお達しです」

 

 西方の風俗を牛耳るに飽き足らず、今度は東方にまでその魔手を伸ばそうというのか。シルビア妃殿下の野心の大きさには、色々な意味で参ってしまう。

 そろそろ会って話をするタイミングとしても、悪くはない頃合いだ。いっそ、王妃様も巻き込んでしまおうかと思いつつ、クミンの話に耳を傾ける。

 

「ここは従っておかないと、今後の仕事に差し支えるかもしれません。……モリーさんも、また東方に戻ってくるでしょう? それまで、ドヴール周辺の動向も探っておきますから。どうか心置きなく、帰還してくださいな」

 

 それもまた、内助の功と言うものでしょう――なんて、クミンは言ってくれた。

 彼女が残るなら、戻ってきたときに仕事が遅れたり、情報伝達が滞ったりすることはないだろう。

 確かな組織を維持し、整備してくれるという彼女の献身に対して、私は何を返してやれるのか。

 ……可能な限り、尽くしてあげるほか、ないのではないか。それでも、充分と言えるのか――。改めて、私は自分の至らなさと、クミンに対しての甘えを自覚せざるを得なかった。

 

「苦労を掛けるな。お前の功績は、私がしかとザラとメイルに伝えておこう。あいつらがドヴールにやってきても、決して雑な扱いはさせないと、ここに約束しよう」

 

 これにはクッコ・ローセも負い目を感じるようで、気遣うような言葉をかける。

 彼女らしいと言えばそれまでだが、貢献には常に報いようとする姿勢は、私にとってもありがたい。

 彼女が味方してくれるなら、家庭内でクミンが孤立することはないだろう。

 

「どうも。――恩に着たりはしませんが、いいですね?」

「殊勝なふりをするなよ。お前はお前のまま、好きに生きればいい。私の方からケチを付けるつもりはないさ」

「この場に残る以上、期待された仕事はします。教官殿も、気を抜かないように。モリーさんって、肝心なところで抜けているところがありますから。できる範囲で、フォローしてあげてください。……あと、浮気はないでしょうけど、仕事にかまけて家のことを忘れがちだったりしますから。夜になったら、きちんとベッドに引きずり込んであげてくださいね」

「もちろんだとも。――その辺りは、安心して任せてくれ」

 

 結託して、私を追い詰める方向にいかないでほしいんだけど。

 まあまあまあ、彼女らなりのユーモアだと思って、前向きに考えることにしよう。帰還した後の諸々の問題について向かい合うよりは、よっぽどマシであろうから。

 

 家庭内の話を片付けると、今度はドヴールの商工会へ。しばしの帰国を伝え、戻ってくるまではクミンが連絡役となること。彼女が今の地位を追いやられることがあれば、東方交易に支障が出ることについても、しつこいくらいに説いておいた。

 今の会長は話が分かる相手だから、彼が商工会の中枢にいる間は心配ないはずだ。

 

 これで帰るまでに備えられることは、おおよそできたように思う。諸事を済ませ、業務の引継ぎを済ませて、クロノワークへ。

 無理をするような旅路ではないので、安全性を優先して、時間をかけて進む。

 

 そして帰ってきました我が母国クロノワーク、久々に故郷の地を踏むと、感慨深いものがあるね。事前に連絡していたから、出迎えの相手もわかっていた。

 

「ただいまです。メイル、ザラ。……変わりはなかったですか?」

「変わりなし、って言ってあげてもいいけど。それなりに変化はあったというのが正直なところかしら。――でも、私達は普段通りの仕事をしていただけで、実感はなかったのよ。それにくらべると、モリーは苦労したみたいね」

「逐一書簡で状況を伝えてくれていたから、おおよそは理解している。クロノワークは、これから大きな変化に立ち向かわねばならん。王妃様も、その辺りは強く意識してくれている。……お前と直接顔を合わせる日を、心待ちにしていたらしいぞ。朗報と言えば、これ以上の朗報はあるまい?」

 

 二人は出迎えと同時に、課題も教えてくれた。――王妃様は、書類でのやり取りだけで済ませるほど、状況を軽く見ていない。

 それはわかっていたことだから、こちらとしても心構えは出来ている。何を聞かれても適切に答えられるつもりだし、今後の見通しについて語ることも難しくない。

 責任を持って行動する覚悟はできているのだから、突然の解任、という事態にでもならなかれば、まず問題なく話せるはずだった。

 

「あ、そうだ。東方会社の西方代表――つまり、チャラ王子とタラシーって奴らも来ているらしいわよ。……王妃様は、会談で一気に話を付けるつもりでいるみたいね」

「会談の予定について、私は一切聞いておりませんが――」

「早速、明日だ。朝一番で王城に向かってくれ。……王族に振り回される立場は大変だな。同情する」

 

 業務連絡と言えばそれまでだが、味気ない会話のようにも感じた。これは、私の方が変わったのか。

 せっかくの再開なのだから、もう少しマシな話をして、前向きになりたいと思う。

 

「ザラ。せっかく久々に顔を合わせたのですから、他人ごとのような言い方は少し、傷つきますよ」

「すまん。――いや、他意はないんだ。どうせ上手くやるんだろうって思うと、どうしても言い方が雑になる。……うちに帰ったら、その分だけ奉仕させてもらうから。それで許してくれよ」

 

 それは夢のある話だ、と率直に思う。でも、そんなザラの厚意を素直に受け取れない。受け取ることを許してくれないのが、現在の国際情勢と言うものだった。

 

「モリーも色々と気がかりなこともあるんでしょうけど、半年くらいは母国で羽を伸ばしても、許されるんじゃないかって思うの。――私の方から、王妃様に進言してもいいけれど」

「ああ、いえ。それには及びません。……たぶん、長くても滞在は二、三か月くらいになるでしょう。東方の状況が気がかりですし、クミンも置いてきています。彼女を放置したくはありませんから」

「あら、思ったより愛されているのね、あの情婦。……冗談よ、仕事がらみだってわかってるから、そう怖い顔しないでよ、モリー」

 

 ――いかんね。気を抜きたいという気持ちはあるのに、状況の難しさがそれを許してくれない。

 東方の宮廷は、敵地同然だったから緊張も適度なものだった。しかし、母国の中の政争は、ある意味それ以上に辛いものになるだろう。

 そういう予測が立ってしまうから、何気ない仕草にも刺々しいものが現れてしまう。そこは、大いに反省しなくてはならない。

 

「……すいません。メイルなりの軽口だと、わかっていますから。――それでも今後のことを考えると、クミンの機嫌を損ねたくないのです。家庭の中でも、彼女の地位を上げておきたい。……メイルの感情に寄り添いたい気持ちはありますが、彼女もまた同士であることは確かなのです。せめて、対等の競争相手、くらいには考えてもらえませんか?」

「それくらいなら、認めてあげてもいいかしら――なんて、ね。いいのよ、モリーの思うようにしてくれて。なんだか、貴女も難しい立場に置かれてるみたいだし。これでも私、理解ある妻を演じる位は出来るつもりでいるんだから」

「ご理解いただけて、感謝の極みというものです。……私の立場は、融通が利きすぎて都合が良すぎるくらいですから。多少の無茶を通すためにも、各所への配慮は不可欠。割を食わせてしまって、申し訳ないくらいですよ」

 

 東方会社のドヴール支店は、私が代表を務めている。というより、私が代表を退くには、チャラ王子からの正式な辞令が必要であり、それに私が同意しなくてはならない。

 私が拒めば永続的に代表でいられる立場だったりするんだけど、実際にはありえないことだと理解していたから、あちらも容認してくれている。

 クロノワークの一介の騎士に過ぎない私は、王妃様の意向に逆らえない。逆らおうとも思わないから、人事異動を強制されてしまえばそれまでのこと。

 

「王妃様と、それからチャラとかいう王子との会談。それにも『配慮』は必要かな? 時間はないが、出来ることがあるならやるぞ」

「今更、こちらから働きかけることはないでしょう。――既定の路線を踏み外すようなヘマはやっていない、と私は認識していますので。希望的観測を言うなら、明日の会談も、その辺りを再確認する結果になるでしょう」

 

 オサナ王子とエメラ王女の教育を、一部でも担当した経緯があるから、将来的にはどちらかの守り役に収まるだろうと、私自身納得している部分がある。

 だからこそ、いずれは離れるであろう東方会社に置き土産は残しておきたいし、関われるうちに西方と東方の橋渡しを済ませておきたいと思うんだね。

 

「楽観しても良いってことね? ……じゃあ、面倒を考えるのはここまでってことで」

「そうだな。明日は早いが、それまで我が家で安らいでくれると嬉しい。――旅路の疲れもあるだろうから、無理に求めたりはせん。そこは、安心してくれ」

 

 お互いに、行為が必須というほどの段階は越えていた。傍にいてくれるだけでも癒されるという関係は、変わらずにここにある。その事実が、今はただ心地よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 王妃様との会談は、スムーズな形で実現した。

 朝一番で王城に行くと、受付から談話室まで直通で、私が入室した時はすでに王妃様もホーストの二人もそろっていた。

 私が遅れた、というわけではなく、事前に打ち合わせをしたいことがあったらしい。私を話しに交える前に、どんなやり取りが交わされていたのか。想像するのも、なんだか恐ろしい話である。

 チャラ王子の傍にはタラシーが控えており、彼もまた同席の資格を持っている。その時点で、会談の主目的が東方会社にあるのだとおおよその見当はついたのだが――。

 

 王妃様と彼らの間で、どんな打ち合わせが必要だったのか。社交辞令と挨拶を述べている時も、なんとなく気になっていたのが、王妃様にもわかったのだろう。まずは、その前提に触れるところから始まった。

 

「警戒せずともよい。おぬしにとって、悪い話は何一つしておらぬ。なあ?」

「もちろんだとも、王妃殿。このチャラの名において誓うが、モリーに対して含むところなどない。タラシーも、そうだろう?」

「はい。そもそも私は、王子の側役としてここにおります。その王子の意向に、どうして逆らいましょうか。――ああ、私は基本、置物だと思ってください。意見を求められない限り、差し出がましい口をきいたりはしません」

 

 三者三様の様子で、私に応えて見せる。王妃様が秘密主義でも驚きはしないし、チャラ王子が横柄な態度を許されているのは、それなりのものを提供したからだろう。

 タラシーまで同席しているのは、ちょっと予想外ではあったが――とにかく、私は自らの要件を済ませようと思った。

 

「まずは、これを。東方皇帝から、王妃様への親書となります」

「受け取ろう。――さて、何が書いてあるものか。モリーよ、この場で読み上げても良いぞ」

 

 早速親書を広げたが、王妃様は東方の文字が読めない。なので、私が代わりに読んで伝えることになる。

 しかしその内容はと言えば、予想通りに上から目線で、鷹揚かつ無神経にこちらのプライドを刺激するような代物だった。

 馬鹿正直に伝えれば、たぶん不機嫌になるよなぁ――ってくらいの内容に抑えているあたり、あちらなりの配慮も感じられるから、かえって質が悪いよ。

 

「……専門的な宮廷用語とか、装飾的な文章が多いので、そこらはバッサリ切って伝えます」

「そうせよ。親書一枚に、無駄な時間は使いたくはないのでな」

 

 王妃様の同意も得たので、余計な部分は省いて、実質的な内容だけを言及する。

 

「まずは社交辞令。西方からはるばる東方へやってきたことへのねぎらい。そして、これから付き合うにあたっては――施しを与えるつもりで、寛大な態度を取ってくれると、そのように約束してくれています」

「剛毅な話よな。どうせ、相当失礼な表現も入っているのだろう? まあ、そこはいい。せっかく省いてくれているのだから、続きを聞こう」

「続き、ですか。続きは、その……」

「どんな無礼なことでもよい。全てを許し、受け入れる覚悟はできておる。――また、そのことでおぬしを責めたりもせぬ。そういうことで、合意は出来ておるのでな。そうじゃろう? チャラ王子」

「ああ、そういうことだ。こちらへの配慮より、まずは確実に事実を確認させろ。策を練るのは、あちらの無礼の内容を理解してからだ」 

 

 お二人の後押しを受けて、私は再度口を開く。……まったく、こんなことなら非礼を承知で、事前に親書を検めておくべきだったよ。

 

「モリーの主君であるクロノワーク王家が、西方を代表し、東方国家への臣従を容認した。ならば東方会社のもう一方の代表たるホースト王家もまた、我が方へ臣従の親書を出すべきだろう。それをもって、東方会社の自由を全てさし許す――と。そのような言葉で締めくくられています」

 

 正確には、もっとこちらを見下して、自分を持ち上げるような表現で締めくくられていたけれど。そんなのは省略して、大事な事実だけを伝えた。

 なんか、いつもまにかホースト王家も巻き込まれてるんですけど。それも通らなければ、これまでの段取りが無に帰すようなことが書かれてるんですけど。

 ……どう考えても、これは皇帝の独断であって、宰相殿の手が入ってないことがわかる。流石の彼も、主君に対しては強く出れないのだろうか。

 

 口にした身でいうのもアレだが。……本当に、よくこんなことが書けたものだと思うよ。東方の皇帝は、この当時の基準としては仕方のないことだろうが――。

 自分以外の、全ての者を見下している。見下す代わりに、恩恵も授けようという辺りが、実に東方的だと私は思った。

 

「初耳だな? おい、流石にこれはそのまま素通しとはいかんぞ、モリー。責めぬ、といっても限度がある」

「王家に対する非礼は飲み込む、得られるかもしれない利益は逃がすな、と。……そう言われた以上、できる範囲で妥協するのは、当然のことでしょう」

「その『できる範囲』とやらを、おぬしは見誤ったのではないか。わらわは、そう言いたいのだよ」

 

 様々な形で報告は行っていたが、今回は帰国を急いだ事情もあり、皇帝への謁見内容については伏せていた。なので、土壇場での報告になってしまったが、詳細を語れば王妃様は納得してくれると、信頼してのことでもある。

 

「わらわを東方皇帝の下に置く。臣下扱いすることを、お前は容認したのか。主君の立場を投げ売りしたと、そう非難されても文句は言えんのだぞ」

 

 だが、一臣下が主君に対して、無条件の信頼を向けていいわけではない。何でも許されるとは思っていないから、言い訳がつくくらいの成果は持ってきたつもりだった。

 

「臣下の礼を取ったのは、私だけです。王家が臣従、という話も書面だけのこと。王族が東方まで出向く必要はないと、その辺りは確約をもらっていますし、相応の見返りはもぎ取ってきました。……首都における交易独占権、三年間の免税特権。いずれも、今回のタイミングでなければありえなかった話です。あちらが心変わりしないうちに、契約内容を書面に残しておく。それが第一であると、私は判断しました」

 

 顔がこわばっている様子ではあるが、王妃様の怒りは見せかけだ。本気で怒っている様子はなく、口調もやや穏やかで、興奮は少ない。私の判断を間違いとも言い切れない、功績は功績として認めたい、という意識があるからだろうか。

 

 だが、それは私の勝手を完全に許した、という意味ではない。さりとて、部外者の目があるここで、直接的な罰則を与えることもしないだろう。

 ……私も、ひどい計算を働かせるようになってしまった。王家に対する忠誠は変わりないつもりだが、そう考えること自体、もしかしたら王妃様への侮辱かもしれない。

 

「気に入らぬとおっしゃられるなら、どうぞ私の首を斬ってください。それで、全ては白紙に戻ります」

「極端な手段で一切合切をご破算にするつもりなら、そもそもおぬしの東方派遣を容認したりはせぬ。――いや、もとはといえば、わらわが許可を出したのが問題であったとも言えよう。皇帝との謁見に関しては、後ほど改めて報告書を提出せよ。この会談で、おぬしの失態について糾弾するつもりはない。ないが……さて。そうすると、問題はチャラ王子の方かな?」

 

 王妃様が臣従を容認し、東方皇帝の言い分を飲み込むならば、次はホースト王家の問題になる。

 チャラ王子は、王妃様ほど素直に受け入れるつもりはないらしく、硬い表情で述べた。

 

「俺の見解を述べるなら、東方皇帝なんぞに媚びてやるつもりはない。どこぞの誰かと違って、ホースト王家の誇りと言うものがあるからな」

 

 私はある種の達観を持っているから、東方の儀礼にも皇帝のアレな表現にも耐性があるけれど。

 王妃様もチャラ王子も、真っ当な西方の価値観で生きている。一方的に舐められている状況で、怒りを感じないはずがなかった。

 しかし、ある意味ではそれは周回遅れの感情でもある。ムカつくから嫌だ、なんて感情論が通るような状況では、もはやない。なにしろ、それはすでの目の前の王妃様が乗り越えた問題だからだ。

 

「ほほう、それはつまり、チャラ王子はクロノワーク王家を軽んじているのかな。こちらが何の羞恥心も屈辱もなく、東方皇帝の靴を舐めに行ったとでも?」

「そうは言ってない。そちらにはそちらの事情があろうが、こちらにもこちらのやり方と言うものがある。クロノワーク王家と連名で、東方皇帝の臣下とやらにはなりたくない。それが、俺の率直な意見でもある」

 

 チャラ王子は断言した。『俺の』とわざわざ断った以上、あくまで一個人の意見としての反対意見だった。

 つまり、状況次第で覆せる余地がある。王妃様もそこは見抜いていて、さらに言葉を続けてくれた。

 

「そうか。おぬしがそう言うなら、首都における交易独占も白紙に戻り、東方会社の拡大も限定されたものになるであろう。そうと知れば、シルビアは喜ぶであろうな。――競合相手が、勝手に自滅してくれたと」

「感情的な問題だけではない。これは権威の問題でもある。クロノワークは違うのだろうが、ホースト王家が東方皇帝に屈したと見なされれば、うちの国内が荒れるかもしれん。東方の田舎者に馬鹿にされるのは不快であるし、そんな国民感情を押さえつけるのは面倒だ。一緒になって暴れてやる方が、よほど簡単ではないか」

 

 なかなか物騒なことを言っているが、どこまで本気なのやら。権威の問題と言えば、それは確かであろうが――。

 チャラ王子自身、王家の中では微妙な存在であり、次の王位が回ってくる可能性はごく小さい。そんな自分が厄介事を持ってくるようでは、本格的に国内での立場がなくなる――と危惧しているなら、不安に思う気持ちもわかるのだ。

 そこらの問題を解消してやれるなら、東方からの課題を飲み込む余裕も出るだろう。そう思って、私は助言するつもりで口を挟んだ。

 

「チャラ王子は、これからも東方会社を大きくしていく気はあるのでしょう? 権威を利益で確立するという手もございます。一時の屈辱を受け入れて、前向きに交易事業を伸ばしていくというのでは、いけませんか?」

「だからといって、即決して頭を下げに行きたいとは思わん。……そもそもの話、交易の利権を分配するにしても、適正に、公正に分配できる自信もない。自ら権威を確立するには、第三王子と言う立場は低すぎるのだ。――お前たちと俺とでは、立場が違う。くどいことを言うがな」

「そうでしょうとも。――時に、チャラ王子は、王妃様がシルビア妃殿下について言及した理由がお分かりになりますか?」

 

 胡乱な奴を見る視線で、チャラ王子は私を見る。それが何だとでも言いたげだったが、これには傍付きのタラシーの方が顔色を変えた。

 あちらはどうやら気付いたらしいが、求められてもいないのに、自ら口を開くことはできない。歯がゆい顔を見せながらも、タラシーは王子に視線を送るのがやっとだった。

 

「シルビア妃殿下は、確実に東方会社の商売敵になります。直接投資しているクロノワークやホーストへ何らかの工作があるかもしれず――悪くすれば、将来的には西方国家同士で外交的な摩擦が起きるかもしれない。商業と外交の問題が、どれだけ尾を引くことか、予想がつかないわけではないでしょう?」

「最悪の予測だけなら、いくらだって立てられるだろうさ。――そんな未来の、不確かな推測を聞かせて、何がしたい。証拠も何もない、不安をあおる言葉に俺が踊らされるとでも思ったか?」

「シルビア妃殿下が無策であることだけは、ありえない。そこは、同意が得られると思うのですが。――かのお方が魔の手を伸ばしてきたなら、そもそもホーストの権威など弾け飛ぶことでしょう。最悪ホースト国内が荒れても、東方会社の武力を用いて鎮圧することを考えればいい。ここで退くということは、これまで得てきた全てのものをドブに捨てることを覚悟すべきです。……貴方は、多少の障害で全てをあきらめるような、その程度の気持ちで東方会社を作ったのですか?」

 

 正攻法で説得がなわぬならば、別方向から攻めるまで。利益で誘導できないなら、より大きな損失、より強い痛みをもって説得しよう。

 チャラ王子は強く口元を引き締めて悩む様子を見せ、こちらを睨みつける。気持ちはお察ししますが、悪いのは私じゃないんだから、そこは理解してほしいんですけど。

 

「こちらを探るようなことを言いやがる。……タラシー、発言を許す。お前の見解を答えろ」

「よろしいのですか?」

「構わん。ここからは、望むままに言いたいことを言え。俺や、王妃様に気兼ねすることはないぞ」

「では、このタラシー。僭越ながら、会談に参加させていただきます」

 

 チャラ王子もいい加減、部下の様子で感づいたか。

 ここは、どちらが気付いても良い場面である。どちらも気づかなかったり、問題視しなかった場合はひどいことになりかねなかったが、状況はいい方向に動きつつあった。

 

「まず、チャラ王子の覚悟次第、というのは同感です。ここで東方皇帝の要求を突っぱねたら、せっかくの機会をフイにするばかりではありません。いつ東方皇帝のわがままで、ドヴールの拠点を潰されるかわからない、という懸念も出てきます。……あちらの上流階級は、我々を見下しているようですから。頭も下げない相手に、交易など許さない――と、無理を通してくる可能性はあるでしょう」

 

 タラシーの言葉は、私としても頷ける部分が多い。そしてチャラ王子にとって、自らが認めた臣下の意見は、黙殺できるようなものではないはずだ。

 

「それほどか。だが、東方でも全てのものが皇帝の権威にひれ伏しているわけではあるまい。やりようはあるんじゃないか?」

「なくはないでしょうが、いずれにせよ東方会社にも大きな瑕疵ができますし、競合相手はこちらの弱みを放置しないでしょう。ここらでシルビア妃殿下が仕掛けるとしたら――まず問題となるのは、やはりドヴールですね。東方会社は、現状でも少しづつシェアを広げておりますが、ドヴールの商工会は近年拡大が著しい。……あの都市の商圏が今後も拡大していくなら、遠からずゼニアルゼの販路とぶつかるはず。しかし、東方皇帝の庇護を失った状態で、ゼニアルゼ商人たちを相手にするのは、非現実的というべきです」

 

 チャラ王子の意見にも、タラシーは自分の分析を添えて答えた。彼はこの場に居る時点で、チャラ王子にとって替えの利かない股肱の臣であることがわかる。

 強く反対できる要素がないならば、王子もあえてひねくれた行動を取ることはないだろう。

 彼の見解は、私とほぼ変わらないものだ。シルビア妃殿下自身はともかく、ゼニアルゼ商人たちは、必ずどこかでぶつかる。そこで最初の対応をしくじらないことが、何よりも重要だと私は思っている。

 

「……そうか、わかった。タラシーの見解がそうであるならば、なるほど。俺としても、頑迷に自分の主張のみを繰り返すのはやめよう。だが、そうすると俺が折れただけでは、物事は解決しないのではないか? 皇帝の要求を受け入れて、あちらの庇護を得たところで、シルビア妃殿下との対決が遠のく訳でもあるまい。それは、どうする?」

 

 ここまでくると、もう彼が頭を下げる下げない、という話はもう通り過ぎてしまっている。チャラ王子の覚悟に報いるためにも、彼の権威の為に武力を提供するくらいは、当然の義務として考えよう。

 それはそれとしても、現状の問題はゼニアルゼ対策である。このチャラ王子の疑問に対して、私は答える術があった。

 

「シルビア妃殿下は直接手を入れてくるとしたら、武力はもとより政治的にも攻撃してくるでしょう。具体的には、海賊や傭兵による東方会社への襲撃、および関税の値上げなどですかね」

「そこまでやりますか……? 関税はともかく、襲撃についてはモリー殿が少し前に撃退したばかりでしょう」

 

 タラシーは即座に疑問を呈したが、私はシルビア妃殿下に良識を期待していない。あの人は身内に甘い所があるとはいえ、一定の線引きはする人だ。

 自分の権益に手を突っ込まれれば張り倒してくるだろうし、将来の禍根となるならば容赦なく切り捨てる。いちいち警告とか伺いとか、そんなことをしてくれるタイプでもないだろう。

 

 やってくれるとしたら、不意に殴りつけてから。そう思えばこそ、私は堂々と思うところを口にした。

 

「襲撃の成功率については、そこまで重要ではありません。頻度が多ければ、こちらは対策のために時間と兵力を費やさねばならず、コストばかりが大きくなる。――それでも嫌がらせ以上のものではありませんが、シルビア妃殿下ならば、もののついでとばかりに試みてもいい策ではあります。そうしてこちらのリソースを吐き出させてから、本命の一撃でこちらを潰す。それくらいの策謀は、きっちり練ってくるでしょう」

 

 あの人ならやりかねない、というくらいには、シルビア妃殿下も悪名を重ねている。

 私と王妃様の悪感情を買いかねないとしても、証拠さえ残さねば問題はないと思って、やらかしてくれる可能性は有るだろう。

 だからこそ私の発言にも重みが出るのだが、いささかタラシーの肝を冷やしすぎたかもしれない。言葉に詰まったかと思えば、唐突に口を開いては、まくしたてるように彼は言った。

 

「――話はわかりました。ああ、いえ、モリー殿の分析に、ケチを付けるつもりはありません。私の見解としたしましては、モリー殿の意見は否定しきれない、という程度。チャラ王子のご期待に応えられず、申し訳ございませんが、これは私の手に余るようです」

「……構わん。タラシーがそう言うなら、そう言うことなのだろう。で? シルビア妃殿下が敵対したとして、どうなる。俺にできることなど、そう多くはないぞ。形だけでも東方皇帝にひれ伏したと知られれば、俺の国内での声望は地に落ちる。将来的にはともかく、当座は兄貴も父上も、東方会社への支援などしたくはないだろうさ。国内を収めても、悪化した声望までは元には戻らぬ」

 

 そう。たとえ危機感を刺激しても、ホースト王家への権威の問題はそのまま残っている。これへの対策を提示しなければ、色よい返事は期待できない。

 同じ問題を何度悩まされればいいんだ、とうんざりするような顔で、チャラ王子はこちらを見やる。

 だから待ってましたとばかりに、私は対策についても言及した。

 

「そもそもの話として、国民感情はもとより、王族の立場からも、ホーストの権威に関わる。よって自ら臣下の礼を容認することはしたくない、とのことでしたね。――言い訳の余地さえあれば、それでよいのですか?」

「言い訳すらしたくない、と俺は思っているが、もうどうにもならんだろう。――なんだ? 俺の名声に配慮する余地があるんだったら、初めからそれを言ってほしかったがね」

「配慮と言うのも微妙な話です。……ホースト王家が東方皇帝に、臣下の礼を取る。その形を受け入れること自体は、避けられないことですから。まあ、詭弁の類ですよ」

「詭弁でも何でも、東方会社の拡大につながって、かつ俺の立場がいくらかでも救われる話なら、喜んで聞くぞ」

「その言葉が聞きたかった。――王妃様、ちょっとした詭弁、詐術の類ですが、この事態を打開できそうな策がございます。この場で述べてもよろしいですか?」

 

 くどいくらいに前提を確認してから、やっと本題に入る。相手の感情を煽ってから納得させた方が、かえって話はスムーズだろうと思ってのことだ。

 面倒な手順を踏んだのは、それだけ大事な要件だからで、それだけチャラ王子の人格と能力を当てにしているからだ。

 いや、本当に彼にも積極的に働いてもらわないと、東方会社は立ちいかないと思うんだよ。

 ホーストの、王位継承に関わらない王族と言う立場は、結構融通がききそうだからね。利用しないと勿体ないってものだ。

 

「よい。……わらわの許可が必要そうな話か?」

「見方によっては。――ホーストへ積極的に協力する形になりますから、外交に関わります。私財をつぎ込んで投資するだけではなく、その代表者たるチャラ王子自身に力を貸すわけですから、国家戦略への影響もあるでしょう。私がこれから提案するのは、そういう策なのです」

「ならば悩むな。思うが儘に述べるがよい。――クロノワーク王妃が許す。一度利益を追求すると決めた以上は、わらわも些事にこだわるつもりはないと心得よ」

「ありがとうございます。では、チャラ王子。懐中の策を披露しますゆえ、どうか耳をお貸しください」

 

 王妃様に感謝を述べつつ、自然に彼を慮る態度を取ってから、思うところを口にする。

 回りくどいというなかれ。こうした配慮を重ねることが、権威を尊重することに繋がる。

 ひいては、チャラ王子への共感と理解にも通じてゆく。相手もそれを把握して、無言で頷きつつ話を促した。

 

「簡単な話です。チャラ王子が頭を下げるのが問題なら、タラシーがそうすればいい。タラシーが東方会社の西方代表なら、立場としても充分です。これに王族の後押しがあれば、まずは書面の格として、不足ないものになるでしょう」

「タラシーは家格が貧弱だ。王族ともゆかりがない。あちらの要求を満たせないと思うが?」

「そこは、チャラ王子が養子にすればいいでしょう。確か、王子には妻もいなければ子もいない。地位と権威を引き継ぐ対象に、タラシーを指名するのは、そこまで抵抗のある話ではないはず。……政治的にも、貴方が是非にもと望めば、不可能ではないはずですが?」

 

 そこまで言えば、チャラ王子は鼻白んだ様子だった。予想がついたらしいタラシーは、顔を蒼白にしている。

 一足飛びの栄達に、足を踏み外せば破滅に至る。その現実に気づいたが故の態度だろう。しかし現実は残酷で、私はそうするのが一番だという事実を積み上げていった。

 

「お前はそう簡単に言うが、タラシーのような一臣下が王族の養子に入るには、面倒な手続きが必要でな……」

「できない、というわけではないのでしょう。タラシーがチャラ王子の養子となれば、王族の身内。そのタラシーが頭を下げるならば、名目としては充分。遠方の東方皇帝と宮廷に、こちらの複雑な事情を把握できるはずもなし、あえて文句は言いますまい。――結果として商業的な利権が得られるなら、面倒以上の成果が見込める。王子の名誉も、直接かかわるよりは落ちずに済むことでしょう」

 

 チャラ王子は諦めの境地に至った様子で、深呼吸の後にため息を一つ、吐き出して見せた。

 こちらの論理を否定するだけのものを、とうとう見出すことができなくなったのだろう。その上で、彼は最後の懸念だけを口にした。

 

「本当に、それで俺の名誉が守られると思うか? 何やら勝手に面倒なことをしている、と思われるだけじゃないのか?」

「そこは、訴え方次第であると考えます。王妃様と相談して、一連の流れを宣伝するのがよろしいかと。……急増の養子と、王族と言うには無理のあるタラシーの立場。貴族も国民も、聡い連中は気付くでしょう。これが名目を得るための方便に過ぎない、と理解を示すはずです。さすれば、交易による利益が後押しして、国内は落ち着くと思いますよ?」

 

 王妃様が非公式にでも、何かしらの形で宣伝に関われば、一定以上の階級の相手は、背後関係を察する。

 クロノワーク王家とホースト王家の間で、交易に関する密約あり。東方会社は、もはや国家的な組織となり得る――と。

 そこから零れ落ちる利益が大きければ、一時の醜聞などすぐに流される。逆に言えば、東方会社の発展がなければ、すべてがご破算となるとも言えようが――。

 現状の収益だけでも、まずは充分な将来性を見出すことが出来よう。ここに東方首都への進出を加味し、私と王妃様、そしてチャラ王子が全力を尽くせば、名分をでっちあげることも不可能ではない。

 

「貴方にケチを付けるような相手に、金を配る必要はない。口を閉ざすだけで利益のおこぼれにあずかれるなら、おおよそは沈黙を選ぶことでしょう」

「感情的な馬鹿はどこにでもいる。口には出さずとも、嫌がらせの方法はいくらでもあるだろう。……ホースト王家の権威は落ちずとも、俺が金のために名誉を売り渡したという非難は、否定しきれん」

「チャラ王子が、兄たちを押しのけて、王になりたいというなら――確かに今回の件は問題でしょう。しかし、それを望まず、ただ富貴を楽しむ立場に居続けたいというのであれば、あえて受け入れる余地もあるはず。……違いますか?」

 

 チャラ王子はずっと苦い表情をしていたが、この期に及んで、覚悟を決めたらしい。真剣な顔で、私の問いに答えて見せた。

 

「母国での政治生命と引き換えに、東方会社で良い生活ができるならば、是非もないか。――王位の継承をあきらめることは、随分前から計算に入れていたことだ。よほどの幸運に恵まれない限り、ありえない話だということくらい、俺にはわかっている」

「こちらの提案を受け入れてくださるということで、よろしいのですね?」

 

 チャラ王子の個人的な成功については、私は何も保証できない立場にある。だが、彼に価値がある以上は、王妃様は一定の配慮をするだろう。

 例えば、西方の王家への婿入りの手配くらいは、軽く整えて見せる。それくらいの政治力は、王妃様は備えているはずだった。

 

「チャラ王子がこちらの提案を肯定するならば、わらわの立場からも働きかけて、どうにかおぬしの将来が立つように働きかけてやろう。否と言うなら、やはりチャラ王子は独力で生きていってもらうほかないが――のう?」

「独力で生きていけるほど、俺の政治力は強くない。わかっていってるんだろうが、性格が悪い女どもだ。――ここで否と言ったところで、状況が好転するのかよ。クロノワーク王妃が圧力をかけてきた時点で、俺の立場では拒否する選択肢などない。わかっていっているのなら、そろそろ怒っても良い頃だぞ」

 

 ここまで言い訳しながら粘って来た奴が言うセリフじゃないって、個人的には思うんですがね。

 まあ、王妃様は笑っているし、容認する方向で進めていいんだろうが、それはそれとして図太い人だね、チャラ王子。その図太さは、この場においては強さと言い換えても良いくらいだと、個人的には思う。

 

「明言してほしいだろうから、きちんと言葉にしておく。……タラシーを俺の養子に迎え入れ、こいつを即席の王族という立場にする。そこから東方皇帝への臣従の親書を、こいつの名前でもって出せばいい。――後から湧いて出てくるやっかみは、俺が受け止めるとしよう。そうでいいんだな?」

「うむ。チャラ王子の立場で出来ることは、それで全てであろう。わらわもできる限りの支援を約束する。……確約が得られたならば、モリーよ。まずは、満足すべき成果であると思うが?」

「はい。後のことは、東方との交渉を詰めながら、少しづつ詰めていけばよろしいかと。私がドヴールへ復帰するタイミングと合わせて、あちらの商工会とも相談しながら進めていくことにします。――もしチャラ王子の身辺警護が必要そうなら、東方会社から部隊を派遣しましょう」

「ありがたい話だ! ……都合よく利用されている気もするが、こちらも同様に利用していると思えば、お互い様だと思うべきなんだろうな」

 

 ここらで話はひと段落したかな、と私は思ったのです。けれど、王妃様はキリの良い所で話を納めるつもりはなかったらしく。

 

「商業と交易に関する話は、そこらで良かろう。――ゼニアルゼとの外交問題について、そろそろ言及しても良い頃合いよな。あの子もいい加減、武力を持ち出すことを躊躇わなくなる頃合いであろう。先ほども少し話題に出したが、片手間に片付けられるような、軽い問題ではあるまい」

 

 これに対しては、チャラ王子も含めて、我々全員で共有し、対抗せねばならない。それだけの重要事であるから、まずは前提から確認していこう。私はそのつもりで、口火を切っていった。

 

「シルビア妃殿下が、強硬な態度を取る理由は、東方会社が強力な敵となり得るから、ということでしょうか」

「言うまでも無いことよな。ゼニアルゼの国民感情を考えるなら、あそこの民は商業において、他国に先を行かれることを屈辱とみなす。シルビアもまた、己の才気に頼むところが大きいから、わらわやおぬしに出し抜かれたと思うと、感情的に武力を見せ札に持ってくることはありうる。商隊の襲撃くらいなら対策も容易じゃが、軍隊をもって東方を攻められたら――まずありえないとは思うが、すさまじく面倒なことになるであろう」

 

 見せ札、という辺りで王妃様が言いたいことがわかる。わざわざ『ありえない』なんて言葉を使う辺り、娘と対立したくはない――なんて感情も皆無ではあるまいが、それ以上に環境が問題だった。

 

「ゼニアルゼは商業において、常に他国に優越していなくてはならない。――誰が口にしたわけではないが、あの国では誰もがゼニアルゼこそが西方一の商業国家であること。どこよりも金回りが良いことを、何よりも優先させる国民性がある。その地位を守る為ならば、あそこの連中はあらゆる手段を容認するだろうよ」

「ゼニアルゼがその手の情熱と言うか、強いこだわりを持っていることは、なんとなく察しておりましたが――どうしても、そうなりますか」

 

 東方交易による利益と、ゼニアルゼのこれからの商業発展を考えるなら、かの国の国民性が先鋭化することは予想がついていた。

 しかし、これに王妃様のお墨付きが加わるのなら、もう本気でそうなるものと考えるべきか。

 ともかく、私個人は王妃様の意見に同感だが、そうならずに穏やかな暗闘で済めばいいとも思っている。その程度で済むように努力していきたいのだが、王妃様は楽観はするなと言わんばかりに言葉を重ねた。

 

「まだ余裕があるうちは、本性をさらけ出すこともあるまい。だが、その余裕もいずれは消える。……わらわの年季を信じろよ。それこそ、付き合った年数と経験がなければ、ゼニアルゼの病巣について確信を得ることはできぬ。疑うなら、そちらの伝手を使って、シルビアと話を付けてみよ。おそらく、今頃は密かに頭を抱えていようさ」

 

 それくらい、東方会社の存在は前代未聞であり、モリーが得た成果は望外の者であると、王妃様は断言した。

 

「おい、東方会社のもう一人の代表がここにいるんだが。……二人だけで通じ合っていないで、俺にも状況を解説してくれ。ゼニアルゼが厄介な癖を抱え込んでいる国家だと、それくらいしかわからんぞ」

「失礼。しかし、チャラ王子は気にしなくても良いのですよ。私と王妃様で、シルビア妃殿下を説得するというだけの話です。――お任せいただければ、何とかなると思うのですね」

 

 顔を突き合わせて話せば、案外どうにかなることは多い。シルビア妃殿下は王妃様を苦手としているだろうが、ここまで情勢が変化してしまえば、もう顔を合わせないという選択肢はありえない。

 

「情報という商材は、常に需要があるものじゃ。東方会社の経営について、わらわから話せるだけのことを話すといえば、手付金としては充分であろう。今こちらから望めば、あの子もわらわとの会談を拒みはするまい。……面倒の極みと言えばその通りじゃが、わらわもあの子と直接ケリを付ける必要が出てきた。いつまでも、後回しにしていい事柄でもないしな」

「政治以上に、親子の感情は整理をつけにくいものです。――お二人だけではこじれる恐れがあるなら、第三者の仲介が必要でしょう」

「おぬし以外の人選があるのか? それは。――いよいよ、身内としての自覚が出てきたようじゃな、モリー。シルビアの件もそうじゃが、次世代には何かと懸念が多い。おぬしがお守りをしてくれるというなら、わらわも少しは安心できるのじゃが、どうかな?」

 

 未来の話は、私にとってひどく遠く聞こえてしまう。とにもかくにも、今は東方だ。まず、そちらの目途が立たないことには、安心して国元に戻れない。

 だから、なんとなく言葉を濁した返答しかできなかった。

 

「……私にできることならば、微力を尽くします。しかし東方会社は、もう数年は面倒を見て育てなければなりません。王妃様の懸念とやらに取り掛かれるとしたら、それからのことになりますが、よろしいですか?」

「数年か。ま、よかろう。東方会社を制御に置くなら、おぬしに代表を続けてもらったほうが良いというのも確かよ。――東方と西方の距離は遠く、理解も少ない。数年の間に、おぬしがどれだけの成果を上げるかで、今後の双方の関係にも変化が生まれよう。……はげめよ」

 

 二人だけで話をするのも、チャラ王子が疎外感を覚えてしまうので、そろそろ話を振るべきタイミングだった。

 ちょうどいい具合に話題も転換したので、ここらで発言を求めてもいいだろう。私がそう思ったところで、王妃様が先んじて彼に声をかけてくれた。

 

「まだ協議すべきことはあるかな? チャラ王子。せめて砕けた口調を許した分だけ、利益のある話をまとめたいのじゃが」

「……大まかな方針は決まったが、細部はまだ詰められるところがあるだろう。何かしらの妨害、事故などがあった時の対応などは、この場で決めてしまえばいいと、俺は思う」

「異論はない。モリーも、良いな?」

「はい。できる限りの知恵を尽くして、今後のアレコレに備えましょう。――ゼニアルゼや東方の動向に関わらず、この世はいつだって不確定で、思いもよらぬことが実に多い。事前に準備できることは、やれるだけやっておかねばなりません」

 

 前世の歴史知識などを動員して、カンニングしている私自身がそんな風に思うんだから、相当だよ。

 そこからは、また手順や確認など、諸々の実務的な事柄を詰めるのに数時間。朝から始まった会談は、途中で昼食をはさんで再度続けられた。

 

 チャラ王子とタラシーは、今後の見通しが多少でも立ったことで、少しは安心してくれただろうか。今後も、色々と面倒をおかけすることになるだろうし、できる限り長生きしていただきたい。

 タラシーは私の後任の第一候補でもあるから、嫌でも頑張ってもらわなくては。そんな風に考えながらも、自分なりの改善案を遠慮なく発言し、会談の時は過ぎていったのです――。

 

 

 

 

 

 

 

 諸事についての合意を得て、会談が終わったところで、すでに時刻は夕刻を過ぎていた。

 これから暗くなってくる頃合いであるし、王城を後にしたい気持ちはやまやまだったが――。

 

「やあ、久しぶりだなモリー。僕の立場に変わりはないが、お前はだいぶ出世したらしい」

「はい、お久しぶりです、オサナ王子。お元気そうで、なによりです」

「ああ元気さ、身体の方はな。――ちょっと放置できない悩みができたこと以外は、健やかに過ごさせてもらっているとも。……この場でお前を呼び止めたのは、それも関係している。お前でなくては、うかつに話せないことでもあるしな」

 

 王城の玄関口に、オサナ王子はいた。彼は、私を待っていたという。

 都合の良すぎるタイミングだったから、私は人為的な何かを警戒しそうになった。だが、王子の表情を見るに、真剣で深刻なものであることは予想がつく。

 

「王妃様との会談は長引いた様子だし、疲れているんだろうが、ここは僕のわがままを通させてくれ。……モリー、ちょっと相談に乗ってくれないか」

「オサナ王子。――いえ、わかりました。私で良ければ、相談に乗りましょう」

 

 彼は自分で考えられるだけの知性があるし、おおよそのことは後回しにできるだけの時間的余裕があるはずである。

 なのに、私に相談したいことがあるという。現状から言って、商業や外交に関わることに違いないと、私は思っていた。

 

「ソクオチとクロノワークの間で、人材交換の話がまとまった。ソクオチ側は文官を、クロノワーク側は武官を派遣して、お互いに助け合う。領国が補い合う形で、国家間の交流を図る――というのが名目になる」

「ありそうな話ですね。ソクオチにしても、クロノワークにしても、いい形でまとまったように聞こえます。……何か、不満がおありですか?」

「あるさ。結局、僕はただの言い出しっぺになって、実務には関われなかった。……人選にほとんど関われなかったし、結果に責任を持つ立場にもなれなかった。僕には、まだ早いということかな」

 

 少しだけ残念そうに語る姿は、すでにただの子供とは言えなくなっていた。王族とはこうしたものか、と私は口には出さずに感嘆する。

 まだまだ未熟と言うことで、最後まで責任ある仕事は任せられなかったとしても。

 自ら発言して、物事を動かした。そうした経験は、今後の役に立つことだろう。

 

「この人材交換は、僕が言い出したことだ。お前が東方会社で働いている間、僕なりに政治的な行動に出たわけだが、不完全燃焼も良い所だ。……本格的に自分の地位を確立するには、数年は時間をかけねばならんらしい」

「ご立派です。その年で、同じことができる人が、この世にどれだけいるでしょうか。――オサナ王子、焦らずとも貴方はいずれ王になるお方。今は目先の実績よりも、将来の為の布石を打っておくべきです」

 

 なんだか、本当に王族の相談役らしいことをしていると思う。私はもう彼の教師ではないが、求められた以上は応えてやりたい。

 

「布石というと?」

「人材交換は、お互いにとっていい話です。だから、ソクオチとクロノワークの間で、とんとん拍子に話が進んだ。そうですね?」

「ああ。進みすぎて、すぐに僕は話から外されたが。――いや、今はそれを恨むべきじゃないんだな」

「はい。二国間で交流が進めば、文化や風俗の理解が深まる。良くも悪くも衝突が起こるでしょうが、その際に仲裁する役目を、オサナ王子が担えばいい。……東方と西方ほどの違いがあるわけでもなし、いずれは収まって、良い感じに同化していくと思いますよ」

「そう上手くいくものかな。僕は敗戦を経験して、クロノワークにやってきてから、視野が広がった気がするんだ。……だからこそ思う。僕は正しくソクオチの統治者足りえるのか。間違いを犯さず、臣下たちを、臣民たちを守っていけるのだろうかと。不確かで優しくない世界の中で、慎ましい幸せだけでも、感じさせてやることができるのかと。――それすらできない王族に、価値などないんだって、本気で思うようになったんだ」

「大丈夫ですよ。ソクオチが政治的にも経済的にも安定することは、クロノワークの利益につながることです。オサナ王子が正しく成長するならば、投資は惜しみませんし、道から外れそうになったら矯正するくらいの手間は掛けてくれます。……貴方は子供らしく、今の環境を楽しんで育っていけばいい。私はそう信じますし、できる範囲で力になってあげたいと思っていますよ」

 

 楽観が過ぎると言えばそれまでだが、オサナ王子の立場なら、少しくらい楽観的になって、前向きに行動するようにしたほうが良い。

 実績以上に、行動したという事実が大事だ。子供の内は失敗が許されるものだから、とにかく学んで実行すること。そこまでやって、ようやく将来への布石となる。

 

