俺とモノズの物語 (三丁目の木村さんの親戚の息子)
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第一話

 俺はポケモンが苦手だ。

 

 

 

「おはようございます、今日はどちらまで?」

「エンジンシティまでおねがいします! おとなが…にまいで…こどもがいちまい!」

「かしこまりました。はい、どうぞ」

「ありがとーございます!」

 

 威勢の良い声が駅舎に響く。七歳かそこらの子供だろうか。後ろでにこにこと見守る親御さんに「ちゃんとかえたー!」と嬉しそうに駆け寄る姿に、自分の子供の頃を思い出して少し頬が緩んだ。

 

「エンジンシティというと…」

「ええ、ジムチャレンジを見に行くんです。今日は休みが取れたので、カブさんの試合を生で見たくて」

「あのねあのね! カブさんすっごいんだよ! ゴーってね! ボーってね! ほのおがすごくてね!」

 

 嬉しそうに目を輝かせる少年の姿に、彼の父親は嬉しそうにほほ笑んでいた。バトルスタジアムに観戦に行くというのは、このガラルでは一番の娯楽と言ってもいい。その分スタジアムのチケットを取るのは難しかったりするのだが……きっと彼はいい父親なのだろう。子供の笑顔のために仕事のスケジュールをなんとかやりくりして、こうして家族そろってジムへ向かうのだ。

 

「エンジンシティ行は九時十五分発です、良い一日になるといいですね」

「ありがとう、君も良い一日を」

 

 駅の改札へと向かう彼らの足取りは軽やかだ。本当に楽しそうで、見ていてこちらも嬉しくなってくるようだ。

 

 ……最も、彼らのことをうらやましいとは思わないが。

 

 

 俺は……ガレキは、ポケモンが苦手だ。嫌いなのではない。苦手なのだ。

 可愛いと思う事や、かっこいいと思うことはある。だが自分から触れ合いに行こうとは思わない。

 

 小さいころに庭先で遊んでいたら野生のポケモンが家の前を通りかかり、恐れを知らなかった当時の俺は警戒もせずに近づいて噛まれたのだ。

 少し歯形が付くくらいの大したことはない怪我だったが、幼い俺には中々の衝撃で、それ以来ポケモンに近づくのが怖くなってしまったのだ。

 

 その点幼馴染のホップやユウリは凄いと思う。ともにハロンタウンで生まれ育った仲だが、俺と違って彼らはポケモントレーナーとしての頭角をメキメキと現し、チャンピオンリーグに出場するに至り、ユウリに至ってはダンデさんを倒して新チャンピオンになってしまった。

 この前のダイマックス騒動も彼らがどうにかしたというし、その活躍には目をみはるばかりである。

 対する俺はと言えば、今日もこうしてブラッシータウンで駅員の仕事を黙々とこなし日銭を稼ぐ毎日だ。

 それが不満だとは言わないが、ともに幼少期を過ごした友人たちが活躍するのをテレビで眺めているだけというのも、焦燥感に似た不思議な感覚にとらわれてしまい、なんだか嫌な気持ちになる。

 もしも俺がポケモンが大好きで、彼らのようにトレーナーの道を選んでいたら、また少し違う今があったのだろうか。俺も、彼らの隣で……

 いや、よそう。こんなことを考えていたってどうしようもない。俺は俺の仕事をこなすだけだ。

 

 

 

 

「……で、なんでお前がここに居るのかな……?」

「あ、おかえりー。遅かったね」

「遅かったねじゃないが」

 

 ブラッシータウンの端にある俺の家に帰ると、件のチャンピオンがリビングでくつろいでいた。

 

「いやほら、そろそろ帰省しよっかなーって思ってたらガレキがここらに住んでたの思い出したからさ、寄ってみたのだよ。えへん」

「……随分暇そうなチャンピオンだな……。っていうか鍵はどうした」

「ガレキのお母さんが「息子はあんまり友達作らないから……不審死してたらいけないしホップ君とユウリちゃんに合い鍵渡しとくわね」って」

「友達少ないのは認めるが独居老人じゃないんだぞ俺は……」

 

 俺はやれやれとため息をついてソファに腰を下ろした。母さんも母さんだがユウリもユウリだ。一体俺のことを何だと思っているのか……。

 

「で、何の用だよ」

「用がないと来ちゃだめなの?」

「ダメじゃねえが一報入れろ。あとホップはどうした」

「ホップはダンデさんに会いにバトルタワー登ってるよ。ここを踏破して会いに行くんだってはりきってた」

「普通に会いに行きゃいいんじゃねえのかな……」

 

 まあ二人とも相変わらずの様で安心した。幼いころはよく三人で遊んだものだが、最近はどうも遠くに行ってしまったような気がしていたのだが……こうして話すとあの頃と何も変わってはいない。俺は少し微笑んで立ち上がった。

 

「紅茶でも淹れるよ、オボンティーでいいか?」

「ヒメリでおねがーい」

「図々しいなお前あれ高いんだぞ……まあいいや、ヒメリだな」

「あーそれと今日は用事があってきたんだけどさ」

「自由すぎねえかお前」

 

 思わずずっこけそうになってしまった。ポットの中にティーパックとドライヒメリのみを入れながらリビングの方に目をやる。

 

「用事がなかったら来ちゃいけないのかって聞いただけで用事がないとは言ってないんだよね~」

「ハァ……で、用事って?」

 

 文句を言うのも諦めた俺がカップとポットを持って戻ると、ユウリは横に置いていたバッグの中から大きな何かを取り出した。

 

「これあげようと思って」

「……おいユウリこれもしかして」

 

 その物体に見覚えがあった俺は嫌な汗をかきながら目の前のユウリに尋ねた。

 

「うん、ポケモンのタマゴ!」

「持って帰ってくれ」

「ええーなんでよー」

「なんでよじゃねえよお前俺がポケモンが苦手だって知ってるだろうが」

 

 そう言い返すとユウリは「知ってるけどどうかした?」と言わんばかりに首を傾げた。こいつは……。

 

「いや苦手なのは知ってるけどさ、ポケモン苦手だと生きにくくない? そろそろ慣れておかないとと思って……ほら、タマゴからなら愛着も湧きそうだし……どう?」

「本音は?」

「サザンドラの孵化厳選してたら思いのほか早い段階で6V完成してタマゴ余っちゃったから信頼できる奴に押しつk……託そうと思って」

「えっ……いやごめんちょっとわかんない」

「まあいいから受け取っときなさいって」

 

 そう言ってユウリは笑顔で俺にタマゴを押し付けてきた。バスケットボール大の大きさのそれはズシリと重く、俺はそれを取り落としてしまわないようにしっかりと抱え直した。

 

「……俺に、育てられるのかね」

「私は大丈夫だと思うけどね。ガレキはポケモンの事怖がってるけど、なんだかんだで優しいから」

「……そういうもんかね」

 

 俺は抱えたポケモンのタマゴを右手で軽くなでる。とくんとくんと確かな脈動を感じ、何とも言えない気持ちになってそのタマゴをぎゅっと抱きしめた。

 

「……わかったよ。こいつは俺が引き取る」

「やっぱりそう言ってくれると思ってたよ! あと色々ポケモンと暮らすのに必要な物持ってきたから置いていくね! 分かんないことがあったら私かホップに電話して! じゃあねー!」

「あっおいユウリ茶くらい飲んで……行っちまったよ」

 

 嵐のような女だ。こういうところは昔から変わっていない。俺はひとまず部屋を片付けることにした。

 このタマゴについては、また後で考えることにする。



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第二話

クリア後のネタバレもあるので注意です


 あれから一週間がたった。未だにタマゴの孵る気配は無い。

 

 

 

「やあ! 元気にしているかガレキくん!」

「おはよう! ポケモン飼い始めたって聞いたぞ!」

 

 騒々しい音に目を覚ます。玄関の方がにぎやかだ。俺は眠い眼をこすり、適当な上着をひっつかんで羽織った。ベッドの中で一緒に転がっていたタマゴを割れないようにベッドの真ん中に置き直して玄関へとむかった。

 

「ダンデさん、ホップ。朝からどうしたんです?」

「ポケモンが苦手だって泣いてたお前がポケモンを飼ってるって聞いて飛んできたんだぞ! とうとう克服できたのか!?」

「うおっ凄いでけぇ声……いや別に克服できたわけじゃねえけどさ……」

 

 朝っぱらから元気のいいホップの声にぐあんぐあんと頭を揺らしながら、俺は二人を家の中に招き入れた。

 

「成程! ユウリにしてやられたというわけだね!」

「そうだったのか……でも、断らなかったってことは前に進もうとしてるってことだな! 偉いぞ!」

「いや別に偉か無いけど……」

 

 ずず、とオボンティーをすする。二人はどうやらユウリから話を聞いてやってきたらしい。昔からよく世話を焼いてくれる兄弟だったが、今でもそれは健在らしい。元チャンピオンとガラルを救った英雄がわざわざ駆けつけてくれることに一抹の喜びを感じながらも、俺はこの際に気になっていたことを聞くことにした。

 

「それでですね、ユウリからはタマゴを受け取ったんですけど、これが中々孵らないんですよ。何か知りませんか?」

「……ユウリの言うところによるともう一週間は経つはずだが……ガレキくん、君はちゃんとタマゴを外に連れ出してあげているか?」

「連れだ……え?」

 

 俺が怪訝そうな顔をすると二人はやっぱりなといった風な顔で説明してくれた。

 ポケモンのタマゴというのは不思議なもので、人がそれを連れ歩くことで孵化が促進されるらしい。むしろそうやって連れ出さないと成長に悪影響が出ることもあるそうだ。

 

「そ、そういう大事なことは早く言ってくださいよ! だ、大丈夫なんですかあいつは!?」

「大丈夫、大丈夫。そうそうダメになったりしないよ」

「そ、そうなんですか……?」

 

 安心したように息を吐きだす俺を見て、ダンデさんは嬉しそうに笑った。

 

「いやあ、そこまで心配するなんて、なんだかんだで君もあの子のことを大切に思っているんだな! 安心した!」

「……そりゃ、苦手ってだけですからね。恨みだなんだがあるわけじゃないですし、元気に生まれてきてほしいと思いますよ」

 

 そういうと、二人は顔を見合わせてふふっと笑った。

 

「よっしゃ!そういうことならタマゴも連れて色々買いに行くぞガレキ!」

「え? いやこの前ユウリが色々置いていってくれたんだけど、あれじゃ足りないのかホップ」

「あれはトレーナー用のばっかりだぞ。トレーナーのポケモンはすぐにレベルが上がって成長するから必要ないけど、レベルの上がりにくいバトル無しのだと成長がゆっくりだから色々必要なんだぞ」

「そ、そうなのか?」

 

 知らないことばかりだ。まあポケモンとかかわりの少ない人生を送ってきたんだし仕方ないといえばそうだが、自分の無知に驚かされる。というか、

 

「あいつ……思考が完全にトレーナーのそれに……」

「まあ孵化厳選とかしてたらしいし感覚が完全にマヒしてたんだと思うぞ」

「大丈夫なのかあいつは……」

 

 幼馴染がバトルジャンキーになっていくのを肌で感じながらそう呟くと二人はまあユウリだから…と肩をすぼめて見せた。本気であいつがどこに向かっているのかと心配になったが、そんな俺をよそにダンデさんはすっくと立ちあがって言った。

 

