仁川麻子の高校生活 (ぷよん)
しおりを挟む

【旧】1章 出会い編
1話 転生


「……」

 

 とある一軒の住宅の一室。そこで一人の少女が目を覚ました。髪の短い日本人形みたいな、地味で小学生並に小さいその少女は、今の自分の状況を確認すると、もそもそと着替えながら登校の準備をし始めた。

 

「麻子ー、起きてるー!?」

「大丈夫」

 

 母親に呼ばれた少女――仁川麻子は、母親にそう返事すると、『慣れない様子で』服を着替え始めた。何故麻子が高校生になっているにもかかわらず、着替えそのものに手間取っているのか。それは彼女がここに『生まれた』ことに理由があった。

 

 

―――

 

 

 遡ること数時間前。『彼』は『別の世界線の未来』において、若くして突然静かにこの世を去った。世間的には特に名の知られている人物ではなく、せいぜい村人A程度の存在感でしかなかった彼であるが、ことその日本の『裏麻雀界』においては、彼を知らぬ者はいないというレベルには知られていた。

 

 彼は神出鬼没で悪魔じみた打ち方をすることで知られ、対局した者を精神的に丸裸にすることでも知られていた。そう、何を隠そう彼は『人鬼』、『傀』であったのだ。傀がこの世を去ったということは、裏麻雀界で瞬く間に広がり、激震を与えた。あの神か悪魔かの存在かのように思えた傀も人間であった……ということが衝撃だったのかどうかは定かではないが、ともかくそれほどまでに彼は影響を与えていたのである。

 

 しかし彼はその得ていた地位、財産には特に未練も何も無かった。どこぞの白髪の雀士の如く、そのようなものには興味が無かったのである。それよりも彼が求めていたのは、麻雀であった。それも、なるべく強い打ち手を。それしか生き方を知らない、という訳ではないものの、やはり彼のアイデンティティとも言えるものは麻雀であったのである。

 

 そんな、欲があるのか無いのかよくわからない彼に対し、ある神が興味を持った。金でも地位でも無く、麻雀を求める。そんな常人からはかけ離れたような、死んで魂だけになった彼に接触を図ったのである。

 

「――よ、お主の願い、叶えられないこともないぞ」

「……ふむ、続けてください」

 

 滅多に見せないような、純粋に興味を持った傀の表情。本来相手は人間であるにもかかわらず、まるで傀に値踏みされているかのような錯覚を覚えた神であったが、そこは流石の神。すぐに立て直すと、続けて口を開いた。

 

「お主がこれから行く先は、麻雀が世界的に広まって表に認められた世界。そこで様々な魑魅魍魎達と対局をすることになる。相手には退屈しないじゃろう」

「……」

 

 傀は無言であったが、表情からして続けてくれ、と言わんばかりであった。ここまでで、傀としてのこのような純粋な顔を見ることができたのは、生涯、そして死んでからも通してこの神しかいないかもしれない。手ごたえを感じた神は、更に続きを話し始めた。

 

「ちなみに行く先は長野県の、ある何でもない高校じゃ。そこでお主は高校生雀士として打っていくこととなるじゃろう。お主の性格からして、最初から有名なところに行くよりも、その方がより楽しめると思うぞい。もし行くのなら、ある程度の情報も授けてやろうと思っとる。麻雀ではなく、日常生活で必要な知識じゃな」

「……わかりました、いいでしょう」

 

 どうせ死んだ身である。こうして新しい生を得られるだけでも貴重なのだ。日常生活で使う知識というのが傀には少し気になったが、あえてそこには深く突っ込まなかった。そこの部分を知らなくとも、それはそれで面白そうであったからである。こうして、傀、もとい仁川麻子――後に『清澄の黒い悪魔』と呼ばれる高校生最強雀士が誕生することとなった。

 

 

―――

 

 

 そんな麻子は、初めて身につける女性用着衣の扱いに四苦八苦していた。一応前情報の知識として、(ある程度の家族構成とか経歴と一緒に)神もそれの扱い方を教えてくれてはいたが、それでも今まで男だった身としてはすぐに扱えるはずもなく。

 

「(……失敗した……)」

 

 おそらく麻子は前世も含めて生まれて初めて、後悔という感情を僅かながらに抱いたのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 邂逅

基本的には、(特に初めは)原作沿いで話が進みます。


「……いってきます」

「気をつけるのよー!」

 

 何とか制服に着替え終わり、麻子は朝食を済ませて玄関まで来ていた。そしてこの短い時間の中で、麻子はわかったことがあった。

 

「(……違和感、しかない……)」

 

 それは自身の格好に、であった。今までは男として生きてきたがために、スカートを履いて行動するということに違和感しかなかったのである。下半身が解放されているため、風通しがよくスースーするのであるが、どうもその感覚が気持ち悪くて仕方が無いようであった。

 

「(しかし……慣れるしかない……)」

 

 しかし愚痴を言っても始まるわけでもないので、仕方なく麻子はそれを受け入れ、登校するのであった。ちなみに清澄のスカートはおおよそ膝丈あたりまでが普通であるため、これでもかなりマシな方であると言えるのだが、それを麻子が知るのはもうしばらく後の話である。

 

 

―――

 

 

 もうすぐ初夏に入ろうかというこの時期に転入生、というのは珍しいものである。そして珍しいものは目を付けられやすい。こと麻子においても、それは例外ではなかった。まだ中学から上がりたての高校1年生という学年であれば尚更である。とはいえ、元々平時は物静かな性格をしている麻子は、初日から変に注目を集めすぎたりすることなく、自然とクラスに溶け込んでいた。そして2、3日もすると、麻子はまるで入学式から一緒にいた学友かのようにクラスに馴染みきっていた。その中でも特に仲良くなったと言えたのは、おとなしめの文学少女である宮永咲、そしてその幼馴染である須賀京太郎であった。

 

 転入から数日した、ある晴れた日のことである。午前のみの授業のため午後が丸空きになった二人は、その生まれた長い放課後の時間を使い、学校近くの川のほとりに腰掛け、静かに本を読んでいた。元々本や新聞を読んだりするのも好きであった麻子は、偶然読んでいた本が同じであったことから、同じく読書家である咲とすぐに意気投合した。そして今は、人見知りの咲にしては珍しい彼女からの申し出により、こうして晴天の下、お互いのお勧めの本を交換して読んでいるのであった。

 

「……」

「……」

 

 二人とも無言であるが、その無言はどちらかと言うと心地よい無言と言えた。麻雀ばかりが取り沙汰されていた麻子であったが、こういった時間も嫌いではない。傀時代のあまりの大暴れっぷりから孤高の人物と思われていた麻子だが、別段人付き合い自体はそう悪くないのである。そういう意味では、既に人間らしい部分はきちんと存在していたのだ。ただし麻雀の部分だけを切り取って見た場合に限っては、人間らしい部分が皆無に近いというのは事実としか言えなかったのだが……。

 

「(……こういった、平穏な日々も悪くはないものですね)」

 

 誰に言うでもなく、麻子はそう思った。

 

 

―――

 

 

 読み始めてしばらく経った頃。ふと咲が顔を上げ、つられて麻子も同じほうを向いた。その視線の先には……

 

「(綺麗な人……)」

「(……)」

 

 同性の咲ですら、思わず見惚れてしまう美少女が少し遠くを歩いていた。学年色のスカーフを見るに、どうやら自分と同じ1年生であることに気付いたようだ。

 

「(あれで同じ1年生かぁ……)」

「(……最近の子は発達が著しいのでしょうか)」

 

 素直に羨む咲に、ちょっとピントのずれた考えをする麻子。そんな二人に、更なる来訪者が現れた。

 

「咲~! 麻子~!」

 

 麻子のもう一人の友人、須賀京太郎であった。

 

「京ちゃん!」

「須賀さんですか」

「だから京太郎でいいってのに。まぁそれはいいや、学食行こうぜ!」

「えぇ……でも折角麻子ちゃんから貸してもらってる本だから読まないと……」

「学食でも読めますし、良いのでは? ただどうして学食へ?」

「いや、さ、今日のレディースランチがすっげぇ美味そうなんだよ! だからさ、お願い!」

「……」

「それだけのために食事に誘うって、どうなの……?」

 

若干呆れ顔の咲に、美味しそうという単語にやや反応した麻子。実はこの体になってから、麻子は若干食い意地が張っていた。今まではタバコを吸うことで様々な欲求を抑え込んでいたのだが、残念ながら未成年の体になってしまった今はそれが通用しない。よって、代わりにそれが食欲のほうに向いてしまうのであった。ただ、元の体と違ってかなり小柄な体の割にいくら食べても太らなさそうであるのは、何かそういった特殊な力があるのか……は定かではないが。

 

 

―――

 

 

「はい、レディースランチ」

 

 京太郎の代わりに食堂でレディースランチを頼んだ咲が、京太郎のいる机に戻り、手に持っているランチセットを京太郎に渡した。それを見た麻子は、その様に思わず呟いた。

 

「まるでいいお嫁さんですね、宮永さんは」

「中学で同じクラスなだけだからね! 嫁さん違うよ!」

「真っ向否定されると、それはそれでちょっと悲しい気分になるんだが……」

「(違和感は無さそうですが……)」

 

 実際、麻子以外にも、この二人がまるで夫婦みたいだとからかう者はいない訳ではなかった。それは主に京太郎の腐れ縁である悪友であるのだが、別段彼らも嫌がらせとかで言っている訳ではなく、実際純粋にそう見えたから言っていただけである。実際、中学生のときに同じクラスであったという割には、それ以上の仲の良さが見えるのは確かであった。

 

 麻子と咲が本を読みながらレディースランチを食べ終わるのを待っていた時、京太郎は食べながら携帯のゲーム機みたいなものを触っていた。ふとその音に反応した咲が京太郎に問いかけた。

 

「メール?」

「ん? いや、麻雀」

 

 麻雀。その単語を聞いた瞬間、麻子と咲の表情が変わった。

 

「京ちゃん、麻雀するんだ」

「まだ役もロクに知らないけどな! でも麻雀っておもしれーのな」

「私は麻雀嫌いだな……」

 

 表情を僅かに曇らせる咲。その表情を見逃す麻子ではなかった。この時点で、咲に麻雀絡みで何かがあったことをすぐに悟っていた。だが、雀士として向き合うときはともかく、そうでない平時のときにまで他人の何某に踏み込むほど、麻子は相手のことを想えない人ではなかった。

 

「え、何? 咲って麻雀できんの?」

「できるっちゃできるけど……家族麻雀でいつもお年玉巻き上げられてたからキライ……」

「……」

 

 この場では何もしていないにもかかわらず、麻子は思わず半笑いで、咲から少しだけ目を逸らしてしまった。お金を巻き上げる、という行為に対し心当たりがあまりにも多すぎたからである。もっとも、麻子も当時は傀として裏麻雀界で暮らしていた訳なのだから、その世界の中では当然のことであり責められるべきことではない。のだが、どうしても自身の行いが咲の受けた仕打ちと重なってしまい、最近生まれた良心が少しだけ痛んだのである。

 

「そ、そうか……麻子は麻雀できんの?」

「……まぁ、一応は」

 

 本当は一応なんてものではないことなど、麻子は百も承知していたが、ここで今いらない事を言う必要もないと判断して適当に誤魔化した。その心情を知ってか知らずか、京太郎は一人で少しだけぶつぶつと呟くと……

 

「もひとつおまけに付き合ってくれるか? メンツが足りないんだ、麻雀部」

 

 そう二人に向かって言った。その相手が、後に『清澄の白い魔王』と『清澄の黒い魔王』と呼ばれる存在となることも知らずに。




台詞がちょこちょこ違ったりするのは仕様です。
そしてこの時点で魔王確定な咲さんの運命や如何に。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話 調整

 本校舎から少し離れた場所にある、今は寄り付く人の少ない旧校舎。その屋根裏部屋に清澄高校麻雀部は存在していた。

 

「ようこそ、お嬢様方」

「何がお嬢様だ……それに私、麻雀はキライって……」

「おーい、カモ連れてきたぞー!」

 

 咲の主張は悲しいかな、京太郎には欠片も届かなかった。それどころか二人をカモ呼ばわりしながら、部室の扉を開け放つ有様であった。もっとも、咲はともかくとして麻子は全く気にしていなかったのだが……。

 

「「「!」」」

 

 中に入ると、その中にある雀卓の一番奥、すなわち麻子たちと向かい合う形で座っていた、河原で見覚えのある少女がいた。その少女の反応を見るに、どうやら向こうも気付いていたらしい。

 

「さっきの……」

「え、 咲、和のこと知ってんの?」

「先ほど橋のところで、本を読んでいた方々ですね」

「ぅひ、見られてたんですか……」

 

 見られていたという恥ずかしさから、思わず変な声を上げる咲。基本的に彼女は人付き合いが苦手であり、授業とか以外で誰かに見られるという経験がほとんどなかったのであるから、仕方がないと言えば仕方がないのかもしれない。

 

「……和さんは、どのくらい麻雀を打てるのですか?」

 

 麻子が純粋な疑問として皆に聞いた。どうやら咲もそれを知りたかったらしく、教えてくれと表情が物語っていた。

 

「え? もしかして二人とものどちゃんのすごさをわかってないんだじぇ!?」

「ひゅいっ!?」

 

 突然物陰から元気良く飛び出してきた少女――片岡優希に、咲はまたも変な声を上げながら驚いていた。そんな咲もおかまいなしに、優希は楽しそうに説明を続けた。

 

「なんてったってのどちゃんは昨年のインターミドルチャンピオン……つまり全国の中学生の頂点に立ってたんだじぇ! しかもご両親は検事さんと弁護士さん、さらにとってもかわいいんだじぇ! だから男子にも女子にもモテモテなんだじぇ!」

「ちょっ、優希っ……! お、お茶を入れてきますね!」

 

 褒め殺しされることに慣れていないのか、顔をほんのり赤くした和は、その場から一度逃げるようにお茶を入れ始めた。白を基調としたシンプルなティーセットでお茶を用意した和は、ひとまずは落ち着いたようだった。

 

 

―――

 

 

 立ち話も何だということで咲が雀卓の席に着き、麻子がその近くの、雀卓から少し離れた椅子に座り、しばらく雑談していたときのことであった。

 

「ところで部長は?」

 

 本来もう一人いるはずの部員がいないことに気付いた京太郎は、和と優希の二人に居場所を問いかけた。それに対し和は、少し呆れたような残念そうな声で答えた。

 

「今は奥で寝てますね……」

「折角新入部員が二人も来たのにもったいないじぇ」

「それじゃ、先に俺らで打っちゃいますか」

「……え」

 

 勝手に優希に新入部員扱いされた挙句、京太郎は突然麻雀をしようと言い出した。それに対し、咲は動揺していた。もっとも、一応ここは麻雀部であるのだから、冷静に考えればいつ言われてもおかしくなかったのだが……。

 

「そ、そうだ、麻子ちゃん打つ?」

「いえ、私は見学します。なので宮永さん、どうぞ」

「(ハメられた!)」

 

 麻子は元々、今打つつもりはなかった。まずは全員の実力を知りたいと考えていたからである。咲の少し後ろという雀卓から離れた位置に陣取ったのも、見学に自然と移るためであった。もっとも、咲からすればそれがトラップだったと感じてもおかしくなかったのだが……。

 

「(どうしてこうなった……)」

 

 咲は己の不幸を、少しだけ呪ったのであった。

 

 

―――

 

 

「ルールは25000の30000返し、ウマは無しでいいか?」

「はい」

「タコスうまー」

「(……そういや、家族以外と打つの、初めてだな……)」

 

 咲にとっては初めての、家族麻雀以外での麻雀。その東一局の中盤のことであった。優希が{横③②④} {北横北北} {横⑥⑤⑦}と晒しているのがとにかく目立つ状況である。

 

「……」

 

 咲は卓を少しだけ眺めた後、{③}を切った。どう見ても明らかに混一の気配満々な優希に対して危険牌である牌である。

 

「ロンだじぇ! 混一で2000!」

「筒子集めてるの見え見えの状況で振るか? フツー……」

「ははは……」

 

 傍から見れば振るほうがおかしいとも言える状況であったのは確かである。この振込みから、和、優希、京太郎は咲が初心者であると考えていた。しかしこの中で一人、そう考えない者がいた。言うまでもなく、咲の後ろにいた麻子である。麻子は見ていたのだ。咲が{③④⑤}の出来面子から、面子を崩してまで振込みにいったのを。しかも他には筒子を持っていなかったにもかかわらず、である。

 

「(……なるほど、面白い人ですね、貴女は)」

 

 こと麻雀においては神をも超えているとも言われたりしていた麻子は、一人この異常な打ち手を見ながら面白がっていた。

 

 それから小競り合いが続き、オーラスの南四局。突出してのトップだったり、逆に大凹みしてのラスはおらず、誰もがトップを狙える状態であった。トップの和と3位の咲はおおよそ3000点程度であり、直撃でなくとも3900を和了ればトップになる状況であった。そんな中、最下位である京太郎が逆転を狙い、{①}を切ってリーチをかけた。

 

「ごめん、それロン」

「なんですとォ!? てかタンヤオ三色捨てるのってどーなん!?」

 

 そう。咲の牌姿は{二三四六六234②③④⑤⑥}。{④}-{⑦}で和了ればタンピン三色の手であり、文句なしの逆転であった。そのはずだったのだ。

 

「素人にも程があるぞ!」

「ほへん……」

 

 逆転手を潰された挙句、その和了がトップに立つものですらなかったことに腹を立てた京太郎は、咲のほっぺを人差し指でもにもにとつついた。結果として、和がトップで+23、続いて僅差で2位であった優希が+2、咲が±0、京太郎が-25という結果となった。

 

 続いて半荘2回目。麻子は咲の打ち筋を見るため、先ほどと同じく咲の後ろについていた。そしてその打ち筋を見て、ある確信を得る。

 

「(間違いない。宮永さんは確実に、わざと振り込んだり安手にすることで点数を調整している。そしてその行き着く先は……)」

「今回も和の圧勝かー」

「ありがとうございます」

「(……圧勝、ですか……)」

 

 和+31、咲±0、優希-12、京太郎-19。麻子の予想した通り、咲はまたしても±0になっていた。そして麻子以外が咲のその異常性に気付かぬまま、半荘3回目が始まった。

 

 

―――

 

 

「それにしても咲の麻雀はパッとしないなー」

「点数計算はできるみたいだけどねぃ」

「(……)」

 

 和が連続でトップを取っているため、確かにパッとしないスコアであることは確かではあった。しかし麻子は、トップよりも±0を、しかも意図的に調整して取ることができる咲の打ち筋は、パッとしていないどころか一番目立っているとさえ考えていた。とはいえこれは、実際に打っている者には気付きにくいものであった。麻雀は普通トップを目指すものであるのだから、その範囲外にいる咲は確かに目立たないのだろう。と、麻子がそんなことを考えていたりいなかったりしていたときであった。唐突に夕立が降り始め、更に雷まで鳴り出した。

 

「うわっ、雷!」

「夕立が来ましたね……」

 

「うそっ!? 私傘持ってきてないんだけど!?」

 

 夕立が降り始めたタイミングに合わせて、雀卓の奥に設置されていたベッドから唐突に人影が起き上がった。その姿を見た咲が驚きの表情になった。

 

「……って、生徒会長!?」

「んー、ここでは生徒会長じゃなくて学生議会長よ」

「でもどうして……」

「そりゃあ麻雀が好きだからよ。じゃなかったら私がここにいる訳ないもの。っと、自己紹介が遅れたわね。私は竹井久。貴女達が今日のゲストかしら」

「仁川麻子です。最近こちらに越してきました。よろしくお願いします」

「み、宮永咲です……ども……」

 

 流れで自己紹介を済ませた3人。そして久は流れのまま、麻子と同じ位置、すなわち咲の後ろについた。

 

「(へぇ、タンピン三色の綺麗な手じゃない)」

 

 今の咲の手は{六七八③④⑥⑦⑧22678}。確定タンピン三色であり、最低でも7700である。今の雀卓の設定は赤牌を抜いているため、7700は結構な高い手である。

 

「(さて、そんな宮永さんのスコアは……っと……ん?)」

 

 久も気付いたのだろう、PCの画面に映るその成績表の違和感に。そして更に後ろから爆弾のような一言が聞こえてきた。

 

「ロンです、1000点」

「!?」

 

 咲から聞こえてきたその発声に、久は驚きを隠そうともしなかった。何故ならさっきまで見ていた手は7700は堅い大物手とも言える手であったのだ。それが何故1000点に? 高くなるなら手が進んだということでわかる。しかし安くなるには相応の理由が必要だ。たとえば危険牌を回し打ちした結果とかである。しかし。

 

「({六}と{九}を入れ替えたから1000点になった。それはわかる。でも{九}はぱっと見ても危険牌に見えない……まさか!?)」

 

 ここにきて久は、何故咲がそんな奇妙な打ち回しをしたのかに気付いた。そして再度、PCの画面を確認すると、焦ったような声でオーラスを終えた卓上の人に質問した。

 

「今回の宮永さんのスコアは!?」

「またプラマイゼロっぽー」

「!」

 

 三連続±0。事象としてはひどく単純なものであるが、実際にそれを実現しようとすると不可能に近い現象である。端的に言ってしまえば人間業ではない。そしてその異常性に気付いたのは、久だけではなかった。

 

「(……何か違和感を覚えていましたが、そういうことだったんですね……!)」

 

 インターミドルチャンピオン、原村和。少なくとも同年代の中では非常に強い打ち手である彼女も、咲のその異常な闘牌に気付いた。そしてその予想が正しいか、和個人としては外れてほしいと願いながら、咲に質問を投げかけた。

 

「もしかして宮永さん、わざと±0を狙っていますか?」

 

 その質問をした瞬間、一際大きい雷が部室内に響き渡った。雷の光が部室を包み込む中、そこで一瞬見えた咲の表情は、どこまでも続く深淵のような、全てを呑みこむ様な昏い表情に見えた。

 




深刻な若者の人間離れ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話 覚醒

「もしかして宮永さん、わざと±0を狙っていますか?」

 

 普通では考えられない、下手しなくともトップを3連続で取るより遥かに難しい、3連続±0というスコア。これが狙って出したものであれば、咲は和より遥かに格上の強さを持っていることになる、と言っても過言ではない。まだ精神的には成熟しきっていない和には、その現実をすぐに受け止めるのは難しかった。だから和は否定して欲しかった。これはたまたま、偶然の出来事であると。しかしその期待は裏切られることとなる。

 

「はい、そうです」

 

 うっすらと笑顔を浮かべながら答えた咲。しかしその笑顔は、目が一切笑っていなかった。と言うよりは、そもそも目に一切の感情が宿っていないようにも見えた。その威圧感溢れるオーラの前に、麻子を除いた皆は言葉を失った。

 

「私が打つと、いつもこうなるんです。家族麻雀で、負けたらお年玉を巻き上げられるけど、勝ったら勝ったで怒られたから、勝たないけど負けない。そういう打ち方をしてたら自然とこうなっちゃったんです」

 

 京太郎と麻子は、この時に学食で咲が言っていた、『できるっちゃできるけど……家族麻雀でいつもお年玉巻き上げられてたからキライ……』という言葉の本当の意味を理解した。理不尽を突きつけられ、それでも耐えなければならない。そんな、幼子にとっては地獄とも言えるような環境に適応しなければならなかったのだ。その結果が、±0を取り続けるという異様な打ち筋として表現されたのである。そしてそんな中では当然、麻雀を楽しめるはずもない。キライ、と言うのも道理であった。

 

「……」

 

 咲の告白に対し、重い沈黙が続く。その状況を打破したのは麻子であった。

 

「では、勝つ楽しさ、嬉しさを知ってみればよいのではないでしょうか」

「へ?」

 

 麻子のある意味で非常に単純な提案に、咲は先ほどの禍々しいようなオーラが消え、まるで炭酸が抜けたソーダのような間抜けな顔を晒していた。それを考えたことがなかった訳でもないのだが、しかしそれは楽なことではない。簡単なことのように麻子は言うが、しかし咲にとってそれが非常に難しいことであるのは、咲本人でなくともはっきりとしていた。

 

「でも、私が打つといつも±0になっちゃうんだよ。どうすれば勝てるの?」

「これは一例ですが、宮永さん以外は33000点、宮永さん自身は1000点だけ、という状況から始まると想定して打ってみてはどうでしょう。代わりにトビはなしということで」

「……なるほど」

 

 麻子の提案に久が感心する。確かにその想定でいけば、咲は29000点前後を稼ぎ出すことになる。そうなればトップを取ることはたやすいだろう。但しそれは、咲が1000点スタートからでも±0を叩き出せるだけの実力、そして強烈な運があれば、の話ではあるが。

 

「……わかった、やってみる。ちょっと大変そうだけど」

 

 その言葉を発した咲の表情は、さっきの淀んだものではなく、新たな壁に挑むアスリートのようなものとなっていた。

 

 

―――

 

 

「やるのは大丈夫なんだけど、そろそろいい時間だから、東風戦でも構わないかしら?」

「大丈夫です」

 

 夕立も止み始めていた現在の時刻は夕方。半荘を打っていては流石に時間が足りないと判断した久は、咲に東風戦でも大丈夫か確認を取った。それに対し、咲のほうは気にしないと言わんばかりに返事を返した。

 

「(東風戦では局数が少ない故に点数の調整がしにくい。さて、これで調整が出来るのかしら)」

「(さっきまでのはただ偶然が重なっていただけ。4連続±0なんて最早オカルトの域。そんなオカルトありえません。それを証明して見せます!)」

「(29000点稼いでかつ、誰かをトップにする、か。ちょっと骨が折れそうだな……)」

 

 様々な思惑が交錯する中始まった東一局。その試合は咲の流れから始まった。

 

「リーチ」

「ダブリー!?」

「ツモ、ダブリー一発、2000・3900」

「じぇっ!?」

 

咲手牌:{一二二二三⑤⑥⑦⑦⑨777} ツモ{⑧} ドラ{發}{②}

 

 開幕でダブリーをかけ、更に一発ツモの実質満貫手を和了する咲。誰も追いつけないし邪魔も出来ない流れであった。

 

「そ、そーゆーのウチのお株なんですケド!」

「……」

 

 優希は自身の得意な東場の領域に踏み込まれたことに焦りを覚えていた。一方和は、その圧倒的な豪運にただ呆然としていた。

 

「ロン、8000です」

 

 しかし東二局、和が咲から満貫直撃をもぎ取る。

 

「(そのような運任せは所詮運、何度も連続して続くわけがありません! そんな偶然に頼ったものは、私には不必要です! それに、麻雀が好きじゃない人なんかに負けるなんて、そんなの悔しすぎます……!!!)」

 

 無意識の内にスカートの裾をぎゅっと握った和。クールな顔でありながら、和は内心咲に対し非常に対抗心を燃やしていた。インターミドルチャンピオンという肩書きを持っているが故のプライドと言えた。続く東三局。和の勢いは止まらなかった。

 

「ツモ、4000オールです」

 

 更に咲を突き放す親満ツモ。更にその1本場。

 

「ロン、4800の1本場は5100です」

 

 咲から更なる直撃をもぎ取った。これで点数差が更に離れ、勝利はおろか±0すら難しい状況になった。しかしそこで終わらないのが咲である。東三局2本場、遂に魔王の力の一端が、和たちに牙を向くこととなる。

 

「(うわっ、宮永さんえげつない手張ってるわね……)」

 

咲手牌:{四四四22288⑧⑧北北北}

 

 そう、咲は四暗刻を張っていたのである。とはいえツモ和了限定であり、出和了だと満貫になってしまう手ではあった。と、ここで咲がツモ前に、後ろにいる久と麻子に向けて質問を投げかけた。

 

「今日はこれ、和了ってもいいんですよね?」

「……?」

 

 いまいち要領を得ない質問に対し、久は回答に困っていた。しかし咲はその回答を待たずに牌をツモった。その牌は{北}であった。

 

「カン!」

 

 咲が嶺上牌に手を伸ばす、その刹那。久はその腕から花弁が舞っているような錯覚を覚えた。そして久はここにきて、咲が言わんとしていたことをうっすらと理解した。そしてそれと同時に、その理解したものを拒んだ。そう、久が考えたのは、咲は『この四暗刻が確実に和了れることを知っている』ということであった。

 

「(……いやいやいやいや、宮永さんがそれを言ったのは{北}をツモる前よ? それにそこをクリアしたとしても、嶺上開花で和了れる確率なんて非常に低い。四暗刻みたいな役満であれば尚更……)」

 

 必死に脳内で否定を重ねる久。しかし現実は、その否定したものが卓上に開かれていた。

 

「ツモ、四暗刻です!」

 

咲和了形:{四四四22288⑧⑧} {■北北■} ツモ{8}

 

 それはとても綺麗な、嶺上開花四暗刻であった。

 

 

―――

 

 

 波乱を迎えた東風戦もいよいよオーラスとなった。優希と京太郎は大凹みしており、特に優希は親番を早々に流されていたため非常に厳しい状況である。京太郎も厳しいことには変わりないが、ラス親という立場であるだけまだマシとも言えた。とはいえ、そんな状況下でも二人は最後まで諦める気はないようであった。

 

「(宮永さんは筒子の混一。{⑤}-{⑧}待ちね。捨て牌があからさまなせいで出和了りは望めなさそうだけど、無理やりツモることはできそうかしら)」

 

咲手牌:{①②②③③④⑥⑦⑨⑨北北北}

 

 6巡目ではあるが、萬子と索子を多めに切っているせいで染め手なのがよくわかってしまっている。そのためツモ和了に賭けるのがベターと言えた。しかしながらオーラスであるため、当たり上等で突っ張ってきた相手からの直撃も期待できなくはなかった。が、そこに変化が訪れる。

 

「リーチだじぇ!」

 

 気合の入った優希のリーチ。どうやら逆転の大物手が入っているらしい。その直後に咲がツモったのは{2}であった。それを見た二人は違うことを考えていた。

 

「({2}は優希の現物だから、そのまま捨てるんじゃないかしら)」

「(もし『狙うなら』{2}は残すべきでしょう、切るなら{⑥}と{⑦}です)」

 

 後ろで見ていた久と麻子の考えの違い。それは点数の認識の違いであった。一般的な目線で見れば、久の目線は全く間違っていない。しかし麻子はあることに気付いていた。そしてもし咲が本物であれば、{2}は残すべきだと考えていた。この分岐点で咲が選んだのは……

 

「(えっ、{⑥}切り? 確かに優希に筒子は安いから通りそうには見えるけど、{⑦}はともかく{⑥}は現物でもスジでもないのに……? 何で優希の現物の{2}を残したの……?)」

「(……でしょうね)」

 

 麻子が考えていた通り、{⑥}切りであった。そしてその『狙い』に呼応するかのように、咲は直後のツモで{⑨}を暗刻にした。

 

「じぇぇ……」

 

 2巡連続でツモれないことにより、若干意気消沈し始めた優希。その直後であった。

 

「カン」

「また{北}カン!?」

 

 先ほどの強烈な四暗刻の時にも晒された{北}は、まるで今日の綾牌にでもなっているかのようだった。晒してからドラ表示牌である{一}を開き一呼吸置いてから、咲は再度手を嶺上牌に伸ばす。先ほどは久だけが感じていたその花弁が、今度は全員の目に感じられた。その圧倒的な美しさに、周囲はただ息を呑んで見ているしか出来なかった。

 

咲和了形:{①②②③③④⑨⑨⑨2} {■北北■} ツモ{2}

 

「ツモ、嶺上開花。1200・2300です!!!」

 

 

―――

 

 

「ぐぇぇ、やられたじぇぇ……これからは京太郎には一日4回、餌として焼き鳥を上げてください……ガクッ」

「何アホなこと言ってんだ……それに焼き鳥はお前もじゃねーか。しかし……」

 

 京太郎は卓上に残る最後の局面を改めて見た。2局連続での{北}暗槓からの嶺上開花。しかも片方は四暗刻、片方は混一を崩してまでの嶺上ツモのみの手。そんなオカルティックな咲の和了により、東風戦が終了したのだ。目が何度も向いてしまっても仕方がない。しかし、このように王者としての風格を遺憾なく発揮したにもかかわらず、咲は微妙な笑いを浮かべていた。

 

「それでも勝つって難しいなぁ……」

「は?」

 

 咲が若干遠い目をしながら呟いた言葉に、思わず京太郎が素っ頓狂な声をあげた。

 

「え? だって今回も原村さんの勝ちだよね?」

「え?」

 

 突如話を振られた和も、京太郎と同じく素っ頓狂な声をあげた。と、ここで何かに思い当たった久がPCの画面前に行き、なにやら電卓を叩き始めた。そして叩くにつれて、その表情に驚愕の色が濃くなっていく。

 

「……うっそでしょ……じゃあ最後のアレはやっぱり意図的に……」

 

 叩き終えた頃には、久の顔は引きつった笑みに変わっていた。こりゃあとんでもない人材を発掘してしまった。そしてとんでもないものを目覚めさせてしまった。そう言わんばかりの表情であった。そんな久の後ろで、咲がその回答を皆に伝えるべく、続きの言葉を紡いだ。

 

「だって私は1000点スタートだから、また±0だよ?」

「「「えっ……」」」

 

 和、優希、京太郎が声を揃えた。その声色は、多くの疑問の中に微かな驚愕が混じっていた。そんな3人に咲が示した点数は、以下の通りであった。

 

和:38700点 +29

咲:30100点 ±0

京:16500点 -14

優:14700点 -15

 

「だから今回も原村さんの勝ちだよね」

 

 それに対して否を突きつけたのは、唯一最初からこの形の終わりを予見していた麻子だった。

 

「そんなことはありませんよ。確かに私は『宮永さん以外は33000点、宮永さん自身は1000点だけ、という状況から始まると想定して』打ってほしいとは言いましたが、実際には全員25000点からのスタートです。ですから実際は……」

 

咲:54100点 +44

和:30700点 +1

京: 8500点 -22

優: 6700点 -23

 

「こうなります」

「えっ……じゃあ……」

 

 勝った。その事実が咲の体を、頭を駆け巡っていく。もう自分には無理だと思っていた麻雀での勝利。それが今、幻でもなんでもなく現実として、自分の手に入ったのだ。咲の目は潤んでおり、表情も心からの笑顔になっていた。

 

「やった……!」

「……」

 

 それに対し、和はうつむいたまま、スカートの裾をまたもぎゅっと掴んでいた。そして急に立ち上がったかと思うと、そのまま荷物も持たず部室の外へ向かって駆け出した。

 

「じぇっ!?」

「(……若いですねぇ……)」

 

 麻子はそんな和を見て、年寄りくさいことを心の中で呟いた。もっとも実際の麻子の精神年齢は傀時代から引き継いでいるため、年寄りかどうかはともかく見た目不相応の大人のものではあったのだが……。

 

「あー……多分悔しかったんでしょ、和は」

 

 久が麻子の考えを代弁するかのように話した。京太郎と優希もそれに納得したようであった。和がこう見えて熱い打ち手であることは、特に優希はよく知っていたからだ。そしてその言葉で、先ほどまで歓喜に打ち震えていた咲がようやくこちら側へ戻ってきた。

 

「……っ、あ……あの……」

「ん? 和が気になるのかしら?」

「は、はい……」

「じゃ、行ってあげたらどうかしら?」

「は……はい!」

 

 久の後押しもあり、咲も和に続いて部室の外へと駆け出した。そしてその傍らに放置されたものがひとつ。

 

「……って、咲ちゃんも荷物忘れてるじぇ……」

「しょうがねぇなぁ……持ってってやりますか……」

 

 

―――

 

 

「はっ、原村さん!」

 

 夕立が止み、夕陽がそろそろ地平線へと沈みそうな景色。そこを咲は全力疾走していた。幸いにも和はそれほど足が速くなかったらしく、それほど時間をかけずに追いつくことが出来た。

 

「っ……」

 

 咲の声を聞いた和は、振り向くことなくその場に立ち止まった。少しして、咲が息を切らして追いついた。

 

「はぁっ、はぁっ、んぐっ……」

「……なんですか、宮永さん……」

「そっ、その……お、お礼が言いたくて……」

「……」

 

 咲のその言葉に、和は答えない。そして顔を向けることもしなかった。今の自分は、負けた悔しさ、プライドを叩き潰されたせいできっと酷い表情をしている。そんな状況で顔を向けられるはずがない。和の心境はそういったものであった。そんな心の内を知ってか知らずか、咲は言葉を続けた。

 

「そ、その、今まで私にとって、麻雀はお金を巻き上げられるための、嫌な儀式でしかありませんでした。……でも、今日は原村さんと、皆と打てて嬉しかったんです」

「……なんだって、勝てば嬉しいものです……」

「違います!」

 

 和の少し棘が含まれた言葉を、咲は力強く否定した。それに和は反応し、ようやく咲のほうに顔を、体を向き直った。その顔には涙を流した跡が見えたが、咲はそれを全く気にせず、和を真正面から見つめたまま言葉を続けた。

 

「相手が原村さんだったからです。家族と打ってた時と違って難しかったし、それに楽しかった。純粋に、麻雀と向き合うことが出来たんです。そして、麻雀が好きだった時の気持ちも思い出せた。今までの嫌な記憶を吹き飛ばしてくれたのは、原村さんだったんです。だから原村さん……私を、また麻雀を好きにさせてくれてありがとう」

 

 その笑顔は、今日一番の笑顔であった。そしてその顔を見て、和は顔を赤らめた。

 

「(……さっきまで、麻雀を好きでもない人に負けてしまったのが悔しい、なんて自分のプライドばかりにこだわっていた私が恥ずかしいです……)」

 

 その純粋すぎる咲の笑顔を直視できず、思わず和は目線を斜め下に逸らした。そしてその姿勢のまま、和は表情を少しだけ柔らかくして答えた。

 

「……どういたしまして」




魔王が生まれるには、相応の環境が必要になるみたいです。
麻子さん? そうねぇ……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話 覇気

「おはよーございまーす」

「ん、おはよー」

 

 清澄高校の朝。正門を通過してすぐ、久は下級生から挨拶をされた。それに対し久も挨拶を返す。久が生徒会長を引き継いでからよく見られる、いつもの朝の光景である。

 

「相変わらず人気者じゃのー」

「お、まこー、おはー」

 

 そんな久に馴れ馴れしく呼びかけたのは、清澄高校2年生の染谷まこ。麻雀部の一員であり、また久の親友の一人とも言える人物である。まだ5人揃っていなかった昨年から既に麻雀部員として活動をしていた、麻雀部のお母さんとも言える存在である。故に二人の仲は非常に親密であった。

 

「聞いたでぇ、なんでも毎回±0で和了る1年がおるそうじゃのぉ。和が昨日の夜にメールで言うとったよ」

「あぁ、そうねぇ、中々、どころかすごく面白い子だったわ」

「へぇ、そうじゃったんか。昨日ヘルプが無けりゃあ生で見られたのに、仕方ないたぁいえつくづく惜しいことをしたもんじゃ」

「ただ……」

 

 久はそこで、一度まことの会話を止めた。そして一息つくと、話を続けた。

 

「私としてはね、その±0の子……宮永咲ちゃんを、いとも容易く勝利へ導くアドバイスをした、もう一人の子も気になっているの」

「……へぇ、どがいな子なんじゃ?」

「それは今日麻雀部に来てくれればわかると思うわ。多分宮永さんと仁川さん、あ、もう一人の子のことね、今日も来てくれると思うから」

「そうか、なら楽しみに待っとこうか」

 

 まこのその顔は、新しいことを知ってわくわくするような子どものような、純粋な顔をしていた。久の言うことが本当なら面白い打ち手が二人も増えるのだ、麻雀好きとしてはたまらないのだろう。そんな話をしていたときだった。

 

「おはようございます」

「あら、おはよう、仁川さん」

 

 渦中の人物の一人、麻子が姿を現した。まさかの本人登場に、まこは柄にもなくテンションが上がっていた。ただ、まこのテンションが高くなったのは、決して麻子が現れたからだけではない。その麻子本人から漏れ出すオーラ、それにあてられたのも多分にあった。

 

「おはよう、わしゃ染谷まこ。これでも麻雀部の一員なんじゃ、よろしゅうな」

「仁川麻子です、よろしくお願いします」

「しかしなん言うか、オーラがすごいのぉ。近くにいるだけで、強さがようわかるよ」

 

 昔から実家の雀荘でアルバイトをしたりしていた経験から、まこは麻雀の強者特有のオーラというものを感じていた。勿論麻子からである。

 

「その辺のまこのセンスはすごいわよね。直感と言うか。しかもはずしたことがほとんどないし」

「これでも数え切れんくらいのお客さんを相手してきたけぇ、強い人のオーラというもなぁようわかるんじゃ。麻子のオーラは今までの中でも、とびっきり強う感じとるけれど」

 

 白い綺麗な歯をニッと見せながら、まこは自慢気にそう言った。

 

 

―――

 

 

 その日の放課後。麻子と咲は、麻雀部への道を歩いていた。咲のことだから、てっきり図書室にでも行くのかと思っていた麻子は、少々意外だというような目で咲を見ていた。

 

「宮永さんは麻雀、もう大丈夫なのですか?」

「うん。昨日の麻子ちゃんのアドバイスのおかげで。それに、ちょっと目標もできちゃってね……」

「目標?」

「うん。……私にはお姉ちゃんがいるんだけど……」

 

 道すがら、咲は家族環境のことを少しだけ麻子に話した。両親が今は別居していること、2歳上の姉、宮永照が今は東京にいること、そしてその姉が、次の夏のインターハイも、インターハイチャンピオンとして個人・団体の両方で出場することを。

 

「お姉ちゃんとは喧嘩別れしちゃって、もう何年もまともに話せていないけど……でも、麻雀を通してなら、話せる気がするんだ」

「……そうですか」

 

 麻子の顔は優しいものだった。傀の時代ではほとんど浮かべなかった、温かいものだ。それに、麻子にはそういった人物に心当たりがあった。かくいう麻子本人も、どちらかと言えばそういった性質である。麻雀打ち同士は、麻雀を打つのが一番手っ取り早い会話の手段である。傀の時代からそれは当然のこととして、麻子の中に刻み込まれていた。だから咲の話していることに特に疑問を持つこともなく、すんなりと受け入れたのである。

 

「だから、麻雀部に入って打ちたい。そして、全国へ行かなきゃいけないんだ……!」

「……私も、お手伝いしても良いでしょうか?」

「え?」

 

 お手伝い。まさか自分がそんな言葉を発するとは、と麻子は内心一人呟いた。何かの企みのために一時的にお手伝いをすることはあったとしても、このような形で純粋にお手伝いをしたい、なんてことはなかったからである。『こちらの世界』へ来てまだそれほど長くはないが、それでも確実に麻子は変わり始めていた。

 

「……勿論だよ。むしろ、麻子ちゃんも一緒に手伝ってくれるなら、とっても嬉しい!」

「ふふ、ありがとうございます」

 

 一緒に目標を目指してくれる仲間がいる。そう考えただけで、咲にとっては嬉しいことであった。また麻子からしても、頼ってもらえるということに喜びを覚え、そしてそんな感情を抱いた自分自身に驚いていた。それから二人は笑顔を浮かべたまま、麻雀部の扉を開けたのであった。

 

 

―――

 

 

「あら、いらっしゃい、宮永さん、仁川さん」

「こんにちは。……今日はお願いがあって来ました」

 

 お願い。その言葉に、中にいた麻雀部の面々は思わず期待の眼差しを二人に送る。そしてその期待に応えるかのように、咲は言葉を続けた。

 

「私たちを、麻雀部に入れてもらえませんか。皆と、もっと一緒に打ちたいんです。そして全国に行きたいんです!」

 

 普段は寡黙な文学少女である咲からの言葉とは思えないような、熱い闘志を湛えた言葉だった。それに対し、麻雀部の面々が否と言うはずもなかった。

 

「こちらこそ、入ってくれるなら大歓迎よ! よろしくね、宮永さん、仁川さん……いえ、咲ちゃんに麻子ちゃん!」

 

 久が名前で呼ぶのは、相手を対等な存在、そして仲間として認めた時である。実は意外と、久の中でのそのハードルは厳しい。あの和相手でさえ、入部から数日の間は原村さん呼びしていたほどである。こうして3日と経たずに名前で呼ばれること自体、異例中の異例と言えた。もっとも、そのことを理解しているのは、本人である久、そして付き合いの長いまこくらいなのであるが……。ともかく、これで正式に麻子と咲は麻雀部員として、仲間として活動することとなった。だが、ここで早速試練が訪れる。

 

「……ところで、今日は麻子ちゃんも打ってくれない?」

 

 部長である久が、麻子に対して麻雀を打ってくれと頼んできたのだ。日常ではいざ知らず、卓上での麻子は全く以て容赦が無い。別段手加減するつもりは無かったので、勝てる勝てないの心配は一切していなかった。しかし手加減せずにぶっ飛ばした時、果たして彼女達はそれでも仲間と呼んでくれるのか。孤高の存在であったときは気にしなかった、仲間という存在。今の麻子はそれを失うのを恐れていた。

 

「(……いつから私は、精神がこんなに軟弱になったんでしょうかね……)」

 

 そう自嘲する麻子。しかしそれは、麻子が仲間というものを知って間もないため、扱いに慣れていないだけである。だが麻子がそれを理解できるようになるのは、もうしばらく後となる。

 

「(……そもそもこういうのは私らしくなかったのかもしれません。それなら……)」

「……麻子ちゃん?」

「……すみません、大丈夫です。打ちましょう。面子はそちらで決めていただいて構いませんが……」

 

 いっそのこと、と開き直った麻子は、一呼吸置いた後に抑えつけていた一気にオーラを全開にした。

 

 

 

「打つからには全力で打たせていただきます」

「「「「「「!!!」」」」」」

 

 それは一瞬の出来事であった。麻子以外の6人は、風が吹いているわけでもないのに、凄まじい風圧を感じた。それも、立っているのも辛いような、勢力の強い大型台風の風圧である。それだけではない。ティーカップセットがカタカタと音を立てていたのである。当然地震が起こっているわけではない。ただ、そのオーラというオカルトパワーがあまりに高すぎたため、現実にも影響を及ぼしていたのだ。

 

「……こりゃあ、わしが出にゃあいけなさそうじゃのぉ……!」

「そうねぇ、私も久々に疼いてきたわ……!」

 

 先輩二人に加えて超人的オーラを発する麻子の3人が囲む、他の1年生部員からすれば恐ろしいことこの上ない卓。優希や京太郎は勿論のこと、和でさえそこに入るのを躊躇っていたが、一人だけ例外がいた。そう、咲である。そこに咲は何食わぬ顔で入っていったのだ。……いや、何食わぬ顔ではない。むしろ、傍目から見ると、新しい玩具を買ってもらった子どものようなわくわくとした表情にさえ見えた。

 

「うわー……よくあんな卓に平然と入れるなぁ、咲は……」

「おっそろしすぎてチビりそうだじぇ……」

「オカルト、なんて、ありえません……」

 

 残る1年生3人組は割と、どころではなくかなり引いていた。主に目の前の卓から発せられる異様な空気を作り出している3人、そしてそこに嬉々として飛び込む咲に。あのオカルト否定派でデジタル至高な考えを持つ和でさえ、オカルトの存在を認めなければいけないのでは、と考えるほどには圧されていた。そんな周囲の様子を気にすることなく、久はルールの確認を行っていた。

 

「ルールは半荘戦、赤ドラはなし、ウマなしの25000-30000返し。特に異論は無いかしら?」

「えぇ、問題ありません」

 

 かくして、『清澄の黒い魔王』が、その実力を遺憾なく発揮することとなる。そして清澄高校麻雀部員にとって、忘れられない対局が始まろうとしていた。

 




次回、遂に麻子さんの対局初お披露目となります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話 観察

「(なんじゃ、さっきあれだけのオーラ出しとったのに、えろう静かだ。なんだか不気味じゃ……)」

 

 東一局。周囲の予想とは反対に、まこがそう思うくらいには静かな場となっていた。この場にいる全員は、てっきりあれだけの威圧感を放てるのだから、きっと咲ばりに大暴れする、と予想していた。しかし開局してみれば、先ほどのオーラも引っ込んだかのように麻子からは何も感じられないのだ。周囲が困惑するのもある意味当然と言えた。

 

「ロン、2000点です」

「! はい……」

 

 和了したのは麻子、振り込んだのは咲であった。しかしその手はダマのタンピンのみ。しかも河を見ても特に違和感を覚えるものは無い。どう照らし合わせても平凡としか言いようが無かった。だが、その平凡というのがむしろ、麻子の得体の知れない不気味さを高めているとも言えた。きっと何かを隠している、これで終わるはずが無い、という第六感の感覚であった。

 

 

―――

 

 

 「(まだ様子見をしている、というのかしら……じゃあ、先制ジャブ、打たせてもらおうかしら)」

 

 東二局。6巡という速さで聴牌した久は、口角を僅かに吊り上げた。たとえ相手が誰であろうとも手は抜かない、と言わんばかりの表情だ。

 

「リーチ!」

「うげっ……」

 

 久のリーチに、まこは露骨に嫌そうな、引きつった苦笑いを浮かべた。と言うのも、久とまこを対決させた場合、まこが圧倒的に相性が悪いのである。実は、まこには特殊能力とでも言うべき能力が備わっており、アルバイトで培った膨大な量の局面の記憶を、対局中に引き出すことができるのだ。そのため、基本に忠実な相手には滅法強いまこだが、久のような打ち手に対しては経験値がほとんどないため、基本的に受身に次ぐ受身にならざるを得ないのだ。その久の手とは……

 

「ロン、リーチ一発一通、親満は12000!」

「はい」

 

久和了形:{①②③④⑤⑥⑦⑧⑨7西西西}

久  河:{4一八9白横8} ドラ:{8} 裏ドラ:{②}

 

 混一もドラも投げ捨ててのドラ表単騎待ちという、とんでもない悪待ちであった。手なりで普通に打っていた麻子は、それにまんまと引っかかってしまったのである。普通こんな、いわゆる悪待ちをするような打ち手は存在しない。それだけではなく、一見すると普通の局面にしか見えないため、その通り普通に打てば打つほど、ことごとく久の罠にかかってしまうのである。久とまこの相性が悪いのはこの部分にあった。

 

「ロン! 三色ドラ2で12300の1本場は12300!」

「はい」

 

 さらに続けて1本場、またも麻子が久の悪待ちに振り込んだ。これで点数は2700点と絶体絶命になる。しかし今度の麻子は少し様子が違っていた。

 

「(仁川さん……聴牌形から出来面子の牌を中抜きして振り込んだ……?)」

 

 麻子を覗いていた和は、その麻子の打ち方に困惑していた。少なくとも和のスタイルでは絶対にあり得ない打ち方だ。困惑するのも無理は無い。しかし麻子は振り込んだことを気にしていなかった。それどころか、うっすらと笑みを浮かべるほどであった。

 

「(……? ……?? ……)」

 

 和はその様子に更に困惑し、そして若干の恐怖を覚えていた。人間は得体の知れないものに恐怖する。それを克服するためになんとか理解しようとするのだが、先ほどの麻子の意図的な振込みという打ち筋は、どう頑張っても今の和には理解できないものであった。そして理解できない分、その恐怖は更に増大していくのであった。

 

 

―――

 

 

「(……なんじゃ、和の様子がおかしいなぁ……今の振込みがよほど解せんかったとでも言うのじゃろうか)」

「(原村さん……一体どうしたのかな)」

「(なぁんか、親満連続で当てたっていうのに釈然としないわねぇ……)」

 

 後ろの和の様子に、流石の久・まこ・咲も違和感を覚えていた。困惑する和もそうであるが、それとは対照的に全く問題ないとでも言わんばかりの麻子の表情も、3人にとっての大きな違和感のひとつであった。その2本場であった。

 

咲手牌:{二二二伍七①③5667西西北白}

 

「(……いける)」

 

 この局、咲はある確信を得ていた。この局は自分が和了れる、そういった直感であった。

 

「ポン」

 

 久の第一打である{西}を喰い取り、早速晒した咲。この時既に、咲の頭の中には和了るビジョンが見えていた。

 

「(……いやいやいや咲、いくら俺でもわかるぞ、その鳴きは墓穴だろ)」

 

 もっとも、後ろで見ていた京太郎の意見は至極真っ当である。普通の感性で言えばどう見ても、強引に作れたとして対々、それ以外なら和了ろうと思っても形聴にしかならない打ち方である。しかし咲は普通ではない。それは昨日の点数調整の技能を見ても明らかであった。そしてもうひとつ、咲には普通ではない部分があった。

 

「カン!」

 

 {西}を鳴いてから6巡後、咲は更に{西}を付け加えて宣言した。そしてその腕を嶺上牌に伸ばす。昨日見た花弁が、卓上、そしてその周囲に、まるで咲を祝福するかのように舞い踊る。

 

「ツモ、嶺上開花のみ。400・700の2本場は600・900です!」

 

咲和了形:{二二伍六七56678} {横西(横西)西西} ツモ{4}

 

「(……いやいやいやいややっぱおかしいっしょこれ!?)」

 

 驚く京太郎をよそに、平然と、最早予定調和ともいえる嶺上開花ツモを見せた咲。これにより麻子は更に点数を落とし、2100点となる。しかし麻子は全く絶望の色を見せない。むしろ楽しそうな笑みを浮かべていた。

 

 

―――

 

 

「(……なんじゃありゃ……)」

 

 東三局。まこは困惑していた。その視線の先にあるのは麻子の捨て牌である。

 

麻子 河:{④8伍3東⑨} {九白中⑤}

 

「(こがいな河、過去の記憶と全く一致せんぞ……七対か何かか……?)」

 

 唐突に飛び出してきた、まるで初心者であるかのような捨て牌。今までは最低限打てる打ち手としての河であったため、まこの混乱具合は相当なものであった。

 

「リーチ」

「(はぁっ……!?)」

 

 更に追い討ちをかけるかのように、麻子は{9}を切ってリーチをかけた。

 

「(わっ、訳わからん捨て牌しよってからにー……!!)」

 

 混一一向聴であったまこであったが、この奇妙な河に勝負を挑むことができず、現物である{⑨}を切ってオリを選択した。が。

 

「通さないわ、ロン!」

 

久和了形:{一一一②③④⑨333888} ロン{⑨}

 

「(ぐっ、麻子の方ばかりに気ぃ取られて、久の方を見るのを忘れとった……!)」

 

 彼女にしては珍しいと言えなくもない、ある意味凡ミスに近い振込みをしてしまい、まこは酷く動揺していた。いや、そもそも最初から動揺していたのかもしれない。点数こそ三暗刻のみ、50符2翻の3200点であるものの、点数以上にまこは冷静さを失っていた。しかし、冷静さを失っていたのはまこだけではなかった。

 

「(な、何故仁川さんはこんなリーチを……!?)」

「(何がしたいのか全くわかんないじぇ……!!)」

 

麻子手牌:{一七九③③⑥⑦99東西北北}

 

 そう、麻子はノーテンリーチを仕掛けていたのである。万一流局すれば罰符として8000点を支払わなければならないため、元々2100点しかなかった麻子は当然一発トビである。そうでなくとも、現在の持ち点のほぼ半分である1000点を投げ捨てるような行為だ。和、優希の混乱具合は相当なものであった。そんな状況であるにもかかわらず、麻子は平然と牌を自動卓の真ん中に流し込むと、サイコロのボタンを押した。

 

 

 

「東四局、私の親ですね」




対局の結果は次に続きます。
あと今更ですが、まこさんの台詞は基本的に方言を変換してくれるツールを使ってます。
なので本家の人からすればおかしい言い回しがあるかもしれませんがご容赦ください。

※8/10 8索が5枚ある怪現象が発生していた事に気付いたため修正しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話 麻子

東四局 ドラ{中}

 

麻子手牌:{二六④⑥⑨12東南西北白白發}

久 手牌:{三四伍③④⑦45778白發}

 

 麻子の流れは依然として悪い。配牌は{白}が対子になっている以外はろくなものがない。流そうにも八種九牌のため、九種九牌で流すことすらできない状況である。面子はおろか搭子さえ2組しかないという状況だ。一方の久は既に三色が見えている配牌。既に1面子確定の上、搭子も良好。普通に打てばタンピン三色まで余裕で狙えるものであった。放っておけば、調子付いている久はものの数巡で聴牌してしまってもおかしくない。しかしそんな状況であっても、麻子は平然としていた。目を閉じ、正確に『捉える』ために集中した後、改めて目を開くと{⑨}切りとした。続くまこは{白}を切ったが、麻子はこれをスルーした。続く久はツモ{⑧}となった。

 

「(まぁ、とりあえずは普通に打とうかしら。字牌整理してるうちに聴牌くらいならいけそうなのよね……とはいえ{發}はドラ表。ちょっと意識しないとね)」

 

 そう考えながら打った久の{白}。これを麻子は見逃さなかった。

 

「ポン」

 

麻子手牌:{二六④⑥12東南西發} {白横白白} 打{北}

 

 久が無用心に切った{白}を喰い取った麻子。ここから、麻子の怒涛の反撃が始まった。

 

麻子手牌:{二六④⑥12東南西發} {白横白白} ツモ{3} 打{西}

麻子手牌:{二六④⑥123東南發} {白横白白} ツモ{9} 打{9}

麻子手牌:{二六④⑥123東南發} {白横白白} ツモ{三} 打{南}

麻子手牌:{二三六④⑥123東發} {白横白白} ツモ{⑤} 打{東}

麻子手牌:{二三六④⑤⑥123發} {白横白白} ツモ{伍} 打{二}

麻子手牌:{三伍六④⑤⑥123發} {白横白白} ツモ{7} 打{7}

麻子手牌:{三伍六④⑤⑥123發} {白横白白} ツモ{七} 打{三}

 

 多少の無駄ヅモがあったにはあったが、あの配牌から脅威の速度で聴牌まで持っていったのである。しかも有効牌となった牌の内、{3}や{⑤}、{7}はがっつりと久の有効牌でもあった。つまり麻子が鳴かなければ、本来これらのツモは久に流れていたのである。そして逆に、本来麻子がツモるはずであった牌は、すべて久のほうに流れていた。麻子がまこからではなく久から{白}を鳴いたのは、このツモの逆転現象を起こすためだったのだ。

 

久 手牌:{三四伍③④⑦⑧45778發} ツモ{9} 打{7}

久 手牌:{三四伍③④⑦⑧45789發} ツモ{1} 打{1}

久 手牌:{三四伍③④⑦⑧45789發} ツモ{①} 打{①}

久 手牌:{三四伍③④⑦⑧45789發} ツモ{二} 打{⑦}

久 手牌:{二三四伍③④⑧45789發} ツモ{6} 打{⑧}

久 手牌:{二三四伍③④456789發} ツモ{東} 打{東}

久 手牌:{二三四伍③④456789發} ツモ{②}

 

 しかし現在5局中3局で和了を取っていた久の流れは、ここでもまだ死んでいなかった。安目安目へと手が流れていってはいたものの、本来の麻子のツモを押し付けられてなお、聴牌までこぎつけることに成功していたのだ。

 

「リーチ!」

 

 久は{伍}を切ってリーチを宣言した。ノベタンに取らず、相変わらずの悪待ちでのリーチ。これは久独自の、麻雀における勝利の方程式のひとつであった。まだ場には見えていないが、おそらく数巡以内にはツモ和了ができる、と久は確信していた。だが。

 

「ツモです。白のみの500オールです」

 

 リーチ後にひとつも牌をツモることなく、麻子が先んじてツモ和了をしてしまった。その牌は、久の待ちと同じ{發}であった。

 

「(……とにかく連荘したいから{白}を仕掛けたら、偶然にも私と同じ待ちで和了った……って訳じゃなさそうよね、これ。それならまこの第一打で鳴いていてもおかしくないわ。2枚目を待つにも、麻子ちゃんの持ち点はそれを許さない状況だったはず……余程肝が据わっているのか、それとも……)」

 

 久も具体的に表すことはできないものの、何かを仕掛けられた、という違和感は覚えていた。ただ、その具体的な姿が見えない。まるで暗闇から攻撃を仕掛けられているかのような不気味さが久を支配していた。

 

 

―――

 

 

東四局 1本場 ドラ{2}

 

麻子手牌:{一二三③⑤⑧4469東東西中}

 

 麻子の配牌は、先ほどと比べれば非常に良好と言えた。萬子で1面子が確定しており、W東も対子になっているスピード配牌と言えた。麻子は手なりに沿い、打{西}とした。続くまこ、久と打牌が続き、咲が{東}を切った。

 

「(一巡目から{東}……先ほどの{白}も最終的には鳴いてしっかり仕上げていましたし、これも鳴くのではないでしょうか)」

 

 後ろから見ていた和は、麻子がW東を確定させて速攻を決めにかかると考えていた。しかし麻子は全く動く気配がなく、そのままツモ番へと入った。

 

麻子手牌:{一二三③⑤⑧4469東東中} ツモ{2} 打{9}

麻子手牌:{一二三③⑤⑧2446東東中} ツモ{⑥} 打{中}

麻子手牌:{一二三③⑤⑥⑧2446東東} ツモ{4} 打{⑧}

麻子手牌:{一二三③⑤⑥24446東東} ツモ{南} 打{南}

麻子手牌:{一二三③⑤⑥24446東東} ツモ{1} 打{③}

麻子手牌:{一二三⑤⑥124446東東} ツモ{北} 打{北}

麻子手牌:{一二三⑤⑥124446東東} ツモ{⑦}

 

「リーチします」

「(えっ……?)」

 

 和にとってはやや不可解なリーチであった。確かにダマであれば和了れないし、{4}が3枚使いであることもあって{3}が余剰牌となる可能性も否定はできない。しかしこの手では1本場を含めても、ツモで40符3翻の2700オール、ロンだとリーチドラのみの40符2翻で4200にしかならない(連風対子は4符扱い)。しかしダマにして{東}を自力で引ければ満貫手まで化ける上、{2}・{3}の変則2面待ちにも取れる。この待ちは今のペン{3}も内包しているため、純粋に上位互換である。さらに最悪鳴いてしまっても5800(+1本場)までは確定する上、やはり待ちを広げられる。何より{3}がドラそばである以上、出和了が厳しいとなると、なるべく待ちを広げられるチャンスを得たほうが良いのではないか。和はそう考えた。しかし。

 

「一発ツモ、リーチドラ1、裏無しで満貫、1本場なので4100オールです」

 

 結果的には麻子が一発ツモ。結果論だけを見ればこれが最適であったということになる。偶然にも一発がついたため満貫まで伸びたが、普通はこんな手を一発でツモれるような人物は少ないだろう。そもそも咲が{東}を切った時点で鳴いている人も多いはずだ。点数が少ない状況で一手でも進められるのであれば尚更である。

 

 

―――

 

 

 続く2本場。麻子の配牌は更に良くなっていた。

 

麻子手牌:{四伍七⑤⑤⑥⑧2346889} ドラ{①}

 

 ドラを絡めるのは難しそうなものの、ぱっと見では早いタンピン手であり、聴牌にも苦労しなさそうと言えた。しかし麻子の手は配牌とは裏腹に進みが遅かった。それでも9巡目、何とか聴牌した麻子は河を一瞥し、リーチをかけた。

 

麻子河:{9東七西一二} {發8}

まこ河:{29三八5白} {②發}

久 河:{南中9東②西} {七二}

咲 河:{西發白八1三} {②白}

 

「リーチ」

 

麻子手牌:{三四伍⑤⑤⑥⑧234678} ツモ{⑤} 打{横⑥}

 

「(えっ!?)」

 

麻子手牌:{三四伍⑤⑤⑤⑧234678}

 

 なんと{④}-{⑦}・{⑥}を蹴っての{⑧}単騎でのリーチ。しかも筒子で染めているようにしか見えないまこに対しての超危険牌である。直近の{②}切りを考えれば、筒子で既に聴牌していても十分おかしくない状況だった。

 

「(な、何を考えてもこれは暴挙でしかありませんっ!)」

 

 和からすれば一切の理解が出来ない、といった様子であった。無理もない話だろう。少なくともデジタルな打ち方とは言えない麻子の打ち筋は、和には一生かかっても理解不能であると言えた。

 

「(筒子染め丸出しのわしに対してそがいな牌、こりゃ跳満倍満クラスの勝負手と見るべきか……)」

「(ドラ色の染め手のまこに対してそんな暴牌……よっぽどな手を張ったのかしら……)」

「(んっ……なんか、変な感じがする……嫌な予感が……)」

 

 当然、対局中の3人は、一気に麻子に対する警戒レベルを引き上げた。結果的に当たらなかったからよかったものの、今頃まこの一色手に直撃していてもおかしくなかったのである。そしてそれほどのリスクを冒している、ということはそれなりにリターンのある手である、と思われてもおかしくない。

 

まこ手牌:{①②③④⑥⑦⑧⑨⑨⑨北北北} ツモ{北}

 

「(だけど、この手をオリる訳にゃあいかん……今回ばかりは突っ張らせてもらうでぇ!)」

 

 幸運にもまこがツモった牌は4枚目の{北}であった。だが、流石に親リー相手に槓ドラを乗せるわけにもいかないと判断したまこは、そのまま{北}をツモ切りした。

 

久 手牌:{一一一①④④3334567}

 

「(……きたっ!)」

 

 久がツモったのは{④}。聴牌を取るためには{①}か{4}-{7}のいずれかを切る必要があった。{①}はまこに大当たりだし、{4}-{7}はそれはそれで危険牌である。だが、久は怯まなかった。

 

「(ここで聴牌の、しかも筒子の方の牌を持ってくるってことは、つまりそういう意味でいいのよね……!)リーチ!」

 

 切ったのは{4}。一応振った時に裏ドラが乗りにくい牌であること、そして1-4が久視点では考えにくい待ちであることからこちらを選択した。ただどちらにせよ、久が引くつもりは一切なかった。直感ではあるが、引いたらこの先、勝てない気がしたのだ。

 

咲 手牌:{伍六七九九九⑥⑦789中中} ツモ{中}

 

「(これはツモ切り。欲しいのは次のツモ。次の{九}をツモって……和了る!)」

 

 咲はそのまま{中}をツモ切りした。それは{中}が安牌だから、という理由ではなく、次に{九}を引くことを感じていたからであった。咲も今は自覚がないものの、いわゆる『牌に愛された少女』の一員である。咲の場合は特に、槓材と嶺上牌に対しての嗅覚がずば抜けていた。最早咲からすれば、次巡に和了るのは必然と感じていた。

 

 だが、そこにすべてを無に帰す無慈悲な声が響き渡る。

 

「カン」

「っ……!!」

 

 咲が嶺上牌をツモるより先に、欲しかった牌を掠め取った者がいた。そう、麻子である。麻子は{⑤}を晒すと、露骨に顔を歪めて怯えた咲を気にすることなく、嶺上牌をツモるため腕を伸ばした。

 

「(なっ……!?)」

 

 オーラに敏感なまこは、この時唯一直視してしまった。麻子からも咲と同じように花弁が舞い踊っていたのを。しかしその花弁は桃色のものではなく、まるで地獄に咲いていたかのような、真っ黒で鋭い花弁であったことを。

 

「(この感じ……お姉ちゃんと同じ……いや、それ以上だよっ……!)」

 

 咲は咲で、麻子から発せられる強烈な闇のオーラそのものにあてられていた。咲の姉――宮永照とはまた種類が違うオーラであるため単純な比較はできなかったものの、その強さだけで見ればその姉を遥かに凌駕していたのを全身で感じていたのである。

 

 

 

「御無礼、ツモりました。リーチタンヤオ嶺上開花。裏、槓ドラ合計2枚で6200オールです」

 

麻子和了形:{三四伍⑧234678} {■⑤⑤■} ツモ{⑧} ドラ{①22西}

 