「そうやって励ましてくれるくらいには、僕には価値があるんだな。そう考えれば、僕の立場だって捨てたもんじゃないらしい。……お前の仕事に比べれば、僕のやっていることなど小さなことだろう。それでも、これは僕が王になった時、大きな財産になると思っていいのかな?」

「臣下に相応しい働きができる場所を用意し、それを正しく評価すること。あるいは、評価される環境を整えること。それができるという姿勢を示すだけでも、十分すぎる位です。今回、貴方が主導した案件は、それだけの価値があった。――今後も、同じように働きかけることです。クロノワークが投資できる範囲であれば、オサナ王子の行動が掣肘されることはないでしょう」

「相分かった。モリーに相談して、良かったよ。――これで、僕は自分に自信を持てる。王になるための布石。決して忘れずに実行していくことを、ここに約束しよう」

 

 ソクオチの安定と彼個人のクロノワークへの好感情は、私自身はもとより、クロノワークの国益に直結する。

 だから真剣に答えたし、これからも必要とされるならば、便宜を図っていくことはやぶさかではないんだよ。

 

「相談は、それだけですか?」

「ああ、良い答えをもらって、これからも励む理由にはなったぞ。……モリーの方から、僕に何か意見があるなら聞いておきたいが」

「では逆に、こちらからも相談事を持ち掛けていいでしょうか? ちょっとしたことですが、今から話を通しておいても良いかな、と思ったので」

「水臭いことは言わなくていい。――モリーには、たぶんこれからも世話になるだろうからな。頼ってくれるなら、むしろ嬉しいくらいだ」

 

 貸しにできる機会は逃してたまるか――と考える位には、オサナ王子も育ってきている。

 狡猾だが、それだけに頼もしい。感情以上に、利用価値を重視する。そうした人物であればこそ、投資し甲斐があるものだと、私は改めて感ずるのでした。

 

「東方会社の代表などを務めていると、色々なことが気がかりになります。今は良いのですが、十年後、二十年後のことを考えると、憂鬱になることも結構あるのですね」

「……モリーは先のことを考えていると思っていたが、そこまで悩まねばならんことか。僕で役に立てるのか?」

「未来の話ですから。十年後ともなれば、王子は成人して王位についていても可笑しくありません。――まあ、与太話を思って聞いてくれても結構です」

「そうだな。とりあえず、聞いてから判断しよう。何が問題だ?」

 

 これは、私なりのオサナ王子への課題でもある。未来において、選択を誤ることがないようにと、今から考えさせておきたかった。

 東方と西方は、血を流さずにはおれないのではないかと、かつては考えていたこともあった。だが、私が今の立場に立ってみると、案外どうにかなるのではないか、という希望も出てくる。

 

 その希望の為に、オサナ王子も利用しよう。そう考えるのは、不遜である。

 だが抗いがたい時代の波を前にして、使える手段を惜しむこともまた、したくはなかった。

 

「一番悩ましいのは、東方からの移民問題です。大方はゼニアルゼに引き受けてもらうつもりですが、こちらでもいくらかは受け持たねばなりません。――クロノワークでは、私が選別した、優良な移民を持ってくるつもりです」

「ふむ、それで?」

「選別するとは言っても、それとは関係なしに流民がやってくるでしょう。西方は今政情が安定していて、殖産にも商業的にも、人手を受け入れる余地があります。……需要と供給がかみ合ってしまうのですね。だから、他の西方各国にも多くの移民がやってくる時が来る。ソクオチでは、彼らをどう扱うのか。――オサナ王子は、考えたことがありますか?」

 

 東方会社の活動が成功すれば、西方の作物、製品の需要が高まる。東方への輸出が大々的に始まれば、生産力向上のため、土地と人手を確保せねばならない。

 すべてがうまくいけばの話だが、ここから数年は開発と発展の時期になるだろう。出稼ぎにきた移民を受け入れ、プランテーションや工場での働き口を世話することも、西方では日常になる。

 そうした時代の後に待っているものが、何なのか。私はかつて色々と考えたものだが、オサナ王子にも課題として考えてもらいたい。

 

「いや、特に考えたことはないが。……そうか。僕が政治的に動くなら、そうした事柄にも興味を持つべきなんだな」

「はい。もし、関心を持たずに流されるまま、周囲の決定を受け入れるようであれば――」

「一方的に損失を押し付けられる時が来るかもしれない、と。今の僕でも、それくらいはわかる。……せっかくの、モリーからの忠告だ。よくよく考えておこう」

 

 夜の帳が落ちてくる時間帯なこともあって、そろそろ話を打ち切ろうと思っていた。

 そんなとき、視界の端から可愛らしい姿が見え、控えめな足音と共に彼女はやってきた。

 

「オサナ君、こんなところにいたの?」

「ああ、エメラ王女。せっかくの機会だったから、ちょっとモリーに相談をな」

「そう。話は終わった? なら、私にも付き合ってよ。……夜が更けるまで、時間はあるし。宿題も一緒にやりたいから」

「わかった。すぐに行くから、部屋で待っててくれ」

 

 エメラ王女は、私を一瞥すると、簡単にお辞儀をしてから去っていった。未熟な王族の娘として、相応しい態度を取ったと言えるだろう。

 オサナ王子を前にして、かつて教師だった人への敬意の表現としては、ギリギリと言うべきである。私は咎めたりしないが、オサナ王子は違和感を覚えたらしい。

 

「うーん。エメラ王女は、もうちょっと素直で純朴な人だったと思うんだが」

「何か、引っかかることでも?」

「いや、気にするほどのことじゃないと思うが、僕に対するアプローチと言うか、感情と言うか。……ちょっと前までは出来の悪い弟を見る視線で僕を見ていたのに、今はなんだか別の意味で僕に注目しているというか、その――」

「思うところがあるなら、正直になったほうが良いと思います。私は他言しないと、確約しますから」

 

 オサナ王子は散々迷った態度を見せた後で、観念したように口を開く。

 それは、恋人のわがままに振り回されている彼氏の姿そのもので、私は思わず笑ってしまいそうになるくらいだった。

 

「なんというかな、エメラ王女は感情が重たく感じられるようになったというか。――まあ、何だ。積極的に婚約を考えたくなるくらいには、僕も彼女との付き合いが長くなってしまったんだ」

「……いいじゃないですか、素直になっても。王妃さまだって、今のオサナ王子になら、真面目に検討してくれると思いますよ」

「茶化さないでくれ。笑いをこらえていることくらい、僕にはわかるんだ。――せめて、相応しいだけの功績を立ててから、こちらから申し込みたい。そう思うくらいには、僕だって、男としての矜持を持っているんだから」

 

 東方会社の代表をやめて、帰ってきたとき。私は二人の面倒を見る立場になるんだろうなぁ――なんて。

 そんな牧歌的な想像をするくらいには、微笑ましい回答だった。

 

 オサナ王子と、エメラ王女の幸せな未来のために。そして、我が家の安泰の為に。

 出来得るならば、西方と東方に、少しでも救いのある未来を用意するために。

 私は全身全霊をもって、諸事に向かい合おう。そう改めて決意するくらいには、いいものを見せてもらったと思うのです。

 

 まあ、帰りが遅くなったことで、まずは我が家の妻たちを宥めねばならないんですが。

 それも含めて、夫としての甲斐性だなんて、いちいち考えてしまう。そうした立場になってしまったことに、今さらのように感慨を抱くのでした――。

 

 




 シルビア妃殿下がラスボスっぽい立ち位置になりましたが、本当の脅威は一個人ではなく、社会そのものであるという認識です。

 この辺りを深堀りすると、さらに物語が長引いてしまうので、そこそこで終わらせることにしました。
 不完全燃焼というか、半端な終わり方になるかもしれませんが、読後感が悪くない形で収められれば、それで上等だろうと思います。

 ――長編を書き上げることは、私にとって、初めての経験になります。
 その初めての体験を前に、全力をもって臨みたい。とにかく必死に、八月中は執筆を続けることになるでしょう。

 結論がどんなものになって、どういう形で収まってしまうのか。読者の方々は、それに納得してくれるのか。
 今から不安ですが、書かなければ前に進めない。どうか、もう少しだけ、お付き合いくださいませ。



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これからの世界と未来に関わる、結びのお話 【上】


 はい。

 案の定、一話では収まりきらないという結果に終わりました。
 いつも以上に長い話になりましたので、二つに分ける形になります。

 色々と雑なお話ですが、ここまでお付き合いいただけた読者様であれば、暇つぶしの読み物として、最後まで目を通していただけるのではないか……なんて。

 そんな風に考えるところまで、ついに来てしまいました。ご期待に添えられる出来になっていれば、よろしいのですが。



 

 クロノワークへの帰還休暇は、当然のように短期間で終わってしまった。

 毎夜妻たちのベッドに引きずり込まれる日々は、とても得難いものではあったけれど。

 私たちは、現実と戦わねばならない。――特に、放置できない大きな存在に対して、私は対決せねばならなかった。

 この期に及んで、言葉をぼかす必要もなかろうが、シルビア妃殿下とは、ここらで一定の決着をつけるべきである。

 

 ゼニアルゼへは、王妃様と共に向かうことになった。妻たちは残していくが、東方の首都で感じたような疎外感はない。

 馬車から見る風景は、かつてのものと変わりはなく、活気にあふれた市場と人々の騒がしい声が耳に届いてくる。何度も来たことがあるせいか、ゼニアルゼの変わらぬ様子は私を安心させた。

 

「モリーには、感慨深い所でもあるのかな? 以前、派遣されていた時期は市場にもよく行ったのだろう?」

「ええ、ご存じの通り。……兵の調練の片手間に、ゼニアルゼの物価と流通の頻度を調べたものです。この仕事を請け負ったのは、私だけではありませんし、シルビア妃殿下はそれも織り込み済みだったのでしょうが」

 

 わざわざ語るようなことでもないのだが、奇妙なほどに懐かしさを感じた私は、口も軽くなっていた。

 王妃様も、そうした私の感慨に付き合って、話題を広げてくれた。

 

「うむ。クッコ・ローセにもメイルにも、ゼニアルゼに行ったときは市場調査をさせている。経費の名目で、いくらかの商品の購入も認めてやったものよ。――多少の役得がなければ、こういう仕事は面倒なだけじゃからな」

「役得と言っても、結局は消耗品の購入にあてられるものですから、風情も何もないわけでして。……そんな過去と比べると、今は恵まれていますよ。私も、クロノワーク全体も」

「二、三年前とは大違いよの。……貧しい時代は、過去のものにしたい。これからの未来は、よりよいものであってほしい。その気持ちは、わらわも同じ。――シルビアも、理解を示さないわけではないと、信じたいのう」

 

 ただの雑談の範囲内であり、含むところはないはずである。しかし、王妃様の顔には憂いがあった。

 シルビア妃殿下との顔合わせは久々とはいえ、無駄に緊張していく間柄でもないはず。親子関係がギクシャクしているとしても、名目自体は問題がない。

 特に王妃様にとっては『孫の顔を見に行く』ことも目的の一つだった。

 

「今回は家族での歓談が名目であるゆえ、おぬしを割り込ませる時間は限られておる。……事前に東方会社の資料は送っておいたが、あの子のこと。どのような展開を望んでいるか、わらわには予想できぬ」

「本心はわからずとも、あのお方のこと。ゼニアルゼの権益と自身の勢力拡大については、いつでも注意を払っているはず。――東方会社の件についても、妥協と和解の余地はあると、私は考えていますよ」

 

 別段、敵対するような理由もないし、距離が遠いとはいえ身内であることは確か。

 利益が衝突する場合でも、調整のしようはあると、私は楽観的なのだが、王妃様の見解は違うらしい。

 

「しかし、出産を終えてからのあの子の動向は、今一つ不鮮明でな。時間はあったはずじゃが、東方に対して明確な動きはないという。……鈍ったとは思わぬが、なにか不気味じゃのう」

「産後の健康状態にも、問題はないと聞いています。シルビア妃殿下は子供が出来たからと言って、性格が変わるような方ではないと思いますが――」

「どうかな。わらわも経験があるが、子を産んだ後は、何かしらの心境の変化と言うか、感性が変わったような感覚を覚えるものよ。ただの気のせいと思って、振り切ることは出来ようが……どうかな。まあ、会えばわかる話なのじゃが」

 

 ため息をついて、それから王妃様は沈黙した。王妃様なりに、シルビア妃殿下を気にかけているのだろう。

 それが正しい懸念であるのか、ただのおせっかいであるのか。

 真実は、すぐにわかる。私はただ、対面の時に備えるだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 我々の馬車が門を通った時点で、ゼニアルゼ兵たちの歓迎を受けた。整列し、正装した兵と騎士の迎えと案内は、私が東方ですら経験したことのない類のものである。

 東方は固有の文化で相手を圧倒するが、ゼニアルゼは費やした資金と人員、および豪勢な装備によって、相手を威圧する方式を取っているということだ。

 

 そのまま誘導に従って進むと、ゼニアルゼの王城では、私達を歓迎する準備はすでにできていた。

 私が個人でやってきたときとは、事情が違う。クロノワーク王妃が、シルビア妃殿下の嫡子にして、ゼニアルゼの王位継承者たる王子の顔を見に来たというのだ。粗略な扱いなど、できる状況ではあるまい。この大層な歓迎ムードは、それゆえであろうか。

 

 さて、ここらで基本的な情報と向かい合おう。

 

 まず、シルビア妃殿下の子は、姫ではなく王子だった。健やかに生まれ、疾患らしい疾患にもかかることなく、健康に生きている。

 祖母となる王妃様にとって、これは幸いである。娘と孫が不幸になることなど、どうしたって受け入れられない御方なのだから。

 

「出迎えご苦労、大臣殿。あの子と孫殿は息災かな?」

「はい。気分が優れないことはあっても、体調を崩した様子はございません。ご心配なく」

 

 迎え入れられた王城で馬車を下りると、すぐにゼニアルゼの大臣殿が待機していた。

 王妃さまとも面識がある様子で、簡易なあいさつの後は一言二言、他愛のない話をしている。

 

「この度は、モリー殿もご一緒ですか。随分とまた、出世なされた。いえ、能力に見合った役職に、ようやく就くことができたというべきでしょうか?」

「あまり褒めるなよ、大臣。モリーはまだまだ若く、活躍の余地があるゆえな。――下手に驕って、馬鹿をやられると面倒じゃ。こやつには、少々辛辣に当たるくらいでちょうどよい」

「それはまた、相当気に入られたようですな。いやはや、クロノワークがうらやましい。ゼニアルゼの若手は、まだこれと言った人物がおりませんで……」

 

 久々に見た大臣殿は、相変わらず苦労をしているようだった。シルビア妃殿下の元で働いているなら、有能な者ほど激務を負わされるらしい。

 妃殿下と付き合いの長いメイルからも、アレコレと聞いているからね。この辺り、同情しないでもないよ。

 

「お久しぶりです、大臣殿。お忙しい中、我々を出迎えていただき、感謝いたします」

「いえいえ、私としてもいい機会ですから。……東方会社の景気はいいようで、ゼニアルゼでも頻繁に話題に上っております。個人的に興味もありますし、話を聞いてみたいものですね。難しそうなら、個人的に書簡のやり取りくらいはしておきたいのですが――」

「大臣殿、そういう政治的な話は、また今度にしてください。王妃様の御前ですし、これからシルビア妃殿下との会談がありますので」

 

 会談の場所は、例によってシルビア妃殿下の私室である。私たちは道すがら、情報交換も兼ねて適当に駄弁りつつ、ゆっくりと目的地へと向かう。

 

「ふーむ。東方会社は景気が良いと聞きましたが、クロノワークも最近は国力の増大が予想されるほど、人の動きが活発だ。――将来的に、いずれもがゼニアルゼの競争相手たり得る。それを確信できただけでも、シルビア妃殿下のわがままは意味があったと思いますな」

「わがまま、か。あの子との話し合いを望んだのは、わらわの意志でもあるのだぞ?」

「わがままですとも。……なにも、一対二で会談に臨むことはない。せめて私だけでも同席を許可願えたならば、多少なりとも防波堤として、役に立ってみせるのですがね。あえて単独で立ち向かおうとする辺り、妃殿下もまだまだお若い」

 

 片手間の雑談の中にさえ、大臣殿は鋭い言葉を投げかけてくる。

 旧臣の中でも、シルビア妃殿下が排除より活用を選んだ唯一の男なのだ。容易い相手であるはずがないが、王妃様はこれを軽く受け流す。

 

「まさにシルビアの若さが、悪い形で出たらしい。母親たるわらわに対して、苦手意識を持っているのは確かなはずじゃが、時間をおいて楽観が勝るようになったのか。……だとしたら、どうしてあの子がわらわを嫌うようになったのか。改めて思い知らせてやるまでよ」

「――今も昔も、クロノワーク王妃は恐ろしい。私だけは、ゼニアルゼの家臣団でその危機意識を持ち続けましょう。それが、我が主君へのせめてもの情けであると思いますから」

 

 私をそっちのけにして、二人だけでわかりあっている。そうした雰囲気に疎外感を感じつつも、シルビア妃殿下の私室へとたどり着く。

 

「では、私はここまでです。お二人とも、妃殿下の扱いに関してはご承知でしょうが、それでもなお慎重に振る舞うようになさってください」

「なんじゃ、シルビアの機嫌が悪い時に来てしまったのか? あの子は昔から、都合のいい時だけ良い顔をしたものでな――」

「私などには図れぬことでございますが、最近は特に気むずかしい様子を見せられまして。……悩みごとがあるのかもしれません。どうか、怒りや不安を煽ることのないよう、お願い申し上げます」

 

 大臣殿は、それだけ言い残して去っていった。何とも含みのある言い方は、私を不安にさせる。

 あの妃殿下に、心境の変化があったとは考えたくないのだが。偉大な強敵を前にして、弱体化の報を聞いても萎えるだけだ。

 

 そうであってほしくないと思いつつ、扉を開ける。侍女に迎え入れられて、シルビア妃殿下の元へ。

 王妃様は無造作に進むだけで良いが、私は別である。静々と神妙に歩み寄り、一礼してから声をかける。

 

「シルビア妃殿下にまいりましては、ご機嫌麗しく、ご健勝のこと、お慶び申し上げます。この度は王妃様のおつきとして、モリーが参りました」

「おうモリーよ、久しぶりじゃな。めんどくさい儀礼はそこまでにして、席につけよ。……母上を前にして、わらわは憂鬱じゃ。せめておぬしが道化を演じて、興じさせろよ」

「ご期待には添えかねます。私の主君は王妃様であって、妃殿下ではございません。主筋として尊重することはできますが、王妃様の前で過剰に卑屈な態度は取れませぬ」

 

 シルビア妃殿下の顔が、わずかにゆがむ。それが嫌悪でも不快感でもなく、感嘆によるものだと知るくらいには、私も妃殿下との付き合いを重ねていた。 

 

「モリーも母上の信頼を勝ち取るまでになったか。……評価されないようなら、ゼニアルゼに引き込むのも容易かったであろうにの」

「そちらにとっては残念であろうが、東方会社に出向させた時点で、その道は潰しておる。シルビアなりにモリーを評価しておるのであろうが、わらわはこやつをもっと高く買っているのでな」

「それ、そうよ。……母上との会談を応じたのは、東方会社についての部分が大きい。孫の顔など、後で存分に見れば良ろしかろう。この一時だけは、この三人で思うが儘に語ろうではないか」

 

 そうして、ここからは東方交易に関すること。クロノワークとゼニアルゼの外交に関わる一番重要な点についての話し合いが始まったのである。

 私にとっての大一番、気合いを入れて行こうじゃないかね。

 

「モリーよ、クロノワーク王妃の名で許可する。言葉を選ぶ必要はない。正直にシルビアと相対するがいい。わらわは、それを見守ってやるだけで良かろう」

「はい、感謝いたします。――そういうわけで、シルビア妃殿下。僭越ながら、私がお相手いたします。東方会社について思うところあらば、是非これを機に吐き出してください」

「吠えたな、モリー。母上を前にして、わらわが多少なりとも委縮すると思ったなら、それは間違いじゃぞ」

 

 シルビア妃殿下の言葉は本物だろう。彼女は、母親の前でも本性を隠さない。

 今も正しく、圧倒的な強者である。そうとわかっていても、私だって引けはしない。

 クロノワークのためにも、我が家の為にも、シルビア妃殿下から一定の譲歩を引き出すことは必須であると理解するがゆえに、全力で立ち向かおう。

 東方と西方の衝突はもちろん、交易と交流が進むことによって現れるであろう、あらゆる不具合と不都合について。

 私たちは、この場で話し合い、事前の了解を取る必要が、どうしてもあったのである――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お互いに情報はある程度共有しているし、シルビア妃殿下のことであるから、独自の調査をやっていても可笑しくはない。

 なので開口一番に問題を提起しても、まずは問題ないと私は思う。

 

「妃殿下は、東方会社について、思うところがあるでしょう。是非ともお聞かせ願いたいのですが」

「やはり、それよな。わざわざここまで聞きに来るとは、御苦労なことよ。――わらわの所見を述べるならば、面倒な商売敵以上のものではない。とりあえず、今のところは」

 

 シルビア妃殿下は、当たり前のように、無感動にそう言った。

 だが、これでは足りない。本音を見せろとばかりに、私は言葉を続けた。

 

「では、ことさらに敵視するような相手ではない、とおっしゃられる?」

「わらわにとってはな。だが、ゼニアルゼの商人どもにとっては、違うじゃろう。きわめて強力な競争相手というか、将来的には敵になる連中であると、割り切っている奴もいる有様よ。――しかしそれでも、クロノワーク人が関わっているため、単純に襲撃して潰すという手は使いにくい。返り討ちにされ、表ざたになっては、それこそ笑い話では済まんでな。力尽くで主導権を奪うまえに、まず他の手段を探るであろう」

 

 自分は違うが、臣下は物騒なことを考えるかもしれない。

 シルビア妃殿下の言い方は、遠回しではあるが、東方会社を厄介者扱いしている。積極的に擁護するだけの義理はないので、妃殿下の言い様もわかるが――。

 これは、私の方から話を切り出すのを待っている。そういう流れであろうかと察する。

 

「では、略奪行為は最後の手段として、まずは陰湿な手段で妨害してくる。商人たちが、そこまで思い詰める可能性があるのでしょうか?」

「ああ、ないとは言えぬな。一番の問題は、東方会社とゼニアルゼで、販路が喰い合うことよ。しかも東方会社は、国家の明確な支援を受けて、東方交易の利権に割り込もうとしておる。――わらわとしても、自国の商人どもから苦情が入れば、対策をたてぬわけにもいかん。連中の収益が減って、将来の税収が目減りすることは、わらわも許容したくはないからのう」

 

 販路が食い合う、競合する。だから揉め事が起こりかねない――というは、今さら言われずとも理解していたことである。

 だが、それをシルビア妃殿下の口から言わせたことには意味がある。妃殿下は、支援を求められたら対策をたてざるを得ない、と言う。

 具体的な行動まで口にしなかったのは、まだ態度を決めかねているからだと、私は察した。

 

「妃殿下個人の意見としましては、対策はどのような形を考えていますか?」

「……今、ここでは明言できんな。おぬしこそ、東方会社のゼニアルゼ対策について、思うが儘に語ってくれていいんじゃぞ」

「わかりました。――お互い、探り合うのもここまでにしませんか。対策と言うのもアレですが、東方会社の代表として、今後の経営方針を述べることくらいは出来ます。ですから、シルビア妃殿下も折れるべきところは折れていただきたい」

 

 ここまで言えば、彼女も興味以上の反応を返さねばならない。私から情報を抜ける機会があるなら、それを逃す妃殿下ではなかった。

 

「そちらからの情報次第じゃな。一方的に折れろ、と言われても困る。われわとて体面があるし、国内情勢への配慮は必要なのでな。おぬしらは東方皇帝に気に入られたようじゃし、強力なライバルになりえる相手に、便宜を図ることはしたくない。――商人どもがわらわに歯向かうとは思わぬが、交易の量と質が落ちるのは受け入れられぬのでな」

「私が出す情報次第では、譲歩もあり得る。その点、確約いただけませんか? 同意していただけるなら、私個人が抱えている機密についても、ここで口することができます」

「ふーむ、興味はあるが、価値のある内容でなければ意味はあるまい。わらわの満足のいく答えであれば、一考しても良いな。……明言できるのはここまで。さあ、そちらの番じゃ。せめて、考慮に値するだけのものを開帳して見せろよ」

 

 百点満点の回答ではないが、最低限の保証は得たと考える。ならば、惜しむほうが間違いだと判断し、思うところを述べるとしよう。

 どうせ、私が抱えている話なんて、一年もすれば陳腐化する。シルビア妃殿下の情報収集能力と分析力を、私は過小評価しない。

 

「双方の問題を解決するためにも、お互いに市場を分けましょう。例えば、そちらは換金作物や衣料品、こちらは装飾品や鉄製品などといった具合に。東方会社とゼニアルゼで扱う商品を変えてしまえば、競合せずに済みますし、こちらにはその準備もあります。販路については、事前に協議できるなら住み分けも可能でしょう。――完全に、というのが難しくとも、交渉の手順さえ間違わなければ、失うものは最小限で済むはず。例えば、物余りによる価格の暴落くらいならば、これで防げると思うのですが、いかが?」

「そこまで完全に商人どもを統制できるなら苦労はない! おぬしは代表だから好き勝手にやれるのじゃろうが、ゼニアルゼの商人どもは勝手に動いて勝手に稼ぎたがる。――わらわが武力で押さえつけても、命知らずの守銭奴どもは止まるまいて」

 

 商品の制限も、住み分けの努力も、そもそもが不要であると言われれば打つ手がない。

 妥協を知らぬ強欲が商人の本性であるなら、こちらも武力制圧を許容しよう。でも、現実はそこまで救いようのない状況ではないと、私は信ずる。

 

「命知らず以外を統制できるなら、まずは充分と言うべきでしょう? どうせ、そこまで思慮のたらない連中は少数派です。妥協した方が細く長く稼げると、理解する者の方が多いでしょうし、そこまで完璧は求めません。……市場を分けるのもそうですが、東方と西方の需要の違いと、今後の経済の推移を考えれば、しばらくは猶予ができると思うのです」

 

 この場合の猶予と言うのは、シルビア妃殿下が外征を決意するまでの期間を言う。

 いずれは起きると考えていたけれど、もしかしたらそれは思ったより近い未来かもしれない。

 妃殿下が計画を早める可能性は常にある。自らが望まずとも、周囲の環境が状況を整えることはあり得るだろう。そうした危惧を抱きながらも、私は言葉を重ねた。

 

「猶予とは吠えたものよ。わらわが何を企んでいるか、わかっているように言い腐る」

「以前、私がほのめかしたでしょう? シルビア妃殿下は西方の盟主たりうる。ただし、ゼニアルゼが財政破綻しないことが前提である、と。そして妃殿下に敵が生まれたならば、必ずゼニアルゼの財政に攻撃を加えるであろう――とも」

「それに類するようなことは、たしかに聞いた覚えがある。適当な危険の可能性をアレコレ言い散らして、わらわの危機感を無駄に煽った挙句、こちらの秘策を強引に引き出した件もあったのう。……不敬罪で投獄しても、許されると思うんじゃが、どうかな?」

 

 シルビア妃殿下は脅すように言うが、本気でないことは明らかだった。他愛のない過去の発言を掘り起こして、ケチを付ける。

 微妙に妃殿下らしくない態度にも見えるが、人は変わるものだ。これくらいなら誤差だと信じて、話題を転換させよう。

 

「それで妃殿下に何かしらの利益があるのなら、是非もございません。――とにかく、未来の話をしましょう。収奪に走る前に、稼げるだけ稼いだほうがいい。それにしたところで、武力を使わずに済むなら楽ができる。なにより、稼ぐ場所を限定する必要はなく、食い物にできる土地は広いほうが良いでしょう?」

「意味深な事ばかりほざきよる。せめて、もう少し具体的に話せ」

 

 シルビア妃殿下からの印象の低下を危惧しつつ、私は自らの経営方針について述べる。

 おおよそ予想通りに事が推移するなら、お互いに利益がある話だ。だから、私は臆せずに提案できるんだよ。

 

「東方でも西方でも、情勢は安定していて、殖産に力を入れる土壌が整っています。――要するに、人口が増えていくことが予想されるのですね。それも、今後数年だけでも平和が続くならば、劇的な変化が現れると考えられます」

「劇的な変化か。母上、確かクロノワークでは農業に力を入れていると聞いた。オサナ王子もそれに付き合わされたと、笑い話の類であると思っていたが、そうではないらしいですな?」

 

 シルビア妃殿下が、王妃様に唐突に話を振る。王妃様は傍観する姿勢を崩していないから、こうして妃殿下からつついてこないと、発言すらせずに見守り続けたことだろう。

 逆に言えば、それだけシルビア妃殿下が返答に困っていることの証左ともいえる。

 私が需要と人口の問題を口にした時点で、おおよそは察してくれたらしい。頭の回転の速さについては、本当に褒めるしかないと思うよ、まったくもって。

 

「ふむ。確かに、シルビアが言うようなことはあった。じゃが、オサナ王子の件はモリーの独断であったと聞いている。――クロノワーク全体が農業生産に力を入れているというのは、確かではあるがね。しかし数年で劇的な効果をあげられるかと言われれば、クロノワークだけでは厳しいというほかないが」

「そうか。余計な情報がくっついているが、とにもかくにも母上の言質は取った。……いいぞ、モリー。これだけでも色々と予想はつくが、おぬしの悪だくみについて、語って見せろよ」

 

 最後まで聞いてやる、とシルビア妃殿下は言った。そこまで警戒されるほど、私は彼女を追い詰めたのだろうか?

 ポーズにしては真に迫っていると思いつつも、ここは迷うべき場面ではない。正直に、思うところを述べた。

 

「人口が伸びれば、働き口が必要になります。農業で稼ぐにしろ、商業で稼ぐにしろ、それが可能な土地がなければ画餅に終わる。そしてシルビア妃殿下も王妃様も、それを自国民に用意するために、色々な形で尽力しておられます。しかし、東方ではその辺りの意識が薄いようで。人は増えるに任せ、出稼ぎは個人の判断次第というありさまで、色々と隙だらけなのですね」

「わらわは一般論を聞きたいわけではない。――で?」

「妃殿下の主導で、砂糖や綿などの大規模農場を作る話は、私の耳にも届いております。そして、働き手をかき集めるのに苦労していることも。……東方会社の代表ともなると、その手の商業の話については、どこからか聞こえてくるものでして」

 

 不遜とも受け取られかねない口調で、私は言った。一種の挑発だが、これに乗ってくるほど、シルビア妃殿下は冷静さを失っていない。

 鋭い視線を私に向けながら、妃殿下は無言で話を促した。

 

「農場を作って軌道に乗せるには、それなりに時間が掛かります。四、五年は見積もりましょうか」

「いずれも、これから三年でやらせる。そのつもりで、わらわも相応の準備を整えておったのでな。土地の囲い込みと整備は、すでに始めておるぞ。作物の植え付けも試験的に行わせて、経過を見ておる所じゃ」

「では、三年と言うことで。そんな短期間に自国の人口は増えませんが、他国から入ってくるなら事情は変わる。――労働人口となる移民が、東方から大挙してやってくる未来。それが、シルビア妃殿下にも見えている。……違いますか?」

 

 今になって見えてきたところよ、とシルビア妃殿下は言った。それが韜晦であるのか、本心であるのか。いや、いずれであっても構わない。

 このお方がどんなに物騒なことを考えていても、争いが合理的でないと悟れば、あえて血を求める方ではないのだから。私は、あくまで商業の分野に限って、話を進めるつもりだった。

 

「ぬけぬけと言い腐る。もっと猶予があったはずなのに、それを後押しするのが東方会社という組織であろう。――ゼニアルゼ商人が東方からの安い労働力を買いたたいて、こちらで働き口を世話してやる。そうして大量に生産した商品を、また東方や西方各国に売りつける。わらわにとっては造作もないことじゃが、これはそのまま、東方会社も同じように行える。忌々しいものよ」

「そうでもありませんよ。東方会社はまだ農場を抱えておりませんので。……販路を分けるとは、そういう意味でもあるのですよ?」

「まだ、と言っているあたり、わかっておるであろうに。じゃから、おぬしは面倒なのよ。――約束を破るとは思わぬが、抜け道くらいは容易く見つけてのけるであろう。いっそ敵であったなら、対応は簡単であるというのに」

 

 嫌われてしまったかな、なんて暢気な感想を抱いてしまう。それくらいには、私にも余裕があった。

 シルビア妃殿下も、ここで東方会社をただ叩いても良いことは何もないとわかっているのだろう。むしろ期待すればこそ、こちらにも話を振ってくる。

 

「とにもかくにも、このわらわの想定を超えて、何やらやらかそうとしている奴がおるとしよう。そ奴に対して、わらわはどう対応すべきじゃろうか? なあ、モリー」

 

 お前のことだぞ、と目線で訴えてくる。妃殿下が答えを求めているなら、私なりの回答を示すまでだった。

 

「商売相手にすればいいんじゃないでしょうか。具体的には、東方への販路のつなぎになって貰うとか。……ゼニアルゼ商人は、利益の前には感情など飲み込むでしょう? そちらの伝手でさばききれない商品があれば、東方会社が買い取って、首都の市場で売りさばく。お互いの利害関係が一致して、協力することができるなら、そうした道もございます」

「ふむ、検討に値する話ではあるな。東方会社が首都における商業自由権を得たことは、こちらも把握しておる。――ここでそれを言う以上、おぬしが責任をもって取引の場を保証するということで、間違いなかろうな?」

「……妃殿下は本当に話の速いお方ですね。ええ、そのつもりです。販路を分けること以上に、共同して事業を営むことが大事であると思います。これが実現すれば、東方会社とゼニアルゼ商人は、排他的な関係にならずに済む――どころか、さらに広い市場を開拓できます。東方交易の規模がさらに大きくなり、富の蓄積に貢献することでしょう」

「いいぞ、その調子で話していけよ、モリー。その理想を妄言で終わらせたくなければ、さらなる情報をわらわによこすがいい」

 

 いっそすがすがしいほどに現金な態度だが、それができるがゆえに、シルビア妃殿下は支持を得られているのだろう。

 有能で冷厳なだけの指導者を、国民は愛さない。これくらいの鷹揚さがあればこそ、ついて行こうという気になるのだ。そうした感覚をいまだに持ち合わせていることに、私は安堵しつつ、話を続ける。

 

「お求めの通り、有用な情報を流していきますね。――東方の収穫情報を精査すると、近年は穀物の収量も安定しているようで、ここ数年は価格もさほど変わっていません。工業製品は微妙ですが、これは市場に出る量が制限されているからとも取れます。東方では、鉄が国の専売品になっていますからね」

「要するに、無駄飯ぐらいを養えるほど、東方の土地は生産性が高いわけじゃな? そして増えた人口に対して、雇用を用意するのが、あちらでも難しくなっていると?」

 

 さきほども少し触れたが、確認するようにシルビア妃殿下が言う。これを肯定するように、私は言葉を続けた。

 

「あちらの人間は、収穫量が許すまで、限界まで子作りする癖があったりしますから。……色々な意味であぶれた連中が、出稼ぎに西方まで来たとしても、おかしくはないでしょう。現地に根を張る東方会社は、移民の斡旋業もそのうち始める予定です。その意味がお判りですね?」

「うむ、ゼニアルゼ商人は、移民の扱いがそれほどうまくない。おぬしの協力があれば、安い労働力を迅速に確保できるわけじゃな。とはいえ、それで生産したものを東方に売りつけるには、様々な段取りが必要ではあるまいか?」

 

 割とアコギな形で、ゼニアルゼに移民を押し付けるつもりだが、そこはまだ詳しく言わなくてもいいだろう。

 妃殿下は、さらにその先を見ている。生産した換金作物で、いかに収益を上げ続けるか。この部分を注視しているはずなので、私はそれを保証しようと思う。

 移民を引き受けてくれるのだから、これくらいは引き受けねば目覚めが悪いというものだ。

 

「はい。販路があっても、需要がなくては意味がありません。――ですが、砂糖と綿であれば、そこはどうとでもなります」

「いずれも、東方では自作できるはずじゃぞ。それは抜かりなく調べておる」

「ですが、今後の需要の拡大までは読めておられない、と。――安心しました。そこまで把握されていたら、私の立つ瀬がない所でしたから」

「言うたな、モリー。そこまで吠えた以上は、下手な返答は許さぬ。納得できる論理をもって、わらわの期待に応えて見せろよ」

 

 シルビア妃殿下の目に、不穏な火が宿るのを感じた。

 下手をすれば、食い尽くされる。それくらいの危機感をもって、ここからは言葉を選んだほうが良いだろう。

 それだけの気迫を、私は彼女から感じたのだ。

 

「西方の商品の宣伝について、私はちょっと試してみたんですよね。――結果は上々でした。一部に関して、という注釈をつける必要はありますが」

「結論を言え。いや、結論だけ言え。面倒な論理はこの際余計じゃ」

「砂糖と綿は、まだまだ市場に受け入れられます。……数年後の人口の増加を思えば、あちらの生産高だけでは、とても賄いきれない。西方からの輸入に頼らねばならぬほど、需要が拡大する『余地』がある。私は、そう確信しました」

 

 シルビア妃殿下からの圧を感じながらも、私はそう答えた。

 充分な根拠を持っているのだから当たり前だが、その当然のことを貫くことが難しい。妃殿下は、それだけ大きな人物だった。

 

「東方の地方別の人口推移など、そちらは興味などありますまい。重要なのは、人口が増えた分だけ需要が増えるということ。移民として出ていく人口を考慮しても、さらに大きな需要が東方国内に残ります」

 

 基本、出稼ぎは男の仕事だ。女子供は国内に残るし、東方には未開拓の土地もある。そこで必要とする物品の需要は、確実に大きなものだ。

 そして、東方会社ならその市場に手を付けることができる。ゼニアルゼ商人の求めにしたがって、商品を流すことができれば、その収益は彼らを満足させられるだろう。

 

「綿製品は、安価であるという条件付きですが、売りつける相手には困らないでしょう。――付け加えると、東方会社が砂糖を安価で売り出したせいで、あちらでは平民でも砂糖にありつける情勢を作っておきました。ゼニアルゼで砂糖の大規模農場を用意してくれるなら、出荷すればするだけ売れる下地は整っているのですよ」

 

 砂糖については、量はそこまで集められなかったが、赤字に近い額で売り出している。

 貧民の口に入るのは難しいだろうが、日雇い労働者や人力車夫のような低所得者でも、真面目に働けば週に数回は甘味を堪能できる環境が、すでに整えられていた。

 そうして甘味の魔力をあらかじめ伝えておけば、需要は増え続ける。砂糖の大量供給が可能になった時には、大きな売り上げが期待できるというわけだ。

 

「ふふ、おぬしも悪よのう。……正直、その返答だけで全てを許す気になったぞ」

「お褒め頂き、恐悦至極。シルビア妃殿下の御眼鏡にかなったのなら、何よりです」

 

 シルビア妃殿下と私の間で、これで共犯関係が築かれたと言っても過言ではあるまい。

 それくらいの感触は得たと思うのだが、王妃様は返っていぶかしく思ったらしい。首をかしげながら、疑問を呈した。

 

「二人だけで分かってないで、わらわにも解説してほしいものじゃな。それで、どうしてシルビアは機嫌を直したのだ」

「需要と供給がかみ合った結果、といえばそれまでですが。要するに、東方会社とゼニアルゼの間に、協力関係を結ぶ余地があること。そのために、こちらの方がまず手間をかけて、後続の商人たちへの道筋を作ったこと。その事実をもって、シルビア妃殿下は和解を決意されたのですね」

「そういうことですな、母上。わらわとて、何もクロノワークを敵に回したいとは思わない。東方会社とも協力して、棲み分けてやっていけるならその方がよい。――物騒な話をひっこめて、利益を分け合う未来があるのだと、ゼニアルゼ商人どもを納得させる。現実的にそれが可能になるのであれば、わざわざ危ない橋を渡る必要もないということよ」

 

 お互いに足りない所を補い合えれば、なお良いのだが――とシルビア妃殿下は付け足した。

 それについては、当てがある。今であれば、恩に着せることも出来るか。ならば躊躇うまい――とばかりに、私は攻めた。

 

「さらに申し上げますと、ゼニアルゼが国外の勢力圏で大規模農場を作るとすれば、現地の土壌を変えねばなりません。砂糖にしろ綿にしろ、特別に環境を整えてやらねば、効率的な農場経営は不可能と言っていい」

「良い具合の借地なり植民地なりを見繕って、管理者と移民どもを入植させればよい。三年でどうにかすると、先ほど言ったであろう?」

 

 妃殿下ならやり遂げるだろうが、それを確実なものにするために、こちらから協力を申し出ようと思う。

 ぶっちゃけ、シルビア妃殿下の事業が失敗に終わるか、多大な遅延に陥ってしまうと、全てが狂う可能性がある。なので、ここは絶対に外してほしくないのですね。

 

「その三年の準備を早め、確実性を高める手伝いが出来ると思うのです。――農場を作るには、森を切り開くとか、野山を開発するとか、そうした作業が必要になります。結果として、農場運営に必要になる『燃料』が枯渇しやすくなる。他所から買い付けなければ、とても立ち行かない事態に陥る。そうしたリスクがあるわけですね」

 

 綿はまだいいが、砂糖は多量の燃料が絶対に必要だ。サトウキビの汁を煮詰めるのに、多くの資材を必要をする。

 サトウキビの搾りカスを使う手もあるが、産業革命すらまだまだ先のこの時代、燃料を効率的に消費する手段が乏しい。大窯で汁を煮詰める形式に依存するなら、火にくべる資材はいくらでも欲しいはずだ。

 これを、東方会社が用意する。格安で提供する用意があるとすれば、シルビア妃殿下も拒否する理由はあるまい。

 

「東方会社に、燃料を提供する用意があるのなら。……そうじゃな、砂糖に投資する商人どもはありがたがるじゃろう。ここで恩を売られてしまったら、裏切るような真似は流石に出来んな。本当に、徹底して敵対への道を潰していくのう」

「むしろ、共存共栄への道を、徹底して築いていきたいのですよ。――砂糖はそのままで売れますが、綿製品は東方の服飾文化にそった仕上がりが必要とされます。もしよろしければ、あちらの流行や売れ筋などの情報についても、ゼニアルゼに提供しても構いません。――ただし、ここまで協力する以上、それ以外の部分については、東方会社が自由に扱います。もしそれを曲げてほしいなら、ゼニアルゼ商人の方で独自に交渉してきてほしいものです。……シルビア妃殿下の威を借ることなく、ね」

「用意周到な事じゃな! ええ、モリーよ。こうも希望を見せられては、わらわも無下には扱えぬどころか、積極的に辣腕を振るいたくなる。――おぬし、この展開をいつから予想していた? 一朝一夕で思いつくことではあるまい」

 

 具体的な案のことを言うなら、東方で仕事しているうちにいつの間にか、と言うべきだが。

 そもそもの問題として、シルビア妃殿下の征服欲の考察や、文化衝突の危惧について言うなら、ずっと以前の段階になる。

 とはいえ、正直に答えても警戒されるだけだ。曖昧に言葉を濁すのが、無難なところだろう。

 

「私がその疑問に答えたところで、シルビア妃殿下が信じるかどうかは別でしょう? ――我々は共存できる。協力し合って、繁栄を謳歌する道がある。大事なのは、それだけではありませんか」

「……それもそうじゃな。少なくとも、おぬし個人は味方にするべきよ。東方会社がおぬしの手から離れたら、そのときにまた、是非を問い直すとしよう。それまでは、ひとまず味方として手を取り合うことにするか」

「ご期待に添えられたのなら、何よりです。――改めていうのもアレですが、ゼニアルゼ商人たちの統制については、妃殿下にお任せするほかございません。そこまで心配はしておりませんが、上手くやってくださいよ」

「安心せい。充分な答えをもらった以上、そこをおろそかにするほど、わらわもボケてはおらん。……子が生まれたからといって、親バカをこじらせて思考を鈍らせるような、そんな愚かしさとは無縁であるつもりじゃ」

 

 シルビア妃殿下にしては、いささかくどい言い方であった。私がくどい物言いをするときは、安全を買うために、確認のために口にすることが多いのだが――。

 妃殿下ほどのお方が、不安を感じているというのだろうか。いぶかしく思っていたが、ここで王妃様から苦言が入る。

 

「シルビア。体調がよくないのか? 話がひと段落したなら、無理をせず休んではどうかな? こちらには孫の顔を見るという名目があるのだから、明日も同じだけ時間を取ることは出来よう。……今が大事と思えばこそ、話し合いには慎重になるべきじゃぞ」

「母上の言葉には、千金の価値がありますな。――ええ、そうさせていただきましょうとも。モリーよ、そういうわけじゃ。今日はここまでと言うことで、良いな?」

 

 シルビア妃殿下がそこまで言われるなら、是非もない。王妃様が言い出したことでもあるし、異論をさしはさむ余地はなかった。

 

 とりあえず、一日目の会談はこれで終了と相成った。退室し、宿泊の為の客室に案内される――私だけが。

 

 王妃様とシルビア妃殿下は、二人きりで語りたいことがあるらしい。親子間のプライベートな問題であれば、別に不自然なことではないし、私がケチを付ける筋合いはない。

 けれど、何かしらの危惧を抱いてしまうのは、心配が過ぎるのだろうか。……ともかく、私は私なりにできることはした。

 東方会社とゼニアルゼの間で、協調関係を築けた。今回の会談で、その実績を作る機会を得られたと思えば、まあまあ満足のいく結果ではなかろうか。

 再び東方へ出張する前に、絶対にやっておくべき仕事だったから、まずは一安心である。

 本当に私の予想通りに、都合のいい未来がやってくるとは限らないにしても。ここで全力を尽くさずに、半端で済ませることはできない。

 

 東方に行った後も、シルビア妃殿下との連絡は欠かせないな――と思いつつ。クミンの存在の大きさを、今後は実感することが多くなるんだろうなぁ、なんて。そんなことを考えたりもしていました――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーを退室させた後も、シルビア妃殿下とクロノワーク王妃の間で会談は続けられた。その内容については、プライベートに限らず、外交や商業に関わる諸事――要するに先ほどの続きを、余人抜きで話し合う。

 そのための空間を作るために、王妃はわざわざゼニアルゼまで出向いてきたのだと言っても良い。

 