「まあ彼女についてはいいとして、モーモーミルクとか、柔らかいタオルとか、いろいろ揃えないといけないからな、タマゴを連れて買い物に行こう! ショッピングタイムだ!」



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第三話

「うーん、いっぱい買っちゃったな……」

 

 日も傾き始めたころ、俺はダンデさんとホップと共に家路を歩いていた。両脇に買い物袋を抱え、背中に荷物を背負い、赤ちゃんの抱っこひものようなものでタマゴを抱えて歩いている。このひもはホップがくれたものだ。カバンに入れて歩くより、より身近に感じるだろうとのことだったが、確かにシャツ越しにとくんとくんと微かな脈動を感じる。それは出かける前よりも、元気になっているように感じた。

 

「ただいまーっと」

「いやーははは。けっこういっぱい買ったぞ、ガレキ」

「お前は何を買ったんだよ……」

 

 家につき、荷物を下ろしているとホップが嬉しそうに彼の買い物袋から色々取り出していた。

 

「何って、俺の相棒に使う新品のブラシと……キャンプの新しいランプと……レトルトカレーにカップ麺に……いろいろだぞ!」

「そっかー色々か……」

 

 トレーナーはキャンプ用品を買うのか……そう言えばワイルドエリアに向かう電車にのるトレーナーたちはみんなキャンプ用品持ってたなーと遠く思いをはせているとダンデさんがふいに俺の肩を叩いた。

 

「ガレキくんガレキくん、タマゴ、タマゴが」

「うぇっ……あ!」

 

 何のことかわからず一瞬困惑したが、顔の下の方から聞こえたぱきぱきという音に気づいて胸元を見やる。

 

「あ、た、タマゴにひびが!」

「やっぱり出かけたのがきいたんだぞ! ガレキ!」

「ちょ、ちょまっ、待って! 今タオルしくから! ってああっ! ひもがほどけな……」

 

 玄関でわたわたとごたつく俺。非常に情けない話ではあるが、こういう場に立ち会ったことが無いのだ。ましてやこのタマゴから生まれてくるのは俺のポケモンで、当事者であるという事実がさらに俺をパニックに追いやる。

 

「ああっせめてタオルを床に敷いて―――」

 

 ぺき、とひときわ大きな音が響き、青色の小さな鼻先がひょこりとからの隙間から覗いた。

 ぴぃ、ぴぃ、と鳴き声がして、俺は震える手で胸元のタマゴに手を伸ばし、割れた殻を取り上げた。

 

「ぴぃ……?」

「あ……」

 

 じっと、小さな顔がこちらを見上げていた。

 

「おめでとう」

 

 後ろから、ダンデさんの声が聞こえる。

 

「君の初めてのポケモンが今、生まれたんだ」

「あ、あ……」

 

 怖い筈だった。苦手な筈だった。

 でも今目の前にあるそれは、小さな小さな顔で、こちらを見上げていて。俺は怖がることも忘れ、殻ごとその子を抱きしめていて、

 

「おはよう、モノズ。……はじめまして、だな」

 

 開きっぱなしの玄関から、温かい夕日が俺達を包み込んでいた。



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第四話

「……」

「……がぁ?」

 

 モノズが無事に生まれたのを見届けた二人が満足げに家を去ってから数十分。俺は何とも言えない空気の中モノズと見つめあっていた。

 ついさっき、生まれた瞬間はテンションが上がったというか生命の神秘に立ち会ってハイになっていたというか。とにかく恐怖を忘れてこの子に触れることができたのだが、時間が経ち冷静になった今は沸々と恐怖感が心の底から湧き上がってきたのである。

 

 モノズ。そぼうポケモン。目が見えないので手当たり次第に体当たりしたり噛みついたりして周りの様子を把握する。食べられるものは何でも食べて、おいしかったものは匂いを覚える習性がある。動くものにかみつくのでうかつに近寄ると危険とされている。

 

 図鑑を読んだ時の一連の説明文がふっと脳裏をよぎる。そぼうポケモンとはなんなのか。図鑑に粗暴とか言われるポケモンは人里にいていい代物なのか。そもそもうかつに近寄ると危険とはっきり明記してあるではないか。あの馬鹿(ユウリ)は何を思ってポケモンが苦手な男にこんな危険なポケモンを差し向けたのか。やはりあいつは鬼畜の気があるのか。

 

 そんな思考が脳内をぐるぐると駆け回る。ちょっとしたパニック状態だ。俺がここから逃げ出さないでいられるのは、ここが俺の家でここから逃げ出したとしても逃げ込む先がないという事と、流石にいい年してポケモンにビビって逃げ出すのはいかがなものかと俺のわずかな理性が訴えているからだろう。

 しかし、しかしだ。このままというわけにはいかない。いかないのだ。生まれたばかりのあの子の体を洗って、ミルクを飲ませて、温かくして布団にでも入れてあげなければならない。これは飼い主として当然果たすべき責任だ。

 だというのに情けない俺はモノズに近づけずにいた。怖いのだ。幼いころ、ポケモンに噛まれたときの恐怖が脳にこびりついて離れてくれない。その恐怖がねっとりと体にまとわりついて、俺の意思を鈍らせた。

 情けない。本当に情けない。でも仕方がないじゃないか。十数年かけてどうにもならなかったんだ。それがこんなことでどうにかなるんなら俺はこんなに苦労はしていない。

 

 そんなことを考えているうちにモノズはぐぐ…と体を持ち上げた。よたよたと覚束ない様子だったが、ふらふらしながらも何とか四足で立ち上がり、あたりを伺うようにきょろきょろと首をふって、一歩踏み出そうとして―――こけた。

 

「……ぴぇ」

 

 ぇえええん、と。小さなのどから引き絞るような鳴き声がした。こけていたかったから、というような声ではない。もっと切実な、胸の内に訴えるような、悲痛な声。その様子を見て、俺はハッとして息をのんだ。

 

 そうだ、モノズは目が見えないのだ。

 

 殻を破って生まれて、目も見えず、冷たい床の上に一人。どれほど恐ろしかっただろう。どれほど心細かっただろう。

 ああ、嫌になる。こうしてはっきりと突き付けられなければ、こんな簡単なことにも気づけず自分に言い訳ばかり聞かせている自分が嫌いだ。

 

 あの子には俺しかいないのに。あの子を抱きしめてやれるのも、あの子の不安を拭い去ってやれるのも、ここには俺しかしないというのに。

 

「……ッモノズ!」

 

 俺はたまらず駆けよって、震える小さな命を抱き上げた。

 

「ごめんな…ごめんな…そうだよな…お前も怖いよな…俺なんかよりお前の方がよっぽど怖かったよな…」

「ぴ?」

 

 ぎゅうっと抱きしめて、俺は縋るようにつぶやいた。

 モノズは、突然触れられてびっくりしたのか、少しじたばたともがいて、俺の指にかぷりとかみついた。

 

「はは……くすぐったいな」

 

 ぎゅむ、ぎゅむと甘噛みされる指先は、記憶にこびりつくあの痛みではなく、ほのかな力強さと、確かな温かさを伝えていて……。

 

「うん、もう怖くないよ。大丈夫。平気さ。怖くない……」

 

 俺は言い聞かせるようにそう独り言ちてモノズの頭を撫でた。

 この言葉は、モノズに向けての言葉だったか、それとも。



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幕間 ガレキ

えきいんのガレキ

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ハロンタウン生まれ、ブラッシータウン在住の青年。現在はブラッシータウン駅で駅員として働き日銭を稼いでいる。

 

 幼馴染のホップとユウリとは二つ年が離れている。彼自身は二人のことを弟か妹のように思っているが当の本人たちはタメの友人だと思っている。「年上って感じがしない」だそうだ。つらい。

 

 幼いころに近所のカジリガメに危うく頭蓋骨を粉砕されかけたことがトラウマになりポケモンが苦手。特に噛みつくものに対して露骨な警戒の姿勢を見せる。だが本人はポケモンのことが嫌いというわけでなく、なんとか克服したいと思っていた。ちなみにスマホロトムは問題ないそうで、「ロトムは噛まないし…」だそうである。スマホロトムがポケモンというより家電に近い感覚なのも起因していると考えられる。

 

 住居はブラッシータウンの離れにある一軒家である。分かりやすく言うとブラッシータウンの博士の家に向かう道から見える奥の畑の方にある家に住んでいる。家は小さな二階建ての1LKの風呂トイレ別。借家。最近の悩みは家を出ようとすると草むらのワンパチが玄関の前で遊んでいて出られなくなることらしい。

 

 変なところで真面目なきらいがあり、頼まれたことは断れない性質で今回もタマゴを引き取ることになってしまった。文句を言いつつもとりあえずイエスといってしまうその性格のせいで常に胃痛が絶えない。そんな性格を見透かされ、ダンデ、ホップ、ユウリの三人からは頻繁におせっかいを焼かれている。それを気恥ずかしく思いつつも悪い気持ちはしないようだ。

 

 駅員という事もあって、意外と交友関係は広い。ハロンタウンには駅がないため、ブラッシータウンの駅を利用する者は多く、二つの町に住むほぼすべての住人と知り合いである。プライベートでは口は悪いが、公私はきっちり分ける上、目上の人物には礼儀正しいのであまり角は立たない。コミュニケーション能力が割と高いのでどんな相手とでもすぐに打ち解けるがポケモンを連れている場合露骨に表情が硬くなるのでたまに弄られている。

 

 ガレキの名前の由来は瓦礫ではなくガレージキットから。モノづくり全般、特に手芸が好きだったりする。DIYで棚とか椅子とか作っちゃうタイプの人類。他の皆はポケモン勝負にはまっていたが、そういうわけにもいかなかったからかポケモンのかかわらない範囲で多趣味である。ただ、ジムバトル観戦はよくするらしい。「目の前にいるわけじゃないし…」らしい。ここら辺から彼の「本当は好きだけどそれはそれとしてやっぱり怖いから近づけない」という悲哀が見て取れる。ちなみに彼の一押しのジムリーダーはカブさんである。



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第五話

「うん、風呂入ろう、風呂」

 

 俺はモノズを抱きかかえたままそう独り言ちた。

 

「ぴぃ?」

 

 モノズが俺の声に反応して、ぬっと顔をこちらに向けた。目は見えていないが耳と鼻はいいのだろう。モノズはすんすんと鼻を鳴らしていた。

 

「風呂だ風呂。卵から孵ったばっかでなんかちょっとぬっちょりしてるからなお前。風呂入ってさっぱりするぞ」

「ぅが♬」

 

 何のことかはわかっていないだろうが、俺の声の明るい調子から楽しいことだと思ったのかモノズがうれしそうな声をあげる。モノズは成長すると80㎝くらいになるらしいが生まれたばかりのこの子はタマゴとあまり変わらない大きさで、俺は片手で抱き上げることができた。まだ歯も生えそろっていないようだし、先ほどからずっと噛まれている指もふやけたくらいでいたくはない。これならなんとか大丈夫そうだった。これは怖くない。

 

「ちょっと待てよー、確かポケモン用のせっけんとブラシも買ってきたはずだったからな…」

 

 モノズを左手で抱え、俺は右手でガサゴソと買い物袋を漁る。入れる時にきちんと仕わけていたからか、すぐに見つかった。

 

「よし、行くぞモノズ。初めての入浴タイムだ」

「がぁ?」

 

 まだよくわかってなさそうなモノズを連れ、俺は風呂に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 俺はまずタライに浅くお湯を張る。人間よりやや体温の高いモノズが風邪をひいてしまわないように、少し熱めのお湯だ。