「(こいつ、3面張を捨てて{⑧}単騎じゃと……!? しかもわしへの高目振込みを回避しとる……!?)」

「(や、やっぱり……麻子ちゃん、『私の領域』に入り込んできてる……!)」

「(うっそでしょ……そんな和了を取るなんて普通はできっこないわよ……!)」

 

 少しでもミスをすれば、他の誰かが和了を取りかねなかった場面。その場面において、麻子はそれらを全てかわし、ノーミスで和了を成し遂げた。それはこれから始まる『狩り』……いや、『狩り』などと優しい言葉ではなく、『虐殺』とでも表現したほうが正しい、そんな悪夢の始まりを告げる鐘でしかなかった。

 

「御無礼、ロンです。7700は8600」

「御無礼、ツモです。4000オールは4400オール」

「御無礼、ロンです。18000は19500です」

「御無礼、ツモ。2600オールは3200オールです」

 

 嵐。そう表現するのすら生温いような連続和了。しかも直撃は2回とも久から取っており、結果的に麻子以外の点数が平均化されていた。残る2人も振込みを回避するのが精一杯であり、麻子の和了を止めるまでには至らない。対局中の3人、そして見学している3人全員が、その麻子の闘牌の前に言葉を失い、ただただ見惚れていた。

 

 

 

「御無礼、ツモりました。嶺上開花、四暗刻で16700オール。皆さんトビで終了ですね」

 

麻子和了形:{②②②④④④⑧⑧⑧北} {■東東■} ツモ{北}

 

 最後は麻子そのものを表すかのような、黒一色四暗刻単騎での和了となり、南場を待たずして3人仲良くトビとなって終了した。そして対局が終了すると同時に、先ほどまで部屋を埋め尽くさんとしていた麻子のオーラも雲散霧消した。しかし麻子以外の6人は、その圧倒的な闘牌の結果に未だ声すら出せないでいた。

 

「(……)」

 

 麻子はこれにより、周囲から拒絶されることも考えていた。と言うより、対局前に宣言した時点で、最終的に拒絶されるところまで織り込み済みであった。元々自身は孤高の怪物として扱われてきた。仮にここで拒絶されたとしても、それに戻るだけなのだ。そう麻子は考えていた。無論それが言い訳であることは自覚していたものの、こうすれば少なくとも傷は浅くて済むと考えていたのだ。……が、しかし。ここの少女たちは麻子の、生まれ変わったが故に生まれたその後ろ向きな考えを大きく覆した。

 

「……すっ、すごいわっ! 何これ、すごいしか言葉が出てこないっ……!」

「なんというか、格が違うっていうなぁこがいなことなんじゃのぉ思うたよ。でも、何だか清清しい気持ちじゃのぉ」

「ま、まさか『私の場所』に来るなんで思ってもいなかったよ……すごいね、麻子ちゃん!」

「まるで麻雀星人みたいだったじぇ……」

「どこの星だよそれは……でもまぁ、本当にすげーとしか言いようがなかったな」

「後ろから見てて、理屈ではあり得ないような打ち方で、私には理解はできませんが……でも、……麻子さんの強さは後ろからでもよくわかりました。いつか必ず、貴女に勝ってみせますから、待っていて下さい!」

 

 6人から帰ってきたのは笑顔と、言葉は違えど麻子を歓迎するものであった。麻子はそれらの言葉を聞き、麻子にしては珍しく驚いた表情で微動だにしなかった。まさかあそこまで蹂躙しつくした自分を受け入れられるとは思っていなかったからである。

 

「……ありがとうございます」

 

 ようやく現実を認識し、硬直状態から脱した麻子は、うっすらと、しかし純粋な笑顔を浮かべ呟いた。小さな声であったそれは、しかし6人の耳にしっかりと届いていた。

 




……という訳で、御無礼祭りはこれにて閉幕です。
そして麻雀部の6人は、そんな麻子さんの打ち筋に魅了されました。
次は一段落して雀荘編です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話 雀荘

 麻子の鮮烈な麻雀部デビューから約一週間後。麻子、咲、京太郎の3人はいつも通り、3人で話しながら登校していた。但しこの日は休校日であり、いつもより歩いている生徒も少なかった。

 

「そーいやさ、二人は麻雀部に入って大体一週間経ったけど慣れた?」

「私は楽しいよ! 家族以外の人とも打てるし、勝つのも楽しい! ただ……」

 

 咲は一度そこで言葉を切り、すこしトーンを落として話を続けた。少し寂しそうな顔だった。

 

「なんか私達が原村さんに避けられてる気がして……部活に入ってからあんまり話せてないし」

「インターミドルチャンピオンとしては複雑なんでしょう。どうやら雑誌でも天才とか色々取り上げられていたみたいですが、そんな彼女がぽっと出の宮永さんに連続±0を決められて、悔しいのではないでしょうか」

 

 いつもの感情が読めないうっすら笑顔で、その原因と思われる部分を指摘する麻子。その指摘に、京太郎がおいおいと呆れたような表情で突っ込んだ。

 

「言っとくが麻子も原因の一端を担ってるからな? でもまぁ、もう勝つことの楽しさも知ったんだし、±0で打たなくてもいいんだろ?」

「まぁ、それはそうなんだけど……」

 

「そこの3人、止まれ!」

「!」

 

 丁度そのタイミングだった。優希が、少し高台になっている道の塀部分から飛び降りてきた。何故かその手にはタコスが握られている。

 

「とぅっ」

「なんでそこでタコス食ってんだよ……しかも朝から」

 

 今度こそ呆れた表情と声で京太郎が突っ込む。それに対し優希は、何を当然のことを、と言わんばかりの表情で力強く返した。

 

「私はタコスが切れると人の姿を保てないのだ!」

「じゃあ何になるってんだよ……」

 

「 私 自 身 が タ コ ス に な る ! 」

 

「「「……」」」

 

 もう何も突っ込むまい。京太郎のみならず、3人の内心が一致した瞬間であった。

 

 

―――

 

 

 麻雀部。清澄高校の離れにあるその部室の扉を開いた先にいたのは、和一人であった。その雀卓には、すべて開かれた山と4人分の手牌、そして何かが書き込まれた手帳があった。

 

「ぃよーう! 今日はのどちゃんだけか?」

「部長は遅れて来るそうです。そうメールが来てました。まこさんはお店のお手伝いで今日は来られないらしいです」

「そっかー、おい京太郎、お茶入れるの手伝え!」

「はいはい……」

 

 優希と京太郎は、お茶を用意すべく部屋の端にあるティーポットのほうへと移動した。その間に咲は、卓上で何かをしている和のほうへと歩いていった。

 

「な、何していたんですか、原村さん」

「全ての山を開いて、一人で打ってたんです。でも……山がわかってても、毎局±0で終わらせることは簡単ではありませんでした」

 

 そこで和は一度立ち上がり、咲のほうに改めて向き直った。

 

「宮永さん、打ってください。そして、見せてください。宮永さんの本気を」

 

 その顔は真剣そのものであった。そんな二人を尻目に、麻子は京太郎と優希の下へと向かった。

 

「すみません、少しベッドをお借りします」

「あさちゃんはおねむさんかー?」

「まぁそんなところです……」

「なら麻雀は俺達が入りますか」

 

 二人に伝えた上で、麻子はベッドへ倒れこむ。登校時はあまり見せないようにしていたが、この体になってから体が疲れやすくなっていた。と言うより、エネルギーが足りないように感じていた。今のこの体は、どうも普通に食べ物を食べるだけでは吸収効率が悪いのかどうかはわからないが、エネルギーが足りないらしい。麻雀に差支えがあるわけではないのだが、単純に日常生活に影響が出始めたのがまずい、と麻子は感じていた。しかしベッドに倒れこんだが最後、麻子でもその魔力に抗うことは出来ず、対策を考える間もなくそのままはすやすやと眠り始めた。

 

 

―――

 

 

「……!?」

「あ、あさちゃんがめーさましたじぇ!」

 

 目を覚ました麻子が初めに見たものは、文字通り目と鼻の先くらいにある優希のどアップの顔であった。流石の麻子といえども、そんなモーニングドッキリを喰らったことはなかったため、思わず体をビクンと反応させてしまった。

 

「おー、おはよう麻子ちゃん。疲れは取れたかしら?」

 

 椅子に座っていつものお茶を飲みながら、久が麻子に声をかけた。その傍らには、何かの資料と思しき紙の束が何部か積まれていた。

 

「ある程度は……ところでこれは?」

 

 麻子が指差した先には、『目指せ 全国高校生麻雀大会 県予選突破!!』と大きく書かれたホワイトボードがあった。

 

「あーこれね、麻子ちゃんが目を覚ましたら説明しようと思ってたのよ。まぁ見たまんまなんだけどね、来月頭に全国高校生麻雀大会、インターハイの県予選があるの。というわけで、私達はまずそれを突破したいと思います!」

 

 そう力強く宣言しながら、久は傍らにあった資料を部屋の中にいる皆に渡し始める。どうやらインターハイのルールやいわゆる競合校の牌譜が書かれているようだ。同じものが部内のPCにもあるようで、優希はそちらの方で確認するようだ。

 

 

―――

 

 

【基本ルール】

・喰いタン、後付あり

・現物以外の喰い替えあり

・一発、裏ドラ、槓ドラあり

・不聴罰符は場に3000点

・王牌は14枚残し

・和了は頭ハネのみ

・サイコロは一度振り

・和了止めなし

 

【立直関係】

・立直後は取り消し不可

・立直後の和了選択可能(但し一度見逃した後はフリテンとなる)

・不聴立直は流局後満貫相当の支払い(チョンボ)

・オーラス終了時のリーチ棒は供託されたままとする

・ツモ番がない状態でのリーチ可

・オープン立直なし

 

【連荘と流局】

・不聴は親流れ

・形式聴牌可

・九種九牌、四家立直、四槓流れは途中流局とし、連荘で再開

 

【槓関係】

・槓ドラ・裏ドラあり

・大明槓による嶺上開花の責任払いあり

(フリテンでも成立)

・国士無双における暗槓の槍槓あり

・嶺上開花と海底撈月の重複なし

・立直後の暗槓は手牌構成が変わらない場合に限りあり

(手役の増減は認める)

 

【役満の包】

・大三元、大四喜、四槓子を確定させる牌を鳴かせた者に適用

・ツモ和了は全額責任払い、出和了は放銃者と折半

(積み場は放銃者負担)

 

【フリテン・チョンボ】

・同巡内の和了選択不可

・フリテン立直あり

・誤ロン、誤ツモは発声のみでもチョンボ

・錯ポン、錯チー、多牌、少牌はチョンボ

(ポン、チー、カンの発声だけの間違いはアガリ放棄)

・見せ牌はその局に限り、その牌での出和了不可

(ツモ和了は認める)

 

【和了点】

・30符4翻、60符3翻の切り上げなし

・13翻から数え役満、数えダブル役満はなし

・ダブル役満なし

・連風牌の雀頭は4符

・嶺上開花におけるツモ符はなし

・發なし緑一色あり

 

 

―――

 

 

 このルールを見た麻子がまず抱いた感想は、競技ルールの割に運要素に満ち溢れている、という点であった。一発裏ドラ槓ドラすべて認める上、赤牌も混ぜて……となると、実力よりいかにそれらの牌を効率よく引き込めるか、という勝負にもなりかねないと感じていた。但しこと麻子にいたっては、こういった乱戦模様になる麻雀はむしろ歓迎といったところではあった。元々のフィールドを考えれば当然ともいえる。

 次に麻子が気になったのは、先鋒から大将までのオーダであった。極端な話、麻子がものすごく頑張れば、先鋒で全戦を片付けてしまうということも不可能ではなかった。しかしながら傀時代とは異なり、今の女子高生の体でそれを行おうとすると体力がまずもたないであろう。そういった意味では今の体は結構不便と言えた。となれば5人をきっちり配置しなければならないが、今この麻雀部に所属しているのは6人。必然、誰かが溢れてしまうことになる。さてどうするつもりなのか、と麻子が久に聞こうとしたまさにその時、PCで牌譜を確認していた優希が変な声を上げた。

 

「じぇっ……わ、訳わからないんですケド、この人……」

 

 優希が見ていたのは去年のインハイ決勝、大将戦の牌譜だった。その声に反応した久が、後ろから説明を始めた。

 

「ああ、龍門渕の天江か」

「咲ちゃんより変だじょ……」

「6年連続県代表だった風越女子が去年は決勝で龍門渕に惨敗したのよ。天江を筆頭とした1年生5人組に、手も足も出なかったの」

 

 久のその言葉に少し興味が出た麻子は、優希の後ろから軽く牌譜を覗いた。その牌譜を見て、麻子はすぐにその異常性を理解した。咲が何度も嶺上開花で和了るのであれば、衣は海底撈月で何度も和了っているのである。そうかと思えば突然一段目以内での跳満倍満の高額手を連発してみたり、かと思えばまた海底撈月を出してみたり。更にはその海底撈月の際では、一部の局において他家がほぼ完全な一向聴地獄に陥っていたりもしていた。しかも他家の和了をほとんど許していない。はっきり言って、麻子から見ても十分異次元の闘牌をしていたのである。だが、普通の人は見るだけで軽く何度も絶望できるような牌譜を前にしても、優希は暗い表情を見せていなかった。

 

「だが今年は、のどちゃんたちを擁する清澄の1年がそいつらを倒す!」

「え、俺も?」

「京太郎は無理だじぇ」

「わかってたけどひでぇな!?」

 

 元気に宣言しつつも京太郎いじりを忘れない優希。京太郎本人は激しく突っ込みを入れてはいたものの、それ自体はまんざらでも無さそうであった。そんな夫婦漫才のようなやり取りをしている2人を尻目に、麻子は久に、インハイにかかわる重要な質問をした。

 

「オーダはもう決まっているのですか?」

「案はもう出ているわ。とは言っても私が決めたんじゃなくて、まこが出してくれたんだけどね。でもそれについては本人から話を聞いたほうが早いでしょう」

「そうですね。でも今日は染谷さんは来られないと伺いましたが……」

「ええ、今日は実家の雀荘のヘルプに入っているのよ。……あ、そうだ。もしよければ咲ちゃん、和ちゃんも一緒に行ってみない? さっきまこからメールが来たんだけど、手が足りないから手伝える人員が欲しいって言ってたのよ」

 

 久が何かを企んだような顔で、3人にまこの雀荘へ行くようけしかける。とはいえ別段麻雀部以外に何かの用事があるわけではなかったので、行くこと自体は了承した。咲、和も特にそれ自体に異論はないようだった。久、優希はこの後学園祭の準備があり、京太郎はその手伝いとして残らなければならない、とのことで、麻子、咲、和の3人で行くこととなった。その行く準備を済ませ、いざ出発といったところで、麻子が久に近付き、囁いた。

 

「……ところで、実際のところは?」

「ありゃ、ばれてたか。……実はね、私の知り合いにプロ雀士がいてね、まこの店の常連なの。それで、あの二人をしごいてもらおうと思ってるのよ。いろんな強い人と打つのも経験でしょ?」

 

 悪い顔をしたまま、久が麻子にネタばらしをする。勿論2人には聞こえない小さな声で。麻子も特に異論はないようで、久に対して肯定的な返事を返した。

 

「そうですね。雀荘なら特に様々な打ち手がいますから勉強になるでしょう」

 

 そう言いながら麻子は過去の経験を思い出す。思えば様々な打ち手がいた。その中でもよく打っていたのは、安永というプロ雀士だったか。どうやら世界線が違うようで、こちらでは調べてもその名前は出なかったが、彼は元気にしているだろうか。麻子は少しだけ、もう会うことはない知り合いに思いを馳せた。

 

 

 

「……っべっくしょい!」

「また豪快なくしゃみですね、先輩」

「風邪でもひいたかねぇ……ったく、ようやく傀が死んだことを受け入れられたってのに……精神の次は今度は体かヨ」

「病は気から、って言いますしね。しっかりしてないと、傀さんに天国から笑われますよ」

「傀が天国に行くようなタマかよ。奴は間違いなく地獄行き確定だ。そんでもってその地獄を調伏してしまうだろうよ」

「確かに、傀さんならやってしまいそうですね……」

 

 

―――

 

 

「(……ここが地獄か)」

 

雀荘『roof-top』。まこの実家が経営する雀荘である。そこでヘルプとして裏口からスタッフルームに案内された3人は、そこで驚愕の制服を渡された。

 

「め、メイド服~!?」

「世間ではネット麻雀がはやっとるけぇのぉ、客寄せの戦略じゃ。メイド雀荘というやつじゃ」

「……………………」

 

 3人はまこに渡された制服、すなわちフリフリで短いスカートのメイド服を着させられていた。ちなみにまこはロングスカートのタイプの方を着ている。せめてどうしてそちらの方を渡さなかったのか。麻子は内心頭を抱えた。普通の制服にはもう慣れたとは言っても、それとこれとは話が別である。元々女だったとしても大半は恥ずかしがるであろうその服を、よりによって何が悲しくて元男の自分が着ないといけない。何の罰ゲームなのか。しかも自分の体は残念ながらメイド服が映えそうなほどスタイルはよくない。むしろ身長低いちんちくりんの子どもがコスプレさせられるとか哀れにも程がある。とんだ二重苦を背負わされるとか罰ゲームにしても酷すぎる。これが前世でやらかした報いだと言うのか。

 

「(……そういえば出る前に竹井さんがまだ何かを隠しているような顔をしていましたが……これだったんですね。それで自分はうまく学園祭の準備で逃げた、と……)」

 

 麻子は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の部長をボコさねばならぬと決意した。その怒りのオーラたるや、麻子が隠していても隠し切れず、まこは引きつり咲は怯える反応をする程度にはダダ漏れであった。

 

 

―――

 

 

 とはいえ、いくらなんでも客に八つ当たりするほど麻子の精神は弱くない。むしろ麻雀に対しては、仕返しこそあれど八つ当たりというものをしたことは一度もなかった。麻子はそれほど麻雀が好きだったのである。勿論、イカサマをされれば倍返しするし、通し等で不正に手を組まれればあの手この手で相手を圧倒的な力でねじ伏せてきた。また、数少ない負けた相手には、必ずリベンジを果たしても来た。

 そんな麻雀大好きな麻子は今、スタッフとして良い感じに手加減をしながら、そして内心の超絶不機嫌をいつもの笑顔で(少なくとも一般人相手には)完璧に隠しながら、何故か役目となってしまった客対応をしていた。メイド姿で。しかしどうやらこの店の客はマナーが良いようで、かわいいとは言われてもセクハラを受けることは不思議と一度もなかった。まぁそもそもセクハラされるほど扇情的な見た目ではない、むしろちんまいせいでアンバランスさが出ていたというのも理由のひとつにあるかもしれない。そんなことを考えたり考えなかったりしていると、近くの卓から声が聞こえてきた。

 

「(……なるほど、あの方がプロ、ですか)」

 

 横目で見た先には、咲と和が、黒い服を着たカツ丼を食らっている女性に、それはもうコテンパンに叩かれている光景が見えた。少なくとも今の咲を余裕を持って下せる辺り、相当な実力を持っていると見えていた。どうやら今回の対局で5連勝目らしい。その近くでは、まこがそのプロ――藤田靖子について補足の説明をしていた。

 

「(……後でお手合わせ願いましょうか)」

 

 そう思いつつ、うっかりちょっとだけ本気を出してしまった麻子は、その対局のラス親で倍満を連続ツモ和了し、トップになったのであった。

 

 

―――

 

 

 それからしばらくして閉店時間となった『roof-top』。しかしそこにはまだ人影が残っていた。麻子、咲、和、まこ、そして靖子の5人である。本気で打ち合いたいと願い出た麻子は、客を巻き込むわけにも行かないため、こういった形でのエキシビジョンマッチを提案した。靖子もこの日は時間が空いていたため、それに乗る形で残っていた。麻子の対面に靖子が座る形となり、和と咲がその両脇を埋める形で座り、対局が開始された。と、ここで靖子が麻子の姿を改めて見つめた後、口を開いた。いつものクールな顔を僅かににへら、と崩しながら。

 

「しかしなんというか……かわいいな、麻子は! このまま抱きしめたい! ぎゅーってしたい!」

「突然何を言いよるんじゃあんたは……」

 

 麻子は恐怖した。おそらく生まれて初めて、生死ではない身の危険というものを感じた。こいつはやばいやつだ。とっととどうにかしないと自分の貞操にもかかわりかねない。変に頭が回り、自分が貞操のことを考えたのはおそらく生まれて初めてではないだろうか、とかそういった変な思考に至っているくらいには、麻子の精神は恐怖に支配されていた。

 

「……では、代わりに負けたら藤田プロがメイド服を着る、ということでしたら」

 

 自分だけ愛玩人形になるというのは真っ平御免だ。そもそも今のこの格好だって早く脱ぎたいのに、靖子が残るならその格好のままでとごり押ししてきたのだ。これ以上好き勝手させてたまるか。むしろ同じ目に遭え。麻子は最速で片を付ける決意をしていた。そのために、ではないが、客とのフリー対局で流れも作ってきたのである。

 

「はっはっはっ、いいだろう、できるものならな!」

 

 麻子は頭にきた。明らかに見下されている感が伝わっている。いや、本人は見下しているとか全く考えてないだろうし、そう感じているのは麻子だけであるのもわかっていた。ただこの服を着た状態で、明らかにかわいいかわいいと愛でる対象として見られていたのは、麻子としては我慢ならなかった。

 

「御無礼、4000オール」

「御無礼、18300です」

「御無礼、8200オール。藤田プロのトビで終了です」

 

 その後、おそらく至上最速での開幕御無礼乱舞により、スタッフルームで同じフリフリのメイド服を着た25歳の姿が発見されたのは言うまでもない。




全国の藤田プロ好きな皆さんごめんなさい。
別にロリコンにしようとは思ってなかったんや……。
まこが考えたオーダについては、次回判明します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話 精神

 ようやくメイド服地獄から解放された麻子と愉快な仲間たちは、すっかり暗くなった学校への帰り道を歩いていた。咲と和は靖子にコテンパンにされたことが悔しいらしく、全国出場することでその雪辱を果たそうと意気込んでいた。その後ろを、まこと麻子が話しながら歩いていた。すっかり聞きそびれていた、インハイのオーダについての話である。

 

「ところで、オーダの案があるそうですが……」

「あぁ、それなぁ……わしゃ先鋒から順に、咲、優希、久、和、ほいで麻子がええ思うとる」

 

 まこが出したオーダは、まこ自身を外したものであった。確かに麻子には勝ててはいないし、部内でもそれほど良い成績を残せているとは言えないのは事実であった。しかしながら麻子から見ても、蓄積されたデータを基に判断を行うというのは理に適っている打ち方のひとつではあると考えていた。

 それに加え、麻子はまこが部内で良い成績を残せないのは、部員同士の相性の問題も多分にあると考えていた。悪待ちの久に嶺上開花の咲、統計でも明らかになるくらいには東場で爆発することの多い優希。そして変幻自在の打ち筋であらゆる相手を翻弄する麻子。いずれもデータ外の雀士であることは紛れもない事実である。そのデータが有効活用できるのは、デジタル打ちである和くらいであった。それを考えれば、決してまこが弱いとは言い切れない。むしろその引き出しを拡張できれば、部内で一番になる可能性すら秘めている。ある意味無限の潜在能力を持っていると言えるのだ。

 

「染谷さんはスタメン入りできるくらいには強いとは思いますが……理由をお伺いしても?」

「麻子と打ってわかったんじゃ……今のわしゃあまりにも引き出しが狭すぎる。全国にはもっともっと強い打ち手がいくらでもいる。それだけじゃない、長野で言えば龍門渕の天江、全国を見れば異様に四喜和を和了る巫女、全国準決勝でトビ終了を出した臨海女子のメガン・ダヴァン、他にも妖怪、魔物と呼ばれる打ち手が跋扈しとる。長野では何とかなったとしても、全国でそういった魔物とぶつけぇないとも限らん」

 

 まこはそこで一度話を区切り、一息ついてから続きを話し始めた。その顔は、悲しいとも寂しいとも、あるいは決意を秘めているようにも見える複雑な表情を湛えていた。

 

「それに、自分で言うのも何だが、わしゃ部内で比べたときに雀力が高いたぁ思えん。確かにインハイで打ちたい思う気持ちは強い。けれど、チームの足を引っ張ってまで打ちたいたぁ思わん。幸いわしゃ久と違うて、最後のインハイまでまだ1年ある。じゃけぇそれまでにスタメン張れるくらい強うなればええんじゃ。じゃけぇわしゃ、今回わしをオーダに入れんかったんじゃ」

 

 まこは蓄積されたデータを覚えているだけではなく、観察眼にも優れている。それは昔から家業である雀荘でお手伝い、アルバイトをこなしていたからである。そして家が自営業なだけに、損得勘定もしっかりしている。全体の利益、幸福を取るためなら、自身の多少の犠牲も厭わない。結果的にはそれがプラスに繋がるからだ。それを幼い頃から自然と学んできたまこにとっては、この結論自体は当然のものであった。……自身の感情というものを除けば。

 

「……本当は悔しい。足を引っ張るとわかっとっても出たいって気持ちもある。だけど、こがいな結論になるのも自分の力が足らんせいじゃ。なら悔しい悔しい言うだけでグズグズするより、その悔しさをバネにして次に繋げるほうがなんぼかマシじゃ」

 

 だが、まこは強かった。折れてもただでは折れない。そして折れた分、さらに強くなって帰ってくる。そういった人間であった。先ほどまで哀愁を帯びていた表情は、リベンジに燃える決意に満ち溢れた表情をしていた。

 

「……強いですね、染谷さんは」

「そうか? 麻子にそう言うてもらえるなぁ光栄じゃのぉ」

 

 月明かりに照らされたまこの顔は、すっかりいつもの調子に戻っていた。

 

 

―――

 

 

「……ところで聞きそびれていましたが、オーダの選出理由は?」

 

 麻子はまこの話で満足しかけていたが、何とか本題を思い出し、話の軌道を戻した。

 

「まず咲はうちの第一のエースじゃけぇ、他校のエースも選出されやすい先鋒がええ思うた。次鋒の優希も先鋒向きではあるが、次鋒にゃあ強力な打ち手が比較的少ないことを考えて、穴を突いてさらにリードを広げてもらいたい思うとる。久と和は前二人で稼いだリードを守る役。なんなら更に上積みしても構わん。麻子は……今更言うまでもないが、うちの第二の、ほいで最強のエースとして他校の大将と好きにやりおうてもらいたい思う。何か気になる部分はあるか?」

 

 まこの理由付けに、麻子は特に気になる部分を感じなかった。優希とまこの違いはあったものの、麻子も概ね同意見であったからである。いや、麻子の考えは更に過激であった。

 例えば咲。何なら東一局で暴れて他家を飛ばしてしまってもよいと考えていた。問題はその大きな流れを一気に失って他家に流れた際、自分たちがしばらく地獄を見るという点であった。流れというものは言ってしまえば波のようなものであり、乗ることが出来ているうちは自分たちに利するが、ひとたびそれから落ちてしまうと、逆に自分たちに牙を剥いて襲い掛かってくるのである。

 しかし、まこであれば手堅く打つことで流れを守ることが出来るだろうし、優希であれば逆にその波に乗ることも出来るだろう。そういう意味では、咲を先鋒に据えた際においては、二人とも次鋒向きの能力であると言える。

 後続として続く久と和も決して弱くはない、と言うより普通の打ち手に比べれば遥かに強いので心配はない。久はハメ手の雀士としてのイメージが強いものの、それ以上の何かを麻子は感じていた。久と比べると和はまだ荒削りな部分も多いが、磨いてやればそのデジタル打ちの真髄を発揮させることも可能だろう。

 そして最悪そこで何かがあったとしても、自分の番にさえ回ってくれば何とかする。麻子はここまで考えていた。

 

「いえ、特にはありません。私の考えもほぼ同じでしたので」

「違うところはわしと優希が入れ替わるってくらいか」

「ええ」

 

 麻子も大概観察能力が高いが、まこも負けず劣らず、場合によっては麻子を上回るくらいの観察眼を見せている。そのことに内心麻子は舌を巻いていた。そして麻子は、その高い洞察眼とタフな精神力、冷徹な決断力を見て、来年の今頃にはまこが部長として、そしてエースの一人として活躍する姿がありありと見えていた。

 

 

―――

 

 

 午後8時20分。麻子たち4人はようやく、久が待っている部室へと戻ってきた。流石に時間が時間なので、優希と京太郎は先に帰っていたようであるが、久は部室の椅子で本を読みながら待っていた。和は扉を開けるや否や、いつものクールビューティーさを捨てて、必死の感情を以て久に訴えかけた。

 

「部長……強化合宿をやりましょう!」

「……合宿ねぇ」

 

 その和の言葉に、久はニヤリと口角を上げた。そしておもむろに真っ白なホワイトボードの前後をぐるりと回転させた。反転したホワイトボードには、ある文言が書かれていた。

 

『麻雀部 超強化合宿計画!!!

 日時:週末

 場所:校内合宿所』

 

「そんなこともあろうかと、合宿棟を押さえといたわ!」

 

 これには流石の麻子も驚いた。確かにプロにボコボコにされる、という所までは久の計画通りであっただろう。しかし和たちが合宿を求めるかどうか、というのは不確定要素であったはず。確かに練習しようという流れから最終的に合宿、という流れならわかるのであるが、最初から合宿に乗ってくれるかどうかは半ば賭けでもあったはずだ。

 

「あら、珍しく麻子ちゃんが豆鉄砲食らってるわね」

「……いえ、竹井さんの決断力と行動力の高さに驚いていまして」

「これでも私は生徒議会長よ? このくらいできないとやっていけないわ。それがトップに立つって事なんだもの」

 

 そう言って久は、そのくらいお見通しだったんだぞどうだ参ったか、と言わんばかりのドヤ顔を見せる。その顔を見て、麻子は急にメイド服の一件を思い出し、一時は急上昇していた久に対する株価が急激に下落していった。さらに悪いことに、そんな麻子の内心を知ることなく、久が更なる地雷を踏み抜きに来た。

 

「ところで皆は、まこのお店の制服は気に入ってもらえたかしら?」

「えっ……それは、その……」

「私は楽しかったです。次は違う方も着てみたいですね」

 

 恥ずかしがる咲に意外とハマったことをカミングアウトした和。ここまでであればちょっとしたお話に過ぎなかったのであるが、残る麻子が問題であった。

 

「えぇ、サプライズでしたがとても気に入りました。合宿の際に部長にはたっぷりとお礼をさせていただきます」

 

 麻子は、週末、御礼をする。御礼する為に見せるのだ。己の意思を伝える為に見せるのだ。部長の奸佞邪智の報いを与えるために見せるのだ。だから週末を震えて待て。そう言わんばかりの勢いで、指向性を持たせてほんの一瞬、麻子はオーラを久に向けて解放した。

 

「(……あっ、死んだな私)」

 

 今更とんでもない地雷を爆発させたことに気付いた久。だがしかし、爆発させてからであったので当然手遅れであった。かくして死刑宣告をされた久は、なんとも言えない気分で週末までの日々を過ごすこととなった。一応麻子と打つと、精神力と引き換えに雀力が大幅に上がることがある意味での希望であり、そして絶望であった。

 

 

―――

 

 

 翌日の放課後。麻雀部員一同は部室に集っていた。久とまこが主軸になり、各々の問題点を洗っているところであった。自分に意識を向けるため、久はパン、と手を叩いた。

 

「さて、それじゃ、合宿前の問題点の洗い出しよ。まず和」

「はい」

「和は、ネット麻雀では長期スパンを見たときに高いトップ率を取るような理詰めの打ち方が出来ている。だけどリアルではその場の勢いに流されたりして、結果ミスを誘発することが多いように見えるわ」

「……」

 

 ぐっと言葉に詰まる和。言われてみれば確かにその通りで、一切の反論ができなかった。まっすぐな指摘の前には言い訳も何もすることはできなかった。さらにそこにまこが追撃をかける。

 

「昨日の雀荘でもそうじゃった。プロが相手でも本来のわれの実力ならもっと善戦できたはずじゃ。……わしが思うに、和は色々と惑わされとるように見える。いらんところにまで目を向けてしまうけぇ、目の前の麻雀に集中できんのじゃないか」

「……?」

 

 指摘された和は、一体何を言っているのかわからなかった。今まで麻雀を打っていて、集中していなかったことはない。確かにネット麻雀の方が得意なのは事実だが、かといってリアル麻雀で手を抜いていたりといったことは一切無かったはずだ。ましてや惑わされているとはどういうことなのか。思考がぐるぐると回る和では、自分で考えても答えは出そうに無かった。

 

「私が思うに、ネット麻雀と比べると、リアル麻雀の方が情報量が多いんだと思う。例えば対局相手。ネット麻雀ならせいぜいアバターくらいで、現実に声を発しているわけでもない。あっても録音か機械音声しか流れないわ。でもリアルは違う。打ち手の感情がモロに声となって出てくる。それを無意識に頭の中で処理しようとして、追いつけなくなっているのかもしれない。

 あとツモ切り動作もリアル特有のものね。1回につきたった数秒のなんでもない動作だけど、それでも思考が僅かに邪魔されるのには変わりないわ。それが10回、100回と続けばどうなるか。それが成績となって表れているんじゃないかしら。

 だから……そうね、和はゲームにはないものを徹底的に排除していくのはどうかしら。例えば、ツモ切りを無意識に行うことが出来るようになるまで特訓してみるとか」

「……」

 

 言われてみれば、と和は過去の記憶を思い返す。ネット麻雀と比べて、リアル麻雀の方が集中力が落ちやすい、と思っていた日は何度もあった。その理由はわからなかったが、なるほど部長の言うことは一理ある、と和は感じていた。久はここで一度区切ると、視線を和から咲に移した。

 

「逆に、リアルの情報を読み取るからこそ強い人もいる。例えば咲ちゃんなんかがそうね。普通の人には見えないものが見えてそう。咲ちゃんは逆にリアルを感じられないネット麻雀でいろんな人と打ってみたらどうかしら」

「ネット?」

「そう、ネット」

「あの……私、PCとか持ってなくて……」

「えっ」

 

 それは意外なカミングアウトだった。今や一家に一台があっても不思議ではないくらいに浸透しているPCを持っていない。つまりこれでは、家では練習が出来ないということだ。

 

「それなら部室のPCを使うといいわ。あれもちゃんとネットに繋がってるし。京太郎君くん、教えてあげて」

「はい」

 

 京太郎は咲を連れて部内PCの方へと連れて行った。どうやら咲の挙動を見る限り、そもそもPCに触れたことすらほとんどない、といった感じであった。それを横目に、久は話を続ける。優希については東場で爆発するがその後は失速するスタイルであることから、東場ではギリギリまで攻め、南場では守るのを徹底することを課題とした。まこは基本から外れた打ち手に弱い、という課題があったため、麻子や久、咲を交えて打つ回数を増やしたり、あるいは雀荘でそういった客を探して打ってみるのも良いのではないか、という話が出た。そして最後は麻子であったのだが……

 

「麻子ちゃんは……そうねぇ、今更何かいるかしら」

「この前ネットで打ってみたときも、相手がかわいそうになるくらいバカみたいに連勝しとったけぇなぁ……」

「リアルは最早言うまでもない強さだし。むしろ私達が教えを請う側よね」

 

 残念でもなく当然の結論と言わざるを得なかった。全方位に無敵で、せいぜい多少スロースターターな所くらいしか欠点がないのである。しかもそのスロースタートの場面においても、そもそもの地力が高すぎるために弱点となるほど弱いわけではない。さらに麻子のスタートが始まると、咲の槓にまつわる特殊能力も、久の悪待ちでの和了率上昇も、優希の先手必勝の流れも、そういったものは全て消えて流れてしまうのである。その隙を補って余りある強さに特殊能力まで封じてしまう麻子には、何を指摘すればよいのかは最早わからなかった。

 

「相手の精神を崩壊させないように頑張る……くらいかしら」

「……善処します」

 

 

―――

 

 

 そして時は流れて合宿当日。意外と離れている校内合宿所に一行は向かっていた。前を歩く優希と久、その後ろを咲と和とまこ、そして最後尾を麻子と京太郎が歩いている、という状況であった。但し京太郎はかなり多くの荷物を背負っていた、いわゆる荷物持ちである。見方によってはイジメとも捉えられかねないようなこの状況であるが、しかし京太郎は実に生き生きとしていた。その理由は出発前に遡る。

 

 

―――

 

 

「よし、これで忘れ物は無いわね?」

 

 週末の休日ということもあり、私服で部内に集合した一同は、部内から必要なものをピックアップしていた。ノートPCやティーセット等、細々としたものがそれなりにあったのである。ちなみに壊れ物については、部長が責任を持つということで久が手荷物として持っていくこととなった。

 

「それじゃ、出発しましょうか」

「ちょっと待ってください」

 

 各々が出発しようとしたその矢先、こういった場面には珍しく京太郎が声を上げた。

 

「どうせならその荷物、俺が持っていきますよ」

「え? えぇ、いや嬉しいんだけど、京太郎君の分も含めて7人分よ? 一人ひとりの量は少ないけど、それでも無理がないかしら……」

 

 久が心配するのも無理はない。そもそも一人で7人分もの荷物を背負っていこうという発想がまずぶっ飛んでいた。それにギリギリ持てたとしても、動けるかも怪しい。しかし京太郎は問題ないといった風に自身のある顔を出した。

 

「大丈夫ッスよ。これでも俺、中学ん時はハンドボールやってたんで、体力には自信がありますから」

「そりゃわかったけぇええんじゃけど……しかし何でまた突然荷物持ちなんかに立候補したんじゃ」

 

 続いてまこが、誰もが疑問に思っていたことを口に出した。それに対しては、京太郎は少し困ったような笑みを浮かべながら答えた。

 

「俺、麻雀弱くてそっちでは貢献できていないじゃないですか。だから、せめてこういった力仕事とか、俺に向いていることくらいでは貢献させて欲しいんです。我侭みたいだってのは自覚してるんですけど……」

 

 思っていたよりまともな、そして聖人みたいな理由に一同は感動した。我侭だなんてあるものか。立派な志ではないか。あの人鬼と呼ばれ恐れられてきた麻子も、京太郎のこの精神にはただ感嘆するしかなかった。ただ、仮にそうであったとしても、いくら着替えくらいしか手荷物は無いにしても、それが全部で7人分ともなると流石に重いしかさばる。見かけ以上に体力を奪われることはわかりきっていた。

 

「でも、流石に量が量ですし……」

「いや、大丈夫だ、麻子。そもそも俺が言い出したんだからさ、ちょっとは信じてくれよ」

 

 意外と京太郎は頑固であった。どうやらこの考えは曲げるつもりがないらしかった。それを察した麻子は早々に諦め、しかし声をかけるのを忘れなかった。

 

「わかりました……でも、無理はしないでくださいね。貴方も大切な、麻雀部員の一員なのですから」

 

 あの麻子が誰かを心から気にかける言葉を発した。もし傀時代の知り合いがこの姿を見たら、きっと頭か何かを打って変わってしまったのだろうと思うだろう。それくらいに麻子は、今までの短い期間で変わっていた。そしてそんな麻子の言葉を聞いた京太郎は……

 

「(天使や……)」

 

 その優しい言葉をかけてもらえたことにより、成仏しかけたと後に語るのであった。

 

 

―――

 

 

 というやり取りの末、今の京太郎は荷物持ちとして全うしていたのである。ただ、流石にこの量を運んでいるわけなので、いくら陸上系の部活動出身男子であろうとも移動ペースは落とさざるを得なかった。そこで話し相手になろうと、麻子がペースを合わせて一緒に歩いていたのである。

 麻子にとっては、京太郎という存在は実は結構大きな存在であった。と言うのも、部内で唯一の男子部員であったからである。たったこれだけ、と思う者も多いだろうが、ここで一度よく考えて欲しい。麻子は今は生物学的にこそ女であるが、元は男であるのだ。ここで想像してみて欲しい。自分以外が全員女子であるという状況を。これでハーレムと言える者は大分ハートが強い。普通はいたたまれなくなってしまいがちであろう。そうでなくとも、どうしても男女で差が有る以上、その部分については気を許しにくいのが現実である。

 その点、京太郎は文句なしの男である。そして、麻子が男として話が出来る貴重な存在でもあった。もっとも下世話な話とかは元々好かなかったため、そういった話は一切しなかったし、性転換についても信じてもらえるわけもないので話してはいない。しかし素で話せる存在というのは、精神的に安らぎを与えてくれるのである。そして安らぎがあれば段々と穏やかになっていける。今の麻子の性格には、京太郎はかなり大きい影響を与えていると言えた。

 

「……っと、やっと着いたな、合宿所」

「えぇ」

 

 雑談をしつつ歩き、ようやく2人も入り口に着いた。ここからインターハイ全国出場に向けての、そして部員同士の絆を更に深めるための強化合宿が幕を開けることとなる。




9話で一区切りと言ったな? あれは嘘だ。
という訳で合宿編は次回になります。

8/13 まこの台詞 なるうらい→なるくらい に修正しました。
ただこれ、変換サイトでなるくらいを広島弁に変換したらなるうらいになったんですよね……
私自身も違和感があったのでどうかとは思っていましたが、やはりと言うべきか誤字報告として複数いただいたため修正しました。
というか広島の方はこんな風に話すんですかね……少し気になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話 合宿

指が乗ったので2回目の投稿です。
そしてひとつの区切りになるお話となります。


「しかし、思ったよりも広いですね……」

 

 麻子が合宿所の入り口を外から見た感想を呟いた。合宿所と言うよりは、どちらかと言うと小さな旅館のような様相であったのも大きいかもしれない。

 

「なんでも数年前に、廃業した旅館から、学校側がタダ同然の安値で買い上げたんじゃげな。旅館側も解体の費用と手間を考えりゃあ安上がりじゃけぇと了承したんじゃと」

 

 まこが麻子に対して補足の説明をする。この辺の話は久よりまこが詳しかった。実家が自営業故に、そういった話もよく耳に入ってきたりするかららしい。

 

「確かに旅館っぽいなとは思ってたけど、本当に旅館だったんだ……」

「温泉もあるらしいじぇ」

「そんなとこにタダで寝泊りできる俺らってすごくね?」

「確かにそうですね……」

 

 咲や和も、思わぬボーナスともいえる展開に普段の大人しい雰囲気は消え、修学旅行中の学生のようなわくわく感を表に出していた。京太郎や優希に至っては言うまでもない。

 

「流石に京太郎くんの部屋だけは別で取ってあるけど、ホントに寝るまでは一緒に色々するつもりだから安心してね。あ、お風呂は覗いちゃダメよ?」

「しねーっすよそんな事……まぁでも部屋分けは仕方ないっすね。むしろ一緒だと俺の精神がもちそうにないですし」

「……」

 

 わかっていたこととはいえ、麻子は部屋分けについて少し残念な表情をしていた。京太郎が好きだとかそういったものではない。と言うより、まだ麻子はそもそもそういった感情を理解できるほどまでには至っていない。

 では何故残念なのか、という話なのだが、それはやはり周りが全員女の子、それも美少女に囲まれてしまう、という一点に尽きた。それなりに時間は経ったとはいえ、元男の精神が抜け切ったわけではないのである。そういった意味では、周囲が美少女だらけというのは、本人にとって非常にいたたまれない気持ちになるのである。

 その点京太郎は男であり、麻子としてはそちらの方が安心して眠れるというのが本音であった。京太郎が襲ってくる可能性も、麻子は0と考えていた。そういったことをする人間ではない、というのは、転入してから咲と同じく一番長く交流した間にわかっていたことである。もっとも、仮に麻子だけ京太郎の部屋に入った場合、それはそれで京太郎がかわいそうなことになるのも理解できていたため、渋々諦めざるを得なかったのだが。

 

 

―――

 

 

 荷物を部屋の隅に置いてから合宿で始まったことは、まずは合宿前の課題がどこまでクリアできているかの確認であった。各々の課題が印刷された紙が久から全員に配られる。

 

「それじゃまずは、咲ちゃんから発表してもらおうかしら。ネット麻雀ではどのくらい勝てるようになった?」

「は、はい……その、なんとか10局トータルで±0になるくらいには勝てるようになりました……」

「また±0だじぇ!……まぁ1局じゃなくて10局だからそれほどでもないかもしれないけど」

 

 ±0に関しては、咲も操作した覚えのないただの偶然ではあるが、しかしネット麻雀を打ち始めて最初の頃に比べれば、咲のスコアは大分改善したと言える。何しろ最初に打ったときは、10局合計が-400を超える程度には大負けしていたのだ。

 

「俺も後ろから見てたんすけど、最初の頃の咲は、まるで自分を見失ってる感じでした。俺に涙目で『これって本当に麻雀なの?』って聞いてきたりするくらいには……」

「やめてよ京ちゃん……恥ずかしいから……」

 

 黒歴史を掘り返されたが如く、顔を真っ赤にしながら隠す咲。しかし顔は隠せても真っ赤な耳は隠せていないため、表情が顔を見なくとも丸分かりであった。

 

「まぁ、明らかに咲ちゃんは何かが見えてたからねぇ……でも地力を上げるにはもってこいだから、これからも続けるように」

「は、はい……」

 

 咲の課題発表が終わったことで、久の次の視線は和に向けられた。

 

「和はツモ切りを無意識にできるようになるまで練習、ってことだったけど、どのくらいまでできるようになった?」

「そうですね……牌を取りこぼしたりすることが無くなる位には上手くなったとは思います。ただ、それでどこまで麻雀が変わるかはわからないですが……」

「そればっかりは打たなきゃわからないからね。だから後で打ちましょ。次の優希も一緒にね」

「プレッシャーかかるじぇ……」

 

 優希の課題は、東場では攻め、南場では守るというスタイルの徹底であった。攻撃力に関しては、実は今でも結構高い状態であったので、優希が練習したのは防御力の向上メニューであった。ツモられるのは割り切るとしても、振込みはなるべく避けねばならない。その一心で、優希は週末になるまで振込み率を極限まで下げる練習を行っていた。具体的にはネット麻雀で振込み0を連続で何回も達成する、ということである。咲と同じく、優希もネット麻雀においては東場で加速、南場で失速といったオカルト的な能力が具現化しなかったため、ある意味で永久に南場とも言えるそこは、練習には丁度良い環境だった。

 

「でもネト麻で3連続振込み0を達成したんじゃろ? そこまでできるようになっとるなら、確実に上達しとるとわしゃ思うけどな」

「そうねぇ。それこそ和や麻子ちゃんでもなければ、それを達成しながら勝つだけでも一苦労よね。ましてや3連続なんて尚更」

 

 どんな打ち手でも振込みを0にするということは中々難しい。それをわかっているだけに、久もまこも優希の努力を肯定していた。そして認められた優希は、きちんと自分を見て評価してくれているという事実が嬉しかったのか、瞳を輝かせた笑顔を見せていた。

 

「最後、まこだけど……まぁまこについては特に言うこともないわね。私や咲ちゃん、麻子ちゃんもだいぶ一緒になって打ってたし、一緒に見てたからね。雀荘についてはわからないけど、まぁまこはサボるような子じゃないし大丈夫でしょ」

「信頼をいただけとって何よりじゃ」

 

 まこについては、久は軽く流した。しかしそれはいい加減という訳ではなく、一緒に打ってきたという事実から、まこが頑張っていたのは今更語るまでもない、という意味であった。それに、久とまこは去年の、まだ部員の人数が揃っていないときからの仲間である。それ故に信頼も段違いなのだ。

 

「さて、今週の振り返りができたところで、まずは打ちましょ! 卓は先生に頼んでふたつ用意してあるから、余っててもちゃんと打てるわよ!」

 

 二人麻雀とか三人麻雀になるけどね、と久はその後に付け足した。これは単純に久の好意によるものであった。なるべく長く麻雀を打てるように、という配慮である。しかし久は、ある重大な事実を失念していた。おもむろに麻子がすっと立った時、久はそこでようやく、これから自分が何をされるのか、そして自分が何をやらかしたのかを思い出した。そして週明けに受けた、あのピンポイントで狙って発射されたオーラを思い出し……

 

「ちょ、ちょっと私飲み物買って……」

 

 逃げ出そうとしたその刹那、久の肩にポン、と小さな手が置かれた。おそるおそる振り向いてみると、それはそれはもうとてもとても良い笑顔で、麻子が久の顔を直視していた。但し目だけは一切の笑いがなかった。

 

「……」

 

 麻子は特に何も言葉を発していない。しかしその無言の威圧感たるや、今まで久が見たり感じた中でも特別に高いものであった。

 

『 逃 げ る な 』

 

 麻子が言外にそう伝えているのは明らかであった。そして逃げ出そうにも、何故か久は逃げ出せなかった。それほど精神的な圧力が大きかったのだ。

 

「な、何があったんだじぇ、あさちゃんは……」

「ああ、あれなあ……久が騙し討ちみたいな感じでメイド服を着させたやつじゃ。ほら、和と咲も行ったときのあれじゃ」

「あー……」

「そういえば、あの時の麻子ちゃんの機嫌、ものすごかったもんねぇ……」

「せめてあらかじめその事を伝えてたんなら良かったかもしんないっすけど……部長の自業自得というか因果応報というか……」

 

 残る5人は久のことを誰も助けようとしなかった。助けようとしたら間違いなく巻き添えを食らって酷い目に遭うのがわかりきっていたし、そもそも発端は久がいらない企みをしたからである。ならその報いを受けるのも当然である、という意見が主流だった。というかそれしかなかった。

 

「ほら、着席してください。存分に二人で打ちましょう。そうですね、まずは半荘10回でしょうか。もし全てトンだら、竹井さんがメイド服を着ていただきます。代わりに1回でもトバなければ私が着ましょう。いいですね?」

 

 そう言った麻子は、おもむろに例の丈が短いメイド服を、自分の手荷物鞄から取り出した。実はこれはまこの店から昨日にこっそり借りたものである(無論まこに許可はもらっているが)。

 

「ハイ……」

 

 久に拒否権などあるはずがなかった。仮に逃げたら更に恐ろしいことになる可能性もある。下手すれば今日一日全裸で過ごせとか言われてもおかしくない。実際には言わないのはわかっているが、それでも今の麻子のオーラはその程度には強烈なものであった。

 

「それじゃあ、わしらは隣の卓で普通に打とう。久は自業自得じゃ」

 

 生温い視線を送りながら、まこは久に内心で南無阿弥陀仏を唱えたのであった。

 

 

 

「御無礼、ロン、16000。トビですね」

「御無礼、ツモ、24000。トビですね」

「御無礼、ロン、18000。これで10回目ですね」

 

 その後、地獄が生温く感じそうな麻子の闘牌の結果、メイド服姿の部長が生産されたのは最早語るまでもないことであろう。そして久が某ボクシング漫画の主人公の如く真っ白に燃え尽きていたのも当然の帰結と言えた。

 

 

―――

 

 

「うぅ……いざ自分が着ると恥ずかしいわね……」

「それを貴女は着させたんですよ……」

「うん、ごめんなさい」

「はい」

 

 とりあえず半荘10回分(とは言っても二人麻雀なので実質半分程度の時間ではあるが)を打ち切り、その全てでトバすというとんでもない所業を以て満足した麻子は、いざメイド服を着させられた後に素直に謝った久を許した。麻子が酷く根に持つタイプではないということが、久にとってはある意味では救いであった。もっとも、そんな麻子が約1週間ごしで仕返しするレベルで根に持っていたと考えれば、麻子は相当お怒りであったと言えるのだが……。

 

「しかし久も思うとったより似合うとるじゃないか、ええ?」

 

 まこがニヤニヤしながら久をからかう。その久はというと、まだ顔を赤らめて恥ずかしがっていた。久の貴重な恥じらいのシーンである。

 

「そ、そんなことないわよ……だってもうおばさんだもの、私……」

「高3がおばさんな訳あるか阿呆。まったく、似合うとるんじゃけぇ堂々としとったらええのに」

「でも恥ずかしがってる部長、かわいいかも……」

「これがギャップ萌え、というものなのでしょうか……」

「うぅぅ……でも、ぱんつ見えちゃいそうだし、フリフリだし……」

「女の子しかいないから気にしなくていいじぇ」

「待て、俺は男扱いされていないのか!?」

 

 こんなチャンスは滅多にないぞと、ここぞとばかりにいじくられる久(とついでに被弾する京太郎)。その賑やかさたるや、女三人寄れば姦しいとはよく言ったものである。結局、この格好は皆で温泉に入るまで続くこととなった。

 

 

―――

 

 

 時は流れて夜。なんだかんだでかなりの時間麻雀を打った面々は、自由時間へと入っていた。持ち寄ったトランプで遊んだり、恋バナ等の雑談に花を咲かせたり。まるで旅行での一幕のような光景であった。

 

「それじゃ、俺もお風呂に入ってきますね」

「ついでに私も行くじぇ」

「いってらっしゃい」

 

 順々に思い思いの時間にお風呂に入りに行く面々。ちなみに久はいの一番にお風呂に入り、浴衣姿になっていた。一刻も早くメイド服を脱ぎたかったのだろうというのが誰の目から見ても明らかであった。ちなみに今は麻子だけが入浴している状況である。

 

「さて、それじゃお風呂に入りますか!」

「さって温泉だじぇ~……あれ?」

 

 京太郎はお風呂に入れるといった感情で染まっていたため気付かなかったが、優希は脱衣所に微かな違和感を覚えた。何かがおかしい気がする。しかしその具体的な何かが出なかったのと、優希もお風呂に入りたかったため、結局はそれをスルーした。

 

「……っておわぁ!?」

「じぇっ!?」

 

 露天風呂から京太郎の大きな声が聞こえた。ひどく驚いた声であることは優希にもはっきりとわかるくらいの声であった。

 

「ど、どうした犬!」

「犬じゃねーよ! ってじゃなくて、何で麻子がこっちにいるんだ!?」

「!?」

 

 そう、麻子が男湯の露天風呂に浸かっていたのである。当の麻子本人はけろっとしていたが、居合わせた京太郎にとってはいろんな意味でたまったものではない。

 

「な、何でこっちにいるのかは知らんが、と、とりあえず女湯に行け! 俺は後ろ向いててやるから!」

「何故……」

 

 麻子はそこまで呟いてはたと思い出した。今までの癖で男湯に入っていたが、今の自分は一応女ではないか、と。学校ではスカートを履いているため、まだ嫌でも女というのが理解できていたが、今日の麻子は私服であった。そのスタイルは、慣れ親しんだ黒のシャツにズボンというスタイルであった。そのせいで女としての自覚が薄かったが故の悲劇であった。

 

「……すみません、すぐに出ますので……」

「あ、ああ、滑りやすいから気をつけr……」

「あっ……!」

 

 京太郎がそこまで言ったときであった。麻子が盛大に足を滑らせた。その声に反応した京太郎は、すぐに麻子の方を向き直った。そこには、転んで今にも角に体をぶつけそうな麻子がいた。

 

「危ないっ!」

 

 そう言うが早いか、京太郎は麻子に向けて手を全力で伸ばした。その甲斐あってか、なんとか麻子の体はぶつかる前に京太郎の手の中に収まることとなった。もっとも……

 

「ってぇっ!?」

 

 京太郎が逆に体をぶつけることになったのだが……。幸いだったのは、京太郎は角ではなく地面の平たい部分であったため、多少痛い程度で済んだことである。

 

「す、すみません……」

「っ、ま、まぁ、俺は大丈夫だ、麻子が大丈夫なら……」

 

 顔は向けないものの、京太郎は麻子に怪我がなかったことに心から安堵していた。そのため、自分の手や腕が、(不可抗力ではあるものの)麻子のお尻とかに触れていたことには気付かなかった。麻子の方も元男故にそれを気にしていなかったのは幸運だったと言えるかもしれない。普通なら騒がれてもおかしくなかったであろうから。

 

「おーい、あさちゃーん、だいじょーぶかー!?」

「え、えぇ、今行きますので……」

 

 今度こそ、麻子は転ばずに女湯までさっと向かった。なお、着替えとかは全て男湯の脱衣所に置きっぱなしであることに気付いたのは京太郎であった。そしてこの事件をきっかけに、実は麻子はポンコツではないかという疑惑が俄に浮上してくるのだが、それはまた後のお話である。

 

 

―――

 

 

 なんやかんや色々あったものの、もう夜も更けてきた頃。さすがに眠さが勝ってきた一同は、今日のところは寝ることにした。と、ここで優希があるものに気付いた。

 

「そういえばのどちゃんはまたペンギンだじぇ?」

「そういえば部室にも持ってきていましたね」

 

 和が抱えていたもの、すなわちエトペンの人形であった。

 

「それがないと眠れないとか?」

「えっ!? ……いや……、……うん……」

 

 普段はクールで勝気な和であったが、この時は恥ずかしさからかしおらしくなっていた。

 

「まるでお子様だじぇ!」

「わ、私はもう寝ます!」

 

 優希に煽られ、その恥ずかしさを隠すかのように布団に潜り込んだ和。それを見た久、まこ、麻子は同じことを考えていた。この人形、使えるかもしれない、と。

 

 

―――

 

 

「えっ!?」

 

 翌日、朝一番に突然、久から和に指示が下りた。それに対しての和の反応は、大方の予想通り驚きであった。

 

「な、何故エトペンを抱いて打て、と……!?」

「貴女は家でやるネット麻雀ではかなり強い。ペンギンを抱くと自宅と同じように眠れるのなら、ペンギンを抱けば自宅と同じように打てるかもしれない」

「は、恥ずかしくて逆に落ち着かないですよ……」

「県予選までには慣れること!」

「……えっ、まさかこれを大会に……?」

「そのまさかで!」

「「「(正気か!?)」」」

 

 久のまさかの宣言に言葉をなくす和と、思わず久の正気を疑う咲、京太郎、優希。しかしまこ、麻子は結果次第では本気でありではないか、と考えていた。

 

 それからその日はエトペンを抱きながら打っていた和。最初こそ恥ずかしさで挙動不審となっていたが、慣れていくにつれてその効果は徐々に表れ始めた。

 

「久の予想通り、イージーミスが減っとるのぉ」

「そうね。今日一日だけだと偶然と言えるかもしれないから、しばらくはデータを取る必要があるだろうけど、思ってたより効果的かもしれないわ」

「環境は大事ってことじゃのぉ……」

 

 思っていたより早く結果が出始めて満足そうな3人。この調子で行けば、県予選には『のどっち』を連れて行けるかもしれないのだ。

 

「しかしよかったのう」

「何が?」

 

 突然話を振ってきたまこに、若干話の流れがわからず聞き返す久。それに対し、まこは安堵したような、慈しむような表情で話を続けた。

 

「有望な1年が入ってきてくれたことじゃ」

「そうねぇ、ここら辺で麻雀やるとなったら大体は風越か龍門渕に行くからね。今年も期待してなかったんだけど……5人も入ってくれた」

 

 そう言った久は、隣にいる麻子の方を向いた。

 

「麻子ちゃんもそうだけど、皆それぞれ違って……皆強い。県大会のベスト8も怪しい、なんて思ってたけど、今なら違う。県大会だけじゃなくて、全国優勝。夢じゃなくて、現実にできる気がするの」

「久は3年じゃけぇ、わしと違うて負けたらそこでインハイは終わりじゃけぇなあ……」

「……」

 

 この時、麻子は改めて自分たちが背負っているものの重さを感じた。良くも悪くも孤高であり、それ故に基本的にはスタンドプレーでよかった傀時代と違い、今は他者の意思も同時に背負っているのである。いや、厳密に言えば代打ち等をしていたこともあったので背負っていた経験が0かと言われればそうではないのだが、しかし裏麻雀界のどろどろとしたそれと違い、彼女たちが持っているものは非常に純粋で眩しいものである。麻子としては、仲間のそういったものは、長く裏麻雀界に染まりすぎた自分には無い貴重なものだと感じていた。それが今、自分の背中にある。ならばそれを守らねばならないのだ。貴重な宝石を絶やしてはならない、麻子はそう思っていた。

 

「……大丈夫です。必ず、優勝しましょう」

 

 麻子は小さな声で、しかしはっきりと2人に聞こえるように言った。そして言った後で、本当に自分は変わったものだ、と過去を振り返りつつ思った。

 

「頼りにしてるわよ、麻子ちゃん」

「えぇ」

 

 麻子と久はお互いに右手の拳を突きあわせた。必ず優勝する。その確固たる決意を秘めて。

 




という訳で、1章 出会い編は終わりとなります。
部長は自業自得ですが、麻子が一度で水に流してくれる性格だったのが救いでした。

最初は章の区切りをつける予定はなかったのですが、長くなるとどの話がどの辺りなのかがわかりづらくなるため、途中から導入しました。
次からは県大会予選編に入ります。いつになったら終わるかとかは全く決めていませんが、お付き合いいただけると嬉しいです。


2019/08/14 終わりませんでした。手のひら回転させすぎだな!
咲さんにかかわるお話になりますが、入れるべき場所として大会編より前にいれないと話の構成がおかしくなってしまうため、11話として入ることになりました。
なのであともうちょっとだけ(出会い編が)続くんじゃ……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話 相談

構成が変わったのでもう1話だけ続きます。


 厳しく練習を重ねた合宿も、なんだかんだで気がついてみればもう最終日となっていた。麻子の心の中には、今まで感じたことがなかった感情が芽生えていた。

 

「(楽しかった……純粋にそう思ったのは一体いつの頃だったでしょうか)」

 

 麻子はそう自分に問いかけた。詳しい年数などは自分でも忘れてしまったため答えられなかったが、しかし少なくとも、鉄火場に入ってからはそういった感情が芽生えることなどなかったのは明らかであった。であれば、下手すれば10年以上はそういった感情を持っていなかったことになる。

 

「(……高校生活というのも悪くはないものですね)」

 

 県予選を突破して、そしてまた皆で来よう。そう考えながら、麻子は皆と一緒に合宿所を後にしたのであった。

 

 

―――

 

 

 合宿が終わってからも、麻子たち清澄麻雀部員は猛特訓を重ねた。ある日は特定の状況と目標を設定し、それを達成できるまで打ち終わりが出来ないクエスト方式だったり、ある日は麻子を交えて3人がかりで抑えこめるかどうか、ある日は純粋にトップを取りに行く等、様々なシチュエーションを取り入れながら雀力の向上に明け暮れていた。その中でも大きく伸びたと言えるのは、和、優希、そして咲の3人であった。

 まず和は、エトペン人形を導入してからというもの、継続してイージーミスが激減した。これは久、まこ、麻子の見立て通りといえるだろう。また本人は否定しているものの、和が同卓すると麻子の『流れ論』を一切無効化することができるようになった。これについてはまだデータもそれほど取れていないこともあり、どこまでの範囲を無効化できるのかは不明瞭ではあるが、しかしアンチオカルト能力として強力なものであることには変わりないと3人は踏んでいた。

 続いて優希。合宿前の課題としていた攻めと守りについては、麻子・久・和の3人と打つことにより劇的に改善。今では東場に限れば、部内でも獲得点数はトップクラスとなっていた。また、守りに関しては基礎から叩きなおしたこともあり、今では振り込みも0とまではいかないものの、少なくとも一般的な打ち手と比べればかなり低い値まで持ち込むことが出来た。

 そして咲は、地力の強化もさることながら、合宿前辺りから時々、一度回り始めると麻子でも手を焼く程度の爆発力を見せるようになった。但し問題として、同じように打っていても爆発力に大きな差がある点が挙げられた。これについては麻子でも原因がわからず、とりあえず回数を重ねてデータを取るしかなかった。そんな時であった。いつもの部室で、麻子が深刻そうな顔をした咲から相談を受けたのは。

 

「あ、麻子ちゃん、ちょっといいかな」

「どうしましたか」

 

 手招きされるがままに麻子は咲に連れられ、人気のない部室のテラスへと出た。

 

「あのね……麻子ちゃんでもどうにかできるかはわからないんだけど……」

「……大丈夫です。まずは話してみてください」

 

 麻子は咲を安心させる言葉をかける。こういう時はまず、話したがっている本人を落ち着けなければならない。基本的には過去の麻雀の中で培った力であるが、麻子はそれを応用したのである。

 

「……その、私ね、麻雀を打ってて、時々抑えが利かないときがあるの」

「抑えが利かない……ですか。どういった時になるか、わかったりしますか」

「入部前に打った時があったでしょ? ……あの時は、勝つことも負けることも怖かったの。だから、自然と±0になるように打っちゃってた。それ以外の打ち方は打てなかったの。後は……こう、必死になった時とか……」

「……ふむ」

 

 咲のこの申告により、麻子は何故咲の爆発力に差があるのかをある程度察した。そしてそれを確かめるため、ひとつの提案をした。

 

「宮永さん、私と二人麻雀を打ちましょう」

「ふぇっ!?」

 

 突然の対局、それもあの麻子とサシでの勝負を挑まれたことに戸惑いを隠せない咲。もっとも、麻子としては別段二人麻雀にこだわる必要はなかった。しかし今からやることを考えれば、他の者を混ぜるのはあまりよろしくないと考えていた。麻子の予想が正しければ、あまりにも巻き添えが大きすぎるからだった。

 

 

―――

 

 

 清澄高校麻雀部部室。そこで行われるは、部内トップ2である麻子と咲のタイマン勝負であり、10万点持ちでのデスマッチ、つまりどちらかがトビ終了になるまでの対局であった。基本的には2人が混ざって打つことはしばしばあれど、1VS1での勝負は今まで無かったため、部員という名のギャラリーも俄に沸き立っていた。但し麻子にとっては、自身の仮説が正しいかの検証であったのだが。

 

「それでは……立親は宮永さんですね。」

 

 咲の起家から始まった対局。その始まりは特にいつもと変わりない雰囲気であった。少しの点棒をやりとりしつつ、局は進んでいく。そして南二局、つまり折り返しで咲が和了し、後半戦へ突入したとき、おもむろに麻子が口を開いた。

 

「ところで、宮永さんのお姉さんはどんな方だったのですか?」

 

 麻子が姉の話題を切り出した直後であった。僅かながら、咲の纏う雰囲気が変化した。もっとも、この時点でそれに気付けたのは、仕掛けた張本人である麻子とオーラに敏感なまこの2人だけであったが。

 

「え? うーんとね……昔は、優しくて、強いお姉ちゃんだったよ。私に嶺上開花の役を教えてくれたのもお姉ちゃんだった」

 

 昔を懐かしむような表情で語る咲。しかし、その表情に段々と陰りが見え始めた。

 

「でも……ある時に打った家族麻雀で、私が±0になるように打ってたのがバレて、お姉ちゃんを怒らせちゃったの。それからは段々と口も利いてくれなくなって……」

 

 そして、陰りが見えると同時に、咲の周囲に入部の時と同じような、威圧感溢れる昏いオーラが集まってくる。こうなると、麻子とまこ以外の面子も違和感をはっきりと覚え始めた。

 

「……前に東京に行った時は、一言も口を利いてくれなかった。だけど、前も言ったけど、麻雀を通してなら話せると思う……だから……」

 

 咲がそこで一度言葉を切る。そしてしばし瞑目し、開眼した。

 

「っ!?」

 

 まこは直視してしまった。咲の瞳から、闇を纏った桃色の炎が飛び出したのを。

 

「強くならなきゃいけないんだ……」

 

 そう言った咲は、自身の手を開いた。

 

「ツモ、タンピン三色赤1、18000」

 

 

―――

 

 

 それからは、誰の目から見てもわかるくらいに、咲の火力は上昇していた。姉の話題の前後で何かがあったことは誰の目にも明白であった。

 

「ツモ、12300」

「ツモ、18600」

「ツモ、12900」

「ツモ、25200」

 

 合宿前や合宿中でも稀に見せた大爆発の嵐。それが今、麻子一人の前に吹き付けていた。それまで一進一退の様相だった対局は、咲があっという間に点棒を回収し、今や麻子の点棒は22900点となっていた。

 

「ロン、4100」

 