「やはり、変わったのう」

「左様で。……母上と一対一とは、まったくもって面倒な事よ。出来ることなら、葬式まで顔を合わせたくなかったのじゃが」

「以前より、よほど正直になった。いや、これは結婚に成功した結果かな? 心に余裕がなければ、そこまで明け透けには言えまい。――わらわの怒りを買わないとわかっている部分であっても、かつては言葉にするのを避けていたはずよ」

 

 シルビアにとって、自らの母親というものは、数少ない目上の存在であり、真っ向から対峙するには覚悟が必要な相手でもあった。

 こうして向かい合うのも、いつぶりであったろうか。そんなことを思いつつも、シルビアの方から話を切り出した。

 

「わらわが変わったとか、結婚生活のアレコレとか、そういうところを語りたいとは思わん。……母上、モリーを譲っていただきたいと申せば、譲っていただけますかな? 色々な方面から情報を集めましたが、やはりアレは地位を引き上げ、辺境に置いてこそ真価を発揮する。手元において大事に育てるよりは、無茶ぶりをしてやるべきなのです。――いただけるなら、見返りは期待してくれても良いですぞ」

「あれには、東方会社の役目を終えた後、エメラとオサナの夫婦を後見する仕事を与えねばならん。それも終われば、あの子らの私臣となる。他所にやるつもりなどないわ」

「――東方会社は、長くとも数年から十年程度でモリーの手を離れる、と。なら、わらわが動くのはそれからでもよいな。ありがとう母上、値千金の情報でありましたぞ」

 

 茶化すような物言いだが、感謝は本物である。シルビアは母親が感情的に口走ったとは思わない。 

 クロノワークとゼニアルゼは友好国であり、今後もそれは変わらないということ。その証明として、明確な情報を提供したのだ。

 たかが一騎士の未来が、取引の材料になる。その事実の異様さについて、二人はもう語ろうとは思わない。モリーの才覚と実績が、それを当然のものとしてした。

 

「ま、あの二人のお守りをさせるのなら、最低限の仕事は押し付けられそうじゃ。わらわとて、妹は可愛い。妹夫婦の幸福を祈って、アレコレと骨を折るのは当然のこと。そうは思いませぬか?」

「――白々しい。エメラにおぬしほどの才覚はない。オサナ殿も頑張ってはいるが、二人の能力を合わせたところで、シルビアには敵うまい」

 

 未熟な二人をかばう形で、モリーを動かされる。そうした事態を想定せねばならぬかと、王妃は未来を憂うばかりだった。追撃するように、シルビアは言葉を重ねた。

 

「母上も、いつまでも健在と言うわけにはいかん。十年後はまだ元気やもしれぬ。二十年後も、あるいは。――しかし、三十年後は絶対に引退なり寿命なりで、現役を退くほかなくなる」

「自分が確実に長生きするのだと、そう思い込むのはやめよ。……三十年後は、おぬしとて老年であろう。そんな先の話をしてどうする」

「おおよそ、それくらいの時期になりますかな。その辺りで、東方会社との始末をつけまする。我々も十年後くらいには、本格的に東方に進出することにしましたので。明確な協力相手――もとい、競争相手ができたことは、何も悪いことばかりではない。ゼニアルゼ商人どもの尻を蹴り上げて、強権を振りかざす理由付けにもなりまする」

 

 さしあたっては、『ゼニアルゼ東方会社』とでも名付けようか――ともシルビアは言った。

 あまりにも軽く言うものだから、何の冗談だろうかと、王妃の方が訝しげに問わねばならなかった。

 

「……何のつもりだ。ドヴールには進出する余地などない。首都の置ける商業自由権は、モリー個人が勝ち取ってきたものだ。十年も経てば状況は変わろうが、おぬしが何を目的としてどう始末をつけたいのか。それがわからぬことには、どうとも言えぬぞ」

「ドヴールに競合する都市など、いくらでもありましょうぞ。まあ、下手を打って失敗する奴もいるじゃろうが、わらわはそこら辺の人事に失敗したことはありませぬ。――目的はと言えば、ゼニアルゼの商業活動の拡大、他国の独占交易に対する挑戦……といっても、母上にはわかりにくいかもしれませんな」

 

 わかりやすい言い回しを探すように、シルビアは考えるそぶりを見せた。王妃はそれが娘なりの気遣いであることはわかっていたが、同時にマウントを取りに来たことも察している。

 自分の手の届かない未来に、クロノワーク王妃は強い危惧を抱かざるを得なかった。

 

「ご存じでしょうが、ゼニアルゼの国民は、商業活動が大好きなので。他の誰かが同じ分野で成功しているのを見ると、真似をしたくなるものですよ。……他国人と協力は厭わぬが、友愛が嫉妬に代わることも珍しくはありますまい。――よって、わらわは統治者の責任として、彼らの不満を解消してやる。平たく言ってしまえば、そういうことなのですな、母上」

「感情的な問題で、そこまで大事になるとは――いや、なるな。ゼニアルゼにとっての商業は、飯のタネそのものだ。他国に機会を独占されるということは、『自らが受け取れたかもしれない利益』を奪われるに等しい……などと、連中は考えるか。金回りの話に対しては、ゼニアルゼ人は繊細でありすぎる」

「問題は結局、そこに帰結するのですな。母上、クロノワークは本当に良い国家ですぞ。ゼニアルゼの面倒くささと比べて、我が母国のなんと純朴で質素な事か。……真面目な話、西方一の国民性を持っているのかもしれませんな」

 

 脱線はここまで、とばかりにシルビアは表情を真剣なものに変えた。鋭さを取り戻した眼光は、母であるクロノワーク王妃にとっても、脅威として映る。

 その顔で、何を語るのか。固唾をのんで見守ったが、シルビアの口にしたことは、なんとも他愛のないことだった。

 

「すべての民がクロノワークのようであれば、おぬしが支配するのも簡単であろうな」

「そうでないことが残念ですとも。――誰も彼もが、薄汚い欲望で動いている。欺瞞と悪意で人を陥れ、自らの栄光だけを求めている。……ならば、わらわも相応の手段を取るまで」

「シルビア、おぬし、何をする気じゃ」

「以前、モリーに語ったこと以上のことはしませんとも。西方支配を完遂するのは、わらわの代でなくともよい。――そして、盟主が必ずしもゼニアルゼである必要もまた、ない。クロノワーク、ソクオチ、ゼニアルゼの関係は強固である。こちらが残り二国の生命線を握ることができれば、傀儡として操ることも不可能ではありますまい」

「あえて我々に盟主の座を譲り、ゼニアルゼは黒幕として、実利だけを貪る――か。シルビアよ、布石を打つだけなら、おぬしの代で叶うじゃろう。しかし、子や孫が布石を活用できるとは限らぬし、時勢は常に変化する。……過剰な期待はするものではないと、忠告しておこう」

 

 母からの言葉で、止まるようなシルビアではない。そうとわかっていても、何かを言わずにはいられないというのが、クロノワーク王妃の本音だった。

 

「そもそもなぜ、おぬしはそこまで西方支配にこだわるのじゃ。無理に目指す理由がどこにある? 支配欲や物欲など、充分に満たされているであろうに」

「……思うがままにふるまって、欲望のままに支配を広げること。それが為政者の性と言うものにございましょう? 母上は所詮王妃に過ぎぬゆえ、そうした機微には疎いやもしれませんな」

「ごまかすなよ、シルビア。わらわがおぬしの母親をやって、どれだけ経っていると思っている。……単純な欲とか、いらだちとか、そんな感情的な理由だけではない。それがわかるくらいには、わらわもおぬしを見ているのだぞ」

 

 小手先の戯言で誤魔化されるほど、関係性が薄い相手でもない。それをいまさらのように理解しながら、シルビアは観念したように言った。

 

「……我慢がならんのよ。どいつもこいつも、わらわの勝利に乗じて、好き勝手に己が欲望を満たそうとしよる。それならそれで構わん、好きにするがいい――と鷹揚にも放置してきた。わらわには、それだけの力があったから」

 

 本当の意味での敵を知らなかった。過去の己は若かったのだと、シルビアは自嘲する。

 母の前でもなければ、決して見せなかったであろう姿だった。そして彼女は、味方面したものの中にこそ、中立を気取っているものの中にこそ、質の悪い敵が混じっていることを知ったのである。

 

「しかし、今はそう思わぬ。わらわはもはや姫ではなく、一国の妃であり母親である。……未来のことを思えば、わらわが積み上げたモノを盛大に崩そうとする奴がいるなら、立場に関わらず味方とは見なさぬ。唾棄すべき仇敵であると断じよう。――その中でも飛び切りの馬鹿は、自覚すらなしに西方秩序を乱し、発展と進歩をはばむのみならず、社会の衰退まで呼び込もうとするのじゃ。そして、その手の愚物を粛清するたびに思う。……我慢がならん、とな。人間は、もっと早く、もっと先まで行けるはずではないのか? よりよく生きることができれば、より多くのことを成し遂げられるはずではないか!」

「思ったよりも、よくしゃべるのう。もう少し、ぼかされるのではないかと思ったが――何か、想定外のことでも起こったのか?」

「想定外と言うなら、ここ一、二年の順調さこそが最大の想定外よ。ソクオチを返り討ちにして掌握した件まではいい。――じゃが、そこから西方支配への道筋を見出し、都合よく人材と情勢に恵まれて、超大国へと伸し上がる。この短期間に、それが可能になるとは思っておらなんだ。……いまや必要な事業はおおよそ全て手を付け、良い具合に進められている。東方会社も、この部分では利用価値が大きい。もしかしたら、もしかしたならば――全てがうまくいき、わらわか、我が子が真実、西方の盟主となることができるかもしれん。その栄光に満ちた姿を、この目で見ることができるかもしれぬ。手が届きそうだと思えばこそ、より足を引っ張ってくる手合いが憎くて仕方がない。ゼニアルゼの繁栄を望むのなら、わらわの邪魔をするべきではないというのに、それすらわからぬ馬鹿が、この世には多すぎる!」

 

 一気に思うところを述べる姿は、とても感情的なものであり――。

 そうした姿を、クロノワーク王妃は初めて目にしたのであった。わかっているつもりでも、娘のことを理解しきれたわけではない。

 これからも、理解する努力を続けねばならないのだと、一人の母親として感じたのだ。

 

「シルビアの気持ちは、理解した。……そういうことであれば、やはりクロノワークとゼニアルゼは、本当の意味での盟友となれるじゃろう」

「母上。わらわは、初めからそのつもりですぞ。誰が母国と敵対したいものか――」

「わらわも、なるべくシルビアと向き合うことにしよう。……親子なのじゃ。今更で済まんが、母親らしいことを、これからもさせてはくれぬか?」

 

 クロノワーク王妃が、心底シルビアを哀れみ、慈しみたいと願ったのは、この瞬間が初めてであったろう。

 この娘が赤子の時より、戦争に巻き込まれた時より、今こそが大事であるのだと。そのような感傷を、王妃は抱いていた。

 

「何を、今更。わらわも、もはや一児の母でありますぞ。母上は祖母として、あの子を見守っておればよろしい」

「孫は孫で可愛がろうさ。――しかし、思えばシルビアよ。母として、おぬしを愛したことは、それほど多くはなかった気がするのじゃ。これからでも、その時間を取り戻させてほしい。嘘偽りなく、そう思う」

 

 王妃の態度には、シルビアも困惑するしかなかった。こちらの心身を乱すための言動であると勘繰るほどに、彼女もまた世俗の汚濁に塗れていたから。

 

「何の陰謀ですかな、母上。貴女がこちらのご機嫌伺いをせねばならぬほど、困窮しているとも思えませぬが」

「シルビアこそ、今になって本音をこぼすほど追い詰められているとも思えぬ。何の目論見あってのことかな?」

「母上の前で、少しくらい素直になっても良いではありませんか」

「娘の前なら、それらしく振舞っても良いではないか。うん?」

 

 意地を張り合ったところで、意味などない。喧嘩すらしたことはない間柄だが、今となっては些細な事である。

 シルビアは、母が苦手だった。

 王妃は、娘のことがわからなかった。

 しかし、これからは違う。わかり合おうと誓う。その態度を見せるだけでも、二人だけで話し合うことに意味はあったのだ。

 

「で、本当のところはどうなのです? 母上」

「いや、なに。本音を引き出して、こうやって気安く接する口実を作っておけば、孫を可愛がる機会も増えるじゃろう? ――ゼニアルゼの権力者にして、西方の盟主。二世代にわたって影響力を与えられるなら、わらわの愛情くらい、出し惜しむものでもなかろうて」

「……結局、打算に帰結する、と。流石はこのシルビアの母上よ。情だけでなく、実利だけでなく、両得の手段を迷わず選択する。……そのためならば、舞台を整え、口上を尽くし、自らの感情も偽りなくつぎ込んで見せるとは。脱帽と言うほかありませんな」

 

 シルビアは、母が嘘偽りなく語っていること、語った以上は行動にも移してくるであろうことを、確信していた。

 俗な言い方をするなら、愛情の売り時と言うものをわきまえている。

 慈しみたいという気持ち自体は本物であるというのが、クロノワーク王妃の狡猾なところであると、シルビアは思う。

 

「母相手とはいえ、うかつに弱みなど、見せるものではありませんな」

「弱みを見せるのに、計算がなかったわけでもあるまい? 実際、わらわは母親としての体面を傷つけるような行為は、あれで出来なくなったし――逆に考えよ。これで、大っぴらにわらわと母国に甘える口実ができたのだと。……シルビアは、孫の顔を見せる名目でわらわを呼び寄せ、個人的な相談相手にできる。わらわは、呼びつけられることでゼニアルゼに滞在し、生の情報を仕入れることができる」

 

 あともう一つ、大事なことがある――と、王妃は付け加えるように言う。まさに、この部分こそが重要なのだと強調するように。

 

「シルビアに直接言いにくいことでも、わらわには話せるという者もいよう。そして、わらわが社交の場を広げて得た情報は、必ず共有する。愛する娘に伝えるべきことを伝えるのは、当然のことであるからな」

 

 ゼニアルゼに入り浸るクロノワーク王妃という立場は、結構特殊なものだ。これに目を付けて、あえて王妃に近づこうとする者もいないとは限らぬ。

 あるいはシルビアの急進的な政策を危惧し、やんわりと諫言を伝えるつもりで、王妃にご注進を企てる者もいよう。

 王妃はそれら全てを受け入れて、共有しようとシルビアに提案しているのだ。

 

 あらゆる情報には価値がある。何者かの行動原理が、誰かの不利益につながっていることもあれば、どこかの馬鹿の行動が、身近な野心家に火をつけることもあるだろう。

 自身とは違う目で、ゼニアルゼの上流階級を監視できる。母なりの老婆心による手助けとしては、これ以上のものはあるまい。

 

 シルビアは意味のない無体を働く君主ではないが、近寄りがたい部分があるのも事実。王妃の提案は、シルビアにとって利益ばかり大きいものであった。

 共有と言うからには、あちらはあちらで利用する手段があるのだろうが、少なくともゼニアルゼに不利益を働くことはない。そこまで計算したうえで、シルビアは決断した。

 

「どうぞ、ご自由に。――母上も、ご苦労なことで。お互いの為になるというなら、もはや何も言いませぬが」

 

 事実上の黙認。その言質をシルビアはクロノワーク王妃に与えた。

 そうして、親子の関係は、少しだけ改善した。少なくとも歩み寄る態度は見せたのだから、進歩は進歩と言っていい。これからも、上手にやっていくことだろう。

 愛情と打算は、時間を置いてからでも生まれ得る。親子関係は一定ではなく、良くも悪くも変化するもの。

 一時の感情できっかけを作れたなら、利益をもって強化する。維持するだけの価値がある関係さえ構築できれば、シルビア妃殿下とクロノワーク王妃は、わざわざ破棄するようなことはしない。

 

 それだけの信頼関係は、初めからあった二人だった。そしてこの二人の関係が、ゼニアルゼとクロノワークの外交に影響し、盟友としての地位を保ち続けることになるのだと。

 後世において、両国の資料を閲覧し、分析した歴史家は、そのように結論付けるのであった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おはようございます、モリーです。

 シルビア妃殿下と王妃様のお話は、ほぼ夜を徹して行われたようで、明け方になってようやくお休みになられたとのこと。

 積もる話も色々とあっただろうし、その辺りは突っ込みません。

 

 あのお二方にも、それらしい感情はあったのだなぁ、なんて。微笑ましくさえ思います。

 で、王妃様のおつきに過ぎない私に、特にやることはないわけで。

 公式にお仕事がなくなった以上、ある程度の勝手は許していただきたいのですね。具体的には、ちょっとした私事と言うか、個人的な仕事をすることにしました。

 

 ……一応、王妃様には事前に許可を取ったけれど、ここはゼニアルゼ。

 シルビア妃殿下にとっては、微妙に気分を損ねるかもしれないけれど。今回の機会を逃すというのも、それはそれで非効率であると思う。

 目当ての相手が、今はゼニアルゼの中で元気に商売をしている。その情報があれば、あらかじめアポを取るのも簡単だった。

 

 王城を出て、城下を歩き、目当ての商館へと向かう。話が通っていたから、玄関で出迎えられると、応接室まで直通で行くことができた。

 ノックして扉を開けると、確かにそこには目的の人物がいる。軽く頭を下げてあいさつし、机についた。

 

「おひさしぶりですね、ミンロン様。公式補給商の仕事を終えてからは、ゼニアルゼにいると聞いて、いてもたってもいられずに来てしまいました。――急な会談の申し込みを受け入れてくださり、感謝いたします」

「いえいえ、こちらこそモリー殿の活躍には、瞠目することしきり。伝手をたどって、情報は逐一こちらに届けさせておりましたが、まさか皇帝陛下にまで認められるところまで至るとは。やはり、貴女は規格外なお方です。早めによしみを通じておいて、本当に良かった」

 

 書簡でのやり取りは、一応続けていたにしろ、お互いに顔を突き合わせないと語れない話は多い。

 ミンロンへの配達は、そこまで機密性の高いルートを使えないから、どうしても無難な内容しか記せなかった。しかし、こうして会えたのだから、自重する必要などどこにもない。

 

「紹介していただいた伝手が、東方では役に立ちました。皇帝陛下に認められたのも、ミンロン様が便宜を図ってくださったから。――本当に、ありがとうございました」

「いえいえ。こちらも、随分と儲けさせていただきました。公式補給商の仕事は、もう他の方に譲りましたが、実績は充分。こうして、私個人の商会を立ち上げることができたのも、モリー殿のお引き立てがあってのこと。……こちらこそ、礼を言わせてください」

 

 ゼニアルゼに立派な商館をたてられるくらいには、ミンロンも成功したわけだ。お互いにとって、いい結果に終わったのなら何よりである。

 お互いに持ちつ持たれつで、今後も上手くやっていこうじゃないかね。

 

「それで、今回はどのようなご用件でしょう。――ああ、いえ、今後の見通しとか、これからの関係性について話し合うというのは、わかっているのです。……聞きたいのは、モリー殿がどこまで本気であるか、という部分でして」

「書簡では、あいまいな表現を使わざるを得なかったものですから。――ミンロン様とは、今後も変わりのない付き合いをしていきたいのです。信用ができて、顔が広く、能力も備えている女商人というものは、ミンロン様をおいて他にはございません」

 

 だから、これからも投資を惜しむつもりはないのだと、私は明言しようじゃないか。

 持ちつ持たれつ。私が贔屓にする以上は、半端な立ち位置は許さないよ。

 私が貴女を『様』づけで呼ぶのは、その能力を評価してのことだけれど。商業と言うものの恐ろしさと、多国間において自由に行動できる有能な商人、その厄介さを心底理解しているからでもある。

 丁重に接するのは、是が非でも味方でいてほしいから。そして、敵に回った時は迷わず殺すと決めているからこそ、後悔を残さぬように、敬意をもって相対するのだ。

 

「これからも、ミンロン様を贔屓にしていきたいと思っておりますので、まずはお納めください。――ドヴールでの商業自由権と、東方首都の商館利用権です。専用の手形を用意しましたので、女だからと言って舐められるようなことはありません。ミンロン様がその気なら、いつでもあちらで商売ができますよ?」

「……ちょっと、困りますね。厚遇されているのはわかりますが、人手が足りません。一般の事務員等はともかくとして、東方交易に関わるほどの、大規模な商隊を統率できる商人の当てがないのですね。そういった人材は、他の大商人たちが抱え込んでいますから。今から探すのも難しい所でして――」

「はい。それはわかっておりましたから、ぜひ人を雇ってほしいのです。元盗賊の商人ですが、腕っぷしと商才は本物なので、使って損はない人材だと保証しましょう」

 

 元頭目の商人を、ミンロンに押し付ける――もとい、使い勝手のいい部下として、使いこなしていただく。最近は結構な業績を上げ続けていて、将来有望であると私も結論付けた。

 事業を広げたい彼女にとっては、必要としている人材であろうし、案外補完し合う関係になれると私は思うんだ。

 受け入れてくれるなら、そこから話を広げていける。拒否されたらどうしようか、と思ったけれど、その心配は取り越し苦労に終わってくれた。

 

「モリー殿が雇えと言われるなら、是非もございませんが……彼を使って、何をしろと?」

「彼には、東方での商業経験と、知識があります。ミンロン様の代理として、あちらで仕事を任せてもまず問題ないでしょう。――ついでに言うなら、ミンロン様が東方会社から出向してきた人物を雇うことで、私達の間で何かしらのやり取りがあることを、周囲に周知させることができます」

「本命はそちらですか。……何を企んでいるのか、せっかくでから全部語っていってはどうです? モリー殿と私の仲ではありませんか」

 

 頭目商人の所属がちょっとややこしいことになるが、まあそこは両人に不利益にならないよう、融通を利かせようと思う。

 ミンロンは西方でも珍しい、成功した東方商人(しかも女性!)だ。その珍しい立場は人の目をひくもので、これは西方でも東方でも変わらないだろう。

 私は、彼女にもっと大きな名声を与えたいと思う。なぜなら、それがお互いの為になるのだし、もっと大きな視点での平和にもつながることだから。

 

「私とミンロン様は、気心の知れた仲です。わざわざ貸し借りを考えねばならぬほど、他人行儀な付き合い方はしていません。――でしょう?」

 

 ミンロンは、自分が『儲けさせてもらった』という自覚があるはずだ。前提として、彼女ほどの才覚がなければ意味のないものであったろうが、機会自体は与えられたもので――この点に関しては、私の方に分がある。

 ミンロンは言葉を詰まらせたが、結局は否定しなかった。沈黙を守ったまま、私の言葉を待つ。

 

「そういう訳で、ミンロン様には西方と東方の懸け橋。その一助となっていただきたいのです。企みと言えばその程度のことですから、あんまり構えるようなことではありませんよ」

「具体的な手段については、まだ伺っておりませんね? 件の頭目商人を雇うことと、繋がっているのでしょうか?」

 

 反応が鋭い。ここまでわかってくれるなら、私としては不安を感じずに済む。

 気心を知れた仲と言うものは、本当にいいものだ。ちょっと語っただけで、おおよそは察してくれる。

 

「当初、考えていた予定とは少し違いますが――ミンロン様には、東方会社の特別顧問に就任していただきます。もちろん、名義だけで具体的な権限とか仕事とかがあるわけではありません。何かあった時に、『私は東方会社の人間である』とアピールできる。それから、必要な時に情報を共有できて、私モリーの名前を出して交渉することができる。この程度のことと考えてください」

「そうなると、外部の人間である私が、東方会社に取り込まれた形になりますね。まあ、私の外聞なんて、利益になるならどうでもいいんですが。……ここで大事なのは、そちらの閥の人間を重用することで、私自身が、モリー殿の手先であることを証明するわけですか」

「重用するに値するくらいには、頭目商人には色々と仕込んでおりますよ。――まあ、そちらは無理にとは言いません。彼を使ってみて、性に合わないと感じたら、またこちらで引き取ります。……本命はこちらですね」

 

 そう言って、私は持参した書物をミンロンの前に広げた。

 以前、東方の書物を西方の言語に翻訳したことがあったが、逆のことだって私には出来る。

 つまり、西方の技術書を東方の言語に直して、これを普及させる。その先鞭をつけることだって、充分に可能なのだった。

 

「西方の農学と医学の書。造船と建築に関わるものと……それから、これは大砲の設計図と砲兵の戦闘教義まで! ――念のために聞いておきたいんですが、大丈夫なんですか、これ?」

 

 このモリー、一世一代の大仕事である。

 シルビア妃殿下が、東方に対してあらぬ野心を抱くことがあってはならぬ。そうと信ずるがゆえに、東方はある程度の武力を保持して、ほどよい脅威として残ってもらいたい。

 実際にあちらで暮らしたことで、東方と西方の技術格差を、私は実感として理解していた。

 

 もっとも、切羽詰まるまでは、軍事力の拡大は行わないだろうという確信もある。兵は不祥の器にして、君子の器に非ず――というわけだ。結局は気休めに過ぎないが、それでいい。東方が西方の軍事技術を学ぼうとしている事実だけでも、抑止力にはなるだろう。

 

「王妃様から許可はいただいておりますよ。いずれもが二世代は前のものですから、流出したからと言って、問題視する者はいません。西方では、すっかり陳腐化したような内容ですし――正直な話、東方がいつまでも技術的に遅れていては困るのですよ。ミンロン様には、これを是正するために尽力していただきたいのです」

 

 薬学や陶磁器など、部分部分では、むしろ東方が優越している分野もあるのだが、純軍事的には西方が圧倒しているというのが事実である。

 土地が美味く、力も弱いとなれば、名分さえあれば食い散らし放題だ。それを多少なりとも抑止するために、私は動く。

 

 ミンロンは商人としての伝手を使い、西方の技術を東方に伝達させる。私は東方会社の代表としての地位を使って、東方の思想を西方に伝える。

 双方向で理解を深め合うことも、争いを避ける上では重要であるはずだ。

 

「……私じゃなければ、いけないんですかね。ほら、ゼニアルゼには私以外にも東方商人が何人もいますし」

「クロノワークとゼニアルゼの両国に関係深く、私個人の付き合いがある方は、ミンロン様しかいないのです。東方会社の顧問に就任することで、商業的に自由な動きが可能になりますし、私の名を使えばそれなりの権威にもなるでしょう。――恥ずかしながら、商人の人脈はそれほど広くないもので。ミンロン様以外に、ここまで重要な仕事を任せられる方はいないのです。見返りとして、貴女個人には歴史に残るほどの名声を与えられます。利益以上に、これは大きなことであると思うのですが、いかがでしょう?」

 

 ミンロンが客家の出であることは、ドヴールの商工会長から聞かされている。

 彼女は、一族の地位向上のために。あるいは年少の子供たちを養うために、絶対的な後ろ盾を欲しているはずだ。

 客家は東方においても流浪の民であり、よそ者として迫害された歴史がある。

 一族ごと西方に住み着く覚悟までは持てないかもしれないが、東方会社と言う箱の中に居場所を作ったならば、これを利用する強かさくらいは持っているだろう。

 

「私でなくてはならない理由はそれだけですか? できれば、もっと特別感があった方がやる気が出るのですが」

「もう一つ理由をあげるなら、個人的にシルビア妃殿下ともつながりがあること。その気になれば、あの方と連絡を取って、私とシルビア妃殿下の両方を天秤にかけられる。――それができる肝の太さを持った商人は、やはり貴女しかおりません」

「それは長所なんですか? むしろ、裏切りを警戒すべき理由になるはず」

「いいえ、いいえ。――つまり東方会社の中にあって、シルビア妃殿下の動向を間近で観察できる立場として、貴重なものであると思います。……これはただの予想ですが、ゼニアルゼも東方に進出し、企業を立ち上げる日が来るでしょう。その時にこそ、貴女の価値は最高に高まることになります」

 

 今の東方会社の特別顧問から、ゼニアルゼの東方会社への鞍替えを検討する。

 そうした態度を取った時、ミンロンはどれほどの特権をゼニアルゼから引き出せるだろう。想像してみると、なかなか面白いのではないか。

 手続きさえ踏むなら、それは別段不義理な行いではない。なにより、私が許すのだから問題はなかった。

 ……ミンロンを引き抜いてくれたら、その時点で勝負がつく。だって、彼女は東方会社との縁は切れても、私とのコネクションを手放す理由がないのだから。

 時期次第ではあるが、西方と東方の関係は、そこで一旦固定化すると私は予測している。

 

「私が何か企むより先に、モリー殿の謀略が刺さりそうですね。……まあ、結構でしょう。事業の拡大を試みる位は、してもいい頃合いです。東方会社での立場も特権も、打ち捨てるには惜しすぎる話であることも確か」

 

 そして、機会を提供されたなら、ミンロンは断れない。私の目論見を察していたとしても、利益が大きすぎるから、拒否することはできないはず。

 

「モリー殿。正式な役職とその業務については、具体的に書面にまとめてください。東方会社の組織構成や書式、各種手続きのやり方なども、正確にお願いしますよ」

「私からの申し出をお受けくださり、まことにありがとうございます。――実際に事が成った際には、実利と名声の向上については、できる限り報いさせていただきます」

「景気のいい話ですが、私からは、もう一つだけ。……モリー殿、本格的に企みたくなったときは、私をきちんと巻き込んでくださいな。どうせ私には語っていない所で、あれこれ考えているんでしょう? 少しずつでいいですから、私にも公開してほしいのですよ。共犯者として、それくらいの誠意を求めても良いでしょう?」

「構いませんが、知らせる以上は、こちらの都合で仕事を強制させることになります。東方会社の紐付きで、しかも私個人の思惑に乗っかるのであれば、文字通りの共犯者。――足抜けも、許すことはできません。その覚悟がおありで?」

 

 この私の問いに対し、何をいまさら――と言いたげに、ミンロンは答えた。

 

「私とて、このまま安穏とした政情が、二十年三十年と続くとは思っていません。……東方交易に起因した、何らかの衝突が必ずいつかは起こってしまう。戦争にまで至るかはわかりませんが、そのことをモリー殿は察していて、対策を講じているのでしょう? 私にだって、それくらいは想像がつきます」

「……ミンロン様の情報網は、私もドヴールから使わせていただきました。一端だけでも、相当なものです。元締めのあなたなら、それくらいはわかってしまいますか」

「元締め、というほど強い立場でもありませんよ。――ですが、情報を集めることは商人の嗜みでもあります。無関係を装うよりは、身内になって利害を共有した方が、かえって多くのものを手に入れることができる。私は、それくらいにはモリー殿を買っております」

 

 そこまでミンロンに言わせてしまったら、私だって彼女を取り込むことを考えねばならぬ。

 短慮を戒めるためにも、まずは即断しないこと。家族と相談することを選択する。私が東方会社の代表を張っている間は、妻たちも共同経営者と言っても良いのだから。

 

「……東方会社からの正式な書類については、すぐにでも届けさせます。事務官も直接ここに派遣しますので、説明もそちらから受けてください」

「まずは、そこからですか。――いえ、不満があるわけではありません。私も話を急ぎすぎました。充分モリー殿とは近しいつもりですが、共犯者になれるほどの実績があるかといえば、まだまだ微妙なところ。むしろ貸しの大きさを考慮するなら、身内にしたところで小間使い以上のものにはなれない。……それは、私としても不本意です」

 

 なので、モリー殿の依頼を果たしながら、経過を見ていただきましょう――なんて、ミンロンは言った。

 私が訳した西方の書物を普及させ、東方の技術発展に寄与する。その実績をもって、充分とみなしてほしいと言われたら、私も受け入れるほかない。

 

「どうでしょう? 結論については、まあ三年くらいの猶予を頂ければと思います」

「ミンロン様は果断ですね。……わかりました。そのころまで、どの程度の成果をあげているか。それ次第で、私も貴女を共犯者とすべきかどうか、判断することにいたしましょう」

 

 実際には、見極めに三年も必要ないだろうという確信はあったが、ミンロンの言い出したことである。

 あちらにも、こちらを値踏みする権利くらいはある。三年の様子見は、むしろ彼女の方が私を評価するために必要な時間と見るべきだった。

 どんな恩人でも、前途有望な原石であっても、時勢と運に恵まれなければあっさり消える。

 それくらいのシビアさを、ミンロンも持っていた。私は、そう考えることにした。

 

「モリー殿の同意を得られたなら、もうこの場で話し合うことは、もうないでしょう。――商館の外まで、お送りしますよ」

「……はい。では、また」

 

 最後に軽く挨拶して、私達は別れた。ゼニアルゼの中で、東方の女商人と、東西を巻き込む文化的商業的問題を話し合う。

 まとめてみれば、これほど奇妙な会談はなかったと言える。もし、その内情について知る者がいたなら、それこそシルビア妃殿下とクロノワーク王妃様との、親子水入らずの語り合いと同程度には、周囲の興味を引いたであろう――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二日間の滞在を挟んで、王妃様を伴って帰国する。改めて私もお二人の会談に同席したりもしたが、初日以降は当たり障りのない話題ばかりで、実のある話は出てこなかった。

 私としては、あんまり重い話が続くと参ってしまうので、むしろ都合がよかったのだが――王妃様は、どうなのだろう。

 

 孫を愛でる時間は、思ったより短かったと思う。王妃様の判断にケチを付けるつもりはないので、わざわざ疑問を呈したりはしないけれど。

 その道程において、王妃様がこぼした愚痴に近いもの――。もしかしたら、本音に近い言葉が、私の中に深く根付いて離れない。

 

『成功し続けて、成長し続けることも、考え物じゃな。図体が大きくなればなるほど動きは鈍くなり、多くのことに関わるが故、悩みごとも増える。……ほどほどのところで満足するには、失敗や挫折を経験することも大事であると、この年になってわらわは学んだ気がするのよ』

 

 いぶかしく思った私が王妃様の真意について尋ねると、いわくありげな表情で、静かに語ってくれた。

 

『シルビアの奴、狡猾でしぶとい、この世にはばかるような悪党の類であると思っていたが、案外いい母親をやるかもしれん。しかし、いい母親になったがために、西方を混乱に陥れる可能性が生まれたと思えば――なかなか運命という奴は、皮肉が聞いているとは思わんか?』

 

 なんて、意味深な言葉を賜りましたけれども。だからといって、私が全てを察して動いてくれるだなんて思わないことですね!

 東方会社と家庭内の秩序を保つだけで精一杯です。これ以上の仕事はパンクしてしまいます。ご勘弁ください。

 

『母親になった影響か、随分と後世の影響を考えるようになっておる。自分の子供が追い落とされたり、ゼニアルゼという国家が凋落することを、恐れるようになったらしい。……順風満帆すぎるがゆえに、落ちることへの不安が出てきたのじゃろう。クロノワークはまだまだそこまで成功を実感しておらんから、共感するのは難しいが』

 

 とはいえ、王妃様はシルビア妃殿下をサポートする気が満々なので、大きな間違いは起こるまい――と楽観したいところだった。

 他にも余計なことをあれこれ聞いた気もするけど、記憶にふたをして我が家に帰ります。

 妻たちも準備はしてくれているけれど、クロノワークを離れる前の、最後の調整がまだ長引いているみたいだからね。

 みんなで東方に出向するまでには、もう少しかかるらしい。それまでの時間、私は自由を許された。特殊部隊の副隊長と言う立場も、いつのまにか解かれていたから、わかっていたことではあるけれども。

 寂しさを感じて、黄昏る権利くらい、私にはあると思うのです。

 

「そういうわけで、西方情勢は複雑怪奇。足を突っ込んだら、そうそう簡単には抜けられませんよ――っと」

 

 顔役殿への書簡には、そのようにつづって、締めくくる。

 あの人はあの人で大変だろうが――私の相手をするということは、東方会社のみならず、西方各国の要人と関わることも意味する。

 宰相殿の耳目として、西方人の代表格である私を監視しつつ、交流も続けることでお互いの理解も進めていこう。

 まっとうな関係を続けていければ、再度皇帝陛下のお目見えも叶うかもしれない。そうなったら、今度は宮廷の書庫への出入りをお願いしてみようか。

 

「そうそう許されることはないでしょうけれど、もし可能であれば……。東方の歴史と文化について、さらに深い考察ができる。どんなものをどの程度記録しているか、それが把握できたら、宮廷が市井で何を重要視しているか。改めて理解することも出来るでしょう」

 

 ゼニアルゼ同様、東方会社も一枚岩ではない。今後は部下とか傘下の商人とかがやらかした時、いかにしてカバーするかが問題になる。

 賄賂でどうにかできる部分もあるだろうが、東方人は面子を最重要視する。ここをはき違えると、大きな障害ともなりかねない。

 過去にどんな問題が記録されているか。それにもよるが、私が閲覧できれば直接的な対策が可能だ。

 

「……村同士の諍いが、戦争に発展するような例もありますし。西方と東方の争いは、極力避ける方向でいきたいですねぇ」

 

 西方の記録には、東方との小規模な衝突はあっても、そこまで大事になった例はない。

 ドヴールや首都で聞き及んだ範囲では、そもそも西方人は商売相手と言う認識だけがあって、その西方人にも祖国があり、国際情勢に影響される存在である――と言う現実はほぼ見えていなかった。

 宰相殿や顔役殿のような、一部の上澄みの者たちだけが、現状を正しく認識している。逆を言えば、その他の連中は、その場の感情で西方との付き合いを台無しにする可能性があった。

 

「西方から東方への武力侵攻は、東方会社と私個人の情報網があれば、前兆の段階で必ずわかる。……逆に東方が西方へ戦争を吹っ掛ける場合、私達は最前線に立つわけで――」

 

 私が思うに、武力を持って脅しに使うことは、東西を問わない交渉の基本である。

 東方国家には人的資源の余裕は腐るほどあるから、吹っ掛けられたら面倒極まりない。守り勝つことはできるだろうが、商機を失うこと甚だしく、今後の商売にも悪影響だ。

 ……何より、我が家の維持やクロノワークの発展すら怪しくなる。それを避けるための東西交流であり、相互理解を深める意義もここに集中していた。

 

「思ったより、クロノワークは人材層が薄い。オサナ王子がソクオチとの連携を考えてくれなければ、文官不足で国家運営に支障をきたしていたでしょう。……私が東方会社に出向し、ドヴールに根を張っておけば、もしもの時の対応がしやすいし、被害も最小限で食い止められる」

 

 何年かかるかわかったもんじゃない事業だから、後継者の為のデータ取りとか、東方会社そのものの業績を上げて、存在価値を高めることもしておかねばならない。

 東方からの移民は力にもなるが、それ以上に不和の種も背負ってくる。シルビア妃殿下との提携がうまくいくことが前提だが、少なくともクロノワークとゼニアルゼは上手に活用する手段があった。

 

 ……他は知らんけどな! 東方会社を無視して独自に接触して、やけどを負っても自己責任である。

 ただ、そうしてやらかした馬鹿と東方会社の区別はつけてほしい。手打ちの際には、お互いの立場を理解しつつも、適切な解決法を導く手助けになりたい。

 それが可能な立場に、東方会社はなりつつある。私が皇帝陛下に臣下の礼を取ったから、仲裁に出張っても不自然ではあるまい。

 だから、顔役殿との付き合いはもちろん、できることなら宰相殿への直通の連絡手段があればいいと思うのですね。

 

「顔役殿を介することが悪いわけじゃないけれど。一日の連絡の遅れが、大事になる場合だってなくはないし。……顔役殿に万が一があれば、即座に機能しなくなる連絡線は、どうにも不安ですからね」

 

 西方の脅威も、東方会社の有用性も、おそらく一番理解しているであろう人物だ。

 宰相殿とのつながりは、強化していくに越したことはない。私の後任にも、それは徹底して伝えていこう。

 

「自分から背負い込んだ厄介事ではありますし。私以外に適役が見当たらないし、仕方のないことなんでしょうけれども。――本当、この世は複雑で面倒で、仕事は向こうから大量にやってくる。神様と言うものがいるのなら、抗議したいものですよ、ええ」

 

 加減しろ馬鹿! くらいの愚痴は許されると思うんだ。いやいやマジで。

 顔役殿への書簡をしまいこんで、今度はドヴールの商工会へ、此度の帰国からのアレコレについて、報告せねばならない。

 商売相手として、同じ土地の同胞として、あちらにはあちらの仁義の通し方がある。説明責任と言うものを、私はおろそかには出来なかった。

 

 新たな書簡に手を付けつつも、思考を回し続ける。心配事はいくらでもある。

 それでも、出来ることから片付けねばならないのだと割り切って。私はわずかな休暇の間でさえ、仕事に向かっていたのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 諸々の引継ぎも終わり、我が家は晴れて全員が東方会社への出向を完了。すでに代表として名が売れている私を先頭に、ドヴールへと帰還しました。

 

 クミンは居残って、ドヴールの名士層との交流とか、市場調査の協力とか。とにかく現地で雑多な仕事を続けて来てくれたので、私としては報いてあげたい。

 一日の休息の後は、すぐに仕事に取り掛かれる。そうした環境を整えてくれたのは、間違いなく彼女の功績だったから。

 

「あ、お礼とかはいいです。そういうのは、西方に帰った時にまとめてしてください。今はとにかく、東方でのモリーさんの目的を果たすこと。それが第一でしょう?」

「いや、しかし。クミンの働きは、間違いなく賞すべきもので、私たちが来るまで一人で踏ん張ってくれていたのも事実なわけで――」

「そうはいいますが、今のモリーさんに強請ってまで欲しいものとか、別にないんですよね。食うに困っているわけでも男日照りってわけでもなし。……モリーさんの人生を近くで眺めているだけでも、退屈しのぎにはなりますし。私よりも優先すべき仕事が、これから待っているんでしょう? だから、私へのお返しとかお礼とか、そういうのは後回しにしてくれていいんですよ」

 

 そうは言われても、ここで折れては夫としてのメンツが立たない気がするわけで。

 たぶん、他の妻たちからアレコレ指摘されなければ、私はずっと納得できなかったと思う。

 

「モリー。ここはクミンを立ててやれ。お礼は後で良いというなら、そうしてやるがいいのさ」

「そうね。私もクミンへの感謝はしてるけど、それはそれとして本人の意思を尊重してあげましょう? モリーの立身出世のために、今働くことが一番大事なんだって。それを理解してくれる妻なら、後で報いるほうが、喜びも大きくなるものよ」

 

 ザラとメイルの言葉をそのままに受け止めて、クミンはほほ笑んでいた。

 彼女らがそれで通じ合っているなら、夫としては言い訳するほうが野暮だろう。

 そして、私達は改めて、東方会社に勤めることになる。ドヴールの周辺もまだまだきな臭いし、ゼニアルゼとの複雑な関係はこれからも続くだろう。東方文化との軋轢や、進出してきた西方人には注意も喚起していかねばならない。

 

 やるべきことはいくらでもあるし、いずれもがおろそかにしていい仕事ではない。

 妻たちの言うとおり、まずは目先の大事に対処するのが先であろうか。……それにしたところで、一朝一夕に済む話ではないのだから、やはり妻への労いを先にしてもいいと思うのだが。

 

「キリがないって話ですよ、モリーさん。だから、話はもうおしまいです。一緒に墓に入る仲なんですから、いちいち難しく考えなくってもいいんです」

「……クミン。その、貴女は私に縛られなくとも、別の人生がいくらでもあるでしょう? だから、特別に気に掛ける必要があると思って。それでですね――」

「今更他の人のところに行っても、退屈するだけですよ。なんだかんだで、モリーさんは見ていて飽きない御人です。瀟洒で貞淑な妻を演じるのも、それを長く続けるのも、うんざりする。――モリーさんの家なら、素のままの自分でいても許されるでしょうし、まあ、なんですね」

 

 結局、私は貴女の傍に居たいのだ――なんて。クミンから言われてしまった。

 私も、貴女が傍に居てくれてよかった――と。そういうだけで、精一杯だった。だって、ザラもメイルも、クッコ・ローセだって、そこからは割り込んできて、収拾がつかなくなったものだから。

 

 なんだかんだで、私は恵まれている。今生を生きて、この妻たちと共に家庭を築くという幸運に恵まれて。これで不満を覚えるほうが、ひどい不遜と言うものだろう。

 これからの未来、どれだけ多くの試練が待っているかは知れぬが、決して折れずに立ち向かおう。

 そうあって、初めて。私は、彼女たちと、その高進であるクロノワーク騎士たちの期待に応えられるのだと思うから。

 

 何より、私自身がなすべきことをなして、自らを誇りたいと願う。貴女方が選んだ私と言う人間は、これだけのことを成しえたのだと。

 私を選んだことを、決して後悔させない。仕事と家庭を両立して、共に生きることの素晴らしさを共有したい。

 

 それが、私の本心で。私がこの世界に再度生まれ落ちた、最大の意義であると思うから――。

 

 




 ここまで目を通していただき、ありがとうございました。
 本当に次で、この物語は完結します。

 読者の皆様にとっても、この物語が何かしらの刺激になったり、新しい知識の発見になっていたりしたら、嬉しいと思います。

 では、また。最後のお話が出来上がるまで、もう少しだけお待ちください……。



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これからの世界と未来に関わる、結びのお話 【中】


 終わらせるつもりだったのですが、あれこれと書いているうちに内容が膨らんでしまいました。
 ……無駄に長くなっていますが、暇つぶしにはちょうどいいくらいかもしれません。

 とにかく、結びの話の続きになります。今しばらく、お付き合いください。



 

 東方会社が設立し、ドヴールに拠点を構えて、はや三年もの歳月が流れた。

 たかが三年、という言い方は、もう出来るような時代ではなくなった。それくらい、西方も東方も、この三年の変化は著しい。

 東方と西方の文化的衝突が懸念ではあったけれど、交易が拡大し、人材の交流を始めて三年の月日が流れれば、それなりに折り合いをつけていくものだ。

 ドヴールは中継地点でもあるから、お互いの文化が混じり合う速度も速い。十年後、二十年後はどうなるか、興味深い所だった。

 

「月日の流れを実感しますね。成したことの少なさを思えば、まだまだ先は長いのですが」

 

 とにもかくにも、三年である。改めて考えてみると、私モリーが代表を続けてそれくらいになると思うと、どうにも感慨深い。初期投資におけるいざこざは、この間にやり尽くされた感があるけれど――そうした試練を超えて、今の東方会社は世界で随一の商業集団になったと言える。

 西方国家が東方交易をおこなうならば、ゼニアルゼか東方会社とのつながりを持たない限り、ほぼ確実に締め出されることになるだろう。

 ――少なくとも表の市場では、今さら零細商人が食い込むような余地はなかった。

 