 

「ふん……こんなもんかな」

 

 指をつけて具合を確かめた後、俺はモノズをゆっくりとタライに近づけた。いきなりお湯につけないのは、生まれたばかりで、しかも目の見えないモノズをびっくりさせないようにするためだ。

 俺は足先からゆっくりとお湯につけるが、ちょんとお湯に脚の先が触れた瞬間にモノズがびくっと体を震わせた。不安そうにじたばたするモノズを落ち着かせるために、脇の辺りを支えていた左手をすっと滑らせてモノズの口に俺の指をくわえさせた。すると、モノズはふにふにと俺の指を甘噛みしはじめ、おとなしくなった。

 ずtとくわえて離さなかったからもしやと思ったが、やはりモノズは俺の指をくわえていると安心するらしい。おしゃぶりみたいなものだろうか。噛まれるのがトラウマな俺としては背中に嫌な汗が伝っていたが、これくらいは耐えられる。歯が生えていないからか、噛まれているという感じがあまりしないのも大きいだろう。

 俺はモノズが俺の指をしゃぶっている間にモノズをタライに張ったお湯につけた。四センチくらいしかないので、全然体は使っていなかったが、これでいい。俺は自由な方の手でお湯をすくってばちゃばちゃとモノズの体にお湯をかけた。びっくりさせないように足先からゆっくりと、お湯の感覚に慣らしていく。

 

「ほうら、気持ちいいか?」

「ぅぅぅ……」

 

 何を言っているのかはわからなかったが、モノズは俺の指をくわえた口から気の抜けた鳴き声を発した。これは多分気持ちいいという事でいいのだろう。

 俺は買ってきた毛の柔らかいブラシを取り出してせっけんを泡立たせた。片手でやるのはしんどかったが、モノズが大人しくしてくれていたのもあって、俺は特にトラブルもなく洗い始めることができた。

 モノズの体はドラゴンタイプにしては珍しく、鱗だけはなく毛にもおおわれている。肩回りから顔にかけての黒いところが毛だ。俺はぬっちょりとするモノズの体に、丹念にブラシをかけていく。青い鱗の部分はしっかりとブラシでこすり、こびりついた粘液を落とす。黒い毛の部分は、指ですく様にして石鹸の泡でしっかりと洗う。

 モノズの青と黒の体が白い泡で覆われても、モノズは俺の指を離そうとしなかった。そんなに気に入ったのだろうか。今はいいが、歯が生えて来てからが少し怖い。

 そんなことを考えながら、俺はモノズの体にシャワーをかけて泡を洗い流した。お湯にはもうすっかり慣れたのか、シャワーを気持ちよさそうに浴びていた。

 

「っくし!」

 

 参った。モノズを洗っていたら自分の体を冷やしてしまった。俺は鼻をこすりながら隣のバスタブを見やる。お湯はもう張れたみたいだ。

 

「綺麗になったし、お前も風呂に入るか?」

「がぅ?」

 

 よくわかってなさそうな声をあげるモノズ。いやまあ分かれというほうが無理があるが。どちらにせよモノズが俺の指を離そうとしないので、俺はモノズを抱えて湯船につかる。

 

「っああ~……やっぱこれだな……」

 

 思わずオッサンのような声をあげてしまった。だがこればかりは仕方がない。俺は風呂が好きなのだ。特に仕事アガリに入る風呂は格別で、一日の疲れがどっと吹き飛んでしまう。毎日風呂に入るために、わざわざ風呂のついた家を探してハロンタウンからブラッシータウンに引っ越してきた位だ。風呂はいい。人生が豊かになる。最高だ。

 とはいえモノズはどうだろうかと視線をモノズにうつすと、モノズは俺に抱えられたまま湯船につかり、前足でお湯をばちゃばちゃやって遊んでいた。ポケモンは飼い主に似るというが、この子も風呂好きなようで何よりである。

 

「あ、そうだ。ちょっと失礼して……」

 

 そこでふと、ユウリの言葉を思い出した俺はモノズをこちらに向かせ仰向けに抱き上げる。左手で支えて、右手で腹の真ん中あたりをさすり、「それ」を探る。

 

「おっこれだな」

 ぶすっ

「ぎゃ!?!?」

 

 モノズが驚いたような声をあげる。まあ股間に指を突っ込まれたのだから驚く気持ちもわかるが。これは仕方ない事なのだ。

 ユウリは、ポケモンが生まれたらまず性別を確認しておくようにと言っていた。ピカチュウのように雌雄の区別がぱっと見で分かったり、性器の様子が分かりやすいワンパチなどと違って、ドラゴンタイプのモノズはオスもメスも性器が鱗で隠された穴の中に収納されていてぱっと判別がつかないのだ。どうするのかユウリに尋ねたところ、「腹に手を当てて上から下へゆっくり鱗をさすって違和感のある鱗が性器を隠してる奴だからそこに指突っ込んでなんか手ごたえがあったらオス、何もない穴だけだったらメスね」らしい。確認方法が乱暴すぎる。いやこれしかないというのも理解できるのだが。

 

「お前は女の子かー、そうか……なんか悪いことしちゃったな……」

「うるる……」

 

 オスだったらまあ男同士だしいいかと思ったが女の子となると少し悪いことをした気分になる。俺は抗議するようにどすどすと俺の腹に頭突きするモノズに「ごめんごめん」と謝りながら頭を撫でた。撫でながら、親指を口に突っ込むとモノズはすぐに甘噛みし大人しくなる。

 ……もしかして俺の体からは何か甘いものでも出てるのだろうか。昔からよく噛まれたり舐められたりしゃぶられたりするがここまでくると不気味だ。俺の体はポケモン的にはごちそうなのかもしれない。怖い。変な想像は止めよう。

 

「ん?」

 

 どす、と急にモノズが俺の方に頭をぶつけてきた。まだご立腹なのかと思ったが、よく聞くとすーすーと寝息が聞こえた。寝てしまったらしい。

 

「おいおいおい……風呂場の寝落ちは命に関わるぞ?」

 

 俺はふっと微笑んでモノズを抱き上げた。寝るには少し早いが、今日は色々あって俺も疲れた。今日はもう寝ることにしよう。



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第六話

「……寝苦しいと思ったらお前か」

「……ぷぅ」

 

 目の前で間の抜けた面を晒していたのはモノズだった。小型ポケモン用のベッドをユウリに押し付けられていたので毛布を敷いてその中に入れてあげていたのだが、どうやら夜中に起きて俺の布団に潜り込んできていたらしい。変なにおいがしてなにやらはながぬっちょりと湿っているので、俺の鼻をかじっていたらしい。鼻がふさがって息苦しくなって目が覚めてしまったようだ。何故鼻を……と袖で鼻を拭っいながら考えていると、「ぷぅ……」と鼻提灯垂らしながらモノズがばたばたと手足をばたつかせた。口をパクパクさせて何やら探しているようだ。

 

「……」

 

 俺はふとシーツを棒状に捩ってモノズの口に突っ込んでみた。ぐにぐにと二、三回噛んで、ぷぇっと吐き出す。お気に召さなかったようだ。今度は指を突っ込んでみる。モノズはそれをぐにぐにっと噛み、舌で俺の指をぐいと動かし位置を調整して、満足したように咥えた。

 

「……なんで俺の指なんだ……」

 

 やっぱりなんか甘いのでも沁み出しているのだろうか。ちょっと不安になってきたが、まあ考えてもしょうがない話だ。

 

「まだ四時か、起きるには早いけど寝るのも早かったからな。起きて色々準備……って指咥えられてたんだったな俺……」

 

 起こした体をまた横に倒し、もぞもぞと布団の中に潜り込む。今朝は冷え込んでいるようで、まだ暖房をつけていない我が家では布団の中は中々の居心地だった。

 今日は休みだし、二度寝するのもありだろう。

 

「……がぁ?」

「ん? 起こしちまったか?」

 

 布団の中でもぞもぞとモノズが体をよじる。目が見えていないからか、俺の指をがっちりと咥えたまま前足で俺の腕をぺしぺしとたたいて、手繰るように俺の体に身を預けてきた。

 

「ぴぃ♬」

 

 横になった俺の腕の中で、モノズは俺の腕に抱きつく様にしてまたすやすやと寝息を立て始める。

 

「……まあ、どうせ二度寝するしいいか」

 

 身動きが取れなくなってしまったが、寝るつもりだったので問題はない。目元は毛で隠れて伺えないが、暗がりの中でも幸せそうだとわかるいい笑顔だ。

 

「……」

 

 この子を見ていると、自分は本当はポケモンが怖くないのではないかと思ってしまうが、それはこの子がまだ生まれたばかりで小さいからだろうと思う。ポケモンは成長が早いし、きっとあと数日もすれば立派な歯が生えそろうだろう。それにこの子はそぼうポケモンのモノズだ。目が見えないからあちこちぶつかって危ないし、なんでも噛みつく習性もあるらしい。この子もいつかきっと強い歯でなんにでも噛みつくようになるだろう。何故か俺の指がお気に入りらしいし、そうなった時俺は今みたいに落ち着いていられるだろうか。昔のトラウマを思い出して、この子を怖がってしまうんじゃないだろうか。そう思うと辛い。誰かに怖がられるのは……嫌なものだ。この子にそんな思いはさせたくない。させたくはないが。自分がそう簡単に変われるようにも思えないのだ。

 

「……ぴゅぅ」

 

 間の抜けた声を漏らして、モノズは俺の腕の中で笑った。何かいい夢でも見ているのだろうか。とても幸せそうだ。

 

「……まあ、いいか。そん時はそん時だ」

 

 今はただ、この子の笑顔を見ていよう。いつかこの笑顔を守る為に、自分が変われる日が来ると信じて。



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第七話

更新遅れて申し訳ない…ちょっと立て込んでて執筆できませんでした…南無。


 朝だ。すがすがしい朝だ。空はカラッと晴れ温かい風が麗かな陽気を運んでくる。外からは元気のいいココガラの鳴き声が聞こえてくるし、きっと今日はいい一日になるだろう。

 

「朝っぱらからよだれでびしょびしょになってなけりゃあな……」

 

 俺は疲れたようにそう独り言ちた。

 二度寝。そう二度寝したのである。それはもうすやすやと。モノズの体温が高く抱きしめて寝ると大変気持ちよく眠れたのである。が。が、だ。

 すっと視線を下に移す。そこにいるのは幸せそうな寝息を立てるモノズだ。……俺の服をガジガジとかじっているが。

 

「こいつあれからずっと俺をかじり倒してたのか……まだ歯が生えてないからあれだったが……生えてからどうすんだこれ」

 

 すっと遠い目をしてしまう。この子の歯が生えそろったころ俺はまだ人の形をしているだろうか。

 そんなことを考えながら着替えようとベッドから降り……られない。モノズはがっちりと俺のシャツを噛んでいた。

 

「……」

 

 ひとまずシャツを脱いでベッドを降りた俺はクローゼットから着替えを出そうとして―――ユウリと目が合った。

 

「昨夜はお楽しみでしたね?」

「お前正気か?」

 

 口元に手を当てて「キャー」とかほざくユウリに白い目を向けながらタオルを引っ張り出して顔と体を拭った。

 

「えっ、いやだって上半身裸で謎の液体に塗れてるし……」

「だってじゃねえよ!? っていうかどういう発想してんだよお前はよ……」

 