 しかし麻子も伊達に今まで麻雀打ちとして、そして人鬼と呼ばれてきた訳ではない。2600の5本場を咲から直撃すると、そこから一気に点棒を巻き上げた。

 

「ロン、12000」

「ロン、6100」

「ツモ、8300」

 

 攻撃力が高くなった代わりに脇が甘くなったところを狙い撃ちし、麻子は一気に3連続和了を見せ、ひとまずは51400点まで回復した。しかし。

 

「……そうだよ、私は強くなくちゃいけない。そうじゃないと、お姉ちゃんと話すことなんて出来ないよ……」

 

 一際咲の放つオーラが大きくなる。その圧はいつかの麻子を思い出させるようなほど大きかった。まるであの日の再現と言わんばかりに、咲の体からは感じられない風が吹き荒れ、それに反応してティーカップや周囲の細かな備品が音を立てて揺れている。

 

「カン、嶺上開花ツモ! 四暗刻は32900!」

 

 麻子の流れを強引に断ち切るかのような、力業とも言える四暗刻のツモ。麻子はその捨て牌に注目した。

 

「(……索子に染めている私に対し、索子や字牌を構わず切っていますね。やはり……)」

 

 まるで振込みなど考えていないかのような河。そもそも和了られる前に和了ればよい。そう主張しているかのようであった。

 

「ロン、5200」

「ツモ、16000!」

「ロン、3900」

「ロン、5800」

「ロン、8000」

「ツモ、12600!」

 

 一進一退の攻防が続く。麻子は防御が更に薄くなった咲の捨て牌を狙い撃ちし、細かく出和了を重ねる。対する咲は一撃の重さで勝負していた。そして現在、麻子の点数は14800点となっている。和了回数では麻子の方が上だが、総得点では咲の方が上回っていた。このまま麻子が初の敗北を喫するのか、部員はいつの間にか無言のまま、固唾を呑んで見守っていた。

 

「ロン、5200」

「ロン、7700」

「ツモ、6100」

「ロン、12600」

 

 しかしその後、麻子が4連続で和了を取る。これで点数は54900点まで回復した。更に麻子の勢いは止まらない。

 

「ツモ、12900」

「ロン、8900」

「ロン、19500」

 

 追加でさらに3回和了し、6本場に突入していた。咲はなにやら焦ったような表情をしている。思うように和了れていないことが精神的にきているらしかった。

 

「っ……!」

「……」

 

 しかし麻子の顔からも、いつものうっすらとした感情の読めない笑みが消えていた。それはすなわち、麻子もこれまでにないほど苦戦していることを意味していた。その証拠に、今回の対局においては、これだけの連荘をしているにもかかわらず、まだいつもの勝ち確定宣言である『御無礼』をただの一度も宣言していないのだ。つまり勝負はまだ、どちらが勝つかわからない状況なのである。

 

「ツモ、17800!」

 

 咲が目から炎を迸らせながら、麻子に上がられるより早く和了を決めた。その手はまたも倍満クラスの大物手である。これでまた親が咲に移った。

 

「ま、まるで怪獣大決戦だじぇ……」

「なんか、麻雀ってよりボクシングを見てるみたいだな、これ……」

「ボクシングたぁ言いえて妙じゃのぉ。咲が間合いを詰めて戦うインファイターで、麻子がジャブとカウンターで決めるカウンターパンチャーってところじゃろうか」

 

 京太郎の例えたボクシング、今の2人はまさにそれであった。お互いスタイルは違うものの真正面を向き合って殴り合っている。後はどちらの体力、そして精神力が切れるか、という勝負になりつつあった。そしてそういった勝負であれば、分があるのは麻子であった。

 

「ロン、5200」

「ロン、5800」

「ツモ、4200」

「ロン、12600」

「ロン、12900」

 

 遂にここにきて、麻子が咲を逆転した。お互い大分体力を消耗していたが、それでも麻子にはまだ余裕があった。それに対して咲は焦りがミスを呼び、振込みに繋がり、更なる焦りに繋がる悪循環を導いていた。

 

「ロン、13200」

「ロン、13500」

 

 麻子が更に満貫を2回直撃する。そして遂に勝負の命運が決まる時が来た。

 

 

 

「御無礼、ツモりました。嶺上開花、四暗刻。33800です」

 

 まるで咲への意趣返しと言わんばかりの嶺上開花四暗刻。そして御無礼の一言。これにより、先ほどまであった咲からの昏い瘴気は雲散霧消した。その後の結末は、最早語るまでもない。こうして、二大巨頭の大戦は、麻子の勝利という形で終幕した。

 

 

―――

 

 

 嵐が過ぎ去り、平穏が戻ってきた麻雀部の部室。そこで麻子は、消耗したエネルギーを回復すべく、お菓子をもっちもっちと頬張っていた。食欲はあってもこの体ではそれほどの量を食べることができず、エネルギーを補給するのも難しかったのだが、どうやらお菓子は別腹らしいことが最近わかったからである。その姿は、先ほどまでの鬼神と見紛うような姿ではなく、まるで小動物のような愛らしい姿となっていた。もっとも、本人は全く気付いていなかったが……。

 対する咲は、御無礼から対局が終了するまでは、まるで抜け殻のような姿になっていたものの、それが終わるといつもの気弱な文学少女の姿へと戻っていた。但しその表情は怯えており、まずは落ち着けないと話も出来ない状態であった。そういった事情もあり、今は休憩時間と称して皆でお菓子タイムとしていた。

 

「……さて、一服もできましたし、本題に入りましょう」

 

 ひとしきりお菓子を食べ終わった麻子が、ようやく落ち着いた咲に対して質問をした。

 

「宮永さん。先ほどの対局、抑えは利いていましたか?」

 

 その質問に、咲はピクっと肩を震わせた。そして、搾り出すような声でそれに答えた。

 

「……ま、また、止められなかった……」

「……やはりそうでしたか」

 

 回答を聞いた麻子は、どこか納得したような表情だった。そして自身の、限りなく正解に近い推論を披露し始めた。

 

 おそらく咲は、一定以上の負の感情や強迫観念を抱くと、その感情に振り回されるがまま『麻雀を打たされる』ということ。そして一度その状態になってしまうと、対局が終わるまでそれは止められないこと。過去の話から、今までは±0の枷がかかっていたため大爆発するようなことはなかったが、その枷が外れた今は、その感情が強くなればなるほど攻撃的になっていくということ。そして何より、それを抑えるにあたっては、今のところは咲のメンタル面を強化するほかには手立てがないであろうこと。

 

これらの話を聞かされた一同であったが、ここで優希は疑問が浮かんだ。

 

「でも、相手があさちゃんだったからこうなったけど、普通の相手なら圧倒できるんじゃないか?」

 

 その意見は、一見ごもっともと言えるものであった。しかしそれに対して麻子は首を横に振った。

 

「宮永さんのこの状態は、攻撃性が強くなればなるほど防御が低くなっていました。確かに普通の相手であれば圧倒できるでしょう。しかし今から私達が向かうところは全国です。全国には非常に強力な打ち手が何人もいるという話ですが、その打ち手が3人がかりで宮永さんを押さえ込んだらどうなるでしょうか」

「あっ……」

 

 麻子レベルとまでは言わないものの、全国には強力な打ち手が何人もいるのは事実である。そしてそれらの打ち手がエースとして先鋒に出てくる可能性も十分に考えられる。その場で手を組んで咲をマークし続ける、という流れもあり得ない話ではないだろう。そうなった場合、咲はただただ薄い防御を晒し続けることになるのである。今回は2人での対局だったため、まだ和了るチャンスも比較的多かったものの、4人で打つとなると話は大きく変わってくる。麻子はその点を懸念していたのだ。

 

「……とは言っても、咲ちゃんが悪いわけではないのよね、これ」

「まあなあ。負の感情、強迫観念が引き起こす言うても、じゃけぇってそんなんを一切持つなっ言うのも無理な話じゃ」

 

 久とまこも、どうしたものかと頭を悩ませていた。と、ここで和が何かに気付いたように言葉を発した。

 

「では、負の感情がそういったものを引き起こすなら、逆に正の感情で上書きしてしまえばよいのではないでしょうか」

「……なるほど、一理ありますね」

 

 実は麻子は、この結論についても気付いていた。しかしそれを自分が言うべきだとは考えていなかった。皆に考えてもらい、どうすればよいのかに気付いて欲しかったのである。もっとも、何よりお前がそれを言うか、と言われかねないのも無くはなかったのであるが……。

 

「確かに私達の目標は全国優勝です。でも、それで麻雀を楽しめなくなったら本末転倒です。私達は麻雀が好きだから、楽しいから、こうやって集まって打っている。違いますか?」

「……うん、そうだね。その通りだよ!」

 

 先ほどまでずっと暗い表情で黙っていた咲であったが、和のこの言葉によって、目を覚ましたかのように表情が明るくなった。何故、自分がここにいるのか。何故、自分が麻雀を打っているのか。確かに姉のこともあるのは確かだが、それ以上に麻雀が好きだから、楽しいから打っているのではないか。ある意味根本的なところではあったが、それ故に今まで気付けなかったその根源に、咲はようやく戻ることが出来たのだ。

 

「だから、肩肘張らずにもっと楽しめばいいんです。前に言っていたでしょう、麻雀の楽しさを思い出せたって」

「え? 咲ちゃんいつそんなこと話してたんだ?」

「えっ、ちょ、その話はっ!」

 

 調子が戻ったかと思えば、その日の自分が言い放った台詞を思い出し、まるでその日の夕陽を思い出すかのように顔が赤くなっていた。

 

「恥ずかしがることはありませんよ……私もそれで、本当の楽しさに気付けたんですから」

 

 優しい笑みを浮かべてそう言った和は、まだ椅子に座っている咲を優しく抱き寄せた。それはまるで、聖母のような姿であったと後に語られるほど、慈愛に溢れていた。

 

「あっ、わわっ!」

「あっつあつだじぇ」

「これが聖母ノドカ様か……」

「何言いよるんじゃ京太郎は……まあ言いたいこたぁわからのうもないけどな」

 

 多少の冷やかしもあるにはあったが、しかしその2人を見る周りの目は優しいものであった。

 




ということで、咲さんが何故魔王じみた打ち方ができるかの理由でした。
打ち方が出来るかというよりは、そのように打たされていたのが正解です。

※実際の咲さんがこんな能力を持ってるかは知りません。多分ないです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

【旧】2章 県大会編
1話 憤怒


 咲との対局から更に数日がすぎ、いよいよ県大会予選の日がやってきた。まだ各々の課題が完全に片付いた訳ではないが、それでも彼女達は努力した。やれることは全てやったのである。

 

「さぁ、いくわよ! 私達のチカラ、存分に見せ付けてやりましょう!」

『はい!』

 

 青空の下に響く久の号令と、それに続く部員の威勢の良い返事。ここに、清澄高校のインターハイが開幕したのである。

 

 

―――

 

 

 県予選の会場に入り、清澄麻雀部一同がまず感じたことは、人が多いということであった。もっとも、学校数が少なめとはいえ、それでも60校近くが対局を行うのである。必然人が多くなるのは仕方のないことでもあった。

 

「……あれ? 咲ちゃんがいないじょー」

「え……」

 

 優希が気付いた、先鋒・宮永咲の不在。慌てて他の者も周囲を見回すが、既に見える範囲に咲の姿は見えなかった。

 

「あちゃー、はぐれたかぁ……普段の咲ちゃんは相変わらずどこか抜けてるわね……」

「咲は携帯を持っちょらんからのぅ……」

「……私が探してきます」

「じゃあ頼むわね。まぁまだ開会式まで時間もあるし、大丈夫だとは思うけど」

 

 麻子は自ら名乗り出て、咲を捜索することにした。実はこれにはそれなりの訳がある。異能者同士惹かれあうのかどうかは不明ではあるが、過去に同じような咲の迷子があった際、決まって見つけるのは麻子だった。それがしばらく続いた結果、探すなら麻子一人でも問題ないのではないか、という結論に至ったのである。麻子自身、便利屋扱いされている感じもなくはなかったが、実際最速で見つけられるのが毎度麻子であることが事実であったため、特に反対をする気もなかった。

 

「……宮永さん」

「あっ、麻子ちゃん! よかったぁ……!」

 

 しばらくして対象を見つけた麻子は、呆れ気味な表情を隠そうともしなかった。反面咲は涙目になりながらも、迷子状態から解放されることから笑顔になっていた。これは事情を知る者からすれば、最早お決まりと言ってもいい風景であった。

 

 

―――

 

 

「衣、おせーなー」

「また目覚ましが壊れているに違いありませんわ」

「オレ昨日5つセットしたんだけどなぁ」

「うわぁ……」

 

 龍門渕高校の代表、すなわち井上純、沢村智紀、国広一、龍門渕透華は、大将である5人目、天江衣がまだ会場に到着していないことに愚痴を零しながら、控え室のほうへと向かっていた。その道中、一行はある2人とすれ違った。その瞬間である。

 

「「「「!!?」」」」

 

 4人は同時に、今まで感じたことのない程の寒気を感じた。思わず体が跳ねるほどの強烈な悪寒である。悪寒だけであれば、彼女達は今までも感じてきたことはあった。しかもその悪寒も、少なくとも普通のものではない、異能から発せられるものだ。故に大概のそういったものに対しては耐性があった。しかし先ほど感じた寒気は、その耐性を易々と超えてきたばかりか、それの過去最高を超えてきたのである。しばらく体が動かなかった4人であるが、何とか体を動かし、発生源が存在する後ろを振り向くことが出来た。そこには……

 

「ひゃっ!」

「……大丈夫ですか……」

 

 何もないところで転んだ少女と、それを呆れながら心配する更に小さな、黒い服に黒いズボンの少女がいた。

 

「転んだ子、清澄高校の制服……」

 

 智紀がボソッと呟いた。彼女はデータ収集に長けており、各校の過去の牌譜から、どのような制服を着ているかまで全てリサーチ済みであった。

 

「じゃああれのどっちかが原村和ってことか……?」

「いえ、原村和はこう、もっと胸の辺りに無駄な脂肪がついた感じですわ」

「衣に似た……いや、それ以上の雰囲気を感じたよ」

「そもそも清澄高校の牌譜が無いからわからないけど……注意は必要」

「……だな。衣以上の奴がこんなトコにいてたまるか」

 

 先ほどの威圧を現実ではないようにと願いながら、しかし4人は清澄高校への警戒度を上げていた。

 

 

―――

 

 

「ただいま戻りました」

「おっ、帰ってきたじぇ!」

「みんなぁー……よかったぁ……」

 

 咲の帰還に、残っていた面々は安堵し、また咲は涙目の笑顔に更なる安堵の色を付けていた。

 

「まったく、帰ってこんかったら女装した京太郎を出さにゃあいけんかとヒヤヒヤしたでぇ」

「いや染谷先輩が出ればいいじゃないっすか!?」

「その方が面白いじゃろ?」

「そういう問題なんすか!?」

 

 ついでのように京太郎もいじるまこと、それに突っ込む京太郎。これまでの間で、京太郎はすっかり部内のツッコミポジションの地位を確立していた。本人がそれを望んだかどうかは別ではあるが、世間というのは無常にもそういうものである。

 

「和ちゃんは?」

「やっと取材から解放されたところです……」

 

 和はまだ大会が始まっていないにもかかわらず、どこかぐったりとしていた。もっとも、昨年のインターミドル王者でありこの見た目である。どこのメディアも注目し、取材攻めを行うことは誰からも容易に想像がついていた。それに対し、咲は大変だったね、と苦笑いした後、目を輝かせながら言葉を続けた。

 

「でもたくさん人がいてわくわくするね! これがインターハイなんだ……」

 

 今の咲は、麻雀を打ちたくて仕方がない、といったのが表情、言動から溢れ出ていた。入部前後辺りの麻雀が嫌いだった姿からすれば、かなりの変貌を遂げているといえた。

 

 

―――

 

 

「それでは、改めて今回のオーダを発表します」

 

 久が、今回の出場校が一覧となっている対戦表の前で話し始めた。

 

「もう皆知っているとは思うけど、先鋒・咲、次鋒・優希、中堅・私、副将、和、そして大将・麻子。このオーダで今回は行こうと思います」

「わしゃ控え室から皆を応援する係じゃのぉ」

「何いってるの、まこは他の強豪校の偵察係も担ってるんだから。責任重大よ?」

「そりゃあ大変じゃ。しっかり情報を集めてこにゃあな」

 

 久が言った偵察係。これは、基本的に控え室に篭りっきりとなりがちな5人とは違い、まこはフリーに動けることを利用し、強豪校のスタメンのデータを収集する役割を与えたものである。特に観察眼に優れるまこにはうってつけの配役であった。スタメンとしては活躍できないものの、こういった裏方でも活躍する方法はある。久はなるべくなら7人全員を何らかの形で活躍させたいと考えていたのだ。

 

「それにしても、たくさんいるねー」

「中学のときよりずっと多いです……」

「これでも激戦区の大阪に比べりゃあ3分の1もないんじゃぞ」

「ほえー……大阪すごすぎるじょ……」

 

 60校近い高校がエントリーするそのトーナメント表に圧倒される和たち。そんな時であった。不意に咲の後ろから声が聞こえてきたのは。

 

「1回戦の相手ぬるいなー。清澄、東福寺、千曲東だって」

「らくしょーじゃん」

「清澄ってアレでしょ? 原村なんとかの!」

「あー、さっき記者相手に全国優勝とか言ってたの見た!」

「ありえないって! ちょっと胸が大きいからってチヤホヤされてるだけっしょ」

「デジタルっつってもミスも多かったしなー。やっぱ見た目で取り上げられてるだけだろうな」

「それに原村がいたとしても、他が弱けりゃ話にならんっしょ」

「確かに」

 

 声自体は小さく、聞こえていたのは咲、和、そして麻子くらいであり、他の面子はそもそもそういった話し声の存在すら気付いていなかった。聞こえていた中の一人である咲は、その声に反応して声の主である横を見た。その時であった。咲の様子が豹変したのは。

 

「……咲さん?」

 

 まず変化に気付いたのは、声が聞こえていた和、そして麻子の2人であった。馬鹿にされていたのは和だというのに、その和が咲にかける声は心配している声そのものだった。

 

「……」

「……咲ちゃん? 大丈夫か?」

 

 遅れて優希達、他の面子も咲の異変に気付いた。この流れはあまりよろしくない、というのが全員の肌に嫌でも感じられた。

 

「……ううん、大丈夫」

 

 しかし言葉とは裏腹に、咲の瞳からは昏く赤色に輝く炎が飛び出していた。既に咲が負の感情に呑まれてしまっているのは、最早誰の目から見ても明らかであった。

 

「(……和ちゃんを、仲間を、親友を、皆を馬鹿にするのは許さない!)」

 

 

―――

 

 

 清澄高校の1回戦、先鋒戦。それが終わったとき、会場は騒然を通り越して静まり返っていた。風越や龍門渕とまでは言わないものの、それなりに強いと認識されている今宮女子高校。その先鋒である門松葉子がトバされたのである。他でもない、宮永咲によって。

 これが普通の麻雀であれば、不運にも三倍満や役満に直撃することでトバされることを考えれば、非常に低確率ではあるが0とは言えない。しかしこれは団体戦であり、開始は10万点なのである。さらにダブル役満以上が禁止されている以上、最高でも1回で削れるのは48000点止まり。故に、全国を見てもそういった例は片手で数えて余る程度にしか存在していないはずだった。

 

「嘘だろ……」

「先鋒で……」

「ハコ割れ……?」

 

 シード権を得ていたため、1回戦を適当に眺めていた龍門渕の面子でさえも、終わる頃にはまともな言葉を無くしていた。そもそも見なければならないのは、透華と当たる和、そして和を副将に据える程度の実力がある大将くらいだと考えていたが故に、その衝撃は計り知れないものであった。

 

「……あの子、さっきすれ違った子……」

 

 智紀が思い出したかのように呟く。そう、先ほど廊下ですれ違った際に、圧倒的なまでのオーラを放っていた2人の片割れ。それが咲だった。

 

「……待てよ、先鋒ってことは、清澄が進出してきたら、オレはこの30万点オーバーを叩き出した化け物と戦わなきゃいけねーってのか……?」

 

 普段勝気な純も、この暴力的なまでの闘牌を見せ付けられ、冷や汗が流れ、顔は引きつっていた。

 

「……それに、こんな強い子を清澄は『先鋒』に据えてるんだよね……」

 

 一が思い出したかのように呟く。その事実に、龍門渕の面々は再度戦慄した。そう、先鋒がこの強さであるのに、『大将ではない』のである。つまり、その事実が示す先は。

 

「……大将は、これよりも強い、ということですの……?」

 

 4人の頭には、すれ違ったもう一人の小さな少女の姿が思い浮かぶ。今年も風越を下して楽々全国出場、と高をくくっていた龍門渕の面々は、突如それに立ちはだかった、あまりにも大きな壁の前に絶句するしかなかった。

 

 

―――

 

 

「咲さん!」

 

 圧倒的な闘牌での勝者であるにもかかわらず、やはり怯えた表情で戻ってきた咲を見て、和は咲が言葉を発する前に飛び出した。そしてそのまま力いっぱいに抱きしめた。

 

「んんぅ!?」

「咲さん……!」

 

 和のその表情は悲痛なものだった。咲が何故今宮女子をトバすことになったのか。その理由が痛いほどによくわかっていたからだ。

 

「……大丈夫です。大丈夫。だから、今は少しゆっくりしてください」

 

 正面から抱きしめたまま、和は咲の背中を、赤子を宥めるかのように撫でた。

 

「まあ親友が馬鹿にされたけぇ、その仕返しでボコボコにした、っていう気持ちはようわかるな」

「幸いにも露骨に狙い撃ちしたわけじゃないから、酷く印象が落ちることはないだろうけど……まぁ、でも次からはマークが厳しくなるのは確実ね」

「元々それ自体は織り込み済みじゃろうが」

「まぁね」

 

 久は2回戦目から確実に3対1の構図になること、そして咲の感情面をどうするかを考え、少し頭を抱えていた。

 前者については一度暴れればそうなるとは予想できるとはいえ、3人がその場ででも結託されると、麻雀のようなゲームで勝ちを収めるのは簡単なことではない。もっとも、麻子レベルの打ち手であればその程度のハンデは容易く返してしまうのだろうが……。

 それよりも考えなければいけないのは、咲の感情面をどうするかだった。これに関しては、麻子でさえならないのを祈るしかない、と言ったものであり、対策は難しい。しかしながら今回は原因が原因である。あまり外野がわいわい言っても仕方がないことだと考えた面々は、一旦この場を和に任せることにした。

 

 

 

「ごめん、ごめんね、和ちゃん……」

「大丈夫です……咲さんの気持ちはよくわかります。逆の立場なら、私も同じことをしていたと思いますから……」

「……うん……悔しかったんだ……和ちゃんが、馬鹿にされたの……」

「それだけ、咲さんは、私のことを、想ってくれてたんですね」

「でも……あれは、私の、打ち方じゃないっ……!」

「そうですね……ですが、打っていて、咲さんも、辛くありませんでしたか?」

「止めたかった……だけど、体が言うことをっ……!」

「……大丈夫です。その辛さが、わかっているなら、咲さんなら……」

 

 喧嘩した後に仲直りしている親子のように、2人は控え室の入り口で抱き合いながら、咲は懺悔をし、和はそれを優しく聞き入れていた。いつしか、和が抱きしめたときの悲痛な表情も和らいでいた。

 一方麻子は、あくまで勝利を目指す者として、このいつ爆発するかわからない爆弾のような咲をどうするか考えあぐねていた。敵として相手をするならば、麻子がやってのけたように隙を突けば、防御が低くなっている咲に直撃を取ることはそれほど難しくない。しかし味方につけるとなると、それは諸刃の剣である。上手く機能すれば今回のように文字通り相手を蹂躙できるが、県大会予選ならともかく、それ以上となると逆手に取られて一方的に叩かれかねない。強大な力は時に身を滅ぼすこともある。前の世界でそのことを嫌というほど知っている麻子は、この清澄が抱える爆弾の厄介さに頭を悩ませることとなった。

 




主人公であるにもかかわらず、一部でラスボスと名高い咲さん。
彼女が先鋒に出たらどうなるか……こうなります。
魔王に(知らずとは言え)喧嘩売った結果です。仕方ないですね。
巻き込まれた千曲東と東福寺は……うん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 歓楽

 咲が落ち着いた頃には11時となっていた。2回戦目の開始は13時半からのため、麻子達は早めの昼食も兼ねて、会場内の食堂へと向かうことにした。しかし当然と言うべきか、控え室から食堂へ向かうまでの道はマスコミによって囲まれていた。どこの記者も、先鋒戦でトビ終了という結末を引き起こした本人を取材したがっていたためだ。

 

「うーわー……こりゃあちょっと困ったことになったわね……」

「も、もしかして皆私目当てですか……?」

「そうじゃなかったらウチに張り込む理由がないじぇ」

 

 その熱気たるや、近付くだけで蒸発してしまうのではないかと思ってしまうほどであった。しかし前から散々持ち上げられてきた和はともかく、咲は取材慣れしていない。もし取材なんて受けようものなら、その結末は容易に想像できた。

 

「どうしたもんじゃろうか……」

 

 皆が頭を悩ませていると、久の携帯に一本の電話が鳴った。そのディスプレイには、『藤田靖子』と書かれている。渡りに船だ、と直感で察した久は、飛びつくようにその電話に出た。

 

「もしもし、靖子!?」

「お、おう、久か」

「丁度良かったわ、助けて!」

「だろうなと思ったよ……まぁとりあえず、私がどうにかするからちょっと待ってろ」

「恩に着るわ!」

 

 この建物自体にはそれほど明るくない一同にとって、靖子の指示は天啓と言っても過言ではなかった。事実、靖子の指示に従うと、いとも容易く裏にある関係者出入り口の所まで辿り着けたからである。そしてその出入り口の鉄扉を開けると、靖子一人が清澄メンバーを出迎えた。

 

「とりあえずお疲れ。まぁあんな終わり方をしたらマスコミが飛びつくのは誰でも想像できたからな……まぁ、立ち話も何だし、早く終わった分時間もあるから、とりあえずは外でご飯にしようか」

 

 靖子の案内により、一同は徒歩圏内のファミレスへと足を運んだ。外はもう夏だったこともあり、日差しが強く暑かったが、店内に入るとひんやりとして実に心地が良かった。

 

「案内したのは私だしお金も出そう。好きなのを頼んでいいぞ」

「本当ですか!?」

 

 早速優希が目を輝かせながら良い喰い付きを見せる。実に現金ではあったものの、手持ちがないのは皆同じであったため、ありがたいのは本心であった。

 

 

―――

 

 

「まぁとりあえずは、2回戦進出おめでとう。しかし咲は一体どんな呪文を使ったんだ……?」

 

 靖子が一同を労うように言葉をかけ、続いて質問を投げかけた。つい10日ほど前に戦ったときとは別人も別人だったのだから、そう聞きたくなるのも無理はない話であった。

 

「あはは……ちょっと張り切りすぎちゃって……」

 

 まさか感情に囚われてトランス状態になってしまった、なんて言えるはずもなく、咲は困ったように笑いながら誤魔化した。

 

「張り切った結果があれか……末恐ろしいな」

 

 そう言った靖子であるが、実際は何かを隠していることはわかっていた。しかしわざわざ隠したがっているそれを根掘り葉掘り聞くほど野暮でもないため、あえて今はわかっていないことにした。そこで少し話題を変え、もうひとつ気になる事に切り込んだ。

 

「しかし、他の面子は大丈夫なのか? 咲の強さは1回戦で嫌というほどわかったが、まさかチーム咲状態ではないだろう?」

「その辺はバッチリよ。何せ合宿までして皆で猛特訓を重ねたからね」

「皆、か……」

 

 そう呟いた靖子は、思わず麻子の方へと視線を向ける。皆、ということは、つまり麻子もその練習メンバーに入っているということだ。『roof-top』にて前に手酷くやられたことを思い出した靖子は、もしかして咲が超覚醒したのも麻子のせいなのでは、と訝しんだ。実際、その考えは7割くらい当たっているのだが……。ちなみにその視線を向けられた麻子はというと、そんな視線など気にしていないかのように、ご飯物を頼んでいないにもかかわらずデザートのバナナサンデーを口に運んでいた。そして

 

「(女子は甘いものならいくらでも食べられる、なんて話を聞いていましたが、本当なのですね……)」

 

 とか考えていた。その横には、ストロベリーパフェが入っていた容器が置かれていた。

 

 

―――

 

 

「それじゃ、午後も頑張れよ」

「任せなさい」

 

 靖子と別れた一行は、控え室へは戻らず、そのまま対局室へと向かった。咲を中心に置いた輪形陣を敷いて。これは万一記者に出会った際の防御壁の意味合いもあったが、一番の目的は咲をはぐれさせない、その一点にあった。咲は既にこの日の朝方に迷子をやらかしているため、念には念を入れたのだ。もし時間になっても迷子で到着できないため失格、なんて羽目になってしまったら洒落にならない。もしかしたらこの世界においては、麻雀が強い人は何かが抜けているのかもしれない。

 

「それでは、私達は戻りますね」

 

 対局室の扉から少し離れた場所で、麻子が咲にそう言った。流石に扉が見えている場所のため、いくら咲でも迷うことはない。

 

「うん、ありがとう」

「咲さん」

 

 麻子に返事をしていざ対局室へ、と咲が後ろを振り向きかけた時、和が静かに咲の名前を呼んだ。その表情は、我が子を見守る母親のように、うっすらと笑みを浮かべている。

 

「楽しんできてくださいね」

「……うん!」

 

 和の後押しもあり、咲は心からの笑顔で、対局室へと入ることが出来た。

 

 

―――

 

 

 2回戦、清澄高校の先鋒、宮永咲。1回戦でのこともあり、対局相手は咲を非常に警戒していた。そして拙いながらも3人でうまく連携を取り、咲を封じ込めていた。ただそれが、咲にとっては少々露骨で、敵意も剥き出しだったのが問題だった。

 

「(……やっぱりマークされてる……3対1って……そんなの麻雀じゃ……やだ、そんな目で見ないで……)」

 

 咲自身の中で、負のオーラが増大していく。私だってしたくてした訳じゃない。それに3対1なんてされたら勝てっこない。何より怯え、恐怖、敵意、そんなものが篭った目で見られたくない。

 

 

 

「まずい、また咲の奴が呑まれ始めよる……」

 

 麻子ばりにオーラに敏感なまこは、咲の違和感にいち早く気付いた。しかし対局室の中は電波も届かなければ、控え室の声も届かない。このままでは1回戦と同じ結果になりかねない。いや、それならまだマシである。もっと酷いのは、それを逆手に取られて脱落させられることだ。

 

「……」

 

 しかし、和は落ち着いていた。まこの状況報告を聞いても尚、笑みを絶やさなかった。咲さんなら大丈夫、このくらいなら乗り越えてくれる。そう信じていた。

 

 

 

「(……まずい、体が勝手に……)」

 

 しかし、和の思いとは裏腹に、咲は自分でも段々と制御が利かなくなっているのを感じていた。このままだと1回戦と同じ目に遭うのはわかりきっていた。今はまだ何とか自分の意思で制御できているものの、このまま行けばコントロールを失うのも時間の問題である。

 

「(っ……あっ!)」

 

 もうすぐ完全に体の制御が利かなくなる、そんな時。咲の脳内に優しい声が響いた。

 

 

『楽しんできてくださいね』

 

 

「(……そうだ、3対1が何だ。麻子ちゃんと打った時と比べれば、このくらいなんでもない……ハンデにもならないよ。あの目も、それだけ私を強い打ち手と認めてくれているから。それに……和ちゃんも言ってた。どんな状況でも、麻雀は楽しむもの、だよね!)」

 

 一見悪いものでも、見方を変えればプラスになる。そのことを咲が理解した瞬間、パリン、と鏡が割れるような音がした。

 

 

―――

 

 

「咲の空気が……変わった? さっきまで、呑まれかけとったはずじゃあ……」

 

 まこの予想に反し、今の咲に宿っているのは、今まで見た中でも一際鮮やかな桃色の炎だった。更に、さっきまで纏っていた負のオーラは完全に消え失せている。咲の表情も、麻子との対局の時に見せていた、全てを深淵へと引きずり込むような濁った瞳ではなく、青空を反射するくらいに透き通った瞳を湛えていた。

 

「(……うん、思い出したよ。麻雀って、楽しむものだよね!)」

 

 和の言葉を思い出し、自分に打ち勝って生気を得た咲は、それからというもの実に生き生きとした闘牌を見せていた。嶺上開花を決めるのは勿論、それ以外の手でも何度も和了っており、他家を圧倒しているのは変わらない。しかし、その一手一手には咲の意思が込められていた。目標だけを目指して、他を全て捨てるような機械のような打ち方ではない。そんな打ち方だとつまらないから。まるで咲の手牌、河、表情がそう語っているかのようであった。

 

 

 

「先鋒戦終了! 1位は1回戦と同じく清澄高校、宮永咲! 1年生ながらまるで王者の如き闘牌でした! 1回戦のようにトバすことこそできなかったものの、それでも20万点を超える圧倒的な点数! これは『牌に愛された子』の再来か!?」

 

 先鋒戦は序盤での封じ込めもあってトバし終了こそ出来なかったものの、それでも咲が他校を圧倒した。しかし咲にとっては点数より大事なものを得ていた。好きなように、伸び伸びと、打ちたいように打つことができる。自分の麻雀を取り戻すことができたのだ。

 

「ただいま戻りました!」

「おかえりだじぇ!」

「よう頑張ったな。すんでの所じゃったけど、きちんと踏ん張ることが出来た」

 

 咲の顔は、1回戦と違いとても晴れやかなものであった。自分の全力を出し切った。言葉にこそ出していないものの、咲の表情がそう物語っているのは誰から見ても明らかだった。

 

「お疲れ様です、咲さん」

「うん、ただいま、和ちゃっひゃっ!」

「……」

 

 和のところに駆け寄ろうとした咲は、何もないところで真正面から転んでしまった。最後の最後で実に締まらない、しかしある意味咲らしい終わりとも言えた。

 

「(……一時はどうなるかと思いましたが、宮永さんの自力で乗り越えました、か。この世界の学生は、皆強い方ばかりですね)」

 

 過去の対局を思い出しながら、麻子は目の前に広がるチームメイトのやり取りを眺めていた。そしてその精神力の強さに、改めて感嘆するのであった。

 

 

―――

 

 

「決まりましたぁっ! 2回戦Dブロック、決勝進出校は、1回戦でも圧倒的な闘牌を見せつけた清澄高校! 副将、原村和がトバし終了! 大将を待たずして決勝進出を決めましたぁっ! これはこのままダークホースとして優勝までいってしまうのか!?」

 

 2回戦は和までは回ったものの、結局は大将の麻子まで回ることなく、その和がトバして終わらせてしまった。先鋒での咲の大量得点に加え、強い打ち手が比較的少ない次鋒で優希が稼ぎきったこと、さらに久の悪待ち戦法が見事にハマリ、和がごく普通に打つだけでもトビ終了が発生するくらいに点数が削られていたのである。これに警戒を更に強めたのが龍門渕であった。

 

「清澄のやつ……先鋒の宮永、だっけか。アイツ、1回戦と何か違ったな」

「え? どっちも圧倒してたのは変わりないのではなくて?」

「そうか、透華はデジタル派だったな」

「何かバカにされている気がしますわ……」

 

 まず真っ先に分析していたのは、先鋒であり現状最重要警戒対象である咲であった。しかし牌譜を見ても、1回戦と何が違うのか、透華から、いや、智紀、一から見てもわからなかった。しかし純は持ち前のセンスで、1回戦と2回戦での咲が纏うものが違うことを本能的に察していた。

 

「1回戦のほうが、高火力だけど読みやすい分、まだどうにかなりそうだったんだけどな……これは苦戦しそうだ」

 

 純が冷や汗を流しながら、次に戦うことが確定している咲をどうしたものか思案していた。

 

「次に見るべきは……次鋒、片岡優希、ですわね。智紀、大丈夫そうかしら?」

「……多分、東場で和了らせなければ大丈夫」

 

 智紀は基本デジタル打ちであるが、和と違ってオカルト方面にも多少の理解はある。それはこの龍門渕の大将、天江衣がデジタルとはかけ離れたオカルトの塊であったからなのだが……だが、それが智紀にとっては良い方向に作用した。和のように全てを偶然として割り切るのではなく、それもひとつの要素として組み込み、対策を練るのである。デジタルだがその場での対応力も高い。故に龍門渕のスタメンを張れるのである。

 

「それより問題なのは中堅……」

 

 智紀が次の牌譜を自分のノートPCに映し出す。竹井久の牌譜だ。

 

「うわぁ……なんとなく察してはいたけど、本当に両面とかの多面待ちに取らないね、この人……」

 

 一は、久の徹底した悪待ち戦法にやや引き気味であった。基本に忠実に、まっすぐ打つのが信条である一の打ち方は、そこを引っ掛けようとする久の戦法とは相性が悪い。まこほどではないものの、よくて五分、調子によってそれ以下もあり得ると考えていた。もっとも、それは何もないところで会った時の話で、今回のように牌譜から既に傾向が見えているなら善戦はできるだろう、と一は踏んでいたのだが。

 

「そして副将……原村和。やっぱり原村は『のどっち』だと思いますわ」

 

 ネット麻雀界で、最早運営のプログラムではないかと疑われているくらいに強い『のどっち』。透華は和の牌譜から、その片鱗、いや、『のどっち』そのものを見出していた。

 

「……確かに、中学ん時の原村の牌譜はミスも多かったし、それを見たんじゃ『のどっち』なんて名前の似てる別人だろとしか思わなかった。けど、今回のこいつを見てしまったらなぁ……」

 

 そう、和は大会が始まる前の時点で、既に『のどっち』として覚醒していたのである。これで4人の牌譜が揃った。あとは大将である仁川麻子……という名前だけしか出ていない謎の人物だけ。しかし彼女は2回戦も副将戦で終わってしまったがばかりに、これまで全く出番が無く終わってしまった。つまり何の前情報もなしに、ガチンコでぶつからなければいけないのである。

 

「まぁ、あの衣だから大丈夫だとは思うけど……」

「なんか嫌な予感がすんなぁ……」

 

 少なくともあの先鋒の宮永咲と同じか、あるいはそれ以上の強さを誇る謎の打ち手。いくら龍門渕の大将であり『牌に愛された子』である衣がいると言えども、龍門渕高校の面々は不安を隠せないでいた。

 

 

―――

 

 

「ほい、チャーシュー!」

 

 2回戦が終わり、すっかり日も沈んだ頃。清澄メンバー一同は、近くにあった屋台のラーメン屋へと足を運んでいた。

 

「晩御飯は部長である私のおごりだから、明日の決勝に備えてたっぷり食べてね」

「おいしそうだじぇ!」

「いただきます!」

「……」

 

 順々に届いたラーメンに舌鼓を打つ優希と咲。しかし同じく届いたはずの和は、周囲をおろおろと見渡すばかりで食べようとしなかった。その様子を見た優希が、和に質問をした。

 

「のどちゃんはラーメンは初めてか?」

「ら、ラーメンくらい知ってます!」

 

 そう言いながら、優希の見よう見まねで箸をつける和。どう見ても初めて食べる姿にしか見えないが、それを指摘するのも野暮であったので、皆は温かい目で初めてのラーメンを食べる和を見ていた。

 

「(懐かしいですね。こういったものを食べるのはいつぶりでしょうか)」

 

 麻子は麻子で、屋台のラーメンなどというものを久しぶりに食べるため、その懐かしさを味わっていた。いつからかスポンサーがつくようになってからは、事ある毎に会席料理だの何だのを振舞われてきていたため、こういった『普通』の食事は久しぶりだったのだ。

 

「(麺は縮れ麺でスープがよく絡み、野菜がいいアクセントになっている。チャーシューは脂がたっぷりなものの、思ったよりしつこくなくいくらでも食べられそうな味。肝心のスープはあっさり系の魚介系だしの醤油ですが、脂がたっぷりのチャーシューと合わさって丁度いい食べ応えを演出してくれます)」

 

 飯テロにもなりそうな品評を脳内で行う麻子。驚くことに、その行っている間に気がつけばラーメンの量が半分くらいになっていた。元々それなりにあったはずなのだが、どうやら美味しさで時間が少しだけ飛んだらしい。

 

「親父! タコスラーメンを作れ!」

「タコはねぇなぁ」

 

 

―――

 

 

「ただいま」

「おかえりー、見てたわよ、大会! 決勝進出なんてやるじゃない!」

「宮永って子も強かったが、お前はその子を差し置いて大将を任されてるんだってな。こりゃ明日の決勝も期待して見なきゃな!」

「ちょっとあなた、プレッシャーかけるのはよしなさい!」

 

 家に帰った麻子は、両親から今日の大会についての感想を貰った。その内容は、麻子が出ていないにもかかわらず概ね好意的なものであった。むしろ咲と比較されて期待を更に上げられているほどであった。

 

「大丈夫。明日は必ず、勝つから」

 

 普通の子なら、その重圧で押し潰されるまではいかずとも、緊張が高まりすぎてもおかしくないくらいの、そんな純粋な期待。しかし麻子は、プレッシャーには滅法強い。そんなものに負けるようでは、裏麻雀界で生き残ることなど、ましてやその界隈では知らない者がいないくらい有名になることなどできないからだ。故に親からのそれも、好意的に受け取るだけ受け取り、何食わぬ顔でスルーした。それどころか自分からハードルを上げていた。

 

 その後家族で夕食を食べた後、麻子は自室に戻り、改めて転生してから今日までの出来事を思い返した。宮永咲、須賀京太郎という人物と巡り合えたこと。その縁で麻雀部へと入部したこと。咲を初めとした、異能の打ち手と巡り合ったこと。そしてそれらと共に戦う仲間として入部したこと。初めて見る形の雀荘に驚いたこと。皆で合宿に行ったこと。咲が壁に当たったこと。大会というものに初めて参加したこと。そこで咲が壁を乗り越えたこと。そして、予選を通過し、全国への切符まであと一歩のところまできたこと。

 

「(……彼女達のためにも、必ず、明日は勝ちましょう)」

 

 元から負けるつもりなどさらさら無かったが、改めて麻子は、自分の周りがとても恵まれた人物ばかりであることを思い返し、その人と人との繋がりというものを噛み締めながら、明日の決勝のために眠りについた。




ちょっと駆け足でしたが、次から県大会決勝戦に入ります。
もう麻子さんは大分真人間になってますね。
もう県大会終わったらカン! でいいんじゃないかって気がしてきました()

靖子さんがこんな時間にうろついているのは、司会も交代制で担当の試合があまりにも早く終わったが故の暇つぶしとでも解釈していただければ……(投稿してから気付いたやつ)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話 嶺上

先鋒戦、そして咲編となります。
ここから先しばらく、麻子さんはしばらくちょい役でしか出ません。
仕方ないね。


 県大会決勝戦の日。開会式が終わり、改めて対局室へ向かう、清澄高校の先鋒である宮永咲は、相変わらずの輪形陣で護衛されつつ対局室前まで来ていた。本来なら過剰護衛とも言える感じではあったが、道中には結構な人数の記者がいたため、結果的には正解と言えた。

 

「それじゃ、行ってきます!」

「いってらっしゃい、咲」

「やりたいようにやって、全力を出し切ってくださいね」

 

 部員の皆から応援のメッセージを受け取る咲。その顔は、昨日まで見せていた昏い表情でも怯えたような表情でもなく、これから始まるお祭りに遊びに行く子どものような、そんな期待に満ち溢れた顔だった。

 

 

 

「よろしくお願いします!」

「よろしくお願いする」

「おう、よろしくな」

「よろしくね」

 

 既に他校の先鋒メンバーは集まっていたようで、咲が最後の入場となった。一同は場決めを行い、親の清澄から順に、龍門渕、風越、鶴賀と決定した。

 

「それでは、全国出場の切符を賭けた決勝戦、前半戦スタートです!」

 

 司会のその言葉とほぼ同時に、試合開始のブザー音が鳴り響く。誰にとっても負けられない戦いの火蓋が切られた。

 

 

―――

 

 

 先鋒戦、前半戦。その開幕は、化け物じみたスコアを叩き出した咲を3人が警戒しながら打つ、という形となった。見えないものを見ることが出来る、すなわち流れをある程度感じられる純は、咲の手が進んだと見るや鳴きでツモをずらし、咲の有効牌をことごとく他家へと流していった。美穂子、睦月の両者も、薄々純に乗らされていることは気付いていたものの、咲をなるべく動かさせないという意味では利害が一致していたため、純のその誘いに乗って和了を拾っていた。

 

「(うーん……なんかツモがおかしいよぉ……何か麻子ちゃんと打ってるときみたい)」

 

 調子が悪いときは終局まで全く和了れない、ということも麻雀においては珍しくはない。しかし、南二局を過ぎても聴牌すら取れないのは、流石に異常事態と言ってもよかった。だが、咲はここまでの中で、純が鳴きで動いてくるタイミングをある程度把握していた。

 

「(龍門渕の人は、私の向聴数が進むと必ずと言っていいほど鳴いてくる。そして、その後にツモがおかしくなっちゃう……なら)」

 

 咲にとって幸いだったのは、3人がとにかく早和了を連発していたおかげで、高い手がろくに出なかったことである。つまり点数としては、十分に逆転の目があるレベルなのである。

 

南三局 13巡目 ドラ{西}

 

咲手牌:{二二二二三赤伍①①①④246}

 

 この局は幸いにも皆の手が遅く、妨害があったものの二向聴まで持ち込むことが出来た。そしてそこにツモってきたのは、待望の{四}。赤ドラを含んだ面子が確定し、一向聴まで辿り着いた。ここで咲が選択したのは{④}切りであった。

 

『現在苦戦中の清澄の宮永選手、久々の一向聴です! だが嵌張が連続していて形は悪いか?』

「(清澄の奴、手が進んだか……このままだと立て続けに有効牌を引かれる感じがする、まずいな……)」

 

 咲の向聴数向上の気配を敏感に察した純は、手から絞り続けていた生牌の{中}を切り出した。

 

「ポン!」

 

睦月手牌:{三四伍①③赤⑤⑦⑦345} {中横中中}

 

 睦月が待っていましたとばかりにそれを晒し、聴牌した。{①}を切れば中三色赤1の3900の手である。三色が消えるのに加え、赤ドラをこの巡目で切るのはいくらなんでも抵抗が大きかったのもあり、睦月は迷わず{①}切りを選択した。

 

「カン」

「!?」

 

 それが一瞬の隙であった。咲が大明槓で{①}を喰い取ったその瞬間、純は咲から強烈な流れを感じた。

 

「(おい待てよ……まさか、この嶺上牌で聴牌するってことはねーよな……!?)」

 

 内心では否定していたが、直感はその否定を否定していた。今はっきりと感じたのは、咲が向聴数を進める感覚……いや、それ以上であるということを。

 

「(だが、アイツは聴牌していなかったはずだ……なら、最悪でも聴牌止まりだ。まだ潰せる!)」

 

 純の思考は、普通なら正しかった。いくら手が進んだとしても、進められるのは1牌分だけなのである。この時点で聴牌していないのなら、和了ることはあり得ない。しかし、純は咲のことを見誤っていた。ここまでの大量得点の陰に隠れていたが、元々咲はパワーアタッカーなどではなかったのである。

 

「カン」

「(なっ……!?)」

 

 嶺上牌をツモった咲は、その嶺上牌を手の中に入れ、既に完成していた{二}の槓子を晒し、更に暗槓を重ねた。ここまで来ると、純にもはっきりと咲が和了る未来が感じられた。咲の手が嶺上牌に伸びるその刹那、咲の腕から美しい桃色の花弁が舞い踊る。その光景を、咲以外の3人はただ見つめるしか出来なかった。

 

「ツモ、嶺上開花、赤赤。7700点です!」

 

咲和了形:{三四赤伍2246} {■二二■} {横①①①①} ツモ{赤5} ドラ{西⑧1}

 

『き、決まったぁーー! 清澄の宮永選手、なんと大明槓からの嶺上開花でツモ和了り! {①}を鳴かせた鶴賀の津山選手は7700点の責任払いです!』

『……まるで、嶺上牌がわかっているかのようだったな……』

『で、では、これが偶然ではない、と……?』

『いや、わからん。少なくとも私にそんなことはできん。だが……この和了はおかしいのは確かだ。これが”牌に愛された子”の力なのかもしれん』

 

 大明槓で{①}を晒してからの、暗槓を重ねての嶺上開花責任払い。司会として呼ばれている靖子も指摘するとおり、和了り方としては異様と表現せざるを得ない、周りから見れば歪みに歪んだ手であった。もし嶺上開花が出来なかったとすれば、ただの役無しの手になってしまうのである。

 

「(ふぅ……なんとか和了らせてもらえたよ……でも、2回戦までと違って、全然和了らせてもらえないや……これが全国レベル、なんだね……!)」

 

 一方咲は、ここでようやく和了を拾わせてもらえたことに安堵し、そして全国レベルの強さというものを改めて実感していた。麻子との対局ほどではないものの、うまく打たせてもらえないというのをずっと感じ続けていたのである。

 

 

―――

 

 

南四局 12巡目 ドラ:{①}

咲手牌:{三三三三七九④④④④⑨5赤5}

 

 咲はこの局も純の妨害を受けており、向聴数自体はまだ二向聴と伸び悩んでいた。だが代わりに、咲の手牌は異様なものとなっていた。今度は手の内に槓子が2組も揃っているのである。しかし、咲はここで槓子を晒そうとはしなかった。もし晒してしまえば、また純に止められてしまう、というのがわかっていたからである。

そして咲は、この槓子を溜め込む打ち方をして気付いたことがあった。あくまで純が流れを拾え、妨害できるのは、向聴数が変わったときか、同じ向聴数で役の高さが明らかに変わった時である、ということである。それ単体では特に意味を成さない槓子を溜め込む分には、純に妨害されることはなかったことから、咲はこの考えに辿り着いていた。

 

「チー」

 

 咲は睦月から零れた{八}を鳴き、{⑨}を切る。これで手牌は{三三三三④④④④5赤5} {横八七九}となった。しかしこの鳴きで{⑨}を切った場合、向聴数は変わらず二向聴であった。この状況に、純は少し怪訝な表情を見せた。

 

「({横八七九}を晒しておきながら向聴数は変わらず……まだ一向聴って気配はない。何を考えているんだ、清澄の奴は……)」

 

 もしかしたら動いたほうが良いのかもしれない。そう感じつつも、純はツモが効かず動くことが出来なかった。美穂子、睦月もそのままツモ切りである。そして咲まで手番が回ってきてしまった。

 

「カン!」

「(!!)」

 

 またも槓子を晒し、咲は動き始めた。暗槓であり、国士に当たるような牌でもないため、槍槓を宣言することも勿論できない。つまり、3人はただ咲が魅せる技をただ見守ることしかできないのである。

 

「もう一個、カン!」

「また2連続カン!?」

 

 思わず純は思いが口に出てしまった。それほどまでに、目の前の光景がショッキングなものであったのだろう。ドラがことごとく乗っていないため、それほど高い点数にはならなさそうではあるのだけが救いではある。しかし、3人は点数以上に、咲が操る牌の美しさ、そして咲の強さを感じていた。

 

「ツモ、嶺上開花。赤ひとつで60符2翻は1000・2000です!」

 

咲和了形:{125赤5} {■三三■} {■④④■} {横八七九} ツモ{3} ドラ{①8白}

 

 この和了に会場は騒然としていた。それまで静かだった咲が、突然2連続槓からの嶺上開花を、2局連続で決めてきたのである。それはまるで、魔物がようやく眠りから目覚めたような、そんな恐ろしい雰囲気にも感じられた。

 

『ぜ、前半戦終了―! 1位は振込み回数0で堅実な立ち回りを見せた風越、そしてその後ろには2連続連続槓からの嶺上開花を決めた清澄が100点差で迫っております! 3位の龍門渕も振りこみは0でしたが、点数がやや力不足だったか? そして鶴賀は責任払いの7700が大きく響き87400点! 上位3校は団子状態だが、鶴賀はやや厳しいか!?』

「(清澄のあの子……いよいよ本気、ってところかしら……?)」

「(まずいな……連続槓から手作りされたらオレでも止められねーぞ……!?)」

「(違う……力量差が、違いすぎるっ……!)」

「(うん、段々取り戻してきた、次はいける!)」

 

 調子を取り戻し始め、自分の勝ち方が見えてきた咲と、それに恐れ戦きながらも立ち向かう3人。まるでその様子は、1人の魔王に立ち向かう3人の勇者といった様相であった、と後にどこかで語られる事となるが、それは別の話である。

 

 

―――

 

 

清澄:105300

龍門渕:101900

風越:105400

鶴賀: 87400

 

『さて、席決めも終わり、いよいよ後半戦スタートです!』

 

 司会のトークと同時にブザーが鳴り、後半戦がスタートした。席順は前半戦と変わり、起家の咲から順に睦月、純、美穂子となった。東一局は、やはりマークされているということもあり、咲は純に立て続けに有効牌を潰され、そのまま純に和了を許す形となった。

 

「(うーん、でもやっぱりまだ全力を出し切れないなぁ……合宿とか、家族麻雀のときと、何かが違う……)」

 

 咲は自身に対する違和感の原因を探っていた。そこで、当時の麻雀の記憶を思い出していた。

 

「(……あっ!)」

 

 合宿の最終日。お風呂に足袋ソックスなるものが置いてあり、それが実に心地よい、ということで試して見たのだが、どうも咲にはそれが合わなかった。そこで再度裸足になった。この出来事を咲は思い出した。そして、家族麻雀で打ってるときも裸足で打っていたことを同時に思い出した。状況は東二局、睦月がツモ和了で2100点を取り、東二局1本場へと突入するところであった。

 

「あの、脱いでも良いですか?」

「はっ……?」

 

 突然の脱衣宣言。ドジを踏んで主語を忘れてしまったがばかりに、変な混乱を巻き起こしてしまった。そこで慌てて咲は、靴と靴下を脱ぎたい、と改めて申し出て、無事にそれが許可される運びとなった。

 

「(うん、同じ、あのときと同じだよ!)」

 

 宮永咲。決勝戦後半戦にて、『清澄の白い魔王』として、遂に完全覚醒の時を迎えた。

 

 

 

「(……妙だ、何かがおかしい。清澄の流れが良いのはわかる。だが、オレがそれに何も干渉できねえ……嫌な予感がするな)」

 

 東二局1本場。咲は順に邪魔をされることなく、順調に有効牌を重ねていた。いや、厳密には、純が邪魔しようとしてもできなかった、と言うほうが正しい。純に鳴ける牌がことごとく出ず、さらに鳴かせる牌も持っていない。まるで、咲に和了れと言わんばかりの状況であった。

 

「ツモ、ドラ1。700・1300の1本場は800・1400です」

 

咲和了形:{六七八①②③⑦⑦11189} ツモ{7} ドラ{9}

 

 

 

東三局 ドラ{2}

 

「(また清澄の手が進んでやがる……これ以上好き勝手されるとまずい……!)」

 

 6巡目、咲が切った{發}を見て、純はすぐに動いた。

 

「ポン!」

 

純手牌:{一一三四赤伍④⑥⑧227} {發横發發} 打{7}

 

 この局は、純が妨害を入れることには成功した。咲から{發}を喰い取り、無理やり流れを変えようとしたのである。しかし、余剰牌だった{7}を手拍子で切ったのがまずかった。

 

「ポン」

 

 ゴッ、と鈍い音が鳴り響く。それが聞こえていたのは純だけではあるが、しかし、それ以上に恐ろしいのが、咲から発せられているオーラであった。1回戦で発していたものとも、2回戦で発していたものとも違う、純粋なる王者としてのオーラとでも言うべきもの。それに関しては、純のみならず美穂子、睦月もひしひしと感じていた。

 

「(チッ、ずらした牌が元に戻りやがった……!)」

 

 動くにも鳴ける牌も出ず、また鳴かせられる牌を切ることもできない。無常にもそのままツモだけが進んでいく。そして、目の前にいる咲の手作りを、純は指を咥えて見ているしかなかった。

 

「ツモ、嶺上開花ドラ1、500・1000!」

 

咲和了形:{一一④⑤⑤⑥⑥⑦23} {7横7(横7)7} ツモ{1}

 

「(何だその和了は!?)」

「(鳴かなくても門前リーチで十分な形だったはず……)」

「(まるでウォーミングアップみてーだな……)」

 

 またも開かれる嶺上開花のみの手。睦月は今まで味わったことのない異様な麻雀に呑まれつつあった。また美穂子と純も、咲のその和了に対する違和感、そしてその和了を繰り出す理由を考えていた。




遂に靴下を脱いだ咲さん。試合の行方は後編へと続きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話 開花

先鋒戦中編となります。まだご覧になっていない方は、まずは前話からどうぞ。

……後編でも収められなかったよ(白目)


東四局 ドラ{2}

 

咲  手牌:{三三赤伍伍②③③③④8南北白}

睦月 手牌:{三六八⑥⑦223赤556北發}

純  手牌:{一⑤⑦⑨577西白白發中中}

美穂子手牌:{二四七八④赤⑤⑧113467北}

 

 配牌は全員がそれなりに良いといった感じの様相で、特に平和手が見えている美穂子の手は親としてかなり良いと言えた。また、前の2局と違い、今回は純が流れに干渉できそうな手牌であったことも大きい。最初は美穂子か睦月が真っ先に聴牌するかと思われていたが、美穂子は立て続けに不要牌を引き、足踏みしていた。対する咲は連続で有効牌を引いているのか、2回とも手出しでの字牌切りであった。

 

「ポン!」

 

 3巡目、またも咲の手出し牌である{白}を純が鳴き、ツモずらしと共に小三元へ一歩近付いた。そしてずれた先にきたツモは{⑧}。偶然ではあったものの、先ほど切った牌が帰ってきた形となる。

 

「(うーん……あまりよろしくないツモねぇ……)」

 

 美穂子は苦しい表情でツモ切りした。だが、その直後の咲の捨て牌が{一}であったことから、ある程度の効果はあったらしい。続く睦月のツモは{2}。本来は美穂子に入るはずの牌であったが、それが流れてしまった形になる。かくして{三六七八⑥⑦22234赤556}の好形一向聴となった睦月は、そこから打{三}とした。実は有効牌の入り方だけで言えば、睦月は他3人と比べても非常に早いものであった。

 

「ポン」

 

 睦月の余剰牌となった{三}を、今度は咲が鳴くことで手を進めることに成功した。また、この鳴きにより、またもツモがずれ、睦月には不要牌の{9}が流れてきた。勿論睦月はそれはツモ切りする。その直後の純は、ツモ{6}で{⑤⑦⑨5677發中中中} {白横白白}とすると、{7}を切って小三元一向聴とした。

 

『龍門渕、この早さで小三元一向聴だー! {發}をツモれば大三元も見えてくるか!?』

『だが鶴賀の速度もかなりのものだ。聴牌するだけなら{⑤⑥⑦⑧1234567}とかなり幅広い。その速度に龍門渕が追いつけるかも問題だな』

 

 解説陣の実況にも熱が入る。そんな中、美穂子の手もまた、他家の手と絡み合うように進んだ。ツモは{2}。奇しくも睦月に入った牌と同じである。鳴いていなければ咲がツモっていた牌であるが、咲にとっては不要牌であったので、単純に流れてきた不要牌が偶然にも有効牌になった形と言える。

 

「(……あの子、またカンからの嶺上開花を狙っているのかしら……なら……)」

 

 美穂子はここであえて、{二四}の搭子を残して打{八}の一向聴とした。咲が{三}を加槓してくることを見越した打ち方である。

 

『おっと、風越の福路選手、両面搭子から切り出しましたがこれは……』

『清澄の宮永が{三}をカンしてくることを見越したのだろう。槍槓狙いだろうな』

『い、いや、しかし、そんなものを狙えるものなんでしょうか……』

 

 靖子の解説に男性の司会が困惑する中、局面は進んでいく。咲は不要牌である{1}をツモ切り。睦月も{①}をツモ切り。そして純の手番で局面が動いた。

 

『おーっと龍門渕の井上選手、{⑥}をツモって小三元聴牌です!』

 

 純が{發}単騎ではあるが聴牌までこぎつけたのだ。さらに便乗するように、美穂子も{5}をツモって聴牌した。但しリーチをすると咲に聴牌したことが伝わってしまう上、他の2人も高い手を張っているか一向聴辺りであることが予想されたため、リーチはかけずにダマで待っていた。その咲はまたもツモ切り。生牌の{東}をそのまま場に叩きつけた辺り、こちらもそれなりの手が出来上がっていることは3人も感じることが出来た。その同じ巡目であった。

 

「リーチ……!」

 

 睦月が逆転を狙ったリーチをかけた。{六七八⑥⑦2223赤4556}から{⑧}をツモ、{5}切りでの{1}-{4}-{7}・{3}-{6}の5面張であった。仮に振込みが無くともツモ狙いでも十分勝算がある手である。そしてこれで割を食ったのが美穂子であった。

 

『おーっと、風越の福路選手、ここで{發}をツモってしまったぁ!』

『これは回し打ちだろうな。流石にここで{發}を切るような暴挙はしないだろう』

 

 ここで美穂子は、今の場を両目で改めて見渡した。そして高速でこの局面についての思考に入る。

 

「(津山さんは牌の並べ方、切り出し方から見て、おそらく索子の多面張ね。それと、井上さんはおそらく字牌をまだいくつか持っている。{白}の位置からして、{發中}を複数持っているから切れない。{發}単騎か{發中}のシャボ待ちが本線ね。宮永さんはおそらく萬子と筒子で染めている。多いのは筒子のほうかしら。{三}の出した位置からして、{三}より下の萬子はほぼ持っていない。なら、今切るべきはこれね)」

 

 この間、僅か3秒。美穂子は打{二}とし、聴牌を崩して回った。仕方がないとはいえ、しかしそれでも欲に囚われず状況を冷静に分析して振込みを回避するのは流石と言える。だが、その下がった一歩が致命傷となった。続く咲のツモ番。美穂子を嘲笑うかのようなタイミングで、咲は動いた。

 

「カン」

「!」

 

 咲は{三}を加槓したのである。もし直前に美穂子がツモっていたのが{發}でなく他の安牌であれば、ここで刺せていたはずであった。しかし現実は、美穂子が一歩退却したことによりできた隙に滑り込んできた。あまりの間の悪さに、思わず美穂子は視線を落とした。

 

「もういっこ、カン」

「「「!!」」」

 

 3連続目の連続槓。咲は、ツモってきた牌を手牌に組み入れ、連続で槓子を晒して見せた。咲の瞳から、眩いばかりの桃色の炎が揺らめいていた。

 

『おおっと、宮永選手、本日3回目の連続カンで嶺上開花!』

 

咲手牌:{②②③③③③④} {■伍赤伍■} {三横三(横三)三} ツモ{②}

 

 

 

「カン」

『……は……?』

 

 嶺上開花見逃しでの3連続目の槓。あまりの異常事態に、解説陣も言葉を失っていた。そして対局している3人には、咲の様子が大きく変わったことがはっきりと見えていた。咲が嶺上牌へ手を伸ばしたとき、咲の腕からは竜巻とも言うべき激しさの風が鋭く王牌へ向けて吹きつけ、その豪風に桃色の花弁が乗って鋭く王牌を貫いていたことを。そしてその手が引き戻される瞬間、風が周囲に一気にはじけ飛び、自分達の方へと襲い掛かってきたことを。

 

「……ツモ、嶺上開花、タンヤオ、対々、三暗刻、三槓子、赤1。4000・8000です!」

咲和了形:{②②②④} {■③③■} {■伍赤伍■} {三横三(横三)三} ツモ{④}

 

 咲がその和了を繰り出した瞬間だった。咲の両目から、鮮やかな桃色の炎、そして稲妻が同時に走った。

 

「「「っ!!?」」」

 

 敵対する者にとっては、一瞬ながら吐き気すら催すオーラをモロに受けてしまった3人は、一瞬うずくまるような姿勢をとった。そしてそのオーラを受けたのは、この3人だけではなかった。

 

 

―――

 

 

「ひぇっ……!?」

「うっ……!?」

「っ!?」

「……!?」

 

 鶴賀学園控え室。その中では、人一倍感受性が強い、次鋒である妹尾佳織がひきつったような声を出しながら、絶望の表情を浮かべていた。そしてその横では、副将である東横桃子、大将である加治木ゆみもオーラにあてられ、吐き気とまでは言わずとも苦しそうな表情を浮かべていた。そういったものには鈍感な、中堅であり部長である蒲原智美でさえ、いつも浮かべている笑顔が顔から消えたほどであった。

 

 

 

「っ!? な、なんなんですの!?」

「こ、これは……!」

「こ、衣より遥かに酷いよ……!?」

 

 龍門渕高校控え室。こちらでも鶴賀学園と同じように、画面越しで尚メンバーが咲の押し潰さんとするオーラにあてられていた。もっとも、龍門渕高校には衣という、咲と似たようなオーラを放つ魔物が在籍していたため、鶴賀学園よりはまだマシな反応であった。それでも、その衣を遥かに凌駕するレベルのそれを感じた3人は、咲に対して画面越しでありながら恐怖の感情を浮かべるのであった。

 

 

 

 風越女子高校控え室。元々のメンバー数が多い関係上、控えや何やらを含めて控え室にいるメンバー達の数が4校中最も多いここは、その中でも最も悲惨な状況になっていた。並レベルしかない打ち手は、画面越しであるにもかかわらず吐き気を催す阿鼻叫喚の地獄が広がっていた。本来ならそれを止めるべき存在であるはずの、コーチである久保貴子もまた、そのオーラに呑まれて何も出来なくなっていた。

 

「(なっ……何だこれはっ……!?)」

 

 少しでも気を抜くと、下手すれば意識すら失うのではないか、そう思わせる程の圧力を、今まで貴子は麻雀で受けてきたことがなかった。昨年の天江衣でさえ、画面越しでここまでなることはなかった。見ている分には単純に強い打ち手としか見えていなかったのである。それがどうだ。今年、今ここにいる1年生……、いや、その皮を被った、魔王とでも評するべき怪物は、一瞬ではあったが画面を越えて自分達にまで牙を向けてきた。まるで蛇に睨まれた蛙であるかのように動けなくなった貴子が出来たことは、その場でただカタカタと震えることだけであった。

 

 

―――

 

 

 南一局。純は焦っていた。先ほど受けた強烈な、圧倒的なオーラに加えて、親である咲の手牌から発せられる強烈なオーラにもあてられていたのだ。

 

「(まずい、感じる……奴の高い手の流れを!)」

「(……龍門渕の井上さん、相当焦っているわね……これはまずい状況なのかしら)」

 

 とにかく鳴いて流れをずらさなければ、咲に強烈な手を和了られてしまう。鳴くか、あるいは咲より早く手を作らなければならない。しかし3連続で連続槓からの嶺上開花という、確率論で考えれば異常極まりない和了を繰り出した咲は、既に自分の流れに乗っている。純はそう読んでいた。そしてそれは事実であった。

 

咲手牌:{九①①①③③赤⑤⑤⑤⑥⑧⑨1} ドラ{東}

 

 配牌から既に筒子11枚という、あまりに極端な配牌であった。しかも余剰牌も{九1}とヤオチュウ牌であり、自然に切れば染め手の判断もつかない。天和ほどではないものの、こういった手牌が来ることは滅多にない。このまま放っておけば最低でもダマハネはいってしまう。そして勢いに乗ったまま連荘されかねない。普段はこういった思考にはならない面々ではあるが、咲の暴れっぷりを既に目撃している以上、それが再来する可能性は常に考慮していた。

 

「(っ、鳴けるか!?)」

「(そっちじゃないわ……)」

 