 それくらい、我が社は大きな存在になってしまった。必然的に、代表の私にはひどい量の仕事と責任が覆いかぶさってきていたのだが、いい加減もう慣れた感がある。

 代表を退いて、帰国できるのは何時になるやら。我ながら、綱渡りのような仕事をよくやってこれたものだ。

 ……それはそれとして、通常の業務の合間に大きな案件がやってきたので、やっぱり気が抜けない仕事は連続するものらしい。

 

 東方会社の西方支部――つまりタラシーの方から、一つの情報が届く。速達便でやってきたそれは、緊急とは言わぬまでも、即座に伝えてきてしかるべきものだった。

 

 ある意味では、ついに来るべき時が来た、と言えるのかもしれない。

 

「西方では、ゼニアルゼが独自の東方交易会社を設立する動きが見られる――と。実際に組織されるのはまだ先になる様子ですが、存外に早い展開ですね。……しかし、これでシルビア妃殿下が東方を武力制圧する可能性は、著しく低下したと考えていいでしょう。行動を早めたということは、それだけの決断をせねばならぬ背景があったということ。妃殿下個人か、あるいはゼニアルゼという国家には、勝負を急ぐ理由ができたのかもしれません」

 

 商売相手に武力をちらつかせることはあっても、本気でぶん殴ることはまずない。恥も外聞もない略奪行為は、最後の手段である。

 その辺りの加減を間違えるような妃殿下ではないから、周囲の思惑はどうあれ、穏当に商売に集中してくれるだろう。

 少なくとも、平然と横紙破りをする方ではない。その前にいくつもの段階を踏んで、名分を用意するくらいの周到さが、あの方にはある。

 そう確信する程度には、いまだに連絡を取り合っている。お互い、相手の真意を見抜けるくらいには、付き合いも長くなってしまった。お子さんは元気に育っていて、手を焼いているらしいが、そこはそちらで頑張っていただきたい。

 

 ゼニアルゼ東方会社が正式に発足したら、シルビア妃殿下の方から連絡があるだろう。後のことは、それから考えても遅くはない。

 とはいえ、結局のところ――妃殿下の長い手の中に、すっぽりと納まってしまった感がある。天敵たる王妃様もまだまだ健在だし、今後もどうにかやっていけるだろうと信じたいところだった。

 

「東方会社でも、ゼニアルゼ商人との緩やかな協力体制は続いている。シルビア妃殿下も、ゼニアルゼ商人の野放図な商業活動は望まないだろうと思えば、今少しの時間的猶予はありますかね。……しかし、実際に進出された後のことは、よくよく考えねばなりません」

 

 東方会社はこれから東方社会を侵食しつつ、ゼニアルゼを含めた西方の商業力を利用し、仲介を行い続けることで双方の交易を推進していく。

 いずれは東方会社に依存せねば、西方の需要が満たせなくなる段階まで至るだろう。そこまでいけば、経済的な相互依存度の高さゆえ、武力衝突の危険も激減するはずなのだ。なにしろ、戦争など起きれば交易どころではない。

 

 ゼニアルゼやクロノワークといった、限定された国家に限らず、東方交易は西方各国において欠いてはならぬ大前提となる。国民国家はまだ遠い未来なれど、国民が力を付けていく過渡期に突入しているのは明らかであり、その需要を無視して武力衝突など起こしてしまえば、革命の前倒しすらあり得るのではないか。

 

 そうした未来を私は見据えているのだが、それも数十年は先の話だろう。

 現段階でも、東方会社は商業方面の競争力に関しては、ゼニアルゼにすら負ける気はしないのだが――。

 逆に、こちらが勝ちすぎるのも懸念事項だった。相手が荒事を躊躇わなくなるかもしれないからだ。段階的に事を進めたい私としては、部外者による短絡的な行動は、絶対に防がねばならない事柄である。

 

「基本、敵対するつもりはお互いないにしても、それも商売がうまくいく限りの話。……これまではゼニアルゼ商人と、上手にやってきましたが、あちらの規模が拡大するなら、それだけ懸念も大きくなる。手広くやっていくなら、どうしてもカチ合う分野が出てくるでしょうし、今さらこちらが一方的に退くことも、面子に関わる」

 

 今になってゼニアルゼが東方会社を設立するというのは、現状に歯がゆさを感じているというか、他者と歩調を合わせること自体、ゼニアルゼ商人にとっては面白くないことなのか。

 我々は今まで協力し合って、良い具合に利益を共有しているはずなのだが、そのせいで全てを自前のもので揃えられたくなったのかもしれない。

 

 他社との協力でこれだけ儲けられるなら、いっそ自分たちだけで、自分たちの都合を最優先する組織を立ち上げた方が、もっと自由に金稼ぎができる――などと。そんな幻想に浸った可能性は、なくはない。

 

「ゼニアルゼ商人は、案外繊細なのやもしれませんね。……すると、今後を見据えるなら、やはり彼には相談しに行かねばなりませんか」

 

 ゼニアルゼ商人が、クロノワーク人と揉めることはまずない。屈強な肉体が抑止になるのはもちろんだが、今となっては同朋意識も生まれており、お互いに譲り合えるくらいには信頼があるからだ。

 なので、食い物にするなら東方人がねらい目だ、という判断になりやすい。誰もがシルビア妃殿下のように、賢明で自制できるものばかりではないのだから。

 お互いに馬鹿をやる前に、多少なりとも『わきまえさせる』。そのためにも、私は連絡すべき相手がいた。

 

 すぐさまドヴールの商工会に話を通し、会長との面会を取り付ける。地元とのつながりは、強化しておくにこしたことはない。だから、私はこの三年においても、彼らとの付き合いをおろそかにはしなかった。

 

「そういうわけで、ゼニアルゼの連中がちょっと調子に乗るかもしれません。東方会社と同じようなノリで付き合おうとする東方商人には、注意を喚起してあげてほしいのです」

「わかりました。商工会の方から、傘下の商人に通達することにしましょう。……具体的に、どのようなことに注意せよ、と?」

 

 商工会の会長は、すでに代替わりして一年が経っていた。前の会長は、自らの商会も畳んで、ドヴールの片隅で悠々自適の隠居生活を送っている。

 この『私から見て』二代目の会長はまだまだ若く、付け入る隙も見えるのだが、見どころのある青年だった。

 ……肉体的には私の方がまだ若いのだが、そこは精神的な加齢も加味して、上から目線も致し方のないことだと思いたい。

 

「ここ数年、ゼニアルゼが東方商人を襲撃した事実はありませんが、それは東方会社等と販路を住み分け、利益の配分がうまくいった結果に過ぎません。そちらの所属の商人たちは、武力や社会的な後ろ盾なく、単独でゼニアルゼ商人と向かい合わないように。――国際情勢の変化から、いまや東方は神秘的な大国、という見方は消えてしまいました。良くも悪くも文物や人材交流が進んでいる現在、東方商人だからと言って、特別扱いされる時期は過ぎたと考えるべきです」

 

 単純な略奪行為を防ぐだけでは足りない。ゼニアルゼ商人が、東方の商業利権を侵したくてしかたがないことくらい、私は理解しているのだから。

 東方の情勢も、この数年で変化しつつある。国家規模では小さなものだが、都市単位でみれば、いくらでも変えられる余地はあると私は見ていた。

 交易関係から政治に食い込み、恣意的な取引を成立させ、ゼニアルゼ商人の地位を向上を試みる。そこから連中が東方国家を侵食していく可能性について、私は楽観的にはなれない。どんな些細な事も見逃したくない所である。

 東方会社は、自分以外の者たちが東方利権を食い荒らすことを許容できぬ。個々が後先考えずに焼き畑を続ければ、不毛の大地が残るだけ。私の目が黒いうちは、そんな勝手は許さないよ。

 

「東方会社の方でも、警告は行います。しかし、一番重要なのは、東方の商人の認識だと理解してください。――気が付けば収奪される立場に成り下がっている、ということもありえる。そんなところまで、もう状況は進んでしまっているのです」

「だから、当たり前の自衛手段を忘れないように、と。……なるほど。おおよそは、理解しました。商工会所属の商人には、あちらを儲けさせてやっている、なんて見下すことのないように。鷹揚に構えていると、丸ごと食われてしまうぞ――とも伝えておきますよ」

 

 この若い商工会長ならば、良い具合に調整して、問題は最小限で済ませてくれるだろう。少しの情報を与えれば、後は勝手に補完してくれる。

 それくらいの期待を持つくらいには、良い答えだった。

 

「それはそれとして、モリー殿」

「なんでしょう? 新任商工会長殿」

「そろそろ奥方らのご機嫌を取りに行く時間では? ――アレですな、アレ。職務を口実に、イチャイチャする機会ですよ」

 

 新任、などと言ったことに対する意趣返しであろうか。年若い会長らしい返し方であるが、私だってその程度で動揺する人間ではないのだと答えよう。

 

「私はこの仕事についてから、体裁を取り繕うことを覚えました。そこまで露骨ではないつもりですが、会長殿にはわからないのですかね?」

「多少の付き合いのある人なら、仕事のついでに夫婦の時間を作っていることくらい、すぐに読み取れますよ。――ああ、失敬。とりあえず、急を要する要件は、もうないですよね? 後はこちらで調整しておきますので、どうぞお引き取りください」

 

 商工会長には、そういわれてやや強引に退室させられた。いや、別にいいんですけどね。実際、これから尋ねに行こうと思っていたし。

 ……意趣返しの仕返しは、またの機会に考えておこうか。

 

 とにかく商工会から出て、練兵場へと向かった。クッコ・ローセと会うためでもあるが、今日はちょうどいい具合に、客人が来ているはず。

 物事は、一石二鳥である方が都合がいい。足早に進み、彼女の姿を確認したところで、私は安堵するように声をかけた。

 

「精が出ますね。――兵たちは、いつもどおり精強さを保っているようで、何よりです」

「ああ、モリーか。……そりゃ、最初のころと比べたら雲泥の差だろうよ。私も、ここに来て十年ほどになる。その間ずっと練兵を繰り返していたら、それなりのモノにはなるさ」

 

 クッコ・ローセは、すでに四十の齢を超えていた。肉体の劣化は、もはや誤魔化せぬほどに彼女の力を蝕んでいたが――他者を鍛える教導能力に関する限り、衰えるどころか神がかり的な領域に踏み込んでいる。

 おそらく、クロノワークの熟練の教官でさえ、今の彼女の技量には敵わぬであろう。それくらい多くの精兵を、クッコ・ローセは安定して供給してくれているのだ。

 死傷率の低さと任務達成率の高さにおいて、東方会社は他社を圧倒している。その源泉が彼女の教導能力にあるのだから、私だって妻のことを誇りたくもなるさ。

 

「東方会社の警備部門は、遺族年金で悩んだことは一度もない。私がいる限り、商隊が盗賊や海賊の餌食になることは、まずないだろうよ。最近は色々と思うところもあるんだろうが、私の部下はお前の期待に応えられる。――保証してやる。安心したか?」

「ええ、ええ。クッコ・ローセ、貴女は今日も美しい。何年たっても、貴女は私を魅了してやまない。――どんな形であれ、私と結ばれてくれたことを、今でも、いつでも感謝しています」

 

 三年の月日は、確実に彼女から精彩を奪っていった。もちろん微々たるものだが、ふとした瞬間に察することもある。いずれは、それが大きくなり、人生を終える時が来るのだろう。

 あるいは老い以前に、何らかの病や事故によって不幸が起こらぬとも限らぬ。しかし、実務において、私生活において、様々な事象に不都合が現れたとしても。

 私は、クッコ・ローセを愛せる。愛し続けられるのだと、それだけは確信をもって答えられた。

 

「……公然と口説き文句を口にするのはやめろと、何度も言ったはずだが」

「それを押し通し、業務の一環に加える強権をふるえるのも、代表の特権です。――妻を賛美する時間を確保する自由くらい、許されたっていいでしょう? 私たちは、それだけの仕事をしているのですから」

「甘い言葉は、夜に聞ければ充分だ。私は他の連中より、モリーの傍に居ることが多い。……あんまり過剰に愛されると、後が怖くてな。日中は、仕事に集中させてくれ」

「これは失礼しました。貴女が望むなら、これからはそうしましょう」

 

 クッコ・ローセは持ち前の統率力と人望で、兵たちを鍛えて送り出し、東方会社の警備能力を保証してくれている。

 彼女がかつて鍛えた連中は、今この瞬間も商隊の護衛を務め、東方会社の収益を守り続けているのだ。

 そして、私はその安全保障能力を担保として、色々な無茶を通している。まさに、クッコ・ローセこそは我が社の縁の下の力持ち。彼女あってこそ、今の繁栄があるのだと断言しよう。

 そして、メイルもザラもクミンも、それぞれの分野で活躍してもらっている。この中の誰が欠けても、東方会社はやっていけない。将来的にはともかく、今はそれで持たせるしかない、というのが現実だった。

 

「それで、わざわざ私をおだてに来たのか? いつものことと流すには、空気が違うな。何かしら、不穏な情報でも聞きつけてきたのかな」

「はい。なので、夫婦水入らずの時間はこの辺りで切り上げねばなりません。……断腸の思いですが、これも仕事でありますれば」

「いきなり神妙な顔になるなよ。――で、誰をご所望だ? 練兵場にいるやつなら、伝令を飛ばせばすぐに呼び出せるぞ」

「確か、今日はあの商人が練兵に参加していましたね? ミンロンの部下の、やけにガラの悪い商人がいたでしょう。そいつを呼び出して、ここに連れて来てください」

 

 かつて盗賊の頭目だった商人は、私が紹介した伝手で、ミンロンの元で働いていた。

 思いのほか有能で、使い勝手が良かったせいか、割とすぐに意気投合したらしい。ミンロンはミンロンで、付き合っているうちに情がわいたらしく、色々な意味で『便利』に使っているとのこと。

 打算ありきの関係でも、良い付き合いができる。今となっては紹介して本当に良かったと思うし、お互いに幸福ならそれでいいんじゃなかろうか。

 

 頭目商人の方は、ここでクッコ・ローセの訓練に参加するくらいには、意識が高かったりする。もちろん、私とのつなぎと言うか、コネクションを利用するつもりで度々顔を出しに来るのだろうけど。

 私としてもミンロンとのホットラインを確保できるから、彼が近くに居てくれたのは都合がいい。

 こうして呼び出して使おうと思うくらいには、信用もある。あの時、短慮を起こして始末していたら、こんな未来はなかったろう。本当に、彼は掘り出し物だった。

 

「いい汗をかきに来たとか、あからさまに白々しいことを言っていたから、当てつけに直々にしごいてやったからな。……予想以上に食いついてきたもんだから、私も可愛がってしまって、つい余計なところまで仕込んじまった」

「クッコ・ローセの寵愛を受けたとなると、嫉妬してしまいそうになりますね。……ジョークですよ、ジョーク。だから、怖い顔せずに呼んできてくださいな」

「いいんだがね、別に。――本当に、関わらせていい話なんだろうな? 所望とあらば、今すぐに飛んでこさせるから、節度を持った対応で頼むぞ」

 

 ミンロンには割を食わせているというか、結構な無理を聞いてもらっているから、連絡は欠かしたくない。

 定期報告は本人とやっているから、彼に問うべきことがあるとしたら、別のこと。

 一番気がかりなのは、彼女個人の商会について。東方会社に所属しつつも、ゼニアルゼの方に商館を立て、西方と東方をまたにかけて活躍している。

 そんなミンロンを傍で見てきた彼に、これまでの東方で得た仕事感覚とかも聞きながら、独自の意見をうかがいたいところだ。

 

「――久しぶり、というほどでもないか。最後に顔を合わせたのは、半年くらい前だったな」

「ええ。夫婦生活が良好なようで、何よりです。ミンロンからの書簡でも、貴方がよく働いてくれていることはわかっていますよ」

 

 ミンロンと頭目商人の仲を、私は夫婦と表現した。実際、それに近い関係なのだろうと思うが、ミンロンもこの男も、明言することはなかった。

 二人ともいい年なのだし、どこかでこさえていても可笑しくはないのだが、あちらが何も言わないのであれば、追及するべきことではないのだろうと思う。

 

「茶化されたところで、お前の前で弱みなど見せんぞ。目の前にいるのは、その気になれば一瞬で俺を殺せるくらいの脅威なのだからな」

「非のない相手を殺したりはしませんよ。貴方がミンロンのパートナーである限りは、丁重に扱うべきだともわきまえています」

 

 そんな警戒されるほどのことを……したな、うん。

 いかんね。転がした相手のことをすぐ忘れてしまうのは、私の悪い癖だ。せめて、首を取るくらい価値のある相手ならともかく、そうでない敵のことは、もう忘却の彼方である。

 頭目商人も、抱え込んでもう長いから、元は敵であったことすら意識しなくなってしまった。

 そんな自分と違い、彼の方は今も緊張感を保っている。用心深いことはいいことだと、私は単純に考えることにした。

 

「あいつのパートナーである限りは、か。……待遇こそ良いものの、女どもに支配され続ける後半生になりそうだ。一体、どこでケチが付いたのやら! ああ、いや、それを悪いとは言わんぞ。そこは、誤解してくれるな」

「お二人の関係について、私の方から干渉はしません。ただ、ミンロンの方から苦情が来たら、そのときは――わかっていますね?」

「やめてくれ。これで結構、気を使っているんだ。ミンロンの奴、あれで結構繊細なんだぞ。お前の前ではどうしているか知らんが、あれは一族でも微妙な立場らしくてな。東方会社顧問の地位は、たやすく捨てられんと言っていた。俺もお前も、あいつを思いやるべき立場なのは変わらない。だったら、協力し合う方が建設的じゃあないか?」

 

 頭目商人は、軽い口調でそう言った。すでに割り切っている風でもあり、悪感情はどこにも見受けられない。

 これくらいのユーモアは笑って流せよ、と言われているようにも感じた。まあ、それくらいの大胆さがあった方が、私としても気楽に付き合える。

 

「だいたい同意しますよ、ええ。それはそれとして、私から聞きたいことがありまして。……ぶっちゃけ、この十年で東方の軍事力に変化があったと思いますか?」

 

 ミンロンも頭目商人も、個々の事情があることは承知している。だが、今は私個人の問題を解消するのが優先だ。

 ゼニアルゼに対抗するためにも、東方会社の支配を進めることは急務である。そのために必要な情報は収集しておきたいし、今後を見据えるなら人材の成長具合も確かめねばならぬ。

 

「なんだ、いきなり」

「他意はありませんよ。交易で東方の都市部から地方まで、多くの土地を渡ってきた貴方に聞きたいのです。――初めて東方で仕事をしてから、今日まで。東方の軍事力は、向上したと思いますか? 例えば、砲兵隊などを組織しているところを見たとか、それらしい話を聞いたとか」

「個人的な感覚でいうなら、まったく変わった様子はない、と答えるしかないな。東方のどこに行っても、砲兵などというものは、見たことも聞いたこともないぞ。……真面目な話、東方会社がここでは一番の軍事力を誇っていると言い切っても良い。クッコ・ローセがドヴールから一個大隊も率いていけば、地方都市の一つや二つ、軽く落ちるんじゃないか?」

 

 頭目商人の答えは、予想通りのものだった。私自身、そうした感想を抱くことも多いだけに、彼が衰えていないことも確認出来て安心する。

 

「うーん、やっぱり一度は食い物にされないと、わかってはくれませんか。実際にそうなってしまうと、短期的にはともかく、長期的にはどちらにとっても損になるんですがね」

 

 西方の書物をどんなに訳しても、あるいは西方の軍事力の強大さをどんなに訴えても。

 東方国家もその社会も、これを脅威としてとらえられない。あの時、首都において私が砲兵隊を披露した時、文武百官は『なんだ、こんなもの』という視線で見ていたからね。

 脅威と理解したのが宰相殿ただ一人であった、という時点で、東方国家の未来はある程度定まっていたのかもしれない。

 

 もっとも、ここには私がいる。悲劇的な結末は、最後の最後まで受け入れさせはしないと、すでに覚悟していた。

 技術は東方会社の傘下においた連中に仕込めばよい。知識はこちらの息のかかった教養人に、少しずつ広めていければよい。

 有用性が広まれば、興味も煽れる。実利だけでなく、個人的な嗜好も刺激することで、お互いへの距離感を縮めていくのだ。遅々たる歩みだが、十年後二十年後に芽吹いてくれたら、それだけでも意味があるのだと信じよう。

 頭目商人は、そうした私の決意など知る由もなく、個人的な見解を続けて述べる。

 

「東方会社もゼニアルゼも、紳士的過ぎた。外国から理不尽にぶん殴られた経験が、東方社会には存在しない。のんきに過ごしてこられたせいで、危機感ってもんがマヒしてやがるのさ。ビビッて相手の真似をしたり、頭を下げて教えを乞うようなことは、面子が許さないんだろう。……あんたはどうも、それが気に食わんらしいが、俺にはわからんね。荒らし放題食い放題っていうんなら、遠慮なくいただいちまってもいいんじゃねえのかい?」

 

 この時代の倫理観など、そのようなものだ。しかし、現代的な倫理を理解している私が、それ以上の非道を行っているという事実をかんがみると、何やら皮肉めいたものも感じる。

 しかし、この期に及んでぶれた態度はとりたくない。私は自身の信念に基づいて、彼の言葉に拒否を返した。

 

「いけません。西方と東方の衝突は、軍事的対立に発展してはならないのです。そうなってしまえば東方の地は西方の略奪によって、決して癒せない傷跡を残すことになる。――東方会社の代表として、それだけは何が何でも拒否します。もっとも、それには東方社会からの支援を受け入れてもらわねばならないのですが、さて。果たして、事態の深刻さを理解していただけるかどうか、怪しいものです。……まったくもって、悩ましい。軟着陸させる方の身にもなってほしいですね、ええ」

「俺がしるか。ぐだぐだ文句ばかりこぼされても、俺ごときにできることなどあるまいに」

 

 まあまあまあ、その辺りは別にいい。その理不尽が起きたときの為に備えるのも、東方会社の仕事だった。

 皇帝陛下の仕事だろう、と突っ込まれればそれはそうなんだけど。統治に対する責任と言えば、東方会社だって他人ごとじゃない。

 すでにドヴールに関しては、ずぶずぶになるまで突っ込んでいるのだ。東方会社の影響力が強まれば強まるほど、政治からは逃れられなくなる。

 ゆっくりと準備し、無理なく環境を整えられるのは、これから数年がいいところだろう。この間にどれだけやれるかで、将来の東方会社の規模が変わってくる。

 今が重要な時期であることを、私は正しく認識しているつもりだ。

 

「まあ、わかっていたことです。確認のために聞いただけなので、あまり深刻に考えないように」

「別に構わんが、東方会社の代表って、実は相当暇だったりするのか? 駄弁っている時間があるなら、訓練を続けたいんだが」

「まだまだ稼ぎたい身の上としては、財産を担保する武力の維持は急務ですものね? ――東方国家も、それくらいの強かさを身に着けてほしかったのですが、やはり時期尚早だったようです」

「……おい、もう話がないなら、切り上げていいか?」

「失敬。あともう一つだけ。東方会社の警備部門からも話は聞いていますが、ここ最近は交易路の襲撃も稀になったそうですね。……我々は、東方社会に溶け込めたと思いますか?」

 

 彼とミンロンとでは結論に違いはあるだろうが、西方人目線での意見には価値がある。

 私に対して率直であり、東方各地を飛び回っている彼であればこそ、意味のある質問だと思うのだ。

 

「俺なんぞに聞くべき問題ではないと思うが、まあいい。溶け込むも何も、東方会社は最初から今の今まで東方社会の異物だ。これはおそらく、最後まで変わらんだろうな。……ああ、ミンロンも似たような結論を出すだろう。あいつ、東方会社の看板を相当利用してやがるが、そのせいで警戒されているところもある。――今思ったが、お前、あいつに何をさせるつもりだよ。とばっちりを食らうのは御免なんだが」

 

 頭目商人は、私とまったく同じ見解を述べた。その上で余計な意見を付け加えるのは、彼なりの情の発露とも見受けられる。

 からかってもいいのだが、話を長くすることは、彼も望んではおるまい。ミンロンと会ったときにでも、答え合わせをするとしよう。

 

「単純な話ですよ。ミンロンには、東方と西方の融和。その象徴になってもらおうかと」

「……いきなり話が大きくなったな」

「本人にはもう話していますよ? ――長話はお望みではないでしょうし、さっくり言いますと、アレですね。子飼いの職人や教養人を増やしているのは、そのためだと言い切っても良いです。いずれ起きるであろう東方と西方の衝突に際して、彼らこそが関係修復の要になる。そして、彼らをミンロンの元で活躍させられれば、彼女は東方屈指の名士として、どちらの側にも有名になるでしょう」

 

 いささか大仰な言い方であるし、都合のいい方向に進むことが前提であるが――。

 ミンロンは利に聡く、時勢を読む術に長けている。自由裁量を許せば、途中で何かしらの不具合が起こっても、なんかこう……良い感じに処理してくれるだろうと思う。

 

「話の規模が大きいくせに、微妙に具体性を欠くな。意図は読めなくはないが、そんなふわっとした方針で、ミンロンの奴は大丈夫なのか?」

「さて。現時点で貴方にも話していないということは、彼女も悩むところがあるのかもしれません。……難解な課題を出してしまった自覚はあるので、近いうちに暇を見つけて、彼女を訪ねるとしましょうか」

「出先のゼニアルゼからは、そろそろ帰ってくると、書簡が届いているが……あいつのことだ。お前が是非にもというなら、すぐにでも先触れがお前さんのところに着くんじゃないか? 都合は、それからつけてくれ」

 

 ミンロンへの期待は今に始まったことでもないが、それは当人も自覚していることだろう。

 私に対して、明確な成果を見せられないうちは、余計な報告は入れたくない。そうした心理に陥っていても、おかしくはないところだった。

 だから、直接顔を合わせてみて、何が問題かを洗い出してみるとしよう。そう考えたところで、クッコ・ローセが言った。

 

「二人とも、話は終わったか? とりあえず、商人野郎は今日は夕刻まで体を動かしていけ。モリーは、日常業務があるだろう? ――残業が増えたことは分かったから、安心して朝帰りして来い」

「クッコ・ローセ……理解のある妻を持てて、私は幸せです」

「馬鹿、私は呆れてるんだ。本当に朝帰りしやがったら、私らはともかくザラは拗ねるぞ。あいつだけが頑張っているわけじゃないが、割りを一番食っているのもあいつだ。仕事が終わってからでいいから、労ってやれ」

 

 それだけ言い残して、クッコ・ローセは仕事に戻った。兵の教練の合間に、私の為に時間を使ってくれただけでもありがたい話であろう。

 私は練兵場を離れ、日常業務へと戻る。それを終えて帰宅する頃には、すでに夜の帳が落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 東方会社が進出し三年が経ったとはいえ、まだまだ仕事は山積みであった。状況判定しつつあるが、問題もまた多い。

 一家が夕食を共にする日も、月に何度か確保するのが精いっぱいだった。それでも現状は改善しており、いずれは穏やかに日々を過ごせるだろうと、私は期待している。

 

 私たちの住居は、東方会社が用意したものであるから、それなりに大きなものであった。

 小市民である私には、大きすぎるという気がしてならなかったが――メイルやクッコ・ローセはもともと貴族階級であり、実家を思いだして懐かしい、とも言っていた気がする。

 年月が経った今、私もすっかり慣れてしまったが、無駄に広い空間をどう使ったものか。いずれは、真面目に考えねばならないだろうと思う。

 

「養子をとることを、本格的に考慮すべき時期なんでしょうかね……?」

「……養子? おい、モリー。何の話だ? 私は何も聞いてないんだが」

 

 独り言のつもりだったが、ザラに聞きとがめられてしまった。

 ちょうど帰宅したところらしく、部屋着に着替えたばかりの様子がうかがえる。

 

「今に始まった話でもありませんよ。ここドヴールに正式に赴任してからと言うもの、東方の名家とやらから、養子縁組の話はたびたび来ています」

「毎回断りの手紙を入れていたはずだな。私らを軽視して、縁談なぞを持ってこないだけの分別はあるらしいが――。それはそれとして、お家の乗っ取り手段としてわかりやすすぎる。受け入れる益はないと、お前もわかっていたはずだぞ」

 

 ザラの言い分はおおよそ正しいし、私も結論を急ぐべきではないとわかっている。

 だが、東方と西方の融和事業を背負った今、この仕事を受け継がせる存在について、考えないわけにはいかないのだ。

 

「私、今は東方会社の代表をやっていますが、十年もやり続けられるかは微妙なところだと思うんです。たぶん諸問題が一段落して、安定しだした頃に本国から呼び出しがくるんじゃないでしょうか」

「いずれは帰国して、騎士に戻るとは聞いている。その時の主君が誰になるかは、興味深い所だが……そういう話でもなさそうだな?」

「はい。何と申しますか、東方および西方の交易業、さらにそれらの融和事業と言うものは、一生ごとでありまして。十年やそこらで私の手を離れてしまうと、なにかと不安を感ずるところが大きいのです。なので、東方にとどまって、私の始めた諸々のことを引き継いでくれる人材が必要だと思うのですね」

 

 東方会社代表の後任なら、他にいくらでも適任がいるだろう。だが、私が始めている相互理解や人材交流は、長期間にわたって続けていくことで、ようやく実を結ぶかどうか――という。

 それくらい、気の長い勝負になる。東方会社の事業に組み込むこともやってはいるが、私がいなくなれば方向性が変わるのは、目に見えていた。会社にとって都合のいい人材育成と、融和を目的とする教育は、また別物だからだ。

 

「お前の仕事を引き継いでくれる相手として、養子を望む、と。いささか話が飛躍していないか?」

「まあ、他に適任がいないとも言いませんが、私の家の子になって、私の名を使える人物を、東方に残しておく。それ自体は、とても有用な考えだと思うのです。……この我が家も、無駄に大きいですしね。モリー家の継嗣が、屋敷の大きさに見合うだけの家族を作ってくれたら、西方と東方の融和は成功した――と、表向きは主張することも出来ますし。何より、私の耳目をこの場に残して置ける有用性は、何物にも代えがたいと思うのです」

 

 ミンロンばかりに仕事を押し付けてはいられない。何より、私の立場の大きさを利用して、宣伝するという手を使うなら、自分の家を巻き込むのが一番効率が良いはずだ。

 我が家が東西の融和に尽力したという実績があれば、たとえ最終的に失敗しても、後には大きな名声が残るだろう。

 さすれば後世、我が家を担いで、再度東西融和を試みる余地が生まれてくれる。一縷の望みを残すという意味でも、東方に家を残すことの重要性は高いと言えた。

 

 問題は、どこから養子をとるか。いかなる教育をして、意図通りの成果を出すか。何より、一代や二代で終わらせず、数世代にわたって継続させていくための環境整備。これが一番重要である。

 ――とまあ、そういう話になってくるのだが、現状はそこまで深く考える余裕もない。だから、急いで結論を出したくないのだと、ザラに説明する。

 

「モリーの言い分は分かった。私の個人的な意見を言うなら、お前の主張に理は認めるが、そこまで苦労を背負い込む理由が弱いな。――端的に言うなら、お前の本気を理解してもらえない可能性がある。養子になる側も、漠然と『東方と西方の融和の為に、我が家に入って努力してくれ』と言われても困るだろう。全力で取り組んでもらいたいなら、相手側への動機というか、理由付けをもっと考えたほうが良いな」

 

 私の意見を聞いた上で、ザラはこう結論付けた。もっともな話であると、私も思う。

 しかし、自分の中で結論が出ていることを、他者に理解してもらうことは、本当に難しいのだな――と。

 そんな当たり前のことにさえ、気付けなかったこと。そんな己の落ち度に、今さらのように思い知らされた感がある。

 

「ザラを嫁にしてよかったと、今さらのように思いますよ。ええ、こんな東方の辺境にまで付き合ってくれたこと、心から感謝いたします」

「……そうか。せっかくだから、私の方も仕事の愚痴を聞いてもらおうか。具体的には、私が教育者として向いているかどうか、改めて考え直している所なんだが」

 

 ザラは特殊隊の隊長であったが、東方会社に来てからしばらくは、事務の作業を手伝ってもらっていた。

 一年もすれば感覚をつかんだらしく、業務の全てを把握することになり、ほどなく他者を教導することも出来るようになった。

 そして今は東方の言語も習得することによって、現地の住民を教導し、東方会社への採用活動も行ってもらっている。荒事とは若干離れた地位にあるものの、ザラはきちんと適応して成果を出しているのだから、彼女は本当に多芸な人だと思う。

 

「純粋に軍人やっていたころと比べて、そこまで違和感を覚えないのも不思議な話だ。……クロノワークでは軍人も官僚の真似事をやっていたせいか、書類仕事もすぐに慣れたし、今では他人を教える側に回っている。自分がやってみると、教官の偉大さについて、改めて理解することができたよ」

「クッコ・ローセは優秀です。そこは疑う余地がありませんが、ザラ。貴女もまた、得難い資質を持っていますよ。――教えを受けた者たちは、立派にやってくれています」

 

 ザラがやっている、貿易実務の講習は評判がいい。わかりやすいのはもちろんだが、当人がきちんとモノになるまで付き合ってくれるので、採用した後もスムーズに仕事をこなしてくれる。

 

 これなら、将来的には徴税業務の方も任せられるかな――って思う。

 シルビア妃殿下の後追いのようなものだが、官僚を東方会社で育成して、東方国家の地方に派遣させる事業も、私は考えていた。

 複雑な徴税業務ができる、高度な教育を受けた人材の育成。そして彼らの給料もこちらで受け持つことで、国家財政を圧迫させずに仕事を任せることができる。

 これだけだとこちらの懐を直撃するので、何かしらの補填を引き出さねばならないが、そこは交渉次第か。

 

 やり方次第で、東方国家がこれを受け入れる可能性はあるだろう。普通に考えれば東方会社の乗っ取り政策だが、この国では民間人が政治の手伝いをすることは習慣として存在している。

 東方国家は正規の官吏の下について事務を担当する『胥吏』というものがあり、実務はほぼ全て彼らが担当しているという事実があった。

 行政、司法、その他の大小さまざまな事務について。国家試験である科挙によって官吏になったものたちは、直接的に関わることは少ない。何と言っても、科挙に実務に関わる部分がほぼ採用されておらず――学問の解釈と詩文による設問に終始しているため、実務に疎いのである。

 

 つまり、現実に庶民が窓口で接し、実際的な諸問題を処理してくれる胥吏の育成。

 この部分において、東方国家は上から下まで何の貢献もしていないのだ。ここを東方会社が担ったところで、一般人は気にも留めずに受け入れてくれることだろう。

 当然のようにこれらは既得権益がはびこっているから、今から参入するのは難しそうに思えるが――。

 

 東方会社が管理するならば、賄賂は絶対に取らせない。その上で給料をこちらで負担するとなれば、地方財政にとってどれほどの助けになるか。東方全土を対象にしてみれば、飛びつく手合いはどこかにいるはずだ。

 人員の用意については、ザラの言語能力の成長と、教導能力をかんがみれば、決して夢物語ではないだろう。そして実現したなら、そこは東方会社の情報網に加えられ、人・物・金の動きはおおよそ把握できる。

 結果として、東方国家の人口の推移や市場の動向は愚か、財政状況すら丸裸にできる。そうした未来が、現実的なものになるのだ。

 

 ――東方会社がこれを悪用すれば、それはもう大変なことになるが、私の代で制度を完成させ、後任に受け継がせることができれば、ある程度は抑制できるはず。

 経済的な収奪は、やりすぎれば恨みを買う。貿易摩擦が深刻になる前に、その状況を察知して手を打つことも大事だ。……この体制が成立すれば、目論見が叶う。

 私が直接かかわる余裕はないから、この事業をやるなら誰かに任せる必要があった。それがザラであるならば、この上ない人選である。

 

 シルビア妃殿下と違うのは、西方と東方で、やり方を変える必要があるというのが一つ。

 そして、これは東西衝突を回避するためであり、収益の為にやるわけではないというのがもう一つの差異である。よって、把握した地方財政(徴税した額とその使い道について)はなるべく公開していく方向で行きたい。

 収支報告をあいまいにし、住民の負担と行政のサービスの内容が不透明だと、不信が重なって大きな反発を生んでしまう。

 結果として革命の呼び水になるなど、悪夢も良い所ではないか。東方会社は余所者だから、その点は気を使いたいところだった。

 

「――またぞろ、ろくでもないことを考えている顔をしているぞ、モリー」

「……すいません。東方国家の病巣について思い至ったので、色々と考えていました。あと、合法的な乗っ取り手段と、それを活用してやることやってしまおうか――というところまで考えていた次第でして」

 

 まだまだ足りない要素は多い。そもそも教育の足りている人員が少なく、これから増やしていくにしてもより長い目で見なければならぬ。時間を費やすごとに状況は改善していけるが、五年後、あるいは十年後、充分な水準に達しているかどうかは、まだ確信が持てない。

 自前の人材で全てを賄える日は、まだまだ遠いだろう。そんなことを憂うような立場になるなんて、まるで権力者にでもなったようだ――とか。そんな風に、私の方が愚痴をこぼしたくなった。

 

「あ、ザラ。モリーも、帰ってきてたのね」

「メイル。貴女の方こそ、今日帰っていたのですか。遠征した部隊の帰還は、明日くらいになると思っていましたが」

「ちょっとしたトラブルがあって。――私だけ、先行してきたの。ザラかモリーの手が空いていれば、付き合ってほしいんだけど」

「ザラは今の仕事に集中してほしいので、私が行きましょう。揉め事の類なら、私の方が立場で押せる分、やり易いと思います」

「ありがとう。でも、本当に最近、揉め事が絶えないのよね。……嫌だわ、ほんと。甘い夫婦生活を堪能できるのは、いつのことになるのかしら」

 

 メイルが単独行動を決断せざるを得ない。そうした厄介ごとに巻き込まれているという事実に、何かしら不穏なものを感じた。

 直感的に、ゼニアルゼか東方の名士とのトラブルではあるまいかと。そうした予測をもって、彼女の話を聞いていたのだが。

 

「ゼニアルゼ商人が、東方の役人と揉めたらしいの。で、ドヴールの近くの都市の……なんて言ったかしら。とにかく、そこらでちょっとした殴り合いになったわけ。私たちの商隊が居合わせたおかげで、死人は出なかったけれど、偶然その都市の名士が巻き込まれちゃってね。下手をしたら、外交問題になっていたんじゃないかしら」

「現実は想定の斜め上をいくものなんですねぇ。――予想はつきますが、具体的には何が問題になったのでしょう?」

「ゼニアルゼ商人が、市の関所で関税の高さにケチをつけたのが発端だったらしいわよ。たまたま折り悪く、名士の人が関所に来ていたみたいでね。……ゼニアルゼ商人が、荒っぽい護衛を役人にけしかけた結果、その人も巻き込まれてケガしちゃったのよ。軽い打撲程度だったけど、私が割り込んで『仲裁』しなかったら、もっとひどい乱闘になったと思うのね」

 

 メイルの仲裁となると、その荒っぽい態度を取った護衛達は、今頃病院に担ぎ込まれていても可笑しくはないと思う。

 しかし、問題はそこではない。彼女だけで問題が解決できないから、いち早く私の元へ来たのだろう。

 

「それで、結局どうなりました?」

「抑えるところは抑えたけど、放置したら暴発しかねない感じかしら。名士さんは落とし前付けてやるって、鼻息を荒くしてたし。やらかした護衛含めたゼニアルゼ商人たちも、特別に賠償をする気はないみたい。仲裁の後には、関税にケチを付けるのはやめてやるから、さっさと関所を通せって一点張り。……とりあえず、ゼニアルゼ商人たちは何とか言いくるめて、宿舎に軟禁させてあるけど。私たちが介入をやめたら、その時点でひどいことになるでしょうね」

 

 だから、私の判断を仰いで、即座に行動したい――とメイルさんは言った。

 緊急性のある事件だと理解して、自ら先行して伝えて来てくれたこと。その背景も加味して考えれば、即座に動かねばならないことは明らかだった。

 どのようなゼニアルゼ商人であっても、東方会社代表の私を前にして、不敵な態度を続けるのは難しいはずだ。

 ――私の業績もそうだが、前歴も有名になったので、下手を打てばどうなるか。あちらで勝手に察してくれるだろう。ここは、出張ることを惜しむ場面ではない。

 

「最初から最後まで、良い判断をしてくださいました。メイル、これは貴女の手柄として、きちんと記録しておきましょう」

「そう? ありがと。――で、モリー。私はどうしたらいい? 私以外の商隊の連中は、まだあっちの都市に待機させてあるわ。一応、私の留守中に暴動を起こすようなら、自分の身を第一に考えるようにと伝えてあるけど」

 

 無難な判断が、今はありがたい。東方会社の商隊は、護衛まで含めて精鋭揃いである。殴られたら、倍の力で殴り返しにかかるだろう。

 そこを抑えて、命優先で危険を回避してくれるなら、そちらの方が後腐れがない。

 

「では、非常時と判断して、私が出ます。一時的に、私の業務はザラが担当。ザラの仕事は、私が帰るまで中断させるように」

「わかった。教導は一時中断し、適当な課題をやらせておく。私がモリーの代理を務められる時間は、そう長くないぞ。――何と言っても、私は東方の文化をそこまで理解していないからな。へまをやらかす前に、帰ってきてくれよ」

「もちろんですとも、ザラ。これを奇貨として、東方社会への楔を打ち込み、ゼニアルゼへの牽制とします。シルビア妃殿下に余計な野心を与えたくはないので、荒事は極力回避しませんとね」

「末端のゼニアルゼ商人がいくら死んだところで、あの方は痛くもかゆくもあるまいが。――いや、建前と言うものがあるな。あの人に名分を与える機会は、なるべく潰しておくべきか。モリーも大変だな」

 

 ザラは苦笑しながらもそう言った。大変だという割には口調が軽いが、それだけ信頼されているということでもある。

 私は彼女の想いに応えるように、務めて明るく返すことにした。

 

「今回の件そのものは、そう大層なことにはなりませんよ。私とメイルがいれば、それで済む話だと思いますので、皆さんはごあんしんください」

「安心できるかどうかはさておき。……個人的にも、そうしてくれるとありがたいわね。残してきた連中が下手を打つとは思わないけど、気が気じゃないのは確かだから。モリーが来てくれるなら、きっとどうにかなるって、安心できるものね」

「メイルにそこまで言われると、恐縮してしまいますね。東方会社で護衛の実績が一番大きいのは、貴女ですから。その言葉の重みを考えると、こちらのほうが緊張しそうですよ」

「口に出している時点で、白々しく聞こえるわね。――ああ、いえ、モリーは追い詰められれば追い詰められるほど、強く激しく輝くタイプだもの。むしろ、緊張している方が都合が良いのかしら」

 

 気合を入れてかからねばならないと、割と気負っているのが事実だったりします。

 ……最悪の場合はゼニアルゼと東方国家の外交問題から、戦争へと速攻で突入しかねない。それくらい微妙な問題だから、急がねばならないのは本当である。

 

 お互いに合意は得ているのだから、その日のうちにメイルと共に出立する。目的の都市へは、一日とかからずにつくだろう。

 

 到着時に悶着が起きてなければいい。そう願いながら、私達は早馬を駆った。

 そうしてたどり着いたとき。事態はちょうど、悪い方向へと転がり始めようとしていた。私たちが間に合わなかったら、あるいは、なんて。

 そんな不毛な想像をしてしまうくらいには、ひどい状況になっていたのです――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 件の都市の名は、『蒙特(モンテクァ)』と言うらしい。……なんか微妙に聞き取りにくく、東方の言語での発音が難しいので、字面とか無視して、簡単にモンテクァと呼ぶことにしよう。

 メイルが答えられなかったのも仕方ないと割り切って、まずは到着次第、事態に変化がなかったか、確認しようと思った。

 まさか、到着早々に荒事に巻き込まれるなんて、そこまで殺伐としていたなんて、想定の範囲外だったのです。

 

「何かやかましいと思ってみれば、関所の門の辺りで、騒動が起きているみたいですね。メイル?」

「私は知らないわよ。……まあ、遠目からでもウチの衆が仲裁しているし、予想はつくけれどね。揉めてるのは、私が知ってるやつじゃないから、また別口かしらね」

 

 この短期間に何度も不穏な衝突が起きるなら、それは偶然と片付けていいものか?