 服取るからそこどけよ、とユウリを追い払いつつ俺はクローゼットからシャツを取り出して身に纏う。柔軟剤のヒメリの花の香りが鼻腔をくすぐった。

 

「で。一体何の用だよ、こんな朝っぱらから」

 

 怪訝そうにユウリを見やる。この前ユウリは合い鍵を俺の母から受け取っているといっていたが、だからってこんな朝早くから人の家に来るのだ。何か大切な用事でもあったのかと思ったのだ。が。

 

「いやまあ特にどうってことのほどは無いんだけど」

「もしかしてチャンピオンって暇なのか?」

「おうおういきなり失礼だなガレキさんや」

 

 思わず本音が口をついて出てしまった。この正直者め! と適当に自分を諫めて現実逃避しつつ、ちゃっかりと人のベッドに腰掛けるユウリの頭に軽くチョップを入れて立ち上がらせた。

 

「まあいいや。で、お前朝飯は食ってきたのか?」

「食べてなーい。たかるつもりで来たー」

「お前な……ハァ。ホットケーキでも焼いてやるからリビングで待ってな」

 

 家が近所だったこともあり、昔からユウリはよくうちに朝飯を食べに来ていた。まさか自立してからもおしかけてくるとは思わなかったが、追い返す理由もないので俺は階段を下りてキッチンへと向かう。

 

「やたっ。ガレキさん大好きー」

「勝手に言ってろ……」

 

 後ろからひょこひょことついてきていたユウリが適当な世辞を言っているがこれも昔からだ。未だに「好きだよー」とか言ってれば喜ぶとでも思っているのだろうか。そういうところはまだ子供というかなんというか……。

 俺はため息をつきながらホットケーキミックスの袋を開けた。うちのホットケーキはそんな本格的な奴じゃない。市販されてるホットケーキミックスを袋に書いてある通りに調理した簡素なものだ。二人分焼き上げるのに、二十分もかからない。

 俺は皿を二つ持ってリビングの机に並べる。そういえばこの部屋は結局リビングなのかダイニングなのかという疑問が一瞬脳裏をよぎるがすぐに霧散する。二階の方でガタンと物音がしたからだ。

 

「うわっ、何の音?」

「二階には俺の寝室しかないが……ってああ! 起きたのか!」

 

 俺は持っていた物をひとまず机の上に置いて階段を二段飛ばしで駆け上がった。

 ドアを開けると、思った通りモノズが泣きそうな顔で辺りの物にかみつきまくっていた。目を覚ますと俺の匂いも声もしないから混乱して手あたり次第にかみつきまくって俺を探していたのだろう。

 

「モノズ! 俺はこっちだぞ」

 

 目の見えないモノズに分かるように手をパンパンと鳴らしながら呼びかける。

 

「!!!」

 

 するとモノズは咥えていたベッドの脚から口を離し、一目散にこちらに駆け寄ってきた。

 

「あはは…そんなにさみしかったか…悪いことしたな」

「ぎぎゃ♬」

 

 俺が抱き上げるとモノズは先ほどと打って変わって笑顔で一声鳴いて俺の腕にかみついた。二、三回ガジガジと噛むと、安心したのかふにふにと甘噛みし始めた。

 

「ぴぃ」

 

 嬉しそうに鼻を鳴らすモノズを見て一息ついた俺が立ち上がり下に戻ろうとすると、部屋の入り口から信じられないものを見るような目でこちらを見つめるユウリと目が合った。

 

「…ぇない」

「ど、どうしたんだよユウリ……」

 

 不審がって声をかけると、ユウリは「いやありえないって!」と声を荒げた。

 

「生まれたのって昨日だよね!? モノズはそぼうポケモンで気性が荒いから普通こんなに早くなつかないよ!? っていうかなんで噛まれても平気そうなの!? トラウマだったんじゃないの!?」

「なんでなついてるのかは知らんが噛まれるのはトラウマではあるぞ。ほら今もちょっと冷や汗かいてるし」

「冷や汗程度ですんでるじゃん! 前は牙が生えてるポケモンが近寄ってくるだけで逃げ出してたじゃん!」

 

 まあそうだけど…と俺は言葉を濁した。そう言われてみれば昨日からこっち、モノズに対する恐怖心はガッツで耐えられているのだと思っていたが、それにしてはあんまりにも早く噛まれることに慣れている気もする。前までのオレなら一回噛まれたあたりですべてを諦めていた筈だ。……。

 

「まあ俺も成長したってことだろ。なーモノズ」

「ぴ?」

 

 俺の腕の中で俺の腕を甘噛みしていたモノズはくにっと首を傾けた。

 

「なんでそんな仲良くなってるのぉ……!」

「どうしたんだよ急に……ほら、ホットケーキ冷めるし下降りて食おうぜ」

「うぅ…なんで…どうして…」

 

 がっくりとうなだれるユウリ。なにか気に障る事でもあったんだろうか。よく分からない奴だ。俺はモノズを連れて一階に下りた。



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第八話

「ハァ……計画が台無しだよぉ……まあいい事なんだけどさぁ」

 

 朝食を食い終えたユウリは机に突っ伏して何やらブツブツぼやいていた。

 

「計画ってなんだよ。それがダメになったから機嫌悪いのか?」

 

 モノズに飲ませるモーモーミルクをポケモン用の皿に注ぎながら俺は尋ねた。ユウリは、のっそりと上体を起こし、こちらに顔を向ける。

 

「いやさ? 私とホップとで色々計画してたのよ。ガレキをどうにかしてポケモンに慣れさせようってね? あえて噛みつき癖の強いモノズを渡してショックを与えて後々の処置に対する体制をつけさせようと思ってたんだけど……」

「俺が思いのほかモノズと一緒にやれてるから計画がとん挫したと?」

 

 俺がそう聞き返すとユウリはピッとこちらを指さした。

 

「そ。まあいい事なんだけどね……いい事なんだけどぉ……ついでに色々からかってやろうと思ってたからさぁ」

「おい待て何だその歯医者の待合室とかに置いてありそうなやつは」

 

 ごとっと机の上に置かれたものを見て思わず前のめりになる。何という名前なのか分からないが。あの歯医者さんが歯の状態を説明するときとかに使いそうな大きな入れ歯みたいな模型だった。

 

「ああこれ? これでガレキをガブガブやって噛まれる事への恐怖心をだね……」

「んなもんで噛まれたらむしろトラウマ増えるわ……っていうかそんなのどこで買ったんだよ……」

「そりゃもうあれよ。チャンピオンのツテで……」

「どういうツテなの……」

 

 ガチガチと模型の歯をカチ鳴らすユウリを見て、俺はげんなりとした声を上げた。

 

「まあでもあれかな。私のあげたタマゴから生まれたモノズが人懐っこかったんだろうね。結果オーライだし全然問題ない」

 

 そう言いながらモーモーミルクを飲み終えたモノズに手を差し出すユウリ。顎のしたでも撫でてやろうとしたのだろうが、指先が触れた瞬間にモノズは飛び上がるようにして逃げ出し傍にいた俺の脚の後ろに身をひそめた。

 

「「あれ……?」」

 

 二人して間抜けな声が出た。モノズは俺の脚にすがるようにしてすんすんと鼻を鳴らしている。嗅ぎなれない匂いを警戒しているのだろうか。だがしかしこれは……

 

「おかしい……てっきり人懐っこい性格だからガレキのこと強く噛まないしこうやって大人しいのかと思ったのに……」

「思いっきり警戒してるよなこれ……」

 

 ユウリはしばらく腕を組んでうんうんと唸った後、モンスターボールを取り出した。

 

「ガレキ、試したいことがあるからちょっとそこに立って」

「? あ、ああ」

 

 言われた通り立ち上がる。モノズは不安そうだったが、ソファの上に座らせた。

 

「で、何を――」

「キテルグマ! 君に決めた!」

「え?」

 

 ぐもー、とピンクと黒で視界が埋め尽くされる。何故ここでキテルグマ? という疑問を呈する暇もなく、俺はその剛腕でぎりりと抱きしめられた。

 

「がああああ!?!?!?」

「ぴぃ!?」

「戻れ! キテルグマ!」

 

 ピシュンと音を立ててキテルグマはユウリの持つボールへと戻る。俺はぎしぎしと痛む肋骨をさすった。折れてはいないようだ……。

 

「成程……見立て通りね」

「何がだよ! お前キテルグマによる年間死亡事故件数知ってやってん……がふっ」

 

 大声を出したせいで軋んだ骨に振動が行き俺はその場にへたり込んだ。こいつは一体何を考えているんだ……。

 訳も分からずユウリをにらんでいると、彼女は笑顔でこちらに話しかけてきた。

 

「知ってる? キテルグマの抱擁って親愛表現なんだけど、今のキテルグマ…はなこって言うんだけど、はなこは気難しくて全然初見の人に心を開かないんだよ」

「……それがどうかしたのか?」

 

 よろよろと体を起こしてソファに座り直した俺に、ユウリは告げる。

 

「ガレキはポケモンの事苦手に思ってるけど…ガレキはポケモンに好かれる才能があるみたいだね!」

「はぁ……?」



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第九話

「どういうことだ?」

 

 痛む体をさすりながら問いただす。ユウリはキテルグマの入ったモンスターボールをしまいながら答えた。

 

「どういうことも何も言った通りよ。ガレキはきっとポケモンに好かれる性質なの。気難しいはなこやそぼうポケモンのモノズが懐いているのが私の根拠ね」

「それ根拠になってんのか……?」

 

 訝しげにそう訊ねると、ユウリは「だって思い出してみてよ」と切り返す。

 

「ガレキがポケモン苦手になったキッカケのカジリガメいるじゃない? 飼いならされてない野生のポケモンにかじられてトラウマ程度で済むのは普通に考えてちょっとおかしいよね?」

「……まあ、カジリガメにやられたわけだからな……普通にかみ砕かれて死んでてもおかしくはないが……」

 

 言われてみるとそうだった。ポケモンを持たない子供は基本的に町や村から出てはいけないことになっている。特に草むらに入るのなんてもってのほかだ。ポケモンは人間のパートナーであるのと同時に、脅威でもある。子供をさらうポケモンや命を奪うポケモンもいるし、そうでなくともポケモンは力が強い。事故が起こることも少なくないのだ。 

 ……そう、あれはまぎれもなく事故だった。普通なら死んでしまっていてもおかしくないほどの……。

 

「つまり何か? あれも一種の親愛の表現か何かだったと?」

「多分ね……そう考えれば色々合点もいくし。ほら、朝仕事に行く前に野良のワンパチによく絡まれてるじゃない? あれだって冷静に考えたらおかしいよ。普段は草むらから出てこないのに……」

「……」

 

 黙り込んでしばし考えこむ。もしかすると本当にそうなんだろうか。自分が怯えていただけで実は自分はとても懐かれていたと? いやしかし……

 

「そうは言うが好きだから傷つけるって例もあるし安心材料にはならないだろ」

「自分一人の物にならないから殺して永遠に自分だけのものにするねっていう女子よくいるしね……」

「いやそれはそうそういねえだろ!?」

 

 とんでもないことを言い出すユウリに思わず目を丸くするが、当のユウリは「いや結構見かけるけどねぇ」と何やら恐ろしいことを呟いていた。そんな修羅の国だったのかガラルは。ブラッシーとハロンからあまり出る機会がないので知らなかった…。

 