 何とか流れを変えようと、純は美穂子が鳴きそうな牌を片っ端から切るものの、そのどれもが不発していた。そうこうしている内に4巡が経ち、咲から発声がかかった。

 

「ポン」

「(っ、自分から鳴いた……!?)」

 

咲手牌:{①②③③④赤⑤⑤⑤⑥⑧⑨} {①横①①} 打{③}

 

 咲が純から{①}を鳴いた。これは純としては意外な展開であった。仮に純が咲の立場であれば、鳴かずとも良いツモが続くと踏んでダマハネを狙いに行くところである。しかしながら、咲の考えは違った。

 

「(これが一番早く和了れる打ち方。そしてこれが……私の打ち方!)」

 

 嶺上開花。山の上で花が咲く、という意味を持つ役。自分の名前と同じ、そして姉に初めて教えてもらった麻雀の役。森林限界を超えた高い山の上、そこに花が咲くこともある。おまえもその花のように強く……そう言っていた姉に見せたい。私はここまで打てるようになった、強くなった、と。ちょっと道を外したこともあったけど、それでも今は自分の打ち方でここにいるんだ、と。

 しかし、この鳴きで流れが変わったのか、咲は数巡の間ツモ切りが続いていた。もっとも、この間他家も筒子をツモっていなかったので、結果的には咲の聴牌速度としては影響は無かったと言える。だが、ここで思わぬ手が転がり込んできた者がいた。

 

睦月手牌:{一二三②②③4赤5667東東} ツモ{8}

 

「(……これは……)」

 

 ツモがずれたことにより、有効牌が立て続けに転がり込んできた睦月。8巡目、結果として最も早く聴牌したのは睦月であった。そして聴牌を取れた睦月は、ここで選択を要求された。現物を切って出和了りが片和了りの{②}-{東}で待つか、現物ではない{②}を切って{①}-{④}で待つか、である。

 

「(……普通なら、現物の{③}を切るほうがいいに決まってる。それは私にもわかってる。だけど、左にいるあの怪物は、そんな普通で倒せる相手じゃない……このまま座していても、今よりもっと点数が減るだけ……ならば!)」

 

 津山睦月は、一世一代の賭けに出た。一人負けしている、という背景もあったが、普通に打っていては勝てない相手だと判断し、あえてリスクのある{②}を選択したのである。

 

「(……あら? このタイミングで{②}切り……)」

「(……鶴賀の、聴牌したか……最悪清澄に和了られなければ、鶴賀に和了らせるのもいいかもしれないな)」

 

 純はいけそうなら差し込みも考慮に入れていた。それだけ咲を恐れ、なるべくなら勝負しまいと逃げていたのである。美穂子も可能であれば点数は積むが、基本は咲に和了られないのを第一としていたので、似たような立場であった。そして睦月も、それに合わせて逃げ回っていた……はずだった。

 

「カン」

 

咲手牌:{②③④④赤⑤⑤⑤⑥⑧⑨} {①横①(横①)①}

 

 {④}をツモった咲は、予定通り{①}を加槓した。次の嶺上牌が{⑦}であることが見えていたからである。しかしそれをツモる手は動かなかった。否、動けなかったのだ。何故なら、嶺上牌をツモろうとした瞬間、咲の周囲に黒い闇の塊がいくつも現れ、咲の動きを拘束していたからである。

 

「(な、何が起こった!?)」

 

 純にもその光景は見えていた。最初、その闇は咲から発せられたものだと考えていたが、苦しそうな表情を見るにどうやら違うようだ。そして少し場を見渡して、純はようやくその発生源を見つけることが出来た。

 

「ろ、ロン、だ……槍槓ドラ3、40符4翻は8000。その槓、成立せず!」

 

睦月和了形:{一二三②③4赤56678東東} ロン{①}(槍槓)

 

 若干震えた声の和了宣言と同時に、睦月が持つ剣から斬撃が飛び、闇ごと咲は切り払われ、後ろに大きく吹き飛ばされた。……無論ここまで、睦月の和了以外は幻覚の類であることは確かである。しかし、力無き者が立ち向かい、一瞬の隙を突いて咲から直撃を取ったのは現実である。この事実は純と美穂子に大きな衝撃を与えた。

 

「(槍槓……そっか、そういったやり方もあるんだね。ひとつ勉強になったよ)」

 

 槍槓を当てられたにもかかわらず、咲はどこか納得したような表情で笑顔を浮かべていた。今までこういった形で嶺上開花を止められたことが全くと言っていいほどなかった咲にとっては、ひとつのいい勉強になった、と捉えていたのである(なお麻子と対局したときは、そもそも嶺上開花どころか槓すらまともにさせてもらえないことがほとんどであった)。自分の戦法の裏をかかれても、それを前向きに捉える心。和から貰った言葉が咲の中で生きている証だった。




覚醒した結果、咲さんは画面越しでも相手校に影響を与えられるようになってしまいました。
そんな化物に立ち向かい、一矢報いた睦月さん。……原作では影が薄かったから活躍させたいと思った結果、こうなりました。
本当は純さんと美穂子さんももっと活躍させたかったんですが、私の技量では無理でした。ごめんなさい。

追記(2019/8/20):途中の咲さんの手牌状況描写が完全に抜けてたので付け足しました。
自分では描いてるつもりでいましたが、読み返したら完全にすっぽ抜けてました。失礼いたしました。
ついでに何故か赤⑤が消滅するバグ()もあったためそちらも修正しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話 反攻

本当に後編です。


南二局 ドラ{⑨}

 

咲  手牌:{三八②②②赤⑤1119東北白}

睦月 手牌:{一三赤伍六③④⑤4679西西西}

純  手牌:{四九①⑦⑨1459東西北中}

美穂子手牌:{二三七②⑥2赤5南南北白發中}

 

「(んっ……)」

「(いける……!)」

 

 睦月は配牌を確認し、十分勝負手であることを確認した。もう、弱いからといって逃げ回ったりはしない。どのような結果になったとしても、きちんと敵の方を向いて戦う。遅くなったもののその覚悟を前局で決め、見事に一撃を放った睦月。そんな彼女に、配牌が応えているようであった。

 咲は一見いつも通りの配牌のように見えていたが、そこに違和感を覚えていた。どうも、この局に関しては嶺上牌が見えないのである。刻子が2個もあるのに嶺上牌が見えない。その理由はひとつしかなかった。

 

「(この{②}と{1}、もう誰かに持たれてる……そして、おそらく出ることがない……)」

 

 直感的にではあるものの、咲はこの局、もし和了るとすれば自分以外の誰かだろうと予想していた。無論それでもオリるつもりは毛頭ないし、可能な限りその予想を覆そうとはしていたが。

 

「(チッ……)」

「(あらら……)」

 

 一方、純と美穂子の配牌は惨憺たるものだった。両者とも搭子も対子も碌にない、文字通りのクズ手。和了に行っても高くなる見込みも薄い。一応美穂子はドラを持ってはいるものの、雀の涙レベルであることは明らかだった。まるで逃げ回っている者にふさわしい、逃げ回るための手とでも言わんばかりである。

 

 睦月が{9}を切って開局した南二局。純がツモったのは{七}であった。ここで純には、二つの選択肢が存在していた。ひとつは、九種九牌で流局させて仕切りなおすこと。もうひとつは、流さずに和了を目指すこと。純が選択したのは……{四}切りであった。

 

「(……ここで降りたら、本当に勝てない予感がする。オレだけじゃない、龍門渕が、だ。そもそもこの配牌も、今までオレ達がやってきたことを考えれば、流れ的には当然のことだ。だけど、ここで逃げたらオレは、オレ達はそれに屈したってことになる。それだけは、それだけは絶対に認めねぇ……! 何より、逃げずに立ち向かえばいいって、鶴賀の奴が教えてくれたんだ、もう背中を見せるつもりはねぇ!)」

 

 先ほどの睦月の和了に触発されたのか、純も逃げずに戦い抜く覚悟を決めた。狙いはあわよくば国士、駄目でもチャンタや三色、とにかく和了りに向けて動く心積もりでいた。

 

「(……私は、麻雀を見失っていたわ。麻雀の目的は和了らせないことじゃない。あくまでそれは、勝つために必要な手段。でも、今までの私はその手段と目的を履き違えていた。きっとこの配牌は、そんな私を叱るために与えたのよね……)」

 

 基本的に美穂子は、場を操るだけの観察眼はあれどデジタル打ちな方であり、配牌の意味を考えたりすることは普段なら無い。しかし、自分の今までの打ち方を振り返ったとき、目的を見失って無様な闘牌をしていたことに気付いた美穂子は、今の自分の置かれている境遇も相まってそのような思考に至った。それは自分への戒めでもあった。その心が通じたのかどうかはわからないが、美穂子の第一ツモは{四}。まだまだ茨の道ではあるが、早速面子がひとつ完成したのである。美穂子は打{北}としながら、改めて勝ちにいく決心を固めた。

 

 

―――

 

 

南二局 9巡目 ドラ{⑨}

 

咲  河:{白東北97伍} {①⑦}

睦月 河:{9一東發7八} {九⑧}

純  河:{四54⑥赤⑤七} {⑦一}

美穂子河:{北白中發2一} {⑥7}

 

睦月手牌:{三赤伍六③④⑤3456西西西} ツモ{四}

 

 睦月は{六}を切り、{3}-{6}(出和了りは{6}の片和了り)の聴牌をした。国士相手に{西}は切る機会がないと踏んだ睦月は、三色狙いで手を進めていた。そしてそれが成就し、聴牌までこぎつけることが出来たのである。出和了りなら三色赤1で7700、高目ツモなら4000オールの大物手である。

 

「(鶴賀の奴、聴牌までこぎつけたか……しかも高そうな雰囲気がするな)」

 

 純も当然それを感じ取っていた。場合によっては、最悪オリも考えていた。だが、それは最終手段、ギリギリまで自分の手を押し通す。その意思を持ってツモを取った。そのツモは、{3}であった。

 

「(ぐっ、なんつー所を持って来るんだ……!)」

 

 聴牌気配を察知している純にとって、この牌を通すのは非常に厳しいものであった。河からして、筒子全般に索子の下は非常に危険と言える。焦りを感じていた純であったが、ここで一度落ち着き、僅かな時間瞑目した。

 

「(落ち着け、読め、感じろ。……)」

 

 今まで行ったことがない、当たり牌を感じるという所業。流れを感じるということはできても、当たり牌まで感じることは今まで行ったことが無かった。が、ここでこの牌を通せるかどうか、通すためにはこの牌が当たりではないとわかっていないといけない。一段、いや、二、三段一気にステップアップした純は、今までにないほど集中していた。

 

「(……読めた!)」

 

 純は{3}を叩き切った。当たらない、いや、当たれない。この場に流れる空気、流れから、純はそこまで読み取った。勿論当たっているかどうかは、切ってみるまでわからないのは言うまでもない。もしかしたら読み違えて当たってしまうかもしれない。しかし、純は自分を信じた。どんな勝負においても、自分を信じられない者が勝てる道理はない。簡単ではあるが、しかし実際に行おうとするとそれは非常に難しい。だが、純は行った。やってのけたのである。勝ちに行く、その意思が篭った純の一打は、睦月の心を大きく震わせた。

 

「(っ、リーチをかけていれば和了れた牌……!)」

 

 {6}ならともかく、{3}では役無しになってしまうため和了ることが出来ない。睦月は内心で歯噛みした。だが、終わったことを嘆いても前には進めない。睦月は気持ちを切り替えた。前に進むため、和了るため、そして鶴賀が勝つために。

 

 同巡、美穂子も聴牌を果たした。{3}をツモったことによる聴牌。奇しくも睦月と同じくノベタンで片方は三色になる手牌である。睦月と違ったのは、こちらは役牌がついているため、どちらでも和了自体は拾えるという点であった。美穂子は何の躊躇いも無く、{七}を切って聴牌を取った。

 

「(鶴賀の津山さん、彼女は{④}をツモ切りする時、貴女から見て少し中央より左側を見ていた。となれば、その辺りに{④}に近い筒子があるということ。そしてその後に手出しした{六}の位置から考えれば、貴女にこの牌が当たる可能性は限りなく低い。龍門渕の井上さんは現物だから言うまでもない。清澄の宮永さんは、最後の手出しの{7}の時点で、どこを切ろうか悩みがあった。となれば、貴女はまだ一向聴。聴牌なら確定しているんだから、いろんなところに目移りする必要はないもの。だから張っていない相手には振り込みようがないわ)」

 

 両目を開いた美穂子の観察眼は凄まじいものがあった。一挙一動を感じ、読み、手牌の推理に当てる。その精度はプロも顔負けの高いものであった。その同巡、咲も{八}をツモ、{七}を切って三暗刻の聴牌を果たした。既に暗刻自体は3つ完成しており、{③}-{⑥}の出和了り出来る形である。

 

「(っ……!)」

 

 睦月がツモったのは{7}。もし三色に取っていなければツモ和了していた牌である。しかしそんな選択ができるのは、本当に未来が見えているような者でない限りは不可能と言えた。

 

「(あ、諦めるな……まだ和了れないと決まったわけじゃない……!)」

 

 睦月にかかるプレッシャーは相当なものである。全国レベルの強さを誇る美穂子と純に加え、1年生ながら長野の獲得点数を塗り替えた怪物である咲。そんな、睦月から見れば魑魅魍魎相手に打たなければならないのである。ひとつ間違えれば即死もあり得る状況で、プレッシャーを感じるなと言う方が無茶である。咲と美穂子の両者に現物である{7}を切り出すのでさえ、手が震えていた。しかしそれでも、瞳には確固たる意思が宿っていた。

 

「(っ、来たっ!)」

 

 一方、純も執念で聴牌まで辿り着いた。ツモったのは{發}であり、{南}待ちである。{南}自体は美穂子が3枚持っていたものの、暗槓でも槍槓が出来る役である。そのため、まだ和了り目が消えたというわけではなかった。

 

 

―――

 

 

『つ、遂に龍門渕の井上選手、国士無双を聴牌した! これで4人全員が聴牌したということになります!』

『……目つきが違う』

『……は?』

 

 靖子の言葉に、相方の男性司会者は少し間抜けな声を出して聞き返した。それに靖子は、いたって真剣な表情で答えた。

 

『鶴賀の津山が槍槓するまでは、どこか宮永に怯える3人と、その3人を狩りにかかる宮永、という図式ができていたはずなんだ。だから前半戦では早和了で協力して、なるべく宮永が動く局数を少なくするように局を回していた。そしてそれは、間違いなく槍槓までは続いていた。……だが今はどうだ』

 

 そこまで言い切った靖子は、一度息を大きく吐き、改めて真剣に解説室内にあるモニターを見つめた。

 

『誰もが真正面から、宮永だけじゃない、全員に勝負しに来ている。皆それを感じつつも受けている。ここにいる子達は、目の前の点棒以上に大切なものを賭けて打っているんだ。……これが先鋒戦というのが、そしてあと数局で終わってしまうのが実に名残惜しいよ』

 

 そう言った靖子の顔は、様々な感情が入り混じった、実に複雑な表情をしていた。

 

 

―――

 

 

 その同巡、美穂子がツモったのは{發}であった。

 

「(……何がどう入ったかはわからないけれど、井上さんが{發}で待っている可能性は否定しきれない。そもそも井上さんが手出しで切ったヤオチュウ牌は、{一中}の二つだけ。そして両方両端から切っている。いくらなんでもここで{發}は切れないわ)」

 

いくらなんでもこの状況で、{發}を切れる道理はない。もし切ったなら、それは暴牌だ。美穂子は三色を崩して{2}を切った。

 

「(全員に通る安牌なんてものはこの中にない。この{南}でさえ今は危険牌なのだから、オリきれるはずがない。なら、少なくとも津山さんには確実に通り、かつ宮永さんに当たってもドラが増えない{2}切りが一番良いはず)」

 

 三色は崩れたものの、それでも美穂子は出和了りで和了れる形は変わらない。続く咲は{2}をツモ切りした。そして、この南二局に終わりが訪れる。

 

「……つ、ツモ! 三色赤1、4000オールです!」

 

睦月手牌:{三四赤伍③④⑤3456西西西} ツモ{6}

 

 勝利の女神が微笑んだのは、最初に聴牌し、そして後悔の念にも押し潰されず、最後まで折れずに意思を貫き通した睦月であった。

 

「(負けたか……だが、何だか清々しいな)」

 

 結局聴牌してから一度もツモらせてもらうことなく和了られた純であったが、その顔はどこか満足そうであった。

 

 

―――

 

 

『先鋒戦終了―!! この激戦の先鋒戦は清澄高校が一歩リードの110100点でトップ通過しました! しかし下位3校は2位から4位まで1000点差の超接戦! さらにトップまでは全校16000点以内の僅差です! 勝負はまだまだわからない、この流れは次鋒戦へ続くことになりましたー!』

 

 流れを持っていかれたのか、あの後も咲はあと一歩の所で和了ることが出来なかった。代わりに純と美穂子が2回ずつ和了を拾い浮上、最終的な点数は1位清澄110100点、2位鶴賀97100点、3位龍門渕96500点、4位風越96200点となった。印象的であったのは、この後半戦が槍槓を除いて出和了りが一切なくツモ和了しかなかったことである。特に後半戦は咲の嶺上開花が無いにもかかわらず、誰からも出和了りが発生しなかったのである。

 

「……ふぅ、お疲れ様でした」

「お疲れ様でした」

「……お疲れ、様、でした……」

「お疲れさん。良い勝負だった。……久々だ、こんなにヒリヒリした勝負は。今日だけと言わず、また打とうぜ」

「はいっ!」

「えぇ、機会があれば是非」

 

 僅差ながら最終的に最下位であった純であったが、その表情は非常に晴れやかなものであった。咲と美穂子もまた、笑顔で純の申し出を受け入れた。ちなみにこの怪物3人相手に大健闘した睦月はというと、緊張の糸がぷっつりと切れたのか、今は椅子の背もたれに全力でもたれかかり、天を仰いでいた。精神をあまりに酷使しすぎた反動か、返事をしようにも気力すら残っていなかった。

 

 

―――

 

 

「咲ちゃん、お疲れ様だじぇ!」

「ありがとう、優希ちゃん。でも、やっぱり全国レベルは全然違ったよ。思ってたように牌が来ないし打てなかった。でも……全力で打てて、すっごい楽しかった!」

 

 清澄高校控え室。先鋒戦トップで帰ってきた咲を、皆は祝福しながら迎え入れた。

 

「それでも風越と龍門渕の2強相手にトップで帰ってくるのは流石よ、咲ちゃん」

「……いえ、そのお二人だけじゃないです。鶴賀の津山さん……もしかしたら、あの人が一番強かったかもしれないです」

 

 久の言葉に一点、咲は真剣な表情で言った。咲は睦月のことを認めていた。それどころか、先鋒戦で一番強いかもしれない相手とまで言ってのけた。それはあの場に直接いた者にしかわからない感情かもしれない。

 

「まぁ確かに、あの槍槓は見事の一言じゃったな。覚悟を決めた顔をしとった。敵ながら天晴れじゃっ思うたでぇ。今は地力がまだ不安定じゃけぇええけど、来年になるとわからんな」

 

 まこもその様子はしっかりと見ていたようで、咲と同じく一目置いていた。おそらく来年も当たることを見越し、どこまで伸びるかを恐れ、そして期待していた。

 

「でも、ともかくトップで帰ってきたんだからよかったじゃないか。本当お疲れさん」

「次は優希です。しっかり稼いできてくださいね」

「任されたじぇ! あ、京太郎は休憩中にもう1個のタコスを持ってくるように!」

「はいはい……」

 

 優希はそう言うと、タコス片手に対局室へと元気良く向かった。そして奥の椅子へ腰掛けた咲に、麻子がおもむろに近付き質問をした。

 

「ところで、前半戦後半戦双方、+5のスコアで終わらせたのは意図的だったのですか?」

 

 その質問に、咲は目を開き、少し驚いた顔をして答えた。

 

「えっ、そうだったの? 全然気にしてなかったよ」

「そうですか……」

 

 もしかしたら、±0は遺伝子レベルで刻み付けられているのかもしれない。あと咲には後でオーラの使い方を教えよう。あれでは麻雀外の所で大惨事が起こってしまう。麻子はそんなことを考えながら、持ち込んだチョコパイを頬張っていた。

 

 

―――

 

 

「お疲れ、睦月。大健闘じゃないか」

「あ、ありがとうございます、加治木先輩」

 

 鶴賀学園控え室。智美に肩を借りながら戻ってきた睦月も、また笑顔で迎え入れられた。

 

「いやー、あの化け物相手でほぼ原点なら十二分の戦果だぞ。もっと胸を張れ、ワハハ」

「おかげでもうクタクタですけどね……」

 

 その迎え入れられた睦月はというと、着くなりソファに飛び込み、そのままうつ伏せになった。どうやら先鋒戦後半戦の反動は結構大きかったらしい。

 

「そういえば次は妹尾先輩っすね。頑張ってくださいっす!」

「そ、そんな期待しないでよぉ~」

「ワハハ、だいじょーぶだいじょーぶ、かおりんなら何とかなるさ」

「雑!?」

 

 次鋒である佳織は、半ば無責任に笑う、部長であり幼馴染である智美に押し出されるように控え室を後にした。

 

 

―――

 

 

「ふぅ……いやぁ、やらかしたわ、マジすまん」

 

 龍門渕高校控え室。こちらでは戻ってきた純が大の字でソファに座ると、いつになく神妙な顔で謝った。

 

「純が素直に謝るだなんて、明日は槍でも降るんですの?」

「ひっでぇ言い草だな……まぁでも、清澄の宮永の力を、必要以上に過大に見てたってのは確かだな。無論油断できる相手じゃねーけど、だからってあんな逃げ回る必要はなかった。真正面から立ち向かえば、オレなら多分どうにかなってた」

 

 部長である透華のからかいに突っ込みつつ、純は前半戦の記憶を呼び覚ます。前半戦は自ら言った通り、とにかく鳴かせ、差し込み、差し込ませ、そして咲に和了られぬよう逃げ回っていた。その姿は、今思い起こすと純本人にとっては黒歴史となるくらいに恥ずかしいものであった。

 

「でも実際、清澄のあの先鋒の人は1回戦と2回戦でえっぐいスコア出してたからねー……純くんの気持ちもわかるかな」

 

 若干苦笑いといった様子で、チームメイトである一が純をフォローする。おそらくあの場にいたら、自分もそうなっていたであろうという確信があったからである。

 

「でもともきーが取り返してくれますから安心しなさい。そうでしょう?」

「変なプレッシャーかけるのはやめて……でも、大丈夫。秘策はある」

「秘策?」

「……まぁ、見てて」

 

 次鋒である沢村智紀は、普段の無表情面からは珍しく笑顔を湛えてみせた。そして意味深な発言を残し、控え室の一同に手を振り、対局室へと向かった。

 

 

―――

 

「キャプテン!」

 

 風越女子高校控え室。そこに戻ってきた美穂子は、顔を伏せたままであった。結果的には最下位とはいえ、あの清澄相手にほぼ原点を維持したのであるから十分健闘したとは言えた。

 だが、それをOGでありコーチである貴子が許さないことは明らかであった。それは控え室にいるメンバーも感じていたし、美穂子もまた理解していた。

 

「……福路、何か申し開きはあるか」

 

 鋭い目で美穂子を貫きながら、ドスの聞いた声で貴子が問う。周囲のメンバーの表情は、それはもう悲痛なものであった。その脅迫とも取れる質問に対し、美穂子は少し顔を上げ、真剣な表情で、座っている貴子に対してまっすぐな視線を向けて答えた。

 

「全力で殴ってください」

「キャプテン!?」

 

 メンバーからは、最早悲鳴に近い声が上がった。それを貴子は一睨みして止めると、改めて美穂子に向き合った。

 

「ほう、それは何故だ」

 

 目を細め、更に眼力を強める貴子。通常であればそれだけで漏らす子もいるかもしれないくらいのその視線に、しかし美穂子は目を逸らさずに答えた。

 

「私はこのインターハイ県大会予選という場において、あろうことか麻雀から逃げていました」

 

 キャプテンが発した、麻雀から逃げていたという言葉に、俄に周囲はざわつき始めた。しかしそのざわつきは、貴子が再度一睨みすることで止まった。

 

「……続けろ」

「はい。……私は、目的と手段を履き違えてしまった結果、麻雀を打っていませんでした。いかに和了らせないか、それだけを考え、麻雀という勝負から逃げていました。今までの私の麻雀の中でも、最も醜い麻雀でした。……自己満足だということもわかっています。ですが、けじめが欲しいんです。……それがないと、私には皆に顔向けできる権利がありません」

 

 気がつけば美穂子の瞳からは涙が流れていた。しかしそれでも、声を震わせることなく、美穂子は最後まで、自分の言葉を、本心を紡ぎきった。それを聞き終えた貴子は、すっと音もなく立ち上がると、美穂子に一言告げた。

 

「歯ァ食いしばれ」

 

 その直後、控え室に乾いた、大きな音が鳴り響いた。美穂子の左頬に貴子の右手が直撃したのだ。注文通りに全力で殴ったせいか、美穂子の体はふらついた。

 

「キャプテン……!!」

 

 涙声になりながら、美穂子の体を支えるために部員が集まろうとした。しかし、その動きは途中で止まった。いつもは険しい表情しかしていない貴子が、どこか神妙な顔になりながら、ふらつく美穂子の背中に手を伸ばし、抱きしめるように支えたからである。

 

「もし少しでも言い訳をするようだったら、その時点で私はお前を殴って糾弾するつもりだった。だが、自分で何をしたのかわかってて、ましてや自分から殴られた奴には、これ以上言うことはしない。それとな、確かにお前は逃げ回っていたが、それでも最後は自分の麻雀を確かに打ってた。天江以上の、龍門渕でさえ怯えて逃げ回っていた化物がいる中で、だ。しかもその中で、原点をほぼキープした状態で戻ってきた。コーチとして言うなら、お前の麻雀はなっていなかったと評価せざるを得んが……私個人として言うなら、お前はあの中でよく頑張ったと思うぞ」

 

 普段の貴子の様子からは想像もつかないほどの優しい言葉。それは貴子の本心だった。実際、今年の先鋒にいた化物である宮永咲の、圧倒的な、最早絶望と呼んでも差し支えない、見ている者でさえ心が容赦なく折れるようなオーラが、中継の画面越しでも尚、強烈に感じられたのである。昨年の天江衣でさえ、貴子はそのようなことを感じたことがなかったにもかかわらず、だ。そんな、直接対局していない自分でさえ心を折られかけた魔王と直接対峙して、心も折れず、点棒もほぼ減らさずに戻ってきた。最後は自分の麻雀を取り戻し、短い間ではあったものの十全の状況で麻雀を打ち切った。そんな美穂子を、貴子がこれ以上責められるはずもなかった。

 

「吉留ェ!!!」

「っ、は、はいっ!」

「福路が繋いだ点数、無駄にせずきっちり増やして帰って来い!!!」

「っ、はいっ!!」

 

 貴子に大声で呼ばれた、次鋒である吉留未春は、普段のおとなしい様子からは想像できないほどの、貴子の声に負けず劣らずの大きな声で力強く返事した。そして、キャプテンの、メンバーの、コーチの、麻雀部全員の意思を背負い、闘志を宿した目で対局室へと歩みを進めた。

 




ということで本当の本当に先鋒戦は終わりです。
睦月さんをもう少し焦点当てたいと思ってたら、まるで睦月さんが主人公みたいになってました。
本来は清澄視点では咲さんが主人公のお話のはずなんですが、書いていくうちにどう見ても魔王にしか見えなくなっていってました。こんなはずでは……。

そして久保コーチ、デレる。
一瞬の間であんなことになったレベルを相手にしてたと知れば仕方がないかもしれません。
美穂子を思いっきり殴ったのは、本人に望まれたからしただけです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話 逆風

お待たせしました、次鋒戦です。
次鋒戦はちゃんと前後編で終わります。……本当です(白目)


 優希が対局室へ入った時には、既に他の3人は入室していた。

 

「よろしくだじぇ」

「よろしく……」

「よ、よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします」

 

 三者三様といった様子の挨拶であったが、未春だけは優希に対して対抗心を隠そうとしていなかった。まるでキャプテンの敵と言わんばかりの表情である。厳密にはその相手は優希ではなく咲であるのだが、今ここで咲と戦えるわけではないため、未春は同じ高校である優希をターゲットしていたのである。

 席決めは既に優希以外の3人が引いており、残る牌はひとつだけであった。優希はその牌をめくり、そして口角を少しだけ上げた。

 

『それでは、次鋒戦開始です!』

 

 司会のその声と共に、対局室内にブザーが鳴り響き、対局開始を告げる。そしてその一瞬、対局室内に一陣の吹下ろしが発生したのを感じた。その発生源は親である優希であった。

 

 

―――

 

 

東一局 ドラ{3}

 

優希手牌:{二三三四赤伍④⑤⑦⑧33348}

佳織手牌:{一一六八④⑥⑨12西白白中}

未春手牌:{六七八①③⑤⑦⑨東東東北發}

智紀手牌:{九④④⑧⑧赤578南西白白發}

 

 ぱっと見からして、優希の配牌が非常に良い。二向聴ではあるものの受けが非常に広く、さらにドラが3枚あるという重量級の手牌でもある。未春も向聴数だけで見れば負けておらず、さらにこちらは鳴いて手を進めることも可能ではあった。しかし連続した両嵌系が地味に聴牌時の形を悪くしているほか、{④}に関してはこの時点で枯れている。そういった諸々の要素を考えたとき、軍配が上がるのは明らかに優希であった。3巡目のことである。

 

「リーチだじぇ!」

 

 あの後も立て続けに有効牌をツモった結果、驚愕の速度で聴牌までこぎつけることに成功したのである。だが、ここで動いたのが智紀であった。

 

「ポン」

 

智紀手牌:{九④④4赤5南南西白白發} {⑧⑧横⑧} 打{西}

 

『おーっと、龍門渕の沢村選手、一発消しのポンを入れた! ですが{白}は鶴賀の妹尾選手と持ち持ちになっています。このままでは和了るのは厳しいか!?』

『……妙だな。1回戦や2回戦で見せていた沢村は、こんな鳴きをする打ち手じゃなかったはずだ。原村や龍門渕のようなデジタル打ちの打ち手だと思っていたんだが……』

 

 無論、これは智紀がおかしくなった訳ではない。智紀は過去の優希の情報を基に対策を立てていた。それが、優希の一発目は消せるなら極力鳴いて消す、ということである。

 確かに智紀も基本はデジタル打ちであることは間違いないが、龍門渕高校にはオカルトの極地とも言える衣が在籍している。そのため、例えば嶺上開花連打や海底連打、東場に強い、南場に強い等、いわゆるオカルト系への理解もそれなりにある。故に優希の東場での爆発も、ただの偶然と一蹴することはしなかった。

 この爆発が10回に1回とか、そんなレベルであれば偶然と片付けて無視してしまっていたかもしれない。しかし中学生時代と今大会での彼女の牌譜を見て、智紀はそれが偶然ではなく必然だと感じていた。ならばそれに対策を立てなければならない。おそらく普通にしている分には、優希の速度に勝てないのは智紀も薄々感じていた。そして十中八九和了られることも。であれば、打たなければいけない対策は、極力優希の和了点を減らすことである。当然最高は0にすることだ。

 そして智紀は、優希の膨大な対局データを自前のアプリで解析する中で、ひとつの法則を見つけた。どうやらリーチ一発目に鳴かれた場合、その局においての優希の和了点がガクッと落ちているのである。さらに大きいのが、一度勢いを削がれると、その半荘で立て直すことが難しい、ということである。つまりこの鳴きは、この局においての点数を減らすと同時に、次の優希の勢いを削ぐ二段構えの攻撃になっていたのである。もっとも、これらは智紀の推測が全て正しければ、という前提はつくのだが……。

 

「(うー、これじゃないじぇ……)」

 

 優希は{北}をツモ切りした。その巡目の未春のツモは、智紀の予想通り{5}であった。これで優希は、智紀の鳴きによってメンタンピン一発ツモ三色赤1表ドラ3の三倍満(以上)を流されてしまったことになる。

 

 

 

「変じゃのぉ、沢村やらいう打ち手は、こがいな亜空間殺法みたいな打ち方はせんかったはずなんじゃが……」

「でも、優希ちゃんの一発目の高目が流されちゃったよ……」

「ぐ、偶然でしょう……」

 

 清澄高校控え室でも、智紀のその打ち方について話題になっていた。まこのリサーチでも、智紀はこのような打ち方をしていなかった。やはり入手していたのは、基本的にデジタル一辺倒な打ち方だったのだ。

 

 

 

「な、なんですのあの鳴きは!? 智紀らしくもありませんわ!」

「ま、まぁまぁ……」

 

 一方龍門渕高校控え室。こちらもこちらで智紀の打ち方について話題になっていた。と言うより、一方的に透華がヒートアップしていると言った方が正しい状況ではあるが。

 

「そーいやさ、智紀の奴、なんか秘策があるとか言ってたけど、もしかしてこれじゃね?」

「は?」

 

 純が思い出したように、智紀が残した言葉を復唱する。透華は目立ちたがりな部分はあるものの、大筋はデジタル打ちのため理解不能な様子であった。

 

「オレはなんとなく、智紀がしたいことはわからんでもないな」

「流れ、とかってやつ?」

「そんなトコだな。ただ、基本デジタルなアイツが何を以てそんな打ち方をしているのかは知らんが……」

 

 チームメイトでさえ理解しきれていたわけではない智紀の秘策。それは対局室内のみならず、各校の控え室、いや会場全体に効果を与えていた。

 

 

 

「……ツモ! リーヅモタンヤオドラ3赤1……裏2! 8000オールだじぇ!」

 

優希和了形:{二三三四四赤伍③④⑤3334} ツモ{4} ドラ{3} 裏ドラ{三}

 

 結局優希は最安目を引かされる形となった。とはいえ、それでも表裏赤ドラが豪華に乗ったこともあり、結果的には倍満という凄まじい手ではあった。その手を見て、{5}を引かされた未春の表情は若干青褪めていた。

 

「(龍門渕の人が鳴いた後にツモったこの{5}……もし誰も動いてなかったら、この{5}を引かれて数え役満を和了られてたってこと……!?)」

 

 そう、もし放置しておけば、優希はこの局、以下のようになっていたはずであった。

 

優希和了形:{二三三四四赤伍③④⑤3334} ツモ{5} ドラ{3} 裏ドラ{三}

立直 一発 ツモ タンヤオ 平和 三色 ドラ6 計13翻 数え役満

 

 初っ端から役満をかまされては、少なくとも次鋒戦内でそこから逆転するのは、全国区の魔物でもない限り難しい。だが、まだ倍満であれば半荘内で逆転するのも不可能ではない。そういった希望を繋ぐ意味でも、智紀の鳴きは非常にファインプレーと言えた。

 

 

―――

 

 

「ツモ、4100オールだじぇ!」

 

 東一局1本場。ここでも優希はツモ和了をした。但しこの手もまた、リーチと同時に智紀の鳴きが入り、手を下げられた格好であった。不可解な鳴きから2連続で優希の最高目をツモらされている未春は、ここで確信を得た。

 

「(間違いない、龍門渕の沢村さん……この人はこの変な鳴きをわざと入れてる……そして、清澄の片岡さんの最高手を的確に潰してる)」

 

 どうやら清澄高校をマークしていたのは風越だけではなかったらしい。そのことがわかり、一時的とはいえ思わぬ味方を手に入れた未春は少し安堵の息を漏らした。そしてこの違和感については、仕掛けられている方である優希も薄々感じていた。

 

「(東場では無敵なはずの私だけど……あの龍門渕のメガネの人の変な鳴きで邪魔されてる気がするじぇ……)」

 

 その予感は当たっていた。東一局2本場。

 

優希配牌:{一三六七②⑤⑧⑧6799東南}

 

 最早、最初にあった優希の勢いは影も形もなくなっていた。優希はこの時点で、この半荘の風が自分に吹き返していることを感じていた。この局は結局12巡目に未春が佳織から中ドラドラの5200+600点を和了り、親が動く形となった。

 

 そこからしばらくは、堅実な打ち手である智紀と未春が和了を奪い合う形となった。優希は勢いを連続で削がれたせいか、ほとんどの局で和了れる手にはなっていないか、和了れたとしても1000点程度の手である。だが、それでも優希は闘志を失ってはいなかった。

 

「(確かに今は、マークされてて邪魔もされてて、風はむしろ向かい風だじぇ。だけど、それでも私に出来ることはある! 今のこのリードを極力失わないように立ち回るんだ!)」

 

 優希は不利な状況の中、それでも懸命に打っていた。こんなところでへこたれるほど、優希の精神はやわではなかった。部活中の対局では、今のこの面子より遥かに酷い面子と打たされることもいくらでもあった。そんな中でも着実に地力を高めていた優希は、最早この程度のことで動じるような精神ではなかったのだ。実際、ここまでで、優希は振込みを一度もしていない。これは合宿前後から始めた、地力向上と精神力向上の特訓が生きている証であった。

 

 

―――

 

 

 ことが起こったのは南一局、優希の親番であった。ここまで佳織はことごとく他家に振込みをしていた。その打ち筋はどう見ても初心者そのものの打ち筋であり、狙い撃ちした訳では決してないのだが、出和了りは全て佳織からのものであった。そんな4人の手牌は以下の通りであった。

 

優希手牌:{二九②⑥1234468西西中}

佳織手牌:{一伍六六八八①②②⑨477}

未春手牌:{二三伍七九22⑨南北北北白}

智紀手牌:{二七七④⑤⑤11289南中}

 

 佳織は既にこの時点で七対子二向聴という配牌であった、しかし幸か不幸か、佳織はドがつく初心者である。とりあえず鳴かずに同じ数字か連続した数字を3つずつを4つと、同じもの2つを1つ、といった、最早ドンジャラとでも言うべき覚え方でしか役を認識していなかった。せいぜい覚えているのはリーチ、ツモ、対々、三色、あとはわかりやすい染め手くらいである。本来は七対子も覚えやすい役ではあったのだが、3-3-3-3-2の基本原則から外れることもあり、この時点での佳織にはあえて教えられていなかった。そのため佳織は、この手を二向聴とは認識していなかった。

 

 

 

優希手牌:{⑥12344468西西發中} ツモ{西}

 

 5巡目、優希は南場だが珍しくツモが効いており、この時点で索子が溢れることなくメンホン一向聴という大物手を生み出していた。

 

「(大丈夫、南場でも諦めなければ、ちゃんと手はついてきてくれるじぇ……!)」

 

 南場であろうと、暫定トップであろうと関係ない。攻められる場所は攻める。引く場所は引く。今までの麻雀部内での特打ちから学んだことのひとつであった。優希はドラである打{⑥}とし、その手を進めた。それから2巡後。

 

「(来たじぇっ!)」

 

 あれから少し手変わりした優希は{9}をツモ、{123444568西西西發}から{發}を切り出し、メンホン一通のダマ満の手を張った。その同じ巡目のことである。未春が当たり牌である{7}をツモったのだ。その瞬間、未春の体に僅かな電流が走った。

 

「(っ……、ということは、これが清澄の当たり牌……もう張ってるんだ……)」

 

 未春はツモった{7}を手に入れ、代わりに{6}を手にする。未春の体には、特に異変は起こらなかった。

 

「(ということは、{4}-{7}あたりの両面かな……?)」

 

未春手牌:{一二三四伍七九赤566北北北} ツモ{7} 打{6}

 

 そう考えつつ、未春は一見危険牌である{6}を何の躊躇も鳴く切り出した。

 

 

 

 それから11巡目まで進んでも、優希は一向にツモることができない。また、未春も同じく手が進まなかった。智紀は丁度今しがた張ったところではあるものの、{二三四七七⑤⑤赤⑤12389}と役無しペン{7}待ちであり、さすがにこの手でリーチをかけるのは躊躇せざるを得なかった。そんな中であった。

 

「ででっ、できました! リーチします!」

 

佳織河:{伍①4⑥中九} {9北東四横⑨}

 

 突如佳織がリーチをかけたのである。その河はまるで七対子を思わせるような河であったが、手牌をわざわざ3-3-3-3-2の形に分けていたためにそれは否定できた。となると何らかの面子手になる訳であるが……

 

「「「(なんだこの河は……)」」」

 

 三人の内心が見事に一致した。ちなみに佳織がリーチ棒を出すのを忘れていたが、未春が指摘してあげることで事なきを得た。その次巡、優希は現物である{⑥}をツモ切り、佳織は{三}をツモ切りし、未春の手番となった。そこでツモってきたのは{④}だった。

 

「(……でも、これも何も感じない。あんな変な手牌でリーチだったら、この辺でのシャボ待ちになっててもおかしくなさそうなんだけど……)」

 

 そんなことを考えながら、未春は当たらないと感じている{④}をそのままツモ切りした。実は未春の予想は半分当たっていた。智紀はスジにあたる{③}をツモ切り。智紀から見て{⑤}が4枚見えており、かつ{①}も3枚見えな上に佳織本人も切っているため通ると踏んでのツモ切りだった。その直後の優希。ここで優希は地雷を引いてしまった。

 

「({八}かぁ……)」

 

 押すか引くか、ほんの少しの間考える。佳織が初心者であることに加え、あのへんてこな捨て牌であれば、ひょっこりこの辺で当たってもおかしくない。それに今の自分はトップである。なら成すべき事は何か。

 

「(……ここでこの{八}を切るような打ち方を教わった覚えはない。今は、なるべく回避して振込みを耐える時!)」

 

 優希は躊躇せず{9}を切って降りた。普通であれば、この判断は正しかったと言える。しかし、この時ばかりは運が悪かった。直後の佳織のツモ番のことであった。

 

「! つ、ツモです! 裏ドラは……ありません」

「……手牌は?」

「あっ!」

 

 手牌を晒す前に裏ドラを確認するおっちょこちょいな佳織に、思わず優希も微妙にジト目になりながら突っ込んだ。そして指摘されてようやく気付いた佳織は、そのツモ和了した手配を広げた。

 

佳織手牌:{一一六六六八八②②②777} ツモ{八}

 

「リーチ、ツモ、対々……でしょうか?」

「「「!!?」」」

 

 開かれた手を見て、3人は驚愕した。リーヅモトイトイなんて2000・4000の手で済めばどれほど良かったか。

 

「そっ、それは四暗刻だじぇっ!?」

「ふぇっ、な、なんですかそれ……」

 

 突如焦りだした周囲につられ、何故か和了った本人である佳織も慌て始めた。もっとも、その役自体を知らなかったのであるから、仕方がないと言えば仕方がないかもしれない。そんな混乱する場の中、務めて冷静に、未春が補足をした。

 

「最も出やすい役満……子ですから8000・16000です」

「そ、そうなんですね……や、役満!?」

 

 和了った張本人が一番驚いているというカオス。点棒の受け渡しは無事に終わったが、ここで優希は少し後悔していた。

 

「(この{八}を切っておけば、リーチ対々三暗刻の満貫で済んでたじぇ……ぐぬぬ……)」

 

 そう、あそこで降りた{八}を切っていれば、傷口はもう少し浅く済んだのである。とはいえこれは結果論であり、それが見えていたのでもなければ{八}切りという選択肢はしなかったであろう。しかしながら、自分の選択の結果、傷口が広がってしまったという事実に、優希は少しの間悔しがっていた。

 

 

―――

 

 

『次鋒戦、前半戦終了ー! トップは東一局で連続和了を見せた清澄高校! 先鋒戦から更に得点を2万点ほど上乗せしています! そして2位は鶴賀学園! 振込み・ツモられ続きでしたが南一局の四暗刻が大きかった! マイナスを最小限に抑えています! 3位と4位の龍門渕高校・風越高校も振込み0・和了回数も十分ではあるものの、やはり大物手をツモられ続けたのが響いたか!? 勝負の行方は後半戦へと移ります!』

 

 結局あの後は、また智紀と未春で和了を競い合う形で半荘が終了した。二人は大物手を狙うタイミングに乏しかったのもあり、和了った回数は比較的多かったものの、優希のツモ和了の巻き添えを食って点数を大幅に落としてしまっていた。

 

「(……キャプテンから引き継いだ点数、減らしちゃった……)」

 

 休憩時間、未春は一人対局室に残りながら得点表示板を見て、心の中でそう呟いた。コーチからは増やして帰って来いと言われ、自分も増やす気で打っていたつもりだったが、結果はこの状況である。もっとも、未春は振込みを回避して防御を固めつつ、隙を見て堅実に得点を増やすタイプのため、大物手が飛び出しやすい優希とはそもそもの相性が悪いとも言えたのだが……。

 

「(……ダメ、今のままじゃ勝てない。……清澄を止めなきゃ……!)」

 

 未春の中で、無意識の内に何かのスイッチが入った。キャプテンを悲しませたくない。キャプテンには笑顔でいてほしい。コーチの、皆の期待に応えたい。その純粋な気持ちによるものだったのかもしれない。それによりこの対局室の空気が一変したのであるが、それに気付く者は誰もいなかった。




ともきーのパソコンは決して飾りじゃないのです。
ちなみにみはるんの当たり牌回避能力は、ゲームでの能力を反映したものとなります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話 鉄壁

『現在のトップはダークホースの清澄高校! 2位との点差を3万点以上つけてのトップです! 残る3校は清澄を追う形ですが、果たして中堅戦までに差を詰められるのか! それとも清澄が更に点棒を積み上げていくのか! それでは次鋒戦後半戦、スタートです!』

 

 相変わらずの熱が篭った司会のナレーションと同時に、対局室にブザーが鳴り響く。

 

「(タコスパワーは補充完了! そして私の得意な東場がもう一回やってきたじぇ!)」

「(鳴いても尚和了られた……けど、今までの牌譜と比べれば点数や持続期間は明らかに短い。やはり効果はある……)」

「(あわわわ、皆さん怖いです……)」

「(キャプテンのために……皆のために、勝ってみせる!)」

 

 前半戦よりも輝かせた表情で配牌を取る優希、自身の仮説が正しいことをデータから確信できた智紀、周りの空気にやや呑まれ気味の佳織、前半戦よりも更に決意の表情を強めた未春。それぞれの思惑が交錯する中、後半戦が始まった。

 

 

 

東一局 ドラ{8}

 

優希手牌:{四赤伍伍六八④赤⑤⑥44赤5889}

智紀手牌:{一三七②②⑤⑧9東東西白發}

佳織手牌:{八八①⑦⑦⑧1113455}

未春手牌:{四四六六七九33466東北}

 

 京太郎に届けられたタコスを食べた優希は調子が更に上がったのか、最早同じ麻雀をやっているのか疑わしいレベルでの好配牌である。二向聴だが非常に受けが広く、あからさまなタンピン三色に赤3枚表ドラ2枚のダマ親倍まで十二分に見える鬼手である。

 そのあおりを食ったのか、智紀の配牌は悪い。一応チャンタ系に寄せれば何とか……というくらいの手であり、そもそも和了れる形ではないのは智紀本人も認識していた。

 佳織は今のところ手役こそないものの、こちらも既に二向聴であり、優希に唯一まともに張り合える手牌と言えた。もっとも、優希の東場での速度についてこられれば、という前提はつくが……。

 最後に未春であるが、こちらはこちらで少し不思議な配牌と言えた。七対子の二向聴というだけなら普通の手であるが、その手牌の多くが優希の有効牌で占められていた。

 

「リーチ!!」

『おーっと清澄の片岡選手! なんと3巡目にしてタンピン三色ドラ5の鬼手をリーチだーっ! これは次鋒戦も清澄が独走してしまうのか!?』

 

優希手牌:{四赤伍伍六六七④赤⑤⑥4赤588}

 

 萬子を連続でツモっての超高速聴牌。しかも打撃力も十二分であり、最安目を引いてもメンタンピンドラ5と倍満は確約されていた。タコスパワー様様と言えた。しかしこの時、優希は気付いていなかった。絶対に清澄を止める。その鉄よりも強固な意思を持った打ち手がこの場にいたことを。

 

「ポン」

 

 同巡、未春が切った{東}を智紀が鳴いた。普通であれば場に生牌である{東}を一発目に切るのは、いくら早リーチ相手とはいえ中々しづらい。それが東場に強いとデータが出ている優希相手なら尚更である。しかし未春は、{東}が絶対に当たらないと確信を持った上で切っていた。智紀が鳴いてくれたのは、お互いにとって嬉しい誤算であったが。ちなみに本来優希がツモるはずであった一発目の牌、すなわち{6}は、そのまま佳織の手へ入っていった。

 

未春手牌:{四四六六七②③⑥33466} ツモ{6}

 

 そして和了らせないという執念と言うべきなのか、未春の手に4枚目の{6}が入った。少なくともこれで、優希の高目は全て潰れたということになる。未春は{⑥}を切り、一向聴となった。

 

「(……何か、おかしい気がするじぇ……そういえば、リーチの一発目に鳴かれるって、前半戦でもやられたような……)」

 

 {八}をツモ切りしつつ、何かの違和感を覚えた優希。似たような局面が前半戦にもあったことを思い出した優希は、何気なく智紀の方を見た。傍から見ると仏頂面とまでは言わないものの、感情に乏しい表情なのは変わらない。しかし優希には、その顔がどこか『計画通り……』と言っているように見えた。

 

「(……まさか、龍門渕のメガネさん、ワザと一発潰ししてきてた!? ……いやいや、そんな訳ないじぇ、流石に偶然だじぇ……)」

 

 そう、優希の言う通り、偶然の要素が非常に大きかったのは確かである。しかしながら、狙って潰してきていたのもまた事実であった。優希が見ていた表情の想像も、強ち間違いではなかったと言えるのかもしれない。

 

佳織手牌:{八八⑦⑦111345556} ツモ{②}

 

「(い、いらないよね……)」

 

 佳織はただまっすぐに和了りだけを目指していた。そのため、基本的には『みっつずつ』を意識し、『みっつずつ』を作りやすいように牌を残していた。そのため河から読むなんてこともしていない。何が危険牌で何が安全牌なのか、それ以前にそもそも役すらろくにわかっていないのである。佳織が{②}を切るのは必然といえた。

 

「ポン」

「!!」

 

 またもツモ番を飛ばされた優希。その次巡の佳織は{7}をツモった。

 

「……! え、えと、リーチします!」

 

役無しではあるものの聴牌ができた佳織は、{5}を切ってリーチを宣言した。今度はリー棒も忘れずに。ドがつく初心者が故の暴牌であったが、それが通ってしまったのはビギナーズラックの部分もあるのかもしれない。

 

「……牌、横に向け忘れてる」

「はぅあっ!」

 

 なお、智紀に指摘されるまで、佳織は牌をそのまま縦に切ってしまっていたことに気付いていなかった。

 

「(……さっきの{6}、そしてこの{3}、体が反応してるってことは、これが清澄の当たり牌……)」

 

 この巡目、未春がツモったのは{3}。またも本来鳴かれなければ優希がツモれなかった牌である。未春はツモった{3}を手に入れ、{⑥}を切り出して一向聴とした。

 

 

―――

 

 

「うわっ、龍門渕の人、また優希ちゃんの和了牌を流したよ……」

「ぐ、偶然ですっ!」

「でもこれで、優希の和了牌はのうなってしもうたな」

 

 佳織が元々持っていた{3}、そして智紀が一発目に佳織へ流してきた{6}、更に未春にある{3}{6}の刻子。しめて8牌、優希の和了牌がこの巡目にして空テンになってしまったのである。偶然の偏りにしては出来すぎたような展開に、会場でも若干のどよめきが見られた。

 

『……何だか異常だな……』

『と言いますと……?』

『3巡目で親倍確定の手を張る片岡も片岡だが、その和了牌を鳴きで的確に潰した沢村も妙だ。それに吉留の初手にあった{36}の対子、沢村が鳴ける{東}。偶然と言ってしまってはそれまでかもしれんが、まるでこの展開はできすぎている』

『た、確かに言われてみれば……でも、麻雀を長くやっているなら、そういった場面も少しはあるのでは?』

『まぁな、0という訳ではない。ないが……それがこの局で終わるのか、それとも……』

 

 靖子はこれが、ただの偶然で引き起こされたものではない、というのは薄々感じていた。この世界には衣や咲、あるいはチャンピオンの照などの、所謂『牌に愛された子』が何人もいるのだ。これよりももっと酷い超常現象をいとも容易く実現させるような打ち手が何人もいる以上、狙ってこの状況を引き起こせた者がこの中にいても不思議ではない。しかし、前半戦では智紀が狙って鳴いていた以外は特に不自然な点は無かったし、何より優希は安目だとしても和了れていたのだ。それが、前半戦よりも更に好調であると思われた中、和了牌が全て潰された。まるで誰かの意思が介入しているかのように、次々と。

 

『(……まさか、誰かが後半戦で覚醒した、とでも言うのか?)』

 

 

―――

 

 

「ツモです。タンヤオ門前ツモ、30符2翻は500・1000」

 

未春手牌:{四四伍六七②③333666} ツモ{④} ドラ{8}

 

 この局は、結局未春が11巡目にツモタンヤオのみで和了ったことで終了した。2000点の手ではあるものの、リー棒が2本あったので計4000点の収入となったのは地味ながら大きい点であった。

 

「(私の和了牌、あんなに固まってるじぇ……)」

 

 ぐぬぬぬ、と言わんばかりに悔しさをにじませる優希。しかしそんな余裕は、この後はもう見せられなくなるのであった。

 

「リーチ!」

 

優希手牌:{一二三伍六七③③③④赤⑤⑥⑦} ドラ{一}

 

 東二局。優希はめげずにリーチをかけた。{②}-{⑤}-{⑧}であればリーピンドラドラ、{④}-{⑦}であればリーチドラドラ。手は安めではあるものの、今度は和了牌が非常に広いため、そう簡単には和了牌を占領されない……はずであった。しかし。

 

「チー」

 

 智紀は狙ったように鳴きを入れ、ツモをずらしてくる。そしてずらされた巡目では和了牌を拾いにくい優希は、一回目のツモを空振りした。

 

「ポン」

 

 空振りした直後の巡目。またも智紀がツモをずらす。晒しているのは{2横22}{横⑨⑦⑧}。親であるにもかかわらず、和了る気があるのか疑わしい晒し方だ。和了れるとしたら役牌バックか鳴き三色以外はほぼあり得ない。その後もツモ切りばかりが進む中、13巡目であった。

 

「ロン、タンヤオ赤1、40符2翻は2600です」

 

未春手牌:{赤伍六②②②④⑤⑤⑥⑥⑦⑧⑧} ロン{四} ドラ{一}

 

 染め手への渡りも考えていたのか、ダマで待っていた未春に優希が振り込む形となった。その形は、またも優希の和了牌を多く抱え込む形であった。

 

「(な、何かおかしいじぇ、このおねーさんたち……!)」

 

 得意とする東場で、2連続和了を妨害された形になった優希はようやく、この状況は偶然だけではない何かが働いていることを理解した。ピンポイントで一発目を鳴いてくる智紀も不自然であるし、優希の和了牌をしこたま抱え込む未春も妙である。優希はまるで、自分だけを狙い撃ちされているような感覚を覚えた。

 

 

―――

 

 

優希配牌:{一七②③⑥⑨38南西北白中} ドラ{6}

 

 東三局。和了を東一局から連続で潰された優希は、既に流れを失っていた。まだ東場だというのに、既に南場の後半であるかのような輝きを失った配牌だったのだ。もっとも、麻雀において普通はそんな連続で好配牌が来ることなどほとんどないので、一般人から見れば正常に戻ったとも言えるのだが……。しかし、あからさまに流れをかき消されたことを理解した優希の瞳には、逆に闘志が宿っていた。

 

「(あのおねーさんが私を対策してきたのは、いくら私でもさすがにわかる。じゃないと、あんな変な鳴きはしない。……ならいいじぇ。正々堂々相手してやる!)」

 

 少なくとも今の状況は、麻子と連続で打った時よりは遥かに良い状況と言えた。流れを失ったといってもまだ点数ではトップだし、少なくとも麻子を超えるような相手はこの中にはいるように見えなかったこともある。希望は十分にあった。

 

「(たまには向かい風が吹くことだってある)」

 

{一七②③⑥⑨38南西北白中} ツモ{二} 打{⑥}

 

「(何をやってもうまくいかないことだってある)」

 

{一二七②③⑨38南西北白中} ツモ{1} 打{七}

 

「(投げ出したくなるときだってある)」

 

{一二②③⑨138南西北白中} ツモ{①} 打{8}

 

「(でも、そこで諦めたら)」

 

{一二①②③⑨13南西北白中} ツモ{西} 打{北}

 

「(そこが本当の負け)」

 

{一二①②③⑨13南西西白中} ツモ{西} 打{⑨}

 

「(私はそんなの……)」

 

{一二①②③13南西西西白中} ツモ{三} 打{南}

 

「(認めないじぇ!!!)」

 

{一二三①②③13西西西白中} ツモ{白} 打{中}

 

「リーチだじぇ!」

 

 この間に何度か無駄ヅモをしたものの、驚異的な確度で有効牌を集めた優希は、あのグズグズの手牌を12巡でほぼ最高形にして聴牌した。ダマで待つことも考えたが、それは自分の流儀に反する。優希が優希であるために、優希はあえてリーチをかけた。

 

「(……おかしい、2回くらい潰せば、片岡は一旦止まるはず……)」

「(……何かが破られた、そんな気がする……)」

 

 智紀は優希が聴牌したことに違和感を覚え、未春は今まで感じたことのないオカルト感を得ていた。智紀は下手に勝負に出るのはまずいと判断し、オリを選択した。だが、ここでも未春は後ろに引くことをしなかった。

 

「(……ダメだ、集中するんだ……皆のために、キャプテンのために!)」

 

 未春の集中力が更に増していく。それにしたがって、先ほど破られたと感じた部分が修復されていく。強くなる想い、それに牌が応えていく。

 

未春手牌:{二二三三四四①①①1167} ツモ{2} 打{7}

未春手牌:{二二三三四四①①①1126} ツモ{2} 打{6}

 

『おっと風越の吉留選手! 清澄の片岡選手が聴牌した直後から、その和了牌をどんどんとツモっていきます!』

 

 未春は一度{2}を掴むと、あっという間に{2}をもう1枚吸い取り、再聴牌を果たした。このままいけば、また優希の和了牌を持たれた状態で和了られる。それは優希もわかっていた。だからこそ、全て掴まれる前に。未春に和了られる前に。この奇跡の聴牌を、聴牌で止めることなく和了らなければならない。しかし、そこで優希が{2}をツモることはできなかった。ツモったのは{3}、隣の牌である。悔しそうな表情を隠すことなく、優希は静かにその牌を河に並べた。

 

「ツモ、一盃口。30符2翻は500・1000です」

 

 この局も未春が和了を獲得。これで後半戦に入ってから3連続で未春が和了したことになる。いずれも安手とはいえ、他家にとっては和了るチャンスを既に3回も潰されている計算になる。特に東場に強い優希が封殺されてしまっているのが大きい。そう考えれば、たとえ安手であろうともその価値は非常に高いと言えた。

 

 

―――

 

 

 東四局。ここまで来ると、智紀も優希も、未春の異常さをはっきりと認識した。未春は確実に、優希の和了牌を吸収している。それはまるで、優希にとっては和了という攻撃を食い止める城砦のように見えていた。いくら攻撃しようとも、その鉄壁が崩れる気配はない。むしろ攻撃を食らうと、それを呑みこんで更に強化されているようにすら思えた。

 

「ツモ、一盃口赤1。2000オールです」

 

優希手牌:{二二二六七②③④45677}

未春手牌:{伍伍伍六六七七八八八789} ツモ{赤伍}

 

 11巡目、優希が先行して聴牌する中、未春は細かいながらも4連続で和了を拾い、未春は前半戦での負け分を完全に取り戻していた。そしてその形は、またも優希の当たり牌をほぼ全て使い潰していた。優希が手を進めると、それと同時に未春の手も進む。そして優希の有効牌、すなわち和了牌は未春が吸収する。東三局ではまだ完全に諦めきっていなかった優希であったが、流石にここまでくると精神的に来るものも大きくなったようで、優希は和了ることを諦め始めていた。

 一方智紀は、和了こそ拾われているものの、未春も優希を抑え込んでくれていることに感謝していた。風越も強豪なのは間違いないが、それよりも危険なのは清澄であることは疑いようもない事実であった。あの咲を先鋒に据えているのだ。大将はどんな化け物が出てくるかわからない。下手をすれば衣でさえ太刀打ちできるかが怪しいのである。それを考えれば、今の状況は理想的とまでは言わずとも、智紀としては及第点と言える状況であった。

 

 

―――

 

 

 オーラス、南四局の2本場。この後半戦は初っ端から優希の大物手が的確に潰されたこともあり、この半荘の一局ごとの収支は非常に地味な数値で動いていた。そしてそういった小場の展開の場合、ものをいうのは和了れた回数である。智紀と未春は、共にそういった展開に強い打ち手であったこともあり、二人で和了り合いをして点数を伸ばしあっていた。そして優希は和了れないことで点を落としつつあり、前半戦の貯金を半分ほど吐き出していた。

 

「それにしても、今日の優希ちゃんはしんどそうだったね……」

 

 咲が次鋒戦を頭から思い返しながら呟いた。実際、最初は堅実な打ち手と初心者が相手ということで、優希が勢いに乗って大きくリードをつけられると皆が踏んでいた。しかし蓋を開けてみれば、そこに広がったのはまるでオカルト打ちのような奇妙な鳴きによる妨害、役満の親被り、そして後半戦からは、未春による謎の優希の有効牌・和了牌の吸収。結局、優希が和了れたのは前半戦の東一局の2回、そして東四局1本場の1000点(+1本場分の300点)であった。

 

「でも、それでも優希はやれるべきことは全部やっているわ。実際、今もスコア自体は次鋒戦のはじめから比べたら増えている。それに、ここまで一切振り込んでもいないわ」

 

 そう、こんな逆風の中でも、優希は腐ったりせずに己が為すべきことを為していたのだ。もっとも、振り込まなかった理由としては、初心者である佳織が危険牌だろうが何だろうが気にせずに捨てていっていたことも大きいかもしれないが……。

 

「そう考えると、優希も成長したな。合宿での特訓前じゃったら、今頃完全に戦意喪失して振り込み続けよるところじゃろう」

「確かに……俺が入部した頃の優希なんて、東場で和了った稼ぎの大半を、テンション下がった南場で和とかに振り込んで無くしてたりしてたしな」

「そう思えば、優希は本当に強くなりました。麻雀の腕も、精神力も」

 

 今の優希は、決して派手な和了で大きく貢献できているわけではない。むしろ逆風が吹き荒れる中、しかしそれでも優勝のために打っている優希の努力を皆は正しく理解していた。

 

「まぁ、麻雀やってればこういう日もあったりするわ。そんなときにどういう対応が出来るかが、成長したかどうかの一番のポイントかもね」

 

 久はそう言いながら、足元を取られつつも沼の中を必死に進んでいる優希を見つめた。

 

 

―――

 

 

 

「ち、チーです!」

 

 3巡目のことだった。智紀が切った{2}を、佳織が{34}の搭子を晒しながら鳴いた。初心者が鳴くのは基本的には役無しのリスクもあり推奨されないはずである。事実、佳織は前後半戦を通してほとんど鳴いていない。数少ない鳴いていた局は、誰がどう見てもすぐにわかるレベルのバカホンだった。当然そんなものに誰も振るわけがなく、そして余る牌もわかりやすいことから佳織が振り込んでしまっていた。

 

「(まーたバカホンだじぇ……)」

 

 優希だけではなく、3人が佳織の手を半分生温い目で見ていた。もっとも、誰もが必ず一度は通る道と言ってもいいものではあるため、半分は昔を懐かしむような目で見ていたのだが……。

 

優希手牌:{九②②⑥⑥⑨1155西北北} ドラ{東}

 

 佳織が鳴いてから数巡が経った。その間、優希は七対子を狙いに手組みを行っていた。未春が自分を狙い撃ちにしているのはわかっていたため、手組みが不規則になりやすい七対子を狙うことで未春も巻き添えにしようと考えていたのである。また、七対子は防御にも向いており、いざとなればオリを選択するのもそれほど難しくはない。それでも南四局とその1本場では、未春が優希の有効牌をうまく活用して和了を取っていたが、この2本場ではその効果が表れたのか、未春の手組みは非常に遅かった。そして優希は未春がツモに振り回されている間に、うまく一向聴までこぎつけることができた。

 

「(どうせなら、死なば諸共だじぇ……ん?)」

 

 ここで優希はあることに気付く。佳織が索子の染め手をしているのは誰にでもわかる。佳織が{横234}を晒している上、筒子と萬子を片っ端から切っているためである。だが、優希はここで違和感を覚えた。

 

「(……{發}が1枚も見えてない、それに私から見えてる索子は奇数の牌ばかりだじぇ……)」

 

 その瞬間、優希の脳裏にある光景が再生された。それは前半戦の南一局、優希が佳織に四暗刻を和了られた局である。あの時の優希は、{八}を危険牌と踏んで抱えた結果、役満を親被りしてしまった、あの光景である。

 

「(……ここで聴牌したかー……)」

 

 今回は幸運にも{九}をツモり、優希は聴牌した。今は12巡目、そろそろ誰かが聴牌していてもおかしくない状況である。ここで優希は少しだけ考えた後、ある牌に手を伸ばした。

 

「(……これで、どうだじぇ!?)」

 

 

 

「ろ、ロンです! えーと、ホンイツのみだから……」

「……30符2翻は2000点の2本場、2600」

 

 智紀が珍しく少しだけ目を見開きながら、佳織の点数申告を補助した。目を見開いていたのは智紀だけではない。それは未春も同じであった。

 

佳織手牌:{34666888發發} {横234} ロン{5}

 

 佳織が開いた手は、一歩間違えば緑一色になる大物手であったのだから。そして優希は、あえて{5}を切って大安目を差込み、減らす点数を最小限に抑えたのである。

無論放置してツモらせ、清澄の点数を犠牲に更に親である未春の点数を削る、半ば自爆気味の方法も考えなかったわけではない。しかし佳織がツモってくれるかは運次第であり、また仮にツモってくれたとしても、今度はそれによりトップが逆転してしまう。

 また、手なりで役満を和了らせると、流れが鶴賀に移ってしまうのではないかという危惧もあった。ちなみに後で和にそれを話したところ、予想通り「そんなオカルトありえません」という回答が返ってきたのは別の話であるが、仮に流れというものが無かったとしても40000点分の点数の動きがあるのだ。いくら後続にも強い打ち手が揃っているからと言えども、決して小さい数値ではない。

 それに優希は既に、佳織に一度役満を和了らせてしまって痛い目に遭っている。同じ轍を二度踏まない選択を取ることは当然と言えた。

 

『次鋒戦終了ー! 1位は清澄、片岡選手の前半戦の稼ぎが大きかったこと、そして堅牢な防御力で1位をキープしました! そして2位には僅差で風越がつけております! 後半戦の吉留選手の稼ぎが非常に大きく、最終的には次鋒戦開始時から16000点以上点数を伸ばしています! 龍門渕は3位ですが、沢村選手の鳴きにより片岡選手の勢いを止めたのは大きかった! 4位の鶴賀は苦しい戦いでしたが、前半戦南一局の役満和了が効いたか、まだまだ逆転できる位置につけています!』

 

 相変わらずテンションの高い実況をする男性司会者のナレーションと同時に、対局室にブザーが鳴り響いた。4人はありがとうございました、と一礼すると、それぞれの控え室へと戻っていった。

 

 

―――

 

 

「た、ただいま戻りましたっ!」

「おー、お疲れーかおりん!」

 