 ちょっと不穏な気配を感じつつ、騒動の中心へと向かう。メイルは東方会社の警備部門に収まっているので、同胞が巻き込まれて迷惑しているなら、介入するのも仕事の内だった。

 

「じゃ、行ってくるから。ちょっと見守ってて」

「はい。お気をつけて」

「わかってる。これでも仕事中は、気を抜いたことなんてないのよ。……私を正面から殴れる奴がいたら、うちにスカウトしても良いわね」

 

 ――とはいえ、私が初手で直接出張るのは考え物だ。まずは警備部門の重役であるメイルが、眼前の揉め事を調査する。

 私が何かしらの役割を負うとしたら、それからにするのが筋であろう。メイルの軽口に苦笑しつつも、展開を見守ることにした。

 そして、メイルと相手側との話し合いは数十分に及んだが、剣呑な雰囲気は話の途中で和らいでいき、私に報告に戻ってきたときには、もう仲裁は済んだかのように見えた。

 

「終わったわよ。一応、顛末については聞いて、それなりの形に収めたから。そこまで複雑な事情でもないから、端的に言うならすぐに済む話なんだけど」

「はい。ともかく、詳細について拝聴しましょう。メイルの話しやすいように話してください」

 

 なんというか、案の定。メイルが伝えてきた一件の類似例と言っていいらしい。彼女も『終わったことだから聞き流しても良いわよ』と前置きをするくらい、その流れは単純だった。

 またゼニアルゼ商人が関税の高さに辟易して、門の衛兵に抗議する。その衛兵の上司が出張ってきて、商人を拒否する。賄賂の話がどうこうと、揉め事の雰囲気になったところで、こちらが割って入った形になったとのこと。

 

「雑感として、ゼニアルゼ商人は金を惜しんだのも事実だけれど、ゴネたときの相手の対応を探っている感じがしたわね。私の方からちょっと強く押してみたら、すぐに退いてきたし。……うちの会社と事を構えるつもりはなくて、ただ東方都市の関所が、どの程度の融通を利かせてくれるのか、試しているような感じがあったわ」

「試し、ということは、本気で揉めている感じはなかった?」

「そうね。仲裁に行かなくても、こっちの方は勝手に収まったんじゃないかしら。……とすると、問題は先の一件だけね。幸先は悪いけれど、厄介事を引きずったまま取り掛かることにならなくて、まずは一安心かしら」

 

 実際、前例程ひどい形にはならなかったのは間違いないのだが――。結果として仲裁して事なきを得たものの、揉め事を起こした時点で、しこりは残る。

 繰り返されるようなら、ゼニアルゼ商人は東方社会での信用を落としていくことだろう。

 

「……シルビア妃殿下の差し金にしては、いささか稚拙ですね。とすると、個人の商人が勝手にやっている? いや、むしろゼニアルゼの商工会の方が、妃殿下の意図を無視してやっているのか――?」

「モリー、悩むのはいいけれど、さっさと街の中に入ってしまいましょう。残してきた連中がどうなっているか、私は早く確認したくて仕方がないんだから」

 

 それもそうだとばかりに、メイルの誘導にしたがって、都市の中へ。モンテクァはドヴールほど交易に力を入れていないが、それは比較対象が悪すぎるだけで、商業が盛んな都市であることに変わりはない。

 街中に入ると、ゼニアルゼを思い出すような、にぎやかで華やかな市場が目についた。

 時間が許すなら、かつてのように市場調査もやっておきたかったのだが、今回は流石に自重する。

 

「それで、ここですか」

「ええ。私達の商隊と、件の問題を起こした馬鹿どもはここにいる。……まとめておいた方が、監視もしやすいしね。とりあえず、何かしら変化がなかったか、留守を任せてた連中に聞いてきましょう」

 

 東方会社が確保している宿舎は、それなりに見栄えが良く、大きなものだった。

 おそらく、尋問に不可欠な、秘匿性の強い個室もいくつか用意されているのだろう。そうした準備の良さに関して、私はメイルや他の妻たちを疑ったことはない。

 

「問題がないなら、尋問はすぐに始めましょう。……私が立ち会っても?」

「てっきり、貴女がやってくれるものと思っていたわ。元特殊部隊副隊長殿?」

 

 かつて振るった手腕を期待している――だなんて。そんな風に言われてしまったら。

 夫として、元特殊部隊員として、手抜かりなんて許されないじゃないか。

 

「出来る限り、手を尽くしますよ。……ご期待とあらば、是非もありませんね。ええ、ええ」

 

 なるべく穏当に済ませたいから、ゼニアルゼ商人たちには、素直さを期待したいところだった。 民間人であれば、尋問に対する訓練など受けていないだろう。

 であれば、情報など抜き放題で、事後の行動も誘導させようと思えば不可能ではあるまい。

 ここでの仕事が今後に響くと思えば、なおさら失敗は許されない。そうした気構えで、私は眼前の課題に取り組むのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メイル立会いの下、ゼニアルゼ商人と、その護衛達の尋問を終える。

 割とサクッと終わらせる形になったが、尋問を進めるにつれ、一番の問題はこいつらの行動自体ではなく、その背後にあるのだと悟ってしまう。

 

『関税がどうこう、というのはただの口実。東方国家では賄賂が幅を利かせているという話なので、実際にどこまで有効か、手近な都市から検証していくことになった。自分は貧乏くじを引かされて、実行する側に回ることになったが、それで実際に関税を大目に見てくれるなら、儲けものと思った』

『暴力にまで及んだのはわざとではないが、相手がそれだけ居丈高で、傲慢だったことも考慮してほしい。煽られて黙り込むと舐められる。やりすぎてはいないし、ちょっとした打撲程度、子供でも我慢できることだ』

『最悪でも積み荷の没収で済むと見込んでいたから、そこまで悲壮感は持っていない。損失分は補填してもらうことで、ゼニアルゼの商工会から話はついている。ただし、結果については虚偽の報告など許されない。今回の件については、最初から最後まで見聞きしたものを正直に明かすつもりだ』

『ところで、東方会社は何の理由でこちらの事情に首を突っ込むのか。話せることは話したし、そちらには関係ないことなのだから、すぐに開放してほしい。騒動を起こした責任として、関税に上乗せして個人的な付け届けをしても良い。だから、余計なことはしてくれるな』

 

 以上。これが、今回の騒動を起こした、ゼニアルゼ商人とその護衛連中を含めた者たちの証言である。

 まとめてしまえば、何とも盗人猛々しいというか、悪びれることなく堂々と主張するあたり、確信犯的なものを感じて仕方がない。

 

 一番重要なのは――あくまでも紳士的に、脅迫や暴力など用いるまでも無く、彼らは必要な情報は自発的に吐き出してきたということ。

 これは私の技量が優れていたわけではなく、初めから抵抗する気などなかったとしか思えない。私の名を出した時点で、あちらは覚悟を決めてきたのだろう。

 状況が思ったより大きく変化したと感じ、迷いなく正直に裏事情まで口にしたゼニアルゼ商人たち。情報を分析すれば、なぜそうなったのかは、おおよその想像はついた。

 

「……相手の隙を見つけて、その弱みに付け込むなら今しかない、と。いやはや、どちらにも言えることですが、これは他山の石にしなくてはいけませんね」

 

 命知らずの商人が馬鹿をやることは、ありうると考えていた。東方会社の進出と業績の大きさ、事業の手広さに危機感を覚えた連中が、焦って行動することは予測できた。

 それ以外のまともな商人が大多数であれば、少数の愚か者を排斥するのは、難しくないはずである。

 けれど、その手の馬鹿が大挙して行動する可能性があるとしたら、我々はいかなる対策を行うべきなのだろう? しかも、軽率な行動の裏に、明確な意図があったとしたら?

 彼らが堂々とゼニアルゼの商工会について、はばかることなく口にしたこと。その事実は大きい。ゼニアルゼ東方会社の設立を前にして、出来ることはなるべくやっておこうという方針であろうか。

 私はモリーだけを呼び出して、自らの判断を語ることにした。

 

「それで、モリー? 尋問を終えたところで、貴女の判断を聞かせてちょうだい。私は、どうしたらいいの?」

「メイルは、このまま商隊を率いて、通常業務に戻ってください。そちらの仕事を終え次第、帰還するように――と、まあ、いつも通りに過ごしてくれれば大丈夫です。後は、こちらで全部やっておきますから。……彼らについては、すぐに釈放手続きをお願いします」

「こんな即座に開放しちゃってもいいの? 関税の上乗せ位じゃあ、絶対に懲りないと思うんだけど」

「拘束し続けたところで、なにも良いことはありませんよ。殺人を犯していたならただでは済まさない所ですが、ちょっとした暴行程度であれば、まだ飲み込む余地はありますし――何より、あいつらは末端の実行犯に過ぎません。とにかく連中にはお帰りいただいて……迷惑をかけた名士の方には、金銭で手を打ってもらいます。代金はとりあえず立て替えておいて、後でしかるべきところに請求しましょう」

 

 元から率いていた商隊については、私との話が終わり次第、メイルに任せて仕事を続けてもらうとしよう。

 私の判断が正しければ、これは政治闘争になる。彼女が関わるほどの価値はないし、こちらで対策をたてれば、それで済むことだと考えた。

 

「ほんとにそれでいいの? ――って、ああ、そう。シルビア妃殿下関連なのね?」

「正確には難しい所ですが……ゼニアルゼ関連の件であることは間違いないので、メイルには現場の方を頑張ってもらいたいのです。もし、双方にしこりが残る結果になっても、現場にその雰囲気を持ち込ませたくはないので」

「私が関わる方が、面倒になる可能性があるってわけね、わかった。――モリーも各所に気を遣う立場だろうし、色々と大変ね」

 

 これからどんな工作を行うのか。メイルには何も語るつもりはないが、なんとなく雰囲気で察したのだろう。

 突っ込んだことを言わないのは、彼女なりの気遣いだと私にはわかっていた。

 

「それでも、尋問でどんなことを聞いたのか、相手が何をしゃべったのか。それくらいは、聞いても良いでしょう?」

「はい。――まあ、単純な話ですよ。聞いて面白いことではありませんが、知識として覚えておいても、損にはならないでしょう」

 

 そうして、メイルにも尋問内容を簡潔に話して聞かせつつ、今後の展開について、策を練る。

 シルビア妃殿下と、ゼニアルゼの商工会との間に、何らかの軋轢があるのか。あるいは、ただ単に意思の疎通が難しくなっているのか。

 あの方ほどの周到さを感じないので、問題があるとしたら商工会の方だと思うのだが。

 いずれにせよ、その隙こそを突くべきだ。弱みに付け込むつもりで、自らの弱点をさらす。 そうした脇の甘さに付け込まないでいられるほど、東方情勢は甘くない。

 

「本当、私は周囲の環境と、人間関係に恵まれていますね」

「なによ、いきなり」

「メイルが騒動に巻き込まれたことで、色々と察せられました。もし、今回の件がなければ、ゼニアルゼの動きについて、把握が遅れたことでしょう。――そうなったら、簡単に納められる範囲を超えていたこと、間違いありません」

「私の運がよかったって話?」

「正確には、私達、ですね。メイルが幸運だったというなら、私自身が幸運に恵まれたのと同じことです。――夫婦と言うものは、運命共同体といってもいい。個人的には、そう思うのですね」

「モリーも、恥ずかしいことをサラッと言えるようになったものね。それに慣れた私も、色々と毒されているのかしら。……いいんだけどね、もう」

 

 メイルが照れている姿も、また普段とは違う魅力が出ていて、心が華やぐようだった。

 そうして充分に目と心を楽しませ、活力を得たならば、行動の時だった。

 メイルと商隊を送り出しつつ、私は私で動くとしよう。――何、そう時間はかからない。ドヴールのザラやクッコ・ローセを心配させるほど、遠出はしないつもりだった。

 なにより、手近なところにゼニアルゼの暗部とのつながりがある。クミンとの人脈を利用しない手はないと、私は考えていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 クミンは『天使と小悪魔の真偽の愛』において、東方の支社長としての地位を確立していた。

 れっきとした幹部であり、相応の責任と権限を持つ。――その威光は、もはやドヴールにとどまらず、近隣都市の風俗街にすら及んでいる。

 その上で、組織の支配者たるシルビア妃殿下との直接的なつながりもあるのだから、私とはまた別の意味で東方の重鎮と言えた。

 

 彼女の伝手をたどるために、私は一旦ドヴールに帰還して、すぐに支店へと向かい、彼女と顔を突き合わせた。

 帰宅する手間すら惜しんで、彼女の元に行ったものだから、ザラやクッコ・ローセには悪いことをしたと思うが――。

 それだけ速度が重要な仕事なのだと理解してくれるだろう。家族サービスは、後日と言うことでお許し願いたいところである。

 

「モンテクァではご苦労様です。あちらで迷惑をこうむった方々と名士さんには、こちらからも詫びを入れておきますから、禍根を残さずに済むでしょう。そこは、ご安心を」

「ありがとうございます。……クミンの仕事の早さには、感動を覚えますよ。ええ、本当によくやってくださいました」

「いえいえ。お金だけでは、なかなか人は恨みを捨てられないものですからね。モリーさんのフォローができたなら、こちらとしても嬉しいことですよ」

 

 私から情報を流したわけではないし、メイルが個人的に彼女と連絡を取ったとも思わぬ。

 クミンは、自身の情報網と人脈をもって、私より早く事態を知ったのかもしれない。いや、それはブラフで、これからやるべきことを、さも『やっておきましたよ』と偽っている可能性もなくはない。

 とはいえ、彼女が私に対して有益な仕事をしてくれているのは事実。クミンの言葉をありのままに受け入れ、礼を言うのが正しい態度と言うものだろう。

 

「では、もしかして私がお求めの商品も、すでにご用意されているとか?」

「どうでしょう。モリーさんは多くのモノをお求めでしょうからね。何が用意できて、何が用意できないものか。――まず、そちらの希望する商品を話していただいてから、改めて検討したく思います」

 

 クミンの立ち位置は、我が家の中だけでなく、東方会社においても特殊なものだ。

 東方会社の風俗店経営者という顔を持ちながら、『天使と小悪魔の真偽の愛』幹部であり、ドヴールの裏社会では一種の権力者としての地位を保っている。

 さらに付け加えるなら、私とは別に『顔役殿』との連絡手段を確保している、いわば異分子ともいえる役割も持っていた。

 ここまで複雑な立場でありながら、仕事における不手際を犯した記録がまったくない。私だって、クミンが失敗した実例など、一つも知らないのだ。

 

「一つ目の希望は、ゼニアルゼ商人のつながりについて。貧乏くじを引いて、東方で問題を起こした奴がいる。――彼が持ち帰った情報をいかに伝達し、いかに活用するか。その流れについて、詳しく知りたく思います」

「ご希望は複数、と。何とも強欲な旦那様ですが、なればこそ答え甲斐もあるというものでして。――それなら、すぐにでも答えられますよ」

 

 元ハーレム嬢のクミンであるが、その才気は本物であり、男としてしかるべきところに生まれていたら、今頃シルビア妃殿下の右腕になっていても可笑しくないと思う。

 そんな彼女に、下手な詭弁やブラフは逆効果だ。今更あれこれと気を回すような関係でもないし、素直に甘えても良い場面だろう、これは。

 

「ついでに、シルビア妃殿下の御威光がどの程度効いているのか。その辺りについても、答えてくれると助かるのですが」

「欲張りセットですね。これはもう、特別料金を取っても許されると思うのですが」

「必要な分を請求してください。私も今は東方会社の代表を張っておりますので、財布も大きくなりました。――クミンが本当に必要だと思う分だけ、払ってあげられますよ」

「阿漕な額を求めたら、貸しにするつもりなんでしょう? 後が怖いので、適正価格でお届けします。請求書については、また後日に。……とりあえず、最初の問いから答えていきましょうか」

 

 クミンは素面では答えられぬとばかりに、軽く酒を入れてから口を開いた。

 私の方にも勧めてきたが、流石に丁重に断らせていただく。

 

「お堅いのは、変わりませんね。――失礼。話を引き延ばすのは、やめましょう。ゼニアルゼ商人のつながりについては、首都にある商工会が、だいたい取り仕切っていると考えてくれても良いですよ。このドヴールの商工会のような、緩やかなつながりではありません。それこそ軍隊じみた厳格さで、会員たちを統率しています。一部の商人に貧乏くじを押し付けて、それを実行させるくらいの能力は、確かに有しています」

「ならば、あれらの商人個人の狂言である可能性は、それで消えましたね。――続きを」

「商工会が情報を握る関係上、その利用も限られた地位にいる者たちが独占する形になります。――人の口に戸は立てられぬ、とは申せど、徹底して情報を絞れば、流出は最低限でしょう。今回の件に限るなら、東方でどんな馬鹿がやらかしても、ゼニアルゼ商人がそれを認識するのは相当後になると思います」

 

 ゼニアルゼでは、商工会がかなりの部分を強権で振り回しているということか。素直に従うような連中ばかりではないと思うが、情報を独占しているなら既得権益を守ることも不可能ではないのだろう。

 末端の商人に割りを食わせても、大多数に恩恵を与えるなら、まず黙認される。今回の件もそれにならったのだと思うべきか。

 

「結果として、馬鹿をやらかす連中が増えたとしても、商工会はそれを制御することはない。そう考えて、間違いないですか?」

「そうですね、それが後の布石になるなら、あいつらは躊躇わない。商工会の性質上、この辺りは断言してもいいくらいです。……引き続き、シルビア妃殿下の御威光について。恥ずかしながら、確定的なことは何も言えません。というのも、妃殿下の目論見を読み切るのが難しいので、どこからどこまでが謀略なのかわからない。一部とはいえ、商人の勝手を放置するに任せている理由についても、こちらにはまったく知らされていないのですから。個人的に分析するほか、ないと考えます」

 

 あの人のことに関しては、下手に読み切ろうとする方が馬鹿を見る。

 妃殿下の能力は異次元の領域であり、私などが理解しきれるなどと、うぬぼれるほうが問題だ。

 多少なりとも理解が及ぶ、という程度で満足すべきだから、クミンの答えにも不満はなかった。

 

「シルビア妃殿下の謀略で、商工会が動かされているという可能性。それもまた、除くことはできませんが……なんとなく、妃殿下らしくない策とも思えます。商工会が勝手にやっていると考えた方が自然でしょう」

「とはいえ、妃殿下が勘づいていないとも思えない。そこは、モリーさんも同感だと思いますが?」

「はい。しかし、積極的に後押しはしないにしても、黙認するだけの理由はあるはず。――だから、ここで重要なのはゼニアルゼ商工会の思惑ですね」

 

 ゼニアルゼは、これから東方会社を設立しようという微妙な時期である。

 単純な利益だけではなく、商工会が思い切った手段を取る理由は他にもあるように思えるが、流石にこれは遠方であれこれ考えてわかることではない。

 実際に乗り込んで問いたださない限り、真実は見えぬだろう。今回の騒動は、東方国家に対する一種の挑戦でもあったが、それ以上に我が社の対応力も見定める役目を持っているのではないか。

 競争相手の能力を図り、今後の対策とする。そのために荒事さえ許容するなら、ゼニアルゼの商工会は、こちらと敵対することすら視野に入れているように思えた。

 

「あえて騒ぎを起こし、こちらの動向を探っているとするならば、将来的にはもっと大きな謀略を企んでいるとしてもおかしくありません。もちろん、これは極端な結論であって、必ずそうなるとは限らないのですが……」

「――と、言われますと?」

「ゼニアルゼ商人が、東方交易を独占するために、東方会社への攻撃を開始するかもしれません。謀略か、暴力か。いずれであっても、おかしくはないでしょう。……手段を選ばず、こちらの評判を落とそうとしている。そんな雰囲気が感じられますね」

 

 極論と言えば極論だが、最悪を想定するならそういう結論が出る。

 ……過激なことを言って、クミンの反応を見るという意図もあるのだが、そちらはあまり期待していない。

 なにかしらの愚痴でもこぼしてくれたら、ありがたいとは思うが。

 

「攻撃とは穏やかではないですね。――しかし、だとしたら、私の方からは何も言えなくなります」

「おや? それはまたどうして」

 

 私がそう聞くと、クミンは苦い顔でこう答えた。

 

「知っての通り、私が情報において優越しているのは、シルビア妃殿下とつながっていること。『天使と小悪魔の真偽の愛』という組織に所属していて、幹部階級にいることが大きいのですが。必然、ゼニアルゼとのパイプも強く太いものになるわけで……。言っては悪いですが、あちら側の束縛も大きくなってしまうのです」

「割に、色々と話してくれてますけどね?」

「モリーさんは身内ですから――というのは、冗談です。正直な話、束縛と言うのは金銭面ですね。ゼニアルゼの商工会には、こちらの活動資金に結構な額を投資していただいております。……あちらの意向に従わない行動を取った。そう判断されて支援が打ち切られた場合、我が組織は経済的に大損害を受けてしまいます。なので、私個人の事情で、バレるほどの大きな動きは出来ません」

 

 身内に対して、愚痴をこぼすような形で情報を提供するのが限界である、とクミンは暗に伝えてきた。

 しかし、そこまで内情を吐露してくれたのなら、やりようはいくらでもある。

 

「バレてみますか、あえて」

「えっ」

「損害は、東方会社が補填する、と言えばどうでしょう。それでも、ゼニアルゼの商工会は『天使と小悪魔の真偽の愛』への資金投入をやめるでしょうか? ……出来ないと思うんですよね、どう考えても。最悪、あちらの紐付きであったものが、こちらの手駒になってしまう。そんなもの、ゼニアルゼの商工会は受け入れるはずがない。――うん、この辺りも含めて、ミンロンと直接会って話をすることが増えましたね。初めての共同作戦を申し込むことも、そろそろ考えても良い頃です」

 シルビア妃殿下と対決する舞台まで、その話は秘めておいたほうがいいだろう。

 とりあえずの糸口はつかんだ、と思えば、むしろ気分が明るくなる。もっとも、この感覚をクミンと共有するのは、流石に無理だろうが。

 

「共同作戦? ……物騒に聞こえるのは、私の気のせいでしょうか」

「最終目的は、ゼニアルゼと言う国家そのものに、いわばシルビア妃殿下に譲歩を迫ることですからね。クミンの立場では、物騒に聞こえても仕方がないでしょう」

「は? え? ……なんです、それ。割と唐突な話に聞こえるのですが」

「唐突に言いましたからね。クミンの戸惑った姿を見るのも、たまにはいいものです。――しかし、ミンロンと会うときは、いつも通りにひょうひょうとした態度でお願いしますよ」

 

 クミンとミンロンはこれまで深く関係を持つことはなかったが、何がきっかけで必要になるかわからないのが人脈と言うものだ。

 いずれ、引き合わせる必要があるだろう。まずは眼前のごたごたを収めてからになるが、数年先を見据えるなら、『天使と小悪魔の真偽の愛』と『東方会社とミンロン商会』がつながりを持つことは重要だ。

 複合的な政策について、私の頭の中にはいくつもあるのだが、今から口に出すようなことではあるまい。シルビア妃殿下とは、改めて会談を行うことになるだろう。譲歩を引き出すのは骨が折れるが、何も私一人の力でやることではないのだ。

 今から緊張するようなことでもない。私はクミンと目を合わせて、安心させるように柔らかに語り掛けるだけでいい。

 

「あ、クミンは何も心配しなくていいですよ。普通に仕事をしていてください。必要な時には呼び出しますし、大事な商談であれば私も同席しますから。――家に帰った時、私をたまに癒してくれたら、それで充分ですよ」

「……大事なことを知らせるのも、余計なことは伏せておくのも、貴女なりの愛情と言うことですか。いいんですけどね、別に」

 

 クミンも、それ以上は深く聞かなかった。余計なことまで言わねばわからぬほど、浅い間柄でもない。

 お互いに思うところはあれど、愛情を確認し合うことを躊躇う段階は過ぎている。

 今日は我が家に帰らないことは、すでに伝えてあった。だから、朝までクミンは私と過ごすことになる。

 

「今夜は、私がリードしても良いですよね? モリーさん」

「どうぞ、ご自由に。今夜ばかりは、貴女だけの私です。求められるだけ、応え続けましょうとも」

「では遠慮なく、あれこれと思うが儘に、モリーさんを堪能させていただきますよ。……性的搾取だなんて、後で抗議しないでくださいね」

 

 諦めをもって、クミンの欲望に応える。彼女へ求める仕事の大きさを考えれば、それくらい尽くして当たり前だと思うのです。私の持っているもので、貴女が欲しいものがあるというなら、いくらでも与えましょうとも。

 これもまた、一種の奉仕行為であるのだと、私はもう割り切っていたのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミンロンとの伝手が、ドヴールには残っている。頭目商人に限らず、彼女は各所に耳目を残していた。

 個人商会を持っている、大手商人ともなると、それくらい情報には敏感になるものだ。その上、ミンロンには一族の身内からの情報網もあるのだから、その気になれば連絡を取る手はいくらでもあった。

 頭目商人が代表的な相手であることは確かなので、事前に伝えていたことが、ここで役に立った形になる。

 モンテクァでの諸事を済ませ、クミンと一夜を共にする。そこから通常業務をしながら、ミンロンの帰還を待つ。

 

 ――すると、数日ほどで彼女の方から一報を入れてきた。

 それに従い、ドヴールのミンロン商会を訪ねると、彼女はそこにいた。まるで私を待っていたかのように、スムーズに面会が叶い、応接室で話し合うことができたのである。

 

「ようこそ、おいでくださいました。モリー殿がお望みとあらば、私はいつでも歓迎しますよ」

「こちらこそお忙しい中、唐突な訪問にお答えくださり、ありがとうございます。――ミンロン様には、色々とお世話になっていますからね。何かと機会を設けては、お返しをしてあげたいと思っているのです。――今回の訪問は情報の共有と言うか、ゼニアルゼと東方のアレコレについて、お互いの態度を決めておきたいのです」

 

 ミンロンの表情はやわらかい。商会の経営がうまくいっているのもあるだろうが、何かしら個人的な事情で、嬉しいことがあったのか。

 なんにせよ、穏やかな会談ができるのなら、それにこしたことはなかった。

 

「それはそれは、興味深いお話です。――それはそれとして、覚えておいででしょうか。私が東方会社の特別顧問に就任して、三年ばかり経ちましたね。そろそろ私の扱いに対する結論も、出た頃ではないでしょうか」

 

 ミンロンの表情は穏やかだが、期待感もあるのだろう。私が否定的な答えを返すとは、まったく思っていないような顔つきだった。

 そして実際、この期に及んでは、私も彼女を受け入れるほかないと考えていた。

 

「……言葉にしていないだけで、共犯者扱いは充分にしていると思いますが。お抱えの職人を紹介したり、翻訳した書物は今も持ち込んでいますし――文化面での貢献を考えると、私達はこれからも事業を共にしていくべきだと思いますよ?」

「後戻りするには、お互いに関わりすぎましたね。……なればこそ、ここで言葉にしておくことが大事ではないでしょうか?」

 

 ミンロンが形式にこだわる方だったとは、今の今まで知らなかったが――。

 別段、不都合があるわけではない。言質を取る方から、言質を取られる方に変わってしまったと思うと、何やら感慨深いようでもある。

 

「わかりました。――ミンロン様は、私と共に名誉も汚名も担っていただきます。お互いの国家の為に、これからも尽力していくことを誓いましょう」

「具体的には?」

「特別顧問としての今は地位はもちろんですが、東方の宮廷に働きかけて、何かしらのお飾りの官職を、ミンロン様に差し上げましょう。――女性の高官は、おそらく東方国家においても初の例になる。権限のない名誉職になるでしょうが、肩書を得たという背景を利用すれば、様々な交渉の場で優位に立てるはずです」

「悪くない話ですね。しかしあえて注文を付けるなら、なるべく耳障りのいい官職を頂きたい。語感だけで相手を怯ませるような肩書であれば、より仕事がやりやすくなりますので」

「……善処いたしましょう」

 

 間髪入れずに実利と権限を問いただしてくるあたり、まさしくミンロンは商人だった。

 それくらい狡猾な人間であればこそ、引きずり込むことに意味がある。沈む時は共に沈むのだと思えば、どんなに大胆な行動だってとれるだろう。

 

「東西の融和事業については、こまめに連絡してありますし、モリー殿も進行具合はわかっているでしょう? ……本命の情報は、ゼニアルゼに関して、ということでよろしいですか?」

「はい。ミンロン様もゼニアルゼに商館を持っているのですから、さほど真新しい話ではないかもしれませんが――。あちらでは、ゼニアルゼが独自の東方交易のために、我々の後追いで会社を立ち上げる動きがある、とのことです」

「さしづめ、ゼニアルゼ東方会社、と言うべきものですか? 東方国家は、よそ者はよそ者として扱います。貴女がいるから東方会社はやっていけている、という部分がありますから、後追いしてもいい結果になるとは思えませんがね」

 

 どこの社会でもそうだが、身内とそれ以外、と言った形で、明確な線引きがあるものだ。

 特に東方では、それがより顕著な土地柄である。東方会社が総体としてどんなに尽力しても、私個人の名声――要するに『東方皇帝が直々に認めた臣下』である事実には敵わない。

 私が名義を貸しているからこそ、東方会社の職員は独自に交易が可能なのであり、首都における市場への進出ができているのだ。

 

 その事実は大きいと思うのだが、逆に言えば皇帝陛下にさえ認められれば、それでいいということでもある。意外とハードルは低いと思うのだが、ミンロンはまた別の見解があるのだろうか。

 

「東方皇帝に頭を下げて、どうか交易させてください、と言えば済む話ではないですか。あのお方は鷹揚だから、それで許可出るでしょうし。だから、私は今から危険視して、アレコレと頭を悩ませているのです」

「どうですかね。あれは、貴女であればこそ可能であったことだと、改めて申し上げておきます。……宮廷内で、衆人環視の下、屈辱的な土下座を繰り返す。とてもじゃありませんが、貴意の高いゼニアルゼ貴族、あるいは商人どもに、それが出来るとは思いません。たぶん、何かしらの理由を付けて、片膝を付くくらいで済ませようとするんじゃないですかね」

 

 そんな態度では、むしろ東方皇帝も宮廷勢力もへそを曲げるでしょう――と、ミンロンは断言した。

 

「……そんな嫌がりますかね? 頭を下げるだけで交易が許されるんですよ? 私としては、私的感情くらい押し殺して仕事しろ、と思うんですが」

「モリー殿は、私心を殺して奉公するのが当然、という感性が当たり前だと考えておられますね。――しかし、私から言わせてもらえば、そんなお題目を糞真面目に実行できるのは、西方広しといえどもクロノワーク騎士だけだ、と断言させていただきます。少なくとも、ゼニアルゼにおいてはほぼ絶滅している類の人間ですよ」

 

 だから、ゼニアルゼ東方会社、というべきものが生まれても、首都における商業自由権は許されない可能性が高い、とミンロンは見ているらしい。

 その自由権が許されないということは、東方の各地方における交易も大幅に制限されるということ。

 

 つまり、我々の東方会社の市場に割り込むことは、不可能と言っても間違いではないのだが――。

 やはり、私としては懐疑的である。うーむ。これは、私の日本人的な感性が働きすぎているんだろうか。

 

「土下座はタダですよ? それで儲けさせてくれるなら、なんで躊躇うんです」

「……東方外交とか、交易とかを一手に任させる重役と言えば、まず本国においても大きな影響力と地位を保っている家、もしくは派閥の出であると断定しても良いでしょう。そうした手合いは、面子を重視するものです。ありていにいえば、東方の田舎者どもに土下座して見世物にされた――だなんて事実が明るみになれば、派閥そのものから不興を買って、つまはじきにされるのです」

 

 クロノワークは質実剛健、名より実をとれ、という感覚が隅々にも行きわたっている国家だ。

 実利こそが全て、なんて身もふたもない価値観が王族にまで浸透しているから、私の行動もギリギリ受け入れられた。これがゼニアルゼなら大事になっていただろうと、ミンロンは言う。

 

「確かに問題はあるのでしょうが、王妃様は話せばわかってくれましたよ?」

「……モリー殿。誰も彼もが、無私の忠誠を王家に捧げられるわけではないと、まずはご理解ください。御恩と奉公も、限度があるのです。西方では、頭を下げるにも作法があり、手順がある。しかし、そんな西方の理を、東方国家が理解することはないでしょう。だから気軽に土下座を繰り返せと言い出せるし、こんなこともできないとは野蛮な連中だと勝手に見下しやがるのです」

 

 私が思っている以上に、東方での商業自由権は難しい問題だったらしい。どうにも理解は難しいが、ミンロンが言うならそうなのだろう、とひとまずは納得した。

 ……しかし、私よりも彼女の方が西方社会に詳しいというのは、どうにも気恥ずかしい感じがする。

 これまで、私は西方国家の何を見ていたんだ、ということにもなるから。灯台下暗し、とはこのことである。

 

「だとすれば、私の懸念は杞憂なのでしょうか。ゼニアルゼが東方国家に進出する前に、出鼻をくじかれるとすれば、我々の敵足りえない。現状維持が続くなら、何も心配せずに済むのですが」

「自分で信じてもいないことを言うべきではありませんよ、モリー殿。ゼニアルゼ商人の強欲さをかんがみれば、どうして現状に満足するでしょうか。東方会社の収益の大きさを尻目に、欲を出さずにいられるとは思えません。――結果がどうなるかはさておき、連中は確実に首を突っ込んできますよ。全財産をかけて、断言してもいいくらいです」

 

 信じてもいないことを言うな、だなんて。私も、そんな諫言をされるくらい、楽観主義に毒されていたのだろうか。

 いや、実際に指摘されたのだから、もう何一つとして楽観を抱くべきではない。そう思い直すくらいには、私もミンロンの見解を信じていた。

 

「とにかく、モリー殿。詳細について、情報交換をいたしましょう。その上で、私の意見が必要ならいくらでも提供します。――こんなこともあろうかと、時間は取ってあります。場合によっては、朝まで意見を戦わせることも、視野に入れてください。どうにも、この話し合いはお互いの生死に直結するような気がするのです」

「では、そうしましょう。ミンロン様の協力を確約できたのなら、こんなに心強いことはありません。お互いに、出来る限りの情報を交換しようではありませんか。そうして語り合って、運命を共にする覚悟ができたならば。――もはや、怖いものなどない。そうは、思いませんか?」

 

 私の行動は、多くの人の協力の下でなりたっている。

 ミンロンも、その中の一人だった。特に重要で替えの利かない、特別な人でもあった。

 

「本当、モリー殿は怖いお方ですよ。しかし、だからこそ退屈せずに済むし、安寧に甘んじずに済むともいえる。……私は、客家の中でも期待されていない子供でした。今でこそ成功していますが、昔はそれこそ、一族の中でも様々な形で屈辱を受けたものです。――ああ、いきなり何を語り出すのか、と思われるかもしれませんが、私にとっては重要な事なのです」

「いいですとも。思うがままに、お話しください。私は、ミンロン様の支えになりたい。貴女の為になるのなら、いくらでも聞きましょう」

 

 ミンロンは自ら心情を吐露するくらい、私は彼女にとって大事な存在になれているのだろうか。

 だとしたら、光栄なことだと思う。共犯者としては、誇りにすら思うべきだった。

 

「そんな複雑な話ではありませんよ。――油断ならない、覚悟を決めて付き合わねばならない相手というのは、私にとっては貴重なのです。その上、明確な利益を提供して、しかも共倒れすら許容できる相手など、そうそう得られるものではありません。だから、私はモリー殿に感謝しているのですよ」

「お褒め頂き、恐悦至極。ミンロン様の評価は過分成れど、光栄に思います。東西融和と言う、特別に難しい課題を与えている分――貴女からの感謝は、また格別に価値が高いものですから」

「私たちがわかり合うことが、何よりも東西融和の第一例となりうるから、ですか?」

「それ以上に、大きな課題を共有する盟友として、理解と好意はそれだけで嬉しいものです。立場を超えた友情というものは、これでなかなか貴重なものなので」

「ああ、まさに。……いえ、繰り言はよしましょう。ただ一つ、お答えするならば、私にとって東西融和という課題は、そこまで苦しいものではないと言っておきます」

 

 難しくとも、苦しくはない、とミンロンは言う。そこに頼もしさを感じるが、意外でもある。

 

「モリー殿と出会って、投資を続け、恩を返す形で儲けさせていただき、今があります。……貴女がいなければ、私はただの成功した商人として終わっていたでしょう。名を残すなど、思いもよらぬことだったはずです。名誉欲と言うものを思い出させてくれたことで、かえって辛さを感じることがないとは言いませんが、それでも。――やはり、やりがいを感じるところが大きいのですね」

「ミンロン様……貴女は」

「生きていれば、辛いこともありますよ。弱音を吐くこともあるでしょう。……しかし、生き甲斐を得ること以上の幸福は、他にないとも思うのです。それは、モリー殿も同じではないですか?」

 

 ミンロンの言葉には、頷くところが多い。彼女とて、ただリスクを背負うばかりではない。

 欲しいものを得るために、行動する。その行いに、迷いはないのだろう。

 

「ええ、ええ。それは、そうです」

「諸々の結論がでましたね? では、仕事を続けましょう。――当初の予定通り、情報の共有と今後の対策について。この東方会社特別顧問たるミンロンが、出来る限りのアドバイスをしようではありませんか」

 

 そうして、私達は一日中語り合った。途中から乱入してきた妻たちも入れて、随分と濃ゆい対談になったと思う。

 結果としては、決意を固める理由付けを見つけられたとか。シルビア妃殿下と正面から向かい合うこと、その重要性を再認識したとか――。

 実際的な対策よりは、心理的なものが大きな話し合いになったのだけれど。私にとっては、それで充分だった。

 

 充分なくらいに事前に材料がそろっていて、後は詰めに行くだけ。情報の共有は、確信を私に与えてくれたというだけだったが、それがまさに最後のピースであったともいえる。

 ミンロンと私、それから妻たちの共同戦線が成り立つこと。ゼニアルゼという国家、シルビア妃殿下へ譲歩を迫るのに、それは大前提であるとも言えたから。

 

 

 結論を出した後、私はただ一人、休暇を取ってゼニアルゼに向かうことにした。

 申請と準備に数日を使って、妻たちに送り出される形で、私は旅路を進む。

 ゼニアルゼの国境をまたぎ、王城に入るころには、すでに覚悟は決まっていた。

 

 東方会社の、あるいは東西の歴史が、ここで決するかもしれない。シルビア妃殿下との対決は、それだけ大きな影響を及ぼす。

 そう思って、私はおそらく最後になるであろう、交易と外交の場の決戦に挑むのでした――。

 

 




 なんだかんだで、ここまで冗長に続いてしまいました。
 しかも、見直しが十分ではないので、後で大きく書き直すかもしれません。
 そうなると、さらに完結が伸びてしまうかも……。なんて、どうにもならない不安を感じています。

 物書きとしての未熟さを痛感するばかり。とにかく次回で終わらせるつもりで執筆しておりますので、今しばらくお待ちください。



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これからの世界と未来に関わる、結びのお話 【下】


 今回の投稿で、物語は一応の完結を見ることになります。
 後日、ちょっとした付け足しのエンディングを投稿するつもりですが、お話自体はここまで、という形になるでしょう。

 ここまで付き合ってくださった、読者の皆様方に、心からの感謝を。


 

 ついに外交の時間である。私は今、東方会社代表として。そして、クロノワークの外交官として、特別な立場を得て、シルビア妃殿下の前に居た。

 そうである以上は、相応の格式も必要になるし、そのための準備も入念にしてきてあった。

 

 外交官の資格については、私が代表としての仕事を続けているうちに、必要になる場面(東方国家との交易の折衝、宮廷に呼ばれたときの為の肩書として)があるため、名目として下賜されている部分が大きいのだが――。

 そのおかげで、こうしてシルビア妃殿下と単独で相対し、公式に外交問題を問いただせると思えば、意味は確かにあったのだと思う。

 

 これまでも会談に参加できていたが、今回は私が能動的に政治に関わり、国家的な声明発表のために動けているのが、一番大きな違いだろう。

 そのため、今回はクロノワークからも文官を連れてきている。両国間で記録を付け、正式な共同声明として発表するための下準備と言うわけだ。

 これには流石ににシルビア妃殿下も鼻白んだのか。まず第一声は、私の変化について指摘してきた。

 

「随分と物々しい立ち入り方をするようになったのう。騎士の正装ではなく、外交官の制服を着てやってくるおぬしの姿は、なかなか新鮮じゃな」

「申し訳ございません。東方会社とゼニアルゼの東方交易に関する折衝は、外交そのものなのです。東方会社はそもそもクロノワークとホースト、ヘツライらの西方各国が寄り集まって出来た、まったく新しい商業組合のようなもの、なのですから。……クロノワークの一騎士の立場では、シルビア妃殿下と対等の話し合いができないのです。形式も作法も、それ相応のものになること。どうか、ご理解ください」

 

 時間的には、おおよそ三年ぶりと言っても良いのだが、感覚的には最近会ったばかりのような気もするから、不思議である。妃殿下も同じような気分だろうから、違和感を口にしたくなる気持ちもわからなくはなかった。

 それでも、この世に変わらぬものなどない。私の地位も妃殿下への対応も、時勢次第でどうにでも変化するのだと、私は暗に伝えた。

 それがわからぬ彼女ではないから、ここに至っては理解を示してくれた。

 

「対等、か。出世は人を変えるというが――うむ。まあまあ、良いのではないか? わらわと渡り合うにはまだ不足じゃが、一応の格好はつく。そうであろう? 大臣」

 

 東方会社からは、私一人が参加する権利を持つ。そうした外交的な会談の中で、ゼニアルゼは妃殿下の他にももう一人、参加を許されている者がいた。

 それが、ゼニアルゼの大臣殿。私とも顔見知りであり、近年はちょっとした書簡のやり取りをするくらいには、親しくなった相手でもあった。

 

 ちなみに、今回の件に関してはすでに報告済みだが、あちらからの返信はなかった。

 ……大臣殿も、相当複雑な立場にあるらしいと、なんとなく察する。

 

「はい。ああ、私はゼニアルゼの大臣ではありますが、ゼニアルゼ商工会の立場から話に参加させていただきます。――というのも、最近になって商工会会長の地位を兼任することにもなったので、そちらの視点からモノを述べた方がよろしいと思うのですな」

「……こやつめ、いつのまにか商人に媚びを売っておってな。ちゃっかりと商工会との関係を作りおった。わらわに対しても、事後報告で済ませる有様ゆえ、どこまで増長しておるかわからん。国益にならぬなら、とっくに罷免してやるのじゃが」

 

 ゼニアルゼで高位の官職にある、あの大臣殿が商工会の会長となる。民間企業の代表たる地位と、大臣職を兼任するという、珍しい立場にあるのだから、私も初めて聞いたときは驚いたものだ。

 しかし、これからのゼニアルゼを思えば、商業的暴走を食い止めるためにも、大臣殿がその地位にあるのは悪くないと考える。

 

「妃殿下。ここはすでに公式の外交の場にございます。――私相手とはいえ、あまり砕けた言い回しはよろしくありませんな」

 

 大臣殿の指摘に対して、わかったわかった、とシルビア妃殿下は面白くもなさそうに言った。

 罷免は流石に言葉が過ぎだと思ったのだろう。私の方にも、微妙な視線を向ける。意味を悟った私は、あえて説明口調で答えを返した。

 

「書記官。まだ会談は始まる前なので、今の会話は記録しなくてよろしい。――ゼニアルゼの側も、それで構いませんね?」

「――はい。なんとも、申し訳ない。うちの妃殿下は、解決すべき事案をいくつも抱えておりましてな。……身内相手には、気を抜いてしまうこともあります。クロノワークの皆様方においては、どうか、そこをご理解いただきたい」

 

 どっちも身内なんだから、多少の粗相は言われなくても見逃せよ、と大臣殿は釘を刺してきた。

 ええ、ええ。わかっておりますとも。だから会談が終わったら、お互いに記録した文章を見せ合って、公開時に問題が残らないよう調整する時間だって作ってあるんだ。

 

「委細承知しております。――今回話し合うべきは、ゼニアルゼの国是である商業発展が、逆にお互いの利を損ないかねない所にまで来ているので、その懸念を解消する為のものです。端的に申し上げるなら、東方交易における利益の差配について、お互いに検討し合うことになります。とにもかくにも、貿易摩擦がお互いの身を焼く前に、まずは話し合うことで頭を冷やそう――というのが最初の課題ですね」

 

 モンテクァにおける、ゼニアルゼ商人の狼藉については、すでに情報が伝わっている。

 シルビア妃殿下はこれを憂いているから、私の呼びかけに応えてくれたのだ。しかし、大臣殿にはまた別の思惑があるようで――。

 

「商工会の命令で、ゼニアルゼ商人が問題を起こした。――それが、今回の外交折衝のきっかけである、というのは把握しております。この命令は、私が出したものではなく、前任者の浅慮によるものです。しかし、商工会にも言い分はあるのだと、ご理解いただきたい」

「自らの行動を正当化する、何かしらの理由がおありだとおっしゃられる。――結構、大臣殿の理屈をお聞きしましょう」

 

 書記官に目配せし、ここからは記録を付けていくようにと合図する。

 それを大臣殿も察していたろうが、自ら主張することは変えようと思わなかったらしい。きわめて率直に、彼は切り出して見せた。

 

「東方交易が、東方会社の独占物になりかねない事態について、我々は憂慮しております。なるほど、確かにゼニアルゼ商人は挑戦的でありすぎたのでしょう。ですが、その根底にある不安について、東方会社はあまりに無頓着でした」

「まるで、我々の方に非があるような言い方をなされますね? 大臣殿」

「誤解なさらないでください。これまでは無理解だった。しかし、これからはお互いに妥協し合うつもりであると、その為の話し合いではありませんか? いずれにしても、最後通牒を突きつけ合うような関係性ではないはずです」

 

 私の口撃を速やかにかわして、逆撃を仕掛けてくる。

 反撃はやりすぎない程度で。しかも、こちらの極端な態度を抑止するような言い回しは、大臣殿が外交巧者であることを示していた。

 

「肯定します、大臣殿。その上で、そちらの主張の続きを聞きましょう」

「ありがとうございます。――憂慮すべきは、ゼニアルゼ商人が、東方交易を東方会社に依存しつつあること。我々が確保していた既存の販路も、近年は次々と東方会社への取引に置き換えられつつあります。……そちらの言葉を借りて端的に申し上げるなら、東方の市場の方が、ゼニアルゼを締め出しつつあるのですぞ? 我が国の商工会が、東方交易の既得権益を乗っ取られているように感じても、それは致し方のないことでしょう」

「乗っ取りとは人聞きの悪い言葉です。自由に参入できる市場であれば、常に競争が働くもの。顧客を選ぶ自由もあれば、業者を選択する自由もある。違いますか?」

「概念の話を、今はしておりません。我々は危機感を抱いているのです。今得ている利益の幅が狭まり、将来的に消えてしまうのではないか、と。――所属している商人の感情に対し、私は会長として、応えねばならぬ義務があるのです」

 

 理屈ではなく感情で応えてくるあたり、ゼニアルゼは本気で追い詰められているらしい。

 私はミンロンとの最後の情報交換において、ゼニアルゼの東方交易事情についても聞き出していた。

 おおむね、今の大臣殿の発言通りの内容であったから、裏付けは取れた。三年の年月と、社会改革のスピードは、私達の関係をも変えてしまったのだろう。

 

 今はまだ深刻な段階ではないが、もはや生ぬるい付き合いが続けられる状況ではなくなったと言える。

 先伸ばしし続けてきたが、ようやく東方会社は、正しくゼニアルゼの商売敵となりつつある。

 楽観論は、この場においては不要だった。このまま敵に回すくらいなら、もっと極端な手段をもって、仕掛けてもいい。前提から確認するように、私は語り掛けた。

 

「……東方会社は、ゼニアルゼ商人から商品を買い取って、それを東方市場に流す仕事も請け負っています。そちらの儲けを加えても、我が社への不満が大きいとおっしゃられるのでしょうか?」

 

 以前より進めていた、ゼニアルゼの大規模農場はようやく軌道に乗り始めているところで、最近は取引量も増えていた。来年は、さらに大きくなる見込みである。

 もちろん、私はそれをさばく市場を用意しているわけで。こちらの助けなしにできるのかよ――とも言いたかったが、大臣殿は別の部分が問題だと言いたいらしい。真面目な顔で、彼は答えを返した。

 

「良心的な価格で、割のいい取引をしていただいていることはわかっております。それでも、大本の仕事を圧迫されては、面白いわけがない。どうか、ご理解いただきたく思います」