「ま、ガレキがポケモンに好かれるタイプだったからって今すぐどうなるって事でもないんだけどね」

「まあ…そうだろうな。俺自身の問題なわけだし」

 

 うーんと唸る。例え好いていてくれても俺の受け取り方をどうにかしなければどうしようもない話だ。…と、ユウリが何やらにやにやとこちらを見つめているのが見えた。

 

「…どうしたんだ?」

「いや、なんていうかね。ガレキは大丈夫だと思うよ?」

「はぁ?」

 

 訳が分からず怪訝な顔で見つめ返すと、ユウリは俺の膝の上でぐっとしがみついていたモノズを指さした後笑った。

 

「この調子ならそう遠くないうちに変われるよ。そんな気がする」

「…そうかねぇ」

 

 ユウリの笑顔に勢いで流されそうになるが、俺は少し口角をあげて返した。ユウリはいたずらっぽく笑うと、「大丈夫大丈夫」と念を押してドアの方を指さした。

 

「んじゃ、そろそろ行こっか!」

「え? どこに?」

 

 急なことについて行けず間の抜けた声をあげると、ユウリはポケットから取り出したそれをこちらにぐっと突き出して構えて見せた。

 

「その子のモンスターボールを買いに行くのよ!」



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第十話

「ボール……?」

「えっいや流石にモンスターボールを知らないとか…」

「ボールは知ってるよ失礼だな……。なんでトレーナーでもないのに買いに行くんだって話だよ」

 

 そう訊ねると、ユウリはやれやれといった様子で答えた。

 

「今日は休みだけど明日は普通に仕事だよね? 仕事の間その子どうするつもり? 家にひとりぼっちにさせるつもりじゃないよね?」

「あー……そういうことな。わかった、準備するから待っててくれ」

 

 俺は一人暮らしで、平日の日中…シフトによっては夜間も家を留守にしている。その間ずっとモノズを家にひとりでいさせるわけにもいかないだろうという事だった。ボールの中に入れて身に着けておけば、仕事中も一緒にいられるし安心だろう。

 別に急がなくてもいいよーとこちらに手を振るユウリにとりあえずモノズを預け、俺は二階の自室へ向かった。もう外は肌寒い季節だ。俺はクローゼットから取り出したジャケットを羽織り、机の上の鞄を掴むと一階に下りる。

 

「わりぃわりぃ、待たせ、た、な……」

「ああっガレキっ! ちょ、ちょっとこの子とって! とって!」

「ぐるるるる…」

 

 一階に下りるとなぜかユウリが腕をモノズに噛まれて半泣きでこちらに助けを求めていた。

 

「……」パシャパシャパシャッ

「ガレキ!? なんで今写真撮ったの!? しかも三回も!?」

「いや…珍しい光景だったからつい……」

 

 撮影した写真をダンデさんとホップとソニアさんとユウリの両親に迅速に転送しつつ俺はモノズを掴んで引きはがす。じたばたしていたモノズはすんすんと鼻を鳴らすと途端に大人しくなり「ぴぃ♬」とこちらに顔を向けた。匂いで俺だとわかったのだろうか。

 と、ユウリがものすごい顔でこちらを見ているのに気づいた。

 

「ど、どうした…? 大丈夫か?」

「歯…生えてないけど腕持っていかれるかと思った」

「えっそんなに強く噛まないだろこの子」

「うるる」

 

 試しにすっと手を口の中に差し込んでみるが、優しくぐにぐにと甘噛みされるだけだ。

 

「な?」

「なって言われても……ハァ。やっぱり私の予想通りみたいね……はなこだって私やホップには全然懐かなかったのにガレキにはファーストコンタクトと同時に鯖折りに掛かってたし……」

 

 ユウリの言葉にうへぇっと顔をゆがませる。

 

「鯖折りは嬉しくないけどな…っていうかお前の場合あれじゃないか? 俺にキテルグマけしかけるの聞いてたから…」

「……あー。もしかして私ガレキの敵認定されてる?」

「ぐるるるる…!」

「うわあ凄い敵意」

 

 モノズの鼻先に手を近づけたユウリはすっと手をひっこめた。いつも飄々としているユウリにしては珍しく冷や汗をかいている。そこまで痛かったのだろうか。

 

「いや噛まれるって怖いね…これちっちゃいころにカジリガメに頭やられたらそりゃトラウマにもなるわ……」

「分かってくれたようで俺も嬉しいよ……」

 

 唸り声をあげるモノズの頭を撫でてなだめながら笑って返す。噛まれるのは誰だって怖いものである。

 

「んじゃあまあ俺がモノズを抱いて行くとして…どこに買いに行くんだ?」

「あ、ああうん。こっから一番近いのだとエンジンシティかな」

「エンジンシティ?」

 

 電車に乗らないといけない距離の街の名前を出され、俺はユウリに聞き返した。

 

「ボールならフレンドリィショップで事足りるんじゃねえか?」

「……はぁぁぁぁぁああ」

 

 なんだかすごく馬鹿にされた気がする。ものすごくおおきなため息をついたユウリは大げさにばっばっと手を振って主張する。

 

「いい? ボールってのは一生ものなの! 一度ボールに入ったら基本ずっとそのボールなの! ある意味家と言い換えても差し支えないの! そんな大切な物を近所のフレンドリィショップで済ませようなんてダメでしょ!」

「……ユウリが普段使ってるボールは?」

「一山いくらの特売で買ったやつだけど…」

「お前面の皮厚すぎだろ」

 

 しかしユウリのいう事も分からないではない。聞いた話だとボールによって中の居心地も変わってくるらしいし、仕事中はずっと入ってもらうわけだからなるべくいいものを吟味しようという事だろう。

 

「言いたいことは分かったけど、なんでエンジンシティなんだ?」

「あそこはジムのある一番近い町だからね。あいつもいるだろうし…」

「あいつ?」

 

 俺が訊ねると、ユウリは少し困った顔をして答えた。

 

「モンスターボールの専門家……ボールガイよ」



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第十一話

 ユウリに連れられて訪れたのはエンジンシティを一望する巨大な建物、エンジンジムだった。のだが、何故かユウリは中に入らず入り口の右手側の方に立っている不審な男の前に俺達を連れてきたのである。

 

「ボルボル~これはこれは新チャンピオンじゃないボルか~ガラルリーグの人気者ボールガイになんの用ボル~?」

「あっもしもし警察ですか? ええ、エンジンシティのジム前に不審な男が…男? まあ多分体系的に男だと思われる人物がですね…」

「待つボル!? 何を流れるように警察に通報しようとしているんでボルか!? ボールガイはいたって善良なマスコットキャラクターボルよ!?」

 

 正面からがっと肩を掴まれ凄まれる。怖い。微妙に俺より身長が高いのと変声機を通したかのような機械質のくぐもった声が怖い。

 

「ガレキ、この怪しさがキグルミを着て徘徊してるようなのが今日会いに来たボールガイ、モンスターボールの専門家よ」

「うそだろ…こいつが…?」

「いや…流石にいい歳した大の男にそんな全力で引かれると流石のボールガイも傷つくボルよ…」

 

 がっくりと肩を落とし項垂れるボールガイ。そんなにショックだったのだろうか。

 と、俺は一度落ち着いて目の前の不審し―――ボールガイに目を向ける。ガタイはいい。かなりいい。割と身長はある方だと自負していた俺よりも身長があるし、体格もがっちりとしていて安定感がある。で、問題は全身を覆う白いタイツとその上に着られた半袖短パン、そして何より精神に訴えかけてくる感じの恐怖をあおるこの頭部だろうか。デザイン自体はリーグ公式マスコットキャラクターの物なのだが、デフォルメされたデザインの彼と違い、目の前にいるボールガイはガタイのいい体に頭部だけ元に準じたデザインのが乗っているせいで異物感が凄い。あと圧も凄い。

 

「おいチャンピオン。お前んとこのリーグのマスコット着ぐるみ作るんならもっと胴体部分もだな…」

「いやその人公式じゃないから」

「え?」

 

 思わず変な声が漏れる。

 

「その人はリーグの公式マスコットキャラクターのコスプレをしてリーグ公式ジムの前に立ってるだけの、リーグとは全くの無関係の一般人だよ」

「あもしもし警察ですか? ええ、はい。いや本当にヤバイ不審者がですね…」

「ちょっとぉおお!? 何かさっきからやけに通報することにためらいがなくないかボルゥ!?」

「いやだって…何か起きてからでは遅いし…外見で判断したくはないけど聞いたところ外見以外もやばいし…」

「否定しにくい正論を返すのやめてほしいボルよ!?」

 

 ボールガイが悲痛な叫びをあげる。

 

「話進まないからそこらへんでやめてあげてガレキ。やってることはやばいけど悪い奴じゃないから」

「悪い奴じゃないのか? ならまあいいけど…」

「……なんか釈然としないけどまあ通報しないでくれるならそれでいいボルよ…」

 

 疲れたような声で肩を落とすボールガイ。さっきから見ているともしかしたらこいつは意外と常識があるのかもしれない。まあ常識があるのにこんなことしてるのなら余計にやばい奴なんだが…。

 と、ボールガイはその丸い頭の頬をパンと両手で叩き、「ウシッ」と気合を入れ直してこちらに向き直った。

 

「ところで今日はボールガイに何の用ボルか~? モンスターボール、特にガンテツボールについてならボールガイにお任せボルよ~」

「うおっ切り替え早いな…」

 

 さっきまでの落ち込みようとは打って変わって陽気に手を振り話すボールガイに、ユウリが本題を切り出した。

 

「私の友人のポケモンのボールを見繕ってほしいの。モノズなんだけど」

「ああ、友人だったボルか。てっきりチャンピオンが彼氏でも連れてきたのかと思ったのでボルが…モノズボルね? ちょっと待つボルよ…」

 

 そう言ってボールガイは顔の被り物をすぽっと外した。

 

「えっ!?」

 

 そして彼…いや、彼女はボールガイの被り物の中から二、三個小型化したボールを取り出すともう一度被り物を被った。

 

「モノズは目の見えないポケモンボルからね…ダークボールとかが落ち着いていいと思うボルが進化してサザンドラになったら開眼して視力を得るから長期的なことを考えてスーパーやハイパーもいいと思うボル。でも純粋な中の居心地だけで言えばやっぱり値は張るけどゴージャスボールが鉄板ボルね~…ってどうしたボル? そんな顔して黙り込んで…」

「え、あ、いや…それ往来で外していいもんなのか? っていうかお前女だったのか…?」

 

 それを聞くとボールガイは「あー…」と被り物に手を添えた。

 

「ここだけの話ボールガイは一人じゃないんボルよね~。一応背格好とか体格をそろえるためにこのタイツの下に肉襦袢着たりして皆統一してるボルが中身は割と色々なんだボルよ~あ、これオフレコで頼むボル」

「え、えぇぇ……それ今首とって大丈夫だったのかあんた…」

「ああ、良いんボルよ別に。公認のスタッフとかじゃないんで特に規定とかもないボルし…まあ今は全然人通り無かったんでひょいと外して中からボール取り出したボルがもちろん子供たちの前じゃ外さないボルよ? 子供たちの夢は守らないといけないボル」

「お、おう…」

 

 何故当然のように被り物の中にボールが入っているのかについては全く触れることは無かったが、彼女はいたって普通にボールの特性を俺に説明し始めた。

 