 鶴賀学園控え室。佳織はチームメイトに笑顔で迎えられた。完全なる初心者である佳織は、トバないというだけで立派に仕事をしていたと言えた。それどころか、読みも何もない暴牌連打を繰り返しておきながら、失点を2万点台に抑えられたのは最早奇跡と言っても過言ではなかった。

 

「佳織も私達の期待に応えてくれたんだ。智美もしっかり期待に応えてくれよ」

「ワハハ、プレッシャーかけてくるなぁゆみちんは」

 

 智美は口ではそう言っているものの、それほど緊張した顔は見せていない。このメンバーの中では、智美は極端にプレッシャーに強い。このやり取りも、ただのゆみとの軽口の叩きあい、じゃれあいであった。

 

 

―――

 

 

「ただいま戻りました」

 

 風越女子控え室。こちらでは、区間トップの未春が、固い顔をしながら部室へと戻ってきた。未春自身、この結果に納得はいっていなかった。本来の自分であればもっと稼げていたはずだ。彼女は真面目で純粋で、だからこそ自分には厳しかった。だが、そんな未春を待っていたのは、彼女の予想とは違うものだった。

 

「お疲れさん、よく稼いで戻ってきた。点数に不満が無い訳じゃないが、あの清澄のパワーヒッターを抑えて区間トップで帰ってきたから及第点だろう」

 

 コーチである貴子は、未春を叱ったりすることはしなかった。貴子も優希の得点力については、以前の牌譜や今回の予選でよく理解しており、送り出すときには得点を増やせなどと言っていたものの、内心では点数を減らして帰ってくることも覚悟していた(無論その場合は容赦ない喝が飛んでくることは言うまでもないが)。それを考えれば、強打者の優希を抑えて区間トップで帰ってこられたこと自体、貴子の期待以上であった。

 

「次は文堂か。テメェもわかってんだろうな?」

「はいっ!」

 

 部員の、コーチの、キャプテンの、皆の想いと点数を引き継ぎ、1年ながら中堅を任された星夏は、普段のおとなしい雰囲気が鳴りを潜めていた。皆で全国に行く、そして優勝する。その目標を達成するため、星夏には気合が満ち溢れていた。

 

 

―――

 

 

「とーーーーーもーーーーーきーーーーー!!!!!」

 

 龍門渕高校控え室、そこには大方予想したとおり、「龍門渕が3位になるとかあり得ませんわ」と透華がわめく光景が広がっていた。一は苦笑いしつつも透華を宥めているが、純は諦めて時間で収まるのを待っていたようだった。

 

「大体秘策ってなんですの!? ちゃんとその秘策とやらは機能してましたの!?」

 

 ぐいぐいと顔を詰めて詰問する透華。それに対し、智紀はこういった透華に慣れているのか、特に気にした様子もなく口を開いた。

 

「機能してた、と思う。そうじゃなかったら、清澄にもっと走られてた」

「だろうな」

 

 智紀の言葉に純が味方した。現代のデジタル麻雀の中では少数派となりつつある、流れ論者である純は、智紀の鳴きが優希の勢いを確実に削ぎ、失点を最小限に抑えていたことを確信していたのだ。

 

「最初の東一局のあれだって、ともきーが鳴いてなかったら清澄に数え役満和了られてたしねー……相性が悪い打ち手が2人もいた中で、ともきーはよくやったと思うよ」

 

 一も智紀に援護射撃を行う。それに乗じて智紀は無言で首を縦にブンブンと振っていた。3:1という人数差もあってか、智紀は普段より強気に出ていた。その様子を見て、透華もそこを追及するのは諦めたようだった。

 

「はぁ、まぁ結果的にはそうなったのは認めますわ……一! 全力で点棒を取り返してきなさいな!」

「言われなくてもわかってるよ。今回は手を抜いて勝てる相手じゃなさそうだからねー」

 

 いつもの飄々とした口調の一であったが、その表情はいつもより少しだけ力が入っていた。久々に自分の全力の麻雀を出せる機会がきたのだ、そうなるのも致し方ない話ではあった。

 

 

―――

 

 

「ふぁぁ……」

 

 清澄高校控え室。和が口に手を当てながら欠伸をした。どうやら、今朝が早かった上に昨日は緊張で寝付けなかったことから、それほど寝られていなかったらしい。久とまこは、和の出番がまだ先なために仮眠室で休憩することを勧めたが、変に真面目で頑固な和は、先輩の応援のためには寝られないと眠気を我慢しながら言い張っていた。そんな時である。

 

「たーだいまー……」

 

 優希が浮かない顔で帰ってきた。次鋒戦全体で見れば4000点を上乗せし、トップを維持して帰ってきたにもかかわらず、である。

 

「お疲れ、優希」

「きつい逆風の中よう頑張ったよ」

 

 先輩の二人が優希に労いの言葉をかける。その言葉を聞いて、優希の表情がぐっと詰まった。それが涙をこらえているということは、誰から見ても明らかであった。

 

「咲さん、仮眠室に行きましょう」

「えっ……」

「ほら、早く」

 

 ぐい、と和が咲の手を引っ張る。咲は突然のことに抵抗する余裕も無く、控え室から引きずり出されてしまった。そして扉を閉めたその直後。

 

「う、うわあああああああん!!!」

 

 控え室の中で、優希が久とまこに挟まれながら大泣きしていた。いつもの自分であればもっと稼げていたのに、全然和了れなかった。オリたせいで役満を親被りしてしまった。耐え続けるのが辛かった、苦しかった。様々な感情が一気に優希からあふれ出したのである。

 

「大丈夫、優希はあの面子の中でトップを守って帰ってきた。それだけでも100点満点よ」

「仇は久が取っちゃるけぇ、安心しんさい」

「うぅ……ぐすん……」

 

 一度大泣きしてある程度落ち着いたのか、優希は久の体にひっつくと、小さな声で「お願い」とだけ呟いた。

 

 

 

「(……そろそろ大丈夫そうですかね)」

 

 ちなみに麻子はというと、その展開を予測していたのか、優希が帰ってくる前に控え室から出て軽食スペースでもっちもっちと漉し餡の饅頭を頬張りながら、帰るタイミングを適当に計っていた。

 




麻子さんの出番が最後の数行だけという。
主人公#とは


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話 悪癖

やっと中堅戦前半が完成しました。


「あっ、コラッ! 子供がそっちに入っちゃいかん!」

 

 会場内の外れに、警備員の声が響いた。どう贔屓目に見ても小学生にしか見えない体躯の、頭に大きなリボンをつけた少女が、警備員に何の断りもなく関係者エリアに入ろうとしていたのだから、警備員の対応も当然と言えば当然ではある。少女もそのことは一応わかっていたのか、渋々という様子ではあったが自身の学生証を提示した。その名前を見た途端、警備員の表情が驚愕の色に染まった。

 

「こ、これは失礼しました、どうぞ!」

「感謝する」

 

 少女はそう言い残すと、今度こそ堂々と関係者エリアに歩みを進めていった。

 

 

―――

 

 

「どうも、藤田プロ」

「お、麻子か」

 

 控え室へと帰る道すがら、麻子は偶然にも靖子と遭遇した。ちょっとしたあれこれがあったのは確かだが、そのまま無視するのも憚られたため、麻子は礼儀として挨拶をした。対する靖子はというと、人気のないところで麻子と出会ったことに驚いたのか、やや目を大きくしていた。

 

「しかしどうしてこんなところにいるんだ? てっきり控え室で観戦しているのかとでも思ってたが」

「なんとなく出たほうがいい気がしていたので、先ほどまで出歩いていただけです」

 

 非常にぼんやりとした回答ではあったが、不思議とその言葉に靖子は納得した。理屈では明らかに情報やら何やらが不足しているのは確かなのだが、しかしそれでも麻子の言葉には納得させるだけの何かがあった。

 

「そうか……」

 

 靖子は一言そう返事した後、そのままじっと麻子の方を見つめた。その視線に嫌な予感を覚えた麻子は、「では」と一言告げて清澄高校の控え室へと戻ろうとした。その時であった。

 

「……!」

 

 麻子の目の前から、大きなリボンをつけた、麻子とそう変わらない身長の金髪少女が現れたのである。その少女は初対面であるにもかかわらず、麻子を一目見た瞬間に表情を強張らせた。

 

「……ん? 衣じゃないか」

 

 麻子の後ろから、靖子の声が聞こえた。どうやら靖子はこの金髪少女――衣のことを知っているらしい。別に気にせずスルーすることも出来たのだが、麻子はその名前、すなわち衣という単語を聞いて足を止めた。目の前の少女が、これから麻子と戦うことになるだろう、龍門渕高校大将であったからである。

 

「靖子か、久しいな。ところで、お前は何者だ?」

 

 初対面にしてこの尊大な態度に思うところがないとは言わなかったが、それでも麻子は気にしないことにした。いちいちそんなところに気を使っていたら、いくら気を使っても足りないからである。それに、会ったこともない相手に対し、その強さをある程度見抜いたことに興味を持ったというのもあった。

 

「清澄高校1年の、仁川麻子といいます」

「麻子か。……貴様、只者ではないな?」

「……何故そう思われたのでしょうか」

 

 既に両者の間には火花が飛び散っていた。と言うより、衣が麻子の名前を聞くと同時に明らかな敵意を向けてきた、と言うほうが正しい。その眼力は並の打ち手であれば震え上がるほどのオーラがあったが、しかし麻子はそれを平然とした表情で受け流していた。

 

「感じる質が違う。貴様のそれは人間のものではない、魑魅魍魎の類だ」

「!」

 

 出会って数分であるにもかかわらず、麻子の本質を見抜いた衣に、思わず靖子は目を大きく見開いた。もっとも、ここにきても麻子は依然として平然とした表情のままであったが。

 

「貴様とは大将戦で改めて交えることになるだろう。楽しみにしているよ」

「……えぇ」

 

 今ここで長く話す必要はない。これ以上は卓で直接語り合おう。そうとでも言いたげな様子で衣は麻子の横をすり抜けた。麻子もそれに短く返事しただけであった。しかしこの短いやり取りで、両者は言いたいことを正確に理解していた。

 

 

―――

 

 

「ただいま戻りました」

「おかえりだじぇ」

 

 控え室にいたのは京太郎、まこ、優希の3人であった。見れば優希はまこの膝を枕にして横になっていた。その顔は妙にいつもの覇気がなく、それにより麻子はここで何かあったことを瞬時に察した。そしてそれについては触れる必要がないと判断し、空いているソファに腰掛けた。見れば中堅戦の東一局が既に始まっていたところであった。

 

「ところで麻子はさっきまでどこに行ってたんだ?」

「ちょっと小腹を満たしていました」

「……さっきもお菓子食ってたよな……?」

「えぇ、それが何か……?」

 

 一体この小さな体のどこに、そんな大量のお菓子が入るんだ。そして何故それで太ったりしないんだ。清澄七不思議のひとつに、麻子のこの現象を加えてもいいのではないか。京太郎はそんなことを考えていた。

 

 

―――

 

 

 鶴賀: 78900点

 清澄:114100点

龍門渕: 94000点

 風越:113000点

 

 

東一局 ドラ{一}

 

智美河:{西中九1南六} {一發白}

久 河:{北發①西二東} {38横⑧}

一 河:{南中東西1一} {北九8}

星夏河:{南⑨1西中2} {白②}

 

 

「(張った……!)」

 

星夏手牌:{一二二二六七八⑥⑦5678} ツモ{赤5}

 

 東一局9巡目、星夏は聴牌していた。ドラの{一}を切れればタンヤオ高目三色である。リーチをかければ安目でも5200と上々の滑り出しになる。ここで星夏は、{一}を切るかどうかを悩んでいた。

 

「({二}が私から4枚見えている以上、{一}-{四}の線はない。それに{一}も2枚切れているから、あるとすれば単騎待ち……しかも地獄単騎……! ……この対面の人は、そういった異様な和了がとても多かった。……)」

 

 星夏は悩みに悩んだ。実際ヤオチュウ牌のドラ単騎待ち自体はそれなりにあり得る話ではある。が、今回は久本人がその近い牌を早い段階で切っていることから、確率自体は低いと踏んでいた。だが、今までの久の牌譜、そして何より星夏の直感は、この{一}が高確率で当たり牌であることを示していた。常識を取るか、直感を取るか。星夏が下した決断は……

 

「(一旦は回る……そしてこの{一}を使い潰す!)」

 

 現物の{二}切りで聴牌取らずの回し打ちであった。普段であれば星夏はこの事象を偶然と判断し、{一}切りとしていただろう。今まで部内ランクを上げるためには、こんな状況でオリたり回したりなどしていなかったこともある。しかし今回は事情が違う。既に先鋒が、悪待ちより遥かにオカルトな闘牌を魅せつけていた。であれば、悪待ちだと和了りやすい、そんなジンクス的なものを持つ人物が他にいてもおかしくない。今自分達が戦っている相手は、今までの自分達の『普通』で判断をしていい相手ではない。星夏はそう判断していた。そしてまるでそれが正解とでも言わんばかりに、次巡星夏は{⑧}をツモり、聴牌を復活させた。

 

「リーチ!」

 

 星夏は久を見据えながら、気迫十分のリーチをかけた。その表情は、とても並の1年生が出せるものではない、と久は感じていた。

 

「(まぁ並の1年生がスタメン張れるほど風越も甘くはないとは思うけど……)」

 

 そんなことを考えつつ、久はツモってきた{三}をツモ切りした。

 

「ロン、リーチ一発三色ドラ3、12000!」

 

星夏和了形:{一二六七八⑥⑦⑧5赤5678} ロン{三} ドラ{一一}

 

 少し口角を吊り上げた星夏が、自身の手牌を倒した。その手牌を見て、久は少しだけ目を丸くした。

 

「(……風越は、聴牌する直前に{二}を連続で手出ししていた……それも、対子落としの時は長考して……まさか、{一}が当たり牌だと踏んで避けたとでも言うのかしら……?)」

 

久手牌:{一三四伍④④④⑤⑥⑦999}

 

 思わぬ強敵の登場に、思わず久はテンションが上がった。その表情は、麻雀を心から楽しめる者のみが出せる、好戦的なものであった。普通なら牌譜を見たとしても偶然で片付け、そしてそれで振り込んでしまうのが常であったからだ。見の状態ではあったものの、麻子でさえそれにまともに引っかかったことからも、その効果の高さは折り紙つきといえる。それをかわせる者となると、それなりに実力、そして自信がないといけない。

 

「(これは……中々楽しめる戦いになりそうね!)」

「(絶対に負けられない、負けられないんだ……!)」

 

 部内ランク78位であった星夏を、スタメン入りできる5位まで引き上げるきっかけとなったのは、他の誰でもないキャプテン、美穂子だった。部内ランクが下位の者でも決して見過ごしたりせず、良かったところをきっちり見てくれている。そんなキャプテンについていきたい、そして恩返しをしたい。その一心で星夏は部内ランクを上げに上げたのだ。そして最終目標は皆で一緒に全国で優勝すること。そのためには、たとえ清澄が相手であろうとも負けられない。星夏の表情には鬼気迫るものがあった。

 

 

―――

 

 

「ほぅ、久が悪待ちで振り込んだか」

 

 清澄高校控え室。まこが室内備え付けの中継モニターを見ながら呟いた。その表情が少し目を見開いているのは、この中の誰よりも久のことを知っているからだろう。勿論驚いているのはまこだけではない。優希に京太郎も同じような表情を浮かべていた。ただ一人、驚き以外の表情を浮かべていたのは、案の定と言うべきか、麻子だけであった。その顔は、まるでこの展開を予想していたかのような、納得の表情であった。

 

 

 

「……ほぅ」

 

 風越高校控え室。そこで支配者が君臨するが如く座っていた貴子は、星夏の打ち筋を見て口角を上げた。見る者が見れば、その表情は機嫌が良いものだというのがわかるくらいには。

 

「……!」

 

 その隣では、美穂子が久の打ち筋、そしてその罠をかわしてカウンターを入れた星夏を見て、嬉しいやら何やらの感情が混ざった複雑な表情を見せながら涙を流していた。その涙はずっと探していた久――上埜久を見つけたからなのか、その危険な打ち筋に対峙することになってしまった星夏への謝罪なのか、美穂子自身の不安を打ち砕いた事に対する感動か。あるいはその全てだったのかもしれない。

 

「あの竹井って奴ぁ中々厄介な打ち筋をしてるが、あれをかわすたぁ、文堂の奴やるじゃねぇか」

「えぇ……彼女もまた、頑張ってきましたから」

 

 言い方は違うものの、二人は共に星夏の努力を認めていた。そして自分達の期待より更に上を行った強さを持ち合わせていることも。

 

 

―――

 

 

「テンパイ」

「テンパイ」

「ノーテン」

「ノーテン」

 

 振込んで局が進んだ東二局。この局は流局により終局した。地味にこの決勝戦で初めての流局である。

 

『鶴賀と清澄がテンパイで流局、親は清澄のまま一本場となります。それにしても、これが初めての流局ですが、ここまで流局がないというのも珍しいですね……これが全国レベルの力なのでしょうか』

『ある意味ではそうかもしれないな。先鋒戦、次鋒戦、両方とも何か見えない力によって展開が左右されていたようにも見える。そう考えれば、この中堅戦は純粋に実力がモノを言う展開になっているんだろう。だが……』

 

 靖子はそこで一度言葉を切ると、久が晒した手牌に注目した。

 

『清澄の竹井が気になるな。ここまでで何度も多面張にできたのに、予選から通して一度もそのような待ちを取ったことがない。今回だってそうだ、リーチ宣言牌の{8}を残していれば四面張に取れていた』

 

久手牌:{六七八③④⑤⑥⑦⑧⑧⑧68}

 

『確かに{8}を残していれば四面張でしたが……しかし今回は三色が付くので悪くはないのでは?』

『点を稼がなければならないなら、その発想も悪くはない。が、今は清澄がトップだ。なら他家に和了られるのは避けたいはずだ。にもかかわらず和了れるチャンスを自ら狭めている』

『確かに、言われてみれば妙ですね……』

 

 男性司会者も、靖子の説明を受けて久の打ち筋の違和感に納得したようだった。そしてその違和感は、当然対局者にも伝わっていた。

 

「(やっぱり悪待ち……ボクの見た過去の牌譜通りだね。それにしても、本当に多面張に取らないんだなぁ……もう3年以上はこの打ち方みたいだから、体に染み付いてるのかな)」

「(また悪待ち……点数を取りにいっているというよりもスタンドプレーに見える……)」

「(まぁ、でもやれることをやるしかないな。あれこれ考えすぎるのは私らしくないぞ、ワハハ!)」

 

 久の晒した手牌に対し、三者三様の感想を抱いた対局者の面々。しかしこれが久の罠であることに気付いた者は、この時はまだ誰もいなかった。

 

 

―――

 

 

東二局1本場 ドラ{8}

 

智美河:{西東1北八3} {發六九北}

久 河:{北八白中91} {二西8九}

一 河:{九南①二②發} {一白①中}

星夏河:{東9北發一⑨} {8伍南⑨}

 

 

「リーチ!」

 

 東二局1本場。11巡目に久が{⑥}を横向けで切り、親の先制リーチをかけた。

 

「(うわっ、先制リーチ来ちゃった……)」

 

 嫌な予感がすると思いながら、一は山から牌を取った。

 

一手牌:{赤伍④赤⑤⑥⑦⑦⑦⑧⑧3567} ツモ{4}

 

 丁度聴牌となる牌であるが、そのためには{赤伍}を切らなければならない。ただでさえ親のリーチ一発目に切るには危険な牌である上、かけた相手が相手である。御丁寧に{二八}が切ってあるせいで、一にとっては余計に危なく見えた。しかしながら今、龍門渕は2万点以上の差をつけられて3位に甘んじている。それに久は、清澄の中では最も目立たない打ち手ではあったが、しかし決して弱くない。オリてばかりいれば余計に差をつけられてしまう。一の中には、龍門渕は勝たなければならない、という焦りがあった。

 

「(……今ここでオリるのはきつい。それに、今ボクにある安牌は{⑥}だけ。オリても状況がよくなる可能性は低い……なら!)」

 

 一は{⑧}に手をかけ、回すことを選択した。普通ならありえないレベルの暴牌であるが、牌譜から久の打ち筋を研究していた一としては当然の一打と言えた。だが。

 

「ロン、一発」

「えっ、……!?」

 

 ニヤリと口角を上げた久が、その暴牌である{⑧}を咎めた。いや、それ自体は一としても想定の範囲内だっただろう。{⑥}以外は安牌でもなんでもないのだから、極論何を切っても当たる可能性は等しくある。問題は久が晒した手であった。

 

久和了形:{四赤伍六③③③④⑤⑥⑦456}

 

「メンタンピン一発赤1、あら、裏{4}で18000は18300!」

「わ、悪待ちじゃないっ……!?」

 

 この事実には、振込んだ一のみならず、智美、星夏も少なからずショックを受けていた。少なくともこの県大会の予選においては、そしてもっと言えば過去の牌譜を見ても、どれだけ良い待ちで待てたとしても、それら全てを蹴って悪待ちで張り、そして和了っていたのだ。それがどうだ。今目の前に展開されている手は、極普通の多面張だったのだ。それはつまり、今まで久への対策になると思っていた物が全て無に帰したことを意味していたのである。そしてこの事実に一番ダメージを受けていたのは、久の旧姓を特定し、中学3年の時の牌譜まで探し当てた上で対策を取っていた一であった。

 

 

―――

 

 

 東二局1本場での久への振込みがきっかけとなったのか、一はそこから調子を大幅に崩した。続く2本場でも9600(+2本場)を、今度は久お得意の悪待ちで狙い撃たれてしまい、そこからは一らしくもない振込みの連続となった。

 逆に久はあれから連続で和了を取り続けた。主に一からの直撃であるが、時には親満をツモって見せたりもした。そしてその全てが悪待ち。結局、好形での和了自体は一から直撃したその1回きりであった。

 智美と星夏は和了をいくらか拾っていたが、智美は南二局1本場で久に7700(+1本場)を振込んでしまったこともあり、点数を落としていた。逆に星夏は堅実に打ったこともあり振込みはなく、時には久からの直撃を取ることも成功していたため、開始時から見て2万点ほど点数を伸ばしていた。

 

「(……手が、手が疼く……)」

 

 ジャラリ、と一の手に繋がれた鎖が音を立てる。この鎖は、一が龍門渕家に仕えることになったときに付けることとなったものであり、物的にはただの拘束具でしかない。しかし、この鎖は一にとって色んな意味で大切なものであった。

 実は一は、過去の小学生大会において、親から教えてもらった手品の技術を使い、あろうことかイカサマを行ったことがある。小学生にもかかわらずカメラの死角を突き、牌をすり替えたのだ。小学生であることもあり、公的にはチョンボとして扱われたもののチームは敗退、当然周りからの信用も失うこととなった。

 しかし、透華はそれを知った上で一を龍門渕家に招きいれた。それも、一にとって二度と打つつもりは無かった麻雀の打ち手として。そのときにイカサマ防止のため、という名目で付けられたのが、今一に繋がれているこの鎖であった。勿論最初は煩わしいと思ったときもあった。しかししばらくすると、それが一自身の戒め、そして透華との繋がりを感じられるものへと変化していた。

 

「(……手品がしたい訳じゃない……あの夜を思い出すんだ……)」

 

 あの夜、とは、一が衣と対面した満月の夜のことである。忌み子として扱われていた衣と初めて会った時は、そのオーラにあてられて気分を悪くした。思わず吐き気を催すほどに。勿論今では衣のことも大切な仲間として認識しているが、それでもあの感覚を忘れたことはない。それほどまでにその体験は強烈なものであった。

 

「(……そうだ、確かに清澄の人は強い。だけど、衣ほどじゃない……! それに、透華は手品を使わない、そのままのボクを買ってくれた。なら、こんなところで怖気付いている場合じゃないっ……!)」

 

 そう自身を鼓舞する一。しかしその鼓舞は、気持ちを上げるためと言うには、どこか焦りで空回っているようにも見えた。

 

 

―――

 

 

南三局 9巡目 ドラ:{6}

 

一手牌:{三四伍六七②④⑥33567} ツモ{二}

 

「(ありゃ、両嵌が残っちゃったかー……モロひっかけだけど、聴牌したならいくしかないよね……!)」

 

 まっすぐ決めに行く。一はその意思を持ち、{横⑥}とした。この面子で出るとは思っていないが、一は親である。親リーには誰しも振込みたくないだろうからオリを選択するだろう、そうすればツモるチャンスも十分にある、と一は踏んでいたのである。だが、実際にはどうも違う方向へ対局は進んでいた。

 

星夏手牌:{一二三四六七八九④④678} ツモ{2}

 

 親リーに対する一打目。星夏は何も躊躇することなく{2}を切り出した。{2}は一に対して安牌という訳ではない。むしろ索子で確実に通ると言えるのは現物の{8}だけであり、せいぜいスジを信用できるなら{5}が通るかどうかくらいである。それでも星夏がこれを切り出したのには理由があった。

 

「(今の龍門渕は崩れている……それはいい。ただ、点数が減りすぎて危ういところまできている。今の流れじゃ、下手すればトビ終了まで見えかねない。なら……龍門渕には振り込んでもいい。むしろ振り込んだ方が、清澄を落とすのに使えるかもしれない)」

 

 そう、星夏は事もあろうに、一を利用するためにわざわざ危険牌を切ったのである。自分が和了れればそれはそれでよい。そして一に振り込んだのなら、一の調子が戻り、久を落とすのに加勢してくれるだろう。そう考えていたのだ。故に一には振り込んでもいい。一番やってはいけないのは、どんな形であれ久に和了らせることなのである。

 

 続く智美は手出しで{白}を切った。一の現物であるため……と言うよりは、萬子の染め手の手作りの結果余ったと言う方が正しいだろう。そして久のツモ番が回ってきた。

 

久手牌:{赤伍六七七八九③③赤⑤⑥⑦45} ツモ{③}

 

「(んっ……ここでこれをツモってきた意味って……)」

 

智美河:{1①4⑦赤⑤北} {東4} 晒し牌:{横西西西}

久 河:{9一1南中發} {2②}

一 河:{西⑨南中白發} {8①横⑥}

星夏河:{9北①東中4} {22}

 

 久は暫しの間手が止まった。そして自身の中で出たその結論に対して口角を少しだけ上げると、久は高らかに宣言した。

 

「リーチ!」

 

 久が切ったのは{5}。つまり{4}単騎待ちである。だが、これには重大な問題があった。

 

『おっと清澄の竹井選手、両面待ちを放棄して{5}切りリーチ、しかしこれは……』

『……和了れないな』

『空聴リーチだぁ! 悪待ちにも程があるぞ!?』

 

 そう、既に智美の河に2枚、星夏の河に1枚見えており、単騎待ちとしては和了り牌が0なのである。にもかかわらずリーチに踏み切ったのには訳があった。

 

「(このリーチは和了るためのものではない。さっきまでの和了を利用した威嚇……龍門渕を完全に抑え込むためのね!)」

 

 久もまた、一をターゲットとしていた。こちらは利用するためではなく、叩き潰すためとして。現在一は点棒を減らしに減らし4万点台まで落ち込んでいる。であるが故に、是が非でもこの局はチャンスにしたいのだろう、と、久は一のリーチを見て感じたのである。そしてそのチャンスを叩き潰すため、久はあえて和了り目のないリーチをかけた。この局を流局させるために、そして一の心を折りにいくために。

 

「(……私も、麻子ちゃんにあてられちゃったかしらね。昔は相手の心を折りにいく、なんてことは考えなかったはずなんだけど)」

 

 内心苦笑いしつつ、久は自身の思考を振り返りながらそう考えた。そして、それを楽しいと感じ始めている自分自身に、少しだけ恐れを抱いた。

 

 

―――

 

 

智美河:{1①4⑦赤⑤北} {東4白發} 晒し牌:{横西西西}

久 河:{9一1南中發} {2②横5二}

一 河:{西⑨南中白發} {8①横⑥一一}

星夏河:{9北①東中4} {22中一}

 

智美手牌:{二三三四四六八八九九} {横西西西} ツモ:{③}

 

「(うわぁ、ここでこれツモっちゃったかぁ……)」

 

 リーチ一発目を{發}ツモ切りで凌いだ智美だったが、次巡掴んだのは{③}であった。染め手を貫くのであれば{③}切りではあるが、それを切るのは二軒リーチという状況が許していない。それに現在鶴賀学園は3位。点棒に比較的余裕のある風越女子と違い、龍門渕に振り込むのも辛い状況である。智美が久の一発目のツモ切り牌である{二}切りを選択するのは道理といえた。

 

 

 

智美河:{1①4⑦赤⑤北} {東4白發二2} 晒し牌:{横西西西}

久 河:{9一1南中發} {2②横5二7伍}

一 河:{西⑨南中白發} {8①横⑥一一伍} {北}

星夏河:{9北①東中4} {22中一白}

 

 

星夏手牌:{二三四六七八九④④⑤678} ツモ{④}

 

 一方星夏は、2巡前に{⑤}をツモり一通を崩して回ることにしたものの、{④}をツモって聴牌を復活させていた。それも{③}-{⑥}・{⑤}の理想的三面張である。但しそのためには、通る保証が全くない{六}か{九}を切る必要があった。

 

「(……ここで日和ってどうする。どうせ清澄には現物以外何を切ろうと当たる可能性がある。現物だって流局までもってくれるかわからない。それなら……!)」

 

「リーチ!」

 

 星夏は{九}を横に曲げ、河に並べた。久の圧力に屈しない、そういった宣言にも見えるリーチだった。そしてこれに焦りを感じたのが、先制リーチをかけた一である。

 

「(嘘でしょ、ボクのリーチがそんなに怖くないの!?)」

 

 せめて和了れなくとも、他家がオリてくれるのならばそれほど問題は無かった。久が追いかけてきたが、まぁそこまでは想定の範囲内ではある。問題は更に風越まで参加してきたことだ。一騎打ちならまだ一に勝ちの目もあったかもしれないが、こうなってくると点棒にも余裕がない一には厳しい状況である。下手に振込みでもすれば、次の局はトビ圏内まで入ってしまうかもしれないのだ。

 

 

 

 だがしかし、この後のツモ番で智美が星夏の和了牌を3枚も抱え込んだことも大きく、結局この南三局は流局となった。そして聴牌した3人は手牌をあけることとなった。その牌姿、すなわち久の手牌を見て、一は思わず絶句した。

 

「(……ボクの和了を止めるために、{③}を止めて空聴リーチ……? 自分の和了を捨ててまで……? 一体どういう思考をしたらこんなことができるのさ……!)」

 

 訳のわからない先鋒の嶺上使いに初速が化物の次鋒タコス少女。全中覇者の副将原村和、そしてそれらを抑えて大将に鎮座する謎の少女。それに比べれば久は、清澄の中では気を抜けないながらも比較的マシな相手だと考えていた。だが実際はどうだ。悪待ちという特異能力に加え、それを逆利用してあえて悪待ちを外すことで精神を揺さぶってきた。ある意味ではわかりやすい暴力を巻き起こす先鋒と次鋒よりも性質が悪い。そして見事に一はそれに翻弄されていた。一は、久という人間の人物像を完全に見失っていた。

 




実際部長は(麻子さんを除けば)清澄の中でもトップクラスに精神の揺さぶりが上手そうだと思います。勝手な想像ですが。

2020/1/1 点数的に非常にまずいガバがあったため、
東二局のドラが③から4に変わりました。
誤字報告で御指摘いただきありがとうございます。大変助かりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話 愚直

大変お待たせしました。
艦これのイベント終わって一時的に燃え尽きたのもありますが、とにかく難産でした。
とはいえ一度指が乗り始めたおかげで、それでも書き上げることは出来たのですが……。
ただもしかしたら細かい部分をしれっと変えてるかもしれません。
勿論細かい部分なので大筋には影響がない範囲で、ですが。


「(一体清澄はどう打っているんだ……この捨て牌にも罠があるのか……?)」

 

 南三局1本場。一は前局の空聴リーチの衝撃がまだ抜けきっていないようで、その動揺が顔に出ていることは、誰から見ても明らかな状態であった。その正常でない精神状態であるが故に、一は本来考えなくても良いような部分にまで深読みを進め、そして結論の出ない思考の渦に身を投じていた。

 

「(ワハハ……まぁああも狙い撃たれたら、動揺しちゃうのも無理はないかなー……でも)」

 

 その様子を見ていた智美は、ここで確信した。変に久を意識しすぎても何のメリットもない、ということに。

 

「(結局今の清澄がやっていることは、精神的な揺さぶりにしかすぎない。龍門渕はそれにまともに付き合っちゃったから、ここまでガタガタになった。なら対策はひとつ)」

 

「(気にせずまっすぐに楽しめばいいのだ、ワハハ!)」

 

 智美は開き直った。久が悪待ちかブラフなのかわからないのであれば、そんなことなど一切気にせずに打てばいい。そうすれば下手に考えすぎて自滅する負のスパイラルに陥ることもないのだ、と。

もっとも、それ自体はそれほど辿り着くのが難しい考えではない。但しそれを実行するのは、言葉ほど簡単なものではない。今自分が打っている場は全国出場を賭けた場所なのだ。開き直って考えずに打った結果、更に悪い結果が出てしまう可能性も高い。そうなれば、その結果を引き起こした本人の責任は重い。何故考えて打たなかったのか、と問い詰められるのは当然の理である。そうでなくともプレッシャーがかかる場であるから、そんな能天気な思考で打つのはそう簡単ではない。

だが、智美はそういった場には滅法強い。麻雀の実力こそ良くて中の上程度であるとは智美自身も把握していたが、こういった精神的な部分においては、この中堅戦の誰よりも強いと自負していた。

 

「(……あら、鶴賀の子、ちょっと空気が変わったわね……)」

 

 久も智美から流れる空気の質が変わったことには気付いていた。そして、おそらく今、この状況においては自身にとって一番取られたくない戦法を取られていることにも。今の久は一を押さえ込み、あわよくばトバそうとまで考えている。そのためには、一だけではなく周りにも引っ込んでもらわないといけないのだ。そんな久に絶好の牌が訪れた。

 

「リーチ!」

 

 9巡目。久が勢いに乗ったまま、威圧感たっぷりの先制リーチをかける。このリーチを見た一は、一瞬でこの局の戦意を喪失した。先ほどから散々に叩かれていたため、無理もない話である。一は久を完全に恐怖の対象として見ており、それであるが故に完成間近だったタンピン三色の手を迷わず崩し、現物を切ることでオリたのだ。

 

「(龍門渕の人、また考えてるなぁ……まぁ、今の私には関係ないがな! ワハハ!)」

 

 対する智美は、ある意味で無敵モードへと突入していた。対久において、オリが極端に難しくなるのはこの半荘が物語っている。現物を除けば、とにかく久の和了り牌は読めないのだ。であるなら、読まなければいい。どうせオリきれるかもわからないのだ。それならまっすぐ進むほうが道が切り拓ける。智美はそう確信していた。

 

「リーチ!」

 

 11巡目。智美がリーチをかけた。それまでに切った牌は、いずれも久に対しては非常に危険と思われる牌ばかりであった。しかしながら、それらを全て通した上でリーチまで辿り着くことができた。この事実に、久は嫌な予感を覚えていた。

 

「(私のリーチに臆せず突っ込んできておっかけてきた……なんかやーな感じね……)」

 

 そうでなくとも、悪待ちなのにまだ和了ることができていない。この時点で、自分に和了る流れがないということは、久も感じることが出来た。久は智美の一発目にあたる牌をツモり、そして何かを納得したかのように静かに河に並べた。

 

「ロン、一発! リーピンイーペー……お、裏2で跳満の12300!」

 

 久から直撃した智美のその牌姿を見て、一は衝撃を覚えた。智美の手牌には、久の現物がいくつも存在していたからである。今の一は、もし久がリーチなどしようものなら、即ベタオリして当然という思考にあった。だからこそ、この和了形は一から見て異質に映った。

 

「(鶴賀の人……振込みを恐れてない、のかな……)」

 

 一の視線の先には、相変わらず能天気に笑っている智美の顔があった。その表情は、今の一には眩しく映っていた。清澄と風越の二校が独走しており、鶴賀と龍門渕は厳しいと言わざるを得ない状況。しかし、それでも智美は笑っていた。こんな状況下でも麻雀を楽しんでいるかのように。

 

「(……そうだね、確かに、あんまり考えすぎていても仕方がないや。確かに集中狙いされててピンチだけど、でも、そんな時でも自分を曲げないのがボクの麻雀だ。だから、ここからは正攻法(まっすぐ)なボクでいく!)」

 

 これから前半戦オーラスに入るタイミング。時機としては少し遅かったかもしれないが、しかし一もようやく自分の麻雀というものを取り戻した。そして神様は、得てして前に進もうとする者には力を与えてくれるものだ。南四局のオーラス、一の手はこれまでと比べて格段に良い物が入っていた。

 

南四局 6巡目 ドラ{8}

一手牌:{二三四④赤⑤⑤⑥⑦56678}

 

「(大丈夫、牌はついてきてくれている。いける!)」

 

 6巡目で好形一向聴というところまで辿り着くことができた一。しかしそこにまた壁が立ちはだかる。

 

「リーチ!」

 

久河:{西白7二④發} {横⑤} ドラ{8}

 

 久がリーチを宣言したのだ。しかも今回はかなり不穏な河で。先ほどまでの一であれば、その威圧を恐れてオリを選択しただろう。あるいは聴牌してもダマでオリの準備をしていたかもしれない。幸いというべきか、現物もそれなりに手の内にある上、今の自分は子であるから、ツモられても親ほど痛いわけでもない。5巡の間現物で凌げば、更に現物が増える見込みも十分にある。

 しかし今の一は違った。訳のわからない久の幻影にはもう惑わされたりしない。真正面からまっすぐに戦い抜く覚悟を決めていた。直後の一のツモは{4}。絶好の牌をツモることに成功した一は、高らかに宣言した。

 

「リーチ!」

 

 現物である{④}を切っての最高形でのリーチ。今の一に、押せる場面で引くなどという選択肢は無かった。久は淡々と、直後のツモ牌を河に並べた。その時点でこの局の勝負は決まったと言っても過言ではなかった。

 

「ツモ! メンタンピン一発表1赤1……裏1の4000・8000!」

 

一和了形:{二三四赤⑤⑤⑥⑦456678} ツモ{⑧} ドラ{8} 裏{二}

 

 直後、当然のように一がツモ和了を見せた。裏ドラも1枚乗り、倍満となった大物手である。

 

『前半戦終了ー! 序盤は特に清澄の竹井選手の活躍もあり、龍門渕の一人沈みという様相を呈していましたが、風越と鶴賀もそれに応戦、そして最後は龍門渕の復調を感じさせる大物手で幕を閉じました! 後半戦は勢いづき始めた龍門渕が追い上げ始めるのか、はたまた清澄がそれを止める形になるのか! あるいは鶴賀・風越が逆転するのか! まだまだ中堅戦は始まったばかりと言えそうです!』

 

 いつも通り力の入った司会の台詞と共に、中堅戦もインターバルの時間となった。久は立ち上がることも無く、そのまま椅子に座って瞑目していた。

 

「(こういう時、麻子ちゃんならしらっと他校も誘導できてるんだろうけど……残念ながら、今の私にはそこまでのことはできない。となれば、後は実力勝負、か。……ま、あまり勝ちに拘りすぎるのも私らしくないわね。どうせ泣いても笑ってもインハイはこれっきりなんだから、楽しんでいきましょう)」

 

 久は、自身が他校に向けてかけた呪縛が突破されていると判断し、プランを変更することにした。すなわち、罠を引っ掛けたりとか精神的に揺さぶりをかけるのをやめ、いつも通りの打ち方をすることにしたのである。とはいえ、そのいつも通りの打ち方というのも自然な形で罠になっていたため、そこまで大きな戦法の変更には至らなかったのだが。

 

 

―――

 

 

「(んー、流石に後半戦ともなれば、対応力も上がってくるか)」

 

 席順が変わり、起家から順に星夏、一、智美、久の順番で始まった後半戦。前半戦とは打って変わって、流局から始まりその後も小さな和了だけが続く静かな半荘の中で、久は自身に対して対策を張られていることを痛感していた。その対策とは、徹底的に押すか引くか、である。久に対して普通の読みが効かないことを前半戦で嫌というほど味わった面々は、押し引きを非常に極端に寄せていたのだ。そして久にとっては、その打ち方は常に圧力を感じるものであった。久に対してだけは、3人ともが智美のようなゴリゴリ押してくる打ち方になったとも言えるのだから、その圧力はある意味当然とも言えた。

 

「(んー、流石にそうなると、いくら私でもきついんだけどなぁ……)」

 

 そう考えながら、久は盤面を見つめる。東四局、親は久。9巡目でそろそろ誰かが聴牌していてもおかしくないような巡目である。ここで久は河と手牌をしばし眺めた。

 

星夏河:{3八2六二西} {9③赤5}

一 河:{北白9一①②} {七伍⑨}

智美河:{南中白東一一} {中97}

久 河:{中9①東9東} {西北北}

 

久手牌:{二二伍七七⑥⑦⑧122發發發} ドラ{⑧}

 

「(龍門渕の国広さんは{①②}の辺張を払った後はずっとツモ切り……有効牌が入り続けたのなら、聴牌していると見てもおかしくなさそうね。風越の文堂さんは筒子の染め手、しかも聴牌か一向聴が濃厚。躊躇無く赤をツモ切りしているあたり、跳満以上はある高い染め手を張っていると見るのがいいかしら。鶴賀の蒲原さんはまだ一向聴か二向聴くらいかしら……なら鶴賀相手にはまだ押せる)」

 

 そう考えながら、久は{伍}を切った。聴牌濃厚な一の現物ということもあり、大きなミスをした、という訳ではない一打であったはずだった。しかしその{伍}を見て口角を上げた者がいた。

 

「通しません、ロン!」

「!?」

 

 発声したのは下家である星夏であった。どこから見ても筒子の染め手にしか見えない河であったはずの彼女からの発声は、久を動揺させるには十分なものであった。

 

「一通南ドラ赤、満貫です、8000!」

 

星夏和了形:{①②③④⑤⑥⑦⑧⑨南南南赤伍} ドラ{⑧}

 

「(待って、{伍}で待ってたってことは、この子は前巡の龍門渕の{伍}を見逃したというの!? 私に直撃するために!?)」

 

 明らかに狙われている。しかも狙われただけではなく、実際にヒットさせた。さらにその和了は、まるで久の悪待ちに対するあてつけのような形である。この事実は久を更に動揺させる材料となった。しかしそこは3年生、それも生徒議会長をしている久のこと。すぐに落ち着きを取り戻すと、その宣戦布告とも言える和了を受け止めた。

 

「(さっきは楽しむって言ったけど、前言撤回。風越の、この子だけは潰してあげる!)」

「(やれるものならやってみてください。その程度で私は潰れませんよ!)」

 

 お互いに何も言わずとも、それぞれが何を言いたいのかは視線を見れば明らかであった。バチバチと音が鳴りそうなくらいに、両名の間には鋭い空気が満ちていた。

 

 

―――

 

 

『おーっと、風越高校、再び清澄高校を逆転しました! 絶好調から一転してしばらく和了れていない清澄の竹井選手にとっては、点数以上に辛い一撃となったか!?』

『(……久がそんな簡単に潰れるようなタマではないが……しかし)』

 

 清澄高校控え室。その中では麻子をのぞいた1年生組4人が、実況を聞きながら不安そうな表情を浮かべ、モニターを見つめていた。

 

「部長、大丈夫でしょうか……」

「最後の和了から数えると30000点くらい減ってるよね……」

「ふつーならトンでてもおかしくないじぇ」

「前半戦はあんなに和了を連発してたんだけどな……」

 

 普通に考えれば麻雀である限りそういったことが起こらないとも限らないのだが、しかし前半戦での大爆発を見ていた面々からすれば不安になるのも当然とは言えた。しかしそんな中でも、まこは笑顔を湛えていた。

 

「何、久でもそういったこたぁある。心配するなぁわかるけれど、あんまり思いつめんでもしゃーなーよ。なぁ、麻子?」

「えぇ」

 

 麻子は持ち込んだバウムクーヘンを食べながら、いつもの表情が読めない顔で返事をした。しかしその短い返事は、まこの言葉も相まって1年生組を安心させるには十分なものとなった。あの麻子が大丈夫だと言っているのだ。きっと大丈夫なのだろう、と。

 

「(……しかし随分と私の影響力も大きくなりましたね)」

 

 良く言えば自身が認められているという証であるが、裏を返せば自分に半ば頼りきりとも言える状況。麻子としては、あまりこの現状をよしとは考えていなかった。とはいえ、今この場で意識改革をすることはいくら麻子でも無理難題である。よって、麻子はこの予選が終わった後どうするかを考えていた。

 

 

―――

 

 

「(うーん、とは言ってみたものの、あんまりよろしい状況じゃないわね、コレ)」

 

 続く南一局。久から直撃を奪った星夏は流れに乗ったのか、久の先制リーチをかわして2600オールのツモ和了を見せた。続く一本場、今度は9巡目のリーチ宣言牌で、一と智美からダブロンを喰らってしまった。しかも示し合わせたかのように両方とも単騎待ちでの和了である。ルール上頭ハネであったため、智美の分の支払いは無く5200(+1本場)で済んだものの、明らかに自分を意識された上に流れまで持っていかれたのを感じた久は、流石に焦りを感じていた。

 

「(まずいわねぇ……とうとう前半戦の貯金が溶けたわよ……)」

 

 現在の持ち点は114000点。中堅戦開始時の点数が114100点だったため、とうとう開始時の持ち点を割ってしまった計算になる。だが、ここで久は一度呼吸を落ち着け、そして今までの部活動の対局を思い出した。

 

「(……こういうときこそ、平常心、よね。散々麻子ちゃんと打ってきたんだもの。それに比べれば今の状況はまだまだ甘いわ)」

 

 麻子に次いで部内での順位が高い久は、麻子に真正面から対抗してトップを取ることのできる数少ない打ち手の一人であった。そんな久が崩されるときは、いつも精神的に大きな揺さぶりを何度もかけられ、平常心を失った後であった。逆に言えば、平常心を失わなかった場合には相当強い打ち手として、麻子の脅威にもなっていた。そんな久だからだろう。3年生最後の夏、負ければこれで終わり。このような状況でも調子を戻すことが出来たのは。

 

「リーチ!」

 

 一が親リーをかける。河は{西南一⑧七横4}。6巡目の非常に早いリーチである。対する久の手は{二三七九②④⑦⑧34西北白}。搭子ばかりで面子がまだひとつもない手である。三色は見えるものの、攻めにいける手とはとても言えなかった。久はここで迷わずオリを選択した。その3巡後。

 

「ツモ! リーヅモ赤、裏2枚で6000オール!」

 

一和了形:{三四赤伍②②②789北北白白} ツモ{北} ドラ{④白}

 

 まっすぐ打ち合っていたなら、まず間違いなく振り込んでいたであろう手。しかし久は点数が減っているからと無茶な勝負をせず、冷静に振込みを回避した。滅茶苦茶な待ちが多い久ではあるが、かといって何でもかんでもイケイケという訳ではないのである。前に出る必要がないのならばオリる。基本ではあるが、それをこの落ち目の状況下でも可能とするのは、久の精神力の高さがあってこそと言えた。

 

 

―――

 

 

「「「「ありがとうございました!」」」」

『中堅戦終了ー! 最終的には清澄と鶴賀はほぼ開始時の点数をキープ! そして龍門渕が点数を落とし、風越がトップを奪取、他校を離す形となりました! 』

 

 終了の合図となるブザーと同時に、4人は一斉に挨拶をした。落ち目であり和了るチャンスが少ない中、久はその中で2回和了を決め、計8200点を積んでいた。しかしながら親の智美に1回、久が親のオーラス1本場で星夏に1回ツモられ、最終的には中堅戦開始時から僅かながら点数を落とす形となった。反面星夏は中堅戦で16000点以上の点棒を積み上げ、2位である清澄高校との差を16800点つけての首位となっていた。

 

「それにしても、貴女から終ぞ直撃を取れなかったのが心残りね」

「私としては、貴女と打ててとても楽しかったです」

「今度また打ちましょう。次は勝ってみせるわ」

「返り討ちにしてみせますよ」

 

 対局中はいつか爆発するのではないかとさえ思えていた久と星夏だったが、終わった後はお互いに拳を突き合わせ、再戦の約束をしながらお互いの健闘を称えあっていた。涼しい顔をしている久に対して汗びっしょりで疲れ切ったような星夏が対照的なように見えたが、前からは見えないだけで久の背中も大概なものであったので、実際の疲れ具合としては同じようなものだった。もっとも、それだけ全力を出していたとも言える。

 

「しかし思ってたよりのびのび打てて楽しかったな、ワハハ!」

「蒲原さんのあの打ち方があったから、ボクも持ち直せたよ。ありがとう」

「いやぁ照れるなぁ、ワハハ!」

「まさか私の打ち筋を逆に利用してくるなんて思わなかったわ……」

 

 点数こそ伸びなかった智美であったが、あの開き直った打ち筋があったからこそ久の独走を止められた訳で、そういった意味ではこの中堅戦のMVPとも言えた。持ち前の精神力のタフさがあればこそである。事実一にとっては、振り込み続けのどん底から脱出できるきっかけとなったのだから、彼女から見れば本当にMVPものの働きである。

 

 

 

「インハイとして打つのはこれが最初で最後だけど……またこの4人で打ちたいなぁ」

 

 智美が誰に向けてでもなく、何気なく呟いた言葉。返事こそ無かったものの、思いは智美だけでなく皆同じであった。

 

 

―――

 

 

「あー疲れた!」

 

 控え室に戻ってきて開口一番、智美はそう叫びながらソファへとダイブした。しかしその顔は笑顔で、やりきったと言わんばかりの表情だった。

 

「ごめんよー、点数をキープするので精一杯だった!」

「大丈夫だ。むしろあの嵐のような対局の中でキープできただけでも御の字だ」

 

 ゆみが微笑を浮かべながら智美を労う。佳織や睦月も追っかけるように口を開いた。

 

「あの中でもあれだけ通り打てるって、智美ちゃんだから出来たことだと思うよ!」

「確かに、見てるだけでも入りたくないなー、って思うくらいには荒れてましたからね」

「一番荒れてた卓に入ってたむっきーがそれを言うか……まぁでも、そう言ってもらえると嬉しいなー。んじゃあとはモモに任せた!」

 

 指名された桃子は、珍しくふんすと鼻を鳴らすと、気合十分といった様子で返事をした。

 

「任されたっす! 先輩方の努力を形にするためにも、私、頑張るっすよ!」

 

 鶴賀学園副将、東横桃子。部長から託された点数と想いを背負い、彼女は対局室へと歩みを進めた。

 

 

―――

 

 

「ごめんなさいね、前半戦ではうまくいっていたんだけど、どうも後半戦から失速しちゃった」

 

 清澄高校控え室。帰ってきた久は苦笑いしながら、自身の不甲斐なさを謝った。

 

「まぁそうは言うても2位だしまだまだしゃーなーよ、安心しんさい」

「ありがと。それじゃ、和、次は任せたわよ。麻子ちゃんのためにも、全力で打ってきなさい」

 

 久に呼ばれた和は、スッとまっすぐ立ち上がると、真面目な表情をして久の正面を向いた。

 

「はい、行ってきます」

「私の分を取り返す、なんて変に気負わなくてもいいわ。貴女は貴女らしく打てばいいからね」

「……はい!」

 

 溌剌とした言葉で返事をした和もまた、部長からの点数と想いを背負い、対局室に向かった。

 

「……大丈夫かな、和ちゃん。力が入りすぎたりしないかな……」

「でもエトペン持ってってるなら多分大丈夫だじぇ」

「適当……とも言えないんだよなぁ。和だし」

「どっちがオカルトなのかこれじゃわからんなあ……」

 

 不安がる咲に優希がフォローし、京太郎がツッコミ役に回る。清澄高校は今日も割と平常運転だった。

 

 

―――

 

 

「ごめん皆、点数落としちゃって……」

 

 龍門渕高校控え室。一はやや入るのに躊躇いながら扉を開けた。今更怒ったり怒られたりするような仲ではないのはわかっていても尚、一は皆の顔を見ることができなかった。どういう反応をされるのかが怖い、と言うより、皆に見せる顔がないといったような雰囲気である。控え室を出るときには点数を取り返すなんて自信満々に出て行ったものだから尚更であった。

 

「まーまー顔上げなさいな国広君。誰にだって上手くいかない日はあるさね」

「そうですわ。それに、最下位から華麗な逆転というのも悪くなくてよ?」

「あ、ありがと……」

 

 メンバーのそれぞれに励まされる一。智紀も言葉こそなかったものの、表情を見る限り責める様子は微塵も無く、むしろ労っているように見えた。

 

「それじゃ行ってきますわ。打倒原村、そして全国ですわ!」

「やっぱそれは入んのな……」

 

 予選が始まってからもう何度言ったかわからない打倒原村を掲げながら、透華は堂々とした面持ちで対局室へ向かった。

 

「(やっぱり透華はすごいよ。ボクに恨み言の一つや二つを言ってもいいはずなのに、そんなところを一つも見せず堂々と振舞う。だからボクは……)」

 

 対局室へ向かう透華を見ながら、一は彼女への想いを募らせていた。

 

 

―――

 

 

「おーおー、よくやった。あの変則打ち手の3年を相手に直撃を何度も当てるたぁ、文堂も中々ヤるじゃねェか!」

「ありがとうございます、コーチ」

 

 戻ってきた星夏を待っていたのは、貴子からの掛け値なしの褒め言葉だった。中堅戦で唯一、1年生ながら格上を抑えて1万点以上のプラスを叩き出してトップに立ったのだから、貴子の不満があるはずもなかった。

 

「とはいえ安心はまだできねぇ。次は深堀だな。相手に原村と龍門渕の2人がいるが、それでもやることは変わりねェ。風越の力を見せてやれ!」

「はいっ!」

 

 プレッシャーがかかる中、純代は直立しながら威勢よく返事をした。悔しいことではあるが、実力で言えば2人のほうが高いのは事実。相手が悪いことなど百も承知。それでも、それが負けても良い理由になどならない。昨年の雪辱を果たすため、そんなところで躓いてはいられないのだから。

 




結局久さんはこの中堅戦では星夏さんに勝ち逃げされました。
流石に南場1回だけではそう簡単には当てられなかった模様。

そして書いてるうちに感じる風越主人公説。
と言うより清澄ラスボス説。
先鋒と大将が別格だからね、仕方ないね……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話 変異

副将戦ですが、麻雀描写はカット多めでお送りします。
筆者が麻雀クソ雑魚ナメクジだからね、仕方ないね。


『やってきました副将戦! 注目はなんといっても昨年度インターミドル王者、清澄高校、原村和選手! 総合力で言えば今現在最強の一年生かもしれません! それに対峙するは、名門風越高校からは安定した打風で堅実と評されます深堀純代選手!』

『彼女は目立つ和了こそ少ないが、磨けばプロでも十分通用する打ち手だ。トップで回されたバトンを受け取るなら彼女が適任だろう』

『続いてダークホース、鶴賀学園からは、後半からの出和了率が非常に高い不思議な打ち手、東横桃子選手!』

『彼女は予選、準決勝の際、南場辺りから急に和了率、それも出和了が上昇している。見ているほうからすれば不思議な振込みが多かったが、何かあるのかもしれんな』

『そして龍門渕高校からは、昨年の全国大会でも高い和了率を見せた県屈指のデジタル派……龍門渕透華選手です!』

『昨年の活躍を見ていれば彼女の強さは最早語るまでもないが……昨年の他の選手も強かったことは間違いないが、今年の面子もそう簡単に勝てる相手ではない。彼女がどう打つかが見物だな』

 

 

 

 和が対局室へ入った時には、係員を除いて中には誰もいなかった。嫌でも高鳴る心臓を押さえつけながら、和は精神を安定させるために目を閉じて深呼吸をした。

 

「(緊張……していますね。……この部屋で打つのは、昨年の個人戦以来、ですか。そして今日、この対局は、私が、咲さんが、麻子さんが、皆が全国へ行けるか、その大切な一局。緊張しないほうが不自然です。ですが……それを理由に無様な対局は見せられません……!)」

 

 クールなように見えるが、和はどちらかというと熱くなりやすいタイプである。そのスマートな顔の裏では、絶対に皆で全国へ、そしてそのために優勝を。それを私が決定付けなければならない、という思考が巡っていた。そんな時であった。透華が、まるでスポーツ漫画のお嬢様系ライバルのごとき入場をしてきたのは。

 

「さぁ、始めましょうか、原村和。真のアイドルを決める戦いを……!!!」

「……」

「……」

 

 仁王立ちにまっすぐ右腕を伸ばし、壇上の和へ向けて美しく人差し指を伸ばした透華。そんな透華を見て、和はどうすればよいのかわからないというような困惑の表情を浮かべながら、その顔だけを透華に向けた。そんな反応が返ってくるとは思っていなかった……と言うより後の反応を全く考えていなかった透華もまた、その場でしばし硬直してしまった。結果、対局室にはしばし非常に微妙な空気が流れることとなる。

 

 

―――

 

 

『それでは、副将戦、開始です!』

 

 開始のブザーが鳴り響くと共に、卓上のサイコロが勢い良く回転した。立親は現状トップである純代、そこから順に和、桃子、透華である。

 

『しかし、惜しいな』

『……はい?』

 

 靖子が実況室で唐突に呟いた。あまりに唐突だったため、相方の男性司会者は真意を全く測れず、思わず間抜けな声を出してしまった。もっとも、今大会においてはこういったやり取りが既に何度も繰り返されているため、聞いているほうは最早慣れてしまっていたのだが……。

 

『この試合だよ。昨年のルールと違って、今回は一発裏ドラ槓ドラ槓裏赤ドラ……とにかく運の要素が強すぎる。しかも対局数も僅か半荘2回しかない』

『かといってプロリーグの年2000試合なんてことは中高生には厳しすぎますよ』

『わかっちゃいるんだが……難しいものだ。まるで今年のインハイは、特殊な子どもを選別するかのようなルールにも見えるんだ』

『選別……ですか』

『そんな中で今あそこに集まっている打ち手は、堅実に腕を磨いた選手ばかりだ。そんな4人の結果を、たった2回の半荘で出してしまうのがもったいない。そう感じたんだ』

『なるほど……』

 

 靖子が見立てている通り、この副将戦に集っている面子は、基本デジタルで堅実な打ち手である。所謂『牌に愛された子』ではないものの、それにも十分渡り合えるだけの実力を持つ打ち手である。そのならではの強みは、この東一局から卓上に表れていた。

 

「リーチ」

 

 8巡目、親の純代が先制リーチをかける。それに対し、残る三者は有無を言わずにベタオリを決行、結果純代もツモることができずに流局となった。続く東二局一本場、7巡目。

 

「ロン、1000点は1300です」

「! はい」

 

 ダマでは和了れそうにないと判断した和が、即時に二副露からの喰いタンで直撃を取った。その様子を見た透華が、言葉に出来ない違和感を覚えた。

 

「(確かに間違った打ち方ではない。それはわかりますわ。ですが……何なのでしょう、このモヤモヤとした感じは……)」

 

 心の霧が晴れないまま迎えた東二局、和の親番。そこでの透華の配牌は、非常に良いと言えるものであった。

 

透華手牌:{一一三①②③⑦⑧2356中} ツモ{3}

 

「(両面十分、手の伸び次第では三色も見える良い二向聴。鳴いて流すことも出来なくはないですけれど、いくら原村が相手とはいえ、トップでもない親を流すためにこの手を鳴くのはもったいないですわ)」

 

 透華はそう考えながら{中}を切った。その直後。

 

「ポン」

 

 和が透華の切った{中}を鳴いた。所謂特急券であるが、トップとはおおよそ親跳程度の差がある状況での鳴きは些か疑問も残る。

 

「(とはいえ原村は親、連荘できるならよしといった考え、でしょうか……?)」

 

 対面の和に対して思いを馳せながら、透華は山から{4}と絶好の牌をツモ、{三}を切って好形の一向聴とした。その直後。

 

「チー」

 

 今度は純代の捨てた{⑧}をチー、二副露とした。

 

「(二副露ともなると、さすがに警戒も必要……かもしれませんが、しかし私は完全一向聴、点数不明のまだまだ序盤なら押せ押せですわ!)」

 

 デジタルながら力強い打風も感じられる透華。その強い意志が引き寄せたのか、{⑨}をツモって最高形の{1}-{4}-{7}待ちの聴牌にこぎつけることが出来た。

 

「リーチですわっ!!」

 

 堂々と、そして威圧感も感じられるそのリーチに対し、他家はすぐさまベタオリを敢行した。手が短くなっている和も含めて。結局この局も流局となり、透華が不聴罰符で差し引き2000点得ただけの結果になった。

 

「(予選ではあれほど『のどっち』としての打ち筋を見せていた原村がここにきてこの打ち方……緊張で打ち筋が乱れている、とすれば……『のどっち』も人間である、ということの証明、なのでしょうか)」

 

 透華の推測は概ね当たっていた。和自身、自身の打ち筋に対し、普段や直前の試合と比べて集中力が落ち、ズレが生じていることは感じていた。そしてその原因が、和の圧倒的な経験不足から来るものであることも分析できていた。

 

「(今までの私は、何人もの思いを背負って戦うといったことがほとんどありませんでした。中学の時も団体戦は早々に敗退しましたし、個人戦は文字通り私一人の力と責任で戦い抜くもの。ネット麻雀は言うに及びません)」

 

 タン

 

「(今回の予選でも打ちましたが、その時は10万点以上をつけた大差での1位で、スタンドプレーでも何も問題ありませんでした)」

 

 タン

 

「(……ですが、今は違います。いくら麻子さんがいるとはいえども、相手は全国区でも十分に通用する強敵が控えている。私の戦績次第では清澄が敗退する可能性だって十分にある)」

 

 タン

 

「(そして今打っている相手も、決して侮ってよい相手などではありません。色んな人の想いを背負って、今私は打っている)」

 

 タン

 

 

 

「(……集中、しなければ……)」

 

 

 

 和の視界がめまぐるしく変化する。これまでにない緊張感の中、しかしこれまでにない集中力を発揮する。雀卓がまるでコンピュータのモニター上の画面のように捉えられる。思考に邪魔な、一切の不要な情報が遮られる。和が『のどっち』として再覚醒したのだ。

 

「(清澄の原村の様子が……変わった?)」

「(おっぱいさんの気配、さっきまでとは違うっすね……)」

「(……そろそろお目覚めかしら?)」

 

 先ほどまでは、1年生にしてはただ強いだけの打ち手だった和。しかし今纏っているオーラはそれとは全く違う異質なものであった。そしてそれは、対局している3人も敏感に察知していた。

 

「ツモ、400/700は500/800」

「(早いっ……!)」

 

 僅か5巡目。まだ他家は良くて一向聴に届くかどうか。まさに神速と呼べるほどの速度である。

 

 

―――

 

 

東四局 ドラ:{四}

 

和 手牌:{一一六④④⑥⑨4688北北}

透華手牌:{一四四四六六③赤⑤⑦3347西}

 

南四局。和の配牌は対子が4組、すなわち七対子に二向聴という配牌であった。対して親である透華の配牌は、こちらはこちらでタンヤオドラ4の三向聴。親満を和了れれば、トップを奪取するのに一気に近付くことができる。俄然透華の気合も入っていた。残る2人は手が遅く高打点も狙えそうにないため、早々にオリという選択肢も考えていた。純代はトップを守るために無理な攻めはできず、桃子はこれ以上下手に点数を失うことができないため、仕方がないと言えるだろう。透華は一打目を{西}切りとした。対する和の一巡目。なんと{⑨}、つまり有効牌を引いてきた。まるでデジタルの神様に愛されているかのようである。もっとも、数字が全てのデジタル打ちに神様がいるかどうかは怪しいところではあるが。それはともかくとして、和は第一打を{六}とした。

 

「ポンですわっ!!」

 

 当然のように透華はその{六}をポン、打{一}とし、食いタンドラ4の二向聴とした。デジタル二台巨頭と言っても過言ではない二人が真っ向から殴りあう様に、会場もヒートアップしていく。

 

『おーっと、清澄の原村選手、一巡目で{⑨}をツモ! なんと一巡目にして七対子一向聴ー! 対する龍門渕選手はタンヤオドラ4の二向聴!』

『残る二人は厳しいな。オリるにしてもこんな序盤から聴牌されては、安牌も何もないだろう。不幸なことに原村は七対子だから、スジすら頼れない。もっとも、二人はそれを知らないからどうしようもなさそうではあるがな……』

 

 純代が打{二}、和が{三}ツモ切りした次巡。透華は両嵌が埋まる{④}をツモ、打{⑦}として親満を一向聴まで進めた。直後の純代は打{6}。後々危険牌になりそうな場所を片っ端から切っていき、後の不安を減らす作戦である。純代も手牌が七対子系に揃ってきていたため、{6}を切ってもそれほど痛くないのが大きい。続く和のツモ番、こちらは{⑥}をツモり、早々に七対子を聴牌とした。

 

『なんと原村選手、僅か三巡にして七対子を聴牌!』

『とりあえず風越の現物でもある{6}で仮聴を取った形か。風越はタッチの差で直撃を免れたな。もっとも1600点程度だと、いくらデバサイとはいえ見逃す可能性も無くはないが……』

 

 しかし進むのは和だけではない。独走は許さないとばかりに、透華も{赤5}をツモ。これで親ッパネの{3}-{6}待ちで聴牌することとなった。そして和にとって最悪なことに、次のツモで掴まされたのは透華への当たり牌、そして自身が和了れない牌。すなわち{3}であった。

 

和 手牌:{一一④④⑥⑥⑨⑨688北北} ツモ{3}

透華手牌:{四四四③④赤⑤334赤5} {六横六六}

 

 当然{3}を叩けば18000点に直撃する羽目になる。が、和は一度手を崩して打{北}とした。今までの和であれば、まだ一段目、それも半分も進んでいない、かつ点数不明な相手に対し、聴牌を崩すようなことはしなかっただろう。しかし今の和には、麻子と対局した経験があった。そしてその中で、デジタルとは違う第六感とでも言うべき力が培われていた。その第六感が告げていた。この{3}-{6}は切れない、と。そして和はそれに素直に従った。結局、デジタルだろうがオカルトだろうが、自分の感覚を信じられなければ勝てる勝負も勝てなくなる。変幻自在で掴み所のない麻子との対局の中で、それを知った和は進化していた。「原村和」でもなく、「のどっち」でもない、全く別の第三の何かに。

 

『なんと原村選手、まさかの聴牌崩しで親ッパネを回避! しかしデジタル打ちとして名を馳せている原村選手にしては妙な打牌ですね』

『……』

 

 突然のデジタル崩れの打牌に対し、流石の靖子も言葉を失っていた。そして透華も、その変化は敏感に察知していた。少なくとも今の和は緊張しすぎている訳ではない。おそらく100%か、それに限りない力を発揮しているはずだ。しかし何故だ。先ほどまで被って見えたはずの「のどっち」の姿は、今や影も形も見えない。得体の知れない不気味な何か、といった曖昧なものとしてしか認識できないのだ。

 

「(何なんですの、この悪寒は……)」

 

 嫌な予感をひしひしと感じつつも、透華は打牌を続ける。そこから続けて、和は更に{一}まで対子落としを決めてきた。搭子オーバーにしては不自然すぎる打牌のため、透華からはどう見てもオリか回し打ちにしか見えなかった。

 

「リーチ」

 

 8巡目、和が1000点棒を場に出し、牌を横に曲げた。宣言牌は直前に透華がツモ切りした{5}である。先に聴牌していたのは自分のはずなのに、透華は言葉に出来ない圧力を感じていた。その直後である。透華にとって鬼となる牌、すなわち{西}が殴り込みをかけてきたのだ。

 

「(くっ……)」

 