「自分たちなら、もっと上手くやれると主張したいのですかね。――東方人は、ただ搾取されるだけの愚か者ではないと、こちらこそ理解してほしいのですが」

「……人と人との商売に、感情を無視して、道理ばかりを語ることが、果たして正解なのでしょうか。私は、ゼニアルゼ商人の立場を代表して、発言しているのです。そこに、他意はございません」

 

 大臣殿は、よっぽどこの問題の面倒さを強調したいらしい。お互いの理解が必要だとわかっているにもかかわらず、東方人ではなく東方会社の方に矛先を向けるあたり、こちらを試している風にも聞こえた。

 やはりというかなんというか。――ゼニアルゼ商人は、他人に商売のタネを預けて、能天気に果報を待てるような手合いではないらしい。

 前回の会談の時点では、そこまで見通せなかった。これは、私の落ち度であるのだろう。大臣殿は、これを責めるような口調でさらに発言を続けた。

 

「モリー殿。東方市場にとって、我々と東方会社、どちらが良いお客であるか? それは明白です。――結果として、ゼニアルゼ商人が圧迫を受けている。座して見ていれば、そのうち東方会社が交易の全てを差配することになるでしょう。その前に、出来る限りのことを試そうというのは、果たして愚かなことでしょうか? 自由競争とはいえ、結局は強いものが勝つのです。ならば、あらゆる方法をもって対抗しようとするのは、自然な成り行きではありませんか」

 

 大臣殿の主張は、すでにゼニアルゼ商人に後がないことを示している。あるいは、彼が商工会の会長に収まったのは、この場でこの主張をするためであったのかもしれない。

 単純に、市場競争に負けたのが悪いとは、私は言えなかった。敗者に責任を押し付けたところで、問題は解決しない。

 あちら側にそうした危機感があるのなら、共感性を欠く物言いは避けるべきだった。そうした答えは、交渉の打ち切りとすら受け取られかねないと、私は思う。

 

「ゼニアルゼ商工会のご意見は、わかりました。そういうことであれば、東方会社としても適切な処置を取らねばならぬと考えます。――なので、お互いの為にも、東方で無法を働くのはお止めいただきたい」

「ではモリー殿は、東方会社代表として、確かな対策を取っていただける、と。その確約を得られたのなら、喜ばしく思います。――ゼニアルゼ国民の安心のためにも、対策の内容について、この場で詰めていきたいのですが、いかが?」

 

 ほしい言葉を引き出したら、逃さずに距離を詰めてくる。そうした大臣殿の態度に、私はこの上ない圧力を感じた。

 シルビア妃殿下は、成り行きを見守っている。つまらなさそうな表情を隠すことなく、彼女は視線すら私に向けようとしない。

 ……この辺りは大臣殿に全て任せているのか。彼は信頼に値する人物だが、この放置気味の態度は不気味だった。

 

 しかし、今大事なのは目の前にある課題である。もったいぶった態度はとらず、具体的な内容について、言及していこう。

 ――止めろと言ったことを無視した件については、今は目をつむることにする。

 

「異存はございません。すぐに取れる対策としては、ゼニアルゼの商工会から代表を出していただき、東方の宮廷まで出向いて皇帝に臣従されることですね。取り次ぎについては、私の方で済ませておきますので、心配はいりません」

「……モリー殿の真似をせよと、おっしゃられる?」

「難しいことではないと思います。多少の苦痛は伴いますが、それが一番面倒がなく、手っ取り早い手段でしょう」

 

 事前にミンロンに苦言を呈されたが、これが可能ならゼニアルゼも同等の地位に立てるし、東方市場を我が社で独占する結果にはなるまいと思う。同じ立場で競争に参加できるのだから、彼らは喜んで膝まづいて、頭を床に叩きつけるべきなのだ。

 私と同じように、ゼニアルゼの方で首都における商業自由権を得られたならば、そこからさまざまな地方への市場に介入できるし、独自の販路を改めて開拓することもできるだろう。

 

 何より、東方の宮廷は『夷を以て夷を制す』政策が伝統的に存在するのだ。東方会社とゼニアルゼを食い合わせる、なんて目論見から、許可が出る可能性は極めて高いはず。

 ここまで有効性が見込めるなら、多少の屈辱は飲み込んでしかるべきではないかと、私は思った。

 

「東方の宮廷まで遠出をして、わざわざ頭を下げに行け、というのはいささか……」

「私はやりました。ゼニアルゼでは、同じことができないのですか?」

「難しゅうございます。私自身は大臣職も兼任しているので、わざわざ時間をかけて出張するのは、スケジュールの問題から現実的ではありません。代役を向かわせたところで、あちらがそれで納得するかどうか。……モリー殿の見解はいかがでしょう」

「個人的な意見ですが、大臣殿が全権を委任した代表であれば、東方の宮廷も納得するでしょう。――ただし、いずれにせよゼニアルゼの王族が膝を屈して臣従すること。書面上では、それくらいのことを求められるかと思います」

 

 ここで、シルビア妃殿下の表情が動いた。興味を持った様子ではあるが、自分に被害が飛び火することを危惧していることは、言わずともわかった。

 

「それは、どういうことでしょうか、モリー殿」

「クロノワークでも、ホーストでも、王家の臣従が条件として出されました。――もちろん、書面上のことであり、名目だけであることは明白です。しかし逆を言えば、それが東方国家の最低限の要求であるわけで」

「貴女は、シルビア妃殿下に、東方皇帝へ臣従すべきだと主張されるのですね?」

「はい。端的に申し上げるなら、そうなります。東方会社の代表として、さらに言葉を付け加えるならば。……日常的な業務の中で、臣従したことが問題として取り上げられたことはありません。クロノワークもホーストも、現状を受け入れております。ゼニアルゼも、そうなされれば良いでしょう」

 

 うちと同じことをやればいい。こっちはそれで問題ないよ? と伝えてみた。東方国家だって、微妙な問題をわざわざ突きに来ることはないし、仕事上でも名目を盾に何かを強要してくることはなかった。

 実利、実務の両面でも、最初さえ乗り切ればどうにかなるというのが、私の正直な感想である。

 

「おい、それはわらわに対して不敬であろう。別の方法を考えよ」

「……これが一番効率的である、という事実を無視されるのですか?」

 

 これが通ってくれるなら、割とスムーズに次の話し合いに迎えるのだが、そう上手くもいかないのであった。ここで、シルビア妃殿下が口を出す。

 

「おぬしこそ、これで失われる面目の大きさというものを無視しておるな。――わらわの権威を壊しかねない行為は、自重してもらいたいものよ」

「正式に皇帝から許可が得られないなら、ゼニアルゼは東方市場で自由に動くことができません。モンテクァでの狼藉が、そこかしこで行われる日も、遠くはないでしょう。そして――」

「いずれは武力衝突につながる、か? それで交易が中断しては、『お互い』にとって不幸よな。わかっておる。……で?」

 

 次の策を言え、とばかりにシルビア妃殿下が続きをうながす。大臣殿は表面上は穏やかだが、内心はどうだろう。

 多少なりとも焦ってくれれば、交渉がやり易くなるものだが、さて。

 

「最善策を拒まれるなら、無難な方法で地道にやるしかありません。――不幸な事態を避けるためにも、ゼニアルゼが単独で東方会社を立ち上げるのは、やはり避けるべきではないでしょうか。今なら撤回して仕切り直すことも、さほどの労なく出来るかと思いますが」

「商工会の動向については、わらわにも詳細は把握できておらぬ。……大臣、そこらへんはどうかな?」

「……仕切り直す、と簡単におっしゃいますが、そこまでして何を目指すかが問題です。そもそもの話、そちらに東方交易の利権を奪われることを危惧しているわけです。まさか、ゼニアルゼ商人に東方会社の軍門に下れ、従属しろ、などと要求されるつもりではないでしょうな?」

 

 ここからは大臣殿の方が前面にでる。彼が誰の代弁者であるかは、この際問題ではないだろう。商工会であれ、妃殿下であれ、この場においては私にとって大した違いはない。

 ゼニアルゼと言う国家を導くのに、今少しの面目が必要であるというならば、考慮してやろうじゃないか。

 

「軍門に降る、などと。――ただ、私達は一緒になれるのではないか。そういう話がしたいのです。ゼニアルゼの商工会を抱え込む余地は、今の東方会社にも残されています。共に商売をしていく気があるなら、私はそれを歓迎したいのですね」

 

 そちらが東方会社に組み込まれる覚悟さえしてくれたら、私の名前を使うことを許可しても良い。これは、そういう話なのである。

 相応の立場も用意するから、これは悪い話ではないよ――と、私は説いた。軍門に降るわけではない。だからここでは、対等の立場を用意してあげようと提案している。

 

 ……未来の結果として、従属する形に収まることも無いとは言えないが。そこは、言質を取らなかったそちらの落ち度だと思うんだよ。

 

「経営陣に、ゼニアルゼ商人を組み込む余裕があるのですな? 下っ端として使い潰されることを、我々は受け入れられません。対等の処遇を保証してくださると、この場で確約していただきたい」

 

 ゼニアルゼ商人に被害者意識があるのなら、商売敵たる東方会社に飲み込まれることは、受け入れがたいことかもしれぬ。

 だから、それを緩和する意味でも、最初は彼らを尊重する態度をとらねばならない。経営に参加させろ、権益を配分せよ、と要求するなら、ある程度は譲ろうじゃないかね。

 現状は三年前の想定からすれば、予想外のことが色々と起きている。それでも万が一の事態に備えていたから、こうして私が強権を振るえる余裕があった。

 

 ただし、ここまでの配慮をする以上、政治的妥協は絶対に譲れない所である。東方会社に所属し、私の名前を使うのだから、私の方針に従うのは当然だと考えたまえ。

 ゼニアルゼ商人は、東方会社の方針と理念に共感してもらって、お行儀のよい仕事をするべきなのだ。

 細かい部分は、後々詰めることになるだろうが、ともかく今は合意を得ることが大事と見る。確約がほしいなら、言葉にしよう。

 

「はい。東方会社代表として、ゼニアルゼの商工会に正式に申し入れます。ゼニアルゼは自ら東方会社を立ち上げるのではなく、我が社と合同で、ともに利益を共有していくべきなのです。そのためならば、私はゼニアルゼ商工会の幹部を、我が社の経営に関わらせることを保証いたしましょう」

 

 一語一句間違いなく、誤解の余地なく理解させるために、私はこう答えた。我々が申し入れるのは商工会であって、特定の個人に向けて話しているわけではない。

 だから、そちらも人選を誤ってくれるなよ、と暗に伝えて見せた。あからさまに伝えるわけにはいかないから、こんな言い方になったが――大臣殿には伝わるものと、期待しよう。

 書記官がこのやり取りを記録していることを確認しつつ、相手の言葉を待った。

 

「保証していただけるなら、結構なことです。――おわかりでしょうが、公式の発言であれば、撤回には代償が伴いまする。モリー殿を信頼いたしましょう」

 

 そして期待通りに、大臣殿は答えて見せた。お互いに責任を持つのだと、きわめて当たり前のことを確認し合う。

 これで、ゼニアルゼ商人に関することは、解決に向けて進められたと言えるだろう。課題を一つ終えたところで、次の問題へと私は言及する。

 

「結構なことです。ではこちら側からの要求として、シルビア妃殿下、よろしいですか?」

「なんじゃ、いきなり」

「我が社で引き受けている、そちらの人材ですが。組織ごと東方会社で抱え込むことを、お許し願いたいのです」

「……クミンのことか。うーむ、難しい話じゃのう。まるごとくれてやるには、大きすぎる組織ゆえな」

 

 ありていにいえば、『天使と小悪魔の真偽の愛』を丸ごと東方会社の制御下に置きたい、という話だ。あえて言葉を濁して明確に言わないのは、記録に残すとよくない影響を与えるかもしれないと、危惧してのことである。

 それだけ、かの組織は西方の風俗関係に食い込みすぎている。これには流石に、シルビア妃殿下も難色を示した。

 

「彼女はそちらの組織にも所属していますが、私の妻でもある。そろそろ、本当の意味で迎え入れても良い頃ではありませんか?」

「私事として扱っていい話でもあるまい。そやつだけではなく、組織ごと抱えようというのは、どんな意図があってのことじゃ?」

「個人的には見栄。東方会社代表として言うならば、それだけの余裕があることを証明したいのですね。そちらも組織の維持には安くない額を使わされているはず。盟友としては、これを負担することで、いくらかの助けになりたい。――お疑いなら、会計報告書を提出しても構いませんが?」

 

 私は本気だ。箸休めの話題として出したわけではないし、何かのブラフとか、冗談で言っているのでもない。

 その雰囲気が伝わったのだろう。シルビア妃殿下は、明確に断ってきた。

 

「――その必要はない。やはり、許可は出来ぬ。当人だけならまだしも、ゼニアルゼの組織を東方会社に与えようとは思わぬのでな。諦めるがいい」

「他ならぬ、シルビア妃殿下が言われるならば、そうしましょう。しかし、私がそれを是非にもと望んでいることは、覚えておいてくださいな」

 

 商工会ではなく、シルビア妃殿下が拒否するのだから諦める、という態度を私は見せた。大臣殿の様子を横目で確認したら、あからさまに安心したように、安堵の溜息を吐いていた。

 

 ……一体、誰に対してのポーズであるのか。もとより、こんな雑なやり方で上手くいくとは思っていない。隙あらば取り込みにかかる態度を示すだけで、今は十分だ。

 ただし、私から言うべきはこれだけではない。二の矢を放つことで、ゼニアルゼ側を追い詰めるのが真の目的だった。

 

 相手に課題を何度も押し付けることで、頭脳を疲弊させる。ここに至るまでの情報収集と実績の蓄積が、これを可能にしていた。会談の主導権は今、私の方にある。

 

「続いて、もう一つ提案がございます。東方会社とゼニアルゼ商工会との打ち合わせには、時間が掛かることでしょう。お互いに一緒にやっていくための組織作りとか、環境整備には手間もかかります。――これを機に、ゼニアルゼ商人が、東方人に対して問題を起こすようであれば、こちらで対応することを正式にお許し願いたいのですね。現地では、すでに東方会社が争いの仲裁に入ることが常態化していますが、これを公認していただきたい。彼らが東方で『不幸な事故』を起こした時に、西方人の意を汲む存在が裁きに加わることで、適切な対処ができるようになると思うのです。ここでお互いに合意しておけば、判決を受けたとき、ゼニアルゼ商人も納得しやすくなるでしょう?」

 

 あえて『事故』と表現した。ゼニアルゼ商人が、東方商人を食い物にするとか、街々で荒事を起こす可能性は、確実に存在する。

 この対策として、私は東方会社が裁判を主導することを提案した。東方国家への根回しは、すぐにでも始められる。ほぼ現状の追認だから、現地住民からの反発は、そこまでないだろうとも見込んでいた。

 この辺りは、最初から融和を目的にして、社会へ溶け込むことに注力していた成果とも言えよう。

 

 あとはゼニアルゼの商工会と妃殿下がこれを容認すれば、名目としては充分。狡猾なるゼニアルゼ商人どもも、表立ってケチを付けることは出来なくなるだろう。

 

 ――現状、手が回るのはドヴールとその周辺だけだが、将来的には東方全体に影響を及ぼしていきたいと思っている。その時のことも考えるなら、やはり早い段階で合意を得た方がいい。

 

「東方の地において、何の権限をもって東方会社がゼニアルゼ商人を裁くというのでしょう? そこは現地の司法機関によって、裁かれるべきではないですか?」

「東方国家の法において、裁判は当地の資格を持つ官吏が、裁判官となります。――ただ、裁判官が判断を下すにあたり、西方人が『大いに参考になる意見』を呈するのは違法ではありません。金銭での解決も一般的ですから、付け届けをするなら東方会社からやった方が角が立たないというのもあります。……弁護人などと言う制度はありませんから、どうしてもこういう形になってしまうのですね。東方では、個人の情や人脈が、法を上回る力を持つことも多くのあるのですよ」

 

 現状では、こちらの干渉もその程度に限られているが、将来的には『東方会社側』の官吏を大量に排出するつもりである。

 その彼らが正式に裁判官の地位に付けば、名実ともに西方人の裁判を、東方会社が管理することになるだろう。この話は、その時の為の布石ともいえる。

 

「ゼニアルゼでは、東方の機微がわからないのも仕方ないことですが、東方の法は結構融通が利くのです。……西方と比べて、いささか以上に緩い部分があり、それがゆえに上役の気まぐれで刑法が曲げられることも多い。正当な裁きが下されるわけではないと思えば、ゼニアルゼ商人も不安に思うことでしょう。東方会社はすでに身を守る術を身に着けておりますが、そちらはまだ文化的な理解が及んでいないはず。――なので、万が一の際は我々が出張ることを、シルビア妃殿下とゼニアルゼ商工会が公認していただきたいのです」

 

 現代的な法的観念からすれば、異常というほかない話し合い内容である。

 東方での他国人の裁きを、東方人ではなく異邦人の集合体である東方会社が担おうというのだから。

 東方国家の司法をナメていると言われれば、そうであろう。だが、当の東方国家自体、辺境では真っ当な法が機能しているとは言い難いのも事実だった。

 

 賄賂での減刑はまかり通るし、刑の執行に名士の面子を立てること(面子を潰した相手への法的根拠のない重刑、自白の強要と際限なく伸びる拘束期間など)は当たり前である。さらには獄吏の気まぐれで冤罪が雑に処理されたり、取り調べの最中に不慮の死が起こったところで、保証も何もないのだからたまらない。

 だから私はモンテクァでの面倒に対し、かなり気を遣わねばならなかった。フォローしてくれたクミンの存在を大きく感じるのも、それゆえである。

 

「それにしても、他国への司法に踏み入りますか? 我々の利害調整のためとはいえ、やりすぎに聞こえます」

「我々の利益の為に。何よりも正しき法が施行され、正当な裁きを求めるがゆえに。……他国への司法に踏み入れる理由としては、むしろ真っ当であると考えます。お互いの国民の保護を優先する。遠国においても、お互いに助け合う。――ドヴールでは、東方会社は現地の統治にもかかわっています。司法に介入することとて、その延長と考えれば今更の話ですね」

 

 そもそも、ここで司法の話に立ち入るのは、ゼニアルゼと東方会社の一体化のため、必要なことだと判断したからだ。ゼニアルゼ商人は、どうにも商業的には繊細に過ぎて心配になる。

 クロノワーク人のような図太さを持ち合わせていない彼らが、東方で粗相をしたときに助けてやる。その為の環境を整えてやれば、彼らはこちらに借りを感じてくれるだろう。

 帳簿に乗らない、金銭ではない貸し借りを計算に入れられない商人は、なかなか成功できないものだと、私は実感するようになった。

 

 実利とは、目に見えるものだけではないのだと理解する。そうして信頼を積み重ねることが、商売を続ける基礎となり、無業の資産になるのだと――代表職に就いてからは、痛感することがたびたびあったものだ。

 この辺りの機微を、ゼニアルゼ商人がわからないはずがない。だから、私は積極的に貸しを作る機会を逃したくなかった。貸しがあれば、私の意向に逆らい辛くなる。それくらいの計算は、私だって働かせるのだ。

 

「東方会社には実績があるのですな? そこまで深入りしても、非難されない土壌があるなら、なるほど。一考に値する提案ではあります。……当然、皇帝陛下のお墨付きなのでしょう?」

「宮廷工作はいまだ途中ですが、皇帝陛下の公認が来るかどうかは微妙なところですね。――最高でも、宰相殿の許可を得るあたりが限界でしょう。それでも十分だと私は理解しています。東方国家の法制度は、西方のそれと比べてまだ未熟。だからこそ、付け入る隙があるものと考えます」

 

 東方国家が、これまでまともな外交をしてこなかったこと。夷を以て夷を制す、という基本方針が根付いてしまったことから、異邦人の処分を異邦人に任せる形を確立することは、十分可能であると見込んでいた。

 宮廷工作も、そちらの観点から進めており、外交の認識がガバガバの今ならば、不平等条約に近い内容でも、鷹揚に受け入れてくれるのではないか。

 希望的観測と言えばそれまでだが、手ごたえはあると感じている。正式な許可が出なかったとしても、不文律として成立させることは不可能ではないはずだった。それくらいには、東方会社は東方社会に食い込みつつあるのだから――。

 

「これは、お互いの為の提案であることは確かですが、犯罪を助長させるつもりは欠片もありません。粗相で済む内容ならば、労を惜しまずに誤解を解きに行きましょう。しかし、行き過ぎた傷害や詐欺行為には、厳罰をもってあたること。……東方国家の住民への感情に配慮することも、商売を続けるためには大事なのだと、ご理解ください」

 

 例えば、殺人には死刑をもってあたる。窃盗には相場の倍以上の賠償をあてる。それくらいは当然のこととして、押していきたかった。

 大臣殿は幸い、真っ当な倫理観の持ち主であったから、この主張は受け入れてくれる。ただし、判断の基準については念を押すように確認してきた。

 

「ふむ。ふむ。もっともではありますが、そうなると東方会社の用意する裁判官――ではなく『大いに参考になる意見』を提供する人員、その素性についてもお聞きしたい。全員がクロノワーク人で占められていた場合、判決を信用するのが難しくなるかもしれません」

 

 揶揄するような言い方をしながらも、大臣殿は鋭く切り込んできた。そちらに恣意的な判決を押し付けられるのは御免被る、と。

 ――客観的には妥当であるとしても、当人の納得は別だ。だから、ここでこちらにも妥協を迫るポーズをとる必要があろう。

 お互いにそれはわかっていたから、あらかじめ考えていた通りの返答をした。

 

「もちろん、ゼニアルゼ人も相当数、関わらせるつもりです。ホーストやソクオチからも人員を調達して、一国におもねるようなことがないよう、これから環境を整えます。当座は東方会社の職員だけでやることになるますが、そちらの合意が得られるなら、すぐにでも再調整いたしましょう。ゼニアルゼの司法機関から、人員は出せますか?」

 

 さて、この策が西方人の利益を最優先するものであるのは確かであるが、東方国家にとっても益がある。

 東方国家はこれまで外交らしい外交を経験してこなかった。今回の件を前例として、西方との外交経験になる。さらに西方の法に触れることで、西方の価値観を実感として知ることも出来るだろう。

 結果として、どんな反応が返ってくるか。それ次第では、また改めて調整が必要になる。

 難しい案件なだけに、東方会社が主導権を握る形になるのは、仕方がないこととして――理解を示してほしいものだ。

 

「司法機関から東方への出向を求めるとなると、希望者を募るのに苦労しそうですな」

「なればこそ、早々にゼニアルゼの商工会は、東方会社との共同経営を承認すべきですね。身内同士であれば、資格などなくとも採用しようという気になるものですから」

「……返事は早いほうが良い、というのは心理であるにしても。クロノワークは、準備だけは本当によくよく整えておられる。柔軟性を維持したまま、高度な経営判断の余地も残しておく。言うほどに簡単なことではありませんから、モリー殿はやり手ですな」

 

 大臣殿の頭の中は、どれだけ多くのことで渦巻いているのだろう。あまりに多くの立場で物事を考えていないかな? 余計な案件を抱え過ぎてはいないかな?

 

 私は単純だよ。この時の為に覚悟を決めてきたんだよ。――だから、今だけは私に主導権を握らせてくれよ。

 

「大臣殿にお褒め頂けるとは、恐悦至極。なんといっても、こちらから提案したことですから。この場で返答を頂けるなら、明日にでも我が社の方に伝えて、対応することができます。……悩む時間がほしいなら、私が滞在している間なら待ちましょう。しかし、事案はそちらの意図を考慮せずに起きかねないのだという現実を、まずは見据えていただきたいと思います」

 

 恩情によって、善良なゼニアルゼ商人を懐柔するつもりであるのは確かだ。

 しかし、これは悪質なゼニアルゼ商人に対する牽制でもあり、無法に対する抑止の目論見もある。

 

 ――真面目な話、東方住民が激発する可能性は、つんでおくべき。だから、犯罪に対しては東方の住民がある程度納得する形で収めねばならない。

 現地の裁判を担当する官吏どもは、時として現地住民をないがしろにする判決を出すこともある。

 交易による恩恵を重視する場合、あるいはやらかした馬鹿が名士にだけは媚びを売っていた場合、判決が東方国民の感情をあおって、暴動に発展するかもしれないのだ。

 だからこそ、司法に東方会社が介入するのだし、東西融和の観点からも、ゼニアルゼ商人は我が社に取り込まれるべきだと思うのだ。

 

「私だけでは、判断できませぬ。商工会に持ち帰ってもよろしいですな?」

「ゼニアルゼ商工会は、会長の独裁で回っているわけではないのですね?」

 

 東方会社は、この三年の間に『私達の教育』が行き届いているから、私の決定はそのまま社の決定として通すことができる。

 だがゼニアルゼの商工会は、そうではないのか。合議制だとしたら、会長職の役回りのはどこにあるのか? 正直に答えてくれるとは思わないが、その点は追求したかった。

 ここまで押し込んで、判断の余地を奪ったのだ。もぎ取れるだけの情報は、もぎ取っておきたいと思う。

 

「独裁には、代償が伴うと言えば、おわかりでしょうか。……せっかく大金をもって会長職を確保して、ゼニアルゼ商人に手綱を付けようと思ったのに。それを投げ捨てる覚悟は、なかなか持てるものではありませんな」

「強行採決を行えば、他の幹部の支持を失って、会長職を辞することになる、と。逆を言えば、一度だけなら強引に意を通せるのだとも言えますが」

「ここで一度きりの鬼札を切るのは、時期尚早だと考えまする。モリー殿、どうかお手柔らかにお願いします。……時間を頂きたい。それだけで、おおよそは合意を得られると思うのです」

 

 時間。まさに時間こそ、金よりも貴重である。場合によっては、多くの人の命よりも優先されるそれを求める。

 ゼニアルゼの大臣殿が、今それを必要としていることを、私は重く見た。

 その上で、挑発することも躊躇わなかった。攻め時を見誤るほど、私は鈍っていなかったから。

 

「大臣殿。その合意とやらを得るまで、何年待てばよろしいか?」

「……一年ほどかと」

「一年の間、ゼニアルゼ商人の狼藉を我慢せよとおっしゃられる? ここで合意を得られないというのは、東方会社に一方的な我慢を強いることになるのですが」

「必ずしも狼藉を働くとは限りませぬ。商工会の方でも、厳重注意を呼びかけます」

「強制力を伴うものではないでしょう? ――すぐにでも商工会から公式の声明を出して、東方会社との合併と、ここで合意を得た司法関連の情報を通達すべきです。直接的に、即時に利害に関わると知れば、繊細なゼニアルゼ商人も理解を示さずにはおれないでしょう。それでもわからない馬鹿は、淘汰されるだけです」

 

 必要なだけ、こちらからの支援は惜しまない。それだけ言えば、大臣殿も決意を固めたようだった。

 

「私が会長職にとどまるための工作を手伝う。その確約を頂けるなら、手の及ぶ範囲で協力いたしましょう。この返答で、満足いただけませんか?」

「満足とは言えませんが、必要十分な返答はいただいたと考えます。……具体的な打ち合わせについては、後日と言うことでよろしいですね?」

「はい。……それでは、おおよそ合意することができます。シルビア妃殿下も、そういうことで構わないでしょうか?」

 

 大臣殿が、シルビア妃殿下に問いかける。鷹揚に頷いて見せることで、彼女は合意の姿勢を見せた。

 これで私の方も、なんとか会談をやり遂げたな――と安心したところで、妃殿下の方から不穏な話題を出してきた。

 

「話はおおよそまとまったかの? では、わらわから課題を出したいのじゃが、よいな?」

「……当初の目的に対して、大事な合意を得たところではありますが。シルビア妃殿下のご意見であれば、真摯に対応させていただきます」

「うむ、モリーよ。おぬしが東方会社を離れても、同じような方針をもって、経営を続けてもらえるかどうか。その保証が欲しいのじゃよ。おぬしが有能であればこそ、我らからこれだけの合意を取り付けた実績があればこそ、安心して東方会社を頼ることができる。――しかし、おぬしが本国に召還され、代表の立場から離れたとき。果たして後任は同じだけの実績を期待できるものか? わらわは、不安なのじゃよ」

 

 シルビア妃殿下の言葉に嘘はあるまいが、不安というほど不安はないだろう。妃殿下であれば、その時にはそれなりの対応ができるはずである。

 意図を探るためにも、私は率直に問いただすことにした。

 

「シルビア妃殿下が不安を口にされる。それだけの要素が、どこにあるのでしょうか?」

「おぬしが後任を選ぶことに失敗する。その可能性を否定することは出来まい? なればこそ、制度の方でお互いを縛るべきだと考える。どうじゃ?」

「……道理ですね」

「であろう? なら、わらわの提案にも同意してくれるはず。――将来的に、わらわの息子なり娘なりを養子として迎え入れる気はないか? そして、その子に代表の地位を引き継がせる。無理そうなら、何かしらの権限ある重役でも構わぬが、とにかくおぬしの方針を確実に次代に残してもらいたいのよ。……第一王子は跡継ぎにするゆえ、予備をそちらにやろうという話じゃが、どうかな?」

 

 予備、予備ときたか。どうにも不穏な気配を感じるので、短絡的にお断り申し上げたくなるが、単純に拒否して済む話とも思えぬ。

 シルビア妃殿下は、思い付きで提案しているのではないだろう。彼女なりの思惑があり、前々から仕込んでいた謀略を、ここで表に出してきたとも取れる。

 

 前向きに考えるなら、妃殿下の支持を確定的に出来る一手ではある。あるいは、時計の針をより早く勧められる鬼手ではあるのだが。

 ……しかし、ゼニアルゼの王族を私の家に入れるというのは、どうにも現実感のない話に聞こえた。

 

「どうかと言われましても、即答できる話ではございません。それこそ、私個人の問題ではなくなりますので――」

「返答をここでもらおうとは思わぬ。持ち帰って検討するがよい。それこそ、母上も交えてな」

 

 私の家の問題が、王妃様を巻き込む事態へとなり得るのか。そこまで思考を回す気には、どうしてもなれなかった。

 本当の意味で精神的に疲弊していたのは、どちらなのか。私には、もう判断がつかなかったのです――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーが会談とその後の共同声明について、調整を重ねている時。ミンロンとクミンは、改めて会合の場を設けていた。

 席を用意したのはクミンの方であり、自身の部下が差配する高級料亭で、特別な一室を借りて行われている。

 

「外交は面倒が多いと聞きますし、相手はかの高名なるシルビア妃殿下。今頃は、モリーさんもあっちで頭を抱えているんでしょうね」

「さて。案外図太く、上手くやっているかもしれませんよ?」

「……ミンロンは楽観的ですね。あの人は上手くやるでしょうけれど、周囲のしがらみを無視して、一人で利益を貪れる人ではありません。色々な調整に悩まされて疲弊していても、おかしくないと思いますね」

「クミン殿の意見ごもっとも。――東方は実り多くも厄介な土地ですが、西方は政治的にも商業的にも複雑で、ひたすら面倒な土地です。そこでの利害調整は、東方での宮廷よりも難しいのかもしれませんな」

 

 話し合いと言う意味では、モリーらと変わらないとも解釈できるものの――。その内容はと言えば、辺境の一家が外交を取り仕切る結果になっている現実について、お互いに憂慮し合うものになっていた。

 

「まあ、そんな愚痴はいいでしょう。クミン殿、改めて確認いたしますが、これは……?」

「貴女が抱えている職人と、知識人たちとの人脈。それを用いて、ゼニアルゼ商人を誑し込む準備をしてほしいのです。――東方会社の帳簿には乗らないお金ですから、気にしなくていいですよ」

 

 そう言って、クミンはあらかじめ用意していた銀塊を見せた。足がつかない手段で調達し、換金したものであり、これを運搬するのも、彼女の勢力圏で行われる。

 ミンロンが頷いて受け取る意思を見せれば、この銀塊は問題なく彼女の資産として扱われるだろう。

 

「誑し込む、といいますと?」

「ゼニアルゼ商人がどんな形でやってくるにしても、こちらで掌握している人材とは無関係ではいられないでしょう。――東方会社の資産に唾を付けてくる可能性は、排除できません。有能な商人や権力者は、自前で全てを揃えたがるもの。だからこそ会社との関係は別にして、個人的なつながりを持とうとするのは、不思議な話ではないでしょう? そこを突きます」

 

 ゼニアルゼ商人が、引き抜きや離間工作をやらかしてきた場合に備えて、クミンは自身の裁量で対策することを許されていた。

 モリー自身も、目についたところは対処するつもりではあったが、クミンの視野の広さと風俗業という特殊な役割を買って、いち早い対応を任せていたのである。

 

 寝屋にいる時、男の口は軽くなる。仕事熱心な男なら、寝所に書類を持ち込むこともあるだろう。クミンは、そうした男の隙を素早く突ける人種でもあった。もちろん、彼女の部下も。

 

「私らは私らで動きますが、ミンロンの方も力を貸してほしいのですね。お金さえあれば、貴女はいい感じに西方商人を惑わす手管を惜しまない。それくらいには、信頼しているんですからね?」

「それはどうも、思いがけぬ評価を頂けているようで、恐縮です。……だから、こちらから攻めに行くわけですか。この資金で人材をつなぎ止めつつ、ゼニアルゼから情報を抜き続けるのが目的だと?」

「それだけではなく、あちらからの誘いをソデにすることで、東方社会の難しさを演出する。ゼニアルゼ商人がヘッドハンティングなり買収なりを仕掛けてきたら、長期戦に持ち込んで、泥沼に引きずり込んでやる。それくらいの働きは、期待したいですね」

 

 ミンロンには、クミンの意図するところがわからなかった。いや、クミンと意図とは、すなわちモリーの意図と言っても良いであろう。

 この行為によって、東方会社が何を得るのか。東方商人の視点からでは、なかなか結論を出すのが難しい。

 

「……不可解ですか? そうでしょうとも。これはいわば、遅効性の毒をばらまくようなもので、臨んだだけの成果が出るかどうかすら不明瞭で、非効率だ。ミンロンが戸惑うのも道理ですが、ぱっと見で非効率であればこそ、有能な方々の意表を突けるのですよ」

「なんとなく思いつくところでは、ゼニアルゼ商人に労力を割かせ、他へのリソースを削る。政治的商業的にゼニアルゼ商人に主導権を与えない、停滞させて時間を稼ぐ――くらいの狙いは理解できますが」

「それだけでは百点満点中、五十点がせいぜいですね。今少し、視野を広く持つように。――私も強制的に視野を広げられた経験があるので、私はまだ優しい方ですよ。うちの幹部教育は、それだけ厳しかったので、ミンロンには多少手心を加えてあげたいと思うんです」

 

 クミンはのらりくらりと明言を避けた。ミンロンの答えに採点しつつも、答えをすぐに言わない。

 焦らす態度に不快感を覚えつつも、彼女は急がなかった。クミンを楽しませてやりたくなかったという、それだけの意地で耐えたのだ。

 

「すみません。モリーさんの妻なんて肩書は、結構重いんです。ちょっとした楽しみに浸るくらいは、当然の権利だと思ってますんで」

「家庭問題を外に持ち出してほしくないんですがそれは」

「マウントを取る相手はわきまえますよ。――ああ、貴女を舐めているわけではなく、これくらいのユーモアは笑って流してくれるだろうと、評価しているからですよ? 商売人にとって、これくらいはサービスの内ですよね。対価があれば、なおさらというものでしょう?」

 

 そう言って、クミンは追加で小切手を渡してきた。

 こちらは、ゼニアルゼの銀行ならどこでも現金化できるもので――ミンロンにとっては小遣い程度ではあったが、彼女にとっては軽くない金額でもあった。

 

「些細な金額ですが、こちらは私個人が身銭を切ったものです。工作費としてではなく、そちらのポケットにどうぞ」

「迷惑料というやつですか? 別段、私はクミン殿に含むところはありませんが」

「ここで長話をするお代だと思ってくださいな。お金を使った方が、私としても遠慮せずに話しやすくなりますし、途中退席もしにくくなるでしょう? ――こういうのは、お嫌ですか」

 

 クミンは、ひどく冷たい声でそう言った。おぞけを振るうような感覚が、彼女を襲う。

 ……しばしの躊躇の後、ミンロンはため息をついて、差し出された小切手を懐にしまう。こんな陳腐なやり取りに金銭を伴わせるほど、クミンの環境はすさんでいるのか。

 才に見合う地位に付くのも、楽ではない。それが察せられるから、彼女もこのやり取りを受け入れることができたのである。

 

「いいえ、誠意として受け取りましょう。……ついでに、残り五十点の内訳について、教えてください」

「そんなことでよろしければ、喜んで。――商工会へは単純な時間稼ぎ、って意味では解釈通りなのですが、シルビア妃殿下対策が抜けています。……あの人がまず東方に介入するとしたら、ゼニアルゼ商人を通して行うでしょう? そこで出鼻をくじいてやれば、穏健策を取りやすくなる。いや、今でも穏健にモリーさんを取り込みにかかっているかもしれませんが、他の選択肢を削ってやる一助にはなるでしょう。ミンロンが動いてくれたら、私も援護がやり易くなるし、モリーさんはモリーさんで適当にやってくれる。結果として、私は最高の仕事をしたことになるわけです」

 

 私は本当に献身的な妻ですね――などと、クミンは陶酔するような、熱っぽい表情で言った。

 有能で結果を出すことが見えるだけに、返ってミンロンには気持ち悪く映ったものの、その意図は瞠目に値する。

 

 シルビア妃殿下対策と言うことは、ゼニアルゼ商人に時間的経済的浪費を続けさせるだけでは足りない。クミンから最初に提示された資金は、それだけのことに用いるには、明らかに過剰であったから、それ以上の仕事を求めているのは明らかだった。

 

 ……穏健策を強いるということは、強硬策を封じるということ。すでにモリーが対策を打っていることは想像できるが、ミンロンが自分の立場で出来ることは何か。思いつくことは、いくつかある。

 ここからは、自発的に動いていくことが求められよう。受け取った金額にふさわしい仕事をせねばなるまいと、彼女は覚悟を決めた。

 明確に命令口調で指示しないのは、こちらを対等の相手とみなしてくれているからだと、ミンロンは解釈する。その上で、確認しておきたいことが一つあった。

 

「……ここだけの話ですが。妃殿下は、本気でモリー殿に養子を入れてくると思いますか?」

「おや、そちらにも情報が行ってるのでしょうか。それとも純粋な予想でしょうか。私だって、幹部権限で知らされたモノですから、部外者に情報がわたるはずがないのですが。……いずれにしても、貴女が有能である事実を証明している。モリーさんの同志が真っ当に使える人材であることを、喜ばしく思いますよ」

「明言は避けますが、とにかく。――本気であると認識して、よろしいのですね?」

「本気だから、私も私なりに動いているのですよ。妃殿下の御考えはさておき、王家直系の養子がモリーさんの利益になるのは、間違いないのですから。……しかし、ここで養子を選択してくるあたり、思うところがありそうですね。育児に苦労しているとは聞きますが、さて実情はどうなのでしょう? ――モリーさんに干渉してくるあたり、何かしらの保険を欲したのかもしれません」

 

 まあアレですね、子育ては大変だから仕方ないですね、とクミンは言った。特に、これからは東方との付き合い方と、西方各国との調整が問題になる。

 外交は極論すれば近所づきあいそのものであり、近所づきあいをうまくやるなら協調性、交渉力と言った対人能力が必要になる。

 コミュニケーション能力を養うには、幼少からの教育が重要だ。シルビア妃殿下が満足する水準に鍛えたいなら、直接本人が監督するのが一番である。そして、手を抜いた教育でやっていけるほど、次世代はたやすい時代にはなるまい。

 

「モリーさんが時代を作った、だなんて大げさなことは言いませんが。――少なくとも、時代を加速させるだけの働きをしたのは事実でしょう。おかげで、色々な人やモノが次世代へ流れ込んでいる。ある種、混沌とした時代がやってくることでしょう。その中で一定の秩序を構築しようとしているのがシルビア妃殿下であり、またモリーの画策する所なんでしょうね」

「モリー殿が全ての起点になっている。クミン殿も、そこは同感なのですね?」

「今さらですよ、それは。――大事なのは、結果としてあらゆる人々が交易を通じて政治的、文化的、あるいは経済的につながりを深めているということ。多くの意味で能力が試される時代が、すぐそばに来ているということです。おかげで、シルビア妃殿下も育児を適当に済ませることができなくなった。自身の遺産を台無しにされてはたまらないから、教育にも熱心になろうというものです」

 

 クミンはモリーを理解している。そして、おそらくはシルビア妃殿下についても。

 近しい所で働いていたから、なんとなく勘所もつかめているのだろう。ここまで把握しているなら、何かしらの工作を仕掛けられても、対応は難しくあるまい。

 まさに彼女の存在があればこそ、モリーは安心して謀略の対策を打てるのだと、ミンロンも理解し始めていた。

 

「いやはや、天才様は大変ですね。自分なら簡単に出来ることでも、子が同じようにこなせるとは限らない。あれこれと気を回して、任せられるところは臣下に任せたとしても、やはり不安は残るもの。……シルビア妃殿下と言う大器でさえ、重要なこの一時期は、鈍らざるを得ない。それを自覚すればこそ、厄介事は穏便に済ませたく思うのですね」

「そこでモリー殿の家に養子を入れて、内に取り込むことを考えるわけですか。いささか極端にも感じますが、いいんでしょうかね?」

「他人がどう評価しようと、妃殿下は止まりませんし、私も今の流れは望ましいと思います。……もとはクロノワークの、一介の騎士の家系に過ぎなかった。それが今では東方会社の代表にまでなって、各国の王族から注目される存在にまでなっているとは、痛快なことではないですか! ――そもそもの話をするなら、モリーさんの家が存在するからこそ、東方交易が上手に回っているんですからね? ……だったら、シルビア妃殿下だってある程度の配慮はしますよ。養子を送り込む価値を見出しても、そこまで可笑しな話ではないでしょうし、何より。――改めて強調しますが、この話はモリーさんにとって、大きな価値を持つはずなんです」

 

 モリー自身の能力はもちろんだが、クミン、メイル、クッコ・ローセ。いずれも劣らぬ才覚の持ち主である。

 力を発揮する分野が別々であるという違いはあるが、なればこそ幅広い分野で一家が活躍できるとも言えるし、柔軟性のある行動を許されているわけだ。

 もっとも、当主であるモリーがそれを正しく認識できているかどうかは、怪しいものだとクミンは見ている。部外者に対しては、なおさら評価は辛くなった。

 

「我が家を抜きにして、東方会社とか東方交易そのものがうまくいくと考えるなら、好きにすればいいんです。――モリーさんの存在の大きさを理解するのは、ゼニアルゼの馬鹿どもがやらかした後でもいい。大きな変事があったとしても、私達なら逆用して優位に立ち回れる。最近、私はそんな風にも思うのですね」

「おやおや、それは。……組織の意向とは、また違った感性の発露に聞こえますが」

「天使と小悪魔の真偽の愛。大きな組織ですし、個人的に恩讐もあります。抜けたいとまでは思いませんが、すでに西方と東方で、別の組織になりつつあるわけでして。利用し合うには一定の距離を置く方が良いのでしょう。――シルビア妃殿下も、今の私の立ち位置をベストであると判断するはずですよ。だから、こうして仕事ができるのですから」

 

 そうして、クミンは一通の書簡をミンロンに差し出した。

 

「ちょうど、本日届いたものです。シルビア妃殿下から、貴女に」

「最近お忙しいらしく、ご機嫌伺いにも行けていませんが……さて、どんな用件でしょうかね。……この場で、改めても?」

「どうぞ。ああ、私も内容は教えてもらってるんで、モリーさんが帰ってきたら報告しなきゃですね」

「なるほど? 容易ならざる案件である、と。なんだか、かえって緊張します」

 

 ミンロンは慎重に書簡を開いて、中身を確認する。一見した時も驚いた様子だったが、読み進めている間に、表情がみるみると変わっていった。

 

「ゼニアルゼにおける、公式補給商の証明証書……? しかも、これは商人自身の名前の部分が空白になっているということは、その――」

「貴女自身がゼニアルゼの公式補給商を務めるもよし、貴女が紹介した相手に推すもよし。そこは、ミンロンの判断に任せますよ」

 

 何とも言い難い、快も不快も入り混じったような、複雑な顔になって思考することしばし。

 それから頭を振って、色々なものを割り切った風に、彼女は言った。

 

「……私にそこまでの暇がないことは、お判りでしょうに。紹介する相手にしても、ゼニアルゼで商売をさせる以上、それなりの手管と信用を持つ人でないと……ああ、いや、当てはあるのですが――。これは、私の知己なり一族なりをゼニアルゼに人質に出すようなものでしょう」

「ものは考えようですよ。シルビア妃殿下は、貴女がゼニアルゼでの影響力を強めること。あるいは依存することをお望みです。――これを奇貨として、西方と東方の融和活動に利用することも、貴女ならばできるのでは?」

 

 そして、クミンはミンロンを通じて、シルビア妃殿下の確度の高い情報を収集することができる。

 かのお方は、身内に対しても用心深い。ある人に見せた一面を、ある人には見せず、まったく別の意見をほのめかしたりする。

 組織と、ミンロン。そしてモリー自身から得た情報を総合すれば、シルビア妃殿下に対して、多角的な視点からその思考を分析することができるだろう。

 クミンは、自分にならそれが出来ると思っている。だからこそ、ミンロンには更なる飛躍を期待したくなるのだった。

 

「出来ることと、やりたいこととは、往々にして別物なのですがね。……まあ、面白くはなりそうです。西方で最も活躍する東方商人になることも、一族内でもっとも強い存在になることも、私の夢でありましたから。モリー殿の事業に便乗して、個人的な夢を果たすのも、また一興でしょうか。――すると、打てそうな手はいくつもある。楽しいことになりそうですね」

 

 ミンロンは野望をあえて口にして見せることで、自分には十分な動機があることを、クミンに伝えた。

 自分に信用がないとは思わないが、何も言わずとも信頼されるような関係でもないと、わきまえている。リップサービスくらいは、惜しむようなものではない。

 モリーの存在が全てのカギとなるであろう。――となると、また別の疑問がわいた。クミンならば答えられるだろうとか思い、ミンロンは素直に聞いてみる。

 

「本当のところ、シルビア妃殿下は、モリー殿をどう評価しているんですかね? 単純な奸物とか、障害とか、そんなネガティブな印象は持っていないように思っていたのですが」