「モンスターボールは主に三つの生産元があるボル~大企業のシルフカンパニーとデボンコーポレーション、あとはジョウトの職人ガンテツボルね。モンスタースーパーハイパーがシルフ製で、他の流通してる特殊なボールが大体デボン製、市場にめったに出回らないボールがガンテツ製ボールだと思っておけばいいボル。まあウルトラボールとかはアローらの財団が開発したらしいけどここらじゃほとんど手に入らないので特に気にしなくていいボルね。ほんとはお兄さんにもガンテツボールのすばらしさを普及したいところなんだボルけど…ガンテツ爺さんの完全なハンドメイド品だから貴重で今手持ちが無いんボルよね~。ちなみに昔はぼんぐりっていう木の実に特殊な装置を手作業で取り付けてボールを作っていたんだボルが、この流れを継承したのがガンテツボールになるわけボル。いやー今手元にないのが惜しいボルね…。で、トレーナーとかだとボールのデザインをパーティの構成のコンセプトと絡めてボールを決めたりもするのでボルがお兄さんはトレーナーじゃないみたいボルしやっぱり懐きやすくなるゴージャスボールでボルかねぇ…チャンピオンはどう思うボルか? ってチャンピオン? どうしたボルか急に静かになったボルが…」

「……」

 

 なんか申し訳なくなるくらい本当に丁寧に解説してくれるボールガイが、手を止めて隣のチャンピオンに顔を向ける。

 

「…った」

「ボル?」

「知らなかった…ボールガイって女の子だったんだ…」

「いや他の町の担当とかは大体男ボルよ…? まあボールガイは謎が多いボルから、ボールガイ自身自分以外のボールガイの素性は詳しく知らないんだボルけどね…」

「やべえなボールガイ…どういう集団なんだ…」

「ボールの楽しさとガンテツボールの奥深さを伝える集団ボルよ」

「なぜガンテツ…」

「ガンテツはいいものだボル…」

 

 しみじみとつぶやくボールガイ。そこまでか。そこまでなのか。少しガンテツボールとやらに興味がわかないでもないが今はモノズのボール選びに集中である。

 

「俺はトレーナーじゃないし、仕事中この子を入れて身に着けておきたいんだ」

「ああそういう感じボル? ならガンテツがあったとしてもおすすめできなかったボルね」

「どういうことだ?」

「ガンテツボールは物は良いんだボルが何しろぼんぐりを加工して作ってるから他のボールみたく持ち運びやすいサイズに小型化できないんだボル……仕事中も身に着けたいならやっぱり小型化は必須ボルよ」

「なるほど…でもボールの形だと収まりが悪いな…持ち運ぶのになんか便利なアイテムとか無いか?」

「ああ、それならこれがあるボル」

 

 ボールガイはズボンのポケットから長方形のケースを取り出して目の前で開いて見せた。ふたを開けるとそこには二つ小型化したボールが収まっている。

 

「これは携帯用の懐中ボールケースボル。六つまで入ってかさ張らないし良い感じボルよ」

「へぇ…いいなこれ。じゃあケースはこれにするとしてボールか…おすすめはダークとゴージャスだっけ?」

「モノズボルからね…ダークボールの中は全体的に薄暗くて光が苦手な子とかにおすすめのボールボル。モノズは目が見えないっていうけど、実は目の上に鱗と毛が重なってて見えないだけで光は感じてるボルから、あんまり明るいよりはちょっと薄暗くて光の刺激が少ないダークボールの方が居心地はいい筈ボル。ゴージャスはもうゴージャスボルね。とにかく何でもかんでもゴージャスで中の居心地は高級ホテルに例えられるボル。ただちょっと値が張るボルね…」

「成程……なあモノズ、お前はどっちがいい?」

「ぴ?」

 

 一応モノズに聞いてみるが、モノズはよくわかってなさそうに首を傾げた。まあわかるはずもないか。俺は改めてボールガイの持つボールに目を移しボールを得選ぼうとしたとき、「ぴ!」とモノズがボールを咥えあげた。真っ白なボールである。

 

「これがいいのか?」

「うるる♬」

「あーこれはプレミアボールボルね。性能はモンスターボールと変わらないんボルが、白地に赤のラインというそのシンプルかつスタイリッシュなデザインで多くのトレーナーから絶大な支持を得るボールだボル。これを選ぶとは中々ツウなモノズだボルね。これでいいボルか?」

「ああ、モノズが選んだんだ、俺はこれでいい」

「わかったボル。プレミアボール一個お買い上げボルね」

 

 俺は財布から金を払い、白いボールを受け取った。シンプルという言葉がこれほど似合うボールもそう無いだろうというデザインだ。かっこいい。

 

「あ、そうだ。これはおまけにあげるボルよ」

「これは…いいのか?」

「いいボルよ。初回サービスってやつボルね」

「ああ、なら有難く頂くよ」

 

 俺はそう言ってボールガイからモンスターボール用のケースを受け取った。試しにポケットに入れてみるが、携帯していて違和感のないサイズで、収まりもいい。いいものだ。

 

「で、後はモノズをボールに入れればいいんだよな?」

「そうボル。ボールのボタンを一回押すと小型化が解除されて元の大きさに戻るボル。戻ったらもう一度ボタンを押して、普通なら投げて充てるんだボルが、これは手で掴んだままこつんとぶつければ行けるボル」

「ああ、やってみる」

 

 俺はモノズを地面の上に下ろし、プレミアボールのボタンを押す。ブゥンと軽い振動がボールから伝わり、ボールは手のひら大のサイズに変った。そのままもう一度ボタンを押し、俺はモノズの頭にそれを当てる。するとボールは光を放って開き、モノズがその中に吸い込まれた。俺の手の中のボールは、一度だけ揺れて、ティンと音を立てる。無事ゲットできたようだ。

 

「これでボールへの登録が完了したボル。おめでとうボルね」

「おお…これがゲットか…なんか変な感じだ」

 

 手のひらに収まるほどのボールの中に先ほどまで抱きかかえていたモノズが入っているのかと思うと妙な感慨がある。一言で言うなら「かがくのちからってスゲー」と言ったところか。

 

「じゃあ今日はこんなところボルね。また何かボール関係で分からないことがあったら頼ってほしいボル。一応向こう数年はここの担当だから大丈夫だと思うボルよ」

「ありがt…向こう数年はってことは異動とかあるのかボールガイ…」

「ボールガイは色々謎なんだボル…自分も細かいところまでは把握してないしまあガンテツボール大好き集団とだけ覚えておけば十分ボルね」

 

 ボールボルボルと不気味な笑い声(笑い声…?)をあげるボールガイに別れを告げ、俺は荷物をまとめて駅に向かう。そろそろ次の列車が出る頃合いだ。今日は色々あったが無事にボールとケースが手に入ってよかった。これで安心して明日の仕事に臨める。忘れ物もないようだし早く家に……

 

「アウト! オブ! 蚊帳! 私!!!」

「あっ」

 

 ユウリのことを忘れていた……。




リーグカードには性別不詳ってあったし確実に複数人いるし女の子のボールガイがいてもいいでしょうという気持ち。ガイ(野郎)とは一体…うごご…


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第十二話

 朝が来た。爽やかな朝だ。

 俺はぐぐっと伸びをする。仕事続きだった俺の体はパキパキと乾いた音を鳴らし、肺の中に飛び込んできた朝の冷たい空気は急速に俺の意識を呼び覚ました。

 

 ボールガイとの一件から二か月、すっかり季節は冬になった。モノズの牙はすっかり生えそろい、片手で抱えられるほどだった体は、両手でやっとといったくらいまで成長した。初めのうちはアレコレ構わず何でも噛みつき往生したものだが、最近は分別もついてきたのかむやみに噛みつかなくなった。懸念していた俺への噛みつきも、少し歯形が付く程度の甘噛みで抑えてくれている。モノズは物分かりのいい賢い子だと思う。

 ガラルの冬はそこまで冷え込むことはないとはいえ、布団の中で一緒に寝ているモノズの体温は心地いい。何というか、ほっとする温かさだ。

 俺はスヤスヤと眠るモノズの横顔を見つめ、ここ数日の間考え続けていたことを頭の中で反芻する。はっきり言って、これをするには俺は遅すぎたと思う。きっと、遅くてもユウリやホップと共に行くべきだった。今の俺は職にも就いている大人だ。そんな大それたことをするのは歳を考えたほうがいいのではないかと思う自分もいる。だからこそ決められずにいるのだ。

 ピッと、テレビの電源を入れる。鳴り響く歓声。そこに映し出されていたのは去年のリーグ開会式の映像だ。そうそうたる面々が並びスタジアムが熱狂に包まれている。名前も知れないニュースキャスターが熱く語るのは、去年生まれた新チャンピオン。ユウリが、ダンデさんを下し、一本腕を高々と突き上げる映像が流れる。去年の俺が、夢見心地で眺めていた映像だ。これを見るたびに、胸の奥の方がざわざわとした。言葉に使用の無い感情。湧き上がる何かに名前を付けることもできず、去年の俺は画面越しの彼女を見つめていた。

 でも、今はわかる。モノズがいるから。わかる。ボールガイにボールをもらった翌日、家の前で戯れるワンパチに恐る恐るでも触れられたあの日から、俺の心の底で渦を巻いていたこの感情がわかる。これは、羨望だ。これは、嫉妬だ。俺は、大人になった今も、子供の頃のあの気持ちが忘れられないのだ。画面の向こうでポーズを決めるダンデさんを見て、思い描いた強い憧れ。いつかきっと自分もあの場所にと思った、あの日の心。ポケモンから離れ、いつしか消えてしまったと思っていたこの感情が、無敵のチャンピオンを倒したユウリの姿に燻り始め、モノズがそれに追い風をくれた。いまや煌々と燃え盛り、熱くこの身を突き動かす感情に、俺は嘘をつけなくなっていた。

 

「ぴぃ?」

 

 いつの間にか目を覚ましていたモノズが、俺の方を不思議そうな顔をして見上げている。目は見えていないが、匂いで大体の場所が分かるのか、モノズはよく俺の方を見つめてくる。俺はぐしぐしとモノズの頭を撫でた。撫でて、モノズに語り掛ける。

 

「なあ、聞こえるか、この歓声が。感じるか、この熱気を」

「がう……」

 

 じっと俺の言葉に聞き入るモノズに、俺は最後の勇気を振り絞って問うた。

 

「お前も、あそこに立ちたいか?」

「がぁ?」

 

 お前はどうだといわんばかりに、モノズは声をあげる。

 

「俺か、俺は……うん。立ちたい。あの場所に、一人の挑戦者として。だから」

 

 俺に付き合ってくれるか? そう答えるよりも早く、モノズは力強く吠えた。

 

「ああ……ああ……! 随分遅くなっちまったけど、お前とならいける気がするよ」

「がぅ!」

 

 俺はモノズをぐっと抱きしめた。もう迷いはない。あいつらより早く生まれたはずの俺は、怖がってビビっているうちにいつしかあいつらに追い越されてしまった。だけど、これからだ。これから俺は…いや、俺達は、追いついて、追い越す。

 

「待ってろ新チャンピオン……! 残念だが二連覇とはいかないぜ」

 

 

 

 

 

「……簡単に言ってくれるね」

 

 そして、ドアの向こう側でそれを聞いていたユウリ…チャンピオンは不敵に笑う。

 

「私たちから誘いに来たけど、いらなかったみたい」

「ガレキはやるって信じてたぞ! トラウマを乗り越えて前よりずっと力強い目をするようになったしな! すごいぞ!」

「ホップ声が大きい……ガレキにバレちゃうでしょ」

 