和河:{(六)4北北一一横5}

 

 とにかく情報量が少ないとしか言えない状況ではあるが、それでもわかることはある。まず{六4}の出が極端に早い。続いて{北一}の対子落とし。単純に搭子オーバーとなり対子が不要だったという線も無くはないものの、それならば{六4}を手に抱えてもよさそうなものである。くっつく牌が段違いなのだから、残せばよりよい搭子になる可能性だって高い。特にドラ側の{六}が初手で出てきたのは、搭子オーバーにしては違和感が残る。と考えれば、{北一}は危険牌を掴んで回った可能性もある。しかし慎重に回しているのならば、いつでもオリを選択できるようリーチせずダマという選択肢もあったはずである。では何故リーチをかけたのか。一つはツモれる公算が高い多面張。そしてもう一つは……

 

「(これは切れませんわ……っ!)」

 

 透華は{4}を切ってオリた。そう、もうひとつの回答、それは出和了りできるような形、すなわち七対子等の単騎待ちである。特に透華自身が既に切っている一枚切れの{西}などは、単騎待ちであれば格好の標的だろう。そしてその回答が正しかったことは、2巡後に和が{西}待ちの七対子で和了りを取ったことで証明された。透華にとって幸運だったのは、裏が乗らず1600・3200で済んだことであろう。それでも親被りしているので痛手であるのは変わりないが……。

 

「(しかし、それでも裏が乗らなかったのは幸運ですわ……ん?)」

 

 何気なく和を見た透華は、その和に明らかな違和感を覚えた。凍てついていたかのような、無表情を貼り付けていた顔が、ふにゃりと蕩けていたからである。顔も赤くなっているが、しかし興奮している時のようなそれとはまた違うものであった。そしてそれとともに、透華の脳内には「のどっち」と対局した時のデータが流れ込んできた。今の透華には、和が「のどっち」そのものとして、純白の翼を広げているようにすら見えていた。

 

「(遂に……『のどっち』が現れましたわね……ですが……)」

 

 しかし一番会いたかった相手を前にして尚、透華はそれで冷静さを失いはしなかった。勿論インターハイということもあるが、それ以上に先ほどの違和感が頭に残っていたからである。

 

「(今、目の前にいる天使が、本当に『のどっち』とは限らない。いえ、先ほどの感覚を信じるならば……見た目だけ『のどっち』の、『のどっち』以上もあり得る大天使の可能性すらある。ですが……)」

 

 透華の目が細められる。射抜くような目で和を見つめた透華は、心の中で宣戦布告をした。

 

「(そんなもの関係ありませんわ。ここで私が白黒をはっきりつけるのは変わらない。決着をつけましょう、『原村和』!)」

 

 

―――

 

 

南一局 ドラ:{白}

和手牌:{一二三②②④⑤⑧29西白發} ツモ{白} 打{西}

 

 前半戦も折り返しを迎えた南一局。和の手にはドラ役牌の対子が揃っていた。所謂チャンス手というものである。だが肝心の{白}については、親の純代が既に初手で1枚切っていたため、役牌として揃えるのは中々厳しいものがあった。しかしそれでも、和は高速で有効牌を集めていく。数巡後には、手牌は{一二三四②②②④⑤⑧8白白}となっており、有効牌の範囲も広い二向聴となっていた。そこにツモってきた{③}に対し、和はノータイムで{⑧}を切った。その理由は河にあった。まだ4巡目だというのに、既に{⑦⑨}が3枚も出ていたからである。有効牌の数も考えれば、少なくともベターな選択肢と言えるだろう。

 

「リーチっす」

 

 7巡目、桃子がリーチを仕掛ける。それに対し、親の純代も現物でもない無筋の{③}を切って応酬する。既に{⑧}の刻子と赤含みの{⑤}の刻子を晒している上、切られた{③}はこの局の純代の河に初めて並んだ筒子である。明らかに誰から見ても筒子の染め手であることがはっきりとわかる状況な上、僅差ながらトップであるにもかかわらず押してくることから、相当な勝負手であることが窺える。

 

「(トップなのにリーチの一発目にその打牌……風越もかなりデンジャラスですわね)」

 

 実際、純代は混一対々南赤1の親ッパネを聴牌していた。振ったとしても、鶴賀が相手であれば清澄に振るよりは遥かにマシであったことも、強気な攻めの理由のひとつであった。無論リスクが小さいわけではないが、それ以上にリターンが大きければ攻めるのも道理であろう。

 同巡、流れに続くように、和も聴牌を果たした。だが、その牌姿は{二三四②②②③④⑤⑥⑦白白}。{②}-{⑤}-{⑧}・{白}の高目満貫聴牌であったが、和にはいくつかの不運があった。まずひとつは、和から見えている和了牌の総数が、4面張であるにもかかわらず{⑧}・{白}1枚ずつの計2枚であったこと。そしてもうひとつは、{⑧}を4巡目にきってしまっていたことである。つまりフリテンなのだ。流石にこれではリーチをかけることもできず、和はダマテンの選択肢を取った。しかし裏目を引いてよくない状況であるにもかかわらず、和の表情は曇ったりしなかった。それどころかこの状況を心から楽しんでいるようにさえ見えた。

 

「(ここでドラっすか……まぁリーチしてるから切るしかないんすけど……)」

 

 リーチから2巡後。この局の運命を握る牌であるドラの{白}を引いたのは桃子であった。流石に手が震えたりはしないものの、1枚切れとはいえ和了り牌でもない役牌のドラを引いてくるのは怖いものである。和はそれに敏感に反応した。

 

「ポン」

 

 牌が切られたと見るや否や、{白}を晒して{⑦}を切った。まるで出たら鳴くと決め打っていたかのように……否、決め打っていた。フリテンこそ継続なものの手の高さは変わらない上、安牌も4枚と十分、そして何より和了り牌の総数自体をかなり増やすことが出来るのだから、鳴かない理由がないのである。そして次巡。

 

「ツモ、2000・3900です」

『清澄高校・原村和、リーチと親の跳満をかわしての見事なツモ和了! フリテンでも和了りを諦めない打牌が見事に実りました!』

 

 和は見事に{⑦}を引き戻し、2000・3900(+リー棒1000点)を和了した。リーチ+親ッパネを見事にかわしての華麗なツモ和了に、会場も大いに沸いていた。

 

「(は・ら・む・ら~~~!!!)」

 

 一方透華は、その和の和了に対して最早苛立ちを隠していなかった。と言っても、苛立ちの原因は和が嫌いだからだとか、そういったものではない。単に目立つ和了をライバルである和にされたのが悔しいからである。

 

「(それに、ここまで和了りは原村だけ、他は流局のみ……このままいけばパーフェクトゲームですの? 冗談じゃないですわ!)」

 

 決して透華も弱いわけではない。普段どおりであれば、むしろ精神的にも実力的にも、和と同じかそれ以上である。しかし今の透華には意地、そして焦りがあった。それが良い方へ出ればよかったのだが、今の透華にとってその感情は毒でしかなかった。

 

 

―――

 

 

透華手牌:{三三四八八③④④赤⑤⑤45赤5} ツモ{6}

 

 南二局10巡目、透華は良い感じの一向聴となっていた。ダマでも満貫級、リーヅモに裏でも乗れば倍満まで十分に見えるチャンス手である。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、透華は{5}を切って一向聴とした。その時である。

 

「ロン」

「は……?」

 

 思わず呆けたような声をあげる透華。無理もない。さっき()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。しかし、現実には振り込んでしまった。しかもダマ相手ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()のである。

 

「リーチドラ1のみ、2600っすね」

「(ど、どういうことですの!? 私がリーチなんかを見逃すはずなど……)」

「(龍門渕の……去年私達を破って全国、それも準決勝まで進んでいることを見る限り、こんな凡ミスを犯すような打ち手ではない……なら何故振り込んだ?)」

 

 対局室で広がった動揺、困惑。それは対局室を超え、他校の控え室、そして会場全体へと広がっていた。

 

 

 

 続く南三局。桃子の親番である。今度こそ振り込まないように、そして失った点数を取り戻すため、透華は手作りを続けた。それが実ったのか、3面張の平和赤1を聴牌できる手が10巡目で揃った。今度こそ振り込まないよう、透華は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()リーチをかけた。だが。

 

「いいんすか、それ。ドラっすよ?」

「!?」

「ロン、リーチ一発ドラ1、親なので7700っすね!」

「貴女、リーチの発声はちゃんといたしまして!?」

「したっすよ?」

 

 確認したはずなのに、透華はまたもリーチ相手に振り込んでしまった。しかも今回は親相手に一発まで付いたせいで、先ほどの3倍の点棒を失ってしまった。思わずサイレントリーチをかけたかの確認を取るほどには、透華は混乱していた。

 

「(……鶴賀の、発声するまで私も気付かなかった。振り込んだのが龍門渕だったからよかったものの、一歩間違えば私が振り込むのも十分あり得る。気をつけなければ……)」

 

 傍から見ていた純代は、桃子が何をしているのか……まではわからなかったものの、今起こっている状況を何となくではあるが理解していた。何も注意していないと、そもそも桃子の存在が視界から消えてしまう。だから細心の注意を払わなければならない、と。

 

「(い、一体何が起こっていますの……)」

 

 一方透華は冷静な判断力を失っていた。去年全国に行った時、確かにそこには魑魅魍魎が跋扈していたが、しかし衣のような圧倒的なオーラを放つ者こそいれど、こんな振り込ませるような相手に当たったことはなかった。和に対する対抗心に加え、未知との遭遇、しかも自身が狙われているとなっては、流石の透華も平常心をそう簡単に保つことはできなかった。

 

『昨年度長野県代表、龍門渕選手、ここにきて痛恨の連続振込み! しかしどうも状況が妙ですね……?』

『龍門渕はどうも鶴賀の東横のリーチが見えていなかったように見える。……と言うより、存在を認識していなかった、と言うべきか……』

『でも私達からははっきりと見えていますよ……?』

『もしかしたら、卓にいる者にしかわからん何かがあるのかもしれんな』

 

 全国レベルとして名を馳せる、圧倒的強者であったはずの透華が、傍から見れば凡ミスともいえる振込みを喫したこの状況。これには流石の解説陣も違和感を拭えないようであった。昨年の透華の実力を知っているならば、普通に考えればこんな振込みはありえないのである。

 

 

―――

 

 

 南三局1本場。桃子は、今までの堅実な打ち筋を一転させ、全ツッパの超攻撃型麻雀へとシフトしていた。そのきっかけは、透華の桃子に対する連続振込み、そしてそれに対する透華の動揺であった。

 桃子には、いわゆる「ステルスモード」(と部内では呼んでいる状態)があった。それは非常に単純かつ強力なもので、桃子が意図的に目立つような行動をしない限りは、卓についている者が桃子を認識できなくなる、という、文字通りステルスしている状態であった。透華が無警戒で振込みをしてしまったのも、桃子が「ステルスモード」に突入していたからであり、その存在を知らない透華は見事に嵌められてしまったのである。

 そしてこの「ステルスモード」、一度発動してしまえば少なくともその半荘内は継続する代物であり、攻防に渡って広く活用できる。例えば危険牌を切ろうと、相手はそれを認識できないため反応することが出来ない。桃子がリーチをかけようと、それが目立つものでなければ、誰もリーチした事に気付かない。桃子が和了ったりするまでは、とにかく何をしようと桃子の存在が他家の誰からも消えるのだ。故に何も考えず全ツッパするというのは、今の桃子の状態からすれば実に理に適っていた。

 

「リーチ」

 

 そんなことなど露ほども知らない……と言うよりそもそも気にしていない和は、相変わらずのマイペースな、しかし早い巡目でリーチをかけた。

 

「(おっぱいさん、調子いいっすね。でも、こっちももうオリないっすよ)」

 

 桃子は内心そう呟きながら、和のリーチに対して危険牌となる牌を河に並べる。

 

「(もしこれが和了り牌でも、あなたは……)」

 

 

 

「ロン、リーチ一発ドラドラ、8300点です」

 

 静かな、しかし非常に重い一言であった。桃子の捨てた牌に一切気付けていなかった透華は、腕を山に伸ばしかけていた。純代も直前まで気をつけてはいたものの、和のリーチに気を取られたが最後、桃子の存在が頭からすっかり抜け落ちていた。

 

「なっ……!?」

 

 桃子は振り込んだ事実があり得ないとでも言わんばかりに、目を見開いて口を開けていた。否、桃子だけではない。鶴賀学園麻雀部、その部員全員が、この桃子の振込みに対して驚愕の表情を浮かべていた。

 

「私の捨て牌が見える? 見えないんじゃ……」

 

 まだ立ち直りきっていない桃子が、絞り出すような声で和に問いかける。それに対し、和はまるで当然とでも言わんばかりの、柔らかな笑みを湛えた表情で返した。

 

「? 捨て牌は見えていて当然なものなのでは?」

 

 麻雀において、と言うより、一般常識的に考えて至極当然の返しである。しかしその返しにより、桃子は確信した。このインターミドルチャンプには、自身の「ステルスモード」は通用しないのだ、と。

 

「(あー、相手の気配とか、この人には何の関係もないってことっすねー……じゃあ、このおっぱいさんとはガチでやらなきゃいけない、ってことっすか……)」

 

 やや悲観的になっていた桃子であったが、しかし桃子はすぐに考え方を改め、口元をほんの僅かに吊り上げた。

 

「(でもそれなら……いつもより楽しめそうっすね!)」

 

 

 

『試合終了―! 副将戦前半戦は、東場では清澄高校が和了りを重ね、大きく点数を伸ばしました! 開始時から25700点伸ばし、2位の風越にも大きな差をつけています! また鶴賀学園も、満貫の振込みこそあったものの、南場に入ってからの連続和了で失点を抑えています! 逆に風越女子と龍門渕高校は焼き鳥のまま前半戦終了! 風越はまだトップが十分に狙える位置ですが、龍門渕高校はダブルスコア以上を叩き出されており厳しいか!? 後半戦でどれだけ巻き返せるかが見所となりそうです!』

 

 結局、オーラスは桃子が1000・2000のツモ和了をあっさりと決めて終局した。終わってみれば、和が+25700点というダントツの稼ぎを見せ、かつ前半戦で唯一の区間プラスでの終了となっていた。残る3人の内、桃子は何とか-1400点で済ませたものの、純代と透華の2人は和了れなかったことも災いし、大きく点数を落としてしまった。とはいえ、純代に関しては桃子の攻略法をある程度見つけ出していたため、それほど気落ちはしていなかった。問題は透華であり、休憩時間となり、桃子と純代が席を立った後も、姿勢良く椅子に座ったまま動く気配が無かった。

 

「龍門渕さん……?」

「……」

 

 あまりに微動だにしない透華を見て、流石の和も少しだけ心配になり、声をかけた。しかしそれでも反応はない。もしかしたらあまりのショックに気絶しているのではないか、と考えをするくらいには。そしてどうしたものか、と考えているうちに休憩時間が残り短いことに気付いた和は、場決めのため風牌を裏返し、卓の中央に4枚揃えて置いた。その時であった。透華がようやく動きを見せたのだ。透華は静かな手の動きで牌を1枚掴むと、それを自身の前にこれまた静かに表返した。そこには{東}の文字が刻まれていた。

 




冷やし透華始めました。もうすぐ冬ですが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話 別格

冷やし透華はじめました。


「(空気がおかしい……これは……)」

「(気配が……消せないっす……)」

「(偶然にしても酷いですね……)」

 

 透華の起家で始まった副将戦の後半戦。その東場は4連続で流局という異様な立ち上がりを見せた。しかもそれらの局は、誰も鳴くことなく、である。元々オカルト方面に鈍い和はともかくとして、桃子と純代は唯一連続聴牌し続けている透華から、絶対零度のオーラを感じていた。その透華はというと、場決めの際に{東}をめくった時から、不要な発声を一切していない。先ほどまでのお転婆お嬢様といった様子は完全に消え失せていた。

 

 南一局。副将戦も残すところあと半分であり、普通に考えれば透華や桃子はここで仕掛けないと後が厳しくなる。逆に和や純代はいかにこのリードを守りながら大将戦へつなげるかがポイントとなる。その考えは、普通の状況であれば間違いではなかっただろう。しかし今、この副将戦で起こっていることは普通ではなかった。

 まず手が碌に進まない。いや、麻雀というゲームの性質を考えれば、毎度毎度聴牌まで辿り着けるとは限らないため、それ自体はそうおかしいものではない。だが、それが3人同時となるとどうであろうか。ここぞという選択肢で高確率で裏目を引く。聴牌しても他家が和了り牌を独占していたなんてのもザラ。これが3人同時なのである。どう考えてもおかしいのは明白であった。

 では他家から鳴いて和了ればいいのではないか、となるのだが、手を進めるための鳴きもできない。能力のこともあり、元々門前派である桃子にとってはさしたる問題ではなかったものの、鳴きも普通に使っていく和と純代にとっては結構な問題である。そして最後。

 

「ツモ、1300オールの6本場は1900オール」

 

 最後の問題は、南一局に入ってから透華が連続ツモ和了を始めたことであった。手の進みこそそれほど早くないものの、それ以上に他家の動きが遅くなっているため、相対的に透華が非常に早いタイミングで和了っているのだ。今のところ和了られているのは、2000オール、1000オール、そしてこの1300オールといずれも安い。しかし透華は親である。透華が和了り続ける限り、この連続和了は止まらないのである。

 

「(な、なんなんすかこの怪物は……!?)」

「(っ……)」

 

 桃子は透華から発せられるプレッシャー、そして積み上げられていく100点棒の前に、戦意を喪失しかけていた。桃子は、強さレベルで言うならこの4人の中では格下である。だが、それを補って余りある、ステルス状態という強力な能力を得ていた。だが今のこの半荘は、そのステルス能力が封じられている。何故自分の存在が消せないのか、それはわからないものの、誰がそうしているのかははっきりと理解していた。透華しかいない、と。

 和はこの困難な状況下でも、常に最善手を打ち続けていた。だが、ことごとくそれが裏目に出ていた。片方の搭子落としを選択すれば、次のツモでは落とした方の搭子にくっつく牌を引いてくる、といった具合に。今のこの場は透華が支配している、と少しでも考えられれば、今のこの状況を打開することもできたかもしれない。

 だが、和には足りないものがあった。それは強敵との経験である。確かに和は、普段からの部活で、麻子や咲といった、「牌に愛された子」、悪待ちの久や東場の鬼である優希、膨大な情報を武器とするまこと打っている。しかし、言ってしまえば和の経験とはその程度である。この現代日本には、さらに様々な能力や主義を持った打ち手が星の数ほどいるのである。今の和には、そういった異次元の強さを持つ打ち手との経験、抽斗が圧倒的に足りなかったのである。そんな今の和に出来ることは、どれだけ裏目を引き続けようと、自分を信じてまっすぐに打ち続けることしかなかった。

 

「ツモ、2600オールの7本場は3300オール」

 

 しかし無慈悲にも、透華はそれら全てを無に帰すかのように、連荘を重ねていた。

 

 

―――

 

 

『な、なんと龍門渕選手、怒涛の7連荘ツモ和了! なんと、この南一局だけでトップまで上り詰めてしまいました!』

『次に和了れば八連荘だな。採用はしてないが……』

 

 結局、透華はあの後も更に和了を重ねていた。4000オール、1600オール、2600オール。その手自体は平凡であったものの、それに8本場、9本場、10本場の積み棒までついてきている。ここまで来ると積み棒も馬鹿にできる点数ではない。結果、7連荘目にして透華は和を逆転、首位に立った。

 

『しかしこの連荘、まるでインターハイチャンピオンの再現を見ているかのようですね』

『……いや、これは質が違う。連荘という結果こそ同じだが、チャンピオンのそれとは似ても似つかん。あまり話すと長くなるからここでは割愛するがな……』

『は、はぁ……』

 

 

 

「な、なんだじぇあのおねーさん……後半戦で急に人が変わったじょ……」

「八連荘って……チャンプの試合の牌譜くらいでしか見たことないわよ」

「こんなん信じられんわ……」

 

 清澄高校控え室では、予想だにしなかった試合展開に、部員のほぼ誰もが驚愕していた。普段動揺したりすることはない久でさえ、今のこの状況を信じられないといった様子で見ている。驚いていなかったのは例によって麻子と、魔王のもう片割れである咲だけであった。もっとも、咲の場合は透華のオーラをモロに食らっていたため、驚いたというよりは怯えているのだが……。

 

 

 

 一方龍門渕控え室。こちらでは連荘にさぞ浮かれているのかと思いきや、むしろその空気は冷え切っていた。勿論喧嘩だとかそういった意味ではない。ただ、透華のその透き通る冷たさをモニターごしに感じていたのだ。

 

「いやー、しっかし透華も滅茶苦茶すんなぁ……大丈夫か、国広君」

「……うん。大丈夫」

「明らかに大丈夫そうじゃねーだろそれ……」

 

 一は顔を少し青くしていた。とは言っても、空調が効きすぎて体調が悪いとか、今の透華の姿が嫌だとか、そういった悪い感情のものではない。一は龍門渕家のメンバーの中でも、普段から特に透華に近い位置におり、その分透華との繋がりも強い。そのため、「冷たい透華」そのものの感覚も僅かながら流れ込んでいたのである。

 

「ココア、飲む?」

「……ありがと」

 

 智紀が気を利かせ、ホットココアを用意し、一もそれを素直に受け取った。心なしか、顔の青さも少しばかり戻りつつあるようにも見えた。

 

 

―――

 

 

 南一局11本場。透華が完全に支配しているといっても過言ではないこの状況下、しかしそれでも3人の闘志は消えていなかった。しかしながら、ここまでの3人の努力は微妙に歯車が噛み合わない状態であり、結果として透華を破るまでには辿り着けなかった。しかしこの11本場、透華が和了ればプロでも見ることがほとんど無い八連荘達成となるこの局。ようやくであるが3人の歯車が噛み合う時が来た。

 

「(……ここまで来ると、認めざるを得ません。この後半戦、明らかに異常、オカルト的な力が働いている、と。でなければ、誰も鳴くチャンスすらほとんどなく、そして『正しい選択肢』を選び続けた結果それが全て裏目に繋がる……全て、例外なく、です。こんなデジタル、あり得ません。これならまだ、天和を和了る方が簡単かもしれない。……そんな相手に一人で挑むなど無謀。空聴の単騎待ちで和了を待ち続けるようなものです。であれば、他家と協力してでも、龍門渕さんを止めないといけない)」

 

 ことここにきてようやくではあるものの、和も透華の異常性をはっきりと受け入れた。麻子以外にイレギュラーな存在など認めない(そして本人からすれば、その麻子というイレギュラーすらもできれば認めたくない)和にとって、この受容は大きな一歩であった。そしてそれを認めれば、この状況を打開する方法だっていくらでも(と言うのは大げさかもしれないが)ある。

 今までそれを阻んでいたのは、和の高いプライドであった。デジタル雀士としてインターミドルで名を馳せ、そしてネット麻雀において運営の用意されたプログラムとすら呼ばれた彼女にとっては、デジタル打ちこそ至高、オカルトなど絶無、といった考えが当然のものであり、またそれを貫き通して勝利を飾ることこそ至上の喜びであった。であれば、本来オカルトを認めるような思考に至るはずはない。事実、10本場までは和もそれを頑なに認めようとしなかった。では11本場において何が和を変えたのか。それは……

 

「(それにわざと安い手を続けてこのまま八連荘なんて、そんな虚仮にするような真似などさせません!)」

 

 皮肉にもその高いプライドであった。クールビューティーなどと一部で呼ばれたりする和であるが、その実結構見え見えの挑発にも簡単に乗ったりする。いや、むしろチョロいとすら言えるほどである。そんな和にとって、自分は『正しい打ち方』をしているのに裏目を引かされ続け、相手は悠々と安上がりのツモを重ね、じわじわと嬲り殺してくる、そんな打ち方をされるのは非常に堪えるものがあったのだ。もっとも透華はそんなことなど全く意図していなかったため、ただの偶然、いや言いがかりとも言える割と下らないものではあったのだが、ともかくこれで和は覚醒した。対透華戦線のピースが嵌ったのである。

 

 一方桃子は、後半戦開始時からどう頑張っても、自身が気配を消すことが出来ないことを察していた。謎の力で早々に見破ってきた和はともかく、所謂普通の人である透華や純代でも、視線が桃子の存在を捉えているのである。ならまずは、消えられない状況をどうにかしないといけない。そのためにはとにかく透華に止まってもらわないといけないのである。

 また、純代も同じ事実に早々に気がついていた。こちらは全国常連校であったこともあり、情報集めにも余念が無かった。特に自分達風越を破った龍門渕高校については、他のどの高校よりも熱心に調べていたと言えるだろう。そしてその中で何度か見えたものが、所謂『冷たい透華』であった。

 無論チームメイトでないどころかライバルであるため、詳しい情報を手に入れることはできなかったものの、それでも牌譜を見ればその異常性は明らかであった。とにかく鳴けない、和了れない、止められない。少なくともただの全国レベルでは、普通に進めるだけでは一人で太刀打ちすることなど不可能。昨年のインハイでは、数少ないただの全国レベルではない打ち手である、臨海女子のメガン・ダヴァンが、他家を飛ばすという荒業を以て一人で食い止めることに成功したものの、それでも他家を飛ばすという手法を使わざるを得ない程度には追い詰められていた。それほど真正面から対峙するのは危険極まりないと言えたのである。

 

「(いつもは目立ちたがり屋で、下手すればうるさいとまで言われかねない龍門渕……だけど今は、まるで波一つない水面のように静か。そしてこの場の支配力、間違いなく今の龍門渕は『冷えている』。モニター越しでも感じた冷たさが、今私達に牙を向いていることは明らか。だけど……)」

「(麻雀は一人でやるゲームではないっす。三麻でも3人、普通の麻雀なら4人揃って初めて麻雀になる)」

「(なるほど……これが、『人と打つ麻雀』なのですね)」

 

 三者三様、しかし同じ目標を掲げた3人は、この凍てついた卓を溶かすために動き始めた。

 

 

―――

 

 

南一局 11本場 ドラ:{①}

 

桃子手牌:{八八②③⑥⑧119東南北北}

和 手牌:{二三四赤伍①④④赤⑤4西白發中}

純代手牌:{四六八②③⑥⑦⑦14北發中}

 

「(冷気が……少しだけ、だけど、弱まった……?)」

 

 純代は、下家にいる透華の様子が僅かに変わったことを敏感に察知していた。心なしか配牌も今までの絶望的なものではない……ように見える。だが、それでも透華の支配が続いていることは理解していた。故に普通に打つだけでは、先行する透華に追いつくことはできない。そしてそれは純代だけではなく、桃子、そして和でさえも理解していた。では、その凍てついた場を溶かすにはどうすればよいか。答えは単純明快、『異常』な打ち方をすればよいのである。透華が{西}を第一打で切り出す。桃子は{⑥}をツモり、打{南}とした。普通であれば七対子を狙っているようにしか見えないが、この時の桃子には全く別の狙いがあった。和がツモ{6}、打{西}とする。純代は{5}をツモり、打{北}としたその時。

 

「ポンっす!」

 

 ステルスを売りとする門前派の桃子が、鳴いた。しかも一見無理対々を狙っているようにしか見えない鳴き方である。今まで堅実に打ってきた桃子の突然の豹変に、会場はにわかにざわつき始めた。

 

『東横選手、{北}をポンしました! 東横選手は副将戦が始まってから初めての鳴きです! ですが手牌に刻子が無い状況でオタ風のポン……一体何の狙いがあるのでしょうか』

『せめて刻子含みの配牌か、{北}が役牌ならばこの鳴きはわかるんだが……私にもわからん。一体何を考えている?』

 

 解説陣も突飛な桃子の行動に動揺しているようで、桃子の狙いを理解できていない。無理もないだろう。普通に見れば桃子は一人沈み状態、しかもトップとは5万点以上の差がついている。無理鳴きしての対々よりもリーヅモ七対裏2の跳満狙いのほうがまだ遥かに理解できるはずだ。そうでなくとも、少しでも点棒が欲しいと考えるのは不自然ではなく、むしろ自然極まりない思考と言えた。だからこそ、この桃子の狙いを正確に読める者は、この会場にはほとんどいなかった。それを理解しているのは例によって麻子、そして対局している桃子、純代、和だけであった。そして異常事態はそれだけに留まらない。

 

「(……)」

 

 和は{④}をツモった後、しばらく手が止まっていた。素直に和了を目指すのならば、牌効率に従って淡々と打てばよい。だがそれではこの状況を打開できないことは、和も良く理解していた。

 

「(……一人で和了れないならば、3人で和了ればいい。おそらく、東横さんも深堀さんも、その発想に至っているはず。深堀さんは名門校ですから、こういった相手の調査もしているでしょうから大丈夫。そして東横さんも、この鳴きで確信しました。ならば私が打つべき手は……)」

 

 オカルトとは無縁の和は、この状況において何を切ればよいか全く見当が付いていなかった。そして散々迷った末、切り飛ばした牌は……

 

「チー!」

 

純代手牌:{八②③⑥⑦⑦45發中} {横赤伍四六} 打{1}

 

 あろうことか既にノベタン系になっていた{赤伍}であった。しかしこれには一応理由がある。

 

「(オカルトがあるとするなら、勢いがつくのは普通の牌を鳴いた時よりドラを鳴いた時のはず。そして{④}が壁になっている{赤⑤}よりは、まだ{赤伍}の方が鳴きやすいはず)」

 

 そう、和は最初から純代を支援するつもりで赤牌を切ったのだ。否、支援しているのは和だけではない。無理鳴きしているように見えた桃子、彼女もしっかりと支援していた。透華に牌をツモらせない、ただそれだけのためにオタ風の{北}をポンしたのだ。第一打で対子を残したのも、単に純代から鳴ける確率を少しでも上げるためという至極単純な理由であった。そしてそれら全ては、一つの目標、すなわち透華の八連荘を阻止するという点に集約されていた。であれば。

 

「ポン!」

 

 偶然とはいえ飛び出してきた{1}を桃子が鳴かない道理が無かった。もしかしたら自分が対々で和了る可能性もすこしばかりあるかもしれないが、しかしそれでも第一は透華の親を流すことである事ははっきりと意識していた。

 

『……なるほどな』

『どうしました、藤田プロ』

『……東横の鳴きの意味、そして原村の切った牌の意味。なんとなくだけど理解できてきたよ』

『ほ、本当ですか!?』

 

 そしてここにきて、少しばかり時間はかかったものの、靖子もこの対局の異常さの理由を察することが出来た。そして各々の役割というものも。

 

『ああ。おそらくこの局、原村と東横は和了るつもりはないだろう』

『……と、言いますと……?』

『この局、龍門渕の八連荘を、残りの3人が全力で阻止しにきている、ということだ』

 

 靖子のその言葉を裏付けるかのように、和はまたも逡巡し、打{6}とした。和了にいく気なら切ってはいけない牌であるが、しかし支援するとなれば話は別であった。既に純代は{横赤伍四六}を晒している。ここから役を絞ることはある程度可能だ。タンヤオ、役牌、そして三色。和はそれらのキー牌となり得る{6}を切り、純代の手を更に進めようとしたのだ。

 

「チー!」

 

 そして思惑通り、純代は{45}を晒して{6}を食い取った。ちなみに鳴かれなかった場合、{4}も少ししたら切るつもりであった。一度決めたらとことん支援するつもりである。続く純代の打{中}は誰も鳴かなかったため、ようやく透華のツモ番が回ってきた。これだけ鳴かれても有効牌が入る流れは変わらないのか、あるいは五十歩百歩な牌が来たのかは不明だが、しかし透華は手出しで{南}を切った。桃子は手出しで{9}を切り、和の番。今度は迷い無く{④}を切った。最良なのはここで和了を決めてくれることであり、次に三色の確定。最悪でも鳴きで手が進めば十分といった判断であった。特にこの牌は3枚も手の内にあったので、鳴くチャンスがこの後も作れる、というのも大きかった。

 

「チー!」

 

 そして純代は、思惑通り牌を晒して手を進めた。{②③}を晒してきた辺り、これまた偶然ではあったものの、和の切った場所はかなりのファインプレーと言える。{八⑥⑦⑦發}となった純代は、打{八}とした。{八}の場合、自分で{九}を引いたりしてしまった場合が最悪で、和了るのが極端に難しくなってしまう。その点{⑥⑦⑦}に関しては今更言うまでもないし、{發}だって重なれば役牌として和了ることが出来る。判断としては当然だった。更に幸運は続く。

 

「ポン!」

 

 桃子がその{八}を鳴き、手を進めるとともに透華のツモ番をまたも飛ばすことに成功した。和がある程度狙って鳴かせていることもあるにはあるが、まるで先ほどまでの完璧な凍結が嘘のように場は荒れている。まるで蟻の一穴とでも言わんばかりだ。

 直後の和は{白發中}から切る牌を選定していた。と言っても、和にとってこの選択肢は3択ではなく実質2択のようなものである。{中}は既に純代が切っており、まず間違いなく鳴かれない、むしろ鳴ける状態から切ったのなら切る理由がない。純代の欲しい牌がまだ完全には絞れないため、とりあえず一巡保留するなら{中}切りがベターではある。残る{白發}はどちらも完全に生牌のため、鳴かれるも鳴かれないも五分五分である。

 

「(ここはどうするべきか……攻めて、みますか)」

 

 少しの逡巡の後、和は{發}を切った。しかしながら純代から発声はかからない。

「(しくじりましたか……ですが龍門渕さんは鶴賀の東横さんのおかげで手の進みが著しく遅くなっています。まだ、大丈夫なはずです……)」

 

 今まで麻雀を打ってきて感じたことのない焦燥感が和を襲う。いつものアベレージさえ取れればいいコンピュータ麻雀と違い、この一局に集中しなければならない、という普段とは全く違う麻雀の一面を、和は初めて味わっていた。

 もっとも、実際にはどれを切っても結果的には同じであったので、和がしくじりと思っているこの状況は、実際にはそんなことはないのだが、それは観客側からでしか知り得ない情報なので和の思いも理解できるものではある。

 

 

 

「(……来た!)」

 

 しかし天はどうやら3人を見放してはいなかったらしい。純代がツモったのは{⑥}。ノータイムで{發}を切り、純代は{⑥⑦}のシャボ待ちで聴牌をした。ここまで滅茶苦茶に場を乱されては、最早透華の場の支配も崩れてしまったのか、透華は{⑧}をツモ切りした。そして桃子の手番。ツモを含めた手牌は{②③⑥⑥} {四}となっていた。あくまで自身の和了も目指しつつ打つのであれば、対々も見据えた{四}ツモ切りが良いのだろう。しかし桃子はこの局、自身の役割を徹底してきた。とにかく対子を揃えて透華のツモをなるべく少なくする、そして場を乱す。対々形になったのは結果論的な話であり、そもそも和了りに向かって鳴いていた訳ではないのだ。

 

「(こういうのって、変に色気を出すと碌なことがないっていうのが相場っす)」

 

 今の自身の役割とは何か。一番大きい役割は、鶴賀を全国へ導き、優勝すること。そのためにはまずこの県大会を勝ち上がらなければならない。そしてそのために今必要なのは何か。

 

「(おそらく私が和了りに向かうと、今までのこの苦労が水の泡になる。なんとなくっすけど、そんな気がするっす。だから……!)」

 

 打ち方は基本デジタルである桃子だが、別段オカルトや直感を信じていないわけでもない。むしろ自身がオカルトの塊のような存在であるため、そういったものとは普段から割と身近に接してきた。だから感じられる。今、自分が為すべきことを。

 

 

 

「……ロン、タンヤオ赤1、2000点の11本場は5300点です」

「はい……!」

 

 桃子は対子である{⑥}を切った。自身が唯一和了を目指せるであろう道を自ら断ち切ったのである。これも全て、自身の課せられた役割を忠実に遂行するため、そして透華の支配を断つという意思表示のためであった。

 

『き、決まったぁ! 鶴賀の東横選手が風越の深堀選手へ狙いすましたかのような差し込み! 龍門渕選手の八連荘は直前で阻止されました!!』

『この面子で打つのは今日が初めてだろうに、よくここまで連携できたものだな……驚愕した』

 

 靖子もこの局については、只管に驚嘆するほかに無かった。それ以外に上手く感情を表す言葉が思い浮かばなかったくらいには、この八連荘破りに魅入っていたのである。そしてここで靖子が少し表情を変えた。あることに気が付いたようだ。

 

『まぁ露骨な3VS1の構図になったのは、この子達が高校生故仕方ないが、しかし意思を揃えていなければ、この局も龍門渕が和了っていただろう』

『と言いますと……』

『ツモを見ればわかるさ。皆が皆和了りに向かって進んでいたとしたら、4巡目に龍門渕が{2}-{5}-{8}の平和ドラ2赤1高目三色を張っていた。ダマでも十分、リーチでもしようもんなら一発が付いてツモっていてもおかしくないだろう。それくらい龍門渕には勢いがあったんだ』

『な、なるほど……』

 

 決して透華の場の支配は消えてはいなかった。むしろ普通に進めば透華の、ひいては龍門渕高校の勝ちを決定付けるだけの支配ができていた。だがそれに3人は懸命に抗った。一人は絶対に透華の手を進ませないと決意し、一人は自身の拠り所を捨て、一人はそんな二人に追い風を受けた。

 その結果として残ったのが鳴き散らした喰いタンでは、初心者だのと言われるかもしれない。だが桃子は、和は、純代は、それで満足していた。どれだけ無様だろうが構わない。今止めないといけないのは間違いなく透華だった。そしてその目的を達成するためなら、手段や美しさなど不要。己がなすべきことを、3人は遂行できていたのだ。

 

 

―――

 

 

南二局 ドラ{③}

 

透華手牌:{二六九①⑥⑨367東南西白}

桃子手牌:{二四伍六③③⑥⑦4赤579西西}

和 手牌:{一一三伍伍④⑦⑦6南南南發}

純代手牌:{六七九九①③⑤⑧234北北}

 

 南二局0本場。積み棒がリセットされたこの局、明らかに3人の配牌は向上していた。それに引き換え透華の配牌は流すことすら出来ないボロボロさで、まるで流れが透華から3人に放出されたかのようである。変化はそれだけではなかった。

 

「(気配を消せる感じもしている。いつもの私が戻ってきたっすよ……!)」

「(鶴賀の……また気配が薄まっている。今は意識できているからいいけど、集中を少しでも切らしたらまずそう)」

 

 そう、桃子お得意のステルスモードが戻ってきたのである。とはいえ和には効かないということは前半戦で確認済みであるし、純代の警戒も高い。透華もいくら力が弱まったといえど、まだ冷たい空気は続いているので、そう簡単に活用はさせてくれないことは間違いない。だが真に重要なのはそこではない。桃子が気配を消せる、すなわちそれは透華の支配力が格段に落ちていることを意味しているのだ。つまり先ほどまでの独走状態とはならないはずなのだ。

 

「(ここが正念場っすね……!)」

「(イレギュラーは去りました、か。それでは、私もいつも通り……)」

「(なんとしてでも、和了を取る!)」

「(……)」

 

 3人は各々自分の和了に、ひいては団体戦優勝のため、和了に向けて集中する。だからだろう、まだ透華の変化に気付いた者はこの中にはいなかった。

 

 

 

「リーチっす」

 

桃子手牌:{二三四伍六③③⑤⑥⑦34赤5}

 

透華河:{⑨西①九}

桃子河:{西西97横八}

和 河:{發中東④}

純代河:{⑧二東三}

 

 5巡目。早くも親である桃子がリーチをかけた。ほぼ最高形とも言えるくらいの手だが、しかし静かな宣言であった。普段であればステルス状態となっていることもあり、このリーチは見逃されていただろう。しかし今ここにいるのはそれらを易々と超えて来る者ばかり。だが桃子はそれでもよかった。いや、むしろ見えているほうが好都合とさえ言えた。なぜならそれは、まだ自分は諦めていない、勝ちにきている、そんな感情をぶつけたリーチだったから。

 

「({西}の対子落としから入ってのリーチですか……)」

 

 和は内心そんなことを考えつつ、自身の手の内に出来ていた暗刻の{南}を躊躇なく落とす。勝負に出るのも悪くはないのだが、親リーに対して振り込むリスクのほうが遥かに高い。それならば一旦暗刻を落として回る、場合によってはオリも選択するのは当然といえた。続いて同巡、純代の手番。彼女がツモったのは{②}であった。

 

純代手牌:{六七八九九①③⑤234北北} ツモ:{②}

 

「(確かに親リーは危険だが……しかし追っかけで聴牌した。{北}も生牌だから確実な安全牌とは言えない。なら下手に降りるよりはまっすぐ行った方が強いはず……!)」

 

「リーチ!」

 

 純代は桃子の親リーをしっかりと認識した上で、その上で{⑤}を切ってリーチをかけた。{九北}のシャボ待ちである。透華に一巡前に処理されているのが若干気になったが、しかしそれを加味しても純代から見て山には3枚残っている上、待ちは両方ともヤオチュウ牌である。和了れる公算は十分にあった。

 

 

 

「……」

 

透華手牌:{一二六赤⑤⑥2367東南白中} ツモ:{赤伍}

 

 続いて透華のツモは、またも搭子が増えるものであった。だがこれで567の三色も見えてきている。あのグズグズだった配牌を考えればかなりの進歩といえよう。そんな透華が切ったのは{東}であった。親の桃子には通っていないはずの牌だが切ったのは、{東}が純代に安牌だったから、という理由ではなかった。

 

「……っ……」

 

 表に出ないようにはしていたものの、「冷たい透華」としての透華は既に限界を迎えつつあった。そのため、思考能力も僅かながら低下している。呼吸が乱れているのが何よりの証拠であった。だがそれでも止まらない。否、止まれないのだ。体が限界を迎えるその時まで。

 

 

―――

 

 

南二局 10巡目 ドラ{②}

 

透華手牌:{一二赤伍六七④赤⑤⑥12367}

桃子手牌:{二三四伍六③③⑤⑥⑦34赤5} ツモ:{中}

和 手牌:{一一三三四伍伍八八⑦⑦⑦發}

純代手牌:{六七八九九①②③234北北}

 

透華河:{⑨西①九東中} {白中南}

桃子河:{西西97横八②} {東5⑧}

和 河:{發中東④南南} {南56}

純代河:{⑧二東三横⑤6} {白3④}

 

「(ぐぬぬぬ……中々和了れないっす……)」

 

 桃子は内心歯噛みしつつ、ツモってきた{中}を捨てる。{東}が既に4枚見えている上での4枚目であるので、確定安牌なのは確実なのだが、問題はそこではない。良形3面張であるにもかかわらず、ツモれないことに苛立ちを抑えきれないのだ。

対して和は、続く手番で{四}をツモってきたことで遂に聴牌を果たす。{一八}のシャボ待ちではあるが、{一}は和から見て丸生き、{八}は親の現物なのでそう悪い待ちではない。とはいえリーチをかけるような状況ではないと判断した和は、{發}を切ってダマで構えた。

 

「(うっ……)」

 

 純代がツモったのは{二}。この局で何度目かの当たってもおかしくなさそうな牌を引いて嫌な顔を内心浮かべるも、リーチをかけているためツモ切りしかできない。

 

「(南無三……!)」

 

 表には出さぬよう思いっきり祈りを込めながら、純代は{二}をツモ切りする。しかし反応はない。幸運にも通る牌であったことに、純代は心から安堵した。だがこれが、思わぬアシストとなってしまう。もっとも純代本人にはどうしようもなかったため、仕方がない話ではあるのだが……。

 

「リーチ」

 

 透華の冷徹な声が響く。彼女が切った牌は奇しくも{二}。合わせ打たれたかのような形であり、純代は嫌な予感を抑え切れなかった。いくら支配が弱まったとは言えど、和了れるかどうかまでは保証していない。その場合、またも透華の波に乗せられてしまう可能性もある。リーチをかけたのは迂闊だったか、と純代は少しだけ後悔した。

 

 

 

 桃子が{7}をツモ切りし、続く和のツモ番。ここで引いてきたのは{北}であった。3人に対する共通安牌は皆無。何を切っても誰かに当たってもおかしくない状況である。実際{一四}、そして今引いてきた{北}は当たり牌である。そんな中、和は一切の思考時間を経ずに{⑦}を切り飛ばした。一盃口から七対子に切り替えた。その根拠はデジタル……ではない。ツモってきた{北}から、粘りつくような不快感が漂ってきたのだ。

 

「(まるでオカルトみたいですが……ですが、こういった感覚の牌を切った時は必ず誰かに振り込んでいました。麻子さんと打っているときなんていつもそう。であれば、この{北}は……)」

 

 和らしからぬオカルトな理由での{⑦}切りではあったが、実際和はその感覚に助けられていた。前半戦でも見せたデジタル理論に反するような打ち筋は、まだ今は数少ない魔物、否、魔王との打った経験から得たものであった。

 

 

 

 じりじりとした瀬戸際での勝負が続いていた南二局であったが、遂にその決着が付く。

 

「ツモ! メンタンピン表2赤1……裏1! 8000オールっす!」

 

桃子手牌:{二三四伍六③③⑤⑥⑦34赤5} ツモ{七} ドラ{③⑥}

 

 この局の最後に女神が微笑んだのは桃子だった。裏の表示牌は{赤⑤}であり、8翻に届く大物手だ。この手により5万点まで落ち込んでいた鶴賀学園の点数は7万点台まで一気に回復した。まるで前局で役割を遂行したご褒美のようにも見えた。

 

 

―――

 

 

『試合終了―! 後半戦は龍門渕高校が怒涛の連荘を仕掛けてきましたが、八連荘直前で他校がそれを見事な連携で阻止! その後は一人沈みしていた鶴賀学園も親倍をツモり、勝負に持ち込める段階まで点数を回復することに成功しました! トップは依然として龍門渕高校ですが、2位の清澄高校との差は僅か5100点! 最下位の鶴賀学園も厳しい立ち位置ではありますが、4万点台の差なら十分に巻き返せる範囲です! さぁ泣いても笑っても次が最後の大将戦、優勝して全国へと駒を進めるのはどの高校なのか! この後も目が離せません!』

 

 長かった副将戦もようやく終了した。南二局1本場からは和と純代が交互に安手を和了る形となり、呆気なくオーラスが終わった形となった。終わる頃には後半戦開始時に感じていた寒気もすっかり消えており、透華の支配は完全に機能しなくなっていたからである。

 

「「「ありがとうございました」」」

 

 純代、桃子、和は立ち上がって終了時の礼をした。が、透華に動きが見られない。家柄に加え、元々の透華の性格からいっても、こういったマナー的な部分は誰よりも気にするはずなのに、である。

 

「龍門渕、さん……?」

 

 桃子はおそるおそる透華へ声をかける。透華からの返事はない。

 

「……汗が酷い」

 

 対面から近寄った和が思わず呟いた。対局中は対局に必死で気にする余裕がなかったが、かなり体調が悪そうに見える。思えば目もどこか虚ろで焦点が合っていないようにさえ見える。これでよく麻雀を打てていたな、と言える位には。

と、その時だった。透華の体が不意にぐらりと揺れると、そのまま何の抵抗もなく地面へと引き込まれていった。

 

「っ!?」

 

 咄嗟に純代が体を支えたため、椅子から地面に叩きつけられることは防げた。が、どうも透華の意識は失われているようであった。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 しばし呆気に取られていた係員もようやく現実に戻り、事の重大さを認識した。ひとまず体の安静が保たれていることを確認すると、トランシーバーで何かを話していた。どうやら救護班を呼んでいるようであった。その証拠に、ものの数分もすると担架を担いだ数人の男性スタッフが対局室へと入室してきた。そしてその後ろには不安げな顔の龍門渕メンバーの姿もあった。

 

「透華は大丈夫なのか!?」

「た、多分……」

「ちょっと純君、もうちょっと落ち着いて……」

「そう言って……いの一番で控え室を飛び出したのは誰?」

「うっ……」

 

 メンバーの会話から察するに、純と一は酷く動揺していたらしい。もっとも、チームメンバーが対局終了後に気を失ったとなれば無理もない話である。

 

「っとと……風越の深堀さん、ありがとう。透華を助けてくれて」

「そんな……私がやったのは当然のことです」

 

 一が純代にお礼を言い、それに純代も返す。大会中の敵校同士ではあるが、そもそもそれ以前に人同士である。そこには敵も味方もない、人同士の姿が描かれていた。余談ではあるが、これをきっかけに純代と一は学校とは関係なく個人的に仲良くなったという。

 




長い(白目)
13626文字ですってよ、奥さん(白目)
本当はどこかで分割したほうがいいとも思ったんですが、いいところで切るところが無かったので、そのままアップしました。
話数を経る度に長くなってますね。指が動いたんだから仕方ないんですけれども。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話 集結

地 獄 へ よ う こ そ


※ここから先、大将戦においては一切の救いはありません。ご了承ください。


「では、行ってきます」

 

 清澄高校控え室。大将である麻子はなんでもないかのように、普段の落ち着き払った声で仲間に出発の挨拶をした。表情はいつもの微笑を湛えており、相変わらず何を考えているかは読めない。ともすれば衣と並んで子ども扱いを受けかねないはずの見た目であるのに、全く子どもには見えない雰囲気は、やはり中身が中身だからなのか。

 

「いつも通り、頑張ってください」

「ええ」

 

 最初に、ある意味麻子と最も相性が悪そうな、反オカルト連合代表みたいな存在である和が、優しい顔を浮かべながら激励の言葉をかけた。もっとも、和にとっては麻子はよきライバルでこそあるものの嫌いなわけではないので、当然といえば当然ではある。

 

「タコスいるか?」

「……えぇ、貰っておきます」

 

 応援かと思えばタコスの差し入れ。これには流石の麻子も僅かながら反応が遅れた。ただ自分の験担ぎ用アイテムであるタコスを差し入れしているあたり、優希の麻子に対する頑張ってほしいという気持ちは相当なようである。それに麻雀を打つ直前にお腹を満たせるのは、麻子にとって割と有難いものでもあった。最近はよくお腹が減るのである。今日など隙あらばおやつを食べるくらいには。

 

「タコスってまた優希らしいな……ま、麻子に限って無いとは思うけど、油断せずに頑張れよ」

「はい」

 

 口調こそやや厳しいようにも見えるが、その声は麻子に全幅の信頼を置いているものだった。頼り切っているそれではなく、麻子なら必ず結果を出してくれる、と。それに実際、麻子が傀としていた時の世界と比べ、今の世界ははっきり言って強さが段違いなのも事実である。故に麻子であろうと油断をしようものなら狩られかねないのだ。もっとも、麻子という人間は油断から限りなく遠い位置にいるのも事実なのだが。

 

「麻子にアドバイスなんてものもいらんかもしれんが……魔物にゃあ気ぃつけて打ってきんさい」

「天江ですね」

「ああ、そうじゃ」

「それは大丈夫でしょう」

「そりゃあ心強いのぅ」

 

 まこの指す魔物、というワードにも、麻子は特に動揺を見せない。以前優希の後ろから牌譜を見た時に特性を察しているのもあるが、それ以上に麻子は衣に負ける未来が見えなかった。慢心ではなく、全てを鑑みた上での確信である。麻子から言わせれば、まずは麻雀を打つところからやり直せ、ということである。

 

「私は、麻子ちゃんを信じてるから!」

「……ありがとうございます」

 

 咲の心からの笑顔から放たれる、ストレートで心に深く刺さる言葉。これには流石の麻子も僅かに動揺した。とは言ってもその動揺は悪いものではない。こちらに来て初めて出来た親友の言葉というのもあるが、傀時代にここまで純粋な気持ちをぶつけられたことがなかった麻子にとっては、こういったものは未だに新鮮なのである。

 

「私は部長として、麻子ちゃんに言わなきゃいけない事があるわ」

 

 いつになく神妙な顔をしながら、久が立ち上がって扉の前にいる麻子に歩み寄った。

 

「私は今年が最初で最後のインハイ。だから全国へ出たいって気持ちは当然ある。麻子ちゃんもそれは薄々感じてたと思うわ。他の皆も少なからずそういった気持ちはある。麻子ちゃんだってそうだと思う。だけど、私はそれよりも、麻雀を楽しんで欲しい。だから、注文は多くはつけないわ。……後悔の無いように、全力で楽しんできなさい」

「……はい」

 

 麻子は内心、この人はずるい人だ、と思った。普段は飄々として掴み所が無く、麻子と似たような感じで常に微笑を貼り付けていて感情が読めない。その癖時々バカみたいな計画を実行に移したりしては大笑いするような、しかしどうしても憎めない人間。それが久だ。そんな人が突然真面目な顔をしてこんな事を言うとは。

 

「(益々、負けてあげる訳にはいきませんね)」

 

 何だかんだ言って、麻子は自身がプライドの高い人間だということを自覚している(周囲から非人間説を検討されている事は置いといて)。そんな麻子がここまで信頼された上でお願いをされて、そして負けるなどというのは許されないのだ。様々な意味で。

 

 

―――

 

 

『さて、長かった、長かったインターハイ県大会決勝戦もこれが最後となりました! まず龍門渕高校からは、昨年度で圧倒的な成績を叩き出したエース、天江衣選手! 続いて風越高校からは、2年生ながらそんな天江選手と同卓した経験があり、そして部内2位の実力者、池田華菜選手! 次に鶴賀学園からは、常に冷静沈着、まさに氷の如く鋭く的確な判断を下す部内随一の頭脳派雀士、加治木ゆみ選手! そして清澄高校からは、全てが謎に包まれた、しかし宮永選手や原村選手を差し置いて大将に据えられたミステリアス少女、仁川麻子選手! 今日、他の3校を下して全国への切符を手にするのは一体どの高校なの! いよいよ戦いの火蓋が切られようとしています!』

 

 大将戦ということでボルテージも最高潮となりそうな状況に、その上を行くボルテージの解説が入り、いよいよ会場もお茶の間も興奮収まらぬ状況となってきた。そんなことになっているとは露知らず、麻子は対局室へと歩みを進めていた。もっとも、それを知っていようと知っていまいと、麻子にとっては何も関係が無かっただろうが。

 

 

 

 どうやら対局室へ入室したのは麻子が最後だったようで、残る3人は既に場決め牌を引いた上で着席していた。必然的に余った場所が麻子の座る席となる。

 

「よろしく!」

「よろしくお願いします」

 

 華菜が威勢のいい挨拶を麻子に向けた。それに麻子は、いつもの落ち着いた声で余裕たっぷりに返した。人によってはその態度が気に食わない、と考える者もいるかもしれないが、ここはインターハイの決勝卓。そのくらいの余裕など持っていて当然であるし、そんなものを気にしない度量もまた持っていて当然である。そんな麻子を一人、刺すような瞳で睨みつける者がいた。言うまでも無く衣である。とはいえその表情は嫌悪から来るものではなかった。

 

「楽しみにしているぞ」

 

 衣は一言そう呟いた。麻子はそれに対して言葉で答えこそしなかったが、「当然です」と言わんばかりの表情で返事をした。まだ卓が始まってすらいないというのに、既にこの両者の間では勝負が始まっていた。

 

「(……背が低いと、雀力が上がるというジンクスでもあるのだろうか……)」

 

 その様子を第三者の視点で見ていたゆみは、内心そうひとりごちた。

 

 

―――

 

 

「ツモ、嶺上開花、赤1。……槓ドラが一つ乗りましたので2000・4000です」

 

 衣の親から始まった大将戦東一局。その立ち上がりは、麻子が門前で嶺上開花ツモを決めたところから始まった。今大会においてはもう何度目かわからない嶺上開花である。それは主に咲が決め続けたせいなのだが。

 

「(清澄の……お前も嶺上使いなのか……? それともそれはただの偶然なのか……? ……表情の変化に乏しい。何もわからないな)」

 

 ゆみがその和了を分析しようとする。手だけを見れば、確定役が何もない凡手だ。嶺上開花と槓ドラにより満貫まで乗ったのは、ただの偶然でしかないように見える。

 

「(だがあの宮永や竹井を抑えて大将に抜擢されているんだ。これが偶然なのかどうか、もう少し判断は保留してもいいはずだ)」

 

 頭から決め付けることはせず、ゆみは一旦分析を保留した。この、相手を冷静に見定める力がゆみの持つ力の一つである。オカルトなどではなく、論理的に思考を組み立て、そしてそれを矛として相手を穿つ。勿論基礎的な雀力もしっかりしているため、ネット麻雀でも弱いわけではなかったが、どちらかと言えば相手の表情が見える対面麻雀の方がゆみは得意だった。であるからこそ、最後をしっかり決めにいくため、ゆみは大将に選出されたのである。

 

「(ぐぬぬ、タンピン三色イーペードラドラが流されたし! だけどまだ局はある、大丈夫!)」

 

 一方の華菜は、ダマの出和了で跳満、ツモれば倍満の手を張っていた。和了れば一気にトップの2校と点差を詰められる大物手だった。毎回そうという訳ではないものの、華菜は大物手を張ることが比較的多い。それに基礎雀力も部内では高く、さらに精神面でも非常にタフである。何があっても諦めないという資質は大将に据えられるにふさわしい。それに、華菜が大将に据えられた理由はそれだけではなかった。

 

「(昨年は天江にコテンパンにやられた……だけどあたしだって、やられっぱなしでは終われない! 今年こそ、天江を逆にコテンパンに泣かせて雪辱を果たして、そして皆で全国へ行くんだ!)」

 

 そう、部内で唯一、華菜は衣と直接対決をした経験がある打ち手だったのだ。その最初の対局では、無残と言うほかないほどに叩かれ、打ちのめされた。普通の打ち手であればもう二度と打ちたくないと言うほどには。しかし華菜は折れなかった。それどころか、その惨敗を糧にして自身の雀力を鍛えた。部内2位にまで駆け上がれたのも、偏に衣との出会いが大きいと言えたかもしれない。

 

 

 

 「ツモ、1300・2600だな」

 

 東二局は比較的全員の手の進みが遅く、15巡目にしてようやくゆみがダマの5200をツモる形となった。更に東三局。

 

「ロン、8000点だし!」

 

 今度は麻子が華菜の見え見えの染め手に振り込んだ。まるで素人ではないかと疑うような打牌である。

 

「(なんだ、あの清澄の大将だからって思ってたけど、大したこと……いや)」

 

 華菜は和了れて浮ついていた自身の気持ちを、すぐに立て直した。上手くいっているような時に油断しがちなのは華菜の悪い癖だ。そこを貴子には耳がタコで埋まるほどに指摘されてきた。だからだろう、トップと満貫程度の差まで縮んだにもかかわらず、自らを戒め、律することができたのは。

 

「(勝負は勝つまでわからない。まだ今は清澄が本気を出していないだけかもしれないし……! だから、勝つまで喜ぶのはお預けだ!)」

「(おかしい……違和感がある。いくらなんでも本気でこの和了に振り込むような実力しかないのであれば、そもそも大将に据えられるのがおかしい。となれば、わざと振り込んだことになるが……一体それをして清澄に何の得がある?)」

 

 華菜は可能性の一つとして、麻子が本気を出していないというのを挙げた。しかしゆみは、可能性ではなくそれは真実だと考えた。本当に弱い打ち手であるのならば、大将は咲に任せて別の場所を担当すればよいのである。実際あの強さは圧倒的だったし、仮に自分が直接対決していたとすればおそらく勝てなかっただろう、とゆみは推測した。そしてそこから、麻子は少なくとも咲と同レベルかそれ以上の力を持っていると判断したのだ。だがそんなゆみでも、この振込みについてはどうも解せないようであった。

 続く東四局でも、麻子は振り込んだ。今度はゆみの跳満に対してであり、これもまた明らかに危険牌といえる代物であった。普通ならオリる所を突っ張ってきた。少なくとも対局者からはそのように見えた。この和了により、麻子は10万点を切り、ゆみの点数は9万点に届きそうなところまで来ていた。そしてここで遂に、前年度県大会覇者である衣が、その力を覚醒させる。

 

 

 

「無聊を託つ」

「!?」

 

 不意に口を開いた衣を見て、ゆみは思わず後ずさりしそうになった。見た目は幼い子どものようにしか見えないのに、感じるものは子どもどころか大人でも出せるものはそういないだろう、強力なオーラだったのだ。

 

「清澄の大将は厄介だと思ってうきうきしていたが……乏しいな、闕望したよ。……そろそろ御戸開きと行こうか」

 

 そう言い放つと、衣は更にオーラを増幅させる。そういったものを感じるのに乏しい華菜は特に何も感じていなかったが、ゆみは恐怖感が倍増していた。

 

「……」

 

 麻子はそんな中でも、いつものすまし顔を崩さなかった。それが衣の癪に障ったのだろう。不機嫌な顔を隠そうともせず、衣は次の局へと進んだ。

 

 

 

 南一局、衣の親。開幕こそ何の変哲もない様相であったが、華菜とゆみは徐々に違和感に気付き始めた。

 

「(手が……)」

「(動かない……)」

 

 そう、一向聴から手が一向に進まないのである。それが7巡目辺りからずっと、である。ゆみはちらりと他家の表情を伺った

 

「(確証は無いが……あの表情から察するに、風越も一向聴から動けていないようだ……清澄は……わからないな。表情がまるで読めない。が、濃いところをツモ切りし続けて和了れていない辺り、おそらく一向聴で止まっているのだろう)」

 

 その観察結果は的を射ていた。表情こそ何一つ変えていないものの、麻子も8巡目から延々と一向聴のままツモ切りしているのである。

 

 

―――

 

 

「始まりましたわね」

 

 龍門渕高校控え室。少し前に意識を取り戻した透華は、智紀に膝枕をされた状態でソファーに横たわりながらぼそりと呟いた。もっとも、人が少ない上に静かに観戦していたメンバーには、その声ははっきりと聞こえていた。

 

「流石の私も、衣が相手では聴牌率が激減しますわ」

「あれは辛いよね……」

 

 一が透華の言葉に続けながら、一自身が衣と初めて出会った時のことを思い出す。その日は満月だった。そんな中衣と打たされた一は、それはもうボコボコに叩きのめされたのである。それは最早トラウマレベルの出来事である。少なくとも、それまでつけていた三日月のタトゥーシールを、鏡で見る度に思い出すからという理由で星のものに変えるくらいには。

 

「何故衣を大将に据えたか。……夏至が近いからとはいえ、大将戦なら後半には夜。しかも今日は、ほぼ満月ですわ」

「去年は半月だったか」

「そうですわ。だから、時折見せる性格のやばさも麻雀力も、去年とは比較になりませんわ」

 

 まだ本調子に戻っていないながらも、透華は力強く言い放つ。それに対して、智紀がモニターと透華を交互に見つめながら呟いた。

 

「こうやって見ると、透華と衣は従姉妹なんだなってわかるね」

「? 確かに私と衣は従姉妹ですけれど、どこが似てますの? 打ち方は全く違いますわよね?」

「後で牌譜と録画見せてあげるから」

「え、えぇ……」

 

 副将戦の記憶が半分抜け落ちている透華は、腑に落ちないような表情をしながらもモニターへ視線を戻した。

 

 

―――

 

 

「(もう海底だというのに、一向聴になってから手が一向に進まない……なんだか、まるで海のそこへと引きずりこまれるかのような……)」

 

 ゆみは焦燥感を覚えていた。早く聴牌したい。和了りたい。雀士としてはある意味当たり前の思考ではあるが、それに加えて衣から受けるプレッシャー、そして得体の知れない麻子という雀士の存在がそれに拍車をかけていた。

 

「っ、ポン!」

 

 だからだろう、華菜の切った有効牌にゆみが飛びつくのも無理はないことと言えた。

 

「(ばっ……! いや、切った私も私だけどさ!)」

 

 これで海底は一つ上家にずれ、親である衣がツモることになる。流局寸前のこのタイミングで、衣は突然動きを見せた。

 

「リーチ!」

 

 残るは海底牌しかないにもかかわらずのリーチ宣言。しかもそれまではずっとツモ切りを続けていた。つまりは聴牌しておきながら今の今までリーチをかけていなかったことになる。当然誰も和了れず鳴けぬまま、衣の、そしてこの局の最後のツモ番になった。まるでその牌がわかっているかのように、衣は海底牌、すなわち{①}を表返し、そして手牌を開けた。

 

「ツモ、リーチ一発純チャン海底撈月、6000オール!」

 

 ドラこそ無かったものの、ツモったのは十分な大物手である。これを見たゆみは不審そうな目線を向けた。

 

「(海底……? どういうことだ……ダマでも十分な手で、残り一巡でリーチ、一発だと……? まるでそれでは、海底牌で和了れることを確信していたようではないか……!?)」

 

 違和感、そしてじわじわとせり上がってくる恐怖を拭いきることができないまま、卓は南一局1本場へと進む。素直に進めば衣に海底が回ってくることはないのだが、そこは魔物と呼ばれるほどの力を有した衣である。

 

「ポン」

 

 一向聴地獄は変わらないものの、海底は無いと安堵していたゆみ、華菜を絶望させるかのように、衣は終局間際に麻子から牌を鳴いた。既にダマで平和を張っているにもかかわらず、である。

 

「ツモ、海底のみ。500オールは600オール!」

 

 衣は、今度は海底のみという非常に軽い、しかしその実点数以上に重い手を和了った。平凡な輩とは違う、衣は卓を自在に操れる、海底という偶然すら必然にする、とでも言わんばかりだ。

 

「(そういえば風越の……池田と言ったか。やけに天江の海底を気にしていたな。……つまりあれが偶然でない、ということを知っていた、のか。……しくじったな)」

 

 今更ながらの失策に、ゆみは少しだけ後悔した。だが、すぐに気持ちを切り替え、牌を卓内に流し込みながら衣の海底に対する対策を考え始めた。

 

 

―――

 

 

 南一局2本場。この局、配牌時点で華菜にはチャンスが巡ってきていた。

 

華菜手牌:{二四四赤伍六七七九九⑧⑨3西} ドラ{九}

 

 最初から清一模様の手牌に加え、ドラが{九}と赤1枚で、鳴いても倍満が見える手だ。

 

「(誰も鳴かなければ、天江には海底が回らない、か……)」

 

 そう考えながらゆみの打った{三}を見た時、華菜の体に小さな電流が走った。

 

「(……いや、違う。天江に海底を回さないように鳴けばいいんだ! いけるぞ、倍満!)」

 

 そう、別に鳴いても構わないのである。それが衣の海底に繋がるような鳴きでなければ。そのことに気付いた華菜は、一気に視界が広がった。

 

「チー!」

 

 『天江狩り』のため、そして風越の全国出場のため、華菜は動き出す。

 

 

 

 あれから華菜は3連続で萬子を引き込み、一向聴へと漕ぎ着けていた。4巡目で清一ドラ3一向聴という大物手。しかしそれを嗅ぎ付けていない衣ではなかった。

 

衣手牌:{三三六六七④赤⑤⑥56678} ツモ{一} 打{七}

 

「ポン!」

 

 衣はあえて、有効牌と手役を減らす選択肢である打{七}を取った。一見妙な打ち筋だが、そこには狙いがあった。華菜が自らミスを犯すように仕向けたのである。案の定食いついた華菜を見て、衣はニヤリと口角を上げた。

 

「(よし! これで打{二}……)」

 

 手を伸ばし、その牌を摘んだその時、突如華菜の脳裏にある人物の顔が思い浮かんだ。

 

「(池田ァ! その{二}切りは何だァ!)」

「(っ!!)」

 

 散々華菜を扱いてきた貴子の顔である。貴子は基本的に誰に対しても当たりが強く怖い人物として部内で認識されていたが、こと特に華菜に対しての当たりは特に強かった。些細なミスでもすぐ怒鳴られるし、何なら手を出されたことだって数え切れない。しかし華菜は、それが貴子から嫌われているからではない、ということはよく知っていた。

 

「(私はお前にそんな麻雀をさせるために指導してきたわけじゃないぞ池田ァ!)」

 