「実際、利用価値の大きな相手だとは思っていますよ。――それ以上に、理解者と言うか、ある意味では最大の敵手たり得るとも評価しているらしいですが」

「そこまでクミン殿に明言しているなら、これはもう本気と取るべきですね。……そこまでモリー殿の価値が大きいなら、多少強引にでも取り込んだほうが良いのでしょう。私たちはなんとなく納得できますが、さて。ゼニアルゼやクロノワークの人々は、この件をどう理解するでしょうか」

 

 王家から一騎士への養子縁組。どんな背後関係があれば、そんなものが成立するのか。

 あからさまな取り込み策であるがゆえに、周囲からの理解は難しくなる。モリーを評価している者たちは納得するかもしれないが、それ以外の者にとっては強い嫉視の対象となりかねない。

 

「楽観的に考えるなら、シルビア妃殿下は悪名も大きいですから。かえって同情されるかもしれませんよ?」

「本当に、希望的観測ですね。苦労するのはモリー殿ですから、私達は察することくらいしかできませんが」

「モリーさんだって、覚悟の上でしょう。――帰ってきたら、どんな報告を持ってくるやら。お互い、語り合うべきことは多そうです」

「まこと、クミン殿と同感です。……東方の宮廷は、こちらの都合なんて、想像もしていないでしょう。ガバガバな国家運営とお気楽な廷臣どもが、今はうらやましいですよ」

 

 ミンロンとクミンが、お互いに苦労を分かち合う。情報を交換することで、見えてくるものがある。だが、ぼんやりと見える未来像に対して、何とも言い難い感情を抱いてしまったのも、また事実であった。

 

「そう言えば、『顔役殿』とのつながりは、ミンロンも持っていましたっけ?」

「顔役……ああ、あの女性だてらに宮廷に出入りしている、例のあの人のことですか。知ってはいますが、私に伝手はありませんね」

「では、そちらも紹介しましょう。私達だけが苦労を背負い込むのは、不公平ですから」

 

 西方と東方で、苦労の理解もまた違うものになりそうではあるが。

 モリーとのつながりを持っている以上、顔役殿も巻き込まれることは想定済みであるはず。

 宰相をはじめとする宮廷勢力としても、東方会社とモリー個人の価値を改めて測り直す必要があろう。

 三年の月日と今後の業績を思えば、それは決して的外れな見解ではないと、二人は考えていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シルビア妃殿下と大臣殿との会談を終えてからは、共同声明のための打ち合わせを行いつつ、商工会会長への工作も片手間にやっておきました。

 こういうのは、私が手伝った、っていう実績さえあればいいんだから、適当にやるだけで良かったんですね。彼の後ろに私がいるってだけで、結構捗るんだそうな。

 体よく利用された感もあるけれど、一日二日で終わるくらいの仕事で済んだから、文句は言うまい。――ともあれ、後は大臣殿の手腕でどうにかしてくださいな。

 

 肝心の共同声明については、私が帰国した後、王妃様の最終調整を経て再度シルビア妃殿下の元に送られ、異論がなければそのまま発表という流れになる。

 だいたいは、あの時に話し合った内容を書面に起こしたものだから、私が改めて付け加えるようなことはない。

 東方会社とゼニアルゼの関係は、これからゆっくりと、経過を見ていかねばならないことだ。長丁場になるのは明らかだから、今から焦るようなことではなかろう。

 

 ……残る問題はと言えば、妃殿下が私に養子の話を持ち出したことか。

 あの方の性格をかんがみるに、戯れに話題にしてみた、くらいの感覚で口にした――とは思われぬ。そうした楽観と現実逃避は、未来の私を追い詰める。

 

 とはいえ、懸念するほど大きな話にはならないかもしれない。妃殿下の実子ではなく、経歴をロンダリングした子供を教育し、ゼニアルゼ王の養子として登録する。それから、私の家に送り出すという手だって考えられよう。

 妃殿下だって、これから何人も産めるという保証はない。子供は授かりものだから、思い通りに行くと思う方が間違っている。

 しかし万が一、億が一。シルビア妃殿下が本気で私に実子をよこしたとしたら、どうなるか。帰国までの数日は、そればかり考えてしまっていた。

 

 馬車に揺られながら報告書を書き、仕上げたそれを王城に届けてもらって、帰宅の途につく。クロノワークでの住居は、人を入れて整えてもらっているから、帰って寝る位なら支障はあるまい。

 あれこれ思い悩むことは多いが、ようやく休めると思えば、なんとなく気が楽になる。妻たちはドヴールに留まっているから、一人寝することになるが、それが苦になる性質でもなかった。

 

 ……あちらで彼女らと顔を合わせたら、また新たな問題が出てきたりするかもしれないけど、それは仕方ないことと思い切ろう。

 クミンが影で色々と気を回しているのは想像がついているし、メイルやクッコ・ローセはあれで聡い。

 ザラについては言わずもがな、だ。仕事を押し付けて悪いことをしたなぁと思いつつ。家の玄関にあがると、思わぬ歓迎を受けた。それこそ一時、思考が止まるほどに。

 

「……王妃様」

「おう、先に上がっとるぞ。シルビアとの会談やら共同声明の詳細やらは、後で確認するゆえ、今は気にせんでいい」

 

 護衛隊に囲まれた王妃様に、自宅で歓迎されるとは思わなかった。いや、それはいい。納得は難しいが、王族の気まぐれに振り回されるのも騎士の定めと言う者であろう。

 

「なんだか久しぶりだな、モリー先生。いや、こんな呼び方をするのも、今は不適切だったか。……何はともあれ、ご苦労だったな」

「忙しくしているってのは知ってるから、私達の方から来ちゃった。家の掃除と軽食の用意はしてあるから、許してくれるわよね?」

「オサナ王子と、エメラ王女。――お二人の出迎えまで受けられるとは、なんだかすごい要人になったように錯覚してしまいますよ。……お元気そうで、なによりです」

 

 ついでに意外な珍客も二人、私を迎えてくれた。オサナ王子と、エメラ王女である。

 

「意図をお聞きしてもよろしいですね? 王妃様」

「単なる顔合わせじゃ。……そう動揺するなよ。余裕のなさは、窮地の表れでもある。わらわのような賢しい王族に、そんな弱みを見せるでない。思わず利用したくなってしまうではないか」

 

 王妃様は、そう言って意地の悪い笑顔で答えた。その態度を見て何かしら思うところもあったのか、エメラ王女も会話に加わる。

 

「お母さまは難しい話をしたいのよね? わからないかもしれないけど、聞いてても良い?」

「よいよい、エメラも今後の為に、聞くだけ聞いておけ。――わからずともよい。モリーはこれで面白い奴ゆえな、わらわがどんな難題を持ち出しても、きっと上手にさばいてくれよう。……そう思うよな? オサナ王子」

「わざわざ僕に聞かれても困る。今度は、どんな用件で振り回してくれるんだ? ……巻き込まれたモリーが、気の毒だよ」

 

 オサナ王子は心からのいたわりを込めて、そういってくれた。その気持ちだけで十分ですとも、ええ。

 

「王妃様。要件があるなら、もったいぶらずにお願いします。お二方の教育を思うのなら、無駄な時間を過ごしている暇などありますまい」

「うーむ、本当に余裕がなさそうじゃな。シルビアはどんな難題をおぬしに押し付けたのか。……いや、よい。要件をまずは述べよう」

 

 果たして、王妃様はどんな用件で私を迎えてくれたのか。こんな手間をかける位だから、容易ならざる話になるだろうと、身構える。

 

「単刀直入に言おう。――おぬしの東方会社の代表職は、期限を切る。明確な時期を指定できる段階ではないが、数年程度を目途にするがいい。とにかく、いつまでも東方にいられるとは考えるなよ」

「もとより、一生経営を続けていけるとは思っておりません。それは、わかっていたことです」

「今更の話よな、うむ。しかし改めて言わねばならぬと思っていた。なぜか、というならば……こやつらの面倒を見てもらいたいから、というのは予想できた話であろう?」

「予想だけならば。――いえ、そうなることもありえるだろうと、理解はしていました。そうなるとしても、まだまだ先の話になるだろうと、あえて考えていなかった部分はございます」

 

 お二方を連れてきた時点で、何の話かは予想がついていた。それでも曖昧な言葉で逃げたのは、今はもっと大事な仕事があって、そちらに集中したかったからである。

 

「今言わねば、ずっと東方にいるつもりで仕事をするような気がしたのでな。やや強引な形を取らせてもらった。……シルビアとの話し合いは、白熱したのではないか? 結構な時間が掛かったそうではないか」

「出立と帰国の予定は、事前に提出済みです。そのまま終わったのですから、予定通りと言って間違いないと思いますが」

「それはわかっておる。――問題はそこではなく、おぬしがシルビアと真っ向から張り合えたという事実にこそある。おぬしほどタフな外交官は、クロノワークにはおらんよ。だいたい期限を引き延ばされたり、うやむやになった案件の調整で、延長を食らう場合が大半を占める。……おぬしのように、あの子の前で物怖じせずに物事を通せる人物と言うのは、それだけでも貴重なのじゃ。そうした人材のない他国は、おおよそうまい具合に転がされておるのでな」

 

 王妃様はやや遠い目で、ため息をつきながらも話を続ける。

 

「あやつは今、西方支配を着実に進めておる。近隣諸国はあれが作成した平和条約に調印し、長期的な平和の時代が生まれつつあるが――。その背後では、諸国への経済的支配を進めておる。……この場で具体的には言えぬが、いずれはゼニアルゼが西方の覇者となる日も来るかもしれん」

「それでもクロノワークにとっては、悪い世にはならないでしょう。平和な時代であればこそ、殖産に励む意味があると考えます」

「それはそうであろう。同盟を結び、婚姻関係にあるゼニアルゼの繁栄は、すなわちクロノワークの安泰にもつながる。かの国からの資金援助は、もはや我が国にはなくてはならないものになっておるからな。……しかし、全てがあの子の手の内、というのも面白くないではないか。それゆえ、色々なことを急がせることにした。オサナ王子とエメラの婚約も、その一環である」

 

 二人の婚約に関しては、今初めて知った。それを正式に告知することの意味も、同時に理解する。

 

「婚約の発表は、すぐにでもなされるのですか?」

「おぬしの後見の確約をもらえたなら、すぐにでもしてやろうさ。そうでなくては、危うすぎて躊躇うな。……現職の東方会社代表が後ろ盾になる。職を辞した後は直接守り役に収まると発表できたなら、政治的には完璧じゃとわらわは思うのよ」

 

 王妃様も人が悪い。肩書だけで人々は判断しない。実績と能力をかんがみて、私が二人の後見に収まることの大きさを、正しく彼女は理解しているのだろう。

 今になって思えば、確かに私は要人になりすぎたと実感する。

 

「一段落すれば、引継ぎをして後任に任せようかと思っていますが、何年後になるかはまだ明言できません。それは、王妃様もおわかりでしょう」

「二人の結婚を遅らせたくないなら、できれば五年以内に。遅くとも八年経つまでには、どうにかせよ。エメラを行かず後家と呼ばせたくないなら、それくらいの忠義心は示して見せるがいい」

「シルビア妃殿下の例を思えば、その表現はいささか不適切かと考えますが」

「あの子の件を思えばこそ、例に習うようなことはしたくない。その親心について、慮ってはくれぬか」

「……はい。そこまで言われるならば、臣下としては異論を唱えられません。五年以内に、どうにか目途をつけたいと思います」

 

 それだけの短期間で切り上げねばならぬとすれば、やはり養子の件が現実味を帯びてくる。

 シルビア妃殿下から養子を受け入れ、それを東西融和事業に突っ込むことができれば、両国の外交において、大きな役割を担わせることができるだろう。

 東方会社との影響力を保ち続けるためにも、これは具合のいい話になる。前代表の養子であり、ゼニアルゼ王家の人間を、東方会社はおろそかにできない。

 冷遇すれば、色々な方面からひんしゅくを買いかねないと思えば、扱いも丁重になるだろう。必然的に、会社の方針そのものに影響し、結果として東方社会への配慮を施すことになる。

 見込める成果だけを考えるなら、私が拒む理由はなくなると見える。せっかく目の前に王妃様がいるのだから、相談しない手はないと思った。

 

「そこで、問題が一つございます。シルビア妃殿下から、養子の話を出されました。第二子か、第三子あたりを、私の家に入れたい様子にございまして」

 

 ほう、と王妃様は感嘆の声を上げた。意外というよりは、その行動の早さに感心した様子である。

 

「シルビアが、そこまで露骨な手を使ってきたか。商売の方がうまくいっているせいで、気が大きくなっておるのかもしれん。……諸国からの富の吸い上げは、順調であると聞いたが、そこらへんはどうなのじゃ?」

「大規模農場からの換金作物の仕入れは、近年増加の傾向にあります。労働力と燃料の問題は、東方会社の支援もあって解決しましたから、当然の結果と言えばそれまでですね。……上手くいきすぎて、労働力をぞんざいに扱い始めたら、また別の懸念も出てくるのですが――」

「まだシルビアが問題視するほどのことではない、か。その余裕ゆえ、手近なところから策謀を練りたくなったと見える。……しかし、あの子は何人産むつもりなのじゃ? その調子で消費していれば、キリがあるまいに。――まあ、それはよい。大事なのは、あの子が本気であることよ」

「……冗談で終わらせるような人ではないと思っていましたが、本気で捻じ込んでくるでしょうか」

「おぬしは東方会社の代表であるし、退陣後も顧問としての地位は保持する可能性がある。なにより帰国して昇進すれば、おぬしの家は価値が出てくるからな。この二人の守り役ともなれば、ソクオチの宰相も狙えるじゃろう。……媚びを売りたい輩は、いくらでも現れるであろうよ」

 

 王妃様は、エメラ王女とオサナ王子に視線を向けながら、そう言った。

 二人は大人しく話を聞いている。口を出せるほど、情勢に精通していないこともあるが、下手な言葉が挟める雰囲気ではないと、察しているのだろう。

 いまだ、子供のままであることを許されている。そんな彼と彼女を尻目に、王妃様はさらに言葉を続けた。

 

「我が国も、東方会社を介して、色々と儲けさせてもらった。ソクオチもその恩恵を間接的に受けておるし、いまやおぬしを軽く見るものなど、西方には存在せぬ。ゼニアルゼとしては、取り込めるものなら取り込みたいであろうよ。……あの子が欲しがっているとしたら、そんな俗な理由からではないじゃろうが」

「名家でもない、たかが一騎士の家に、ゼニアルゼ王族の子を入れるほどの理由がありますか? むしろ反発の方が大きいのでは?」

「なくはないじゃろうが、忘れたか? ゼニアルゼは商業的に必要であれば、手段を選ばぬ国である。武力ではなく謀略でどうにかなる範囲であれば、相当のことを許容するであろう。……充分現実味のある話であるとわらわは思うぞ」

 

 王妃様は、驚くことなく冷静に話を受け止めてくれた。ありがたいことではあるが、静かな語り口が、かえって恐ろしい。

 なんか他国のお家騒動に巻き込まれそうな気がして、どうにも落ち着かなかった。

 

「しかし、私の家の価値……ですか? シルビア妃殿下にとって、私の家がどのように魅力的に見えたのでしょう。私個人の影響力を頼らねばならぬほど、弱い方ではありません。東西融和については、本気で考える方でもないはず。お二方の後見をやることだって、私一代で終わること。……自ら養子をねじ込んで、受け継がせたいと思えるものが、そんなにあるものでしょうか?」

「ないのにやっているとしたら、シルビアの目も曇ったと言えような。――で、お前の目から見て、あの子は曇っていたのか?」

「……微妙なところです。私にはわからない部分に気を取られている風でもありました。しかし、大臣殿に大事な部分を委任するだけの思慮はある。……他人に頼ることを覚え始めたと思えば、そこまで可笑しい気はしませんね」

「それが答えよ。――あの子なりに苦悩しつつ、現状を乗り越えて、より良き未来に臨んでおる。おぬしに対して養子をねじ込んでくるのは、その一環と言ったところか」

 

 よくよく考えれば、おぬしとてすぐに感づいたことであると、王妃様は言った。

 そう言われても、我が家を乗っ取ったところで得られるのは東方会社と、東方国家における人脈くらいのものではあるが――。

 いや、これからはそれが重要になるのか。商業的にも、軍事的にも、東方は魅力的な土地に見えるのだろう。

 

 簡単に殴り倒せるほど小さな存在ではない。むしろ、大きく鈍重であるからこそ、戦って勝ち取るのは面倒な土地柄である。

 美味しい所だけ、かすめ取るのが賢い選択だ。そして、どこが一番うまいのか。それは私が把握している所でもある。

 東方会社代表として、あるいは皇帝陛下の臣下として、三年も月日を重ねれば、おおよその部分はわかってしまうものだ。

 

「大事な情報は、身内にだって漏らすつもりはありませんが……」

「近しい所で落穂拾いを続けていれば、いずれは信頼性のある情報を選別できるようになる。――西方にとって、東方との関係は難しい。今は平和的な関係が継続できよう。しかし、五十年後はわからぬ。シルビアの孫の代、我らが死に絶えた時代に、果たして西方は東方への興味を、正しく持ち続けていられるものか? ……むしろ、収奪すべき対象に変化している可能性が、大きいのではないかな」

 

 それを防ぐために私は尽力しているのだが、シルビア妃殿下がこれに理解をしめしてくれるかどうかは別問題だった。

 長期的には損になると言っても、据え膳を放置するような人でもなければ、敗者を慮るような人でもないと私は知っている。収奪されるような隙を見せた方が悪いと、開き直るのがあの人だ。

 

「収奪にも作法があり、侵攻するなら名目が必要になる。都合のいい状況を作るためにも、我が家にゼニアルゼ王家のモノがいることが、大きな意味を持つようになるわけですか」

「うむ。――政治的な意味でも、東方は鈍感に過ぎる。外交を理解しておらず、他国は見下すもの。施しを与えるもの、という認識のままでは、どうしてもな。……もっとも、今はおぬしがいるゆえ、経過を見ていく必要はある。東方の脅威が現実的で、殴るより真っ当に付き合い続けた方が利益になるなら、シルビアとて孫世代に無茶ぶりは要求するまい。そして、その判断基準の情報は、詳細で豊富であればあるほど良い」

「その手の話が一番集まり、信用できる情報源を持っているのは、なるほど。――現状、シルビア妃殿下の手の届く範囲では、私くらいしかいませんね」

 

 未来の軍事的、あるいは商業的侵略に備えて、私の家を監視する。そのためならば、自身の血を分けた子を与えても惜しくはない――と。確かにあの方ならば、判断しても可笑しくはない。

 付け加えるなら、私にはまだ見えていない部分で、他にも理由があるのだろう。王妃様がここまで滑らかに話を進めてくれたのだから、私としても納得するほかはなかった。

 ……それでも、果断すぎやしないか、と言いたくはなるが。

 

「では、拒否すべきなのでしょうか。選択権が私にある以上、それも手ですが」

「おぬし向きの答えではないな。そうすると、シルビアの行動が読みにくくなる。……確度の低い情報に踊らされる子ではないが、老いて目が曇ればそれもわからぬ。あちらがこちらを監視するように、おぬしもまたシルビアの方を見定めよ。その方が、お互いの為であろうさ」

 

 王妃様は、なんとなく養子の話に賛成しているように見えた。

 いや、事実として、その気でもあるのだろう。強く押して反感を買うのも損だと思っているから、私を尊重した態度を取ってくれている。それがわかるから、こちらも態度を軟化せざるを得なかった。

 

「王妃様の意向はわかりました。前向きに考えます。――が、ご存じの通り、私は妻の意見に逆らえません。しっかりと尻に敷かれているので、もし一人でも強硬に反対することがあれば、シルビア妃殿下から養子を頂くことはできません」

 

 そこは仕方があるまい、と王妃様は言った。その上で、反論が出てこないことを確信している風でもあった。

 

「おぬしの仕事を理解している女どもなら、何も問題にはなるまいて。……ま、堅苦しい話はここまでで良かろう。せっかくじゃ、エメラとオサナ王子と、何かしら楽しい話でもしていくがいい。東方はわらわも興味があるし、子供であれば物珍しい話は面白く聞こえるであろう」

「私は詩人ではありませんので、武骨な話になってしまいますが……努力いたしましょう」

 

 そうして、私は二人と向かい合った。王妃様と大事な話をしていることがわかっていたのだろう。

 いままで大人しくしていただけに、こうして出番が回ってきたときは、待ってましたとばかりに構ってくる。

 

「モリー先生、じゃない。モリー殿、東方会社でアレコレやってきたと思うんだが、色々と聞きたいこともある。軍事的政治的商業的に、東方がどれだけ重要な土地であるか、改めて貴女の見解が聞きたい。――ああ、西方から見た東方について、僕はいくらか語れると思うから、お互いの為になると思うんだ」

「じゃあ、オサナ君のその話が終わったら、私の宿題を手伝ってくれない? クロノワークの宮廷でも、東方の話は多少聞くし、貴女が翻訳した書物も出回っているのよ。次の授業までに東方の思想書の内容をちょっとは理解しなきゃなんだけど、わかりにくくて。解説してくれたら、ありがたいんだけど」

 

 オサナ王子とエメラ王女が、各々の思うところを私に求めてくる。

 オサナ王子はともかく、エメラ王女とはそこまで接点がなかったはずなのに、なぜか彼女からの好感度は高く感じる。

 ……ありがたいことではあるので、突っ込むつもりはないけれど。私は付き合った方が得をする相手であると、なんとなく察したのかもしれない。だとしたら、こちらとしても受け入れるのが当然の態度だった。

 

「ええ、ええ。大丈夫ですよ。時間的制限があるわけでもなし、満足するまで付き合ってあげますから。……それでいいんですよね? 王妃様」

「そのつもりで、二人を伴ってここまで来たのじゃ。わらわはこれから帰るが、二人は残しておく。大いに学ばせてやってくれ」

 

 未来のクロノワークの為に、と王妃様は付け加えた。

 その意味を誤解するほど、私は愚かではないつもりだった。

 

「はい、未来のクロノワークの為に」

「頼むぞ。……贔屓をするには、それだけの理由がある。わらわの期待を裏切ってくれるな」

 

 現在の状況は、王妃様の贔屓によって成り立っている部分が大きい。なればこそ、私は半端な業績で満足している場合ではなかった。

 

 オサナ王子とエメラ王女の相手をしながら、私は私で自身と妻たちの保身について考えねばならなかった。

 それがクロノワークと東方の未来に直結するという現実が、なんとも恐ろしくも楽しくて。

 現実感が失せてしまいそうなほど、やりがいばかりを感ずる仕事を投げてくれた王妃様に、限りない感謝の念を送るのでした――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 首尾よく――というには波乱がちょっと多かった気がするが、なんとかドヴールへと帰還しました。

 通常業務が滞りなく行われていることは、街の様子を見るだけでも伝わってくるのだが、家に帰った時にどんな歓迎をされるかは、流石に読めない所だ。先触れは届いているはずだから、今日帰宅することは、伝わっている。

 

 流石に三人いっぺんに『歓迎』されるのは厳しいなあと思いつつ、自宅の玄関に上がると――そこには、ザラ一人がいるだけだった。

 

「ザラ、ただ今帰りましたよ」

「おかえり。――仕事は首尾よく済ませてきたようで、なによりだ」

「なんとか、まあ、恥ずかしくない仕事は出来たと思います。……メイルにクッコ・ローセとクミンは、まだ職場ですか?」

「今日は私に譲ってくれるらしい。三人とも、適当なところで一日を潰してくると言ってくれた。――夕食はまだだろ? 久々に、一緒に楽しもう」

 

 思った状況とは違うが、ザラなりに歓待の準備はしてくれていた。

 長旅で疲れていたから、今日は夕食を軽く済ませたら、すぐに寝て終わりだろうと思っていたけれど。

 

「手間をかけましたね。……もしかして、今日は休みをとってたんですか?」

「気合を入れて作ろうと思えば、どうしてもな。――明日も休みを取った。仕事は積み重なっているんだろうが、お前が復帰すれば、なんとかなるだろう」

 

 色気のない話はここまで、とばかりにザラは私を誘導した。

 食卓に着くと、ザラなりに手を尽くした料理と酒で私をいたわってくれる。

 

「いい香りですね。――ホーストのワインなんて、市場で出回っていましたっけ」

「最近は、東方全体でも西方の商品が出回るようになった。我々のマーケティングの成果と思えば、今楽しむのにふさわしい酒だと思わんか? ……結構な額だったが、これで売れているんだから大したものだよ、本当に」

 

 ホーストのヴィンテージ・ワインと言えば、クロノワークにはめったに出回らない高級品である。

 たまに品質の悪い、酸っぱいヤツが混じってたりもするので、評判も良し悪しだったりするけれども。

 今回のそれは、個人的には文句なしの一品だった。香りを楽しみ、口に含んで舌全体で味わう。

 

「……今夜ばかりは、真面目に酔いそうです」

「そうしてくれ。でなくては、譲ってもらった甲斐がない。――無粋な話はしたくない、とは言ったが、お前のことだ。どうせ、厄介事を持ち帰って来たんだろう?」

「夕食を楽しんでからにしませんか? ……責任を感じてしまうので、難しい話は後にしたいんです。せっかく、ザラが腕によりをかけて作ってくれたのですから」

「それもそうだ。他愛のない雑談くらいに、とどめておこう。……ちょっと前の話なんだが、メイルの奴は、また酒とツマミの新規開拓に失敗して悪酔いしてたな。懲りん奴だとは思うが、慣れればあれもまた愛嬌の内だと思うようになったよ」

「わかりますか! ――ああ、いえ、その。ザラと比べてどうこう、というつもりはないのですが、彼女には彼女の良さがあるということですね」

「わかっているとも。こちらから振った話題だ。他の女のことをどんなに褒めたって、私は許すよ。……モリーだって、これ以上女を作る余裕もなかろうしな」

 

 そうして、夕食の間は雑談に終始した。アルコール耐性のある体は、ほろ酔いにすらならなかったけれど。ザラと共にする夕食は、ほどよく私の心を酔わせてくれた。

 食事を終えると、手持無沙汰な時間になるのが常だった。お互いに語ろうと思えば、いくらでも話題はあるから、別段退屈なわけではない。

 それでも、今語ることを選ぶとしたら、直近の出来事に触れざるを得ぬ。それが、私の現状と言うものであった。

 

 適当に雑談の続きをして、一息つく。それから頭の中で考えをまとめること、しばし。

 ……眠気に誘われそうになったけれど、逡巡の時間を少し置いた後、一応の覚悟は決まった。

 ちょっと聞いてほしいんですが、と前置きをしてから、ザラに向けて話す。

 

「前に、ちょっと触れたこともある話ですが……シルビア妃殿下から、養子を勧められました」

「へえ、割と意外だな。あの方が、そんな縁結びの真似事をするとは。どこから取るんだよって話でもある」

「驚かないでほしいんですが、その――シルビア妃殿下ご自身の第二子、第三子を私の家に入れたいと言われました」

「……そうか。意外どころの話ではないとわかったが、まあ、アレだ。私の旦那がそれだけ高い評価をされてると思うと、不思議と悪い気分じゃないよ」

 

 ザラは本心で言っているように見えた。いや、実際本音を口にしているのだろう。

 シルビア妃殿下が傑物であることは、異論の余地がない。その彼女から養子をねじ込まれるほど、自分の旦那が評価されていると思えば、妻としてはむしろ誇らしいのかもしれない。

 

「私も、なんだかんだでクロノワーク騎士だからな。武人としても文官としても、モリーが価値ある存在だと認められるのは、嬉しいものさ」

「……養子を入れるのに、抵抗がないということでしょうか。シルビア妃殿下がそこまで評価して行動してくれるのなら、ザラは喜んで受け取ってくれるという……」

「うん? いや、そこはモリーの判断次第だな。お前が嫌と言えば拒否するし、良しとするなら養子自身にも好意的に接してやるさ。――私が愛しているのは、モリーだけだよ。だから、判断を尊重する。確実に言えるのは、それくらいさ」

 

 ザラは自分なりの意見を言いながら、改めて酒の準備をした。

 夕食後だから、腹は満ちている。これは、口先を滑らかにするための用意だと、ザラは言った。

 

「あくまで軽く、だが。素面では語れないような話になりそうだからな。……いいだろう、モリー」

「お望みのままに。――ザラがあえてそうしたいというなら、お付き合いしましょう」

 

 二人きりの酒の席だが、こうしたゆったりした時間を過ごすのは、非常にまれなことで――。

 よくよく考えてみれば、初めてなんじゃないかとも思う。夫として、妻たちにどれほどのものを返せているのか。何度だって思い知らされてしまうが、家庭人としての不甲斐なさを、どう償ったものだろうか。

 

「……養子の件は、引き受けてもいいか、と思っています」

 

 口の中を酒で湿らせて、私はそう言った。

 目の前の彼女への愛を口にするよりも、課題の答えが先に出る。どうしようもない旦那だと自嘲したくなるが、ザラはそんな私も受け入れてくれた。

 

「お前が望むなら、私らも異論はないさ。……あえて理由を付け加えるなら、シルビア妃殿下への配慮、というのもある。クッコ・ローセも、メイルも、あるいはクミンも。あの方には、色々と義理があるからな。断ったら、後が怖い」

「ザラ。しかし、貴女は違うはず。資金援助位は受けましたが、それ以上の関係はなかったでしょう。……貴女一人が、感情的にでも反対の立場を取ってくれたなら。私は、妃殿下の命であっても拒否できたのですよ?」

「それでは、お前が困るだろう? ……シルビア妃殿下の策の裏に何を感じたのか。私には細々とした事情はわからないし、お前も話したくはあるまい。だが、現実に受け入れる気になっている以上、それなりに道理のある事柄であるはずだ」

 

 確かに、シルビア妃殿下のお子を渡されることは、マイナスどころか大きなプラスであると受け取ることも出来る。

 ゼニアルゼの王族を我が家に入れた後の、東方国家との外交、宮廷との付き合い方、商業への利用法――。

 頭に浮かぶことは、いくつもある。徹底的に利用するつもりであれば、むしろ養子を断る方がありえない話だった。養子と言う形であれ、王家の権威を後ろ盾にできるのなら、どれだけの無茶を通せるだろうか。

 

「お前にとって、都合がいい出来事。それを否定して、感情を優先させるような、悪い妻になったつもりはないよ。……やりたいことを、やりたいようにやるがいい。私は、それを支えたいんだ」

「苦労を掛けます。本当に、本当に」

「そうじゃないだろう。謝罪じゃなくて、感謝で応えろ。それが、家族っていうもんだ」

「……はい。ありがとう、ザラ。私が今、こうして生きていられるのも、これだけ良い地位で働けているのも、貴女のおかげです。心からの感謝を、貴女に」

 

 一方的に受け入れてくれる現状が、申し訳ないと同時にありがたみも感じている。

 彼女が賛同してくれるなら、家庭内の問題はない。やってきた養子殿には、肩身の狭い思いはさせずに済むだろう。男か女かはわからないが、そこらへんの配慮は後で考えればいい。

 それより、今私が向かい合うべきは、目の前の彼女だ。

 

「そう言ってくれると、私も嬉しい。――言葉にするってことが大事なんだ。言わなきゃ伝わらないんだからな」

「まさに。……わかってはいても、口に出す機会が作れなかったり、ひるんだりすることもあります。いえ、その気になればいつでもできることのはずなのに。お恥ずかしい」

「恥じる分別があるだけ、モリーは立派だよ。家庭人としてはまだまだだが、これから精進していけばいい。――私達は、完璧じゃないんだ。努力していこう、お互いに」

 

 愛する努力を惜しんではならない。助け合うことを躊躇ってはならない。

 夫婦を続けて、もう三年を過ぎた。それでいて、にぎやかでいい家庭を築いたとは、とても言えないのが現状である。

 

「とまあ、綺麗に終わりたいところだが、せめて今くらいは私にお前を独占させろ。話だけではなく、アレだ。――わかるだろう?」

「ええ。どうぞ、ご自由に。私に価値を認めてくれる方は、今では結構いらっしゃいますが。……やはり、貴女に求められるのが、一番好きですよ」

 

 明日には、クッコ・ローセやメイルも帰ってくるだろう。クミンはどうかわからないが、彼女は彼女で動いているはずだから、職場に尋ねる位はしておくべきだろう。

 ――なんて、頭はそんなことを思いながらも、口と体はザラだけを相手にしていた。

 

「他の連中にも、似たようなことは言ってるんだろう?」

「一番好き、というのは、ザラにしか言いませんよ。……本当ですから」

「そうか、ではわかりやすいところに、傷でもつけてやろうか。誰がつけたのか、誰が一番か、思い知らせるように」

「……どうか、見えない所にお願いします。それを守ってくださるなら、貴女のお望みのままに、私を使ってくださいな」

 

 正しく、私は彼女に独占されている。そんな演技ができる位には、私もこの三年で鍛えられたのだと思うのです――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜が明けて、朝になる。窓の外を見れば、ようやく朝日が顔を出したところで、穏やかな光が私の身体を鈍く照らしていた。

 

「よっ、と」

 

 ベッドから身を起こすのは、いつだって私の方が早くて。ザラは、心地よさそうな寝息を、今も立てていた。

 シーツがめくれていたので、改めてかぶせてあげる。全裸のままでは、風邪をひきかねない。彼女が数日離れただけでも、事業の進捗が遅れてしまう。

 それだけ負担を強いていることに、夫としては不甲斐なく思うが、それもこれも時代が悪いのだと諦観したくなった。

 

「さて」

 

 自室から出て、ザラの私室へと向かう。彼女は勤勉だから、仕事を持ち帰っているだろう。

 私は独断で仕事の進捗を確認する権限――つまり、各人の私室への出入りを許されている。

 だから私がザラの机から書類を取り出して、その内容を確認したところで、文句を言われるようなことではないのだ。

 

「……人材の育成は順調。こちらで育成した者たちが、科試の試験に合格。科挙の本試験に挑む準備は出来つつある。――交易の状況は、穀物の相場は例年通り。銀や銅は徐々に高騰しつつあり。砂糖、綿は低価格で安定し始めている……と。薄利多売で儲けられるなら、それが一番ですよね、ええ」

 

 商業的に進出した地において、東方会社は政治的な影響も確保しつつあった。

 その地の有力な家に出資し、子弟を教育。彼らに科挙を受けさせ、合格した暁には、彼らを通じて様々な形で東方会社――正確にはモリー家の影響力を確保していく。

 今はその第一陣が、ようやく入り口にたどり着いただけに過ぎない。科挙の本試験は難度の高い試験であり、ここからは必ずしもうまくいくとも限らない。

 

 だが、何事も始めることが重要なのだ。十年、二十年後を見据えるなら、投下した資本に見合うだけの見返りも、いずれは期待できるだろう。

 科挙に合格し、官吏となれば、生家から離れたところに勤めることになる。それが慣例ではあるが、東方会社の支店は、その頃にはいたるところにできているはずだ。

 一部を除いて、東方国内は交通の便が良い。定期的に整備されており、馬車や船の出入りも頻繁で、人々は広く交流することができている。そこは流石に、統一国家は伊達ではないと評価したいところだ。

 

 そのおかげで、各地に散らばった『東方会社派』の官吏も、要事には団結できるというもの。

 今はまだ、彼らをいかに使うか、などと考えられる段階ではないけれど。その時が来たならば、私は躊躇わないつもりだった。

 

「何が要事か、なんて。あんまり考えたくもありませんがね。――うん」

 

 銀や銅の相場については、予想通りの展開でもある。東方から、貨幣である銀や銅が、西方に流れているのだ。

 もっとも、西方は東方でまだまだ買い物をしたい気持ちが勝っているので、時間をかけて取り戻すことは難しくない。現に、これまではそうしてやってきた。

 

 だが、これから砂糖や綿の生産がさらに拡大し、取引の量が増えてくれば、これまで通りのやり方ではうまくいかなくなる。

 東方の宮廷とて、馬鹿ばかりではない。宰相殿の才気を考えるに、一気に流通量が増えた段階で、貴金属の国外流出について危惧するはず。そこから交易に制限をかけるまで、時間はかかるまい。

 

 ――なので、その段階はこちらで調整せねばならぬと、書類を眺めながら考えた。ある程度はこちらからも還元しなくては、暴発しかねないだろう、とも。

 

 銅は銅貨、銀は銀貨の生産に必要である。これらが過剰に流出し、価格が高騰すれば、同時に物価も上昇し庶民の生活を直撃する。

 民を苦しめるのは本意でないし、憎悪を受けるのも御免だ。……東方会社がゼニアルゼを引き込むことに成功し、東西交易を一本にまとめることができたなら、ある程度の統制が出来るだろうか。

 

「そんなの、傘下の商人の反感を買うだけですか。……商業による収奪を、躊躇うような時代ではない。負けたやつが悪い、だまされた奴が悪い、なんて感覚がまかり通る世界です。東方の庶民が飢え死にしようと、職を失おうと、西方人は気にも留めないんでしょうね」

 

 だからこそ、権威がいる。我が家に、東方会社に権威があれば、多少の反感は抑え込めるし、東西融和のお題目を強調して、従わせることも出来る――かもしれない。

 なにもかも仮定に過ぎないが、シルビア妃殿下の実子を我が家に入れた上で、東方会社の重役として迎えたならば。その意志は、無視できないほどの影響を発揮してくれるものと期待したいところである。

 現代表である私の立ち位置としては、養子を受けた段階で、将来的な展望を公開し、多くの賛同を得ておく必要があるだろう。――支持を得るには、利益が必要不可欠である。利益でなければ、従わぬことへの不利益。それを強調しておく必要があるが、なんとも難しい課題であると言わねばならぬ。

 

「ま、そこらへんはまだ希望が持てる部分。将来的に西方での生産拡大と、東方の人口増大、市場開拓を合わせれば、貿易摩擦は何かしらの形で、妥協できると思うのです。……そこまで楽観は出来なくても、まだ時間はある。フロンティアは南方にもあると思えば、そこまで悲観的になる理由もないでしょう」

 

 搾取する対象が変わるだけだが、近代から現代に代わる段階においては、弱者救済の観念が広まるはず。発展途上国への援助が当たり前の世の中になれば、私のやったことだって、そのうちの誤差に収まってくれるだろうと思いたいところだった。

 ……せめて私が生きている間に、国外援助の体系については、きっちりまとめておこう。罪滅ぼしとしてはささやかに過ぎるが、何もしないよりはいいだろう。

 

「業が深いことです。恐ろしくもありますが、今さら退くことなど出来ませんし、公正の悪名を気にしてばかりもいられません」

 

 西方に対してはそれでよい。問題は、東方だ。物価の高騰を察知し、市場に介入するとしても、まずそのための資本がなくては意味がない。

 ――そこを、東方会社が補填する。もちろんタダではなく、官位をもらう形にするのだ。

 できれば裁判官や、徴税官。それに近い役職を買い取りたい。いわゆる売官制というものだが、東方国家がそこまでしてくれるかどうかは、まだ微妙なところだろう。

 

「過去の歴史に学ぶなら、たやすく受け入れられる提案ではないでしょう。だから、過去の失敗例とは違うのだと、理解させる必要がありますね」

 

 深刻な財政難から、売官制を乱用した後漢王朝は、最後には倒壊した。

 売官によって地位を得たものは、それ以上の利益を求めて苛政に走る。結果として、民衆を困窮させ土地は荒廃し、黄巾の乱に繋がっていく――。

 似たような歴史が、この世界の東方にも存在する。誰も彼もが、過去に学べるほど賢くはあるまいが、宰相殿が愚か者の轍を踏むとは思えぬ。

 

 彼の理解を得るところから、まずは始めて行く必要があろう。東方会社が国家の運営に関わるとしたら、そこをクリアしてからの話になる。

 

「東方会社が、東方国家を支配する――なんてことは、本末転倒も良い所ですが。いや、逆説的に、それは東西衝突を防ぐ手段でもあるのか? ……皇帝の権威は絶対に残しておくとして、統治者としての権限は削っていく。ただの神輿としての価値だけを残して、統治の責任を負わせないようにして……」

 

 政治的に危険な話になるが、この考えを否定したところで、行きつく先が混沌であれば意味がない。

 何かしらのビジョンが必要だとしたら、行きつくところまで行くべきなのか。東方の権威と権力を切り離し、独立させる。そこまで干渉し、社会を改変させることを目的に据えるとしたら、それは会社の所業ではない。むしろ――。

 

「征服業。シルビア妃殿下の野望と、何が違うのか――なんて。いやはや、まったく。あの方は、これを見据えて、私に名目を投げ渡そうとしたのでしょうかね?」

 

 権威と武力は切り離せない、と考えるのが一般的な思想である。怖くない奴の話なんて、誰も聞きやしないのだ。

 だから、怖い奴が権力を握って支配する。シルビア妃殿下がまさにそうであるし、東方皇帝も例にもれぬであろう。

 

 これを崩すには、権威を宗教的なものに押し上げ、現世から隔離すること。――神にしてしまって、その代理人が権力を行使する形に変えてしまうのが、もっとも有名なやり方の一つである。

 

「それはもはや日本じゃないかってね、いやはや。……皇帝陛下は、国家の象徴としては充分。後は、周囲の納得を――ああ」

 

 本当に、何を考えているんだろう、と思う。そう思いながらも、まだまだ考えることはあるのだと、理性は勝手に稼働し――実現させるための方策を、矢継ぎ早に頭の中に浮かべさせた。

 

「何と言うか、遠くに来たものですね、ええ」

 

 そろそろ、ザラも起きてくる頃だろうか。朝食の用意くらいは、しておくのが礼儀だろう。

 台所に立って、準備をしているうちに彼女がやってくる。そして、私は声をかけた。

 

「おはようございます。――今日も、いい日ですね」

 

 今日も、これからも、そうあるように。私たちは、ずっと努力し続けるのだ。

 東方と西方に、火種はこれからもくすぶり続けるだろうが、火消しに走り回る準備は整えている。

 交易のバランスは、調整するのが難しいが、私の代で破綻するほど、東方会社はもろい会社ではない。

 

「おはよう。……モリーは、朝から勤勉だな?」

「性分でして。――朝食は、もうすぐできますから。少しだけ、待っていてくださいね」

 

 まずは食べること。長い仕事と向き合うために、力をつけるのが大事だろう。

 ザラからの、寝ぼけた返事を聞きながら、私はこの日常を守ることの大事さを、改めて実感するのでした――。

 




 半端なところで終わっている気もしますが、ある程度で区切らないと、延々と話が続いてしまいますので、この辺りで。

 はじめは、とにかく書きたいものを書きやすいように、好きなだけ書くつもりで、何も考えずに文章を打ち込んでいました。

 そして、三年以上。それを続けてきました。プロットも何もない、即興で作られた行き当たりばったりのお話で、ここまで続けられたことが、筆者としても驚きです。

 それも、あと少しの作業でお終い。
 エンディングの文章を書くのに、今は苦労していますが、それもすぐに終わります。

 付け足したような、短い内容になりますが、それをもって、完結とさせていただきたいと思います。



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これからの彼女たちについての、最後のお話


 これで、本当に終わりです。三年以上にわたって続けてきたお話も、ここで幕となります。

 もしかしたら、外伝的なお話を後で書くかもしれませんが、それよりは次回作の方に気を取られているというのが現実です。

 ここまで見てくれた貴方に、感謝を。
 最後まで期待に添えられる出来になっていたなら、幸いです。



 

 モリーの東方における先見性の高さを示す例として、東方会社の設立にかかわったことがよく取りざたされる。

 だが、本当に最初から分析するつもりなら、もっと以前――彼女がミンロンと接触したところから、始めるべきであろう。

 東方商人であり、商売を生業とする一族の出身。なおかつ高い教育を受けており、多くの資金と物資を動かせるだけの力もあった。そうした彼女を通じて、東方の情報も売り買いしていたというのが、後世における分析である。

 

「ぶっちゃけ、存在そのものが反則ですよね、モリー殿って」

「いきなり、なんです?」

 

 東方会社においても、ミンロンの地位は保証されていた。特別顧問であり、東西両方での自由な商業活動を許されている彼女の立ち位置は、モリーに準じるものとして扱われている。

 もっとも、それはモリーがミンロンに便宜を図っていればこそ、という部分が大きい。なぜここまで彼女を特別視していたのか? 後の世でも、多くの議論が交わされるところだ。

 この点については、商業の重要性を理解していたから、手近な商人を篭絡し、便利使いする必要があった。――そうした結論が、現代では一般的である。

 

「まず西方人でありながら、東方の言語を理解していること。その上で、東方独自の思想について造詣が深く、文化的な理解力が図抜けて高いこと。……正直、西方人でこのレベルに達している人は、貴女以外にいないと思いますよ。同レベルの人材を求めても、百年単位で見ないと出てこないんじゃないですかね。どんなズルをしたら、そんなことができるんでしょうか」

「読み書きが上手いだけですよ。東方の方言までは、流石に網羅できていませんから」

「公文書を作成できて、行間を読んだ理解ができる。それだけで、東方における商業、政治活動に支障はありません。まあ、色々と問題の多い我が祖国ですが、ここら辺は統一国家らしい強みが出ているのですね。――とりあえず、公用語の普通話ができていれば、地方の知識階級への働きかけは出来ます。東方各地を渡り歩く商人や、科挙を目指す若人なら、絶対に納めるべき言語ですからね」

 

 東方国家は、とにかく広大な土地を収めねばならぬ関係から、統一言語を定めてこれを公用語として運用している。

 公文書や公式の場での会話は、全て普通話と呼ばれる首都圏の言語を使うことが習わしだ。

 モリーはこれを問題なく使えるし、東方会社に所属する連中には例外なく学ばせていたことが、明らかになっている。

 

「それだけなら、別段反則と言うまでも無い気がしますが」

「現時点でそれができると、初動がそれだけ捗るわけで――。正直に言うなら、こちらの言葉もわからない相手に、皇帝陛下も臣下になってほしくなかったと思うんですよ」

「ええ……? じゃあ、私でなければ、そもそも謁見すら不可能だったと? 私以外の人が東方会社の代表になっていたら、早々に詰んでいたんじゃないですか」

「まあ、これは私個人の勝手な分析ですから。実際のところは、違ったかもしれません。でも、やっぱりモリー殿以外が東方で政治力を発揮するのは、難しかったと思いますよ」

 

 言語は、それだけ大きなものだ。しかし、相手側の文化を把握しなくては、結局はそれも不完全な理解に終わる。

 この点、モリーは不自然なまでに完璧だった。『璧を全うする』という意味でも、語源の理解から運用の適切さまで、文句のつけようがないほどに。

 

「暗黙の了解を含めた、面倒な作法についても、ほぼ把握されていますからね。最初は机上の理解にすぎなかった部分もありましたが、こちらでの人付き合いを続けているうちに、不足なく出来るようになられました。……西方商人の連中は、だいたいこれがわからない。それどころか、出来るようになろうとも思わない。モリー殿は、そういう意味でも得難い存在ですね」

「どうでしょう。一応、名士階級や商人たちとの付き合いは、問題なく出来ているつもりですが――。知らないうちに、やらかしている部分もないとは言えないでしょう」

 

 モリーは公式の場での失敗が、ほぼ見受けられない。東方において、西方人がそれだけわきまえた行動を取れている時点で、彼女の異質さがわかるだろう。

 おおよそにおいて、西方の知識階級が東方にやってきたとき、偏見のためにお互いを小ばかにし合うのが当たり前だった時代である。そこで相手を立てて、自身を揶揄されても聞き流せるだけの度量を持っていたことが、モリーの長所だった。

 

 また、そんな彼女であればこそ、周囲も助けてやろう、多少は目こぼししてやろうという気になったのだろう。

 彼女の部下や、交渉相手からも、彼女への悪印象を記している資料は、後世に残っていない。東方的な表現をするなら、それだけの人徳を持っていたとも考えられるだろう。

 

「そこは、周囲がフォローしてくれる部分ですからね。自覚がないかもしれませんが、実害がないなら、上手に助けてもらっていると思っていいでしょう。……名士階級なんて、私から見たら複雑怪奇で、面倒ばかりが多い手合いなんですから。商談の中でも『これくらいは知ってて当然』ってくらいに軽い口調で、古典の例えやら詩文の一節やらを使ってくださる。遠回しな嫌味とか拒絶とか、理解も出来ないなら口を利く価値もない――なんて態度を平然と取りやがるんです。モリー殿は、そこをきちんと対応できているのですから、充分すごいと思いますよ」

 

 歴史も含めて、東方をそこまで深く知っているというだけで、モリーの存在はひどく反則じみていたと言える。この点、どうやってそんな教養を育めたのか?