 ごっ、とホップにチョップをかまし、ユウリは歩き出した。ガレキにタマゴを渡した時、こうなることを望んでいなかったといえばうそになる。だが、こうなるとは思ってもいなかった。だからこそ胸が躍る。期待で胸が張り裂けそうだ。あの日、自分とホップにサルノリとメッソンを渡したダンデも、こんな気持ちだったのだろうか。

 

「新しくジムリーダーになったビートにマリィ、研究者になっても研鑽し続けたホップ、リベンジを狙う前チャンピオンのダンデ。それに新しくトレーナーになったガレキか……」

 

 ユウリは自分がほくそ笑んでいるのに気が付いた。右手で口元を誰にともなく隠しながら、満面の笑みをたたえる。

 

「ああ、楽しいなあ…! ビリビリビリビリ魂が震える感じがする…! 楽しみ楽しみでどうにかなりそうだよ! 早く来て皆! ここまで登ってきて!」

 

 冷たく澄み切った朝、熱い戦いの火種はその勢いを急速に強めていく―――。



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第十三話

「よし、こんなもんかね」

「がぅ♪」

 

 ざっと荷物をすべてリュックサックに詰めて、俺は一息ついた。旅立ちの決意をした俺は、職場に長期休暇の申請を出した。職場の先輩は少し驚いたような顔をした後、笑って俺の門出を祝ってくれた。元々俺が赴任するまでは隣接したフレンドリィショップの先輩が駅員を兼任していたので、しばらく留守するくらいなら問題ないそうだ。

 急な申し出で、何か言われるかと思ったが、先輩は俺が他の子供たちのようにジムチャレンジせずに就職したことを気にかけていたらしく、わがことのように喜んでくれた。少しこそばゆいような気持だったが、俺は明日の開会式に向けて荷物をまとめているわけだ。昨日のうちにネットでの参加申請を済ませたので、今日の夕方の列車で開会式のあるエンジンシティに向かい、ホテルで一泊してから開会式に臨む予定だ。

 一応ユウリやホップ、ダンデさんに伝えはしたが、彼らは彼らで色々と忙しい身なので俺はモノズと二人きりでエンジンシティに向かう事に決めていた。

 

「ちょっと早いがそろそろ駅に向かうか」

「がぁ♪」

 

 モノズに声をかけ、俺達は玄関へと向かう。新しい旅立ちへの第一歩が―――

 

 

「来ちゃった♥」

「……母さん?」

 

 踏み出す前に母親に止められてしまった。

 

 

 

 

 

「いやーお母さんユウリちゃんたちからガーくんがジムチャレンジに参加するって聞いてハロンタウンから一番道路スッとんできちゃったわそれにしてもガーくんもイケズねえどうせならお母さんに言ってくれればよかったのに照れ屋さんなのかしらウフフいつまでたっても変わらないわねあでもポケモン大丈夫になったんでしょ頑張ったわねガーくんはやればできる子だからいつかきっと大丈夫になれるってお母さんずっと信じてたわほんとよ嘘じゃないわだってガーくんがポケモン克服してジムチャレンジに行くようになったら渡そうと思って毎年毎年色々買いそろえちゃってて今家のガレージがもので埋まっちゃってるのよでも今年買った分は無駄にならなかったわねお母さん嬉しいわあイッシュに行ってるお父さんにも電話したんだけどあの人ったら泣いて喜んでたわよあの人もまだまだ若いのねえあでもお母さんもちゃんと泣いたのよそれはそれはもう泣いてしまって大変だったのですからねでも泣いてるところをあなたに見せてもどうにもならないからしっかり家で泣いてきてあでもちょっと待ってなんだか涙腺緩くなってきたわやあねえ歳かしらでもこんな歳でも息子の成長を感じられてお母さんなんだかとっても嬉しいわ元気出てきちゃったありがとうねえガーくんガーくんはいくつになってもお母さんに力をくれるのねこれが親子の愛って奴かしらお父さんがもしこの場にいたらおいおい泣きながら抱きしめてるわきっとそうよあそういえばお父さんこの知らせを受けて大急ぎでイッシュの仕事終わらせてガラルに帰ってくるんですって息子の晴れ姿を目に焼き付けたいそうよあの人も親ばかねえまあそれは私もなんだけどウフフフフ似たもの夫婦ってよく言われるもの若いころから私たちは周りにそう言われてたのよねなんだか懐かしくなっちゃったわお父さんと出会ったのは私が武者修行をしてた時なんだけど今の子はそんなことしなくてもジムチャレンジっていうのがあっていいわねうん良いと思うわ私素敵よこれは子供はもっと広い世界を見るべきなんだからこうやって世界に羽ばたかせないとねあでもあなたが遅いとは思ってないわ皆それぞれ自分のペースがあるものあなたは今がその時なのよお父さんとお母さんの子なんですものあなたはきっと良いトレーナーになるわ確信してるわだってお父さんとお母さんの子ですものね」

 

 母さんはそこまで言うと俺の淹れた紅茶を一口飲んで、「美味しいわねえ」と一息ついた。

 

「ああそうそうトレーナーと言えば昔お父さんが」

「まだ話すの!?」

 

 思わず上ずった声をあげて身を乗り出してしまった。俺の母さん…キルトは、元トレーナーで今は服のデザイナーをしているハロンタウンの住人だ。昔から何かと口数は多いタイプだったが久しぶりに会うとそのあまりの饒舌さにあっけに取られてしまう。この間会ったボールガイもボールの話になると中々舌が回る方だったがここまでではない。母の強さを再確認しながらモノズの方に目をやると初めて聞くタイプの会話文にモノズもぽかんとしているようだった。モノズは目が見えず耳と鼻の情報の重要さが際立つ分より一層の衝撃を受けていそうである。

 

「あらやだごめんなさいねガーくん。久しぶりに話すからつい舞い上がっちゃって」

「……いや、いいよ母さん。相変わらずで安心した」

 

 俺はとりあえずソファに座り直して目の前の母さんをじっと見つめた。昔は見上げるばかりだった母の姿も、いつしか俺の背丈よりも小さくなってしまっていて、心の中に何ともいえない感慨がわいてくる。

 

「伝えてなくてごめん。でもあれだ、えっと……俺、久しぶりに心の底からやりたいことができたんだ。だから、それをやろうって思って……でもいきなり母さんに伝えて心配させてもいけないし、それで……」

 

 しどろもどろになりながらも、何とか言葉を探す。自分の口から直接この決意を伝えられなかったことの言い訳をするように、どうにかそれを言葉にしようとするが、うまく言えない。俺は観念して、パンと両手で頬を張った。

 

「…ごめんよ。母さん。なんだか照れ臭くって言い出せなかった」

「……いいのよ、そんなこと気にしないで。お母さんはね、あなたがやりたいって思ったことに一生懸命なところを見せてくれるだけで満足なんですからね」

「母さん…」

「それにね」

 

 母さんはすっと手を差し伸べ、モノズを抱き上げた。

 

「こんなに可愛らしいあなたのお友達にも会えたんですもの。それだけでもうお母さんおなか一杯よ。ね? モノズちゃん」

「がぁ♪」

「モノズが……噛みついてない……」

 

 俺は思わず目を見開いた。モノズは俺以外が触ろうとすると、慣れない匂いに怯えていつも噛みついていたのに。目の前のモノズは何年も一緒に過ごしてきたような穏やかな顔で母さんに喉元を撫でられていた。

 

「いい子ね~。温かい子だわ、なんだか触ってるだけで嬉しくなっちゃう。きっと優しい子なんでしょうね…」

「がぁ、ぎゃあぁ♪」

「ウフフ。本当にいい子ねぇ」

 

 ……というより、俺と一緒にいる時よりも幸せそうですらある。

 

「凄いな母さん。俺以外にはあんまり懐かないのに」

「お母さんは昔からポケモンに懐かれやすいのよ~。あなたはきっと私に似たのね」

 

 そう言って優しく微笑む母さんの膝の上で、モノズはうつらうつらと船をこぎ始めた。安心しきってしまっているのだろう、母さんの胸元に体を預けて、いつしかすうすうと寝息を立て始めた。

 

「ガーくん」

 

 母さんは、モノズの頭をなでながら言った。

 

「あなたは、きっと不安なのね。貴方の後ろを追いかけて来ていた二人が、今はあなたのずっと前を行っていて、後からそれを追いかける自分が、二人のいるところに辿り着けるのかどうかわからないんでしょう? だから、もしそれが叶わなかったとき、きっとどうしようもなく恥ずかしいと思ってしまったから、お母さんやお父さんに伝えられなかったのね」

「……」

「でもね。あなたはきっと辿り着けるわ」

「……どうしてそう思う?」

 

 母さんはその問いに、少し困ったようにほほ笑んだ。

 

「あなたは強い子だもの。一度こうと決めたら、最後までやり遂げられる子だって知ってるもの。あなたは歩みを止めない子、だからどれだけ他の人より歩くのが遅くたって、いつかきっと辿り着くわ」

「母さん……」

「だからあなたもよろしくね。ガーくんを頼んだわ」

「…がぅ?」

 

 寝ぼけるモノズに優しく語りかける。モノズは眠そうに顔を母さんの服にこすりつけるが、母さんはただ微笑んでそれを見つめていた。

 

「っと、忘れるところだったわ。お母さんガーくんにプレゼント持ってきたのよ」

「プレゼント?」

「というか…旅の必需品ね! はいこれ、キャンプセット!」

 

 ガレキは キャンプセットを うけとった!

 

「あー……これは?」

「キャンプセットよ、決まってるじゃない」

「え? 決まって……え?」

 

 正直言っている意味がよく分からず聞き返してしまう。何故キャンプの道具が必要なのか。俺は普通にホテルで寝泊まりするつもりだったのだが……。

 

「ジムチャレンジする人はほとんどみんなキャンプを使うのよ! 街から街へむかう道すがら! 夜を旅の仲間と共に過ごすことで絆を深めるの! 若いっていいわね~」

「え、えぇ……。タクシー使って移動すればいいんじゃあ……」

「それだとポケモンが強くならないわ! トレーナーたちは皆道路の野良ポケモンやトレーナーたちと切磋琢磨して強くなるものなの!」

「そ、そうなの…?」

 

 母さんにしては珍しい熱のこもった弁に思わず気圧されてしまった。元トレーナーの母さんが言うのだから間違っては無いのだろうが…何故キャンプ……。

 

「あっそうだ、これも渡しておくわね!」

 

 ガレキは 傷ぐすりと状態異常回復セットを うけとった!

 

「それとこれも!」

 

 ガレキは モンスターボール×10を うけとった!

 

「これも外せないわよね!」

 

 ガレキは スマホに図鑑を インストールさせられた!

 

「あとはお小遣いと…」

「いやお小遣いはいいよ母さん…」

 

 このまま受け取り続けていると永遠に続けられそうな気がしたので思わず制止する。というか一応定職についている身としては親からの小遣いは少しばかりやるせない気持ちになってしまうので受け取るわけにはいかない……。

 

「そう? なら仕方ないわね……そうだ、これだけでも受け取って!」

 

 ガレキは カレーセットを うけとった!

 

「…………は?」

 

 今日一番間の抜けた声をあげる俺。何故カレー? 何故? 何故なんだ?