 その指導は若干熱が入りすぎて行き過ぎている部分も多分にあったのは確かだが、しかし指摘していること自体は実に理に適っているものであったのも確かだった。それに、貴子があえてヘイトを買って部内を団結させようとしていること、華菜に当たりが特に強いのは、反骨心を見抜いてギリギリの所で指導を調整していたからなのも感じている(もっとも本人はそんなことを間違っても口に出したりはしないが)。やり方はともかくとしても、それだけ部員のことをよく見ているということだ。本当に嫌いであればそんなことはしない。適当に口だけ出して放置がいいところだ。

 

「(打{二}? そんな打牌しても有効牌は増えない! コーチにも散々言われてきたじゃないか! 大事なときほど冷静になれって!)」

 

 そう一人で叫びながら、華菜は摘んでいた{二}を手放し、{八}を切った。その様子を見て、衣は自身の狙い、予測が外れたことに対して少しだけ顔を顰めた。が、またすぐに先ほどまでの不敵な笑みを顔に貼り付けた。

 

「(……これは、衣も少しだけ相手を侮っていた、ということか? まぁいい、そのくらいはないと『後で』楽しめないからな)」

 

 まるでこの先にある愉悦を楽しみにしているかのような表情。その表情の意味に気付いていたのは、この卓では麻子一人だけであった。

 

 

 

「(よし、テンパった)!」

 

華菜手牌:{二四赤伍伍六九九} {横三二四} {七七横七} ツモ{三}

 

 先ほどの鳴きが功を奏したのかは不明ではあるものの、11巡目に華菜は聴牌を果たした。迷わず{伍}を切り、{一}-{四}-{七}の三面張聴牌に取る。ドラが3枚あり、何で和了っても倍満という大物手だ。もっとも鳴きの関係で出和了りはほぼ望めないのでツモに頼るしかないが、その場合においても三面張というのは非常に良い形といえた。

 

「(これを和了って……できれば天江から直撃を取って、優勝に向かって進むんだ!)」

 

 ふんすと鼻息を荒くし、更なる気合を入れなおす華菜。雀士としてよろしくないくらいに今の状況が表情に出ていたが、そもそも今の時点では表情云々関係なしに張っているというのはわかるのであまり関係は無かった。

 

「(……)」

 

 衣に続き、麻子の手番。いつもの済ました顔を崩さないまま、麻子が切った牌は驚くべきものだった。

 

「!? ろ、ロン! 清一ドラ3で16000は16600!」

 

 まさかの手出しからの{七}切り。初心者でも役さえ知っていれば、この状況において切ることはまずあり得ないような牌である。そのあまりの暴牌に3人の意識はしばし混乱、ないし興奮した。

 

「(和了れたのは嬉しいけど……なんか釈然としないし)」

「(清澄の……何を考えている? まさか天江の親を流すためだけに切ったというのか? それにしてはあまりにもリスクが大きすぎるだろう!?)」

「(衣の親が流されたっ……!? 呉越同舟……地の利は人の和に如かず? そんな戮力、通用するものか!)」

 

 和了った立場だというのに、華菜の表情は微妙に浮かないものである。また、ゆみは倍満を振り込んでまで今の衣の親を流すべきだったのか、疑問を浮かべていた。衣に関しては親を流されたこと、そしてまるで協力して封じ込められてしまったかのような感覚を覚え、やや憤慨気味だった。

 

「(この有象無象……生猪口才!)」

 

 

―――

 

 

『清澄高校の仁川選手、今度は倍満に振り込んだァ!』

『この振込み……』

 

 所変わって解説室。こちらでも当然麻子の振込みを伝えていたのだが、こちら側、すなわち観客側から見たこの状況は、更に異様と呼べるものであった。

 

『仁川はあの一向聴地獄の中、聴牌まで漕ぎ着けていた。しかも良形の5面張だ。だというのに手牌からピンポイントで3枚しかない萬子を聴牌を崩してまで切り飛ばし、そして振り込んだ。一向聴地獄も異様だが、この状況を完全に把握した上での意図的な差込みとしか思えない振込みも異様だ』

 

 そう、実は麻子は聴牌をしていたのだ。しかも5面張という、衣の支配下であるなら奇跡レベルの聴牌である。しかし麻子はそれを自ら蹴り、そして順子になっていた萬子からピンポイントで{七}だけを狙って切り飛ばしたのだ。何の迷いもなく。

 この振込みまでは、実は麻子はド初心者なのではないかという疑惑もあったが、この振込みを契機にその疑惑は晴れた。しかし代わりに浮き出てきたのは、とにかく異様としか言いようがない、そのでたらめな打ち筋だった。傍から見ればそもそも勝ちに行っているのかすら怪しいのだから。

 もっとも、当然ながら麻子は全てを把握した上で、完膚なきまでに勝ちに行くためにこの打ち筋を実行しているのは言うまでもない話ではあるが。

 




麻子さん怒涛の振込みラッシュ(但し意図的)


※次回投稿は遅くなります(予告)
今月末から秋イベが始まるからね、仕方ないね。
イベントの真ん中あたりで投稿が来たら察してください。そういうことです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話 意思

休憩中に書いたりしていたらイベント中に仕上がっちゃいました(白目)
連続出撃は疲労が溜まるからね、仕方ないね……。

※投稿直後にガバに気付いたので幾度か修正してます。
 他にもガバがあったら御指摘ください(白目)


2020/01/19 清澄高校控室のシーンを大幅に改訂しました。
コメントで指摘いただいた部分が後になって自分の中でも気になったためです。
話の大筋の変化はありませんが、清澄メンバーの様子が大幅に変わっているので、
是非お読みいただければと思います。


ゆみ手牌:{二三六七②②③⑨⑨1677} ドラ{4}

 

 各々が不満や疑問を抱えつつ迎えた、麻子の親番である南二局。ゆみの配牌は普通に見ればそれなりに良いと言えた。しかしながら、先ほどまでの一向聴地獄を経験していたゆみにとっては、決して良い配牌とは言えなかった。何故なら、普通に進めば先ほどと同じ一向聴地獄に陥る可能性が限りなく高かったからである。

 

「(……自然に打てば、また一向聴の袋小路か……ならば)」

 

 ここでゆみは思い切った決断をする。一牌目でツモってきた{西}を手に加えると、{③}を切ったのである。

 

「(いっそ、戯れてみよう。その運命やらと……!)」

 

 初手からのセオリーを無視した打ち筋。しかしそれが功を奏したのか、8巡目にして聴牌を果たした。最初のツモ牌である{西}を和了り牌とした七対子である。

 

ゆみ手牌:{三三②②⑨⑨1177西北北}

ゆみ 河:{③6六二七⑤} {3横南}

 

「(できるじゃないか……! 奴の支配が完全ではないことを知らしめる!)」

 

 

 

華菜手牌:{二三三八八⑦⑦⑧⑧⑨234}

 

「(リーチ!? 天江が支配している中でか!?)」

 

 本来であればありえないと思っていた、衣以外からのリーチ宣言に、華菜は動揺を隠せなかった。ほんの僅かに手を震わせながら山から引いた牌は、よりにもよって{西}。当然有効牌でないどころか、一発目の当たり牌である。

 

「(点棒が無ければ、この{西}は叩き切っていたかもしれない。でも今は天江と2万点以内の2位。それなら今ここで無謀な挑戦をする必要はない……! 少なくとも七対子、下手すればチャンタ系絡みの大物手まであるようなあれに挑むほど、私の手は良くはない……!)」

 

 動揺している中でも華菜は冷静だった。{234}の出来面子から{3}を抜き打ちし、オリの姿勢をとった。あわよくば危険牌で待てる七対子を狙うつもりではあったが。

 

 

 

「(……)」

 

 衣もオリたのか現物を切り、麻子の手番となった。ここで麻子はおもむろに4枚の牌を晒した。

 

「カン」

「「!?」」

 

{東}を4枚晒しての暗槓である。リーチ者がいるにもかかわらず暗槓をするのもよくわからないものであったが、その後の展開は更に常識を超えるものであった。

 

「(新ドラ表示牌が{⑧}……つまり、私の手に2枚乗った……!)」

「カン」

「「!!?」」

 

 嶺上牌をツモった麻子は、新ドラ表示牌を捲り、{⑧}を出した。これだけであればバカみたいな槓をした結末、と言える物であったが、麻子はそこに更に{發}4枚を晒すことで槓を重ねた。

 

「(まさか、ここから嶺上開花でもするつもりか……!?)」

 

 東一局の何食わぬ顔で繰り出した嶺上開花を思い出し、ゆみの背筋に寒いものが走った。そんな中開かれた新ドラ牌は{9}。またもゆみの手牌に乗る形となった。

 

「カン」

「「「!!」」」

 

 三連続の槓を宣言した麻子。晒された牌は{白}。少なくとも役牌3に三槓子三暗刻がついて跳満まで見えている形となる。

 

「(くっ、リーチは早計だったか……いや、こんな展開など誰が予測できるか!?)」

 

 一瞬だけ自分のリーチを悔いるも、ゆみはすぐに冷静になる。決して自分はミスらしいミスをしていた訳ではない。強いて言えば巡り合わせが悪かっただけであり、実際その通りと言えた。ゆみがそう考える間にも、麻子は顔色一つ変えずにドラ表示牌を捲る。その牌は{西}。ゆみの手牌に更にドラが乗ったはいいが、同時に{西}がラスト1枚になったことも示していた。

 

「(これで清澄の仁川が和了れなくとも、おそらく数巡以内に私は振り込むだろうな……)」

 

 ゆみが悲痛な覚悟をしたその時、麻子の河に牌が並べられた。ゆみが待ち望んでいた{西}である。

 

「っ、ロン!」

 

 麻子の打ち筋に対する違和感は未だに抜けなかったものの、ひとまず和了り牌は和了り牌である。リーチをかけている上にラス1の牌とあっては、見逃す選択肢などゆみには存在しなかった。

 

「リーチ七対ドラ6……」

 

 表ドラだけで既に6枚、リーチ七対子と合わせれば既に9翻で倍満確定であるこの手牌。しかしまだ裏ドラは4枚残っている。それをゆみは1枚ずつ捲っていった。まずは最初の裏ドラ牌。

 

「表示牌は{①}……ドラ2」

 

 続いてその隣の牌を捲る。その牌は{6}。つまり更に2枚乗ったことになる。この時点で13翻、数え役満の達成である。だが、裏ドラ表示牌はまだ2枚残っている。

 

「(何故だ……今私は確かに役満を和了った……それは間違いない。だが何だ、この纏わり付くような寒気は……!)」

 

 衣の支配とはまた違う異質を、ゆみは敏感に感じ取っていた。残る表示牌2枚の内、ゆみは更に隣の牌を捲る。

 

「っ……!!!」

 

 ことここにきては、ゆみも麻子に対して恐れをなす表情を隠すことは出来なかった。役満を和了ったのはゆみであり、振り込んだのは麻子であるにもかかわらず、である。しかしそれも無理はない。その表示牌は{二}、つまりゆみの手牌に更にドラが乗る形だったのだから。

 

「(っ、まさか……ならこの最後の牌は……いや、まさか、そんなことはあり得ない……!)」

 

 震える指で最後の牌を持ち上げ、その牌を表にする。本来ならあり得ない、否、あり得てはならないとも言える牌、{南}が表示牌として捲られた。

 

ドラ表字牌

{3⑧9西}

{①6二南}

 

「っ!!!」

 

 その{南}を見た瞬間、思わずゆみは飛びのいてしまった。なぜなら、槓ドラ裏ドラ槓裏、しめて7牌全てがゆみの手牌のドラになったのだから。しかも1種たりとも被ることなく、である。

 

「リーチ七対子ドラ14。17翻で数え役満は32000点ですね」

 

 この場の中で最も平然としていたのは、振り込んだ、そしてこの場を作り上げた張本人である麻子だった。何食わぬ顔で32000点を取り出すと、麻子はそれをゆみの目の前に置いた。その光景が、この空間の異常さを更に際立たせていた。しかし悪いことに、異常はこれに留まらなかった。

 

「(……まぁ、何はともあれ次は私の親番だ。幸いにもこれで1位も見えてきた。うまく和了れれば……)」

 

 そう思いながらゆみが席に着こうとしたその時である。

 

 

 

 

「っ!!?」

 

 ゆみは正面から、自分を押し潰さんばかりの圧を感じた。言うまでも無くそれは、衣から発せられているオーラであった。今の衣の顔は無邪気な子どものそれにしか見えなかったが、その中でゆみははっきりと見ていた。人間の子どもの殻を割り、この世に顕現した魔物の姿を。そう、ゆみは決して衣に打ち勝ったわけではなかった。ただ、魔物が顕現するまでの僅かな自由を得たに過ぎなかったのだ。

 

 

―――

 

 

「ポン」

 

ドラは{三}。ゆみの親番である南三局、それはゆみが切った{①}を衣が鳴いたことで始まった。

 

「(先ほどまでとは全く違う打ち方……海底を調整しようという意思を微塵も感じられない。ならこれは……)」

「(まずい……このモードに入ったって事は、天江は高速高打点を仕上げてくる!)」

 

 去年戦ったことのある華菜は、衣の変化を敏感に感じ取ることができていた。これも今までの高得点を維持できたことに加え、麻子から直撃した倍満で心に余裕ができていたからだろう。少なくとも点棒を吐き出した後だとすれば、逆転に必死になるあまりに状況を冷静に見ることができていなかっただろうから。だが、それがわかったところでできることは、せいぜい振込みを回避しようとするくらいである。幸運にも現物があった華菜は、この嵐を乗り切るために危険牌となり得る牌を切ることにした。

 

「ポン」

 

 その華菜の切った{⑤}を衣が鳴く。よりによって晒されたのは{赤⑤}が2枚。この時点で和了形こそ絞れてくるものの、その判明した役が役だけに現物で逃げる以外の安牌がほとんど無い状況であった。染め手であればまだマシである。更に怖いのは対々形で聴牌を作られることである。何故ならその場合、今の衣の状態であれば最早現物以外は全て危険牌と化すからである。

 普通ならそんなことなどあり得ないと一蹴するような想定ではあるが、しかし相手は海底を自由に操った衣である。一鳴き一鳴きに圧力を感じさせる力を持っている今ならば、既に聴牌していてもおかしくない。ゆみと華菜は同時にそう判断していた。特に華菜は、昨年の高速高打点状態の衣を見ていたので尚更である。もっとも、それでも昨年の場合はせいぜい5~6巡目で聴牌、その直後に和了るくらいの速度であったので、高速とは言ってもまだ抵抗の余地は残されていたのだが……。

 

「……」

 

 麻子はツモった牌を手の内に入れると、そこから1枚の牌を切り出した。{1}である。衣の河が{24}であることからすれば、それ自体は比較的妥当な選択肢に見えた。が。

 

「昏鐘鳴の音が聞こえるか?」

 

 衣から発せられた、地獄の底から響くような、およそ少女が出すようなものではない声を伴いながら、衣は手牌を倒した。

 

「ロン、対々西白赤赤、12000! 世界が暮れ塞がると共に、お前達の命脈も尽き果てる!」

 

 

―――

 

 

「なんだこれ……めちゃくちゃだじょ……」

 

 清澄高校控え室。部内最強格の麻子が次々と点棒を失っていく様を見て、流石の部員も言葉を無くして唖然としていた。今の結果としては、開始前は10万点以上あった点棒が、今や既に5万点を割っているのだ。更にその点数を減らした中には、明らかに意図的に振り込んだとしか思えないようなものも交ざっていたのである。これで呆然としないほうがおかしいとも言えた

 

 

「あ、麻子は間違いのう勝つためにやっとるんじゃろうが……それにしても滅茶苦茶すぎるでぇ」

「勝つために振り込んで点数を失っていくなんて、そんなことっ、ありえっ、……」

 

 無論麻子のこの奇行にも見える振り込みを、わざと負けるためと思っている者はいない。デジタル至上主義の和でさえ、いつものアレを詠唱しきることはできなかった。

 しかし数字としては、間違いなく着実にその域に近づいている。大丈夫、麻子なら勝てると頭ではわかっていても、しかしその数字を目にする度に不安は増大していく。何せ相手には、前年度県大会覇者、全国でもその名を轟かせた天江衣がいるのだ。いつ食い殺されてもおかしくないのである。

 

「……まぁ、麻子ちゃんが負けるとは微塵も思っていないけど、皆が不安がる気持ちもわかるわ。だけど、あの子の表情を見てみなさい」

 

 久が麻子の表情を見るように勧める。そこには、同じ部で活動してきた皆だからわかる表情が浮かんでいた。

 

「あの子、全力で楽しんでるわよ」

 

 

―――

 

 

『ぜ、前半戦終了ーっ! 最後は清澄の仁川選手が龍門渕の天江選手に二連続で跳満を振り込んで決着しましたー! トップは開幕からペースを握り続けていた龍門渕高校で、その点数は15万点超え! そして2位と3位の風越女子・鶴賀学園はほぼ横並びの状況です! そして意図の不明な打ち筋を繰り返した清澄高校はなんと2万点を割っています! 親ッパネに直撃すればそれだけで即トビの状況! 果たしてこの絶望的な状況の中、清澄高校はどう打つのでしょうか!?』

 

 前半戦オーラスも麻子は衣に跳満を振り込んだ。一見すればあまりに高速で回避しようがない振込みであった。それにより、今の点棒は僅か17800点と風前の灯である。しかしそんな状況で尚、麻子はいつもの微笑を絶やさなかった。普通の面子が相手でも逆転の可能性は皆無、加えて卓には魔物がおり、トビを回避するのもどうか、という状況であるにもかかわらずである。それがより一層、麻子の不気味さを際立てていた。

 

「(確かに天江は恐ろしく強い。それは間違いない。だが何だ……ダントツで最下位のはずの仁川からも、同じくらいの力を感じる……この絶望的な状況ですら、まるで予定調和と言わんばかりだ……)」

 

 ゆみは衣を恐れていた。そしてそれと同じくらい、麻子のことも恐れていた。二人とも卓に圧をかけていたのだが、その性質は随分と違う、とゆみは感じていた。衣が向ける圧が鋭い刃物であるならば、麻子が向ける圧は深い深い闇である。まだ目に見える恐怖である分、衣のほうがマシと言えるかもしれない、とゆみは感じていた。

 何しろ分析に長けるゆみの力を以てしても、麻子の狙いがさっぱりわからないのである。そのくせ時々起こす行動は、場を大きく動かすものとなっていた。その最たるものが、ゆみの七対子数え役満である。わざわざ三連続槓を決めてドラを増やした後に振込み、そしてあの奇跡のドラ表示牌を生み出したのだ。

 

「(間違いない……この後半戦、ただで終わるはずがない……!)」

 

 

 

 所変わって会場の屋外。休憩時間ということで気分転換を兼ねて、衣は外へ出て飲み物を買っていた。そこに偶然と言うべきか、あるいはレーダー的なもので察知したのか、靖子が寄ってきた。靖子の口元にはパイプが載った指先がある。どうやら会場内は禁煙ということで外に出てきたようだった。

 

「にゅ、フジタ!」

「今年も中々調子がよさそうじゃないか」

 

 靖子の言葉に対し、衣は何をバカなことを、とやや冷めたような瞳で見返しつつ返事をした。

 

「調子良し悪し以前にあいつらが衣に勝てるものか。あと小半時もすれば日降ちだから尚更だ!」

「日没とか関係あるの? 相変わらず面白いな、お前は。……まぁ、それよりも、だ。お前にちょっと伝えたいことがあるんだ」

「?」

 

 てっきりいつもみたいに頭を撫でる等のセクハラ行為(衣基準)をしてくると思った衣は、突然真面目な顔をした靖子を見て頭に疑問符を浮かべた。

 

「お前さ、そろそろ麻雀を打てよ」

「? 衣はまさに今打っているだろう?」

「いや……お前さんのは打ってるんじゃない。……打たされているんだ」

 

 靖子の口から不意に飛び出た、麻雀に打たされている、という言葉。今の衣には、まだそれを理解することはできなかった。

 

 

―――

 

 

『2日間に渡る戦いも、遂に天王山――ファイナルゲームです! この4校の中から全国へ進出できるのは1校のみ! 全国の切符を掴むのは果たしてどの高校なのか……運命の半荘戦、いよいよ開幕です!』

 

 熱の入る司会の声。しかしながらある程度、会場内の予想の大勢は決まっていた。まず人気1位は言うまでもなく、天江衣を擁する現在トップの龍門渕高校。次いで全国出場経験豊富であり、衣と過去に直対決をした経験のある華菜を擁する風越女子。鶴賀学園は初出場ということもあり、点数上では僅差であるものの、それほど勝てるとは思われていないようだった。そして最下位の清澄高校に至っては、そもそもトビを回避できるかどうかがまず焦点となっていた。もっとも、あの面子の中で17800点しか残っていないのである。そう思われても致し方ない状況であると言えた。

 

 席替えを行い、最後を決める大将戦後半戦は、親の華菜から衣、ゆみ、麻子の順番となった。

 

「(あたしの親番……ここで連荘できれば優勝にぐっと近づける! ……だけど、あんまり大きな点数を和了っちゃうと、清澄がトンでしまう……なぁんであんなに振り込みまくったかなぁ、もう!)」

 

 親番である華菜は、貴重な逆転のチャンスが麻子によって制限されてしまっていることに内心毒づいていた。衣との点差は41400点であり、仮に麻子から直撃してトバしても問題ない点数となると役満しかない状況であった。大物手に定評のある華菜でも、流石に役満となると話は変わってくる。そこまでの大物手はそもそもチャンスが非常に限られる上、更に直撃できる手となると相手からも読まれやすい。いくら麻子の振込みが多い様子を見ていたとしても、直撃を簡単に取れると思うほど楽観はしていなかった。

 

「(となると、ツモで清澄も削りつつ天江との点差を詰めるのが良策……かな?)」

 

 そう考えた華菜は第一打を{北}とし、手作りを進めていく。しかしここにきて、水底からの魔力がまたも場を支配し始めた。

 

「(手が……)」

「(進まない……!)」

 

 何とか和了を稼ぐことでトップである衣までの点差を詰めたい華菜とゆみに対して、牌が応える様子はほとんど見られない。前半戦で幾度か見た一向聴地獄が場を制圧しているのだ。が、しかし、その一向聴地獄より更に異質な空気を醸し出している地点が存在していた。それは麻子の河である。

 

麻子河:{二赤5⑧256} {7⑥四76四}

 

 12巡目になっても、麻子は一切のヤオチュウ牌を切っていなかった。国士無双を狙っているのは明らかであったが、異常なのはその手の回転率であった。この12巡目に至るまでにツモ切りした回数は僅か1回。全てが手に入っていないと仮定したとしても、半分以上は手に入っていることはほぼ確定と見てよかった。

 

 

 

「(清澄の……あの表情ではよくわからないが、しかし天江の様子を見ると、清澄の手が進んでいるのは明らかだ。まさかこんな突破法があるとはな……)」

 

 ゆみはちらりと上家である衣の表情を伺っていた。その表情は、海底コースに入っているにもかかわらず少し苦々しげであった。それは麻子がツモり、牌を切る度にその強さを増していく。最早風前の灯であるはずの麻子に、衣が押されているのだ。

 

「(この局はおとなしくしていよう……清澄の手に対して天江がどのような対応をするのかを見てみたい)」

「(多分あたしはこの局和了ることはできない……だけど、どうも天江の様子がおかしい。多分国士を狙っている清澄の手が原因だろうけど……流石にこの巡目で13面とかはありえないだろうし、とりあえずオリでいいかな)」

 

 華菜とゆみは、この局の和了を放棄した。理由としては国士狙いである麻子に無理に喧嘩を仕掛ける必要がなかったからである。何せ麻子が万一衣に直撃をするようなことでもあれば、一気に点差が32000点も縮まるのである。しかも麻子が和了ったところでトップ争いに参加できるほどの点数まで巻き上げられる訳でもない。結果、2人は麻子と衣の両人になるべく振らないような牌を切り、オリを選択することとなった。

 

「(海の底が……)」

「(近付いてくる……)」

 

 2人は衣の海底が近付いてくるのを否が応でも感じていた。特にゆみは衣から発せられるオーラが、圧力となって精神に直撃していた。だが、そんな中でもゆみは冷静に場を観察していた。

 

「(……しかし、どうやら清澄の狙っていた国士無双、あながち間違いでもなかったようだな……)」

 

 自身の手と河を見比べながら、ゆみはそう分析した。というのも、どうやら手と河をあわせて計算してみると、16巡目時点でヤオチュウ牌が13種類全て揃っていたのである。配牌から見えていた普通の面子手を揃えようとすれば、まず間違いなく狙うことができなかったであろう手である。

 

「(……まさか、清澄は最初からこれを見越して中張牌を連打していたというのか……?)」

 

 普通であればありえないような発想であったが、しかし持ち点は僅かながらも、衣に勝るとも劣らない圧力を発し続けている麻子ならありえなくはない。ゆみは直感でそう考えていた。だが17巡目、衣の表情が先ほどまでの苦々しげなものから一転、一気に獰猛な笑みへと変化した。

 

「清澄の……よくここまで衣に抗ったな。だがそれもここまでだ……!」

 

 まるで処刑宣告とでも言わんばかりの衣の台詞と共に、場に1000点棒が放たれた。そう、海底前のリーチである。華菜とゆみは既にオリており、和了れる形にはない。そして衣がそう宣言するのであれば、間違いなく麻子は張っておらず、また海底牌は少なくとも振る牌ではないのだろう。そうでなければわざわざリーチをかける必要がないのだから。そしてその一巡後。

 

「ツモ、リーチ一発海底タンヤオドラ1、3000・6000!」

 

 追いつき始めていた華菜とゆみを再度引き離す跳満ツモ。これで逆転までの点差がまたも大きく開くこととなった。だが、ゆみは衣の手を見て違和感を覚えた。

 

「(……天江の手、よく見れば和了るチャンスがここまででもいくつかあった。単騎待ちをツモっているということは、本来であれば{8}を残していればもっと前にも和了れていたはず……それに、他にも面子被りをしている様子も見える。……もしかして天江には、海底ツモとその時の和了形が見えている、のか……?)」

 

 違和感はゆみの中で分析され、そしていくつかの結果を導き出す。その中でも最もゆみの中でありえそうな結論がこれであった。最初から最終形が見えているのならば、あとはその通りに打てばまず間違いなく和了れるのである。それは今までの他家をほぼ一向聴に抑えることができる様子からも推測が出来ていた。

 

「(とはいえ、鳴きに妨害されたりすると和了れないことがあったりするし、この例だと速攻を決めてくる場合がよくわからない。だが少なくとも、海底を決めてくる場合なら、この筋が一番ありえそうだ……)」

 

 ゆみは一通りの思考を終えると、改めてその壁の高さを痛感した。確かに敵の手の内を知ることは勝利に近付くことが多い。例えば咲の嶺上開花だったり、久の悪待ちだったり、この辺は裏から刺すことで攻守を逆転させることも可能である。

 だがこれはどうだ。最初から和了がほぼ確約されている相手にどうやって勝てというのだ。3対1で挑めばまだ勝算はあるかもしれないが、これは全員が等しく敵である戦いである。ゆみには最早、その壁は空をも貫いているとさえ感じられた。

 

 

―――

 

 

「わぁい、衣の親番だーっ! さいっ、ころっ、まわれーっ!」

 

 重苦しい空気に包まれる卓上。その中で場違いなほど明るい声を出した、その空気を作り出した張本人である衣は、その声の裏で靖子から言われた言葉を思い出していた。

 

「(そういえば、先刻フジタが稀代な事を抜かしていたな……衣が麻雀を『打たされている』だって? ……烏滸事を! 衣は今此の時、現に此処で麻雀を打っているではないか! ……闇の現を見せてやろう……!)」

 

 どうやら靖子に言われた言葉を余程引きずっているらしい。半ば八つ当たりにも近いような感情を滾らせながら、衣は卓上を支配しようと力を集めた。しかしそこで、衣は今までにない違和感を覚えることとなる。

 

「(……おかしい。今までの衣の和了からすれば、この局はもっと高い手になるはず……まさか、この期に及んで、アサコ、と言ったか……此奴が邪魔をしてきたとでも言うのか……? 猪口才な! 悪足掻きもいいところではないか!)」

 

 今まで見えていた衣のビジョン、すなわち最終形が、衣の和了に沿ったものではない大安手となっていたのである。今までであればこういった圧倒的な差をつけている場合、その流れに乗って大物手が連続して入るのが衣の常であった。しかし今見えているのは、ツモのみ、ドラも何もない500オールの手であった。

 

「(……まぁいい。最後には衣が勝つと決まっている。最早一度や二度安手が入ったところで覆りはせぬ)」

 

 しかし衣は、その見えている未来を受け入れ、打牌を進めた。その顔はやや退屈さも混じっているようである。今の衣にとっては、既にこの勝負はついたも同然の状況なのだ。今更一局や二局足止めを喰らった所で結果は見えている。今までもそうだったのだから。

 

「ツモのみ、500オールだ」

 

 それから10巡後。衣にしては珍しく、なんとも無感情な声が卓上に響いた。つまらなさそうにただ淡々とツモ和了宣言をし、そして淡々と点棒処理を進める。今までの感情豊かな姿を見ている面々にとっては違和感溢れる姿であった。そして東二局、親の衣が連荘しての1本場。先ほどとは打って変わって、衣は獰猛な笑みを浮かべた。まるで、これでこそ衣の麻雀、とでも言わんばかりである。

 

「ツモ、6100オールだ!」

 

 僅か5巡での親ッパネツモ和了。海底一本ではない、速度の緩急差が非常に大きい、打ち手からすれば非常に対応しづらい打ち筋である。更に2本場。

 

「リーチ!」

 

 僅か3巡で衣は{8}を切ってリーチをかけた。衣の表情から察するに、振り込めば致命的な点数になるのは明らかである。故に残り8200点しかない麻子を含め、全員がオリを選択した。そんな面々を見下しながら、衣は一発目のツモ牌である{②}を卓上へと叩き付けた。

 

「一発ツモ! メンタンピンイーペードラ4、8200オールだ!」

 

衣手牌:{②③③④④赤55566778} ツモ{②} ドラ{5東}

 

 

 

 ゆみはその手牌を見て眉を顰めた。僅か3巡でこんな手牌が揃い、かつ一発でツモる状況も異常であったが、それ以上の違和感を覚えたのだ。

 

「(リーチ宣言牌である{8}……あれを残していれば二盃口で三倍満になっていたじゃないか……! 何故わざわざ点数を下げるような真似をした……!?)」

 

 そう、おとなしく{5}を切っていればメンタンピン一発ツモ二盃口ドラ3でしめて11翻、三倍満になっていたのである。普通に考えれば、トップ目がわざわざ点数を下げて和了る理由など皆無である。しかしながら、衣はその普通とはかけ離れた人物であった。

 

「塵芥共、点数を見よ」

 

 衣のその声に従い、ゆみと華菜は得点表へ顔を向けた。そこに表示されていたのは、清澄高校の点棒が0点である、という事実であった。

 

「汝等に生路無し!」

 

 そう、衣がわざわざ役を下げて和了った理由はそこにあった。本来なら殺せるはずであった麻子をわざと生かしたのだ。

 

 

―――

 

 

「あ~~~っ!!! もうっ!!! また衣の悪い癖がお出ましですわっ!!!」

 

 龍門渕高校の控え室に、頭を抱えた透華の叫び声が響いた。無理もない。素直に和了っていれば全国出場が確定していたのである。それを衣の道楽一つでおあずけされたのだから、透華からすればたまったものではなかった。

 

「{8}を残してればうちの優勝で試合終わってたのにね」

「まったくですわぁっ!!!」

 

 一の呟きに、絶賛御立腹中の透華は叫ぶような……と言うより最早叫び声そのものを返す。そんな透華を尻目に、一は衣と初めて対局したときのことを思い出していた。

 

「でも、衣はこうやって相手の心を折りにいくんだ。相手が自分自身で負けの烙印を押すように……どうやっても敵わない、そういう格付けを見せ付けるために……」

 

 今日と同じく満月であった、衣と初めて出会った日。そこで垣間見た地獄。一は衣と対局している3人を、当時の自分の姿と重ね合わせていた。

 

 

―――

 

 

「う、うちがぴったり0点だじょ……」

「に、20万点の点差だぞ……」

 

 優希と京太郎が思わず呟きを入れる。もっとも、この状況においてはそうなるのが普通であり、むしろどっしりと構えている久の方がおかしいとも言えた。

 

「一応私達が0点なので、ツモ和了りが許されているのが不幸中の幸いでしょうか……」

 

 そう、ツモ和了りが封じられているのは脇の2校だけである。和の言う通り、麻子がツモ和了りをする分には問題ないのである。もっとも、衣もツモ和了りが許されている以上、そう悠長なことはできないのも事実であった。

 

「ところでさっきから咲ちゃんがだんまりだけど大丈夫?」

「……」

 

 久が問いかけるも、先は画面を凝視したまま返事をしない。聞こえていないのか、と思い、今度は隣にいた和が声をかけてみた。

 

「咲さん……?」

 

 

 

「……嵐が来る」

「……え?」

 

 咲の意味深な呟きに、和は思わず心配そうな表情も忘れて呆けた表情になって返した。その聞き返しに応える咲の顔は、怯えているような期待しているような、様々な感情がないまぜになったような形容し難いものとなっていた。

 

「……ここから先、麻子ちゃんは嵐を起こす」

 

 咲のどこか確信めいた発言。それと時を同じくして、かつて人鬼と呼ばれた女子高生、仁川麻子が暫し瞳を伏せ、そして射抜くような瞳で衣を真正面から見据えた。




([∩∩])<遊びは終わりだ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話 独擅

狙った訳ではないのですが、年末にギリギリ間に合いました。
ちなみにイベントは堀以外は甲甲甲甲乙乙で全て終わりました。


『泣いても笑っても最後の半荘戦! その戦いは開始直後からとんでもないことになってきました! 龍門渕の天江選手はこの半荘だけで既に4連続和了! 前半戦の分を含めれば6連続和了を決めています! 対する清澄高校はなんと得点がピッタリ0点! 次に他の誰かがツモってしまえば、その時点で勝負が決まってしまいます!』

 

 得点の状況だけを見れば、麻子はおそらく転生後で最もピンチに陥っていると言えた。否、おそらく傀時代を含めても、持ち点が丁度0になったことはほとんど無いことを考えれば、転生前から含めても最もピンチに陥っているように見えた。但しそれは、あくまで得点状況だけで見れば、という話であったのだが。

 

「(さて、アサコ、どうやって料理してやろうか……)」

 

 衣は既に満身創痍の状況である麻子を見ながら、どうやってトバせば一番ダメージが入るかを考えていた。麻子の中身、つまり傀のことを知っている者から見れば、その思考は明らかに愚考であることは間違いなかったのだが、幸か不幸かそのことを知る者はこの卓上どころかこの世界にいなかったので、衣を咎められるような者はいなかった。

 

「(……ん、この局は衣が和了る局ではないのか。まぁいい、ゴミ手などを和了ったところで今更何がどう変わる訳もない)」

 

 この局は自分が和了ることはないと見えた衣は、しかしどうでもいいといったような表情を浮かべながらそれを受け入れた。既に衣の目的は、麻雀に勝利して全国を目指す、という点には無かったのだ。衣からすれば、ここからは何が起ころうとも消化試合でしかなかったからである。しかしその驕り、慢心は、麻子相手には致命的なものであることは言うまでもなかった。

 

「ツモ、300・500の3本場は600・800です」

 

 ゴミ手に積み棒が乗って2000点を得た麻子。とりあえずはリーチがかけられる、かつ子の満貫ツモには耐えられる点数にはなったものの、仮に衣がいなかったとしてもあまりに厳しすぎる持ち点であることは言うまでもない。だが、この悪足掻きにしか見えないゴミ手ツモが、実はこれから始まる奇跡の始まりであった。そのことを対局者、観戦者が知るのは、もうしばらく後のことである。

 

「ツモ、七対赤1。25符4翻は1600・3200です」

 

 東三局。決して高い手ではないものの、麻子は連続和了により、ひとまず大体のツモ和了には耐えられるだけの点数まで戻した。そしてようやく親番が回ってきた麻子は、サイコロを回すと改めて衣をまっすぐに射抜くような瞳で見つめた。

 

「(……なんだ、その目は。まさか、まだ逆転する意思が残っているとでも言うのか?)」

 

 点が僅かに回復したとはいえ、それでもまだ点差は20万点以上残っている。ここから逆転するなどあまりに常識外れ極まりないが、衣から見た麻子の顔には、その意思がありありと見て取れたようだった。

 

「(だが残念だな。次局は衣が海底で和了る。アサコの逆転の芽は潰える!)」

 

 

―――

 

 

東四局 ドラ{8}

 

華菜手牌:{一四七②赤⑤⑨368東西北發}

衣 手牌:{二四六七②③赤⑤⑤⑥2688}

ゆみ手牌:{三赤伍九①⑥⑧247南西白中}

麻子手牌:{二六八③④⑦1赤59北白發中}

 

 遂に麻子の親であるが、衣の意思に牌が応えたのか、衣以外の3人の配牌は非常に遅い。反面衣の手牌は中張牌に固まっており、聴牌はそう遅くないうちに出来そうに見える。

 だが意外なことに、9巡目を過ぎても衣を含め、聴牌に辿り着いたものはまだいなかった。しかしこれは、衣の海底の能力によるものである。海底まで場を回す以上、高速化した場では海底で和了ることは不可能である。よって能力により、自分を含めた全員の手の進みを遅くすることにより、無理やり海底に持ち込んでいるのである。

 

 

 

「(うーっ……)」

 

華菜手牌:{七九①②③赤⑤⑧⑧33688} ツモ{7}

 

 10巡目、華菜は悩んでいた。一向聴に持ち込むためにドラを切るか否か、である。

今のこの場が明らかに衣に支配されていることは華菜もわかっていた。しかしながら、一向聴地獄といえど絶対に聴牌できないわけではないことは、過去の対局からでも証明済みである。それならば、今切るべきはドラであり、一向聴に持ち込むべきなのではないか、と。しかし有効牌は{八⑧3}と決して多いわけでもなく、役も無いためツモで勝負にいかなければならない、それほど分の良くない勝負でもあった。

 

「(……うじうじしてても仕方がない。ここはあたしらしく打つべきだ。変なところで手を曲げちゃうと、牌に見放されちゃう!)」

 

 華菜は勝負に出た。ドラである{8}を切り、一向聴に持ち込んだのである。一応{八⑧3}で聴牌ではあり、{六④⑥24}辺りを引いても半歩前進することができるから勝算は低くない、というのもあったが、何より今の自分の状況で攻めないのは、自分の麻雀に反するというのが最も大きかった。

 

「ポン!」

 

 だが、ここで衣もすかさず鳴きを入れる。ドラ3が確定しただけではなく、海底コースにも入ったのである。結果的に見れば最悪に近い裏目のパターンを引いてしまったことになる。

 

「(うげっ、やっちゃった……でも、それで諦めちゃいけない! まだ勝負はこれからだし!)」

 

 後悔が押し寄せてきそうになったが、華菜は何とかそれを跳ね除け、改めて卓上に視線を戻した。そしてその直後、覚悟に牌が応えてくれたのか、華菜は素直に嵌張の{八}を引き込み、{赤⑤}を切って{⑧3}のシャボ待ちの聴牌を取った。だが、あくまでリーチはかけなかった。

 

「(ここでリーチをかけたとしても、普通に進めばおそらく天江が和了るからリー棒は出すだけムダ。それに、ほぼ無いとは思うけど、ドラ+赤切りなんてことをして、それでいてダマのままのあたしを警戒してオリてくれるかもしれないし。やってみないとその辺はわからないよね)」

 

 華菜はブラフをかけていた。あくまでダマでいることで、ドラを2枚切って尚十分な手だと相手に思わせることが出来れば、他家をオリに導くことができるかもしれない、と。もっとも、その可能性自体は華菜はそれほど大きくは見ていなかった。それよりも、衣が和了る可能性が高いから、今のままでは点棒を出すだけ無駄だと判断していたのである。だが、ここで華菜にも、そして衣にも予想だにしない事態が発生する。

 

 

衣手牌:{二二二六六①②③赤⑤⑥} {横888} ツモ{5}

 

「(退屈だ……聴牌している気配があるのは風越だけ。それも大した手ではない。他の2人に至っては、気配から察するに聴牌にすら辿り着いていない。やはり衣を満足させてくれる者はいないのか……)」

 

 集中力を欠いた状態でツモった{5}を、衣は何も考えずに場に放流した。その時である。

 

「カン」

 

 仕掛けたのは麻子であった。大明槓で{5}を食い取ったのである。そしてそのまま嶺上牌をツモると、麻子は更に言葉を続けた。

 

「カン」

 

 今度は{⑦}を4枚、手牌から晒した。そして嶺上牌を、麻子は流れるような手つきでツモり、そして最後に手牌を全て晒した。

 

「なっ……!?」

「ツモ、嶺上開花。大明槓の責任払いで天江さんの支払いになります」

 

 淡々と言葉を紡ぎながら、麻子は2枚のドラ表示牌を捲る。1枚目は{三}、2枚目は{⑥}。すなわち2枚目の槓ドラが丸々乗った形になり、ドラが5枚で一気に跳満まで駆け上がった。

 

「嶺上開花、ドラが5枚で18000点の責任払いです」

 

 聴牌気配すらなかった安手から、突然の高額手を作り上げた麻子に、衣は思わず絶句した。

 

「(衣の支配の届かない、淵底の向こう……王牌から牌を掠めていく敵! ……麻雀を、打たされている、か……)」

 

 衣は自身の領域外を利用して和了を決めた麻子に驚いていたが、この時衣は大きな勘違いをしていた。しかし今の衣はそのことに気付くことは無く、ただ今の疑問を麻子にぶつけた。

 

「アサコ……ここから逆転するつもりなのか」

 

 点差的にはトビこそほぼ無くなったものの、まだまだ絶望的な状況であるように見える麻子。だが、麻子はそのような点数状況などまるで気にせず、衣に返事をした。

 

 

 

 

 

「海の底は、もう見えています。ここはもう、貴女の支配領域ではありません」

 

 

 

 

「っ!!?」

 

 まるで前半戦でゆみが衣のオーラにあてられて思わず飛びのいたように、衣は真正面にいる麻子を見ながら後ずさった。麻子の声はドスの利いたものではなく、文面で脅迫をした訳でもない。そして声の質だけで言えば、今までとなんら変わりないそれである。

 だがしかし、衣は感じた。否、感じてしまった。本能で理解してしまった。今ここで責任払いで振り込んでしまったのは、衣自身が油断していたからだけではない。そもそもこの局は、この状況は衣の支配が作り出したものではない、と。まるで衣が支配しているかのように見せかけられていただけなのだ、と。そして真にこの場を支配しているのは、今3連続和了を決めた麻子なのだ、と。

 そしてそういった、いわゆるオカルト方面の感覚に鋭い衣は、今までの麻子の不可解な動きの理由を全て察した。理解した。理解してしまったのだ。

 

「(衣は……衣は勘違いをしていた。アサコは闇雲に点棒を払っていたのではない。……思えばこの大将戦、振込みで点が動くときは必ずアサコが振り込んでいた。一瞬だけ高い手の気配を感じたりもしたが、ほとんどは直後に振り込み、聴牌の気配が消えていた。今考えれば、これはアサコが意図的に振り込んでいたことになる……)」

 

「(鶴賀のあの数え役満も、おそらくはアサコが場を支配していたから……でなければ、7種類全てドラを乗せる芸当など出来ない筈。アサコは点棒を犠牲にして、意図的に振込みを続けることで、アサコの意思で場を動かし、この卓の支配力を高めていっていた。そして今、アサコはアサコの意思で、完全に卓を動かせるようになった)」

 

「(なのに衣は点棒の上に胡坐を掻いて、今の今まで真の状況に気付くことができなかった……いや、おそらくそれもアサコの作戦なのだろう……もし衣が、誰から見ても明らかなくらい絶対的な量の点棒を持っていたらどう動くか……)」

 

 だが、衣がそれに気付いたところで、場が既に手遅れであるということは明らかであった。最後のチャンスは東二局2本場、あそこできっちりトバしておけば勝てていた。だが衣がそうせず0点に調整した時点で、攻守は完全に反転していたのである。

 

 

―――

 

 

衣手牌:{二三六七③③③115999}

麻子河:{462横8}

 

「リーチです」

 

 東四局1本場。衣のその考えを裏付けるかのように、麻子は僅か4巡目でリーチをかけた。対する衣も一向聴であり、上手くいけば三暗刻も見えてはくるが、麻子に支配されている今の状況で和了れるかは怪しい。

 

「(……だが、何と言おうと点棒はまだある。和了れるチャンスに和了って場を流せれば、点棒の暴力が物を言う。振込みさえしなければ、衣の勝利は十分にあるはず!)」

 

 衣は自身にまだ残っている膨大な点棒を見ながら、麻子に振り込まぬようにと考えつつ{5}を切った。だが、衣はまだ気づいていなかった。今の麻子にとっては、10万点だろうが100万点だろうが、最早そんなものは些細な違いでしかないということに

 

 

 

「御無礼」

 

 

 

 遂に麻子からその言葉が発せられた。先ほど衣が出したときよりも重い、地獄の底のまた底から出たような圧が、麻子の口から衣に向けて飛んでいった。そして開かれた手に対しては、衣のみならず華菜も、ゆみも驚愕した。

 

「リーチ一発タンヤオ赤1。表裏ドラは無しで40符4翻の1本場は12300です」

 

麻子和了形:{二二二四赤伍六②②②④⑤⑥5} ロン{5}

 

「(なっ……!?)」

「(どういう手組みをすれば……)」

「(こんな形になるんだ!?)」

 

 河を見れば、既に三色をツモ和了っているような形になっている。仮に聴牌から崩すようなことをしていなかったとしても、少なくとも麻子は三色形を放棄し、河に迷彩を仕掛けたことになる。どう見ても{5}が安牌に見えるように。

 

「(まさか……衣が{5}を切るように、アサコが誘導していたのか……!?)」

 

 衣の背筋に寒い物が走った。ここにきてようやく、衣は自身の真の立ち位置を把握したのである。

 

「(……衣は勘違いをしていた。あの時点で生路が無いのは、衣だったのだ……)」

 

 

 

「(何だ……天江の様子がおかしい)」

 

 傍目でゆみは不審そうに、麻子と衣のやり取りを見ていた。状況で言えば、精々麻子がダントツトップの衣に一矢報いた程度、思い出王手的なもののように見えていたからである。

 だがそれも致し方ない話ではある。麻子の圧は、向けられるべき所にしか向けられておらず、逆に言えばそれ以外のところでは感じることは難しいのである。某万年2位のプロや氷の超効率打法の打ち手とかのレベル以上にまで達することが出来たりすれば話は別であろうが……。

 

「(……もしかすると、私が先ほど七対子で和了ったときのようなものを感じていたのかもしれない……が、果たしてそれだけであの天江が怯えるような顔をするだろうか……? 私が感じた限りでは、仁川と天江は同格か、少し天江が上回るくらいだと思っていたのだが……)」

 

 先ほどまでの威圧、威厳はどこへやら。今の衣は圧倒的な点棒を持っているにもかかわらず、まるで小動物が肉食獣から逃げ回るが如く、怯えた表情を麻子に向けている。全国でも十分に通用し、プロの間でも完全体の状況では簡単に勝てる相手ではないと評された衣が、である。

 

「(……やはり、私が仁川に対して感じた感覚は間違っていなかった、ということなのか……? そうなると、今のこの卓を支配しているのは……)」

 

 

―――

 

 

衣手牌:{二四六七④⑤67東西西北北}

 

「(まずい……このままだとアサコの勢いが止まらなくなってしまう……!)」

 

 東四局2本場。衣は生まれて初めて、麻雀で焦燥感を覚えていた。その原因は言うまでもなく麻子であったのだが、それでも少なくとも高校生雀士としては非常に強い部類に入る衣が焦燥感を覚えるのは相当な状況である。では何故衣がそれを感じたのか。

 答えは非常に簡単なものであった。格が違いすぎるのである。衣も魔物と呼ばれたりと大概ではあったものの、それでも咲等の強力な打ち手が頑張れば打ち破れないほどではないし、何なら覚醒した透華には負けることの方が多い程度の強さである。

 しかし衣の目の前にいる魔物……否、魔王は違った。いくら頑張ろうが、その魔王に目を付けられてしまったが最後、打ち破ることは不可能。衣は勿論、咲、そして覚醒透華を以てしてもそれを打ち破ることはできない。最早それは衣が欲していた強敵ではない。その勢いは最早、誰彼構わず全てを飲み込むブラックホールのようなもの。それを衣は本能的に感じていたのだ。

 

「(……だが、今はまだ(アサコ)との距離は遠い。ならば逃げ切ることはできる……!)」

 

「っ、ポン!」

 

 衣は今の状況を自分なりに分析し、結論を出した。まともに戦っていてはいくら命があっても足りない。だから戦略的撤退を行う、と。そして麻子が切った第一牌である{西}を即座にポンした。追い込まれた状況になって初めて、衣は麻雀を打つ、という事を始めたのである。

 だが今の衣には、プロレベルに捨て牌を読んだり出来る能力は無い。当然である。今までは能力の上に胡坐を掻いていれば、勝手に勝利が舞い込んできていたのだから。最早読む必要すら無かったのだ。代わりに衣は直感が発達していたため、今まではそれを読みの材料としていた。例えば華菜が大物手を張ったりすれば、それがオーラとして衣の肌に警告を与えていた。

 しかし今回はそうはいかない。相手である麻子からは、一切の気配を感じ取ることができないのだ。衣にとってはまさに闇に包まれた相手であった。だから嫌でも麻子の打ち筋を読む必要があった。しかしその技術は始めたてということもありまだ拙い。

 そしてそんな付け焼刃の読みなど、麻子にとってはまさにカモでしかなかった。故に麻子は、前局で衣から直撃を取ることができたのである。{5}を切りやすい河を作ってやれば、後はそこで待っていれば獲物が勝手に飛び込んできてくれるのである。特にほぼ仕上がった状態である今は、少なくとも今の面子でそれを外すことなどあり得なかったのだ。

 

 

 

「(うわっ……なんか天江が鳴いたからか知らないけど有効牌がすごい来てるし……)」

 

 3巡目。華菜の手牌は{四伍八③③⑥⑦246888} ツモ{六}となっていた。まず1巡目にドラである{8}をツモり、続いて両嵌形になる{2}をツモ、半歩前進しての3巡目がこれである。ここで変に形を固定する意味などないのは明らかであったので、華菜は{八}を切って一向聴に受けた。

 

「チー!」

 

 それを更に衣が食い取る。だが、華菜はその衣の姿に違和感を覚えていた。

 

「(天江の……今までなら海底の調整とか何とかで意味があって鳴いていたけど、何か今の天江は違う。なんと言うか、小さい。いや元から小さいのは小さいんだけど、それでも去年感じていたほどの大きさが今は感じられない……なんというか、すごい必死なのは伝わるけど……)」

 

 覇気がない。華菜は衣をそう評価した。そしてそれは強ち間違ったものでもなかった。何故なら今の衣は全力で逃げ腰の麻雀を打っているのだから。そんな状況の、最早ただの少女である衣に覇気などあるはずもなかった。

 

 

 

「(上家の天江が何だか騒がしいな……だが、そのおかげか聴牌まで辿り着けた。しかもこんな早い巡目で、だ……)」

 

ゆみ手牌:{一一一赤伍六③④赤⑤⑦⑧229} ツモ{⑥}

 

 4巡目、衣が{八}を鳴いた直後。聴牌一番乗りを果たしたのはゆみであった。早々にドラ含みの{89}の搭子を落としたのが功を奏したようだった。

 

「(この手は役無しだ。……だが、両面待ちで残り枚数も十分、しかも天江は片方の{四}を切っている。それに今は仁川が天江を攻撃しているようだが、それもいつまで続くかわからない。なら勝負に行かない訳にはいかないだろう……!)」

 

「リーチ!」

 

 ゆみは{9}を横に曲げ、河に並べた。ただのリーのみ手ではあるものの、赤々もあり5200は確定、裏が乗れば満貫も期待できるのだ。そして丁度衣の河には{四}がある。どうも落ち目らしい衣からの出和了も期待できるとあっては、次の親の勢いをつけるためにリーチをかけたのも当然といえるだろう。

 

 

 

「(うわー、リーチとかめんどくさいし……とか考えてたら来ちゃったよ……!)」

 

 一方華菜の方はというと、衣が鳴いたためずれたツモが{3}。両嵌系が一発で埋まってのタンヤオドラ3{⑤}-{⑧}待ちとなった。{6}が通るかは若干怪しいところではあるが、追っかけるにも不足はない高額手である。

 

「(あの天江の支配を脱して聴牌まで辿り着けたんだ。いくしかないっしょ!)」

 

「リーチ!」

 

 華菜は迷わず{6}切りリーチを仕掛けた。これで瞬く間に二軒リーチがかかったことになる。既に2鳴きしている衣にとっては非常に困った状況となった。

 

 

 

「(ぐっ、鶴賀も風越もまだ諦めの色は見えない……それにこの二人の手、決して安いものではない……!)」

 

衣手牌:{二④⑤67北北} {横八六七} {西横西西}

 

 そんな衣に舞い込んできたのは{③}。{二}が切れれば聴牌の手である。だが、衣はその{二}が切れなかった。今の衣は麻子により必要以上に疑心暗鬼に陥っていたのである。また、圧倒的首位でありながら自身の喉首を狙われているという異常事態により、冷静な思考もできなくなっていたのも合わさっていた。結果、衣は自らを死地へと追い込むこととなる。

 普段の衣であれば、少し落ち着いて考えれば、麻子はともかく華菜に16000点程度を支払っても問題ないことは容易に想定できただろう。どんな形であれ最終的には勝てばよいのだ。そのためには多少の支払いで局を流すのも有効な選択肢となるはずである。それに気付いてさえいれば、衣は{⑤}を華菜に差し込むことができたであろう。それどころか、そもそも振り込み覚悟で{二}を切っても良いのである。とにかく麻子に振込みさえしなければ、この半荘は衣の勝ちで終われたかもしれない。

 しかし今の衣にはその判断が出来なくなっていた。とにかく麻子から逃げなければならない。そのためには自身が早和了をしなければならない。そう思い込んでいたのである。そのため、他家に和了らせることは衣の選択肢からは消えていた。

 

「(だがこの{二}、容易に切れる牌ではない……! ならば……!)」

 

 衣は対子である{北}を切り飛ばした。既に華菜が1枚切っているため、待つとすれば地獄単騎であるからである。終盤ならともかくとして、序盤のリーチでそのようなことは考えづらい。一見それは正常な判断にも見えた。事実、衣は直後に{5}をツモり、聴牌を復活させている。

 だが、既にこの時点で衣の勝ちの目は断たれていた。{二}を切って勝負をしていれば既に和了れていたのである。それをわざわざ変な回し打ちをしてしまったが故に手放してしまった。再起のチャンスを、衣は思いっきり蹴飛ばしてしまっていたのだ。

 

「リーチ」

 

 衣にとって絶望のリーチが麻子からかかる。{白}はツモ切りのため、麻子は前巡から張っていたこととなる。しかし何故このタイミングでリーチをかけたのか。

 

「(アサコ……まさか私がお前に振り込むと読んでいるのか……!? だがそれはしない……衣が、衣が和了ってお前の親を流してやる!)」

 

 そう意気込む衣であったが、その直後に引いてきたのは{八}。衣にとっては、単騎待ちの選択をさせられることとなった。ここで衣は場を再度見返す。

 

衣手牌:{二③④⑤567} {横八六七} {西横西西} ツモ{八} ドラ{8}

 

衣 河:{東9發4北北}

ゆみ河:{南中8横9伍中}

麻子河:{①南白⑧九横白}(2枚目の{白}はツモ切り)

華菜河:{北白横6發1}

 

「({二}と{八}はどちらも鶴賀の後筋になっている……だからおそらく振ることはない。風越は{八}が現物。となると後はアサコ……理外のアサコのことだ、その現物の{八}で待つことも容易いだろう……だが、ならば……!)」

 

 衣は狙われているのをわかった上で、あえて{八}を切り、勝負に出た。

 

 

 

「御無礼、ロン、一発です」

 

 

 

麻子手牌:{二三四伍六七八44455赤5}

 

「なっ……!?」

 

 しかし、卓上には無慈悲な声が響き渡った。そして衣は自身の読みが全くの無意味であったことを理解した。何故なら散々悩んだ{二八}の両方が当たり牌となっていたのだから。つまりこの状況においては、衣の正解はオリを選択するか、あるいは華菜に差し込むか。その二択しか存在しなかったのである。

 

「裏ドラ表示牌は{3}……リーチ一発タンヤオドラ4で跳満の2本場は18600です」

 

 更に追い討ちをかけるかのように、麻子は淡々と裏ドラを捲る。そしてそれがよりによって麻子の刻子にモロ乗りした形となり、ただでさえ一発で親満だった手が更に1ランク上がってしまった。この和了は衣を酷く動揺させた。

 

「(何故、何故アサコは、こうも衣から直撃を取ることができるのだ!?)」

 

 何か衣でもわからない能力を持っているのではないか、そのせいで自身は当たり牌を掴まされているのではないか。衣はそのような推測に至った。だが、衣は見落としていた。確かに麻子は超神的な流れの操作をする、それは事実である。だが当たり牌を切ったのは誰でもない衣である。衣の意思が、自身の振込みへと繋がったのだ。つまりこの振込みは完全に自責なのである。

 もっと言えば、そもそも当たり牌を切る前から衣のミスは始まっていた。焦ってバタバタと鳴きを入れていたあの行為こそ、最もやってはいけないことだったのだ。そのせいで麻子も含めた他家の手を悪戯に進めてしまい、結果として自身の首を絞めるに至ったのである。

 だが衣は気付かない。気付けない。そもそも自分にミスがあったという所に辿り着けないほど、視野が狭まっていたのである。そして衣をそのように思考を誘導して操作したのは、他でもない麻子であった。

 

 

 

「では……3本場です」

 




次で大将戦は終わりとなります。
それでは皆様、良いお年を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話 終焉

あけましておめでとうございました(約1ヶ月遅れ)
麻雀シーン自体はそんなに長くないです。


 麻子が淡々と3本場であることを告げて始まった東三局3本場。衣は対面にいる麻子に対し、完全に委縮してしまっているようであった。もっとも、訳のわからない捨て牌から直撃や責任払いをさせられたり、衣のそれをも上回る圧倒的な覇者のオーラをぶつけられたりしていたことを考えれば、それも致し方ないと言える。

 

衣手牌:{一四六九②⑦358東南西北}

 

「(ど、どうすればよいのだ……見えない、道筋が何も見えない……!)」

 

 泣きそうな表情を浮かべながら、衣は理牌を行っていた。その手牌は明らかにバラバラで輝きは無い。しかしそれも、衣の今までの行いから考えれば当然と言えた。輝きは失われたのではなく、自ら手放していたのだから。

 

 

 

ゆみ手牌:{三三七八①③赤⑤779西西白}

 

「(……今の天江は心が折れてしまっている。おそらくこの半荘の間は復帰することができないだろう。……だとすると、私と風越で、この化け物を何とかして止めないといけないことになる。……できるか……!?)」

 

 一方ゆみは、今の状況を正確に把握していた。点棒を持っている衣が狩られる側であり、ダントツの最下位である麻子が逆に衣を狩っている側である、と。そしてそれを止められなければ、自分達の優勝もあり得ない、ということも。

 

「(……こういう時、仁川の上家に位置していたのは不運といえるかもしれない。風越の、池田の位置ならば、足掻いて流れを変えるにはもってこいの位置だったのだが……いや、そもそも仁川が支配しているというのなら、この席替え後の着席順すら想定内だったのかもしれないな……)」

 

 そんなオカルトめいたことを考えながら、ゆみは{白}を切り出した。愚形であろうと最短ルートで聴牌し、和了る公算のようである。ある意味開き直ったその打ち筋は、麻子に対しては比較的効果的と言えるものではあった。

 

 

 

「御無礼、ツモりました。タンヤオ三暗刻赤赤。6000オールの3本場は6300オールです」

「っ……!」

 

 しかし麻子は、そんなゆみの考えをも易々と打ち砕いていく。確かに効果的ではあるものの、今の麻子に対しては、その程度では全く足らないのもまた事実であったのだ。さらに4本場。

 

 

 

「リーチです、()()()()

 

 

 

麻子河:{3四西9⑧横③} ドラ{①}

 

「っ!!!」

 

 明らかに衣を意識した発言に、当の衣は大きく肩を震わせた。中張牌を連打した、明らかに何かの作為が混じっているようなそんな河。対面に座る、卓を統べる魔王は一体何を考えているのか。ただ少なくとも、衣に振り込ませようとしている、ということだけは理解できていた。

 

衣手牌:{一一一七八④⑤⑥⑦6679} ツモ{8}

 

「(何を切ればいい……何を切れば衣は逃げ切れるのだ……)」

 

 聴牌したにもかかわらず、衣の思考は非常に消極的であった。しかしそれも、麻子から受けた事を考えれば致し方ないものではある。当然ながら、衣のこの思考も麻子がそうなるように仕向けたものではあるのだが……。

 

「(先刻から狙われているのは、色の引っ掛けや単騎溢れ等の変則的な牌。おそらく今回もそれを狙われている……事実、衣の手牌には{四}のスジである{一}が3枚もある。これが通れば3巡は凌げるという甘い蜜……だが衣はその手には乗らん! 逃げたら負けるというのはこの半荘が示しているではないか!)」

 

 そう考え、勇んで切ったのは{⑦}。前進し、リーチのオマケ付きである。普通なら間4軒で非常に危険な牌であるが、逆にこれなら通ると衣は踏んだのだ。

 

 

 

「御無礼。リーチ一発タンピンドラ1。12000の4本場は13200になります」

 

麻子手牌:{四伍六②③④⑤⑥44678}

 

 衣はほんの一瞬、意識を手放した。目の前の現実を受け入れるのを、頭が許容しなかったのである。普通に危険牌を避け、{一}等を切りながら回し打ちしていれば、最悪ツモられることはあったとしても振り込むことはなかっただろう。だが現実は、衣が暴牌をし、それを麻子が咎めた。経緯はどうあれ、実に真っ当な結果と言えた。そしてその真っ当な結果であったからこそ、衣はそれが受け入れ難かったのだ。

 

 

―――

 

 

「はえー……すっごいじょ……」

「つくづく麻子が敵に回っとらんでよかった思うよ……」

 

 清澄高校控室では、0点から9万点超、衣との点差で言えば約5万点まで点数を回復した麻子の強烈な快進撃に、喜びすら忘れてただ呆然としていた。もっとも、他の3校、特に龍門渕高校と違い、喜ばしい呆然であったのは幸いな点であろう。だが、その暴力的な嵐はあまりに強すぎた。故に味方であるはずの他のメンバーにも、少なからず畏怖の感情を抱かせていた。もっとも、麻子はそれを承知の上で御無礼を仕掛けていたのだが。

 

「確かに私は『後悔の無いように、全力で楽しんできなさい』とは言ったケド……まさかここまでのことになるとは思っていなかったわ……」

 

 あの久ですら、この状況を見てやや顔が引き攣っている。御無礼モードの恐ろしさをよくよく知っている久……と言うより部員からすれば、ここはまだ序章であることはよくよく理解していた。この状況に入ったならば、余程のことがない限り、標的にされた衣はトバされる。残り14万点など風前の灯火に等しい。

 

「(衣ちゃんは……喧嘩を売る相手を間違っちゃったよね、うん。頑張れ)」

 

 唯一麻子の境地に入り込みつつある咲は、内心冷静に今の状況を分析していた。そして無謀にも麻子に挑発を仕掛けて楯突いてしまった衣に合掌をしたのだった。

 

 

―――

 

 

『な、な、なんと清澄高校の仁川選手、七連続和了を決めました! 一時は0点だった点棒も気付けば9万点を超え、しかしその勢いはまだ止まるところを知らず! 他家は果たしてこの勢いを止めることができるのか! それとも仁川選手が龍門渕選手ですら達成できなかった八連荘を達成するのか! この大将戦の重要な局が始まります!』

 

 前代未聞の0点から始まった八連荘の成否がかかっているだけあり、司会の煽りにも力が入り、またそれに応じて会場のボルテージも上がっていく。しかしそんな観客席側と裏腹に、対局室内は限りなく冷えていた。その原因は言うまでもなく麻子である。

 

「(今頃観客席側は八連荘がどうとか言っているのだろう……だがそんなものどうだっていい。この仁川の暴走を止めないと、八連荘どころか16連荘だってされかねない!)」

「(清澄の……仁川。流石にそろそろ止めないとまずいし!)」

 

 先の状況を見据え、焦りを感じる華菜とゆみ。実は華菜も少し前から、明らかに麻子の様子が変わったことには気付いていた。しかし気付いていても、それに対応できるかはまた別の話である。まずは何とか聴牌と、形だけでも持ち込もうとしても、そもそも速度差が違いすぎてそれすら対応できないのだ。衣の支配時にも感じていたそれであるが、今の差はそれすら比較にならないものだった。

 

「「(せめて天江が復活さえしてくれれば……!)」」

 

 2人の思いは一致していた。よもや魔物と呼ばれた打ち手である、長野史上最強と呼ばれて名高い衣の復活に頼らなければならないとは。そんな状況に陥ったことは、やはり大会そのものも魔物であるということの証左でもあった。

 

 

 

「(よし、張った!)」

 

華菜手牌:{二三四④赤⑤⑥34赤57778} ドラ{西}

華菜 河:{東北白九①⑨} {八14}

 

 しかしそんな中、9巡目に華菜が奇跡的な聴牌を果たす。しかも{6}-{9}・{8}待ちと形も良好である。数巡もすればツモ和了りをすることだってできそうな、そんな気配が卓上には漂っていた。

 

 

「(池田が張ったか……表情に出やすいというのは本来麻雀においてはあまりよろしくないが、ことここに至っては有難い。あとはどうやって差し込むか……)」

 

 そしてゆみも、華菜の河と様子からそれを読み取った。

 

衣 手牌:{一一三四六七⑨⑨⑨1234}

ゆみ手牌:{七七九九②③③赤55南西發發}

 

 だがしかし、不幸にも手牌には、華菜に差し込むための牌が存在しない。それでもと必死の抵抗で、ゆみは{5}と危険牌を叩き切った。向聴数を下げてまでの露骨な差し込みではあるものの、この状況においては麻子VS他家の図式が完成していたため、ルールの範囲内で対抗している彼女を咎める者は誰もいなかった。

 

 

 

「御無礼、ツモです。清一三暗刻。8000オールの5本場は8500オールです」

 

麻子手牌:{2345666888999} ツモ{2}

麻子 河:{南北白中一9} {八①}

 

 

 

 そして麻子もまた、その1対3の図式をものともせず、見事に高額手を決めた。しかもその手は、狙いすましたかのように華菜の和了り牌のほとんどを奪い去っていた。これでは他家に華菜の和了り牌が無かったのも頷ける話である。

 

「(な、なんだしその手は!? あたしの和了り牌がほとんど消えてるじゃん!?)」

「(しかもその河で清一だと……!? まるで最初からこの和了りが決まっていたかのようではないか!)」

「(……逃げても撃たれ、歯向かっても返される、まるで賽の河原のようだ……)」

 

 華菜とゆみは驚愕の表情を隠せず、衣に至っては完全に心が折れ、最早戦意を完全に喪失していた。だが、それでも麻子が手を抜くことはない。狙った獲物は骨の髄までしゃぶりつくす。それは麻子が傀であった時の打ち筋そのものであった。

 

 

 