 ミンロン自身、モリーのそうした部分には常々疑問を持っていたことは、様々な資料にも共通して見られる部分である。

 

 少なくとも、古典の教養についてはミンロン経由でないことは確かであろう。しかし、それならいかにして読み解いたのか。東方の言語に精通した教師など、当時のクロノワークには存在しなかったというのに。

 どんなに調べても接点がないことばかりが証明されるので、後世の歴史家であっても、こればかりは想像で語るほかないのだった。

 

「知らないなら、勉強すればいいだけでは? 今となっては、専門の教師も東方会社は抱え込んでいます。勉強の機会には事欠かないのに、それくらいの労すら惜しむ人間が、東方で商売やら外交やらをする方が間違っていると思いますが……」

「自覚がないならないで結構ですが、自分と同じことを他人に求めないように。――と、ここまでが忠告じみた雑談ということで。……本題に入りましょうか。交易は順調ですが、そろそろ私の商会が抱えている職人や知識人たちの扱いについて、色々と難しくなっておりますので」

「……ええ、はい。どうぞ、何でもおっしゃってください。――私の力の及ぶ範囲であれば、どんな問題ごとでも真摯に対応いたしましょう」

 

 ミンロンは、自身の商会が大きくなるにつれ、多くの問題を抱えるようになったという。

 それもそのはずで、東西をまたにかける大商人となった彼女は、それだけ多くの部下を持つようになっており、国籍にかからわず有能な人材を採用していた。

 仕事上、それは当然のことであるともいえるが、結果として国際色豊かな部下に対して、雇用者としての配慮を求められる立場でもある。

 大商人ミンロンは、いまや文化的な摩擦に対して、なあなあで済ませられるような、気楽な立場ではなくなっていた。それだけ彼女の影響力が強くなった証でもあるのだが、手広く商売するのも痛し痒しである。

 

 そうしたミンロンの苦労を分かち合い、気持ちを共有できる相手と言えば、モリーを置いて他にはない。そういう意味でも、彼女たちはお互いをかけがえのない存在だと思っていたことは、事実であろう。

 ミンロンが残した書簡の中には、モリーに仕事上の配慮を求める内容のものや、文化的な軋轢への相談事などが、細かに記されていた。

 ミンロンは私生活まで彼女に頼ることはなかったが、実務の上ではモリーを最も信頼していたというのが、当時も後代も一致した見解として周知されている。

 

「――しかし、アレですね。モリー殿がシルビア妃殿下から養子をもらい受けるとなると、我々も権威のおこぼれにあずかれる、ということでしょうか。その辺り、どうなんです?」

「おこぼれどころか、ミンロン様はその恩恵を直接受け取ることになりますよ。やっている仕事が仕事ですからね。……交易のみならず、東方と西方の文化的交流。その中心的役割を、貴女には担っていただくのですから」

 

 ミンロン個人の商会が、東方会社においてどれだけ大きな存在であったかは、後世においても議論の余地がある。

 きわめて重要だったという分析もあれば、その影響力は限定的だったとする理論もあり、どちらもが相応の説得力を備えていた。

 実際のところは、少なくとも個人的な付き合いを維持する程度には、お互いを重要視していた――なんて無難な結論に行きつくのである。

 

「東方会社から、我が商会への直々のご依頼ですからね。モリー殿から直接支援を頂けるなら、あれこれと様々な形で要望を提出したくもなります。――なんであっても、真摯に対応していただけるのでしょう?」

「限度はありますが、二言はありませんとも。妻たちとは違う意味で、私はミンロン様が大切ですよ。――替えの利かない、とても大事なお人。出来る限りの便宜を図りましょうとも……ええ、ええ」

 

 東方会社を語るならば、その成り立ちと業績と共に、モリーの存在を語らねばならず――。

 彼女と個人的につながっていた、ミンロンと言う東方商人の存在も欠かせない。

 もとはたかが一商人に過ぎなかった、彼女の波乱の人生。そもそもの始まりが、モリーとの関わりであったことから考えても、やはりこの時代を代表する、成り上がり商人の一人であると言えるだろう――。

 

 

 

 

【ミンロンのその後について】

 

 西方で成功した、もっとも有名な東方商人。ゼニアルゼ、ソクオチ、クロノワークの三国に商館を立て、その取引量は西方でも有数である。

 東西両方から多量の交易品を仕入れ、捌き続ける手腕は、後世でも商人の模範として高く評価されている。

 これは当人の才覚以上に、王族に顔が利き、東方会社においてもモリーからも特別な便宜を図られていたことが大きい。

 

 彼女の商会は、その子孫が代々受け継いで、現代においては東方における代表的な企業にまで成長している。

 国籍や出自を気にせず、ただ能力のみを重視する姿勢も、後代に受け継がれた。東西が文化的、政治的に衝突した際は、ミンロン商会を頼ること。それが定番となるほどに、大きな業績を今に伝えている。

 

 そして創業者である彼女の存在は、東方における女性の社会進出の成功例として、後世まで語り継がれることとなったのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後世の視点から、モリー個人のみならず、モリー家そのものについて語るとするならば。

 誰よりも何よりも、まず最初に口にするべきは、メイルの実績であろう。鉄火場を含めた有事に際しては、自ら割って入っては取り仕切り、全てをこともなげに納めた。

 彼女こそは、東方会社における最大の武力の担い手であり、もっとも有名な西方軍人として語られるべき人物だった。

 

「誰よ、こんなガバガバな警備計画を立てたヤツは! 修正案を至急提出させなさい。私が交易護衛隊の監督に出るまでの間に再提出させなさい。とりあえずの添削は副長に任せるから、悪いけど付き合ってあげて。下の連中も、こうやって育成しておかないと、いざって時に慌てることになるからね。……ボーナスの査定は色を付けてあげるから、お願いするわ」

 

 そう言って、メイルは今日も自らの義務を果たし続ける。彼女自身が選んだ副長は東方人だが、補佐としては充分な能力を持っていた。

 そして、彼女は仕事を果たした人間に対して、見返りを与えることを惜しまなかった。それだけの権限を与えられていたから、ともいえるが、良い例が周囲にあったからかもしれない。

 メイルは仕事だけではなく、部下のケアも細かく、適切に出来ていたことで周囲からの評価も高い。

 なにより、彼女にはより自分のことを理解してくれる、頼もしい上司にして夫が存在した。

 

「絶好調ですね、メイル」

「モリー。わざわざ確認しに来なくったって、私の方に問題はないわよ? 手がいるとしたら、教官の方じゃないかしら」

「もちろん、これからお伺いに参りますが、その前にメイルの方にも顔を出したくなりまして。――ああ、ご心配なく。仕事の邪魔をする前に帰りますから」

 

 部下の職場にも、あるいは妻の現場にも、気軽に顔を出すのがモリーという人物であった。

 代表職でありながら、その代わりの利かない仕事に手を尽くしながらも、組織運営には人一倍敏感で細やかな気遣いを忘れなかったと言われる。

 

「じゃあ、本当に顔を見に来ただけ? 代表職だって、暇じゃないでしょうに」

「妻の様子を見る位の暇は、どうにかして捻出しますよ。――では、また夜に」

「……ええ、また」

 

 そして、それ以上に気遣っていたのが、自身の家庭環境であった。職場でこそ自重していたが、休日などは共に出かけたり、あるいは一日自宅で缶詰めになっていることもあり、とにかく仲睦まじいことで有名であったという。

 

 メイルが他の妻たちとどう違ったのかと言えば、仕事上ドヴールを離れることが多く、まとまった休暇が取れなかったので、相対的に夫婦で過ごす時間も少ない方だったことがあげられる。

 それだけに、ちょっとした時間を見つけては、顔を合わせたり言葉を交わしたりすることを、モリーはマメに行っていたということである。

 

「……もう行っちゃったか。家に帰れば会えるんだけど、一度顔を合わせてから離れると、なんだか寂しくなるのよね。――でも、今は現実に向き合う時間なんだから、仕事に戻りましょうか」

 

 メイルは、自分が必要とされる限り、その期待に最大限に応えた。

 そして、彼女の夫たるモリーは、終生彼女の助力を必要とした。公務であれ、私事であれ、彼女の存在は、モリーにとって欠くべきでない一要素であったことは、間違いないことだろう――。

 

 

 

 

【メイルのその後について】

 

 東方会社の警備部門担当。モリーが代表職を退くまで務め、彼女の目の届く範囲では、いかなる違法行為も逃れられなかったという。

 腕っぷしについては伝説的な話が残されており、暴れ牛を素手で制圧した。剣で岩をサイコロのように切り出した。ベッド下に潜んでいた暗殺者を察知し、返り討ちにしたなど。

 誇張が入っているにしろ、超人的な戦力を持った個人であることは疑いない。典型的なクロノワーク騎士として例えられることが多く、文武両道かつ純朴で、質素な生活を苦にしない性格であった。

 

 ちなみに、私人としては割とだらしない人間だったらしく、夫であるモリーに色々と世話をされていたという話が数多く残っている。

 彼女のシーツを洗濯することは、モリーの日課であったと、当時の日記に記されていたことは有名である――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クッコ・ローセがどんな意味で特別であったかと言えば、モリーの家庭内では誰も彼女に逆らえなかった、という事実が全てを表している。

 一番の年長者であったのは確かだが、それ以上の貫禄が、彼女にはあった。ザラにせよメイルにせよ、クッコ・ローセに対しては常に遠慮があった。クミンとて、その経験の深さには敬意を表して、彼女の前では決して出しゃばらなかったと記録されている。

 

「今期の新兵どもは、出来が良い。東方会社の兵隊は、待遇面での評判も良いから、質の悪い馬鹿だけではなく、勤勉な働き者も志願するようになったと聞くが――それが兵の動きにも出てきているな」

「実際、給料は相応に出していますからね。勤務年数を重ねて、功績を立てれば、副業も許しています。……これでいい人材が入ってこない方が可笑しい、というものですね」

 

 クッコ・ローセが調練に精を出している中でも、モリーは機会を見つけては、彼女の元を訪れていたという証言は多い。

 場合によっては、そのままモリーも練兵に参加した記録さえある。夫婦の共同作業としては、物騒に過ぎるものだろうが、後世ではクロノワーク騎士の嗜みとして、好意的に語り継がれている。

 

「で、なんだ。今更、新兵の掛け声やら走り方やらを指導する立場でもあるまい。本格的な模擬戦も、まだ先のことだぞ?」

「理由なく来てはいけないのですか――なんて、艶っぽいことを言いたくもあるのですが。残念ながら、一応の口実はあるのですね。……クッコ・ローセ直属の教え子を、さらに増やしていきたいのです」

「へえ、今でも後任は育ててあるつもりだけど、まだ足りないって?」

「貴女に代わって新兵を調練する者が多く現れれば、それだけ貴女は精兵の育成に精を出せるというものでしょう? 私の言いたいことが、わかると思うのですが」

「――ま、それはそうだ。東方会社も大きくなっているし、新兵の割合も増えてきた。私一人で何もかもを見るわけにはいかない、というのは事実だろうよ」

 

 阿吽の呼吸と言うべきか、二人の間には、くどい説明が繰り返されることは一度としてなく。

 それどころか、言葉以外の部分でつながっているとでも言うかのように、ごく自然に意志の伝達が出きているように、はた目には見えていたのである。

 

「で、本当のところは?」

「クッコ・ローセとも色々な時間を過ごしたいです。なのに、最近は忙しくて、そんな機会も作れません。……今は仕方ないとしても、半年後くらいには、気軽に旅行に行けるようになりたいですね」

「半年では足りんな。せめて、あと一年くらいは、教え子どもの様子を見たいところだ。――経験を重ねるほどに、教官職は欲を出してくるものだ。あれがしたい、これがしたい。これくらいはできるはずだ、あと何か月後には、これくらいできてなきゃいけない――なんて。指導すればするほど、足りない所ばかりが見えてくる。その割り切りと見極めが、教え子どもはなっちゃいない。今しばらくは、私が監督してやらんとな」

 

 クッコ・ローセの何が偉大であったかと言えば、自身の分身ともいえる教え子を、多数輩出したことである。

 しかも、誰もが例外なく有能な教官となったという事実からすれば、彼女の教導能力の高さが伺えよう。

 

「今しばらくは、忍耐の時ですか。――こちらも、これで何度目かわからない、ゼニアルゼ商工会との折衝が控えています。業突く張りの相手は、私も難しくて疲れますよ」

「お互い、大変だな」

「ええ。でも、先は見えていますから。よりよい未来のため、今の努力を怠るわけにもいきません」

 

 この頃、モリーには先の展望が見えていたらしい。それの正しさまでは、クッコ・ローセも問わなかった。

 間違いを犯したところで、共に沈むだけ。彼女の覚悟は、すでに決まっていた。それがわかっているから、モリーもまた励むのだ。

 

「お前はお前の仕事を、私は私の仕事を全うしようじゃないか。――また、帰ってから話そう。忙しいのは、お互い様だろう?」

「ええ、ええ。まさに、その通りでしたね。……では、また」

 

 クッコ・ローセに促されて、モリーは自身の執務へと戻る。夫がどんなことをして、何を社会にもたらそうとしているのか。彼女とて、正確なところはわからない。

 

「あいつが何をしようと、私のやることは変わらん。……せめて、いつ何が起きても良いように、余裕を持たせておくこと。出来るのは、それくらいだな」

 

 モリーの思想については、理解さえ及ぶかどうか――というのが、当人の感想であった。

 だが、それは人生を共にする上では、さほど関係ないことである。

 クッコ・ローセが、モリー家で特異な地位にあったとしても、それを笠に着た行動を取るような人ではない。

 その信頼が持てるという意味で、やはり彼女は、モリーに取って特別な存在であったと言えよう――。

 

 

 

 

【クッコ・ローセのその後について】

 

 東方会社の警備部門で教官職を務める。東方会社の護衛隊だけではなく、ドヴールの衛兵なども指導した記録が残っている。

 モリーが代表職を退いた後も、教え子たちの働きにより、兵の質が落ちることはなかった。

 短時間で精兵を仕上げる達人であり、かつてはゼニアルゼのお嬢様方を一端の精鋭に変えた実績を持つ。それは伝説的な偉業として、後世に語り継がれるほどのものであった。

 

 私生活においては、常にモリーを立て、我を通すことは一度もなかったという。クッコ・ローセは誰からも尊重されていたが、当人は極めて慎ましく、協調的な姿勢を貫き通した。まさにそうした精神性が、モリー家を陰から支えていたと評価されている。

 

 年長者であり、体の衰えが一番早くに出たはずであるが、それを気にした様子は見られない。

 モリーは最後まで変わらず、クッコ・ローセを深く愛した。引退した後は、モリーを家庭面から大きく支えたという――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クミンは風俗店の経営の傍ら、情報屋として多方面の交流に余念がない。

 やり手婆、と言われるほどの年齢ではないが、むしろその異質ともいえる若さが、彼女を特異な地位に追いやっているともいえる。

 彼女の力の源泉として考えられるものは、まず第一にモリーが大っぴらに後援していること。

 それに付け加えて、シルビア妃殿下とのコネクションもあり、その気になればいつでもゼニアルゼの権威を利用できる――という、まさに彼女だけの強みがあるからだった。

 

「舐められない程度の実績は、とりあえず挙げていますからね。それもこれも、モリーさんの後援あってのことです」

「私と妻たちの武名によって、クミンは権威を得られる。私たちは、クミンが得た情報を活用して、謀略対策や相場予想を行い、結果として恩恵が行きわたるようになる。――お互いに、いい関係が築けていると思いますよ。だから、必要なら強権を振るうことも躊躇いません」

「んー、今は結構です。自分の力だけでも、最近は色々やれてますんで」

 

 経営店にいる間、モリーは彼女の立場を保護する態度を隠さなかったという。場合によっては、見せしめに無法者を捕えることも何度かあったと記録にはある。

 

 これは夫としての見栄ではなく、権力者としての示威行為であったとみられる。クミンが舐められないように、弱い部分は露出させないという気遣いが、そこにはあったのかもしれない。

 

「必要なら、こちらから話を通します――なんて。改めて言うことでもありませんね。で、モリーさん。今回のご用件は?」

「ゼニアルゼから、商工会の幹部連中がやってきます。ドヴールの流儀に疎いので、そちらの店で歓待しつつ、色々と教えてあげてほしいのですね」

 

 表立って、やれることはやったうえで、そうお願いする――と、モリーは付け加えた。

 前提として、東方会社の規約については、皆が把握している。東方の不文律についても、言葉で伝えられる部分は可能な限り教え込むつもりだ。

 しかし、それで誰もがお行儀よくなれるなら苦労はない。クミンに頼るのは、実地で身体でわからせてやりたいからだった。

 

「寝屋で仕込むのは、流石にあからさまが過ぎるので、ちょっと工夫してみましょうかね」

「すぐに結果を求めるのも、難しいことでしょうし、経過を見ていきたいと思っているので、性急な手は使わなくてもいいんですよ? ……行儀の悪い連中は、また別ですが」

「なるほど、なるほど。しかし、そちらとこちらで、教育の方針にずれが生じても面倒。もう少し、具体的な内容まで詰めておきましょうか」

「はい。――今日は、そのために時間を作ってきてますから」

 

 モリーとクミンが職場で顔を合わせたときは、大抵が悪だくみと相場が決まっていた。

 それがわかるから、自然と周囲も気を使って、場所を作ることにも文句はつけなかったそうな。

 万が一、耳に入れてしまった場合、巻き込まれることを恐れていたのである。

 

「クミンも、部下から恐れられるような立場になったと思うと、感慨深いですね」

「私がそんな風になってしまったのは、モリーさんのせいでしょうに。ひどい人ですね」

「おかげさまで、ひどい人とか、悪い人だとか、結構言われ慣れてしまいましたよ。――なので、それも一種の誉め言葉だと思うことにしています。なにしろ、そんな言い方をしてくれるのは、ザラか貴女くらいのものですから」

 

 クミンの前では、他の女性の名を口にすることも、モリーは憚らなかったと言われている。

 そんなことで機嫌を損ねる人ではないと、クミンの性格を見切っていたのだろう。そうした割り切りは、部外者から見てもわかるものだ。

 

「だから、ひどい人だっていうんですよ、モリーさん」

「自覚したうえで、向かい合っています。それを許してくれるのは、貴女だけですから。――ええ、私の自由を許してくれるのは、クミンだけ。本心から言っていますよ、これは」

「……嘘じゃないってわかるだけに、質が悪いんですよね。まあ、いいですけれど」

 

 クミンは常にモリーの期待に応え、その役割を全うした。その働きについては、モリーが功績を記しているので、後世でも知ることができる。

 風俗業を利用することが、情報を収集するうえで重要であることを、この時代、この時点で理解していたことは、彼女らの先進性を表していると、評価されることになる。

 

「他に、私に求めることはありますか?」

「しいて言うならば、今夜は貴女と同じベッドで眠りたい、ということでしょうか」

「……その言い方は、私以外には通じませんからね。あからさまな誘いの言葉は、妻と夫の間であればこそ、意味を持つものでして――」

「ならば何も問題はない、といことでよろしいですね? まさに、私とクミンは夫婦なのですから」

 

 モリーの家は、夫婦間のトラブルの話がなく、妻同士はお互いを尊重し合っていることで有名だが、それはモリーの努力による部分がやはり大きい。

 モリーも、自身の努力の形を隠さなかった。政治的な意味でも、必要なことであると理解していたからだ。

 

「――まったく。私が嫁いできた幸運を、モリーさんはよくよく理解するべきですよ? 悪い虫が近づいてこないのは、私が裏で処理しているおかげなんですから!」

「ええ、ええ。痛いほどに、理解しています。だからこそ、奉仕を惜しまないのです。……心に、体と、お金、あとは権力くらいですか。私が貴女に与えられるものと言えば、それくらいですが――」

「それだけ私を評価してくれる人は、他に居ません。……だからこそ、モリーさんの傍を離れられないと言いますか。――本当、悪い奴に引っかかったと思いますよ。だからといって、後悔なんてないわけですが」

 

 クミンの出自ははっきりしている。ゼニアルゼ貴族の娘であり、その貴族が商業的に失敗したため、娘をハーレムに入れざるを得なかったという。

 判明している事実が全てではあるまいが、そもそも一個人の背景を完全に理解することなど、余人にはできぬ。モリーもまた、それは同じであった。

 

「過分な評価、ありがたく思います。私と過ごす時間が、クミンの後悔とならぬよう、これからも精進せねばなりませんね」

「おや、私はそんなに怖いですか? わざわざ私に気に入られる努力をする必要性なんて、そこまでないでしょうに」

「――まさか。私は、クミンを過小評価しません。貴女は、私が努力して機嫌を取らねばならぬ方。それだけの価値ある人なのだと、あえて明言いたしましょう。……妻に向ける言葉としては、あまりに実務的で情に欠ける物言いですが、この場合はむしろ適切な表現だと信じています」

 

 モリーは、クミンの努力を認めた。その成果に対し、言葉でも態度でも、そして実利的にも完全に応えた。

 たとえ才覚があったとしても、元はハーレム嬢で、他人の手垢に塗れた者を、自身の家庭に受け入れるのは難しいはずだ。

 だが、モリーその点をまったく意に介さず、クミンを妻にした。モリーが危惧したのは、シルビア妃殿下の紐付きだったからであり、政治的な理由が大きかった。

 そして本当の意味で家族として受け入れた後は、はばかることなく甘やかした。女性としては、むしろ積極的に、肯定的に評価していたことが、当時から見受けられる。

 

「モリーさんには敵いませんね。――負けを認めた相手を、貴女はどうしますか?」

「もちろん、丁重におもてなししますよ。……では、そういうことで」

 

 複雑な事情があったにせよ、クミンの存在が、モリーの立場を押し上げていたのは間違いない。

 他にも多彩な選択肢があったはずなのに、彼女が終生、モリーの妻と言う地位を捨てなかったのは、それなりの理由があるという。

 

 ただ、後世の人間がどれだけ分析しようとも、当人たちが納得していた以上、当世において周囲の声は野暮にしか聞こえないものであったろう――。

 

 

 

 

【クミンのその後について】

 

 東方会社の傘下にある、風俗業のとりまとめ役――といえば、ふわっとした解釈になってしまうが。実際の役職としては、有名店の店長、という立場に過ぎない。

 ただしその実態はと言えば、東方の裏にも表にも根を張る、情報網の元締めとも言える。

 彼女がその気になれば、東方において、探れないことは何もないだろう。ゼニアルゼにも伝手があり、『天使と小悪魔の真偽の愛』への所属も、終生取り消されることはなかった。

 

 モリーの妻としては、もっとも大きな権力を持った存在である。しかし、家庭内ではもっとも地位の低い存在でもあった。

 悪感情を持たれていたわけではないが、打ち解けるまで時間が相当にかかった様子で、本人もその愚痴を外部に漏らしていたこともあったという。

 

 ――それが謀略の一手であったのか。本心がいくらかでも含まれていたのか。その判別は、後世においても簡単に分析できるものではなかった――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 他の妻たちが、独自の能力をもってモリーに尽くしていたのは事実だが――。

 その中でもザラは彼女の右腕として、あるいは半身として、陰に日向に活躍していた。事業への直接的な貢献度という意味では、メイルよりも高く評価すべきだという声もあったほどである。

 

「東方から西方への銀の流出が、そろそろ問題になりそうだ。――まだまだ見守ってもいい段階だが、介入の準備くらいは始めてもいいだろう」

「その辺りの時期の見極めは、ザラを信用します。備蓄はどこまで吐き出せますか?」

「自腹を切ることは重要だが、そればかりでは舐められるぞ? ――こちらが名前を貸してやっているのは、何のためだと思っている。ゼニアルゼ商人どもにも、多少は割を食わせてやらんとな」

 

 ザラ自身に特別な権力があるとすれば、それはモリーの信頼を勝ち取っていて、いつでも助言できる立場にあったこと。

 それに対して、誰かが苦言を呈することも出来ないくらいに、彼女は自身の地位を実力で確保していた。

 

「難しくはありませんか? 彼らはその、繊細なところがございますので――」

「暴発に気を使う必要はあるが、実行はそこまで難しくないぞ。割を食わせるとは言ったが、飲み込んでなお余るほどの恩恵も与えているはずだ。……ま、時間はある。どうしても巻き込めないなら、それはそれで別の手を考えるだけさ」

 

 ザラがモリーと思想を同じくしていた、と証明する記録はないが、モリーの思考を理解し、実行することにおいて、彼女はもっとも有能であったと言える。

 

「秘策がおありだと? ……いえ、深くは聞きません。実行に際しては、事前に詳細を書類にまとめてくだされば、それで結構です」

「おいおい、何も物騒な話はしてないぞ。――ただ、支払いの銀貨をケチらないように徹底させるだけさ。こちらばかりが儲けても、取引相手を困らせると思い知らせてやればいい。とにかく、やり方は書類にまとめておこう」

 

 ゼニアルゼ商人が、東方での商売のやり方について、不満が残っていたのは確かであるらしい。愚痴を記した日記などが、後世にまで残されている。

 それでも、これはむしろ西方商人への気遣いであったのだと、後の分析からも明らかになった。

 当時、東方国家において、西方交易によって貴金属の流出はそこまで危惧されていなかった。

 正確には、危惧される前に東方会社が対策を打ったため、表出するまでの時間を稼げた、ともいえる。――結果として、初期の優位な状況を利用し、細く長く儲けることができたのだ。

 当然その恩恵は、東方会社に所属する商人たち、全員が受けられた。ザラとモリーが、東方会社で辣腕を振るったからこそ、成し遂げられた偉業といってよい。

 

 ――そして、彼女らがこの世を去った後、東方会社が調子に乗って富を吸い上げたことがあったが、しっぺ返しもひどいものであった。

 もしミンロン商会が間に入っていなければ、東方会社とて、どうなっていたかわからないと、歴史家たちは意見を一致させている。

 

「まあ、東方会社に所属するのは、ゼニアルゼ商人ばかりじゃない。あの繊細な連中は、扱いに注意を要するが……。我が社は、クロノワークやホーストの商人がむしろ主流だ。ソクオチやヘツライの商人もいるが、こちらは少数。しかし、配慮が必要ないわけじゃない」

「特定の勢力への贔屓はよろしくない、というのが現状ですか。――クロノワーク商人は、文句ひとつ言わずに働いてくれていますが、随分と便利使いしている感がありますし、ホースト商人は節度こそ守っていますが、周囲と結託したがる傾向にありますから、勝手をさせるとゼニアルゼ商人以上に難しい。ヘツライ商人は短期的な利益ばかり見て、自分本位で後先考えない商売をしたがる。ソクオチ商人は一番数が少ないけれど、彼らの機嫌を損ねると、ソクオチの有力な職人からの交易品が滞る――と」

 

 代表職であるモリーは、寄り合い所帯だった東方会社の内部をまとめるのに、相当な苦労をしたと言われる。

 共同声明の発表後は、ゼニアルゼ商人も参加するようになったため、さらに厳しいかじ取りを迫られるようになったという。

 

「お前は、どことなく東方よりというか、あちらへの配慮ばかり考えたがるからな。――私がそれを指摘して、あれこれ骨を折ってようやく、一人前の代表としてやっていけてるわけだ」

「……お世話になっております。いつまでたっても、ザラの補佐がなくては、代表職も維持できない。貴女が傍に居てくれて、本当に良かったと思います」

「実務的な理由ばかり言われたら、私だってへそを曲げるぞ? 利用したいがために、嫁に迎えたわけではあるまいに」

「ええ、ええ。――失礼しました。私は、貴女が魅力的だから、妻にしたのです。女性として、伴侶として、その心も体も、私の一部として迎えたかった。貴方ほど美しくて立派な人は、他にはいません」

 

 彼女を知る誰もが意見を同じくする所だが、モリーは妻たちに対して言葉を惜しむことがなかった。

 節度を保っていたにせよ、職場でも砂を吐きたくなるような言葉を交わしていた――と。後世に残る文献を精査すると、その証言が正しかったことがわかる。

 そして、モリーの家庭が円満であったからこそ、各々が能力を発揮して商業的政治的に業績を伸ばすことができ、東方会社が躍進できた。

 それを思えば、まさにモリーの存在はそれだけで価値があったとも言えよう。

 

「その手で、他の奴らは納得するんだろうがね。――言葉の後には、行動も伴うべきだと私は思う」

「また、休日を調整しましょう。……お互いに忙しい時期ですし、兼ね合いもありますから、ね?」

「ああ、納得してやるさ。――その代わり、その日は私をずっと甘やかすんだぞ」

「もちろん。そこは、ごあんしんください」

 

 東方会社の代表と、副代表の会話は、そこで一旦途切れた。

 今は仕事に集中する時間だとわきまえていたからだが、休日を充実したものにするために、効率よく働くことが重要だったという事情もある。

 

 そして、モリーは完全に義務を果たした。休日の一日だけではなく、その後の一生も。

 彼女たちが後世において、偉人として称揚されるのも、そうした彼女の努力の成果であった。

 

 ザラとモリーの関係性は、いずれかが生を終える時まで、変わることがなかった。

 後世の歴史家は、書物と功績によって、その事実を理解するのである――。

 

 

 

 

【ザラのその後について】

 

 最初期は様々な役職を転々とするも、最終的には東方会社副代表に収まる。

 彼女だけは、モリーが退陣後も数年間、彼女の養子と共に東方にとどまり、また副代表の地位を守り続けた。

 彼女の家とその思想をこの地に根付かせたのは、ザラの功績であったと言われる。

 

 モリーの妻は、誰が欠けても現在に繋がらなかったという見解が一般的だが、後世への影響という意味では彼女がもっとも大きい。

 東西融和が実現し、大きな武力衝突が起こらなかったのは、まさにザラの実務能力と構想力の成果であるとも言われている。

 

 モリーとの付き合いが最も長い存在であり、その寵愛も他の妻とは一線を画していた。

 お互いのつながりの深さを示す書簡の存在は、数百年後の未来においても残り、彼女たちの良好な夫婦生活を垣間見せてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モリーです。色々ありましたが、わたしはげんきです。

 

 おおよその問題への対処が終わり、未来への備えを一通り実行し終えた。仕事終わりに机を片付けて、執務室の中で私は一人、明日からのことを考えていた。

 それもまた、適当なところで切り上げると、ため息をついてまた別のことに頭を回す。

 想定していたほど、現状は悪くない。各種の問題は簡単に解決する事柄ではないから、一つ一つ、慎重に経過を見ていく必要はあるにしても――。

 とりあえず、勝手な暴発などがない限り、私の代で破綻することはあるまいと思う。

 

「とにもかくにも、ここまで漕ぎつけられましたか。――まるで、奇跡のようだ」

 

 クロノワークの特殊部隊副長。その地位に満足していたし、これ以上の昇進を自ら望んだ覚えもない。

 国元で単純な騎士をやっていた自分が、東方に来る予定なんて、本来はなかったはず。ましてや代表職に収まることなんて、予想していなかったし、シルビア妃殿下から養子をもらうことになるとは、絶対に想像すらできなかった。

 それがなぜか、今はだいたい実現できている。もっとも、こうなることが必然だったなどというほど、うぬぼれてはいない。

 

 時代の動きが、東西の社会の接触が、環境を変化させ、たまたま適応できる個人に仕事が流れてきた。

 それを許される地位に私がいて、対応できるだけの人材が周囲にあり、結果として何とかなっている。……現状をふわっとした感覚で説明すると、そういうことになる。

 

「ある程度流されたところで、私の方から主導権を握りに行ったことですし、自業自得と言えばそれまで。――そして、一度得た主導権を手放すことは、もはや出来ない。事態は、そこまで進んでしまった」

 

 五年から、長くても八年。その間にどうにかするとしたら、かなり性急に事を進めねばならぬ。

 それでも出来ないことはできないのだし、無駄に焦っても失敗を重ねるだけだ。……だからこそ、周囲からの助けが重要になると私は思う。

 

「ザラがいるから、内部は問題ない。クッコ・ローセとメイルのおかげで、交易路の安全は保障されてる。クミンの情報網があれば、危険は事前に把握しやすい。それに、東方会社の人材は彼女たちだけじゃない。代表職としての権限を振り回せば、どんなことが起きても、対策を講じることができるでしょう」

 

 東方会社の代表、その執務室は結構広く、造りも豪奢だ。だが、それが見栄以上のものではないことも、私にはわかっていた。

 大事なのは、中身である。装飾が派手なばかりではない。そして東方会社は、実態も伴っているはずなのだ。

 東方会社の中核が我が妻たちであるということは、誇らしいといえば誇らしくもあるが――自分が彼女らに守られていることを、嫌でも自覚せねばならない。

 

「それが嫌だなんて、全然思いませんけれど。……いやはや、夫なんて立場も難しいものです」

 

 愛情を公平(平等に、ではない)に注がねばならないし、お互いへの対抗心やら嫉妬心なども適度にほぐしてやる必要もあった。

 別段苦痛ではないから、そこは問題ない。私たちの関係に懸念があるとしたら、私がどれだけ長生きできるか、という部分にこそある。

 

 私が死ねば、何もかもが即座に破綻する。それを理解することに、もはや何のためらいもなかった。だからこそ、事業が一段落するまでは、やすやすと死ぬことも出来ない――とも。

 

「……死に狂い、なんて言葉を思わなくなって、どれほど経ったでしょうか。以前は、意識しなくても行動が伴ってくるくらいには、実践できていたのに。今となっては――さて。どうなのでしょうね?」

 

 ――己の死を厭う。そんな自分に違和感を覚えなくなる位には、私は変わった。良くも悪くも。

 妻の許可がなければ、私は死にに行けなくなった。そして、彼女たちがそんな許可を出すことがないことも、私にはわかっていた。

 

 私自身、己を死地に置くことを躊躇うつもりはない。だが、確実に死ぬことがわかっている戦いなら、戦死よりも降伏を選ぶことになる。そうした心持になっている自分が、ここにいた。

 

「……帰りましょう。我が家へ」

 

 職場を後にして、家路につく。ドヴールの街は、夕方になってもにぎやかだった。

 市場の明かりは、夜が更けるまで消えない。娼館は、明け方まで灯っていることがしばしばあった。

 人々の顔を見れば、西方人の姿もよく見かけるようになった。私は顔が売れているから、一人で歩いていても絡まれることはないが、治安のほうはまだまだ改善の余地がある。

 

 たとえクミンからの情報があっても、裏道まで目を行き届かせるのは不可能に近く、クッコ・ローセがいかに衛兵を鍛え上げても、絶対数が足りない。鬼札であるメイルを治安維持に使うほど切迫していないし、ザラは現状でも多くの仕事を抱えていて、治安自体はそこそこ保たれている以上、優先度は低い。

 それでも、西方人が暴力沙汰に巻き込まれる話は、私の方にも偶に飛んでくる。商工会長とも打ち合わせて、近日中には、総督府に警備強化を願い出ることになっているが――さて、どこまで手を入れられることか。

 

 やはり、長い目で見ていかねばならない部分である。注意は向けておかねばならないが、これからすぐに治安が問題化する可能性は、まだ低い。力技で強引に解決するのは、最後の手段にしておきたいところだった。

 

「ただいま帰りました」

 

 何度繰り返したかわからない、お決まりの言葉とともに、帰宅する。……わかっていたことだが、まだ皆は帰ってきていないようだった。

 みんな忙しいからね、仕方ないね。私が一番早く帰れたのは、一番偉い奴が一番遅くまで仕事をしていると、部下が休めないから――と説得されたからである。そんなん気にせず休めよ、と私が言っても効果がないのだから、もう仕方がないものと諦めた結果が、これだった。

 

 しかしこうなると、夕食は遅くなるが、今から用意せねばなるまい。警備は充分でも、使用人を入れていないからね。

 よって自分で作ることになるが、これはこれで、また味なものだと思う。

 愛する人たちの食事を、自分の手で作ることができる。その感想を直接聞いて、楽しむことができる。……この贅沢は、一度味わったら、なかなか手放せるものではなかった。

 

「帰ったわよ。――あ、いい匂い。モリー、今日は何作ってくれるの?」

「ただいま帰りましたよ。……今日も甲斐甲斐しいですね、モリーさん。貴女に尽くされるという経験は、何度重ねてもいいものです」

 

 メイルとクミンが、共に帰ってきた。妻同士の相性はあるが、なんだかんだで良い具合に落ち着いた二人である。

 今日のように、家路を共にする機会も、最近は多くなっていた。

 

「おっと、もう帰ってたのか。モリーはともかく、他の二人よりは早いかと思ってたんだが」

「今日は土産も買ってきたから、流石にそれはないでしょう、教官殿。……モリー、今からで悪いが、いい魚を買ってきたんでな。こいつを適当に料理してくれないか」

 

 クッコ・ローセとザラは、職場が近いから一緒に帰ってくることもある。私の執務を手伝うときもあるから、その時は別なのだが――。

 今日は、ついでに買い物もしてきたようで、私にそれを差し出してきた。急な注文だが、これに応えるのも夫の甲斐性と思って、喜んで受け取った。

 

「今日もいい日ですねぇ、まったく」

 

 自分が仕事を終えるのを待っている妻たちがいて、自分が作らなくては、彼女たちはすきっ腹を抱えねばならないのだ。

 どこに出しても恥ずかしくない、傑物である彼女らを、私が養っている。そんな現実に満足感を覚えつつ、これからも皆と過ごしていくのだろう。

 

「何か手伝えることがあるなら、言ってくれ。私もこいつらも、ちょっとは家のことだってできるんだからな」

「洗濯に掃除にと、家事は分担してもらってますから。朝と夕の食事くらいは、私に任せてくださいな。それが、私の喜びでもあるのですよ、ザラ」

「そうか。……そうか。なら、楽しみを奪う方が無粋だな。待っているから、ゆっくりやってくれ」

「ええ、腕によりをかけて、美味しく料理してあげますから。いましばらく、お待ちくださいな」

 

 鉄火場は遠くなった。死に場所を戦場に選ぶことは、もうない。

 ただの一騎士だった自分は終わって、いまや比較にならぬほど、多くの命を背負うことになった。随分と様変わりした我が人生だが、それでも他愛のない幸福を実感して、生きることができる。

 その事実を噛みしめるように味わいながら、これからも生きていこう。彼女たちの為に生きて、死ぬのはそれからがいい。

 私はようやく、それこそが自分の『夢』なのだと自覚することができた。この幸福な生き方をつらぬくことが、今の私にとって、何よりも優先すべきことなのだから――。

 

 

 

 

【モリーのその後について】

 

 元はクロノワーク騎士であり、特殊部隊の副隊長に過ぎなかった。

 しかし数奇な運命により、東方会社の初代代表に就任。代表職を十年間務めたが、これは歴代でも最長の期間である。

 その間に積み重ねた実績も、他に類を見ないほど大きく、モリーの存在そのものが、当時の東方会社の命綱だったともいえる。

 

 代表職の退陣後は、オサナ王子とエメラ王女の結婚と即位に立ち会い、二人の直臣として仕えることになる。東方会社とはその後もつながりを持ち続け、終身顧問として一定の影響力を確保し続けたという。

 

 ソクオチに入ってからは、諜報を掌握する権限を得、内乱を未然に防ぎ、人心が王家から離れぬようあらゆる工作を駆使したと言われる。

 国内が落ち着いてからは、東方会社から高度な教育を受けた移民を旋回することで、殖産にも貢献。

 その伝手を最大限に生かすため、外交折衝の権限を与えられた結果、ゼニアルゼやクロノワークとの従属関係を解消し、対等の地位を勝ち取ることに成功。この功績をもって、ソクオチの宰相位へと昇り詰めることになる。

 

 モリーの成功の裏には、優秀な妻たちの存在が常にあったという。これから百年にわたって、ソクオチは発展の時代を迎えた。それはまさに黄金時代と呼ぶべきものであり、基礎を作った彼女たちの功績は、後世にも広く伝えられている。

 

 宰相位を三十年に及び勤め上げると、育て上げた後任に全てを託し、引退。妻たちを全員見送った約一年後、自らもその後を追うように他界した。

 モリーも、その妻たちも最後においては後悔もなく、幸福な生涯であったと言い残している。

 彼女らは、自分に課した使命のみならず、個人の幸福も全うした。ここまで完成度の高い人生を送った者は、当時においてすら稀であったろう。

 

 

 もう一つ、モリーが主導した大きな事業。東西融和の実行とその精神は、後世にも受け継がれ、致命的な対立に至ることは、ついになかった。

 まるで先が見えているかのように、的確な対策を打つことで、お互いへの隔意と偏見を助長させることなく誤解を解き、お互いの理解を進めていく。

 事故や訴訟の類によって、歩みが止まることはあったが、代表職から顧問に代わった後も、東方情勢には気を使い続けた。

 

 その姿勢が次代にも伝わり、西方と東方は、適切な距離感を保ったまま、近代まで平和な時代が維持されていく。

 戦争に巻き込まれることもあったが、その後はやはり通常通りの交易を続けた。東方会社はそれを見届けた後、存在意義はもはやないことを理解し、会社の歴史の幕を下ろすことになるのだが、それはまた別の話である――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クロノワークとソクオチは、お互いの血を結ぶことによって、その交流を深めていく。

 東方会社の代表はクロノワークの騎士であり、後にはソクオチの宰相にもなったことから、縁でつながれた二国はやがて、数世紀の歴史を経て、一つの国家になるのだった。

 エメラ王女とオサナ王子の結婚から始まった、そのつながりは、国民同士をも結ぶ結果となる。

 

 当初、おっかなびっくりに始まった交流政策が、長年続けていくうちに通年行事になったこと。政策を維持し、国民同士の友好関係を築き上げられるよう、政治面での支援が繰り返されたことが、喜ばしい結果につながったと言われている。

 

 

 

 

 ゼニアルゼはその経済力によって、軍事力を拡大。東方を通じた交易は莫大な利益を生み出し、世代を経た後は世界交易を差配するまでになる。

 だがやがて近代から現代に至る過程において、西方全体を巻き込む大戦が勃発し、西方の盟主の地位から転落。

 以後は西方の一国家としての地位に落ち着くことになったが、かつての国威は残り、西方有数の大国として、その国体を維持していく。

 

 シルビア妃殿下は、偉大な国家元首として、その名が知れ渡っている。その子や孫については、数世紀後には、学者でもなければ覚えている者のいない名となっていた。

 

 

 

 

 いずれも、一人の女騎士。副隊長に過ぎなかった、モリーという人間が関わっている。

 そして、彼女がいなければ、ゼニアルゼもクロノワークも、あるいはソクオチでさえも。多大な恩恵を得ることなく、時計の針は大きく進むことなく、試練の時を迎えていたのかもしれない。

 

 クロノワーク騎士、モリー。その彼女の妻たちの名声は、数百年の後も陰ることなく、社会に広く伝わっている。

 時代を動かした人として、あるいは東西融和の象徴として。何よりも、一から身を立てて、大望を成した女性として。

 多くの人々の目標となり、偶像として尊敬されることも多く、現代においても大きな影響力を残しているのであった――。

 

 




 二十年以上、適当に文章を書き散らしてきた筆者ですが、長編のあとがきを書くなんて初めての経験になります。

 ここまでくると、案外言葉など出てこないものですが、ちょっとだけ。

 感想が本当に欲しかったけれど、こんな雑な展開で終わらせる以外に、私にはどうしようもありませんでした。
 だから、恥ずかしくて口に出せなかったというのが本音なのです。

 けれど、とにもかくにも物語を終わらせた今、出来れば読者からの感想が欲しい、と本気で思いました。
 贅沢なことをいっているという自覚はありますから、無理のない範囲で、よろしければお願いいたします。


 ここまでお付き合いしてくださった、読者の皆様方。
 私の作品を読んだ後、なにかしら、心に残るものが、ありましたでしょうか。
 少しでもあったなら、嬉しく思います。ただの時間つぶしであったとしても、読者の皆様から時間をいただけたこと、心から光栄に思います。


 次回作は、鬼滅の刃を考えています。
 お労しい兄上を題材にして、その生涯を追っていく形にしたいのですが、題材が題材だけに慎重を期したいので、時間が掛かるかもしれません。

 他にも書きたいものは多いのですが、おいおいやっていければいいなぁと思いつつ。今は、筆を置くことにします。

 では、これにて。縁があれば、また筆者の物語を読んでくだされば幸いです。




※活動報告において、新作の進捗状況について、何かしらつぶやくことがあるかもしれません。
 お暇があれば、たまに除いてくださるとうれしく思います。




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