 

「ジムチャレンジと言えばキャンプ、キャンプと言えばカレー! これはもうガラルの新常識なのよ。ジムチャレンジをする人たちは皆カレーを作れるわ」

「えっ、いやなんで? どういう理屈で……?」

「カレーはカレーよ! ポケモンたちもみんなカレーが大好きなんだから!」

「えっいやそれ初耳なんだけど」

 

 突如として明かされた謎の新常識に思考が追い付かないが、母さんの曇りなき眼を見るにどうやらマジで言っているらしい。

 

「ダンデくんもソニアちゃんもホップくんもユウリちゃんもジムチャレンジしてた頃はみーんなキャンプでカレーを作ってみんなで食べてたのよ!」

「ここはインドだった……?」

 

 あまりのカレー侵食に思わず文献にのみその姿を残す伝説のインド象の住まう幻の地を連想するが考え直してもやはりここはガラルだ。ガラルは俺の知らない間に香辛料に支配されてしまっていたらしい。ガラムマサラの雨でも降ったのだろうか。

 

「いつの間にこんなことに……」

「ちなみにユウリちゃんはジムチャレンジ時代三食カレーで食いしんボブのお店に行った時もステーキを頼まずカレーを注文したらしいわ」

「新手の拷問?」

 

 思わずそう聞き返すが母さんは「? 普通のことだと思うけど…」と首を傾げた。畜生。どうなっているんだ。どうなってしまったんだガラルは。

 

「ま、まあ受け取っておくよ…」

 

 ひきつった笑顔でカレーセットを受け取り鞄にしまう。カレー……俺のあずかり知らないところでこんな恐ろしい事が起きているとは思わなかった。俺はこの旅の中でカレーの真実に迫ったり迫らなかったりするかもしれない。

 

「良し、じゃあもう忘れ物はないわね? 着替えと財布は持った? 折り畳みの自転車もちゃんと鞄に積んでるわね? キャンプセットも抱えてるし…準備はバッチリね!」

「うん…キャンプのテントとカレーの鍋が思いのほか俺の腰を攻めに来るけど何とか持てたよ母さん」

 

 なんだか旅立つ前からだいぶ足腰が限界に近いが最近の若い子たちはこんな重装備でガラルを旅しているのか。末恐ろしい話だ。そのうち若者が皆ワンリキーみたいになってしまうかもしれない。ワンリキーみたいな体形の子供たちが笑顔でカレーを貪り食う絵面を想像して背筋にうすら寒いものが走るが今は考えないようにしよう。とにかく明日の開会式に向けてエンジンシティに向かわなければならないのだ。

 

「じゃあ…行ってくるよ」

「うん、いってらっしゃい」

 

 何年ぶりかのそのやり取りで、俺は少しだけ懐かしい気持ちに包まれながら、新しい日々への第一歩を踏み出した。



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第十四話

 ユニフォームに袖を通す。白を基調としたシンプルなデザイン、ジムチャレンジャー規定のユニフォームだ。この服を着ると、今まで曖昧だったそれが、強い実感となって体にのしかかってくる。俺は、ガラルリーグに挑むのだ。

 

 スタジアムの方から割れんばかりの歓声が聞こえる。選手控室にひしめき合うジムチャレンジャーたちは個人差こそあれ皆一様に緊張した面持ちで佇んでいる。無理もない。他の地方のリーグと違いガラルリーグはガラル地方をあげての一大イベント、開会式の様子はガラル全国に放送されるわけだし、二十歳に満たない若者が殆どを占めるジムチャレンジャーが緊張するのも分からないではなかった。

 

 ……ただ、俺はというと緊張よりなにより気になりすぎるものがちらちらと視界にちらついていて落ち着かない。これはアレだろうか、話しかけたほうがいい奴だろうか。というか周りにいるジムチャレンジャーもあまりの異様さに引いてしまっているのか、人混みの中そこだけ空間ができていてやはり近づきたくない。無視しようか。無視するのがいいかな。いいよな。ヨシ無視しよう開会式に集中するべきだ。

 

「あっガレキじゃないボルか~奇遇ボルね~」

「あーすいません人違いですね」

 

 すっと顔を逸らし人混みに紛れて壁の方に逃げる。俺はあまり目立たない方なので完全に逃げ切れたと思ったが俺は肩をがっとつかまれた。

 

「あはははは、そうそう見間違えたりしないボルよ~記憶力には自信がある方ボル」

「やっぱりあの時のボールガイかお前……」

 

 複数人いると聞いていたから別人だと思いたかったがこの口ぶりからするとどうやら間違いなく俺にプレミアボールをくれたボールガイのようだ……。確かやたらとリアルな体型の着ぐるみで誤魔化されているが中は普通に長身の女性だったと思う。だが何故ボールガイがここに。

 

「おまえどうしてここに居るんだよ……ここはロビーじゃないぞ?」

「あはは、今日はそういう用事じゃないボルよ~。ボクたちをリーグ公認のマスコットにしてもらおうと色々画策してたんだボルがチャンピオンに取り入ろうとしてた時に「取り入るくらいならリーグに出て貴女がチャンピオンになったらいいんじゃない?」って言われたんだボル~」

「いやそれではいそうですねってリーグに出ようとする辺りお前の行動力どうなってんだ……」

「褒めないでほしいボル照れるボルよ~」

「褒めてはないかな……」

 

 相変わらずで安心したが俺もこのやばい奴の仲間だと判断されたのか周りからひそひそとささやく声がする。俺はこんな変な球体をかぶった変人の仲間ではないと説明しようとしたところで、ボールガイは俺に話しかけてきた。

 

「ガレキこそジムチャレンジするんだボルね。意外ボル~」

「……まあ、なんだ。俺も色々あったんだよ」

「そうなんでボル? まあ何かにチャレンジすることはいいことボル~チャレンジ精神はいつだって大事ボルからね!」

「お、おう。ところでその変な喋り方ずっとやんのか……?」

「ボールガイである以上この格好とこの口調は不変ボルよ~」

「そ、そうか……」

 

 ボールガイは色々決まりがあるらしい。よくわからないが大変みたいだ。夏場とか苦しそうだし。

 

「まあボクはガンテツじいさんのために頑張るボルよ~。ガレキも頑張るボル~」

「おう、お互いな」

 

 元気よく向こう側へ走っていくボールガイをひらひらと手を振って見送る。控室でもガンテツボールを布教するつもりのようだ。懲りないというかなんというか……。

 

「ジムチャレンジャーのみなさーん。時間になりましたので背番号の昇順に並んで順番に入場してくださーい」

 

 と元気に布教して回るボールガイの背中を見つめているとスタッフに声を掛けられる。どうやら出番の様だ。まあ出番と言っても俺達チャレンジャーはぞろぞろと入場して選手宣誓を行い、その後のジムリーダー入場を見届けてチャンピオンの開会挨拶を聞いたら退場して終わりという簡単なものだ。一種のにぎやかしみたいなものである。気負うこともない……と自分に言い聞かせてみるが少しドキドキする。いつも画面越しに眺めていたグラウンドに今から自分が立つのだと思うと浮足立つような気持になる。

 俺はすぅと大きく息を吸い込んで吐き出した。腰のホルダーにセットしたプレミアボールにそっと手で触れて、前のチャレンジャーの後について歩きだす。

 

『―――それでは選手、入場です……!』



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第十五話

「ッ……」

 

 スタジアムに浴びせられた無数のライトに思わず目がくらむ。足を止めそうになるのを堪え、前のジムチャレンジャーに続いて歩みを進める。

 

「……すげぇ」

 

 次第に目が慣れていくにつれて視界に飛び込んできたのは満場のスタジアムだ。飛び交う声援。視界を鮮やかに彩るレプリカのユニフォームの群れ。観客席からはひしめき合う人々の熱狂がここまで届いてくるようだ。頭が割れてしまいそうなほどの歓声の渦に、今自分がどこにいるのかを改めて実感させられる。

 指定された位置に立ち、しっかと二本の足でグラウンドを踏みしめた俺はごくりと生唾を飲み込んだ。すさまじいプレッシャーだ。

 …と、ジムチャレンジャー全員が出そろったところで、司会の男はひときわ大きな声を張り上げる。

 

『さあ、勇猛果敢なる若きチャレンジャーたちを迎え撃つはガラルリーグの誇る八人のジムリーダー達だッッ』

 

 吹きあがるスモーク。ゆったりと、けれどしっかりとした自信に満ちた足取りで、俺達の出てきたのとは逆のゲートから八人の人影が現れた。ガラルリーグのジムリーダー達、これから先俺達が戦うことになる歴戦の英傑たちだ。

 

『前回リーグから二つのジムがそのリーダーの座を譲り、アラベスクタウンジムのビート! スパイクタウンジムのマリィの両名を加え新たなる時代の到来を思わせる今回のジムチャレンジであります! 前年度のジムチャレンジで目覚ましい活躍を見せた両名のジムリーダーとしての戦いに熱い期待が寄せられます!!!』

 

 司会の言葉に、観客の熱狂はさらにヒートアップする。彼らも皆、新しいジムリーダーの活躍を心待ちにしていたのだろう。もはや収集などつかないのではないかと不安になるほどの大騒ぎだ。

 

『―――――――聞け』

 

 だが、その熱狂は一瞬にして静寂へと変わった。ガラルでこの一年を過ごしたものならば、誰もが知っているあの人物が姿を現したからだ。それは、俺のよく知る普段の彼女とは比べ物にならない存在感でそこに立っていた。

 

『伝説は終わった』

 

 マイクを手に、マントをはためかせながら彼女は歩みを進める。

 

『先代チャンピオンによる十年間の不敗神話、チャンピオンタイムは終わりを告げた』

 

 踏み出すその一歩一歩から確かな自信が伝わってくる。

 

『私が終わらせた』

 

 スタジアムの中心に立ち、彼女は続けた。

 

『元よりこの世に「永遠」はない。走り出した列車がいつか止まるように、沈まない陽が無いように、あれはいつか訪れた終わりだ。避けられぬ宿痾だった―――』

 

 静かに、噛み締めるように告げる。スタジアムは静まり返り、吹き抜ける風の音だけが響く。その静寂を破ったのは、他でもない彼女自身だ。

 

『だがそれは嘆き悲しみにくれる「終わり」ではない! 列車はまた走り出す! 陽はまた昇る! あの日の敗北、あの日の勝利は新たなる時代の「始まり」の狼煙だ! あの日! あの時! チャンピオンの座は! ガラルに燻る無数の猛きトレーナー達の頂点は受け継がれた!』

 

 大きく手を振り、体全体で辺りを見渡しながら、彼女は叫ぶ。グラウンドに立つ選手だけでなく、それを見つめる観客すら鼓舞するように。

 

『我こそはと思う猛者よ! その爪を! その牙を! 研鑽せし挑戦者たちよ! 私に食らいついて見せろ! かつて私がそうしたように、私の元からチャンピオンの座を奪い取って見せろ! 新しい歴史を! 他の誰でもない自分自身のその手で切り拓きたいというのなら! 私のチャンピオンタイムを!! 止めて見せろ!!!!』

 

 高く拳を突き上げ、彼女は叫んだ。キィィンとマイクのハウリングが響く。

 静まり返ったスタジアムの中、ユウリはスタジアムに張り詰めた緊張の糸を解きほぐすように不敵に笑い、言い放つ。

 

『出来るものならな』

 

 真っすぐ突き出された彼女の手からマイクが落とされるのと同時に、スタジアムは今日一番の大歓声に包まれた。



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