「御無礼、ロンです。タンピン三色赤2で18000の6本場は19800」

「御無礼、ツモりました。国士無双で16000オールの7本場は16700」

「御無礼、ロンです。純チャン二盃口ドラ2で24000の8本場は26400です」

「御無礼、ロン。チャンタ混一三暗刻白發で24000の9本場は26700です」

「御無礼、ツモりました。大三元で16000オールの10本場は17000オールです」

「御無礼、ロンです。タンピンイーペードラ2で18000の11本場は21300」

「御無礼、ツモ。チートイ赤1で3200オールの12本場は4400オール」

 

 

 

 気づけば積み棒は10本を超えていた。直撃の悉くは衣に当たり、ツモでは役満を2回も和了るという豪快さも見せていた。

 しかし派手さもここまで来れば、最早ただの公開処刑でしかない。その証拠に、八連荘であれほど沸き立っていた会場は、今やどよめきすら失われてまるでお通夜の如く静まり返っていた。

 しかしそれも無理はない話である。後半戦開始時は20万点を超えていた衣の点棒が、まるで東二局の意趣返しであるかのように丁度0点になっていたのだから。

 

「(もう……なにも……わからない……ころもは……なにをすればいい……)」

 

 極限まで追い詰められた衣の精神は既に限界を超えかけていた。そもそもが衣の挑発した結果である自業自得とはいえ、それでもここまで苛烈に責め立てられれば、余程の鉄の心でも持っていない限りは心が折れてしまうのも当然だろう。

 現にその結果として、衣の顔からは生気が抜けてしまっている。衣は、前年度の県大会覇者とは思えぬほどの鬱屈した、そして戦慄した表情を見せている。衣の心は後悔と恐怖で埋まっていたのである。そしてそれを引き起こしたのは、未だ涼しい顔を見せ続けている麻子であった。

 

「(……だが、ある意味でいいものを見せてもらったかもしれない。どんな時でも相手は絶対に侮ってはならない。そしてどんな状況でも諦めてはいけない)」

「(確かに圧倒的な点数の差、そして力の差があるのは事実だけど……それでも、まだ華菜ちゃんは諦めないし!)」

 

 それでも華菜とゆみは、最後の最後まで勝ちを諦めていなかった。何故なら目の前に、0点から20万点以上を稼ぎ出してトップに立つという奇跡を成し遂げている者がいるからだ。諦めたらそこで終わり。しかし諦めなければ可能性は0ではない。たとえそれがどれだけか細い糸であろうとも。そして意志と力があれば、それを手繰り寄せることもできるのだ、と。しかしそのような希望を持てているのは、麻子に直接狙われてはいなかった、というのが大きいだろう。

 

 

 

 東四局13本場。不思議とこの局は、手の進みが皆遅かった。華菜やゆみ、衣、そして麻子までである。じりじりとした進みの中で聴牌に一番乗りしたのは、最も意気消沈していた衣であった。

 

衣手牌:{一一一二二三四伍六八九九九}

 

「(このようなタイミングで役満の、それも九連宝灯の聴牌……これは希望の灯火なのか……? それとも……)」

 

 しかもよりによって、確定九連宝灯の聴牌である。もっとも、このような手になった以上、衣の河は明らかに染め手模様を描いていたため、振り込みには全く期待できなかったのだが。

 

「(よっしゃきたっ! これを清澄にブチ当てて、清澄高校から直撃を取り続けての大連荘を重ねれば、華菜ちゃんの逆転優勝だし!)」

 

華菜手牌:{2234466688} {發横發發}

 

 続いて聴牌したのは華菜。ゆみから{發}を喰い取ると、そのまま立て続けにキーとなる索子を重ね続け、見事確定緑一色聴牌までこぎつけたのである。惜しむらくは、こちらも清一形のため、振り込みには期待ができないところであったことである。

 

「(もうすぐ……もうすぐ、届く……!)」

 

ゆみ手牌:{一九⑨⑨9南西北北白發中中}

 

 そしてゆみも、奇しくも役満の二向聴までたどり着いていた。あと{1①東}を揃えれば役満なのだ。県大会で優勝し、全国出場、そして全国優勝を目指すため、諦めの心は微塵も持っていなかった。

 

 

 

「カン」

 

 そこに響いたのは、無慈悲にもこの大将戦の終焉を告げる魔王の声であった。晒したのは{①}。その瞬間である。対局している3人は、ここが室内であるにもかかわらず、星々が輝く美しい月夜にいるような幻視を覚えた。

 

「カン」

 

そのまま嶺上牌をツモると、麻子は続いて4枚の{1}を晒した。それに伴って、3人は同時に、花畑から飛び立つ白鳥の姿を認めた。しかしその光景はまだ止まらない。

 

「カン」

 

 続いて麻子は{⑤}を晒した。ここで初めて、3人は今自分がいる場所が、これまた白く美しい花に満ちた花畑であることを自覚した。

 

「カン」

 

 4回目の槓宣言。最後に晒されたのは{東}。麻子の自風牌である。強烈な風が花畑に降り注ぎ、白い花弁がまるで白鳥への祝福であるかのように舞い上がっていく。そしてその勢いは止まるところを知らず、3人の視界を白く染めていく。そしてやがて見えるもの全てが真っ白に染め上がった3人の目前には……

 

 

 

 

 

「御無礼、ツモりました。四槓子で16000の13本場は17300オール。天江さんのトビで終了です」

 

 

 

 

 

 {白}の門前裸単騎待ちで和了した麻子の姿があった。

 

 

―――

 

 

『……し、試合終了ー! さ、最後の最後で四暗刻四槓子という麻雀史上でもとんでもない大物手が飛び出しましたーーー! これにより龍門渕高校の天江選手がハコ割れ、最終得点377000点のスコアを叩き出した仁川選手擁する清澄高校が全国の切符を手にしましたーーー!!!』

 

 全員が役満狙いという大事件、そしてその結果、麻子が理論上でしかお目にかかれないような四暗刻四槓子という化け物手を和了り切ったことに、13本場開始時までお通夜ムードであった会場は再沸騰していた。

 

『……』

 

 そんな麻子の手を見た靖子は、解説をすることも忘れ、ただただその手を見つめていた。

 

『……藤田プロ?』

『……あ、あぁ、すまない。この手があまりに美しかったものだからな……つい見とれてしまっていた』

『た、確かに四暗刻四槓子なんて、すべての対局を合わせても出たことがあるかどうかの手ですからね……』

『いや、それだけではないんだ……』

『……と言いますと……?』

 

 司会に問いかけられた靖子は、一旦呼吸を落ち着けるために深呼吸をし、そして解説を続けた。

 

『今では古い役となったが、花鳥風月という役満があるんだ』

『花鳥風月……ですか』

『あぁ。{⑤}を花に、{1}を鳥に、自風牌または場風牌を風に、{①}を月に見立てた美しい役満だ。仁川の和了ったこの四暗刻四槓子の形が丁度それになっていてな……』

『……た、確かに、{⑤}、{1}、{東}、{①}の暗槓子があります! な、なんということでしょうか!!! 今、我々は一生に一度、いや、全麻雀史においても一度かもしれない奇跡の光景を目の当たりにしています!!!』

 

 思わず司会者は、麻子の作り上げた奇跡を思いっきり持ち上げてしまった。しかしそれも無理はない。司会者のみならず観客、そして控室にいる各校のメンバーですら、その奇跡の光景を前にして全ての言葉、感想を失い、ただモニター越しに映る奇跡から目を離せなくなっていたのだから。

 

『(……ここまで狙って作ったのだとすれば、仁川は今までの魔物と呼ばれる高校生など比にならないくらいの魔物……いや、魔王だ。普通に強い程度の高校生が立ち向かえる相手ではとてもないだろう。……思えば、あの時の私はよくあの程度で済んだものだ……)』

 

 改めて麻子の偉業を確認した靖子は、何とか口には出さなかったものの、麻子の魔王っぷりを再確認した。もし靖子がこれを口に出してしまえば、これから先当たる高校生は、皆戦う前から麻子の前に堕ちてしまう可能性があったからだ。もっとも、一文無しから逆転するだけでは飽き足らず、逆に衣のジャスト0点に加え、奇跡を幾重にも重ねたような役満を和了った時点で、どう足掻いても対局相手から悉く恐れ戦かれる運命は変わらないかもしれないが。

 

 

―――

 

 

「ありがとうございました」

 

 終了のブザーとともに、麻子は席を立ち、3人に一礼をした。その3人は、麻子の声でようやく大将戦が終わったことを認識した。

 

「……ありがとう。誰からどう見ても完敗ではあったが、実に充実していた。まだ打ち足りない気分だ。何なら今からでももう一局打ちたい気分だが……残念ながら今は許してくれなさそうだ。だから、もし機会があればもう一度打たせてくれ」

 

 最初に麻子のそれに返したのはゆみだった。何かを納得したような表情で再戦の申し込みをすると、麻子に右手を伸ばした。

 

「私でよろしければ」

 

 麻子もそれに対応して、同じく右手を差し出した。

 

「私達の分も背負って……なんて言うとプレッシャーになるだろうが……全国でも是非頑張ってくれ。東京には行けないが、長野から応援するぞ」

「ありがとうございます」

 

 出征する戦友に送るような言葉を投げたゆみは、ゆっくりと手を解くと、最初に対局室を後にした。その背中は、どこか晴れ晴れとしているようにも見えた。

 

「あたしも楽しかったよ」

 

 次に麻子に返事をしたのは華菜だった。だが、その言葉は麻子だけではなく、衣にも向けられたものだった。その言葉で、ようやく衣が現実へと戻ってきた。

 

「……楽し、かった……?」

「おかしいか? まぁ確かにアタシもいいトコはそんな無かったけど、それでもなにごともそーやって前向きに楽しんでいくのだよ!」

 

 それに、アタシだってちょっと足りなかっただけで全然やれたし、と負け惜しみのような台詞も残した華菜。だが実際、幾つかの場面では麻子に肉薄するような場面があったのもまた確かであった。もしかすれば、ほんの少し運命が狂っていれば、今ここでトップに立っていたのは華菜だったかもしれないのだ。それを考えれば、強ちただの負け惜しみという訳でもなさそうであった。

 

「来年は絶対勝つからな! 覚えてろし!」

 

 挑戦的な笑顔を浮かべながら、華菜は麻子に拳を突き出した。それに麻子もコツンと軽く拳を当て、いつものすまし顔から少しだけ口角を上げて返事をした。

 

「楽しみに待っています」

 

 まるで少年漫画の主人公とライバルのようなやり取りをした後、華菜もまた対局室を後にした。また、監視員も空気を読んだのか、あまり遅くならないようにとだけ告げ、先に対局室を出てしまった。そして残ったのは、ようやく呆然自失の状況から意識を戻した衣と、それを見つめる麻子だけとなった。少しの間沈黙が流れていたが、やがて衣の方から、自嘲的な表情を浮かべながら話しかけ始めた。

 

 

 

「……アサコは、全てお見通しだったのだな」

「……」

「……衣がまだまだ未熟なことも、そして実は弱いことも」

「……」

「……すまなかった。先にお前を、仲間を、勝負を冒涜するような真似をしたのは衣だ。そして弱いにもかかわらず傲慢な妄言を吐き続けたのも衣だ。だからアサコは、ここまで徹底的に衣を叩きのめしたのだな」

 

 まだ体が放心状態から戻り切っていないのか、椅子に座ったままではあったものの、それでも頭を下げた衣に対し、麻子は軽蔑的な表情を浮かべることもせず、むしろ微笑を浮かべながら口を開いた。

 

「……そこまでわかっているのなら、大丈夫でしょう。そこに貴女の仲間が待っていますよ」

 

 衣の独白を静かに聞いていた麻子は、一通り聞き終えると対局室の出口の方を向いた。つられて衣もそちらに視線を向けると、そこには透華をはじめとした龍門渕高校麻雀部一同が集っていた。

 

「……みんな……」

 

 透華は案の定目を吊り上げており、残る3人は困り顔のような笑顔を浮かべている。どうやらこれから透華の雷が衣に落ちることは確定のようである。だが衣は、そこから逃げようとはしなかった。

 

「こーろーもーーーーー!!!!!! だからあれ程言ったでしょう!!?!?! 相手を舐めた真似をするなと!!!!!!」

「痛い痛い痛いごめんなさい!!!!!!」

 

 こめかみの部分を透華にグリグリされるお仕置きの痛さに、衣は悶絶していた。だが少しして透華は手を離し、表情もいつものそれに戻した。

 

「まぁでも、ちゃんと悪い部分も理解しているみたいですし、私からこれ以上言うことはありませんわ」

「えっ……」

 

 てっきり今回の結果を詰められるとばかり思っており、その覚悟も決めていた衣にとっては、ある意味で不意打ちとも言える発言であった。

 

「それに、衣がそうなってしまったのは、何も衣だけが悪い訳でもありませんわ」

「ボク達も仲間として、友達として、家族として、もっとできることがあったはずだしね」

「友達……でもお前達は、トーカが衣のために集めた友達じゃないのか」

 

 一の発言に対し、衣は驚いたような表情を浮かべながらそう返した。そこに、丁度衣の背中の位置にいた純が、頬同士を摺り寄せるように後ろから抱き着いてきた。

 

「そんな水臭いこと言うんじゃねーよ。キッカケなんてそんな関係ねーだろ?」

「始まりはそうでも……私は衣や皆を、友達で家族だと思ってる」

「それじゃ、ダメなのかな?」

 

 次々と発せられる、仲間であり、友達であり、家族である皆からの言葉。その言葉に、衣の顔、そして涙腺は徐々に緩んでいった。

 

「う、ううん、ダメじゃない、ダメじゃない!!! 純も智紀も一もとーかも、皆皆友達で家族だっ!!!」

「そうですわ。何今更当たり前のことを言っていますの」

 

 呆れながらも返す透華の顔は、しかし笑顔であった。透華だけではない。純も智紀も一も、皆が揃って笑顔であった。

 

「っ、うっ、うわああああああああん!!!」

 

 そして遂に、衣の感情は決壊した。後悔、反省、謝罪、感謝、色んな感情が混ざり合った、ある意味で素の衣とでも言うべきものであった。

 

「こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛、こ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛い゛い゛!!!」

「もう、そんな謝らなくても大丈夫だから、衣の気持ちはちゃんと伝わってるから、ね?」

「う゛ん゛、う゛ん゛、あ゛、あ゛り゛か゛と゛お゛お゛お゛お゛お!!!」

「こうやって見ると、本当に子どもみたいだな」

「こ゛ろ゛も゛は゛こ゛と゛も゛し゛ゃ゛な゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛!!!」

「でも、今まで子どもらしい所を見せられていなかったなら、丁度良かったのかも」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん゛!!!」

 

 室内に響く衣の号泣は、しかし負の感情だけではなく、正の感情も含まれていた。そしてその号泣とともに衣は生まれ変わった。今までの自分だけの世界という殻を破り、真の世界へと飛び出したのである。決して良いことばかりではない世界ではあるが、しかしこれだけの友達、家族がいれば、それすらも糧にして十分に成長していけるだろう。そして、それを見届けてから……なのかは定かではないが、いつの間にか麻子は対局室から姿を消していた。

 

 

―――

 

 

「お疲れ様っす、先輩」

「桃子か。……すまなかった」

「いや、先輩が謝ることはないっす。……あれは事故みたいなもんっすよ……清澄の先鋒以上のオーラを感じましたもん」

 

 鶴賀学園の控室……から離れた、とある階段。桃子は、そこに一人座っていたゆみを迎えにやってきた。表情はゆみを労わる色と、心配そうな色が混じっていた。

 

「それに、私はまだ来年もあるっすけど……」

 

 桃子はそう言ったきり、言い淀んだまま言葉が続かなかった。だが、桃子が何を言わんとしているかは、皆まで言わなくとも十分に理解できるものだった。

 

「まぁな……だが、それ自体は大した問題じゃない。大学の大会で結果でも残せばいいからな。……私が残念なのは、今の皆と、モモと一緒に、全国へ出場できなかったことだ」

「!」

 

 その言葉を聞いた桃子は、ほんのりと頬を赤らめた。そして目に涙を浮かべながら、ゆみの胸元へと飛び込んだ。ゆみに自分が求められた嬉しさ、大好きな皆と、ゆみと全国へ行けなかった悔しさ、色んな感情の混じり合った涙だった。顔をゆみに押し付けて声を殺しながら泣く桃子の頭を、ゆみは愛おしそうな表情で撫でていた。

 

「(ありゃあ……こりゃあしばらくは出辛いな……ワハハ)」

 

 そしてそんな2人を迎えに来た智美率いる3人は、しばらく物陰から2人を見守っていたという。

 

 

―――

 

 

 風越女子高校控室。そこの扉が勢いよく開かれた。入ってきたのは、チームの大将である華菜である。その表情は、吹っ切れたような堂々としたものであった。そして、普段の生意気な表情の一切を消した顔で、華菜は自身の上半身を90度折った。

 

「すいませんでした!」

 

 しんと静まり返る控室、そしてその中で一際鋭く華菜を睨み付ける貴子。部屋の中は、まるで時限爆弾の解体シーンのような緊張感が漂っていた。少しして、その沈黙を破ったのは、その空気を作り上げている張本人と言っても過言ではない人物、貴子であった。

 

「そうだな、最後のテメェが負けたからウチは負けた。いや、テメェだけじゃねぇ。お前らの力が足りなかったからウチは負けた。団体じゃこれで2年連続の敗退だ」

 

 厳しい口調で、貴子は現実を部員に突きつける。何をどう言い訳しようと、その事実は覆せないものであることは確かなのだ。それだけに、大将の華菜を含め、誰もそれに反論することはできなかった。悲痛な空気が漂う控室。だが、その直後の言葉で、その空気は一変することとなる。

 

「……で、この中で、負けてもいいやといい加減に打った奴はいるか?」

「!」

「そんな奴がいるんなら今すぐ表へ出ろ。その場で叩きのめしてやる。……だが、私の目が狂ってなけりゃ、そんな奴は一人もいなかった。確かに力不足で負けたことは事実だ、それは間違いねェ。だが、それでも諦めず、持てる限りの全力で打ったってんなら、ウチはまだまだ強くなれる。この悔しさを忘れるな! お前らのその無念は全て喰らい尽くせ! 次こそは風越女子高校麻雀部が全国で優勝し、日本で、いや、世界で最強であることを示せ! いいな!」

「「「っ、はいっ!!」」」

 

 荒々しい口調ではあるが、しかしその言葉の内容は最後まで健闘した皆を讃えるものであった。そして同時に、来年の大会に向けての激励でもあった。その熱い想いに、部員全員は心から出せる最大級の感情を込めた返事を返した。

 

「それと福路を含めた3年だが、インハイが終わったとしてもやることはたくさんあるからな。名門風越女子高校の名を背負っていくんだ、泥を塗るような真似は許さんからな! ……とはいえ、今日はお前らも色々と疲れただろう。だから、ホテルは連泊できるようにしておいた。親御さんの許可も取ってあるから心配するな。ゆっくり休んでこれからのための英気を養え、いいな」

 

 有無を言わさぬ口調で言い放つと、貴子はそのまま、未だ体を曲げ続けている華菜の方へと向かった。そして目の前で仁王立ちすると、また厳しい表情を浮かべて口を開いた。

 

「池田ァ! いつまでそのままでいるつもりだァ!? テメェはそんな恥ずかしい打ち方をしたってんのか、ア゛ァ゛!?」

「そ、そんなことはありませんっ!!」

 

 あまりの威迫に、華菜はまるでバネが元に戻るかのような勢いで体をまっすぐに戻した。その様子を見た貴子は、満足そうに微笑むと、それまでの勢いを一気に引っ込めた。

 

「よろしい。お前はあの絶望的な状況の中でも、最後まで勝利の可能性を諦めずに最善を尽くして打ち切ったんだ。胸を張れ、お前は間違いなく風越の大将だ」

「……はいっ!!!」

 

 特に華菜には厳しい貴子から出た、華菜を讃える最大限の言葉。その言葉に、華菜のみならず、美穂子、いや、他の部員全員も目に涙を浮かべた。

 

 

―――

 

 

「ただいま戻りました」

 

 長野の覇者となった清澄高校。その控室に戻ってきた麻子の視界には、笑顔で麻子を迎える部員の面々があった。

 

「お疲れ様、麻子! いやーやっぱ麻子はすげーな! 最後のやつは見てても圧倒されたぜ!」

「ありがとうございます」

 

 真っ先に声をかけたのは京太郎だった。実は控室で一番一喜一憂していたのは、誰を隠そう京太郎だったのだ。もっとも、京太郎は大将戦に限らず決勝戦全てでそんな感じではあったのだが……。京太郎に限らず男の子は、なんだかんだ強い主人公が相手を圧倒していく様が好きなのかもしれない。京太郎から見た決勝戦は、まさに5人を主人公としたヒーローものと言えたかもしれないため、京太郎が興奮していたのも頷けるものだった。

 

「おかえりなさい、お疲れ様、麻子ちゃん。……本当、楽しんでたわね」

「竹井さんの指示だったので、全力で楽しませていただきました」

 

 麻子が散々やらかしたことを思い出しながら、久が労いの言葉をかけた。麻子も全く悪びれる様子はないようである。

 

「一瞬0点になった時はどうなるかと思ったじぇ。でもそこから大逆転とはさっすがあさちゃんだじぇ!」

「ありがとうございます」

 

 優希もべた褒めの言葉を贈る。実際には0点になった時は流石に不安を隠しきれていなかったが、しかし逆にそこからのギャップが、優希からの麻子の評価をより上げていた。

 

「たぁいえ、なんぼ麻子ならしゃーなーとわかっとっても心臓にゃあ悪かったけぇなあ……今度からは一言先に言うてもらえるとありがたいでぇ」

「善処します」

 

 まこが眉を八の字に曲げながら、苦笑いといった表情でお願いをした。なお、善処するとは言ったが改善するとは一言も言っていないため、麻子はこれからもこういったことをやめるつもりはない。そのため残念ながら、まこと胃痛はこれからも長い付き合いになるだろう。

 

「お疲れさまでした。相変わらず奇想天外な打ち筋で理解ができませんが……しっかりと勝ち切るのは流石です」

「ありがとうございます」

 

 相変わらず和は麻子の打ち筋を全く理解できていないようだった。とはいえ、意図的な振り込みを続けて場を支配するなどという発想を理解できる方がおかしいとも言えるので、和のこの感覚は決して間違ってはいなかった。むしろ理解できてしまったら、デジタルの天使からオカルトの悪魔へと変貌してしまうかもしれない。

 

「お疲れ様、麻子ちゃん」

 

 そして最後に声をかけたのは咲であった。多くは決して語らない、むしろ他の誰よりも短い言葉ではあったが、咲の穏やかな笑顔が語らぬ部分の全てを物語っていた。

 

「お疲れさまでした、宮永さん」

 

 麻子もそれに対し、いつもの微笑みを浮かべながら短い返事で返す。麻子として生き始めてから、この中で最も付き合いが長いのは咲だった上、麻子は当然として咲も(人付き合い自体は苦手とはいえ)話の理解は非常に速い方であったため、こういったやり取りもある意味必然と言えた。まるで熟年夫婦のそれである。

 

「(負けるつもりはありませんでしたが、やはり皆さんの笑顔が見られるのは良いですね)」

 

 皆の顔を一通り眺めながら、麻子は心が温かくなるのを感じた。麻子は自身のその思考、感情に疑問を持たなかった。

 僅か数ヶ月という期間ではあったものの、しかしその数ヶ月は今までの数年間と同じくらい濃密なものであったのも確かであった。そしてその経験は、たとえ人鬼と呼ばれた者であっても、その姿を変えるに十分なものであったのだ。

 

「(しかし今はまだ県予選。まだまだ潰さなければいけない相手はたくさんいます。部の課題もまだまだ多い。これからどうしましょうか)」

 

 ……それでも、根っこの部分は変わっていないようだ。しかしそれでこそ傀であり、麻子である証拠とも言えた。

 




という訳で大会編は終わりです。思ったより長かったようなこんなもんなような。
対局中に一切の慈悲も容赦も持ち合わせていないのは元が元なので仕方ないね。
ですが対局が終われば優しさを見せる辺り、もう麻子さん人間でしょ(人間とは言ってない)

という訳で、『仁川麻子の人間化計画』は完結です。
ただ別に続きを書きたい欲が消えたわけではないので、
『仁川麻子の高校生活』として本編軸にある程度沿った続きを書く予定です。
ほのぼの日常編も書いていきたいんや……。

ただ新小説として作るか、あるいはタイトルを変えるだけにするかはまだ考え中です。
多分後者になると思います。その場合突然タイトルが変わってると思います。
中身は変わらないのでご安心いただければ……。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話 取材

日常編というよりは、大会の振り返りみたいな感じです。


 激動の県予選大会の翌日。清澄高校では、部長の久率いるメンバーが校内で質問攻めに遭っていた。とはいえ、無名校であった清澄高校の名を一気に全国へ知らしめたその闘牌を考えれば、それも当然のことと言えた。久もそのことを理解しており、答えられる範囲で質問には答えていた。人だかりができてわちゃわちゃしているにもかかわらず、その混乱を冷静にてきぱきと捌いていく様は、流石学生議会長といったところだろう。

 

「……ふぅ、ようやく落ち着いたわね……」

 

 一息入れながら久がそう言った時には、既に太陽は天辺をとっくに超え、傾いていた。夏場なのでそれでもまだまだ明るいが、しかし既に放課後を迎えてもいる。逆に言えば、それだけ今回の県大会は校内にインパクトを与えたということでもあった。

 ……否、その説明は完全ではなかった。確かに校内にインパクトを与えたのは間違いない。だが、決してそれは校内だけではなかった。昨年風越女子高校を破り、全国に名を轟かせた龍門渕高校。そして今年、そんな彼女らを完膚なきまで叩きのめした清澄高校。そんな面子に興味があるのは、何も校内の人物だけではなかったのだ。

 

「ごめんください、ちょっといいでしょうか」

 

 普段部活をしている清澄高校旧校舎に、2人の来訪者が現れた。ノックの後に発せられた2人組の方の声……大人の女性のものを聞いた者の反応は様々であった。大半は純粋に誰なのかが気になっていたが、人見知り故にどうしようどうしよう、とおどおどする咲、いつも通り我関せずといったマイペースさを発揮する麻子のようなメンバーもいた。そしてその声に一番反応したのは、何度かメディア露出もしている和であった。

 

「大丈夫ですよ、咲さん。この方達は信用しても大丈夫な方々です」

「そ、そうなの……?」

「はい。私の取材の時でも何度かお世話になった方々ですから」

 

 和はそう言うと、スタスタと入口の前まで歩き、そして躊躇なく扉を開けた。そこに立っていたのは、主に『ウィークリー麻雀TODAY』を手掛ける西田順子、そして彼女とよく取材を共にするカメラマンの山口大介であった。

 

「いきなり押しかけちゃってすまないねぇ。ただなるべく真っ先に取材したかったものでね……あ、勿論無理にとは言わないよ。君たちにも都合や考えがあるだろうからね」

 

 大介が人を安心させるような笑顔を浮かべながらそう言った。もっとも、彼らはマスコミである以上、そういった人心掌握の術にもそれなりに長けているため、この笑顔が本心のものなのかはわからない。久をはじめとした部員たちも、流石に大の大人、しかもそういった手合いが相手となっては警戒を緩めることはできなかった。もっとも、和はインターミドルの頃からの付き合いのため、彼らが下種な考えを持っていないことは知っていたので、そこまで警戒度を高めてはいなかったのだが。

 そして一人、普段からは考えられない妙な態度を取っていた者がいた。麻子である。前世ではマスコミの前に姿を現すなどしたことがなかった……と言うよりマスコミ自体、アングラなことをやっていたと考えればむしろ敵とさえ言えた相手であった。しかし現世では、少なくとも今のところは敵ではない。だがそうは言っても取材など当然受けた事がないため、どんな風に接すればよいのかが全くわからない。そのため、どういった態度を取ればよいのか決めかねていたのだ。その結果が、椅子に座った姿勢で固まったままでお菓子だけをハムスターの如く口に運んではすぐさま飲み込む、という形で表れていた。まるでプログラムにエラーが発生したようである。

 

「(何このかわいい生き物)」

 

 久は麻子の、普段の余裕がある姿からは考えられない姿が気になって仕方がなかったものの、ひとまずはそれを置いておき、確認の意味を込めてわかりきった質問をした。

 

「つまり、貴方達は私達に対して取材をしたい、と。そういうことですか?」

「ええ、そうなります。だけどさっきも言った通り無理にとは言いません。学校には許可を取ってはいますが、貴女方にまで許可を取ったわけではありませんから」

 

 答えたのは順子だった。そしてそこまで言い切ると、順子は部員全員に対して頭を下げた。続いて大介も頭を下げる。どうやら嘘を言っていない、本心からの言葉ということは、皆の目にも明らかとなった。でなければ、大の大人がこうも簡単に頭を下げるなどしないだろうからだ。これが5人も10人もいる状況であれば怪しんだだろうが、今は2人だけ、しかも片方は比較的小柄な女性である。いざとなれば、頼るのも悪い気はするが京太郎もいる。妙なことをされる心配はほぼ無いと言えた。それに対し、久は少しだけ考えると、部員を見回しながら答えを告げた。

 

「わかりました、いいでしょう。ですが、皆が皆取材を受けたがるとは限りません。ですから、無理強いはしないこと。それさえ守っていただければ構いません」

「ありがとうございます」

「では立ち話も何だと思いますから、そこに座ってください」

 

 久はそう言うと、大会直前くらいに調達した中古の淡いピンク色のソファを勧めた。ちなみに中古とは言うものの、状態は決して悪いものではない。座り心地も中々に良いため、最近は卓割れを待つ間はそこに座るなり寝るなりして待つことも多い。

 

「よろしければどうぞ」

「ありがとう、いただくよ」

 

 和が、いつの間にか用意していたお手製の紅茶を2人に振る舞う。プロが淹れたものではないため特別おいしいという訳ではないものの、しかし幼い頃からそれなりに紅茶を嗜んできた和が淹れたものということもあり、インスタントにしてはとても出来の良いものである。

 お茶を飲みつつ、何気ない雑談から入り、いくらか部員と打ち解けたところで、遂に順子は取材を始めることにした。

 

「それじゃあ本題だけど……何を聞こうかしら。聞きたいことが一杯ありすぎて絞れないんだけど……そうね、まずは今更だけど県大会突破おめでとう。ということで、県大会で打った感想を皆に聞いてみたいわね」

 

 ある意味王道ともいえる、大会の感想。先鋒から順に聞くつもりであったが、咲は嫌がってこそいないものの、まだ緊張が解けていないこともあり後回しとなった。そのため、トップバッターとなったのは優希だった。

 

「私は思うような打ち方ができなかったのが悔しいじぇ」

「あー、優希は散々邪魔されてきたもんねぇ……」

「でもまぁ、強い相手と打てたのはそれだけで楽しかったじぇ」

 

 2人からマークされ、1人には役満を和了られたり役満潰しのために差し込む羽目になったりと散々振り回されてきた優希であったが、しかしそれでも表情に不満はなさそうであった。麻子と打った影響もあるのかもしれないが、やはり強敵との僅差での戦いはそれだけで満足だったようである。

 

「ちなみに理想の勝ち方は?」

「東場で相手をトバすことだじぇ」

「え、えぇ……」

 

 優希の能力を知らない順子は思わず少し引いてしまった。もっとも、準決勝の次鋒戦でも東場の驚異的な得点力は見えていたため、少なくとも妄言と一蹴するような真似はしなかったが。

 

「とりあえず私はこんなもんだじぇ。次の人にバトンタッチするじぇ」

「わかったわ。それじゃ次に部長の竹井さん、いいかしら」

「えぇ。思っていたよりも骨のある打ち手で楽しかったわ。特に風越女子の文堂さんは強く印象に残ってるわね」

「文堂さんね」

 

 順子にとっては想定内の名前だったのだろう。星夏の名前を復唱する時も、疑問ではなく確認の意味を込めた声色であった。

 

「だって完敗よ完敗。悪待ちは躱されて逆に私が悪待ちに振り込んで、挙句に中堅戦での区間トップも取られたし、そりゃあ印象にも残るわよ」

 

 来年はもっと強敵になりそうね、と続ける久の顔は、実に楽しそうなものであった。それだけ中堅戦での闘牌が充実していたことの裏返しでもあろう。しかしその中に僅かながら寂しそうな表情も浮かべていたのは、久自身が3年生のため、それだけ認めている相手と来年戦うことができない、ということもあったのかもしれない。

 

「ま、でも来年は学校に縛られずにフリーになる訳だから、風越にお邪魔するのも悪くないかもね」

「われならげに乗り込んでいきかねんな……」

 

 若干呆れたような表情でまこが呟く。久の行動力はまこもよく知っているため、割と本心からの呟きである。

 

「ま、私もこれくらいにして、次は和に回すわね」

「ありがとう。原村さんはどうだったかしら。いつも通り打てていた感じかしら」

「いえ……緊張しました。中学校の時は、団体戦は早々に敗退していましたから……全国を賭けてチームの皆を背負って打ったのは初めてで」

「なるほど……」

 

 実際、『のどっち』として覚醒した時も、決して緊張していなかった訳ではない。むしろ極度の緊張状態とすら言えた。あの時はそれが偶然良い方に作用していただけなのだ。

 

「それと、龍門渕さんがとても強かったですね。自分の意志で、自分を曲げて打ったのはあれが初めてでした」

 

 そう語る和の表情はやや硬い。確かにあの透華を他家と協力して打ち破ることはできたものの、逆に言えばそれは自身の力不足も同時に示しているのだ。和からすれば試合に勝って勝負に負けたようなものである。

 

「確かに……あの南一局は、原村さんと東横さんが奇妙な打ち方をしていたけど、あれはどういう意図があったのかしら」

 

 順子は大会の時に目撃してからずっと気になっていた疑問を和にぶつけた。一応靖子が解説していたとはいえ、本人がどんな意図を以て打っていたかまでは理解ができていなかったからである。順子もこう見えて学生時代はレギュラーに抜擢されるくらいには打てる手合いだったからこそ、理を捨てた謎の打ち筋が気になったのだろう。

 

「そうですね……説明をするのであれば、長くはなりますが、まずはその前からお話しした方がよいかと」

 

 和はそう前置きし、副将戦で自身が置かれた状況を説明し始めた。

 

「まず、東一局から東四局。連続で流局となった場面ですね。あの時の私は、全員が偶然にも極端に裏目を引き続けていると考えていました。今思えば、あの時から龍門渕さんの影響が及んでいたのでしょうが……」

「龍門渕さんの影響……?」

「はい。私が言うのも変な話ですが……龍門渕さんは確実に、あの半荘、少なくとも南一局で八連荘を破られるまでは、卓上を完全に支配していました」

 

 デジタルの化身である和から飛び出した、卓上を支配するというオカルティックな言葉。これも麻子と出会っていなければ間違いなく至らなかった思考である。

 

「あの時の私は、何を切っても裏目裏目を引き続けていました。それでも私は自分を信じてデジタル打ちに徹していましたが、それでも一向に状況を打開できる気配を感じることはできませんでした。ここまでがあの南一局の前提です」

 

 和はそこまで言うと、一度大きく深呼吸をした。己のアイデンティティにも大きくかかわる話なのだ。他の者ならいざ知らず、和にとってはそれだけ心の準備が必要な話なのである。

 

 

 

「南一局11本場、私はオカルトを認めました」

 

 

 

 デジタルの化身たる和からは、一生かかっても引き出すことができなかったかもしれない言葉。和は、それを自ら口にした。硬い表情は変えぬまま、和は言葉を続ける。

 

「10局以上、龍門渕さん以外が裏目裏目を引かされ続ける確率など、天文学的数値です。それならまだ、龍門渕さんにそういった局面を作り出すオカルトがあると考えた方が自然でした。ですから、それに合わせた対策を打ったまでです」

「た、確かに、言っていることはわかるわ……でも、今までの原村さんなら、それでも類稀なる偶然で済ませていたんじゃないかしら」

 

 和の言っていることに理解はしつつも納得はいかない、といった様子で順子は和に新たな質問をぶつける。順子も和をインターミドル時代から追いかけてきただけあり、思考の変遷の違和感には敏感なようだった。そんな順子に対し、和は少しだけ表情を柔らかくすると、顔だけを横にいる麻子へと向けた。

 

「はい、そうだと思います。ですが……麻子さんがいましたから。麻子さんのおかげで、私は新たなステップへと進めたんです」

「……」

 

「「……」」

 

 和が顔を向けた先には、未だに表情を変えずにお菓子を口に運んではお腹に溜め込んでいく麻子の姿があった。和と順子は二人してそんな麻子を少しだけ見つめた後、顔を見合わせた。

 

「……仁川さんはいつもあんな感じなのかしら」

「いえ……普段なら冷静沈着で頼りになる方なのですが……」

 

 どうも麻子にとって、マスコミというのはどうしても苦手意識があるようで、居心地が悪いようだった。もっとも、その原因自体はこの世界線には存在しないため、麻子以外がその理由を知ることはできないのだが。

 

「……でも、麻子さんは本当に頼りになる仲間であり、宿敵でもあります。そして、私がオカルトを認めるきっかけになった方でもあります」

「……それ以上の理由は聞かないでおくわね」

 

 決勝戦でのあの圧倒的な対局を見ていたならば、何故麻子がきっかけになったのかの理由を聞く必要はないと言えた。透華すら比較にならないほどの、圧倒的な大連荘。そしてその陰に隠れがちではあるが、それまでの七対子ドラ14を生み出したりといった奇跡もある。ピンポイントで振り込みを狙えるほどの読みの力もあるが、高い実力に負けず劣らずの豪運とでも称すべきオカルトの力があったのも事実である。

 そして清澄高校メンバーは皆、そんな麻子と打ち続けてきたのだ。その中でどんな対局が繰り広げられていたかは想像に難くない。確率で片づけるにはあまりにも難しい状況を何度も見てきたであろうことは、順子にも容易に推測できた。

 

「ありがとうございます……話を戻しまして、オカルトを認めた私の打ち筋の意図ですが、順を追って説明しますね」

 

 そう言うと和は立ち上がり、部室の隅にある用具入れからファイルを取り出した。どうやら今回の大会での牌譜のようだった。そこからペラペラとページを捲り、和は該当の南一局の牌譜を開いた。

 

「まず、今まで鳴きをほとんど入れてこなかった東横さんが、一巡目に鳴きを入れた時ですね。私はこの時点で、東横さんが和了りに行っていないことを確信しました。どういう訳かはわかりませんが、前半戦の南場から不可解な和了りを見せていた東横さんが、なるべく目立ちたくなかったと考えていたからです。そんな彼女がわざわざ鳴きを入れて目立つような真似をするはずがありません。であれば、何故彼女は鳴きを入れたのか。私はこの時点で、龍門渕さんにツモを渡したくなかったからだと推測しました」

 

「次に私が{赤伍}を切った理由ですが、3つあります。まず第一に、私はあの局面で、私が和了りに向かうよりは深堀さんに和了りを取ってもらった方が簡単だと判断しました。であれば、私がすることは深堀さんが鳴ける牌を切ってサポートすることです。ここで私は、オカルト的に言えばドラを鳴かせれば勢いがつくのではないか、と考えました。これが{赤伍}を切った第二の理由です。そして最後の理由は、{赤⑤}と{赤伍}を比較した時、{赤伍}の方が、鳴ける確率が高かったからです」

「なるほど、貴女の視点で{④}が壁になっているからそう判断した、と」

「はい」

 

 オカルトを認めたとはいえ、それでも結局和は和であることに変わりはない。和の話の中で、順子はそのことを感じていた。ドラを鳴かせる部分はさておき、残り2つに関しては、結局のところ論理的思考によって導き出された結論である。オカルトを認めても、オカルトを手に入れられる訳ではない。和の武器は結局デジタルなのだ。

 

「そして深堀さんの晒した搭子から、彼女の狙っている役はタンヤオ、三色、役牌、染め手。この辺りに絞られました。なので、深堀さんの方向性を見るために、打{6}としました。これで鳴くか、鳴きたい素振りが見えれば染め手の線は消えますし、そもそも一瞥もしないのであれば十中八九染め手ですから」

「それで{6}を切って深堀さんが喰い取って、タンヤオ三色役牌のどれかが確定した、と」

「はい。次の{發}切りは……攻めて失敗した形ですね。本当に和了らせるつもりがあるなら、一旦は深堀さんの現物である{中}を切って様子見をすべきところでした。多分焦っていたんだと思います。少しでも遅れると、また龍門渕さんの支配がはじまってしまう、と。結果的には変わりありませんでしたが……」

 

 話し始めてからはスムーズに説明が続いているものの、その和の表情はやや険しい。和はプライドが高く、そして自分に厳しい性格である。順子は、和が自分自身に対して厳しい指摘をしているようにも見えた。

 

「真面目じゃのぉ、和は」

「でも、まだ全国という続きがありますから」

 

 まこの呟きに、和は真面目な顔で答える。和の言うことは尤もであり、それはまこも重々承知していた。

 

「でも、ずっと気ぃ張っとると、その内疲れて倒れるよ。少しくらいは休みを取ってもバチは当たらんはずじゃ」

 

 まこのそれは暗に、もっと力を抜けと言っているようなものであった。順子は各々に感想を聞いていたのに、和だけいつの間にか感想戦に変わっていたのだから、そう言われても仕方がない状況ではあった。もっとも、順子が和を焚きつけた部分もあるとは言えるので、半分くらいは順子のせいでもあるのだが。

 

「でも……」

 

 それでもと食い下がる和。しかし、その視線の動きの先にいた麻子の姿を見て、和は急に力が抜けた。無理もない。あの鬼神レベルすら過小評価の闘牌を見せつけた麻子が、未だに硬直状態が抜けないままお菓子を食べ続けていたのだから。

 

「(……小動物みたいでかわいいですね。ってそうじゃない……)」

 

 何とか気を元に戻そうとするものの、その度に和の脳裏には故障状態の麻子の姿がちらつく。やがて真面目に考えるのがなんとなく馬鹿らしくなってしまった和は、それまで硬くなっていた表情を柔らかくした。

 

「……そうですね。硬い話はここまでにしましょう。それで、感想、でしたっけ……」

「そ、そうね。緊張したって言ってたけど、それだけだったかしら」

 

 長年、と言うほどではないものの、やはり和を追ってきた身である。やはり和のことは他のメンバーよりも気になってしまうようだった。もっとも、今回のインタビューに関しては、和の後にも大物が2人残っているのだが……。

 

「そうですね……月並みですが、楽しかったです。初対面の強い人と打つことがこれほどまでに楽しいというのを初めて知ることができました」

 

 副将戦全体の闘牌を思い出しながら、和はそう口にした。強さ的にも決して打ち破れないほどの相手ではない、というのも、その感想にたどり着く一つの理由となっていた。ちなみに麻子に関しては、和にとっては楽しい楽しくない以前の問題である。実力差がありすぎるというのも、強くなるためならともかくとして、楽しむためには中々困るものであった。

 

「……と、途中の感想戦で時間を取りすぎちゃいましたね。咲さんはそろそろ大丈夫そうですか」

「う、うん……」

 

 ようやくインタビューを受ける覚悟ができた咲が、まだおどおどとしながらも頷く。今大会の怪物の一人である宮永咲。一番乗りでインタビューができるとなって、順子は内心の高揚感が抑えきれていなかった。

 

「決勝に向かうほど和了りが取れなくなってたので、やっぱり全国レベルの相手は強いなって……」

「強いって、それを貴女が言うのね……」

 

 咲の口から飛び出した言葉に、思わず順子は苦笑いした。もっとも、麻子ほどではないものの、予選では紆余曲折があったとはいえ、圧倒的火力で相手を捩じ伏せたのを考えれば、それも無理もない話ではある。

 

「でも確かに、決勝での咲さんは南二局まで和了りが取れてませんでしたね」

「龍門渕高校の、井上さんが邪魔してきてたから……」

「邪魔?」

「はい、私の手が進んだと見たら鳴きで邪魔をしてきてたんです。それも、東一局からずっと……だから、あえて槓材を溜めて不意打ち気味に手を進めたら和了れました」

「え、それってわかるものなの?」

「え、わかるものじゃないんですか?」

 

 順子は、咲と自身の認識の違いに内心で頭を抱えた。どうやら目の前にいる魔物は、順子自身が考えていたよりはるかに異次元の存在であるらしいことが嫌でも理解できてしまった。

 傍から見ていたならともかく、実際に打っている間に、相手に邪魔をされていることに気付くのは難しい。ツモを回さないとか、他家に和了りを取らせるだけならともかく、不要牌を押し付けたり流れを変えるといったオカルト的なものもというのはやや無理がある。それを、東場から邪魔していることに気づき、かつその対策まで打ってしまうのは、プロでも非常に難しい。ましてや高校生がそう簡単にできていいものではないのだ。それを平然と言いのけてしまう咲に対し、魔物ですら生温いと感じてしまった順子の感覚はそう間違ってはいないだろう。

 

「でも、思い通りに打たせてもらえないのも、それはそれで楽しかったです」

「(圧勝じゃつまらない、ということかしら……?)」

 

 順子には最早目の前にいる咲という人物が、本当に人間なのか怪しく感じられていた。もっとも、一昔前ならともかく、この現代ではそういった人外レベルの打ち手は比較的数多くいるので不思議な話ではないのだが……。

 

「そ、その、他には何かありますか……?」

「そうね、大丈夫。また聞きたいことがあったら後で聞くわ。さて……」

 

 順子はそう言うと、咲のインタビュー中にようやくバグ修正が終わった麻子の方を見た。順番に聞いて回っているため、いつかは番が来ることは当然わかっていた。ただ、その覚悟までにはあの咲よりも長い時間が必要だったようだが。

 

「仁川さんは大丈夫かしら?」

「……ええ」

 

 柄にもなく緊張している麻子の姿を見て、久は内心笑いを堪えるのに必死だった。何せ普段はクールで麻雀となるとその圧倒的な力を以て相手を屠る魔王である麻子が、たかがインタビュー程度で固まっているのだ。もっとも、その理由を聞いたとしたら、その笑いが一気に氷点下どころか絶対零度近くまで下がり、逆に硬直する羽目になることは言うまでもないだろうが。

 

「仁川さんにも聞きたいことがありすぎるんだけど、ひとまず全体の感想としてはどうだったかしら」

「そうですね。私は楽しかったです」

 

 私は。逆に言えば、他がどう思っていたかは知ったこっちゃないという事である。実際やりたい放題できていたのは間違いないため、麻子にとっては楽しかったというのもまた間違いないことだった。

 

「それに、来年はもっと楽しめそうだと感じましたね」

「それは……どういうことかしら?」

 

 いまいち要領を得ない順子がそれを問うと、麻子はなんでもないように返した。

 

「少なくとも風越女子高校の池田さん、龍門渕高校の天江さんは今年よりずっと強くなって立ち向かってくるでしょうから」

 

 麻子としては、強い打ち手が増えるのは大歓迎であった。お金こそかかっていないものの、それと同等か、あるいはそれよりも重いものを背負っている現状は、それだけで麻子にとって非常に刺激的で楽しいのである。その刺激がより強くなるのだ。麻子にとって楽しみとなるのも必然である。もっとも、それはあくまで人外目線ではという話であり、巻き込まれた一般レベルの者からすればとんだとばっちりでもあるのだが。

 

「(ダメだわ、かわいい見た目の魔王達の会話にはついていけそうもないわ……)」

 

 何故強くなってほしいと願うのか。そして何故それを何でもないように話すのか。順子は深く考えるのをやめた。考えたところで意味をなさないのは、咲の時点で既に分かり切っていたからである。きっと思考回路だけじゃなくて感覚も常人とは違うんだ。順子は無理やりそう自分を納得させた。

 




あんな滅茶苦茶な闘牌をしたんだから、そりゃあマスコミの一人や二人くらい乗り込んできますよね、って。
という訳で順子さんと大介さんペア登場です。
このお話の中ではさり気に初登場な気がする。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一章 出会い編
一話 転生


ということで、大変お待たせしました。リニューアル版一話です。
多分旧版と一番差が出ている部分になると思っています。


「……」

 

 とある一軒の住宅の一室。そこで一人の少女が目を覚ました。髪の短い日本人形みたいな、地味ながらもかわいらしいその少女は、もそもそと着替えながら登校の準備をし始めた。

 

「麻子ー、起きてるー?」

「大丈夫」

 

 母親に呼ばれた少女――仁川麻子は、母親にそう返事すると、いつも通りの手つきで登校の準備を始めた。外見が高校生にしてはかなり幼く見える以外、特に何の変哲もない少女だが、実はとんでもない秘密があった。その始まりはおおよそ十年前に遡る。

 

 

―――

 

 

 その十年前。『彼』は『別の世界線の未来』において、若くして突然静かにこの世を去った。世間的には特に名の知られている人物ではなく、せいぜい村人A程度の存在感でしかなかった彼であるが、ことその日本の『裏麻雀界』においては、彼を知らぬ者はいないというレベルには知られていた。

 

 彼は神出鬼没で悪魔じみた打ち方をすることで知られ、対局した者を精神的に丸裸にすることでも知られていた。そう、何を隠そう彼は『人鬼』、『傀』であったのだ。傀がこの世を去ったということは、裏麻雀界で瞬く間に広がり、激震を与えた。あの神か悪魔かの存在かのように思えた傀も人間であった……ということが衝撃だったのかどうかは定かではないが、ともかくそれほどまでに彼は影響を与えていたのである。

 

 しかし彼はその得ていた地位、財産には特に未練も何も無かった。どこぞの白髪の雀士の如く、そのようなものには興味が無かったのである。それよりも彼が求めていたのは、麻雀であった。それも、なるべく強い打ち手を。それしか生き方を知らない、という訳ではないものの、やはり彼のアイデンティティとも言えるものは麻雀であったのである。

 

 そんな、欲があるのか無いのかよくわからない彼に対し、ある神が興味を持った。金でも地位でも無く、麻雀を求める。そんな常人からはかけ離れたような、死んで魂だけになった彼に接触を図ったのである。

 

「――よ、お主の願い、叶えられないこともないぞ」

「……ふむ、続けてください」

 

 滅多に見せないような、純粋に興味を持った傀の表情。本来相手は人間であるにもかかわらず、まるで傀に値踏みされているかのような錯覚を覚えた神であったが、そこは流石の神。すぐに立て直すと、続けて口を開いた。

 

「お主がこれから行く先は、麻雀が世界的に広まって表に認められた世界。そこで様々な魑魅魍魎達と対局をすることになる。相手には退屈しないじゃろう」

「……」

 

 傀は無言であったが、表情からして続けてくれ、と言わんばかりであった。ここまでで、傀としてのこのような純粋な顔を見ることができたのは、生涯、そして死んでからも通してこの神しかいないかもしれない。手ごたえを感じた神は、更に続きを話し始めた。

 

「ちなみに行く先は長野県の、ある何でもない家庭じゃ。そこでお主はまず学生の雀士として打っていくこととなるじゃろう。お主の性格からして、最初から有名なところに行くよりも、その方がより楽しめると思うぞい」

「……わかりました、いいでしょう」

 

 どうせ死んだ身である。こうして新しい生を得られるだけでも貴重なのだ。細かい部分は聞かされていなかったのが、もとより傀はここで知ろうとも思っていなかった。そこの部分を知らなくとも、それはそれで面白そうであったからである。こうして、傀、もとい仁川麻子――後に『清澄の黒い魔王』と呼ばれる高校生最強雀士が誕生することとなった。

 

 

―――

 

 

 生を受けてからしばらく、麻子は麻雀を打たなかった。否、打てなかった。その理由は単純明快である。麻子は赤子であったのだ。

 さしもの麻雀の妖精といえど、赤子の状態で麻雀を打つことは流石に無理がある。いや、中身のことを考えればできなくもないのかもしれないが、そもそも麻子は前世から必要以上に目立つことはそれとなく避けてきた人物である。故に今はまだ動く時ではないと判断していた。

 それにどうも神の言っていた通り、この世界線は麻雀が明るい形でよく広まっており、何なら高校野球とかと同じような感覚で麻雀のインターミドルやインターハイも存在しているのだ。故に慌てて動く必要はない、と麻子は判断していた。

 

 

―――

 

 

 それから麻子は順調に進級、進学を進めた。勉強に関しては、知識が強くてニューゲームの状態であるため、全く障害にはならなかった。

 また、人間関係も決して悪くなく、数も多いとは言えないものの、小学校時点で既に友人を獲得していた。普段は物静かな麻子と気が合った文学少女、宮永咲と、その幼馴染である須賀京太郎の二人である。

 特に咲とは、お互いのおススメする本の貸し借りや、咲が麻子の家に遊びに行ったりするくらいには良い関係を築けていた。とはいえ、二人とも文学少女であるため、遊びに来た際はベッドに並んで腰かけ、ほとんど無言で本を読むのが恒例となっていたのだが、しかしそんな静かな時間が二人は好きだった。

 また、京太郎と三人でいる際は、二人で咲をからかったりするのもいつものことだった。その時は決まって咲が頬を膨らませて怒るものの、咲も決して嫌という訳ではなく、また麻子と京太郎も超えてはいけないラインを弁えているため、それで仲違いするようなこともなかった。要するに三人ともそれぞれが信頼で繋がっているのである。

 

 

―――

 

 

 時は流れて中学二年生の夏のある日。夏休みの宿題を早々に終わらせた麻子は、自室で寛ぎながらテレビを眺めていた。番組の内容は意外にも、麻雀のインターハイ、その全国大会である。

 前世が前世だけに、今頃その舞台で打っていてもおかしくなさそうな麻子が、何故自宅でインターハイの中継を見ているのか。それは、今ここで打ったとすれば、必要以上に目立ってしまうと考えたからであった。

 傀時代の功罪があまりにも大きすぎることから、つい飛躍した印象を持たれてしまいがちな麻子であるが、本人としては目立つのがそれほど好きではなかった。それは、傀時代の神出鬼没と言われたその振る舞いからも見て取れる。本当に目立つのが好きなら、それこそ自身の存在をこれでもかとアピールしながら蹂躙し続けていただろう。

 しかし実際には、結果的に有名にこそなったものの、自ら名を世間に轟かせようとしたことは皆無と言ってよかった。環境柄、出る杭は物理的に打たれるというのもあったが、何より本人がそれを望んでいなかったのだ。それでも裏麻雀界に名を馳せすぎることとなったのは、本人としては麻雀を打つための必要経費として諦めていただけである。

 

 さて、そんな麻子がお菓子を食べながらその試合を見ていた時、ある高校の打ち手が目に留まった。その打ち手は一年生ながら強敵犇めく激戦区である先鋒を任され、そして全国大会という重圧がかかる場でありながら化け物じみたスコアを叩き出していた。

 怒涛の連続和了と、それに伴う細波から津波へと変貌するような点数のカウントアップ。異能を持っていると確信できる強さを持ったその打ち手。ただ強いだけではとても再現できるものではない麻雀を打つ少女。その名は、宮永照であった。

 

『な、なんということでしょう! 白糸台高校宮永選手、先鋒戦でトビ終了を決めてしまいましたーっ!』

「……」

 

 麻子はすぐに、この宮永照という少女が咲の姉妹、あるいは親戚であると感じていた。それほど数が多い訳ではない宮永という苗字、そしてその容姿。髪の長さなど異なる部分も多かったものの、顔つきや髪の跳ね方等、細かい部分を見れば咲に似ているのは明らかであったからだ。

 だがここで、麻子は違和感を覚えた。この方知り合ってから、咲は今まで麻子に対し、自身に姉がいるという話を一切したことが無いのである。仮に照が姉だとすれば、咲のこの振る舞いは非常に奇妙である。何しろいないものとして扱っている、そこまではいかなくとも、少なくとも明確に避けているのである。

 

「……」

 

 麻子はこの状況が気になってはいたものの、しかし他人の家庭状況に首を突っ込む趣味は毛頭ないため、脳内であれこれ想像するに留めた。とはいえ、これにより咲への興味がより一層高まったのも事実であった。

 

 

―――

 

 

 また時は流れて中学三年生の秋。校内ではいよいよもうすぐ受験だなんだと大騒ぎになり、また勉強のしたしていないで顔色が七色に変わるような季節でもある。

 そんな中、麻子は担任の教師から、今後の進路についての呼び出しを受けていた。

 

「どうぞ、そこに座って、仁川さん」

「はい」

 

 担任の女性教師が、麻子を椅子に座るように促す。机の上には、麻子の成績表と麻子の希望する進路が書かれた用紙が置かれていた。

 

「さて、仁川さん、貴女は清澄高校に進学したいみたいだけど、どうしてかしら」

 

 教師は、自身の視線を成績表と麻子の間で何度も往復させながら、怪訝そうな表情を浮かべていた。それは決して麻子の成績が悪かったからではない。むしろ逆であった。

 

「こんなことを言うのもおかしいかもとは思うんだけど、麻子ちゃんならもっと上の学校でも余裕で進めると思うのよ。ウチは進学校ではないから、無理にしろとは言わないけどね。だから、もし大丈夫なら、清澄高校に進みたい理由を知りたいなって思ったの」

 

 教師の疑問は尤もであった。勉強系の成績は常に全て最高評価、家庭科や技術等の実技系強化もほとんどが良い成績である。唯一と言っていい弱点は、その子どもの日本人形くらいの小さな体躯からくる身体能力の低さ、それに伴う体育の成績だけだった。

 なお、その影響で周囲からの麻子の評価が、儚げな天才文学少女となっており、半ば神聖視されているのを麻子は知らない。咲ほどではないが、麻子も自分からはあまり他者と積極的にかかわろうとはしないため、本人が知らないというのは仕方がない話ではあった。

 閑話休題、そんな成績で進む先が、所謂普通の高校と言うのだから、教師からすれば、麻子の希望は宝の持ち腐れに見えても仕方がないことだろう。そしてそれは麻子自身も当然理解していた。

 

「理由、ですか。そうですね……私の親友が清澄高校に進むから、ですね」

 

 麻子の理由は実に単純であった。親友、すなわち咲と京太郎が清澄高校に進むと言ったからであった。尤も、その裏には様々な麻子の思惑が絡んではいたのだが、麻子がそれを表に出すようなことはしなかった。

 

「……成程、お友達が行くから貴女もそこに合わせるって訳ね」

「いけませんか」

「とんでもない。私はダメだなんて言わないわよ。仁川さんほどの人が、自分でそう判断して進もうとしてるんだもの。私は応援するわよ」

 

 教師は意外にも麻子のそれをすんなりと認めた。麻子としてもそれは意外だったようで、普段のすました顔が、僅かながら目を見開いた驚きの顔へと変わっていた。その違いが判るのは、それこそ親か咲か京太郎くらいしかいない程度ではあったが。

 

「ただ、何にせよ後悔だけはしないようにしてね。今更仁川さんに言うようなことじゃないとは思うけど。いや、逆に仁川さんほどの人だから、かしら。貴女は賢いから、あれこれ色々考えて、様々なことに気が付いたり予測が立てられたりすると思う。その時に、この選択は間違っていなかった、って胸を張れるようにしてほしいの」

「……ありがとうございます」

 

 随分と物分かりの良い先生だな、と麻子は感じた。そもそも前世での教師というものがどのような存在であったかなど、麻子はとうに忘れていたので、これが普通なのかどうかは全くわからなかったのだが、それでも生徒想いの先生だということは理解できていた。

 

「さ、それじゃ硬いお話はこのくらいにしましょうか。仁川さんを待っているお友達もいるみたいだし、ね」

 

 そう言って微笑んだ教師が見た視線の先には、咲と京太郎の、入口の陰から心配そうな表情で麻子を見ている姿があった。成績優秀な麻子が先生に呼び出されるなどという一大事を、笑って流せる方が少ないかもしれないので仕方がないとは言えるのだが。

 

 

―――

 

 

 更に時は流れ、冒頭である、無事に三人揃って清澄高校に入学した後の最初の初夏。ここでも麻子はクラスメートからやはり神聖視されていた。主に中学時代の評判が流れてきたことが大きい。麻子にとっては、それが悪い評判ではなかったのが救いだろう。

 

「おはよ、仁川さん、宮永さん、須賀くん」

「「おはようございます、会長」」

「おはようございます、竹井学生議会長」

「もう、わかってて言ってるでしょ」

 

 そう言い、笑いながら麻子の肩を軽く叩くのは、現清澄高校学生議会長、所謂生徒会長である竹井久だ。久は入学式で麻子のことを知ると、他の生徒の誰よりも早く麻子に接触した人物である。

 いの一番で接触した理由は、麻子の成績が特段に良かったから、というだけではない。そんな人物が、中学校では神聖視されていたという情報もどこからか仕入れていた久は、一体神様扱いされるような少女はどんな人間なのかというのが気になっていたのだ。要するに好奇心からである。

 そして軽く話していて、久は麻子のことを面白い人間だと感じていた。確かに自ら動くタイプではないのであまり知られていないが、麻子は話せばしっかり返してくれるし、冗談だって言う。それだけなら普通の面白い子とさして変わりはない。

 だが、そのかかわりの中で、久には不思議と惹かれるものがあった。但し久の中では、その理由がうまく言語化できていなかったのだが。言ってしまえば勘とか、あるいは一目惚れみたいなものだろう。

 

 その日の放課後。と言っても、この日は午前のみの授業のため、午後が丸空きになっていた。その長い放課後の時間を使い、麻子と咲の二人は学校近くの川のほとりに腰かけ、静かに本を読んでいた。この空気も、既にもう四、五年は続けているが、二人とも飽きることは無く楽しんでいた。

 

「「……」」

 

 麻雀ばかりが取り沙汰されていた麻子であったが、こういった時間も嫌いではない。傀時代のあまりの大暴れっぷりから、まるで孤高の人物と思われていた麻子だが、別段人付き合い自体はそう悪くない。ただ自分からかかわりにいくことは、麻雀を除いては基本的に無かったが。

 そういう意味では、麻子にも昔から人間らしい部分はきちんと存在していた。但し、麻雀の部分だけを切り取って見た場合に限っては、人間らしい部分が皆無に近いというのは事実としか言えなかったのだが、そのことを咲はまだ知らない。

 

「(……こういった、平穏な日々も悪くはないものですね)」

 

 誰に言うでもなく、麻子はそう思った。

 

 

―――

 

 

 お互いに読み始めてしばらく経った頃。ふと何気なしに咲が顔を上げ、つられて麻子も同じ方を向いた。

 

「(綺麗な人……)」

「(……)」

 

 その視線の先には、元々異性の麻子は勿論、同性の咲ですら思わず見惚れてしまう美少女が、川辺の少し遠くを歩いていた。学年色のスカーフを見るに、どうやら自分と同じ1年生であるようだった。

 

「(あれで同じ1年生かぁ……)」

「(……最近の子は発達が著しいのでしょうか)」

 

 素直に羨む咲に、ちょっとピントのずれた考えをする麻子。そんな二人に、更なる来訪者が現れた。

 

「咲~! 麻子~!」

 

 麻子のもう一人の親友、須賀京太郎であった。

 

「京ちゃん!」

「須賀さんですか」

「だから京太郎でいいってのに。まぁそれはいいや、学食行こうぜ!」

「えぇ……でも折角麻子ちゃんから貸してもらってる本だから読まないと……」

「学食でも読めますし、良いのでは? ただどうして学食へ?」

「いや、さ、今日のレディースランチがすっげぇ美味そうなんだよ! だからさ、お願い!」

「……」

「それだけのために食事に誘うって、どうなの……?」

 

 京太郎の必死の頼み込みに対し、咲は呆れ顔を浮かべていた。確かに咲からすればそれだけのこと、ではあろうが、京太郎からすれば男子禁制の、しかしありつければ約束された勝利の昼食がそこにあったのである。頭を下げるのも致し方ないと言えるだろう。

 ちなみに麻子は、そのレディースランチに少し興味を持っていた。この(体格上)幼い体となった麻子は、前世と比べても食欲が上がっていたのだ。

 勿論傀時代でもそういった欲求が無いことはなかったが、そういう時はタバコを吸うことで他の欲求も含めて抑え込んでいた。しかし未成年の体となった現在ではそれが通用しないし、麻子自身タバコが欲しいとも思わなかった。結果として出た先は食欲であった。不思議なことに、それなりの量を食べても、一向に麻子の体は縦にも横にも大きくならないのだが。

 

 

―――

 

 

「はい、レディースランチ」

 

 京太郎の代わりに食堂でレディースランチを頼んだ咲が、京太郎のいる机に戻り、慣れた様子で手に持っているランチセットを京太郎に渡した。それを見た麻子は、自身のレディースランチを運びつつ、咲の方を見ながら呟いた。

 

「やっぱりいいお嫁さんですね、宮永さんは」

「もう、だからただの幼馴染だってば! 嫁さん違うよ!」

「真っ向否定されると、それはそれでちょっと悲しい気分になるんだが……」

 

 すぐにムキになって否定する咲。こういった反応を見るのが楽しいから、麻子は咲いじりをやめることができないのだ。もっとも、今回は流れ弾が被弾した人物がいたようだが、本を正せばその人物が発端ではあるので因果応報とも言えるのかもしれない。大分理不尽ではあるが。

 

 三人が同じ机を囲み、咲は本を読みながら、残る二人がレディースランチを食べ終わるのを待っていた。その時、京太郎は不意に手元から携帯ゲーム機を取り出した。その音に反応した咲が端末を覗き込むと、そこには麻雀ゲームの画面が映されていた。

 

「京ちゃん、麻雀するんだ」

「まだ役もロクに知らないけどな! でも麻雀っておもしれーのな」

「私は麻雀嫌いだな……」

 

 僅かに顔を曇らせる咲。食べながらではあったが、それを見逃す麻子ではなかった。この反応は、明らかに麻雀で何か大きなことが起こったことを示していたし、麻子はそれをすぐに察した。そして麻子の脳内に再生されるのは、二年前、鮮烈な全国デビューを果たした白糸台高校のエース、宮永照の姿であった。

 だが、麻子はその話題をここで口にしようとはしなかった。二年前のあの時も、周囲がインターハイの闘牌で沸き立つ中、咲は一切その話題を口にしなかったのだ。その時は麻雀を全く知らないという可能性も僅かながらにあったが、今日のこの反応で無知という線も消えた。少なくとも打てなければ、その嫌いという言葉も出ないはずだからだ。

 

「え、何? 咲って麻雀できんの?」

「できるっちゃできるけど……家族麻雀でいつもお年玉巻き上げられてたからキライ……」

「……」

 

 咲の言葉を聞いた麻子は、こちらではまだ何もしていないにもかかわらず、思わず咲から目を逸らしてしまった。お年玉を巻き上げられる咲と、今まで自身が御無礼してきた相手の姿が重なってしまったのである。麻子が咲に何かをした訳ではないが、それでもこちらに来てから生まれた良心が痛んでしまうのも仕方がないのかもしれない。

 

「そ、そうか……それはすまん。ところで麻子は麻雀できんの?」

「……まぁ、一応は」

 

 本当は一応なんてものではないことなど、麻子は百も承知していたが、ここで今いらない事を言う必要もないと判断して適当に誤魔化した。その心情を知ってか知らずか、京太郎は一人で少しだけぶつぶつと呟くと……

 

「もひとつおまけに付き合ってくれるか? メンツが足りないんだ、麻雀部」

 

 そう二人に向かって言った。その相手が、後に『清澄の白い魔王』と『清澄の黒い魔王』と呼ばれる存在となることも知らずに。

 




という訳で、麻子さんに過去が一気に生えました。
いきなり女の子になって戸惑う麻子さんも
自分としては嫌いじゃなかったんですが、
遊びに行ったりするときにこの設定だと広がりが中々大変で……。
今後しばらくはそれなりのペースでリメイクしていく予定です。
世間はコロナで大分大変なことになっていますが、皆様もお気を付けください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。